「姫さま、地球があんなに大きくなってきました」 「本当ね」 二人を乗せた船が、月の連絡港を発ってから6時間。 月の王都から毎日見上げていた地球が、今ではもう窓いっぱいに広がっていた。 「初めてなので、少し不安です」 荷物は、最低限必要なものをまとめたトランクひとつ。 月-地球往還船での旅も、残り数十分だ。 「そろそろね」 「は、はいっ」 船室内の表示に従い、ベルトをする二人。 「どきどきしてきました」 「そうね。 私も」 「えっ」 「わたしと比べると、姫さまは落ち着いてると思ってました」 「そんなことないわ」 ちらっと窓の外に目をやるフィーナ。 「前に来たのは、まだまだ小さい頃だったから……」 「あの時のことはほとんど覚えてないの」 「そうなんですか」 ミアは、窓の外を食い入るように見つめている。 「姫さま、あの青いところが海なんですよね、全部水なんですよね」 「そうよ」 「すごいです……」 何度目か分からないため息をつくミア。 「ふふ、私も本当にどきどきしてきたみたい」 「ああっ、見えなくなっちゃいました」 「次に窓が開く時には、もう大気の中よ」 「姫さまは連邦政府の首都、見えましたか?」 小さく首を横に振るフィーナ。 「あっちの方に見えるかと思ったんですけど……」 「やっぱり、地図と丸い地球は違いますねっ」 がっかりしているような、喜んでいるようなミア。 そんなそわそわしている様子を、フィーナは優しい目で見守っていた。 「今はまだいいけど、地球に降りたらあまり浮足立たないようにね」 「あ……は、はいっ」 「すみませんでした……」 「ミアはこれまで通り、私の側に仕えていて頂戴」 「……でも」 「私が学院に行ってる間、地球を観光してみるのもいいかもしれないわね」 しょんぼりしていたミアも、フィーナのフォローで顔が明るくなる。 「いえ、私は一生懸命姫さまの身の回りのお世話をします」 「掃除・洗濯……」 「料理は、月と同じ材料があるか不安ですけど、なんとかしますねっ」 「あまり最初から張り切っていると大変よ」 「家事については、先様の都合もあるでしょうし、話し合いが必要でしょうね」 「はい」 ……。 「姫さまは、ホームステイされるお家の方を、ご存知なんですか?」 「ええ……そうね」 「月に留学に来ていたこともある方が家主よ」 「そうなんですかー」 「でしたら、安心ですね」 「あっ、窓が開きますよっ」 ミアは、ベルトさえ無ければ、窓に貼り付かんばかりの勢いだ。 「わあぁぁ……」 「遠いようで、近いのね……」 「菜月、ほら菜月」 ペンの背で突つく。 「次、当てられるぞ」 「あ、うんうんっ、起きてるよ」 菜月は起きていようと頑張っているが、時々船を漕いでいる。 「大丈夫、大丈夫」 「では次、86ページから……鷹見沢読んでくれ」 「えっ、あ、はいっ」 間一髪。 「えーと、満弦ヶ崎(みつるがさき)中央連絡港市は、現在ほぼ鎖国中の月王国との交流拠点として……」 午後の授業は、どうしても体の機能が昼ごはんの消化に集中してしまう。 宮下先生の抑揚の無いトークもあって、仮眠には格好のチャンスとされている。 「……現在、連邦政府内で唯一大使館が置かれている都市である満弦ヶ崎は……」 ……。 ほんわかとした春の日。 普段は受験勉強に精を出している菜月も、この科目だけは睡眠時間にしていることが多い。 「……今後の交流の進展は予断を許さない状況である」 「そこまで」 「あー……今のところで出てきた『月-地球往還船』というのが……」 「達哉、ありがと」 「ん、ああ」 「またうとうとしてたら、よろしくね」 「月学概論ってさ、受験に関係無いからどうしても眠くなっちゃう」 「俺はそんなことないけど」 「好きだからでしょ」 「まあ、そうか」 ……。 ここ『満弦ヶ崎大学附属カテリナ学院』には、連邦内でも珍しい月関連の授業がある。 満弦ヶ崎中央連絡港市。 文字通り、この街が月王国との玄関口になっているからだろう。 「あー……では、今日はここまで」 教科書やら出席簿やらを脇に抱える宮下先生。 「お前たちも3年だから、外部受験する者は他の科目の勉強をしてても構わんが……」 「いびきをかくのは、迷惑だからやめておけよ」 「寝てると分かりません」 「無理です」 などのブーイングを背に、教室を出て行く宮下先生。 ……。 今日の授業が終わった。 「……じゃ、行こっか」 「だな」 席を立つ俺たち。 ……。 引退を間近に控え、最後の大会に向けて部活に向かうクラスメイト。 掃除を始めている当番たち。 そんな連中の間を抜けて、俺と菜月は昇降口へ向かった。 「あ」 「麻衣かな?」 ……。 中庭から校舎内に響きわたるフルートの音色。 よく耳を澄ませば、校舎内のあちこちから楽器の音は聞こえてくる。 が、そのフルートの音色だけは、何となく聞き分けることができる。 俺と菜月は、中庭経由で昇降口へ向かうことにした。 「やっぱり麻衣だね」 「ああ」 そこには、フルートを吹いている麻衣がいた。 ……。 吹奏楽部に所属する妹の麻衣は、放課後よくここで練習している。 校舎のあちこちで吹奏楽部員がパートごとに練習しているが、フルートパートは中庭らしい。 「……あ、お兄ちゃん」 ちょうど区切りが良かったのか、麻衣が近寄って来る。 「練習中じゃないのか?」 「今は自主練だから」 「……お兄ちゃんたちは、これからバイト?」 「ああ」 「金曜だから、少し忙しいかな」 「そだね」 「菜月ちゃん、今日も行くからね」 「はい、お待ち致しております」 ぺこりと、菜月がお辞儀をしてみせる。 「今日は何時くらいになりそうだ?」 「んーと」 「あそこにいる、新入部員の上達次第かな?」 俺たちより一つ下、2年生の麻衣。 先輩がみんな受験で引退し、パートリーダーを務めている。 さて、どうするかな。 「……でね、お兄ちゃんと同じクラスの遠山先輩が、クラリネットのリーダーなの」 「遠山先輩って……遠山翠か」 「意外だな」 「なんだ、達哉知らなかったんだ」 「いつもクラリネットは廊下の一番奥で練習してるんだよ」 「屋上で練習してるのはトランペットだっけ?」 ……。 吹奏楽部事情に、少し詳しくなった俺。 「菜月、時間分かる?」 「ん? ……ああっ」 「菜月ちゃん、大丈夫?」 「急がないとっ」 「麻衣、じゃあなっ」 「う、うん。 急いでね」 俺と菜月は、昇降口を駆け抜け、校門を駆け抜け、川原まで走ることとなった。 ……。 …………。 「はぁ、はぁ……」 「ふぅ……もう大丈夫かな」 「おお、ホントだ。 急げば何とかなるもんだな」 「ま、急がずに済むのが一番いいんだけど」 「そーね」 息を整えながら、二人で川原を歩く。 「じゃあ左門で待ってるから」 「うん」 「頑張ってね」 「菜月ちゃんもね」 何度か振り返りながら、練習の輪に戻る麻衣。 俺と菜月は、背中にフルートの音色を聞きながら、昇降口から校門へ向かった。 ……。 菜月とは、家も隣でクラスも同じ。 そして菜月の家が営んでいるイタリア料理屋『トラットリア左門』は、俺のバイト先でもある。 「達哉さ」 「……今月も、ずいぶん働いたんじゃない?」 「まあ、先月と同じくらいかな」 「私は自分ちだからいいけどさ」 「達哉って、何か買いたいものでもあるんだっけ?」 「ん? あー、まあ……秘密」 「なーにが『秘密』よ、もー」 そう言って笑う菜月。 「でもさ、麻衣みたいに部活に打ち込む青春! ってのも良かったんじゃない」 「トラットリア左門部、じゃ駄目かな」 「ビミョー」 「でも、バイトで勉強になることは多いし、楽しいからさ」 菜月はため息をひとつ。 「まあ、そう……とも言うかな」 学院からうちまでは、歩いて15分くらい。 うちの周りが商店街ということもあり、歩いていて飽きることはない。 その商店街の真ん中あたりに、トラットリア左門がある。 菜月の父親がシェフを勤め、兄も働いていて、二階が住居部分。 菜月と俺は、フロア担当として働いている。 ……ちなみに、左門というのは、菜月の父親の名前だ。 「じゃ、店で待ってるね」 「すぐ行くよ」 店の裏手にある玄関へ消えていく菜月。 そのすぐ隣が俺の家だ。 ペペロンチーノ「わんっわんっ」 カルボナーラ「わふわふわふっ」 アラビアータ「わう」 「わっ、こらっ」 ……家に帰ると、まずはこの犬たちの洗礼を受けなくてはならない。 三匹とも俺が拾ってきた犬だけど、名前はみんな菜月がつけている。 ペペロンチーノ「わんわんっわんっ」 カルボナーラ「わふわふわふっ」 アラビアータ「わう」 「ごめんごめん。 散歩はまた夜にな」 イタリアンズ(犬たち)は不満そうだが、仕方無い。 ……なおも追いすがるカルボナーラを引きはがし、やっと玄関に入れた。 「ただいまー」 制服から着替え、カバンを部屋に放り込み、トラットリア左門へ向かう。 からんからん「いらっしゃいませーっ」 既に接客態勢に入っていた菜月。 「……なーんだ、達哉か」 「悪い、ちょっとイタリアンズに絡まれてて遅れた」 あと十分ほどでディナーの部が開店する。 そろそろ、気の早い客が来てもおかしくない時間だ。 「おうタツ。 来たな」 研ぎ終えた包丁を眺め、その輝きを確かめているおやっさん。 「今日もよろしく頼むわ」 「はい」 「じゃあ達哉は、観葉植物に水やっといてくれる?」 「分かった」 店の中にある緑に水をやる。 ついでに外にも。 ……。 ん?店の前に出してあるメニュー黒板に『本日のおすすめ~満漢全席280円』と書いてある。 「なんだこりゃ?」 「僕が書いた」 振り向くと、仁さんが立っている。 「これなら、お客さんが来るだろう?」 「いや、嘘ですから」 「だいたい注文が入ったらどうするんですか?」 「売り切れ、でどうかな?」 しれっと言ってのける。 「一度も売ったことがないものを、売り切れって言うんですか?」 「でもね、達哉君」 「お客さんが来ないと、君の給料も出ないのだよ」 「この看板見て入って来る人は、お金を払ってくれないですよ」 「そこで達哉君のウェイター能力が問われるのさ」 「『満漢全席はございませんが、代わりにエビのリゾットはいかがでしょうか?』」 「素直に今日のおすすめをエビのリゾットにしといて下さい」 「達哉君は遊びゴコロが分かってないなぁ」 「遊んでないで、さっさと仕込みに戻れ」 「ッス」 「タツ、黒板は直しといてくれ」 「分かりました」 仁さんは、おやっさんに引きずられるように店内へ。 「そうだ達哉君」 「はい」 「君が拾ってたショール、今日のランチタイムに持ち主のお姉さんが来てさ」 「大事なもんだったとかで、むっちゃくちゃ感謝してたよ」 「へえ。 良かったじゃない」 「だからゴミじゃないって言ったじゃないですか」 「どう見てもボロ布だったんだけどなぁ」 「……そうそう。 お礼を言ってた持ち主、綺麗なお姉さんだったよ」 「兄さん……」 「おい仁、エビの背わたがまだ残ってるからな」 「ッス」 厨房では、二人が食材の下ごしらえを続けている。 CLOSEDの札をOPENにひっくり返す菜月。 トラットリア左門、ディナータイム開店の時間だ。 ……。 …………。 からんからん「ありがとうございましたー」 9時になり最後のお客さんが帰ると、店内の緊張感が少し和らぐ。 菜月は、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出し、コップに注ぐ。 美容と健康のために、菜月はいつも野菜ジュースを飲んでいた。 「今日もご苦労様」 「最後にもうワンオーダーありますな」 「そうだな。 今日は久し振りに仁に任せてみるか」 「いいかな、タツ」 「……いいですよ」 「達哉君、今の間は何かな?」 「無いです、間なんか無かったですってば!」 ……。 閉店後のトラットリア左門では、おやっさんか仁さんが「まかない」 を作り、皆で食べている。 今日は、仁さんが作ることになったようだ。 からんからん「ただいまー」 「おかえり」 「いいタイミングだね麻衣ちゃん。 今日は俺が腕によりをかけるよ」 「そうだ、食後にはアイスクリームをつけよう」 「わあっ、楽しみにしてますね」 「達哉君、これが世間の評価だよ」 「麻衣の好物で釣ってるじゃないですか!」 「はっはっは。 まあ結果を見ていたまえ」 「いいから、早く作ってよ。 さっきからお腹が鳴ってるのを隠すのが大変なんだから」 仁さんが、大げさにため息をつく。 「ウェイトレスとして、それはどうなのかね」 「ウェイトレスも人間ですもの」 「……まあいいだろう。 任せておきたまえ」 ……。 定休日の水曜と週末以外は、うちの家族も一緒にまかないを食べさせてもらっている。 吹奏楽部の練習で遅くなる麻衣。 一緒にバイトをしている俺。 そして……。 からんからんガンッ「た、ただいま~」 「なんか今、思い切り扉にぶつかってなかった?」 「そんなこと、ないですよ?」 思い切り嘘だ。 「あ、でも間に合ったみたいね。 良かった良かった」 少し息を切らせて入って来たのが、さやか姉さん。 「あ、お帰りなさーい。 まだ食べ始めてませんよー」 「お疲れさま、お姉ちゃん。 今日も遅かったね」 「ほんと、もうお腹空いちゃって空いちゃって」 「そういう方にもご満足頂けるメニューをご用意いたしております」 「あ、仁くんが今日の担当なのね」 気取ったポーズで、仁さんに注文を出すフリをする。 「本日のお勧め料理は何かしら?」 「僕の気まぐれカルパッチョだよ、さやちゃん」 「仁くんの気まぐれは、打率3割くらいだからなぁ」 そう言って笑うさやか姉さん。 ……さやかさんは、うちに同居してる俺の従姉だ。 月に留学したことのある数少ない地球人で、その後、月王立博物館に勤めている。 「じゃ、やろうよ」 「おーう」 店の一番奥のテーブルに手をかける。 「せーのっ」 息を合わせてテーブルを持ち上げ、隣のテーブルにつなげる。 これはおやっさんの提案だ。 全員が座れる大きなテーブルを作り、みんなで一緒にご飯を食べること。 麻衣や姉さんが早く帰れた日も、この時間まで夕食を待つことにしている。 ……。 菜月が、全員分のグラスを持って来て、テーブルに並べ始めた。 「達哉」 「ああ、水な」 ……厨房からは、おやっさんが、仁さんの手つきを指導する声が聞こえる。 しばらくして出てきた料理を皆で囲み、いつも通りの夕食となった。 ……。 …………。 「ごちそうさまでしたー」 「ごちそうさまでした」 「仁の料理、どうだった?」 「美味しかったですよ」 「麻衣ちゃん、もう少し具体的に」 「んーと、白身魚のカルパッチョがさっぱりしてて美味しかったです」 「さやちゃんは?」 「そうね……」 「シーフードのペペロンチーノは、もう少しガーリックが効いてても良かったかな」 「うむ」 「最初にフライパンでにんにくを炒める時、もう少しきつね色になった方がいいんだ」 「うーん、やはりそうか」 「仁さん、この前は焦がし過ぎたから警戒したんですよね」 「はっはっは、指摘されなくても自分で分かってる」 「ガーリックの炒め方は、イタリアンの根っこだからな。 精進、精進」 ……。 料理人としては修行中の仁さん。 よく、こんな風にまかないで練習をしている。 それだけではなく、夜中や朝にも一人で練習してるみたいだけど、あまり本人は口に出さない。 「……よし、じゃあ片づけるか」 おやっさんの一声でみんな席を立ち、皿を運んだりテーブルを元の配置に戻したり。 仁さんは皿を洗い、残りの人はざっと片づけをする。 ……。 …………。 「おやすみなさい、おじさん」 「ああ。 おやすみ」 「おやすみなさーい」 「おやすみー」 「仁さん、料理修行……頑張って下さいね」 「僕の料理無しでは生きていけないようになってから、泣きべそをかかないようにね」 「そこまでの腕になってくれたら、泣いてもいいです」 ……。 ……今、朝霧家に住んでいるのは、麻衣とさやか姉さんと俺。 「ただいまー」 「ただいまー」 ……。 返事が無いのは分かっていても、一応ちゃんと挨拶する。 親父は5年前に出て行ったまま行方不明、母さんは3年前にこの世を去った。 さやか姉さんが支えてくれているこの残された家に……今は、三人で何とか暮らしている。 「ん、んーっ」 ベッドに上半身を起こしたまま、背伸びをする。 今日は土曜で学院も無いから、二度寝しても何も問題無い。 が。 「わんわんっ」 「しょうがないなぁ。 よっ」 と、元気な犬の鳴き声に背中を押されるように、ベッドから起き出した。 ……。 姉さんや麻衣はまだ寝てるのだろう。 二人を起こさないように、そっと階段を下りる。 ドッグフードの入った大きな紙箱を手に、リビングから、サンダルを引っかけて庭に出る。 からからペペロンチーノ「うぉんっ」 カルボナーラ「わふわふわふっわふっ」 アラビアータ「をん」 ちぎれんばかりに尻尾を振り、俺にじゃれついてくるイタリアンズ。 「待て、待てってば」 三匹それぞれの餌入れに、ドッグフードをざらざらと流し込む。 一応行儀よく待ってはいるが……その「お座り」 の格好とは裏腹に、瞳には期待が満ち溢れ、呼吸は荒い。 「よしっ」 三匹は一斉に、ドッグフードに顔を埋めた。 ……。 それぞれの餌が無くなると、少し静かになる。 ……と思ったら。 「ぅおん?」 通りの方を見て、不審な動きを見せるイタリアンズ。 「あれ、気づかれちゃった」 「菜月か……わっ」 ペペロンチーノ「うわんっうぁんおんっ!」 カルボナーラ「わふわふわふわふわふっ」 アラビアータ「おんおんっ」 「きゃっ、こら、あははっ」 大人気だ。 「菜月はモテモテだな」 「動物は純粋だから、いい人を本能的に嗅ぎ分けるの」 「言ってろ」 「……でも、こんなに朝早くどうした?」 「嬉しそうな鳴き声が聞こえてきたから、目が覚めちゃった」 「そっか。 悪かったな」 「べつにー」 「ほらほら、わしゃわしゃしゃしゃ」 菜月が、一番大きいカルボの首に腕を回し、首輪の下を掻いてあげる。 「おんっ♪」 あーあ、あんな嬉しそうな顔しやがって。 ……。 イタリアンズは菜月に遊んでもらうのが大好きで……菜月が来る度にこのありさまだ。 「菜月から、犬に好かれる匂いでも出てるのかな」 「こっちから『大好きオーラ』を出してれば、普通は犬も好きになってくれるよ」 「そのくらいじゃなきゃ、獣医なんて目指さないって」 菜月はそう言うが、それだけじゃなくて、何か生まれつきの才能があったりするのかもしれない。 もしそうなら、菜月が目指してる獣医は、天職かもな。 ……。 からから「おはよー」 「おはよう」 「おはよう、麻衣」 「ん? 寝癖、寝癖」 菜月が後頭部を撫でるジェスチャーで教える。 「え……あっ、ほんとだ」 ぱたぱたとキッチンへ向かう麻衣。 「えーと、寝癖がどうしたの?」 麻衣の後ろから現れた姉さん。 しかし……麻衣とは比べ物にならないくらい、ぴょんぴょんと髪が跳ねている。 「ほらほら。 おいでおいでー」 「おんっうぉんっ」 カルボが、先陣を切って姉さんに甘える。 「おぉんっわんっおんっおんっ」 「ぅおんっ、おんっ」 「もう、さやかさんが来ると、アラビまで甘えん坊になっちゃうんだから」 「姉さん、パジャマに毛がついちゃうよ」 「まあまあ」 「あ、お姉ちゃんばっかりずるいー」 戻ってきた麻衣が加わる。 しかし……姉さんの寝癖は気になるなぁ。 どうしたものか。 改めて姉さんの頭を見る。 ……。 姉さんは朝に弱い。 しかし、それも一家を支えるためなんだよなぁ。 そう考えると、この寝癖もありがたい物のような気がしてきた。 「あ」 「お姉ちゃん、すごい寝癖だよ」 さらりと指摘してしまう麻衣。 「本当?」 さわさわ「それより姉さん……」 「すごいことになってるよ、頭」 「うんうんうんうん」 菜月も、ものすごい勢いで首を縦に振る。 「え?」 手で頭の周りをふわふわと触ってみる姉さん。 みるみる顔色が変わる。 「ね?」 「……ひゃあぁぁ」 姉さんは、真っ赤になって洗面所へ駆けていった。 ……。 今日は学院も休みだし、午前中はちょっとのんびりできる。 春の暖かい風。 平日と違ってかまってくれる人が多いから、イタリアンズもごきげんだ。 ……。 麻衣が淹れた濃い目の緑茶を飲むと、姉さんはすっかり目が覚めたようだ。 「いただきます」 「いただきまーす」 「どうぞ、召し上がれー」 ……だいたい、うちで食事をする時は、麻衣が料理をする。 姉さんは仕事で遅かったり早かったりするし、俺もバイトに出ていることが多い。 そんな中で、何となく麻衣が料理担当みたいになって、今に至る。 「お、麻婆豆腐か」 「はずれでーす」 「これは、キャベツね?」 「そうでーす」 「正解は、麻婆ロールキャベツでしたー」 「ん、意外と合うな」 「ほんとね」 「それに、私が間に合うように、手早く作ってくれたのもすごいわ」 「でも、ロールキャベツは冷凍のだし」 「ありがとう、麻衣ちゃん」 「いえいえ」 麻衣が、嬉しそうに照れる。 その頭を、姉さんが撫でた。 「よしよし」 「あはは」 姉さんに褒められ、ほわわん、となる麻衣。 ……。 味噌汁を飲み終えると、箸を置いて手を合わせた。 「ごちそうさまでした」 「ごちそうさまー」 「お粗末さまでした」 深々と頭を下げて一礼。 「じゃ、行ってきますね」 「いってらっしゃーい」 ……姉さんは現在、博物館の「館長代理」 だ。 館長はどこか遠くの偉い人らしく、名前を貸しているだけ。 つまり、姉さんが博物館の実質トップなのだ。 俺と麻衣は、そんな姉さんのことをこっそり誇りに思っている。 ……。 「じゃ、片づけよっか」 「皿、流しに運ぶよ」 学院が休みなので、土曜日は家の中を掃除することが多い。 夕方からは、左門のバイト。 まる一日休みじゃないぶん、遊びに行くより掃除したくなったりする。 「今日は洗濯物も乾きそう」 「ああ、いい天気だな」 麻衣が洗濯物を干し、俺は掃除機をかける。 「洗濯ものに、触っちゃだめだからね」 「わんっ」 「後で遊んであげるから」 「わぅんっ」 「はい、じゃああっちで遊んでてね」 「くぅぅん~」 菜月はイタリアンズにすごく好かれている。 姉さんはいつも甘えられている。 でも、麻衣は言うことを聞かせるのが一番上手いような気がする。 「……ふう、終わったよー。 お兄ちゃんは?」 「もう少し」 「えーと、風呂だけ頼める?」 「うん、分かった」 庭からサンダルを脱いでリビングに上がり、洗面所へ駆けていく麻衣。 ……麻衣が所属している吹奏楽部は、平日の練習を遅くまでやる代わりに、土日は休みだ。 おかげで、土曜日はこうして家事を分担することができる。 ……。 「どう?」 風呂の掃除を終えた麻衣が、こっちの様子を見に来た。 「ああ、あとここで終わり」 「じゃあ、終わったら行こう?」 「はいはい」 麻衣は、フルートパートのリーダーになってから、土日も自主練習することが多い。 きっと、パートリーダーとして恥ずかしくないように、と思っているんだろう。 俺は掃除機をしまい、ジャケットを羽織って外に出た。 「わぅぅー」 カルボの相手をしながら、麻衣が出てくるのを待つ。 「待って待ってー」 「ちゃんと鍵かけろよ」 「うん、えと……えいっ」 「おっけー」 たたたっと駆け寄って来る麻衣。 「じゃあ、行くぞ」 「うん」 フルートケースを持ってやる。 「ずいぶんボロボロだな」 「入部してからずっと使ってるし、先輩たちも代々使ってたから」 これから練習に向かうのは、いつもの川原だ。 ……。 「今日はあったかいなぁ。 ジャケットいらなかったかも」 「そうだね」 「……あ、帰りに食材買っていこうかな」 「金持ってきてる?」 「あはは、小銭入れだけ」 「貸してくれる?」 「ああ、いいよ」 東満弦ヶ崎駅から伸びる商店街。 その中にトラットリア左門とうちがある。 左門もうちも、日常的な買い物はほとんどこの商店街で済ませていた。 「お、麻衣ちゃん。 今日は春菊が安いよ!」 商店街のいろんな店から、声がかかる麻衣。 麻衣も、にぱっと笑顔で応えている。 「ありがとうございます、帰りに寄りますー」 「あら、麻衣ちゃん。 今日は早くも鰹が入ったから見てってよ!」 「あ、初鰹ですね。 帰りに寄りますー」 ……。 「麻衣、まるで主婦みたいだな」 「お兄ちゃんひどーい」 「近所づきあいは大切だし、家計にも優しいのに」 「なるほど。 確かに」 「お兄ちゃんもわたしを見習ってよ」 得意気に、少し胸を反らす麻衣。 「さ、着いたぞ」 弓張川の河川敷。 登下校でも、毎日通っているところだ。 「じゃあ……今日もお願いします」 「任せとけ」 と言っても。 実際には、座ったり寝っ転がったりしながら、麻衣のフルートを聴くだけだ。 麻衣に言わせれば「聴いてる人がいるだけで緊張感のある練習ができる」 そうだけど。 「ではでは」 ……。 …………。 俺じゃなくてもいいんじゃないか? と聞いてみたこともある。 が、知らない人に聴かせるのは恥ずかしいそうだ。 ……。 放課後、学院の中庭で麻衣が吹いてるのと同じ曲。 練習用の課題だとか。 ……。 うちの学院の吹奏楽部が、地区大会上位の常連だったりするわけではない。 それでも、学院の中では真面目に活動してる部だと思う。 麻衣から聞く限り、けっこう体育会的なところもあるみたいだし。 ……。 春のぽかぽかした日差し。 川面を渡る風。 その風に乗って流れる、麻衣が奏でるメロディ。 ……。 …………。 「お兄ちゃん」 「あ、ああ」 「……寝てたか?」 「うん」 「そっか。 ごめんな」 「いいよ。 いてくれるのに意味があるんだから」 「……じゃなくて、そろそろバイトの時間かなって」 時間を確かめると、4時半。 「そうだな。 助かった」 「じゃ、帰ろっか」 「買い物していくんだろ?」 「うん」 「じゃあこれ」 財布から、何枚かお札を渡す。 「足りるか?」 「うん。 十分」 「じゃ、バイト頑張ってね」 「ああ。 フルートは持っていくよ」 「わあ、助かるー」 フルートケースを、麻衣から受け取る。 「手入れは?」 「うん、買い物が終わって帰ったらやる」 「……それじゃ行くねっ」 魚屋の人だかりの中に消えていく麻衣。 俺は、フルートケースを持って、家へと向かった。 ……。 ん?誰かいたよな、今。 角を曲がり、うちの方を見る。 ……。 あれ。 こっちに曲がって行ったはずなんだけど。 ……?「わん」 「わふ?」 「おんっ」 「よしよし。 帰ったよ」 ……ま、いっか。 土曜日は家で食事を取る日。 麻衣が作ってくれたご飯を、姉さんと三人で食べる。 「今日は回鍋肉(ホイコーロー)でーす」 「ん、うまそうだな」 「味噌汁よそうわねー」 「じゃ、お茶淹れるわ」 いつもの週末、いつもの朝霧家の食事風景。 ……。 そして、いつものように食べ終わったあと。 「二人とも、ちょっといい?」 「なに、お姉ちゃん?」 「風呂ならまだ洗ってませんごめんなさい」 「お風呂は……洗っておいてね」 「はい」 「二人にお知らせがあります」 なんだろう。 口調はいつも通りだけど、改まった話のような気がする。 「急な話なんだけど」 「私たちに、家族が増えることになりました」 「えっ……?」 家族が増える。 家族が……増える!?「ど、どうやって?」 「お姉ちゃん、もしかして」 「子供ができたとか?」 「結婚するの?」 まさに青天の霹靂。 俺と麻衣は動揺しまくりだ。 「えっ?」 「えええええっ?」 ぽかんとしていた姉さんの顔が一気に赤くなる。 「ちちち違いますっ」 「ご、誤解ですからねっ結婚の話なんてカケラも無いし子供なんてこここ子供っ!?」 わたわたと手を振っている姉さん。 俺たちを数段上回る混乱っぷりに、ちょっと冷静になる。 「ええと、ちゃんと説明してください」 「うんうん」 「そっ、そそそうね」 「すーはー、すーはー」 深呼吸。 俺も、こっそり深呼吸する。 「ええとですね」 「明日からなんだけど、うちで、ホームステイを受け入れることになりました」 「ホームステイ」 「はあ」 「ホームステイというと、あのホームステイ?」 「ええ、多分そのホームステイです」 俺は、ひとつ大きなため息をつくと、きっと姉さんの方を向いた。 「びっくりしたじゃないかっ」 「そういうことなら、ちゃんと最初からそう言ってくれないと」 「うんうん」 「ごめんなさい」 しゅーんとなってしまう姉さん。 「……で、どんな人なの?」 「知り合い……といえば知り合いなんだけど」 「男の子? 女の子?」 「歳は?」 「どこの人?」 「ええとね」 「知ってるかな。 月の国……」 「スフィア王国」 ?一瞬、何を言われてるか分からない。 「そりゃまあ」 「一応、知識としては知ってますけど」 「まさか……」 「月から?」 「ぴんぽーん」 「……ほ、本当なの?」 うなずく姉さん。 「す……」 「すごーい!」 椅子からぴょんと飛び上がりそうな麻衣。 俺はといえば、想像もしていなかった出来事に、頭の回転がついていかなかった。 ……。 …………。 そりゃそうだ。 スフィア王国と言えば、神秘のベールに包まれた国。 地球に住んでいる全ての人類にとって、ほんとうに唯一の『異国』なんだから。 「お姉ちゃん、性別は? 歳は?」 「あのね、驚かないでね」 「もう何言われても驚かないよ」 「月の人が来るってだけでもう、ここ一年分くらい驚いた」 「ホームステイしに来る人って……」 「スフィア王国の、お姫さまなの」 ……。 …………。 「麻衣、しっかりしろ麻衣っ」 「お兄ちゃん……」 麻衣の肩を掴み、前後に激しく揺する。 「いいい今、お姉ちゃんが言ったこと、わたしよく聞こえなかった」 「そうそうそう、実は俺もそうなんだ」 「姉さん、もう一度言ってくれる?」 姉さんは、にこにこ頷く。 「うちに、明日から、ホームステイしに来るのは、」 「月の、スフィア王国の、お姫さまよ」 ……。 …………。 「ってことは」 「うちは召し上げられてしまって、俺たちは追い出されるということ?」 「もう、一緒に住むって言ってるでしょ」 少し頬を膨らませ、怒って見せる姉さん。 「たっ、大変っっ!」 「住んでもらう部屋が無いよっ」 「それより麻衣、口に合うものを作れるのかっ!?」 「だめだめだめだめだめだめ、絶っっっっ対にムリ!」 「ああ、でも料理人とか来るよなきっと来るさそうだそうだよ当たり前だよな」 「お供は一人だけって聞いてるけど」 ……。 「あのね姉さん」 「いくら月に留学したことがあるからって、そんなあり得ないこと言って俺たちが信じると思ってる?」 「困りましたね……」 「だってそんな、護衛の人だって、外交やら何やらの関係者だって、たっぷり来るはずだろ?」 「たった二人で来るなんて……」 「うん」 俺と麻衣で、姉さんをじっと見つめる。 「……」 ……。 …………。 「……本当なの?」 「ええ。 本当よ」 「本当に?」 「本当に」 ……。 「部屋、片づけないとね」 「そーいう問題か! いや、そういう問題でもあるんだけど」 「家族にとって、大切な問題を姉さん一人で決めちゃうなんて、珍しいっていうか」 「ちょっと……納得いかないっていうか」 「……」 こんないびつな家族だからこそ、大事なことは、みんなで話し合って決める。 そうやってきたはずだ。 ホームステイ自体をどうこう言うつもりは無いけど、相談されなかったのは……少し寂しい。 麻衣も無言で同調してくれている。 俺の発言のせいだけど、少し重い空気。 ……姉さんが、軽く頷いて口を開く。 「……そうね」 「今回の件を、一人だけで受けちゃったことは謝ります」 「ごめんなさい」 「お姉ちゃん、いいよ」 「うん……」 「でも、さっきまで言ってたことは、全部本当なの」 「明日から、月のスフィア王国のお姫さまが、うちにホームステイに来るわ」 ……。 「うちに来ることになるまでにも色々あって、あまり相談することもできなかったの」 「今さら言っても、後付けの言い訳になっちゃうけど……」 「うん。 姉さん、もういいよ」 「ありがとう」 ……なでなで。 姉さんは、いつもと同じように、俺の頭を撫でてくれた。 「さて」 「どの部屋を使ってもらうことにするの?」 「うーん」 「一階の客間を使おうと思うんだけど」 「そうだね」 「母さんが使ってた机くらいは、運んでおいた方がいいかな」 「姉さん、お姫様が来るのって何時くらいなの?」 「日中だとは思うんだけど、詳しい時間までは分からないの」 「明日は、朝から家具を運ばないとね」 「じゃあ、今日は掃除だけでもしておこうよ」 ……。 三人で、手分けして掃除をする。 月のお姫さまに、埃のたまった部屋を使ってもらうわけにもいかない。 ……久しく使っていなかった客間の掃除は、かなりばたばたと進められた。 しかし、手を動かしながら俺は……。 多い時は5人が暮らしていたこの家に、久し振りに人が増える。 その事実に、少しわくわくしていた。 ベッドに入ってからも、しばらく眠れなかった。 きっと、これまで繰り返してきた変化の少ない日々が、変わっていく予感のせいだろう。 寝返りを何度も打つ。 ……。 …………。 だめだ。 寝よう寝ようと思うと、余計に焦って目が冴えてくる。 ……こういう時は。 散歩するに限る。 イタリアンズの散歩をしようかと思ったけど、連中が大喜びすると、姉さんや麻衣を起こしてしまう。 しょうがない、一人で夜の街をふらふらするか。 ……。 昼は汗ばむくらいに暖かいけど、まだこの時期は夜が涼しい。 見上げれば月。 あの月から、うちに人が来るなんて、まだ全然実感が湧かない。 いったい、どんな人なんだろう。 お姫さまなんて人種には会ったことも無いし、映像を見たことも無い。 姉さんは「気負わなくていい」 って言ってたけど、そもそも何に対して気負えばいいのかもよく分からない。 ……あれこれ考えているうちに、俺は公園まで来ていた。 丘の向こうからは、波の音も聞こえる。 ……。 …………。 この街は地球の月に対する玄関口だけあって、月の大使館があったりもする。 月人居住区もあるけど、普段は近寄りがたい雰囲気が漂っていた。 ……。 そもそも、月のお姫さまなんて生活レベルも違うだろう。 うちみたいな庶民と一緒になんて暮らせるのかな。 ……そんなことを考えながら歩いていると、物見の丘の頂上付近まで来ていた。 そこから海を眺める。 ……。 崖の下には海があり、静かにしていると、ここまでかすかに波の音が聞こえて来る。 ほとんど明かりも無いはずの場所を、明るく照らす月。 今日は、少し白くにじんでいる。 ……。 38万キロという、地球から月までの距離。 実際どれくらいのものなのか、実感もできない。 地球が確か一周4万キロだったから、9周半くらいかな。 結局、よく分からない。 「遠いよなぁ」 思わず口をついた独り言。 すると、ふと周囲が明るくなったような気がした。 振り返ろうとしたけど……何か、振り返っちゃいけないような気がして、足がすくむ。 ……。 なんだろう。 月明かりでできた俺の影が、足元から伸びる。 波の音が、遠くから聞こえる。 少し湿った風が、頬を撫でる。 ……。 …………。 俺は、思い切って、振り返った。 そこには人が立っていた。 非常に場違いな服に身を包んだ、しかし、とても綺麗な人。 風が止む。 この人は、どこかで──月に対して逆光なため、顔はよく見えない。 でもなぜか会ったことがある……気がした。 「……」 「……」 彼女が、微かに口元を動かした。 何か喋ったのかもしれないけど、よく聞こえない。 ……。 互いに、互いの瞳をじっと見つめている。 俺が目を逸らしちゃいけないような気がして──向こうも、同じように視線を逸らさず。 長い間。 ずっと長い間──……。 …………。 どれくらいの時間が経ったのか、分からなくなってきた。 凪いでいた空気が、ふっと二人の間を吹き抜けた。 「あ」 思わず、一瞬だけ目を閉じてしまう。 ……。 再び目を開いた時。 たった今まで見つめていた女の子が、いなくなっていた。 今のは……?夢や幻を見ていたのでなければ、まだ近くにいるはずだ。 俺は、すぐに周囲を見渡した。 が。 人の姿とおぼしきものは見当たらなかった。 「寝ぼけてたか?」 わざと、少し大きめの声で自問する。 その声も、海から崖を駆け上がる風にかき消された。 ……。 …………。 「体調が悪いなら言ってね」 「だいじょーぶだいじょーぶ」 ……。 結局、昨日は散歩したことで余計眠れなくなった。 少しだけうとうとできたのが、明け方近くなってから。 おかげで、ちょっと眠い。 「今日は家具も運ばないといけないしな」 「うん」 「今日は、久し振りに私が朝御飯を作ったのよ」 「へえ、そうなんだ」 「腕が落ちてないといいんだけど」 「大丈夫、味見したら美味しかったよ」 姉さんの料理は、いつも大皿にたくさん盛ってあり、みんなで取り分ける。 この朝も、みんなでアスパラの肉巻きやオムレツを分けながら食べた。 「いただきまーす」 「いただきます」 ……。 …………。 「さて、やりますか」 「お母さんの机を客間に運ぶんだよね」 「母さんの私物が残ってたらどうしようか?」 「琴子さんのものは、千春さんの書斎にしまっておいてね」 「親父の書斎か……」 親父の名前が朝霧千春で、母さんが琴子。 姉さんにとっては叔父叔母にあたるので、名前で呼んでいる。 「カーペットは今のままでいいかな?」 「そうね」 親父と母さんの部屋だったところを、今は姉さんと遺品で使っている。 そして親父の書斎だけは、手つかずで残されていた。 「あっ」 「はい、穂積です。 はい……はい」 ……。 電話を切った姉さんは、少し眉間に皺を寄せていた。 「大使館にお迎えに行くことになっちゃった」 「ごめん、その間お迎えの準備をお願いね」 「急だね」 「結局、月の料理を覚える時間もなかったなぁ」 ……。 急いで着替えた姉さんは、ぱたぱたと家を出て行った。 俺と麻衣は、とりあえず姉さんの部屋に入ってみる。 「さて、まずは……」 「大きい方から運ぼうよ」 「机だな」 ……。 …………。 麻衣と二人で、机と椅子を一階の客間へ運び込む。 お客さん用に元からあるのがベッド・ドレッサー・ソファ。 一応、観葉植物も運び込んでみた。 ……とりあえず、今できることはこれくらいだろう。 「ねえお兄ちゃん」 「お姫さまって、どんな人なんだろうね」 「さあなぁ」 「ほとんどの地球に住んでる人にとっても、謎の存在だし」 「第一、そんな偉い人となんて会ったことも話したこともないからな」 「うん。 でね、そういう人に……」 「この部屋で、いいのかな?」 「う……」 ……。 なんの変哲もない、長いこと使われていなかった客間。 「確かにな」 「でも、『郷に入りては郷に従え』って言うからさ」 「俺たちがそんなに気を遣うことも無いだろ」 「従わなかったら?」 「気に入らないなら、もっとちゃんとしたホテルとか、月の大使館とかに行ってもらえばいいさ」 「地球の文化を学んでもらうためにも、普段通り、どーんと構えてようぜ」 「……うん、そうだよね」 「ありがとうお兄ちゃん。 気が軽くなった」 「よし」 なでなで。 姉さんの真似をして、麻衣の頭を撫でる。 「……」 ……。 「じゃあ、出てきた母さんの私物を書斎に運ぶか」 「うん」 ……。 俺も麻衣も、久しくこの部屋には入っていなかったが……前と変わらず、かすかに胸が痛くなった。 「……」 雑然と積まれた本。 小さなテーブルには、読みかけの本まで残されたまま。 この部屋は、親父が出て行った朝から何も変わっていない。 否応なく、俺にあの頃を思い起こさせる。 「大掃除……した方がいいのかな?」 麻衣が、少し沈んだ声で言った。 「ここは、お客様が帰るまで封印ってことで」 「りょーかい」 麻衣は、部屋の片隅に荷物を置いた。 「それじゃわたし、キッチンの掃除するね」 「ああ」 ……。 全体に、薄っすらと埃を被っている書斎。 ぼんやりと室内を見回すと、積まれた本の中に、紙飛行機の本が乗っているのに気づく。 「ふーん」 研究が行き詰まった時、よく紙飛行機を作っていた親父の背中を思い出す。 が、すぐに頭を振って、その姿をかき消した。 ……。 月の研究にかまけ、ほとんど家にいなかった親父。 ロクに収入も無いのに、あちこち飛び回ってばかりいた。 その頃のことは……あまり思い出したくない類の記憶だ。 ……。 俺は、ギリギリまで麻衣の掃除を手伝った後、いつものようにバイトに行くことにした。 「何か見えるの、達哉?」 「いや、別に」 窓の外ばかり見ているのを菜月に問いただされる。 集中しよう、集中しようと思うほど、いま一つ身が入らない一日。 大きくて黒い自動車が通る度に、窓の外に視線を持って行かれていた。 「タツ、これ4番さんに」 「……あ、は、はいっ」 「達哉君、しっかりしてくれないと困るんだけどねえ」 「体調が悪い……って顔色じゃないわね」 「すみません」 ……。 …………。 からんからん「ありがとうございましたー」 何度かミスしつつ、何とかこぎつけた閉店時間。 「お疲れさま、達哉」 「何だか今日は気が散ってたね。 さっぱりする野菜ジュースでも飲む?」 「いや、その……そろそろ帰ろうかなって」 「菜月、達哉君は何か家の方に心配事でもあるようだよ」 「そうなんだ」 仁さんには、俺の視線を見られていたのかもしれない。 「言ってくれれば良かったのに」 「ああ、ええと、まあ……」 言っていいものかどうか、ちょっと悩む。 「困ったことがあるなら、遠慮なく言えよ」 「一応、困ったりはしてないんで」 何となく笑顔で答えつつ。 「それじゃ、お先です」 からんからん何となく後ろめたくて、逃げるように左門を出た。 ……。 左門の中から時々窺っていたけど、別にそれらしい車が来ていた様子は無かった。 もしかして、まだ来てないのだろうか。 「ただいまー」 ……。 ……?靴が……。 見慣れない靴がある。 もう、来てるのか?「ただい……ま……」 「お帰りなさい、達哉くん」 「お兄ちゃん、お帰りー」 「……で、これが唯一の男手の『達哉』です」 「はい」 ……。 姉さんが話しかけてる相手が見えない。 「あの、姉さん?」 その『相手』は、姉さんの後ろにいた。 「はじめまして、ミア・クレメンティスと申します」 「こ、こちらこそはじめまして。 朝霧達哉です」 ……。 …………。 ずいぶん小さいお姫様だ。 それに、着ている服が、その、何というか、あまり……お姫様らしくないような。 「えっと、その、こちらが……?」 助けを求めるように、姉さんを見る。 「ミアさんは、フィーナ姫のお供でいらっしゃったの」 「あっ、すみません」 「わたしは、フィーナ様のお側に仕えさせて頂いております」 そう言って、ぺこりと頭を下げるミアさん。 「あ、そうでしたか」 「てっきり……」 「お兄ちゃん、お姫さまなら」 「?」 麻衣の言葉が終わらないうちに、庭に立つ人影に気づく。 背筋が伸びた人。 その人が……静かに、振り向いた。 ……。 …………。 !「っ!」 「……ええと、こちらが、月の王女のフィーナ様」 「あ」 「……御挨拶が遅れまして、失礼致しました」 「スフィア王国の王女、フィーナ・ファム・アーシュライトと申します」 「本日よりこちらにお世話になりますので、どうぞよろしくお願い致します」 晴れやかな笑顔。 長いドレスの裾をつまみ上げ、優雅に、深々とお辞儀する。 「あ、朝霧達哉と申します」 「こちらこそ、何のおもてなしもできませんが」 緊張のあまり、口を突いて出てくる言葉の意味が分からない。 「くすくす……」 「お兄ちゃん、わたしと同じこと言ってる」 「本当ですね」 自分で分かるほどに、首から上に血が集まる。 きっと、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。 「どうぞ、お構いなく」 笑顔を崩さない姫。 庭から、リビングに上がろうとする。 が。 一瞬、土足のまま上がりそうになり、そこで止まる。 「……」 気づくと、全員の視線がフィーナ姫の足元に集まっている。 ……。 そして、お姫様は、足を戻して靴を脱いだ。 「地球のことも、ちゃんと勉強して来ましたから」 何事も無かったかのように、リビングに上がる。 ……。 …………。 微妙におちゃめだ。 「これから、よろしくお願いします」 「はい、こちらこそ」 何となく……何となくだけど、上手くやっていけそうな気がしてきた。 「……とまあ、フィーナ様がいらっしゃる間の注意事項はこんなところです」 「分かりましたか?」 「はいっ」 「それだけですか?」 姉さんが説明したのは、本当に基本的なことばかりだった。 ……しかも、そんなことやらないってば、みたいな内容。 プライベート時の写真を撮って売るなとか、喋るのを録音して売るなとか。 こんなに簡単でいいんだろうか。 「大使館から送られてきた事項はこれだけでしたが……」 「フィーナ様もよろしいですね?」 「はい」 「その他に迷うようなことがありましたら、私に尋ねて頂ければと思います」 「プライベートと、そうじゃない時の区別はどうやってつければいいんですか?」 「ナイトドレスを着ている時がプライベートだと思って下さい」 「ナイト……?」 「寝る時に姫さまがお召しになる服です」 「パジャマ、ですね」 「それ以外の時は、ずっと今のドレスなんですか?」 「はい。 そのつもりでおります」 さすがお姫様だ。 「疲れませんか?」 「そうですよ、もっと楽な格好をなさってもよろしいのでは」 「このドレスは着慣れておりますし……」 「気持ちが引き締まるので、私はこの服が好きなんですよ」 「すごいですね……」 「でも、この家にいらっしゃる時は、ご自分の部屋のつもりでくつろいで下さいね」 「ミアさんも」 「お心遣い、ありがとうございます」 「ありがとうございます」 「あの……」 「はい?」 「外出の時も、そのドレスですか?」 「そのつもりですが」 「さすがに……目立ちすぎると思うんですが」 「ねえ、姉さん」 「そうですね……」 「人が集まってきちゃうよ」 「確かに」 本気で、ずっとドレスで過ごすつもりだったようだ。 ……。 「フィーナ様」 「今回のご留学では、姫たってのご希望で、護衛官や補佐官をお断りになったと聞き及んでおります」 姉さんが、珍しく毅然とした態度で語る。 「はい、その通りです」 「外出される際、今お召しのドレスのままでは『月の姫ここに参上』と看板を掲げているようなもの」 「どうか、お着替え下さい」 「……」 「そうですね。 サヤカの言う通りだと思います」 「外に出る時は、着替えることにしましょう」 「一緒に、新しい服を買いに行きましょうよ!」 「ええ、お願いしますね」 「サヤカも、ありがとう。 私の身を案じてくれて」 「いえいえ、お褒め頂く程のことでは……」 すっかり、いつもの調子に戻っている姉さん。 博物館ではきっと、さっきみたいに毅然とした態度で仕事をしているのだろう。 ……。 「……最後に、満弦ヶ崎大学附属カテリナ学院への留学についてです」 「ええっ!?」 「ええっ!?」 「これも、学院の方への手配は済んでいます」 「制服もご用意致しました」 「ちょちょちょっと待ってよ姉さん!」 「学院に留学!?」 「はい」 「カテリナ学院の3年で、学ばせて頂くことになりました」 「3年ってことは……」 「お兄ちゃんと同じ学年だね」 「達哉くんがいるので、同じクラスになるようにお願いしておきました」 「いや、今日は初耳の情報が多過ぎますから」 「って言うか、手際良すぎでしょ姉さん!」 この若さで博物館の館長代理になるくらいだから、仕事ができる人なのは分かってた。 しかし、まさかこんな形で知ることになろうとは。 「ありがとうございます、サヤカ」 「お知り合いの方がいらっしゃるなら、安心ですね」 「そりゃそうだろうけど」 「お兄ちゃん、お姫様とクラスメイトなんて、ものすごくレアな体験だよ」 「しっかりしないとね」 「お願いね」 姉さんや麻衣まで、畳みかけるような攻勢。 そして視線も俺に集まる。 「……」 「まあ……」 ちらっと姉さんを見ると……姉さんは、微笑んで頷いた。 「状況は理解しました。 最善を尽くしたいと思います」 「ありがとうございます」 「よろしくお願いします」 「お兄ちゃん、しっかり」 ……。 こうして、俺はフィーナ姫を学院までご案内するという大役を仰せつかった。 「では、まずお二人に家の中をご案内しましょう」 「お願いします」 立ち上がった姉さんに続き、みんなぞろぞろと家の中を練り歩く。 「ここがキッチンです。 食事を作ります」 「……」 「機能的ですね」 「ミアさんは料理をするんですか?」 「あ、はいっ、一通りは」 「月の料理、ですよね」 「? はい」 「月の料理、教えてくれると嬉しいです」 「……」 「は、はいっ」 「地球のお料理も教えて下さいね」 「もちろんっ」 ふむ。 あの二人は料理という共通言語を持っているようだ。 「ここが洗面所です」 「奥がお風呂なので、ここで服を脱いで入って下さいね」 「洗濯物は、このカゴに入れておいてください」 「あの」 「私達の分は、私が洗おうと思うのですが」 「どうしようか?」 「ローテーションでやればいいんじゃないの?」 「でも、ほら……」 麻衣が俺を肘で突っ付く。 「ええと、俺がローテから外れますので」 「じゃあ、達哉くんはその分お風呂掃除を多くお願いしますね」 「りょーかいです」 「何か、私にもお手伝いできることがあれば……」 「では、フィーナ様がこちらの暮らしに慣れて、落ち着いた時にはお願いしますね」 「ええ、分かりました」 笑顔になるフィーナ姫。 「二階には、私たちの寝室があります」 「あの扉が達哉くん、隣が麻衣ちゃん、こっちが私の部屋です」 「あとは物置みたいなものですから」 「あははは……」 「?」 流石に、埃が積もった書斎はお目汚しだ。 二階の紹介はあっさりと終わり、またぞろぞろと階段を降りる。 「そして、ここが……」 「お二人に過ごして頂くつもりの部屋です」 客間に、長期滞在用に机と椅子を運び込んだ部屋。 部屋の広さもそれなりだ。 「わざわざご用意して頂き、ありがとうございます」 「窓が広くて良い部屋ですね」 「あの、ミアさんもここで寝られるように、お布団を運んできますので……」 「そっか。 忘れてたな」 「申し訳ありません、お願い致します」 「あの、姫さま」 「どうしたのミア?」 「姫さまと同じ部屋に住まわせて頂くことは……」 ミアさんが、何か言い辛そうに口ごもる。 「あの、さやかさま、リビングのソファを使ってもよろしいでしょうか」 「ミア、それはわがままよ」 「いえ、こればかりは」 二人の身分の違いとか、細かい事情は知らないけど。 どうやらミアさんの決意は相当固いようだ。 ……。 …………。 その後も、しばらく押し問答が続いた。 「リビングのソファ、寝相悪いとすぐに落ちちゃうんだよ」 「……それはお前の寝相が悪いだけ」 「むー」 「それより、客間に仕切りを作ったらどうかな?」 「ええと、ええと……屏風を置くとか」 「そんなもの無いよ」 「どうしましょうか」 姉さんも困り顔だ。 「いえ、だからその、皆様お気遣いなく……」 「本当に、ソファだけで大丈夫ですから」 「そんなわけないでしょう」 「こっちもそれじゃ申し訳無いですし」 ……。 困った。 かといって個室は全て埋まっているし、書斎はモノが多すぎる。 「お兄ちゃん」 「屋根裏部屋はどうかな?」 「……ああ、あったな」 「でもあそこは荷物が置いてあるし、狭いし、何より天井が低くて頭をぶつけるぞ」 と反論しつつミアさんを見る。 ……この子なら大丈夫かも。 なんて。 「そこがいいです!」 「え?」 「でも本当に狭いのよ」 「お願いしますっ」 頭を下げるミアさん。 「フィーナ様……」 「……」 困り顔のお姫様。 「……本当に申し訳ありませんが、一度、見るだけということで」 「ごめんなさい……」 ……。 「じゃあ、見るだけ見てみようよ」 「ほら、実際に見ないと狭さも分からないし。 ね?」 「そうするか」 「狭いですよね」 「狭いよね」 「この人数だし」 物置に使っている屋根裏部屋。 部屋というよりは、単に『二階の天井と屋根の間のスペース』と言った方がいいくらいだ。 物置と言っても、梯子を使わないと登れないので、あまり大きな荷物は運び込めないけど。 「ミア、私は一緒の部屋でも全然……」 「ここでお願いします」 「本当に?」 「梯子はさすがに不便すぎるし、エアコンも無いし」 「どうしましょう、フィーナ様?」 「……ミア」 「はい」 「あなたのわがままで、こちらの皆さんにご迷惑をおかけしているのですよ」 「……はい」 「私が構わないと言っているのですから、先程の部屋に一緒にお世話になりましょう」 「これくらいのことが分からないあなたじゃないでしょう?」 「……」 ……。 「ミア?」 「フィーナ様」 「迷惑なんかじゃありませんよ」 「ねえ?」 「うん」 すがるような眼差しで俺を見るミアさん。 「そうだね」 「そしたら、ずっと手つかずだったここも、掃除してもらえるかも」 わざと、ミアさんに振ってみる。 このあたりで、話の落としどころを作っておこう。 「……は、はいっ」 「お掃除しますっ、ここも、家の中も全部っ」 「ということでいかがでしょうか、フィーナ様」 「……ふう」 ため息をひとつ。 「仕方無いわね」 「ミア、ちゃんと皆さんのお役に立つんですよ」 「はいっ」 ほっとした顔になるミアさん。 「お掃除やお洗濯、お料理もがんばります」 「ふふ……」 固い表情のお姫さまが相好を崩す。 「では皆さん、ミアはこき使ってあげて下さいな」 「そうしますね」 「月の料理もたくさん教えてもらおうかな」 「はいっ!」 ばたばたした一日がやっと終わり、家の中も静かになる。 ……。 あのあと、ミアさんは屋根裏部屋を片づけ、フィーナ姫は持ってきた荷物を整理していた。 俺たちもそれを手伝い、やっと一段落。 ……今は、静けさが家を包んでいた。 こんこんん?窓ガラスが軽く叩かれる音。 ……菜月か?こんこん「達哉、もう寝ちゃった?」 「ちょっと待ってくれ」 からから、と窓を開ける。 「聞いたよー」 「な、何を?」 とぼける。 「月のお姫様が来たんだって?」 「ぶほっ」 思わず肺の中の空気が外に飛び出す。 「な、な、なんでそれを?」 「さっき、さやかさんがうちに来て、ざっと説明してたよ」 「そっか」 ……。 「面白そう? それとも大変?」 「どっちも」 「そりゃそうか」 「これからどうなるのか、全然想像できなくてさ」 「明日から、学院にも来るって」 「うん」 「……明日、左門のバイトどうする?」 「おやっさん、何か言ってた?」 「お姫様の案内があるなら、バイト休みにしてもいいって」 「兄さんも、張り切ってたよ」 「左門にも連れて来いだって」 「仁さんらしいな」 「そだね」 ……。 「じゃあ、一応お願いしておこうかな」 「何があるか分からないし」 「おっけー。 言っとくね」 「頼む」 「明後日からは復帰するからさ」 「うん、分かった」 「頑張ってね」 「おう」 「達哉が何かしでかしたせいで、大変なことになったりして」 「プレッシャーをかけないでくれ」 「『風呂覗き戦争』とか、勘弁してよね」 「はいはい」 「……それじゃ、おやすみ」 「おやすみ」 からから……。 ベッドに入り、天井を見つめる。 ……今日は、とてもとても、長く感じる一日だった。 明日からどうなるんだろう。 ……。 …………。 月王国のフィーナ姫。 ああ。 物見の丘公園で会ったのは、幻だったのかな。 それとも。 ……。 …………。 いつもより少し早起きして、ちゃんと準備をした。 焦らなくて済むように、家を出るのも少し早めの時間に設定。 朝食もさっさと食べ終えた。 初登校があまり目立たないよう、麻衣も一緒に行くことにしてある。 ……。 「もう少しだって」 「なんだか、どきどきするね」 「そうだな」 「……なんで俺たちがどきどきしてるんだろう」 「フィーナ様のこと、よろしくお願いしますね」 学院の案内、学院内でのボディーガード、行き帰り。 その全てに責任があるような気がしてきた。 「せ、責任重大だね……」 「そんなに気負わないで」 「ちょっと様子を見てきたらどうかしら」 「分かりました」 こんこんフィーナ姫の部屋の扉をノックする。 「どうですかー?」 「達哉さまですか? どうぞー」 「失礼しまー……」 ……。 「いかがですか?」 ……。 「失礼しまーす」 「わぁ……」 「キレイですね……」 「達哉様?」 「あ、と、とても似合ってると思います」 「そうですか? 良かった」 「良かったです」 「ミア、ありがとう」 「本当にお似合いですよ、とても」 「このスカートは、少し短くはありませんか」 「私も同じくらいですし」 「みんなそれくらいですから、慣れ……なんだと思います」 「そうなんでしょうね」 ……。 微かに恥じらいを見せるフィーナ姫。 正直、ちょっと見とれてしまった。 ドレス姿しか見たことが無かったフィーナ姫に、これほどまで制服が似合うとは。 「そろそろ行きましょうか?」 「はい」 「姫さま、こちらが鞄です」 「ありがとう。 行ってきますね」 と、鞄を持ちかけたところで、こちらを振り返る。 「達哉様、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」 「なんでしょう?」 「カテリナ学院は、携帯電話を持って行って良いのでしょうか?」 「授業中に使ってない限り、大丈夫だったと思いますよ」 「わたしも持ってますよー」 「携帯なんてお持ちなんですね」 「緊急用にと、渡されたものがありまして……」 「私だけ特別扱いされるのは、申し訳無いですから」 「大丈夫ですよ、みんな持ってますから」 「じゃ、行きましょうか」 「はい」 「昨日は、車でいらしたんですか?」 「いいえ」 「ミアと二人で、大使館から歩いて参りました」 「実際に歩いてみるのが、初めての街を知るには一番いいから、と」 「迷いませんでしたか?」 「ええ」 「……緑が多くて、綺麗な街ですね」 5月のさわやかな風に、フィーナ姫の髪が揺れる。 「川が……流れてますね」 「川って、月では珍しいんでしたっけ」 「人工的なものはありましたが……規模が全く違います」 「水は、貴重なものでしたから」 「雨が降ったりすると、堤防まで水が来るんですよ」 「やはり、実物を見ると違いますね」 そう言って川面を見つめるフィーナ姫。 「さあ、着きましたよ」 「はい」 「ここがカテリナ学院です」 「最初は、職員室ですよね」 「ええ、そう言われております」 「じゃあ、行きましょうか」 ……。 職員室に案内し、俺は教室へ。 さて。 フィーナ姫が紹介されたら、どんな騒ぎになることやら。 「今日は早かったみたいね」 「ああ。 遅刻してもまずいし、人が少ないうちにと思って」 「一足先に会えるかと思ってたのに、さやかさんが『もう出たわよ』って」 「もうすぐ来るさ」 「そりゃそうだけどー」 「なになになに? 誰か来るの?」 俺たちのヒソヒソ話が聞こえたのか、翠が寄ってきた。 「来てのお楽しみ、ってことで」 「ちょっと、驚くかも」 「何で二人はそれを先に知ってるのよぅ」 翠のツッコミと同時に、宮下先生が一人で教室に入って来た。 「ほら、席につけー」 ……。 朝のホームルームでは、まずフィーナ姫についての説明があった。 そして、本人の希望として『特別扱いしないでほしい』旨が伝えられる。 「ま、普通の転校生だと思って接するように」 「外交問題に発展しない程度にな」 笑えないギャグを宮下先生が飛ばす。 教室はさざ波のようにざわめいた。 「じゃあ、どうぞー」 がららっクラスメイト達が息をのむ。 すらりと伸びた背筋──艶やかな髪──優雅な所作──そのひとつひとつに、皆が魅了されていた。 ……。 …………。 ……静かな緊張感のある教室。 その一時間目の授業が終わり、休み時間になった。 普通の転校生だったらありそうな、「質問攻め」 は始まらない。 その代わり、みんな遠巻きにこちらを窺っている。 ……それもそうか。 気持ちは分かる。 「……」 笑顔を崩さないフィーナ姫も、どことなく手持ち無沙汰のようだ。 「なあ菜月」 「なに?」 「先陣を切ってくれよ」 「わ、私!?」 「ああ」 「うん、ええと……」 「じゃあ、翠、一緒に行こう」 隣にいる、クラスメイトに声をかける菜月。 「お、おっけー」 何となく、誰かが口火を切らなくてはいけない雰囲気は、みんなが感じていた。 菜月と、元気さでは菜月と双璧の遠山翠。 二人がフィーナ姫に近づいていく。 微妙な空気の打破を期待するクラスメイトたち。 その数十個の瞳が、二人に集まる。 「こ、こんにちは」 「ど、どうもー」 お前は漫才師か。 「こんにちは」 ……。 見ているこっちがハラハラしてしまうのはなぜだろう。 「私は鷹見沢菜月でしゅ」 噛んでるから。 「わたしは遠山翠といいます」 「ち、地球の学院はいかがですか?」 「そうですね……」 「まだ来たばかりなので、これから色々と教えて頂ければと思っています」 来たばかりでは、感想も何も無いだろう。 「えと、では……地球には、いついらっしゃったんですか?」 「一昨日です」 「今は、月大使館にお住まいなんでしたっけ」 ……。 フィーナ姫が、一瞬だけ、俺の方を見る。 「達哉んちにホームステイしてるんですよね?」 ……。 おいこら。 ……。 …………。 クラス中が怒号と悲鳴に包まれるまでの一瞬で、俺は平穏な日々が終わることを覚悟した。 「なんだ、バレたのか朝霧」 えー先生知ってたんですかー、等のブーイングが散発的に上がる。 二時間目、担任の宮下先生による月学概論。 「ま、そんなに騒がんでやってくれ」 「フィーナ姫」 「はい」 「ま、しばらくすれば落ち着くから。 少しの辛抱だ」 「分かりました」 「それでは……今日は教科書の89ページから。 遠山、読んでくれ」 「えっ、あ、はい」 ……。 超特大のニュースを軽く流し、いつも通りの授業を始める宮下先生。 さっきまでの大騒ぎを思い出すと、そのマイペースぶりに救われた気がした。 「……最後に月への入植が行われたのが、今から約660年前、ギアナのクールー宇宙基地を……」 「達哉様、申し訳ありませんが、もう少し教科書をこちらに寄せていただけませんか?」 「あ、すみません」 ……フィーナ姫は、席まで隣だ。 「……そして、国交断絶の2年後、第一次オイディプス戦争を迎えることになる」 「そこまで」 「遠山、オイディプス戦争は第何次までだ?」 「あ……えぇと……」 「第三次」 「座ってよし。 第四次までだ」 「……これくらいは覚えておけよ」 「では当時、月との断交を決断した時、連邦の外相だったのは?」 しかも、ずいぶんマニアックな問題だ。 「フィーナ姫」 「はい」 かた立ち上がって答える。 「セルゲイヴィッチ・フィッツジェラルド外相です」 「さすがだ」 「でだな、この外相が……」 教科書にも載ってないようなことまで、すらすら答えたフィーナ姫。 宮下先生以外は、教室中が静まり返ってしまった。 ……流石に王族らしく、歴史関係には強いらしい。 「学生食堂で食べるんですね」 「この時間だともう席が埋まってるから、テイクアウトしてきます」 「私達は、ここで待ってましょう」 「達哉、私の分もね」 「おー」 昼休み。 放っとくと質問責めに合いそうな姫を、教室から連れ出した俺と菜月。 まずは腹ごしらえだ。 ……。 …………。 「おまたせ」 「ええと、これは?」 「こっちから順に、月見ソバ、きつねソバ、天ぷらソバ」 トレーに載せて、三人分のソバを運んできた。 「きつねはうどんじゃないの?」 「ソバとうどんが混じると、ソバが伸びるから」 「あ、そっか」 「フィーナ姫、お好きなのをどうぞ」 「はい。 ええと……」 「月見は卵、きつねは油揚げ、天ぷらは……なんだろ。 天ぷら?」 「説明になってないから」 「それでは、月見を頂きます」 「……この卵を、地球から見た月に例えているのですね」 「そうそう!」 「じゃあ、これが箸です」 「ありがとうございます」 ……。 「……あの」 もしやフィーナ姫。 ソバを食べたことが……。 いや、下手すると麺類自体食べたことがないのかもしれない。 「菜月、見本っ!」 「あ、うんっ」 菜月が天ぷらソバを手にする。 「姫、見てて下さい」 ずずーっ菜月が、ソバをすする。 「あちち」 猫舌の菜月。 「こ、こうかしら」 つるつる「姫、もっと勢いよくすすってもいいんですよ」 「しかし、それは食事のマナーとして」 「これは、ずるずる音を立てるのがマナーの食べ物です」 ずずずーっっ……俺も、少し大げさにやってみせる。 「もしかして、お箸使うのは初めてですか?」 「はい、ほとんど使ったことがありませんでした」 つるつる「食事の時に、なるべく音を立てないのをマナーにしている文化もありますが」 「ソバは、音を立ててすするのが文化です」 「こういう諺があります。 『郷に……』」 「『……入りては郷に従え』ですね」 「分かりました。 達哉様の仰ることはもっともです」 ずずーだいぶマシになったかな?「そうそう。 粋に行きましょう」 「だいぶコツがつかめてきました」 「……もし達哉様が月にいらっしゃることがあったら、今度は音を立てずに麺を食べて下さいね」 フィーナ姫はにこっと笑いながら、ソバをずずずっとすすった。 昼食を食べ終え、校舎の案内をしつつ教室に戻る。 と。 緊張のほぐれたクラスメート達による質問責めが待っていた。 「月の重力は地球の6分の1だから、6倍ジャンプができるんだよね?」 「水が貴重で、同じ重さの銀と同じくらいの値段だとか」 「筋力が弱ったり、背が高くなったりはしないんですか?」 etc.etc.本当はみんな、興味津々だったんだ。 ただ、きっかけが無かったというか。 菜月と遠山に先陣を切ってもらう作戦は、一応成功を収めたようだ。 「重力が制御されているので、人が暮らしているエリアでは6倍のジャンプはできません」 「水は確かに貴重ですが、銀と比べると100分の1くらいかしら」 「都市エリアは重力があるので、筋力も身長も、地球の皆さんと変わりませんよ」 月学の授業を受けてれば分かるような質問にも、一つ一つ丁寧に回答していくフィーナ姫。 「へえ」 とか「ほぉ」 とか、いちいち人垣が反応する。 フィーナ姫は、案外楽しそうだった。 ……。 …………。 授業が終わり、掃除の時間となる。 座席で、縦の列ごとに班を作っているが、フィーナ姫の班は教室の掃除担当だ。 「では、私も掃除をします」 「適当に時間を潰して待ってますから」 「そうだ菜月、おやっさんと仁さんによろしく」 「うん。 そっちも頑張ってね」 「っていうかさ」 「朝霧君も、待ってるなら手伝ってよ」 「だな」 俺もフィーナたちの班に混ざって掃除開始。 菜月はトラットリア左門へと帰って行った。 ……。 ホウキで床を掃き、ゴミを集める。 「姫、ちりとりを」 「これですね」 フィーナ姫は、他の人をちらっと見つつ、ちりとりを構えた。 俺が、そこにゴミを掃き集めていく。 さっさっさっ……しかし。 「すみません、少し引いてもらえますか」 「こうですか」 さっさっどうもちりとりと床の間に隙間があるらしく、なかなか上手くいかない。 「……姫、代わりましょう」 「?」 ちりとりとホウキを交代する。 「ええと、ではどうぞ」 「はい」 俺は、普通にちりとりを床につけ、少しずつ引いていく。 さっさっさっ「……」 さっきまで俺があんなに悪戦苦闘していたゴミが、あっという間にちりとりの中に収まる。 「もう一度、お願いします」 「ええ、どうぞ」 姫自ら志願し、再度ちりとり役を担当する。 「では」 「はい」 さっさっさっ……俺の動きをちゃんと観察して、コツを掴んだらしい。 それをすぐに実践に移すあたり、もしかしたら負けず嫌いなのかもしれないな。 というより、これはプライドのなせる技か。 「ふう」 「綺麗になりましたね」 「ええ」 「遠山、そっちはどう?」 「うん、終わった。 二人ともありがとー」 満足げな顔の姫。 ……お役御免となった俺たちは、昇降口へ向かった。 「フィーナ姫は、部活には入るんですか?」 「今のところ、他にやりたいことがあるので、入らないつもりなんですが……」 「入った方がよろしいでしょうか?」 「あ、いえ。 そういうことじゃなくて」 「俺も入ってないんで、案内できないなぁと」 ~♪……。 風に乗って、微かに聞こえるメロディ。 「あそこに、ちょうど麻衣がいます」 「麻衣は吹奏楽部なんですよ」 「吹奏楽……学院には、ブラスバンドがあるんですね」 「ええ」 興味深げな顔をする姫。 「学生同士で音楽をするのは、楽しそう」 ……こちらのやりとりに気づいた麻衣が、何か後輩に指示を出した後に、こちらへ駆け寄って来る。 「お兄ちゃんたち、もう帰るの?」 「ああ、初日だしな」 「麻衣はいいよ、いつも通り練習してて」 「うん」 「じゃあ」 「麻衣さん、お先に失礼します」 吹奏楽部のパート練習に戻りかけていた麻衣は、こっちに一度ぺこっと頭を下げた。 ……。 朝、登校する時に川に興味がありそうだったっけ。 まだ日も高いし、少しくらい寄り道しても大丈夫だろう。 「フィーナ姫、川原に降りてみますか?」 「え……」 「で、では、少しだけお願いします」 二人で、流れる水に触れるくらいまで川に近づく。 「もう、水もずいぶん温かくなりました」 「触ってみても大丈夫ですか」 「ええ」 「あ、川原の石は滑りますから気をつけて下さいね」 ……。 …………。 恐る恐る、水に触れてみるフィーナ姫。 なんでも……こんなに大量の水が流れている川は、月には無いそうだ。 ……。 …………。 ちょっとだけ寄り道したつもりの川原。 だけどフィーナ姫は、石を投げてみたり、川の中程で跳ねる魚を見つけたり。 些細なことで、とても喜んでいた。 ……凛とした雰囲気を纏うフィーナ姫。 でも少しだけ、同い年らしい無邪気な面を見れたような気がした。 ……。 「……では、そろそろ行きましょうか」 「またいつでも来れますから」 「はい」 土手をのぼり、商店街に向かう。 「朝はほとんどの店が閉まってましたから、ゆっくり見て回りましょうか」 「そうしましょう」 街路樹や街灯、タイルなどが整備された商店街。 おしゃれな店も多いが、普通に野菜や魚も売っている。 「あれは書店ですね」 「寄ってみますか」 「はい」 ……。 そうして入った書店では、立ち読みしている人を見て、なんとも行儀が悪いと苦言を呈すフィーナ姫。 しかし、風習は体験してみないと……と言いながら漫画雑誌を読みふけったりして。 俺も一緒に立ち読みして、姫が気が済むのを待っていた。 「ち、違うんです。 立ち読みというものを」 「はい、やはり文化には触れてみないと、ですよね」 「達哉様っ」 「はははっ、すみません」 ……。 …………。 「あらあらあら、たっちゃんが美人連れじゃない」 「ホントだ、うちの大根といい勝負かな」 「アンタも失礼だねー」 どうやら、商店街にはまだ噂は広まってないらしい。 「いつも麻衣がお世話になってる、八百屋さんと魚屋さんです」 「こんにちは」 笑顔で会釈するフィーナ姫。 「こんにちは。 礼儀正しい子だね」 「このじゃがいもで肉じゃがを作れば、家庭的なところをアピールできるぜ」 煮物の具をアピールしてくる八百屋のオヤジをよそに、魚に見入っている姫。 「おや、魚に興味があるのかい」 「あまり、こうして近くで見たことがないものですから」 なるほど。 ……しかし。 興味を持って見ているというよりは、なんて言うか……怖いもの見たさのような表情だったような。 ……。 …………。 「……すっかり長居してしまいました」 「いろんな魚がいましたが、あのお店に置いてあるということは……」 「?」 「全部、食べるためなんですよね」 「そりゃまあ……」 「食用として売ってるわけで、鑑賞用ではありません」 「そうですか。 そうですよね」 ……。 魚屋で見たものを反芻するように、考えにふけっているフィーナ姫。 ……確かに、タコやウニは異星から来た生命体のようにも見えるし、魚のぎょろっとした目は虚ろに見える。 初めて魚を見た時のことなんか忘れてしまったけど、今の姫の気持ちも、分かるような気がした。 ……。 …………。 家電の使い方を教えたり、屋根裏部屋の整理を手伝ったりしていると、姉さんと麻衣も帰って来た。 「ただいまー」 「ただいま」 家の近くでたまたま一緒になったのか、二人一緒のご到着だ。 「おかえりなさいませ」 「お帰りなさい」 「わぁ……」 「なんだか、うちの中が賑やかだと嬉しいね」 「そうね」 みんなが揃ったので、左門に晩御飯を食べに行くことにする。 フィーナ姫とミアさんは初めてだ。 閉店後の左門。 CLOSEDの札が掛かっている扉を開け、中に入る。 からんからん「いらっしゃい」 「……おおっ、こちらが例の」 「ん、いらっしゃったようだな」 「いらっしゃいませー」 こちらはいつもと違って5人。 ぞろぞろと中に入る。 ……。 「はじめまして。 スフィア王国の王女、フィーナ・ファム・アーシュライトと申します」 から始まる自己紹介。 それらの儀式めいたやりとりが一段落ついたところで、本日の晩餐が運ばれてきた。 「今日は俺の料理人生命を賭けて作ったから、きっと美味いぞ」 「でも親父、姫ともなると美味しいものは食べ慣れていらっしゃるのでは?」 「舌が肥えている方に食べてもらえるのが、料理人としては最高に幸せなわけよ」 「つまり、達哉君は舌が肥えてないと」 「はいはい、それでいいですから早く食べましょうよ」 「俺も、皿を運ぶの手伝いますから」 「はい、じゃこれとこれお願いね」 「……私もお手伝いします」 じっと座ってるのは居心地が悪かったのか、ミアさんが立ち上がる。 「ありがとう」 「お水を注いで回ってくれる?」 「分かりました」 流石におやっさんが腕によりをかけただけあって、とても美味しかった。 メニューは、まずアンティパスト(前菜)に加茂なすとトマトソースのカポナータ。 プリモピアット(第一の皿)は生ハムとしめじのペペロンチーノ。 セコンドピアット(第二の皿)が赤ワインソースとパルミジャーノチーズのピッカータ。 ドルチェ(デザート)はマスカルポーネチーズのティラミス。 締めにエスプレッソ。 それぞれの料理の量も絶妙で、品数は多かったけどちょうどおなかいっぱいになった。 そして、それらを食べるフィーナ姫のナイフ・フォークさばきも、見ていて惚れ惚れするくらい優雅で。 俺は、まるで場違いなところに来てしまったような錯覚を起こしそうになるほどだった。 ……。 「いかがでしたか?」 「とても美味しかったです」 「月の王宮でも、これほどのものはなかなか食べられません」 「光栄です」 いつもは冷静なおやっさんも、少し興奮しているのか顔に赤みが差している。 「ティラミスとエスプレッソは、僕が担当しました」 「素晴らしい出来でしたわ」 「甘過ぎず、しっかりと味の調和が取れていて」 「仁くんも、今日は気合が入ってたわね」 「本当に美味しかったです」 メイドのミアさんも、真剣な顔をして頷いている。 「わたし、こちらの料理を勉強したいと思いました」 「こんなかわいいお嬢さんなら大歓迎だよ」 「メインの料理はほとんど父さんが作ったんでしょ」 「では、僕と一緒に勉強しましょう、マドモアゼル」 「ま、まどもあ……?」 「そりゃ、フランス語だな」 「失敬。 ……ご一緒にどうです? セニョリータ」 「あうぅ……」 「おびえてますよ」 「こんな兄で申し訳ありません……」 ……。 そんなこんなで、フィーナ姫とミアさんも、トラットリア左門を気に入ってくれたようだ。 おやっさんと仁さんには、いい自信になったかもしれない。 美味しかった料理を思い出しながら、なんとなくみんな、リビングでのんびりしている。 もしかしたらそのうち「フィーナ姫コース」 なんて名前で売り出したりして。 そんなことを考えていると。 ……。 ペペロンチーノ「うおぉんっわんっわんっ」 カルボナーラ「わふわふっわふわふっ」 アラビアータ「おんっ」 庭から、イタリアンズの鳴き声がした。 ……犬たちの、この喜び方は。 「こんばんはー」 「やっぱり菜月か」 「……誰か忘れ物とか?」 「ううん、様子を見に来ただけ」 そう言って、イタリアンズの頭を撫でる菜月。 「フィーナ姫は?」 「姫?」 「うん。 学院でも左門でも、ちゃんと御挨拶できてないしね」 「……あ、鷹見沢様」 「『様』つきで呼ばれると、少しぞわぞわするよ~」 「そうそう。 自己紹介しようと思って来ました」 「それは、わざわざありがとうございます」 「鷹見沢菜月です。 達哉とは幼なじみで同じクラス。 家は隣のトラットリア左門の二階です」 「達哉とは昔、一緒にお風呂入ってました」 「去れい!!」 「あ~れ~」 仁さんは、一瞬にしてきらーん★と輝く夜空の星になった。 「あわわわっ」 「……失礼致しました」 左門で、皿を落とした時と同じリアクションだ。 姫は楽しそうに笑っていた。 「ふふ……」 「菜月様。 本日はありがとうございました」 「美味しい夕食の準備と、学院で皆様と打ち解けるきっかけを作って頂いて」 「あ、いえいえ。 あれくらいお安い御用ですよー」 「学院で困ったことがあったら、何でも遠慮なく言って下さいね」 胸をどんと叩く菜月。 「体育の授業で使う更衣室とか、俺が案内できない場所のことは菜月に聞いて下さい」 「世話焼き好きなので、遠慮なくどうぞー」 「ありがとうございます」 深々と頭を下げる姫。 「お世話になると思いますが、よろしくお願い致します」 「こちらこそー」 星になった仁さんなど居なかったかのように、二人は握手を交わしていた。 ……。 また、しばらくリビングで談笑していると……携帯電話を持った姉さんが、玄関にぱたぱたと駆けて行った。 こんな時間に、お客さんなんて……珍しいな。 「お客様?」 「ええ」 気を遣わなくていいわ、と言う姉さん。 ……。 姉さんが手招きすると……すらっとした女性がリビングに入って来た。 「はじめまして」 「姫がお世話になっております。 大使館駐在武官のカレン・クラヴィウスと申します」 「朝霧達哉様、でいらっしゃいますね?」 「ええ。 はじめまして」 「カレン?」 「フィーナ様、お久し振りにございます」 うやうやしくお辞儀をするカレンさん。 ……。 「どうぞ」 ミアさんが四人分のお茶を淹れ、それぞれの前に置く。 「……カレンとは、お友達なんですよ」 「仕事上のお付き合いも多いし」 「さやかには、ずいぶん助けてもらっています」 そう言う二人。 カレンさんが現在勤めているのは、月王国の大使館。 大使館は、姉さんが勤めている博物館のすぐ近くにある。 ……姉さんがお酒を飲んで帰ってくる時は、大抵カレンさんが相手らしい。 「でも、今日はなぜここまで?」 「陛下より、フィーナ様のお目付役……のようなお役目を拝命致しました」 「父様から?」 国王から直接フィーナ姫のことを頼まれるあたりから考えると、相当偉い人のようだ。 「達哉様」 「あ、はいっ」 「カテリナ学院の、警備と言いますか……安全確保について少々お話をしたいのですが」 「ええと……」 「達哉くん、お願い」 「分かりました」 「すみません、お手数をおかけします」 「いえ、当然ですよね」 「ご協力、ありがとうございます」 ……。 …………。 カレンさんの質問に答え、いざという時の対処法を教わる。 こっちが想定していないような出来事から、なんでそんなに学院生活に詳しいのかと思うことまで。 微に入り細をうがつ問答が、延々と続く。 ……。 気がつくと、かなりの時間が経っていた。 ……。 「それでは朝霧達哉様、フィーナ様をよろしくお願い致します」 「はい、できるだけのことは」 「フィーナ様、良きご留学を」 「ええ」 「今日はわざわざありがとう」 「また明日ね」 「では、失礼致します」 ばたん「ふう」 「少し、疲れた……」 そう言って、俺はソファーに体を沈める。 「カレンは厳しいけど、仕事熱心なだけよ」 「お茶でも淹れますね」 「うん」 「達哉様、今日はありがとうございました」 「わふっわふっわふわふっわふわふっ」 「きゃっ」 俺は、扉を開けて庭に出る。 「大丈夫ですか?」 カルボナーラが、カレンさんの脚にじゃれついている。 「こら、カルボナーラ!」 声を少し出すと、おとなしく犬小屋に戻っていくカルボナーラ。 「はぁはぁ……」 「すみませんでした、カレンさん」 「お客さんに、あんなにじゃれることは無いんですが……」 「あ、あんなに、動物に懐かれたのは初めてです」 「……あれはあれで、逆の意味で番犬になりそうですね」 「では」 ……。 なんとなく、この人が姉さんと仲がいいのも分かるような気がした。 きっと、本当に仕事に熱心な人なんだろうな。 ……。 …………。 家の中に戻る。 のんびりとした時間が流れているリビングでは……フィーナ姫が、今日学院であった出来事をミアさんに話して聞かせていた。 「びっくりです」 「月のことを勉強する授業があるんですね」 「でも、どこでも教えているのではなく、カテリナ学院が特別みたいよ」 「……でしたよね、達哉様」 「ええ、月学概論ですよね」 「満弦ヶ崎には、中央連絡港がありますし……」 「カテリナ学院は、月学の授業があるのが特徴なんです」 「その授業ではどんなことを習っているんですか?」 「歴史から地理から、基本的なことを広く学べる教科書だったわ」 ……。 「そのおソバが上手く食べられなくて」 「でも、姫さまは箸を使うのも練習してらっしゃいましたよね」 「ソバは、少しずつゆっくり頂くものではなく、一気にすする食べ物みたい」 「しかも、ソバを食べる時はずずずーっと音を立てた方が粋なんですって」 「それもびっくりです」 「やっぱり、知らないことばかりですね」 「本当。 新鮮だわ」 ……。 「で、授業が終わってから、教室の掃除をしたの」 「ちりとりの使い方も、もう完璧にマスターしたのよ」 俺たちの前にいる時とは違い、少しおどけた調子でミアさんに語りかける。 「カテリナ学院では、学生が掃除をするんですね」 「清掃業者が入ってるトコも多いみたいですが」 「たしか『自分の行為に責任を持つ』という教育方針の一環だったかと」 「いい方針ですね。 自立心や社会性が養われると思います」 「でも、姫さまが掃除をするとは思っていなかったので……」 「姫さまは、ちゃんと掃除できていましたか?」 「……あー」 ちらっと姫を見る。 「ホウキもちりとりも、ちゃんと使えてましたよ」 「よかったですー」 「……姫さま、明日のご予定は?」 「明日は体育の授業があるので、今日は早めに休みましょう」 「はいっ」 ……。 …………。 今日体験した、ひとつひとつの出来事を楽しそうに話すフィーナ姫。 聞いている方のミアさんも、姫が語る内容に頷いたり驚いたり。 姉さんも、キッチンからにこにこと話を聞いている。 ……。 こうして、フィーナ姫登校初日の夜は更けていった。 ピーーーーーーッ!体育教師のホイッスルで、3年女子全員が一斉にスタートする。 春先恒例の、体力測定。 今日の種目は、持久走だった。 男子は1500m、女子は1000m。 男子は既に走り終え、ぜえはあ言っている。 そのタイムを記録したところで……女子のスタートとなった。 「体育の授業では、このユニフォームを着るのですね」 「そうです」 「この上には何も穿かないのですか」 「ええまあ」 「……皆様、このまま男子と同じグラウンドへ?」 「そう……なりますね」 「……」 「分かりました」 コースは、まずグラウンドのトラックを一周。 それから弓張川の川原まで行き、引き返して来るというもの。 男子の歓声の中、女子が最初のトラックを周り始めた。 ……おっ。 先頭は菜月。 そして、そのすぐ後ろには……なんと、フィーナ姫がいた。 かなり全力に近い速度を出している菜月を、ぴったりとマークしている。 そのまま二人を先頭に、集団が外へ駆けていった。 ……。 …………。 そして、3分するかしないかのタイミングで、先頭が戻ってきた。 もちろん集団はばらけている。 が、学院を出ていった時と同じく、1位菜月・2位フィーナ姫の順で戻ってきた。 ……激しいデッドヒート。 そして。 ゴールまであと50mというところで、フィーナ姫が一気にスパートをかける。 ……。 ピーーーーーーッフィーナ姫が1位。 菜月はわずかに及ばず、2位だった。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 荒い息を整えようと、空気を大きく吸い込んでいる。 「あ、……はぁ、はぁ」 「早かったですね」 「ありがとう……はぁ……ございます」 かなり頑張って走っていたと思う。 「フィーナ姫は、運動神経もいいんですね」 「いえ、菜月さんの……はぁ、はぁ……方が、きっと」 菜月は案外回復しているのに、フィーナ姫はまだ息が乱れている。 ……きっと、限界ギリギリまで、少しも手を抜かずに走ったのだろう。 そんなところも、フィーナ姫らしさなんだろうなぁと思う。 「さあ」 「タイムを記録しに行きましょう」 まだ少し息が荒い姫は、それでも胸を張って、歩いていった。 月学概論の授業が始まる前の休み時間。 教室には、長距離走の余韻が残っていた。 ……そんな中に。 宮下先生が、フィーナ姫用の月学概論教科書を持ってきた。 「遅れてすまんな」 「いいえ、ありがとうございます」 にこやかに教科書を受け取るフィーナ姫。 ……。 しかし、やはり内容が気になる様子。 宮下先生が教室から出ると、休み時間のうちから、教科書をぱらぱらとめくり始めている。 「何か、気になることでも載ってましたか?」 「いえ、そういうわけではないのですが……」 「……あっ」 「?」 通りすぎてしまったページを何枚かめくる姫。 何ページか戻ったところで、その手が止まった。 「この方は……?」 そのページには、毅然とした表情の女性が載っていた。 どことなく、フィーナ姫にも面影があるような……。 「母です」 「はは?」 「先代の王だった、私の母親です」 ……。 教科書に載っているのは、女王セフィリア。 面影があるのも当たり前だ。 言われてみれば、面影どころか、かなり似ている。 「そうですか……」 今から何年か前に亡くなり、確か現王は……フィーナ姫の父親だったはず。 「教科書に載ってるなんて、少し複雑な気持ちです」 「でも、地球との国交回復のために尽力したと」 「ええ。 もちろん母は誇りに思っていますが……」 「やはり、『過去の人』という感覚が強くなってしまって」 ……。 …………。 姫は、はっとした顔をする。 「……申し訳ありません」 「今のは聞かなかったことにして頂けませんか?」 彼女がどういう気持ちでいるのか、正確なことは分からないし、分かることはできないだろう。 それでも、俺も親を亡くしているので、下手な同情は逆に辛いことも知っている。 ……姫に向かって、俺は黙って頷いた。 ちょうど授業開始のチャイムが鳴った。 ……。 …………。 「今日は、昨日とは変化をつけて、購買部にチャレンジしようと思います」 「おーう!」 「購買部……?」 「惣菜パンやサンドイッチ、ジュースを売っている売店のことです」 「パンなら、ゆっくり食べても伸びませんし」 「分かりました」 「ですが……チャレンジというのは?」 「あそこの人だかりを見て下さい」 指さす先には長蛇の列。 「私達は、もう出遅れかけてるんです」 「特に人気の高いパンは、その存在が幻と言われるほど」 「で、では、早速並ばないと」 ……。 …………。 なんとかパンにありつくことはできたものの、やはり人気の品は無くなっていた。 買えたのは……たまごサンド、ツナサンド、小倉あんパン、男爵コロッケパン×2、メロンパン。 「最初は、フィーナ姫に選んでもらおうか」 「そうだな。 姫、まず二つ選んでください」 「よろしいのですか?」 「もちろんですよ」 「遠慮なくどうぞ」 ……。 ひとつひとつのパンを、興味深そうに観察するフィーナ姫。 「では、これと……これを」 選んだのは、たまごサンドと男爵コロッケパン。 「せーの」 「じゃんけん……」 「ポン!」 ……。 「やっぱり負けたー」 菜月は自他共に認める運の悪さを誇る。 「じゃあこれとこれ」 ツナサンドと、男爵コロッケパンを選ぶ。 ……が、そんな俺を不思議そうに見つめている姫。 「達哉様、今の『じゃんけん』というのは一体?」 「え」 「あれ?」 「もしかして『じゃんけん』をご存知ではない?」 「はい」 「では少々お手を拝借」 ……。 …………。 最初に、紙とハサミと石の関係から始まる理論を説明。 その後、俺と菜月で実演を数回。 「では姫」 「……はい」 「じゃんけん……」 「ぽんっ」 「フィーナ姫、見事でございます」 「完敗です」 「ふふふ……お二人とも、芝居がかりすぎですよ」 「……でも、面白い勝負方法ですね」 なるほど、と頷いている姫。 「月では廃れちゃったのかな」 「そもそも、最初に月に移住した人たちが知ってたかどうか」 「地球上のどこでもやってるもんだと思ってたけど」 「どーなんだろ?」 ……。 さて。 菜月に残ったのは小倉あんパンとメロンパンだ。 「甘いのばっかり……」 先月からダイエットダイエットと言っていた菜月は、肩を落としている。 「あの、菜月様。 交換しても……」 「いいえ姫。 勝負の世界は厳しいのです」 「でも……」 「きっと俺が選んだパンの方がカロリーは高いぞ」 「そっか。 そうだよね」 元気な菜月復活。 立ち直りも早かった。 「では、いっただきまーす」 「いただきます」 「飲み物も分けましょうか」 こちらは全員同じ烏龍茶の缶。 「……フィーナ姫?」 「これは」 「……どうやって飲めば良いのでしょうか?」 フィーナ姫は……缶を逆さにしたり、振ったり、じいっと観察したりしている。 「では少々お手を拝借」 ……。 俺と菜月は、困り果てている姫に缶ジュースの開け方を教えた。 もちろん、パンにそのままかぶりつく食べ方も、やってみせることとなった。 ……。 …………。 放課後は、家で学院のカリキュラムのおさらいをした。 フィーナ姫が勉強してきたことと学院の授業が、どれだけ違うのかを確認していく。 数学や社会・理科から、体育、月学まで。 全く違う教育体系の中にいた姫が、授業について来れているのは驚きだった。 「数学の進み方は、月に近いですね」 「体育は全然違うみたい」 「化学と物理は月の方が難しいことやってるなぁ」 「『政治・経済』が複雑で大変そうです」 ……。 もちろん、勉強の溝を埋めておくことは大切だ。 フィーナ姫はその立場に甘えることなく、恥ずかしくない成績を残そうとしているようだし。 しかし。 実はこの勉強会は時間稼ぎでもある。 「達哉くん、ごめんなさい。 あと30分くらい引っ張って」 「分かりました」 「あと、麻衣ちゃんには、ミアちゃんを押さえとくように伝えてくれる?」 「はい」 「あっ、さやかさま」 「今日はせっかくのお休みなのに、お忙しそうですね」 「え、ええ。 ちょっとね」 ぱたぱたと玄関を出て行く姉さん。 博物館勤めの姉さんは、週末より平日に休んでいることが多い。 「さやかさま、どうしたんでしょうか?」 「さあ……?」 「そうだ、麻衣がキッチンで料理のレシピを書いてたよ」 ……。 今日は、鷹見沢家の皆とも共謀して、フィーナ姫とミアさんの歓迎会を開くことにしていた。 場所はトラットリア左門。 閉店後の今、左門では準備が急ピッチで進んでいるはずだった。 そして俺と麻衣は、二人の足止め係として奮闘中である。 ……。 …………。 「達哉様、今日は夕食が遅いのでしょうか」 「あ、ええ。 麻衣がそんなこと言ってました」 「そうでしたか」 口にはしないが、今のは『お腹が空いた』という話に違いない。 まだかな……。 こんこん「はい」 「失礼します」 「達哉くん、そろそろ」 「待ってました」 「?」 ……。 「今日は、トラットリア左門で夕食なんですね」 「そういうことです」 「お兄ちゃん、おっけー」 「それじゃ、入りましょうか」 「こ、これは……」 「わぁ……」 「お待たせ致しましたーっ」 「ようこそ、お運び下さいました」 「楽しんで行って下さい」 机の上には、楽しげに盛りつけられたパーティ用の大皿料理。 いろんな種類が取り揃えられた飲み物。 そして、簡単ではあるけど、二人を歓迎する垂れ幕など。 「今日は、お二人の歓迎会を開催しまーす!」 わっ、と盛り上がり、拍手が左門のフロアに響きわたる。 「姫さま……」 「あ……皆さん……」 二人とも、とっさのことに、あまり言葉が出てこない。 この不意打ちに驚き、喜んでくれているようだ。 「さあさあ、みんなこれを持って」 クラッカーを皆に配って回る菜月。 「そして、お二人は真ん中へどうぞー」 入り口にいたフィーナ姫とミアさんを、フロアの中央へ引っ張っていく。 「あ、あの、これは?」 「わ、わわっ」 ……みんなの視線が二人に集まる。 「じゃあ菜月ちゃん、お願い」 「は、はいっ」 どうやら、最初の挨拶をするのは菜月のようだ。 もう顔が真っ赤になってるけど、大丈夫かな。 「こっ……」 「この度は、ようこそ地球にいらっしゃいませ」 「Oh、噛んでるよ菜月」 「分かってるわよっ」 くすくす笑いが起きる。 菜月は咳払いをひとつ。 「オホン、えーと、とにかく、お二人が来てくれて嬉しいですっ」 「『よろしく』と『ようこそ』の気持ちを込めて準備しました」 「固苦しいことは抜きにして、ぱーっと楽しんでください!」 パンッパパンッ!二人に向かってクラッカーが鳴り、紙テープが舞った。 「ありがとうございます」 「ありがとうございます」 深々と頭を下げる。 「さささ、冷めないうちに料理を食べてくれよ」 「たくさん作っちゃったから、どんどん、遠慮なく、もりもりと」 「まだまだ増えるからな」 「すごいです!」 「いただきますね」 いつもの左門の料理よりも、更にくだけていて食べやすい料理が並ぶ。 サラダにガーリックトースト、ポテトフライ、チーズとクラッカー。 それにもちろん自慢のピザや大皿のスパゲッティ。 「さあ、どうぞどうぞー」 主役の二人に、色々と取り分けている菜月。 「菜月様も、ご一緒に作られたのですか」 「いえ、私は盛りつけなどを……」 「菜月はその昔、運動会のための弁当を張り切って作ったことがありまして」 「あっ、達哉!」 菜月が俺の口を塞ごうとするが、俺は構わず喋り続ける。 「その弁当ときたら、どれもこれも真っ黒に焦げてたんです」 「それなのに、菜月ときたら『自信作よ』なんて言ってましてね」 「かわいい妹が頑張って作ったんだからと、口に入れるじゃないですか」 「俺も同時に食べました」 「すると……」 「もー、その話はいいじゃない」 「いや、これはフィーナ姫にも知っておいてもらわなくては」 「何より事実だしね」 「ぐっ……」 「で、そいつを口に入れたわけですが……」 「歯触りが『じゃりっ』っていうんです」 「じゃりっ?」 「達哉君、僕はどちらかというと『ぼりっ』という音だったが」 「どっちでもいいでしょっ」 「つまり、もう完全に炭化していたわけです」 「……僕は、菜月を筆頭とする料理が苦手な全ての人に、声を大にして言いたい」 「能書きはいいから味見しろ、と」 「ごふっ」 菜月のヒジが、仁さんの水月に入る。 「まあ、そう菜月を責めるなよ仁」 「そう言う親父殿は、あの時菜月の弁当を食べませんでしたね」 「おっと仕込みが残ってたな……」 「まあとにかく」 「その時の弁当のおかずは、全て炭の味しかしなかったので……」 「それ以来、菜月の料理は『カーボン』と呼ばれています」 「それ以来って、カーボンだったのはあの一回だけじゃないっ」 「いや、二度と食べたくないからね」 「今はそんなことないってのに、もう」 菜月の料理という話になると、いつもこのエピソードが出てくる。 「そのうち驚かせてやるから、首を洗って待ってなさいよっ」 「その時は、私も菜月さんのお料理を食べてみたいです」 「まあ、俺は期待しないで待ってるよ」 「待つだなんて、達哉君は勇気があるなぁ。 僕は逃げるからね」 すこーんしゃもじが仁さんの後頭部にヒットした。 ……。 「はい、グラスですよ」 「どんどん飲んでくださいねー」 ウェイトレス精神を発揮して、菜月はフロア内をくるくる回って大活躍。 俺もバイトの時のクセで、料理を運ぶ側として働く。 厨房では、どんどん新しい料理が出来ていた。 麻衣は飲み物を注いで回り、姉さんは、フィーナ姫とミアさんに料理の解説をしている。 ……。 「それでは、皆さんに飲み物が行き渡ったようなので、フィーナ様よりお言葉を頂きまーす」 「はい」 流石に菜月とは踏んできた場数が違うようで、フィーナ姫は落ち着いている。 一度、全員の顔を見回した。 「本日は、私とミアのためにこのような席を設けて頂き、誠にありがとうございます」 「そもそも、今回の留学は……」 「フィーナ様、公式の行事ではありませんから……」 「もっと気楽に行きませんか?」 姉さんが、フィーナ姫にウインクする。 おやっさんも仁さんも、みんな笑顔で頷いた。 「そう……ですね。 では。 コホン」 軽く咳払いをする。 「三日が経ちましたが、まだまだ、新しい発見や出会いばかりです」 「私が地球の常識を知らないことで、皆様にご迷惑をお掛けすると思いますが……」 「どうか、ミアともども、よろしくお願いします」 脇にいたミアさんも、一緒に頭を下げる。 「よろしくお願いします」 ぱちぱちぱち……盛大で、温かい拍手に包まれ、フィーナ姫が一礼する。 ……。 顔を上げた姫。 わずかの間、皆の顔を一通り見回し、話を続けた。 「それと、これはもし皆様がよろしければ、でいいのですが……」 「ひとつだけ、お願いがあります」 みんな、静かに聞き入っている。 「今現在、例えば達哉様は、私のことを『フィーナ姫』と呼んでいます。 しかし」 「これでは、どうしても私の肩書が気になってしまうのではないかと心配しております」 「どうか、これからは『フィーナ』とだけ、お呼び頂けませんか?」 「達哉くん、ご指名よ。 どうする?」 姉さんが俺に振る。 ……。 俺の返事は決まっていた。 「俺のことも『達哉』と呼んでくれるなら、喜んで」 「……」 ほんの少しの間だけ、考えるフィーナ。 「分かったわ、達哉」 「ではこちらも」 「フィーナ、ようこそ地球へ」 「ありがとう、達哉」 互いに握手をする。 ぱちぱちぱち……「じゃあ、これは……こうしちゃいましょうか」 姉さんが、極太のマジックで垂れ幕に書き込む。 「お、いいな」 「親睦が深まった気がするね」 「私もそう思うわ。 ありがとう」 「ほら、ミアも」 「わ、わたしもですか?」 「改めて、よろしくね」 「ええっ」 「わ、わたしは、達哉様は、その、とと年上ですからっ」 「こっちはミアって呼ぶよ。 きっと」 「そっ、それでも……無理です……」 「ミアが困らせてどうするの」 「せめて『様』はやめてほしいなぁ」 「では、『さん』付けでどうかしら」 「どうかな?」 麻衣と姉さんに水を向ける。 「いいんじゃない?」 ……。 「ええと……」 「さ、さやかさん、達哉さん、麻衣さん」 「さやか、達哉、麻衣」 二人が、順に俺たちを呼ぶ。 「えへへ、嬉しいな」 「これで、家族って感じがするわ」 ……二人ともオッケーのようだ。 「待って! 私も私もっ」 「くすくす、もちろん菜月も一緒よ」 「では、菜月……さん、ということで」 「父上、我等はいかが致しましょうぞ」 「……」 「どうされました、父上!」 「俺には、一度『マスター』と呼ばれてみたいという夢があってな」 「マスター……ですか。 いいですね」 「マスター左門、ですね」 「では、マスターと呼ばせて頂きます」 「うん。 いい感じだ」 「イタリア語ではマエストロなんじゃないかな」 ……。 「というのは黙っておいた方がいいんだよねきっと。 あっはっは」 場が凍る。 「ほら、でもメニューにナポリタンがあることだし」 「フィーナ、それフォローになってないから」 「いいんだ。 マエストロっていうと、なんかこう、芸術的というか偉そうというかホレ」 「その……つまり、マスターって響きがいいわけよ」 遠くを見つめながら語りに入るおやっさん。 「男が持ってる108の浪漫の一つなんだよ。 分からなくてもいい」 「よく分かりませんが、浪漫は大切だと思います」 「おお麻衣ちゃん、やっぱり浪漫だよなぁ」 「後で特製のアイスを出すよ」 ……特製!?「マスター」 「マスター」 「マスター☆」 「マスター♪」 「ま、マスター」 「ええい、もういいっ!」 こうして、フィーナ達の呼び方から敬称が外れることになった。 口調も、丁寧すぎたものが、親しみを込めたものになるだろう。 ……。 「レディース、エェンド……ジェントルメン!」 突然、仁さんが立ち上がる。 「しばしお耳を拝借」 「我等が誇るフルーティスト、朝霧麻衣嬢によるフルート演奏が始まろうとしております」 「じ、仁さん、恥ずかしいよ」 見ると、こっそりフルートケースを持ち込んでいたようだ。 「みんな、見ないでー」 「日頃からカテリナ学院吹奏楽部にてフルートの鍛練を積み、今やパートリーダーにまでなった麻衣嬢」 「その素晴らしい演奏を是非、是非お聞きください!」 ……。 盛り上げようとしている仁さんと、恥ずかしがっている麻衣。 さて、どちらに肩入れしたものか。 皆が皆の出方を窺う。 ……。 「わーわー、どんどんぱふぱふー、ひゅーひゅー!」 「えー、麻衣ちゃんの準備ができ次第、再度お耳を拝借したいと思います」 「ぶーぶー」 「楽しいわね」 「え、ええ」 「賑やかです」 「でも、フィーナ……はもっと人数が多いパーティにも出席してるんじゃないの?」 まだフィーナ、と呼び捨てにするのは慣れないな。 「いえ、今のように楽しいものはほとんど無かったわ」 「静かに会食、そして御挨拶、御挨拶……そんなパーティが多かったの」 「なにか、僕が褒められてるような気がしたんだが」 「いーから、兄さんはこっち」 菜月が、仁さんをずるずると厨房へ引っ張っていく。 「あ、そろそろ準備ができたみたいよ」 麻衣が、唄口に唇を添えてフルートを構える。 みんなが麻衣を囲むようになったところで、自然と拍手が湧いた。 ……。 ……。 「ありがとうございました」 「ブラボー!」 「ぶ、ブラボー!」 「ハラショー、さすが僕が見込んだだけのことはあるよ麻衣ちゃん」 「別に見込んでないでしょ」 「あはは、こんなに盛り上がると緊張しちゃうね」 「麻衣さん、すごいです!」 「本当に素晴らしい演奏だったわ」 「今の曲は、『アルルの女』ね?」 「ええ、そうです」 「フィーナさんこそ、さすがですよ」 「この曲は、かなり昔に作られたものなのに」 「フィーナは、クラシックに詳しいんだ?」 「詳しいというより、ほとんどクラシックしか聞いたことがないのよ」 「そうなんですかー」 「でも、地球にいるうちに、今風の音楽もたくさん聞いてみたいわ」 「任せといて下さい」 胸をぽんと叩く麻衣。 ……。 「そろそろドルチェを出していいか?」 「ドルチェ?」 「デザートのことですよ、お嬢さん」 「本日は、新鮮なヨーグルトに様々なソースをかけて味わって頂きます」 「まぁ、ヨーグルトね」 「ヨーグルトと聞いては、あれを出さないわけにはいきません」 「うちの冷蔵庫の?」 「そうです。 少し待っていてくださいね」 ミアが席を立つ。 「何かあったっけ?」 「ミアちゃんは、月からジャムを持ってきているの」 「ほう、それは楽しみですね」 「月の王宮のジャムと、左門シェフの競演ということですか」 「いいえ、ミアのジャムは自家製なのよ」 「私の乳母でもある、御母上仕込み」 そう言って、ほんの少しだけ自慢げに微笑むフィーナ。 ミアは、フィーナの乳兄弟らしい。 小さいころから、ずっと一緒にいたんだろうか。 ……。 「お待たせ致しましたー」 「こっちの準備も終わったよ」 テーブルに並べられるヨーグルトの器。 俺は、全員分のスプーンと器を配って回った。 「今日作ったソースはこれだ」 「左からキウイ、カシス、それにチョコレート」 「私のジャムはこれです」 鞄から、小分けされたビンが出てくる。 「右からブルーベリー、木いちご、それに薔薇のジャムです」 「皆様もどうぞお召し上がりください」 「お、こりゃ美味いね」 早くも、ミアのジャムを味わっている仁さん。 俺も後に続いて食べてみる。 「ほんとだ。 美味いなぁ」 「わ、わたしもっ」 「では少しずつ」 「もらっていいかね」 ミアが持ってきたジャムは大人気。 一方、左門のヨーグルトソースも、高い評価を得ていた。 「こちらも、とても美味しいわ」 「わぁ……こんな味がするとは、新鮮です」 俺も、新しくヨーグルトをよそい直し、今度はこちらを試してみる。 「ほほう」 「今までに食べたことが無い美味しさだ」 「あら、こっちも美味しそう」 「お姉ちゃん待って。 わたしもわたしもー」 左門のメニューも好評。 「マスター、さすがです」 ……。 「マスター?」 「マスター……」 「ああ、俺か俺か」 「自分で言ったんですから、しっかりして下さいよー」 顔をきりっとさせるおやっさん。 「で?」 「今、ミアちゃんが褒めてくれたんですよ」 「おおそうか。 ありがとうミアちゃん」 「ミアちゃんのジャムも良かったぞ」 「うん、美味しかった!」 「ああ。 特に薔薇の香りは新鮮だった」 「そ、そ、そうですか?」 「えへへ……」 照れつつも、嬉しそうな様子。 「地球で手に入る食材では、もうジャムを作った?」 「いえ、まだです」 「麻衣ちゃんか菜月ちゃんに、商店街を案内してもらうといいかもね」 「ええ、お願いね」 「任せてっ」 胸をぽんと叩く菜月。 「新しいジャムの材料にチャレンジしてみるのも楽しそうですよね」 「はいっ」 「お腹一杯になりましたね」 「今日も、とても美味しかったですよ」 「麻衣ちゃんにそう言ってもらえるなんて、嬉しいなぁ」 「本当に、美味しかったですし、楽しかったです」 「ミアちゃんにまでそう言ってもらえるなんて、料理人冥利に尽きますなぁ」 「いつの間にか仁の野郎、酒飲みやがった」 「気づきませんでした……」 食べ物もほとんど残っておらず、なんとなく、穏やかな雰囲気。 ……宴も、そろそろ締めの時間がやってきたようだ。 その雰囲気を察したフィーナが、一歩前に出る。 みんなも、それに合わせて静まった。 「今日は本当にありがとうございました」 「この数時間で、皆様と、とても親しくなれました」 「地球に来るのは二度目なのですが……」 「一度目は本当に幼い頃のことだったので、地球に来るのはほとんど初めてと変わりません」 「そのため、ご迷惑をお掛けしたり、お教え頂くことも多いと思います」 「王家の人間として、そして王族の矜持にかけて、恩義は忘れません」 「これから、留学が終わるまでの間、改めてどうぞよろしくお願い致します」 一礼。 皆からの、温かい拍手。 「さ、片づけるか」 「フィーナ様、戻りましょうか」 「いいえ、私も片づけるのをお手伝いするわ」 「わたしもお手伝いさせて下さい」 「そうこなくっちゃ」 ……。 …………。 結局、テーブルの並び替えや飾りつけの取り外しなど、片づけは全員でやった。 いつもより人が多いせいか、すぐに元の状態に戻る左門。 俺たちは鷹見沢家の面々に礼を言い、家に戻った。 何となく人が集まっているリビング。 賑やかな歓迎会が終わり、思い思いに余韻を醒ましていた。 ふと気づくと、フィーナがサッシを開け、庭へ降りている。 俺も、何とは無しにフィーナに続く。 ……。 フィーナは、じっと動かずに、月を見上げていた。 かすかに雲が懸かった月が、フィーナの顔を白く照らす。 ……。 「荒野ばかりの月も、38万キロ離れたところから見ると……きれいね」 「ですね」 故郷を、こんなに離れたところから眺めるというのは、どんな気持ちなんだろう。 ……。 「達哉」 「さきほども言った通り……私が地球に来るのは、二度目なの」 「そう、言ってたね」 ……。 「その一度目の時……」 ……。 …………。 さっきは、一度目の時のことはほとんど覚えていないようなことを言っていた。 幼い頃に、地球に来たことがあるお姫様。 幼い頃。 ……。 …………。 「……いえ、何でもないわ」 「忘れて」 「……」 フィーナはにこっと目を細め、再び月を仰ぎ見る。 「月は、地球からだとこう見えるのね」 「ええ」 「月から見た地球と比べて、ずいぶん小さい……」 「そう……なんですか」 ……。 なんて返事をしていいかは分からなかった。 フィーナは、何か言いたかった言葉を飲み込んだような気がした。 でも、きっとこれからフィーナと仲良くなって、フィーナが地球のことを勉強して、俺も月のことを勉強して、そうすれば、何もかもが、少しずつ動いていくんだろうと思っていた。 「いただきまーす」 「いただきまーす」 「いただきまーす」 「いただきまーす」 「召し上がれー」 「今日はピリ辛タンドリーチキンだよ」 「おお」 「ちゃんとヨーグルトも使ってて、本格的ね」 「これは美味しそうですね……」 「香りが食欲をそそります」 身の締まった鶏ムネ肉は、カレー色を帯びている。 何種類ものスパイスの複雑な香りと、バターのほんのりとした甘い香り。 表面のわずかな焦げ色からの香ばしさも、それに加わっていた。 「辛いですか?」 「心配しなくても大丈夫」 「ほんの少しだけだから」 「あと、付け合せに、蟹の生春巻きをどうぞ」 「蟹って……」 ずいぶん豪勢だなと言おうとしたら、先に答えられた。 「大丈夫、蟹カマだよ」 「わぁ、おいしいです!」 「生春巻きは、このタレにつけてね」 「こちらも美味しいですね」 麻衣の料理は、月からのお客人にも大好評だ。 ……。 …………。 「ごちそうさまでした」 「ごちそうさまでした」 「お粗末さまでした」 ……夕食を食べ終え、ゆっくりとお茶を飲む。 そんなのんびりタイム。 「お皿洗うね」 「麻衣さん、わたしもお手伝いします」 二人が席を立つ。 各々、近くにあるカップやソーサーを手にするが──半ば奪い合いの様相を呈している。 「そんなに慌てなくてもいいでしょう?」 「とは言っても、お客様にやっていただくわけには」 「いえ、一緒に住まわせて頂いている以上、同様の負担を」 「ミアさん、ほんとにそんなに気を遣わなくても……」 「いえいえ、お世話になってばかりでは落ち着かなくて」 ……。 「まあまあ、みんなそのくらいに」 姉さんが、仲裁に入ってくれる。 「達哉くん、まず、お二人はお客様ではありません」 「お二人は、うちの家族になったものだと考えましょう」 「はい」 「でも、新米の家族に、私達と同じだけの負担を求めるわけにもいきません」 「ですよね、フィーナ様」 「ええ」 にこっと微笑む姉さん。 「ましてや、奪い合うようでは本末転倒ですよ」 「はい……」 「すみませんでした」 「ううん、謝らなくてもいいのよ、ミアちゃん」 「その気持ちは、とても嬉しいわ」 姉さんは、慰めるようにミアの頭をなでる。 「どうしようか?」 「ちゃんと、分担を決めましょう」 「これで、揉めることも無くなりますもんね?」 麻衣の顔がにぱっと明るくなる。 「うん、そうしようっ」 「私も賛成よ」 「それじゃ、決まりね」 ……。 …………。 姉さんが柔らかく仕切ってくれたおかげで、スムーズに話が進んだ。 まず、ミアは一日中家にいることが多い。 麻衣は、吹奏楽の部活もあるため、かなりの仕事をミアに引き継ぐことになった。 最終的には……。 「お掃除とお洗濯は、わたしが麻衣さんに教えてもらうことになりました」 「私は、基本的には料理担当ということに」 「で、ミアさんとは、地球と月の料理をそれぞれ教え合います」 「私も、可能な限りそのお手伝いを」 「俺も同じくです」 「……でも、麻衣と、特にミアに偏っているのでは?」 「もしそう思ったら、もっと積極的にお手伝いすればいいんじゃない?」 「もちろん、どれくらい手伝ってもらうかは、その担当者が決めること」 「分かりました」 「はーい」 ……。 姉さんも言ってたけど。 だんだん、二人が家族になって来てる気がして、じんわり嬉しい。 家の中が久し振りに賑やかなだけで、俺は、楽しくなってきていた。 ……。 それぞれ、担当した家事が終わりかけている。 俺も、風呂の掃除を終えた。 「もう遅いですし、掃除機は明日にしますね」 みんな、なんとなくもう一度リビングに集まる。 「しー」 人指し指を口にあて、皆を見渡す麻衣。 ……?リビングにそっと入っていくと……姉さんが、ソファで丸くなっていた。 みんな、小さい声で喋る。 「姉さん、今週もずっと働きっぱなしだったもんなぁ」 「少しそっとしとこうか」 「でも、風邪を引いてしまわないかしら?」 「わたし、毛布を持ってきますね」 「暖かいから、大丈夫だと思うよ」 安らかな顔で寝ている姉さん。 姉さんは「疲れた」 「大変だ」 などと愚痴を言ったことが無い。 「……でも、俺たちが姉さんに心配掛けちゃいけないよな」 「そうね……」 「先程は失礼しました」 「でも……自分の部屋で寝た方が、疲れも取れるんじゃないかな」 「そうですね」 「お起こしした方が良いのでしょうか」 ……。 姉さんをじっと見る。 いつもいつも、一生懸命働いてる姉さん。 そして、さっきもそうだったように、うちの精神的な大黒柱としての姉さん。 普段、しゃきっと背を伸ばしている時は大きく見えるのに、今は……。 「俺が、姉さんの部屋まで運ぶよ」 「今のまま、寝かせといてあげるのが一番だろ」 「そうね。 達哉、お願いしていい?」 「ああ」 「わたし、ベッドの方準備しとくね」 「わたしも」 二人が、先に二階に上っていく。 「……達哉は優しいわね」 「いや、姉さんには敵わないよ」 「よっ」 姉さんの膝と肩の下に手を入れ、持ち上げる。 「大丈夫?」 「ん」 俺は、姉さんの重さと軽さとを感じながら、部屋まで運んでいった。 「今日はいいお天気ですねー」 今日は久し振りの休みだという姉さん。 いつも通り、ほややんと半分寝た状態で朝食を食べている。 「何だか……」 「さやかさんが、いつもと違います」 「お姉ちゃん、はいお茶」 「ありがとう、麻衣やん」 「やん?」 俺の問いはスルーされ、姉さんがお茶をすする。 きっとあれは、麻衣特製の濃厚緑茶だろう。 姉さんの目覚まし用だ。 ……。 「ふう」 「朝は、このお茶で目が覚めるわね」 「?」 「いつものさやかさんに戻りました」 「あとで、麻衣にコツを教えてもらってね」 「わ、わかりました」 「……ところでさやか」 「確か、大使館の近くには礼拝堂があったわね」 「ええ、ありますよ」 「フィーナ様は行かれますか? 日曜ですし」 「ええ、そうするわ」 「先週は行けなかったから」 「わたしもお供致します」 「礼拝堂って?」 「月王国では、半ば国教のように扱われている宗教があるんだけど」 「その礼拝堂が、博物館の隣にあるの」 「そう言えば、月学の資料集に書いてあったかも」 「達哉も、一緒に行ってみる?」 「一度、見てみた方がいいかな」 「礼拝堂の雰囲気は、写真では分からないものがありますよ」 その一言に押され、礼拝堂まで行ってみることにした。 ……。 …………。 この街を南北に流れる弓張川。 その河口の三角州は「月人居住区」 として扱われている。 「博物館、何度見ても立派ですね」 「本当に」 「さやかの指揮で、外見だけではなく展示も立派だと聞いてるわ」 「隣ってことは、あれが礼拝堂?」 「ええ、そうね」 礼拝堂なんて言うから、こぢんまりした建物を想像していたけど。 実際に見てみると、かなり大きくて……何て言うか、威厳を感じる建物だった。 「へえ……」 「こんなに大きいとは思ってなかったよ」 「それに、神聖な雰囲気があるような……気がする」 「ふふ……宗教施設は、そう思われるように作るものなのよ」 「私達はこれからお祈りをして来るけど、達哉はどうする?」 「この辺で、適当に時間を潰しておくよ」 「関係者じゃないと追い出される、みたいな規則が無ければ」 「多分、大丈夫です」 「こちらも、そんなに掛からないと思いますので」 「では」 そう言って二人は、礼拝堂の中に消えて行った。 ……。 敷地に余裕があるから目立たないだけで、ちゃんと見ていると、礼拝堂に入っていく人もいる。 そんな人影をぼんやりと眺めている。 ……と。 背後から視線を感じて、ゆっくり振り返った。 目が合う。 女の子が、俺をじっと見ている。 睨まれるってほどじゃないけど、居心地の悪い見られ方。 俺が、礼拝堂に来てるのに礼拝もしないでいるから…………ではないような気がする。 「あの……こんにちは」 「……」 空振り。 まいったなぁ。 「君も礼拝に来たの?」 「……」 ツーストライク。 ……さて。 このままでは三振も確実かと思われた時、その女の子がかすかに笑った。 無言の返答が辛かった俺も、思わずつられて微笑む。 もしかしたら、この女の子には言葉が通じていないのかもしれない。 あるいは……耳が悪いとか?……。 あれ?どこかで会ったような気がするんだけど……。 思い出せない。 ……。 その女の子は花壇の間に立っているので、まるで花の海の中に浮いているようだ。 服装と、礼拝堂という場所も相まって、幻想的な気分になってくる。 礼拝堂の入り口から、人の波が出てくる。 どうやら、礼拝の時間が終わったらしい。 「達哉、待ったかしら?」 「退屈じゃありませんでしたか?」 「いや、そんなことなかったよ」 「花も綺麗だし、それに……」 ……。 つい今まで、そこに立っていたはずの女の子がいない。 えっ?ほんのちょっと、振り向いただけなのに。 「どうしたの?」 「いや……」 「小さい女の子がいたんだけど、どこかに行っちゃったかな」 「そう」 「姫さま、達哉さん、帰りましょう」 「あ、うん」 「今から帰れば、ちょうどお昼ごはんですよ」 「今日は『かれー』というメニューだと、さやかが言ってたわ」 「かれーって、どんな料理なんですか?」 「そうだなぁ。 何と言っていいか……」 ……。 …………。 そんな話をしながら家路を辿る。 なんとなく……消えた女の子のことが、引っ掛かったまま。 礼拝堂から家に帰り、麻衣と姉さんの合作「特製・春から夏野菜のキーマカレー」 を食べ終える。 ナス、トマト、タマネギ、ブロッコリー、パプリカ、にんじん、セロリ……その他にも、まだまだ材料は入っていた模様。 それらが混じり合った複雑な味と、挽き肉の旨味が渾然一体となっている。 ミアも大満足の出来。 麻衣も、少し胸を張っていた。 「いかがでしたか?」 「とても、美味しかったです」 「勉強することがいっぱいですよ~」 「私も、お姉ちゃんに教えてもらいながら作ったんだよ」 「ちゃんと、レシピ書いてあげるね」 「やったー」 美味しいカレーは、かくも食卓を賑わした。 ……。 しかし……フィーナは、何か考え事をしているようだ。 「どうした?」 「ええ……」 そう曖昧に応じたフィーナ。 そのまま、俺をじっと見つめている。 視線に俺が気づき、目が合うと……目を逸らす。 そんなことが、何度か続いた。 ……。 改めてフィーナをじっと見てみる。 きれいだな、と思う。 「達哉」 急に話しかけられて、少し驚いた。 「な、なに?」 「居住区へ行ってみて、どうだった?」 「何か、思ったこととか」 「いや、特には」 「綺麗な建物が揃ってるなぁとは思ったけど」 「……」 「そう」 「?」 「あの、何か?」 「い、いえ」 「……別に、何でもないわ」 ……。 フィーナは、カレーの話をしている話の輪に戻っていった。 今日は水曜日。 トラットリア左門の定休日だ。 当然バイトも休みなので、放課後はフィーナにつきあって、寄り道して帰ることにした。 ……。 「買い食い?」 「いいえ、言葉を聞いたことも無いわ」 「……もし良ければ、教えてもらえるかしら」 「じゃあ、今日、今からやってみようか」 「わたし、アイスがいいな」 今日は吹奏楽部も休みらしく、麻衣も一緒に行くことになる。 「わたしは……二人に任せるわね」 「土曜・日曜は、ここの川原でフルートの練習をしてるんです」 「フィーナさんも、もし良ければ聴きに来て下さいね」 「ええ、是非」 「でも……家の中では練習しないの?」 「さすがに、近所から『うるさい』って苦情が来ちゃうかな」 「防音室でも作ればいいんだろうけど……」 そう言って、俺を見る麻衣。 「いや、それは日曜大工の範囲を越えてるだろ」 「確かに、一人で作るのは難しそうね」 「川原でいいじゃないか」 「風も気持ちいいし、広々してるし」 「でも、雨が降ったら無理でしょ」 「それに、金属製の楽器も、本当は日にあてちゃ駄目なんだよ」 「そうなの?」 「ええ」 「私のは、部で受け継がれてきた古いフルートだから、そこまで気を遣っていませんけど」 「麻衣、買い食いお勧めの店を教えてくれよ」 「うん。 この商店街限定で言えば……」 これまでも、麻衣にアイスクリームの店を教えてもらったことが何度もある。 アイス好きな麻衣は、店にも詳しい。 歩いて行ける範囲のアイス屋なら……美味しい不味い、高い安い、混んでる空いてる、開店・閉店時間からカロリーの高低、それに、デート向き不向きまで何でも知っている。 「今日はここがお勧めです」 「ここ? ただのスーパーだろ」 「と思うでしょ」 「ここの食料品売り場の隣にある店が、濃厚で美味しいアイスを作るんだよ」 「へえ……そりゃ盲点だ」 「もしかして、買い食いというのは……」 「多分、ご想像通り」 「ほら、あそこだよ」 「ちょうど、新作が出てるはず」 「ああっ、お行儀が……」 麻衣がフィーナの手を引いて、店の前に並ばせていた。 ……。 …………。 行儀を気にしていたフィーナも、アイスの出来には満足のようだった。 「こんなに自由な気分でアイスを食べるのは、初めてよ」 「それに、とても美味しいわ」 上機嫌のフィーナも、歩きながらピーチヨーグルト味のアイスを舐めている。 麻衣も上機嫌。 「美味しいよね」 「うん、美味いな」 「でも、やはり歩きながら食べるのは少し……」 「誰も気にしていませんよー」 「これも地球の庶民文化に触れてると考えれば」 ……。 「ぺろっ」 「ふふ……そうね。 そう考えることにするわ」 いたずらっぽく笑うフィーナ。 三人並んでアイスを味わいながら、足どり軽く商店街を歩いて行った。 ……。 夜も深くなり、順に風呂に入り終わった頃。 今日もフィーナは、ミアに昼間の出来事を話して聞かせていた。 「……という食べ方をしたの」 「ちょっとだけお行儀が悪かったけど、アイスがとても美味しかったわ」 「それに、ああして食べると、なんだかうきうきしてしまって」 「ううぅ、姫さまばかり、うらやましいです」 「ミアも、近いうちに一緒に行きましょうよ」 「えっ、いいんですか?」 「当たり前じゃない」 「フィーナ様」 「はい」 「カレンにだけは見つからないように気をつけて下さいね」 「きっと、この街でフィーナ様に注意するのは、カレンだけですから」 そういって笑う姉さん。 「ふふ……そうね」 ぴんぽーんチャイムが鳴った。 「あ、いいよ俺出るから」 バタバタと玄関まで駆けていく。 「はい」 「達哉君、お願いがあるんだよ」 「ちょっと、扉を開けてくれないかな」 「いいですけど……」 「こんな時間にどうしたんで……すかって、これは?」 仁さんは、トラットリア左門で一番大きなトレーを、両手で抱えていた。 これじゃ鍵が掛かってなくても、扉は開けられない。 「実験作だけどね」 「是非、皆さんに味わってもらおうと思ってさ」 全員が集まったリビング。 「さあ、ご覧あれ」 もったいぶった仁さんが、トレーに被せてあった布を、ひらりとめくる。 「これは……」 「うわぁ……」 「大きいけど、もしかして……」 「?」 「これは何ですか?」 「……シュークリーム、かしら?」 「さやちゃん大正解」 「しゅーくりーむ、というものなのね?」 「御意」 「で、でも、こんなに大きいのは初めて見ました」 姉さんも、うんうんと頷いている。 それもそのはず。 そのシュークリームらしき物体は、大きさがホールケーキほどもある。 「余った材料では、普通の大きさのシュークリームも作ってみたんだ」 言われて初めて気づいた。 特大シュークリームの周りには、いくつか普通の大きさのものが並んでいる。 大きい方のインパクトで、目に入らなかったらしい。 「お二人は、シュークリームは初めて?」 「え、ええ」 「初めてです」 「でしたら、まずはこの普通サイズの方からどうぞ」 「わたし、紅茶淹れてきますね」 ……。 …………。 そうして、仁さんの試作品のお披露目が始まった。 「ナイフやフォークは無くていいのね?」 「ええまあ」 「手でこうしっかり落とさないように持って、口の中に押し込んで、ぱくっと行っちゃって下さい」 「では、いただきます」 「いただきます」 ぱくっ二人が、普通サイズのシュークリームを口にする。 ……。 「……どうです?」 「すごい……とても美味しいわ」 「外はサクサク、中のクリームはまるでとろけるよう」 「とても、幸せな気分……」 絶賛だ。 「……むーっ、美味しいですっ」 「後で是非レシピをいただけないでしょうか?」 「あ、でもこういうのは企業秘密、ですよね」 こちらも絶賛。 「わ、私達も食べてみましょうか」 「うん」 お茶を淹れ終わった麻衣も、姉さんの後に続いた。 よし、俺も……ぱくっ。 ……。 …………。 む。 普通に美味い。 いや、かなり美味しい。 「仁さん、これ、とても美味しいですねっ」 「ほんと」 「あ」 「姫さま、クリームが……」 ミアが、フィーナの口元をハンカチでぬぐう。 「ご、ごめんなさい」 シュークリームに夢中になっていて、気づかなかったのだろうか。 ミアに拭かれながら、顔を赤くして俯くフィーナ。 「盛り上がって参りましたところで……」 「さあ、次が本命ですよ」 ナイフを取り出す仁さん。 ……巨大だ。 そもそも、ナイフで切り分けて食べるシュークリームなんて、初めてだ。 構成の基本は、さっきのシュークリームと一緒らしい。 中心部から、ちょうど6等分に、シュークリームを切り分けていく仁さん。 「満弦ヶ崎の巨匠、自ら切り分けます」 仁さん、ノリノリだ。 取り皿と、その上に巨大なシュークリームが、角度にして60度ぶん。 一人一人の前に取り分けられる。 「いただきます」 俺たちも、フィーナの後に続いた。 ……。 …………。 パウダーシュガーと生クリームとアーモンドの飾り。 普通のカスタードクリーム、コーヒーカスタード、チョコカスタードが層を成している。 そしてそれらのクリームに埋もれたフルーツ、少しパイ生地のような固さのシュー生地。 ……紅茶を何度もお代わりしつつ、長い格闘がやっと終わった。 「お、おなかいっぱい……」 「私もです……」 「紅茶、もう一杯いただくわ……」 「口の中が……甘くて甘くて……」 しかしそんな中、フィーナだけは自分の分をぺろりと平らげていた。 「ごちそうさまでした」 「とても美味しかったわ」 「それは良かった」 「また作ってお持ちしましょうか」 その質問が俺宛だったら、きっとしばらくは勘弁してくれと言っただろう。 でも、フィーナの返答は……「ええ、是非」 だった。 ……。 …………。 フィーナがカテリナ学院に通い始めて、最初の週末。 ばたばたしていた家の中も、フィーナとミアがいる状態に馴染んできた。 「ミアちゃん、脱水が終わった洗濯物、任せていい?」 「はい。 二階の物干し場ですね」 「うん」 そんな声が飛び交う、平和な土曜日の午前中。 俺はイタリアンズに餌を用意していた。 カルボナーラ「わふわふわふ」 ペペロンチーノ「わんっ!」 アラビアータ「ぅおん」 ガラガラとドッグフードを餌入れに流し込む。 最近、どんどん体が大きくなり、食べる量も増えているカルボ。 「わふ?」 先月から左門でのバイトを増やしたのは、餌代が増えてきたからでもある。 「幸せそうな顔しやがって……よしよし」 「おはよー」 「もう散歩行ったの?」 「そろそろ行こうかと思ってた」 今日はかなりぽかぽかと暖かかった。 日差しからは、春らしさだけじゃなく、初夏の薫りもする。 そこに、フィーナがリビングから顔を出した。 「おはよう、菜月」 「おはよう、フィーナ」 「達哉は、犬を飼ってるのね」 「うん」 「ってあれ? 紹介してなかったっけ」 「ええ」 「駄目じゃない達哉。 ちゃんと紹介しないと」 ……。 最年長のアラビアータ、好奇心が強いペペロンチーノ、一番でかいけどまだ子供のカルボナーラ。 それぞれを説明すると、フィーナも犬に挨拶する。 「三匹揃って『イタリアンズ』。 名付け親は菜月」 「いい名前だと思うわ」 「そ、そう? あははは……」 照れている菜月。 「実は、アラビアータより先に飼ってた犬がいたんだけど、何年も前に死んじゃってるんだ」 「飼い始めたのは、まだほんのガキだった頃だったかな」 「……」 「そいつの名前も菜月がつけたんだけど」 「ダメーっ」 「『ナポリタン』って名前なんだ」 ……。 …………。 「……あまり料理には詳しくないのだけれど」 「それは、イタリア料理ではないのでは?」 「ま、あの頃は子供だったから」 「……とはいえ」 「イタリア料理屋の娘が、間違えるのはどうかと思うけど」 「もー達哉ってばーっ!」 「人の恥ずかしい過去を、ぺらぺら喋っちゃうことないでしょーっ! もぉっ」 顔が真っ赤になっている菜月に、ぽかぽかと叩かれた。 ……。 …………。 「でも、達哉はどうしてこんなにたくさんの犬を飼ってるの?」 「三匹とも全部、捨てられてるのを拾ってきたんだ」 「なぜか……なんとなく、放っておけなくて」 「偉いわね、達哉は」 「何が『なんとなく』よぅ」 うりうり、と菜月が肘でつついて来る。 なんだ?「捨てられた犬は、拾うことに決めたじゃない」 「まあ、そんな感じ。 ははは」 ……なんか、そういうことになったらしい。 「それでも、こんなに育っているのだもの」 フィーナは、一匹ごとに、慈しむように頭を撫でる。 いつもなら、撫でてくれる人には大喜びで甘えまくるイタリアンズ。 しかし、フィーナの高貴なオーラにあてられたのか、今日はおとなしく撫でられていた。 「……達哉はこのイタリアンズの命の恩人ということだわ」 「一応……そうなるのかな。 少し大げさだけど」 「大げさではないわ」 「うん。 達哉は頑張ってる」 「何だよみんな、急に持ち上げても何も出ないぞ」 「あ、達哉照れてるー」 「達哉、照れているの?」 二人が寄ってきた。 「えーい、この話はお終いお終い!」 「みんな、お昼ご飯ができたよー」 「麻衣さんに色々と教えてもらいました」 「ナイスタイミング」 フィーナと菜月がやれやれと肩をすくめる。 やっと解放された俺は、足どり軽くダイニングへ向かった。 今日の昼食は、麻衣がミアに色々と教えていたらしい。 で、夕食は教師役が交代してるようだ。 「そうですか、地球には無いんですね……」 「ううん、その説明だと、ウドが近いかも」 「ウド?」 「八百屋さんで実際に見るのが早いよ」 「では行きましょうか?」 「うん!」 ……。 キッチンからは、そんな声が聞こえてくる。 「お兄ちゃん、お買い物に行ってくるから、留守番よろしくねーっ」 「おーう」 そのまま二人は、ばたばたと商店街に出掛けて行った。 ……。 フィーナが、リビングからこちらに出てくる。 「すっかりあの二人は仲良しね」 「ええ」 「料理って、共通言語になるんだなぁと思い知ったよ」 「ふふ……誰でも食事はするものね」 「……イタリアンズの散歩は、二人が帰って来てからにしようかな」 「散歩……」 「私も行っていいかしら?」 「えっ」 「もちろん、構わないけど……着替えて来た方がいいと思うよ」 「ドレスが汚れるかもしれない」 「そうね」 「では、二人が帰って来たらすぐ出発しましょう」 ドレスのスカートの裾をつまんでリビングへと上り、早足で自室へ向かうフィーナ。 俺は、イタリアンズの首輪にリードをつけながら待つことにした。 ……。 しばらくすると、麻衣とミアが帰ってきた。 ……。 程無くして、着替えを終えたフィーナが庭に出てくる。 「準備はできてるけど……」 「リードを持つ?」 「え、ええ」 「……犬の散歩は初めてだから、教えてね」 「最初は、連中が引っ張ってくれるから、大丈夫」 「そう」 少し緊張した面持ちで、リードを握るフィーナ。 カルボナーラ「わふー」 ペペロンチーノ「わんっ」 アラビアータ「……おん」 その緊張がイタリアンズにも伝わったのか、いつもより大人しい。 「ほら、行くぞペペロン、カルボ」 「あ、歩き始めたわ」 犬たちの前を俺が横切ると、やっといつものペースに戻ったようだ。 ……。 「け、けっこう、速い、のね」 「引っ張られる力に合わせちゃうと、どんどん走るよ」 「どっしり構えて、ゆっくり歩くつもりで」 「こう……かしら」 後傾姿勢になるフィーナ。 「そうそう」 「あの、首輪が食い込んでるように見えるけど?」 「大丈夫」 「ゆっくり歩こうとしているのが伝われば、みんなゆっくりになるから」 「で、でも……」 「わふわふわふっ!」 一番力の強いカルボが、今日に限って……いや、いつもだけど、元気に溢れている。 「落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり」 「そ、そんな……」 「はあっ、はぁ、はぁ」 フィーナは頑張った。 しかし、カルボは更に頑張って、フィーナを引っ張っていたようだ。 「代わろうか?」 「いえ、だいじょ、うぶ」 「でも息が切れてるし」 「やっぱり、お願い、するわ」 リードを俺に手渡そうとするフィーナ。 「ぅわんっ!」 「きゃっ」 「わっ」 バランスを崩したフィーナを俺が受け止める。 一瞬、二人の体が密着する。 「……ご、ごめんなさいっ」 ぱっ、と俺から離れる。 これまで見たことが無いくらいに、焦った顔をしているフィーナ。 「大丈夫だった?」 「まあ、なんとか」 ……。 俺がリードを握り直すと、三匹とも、さっきまでの喜びっぷりが嘘のように静かになった。 「いつもはこんなもんだけど……」 「みんな、フィーナにリードを持ってもらうのが嬉しくてたまらないみたいだね」 「きっと、珍しがっているのね」 「好かれる人ってのはいるけどね」 「……上まで行こうか」 ……。 …………。 それから丘の上に登り、ほとんど人がいないのを見てイタリアンズを放してやる。 「大丈夫なの、放してしまって?」 「あいつら、子供の頃からここで遊んでるから」 「人に吠えかけることもないし」 「いえ、そうではなくて」 「このまま戻って来なかったりすることはないのかと……」 「イタリアンズは大丈夫」 「口笛を吹くと戻って来るようにしつけてる」 「そんなことができるの?」 「何度も何度も訓練したからね」 「賢いのね」 ……。 …………。 海から丘を越えてきた風に揺れる、フィーナの髪。 こうしていると、思わず「ここで一度会ったよね」 と聞きそうになってしまう。 一週間前。 夜中に、ここで見たのはフィーナだったのだろうか。 それとも、やはり夢か幻でも見ていたのか……。 ……。 「どうしたの?」 「いっ、いや」 「ちょっと考え事を」 「?」 俺の顔を覗き込んでくる、フィーナ。 俺は、何故か少し気恥ずかしくなり、立ち上がった。 「じゃ、そろそろ呼んでみようか」 「ええ」 ピーーーーーー「おんっ」 冷静なアラビを先頭に、三匹ともこちらに駆けてくる。 「本当ねっ」 わくわくしながら見ているフィーナ。 しかし……カルボナーラ「わふわふわふわふっ」 ペペロンチーノ「わんっわんっっ!」 アラビアータ「ぅおんおんっ」 三匹とも、フィーナの足元に集まってしまった。 「きゃっ」 「くくくすぐったいわ」 「や、やめっ」 ぴた。 「あれ?」 まるでフィーナが喋ったことが分かったように、三匹とも静かになる。 「?」 フィーナの方がご主人様に相応しいと?「俺の立場が……」 ちょっとショックを受ける。 ……。 しかし、まあ……月王国の姫たるフィーナが相手じゃ、仕方無いか。 「さあ、帰りましょう達哉」 にこやかにフィーナに言われ、帰りのリードも任せることにした。 夜。 朝霧家のリビングでは、会議が行われていた。 そのきっかけの言葉は姉さんから。 「明日は、菜月ちゃんの誕生日ね」 「何か、お祝いをしましょう」 ……。 明日も、いつも通りトラットリア左門は店を開けている。 そして閉店後、いつも通りみんなでまかないを食べるだろう。 「晩飯を食べる時に、お祝いの準備をして行けばいいんじゃないかな」 「それでは、夜も遅くないかしら」 「でも、バイト中にお祝いはできないだろ」 「菜月ちゃん自身は覚えてるのかな?」 「覚えてるわ、きっと」 「誰も祝ってくれないのかなって、少しがっかりしているかも」 「分かりました!」 「そこでみんなでお祝いをして、びっくりさせるんですねっ」 「そういうこと」 「では、私からおじさんと仁くんには伝えておきます」 「あの二人も何か用意してるでしょうから、両方の準備を一本にまとめますね」 「ドキドキするわね」 「少し豪華なまかないと、ケーキを準備してもらいましょう」 「あと、プレゼントもご用意したいです」 「高価なものではなくていいので、皆で、何かプレゼントを用意しましょうか」 「二人や三人でひとつでも構わないと思います」 「ただ、選ぶのには全員が参加して下さいね」 ……。 姉さんには、こういう段取りをいつも頼ってしまう。 手際もいいんだけど、何より、ちゃんと祝ってもらう方のことも考えてくれるからだ。 ……。 …………。 そして今日。 準備は裏で着々と進み、予定通り、閉店後を迎えた。 「お疲れ、菜月」 「おつかれ」 「……ふう」 「どうした、ため息なんかついて?」 「あ、ううんっ、別に何でも」 そんなことを言って強がっているが、明らかに元気が無い。 からんからん「お腹空いたわー」 「左門さんの料理が楽しみね」 「いらっしゃいませ」 「残念ながら、今日の料理を担当したのは私めにございます」 「あははー残念」 「ひどいっ」 さやかさんの根回し通りにことは進んでいるようだ。 みんな、上手い具合に隠し通せている。 ……。 …………。 「本日のメインディッシュでございます」 そう言って、おやっさんがケーキを持って来た。 ケーキの上には、HappyBirthdayの文字。 ……その時の菜月の顔は、見物だった。 「もーっ、みんな黙ってるなんてひどーいっっっ!」 腹立たしさと嬉しさと驚きで、顔をくしゃくしゃにしている。 「さあさあさあ」 「菜月、ローソクを吹き消して」 「ええいっ、ふうーーっ」 消えない。 「あれ?」 「ふううぅーーーーっっ!」 ……。 炎は揺らめくものの、また消えない。 「なにこれーっ」 「ふううううぅぅぅーーーーーっっっっ!!!」 「……あうぅ……」 息を吹きすぎて、目を回しそうになっている菜月。 「はっはっは。 実用性抜群のようだね」 「これは僕からのプレゼント、災害用の『とても消えにくいローソク』さ」 「未使用のものもまだまだあるから、いざという時に」 「っぴょわっっ」 しゃもじが突き刺さる。 ……。 みんな、用意していたプレゼントをそれぞれ渡し、会はお開きとなった。 俺が渡したのは……野菜ジュースをたくさん作れるように、新型のミキサー。 菜月も喜んでくれた。 ……挨拶をして、左門を後にする。 「楽しかったですね」 「ええ、とっても」 「菜月ちゃん、驚いてくれたしね」 「ああ、悪いけど傑作だった」 「私たちからのティーカップも喜んでもらえました」 一息ついたところで、フィーナが姉さんに語りかける。 「さやかは優しいわね」 「えっ」 「みんなが楽しく過ごせるように尽くす人は、優しいと思うわ」 「おかげで、菜月さんも喜んでくれました」 「そんな、やりたいからやってるだけですよ」 「いや、姉さんはすごいと思うよ」 「さらりと、やりたいからって言えるのもすごいよ」 「な、みんな、どうしちゃったのよ」 真っ赤な姉さん。 「持ち上げたって、な、何も出ませんからね」 しどろもどろになってしまう。 そんな姉さんだから、みんな大好きになってしまうのだ。 朝。 目の前に並ぶ目玉焼きに使う調味料で、見事に意見が分かれてた時。 フィーナに月大使館から連絡が入った。 「……はい、……はい」 「分かりました。 ミアも一緒に行きます。 ……はい」 携帯を切るフィーナ。 「どうしました?」 「大使館からだったわ」 「今日は、大使館で検査があるのよ」 「あっ」 「ミア、今日は一緒に行きましょう」 「そうですね」 「すっかり忘れていました……」 肩を落とすミア。 「何の検査?」 「地球に来てしばらく経ったので、一度、身体に変化が無いか検査を受けるの」 「月を出る時に言われていたのに……」 「学院には、私から連絡しておくわ」 「うん」 「戻ってくるのは何時ごろになるかな?」 「どれくらいになるかしら、ミア?」 「何事も無ければ夕方には」 「検査項目に異常があると、夜までかかると思います」 「ずいぶん時間かかるんだね」 「ただの身体検査ではありませんからね」 「私が月から帰って来た時は、変な液体を飲まされて、ぐるぐる回る機械で検査されましたよ」 「そ、そんな検査を受けるのは初めてです」 「私は二回目ね」 「でも、一回目のことはあまり覚えていないわ」 「じゃあ、夕食は私が作って待ってるね」 「そっか。 今日は左門休みだ」 ピンポーン「はーい」 ぱたぱたと玄関へ駆けていくミア。 「あ、お、おはようございます」 「おはようございます」 廊下を歩いてくる、二人分の足音。 「お食事中でしたか。 失礼致しました」 「いいのよカレン。 リビングで待ってて」 「ごめん、さやか」 「……フィーナ様、お待ちしておりますので」 一礼をしてリビングのソファに向かうカレンさん。 「食べ終えたらすぐ、支度をしましょう」 「はいっ」 ……。 二人は検査に行き、俺と麻衣は学院へ。 最近は、フィーナがいるおかげで、学院でも賑やかに過ごしていた。 今日は久し振りに、いつも通りの学院生活を送ることになりそうだ。 ……。 …………。 特にすることも無いまま、あっと言う間に放課後を迎える。 今日は何をしようかな。 放課後の学院。 グラウンド、体育館、そして校舎内の至る所で、部活動に汗を流している姿があった。 「あれ、朝霧君」 「残ってるなんて珍しいね」 「ああ、まあね」 遠山が、バッグを持って教室を出て行こうとしている。 確か遠山は……吹奏楽部だったはず。 「麻衣が、世話になってたっけ?」 「お世話してますよー」 「クラリネットとフルートで、パートは違うけどリーダー同士だもんね」 「でも、そろそろわたし達の代は引退」 「そんな時期か」 「それじゃね」 「おう」 遠山が、廊下を駆けていく。 俺も席を立ち……少し早いけど家に帰る。 こんな時間だから、誰もいないと思っていたら……靴が二足あった。 「ただいまー」 「お帰りなさいませ、達哉さん」 「あら、早いのね」 「今日は検査って言ってなかったっけ?」 「それともフィーナに異常があったとか?」 「なっ、無いです無いです」 ぶんぶんと首を振るミア。 「検査の後、姫さまだけもう少し残ることになって……私もお供しますと言ったんですが」 「月の王様と通信してるのかもしれないわ」 「ミアはいつもフィーナの傍にいるから、休みをくれたつもりなのかも」 「そんな、休みだなんて」 「わたしは、姫さまの傍にいるのが一番嬉しいのに」 「今日フィーナ様が帰って来たら、そう言っておくわね」 冗談めかして言う姉さん。 「あ、やや、だっ、駄目ですーーっ」 手をばたばたさせて焦っているミア。 「でも、言わないと伝わらないことってあるかも」 麻衣がいつも練習してるのはこのあたりだけど……今日は誰もいないな。 いや、一人だけ遠山がいた。 「ごめんごめーん」 「麻衣の様子を見に来てくれたんでしょ?」 「えっと、まあ……」 「今日は部活休みだったよー。 しっぱいしっぱい」 「じゃーねっ」 校舎内に駆けていく遠山。 慌ただしいヤツだ。 それじゃ、麻衣は帰ったかな?……。 …………。 「ただいまー」 玄関には、既に麻衣の靴がある。 「お帰り、お兄ちゃん」 「ああ。 今は麻衣だけ?」 「うん。 久し振りに二人きりだね」 「ああ、そうだっけ」 ソファに腰を下ろし、しばらく窓の外をぼんやり眺める。 「今日は部活休みだったんだって?」 「うん」 「顧問の先生が何か失敗したらしいんだけど、詳しくは分からないんだ」 「いつも遅くまで頑張ってるんだし、たまには、のんびりするのもいいさ」 「俺も、もう少しバイト増やそうかなぁ」 「左門でランチの部に入るとかさ」 「でもお兄ちゃん週に5回もやってるよ」 「私こそ、部活ばかりだし……」 「それは言わない約束」 麻衣の言葉を遮る。 「その分、麻衣は家事をやってくれてる」 「うん……」 少し申し訳無さそうな表情の麻衣。 「それにさ、最近カルボナーラがまた食べる量が増えたんだ」 「まだ大きくなるかもな」 「あはは、そのうちわたしが乗れるようになるかな?」 「そりゃ大きくなりすぎだから」 ……。 イタリアンズを拾ってきたのは俺。 昔から、捨てられてる犬を見ると拾わずにはいられない。 その代わり、餌代は俺のバイト代から出すことになっている。 「さて……そろそろ、来月の家事分担表を作らないとな」 「あ、もう五月もあと一週間だもんね」 五月も終わり。 五月も終わり……?「麻衣。 今年はもう行った?」 「……うん」 「一昨日、お姉ちゃんもお兄ちゃんも仕事の間に」 「そっか」 一昨日5月22日は、12年前に事故があった日だ。 親父がまだ生きてた頃。 親父は、月と地球の歴史について研究しているグループに属していた。 その調査中の事故だ。 「久し振りに、お花を買ったんだ」 「13回忌だったから」 「そうか……俺も行けば良かったな」 「ううん、私だけだったから。 お花を供えたのも」 俺は、麻衣の頭に手のひらをのせ、ゆっくりとなでた。 ……。 その事故で死んだのは、麻衣の両親。 親父は、その後すぐに麻衣を連れてきた。 母さんの賛成もあって、麻衣を養子にする話はあっと言う間に進んだ。 ……そして、それ以来、麻衣はずっと俺の妹であり続けている。 「さあ、この話はおしまい、おしまい」 頭にある俺の手を、ゆっくりと、払う麻衣。 「たまには一緒にイタリアンズの散歩に行こうよ」 「そだな」 「昼間の散歩は久し振りかな? きっとあいつら大喜びだ」 「うんっ」 麻衣がリビングから庭に出ると、案の定。 カルボナーラ「わふわふわふっ!」 ペペロンチーノ「わんッ」 アラビアータ「ぅおんっ」 ……。 「お兄ちゃん、行こう」 「お前、サンダルはないだろ」 「ほら、玄関行って履き替えてこいよ」 「あはは、そうだね」 ……それから俺と麻衣は、イタリアンズに引っ張られるように、いつもの散歩コースを歩き始めた。 もう、あれから12年か……。 麻衣が朝霧家の養子であることは、それからずっと、朝霧家内だけの秘密だった。 親父が行方不明になり、母さんが死んでからは、そのことを知っているのは二人だけ。 姉さんですら知らない。 でも、このままでいいと思う。 うちの家族が今の形になってから、多少いびつではあるものの、やっと落ち着いてきているんだ。 麻衣は俺の妹。 俺は麻衣の兄。 俺たちは兄妹。 これは、二人の約束──「いい天気だね」 「でも、ここは相変わらず人が少ないな」 「こいつら、少し放してみるか」 「喜ぶよ」 「へっ、へっ、へっ、へっ」 わくわくしているカルボナーラ。 「それっ」 三匹のリードを、それぞれの首輪から外してやる。 最初の二、三歩はちょっと戸惑った様子。 しかし、その後は自由に走り回ったり、じゃれあったり。 楽しそうに、遊び回っている。 「物見の丘公園って、いつもガランとしてるよな」 「うーん」 「街中から少し離れてるしね」 「ま、犬の散歩でもなきゃ、ここまでは来ないか」 「おんっ」 アラビアータが、どこからかゴムのボールを拾ってきた。 しょうがないな。 「遊んでやるとしますか」 「うんっ」 ……。 それからしばらく公園で犬たちと遊ぶ。 ……。 イタリアンズはまだまだ元気だったものの……俺と麻衣がバテたあたりで、家路に就いた。 ……。 …………。 ……。 結局菜月を見つけたのは、夕方になってからだった。 学院の中にもいない。 自分の部屋にもいない。 商店街にもいない。 もちろん、携帯にも出ない。 仕方無く家に帰ってきたら、左門の厨房に明かりがついていたのだ。 「何作ってるの?」 「ん? ……んー、別に」 「いつまでもカーボンカーボン言われてちゃ悔しいからね」 「少しは練習しようかと思って」 「味見しようか?」 「まだ」 「びっくりするくらい上手くなってからにする」 カーボンと呼ばれたことに対して、菜月も意地を張っている。 左門は定休日だし、今日の練習は長引きそうだ。 ……。 …………。 夕食後の時間をのんびり過ごしていると……窓の外、すぐ向かいにある菜月の部屋に明かりが点いた。 練習も終わったのかな。 机に肘をついて、ぼんやりと窓の外を眺める。 すぐ、手が届きそうな距離にある菜月の部屋。 ガキの頃は、よくここから互いの部屋に出入りして、母さんとかおやっさんに怒られたものだ。 ……。 ん?菜月の部屋のカーテンに、少し隙間が空いてる。 そこから誰かがこっちを見たような。 菜月か?しゃっ「見てた?」 「え?」 「えっと、何を」 「なっ、何をって……」 「そ、その……着替え?」 「何で疑問文なんだ」 「見てないのね?」 「ああ」 「何にも。 少しも。 これっぽっちも」 「なーんだ。 それなら良し」 そういえば、菜月はもう私服になっている。 明かりがついたばかりだというのに、素早いな。 「……でさ」 「さっきまでやってた料理の練習、はかどってる?」 「えーと」 「ま、まあ、ぼちぼちってとこね」 「今後の成長に乞ご期待……って感じ?」 「そうか……」 「先は長そうだな」 「でもね、確実に前進はしてるんだから」 「ちゃんと試食してるか?」 「うー」 「今日は、半分くらいは食べられたと思う」 「へえ、半分か」 「ずいぶん前進してるな」 嫌味と受け止められるか、と少し身構えた。 が……「うう……ごめん、嘘でした」 「3分の1くらい……かな。 食べられたのは」 「……」 「菜月、頑張れ」 「食べ物は大切にしよう、な」 「う」 「……そうだね……」 なんだか、いつもの菜月と比べて、元気が無いな。 ……ちょっと励ましてやろうか。 「おやっさんってさ、料理上手いよな」 「ま、まあね」 「一応、うちのシェフだし」 「菜月のお袋さんは?」 「お母さん?」 「お母さんは、多分お父さんよりも上手いんじゃないかな」 「修行から帰って来たら、きっとシェフの座はお母さんのものになるよ」 「ふむ……」 「な、なによう」 「仁さんも最近めきめきと腕を上げてるし……」 「菜月にも、素質はあるはずなのになぁ」 「うぐっ……」 「わ、私だって、本気を出せば」 「料理の一つや二つ、簡単に作れるんだから」 「ほう。 楽しみにしてていいのかな」 「当ったり前でしょ!」 ……気づけば、俺の部屋の入り口には姉さんと麻衣。 うちと左門の前の道路には、煙草をくわえた仁さん。 「皆さん、お聞きになりましたか」 「えっ」 菜月も、やっと周りの状況に気づく。 「兄としては、妹が料理の道に目覚めてくれたなら、もういつ死んでもいいね」 「達哉くん、仲良しなのはいいけど、もう夜だし」 「このまま続けてると、商店街のみんなが聞きに来るよ」 「ははは、ごめん」 「ごめんなさい……」 「あれ、もう終わりかな」 「はい、解散、解散っと」 「今日は短かくて良かったわ」 あんたらなぁ……「べー」 しゃっやれやれ。 菜月が元気になってくれたのは良かったけどさ。 ……。 …………。 ここまで真っ赤になって焦られてしまうと、姉さんの正論相手でも、助けたくなる。 「まあ姉さん」 「言わぬが花、ってこともあるよ」 「ええ」 「それに、行動から伝わる思いというものがあるかと」 ……。 「ふぅ……そうね」 「ミアちゃんが言ってほしくないなら、無理に言ってもしょうがないし」 「すみません……」 「ごめんごめん、よしよし」 ミアの頭を撫でる姉さん。 「お茶を淹れてあげるから、元気を出して」 ……。 数分後。 姉さんが淹れてくれた緑茶が、俺の分も含めて三人の前に並ぶ。 「緑茶って月にもあるの?」 「いえ、少なくとも私は飲んだことがありませんでした」 「こっちに来てからは?」 「二、三杯ほど」 「さあ、お茶菓子も持ってきましたよ」 そう言って姉さんが持ってきたのは、きんつば。 ずいぶんとまた和風なものが並んだ。 ……ミアは、こういう場で自分から食べ始めるのが苦手そうだ。 「じゃ、いただきまーす」 「わたしも、いただきます」 ずずっ茶をすすり、茶菓子のきんつばを口へ運ぶ。 「うん、美味い」 「戴き物なの」 「……ほんと、美味しいわね」 「ミアちゃんはどう?」 ミアは、湯飲みをじっと見つめている。 「なんだか、懐かしいような味がします」 ……。 「達哉くん、ちょっと」 「な、なんですか?」 姉さんに引かれて、キッチンまで来る。 「ミアちゃん」 「緑茶派に引き込めないかしら」 「あの……」 「そしていずれフィーナ様も緑茶派に」 「って言うか、派閥が無いですから」 「あら、そうだったかしら」 とぼけたことを言う姉さん。 きっと、ミアに緑茶の美味しさを知ってほしいだけなのだろう。 ……ふむ。 うちの中で言えば、まず姉さんは緑茶派だ。 姉さんを起こすために、毎朝、濃厚緑茶を淹れるのは麻衣。 しかし麻衣が自分で飲むとなると、緑茶とコーヒーと紅茶とジュース……あまりこだわりは無さそうだ。 そして、フィーナとミアは紅茶派。 菜月は野菜ジュース。 俺は……「分かった、協力するよ」 「緑茶派の全滅は望ましくないからね」 「これで千人力よ」 「まずは、ミアちゃんを引き込みましょう」 楽しそうに言う姉さん。 俺も、このゲームにつき合うことにした。 「あまりこだわらない方が……」 「ふふ、そんなにこだわってるわけじゃないの」 「もちろん、これはただのお遊びだけど」 「ミアちゃんにも、地球の文化に触れて行ってほしいじゃない?」 そう言って、悪戯っ子のように微笑む姉さん。 この人には敵わない。 「しょうがないなぁ」 「ミアを引き込むためには、まず何よりも美味しい緑茶を出すこと」 「今、うちにあるお茶で一番いいものは?」 「頂き物があったような……」 がさがさ姉さんが、キッチン周りの収納を探し回る。 「これね」 「これは……」 見るからに高級品と分かる、しかし質素な包み紙。 それを開けると……小さい缶が一つだけ。 「これなら、行けるかもしれませんね」 「これも使いましょう」 姉さんから渡されたのは、桐の箱に入った湯飲み。 こうなったら、もう至れり尽くせりだ。 ……。 「ミアちゃん、お待たせ」 「さやかさん、どうしたんですか?」 「はい、これを飲んでみて」 「緑茶のことを、もっと知ってもらおうと思って」 「はい、ありがとうございます」 「あ、湯飲みが……」 「それは二人からのプレゼント」 ミアの表情がぱあっと明るくなる。 「あ、ありがとうございますっ」 「大切にしますね」 ……何も知らないミアが、そのお茶をゆっくり口に含む。 どこからの頂き物かは知らないけど、あれはとんでもない代物だぞ。 50gの缶についてる値段が、5桁だ。 「……こ、これは!」 「色は薄いのに、しっかりとした甘みが……」 ゆっくりと味わっているミア。 「姉さん」 「ねえねえ、いけそうじゃない?」 「あれで緑茶のファンになって、安いお茶で満足するでしょうか」 「……う」 ……。 …………。 結論から言うと、ミアは、緑茶が好きになってくれた。 しかし同時に。 ミアは一番緑茶にうるさくもなってしまったのだった。 ……。 「無理に言うことはないと思うけど……」 「一度言っておかないと、これからどんどん『お休み』が増えるかも」 「それは……」 「その……」 板挟みになって、縮こまってしまうミア。 「そんなに困らないで」 「いい子いい子。 よしよし」 ミアの頭を撫でる姉さん。 困り果てた顔が、少し和らぐ。 「ミアちゃんは、フィーナ様のことが好きなのね」 「もっ、もちろんっ」 「でも、それをフィーナ様には言いたくないと」 「はい……」 ミアの顔は真っ赤だ。 ……きっと、照れ臭いんだろうな。 がちゃ 「ただいま戻りました」 玄関から、足音が近づいてくる。 「ミア、ごめんね。 一人で帰らせて」 「いえっ」 「それより姫さま、検査で何かあったんですか?」 「あら、心配させてしまったかしら」 「検査は何ともなかったわ」 「ただ、その後に少し父様からの連絡があって」 「陛下から……」 「そうだったんですか。 良かった」 「わたし、姫さまに何かあったのかと」 「心配させたわね。 ごめんなさい、ミア」 フィーナが、ミアの肩にぽんと手を置く。 ……。 「良かったわね」 「姉さん」 「やっぱり……」 「行動で伝えるのが一番ね」 「さっきと、言ってることが全然違うよ」 「結果オーライなら、手段は正当化されるの」 「都合いいなぁ」 「大人の知恵よ」 「でも、ミアも元気になったようで良かった」 「そうね」 「ミアちゃんが元気無いと、家の中から火が消えたみたいだもの」 「いつの間にか、うちのムードメーカーになってるね」 「本当、ふふふ……」 「でも、やっぱりちゃんと言った方がいいよ」 「……もう、達哉くんは頭が固いわね」 「あの二人を見てごらんなさい」 フィーナとミアが、楽しそうに微笑み合っている。 「今更、口を挟んでも仕方無いの」 「相談に乗るのは、相手が困ってる時だけでいいのよ」 何かをフィーナが言って、ミアが、本当に楽しそうに笑う。 「そうみたい、だね」 ……。 その日は、姉さんがミアを誘って一緒に風呂に入っていた。 姉さんは、自分以外の人の感情の動きに敏感だ。 何かが起きると、すぐにフォローに入ったり。 そもそも何も起きないようにしたり。 ……洗面所の前を通ると、風呂から、二人の笑い声が聞こえた。 何を話しているのやら。 ……。 …………。 今日も一日が終わる。 ベッドに身体を横たえると、疲れがどっと全身から出てきたような感覚。 「ふう……」 ため息を一つつくと、夜の闇に身体が溶けていきそうだ。 しかし、まだ今週も何日か残っている。 気になるのは……「ねえフィーナ」 「自分の親戚が教科書に載ってるってどう?」 休み時間、菜月がフィーナの席に行って話しかける。 「どう? と言うと」 「ほら、恥ずかしいとか、誇らしいとか」 「私だったら……」 「教科書におやっさんが載ってるのを想像しろってことか」 ……。 思案顔の菜月。 「ぷっ」 「あはははは、笑っちゃった」 「ごめん、俺は想像できなかった」 一体、何の教科書を想像すればいいのかすら分からない。 顔写真が多い教科書といえば、歴史か音楽だけど……どこに当てはめても、完全に浮いている。 俺と菜月が笑っているのを見て、フィーナが口を開いた。 「……実は」 「あまり感想は無いわ」 「慣れちゃった?」 「母の顔は、月で使われている紙幣の肖像画にもなっているから……」 「もう見慣れてしまっているの」 「本当に?」 「すごい、さすが王族ね」 「王族なら、誰でもそのように扱われるわけではないわ」 「母が、王国の女王として国民に慕われていたということね」 「好かれる女王様かぁ」 「どんな人だったの?」 「公明正大で、平和を愛し、常に国と国民のことを考えていたわ」 「母のことは、一個人としても娘としても、尊敬しているの」 そう言うフィーナの顔は、誇らしげでもあり、嬉しそうでもあった。 「かっこいい……」 菜月は素直に感心している。 「フィーナも、そんな女王になれるといいな」 「そうね。 母は私の目標よ」 「かなり高い目標だから、挑み甲斐があるわね」 「親を尊敬できるって、いいな」 「達哉は尊敬できないの?」 「まあ……あまり」 「人それぞれの事情があるから、一般論として言うつもりはないけれど……」 「私は尊敬できる母を持つことができて幸せだと思っているわ」 「そうだな」 「なんだか、私ももっときちんとしなきゃって思っちゃった」 「あー、それ分かる」 「映画を見終わって、かっこいい主人公になった気分で映画館を出た時のような」 「そうそう」 「?」 「……何にしても、二人の役に立てたのなら嬉しいわ」 そんな受け答えもフィーナらしい。 ……。 教科書に載っているフィーナの母親の顔を、もう一度じっくり見る。 こんなところに『立派だった』と親が書かれてて。 並の子供だったら、ものすごいプレッシャーを感じるんじゃないだろうか。 ……フィーナは、いつも通り真っ直ぐ前を見ている。 さすがお姫様だな、と感心した。 と言うか、隣にいるのはお姫様だと、改めて深く思い知った。 土日は家で夕食を食べる日だ。 今日は、久し振りに麻衣が一人で作っている。 「麻衣、頼まれたもの買ってきたぞ」 「ありがとー」 「こっちに持ってきてくれると嬉しいなぁ」 「はいはい」 「豚挽き肉、エビ、キャベツ、ニラ、ネギ……なんだろ」 「これを見れば正解が一目で分かりまーす」 そう言って麻衣が手に持ったものは……。 ぺらぺらした、乳白色の皮。 「エビ餃子か?」 「ぴんぽーん♪」 ……。 「餃子は久し振りだなぁ」 「ぎょーざ、とは何ですか?」 ミアがひょっこりと顔を出した。 餃子作りを手伝い始めた俺の手つきを、興味深そうに見ている。 「こうやって」 「いろんな具を皮に詰めてって、焼いて食べるんだよ」 「中には、何を入れてもいいんですか?」 「基本は豚肉と野菜だけど、何でも合うものなら入れていいんだよ」 そんな話をしながら、俺とミアは餃子の皮で具を包む作業を手伝った。 ……。 できた餃子の数が多いため、何回かに分けて焼くことにした麻衣。 俺とミアはリビングで焼き上がるのを待っている。 「ただいま戻りました」 「お帰りなさいませ」 「……?」 フィーナが、キッチンを見て微笑む。 「麻衣、今日はごきげんね」 ……。 「ふんふふーん♪」 「ん?」 「るんららーん♪」 「あちゃー」 久し振りに聞いたから、忘れかけていた。 あれは、麻衣が料理に失敗した時の鼻歌『デスマーチ』だ。 「たらりらったらーん♪」 「きっと、とても美味しく出来たのね」 「ええ、楽しみです」 「違うッ! あれは……逆ッ!」 「?」 「あの鼻歌は『デスマーチ』と言って、麻衣が料理に失敗した時の……」 「ただいまー」 「あら、ごま油の香りね。 おなかがもうぺこ……」 「ふんふふーん♪」 「!?」 「……」 「……だいたい、分かりました」 ここに至って、やっとフィーナとミアも事態の深刻さに気づいたようだ。 ……。 …………。 「さあ、できましたよー」 大皿に並ぶエビ餃子。 見た目は、ただの、とても美味しそうな餃子だ。 その周りに、ごはん、味噌汁、漬け物などが並ぶが……圧倒的に存在感があるのはやはり餃子だ。 食卓に走る緊張感。 さて。 ……。 「いっただきまーす」 緊張感を吹き飛ばすよう、なるべく明るい声で、元気に挨拶。 大皿の端にある餃子を箸で挟み、つけダレへ。 そして、口へ。 ……。 「ど、どうかしら?」 「イタダキマース」 妙なイントネーションの麻衣が、自ら一つ目の餃子を箸で取る。 ぱくっ。 もぎゅもぎゅ。 ……ごくり。 「うん」 「……あれ、どうしてみんな食べないの?」 ありゃ?もしかして、デスマーチは空振りだったのか?それを確かめるべく、俺も餃子を一つ箸で持つ。 「麻衣……?」 「どうしたの、お兄ちゃん」 大丈夫……なのか?ぱくっかっ、からいーーっ!!口から火を吐くかと思った。 「はひ、へーはんっ、みふ、みふをっっ」 姉さんもフィーナもミアも、俺を悼むような表情をしている。 ……。 …………。 「すぐに気づいたんだけど、混ざっちゃってて……」 具に混ぜ込む調味料を間違えたものが、数個、混入してしまったらしい。 「俺が食べたものが、大当たりだったと」 「ごめんなさい……」 「ううん、料理で失敗は成功の母」 「実際に他の餃子はとっても美味しかったし、上出来よ」 「本当。 美味しかったわ」 「ひゃあああぁぁああ」 「ミア、どうしたの!?」 ……。 俺の他に、もう一つだけあった「あたり」 を引き当てたのはミア。 二人の口の中は、食事が終わってからもしばらく麻痺していた。 ……。 今日も、放課後は左門でのバイトだ。 授業が終わると、家に戻り、着替えて左門に向かう。 からんからん「おう、タツ」 「そうだ達哉君」 「さっき、商店街で悩み多き若者を見かけたよ」 「誰ですか?」 「教えてあげない」 「そういうのは、自分で気づいてこそ意味があるんだよ達哉君」 それっぽいことを言って、上手くごまかす仁さん。 バイト中、気になってはいたんだけど。 ……結局、仁さんが誰を見たのかは教えてもらえなかった。 バイトを終えて家に帰る。 すると、リビングに人影があった。 真剣な顔のフィーナ。 今日学食で、冷奴を食べるのに苦戦していたフィーナ。 箸を上手く使えなかったのが、よほど悔しかったのだろうか。 もちろん、そんな素振りは見せないけど……決意のようなものが伝わってきた。 ……。 フィーナの前には「二つの皿」 「一膳の箸」 「大豆が入った袋」 がある。 「フィーナ様、本当にやるんですか?」 「もちろん」 「ではさやか、お願いね」 「ふう……」 「分かりました」 姉さんが袋の封を切り、その中身である大豆を片方の皿に流し込む。 「姫さま、頑張ってください」 「大丈夫」 「5……3、2、1、始めっ」 ざっ、かつ、ざっ、かつ……。 …………。 ものすごい集中力だ。 開始してから30分。 その後、俺が風呂に入ってる間の30分。 風呂を出てから、テレビを見てた30分。 そして、そろそろ寝ようかと立ち上がりかけた今も、まだ練習が続いている。 「……3、2、1、始めっ」 ざっ、かつ、ざっ、かつ……。 「フィーナ様、まだ……?」 「ごめんなさい」 「私一人でもできるので、さやかはもう休んで」 「そういう訳には行きません」 「こうなったら、とことんまでおつきあいするわ」 「……3、2、1、始めっ」 ざっ、かつ、ざっ、かつ……。 どうやら、練習を始めた時と比べて、既にタイムは半分以下になってるらしい。 それでも、二人は特訓をやめない。 「達哉、お願いがあるの」 「なに?」 「そこで寝てしまっているミアを、起こして……」 「部屋まで連れて行ってもらえないかしら?」 「りょーかい……ふわああ」 「達哉も、今日はもう休んでいいのよ」 「そうね。 後は任せて」 「分かりました」 ……それから俺は、ダウンしてしまったミアを部屋まで連れて行った。 ついでに、そのまま俺も部屋に戻ってダウンした。 「じゃ、すみません」 「先に寝るよ。 フィーナ、頑張って」 「ありがとう」 「わ、わたしは、頑張って……起きて……ふわ……」 「達哉、ミアをお願いできますか?」 「達哉くん、ミアちゃんも二階へ連れてってあげて」 「そうします」 ……頑張って起きてたけどダウン寸前のミアを、部屋まで連れて行く。 ついでに、そのまま俺も部屋に戻ってダウンした。 ……。 …………。 「おはようございまー……す」 リビングに降りてくると、姉さんがソファに丸くなって寝ている。 相変わらずだ。 「姉さん、姉さん」 揺する。 「あら……」 ほややんとした目は、焦点が合っていない。 ……ソファの下には毛布が落ちていた。 どうやら、誰かが姉さんに毛布をかけたらしい。 「姉さん、もう朝だよ」 「ほんとう、びっくりですね」 「今、お茶淹れますから」 ……。 その後みんなが起きてきて、姉さんも緑茶を飲んで復活して、朝食を食べて。 ……フィーナの練習の成果が発表された。 ざっかっざっかっざっかっ右の皿に入っている大豆を、箸でつまんで左の皿へ。 その速さがすごい。 箸の先が見えない、とまでは行かないが……確実に俺より速い。 そして、一度も取りこぼしが無かった。 たった一晩でここまでになるとは……。 「ふう……」 「フィーナさん、すごい!」 「これ、一晩で?」 「ええ、何とか」 「私が寝てしまってからも、練習を続けていたんですね」 フィーナは黙ったまま頷く。 「姫さま、さすがです」 「いやほんと、すごいよ」 「いえ、そんな、言われるほどでは……」 これと決めたことには、全力で取り組み、努力を惜しまない。 それがフィーナらしい。 きっと今日、学院では……眠気に負けじと、誰にも見つからないように歯を食いしばるのだろう。 ……。 悩み多い、ねえ。 麻衣や菜月はいつも通りに見えるし……仁さんのことだから、また適当なことを言って俺をからかってるんだ。 そう思うことにして、俺はバイトに精を出した。 ……。 …………。 俺がバイトから帰る時。 珍しく、菜月がついてきた。 「どうした?」 「ちょっと、麻衣ちゃんと話があって」 「ただいまー」 「おじゃましまーす」 菜月はそのまま階段を登り、麻衣の部屋の扉をノックした。 こんこん「菜月でーす」 がちゃ「待ってましたー」 二人は、麻衣の部屋に入って行った。 ……麻衣は、菜月に何の話だろう。 一応受験生の俺。 あまり焦っていないのは、ある程度の成績を取っていれば、エスカレーターで上がれるからだ。 ま、その「ある程度」 の成績を取るために、多少はテスト勉強をしなくてはいけないわけで。 とりあえず俺は教科書を開いた。 ……。 …………。 「……あはははは……」 隣の部屋から、笑い声が聞こえたような。 ……。 ……。 「もう菜月ちゃん……」 やっぱりだ。 盛り上がってるようだな。 ……。 …………。 「……えええっ、達哉が……」 気になるなぁ。 って言うか、俺の名前が出て、気にするなって方が無理な話だ。 とりあえず俺は……お茶を持って行くついでに、少し静かにするようお願いすることにした。 あの二人が何の話をしているのか……気にならないと言ったら嘘になる。 ……。 とりあえず俺はお茶を淹れ、二人に差し入れてみることにした。 こんこん「はーい、どーぞー」 がちゃ「お茶が入ったよ」 「わー、お兄ちゃんありがとう」 「気が利くじゃない」 「たまにはな」 二人は、思い思いの格好でリラックスしている。 「あ」 「わっ」 麻衣の部屋着の裾がめくれていた。 「……」 「達哉」 「何も見てない」 「私も何も言ってないよ」 「あはは……」 ……。 ええい、何しに来たんだ。 すいぶん笑い声が聞こえてたから、気になってたんじゃないか。 「……で、何か楽しい話でもあった?」 「そうそう。 それがね……」 「わーっ、わーっ、菜月ちゃん言っちゃ駄目ーっ」 「なんだ?」 「何でもないの。 ねっ? ねっ?」 菜月に助けを求める麻衣。 「ふーん、なるほどね」 面白そうに俺と麻衣を見比べる菜月。 「ま、ここは何でもないってことにしときましょうか」 「なんだそりゃ?」 「そうそう、何でもないの」 「何が?」 「何もかも!」 「さ、お兄ちゃんは出てって出てって」 「ほらほらほら」 麻衣にぎゅうぎゅうと押され……廊下へと追い出される。 ばたん何だったんだろう?仕方無く、リビングに戻る。 ……。 麻衣には、菜月になら相談できることがあるんだな。 まあ……俺が何でも話を聞いてやってたのも、ずいぶん昔の話か。 ……。 そんなことをぼんやり考えていると。 「達哉さん、どうかされましたか?」 ミアが俺の顔を覗き込む。 よっぽど、変な顔をしていたのだろう。 心配されてしまったようだ。 ……。 当たり障りのない範囲で、今の出来事を話してみる。 「菜月さんは、一緒に考えてくれる方ですから」 「親身になってくれる分、色々と、話しやすいのかもしれませんね」 「うん……」 「そういうもんかもな」 「ええ、そういうものだと思います」 「そっか」 ミアに礼を言う。 ……。 その日は、もう麻衣の部屋から笑い声が聞こえてくることは無かった。 いつ菜月が帰ったのかも、分からなかった。 ……。 週末になった。 学院が休みだと、色々と自由に使える時間も多い。 この週末は、どうやって過ごそうか。 土曜日の営業を終えた、トラットリア左門。 いつも通り、菜月は野菜ジュースを飲み、仁さんが売り上げを勘定している。 「タツ、今日もお疲れ」 「さすがに、週末はお客さんも多いですね」 いつもよりバタバタ動き回ったせいか、今日はかなり疲れていた。 「そうだな」 「商売繁盛、結構なことだよ達哉君」 「お客さんが全然来なかったら、達哉のバイト代も出ないんだから」 「いや、そりゃ分かってるんだけどさ」 お客さんが多いということは……。 『トラットリア左門』の人気が上がってるということなわけで。 「……二号店を作ることは考えてないんですか?」 「ほう、二号店か……」 「例えば、おばさんがミラノから帰って来たらとか」 「はっはっは」 突然の高笑い。 仁さんが、ずずいと俺の前に立つ。 「僕が一人前にならなきゃ無理に決まってるじゃないか達哉君」 「じゃあ、そこは笑うトコじゃないでしょっ!」 しゃもじでのツッコミが炸裂した。 ……。 …………。 「ああ、ちょっと待ったタツ」 「はい?」 左門を出たところで、おやっさんが俺を追いかけてきた。 「先月分の食費、さやちゃんに貰ったんだがな」 「少し多いんじゃないか?」 「ああ、それなら……」 「先月はフィーナの歓迎会があったのと」 「そもそも、フィーナとミアで二人分増えたからですよ」 「しかしこりゃ……」 「つっ返されたりしたら、俺が姉さんにボコボコにされますから」 「どうか、受け取ってください」 ……。 「……そうか、さやちゃんにはよろしく伝えといてくれ」 「はい……じゃ、おやすみなさい」 「ああ、おやすみ」 ……。 俺たちが一緒に食べさせてもらっている、トラットリア左門の「まかない」 。 練習用の料理とはいえ、材料費もかかる。 だから朝霧家では、いくらかのお金を払うことにしていた。 おやっさんがギリギリまで受け取りを拒否したため、他の料理と比べると3分の1くらい。 ほとんど、原材料費しか払ってない計算だ。 ……。 俺とおやっさんがそんなやりとりを終えた時。 商店街を、一人の女の子が通って行った。 ガラスのような存在感。 いつか見た女の子。 確か……礼拝堂だったような気がするけど。 そんなことを考えてるうちに、その女の子は、商店街の中に溶け込んでしまっている。 人込みは、それまでと全く変わらずに流れていた。 ……。 …………。 「ただいまー」 「お帰りなさい」 「お帰りなさいませ」 今日は交代の休憩も無かったから、脚も疲れている。 すぐに風呂に入りたいけど……誰かが入ってたみたいだ。 麻衣の風呂って、案外長いんだよな。 最近は洗顔料も増えてるし、年頃ってやつか。 姉さん、風呂で寝ちゃいないだろうな。 ……まさかね。 仕方無い、少し待つか……と思って洗面所を出かける。 そうだ。 靴下だけ洗濯物入れのカゴに放り込んでおこう。 ぽいっ……ん?ばたん「あ……お、お兄ちゃん?」 「ま、麻衣」 ばさばさっ「ちがっ、違うんだ」 「お、お兄ちゃんのえっ……」 ……。 …………。 「へくちっ」 「ああほら、風邪引くぞ。 ちゃんと身体拭けよ。 じゃっ」 ばたん「きゃ……た、達哉くん?」 「ね、姉さん」 ばさばさっ「いえ、あのこれは」 「達哉くん」 「は……はい」 にっこり笑う姉さん。 「ご飯抜き」 「はい。 しし失礼致しましたっ」 バタンッ……。 ふう。 びっくりした。 そして、怖かった。 ……今のは、紛れもない事故だ。 あまり傷口が広がらないうちに、さっさと寝てしまうに限る。 ……。 …………。 今日もいい天気だ。 日曜日の午前中は、同じいい天気でも、平日とは違う幸福感がある。 もう、ずいぶん高くまで上った太陽。 夏の薫りを感じる風。 そんな平和な空気を──悲鳴が切り裂いた。 「わっきゃーーっっ!!」 なんだなんだ?「わっわっわっあああーっ」 麻衣も部屋から出てくる。 一階からはフィーナが。 「屋根裏部屋だよね」 「ミアっ」 寝間着のまま、ぱたぱたと屋根裏部屋への梯子を登るフィーナ。 「どうしたのっ」 「えっ……」 「きゃーーっっ!」 ……。 「行ってみようか」 「おう」 俺と麻衣も、ミアの屋根裏部屋へ繋がる梯子を登る。 「どうしました?」 「あのっ、あっ、あっ、あれが……」 ミアの指す先を見ると……壁に、やたらと脚が細くて長い、蚊を大きくしたような虫。 ガガンボって奴か。 「ががんぼだね」 「がっ……ががんぼ、というの?」 「ああ。 きっと、そこの窓からでも入ったんだろ」 「あのっ、そっ、外にっ……!」 「ミアちゃんは虫が苦手なんだ」 部屋でガガンボから一番離れた隅に、枕を抱えて縮こまっているミア。 「つっ、月には、あまり、こういった虫がいないので」 ……フィーナも、少し震えてる。 見慣れなければ、まあ、ブキミだよな。 「ミア、ティッシュある?」 「あ、はい、そ、そこにっ」 ティッシュを手に持ち、ガガンボを包もうとする。 ……が、すうっと逃げられた。 「脚が取れちゃった」 「……っ!」 きっと口は結んだまま、脂汗が出始めているフィーナ。 こりゃさっさと捕まえて捨てないと。 「とりゃ」 素早い動きで、ティッシュの上からガガンボを鷲掴み。 逃がすのは難しいと判断し、一気に握りつぶす作戦に切り換えた。 その気になれば、ガガンボはさほど素早くない。 「はい、これで大丈夫」 「あの、たっ、達哉さんっ」 「ん?」 「そっそそそ、そのティッシュですが……」 「ああ、下に持ってくから安心して」 「さすがに慣れているわね、達哉は」 フィーナも、やっと落ち着いてきたようだ。 「まあ、子供の頃から見てれば、それなりには」 「あ」 「フィーナさんの後ろの壁に、もう一匹いるよっ」 「ひゃっ!」 ぺたん。 フィーナは、しりもちをついてしまった。 俺は、さっきと同様に素早くガガンボを退治。 「……す」 「少し、びっくりしたわ」 「仕方無いさ」 「見慣れた身から見ても、こいつは気持ちいいもんじゃないから」 「そうなの?」 「あはは……そうだね」 「窓を開けるのが、怖くなってしまいます……」 「地球名物だとでも思うしかないのかなぁ」 「また出た時も、呼んでくれたらすぐ来るから」 「は……はい、ありがとうございます」 月には、ごく一部の益虫以外は、虫がほとんどいないって習ったっけ。 今度、殺虫剤も買ってきた方が良さそうだな。 夜の10時。 リビングに降りてみると、少し遅い時間だけど菜月が来ていた。 「……基本は腹筋よ、腹筋」 「ふむふむ」 「吹奏楽でも腹筋鍛えるんだよ」 何の話をしてるんだ?「それに、筋肉をつければ身体全体の基礎代謝が上がるから、同じだけ食べても太りにくいの」 「そうだったんですかー」 「カロリーの3分の2は、基礎代謝で消費しているから……」 「基礎代謝を高めておくのが重要よ」 「また、ダイエットの話か」 口を挟んでみる。 「うん。 知識として持っておくのは意味があるでしょ」 「まあ、そうかもしれないけど」 ……麻衣とミアを見る。 「?」 「……」 この二人、現状ではダイエットが必要そうには見えないけどな。 「ミアには、まだ必要ないような気がするけど」 「それに、麻衣にも」 「う……」 「それは……そうかもしれないけど」 「いや、だって、なぁ」 「むー」 「う~……」 「なっ、何?」 「菜月ちゃんには敵わないよー」 「……でもでも、皆さんの食事を作る時に、参考になることはあると思います」 「うん、そっか」 頷く麻衣。 「しかし、ダイエットトークを始めるということは、菜月が……」 「なっ、何よ」 「また大台に……」 「おおだい?」 「なんでもなーい! なんでもなーい!」 「菜月ちゃん、大丈夫だよ」 「慰めるトコじゃなーい!」 「ああ! 体重が大台に乗ったということですねっ」 「理解してるんじゃなーい!」 「まあまあ」 「きっかけ作っといて仲裁してるんじゃなーい!」 「スペシャルデザート試食ターイムっ」 「タイミング見計らって出てくるんじゃなーい!」 ツッコミのオンパレード。 いつの間にか、仁さんまで乱入していた。 ……。 …………。 結局、菜月は最後までデザート試食には加わらなかった。 スモモのババロア、けっこう美味しかったのに。 「失礼しましたー」 仁さんを引っぱったまま帰っていく菜月。 「菜月さん、ファイトです」 「わたしは、頑張って成長したいと思います」 「うん……お互い頑張ろうね」 力なく応える菜月。 「仁さんのデザート、菜月ちゃんも食べられれば良かったのにね」 「ありがと」 「兄さんには、好評だったって言っとくわ」 菜月……強く、生きてくれ。 ……。 6月の第一月曜日。 月末に海開きを控え、カテリナ学院では毎年海岸清掃のボランティア活動を行っている。 俺や菜月はもう3回目だ。 が。 「達哉さん、少し顔が赤くありませんか?」 「ほんとだ」 「だいじょーぶだいじょーぶ」 朝食を食べてる時から自覚し始めたが、ちょっと今日は熱っぽい。 緑茶を飲んで目が覚めた姉さんが、近寄ってくる。 茶碗と箸で両手がふさがってる俺は、抗う術も無く……額をコツん。 「熱は……少しだけ、あるかな?」 「だ、大丈夫ですって」 「無理はいけないわ、達哉」 原因は、簡単に思い当たる。 今年何度目か分からない熱帯夜だった昨晩、エアコンをつけっぱなしで寝てしまったのだ。 「きっと、学院に着く頃にはいつも通りだと……」 「思うんだけど」 「本当に大丈夫?」 「ま、何とかなるだろ」 「大丈夫じゃなさそうだったら、無理はしないでね」 「はい」 足元もふらついてないし、しっかり朝御飯も食べたし。 とりあえず、普通に登校してみることにした。 ……。 「今日は午後から、全員で弓張海岸の清掃ボランティアだからな」 「いい天気だが、くれぐれも暑いからといってそのまま海に飛び込んだりしないように」 ……午前中の授業が終わると、宮下先生がそう告げた。 全学生が体操服に着替え、浜辺へ向かう。 弓張海岸へは、学院の裏門から歩いて10分程度。 クラスごとにまとまって、海岸に到着した。 「ボランティアで、掃除をするのね」 「うん」 「海開きになったら人もたくさん来るし、うちの学院が一番近いしね」 「年に何時間だったか、ボランティアが授業に組み込まれてるんだ」 「教育方針みたいなもの、かな?」 「しかし、授業で強制では、ボランティアと言えるのかしら?」 「そ、それは……そうなんだけど」 「まずは強制でもいいからやってみて、あとは学生の自主性に期待ってことかな」 「きっかけになれば、ということね」 「多分」 「ま、強制とか考えないで、楽しんでやれればいいよね」 「ええ」 一人一人にごみ袋が配られた。 あとは、打ち上げられて干からびた海草からスプレー缶まで、各々が拾うだけ。 ごみ袋一つがノルマなので、さっさとそれだけのゴミを拾えば、あとは時間一杯遊んでてもいい。 「それじゃ、始めますか」 「おーう」 「はいっ」 「達哉」 「ん、なに?」 「先程の、ボランティアの意義についての話だけど」 「うん」 ……。 …………。 それから、フィーナとゴミを拾いながら、行事のあり方について話をした。 フィーナは、将来国を統べる立場にあるからか、とても深い考えを持っていた。 ……。 「もう、一袋分のゴミが溜まったわね」 「まだ続けるなら、あそこで新しいゴミ袋と交換できるよ」 「ノルマはクリアしてるから、もう時間まで遊んでてもいいけど」 「いえ、もう少し続けてみるわ」 「達哉はどうするの?」 「ああ、つき合うよ」 「達哉のゴミ袋も、もう一杯になりそうよ」 「一緒に新しいゴミ袋をもらいに行きましょう」 「そうするか」 ……。 初夏の日差しは高く、浜辺をじりじりと焼く。 熱中症防止のため、各々休憩を取ったり、海に足を浸したり。 そんな行為もかなり大目に見られていた。 「そろそろ暑くなってきたなぁ」 「そうね」 自らの頭に手をのせるフィーナ。 「達哉の髪の色の方が、暑そう」 「そうか?」 俺もフィーナの真似をして、自らの頭に手をのせる。 「あちっ」 「ほら。 ふふふ……」 ……。 とりあえず、太陽に焼かれて火照った身体を少しでも冷やそう。 そう思った俺は、ジャージの裾をめくって、波打ち際へ降りることにした。 「フィーナも来ない?」 「い、いえ」 「私はまだゴミを拾うわ」 「でも、身体に熱が籠もるのは良くないよ」 「冷たくて気持ちいいと思うんだけどな」 靴下を脱ぎながら言う。 「いえ、遠慮しておくわ」 「家の外で素足を晒すのって、もしかして礼儀に反したりタブーだったりする?」 「そういうわけではないけれど……」 俺は素足で熱く灼けた砂の上に立つ。 「あちちっ」 波打ち際の、少し湿ったところまで歩く。 素足で砂を掴む感覚は、久し振りだ。 「ほら、気持ちいいよ」 砂浜に登ってくる波の先端に、足の指が触れる。 次は、足首まで浸かる。 引く波が、足の裏の砂を持っていく感じ。 「フィーナも来ればいいのに」 「……」 もしかしたら、清掃をさぼるのが後ろめたいのかな?俺は少しはしゃぎ過ぎてたのかもしれない。 「分かった」 「俺も、掃除に戻るよ」 「ごめんなさい」 なんで謝られたのかは分からなかったけど、俺もまた掃除をすることにした。 もしかしたら、海が怖いのかな?あり得る。 海をこんなに近くで見たのさえ、初めてかもしれない。 しかし……。 ここで正面から指摘しても、きっと否定するだろうな。 「じゃあさ、とりあえず裸足になってみない?」 「わ、分かったわ」 靴を脱ぎ、靴下を脱ぐフィーナ。 「ここまでなら大丈夫だから」 フィーナを、半分湿った砂まで引っ張りだす。 「でも達哉」 「大きい波が来たら、ここまで水が来るということよね」 「そんな波はほとんど来ないよ」 でも、こういう時に限って……ざざーん「きゃあっ」 思わず飛びのいたフィーナ。 だが波は早く、当然逃げきれない。 「フィーナっ」 手を取る。 ざさざざ……大きめの波が、フィーナの足首までを濡らした。 「ああっ、砂が……」 「大丈夫」 ……波が引く。 足の裏の砂が持って行かれる感覚も、きっと初めてなんだろう。 「……」 それ以降の波は、また元の大きさに戻ったようだ。 「どうだった?」 「足が濡れてしまったけど……」 「不思議な感覚ね」 「冷たかった?」 「ええ、気持ちいいわ」 「少しびっくりしたけど」 フィーナは、微かに緊張した笑顔でそう言った。 ……。 乾いた砂の上を歩いて足を乾かし、砂を払って靴を履く。 また俺たちはごみ拾いに戻ることにした。 ……。 …………。 ボランティアの時間が終了し、学院に戻る。 その間、フィーナはずっと上機嫌だった。 ……。 その晩。 フィーナは、ミアに海のことをいつまでも話していた。 ……とても楽しそうに。 ……。 真面目に参加する学生は少ないこの行事。 こういう時は、まずノルマを終わらせよう。 ……。 …………。 黙々とゴミを拾い、かなり早いペースでノルマを終わらせる。 最初から遊んでると、集合時間間際に拾おうとしてももうゴミがあまり無い。 それで苦労しているクラスメートを、今まで何度も見てきた。 「朝霧君はやーい!」 「あれ、達哉もう終わったの?」 「ああ」 「最初のうちしかない『大物』で袋を一杯にした方が楽だしな」 「賢いなぁ」 「達哉、まだ大物ってあった?」 「向こうの方にまだあったかな」 「でも競争激しいぜ」 「菜月っ、急ごう!」 「うん。 達哉ありがとっ」 駆けていく二人。 俺は、海岸沿いをブラブラと散歩することにした。 ……。 …………。 三年生から一年生まで、広く砂浜に広がっている。 真面目に拾ってる奴。 最初から大はしゃぎで遊んでる奴。 海に飛び込んでしまう奴。 日光浴をしてる奴。 ……そんな、色々な学生の中に、麻衣を見つけた。 「麻衣」 「お兄ちゃん、ゴミ袋は?」 「早く拾った方が、ノルマの一袋は楽だって言ってたのに」 「ん? 俺はもう終わったけど」 「お兄ちゃん、早すぎだよー」 ……そんな会話をしていると、麻衣のクラスメート達が集まってきた。 「麻衣、この人が麻衣のお兄さん?」 「わー、案外かっこいいー」 「お兄ちゃんは見せ物じゃないんだから」 「麻衣のクラスメートでーす。 よろしくー」 「同じくでーす」 「麻衣って、『お兄ちゃん』って呼んでるんですね」 「ん、ああ。 まあそうだけど」 「仲良さそうですねー」 「でも、このトシになって『お兄ちゃん』って呼ぶのって珍しくない?」 「確かにね」 「えっ、普通じゃないの?」 「ちっちゃい子供の頃は普通かもしれないけど」 「そ、そうなんだ……」 ……。 …………。 「ごめんね」 クラスメート達が去ってから、麻衣が謝ってきた。 「何が?」 「あの子たちが、珍しがっちゃって」 「ま、あんなもんだろ」 「……」 「あのね」 「ん?」 「あの……」 「『お兄ちゃん』って呼ぶの、不自然かなぁ」 「じゃあ、なんて呼ぶ?」 「う~」 「むー……」 「そんなこと、急に言われても分かんないよ」 「兄貴とか?」 「えー、なんかイヤだな」 「お兄様」 「ぷっ」 「あはははは……」 爆笑された。 「じゃあ、達哉さんとでも呼んでみるか?」 「うわ」 「なんだよ『うわ』って」 「俺、姉さんのこと、しばらくさやかさんとか、さやか姉さんって呼んでたぜ」 「……達哉さん?」 「ああ」 「達哉兄さん」 「た つ や に い さ ん」 一音一音、確かめるように発音する麻衣。 「んー」 「なんか違和感あるよね」 「はぁ……もうなんでもいいからさ」 「例えば、家の中とか、二人きりの時はこれまで通り」 「クラスメートの前とか、二人きりじゃない時は好きに呼んでくれ」 「う、うん」 「考えとくね」 ……。 そう言って、クラスメートのところに戻っていく麻衣。 確かに……友達といる時に家族が来ると、なんか恥ずかしいよな。 その気持ちは分かる気がする。 ……ま、麻衣がいいと思うようにすればいいだろ。 俺は、またクラスメートがいる方に戻ることにした。 ……。 …………。 その日、帰ってからも俺の呼び方を考えていた麻衣。 でも、結局いい案は浮かばなかったらしい。 とりあえず俺は『お兄ちゃん』と呼ばれ続けるようだ。 ……。 開始早々、菜月が岩場に向かっているのが見えた。 「菜月、どこ行くんだ?」 「んー、去年のこと覚えてる?」 「去年?」 何かあったかな。 去年も同じクラスだった俺と菜月。 海岸清掃……。 岩場……。 「蟹か」 「そうそうっ」 「今年も元気かな?」 去年、岩場で蟹を見つけて、菜月が大喜びをしていたのを思い出した。 「どうかな」 「見に行ってみようよ」 しかし。 集合時間が近づいてから拾おうとしても、もうゴミがあまり無い。 最初のうちしかない『大物』で袋を一杯にした方が楽なのだ。 「行きたい気持ちは分かるけど、海岸清掃のセオリーを思い出せ」 「むー、確かに」 ……。 それから、俺と菜月は、大急ぎでノルマを達成した。 クラスでも一番と二番だろう。 「終わったー、行こうっ」 「はいはい」 ……。 岩場に着く。 「いないね……」 「そうだな」 「あっちはどうだ?」 「見てみる」 大きな岩を乗り越え、その向こうの隙間を降りていく菜月。 「気をつけろよ」 「大丈夫」 少しずつ、海面に近づいていく菜月。 そんなに危険そうではないけど…… ……。 「いたか?」 「うーん」 「いないなぁ」 もう少し、もう少しと探している菜月。 俺が、それを上から見ていると……。 「あっ」 「いた?」 菜月が左手を置いている岩の陰から、蟹がわらわらと出てきた。 「菜月の、左手のあたりに……」 「いたたたーっ!」 出てきた蟹のうち一匹が、菜月の指をハサミで挟んだ。 慌てて岩の間から飛び出してくる菜月。 「痛い、痛いってば!」 菜月が手をぶんぶん振っても、蟹はしっかりと指を挟んでいる。 「海だっ」 「海水に浸けたら離れるかも」 走り回っていた菜月は、そのまま海に膝下まで浸かり、海中に左手を沈める。 「放せーっ」 ざぶざぶ 水の中に入れた手を、目茶苦茶に動かす。 ……。 「と、取れたよ……」 「良かったな」 「うん」 心底ほっとした顔で、菜月が言う。 少しだけ青ざめていた顔にも、やっと笑顔が戻ってきた。 「……びっくりしたー」 「菜月、見せて」 「うん……」 小さい蟹だった。 ハサミも、そんなに大きくはない。 「ハサミを引きちぎるのが、一番早いと思うけど」 「何とか、ハサミを開かせることはできないの?」 「コイツ、小さいくせに力が強くて……」 ハサミを開かせようと力を込めても、びくともしない。 「あいたたたたっ」 「はさむ力が強くなってる」 「いたっ、いたっ、痛いっ!」 そのまま海へ駆けて行き、左手を海水につけてざぶざぶ動かす。 ……。 「う」 「どうした?」 「ハサミだけちぎれちゃった」 「結局こうなるのかー」 ……菜月は、膝のあたりまで海水で濡れていた。 今は岩の上に座り、靴と靴下と脚を乾かしている。 「あっ、こっちにたくさんいるじゃない」 「蟹?」 「うん」 ぼんやりと海を見ながら、菜月と、靴が乾くのを待つ。 日差しも強いから、数十分もすれば乾くだろう。 「日に焼けちゃうなぁ」 「紫外線が気になる?」 「まあ、少しは」 「……そろそろ乾いたかな」 足についた砂を払い、靴下と靴を履く。 「さ、行こっ」 「ああ」 「しかし……蟹に指を挟まれるなんて、菜月って楽しい奴だよな」 そう言って、先にクラスの担当区へ走り始める。 「もーっ」 菜月も追いかけて走ってきた。 ……。 その日の夜に浴びたシャワーは、首筋に染みた。 菜月はきっと、指にも染みているだろうな。 ……。 「……やっぱり、大事を取って家で休むことにするよ」 「そうね。 無理はしない方が……」 「姉さん、宮下先生に連絡してくれる?」 「ええ」 ……。 「行ってきまーす」 「お大事に、達哉」 二人が家を出る。 俺はベッドに入って、しばらく寝ることにした。 ……。 …………。 目が覚める。 ちょっと上半身を起こしてみると……どうも、身体がだるいような気がする。 体調のせいか、寝すぎたせいかは分からない。 時計を見ると、昼の12時を少し回ったところ。 今頃、学院は昼休みだろうか。 「よっ」 とりあえず熱を計ってみて、それから考えよう。 体温計は……姉さんの部屋だったかな?がちゃ「ひゃあっ」 「あれ、ミア?」 「は、はい」 危うくぶつかるところだったミア。 手に持ったお盆には、器を載せている。 「お昼ご飯に、たまご入りのおかゆを作ってみたのですが」 「ああ、ありがとう」 「ちょうど、お腹が空いてきたところだよ」 「では、ここに置きますね」 「もう起き上がっても大丈夫なんですか?」 「ちょっとフラフラしてるから、熱を計ろうと思ってたところ」 「そうでしたか」 「また、後で食器を下げに来ますね」 「元気になってたら、俺が持っていくよ」 「無理は禁物ですよ」 「ああ、ありがとう」 ……。 …………。 ミアが作ってくれたおかゆを食べる。 しばらくして、熱を計ってみると……結果は37度2分。 熱があるといえばあるけど、大騒ぎする程じゃない。 うーん。 ……その場で、少し立ったりしゃがんだりしてみる。 あ。 駄目だ。 ……くらくらする。 今日はバイトがあったけど……おやっさんに休ませてくれって伝えた方がいいかな。 ……。 …………。 目が覚める。 「……」 「達哉くん、大丈夫?」 「ん……姉さん?」 「起こしちゃったわね」 「いや、大丈夫。 今日はずっと寝てたし」 「……それより姉さん、仕事は?」 「今日は、早めに上がってきたの」 「実に一年ぶりの定時よ」 そういって、姉さんはころころと笑った。 ……時計は夕方5時半を指している。 「で、体調はどう?」 「寝過ぎで、少しだるいくらいかな」 「熱は?」 「昼間に計った時は……」 「7度2分。 微妙だよね」 「もう一度計ってみる?」 「……それと、寝てる間に汗も一杯出たみたいだし、少し拭いてあげようか」 姉さんに拭いてもらう?……。 って、何考えてるんだ俺!「いや、姉さんっ、自分でできるからいいよ」 「自分でできるからいいよ」 「そう? それなら、タオルを持ってくるわね」 ……。 熱は6度9分。 だるいのも単なる寝過ぎ。 晩御飯が近づいてくるにつれて、腹の虫まで鳴る始末。 「もう、大丈夫そうね」 「うん」 「……少し、大事を取りすぎたかも」 「本当に良かったです」 「ミアも、お昼のおかゆ美味しかったよ。 ありがとう」 「もしかしたら、あのおかゆのおかげですぐに治ったのかもね」 姉さんの真似をして、ミアの頭を撫でてみる。 「そ、そんなこと、ありませんよぅ」 ……。 「あれ、もうこんなに元気なんだ」 「大したことがなくて、何よりだったわ」 しばらくすると、麻衣とフィーナも帰って来た。 ……。 確かに、大したことはなかったけど。 ミアが家にいてくれたこと……そして姉さんが早く帰って来てくれたこと。 おかげで、寝ている俺がちっとも寂しくなかったこと。 もしかしたら、そんな嬉しかったことが、体力を回復させたのかもしれない。 ……。 ……。 目覚ましが鳴る直前に、目が覚めた。 アラームを止めてから着替え、一階に降りる。 そこでは、ミアと麻衣が朝食の準備をしていた。 「おはよう」 「おはようございます、達哉さん」 「おはよー、お兄ちゃん」 「今日は少し早いね」 「目覚ましより早く目が覚めてさ」 「何か手伝えることがあったら、手伝うけど」 「じゃあ、ご飯よそってくれる?」 ……。 全員分のご飯をよそう。 「姉さん用のお茶も淹れとくか」 「そだね」 急須に、特濃の緑茶を淹れる準備をする。 実際にお湯を注ぐのは、姉さんが起きてからにしよう。 ……。 「おはようございます~」 ほややんとした顔で、姉さんが起きてきた。 いつもの朝食風景だ。 普段の二倍の茶葉で、普段の三倍の時間蒸らす。 「はい、姉さん」 「ありがとう、達哉くん」 撫でられる。 「お、おはようございます」 フィーナが、少し早足で入ってくる。 「ちょうどいいタイミングだよ、フィーナさん」 「おはようございます、姫さま」 「さあ、準備ができましたよー」 ……。 いつも通りの朝御飯。 いつも通りの、一日の始まり。 フィーナやミアも、すっかり朝霧家の朝食に馴染んでいる。 知らない食材が出てびっくり、箸が上手く使えなくてわたわた。 そんな場面も、ほとんど無くなっている。 二人が月から来たことすら、時々忘れそうになるくらいだった。 ……。 「あれ、フィーナはまだかな?」 「そうですね、ちょっと遅いです」 「今日は、私もまだ姫さまの部屋には行ってません」 ミアは、朝食の準備で忙しそうだ。 「ちょっとノックだけしてくるよ」 「お願いします」 いつもは、俺より早いくらいのフィーナ。 お姫様といっても、たまには寝坊することがあるのかな?こんこんフィーナの部屋の扉をノックしても、返事が無い。 寝てるなら、もう少し強くノックしないとダメだろう。 こんっこんっ……。 まだ寝てるのかな。 だとしたら、ミアに起こしてもらわないと……。 「はーい」 「……どうぞー」 ん、起きてるのか。 がちゃ「フィーナ、そろそろ朝ごは……」 「……あ……」 「……」 「きゃーーっ!」 一瞬、目の前で起きていることが理解できない。 フィーナが、半裸で、俺の前にいて、悲鳴を上げている。 ……ちょっと待て。 俺は月王国のお姫様の着替えを覗いてしまったってことだぞ。 いや、返事はあったんだ。 どうぞって。 しかし、今の状況を100人が見れば、100人が俺を責めるだろう。 王族の着替えを見たのって、どれくらいの罪になるんだろう。 ……一瞬の間に、思考がものすごい勢いで空回りする。 「フィーナ様?」 「どうかされましたかっ?」 バタバタバタ近づいてくる足音。 早くなる鼓動。 もう駄目だ、と思ったその時。 「……」 無言のフィーナに背中を押され、クローゼットに押し込められた。 「姫さまっ!」 「何か異変でも?」 ……。 「……いえ」 「ちょっと大きい羽虫がいたのよ」 フィーナ……「昆虫には慣れていないので、思わず悲鳴を上げてしまったけど」 「その羽虫は?」 「皆さんが入ってくる時に、出て行ったわ」 「達哉さんが、こちらにいらしてたかと思ったのですが」 「?」 「いいえ、こちらには来てないけれど」 フィーナは、俺のことをかばってくれてる……のか?「お兄ちゃん、トイレにでも行ってるんじゃないかな」 麻衣ナイス!「そろそろ朝食ができそうね」 「遅れてごめんなさい」 「すぐに行くわ」 「……あ、は、はいっ」 「何事も無くて良かったです」 「今度、フィーナさんの部屋にも殺虫剤を常備しようよ」 ……。 …………。 みんなが、ダイニングへ戻っていく。 フィーナに助けてもらった。 「達哉、みんな戻ったわ」 「フィーナ、どうして」 「着替えの途中で入って来られたことに対しては怒っているけれど……」 「私の返事にも、問題があったわ」 「……びっくりしたので、悲鳴を上げてしまったけど」 そう言うフィーナは、王族らしい公正さと気高さに満ちていた。 俺は、ただ、謝るだけしかできない。 「ごめん」 「……それに、さっきの所業を皆に広めて、達哉を貶めようとは思わないから」 「フィーナ……」 「ただし」 「今度、シュークリームをご馳走してね」 「あ、ああ。 分かった」 「5個でも、10個でも」 「それより、早く行かないと、また皆が心配してここに来てしまうわ」 頷いて、ダイニングへ戻る。 「おはようございます」 ……。 さっきの悲鳴は、まるで無かったかのように振る舞うフィーナ。 結局、フィーナはそのことを二度と話題にしなかった。 いい天気……洗濯物がよく乾きそうだ。 そんなのどかな日曜日。 ……。 フィーナにも今では、家事の分担がある。 この日は洗濯。 洗濯機を回し、それを干したり乾燥機で乾燥させたり。 色物は白い布に色が移ることがあって……という話は、麻衣が教えていたようだ。 ……。 「洗濯、終わったわ」 「服が綺麗になるのは気持ちいいのね」 「ええ、それが洗濯の醍醐味です」 「ところで……」 「今月、麻衣の家事分担が少ないのは、部活関係?」 「麻衣ちゃんはね、月末に吹奏楽の大会があって、練習が大変みたいなの」 「その分、来月頑張ってもらうからね」 「はーい」 「今日もこれから練習だよ」 「そうだったの」 「いい結果が出るといいわね」 フィーナに励まされ、麻衣は少し申し訳無さそうな顔になる。 「まあ……うちの学院って学生数も少ないし、吹奏楽部員も少なくて小編成しか作れないし」 「参加することに意義があるって感じで、楽しめればと思ってます」 「楽しめることも、大切なことだと思うわ」 「きっと、いい経験になるわよ」 「そうですね。 フィーナさん、ありがとう」 ……。 「それでは、私はミアの掃除を手伝ってみるわね」 「よろしくお願いします」 フィーナがぱたぱたと二階に登っていく。 ……。 「フィーナさんも、家事の面白さが分かってきたみたいだね」 「ええ、そうね」 「……さて、私も今日はこれから出勤なの」 「準備しなきゃ」 「姉さん」 「俺も、久し振りに博物館に行っていい?」 「あら、本当に久し振りね」 「どうしたの?」 「いや、何となく……姉さんの働いてる場所を見たくなって」 「ふふふ……嬉しいわ」 ……。 月王立博物館は、弓張川の三角州、月人居住区にある。 月の文化を、地球に紹介するための施設だ。 「展示って、前に行った時と変わってるかな」 「前に来たのっていつだったかしら」 「1年くらい前かなぁ」 「私が館長代理になってからは初めてね」 「館長代理の仕事って、何をするの?」 「特設展示の指示なんかも、もちろんあるけど……」 「偉い人達とのつきあいも多いわね」 ……。 遠く、高い空を見上げる姉さん。 「でもねー」 「そういったお付き合いも、もしかしたらどこかで役に立つかもしれないのよ」 「そういうものなんだ」 「博物館の予算とか」 「なるほど」 「あとは……もしかしたら」 「私に、もう一度月に行くチャンスが回ってくるとか、ね」 悪戯っぽい瞳の中に、ほんの少しの本気の光。 ……。 姉さん、もう一度月に行ってみたいのかな。 「そんなチャンスが回ってきたら……」 「姉さんは、どうするの?」 「そうね……」 「日々の仕事の中でさえ、月の専門家なんて名乗るのは恥ずかしいのよ」 「知識が、全然足りなくて……」 小さいため息をついて、肩をすくめる姉さん。 「だから」 「もし、チャンスがあって……」 ……。 …………。 「?」 姉さんが、俺を見ている。 な、なんだろ。 「……達哉くんと麻衣ちゃんが、しっかりした人に育っていたら、是非また行ってみたいわね」 姉さんは、そう言って微笑んだ。 ……。 「そうそう」 「実質、館長は名前だけ貸してもらってるようなものだから──」 「館内のスタッフは、私のことを『館長』と呼ぶかも」 「分かりました」 ……。 「さ、着いたわ」 街中に、この余裕ある空間。 月王立博物館は、何度見てもすごい建物だ。 「ここの館長代理なんだもんなぁ」 「姉さん、すごいよ」 「もっと、今の仕事を実のあるものにできればね……」 「地球と月の板挟みも、なかなか大変なのよ」 日曜日の割に、あまり人がいないのが少し気になったが、一年ぶりの館内に歩を進める。 「おはようございます、館長」 「おはようございます」 姉さんと一緒に館内に入ると、案内係や警備の人が次々と挨拶してくる。 やっぱり館長代理ともなると、偉いんだということを実感する。 ……。 それから、姉さんの案内で特設展示を見た。 閑散とした館内。 特設展示は『月の水分循環システム』というものだった。 常設展示の方は一年前とあまり変わっていない。 「来館者数が増えない、予算が増えない、この悪循環なの」 そう言った姉さんは、少し寂しそうに見えた。 「地球の人は……あまり月に関心が無いまま過ごしてるわね」 黙って頷く。 「月の人は、相変わらず鎖国を続けているわ」 「ここも建物は立派だけど、展示は当たり障りのないものばかりなのよ」 そうは言うけど。 姉さんは、特設展示が変わる度に、徹夜してでもいいものをと頑張ってきたはずだ。 それはもちろん、月と地球の交流を願って。 仕事がなかなか成果に結びつかないもどかしさ。 それが分かった俺は、何となくうなだれてしまう。 「でもね」 「少しでも状況を改善できるよう、頑張ってるから」 「ほら、こんなに前向きよ」 そう言って、小さくガッツポーズ。 月留学経験のあるエリート、そう言われている姉さん。 でも、その仕事についてはほとんど知らなかった。 姉さんも家ではあまり語らない。 ……。 「さて」 「私は、せっかくもらった自分の部屋に行って、交流が盛り上がる策を練るとするわ」 「それじゃ、まだ時間はあるから……もう少し館内を見て帰るよ」 「うん」 「それじゃ、また夜にね」 館長代理ともなると、自分の部屋があるらしい。 ……。 月と地球の交流促進。 姉さんが抱えた仕事は、あまりにも大きい。 そんな姉さんを誇りに思うとともに、その背負ったものの大きさに……俺も力になりたい、と思った。 ……。 いつもの、麻衣が練習に使っている川原。 麻衣が、ケースからフルートを取り出した。 「じゃ、始めまーす」 「おう」 「いつもの曲だけど、寝ちゃ駄目だよ」 「寝るのは、演奏に対する称賛だと思ってくれ」 「聴いてて不安にならなくなった、ってことなんだから」 「もー、そんなのずるいよ」 少し頬を膨らませる麻衣。 ……。 ~♪麻衣のフルートに、道行く人のうち幾人かが足を止める。 そのうち何人かは「お、またやってる」 といった顔をしていた。 ……。 気温は高いけど、湿度は低い、さわやかな風が川面を渡る。 俺は、芝生の上に寝ころがった。 ~♪……。 …………。 「ご静聴、ありがとうございました」 「上手くなったな」 「途中からやり直す回数が、最初の頃よりかなり減った」 「そうだったら嬉しいな」 フルートをしまいながら、麻衣が笑う。 俺は立ち上がり、その頭をぽふぽふと撫でた。 ……。 「それじゃ、帰るか」 「うん」 ……。 …………。 フィーナが干してくれた洗濯物を取り込むのを手伝う。 その後風呂掃除をして、ミアと麻衣が作った晩御飯を食べ終えると……のんびりした時間となった。 「ミアちゃん、わたしの部屋に来ない?」 「はい、行きます行きます」 ……。 麻衣に誘われ、ついていくミア。 「二人は、部屋で何をしてるんだろう」 「ミアは、カードでの占いを教えてもらっているそうですよ」 少し気になるな。 ……ちょっと見に行ってみよう。 こんこん「はーい」 「俺だけど」 「どうぞー」 がちゃ「お兄ちゃん、今、占い中だよ」 「達哉さん、麻衣さんすごいんですよっ」 「占いができるんです!」 ミアは興味津々の様子。 「あはは……そんなに本格的なものじゃないんだけど」 麻衣の様子から察するに──休み時間に、クラスメートと遊びでやってた占いを覚えてきたのかな。 それでも、ミアは目を輝かせて、麻衣がめくるカードを見つめている。 「……さ、出たよ」 麻衣がカードを端からめくり、取り除いたり、組み合わせたりしている。 「対人関係は……」 一枚めくる。 「年上の人に配慮を続けると、どんどん良くなる」 「ふむふむ」 「悩みは……」 今度は二枚めくった。 「家族や近しい人に関する悩みが発生」 「ふえええ……」 「問題ごとには……」 別の山からめくる。 「親友が助けになってくれるでしょう」 「ふむー」 「これで最後だね。 恋愛について」 残った三枚のカードを、両側からめくり……最後に真ん中の一枚をひっくり返す。 「甘えすぎず、正攻法で行けば道は開ける」 「……と、こんなトコかな?」 「麻衣さん、すごいですー」 ミアは目を白黒させている。 多分、こういう占い自体が初めてだったのだろう。 新鮮なら、それはびっくりするはずだ。 「お兄ちゃんもやってみる?」 「えっと……」 「それじゃあ、一回だけ」 「どれどれ……」 麻衣が床にカードを並べ始める。 ……。 …………。 「何を占ってあげようか?」 「そうだなぁ……」 「じゃあ、金運を」 「おっけー、金運ね」 また数枚をめくったり、脇によけたりしつつ、一枚が残る。 「……」 「ここで黙られると困るわけだが」 「ごめん、お兄ちゃん」 「かなり悪い」 「っていうか、考えられる限り最悪かも」 「本当に?」 「た、達哉さん、頑張りましょう!」 「未来は自分で変えないとっ」 「そそそうだよお兄ちゃんっ」 「どもらないでくれ……」 「じゃあ、恋愛運を」 「うん、恋愛運だね」 並べたり、山をシャッフルしたり。 最後に三枚のカードが残り、さっきと同じく両脇からめくって、最後に真ん中の一枚。 「……どうだった?」 「うーん」 「悩むなよ!」 「それがね、ものすごくいいカードの周りに、最悪のカードがあって」 「……これはきっと、すごい困難の先に、最高の幸せが待ってるってことだと思うよ」 「む……微妙だな」 「達哉さん、ファイトですっ」 「困難に負けないでね」 それからも、二人は占いに興じていた。 麻衣が占いをしてるのなんて初めて見たけど──きっと、ミアが喜んでくれそうだと、勉強したんだろうな。 ……。 もちろん、麻衣がやってる付け焼き刃の占いが当たるとは思っちゃいないけど。 もうちょっといい結果だったらなぁ、と思った。 ……。 さて、今週もまた一週間が始まる。 ここんとこ急に気温が上がり、もう真夏かと思うくらいだ。 ミアは……「お洗濯物が乾きやすくて助かります」 なんて言ってたけど。 フィーナのドレスと、あとは何といってもミアのメイド服。 この二着は見るからに暑そうだ。 大丈夫なのかな。 ……。 昔はよく、いつまで経っても衣替えをしない俺を、母さんが怒ってたっけ。 いや、俺より怒られてたのは親父か……。 そんなことをしてた時期は、うちも普通の家だった。 男共が、母親に怒られる構図。 母親と言えば……その日のトラットリア左門は、戦場だった。 「達哉、4番のテーブル片づけてっ」 「菜月っ、1番のお客様に水とオーダーをっ」 「こちらモッツァレラチーズたっぷりのマルガリータピッツァでございます」 「いいから仁、8番さんにタバスコ」 「ウィムッシュー」 「フランス語ですが」 「ノンノン、今やユーロの時代だよ」 「いいから4番のテーブルっ」 ……。 …………。 からんからん「ありがとうございましたー」 「またどうぞー」 ……最後のお客さんが帰ると、やっと店内の空気が緩くなった。 「お客さん、多かったですね」 「達哉君、これくらいでへたってるようじゃ、僕が本気を出した時が心配だよ」 「いつでもどーぞ」 「しかし、今日はやたらとミラノ風カツレツが出たな」 「……あ、菜月が書いたメニュー黒板のせいじゃないですか?」 「ほう」 開店前に、いつもは『本日のお勧め』になってるところを……『本日の、カリッカリの衣で包まれたジューシーな豚ロースにすり下ろしたパルミジャーノレッジャーノチーズをたっぷりふった、お勧め』と書きかえていた菜月。 「ふむ。 我が妹ながら天晴れな働き」 「しかし、僕が下ごしらえをしたトマトソースには言及されてないのは何故かね?」 「スペースが無かっただけだってば」 「ふーん、へえぇ、そっかぁ、ふーん」 「……」 「はいはい、次はちゃんと書きますから」 満足げな仁さんと、ため息をつく菜月。 「……そうだ」 カウンター下にある冷蔵庫から、自家製野菜ジュースを取り出す。 「はい、達哉も」 「お、さんきゅー」 二つのグラスに、濃厚な野菜ジュースを注ぐ。 菜月は、バイト明けには必ずこれを飲んでいた。 「おつかれー」 「おつかれー」 チンなんとなく乾杯。 店で使い切れなかった野菜を材料にして作られているこのジュース。 たまに俺も分けてもらうが、味が濃厚で、とても体に良さそうな感じがする。 「今日ね、お母さんから電報と写真が届いてたんだ」 「おばさん、なんだって?」 「元気に修行して回ってるみたい」 「ものすごく大きなピザを焼く釜と一緒に写ってたし」 「電報の方は?」 「『オクガフカイ』だって」 「こりゃ長引くかもね」 「あれ、おばさんいつ帰ってくるんだっけ?」 「さあねぇ」 両手を広げ、大げさに呆れた格好をとる菜月。 「納得するまで修行したら、だとさ」 「まだ半年か一年くらいかかりそうだね」 「『リストランテ左門』は遠いよ」 両手を広げ、大げさに呆れた格好をとる仁さん。 「気長に待つさ。 仁はまず、自分の腕を上げることを考えろ」 「……それにタツ、今日は家メシだろ。 早く帰ってやれ」 「すんません」 ちょっと遅くなるけど、週末の夕食はいつも家で食べることにしていた。 たしか今日は、麻衣が鰹を用意してるはず。 「……それじゃ、お先です」 「おう、お疲れ」 「おつかれさまー」 からんからん「ただいま」 「……お、おかえり~」 ぱたぱたと麻衣が駆けて来る。 「どうした?」 「あはは……実は」 「炊飯器の調子が悪くて、今やっとご飯を炊き始めたとこなの」 「じゃあ、まだ時間かかりそうだな」 「ただいま」 「おかえりなさい、達哉くん」 「ご飯までの間だけど、お風呂の掃除代わろうか?」 「?」 「達哉くんは、イタリアンズの散歩に行けるでしょ」 「……じゃあ、お願いします」 「戻って来る頃には食べられるようにしとくね」 「頼んだ」 ……。 「わふわふっ」 「わん」 「おん」 「よし、行くか」 つないであるリードを外し、手に持ち替える。 いつもは元気が有り余っているイタリアンズも、散歩に行くと分かると、嬉し過ぎて静かになるらしい。 ただ、平静を装っていても、ぱたぱたと振られるしっぽは隠せない。 「夜だから、ゆっくり、静かにな」 言いつけを何とか守ってるイタリアンズ。 ゆっくり、静かに、角を曲がる。 「仁さん」 「ん、達哉君」 左門の前に、煙草を咥えながら立っている。 「こんな夜中に犬の散歩とは、ご苦労様だね」 「この時間、けっこう散歩してる人いますよ」 「それに、運動にもなりますし」 「ふむ。 健康は重要だね」 「しかし、達哉君は帰って家族団欒タイムを満喫するもんだと思ってたけど?」 「飯の支度にもう少しかかりそうなんで、先に腹を空かせとこうかな、と」 その時ちょうど、俺の腹が「ぐう」 と鳴った。 「はっはっは、もう準備は大丈夫そうだね」 「ま、不肖の妹菜月みたいに客のいる前でぐうぐう言われるよりはマシ……」 すこーんっっっ!「ぐはっ」 どこからともなく、夜の闇を切り裂いて飛んできたしゃもじ。 そいつが、弧を描いて仁さんの後頭部を直撃した。 ……。 ぴしゃりと閉まる窓の音。 俺は、呻く仁さんを振り返らず、散歩に復帰することにした。 ……。 …………。 左門が定休日の水曜。 今日は、自宅で夕食を食べた。 メニューは、混ぜご飯とカボチャの筑前煮。 どうやら、麻衣がミアに料理を教える日だったらしい。 「この煮物も、とても美味しいです」 「カボチャは月にもあるの?」 「はい、あるんですよ」 「ショウガもありますし、今日の料理は多分、月でも作れると思います」 「じゃあ、レシピを……」 こんな、いつも通りの会話が繰り返される。 まったりした、食後の時間が流れていた。 ……。 …………。 「お風呂、頂きました」 「ミアちゃん、今日は一緒に入ろうか?」 「はいっ」 うちでの風呂の順番は、その日によって微妙に違う。 ただ、フィーナが一番最初で、俺が一番最後。 ここだけは毎日変わらない。 ……。 「じゃ、お風呂頂くわね」 「どうぞー」 キッチンでは、月のデザートをミアが麻衣に教えている。 フィーナがそこに混ざって、お菓子の本のシュークリームのページだけをじいっと眺めていた。 ……。 トゥルルルル──電話だ。 「お兄ちゃん、出れる?」 既に立ち上がっていた俺。 「ああ」 がちゃ「もしもし、朝霧ですが」 「その声は……達哉君でしたか」 「月大使館のカレンです」 「あ、はい、こんばんは」 「姉さんですか?」 「今、姉さんはちょっと電話に出にくい状態で……」 「ごめんなさい、ちょっと急ぎの用なんです」 「分かりました」 ……と、保留ボタンを押して廊下に出たのはいいものの。 どうやって、姉さんに電話に出てもらえばいいんだろう。 んー。 とりあえず洗面所までは行ってみるか。 「ねえさーん」 「達哉くん?」 「カレンさんから、電話なんですがー」 「急ぎの用だそうですよー」 「分かったわ」 「ちょっと待っててもらって」 待っててもらって……と言われてもなぁ。 ずっと待たせるのも、失礼な気がするんだけど。 「ごめんごめん、今、出るからー」 ばたばたと、俺を追い抜いていく姉さん。 その格好は──風呂上がりのロクに拭いてない身体に、バスタオル一枚を巻いただけ。 いいのか、これで?「もしもし、カレン?」 そのまま電話に出てるし。 ……。 …………。 かちゃ「ふう……冬じゃなくて良かった」 「さやか」 「先程から、達哉が目のやり所に困っていてよ」 「そんなことないわよね、達哉くん」 ……。 「えーと……」 「どちらかというと、フィーナの意見が正しいです」 「そう……だったのね」 「でも」 「?」 「ううん、ごめんなさい」 姉さんは、そのままぱたぱたと風呂に戻っていった。 「達哉」 「地球の家族は、みんなこのような状態なの?」 「それは人によると思うけど」 「姉さんは、かなり無防備な部類に入ると思うよ」 助け船を出してくれたフィーナに感謝しつつ──ちょっと残念な気もしたのは隠しておくことにした。 日曜日。 学院もバイトも休みなのは、この日だけだ。 どっちも嫌いじゃない、むしろ楽しいんだけど──この日曜日の解放感はなんだろう。 ……。 何時からあれをしなくちゃ、何時になったらあれを……といった、決められた時間が無い。 これが、精神的にとても楽なんだと思う。 「お裾分けだ」 「知り合いから大量にもらってな。 モノはいいはずだ」 「さやちゃんと麻衣ちゃんがいれば、美味いもん作ってくれるだろ」 潮の香りが漂う木の箱が、ドカンとキッチンの床に置かれる。 「あ、ありがとうございます」 「ありがとうございます」 「おう」 ……そう言って、左門さんはお裾分けを置いて帰って行った。 「俺、最初の方を聞いてなかったんだけど、これ何だって?」 「ええと……くるま、くるま……」 「くるまえび、と仰っていたわ」 「海老かぁ」 「月では、海老って食べるの?」 「わたしは、記憶にありませんが……」 「確か、一度だけ……」 「宮中晩餐会にろぶすたーというものが出たはずよ」 「あれは、えびの一種ね?」 「多分……そうなんじゃないかな」 「美味しかったですが、見た目は少しグロテスクね」 まあ、見慣れない人が見れば、そんなもんだろう。 「そもそも、外骨格の生き物は全てグロテスクと言えるわ」 「そうなんですか……」 「じゃあ、この箱の中も」 ミアは少し腰が引けてきている。 「見慣れてないから、そんな気がするだけだって」 「エビもカニも、とても美味いんだからさ」 「確かに、ろぶすたーは美味しかったわね」 「クルマエビも似たようなもんだって」 「わたし、頑張って食べてみたいです」 「いや、あれはザリガニに似てるから、カニの一種かも」 「そうだったの……」 「でも、カニといえばエスカルゴを食べたことがあるわ」 「エスカルゴは一度見たことが」 「いや、エスカルゴはかたつむり。 カニとは関係無いから」 「あ……」 間違いを指摘されたフィーナが、恥ずかしさで少し俯く。 「でも、知らないならそんなもんだよな」 「ふう……中途半端な知識で喋ってはだめね」 「あっ、エビの豆知識という薄い本が入ってますよ」 エビ?「せっかくだから、勉強する?」 ……。 …………。 「達哉さん……」 「達哉、ロブスターはエビの一種のようだけど?」 「ぐっ……」 二人の視線が痛い。 「中途半端な知識で喋っちゃだめだよね」 ……とにかく、フィーナもミアも、あまりエビのことを知らないことが分かった。 「麻衣も姉さんもまだ帰って来てないけど、開けてみようか」 「ミアがいれば、多分大丈夫」 「わ、分かりました」 「くるまえび……」 厳重に梱包された木の箱。 ふたを釘抜きでこじ開ける。 ……すると、中から発泡スチロールの箱が出てきた。 「開けてみますね」 ぱかっ中は。 ……おがくずだった。 「なんだこりゃ?」 「木のチップですね」 少しつまんでみたミア。 「全然、エビではありませんね」 ミアが、おがくずの中に手を入れる。 「わわっわぁーっ!」 「どうした?」 「な、中に……中に……」 「ん?」 おがくずを、少しどけてみる。 ぴょんっ「わっ!」 中のくるまえびは生きていた。 そして、ぴょんぴょん跳ねている。 「いっ、生きてますっ」 「わわわっ!」 「ミア、ふた、ふたをっ」 恐慌状態のミアからふたを奪い取り、かぶせる──が、それより早く、一匹が外に飛び出した。 「ひっ!」 フィーナの足元へぴょんっと飛ぶ車海老。 しかし、フィーナは多分やせがまんをしてて、その場を動かない。 「うっきゃーっ!」 踏みとどまっているフィーナと違い、ミアはすごい勢いであとずさっていく。 俺は、手近にあった鍋を手に取った。 「達哉っ、はっ、はやく!」 「えいっ」 跳ねるエビを何とか捕まえる。 そして鍋へ。 フタを──何とか、かぶせた。 ……。 …………。 「ふう」 「……はぁ……はぁ……」 「うぅぅ……怖かったです……」 涙目の二人。 「まさか生きてるとは……」 「た、確かに、これは新鮮なエビみたいね」 そう言うフィーナの唇は、微妙に震えていた。 ……。 しばらくして麻衣と姉さんが帰って来たが、二人は話を聞いて大笑いした。 氷水に浸けて大人しくさせ、手慣れたように料理する二人。 ワイン蒸し、甘辛炒め、エビフライ、エビチリと、その日のテーブルはエビ尽くしとなった。 「美味しい……」 「ぷりぷりです」 うっとりしているフィーナに、ほくほく顔のミア。 恐る恐る食べていた二人も、エビの美味しさは分かってもらえたようだ。 日曜日は、バイトのシフトに入っていない。 夕食も家で食べる。 今日は、ミアが麻衣に月の料理を教えていたようだ。 初めて見る料理が、食卓に並んでいた。 どちらかというとシンプルだけど、複雑玄妙な味がする不思議な料理。 ……。 「ごちそうさまー」 「美味しかったから食べ過ぎたよ」 「地球に来てまだ少ししか経っていないのに、懐かしく感じたわ」 「本当、とても美味しかったわ、ミアちゃん」 「い、いえ、そんな……」 「レシピを書いて教えてよミアちゃん」 大好評を得て、ミアはとても嬉しそうだった。 ……。 …………。 俺は、腹ごなしにイタリアンズの散歩に行くことにした。 庭に出て、尻尾を振っている三匹にリードをつけ終える。 「よし、行くか」 「わんっ」 「わふわふっ」 「?」 もう閉店してるはずの左門に、電気がついている。 店の中には……菜月ひとりか?……苦労して三匹を左門の鉄柵に結びつける。 俺は、正面入口から、左門に入っていった。 からんからん「ごめんなさいっ、もう閉店……って、達哉」 「こんな時間にどうしたの?」 「いや、イタリアンズの散歩だけど……」 「菜月こそ何やってるんだ、こんな時間に」 「別に……普通にクローズ作業。 閉店の準備」 「一人で?」 「うん、まあね」 日曜日は、俺の代わりに別の人がバイトで菜月と組んでるはずだけど──大体、事情が見えた気がする。 「頼まれたんだろ」 「それで、引き受けちゃったと」 「あはは……まあ、そんな感じ」 「どうしても急いで帰らないといけないんだって」 「おやっさんと仁さんは?」 「きっと知らなかったと思うんだけど、先に上がっちゃった」 ……やっぱり。 菜月は、他人に頼まれるとすぐに引き受けるくせに、誰かに頼るのは苦手なんだ。 「しょうがないな、手伝ってやるよ」 「いいって、悪いよ」 「ほら、イタリアンズも散歩待ってるよ」 「いいからいいから、俺がやりたいの」 「あ、うん……」 ……。 観念した菜月と二人、黙々と作業をする。 菜月がレジを締め、俺は椅子を上げてから床の掃除。 二人でやったからか、それほど時間もかからずにクローズ作業は終わった。 ……。 「ありがと、達哉」 「菜月もさ、頼みごとを引き受けるのはいいとして……」 「大変だと思った時は、周りの人に頼れよな」 「今日だって、おやっさんも仁さんも、知ってれば菜月を一人にはしないはずだぞ」 「うん、それは……分かってるんだけどね」 「それに俺だって」 「そういうこと、遠慮するような仲じゃないだろ」 「うん……そだね」 「次は声をかけさせてもらうよ」 「ああ、ホントーに声かけてくれよ」 「分かった」 ……。 「それじゃ、散歩行ってくるな」 「うん」 「あ、そだ。 野菜ジュース飲む?」 「飲む」 ……誕生日にプレゼントしたミキサーで作った菜月の野菜ジュースを飲み、散歩に出発する。 菜月は、何でも要領よくこなしているようで、実はすごく不器用だ。 でも、菜月はそれを人に言わないから──こういう時は、気づける奴が気づいてやらないとな。 ピピピピ、ピピピピ……「……」 「……」 ピピピピ、ピピピピ……「お姉ちゃん、起きてこないね」 「今日、出勤だって言ってたっけ?」 「どうだったかな」 「……でも、博物館に行かなくちゃいけないなら、起こさないと」 ピピピピ、ピピピピ…………。 フィーナとミアは、今日は大使館で公務があるらしく、既に出掛けている。 ……廊下に響く目覚ましの音。 困った俺と麻衣が顔を見合わせていると。 「おはようございます」 ほややん、という顔をした姉さんが、ひょっこり顔を出した。 「お姉ちゃん、どこにいたの?」 「洗面所で、顔を洗ってたのよ」 「目覚まし、聞こえるよね?」 「目覚まし?」 ……。 ピピピピ、ピピピピ……「あれ?」 「消したつもりだったのに。 ごめんね~」 ぱたぱたと廊下を駆けていく姉さん。 「?」 なぜか洗面所へ入って行った。 「まちがいまちがい」 階段を上っていく。 ……。 「あ、止まったよ」 「朝ごはんの準備するか」 「うん」 そこに、再度やり直し、みたいな顔をした姉さんが入って来た。 「おはようございます」 顔はにこにこしているものの、声はさっきと同じくほややんとしている。 「おはようございます」 「ます」 「あら」 「達哉くんも一緒に準備してるのね。 偉い偉い~」 姉さんが、俺の頭を撫でる。 ……。 「あ、あの」 「姉さん、もういいから」 「そうですか?」 「じゃあ麻衣ちゃんも」 なでなで。 ……麻衣も、さやかさんの『ほややん』が移ったような、幸せそうな顔になる。 「さて」 「私も手伝いますよ」 「あ、お姉ちゃん、もうできたよ」 「さあ座って座って」 俺が三人分の緑茶を注いでまわる。 「いただきます」 「いただきます」 「どうぞ、召し上がれー」 一人分だけ濃いめに作った緑茶を口に含むと、姉さんの顔がしゃきっとした。 「二人とも、ちゃんと噛んで食べるのよ」 豆アジの南蛮漬けをメインに、油揚げとワカメの味噌汁、キュウリの浅漬け。 凝ってはいないけど、美味しい朝御飯ができた。 ……。 うちでは、みんないろいろな用事があって難しいけど、なるべく一緒にご飯を食べるようにしている。 これは、姉さんが言い出したことだけど。 「しっかり立っている柱があれば、それに寄り掛かったり、引っ張ったりすることができるでしょ」 「でもうちは、三人で手をつないでるだけの家族なの」 「だから、三人とも隣の人の手をしっかりと持ってないと、ね」 ……。 まだ月への留学から帰って来たばかりの姉さん。 親父に次いで母さんまで失った俺と麻衣に、そう言って聞かせてくれたのを覚えている。 「達哉くん、どうしたの?」 「お兄ちゃん?」 「……ああ、いや、別に」 「ちょっと考え事」 「良かった。 南蛮漬け、失敗しちゃったかと思った」 「いや、美味いよ。 ね?」 「ええ。 アジの揚げ具合もちょうどいいわ」 「そう?」 えへへ、と照れる麻衣。 「今日も博物館行くの?」 「ええ。 今ちょっと忙しくて……でも、やり甲斐のある仕事だからね」 「家事が任せっきりになっちゃって、ごめんなさい」 「気にしないで、お姉ちゃん」 「そうそう」 「二人とも、ありがとう」 姉さんが、味噌汁が入ったお椀を傾ける。 「……さて、そろそろ出ないと」 「ごちそうさまでした」 「お粗末さまでした」 「あ、二人はまだゆっくり食べてて」 俺たちには「ちゃんと噛め」 と言いながら、姉さんはかなり急いで食べ終えた。 ……。 姉さんは、仕事が忙しくなると、すぐに休日が無くなってしまう。 博物館の特設展示を入れ換える時期は、泊まり込みも珍しくない。 「お姉ちゃん、また忙しそうだね」 「お休みの日も、半分くらい仕事してる」 「展示の入れ換えはこの前やったばかりなんだけどな」 「また徹夜続きが近いのかも」 ……。 「……片づける?」 「うん。 空いたお皿を運んでくれる?」 ……。 …………。 今日も学院の授業が終わった。 夏至らしく一年で一番高い太陽が、放課後にも関わらず厳しい日差しを落としている。 今日は左門が休み。 放課後は、いつもより自由に使える。 さて、どうしようかな。 俺は……フィーナの買い物に付き合いながら、帰ることにした。 「何を買うの?」 「いろいろと、見て回ろうと思って」 「前回ウィンドウショッピングした時は、150mしか進めなかったからなぁ」 「見る店見る店、全部に入ってみたいって言ってたし」 「だって……見たかったんだから仕方無いじゃない」 少しふくれっ面になってみせるフィーナ。 あの時のフィーナは、見たことが無い商品全てに、興味津々だった。 「今日は大丈夫よ」 俺は、半信半疑でお付き合いすることにした。 「今日はこちら側のお店ね」 「りょーかい」 ……。 服、雑貨、食料品、本、外食チェーン店。 それら全てに、フィーナは興味を示す。 「あれは、なにかしら」 「あの店で食べられるメニューの見本を、プラスチックかなんかで作ってるんだ」 「よくできてるのね。 本物かと思ったわ」 目を丸くして、サンプルを見ているフィーナ。 ……。 「このお店は……家具屋さん、いえ、電気屋さんかしら?」 「惜しいっ」 「リサイクルショップだ」 「ここにあるのは、みんな中古品。 その分値段も少しお得」 「そうでしたか。 すばらしいシステムだと思います」 今度は、感心して深く頷いている。 ……。 一事が万事、こんな調子だ。 まあ、俺一人じゃこんなにゆっくり商店街を歩くことは無かっただろう。 その分これまで知らなかった発見も多いし、何よりフィーナが楽しそうなので、良しとする。 「ここに入ってみていいかしら」 フィーナがそう言った時には、既に身体の半分は扉の中に入っている。 その店は、陶器や置物系が中心の雑貨屋だった。 楽しそうだな、と思いながらフィーナの後に続く。 「いい雰囲気の店だね」 「ええ」 何ていうか、ビスケットをお茶菓子に紅茶を飲んでいる店主が似合いそうな店だ。 こまかい細工が施されたアクセサリーが、所狭しと展示してある。 店内にはアロマオイルの香り。 押しつけがましくない程度の音楽が、静かに流れていた。 「あ」 何かを見つけたのか、店の片隅をじっと見つめるフィーナ。 見ていたのは……マグカップだった。 森と芝生に囲まれた公園に、黒くて丸いネコがいる意匠。 取っ手はネコの尻尾の形をしていた。 「これ、かわいいわね」 「そうだね」 「……買って来る?」 フィーナが地球に来てから、何かこういった形に残るものを買っていたのを見たことが無い。 何か、お土産ができてもいいだろ。 「……そうしようかしら」 ……。 …………。 小さい紙袋に入れられたマグカップ。 店を出てから、フィーナはずっとご機嫌だった。 ……。 夕食前。 フィーナは、案外テレビを見ている。 それも、流し見ではなく、一生懸命見ていることが多い。 ニュース、バラエティ、映画、ドラマにアニメ。 フィーナの興味は、商店街の店だけではなく、テレビの中でも広かった。 「何だか、ものすごく真面目に見てるね」 「ええ、とても興味深いわ」 「人間の理性や欲望は、こうして具現化されるのね」 「……そういう見方もできるのか」 ……。 フィーナは幼児向けのアニメを見た時に「このような番組を流している国は、きっと豊かになると思います」 と言っていた。 ミアは今、そのアニメの主題歌を鼻歌で歌いながら夕食を作っている。 「おっとぎーばなしのー王女さま♪ ぼっくはー王子じゃーないけれど♪」 フィーナや麻衣も、楽しそうなミアに釣られて微笑みがちになる。 家の中が、何となく、ほんわかした。 今日も、放課後の中庭にはフルートの音色が響いている。 大会が近いって言ってたっけ。 練習にも、心なしか気合が入ってるように見える。 「真剣ね」 「俺たちが見てると、邪魔になっちゃうかもしれないな」 「帰りに、アイスを買って冷蔵庫に入れとくってのはどうだろ」 「いいんじゃないかしら」 「麻衣も、きっと喜ぶわ」 ……俺たちは学院を後にした。 商店街に、アイスを買いに行くとしよう。 「さて、どこで買おうか」 「麻衣のお勧めのお店があったはずだけれど……」 「確か、この先よ」 「新作が出てたら喜びそうだな」 ……。 その店では、首尾良く新作のアイスをゲットできた。 持ち帰り用ということで、カップに入れてもらう。 ……。 …………。 「ただいまー」 「お帰り」 「お帰りなさい」 「疲れたでしょう。 私より遅いんだもんね」 「確かに疲れたけど……」 「それより、帰りに寄ってきたお店が閉まってて、新作のアイスを買い逃したのが残念」 「これだろ?」 冷凍庫から、颯爽とアイスを取り出す。 「新作『レモンティー』」 「わーっ、それそれ!」 「どうしたの? お兄ちゃんっ」 嬉しさに少し興奮している麻衣。 「練習頑張ってるからご褒美、かな」 「フィーナと一緒に買ってきたんだ」 「私はこの『プリンセスピーチ』味のアイスを買ってみたの」 こちらも、嬉しそうなフィーナ。 開発者も、まさか本当のお姫様に食べられるとは思っていなかっただろう。 「あら、達哉くん気が利くわねー」 「でもみんな、アイスは食後にしましょうね」 「晩御飯ができましたよー」 ……。 …………。 食後、麻衣お待ちかねのアイスタイム。 「おいっしー♪」 「こちらも美味しいわ」 「お兄ちゃん、フィーナさん、ありがとー」 本当に、幸せそうな麻衣。 「良かったな」 頭をぽむぽむと撫でる。 ……。 ぴんぽーん「あら、こんな時間に……仁くんかしら」 ……。 予想通りの人物が、派手なポーズで現れる。 「デザートターイム!」 「っておいおい、先にアイス食べてるとは困った子猫ちゃんたちだ」 「お兄ちゃんが買ってきてくれたんです」 「oh」 「相変わらず達哉君は間が悪い」 「間が悪いのはそっちでしょうが!」 「……で、今日はどんな試作品を持ってきてくれたの?」 「今日はアイスなんだけどなぁ」 「アイス?」 「そう、麻衣ちゃんが喜ぶかなーと思ってね」 「でも麻衣ちゃんはもうアイスを食べている……なんということだ」 「麻衣ちゃんの喜ぶ顔が見たくて作ったのに」 大げさにかぶりを振る仁さん。 「ほら、私やミアちゃんがいますよ」 「え、わ、私ですか?」 「しょうがないね」 「この僕の傷ついたハートを癒してくれるのは、ミアちゃんだけだよ」 「わたしも、まだ食べられますよ」 慌てて、今食べているアイスを食べ終える麻衣。 「麻衣……そんなにアイスばっかり食べてるとお腹こわすぞ」 「おやおや達哉君」 「麻衣ちゃんの身を案じるのはいいが、それはちとシスコンに過ぎるぞ」 「ぶっ……シスコン!?」 「もう子供じゃないんだ。 麻衣ちゃんだって自分のお腹の調子くらい分かるさ」 「ね、麻衣ちゃん?」 「仁さ~ん、勘弁して下さいよー」 「お兄ちゃん、もう少しだけ、ね?」 「しょーがないなぁ」 「今日のアイスは……ヨーグルトとラズベリーのアイス」 「ミアちゃんに教えてもらった、ジャムのレシピを参考にしてみたんだ」 「あら、いつの間に」 「あ、あの、この前ちょっとだけ」 「美味しそうね、こちらも頂きましょうか」 「フィーナ様と麻衣ちゃんは、少しだけよ」 「ええ、そうね」 「はーい」 ……。 みんなでわいわいと、仁さんが作ったアイスを食べる。 ちょっと、ミアのジャムと似た味がした。 ……。 それにしても──仁さんも、シスコン呼ばわりとはひどいよなぁ。 ……。 …………。 イタリアンズの散歩は、ここんとこ夜ばかりだ。 たまには、昼間にも散歩に連れてってやろう。 ──そう思った俺は、放課後になるとすぐに家に戻ってきた。 「ただいまー」 ……。 あれ?ミアはいると思ったのに、姿が見当たらないし返事も無い。 靴は玄関にあったから、買い物じゃない。 家の中にはいるはず……なんだけどなぁ。 とりあえず制服を着替える。 時間があるから、イタリアンズとは物見の丘公園でたっぷり遊んでやろう。 そんなことを考えつつ、庭に向かう。 すると、そこにミアがいた。 アラビアータ、ペペロンチーノ、カルボナーラ。 イタリアンズが丸くなって寝ている真ん中に。 真昼と比べると少しだけ柔らかくなった日差しの中で、すやすやと眠っている。 「散歩は……少し待つか」 俺も座って、気持ち良さそうな三匹と一人を見る。 一番大きいカルボナーラが、ミアの枕になっているようだ。 ペペロンチーノはミアの脇に抱えられるような形で、その尻尾がミアのお腹を覆っている。 アラビアータは、ミアの脚に寄り添う。 ……そうだ、写真撮っておこう。 そう思いついた俺は、携帯のカメラとデジカメで、その姿を撮影した。 ぱちっぱしゃっぱしゃっミアは、気づいた様子もなく、安らかな寝顔。 見上げると、ベランダにはミアが干したと思われる洗濯物が風にはためいている。 ……平和だなぁ。 俺まで眠くなってきた。 ……。 …………。 「あれ、散歩に行くって言ってなかったっけ?」 「あっ、しーっ!」 ……。 「ミアちゃん……」 「わん?」 「ぅおん」 「わふー」 「遅かったか」 「起こしちゃったね、ごめん」 「……ん、うーん……?」 カルボナーラ「わふわふっ」 ペペロンチーノ「わんっ!」 アラビアータ「ぅおんっ」 「わわっ」 イタリアンズは、菜月にわしゃわしゃされている。 「おはよう、ミア」 「たっ、達哉さん」 「あの、お洗濯の後、イタリアンズを洗ってあげようと思って……」 「すっごく気持ち良さそうに寝てたよ」 「犬たちに囲まれて、ね」 「囲まれてってよりは、『埋もれて』の方が近かったかも」 ミアは縮こまっている。 「すっすみませんでしたっ」 「いいよいいよ」 「今日は俺が散歩に行って、帰って来たら、三匹とも洗っとくから」 「ごめんなさい」 ……それからも、ミアは申し訳無さそうにしていた。 でも、あんなふうに犬に埋もれて寝るのは、ちょっと羨ましい気がする。 ……。 麻衣の所属する吹奏楽部は、昨日行われた地区大会に出場した。 小編成で銅賞。 胸を張れる成績ではないが、一生懸命やってきた結果がこうして出たことに──麻衣は、満足そうな顔をしていた。 ……。 …………。 翌日。 朝食を食べ終えると、俺はすぐに家を出る。 イタリアンズの散歩だ。 相変わらず丘の上は閑散としている。 人がほとんどいないのを確認して、三匹をリードから放してやった。 三匹とも、あっという間に俺の元を離れ、丘の上を走り回っている。 「ふう」 芝生の上に寝ころがる。 海から崖を吹き上げてくる風。 強い日差し。 ……。 このまま昼寝したいくらいの天気だけど。 いい天気過ぎて、今日はこれから暑くなりそうだ。 ふと上半身を起こすと……イタリアンズの姿が見えない。 「あれ?」 立ち上がる。 「アラビアータ!」 丘の上にでも行ってしまったのだろうか。 「ペペロンチーノ!」 これまで、俺の周りからそんなに離れたことは無かったのに。 「カルボナーラ!」 ……しかし。 傍から見ると、俺はイタリア料理の名前を叫んでる、変人だな。 っと、そんなことを気にしている場合ではない。 丘の一番高いところまで登って、見下ろしながら探してみることにしよう。 ……。 かなりの高さまで登ってきた。 見晴らしはずいぶん良くなってるはず。 連中は……「わふわふっわふっ!」 声が聞こえる。 近くにいるような声だったな。 少しうろうろすると…………。 …………。 そこに三匹ともいた。 「は、はなせーっ」 「わふっわふっわふっ」 「わんっわんっ」 「おんっ」 イタリアンズは、真ん中にいる誰かに一生懸命じゃれついていた。 尻尾をちぎれるほど強く振る。 三匹の犬に抱きつかれたその人は、ほとんど姿が見えなくなっている。 ……ここまで、好かれる人もそういないぞ。 誰だろう?「ぷはっ」 犬達の隙間から、小さな子が顔を出した。 ……。 あれは──いつか礼拝堂で見た女の子じゃないか?……。 見間違えではないと思うけど。 「アラビ、ペペロン、カルボ」 俺が名前を呼ぶと、イタリアンズは大人しくなり、俺の方へ寄ってくる。 「ふう……ふう……」 「知らない人に甘えちゃ駄目だろっ」 一応、形だけは叱っておく。 いつかの女の子が、肩を上下させながらこっちを睨んでいるからだ。 俺は3匹にリードを付けて柵に固定すると、女の子の元に駆け寄った。 「ご、ごめん。 うちの犬たちが」 「……服」 ヒラヒラがいっぱい付いた服には、犬の毛がこれもいっぱい絡み付いていた。 黒い部分に付いた毛はかなり目立っている。 クリーニング……だよなぁ。 「ホント、ごめん」 「犬たちには、ちゃんと言い聞かせとくから」 「……」 黙ったまま、怒ったような顔をした女の子は立ち去ろうとする。 「あ、ちょっと」 「服、クリーニングに出さないと」 「別にいい」 ぷいっと振り向き、帰りかける。 ……しかし、このまま帰らせてしまうのは、あまり気持ちのいいものではない。 「じゃあ、ご飯をごちそうさせて下さい」 一瞬、女の子の動きが止まる。 が、「いい」 と言ってすぐに歩き出した。 「まあまあ」 「俺がバイトしてるイタリア料理屋だから財布は大丈夫。 味も保証する」 女の子は、黙っている。 「……行きたくない?」 ……。 女の子はぶすっとした表情で俺を見る。 「行く」 ……。 …………。 「ここなんだけど……」 「ちょっと、犬たちを繋いでくるから」 「……」 分かったのか分からないのか、女の子は俺を見るだけだ。 左門のランチタイムまで、あと15分。 それまで女の子を待たせたら、帰ってしまうかもしれない。 これは……何とか、おやっさんに頭を下げるしかなさそうだ。 「お待たせ」 「お店、準備中」 「開けてもらうから」 からんからん「おやっさん」 「ん、タツか。 こんな時間にどうした?」 おやっさんに事情を説明し、何とかお願いする。 ……。 …………。 「仕方無いな」 「入ってもらえ。 1番テーブルだ」 「すみませんっ」 ……。 「何が食べたい?」 「ん……」 メニューを差し出すが、どの料理にもあまり関心を示さない。 もしかしたらカタカナばかりのメニューで、意味が分からないのかもしれない。 「じゃあ、俺がオススメを頼もうか?」 「ん」 どうやら了承してくれているようだ。 「おやっさん」 「Bセットとデザートにティラミス、パンナコッタ」 「あいよ」 ……。 …………。 女の子は、窓の外を行き交う人をじっと見ている。 かと思うと、店内を見回したり。 ……もう、真夏に近い気温なのに、ずいぶん暑そうな服を着てるな。 でも、汗のひとつもかいてない。 フィーナもあまり汗をかかないし、もしかしたらどこかのお嬢様なのかもしれない。 「あのさ」 「俺の名前は朝霧達哉」 「君は?」 「……」 「リース」 「リース?」 「リース」 リース……珍しい名前だな……カタカナでいいんだろうか。 どこから来たんだろう。 ……。 …………。 困ったな。 会話が続かない。 「お待たせしました、ランチのBセットになりまーす」 「こちらへ」 菜月が軽く目配せしてくる。 おやっさんが事情を話したんだろう。 Bランチは、ボンゴレロッソにサラダとガーリックトースト。 それが、リースと名乗った女の子の前に並ぶ。 もうもうと湯気を立てるパスタ。 それを彼女は特に感激するでもなく見ている。 「どうぞ」 「食べる」 フォークを持ったリースの手が止まる。 「……食べないの?」 「俺?」 正直、俺の財力では左門の料理は安くない。 とは言え、ここで引くわけにも行かない気がする。 「た、食べるさ」 「菜月、俺は、単品でベーコンとアスパラ」 「はいはい」 俺の懐具合なんてお見通しの菜月が、およ、という顔をする。 「お父さーん、ベーコンとアスパラ」 「あいよ」 ……。 俺の前にもスパゲッティが出る。 「どんな味?」 「ん、食べていいぞ」 俺の、ベーコンとアスパラのスパゲッティにも手を伸ばすリース。 「サラダ」 ほとんど手を付けていないサラダの器が、俺の方にやってきた。 「どーも」 リースは不器用な手つきでフォークを操る……というか操れてない。 上手にパスタを絡めることができずに困っている。 「ん……ん……」 悪戦苦闘する姿がかわいくて、意地悪だけど少し放っておくことにした。 ……。 突然リースが立ち上がる。 不機嫌な表情だ。 「どうしたの?」 「食べづらい」 と、出口へ向かって歩き出した。 パスタが食べづらいのに怒って出て行く客は、左門始まって以来だ。 「あー、ちょっと待った待った」 「簡単に食べられる方法があるから」 「簡単?」 「ああ。 見ててごらん」 俺は……まあ、普通にフォークを回してパスタを食べる。 「ん」 リースは席について、再びフォークを操りだした。 さっきよりは上手くパスタを食べている。 「どうだ、簡単だろ?」 「うん」 もふもふとパスタを噛みながらリースが頷く。 ……。 …………。 あらかた料理が片づいたところで、菜月がやってきた。 「ティラミスとパンナコッタ、お待たせ致しました」 「両方こちらへ」 リースの前に置くよう、促す。 「こちらの空いたお皿は、お下げしてよろしいでしょうか」 「どぞ」 ……ここに来て、初めてリースの表情に変化が現れた。 ティラミスとパンナコッタに手をつけた時、表情が和らいだのだ。 「美味いか?」 「うん」 フォークを咥えたまま、こくりと頷く。 ふう。 何とか、これで機嫌を直してくれればいいんだけど。 ……目の前で、ティラミスとパンナコッタを完食するリース。 食器使いが不器用なこともあり、リースが食事を終える頃には、ランチタイムの混雑は一段落していた。 「ごちそうさま」 リースがぽつりと言う。 「それじゃ、払ってくるから」 俺が席を立つと……入れ替わりに、おやっさんと仁さんがリースに話しかける。 「これは可愛らしいお嬢さんだ。 達哉君も侮れないところがあるね」 「失礼なこと言うな」 「お客様、お味はどうでしたか?」 「そう、デザートは僕の作品なんだよ」 まあ、そう聞かれて「まずい」 と言う奴はいない。 「普通」 「……」 「普通か……こりゃ困ったね親父」 「お嬢ちゃんは、この近くに住んでいるのかい?」 リースは返事をしない。 おやっさん、何を始める気なんだろう。 「良かったら、また来てもらえないかな?」 「今度は、もっと美味しいのを作るから」 ……。 どうやら、料理人魂を刺激されたようだ。 「よし、僕は甘くて体がとろけてしまうようなデザートを作ろう」 「……ん」 困惑気味に二人の顔を見るリース。 さて、どう返事をするのか。 ……。 「分からない」 そう言って、リースはそっぽを向いた。 「ぬおっ!」 「ク、クールッ!」 「よし、次来る時は、お金はなくてもいいから」 「達哉君が、喜んで払うとこっそり僕に言ってきたよ」 言ってないけどな。 ……。 「菜月、お勘定」 リースを囲んで盛り上がっている二人は置いといて、会計を済ます。 二人分合計3060円。 ……。 俺が席に戻ると、ちょうどリースが立ち上がったところだった。 悪代官に上訴する下っ端のように、二人が貼り付いている。 「あのさ、リース……」 リースの服のクリーニング代は、あと1000円くらい払わないと埋め合わせができないだろう。 何せ複雑な形をした服だ。 俺は財布を開く。 「タツヤの犬が服汚した」 「タツヤが食事を食べさせてくれた」 「おあいこ。 じゃ」 それだけ言ってリースは出口へ向かう。 「リースっ」 思いのほか大きな声が出てしまった。 「何?」 「あ、えっと……」 みんなが俺をじっと見ている。 「よ、良かったらまた来てくれよ」 「気が向いたら」 からんからんリースが商店街の雑踏に消えた。 不思議な子だったな。 知り合いにはいないタイプだし、もっと話ができたら楽しかったかもしれない。 「君は、何を顔を赤らめているのかね」 「ええっ?」 「ま さ か、達哉」 菜月が冗談めかして言う。 「そんなわけないだろ」 「あははは……」 「しかし、また来てくれますかねえ、リース?」 「来てくれると嬉しいんだがなあ」 「次は絶対に『美味い』と言ってもらいたいもんだ」 「なあ仁?」 「次に会った時には、僕のデザートでノックアウトだね」 「もしあの子をどこかで見かけたら、うちまで引っ張ってきてくれ」 「任せたぞ、タツ」 「そんな無茶な」 リースはあの通り愛想のかけらも無い。 どうやって連れてくればいいんだろう?「しかし、不思議な子だったな」 「ぶっきらぼうな子でしたね」 「それもあるが、年寄りから見ると、あの子は何かとても……かわいそうな気がしたよ」 「どういうこと?」 「何となくさ」 「子供ってのは好奇心がなきゃいけない。 だがあの子にはそれが希薄だった」 「ま、あまり気にせんでくれ」 「俺も、もし見つけたら誘ってみることにしますよ」 「頼んだ」 「明日来てもいいように、仁は腕を磨いておけよ」 「もちろん」 ……。 二人が厨房へ戻る。 「私も仕事に戻るわね」 「ああ、おつかれ」 「うん、またね」 菜月は、リースと俺の食器を片づけると、仕事に戻っていった。 ……。 あっと言う間に、出口に向かうリース。 「あっ……」 からんからん風のように店を出て行った。 「許してくれたみたいね?」 「そういうことでいいのかな」 リースの考えていることは、さっぱり分からなかった。 「また来てくれると思うか?」 「……どうでしょうね」 「女の子は、甘いものといい男には弱いものさ」 「変態は嫌いだけどね」 「じゃあ妹君はシフトを外れたまえ」 「外れるのは兄君様ですから」 二人が賑やかに喋り始める。 ……。 何か引っ掛かってるような気はしたけど。 とりあえず、丸く治まったということにしよう。 月曜日の授業が終わる。 今日も左門のバイトがあるけど、まだ少し時間があるな。 ……。 しばらくすると菜月が呼びに来て、フィーナと三人で帰ることになった。 今日あった授業のこと、学食で食べた昼食のこと……他愛のない話をするだけでも、通学路が退屈じゃなくなった。 ……。 家でフィーナと分かれ、左門でのバイトに向かう。 ……。 …………。 今日も、大きな出来事はないままバイトは終了したが──「ただいまー」 「あ、達哉さん」 「お帰りなさいませ」 放課後、学院から帰って玄関に入ると、今まさに出かけようとしていたミアに出くわした。 「夕食の買い物?」 「いえ、実は……」 「姫さまに言われて、自分用のマグカップを買おうと思ったのですが……」 「そっか」 「店の目星はついてるの?」 「いえ、それが……」 「お店が多くて、どこで買えばいいのか迷ってたんです」 ちらっと時間を確かめる。 バイトまでの時間を考えると……30分くらいなら、つき合えるな。 「じゃ、一緒に見て回ろうか」 「着替えてくるから、ちょっと待ってて」 「ありがとうございます、よろしくお願いします」 ……。 商店街を歩く。 ミアは、俺の半歩後ろからトテトテとついてきていた。 ……。 最初は、ミアのこの格好に驚いていた商店街の面々も、いつの間にか馴染んでしまったようだ。 「ミアちゃん、今日はすべすべ大根が安いよ」 「あらミアちゃん、今日はたっちゃんが荷物持ちかい?」 「きょ、今日はちょっと別の用事で……」 どうやら、早くも商店街では人気者のようだ。 「じゃあ、まずは商店街の端から歩いてみようか」 「はいっ」 商店街には様々な店があり、チラシやティッシュを配っている人も多い。 「ミアは、この辺の店を見て回った?」 「いえ、ほとんどがスーパーとお肉屋さん、魚屋さん、それと八百屋さんです」 実際、ミアはあちこちの店頭ディスプレイに気を取られ、きょろきょろしている。 「何か、気になる店でもあった?」 「あ……えっと」 「どのお店も気になります」 花屋に惹かれ、書店に惹かれ、ブティックに惹かれ。 面白いくらいに、一つ一つの店を興味深く眺めている。 ……ふと、悪戯ゴコロが湧いた。 ミアが、文房具屋のウィンドウに気を取られている隙に、さっと横道に身を隠してみる。 「72色もある色鉛筆って、どうやって使い分けるんでしょう?」 「……あれ、達哉さん?」 ……息を殺して、ミアの様子を窺う。 「た、達哉さん?」 おろおろしているミア。 俺が出て行こうとした時、ティッシュを配っていたお姉さんがやってきた。 「よろしくお願いしまーす」 「え? あの、その」 「はい、どうぞ」 ミアの手にティッシュが渡される。 それを見て、数人が寄ってきた。 「ラーメン川中島、本日より割引サービス期間中でーす!」 「割引券でーす、理髪スエヒロでーす」 「居酒屋りんご亭、このチラシでサワー一杯無料、よろしくっ」 一気にいろんなものを渡され、あわあわしているミア。 こういうのを断りにくい性格なのかもしれない。 それとも単に慣れてないだけか?「わわ、わ……」 更に数人が寄って来ようとしたところで、横道から出る。 「あっ、た、達哉さんっ!」 「ごめんごめん」 少し泣きそうになってるミア。 「びっくりしました……」 まさか、物陰から見てましたとは言えない。 「チラシやティッシュは、もらうかもらわないか、はっきり決めた方がいいよ」 「わ、分かりました……」 ……。 悪いことをしたな。 月の王宮から来たんだから当たり前だけど、やっぱりミアは世間知らずだ。 しっかりしているように見えるけど、ちゃんとついててあげなきゃいけない時もある。 ……。 その後、マグカップを売ってる雑貨屋を教え、一緒にスプーンも買ってあげた。 ミアは何度もありがとうございました、とお礼を言ってくれた。 左門での夕食を終え、家に帰ってくる。 リビングで少しのんびりしていると、今朝ミアが作ってくれた朝食の話題になった。 「朝ごはん、美味しかったよね」 「月麦のクッキーを食べると、月に留学していた頃を思い出すわ」 「そうなんだ」 「月麦クッキーは栄養が豊富なので、月では朝食の定番なのよ」 「どれだけ美味しく食べられるかは、工夫次第ね」 愉快そうに笑うフィーナ。 ……月麦クッキー自体は、コーンフレークのような味だった。 クッキー状に月麦粉を固めて焼いたものだ。 「ジャムにつけたり、砂糖を溶かし込んだ牛乳に浸したり……」 「ミアのジャムは王宮でも大人気だったわね」 「そ、それほどでも……」 「フィーナ、姉さんが月にいた時のことを教えてよ」 「私も聞きたいなー」 「さやかは、話していないの?」 「姉さんは、月はいいところだって話ばかりで」 「うん、リアルな声を聞きたいよね」 苦笑いの姉さん。 「分かりました」 「さやかが留学に来たのは、今から4年前」 「私の母が初めて受け入れた交換留学生の、第一期生としてでした」 ……。 …………。 フィーナによると、姉さんは月でもとても優秀で、真面目に、熱心に勉強していたとのこと。 期間は一年だったけど、とても多くのことを学んだそうだ。 フィーナと姉さんの出会いは、留学も半ばに差しかかった頃、王宮図書館。 以来、お互い連絡はあまりできなかったものの、親しい付き合いが続いている。 ……聞けば聞くほど、姉さんは完璧な留学生だったようだ。 そんな経歴もあって、今では、この若さで月王立博物館の館長代理を務めるまでになっている。 「姉さんは、月では寝坊しなかったの?」 「……私の記憶にはありませんね」 「月では、夜の9時には寝てましたから」 全員に、笑いが広がる。 ……。 「今度は、私から質問してもいいかしら?」 「どうぞ」 「さやかは、達哉や麻衣の従姉と聞いているけれど……」 頷く姉さん。 「なぜ、朝霧家の面倒を見ることにしたの?」 ……。 それは……俺も知らないことだった。 麻衣も、真面目な表情で姉さんの答えを待っている。 「それは」 「話せば長くなるのですが、端的に言えば……」 「達哉くんや麻衣ちゃんの両親に……理想の夫婦像を見いだしていたからだと思います」 「……」 「……うちの親父と母さんに!?」 ……。 思わず語調が強くなってしまった。 しん、と静まり返ってしまうリビング。 ……。 …………。 「ごめんなさい」 俺に向かって、謝る姉さん。 「……と、こんなところでいかがでしょうか、フィーナ様」 「ええ、ありがとうさやか」 姉さんに、笑顔を向けるフィーナ。 「……でも、もしかしたら、少し変なことを聞いちゃったかしら」 「いえ、気にしないで下さい」 「ごめんっ、謝るのは俺の方だ」 「達哉くん」 「これだけは覚えておいて」 「……」 「私はね、本当にこの家が大好きなのよ」 ……。 「うん」 「……さ、この話はおしまい」 「では次は、私が月で食べた美味しい料理ベスト10の発表です!」 ……その後は、また元通りの雰囲気で、会話は盛り上がった。 それでも、姉さんが「この家が好き」 と言った時の真剣な目は、忘れられなかった。 「お疲れ様でしたー」 「お疲れ、達哉君」 「おつかれー」 菜月の野菜ジュースを飲み干してから、左門を後にした。 ……。 バイトを終えて部屋に戻る。 靴下を脱いでベッドに横たわると、そのまま眠りそうになった。 ……。 靴下は洗濯物に出しておかないと、明日ミアに叱られるな。 「よっ」 勢いをつけて起き上がり、階段を下りる。 誰かが風呂に入ってるみたいだ。 俺は、洗濯物入れのカゴに靴下を放り込み、脱衣所を出て行こうとした。 「ちょっと待って!」 「ごめんなさい、シャンプーの詰め替えパックを取ってくれませんか」 ……麻衣は、こっちにいるのが誰かは分からないはず。 呼びかけ方も丁寧だ。 「麻衣か?」 「お兄ちゃん?」 「シャンプーが、無くなっちゃって」 「分かった。 ちょっと待って」 ストック入れを、ごそごそと漁る。 シャンプーは三種類。 姉さんが使ってるのと、麻衣のと、俺が使ってるもの。 フィーナとミアは、地球のものを使っている。 多分、姉さんのをフィーナが、麻衣のをミアが使ってるんだろう。 「あったぞ」 「ありがとー」 風呂との間の曇りガラスがはまった戸が、少しだけ開く。 その隙間から、麻衣に詰め替えパックを手渡した。 ……風呂の中から、湯気がむわっと脱衣所に流れだす。 せっけんの香りがする。 「じゃ、行くぞ」 「ちょっとだけ、ごめん」 「詰め替え終わったら、ゴミも捨てといてくれると嬉しいな」 「しょうがないなぁ」 ……風呂の中が静まる。 詰め替え作業は、集中力が必要だ。 「そうだ、お兄ちゃん」 「んー?」 「一昨日くらいに、私のシャンプー使ったでしょ」 「なんで?」 「香りで分かるんだよ」 「あ、いつもと違うなって」 「わたしと同じ香りだもんね」 「すごいな」 「でもねー」 「わたしもお兄ちゃんのシャンプー……使ったことがあるから、おあいこ」 「俺の?」 「MEN’Sなんとかって、安物だぞ」 「いいの」 「……」 「そっか」 「……はい、終わったよ」 また、戸の隙間から、空になったパックを受け取る。 また、湯気とせっけんの香りが流れてくる。 「便利に使っちゃってごめんね」 「いいよ」 「風呂、麻衣で最後?」 「うん」 「出たら、声かけるね」 「……また、この前みたいに電気つけたままベッドで寝てないでね」 「頑張るよ」 「頑張る、じゃだめだってばー」 抗議の声をあげる麻衣には応えず、脱衣所から出た。 ……。 チチチ……小鳥の鳴き声で目を醒ます。 最近、目覚まし時計に対する勝率は高い。 「んっ、んー……」 ベッドを降りて背伸びをする。 ふと、目覚まし時計に目をやると……午前3時25分。 ……止まってる。 慌てて、部屋の中の別の時計を探した。 もしかしたら……大寝坊ってこともあるんじゃないか?……。 かちゃっ充電器につないでいる携帯を手にとる。 時間は……『AM5時10分』と表示されていた。 「はあぁ……」 早い。 目覚まし時計に勝つにも、程度ってものがあるだろう……。 しかも、相手は不戦敗なのに、こっちは全力で勝ちに行ってしまった。 自分に少し呆れる。 夏至を過ぎたばかりなので、もうすっかり外は明るい。 それでも、流石に……この時間なら、もう一度寝た方がいいだろう。 俺は、携帯のアラームをセットして、ベッドの中に入った。 ……。 …………。 再度眠りに落ちながら、ぼんやりと考える。 そう言えば、麻衣もあまり寝坊ってしないな……そんなことを、ちらっと思いもしたけど。 二度寝の快楽の中に、意識は溶けて行った。 今日は左門が休み。 家では、珍しく早上がりだった姉さんが、ミアに天ぷらの作り方を伝授していた。 「カラっと揚げるコツは、衣を混ぜすぎないこと」 ミアも熱心にメモを取っていた。 ……。 ネタはエビ・イカ・キスにかぼちゃとナスとししとう。 材料ごとに、油の温度や揚げる時間が違ったりして、麻衣も姉さんほどには上手くいかない。 姉さんの天ぷらは、もちろんフィーナやミアに大好評だった。 ……。 …………。 「麻衣ー」 こんこん「どうぞー」 「今、姉さんが風呂に入ったから」 「うん、分かった」 ……麻衣の前に、金属光沢のある管が二本転がっている。 フルートだ。 「30分くらいで終わらせるね」 「手入れ中?」 「うん」 「吹いた後は毎回手入れしないと、すぐ調子が悪くなっちゃうんだ」 「そっか」 頭管部と主管に分かれている状態のフルート。 麻衣は、専用っぽい棒に布を巻いて、主管の中を掃除しているようだ。 「こっちだけでも音は出るの?」 短い頭管部だけを手にとってみる。 「出るよ。 リコーダーだって、頭の方だけで音が出るでしょ」 「吹いてみていい?」 「う、うん」 「時間が遅いから、あまり強くは吹かないでね」 「分かった」 いつも麻衣が吹いてるのを見ている。 見よう見まねで、何とかなるかもしれない。 ……。 ふーーっふぅーーーーっっっ「……鳴らないな」 「息を吹き込む角度が悪いんだよ」 「貸して」 麻衣に渡す。 「この唄口のところに下唇を着けて……」 ~~~♪「こんな感じ」 「おお、さすが」 「さすがじゃないよ、これくらいできないと……」 と謙遜しながらも、ちょっと嬉しそうな麻衣。 「……じゃ、も一回」 今、麻衣が唇をつけていたところに、自分の唇をつける。 ……。 ふー♪「少し鳴った?」 「うん」 「いろいろ角度を試して、音が出る吹き込み方を探してみて」 「ん」 ふーーー♪♪ーー「おー、出た出た」 「講師の腕が良かったんです」 「そっちの管も全部つなげる……わけにはいかないか」 「もちろん。 今、手入れ中だから」 「全部つないだフルートでの練習は、また今度」 「分かりました、麻衣先生」 「分かればよろしい」 「次は……」 「お風呂空いたよー」 「はーい」 「もし、まだ続ける気があるなら、また今度」 「ありがとうございました」 「ふふ……変なお兄ちゃん」 ……。 菜月は、遅くまで勉強してることがあるよな……そんなことを、ちらっと思いもしたけど。 二度寝の快楽の中に、意識は溶けて行った。 ……。 …………。 「あれ、仁さんどうしたんですか?」 「デザートの宅配に来たんだよ、麻衣ちゃん」 「ありがとうございますー」 トラットリア左門で夕食を食べた後……仁さんは、試作品をこうして持ってきてくれることがある。 「わざわざありがとう、仁くん」 「アイスクリームにはうるさいからね、麻衣ちゃんは」 リビングのテーブルに並べられるアイスクリーム。 色から見ると、グレープ系か?「じゃあ、いただきまーす」 「いただきますね」 「どーぞどーぞ」 姉さんと麻衣が、スプーンを口元へ運ぶ。 ぱく「あら、美味しいわ」 「俺もいただきます」 麻衣は、にぱっと顔を崩す。 「美味しいですよー」 「麻衣ちゃんにそう言ってもらえると、自信がつくね」 「これは、果実の歯触りが残ってるのが新鮮です」 「うん。 これ、店にも出せるんじゃないですか?」 「残念ながらそれは無理」 「材料、使いすぎたんでしょ」 「さすがさやちゃん」 「店に出すとしたら900円だな、と親父に言われてね」 「あはは……」 「だから、これが食べられるのは今宵限り」 「おかわりもあるから、遠慮なく食べてくれたまえ」 「菜月は?」 俺がそう尋ねると、仁さんは大げさにかぶりを振った。 「悲しいことに、我が妹はダイエット中などと言って食べてくれないんだよ」 「あれ、またですか」 「そうなんだ」 「僕は何度も、無駄だからやめておきなさいと言っているんだがねえ」 「なにが無駄ですって?」 リビングの入り口に、いつの間にか菜月が立っている。 「だってほら、今日のピッツァを一番多く食べただろ、菜月」 「確かにあの生ハムはいいものだったし、親父の焼き具合もさすがだった」 「だから、キミがたくさん食べたくなるのも分かるんだよ」 「ああもちろん、親父と僕と菜月の3人に一枚だったピッツァを、8分割したうち4切れ食べたのは秘密にしといてあげるから」 「……!」 菜月は、顔を真っ赤にして走り去った。 「な、菜月ちゃん……」 「いつもいつも、しゃもじが当たると思ったら大間違いだよ」 「?」 「ここは危険だ……」 「伏せろっ!」 どこからともなく飛来した、しゃもじ。 それを見事かわした仁さん。 「はっはっは。 いつまでも俺の後頭部はガラ空きじゃないぞ菜月」 仁さんがすっくと立ち上がり、勝ち誇る。 すこーんっっっ「あう」 しゃもじブーメランは、的を外しても旋回して襲いかかってくるものらしい。 ミアは、いつも朝御飯の準備で早起きだよな……そんなことを、ちらっと思いもしたけど。 二度寝の快楽の中に、意識は溶けて行った。 ……。 …………。 ばたばた────────────ばたばた土曜日の朝から、家の中で走り回る足音がする。 この時間に起きてるのは……ミアか?何かあったのかな。 「ミア」 「どうかした?」 「あ……達哉さん」 なんだか、涙目のミア。 「あのっ、これくらいの大きさの、青いブローチを見かけませんでしたかっ?」 指で大きさを示し、一生懸命にイメージを伝えようと頑張っているミア。 「いや、ごめん。 見てないと思う」 ミアの必死さに、思わず謝ってしまう。 「そうですか……」 あからさまに肩を落とすミア。 「無くしたの?」 「……はい……」 「昨日の夜にはあったんですが……」 消え入りそうな声。 「大事なものだったんだね」 「はい」 「わたしが、初めて姫さまに頂いたものなんです」 「ずっと身につけてて……わたしの宝物です……」 ミアの目が真っ赤になり、涙がこぼれる。 「分かった、ミア」 「俺も一緒に探すよ」 「あ……ありがとうございます」 「絶対見つけなきゃ、な」 「はいっ」 ……早速、ミアと一緒にブローチを探し始める。 一度探したところも、もう一度徹底的に調べることにした。 まずはミアの部屋。 ……。 洗面所。 ……。 リビング。 ……。 キッチン。 ……。 「無いね……」 「そうですね……うぅ……」 「大丈夫。 まだ、別の場所にきっとあるさ」 「……うぅ……」 ミアも泣かないように頑張っているものの──その目から溢れた涙が、ボロボロと頬を伝っている。 ……。 「おん」 慰めてくれてるのか、アラビアータがミアの靴を「ぽむ」 と脚で叩く。 「ミア」 「もう一度、探してみよう」 「……はい」 「最後にブローチを見たのは、いつ、どこ?」 「昨日着てた服のポケットです」 「そのまま、洗濯しちゃったのかとも思ったんですが……」 「脱衣所にも、洗濯機の中にも無い」 「はい」 うーん。 「まだ、探してないところは……」 「おん」 アラビアータが、俺たちを見上げている。 いや……俺たちの後ろを見上げてるのか?「あっ」 俺がアラビアータの視線を追って視線を上げると──二階のベランダに、洗濯物がはためいている。 「洗濯物……」 「昨日着てた服のポケットに入りっぱなしとか」 「……あっ」 「見てきますっ」 ぱたぱたと、二階に駆け上るミア。 洗濯物のポケットを調べると──「達哉さんっ、ありましたーっ!」 ……。 …………。 「このブローチには、セフィリアさまと、うちの母さまの思い出が詰まってるんです」 「セフィリア様って、フィーナの母親だよね」 「はい。 私が初めて姫さまのお世話をするようになった時……」 「セフィリアさまに『フィーナをよろしくね』って」 どうやらミアは、セフィリア女王に直接フィーナのことを頼まれたらしい。 「その時、姫さまがこれをくれたんです」 「フィーナが……」 「うちの母さまも、『これはセフィリア様からフィーナ様を任された証だからね』って」 「そっか」 そんな重要な役割を引き継いでたんだな、ミアは。 ただの身の回りの世話役と違うのは、何となく感じてたけど。 「だから、いつも身につけていたくて」 「じゃ、もう二度と失くさないようにしないとな」 「はいっ」 ミアの頭をぽむぽむと撫で叩く。 今日のことは、二人の秘密にしておくことになった。 ……。 日曜日の朝。 学院も休み、バイトも休み。 いつもより、少しだけ遅い目覚まし時計。 青い空に、マシュマロのように浮いている雲。 ……。 こんな日は、庭に水を撒いたり、本を読んだり、犬の散歩に行ったり……やりたいことを、ひとつずつ順に片づけていけそうな気がする。 今日もいい日になりそうだ。 朝食を食べ終えると……珍しく、姉さんと麻衣がイタリアンズを構っている。 「姉さん、今日はこれから仕事?」 「うん、遅番で昼過ぎから」 「日曜が一番来館者も多いしね」 「そっか。 忙しいね」 「だからこうして、イタリアンズに癒してもらおうと思って」 姉さんが、頭を撫でる順に幸せそうな顔になるイタリアンズ。 ……。 「お姉ちゃんって、イタリアンズに好かれてるよね」 「難しい問題だけど……」 「確かに、うちで一番『好かれてる』かもしれない」 「そんなことないでしょう?」 「姉さんの場合、なんて言うか……」 「いや、実演した方が早そう」 「三人で、同じことをやってみよう」 ……。 一人ずつ、リビングから庭に出て、三匹に『おすわり』を命じる。 残りの二人はリビングからそれを見る。 これだけで、差が出てくるはずだ。 「じゃあ、まず俺から」 一度三人ともリビングに引っ込む。 ……。 「おすわり」 「わふわふっわふー」 「わんわんっ!」 「ぅおんっ」 そわそわしながらも、一応、ちゃんとお座りをする。 落ち着きが無いのは、いつも俺が餌を持ってきたり散歩に連れてったりするからだろう。 期待されてるのだ。 ……。 「おすわり」 「わふ」 「わん」 「おん」 三匹とも、俺の時と違って、大人しく言うことを聞いている。 実際、三匹に一番言うことを聞かせるのが上手いのは、麻衣だと思う。 ……。 「おっ、おす……」 「わふっわふっわふっ わふっ わふっわふっ!」 「わんっ! わんわんっ!」 「ぅおんっ をんっ」 ぺろぺろと舐められたり、脚に絡みついてきたり、のしかかられたり。 姉さんは、ひたすら『甘えさせて甘えさせて甘えさせてーっ!』と言われてるような気がする。 三匹とも、しっぽをちぎれるくらいに振ってるし。 ……。 …………。 「ほら、姉さんが一番好かれてるだろ」 「でも、全然言うこと聞いてくれないのよ」 「わたしは、お姉ちゃんくらい甘えられてみたいかなー」 「大変よー」 姉さんは苦笑いする。 「……あ」 「どうしたの?」 「さっきかしら……ボタンが一つ外れかけてて」 「ちょっと、直してくるね」 ぱたぱたと、二階に上っていく姉さん。 ……。 しかし、すぐに一階に降りてきた。 脱衣所の方に行ったようだ。 「お姉ちゃん、どうかしたのかな?」 「そろそろ、家を出る時間だと思うんだけど……」 「見に行ってみようか」 ……。 「……そうそう。 お願いっ」 「あ、そんな、頭を上げてください……」 「では、すぐにやりますね」 「ミアちゃん、ありがとう~」 がちゃ「あっ」 「あはは……」 「姉さん、裁縫って苦手だったっけ?」 「ごめんなさい、隠してました」 「えっ……なんで?」 「だって……」 「恥ずかしいじゃない」 そう言って、姉さんは顔を伏せた。 「お姉ちゃん、別に苦手なことがあったっていいじゃない」 「わたしは、全然気にしないよ」 「俺だって」 「でも……そろそろ出ないと、時間が」 「急いで直しますっ」 ……。 ミアは神業のような早さでボタンを付け直してくれた。 日曜日は、一日中遊んで過ごした。 こういう時間の使い方ができるのも、休日ならでは。 休みの24時間を満喫して……月曜日を迎えた。 今朝は、ちょっとだけ時間に余裕があった。 のんびりテレビを見つつ、食後のお茶などを飲んでいると……ばたばたばたばたばた階段を転げるように駆け下りて来る足音。 「お、おはようございますっ」 「おはよう、ミアちゃん」 「フィーナなら、もう食べ終わって部屋にいるよ」 「は、はいっ」 ばたばたばた……「寝坊?」 「そんな感じだな」 「……怒られるのかな」 なんとなく心配になってしまう。 フィーナはミアを怒るのだろうか。 ……。 「様子を見てくる?」 「うん」 「行ってみるか」 俺と麻衣は、こっそりフィーナの部屋に近づく。 「ごめんなさい」 「いいのよ」 「誰にでも、寝過ごしてしまうこともあるわ」 「あの……今朝はちゃんと……?」 「もちろんよ」 「いつまでも、ミアに起こされているようでは恥ずかしいわ」 「ごめんなさい……」 「さ、そんなに謝ってばかりいないで」 「髪を梳くのを手伝って頂戴」 「あ、は、はいっ」 ……。 俺と麻衣は、足音を立てないように、フィーナの部屋の前を離れる。 「どうだった?」 「大丈夫そう」 「結構仲良しな感じ?」 「そうだったね」 「二人はずうっと一緒にいたみたいだから」 「ああ、なるほど。 あの仲の良さも理解できるな」 ……。 「お待たせ致しました」 「さあ、学院へ参りましょう」 ……。 日曜日は、一日中のんびりと過ごした。 こういう時間の使い方ができるのも、休日ならでは。 休みの24時間を満喫して……月曜日を迎えた。 ……。 …………。 授業も終わり、放課後を迎えたカテリナ学院。 左門のバイトに向かうため、菜月と帰ろうとすると……「……というわけなの」 菜月は、クラスメートに話し掛けられていた。 「確かにそれは放っておくわけにはいかないわね……」 「お願い、詳しい話を聞いてっ」 「聞いてもらうだけでもいいの……」 ……。 なんだか、深刻そうな相談を受けてるな。 「菜月は、相談を受けていることが多いわね」 「でも、あいつも今日はバイトのはずなんだけど……」 「どうするのかな」 ……。 あまり、露骨に耳を傾けてるように見られるのもいやだし……なんてことを考えていると、菜月がこっちに来た。 「ごめん達哉」 「先に行ってて」 「分かった」 「遅れそうだったら、電話くれよ」 「遅れないように頑張りまーす」 「それじゃ、お先」 ……。 「菜月も大変だなぁ」 「でも、相談を持ちかけられるというのは、菜月の人徳でもあると思うの」 「誰にでも親身になれるというのは、すばらしいことよ」 「気苦労は多そうだけどね」 ……。 「いや……でも、菜月なら」 「『いやぁ、大変だったよー』とか言いながら、何事も無かったような顔してるんだろうな」 「そうね」 「簡単そうで、なかなか難しいことよ」 「うん」 「菜月を見ていると、時々、敵わないなと思う時があるわ」 「フィーナが?」 「ええ」 「私は、月にいた時もこちらに来てからも、常に月王国の姫という肩書がついている」 「その肩書は、親切な人から困っている人、悪人、その他なんでも引きつけるわ」 「そう……なんだろうね」 「でも菜月には、そんな肩書も何も無いのに、人が集まるの」 「私に肩書が無かったとしたら、果たして菜月ほど人が集まるかしら」 「それは……」 「もちろん、こんな無意味な仮定はばかばかしいわ」 「でも、つい考えてしまうことがあるという……それだけの話」 「……ごめんなさい、忘れて」 ……。 後ろから、足音が聞こえてくる。 「追いついたーっ」 「早かったな」 「短いご相談だったのですか?」 「いやぁ、大変だったよー」 「ぷっ……」 「あははははっ」 「な、なに?」 「ねえ、どうしたのってばっ」 「悪い、バイト終わったら説明するから」 「達哉は、菜月のことをよく見ているのね」 「なっ、なんの話をしてるのよーっ」 ……。 …………。 菜月には、バイトが終わってから、俺とフィーナが笑った理由を説明した。 菜月は「なんで分かるのよーっ」 と怒ったけど──顔は苦笑いだった。 ……。 まだあまりクラスメートのいない教室。 今週は週番だったので、少しだけ早めに登校する。 かららっ窓を開けると、気持ちいい風が入って来る。 まだ、そんなに気温は上がっていないけど……この晴れ方では、昼にかけて気温がどんどん上がりそうだ。 ……。 窓から見下ろすと、学生達がぞろぞろと登校している。 ……。 …………。 「ただいまー」 「ただいま戻りました」 「姫さま、達哉さん、お帰りなさいませ」 ……。 学院から帰ってくると、フィーナはいつもドレスに着替える。 最初はびっくりした。 この服の方が落ち着くなんて、あり得ないと思ったし。 ……だけど、いつの間にか違和感は無くなっていった。 慣れたんだと思う。 しかし……「フィーナ、聞きたいことがあるんだけど」 「なんでしょう?」 「暑くない?」 ……。 7月に入り、最高気温はどんどん高くなっている。 最低気温も上がり、天気予報では「真夏日」 と「熱帯夜」 の連呼だ。 「……家の中には、エアコンが効いているから」 「洗面所とかトイレは暑いままだけど」 「なるべく早く、通りすぎることにしてるわ」 フィーナは、わざとツンとすました感じで言う。 おかしくて、二人とも笑いそうになった。 そんなやりとりをしていると──フィーナのドレスの胸元についている、青い輝玉が気になった。 大きい。 もし本物の宝石だったりしたらと考えると、ちょっと物騒な気もする。 「ところでフィーナ」 「ドレスの胸についてる青い石、本物ってことはないよね」 「ええ、これはイミテーションよ」 ふう、と一安心。 「でも、本物を身につけていることもあるわ」 「えっ」 「大きさも色も、そっくりの石のペンダントを持っています」 「それは、母から引き継いだもので……」 「言うなれば、形見です」 真剣な表情のフィーナ。 「そんなに大事なものなら……」 「身につけてた方がいいんじゃないか?」 「お風呂にだって入るし、体育の授業もあるのよ」 「身につけている方が危ないと思うわ」 「そっか。 指輪じゃないもんな」 ──結婚指輪をずっとつけてた母さんのことを、一瞬思い出す。 「ええ、心配してくれてありがとう」 そう言ったフィーナは、少し遠くを見る。 「しまっておいた方がいいんじゃないか?」 「そうね」 「でも時々、身につけていたくなることもあるの」 そう言ったフィーナの表情は、寂しげでもあり──誇らしげでもあった。 「母は、極端に私物が少ない人だったわ」 「きっと、王国に全てを捧げた、ということだと思うの」 「……そんな母が、私宛にたった一つ残してくれたものなのよ」 「そんなに大事なものなんだ」 「ええ」 フィーナ自身は気づいているだろうか。 母親──セフィリア女王のことを話す時、フィーナの顔はとても真剣だ。 亡くなってるから、という理由ではないように思えるのは……気のせいだろうか。 ……。 …………。 6月末の大会が終わってから、吹奏楽部は少し余裕ができたようだ。 平日でも、練習が休みの日がある。 そんな平日、麻衣は川原で練習することが多い。 「あ、来た来た」 授業を終えて学院を出ると、フルートケースを抱えた麻衣が、校門で待っていた。 「今日もお願いね」 「はいはい」 いつもの川原に向かって、二人で歩く。 ……夏の日差しが、遠慮なく降り注いでる。 長い間外にいると、喉が乾きそうだ。 「飲み物、買って行こう」 「うん、そうだね」 「帽子、被らなくて大丈夫か?」 「暑くなったら、並木の木陰で休もうよ」 水が流れているからか、川原は少し涼しい気がする。 ケースからフルートを取り出す麻衣。 俺も、いつも通り芝生の上に寝ころがる。 「じゃ、始めるね」 「おう」 ~♪麻衣の演奏を聞くようになって一年ちょっと。 最初は、道行く人に見られるのが、かなり恥ずかしいくらいだった。 それが今では、かなり聞ける演奏になっている。 ……。 通行人の中にも、足を止めて耳を傾ける人がいる。 俺の他にも、少し遠くで寝ころがってる聴衆がちらほら。 実際、麻衣はそれだけの練習をしたってことだろう。 ……。 「ふう」 「休憩しようか、お兄ちゃん」 「そうだな」 「ジュースも、温くなる前に飲もう」 木陰に入り、ペットボトルを開ける。 「あ、休憩中?」 「菜月?」 「菜月ちゃん?」 「どうしたんだ、こんなトコに」 「私が帰る時、練習を始めてたからさ」 「じゃーん♪」 「クーラーボックス?」 「差し入れだよ」 「もしかして……」 「アイスクリーム!?」 「当たり!」 「菜月ちゃん、ありがとーっ」 「俺の分もある?」 「三人分、持ってきたからね」 ……。 …………。 ケヤキ並木からは、蝉の鳴き声が聞こえてくる。 深く青い空に、くっきりと白くて高さのある雲。 アイスも、急いで食べないと溶けてきて。 ……夏だなぁ。 「菜月ちゃん、このアイス美味しいけど……」 「どこのお店のか分からなくって」 マイフェイバリットアイス屋さんメモを引っ張りだしても、心当たりが無い味らしい。 「ふっふっふー」 「これは、トラットリア左門特製アイスなのです」 「……仁さんの試作用ストックから持ってきたろ」 「あ……バレた?」 「バレるわい」 「でもこれ、本当に美味しいよ」 「菜月ちゃんが怒られたら、わたしが美味しかったってフォローするね」 「共犯者が名乗り出てもフォローにならないって」 「えっ、共犯者?」 「完全に」 「ふえぇぇ」 ……。 …………。 日が傾いてから夕暮れまでが長い夏。 川原に流れる時間は、さらにゆっくりしたものだった。 ……。 …………。 夏休み前の、けだるい午後。 昼は過ぎ、まだ夕方ではなく。 ……そんな空気を楽しんでから、家路に就いた。 ……。 …………。 いつも通りの朝。 「ごちそうさまでした」 「おそまつさまでした」 「ほうれん草のオムレツ、美味しかったです」 「えへへ」 麻衣が作った朝食を、みんなが食べ終えた頃。 「はーい、ちゅうもーく」 なんだなんだ、と皆が居ずまいを正す。 「実は今日、私はお休みをいただきました」 「溜まりに溜まっていた休日出勤の代休です」 「姉さん、日曜もかなり出てたもんね」 「うんうん」 「ですが、そこは本題ではありません」 「今日は一日中、私が家にいられるので……」 「地球に来てからずうっと働きづめのミアちゃんに、丸一日、お休みをあげたいと思います」 「ええっ」 「それはいいわね」 「ほんとう、一日も休んでなかったよね」 自然発生的に、拍手が湧く。 「……というわけでミアちゃん」 「今日は、お出かけしてもいいし、何をしてもいいのよ」 「家のことは私に任せてね」 「え……あの……わたし」 「お休み……」 言われた言葉の意味を、反芻するようにつぶやき直すミア。 「はい、連絡終わり」 「学生さんは少し急いだ方がいいですよ」 「そうね」 ……。 今日一日、ミアはどうやって過ごすだろう。 散歩、買い物、家の中でごろごろ。 学院から帰ったら、様子を見てみよう。 ……。 …………。 「ただいまー」 「お帰り、達哉くん」 「……」 「姉さんがいるのって、なんか新鮮」 「ふふ、そうね。 私もよ」 「もう少ししたら、左門のバイトに行くけど……」 「ミアの調子はどう?」 「それがね……」 姉さんが苦笑する。 「一言で言うと、おろおろしてる」 「おろおろ?」 「仕事が無いのに、慣れてないのもあるんだと思うけど……」 「何か、不安がっているような気もするの」 「うーん……」 「今は?」 「さっきまでは、イタリアンズを構ったり、空を見上げてたりしたけど」 「探してみるよ」 ……。 それから、家の中をうろうろしてみると……ミアは、自分の部屋にいた。 所在無げに、ベッドに座り込んでいる。 「あ、達哉さん」 「よっ」 「どう、お休みは」 「あの……」 「あまり慣れていないので、何をしたらいいのか分からなくって」 明るい表情だが、少し残念そうなミア。 「好きなことをすればいいのに」 「好きなこと……」 「考えては見たのですが」 「ジャム作りとか、お掃除とか、どうしても仕事になってしまうんです」 「そっか」 「好きなことって、難しいですね」 「うん、そうかもしれない」 ……。 「あ、達哉さん」 「シャツのボタンが、取れかけてますよ」 「ん?」 見ると、糸がほどけてボタンが垂れ下がりそうになっている。 「これは、緊急事態ということで」 「だね」 「えへへ」 ソーイングセットを、嬉しそうに出してくるミア。 誰かの役に立つこと。 自分が役に立って認められて。 それが、ミアにとっては一番嬉しいのかもしれない。 ……。 シャツを脱ごうとすると……「あ、そのままで」 と、止められた。 俺の顎の下に、ミアの頭が来る。 ちょっと、くすぐったい気分。 「じっとしてて下さいね」 「ああ」 ……。 ミアのつむじが、すぐ目の前にある。 俺は、なんとなく気恥ずかしくなって、じっと窓の外を眺めていた。 ……。 …………。 「はい、終わりました」 「ありがとう、ミア」 ……。 ミアは、嬉しそうに微笑んでいる。 こういう顔をしてるのが、一番ミアらしいかもしれない。 「下に降りよう」 「はい」 「俺はこれからバイトだけど……」 「ジャム作りも掃除も、ミアがやりたいことなら、やっていいと思うよ」 「姉さんとか、みんなには言っとくから」 「ありがとうございます!」 ……。 それから俺はバイトに行ったけど。 ミアは、ずっと嬉しそうに、家の中で仕事をしていたそうだ。 「あらら、失敗しちゃったわね」 「ごめんね、ミアちゃん」 後からそれを聞いた姉さんは、ミアに謝り、頭を撫でてあげていた。 ミアは、その間ずっと恐縮していたけど──やっぱり、それがミアらしいってことなのかな。 「分かった。 こっちは何とかしよう」 「さすが親父殿、話が分かる」 「その代わり、仁、みんなの保護者としてしっかりやって来いよ」 「ッス」 「この恩は必ずや」 仁さんが運転する、仕入れ用のワンボックス──通称『左門カー』の動員が決定した。 これで、荷物を手で運ぶ心配が無くなった。 ……。 7月9日、日曜日すなわち明日。 『海で泳いだことが無い二人を連れて、みんなで海に行こう大作戦』が敢行される。 ……。 …………。 「全員乗ったね?」 「うん、おっけー」 「では、出発するとしますか」 目指すは弓張海岸。 家から歩いてもそう遠くはないけど──弁当やクーラーボックスを考えると、仁さんが来てくれて大いに助かった。 「フィーナちゃんもミアちゃんも、海は初めて?」 「私は、先月に学院の海岸清掃で」 「ああ、あれまだ続いてるんだ」 「俺たちは、今年で最後ですけどね」 「懐かしいなぁ」 「そうねぇ」 「でも、海で泳いだことはありません」 「わたしは、近くでは一度も見たことがないです」 「おお、そりゃ楽しみだね」 「楽しみと言えば、麻衣ちゃんの水着も楽しみ」 「あはは……」 「スタイルが良くないので、あまり期待しないで下さいね」 「こら。 兄さん、セクハラ発言禁止」 「あんなこと言ってるけどね、仁くん、学院にいた頃は泳げなくて……」 「そうだったんですか?」 「格好悪いからって、放課後とか、必死に練習してたっけ」 「あーこらこら」 「人の過去を蒸し返すものじゃないよ、さやちゃん」 ……。 …………。 そんな他愛もない会話をしてると、あっけないくらい早く、弓張海岸に着いた。 「うわぁ……」 ミアは、初めて海を見て、言葉を失っている。 「やっぱり広いわね……」 「さあ達哉君、男性陣は荷物を下ろすぞ」 「うス」 「じゃあ、仁くんと達哉くんはそのままパラソル立ててね」 「あと、重いクーラーボックスもお願い」 「その他の荷物は、私達で運ぶわよ」 「はーい」 「あ、は、はいっ」 「着替えはどうするのかしら?」 「この車の後ろを締め切れば大丈夫」 「なるほど」 ……早めに出てきたとはいえ、海辺には既にちらほらとビーチマットが敷かれている。 まずは場所取りだ。 ……。 …………。 「よし、ベースキャンプはこんなもんかな」 「ベースキャンプ?」 「ああ。 荷物は全部ここに置く」 「それなら、見張りも最低一人で済むしね」 「それじゃ、着替えましょうか」 「俺たちは脱ぐだけだから楽ですね」 「それより、女性陣はまだかなぁ」 ……。 天気も上々。 気温もこれからどんどん上がりそうだ。 潮風を胸いっぱいに吸い込むと、海水浴気分が盛り上がってきた。 「おっ、来たみたいだよ達哉君」 仁さんに言われて車の方を見る。 すると、女性陣がまとまってこっちへ向かっていた。 「おまたせー」 「今日は暑くなりそうね」 二人の後ろに、隠れるようにフィーナとミア。 最後が麻衣。 「最初は、私が荷物番するから、みんな行ってらっしゃい」 「それじゃ達哉君、あのブイまで競争だ」 「やりませんって」 「負けた方が、次の荷物番だよ」 「じゃ、それでいってみる?」 仁さんが、早くも海に入り始める。 「ちょっ、待って下さいよせめてスタートくらいは揃えて」 「スタートっ!」 「ええいっ」 早速、競泳から始まるとは思わなかった。 先行する仁さんを追いかけて、俺も海に飛び込んだ。 ……。 …………。 「これが『若さ』ってやつなのかな、達哉くん」 「はぁ……はぁ……」 「じゃ……荷物番……はぁ……よろしく……」 「お願い……はぁ……します……」 息が切れるほど真剣に泳ぎ、何とか仁さんを追い抜いた俺。 仁さんが、少し手を抜いてくれた……ってことは無いか。 ……。 家の前で全員が左門カーに乗り込み、出発する。 海まではあっと言う間だ。 初めて間近で海を見るミアは、その大きさに言葉を失っている。 男性陣は場所を確保しつつ、服を脱いで準備完了。 あとは、女性陣の着替えを待つだけだ。 仁さんとの競泳に勝ち、何とか荷物番を逃れた俺。 もしかしたら仁さんが、手を抜いてくれたのかもしれないけど。 「達哉」 名を呼ばれ、振り返る。 ……。 「買う時も思ったのだけど」 「布地が……少ないわね」 露出の多い水着に、少し戸惑っているフィーナ。 ビキニの水着にパレオと麦わら帽子。 水着はどうやって選んだのだろう。 「ビキニは初めて?」 「……ええ」 「でも、菜月もビキニよ」 砂浜を見回すフィーナ。 「それに、多くの人が着ているわ」 「恥ずかしがるようなことでは……ないようね」 「そうだね」 ……。 でも…… この浜辺を見回しても、フィーナはかなり似合ってる方なんじゃないかな。 「……似合ってる?」 「えっ、ああ、似合ってる、似合ってるよ」 びっくりした。 考えてることを、そのまま聞かれるとは思わなかった。 「良かった」 「ずっと、変じゃないかと心配だったのよ」 「大丈夫、変なんかじゃないよ」 「とっても似合ってる。 俺が保証する」 「ふふ……ありがとう」 やっと、いつもの笑顔になるフィーナ。 ……。 「達哉君は面白いねえ」 「意識しまくりだよ」 「そうね」 「お兄ちゃん、堅くなってるよ」 ギャラリーまでいるようだが、反応すると余計からかわれそうなので、無視することにした。 ……。 「フィーナ、海に入ろう」 「少しは泳いでみないと、来た意味が無いし」 「……そうね」 一度は和らいだフィーナの表情が堅くなる。 「足がつくとこなら、大丈夫」 「ええ」 「せっかく来たのだし、海に入らないのはもったいないわね」 口調とは裏腹に、目は真剣そのものだ。 何とか、自分を奮い立たせているのが、明らかに分かる。 「じゃ、ほら」 フィーナの手を取る。 「……ええ」 ……。 フィーナが言っていた通り、布地の少ない水着。 最初は波打ち際。 そして膝下まで。 「水、冷たいのね」 「体が、日に照らされて温かくなってるから、そう感じるんだ」 「一回、水に浸かっちゃえば気持ちいいよ」 「分かったわ」 ……腰のあたりまで浸かるところへ進む。 もうちょっと沖まで行った方が、波を被らなくて済むんだけどな。 「あの、達哉」 「足がつかないところまでは……その……」 「うん、ここらまでにしとこうか」 波が来る度に、フィーナの細い首まで海に沈む。 「あ……」 「波が来ると、足が……少し浮くわ」 「泳いでみる?」 少し泳いで見せる。 「あっ、た、達哉」 とっさに、フィーナが俺の腕を掴む。 「離れないで……」 「ご、ごめん」 俺の腕にしがみついたフィーナは、ほんのり頬を染めていた。 ……。 二の腕に感じるフィーナの体温。 しがみついて、俺を頼りにしているお姫様。 ……ずっと、このままでいたい。 そんなことを、ちらっと考えたりして…… ざぷーん 海面に出てる俺たちの頭よりも高い波が── 通りすぎて行った。 当然、頭の先から海水を被った二人。 「フィーナ、大丈夫か?」 「……」 顔をしかめるフィーナ。 「フィーナ……?」 「海の水って、本当にしょっぱいのね」 「思ってたより、ずっとずっと塩辛かったわ」 「そっか」 「ふふふ……もう、ここまで濡れてしまったら、泳いでも一緒ね」 「泳ぎを教えてもらえないかしら、達哉」 「ああ、お安い御用だ」 ……。 …………。 それから俺は、手取り足取り……というほどじゃないけど、つきっきりでフィーナに泳ぎを教えた。 最初は、水に浮くところから。 俺が手を引いてあげる。 そして徐々に前に進む方法、息継ぎへ。 ……フィーナは、真剣に取り組んだ。 そこまでやらなくても、と思うくらい、真面目だった。 「今ので、息継ぎの仕方は合ってるかしら」 「口さえ海面に出てればいいんだから、そんなに顔全体を上げない方が楽だよ」 「分かったわ」 ……。 時々休憩を挟みながら練習を続ける。 運動神経の良さもあってか、そこそこ形になるまでに時間は掛からなかった。 ……陸からはやし立てる声も聞こえたけど、もう気にならなかった。 ……。 「た、達哉さん」 「ミア」 ミアは、なんだかとても縮こまっている。 ……水着も初めてか? 「水着、似合ってるよ」 「ほ、本当ですか?」 「ミア」 「みんな水着なのだから、ミアだけ恥ずかしがっても仕方がないでしょう?」 「あ、はい」 「そうですね」 トテトテと、こっちに歩いてくるミア。 「たっ、達哉さん」 「海って、大きいですね……」 「そうだなぁ」 「これ、全部水なんですよね?」 「もちろん」 「わああぁ……」 初めて、海水と同じ目線で見る海。 きっと、月からはずっと見てたんだと思う。 地球の青い部分。 近くで見ると、全然違うはずだ。 「達哉」 「ミアは海に来るのが初めてだから、案内してあげてね」 「分かった」 ……海はまだ二回目のはずのフィーナ。 それでも、0回のミアに比べるとかなり先輩らしい。 フィーナは、パラソルの下へ歩いていく。 ミアは── 波と追いかけっこをしていた。 「な、波が」 「きゃっ」 果敢に攻めたところで、次の波に足首まで浸かる。 「あっ、あっ」 引いていく波に、足の裏の砂が持って行かれているのだろう。 ……。 …………。 俺は、浮輪に空気を入れて膨らませていた。 「はい、ミア」 「これにつかまってれば、絶対に沈まないから安心して」 「海に、入らなきゃ駄目ですか?」 「せっかく地球に来たんだし、体験しとかないと」 「でも……」 「俺がずっと一緒に手をつないでるから」 「それなら怖くないだろ?」 「えっ……は、はい……」 真っ赤になったミア。 「ほら」 ミアの手をとって、ゆっくりゆっくり、海水に浸かっていく。 ……。 「わっ、浮きました」 「ほら、大丈夫」 「浮いてます……わわっ、わっ」 波のうねりが来る度に、大きく上に下に動くミア。 「あいた」 足がつかない不安に、ミアはじたばたしていた。 その足が俺にぶつかる。 「あ、ごめんなさいっ」 「浮くのに逆らわないで、身体を預けちゃって」 「はいっ」 返事はいいものの。 それから何度も、ミアの足は俺の足を蹴飛ばしたり、絡まったりした。 ……。 …………。 砂浜に戻る。 ミアは、小刻みに震えていた。 「怖かったです……」 「そっか」 「初めての割には、頑張ってたよ」 ミアの頭を撫でる。 「不思議な感じでした」 「……あっ」 「何度も足を……すみませんでした」 「気にしなくていいさ」 「……それより、もう浮輪はいらないよ」 「ああっ」 砂浜に上がってからも、浮輪にしがみついてた両手。 ミアは、また赤くなりながら、浮輪を手放した。 「お兄ちゃん」 「ん、どうした麻衣、泳がないのか?」 「うん……」 麻衣は、普通に泳げたはずだけどな。 「足がつかないのって、ちょっと不安だよ」 「まあな」 「わたし、向こうの岩場に行ってみるね」 「あっ」 気をつけろよと声をかける間もなく、麻衣は岩場に向かった。 岩場は、砂浜と比べると急に深くなってるし、波も荒い。 「しょーがないなぁ」 誰にともなくそうつぶやくと、俺は麻衣のいる岩場へ歩いて行った。 ……。 …………。 麻衣は、潮溜りを覗き込むようにしゃがんでいる。 「何かいたか?」 「うん、ものすごくたくさん」 麻衣に促されて俺もしゃがむ。 小さな潮溜りには、カニや、やどかりに似た生き物がたくさん暮らしていた。 「あっ、石かと思ったら動いた!」 「このカニって、イソガニって名前だっけ?」 こんな小さな水たまりに、麻衣は大喜びだ。 「……あのさ」 「ん?」 「お兄ちゃんは、別につき合ってくれなくてもいいんだよ」 「せっかくみんなと来てるんだし、泳いでくればいいのに」 「麻衣は?」 「わたしは……」 「麻衣もみんなと一緒に泳げばいいのに」 ……。 「わたしは、ほら、みんなと比べると胸とか小さいし……」 「実は少し、恥ずかしかったりして」 てへへ、と笑う麻衣。 「ふう」 「そんなの気にするなよ」 「そんなのって言うけど、女の子にとってはけっこう重要だったりするよ?」 「だって、そんなの比べる人はいないだろ」 「知り合いなんて全然いないし……」 「少なくとも、俺は比べない」 「ホントに?」 「ああ、ほんとほんと」 「だから、みんなのところに行こうぜ」 「う、うん」 立ち上がり、歩き始める麻衣。 一緒に、砂浜まで歩く。 ……。 遠く遠くまで青い空。 その空に登っていく、綿菓子のような雲。 岩にぶつかって砕け、引いてはまた寄せる波の音。 砕けた波から舞う潮の香り。 「ほら、こっち」 「気をつけて」 麻衣の手を取る。 「うん」 垂直に近い角度で、麻衣の身体を照らす夏の日差し。 少し汗ばんでいる、麻衣の手のひら。 ……。 「いたっ」 そんな麻衣から、悲鳴が上がる。 「どうしたっ?」 「あ、足が……」 見ると、短く赤い線が麻衣の足の裏にできていた。 出血してる。 岩についた、フジツボあたりで切ったのだろう。 消毒と、絆創膏くらいは張っておきたいけど、それらは全て荷物置き場だ。 「麻衣、歩けるか?」 「ちょっと……痛いよ」 「それに、砂がつきそう」 「分かった」 「……しかたないな」 その場にしゃがみ、背中に乗れと麻衣に促す。 「……うん」 「ごめんね」 「謝らなくていいから」 「うん」 麻衣が背中に乗った。 「よっ」 立ち上がる。 パラソルを目印に、一歩一歩、波打ち際を歩く。 「お兄ちゃん」 「重くない?」 「全然」 背中に麻衣の体温を感じる。 肩から首に麻衣の腕が回り、しがみついてくる。 「よっ」 少しずり落ちてきた麻衣を、持ち上げる。 麻衣の両脚を両腕でしっかりと抱える。 「……」 「ごめんね」 「だから、謝るなって」 「うん」 麻衣が、もう一度、ぎゅっとしがみついてくる。 ……。 …………。 パラソルの下で、簡単に麻衣の足の裏を消毒し、絆創膏を二枚張ってやった。 アイスを買ってきてあげたりしつつ、俺と麻衣で荷物番をする。 「お兄ちゃん、泳いで来なよ」 麻衣は何度も、そう言ったけど、俺はずっと麻衣と一緒にいた。 ……。 「達哉、泳ごうよ!」 「俺、今、全力で泳いだばかり」 「だって私はまだだもん」 「少しだけ、待ってくれ」 「んもう、先に行ってるからね」 菜月は海へ走り、膝くらいまで水に浸かったところで、次の波に向けて飛び込んだ。 ……。 波間に浮かぶ菜月が、俺に手を振る。 「ほら、早くー」 「今行くー」 水中メガネをはめ直す。 海水をざぶざぶとかき分け、平泳ぎで沖へ。 ……。 「やっと来たー」 「冷たくて気持ちいいね」 「そーだな」 「あのブイまで行ってみようか?」 「競争はしないからな」 「しないしない」 ざぷざぷと、顔を出したままのんびり泳ぐ。 小さいゴムボートに乗ってる家族連れ、転覆しているボディボーダー。 沖と波打ち際を何度も往復してる元気な奴、浮輪につかまって浮いてるミア。 ミア?「ミア」 「あれ、ミアちゃん」 「たっ、達哉さ~ん」 「流されちゃって、戻れないんです~」 半泣き状態のミア。 「ミアちゃん、浮輪空気抜けてない!?」 「ええっ!」 見ると、本来ドーナツ型のはずの浮輪が、もうバレーボールほどしか残っていない。 「菜月っ」 「うんっ」 二人でミアのところまで泳ぎ着き、両脇からミアを支える。 ちょうど浮輪の空気が無くなり、浮力を失っていた。 「わわっわあっ」 「大丈夫かーっ」 「ミアーっ!」 「大丈夫でーす!」 「今から戻りまーす」 ゆっくり、砂浜に向かって進む三人。 「さ、ミアちゃん。 戻ろっ」 ざぷっ「けふっ、けほけほっ」 波が来た時、ミアはちょうど息を吸い込んだところだったらしい。 苦しいのか、手足をばたばたさせる。 「きゃっ!」 「ミア、落ち着いて」 「ほら、もう少しで足がつくから」 「けほっけほっ……す、すみません……」 「あ、あの、ミアちゃん」 「どうした菜月」 「あっ……」 「足がつきました……」 そう言ったミアの手には──菜月のビキニが握られていた。 胸をぱっ、と隠す菜月。 「み、見ちゃ駄目ーっ!!」 「こら菜月、暴れるなっ!」 ……。 …………。 ミアは、ほんのちょっと海水を飲んで、慌ててしまっただけのようだ。 「ごめんなさい……」 「ミア、大丈夫?」 「はいっ、ちょっとびっくりしただけです」 「海の水って、やっぱりしょっぱいんですね」 「ふう……良かった」 パニックから落ち着いたら、案外ミアは平気そうな顔をしていた。 俺は、少し疲れたので、日光浴を兼ねて昼寝することにする。 ……。 …………。 ………………。 暑い。 何だか身体が動かない。 目を開けると、俺の身体は砂に埋まっている。 「ちょっ、ちょっと」 身じろぎするが、びくともしない。 「誰かー」 「マジで暑いんですが」 「……」 「な、菜月」 「助けてくれ」 「……見たでしょ」 「?」 「もっと盛っちゃうから」 さっきのミアの件か!菜月の胸。 ……。 「いや待て! 見てない、見てないって!」 「菜月、スコップを借りてきたよ」 「よっしゃー!」 「よっしゃーじゃないって、ねえ、仁さんっ」 「贖わなければならない罪、ってのもあるんだよ達哉君」 仁さんがしゃがむ。 そして、俺の胸の上あたりに、小さい砂山を二つ作った。 「君が見たものは、これくらいだったかね?」 「それとも、もっと成長してこれくらい……」 スコップを強振した菜月によって、仁さんが星になった。 「水着を着るの、久し振り」 「変じゃないかしら?」 そう言う姉さんは、少し両手で身体を隠すようにして、パラソルの下にやってきた。 「全然、変じゃないよ」 「そう?」 白い水着が、目にまぶしい。 なぜか、姉さんが水着を着てるだけなんだけど、正視できない。 「学院に通ってた頃以来、あまり運動してないから……」 「身体がなまっちゃってないかな」 「じゃ、泳いでみる?」 「そうそう」 「さっき、二人とも準備体操しなかったわね」 「あれは、だって仁さんが……」 「それに姉さんだって『スタート!』とか言ってたよね?」 「覚えてましたか」 てへ、と可愛く笑う姉さん。 もうそれ以上は追求できなくなってしまう。 ……。 今更ながら軽く準備体操し、ざぶざぶと海に入っていく。 「また、あのブイまで行ってみる?」 「あっちにしてみない?」 さっき仁さんと目指したのより、遠くのブイを指さす。 「よーし」 姉さんも乗り気だ。 ……。 …………。 「達哉くん、遅いぞ」 「いや……姉さんが早いんだって……」 確か、学院にいた頃はソフトボール部のエースで4番だった姉さん。 ほややんとした外見とは裏腹の運動神経は、健在だったようだ。 「泳ぎ方って、身体が覚えているものね」 「気持ち良かったわ」 「いつも、室内での仕事ばかりだから?」 「うん……」 「それもあるかもね」 二人で『ここまでが遊泳区域』を表すブイにつかまっている。 「砂浜から、ずいぶん来たわね」 「ええ」 ここから見ると、俺たちの荷物が置いてあるパラソルも点のように見える。 「達哉くん、戻れる?」 「大丈夫だよっ」 「じゃ、私が溺れてたら助けてね」 「……もう、何言ってるんだよ姉さん」 「ふふ……冗談だってば」 「競争しよっか、パラソルまで」 「姉さんには敵わないってば」 「私に勝ったら、なんでも好きなのを頼んでいいわよ」 きっと姉さんは、海の家や出店で売ってる、焼きそばやとうもろこしやかき氷のことを言ってる。 でも、なぜかやる気が出てきた。 「分かりました」 「じゃあ……よーい」 「スタート!」 ……。 …………。 ………………。 かなり真剣に泳いだ。 体育の授業でも、こんなに限界まで頑張ったことは無い。 でも…… やっぱり、負けてしまった。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 「はい、これは残念賞」 アイスキャンディーを一本。 俺が寝ころがってる隣に、姉さんが座った。 均整の取れた、女らしい体つき。 透明感のある白い肌。 目の前に横たわる、柔らかそうな太腿。 こんなに、誰の目から見えるところに晒してしまっていいのか、なんて考えてしまう。 「も一度泳いでくる」 「私は、ここで休んでるわね」 「行ってらっしゃい」 にこっと微笑み、ぱたぱたと手を振る姉さん。 ……。 俺は、頭の中のもやもやを晴らそうと、海に潜った。 冷たい海が、頭を冷やしてくれればいい。 「……ぶはっ」 波間に浮かび、パラソルの方を見る。 座ってる姉さんに、三人組の男たちが声を掛けているようだ。 「くっ」 今すぐ、そこに駆けつけようと思った── が、上手くやり過ごしたのか、三人組は去って行った。 こんな時に居なくてどうするんだよ、仁さん。 ……なんて思ってると、今度は別の男が来た。 何か話しかけては、姉さんが首を振っている。 今度の男は…… 何だかしつこいな。 ……。 「ええい、もうっ」 意を決して砂浜へ泳ぎだす。 パラソルの下にいる姉さんのところへ。 ……。 「いいじゃないか、少しくらいぱーっとさ」 「だめよ。 仁くんは帰りの運転もあるでしょ」 「でも、やっぱり焼きそばにはビールが一番だからねぇ」 ……脱力。 仁さんかよ。 「どうしたんだい達哉君、怖い顔して」 この人の場合、全部分かってやってるんじゃないかと思うことがある。 「ドライバーは飲んじゃ駄目ですよね」 「ええ、駄目です」 俺は、仁さんから缶ビールを奪うと、一気にそれを空けた。 「達哉君……」 「若いっていいねえ」 ……。 …………。 そのまま、アルコールのせいか気疲れのせいか、眠り込んでしまった俺。 目が覚めた時、頭は姉さんの柔らかい太腿の上に乗っていて── みんなに囲まれて見下ろされていた時は、心臓が止まりそうになった。 ……。 …………。 「達哉くーん」 「一人で荷物番は寂しいなぁ」 「せっかく車を運転してきたのに、この仕打ちだもんなぁ」 わざと聞こえるように言ってる仁さん。 「はいはいはい、分かりましたよ」 「でも交代はしませんからね」 「荷物番につき合うだけですから」 「おお、嬉しいよ達哉君」 ……。 それから、何もすることが無い俺たち二人は、砂で城を作り始めた。 「高くならないねえ」 「もう少し、湿ってる砂を使いましょう」 「どうせなら二人で別の城を作って、出来ばえを競おうじゃないか」 「えーもー何でもいいです」 少し海よりの、湿った砂。 そこで、二人が別々に城を作り始めた。 まずはベースとなる砂をかき集める。 ……この段階で、城の大きさは勝負がついてしまう。 二人とも、意地になって膨大な砂を集めてきた。 「じゃあ、僕はノイシュヴァンシュタイン城にしよう」 「どうぞ。 俺は姫路城で行きます」 不毛この上ない勝負が始まった。 ……。 …………。 「わっ、すごいです」 「これは……どちらも美しいわ」 「はっはっは」 「僕はまだ城門館だけしか作ってませんよ」 「俺だって、これから小天守三つと大天守が控えてますから」 「が、頑張って下さい……」 ……。 …………。 ………………。 ……………………。 ついに完成した、二つの城。 ノイシュヴァンシュタイン城と姫路城。 「あなた達は……」 頭を抱える姉さん。 「達哉もつき合うことないのに」 「なんのために海に来たんだか、分からないよ」 口々に、呆れた台詞が出てくる。 その時。 「あ」 「ああっ」 ざっぷーん 潮が満ちてきたため、城近くまで来るようになっていた波。 ひとつ大きな波が来て、二つの城をあっと言う間に廃墟にした。 「達哉君」 ……。 「つわもの共が夢のあと、だね」 「帰りますか……」 ぐったりした俺と仁さん、そして海を満喫したその他全員を載せて── 左門カーが来た道を辿っていく。 …………。 ……。 夏期のみ使用できる簡易シャワーを浴び、みんな、身体も乾かした。 「いやあ、今日は楽しかったねえ」 「面白いものも見られたし」 ……明らかに、俺のことを言ってる仁さん。 「さあ、撤収しましょう」 「つれないな、達哉君は」 「ひと夏の甘酸っぱい思い出作りに貢献した僕に、もう少し感謝の気持ちがあってもいいだろう?」 「ぐっ……」 「あ、ありがとうございました」 「うん、よしよし」 「達哉君はかわいいねえ」 「だあっ、撫でないで下さいっ」 ……。 こうして、『なんとか大作戦』は終了した。 そのうち消える日焼けの跡と── ずっと消えない思い出が、残った。 青空。 地球を覆う大気。 そして、大気の遥か先──暗い宇宙の存在までをも感じさせる──高く遠く深い青空。 大きな雲が、ゆっくりと、空を横切っていく。 「あの雲、綿菓子みたいだろ?」 隣に座る少女に問いかける。 「ワタガシ……?」 「綿菓子も知らないのか?」 「知らないよ」 「甘くて、ふわふわなんだ」 「甘くて? ふわふわ??」 少女が雲をじっと見つめる。 「よくわからない」 少女の表情が曇った。 綿菓子の甘さを知らない──そのことが、ひどく悲しいことに思えた。 だから言った。 「今度、食べに行くか?」 「……うんっ」 向日葵のように鮮やかな笑顔。 そして気づかされる。 俺は──彼女に笑ってほしかったのだと。 左門での夕食が終わり、朝霧家一同はリビングで胃を休めていた。 「昨日は、本当に楽しかったわ」 「フィーナさんは日焼けしてない?」 「大丈夫だと思うけれど……」 と、ミアを見る。 「はい、日焼けはされておりませんでした」 「そう、ミアが塗ってくれた日焼け止めのお陰ね」 「あ、ありがとうございます」 ドレスから覗くフィーナの胸元や二の腕には、一点のくすみもない。 まるで、新雪のような輝きを放っている。 「本当だ」 思わず口をついて出た言葉に、周囲の視線が一斉に俺を刺す。 「た、達哉……あまり、じっと見ないで」 フィーナがわずかに頬を染め、身を縮める。 そもそも露出が多いドレスを着ているため、体を隠そうにも隠し切れない。 「お、おい、そういうつもりじゃないぞ」 「お兄ちゃんのえっちー」 「……ごめん」 「こほん、今後は注意して欲しいですね」 咳払いを一つして背筋を伸ばす。 ……。 「でも、地球の思い出に、焼いてみるのも面白かったかもしれないわね」 「ひ、姫さま……そのようなことをされては、カレンさまからお叱りを受けてしまいます」 「冗談よ、心配しないで」 フィーナは立場上、露出の多いドレスを着ることが多い。 日焼け跡が見えては、顰蹙を買うこともあるのだろう。 肌を日に焼くことすら自由にできない身。 そんな彼女を、少しかわいそうに思う。 「そう言えば、フィーナはどこか行ってみたい場所はないのか?」 「せっかく地球に来たんだから、家にいるだけじゃもったいないだろ?」 同情と言われればそうかもしれないが、少しでもフィーナの希望を叶えたかった。 「どこかありましたら、何なりとおっしゃって下さい」 「そうね……」 フィーナが目を閉じる。 ……。 …………。 やがて目を開いた。 「この辺には、遺跡がたくさん残っていると聞いたけれど」 「はい、残っていますが……」 姉さんが怪訝な顔をする。 遺跡というのは、満弦ヶ崎に点在している大昔の建造物跡だ。 ありていに言えば、ただの廃墟。 観光地などではなく、見て楽しいようなものではない。 「なら、連れて行ってくれないかしら?」 「整備もされていませんし、あまり面白い場所ではないと……」 「でも、どのようなものか興味があるの」 「遊園地とか水族館とか……他に楽しいところがあるよ」 「フィーナが見たいって言うなら、いいんじゃないか」 俺の言葉に、フィーナがにこりと笑う。 「これからずっと遺跡ばかりに行くわけじゃないだろ?」 「ええ」 「なら、遊園地や水族館に行く機会はいくらでもあるさ」 「もうすぐ夏休みだしね」 「それに、遺跡ならお兄ちゃんがしっかり案内してくれるよ」 「達哉が?」 「俺?」 「千春さんとは、何回も行ったんでしょ?」 「うん、まあ」 「お父様と?」 「ああ、親父は遺跡とか大好きだったからな」 ともすると、家族よりも遺跡の方が好きだったのかもしれない。 「なら、案内してもらえるかしら?」 曇りの無い笑みを浮かべるフィーナ。 「えっと……」 こんな笑顔をされると断りにくい。 「分かった、俺が案内するよ」 「よろしく、達哉」 「あ、ああ」 「達哉くん、粗相がないようにね」 「変なことばかり教えちゃだめだよ」 二人がニコニコと言う。 「ちょっと待て、俺だけで案内するの?」 「嫌なのかしら?」 笑顔のフィーナ。 「いや、そういう問題じゃなくてさ」 「ほ、ほら……さ」 「フィーナさんと二人きりだと、緊張しちゃうってこと?」 「え、あ……まあ」 「確かに、何か間違いがあったら申し訳が立たないですね」 姉さんがいたずらっぽく俺を見る。 「間違い?」 「ま、間違い……?」 フィーナの顔が一瞬赤くなった。 が、すぐに居住まいを正す。 「地球で間違いを起こすことはありません」 「私を送り出してくれた月の民を裏切るようなことはしないわ」 きっぱりと言う。 「達哉くんは? 大丈夫?」 「失礼な、大丈夫です」 「ならお願いね」 ここまで来て、姉さんに乗せられた事に気づいた。 「フィーナ様、私は仕事を空けるのが難しい状況なので……」 「気にしないで、さやか」 「お兄ちゃんが変なことしたら、すぐ教えてね」 「ええ、必ず」 「……」 「あ、あの」 おずおずとミアが手を挙げる。 「間違いって、一体?」 ……。 「あははは……」 力なく笑うしかなかった。 ……。 風呂を上がり、良く冷えた麦茶を一気に飲み干した。 「ふう」 「あら、もう上がったのね」 姉さんがリビングから現れた。 「みんなは?」 「もう部屋に戻ったわよ」 「そっか」 「遺跡には、いつ行くか決めたの?」 「恐らく水曜日になると思う。 バイトも休みだしさ」 「……うん」 どうも姉さんの様子がいつもと違う。 何か言い出しかねているような……。 「何か気になることでもあるの?」 「あ、分かっちゃった?」 「まあ」 「こういうことはあまり言いたくないんだけど……」 「私たちはフィーナ様をお預かりしている身だから、怪我には十分注意して」 姉さんはあまり暗い話をしたがらないから、想像するしかないけど──フィーナにもしものことがあったら、姉さんは大変なことになるのだろう。 それこそ、左遷とか解雇とか……。 遠出するとなると注意が必要だ。 「大丈夫」 「俺も注意するし、フィーナは自分の立場をわきまえてるさ」 「そうね、しっかりしていらっしゃるものね」 「ああ、同じ歳とは思えないくらいだよ」 「歳相応なところもあると思うけど」 「そうかなぁ……クラスでもやっぱり存在感が違うよ」 「落ち着いてるっていうか、気品があるっていうか……」 「ふふふっ、ご執心ね達哉くん」 姉さんが目を細めて笑う。 「お、俺はただ客観的な話を……」 「人を褒めるのに客観だなんて」 「ともかく、ご執心とかじゃないから」 「はいはい」 にこにこと微笑む姉さん。 どうも居心地が悪い。 「じゃ、じゃあ、俺はもう寝るから」 俺はそそくさとコップを片づける。 「はい、おやすみなさい」 「また明日」 ……。 水曜日の放課後。 早々に帰宅した俺たちは、制服を着替え遺跡へ向かうことにした。 「行ってきます」 「行ってくるわね」 「達哉さん、これをお持ち下さい」 と、ミアが取り出したのは籐製のバスケットと水筒だった。 「これは?」 「お弁当です、遺跡で召し上がって下さい」 バスケットの中には、弁当らしき包みやタッパー、レジャーシート等が詰まっている。 まるでピクニックの荷物だ。 「大荷物だな。 ちょっとそこまで行くだけなんだけど」 「良いではありませんか」 「せっかくですから、楽しみましょう」 「はい、ぜひそうして下さい」 「ありがとう、ミア」 「楽しいお時間を」 フィーナの言葉に、嬉しそうに頬を染めるミア。 きっと早起きして作ってくれたのだろう。 フィーナに楽しんでほしい、というミアの気持ちが伝わってくる。 「では、行ってくるわね」 と、フィーナがバスケットを持つ。 バスケットが、ぎし、と重そうな音を立てた。 「俺、そっち持つよ。 フィーナは水筒を」 「ありがとう。 でも大丈夫よ」 「いいって。 女の子に重いものを持たせられないよ」 「でも……」 「男の役目、これは」 「……」 少し驚いた表情のフィーナ。 首筋がかすかに赤くなっている。 「さ、行こう」 「え、ええ」 「女の子……」 ぽそり、とフィーナが何事かつぶやく。 「ん?」 「いいえ、何でもないわ」 唇を結び、表情を引き締めるフィーナ。 「では、またねミア」 「いってらっしゃいませ」 ……。 目的の遺跡は、家から30分程歩いたところにある。 丘に埋もれた遺構は、そのほとんどが倒壊し原形は判然としない。 ただ、遠い過去、ここに何らかの建造物があったことを示すのみだ。 「どう?」 遺跡の周囲を一回りして、フィーナに尋ねる。 「ほとんど壊れてしまっているのね」 「だね、特に管理している人もいないみたいだし」 フィーナは、心なしか寂しそうに廃墟を見つめた。 「それより、弁当でも食べようよ」 「……せっかくのピクニックですものね」 廃墟に満ちる寂寥感を吹き飛ばすように、フィーナが明るく微笑む。 ……。 俺たちはバスケットからキャンピングシートを取り出し、四隅を石で固定する。 「外で食事なんて、少し緊張するわ」 と、靴を脱いでシートに座った。 スカートから伸びるフィーナの美しい足が、ゆったりと投げ出される。 しどけない格好ながら、どことなく気品を感じるから不思議だ。 「ミアは何を作ってくれたのかしら」 「よし、開けてみるぞ」 籐製の四角い箱を開くと、中にはぎっしりとサンドイッチが詰められていた。 「まあ、美味しそう」 フィーナが少女のような声を上げる。 「他の箱には何が?」 「どれどれ」 バスケットから、タッパーを取り出しては開いていく。 から揚げなどのおかず。 シュークリームやクッキーにフルーツ。 色とりどりの食べ物が、シートに展開される。 「二人で食べきれるかしら」 「俺は昼飯抜いてたから、結構入りそう」 「期待してるわよ」 「さあ、頂きましょう」 フィーナが、紙皿にそれぞれのおかずを取り分けてくれる。 「悪いね、仕事させちゃって」 「達哉、私が働けないとでも思っているの?」 苦笑して俺を見るフィーナ。 「失礼しました」 「じゃ、いただきます」 何だか気恥ずかしくなって、俺はサンドイッチを口に放り込む。 それを見届け、フィーナも上品にサンドイッチを口に運んだ。 ……。 俺が食べたのは、ハムとレタスのオーソドックスなものだった。 しっとりとしたパンに、マーガリンとマスタード、マヨネーズをたっぷりと塗り──みずみずしいレタスと滋味あふれるハムをサンドしてある。 「うおっ……」 辛味が鼻に抜ける。 「くすくすっ、当たりね」 「そっちはどんな味だった?」 「バラのジャムを挟んだものね」 「どれどれ」 続けてフィーナと同じものを食べる。 優雅なバラの香りが、口の中一杯に広がった。 ……。 高く青い空と、風が吹き抜ける丘──今の景色に合った香りだった。 「学食のサンドイッチなんかと、全然違うな」 俺は夢中になり、サンドイッチ、から揚げと、次々に食べていく。 いくらでも食べられそうな気分だ。 「そんなに慌てなくても、お弁当は逃げないわよ」 フィーナはゆっくりとしたペースで食べている。 俺が3つ食べるうちに、ようやく1つ食べ終えるといった調子だ。 弁当のほとんどは、俺の胃袋に収まったといっても過言ではない。 ……。 …………。 「ふう、ご馳走様」 「達哉……すごいわね」 俺の食べっぷりに、フィーナが目を丸くする。 「すごく、美味かった」 「ミアの料理の腕はすごいよ」 俺は満腹感に任せて、そのまま横になる。 「達哉、食べてすぐに横になるなんて、行儀が悪いわ」 「いいのいいの」 ……。 抜けるような青空を、白い雲がゆっくりと横切っていく。 「家に帰ったら、ミアを褒めてあげて」 視界の外からフィーナが話しかけてくる。 「ああ……」 「でも、あんまり褒めすぎると真っ赤になっちゃうからな」 「くすくすっ、そうね」 「褒めすぎに注意しないと」 「でも、少しミアがうらやましいわ」 「何で? 褒めてもらえるから?」 「違 い ま す」 ぷくっと膨れたフィーナの表情が目に浮かぶ。 「お料理ができるのって、女性らしいと思うでしょ?」 「うーん、どちらでもいいような……」 「参考までに、達哉はどっちが好き?」 「料理ができる子とできない子」 「いっ!?」 直球で来た。 「そうだな……」 「どうなの?」 「正直言うと、できた方がいいかな」 「そうよね」 「フィーナもやってみたら? 料理」 「私にもできるかしら?」 「大丈夫、きっとできる」 「早速ミアに教えてもらわなくては」 自分が料理をしている姿を想像しているのか、フィーナの声が弾む。 「好きな人に食べてもらう気持ちで料理すれば、きっと美味しくできるよ」 「好きな……人……」 声がかすかに揺れる。 フィーナに目を向けて見ると、遠く空を眺めていた。 美しい深緑の瞳に空が映っているのが見えた。 「いつか、達哉にもそういう人ができるのでしょうね」 「さあなぁ……こればっかりは自分だけではどうにもならないし」 「フィーナはどうなんだ?」 ゆっくりと体を起こす。 無性に答えが気になった。 「私は、いつか必ず結婚するわ」 「立場上、相手は選べない可能性が高いけれど……」 「それは……私に課せられた使命だから」 そう言って、フィーナは笑った。 夏の匂いを濃密に含んだ風が、丘を駆け上がり、吹き抜けていく。 ……。 自分の望んだ相手と結婚することができない。 のみならず、望まない相手との縁談を拒否することすらできない。 普通の人間なら、自分を儚むか、周囲を呪うことでしか受け入れられないような使命。 だがフィーナは、積極的にそれを果たそうとしている。 「フィーナは偉いな、自分の責任をちゃんと考えてて」 「そう? 私は当然のことだと思うわ」 「恋愛のために全てをなげうつのも、お話としては素敵だけれどね」 軽やかに言うフィーナを、俺は素直に立派だと思った。 「誰でも、大なり小なり周囲に対して責任を持っているもの」 そう言って、フィーナは青い空を見上げた。 「責任を果たして初めて、その人は『生きている』と言えるのだと思うわ」 「私の場合は、責任が少し特殊なだけ」 「確かに……」 「恋愛に限らずだけど、何をするにしても、まずは責任を果たしてからだよな」 フィーナが俺の目を見て強く頷く。 「さ、そろそろシュークリームを食べましょう」 「実は、楽しみにしていたの」 待ちきれない、といった様子でフィーナが言う。 「そうだな」 フィーナがシュークリームを皿に盛る。 そんな彼女の姿を見ながら、俺の胸はなぜかざわついていた。 「やはり、最後はこれがないと」 「甘いもの好きなの?」 「ええ、もちろんよ」 満足げに言って、フィーナは空を見上げる。 俺もつられて視線を上げる。 「こんな空の下でお茶を頂けるなんて、本当に嬉しいわ」 フィーナがうっとりと目を細める。 「月の人間にとって、地球の空や海は憧れの的よ」 「そうなの?」 「ええ」 「地球の人たちが毎日月を見上げるように、私たちも毎日地球を見上げるわ」 「なんて美しい星だろうって」 「実感が湧かないな」 「無理もないわね」 フィーナが苦笑する。 「月の人間が、気軽に地球の空や海を見に来られるようになれば良いのに」 「今はちょっと難しいな」 「でも、いつかはそんな時代が来ると信じているの」 「フィーナが女王様になったら、きっとそうなるよ」 「ふふっ、頑張ってみるわ」 現在、月と地球は自由に行き来することができない。 手段が無いということもあるが、何より政治的な理由で往来が極端に制限されている。 「ほら、あの雲……まるで綿菓子のよう」 「綿菓子か……食べたことあるの?」 「昔、一度だけ」 じっと俺の目を見るフィーナ。 「フィーナが綿菓子食べてるのは、想像しにくいな」 「あら、そう?」 「ああ」 「何だか悔しいわね」 「変なところにこだわるな」 「ふふふっ」 「さて、こちらのお菓子はどうかしら?」 と、フィーナがシュークリームを口に運ぶ。 幸せそうな横顔に、満たされた気分になっていた。 ……。 風呂から上がりベッドに横たわる。 全身が、心地よい疲労感に包まれていた。 ……。 目を瞑ると、フィーナの笑顔が浮かんできた。 毅然としている時のフィーナは、同じ歳とは思えないくらい大人びている。 でも、今日見せてくれた笑顔は、女の子のかわいらしさに溢れていた。 楽しんでくれたみたいで本当に良かった。 心からそう思う。 ……。 フィーナが地球に滞在できるのは8月いっぱい。 残された時間は……少ない。 ……。 それまでの間、もっとたくさんの笑顔を見たい。 俺の中に、ほんのりと、そんな欲求が生まれていた。 ……。 …………。 博物館へと続く階段に、並んで腰を下ろす。 真っ青な空には、綿のような雲が浮いていた。 「ふわふわ」 「本当に雲のよう」 なけなしの小遣いをはたいて買った綿菓子。 それを見て、少女は目を丸くしている。 「食べてみろよ、美味いぞ」 「……」 「甘くて……美味しい」 ほっぺたに雲のかけらをつけて、少女が満面の笑みを浮かべた。 それだけで、今月の小遣いが底を突いた事など忘れられた。 「君も食べる?」 「え……いいよ、全部食えよ」 「ううん」 良かれと思って言ったことなのに、少女は悲しそうな顔をした。 「よ、よし、こっちの方をもらうぞ」 「うんっ、食べて」 綿菓子を少しだけ千切り、口へ運ぶ。 舌に乗せたそれは、強い甘みを残し、一瞬で姿をなくした。 「美味しい?」 「うまい」 「良かった」 「これ半分こしよ」 少女は綿菓子を差し出す。 「いいのか?」 「うん、二人で食べたほうが美味しかったよ」 そう言って、少女は明るく笑う。 彼女の笑顔に──僕は満足していた。 帰りのホームルームが終わり、学生が蜘蛛の子を散らすように教室から出て行く。 隣席のフィーナは手早く荷物をまとめている。 「達哉は掃除当番だったかしら?」 「ああ」 「気にしないで、先帰ってていいぞ」 「ええ、悪いけどそうさせてもらうわね」 フィーナは鞄を持ち早々に立ち上がる。 どうやら急いでいるようだ。 「では、また後で」 美しい銀髪をふわりと舞わせ、教室から出て行った。 急いでいても優雅さは失わない。 「あれ、フィーナ帰っちゃったの?」 前の席の菜月が、振り向いて言った。 「ああ、急いでたみたいだけど」 「ふうん、珍しいわね……」 「何か用事でもあるのかな?」 「さあなぁ……」 「まいっか」 「さ、ちゃっちゃと掃除しちゃおっか」 菜月と俺は揃って立ち上がり、掃除の準備を始めた。 ……。 掃除を終え、俺は土手の道を歩いていた。 菜月は用事があるとかで、俺一人で帰ることになった。 彼女は、面倒見の良さからか、よくクラスメートから相談を持ちかけられる。 今頃、友人と眉間にシワを寄せているのだろう。 ……。 住宅街よりは幾分涼しい風が、川面を走り抜けた。 そう言えば、フィーナはどうして急いでたんだろう……?ぼんやりと考えを巡らすと、教室で別れた時のフィーナの姿が頭に浮かんだ。 ……。 穏やかな笑みを湛えた、美しい顔。 ふわりと舞う、あたかも月の光で染めたかのような銀髪。 教室の出口へと歩いていく優美な後ろ姿。 それらの鮮烈な残像が、頭の中で幾度となくリピートされる。 この感じ、何だろう……?戸惑いを隠すように大きく深呼吸をし、帰宅の足を速めた。 ……。 商店街は、夕食前の買出しをする主婦たちの喧騒に溢れていた。 「達哉さん、お帰りなさいませ」 後ろから聞き慣れた声がした。 「ああ、ただいま」 「……達哉、お帰りなさい」 「二人で買い物?」 「ええ、そうなの……」 フィーナは少しバツが悪そうに答えた。 ……買出しをするのに、何か気まずいことでもあるのだろうか?「フィーナ、どうかした?」 「いえ、何でもないわよ」 傍目には完璧な笑みを浮かべるフィーナだが、どことなくぎこちないところがある。 「ミア、買い物はもう終わったのよね? 急がないと……」 「いいえ、まだ魚を買っていません」 「そう……そうだったわね」 どうも、いつものフィーナではないように見える。 大体、フィーナより先にミアが挨拶をしてくるあたりからしておかしい。 そう考えた俺は、話をミアに振ることにした。 「ミア、今日は何を買ったんだ?」 「はい、ええと……」 ミアが買い物袋を開こうとする。 「ミ、ミア、急がないと時間が無くなるわ」 と、フィーナがミアの手を取って、袋の口を閉めた。 「????」 「それでは達哉、私たちは急ぐので」 「え? ああ……」 「また後ほど、達哉さん」 挨拶もそこそこに、二人は俺から離れていく。 ……。 「なんだありゃ?」 しばらくその場に立ち尽くし、二人の背中が遠ざかるのを見送った。 夜の10時近く。 この日はなぜか、夕食のまかないが無かった。 きゅーきゅーと鳴る胃袋をなだめながら帰宅する。 がちゃ「ただいまー」 「わ、お兄ちゃん帰ってきちゃったよ」 「まあ いつもより早いのでは?」 「姫さま、もう10時です」 玄関に入るや否や、ダイニングから賑やかな声が聞こえてきた。 同時に、食欲をそそる香りが鼻腔に流れ込んでくる。 「おかえりなさい、達哉くん」 「ただいま」 「……どうしたの?」 「うふふっ、とにかくお茶でも飲みましょう」 姉さんがにこやかに言う。 「う、うん」 「お兄ちゃん、お帰り」 「お、お帰りなさい、達哉」 「お帰りなさいませ」 キッチンに仲良く並んだ3人が声をかけてくる。 揃いも揃って、気まずそうな表情だ。 「あれ? 今日はフィーナも料理?」 「ええ、こういう機会でもないと、料理をしないままになってしまうから」 言いながら、フィーナは手を後ろに隠す。 「お茶を淹れますから、リビングでお待ち下さい」 「もうちょっとで食べられるからね」 どうやら、料理しているところは見られたくないようだ。 素直にリビングへ移動する。 「今夜は賑やかでいいわね」 ソファに腰を沈めた俺に、姉さんが言う。 「いつからやってるの、あれ?」 「夕方からずっと頑張ってるみたいだけど」 「大苦戦だな」 「でも、フィーナはどうして急に料理を?」 「さあ? 私はぜんぜん聞いてないわ」 ミアがキッチンから現れ、俺の前にお茶を置く。 「ピクニックから戻られてから、急に料理がしたいと仰るようになったんです」 「何かあったの?」 「うーん……ずずず」 淹れたてのお茶をすすりながら、ピクニック──遺跡へ行った時の出来事を思い出す。 ……。 …………。 そういえば、ミアが作ってくれた弁当を食べていた時──女の子は料理ができた方がいいか、みたいな質問をしてきたな。 「思い出したんだけど……」 と、二人に経緯を話す。 「あらまあ」 「わあぁ」 「それでフィーナ様はやる気になったのね」 「いや、そうかもねって話だよ?」 「わたし、間違いないと思います」 「商店街で達哉さんにお会いした時も、姫さまはいつになく慌てていらっしゃいましたし」 「ミア、誰が慌てていたと言うの?」 「ひゃっ」 ミアが硬直する。 「分からないことがあるの、教えてくれない?」 「は、はい」 「達哉、お腹が空いたと思うけど、もう少しの辛抱よ」 菜箸片手にフィーナが言う。 ミスマッチな光景に、思わず笑いそうになる。 「私が料理をするのは、そんなにおかしいかしら?」 「い、いや」 「失礼なことを言うと、美味しくできても食べさせてあげませんからね」 ぷいっとフィーナがキッチンに戻る。 「で、では、わたしはこれで」 ミアがぱたぱたとキッチンへ戻っていく。 「姫さま、これは真ん中をへこませておかないと、膨らんで割れてしまいますよ」 「あ、あら、そうなの?」 「それに、大きすぎて火が通りません」 「このくらいで……ちょうど良いと思います」 「……む、まだまだ勉強不足ね」 「さ、姫さまもご一緒に」 「フィーナさん、おなべが吹きこぼれちゃうよ」 「大変っ、忘れていました」 さすがのフィーナも、慣れない料理に悪戦苦闘している。 でも、偉ぶったところもなく、懸命に取り組んでいるのはさすがだ。 「うふふ、可愛らしいフィーナ様」 姉さんが目を細めてお茶をすする。 「ずいぶん張り切ってるみたいだね」 「せっかく作るのですもの、喜んでもらいたいと思うのは普通でしょ?」 「男の子のために作ってあげるのなら、なおさらね」 「また変なことを」 「そうかしら?」 「そうだよ、フィーナが俺のために料理なんて」 「本人に聞いてみたら?」 「聞けるわけないし」 ぴんぽーん「菜月ちゃんね」 「菜月?」 「一緒にどう? って誘っておいたの」 隣にも話が行っていたのか。 道理でバイト後のまかないが出ないわけだ。 「いらっしゃいませ、菜月さん」 「いらっしゃいませって言われるのも、ちょっと変な気分ね」 「もうすぐできる……と思いますので、リビングでお待ち下さい」 「できます」 「『思います』とは何事ですか」 「も、申し訳ございません」 「あはははっ、楽しみ楽しみ」 「じゃ、お邪魔します」 「こんばんわー」 菜月がへにゃっとした笑顔でリビングに入ってきた。 「こんばんわ、菜月ちゃん」 「よう」 「達哉、今日は一人で帰らせちゃってごめんね」 「ああ、気にしないでよ」 「菜月さん、お茶です」 「はい、ありがとう」 「どう、フィーナの調子は?」 「真剣に取り組んでらっしゃいますよ」 「いささかご苦労されているようですが」 「フィーナならすぐに上手くなるって」 「そう思います」 「一度取り組まれたことは、すぐ身につけられてしまう方ですから」 「菜月は一晩で抜かされるんじゃないか?」 「余計なお世話」 「では、わたしは戻ります」 再びミアがキッチンへ戻る。 「でも、フィーナはどうして急に料理なんて?」 「達哉くんに食べさせたいみたいよ」 「え゛」 菜月が間の抜けた声を出す。 「だから、それは違うって」 「そ、そうよね、一国の姫様だもんね」 「そうそうそうそう」 激しく首を振る俺。 自分で否定しながら、ちょっと寂しい気分になっていた。 「みんな、そろそろ席についてー」 「お、できたってさ」 「さーて、どんな料理かな」 ダイニングテーブルに料理が並んでいる。 メインはハンバーグ。 賽の目切りのトマトやズッキーニ、たまねぎが、たっぷりと入ったソースが掛けられている。 もう一品は肉じゃがだ。 野菜はいびつで大きさも揃っていない。 しかし、もうもうと湯気を立てる様子は食欲をそそる。 「全部フィーナさんが作ったんだよ」 「ほおー」 「すごいじゃない、フィーナ」 「あ、ありがとう」 フィーナは少し照れくさそうな表情で、茶碗にご飯をよそっている。 「はい、座って座って」 各自が自分の席に座り、程なくして食事の準備が整う。 「フィーナ様、何かコメントは?」 「改まって言うほどのことは……」 と言いながらも、フィーナは立ち上がってしまう。 人前での挨拶をたくさんしてきた末に身についた習慣なのだろう。 「麻衣やミアほど上手にはできなかったけれど……」 「たくさん作ったので、お腹いっぱい食べて」 すっきりと笑って、フィーナは言った。 凛とした印象を持ちつつも、優しさが感じられる笑顔だった。 「いただきまーす」 頂きますを唱和し、各々が食事を始める。 俺はまずハンバーグに手を伸ばす。 箸を入れると、じゅわり、と肉汁があふれ出し、野菜ソースに混じり合う。 それを存分に絡めた肉を口に放り込む。 肉の甘みと野菜の酸味が口の中で溶け合う。 「美味い」 ご飯が進む味に、俺は瞬く間に茶碗のご飯を平らげた。 「ど、どう? 達哉?」 フィーナは自分の食事には手もつけず、俺をじっと見つめていた。 「美味しい、お世辞じゃなく」 「……良かった」 小さく息を吐くフィーナ。 「ハンバーグは、ミアに教わって作ったの」 「なかなか火が通らなくて、焦げてしまうかと思ったわ」 「大丈夫、火は通ってるし、焦げてもない」 「負けた」 カーボンな人がガクリとうなだれた。 「菜月ちゃん、くじけちゃダメだよ」 「……うん」 「こっちはどうかな」 次は肉じゃがだ。 いわゆる、お袋の味だけに期待が高まる。 「私が取ってあげるわ」 フィーナが俺の皿に取り分けてくれる。 「ありがとう……?」 皿をフィーナからもらった時、ちょっとした違和感に気がついた。 フィーナの左手の人差し指にバンソーコが貼られている。 視線に気づいたのだろう、フィーナは恥ずかしそうに手をテーブルの下に隠した。 俺には、その姿がとてもかわいらしく映った。 「さーて、味はどうかな」 バンソーコのことは口に出さず、肉じゃがを食べる。 噛むごとにほっこりと崩れるジャガイモの柔らかさ。 そして、隅々にまで俺好みの味が染みきっていた。 「これも美味しいよ」 「肉じゃがは、麻衣に味付けを教わったわ」 「わたしも、お母さんから教わった味だから、100%朝霧家の味だよ」 「なんだか、お嫁さんとお姑さんみたいですね」 「そんなに歳とってないよー」 「もう、お姉ちゃんは」 麻衣が頬を膨らませる。 「お嫁さんなら、良しとしましょう」 フィーナがクスリと笑う。 「でも、相手は達哉になっちゃうけどね」 「ぶっ」 あやうく口の中のものを吹きそうになった。 「へ、変なこと言うなよ」 「達哉の言う通りよ、菜月」 「あはははっ、ごめんごめん」 「とは言え、達哉の反応も釈然としないわね」 憮然と俺を見るフィーナ。 「……い、いやあ」 一体、俺にどうしろというのだろうか。 フィーナと結婚できるなら嬉しい、とでも言えばいいのか?……。 フィーナと結婚……か。 「どうしたの、達哉?」 「い、いや。 おかわりを頼める?」 一瞬きょとんとした目つきになったフィーナだが「ええ、たくさん食べて」 すぐに明るい笑顔でそう言った。 ……。 しばらくして、この日の食事は終わった。 フィーナの料理は、見栄えこそあまり良くなかったが、味は上々だった。 時計は既に12時を回っている。 「フィーナ、また作ってくれよ」 「ええ、喜んで」 「じゃ、食べるだけで悪いけど、私はこれで」 「わざわざ来てもらってありがとう、菜月」 「いいのいいの、なんだか刺激になったし」 「それよりさ、今度はうちで働いてみない?」 「左門で?」 「うん、きっとお父さんもOKしてくれるよ」 「フィーナさんが制服を着るのかぁ」 「きっと似合うわよ」 二人は、早くもフィーナの制服姿に思いを馳せている。 「しかし、お客様を相手に粗相があると……」 「もちろん困るけど、そこは達哉と私でちゃんと教えるから」 考え込むフィーナ。 だが彼女の目は好奇に満ちた光を湛えていた。 「俺はいい話だと思うけど」 「せっかくだしさ、やってみたら?」 「では、お願いするわね」 「おっけー、早速お父さんに話してみるね」 「よろしく」 「じゃ、近いうちに連絡するね」 ひらひらと手を振って、菜月が出て行った。 「料理の次は接客か……大変だな」 俺は苦笑交じりに言う。 「経験が多くて困ることは無いわよ、達哉」 「そうだな……姫だからって手加減しないぞ」 「望むところです」 「さて、後片づけをしましょうか、ミア?」 「姫さまはお休みになっていて下さい」 「うん、わたしたちがやるよ」 「ありがとう、二人とも」 「でも、片づけまでが料理でしょう?」 「麻衣は休んでいて、後は私とミアでやります」 笑顔できっぱりと言う。 「分かったよ、お願いしちゃうね」 「さ、邪魔になるから」 「ああ、じゃ、ご馳走様」 「お粗末様」 ……。 「ふい~」 入浴を済ませ、自室に向かう。 心地よい満腹感と火照った体。 これから寝るにはベストコンディションだ。 がちゃ「お兄ちゃ~ん」 部屋の前を通り過ぎたところで、麻衣がこっそりと呼びかけてきた。 「ん? 起きてたのか」 「どうした?」 「あのね、今日料理してる時なんだけど……」 「フィーナさんに、お兄ちゃんのこといろいろ聞かれたよ」 「え……」 突然のことに、何と返事をしたらいいのか分からない。 何だか、むずがゆいような、恥ずかしいような気分だ。 「た、例えば?」 「小さい頃のこととか、好きな食べ物とか」 「変なこと言ってないだろうな」 「安心して、いいお兄ちゃんだって言っておいたから」 麻衣が意味ありげに俺を見る。 「頑張ってね」 「な、何でそういう話に持っていくんだよ」 「違うの?」 「フィーナは一国の姫様だぞ」 「好きになりました、付き合いましょうって訳にはいかないだろ?」 「……うん」 「ホームステイに来てそういう話になったら、いろんな人に迷惑がかかる」 「フィーナはそんなことはしないさ」 「じゃあ、フィーナさんがお姫様じゃなかったら、お兄ちゃんはどうするの?」 「どうって……」 今まで、考えてもみなかったことだった。 フィーナが普通のクラスメイトだったら、俺は……。 ……。 何でだろう。 頭の中がごちゃごちゃになっていく。 「……分からない」 「第一、あり得ない仮定をしても意味が無いだろ?」 「そうかな?」 「そうだよ」 「でも、気を遣ってくれてありがとうな」 「ううん、いいの」 「あとは自分で考えてみるよ」 「はーい、また明日」 「おやすみ、お兄ちゃん」 ぱたん麻衣の部屋のドアが軽い音を立てて閉まった。 部屋に入るなり、体をベッドに投げ出す。 「……ありえないさ」 確認するようにつぶやく。 俺もフィーナも、無人島で生活しているわけじゃない。 お互い役割や責任がある。 それらを取り払ってしまったら、何が残るのか。 もちろん、俺という生き物は残るけど──それは自分ではない気がする。 きっと、フィーナもそう考えているはずだ。 ピクニックの時もフィーナは言っていた。 周囲への責任を果たして、初めて『生きている』と言える、と。 フィーナみたいにきっぱりとは言えないけど、彼女の考え方は気持ち良かった。 俺も、どこかでフィーナみたいに考えているんだろうな……。 ぼんやりとフィーナの言葉を反芻しながら、俺は眠りに落ちていった。 ……。 「あれは何?」 「ブランコ」 「あっ、あれはっ?」 「ポストだよ……そんなことも知らないのか?」 「うん」 少女は好奇心の塊だった。 見るもの聞くものの全てが珍しいらしく、目を輝かせて聞いてくる。 僕が答える度に彼女は感心し、また次の質問をする。 そんな繰り返しだった。 「ねえ、あの人たちはなにしてるの?」 何問目の質問だったろうか。 彼女は、ベンチのカップルを指差した。 男の人との女の人が、唇を合わせている。 あれはキスだ。 テレビで何回か見たことがある。 「あ、あれは……」 なぜか顔が熱くなった。 「知らないの?」 「し、知ってるよ」 「じゃあ教えて、何をしているの?」 「え、えっと……」 恥ずかしくて言葉にできない。 「やっぱり知らないんだ」 「ち、違うよ」 「あれは『キス』っていうんだ」 「きす?」 「す、好きな男の人と女の人がするんだ」 顔を背ける。 なぜか少女の顔を見ていられなかった。 ……。 「ふうん」 「じゃあ、わたしもしてあげるね」 僕の頬に少女の柔らかな手が触れた。 強い日差しが瞼を刺す。 「朝……」 ……。 また、昔の夢を見てしまった。 変なスイッチでも入ってしまったのだろうか。 ……。 別に夢を見るのは構わない。 ここまでなら──ここで夢が終わってくれるなら、幼い頃の少し恥ずかしい思い出で終わる。 「……」 俺は、ぼんやりと天井を見上げた。 さすがに、夢の内容をコントロールすることはできない。 もしかすると、この先まで夢に見てしまうかもしれないのだ。 思い出したくもない──あの結末まで。 ……。 俺は頬を手のひらで軽く叩く。 朝からシケた顔してたら、周りに余計な心配をかけてしまう。 「よしっ」 俺は、勢い良くベッドから降りた。 「おはよう、達哉」 淀みの無いフィーナの笑顔。 それが、夢の中の少女に重なり、胸が重くなった。 夢の結末を、現実にフィードバックさせるなんて──フィーナに話したら、きっと笑われてしまうだろう。 「お、おはよう」 「どうしたの? 体調でも悪いの?」 「いや、何でもない」 「そう?」 「ああ」 「さ、メシ食いに行こうぜ」 「その前に、寝癖を直してきたら?」 頭に手をやると、横の毛が逆立っていた。 フィーナの前だと、大失態をやらかした気分になる。 「ご、ごめん」 「ふふふ、慌てないで」 朝食を終え、俺はリビングでくつろいでいた。 リビングから見える空は晴れ渡り、強い日差しが室内に差し込んでいる。 「せっかくの日曜日なんだし、どこか出かけたら?」 「そうだな……」 ふと、フィーナと目が合った。 「フィーナは、どこか行きたい所ある?」 「そうね……」 フィーナは頬に手を当てて目を閉じる。 「あの、変わった形のモニュメントがある公園はどうかしら?」 「モニュメントっていうと……」 「物見の丘公園か」 物見の丘公園は、公園内の展望台が名前の由来となっている。 「わたしも、あのモニュメントには興味があります」 「ミアちゃん」 「はい、何でしょう?」 「邪魔しちゃだめだよ」 「??」 「せっかくのデートチャンスなんだから」 「麻衣は、すぐそういうことを言う」 「カップルだと思われたら、フィーナが迷惑するだろ」 「私は構いませんよ」 「わ」 フィーナの微妙な発言に、言いだしっぺの麻衣が驚いている。 「いえ、達哉と二人でも構わない、ということですが」 「そっちを先に言って欲しいんだけど」 「とか言いながら、どうして顔が赤いのかな、お兄ちゃんは?」 「赤くない」 「あ、あの、わたしはどうしたら……?」 おずおずとミアが挙手する。 「今日はわたしとお料理しようよ」 「それは楽しそうです」 「ミア、そうさせてもらったら?」 「はいっ」 ミアは笑顔で返事をした。 「では、私は準備をしてきますね」 「それでは」 と、二人がリビングから出て行く。 「良かったね、お兄ちゃん」 「べ、別に」 「ふうん、素直じゃないんだから」 「知らん」 「くすくす、お兄ちゃんが怒った~」 麻衣は、嬉しそうにソファの上を転がっている。 「ところで姉さんは?」 「ん?」 ぴたりと転がるのを止める麻衣。 「今日もお仕事だって」 「そっか。 何か俺たちだけ遊んじゃって悪いな」 「お姉ちゃん、そういうこと言うと怒るよ」 「家族なんだから気にしないのって」 「……言いそう」 「でしょ?」 「ああ」 「さーて、わたしはお料理の準備しよっと」 麻衣が勢いをつけて立ち上がった。 短いスカートがひらりと舞う。 「パンツ見えた」 「見ないの」 「じゃ、楽しんできてね、お兄ちゃん」 そう言って、麻衣はキッチンへ入って行った。 ……。 玄関を出た俺とフィーナは、強烈な日差しに目を細めた。 「もうすぐ夏休みね」 「ああ、早いもんだ」 「夏休みはゆっくり遊べるといいな」 思えば、学期中は学業にバイトと、なかなかフィーナのために時間を割けなかった。 夏休みには、もう少しみんなで遊べる時間を作りたいと思う。 「達哉は、夏休みもアルバイトをしているの?」 「いつもはね」 「でも、今年くらいはバイトを減らそうかな」 「フィーナたちと旅行とかも行きたいしさ」 俺の言葉に、フィーナは少し表情を曇らせた。 「気持ちは嬉しいのだけれど」 「私は……できればいつも通りでいて欲しいの」 「え? どうして?」 「特別扱いされている、ということよね、それは」 「……」 確かに、家族相手だったらこんな配慮はしない。 つまり、フィーナを特別扱いしていることになる。 そこにフィーナは寂しさを感じたのだろう。 「特別扱いするなというのも、難しい話だとは思うのだけれど」 「いや、こっちの気が回ってなかった……ごめん」 「いいのよ、気にしないで」 「それに、正直なことを言うと、一生懸命働いている人を見ているのは嫌いではないの」 完璧な笑顔でフィーナが俺を見る。 「あ、ありがとう」 ストレートなフィーナの言葉に頬が熱くなる。 沈んでいた気分も、あっさりと上向き。 これだけで、彼女には敵わない、という気分にさせられる。 「さ、行きましょう」 そう言って、フィーナは明るく笑った。 ……。 家を出て約20分。 ようやく物見の丘公園に到着した。 「結構歩いたな。 汗かいたよ」 「ええ、私も」 フィーナの顔を見るが、額に汗は浮かんでいない。 「汗かいてないじゃないか」 「そんなことないわ」 「どこら辺?」 「この辺よ」 フィーナが首筋を見るように促す。 目を遣ると、しっとりと汗ばんでいるのが分かった。 「あ、ほんとだ」 「言った通りでしょう?」 ……。 そう言ったフィーナが、とたんに顔を赤らめる。 「わ、私……」 「わあっ、ごめんっ」 慌ててフィーナから目を逸らす。 ……。 「……前にも同じようなことがあった気がするのだけれど」 フィーナが居住まいを正しながら言う。 「本当にごめん、他意は無いんだ」 「今日は、私もはしたないところを見せてしまいました」 「ごめんなさい」 フィーナが申し訳無さそうに目を伏せる。 「そ、そんな、謝らなくていいから」 俺はしどろもどろになってしまう。 「ふふっ、達哉もそんなに慌てないでいいわよ」 「あ、ああ」 俺は、どっと噴き出した汗を、ハンカチでぬぐった。 ……。 ぴりりり、ぴりりり「あら、私?」 フィーナの携帯は、ホームステイを始めた頃にカレンさんから渡されたものだ。 緊急時の連絡用とのことだったけど。 それが鳴るということは、つまり──「はい」 表情を引きしめ、フィーナが電話に出る。 「今は物見の丘公園にいるわ」 「大使館までは、そうね……」 と、フィーナが俺を見る。 「歩いて15分くらいかな」 「徒歩で15分程度」 フィーナが俺に背を向ける。 聞かれたくないことなんだろう……。 俺は10歩ほどフィーナから離れる。 ……。 フィーナは電話を続けている。 その表情は、朝霧家では見ることができないものだ。 引き締まり、端正さを増した顔は彫刻のような美しさ。 日頃はわずかに感じられるあどけなさも、今は微塵も無い。 まるで、秘められていた力が解放されたかのように、凛とした空気がフィーナを包む。 そこに立っているのは──月という国家を統べる王家の第一王女フィーナ・ファム・アーシュライトまさにその人だった。 ……。 照りつける太陽の暑さも忘れて、俺は呆然とフィーナの姿を見ている。 手が届かない。 触れてはいけない。 10歩先にいる彼女が、果てしなく遠い存在に見える。 俺と彼女との間に、越えることのできない壁が厳然と立ちはだかっている。 ……ズキリと胸が痛む。 鉛のように重くて冷たい痛み。 この感覚を、俺は知っている。 ……。 そう。 遠い過去となったあの日──今と同じ感覚を、幼い俺は味わっていた。 青空の下。 少女の笑顔は真夏の太陽のようにまぶしく輝いている。 「ねえ、あれはなあに?」 少女の指差す先には、不思議な形をした塔があった。 お父さんと何度か行った、なんとか公園にある塔だ。 見たことも、触ったこともあるのに、それが何だか分からない。 「あれは、月につながっているんだ」 「父さんが言ってた」 「へえ~」 少女の瞳が輝く。 「見に行こうか?」 「え……えっと」 「どうしたの? だめなの?」 「ううん……行く、見に行く」 「よしっ」 少女の手を取り、歩き出す。 何だか誇らしい気分だ。 ……。 お父さんと来た道を、少女と逆に辿る。 「街の外に出るの?」 「そうさ」 「わたし、はじめて」 握った少女の手がかすかに震えている。 「怖いの?」 「怖くなんかないわ」 「早く行きましょう」 少女は気丈に歩調を速める。 ……。 …………。 しばらくして──川の中にある島と陸地とを結ぶ、大きな橋に差し掛かる。 「……」 少女が息を呑む。 「さあ、行こう」 先に10歩ほど進み、彼女がついてくるのを待つ。 「う、うん」 意を決したように頷く。 少女が足を踏み出したその時だった。 彼女の背後に、黒塗りの車が停まった。 ドアからは、黒い服を着た大人たちが吐き出される。 「わっ、わっ」 慌てる僕とは対照的に、少女に驚いた様子は無い。 男達は、無駄の無い動きで少女の両脇に侍した。 「ここから先はいけません」 腰をかがめた男が、少女に耳打ちする。 少女は寂しそうに男を見上げる。 「どうしてもか?」 「どうしてもです」 「わたしが頼んでもか?」 「はい」 少女が視線を落とす。 「ねえ、行こうよ、どうしたの?」 「ねえ、ねえっ」 再び視線を上げた少女の顔に、先ほどまでの面影はなかった。 「……」 ふっくらとした頬からは赤味が消え、引き締まった端正な顔立ちは、彫刻のような美しさ。 深緑の瞳は静かな落ち着きを湛え、ただ真っ直ぐに僕を見据えている。 その表情はむしろ、少女の両脇に立つ男達のそれに近い。 ……。 自然と察することができた。 少女はもう、一歩たりともこちらへは来ない。 「ね、ねえ……」 「では、参りましょう」 男の言葉に、少女が頷く。 「ありがとう、とても良い思い出になりました」 「このようなお別れになり、残念ですけど」 少女の口から、信じられないほど大人びた言葉が流れ出す。 「そんな言葉遣いは、やめてよ」 「残念ですけど……」 「これでお別れです」 「もっと、遊ぼうよ」 無様に叫ぶ。 きっと、泣いていたに違いない。 「わたしがわがままを言うと、この者達が困ります」 「何で……だよ」 「また会えるよう、私も頑張ります」 「……ぐずっ」 「だから、あなたも頑張って」 少女は明るく笑って、踵を返した。 僕はただ立ち尽くし、彼女の後姿を見送る。 少女が車の後部座席に座ると、男達の手でゆっくりとドアが閉められる。 ……。 ドアが閉まるまでの、その一瞬──少女がこちらを見た。 諦め、悲しみ、やるせなさ。 それらを奥歯でかみ締めたような、そんな顔だった。 「……達哉」 「……」 「達哉、聞いているの?」 フィーナの声で、現実に引き戻される。 「フィーナ……」 「体調でも悪いの? 辛そうな顔をしているけれど?」 「いや、何でもないよ」 「何でもない人は、そのような顔はしないわ」 「大丈夫だって」 「ちょっと昔のこと思い出してた」 「昔の……こと」 フィーナの表情に、一瞬悲しい影が差したが、それもすぐ消える。 「と、とにかく、何でもないのなら良かった」 「心配かけてごめん」 「それで?」 「悪いのだけれど、私はこれから大使館に向かわねばならないの」 「何か起きたの?」 「ええ。 私が行かないと収拾がつかないみたい」 そう言って、フィーナは表情を引きしめる。 「……分かった、大使館まで送るよ」 「……でも」 珍しく、フィーナが言い淀む。 「ん?」 「いいえ、何でもないわ」 「行きましょう」 フィーナが先に立って歩き出す。 ズキリ再び胸に痛みが走る。 俺は、なぜかフィーナと同時に踏み出すことができなかった。 彼女と並んで歩くことに、底知れぬ恐怖を感じている。 心の奥で、冷たい声がする。 どんなに親しくなっても、フィーナは必ず月へ帰る。 その時、辛い思いをするのはお前だ、と。 「どうしたの?」 「い、いや」 喉が貼り付いて、上手く声が出せない。 頭もぼんやりと痺れている。 「達哉」 「い、今、行く」 俺は遠くなった感覚を引き寄せ、小走りにフィーナの後を追う。 ……。 ほとんど言葉を交わさぬまま、俺たちは月人居住区に入る。 さっき感じた恐怖感は消えないばかりか、むしろ強くなっている。 それはこの場所が、苦い思い出の場所でもあるからだ。 ……。 そんな俺の気持ちとは裏腹に、空は高く青い。 そう言えば、あの日の空もこんな色だった。 ……。 程なくして、俺たちは月大使館の入り口に到着した。 月人居住区の一角を占める大使館の敷地は、掘割で三角州から切り離されている。 眼前の橋が敷地へ入る唯一の道だ。 「門まで送るよ」 「ありがとう」 「でも、迎えが来たみたい」 フィーナに促され前を向くと、通用門らしきところから数人の男女が現れた。 先頭を歩いているのは、カレンさんだ。 彼女の後ろには、黒いスーツを着た男が2人付き従っている。 男達の服装は、記憶の中の黒服と代わり映えしない。 そのことが、過去と現在の境界を曖昧にしていく。 ……。 「どうしたの、怖い顔をして?」 「いや、何でもないよ」 笑顔を作って答える。 「達哉がそう言うのなら……」 フィーナが寂しそうに目を逸らす。 ……。 そんな俺たちの前に、カレンさんが立った。 「突然お呼び立てして申し訳ありません」 「構いません」 「達哉君、お久し振りです」 「こんにちは」 「フィーナ様の道案内をして頂いたこと、深く感謝します」 「い、いえ、散歩のついでですから」 声を出そうとすると、喉がからからに渇いていた。 俺は……緊張しているのか?「では、参りましょう」 カレンさんの言葉に、フィーナが頷く。 あれ──「送ってくれてありがとう」 フィーナの口から、美しい発音で言葉が流れ出る。 これって──目の前で展開されている様子は、あの日に似てはいないか?「門から先は、関係者しか入ることができないの」 歳に似合わない、洗練された口調。 フィーナの口調が、過去の記憶を揺り動かす。 ゆっくりと遠ざかる少女の背中。 ただ見送ることしかできなかった、無力な自分。 そして、忘れることができない、少女の寂しげな表情。 フィーナとの間に壁を感じた時から、俺を包んでいた恐怖感。 その正体が、今なら分かる。 俺は──あの時の少女のように、フィーナが俺の前から消えてしまうのではないかと身分や立場という、抗い難い力に、再び引き裂かれてしまうのではないかと恐れているのだ。 「先程から、どうかしたの?」 「い、いや」 「さあ」 「ええ……」 カレンに促され、フィーナが俺に背を向けた。 ……。 心配することはない、あの時とは違う。 フィーナは仕事が終われば帰ってくるのだ。 なのに、どうしようもない不安が、俺の胸を埋め尽くしていく。 「フィーナ……」 声が聞こえたのか、フィーナはゆっくりと振り向いた。 静かに揺らめく深緑の瞳、月光で染めたような銀髪が風に舞う。 それは、あの少女が持っていたものと同じ輝き。 ……。 そうか、そうだったのか、フィーナが、あの時の──「フィーナ……」 このままでは、消えてしまう。 抗うこともできずに、あの時のように。 不意打ちのように、また奪われてしまう。 「フィーナっ!」 気がつくと、俺はフィーナの腕を強く握っていた。 「痛っ」 フィーナが顔をしかめる。 「達哉……痛い……」 「あ……」 「……っ」 「っ!」 「やめなさいっ!」 「離してっ、離しなさいっ」 頭の上で、フィーナの声が聞こえる。 「し、しかし……」 「離しなさい、私が良いと言っているのです」 ……。 「そのように」 「……はい」 俺を押さえつけていた、万力のような力が弱くなる。 疾風のごとく近接した黒服が、俺を引き倒し、押さえつけていたのだろう。 「達哉、怪我を……」 フィーナが心配そうに俺の顔を見ている。 顔に手を遣ると、右側の頬に多少擦り傷があるらしく、ぴりぴりと痛んだ。 だけど、それ以外に大した怪我は無いようだ。 「ああ、このくらいすぐ治るよ」 「それならいいのだけれど……でも……」 フィーナが俺の目を覗き込む。 『どうして急に?』と聞きたそうな表情だ。 だが、フィーナは訊いてこない。 だから俺も答えなかった。 そもそも、理由なんて曖昧で、訊かれたとしても明確な答えは返せなかっただろう。 「俺こそ、いきなりごめん」 「いいわ、私は平気」 「あ、ああ」 歯切れ悪く返事をする。 「達哉君、失礼なことをしてしまいました」 カレンさんが頭を下げる。 「いえ、こちらこそ」 「気にしないで下さい」 「ありがとうございます」 「では、フィーナ様、そろそろ」 カレンさんがフィーナを促す。 「仕事が終わったら連絡しますから、達哉は先に帰っていて」 そう言って、フィーナは俺に背を向けた。 カレンさんと黒服も、無言で付き従う。 ……。 フィーナの背中がゆっくりと遠ざかっていく。 そして、一度も振り返らぬまま、彼女は門の中に吸い込まれた。 雲が緩慢に空を流れていく。 日が落ちてなお、風はぬるい。 俺は、断面が不恰好に膨らんだ半月を見上げていた。 フィーナと別れてからずっと、彼女の帰りを待っている……。 というのは言い訳で、正確には、待っているのではなく、ただ単にここから動く気になれなかっただけだ。 俺と、月の世界を隔てる巨大な門。 あれから出入りをする人影はない。 一つ息を吐き、橋の欄干にもたれた。 欄干も、石畳も、まだ熱を持っている。 背中を通して伝わってくる昼間の熱が、数時間前にここで起こったことを思い起こさせる。 ……。 気がついた時には、フィーナの腕を掴んでいた。 あの瞬間の俺にはきっと、理性など一片たりとも残っていなかった。 反射的な行動だった。 目の前の状況が、あまりに過去の出来事に似ていて──あの時の少女のように、フィーナも消えてしまう気がした。 フィーナと離れたくない。 ただ、この衝動だけが俺を動かした。 「……はあぁ」 俺は大きく息を吐いて空を見上げる。 離れたくないから腕を掴んだ。 それじゃ、まるで俺がフィーナに惹かれて…………。 もちろん客観的に見たフィーナは綺麗だし、真面目だし、周囲を気遣うし……挙げたら切りがないほどの美点を持っている。 「人を褒めるのに客観だなんて……」 以前、姉さんがそう言って笑っていた。 じゃあ俺は、フィーナをどう思っているのか。 ……。 はっきりとは分からない。 頭をめぐらせても、ただモヤモヤとするだけだ。 そもそも、フィーナには立場も身分もある。 与えられた役割のために、全力を尽くす覚悟もしている。 それにフィーナは、月へ帰ってしまう。 まさに、過去の焼き直しだ。 どんなに近づけたとしても、最後に、情けない顔で彼女を見送るのは俺なのだ。 ぴりりりりっぴりりりりっポケットの携帯電話が音を立てる。 慌ててズボンのポケットから電話を取り出す。 ……フィーナだ。 とくん、と胸が鳴る。 「……はい」 「こちら朝霧達哉さんの電話でよろしいですか」 妙にかしこまった声。 なんだか可愛らしい。 「ああ、そうだよ」 「良かった」 ……。 それっきり、声が聞こえてこない。 「もしもし、聞こえてる?」 「聞こえているわ」 「家に電話したら、まだ帰って来ていないということだったから」 「ああ、うん……門のところにいる」 「え、どうして?」 「えっと……」 悶々としていて、とは答えられないよな。 「いや、月人居住区に来るの久し振りだったから、ブラブラしてたんだ」 「そうなの」 「仕事が落ち着いたので、帰ろうと思うのだけれど」 「一緒に帰れるのか?」 「え、ええ」 「分かった、ここで待ってるよ」 「5分程度で行けると思います」 「OK、待ってる」 「では」 ……。 …………。 そう言ったフィーナだが、なかなか電話が切れない。 ……。 …………。 「どうした?」 「え? ええと……」 「何となく、こちらからは切りづらくて」 「じゃあ、こっちで切るよ」 「お願い」 ぴっ……。 電話を終えると、急に周囲の静けさが際立った。 その中で、俺の心臓だけが強く拍動している。 何だか、自分で自分をコントロールできていない気がする。 「落ち着かなきゃ」 大きく深呼吸する。 とくんとくんそれでも胸の鼓動は治まらない。 だめだ。 フィーナがあと少しでここに来るというのに。 これでは、まともに話もできない。 ぎ、ぎぎ……門が開く音。 視線を上げると、通用門からフィーナとカレンさんが出てきた。 遠くにその姿を見ただけなのに、胸が高鳴る。 昼間のフィーナも美しいが、夜の姿は格別だ。 白磁の肌が、闇の中、しっとりと輝いている。 歩を進める度に軽やかに舞う銀髪は、まるで銀粉をまとっているかのように輝く。 ……。 「お待たせしました」 目の前に立ったフィーナは、少し緊張しているようだった。 無意識なのだろうけど、俺が掴んだ腕をもう片方の手で押さえている。 「あ、ああ……お帰り」 「達哉君、時間も遅いですから注意して下さい」 カレンさんが穏やかな口調で言う。 「は、はい」 「どうかされましたか? お顔が赤いようですが」 「いや、ほんと何でもないです」 俺は慌てて否定する。 「お加減が悪いようでしたら、車を出しますが」 「大丈夫ですから」 「本人がこう言っているのですから」 「はい、分かりました」 「ではカレン、また」 「はい、お気をつけて」 カレンさんが目礼する。 俺もつられて頭を下げる。 フィーナはもちろん頭を下げない。 ……変なところで立場の差を実感してしまった。 「達哉、行きましょうか」 ……。 「……」 「……」 並んで歩き出したはいいものの、俺たちは会話することができなかった。 フィーナの様子は昼間とは違い、どこか俺を窺っているところがある。 さっぱりとした性格の彼女にしては、珍しいことだ。 やはり、昼間のことを怒っているのだろうか。 ……。 いきなり腕を掴んだのだから無理もない。 俺から見れば、離れたくないとか、過去の思い出とか、理由はあった。 でも、フィーナから見れば当然のことだ。 そりゃ怒る。 俺は俺で、会話を切り出すことができない。 いきなり腕を掴んでしまったことを、申し訳無く思っていたこともある。 だが何より、あの時感じた強い衝動に整理がついていないのだ。 フィーナと離れたくない。 それは、彼女に惹かれているということなのだろうか?その答えは未だ出ていない。 もし、過去の記憶が無かったら、俺は何も感じなかったのではないか?この疑いが解消されないのだ。 いっそ、思い出なんて無ければ、素直に自分の気持ちを見つめられるのに……。 ……。 結局、会話を交わすこと無く家に着いてしまった。 たった20分の道のり。 それが何時間にも感じられた。 ガチャ「ただいま」 「ただいま戻りました」 パタパタパタパタ「お兄ちゃん、こんな遅くまで何やってるのっ」 怒られた。 「ごめん、つい」 パタパタパタパタ「姫さま、お帰りなさいませ」 「ただいま、ミア」 「……??」 「どこかお加減でも?」 俺にはフィーナの声はいつも通りに聞こえたが……ミアは誤魔化せないようだ。 「大丈夫よ」 パタパタ「お帰りなさい、二人とも」 「……ん」 リビングから現れた姉さんが、俺たちを交互に見る。 「とにかく、上がったら?」 「あ、うん」 靴を脱いで家に上がる。 フィーナもそれに続いた。 ミアが膝を着いて俺たちの靴を綺麗に並べる。 「さやか、悪いのだけど、私はもう下がります」 「あら」 「ミア、着替えを手伝ってくれる?」 「かしこまりました」 「それでは、失礼します」 フィーナと一瞬目が合った。 どことなく、不安を覆い隠しているような目だった。 「フィーナ」 「はい」 フィーナが足を止める。 だが、俺の顔を見てはくれない。 「お仕事、お疲れ様」 「達哉も、送ってくれてありがとう」 フィーナはかすかに微笑んで、俺に背を向けた。 ……。 ぱたんフィーナの部屋の扉が閉まる。 「……ふう」 なんだか、安心したような、残念なような気持ちだ。 「じー」 「じー」 リビングに入るなり、二人が俺を非難の目で見ている。 「……なんだよ」 「フィーナさんの様子をどう思う?」 「ど、どうって」 「どうも思わないの、達哉くん?」 「そういうわけじゃ……」 「思い当たることはあるの?」 「……ある」 「あーあ。 お兄ちゃん、ホントぶきっちょなんだから」 「……うう」 「うふふ」 「とにかく、傷の手当てでもしましょうか」 「傷?」 「ほっぺた、擦り傷があるよ」 と、麻衣が俺の右頬を指差す。 言われるがままに頬に触れると、ピリピリとした刺激がある。 すっかり忘れていた。 「気づかないほど悩んでたのね」 姉さんが救急箱を持ってきてくれた。 「まあ」 「怒らせたの、俺だし」 「怒らせる?」 「ああ」 「んー?」 「んー?」 二人して首をひねっている。 「フィーナ様、怒っていたのかしら?」 消毒薬をガーゼに染み込ませながら、姉さんが言う。 「え?」 「染みるわよ」 姉さんがぽんぽんと傷口を消毒してくれる。 「いててて」 「お兄ちゃん、情けなーい」 「仕方無いだろ」 「はい、終わり」 「すぐ治ると思うから、バンソーコは貼らないわね」 「ありがと」 「あのさ、フィーナが怒ってないっていうのは?」 「怒ってるってよりは……心配とか不安って感じだったかな」 「不安……」 「心当たりがあるんじゃないの?」 「心配とか不安って話だと……分からない」 「ともかく、今日は様子を見てみたら?」 救急箱を閉めて姉さんが言う。 「疲れてるでしょう?」 姉さんが穏やかに微笑む。 安心をくれる笑顔だ。 「そうだね、今日は寝ることにするよ」 「それがいいわ」 「じゃ、また明日」 「うん、ファイトだよ、お兄ちゃん」 「ああ、頑張るよ」 俺はいつもより明るく言葉を返し、リビングを後にした。 ……。 翌朝。 ダイニングに下りると、既にフィーナは朝食を食べていた。 フィーナの姿を見た瞬間に、胸がとくりと鳴った。 やっぱり、俺はフィーナに惹かれている。 そう思うと同時に、その気持ちは本物か、と心の中で声がする。 「お、おはよう」 やっと喉から出た声は、情けないほどにかすれていた。 「おはよう」 フィーナは俺の顔をチラリと見て、すぐ視線を皿に戻す。 どこか疲れた感じのする動きだ。 「おはようございます、達哉さん」 「パンとご飯、どちらになさいますか?」 「あー……」 フィーナは黙々とパンを食べている。 「俺もパンを」 「かしこまりました」 ミアが、じっと俺を見る。 「??」 と、すぐに視線を逸らしてキッチンへ向かってしまった。 暗い気分になりながら、イスに腰を下ろした。 ……。 正面に座るフィーナは、やはり顔を上げない。 でも、彼女から感じる雰囲気は怒っている時のものではない。 怒っている時のフィーナは、もっと外に対してエネルギーを発していて、華やかとすら思える美しさがある。 でも、今のフィーナはどちらかと言えば弱い感じがする。 麻衣が言っていた通り、心配事があるようだ。 「お待たせしました」 トーストと目玉焼きが運ばれてきた。 「フィーナ、醤油取ってくれる?」 「え、ええ」 やや、ぼんやりとした口調でフィーナが答える。 俺は渡された醤油をベーコンエッグに……「?」 醤油注しの出が悪いと思ったら、渡されていたのはソース入れだった。 一瞬、背中が寒くなる。 まさか、嫌がらせとかじゃないよな。 「フィーナ、これ、ソースなんだけど」 「え?」 フィーナが驚いたように顔を上げる。 本当に気づいていなかったみたいだ。 「ご、ごめんなさい、達哉」 慌てて醤油指しに手を伸ばす。 ゴトッ「あっ」 倒れる醤油指し。 テーブルに醤油が黒く広がっていく。 「姫さま、どうされました」 「ミア、布巾、布巾っ」 「はいっ」 ……。 ミアがすばやく布巾を出してくれたお陰で、醤油は床にこぼれずに済んだ。 「すみません、二人とも」 「姫さま、お気になさらないで下さい」 「床にもこぼれなかったし、平気平気」 「え、ええ」 それでも、フィーナに元気は戻らない。 「姫さま、お召し物に少し醤油がついています」 「あら……」 「ごめんなさい達哉、先に学院に行っていて」 いつもなら待っているところだが、今日のフィーナはそれを喜ばない気がした。 「分かった」 「さ、参りましょう」 ミアがフィーナをいたわるように連れて行く。 「フィーナ……」 彼女の様子に胸が痛くなる。 フィーナの心配の原因はやっぱり俺みたいだ。 自分がフィーナの調子を崩していることが、とても悔しい。 何とかして協力をしたいのに、会話すらロクにすることができない。 ……。 「ごちそうさま」 無人のキッチンに向かって声をかけ、重い気持ちでダイニングを後にした。 ……。 バイトが終わる。 間もなく、朝霧家の面々がまかないを食べにやってくる。 今日は、フィーナの様子が気がかりで仕事もあまり手につかなかった。 ……。 俺より、やや遅れて教室に到着したフィーナ。 クラスの友人とは、いつも通りに話そうとしていたようだけど、どこか無理をしている感じがした。 授業中も、黙々とノートを取っているだけ。 時折聞こえるため息が辛かった。 結局、彼女の不安について何一つヒントを得ることができないまま、俺はバイトへ向かってしまった。 ……。 どうしたら、フィーナが考えていることが分かるのだろう。 考えて分からないのなら、直接聞くしか無いんだろうな。 「……よし」 「何が『よし』?」 「いや何でもない」 「ああ、フィーナと喧嘩してるんだっけ」 「何で菜月が知ってるんだ?」 「だって、教室でフィーナと口利かなかったでしょ?」 「いつもは、一生懸命喋ってるくせに」 「みんな、気づいたかな?」 「ま、知らぬは本人ばかりなりけりってやつね」 「……むう」 からんからん「こんばんわー」 「お姉ちゃんは、お腹がすきましたよ~」 「こんばんわ」 ……。 …………。 あれ?「フィーナは?」 「学院からお帰りになってすぐお電話がありまして……」 「仕事だって出て行っちゃった」 「そっか……大変だな」 力が抜けた。 「ほらほら、そんなに寂しがらないの」 「帰ってこないって訳じゃないんだから」 「菜月には関係無いだろ」 口が滑ってしまった。 「……むか」 ごっ「あだっ」 菜月にゲンコツされた。 「達哉のアホッ」 菜月はぷりぷりと怒ってキッチンへ引っ込んでしまった。 「コラ」 ぽこ麻衣にも怒られた。 「お兄ちゃん、あの台詞は地雷だって」 「困った達哉くんね」 ぴしっ姉さんにはデコピンされた。 「ミアちゃんは?」 「い、いえいえ、わたしは遠慮します」 ミアは、ぶんぶん首を振っている。 「フィーナさんをいじめているのは、お兄ちゃんかもしれないよ」 「え?」 ミアがゲンコツを作る。 「ご、誤解だって」 「誤解なの?」 「誤解……じゃないと思う」 「……」 ミアは拳を下ろす。 「早く仲の良いお二人に戻って下さい」 「う、うん」 「あっはっは、達哉君はモテモテだね」 仁さんが料理を持って現れる。 「うちの菜月まで泣かせて、こりゃ大変なもんだよ」 「泣いてません、兄さんは変なこと言わないで」 菜月は飲み物を持ってきた。 「お隣さんちは賑やかだな」 「本当、嬉しいやら悲しいやらです」 「あははは、何より何より」 「さあ、料理が冷めないうちに食べちまおう」 ……。 時計の進む音。 日付が変わろうとしている。 俺の部屋の真下。 フィーナの部屋には、未だ人の気配が無い。 気分を落ち着かせようと机に向かうが、どうにもフィーナのことが気になってしまう。 「フィーナ……」 無意識に、彼女の名前をつぶやく。 それだけで胸の奥がじんとした。 夜、一人で女の子の名前をつぶやく。 どこから見ても女の子に想いを寄せている姿だ。 どんなに想ったところで、彼女は月に帰ってしまうというのに。 それに、俺は俺の気持ちに自信が無い。 この感情は、過去の思い出に引きずられた結果かもしれないのだ。 「……」 ノートに顔を伏せてうめく。 フィーナのことも分からない。 自分のことも分からない。 一体、何なんだ俺は。 このままでは、フィーナにどう接したらいいか分からない。 ……。 「お帰りなさいませ」 「……ええ」 「フィーナさん、どうしたの?」 にわかに階下が騒がしくなる。 ガタッドタドタドタドタッ「フィーナっ」 玄関には家族全員が集まっていた。 その中心にはフィーナが立っている。 「ただいま帰りました」 フィーナの表情からは疲労がにじみ出ている。 白磁を通り越して、青白くさえ見えた。 「何かあったの?」 「心配しないで、少し問題が長引いただけ」 「ミア、着替えを」 「は、はいっ」 フィーナが部屋に戻ろうと踏み出す……「っ……」 上体が揺れる。 「姫さまっ」 倒れそうになったフィーナを、ミアが支える。 「お、おいっ」 「フィーナさん?」 「フィーナ様」 「だ、大丈夫。 少しつまづいただけ」 「見苦しいところを見せてしまいました」 そう言って、フィーナは力なく微笑む。 「姫さま、早くお部屋に」 「大丈夫、大丈夫よ」 フィーナは優しくミアの頭を撫でながら、部屋へ戻っていった。 ……。 残された俺たちは、沈痛な面持ちでソファに腰を下ろした。 「フィーナさん、大丈夫かな」 「かなり疲れていたみたいだけど」 二人が俺を見る。 「俺も、詳しいことは分からないんだ」 「いろいろ考えてはみたんだけど」 「そう」 「分からないなら、聞いてみるしかないんじゃないのかな?」 「ううん……」 「誰にだって、言いづらいことはあるものよ」 「話せるタイミングは来ると思うの。 早いか遅いかは分からないけど」 「だから慌てずに。 でも、その時が来たら勇気をもって」 「うん」 俺が頷いたのを見て、姉さんは優しく微笑んだ。 「さあ、今日は遅いから、部屋に戻りましょう」 「うん」 「そうだな」 姉さんの声に従い、俺たちは揃って2階へ上がった。 ……。 部屋に戻りベッドに横たわる。 暗い天井を見上げると、フィーナの疲れた表情が浮かんできた。 日頃、フィーナは疲れていることを人に見せたりしない。 そのフィーナがあんなになるなんて、よっぽどのことだ。 大使館では、一体どんな仕事をしているのだろうか。 姫という立場上、書類整理など実務的なことではなく、人と人との調整が主な仕事だろう。 相手の言葉尻や仕草から真意を探り、それを適えるように動く。 時には、真意を知った上でそれを裏切らねばならないこともあろう。 とにかく神経を使う仕事だ。 それだけでも大変なのに、フィーナは余計な心配事も抱えている。 自分がその原因を作っていると考えただけで、いたたまれない気持ちになる。 ……。 コンコン扉が控えめにノックされた。 誰だろう。 「はい?」 「遅い時間に申し訳ございません」 「もう、お休みなっていらっしゃいましたか?」 「いや、起きてたよ」 「そうですか、良かった」 「フィーナの様子はどう?」 「そのことなのですが……」 ミアが表情を曇らせる。 「中入る?」 「あ、はい」 ドアを閉め、ミアにイスを勧める。 俺はベッドに腰をおろし、対面した。 「失礼します」 ミアが軽くスカートを畳み、イスに腰掛ける。 「それで、フィーナは?」 ミアは何か覚悟を固めるように、手を強く握った。 「大変お疲れのようで、今はお休みになっています」 「お熱も少しあるようです」 「大丈夫そう?」 「わかりません」 「このままですと、近いうちにお体を壊されることもあるかと思います」 「……」 「昨夜も、お休みになれなかったようでした」 そうか……朝の様子がおかしかったのも、徹夜のせいだったのか。 その上、今日も遅くまで仕事をして。 「そんなに仕事ばかりじゃ、辛いな」 「達哉さん」 ミアの語調がわずかに強くなる。 「姫さまは、この程度のお仕事で体調を崩される方ではありません」 「え?」 「何日もお休みにならないまま仕事をされることは、今まで何度もありました」 「それでも姫さまは、いつも笑顔を絶やさずにいらっしゃいました」 なんとなく、ミアが言いたいことが分かってきた。 「姫さまのご希望で、申し上げないつもりでしたが……」 ミアが居住まいを正す。 「申し上げることにします」 「う、うん」 「姫さまは、ご自身が達哉さんのご気分を害してしまったのでは、と強く心配されています」 「大使館でのこと?」 「俺はもう気にしてないけど」 「……」 「それは、姫さまにお伝えしましたか?」 「あ……」 「いや、まだ……」 そうだ。 俺は結局、フィーナに何も伝えられていない。 自分のことで悶々としていて、そんなこともできなかったなんて。 「達哉さん」 「わたしには、身の回りのお世話をすることしかできません」 「できれば、早く、姫さまのお気持ちを楽にして差し上げて下さい」 ……。 「……分かった、約束する」 「お願いします」 そこまで言って、ミアはイスの上でへなへなと脱力した。 「ありがとう、ミア」 「いえ、出すぎたことを」 ミアは目尻に涙をためて俯く。 俺は、そんな彼女の頭をぽんぽんと叩いた。 「姫さまがお疲れになっていくのを見るのは、辛いです」 「うん、ごめんな」 「はい、はい……お願いします」 「ああ、任せておいて」 「さ、もう疲れただろ」 「はい」 ミアが立ち上がろうとする。 が、なかなか立ち上がれない。 「腰が……抜けてしまいました」 しょんぼりした顔で俺を見上げる。 「ははは、ほら」 俺は、ミアに手を貸す。 「あ、ありがとうございます」 そんなミアの手を引いて、ドアまで連れて行く。 「ミア、ありがとうな」 「は、はい。 姫さまが一日も早く元気になりますように……」 涙目でそう言うミア。 心から、フィーナのことを心配しているんだな。 「ああ、心配しないで」 「はい」 「では、お休みなさいませ」 「うん。 ゆっくり休んで」 ミアは、音が立たないよう静かにドアを閉めた。 軽いミアの足音が遠ざかっていく。 ……。 ミアは、フィーナのことが心配で心配で堪らなかったのだ。 何度も思い悩んだ末、勇気を振り絞ってここに来てくれたのだろう。 年下の女の子にそこまでされてしまうなんて、情けない。 俺も気合いれなくちゃ、な。 「……」 窓際まで行き、下の部屋を見る。 そこには、まだ電気がついていた。 さっきミアは、もうお休みになったって言ってたけど。 今夜も心配で眠れずにいるのだろうか。 「フィーナ……」 足元がフラつくほど疲れていて、その上眠れないなんて……。 申し訳無さで、胸がいっぱいになった。 もう、一時たりとも躊躇してはいられない。 フィーナの部屋の前に立つ。 俺が突然尋ねれば、フィーナは驚くだろうし、嫌がるかもしれない。 恐怖感が沸き起こる。 『その時が来たら、勇気をもって』という姉さんの言葉が思い起こされた。 そう、勇気を出さなくちゃいけない。 ミアだって、勇気を出して俺を諭してくれた。 ……。 一つ大きく深呼吸をする。 コンコン扉を静かにノックする。 ……。 返事は無い。 コンコン「どなた?」 「俺」 「……」 「話したいことがあるんだけど」 「……もう夜中よ」 「でも、起きてたじゃないか」 「偶然です」 「少しでもいい」 「またにして」 「開けてくれなくても、きっと朝までここにいる、俺」 「……」 ……。 …………。 がちゃ「ありがとう」 「どうぞ」 「こんな格好でごめんなさい」 フィーナは寝巻き姿だった。 「いや、いきなり押しかけたのは俺だし」 同じ家に住んでいるのに、彼女の寝巻き姿を見たことは数えるほどしかない。 それだけフィーナは、家の中でも内と外の区別をつけている。 姫としての躾がそうさせるのだろう。 「ミアがいないからお茶も出せないけど」 と、フィーナがソファを促す。 俺は、言われた通りにした。 フィーナは、こちらへ来る前にデスクのライトを消す。 デスクにはたくさんの書類が重なっていた。 「仕事?」 「ええ、なかなか終わらなくて」 フィーナは俺にソファを勧め、自分はデスクのイスに座った。 さっきミアは、フィーナは休んだと言っていた。 ベッドに入ったのは、ミアを安心させるための演技だったのだろうか。 フィーナに仕事をする元気があるかというと、そうではない。 向かい側に座るフィーナの目ははれぼったく、肌にも張りが無い。 仕草の一つひとつからも、濃い疲労が見て取れた。 「体調はどう?」 「多少疲れてはいるけど、平気よ」 フィーナは気丈に言う。 「正直、昨日今日と、フィーナを見ているのが辛い」 「……」 フィーナが視線を逸らす。 「私は別に」 「大使館でのことがあってから、ずっと話もできてないじゃないか」 「……それは」 「やっぱり、門であったこと気にしてるの?」 「……だって、怪我までさせて」 「気にしてないよ」 「え?」 「ぜんぜん気にしてないよ」 フィーナが心配そうに俺の顔を見る。 「でも私は、今までお世話になった恩を仇で返すようなことを……」 「気にしすぎ」 「だってあれは、俺がいきなりフィーナの腕を掴んだからだろ?」 「え、ええ」 「それに、怪我っていっても顔を少し擦りむいたくらいだし」 「これっぽっちも、怒ってないよ」 「ずっと口を利いてくれなかったから、嫌われたと思っていました」 「そんなことないさ」 俺は笑顔で返した。 安心したのか、フィーナはため息を一つついた。 「達哉、一つだけ聞いていいかしら?」 「いいよ」 「どうして、私の腕を掴んだの?」 ……。 「……え、えっと」 さすがに、フィーナと離れたくなくて、とは答えられない。 俺自身まだ迷いがある感情だからだ。 だが、過去のことについてなら話せる。 フィーナがあの少女なのか確認するいい機会だ。 俺は、大きく深呼吸をする。 「……子供の頃のこと、覚えてる?」 思い切って口にした。 「子供の頃って、いつごろ?」 「昔、地球に来たことがあるって言ってたよな」 「その時のこと」 俺の言葉を聞いて、フィーナは大きく目を見開いた。 「……達哉」 絶句したまま、俺の目を見つめる。 ……。 「では、達哉はやはりあの時の」 俺は大きく頷く。 「やっぱり、フィーナはあの時の女の子だったんだ」 「……ええ」 フィーナが口元を押さえる。 そのまま立ち上がると、窓際へ向かった。 顔を見られたくないのだろう。 だから、俺もフィーナの方は見なかった。 「あの時みたいに、フィーナが消えてしまうような気がしたんだ」 「黒服に連れられてさ」 「ちっちゃな頃のフィーナの顔が何度も浮かんで……」 「気が付いたら、腕を握ってた」 「達哉、覚えていてくれたのね」 「ああ、やっぱり辛かったし」 「あの時のフィーナの顔は、忘れられないよ」 「……今と比べて、どう?」 フィーナが振り向く。 ……。 涙のせいか、深い緑の瞳はより一層深みと輝きを増している。 癖の無い真っ直ぐな髪が、滑らかに揺れ動く。 カーテンを背にした姿に、思わず見とれてしまう。 「あの頃より、すごく綺麗になった」 ……。 「た、達哉……」 一瞬間を置いて、フィーナが俯く。 白い首筋が、見る見るうちに紅潮する。 「あ」 遅れて、自分の言ったことに気が付く。 恥ずかしさで体中が熱くなった。 「あ、あの……ごめん」 しどろもどろに弁解するが、フィーナは身を縮めたままだ。 「そのように、からかっては困ってしまいます」 「ごめん、つい」 「お世辞を?」 「ちち、違うよ」 「もう、仕方のないことを」 そう言ってフィーナが頬を染める。 「でも、達哉はてっきり忘れているものだと思っていました」 フィーナがソファに戻ってくる。 「忘れてはいなかったけど、フィーナと結びつかなかった」 「私も、まさかホームステイ先の方が、あの男の子だとは思わなかったわ」 「じゃあ、ここに来たのは偶然だったの?」 「ええ」 「もっとも、私は一目見て気づきましたけれど」 フィーナが、からかうように言う。 「何度かそれらしいことは言ってみたのだけれど、達哉には気づいてもらえなかったみたいね」 「はっきり言ってくれれば良かったのに」 「忘れているのなら、それはそれで仕方の無いことよ」 さっぱりとフィーナが言う。 穏やかな目で俺を見るフィーナ。 「あのことがあってから、私はずっと地球に行きたいと思い続けていたわ」 「だからこそ、今ここにいるのだと思う」 フィーナはゆっくりと目を閉じる。 そして、幾重にも折りたたまれた感情を少しずつ広げるように、フィーナは話し出す。 「そういう目に見えやすい結果だけではなく、地球に対する考え方、感情といった深い部分にまで、あの記憶は染み込んでいます」 「人は結局、過去の集合体だと思うの」 「今この瞬間の私は、私が経験してきた全ての過去の結果」 「忘れてしまった記憶も、忘れてしまいたい記憶も、全て今を形作る材料なのね」 「……」 「相手が忘れているのは少し寂しい気もするけれど、きっとその人の中で記憶は生きている」 「そう思うと、相手が忘れていたとしても許せてしまうのね」 「もちろん、一番大切なのは、これからどうするかということだけれど」 そう言って、フィーナは笑う。 過去を肯定し、前を向いて進んでいく。 彼女の言葉に、俺の中で迷いが消えていく。 フィーナに惹かれているという感情。 それは確かに、過去の記憶が核になっているのかもしれない。 だけど、全ては俺の中から出たものだ。 何を疑う必要があるというのだろうか。 ……。 「そっか……そうだよな」 俺は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。 「何?」 「いや、いいこと聞かせてもらったよ」 「そ、そうかしら」 フィーナが恥ずかしそうに言う。 「ああ」 胸がすっきりとしている。 梅雨明けの青空のような、そんな気分だった。 「達哉」 「ん?」 「達哉はさっき、大使館でのことが昔の状況に似ていたって言っていたけれど」 「ああ」 「私もあの時、同じことを考えていたわ」 「だから……」 フィーナが膝の上で手を握り、ぎゅっと力を込める。 「だから、とても申し訳無く思ったの」 俺の目をじっと見据えて言った。 「また懲りもせず、あの時のように、達哉を傷つけてしまったのだから」 フィーナのせいではない。 とっさにそう言いそうになった。 でも、それではフィーナは喜ばない。 なぜか、確信できた。 実際、フィーナ以外の人といたなら同じ状況にはならなかっただろう。 フィーナが月の姫という、桁外れな身分を持っていたからこそ……過去には辛い別れがあったし、大使館でも同じようなことが起こった。 それは確かに、フィーナがフィーナであったからこそ発生したことだ。 ……。 絶対的な立場の差。 恐らく迎えるであろう悲しい別れ。 これらは、フィーナという人格と不可分だ。 フィーナと付き合うということは、そういうさだめと共に歩むことでもある。 ……。 「でも、仕方の無いことだろう?」 しばらくして、俺はそう答えた。 「……ええ」 「いくら悔やんでも、悲しんでも、私の立場は変わらないし、変えるつもりもないわ」 フィーナは、わずかに表情を緩める。 「ずっと思っていたの」 「もし、あの時の少年に会うことができるなら、謝りたいと」 「フィーナも辛かったんだな」 俺の問いにフィーナは答えなかった。 その代わり、優しく目を細めた。 「達哉」 「一度だけ、一度だけでいいから謝らせて欲しい」 「大使館でのこと、そして幼いあの日のことを」 「ああ、それでフィーナの気持ちが楽になるなら」 「ありがとう、達哉」 この時、ようやく分かった。 大使館でのことがあってから、フィーナが悩んでいた訳が。 俺が、黒服に倒されたことを怒っていると考えていたのは勿論だろうけど──それは、表面に現れた分かりやすい事柄でしかない。 本当に彼女を苦しめていたのは──過去と同じようなことを、再び同じ相手に繰り返してしまったこと。 それでもなお、事件の根本的な原因である、彼女の立場を変えることができないこと。 そして──全てを、フィーナの胸の中だけに収めておかねばならないことの重みだ。 謝ってしまえば楽になる。 だが、謝ったとしても、フィーナには問題の原因を解決することができない。 彼女の高潔さは、そんな無責任な謝罪を許さなかったのだ。 ……。 …………。 「達哉」 「ごめんなさい」 ……。 …………。 フィーナが深く頭を垂れた。 青く透き通ったガラステーブルに着いてしまうほど、頭を下げた。 普通の人なら、誰でも日常的に繰り返している、自分のための謝罪。 自分が楽になるためだけの謝罪。 それは、フィーナにとって精一杯の甘えだった。 肩に掛かっていたフィーナの銀髪が、テーブルに落ち、広がった。 深夜の水面に注ぐ月光のように、それは静謐な輝きを放つ。 ……。 謝罪というあまりにも人間くさい行為。 だが今、目の前で行われているそれは、神聖な儀式のように厳かで荘重なものだった。 目頭が熱くなる。 いや、もう俺は泣いていたのかもしれない。 フィーナの高潔さに、美しさに、悲しさに、そして、彼女に甘えてもらえたことの嬉しさに俺の体は痺れきっていた。 ……。 さあ、後はフィーナに言葉をかけてあげなくては。 それは儀式の終焉を意味する。 少し惜しい気もする。 だけど、フィーナをいつもの明るい彼女に戻してあげなくてはいけない。 ……。 しばらく時間を置いて、俺は口を開いた。 「許すよ、フィーナ」 ……。 フィーナがゆっくりと頭を上げる。 その表情には、静かな笑顔が浮かんでいた。 フィーナが目を細めて、俺を見る。 重責から解き放たれた、一人の少女がそこにいた。 それが一時のことであったとしても、俺は彼女のそんな顔を見られたことを誇らしく思った。 フィーナの薄い唇が開き、息を吸う。 「ありがとう、達哉」 瞼越しに、朝の光を感じる。 窓の外からは明るい鳥の声が聞こえていた。 何だか、変な感じがする。 俺のベッド、こんなに柔らかかったっけ?薄っすらと目を開ける。 「っ!」 一瞬で眠気が消し飛んだ。 俺はフィーナのベッドにもたれて眠っていたのだ。 混乱する頭で、昨夜の状況を巻き戻す。 ……。 …………。 あの後。 緊張が解けたせいか、溜まっていた疲労がフィーナを襲った。 足元がフラつく彼女をベッドに寝かせ、俺はしばらく側にいたのだ。 ……。 記憶はそこまで。 そのまま寝てしまったのだろう。 もちろん、やましいことは何もしていない。 緊張が解けたのは、フィーナだけではなかったということだ。 静かに寝息を立てるフィーナは、まさに人形のように眠っている。 寝姿には一切の乱れが無い。 寝相すら躾けられているのだろうか。 思わず見とれてしまう。 「……」 ちょっと待て。 見とれている場合ではない。 誰かに見つかったりしたら面倒なことになる。 ともかく部屋に戻ろう。 そう思って立ち上がろうとした時、「恥ずかしいことをしてくれるのね」 フィーナの声がした。 「わあっ」 心臓が口から飛び出しそうになる。 「おはようございます」 「フィ、フィーナ」 「達哉もここで寝てしまったのね」 フィーナが上半身を起こしながら言う。 「そ、そうみたい」 「あの、別に変なことはしてないから」 「そう?」 「いや、ほんと、絶対」 俺は力一杯否定する。 「ふふふ……大丈夫、信じているわ」 「さあ、そろそろミアが来る時間よ」 「こんなところミアが見たら、気を失ってしまうわ」 そう言ってフィーナが微笑む。 「そ、そうだな」 「じゃ、部屋に戻るから」 と、立ち上がろうとする。 「う……」 足が痺れていて全く力が入らない。 「どうしたの?」 「い、いや」 モタモタしてはいられない。 早く部屋に戻らないと。 俺は、感覚が無いほどに痺れた足に無理矢理力を入れる。 「……っ!」 だが、俺の努力も虚しく、立ち上がりかけたところで膝から力が抜けた。 「うわぁっ」 「きゃっ」 ベッドで上半身を起こしていただけのフィーナは、よけることができなかった。 俺の頭は、ほとんど抱きかかえられるように、フィーナの胸に収まっている。 視界いっぱいに広がる、フィーナの寝巻き。 顔には柔らかい胸の感触。 花のような香りが鼻腔に充満し、頭がクラクラしてくる。 「た、達哉?」 「ご、ごめんっ」 慌てて体を起こそうとするが、足に力が入らない状態ではいかんともしがたい。 ただジタバタともがき、フィーナに自分を押し付けるだけだった。 「ごめん、ほんとにごめんっ」 もがけばもがくほど頭は真っ白になっていく。 「とにかく、落ち着いて」 「でもっ」 「いいから、落ち着きなさいっ」 強く言って、フィーナが俺の首に腕を回す。 「……っ」 俺の頭はショートした。 視覚が、触覚が、嗅覚が、フィーナの情報でいっぱいになる。 「別に嫌だと言っているわけではないのです」 あれ?フィーナは今、何て言ったんだ?「落ち着いて」 「慌てていては、立てるものも立てません」 「……」 無言で頷く。 それしかできることが無かった。 ……。 とくんとくん鼓動が聞こえる。 フィーナのものだ。 控えめなのに、存在感のある音。 全身の緊張が解けていく。 なんて心地よいリズム。 「ごめん。 俺、足が痺れてて」 「ええ、仕方の無いことですよ」 頭の上からフィーナの声がする。 息遣いばかりか、声帯の震えまで感じられそうだ。 「ごめん」 何度目かの謝罪を口にする。 にもかかわらず、ずっとこのままでいたいと思う。 きっとフィーナの体から俺が離れられなくなる力が出ているのだ。 そんなことを冷静に考えてしまうほど、俺はおかしくなっている。 「さあ、手をベッドに着いて」 フィーナの腕が俺の首から解ける。 もう少し、抱いていて欲しかった。 俺は、言われるがままに手を着き、力を込める。 顔からフィーナの感触が消える。 足にも何とか力が入りそうだ。 コンコン「姫さま、お目覚めの時間です」 「達哉、早く」 「っっ」 慌てて体を起こそうとする。 ……。 が、ガチャ……。 …………。 ………………。 言うまでも無く、ミアは凍り付いていた。 氷漬けのマンモスもかくや。 微動だにしない。 ……。 フィーナのため息が、聞こえた。 「きゅう……」 ごとんミアがゆっくりと倒れた。 「わ、ミアちゃんどうしたのっ?」 ……。 …………。 終わった。 「達哉くん。 女の子の部屋に忍び込んだ挙句、抱きつくとはどういうことなの!?」 どうもこうも。 俺にはうなだれることしかできない。 「お兄ちゃんのえっちー」 なぜか、麻衣のストレートさが心地よい。 「ああ、俺はえっちな男なんですよ、もう仁さんも裸足で逃げ出すくらいっ」 (脳内)と、叫んでしまえたら楽なのかもしれない。 そのくらい、いろんな意味で終わっていた。 「達哉くん」 「……はい」 「どういうことなの?」 「ごめん」 「事故なのでしょ?」 「……」 そっと、隣に座るフィーナを見る。 申し訳無さそうに俯いている。 フィーナはどう思っているのだろう。 「達哉くん」 姉さんの口調は真剣そのもの。 それはそうだ。 姉さんは月からフィーナを預かっている身。 責任がある。 家族とフィーナがただならぬ関係になったなど、笑って済む話ではない。 「事故です」 フィーナは目を閉じて俺の言葉を聞いた。 ちくりと胸が痛む。 「事故でなくては困ります」 「仮にもフィーナ様は王女なのですよ」 「さやか、そういうことを言うのは止めて」 フィーナが、きっ、と視線を上げる。 「いいえ」 「冗談で済むことと済まないことがあります」 「フィーナを責めないで。 悪いのは俺だ」 「かっこいいことを言ってもダメです」 「もしものことがあったら、謝るくらいじゃ済まなくなるのよ」 「軽々しくこういうことをしてもらっては困るわ」 「お姉ちゃん、本気だったらいいの?」 「あら?」 姉さんは錯乱していた。 ちなみに、ミアは放心の体だ。 「ともかく、達哉くんっ」 「さやか」 フィーナは強い語調で姉さんを遮る。 「達哉ばかりを責めるのはやめて」 「抵抗しなかった私も悪いのです」 ……。 「……わあ」 麻衣が乾いた声を上げる。 「くらっ」 姉さんがめまいを起こす。 「あ、いえ、今後はお互いに注意するということです」 「は、はい、そうよね」 「……ああ、もう仕事に行かないと」 「それじゃ達哉くん、しっかりね」 「お姉ちゃん、応援してどうするの」 「そういえば……疲れているのかしら」 もうグダグダだ。 姉さんはフラフラとした足取りでリビングを出ていった。 残された俺たちは、何も言えず、姉さんの背中を見送った。 ……。 「お兄ちゃん、本当に事故なの?」 麻衣がじっと俺を見て言う。 「……あ、ああ」 歯切れ良く答えることができない。 それは、俺の中にフィーナに惹かれる気持ちがあるからだ。 「姫さまはどのようにお考えで?」 ミアがようやく口を開く。 「意図してしたことではないわ」 「……」 正直、辛い言葉だ。 俺の気持ちとフィーナの気持ちは別。 当たり前のことなのに……。 「ごめんなフィーナ」 「いえ、いいのです。 これから気をつければ」 相手が普通の女の子だったら、事情を説明すれば終わることだったのかもしれない。 でも、今朝のことが露見しただけで一家は騒然。 フィーナがいかに特別な存在であるかを思い知らされた。 「ミア、そろそろ朝食の準備をしてくれる?」 「はい、ただいま」 「ミア、心配かけてごめんな」 「いいえ、事故ならいいんです」 「わたしも、早とちりしてしまってすいませんでした」 ぺこりと頭を下げて、ミアがキッチンに入った。 「さーて、わたしも準備しよっと」 ミアに続けて、麻衣がリビングを出て行き、フィーナと俺がリビングに残された。 ……。 キッチンから、水の流れる音が聞こえてくる。 「ようやく落ち着きました」 大きく息を吐いてフィーナが言う。 「大変だったな」 「ええ」 「でも、こういうことを言ってはさやかに怒られそうだけれど……」 「楽しかったわ」 「確かに、ホームステイにでも来てなきゃ、できないことかもしれない」 「ふふふっ。 王宮でこのようなことになったら大騒ぎになってしまうわ」 窓越しに空を眺めて楽しそうに言う。 その姿に俺の胸は痛くなった。 フィーナの世界は別の星にある。 分かりきっていることのはずなのに──俺はどこかで受け入れられないでいる。 フィーナが手の届かないところへ行ってしまうこと。 避けようも無い確定した未来。 行ってほしくない。 このまま、地球にいて欲しい。 こんな自分勝手な欲求が、既に俺の中に根を張っている。 でも、それを口に出すわけにはいかないから──俺は心の中で、何度も繰り返す。 「いい香りがしてきたわね」 「え? ああ」 リビングには甘さと香ばしさに溢れた空気が流れていた。 「玉子焼きかしら?」 「みたい」 「私、大好きなの」 「作り方は簡単なのに、どうして月にはないのかしら?」 「なら、フィーナが月に玉子焼きを伝える最初の人になったらどうだ?」 また、ちくりと胸が痛む。 こんな冗談でヘコむなんて、ほんとどうしようもない。 「ふふふ」 「作るのはきっとミアだから、ミア焼きとでもしましょうか」 「じゃ、ミア焼きを食べに行こうぜ」 「ええ」 二人で同時に立ち上がる。 俺の左手とフィーナの右手が触れた。 キメ細やかな肌の感触が伝わってきて、俺は息を飲んだ。 「……っ」 「爪が当たってしまいました?」 「いや、大丈夫」 「良かった」 「さあ、行きましょう」 フィーナが先に立ってキッチンへ向かう。 ……。 すれ違いざま、フィーナの頬に少しだけ血が上っているのを見た。 帰りのホームルームが終わった。 宮下先生が教室から出るよりも早く、菜月がフィーナの席に駆け寄る。 「フィーナ、もう帰れる?」 「ええ、準備はできています」 「何か用事でもあるのか?」 「うん、ちょっとね」 菜月は居ても立ってもいられない様子だ。 「じゃ、私とフィーナは先帰るから」 「いや、俺もすぐ帰れるけど」 「いいの、達哉はゆっくり帰ってきて」 「何だよそりゃ」 「いーいーのー」 「ふふふ、では私たちは急ぎますから」 「……」 「まいっか。 気をつけてな」 「分かってるっちゅーに」 「また後で、達哉」 「ああ」 俺の返事を聞いたか聞かないかのうちに、二人はいそいそと教室を出て行った。 ……。 からんからん「こんにちわ」 クーラーで程よく冷やされた店内。 摂氏30度を超える戸外と比べると、天国と言う他ない。 シャツが肌に貼り付くほどかいていた汗も、綺麗に引いていく。 「や、達哉君。 いつもより早いんじゃないかい?」 「そうですか?」 店の奥の時計を見ると、確かにいつもより10分程度早く到着していた。 「菜月が先に帰ったんで、何となく早足になったのかも」 「こんな暑い日に早足で歩くこたないだろうに」 仁さんが苦笑する。 「菜月はもう来てます?」 「来てるよ。 今、華麗に変身中だね」 「んじゃ」 と、俺は手近なイスに腰をおろす。 左門の更衣室は男女共用。 菜月が着替えているところに闖入しようものなら、瞬きのうちにしゃもじの餌食だ。 分かっていても事故はあるわけで、実際にしゃもじの洗礼を受けたことは1度や2度ではない。 ……。 窓の外を、夕食の買出し客が絶え間なく流れていく。 親に手を引かれて歩く子供は、容赦なく降り注ぐ陽光の下でも呆れるくらいに元気だ。 ぼんやりと母親のことが思い起こされた。 親父が消えてから、女手一つで俺や麻衣を育ててくれた母さん。 彼女に手を引かれた記憶は既に遠く、思い出されるのは死ぬ間際の姿ばかりだ。 不意打ちのように消えていった俺の家族。 残された3人で地図の無い世界を歩いてきた。 それが、ホームステイを受け入れられるまでになったのだから、まあ立派なものだ。 コトテーブルに何かが置かれる音。 目を遣ると、水が注がれたタンブラーとデカンタがあった。 「さんきゅ、菜月」 「どういたしまして」 「ぶっ!」 ちょっと待て。 何か、ここにいるはずじゃない人の声が聞こえなかったか?……。 …………。 恐る恐る振り返る。 「菜月じゃなくてすみません」 そこには、左門のウェイトレス服に身を包んだフィーナがかしこまっていた。 白磁の肌に銀色の髪。 フィーナの容貌はもともと透明感が強い。 そんな彼女が派手なカラーリングの制服をまとっている。 眩しいほどの色のコントラスト。 フィーナが元来持っている凛とした空気と相まって、その存在感は圧倒的だった。 そして何より、美しい。 「おかしいところはないかしら?」 「あ、あぁ……」 ガクガクと頷く。 渇いた喉を潤すため、フィーナが持ってきた水を口に含む。 「ふふふ、達哉が最初のお客様ね」 「最初って……これからバイトするのか?」 「ええ。 と言っても今日だけよ」 「以前、菜月に誘われたの」 そういえば、フィーナが料理を作った時に、菜月とそんな話をしてたっけ。 「そっか、何でも言ってみるもんだな」 「??」 「いや、お陰でフィーナのかわいい格好が見れたからさ」 「達哉、これはお仕事なのですよ」 フィーナがきりりと言う。 「……ごめん」 「悪い気はしませんけど」 と、手を口に当てて苦笑した。 「何だか、楽しそうね」 「よ、よう」 「何が『よ、よう』よ。 鼻の下伸ばしちゃって」 「でも、フィーナの格好見たらそんなもんか」 「どこかおかしいかしら?」 フィーナがきょろきょろと体を見回す。 「似合いすぎるって話」 「そうかしら?」 「私は菜月のほうが似合っていると思うけれど」 「あらやだ、もう」 菜月がパタパタ手を振って赤くなる。 「どこぞのおばさんかよ」 「う る さ い」 「ほら、達哉は早く着替えてきてよ。 接客の練習しなくちゃいけないんだから」 「ほいほい」 俺は水を飲み干し、バックヤードへ向かった。 「いらっしゃいませっ」 着替えを終えてフロアに戻ると、フィーナが発声練習をしていた。 清涼な余韻が店内を震わす。 通る声だが、いかんせん声量が足りない。 運動と一緒で、声もきっちり出すには、それ相応のトレーニングが必要だ。 一朝一夕でどうなるものではない。 「どう?」 フィーナから見て、ホールの反対側に立っている菜月に話しかけた。 「うん、通るんじゃない」 「声量は鍛えなきゃどうしようもないから、こんなもんでしょ」 菜月も同じ意見だった。 「達哉、そこまで聞こえる?」 「ああ」 手でOKサインを出す。 「もう少し離れてもらえるかしら?」 「このくらいで十分だって」 「でも、お客様がいらしたら、声が通りにくくなるでしょう?」 「まあ、それはそうだけど」 「自分の声が届く範囲を知っておきたいのです」 「分かった」 俺はホールからキッチンに入る。 「いらっしゃいませっ」 障害物があるせいか、ここではかなり小さく聞こえた。 お客様が入ったら、恐らく聞こえなくなるだろう。 「いらっしゃいませっ」 「いらっしゃいませっ」 俺がOKを出さないので、フィーナは何度も声を出す。 少しも手を抜くことなく、懸命に。 仕事に対する責任感の強さが、彼女にそうさせるのだろう。 フィーナの真摯さには、いつも驚かされる。 「オーケー」 そう言って、フィーナの元に向かう。 「キッチンまではちょっと無理みたいだな」 「分かりました。 本番では気をつけることにするわ」 満足そうにフィーナが言う。 「喉、大丈夫か?」 「大丈夫よ」 「こんな大きな声を出したのは久し振り」 運動の後のように爽やかに言って、タンブラーにデカンタから水を注ぐ。 それは、俺がさっき……。 注意する間もなく、フィーナはタンブラーに口をつけた。 「美味しい」 「……あのさ」 「何かしら?」 「そのグラス」 ……。 …………。 「あ、ごめんなさい。 思わず」 「代わりを持ってくるわ」 「あ、いや……」 俺が間接キスしたことを嫌がっているように思われてそうだ。 「別に嫌ってわけじゃ……」 「……」 フィーナがわずかに息を飲む音が聞こえた。 「ならここに置いておくわね」 「あ、ああ」 もしかして、フィーナも嫌ではないということなのか。 それとも、ただ単に間接キスの概念がないのか。 確かめることなどできない。 「次は何を練習したらいいかしら?」 「え、えっと……」 菜月に意見を求める。 ……。 あれ?いつの間にか菜月がいなくなっている。 仁さんの姿も無い。 「菜月なら、さっき出て行きましたよ」 「そ、そっか……買出しかな」 「それで、次は何を?」 「そうだな、お客様が入ってきてからの流れを一通りやってみよう」 「ええ、お願いします」 基本的なルーチンをフィーナに教えてから、模擬練習に入る。 俺がお客様の役だ。 からんからん「いらっしゃいませっ」 抜群の笑顔が俺を迎えてくれる。 営業スマイルだと分かっていても、胸が高鳴ってしまう。 「1名様ですか。 こちらのお席へどうぞ」 壁際の一番奥の席へ通された。 すぐに水の入ったグラスとおしぼりが渡される。 ここまで、全くそつが無い。 「じゃあ、カルボナーラとシーザーサラダを」 「あー、あと、食後にコーヒーを」 フィーナが俺の言葉を真剣に聞いて、伝票に書き込む。 無意識にだろうが、フィーナは薄い唇を動かしてメニューを復唱している。 それがとても可愛らしかった。 「ご注文を繰り返します」 「カルボナーラとシーザーサラダ、食後にコーヒーですね」 淀み無く流れる、オーダーの復唱。 この距離なら声量は問題とならず、むしろ発音の明瞭さが重要だ。 その点フィーナは優れている。 なにせ、王室仕込みの発音だ。 「ああ、お願い」 「はい、少々お待ち下さいませ」 ぺこりと頭を下げ、フィーナが席から離れた。 申し分ない接客態度だ。 「はい、ここまでで」 俺は練習の終了を告げた。 「どうだったかしら?」 「ああ、この調子なら大丈夫そうだ」 「良かった」 フィーナが安堵の表情を浮かべる。 全く気がつかなかったが、緊張していたらしい。 「じゃ、後は物の配置を説明しておくよ」 と、俺が立ち上がったところで「そんなレッスンで満足していていいのかな?」 唐突に、芝居がかった声が飛んできた。 「仁さん」 「なんですかいきなり」 キッチンにはいつの間にか仁さんが仁王立ちになっていた。 「お楽しみのところ悪いがね、お客様がそんな良い人ばかりとは限らないよ」 「お楽しみってのは何ですか?」 「公園のベンチで語り合うカップルを見ているようだった、と言っているのだよ」 「まあ」 「ちょっ、仁さんっ」 「何かね?」 「そんなこと言ったら、フィーナが困るだろ」 「困るの?」 「わ、私は……」 フィーナが珍しく言い淀む。 心なしか、首筋が赤くなっているような……。 「ま、二人がそんな調子なのは分かった」 仁さんが一人で納得している。 「それはいいとして」 「やはり、悪質なお客様への対応も身につけておくべきだろう」 「はい、その通りだと思います」 話題が仕事に戻り、フィーナは姿勢を正した。 「それに、達哉君だって嫌なお客様にぶつかったことは何度もあるだろう?」 「否定はしませんが」 「では達哉、その時の状況を練習してみましょう」 「う、う~ん」 接客業をやっていれば、嫌なお客様の事例などたくさんある。 かといって、それを実演するとなると……。 「よし、僕がお客様の役をやろう」 仁さんが胸を叩く。 どうやら、初めからこれがやりたかったようだ。 「仁さんなら適任ですね」 「後で代わってくれといっても、承服しかねるぞ」 俺の皮肉はあっさり流された。 「言いませんから」 「では、僕は外に出るよ」 と、仁さんが店外に出る。 「こういうことがお好きなのね、仁さんは」 「仁さんの場合、普通にしててもヤバい客だからな」 「フィーナ気をつけろよ、何をしてくるか分からん」 「その方が、真に迫った練習ができるわ」 フィーナも気合十分だ。 俺は、少し離れたところに立って様子を見守る。 ……。 からんからん「あ~、暑ちぃなぁ~」 尊大な態度で、仁さんが入ってくる。 「いらっしゃいませっ」 「おねえちゃん、クーラー強くしてよ、クーラー」 フィーナの声は無視。 大声で言って、4人席にどっかと腰を下ろす。 見事だ。 隙の無い嫌な客。 ……演技なのか?「お客様、こちらのお席の方が涼しいですよ」 フィーナは笑顔を崩さず、自然に奥の2人席を勧める。 「お、おう、そうか」 仁さんがイスから腰を上げる。 「やるわね」 いつの間にかフロアに菜月が立っていた。 手にはしゃもじ、というか得物。 ……。 フィーナは早速、水とおしぼりを用意する。 「あー、ありがとね、おねえちゃん」 仁さんはおしぼりを受け取ると、顔から首筋から腕までを拭く。 フィーナの眉がピクリと動いた。 「あれっ」 「どうされましたか?」 仁さんが、フィーナの体を上から下までねっとりと眺める。 「おねえちゃん、かわいいなぁ」 「ありがとうございます」 この程度ではフィーナは揺るがない。 まあ、かわいいなんて言われ慣れてるだろうし。 「顔もいいし、胸も……いいね」 「腰もきゅっとして、たはっ、このスカートなんてもう……」 「おじちゃんを、犯罪者にしたいのかい?」 素敵にエロオヤジだった。 こんなに輝いている仁さんは初めて見た。 「オーダーはお決まりでしょうか?」 フィーナの声が少しきつくなる。 だが、まだ耐えている。 「カレー」 「申し訳ございません、当店ではカレーはお出ししていないのですが」 「こちらのパスタはいかがでしょうか? 当店のオススメとなっております」 「ああ、じゃあこのナポリタン、一つ」 「あれだ、おねえちゃん、本当のイタリア料理屋にはナポリタンなんてないんだぜ」 「自分で言うなって」 0.5秒で菜月がツッコんだ。 「なるほど、勉強になります」 「それではオーダーを復唱します」 フィーナが復唱に入る。 山は越えたと思っているのだろう、声には安堵の響きがあった。 甘い。 ここからが勝負だ。 この後、フィーナはキッチンに向かう。 仁さんが店に入って初めて、フィーナは彼に背中を向けるのだ。 ましてや、今の仁さんはエロオヤジ。 動くなら、きっとその時だ。 「……以上でよろしいでしょうか?」 「ああ、ちゃっちゃと頼むよ、おねえちゃん」 「はい、少々お待ち下さいませ」 フィーナが頭を下げた。 そして、踵を返す。 瞬間仁さんの手が動く。 目指すはフィーナのお尻。 菜月は、仁さんの動きに気づいていないようだ。 ……。 これは練習だ。 まさか本当に触るなんてことは……でも、相手は仁さんだ。 もしものこともあり得る。 ……。 ゆっくりと、仁さんの手がフィーナに迫る。 あと数瞬で、それはフィーナに到達するだろう。 ……。 仁さんが──自分以外の誰かが、フィーナに触ろうとしている。 演技かもしれない。 でも、「もしも」 を想像するだけで俺の胸は痛みで一杯になった。 ……。 「フィーナっ!」 我慢が限界を超え、俺は叫んだ。 「えっ?」 「くっ」 仁さんの手が、一瞬で引っ込められた。 ……。 …………。 「どうしたの、練習中なのよ?」 仁さんの動きに気づいていなかったフィーナは、少しだけ非難の色を込めて俺を見た。 「仁さん、フィーナを触ろうとしただろ」 「まあ」 「演技だよ、演技」 「そんなことしてたの……」 菜月がうなだれる。 「気がつかなかったわ」 「だから、後ろを見た瞬間が狙われるんだね」 うんうん、と頷く仁さん。 「何、納得してるのよ」 「もう、ほんとごめんね、こんな兄さんで」 菜月がフィーナに謝る。 「いいじゃないか、ナイトが守ってくれたんだし」 「仁さん、また仕方の無いことを」 「誰がナイトですかっ」 「恥ずかしがることはないじゃないか」 「達哉君のさっきの顔なんて、鬼気迫るものがあったよ。 くわばらくわばら」 仁さんが苦笑しながら立ち上がる。 「フィーナちゃんならきっとうまくやれると思うよ」 「なにせ、この僕が触れなかったくらいだからね」 「はい、ありがとうございます」 フィーナは笑って頭を下げた。 「おっ、賑やかにやってるな」 にこやかな表情で、バックヤードからおやっさんが入ってくる。 時計を見ると、もう開店の時間が近づいていた。 「左門さん、お世話になります」 「なに、いいって」 「その代わり、お客様じゃ困るぞ、しっかりな」 「はい」 フィーナが明るく返事をする。 「菜月、そろそろ準備をしないと」 「おっけー」 「フィーナは私を手伝って」 「ええ、分かったわ」 「さて、僕も仕込みの続きを」 「おい仁、まだ終わってないのか?」 「はっはっは」 「『はっはっは』じゃない。 さっさとしろ」 ……。 こうして、慌しく皆が動き始めた。 開店して数時間。 フィーナの仕事振りには、正直言って驚いた。 何でも初めからできている訳ではない。 でも、教えたことはすぐに身につけ、同じミスは二度としない。 「こちらは2番さんでいいのかしら?」 「ああ、持って行って」 「達哉、レジに入ります」 「任せた」 「4番テーブルのセッティングをお願い、ご予約のお客様がいらっしゃるわ」 「了解」 てな具合に、時間が経つほどに俺とフィーナの立場が逆転していく。 もちろん接客態度も抜群。 足の運びまで無駄の無い彼女の振る舞いは、見ている方がうっとりしてしまう。 ……。 「すごいわね」 「だな」 「あそこまで行くと天才ね」 「かわいいし、勉強もできるし、ウェイトレスもできるし」 「能力の3割でもいいから分けて欲しいわね」 容姿と学業とウェイトレスが並列になっているあたり、菜月もある意味すごい。 「でも、フィーナは努力してるだろ?」 「うん、だから憎めなくて困っちゃう」 菜月が笑う。 「俺たちも負けないように努力しようぜ」 「そうね」 「でも達哉、最近フィーナと仲いいんじゃない?」 「そ、そんなことないさ」 「すぐテレるんだから」 菜月がくすくす笑う。 「私の目はごまかせないわよ」 「……」 「女の私が憧れるくらいだから、男の子が好きになっちゃうのも仕方無いか」 「好きっていうか、なんだろう?」 「認められたい……ちがうな」 「一緒に歩いていきたいっていうか……ごめん、上手く説明できない」 なぜかすらすらと自分の気持ちを言ってしまう。 きっと、相手が菜月だからだろう。 「ご執心じゃない」 「フィーナがどう思ってるかは分からないけどな」 「そりゃそうね。 分かったら怖いし」 「だから結局は自分の問題なのよ」 「だな」 「そっか、達哉がフィーナをね……」 ……。 …………。 そう言ったきり、菜月は口をつぐんだ。 カシャン「あ」 どうやらグラスを落としたようだ。 「わお」 「おう」 「さ、出番よナイトさん」 「やめてくれよ」 俺は顔を引き締めながら、フィーナの元へ向かう。 ……。 「大丈夫か?」 かがみこんでいるフィーナの側に行き、小声で話しかける。 「ええ、怪我はないわ」 「良かった」 「こういう時は、まずお客様に謝る。 ほら」 「失礼致しました」 「失礼致しました」 「そしたら、危なくない大きな破片だけ拾って、プレートに乗せる」 「分かりました」 「後は私がやるわ。 私が落としたものだし」 「いいよ、二人でやろう」 「……え、ええ」 食事中のお客様がいるため、ホウキは使えない。 俺たちは、かがんでガラスの破片を拾う。 「手を切らないように」 「達哉も」 一つ、二つ、と破片を拾い集めていく。 気がつくと、フィーナと体が接するほど近づいていた。 フィーナからは、花のような甘い香りに混じって、かすかに汗の匂いが感じられる。 意識がぼうっとなるような、不思議な香りだ。 「あ」 「ん?」 最後の破片の上で、俺とフィーナの手が触れた。 「白魚のような」 とはこのことだろう。 フィーナの指は、白く細く、そして優美に動く。 そんな観察ができるくらい、俺たちは手を触れ合わせていた。 「達哉、拾わないと」 「あ、ごめん」 名残惜しさを感じながら、俺は最後の破片を拾い上げた。 ……。 ガラス専用のゴミ箱に破片を片づけ、俺たちは待機位置に戻った。 「ありがとう、助かったわ」 「やはり、先輩は頼もしいわね」 「すぐ埋まるよ、そんな差なんて」 「達哉は、いつからこの仕事を?」 「学院に入ってからだから、今年で3年目だな」 「菜月もその頃から?」 「正式にはそうだと思う。 あいつの場合は自分の家だからもっと小さい頃から手伝いはしてたけど」 「もう2年も、達哉と菜月は働いているのね」 「確かに、こちらから見ていても本当に息が合っていたわ」 「毎日のようにやってることだから」 菜月とは幼なじみで腐れ縁だけど、それ以上ではない。 フィーナに誤解されているのでは、と心配になった。 「良くないわね、時間に嫉妬するなんて」 フィーナがぽそりと言う。 「え?」 「いえ、私も頑張らないと」 からんからん「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」 「さ、フィーナ」 「ええ、閉店まで頑張りましょう」 そう言って、フィーナはお客様の元へ向かっていった。 ……。 クローズ作業も一段落し、俺たちは各々イスに座ってのんびりと体を休める。 「どうだった、一日働いてみて」 菜月は野菜ジュースをフィーナに渡しながら聞く。 「とても楽しかったわ」 「やはり、汗をかくのはいいものね」 「あはは、何かの勉強になった?」 「正直なところ、目の前のことで精一杯で勉強どころではなかったわ」 「初めは誰でもそんなものよ」 「毎日、学院に通って、放課後はこんなお仕事をしているなんて」 「二人ともすごいバイタリティ」 「ま、生活もあるしな」 「そね」 「休憩中すまん。 ちょっといいか?」 「はい」 「どうしたの?」 「いつもより早いんだが、給料を渡しておこうと思ってな」 左門の給料日は25日。 確かに早い。 「明日から夏休みだろ? その軍資金さ」 「そんな時期ですね」 フィーナがすっと俺たちの後ろに下がる。 「おいおい、どこ行くんだ」 「まずはフィーナからだぞ」 「私ですか?」 「ああ」 「きちんと仕事をした人にはきちんとお礼」 「そうじゃなきゃ、お天道様が西から上っちまう」 左門さんがにこやかに言う。 「ありがとうございます」 「んじゃ、フィーナ」 「はい」 「お疲れ様、ありがとう」 と、茶色い封筒をフィーナに渡す。 「ちゃんと明細を確かめるんだぞ」 「俺が強欲店長かもしれないからな」 「ふふふっ、はい」 フィーナが封筒から明細と約三千円の現金を取り出す。 「はい、確かに受け取りました」 「どうだ、感想は?」 「とても、とても嬉しいです」 フィーナは熱っぽく答えた。 本当に嬉しそうな顔をしている。 「よし」 「あとはお前ら」 まとめて封筒を渡された。 「なんかぞんざいじゃない?」 「ああ」 とりあえず、フィーナに習って明細と現金を確かめる。 ちなみに、日頃はやっていない。 「いつもの分は引いといたからな」 「はい」 「いつもの」 というのは、俺の給与から毎月積み立てている貯金のことだ。 「つーか、こんなところでわざわざ言わないで下さい」 「いいじゃない、恥ずかしがることじゃないわ」 「何のこと?」 「達哉はね、家にもしものことがあった時のために、毎月積み立てをしてるの」 菜月は俺を無視して説明を始める。 隠し立てしても無駄なようだ。 「初めは姉さんに直接渡そうと思ってたんだけど、受け取ってくれないんだ」 「自分のために使いなさいってね」 「さやかの気持ちは分かります」 「俺も分かるから、その分は内緒でおやっさんに預かっていてもらってるんだ」 「それを元手に、俺がギャンブルで少しずつ増やすって寸法さ」 「あほ」 「ま、そんなわけ」 フィーナは俺の顔をじっと見ている。 「素晴らしいことだわ、達哉」 真顔で褒められた。 こそばゆい気分だ。 「ありがとう」 「でも、褒められようとしてやっているわけじゃないから」 「ええ、分かっているわ」 「達哉はそんな人ではないもの」 「……うわ」 自分でも情けなくなるほど恐縮してしまう。 「達哉、真っ赤」 「ははは、フィーナには敵わんな」 「どういう意味ですか」 「いやいや、いいんだ。 はっはっは」 からんからん「こんばんわー」 「おっ、腹をすかせたのが来たな」 朝霧家の面々が、どやどやと店内に入ってくる。 「おい、仁、できてるか?」 「はっはっは、食べさせるのが惜しいくらいの出来だよ」 「じゃ、ご飯にしよっか」 「腹減ったな」 「ええ、今日はさすがに」 フィーナが笑う。 満たされた表情に、俺まで嬉しくなった。 1学期が終了した。 この日の学院は午前中で終わる。 それと同時に、フィーナの留学も静かに終わりを告げた。 ……。 いつもより早く帰宅した俺は、バイト前に犬の散歩を済ませ、縁側でクールダウンしている。 ちょっとその辺を散歩しただけで、シャツはべっとりと肌に貼り付いていた。 本格的な夏だ。 ぼんやりと昨日のことを思い起こす。 昨日のバイトは、フィーナにとって初めての仕事だったのだろう。 きっと月に帰っても、昨日のことは忘れずにいてくれるに違いない。 「フィーナ」 その名を口にするだけで、顔が少し熱を持つ。 ……。 俺はフィーナのどこが好きなのだろうか?美しいこと、凛とした雰囲気、真っ直ぐな考え方、責任感が強いところ、辛いことも一人で耐えようとする孤独さ、部分部分の話ではない。 これら全てが相まって作り上げられている、フィーナという人が好きなのだと思う。 ここまでは、すっきりと腑に落ちる。 だが……俺は想いを伝えるべきなのだろうか。 答えはきっとノーだろう。 仮にフィーナが俺のことを憎からず思っていても、彼女は俺の思いに応えることはできない。 そこには、幼い頃と同じ辛い別れが待っているだけだ。 フィーナのホームステイが、楽しい思い出として残るようにしてあげるのが一番いいのではないだろうか。 「どうしたの、深刻な顔して」 気が付くと、目の前に菜月が立っていた。 制服を着ているところを見ると、学院からの帰りのようだ。 「菜月か」 「何よ、その言い草は」 「暗い顔してるから、せっかく声かけたのに」 「わうっ、わふっ」 イタリアンズが菜月の足元に絡みつく。 「冷たいご主人様を持ってかわいそうに」 菜月はかがみこんで、3匹の頭を順繰りに撫でる。 「ごめん」 「いいわよ」 「大方フィーナのことでも考えてたんでしょ?」 「分かる?」 「まね」 「暗くなるのも仕方無いと思う。 相手が相手だし」 「どうしたらいいと思う?」 「……」 イタリアンズを撫でていた手が止まる。 「それを私に聞く?」 「え?」 「何でもない」 再び犬達を撫で始める菜月。 「きついと思うけど、頑張って」 「もちろん、責任は自覚してね」 「それを言ったら、何だってそうだろ」 「でも」 「でも、達哉は自覚できていなかったから好きになっちゃったんじゃないの?」 「……」 「ま、骨はみんなで拾ってあげるから、頑張って」 菜月の言う通りだ。 俺は、好きになってはいけない人を好きになってしまった。 本当に、フィーナや周りのことを考えているなら、好きになるべきではなかった。 でも菜月は、それを分かった上で応援してくれた。 ありがたい。 心からそう思う。 「ありがとう……あれ?」 視線を戻すと、既に菜月の姿は無かった。 庭ではイタリアンズだけが、不思議そうに俺を見ている。 「達哉」 背後からフィーナの声が聞こえた。 振り返ると、リビングからフィーナが出てきた。 「菜月が来ていたようだけれど?」 「ああ、帰りがけに寄ったみたい」 「そう」 フィーナの声がかすかに沈む。 「達哉は今日もお仕事?」 「ああ。 今何時?」 「4時15分ね」 「そろそろ行かないとな」 「フィーナ、今日はバイトしないのか?」 「私もこの後仕事が入ってしまって」 「遅くなるのか?」 「どうかしら」 「達哉と同じくらいの時間には、帰ってこられると思うわ」 「お姫様は夏休みが無くて大変だな」 「ふふふ、そうね。 でも……」 「与えられた責任は果たさないと、か?」 「ええ」 フィーナがにっこりと笑う。 何だろう。 明確には分からないけど、いつものフィーナじゃない気がする。 本当に話したいことが別にあるような……。 そう思うものの口には出せず、俺たちは簡単な世間話ばかりをする。 ……。 「それじゃ、俺は行くよ」 「また後で会いましょう」 「そうだな。 フィーナも頑張って」 「達哉も」 フィーナの笑顔に見送られ、俺は左門に向かった。 イタリアンズは、相変わらず不思議そうな目で俺を見ていた。 「ふう……」 最近ため息が増えた。 良くないと思ってはいるが、増える一方だ。 庭先から熱い風が吹き込み、髪を撫でた。 さっきまで達哉が座っていた縁側。 まだ、雰囲気が残っている。 温かい達哉の雰囲気。 「達哉」 実直で、時に腹が立つくらい不器用だけれど、真っ直ぐに生きている。 彼に頭を下げたあの夜無様なほどに甘えきっていたあの夜私の中で何かが変わった。 この人となら、一緒に歩いていける。 そう思った。 でも、この恋は許されるものではない。 あまりにもあまりにもたくさんの人に迷惑をかけすぎる。 恋など、周囲に迷惑をかけてまでするものではないと、そう思っていたのに……。 「姫さま、そろそろお時間が」 ミアが脇から声をかけてきた。 入ってきたことに気づかないなんて、どうかしている。 こんな調子で仕事に出ては、臣下に笑われてしまう。 「分かりました」 「ミア、着替えを手伝ってもらえるかしら?」 「はい、準備は出来ております」 顔を引き締めて立ち上がる。 ……。 達哉は、そろそろ着替えを終えて、フロアに出ている頃だろうか?達哉はウェイターの姿が良く似合う。 「……」 いけない、また気が緩んでしまう。 「姫さま、お加減でも?」 「いえ大丈夫よ」 「さあ、行きましょう」 「フィーナ様、お暑いところ申し訳ございません」 カレンが慇懃に頭を下げる。 「いえ、構いません」 「先日はお仕事をされたそうで」 「耳が早いわね」 「申し訳ございません」 「いいのよ、それが仕事でしょう」 「はい」 「それで、いかがでしたか?」 「楽しかったわ」 「それに、お給料も頂いたの」 「それはよろしゅうございました」 「初任給で、ミアに何か買ってあげようかしら」 「ふふふ、あやかりたいものですね」 「では、参りましょう」 「ええ」 私が歩を進めると、カレンが従う。 そういえば、達哉が護衛に押し倒されたのもこのあたりだったかしら?神経質なまでに掃き清められた石畳に、その痕跡はない。 それが、少し寂しい気がした。 部屋は、主の性格を反映する。 カレンの執務室は飾り気がなく整然としている。 壁には、父様と母様のお姿があった。 母様のお写真のほうが良い額に入っているのは気のせいかしら。 まあ、見なかったことにしておきましょう。 「どうぞお掛け下さい」 カレンに促されて応接用のソファに腰をおろす。 「カレンも座って」 「失礼します」 カレンが向かい側に座る。 武術で鍛えぬかれたカレンの姿は、なかなかに美しい。 縁談を片っ端から断っていると聞くけれど、誰か意中の人でもいるのだろうか。 仕事一筋では、いかにも寂しい。 そろそろ、しかるべき筋を世話してやってもいい頃かもしれない。 「あなたはもう下がっていいわ」 「呼ぶまで、ここへは人を入れないように」 カレンがお茶を持ってきたメイドを下がらせる。 メイドが部屋を出るのを待って、カレンが口を開く。 「朝霧家はいかがです?」 カレンにしては珍しく、本題から切り出さない。 「皆とても良くしてくれます」 「ミアも、最近は我が家のように働いています」 「お隣の鷹見沢の方々も、良い人ばかりです」 「それはよろしゅうございました」 「追って、さやかに礼を言っておきます」 「そうしてあげて」 「最近、お顔が柔らかくなられました」 達哉のおかげかもしれない。 すぐにそう思った。 「そうかしら?」 「はい」 「達哉君のおかげでしょうか?」 ……。 今日呼ばれた理由が分かった。 カレンは知っているのだ。 私の達哉に対する気持ちを。 「カレン」 「申し訳ございません」 ……。 私は何を腹を立てているのだろう。 これがカレンの仕事。 彼女を責めるのは筋違いだ。 「いえ、そうでなくては」 「恐れ入ります」 「ええ」 「達哉君とのことは、既に聞いております」 「一国の姫として、ご留学先の者と恋に落ちることについては、どう思われますか?」 間違っている。 そう答えなくてはならない。 それが、責任を果たすということだ。 「間違っているわ」 カレンの目を真っ直ぐに見て答えた。 「私もそう思います」 「月の民は、姫を信じて地球に送り出したのです」 「民の信頼を裏切るおつもりか?」 今回の留学に際しては、国家間の調整から始まり、大使館員の増員など、膨大なコストが掛かっている。 勿論それは、国庫、すなわち国民の税金から出されている。 「申し訳無いと思っています」 「どうすべきかは分かっていらっしゃいますか?」 「……」 「言われるまでもありません」 この想いは消さなくてはならない。 消すことができなかったとしても、決して悟られてはいけない。 そういうことだ。 「心中、お察し申し上げます」 「どうしてもお辛いということでしたら、留学を早期に切り上げることも検討しております」 「私がなすべきことをすれば、問題の無いことです」 語気が強くなる。 自分でも上手くコントロールできない。 「私は、陛下から姫の婿様について一任されております」 それはつまり──私と結婚する相手を、カレンが決めるということだ。 「初耳だけれど」 「地球に来る前に拝命致しました」 「そう」 「はい」 「その立場から言っても、達哉君とのお付き合いは賛同しかねます」 「達哉を悪く言うつもりですか?」 「達哉君自身には問題ございませんが、いかんせんご身分が釣り合いません」 「……」 いつの間にか、膝の上に置いた手がきつく握り締められていた。 「これ以上、達哉君とお近づきになるようですと、彼にも辛い思いをさせることになってしまいます」 「……もう良い」 「それは私としても不本意です」 「もう良い。 私はなすべきことをする」 気が付いた時には、もうドアに向かって歩き出していた。 悔しさで、頭がふらふらする。 カレンが悪いわけではない。 カレンに今回のことを告げたであろう、さやかが悪いわけでもない。 悪いのは私だ。 他の誰でもない、私だ。 こうなることは、初めから分かっていたはずなのに──どうして私は──達哉を好きになってしまったのか。 ぱたん「……お許し下さい」 この日の営業が終わった。 フィーナのことが気になって、今日はどうにも仕事が手につかなかった。 そのくせ、妙に疲れている。 俺はイスに腰をおろし、ゆっくりと息を吐く。 からんからん「こんばんわー」 麻衣の元気な声を先頭に、朝霧家の面々が入ってきた。 中にはフィーナの姿もあった。 良かった、夕食には間に合ったようだ。 「フィーナ、お疲れ様」 「達哉も」 フィーナの爽やかな笑顔。 それだけでバイトの疲れが癒えていくようだ。 「仕事、思ったより早かったな」 「ええ、ちょっとした調整だけだったから」 「なら良かった」 「みんな、料理を運ぶから席についてくれ」 おやっさんが厨房から声を飛ばす。 「さ、フィーナ」 俺たちは向かい合って食卓に着く。 ……。 すぐに料理が運ばれ、夕食が始まった。 対面では、フィーナがゆっくりと食事を口に運んでいる。 食事を取るフィーナの姿には、楽器を奏でているような優美さがある。 だがそれはいつもの話。 今日のフィーナからは、ピッチの狂った楽器を操りかねているような、そんな戸惑いが感じられた。 一体、どうしたのだろう?ふと、フィーナが手を止めて視線を上げる。 俺と目が合った。 瞳の底に流れる感情を読み取ることはできない。 なぜか、恥ずかしくなるより先に心配になった。 フィーナに胸のつかえがあるのではないか、そんな気がする。 俺は何か情報を掴もうと、彼女の瞳を見つめ続ける。 フィーナもそんな俺の視線を、ずっと受け止めてくれていた。 ……。 「こ、こほん」 「??」 周囲の視線が俺たちに注がれていた。 ……。 傍から見れば、俺とフィーナはみんなの前で見つめ合っていたのだ。 「あはははは」 「えへへへ~」 「あはははは」 「うふふ」 「はあぁ……」 乾いた笑いが伝播していった。 「すみません、食事中に」 「お兄ちゃん、もうフィーナさんと……」 「ち、違うって」 「なあフィーナ」 「え?」 ……。 …………。 沈黙が流れる。 そこにいた全員がフィーナに注目していた。 「達哉とは、そういった関係ではありません」 一言一言を搾り出すようにフィーナが言う。 恥ずかしさを誤魔化すための言葉ではない。 つまり──フィーナにその気は無いということだ。 「……」 なぜだろう。 俺には、フィーナが本心から言っているようには見えなかった。 本当にその気が無いなら、さらりと言ってしまえばいい。 なのに、なぜあんなに辛そうな表情をしていたのだろうか。 「姫さま……」 ミアが心配そうにフィーナを見る。 フィーナは俯いて、ぎゅっと唇を噛んでいた。 フィーナが我に返ったように表情を変えた。 「あ……」 「し、失礼しました」 「なに、気にするな」 「よーし、食事を続けよう」 「そう、心行くまで僕の料理を楽しんでくれたまえ」 「お前が作ったのはサラダだけだろが」 「はっはっは、そういうことは言わなくて良いのだよ」 「うるせえ」 「あは、あはははは」 菜月が恥ずかしそうに笑う。 「あの、この人たちは無視しちゃっていいんで、さっさと食べちゃおうか」 「うん」 「ミアちゃん、パスタとってもらえるかな?」 「はい、かしこまりました」 こうして、なんとか食事が再開される。 「フィーナ、何か取ろうか?」 「え、ええ。 サラダをお願い」 フィーナが皿を差し出す。 受け取る瞬間、またフィーナと目が合った。 深緑の瞳が、ゆらゆらと揺らめいている。 まるで深い井戸のように底が見えない。 でも、奥に潜むものが、何かしら悲しいものであることは直感できた。 「トマトを多めに取ってくれる?」 フィーナが笑顔を作って言う。 「ああ、任せとけ」 俺も精一杯の笑顔で返した。 でも、胸のもやもやは消えない。 フィーナが俺との関係で何か無理をしている。 もしかして……。 ……。 食後のお茶を飲み終えて、俺は縁側で涼んでいた。 麻衣、姉さんと順に2階へ上がっていく。 バイトをして体は疲れているはずなのに、俺は全く眠気を感じていなかった。 フィーナのことを考えていたからだ。 フィーナは、一体何を考えていたのだろうか。 バイト前、ここで別れるまではいつも通りだったのに。 「達哉とは、そういった関係ではありません」 頭の中を、フィーナの言葉が巡る。 言葉通りなら、俺がフィーナに想いを伝えても断られることになる。 でも、あの声の裏側には抑圧された感情があったように思う。 何がフィーナに、あんな声を出させたのだろうか。 ……。 「達哉」 端正な声が俺の名を呼んだ。 視線をおろすと、庭にフィーナが立っていた。 「隣、よろしいかしら?」 「ああ」 横にずれて、フィーナが座るスペースを作る。 「失礼するわね」 フィーナがスカートにシワが寄らないよう縁側に座る。 穏やかな風が流れ、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。 「他のみんなは?」 「もう部屋に戻ったわよ」 「達哉が外を見てぼんやりしているから、心配してたわ」 「そっか」 「この時間になると、外の方が涼しいわね」 「だな」 それっきり、言葉が途絶える。 ……。 …………。 沈黙が怖かった。 次にフィーナが口にすることは何なのか、見当もつかなかった。 「達哉」 「夕食の時は、雰囲気を悪くしてしまってすみませんでした」 「いいんだ、何か理由があったんだろ?」 「ええ……」 真っ直ぐ前を向いたまま、ぽつりと答える。 横目に表情を窺う。 ……。 感情を押し殺した硬い表情。 それは──遠いあの日、別れ際に見せた表情と同じものだった。 総毛立つような感覚が、体を走り抜ける。 きっと、彼女の中ではたくさんの感情がうごめいているのだろう。 幼いあの日も、そして今も、それらの感情を、フィーナは奥歯で噛み潰している。 また、俺の前から大切なものが消えようとしている。 ……。 幼いあの日。 フィーナと俺は立場の差に引き裂かれた。 俺は、ただ呆然と見つめることしかできなかった。 あの日だけではない。 父親が消えた時も、母親が死んだ時も、俺は、ただ呆然と大切なものが壊れていくのを見ていた。 俺が何かをしたからといって、結果は変わらなかったかもしれない。 でも、何もしなかった結果、俺に残ったのは後悔だけだった。 立場、身分、時間、確かにこれらは、変えることができない力かもしれない。 だが、抗うことはできる。 抗うか抗わないかは、本人が選択することだ。 ……。 決心が、すっと体に落ちてくる。 それは流星のように、小さくも力強い光を持って俺の中にある。 抗う。 あらゆる外圧に抗う。 その結果フィーナを失い、どんな責めを負うことになっても、俺は全て受け入れる。 抗って失うか、抗わずに失うか、二つに一つなら、俺は抗うことを選ぶ。 ……。 「フィーナ、俺……」 「達哉」 強い語調でフィーナが俺を遮る。 「今日、私が呼び出されたのは、縁談が決まったからなの」 「私の夫が、決まったわ」 フィーナが俺の目を見据えて言う。 「……」 まさか……そんな……体中を熱い感覚が駆け巡る。 歯の根が合わなくなる。 手が震える。 「国のためには、一番良い相手です」 「私は……満足しています」 フィーナが奥歯をかみ締めた。 感情を押し殺せてなどいない。 その表情は、あまりにも雄弁に彼女の悲しみと無念さを物語っている。 ……。 手を強く握る。 それで、全身の震えは止まった。 奥歯をかみ締める。 もちろん、決心を固めるために。 もう何も聞こえない。 風の音も、フィーナの声も、自分の迷いの声も。 「フィーナ」 俺はフィーナの手を強く握った。 「……っ」 フィーナの目が大きく見開かれる。 もう一方の手で柔らかい頬に触れた。 「俺、フィーナのことが……」 「達哉……」 ……。 …………。 フィーナの手が、頬に当てられた手に重ねられ、しっとりと包み込む。 「……」 目を閉じ、俺の手を強く頬に押し当てた。 ……。 …………。 フィーナの目尻から溢れた涙が、長いまつげの堤防を乗り越え、頬を伝い、膝の上に落ちる。 スローモーションのように、その一瞬一瞬が頭に焼き付いた。 「……けれど」 ……。 「許されるものではありません」 そう言った瞬間、フィーナは立ち上がった。 「フィーナっ!」 俺はフィーナの手を強く握る。 フィーナはそれすらも振りほどき、家の外へと駆け出した。 ヒールの甲高い音が、深夜の住宅街を遠ざかっていく。 追わなくては。 「っ!」 2、3歩駆け出して、自分が靴を履いていないことに気づく。 これでは、フィーナがいかにヒールだとしても、追いつくことができない。 「くそっ」 リビングへ駆け上がり、玄関へ向かった。 カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッヒールの甲高い音が、深夜の商店街に響く。 私はどこに向かって走っているのだろうか。 分からない。 私は達哉に何をしてしまったのだろうか。 分からない。 私はどんな顔をしているのだろうか。 分からない。 何も分からない。 ただ、頭の中を熱い感覚がぐるぐる回るだけだ。 「はあっ……はあ……」 どこをどう走ったものか、気が付くと川原を歩いていた。 達哉が追ってくる気配は無い。 「はあ……ぐすっ……」 達哉に見られていない。 そう思うだけで、涙がとめどなく溢れてくる。 泣くな。 泣いてはいけない。 一国の姫ともあろう者が涙を見せるなど……。 そう強く思う度に、涙腺が熱くなる。 「……ぐすっ……達哉……たつや……」 涙がどんどん口に入ってくる。 それがしょっぱくて、また泣いた。 ……。 私はどうして走り出したのだろう。 考えても分からなかった。 ただ、あれ以上達哉に触れられていたら、自分の中に押さえつけていたものが一気に噴き出してしまう気がして怖かった。 ……。 自分がこんなに脆いなんて、初めて知った。 達哉に名前を呼ばれるだけで、達哉に触れられるだけで、自分は舞い上がってしまう。 達哉に死ねと言われたら死ねる──そんな気すらする。 空には、細い糸のような月が浮かんでいた。 このままでは、あの星に住む人々を裏切ってしまう。 父様もカレンも、さやかも、いろいろな人を裏切ってしまう。 ずっと、母様のような立派な女王になろうと努めてきたのに、それすらも無駄になってしまう。 ……。 けれど、自分はどうしたらいいのだろう。 どうすべきかは明白だ。 今すぐ家に取って返し、達哉に非礼を詫び──自分の想いを諦めればいい。 分かっている。 分かっているはずなのに、自分にはそれができない。 足を止め、後ろを振り返る。 達哉は追ってこない。 追ってくるはずも無い。 私は達哉の想いをはね除けたのだから。 ……。 なのに、また振り返る。 あまりの愚かしさに悲しくなる。 でも振り返ってしまう。 もう、何もかもが滅茶苦茶だ。 頭も心も体も、全てが自分のものではないように勝手に動いている。 ……。 「……達哉」 「はあっ、はあっ、はあっ」 「はあっ……はあっ」 商店街に、フィーナの姿は見当たらない。 「フィーナっ!」 夜の商店街を、俺の声が幾重にも反響する。 ……。 返事はない。 「くそっ」 俺は再び走り出す。 アテがあるわけではない。 フィーナが行きそうな場所をしらみつぶしに当たるしかない。 ……。 タッタッタッタッタッタッタッタッ川原には見渡す限り人影は無い。 タッタッタッタッタッタッタッタッ「はあ……はあ……はあ……」 月人の居住区を走り抜け、大使館の入り口に到達する。 門の内側に入っていたら、俺には手を出すことができない。 フィーナはここにはいない気がした。 彼女が少しでも俺のことを思っていてくれたのなら、自分の立場との間で揺れ動いていたはずだ。 ならば、ここはフィーナにとって障害の本丸。 ここに走り込まれるようでは、もう何もかもを諦めるしかない。 いない。 いられては困る。 タッタッタッタッタッタッタッタッ「はあっ……ぜえっ、ぜえっ」 いない。 タッタッタッタッタッタッタッタッ「ぜはっ……げほっげほっげほっ」 「ぜえ、ぜえ、ぜえ……」 喉の裏と表が貼り付きそうなほど乾いている。 関節という関節が痛みを発している。 ここにもいない。 どこか、他にないのか。 フィーナが行きそうな場所は。 「はあ、はあ……はあ」 フィーナと出会ってからのことを思い出す。 ……。 …………。 商店街、川原、大使館、学院、公園、……ほかにどこがある。 ……。 …………。 痛む体を無理やり起こす。 丘の上に、モニュメントが見える。 ……。 あそこだ。 フィーナと以前、遊びに行った場所。 もしかしたら、あそこにいるかもしれない。 高くそびえるモニュメント。 実際の距離はかなり遠い。 ……。 全身が走ることを拒絶するように痛む。 俺はまだ、フィーナに好きだと伝えていない。 この口で言葉にしなくては、俺は必ず後悔する。 物見の丘公園にいなければ、見つかるまで探し続けるまでだ。 「フィーナ」 タッタッタッタッタッタッタッタッ「げほっ……ぐっ……あ、あ……」 もう声も出ない。 痛みはもう限度を超えている。 どこにいるんだ、フィーナ。 俺は感覚のない足を無理やり前に進め、展望台への階段を上る。 ざっざっざっいつもは犬を連れて軽快に駆け上る階段。 今は、一歩ごとに体が軋みを上げる。 ざっざっざっこの程度の苦痛に負けるわけにはいかない。 もし、フィーナが俺の気持ちを受け入れてくれたら、俺たちを待ち受ける困難はきっとこんなものではない。 俺はまだ、困難の入り口にも立てていないのだ。 ざっざっざっ強い風が吹いていた。 遠くには繁華街の明かり。 その手前には、美しい弧を描く満弦ヶ崎湾の海岸線。 そして、更に手前、7、8メートル程離れた所には──フィーナが立っていた。 風にスカートが流麗にたなびいている。 月の光を受けて輝く姿が、とても弱々しく見えた。 しばらく言葉を失い、フィーナの姿を見つめる。 ……。 …………。 これがあのフィーナなのか。 いつも彼女を包んでいた凛とした空気はなりを潜めている。 そこにいるのは、まるで普通の女の子だ。 俺が、フィーナをこうしてしまったのか。 そう思うと、言葉をかけずにはいられなかった。 「フィーナ」 幸い声が出た。 電池の切れかけた玩具のように、フィーナがゆっくりとこちらを振り返る。 「……」 フィーナの目が、ゆっくりと見開かれる。 風が吹き抜けた。 フィーナの銀髪が舞い上がる。 夜空をバックに、それは新雪のように輝いた。 「フィーナ……」 一歩踏み出す。 フィーナは辛そうに顔を背ける。 「フィーナ」 更に一歩踏み出す。 フィーナは顔を上げない。 「……来ないで」 かすれた声。 そこには抵抗の力が見えなかった。 俺はまた一歩踏み出す。 「俺はフィーナが好きだ」 「……」 フィーナが唇をかみ締める。 「好きなんだ」 ゆっくりと歩を進める。 ……。 手を伸ばせば届くところにフィーナがいる。 「それ以上近づかないで」 俯いたまま口を開く。 「それ以上近づかれたら……私は……」 「駄目になってしまう」 フィーナが細い腕で自分の体を抱く。 気持ちを封じ込めるように、ぎゅっと力を込める。 ……。 だが、彼女の腕はあまりに細い。 ゆっくりと、でも確実に、腕の隙間から彼女の心が染み出して来る。 フィーナ自身、それに気づいているのだろう。 血がにじみそうなほど、唇をかみ締めている。 「認められないのは分かっている」 「なら、逃げようとでも言うの?」 「違う」 最後の一歩を詰め、フィーナの腕を握る。 体がぴくりと痙攣した。 「戦おう」 「……」 フィーナが奥歯をかみ締める。 「俺はフィーナと戦っていきたい」 「もし、結果が駄目だったとしても、俺は戦うことを諦めたりしない」 俺はもう一方の手をフィーナの腰に回した。 「だめ」 驚くほどに細い腰。 少し力を込めただけで折れてしまいそうだ。 「達哉、やめて」 フィーナの腰を引き寄せる。 「……だめ」 「戻れなくなってしまう……」 全部消えた。 真っ白な世界。 ……。 体中に熱い感触。 ……。 …………。 ゆっくりとフィーナの像が浮かび上がる。 俺たちの距離はゼロになった。 口唇の柔らかな感触。 隙間から漏れる、溶けそうなほど熱い呼吸。 フィーナには、まだためらいがあるのだろうか。 彼女は、体を引き離すように、俺たちの間に挟まった手に力を加えている。 ……。 腰に回した腕を更に引き寄せる。 フィーナの体温が高くなっているのを、確かに感じた。 「ん……」 息が漏れる。 その甘さに、俺の思考が徐々にとろけていく。 俺の胸に置かれたフィーナの手が、ゆっくりと服を握り締めた。 そのか細い指の先まで熱を発し、バターに熱いナイフを当てたように、俺の中に入ってくる錯覚を受ける。 本当に入ってしまってもいい。 それで、フィーナが俺の想いをより強く感じてくれるなら──それで、彼女がためらいを振り切ってくれるなら──彼女の手で体内をまさぐられても構わない。 ……。 フィーナの二の腕を掴んでいた手をスライドさせ、彼女の手に指を絡める。 手袋越しでも、湿度と熱気が伝わってきた。 だが、フィーナの指は俺に応えない。 「ん……ふ……」 フィーナの息が俺の口に入ってくる。 何か危ない薬を入れられたように、つま先まで興奮した。 「……は……んっ」 フィーナが唇を離し息を継ぐ。 「達哉……私は……」 彼女の声には、抵抗するような力は感じられない。 「知ってる、姫なんだろう?」 「だから……んっ」 言い終わる前に、再びフィーナの唇を捕まえる。 「うむっ……ん……」 両手でフィーナの手を握る。 じっとりと汗ばんだ俺たちの手のひら。 隙間を作らぬよう、しっかりと握り締める。 ……。 フィーナの指が、俺の手をゆっくりと握った。 ……。 …………。 ようやく、彼女が俺の想いに応えてくれた。 彼女の体が、更に熱を帯びる。 その熱を逃さぬよう、体のあらゆる部位を彼女に密着させる。 熱湯を噴き出す泉のように、フィーナの体からはとめどなく熱が溢れ、俺を溶かしていく。 ……。 フィーナを誰にも渡したくない。 フィーナの深く、奥の奥までのめりこみたい。 こんなにも熱い衝動が自分の中にある。 戦っていける。 確信。 戦わずしてフィーナを手放すなんて、冗談にも程がある。 ……。 「ん……っ」 フィーナが唇を離す。 踵を地面につけ俺を見つめた。 俺も、しっかりと深緑の瞳を見返す。 「フィーナ」 「達哉」 「共に、進みましょう」 フィーナが俺の胸に額を当てた。 両腕でフィーナの華奢な体を包み込む。 右手を銀髪の中に差し入れ、ゆったりとフィーナの後頭部を包む。 じっとりとした熱が溜まっている。 手のひらに、確かなフィーナの存在を感じた。 「行こう、一緒に」 土手の道が月の光に照らされ、薄っすらと光る。 手をつないだまま、無言で歩いた。 水の中を歩くような、静かな気持ち。 無くしたと思っていたパズルのピースが、ふわりと現れては嵌っていく。 そんな感覚を一歩進むごとに感じていた。 フィーナは今、どんな気持ちでいるのだろう。 隣に目を遣る。 フィーナは穏やかな表情でじっと前を見ていた。 どこかで泣いていたのだろうか、薄く化粧が乗った頬には涙が伝った跡がある。 母親のような優れた女王になろうと励んできた彼女。 夕食時、フィーナが見せた沈痛な表情。 今思えばそれは、最後の一線を越えまいとする精一杯の抵抗だったのだろう。 それを俺が、突き破ってしまった。 ……。 でも、謝ることはしない。 フィーナは、こういう関係になることを積極的に選んでくれたのだと、信じているから。 俺の視線に気づいたのか、フィーナがこっちを見る。 「どうしたの?」 優しい笑顔で聞いてきた。 頭がぼうっとするくらい美しい。 乱れた化粧すら、彼女の美しさを引き立たせている。 「何だか不思議な気分なんだ」 「嬉しいんだけど、とっても静かで落ち着いてる」 ……。 「私も同じだわ」 「何かとても静かで……あの川のよう」 眼下の川に目を遣る。 三日月の光は弱く、流れが緩い箇所の様子は分からない。 ただ瀬の部分だけが、きらきらと宝石のような光を放っている。 「悪い意味じゃなさそうだな」 「もちろんよ」 俺の手がしっかりと握られる。 俺も握り返した。 「きゃ」 フィーナの体がガクリと傾く。 慌てて手を引っ張り、フィーナを抱きかかえる。 道には、踵の折れたヒールが転がっていた。 「大丈夫か?」 「ええ」 「でも、靴が……」 「仕方無いさ、ずいぶん走ったんだろ?」 「……すみません」 自分が逃げていたことを思い出したのだろう。 フィーナは申し訳無さそうに目を伏せた。 「いいって、こうして捕まえられたし」 俺はフィーナを抱きかかえた腕に力を込める。 「た、達哉」 フィーナが頬を染める。 「どうするんだ、これから?」 「歩きます」 フィーナはもう一方のヒールを脱ぎ、両足とも裸足になった。 「こんな日くらいは、裸足もいいものです」 と、俺から離れた。 「行きましょう」 フィーナは落ちている靴をきちんと手で拾い、裸足のまま歩き出す。 妙に律儀なところがかわいくて、俺は苦笑してしまう。 「何がおかしいのです」 「いや、ちゃんと拾うあたりがさ」 「当たり前です」 「これも民の血税でできているのですから」 痛快な回答だった。 「はははは」 「失礼ですよ、達哉」 頬を膨らませ、フィーナがさっさと歩き出す。 「俺も真似してみるか」 靴を脱ぎ、アスファルトに足を着いた。 かすかに残った昼間の熱が感じられる。 何だか嬉しくなり、俺は小走りにフィーナを追いかけた。 朝食を取るため1階に下りる。 昨夜走ったせいだろう。 節々が軋みを上げている。 がちゃ階段を下りきったところで、ドアが開く音が聞こえた。 「あ」 「あ」 ……。 「お、おはよう」 「おはよう、達哉」 朝っぱらから顔が熱くなる。 「良く眠れた?」 「眠れたけど、筋肉痛になってしまったみたい」 フィーナがテレくさそうに笑う。 「あははは、俺もだ」 「さ、メシ行こうか」 「ええ」 「おはよう」 「おはようございます」 「おはようございます、姫さま、達哉さん」 ミアがにこやかに挨拶してくる。 何か機嫌がいいみたいだ。 「おはよー」 「すぐ準備ができますから、お席でお待ち下さい」 「よろしく」 ……。 「姉さんは?」 座りながら麻衣に尋ねる。 「今日もお仕事だって」 「そっか。 忙しいな」 「珍しく朝からシャキッとしてたから、大事な仕事みたいだね」 「ふふふ、さやかが朝から」 姉さんの寝ぼけ顔は朝の定番。 シャキッとしてるのは重要な会議がある時くらいだ。 「姉さんも大変だな」 「麻衣は?」 「私は部活の友達と遊ぶ約束してるの」 「へえ」 ということは、家に居るのは俺とフィーナ、ミアの3人か。 「お兄ちゃんは何か用事あるの?」 「特に無いから、家でのんびりしてるかな」 大きく背伸びをする。 と、足が向かい側に座るフィーナの膝をつついてしまった。 「きゃっ」 「姫さまっ」 「い、いえ、何でもありません」 そう言ってから、赤い顔で困ったように俺を見た。 「ごめん」 「え、何?」 隣の麻衣がきょとんとした顔をしている。 「いや、何でもない」 「大丈夫、汗出てるけど?」 「ああ、ダイジョブダイジョブ」 「ふうん」 納得いかない表情。 ……。 こちょこちょ……ん?足がくすぐられた。 こちょこちょ……。 …………。 もしかしてフィーナ?正面を見るが、フィーナはそ知らぬ顔でキッチンのミアを眺めている。 フィーナにこんな一面があったとは。 負けられない。 俺は戦うと決めたのだ。 足を伸ばしてやり返す。 すぐに防御された。 「……」 ぶすっとした表情で俺を見る。 「……」 こちょこちょ今度はさっきとは違う方向からくすぐられた。 「む」 俺も負けじと脚を伸ばす。 びしっガードされた。 「……」 挑発的な笑みを浮かべるフィーナ。 うりゃそりゃとりゃびしっばしっがしっ全部ガード。 すごい運動神経だ。 「うそ……」 いりゃっりゃてりゃぱしっとすっぴしっ「お兄ちゃん、なに暴れてるのっ」 「うわっ」 「すみません」 「はい?」 「い、いえ」 フィーナがゆでだこのようになる。 ……。 …………。 「お兄ちゃん……」 麻衣が目を丸くする。 「な、何だよ」 「どうされました?」 ミアができたてのベーコンエッグを持ってくる。 「な、何でもないわ」 「さ、さあ食べよっか」 「え、ええ」 「……ごちそうさまー」 「は、はい」 麻衣が食あたりのような顔をしてダイニングから出て行く。 「麻衣さん、どうかされたのでしょうか?」 「な、なんだろ」 「さ、さあ」 「??」 ミアは、頭にクエスチョンマークを浮かべながらキッチンへ戻った。 「達哉さん、お茶をどうぞ」 朝食後、リビングでくつろいでいるとミアがお茶を差し出した。 氷の浮いた緑茶だ。 「ありがとう」 口に含むと、心地よい冷たさと苦味が広がった。 透明感のある緑色が、目にも涼しい。 「あの、達哉さん?」 「どうしたの?」 「姫さまとはお付き合いを初められたのですか?」 「ぶっ」 お茶を口に入れていたら、確実に噴き出していただろう。 白い家具が多いリビングで色の強いものを吹いたりしたら、それこそ大惨事だ。 「あっ、すみません、変なことを言って」 「いや……しかし何で?」 「姫さまのご機嫌がよろしかったですし……」 「それにお二人とも、楽しそうなご様子でしたから」 「ああ……」 ずっとフィーナについているだけあって、さすがにフィーナの変化には目ざとい。 しかし、どう答えたものか。 ……。 いずれ分かることだから、隠したくはない。 でも、フィーナに相談してからの方がいいと思う。 「フィーナとはそういう関係じゃないな」 「そうですか……」 なぜここで残念そうな顔をするか。 「付き合ってた方が良かった?」 「えと……」 「メイドの身でこのようなことを申し上げるのは、はばかられるのですが」 「達哉さんのお話をされている時の姫さまは、とても楽しそうでした」 「それに、以前、仲直りをされてから、姫さまが達哉さんをお慕いしているように見えたものですから……」 ミアがもじもじしながら言う。 「そうだったのか」 「ただ私は、姫さまが喜ばれるお姿を拝見するのが、一番嬉しいんです」 「本当にそれだけで、難しいことは何一つ分からないのですが……」 言い終えたミアは、もう真っ赤だった。 まるで好きな異性の話をしているみたいだ。 「ミアは本当にフィーナが大切なんだね」 「はい」 「姫さまが立派な女王様になられるよう、少しでもお力になれれば、それで幸せです」 それまでとは打って変わって、ミアは顔を上げ堂々と言った。 フィーナに対するひたむきな思い。 フィーナに仕えることが、ミアにとって本当に大切であること。 これらが、虚飾無しに感じられた。 ここまで純粋に、強く人を思うことは、なかなかできることではない。 幼くか細い外見とは裏腹に、ミアのことがとても大きく見えた。 「偉いな、ミアは」 俺はミアの頭をぽんぽんと叩く。 「わわわわっ」 「も、申し上げたことは、絶対に内緒にして下さいねっ」 「ああ」 ミアを見ていたら、自分が隠し事をしたことがとても恥ずかしく思えてきた。 「ミアがいろいろ話してくれたから、俺も正直に教えるよ」 「はい?」 「俺、フィーナと……」 付き合ってたっけ?そういえば、付き合う付き合わないって話はしてないよな。 「姫さまと、どうされたんですか?」 ミアがごくりと息を呑む。 「いや、気持ちは伝え合ったんだけど……」 「わああああああぁぁぁぁっ」 「そそそそ、それは、それはっ」 ……。 ミアが壊れた。 「ご、ご結婚はいつになるのですか!?」 「はあっ!?」 飛躍しすぎだと思う。 「そんな、結婚なんてまだ」 「ですが、王女様とお付き合いされてから別れるなど、前例がありません」 「そのような侮辱を受けましては、姫さまにお仕えするものとして、黙っているわけには参りません」 「……うわ」 ……。 ミアがぼんやりと天井を見上げる。 何だろう……即位式とかを想像しているのか?「姫さまがお召しになるドレスをお作りしたいものです」 夢見がちなことを……と、一瞬考える。 しかし、よくよく考えれば、ミアが言っていることがおかしいとも思えない。 「ミア、大きな声を出して、何かあったの?」 「ひ、姫さま……こ、この度は」 「??」 「おいおいおいおいおいっ」 俺は、慌ててミアの口を押さえる。 「ミア、ちょっと待ってくれ、喋らないでくれるか?」 真っ赤になっているミアに言う。 ミアがコクコクと頷く。 「どうしたの、達哉?」 「いや……俺たちのこと……話した」 ……。 「達哉……」 フィーナが眉間にしわを寄せて大きなため息をつく。 ……。 「ミア」 「は、はい」 「このことは一切口外無用です」 「例えカレンにであっても、話すことは許しません」 ぴしゃりと言う。 「……か、かしこまりました」 ミアがかすかな畏怖とともに背筋を伸ばす。 「皆へは、追って私から説明します」 「それまで待ってもらえる?」 今度は優しく言う。 「は、はい」 「良い子ね、下がって良いわ」 「はい、失礼致します」 ミアは深く頭を下げると、きびきびした足取りでリビングを出て行った。 右手と右足が同時に出ていたけど。 ……。 …………。 「達哉、困るわ」 フィーナがため息をついてソファに腰をおろす。 「ごめん」 ……。 「私たちは、そう簡単な関係ではないのよ」 「……」 「分かっていると思って良いのね」 フィーナの目が俺を射抜く。 それは脳の奥まで貫くような視線。 五寸釘で手足を打ち付けられたように、身動き一つできない。 今まで出会った人などとは、桁違いの眼力だ。 ……。 「ああ」 言葉の真偽を問うように、フィーナは俺を見つめ続ける。 背中を汗が伝った。 ……。 …………。 「いいわ、今後注意して」 「……ああ」 視線から解放される。 「気分転換に家を出てみない?」 一転、曇りの無い笑顔。 「え?」 「私とでは不服かしら?」 「い、いや、嬉しい」 「そう」 フィーナが微笑む。 「では準備をして、30分後にここを出ましょう」 「了解」 俺の返事を聞いてフィーナは立ち上がった。 動くこともできず、俺は背中を見送る。 ……。 これは──絶対尻に敷かれてる。 「今日は良い天気ね」 フィーナが帽子のつばを持ち上げ、まぶしそうに空を見る。 気温は30度を越えているだろう。 それでも、フィーナはあまり汗をかかない。 淑女のたしなみというヤツか。 「フィーナは暑くないのか?」 俺はTシャツの襟をぱたぱたさせながら聞いた。 「夏だもの、暑いわ」 しれっと言う。 「暑い時はあまり動かない方が良いと思うけれど」 「そう言われてもなぁ」 「ふふふ、では涼しいところに入りましょうか」 「5分ほど行った所に、美味しいケーキを出すお店があるんですって」 「へえ、ちゃんと調べてるんだ」 「休み前に遠山さんから聞いたのよ」 「彼女は詳しいですから」 「遠山なぁ……」 「巨大で極甘のパフェが出るとかそれ系か?」 「特には聞いていないけれど……」 「でも、それならそれで、良い記念になるわね」 フィーナが明るく微笑む。 「何の?」 「初めての……」 「デート」 フィーナが顔を赤らめて縮こまった。 ……。 くらり、と来た。 いつものフィーナとのギャップがすごい。 何も言わずフィーナの手を握る。 気温のせいかもしれないが、とても熱くなっていた。 「どっちだ、その店?」 「あ、あっちよ」 ……。 店は瀟洒なビルの中にあった。 エスカレーターの脇に吹き抜けの広場があり、そこをテラスとして利用している。 俺みたいな学生にはちょっと縁遠い店だ。 「テラスにしましょう。 せっかくのお天気だから」 「ああ、ここなら綺麗に空が見えるよ」 ほとんど自分の部屋と変わらない仕草でイスに座る。 すぐに、近くを通りがかったウェイターを、かすかに頷いただけで呼ぶ。 左門でもこんな風に俺を呼ぶお客がいるが、大概は近所のおばさんが気取ってやっているだけだ。 板についていなくて、見ている方が恥ずかしくなる。 ……そんな仕草もフィーナにかかれば、全く違和感が無い。 彼女にとっては自然な行為だからだ。 「達哉は何にするの?」 「あ、じゃあ、このケーキセットで」 「私はこちらを」 俺はチーズケーキとコーヒーのセット、 フィーナは桃のタルトと紅茶のセットを頼む。 「良いお店ね、とても落ち着くわ」 「ありがとうございます」 ウェイターが微笑んで頭を下げる。 中年にわずかに差しかかったくらいの、品のいい人だ。 「ケーキの味が楽しみね」 「はい、間もなくお持ち致しますので、少々お待ち下さいませ」 ウェイターは再び頭を下げ、奥へ入っていった。 向き直ったフィーナが、俺の顔をしげしげと眺める。 「どうしたの? 気の抜けた顔をして」 「フィーナが自然にウェイターと話しているからさ」 「おかしいかしら?」 「私は思ったことを言ったのだけれど」 恐らく俺が感じたことは、フィーナには理解できないだろうな。 そう考え、少し話を逸らすことにした。 「いや、左門でもフィーナみたいに気さくなお客ばかりだったらいいなってこと」 「ふふふ、無愛想な方もいますからね」 自分が働いた時のことを思い出したのだろう。 フィーナはくすりと笑った。 ……。 少しして、注文したものが運ばれてきた。 ケーキはやや小ぶりだが綺麗な形をしている。 「まあ、これは美味しいわ」 早速ケーキを口にしたフィーナが言う。 この辺のリアクションは、うちの人たちと変わらない。 俺もチーズケーキを口にする。 濃厚なチーズの味わいが口いっぱいに広がる。 美味しいには美味しいのだが、甘みがきつい。 早速コーヒーを口にした。 「俺にはちょっと甘いな」 「お菓子はしっかりと甘いほうが美味しいわ」 「少しづつ食べれば、ちょうど良いと思うけれど」 「なるほどな」 俺はいつもの半分くらいをフォークに取って口に運んだ。 甘さも程よく、それでいて満足感もある。 「……」 フィーナがじっと俺を見ている。 「ん?」 「な、何でもないわ」 フィーナが顔を逸らす。 でも、少しするとまた俺を…… ……。 違った。 ケーキを見ていた。 ちょっと意地悪をしたくなる。 「食べる?」 「私は、私のものがあるわ」 顔を赤くするフィーナ。 「じゃあ残そ」 「……」 フィーナがじっと俺を見た。 「でも、お腹がいっぱいなんだけど……」 俺がケーキ一つで満腹になるわけが無い。 「意地悪な達哉」 テーブルの下で、フィーナが俺のつま先をつつく。 「あははは、ごめん」 「どうぞ」 「ありがとう」 と、皿をフィーナに渡す。 フィーナはフォークで少しだけケーキを口に運ぶ。 「どう?」 「とても濃厚で美味しいわ」 「もっと食べたら」 「ふふふっ、遠慮はしないわよ」 フィーナは笑って、もう2、3口を食べる。 ……。 幸せそうにケーキを味わうフィーナ。 その表情を見ているだけで、俺まで幸せな気分になった。 ……。 店を出ると、相変わらず日差しは強かった。 「次はどこか行きたいところある?」 「そうね……」 「少し歩いてみましょうか」 「おっけー」 俺たちは再び手をつなぎ、繁華街を歩き始める。 夏休みの日曜日。 街は子供連れやカップルで溢れている。 そんな中でも、フィーナの美貌と凛とした雰囲気は際立っている。 どんな場所に行っても、フィーナのことだけはすぐに見つけられそうな気がする。 すれ違いざまに足を止めてフィーナを見る人も、一人や二人ではない。 それが、俺には誇らしく思えた。 中にはフィーナの顔に見覚えがあった人もいたかもしれない。 だが、よもや月の姫様がパッとしない男と街を歩いているとは思うまい。 ……。 驚いたことに、フィーナとのデートは大してお金がかからない。 出掛けに、なけなしの金を財布に突っ込んで来たのだが、出費らしい出費はケーキを食べたことくらい。 フィーナにとっては、見るもの聞くものが全て珍しく、雑貨屋なんぞに入ろうものならそれこそ大騒ぎだった。 ……。 「これは、何かしら?」 フィーナが足を止めたのは、満弦ヶ崎水族館のポスターだった。 水族館としてはなかなか金が掛かっており、海中トンネルがあったり、期間限定のイベントも多い。 「水族館さ」 「??」 「うちの何倍もある大きな水槽で、海の生き物が飼育されてるんだ」 「……」 フィーナが言葉を失う。 「それは見ることができるのかしら?」 「ああ、もちろん有料だけどな」 「すばらしいわ……」 フィーナは食い入るようにポスターを見る。 青い海の写真をバックに、いろんな種類の魚が泳いでいるだけのポスター。 隅には蛍光色で『イルカに触ろう!』などとメッセージが書かれている。 何の変哲も無いポスター。 それを、まるで巨匠が作った芸術作品を鑑賞するかのように眺める。 「……」 月の人にとっては、とても信じられないものなのだろう。 「今度行ってみようか」 「え?」 「次の休みにでも、水族館に行こう」 「本当っ」 「ああ」 「嬉しいわ、達哉っ」 珍しく大きな声。 周囲の視線が集まった。 「あ……」 「あはははは……」 フィーナが真っ赤になる。 「そ、そろそろ帰ろうか」 「え、ええ」 奇異の視線の中、俺たちは身を縮めながら帰途に着く。 ……。 夕日が沈もうとしている。 強い西日が俺たちを赤く照らす。 自然と足が止まった。 「地球は美しいわね」 「……そうだな」 確かに美しい。 でも「地球は」 という部分は、俺には分からない。 「月の民にも見せられたら、どんなに喜ぶか」 俺とフィーナがみんなに認められて、何かいろんなことが上手くいったら── 月の人たちが、好きな時にこの景色を見に来られる時代が来るのかもしれない。 具体性のかけらもない考えが浮かんだ。 フィーナが俺の手を強く握る。 俺も応える。 胸の中が安心感でいっぱいになる。 「ずっとこんな日が続いたらいいのにな」 ポツリと言った。 フィーナが俺の顔を見る。 「それでは困るわ」 「え?」 真剣な表情のフィーナ。 「戦うと言ったのは誰?」 「このままでは、あと一ヶ月もすれば私たちは二度と会えなくなるわ」 「……」 「周囲に認められて初めて、私たちは付き合い始めることができる」 「そうでしょう?」 ……。 そうだった。 今はまだミアしか俺たちの関係を知らないから、出かけることができるのだ。 ひとたび月の人に知られれば、どうなるか知れたものではない。 「そうだな」 「ずっと一緒にいるためには……頑張らなくちゃな」 「ええ」 フィーナが微笑む。 「達哉となら戦っていけると、そう思ったからあなたを伴侶に選んだの」 「ああ……」 フィーナが俺の目を見る。 俺もじっと見つめた。 西日がフィーナの白い肌を染めている。 この人を悲しませたくない。 幼いあの日は、もう繰り返したくない。 俺を伴侶として選んでくれたからには、後悔させたりしない。 ……。 伴侶……。 『【伴侶】(はんりょ)配偶者のこと、パートナー』 「伴侶っ!?」 ……。 …………。 「何か不都合でも?」 ぶすっとフィーナが言う。 「伴侶って、やっぱり結婚だよな」 「当然でしょう」 「達哉、あなた、一国の姫を袖にできるとでも思ってるの?」 フィーナが繋いでいた手を振り解く。 「い、いや」 「フィーナが姫じゃなかったとしても、別れたりなんかしない」 「本当かしら」 じとっとした目で俺を見る。 「これは本当だ」 俺は再びフィーナの手を掴む。 「そうでなきゃ、戦うなんて言えない」 フィーナは、まだ俺の目を見ている。 「……なら」 「ここでキスをして」 「分かった、するぞっ」 「いいわ」 フィーナが俺の胸に手を置き、目を軽く瞑った。 俺はフィーナの両肩を優しく掴む。 フィーナの薄く光沢のある唇が、薄く隙間を明けている。 よく見ると、昨日と唇の色が違う。 出かけるために、色を変えてくれたのだろうか。 ……気づいてあげられなかった。 ……。 急に愛しさがこみ上げてきて、胸が一杯になった。 ごめん。 大好きなフィーナ。 「早くして、恥ずか……っ」 言い終わる前に唇をふさいだ。 「カレン、遅れてごめんなさい」 「いいのよ、私も今仕事が終わったところだから」 カレンが大きなデスクの上で書類を調える。 「さ、かけて」 「失礼します」 カレンに勧められたソファに腰を下ろす。 カレンがかすかに頷き、メイドを下がらせる。 「さて……」 カレンは一つため息をついて、ソファに腰を下ろす。 私より、ソファの軋みが少ない。 「悪かったわね、こんな時間に来てもらって」 「いえ、謝らなくてはいけないのはこちらだわ」 身を乗り出す。 「ごめんなさい」 重厚な木製のテーブルに両手を着き、下げられる限り頭を下げた。 こつん、と額に冷たいテーブルの感触。 これ以上、頭を下げられないのが口惜しい。 ……。 …………。 ………………。 「さやか、頭を上げて」 「それでは話もできないわ」 「でも……」 「気持ちは分かるけど、そうしていても問題は解決しないわ」 「……ごめんなさい」 ふっ、と一つ息をついてカレンが背もたれに体を預ける。 「しかし、フィーナ様も昨日の今日で何ということを……」 「何のこと?」 「先日、こちらへお運び頂き、達哉君のことを確認したの」 「その時は何と?」 「なすべきことをすると」 夕食時のフィーナ様の態度を思い出す。 そういうことだったのか。 「昨夜は、私が二人より早く寝てしまって……その後に何かあったようなの」 「何か?」 「分からない」 「でも、その……そういう関係はまだ持っていないと思う」 「まだ、ね……」 カレンがまた息を吐く。 「率直に答えて欲しいのだけど、二人は本気だと思う?」 「思うわ」 それは断言できた。 達哉くんとフィーナ様、二人とも実直な性格だし、上手く嘘をつけるタイプではない。 「ま、そうでなくては困るけど」 「お互いが本気であることは、周囲に迷惑をかける上での最低条件だわ」 「……二人を応援してくれるの?」 「……」 「さやか、貴女まさか……」 カレンが鋭い視線で私を見る。 ……。 …………。 「二人が本気なら、私は……」 「さやか」 カレンが強い口調で私の言葉を遮る。 「冷静になって」 「……」 冷静なつもりだ。 良くても職を失うだろう。 外交面から見れば、地球と月の関係が悪化することも考えられる。 地球との接触を嫌う月の古い貴族達が騒げば、カレンも火消しで地球にいるどころの話ではなくなるだろう。 「ともかく、この話は絶対に漏らしてはいけないわ」 「あと、お二人が早まったことをしないよう注意して」 「ええ」 それは逆効果な気がする。 二人とも一本気だから、抑圧には素直に反発するはずだ。 突発的に関係を持ってしまうかもしれない。 「フィーナ様の留学を早期に切り上げることは考えていないの?」 「今のところは」 「フィーナ様が、本気でお心を定められたことならば、私はそれを卑怯な方法で諦めて頂くことはしたくないわ」 「それは臣下としての分を外れている」 「本来的に、家臣は主人の意思を助けるものです」 「それが本気のものであるならば」 ふと、カレンが壁に掛けられたセフィリア様のご真影に目をやる。 相変わらずの美しさ。 写真ですら強い存在感を放っている。 ……。 「フィーナ様はセフィリア様によく似ていらっしゃる」 「ええ、そうね」 セフィリア様は月と地球の友好を心から願っていらっしゃった。 私が月へ留学し、今こうした立場にいられるのも、全てセフィリア様のお力あってのことだ。 「理想高く、実直で、お美しくて、何事にも優れていらっしゃる」 「頑固ですけど」 「ええ」 苦笑するカレン。 「でも、セフィリア様にあって、フィーナ様にはないものがあるわ」 「?」 「わがままさ、よ」 「ぷっ」 「笑わないで」 「セフィリア様の自分勝手さには、いつも振り回されていたけれど」 「気がつくと、それ無しでは物足りなくなっているものなの」 遠い目でご真影を見る。 カレンにセフィリア様を語らせると、なかなか止まらない。 「セフィリア様はいつも突拍子もないことを仰って、年寄り達の顰蹙を買っていたわ」 「私も初めは実現不可能なプランだと思うのだけど、いつの間にか乗せられて、気がつくと熱中している」 「そして最後には、年寄りたちをやりこめるのよ、結果で」 「ずっとその感覚に夢中だった」 「さやかが月に留学できたのも、そんなセフィリア様のわがままのお陰よ」 「分かってるわ」 わずかに頬を上気させて話していたカレンが、表情を引き締める。 「だから、フィーナ様には全力で向かってきて欲しいの」 「フィーナ様が全力でわがままを貫き通そうとされるなら、私も全力でお相手できるわ」 武人らしいスッキリとした物言い。 「それで結局、二人の関係には反対なのでしょう?」 「当たり前です。 お話になりません」 「ただフィーナ様は、ほとんどの人間が反対することをご存知のうえで、達哉君との関係を選択されたのです」 「主人の本気のわがままには、本気で対すると言っているだけです」 「途中からセフィリア様の話が多かった気がするけど」 「それはそれです」 ……。 ま、いつものことか。 「分かりました」 「二人には早まったことをしないよう言っておくわ」 「あと、卑怯な逃げ方もね」 「ええ、お願いするわ」 「私がお目にかかってご意見を申し上げても、恐らく火に油を注ぐだけになってしまうから」 「了解よ」 「カレンはどうするの?」 「私はフィーナ様が何か行動を起こすまで待つわ」 待つ……。 あの二人にとっては、一番辛いことなのかもしれない。 向かってくる外敵に抗うことは、待つことに比べればまだ楽だと思う。 相手に待たれている限り何か行動を起こす必要がある。 タイムリミットが来れば、二人は別れねばならないからだ。 しかもカレンは……「二人を許すことはできないのでしょう?」 「くどいわね」 カレンが眉をピクリと動かす。 分かっていたこととは言え、二人が不憫だ。 「私は月の繁栄を第一に考えているわ」 「その観点から達哉君に反対しているの」 「達哉くんが月の繁栄に繋がれば、関係を許すと言うの?」 「万が一にもそういうことがあれば、だけれど」 「……」 「さやかも、もう少し自分を大切にして」 「状況が悪化すると、あなた自身が危ないわ」 「分かってる」 「でも、私は達哉くんのことを信じてあげたいの。 家族なんだから」 「家族なら止めるべきではないの?」 「それはカレンと同じよ」 「達哉くんが本気だと思うから、私も本気で頑張るの」 「……」 カレンがため息をついた。 「仕方が無いわね」 「ともかく、二人が早まらないように、それだけはお願いするわ」 「古今東西、身分を越えた恋愛の結末は悲劇と相場が決まっているのだから」 「分かりました、それは責任を持って」 自分がどの口で「責任」 を口にするのか……。 自嘲的な気分になる。 ホストマザーがこの調子では、カレンもさぞかし落胆していることだろう。 国王陛下も貴族の方々も、私を信頼してフィーナ様を預けてくれたというのに、この体たらくだ。 「頼んだわよ」 私は無言で頷いた。 ……。 「さて、久し振りに飲みましょうか」 「そんな気分では……」 「そういう時こそ飲むものよ」 カレンは、立ち上がりデスクの内線に手を伸ばした。 ……。 彼女にしても、非常に辛い立場だろう。 フィーナ様が地球にいる間の全責任を負っているカレン。 このままでは、彼女が失脚する可能性もある。 それでも彼女は、月とフィーナ様のことを考えていた。 なかなかできることではない。 ……。 …………。 「しかし、フィーナ様もそういうお年頃になられたのね」 カレンがため息を漏らす。 「そうね」 「自由に人を好きになれないのは、お可哀想だけれど……」 「姫たる方の責任よ、仕方のないことだわ」 「それはそうと、さやかはどうなの?」 カレンの口調が少し優しくなる。 「私? もう、ぜんぜんよ」 「博物館にこもりっきりだから」 ぱたぱたと手を振って否定する。 「時間は限られているわよ」 「分かっているわ」 「そういうカレンはどうなの? 誰か見つけた?」 「わ、私は、陛下にお仕えする身」 「恋愛などする時間はありません」 憮然とした表情で言う。 「そうかしら?」 「そうです」 「第一……私は、その」 カレンが私の胸を見る。 「魅力に欠けるから、諦めているわ」 「また、そういうことを言って」 「魅力というものは、自分を卑下する度に逃げていくものよ」 「分かっています」 「分かっていないでしょう?」 「……」 カレンが、ぷいっと顔を逸らす。 私といる時には、こういう可愛いところを見せてくれる。 出るところに出れば、男性からも人気があると思うのだけれど……。 ……。 がちゃ入口のドアが開き、メイドが入ってきた。 手に持ったプレートには、ワインのボトルとオードブル。 「今日はワインの良いのがあるの」 「それは楽しみね」 「お姉ちゃん遅いね」 「仕事が長引いているのかしら?」 「遅くなる時は大抵連絡をくれるんだけどなぁ」 ブルルルル……キュッ「あら、お車のようですが」 「どれ」 窓まで寄ると、確かに家の前に黒塗りの車が停まっていた。 後部座席では、数人の人がなにやらもぞもぞしている。 「カレン?」 「え、カレンさん?」 フィーナの顔をうかがう。 かすかにだが、渋い表情をしている。 カレンさんは、もう俺たちのことを知っているのだろうか。 そう言っている間に、カレンさんは後部座席から人を引っ張り出し、家の方へ近づいてきた。 「何か、姉さん運んでないか?」 「ええっ、ちょっとお姉ちゃんどうしちゃったの?」 ぴんぽーん「悪いけれど、そちらから開けてもらえないかしら?」 「は、はいっ」 がちゃ「ひゃあ、さやかさんっ」 開いたドアから、姉さんがカレンさんにおんぶされて現れた。 近くには黒服も控えている。 「……お、お酒臭さぁ」 「姉さん……」 「夜分失礼致します」 ……。 「カレン、何ですこのような時間に」 「……」 一瞬、二人の間に緊迫した空気が……「うう……うぷっ」 「さ、さやか、待って、待ってっ」 ……流れるどころではなかった。 「わわわわわっ」 ミアが慌ててキッチンに飛び込み、ビニール袋を持ってくる。 「だ、大丈夫……平気」 と言って虚ろな笑みを浮かべる。 「では、下ろすわよ」 カレンさんがゆっくりと腰を下ろし、姉さんを床に横たえる。 「あの、姉さんどうしたんですか?」 「いえ、少し飲ませすぎてしまったようです」 「カレ~ン、逮捕だ~」 もう、訳が分からない。 「とにかく、リビングに連れてかないと」 「は、はい」 と、二人が姉さんに肩を貸して歩いていく。 「カレ~ン、まったね~」 ……。 …………。 「こ、コホン」 「申し訳ありません、私につき合わせて飲ませすぎてしまいました」 そう言うカレンさんはぴんしゃんしている。 「いえ、いいですよ」 「また飲んであげて下さい」 「ふふっ、達哉君が年上のようね」 「カレン」 フィーナが強い目線でカレンを見る。 俺が射すくめられた目だ。 「何か?」 カレンさんは微笑すら浮かべたまま、フィーナの視線を受け止める。 ……。 …………。 「……」 「何も無いのでしたら、私はこれで」 フィーナはカレンさんを睨んだままだ。 ここで何かを始めるには、あまりにもタイミングが悪い。 「失礼します」 カレンさんは深々と頭を下げ、踵を返した。 ほっと胸を撫で下ろす。 「そう」 カレンさんが振り返った。 「さやかを責めるのは筋違いも良いところですよ」 カレンさんが鋭い視線で言う。 ……。 恐らく、俺とフィーナのことを、姉さんがカレンさんに告げた。 カレンさんは、そのことで姉さんを責めないで欲しい、と言っているのだ。 「それでは」 そう言って、玄関のドアを出て行く。 外で控えていた黒服が、頭を下げてからドアを閉めた。 ばたん「ふぅ……」 「……何が『ふぅ』ですか」 「だって、ここじゃ場所が悪すぎる」 「……」 むすっとした顔でフィーナが俺を見る。 「確かに、達哉の言う通りです」 「続きは日を改めて、な」 「ええ」 フィーナが表情を緩める。 しかし、カレンさんは強敵だ。 フィーナの強烈な視線を受けて、眉一つ動かさなかった。 ……そういえば「あ、あのさ」 「何です?」 「カレンさんって力あるよな」 「ええ」 「カレンは、ああ見えて武官なのよ」 「平たく言えば軍人」 「軍人……何かイメージ湧かないな」 「無理もないわね」 「でも彼女、ああ見えて剣術の達人なの」 「剣術? カレンさんが?」 「すごい腕よ。 私なんかが立ち会っても、10本に1本取れればいい方だわ」 立ち会ってってことは……「フィ、フィーナも剣術をやるの?」 「もちろん」 「といっても、護身術程度だけど」 でも、達人から10本に1本取れるんだよな。 それってすごいことなんじゃ……。 「達哉は心得があるのかしら?」 「……ない」 「機会があったら練習してみましょうか?」 「面白いかもしれないな」 「面白半分だと怪我するわよ」 「さて、さやかの様子を見に行きましょう」 フィーナは笑ってリビングへと向かった。 バイトに行く前の時間。 俺とフィーナは二人でイタリアンズの散歩に出ていた。 「達哉は、今日もアルバイトなのね」 「寂しい?」 「そ、そんなことはないわ」 「誰しも、なさねばならないことがあるもの」 ぷい、とそっぽを向くフィーナ。 「昨日言ってた水族館なんだけどさ、水曜日でどうかな?」 「明後日ね、構わないわ」 「あ、でも……」 フィーナが俯く。 「ん?」 「いえ、何でもないわ。 楽しみにしてる」 「俺も水族館に行くのは久し振りだから、結構楽しみだな」 「ふふふっ、晴れるといいわね」 「ああ」 他愛の無い話をしながら、こうして二人で歩くのが本当に楽しい。 面白おかしいというのではなく、全身が活性化しているような、そんな感覚だ。 「そうだ、リード持ってみる?」 「ええ、持ってみたいわ」 「コイツならそんなに引っ張らないからさ」 フィーナにアラビアータのリードを渡す。 「お姫様に持ってもらって幸せ者だぞ」 「わう?」 「ふふふっ、そんなことは分からないという顔をしているわ」 「わふっ」 アラビアータがテコテコと歩きだす。 「きゃ、なかなかの力持ちね」 「しっかり持ってれば大丈夫」 「そいつは人の調子を見ながら歩いてくれるから」 「利口者ね」 「こっちの奴らは、持っている人なんてお構い無しだからな」 と、残りの2匹のリードを引っ張った。 お返しにグイグイ引っ張られた。 「おっとっとっと」 「ふふふ、どの犬も個性があって可愛らしいわ」 ぴりりりりりっぴりりりりりっフィーナの携帯だ。 カレンさんからの呼び出しだろうか。 一瞬、表情を曇らせたフィーナが、立ち止まって電話に出る。 俺も足を止める。 「ええ、近くの川原にいるわ。 歩いて20分程度ね」 「分かりました、すぐに向かいます」 電話はすぐに終わった。 「カレンさん?」 「ええ」 そう返事をしたフィーナの声は、今までのものとは違っていた。 姫としての気品に満ちた、表向きの声だった。 「でも、私たちの件ではないわ」 「外交関連で多少トラブルがあったようね」 「月と地球の?」 「これ以上は言えないわ」 今から徒歩で大使館に向かうと、バイトの時間に間に合わなくなる。 せっかく、楽しい時間が過ごせていたのに………。 付き合う前なら気持ちよく送り出せていただろうに、変わるものだな。 「悪いけど、俺はバイトがあるから」 「ええ、構わないわ」 さっぱりと言うフィーナの声が、妙に冷たく感じられた。 「帰れる時間が分かったら、家に電話するから心配しないで」 「ああ、気をつけて」 「それでは」 フィーナは俺にアラビアータのリードを渡すと、足早に大使館へ向かっていく。 ……。 その後姿に、寂しさが募る。 「ぅおうん?」 「お姫様はお仕事なんだって」 「おん」 俺の言葉を理解したような声を出す。 さっきはとぼけていたくせに。 「とんだ不忠犬だ」 「おん?」 ……。 「……帰るか」 フィーナの姿は、もう遠く見えなくなっていた。 寂しさを抱えながら、ゆっくりと自宅に向かって歩き出す。 これは仕方の無いことなのだ。 フィーナがいつか話してくれたように、彼女は呼び出しがあればどんな時でも大使館へ向かう。 それが彼女の責任なのだ。 フィーナはこれを当然と考えているし、今後も変わらないだろう。 姫という立場は、ある日突然フィーナに与えられたものではない。 姫ではないフィーナなど、彼女が生まれてこの方、1秒たりとも存在していなかった。 彼女と姫という立場は切り離すことはできない。 フィーナという人格は既に、姫であることを内包しているのだ。 寂しくても我慢しなくてはならない。 フィーナも同じように寂しく思っていると信じて。 ……。 からんからん「ありがとうございましたっ」 最後のお客様が店を出て行く。 若いカップルだった。 初々しい雰囲気で、うちの料理をおいしそうに食べていた。 男性の方は、なかなか格好良かった。 良さそうな服を着ていたし、話し方や物腰も柔らかい。 それをまぶしそうに見る女の子の幸せそうな表情が印象的だった。 「ふう」 肩の力を抜き、手近なイスに腰を下ろす。 フィーナも俺のことをあんな風に見てくれるのだろうか。 そういえば俺は、明後日のデートのために何の準備もしていない。 服は?食事は?話題は?できることなら、フィーナが忘れられないようなデートにしたい。 どうしたらいいだろう。 「お疲れ様」 「お疲れー」 そうだ、菜月に聞いてみよう。 「あのさ、菜月は誰かとデートするなら、どんな食事がいい?」 ……。 「そうねぇ……」 「どこか遠出するなら、そこでしか食べられないものがいいな」 そこでしか食べられないもの。 「街中だったら正直何でもいいな、美味しければ」 「そりゃ、美味ければ誰も文句言わないわな」 「でもどっか、美味しいトコ知ってるの?」 「うっ」 全く知らない。 「知らないならちゃんと調べることね」 「予約が無いと入れないところもあるみたいだし、定休日だったら困るでしょ」 「そうだな」 言われれば当たり前のことばかりだ。 俺は何を熱くなっていたのだろう?「で、フィーナとどこ行くの?」 「ああ、満弦ヶ崎……」 「何で知ってるんだ?」 「フィーナ以外行く人いないじゃない」 「そう?」 「うん」 当たり前のように頷かれた。 「それとも、私を連れてってくれるの?」 「ハハハ」 「うわ、一蹴された」 やられた、という顔をする菜月。 「それで、どこ行くんだっけ?」 ケロリと聞いてくる。 「満弦ヶ崎水族館。 月の人にとっては信じられない施設みたいだ」 「ああぁぁ」 菜月が大きく頷く。 「行くかって言ったら、すごく喜んでくれた」 「良かったじゃない。 9割方勝ったようなものよ。 場所勝ちね」 「……まあ、そうかもしれん」 「あ、そうだ……」 菜月はキッチンへ入って行き、冷蔵庫に磁石で留めてあったチケットを持ってくる。 「これ使ったら?」 受け取りチケットを見ると特別優待券と書かれていた。 要はタダ券だ。 特別展示室に入れたり、イルカショーがいい席で見られたり、レストランでドリンク1杯が無料になったり、チケットの裏には、様々な特典が羅列されていた。 正直、金持ちとは言えない俺には嬉しいものだ。 使用期限は明後日、26日。 申し合わせたかのようなタイミング。 「いいのか?」 「うん。 別に誰も使わないし」 「ところが、ここに使う人がおりましたとさ」 バックヤードから仁さんが現れた。 「その人は、チケットの代わりに温かい心を手に入れ、末永く幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」 「めでたくないなあ」 「どうせロクでもないことに使うんでしょ?」 「みくびってもらっては困るよ」 「これでも女性のために使おうと思っている」 「大人なんだから、お金払って入りなさい」 「金で買えれば、苦労して友達に取ってもらったりしない」 「あの、そんなレアなものならいいですよ、俺」 「もらっておきなさいって」 「菜月、何だって敵に塩を送るようなことをするのだね?」 「な、何のこと?」 「聞こえるよ、菜月の心の叫びが」 「私のことを振った……」 「ぎゃぴり~ん」 吹き飛んだ仁さんを見て、ようやく菜月がしゃもじを投げたことに気づく。 ほとんどモーションが見えなかった。 「は? 敵?」 「ああああ、何でもないから」 そう言う菜月は、首から顔まで真っ赤だ。 「これは達哉のもの、ね」 と、菜月が俺の胸ポケットにチケットを入れた。 「ありがとう……でも仁さんは?」 「いいのよ、何とかするでしょ」 「仕方が無い、かわいい妹の願いだ」 「せっかくだし使ってくれたまえ」 何事もなかったように、仁さんが立ち上がる。 「ただし、俺のものを使うからには一つ約束して欲しい」 「な、何でしょう」 「ぜひ彼女とは最後まで行ってくれ」 と、親しげに俺の肩を掴んだ。 「最後って……」 まあ、その、あれのことだろう。 「そ、そんな」 「付き合ってらんない……」 ため息をついて菜月はバックヤードへ消えていく。 「あ、菜月、ありがとうっ」 「ま、楽しんできてね」 菜月は振り返らず、ヒラヒラと手を振ってバックヤードへ入った。 ……。 その日フィーナが帰宅したのは、日付も変わろうかという時間だった。 ずっと待っていた俺は、ドアの開く音に玄関へと迎えに出る。 「お帰り」 疲れているであろうフィーナを癒そうと、精一杯の笑顔を浮かべる。 「ただいま」 フィーナは俺に一瞥をくれただけで靴を脱ぎ、家に上がる。 「……フィーナ」 「すみません、先に着替えさせてくれる」 「あ、ああ」 フィーナのそっけない態度に、少しカチンと来る。 「ミア」 「は、はい」 二人が俺の側をすり抜けて部屋に入った。 ……。 「ふう」 落ち着くために、一つ息を吐いてソファに座った。 「どうしたのお兄ちゃん、へこたれた顔して」 「フィーナ、疲れてたみたいだ」 「仕方無いわ、1日働いていたのでしょう?」 「それはそうだけど」 「許してあげたら」 「フィーナ様、きっと達哉くんには甘えてしまうのよ」 「甘える?」 そっけない態度と、甘えるという言葉が繋がらない。 「思わず、本当のところを見せてしまうということ」 「達哉くんだって、親しくない人の前では『疲れた疲れた』なんてしないでしょ?」 「あ……そっか」 「フィーナさんは特にその辺きちんとしてるから、かなり親しい証拠じゃない。 やったね」 「麻衣ちゃん、茶化さないの」 「あははは」 「それじゃ、わたしは寝るね」 「ああ、お休み」 「クーラーは消してね」 「えー、暑いよー」 そう言いながら、麻衣は2階へ上がっていった。 ……。 姉さんがゆっくりとお茶を飲む。 さっきまでの姉さんの雰囲気ではない。 麻衣が2階に上がるのを待っていたようだ。 コト姉さんが湯飲みを置く。 「昨日は迷惑をかけてごめんなさいね」 「私もいい年をして恥ずかしいわ」 「いや、あれくらいは別に……」 「ありがと」 「カレンとは何か話した?」 すっと本題に入った。 俺は姿勢を正す。 「いや、特には」 カレンさんが、姉さんを責めないで欲しいと言っていたことは、伝えない方がいいだろう。 「そう」 「単刀直入に聞くけど、達哉くんは本気なの? フィーナ様とのこと」 「本気だよ」 意思が伝わるよう、一言一言をはっきりと発音した。 姉さんは俺の言葉を飲み込むように目を瞑った。 「分かったわ」 「あなたが本気なら、私は何も言わない」 姉さんが俺のことを「あなた」 と呼んだ。 少し寂しい言葉。 だが、俺を一人の大人として認めてくれた証拠のような気がして、嬉しくもあった。 そして、自分の行為の結果としてもたらされたものは全て受け止めろ、というメッセージにも聞こえた。 「……」 奥歯をかみ締める。 「でも、私とカレンからお願いがあるの」 「な、何?」 姉さんは静かな目で俺を見た。 そこには、包み込んでくれるような優しい光は無い。 一切の虚飾を排した純粋な意思の光──「絶対に逃げないで」 静かなリビングに、姉さんの声が静かに響いた。 鈴の音のように、空気が凛と鳴る。 ……。 …………。 「分かった」 俺は姉さんの目を受け止め、しっかりと頷いた。 きし……床が鳴った。 フィーナが立っている。 微動だにせず、姉さんを見つめている。 余計なものは何も無い瞳。 裸の意思が込められた瞳。 かつて俺を凍りつかせた視線など、まだかわいいものだ。 「あなた達の願い、このフィーナ・ファム・アーシュライト、確かに聞き届けました」 ……。 …………。 「ありがとうございます」 姉さんが静かに頭を下げた。 ……。 声すら出せない。 いや、息をすることすらできなかった。 この部屋のあらゆるものがフィーナの前にかしずいている。 彼女はまさに君臨していた。 ……俺は、なんて人と付き合っているんだろう。 それは畏怖にも似た感情だった。 ……。 「さ、顔を上げて」 「私に宣戦した相手がそれでは、面白くもないわ」 フィーナが笑う。 部屋の緊張が一気に解けた。 「はい」 姉さんが頭を上げる。 「達哉、何を呆けているの?」 「あ、ああ」 フィーナは穏やかな表情でソファに腰をおろす。 ……。 「フィーナ、疲れてるんじゃないのか?」 「大丈夫よ、この程度」 フィーナはもう、いつもの彼女に戻っていた。 「フィーナ様……」 姉さんが心配そうにフィーナを見る。 「私には謝ることはできないけれど……」 「とてもありがたく思っているわ、さやか」 「決して、早まったことはしないと約束します」 「はい。 ありがとうございます」 「もう敬語はやめて。 貴女はこの家の大黒柱なのだから」 フィーナが苦笑する。 「ええ、そうね」 そう言って、姉さんも笑った。 「じゃ、私はこれで」 「おやすみなさい」 「おやすみなさい」 「おやすみ」 ……。 「明後日が楽しみね」 姉さんが2階に上がってから、フィーナが口を開いた。 「ああ」 「今日菜月から特別券をもらったんだ」 「??」 「特別展示室に入れたり、イルカショーが見れたりするみたい」 「イルカが芸をするの?」 「ああ、水面をジャンプしたり、輪をくぐったりするんだろうな」 「まあ、それは楽しみだわ」 フィーナが瞳を輝かせる。 やはり、海のものへの関心は強いようだ。 「特別展示はどんなものがあるかしら?」 「それは行ってからのお楽しみだな」 「待ちきれないわね」 好奇心に瞳を輝かせるフィーナ。 さっきのフィーナと同一人物とは思えない。 「楽しい一日にしような」 「ええ」 「それでは、私はそろそろ」 「やっぱり疲れてたんだな」 「ふふふっ、そうね」 「少し話がこじれてしまっていて」 「頑張れよ」 「ありがとう」 フィーナがにっこりと笑う。 「じゃ、俺も休むか」 「一緒に出よっか」 「そうね」 俺たちは二人でソファを立った。 「それじゃ、お休み」 「お休みなさい」 闇の中で、フィーナの美しい顔が優しく笑った。 ……。 デート前日の夜。 寝不足にならないよう、いつもより早くベッドにもぐりこんでいた。 ……。 …………。 「ん?」 どことなくざわついた雰囲気を感じて、俺は目を覚ます。 時計を見ると、午前2時を指していた。 やはり、1階から人の気配がする。 誰だろう?泥棒?音がしないよう、静かにドアを開いて廊下に出る。 ダイニングから光と声が洩れていた。 「これはもう入れてしまって良いのかしら?」 「それはもう少し冷ましてからでないと、べたついてしまいます」 「そういうもの?」 「はい」 「あ、コショウは多めにしましょう。 達哉はその方が喜ぶわ」 「はい、かしこまりました」 ……。 きっと明日のお弁当を作っているのだろう。 フィーナは今日も仕事で帰りが遅かった。 それでも、こうしてキッチンに立っている。 明日、俺を驚かすつもりなのかもしれない。 ……。 知らなかったことにしておくのが良さそうだ。 俺は静かにベッドに戻った。 胸の中が温かい感覚でいっぱいになっていて、すぐに眠気が訪れた。 フィーナ、ありがとう。 窓からはまぶしい朝日。 目覚ましより30分も早く起き、さっさと身支度に入る。 昨夜寝る前に、数少ない衣服の中から選んだ服だ。 ……。 眠気は全く無い。 とにかくフィーナに早く会いたくて、体が勝手に動いた。 トントントントン階段を軽快に下りる。 「おはよう、ミア」 「お、おはようございます」 ミアの脇をすり抜け、ダイニングへ向かう。 「達哉さん」 背後からミアの声。 「どうした?」 振り返ると、ミアが沈痛な表情で立っている。 「姫さまは、今朝早く公務で大使館に向かわれました」 「え……」 ミアが視線を落とす。 何も考えられない。 ただ体が熱くなった。 「外交関連のトラブルだそうです」 「何でこんな日にっ」 「っ!」 ミアが体を縮める。 「何で……」 衝動より遅れて、悔しさがこみ上げてくる。 「達哉さん……」 「姫さまのお気持ちもお察し下さい」 「どうせ、私の責任だから、とか言ってたんだろ」 「達哉さんっ」 珍しくミアが大きな声を出す。 ……。 「確かに姫さまは、私の責任だからと仰いました」 「ですが、それは姫さまのお気持ちではありません」 「……」 ミアの言葉に、少し冷静さが戻ってくる。 「姫さまからこちらをお預かりしております」 ミアが差し出したのは、小さなメモだった。 薄い水色の紙に、端整な文字が並んでいる。 『昼過ぎには終わるということなので、駅前で待っていて下さい フィーナ』「わたしは中を拝見しておりません」 「お力になれることがありましたら、何なりと仰って下さい」 ……。 ……仕方の無いことだ。 そう思うしかない。 これからだって、同じようなことは何度もあることだろう。 胸が痛みに慣れることはないだろうけど、フィーナと付き合っていく以上は我慢しなくてはならない。 俺は、自分に言い聞かせる。 「少し予定を遅らせて待ち合わせをすることにするよ」 「良かった。 姫さまもお喜びになります」 ミアが涙ぐむ。 「良かったです、嬉しいです」 ぽろぽろと涙を零すミア。 「な、泣くなって」 何て言えばいいのか分からず、おろおろしてしまう。 「おはよー」 非常に悪いタイミング。 ……。 …………。 「お兄ちゃん、なにミアちゃん泣かせてるのっ!」 「フィーナさんだけじゃなく、ミアちゃんまでっ」 「ち、違うって」 「違うの?」 ミアに尋ねる。 「は、はい」 「わたしは、達哉さんに優しくしてもらえたのが嬉しくて」 外れてはないかもしれないが、その言い方は良くない。 ……。 …………。 「うあ~……」 麻衣はげっそりした顔でダイニングへ入っていった。 焼け付く太陽。 熱せられた街にはセミの声すらない。 白く光るタイルの地面には、街路樹の陰が黒々と落ちていた。 影の中にあるベンチに腰を下ろす。 周囲にベンチで待ち合わせをする人はいない。 でも、懸命に働いているフィーナを思うと、涼しい店の中で待つのは気が引けた。 携帯電話の画面を見つめる。 13:27お昼過ぎと言える時間だ。 「……」 気長に待とう。 フィーナが仕事を外せないのは仕方の無いことだ。 俺は目を閉じた。 ……。 左肩が熱くなり、目を覚ます。 体半分が木陰から出ていた。 「……」 いつの間にかかいていた汗が、顎の先から地面に落ちる。 5秒も液体ではいられなかった。 俺は影に移動して、また目を閉じる。 赤ん坊の泣き声。 楽しそうに笑うカップルの声。 地面が揺れるようなトラックの轟音。 賑やかさを演出する、デパートの店内BGM。 様々な音が俺を包んでいる。 ……。 早く来ないかな。 ……。 …………。 ぴりりりりぴりりりり「っ」 慌てて右手の携帯を見る。 着信は──ない。 俺の代わりに、目の前を歩いていたOLが賑やかに携帯で話し始めた。 「……」 また、影の中に移動する。 携帯をバイブに設定して強く目を瞑った。 何となく目が冴えて、眠れなくなっている。 胸が少しだけチクチクする。 我慢しなくちゃいけない。 フィーナと付き合うことは俺が選んだことなのだ。 俺は目を瞑ったまま大きく息を吸う。 ……。 少しずつ気持ちが落ち着いてきた。 ブルルルルッブルルルルッ右手の携帯が揺れた。 「は、はいっ」 「達哉?」 フィーナの声が流れてくる。 胸が軽くなった。 「ああ、今どこにいるんだ?」 「まだ仕事が終っていないの」 ……。 「……そっか」 ちょっと胸が痛くなる。 フィーナも頑張ってるんだ。 俺だけが辛い思いをしているわけじゃない。 そう、自分に言い聞かせる。 「2、3時間遅れそうなの」 携帯から耳を離して、時間を確認する。 14:412、3時間なら、まだ水族館に入れる。 チケットが無駄にならずに済む。 「分かった、待ってるよ」 「達哉、涼しい所で待っているのよね?」 「今日は暑いから、お店にでも入っていて」 俺の姿を見ていたように、フィーナが言う。 「ああ、分かってる」 「フィーナ様、政務局長が面会を願っております」 「分かりました、通して」 きびきびとしたカレンさんの声が飛び込んでくる。 緊迫した空気が電話から伝わってきた。 「では切るわね」 「ああ、頑……」 ぷつっ切れた。 「ふぅー」 大きく息を吐く。 本当に仕事をしているんだな。 ……。 疑っていたわけではないが、その一端を垣間見たのは初めてだった。 やはり現場の雰囲気には説得力がある。 政務局長って言ったら、きっとすごく高い地位の人なのだろう。 そんな人と、フィーナは対等に話をしているのだ。 俺、すごい人と付き合ってるんだな。 何だか勇気が湧いてきた。 ……。 あと2、3時間。 待つというのも楽ではない。 でも、フィーナはもっと大変な仕事をしている。 あんな状況で抜け出すなんて無理な話だ。 それを受け止めてあげられなくては、彼女と付き合い続けることなんてできない。 俺は再び目を閉じる。 ……。 …………。 ………………。 ブルルルルッブルルルルッどのくらい時間が経ったのか、また右手が震えた。 携帯の画面がフィーナからの電話であることを伝えている。 「はい」 「達哉」 深く沈んだ声。 その声だけで分かった。 フィーナはまだ仕事を終えていない。 「終わってないのか?」 「ええ」 「もう少し、もう少しだけ」 「分かった」 「達哉……」 「俺は大丈夫だから、仕事をきっちりな」 「ええ、ありがとう」 ぷつっ……。 暑い。 西日が直接当たっている。 ほぼ真横から来る光に、街路樹はなすすべも無い。 結局日が出ているうちにフィーナに会うことはできなかった。 仁さんからもらったチケットも無駄になった。 胸がざわつく。 でも、腹を立ててはいけない。 フィーナだって分かってくれているはずなんだ。 俺が辛い思いで待っていることを……。 彼女も辛いはずだ。 自分ではどうにもならないところで予定が決められているのだから。 俺は耐えなくてはならない。 俺たちの関係を守るために。 ……。 俺は立ち上がり、大きく伸びをする。 ずっと座っていたせいで、節々が音を立てた。 「よしっ」 俺は、もう一度ベンチに腰を下ろす。 ……。 人の声が少なくなり、車の音が大きく聞こえるようになった。 カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッヒールの音が近づいてくる。 豆粒みたいだった姿が、徐々に大きくなる。 手にバスケットを持ち、スカートの裾を舞い上がらせて、彼女が走ってきた。 ……。 「はあっはあっ……はあ、はあ……」 「達哉……はあっ……」 ここまでフィーナが息を乱しているのは見たことがない。 遠くのビルの屋上にある、電光掲示の時計は『20:18』と表示している。 もちろん水族館はもう閉まっている。 「……」 フィーナが俺の隣に腰を下ろす。 彼女の熱が伝わってくる。 ……。 …………。 しばらくして、フィーナの呼吸が正常に戻る。 「遅くなってしまいました」 フィーナが真っ直ぐ前を向いて言う。 「……」 唐突に、頭の中が熱くなった。 彼女は謝らない。 フィーナが姫である限り、同じようなことは何度も起こる。 彼女には、その原因である自分の立場を無くすことはできないから。 でも……そういう問題じゃない。 「これからどうしましょうか?」 何事も無かったかのようにフィーナが言う。 彼女が遅れたせいで、予定が無駄になったというのに……。 ……。 俺の中で何かがはじけた。 「一言謝ってもいいんじゃないのか」 「達哉、それは分かってくれているはずでは……」 「分かってる」 「分かってるけど、それとこれとは違うだろっ」 「どう違うのです」 「謝っても直すことができないなら、謝るほうが無責任でしょう」 「無責任でもっ」 謝ってくれれば、俺は笑顔でフィーナを迎えることができた。 「……」 「達哉がそこを理解してくれないと、私たちは続けていけないわ」 「っ」 反射的に、俺はベンチから立ち上がっていた。 「達哉っ」 フィーナが俺の手を掴もうとする。 「……」 その手を振り払った。 「!」 フィーナがよろけ、持っていたバスケットが地面に落ちる。 ……。 少しだけバウンドしたバスケットからは、堤防が決壊したようにサンドイッチがこぼれ出す。 ……。 転がっている。 靴跡で曇った石畳に──無数の人に踏まれた石畳に──転がり、へばりついている。 ……。 糸の切れた操り人形のように、フィーナが地面に膝を着いた。 緩慢な動作で、手元に転がっていたパンを拾い上げる。 三角形に切られたそれには、べっとりと黒胡椒のような砂利がついていた。 「コショウは多めにしましょう。 達哉はその方が喜ぶわ」 フィーナの言葉が思い起こされる。 ははは笑ってしまう。 笑うしかないようなデートの結末。 「……ぁ」 「ぅぁ、ぁぁぁ……っ!」 「フィーナ……」 返事は無い。 ただ肩を震わせ、宝石を拾うかのように、サンドイッチを掻き集める。 手も服も、マヨネーズやジャムでべっとりと汚れていく。 ……。 今、彼女の顔を見る勇気は──無い。 逃げ出していた。 一秒たりともその場にいられなかった。 何も考えられない。 考えたくない。 ……。 いつの間にか家の前に立っていた。 俺の隣にフィーナの姿はもちろんない。 どこをどう走ってきたのだろう。 全身が汗にびっしょり濡れ、服も髪も乱れていた。 ……。 とにかく頭を冷やそう。 がちゃ「達哉さん?」 ちょうどミアが通りがかったところだった。 「た、達哉さんっ、どうされたのですかっ」 「や、ちょっと……」 俺は情けなく笑うしかなかった。 「何その格好っ!?」 「達哉くん……」 続けて二人が出てくる。 姉さんは俺の目をじっと見た。 優しさは少しも感じられない。 「早く上がって、お風呂入らなきゃ」 「麻衣ちゃん」 「な、何?」 「ミアちゃんも部屋に戻っていて」 「は、はい」 「う……うん」 二人が2階へ上がっていき、ドアが閉まる音が聞こえた。 姉さんは身じろぎもせず、俺を見ている。 ……。 …………。 「姉さん?」 「フィーナ様は?」 「……」 あのまま駅前にいるのだろうか?「デートに行ったんじゃないの?」 「……ああ」 「なぜ一人で帰ってくるの?」 「……」 「喧嘩をしたのね?」 「喧嘩……」 あれが喧嘩と言えるのだろうか。 フィーナが謝らなかったことにカッとなって──彼女が作ってくれた弁当を台無しにした。 挙句、怖くなって逃げ出してきたのだ。 それだけの話。 冷静に考えれば、それは喧嘩と呼べるほど上等なものじゃない。 「喧嘩じゃない」 「フィーナが仕事で遅れたことを謝らなかったから、俺が一方的にひどいことをした」 「それでよく『フィーナ様のことが本気で好きだ』なんて言えるわね」 「……」 「付き合い始めたからって、相手が自分のものになったとでも思っているの?」 「誰だって、いろんな責任を負って生きてるの」 「あなただってそうでしょう?」 俺は無言で頷く。 「フィーナ様が負っている責任は、あなたなんかとは比べ物にならないわ」 「それを、恋人が分かってあげられなくてどうするの?」 「……ごめん」 「私に謝っても仕方がないわ」 「フィーナ様を連れてくるまで、家には入らないで」 姉さんはもう口を開かなかった。 「……」 がちゃばたん土手に腰を下ろした。 ……。 …………。 俺は何をやってるんだろう。 絶対に逃げないと姉さんに約束したのは、つい一昨日のことだ。 なのに、あっさりと逃げ出した。 それもフィーナから。 周囲と戦うどころの話ではない。 「誰だって、いろんな責任を負って生きてるの」 姉さんの言葉を頭の中で反芻する。 ……。 俺だって、家族やトラットリア左門に対して一定の責任がある。 バイトを休むわけにはいかないし、家には帰らねばならない。 フィーナは月の民全員に対して責任を負っている。 俺なんかとは比較にならない責任の重さ。 だから、人生のほとんどを公務に費やさねばならない。 ……。 一人の人に与えられた時間は限られている。 どの責任にどれだけの時間を割くか、それは個人の自由だ。 きっとフィーナは、姫という立場も俺との恋愛関係も、大切に思ってくれている。 だから、多くの時間を姫の立場に使いながらも、残った部分を俺との関係のために使おうとした。 もし、両方の責任を十分に果たすだけの時間がないのなら、甘えさせてくれる方に甘えるしかない。 立場と恋愛、どっちも大切だからフィーナは苦しんでいるのだ。 なのに俺はフィーナを許さなかった。 ……。 フィーナが謝らないのが許せない。 初めはそう思っていた。 でも本当は違う。 本当は、俺との関係に少ししか時間を使ってくれないのが寂しかったのだ。 姫という立場に嫉妬したのだ。 駅に来る時、フィーナは走っていた。 あんなに一生懸命走っているフィーナを見たのは初めてだった。 そこで気づくべきだったのだ。 フィーナが、いかに俺のことを大切に思ってくれていたのかを……。 残された時間を1秒たりとも無駄にしないよう、彼女は走っていたのだ。 それを俺は……。 ……。 これからもフィーナは、姫としての立場に時間を使い、俺には甘え続けるだろう。 でも、それを受け入れられなくては彼女とは続けていけない。 好きな女の子が甘えてくれるんだ。 それも月の姫が甘えてくれるんだ。 ……。 もしかしたら、もう元の関係には戻れないかもしれない。 でも、俺にできることは、今の気持ちを伝えることだけだ。 ……。 俺はゆっくりと立ち上がった。 フィーナを見つけに行こう。 気がつくと、ここに立っていた。 体中が、何だかよく分からないもので汚れている。 そればかりか、手のひらのところどころから血が出ていた。 そうだ……私はサンドイッチを拾って……。 右手のバスケットを見る。 浮いたフタの隙間からは、細かな砂利に汚れたパンが見えた。 ……。 ミアと一緒に作ったサンドイッチ。 達哉に食べてもらいたかった。 達哉の喜ぶ顔が見たかった。 それだけのことすら叶えられなかった。 思い出すだけで涙が溢れてくる。 ……。 ブロロロロ……キュッ 近くに車が停まった。 ガチャ 「フィーナ様」 「カレン……」 カレンは車に声をかけ、先に帰らせる。 ブロロロロ…… ……。 …………。 「どうされました、このような時間に?」 カレンは私の格好を見ても表情を変えない。 「今夜はここに泊まります」 「フィーナ様には朝霧家があるはずですが」 「事情ができました」 「お姿を拝見すれば分かります」 「達哉君と喧嘩をされましたね?」 「……っ」 見抜かれてしまった。 「それで逃げ帰っていらっしゃったのですか?」 「逃げた? 私が?」 「違うのなら、朝霧家にお帰りになれば良いでしょう」 カレンが冷たく言い放つ。 「私にはどうしようもなかった」 「責務を果たす以上、達哉との約束は守れなかったわ」 「つまりは達哉君が悪いと、そう仰るのですね?」 「それは……私はただ」 「お黙りなさいっ!!」 空気が震える。 静かな居住区に、カレンの一喝が幾重にも響き渡った。 「達哉君なら何でも許してくれるとお思いなら、大間違いです」 「大体、喧嘩をしただけで逃げ帰るとは何事です」 「その程度のお覚悟で、民の信頼を裏切り、達哉君とお付き合いされたのですかっ」 「!」 「お帰り下さい」 一言も言い返せない。 悔しくて涙が出た。 「そのような顔で立っていれば、私が何とかしてくれるとでもお思いか」 「子供の遊びに付き合っている程、私は暇ではありません」 「……っ」 カレンの言葉に思わずカッとなる。 だが、 だが、カレンの言う通りだ。 カレンの忠告を無視し、月の民の信頼を裏切って、私は達哉と付き合うことを選んだ。 それを、喧嘩をしただけで逃げ帰ってくるなどお話にもならない。 「それでは失礼します」 カレンが踵を返す。 遠ざかる背中を、彼女が門に吸い込まれるまで見ていた。 ……。 …………。 橋の欄干にたたずみ、じっと空を見上げる。 ……。 私が達哉に甘えているとでも言いたいのだろうか。 大体、突発的に公務が入る可能性があることは達哉だって分かっているはずだ。 「……」 達哉なら、何でも許してくれると思ったら大間違い。 カレンはそう言った。 確かに私は、達哉を待たせていた。 炎天下で約7時間。 辛くないはずがない。 それでも恨み言一つ言わず、私を待ち続け、励ましてくれさえした。 そんなのは達哉だけだ。 こんな私を待ってくれるのは、達哉だけだ。 ……。 だが私は、分かってくれと主張するばかり。 彼に感謝することを忘れていた。 「……」 お礼を言わなくては。 達哉に感謝の気持ちを伝えなくては。 ベンチにフィーナの姿はなかった。 足元の石畳には、何か粘り気のあるものを擦ったような跡がある。 フィーナが自分の手でしたことだろう。 ……。 仕事で疲れているというのに、夜遅くまで起きて作ってくれたサンドイッチ。 パンのひとかけらまで、思いが詰まっていたのだろう。 「フィーナ……」 俺は携帯電話に手を伸ばした。 ぴっ フィーナの番号を検索した。 後は通話ボタンを押せばいい。 フィーナが出てくれれば、居場所はすぐ分かる。 ……。 何か違う気がした。 俺がしたことを謝るには、自分の足で彼女を探し出さねばならないような気がする。 それくらいしなければ、俺の気が収まらなかった。 ……。 フィーナはどこに行ったのだろう? 彼女が知っている場所は限られている。 とりあえず大使館に向かってみよう。 大使館に向かう途中。 土手の道で、あっさりとフィーナを見つけた。 といっても、彼女はまだ豆粒のように小さい。 ずっと遠くから、こっちへ向かって歩いているのだ。 ……。 いつも毅然と前を向いて歩いているフィーナが、力を落とし俯いて歩いている。 通常の姿を満月にたとえれば、今夜のフィーナはまさに新月。 全く精彩を欠いている。 その姿が、想像以上に俺の胸を締め付けた。 どんな言葉をかければいいのだろうか。 ……。 …………。 徐々に距離が近づく。 フィーナの右手には、サンドイッチが入っていたバスケットが提げられていた。 一刻も早く彼女に謝り、機嫌を直してもらいたい。 そうだ、 まずは謝らなくては。 せっかくのサンドイッチを無駄にしてしまったこと。 仕事が終わってから何とか駆けつけてくれたフィーナを、無下にしてしまったこと。 ……。 俺は、謝罪の言葉を何度も心の中で繰り返す。 ……。 …………。 フィーナの表情が分かる距離まで近づいた。 悲しみを湛えた瞳。 軽く結ばれた唇。 手や服には、何か泥のようなもがこびりつき、乾いてかさかさになっていた。 胸が痛くなる。 「……」 「……」 俺たちは、2歩ずつ歩を進めた。 フィーナはじっと俺の目を見つめている。 後ろめたくて目を逸らしそうになるのを何とかこらえる。 ……。 …………。 謝らなくては……。 覚悟を決め、俺は息を吸う。 フィーナ「ありがとう」 達哉「ごめん」 同時に、俺たちは言葉を発した。 「え?」 「??」 フィーナが目を丸くする。 俺もきっと、そんな顔をしていただろう。 「何で、礼なんか?」 「……それは」 フィーナが逡巡するように視線を落とす。 しかしすぐに顔を上げる。 「私のことをずっと待っていてくれたから」 「……ありがとう」 もう一度フィーナは言って、頭を下げた。 「フィーナ」 思いがけない彼女の言葉に、顔が熱くなった。 「私は、達哉が私を好きでいてくれることに甘えていたわ」 「待ってくれる人など達哉しかいないというのに、感謝することも忘れて、さもそれが当然のように……」 フィーナが俯く。 体の前で握り合わされた手に力が込められた。 ……。 「俺こそ、ごめん」 「フィーナにとって姫という立場が大事だってこと……」 「分かってたフリして、本当は分かってなかった」 「立場も大切だけれど……達哉も大切だわ」 「どちらも、今の私にとっては、無くては困るもの」 フィーナの言葉が心に沁みた。 ……。 「……ありがとう」 「俺のことも大事に思ってくれてたから、駅まで走ってきてくれたんだよな」 「……あ、あの時は夢中で」 フィーナが恥ずかしそうに目を伏せる。 「なのに……仕事を優先された気になって、八つ当たりしちまった」 「弁当まで台無しにして……本当にごめん」 「夜遅くまで頑張って作ってくれたのにな」 「知っていたの?」 「あ」 思わず言ってしまった。 何かバツが悪い。 「と、ともかく……」 「これからも同じようなこと、あると思うけど……俺は待つよ」 「だから何も心配しないで、姫としての仕事を頑張って欲しい」 「……達哉」 フィーナが俺を見つめる。 「欲張りだけれど、私には立場も達哉も両方必要なの」 「どちらが欠けても、私は私でなくなってしまうと思う」 「ああ、それでいいさ」 「どちらが大切か、なんて選ぶもんじゃない」 「でも、達哉と一緒にいられる時間は少なくなるわ」 「仕方が無いさ」 「でも、その分密度を高くしてくれれば、きっと俺も頑張れると思う」 「ありがとう」 三度、フィーナは感謝の言葉を口にした。 「時間を無駄にしないよう、たくさん、その……」 「恋人らしいことをしましょう」 頬を染めてフィーナが言う。 そんな姿がどうしようもなくかわいらしく映り── 俺はフィーナの手をしっかりと握った。 「達哉、これからもよろしく」 「ああ、こちらこそ」 フィーナの目には優しい光が溢れている。 仕事の時は勿論、家でも見たことがないような、穏やかな光。 俺のせいでこの光を消したくないと、そう強く思った。 ……。 「そう言えば、弁当ってまだ残ってる?」 「え、ええ」 「でもほとんどは落としてしまったけれど」 「綺麗なのもあるんだろ?」 「見てみるわ」 フィーナは土手に腰を下ろし、バスケットを開く。 中には、サンドイッチだったものが乱雑に詰まっている。 「少しだけ無事なものも、残っているわ」 「遅くなっちゃったけど、食べようよ」 俺はフィーナの隣に腰をおろす。 「大丈夫かしら、作ってから時間が経ってしまったけれど」 「平気さ」 俺はサンドイッチに手を伸ばす。 「あっ、それは汚れているわ」 分かっていた。 分かっていたけれど、これを食べなくてはならない気がしたのだ。 フィーナに止められる前に、口に放り込む。 カサついたパンをかみ締めると、じゃりっとした感触がした。 ツナだったのかタマゴだったのか、それすら分からない。 でも俺は、何度もかみ締めた。 その度に砂利の感触がする。 これは、フィーナが感じた心の痛みだ。 体が汚れるのも構わず、一心にパンを拾っていたフィーナ。 誇り高い彼女をそこまでさせるだけの思いが、このパンには詰まっていたのだ。 「た、達哉……」 フィーナが俺の顔を心配そうに見る。 「美味い」 俺は笑って答えた。 「……っ」 みるみるうちに、フィーナの目が潤む。 ……。 「わ、私も、達哉と食べたかったの」 フィーナも汚れたサンドイッチを口に運ぶ。 それをゆっくりとかみ締めながら、フィーナは涙をこぼした。 ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。 恥じらいもせず涙をこぼしながら、フィーナはパンをかみ締める。 「作って良かった」 「……」 俺はフィーナの頬に手を伸ばし、涙を指で拭う。 「待って、まだ食べているのよ」 「構わないさ」 フィーナの顔を引き寄せ。 唇をふさいだ。 ……。 …………。 「……っ」 ……。 俺たちが離れたのは、1、2分が経ってからだった。 「マヨネーズの、味がした」 赤い目でフィーナがはにかむ。 「こっちはじゃりじゃりした」 「も、もう、仕方が無いじゃない」 フィーナがぷいっと顔を逸らす。 「また作ってくれるよな?」 「……そうね」 「これが私の腕だと思われては心外ですから」 フィーナが再び俺を見て笑った。 「……楽しみにしてる」 「ええ、きっと美味しいものを作るわ」 そう言って、にっこりと笑う。 いつもの調子が戻ってきたみたいだ。 何だか満たされた気分になり、ごろりと土手に横になった。 「ふふふ、汚れるわよ」 「いいよ、今日はどうせ汗だくだから」 「私も」 と、フィーナも横になり、俺に体を寄せた。 ほのかにフィーナの汗の匂いが感じられる。 お姫様と汗の匂いなんて縁がなさそうだけど、フィーナはぜんぜん違った。 自分の責務を果たすために、一生懸命働いている。 俺の頭にあったお姫様のイメージとはずいぶん違う。 ……。 「フィーナも急に仕事が入って大変だよな」 ぽつりと言った。 「仕方の無いことだわ」 体の脇から声がする。 「仕事だから?」 「仕事というよりは義務ね」 「私たちは、国民の税金で普通より贅沢な暮らしをさせてもらっているわ」 「だから、いかなる時にも要請があれば国民の下へ駆けつけるのよ」 「契約みたいなもんか」 「そうかもしれないわね」 贅沢な暮らしを保証される代わりに、重い責任を負う。 それも、人生のほとんどを捧げなくてはいけないくらいに重い責任。 「どっちがいいのかな、国民と王族って?」 「……分からない」 「ただ私は、今の立場を受動的に務めたくはないわ」 フィーナが熱っぽく答える。 きっと、彼女の中で何度も確認してきた考え方なのだろう。 生まれた瞬間から、フィーナの立場は逃れようもなく決定されていた。 消極的なものであれ積極的なものであれ、一定の覚悟を持っていなくては務まるものではない。 フィーナの場合は、自分の立場を積極的に受け入れ、王女としての役割をより良く果たそうとしている。 「正直、すごいと思うよ」 お世辞ではなく、そう言った。 「ありがとう」 「でも、達哉だってすごいと思うわ」 「どこが?」 「学院に通いながらアルバイトもしているでしょう?」 「別に偉くないよ」 俺はただ、やるべきことをやっているだけだ。 「するべきことをしているだけだから?」 見透かしたようにフィーナが言う。 「ああ」 「なら、私も変わらないわ」 「なすべきことをしているだけ」 「誰でも、大なり小なり周囲に対して責任を持っている」 「それを果たして初めて、その人は『生きている』と言える……だっけ?」 「そう思う」 フィーナが俺の体に顔をくっつける。 「汗臭いだろ」 「嫌じゃないわ」 「そんなもんか」 「ええ」 フィーナはそれっきり動かなくなった。 ……。 彼女の呼吸と熱を感じる。 それは例えようもなく落ち着く感覚。 俺は優しくフィーナの肩を抱く。 驚くほどにほっそりとした、華奢な肩。 こんな体で重い責任を果たしているのだ。 俺と一緒の時間くらいは、彼女に安らいでもらいたい。 彼女にそんな時間をあげるのが、俺の役割なのかもしれない。 ……。 星空を見上げながら、ぼんやりとそんなことを考えた。 家に着いた頃には、既に日付が変わっていた。 「実はさ、俺、一度帰って来てたんだ」 「ここに?」 「ああ」 「駅前でフィーナと別れてから、真っ直ぐ」 「……そうだったの」 「姉さんに怒られたよ」 「フィーナを見つけるまで帰ってくるなってさ」 「……実は、私もなの」 「え?」 「カレンに怒られたわ」 「わがままで付き合い始めたのに、喧嘩したくらいで逃げ帰って来るとは何事かって」 「二人とも、同じようなこと言われてたんだな」 「本当に、ありがたいことだわ」 「カレンなんて、私たちの関係に真っ向から反対しているのに」 フィーナがしみじみと言う。 「そうだったな……」 忘れていたことが胸の中で首をもたげる。 いや、単に思い出したくなかったのだろう。 俺たちの関係は、恐らくほとんどの人には歓迎されていないこと。 このままなら、フィーナの帰還と共に無くなる関係だということ。 ……。 彼女の表情は先程までより、幾分険しくなっている。 フィーナも同じことを考えているのだろうか? 「さ、家に入ろう」 「そうね」 フィーナが頷く。 俺たちは並んで進み、玄関の扉に手を伸ばした。 ……。 家に帰った俺たちを最初に迎えたのは、ミアの悲痛な叫びだった。 あちこち汚れたフィーナの格好を考えれば無理もない。 「はい、お茶」 姉さんがテーブルに熱いお茶を置く。 「ありがとう」 湯飲みに手を伸ばす。 真夏にもかかわらず、じん、とした熱さが心地よかった。 「姫さま、この汚れは一体何ですか」 「言いたくありません、聞かないで」 「それでは、上手くシミが落とせません」 「ともかく、明日にして」 「姫さま、困ります~」 洗面所の方から、賑やかな声が聞こえる。 「ふふふ、フィーナ様も大変ね」 「ミアもだな」 俺たちは向かい合ってお茶を飲み込む。 「麻衣は?」 「休んだわ。 明日は早いみたい」 「心配してた?」 「当たり前です」 穏やかな表情で姉さんが言う。 「それで、仲直りはできたのね?」 「ああ、何とか」 「そう」 短い感想だったが、姉さんの顔は満足げだった。 「姉さんが怒ってくれなかったら、俺、ダメになってたかもしれない」 「……ありがとう」 「ふふふ、大げさね」 「二人が真剣だったから、良い結果に終わったのよ」 「フィーナもカレンさんに怒られたって言ってた」 「喧嘩したくらいで逃げ帰って来るとは何事かって」 「カレンが……」 姉さんが、静かな目で手の中の湯飲みを見つめる。 その瞳から、姉さんの思考を読み取ることはできない。 「カレンさんは俺たちの関係には反対なんだろ?」 ……。 俺の質問に、姉さんは目を閉じた。 「そうね」 「なら、どうして俺たちを助けるようなことを」 「カレンはフィーナ様を叱咤しただけよ」 「あなた達を応援しているわけではないわ」 言われてみれば、その通りだ。 カレンさんは、フィーナの不甲斐なさを怒っただけ。 別に俺と仲直りしろと言った訳ではない。 「達哉くん」 「そんなところに救いを求めてはダメよ」 わずかに強い語調で、姉さんが俺に言う。 「誰かに何か言われてフラつくようでは、カレンには認められないわ」 「……ああ」 「フィーナとの仲を認められるってことは、国王になるかもしれないってことだもんな」 「月の相続法だと、次の王はフィーナ様だけど、自分が国王になることも覚悟しておかなくてはならないわ」 「現国王のライオネス様も、初めは国王ではなかったわけだから」 「少しでも迷いがあるなら、諦めたほうがいいわね」 姉さんの言葉には厳しさがあった。 ……。 フィーナとの仲を認められるということ。 それによる変化を全て予測できているわけではない。 だが、少なくとも 朝霧家を離れること── 地球へ二度と帰れないかもしれないこと── フィーナのように月の民のために一生のほとんどを捧げなくてはならないこと── そして、仮にフィーナとの仲が認められたとしても、大多数の人は喜ばないこと── これくらいのことは想像できる。 俺が地球で作ってきた人間関係は無くなる。 ほとんど人生をリセットするようなものだ。 これをリアルに想像することは、難しいかもしれない。 でも、考えることを止めてはいけない。 少しでもリアルに近づけるよう、想像を続け覚悟を決めていかねばならない。 「顔つきが変わったわね」 姉さんが目を細めてお茶を飲む。 「そう?」 「ええ、男らしい顔をしているわ」 そう言って、姉さんは笑った。 深いところに寂しさが隠されている笑顔だった。 勇気づけられると同時に痛みを感じる。 「俺、負けないから」 つぶやきのような俺の声に、姉さんは無言で頷いた。 ……。 次の日。 遅めに目を覚ました俺は、身支度を整えダイニングへ向かう。 昨日の疲労もあってか、昼近くまで眠ってしまった。 フィーナはもう起きているだろうか。 トントントントンキッチンから包丁の音が聞こえてくる。 あまり慣れた包丁遣いではない。 「??」 そこにはフィーナが立っていた。 「む……」 俺が入ってきたことにも気づかないくらい集中して、野菜と格闘している。 そんなに力を入れていては、逆に上手くいかない気もするけど……。 「おはよう、フィーナ」 「達哉、おはよう」 「と言っても、もうお昼よ」 「何か気持ちよく寝ちまった」 「フィーナはいつも通り?」 「もちろんよ」 「私には、優秀な目覚ましがいるから」 と、笑う。 ミアのことだろう。 しかし、ミアの姿は見えない。 フィーナが料理をしているのに、指導をしなくていいのだろうか?「ミアは?」 「買い物に出ました」 「麻衣も出かけたわ」 「そっか、じゃあ二人だけか」 ……。 …………。 「そうね」 「い、今、昼食を作っているから、もう少し待っていて」 「手伝おうか?」 「結構よ」 「殿方に手伝われたとあっては、女子の名折れ」 鼻息が荒い。 「何作るの?」 「ヤキソバよ」 焼きそば……。 焼きそばを作るお姫様。 史上初かもしれないな。 「苦手だったかしら?」 急に心配そうな顔つきになり、聞いて来る。 「いや、好きだよ」 「そう、良かった」 心底ほっとしたような顔。 どうにもかわいらしい。 「……指切るなよ」 「見くびられては困るわ」 「へえ」 「楽しみにしてるから」 「ええ、待っていて」 笑って言うと、フィーナは再びまな板に視線を戻した。 しばらくして。 リビングにソースの焼け焦げる良い香りが漂ってきた。 そろそろ完成かな……。 俺は、盛り付けを手伝うためキッチンへ向かう。 「お皿出した方がいいかな?」 「ええ、お願いするわね」 フィーナが、大きななべを揺すりながら答える。 横から覗くと、若干フライパンに麺が付いているものの、なかなかの出来栄えだ。 「見られると恥ずかしいわ」 フィーナがぶすっとした顔をする。 「そういう顔も可愛いな」 がちゃっフライパンが暴れる。 「も、もう」 「何か新婚の奥さんみたいだ」 「私が手を出せないからって、言いたい放題」 「ほら、早くお皿を出して。 焼き過ぎてしまうわ」 「了解」 俺は傍らの棚から、程よい大きさの皿を出す。 すぐに盛り付けが始まり、テーブルにもうもうと湯気を上げた焼きソバが並ぶ。 フィーナは手早くフライパンに水を入れ、流しに置く。 「さあ、冷めないうちに味を見て頂戴」 そう言って、フィーナが対面の指定席に座った。 二人きりの食卓は、初めてかもしれない。 新婚の家庭ってこんな雰囲気なんだろうか。 胸が躍ってしまう。 「それじゃ、頂きます」 「たくさん食べて」 俺は、合わせて用意された麦茶を一口飲んでから、焼きソバに取り掛かった。 見た目には全く問題が無い出来。 後は味だが……。 口に入れると、ピリッとした辛味が走り抜ける。 だがそれはすぐに消えて、後にはソースの甘じょっぱい濃厚な味わいが広がる。 野菜は、若干火が通り過ぎている感じがするが、まあ及第点だ。 「どうかしら?」 俺の答えを待ちかねたように、フィーナが尋ねてくる。 「美味いな」 「それだけ?」 「良いところとか、直した方が良いところとか無いのかしら?」 なかなか注文の多いコックさんだ。 「きちんと講評をもらわないと達哉の好みも分からないし、第一、技術が向上しないわ」 そして、妙に真面目だ。 「え……そう言われてもな」 「初めに辛味があって良かったな。 何か工夫したの?」 「コショウを多めにしたわ」 にっこりと笑うフィーナ。 「ソースの味はまあ言うまでも無いとして、野菜に火が通り過ぎてたかな」 「あんまりしんなりしちゃうと、食感が無くなるからさ」 「あら、それは失敗ね」 「野菜は先に炒めて皿に取って、麺と最後に合わせる方がいいかも」 「それなら炒めすぎることは無いわね」 「次はそうしてみるわ」 フィーナは神妙に頷く。 「ああ、楽しみにしてるよ」 「さ、フィーナも食べたら?」 「ええ」 と、フィーナが箸を手に取る。 この辺の手さばきも慣れたものだ。 「……そう」 フィーナが手を止める。 「ん?」 「先日のサンドイッチの雪辱は果たせたかしら?」 そうか。 フィーナにとってはリベンジのつもりだったのか。 道理で俺が手を出すのを拒んだわけだ。 「もちろん。 十分過ぎるくらいだ」 俺の答えに、フィーナは満足そうに笑った。 義理堅くて一生懸命。 彼女のいいところを改めて実感した。 「では、私も頂くわ」 そう言うと、フィーナは上品に焼きソバを口に運び始めた。 食後の胃を、熱いお茶で休める。 真夏とは言え、これは欠かせない。 「こうした午後も良いものね」 「ああ、幸せだな」 満腹で、隣には好きな人がいて……申し分の無い午後だ。 ただ一点を除いては。 現状を幸せに感じれば感じるほど、先に控えた別れが胸に迫ってくる。 「なあフィーナ」 「どうしたの?」 フィーナが静かな表情で聞いてくる。 それを見ると、先の不安を口に出すのがはばかられてしまう。 自分たちの問題だというのに。 「いや、何でもない」 「何でもないということは無いでしょう?」 「そんな言い方をしては、聞いてくれと言っているようなものよ」 「いいんだ」 「私たちの将来のこと?」 「……」 「……ああ」 すぐバレてしまう。 「昨日も、さやかと何か話していたみたいね」 「気づいてたの?」 「お風呂を上がった時に、ぼそぼそ話したことが聞こえた程度よ」 「でも、雰囲気が硬かったから」 「……」 ここまで話してしまったのなら、躊躇することはない。 ……。 俺はお茶を少し口に含む。 「俺たちって、どうやったら月の人に認めてもらえるんだ?」 「月に行ってフィーナの父親を説得するわけじゃないだろ?」 フィーナが表情を引き締める。 「最終的にはそれも必要だと思うけれど……」 「手続き上、カレンに話を通すのが順当ね」 「カレンさん?」 「ええ」 「私が地球にいる間の責任者はカレンだし」 「以前聞いたところでは、私の相手については、カレンが父様から一任されているようなの」 「一任って……選ぶ権利があるってこと?」 「そうね。 カレンの推挙があれば、高い可能性で父様もそれを認めて下さる、ということだと思うわ」 正直驚いた。 どうして、一介の家臣が主の婿を決定できるのだろうか?「カレンさんって、ずいぶん偉いんだな」 「カレンは若い頃から母様の側に仕えていたの。 経緯は分からないけれど」 「最初は生活の世話をするのが仕事だったようだけれど、徐々に母様の秘書的な役割を果たすようになったようね」 「だから、私たち王家については他の貴族達が知らないようなことまで知っているわ」 側仕えから出世したタイプの人か。 「政治的な力は、父様より母様の方が強かったこともあって、今では父様の絶大な信頼を得ているというわけね」 「敵も多いようだけれど、国のために良く尽くしてくれるわ」 国のことを一番考えている。 なればこそ、俺たちの関係には賛成できないだろう。 「なら、どうやったらカレンさんを……」 「小細工は通用しないでしょうね」 「直接、父様に推挙してもらうよう頼むしかないと思う」 「でも、カレンさんは反対するだろ?」 「当然ね」 「そうでなくては別の意味で不安だわ」 フィーナがかすかに笑う。 「なら、首を縦に振ってくれるまで頼むしかないのか」 「ええ」 「私が月に帰るまでに説得できなければ……」 フィーナはそこで言葉を切る。 それ以上は言わなくてもお互いに分かっている。 ……。 俺は、湯飲みに残ったお茶を飲み干した。 ひたすら頼み込む。 そこに、わずかでもカレンさんを説得できる要素はあるのだろうか。 分からない。 でも、俺たちにできることがそれしかないのなら、時間が許す限り努力するしかないのだ。 がちゃ「よいしょっと……」 「あら、ミアが帰ったようね」 フィーナが表情を和らげる。 ミアの前では深刻な話はしたくない。 そんなフィーナの配慮が見て取れる。 ミアは両手に買い物袋を抱えていた。 この姿も、いい加減見慣れてきた。 「お帰りミア」 「お疲れ様」 「はい、ただいま戻りました」 「何か良い香りがしますね」 「あら、分かるかしら?」 「私が焼きソバを作ったのよ」 「姫さまがお一人で……」 ミアが満面の笑みを浮かべる。 「ぜひ、ご相伴に預かりたかったです」 「ちゃんと残してあるわ」 「本当ですかっ!?」 荷物を放り出さんばかりにミアが喜んだ。 「ええ、お昼はまだ?」 「はい、まだ食べておりません」 「それでは手を洗ってらっしゃい」 「はいっ」 ミアはキッチンに荷物を置くと、パタパタと洗面所へ駆けていった。 「何だか、お母さんみたいだな」 「ふふふ、今日は新婚になったりお母さんになったりと忙しいわね」 と、フィーナがキッチンに向かう。 「達哉とそういう風になることができれば、それが一番ね」 「ええっ」 突然の言葉に、思わず動揺した。 「嫌なのかしら?」 キッチンからフィーナが顔を出す。 挑発するような、可愛らしい表情。 「も、もちろん嫌じゃないさ」 でも、結婚して母親になるといったら、そういうことをするわけで……。 何となくフィーナの顔を見づらくなる。 「達哉、いやらしいことを考えているでしょう?」 「そ、それは……」 情け無いほどにもじもじしてしまう俺。 「そこで赤くなられたら、こちらが恥ずかしいわ」 フィーナは顔を赤らめ、顔を引っ込める。 ……。 しばらくの間、俺の顔から熱は引かなかった。 ……。 今日の営業も無事終了。 クローズ作業も一段落し、ようやく息がつける時間になる。 「お疲れ様っと」 菜月がいつものように野菜ジュースを持ってきてくれる。 ついでに、空いたイスを引っ張り出し俺の前に座った。 「??」 「報告を聞かせて」 「な、何の?」 「デートのに決まってるでしょ」 「水族館のチケットを調達してあげたんだから、それくらいは聞いてもいいと思うけど?」 「……」 使えなかったけどな。 「ほらほら、恥ずかしがらずにお姉さんに教えてごらんなさい」 「そう、最後まで行ったのかどうなのか、聞かせてもらおうじゃないか」 いつの間にやら仁さんも寄ってくる。 「正直、フィーナちゃんの程よい大きさの胸には興味がある」 「正直すぎっ」 仁さんが座ろうとしたイスを、菜月が引っ張る。 が、仁さんは後ろ手にイスをがっちりキャッチした。 「甘いな。 胸は立派なのに嘆かわしい」 「お、おのれ」 「さて、洗いざらい話してもらおうか、はっはっはっは」 二人に報告するのは筋が通っていなくも無い気がする。 だが、サンドイッチのことや姉さんやカレンさんのことを話すわけにもいかない。 俺は、その辺のことをはぐらかしつつ説明した。 ……。 「何だい、フィーナちゃんが遅れて喧嘩して仲直りしただけじゃないか」 「下世話な話が聞きたいなら、その辺の週刊誌でも買った方が早いですよ」 「じゃあ、水族館には行けなかったんだ」 菜月が仁さんをスルーして話す。 「せっかくもらったのに、ごめんな」 「いいよ、そのことは気にしなくて」 「でも、仲直りできて良かったわね」 「ああ」 「喧嘩したせいって言ったらアレだけど、前より結びつきが強くなった気がする」 ……。 …………。 「あはは、いや、そこまでノロけられちゃうとね」 「ね、ねえ、兄さん」 仁さんはイスの上で、釣られた魚のように痙攣している。 「……コホン」 「ま、兄さんはプラトニックなのに弱いから」 と、菜月は野菜ジュースに口をつけた。 俺もグラスに口をつける。 「で、いつ結婚するの?」 「ぶっ」 「わあああっ!」 菜月が体を横にそらして飛沫を避ける。 「行儀の悪いシンデレラボーイね」 「後でちゃんと掃除してよ」 「了解」 「でも、達哉がねえ……」 菜月が夢見がちな目をする。 「まだ決まったわけじゃないよ」 「というより、魔法が解ける可能性の方が遥かに高い状況なんだ」 「そうなの?」 「そりゃ、お姫様が別の星の平民男子と結婚しますって言っても、普通ダメだろ」 「だったら、ボヤボヤしてる暇なんて無いじゃない」 「月に乗り込むでも何でもして、認めさせないと」 「フィーナは、8月で帰っちゃうんでしょ?」 菜月が当たり前のように言う。 「そうだな」 「『そうだな』じゃないでしょ、しっかりしなさいよ」 ナチュラルに説教されている。 そんなに不甲斐なく見えるかな。 「頑張るよ」 「当たり前」 「バイトが邪魔な時は、私が2人分働いてあげるから、遠慮なく言ってよね」 菜月が気を利かせてくれている。 でも、それではフィーナが喜ばない気がする。 「いや、バイトには出るよ」 「その上で頑張るさ」 「そんな……人生の大事よ?」 「それでも、だ」 「フィーナもきっと賛成してくれる」 ……気がつくと、熱っぽく語っていた。 ……。 「ふうん」 菜月が少し驚いた目をしている。 「ま、達哉がそう言うなら」 「悪いな、気を遣ってくれたのに」 「……いいわよ、別に」 「その代わり、月に行く前にサインでも残していってよね」 「ああ、王家御用達にでも指定するさ」 「ありがと」 「いや、俺こそ」 そんなところに、厨房からおやっさんの声が飛ぶ。 「そろそろ、みんなが来るぞ」 「はーい」 ……。 からんからん 「どーもー」 「こんばんわ」 「お邪魔致します」 おやっさんの言った通り、すぐに家族が入ってきた。 ……。 …………。 あれ? 「フィーナは?」 「ついさっき、仕事で呼ばれて行っちゃったよ」 「今日中にはお帰りになるようです」 「そ、そっか」 「ほら、そのくらいで落ち込まない」 菜月が、俺の頭を軽く押す。 「だ、大丈夫だって」 そう言いながら── 俺の中には、嫌な予感が湧き上がっていた。 フィーナの帰宅は、日付が変わってからだった。 ブロロロロ……キュッ 家の前に車が停まった。 外を見ると、黒塗りの車が雨にかすんでいる。 「雨か」 ソファから腰を上げ、玄関へ向かう。 がちゃ フィーナのためにドアを開く。 湿った空気が室内に流れ込んできた。 車の助手席からはカレンさんが出てきて、後部座席ドアの外に傘を掲げる。 すぐにフィーナが出てきた。 二人がキビキビした足運びで、こちらへ向かってくる。 ……。 「お帰り」 「ただいま」 そう言って笑うフィーナの表情には、かすかな疲労が見えた。 「このような天気でしたから、お送りしました」 カレンさんは、いつも通り淡々とした表情で状況を述べる。 この人を説得しなくてはならないのか……。 そう思うと、自然と体に力が入る。 カレンさんはそんな俺を一瞥すると、かすかに笑った。 「それでは、私は失礼します」 「助かりました」 「いえ」 「では達哉君、また」 「ええ、おやすみなさい」 カレンさんは小さく頷き、車へと戻っていった。 フィーナはミアを呼んで着替えを済ませると、すぐにバスルームへ向かった。 「姫さま、お疲れのようですね」 ミアがテーブルにお茶を置く。 「ああ、忙しかったのかな?」 「それだけでは無いようですが、特には何も仰いませんでした」 「ま、聞けるようなら聞いてみるさ」 「お願いします」 「それでは、わたしはこれで」 「おやすみ」 「おやすみなさいませ」 ミアはぺこりとお辞儀をして、2階へ上がっていった。 ……。 雨の音が聞こえる。 久し振りの雨。 世間的にはいいお湿りなのだろうが、俺にはなぜか沈鬱に聞こえた。 「お風呂頂きました」 「ああ」 フィーナが麦茶を持ってリビングへ入ってきた。 帰ってきた時に感じられたフィーナの疲労感は、既に無くなっていた。 「何度入ってもお風呂は良いものね」 「向こうはシャワーが多いんだっけ?」 「ええ」 「女王になったら、お風呂の普及に努めようかしら」 「それをこの目で見られたらいいんだけど」 「ふふふ、もちろん二人で作る政策よ」 そう言って麦茶を口に含む。 「今日の仕事はどうだった?」 「そうね……」 「外交関係のトラブルは、解決に向かっているわ」 「良かった」 「外交ってことは月と地球の?」 フィーナが頷く。 「母様のお陰でずいぶん話し易くはなったのだけれど、自由に行き来できるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうね」 現在の月と地球の関係は、疎遠なご近所といったくらいだ。 積極的に干渉しない割には、それなりに関心があったりする。 と言っても「あの家はいつも帰りが遅いけど、何をしているのだろう?」 という、少しマイナス方向に振れた関心だが。 やはり、かつてあったと言われている戦争が原因なのだろうか。 過去が人に蓄積されるものなら、戦争の時に生まれた負の感情も、お互いの心の奥深くに眠っているのかもしれない。 「さやかのように、積極的に交流を図ってくれている人がいるのに残念なことね」 「でも、俺たちの関係が認められたら、何か発展があるかもしれない」 「現実的なラインとして、ありえることだわ」 フィーナの口調には、まだ仕事の調子が残っている。 何だか大人びている気がして、少し羨ましくなった。 ……。 「達哉」 フィーナが居住まいを正す。 「どうしたの?」 俺は動揺を抑えつつ聞き返す。 「今日、残念なことが決まったわ」 フィーナが俺の目を見る。 冗談ではないことが、すぐ分かった。 「何?」 俺は唾液を飲み込む。 「帰還の日が半月ほど早まりました」 ……。 雨が強くなった。 大粒の雨が窓に打ち当たり、ばちばちと音を立てる。 「半月も……」 「ええ。 14日に出発することになりそう」 フィーナがかみ締めるように言う。 全体の予定から見れば1割程度の期間短縮。 でも、俺たちに残された時間が突然半分になったのだ。 「ど、どうして」 「正確なところは分からないわ」 「大方、どこからか私たちの話が漏れたのだろうけど」 「じゃあ、カレンさんが……」 俺たちの関係を認めたくないばかりに、こんな手を。 そう言い掛けた俺を、フィーナが睨みつける。 「カレンはそのようなことはしないわ」 「彼女は、その気になれば私を強制送還できるもの」 「じゃあ誰が?」 「私たちの関係は、大半の人が望んでいないのは分かっているでしょう?」 「該当者が多すぎて見当もつかない」 フィーナが忌々しげに言う。 「……」 「期間の中途半端さから見ると、即時送還の求めに対して、カレンが何とか一週間で手を打ったというところじゃないかしら」 フィーナは淡々と状況を分析する。 それが少し癪でもあった。 でも、ここで騒いでも仕方が無いのだ。 フィーナの帰還までにカレンさんを説得する。 やるべきことは変わらない。 「うかうかしてられなくなったな」 「早く認められないと、タイムリミットが来ちまう」 「その通りだわ」 フィーナがじっと窓の外を見る。 闘志に満ちた瞳の輝き。 窓に映った彼女の姿からも、その気迫が感じられた。 「このことは、近日中にさやかに伝えられると思うから、それまでは口外しないで」 「分かった」 ゆっくり頷く。 ……。 …………。 雨が振り続いている。 叩きつけるような雨音が俺たちを包む。 だが、俺の体は徐々に熱くなってきていた。 「達哉」 「ん」 「隣に座っていいかしら?」 「ああ」 立ち上がったフィーナが、俺の隣に腰を下ろす。 と、俺の方に頭を預けてきた。 「体、熱くなってるのね」 「ああ、負けたくないからな」 「私もよ」 フィーナの頭を掻き抱く。 湯上りのフィーナの熱が伝わってきた。 体の奥にまで沁み込んで来るような、心地よい熱。 この熱さをずっと感じていたいのだ。 誰かに何かを言われたくらいでフラつくようでは、カレンさんには認められない── 姉さんの言葉が蘇る。 そう。 帰還が早まろうが、俺の決心は変わらない。 最後の瞬間まで、フィーナの手を握り続ける。 幼いあの日。 フィーナを乗せて走り去った車。 今の俺なら、呆然と見送ったりはしない。 ……。 叩きつけるような雨音が、家を包んでいた。 二日間降り続いた雨が上がった。 久し振りの雨に街は潤いを取り戻し、強い日光をきらきらと反射する。 「フィーナ、準備はいいか?」 「ええ、いつでも出られるわ」 引き締まった表情のフィーナ。 「いってらっしゃい」 「ミアちゃんと美味しい晩御飯作っておくからね」 「姫さま、御武運を」 先日、家族にフィーナの帰還が早まったことが伝えられた。 全員が、突然の予定変更を残念がった。 俺たちの関係が原因で、フィーナの滞在期間が短くなったことは明らか。 だが、誰一人俺たちを責めなかった。 特に姉さんには感謝したい。 事が不調に終われば、職を失う程度では済まないだろう。 でも、そんなことはおくびにも出さずに俺を応援してくれた。 俺は感謝の気持ちを込めて目礼する。 姉さんも穏やかな表情で頷いてくれた。 「行ってくるよ」 がちゃ多量の雨水を受けた弓張川が、力強い流れを見せている。 濡れたアスファルトは黒々と輝き、まぶしいくらいだ。 俺たちは無言でここまで歩いてきた。 ……。 フィーナは、じっと前を見つめて歩いている。 その足取りには、迷いは感じられなかった。 こんな状況でも全く臆さない。 隣にいる俺にも勇気が湧いてくる。 ……。 何かを話す気にはならなかった。 口を開けば、気迫が逃げてしまう気がした。 それに、正面からの戦いに作戦など必要ない。 フィーナの手を強く握る。 彼女がしっかりと握り返してきた。 この温かさをずっと感じていたい。 フィーナと別れるなど、絶対に、何としても受け入れられない。 純粋な欲求。 飾り気などない、ただの欲求。 それが今の俺を動かしている。 カレンさんを説得できさえすれば、本能でも理屈でも……。 月人居住区を抜け、大使館の入口に立つ。 フィーナはそこで足を止めた。 俺をじっと見つめる。 ……。 …………。 「達哉は、達哉のために戦って」 「私も、私のために戦うわ」 フィーナが俺の考えを見透かしたように言う。 「ああ」 俺はゆっくりと頷く。 フィーナはかすかに笑い、俺の手を離した。 ……。 フィーナが俺にくるりと背を向け、門に対面する。 銀髪が優雅に舞った。 ぎっ、ぎぎぎぎ……今まで開かれることのなかった門が、ゆっくりと開く。 フィーナは一瞬たりとも躊躇することなく、門の中央を抜けた。 道の両側に並ぶ木々の葉が、彼女の帰還を歓迎するように風にそよいだ。 西洋式のシンメトリーな庭園を抜けると、眼前に古風な建物が現れた。 地球には、もうこの手の建築様式は残っていない。 歴史的な史料に、わずかにその痕跡が見られる程度だ。 ……。 正面玄関らしき大きな扉の前で、俺たちに深く頭を下げた人がいる。 カレンさんだ。 「わざわざお運び頂き、ありがとうございます」 俺たちが近づくと、向こうから声をかけてきた。 「出迎えはいらないと言ったはずでしょう?」 「恐れ入ります」 「さ、奥へ」 「達哉さんも、お入り下さい」 カレンさんが俺を「さん付け」 で呼んだ。 今日の目的を既に知っていて、敢えて呼び方を変えてきたのかもしれない。 言われるままに歩を進める。 「お掛け下さい」 俺たちは上座のソファに腰を下ろす。 カレンさんは背筋を伸ばして対面した。 すぐにメイドが現れ、テーブルの上に深紅の紅茶を並べる。 「ありがとう、貴女は下がって構いません」 カップにもソーサーにも、金でアーシュライト家の紋章が描かれている。 だが権威を示すようなものではなく、あくまで意匠の中に組み込まれているだけだ。 ……。 フィーナがカップを口に運ぶ。 お茶を飲む気分ではなかったが、倣って紅茶を口にした。 「ご留学の期間が短くなってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」 カレンさんが頭を下げる。 「仕方の無いことです」 「原因は私たちにあるのですから」 カレンさんがわずかに頷く。 「本当は即時帰還を求められたのではないの?」 「仰る通りです」 つまり、カレンさんの努力で一週間の短縮で済んだということだろう。 「礼を言います」 「恐れ多いことです」 カレンさんは、再度頭を下げた。 「時に、本日はどのようなご用件で?」 と、俺たちの目を順番に見る。 ……。 いよいよ本題に入る。 俺は気持ちを落ち着けるため、床をしっかりと踏みしめる。 「俺たちの関係を認めて欲しくて、ここに来ました」 はっきりと口にした。 フィーナも無言で頷く。 ……。 …………。 「私にどうしろと仰るのですか?」 表情を変えずに、カレンさんは言った。 「以前、私の伴侶については、父様から一任されていると言っていたわね」 「カレンから父様に、達哉を推挙して欲しいの」 「お願いします」 テーブルにぶつかるほど頭を下げる。 ……。 …………。 なかなか返事が来ない。 不安になって頭を上げると、カレンさんと正面から目が合った。 「確かに、フィーナ様の婿様については一任されております」 「しかし、達哉さんがお相手としてふさわしくないことは、既に申し上げたかと思いますが」 「そこを押して」 フィーナは躊躇なく頭を下げた。 「そのようなことをされても困ります」 それでも、カレンさんは表情を崩さない。 「フィーナ様は、なぜ達哉さんをお相手として選ばれたのですか?」 「……」 フィーナは何と答えるのだろう?俺のことを好きだから、パートナーとして、ふさわしいと思ったから、浮かんだのはそれくらいだった。 「達哉が側にいなくては、私が困るからです」 カレンさんの表情が、わずかに動いた。 が、すぐに古い池のように静かな表情に戻る。 「フィーナ様はこう仰っていますが、達哉さんはどうですか?」 「俺は……」 カレンさんに水を向けられる。 背中に汗が伝った。 「俺は、フィーナの側を離れたくない」 ありのままを答える。 「そうですか」 「念のため伺いますが、お二人は既に肉体関係はお持ちですか?」 「なっ……」 フィーナが絶句する。 俺は、意外と冷静だった。 持っていると答えたほうが有利になるのでは……そんな考えが浮かんだが、すぐに頭から消した。 「持っていません」 「見損なってもらっては困るわ」 「関係も認められていないのに、そのような行為に及ぶと思ったのかしら?」 「いえ、念のため確認させて頂いたまでです」 「失礼なことをお聞きしました」 カレンさんは、俺たちの答えを淡々と流していく。 プラスなのかマイナスなのか、皆目見当がつかない。 「さて、フィーナ様」 「仮に婚姻が決まれば、是非を巡って国内が割れることは必至です」 「地球に対する感情も悪化するでしょう」 「それをどうお考えですか?」 フィーナは言葉を選ぶように視線を一度落とす。 「姫として、思慮の足りない行為だと思うわ」 「でも、達哉と離れることはできない」 「事の重大さをご理解頂けていないのですか?」 「理解しているわ」 「でも、カレンなら上手く治めてくれると思っています」 「……」 フィーナが平然とすごいことを言ってのける。 でもなぜか、カレンさんの表情が少し和らいだ気がした。 「達哉さんにお伺いします」 「はい」 「今回の件で、さやかは多大な損害を受けるでしょう」 「免職になるだけでは済まない可能性があります」 「この点についてはどう思いますか?」 ……。 他人に何かを言われたからといってフラつくな。 姉さんはそう言っていた。 「姉さんには申し訳無いけど、フィーナと離れたくないのは変わりません」 「家族を見捨てるつもりですか?」 カレンさんがまなじりを上げる。 それでも、俺の答えは変えない。 「家族の思いを無駄にしたくないだけです」 ……。 カレンさんが視線をフィーナに向ける。 「フィーナ様、留学中お世話になった恩を仇で返すことになるかもしれないことについてはどうお考えですか?」 「申し訳無いと思っていますが、譲れないものです」 フィーナがカレンさんを見返して言う。 カレンさんはフィーナの強い視線をさらりとかわし、体の前で手を握った。 「フィーナ様のお相手を選ぶということは、将来の国王候補を選ぶことでもあります」 「それはご理解頂けていますか?」 「分かっているわ」 「達哉さんも?」 「はい」 「だからこそ達哉を選んだのです」 「達哉さんが国王としてふさわしいと?」 「そうです」 「私と共に、月を良い方向へ導いていけると思っているわ」 フィーナの視線がより強くなる。 だが、カレンさんの表情は変わらない。 「達哉さんはどうです、国王として国を引っ張っていく自信はありますか?」 「カレン、そのような質問は意味が無いでしょう?」 フィーナが少し慌てる。 「私は意味があると思っています」 その一言で、フィーナを退ける。 「どうです、達哉さん?」 「お、俺は……」 答えに窮する。 正直自信なんてない。 国王がどんな仕事をしているのかなんて、俺には分からない。 でも、自信がないと答えたらどうなるのだろう。 ……。 待てよ。 答えに窮した段階で、自信が無いのは既に伝わっている。 もう迷っても仕方が無いじゃないか。 「自信はありません」 正直に答える。 「ならば、この話は無かった事にした方が良いのではないですか?」 「自信満々な人よりは、よっぽど信頼できるわ」 「その分、一生懸命勉強します」 カレンさんは無言のまま紅茶に手を伸ばした。 「達哉さん、自分が国王になったつもりで答えて下さい」 「国の利益と自分の好みが反対だった場合、どちらを優先させますか?」 これはよくある話だ。 「国の利益です」 俺は迷わず答えた。 ……。 「意外ですね、お二人はそのように行動されていないというのに」 「あ……」 「っ」 今、この瞬間、俺たちは国の利益より自分達の好みを優先させている。 「それはっ……」 「言い訳は聞きません」 ぴしゃりと言われた。 「では、もう一つ質問です」 「隣国との停戦会議があるとします。 その会場へ向かう途中、目の前で家族が事故に遭いました」 「今すぐ医者へ診せないと危険な状態です。 しかし医者に行くと会議に遅刻してしまいます。 達哉さんならどうしますか?」 これは、明らかに試されている。 ……。 俺は目を瞑り状況を想像する。 携帯電話で医者を呼んだり通行人に頼んだりと、いくつか行動が思いつく。 だがそれは、この質問の本質ではない。 自分の家族、例えば麻衣が目の前で血を流して倒れていたら…………。 放っておくことなんてできるわけがない。 「家族を病院に運びます」 「戦争を止めることより、家族が大切なのですか?」 「家族を救えないような奴は、またいつか戦争をしてしまうと思う」 「……ほう」 「しかし、先ほどとは答えの趣旨が変わったようですね」 「さっきの質問と今回では状況が違うじゃないか」 思わず熱くなって言った。 「話を具体的にしただけです」 「初めの質問を受けた時、具体例を想像されなかったのですか?」 淡々と言うカレンさん。 「……」 カレンさんの言う通りだ。 初めの質問を受けた時、俺は「こうあるべきだ」 という理屈で考えていた。 実際に、自分がその状況に置かれているところを想像していなかった。 「カレン、達哉を言い負かすために質問をしているの?」 フィーナの声が荒くなる。 「私は心構えを聞いているだけです」 飄々と言うカレンさん。 全く考えていることが分からない。 「構いません、続けて下さい」 「今度は、自分が一般市民だという想定で答えて下さい」 等身大の回答をせよ、ということらしい。 「あなたの国を治める王は、家族の命を優先したため、停戦会議に遅刻しました」 「結果として戦争は続けられ、たくさんの兵士が犠牲になりました」 「その中には、達哉さんの家族も含まれています」 「あなたはその王を許せますか?」 「っ……」 声も出ない。 ……。 「許せますか?」 もう、正直に答えるしかない。 「許せません」 蚊の鳴くような声しか出なかった。 ……。 …………。 「最後の質問です」 「達哉さんは、自分に国王が務まると思いますか?」 「卑怯だわっ」 フィーナが勢い良く立ち上がる。 テーブルのティーカップがカチャリと音を立てた。 「何が卑怯だと仰るのですか?」 冷静な視線は変わらない。 「決まった答えの無い質問ばかりして、達哉がどう答えても、やり込めるつもりだったのでしょう」 ……。 「お掛け下さい」 「国を導いていかれる方が、この程度で逆上されては困ります」 「カレンっ!!」 「フィーナ、いいんだ」 「しかし達哉、このままでは……」 「俺は、自分の思ったことを答えたんだから」 「でも……」 フィーナが俯く。 「勝手な思い込みかもしれないけど、フィーナがさっきの質問をされたら、俺と同じ答えだったんじゃないかな」 ……。 …………。 「……そうね」 「私も同じ答えだったと思うわ」 「なら、いいさ」 「答えが決まっていない質問なら、自分が正しいと思った方が正解だ」 「……」 フィーナの手を引いて座るように促す。 彼女はすんなりと座ってくれた。 「もう一度質問します」 「自分に国王が務まると思いますか?」 もう難しいことは分からない。 俺は、俺が大切に思っている人を守れる王であれば、それでいい。 「務まります」 「少なくとも、フィーナが幸せに暮らせる国なら作れる」 カレンさんが眉をピクリと動かした。 「……」 フィーナが目を細める。 カレンさんはティーカップに残った紅茶を飲み干し、瞑目した。 ……。 …………。 張り詰めた沈黙が流れる。 ……。 …………。 少しして、カレンさんが再び眼を開く。 「達哉さんには、試験を課したいと思います」 「え?」 「試験?」 意外な言葉だ。 俺にチャンスをくれるということなのだろうか?フィーナも驚いた表情でカレンさんを見ている。 「その結果を見て、今後のことは検討させて頂きます」 「ど、どんな試験を受ければいいんですか?」 意気込んで尋ねる。 「剣術で手合わせをして頂きます」 「それは……」 俺に剣術の心得などあろうはずがない。 剣道の竹刀すら握ったことがないというのに。 カレンさんが相手では、きっと勝負にもならない。 「カレンさんは、剣術の達人だと……」 「早とちりされては困ります」 「達哉さんのお相手をするのは、私ではありません」 誰が相手なんだ?黒服か?「フィーナ様です」 「馬鹿な!?」 そう言ったきり、フィーナは完全に硬直した。 ……。 …………。 そんな……。 頭の中が真っ白になる。 「期日は一週間後、夜8時。 場所は前日までにお知らせします」 「得物は竹刀で結構です」 「ふざけないでっ!!」 フィーナが絶叫した。 深緑の瞳が怒りに燃え上がる。 空気がピリピリと音を立てるようだ。 「一週間で何ができるというのっ!」 ……。 激昂するフィーナを、カレンさんは静かな目で見つめた。 「ご自身でお考え下さい」 「竹刀は、明日の午前中までに朝霧家へお届けします」 カレンさんはそこまで言うと、ソファから立ち上がった。 ほとんど思考を停止した俺は、ぼんやりと見上げることしかできなかった。 「それでは、私は仕事がありますので」 「カレンっ」 「私は、一度口にしたことは、そう簡単に変更しません」 「万難を排して臨んで下さい」 「待ちなさいっ」 瞬間、カレンさんの瞳に強い光が宿る。 フィーナが昆虫標本のように、空気に磔られた。 ……。 「私は部屋を外しますので、ご自由にお帰り下さい」 「失礼します」 ぱたん……。 …………。 糸の切れた人形のように、フィーナがソファに腰をおろした。 ……。 俺もソファに背中を預ける。 べとりとした感触が背中いっぱいに広がった。 フィーナは、呆然とした表情で床を見つめている。 ……。 よりによって剣術の試験なんて……。 ぼんやりと天井を眺める。 試験という言葉を聞いた時は、チャンスを与えられたと思った。 だが、フィーナは剣術の達人であるカレンさんから、10本に1本取るほどの腕前。 俺は竹刀の握り方も知らないズブの素人。 手合わせの結果は見えている。 よっぽどの偶然でも起こらない限りは、俺が勝つことは無い。 ……。 俺はまだいい。 一週間、全力で練習をするしか選択肢が無いのだから。 でもフィーナは……。 自らの手で──俺との関係を終わらせなくてはならないのだ。 午前10時。 カレンさんの言葉通り、宅配便が竹刀を届けに来た。 テーブルには布に入った2本の竹刀。 うち1本を開き、握ってみる。 ……。 「右手が上だっけ?」 そんなレベルだった。 「達哉さん」 ミアは今にも泣き出しそうな顔をしている。 「どうした?」 「姫さまが、いくらお呼びしても起きていらっしゃらないのです」 「……そっか」 昨日、大使館の執務室を出てから、フィーナは一言も口を開かなかった。 ただ沈鬱な表情で足元を見つめるだけだった。 留学に来てからのフィーナは、俺以外にマイナス方向の感情をほとんど見せていない。 それは、フィーナが自分の言葉や態度の影響力を知っているからだ。 どんなに辛い時でも、彼女は穏やかな表情を保つ。 姫という立場に与えられた、重い責務。 そのフィーナが、家族に対しても全く口を聞いていないのだ。 「先日の夕食も、今朝の朝食も召し上がっておりません」 「わたし、どうしたら良いのか……」 ミアが大きな目に涙を溜める。 「大丈夫、俺が何とかするから」 と、ミアの頭を撫でる。 「は、はい……お願いします。 どうか姫さまを……」 「任せておけって」 努めて明るく言う。 「ぐずっ……ふぇっ……」 ハンカチで目尻を拭いながら、ミアが頷く。 「ミアは安心して仕事に戻って」 「そんなんじゃ、フィーナが出てきた時に驚くぞ」 「はい、はい……」 ミアが頑張って笑顔を作り、仕事へと戻っていった。 俺はソファに腰をおろし、もう一度竹刀を握る。 ミアにはああ言ったものの、いい手立てがあるわけではない。 そもそも俺自身が空元気を出している状態なのだ。 ……。 一週間の練習でフィーナに勝つのは不可能に近い。 剣術の達人であるカレンさんが、それを知らないはずはない。 そこまでして俺たちの関係を認めたくないのか。 フィーナに自ら可能性を絶たせることで、罰を与えているつもりなのか。 ……。 …………。 あれこれ考えても結論は出ない。 こうしている間にも練習時間は減り、0%に近い勝利の可能性が、本当に0%になってしまう。 一週間練習すれば、1%くらいの確率で勝てるようになるかもしれないのだ。 それに……。 今、全力で練習をしなければ、俺は一生消えない後悔を背負うことになる。 俺は、あらゆるものに抗うと決めたのだ。 ならばやるべきことは決まっている。 ……。 俺は2本の竹刀を持ち、立ち上がる。 コンコンコンコン……。 返事は無い。 かすかに中で人の動く気配がする。 起きてはいるようだ。 ドアノブを握る。 「……」 鍵が掛かっていた。 ……。 「フィーナ、聞いてくれ」 ドアに向かって話し掛ける。 「俺は諦めないよ」 「フィーナとずっと一緒にいたいから、最後まで練習する」 ……。 相変わらず、返事は無い。 「ここで少しでも諦めたら、一生消えない後悔を背負うことになると思う」 「俺は戦うと決めたんだ」 ……。 …………。 それだけ言って庭に出る。 フィーナの部屋の外に立った。 ここで練習を続ければ、いつかフィーナが出てきて指導してくれる──そんな期待があった。 庭に出てきた俺を、イタリアンズが期待に満ちた目で見ている。 「すまないな、ちょっと遊んでやれないんだ」 まず、準備体操から始めた。 剣術向きの体操など知らないので、体育の授業でやっているものだ。 ……。 …………。 続けて竹刀を握る。 とにかく、竹刀の扱いに慣れなくてはならない。 学院でちらりと見かけた剣道部の練習を思い起こし、真正面に構えてみる。 「ふっ」 ひゅんっ竹刀が風を切る。 振り切ったところで体を止められず、腰がフラついた。 「わふっ、わんっ」 犬に笑われた。 「見てろよ」 ひゅんっひゅんっ更に2、3度素振りをする。 剣道部員のように、ぴたりと体を止めるには、思いのほか筋力が要るようだ。 思うように竹刀を振れなくては、試合などできるわけがない。 俺は、今日一日を素振りに充てることに決めた。 ひゅんっひゅんっ小刻みに休みを入れながら、30分間素振りを続けた。 「ふぅ」 玄関前の階段に腰を下ろす。 全身から汗が噴き出していた。 がちゃ「お兄ちゃん、麦茶持ってきたよ」 「おう、ありがとう」 麻衣が俺の隣に腰を下ろし、間に麦茶の載ったお盆を置いた。 「ふぃー、美味いなっ」 「あははっ、今の顔なら麦茶のCMに出られるよ」 「もっと飲むでしょ?」 「ああ」 麻衣は笑って、俺のグラスに麦茶を注いでくれる。 「どう、剣道は?」 「初めてだから、なかなか辛いな」 「日頃使ってない筋肉を使ってる気がする」 「何か背中が重たくなってる感じ」 「振り上げる時に背筋を使うんだね、きっと」 「みたいだな」 麦茶のグラスに口をつける。 ……。 麻衣が視線を落とした。 何か聞きたいことがあるのかな?「フィーナさんって強いんでしょ?」 「……ああ」 「教えてくれないの?」 「フィーナさんに教えてもらった方が、早く強くなれるんじゃない?」 「ん、まあ、そうなんだけど……」 「だったら、フィーナさんに言って」 立ち上がろうとする麻衣の腕を掴む。 「そっとしておいてやってくれ」 「でも……」 「麻衣」 ……。 …………。 「分かった」 麻衣はしぶしぶ腰を下ろす。 「なーに、俺が下手な素振りをやってれば、そのうち我慢できなくなって出てくるさ」 「あはははっ」 「そうだ、もうすぐお昼だから」 「おう」 「できたら呼ぶね」 「よし、俺ももうちょっと頑張ろう」 「じゃーねー」 麻衣は麦茶のサーバーとグラスを置いて、家の中に入っていった。 「よしっ」 再び竹刀を持って立ち上がる。 「むむ……」 バイト間際まで素振りを続けていたせいか、体中に疲労が溜まっている感じがする。 掃除のため、イスを持ち上げるのにも難儀するくらいだ。 「ずっとそんな調子だけど、どうしたの?」 「いや、素振りをやっててさ」 「何の? 野球? テニス?」 「剣道」 「なんでまた、剣道?」 手短にいきさつを説明する。 「でも、女の子相手なら勝ったようなものじゃない」 「やったね、次期国王」 「いや、フィーナの方が強いんだ」 「え?」 「フィーナはずっと剣術をやってたんだ」 「だから、99%以上の確率で俺が負ける」 ……。 「……何よそれ?」 「そんなの試験って言わないでしょうっ」 菜月が大きな声を出す。 「……」 「フィーナがかわいそう過ぎるわ」 「自分で自分の夢を終わらせなくちゃならないなんて……」 自分の事のように悲しい顔をする。 「わざと負けるとか、できないのかな?」 「フィーナはそんなことをするヤツじゃないと思う」 「それに、そんな勝ち方をしても俺が嬉しくない」 「負けたら全部終わりなんでしょう? なりふり構ってられないじゃない?」 「カレンさんは、フィーナより更に強いんだ。 きっと見抜かれる」 「じゃあ……」 もう泣きそうな声だった。 「俺には練習するしか選択肢が無い」 はっきりと言う。 「フィーナはどうしてるの?」 「部屋から出てこない」 「そう……」 「だから素振りを続ける」 「俺が諦めてないことを伝えたいんだ」 「達哉……」 菜月が目を潤ませる。 こんなところは共感する力が強い菜月らしい。 でも、正直なところ俺が泣きそうだった。 諦めていないと、朝から何度も言い聞かせて、ようやく素振りを続けているのが本当のところだ。 「さ、そろそろみんなが来るぞ」 「え、ええ」 菜月が慌てて涙を拭った。 からんからん……。 フィーナの姿は、無かった。 バイトが終わってからも、俺は素振りに打ち込んだ。 体中がじんじんと痛む。 毎日のバイトで鍛えているつもりだったけど、そんなものは役にも立たなかった。 「くそっ」 ベッドに飛び込む。 それだけでも節々が軋んだ。 ……。 …………。 弱い月明かりが差し込む部屋。 一人、枕に顔をうずめる。 顔を上げる気にはなれなかった。 ……。 嗚咽が漏れてしまうから。 だから俺は、枕に強く顔を押し付けた。 「っ……っ……」 更に布団をかぶる。 真っ暗になったら、たがが外れた。 「ううっ……ぁ……っ……」 どうしてこんな試験を……。 なぜフィーナを試合の相手に……。 そんなに俺たちの関係を壊したいなら、カレンさんが相手をすればいい。 彼女なら、一瞬でカタをつけられるはずなのに。 なぜフィーナにまで苦痛を背負わせるのか。 「っ……あっ……うううっ……」 喉から漏れる声が大きくなる。 唇をぎゅっとかみ締めた。 胸が痛い。 痛すぎる。 体の痛みなど無くなるくらいに胸が痛い。 嗚咽をかみ締めればかみ締めるほど、痛みが増していく。 ……。 「うあ、あぁぁぁぁぁ……」 空気を入れ過ぎた風船がはじけるように──泣いた。 ……。 …………。 逃げてしまいたい。 フィーナをさらって、どこか遠くへ逃げてしまいたい。 だがそれは叶わない。 本当は、俺もフィーナも逃げることを望んでいないから。 戦うと決めて告白した俺。 俺となら戦っていけると、受け入れてくれたフィーナ。 なら、結末は勝利か討ち死にかどちらしかない。 ……。 明日はまた立ち上がる。 自分のために竹刀を振る。 勝率をわずかでも上げられるよう、後悔を残さぬよう、竹刀を振る。 ……。 だから今は泣く。 明日のために泣く。 ひゅんっひゅんっ全身が筋肉痛になっていた。 一振りごとに、鈍い痛みが体を走る。 ひゅんっ太陽はほぼ正中に達し、日差しは苛烈を極めている。 頭や顔から噴き出た汗が、竹刀を振るごとに宙に舞う。 それが地面に落ちたら、もう一度構えを取り、また振り下ろす。 ……。 …………。 どのくらい経ったか。 ふと、視線を感じた。 すぐに周囲を見回すが、誰もいない。 フィーナが覗いていてくれたのなら、いいんだけど……。 ひゅんっひゅんっ視線を正面に戻し、竹刀を振る。 ……。 …………。 昼食の後、素振り。 バイトに出て、帰ってきてからも素振り。 手にマメができ、つぶれたが、軽く包帯を巻いて素振りを続ける。 ……。 ひゅんっひゅんっみんなは、ことあるごとに様子を見に来てくれる。 お陰で、タオルと麦茶には困らなかった。 だが、今日もフィーナの姿は見ていない。 部屋のカーテンは閉め切られており、中を窺うことはできない。 食事も取っていないようだし、どうしているのだろう。 ……。 早く顔を出してくれないかな。 そんなことを考えながら竹刀を振ったのがいけなかったのだろうか……ひゅんっ「っ……!」 背中に激痛が走った。 地面に膝を着き、後ろ手に背中を叩く。 痛くなったのは背中の上の方、肩甲骨の間あたりだ。 「いててて……しょうがないな」 叩いていると、徐々に痛みは引いていく。 筋を痛めたわけではないようだ。 ……。 「そこが痛くなるのは、上半身が緊張しているからよ」 部屋を見ると、窓を半分開けてフィーナが立っていた。 「本来なら、腰が痛くなるはずだわ」 相変わらずのはきはきした口調。 「フィーナ……」 「……」 フィーナが恥ずかしそうに目を逸らす。 「そちらへ行くから、少し待って」 窓が閉まる。 ……。 「フィーナさん、びっくりしたぁ」 「ひ、姫さま、お体は大丈夫ですかっ」 「晩御飯ありますけど、どうします?」 家の中から賑やかな声が聞こえてくる。 ……。 …………。 「待たせたわね」 玄関からフィーナが出てくる。 一見して、少しやつれているのが分かった。 「人気者だな」 「皮肉を言わないで」 フィーナが顔を赤らめる。 「飯食ってなかったみたいだけど、体は大丈夫なのか?」 「大丈夫よ」 「心配をかけてごめんなさい」 フィーナがさらりと流す。 ここ二日のことは、フィーナも触れたくないようだ。 なら、無理に聞くこともない。 彼女がどんなことで苦しんでいたかは、痛いほど分かっているのだ。 ……。 「姿勢の話だったわね」 「ああ、何か背中が痛くなっちゃってさ」 「構えてみて」 竹刀を構える。 「達哉は上半身に力が入っているの」 「胸を張って、背中を反らしているでしょう?」 自分の体を眺める。 言われた通りだ。 「腰を反らして、上半身には力を入れない」 「やってみて」 腰を反らして……上半身からは力を抜く……頭の中でフィーナの言葉を繰り返しながら、姿勢を変える。 「そう、その姿勢よ」 「上半身に力が入っていては、俊敏な動きができないわ」 なるほど、肩回りが楽になった。 「素振りをしてみて」 ひゅんっひゅんっ「いいわ、その調子」 フィーナは、俺が持ってきていたもう1本の竹刀を持つ。 良かった、やる気になってくれたみたいだ。 「腰っ」 竹刀で突つかれた。 「ごめん」 「振って」 ひゅんっひゅんっ竹刀を振る俺の前にフィーナが立つ。 「素振りをしながら、前へ進んで」 「これ以上進んだら当たる、というところで止まって」 少しずつ前進する。 いつ当たるかと思うと、なかなか前に進めない。 「どうしたの、まだまだ当たらないわよ?」 「当たりそうになったらよけるから、心配しないで頂戴」 「よ、よしっ」 今までより大きく前に踏み出し、竹刀を振り下ろす。 当たるっと、思ったがフィーナは微動だにしない。 竹刀がフィーナの眼前数センチのところを走り抜ける。 「はい、ストップ」 「ここから内側が達哉の間合いよ、覚えておいて」 「あ、ああ」 フィーナがテキパキと指導してくれる。 フィーナの腕を疑っていたわけではないが、ちょっと驚いた。 「さ、打ち込んできて」 フィーナが竹刀を構える。 その動作は、食卓で箸を取るように自然だった。 俺と同じ構えをしているはずなのに、安定感がある。 そして何より迫力があった。 「遠慮はしないで」 「行くぞっ」 ひゅんっぱしっひゅんっぱしっ一歩一歩しっかりと踏み込みながら、竹刀を振り下ろす。 フィーナは一歩一歩後退しながら、俺の竹刀を受け流す。 いくら力を込めて振り込んでも、フィーナは涼しい顔。 羽虫を振り払うように、頭の上に伸ばした竹刀で防いでいる。 ……。 こんな調子で、フィーナに勝てるのだろうか。 いや、何とかして勝たなくてはならないのだ。 そうでなくては、フィーナとの関係が終わってしまう。 それだけは……。 「達哉っ」 攻撃を受けたフィーナが、そのまま俺を押し返した。 下から突き上げられるような力に、体が簡単に浮き、後方に倒れた。 「練習中に余計なことは考えないで、ケガをするわよ」 「くそっ」 立ち上がり、敢然と打ち込む。 ……。 …………。 打ち込んで、跳ね飛ばされて、打ち込んで、跳ね飛ばされて……何度も繰り返すうちに、なぜか心がすっきりとしていく。 俺の竹刀を受け続けているフィーナと、心が一つになっていくような、そんな錯覚すら覚える。 更に力を込め、何度も何度も打ち込んだ。 ……。 その日の練習が終わった頃には、ホコリまみれになっていた。 入浴を済ませ、リビングで麦茶を飲む。 先に汗を流していたフィーナが、ソファに座っていた。 「今日はありがとう」 「……いいのよ、礼なんて」 フィーナの表情には、練習中には無かった影が差している。 俺はフィーナの隣に腰を下ろした。 ……。 リビングに、時計の秒針の音が流れる。 俺たちに与えられた時間が、目の前で刻々と減っていく。 ……。 フィーナが俺に体を寄せる。 柔らかい感触。 こんな体のどこに、俺の竹刀を受ける力が眠っているのだろうか。 「肘、擦りむいているわ」 白い指が俺の素肌に触れる。 触れられた箇所が、じん、と熱くなった。 どうしようもなく切ない気分になって、フィーナの肩を引き寄せ、強く抱きしめる。 「達哉……」 腕の中のフィーナは本当に小さくて、壊れてしまいそうだ。 「フィーナ……離れたくない……」 「……私も……」 より強く、フィーナを抱きしめる。 このまま一つの体にくっついてしまえば、離れることなど無いのに……。 フィーナの体を少し離し、今度は唇を重ねる。 「んっ……ふっ……」 薄い唇も、かすかな呼吸も、時折ぶつかる硬い歯も、たまらなくいとおしい。 かすかに開かれた唇の奥には、熱い体内が広がっている。 全ての困難を克服する秘薬がそこにあるかのように、俺は舌を差し入れる。 「ぴちゅ……」 湿り気を帯びた音が、俺たちの間から漏れた。 舌を伸ばすと、フィーナの舌がやんわりと受け止めてくれる。 少しザラついた感触。 そして、とろけるような甘さ。 フィーナの口内のあちこちを舌でまさぐる。 「ん……ちゅ……っ……」 フィーナの手に力が入り、俺の胸を押す。 「はあっ……」 肩が小さく上下している。 「ごめん、いきなり」 「謝らないで……嫌ではないわ」 「でも、これ以上続けられたら、止まれなくなってしまうから」 フィーナが視線を落とす。 「ああ、それはまずいな」 「ごめんなさい」 「フィーナも謝るなよ」 「……ええ」 俺はもう一度フィーナを抱きしめた。 さっきより、体が熱くなっている。 派手ではないが、炭火のように赤く、赤く燃える炎。 ……。 「私、どうしたら良いのかしら……」 腕の中で弱々しくつぶやく。 「試合のこと?」 フィーナが無言で頷く。 ……。 フィーナは、俺に負けることができない。 今日、竹刀を合わせたことで、彼女の中により強い実感が生まれたのだろう。 俺が打ち込む度に、彼女にはいくつもの勝機が見えていたに違いないのだ。 それほどに、俺たちの実力は乖離している。 だが、フィーナが竹刀を振り下ろした時、彼女は俺との関係をも打ち砕く。 残酷な仕掛けだ。 ……。 だが、彼女には手を抜いてもらいたくない。 これだけは確かに言える。 どうせ負けるから思い切りやって欲しい──という後ろ向きな思いではない。 そこで手を抜くようなフィーナを、俺はきっと好きでい続けられないからだ。 いつも誠実で一生懸命なフィーナ。 俺は、そんな彼女を好きになった。 フィーナが月へ帰ってしまってもずっと好きでいたいから──最後の瞬間まで本気で、ありのままのフィーナでいて欲しい。 それに、これは自分達が始めた戦いだ。 結果はどうあれ、最後まで諦めたくはない。 ……。 「本気で、来てくれ」 「……」 「手を抜かれたら、俺、フィーナを好きでいられなくなる」 「達哉……」 「戦うって決めただろ?」 「なら、最後まで全力で戦い抜こう」 ……。 フィーナが離れ、じっと俺を見つめた。 悲しい決意に満ちた瞳。 痛々しいほどに唇をかみ締め、目尻に涙をためている。 ……。 …………。 「……分かったわ」 「ありがとう、約束だ」 フィーナが無言で頷く。 ……。 どちらからともなく、手を握り合う。 そして、もう一度唇を重ねた。 ……。 時計の音は、止まることなく流れ続けている。 ばしっばしっ「えいっ!」 強い日差しの下、フィーナ相手に竹刀を振るう。 「足はバタバタさせないで、摺り足で」 「上体をフラフラさせない」 昨夜の約束のおかげか、フィーナは前より活き活きとしていた。 更に踏み込みを強める。 「んっ」 フィーナが声を発して俺の竹刀を横に流す。 「うわっ」 そのまま、前のめりに地面に突っ込んだ。 フィーナはくるりと半回転し、俺に相対する。 「もう終わり?」 「まだまだっ」 口に入った芝生を吐き出し、竹刀を構える。 ばしっばしっ玄関前の階段では、麻衣とミアが腰掛けて応援してくれている。 「お兄ちゃん、あんまり強くないね」 「姫さまがお強いから、そう見えるのかもしれません」 「むー……」 「お兄ちゃん頑張れー」 「よーしっ」 ばしっばしっ無心に竹刀を振るう。 何度も打ち込み、いなされ、土をなめる。 時を経るごとに、体には打ち身や擦り傷が増えていく。 なのにどうして──こんなにすがすがしいのか。 ……。 昨日はほとんど汗をかかなかったフィーナも、額に玉のような汗を浮かべている。 彼女もまた、口を開かず無心に俺の竹刀を受けていた。 ……。 昼食を挟み、再び庭で剣術に励む。 無言で叩き合う俺たちに飽きてしまったのか、麻衣とミアは家に引っ込んでいた。 ……。 練習の成果か、何となく竹刀の感覚がつかめてきた。 上半身に力が入っていては、微妙な太刀捌きができない。 足をバタバタ動かしていては、機敏に動けない。 腰が入っていないと、竹刀に体重が乗らない。 フィーナに教えられたことが、何となく体で分かってきている。 とは言え、フィーナとの技量の差は歴然だ。 彼女は、終始落ち着いた表情で俺の攻撃を受けている。 恐らくこの程度の打ち合いは、準備体操にしかなっていない。 ……。 だが、一つだけ気になることがあった。 フィーナは、まだ一度も俺に打ち込んでいないのだ。 昨日の約束は夜の闇がかけた魔法で、実際のところ、彼女の中ではまだ踏ん切りがついていないのかもしれない。 ……。 「フィーナ」 俺は、打つ手を休めて話しかける。 「どうしたの?」 「一度、俺と勝負してもらえないかな?」 「フィーナの実力を知っておきたいんだ」 「……」 「ダメかな?」 フィーナが俺の目をじっと見た。 意図に薄々感づいたのかもしれない。 「……分かったわ」 「確かに、相手の実力を知ることは大切ね」 暗い表情でフィーナが答える。 「頼むっ」 ……。 俺はフィーナから2メートルほどの距離を取る。 竹刀を真っ直ぐ中段に構えた。 フィーナもゆっくりと俺と同じ構えを取る。 空気がぴたりと静まった。 ミンミンゼミの声が遠くから聞こえる。 ……。 フィーナが俺を見つめる。 何もかもを見通しているような、そんな静かな視線。 背中を汗が伝う。 「どうしたの? 遠慮しないで」 これが実力差というものなのだろうか。 自分がどうしたらいいのか、全く分からない。 頭の中で考えうる限りの攻撃をしてみるが、全てこともなげに弾き返されてしまう。 自分の攻撃が当たっているところが想像できない。 「さあ、どうしたの」 足が地面に貼りついたように動かない。 「たああっ」 竹刀を振りかぶり、渾身の力で打ち込んだ。 フィーナは右足を引きながら軽々と竹刀を払う。 上体の流れた俺の横で、フィーナが竹刀を振りかぶった。 ……。 だが、打ってこない。 振り向きざまに胴を払う。 ふわりと後退してかわしたフィーナが、すばやく踏み込む。 腕が伸びきった俺は完全に無防備だ。 「っっ!」 打ってこない。 ……。 「何やってんだっ!」 がら空きになった胴めがけ、竹刀を突き込む。 右足を引いてフィーナがかわす。 今なら、俺の頭を真上から打ち込める。 「っ」 にもかかわらず打ち込まない。 「くそっ」 俺は再び正面に構える。 ……。 「何してるんだっ」 フィーナは言葉を返さず、奥歯をかみ締める。 「俺をからかっているのかっ」 「ち、違うわ……」 表情が苦渋に満ちる。 フィーナの気持ちは分かる。 試験のことを思うと打ち込めないのだ。 彼女が打ち込んだ時、俺たちの関係は終わりを告げる。 それが彼女の手を止めさせている。 ……。 「昨日の約束、あれは嘘だったのか?」 「……嘘ではないわ」 「当日は、絶対に全力を出せるから……」 「練習でできないことが本番できるわけがないだろう?」 「そ、それは」 竹刀を持つフィーナの手が震える。 「ここで俺たちが手を抜いたら、今までのことが全部、ガキのわがままになってしまう」 「結局、辛くなればどこかへ逃げる、責任感のない子供だ」 「……」 フィーナが目を瞑り、ぎゅっと唇を噛む。 「付き合う時、どんな困難に遭っても戦い続けるって言っただろ?」 「今が戦いだ」 「本番だけが戦いじゃない」 目を瞑り、竹刀を握る手に力を込めるフィーナ。 唇が真一文字に引き結ばれる。 「どんな外圧にも屈しない俺たちを見せてやろうじゃないか」 フィーナの目が開かれる。 そこには炯々たる闘志が輝いていた。 ……。 「ええぃっ!!」 顔めがけて、全力で突き入れた。 「っっ!」 フィーナは頭をわずかに傾けて切っ先をかわし、「うああぁぁっ!!」 烈火の如く踏み込んだ。 「があっ!」 激痛が左肩を襲った。 肩が砕けたかと思うほどの痛み。 体の表面ではなく、骨の髄がびりびりと痺れるような感覚だ。 目がくらんで膝を着いてしまう。 竹刀の痛さを甘く見ていた。 ……。 …………。 フィーナは竹刀を振り下ろした姿勢のまま、唇を噛んでいた。 竹刀を握る手が小刻みに震えている。 フィーナの痛みを、俺は想像することしかできない。 きっと、俺の痛みなんかより何倍も激しいはずだ。 ……。 …………。 俺は肩の痛みを引きずったまま立ち上がる。 フィーナの手を優しく握った。 ……。 「達哉……」 フィーナの目には涙がにじんでいた。 「死ぬかと思うほど痛かったよ」 ……。 …………。 「私もよ」 フィーナはかすかに笑う。 「タオルを冷やしてくるわ、少し待っていて」 そう言ってフィーナは家に入っていった。 「いたたた」 「達哉、だらしのない」 フィーナが傷口に湿布を貼ってくれている。 裸になった俺の上半身には、それこそ無数の青あざが浮かんでいた。 「少し、体が引き締まったのではないかしら?」 フィーナが白い指先でわき腹を突付く。 「やめろって、くすぐったい」 そんな俺たちを見て、家族は嬉しそうに微笑んでいる。 いつもなら怒られてしまうような状況だけど、そこは大目に見てくれている。 残りわずかな時間を楽しむ、俺達への情けなのだろう。 そこが、嬉しくもあり、悲しくもあった。 「剣術は不思議ね」 「竹刀を振っている時は、何かとても気持ちが軽くなるような気がするわ」 フィーナも、俺と同じようなことを感じていたようだ。 「俺も同じことを考えてた」 「……そう」 フィーナが柔らかく微笑む。 この笑顔が、もうすぐ俺の前から消える。 一人地球に残された俺はどうなるのだろう。 想像するだけで、胸に痛みが走る。 体の中身が一点に向けて収縮して行くような、そんな感覚。 ……。 フィーナが静かに俺の手を握る。 胸の痛みが、彼女にも分かってしまったのだろうか。 バンソーコや包帯ででこぼこした俺の手を、滑らかな手が包む。 フィーナは何も言わない。 でも、彼女の声が聞こえてくる気がする。 「最後まで一緒に戦いましょう」 そんな言葉。 フィーナは俺の何倍も辛いはずだ。 それでも、こうして勇気づけてくれる。 ……。 まだ、負けたわけではない。 カレンさんが結果を告げるその瞬間まで、俺は止まらない。 フィーナの手を、強く握り返した。 ……。 びしっこの日は、防御の練習をすることになった。 フィーナの打ち込みを、教えられた通りに受ける。 フィーナは、迷いなく打ち込んでくる。 この調子なら、本番でも全力で臨んでくれるに違いない。 びしっ俺が振る竹刀とはまるで違う音がする。 滑らかな動きからは想像もできない程の力と速度。 攻撃を受ける度に、体の芯まで痺れるような衝撃が走る。 俺が思い切り竹刀を振っても、こんな力は出ない。 日を追うごとに、俺はフィーナとの実力差を実感するようになっていた。 そして、実力は素振りや運足、型の練習など、効果が出るまで時間がかかる練習の上に成り立っていることも。 ……。 ちなみに、今日はギャラリーが増えた。 麻衣とミアに加え、菜月も見物に来ている。 ミアを除いた二人は、フィーナの猛烈な打ち込みに目を白黒させている。 「フィーナって、本当に強かったんだね」 「う、うん……」 「もちろんです。 子供の頃から真剣に取り組んでいらっしゃいましたから」 と、こんな調子だ。 ブロロロロ……キュッ練習を始めてしばらくした頃、家の前に黒塗りの車が停まった。 大使館の車だ。 フィーナが攻撃の手を止める。 俺も竹刀を下ろし、車をじっと見つめる。 ……。 やがて、後部座席からカレンさんが出てきた。 俺たちに剣術の試験を課した人。 フィーナに、自分の夢を自分で断つようにと仕向けた人だ。 だが、心は騒がなかった。 フィーナも静かな表情だ。 全力で戦うことを誓った俺たちには、試験の内容や性質はあまり問題ではなかった。 「練習中お邪魔致します」 俺は軽く頭を下げる。 「試験の日程をお伝えに参りました」 フィーナは軽く頷くのみだ。 「日曜日、6日の午後8時より。 場所は大使館の中庭です」 「あまり人に見せるようなものでもありませんから」 ……。 「了解したわ」 少しためを置いて、フィーナが答える。 「分かった」 カレンさんがじっと俺を見る。 「練習に励まれているようですね」 「少し、体が引き締まってきたように思います」 「あはは、ボロボロですけどね」 「仕方の無いことです」 カレンさんも苦笑する。 そんな俺たちのやり取りを、玄関に座った3人が見つめている。 「カレンさんっ」 菜月が突然立ち上がった。 目には強い意志が現れている。 「はい」 カレンさんが菜月に対面する。 「あなたは確か……お隣の鷹見沢菜月さんですね」 「どうして、こんなひどいことをするんですかっ」 菜月が眉をきりきりと吊り上げる。 対するカレンさんは静かなものだ。 「ひどい、と言うと?」 「だって、達哉じゃフィーナに勝てないじゃない」 「そんなの分かりきってるでしょ」 「試合は、何が起こるか分かりません」 「単に二人を懲らしめたいだけなんじゃないの?」 「そのようなことをしても、詮方無きこと」 「なら、こんな試験やめてよっ」 顔を真っ赤にして怒る菜月。 そんな姿に勇気づけられたのか、麻衣も立ち上がる。 「お兄ちゃんもフィーナさんも、せっかく付き合うようになったのに……」 「二人を認めてあげて下さいっ」 麻衣も声を張り上げた。 カレンさんは、そんな二人を冷静な目で見つめている。 「ミアはどう思いますか?」 一人だけ何も言っていないミアに質問を投げかける。 「え?」 「あなたはどう思いますか?」 「わたしは……」 ミアが俯く。 「姫さまが、後悔の無いようにして頂ければ一番だと思います」 カレンさんの目を見て、ミアは言った。 「そう」 「さすが、クララの娘ね」 「えっと……」 カレンさんのつぶやきに、ミアは困ってしまったようだ。 「カレンさんっ」 「せめて試験をもっと公平なものに」 「こんなに頑張っているのに、二人がかわいそうです」 「それは」 凛とした声で、カレンさんが二人を遮る。 「当事者が決めることです」 フィーナを見ると、「任せるわ」 とだけ言った。 嬉しい答えだ。 俺は階段に立っている3人に向かう。 「菜月も、麻衣も、ミアも、ありがとう」 「でも、俺たちは剣術の試験を受けるよ」 菜月が泣きそうな顔をする。 「だって勝てないんでしょう?」 「可能性はゼロじゃないさ」 「それに、ここで甘えてしまうと……」 「フィーナと一緒になれたとしても、結局上手くいかなくなる気がするんだ」 ちらりとフィーナを見る。 力強く頷いてくれた。 「もちろん、カレンさんが他の試験に変えるというなら、やぶさかじゃないけど」 「一度言ったことは、そう簡単には変更しません」 「そういうことみたいだ」 俺にカレンさんとやりあう意思がないのを見て、菜月と麻衣はぺたりと階段に座った。 「では、私はこれで失礼します」 そう言って、カレンさんは俺の隣を通り過ぎる。 「良いご家族をお持ちですね」 「え?」 すれ違いざま、彼女はそう言った。 ……。 カレンさんが車に近づく。 黒服が後部座席のドアを開く。 「フィーナ様」 「何かしら?」 「わざと負けて差し上げれば、良い結果に結びつくかもしれませんよ」 かすかに笑って、カレンさんはそう言った。 「見くびられては困るわ、私も達哉も」 「失礼しました」 「では、明後日に」 ばたんカレンさんを乗せた車は、静かに住宅街を出て行った。 ……。 「あれで良かったのか?」 「ええ」 「私も、同じ考えよ」 「なら良かった」 「みんなも、ほんとありがとう」 「二人がそういう気なら仕方がないけど」 「すまないな、せっかく心配してくれてたのに」 「カレンさんも言ってたけど、結局は二人が決めることだもんね」 「ごめんなさい、麻衣」 「いいの。 でもわたし応援してるから」 「ありがとう」 フィーナがミアに向く。 「姫さま」 「生意気を言ってしまい、申し訳ありませんでした」 「いいのよ、ああ言ってもらえて嬉しかったわ」 「あ、ありがとうございます」 「わたしも皆さんと一緒に応援しています」 ……。 「それじゃ、続きやるか」 「そうね、時間が惜しいわ」 フィーナが竹刀を構える。 庭の空気が引き締まった。 「行くわよ」 「おうっ」 練習を終えたのは日付が変わってからだった。 フィーナは、体中の傷を熱心に治療してくれている。 入浴で火照った体に湿布が気持ちいい。 「二人とも、明日はどうするの?」 姉さんが心配そうに聞いてきた。 「どうって……」 明日は、試合の前日だ。 もちろん最後の練習をするに決まっている。 「練習するけど」 フィーナも頷いた。 「でも明日は、その……最後の日なんだよ」 ……。 試合が終われば、俺たちがどうなるかが決まる。 つまり、公認か、別れが確定したカップルかのどちらかになる。 今までのようにフラフラした付き合いができるのは明日が最後になる。 「どこか行ったりしなくていいの?」 半ば懇願するように、麻衣が聞いてくる。 麻衣には、勝算のない戦いに向けて淡々と準備している俺たちの姿が、寂しく映っているのだろう。 だけど、勝てないと決まったわけではない。 勝つ可能性が仮に1%しかなかったとしても、その1%をものにするために、俺たちは練習する。 それに、周囲に迷惑をかけることを承知で付き合い始めた俺たちにとって、最後まで本気であり続けることは、必要最低限の責任だ。 「気持ちだけ、ありがたくもらっておくよ」 「ここで気を抜いたら、きっと後悔することになる」 「だから、明日も練習するよ」 「……お兄ちゃん」 麻衣が涙目になる。 心から、俺たちの幸せを祈ってくれているのだ。 「麻衣、私なら平気よ」 「一緒に竹刀を合わせるのも、デートと同じように楽しいものよ」 フィーナが俺の後を受ける。 「だから、今まで通り練習させてくれる?」 「二人がそう言うなら、わたしは何も……」 「でも……こんなのって……」 麻衣が顔を伏せた。 姉さんが何も言わず、麻衣の背中を撫でる。 「姫さま、よろしいのですか?」 最後に、ミアが口を開いた。 「ミアも言ったでしょう?」 「私が後悔しないようにするのが一番だと」 「……はい」 「ミアはいつも通り美味しい食事を作って」 「は、はい。 頑張ります」 「ぜひ、お力をつけて下さい」 ミアは泣き笑いの顔で言う。 「楽しみにしているわね」 フィーナがミアの頭を撫でる。 ミアは涙目で何度も何度も頷いた。 ……。 しばらくして、フィーナはソファから立ち上がった。 「私は明日に備えて休むわ」 「俺もそうするよ」 俺もそれに倣う。 「おやすみなさい」 「おやすみなさいませ」 「……おやすみ」 3人が儚い笑顔を浮かべる。 笑顔の下からは、俺たちへの愛情がにじみ出ている。 だから、悲しげな笑顔になってしまう。 こんな家族に囲まれて、俺は幸せだ──心からそう思う。 ……。 今までやってきた練習を総ざらいする。 素振り、運足、型──フィーナにチェックしてもらいながら、こなしていく。 どれもこれも身についていなくて、頭で考えながらでないと上手くいかない。 勝てる可能性は、どのくらい上がったのだろうか?……。 「後は自由に打ち込んで来ていいわ」 フィーナが、すっ、と竹刀を構える。 「そう言えば、構え方っていくつかあるのか?」 「何種類かあるけれど……」 「これが中段の構え」 というのは、剣道でよく見られる、真正面のものだ。 「あとは……」 中段から真っ直ぐに振り上げる。 「これが上段の構え」 「すばやく攻撃できるけれど、見ての通り防御がしづらいわ」 「絶対に引かないという強い決意が必要な構えね」 攻撃的な構えということだ。 次は、逆に中段より切っ先を下げる。 ちょうど俺の腰あたりを竹刀で指す感じだ。 今にも突かれそうな感じがして、前に進みづらい。 「これが下段の構え」 「相手が攻めづらいから、防御の構えね」 「あといくつか構えはあるけれど、どれも時間をかけて練習しなくてはならないから、達哉は今の形が良いと思うわ」 「さすがに前日に新しいこと始めてもな」 「そうね」 フィーナが苦笑する。 「さ、続けましょう」 俺は再び竹刀を構え直す。 「行くぞっ」 バイトや夕食を挟んで、この日も終日練習を続けた。 入浴後、いつものようにフィーナが体の傷を治療してくれる。 家族は気を利かせてくれたのか、既に自室に戻っている。 ……。 試合前日の夜。 明日のこの時間には、もう俺たちの進退は決している。 こうして、中途半端な状態のカップルでいられるのも今宵限り。 にもかかわらず、驚くくらい気持ちは静かだ。 フィーナも同じ気持ちなのだろうか。 淡々と俺の体に湿布を貼っている。 ……。 …………。 「はい、終わりよ」 と言って、俺の肩を軽く叩く。 「あいててて……ありがとう」 「よくここまで傷を作ったものね」 「毎日しごかれてれば、このくらいにはなるさ」 強がりを言う。 実際、体はボロボロだった。 動く度にどこかしらが痛くなる。 寝ている時に、痛みで目を覚ましたことも一度や二度ではない。 対して、フィーナの体には傷一つなかった。 それもそのはず、俺の竹刀が彼女に当たったことは一度もないのだから。 実力の差は歴然としていた。 一週間程度の練習でどうこうなるものではないことも、途中で分かった。 でも、練習を止めようとは思わなかった。 試合までに、一回でも多く竹刀を振りたかった。 結局、自分にできることはそれしかなかったのだから。 ……。 「ちょっと風にでも当たろうか?」 「あら、デートのお誘いかしら?」 「ああ、夜のデートもいいだろ」 「そうね、行きましょうか」 「少し待っていて、着替えてくるわ」 ……。 川面が月の光を反射して輝いている。 どちらからともなく腰をおろす。 アスファルトから、ぼんやりとした熱が伝わってきた。 少しだけ涼しい風が土手を走り抜け、フィーナの銀髪を舞わせた。 ……。 「良い風ね」 フィーナが髪を撫で付ける。 「ああ」 「フィーナの髪は、いつ見ても綺麗だな」 「ふふふ、お世辞が言えるなんて知らなかったわ」 「知らなくて当然さ。 お世辞なんて言ったことがないからな」 「まあ」 フィーナが喉の奥で笑い、俺の肩に頭を預けた。 そのまま彼女は、俺の左手を取りしげしげと観察する。 手のひらは、マメを作ってはつぶしての繰り返しで、だいぶひどい状況になっている。 「傷だらけね」 「おかげさまで」 「全部治れば、無骨な良い手になるわ」 「ゴツいのが好みなのか?」 「手にはその人の生き様が現れると言うでしょう?」 「だからきっと、ツルツルな手よりは良いのではないかしら」 「そっか」 よほどの幸運でもない限り、傷が治った手をフィーナに見せることはできない。 それが、今は少し残念だ。 ……。 フィーナが俺の手に指を絡めてくる。 しっとりとした柔らかい手。 「達哉……」 ポツリとつぶやいて、それっきり口を閉じた。 ……。 …………。 沈黙が流れる。 肩に伝わるフィーナの熱。 ……。 今にして思えば、あっという間の三ヶ月だった。 初めて月の姫がホームステイに来ると聞いた時には、その人柄をいろいろと想像したものだ。 高慢ちきな性格を想像して、戦々恐々としてもいた。 だけど全然違った。 実物のフィーナは……高潔で誠実で努力家でいつもは冷静なくせに、いざとなると情熱的で──本当にかわいい人だった。 好きになるのは時間の問題だったのかもしれない。 横目にフィーナを見る。 川面をじっと見つめていた。 本来ならこの時間は、別れを惜しむために使うべきなのかもしれない。 ……。 辛くないと言えば嘘だ。 寂しくないと言うのも嘘だ。 でも、俺もフィーナもそれを口にしない。 彼女がそれを切り出せば、俺の敗北を暗に認めていることになる。 それは、最後まで諦めないと宣言した俺に対しての裏切りだ。 逆に、俺が別れを悲しむのは、勝利を諦めたと公言することに他ならない。 それは、全力で剣を振るうと約束してくれたフィーナへの裏切りだ。 互いが互いを裏切らないために──俺たちは、別れを惜しんではならない。 ……。 「星が、綺麗だな」 「そうね」 「明日は、晴れるかしら?」 「雨の中で試合は嫌だな」 「ふふふ、そうね」 笑いながら、フィーナの目尻に涙が浮かぶ。 俺は──泣いてはいけない。 泣けば張り詰めた糸が切れてしまう。 「月から見える夜空も、こんな感じなのか?」 「月の夜空には、いつも地球が浮かんでいるわ」 「青くて美しい星。 とても大きく見えるの」 「そっか、早く見てみたいな」 「一緒に城から見ましょう」 「そうそう、大きな望遠鏡があれば、達哉の家が見えるかもしれないわ」 「まさか」 「ふふふ、冗談よ」 フィーナの頬を涙が伝った。 涙腺が熱くなる。 泣くな──泣いちゃだめだ。 「あ、明日の……朝食は、なにかしら?」 フィーナが途切れ途切れに言った。 「ミアが作るなら、ベ、ベーコンエッグだろうな」 胸が潰れそうだ。 嗚咽が洩れないよう、奥歯を締める。 「み、ミアの……ベーコンエッグ、は、美味しいから……楽しみ、ね」 それきり、言葉が出なかった。 フィーナが俺の手を握り締める。 爪が食い込むくらい固く、強く。 ……。 フィーナが顔を伏せた。 俺も顔を逸らした。 どちらかの顔を見たら、自分を抑えられなくなってしまう。 抱き合い、唇を重ねてしまう。 お互いの喉から、低く嗚咽が洩れる。 涙が止められなくなっていた。 服の上にぱたぱたと涙が落ちる。 もう顔は上げられない。 ……。 満天の星空の下。 俺たちは顔を合わせぬまま、肩を震わせ続けた。 強く握られた手だけが、悲しみを伝える唯一の手段だった。 ……。 空には無数の星。 石畳に硬質な靴音が響く。 夜の涼しい風が吹き抜け、大使館を囲う並木の葉が爽やかな音を立てた。 ……。 フィーナと並んで、大使館の玄関を目指す。 昨日さんざん泣いたせいか、気持ちはすっきりしていた。 俺たちの将来が決まる──そんな試合に臨んでいるというのに、不思議なくらいに気負いが無い。 フィーナも穏やかな表情で、じっと前を見つめている。 ……。 大使館の玄関では、既にカレンさんが待っていた。 俺たちの顔を交互に見て、静かに目を伏せる。 どことなく、俺たちに敬意を表してくれたように見えた。 「お運び頂き恐縮です」 俺たちは前後して頷く。 「会場にご案内します」 そう言って、カレンさんは俺たちに背を向けた。 案内されたのは、大使館内にある中庭だった。 周囲の建物には照明が灯り、剣を交えるのに不足はない。 カレンさんは、中庭中央にあるモニュメントの前まで俺たちを誘導する。 「ルールをご説明します」 「時間無制限の一本勝負です」 「優劣が決した段階で私が声をかけますので、それまでは試合を続けて下さい」 「大まかな判定基準ですが、真剣での勝負であった場合、戦闘不能に陥る部位に攻撃が命中した段階で勝負が決することとします」 「武器は今お持ちの竹刀のみを認めます」 「また、武器を用いない体術もこれを認めます」 要するに、先に竹刀をクリーンヒットさせればいいわけだ。 「何かご質問はありますか?」 「無いわ」 フィーナの声が静かに響く。 いつも通りの引き締まった声だ。 「達哉さんは?」 「ありません」 「では、お二人とも準備を」 ……。 モニュメントに腰をおろし、布袋から竹刀を取り出す。 上着を脱いでTシャツだけとなり、靴紐を締め直す。 それだけの準備。 フィーナは竹刀を取り出すだけ。 俺たちは軽く準備運動をして対峙した。 ……。 …………。 強い風が吹いた。 どこか遠くで、のん気なひぐらしがまだ鳴いている。 フィーナの深緑の瞳が俺を見る。 深い湖の底のように静かな目だ。 対する俺も、澄んだ心持ちだった。 やれることは全てやった。 この期に及んで言うことなど何もない。 ……。 「よろしいですか?」 俺たちは同時に頷いた。 ……。 …………。 「始めて下さい」 カレンさんの声が、試合開始を告げる。 ……。 俺は、左足を引いて中段に竹刀を構える。 対するフィーナは、高々と竹刀を掲げ上段に構えた。 上段は、攻撃の構え。 一歩も引かないという意思の表れ。 いつも中段に構えていたフィーナが、本番で上段の構えを取った。 本気で来て欲しい、という俺の希望を体で表現してくれている。 それが俺には嬉しかった。 ……。 フィーナが俺を見据えている。 どこを見ているというのではなく、全身をぼんやりと視界に収めている感じだ。 間合いは、一刀一足よりやや遠い。 2歩は踏み込まないと攻撃が届かない。 ……。 待つか、攻めるか、……。 …………。 いくぞっ心に念じた瞬間、フィーナが凄烈な速度で踏み込んだ。 右袈裟の一刀が、うなりを上げて左頸部に迫る。 上体を反らして、かろうじて切っ先をやり過ごし、「たあぁっ!」 フィーナの上体に、全力で竹刀を突き込む。 それも、返す竹刀で軽々と跳ね上げられた。 俺の腰が完全に浮き上がる。 既に、フィーナの竹刀は大上段に構えられていた。 避けられようはずもない。 ……。 フィーナと目が合う。 泣いているような、笑っているような表情だった。 ……。 「ええいっ!!」 裂帛の気合が中庭に木霊する。 ……。 …………。 「勝負ありました」 ……。 電光の如く振り下ろされた竹刀は、頭上で寸止めされていた。 フィーナは微動だにしない。 胸の中は空洞に近かった。 ……。 …………。 終わった。 何もかもが終わってしまった。 こんな思いだけが、何度もがらんどうの胸の中を反響していた。 悲しくもない、悔しくもない、……何もない。 そんな俺を、フィーナはあの表情で見つめていた。 悲しみとやるせなさを奥歯で噛み潰したような──幼いあの日、俺に見せた表情。 ……。 …………。 時間が止まったように、誰も口を開かなかった。 ひぐらしの声はもう消えている。 ……。 …………。 しばらくして、フィーナが音もなく竹刀を引いた。 俺も竹刀を脇に下ろす。 「この試合、フィーナ様の勝ちとします」 厳かな声。 ……。 俺たちの恋が終わった。 フィーナの銀色の髪も、白い頬も、薄い唇も、柔らかな手も、もう、手の届かないところへ行ってしまった。 ……。 悲しまなくてはいけない気がする。 なのに、すがすがしい。 胸を張って全力を出し切ったと言える。 今までの人生、こんなことはなかった。 俺が全力で取り組み続けられたのも、フィーナというパートナーがいたからだ。 彼女に出会えたこと。 短い時間だったが共に歩めたこと。 俺は誇りに思う。 ……。 俺は今、どんな顔をしているのだろうか。 じっと俺の顔を見ていたフィーナが、かすかに笑って目を閉じた。 胸の中に残る余韻を楽しむような、そんな表情だった。 もしかしたら、俺もそんな顔をしていたのかもしれない。 ……。 「帰ろうか、フィーナ」 どのくらい時間が経ったのだろう。 俺は言った。 「そうね」 俺たちはモニュメントに座り、身支度を済ます。 ものの数秒で終わった。 続けてカレンさんの前に並ぶ。 「見事な試合でした」 わずかに笑って、カレンさんが言う。 「ありがとう」 「何か決まったら連絡を頂戴。 それまでは朝霧家にいるわ」 「では、失礼します」 俺たちの口からは、いつも通りの声が出ていたように思う。 もしかしたら、少し平板な発音だったかもしれない。 カレンさんは俺たちを見て、目で頷いた。 それを確認して、俺たちは踵を返す。 コツコツ乾いた足音が大使館の建物に反響して、幾重にも聞こえる。 「フィーナ様」 背後からカレンさんが呼び止める。 揃って振り返った。 カレンさんは無表情な目で、俺たちを見ている。 「お伺いしたいことがあります」 ……。 「何かしら?」 「一国の姫というお立場と、達哉さん……」 「一方を選べるとしたら、どちらを選ばれますか?」 ……。 そんなことを俺たちに聞いてどうするつもりなのだろう。 結局、姫の立場しか得ることができなかったフィーナへの皮肉だろうか?「どちらを選ばれますか?」 再度、カレンさんが問う。 彼女の表情に冗談めいたところは、少しも無かった。 ……。 フィーナの返事は決まっている。 以前、喧嘩をした時に聞いたものだ。 フィーナが俺の顔を見る。 どう? と聞いていた。 「答えなんて決まりきってるさ」 俺の答えに、フィーナがくすりと笑う。 「そうね」 「お答え頂けませんか?」 変わらず、冷静な声でカレンさんが言う。 「達哉が答えても良いかしら?」 カレンさんが少し驚いた表情を見せる。 「……構いません」 ……。 「達哉」 「ああ」 俺はフィーナの前に一歩出る。 カレンさんが俺を見据えた。 「俺が答えます」 「どうぞ」 身分と恋。 この一ヶ月、ずっとフィーナに問われていたことだと思う。 フィーナは、どちらを取るべきか、俺と付き合うまで悩んでいた。 そして、一つの回答に至る。 彼女が出した答えは、身分でも恋でもなかった。 ……。 この質問には答えが無いように思う。 一つひとつのカップルが、自分たちに合った答えを導き出していくものだ。 だからカレンさんは「あなたたちはどう考えたのか?」 と聞いているとも言える。 つまり、俺たちの成果を聞いているのだ。 俺は大きく息を吸った。 ……。 …………。 「それは、選べるものではありません」 はっきりと言った。 「どうしてですか?」 「どちらが欠けてもフィーナは成り立たない」 ……。 フィーナは生まれた時から、姫として育てられてきた。 姫という立場、考え方、それらは彼女の体に沁み込み、一体となっている。 「欲張りだけれど、私には立場も達哉も両方必要なの」 「どちらが欠けても、私は私でなくなってしまうと思う」 ……。 以前、彼女はそう言った。 人にとっての食事と睡眠のように。 充てる時間の割合を変化させることはできても、ゼロにすることはできない。 立場と、俺、その片方を選択するなんて、彼女にとっては無意味ということだ。 そのどちらがゼロになっても、フィーナはフィーナのままでいられない。 ……。 「程度問題としては答えられても、どちらかをゼロにはできないものです」 「それは、お二人が出した答えですか?」 「それとも、達哉さんのお考えですか?」 カレンさんは一度頷いてから口を開いた。 「私たちの答えよ」 「達哉の回答に、全く異存は無いわ」 ……。 フィーナの言葉を聞いて、カレンさんは空を見上げた。 彼女のこんな仕草は初めて見た。 だが俺などには、彼女の心中を量ることはできない。 ……。 …………。 「よくぞ、やり遂げられました」 カレンさんがポツリと空につぶやいた。 「……」 「……」 「さすがはセフィリア様のご息女」 「カレン……」 カレンさんが俺たちを真っ直ぐに見据える。 その表情は固い決意に満ちていた。 「このカレン・クラヴィウス、達哉さんをフィーナ様の婿様として推挙することに異存はございません」 「え……」 「そんな、まさか……」 「私は、一度申し上げたことを、そう簡単に変更致しません」 「達哉さんをフィーナ様のお相手として、国王陛下に推挙させて頂きます」 「なぜ今になって……達哉は剣技で敗れたでしょう?」 さすがのフィーナも上手く言葉を紡げない。 俺に至っては、口を動かすこともできない。 「私は、試験の結果を見て判断させて頂くと申し上げただけです」 「達哉さんが勝つ必要があるとは、一言も申しておりません」 カレンさんが嬉しそうに言った。 「あ……」 「臣下の言葉を正しくご理解されないようでは、先が思いやられます、フィーナ様」 「しかし、本当に達哉を……」 「私が承った以上、一命に代えましても実現させてご覧に入れます」 「実は、出鱈目とも思える君主の我侭を実現するのが、私の密かな楽しみなのです」 細い眉をピクリと動かして、カレンさんが言う。 なんとも愉快そうな表情だ。 「カ、カレンさん……」 ようやく、言葉が出た。 カレンさんが俺を見る。 「一体、どういう基準で俺を選んだんですか?」 「それは当然、国王になる可能性がある方として、ふさわしいかどうかですが」 「俺のどこかふさわしいと言うんです」 「剣術もさっぱりだし、カレンさんの質問にもまともな答えを出せなかったし」 ……。 「確かにその通りです」 「では逆にお聞かせ願いたい」 「剣術に優れているのが良い君主なのですか?」 「それは……」 「では、私の質問に正しく答えられるのが良い君主なのですか?」 「……」 「何のために臣下がいるとお思いか?」 「君主より剣術や学問に優れた臣下など、それこそ星の数ほどおります」 「ですから、剣術や世の理に通じていることはさしたる加点とはなりません」 「君主にとって最も大切なのは、困難な問題に直面した際に、最後まで諦めない胆力」 「そして、私たち臣下に、希望に満ちた未来を指し示して下さる力なのです」 「勿論、剣術も知識もあるに越したことはありませんが」 カレンさんは笑ってそう付け加えた。 「じゃあ剣術の試験は……」 「達哉さんがフィーナ様に勝てないことなど、初めから分かっております」 「私が見させて頂いたのは、勝てない戦いにどのような姿勢で臨まれるかです」 「そんな……」 「先ほどの手合わせはお見事でした」 「達哉さんは最後まで諦めず、努力をされた」 「何より、フィーナ様が一切の迷い無く竹刀を振られたことに感服致しました」 「それはお二人が、いかに充実した時間を過ごされたかを証明するものです」 「お二人はお二人でいることで、お互いをより高めてこられた」 「それは十分に国益に適います」 「もう良いわ、歯が浮いてしまいます」 フィーナが手でカレンさんを遮る。 「申し訳ございません、多弁に過ぎました」 「失礼ついでに、一つだけ」 「実は、達哉さんを選ぶに当たり、もう一点基準がありました」 「??」 「フィーナ様をお幸せにできるかどうかです」 「カレンっ」 フィーナが顔を赤く染める。 「達哉さんは、どちらかと言えば、こちらで点を稼がれたのかもしれませんね」 「い、いや、それは……」 もう赤くなるしかなかった。 「それこそ、あまり褒めてもらっては困ります」 「この科目は、これからが大切よ」 そう言って、フィーナは笑った。 「ふふふ、では毎年選考試験を行うことにさせて頂きましょうか」 「……」 この二人組はまずい。 そう思った。 ……。 「それでは……」 と、カレンさんが背筋を伸ばす。 空気が引き締まった。 「今後についてご説明致します」 「私は月へ戻り調整に入ります。 結果が判明するまで、今しばらく朝霧家でお待ち頂きたく存じます」 「さやかには私から話を通しておきますので、お心を安らかに」 「何かと大変でしょうが、よろしく頼みました」 「かしこまりました、一命に代えましても」 カレンさんが深々と頭を下げる。 「そう簡単に一命に代えないで頂戴」 「貴女に死なれては困るわ」 「ありがたきお言葉」 「では近いうちに会いましょう」 「達哉……行きましょう」 「あ、ああ」 ……。 来た時とは逆に道を辿る。 フィーナはいつもと変わらぬ様子で、前を向いて歩いていた。 俺にはまだ、実感が湧いていない。 フィーナとの仲を認められ、同時に王族に加わることが決まったのだ。 頭では分かっているのだが、なかなか気持ちがついてこない。 こんな状況でいつも通りに振舞っているフィーナを、正直すごいと思う。 「達哉、一週間で強くなったわね」 ずっと無言で歩いていたフィーナが、ぽつりと言った。 俺は足を止めて応じる。 「いや……ぜんぜん歯が立たなかった」 「フィーナの動きなんて、ほとんど見えてなかったしさ」 「……」 「それでも、初めの一刀をかわされたのだから私の負け」 「一度上段に構えたら、一撃で勝負を決めなければいけないわ」 「そんなもんかな」 「そういうものよ」 「もしかしたら、達哉には剣術の才能があるのかもしれない」 「あったとしても、結局勝てなかったし」 「経験の差よ」 「これから練習に励めば、すぐに追い越せるわ」 「幸い、時間はまだまだあるようだし」 フィーナが俺の目を見る。 充実した表情をしていた。 「よろしくな、これから」 「ええ、手加減はしないわよ」 そう言って──フィーナは気持ちよさそうに笑った。 今まで見たことも無いような、快心の笑みだった。 「あっ、帰ってきた」 まず声を上げたのは麻衣だった。 「お帰りなさいませ」 「お帰り」 「お疲れさま」 「早かったじゃないか」 「お帰り」 みんなが笑顔を浮かべている。 まだ試験の結果は知らないはずだ。 にもかからわず、みんなは笑っていた。 きっと、結果はどうあれ、笑顔で俺たちを迎えると決めていたのだろう。 こんなに温かい人たちが、俺たちを見守ってくれていたのだ。 ……。 知らず知らずのうちに、目頭が熱くなっていた。 「達哉、報告を」 フィーナが笑顔で俺の背中を押した。 「あ、ああ」 右手の甲で涙を拭う。 一歩前に進み出た。 みんなが固唾を飲んで俺を見ている。 どうやって結果を伝えよう。 高らかに勝利を宣言するのか。 ……。 それは何か違う気がする。 今回のことは、決して俺だけの力で成し遂げたわけではない。 一緒に、最後まで全力で戦ってくれた、フィーナの存在あってこそのものだ。 彼女の存在が無ければ、俺はここまで頑張れなかった。 それは誰に指摘されなくても、俺自身が良く知っている。 これは俺たちの勝利なのだ。 ……。 「紹介するよ」 フィーナを隣に並ばせる。 「俺の婚約者」 「フィーナ・ファム・アーシュライトだ」 ……。 一瞬の静寂、そして──歓声が沸きあがった。 「お兄ちゃん、おめでとうっ」 「ありがとう」 「ううん、いいの……」 麻衣がぽろぽろと涙をこぼす。 「麻衣には心配かけたな」 麻衣の頭を撫でる。 隣に目を遣ると、フィーナも同じようにミアの頭を撫でていた。 「達哉、良かったね」 菜月が俺に近づいてくる。 思えば、フィーナへの告白を迷っていた時、背中を押してくれたのは菜月だった。 「菜月には力を分けてもらったよ。 ありがとう」 「気にしないで」 「幸せになってくれれば、それでいいの」 「ああ、任せとけ」 「あはは、頼もしいこと言ってくれちゃって」 菜月は、ぽんと俺の肩を叩いて、姉さんに場所を譲った。 ……。 姉さんが俺の前に立っている。 穏やかな表情で、じっと俺を見つめている。 「さやか……」 フィーナが隣に来る。 「姉さん、ありがとう」 「ありがとう」 俺たちの言葉に、姉さんは軽くひとつ頷く。 そして俺たちを強く抱きしめた。 何も言わず、強く抱きしめた。 姉さんの温かさに包まれて、また涙が溢れてきた。 俺たちが悪い結果に終われば、姉さんはホストマザーとしての責任を問われただろう。 やっとのことで掴んだ今の仕事も、夢も、失うことになるのは想像に難くない。 それでも姉さんは、俺たちを応援してくれた。 甘ったれたことを言う俺を、時には厳しく、優しく見守ってくれた。 「おめでとう、二人とも」 姉さんは、もう一度腕に力を込めると、俺たちから離れる。 ……。 みんなが、優しい表情で俺たちを見つめている。 俺はフィーナの手を取る。 「フィーナ、お礼を」 「ええ」 しっかりと手を握り合う。 これだけの人たちに支えられて、俺たちはようやく認められたのだ。 みんなの思いを無駄にしないためにも、絶対に幸せにならなくてはいけない。 「ありがとう、みんな」 「俺たち、必ず幸せになるよ」 俺たちは深く頭を下げた。 ……。 さざなみのような拍手が、俺たちを包んでいた。 数日後に祝いの席を設けることにして、俺たちは家へ戻った。 家に入ってからも、興奮冷めやらぬ家族に、からかわれたり小突かれたり。 解放されたのは、ゆうに1時間が経過してからだった。 天井をぼんやりと見上げる。 ……。 俺はようやく、戦い続けた証を手に入れることができた。 何かを得るためには戦わねばならない。 口だけじゃなく、それを実践できたことが、とても誇らしく思えた。 幼いあの日、俺はフィーナを見送ることしかできなかった。 戦いもせず嘆くばかりだった自分。 親父が消えた時も、母さんが死んだ時も、漫然と状況を受け入れた自分。 やっと、そんな自分を乗り越えることができたのだ。 ……。 俺が逃げずにいられたのも、フィーナが共にいてくれたからだ。 俺はフィーナにお礼を言っていない。 初めに感謝を伝えるべきなのは、彼女なのではないか。 ……。 …………。 コンコン扉が控えめにノックされた。 コンコン「達哉、起きているかしら?」 ……。 こんな時間に、どうしたんだろう?「起きてるよ……どうぞ」 ……。 …………。 がちゃ軽い音を立てて、ドアが開かれる。 ドレスを纏ったフィーナが部屋に入ってきた。 「……」 ……。 どこか、いつもと雰囲気が違う気がする。 表情には現れていないが、何かをためらうような、恥らうような──そんな、どきりとさせる雰囲気を纏っていた。 「ごめんなさい、遅い時間に」 「ど、どうしたの?」 平静を装って尋ねる。 「ええ……今夜はもう少し、一緒にいたいと思って……」 穏やかな笑顔を浮かべて言う。 こんな時間に俺の部屋に来るなんて──俺たちの関係が認められた、今日という日のことを考えれば──……。 フィーナは、もしかして──胸が早鐘のように鳴る。 ……。 「あ、えっと……と、とりあえず座る?」 隠そうにも隠せない緊張。 「ええ、ありがとう」 フィーナが一歩、また一歩とイスの方へ進んで…………あれ?……。 …………。 フィーナが俺の横に立った。 「フィ、フィーナ……?」 「こ、ここに座っては……いけないかしら?」 穏やかな笑顔でフィーナが言う。 「い、いや、どうぞ」 ぎし……俺の隣に間隔を空けて座るフィーナ。 「……」 フィーナは伏目がちに床を見つめている。 彼女の頬は、わずかに紅潮していた。 「……」 口を開いても言葉が出ない。 心臓が口から飛び出しそうなほど高鳴っている。 フィーナへは、少し手を伸ばせば届く距離。 彼女にも俺の鼓動が聞こえているかもしれない。 ……。 「フィーナ」 「達哉」 ……。 フィーナが俯いてしまう。 俺は何をやってるんだ。 「フィ、フィーナからどうぞ」 「い、いえ……達哉から」 フィーナがチラリと横目で俺を見る。 ……。 「じゃ、じゃあ俺から……」 「あの……ありがとう」 「え?」 「今日、こういう結果になって……俺、嬉しくて、大事なこと忘れてた」 「俺が頑張ってこれたのは、フィーナのお陰なんだ……」 「辛くても何とか前を向いてやってこれたのは……フィーナが一緒にいてくれたから」 「達哉……」 「だ、だから、お礼が言いたかった」 「一番大切な人へのお礼が最後になっちゃうなんて、何か締まらないけど……」 ここまで一気に言って、フィーナの表情を窺う。 少しはにかみつつも、俺の顔をじっと見ていた。 「ありがとう、フィーナ」 フィーナの目が嬉しそうに細められる。 「私も同じことを伝えに来たの……」 「そうだったのか」 「達哉が側にいてくれなかったら、私もくじけてしまったかもしれない……」 「ありがとう、達哉」 フィーナが柔らかい笑顔を見せる。 「ようやく……ようやく、こうして……達哉と……」 「達哉と……」 フィーナが恥ずかしそうに目を伏せた。 ……。 フィーナが長い髪をぱさりと顔の横に落とす。 俺からはフィーナの表情をほとんど窺うことができなくなった。 ……。 「将来の夫婦として、認めてもらうことができたわ」 うなじが真っ赤に染まっていく。 何て可愛らしい人なんだろう──俺の胸が温かな気持ちで一杯になる。 ……。 フィーナはそう言ったきり、俯いて微動だにしない。 ただ、艶やかな髪だけが吐息に当たって揺れていた。 ……。 手を伸ばす。 指先でフィーナの顔を隠す髪を耳の後ろに掻き上げる。 簾の奥に隠された貴人が姿を見せるように、フィーナの桜色に染まった横顔が露になった。 ぴくりとフィーナの肩が震える。 俺の隣に座っているのは、一人の恥ずかしがり屋な女の子だった。 ……。 腰をずらしてフィーナに近づきながら、彼女の頬に手を当てる。 ひやりとした、心地よい感触。 自分の体が緊張で熱くなっていることに気が付いた。 「フィーナ……これからもよろしく」 「……達哉……」 フィーナが顔を上げる。 瞳が揺れている。 吸い込まれてしまいそうなほど透き通った、深緑の瞳。 「……ずっと、側にいて」 フィーナが自然に目を瞑った。 そして俺も、自然に唇を近づける。 ……。 …………。 「ん……ふ……」 張りと瑞々しさに満ちたフィーナの唇。 顔にかかる優しげな呼吸までもが、愛しかった。 彼女の両肩を横から手で支える。 ……。 月の姫が目の前で瞳を潤ませていた。 「んっ……」 フィーナの唇が、ゆっくりと俺から離れる。 ……。 しっかりと見つめ合う。 俺の躊躇を見透かしたように、フィーナが頷く。 「……達哉」 ……。 …………。 「貴方と私だけの契りを」 そう言って目を細めた。 ……。 「ああ……」 フィーナの手がドレスの裾を掴む。 「……」 ゆっくりと裾が上昇していく。 その様は、夜にのみ咲く月下美人の開花に似て、どこか静謐で、そして淫靡だった。 脛、膝、太腿──大切に育てられたフィーナの体が、少しずつ外気に晒されていく。 ……。 片時も目を離せなかった。 フィーナという花が開く様を、瞼に焼き付ける。 ……。 やがて、下腹部までが露になった。 雪原のように穢れない肌。 太腿の付け根を覆う下着は、シルク特有の艶やかな光沢を放っている。 股上に切れ込みの入ったデザインは、品があり、それでいて興奮を誘った。 ……。 興奮で胸がはちきれそうだ。 「フィーナ……綺麗だよ」 床に立ち、フィーナの前に進む。 ……。 「あとは……もう……達哉の、良いように……」 フィーナが俺を見つめる。 不安と期待に満ちた瞳だった。 もう、止まることなんてできない。 「フィーナ……好きだよ……」 膝を折り、フィーナの首に唇を近づける。 ……。 甘い香りが、俺を包む。 花に誘われる蜂のように、俺はフィーナの首筋に唇で触れた。 「あっ……」 フィーナの口から声が漏れる。 自分の声を恥ずかしがるように、フィーナが頬を染めた。 「とっても可愛い声だよ、フィーナ」 「達哉、そのようなことを言って……」 フィーナが目を逸らす。 「本当だって」 そんな彼女が愛しくて、俺はもう一度唇を這わす。 「っ……っ……」 喉の奥で声を止めるフィーナ。 声を出さないように注意しているようだ。 ……。 「フィーナ、大丈夫だから力を抜いて」 フィーナの髪を優しく梳く。 「緊張していると、途中で辛くなるから」 こういう経験は初めてだけど、フィーナの緊張をほぐしたくて、声をかける。 「でも、達哉……」 「達哉が私の体にキスをしているかと思うと、恥ずかしくて……」 「嫌なのか?」 「嫌ではないけれど……」 「なら、少しだけ、力を抜いてみて」 俺は、フィーナの肩を何度か撫でる。 「ほら、深呼吸。 一緒にしよう」 「すーー……はぁーー」 フィーナが、大きく胸を上下させる。 「少しは落ち着いたか?」 「……そうね……もう、大丈夫」 「またそうやって気構える」 思わず苦笑してしまう。 「一緒に楽しむつもりで、な」 「……え、ええ」 幾分、フィーナの体から力が抜けた。 「俺に任せて」 そう言って、フィーナの頬にキスをする。 「達哉……」 フィーナが目を細める。 「好きだよ、フィーナ」 「私も、貴方が好き……」 心地よいフィーナの言葉を聞きながら、首筋から鎖骨へと、キスの雨を降らせる。 「んっ……んっ……達哉、温かい……」 「俺も、温かい気持ち」 「キスしよう」 「……ええ」 もう一度フィーナの唇を味わう。 「ん……」 フィーナの肩を撫でていた手を、徐々に下ろしていく。 「んっ……んん……」 それに気づいたフィーナが、息を乱した。 いよいよ、フィーナの胸に触る。 まだ触ってもいないのに、興奮で俺の下半身は固くなっていた。 フィーナのことをとやかく言えた義理ではない。 ……。 唇をふさいだまま、フィーナの胸に触れる。 「んっ……ん……」 フィーナの体がぴくりと反応した。 胸を覆うコルセットを、ゆっくりと前に倒す。 ……。 「……達哉……胸を触るの?」 唇を離して、フィーナが尋ねる。 「フィーナの胸、触りたいんだ……だめか?」 ……。 「……いいえ」 「達哉のしたいように……」 「ありがとう」 フィーナの返事を受け、コルセットに隠されていた白い生地に触れる。 乳房の感触が、ダイレクトに伝わってきた。 「ブラ、付けてないんだな」 「ええ……これが下着なの……」 フィーナが恥ずかしそうに言った。 普通の女の子にすれば、今はブラを露出させている気分なのだろう。 俺は、手のひらで包み込むようにフィーナの双丘を愛撫する。 ふわっ、とした触り心地。 手から少しはみ出るくらいの大きさの乳房は、想像以上に柔らかかった。 「達哉の、手が……私の胸を……」 「触ってるよ……すごく、柔らかくて、気持ちいい」 「触るだけで……気持ちが良いの?」 「だって、ずっとこうしたかったから……」 「まあ……達哉は……」 柔らかく笑うフィーナ。 少し余裕が出てきたのだろうか?「もっと触るな」 フィーナが頷いたのを確認し、俺は大きく彼女の乳房を動かす。 「ん……あ……達哉の手が、熱くなっているわ……」 乳房をマッサージするつもりで、優しく大きく動かしていく。 ……。 「あっ……んっ……何だか、少しずつ……あぁ……」 フィーナの息が熱を帯びてくる。 インナー越しに、素肌の熱気と湿度が感じられるようになった。 時折触れる乳首も、存在を主張してきている。 「フィーナ……直接、触れるぞ」 「あっ……ど、どうぞ……」 ……。 インナーの下には、ツンと上を向いた形の良い乳房が隠れていた。 シミもくすみもない、純白の肌。 先端では、薄桃色の突起が誇らしげに立ち上がっていた。 「あ、あ……」 フィーナの顔が羞恥に染まった。 「フィーナ、すごく綺麗だよ」 手を伸ばし乳房に触れる。 キメ細やかな肌が手のひらにぴったりと吸い付く。 「あ……あぁ……」 フィーナがため息を漏らした。 胸へのマッサージを再開する。 ……。 「胸が、高鳴って……とても、不思議な気持ち……」 「俺も、触ってると、どきどきするよ」 「初めは触られるだけで恥ずかしかったのに……」 「今は?」 「少し……嬉しいわ……」 「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ」 心底そう思った。 一方的に触るほど、悲しいことはない。 ……。 俺は、フィーナの乳首にゆっくり口をつける。 「あうっ……あ……達哉、赤ん坊のよう……」 舌に唾液をたっぷりと載せ、突起をねぶる。 「うっ……んっ……」 フィーナが小さく肩を震わす。 手は休めず、乳房を大きく揺り動かし続けた。 ……。 「はぁ……うっ、んっ……はぁ……」 少しすると、フィーナの呼吸が乱れ始めた。 気持ち良くなってきている証拠だ。 そろそろ下に行っても大丈夫かな……。 そう考え、俺は左手をフィーナの内股に這わせる。 フィーナの太腿に、ぞくりと鳥肌が立った。 「そ、そこは……達哉……あぅ……」 剣術で鍛えているにもかかわらず、そこはしっとりと柔らかい。 乳房にも引けを取らないほど肌はキメ細やかだ。 ……。 乳首を舌で転がしながら、太腿の手を付け根へと近づけていく。 「あ……あ……あ……」 徐々に近づく手を怖れるような声。 だが、俺の手は阻まれなかった。 ……。 滑らかなシルクの質感。 女性器から来る湿り気。 確かにそこは、しっとりと濡れていた。 ……本当に濡れるんだ。 初めての経験に、俺は驚くほど興奮した。 ズボンの中で、ペニスがかちかちになっているのが分かる。 ……。 女性器を包むように手を当てる。 「あっ、うっ……」 流石に敏感な反応を見せた。 俺は乳首を口から離す。 「大丈夫、優しくするから」 「達哉……私、淫らになってしまいそうで、怖いわ」 「触れられただけで、体が熱くなって……」 「達哉……嫌いに、ならないで……」 「嫌いになったりしないから、心配しないで」 半信半疑といった感じで、フィーナが頷く。 俺は優しく手を動かし始める。 「あっ……んっ……うっ……」 短い声が洩れる。 力を入れすぎないよう注意しながら、手を性器に沿って上下させる。 「あうっ……達哉の、達哉の手が……私を……あっ……」 熱いものに触れたように、フィーナが体を震わす。 フィーナの体から汗の匂いが立ち上ってきた。 普段汗をかかないフィーナが、いくつか汗の雫を浮かべている。 ……。 じわり、とした湿りを指先に感じた。 下着の一点が濡れてきている。 その箇所に指を当て、軽く振動させる。 「あっ、あっ、あっ、あっっ」 今までに無く高い声が上がった。 「ここ、気持ちいい?」 「分からない……分からないわ……」 フィーナが苦しげに首を振る。 だが、パンツの湿りは徐々に拡大してきている。 きっと、気持ちいいということを言えないのだろう。 俺は、湿りを指ですくうようにしながら愛撫を継続する。 「あうっ……あっ……こ、声が出て……しまう……」 「このくらいなら、俺にしか聞こえないから」 「達哉に聞かれるのが、恥ずかしいの」 「俺には、とっても可愛い声に聞こえる」 「……」 非難するような、悩ましげな視線を俺に向ける。 俺は笑顔で頷いた。 「もう少しするよ」 押し込むような動きと、撫でる動きを混ぜながら、秘所への愛撫を続ける。 ……。 「あん……うっ……達哉、指が……」 シルクの下着が、ぬるぬると滑るようになってきた。 性器と下着の間に蜜が溜まってきているのだろう。 「フィーナ、下着を取るからね」 「……」 フィーナの表情に不安の色が浮かぶ。 「いいね」 少し強く言って、フィーナの下着に手を掛ける。 フィーナがドレスを着ているため、俺はかがまなくてはパンツを脱がせることができない。 それはつまり……目の前にフィーナの秘所がさらされるということだ。 かがんでからその事実に気づき、俺は唾液を飲む。 「いくよ」 自分に言い聞かせるように言って、丸めるように下着を下ろす。 「あ……う……」 「腰を浮かせて」 黙ってフィーナが腰を浮かせる。 するりと下着を足まで抜いた。 ……。 とうとう──布に隠されていた部分が姿を晒した。 ぷっくりとした肉が割れ目を形作っている。 「綺麗だ……」 思っていたことが口から漏れた。 「い、いやぁ……見ては、だめ……」 羞恥の声が上がる。 フィーナの肌が、ぱぁと桜色に染まった。 ……。 「本当に、綺麗だから」 緊張をほぐすように優しく声をかけながら、下着を下ろしていく。 「あ……あぁ……だめ……」 フィーナの右足を少し持ち上げ、下着を抜いた。 ……。 そして……秘所に顔を近づける。 「た、達哉……?」 フィーナが足を閉じようとする前に、舌が届く距離まで顔を股間にうずめる。 淫臭が俺を包んだが、全く抵抗は無かった。 「あ……あ……」 信じられない、といった声。 ゆっくりと舌を伸ばす。 ぴちゅ……「ひゃうっ」 フィーナの体が揺れた。 俺の顔が柔らかな太腿に包まれる。 それを手で割り開きながら、俺は秘裂に舌を這わせる。 わずかな酸味としょっぱさが口中に広がる。 「汚い、汚いわ……達哉……そこは、だめ……」 「汚くなんてない」 「俺、今すごく嬉しいから……」 自分で自分を止められる自信が無かった。 それほどに、強烈な興奮が俺を突き動かしている。 ……。 割れ目を下から舐め上げる。 「あうっ……あっ……やっ……」 「達哉っ……あんっ、ひゃっ、あうっ……」 面白いように、フィーナが震える。 俺は、指で秘所を割り開きながら、休み無く舌を動かす。 「だめっ……あ、あ、あ、あっ……やっ……うあっ」 フィーナの声にはもう余裕が無い。 むっとした匂いに包まれながら、舌をずり上げていく。 「ひゃっ!」 電流に打たれたように、フィーナが跳ねた。 舐めたのは、小さな芽のような突起だ。 クリトリスってやつだろう。 俺は、大量の唾液を載せて秘芽に舌を這わせる。 「ひゃうっ、あっ、んっ、んぅっ……あ、あ、あっ」 声のトーンが上がった。 同時に、割れ目の下の方から蜜があふれ出す。 ……。 「達哉っ、そこは……刺激が、あうっ、強くて……」 「はぁっ、はぁ……変な……気持ちに……はぁっ……」 体を震わせながら息を荒げるフィーナ。 彼女の反応に興奮を高めながら、舌を動かし続ける。 ぴちゅっ、ぴちゃ、くちゅ……「やあっ、音を、音を……立てないで……あうっ、あっ、あっ」 フィーナの腰がガクガクと揺れる。 「気持ちいいの?」 「いやっ、聞かないで……ひゃあっ、あっあっあっあっ」 肯定も否定もしないフィーナ。 だが、蜜壺からはとろとろと愛液が流れ出している。 「もっと刺激、強くするから」 指でクリトリスの包皮を押し開く。 ぷっくりと膨れた真珠が顔を覗かせた。 丁寧に唾液と愛液を混ぜたものをまぶす。 「ああぁっ……そ、それだけで、も、もう……」 「いくよ……」 舌でクリトリスを覆う。 そのまま、小刻みに振動させた。 「ひゃっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ!」 喉の奥から声が漏れる。 「あんっ、達哉っ、達哉っ、あああっ、んっ、んっ、んんっ」 湧き上がる快感に耐えるように、フィーナがスカートの裾をぎゅっと握る。 フィーナの膝を開き、性器を前に突き出させ、更に執拗な愛撫を続けた。 「達哉っ、何かっ、何かっ……溢れそう、溢れそうよっ!」 フィーナの腰が前後に動き始めた。 それは、自分から刺激を求めているようにも感じられる。 俺は、懸命にクリトリスに当てた舌を動かす。 フィーナに気持ちよくなってもらいたい一心だった。 「やっ、怖いっ、溢れそうっ……」 「大丈夫、体の感覚に任せて……」 ぴちゅっ秘芽を口に含み、強く吸引する。 じゅるっ、じゅっ、じゅちゅっ……「ああっ、音が、いやらしくてっ……ああっ、あぁぁぁんっ」 「達哉の舌……やっ、だめっ、声がっ、止まらないっ!」 「ああっ、達哉っ……溢れる、溢れる、あ、あ、あ、あ、あ……っ!」 「やっ、ああっ、もう、もう、もうっだ、だめっ……ああぁぁぁぁんっ!」 フィーナの声が一気に階段を駆け上がった。 「達哉ぁぁぁぁぁっ……!!」 フィーナの体が痙攣する。 顔が太腿に強く挟まれ、秘所から蜜が噴出した。 「あっ、あっ、あっ、あっ」 短い間隔で、フィーナが震える。 その度に、ぴゅっ、ぴゅっと愛液が溢れ、俺の顔にかかる。 「フィーナ……すごい」 初めて目の当たりにする、女の子の絶頂。 自分がそれを引き出せたことに、とても嬉しくなる。 「あ、あ……あ……」 放心したような声。 フィーナが脱力する。 「はぁ……ぁ……はぁはぁ、はぁ……はぁ……」 ぐったりとうなだれて、肩を上下させているフィーナ。 「達哉……はぁ、はぁ……」 「どう……だった?」 「はぁ……はぁ……」 応えはなく、フィーナは首を力なく振るだけだった。 ……。 フィーナをベッドに横たえ、俺は服を脱いでいく。 ペニスは恥ずかしいほどに勃起し、先端からは白く濁った液体が溢れていた。 ……。 ベッドに上がり、フィーナの脚の間に分け入る。 フィーナが形のいい胸を上下させながら、俺を見ていた。 心臓が破裂しそうなほど恥ずかしい。 「こ……こ、これが……達哉の……」 不安げな声。 「見るのは初めて?」 「え、ええ……こんな形のものが……」 フィーナが俺の股間に視線を注ぐ。 「あの、あんまり見られると……」 「あ……ご、ごめんなさい……」 フィーナが目を逸らす。 「……いい?」 フィーナは小さく頷いた。 俺は、フィーナに覆いかぶさり、秘所に手を伸ばす。 ……。 「あっ……んっ……」 ぬるりとした感触。 さっき舐めていたお陰で、場所も形も分かっていた。 蜜の湧き出し口に指を当て、揉みほぐすように愛撫する。 「ん……達哉の手、熱いのね……」 「フィーナのここも、すごく熱くなってるよ」 膣口をいじくると、とろりとした潤滑油がすぐに溢れてきた。 「達哉……淫らで、ごめんなさい……」 「フィーナがいやらしくなってくれるのは、嬉しい」 フィーナが頬を染める。 俺は、愛液を十分になじませながら女性器をほぐしていく。 「あっ……んっ……達哉、また……体が、痺れて……」 フィーナの声に再び甘さが加わる。 「どう? 感じてきた?」 「そ、そういうことを聞かないで……いやらしいわ……あんっ」 「男はいやらしいんだよ、みんな」 中指をゆっくりと割れ目に埋没させていく。 くちゅっ「ひゃんっ」 第一関節までが内部に飲み込まれた。 挿し込んだまま、内部をくすぐるように動かす。 「達哉っ……指が、あっ……だめっ……」 フィーナが身をよじる。 ゆがんで開いた肉の間から、蜜が零れる。 ……潤いは十分そうだ。 そう判断し、俺は愛撫の手を休める。 「……あ……」 その時が来たことを察したのか、フィーナが俺を見る。 「そろそろ……」 「……よろしく、達哉」 「こちらこそ」 笑ったつもりだったが、もしかしたら、ぎこちない顔になっていたかもしれない。 俺は、更に深くフィーナの脚の間に入り込む。 ……。 「……」 フィーナが息を呑む。 かちかちになったペニスは、今や、フィーナの性器から数センチのところにある。 フィーナの秘所はぴったりと肉が閉じている。 果たして、ここに俺のものが入るのだろうか。 「ゆっくり行こうな」 ペニスを手で持ち、さっきまでほぐしていた場所に誘導する。 「あっ……達哉のが……当たっているわ……」 「怖くないか?」 「……へ、平気よ、やっと達哉と一つになれるのだから」 気丈に笑ってみせるフィーナ。 だが、声はかすかに震えていた。 右手に持ったペニスで、フィーナの秘裂をなぞる。 ……。 ぴた……ぴち……ぴちゅ……亀頭をフィーナにこすりつけ、潤滑油をすくい取る。 それを右手で竿へと伸ばした。 「た、達哉……あまり、待たせないで……」 「ああ……」 竿を持つ手を固定し、先端を入口にあてがう。 「んっ……」 「少しずつ挿れるから、力を抜いて」 「え、ええ……」 フィーナが息を吐く。 合わせて、ゆっくりと腰を進めた。 ……。 ぴちゅ……「あ……う……」 亀頭が埋没する。 とろけるような熱さに、射精しかけた。 「くっ……」 下腹部に力を込め、波をやり過ごす。 「い、痛くないか?」 「だ、大丈夫……よ」 笑顔を作るフィーナ。 いくら聞いたところで、彼女は痛いとは言わないだろう。 そういう人だ、フィーナは。 フィーナを見つめる。 頷き返してくれた。 ……。 ゆっくりと腰を進める。 ちゅくっ……にちっ……窮屈な膣内を、ペニスが突き進んでいく。 初めての異物を排除しようと圧力がかけられる。 快感から痛みへと切り替わるボーダーライン上の力だ。 「あうっ……あっ……んっ」 フィーナが苦しげに声を漏らす。 ピタリと、一際狭い場所に到達した。 純潔の証が先端に触れている。 ……。 「達哉……来て……」 「フィーナ……好きだよ」 「私も、貴方が大好きよ……」 フィーナの笑顔に勇気をもらい、俺は一気に腰に力を込めた。 ぐちゅっ!「んあっ!」 水っぽい音を立てて、ペニスが全てフィーナの膣内に収まった。 「くっ……」 ぎゅっとした締め付けに、思わず声が漏れた。 ……。 「あ、う……はぁ、はぁ……はぁ……」 荒い呼吸にフィーナの体が波打つ。 ……。 「入ったよ、フィーナ」 「……達哉……」 フィーナの目に涙がにじむ。 「どうして今泣くんだよ……」 体を前に倒して、フィーナの頬を撫でる。 ……。 「はぁ……達哉と、一つになれたことが……嬉しくて……うっ……」 フィーナが俺の手に頬を寄せる。 「フィーナ……」 胸の中で、フィーナの存在がどんどん大きくなっていく。 こんな素敵な女性は他にいない。 今の俺は、自信を持ってそう思えた。 「ここまで、長かったな」 「……そ、そうね……はぁ、あ……」 「だけれど、もう……ん……辛かったことも、良い思い出に……はぁ、変えられそう」 「俺もだ……」 「マメだらけになったこの手も、記念さ」 「達哉……本当にありがとう……」 ぴちゅ……フィーナが俺の手を舐めてくれる。 彼女の可愛らしい舌と比べ、俺の手はあまりに無骨で汚く見えた。 「汚いから……」 「達哉に汚いところなんてないわ」 「達哉も、私のことをそう言ったでしょう?」 「……」 フィーナが、一心に舌を這わせる。 胸がぎゅっと締めつけられる。 「……好きだよ」 そう言って、腰をわずかに揺すった。 「あ、ん……」 フィーナが甘い声を上げる。 「動いて……達哉の良いように……」 フィーナが俺の手を離す。 「……動かすよ」 両手をベッドに着き、腰に力を入れる。 ……。 くちっ……じゅっ……にちっ……ゆっくりと腰を前後させる。 「あっ……達哉……お腹が、熱くなって、くるわ……」 「フィーナの膣内、すごく……気持ちいい……」 うめくように漏らし、抽送を続ける。 「くっ……あ……体が痺れるよう……あうっ……」 時折苦しそうな表情を見せるフィーナ。 まだ、痛みがあるのだろう。 それでも、動きは止められそうになかった。 挿れる時はペニスを阻み、抜く時は逃すまいと吸い付く──彼女の膣内は癖になるような快感に満ちていた。 俺を感じさせるための器官であるかのように、全ての動きが俺を昂ぶらせる。 「フィーナ、すごく、いい」 腰の動きを早める。 ぐちゅ、じゅっ、にちゃっ、ぬちゃっ……いやらしい音が部屋に響く。 こんな音がフィーナからしているなんて信じられない。 「あっ……ああっ……お腹が熱くなって、何だか……変な気持ち……」 ペニスを引き抜く度に、フィーナの体内がめくれ上がりピンク色を見せる。 粘液が掻き出され、シーツにシミを作る。 そして、粘液で光るペニスがまた彼女の膣内に帰っていく。 淫らな光景に頭がクラクラしてくる。 「フィーナの体、気持ちよすぎる」 「ひゃうっ……存分に、気持ち良く……あっ……なって……あ、あ、あっ!」 言葉を聞き終わる前に、更に腰を速く動かす。 ……。 ぐちっ、にちゃっ、びちゅっ、ぐちゃっ!湧いてくる蜜の量が増えた。 フィーナの襞が、意思を持って俺を捕まえ、ぬるぬると握り締める。 「うあぁ……あぁ……」 高まる射精感に頭が白くなっていく。 それでも腰は本能的なリズムを刻む。 「あうっ……激し、くて……あっ、あんっ、んっ、んっ……熱いっ」 フィーナの声が艶を見せる。 「フィーナっ、気持ち良くて……もう……」 「あうっ、んっ……一緒に、一緒に……達哉……達哉ぁ……」 フィーナが嬌声を上げる度に、ペニスが強く締め付けられる。 一緒に果てるのは、ちょっと難しいかも……。 片腕で体を支え、右手をクリトリスへと持っていく。 粘液で覆われたそこは、固く強張っていた。 おぼつかない指遣いで、突起を刺激する。 「ひゃあっ、ああんっ、だめっ、そこを、触られたら、あうっ、あっあああぁ!!」 フィーナが激しく首を振る。 汗の粒が宙に舞う。 「フィーナ、一緒に、一緒に、気持ち良くっ」 下半身が射精の予感に、じんじん熱くなってきた。 歯を食いしばり、激しく腰を振る。 「達哉っ、またっ、私っ……あ、ああっ!」 クリトリスを激しく振動させながら、ペニスを突き込む。 先端が膣内を縦横に駆け巡り、周囲の壁にぶつかる。 「ひゃあっ!」 「あんっ、達哉っ、達哉っ、熱くて、溶けそう、溶けそうだわっ……」 「ああっ、あっ、あっ、んっ、んあっ、あああっ!」 フィーナの体が、ぎゅっと締まる。 我慢の限界が近づいた。 「くっ、出るっ、出るぞフィーナっ」 「やっ、もうっ、来てっ、来てっ……あぁっ、あ、あ、あ、あっ!!」 「やっ、やっ、やっ……達哉、達哉っ……や、あああっ……やあぁぁぁぁぁぁぁっ!」 瞬間、強烈な収縮がペニスに襲いかかった。 「うわっ!」 慌てて腰を引く。 どくっ、びゅっ、びゅくっ、びゅびゅびゅっ、どくっ!!快感が全身を突き抜けた。 「ああぁぁぁっ……あっ、ひゃっ、うあっ、あっ……」 フィーナが全身を痙攣させる。 どくっ……びゅっ、びゅびゅっ……どくんっ彼女の上に、大量の精液が、放物線を描いて降りかかる。 「ああっ……あ、あ、あ……」 下腹部から顎の先まで、俺の精液がこびりついていた。 「く……あ……」 俺は脱力して、うなだれた。 汗がフィーナに落ちていく。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 まだ、絶頂の波が彼女の中を駆け巡っているのだろう。 フィーナは放心したように天井を見上げ、時折体を震わせている。 「はぁ……あ……う……」 「フィーナ……気持ち良かった……」 「はぁ、はぁ……達哉……私も……はぁ、はぁ……」 ほとんど口も利けぬまま、フィーナが体についた精液を指ですくった。 「これが達哉の……精子……はぁ、ぁ……」 フィーナが白濁を口に含んだ。 「フィ、フィーナ……」 「はぁ……変わった味……はぁ……」 「拭くから、ちょと待ってて……」 「いいのよ……」 立ち上がろうとするフィーナが俺を制する。 「少し、こうさせていて……」 フィーナがうっとりと言う。 俺には、良く分からない気持ちだった。 「嫌じゃないのか?」 俺の問いかけに、フィーナが笑って頷く。 「もちろんよ……」 「達哉が、気持ち良くなってくれた証だから」 フィーナが、胸の精液を指で伸ばす。 その淫靡な姿に、俺は生唾を飲み込んだ。 ……。 「た、達哉……?」 フィーナが驚いた表情で俺を見る。 「えっ、何?」 「あ、あの……また、元気に……」 フィーナが視線を逸らしながら言う。 「あ」 下半身に目を遣る。 精液を大量に吐き出した後だというのに、ペニスが再び硬直していた。 「あ、えっと……これは……」 「フィーナの格好が、その、いやらしかったから……」 「えっ?」 「わ、私が?」 「……ああ、ごめん」 申し訳無くなって俯く。 ……。 「謝ることないわ」 「私で興奮してくれるのは、女としてとても嬉しいことよ」 「……あ、うん」 ……。 「達哉、横になって……」 「え?」 「そのままでは、困るでしょう?」 潤んだ瞳で、フィーナが俺を見つめる。 「でも、フィーナが……」 「私は……達哉となら……」 「……何度でも」 耳元でフィーナが囁いた。 ……。 フィーナがドレスを脱いでいく。 ……。 …………。 さなぎから羽化するように、フィーナの裸体が現れた。 均整の取れたプロポーション。 白く輝く肌。 非の打ち所のない裸体だ。 「さあ、達哉……」 「……うあっ」 フィーナが俺に寄りかかり──上に乗った。 「フィ、フィーナ……」 「ここからは、私にさせて……」 自分の言葉に興奮しているのだろうか……フィーナの体が桜色に染まる。 「初めてだったんだから、無理するなよ……」 「初めてなのに、達哉は私を気持ち良くさせてくれたわ……」 「……そのお礼よ」 フィーナが穏やかに微笑む。 ……。 どうやら、フィーナはその気満々のようだ。 「じゃ、じゃあ……お願いするよ」 「楽にしていて……」 そう言って、俺のペニスを手で探る。 細い指が下腹部をまさぐり……そして、俺を掴む。 「うっ……」 強い刺激に、思わず腰が引けた。 手袋をはめたフィーナの手が、ペニスを掴んでいる。 「達哉も、触られると気持が良いのかしら?」 「それは……」 フィーナの指がゆっくりと亀頭を擦り上げる。 「あっ……あ、あ……」 情けないと思いながらも、声が出てしまう。 フィーナの手の中で、ペニスが硬度を増した。 「本当に固くなるのね……」 フィーナは頬を染めながら、ペニスへの刺激を続ける。 「あ……く……フィーナ……」 「……準備は、いいかしら?」 「ああ、十分だよ」 フィーナの手の中でペニスはかちかちになっている。 ほとんど俺の方を向いているといっていい角度で屹立していた。 ……。 「では……」 フィーナの表情に、かすかな不安が浮かぶ。 ……。 フィーナがゆっくりと腰を落とす。 ぴちゅ……先端が女性器に触れた。 そこからは、新たな潤いが溢れていた。 「フィーナ……俺のを触って、興奮して……」 「あ……う……言わないで……」 「自分が達哉を、気持ち良く……できていると思うと……あっ」 剛直が襞を掻き分け、フィーナの中へと侵入していく。 ……。 「はぁ……はぁ……」 大きく息を吐きながら、徐々に腰を沈める。 じゅっ……じゅぷ……くちっ……「う……あ……」 「あうっ……あ、あ、あ……」 ……。 肉棒が膣内に隠れた。 フィーナの内腿が、ピクリと痙攣する。 「はぁ……はぁ……た、達哉、入っている?」 「ああ……ちゃんと入ってるよ」 まだ痛いのだろう。 フィーナは俺の上で呼吸を整えている。 「フィーナ、大丈夫か?」 「え、ええ……平気よ……」 「……動くわね」 フィーナがおそるおそるといった様子で、腰を動かし始める。 じゅっ……くちゅ……フィーナの中がカリを擦り上げる。 やがて、ゆっくりとペニスが姿を現した。 ……。 「あ、あ……う、あ……」 フィーナが眉根にシワを寄せながら、腰を沈める。 ざわざわと蠢く襞が、俺を包んでいく。 「フィーナ……とっても……気持いい」 「はぁ……あっ……それなら……良かった……」 苦しい息の下でフィーナが笑う。 「では、もっと……もっと……良くするわね」 フィーナがさっきよりも速度を上げて、腰を浮かせる。 ペニスが愛液を掻き出し、てらてらと輝いた。 「ううっ……」 腰を落とす。 「フィーナ……」 手を伸ばして、フィーナの太腿をさする。 俺にできるのはこのくらいだ。 「達哉……心配しないで……」 「動けるわ……」 くちゅっ……みちっ……ぴちゅ……粘り気のある音を立てて、フィーナの腰が往復していく。 「ふあっ……あっ、あっ、んっ、あうっ」 律動のテンポが上がってきた。 ……。 「あっ、うあっ……だんだん……中が、熱く……」 じゅぷっ、くちっ、くちゃっ、ぐちっ……「フィーナ、すごく擦れてる」 「ええっ、わ、分かるわ……」 「奥の方に……あ、当たって……ひゃんっ」 フィーナの声に甘い響きが混ざってきた。 「あっ、あっ、あっ……」 小刻みに腰を振るフィーナ。 その度に、汗が飛んで俺にかかる。 「達哉、気持が良い? どう?」 言うまでも無い。 「ああっ……最高、だ……」 「あうっ、達哉……嬉しいわ……もっと、もっと、あぁっ、あああっ……」 上下運動に前後左右の動きが加わる。 フィーナも、自分の気持がいいように動いているのだろう。 「あんっ、あっ、あっ、あっ……達哉っ、達哉っ」 フィーナの長い髪が舞う。 ……。 じゅくっ、にちゃっ、くちゅっ、じゅぷっ……淫らな音が響く。 凛とした、あの美しいフィーナが、俺の上で懸命に腰を振っている。 それだけで俺の興奮はどんどん高まっていく。 「うくっ……達哉、体に熱い杭を……打たれているよう……あんっ、あぁ……」 彼女の声には、もう快楽の色しかない。 ここまで来れば、俺も協力できそうだ。 「フィーナ、俺も動くぞ」 「えっ……あ、ああっ、あうっ、やっ!」 フィーナを跳ね上げるように、腰を振る。 ぎしっ、ぎしっ……ベッドが軋む。 「やっ、あっ……うあっ、んっ、あっ、あっ!」 「達哉っ、んあっ、ひゃっ、きゃうっ、あっ、くっ!」 フィーナの口から次々と喘ぎが漏れる。 ぎっ、ぎっ、ぎっ、ぎっ、ぎっ……耳に入るベッドの軋みもテンポが上がってきた。 フィーナも俺の動きにタイミングを合わせ、腰を弾ませた。 じゅっ、じゅっ、くちっ、ぴちゅっ……結合部からは粘り気のある愛液が溢れ、俺の陰毛と下腹部をべっとりと汚す。 「達哉っ、奥にっ、奥に届いてっ……あっ、やっ、おかしくっ……!」 「あっ、ああっ、あっ、んっ……も、もうっ……やっ、ああっ!」 フィーナの声が高まる。 とたんに、膣内の吸引と摩擦が激しくなった。 「くっ……あっ……フィーナ、締まりすぎて、やばい……くあっ」 「やあっ、達哉っ、一緒にっ、一緒にっ!」 「私も、あうっ……すぐ、すぐっ、すぐっ……ああっ、あああああっ!」 フィーナが動きのタイミングをずらす。 動きを俺とは正反対にして、性器と性器を叩きつける。 激しい摩擦に、肉棒が溶けそうなほど熱くなった。 「ひゃっ、やっ、体がっもうっ…熱くてっ、あああっ、あ、ああっ!」 「フィーナっ、もう、俺もっ……行くぞっ……」 「わっ、私もっ……あぁ、あっ、あっ、あっ、あっ!!」 「やっ、白く、白く……もうっ、来るっ、来るっ……あ、あ、あ、あっ!」 吸い付くような刺激に、肉棒を快感が上がっていく。 「うあっ、あ……出るっ、出るぞっ」 「来てっ、達哉っ」 フィーナがラストスパートに入る。 「あっ、あんっ、んっ、うっ、んっ、んっ!」 「やっ、私っ……溢れるっ、もうっ、だめっ、ああぁぁっ!」 「くっ……達哉っ、一緒にっ、一緒にっ……あ、あ、あ、あ……」 「あっ、あっ、あっ、あ、あ、あ……やあぁぁぁぁぁぁっっ!!」 一際激しい吸い付きがペニスを包んだ。 「ぐっ……」 びゅびゅびゅっ、どくっ、びゅくっ、どくんっ!!ペニスを快感が走りぬけた。 「あうっ……んっんっ、んあっ……」 「出て……出て、熱い、あ……ん……あ……」 背筋を反り返らせたフィーナが、ぴくぴく震える。 白濁が噴き出す度、フィーナの口から声が漏れた。 「はぁ、はぁ……達哉が、私の膣内に……はぁ……広がる……」 恍惚とした表情で喉を反らすフィーナ。 結合部からは白く濁った混合液が漏れていた。 「フィーナ……膣内に……いいのか?」 「はぁ、はぁ……そうね……はぁ……」 「出て……いるわ……達哉の精子が……受けきれないくらい……」 荒い息のフィーナが、満足そうに腰を動かす。 ……。 俺の覚悟はできていた。 フィーナと共に歩むことを誓ったのだ。 今さら、どこへ逃げようというのか。 「俺は……覚悟できてるから」 「ええ……私も……」 フィーナが目を細め、お腹をさすった。 「子供が……できるかしら?」 「できると、いいな……」 子供ができれば、俺の生活はガラリと変わるだろう。 でもそれも、フィーナと共に歩んでいけるなら苦にはならない。 今はそう思えた。 ……。 「ん……」 こぽっ……全力を尽くしたペニスが、フィーナから抜け落ちた。 どろりとした液体が、フィーナの股間から漏れる。 「あぁ……零れて、しまう……」 心底残念そうに、フィーナが言った。 「なら、近いうちにまた」 「ふふふ……いやらしいのね、達哉」 「すごく、気持ち良かったから」 「嬉しいわ……喜んでもらえて……」 フィーナが雫を垂らしながら、俺の上からベッドに下りる。 「フィーナ、こっちに来て」 「……ええ」 腕を横に伸ばす。 フィーナがそれを枕にして横たわった。 ……。 ……。 汗に濡れた肌同士が、吸い付くように密着する。 「ずいぶん……汗をかいたわね」 「フィーナだって……」 「……いつもは汗かかないのにな」 乳房についた汗を優しく指でなぞる。 「ん……仕方がないわ」 「自分でも信じられないくらい、体が熱くなるのだから」 フィーナが少し恥ずかしそうに耳元で囁いた。 「どんな風に熱くなるんだ?」 「まあ……ふふふ」 「そういうことは聞くものではないわ」 フィーナがいたずらっぽく言う。 そんな彼女をとても愛しく感じた。 ……。 「……あ」 枕になっている腕を折り曲げ、フィーナの頭を胸に抱き込む。 「こういうのは嫌い?」 「いいえ……好きよ」 フィーナが力を抜いて、俺の胸に体を預ける。 ……。 花のように甘い香りが俺を包む。 悩みも苦しみも、全てが消えていくような、そんな気分になった。 心地よい香りと疲労感に身を任せ、情事の余韻を楽しむ。 ……。 「達哉とこんな時間を過ごせるなんて、夢のよう」 俺の耳に囁くように話すフィーナ。 それ以上、大きな声は必要なかった。 口と耳の距離は遠くても30センチ。 二人だけの距離だ。 ……。 「俺も、すごく幸せだよ」 フィーナの耳元に囁く。 「達哉がそう思ってくれるのが、私は一番嬉しいわ」 「フィーナ……」 「俺だって、同じだよ」 「……嬉しい」 フィーナが幸せそうに目を細める。 自分がいることを、好きな人が幸せだと言ってくれる。 それ以上の快感など存在するのだろうか。 ……恐らく、存在しないだろう。 ……。 とろけるような幸福感に包まれながら、互いに体温を分け合う。 ……。 …………。 ふと、夜の闇が薄くなっていることに気が付いた。 夏の夜明けは早い。 漆黒の夜空が溶け、地面に近いところから徐々に彩りを取り戻していく。 ……。 「フィーナ、見て」 「??」 俺に促され、フィーナも窓の外を見る。 ……。 「もうすぐ、夜が明ける」 フィーナが息を飲む。 「素敵な空の色」 「夜明けの瑠璃色だな」 「そう……」 うっとりと外を見つめるフィーナ。 体を抱き寄せると、俺の肩に頭を預けてきた。 ……。 「この空の色は、きっと一生忘れないと思うわ」 「ああ……俺もだ」 ……。 フィーナが俺を見つめる。 ……。 ……キスをしたがってる。 そう、感じた。 ……。 「達哉……」 「……フィーナ」 ゆっくりとフィーナの唇に近づいていく。 フィーナが瞼を閉じた。 「ん……」 ……。 柔らかで張りがある唇。 フィーナの唇を味わうのは、これで何度目だろう。 何度もキスをしているはずなのに、全く飽きが来ないから不思議だ。 「……んっ……ん……」 フィーナが俺の唇をついばむ。 親鳥にエサをねだるヒナのように、懸命なところが可愛らしい。 「ん……達哉……好き……」 再び体に火が点ってしまいそうなほど、彼女のキスは情熱的だ。 俺もフィーナに応え、彼女の薄い唇を甘噛みする。 「……っ……ん……っ……」 ……。 …………。 少しして、唇が離れる。 存分に愛撫された唇が、じんと熱い。 「フィーナは、キス好きなんだな」 「え?」 意外そうな顔をする。 「好きな人とのキスよ……嫌いなわけがないわ」 「キスは、好きな男の人と女の人がするもの……」 「そう教えてくれた人がいるの」 フィーナが笑う。 ……。 頭の中に、いつか夢で見た光景が蘇る。 月人居住区で俺にキスしてくれた可愛い女の子。 ……あの子が美しく成長して、今──目の前で微笑んでいる。 ……。 「そっか、覚えてたのか」 「ええ」 フィーナが目を細める。 「だから私は、貴方としかキスをしたことがないし……」 「……これからもしないわ」 そう言って、フィーナはもう一度キスをせがんだ。 ……。 「好きだよ、フィーナ」 「私もよ……達哉……」 ゆっくりと唇が触れ合う。 ……。 お互いの存在を確かめ合うように──そして、関係が認められた喜びを分け合うように──夜明けの部屋で、幾度となく唇を重ねる。 ……。 気高く、誠実で、一本気で、努力家で──強さと、弱さを持ち合わせた、俺にとって、たった一人の女性。 ……。 平坦な道ではなかったけれど──俺たちはようやく関係を認めてもらうことができた。 ……。 フィーナが地球に来て3ヶ月目の夜明け。 それは、俺たちが同じ部屋から見る、初めての夜明けになった。 カレンさんが月へ向かうことになったのは、試験の三日後だった。 目的はもちろん、俺とフィーナの関係を国王に進言するためだ。 ……。 空港は、大使館の更に奥にあった。 立ち入りに大使館の許可が要ることもあり、俺たちの他には誰もいない。 「カレン、よろしく頼むわね」 「お願いします」 「かしこまりました」 「そう、これを持ってきたの……」 フィーナがバッグから白い布を取り出す。 何か包まれているようだ。 「何でしょう?」 フィーナが、しなやかな指で布を開く。 ……。 顔を出したのは、瑠璃色の宝石をはめ込んだペンダントだった。 フィーナのドレスについている宝石とデザインは一緒だ。 だが、ドレスのものよりも、遥かに深みのある輝きを持っているように見えた。 その存在感に、思わず息を呑む。 「母様の形見よ」 「きっと母様もカレンを見守ってくれています」 「……」 「朗報を期待しているわ」 カレンさんの表情が、今までに無い喜色を帯びた。 彼女の先女王に対する敬愛は、並々ならぬもののようだ。 「はい、必ずや縁談をまとめて参ります」 姉さんが一歩前に出る。 「気をつけてねカレン」 「ありがとう」 姉さんも、それに応じるカレンさんも引き締まった表情だ。 俺たちの関係を、国王や周辺の貴族に認めさせる──カレンさんがフィーナの婿選びを任されていたとしても、困難が伴う作業であろう。 「可能な限り早く吉報をお届けできるようにします」 「それまでは、地球での生活をお楽しみ下さい」 「ええ、そうさせてもらうわ」 「さやか、お二人のことを頼みました」 「任せておいて」 「トラブルの無いよう、しっかりと務めさせてもらうわ」 「もっとも、初めからトラブルがなければ、私が月へ行く必要は無かったのだけれど」 「カレン……意地悪を言わないで」 バツが悪そうな顔をする姉さん。 「ふふふ、感謝しているということよ」 カレンさんが気持ち良さそうに笑う。 「お二人も、節度を守ってお願いします」 「私がいないからといって、ハメを外されては困りますよ」 「誰にものを言っているの、カレン」 「そうですよ、間違いなんて起こしません」 「それにしてはフィーナ様、腰つきが少し充実されてきたようですが」 「なっ」 フィーナの顔が赤く染まる。 「や、やだな、あはははははっ」 「ふふふ」 「ある程度は『節度』の内ということで考えさせて頂きます」 にこりと笑うカレンさん。 この人にかかると、俺もフィーナも見事に遊ばれてしまう。 だが、それが逆に頼もしかった。 彼女なら、きっとうまく俺たちの関係を取り持ってくれるだろう。 「それでは、私は失礼します」 一礼したカレンさんが踵を返し、ロビーを遠ざかっていく。 気迫と活力に満ちた後姿だった。 ……。 「さてと」 「退去の手続きをしてくるから、二人は少し待っていて」 「分かりました」 「よろしくね」 姉さんが事務室方向へ消えていく。 ……。 「では、私たちも行きましょうか」 「ああ」 フィーナの手をしっかりと握る。 彼女も、俺に応えてくれた。 ……。 こうして、フィーナの留学は延長されることになった。 夏休みはあと20日程度。 何をするかなんて、ちっとも決めていない。 だけど、フィーナと一緒なら、予定を立てるのもきっと楽しい時間になるだろう。 ……。 「フィーナは、予定考えてるか?」 「いえ、今のところは何も」 「でも、一つだけ決めていることがあるの」 フィーナが足を止める。 「なに?」 「毎日、達哉と一緒にいるわ」 ……。 …………。 そう言って──フィーナは爪先立ちになった。 「お掃除は~♪ ココロもキレイに~♪」 学院から帰ってみると、ミアの歌が聞こえてきた。 かなり気持ちよく歌っているようだ。 「ふふ、ごきげんのようね」 「ほんとうだ。 楽しそうだな」 「ただいま戻りました」 「ただいまー」 ぱたぱたとミアが玄関に駆けてくる。 「お帰りなさいませ」 「楽しそうだったね。 掃除してたの?」 「えっ、なぜ分かったんですか?」 「表まで聞こえたわよ」 「お掃除は~♪ってね」 「ほ、ほんとですか……」 赤くなり、縮こまるミア。 「でも、楽しそうだったし、いいんじゃないかな」 「掃除も、どうせやるなら明るい気分でやった方がいいだろうし」 「ええ、気にすることは無いと思うわ」 「そう言って頂けると嬉しいです」 本当に嬉しそうに言うミア。 「ミアが来てから、あまり目の届かないところも綺麗になってるしね」 「高いところにも埃が溜まってなかったり、洗面所のタオルが畳まれてたり」 「ミア、偉いわね」 「い、いえ……」 ……ん?褒められたミアは赤くなっている。 ミアが綺麗にしてくれたところを全部挙げていったら、どうなってしまうんだろう。 「曇ってたドアノブとか、階段の手すりも綺麗になってたっけ」 「キッチンの換気扇の油汚れもすっきりしたし」 「フローリングの床にも、いつの間にかワックスがけしてあるんだよね」 「そうだったの……」 「ミアは働き者ね」 嬉しそうなフィーナが、ミアの肩をぽんと叩く。 ミアは……「うあぁ……その、その……」 やっぱり、目を回していた。 ……。 …………。 「ミアちゃんがやってくれてるのは、それだけじゃありませんよ」 「階段下、玄関脇、キッチンにベランダの植木を世話してるのもミアちゃん」 「洗面所の鏡を磨いてくれてるのも、お兄ちゃんが今朝食べてたジャムを作ったのも……」 「お兄ちゃんが着てる制服にアイロンあてたのも、ミアちゃんだよ」 夕食を食べ終えてから、また同じ話題になっていた。 いや、それどころか──みんなで、ミアの仕事をどれだけ知ってるかを競っているかのようだ。 「はうぅ……」 相変わらず真っ赤になって目を回しているミア。 俺も知らないうちに、そんなにミアが働いていたのか……。 「おかげで、注意が行き届かないところまでキレイなお家になったわ」 「綺麗な家は、やっぱり気持ちいいわね」 「あっ、あれでしょ」 「ココロもきれいに~♪って歌」 「み、皆さんに聞かれてたなんて……」 頭から湯気がでそうだ。 「ミアちゃんのおかげで、最近少し楽させてもらってるわ」 「うん」 「もう、ミアちゃんを手放せないよ」 「なっ、それは困るわっ」 「ミアは私の……私の……」 「冗談ですよ、フィーナ様」 抗議のために立ち上がりかけたフィーナを、笑顔でなだめる姉さん。 「でも、ミアがしてくれてることはみんな気づいてるし……」 「あまり直接言ってなかったけど、とても感謝してる」 「そうね」 「私は仕事、麻衣ちゃんは部活、達哉くんはバイト……」 「みんな、あまり家のことができてなかったもんね」 みんなで、ミアにお礼を言う。 ……。 「あれ、ミアちゃん?」 「……ぅ」 「……うっ……ぐす……」 「ミア!?」 「どうしたの、ミアっ」 「…………ぅぅ~……」 「ミアちゃん、ほら、泣かないで」 姉さんが、ミアを抱きしめ、子供をあやすように頭を撫でる。 「ぅ……すん……」 「よしよし」 「はい、タオルだよ」 「ミアは……」 「嬉しかったのね」 「うん、きっとそうだと思う」 「私も、これからはもっともっとミアのことを褒めるわ」 「あんなに、泣くほど嬉しいんだもの」 そう言うフィーナの顔は、とても優しかった。 「それがいいと思うよ」 ……ミアはいつだって、仕事をしている時が一番楽しそうだ。 仕事というか……人の役に立っている時、なんだろうな。 ……。 「……あの、すみませんでした」 とりあえず泣き止んだミアが、ぺこりと頭を下げる。 「いいえ、いいのよ」 「ミア、これからもよろしくね」 「はいっ」 そう返事したミアは、目にいっぱい涙を溜めて頷いた。 ……。 夕食を左門で食べ、家に戻る。 今日のまかないも美味しかった。 メニューはすずきのローストに、白髪ネギのあっさりペペロンチーノ。 白ワインの豊潤な風味が染みたローストは、軽い焦げ目のカリッサクッとした香ばしさが絶妙だった。 そこに、オリーブオイルでまとめられたトマトソースの酸味もよく合っている。 もちろんペペロンチーノも、シンプルながらにんにくと唐がらしの刺激と、ネギの甘さがマッチしていた。 ……俺たちは、みんな大満足で家に帰る。 「仁さんには悪いけど、やっぱりおじさんの腕は一段上だよね」 「確かにそうだったわ」 「仁くんも、新作にチャレンジするスピリットはいいんだけど」 今日のまかないを作ったのは、おやっさんだった。 俺の評価も、みんなと同じ。 シンプルで飾り気の少ない料理なのに、味は際立っていた。 ……。 「では、皆さんにお茶を淹れてきます」 「うん、お願いね」 ミアはキッチンに向かう。 いつもの、のんびりお茶タイムだ。 ……。 …………。 「あっ!」 ぱりーん「ミアっ?」 「大丈夫?」 キッチンに行ってみると、ミアの足元でマグカップが割れていた。 大きいかけらもあるが、粉々になってるところもある。 「ごめんなさいっ」 床のかけらを必死に集めるミア。 しかし……あれでは、修復は無理だろう。 「急ぐと、ミアが怪我するぞ」 「でも、でも、姫さまのマグカップが……」 「ミア」 ……。 「……はい」 「まずは、怪我をしないように、片づけましょう」 「は、はい」 ミアは、傍目にも分かるほどがっくりと肩を落とし、俯きがちに返事をした。 「はい、掃除機も持ってきたわ」 「雑巾も」 ……。 それから、みんなで手分けして、床を片づけた。 ミアは口数も少なく、黙々と手を動かしていた。 ……。 「こんなものね」 「うん」 一通り掃除が済むと、もう一度あらためて、ミアがお茶を淹れてくれた。 「すみませんでした……お騒がせして」 まだ暗い。 「そう言えば、さっきのマグカップって……」 「ええ、私が地球に来て初めて買ったものね」 黒いネコが描かれたマグカップ。 「……ごめんなさい」 「いいのよ」 「マグカップはまた買えばいいし、形のあるものはいつか壊れるのだから」 「ああ、気にするなよ」 「……はい」 ……。 落ち込んだままのミアが少し気になったけど──日が変われば、また元気になるだろう。 ……。 …………。 「ミア?」 「ミアー」 「どうしたの?」 「ミアは、まだ起きてないのかしら?」 「ううん、さっきまで一緒に朝御飯を作ってたけど……」 「さっき、洗面所にいたよ」 ……。 「……お呼びでしょうか、姫さま」 「ああ、ミア」 「髪のまとまりが悪いから、頼もうと思って」 「……わかりました」 二人はフィーナの部屋に行く。 ……。 「お兄ちゃん、まだミアちゃん元気無いね」 「そうだなぁ」 ……。 「まったく、ミアにも困ったものだわ」 「いつまで落ち込んでいるのかしら」 休み時間のフィーナ。 怒っている様な口調だが、心底ミアを心配しているようだ。 「しばらくすれば、自然に直るさ」 「フィーナも、あまり意識しすぎない方が」 「……達哉」 「ん?」 「ミアに何かした?」 「俺が?」 「してないしてないっ」 慌てて否定する俺。 フィーナがミアのことを心配するあまり、こっちに疑いが来ようとは思ってなかった。 「俺が、そんなことするはずないだろ?」 「……そうね」 「ごめんなさい」 一つ大きく息を吐くフィーナ。 「……ちょっと、神経質になってるわね」 「どうしたの?」 俺とフィーナの会話を聞いて、菜月が入ってきた。 ……俺は、現状を菜月に話して聞かせる。 「……なるほどね」 「ミアちゃんが気にするのも分かるような気がする」 「気にする、とは……?」 「だって、ミアちゃんが割っちゃったのって……」 「フィーナが地球で初めて買った記念品なんでしょ」 「でも、あれは安いもので……」 「記念のものって、値段じゃないよ」 「そうだな、そういうことか」 「ミアらしい、かな」 「ミア……」 「帰りにさ、おみやげにヨーグルトを買っていこう」 「あとは、ミアに気を遣わせないように、新しいマグカップ」 「そうね、そうしましょう」 ……。 その日、ミアはいつも以上に張り切って掃除、洗濯、料理に取り組んでいた。 昨日の失敗を取り戻そうとしているかのようだ。 ……。 俺が買ってきたヨーグルトも、フィーナの新マグカップも、ミアを少しだけ元気にした。 「私は本当に気にしていないから、早く元気になってね」 「そうだね」 「帰って来た時にミアの鼻歌が聞こえないと、ちょっと寂しいよ」 「は、はい」 「それに……」 「たった一度の失敗くらいじゃ、フィーナの信頼は揺るがない」 「だろ?」 フィーナに水を向ける。 「ええ、もちろん」 「あ……は、はいっ」 「頑張りますっ」 ミアは、お辞儀をすると小さく拳を握って、気合を入れ直していた。 ……。 褒められると大喜び。 失敗すると落ち込むミア。 真面目で、そしてやっぱり少しかわいいな、と思った。 学院が休みの土曜日。 午前中に、ミアの買い物につき合うことにした。 「達哉さん、あれ、見て下さい」 ミアが、商店街で突然上の方を指さす。 「どれ?」 ミアは、とてとてーっとある街路樹に近づくと、真上を指さした。 「この木です」 「ほら、あの枝」 「んー」 飛び跳ねながら、ミアが必死になって示す方向を見ると……鳥の巣があった。 「ああ、鳥の巣だね」 「ええ。 つい最近見つけたんです」 「時々、親鳥が、出たり入ったりしてるんですよ」 「へえ」 「今はいるのかな?」 ……。 目を凝らしてみても、巣の近辺に動くものは無い。 「見えませんね」 「見えないな」 「そもそも、巣ってもう完成してるのかな」 「どういうことですか?」 「いや、イメージなんだけど」 「巣って卵を産んで雛を育てるためにあるような気がするんだ」 「だから、完成したら卵を生んでてもおかしくないよな」 「なるほどー」 「実は、あまり野鳥にも詳しくないんですが……」 「毎日巣を見るのは楽しみです」 「なんて鳥かな」 「見た目だけでも、覚えてない?」 「ええと、あまり大きくなくて、けっこうずんぐりした鳥でした」 「ずんぐり?」 「ええ、ずんぐりしてました」 「スズメに似てたような気もします」 「達哉さんも、ここを通る時には、枝を見上げてみて下さいね」 「ああ、そうするよ」 ……。 それから、洗濯洗剤・柔軟剤・台所用洗剤・排水口洗浄剤などの、物理的に重いものを買った。 俺は、荷物運びとして存分に活躍した。 ……。 その後も、ミアは買い物に行く度に鳥の巣を見ていたようだ。 俺も、気がついたら街路樹を見上げるようになっている。 買い物に行くミアの足どりが、楽しそうになった気がしていた。 今週を乗り切れば夏休み。 そんな浮足立った雰囲気が、学院には満ち始めた。 授業が終わり、左門でのバイトのために下校する。 そんな帰り道。 見慣れたメイド服が、ふらふらと歩いていた。 「ミア?」 「た、達哉さん~」 また、買い物袋から溢れるくらいの買い物をしたようだ。 「大丈夫?」 「ほら、持つから」 「す、すみません……」 ミアから買い物袋を受け取り、学院の鞄を代わりに渡す。 「5人分だもんな、量も多くなるよね」 「持てる量だけ買ったつもりなんですが……」 「八百屋のオヤジさんが、おまけをたくさんつけてくれたんです」 そういうことか。 「残りそうなジャガイモとか、足の早いトマトとか」 「あのオヤジ、ミアが目を回してるのを見て楽しんでそうだもんな」 「えっ、そ、そうなんですか~」 状況は容易に想像できる。 ここのところ、ミアは商店街の人気者になってるみたいだし。 ……。 「あ、ほら、あそこの木じゃなかったっけ?」 「小鳥が巣を作ってるの」 「ええ、そうなんです」 「覚えててくれたんですね」 「まぁ……やっぱり気になるから」 嬉しそうに目を細めるミア。 「あれから何度か親鳥の姿を見てるんですが……」 「そろそろ、卵が生まれるかもしれません」 「そうなんだ」 「楽しみですねっ」 ミアの足どりは軽かった。 ……。 「でも」 「カラスとか、ネコとか、少し心配です……」 「ああ、よくそこら辺にいるよなぁ」 「明け方や夕方にもよくカラスは見ますし、ネコは木に登ることもできるんですよね」 心配そうに枝を見上げる。 「親鳥だって、そういう環境の中で生き抜いてきたんだから、きっと大丈夫さ」 「街中に居るといっても野鳥なんだから、本能を信じよう」 「……そうですね」 「きっと、大丈夫ですよね」 自分に言い聞かせるようにつぶやくミアと、ゆっくり家路を辿る。 ──野鳥は月にはいないんだっけ。 ミアが気にしているのも、分かるような気がした。 今日は、学院の帰りに中央駅前に出ることにしていた。 床のフローリングに使っているワックスは、満弦ヶ崎中央駅まで出ないと買えない。 最近、買いだめしていたワックスを、使い切ってしまったのだ。 「他のワックスも試してみたんですけど、絶対に今まで使ってたものがいいです」 「光沢も、耐久性も、板への食いつきも、全然違いますよ」 使い切った本人がそう言うので、案内兼荷物運びとして、二人で買い物に行くことになった。 一度帰って、着替えたら出発だ。 ……。 …………。 「大きい街ですね……」 口を開け、目を見開いて驚いているミア。 「それに、人がたくさんいます」 満弦ヶ崎中央駅前。 平日の昼間にも関わらず、人出は多い。 州都なだけに、店はもちろん、大企業の支店や役所も多いのだから当たり前か。 「少し行くと店が見えるから」 「そうそう」 「声を掛けられても、返事しちゃ駄目だよ」 「何て話し掛けてきても、全部、セールスか宗教だから」 「わ、わわわかりました」 ……。 大きな交差点を恐る恐る渡っていくミア。 ……今日は、家からかなり離れたところまで買い物に来た。 そのため、珍しくミアは私服に着替えている。 「今日の服、珍しいね」 「そ……そうですか?」 「あまり着る機会がありませんでしたが、一応月から持ってきたものなんですよ」 ミアは、商店街で買い物する時もいつもメイド服だ。 だから……今日の姿はちょっと新鮮かもしれない。 「いつもの服だったら、暑かったかもな」 「黒いし、長袖だし」 「はい、そうですね」 「でも、あの服は、姫さまのお世話をする者の正装ですから」 「そうなんだ」 「ええ」 ……そんな会話をしていると、目の前に白いタイル張りの大きな建物が見えてきた。 ここが、目当ての店だ。 日用雑貨なら、ここに来れば目的のものがほとんど揃う。 「さ、ここだよ」 「大きなお店ですねー」 建物を見上げて、ミアがつぶやく。 「いろんなものがあるから、毎回目移りするんだけど……」 「せっかくだし、あちこちのフロアを見て回ろうか」 「はいっ」 「よし、入るぞ」 きっと、商品の種類が多いことに、ミアは喜んでくれるに違いない。 いや、もしかしたら目を回しちゃうかもな。 ……。 …………。 「きゅう~」 「ミア、大丈夫か?」 ミアは、店内の人込みに酔ってしまったらしい。 最初は我慢していたものの、しばらくすると気分が悪いのに耐えられなくなってしまった。 「達哉さん……すみません」 「仕方無いさ。 でも……」 「人込みが苦手なら、言ってくれれば良かったのに」 「あんなに人がいるお店は初めてだったので……」 「そっか」 それなら、人込みに酔うのも仕方無いかもしれない。 今日はいつにも増して人が多かった。 ……。 「……どう、落ちついた?」 「あ、はい。 何とか……」 「とりあえず、ワックスは買えたから」 「あとはまた今度にして、今日はもう帰ろうか」 「いえ、わたしには気を遣っていただかなくても」 「わたしは、こちらで待っているか、お邪魔にならないように先に帰ります」 「いいって」 「あとは、いろんなものを見て回ろうかなって思ってただけだし」 「……じゃ、そろそろ行こうか」 「す、すみません」 勘定を済ませ、ミアの手を引いて駅を目指す。 「あ……」 「ん、歩くの早かった?」 「い、いえ」 ……。 …………。 家に帰って、ミアにはゆっくり休んでもらうことにした。 もしかしたら、少し熱があるのかもしれない。 連れ出したのが俺だったから、ちょっと申し訳無い気もしたけど──少しずつでも慣れるものなら、また行きたいと思っていた。 ……。 まだ夏休みになっていないとはいえ、毎日とても暑い日が続いている。 明日は終業式。 しかし、今日までは普通に授業がある。 「行ってきまーす」 「行って参ります」 「行ってらっしゃいませ」 ミアに見送られ、フィーナと登校する。 強い日差しにミアは日傘を勧めてきたが、フィーナはそれを断った。 「ほら。 誰も、日傘なんて使っていないもの」 「まあまあ」 「ミアも、フィーナのことを思って言ってくれたんだし」 「……達哉は、ずいぶんミアの肩を持つのね」 「そんなつもりはないけど……」 「……」 フィーナが、俺をじっと覗き込む。 思ったよりも真剣な眼差しに、少し動揺する。 「ど、どうした?」 「いいえ、何でもないわ」 「?」 ……。 結局、フィーナはその不審な行動の理由を語らないまま、学院に着いてしまった。 何だったんだろう?……。 「では、この問題を……朝霧」 「少し難しいかもしれんが」 「はい」 「えーと……最初に月王国からの派遣船団が来た時の使節団長は、国務大臣の……」 「……」 ……月学概論で、難しい問題をあてられた時。 放課後の掃除の時間。 「朝霧、今日の掃除代わってくれないか?」 「今日はどーーーしても外せない用事があって」 「どうせデートだろ」 「いやあ……ははは」 「朝霧、頼むっ、この通りっ」 「拝むなっ」 「夏休み明け、最初に俺が掃除の時に貸しを返せよ」 「オッケー。 助かるぜ」 「……」 ……放課後、クラスメートと何気ない会話をしてる時。 帰り道。 「あらたっちゃん」 「今日もミアちゃん、重そうな買い物袋を持って帰ってったよ」 「アンタも少し手伝ってあげなよ」 「学院に行ってる間じゃ、さすがにそういうわけにも」 「でも、お前さんぼちぼち夏休みだろ」 「ええ、なるべく手伝えればと思ってます」 「ああ、そうしてやりな」 「よたよたと歩いていく姿が、健気でなぁ」 「アンタが色々サービスしてるからだろ!」 「あの、なるべく俺も手伝いますんで」 「その時はもっともっとサービスして下さい」 「……」 ……商店街のいつもの面々に話し掛けられた時。 どうも、今日は一日フィーナに睨まれていた様な気がする。 バイトを終えて帰ってきてから、フィーナに直接聞いてみることにした。 「なあフィーナ」 「今日、俺のことをじーっと見てなかったか?」 「えっ、いえ、そんなことは」 「そんなことが……あった気がするんだけど」 「きっと達哉の気のせいよ」 ……何か釈然としなかったけど、フィーナがそう言うならこれ以上聞きようも無かった。 しかし、翌日も同じような状態は続いた。 「では、通知表を返す」 「出席番号順に、教卓まで取りに来てくれ」 ……。 「達哉はどうでしたか?」 「え、俺の成績?」 「まあ、ぼちぼちだよ」 「ぼちぼちとは?」 「まあこんなもんかな、という意味だ」 「……差し支えなければ、見せてもらえませんか?」 ……。 「いらっしゃいませー♪」 「……あれ?」 「どうした?」 「ううん、今、外にフィーナがいたような気がしたんだけど」 「……もしかしたら、さっきから柵の外に見え隠れしてた影もフィーナだったのかな」 ふーむ。 「分かった」 「俺に任せてくれ」 「?」 ……。 …………。 しばらくタイミングを見て、俺は──前ぶれ無く、左門の入口から外へと駆け出した。 「あっ」 「フィーナ」 「さっきからずっと店の中見てたろ」 「い、いえ別に」 「菜月が気づいてさ、教えてくれたんだ」 「……最近、俺のことずっと観察してるだろ」 「月学外論の時、放課後クラスの奴と話してる時、商店街を歩いてる時……」 「何をしてるのか教えてくれないか?」 言い逃れができないように、フィーナを正面から、真剣な眼差しで見つめる。 ……。 「そ、その」 「ミアは、クララからお預かりしている大切な……」 「くらら?」 「ええ、私の乳母です。 クララ・クレメンティス」 「クレメンティス……ミアの母親?」 「……で、なんでここでミアの話が出てくるんだ?」 ……。 「……」 「さあ、どうしてかしら」 「あっ、ちょっと」 フィーナは、急に踵を返して家に戻って行ってしまった。 ……。 「達哉君、サボりはいけないなあ」 「まあ、もっといけないのは君の鈍感さかもしれないが」 「鈍感?」 「さあ、お客様が待ってるよ。 戻った戻った」 仁さんに店の中へ引っ張り込まれ、その場はうやむやなまま終わってしまった。 ……。 今日から、学院生活最後の夏休みだ。 宿題はそれなりに出たが、3年生だけにかなり手加減されたものだった。 「いいなぁ。 わたしなんか、部活があるのに宿題も多いんだよ」 「どっちも来年には解放されるさ」 「むー」 麻衣が頬を膨らます。 「私は、これから少し忙しくなりそうよ」 「何かあるの?」 「学院がある間は公式行事も免れていたんだけど……」 「やはり、いくつかは避けて通れないものがあるみたいなの」 「大変だね……」 「ううん、慣れてるから大丈夫よ」 そんな話をしていると、ぱたぱたとミアが駆けてきた。 「姫さま、ドレスを洗い終えました」 「早かったわね」 そう言えば、フィーナは珍しく私服を着ている。 「早速着ていくから、手伝って頂戴」 「はい」 「あれ、仕事ってもう今日から?」 「ええ」 「学院が夏期休暇に入るまで、待っていてくれたらしいのよ」 「仕方無いわね」 口では仕方無いと言ってるフィーナ。 でも、表情を見る限り、ちょっと散歩に行ってくる程度にリラックスしているようだ。 送り出す側としては少し気が楽になった。 ……。 …………。 カレンさんが、フィーナを迎えに来ている。 「失礼致します」 「フィーナ様、お車の用意ができました」 「わたしもご一緒できれば良かったのですが……」 「そういう機会も、きっとあるわ」 「今回は待っていてね」 「はい」 フィーナがミアの肩に手を置く。 「ではフィーナ様、そろそろ」 「ええ」 「フィーナ様のお戻りは、明日の夕方頃になると思います」 「よろしくお願い致します」 折り目正しく礼をし、二人は車中の人になった。 ……。 フィーナを乗せた車が去っていく。 「大変だなぁ、フィーナも」 「大変ではありますが……」 「姫さまが、誇りを持ってなさっていることでもありますので」 「そっか。 そうだな」 ミアに諭されてしまったことを、少し恥ずかしく思う。 ミアは、フィーナが乗って行った車を、しばらくそのまま見送っていた。 さすがにミアは、俺なんかよりもフィーナのことをよく知ってるな。 ……。 …………。 バイトを終えて帰ってくると、ちょうど麻衣と一緒になった。 「ただいまー」 「ただいま」 「お帰りなさいませ」 「あれ、お二人はご一緒だったのですか?」 「ん?」 「いや、たまたま。 今ちょうど左門の前で一緒になったんだ」 「うん」 「おなかぺこぺこだよー」 「まだ何も食べてないんですよね。 良かった」 「今日は姫さまがいないので、少し新しい料理に挑戦してみたんです」 「ただいまー」 「もうおなかぺこぺこよー」 「ぺこぺこの人が、ちょうど揃ったぞ」 「グッドタイミングです」 「さあ、準備ができました」 ……。 ミアがチャレンジしたというのは、主に魚介系の料理だった。 それも、割と元の姿が残ってたり、熱を加えていない生魚。 今日のメニューは──新鮮でみずみずしいレタスときゅうり・トマトの上に、肉厚の鰹のたたきと、細かく刻んだネギが乗ったサラダ。 胡麻のポン酢風ドレッシングがたっぷりとかけ回されている。 そして、皮がぱりっとした鮎の塩焼き。 この鮎の身とミツバと岩海苔をご飯の上に載せ、鰹の風味が効いた出汁でお茶漬けにしたもの。 ……食卓から立ち上る香りだけで、腹の虫が鳴き始めそうだ。 「今はだいぶ食べていらっしゃいますが……」 「生魚や、外見がそのまま見える魚が苦手だったんです、姫さま」 「へえー、気づかなかったな」 「わたしも全然知らなかったよ」 「フィーナ様のことだから、苦手な食べ物を言っていいものかどうか、迷ってたのね」 「で、結局言わずに、頑張って食べることを選んだと」 「ええ、わたしもそう思います」 「フィーナ様らしいわね」 「うんうん」 ……。 鰹のたたきサラダが、あっと言う間に大皿から消える。 一人二匹用意されていた鮎も、ご飯と共に、各々の胃袋に消えて行った。 俺は、ご飯も二杯食べていた。 「美味かったなぁ」 「うん」 「ミアちゃん、短い間なのに地球の料理の腕もすごく上がったよ」 「そ、そう言って頂けると、嬉しいです……」 「鮎の塩加減なんて、プロ顔負けね」 「いえ、そ、それほどでも……」 嬉しさと照れ臭さが混じって、ミアは真っ赤になっている。 「そだ。 デザートもあるんだよね?」 「そうでした」 「皆さん、まだ食べられますか?」 「ふふ、甘いものは別腹よ」 「女の子だもんねー♪」 「お兄ちゃんはどうかな?」 「男の子をなめるなよ」 「では、お持ちしますね」 そう言って、ミアは冷蔵庫からシャンパングラスに盛りつけられたヨーグルトを持って来た。 続いて、小さなビンに小分けされた色とりどりのジャム。 「今日は、新作のジャムも出ますよー」 「新作?」 「ええ。 こちらで見つけた、いろんな材料で作ってみたんです」 「ミルクジャム、梅ジャム、バナナとキウイのジャム、それにパイナップルのジャム」 「一番のお勧めは、月いちごのストロベリージャムです」 「すごい、たくさんだー」 「ビンもかわいいよね」 「色もきれいで、見ているだけで楽しいわ」 「月いちごって、宝石みたいに赤いのよ」 「でも、これだけの種類のジャムを作るのって、大変なんじゃない?」 「いっ、いえ、好きでやってることですから」 「ほら。 ちゃんとラベル作ったり、仕事も丁寧だし」 「……ミアのことだから、ジャムのレシピノートも作ってそう」 「しかも、それぞれのジャムを食べた人の反応まで書いてたりして」 「えっ」 「なっ、なんでご存知なんですか?」 「やっぱり」 「そこまでとは、恐れ入りました……」 「やっぱり、上達する人には、そういう見えない努力があるのね」 「偉いわね、ミアちゃん」 よしよしと、姉さんがミアの頭を撫でる。 「お兄ちゃんも、よく見てるよね」 「そうかな」 「そうよ。 かわいいビンに見とれてちゃ、ミアちゃんの仕事ぶりには気づかないわ」 「さっ、さあみなさん、食べましょうっ」 「くすくす、ミアちゃん、照れてるね」 真っ赤な顔のミア。 ……。 「そういやさ」 「ミアのジャムって、マーマレードが無いよね」 「言われてみれば」 「あ、あの……」 ……。 …………。 「マ……」 「マーマレードは、苦いので、少し……苦手なんです」 ……。 何だか、とても言いにくいことのように言うミア。 ジャム好きのミアにも、苦手なジャムがあったとは。 「大丈夫だよ、ミアちゃん」 「苦くないマーマレードの作り方、教えてあげる」 「本当ですか?」 「うん……でも」 「先に、ヨーグルトを食べようか」 「あっ、そ、そうでしてたね」 ……。 みんなで、思い思いのジャムを試す。 少しずつ食べてたつもりだったんだけど──ヨーグルトが先に尽きてしまった。 「ふう、ごちそうさまー」 「今日はお腹いっぱいね」 「そうだねー」 「……じゃあレシピノートを用意して」 「はいっ」 ……。 それから、麻衣はミアに『苦くないマーマレード』の作り方を教えていた。 皮を減らしたり、その皮を米の磨ぎ汁で煮込むとか、いろいろテクニックがあるらしい。 俺と姉さんは、そんな二人をほほえましく眺めていた。 ……。 夏休み中の日曜日。 普通は、これ以上無いくらい絶好の朝寝坊チャンスなんだろう。 が。 俺は目覚まし時計より早く目が覚めてしまった。 「しょーがないなぁ」 暑くならないうちに、イタリアンズの散歩に行っておくのもいいだろ。 ……そう思った俺は、ラフな格好に着替え、散歩に出ることにした。 「しー」 「ぉん」 「よーし、遊んで来ていいぞー」 「わふっわふわふっわふっ」 「わんっ!」 三匹、それぞれに丘の上を走り回る。 ……今日も、一日晴れそうだ。 朝からこんなに日差しが強いんじゃ、また暑くなるんだろうな。 ……。 …………。 と思ってたら、突然空が曇ってきた。 湿度も急に上がった気がする。 これは……にわか雨の予感。 「カルボっ、ペペロンっ!」 慌ててイタリアンズを集合させ、リードに繋ぎ、丘を降りる。 商店街に入ったところで、空に溜まっていた水分が一気に地上へ降ってきた。 ここまできたら、もうあと少し。 このまま走って家まで帰ろう。 三匹を犬小屋に繋いで、やっと一息。 毛がふさふさしているペペロンやカルボは、濡れたことで体積が半分くらいになってしまっていた。 「ひゃー、まいったまいった」 「惜しかったんだけどなぁ」 洗面所でタオルを一枚掴み、頭をざっと拭く。 これは……服も着替えないと駄目だな。 とりあえず上着を脱いでみる……が、下着までびしょ濡れになっていた。 仕方無く、一度下着まで脱いで着替えることにした。 がちゃ「え」 「あ……」 俺はトランクス一枚。 そこに、何故かミアが入ってきた。 「あわわわわ、す、す、すみませんっっっ」 「達哉さん、いつの間にお帰りだったんですかっ!?」 「あのさ」 「扉、とりあえず閉めない?」 「あっ、は、はいっ、そそそうですねっ」 ばたんっ!な、なんでミアが入って来たんだろう。 ……。 びっくりした。 ……廊下からは、ミアが深呼吸する音が聞こえてくる。 「すーはー、すーはー」 「あのっ……達哉さん」 「すっ、すみませんでした……」 きっと、まだまだ顔中を真っ赤にしてるミアが、扉越しに謝ってくる。 「いや、まあ」 話をしながら、何はともあれ服を着る俺。 「俺が出かけてると思った?」 「ええ、イタリアンズの散歩に行ってるものだとばかり……」 「なので、今のうちにお部屋に掃除機を掛けようと思って」 「なるほど」 「ついさっき帰ってきたばかりなんだけど……」 「雨で濡れたので、服を着替えていたんですね」 「そんな感じ」 着替え終わった俺は、扉を開ける。 すると、そこにはミアが申し訳無さそうに立っていた。 「あ……」 「いいよ、そんなに気にしなくて」 「掃除してくれようとしたんだもんな」 うなだれているミアの頭に、ぽんと手のひらを乗せる。 びくっ、と震えるミア。 「すみませんでしたっ」 ……。 …………。 ミアは、月の王宮でもずっとフィーナ付きだったはず。 うちに来てからだって、俺以外は、全員女性。 考えてみれば……男に対して免疫って無さそうだよな。 ……せめてもの救いは、俺が全裸じゃなかったことか。 「達哉、ミアに何かしたんじゃない?」 「さっきから、ミアがおかしいわ」 キッチンの方を見ると、ミアと目が合う。 するとミアは、何か見ちゃいけないものを見たように、目を伏せて背を向ける。 ……こりゃまいったな。 フィーナに事情を説明する訳にもいかないし。 「ちょっと任せといて」 「……分かったわ」 「よろしくお願いね」 何かを察したのか、フィーナは俺に任せてくれた。 しかし。 どうしたもんかな。 とりあえず、俺が気にしていないことを伝えなくてはいけない。 そして、ミアも気にしないでくれと頼めばいいのだろうか。 「ミア」 「は、はい……」 もう赤くなってる。 早いって。 「おはよー」 「あのさ、ミア、話を聞いてほしいんだ」 「ん?」 「さ、さっきはその……」 「おはようございます~」 「あら?」 全員集合。 まじまじと眺められる俺。 ……もう、こそこそ解決するのは無理、だな。 ……。 「小さいころは一緒にお風呂に入ってたこともあるんだよ」 「え、そ、そうなんですか?」 「わたしも、達哉くんが着替えてる時に部屋に入っちゃったことがあったわね」 何やら、全員でミアに『家族生活に潜む事故』を語る会になってしまった。 「あの、その方向で話が進むのはどうかと」 「一緒に住んでるんだから、そういうアクシデントはあるものじゃない?」 「そうそう。 お兄ちゃんが洗面所にいるのに気づかずにお風呂から出ちゃったりね」 「何だか、家の中に居場所が無くなりそうだ」 「くすくす……」 やっと、ミアの表情が普段通りになりつつある。 「ミア、郷に入りては郷に従え、よ」 「そうですね」 「達哉さん、失礼致しました」 「うん、本当に気にしないでいいよ」 「……でも、一応ノックはすること」 「はい、ごめんなさい」 頭を下げるミアも、落ち込みすぎたりはしてないようだ。 「では、この話はおしまいでいいわね」 「朝食の準備をしましょう」 「あ、そっか」 「忘れてました~」 フィーナの言葉で、やっとみんな顔を洗ったりお湯を沸かしたりし始めた。 ……。 …………。 ミアのジャムとバターを塗ったトーストに、ベーコンエッグの朝食を食べ終える。 今日は俺が皿洗い担当だ。 「なあミア」 隣で、食器を片づけているミアに話し掛ける。 「この家に来てからだいぶ経つけどさ」 「ええ」 「さっきフィーナが言ってた『郷に従え』の方はどう?」 しばし考えてから、ミアは口を開く。 「料理は麻衣さんに教えてもらってますが……」 「あとは、テレビばかりです」 「じゃあさ」 「せっかく王宮から出てるんだし、何かやりたいことを、好きにやってみたらどうかな」 「好きなこと……」 「ああ」 「一日中ごろごろ寝てるとか、テーマパークに遊びに行くとか、プールで泳ぐとか」 「あ、でも人込みは苦手なんだっけ」 「うーん……」 ……。 真剣に悩み始めてしまった。 俺は皿洗いを終え、ミアの答えを待つ。 今日もいい天気だ。 うちに来てから、ずっと家の中のことばかりやってくれたミア。 外に出るのも、ほとんど買い物ばかり。 ……でも、ミアは自分からあれをしたい、これが欲しいと言い出したことがほとんど無い。 無理に考えさせない方がいいかな。 そう考えてた時。 「達哉さん、思いつきました」 「おっ、なに?」 「わたし……」 「姫さまと達哉さんと、ピクニックに行ってみたいです」 「ピクニックか」 「……よし、分かった」 「フィーナやみんなには声を掛けておくから、食べ物関係の準備を頼む」 「はいっ」 それから、サンドイッチを作ったり、水筒に飲み物を用意したり。 家事と夕食の準備は、麻衣と姉さんが快く引き受けてくれた。 フィーナと俺も手伝って、ちょうど昼頃に、三人で家を出る。 ……。 「いい天気ですねー」 「そうだなぁ」 「少し暑いくらいだ」 「ミア、その服で良かったの?」 「ええ。 姫さまと一緒に、この服で来たかったんですから」 そう応えたミアは、スキップでも始めそうなくらい、嬉しそうだ。 うきうきした気分が伝わってきて、こっちまで楽しくなってくる。 「あの丘の方まで行く?」 「少しは木陰もある辺りにした方がいいかも」 「それもそうね」 「では、あの辺にしましょう!」 ミアに引っ張られるように、俺とフィーナも坂を登る。 ……。 「姫さまー」 「ここにしましょうっ」 「いい場所ね」 「ミア、お手柄よ」 「はい、ありがとうございます」 フィーナに褒められて、満面の笑みを浮かべるミア。 フィーナのことが好きで、そして褒められて嬉しい気持ちが、こちらにまで伝わってくる。 「じゃ、シート広げるぞー」 程よく日も当たり、程よく木陰もある、平らな場所。 ミアが見つけた場所は、シートを広げるにはとてもいい場所だった。 「最初は、お茶にしましょうか」 「ええ、そうね」 「本当は、ここでお湯を沸かして、お茶を淹れられれば良かったのですが」 「でも、それじゃ大荷物になっちゃうよ」 「カップとソーサーを持ってきたから、これで何とか乗り切ろう」 「淹れたての方が美味しいので、残念です」 「ふふ……ミアは完璧主義ね」 「では、ビスケットも出しますね」 水筒からは、保温が利いた熱々の紅茶。 そしてバスケットの中には、ミアが朝から準備していたビスケットとケーキ。 「では、頂くわね」 「どうぞお召し上がりください」 「達哉さんにも、今、紅茶をお淹れしますね」 ミアの提案で始まったピクニックなのに、一番甲斐甲斐しく働いている。 しかも、楽しそうに。 そんなところが、ミアらしいなぁと思う。 ……。 …………。 のんびりと、何も考えずに青い空を見上げる。 この時期にしては珍しく、少し涼しい風に吹かれながらお茶を飲む。 太陽は、ちょうどちぎれ雲に隠れ、強い日差しは和らいでいた。 「ミア、お代わりをもらえるかしら」 「はい、姫さま」 ……ミアが淹れてくれた、少し渋みの強い紅茶。 これにミアのストロベリージャムを少し垂らして飲む。 ケーキはプラムケーキ。 ……。 これは……何というか、とても優雅な時間の使い方だなぁ。 「あのさ」 「二人はよく、こんな風にピクニックに出かけてたの?」 「いいえ」 「そもそも、こうして二人だけで一緒に出歩くことがほとんどありませんでした」 「いつも、護衛官や補佐官たちがいたものです」 「そうでした」 「こんなに、のんびりできるのは、珍しいです」 にこにこ笑ったミアが言う。 そのまま大きく背伸びをし、息を吐く。 「ふぅ……気持ちいいですね」 「本当に」 月での二人が、どんな環境にいたのかは分からないけど──今の二人は、とても穏やかな顔をしている。 ……。 …………。 誰も何も喋らず、聞こえてくるのは風で揺れる葉が擦れ合う音だけ。 でも、退屈とかじゃなくて、豊かな時を過ごしている気がする。 ……。 ぐうぅ~そんな時に限って腹が鳴る。 「くすくす、達哉さんサンドイッチを召し上がりますか?」 「ああ、そうした方が良さそうだ」 「ミア、私達も一緒に頂きましょう」 「そうですね、分かりました」 カリカリのベーコン・みずみずしいレタス・完熟トマトのサンドイッチ。 オーソドックスな、卵・きゅうり・ハムのサンドはフランスパンやライ麦パンに挟んである。 それにミアが最近覚えた、照り焼きチキンのスパイシーサンド。 ……どれもこれも、ミアが材料から吟味して作ったものだ。 ミアは、このピクニックをとても楽しみにしていた。 自然と準備にも力が入る。 俺もフィーナも、そのミアの思いが込められたサンドイッチを、とても美味しく食べた。 ……。 食後には、スコーンをつまみながら紅茶を飲んで、またのんびりした。 三人とも、ぽつぽつと軽い話題を振ったりまた黙ったり。 風に夕方の匂いが混じってきたと思って空を見ると……西の空が、赤くなりかけていた。 ……。 …………。 「ごちそうさま」 「ミア、美味しかったよ」 「ありがとうございます」 「でも、達哉さんも水筒を二本も持ってくるのは重かったでしょう?」 「達哉も、縁の下の力もちね」 「帰りは軽くなるけど」 「バスケットも軽くなりました」 「きっと、私達が少し重くなってるわね」 まだまだ日が沈むまでには時間がある。 でも、これくらいで引き揚げておくのがいいんだろう。 「それでは、帰りましょうか」 「そうですね」 「じゃ、荷物持ってて。 シートを畳むよ」 「はい」 ……。 「今日は、とても楽しかったです」 「それは何よりだ」 「よかったわね、ミア」 空になったバスケットを心なしか大きく振りながら、ミアが笑う。 フィーナも、俺も笑う。 「こんなピクニックがしたいなって、多分、ずっと思ってたんです」 「あまり、考えたことは無かったんですけど……」 「達哉さんが『やりたいこと、考えてみて』って言ってくれたおかげです」 「そうね」 「言ってくれれば、また何度でも来れるさ」 「……今日は、本当にありがとうございました」 夕焼けに染まる空の下、楽しかった今日一日を反芻しながら家路に就く。 赤い日に照らされたミアの、本当に嬉しそうな笑顔が印象的だった。 ……。 夏休みに入り、午前午後と時間に余裕ができる。 ……すると、これまで手を着けられなかったこともやってみようという気になる。 とりあえず今日は──久し振りに、イタリアンズの犬小屋のメンテナンスをしてみるか。 「わふ」 「わん」 「おん」 暑そうに舌を伸ばしながら、俺に寄ってくるイタリアンズ。 「ごめんな、散歩じゃないよ」 犬小屋を見てみると、風雨に晒されているだけあって、あちこちガタが来ている。 大きくなったカルボなんかは、ただ遊んでるだけでも小屋が壊れそうだ。 「よし、やるか」 「何が始まるんだろう」 とばかりに興味津々のイタリアンズ。 きちんとお座りの格好で、俺の作業を見ている。 ……。 とりあえず、釘で何ヶ所か補強して、ペンキも少し塗った方が良さそうだ。 俺は、工具を準備することにした。 ……。 …………。 あれ、金槌が無いな。 屋根裏部屋から、ミアが来る前に運び出した工具入れ。 ここに入ってたはずだけど。 ……もしかしたら、まだ屋根裏部屋にあるのかもしれない。 梯子に近い急な階段を登り、扉をノックする。 こんこん「ミア、いる?」 どたばたとした音が中から聞こえてきた。 「た、達哉さんですか?」 「ああ」 「そこに、金槌って無かったかな?」 「えーと……」 ……。 また、中からばたばたした音が聞こえてくる。 「すみません、お待たせして」 「よく分からないので、見てもらえませんか?」 「入っていい?」 「ええ、どうぞ」 久し振りに入るミアの部屋。 相変わらず、質素というか、私物が少ない部屋だ。 「この隅の方に工具箱があって、その中に金槌があったと思うんだけど」 「ええと……多分、見たことは無いと思います」 「ちょっとこの辺探すよ」 「あ……達哉さん」 「その、えっと……」 何かを言い掛けて、もじもじしているミア。 「ここは見られたくない、って場所があったら、先に言っといて」 「す、すみません」 ミアはいくつかの戸棚を、衣服が入ってるという理由で、開けないように指定した。 そりゃ……そうだよな。 元は物置に使ってる部屋だからって、女の子であるミアに対してちょっと気を遣わなすぎた。 「ごめん、気が回らなくって」 「そんなことないです」 「私は、朝霧家に住まわせてもらっているのですから」 「そういうこと言わないでくれよ」 「姉さんも言ってたけど、俺だって、ミアやフィーナを家族だと思ってるんだからさ」 「達哉さん……」 「ありがとうございます……あっ」 がしゃーんちょっと真面目な話をしたところで、ミアの私物が入った箱を、棚から落としてしまう。 「うわ、ごめんっ」 慌てて、二人で床に落ちたものを拾う。 「これは……?」 「あっ」 ブローチの中には一葉の写真。 写されているのは、女性が二人。 一人は、月学概論の教科書で何度も見た写真の人物──セフィリア女王だった。 「……セフィリアさまと、母さまです」 「ミアの……」 「ええ」 「月の王宮で撮った写真です」 「母さまは、セフィリアさまにとても良くして頂いていたので……」 「ミアのお母さんって、確か、フィーナの乳母を」 「はい、そうです」 「私の、自慢の母さまです」 そう言って、ミアは遠くを見るような目になる。 いつになく、自分のこと喋るミア。 つまり、ミアがいつも考えている事なのかもしれない。 「優しそうなお母さんだね」 「ええ」 「でも、私はもちろんですが、フィーナさまにも言うべきことはきちんと言ってましたよ」 「もしかすると……フィーナさまも、セフィリアさまより母さまに多く怒られていたかもしれません」 「ははは、そうなんだ」 「わたしも、母さまのようになれるといいなと思ってます」 「セフィリアさまのためにも」 「そっか」 ……。 セフィリア女王は、確か3年ほど前に亡くなっていたはず。 ひょっとしたら、今ではミアのお母さんがフィーナの母親代わりなのかもしれないな。 「ん?」 「?」 戸棚の後ろに、柄のようなものが見える。 俺は、戸棚の後ろを覗き込んだ。 「あ、あった。 金槌」 「本当ですか? 良かったです」 俺はその柄を引っ張ろうとする。 「ん?」 何かが引っ掛かって、金槌が引っ張り出せない。 「ミア、ここに手が入る?」 「何かに引っ掛かってるみたいなんだけど」 「分かりました。 やってみます」 場所を入れ代わると、ミアは戸棚の後ろに腕をそろそろと差し入れていく。 「あ、腕が入るんだ」 かなり隙間は細かったはずだ。 「ミアの腕って細いんだな」 「……そ、そうみたいですね」 ……。 「あっ、外れましたよ!」 「はい、達哉さん。 金槌です」 「ありがとう、ミア」 金槌を受け取る。 ……俺に金槌を渡すミアの腕は、確かに華奢だった。 「?」 考えてみればミアは、月王国のお姫様に、唯一の随行員として地球に来ているのだ。 こんなにちっちゃいミア。 努力して、とても頑張って、ここまで来たのだろう。 「よしよし」 気づくと、俺の手はミアの頭を撫でていた。 「わわわ……」 ミアは、困ってるような、嬉しいような、微妙な表情だ。 「ミアは偉いな」 「な、な、何がですか~?」 問いには答えず、頭を撫で続けた。 ……。 …………。 やっとミアを解放し、階下に降りる。 ミアは、撫でられている間、ずっとおろおろしていた。 ……。 イタリアンズも、首を長くして待ってるだろう。 俺は庭に出て、犬小屋のメンテナンスを再開することにした。 ……。 昨日と今日で、犬小屋の修理も無事に済んだ。 となると、次は夏休みに入ってからほぼ日課になっている、ミアの買い物の荷物持ちの時間だ。 俺や麻衣、それにフィーナも、家で食事をする回数は増えているため、必然的に買い物の量も増える。 今日も、俺はミアの隣で買い物袋を持っていた。 「……これで、今日の買い物は終わりかな」 「ええ、そうですね」 たっぷりと食材が詰まった袋は、正直少し重い。 これをミア一人が持つのは、さすがに無理だろう。 「達哉さん、荷物……重くないですか?」 「平気平気」 ……思わずこんな返事をしてしまうあたり、俺も男の子だなぁと思う。 「それよりほら、いつかの小鳥の巣ってこの辺りじゃなかったっけ」 「そうですね。 ええと」 ミアは、以前小鳥が巣を作っている木を見つけていた。 その木がこの辺だったはずだ。 「……あっ」 ミアが、何かを見つけたのか、たたっと街路樹へ向かって走る。 そして、多分巣があったはずの木の根元まで着くと、ミアがしゃがみ込む。 「どうした、ミア?」 「た、達哉さん……」 「これ……」 ミアの手の中には、羽毛の生え揃っていない小鳥の雛が一羽。 あまり元気なく横たわっていた。 生きてはいるようだが……「巣から落ちたんでしょうか」 「親鳥は?」 「それが……」 「昨日から、親鳥を見なくなってしまったんです」 木を見上げる。 確かに、そこには何もいない。 生き物の気配がしない。 「何か……他の鳥とか、ネコとかに……」 「そんな……」 良く見ると、巣が壊れているようにも見える。 「こ、このままじゃ、この小鳥も」 「もう、かなり弱ってそうだもんな」 助けを求めるように、ミアが俺を見上げる。 でも……「こういう小鳥って、人の手で育てるのはとても難しくて、大体すぐ死んじゃうって」 ……。 「……それでも……」 「それでも、やれるだけのことはやってあげたいです」 「このまま放っておくことなんて、できませんよぅ……」 少し涙声のミア。 「あのっ」 「皆さんには迷惑を掛けないようにしますっ」 「それに、わたし一人で面倒も見ますっ」 「だから、だから……」 「……分かったよ」 「放っとけないよな」 頭の上にぽんと手を置く。 「とりあえず持ち帰ってみて、それからもう一度餌を買いに出よう」 「はいっ」 涙目ながらも、ミアは笑顔で頷いた。 ……。 それから家に帰り、ミアの部屋に小鳥を運び込んだ。 ミアがバスケットに寝床を作り、俺はその間に、餌などについて調べる。 「こちらは大丈夫です」 「窓は閉めた?」 「はい」 「餌も大体分かったから、早速買いに行こう」 そして、俺とミアは商店街に向かった。 ……。 ペットショップで買ったのは、雛用の「粟だま」 という餌。 卵黄をまぶした粟だ。 そして、八百屋のオヤジに話をして、鳥籠代わりにダンボールをもらってきた。 まだぜんぜん飛べないだろうから、これで十分だろう。 「達哉さん、早く戻りましょう」 ミアに急かされて、家に戻る。 「……ふう、良かった」 小鳥はまだ生きていた。 弱っているにも関わらず、くちばしを突き出し、目を見開いてこちらを威嚇してくる。 ダンボールに新聞紙を敷き、そこに雛を横たえた。 「達哉さん、餌を」 「おう」 袋から粟だまを出す。 「雛にやる時には、温かいお湯とか、卵黄とかでふやかしてやるといいらしい」 「わかりました、すぐに持ってきます」 「口の中に入れてやらないといけないから……スポイト、は無いな」 「スプーンじゃ大きすぎるか」 「工夫します」 そう言って、キッチンへ降りていくミア。 俺は、その間にもう少し鳥の飼い方について調べることにした。 ……。 …………。 粟だまだけじゃなく、色々な餌で栄養を与えた方がいいこと。 餌は、かなりの頻度で与えなくてはならないこと。 温かくしておかないといけないこと。 そして何より、可能な限り野生に戻すべきであること。 野生動物を許可なく飼育してはいけない、なんて法律もあるらしい。 ……加えて、やはり生存させること自体が難しいようだ。 これは、大変そうだな。 「これでどうでしょう?」 割り箸の先を丸く削って作ったスプーン。 それで餌を喉の奥に入れると──雛は、警戒しながらもそれを飲み込んだ。 「食べましたっ」 たった一口、餌を食べただけで、わーいと大喜びのミア。 ミアがこんなに喜ぶとは思ってなかった。 「元気になるといいな」 俺はミアの頭に手をぽんっと載せた。 ……。 それから、二人で色々と調べ、これからどうするかを考えた。 「とにかく、元気に野生に戻れるように育てたいと思います」 「頑張れ。 時々、様子を見に来るよ」 「はいっ」 鳥籠を置くのはミアの部屋。 世話もミアが引き受けることになった。 夕食時には、俺からみんなに、ミアが小鳥を育てることを告げた。 「……ということにしたいんですが」 「分かりました」 「ミアちゃんなら、私達の中で一番家にいる時間が長いし、きっと大丈夫ね」 「ミア、頑張ってちゃんと育てるのよ」 「わたしもその雛、見たいなぁ」 ……。 …………。 みんなには、小鳥の存在はあっさり受け入れられた。 巣立つまで育てるのは大変かもしれないけど、ミアはやる気に満ちていた。 ミアは、小鳥の世話にかなりの時間を取られているはずだ。 しかし家事の手は抜いていない。 頑張ってるなあ。 「ふわあぁ」 それでも、時々あくびしているミア。 「小鳥はどう?」 「ずいぶん元気になりました」 「餌をたくさん食べるので、今でも30分とか1時間おきに餌をあげてるんです」 「夜は?」 「暗くしてあげると寝るみたいですけど……」 「朝早くから、餌をねだるように鳴き始めて起こされちゃいました」 あくびの原因はそれか。 ……でも、ミアの顔は満足げに見える。 「疲れますけど、なんて言うか、とても、その……」 「上手く言えないんですけど、かわいいんです。 雛が」 そう言って笑うミア。 「あ、そろそろ買い物に行かないと」 「俺もつき合うよ」 「そうだ、小鳥の雛、鳥籠に移さなくていいのかな?」 「いつかは移すことになると思うのですが……」 「それじゃ、鳥籠も見つくろってみるか」 「はいっ」 ミアからは、元気な声が帰ってきた。 ……。 「鳥籠は、買うなら先に買って、一度家に持って帰らないとな」 「それなりの大きさのを買いたいし」 「でも大きい鳥籠は高いのでは……」 「鳥籠の中で羽ばたく練習くらいはできないと、野生に帰れないんじゃない?」 「あっ……」 「そこまで考えてませんでした」 「……そういえばさ、ミアって自由に使えるお金持ってるの?」 「フィーナはそれなりに持ってたみたいだけど」 「ええ、少しだけですが、頂いてます」 「餌代とか、大丈夫?」 「あ、はい、何とか」 「飼うことまで許して頂いて、そこまでお世話になるわけには」 「俺も、あまり多くは無理だけど、できるだけ手伝うからさ」 「二人で拾ったようなもんだし」 「すみません……」 「こういう時は、ありがとうの方が嬉しいな」 「そ、そうですね」 「では……ありがとうございますっ」 ぺこりと頭を下げるミア。 俺はなぜか嬉しくなって、ミアの頭を撫でてあげた。 「わわ……」 赤くなるミア。 少し照れているみたいだけど、嬉しそうだ。 ミアを撫でていると、俺まで幸せな気分になってくる。 ……。 それから俺たちは、ペットショップで大きめの鳥籠と、いろんな種類の餌を買った。 鳥籠は一度家に持って帰り、またいつもの買い物に出る。 「ミアちゃん今日もかわいいねえ」 「このトマトを食うと、きっともっとかわいくなるよ」 「あ、あの、今日はほうれん草を下さい」 「そうかい。 どれくらいだ?」 「二束、お願いします」 「そうかそうか」 ほうれん草を二束、手にとるオヤジ。 「そうだ。 トマトをひとつサービスしてやろう」 「えっ、えっ?」 ミアは混乱して、目がぐるぐるしている。 「ほらミア、御礼を」 「あ、ありがとうございますっ」 「はっはっは。 これを見るのが楽しくてな」 「トマトがだぶついてるなら、そう言って下さいよ」 ……。 「おやまあ、たっちゃんも荷物持ちが板についてきたね」 「で、ミアちゃん。 今日は何にするんだい?」 「今日はねえ、太刀魚がいいの入ってるよ」 「あ、あの……今日は、その」 「そうかい。 残念だねえ」 あの・その、だけで会話が通じているあたりがすごい。 「魚は体にいいんだからね。 たくさん食べなさいよ」 「はい、ありがとうございます」 ……。 ミアも、ただおろおろしているだけではなく、ちゃんと商店街で買い物ができるようになっている。 商店街の面々も、ミアを構い慣れていた。 ……俺が学院に行ってる間も、バイトしている間も、ミアは家にいてくれた。 そして、炊事や洗濯、掃除その他を全部やってくれていたのだ。 もちろん、商店街にもほとんど毎日足を運んでいたんだろう。 ……それに、この小さい体で一生懸命なミアの姿を見ると、誰でも応援したくなってしまう。 商店街の人たちに可愛がられるのも、当然なのかもしれない。 フィーナやミアが来る前と比べると、明らかに元気になった観葉植物。 どこにも埃が積もっていない家の中。 「あっ、そうだ」 「布団を取り込まないと」 「よいしょ、よいしょ」 「俺が持つよ、ほら」 「いつも、干してくれてたもんな」 ミアが苦労して運んでいる布団を、ひょいっと持ってやる。 「あっ」 「達哉さんだと、軽々と持てるんですね」 「まあな」 俺の掛け布団は、ふかふかで、お日様の匂いがした。 最近では、寝る時に布団からお日様の匂いを感じると、ミアのことが頭に浮かぶ。 布団を、ぽすっとベッドの上に置く。 「達哉さん、ありがとうございました」 「とっても助かりました」 「いいって。 家にいるのに、ミアが働いてるのを黙って見てる訳にも行かないし」 「でも、あまり達哉さんが張り切ってしまうと、私の仕事が無くなってしまいます」 そう言って、本当に困ったような顔をするミア。 ミアの冗談は珍しい。 「はははっ」 うちに来たばかりの頃、ずっと緊張してたミアを思い出して、思わず笑いが漏れた。 ……。 左門のバイトが終わると、いつも通り晩御飯の時間となる。 「このトマトソースの味が、なかなか自分で作っても出せなくて」 「イタリアのトマトは、水分が少なくて味が濃いからな」 「ミアちゃんがこのトラットリア左門以上の料理を作るようになったら、うちも商売あがったりだよ」 「フィーナちゃん、もしそうなった時はミアちゃんを是非うちに」 「そっ、それは困りますっ」 「そりゃ残念」 ……。 …………。 みんながほぼ食べ終わった頃。 フィーナが立ち上がり、皆に向き直った。 「明日から3日間、公用のために、少し遠方まで赴くことになりました」 「今回は少し長いこともあって、ミアにも一緒に行ってもらおうと思っています」 みんな、フィーナの話を聞いている。 学院が夏期休暇に入ってから、時々、こういった用事が入るようになった。 でも、ミアも一緒に連れて行くのは初めてだ。 「良いですか、さやか?」 「私に断らなくてもいいですよ、フィーナ様」 「ミアちゃんはフィーナ様のお付きなんですから」 「うんうん」 「でも……達哉は少し寂しそうな顔をしてないかしら?」 「えっ」 「そんなことないって、フィーナ」 「なあミア」 とミアを見ると、なぜか顔を真っ赤にして俯いている。 「うっ……」 「ふふふ、冗談よ」 「どのみち、ミアには来てもらうことになるの」 「頼むわね、ミア」 「あ、は、はいっ」 ……。 …………。 その場はそれでお開きになったけど。 よくよく考えると── ミアには三日も家を空けるのが難しい事情があった。 ……。 食べ終わって家に戻り、部屋でのんびりしている。 こんこん 「ん?」 ……がちゃ そこに立っていたのはミア。 「あの……」 「ミア、いいよ、入って」 「はい」 ミアは、少し遠慮がちに部屋に入ってきた。 悪戯が見つかった子供のように、妙に深刻そうな顔をしてる。 「……」 「どうした?」 「さっき、姫さまが仰っていたことなんですが」 さっき…… 俺が、寂しそうな顔をしてたって話か? 「いやっ、あれは、そのっ」 「?」 「フィーナが勝手に誤解したというか、いや、誤解じゃないと言えばそんな気もするんだけど、それよりああいうみんながいる場でってことにその……」 「その……」 「?」 「えと、三日間わたしも姫さまのお供をするという話なのですが」 「……!」 そっちか! 何、焦ってんだ俺! 平静を装わないと…… 落ち着け、落ち着け…… 「……ああ、例の公用でってやつね」 「ええ。 それで……」 「三日となると、あの……」 いつもに増して、歯切れが悪い。 黙って待ってやることにしよう。 ……。 「小鳥の世話をお願いしたいんですっ」 ああそうか。 ミアが悩んでたのは小鳥のことだったんだ。 ……ミアはことあるごとに、住まわせてもらっている立場で生き物を拾うなんて、と言っていた。 その遠慮は、まだ続いていたらしい。 「いいよ」 「三日でも四日でも、どーんと任せとけ」 「本当ですか?」 「ああ」 「ありがとうございますっ」 俺に抱きつかんばかりの勢いで喜ぶミア。 「鳥籠、こっちの部屋に持ってこようか?」 「あっ、えーと、どうしましょう」 「朝早く起こされちゃいますけど」 「いいよ、それくらいなら」 「餌をあげるタイミングとか、量とか、今どう世話してるか教えてもらわないとな」 「はいっ」 ……。 …………。 それからミアに世話の仕方を教えてもらい── 翌日、フィーナとミアは出かけて行った。 ……。 それから3日、俺が小鳥を世話した。 ミアに教わった通りに、ひとつひとつ。 餌やり。 水やり。 新聞紙の交換。 温度管理。 この小鳥は、ミアからの大切な預かり物だ。 間違っても、俺が預かってる間に、小鳥を病気にしたりしちゃいけない。 そう思って、慎重に餌をやったりしていると…… 3日が過ぎて、フィーナとミアが帰ってきた。 ……。 「ただいま戻りました」 「ただいま戻りましたっ」 「おかえり」 「小鳥は、元気ですかっ?」 「ああ、元気だ」 「ミアは小鳥にご執心ね」 「出かけていた先でも、何度も小鳥の話を聞かされたわ」 「あっ、姫さま、それは内緒に……」 「心配しなくても、ちゃんと世話しといたから」 「任せとけって言ったろ?」 ミアの顔が、ぱあっと明るくなる。 「達哉さん、ありがとうございました」 ぺこり、と頭を下げるミア。 ……。 「フィーナ様、ミアちゃん、おかえりなさい」 「おかえりなさーい!」 「ただいま、さやか、麻衣」 「ただいま戻りました」 ……。 フィーナの荷物を部屋に運び終え、みんなでお茶を飲む。 フィーナが、今回の公用について、大まかに説明している。 しかし、ミアだけは、少しもじもじしていた。 「ミア、どうしたの?」 「……あの、姫さま」 「小鳥を見に行ってもいいですか?」 「ええ、行ってらっしゃい」 「よほど気になるのね……ふふふ」 「お兄ちゃんの部屋にいるよ」 「羽毛も、ずいぶん生え揃ってきたわね」 「そ、そうなんですかっ!?」 みんなが、ミアに、早く小鳥を見に行くことを勧めた。 ……。 …………。 しかしミアが俺の顔をじっと見ている。 「?」 「あの……」 そっか。 今は小鳥は俺の部屋にいるんだ。 「じゃ、ミアに小鳥見せて来る」 「はいはい」 俺の部屋で、三日ぶりに小鳥と対面したミアは、子供のように喜んでいた。 ……。 …………。 夏休みに入ってからは、俺や麻衣もある程度家事を分担できるようになった。 その分、少しだけ余裕ができたミア。 その余裕で、家のあちこちにある汚れを落とし始めた。 「ふう」 キッチンの換気扇の汚れ。 一階の廊下の壁についてた汚れ。 そういったものが、次々と綺麗になっていった。 「わあ、換気扇がぴかぴかだよ!」 「ミアちゃん、ありがとー」 「わっ、わわわーっ」 麻衣は、ミアの腰に抱きつき、そのまま持ち上げてくるくる回った。 ……。 「あら、この汚れが落ちるなんて」 「新製品の、強力洗剤を使ってみました」 「偉いわねー」 「ふわわぁ……」 姉さんは、ミアの頭を撫でまくる。 ……。 「あ、ここ……」 「頑張ってこすったら落ちました」 「……懐かしいな」 「懐かしい?」 「ここにあった汚れって、まだ子供だったアラビアータがつけたんだ」 「まだ躾ける前でさ」 「アラビアータもまだほんの子供だったし、あの頃はやんちゃだったなぁ」 「家に入れたのは俺だったし、汚れも落ちないし、ずいぶん落ち込んだっけ」 「そうだったんですか……」 あの頃のことを、少しの間思い出す。 母親に怒られたような気もするが、あまり印象に残っていない。 もう姉さんはうちに住んでたっけ?アラビアータは今よりずっと小さくて、足も短かった。 今ではイタリアンズの中でも一番の親分面をしてるけど、あの頃は今のカルボナーラと変わらない。 ……。 「あの、達哉さん」 「そろそろ、イタリアンズを散歩に連れて行く時間ですよね」 「ん、そうだな」 「今日は、わたしも一緒に行っていいですか?」 「もちろん」 「一応、着替えた方がいいかもね」 「なんなら、リードも持ってみる?」 「はいっ」 ……。 …………。 「わわわーっ!」 大喜びのイタリアンズに引っ張られ、あっと言う間に川原の方へ引きずられていくミア。 ……いつだったか、フィーナでもこんな場面を見たような気がする。 新しい人との散歩は、犬たちにとって刺激的なことらしい。 ……。 …………。 物見の丘公園でしばらく三匹を放してやり、頃合いを見て集合させ、帰途につく。 「びっくりしました」 「ミアは軽そうだから、こいつらも引っ張りやすかったのかもな」 「走り始めたと思ったら、あっと言う間に見えなくなっちゃったし」 「教えておいて下さいよ~」 「わん」 新しい人との散歩に満足したように、ペペロンチーノが尻尾を振った。 「無事、帰って来れたな」 「良かったです……」 「紐を放さないようにするのが精一杯でした」 「もし放しちゃっても、こいつらは家に帰れるけどね」 「えっ、そうなんですか?」 「ああ」 「帰り道だって、引っ張られるままに歩いてたらここまで来たろ?」 「そういえば……」 「わたし、絶対に紐を放しちゃいけないものだとばかり思っていました」 「どこかに逃げて行っちゃったら、二度と帰って来ないものだと……」 「そういう気持ちが通じるのかなぁ」 「?」 「リードを持つ人が初めてだと、走りたがるんだよね。 こいつら」 「むー」 「わふ?」 何のこと? と言わんばかりにカルボナーラが首をかしげる。 アラビアータは、終始我関せず。 三匹を小屋につなぐ。 「ふう」 「お疲れ様、ミア」 「今度からミアひとりでも散歩に行ってみる?」 冗談のつもりで言う。 「あ、はいっ」 「もしまた散歩をさせて頂けるなら、是非お願いします」 「皆さんお忙しいですし、わたしが散歩に行ければいいですよね」 ……予想外に気合が入った返事だ。 ミアはきっと、犬の散歩もできるようになれば、俺たちが嬉しいんだと思ってるのだろう。 もちろん筆頭はフィーナだろうけど、俺たち、周りにいる人に認められること──俺たちの役に立って、褒めてもらうこと──ミアの仕事で、俺たちが喜ぶこと。 ……それが、ミアにとって一番嬉しいことなんだ。 「ええと、そういうつもりじゃなくてさ」 「俺も犬の散歩は好きだから、時間があれば行きたいし」 「ミアも犬の散歩が好きになってくれたらいいなっていうか」 ……。 「ミアがさ、犬を飼いたくなって欲しい……って、これはちょっと話が飛びすぎだけど」 「ミア自身が、犬を好きになってくれたら嬉しいな」 「……」 ミアは、すぐに笑顔になった。 「わかりました。 そうですね」 「でも……」 「でも?」 「わたしが引きずられそうな時は、助けて下さいね」 「おん」 俺より先に、もう引きずらないよという顔をしたアラビアータが吠える。 「……はは、分かった。 任せといてくれ」 「よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げるミア。 俺とミアは、遊び終えて満足げなイタリアンズの頭を一匹ずつ撫でて、家に入った。 ……本当は、一番撫でたいのはミアの頭だったんだけど。 ……。 その日の晩、部屋の窓から外を見ていると、フィーナが大使館から車で送られてきた。 いつの間にか、また大使館に行っていたらしい。 「……ではフィーナ様、よろしくお願いします」 「ええ」 「分かっています」 「結局、お忙しくなってしまって、申し訳ございません」 「カレンが悪いわけじゃないわ」 ……また仕事かな。 「それでは、失礼致します」 「お疲れ様」 カレンさんは、車に乗って帰っていく。 ……。 「また、公用で遠出することになったの」 「こう続くと、大変ですね」 「仕方無いわ」 「また、三日の予定よ」 「ミアは今回もお願いね」 「はい」 そう返事をしたミアが、俺の方を見る。 「分かってるよ。 小鳥だろ」 「大船に乗ったつもりで行ってきてくれよ」 「すみません、達哉さん」 「でもお兄ちゃん、そろそろ飛べるんじゃない?」 「羽も生え揃ってきたし」 「そうかもしれない」 「最近は、籠の外に出たそうにしてます」 「籠をくちばしで突ついたりしてるんです」 「今更だけどさ、ミア」 「小鳥に名前つけてやろうぜ」 「そだね」 「あ……考えたこともありませんでした」 「それなら……」 「明日から、フィーナ様のお供で出かけている間の宿題にしたらどうかしら」 「宿題?」 「確かに、名前をつけるのはミアの役割だよな」 「楽しみだね」 「頑張りなさいよ、ミア」 「はうぅぅ」 ……。 翌日早朝。 二人は迎えに来たカレンさんと一緒に、大使館の車に乗って出かけて行った。 ミアは、出発直前も宿題に頭を悩ませていた。 ……昨晩は、トラットリア左門で盛大に麻衣の誕生日を祝った。 まだ、その余韻が残っている朝。 家の前で、車が止まる音がした。 ……。 「ただいま戻りました」 「戻りましたー」 リビングで、みんなが二人を迎える。 「お疲れ様でした」 「お疲れさまー」 「今、お茶淹れるね」 「あの、わたしがやります」 「帰ってきたばかりなんだから、ソファで休んでてよ」 「あら、ミアちゃん」 「そう言えば、宿題があったと思うんだけど……どう?」 「ええ、ちゃんとできてるわよ」 「ね、ミア?」 「あ、は、はい……一応」 「一応、ということはないわ」 「私はいい名前だと思うもの」 「さあ、堂々と、皆さんに教えて差し上げなさい」 「は、はいっ」 「どきどき」 「えっと、あの、『チコ』という名前はどうでしょうか」 「チコ、か」 「月のクレーターから取った名前ね?」 「はい」 「いい名前だと思うわ」 「かわいいし」 「うん、俺もいい名前だと思う」 「では、これで決まりね」 フィーナが、ミアの背中をぽんと叩く。 「はいっ」 ……。 「それで、チコは変わりないの、達哉?」 「……じ、実は」 「なっ、なんですかっ?」 「実は……」 「もう少しで飛べそうなんだ」 「ええっ、すごいです!」 「もう、達哉。 びっくりさせないで」 「早く、見せて下さいよう」 ……。 今度は、俺が鳥籠をリビングに持ってきた。 「飛べそう、というのは……?」 「ほら、この二本の止まり木の間を、ばさばさ飛んで移動するんだ」 ……。 「……動きませんね」 「みんなで見てるから、緊張してるのよ。 きっと」 「でも……」 「この籠に入れたままで、飛べるようになるのかな」 「確かに……」 「でも、籠の外に出すと、家中フンだらけになってしまいます」 「庭では駄目なのかしら」 「イタリアンズは大丈夫だと思うんだけど、野良猫もいるしなぁ」 「困ったわねえ」 「あっ」 「チコが籠を噛んでます」 「きっと、外に出たいんだよ」 「そう見えるわね」 ……。 少し、重い空気が漂う。 そこに。 「分かりました」 「チコは、家の中を自由に飛んでいいことにしましょうか」 さらりと言う姉さん。 「いいの?」 「フンが家中に……」 「でも、飛べないのはかわいそうよ」 「ちゃんと掃除すれば大丈夫じゃない?」 「ミア、どうかしら?」 「え、あの……」 「それでしたら、最初は試しにわたしの部屋でだけということで……どうでしょうか」 「なるほど」 「それで大丈夫そうだったら、家の中で飛んでもらおうね」 「ちゃんと窓は閉め切ってな」 「はい、わかりました」 ……。 …………。 「では、開けますよ」 「おっけー」 みんなが見に来たがったが、屋根裏部屋に5人も集まったら、チコが飛ぶ空間が無くなってしまう。 ぶーぶー言われながらも、チコが初めて飛ぶ瞬間は俺とミアで立ち会うことになった。 「えいっ」 ……。 …………。 ………………。 「出てこないな」 「出てきませんね」 「怖がってるのかな」 「……それとも、まだ飛べないとか」 「餌で、外に誘い出せないでしょうか?」 「やってみるか」 とりあえず、餌が入った箱を外に出して、籠の口を開けておく。 「水も出しましょう」 「そうだな」 水も外に出す。 ……これでもう、籠の中に、チコが口にできるものは無くなったはずだ。 「出てくるでしょうか……」 「気長に待とう」 ……。 …………。 チコに動く気配は無い。 ……。 「……この籠の底って、とれないのかな」 ぱかっ「あっ」 鳥籠の下の部分が、丸ごと外れた。 ばささっチコが止まり木から床に降りる。 キョロキョロと俺たちを交互に見上げた後……餌箱に向かって、ぴょんぴょん跳ねた。 「とりあえず、籠からは出たけど」 「飛びませんね」 俺が手を近づけると、ぴょんぴょんと跳ねて逃げる。 時々ばさばさと羽ばたくものの、飛ぶ気配は無い。 「まだ飛べないのかな……」 「一度、籠の中に戻して、調べ直しましょう」 「そうするか」 ……。 …………。 苦労してチコを籠に戻し、調べてみると──「親が雛の前で羽ばたいてみせる鳥がいるそうです!」 「チコには親はいないんだぞ」 「となると、親代わりの……」 ……。 「俺たちが、やるのか?」 「えっと……」 「でも、やらないとチコは飛べなくなってしまうかもしれません」 「俺たちだって飛べないのに、見本になれるのか?」 「そうですね……」 考え込む二人。 「羽ばたくだけ……とか、でしょうか?」 「やっぱりそうか」 「しょうがない、やるか……」 ……。 …………。 「ど、どうぞ、達哉さん」 「ミアからやってくれよ」 「ほら、チコの近くにずっといたし、母親代わりだしさ」 「やっぱりこういう逞しさが必要なものは、父親役ではないでしょうか」 「チコは、ミアの言うことを一番聞くんだから、まずミアに」 「……わかりました」 「でも、鳥の真似をしたことは無いので……」 「笑わないで下さいね」 「ああ、笑わない」 ……。 「ぱたぱたぱた~」 ……。 「ぱたぱたぱた~」 口で羽ばたきの音を発しながら、狭い部屋を端から端へと走り回るミア。 俺は、笑いをこらえるのに必死だ。 ……。 「ぱたぱたっ、ぱたぱたっ」 ……。 「……ど、どうでしたか?」 「じっと見てはいたけど……」 「勉強してるのか、変な奴を見て面白がってるのか、分からない」 「むー」 「……では、次は達哉さんの番です」 「やっぱり、俺もやるのか」 「もちろんです」 ミアの声に背中を押されて、俺も羽ばたいて見せる。 効果はあるのかな。 ぱたぱたと少し腕を動かしては、チコを見る。 ぱたぱた。 ぱたぱた。 「こんなもんでいいのか?」 「くすくす……ちゃんとチコも真似してますよ」 「もう一頑張りです」 ぱたぱた。 「交代しますね」 ぱたぱた。 ぱたぱた。 「よし、次は俺だ」 ぱたぱた。 「お兄ちゃん……ファイト!」 「頑張って」 「もう一息よ」 いつの間にか、みんなも応援に来ていた。 ……。 俺とミアは、交代で何度も羽ばたいて見せた。 チコも羽を動かし、ぴょんぴょんとジャンプしていた。 飛べるように……なるといいけど。 それからも、折りを見てチコの飛行訓練は続いていた。 最初は飛び跳ねていただけだったチコも、次第に低空飛行するようになり──部屋の中だけなら、どこにでも飛び乗れるようになった。 「わわっ」 ミアの肩がお気に入りのチコ。 まずミアの肩に飛び乗り、そこからまた飛ぶ。 それを繰り返しているうちに、ずいぶん羽ばたくのも上手くなった。 ……俺がミアの部屋に行くと、今度は俺の肩にも乗ってくる。 チコはずいぶん人懐こい。 「それでも、寝る時だけは籠の中に自分で戻るんですよ」 「じゃあこの中がチコの寝室か」 「くすくす……そうですね」 餌も全て自分で食べられるようになった。 落ちるように飛んでいたのも、いつの間にか空中で留まれるほどになっている。 ……巣立ちも近いのかな。 「雛の成長って早いですね」 「ああ」 「本当だな」 チコは、ミアの部屋の中を自由に飛び回れるようになっていた。 窓の外にも興味津々の様子。 「……そろそろ、巣立ちかな」 「ええ……そうですね」 「雛だって、いつか羽も生え揃い、自分の力で飛ばなくちゃいけない日が来るんですよね」 「ああ」 「それも、誰に強制されるでもなく、自分の決断でな」 ……。 「姫さまも……」 「いつか、ご自分で飛び立たれる日が来るんでしょうね」 「ん?」 「いえ、なんでもありません」 ミアは、独り言をすっぱりと打ち切った。 「……巣立ちはどこにしましょうか?」 「やっぱり自然の多そうな物見の丘公園ですか?」 「あ、ああ。 それがいいと思う」 「あそこなら、野鳥仲間もたくさんたくさん居そうですもんね」 ……。 もう一度チコを籠に入れ、俺とミアは物見の丘公園に行くことにした。 人は多くない方がいいだろうと、二人で向かう。 他のみんなは、名残惜しそうにチコを肩に載せたりしていた。 ……。 俺とミアは、まず木々の中に餌を撒いてみた。 そしてそのまま、じっと待つ。 「来るでしょうか?」 「じっと待とう」 ……。 すると、しばらくして、チコに似た鳥がぱらぱらと集まってきた。 「チコは、仲間に入れてもらえるかな」 「では……出してみましょうか」 鳥籠の口を開ける。 籠の外がいつもと違うのに戸惑ったのか、チコは籠の出入り口から、外をキョロキョロと眺めている。 「ほら、行けっ」 「あそこにいるのは、チコの仲間なんだよー」 ……。 …………。 ぴょんチコが、籠を出た。 ぴょんぴょん餌を撒いてあるところまで何度か飛ぶ。 ……最初は、少し警戒していたようだったけど。 しばらくすると、集まっていた鳥たちと一緒に餌をついばみ始めた。 ……。 …………。 俺とミアは、しばらくその光景を眺めていた。 遠くから見ているので、そのうち、どれがチコか分からなくなる。 「ミア、帰ろう」 「……そ、そうですね……」 少し涙声のミア。 俺は、その頭をゆっくりと、何度も撫でた。 「これが一番いいんだよ」 「チコにとってもね」 「……ぐす……は、はい」 「そうですよね」 少し無理に、笑顔を作って見せるミア。 「元は、野生の鳥ですもんね……」 「ああ」 「でも、あの商店街でチコを見つけた時……」 「ミアが拾わなかったら、チコはきっと、今ここでこうしてることは無かったよ」 「はい」 「だから」 「チコの巣立ちを祝ってやろう」 「ええ、そう……なんですけど」 「涙が……おかしいですね……」 「よ、喜ばなくちゃいけないのに……」 そう言えば言うほど、ぽろぽろと玉のような涙が瞼から溢れ出る。 「ミア……」 俺は、そんなミアがとても可愛く見えて──撫でていた手で頭を抱き寄せた。 ……。 …………。 頭は思ってたより小さく、肩も細いミア。 しばらくそのまま、細い肩を震わせ、静かに泣き続けていた。 ……。 俺も初めて飼った犬が死んだ時は、かなり泣いたっけ。 こういう時は、泣きたいだけ泣くしかない。 俺は、ミアが気の済むまで、胸を貸してやることにした。 ……。 自分の仕事に一生懸命で、フィーナのためには、時に人一倍の責任感を見せるミア。 そして、今俺の腕の中で泣いてるのも、また同じミアだ。 今のミアの方が、年相応と言えるかもしれない。 ……ということは。 普段のミアは、精一杯背伸びして、頑張っているに違いない。 増してや、これまで居たのは月王国の王宮だ。 死ぬ気で頑張らないと、今の立場にはなれなかっただろう。 ……もちろん、ミアは努力を苦に思ってるわけではなさそうだ。 でも、ミアには。 時々、こうして自分の感情を素直に出せる場所があってもいいんじゃないか。 そう思う。 そして──今、俺がその場所になっていることに、少し嬉しさを感じている。 ミアの、力になりたい。 ミアが……笑顔で、時には泣き顔でもいい。 素直でいられるように。 ……。 …………。 ミアの背中を、ゆっくり、優しく、さすり続け──たっぷり10分以上経った後。 ……やっとミアが顔を上げた。 「ぐすっ……すみません、達哉さん」 「服の胸のところを濡らしてしまいました……」 「いいんだ、俺がミアを……その……」 「……抱き寄せたんだから」 「……あ……」 さっきまでの二人の体勢を思い出す。 傍から見たら、抱き合ってるように見えただろう。 しかも人気のない公園の植え込みの影で。 ……ミアも思い出したのか、真っ赤になって縮こまっている。 「じゃ、じゃあ、帰ろうか」 「あ……はい……」 「ああ」 朝早く、餌をねだる鳴き声に起こされたこと。 チコが何度も乗ってきた肩に、わずかに残る感触。 ……そんなことを思い出しながら、ミアと二人で家路に就いた。 ミアの顔の赤みは、その間もずっと引かなかった。 ……。 …………。 「ただいまー」 「ただいま戻りました」 俺とミアが、空の鳥籠を持って、家に帰る。 「これも、いらなくなっちゃうな」 「そうですね」 「お帰り、お兄ちゃん」 「……その鳥籠、使うかも」 「何に?」 「あらあら……」 姉さんが、そろりそろりと歩いてくる。 そして自らの肩を指さし──「これ……チコよね?」 「あっ」 「ええっ、な、なんで?」 「二人が出て行った後、ミアの部屋の掃除を始めたのよ」 「それで丸窓を開けていたら……」 「そこから、チコが入ってきたわ」 「窓から自分で出て行ったり、また戻ってきたり」 「この家全部が巣だと思ってるみたい」 「さっきから、誰かの頭や肩にずっと止まってるの」 「籠が無いから、自分の場所を探してるんだと思うんだけど……」 「じゃ、籠、開けてみますね」 「ええと、これでいいんですか?」 ミアが籠の出入り口を開ける。 ……と。 ばささっチコは自ら籠の中に戻った。 「困ったチコですね」 そう言いながらも、ミアの顔は、抑えきれない嬉しさが滲み出ていた。 みんなも、そんなミアとチコを温かく見つめていた。 ……。 とりあえず、チコに餌と水を用意するのはやめることにした。 自由に家を出入りできるのだから、うちに戻ってきたとは言え、餌くらいは自分で探すべきだ。 籠は引き続きミアの部屋。 出入りは基本的に丸窓から。 「肩に乗るのが好きなのは、変わらないみたいだな」 「そうですね」 「最近は、頭の上に乗ることもあるんですよ」 ぱたぱたチコが、俺の肩から頭の上に乗る。 「わ、本当だ」 「……でも、こんなに人に慣れちゃって、大丈夫なのかな」 「昼間はほとんど外にいるんですよ」 「餌も自分でちゃんと食べてるみたいですし、多分大丈夫なんじゃないでしょうか」 ばささっミアの言うことが分かるかのように、チコは丸窓から外に出ていく。 「じゃあ、チコの世話も少なくなって、ミアは寂しいんじゃないか?」 「くすくす……そうかもしれません」 餌箱も、水箱も、今では鳥籠の中には無い。 「でも、いつかはチコだって巣立っていくんですから……」 「今は、本当はもうチコがいなくなってるはずだと考えれば、お得な期間ですよね」 「そういう考え方もあるか」 「ぱっ、と目の前からいなくなって、二度と会えないと思っていましたから」 ……。 にこにこと笑っているミア。 ……。 とくん。 ……。 …………。 そんなミアを見ていて……ふと、忘れていたことを思い出した。 思い出すと、胸の苦しさを感じる。 ……ミアも、この家を出て行く時が来る。 その時には、ミアこそ、ぱっと目の前からいなくなってしまうのではないだろうか。 帰る先を考えると……二度と会えない気さえする。 ……。 「どうかされましたか、達哉さん?」 「あ」 「い、いや、何でもないよ」 「?」 「それでは、わたしはお掃除しますね」 「俺も、部屋に戻るよ」 ……。 …………。 ……。 とくん。 ……。 …………。 ミアが月に帰る。 当たり前のことだ。 俺は、そんな当たり前のことに動揺している自分に戸惑っていた。 何でこんなに……喉の奥が詰まるような気分になるんだろう。 ……。 ぼすっベッドに横たわる。 ……。 ミアはフィーナ専属の、身の回りの世話係。 フィーナは、月王国の王族の一人娘。 フィーナが月に帰るのは当たり前だし、それは疑う余地が無い。 ミアも……間違いなく、フィーナと一緒に月に帰るだろう。 それは、今更考えても仕方のないことだ。 きっと。 ……。 …………。 ……。 …………。 ええい!ベッドに寝転がったままで、もやもやしてても仕方無い。 左門でのバイトまでは時間もある。 イタリアンズの散歩で汗でもかいて、シャワーをあびよう。 そうすれば、少しはさっぱりするはずだ。 しかしそこには。 俺より先にミアが来ていた。 「あ、達哉さん」 「洗濯が終わったので、イタリアンズの散歩に行こうかなと思っていたのですが……」 「もしかして、今、行こうとしてましたか?」 ……。 「ちょうどいいや」 「聞きたいことがあってさ」 「聞きたいこと、ですか?」 「……時間があるなら、一緒に行こうぜ」 「はいっ」 「着替えてきますので、少しお待ち頂けますか?」 ……。 「あれっ、ミアちゃんか。 健康的な脚だねえ。 なはは」 「馬鹿なこと言ってるんじゃないよ」 「犬の散歩だね。 気をつけるんだよ」 「はいっ、ありがとうございます」 ……ミアは、相変わらず商店街の人気者だ。 最初に来た時の緊張っぷりを思い出すと、一緒に過ごした日々の重みを知る。 たった数ヶ月前の話のはずなんだけど。 「あのさ、ミア」 ミアに、問いかけようとする。 ……しかし、何から聞けばいいのか、分からない。 「あっ、そう言えば『聞きたいこと』があると仰ってましたね」 「あ、ああ……」 「えーと、その、さ」 頭をフル回転させて、何とか質問を捻り出す。 直接的にならず、でも、聞きたいことに近づいていく足掛かりになりそうな質問を……。 「……フィーナって、いつまでこっちにいるんだろう?」 「姫さまですか?」 ミアが少し首をかしげる。 知らないのではなく、きっと、言っていい情報か、言っていい相手かを考えているのだろう。 「まだ正式には決まっていないらしいのですが、今月一杯くらいになりそうだと仰ってました」 「非公式のレセプションが予想以上に多いみたいですよ」 「その他にも……」 ……。 …………。 後半はあまり耳に入っていなかった。 今月一杯。 あと3週間あまり。 それで、フィーナは月に帰ることになるという。 「ミアも一緒に月に帰るんだよな?」 ……とは聞けなかった。 聞くまでもない。 ……。 「わふわふっわふっわふっ」 「わんわんっ」 「おん」 いつも通り、三匹のリードを放してやる。 「達哉さんは、イタリアンズを放した後、どうやって呼び戻してるんですか?」 「口笛を吹いたりもするけど、いつもは一匹を呼ぶとみんな戻って来るんだ」 「今日の帰りもやるから、見てなよ」 「はい」 「……わたしにも、できるでしょうか?」 「何度か練習すれば、きっとできるよ」 「わかりました」 「頑張りますね」 ……。 何度か練習すれば。 ミアは、この先何度イタリアンズの散歩に来るだろう。 そして、もし今日すぐに犬を呼び集められるようになったとしても。 あと3週間しか、そのワザを使うことはできないのだ。 ……。 …………。 結局、またもやもやしている自分に気づく。 なんなんだ、このもやもやは。 「ミアってさ、地球に旅行に来たりできるの?」 「ええっ、わたしですか?」 「わたしではとても無理です」 「そっか」 「そりゃそうだよな……」 月と地球の間を行き来するのがそんなに気安いものじゃないのは知ってたはずなのに。 何故か、ミアに聞いてしまいたくなった。 「……もしかしたら、姫さまが次に地球に来る時に、そのお供にさせてもらえるかもしれません」 「でも、姫さまが次に地球に来るのがいつになるかは分かりませんし……」 「その時に、わたしがお供に必ず選ばれるとも限らないです」 「んー」 「じゃあさ、ミアはもしかしたら……」 「あと何日かの思い出が、最後の地球の記憶になるかもしれないんだな」 「……はい」 「そうなりますよね」 ……。 何か、ミアに言わなくちゃいけないことがあるような気がするんだ。 「じゃあ、残りの二、三週間は、悔いの残らないように過ごさないとな」 「ええ、そうですね」 「チコがちゃんと巣立ちしてほしいし、イタリアンズを呼び集める方法も覚えたいし」 「それに、家の中にまだ何ヶ所か、掃除しきれてないところもあるんです」 「オーブンの中に、二階のベランダ、あとは下駄箱に……」 ……。 俺がミアに言いたいことは、まだ言えてない気がする。 「ミアやフィーナがいなくなると、少し寂しくなるな」 「そうですか?」 「ほら、今使ってるダイニングのテーブルも3人で使うわけだし」 「……今は、賑やかですよね」 「ああ」 ……。 …………。 違う。 寂しいとか、そういうんじゃなくて。 ……いや、違わないんだけど。 それじゃ、もう会えなかったり別れたりするのが前提になってしまっている。 ……。 …………。 もっと、ミアと一緒にいたい。 そう伝えたいんだ。 ……。 「あのさ、ミア」 「達哉さん」 「ん?」 「イタリアンズの呼び方、教えてくれませんか?」 ……。 「あ、ああ」 「えっと、こうして……」 ミアに、呼び方を教えようとした時。 「わふ」 「わん」 「おん」 呼ぶよりも先に、三匹とも近くに戻ってきてしまった。 三匹ともいつになくおとなしく、尻尾を振って待っている。 「……これでは、練習にならないですね」 「そうだな」 「じゃ、また今度かな」 「でも……」 「もう、あまり時間が」 「わたしが散歩に来るのだって、あと何回……だろうって思うと」 ……。 ミアも。 やっぱり同じことを考えていたんだ。 「大丈夫だって」 「まだまだ時間はあるさ」 「何度だって、散歩に来ればいいじゃないか!」 「わふっわふわふっわふっ」 「きゃっ」 カルボナーラがミアにじゃれついた弾みで──ミアは、芝生の上にぺたんとしりもちをついた。 「こら、カルボナーラ」 ころころと転がったミアの帽子を拾いながら、カルボナーラを叱る。 「そろそろお前も、全力で甘えちゃ駄目な相手くらい分かれよなぁ」 「ほら、ミア」 「あ、す、すみません」 ミアに手を貸してやり、立たせてあげる。 「こう見えても、カルボナーラはまだ子供だからさ」 「今みたいにじゃれてくるんだ。 気をつけて」 「は……はい」 ミアの頭を撫でてやる。 ゆっくり。 何度も。 ……。 「帽子、被らないとな」 ぽん、とミアの頭に帽子を載せる。 「ありがとうございます」 ……。 ミアの目をじっと見つめる。 ミアも、俺をじっと見つめていた。 「ミアと、もっと一緒にいたい」 「もっともっと、ずうっと一緒にいられたらいいのに」 「た、達哉さん……」 俺の言ったことを反芻するかのように、じっとこちらを見つめているミア。 「あの……」 「それって」 赤くなったり目を回したり、ミアの表情が目まぐるしく変わる。 それだけでなく、チコに羽ばたきを教えた時のように、手までばたばたし始めた。 「えええええええっ!」 「ミア?」 「あっ、あのっ、そのっ」 「す……少し、考えさせて下さいっっっ!」 ……。 …………。 追う間もなく、ミアは全速力で走り去って行った。 「おん」 犬たちは、呑気に俺を見上げている。 「よっ」 俺は、もう一度芝生に寝転がった。 フィーナが帰る時にミアがどうなるのか、そして俺がミアをどう思ってるか。 もう一度頭の中で整理しなくちゃいけないことは、たくさんありそうだった。 しばらくしてから家に帰ると、ミアはいなかった。 その後はすぐバイトに出る。 閉店した後に、みんなで揃っての夕食時には、ずっと俯いたまま。 ……。 俺が公園で「一緒にいたい」 と伝えたから、ああなってるとしか思えないけど……そんなに態度に出るほど、大層なことを言ったつもりは無かったのに。 「ごちそうさまでした」 「おう」 「暑い季節にぴったり! の冷製スパゲッティはどうだったかね?」 「少し水っぽいというか……アイディアは良かったと思うんですけど」 「少し水っぽい……と」 何やらメモに残している仁さん。 「ミアちゃんは?」 「えっ、あの、その……」 ……。 「すみません、デザートの話でしたっけ?」 「……今日はミアちゃん、ずっとそんな感じだね」 「心ここにあらず、上の空、女心と秋の空」 「最後はおかしいんじゃない、仁くん?」 「そう?」 「……ごめんなさい、失礼しますっ」 ぱたぱたと走り去っていくミア。 ……。 …………。 夜、シャワーを浴びた後に冷たい麦茶を飲んでいると、フィーナから声が掛かった。 「達哉」 「……うん」 「今日はずっと、ミアの調子がおかしいようだけど……心当たりはある?」 「ああ」 「フィーナは、まだ話を聞いてない?」 「ええ」 「それに、一日くらいなら……無理に聞き出すよりも、本人の判断に任せようと思って」 「そっか」 「心配は要らないのよね?」 フィーナは、念を押すように俺に聞いてくる。 俺は、一瞬考えた後、頷く。 「ああ。 それに、もしフィーナの助けが必要になったら、ちゃんと声を掛けるから」 「……分かったわ」 「ミアのこと、よろしくお願いね」 くるりと踵を返し、一人部屋に戻っていくフィーナ。 いつもなら、ここでミアも一緒に部屋に入り、髪の手入れをしていたはずだ。 心遣い……か。 昼はあまりしっかり考えていなかったので、これからのことについて考えてみる。 フィーナが月に帰る。 ミアも一緒に月に帰る。 基本はこれだけだ。 でも、俺はミアと一緒にいたい。 ……俺も、フィーナ達と一緒に月に行くか?いや。 それは難しいだろう。 はっきり言って、不可能だ。 姉さんのように、学者の卵のような状態で留学に行くことはできるかもしれない。 でも、一介の学生の身分では……。 せめて、満弦ヶ崎大学にでも入っていないと無理だろう。 ……。 将来のことを考えていても仕方無い。 ミアは、もうすぐ月に帰ってしまうのだ。 ……。 姉さんに頭を撫でられてきたせいか、俺も、ミアの頭を撫でることが何度かあった。 その度に、何とも言えない幸せな気分になってくる。 撫でられているミアも嬉しそうだった。 ……。 ミアが一人で色々頑張っている姿を見てきた。 ちっちゃい体で、一生懸命。 例えば買い物。 5人分の材料を買おうとすれば、荷物は多くなる。 それを、頑張って一人で抱えるミア。 ふらふらと商店街を歩くミア。 手伝ってあげたい。 支えてあげたいと思うのは、自然なことだろう。 男として、あまりに重い荷物は持ってあげるべきだと思うし。 ホームステイで来たお客さんに、家事の大部分をやってもらっている後ろめたさもある。 ……。 …………。 でも、ミアはフィーナ付きのメイドだ。 王族付きのメイドという立場は、きっと、かなりすごい立場に違いない。 王族からの信頼、長年の実績、怪しくない氏素性。 そう簡単に、辞めますとか、捨てますといえるような、軽々しいものではないような気がする。 フィーナの責任問題になる可能性すらあるかもしれない。 少なくとも、月の王宮にいるというミアの母親の立場は、確実に悪くなるだろう。 ……。 そして何より。 ミアは、フィーナのメイドでいることが、とても楽しそうだ。 ミアは、フィーナを尊敬している。 そして、姫さま、姫さま、と慕っている。 フィーナにしても、月から留学してくる時に、たった一人だけ選んだ随行員だ。 ミアは、何につけても、自分のことよりフィーナを優先させている。 誰かに仕事が認められれば嬉しそうだが、一番嬉しいのは、やはりフィーナに褒められた時だ。 ……。 そのフィーナが月に帰る。 そんな時に。 俺がミアに「残ってほしい」 なんて言ったら。 ……。 普通なら、「無理です」 と即答だろう。 しかし、ミアはまだ答えを出していない。 即答しないということは……。 ……。 ミアは、もしかしたら、俺のことを好きなのかもしれない。 そして。 俺は、ミアのことを……。 ……。 目が覚めると、部屋の中が明るい。 それも、太陽の光ではなく、蛍光灯の光で。 ……。 久し振りに、電気をつけっぱなしで寝てしまった。 子供の頃は、よくこれをやって母さんに呆れられていたものだ。 ……こういう日は、いまいち疲れが取れていない。 昨日の夜は……ミアとのことを考えていたんだっけ。 散歩から帰ってきて、その後ずっと考え事に気を取られていたミア。 今日は、調子は良くなっただろうか。 「おはようございます」 「おはよ、お兄ちゃん」 「……あれ、麻衣だけ?」 「うん」 「お兄ちゃんが早いんだと思うよ」 「まだ朝御飯作り始めてないもん」 ……時計を見ると、確かに早い時間だ。 何か焦ってるのかな、俺。 ……。 …………。 それから姉さんとフィーナが起きて来た。 ……いつもは最初か二番目に起きてくるミアが、まだテーブルに着いていない。 「おはようございます~」 「お姉ちゃん、お茶淹れるから待っててね」 「ああ、お茶なら俺が淹れとくよ」 「じゃあお兄ちゃん、お願いね」 姉さん用に渋いお茶を淹れる。 「ありがとう、達哉くん」 ……いつも通りの朝。 俺は、さりげなくフィーナに尋ねてみる。 「フィーナ」 「ミアって、どうしてるのかな」 「……昨日は、ずいぶん遅くまで部屋で起きていたみたいよ」 「今朝は、そっとしておきましょう」 「そっか」 ……。 そのまま、朝食の席にミアは現れなかった。 悩んでるのだとしたら、俺のせいでもある。 俺は、ミアの分まで家事をしようと気合を入れた。 ……。 …………。 しかし。 昼前に、大慌てのミアが階段を転げ落ちるように現れた。 「すすすみませんっ!」 「おはよう、ミア」 「あの、姫さまは?」 「今日は、大使館で人と会う約束があるからって、カレンさんが迎えに来てた」 「夕方には帰れるから、ミアはゆっくり寝させてやれって」 「ミアちゃんの朝食、取っといてあるんだよ」 「食べられるなら、温めようか?」 ……。 ミアはひたすら恐縮し、一度着替えに戻ってから、遅い朝食を食べた。 姉さんは仕事に出かけている。 ……麻衣が部活に出かけると、ミアと二人きりだ。 「あ、あの、達哉さん」 「せせせ洗濯をやって頂きまして、その、ありがとうございました」 「そんな他人行儀にならなくても」 「えと、それでですね」 「昨日の夜、色々と一人で考えたのですが……」 ごくっ。 「……すー……はー……」 深呼吸をしているミア。 こっちはどきどきしながら、ミアの次の言葉を待っている。 「結局……」 「結局?」 ……。 「……よくわかりませんでした」 ……。 分からなかった?つまり、どういうことだろう?どんなリアクションを取っていいのか、分からない。 ……。 ミアを見ると、何か次の言葉を紡ぎだそうとしてるようなので、俺はそれを待った。 ……。 …………。 「達哉さんのことは……」 「そ、その……」 ……。 「だ、だ、だ、大好きです」 「そうか。 ふう……」 「良かったー」 全身が脱力する。 肺の中で固まっていた空気を、全て一度に吐き出した。 「で、でもっ!」 「わたしは姫さまのメイドでもあって……」 「それで、あの……」 「どうしていいか、分からなくなってしまって……」 しょんぼりしてしまったミア。 俺は、その頭に手を載せて、ゆっくり愛おしむように撫でた。 「あ……達哉さん……」 「俺も、昨日からそれを考えてたんだ」 「ミアは、何よりもまず姫さまが一番大事なんだもんな」 「……」 「だから、俺があんなことを言って、ミアを困らせてるんじゃないかって心配だった」 「それで……今日の寝坊だしさ」 「あのあのっ、ほんとうにすみませんでしたっ」 「いや、いいんだってば」 「俺が……何だか焦ってたからだもんな」 「いえ……わたしが」 「俺のせいだと思ってたからさ、掃除とか洗濯も頑張っちゃって」 「ここんとこ、ずうっとミアにやってもらってたから、腕が鈍っちまったぜ」 「……」 「ふふ……洗濯にも腕が必要だったんですね」 「ああ。 ミアは洗濯八段……いや、洗濯免許皆伝」 「達哉さんはどれくらいなんですか?」 「俺?」 「俺は……まだまだ白帯だしなぁ」 「しろおび……?」 「ああ、初心者ってことさ」 「格闘技の初心者が、白い帯をつけるんだ」 「洗濯は格闘技だったんですね……くすくす」 やっと、ミアに笑顔が戻った。 ……。 ミアが家事をしている間、俺は庭の雑草をむしって時間を潰していた。 昼食も食べ、日が傾いてきた頃。 俺は思い切って、洗濯物を取り込んできたミアに声を掛けた。 「ミア」 「はい」 「今日も、行くか? イタリアンズの散歩」 「左門でのバイトの前に、行っておきたいんだ」 ……。 ミアは、ほんの一瞬だけ考え、答えた。 「ええ、是非ご一緒させて下さい」 「じゃあ、すぐ準備しようぜ」 「わんっ」 雰囲気を察してか、ペペロンチーノが喜んでいた。 ……。 「あれ、今日は着替えないの?」 「着替えていると、やはり少しは時間がかかりますので」 「でも……その格好じゃ暑いだろ」 「長袖だし、黒いしさ」 「そうでもないんですよ」 ……。 ミアの話によると、素材やら、通気性やら、色々と考えてある服ではあるらしい。 「姫さまのドレスも、私の服よりは当然いい布やデザインですけれど、基本的には同じです」 「顔とか、目に見えるところから汗をかかない練習かと思ってた」 「それも大事なことですよ」 冗談のつもりが、真面目な返事だったりしつつ。 今日は、イタリアンズもミアが持ってるリードをおとなしく引っ張っていた。 ……と思ってたのは街中にいる間だけだった。 公園に入ると、俄然元気になってきたイタリアンズ。 「わ、わ、わ……」 「ミア、ほら」 犬たちに引っ張られているミアの手を握る。 そして、特に力の強いカルボナーラと好奇心旺盛なペペロンチーノのリードは、俺が握ることにした。 「すみません、達哉さん」 「すみませんより、ありがとう」 「あ……ありがとうございます」 「それで、あの……」 俺は、カルボナーラとペペロンチーノのリードごと、ミアの手を握っていた。 「あ……」 「……」 ミアの手のひらは、少し汗ばんでいた。 華奢な作りの手、細い指。 風は無く、ただ蝉の鳴き声だけが、二人に降り注ぐ。 「……ミア」 「俺と手を繋いでるのは嫌?」 「い、いえ……」 「そんなことないです」 「じゃ、このまま行こうか」 「は……はい……」 小さい声ながらも、しっかりとした返事をしたミア。 ミアの手を、もう一度しっかりと握り直す。 ミアの手のひらは、さっきよりも汗でしっとりしていた。 でも、俺も似たようなものだ。 ……。 何事かあった雰囲気を察してか、立ち止まっていたイタリアンズに指示を出す。 「さ、行くぞ」 「今日は、丘の頂上まで行くからなー」 「おんっ」 三匹が、また俺たちを引っ張るように歩き始める。 ……。 ミアの手はとても柔らかくて、小さくて、熱かった。 そこから、ミアの鼓動が伝わってきそうだと思った。 そのミアと手を繋いでいる姿を、誰かに見せたいような、見られたくないような。 ……少し舞い上がってるな、俺。 おかげで、いつもなら登るのがうんざりするほどの丘も、あっという間に頂上に着いてしまった。 ……。 「わあ……」 「わたし、ここまで来たのは初めてです」 「いい眺めですねー」 「下って、時々人が多い時があってさ」 「そういう時って、犬を放すためにここまで来るんだ」 「なるほどです」 ……。 「手、離そうか」 「あっ……」 「そ、そうですね……」 俺がミアの手を握るだけではなく、ミアの方からも、俺の手を握ってくれていた。 その手が離れるのは少し残念だったけど。 「三匹を放そう」 「はい」 「そらっ、行ってらっしゃい」 「わふわふっわふっわふっ」 三匹とも、リードから解き放たれて、あっと言う間に駆けていく。 互いにじゃれたり追いかけ合ったり。 そんな楽しそうな三匹の姿を、俺とミアはぼんやりと眺めていた。 ……。 「……なあミア」 「犬って気楽でいいよな」 「?」 「お腹が減ったら食べ、眠くなったら寝て」 「自分の欲求に素直だもんな」 「……」 「人間は……」 「たくさんのやりたいこと、こうだったらいいなと思ってること」 「それを、素直にやりたいって言えなくなるから……大変だ」 「……でも、それは」 「ま、俺が犬になったことが無いから知らないだけで、犬には犬の厳しい社会があるのかもな」 「くすくす……そうですね」 ……。 「犬たちを羨ましがってても、仕方無いか」 「そうですね」 「……よっ」 ごろん、と芝生の上に座る。 「正直さ」 「ミアとのこと、どうしていいか分からないんだ」 「フィーナにとってもミアは大事だろうし、王族付きのメイドって立場もあるだろうし」 「……」 ミアは、黙って耳を傾けている。 「でも……」 「ミアと一緒にいたいなっていう……これは、俺のわがままなんだけど」 「そんな気持ちが、どんどん大きくなってる」 「例えば、さっき手を繋いだだけで」 「……はい」 ミアも俺も、自分の手のひらをじっと眺める。 「あの」 「もう一度……その、て、手を……」 「ああ」 芝生から立ち上がり、ミアの手を取る。 白くて丁寧に切り揃えられた爪。 強く握ったら折れてしまいそうな手首。 俺が軽くその手を包むと、ミアの方からも握り返してきた。 「あのさ……」 「達哉さんの気持ちは、わがままではないと思います」 「もし、わがままだったとしても……」 「その気持ちは、達哉さん一人が思ってるものではありません」 俺を見上げるミア。 その瞳が、うっすらと潤んでいる。 「ミア……」 「達哉さん……」 「わん?」 いつの間にか、二人の足元に来ていたペペロンチーノ。 「わふわふっ」 「わんわんっ!」 カルボナーラが迎えにきて、また遠くへ走っていく。 ……。 「……あの」 「ははは……」 間が悪いったら無いな。 俺は、繋いでいるもう片方の手で、ミアの頭を撫でる。 「はうぅ……」 撫でられているミアは、顔を真っ赤にして俯いていた。 「ああもう、ミアはかわいいなぁ」 「たっ、達哉さん……」 俺は少し屈み、ミアの腰に腕を回して、ひょいっと抱き上げた。 「ひゃああぁぁぁ」 そのままぐるぐる回る。 ミアは軽かった。 軽いだろうなとは思ってたけど、本当に「ひょい」 と持ち上げられた。 ミアの服の、お日様の香りを胸いっぱいに吸い込む。 「あっ、あのっ……わわわ」 本当に目を回し始めたようなので、ミアをとんっと地面に下ろす。 俺も、少し目が回っていた。 「ミアは軽いなあ」 「た、た、た……」 ふらふらのミア。 倒れてしまいそうなので、両肩を持って支えてやる。 「た、達哉さん?」 俺は、目の前にあるミアの両目をじっと見据える。 ミアが俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。 そして……瞼をゆっくりと閉じたミアに、そっと口づけた。 ……。 …………。 唇を軽く触れ合うだけのキス。 ミアの腰に回した腕に少しだけ力を込める。 「んっ……ふ……」 ミアの息が頬に当たる。 ミアの小ぶりな唇は熱を持っている。 俺の胸に添えられた手が、きゅっと服をつかむ。 風にそよぐミアの前髪がくすぐったい。 ……。 頭の中がミアのことでいっぱいになる。 やがて、真っ白になった。 ……。 …………。 瞼を薄く開けて、ミアの顔を盗み見る。 頬が赤い。 きゅっと閉じられた上下の瞼では、睫毛が小刻みに震えていた。 「ん……んんっ……」 俺は、ゆっくりとミアの腰に回した腕の力を緩めていく。 唇が離れかける。 「ん……っ?」 するとミアが、離れたくないとばかりに唇を押しつけてきた。 俺があまり腰を屈めなくなった代わりに、ミアが背伸びしてくる。 俺はその想いに応えるつもりで、ミアの腰を抱き寄せた。 ……。 …………。 ………………。 やがて、ミアが背伸びをやめ、俺は腕の力を抜く。 名残を惜しむように、最後に……唇が離れた。 ……。 「……」 「……あ、あの……わたし……」 「うん」 「えと……」 「……や、やっぱり、何でもないですっ」 「そっか」 ……。 「……そろそろ、帰ろうか?」 「……はい……」 ミアは、ずっと頬を赤く染めたままだった。 帰る雰囲気を察してか、周りに集まっていたイタリアンズをリードに繋ぐ。 もじもじとミアがリードを受け取ると、紐を伝って伝染したのか、イタリアンズも静かになった。 ……。 その日は、バイトを終えて家に帰ってからも、度々ミアが俺を見て赤くなった。 俺のいないところでも、何やらニコニコしていたらしい。 「達哉」 「ん?」 「ミアに何かした?」 「私が帰ってきてから、ずっとにこにこしたり、ため息ついたりしているのだけど」 「え、あ、いや……別に」 「ふうん?」 ……フィーナには気づかれているような気がする。 家の中でも、明らかに俺と顔を合わせられないミア。 みんなの前でも、俺と少し目が合うだけで、真っ赤になって目を伏せる。 ……。 今晩中に、姉さんや麻衣も含めて、この異変はみんなに伝わるだろう。 俺は、隠す努力を放棄することにした。 今日は左門の定休日。 ここのところ真夏日が続いていることもあって、精のつくものが食べたいという話になっている。 「部活の友達とか先輩も、麺類ばっかりだって言ってたよ」 「月の人って、暑さには強いの?」 「あまり強くはないと思います」 「カレンも、やせ我慢してるけど……最近少し疲れ気味ね」 珍しく、と付け加える姉さん。 「月では、こんなに暑くなることはありませんから」 「元気が出る食べ物というと……」 「夏はやっぱりウナギだよね」 「土用は過ぎちゃったけど、ウナギはいいかもしれないわ」 「うなぎ……とは?」 「ええと、あれは……」 「魚のような魚じゃないような」 「一応魚類よ。 昔から食べると元気になると言われているの」 「わかりました。 チャレンジしてみます」 ……。 朝食時にそんな会話があった。 その後、麻衣が部活へ、姉さんとフィーナは仕事に出かけて行く。 ……みんなといる時は、ミアも普通に話ができるんだけど。 二人きりになると、途端にミアは緊張してしまう。 「うなぎ料理、やっぱり蒲焼にする?」 「えっ、あのっ……」 「今、麻衣さんにお借りした料理の本を読んでるところですっ」 ガチガチだ。 「ミア、そんなに硬くならないで」 「で、でも」 俺は、ミアの頭を撫でてみる。 「ひゃわぁあぁぁ……」 すぐに、とろけたような声になるミア。 「そんなに緊張されちゃうと、こっちまで緊張しちゃうよ」 「頑張ります……」 『二人きり』ということを意識すると──俺だって、どうしても昨日の丘の上のことを思い出してしまう。 ミアが緊張してると尚更だ。 「……で、買い物どうしようか」 「あ、あの、わたしが行きますから、達哉さんは休んでいて下さいっ」 「でも、俺も時間はあるし、手伝うよ」 「いつも通り、いつも通り」 「……それでは夕方に、いつも通りお願いします」 「昼は?」 「ありあわせの材料になりますが……」 「この前麻衣さんに教えてもらった冷し中華を、ゴマだれで作ってみようかと思ってます」 「いいね」 ……。 分担して家事を済ませ、冷し中華を食べる。 ミアの作った「ゴマだれ冷し中華」 は、とても美味しかった。 具にワンタンが入ってるのは斬新だったけど。 ……。 …………。 夕方が近づいたので、ミアの買い物のお供をしようと一階に降りる。 ミアは、料理の本をちょうど読み終えたところだった。 「決まった?」 「ええ。 今日はひつまぶしにしようと思います」 「ひつまぶし?」 「ウナギ料理なんだよね」 「そうです。 あとは、出来てのお楽しみです」 「楽しみにしてるよ。 よしよし」 ミアの頭を撫でる。 「あぅ、ひゃあぁぁ……」 それから、俺たちは買い物に出かけた。 ミアはまだ少し硬くなってるみたいだけど、いつものミアに戻りつつあった。 ……。 「今日はウナギだね」 「自分でサバけるかい? それとももう焼いてあるやつにするかい?」 「どうする?」 「せっかくですから、捌くのにも挑戦してみたいと思います」 「やるねえ、ミアちゃん」 「じゃ、この生きのいいのにしとくからね」 「ありがとうございます」 そこに現れる八百屋のオヤジ。 「ほう、ウナギか」 「ウナギで精つけてナニするつもりだ? たっちゃん」 「なっ、何もしませんよっ」 「動揺するところが怪しいんだよな~」 「そーだ。 うちでニンニクでも買ってくか?」 「ひつまぶしにニンニクは使いませんから……」 「ほう、ひつまぶしか」 「じゃあ、みつばか大葉と、ネギかシソあたりをお買い上げだな」 「もしかしたら生姜もか?」 ミアが、少し驚く。 「おじさん、詳しいですね」 「これも商売のタネだからな」 「これでそのセクハラトークさえ無けりゃいいのにね」 「お客様との触れ合いは、俺の生き甲斐だからなぁ」 ……。 そんなこんなで買い物を終え、家に向かう。 「ひつまぶしって言ってたけど、どんな料理なの?」 「えと、ウナギをまず蒲焼にして……」 ミアが、一生懸命、身振り手振りを交えて説明してくれる。 俺は、それを楽しく眺めながら聞いていた。 ……。 …………。 「さあ、作りますよー」 料理の下ごしらえを始めようとしているミア。 その気合に水を指すのも悪いかな、と思ったけど。 俺は、単刀直入に訊いてみることにした。 「なあミア」 「昨日から続いてた、何だか硬くなってたの……治った?」 「あっ……」 一瞬驚いた顔をしたあと、てへへ、と笑うミア。 「やっぱり、分かっちゃいましたか?」 「バレバレ」 「えっ、そうだったんですか……」 あれは、バレないはずがないくらいだったと思う。 「で、原因はやっぱり……」 「あっ、あのっ」 「えっと、あの、公園でのあれは……その……」 「やっぱりそうだよな」 俺は、真っ赤になってわたわたしているミアの肩に手を置く。 「ミア、昨日の……嫌だった?」 「え……」 「い、嫌じゃありませんでした」 「……多分」 「多分?」 「あっ、ち、違うんですっ」 「嫌だったかもしれないとか、そういうのじゃなくって、その、なんていうか……」 「ミア、落ち着いて」 「ゆっくりでいいよ」 「は、はい……」 ミアは、その場で二三度深呼吸する。 「あの……あの時は、頭が真っ白になっちゃって」 「ただ、達哉さんと……触れ合ってるのが嬉しくて」 「気持ちよくって……」 「離れたくないと思ってたんです」 「うん」 「でも……」 「でも?」 「あのあと、達哉さんと離れて」 「家まで帰る道の間、ずっと、頭の中がぐるぐるしてたんです」 「家に帰ってからも、達哉さんの顔がまともに見れなくって」 「寝る前とか……その……」 「達哉さんと……」 「キスしたんだって思い出したりして……」 「……それで、その……」 「もじもじしてたんだ」 「そうです……」 「そっか」 「やっぱり、ミアはかわいいなぁ」 また、ミアの頭を撫でる。 ミアの一言ひとことが、愛おしむ気持ちを膨らませる。 「あ、た、達哉さん……」 少し手に力を入れれば、ミアを抱き寄せられる。 ミアの背は低い。 抱き寄せると、ミアの頭が俺の胸にちょうど納まる。 そんなミアが、必死になって、昨日のことを考えてくれたんだ。 ……俺は撫でる手を止めた。 「ミア、好きだよ」 「えっ……」 「俺はミアのことが大好きだ」 ……。 「た、た、た……」 真っ赤になっているミア。 俺はその前髪を手で持ち上げ、額に軽くキスをした。 「ふあぁぁ…………」 ミアは余計目を回してしまう。 「ミア、料理頑張ってね」 「俺はイタリアンズの散歩に行ってくるからさ」 自分のしたことが恥ずかしくなった俺は、そう早口でまくし立てると……逃げるように、イタリアンズの散歩に走り出した。 ……。 昨日の晩、またミアはもじもじしたり硬くなったりしていた。 それでも、俺は自分の気持ちをミアに伝えられたことが嬉しかった。 俺の気持ちだけを一方的に伝えただけって気もするけど──ミアには、もう少し考える時間があった方がいいような気がしている。 ……。 …………。 「おはよう」 「お兄ちゃん、おはよー」 「……お、おはよう、ございます」 ミアはまだもじもじしている。 でも……何だか今日は少し目が赤いような気がする。 「おはようございます」 「あら、ミア……」 「少し目が赤くないかしら?」 「あ、あの、昨日の夜少し寝るのが遅かったので」 「夜更かし?」 「……まさか、お兄ちゃん……」 「ちっ……ちがっ」 「たっ、達哉さんから借りた本が、面白くて、その」 「夜更かしして読んでたのね」 フィーナは、軽くため息をつく。 「たまには仕方無いけど……気をつけないとね、ミア」 「はいっ」 「おはようございます~」 「あ、さやかさん。 今お茶を淹れますねっ」 ……。 今一瞬、ものすごく誤解を招きそうな事態だった気がするけど。 とりあえずほっと息をつく。 ……。 ミアは寝不足か。 でも……俺に借りた本って言ってたけど。 本を貸した記憶は無いんだけどなぁ。 ……。 …………。 「ありがとうございましたー」 からんからん「さ、本日も終了ー」 「達哉、まかないの準備しよ」 「ああ、そだな……」 ばんっ菜月に背中を叩かれる。 「どーしたの達哉、今日は変だよ」 「変?」 「いつも通り、真面目に仕事してたつもりだけど」 「んー、確かに大きなミスは無かったよ」 「でもね、何ていうか、表情が……」 「そう、心ここにあらずって感じ」 「そ、そんなこと……」 「あるよ、達哉君」 「今日はずっとおかしかった」 「病気なんじゃないのかね?」 「至って健康ですよっ」 「いやほら、お医者様でも治せない病ってのがあるじゃないか」 「そ、そうなの?」 からんからん「こんばんは」 「わあーっ、今日も美味しそうな香り」 「お邪魔しますね」 ……。 「……こ、こんばんは」 一人だけ、少し遅れて入ってくるミア。 しかも、あからさまに俺の方を見ることができない。 「ほう」 「なんですか仁さん、今の『ほう』は」 「ほっほーう」 「なっ、菜月までっ」 「いやいやいや」 「ふーん」 「……お前ら、俺一人に全部やらせる気か?」 「サボってないで、早く手伝え」 「はーい」 「ッス」 何やら、非常に居心地が悪い状態のまま、二人は準備に戻っていった。 ……。 …………。 俺が何かしなくても、勝手に周りがどんどん察してくれるこの状況。 楽といえば楽なのかもしれないけど……なんだか釈然としなかった。 左門から戻り、みんなが順番に風呂に入る。 最近シャワーばっかりだったけど、今日は久し振りに湯船にも浸かった。 「姉さん、お湯抜いて換気扇回しといたから」 「ありがと」 そう言いながらも、持ち帰ってきた書類とのにらめっこを続けている姉さん。 「仕事もほどほどにね」 「そうねえ」 俺は、姉さんにお茶を一杯淹れて手渡す。 「それじゃ、俺はそろそろ寝るから」 「おやすみなさい、姉さん」 「うん、おやすみなさい」 「ふう」 一つ大きく息を吐き、部屋を見渡すと……俺の机の上に、白い封筒が載っていた。 なんだ?かさかさ……中から出てきたのは。 ミアからの手紙だった。 「……」 その手紙を、開いてみる。 どくんガラにも無く、鼓動が早くなる。 折ってある便箋。 あと一回開くと、中の文字が読める。 紙の裏からは、少しだけ透けるインクが見える。 「……ふう」 深呼吸を一度。 俺は思春期のガキか。 ……そんな自嘲めいた気分になりつつも、それが案外楽しいことに驚いた。 便箋を開く。 かさっ『達哉さんもしこの手紙をお読みになったら屋根裏部屋まで来て頂けませんか?ミア』一気に読んで、まず不吉な文字が無いことに安堵し、もう一度読み直して内容を確認し、俺はすぐに部屋を出た。 こんこん。 小さくノックする。 こんこん。 ……。 「……ミア、まだ起きてる?」 囁き声で、訊いてみる。 ……。 …………。 こんこん。 ……。 …………。 この時間だ。 あまり大きい音を立てると、誰かが起きてくるかもしれない。 ……。 もう少しだけ、強く叩いてみようか。 そう思った時。 きいっ「達哉さん……」 「どうぞ」 ……。 こんな時間に、屋根裏部屋に来たのは初めてだ。 「そうだ、最近、チコはどうしてるの?」 「ここで寝てるんですよ」 「朝にはまた、出してーって鳴くんですけどね。 くすくす……」 「そっか」 「……で、手紙だけど」 「あっ……」 つい今まで笑っていたミアが、急にカチコチになる。 つられてこっちまで背筋が伸びた。 「あ、あのっ、こんな遅くにお呼びだてしてしまって、すみませんっ」 「達哉さんに、ちゃんとお返事をしなくちゃ、と思って……」 「返事……って?」 「達哉さんが……」 「あの、私に、あの……」 「好きだって、言って下さった……ことなんですけど……」 消え入りそうな声のミア。 「あ……うん」 とうとう、ミアの返事を聞ける時が来た。 ミアは顔を真っ赤にして俯いている。 顔からは今にも湯気が噴き出しそうだ。 「その……嬉しい、です」 一言一言をようやく口にする。 ミアの言葉に、体中が火照る。 「じゃ、じゃあ……ミアも俺のこと」 「あ、で、でも……」 ミアが俺の顔を見る。 ……。 でも?何だというのだろう?「う、嬉しいんですけども……その……」 「わたし、自分の気持ちが分からないんです」 そう言って、またミアは俯いた。 ……。 「た、達哉さんが言って下さる『好き』というものと、わたしの気持ちが、同じかどうか……」 「あ、あの、あの……一緒にイタリアンズの散歩をしたり……その」 「き、キスをするのは……とっても、とっても楽しくて、嬉しいのですが……」 ミアが自分の状態を一生懸命伝えようとしてくれている。 顔を真っ赤にして、必死に気持ちを言葉にする姿──見ているだけで、抱きしめたくなってしまう。 ……。 「ミアは、誰かを好きになったことあるの?」 「いっ、いえいえいえいえっ!」 ばたばたと手を振って否定するミア。 「……あ、ありません」 ……。 恋愛経験がないから、自分の気持ちが恋なのかどうか分からない。 そういうことらしい。 あんまりミアらしくて、胸が温かくなる。 「そっか……」 「お笑いに……なりますか……?」 ミアが上目遣いに俺の表情を窺う。 とても初々しい悩み。 でも、今のミアにとってはとても大きな問題だ。 それを多少年上だからって、笑うことなんてできない。 「いや、笑わないさ」 「ミアが悩んでること、きっとみんな悩んだことだよ」 「ほ、本当ですか……」 「ああ」 だから、ミアが自分の気持ちに納得できるよう──一つひとつ、ほぐしていってあげなくてはならない。 ……。 「ミアは、俺と過ごすのを楽しいと思ってくれる?」 「は、はいっ、もちろんです」 真剣な表情で答える。 「俺と……キスするのはどう?」 「う……嬉しいです」 「俺も、ミアとキスすると、とっても嬉しい」 「た、達哉さん……」 ミアがうっとりとした顔をする。 その表情は、恋する女の子そのものだ。 俺は、そっとミアの頬に手を伸ばす。 「っ……」 ミアが、きゅっと身をすくめる。 指先に柔らかな温もりを感じた。 「こうするのは……どう?」 「は、はい」 「む、胸がドキドキします」 「俺もだよ」 「きっと、今のミアの気持ちが、好きってことだと思うな」 「……」 切なげな目で、ミアが俺を見た。 俺も、できるだけ優しい視線で彼女を見る。 「で、では……わたし……」 ミアが、自分の胸の中を確かめるように目を閉じる。 ……。 …………。 再び目を開いた時、彼女の表情は夏の空のように明るくなっていた。 「好きですっ」 「わたし、達哉さんのことが好き……好きですっ」 宣言するように、ミアは覚えたての言葉を口にした。 彼女の中に、みずみずしい感情が溢れているのが分かる。 「ありがとう、ミア」 「はいっ」 薄っすらと目尻に涙を浮かべるミア。 自分の中にあったモヤモヤを言葉にできたことが、嬉しかったのだろう。 ……。 「でもさ……」 「はい?」 「好きって言うだけで、ミアの気持ちは満足してる?」 「え……」 困惑した表情。 「何回、好きって言えば、ミアの気持ちは表現できる?」 「……わ、分かりません」 ……。 「思うんだけど……きっと、口で言うだけじゃダメなんだ」 「だから……」 腰をかがめ、ゆっくりと唇を近づけていく。 ……。 ミアがぎゅっと目を瞑った。 「キスをするんだ」 ……。 …………。 「ん……っ……」 ミアの柔らかな唇が、俺の唇に触れた。 小刻みに震えるミアの肩を、しっかりと掴み、引き寄せる。 「……んっ……ん……」 柔らかくて張りがある唇がかすかに動く。 「……ん……んんっ……っっ……ぷはぁっ」 ミアが大きく息を吸った。 「息は止めなくていいんだよ」 「た、達哉さん……急にされたら……」 「わたし……心臓が破裂してしまいます」 小さな胸を押さえながらミアが言う。 ……。 「じゃあ、今度はちゃんと……」 「ちょ、ちょっと待って下さい」 近付こうとする俺の胸をミアが押す。 ……。 「……嫌?」 「そ、そうではないのですが……あの……」 「先ほど、達哉さんが仰ったことは……」 「好きって気持ちは、言葉だけじゃ伝わらないってこと?」 「は、はい」 「ああ、俺はそう思う」 「せっかく誰かを好きになったのなら、その人に伝えたいだろ?」 「ミアならどんな風に伝える?」 「わ、わたしなら……」 ……。 「……分かりません」 ミアが俯いてしまう。 「言葉でダメなら、行動だと思うよ」 「だから俺はキスしたんだ」 「気持ちをもっと伝えたいから、キスしたんだ」 「……達哉さん……」 ……。 …………。 「わたしも、達哉さんにもっと気持ちを知ってもらいたいです」 ミアが一歩俺に近付く。 「……達哉さん、わたしの気持ちを知って下さい」 「俺の気持ちも、知って欲しい」 じっと見つめ合い──「好きだよ、ミア」 「はい、わたしも達哉さんが好きです」 静かに唇を重ね合わせた。 ……。 「んっ……ちゅ……」 ミアが唇を押し付けてくる。 鼻から漏れる呼吸が、顔に当たってこそばゆい。 言われた通り、今度は呼吸をしてるようだ。 「……っ……んんっ!」 ミアの下唇を優しくついばむ。 驚いたように、ミアが体を震わせる。 こんなことをするなんて、思いもよらなかったのだろう。 「大丈夫だよ、怖くないだろう?」 「はい……達哉さん……」 唇を離すと、ミアは続きをせがむように背伸びをした。 身長差が大きい俺たち。 このままではミアが疲れてしまう。 「ミア、こっちへ……」 ミアを抱き上げ、ベッドに腰を下ろす。 「えっ……えっ……」 目を瞑っていたところを持ち上げられ、混乱しているミア。 ……。 「あ……あ……」 「こんな……こんなに達哉さんの側に……」 ミアの顔が更に赤くなる。 だが、表情に現れているのは恥じらいだけではない。 そこからは、これから起こることへの不安や期待までもが感じ取れた。 「この方が、ゆっくりキスできるだろ?」 「は、はい……」 ミアが瞳を潤ませた。 そんな彼女の手を、しっかりと握り締める。 「さあ、続きを……」 顔を近づけると、ミアは瞼を閉じた。 ……。 「ん……」 唇が触れた。 すぐに下唇を愛撫する。 「んんっ、っ……う……」 握り合う手が、じっとりと汗ばんできた。 体に感じるミアの熱も、だんだん高くなってきてる。 「っ……んむっ……んっ……」 ミアは懸命に俺の愛撫を受け──そして、自分からも俺の唇を甘く噛んできた。 ぬるりとした口内の感触が、下唇を覆っていく。 あまりにも甘美な刺激。 「はふ……んっ……達哉、さん……ちゅ……」 ミアには説教臭いことを言っておきながら、俺だってこんな刺激は初めてだ。 唇を弄ばれる刺激に、興奮が高まる。 「ふうっ……んっ……ちゅっ、ちゅっ……」 ミアが、ぎゅっと体を押し付けてくる。 彼女の中でも、何かが高まってきているのだ。 ……。 絡めあった指に一層力を込め、唇の隙間から舌を伸ばした。 「んんっ!?」 ミアの体が、ぴくりと跳ねる。 それでも俺たちが離れることはない。 「……ん……ちゅ……んふ……くちゅ……」 「んむ……ちゅぱ、ちゅっ……くちゅっ」 歯茎をなぞり、頬の内側をまさぐり、舌を絡ませ合う。 最初は戸惑いが見えたミアだが、だんだん積極的に舌を動かすようになってきた。 ……。 「くちゅっ……ちゅっ、ちゅっ……んんっ……くちっ……」 ミアの唾液が口の中に入ってくる。 残らず飲み込むと、急に頭がじんじんと痺れ始めた。 ミアの中に深く舌を差し込む。 「んうっ……くちゅ……こくっ、こくっ……んっ、ぷはぁ……」 俺たちの間に、唾液の糸が引いた。 「はぁ、はぁ……達哉、さん……」 「何だか体が熱くて……どうしたらいいのか……」 切ない表情のミア。 湧き上がる情動のやり場に困っている雰囲気だ。 「ミア、すごく可愛い顔をしてる」 「い、嫌です……そんなことを仰られては……」 視線を伏せるミア。 「仕方無いさ……本当のことだから」 「う、うぅ……」 恥ずかしそうに呻く。 「どう、キスは?」 「……すごく不思議です……触れているのは唇なのに、体の芯がどんどん熱くなって……」 「何だか魔法にかけられているようです」 「良かった、気持ち悪いって言われなくて」 「そんな……言うわけ無いです」 「……達哉さんとの……キスですから……」 「やっぱり……可愛い……」 たまらずミアに唇を近づける。 ……。 「ん……あ……」 ミアの頬に唇を当て──ゆっくりと首筋に下がっていく。 「あうっ……あっ……」 「達哉さんっ、何を……」 「キスだよ」 顔を上げずに言う。 「そんな……き、キスは顔にするものでは……ひゃっっ」 鎖骨を、ちろりと舌でくすぐった。 「したいところ、全部だよ」 そう言って、エプロンの肩紐を外す。 「た、達哉さん?」 「ミアの肌を、もっと見たいんだ」 続いてリボン。 そして胸のボタンへと手をかけていく。 「ぁ……ぁ……」 ミアは自分の置かれた状況を理解しかねているのか、呆然と俺の動きを見ていた。 ……。 薄ピンクの下着が露になった。 わずかなふくらみを、貼りつくようにカップが覆っている。 「た、達哉さんっ……だめ、ダメですっ」 ようやく状況を飲み込んだミアが、強く身をよじる。 俺は、ミアの手をしっかりと握り、動けないようにしてしまう。 「……は、恥ずかしい……です……」 汚れ一つ無い胸元に血が上る。 「達哉さん……見ては嫌です……」 「すごく綺麗だよ」 「綺麗だなんて、そんな……」 ミアが視線を逸らす。 「俺、もっとミアのいろんなところにキスしたい」 胸元に唇を這わせる。 「ひゃうっ……あ、あ……くすぐった、い、です……」 じっとりと汗ばんだ滑らかな肌。 乳房に近付くほどに柔らかさを増した。 「あっ……ぅ……だめ……です」 ミアが体を動かす度に、はだけられた服の奥から清楚な花の香りが立ち上る。 言いようも無く、甘く感じられた。 「触るよ、ミア」 「あ……」 返事を待たず、控えめな乳房に手のひらを当てる。 「あうっ……ぁぁ……」 「達哉さんが……わ、わたしの……胸、を……」 「嫌?」 「わ、分かりません……」 「もう……恥ずかしくて、何も……」 「大丈夫、とっても綺麗だから」 乳房をゆっくりと動かす。 「んっ……ふあ……」 「達哉、さん……だめ、です……あ、あ……」 ミアが体を震わせる。 触られるのを嫌悪しているのではないようだ。 「痛くない?」 「は、はい……痛くは、ありません……うぅ……ぁ……」 乳房が小さいせいだろう。 手の動きに合わせて、下着が徐々にズレてきてしまう。 「あうっ……いたっ」 ミアが体を痙攣させる。 思わず手を離す。 「ご、ごめん」 「す、すいません……あの……こ、擦れて……」 ……。 恐らく、乳首が擦れたのだろう。 「じゃ、じゃあ、下着外すよ」 「……」 不安そうにミアが俺を見る。 「見せて……ミアの胸」 優しく囁きかけた。 ……。 …………。 ミアの首が、かすかに縦に振られた。 乳首を擦らないよう、下着を浮かせながら上へずらしていく。 ……。 なだらかな丘の頂点に、桜色の突起があった。 ぷっくりと立ち上がり、強い刺激を加えると、取れてしまいそうだった。 「……」 ミアが恥ずかしさをこらえるように唇を噛む。 「可愛いよ、ミア」 できる限り優しく乳房に触れる。 「っっ……」 大きさは控えめだが、男の体には無い柔らかさを持っている。 円を描くようにゆっくりと胸を温めていく。 「ぁ……ぅ……ふぅ……」 ミアが息を吐く。 「痛くないか?」 「は、はい……ぁ……だいじょうぶ……です」 「ぅ……ぁ……ぁ……」 ミアの声はのぼせたような声だった。 気持ちがいいということなのだろうか?……。 乳首は先ほどよりも、固く凝っているようだ。 試しに、軽く指で触れてみる。 「あうぅ……」 気の抜けたような声。 「だ、大丈夫?」 「は、はい……なんだか、体中の力が抜けて……」 「ふわふわして……変な気分です」 マイナス方向の感覚ではないようで、一安心だ。 「もう少し、強くしてみるね」 「……はい」 乳輪と乳首に指の腹を当てながら、ゆったりと胸を動かしていく。 「はぁ……あ、あ……あうっ……う……」 「ふうっ……う、あ……ぁぁ、達哉さん……んっ、んっ」 ミアの体が、ピクピクと痙攣する。 「あうっ……あぁ、あ……達哉さん……達哉さん……」 心細そうな声を出して、ミアがゆらゆらと体を動かす。 俺の腰周りを、ヒラヒラがたくさん付いたスカートが擦る。 捲り上げてしまいたい衝動に駆られる。 ……。 「ミア、スカート上げるよ」 「ぁ……え……?」 刺激に夢中になっていたのか、ミアの反応は鈍い。 俺は、返事を待たずにスカートへ手をかけた。 ……。 「……い、いや……」 もじもじと体を揺するミア。 体を擦りつけられ、ペニスが少しずつ反応していく。 「ミアは綺麗な下着を着けてるんだな」 「あ、あう……そうでしょうか……」 「触っていいね」 「……はい」 か細い声を聞いて、俺は前からミアの秘所に手を這わせる。 俺の脚にまたがる格好のミア。 ちょうど、俺の股間の上辺りにミアのそれはあった。 ……。 指先が、つるりとした質感の下着に触れる。 「ひゃぅ……あ、あ……」 驚いたことに、ミアの局部は既に湿気を帯びていた。 「濡れてる……」 思わず、感想が口を突いて出る。 「やぁぁぁぁぁ……」 ミアは脚を閉じようとするが、この姿勢ではどうにもならない。 逆に、俺の指に性器を擦り付ける結果となった。 「あうっ、あっ!」 びくり、と跳ねる。 「あんまり暴れないで」 「でも……なんだか怖いんです」 「いつの間にか……その、濡れていて……」 「こんな風になったことは無いのですけど……」 ミアは自分の体の変化におびえていた。 こっち方面の知識は、ほとんど持ち合わせていないらしい。 ……。 「誰だってこうなるんだから、平気だって」 「そうなのでしょうか……?」 それでも不安そうな視線で俺を見る。 実際、俺も他の例を知らないからなんとも言えない。 とはいえ、ここでミアの不安を解いてあげなくては先が無い。 「大丈夫」 ミアの秘所を指でなぞる。 「あっ、あうっ……ぅ……」 ミアが腰を揺らす。 その度に膣口に指があたり、湿り気が増すのを感じた。 「汚れちゃうから、下着取るよ」 「で、でも……だめです……達哉さんに見せるなんて……わたし……」 「ここからじゃよく見えないから」 「本当、ですか……?」 「ああ」 ミアが無言で俯く。 ……。 一旦、膝立ちになってもらい、片方ずつ下着から脚を抜いていく。 ……。 …………。 「……」 緊張のためか、ミアは口を開かない。 一度、ミアに口付ける。 「ん……」 舌は入れず、優しく慈しむように下唇をついばむ。 「ぅ……んっ……ぁ……んん……」 キスをしたまま、右手は秘所に、左手は胸に持っていった。 「ぷはぁっ……」 「あっ、あぅっ」 電流が走ったように、ミアが動く。 ふっくらとした肉の間に、一本のクレバスが走っている。 指で軽く触れただけで、そこが熱い蜜に濡れていることが分かった。 「あうっ……あ、あ……」 両手をゆっくりと動かし始める。 「やあっ……あ、あ……」 「た、達哉さん……達哉さぁん……」 「すごくかわいい声だよ」 蜜を引き伸ばすように、割れ目を指で前後させる。 左手は、手のひらで乳房を包み、やんわりと動かす。 「んっ、んっ、ぁ、ぁぁ……あ、ん……うあっ」 もう、俺の声も聞こえないのか、ミアは甘やかに喘ぐ。 「ああ……達哉さん、何だか、何だか……変な気持ちです」 体の底から湧き上がるものから逃れようと、ミアが頭を振る。 その拍子に、秘裂に這わせていた指が、少し深く入った。 ぬるりとした肉に指が包まれる。 ……。 「やあぁっ……あっ、あっ、あっ」 ミアの声が高くなる。 手を、ぷるぷると振動させた。 「ぁ……ぁ……ぅ……ぁ……」 「っっ……た、つや、さん……あっ……」 真っ白な喉を反らせるミア。 自分の中に起こっている変化を、精一杯受け止めようとしている感じだ。 俺は、徐々に力を込めながら、動きを早める。 「あんっ……あうっ、あ、あ、あ……「だめ、だめです……達哉さんっ、本当にっ……」 ミアが俺の体を、ぎゅっと抱きしめる。 間に挟まれた俺の手が、ミアの上下を圧迫した。 「あぁぁっっ……あぁ……おかしくっ、なっちゃい、ますっ」 ミアが一際高い声を出す。 俺は慌てて刺激を緩める。 ……。 「はぁ……はぁ……はぁ……」 肩で大きく息をするミア。 「大丈夫か、ミア……?」 「なんだか、頭がフワフワして……」 「変な気分で……」 「痛くは、なかったんだな?」 「は、はい……痛くはないです……」 「良かった……」 ミアの秘所からゆっくりと手を抜く。 指先は蜜で濡れていた。 「……でも、少し怖いです」 「自分の体が、自分の物ではないような感じがして……」 細い声を出すミア。 そんな彼女の頭を優しく撫でる。 ……。 「……達哉さん……」 ミアの表情が和らぐ。 「怖い思いさせてごめんな」 「い、いえ……怖いのは半分で……後は……」 「後は……その、嫌ではありませんでしたから……」 「……ありがとう」 「どうして、達哉さんがお礼を」 「あ、ああ……嫌じゃないって言ってくれて、嬉しかったんだ」 ……。 「くす」 ミアが苦笑する。 「達哉さんと一緒なら、どんなことでも嫌がりませんよ」 ……。 胸が熱くなった。 こんなに小さな体に、想像もできないほど大きな愛情が詰まっている。 「ミア……」 ……。 ミアを、優しくベッドに横たえる。 ……。 「た、達哉さんっ……その、見えて、見えてしまいますっ」 慌てて脚を閉じようとするミア。 だがそれは、俺の体を挟むだけで終わった。 目の前に、ミアの女性器が晒されている。 「あ、あ……だめ……だめです……」 「大丈夫、暗くてよく見えないから」 「で、でも……」 眉根に不安げなしわを寄せるミア。 「俺も見せたら、おあいこだろ」 「そ、それは……そうですけど」 ……。 俺は無言でベルトを外す。 恥ずかしさもあるが気にしている場合ではない。 一気にペニスを取り出した。 「……」 ミアが息を飲む。 いつの間にか、肉棒は痛いほどに勃起していた。 ミアの視線が痛いほどペニスに突き刺さる。 「おあいこ、だろ?」 平静を装って言う。 「……は……い……」 ミアはほとんど硬直していた。 「あの……お、大きいのですね……」 「ど、どうだろう……」 俺たちの視線に挟まれて、ペニスがびくりと脈打った。 「これからすること……分かる?」 「は、話には……聞いたことがあり、ます……」 「なら良かった」 俺は、体を前に進め、ミアに覆いかぶさった。 ……。 ミアの脚の間で、女性器がひくひくと動いている。 そして、今にも接しそうな距離に俺のペニスが来ていた。 ……。 …………。 「ミア、痛いかもしれないけど、できるだけ優しくするから」 「達哉さん……」 「………………はい」 ……。 亀頭をそこに当てた。 ぬるりとした熱い感触。 じわりと快感が腰に溜まる。 「やっぱり……大きいですね」 「あ……うん」 俺のモノが大きいというわけではない。 ミアが小さいのだ。 果たして、上手くできるのだろうか。 ……。 「少し、慣らしてみようか」 「は、はい、お願いします」 緊張したミアの声。 俺は、ペニスを手で持ちミアの秘裂をなぞる。 ちゅ…………くちゅ…………「っ……」 「ぁ……ぅ……っ……」 溢れる蜜でペニスが濡れる。 先ほどまでの愛撫で、ミアもずいぶん濡れているようだ。 「なんだか……温かい、です……」 とろんとした表情でミアが言う。 ミアを擦りながら、自分がどこに挿れるべきかを確認する。 「あ……うんっ……んっ……」 何度かペニスを往復させるうち、ミアの声も甘くなってきた。 ……。 「そろそろ、いいかな?」 「……はい」 「お願いします」 ……。 俺はしっかりと頷いて、ペニスを膣口にあてがった。 ……。 …………。 「いくよ」 言葉より一瞬遅らせて、腰をゆっくりと突き出す。 ……。 「っっ!」 初めの一突きで入ったのは、数センチ──いや、ミリ単位だったのかもしれない。 「ぁ……ぅ……」 ミアが喉の奥から声を漏らす。 それでも、前進は止めない。 くちっ……少しずつ、亀頭がミアの中に侵入していく。 「っっ!」 声にならない声を上げる。 ミアの体には、いつのまにか玉のような汗が浮かんでいた。 「息を吐いて」 「は……あ……っっ」 「はぁ……う……はぁ……」 わずかに、抵抗が弱くなる。 更に力を込める。 「ああっ、あうっ!」 耳をふさぎたい気分だった。 でも、止めるわけにはいかない。 みちっ……ぎちっ……更にペニスが埋没し、壁にぶつかった。 「くぅ……」 「いくよっ」 一気に腰を進めた。 「あぁぁあっっ!」 悲鳴に近い声が聞こえた。 ……。 …………。 「あ、あう……ぅ……」 俺のペニスはミアの中に収まっていた。 「ミア……よく頑張った」 手を伸ばし、ミアの頬を撫でる。 ……。 「はぁ、はぁ……た、達哉……さん……」 切れ切れな声でミアが応える。 「大丈夫か?」 「は、はい……なんとか……はぁ」 「痛かっただろ」 優しく頬を撫でながら言う。 「痛かった、ですけど……良かったです」 「……?」 「痛かったことは、ずっと……ずっと忘れませんから……」 「わたし、今のことを……ずっと忘れずにいられ、ます……」 目に涙を浮かべて、ミアが微笑んだ。 「ミア……」 彼女の健気さに、目頭が熱くなった。 「達哉さん……」 頬に当てた手をミアが握る。 ……。 「さあ、達哉さん……動いて下さい」 「……ありがとう、ミア」 ……。 もう一度体に力を入れる。 ペニスはミアの膣内で潰されそうなほど圧迫されている。 動かすだけでも容易なことではない。 「達哉さんの、お好きなように……」 「……ああ」 ……。 体重を前にかけ、腰をゆっくりと引き抜く。 にちっ……ずっ……ぐちゅ……「あっ……ぁ……ぁ……」 ゆっくりとペニスが姿を現す。 ミアの愛液と破瓜の血で光っていた。 「抜けたよ」 「また入れるからね」 「は……はい……うあっ!」 腰に力を入れる。 じゅぷっ……にちゃ……くちっ「っっ、あっ……あ、あうっ!」 ミアの眉が歪む。 挿れる方が痛みは大きいらしい。 小さな体を苦痛に痙攣させながらも、ミアは俺を受け入れてくれる。 「んっ、あっ、あっ……んんっっ」 「はぁ、はぁ……あうっ、ひゃっ……」 肉棒を奥まで突き出し──少し休んでまた引き抜く。 少し動く度に、ミアからは苦しげな声が漏れた。 「た、達哉さん……どうですか?」 「ああ、すごく、気持ちいいよ」 「……う、嬉しい、です」 ミアの膣内は狭かった。 刺激が強すぎて肉棒の感覚は半分無くなっている。 もしかしたら、もう果ててしまっているのかもしれない。 「わたしも、少しずつですけど……な、慣れてきたかも、しれません」 俺に気を遣わせまいとして言っているのだろう。 快感の為に腰を振るのがためらわれる。 だが、本能から来る衝動は、そんな俺の気持ちすらも凌駕していた。 「じゃあ、ちょっとスピードを上げるよ」 「はい……ど、どうぞ」 ミアの言葉を聞くなり、腰を振った。 「あうっ……ひゃんっ、ひゃ、あうっ、あっ!」 ずちゅっ、ぐちゅっ、みちっ、ぬちゅっ……結合部から早いペースで音が漏れる。 それが、ベッドの軋みと合わさり、俺の欲望を刺激する。 「やっ、あっ、はうっ……達哉っ、さんっ」 「ううっ、ひゃんっ……あ、あ、あ……きゃっ!」 隘路を亀頭が押し進み、後退する。 ミアの辛そうな声とは裏腹──膣内は快感をむさぼるように蠢く。 「きゃっ、あうっ、やっ、ひゃんっ」 入る時には、精一杯の抵抗を──そして、出る時には名残惜しげに俺に吸い付く。 全ての動きが、俺を絶頂へと誘っていく。 「達哉さんっ……あ、あ、あ……やあっ、あうっ」 ぐちゅっ、ぬちゅっ、みちゃっ……結合部から飛沫が飛び散った。 シーツに薄桃色のシミがついていく。 「ミアっ、とっても……いいよっ」 「はいっ……あっ、う、嬉しい……ですっ」 「あんっ、やあっ……ひゃ、あ、あ……あううっ!」 少しずつ、ミアの声が高くなっていく。 突き入れ、抜き出す度に、新しい快楽をもたらしてくれるミア。 もう、腰を止められなくなっていた。 「はうっ、あっ、んっ、んっ、んっ」 「熱く、体が……体が熱くっ……し、痺れてっ」 膣内には、どんどん潤滑油が溢れてくる。 一体、彼女のどこから、こんなに液体が出るのだろう。 「ああっ、あ、あ……」 「達哉さんっ、達哉さんっ、すごく、熱いですっ」 くちゅっ、ぐちゅっ、にちゃっ、ぬちゅっ……聞こえる音も変わり始めた。 肉がこすれ合う音よりも、水っぽいニュアンスが強くなる。 「あうっ、んっ、んっ、んっ、んっ!」 どろどろに溶けた沼にペニスを突き立てる。 初めて味わう快感に、射精感が高まっていく。 「ミア、もうすぐだからっ」 「はいっ……あうっ、んんっ……あ、う……ひゃっ」 「きゃうっ……わたしもっ、熱くてっ、か、体が、溶けてっ!」 ミアから甘い声が上がる。 全身の力を腰に込めて突き出す。 「ああぁっ、ぁ、ぅ……ああああっ、達哉さんっ!」 「溶けそうですっ……あうっ、あっ、あっ、やあぁっ!」 「お、俺もっ、もうっ」 「あ、あ、あっ……いいですっ、ああっ、もうっ、あっ!」 「達哉さんっ、達哉さんっ、もうっ、何か、体がっ、体がっ!」 「ひゃうっ……あ、あ、あ、あっ……ん、ん、ん、んあああぁぁぁぁっっ!!」 ミアが一気に駆け上っていく。 次の瞬間、ペニスが強烈に締め付けられた。 「っっ!」 どくどくどくっ!!どぴゅっ、どくんっ、びゅびゅっ!びゅっ……びゅくっ……びくっ……どくっ!ペニスが震えた。 見たこともないほど大量の精液が、ミアの上に吐き出されていく。 ……。 「はぁ、はぁ……あ、う……はぁ、はぁ」 ミアは降り注ぐ精液にも気づかず、駆け巡る絶頂に体を痙攣させている。 「はぁ……はぁ……」 「はぁ……」 「……く」 ペニスが射精を終えると、全身を疲労感が包んだ。 ぐったりとベッドに体重を預ける。 「はぁ……た、達哉さん……」 精液で汚れた顔を、俺に向ける。 「ミア……体は平気か?」 「は、はい……なんとか」 「そっか……良かった」 手を伸ばし、服の袖でミアの顔を拭う。 「あの……達哉さんは……どうでしたか?」 「すごく、気持ち良かった」 「今まで、こんなの無かったよ」 ……。 「う、嬉しいです」 笑顔を浮かべるミア。 目尻には涙が浮かんでいる。 俺は、もう片方の袖でミアの目元を拭った。 「達哉さん……」 ミアが嬉しそうに目を細める。 「わたしの『好き』という気持ち……伝わりましたか?」 ……。 行為の内容を少しだけ反芻する。 ミアの気持ちは、痛いほど伝わってきていた。 「幸せになるくらい伝わってきたよ」 「ああぁ……」 感極まった声を上げるミア。 ……。 「なんて、なんて素晴らしいことなんでしょう」 「達哉さん……好きです、好きです……っ、ぐすっ……好きです」 「うっ……良かった……ぐしっ……」 そして、しゃくりあげ始めた。 「ミア……」 彼女の頭を胸に掻き抱く。 「俺も、ミアのこと大好きだ」 「これ以上ないくらい」 「はいっ……ひっく……」 ……。 腕の中で、何度もミアが震える。 ようやく俺たちは思いを伝え合うことができた。 やきもきしたこともあったけど──もう、どうでもいいことだ。 今の俺は、ミアの熱を感じているだけで幸せだった。 ……。 まだ完全に日が昇っていない早朝。 俺とミアは、チコのさえずりで目を覚ました。 「あ、お、おはよう」 「お……おはようございます……」 ミアは、昨晩のことを思い出したのか、真っ赤になって縮こまる。 「あの、わ、わたし……」 「ミア、かわいかったよ」 言ってる自分が信じられないような、恥ずかしい台詞。 そして、ミアの頭を撫でてあげる。 「あぅぅ……」 俺に撫でられるがままになっているミア。 本当は、いつまでもここでこうしていたいけど──もうそろそろ、誰かが起きてくる時間だ。 「とりあえず……一度部屋に戻るよ」 「あ……そうですね」 ミアは丸窓からチコを外に放し、俺はミアの部屋から二階の廊下に出る。 ……音を立てないように、静かに、静かに。 姉さんの部屋も、麻衣の部屋も、まだ寝静まっている。 一階からも、人の気配はしない。 ……俺は爪先立ちで自分の部屋を目指した。 ばたん。 「ふう……」 朝食まではまだ時間がある。 もう一眠りできそうだ。 ……。 …………。 いつもと同じ時間に、いつも通りみんなと朝食をとる。 でも、どこか心が浮ついている感じがしていた。 それを、絶対に誰にも悟られないように、努めてしかめっ面を作る。 ……ミアは、そんな俺の姿を見て笑いをこらえる方が大変だったらしい。 ……。 …………。 お昼が過ぎると、みんなが出かけて、またミアと二人きりになった。 ミアと二人きりという響きに、これまで以上に、心がふわふわする。 「ミア、あのさ……」 「くちゅっ」 「あ、はい、なんでしょう?」 「今の、くしゃみ?」 「そうで…………くちゅっ」 「失礼しました。 そうです」 「風邪……とかじゃないといいけどな」 「……」 何かを、考えてる様子のミア。 「熱とか、咳とか、風邪の心当たりはある?」 「えと……」 「あるんだね。 言ってくれないと分からないよ」 「達哉さんが……寝てる時に、私の布団を持って行ってしまって」 「それでちょっとだけ、明け方に涼しかったので、もしかしたらって」 ……。 俺のせいか。 これは、言い訳も何もできないな。 「ごめん」 「だ、大丈夫ですよっ」 「これくらい、何とも……へくちっ」 「……そうだ!」 「今日は、俺が一日掃除も洗濯も料理も買い物もするからさ」 「ミアはずっと寝てて、風邪を抑え込もう」 「で、でも」 「風邪は、引き始めが肝心なんだ」 ……。 俺は、少し強引にミアを寝かしつけた。 「よしっ」 パジャマに着替えたミアが、ベッドに納まっている。 「何か、食べたいものとか飲みたいものがあったら言ってくれよ」 「すぐに持ってくるから」 「でも、今、朝食を頂いたばかりですから……」 「ん、そりゃ……そうか」 「昼食は、何か元気になれそうで、消化のいいものを持ってくるから」 「はい」 「ありがとうございます……」 「寝ちゃってもいいし」 「とにかく、大人しくしていること」 「今から体温計で熱も計るけど、もし熱があったら、濡れタオルも必要だな」 「オッケー?」 「くすくす、わかりました」 ……ミアが微笑む。 「?」 ミアの笑顔の理由が分からない。 すると、ミアがゆっくりと説明してくれた。 「そんなに昔ではありませんが……」 「まだ私が小さい頃、母さまにこうして看病してもらったのを思い出しました」 「そっか」 「ミアのお母さんって……」 「母さまも、私と同じく、王室付きのメイドをしていました」 「前にもお話ししましたっけ」 そう言えば、聞いたような気がする。 「フィーナの乳母もしてたんだよな、確か」 「ええ」 「母さまは、先代の女王セフィリアさまの看病をしていたこともあるんですよ」 セフィリア女王というと……月学概論の教科書にも載ってるほどの人だ。 「そうか、すごいな」 「母さまとセフィリアさまは、とても仲が良くて、女王と臣下というよりは良き友人のようでした」 「わたしも、母さまのようになれればと思っているのですが……」 「なかなか難しいですね」 「お母さんの看病には敵わないかもしれないけど、俺もできるだけのことをするから……」 「早く治そうな」 ミアのお腹のあたりを、ぽんぽんと軽く叩く。 「はい……」 なぜか嬉しそうなミア。 ……幸い、熱は無かった。 午前中に洗濯と掃除を済ませ、家にあるもので、元気が出そうな昼食を作ることにする。 冷蔵庫を見ると……ネギ、卵、豚のロース。 そして調味料。 風邪に良さそうなものというと──しょうがを使ってみるか。 麻衣の料理本を見ながら作ったのは、しょうがとネギのスープ。 鶏ガラスープをベースに、白髪ネギとしょうがをたっぷり入れて完成。 豪華版しょうが湯のようなものだから、きっと風邪には効くだろう。 そして豚肉と卵のおかゆ。 豚肉を細かく刻み、千切りにしたネギと一緒に軽く炒めて卵でとじる。 そしてまだ柔らかいうちに、しょうがと醤油、塩、胡椒で味をつけ、アツアツのおかゆにかけ回す。 料理は久し振りだけど、我ながら上手くできた。 食欲をそそる香りが、湯気と一緒に立ち上る。 それらと取り皿をお盆に載せて、屋根裏部屋への急な階段を登る。 「ミア、調子はどう?」 「あ、食事まで作って頂くなんて……」 「いいのいいの」 「ご飯、食べられる?」 「あまりお腹は減っていませんが、きっと食べた方がいいと思います」 「じゃ、ちょっと体起こして……」 ミアの背中に手を入れ、ベッドの上で上半身を起こさせる。 「あ、いえ、そんなに具合が悪いわけではないので、机で……」 「……」 「……へぷちっ」 「まだくしゃみは止まってないな」 「じゃ、机に置いとくから」 「何から何まで、すみません……」 「今、お茶も持ってくるから」 ……。 …………。 「た、達哉さん……」 「じっと見られてると、食べにくいですよぅ……」 「そっか」 「じゃあ、俺も自分の分を持ってきて、ここで一緒に食べようかな」 ……。 二人で、しょうがとネギのスープと、おかゆを食べる。 「達哉さん、お料理上手ですよ」 「ま、ミアが来る前は、麻衣と分担してやってたしな」 「そうだったんですか」 「今は、ミアのおかげで、ずいぶん楽させてもらってるよ」 「腕が鈍ってないか心配だったけど」 「いえ、とても美味しいです」 ……。 …………。 「ごちそうさまでした」 「これだけちゃんと食べられれば、きっとすぐ治るよ」 「そうだといいですね」 「それじゃ、お皿を下げてくる」 「達哉さん」 「ん?」 ミアが、何か言いたげな視線で俺を見つめている。 「どうした?」 「あの、私ももう起きて、お皿を洗ったりしたいです」 「一人で横になってると、色々と考えてしまって……」 「いろいろ?」 「はい」 「えと……これからの、こととか」 「なるほど」 「『これから』かぁ……」 ……確かに、今後の俺とミアの関係がどうなるのかは、全く予想ができない。 もしかしたら、真剣に考えたことが無かったのかもしれない。 今月の終わり頃には、フィーナの留学が終わる。 普通に考えたら、フィーナ付きのメイドであるミアも一緒に帰ってしまうだろう。 しかし。 俺とミアは深い関係になってしまった。 「とりあえず……」 「フィーナに、直接、正直に言うしかないんじゃないかな」 「正直に……ですか」 「でも……」 「隠したところで事態が好転するわけじゃない」 「それに、他の誰に言うよりも、まず伝えなくちゃいけない相手は、フィーナだろ?」 「……」 「達哉さんの仰ることは、その通りだと思います」 「わたしも、できれば、わたし達の関係について、姫さまに祝っていただきたいですし……」 ……。 「でも……」 「でも?」 「わたし達の関係は、許してもらえるでしょうか」 ……。 …………。 許す、許さないという話になると、前提となるべきことを俺はほとんど知らない。 ミアの仕事の重要性、フィーナが持ってる権限、他にも、知らないことだらけだ。 ……。 「正直、俺にも分からない」 「でも全てはフィーナに話をしてからなんじゃないかな」 「姫さまに……ですか……」 「……そうですよね」 ミアの様子を見ていると、前途が多難そうな雰囲気は伝わってくる。 一般論として、月人と地球人のラブロマンスなんてものを聞いたこともない。 ……。 …………。 重い空気が漂っている。 この雰囲気は良くない。 「ミア、でもさ、きっと何とかなるよ」 「俺が何とかする」 「達哉さん」 「だってさ、このままじゃ駄目だし、何かはしてみないと」 「……はい」 「考えてみるからさ。 いいやり方を」 「とりあえず、ミアは早く体を治して元気になること」 「まずは、それからだ」 「わかりました」 「とりあえず、夕方くらいまでは大人しく寝てないとな」 「そして、大丈夫そうだったら、起きて来て」 「はい、達哉さん」 「ほら、ベッドに行こう」 ……俺はミアを再びベッドに寝かしつけ、頭を撫でてあげた。 ……。 夕方にはミアも起きてくることができるようになった。 俺はそれを見届けてから、左門のバイトへ。 ……。 夜になり、晩御飯を食べる時──すっかり快復したミアが、フィーナや麻衣たちと一緒に左門に現れた。 ミアが、いつも通りにぱくぱくと食べているのを見て、俺は胸を撫で下ろした。 「おはようございまーす」 いつもの朝食風景。 ミアと麻衣が二人で食事を用意してくれている。 俺は姉さん用にお茶を淹れた。 ……。 「ミアちゃん、今日は私とフィーナ様の分、晩御飯は要らなくなると思うの」 「あ、お二人でお仕事ですか」 「ええ。 今日は博物館で歓迎レセプションよ」 「せっかく館長がいらっしゃってるんですものね」 「そりゃそうだよな。 館長じゃ……」 館長。 ……館長?「館長って、フィーナが?」 「ええ」 「えええええっ!?」 「姉さんが館長代理やってる博物館の話だよね?」 「あら、達哉くんには話してなかったかしら?」 「初耳、初耳!」 「なっ?」 麻衣を見る。 「うん」 麻衣も、俺と一緒に驚いている。 「ごめんなさい、この話はしたつもりになっていたみたい」 「まあ、名誉職みたいなものだから、気にしないで」 「実質はさやかが全て取り仕切っているのだもの」 「私は、博物館が一応『王立』だから、名前を貸しているだけと言ってもいいわ」 「そうだったのか……」 「じゃ、俺の目の前で朝御飯を食べてる二人は、実は博物館の館長とその代理なわけだ」 「ふふふ……そうなるわね」 「これまで何ヶ月もそうだったのに、気づかなかったなー」 麻衣は、大げさに残念そうな顔をした。 ……。 「……それでは、今晩は遅くなるのですか?」 「いえ、今日は本当に博物館の職員の皆さんだけの会らしいので、そんなには」 「人数も多くないから、こぢんまりとした会よ」 「フィーナ様も、いつもこれくらいの仕事なら良かったのですけどね」 「今日は、リラックスして楽しませて頂くわ」 二人は、そう言って博物館へ出掛けて行った。 ……。 …………。 そしてまた、昼過ぎになって麻衣が部活へ出かけると、ミアと二人きりになる。 「ミア」 「あ、はい」 「二人きりだね」 「も、もう、何を言ってるんですか~」 ちょっと意識させるようなことを言うと、すぐに真っ赤になってしまうミア。 俺はそんなミアがかわいくて仕方無い。 「ミア、俺も手伝うからさ」 「家事は、さっさと終わらせよう」 「では……そろそろ乾いてると思うので、洗濯物を取り込んで、畳むところまでお願いできますか?」 「お安い御用だ」 ……。 それからも、俺はミアの仕事の半分を受け持った。 二人で分担したことで、かなりの速度で家事が片づいていく。 俺たちは、夕食の食料の買い出しまでを、空が赤くなる前に終わらせた。 「ふう、今日の荷物は重かったなぁ」 「すみません。 お米とお味噌が両方とも切れてしまって……」 俺は、ソファにごろんと横になった。 「いや、いいんだ」 「俺がいる時が重いものを買うチャンスなんだしさ」 「どんどん頼ってよ」 「くすくす……ありがとうございます」 「では、あの……」 「?」 ミアも、俺が寝転がってるのと同じソファに座る。 「お礼と言ってはなんですが……」 俺の頭のすぐ隣に座っているミア。 両手で俺の頭を持ち上げ──するりと滑り込んだミアの太腿の上に置いた。 ……。 温かい。 これは、俗に言う『膝枕』だ。 ……そんな簡単なことを理解するのに、少し時間が掛かる。 「達哉さんの耳を掃除させて下さい」 「あ、ああ……」 俺は、頬から耳、首筋にかけたあたりから感じるミアの体温に動揺して、あまり考えずに返事をした。 スカート越しに、ミアの脚の形を感じる。 俺は、何だかほっとする香りに包まれていた。 「では……」 「そうだ達哉さん、痛かったら仰って下さいね」 「お、おう」 ミアが操る耳掻きが、俺の外耳に入って来た。 少し緊張する。 「……ん……」 「痛かったですか?」 「あ、いや」 「自分以外の人に耳を掃除してもらうなんて、ものすごく久し振りだからさ」 「なんか、変な気分だ」 「くすくす……私の耳掻きは、姫さまにもお褒め頂いた腕前ですから」 「ご安心ください」 そっか。 いつもは、ミアがフィーナの……。 「……男の方の耳は、初めてですけど」 「それは光栄だ」 「お手柔らかに頼むよ」 「はい、達哉さん」 ……。 …………。 それからしばらく、俺もミアも口を聞かずに、黙々と耳掃除をした。 ……俺は、ただ横になってるだけだったけど。 下手に、例えば太腿に触れたりしてミアを驚かせると、鼓膜の安全が保証できない。 ……。 …………。 「はい、こちら側は終わりです」 「たっぷり取れましたよ」 「そ、そっか」 なんだか……妙に気恥ずかしい。 耳垢、溜まってたのかな。 ミアが耳掻きの反対側についたふわふわで、細かい塵を取る。 「ああ……そのふわふわ、気持ちいいなぁ」 「梵天って言うんですよ。 このふわふわ」 ……奥から徐々に外へ、最後に耳朶。 ミアが、ふっと耳に息を吹きかける。 少し、首筋がぞわぞわっとした。 ……。 「それでは、反対側を……」 「反対側って?」 俺は、そのまま顔を180度回転させる。 顔がミアの脚の付け根から下腹部のあたりに埋まった。 「……少し……息が苦しいな……」 「当たり前ですよう」 「そりゃそうだよな」 「この格好はおかしいと思った」 「もう、達哉さんってば……くすくす」 笑いながら、ミアと俺はソファの位置を入れ換えた。 ……。 夕方頃帰って来た麻衣。 ミアと、三人での夕食を済ませてのんびりしていると──案外早く、フィーナと姉さんが帰って来た。 「ただいまー」 「ただいま戻りました」 「お二人は、もうお食事は……」 「ええ、博物館で頂いてきたのよ」 「とても美味しかったわ」 「普通、ああいったレセプションでの料理は、忙しくて食べられないのだけれど……」 「今日は、ちゃんと食事の時間も用意されていたの」 「ええ」 にこっと微笑む姉さん。 「さやかのもてなしは流石ね」 「呼ばれる方の気持ちまで、しっかり考えるのは難しいのよ」 「フィーナ様、褒めすぎです」 「いいえ、そんなことはありません」 ……。 フィーナは姉さんを絶賛。 どうやら、今日のフィーナ歓迎会は、姉さんが仕切っていたようだ。 ……。 フィーナ、姉さんの順に風呂に入り、皆がリラックスする時間帯。 「ミア、行こう」 「……は、はいっ……」 俺とミアは、時間を見計らって。 フィーナに二人の関係を話すことにした。 ……。 麻衣が帰って来るまで、ミアと二人で色々と可能性を考えたり対応策や作戦を考えたりしたものの──結局、フィーナに話した結果がどうなるか分からないと、何もできない。 何度か、扉の前で躊躇する。 ノックしかけて、手を下ろす。 「行きましょうっ」 「お、おうっ」 すぅーっと息を吸って止め、フィーナの部屋の扉をノックする。 こんこん……。 …………。 返事が無い。 こんこんっ……。 …………。 明かりは点いている。 電気を消さずに、寝てしまっているのだろうか。 「……ごくっ」 「もう一回だけ」 頷くミア。 こんこんっ……。 …………。 がちゃ「ごめんなさい」 「ちょっと音楽を聞いていて……」 「少し話があるんだけど、今、いいかな?」 「ええ」 「麻衣もいるけど、いいかしら?」 「あれ、お兄ちゃん」 どうやら、二人でクラシックの音楽を聞いていたようだ。 きっと麻衣が吹奏楽部から借りてきてるのだろう。 「どうしたの?」 それにしても、麻衣がいるとは思わなかったな。 俺は、どうしよう? という意図を込めてミアを見る。 ミアはわずかに肩をすくめ、仕方無いです、という表情で俺を見上げた。 ……。 最初にフィーナに話すとは決めたものの、すぐに、近しい人は皆知ることになるだろう。 その時に知るなら、今知っちゃってもあまり変わらない。 「で、お話しとは?」 「あのさ」 「えっと、その……」 「達哉にしては、歯切れが悪いのね」 「……」 ここで言わないと。 いつまでも言えないような気がする。 覚悟を決めろっ。 「ええと、俺……」 「ミアと……つき合うことにしたんだ」 「な、ミア」 「はい」 俯いて、もじもじしているミア。 ……。 「……」 「あら」 「やっと言ってくれる気になったのね、ミア」 「ええっ、姫さま、気づいてらっしゃったんですか?」 「少しだけ、ね」 「でも……良かったわね、ミア」 フィーナがミアの肩をぽんと叩く。 「あ、はい、ありがとうございます」 ぺこりとお辞儀をするミア。 「麻衣は気づいていた?」 「んー」 「……なんとなく、もしかしたらーってくらいかな」 「でも、ミアが達哉と……」 うんうん、と頷いているフィーナ。 ……。 二人とも、まだ事態を飲み込み中のようだ。 「とりあえず、私からは二人におめでとうと言わせて」 「達哉さん、私のミアに不誠実なことはしないでね」 冗談めかして言うフィーナ。 ……ただ、とても冗談として受け取る余裕が俺には無い。 「ああ」 妙に力の入った返事をしてしまう。 「お兄ちゃん」 「……頑張ってね」 「おう」 ……麻衣は、これからの俺とミアに思いを馳せ始めているようだ。 楽な道じゃないだろうけど、頑張れと。 励ましてもらったような気がした。 ……すっかり、ミアの家事を手伝うのが日常になっている俺。 だけど、今日は麻衣も姉さんもいて、俺の出番はあまり無かった。 となると。 久し振りに、イタリアンズを物見の丘公園まで連れて行こうか。 ……。 普段は、川原のあたりをぐるっと回って帰って来てしまうことが多い。 もちろんそれでも喜ぶが、やはり、リードから放してやった時が一番嬉しそうなのだ。 「よーしよしよし、少し待ってろよ」 俺が散歩の準備を始めたのを見て、大喜びのイタリアンズ。 ……そして、準備が終わり、今にも出ようとした時。 「達哉さんっ」 「わたしも行きます」 慌てて外履きを履いたミアが、玄関から転がり出てきた。 息が少し切れているけど、嬉しさが滲み出てきている表情だ。 ……。 「麻衣が?」 「ええ」 「晩御飯までの準備は受け持つから、達哉さんと一緒に散歩に行ってくれって」 「麻衣……気を遣ってくれたのかな」 気の回る妹だ。 「やっぱり、そういうことなんでしょうか……」 「あとで、こっそりお礼言っとくよ」 「今日もフィーナは出掛けてたよな」 「ほんと、毎日忙しそうだ」 「今日は、地球の偉い方にお茶に誘われているそうですよ」 「こういう付き合いも仕事のうちだ、と仰ってました」 「さすがお姫様だ」 フィーナの責任感には、本当に感心する。 「ミアは行かなくていいの?」 「ええ」 「少人数の、内輪な集まりだとか」 ……俺は、人気が無いのを確認して、イタリアンズからリードを外す。 「わふわふっわふっわふっ」 「ぅわんっ」 「おんおんっ!おん!おんっ!おんおんっ!おんっ!おんおんっ!」 三匹は、坂を駆け上ったり駆け下りたりじゃれ合ったり。 普段溜めていた体力を一気に発散するかのように、遊び回る。 ……俺とミアは、階段を少し登り、丘の中腹にある木陰に腰掛けた。 俺が座った隣に、くっつくようにミアが腰を下ろす。 こてり、とミアが頭を俺の肩に預ける。 ……。 気温は高いけど、湿度が低いのか爽やかな暑さだ。 草いきれが風に漂って鼻腔をくすぐる。 ……。 「ミア」 「はい」 「ミアが月にいた時の話を聞きたいな」 「フィーナと初めて会った時とかさ」 「……」 昔に思いを馳せているようなミア。 「ほんの小さな頃だったので、あまりはっきりは覚えていないんですけど……」 「確か、母さまについて王宮内に行った時だったと思います」 「うん」 「母さまが、セフィリアさまと姫さまに紹介してくれたんです」 「これから、この子がフィーナ様のお世話を致します、って」 「何年前くらい?」 「そうですね……」 「たしか、6年か7年前くらいだと思います」 「わたしは、王宮の中が怖くて、ずっと母さまのスカートにしがみついてました」 「そうしたら、姫さまが近づいてきて、わたしの手を取ってこう言ったんです」 「『これからずっと一緒にいてくれるのか?』って」 「それで、それからずっと一緒にいたわけだ」 「ええ」 「その頃、姫さまにはあまり年が近いご友人がいらっしゃらなくて」 「貴族の娘とかは?」 「子供ですから粗相をすることもあるでしょうが、それを親が恐れて……」 「なので、それまでは、ずっと母さまが遊び相手をしていたそうです」 「もちろん、長い勉強時間の合間だけですけどね」 ……。 あのフィーナが……。 王族の一人娘ともなると、俺には想像もできないような大変さがあるんだろうな。 「でも、それからはミアがずっと一緒にいたんだろ?」 「ええ」 「公式な場はともかく、プライベートではずっと一緒にいたと思います」 「本当に、いつもご一緒していました……」 ……。 きっと、ミアにとっては、フィーナの側にいるのが自然なんだろう。 フィーナにとっても、ミアが側にいて当たり前。 この二人は、これまでずっと、そうして過ごしてきたんだ。 そこに……俺が入り込む余地はあるのだろうか。 ……。 「姫さまの母上、セフィリアさまが、またお忙しい方だったこともあって」 「母さまは、ずっと姫さまにとっても母親がわりでした」 「セフィリア女王と話をしたことはある?」 「はい」 「あまり多くはありませんが、何度か」 「毅然としてて、改革をたくさんやった……どっちかって言うと厳しい人って印象なんだけど」 「月のお金に使われてるって肖像画も、きりっとした感じの顔だったしさ」 月学概論の知識を総動員する。 「そんなことないですよ」 「わたしがお会いしてお話しした限りでは、とても優しい方でした」 「へえ、そうなんだ」 「あまり長い時間、姫さまと一緒に居られないことをとても気に病んでらっしゃいましたし」 「だから、姫さまの母親役を母さまにお任せになったのでしょう」 「結構、印象と違うね」 「……俺が、セフィリア女王の笑った顔を見たことが無いからかな」 「わたしが、一番はっきり覚えているのは……」 「セフィリアさまが、私の頭を撫でながら『フィーナと仲良くしてあげてね』って仰った声です」 「とても優しい御方だったと思います」 「そっか……」 ……。 教科書や授業でセフィリア女王に対して持っていた印象とは、全然違う。 生の本人に会ったミアが語る、血の通ったエピソード。 俺が持ってる知識や印象は、やはり表面的なもののようだ。 「じゃあミアは、セフィリア女王から直々に、フィーナの世話を頼まれたんだ」 「ふふ……そうなりますね」 「私を撫でてくれた手も温かかったです」 ……。 「わふわふっわふっわふっ」 「わんっ」 「ぅおんっおんおんっ!おんっ!おんおんっ!」 遠くから、イタリアンズが戯れている鳴き声が聞こえてくる。 木陰にいたはずが、いつの間にか影が動いて、日向になっていた。 「もう少し、こちらに座り直しませんか?」 「そだな」 俺はミアに従って、1mほど移動して座る。 風は相変わらず熱く乾燥している。 俺はミアの肩を抱き、ミアも俺に体を預けた。 そのままの体勢で。 互いに何も語らず、互いの体温と、鼓動だけを感じて。 じっと、ゆらゆらとした風に吹かれていた。 ……。 …………。 「そろそろ帰ろうか」 「あいつらも、たっぷり遊んだろ」 「そう……しましょうか」 「アラビアータ」 ……この状態で名前を呼んで戻ってくるのは、アラビアータだけだ。 「おん」 「帰るぞ」 大人しく、リードをつけられるアラビアータ。 「あの、ペペロンチーノとカルボナーラが……」 「まあ見てて」 俺が、アラビアータと帰ろうとする。 すると……置いて行かれると思ったのか、ペペロンチーノとカルボナーラが慌てて駆けてきた。 「ほらね」 「なるほど……」 二匹にもリードをつけ、三匹揃ったいつものスタイルに納まった。 ……。 「ミアのお母さんってさ、今も月の王宮にいるの?」 「いえ……」 「母さまは、セフィリアさまがお亡くなりになった時に、王宮からお暇を頂きました」 「喪に服す意味もあったと思いますが……」 「母さまの場合は、王宮に務めていたというよりセフィリアさまに仕えていましたから」 「ミアも、そうなるのかな……?」 「……」 ミアは、少し陰の差した表情で、わずかに俯く。 ……。 しまった。 ミアの場合、ミアのお母さんと同じ道を選ぶということは──フィーナの留学終了と同時に、また一緒に月に帰ることを意味している。 つまり、俺とは……。 「ごめん、今の質問ナシ」 「母さまが王宮を辞す時に、わたしに話してくれたことがあるんです」 「セフィリアさまからの伝言でした」 何か、決意を込めた表情で、ミアが言う。 きっと……誰にも話したことが無いんだろう。 「『フィーナ様には、フィーナ様が正しいと思う道を進んでほしい』」 「『フィーナ様自身の信念を大切にしてもらわないといけない』」 「『もしフィーナ様が間違った道を歩いて行きそうになったら、正してあげないとね』」 ……。 これは……メイドというよりは、なんて言うか……王を補佐する宰相とか、そういう仕事のような気がする。 そんな重要な仕事。 ……。 「母さまは、姫さまのことを、今でもとても心配しているようです」 「王族に、損得抜きで味方をしてくれる人はとても少ないと言っていました」 「ましてや、諫言を口にする人はいない、と」 そんな重責を。 ミアやミアのお母さんは負っていたのか。 ……。 …………。 俺は、ミアのことを見誤っていた。 ミアの役割は、フィーナの身の回りの世話をすることだけだと思っていた。 でも。 全然違った。 そんなもんじゃない。 ミアの役割は、俺が思ってたのなんかより、はるかに重かった。 ……。 孤独な姫。 孤独な女王。 その精神的な支えになること。 その歩む道が間違っていた時には、正すこと。 公的な立場ではないとは言え、とても重要な職なんじゃないか。 ……。 ミアは。 ミアは、どうするつもりなんだろう。 俺とミアが、今みたいな関係になって。 俺が月に行けるわけでもなく。 ……。 結局、最終的に選ぶのはミアなんだけど──俺はその選択の重さに、軽く目眩を感じた。 今日は、大使館で月と地球の交流に関する会議があるらしい。 フィーナが参加するのはもちろんだけど……姉さんもオブザーバーとして参加するらしく、朝食がいつもより早かった。 麻衣とミアは、これまでに無いくらい濃くて渋いお茶を淹れて、姉さんに飲ませる。 ……。 「行ってきますねー」 「行って参ります」 二人がダイニングから出て行く。 「麻衣は、何か予定あるのか?」 「今日も部活だよ」 「……そっか」 ということは、バイトの時間まではミアと二人きりだ。 「お兄ちゃん、すっごく嬉しそうな顔してる」 「ええっ、そんなことないって」 慌てて否定する俺。 「冗談でーす」 「そんなに焦っちゃって、もしかして図星?」 「……ま、まさか……なあ、ミア」 「は、はい?」 ミアは、何やら楽しげな表情でぼんやりしていた。 「ああっ、ミアちゃんまで……」 麻衣が大げさに落胆する。 「……何だかお兄ちゃんを取られちゃった気がして寂しいな」 「ま、麻衣さん、そんなことは……」 「こっちも冗談」 てへっと舌を出す麻衣。 「はぁぁ、安心しました」 「おいおい、あんまりからかうなって」 「あははは」 「じゃ、わたしは出かけるからっ」 「あ、おいっ……」 麻衣は逃げ出すように、ダイニングから出て行った。 ……。 この日。 家に残された俺とミアは、分担して家事をすることにした。 ミアは掃除や片づけなど、屋内の仕事を。 俺は草むしりやイタリアンズの世話など、屋外の仕事だ。 ……。 照りつける太陽の下、庭の草をむしっていく。 次々と汗が溢れ、シャツをべっとりと濡らした。 ……。 昼食を取ってからも庭に出る。 ようやく草むしりが一段落したのは、午後3時頃だった。 ……。 「達哉さん、お茶をいかがですか?」 リビングからミアが顔を出す。 「ああ、一段落したところだよ」 「まあ、ちょうど良かった」 「準備はできていますので」 「今行くよ」 立ち上がって腰を伸ばす。 すがすがしい疲労感があった。 「たくさん汗をかきましたね」 「夏はこのくらいの方が気持ちいいよ」 「そうだ……待たせて悪いけど、先にシャワー浴びていいかな?」 「はい、遠慮なさらないで下さい」 「ありがと」 「では、リビングでお待ちしています」 ミアが俺を見て笑う。 俺も微笑み返した。 ……。 特別なことをしていたわけでもないのに、なぜか幸せな気分だ。 家の中をミアが掃除して、外は俺が掃除して──姿は見えなくても、お互い家を維持するという同じ目的のために働いていた。 それが、幸せを感じた理由なのかもしれない。 ……。 もしかしたら、夫婦っていうのは、こういう幸せを感じられる二人のことを言うのかもしれない──などと、自分勝手な想像をめぐらせただけで、胸が温かくなった。 ……。 …………。 「……ミア、上がったよ」 頭を拭きながら、リビングへ入る。 「あ、お疲れ様でした」 ミアは、ティーポットからお茶を注いでいるところだった。 テーブルの上には、おいしそうなクッキーが並べられたカゴが置かれている。 俺はミアの隣に腰を下ろした。 「美味しそうだね」 クッキーをひょいと摘まむ。 「あっ、まだだめですっ」 ガチャッ「っっ」 ミアが顔をしかめる。 「大丈夫か?」 「は、はい……ポットの熱いところに触ってしまいました」 きっと俺の動きに驚いて、手元が狂ってしまったのだろう。 ……。 「ごめん、俺がつまみ食いなんてしたから」 「あ、本当に平気ですから」 「恐らく、火傷にもなっていないです」 ミアは笑顔のまま、お茶を淹れる。 指先がかすかに震えていた。 ……。 「指、見せて」 ポットを置いたミアの手を取る。 「あ……」 細い指が、赤くなっていた。 「少し、火傷してる……ごめんな」 「い、いえ……あっ」 ミアの指を口に含む。 何の抵抗もなく、そうしていた。 「達哉、さん……」 少しうっとりとした声。 ミアの指先を、舌で優しくなぞる。 「あ……達哉さんの舌が、動いてます」 ミアが少し俺に寄り、ぴったりと体が密着する。 服の上からでも、ミアの柔らかな肢体を感じることができた。 「……石鹸の匂いがします」 子犬のような表情で、ミアが俺の胸に顔を寄せる。 ほんわかしたミアの匂いが立ち上ってきた。 「もごっ……」 喋れない。 指を咥えているのを忘れていた。 「くすっ、噛んではだめですよ」 優しい目でミアが俺を見る。 何だろう……。 すごく胸が高鳴る視線だ。 俺は、片方の手でミアの頭を撫でる。 「あ……はうぅ……」 うっとりと目を細め、ミアが俺の胸に顔をうずめた。 ミアの指を口から出す。 そして、ミアを抱きしめる。 ……。 …………。 「達哉さんの匂いが、いっぱい……」 「ミアの匂い、何だか落ち着く匂いだ」 「あまり嗅いでは嫌です」 「いいじゃないか、好きな匂いなんだから」 「そんな……恥ずかしいです……」 ミアの体を起こし、首筋に顔をうずめる。 「指はどう? まだ痛い?」 「いいえ……なんだか、もう治ってしまった気がします」 ミアがやんわりと俺を抱いてくれる。 ここまま先まで行ってしまいたい気分だ。 ……。 試しに、唇でミアの鎖骨をなぞってみる。 「あ……唇が……動いて……」 ミアの体が反応した。 更に様子を窺うべく、鎖骨から首筋、耳まで顔を移動させていく。 「っ……あっ……くすぐった、い」 身をよじらせるミア。 顎の下を通り、反対側の耳へ──そして再び鎖骨へ。 手では、肩や背中を優しく撫でていく。 「はぁ……あっ……達哉、さん……何を……」 「はぁ、はぁ……くすぐったくて……だめです……」 ミアの息が上がってきている。 反応の敏感さに、愛しさが胸を満たす。 「ミア……好きだよ」 「そ、それは……わたしもです、が……」 背中をさすっていた手を前に持ってくる。 なだらかな丘に手を載せる。 「あうっ……ぁ、ぁ……達哉さん……こ、ここで……?」 「誰もいないんだから、大丈夫」 「それはそうですけど……」 「で、でも……まだ明るい、です」 「ミア……」 首から顔を離し、唇をふさぐ。 「んむっ……ん、ん……ん……」 ミアの体から、すっと力が抜けた。 ゆっくりとミアの口内に舌を差し込む。 ……。 「ん……くちゅ……ちゅ……」 ミアも、おずおずと舌を伸ばしてきた。 粘膜が絡み合う刺激に、頭がぼんやりしてくる。 身長差を利用して、ミアに唾液を渡していく。 「ぅ……んくっ……っく、こくっ……」 ミアの喉が揺れる。 「くちっ……くちゅ、ぴちゅ……」 舌の動きが滑らかになる。 荒くなったミアの鼻息が、顔にかかってこそばゆい。 ……もう、大丈夫かな。 エプロンの腰紐に手を回した。 「っ……」 唇を離す。 「いいよね……?」 ミアが無言で頷く。 エプロンの紐を、しゅるりと解いた。 ……。 「あ、あの……目を瞑っていて、頂けますか?」 「わたし、自分で……」 「ああ、分かったよ」 ……。 しゅる……ぱさっ……しゅるしゅる……衣擦れの音が響く。 今は何を脱いでいるのだろうか?視覚が遮断されている分、想像が掻き立てられる。 俺の下半身は、早くも大きくなり始めていた。 ……。 …………。 「た、達哉さん……」 少しは離れたところから、ミアの声がした。 急く胸を抑えながら、ゆっくりと目を開く。 ……。 そこには、素肌の上にエプロンを掛けただけのミアが立っていた。 「ミ、ミア……?」 「……」 俯いたミアが、耳たぶまで真っ赤にする。 「あの……お嫌いですか……?」 「あ、いや、で、でも……どうして」 「仁さんが……以前、達哉さんは、こういった格好が、お好きだと……」 「……うわ」 呆れてものも言えない。 何を吹き込んでるんだあの人は。 「ご、誤解だって」 「えっ……」 「では……お好きでは、ないのですね」 ミアがしょんぼりする。 ……。 「嫌いじゃないと言えば嘘になるけど……」 気恥ずかしくなって俯く。 自分でも、どっちなんだと突っ込みたくなった。 「??」 「その……好きだよ」 「現に、興奮してる」 「……良かった」 ミアが安堵した表情を浮かべる。 表情と格好のギャップに、思わず苦笑してしまう。 ……。 俺はミアに近付いて、その体を抱きしめた。 「ひゃ……」 「あの……当たって……ます……」 「言っただろ、興奮してるって」 「ただでさえミアは可愛いのに、こんな格好されたら、余計に……」 ペニスがはちきれそうになっている。 ズボンに圧迫されて痛いくらいだ。 「ミア、ごめん……興奮しすぎて……」 「今日は、達哉さんの好きなようにしてもらおうって、決めていました」 「だ、だから……あの、興奮して下さって……とても、嬉しいです」 もじもじと俯きながら言う。 「ごめん……もう、我慢ができなくなる……」 「は、はい……あの、達哉さんの好きなように、して下さい」 ミアが目を瞑る。 「……ミ、ミアっ」 ミアを抱きしめ、ゆっくりと床に倒していく。 ……。 「あ……や、やぁぁ……」 「達哉さん、恥ずかしい、です……」 四つん這いになったミアの腰を引き上げる。 脚がぱっくりと開かれ、中心にある女性器は高々と晒された。 「ミアのここ、もう濡れてる」 「……見ないで……見ないで下さい」 ミアが羞恥に体を震わせる。 女性器を包む肉がこすれ、薄っすらと蜜が染み出した。 「あ……や、やぁ……恥ずかしくて、もう……」 まるで催促するかのように腰が揺れる。 刺激的な光景に、ペニスが破裂しそうだ。 早速ベルトを外す。 ……。 「あ、あの……後ろ、から?」 「前とは違った感じでしてみようよ」 そう言って、ミアの上に覆いかぶさる。 両手をエプロンの隙間から差し入れ、乳房に当てる。 「ひゃっ……ぁ……」 手のひらの真ん中に、固くなった乳首が当たる。 少しだけ突起に圧力を掛けながら、胸を優しくマッサージする。 「んっ、あっ……あ、あ……」 「達哉、さんの手が、とっても、とっても熱い、です……」 ミアの肌に汗が浮いてきた。 乳房が、ぴったりと手に吸い付く。 「ミアの肌は、本当に綺麗だね」 「あうぅ……そんなこと……」 嬉しいような、恥ずかしいような声を出すミア。 俺は、少しずつ力を込めてミアの胸を愛撫していく。 「あっ……うぅ、達哉さん……ん、んんっ……」 手の中で、乳首が一層固さを増す。 下半身へと目を移すと、秘裂が愛液でぬらぬらと光っていた。 ……もう大丈夫そうだ。 「ミア、そろそろいいかな?」 「あ、は、はい……お、お願いします」 胸から手を離し、腰をしっかりと支えた。 反り返りそうなほど固くなったペニスを、ゆっくりと膣口に添える。 「あの……前より、大きくなっている気が……」 「今日のミア、すごく可愛いから仕方無いよ」 「あうぅ……」 のぼせた声を出すミア。 「じゃ、いくよ」 ミアが頷いたのを見て、腰を前に突き出す。 ……。 ずちゅっ……ぐちっ……「ああぁっ、あ、あ……うあっ!」 まだ2回目のミア。 膣内の抵抗は相変わらずだ。 異物の侵入を全力で拒む狭道に、休まずペニスを突き入れていく。 「あんっ、ああっ……んんっ、あうっ!」 膣の背中側を擦るように、俺のペニスが埋没していく。 「ぅ……ぁ……んあっ、ひゃうっ……あ、ああぁっ!」 やがて終点にぶつかり、ペニスの大部分がミアに隠れた。 ……。 ぬめる膣内が、俺をぎゅっと握り締める。 重い痺れが腰を包んだ。 「ミア、入ったよ」 「はぁ、はぁ……はい……」 「お腹の中に、達哉さんが入っているのが……わ、分かります」 少し苦しそうな声のミア。 それでも、初めての時よりは何倍も楽そうだ。 「じゃあ、動くよ」 ミアの腰と太腿の内側に手を支え、ペニスを抜き出す。 「ああっ、ひゃうっ!」 ペニスにしがみついていたミアの肉襞がめくりあがり、鮮やかな色を見せる。 そこから、淫液に濡れた肉棒がずるずると這い出てきた。 「う、あ……なんだか、お腹が、達哉さんに……吸い取られるような、感じです」 「俺も、ミアに吸い取られそう」 ペニスを走る快感に耐えつつ、亀頭まで抜く。 どろり、と蜜が垂れた。 「あっ、あっ……うぅ……」 ミアの背中が反る。 間髪いれず、腰を突き入れる。 「ひゃあっ!」 「あうっ、ああぁっ、達哉さんっ、達哉さんっ!」 ぐちゅっ、ずちゅっ、ぬちゅっ……快感に任せて、腰を振る。 粘り気のある音と共に、肉と肉がぶつかる音がリビングに響く。 「やあっ、あっ、激しいっ……ああっ、あんっ!」 「達哉さんっ……あうっ、だめですっ、あああっ、ああっ!」 ミアの体を見下ろしながら腰を振る。 そこには、荒々しい快楽があった。 「きゃうっ、あっ、あっ、あっ……だめっ、あうっ!」 ミアが体を反らし、汗を飛び散らすほど、快楽が増幅されていく。 支配欲、といってもいいのかもしれない。 否定したい気持ちはあるのだが、体が言うことを聞かない。 「うあっ、あんっ、んんっ、ぁ、ぁ、ぁ、ひゃうっ!」 「ああぁっ、達哉さんっ、達哉さんっ、だめですっ、ひゃあっ!」 ミアの喘ぎが、たたきつけた欲望を刺激に変換していく。 カーペットに飛沫が飛ぶのも気にせず、がむしゃらに腰を振った。 ……。 ぐちっ、ぬちゃっ、ぴちゅっ、にちっ!激しい水音がし始めた。 「あんっ、んっ、んっ……達哉さんっ、好きですっ!」 「もっと……あう、もっと、達哉さんをっ、達哉さんをっ!」 ミアの声が快感に染まる。 「体が、熱く、熱くなって……と、溶けそうです」 膣内に、どんどん潤滑油が溢れてくる。 実際、体が溶けて愛液になっているのではと思えてしまう。 「ミアの中、すごく熱いよ」 「はいっ……わたしも、どんどん熱く」 「何もかも、分からなくなってしまいそうで……少し、怖いです、あうっ!」 絶え間なく送られるぬめりと締め付け。 ペニスは、いつ達してもおかしくないほど昂ぶっている。 「達哉さんっ、達哉さんっ……ああっ、ひゃあぁっ!」 「もう、もう……あっ、あっ、ああっ……おかしく、なりそうですっ!」 ミアの嬌声が高くなる。 ぎゅっと絨毯を掴み、溢れくる何かに耐えているようだ。 ……。 じゅくっ、ぐちゃっ、にちゃっ、みちゅっ!「やあぁっ、だめっ、だめっ、何か、もうっ!」 「ひゃあっ、あうっ、やんっ……達哉さんっ、達哉さんっ!」 ミアが狂おしく首を振る。 腰が左右に揺れ、今までとは違った刺激がペニスに加えられた。 「くっ……今の、すごい……」 下腹部に力を込め、刺激を突き破るように腰を振る。 「ひゃああっ、あんっ、あ、あ、あ、あ……いやっ、やっ!」 「達哉さんっ、もう、もうっ、溢れそうですっ!」 「俺も、もう……出そうだ」 奥歯をかみ締め、上から突き下ろすように抽送する。 先端が、膣内のお腹側を擦り上げた。 「やああああぁっ……だめですっ、そこはっ」 「なんかっ、だめですっ……ああっ、あっ、んっ、んんっ!」 「ひゃうっ、達哉さんっ、達哉さんっ、もうっ、もうっ、あああっ!!」 「出るよ、ミアっ」 「はいっ、わたしもっ……すぐっ、ああああ、あ、あ、あ、んんっ!!」 「溢れるっ、だめっ、だめっ、だめっ、だめっ……うあっ、ひゃああぁぁっっ!!」 ミアの膣内が強烈に締まる。 限界に達するより一瞬早く、ペニスを引き抜いた。 ……。 びゅくっ!!どくどくっ! びゅっ! びゅびゅっ!ペニスから噴き出した精液が放物線を描き、ミアの体を汚していく。 とろけるような快感が全身を貫いた。 「はぁはぁ……ああっ、あ、あ、あ……ああっ」 ミアは断続的に体を震わせている。 快楽の波が、何度も押し寄せているようだ。 「はぁはぁ、はぁ、はぁ……はぁ……」 ミアの体から、徐々に力が抜けてくる。 「ミア……」 「はぁ……はぁ……達哉、さん……」 「少し強かったか?」 「達哉さんに気持ち良くなっていただけたのなら、それで……」 「でも……やっぱり、こういう格好はお好きだったのですね」 「とても、逞しくなっていらっしゃいましたから」 ミアが苦笑する。 「……ああ、好きだと思う」 「でもそれは、ミアだからだよ」 「くすくす、お優しいのですね」 「ほ、本気だって」 「くすくすっ」 それでも、ミアはおかしそうに笑っている。 ……。 「意地悪だな、ミアは」 「そ、そんな……すみません」 「意地悪なミアには……こうしてやる」 ミアを抱え上げる。 「ひゃっ、ひゃああっ」 ……。 「た、達哉さん?」 ソファに座り、足の上にミアを乗せる。 「今までのは、俺ばっかり気持ち良くなっちゃったから……」 「今度は、ミアに気持ち良くなってもらいたいんだ」 口ではそう言いながら、何となく欺瞞である気がしていた。 ミアに気持ち良くなってもらえなくて嫌なのは、彼女ではなく自分なのだ。 ミアが満足してくれることが、俺の満足に繋がっている。 いいことのようにも、悪いことのようにも聞こえる言葉だ。 「いいかな?」 「わ、わたしは十分です」 「これ以上気持ち良くなってしまったら、おかしくなってしまいます……」 「嫌?」 「そ、それは……」 ミアの表情に期待と不安が表れる。 正直な反応に嬉しくなった。 「優しくするから……」 ミアに唇を近づける。 ……。 「ん……ん……」 キスを続けながら、両手をミアの胸に重ねる。 ゆっくりと円を描くように刺激していく。 「んんっ……んっ……んっ」 「うっ……んっ、あっ……んんっ」 切なげな息が唇の隙間から漏れる。 エプロンの上からでも分かるくらい、ミアの乳首は固くなっていた。 指先で乳首を優しくこねる。 「あっ、うっ……んんっ」 「んんっ、うぅ……あうっ……んむっ」 快感に耐えるように、体をゆらゆらと動かすミア。 じっとりと濡れた性器に擦られ、ペニスが成長していく。 ……。 …………。 屹立が俺たちの体に、ちょうど挟まれる格好となった。 「んむっ……ぷはぁ……」 ミアが少し驚いた表情を見せる。 「ほ、本当に……大きくなっていくのですね」 そう言えば、小さい状態ではあまり見せていなかった。 「ま、まあ……初めは小さいんだけど……その気持ちがいいと……」 「不思議です……」 ミアが少し体を引いて、ペニスを見つめる。 流石に恥ずかしい。 「お、俺の準備はできたよ」 「あ……はい」 「そ、そういうことですよね」 顔を赤らめるミア。 手を下に持っていき、ミアの様子を確かめる。 くちゅ……ぬちゅ……「あうっ、あっ……」 秘裂が潤った音を立てた。 どうやら、ミアも準備ができているようだ。 ミアをゆっくりと持ち上げる。 ……。 くちゅ……ペニスの先端と秘裂が触れ合う。 一度達したとは言え、ミアのそこはまだぴったりと閉じている。 乱暴に挿れれば、痛みを伴うだろう。 「ミア、ゆっくりと息を吐いて」 「は、はい……」 「……は~ぁ~」 ずっ……「んんっ!」 亀頭がもぐりこんだ。 「はぁ……はぁ……」 大きく肩を上下させながら、ミアが力を抜いていく。 じゅっ……じゅぷっ…………。 「あ、ああ……」 ミアが、ぶるっと震え、ペニスが膣内に収まった。 ……。 「……入ったね」 「は、はい……」 結合の充実感が、全身を走った。 「ミア……」 俺は本能的にミアに舌を伸ばす。 「達哉、さん……」 「んちゅ……くちゅ……」 舌が絡み合った。 熱いぬめりが、俺の舌とペニスを包んでいる。 それは、頭がとろけてしまうような感覚。 「ちゅっ……くちゃ……ぴちゅ……」 ミアが一生懸命に舌を動かす。 「んっ……ちゅ……」 「はぁ……くちゅっ……ぴちゃっ、はぁ……」 ミアの呼吸が荒くなってくる。 俺たちは、どちらからともなく腰を動かし始める。 「くちゅ……あっ、んっ……んふっ」 「んんっ、ああっ……うっ……うあっ」 ミアの舌が離れる。 すぐに捕まえる。 「ちゅ……ぴちゅっ……はあっ」 「くちっ、ねちゃ……うあっ、あっ……」 ミアが自分から腰を動かしている。 求められているという実感に、体中が熱くなった。 ゆらゆらとした前後運動に、上下方向の動きを混ぜていく。 「あうっ、あっ、やっ……達哉っ、さんっ」 じゅぷっ、ぴちゃっ、ぬちゅっ……結合部から音が漏れ始めた。 「うっ、あっ、んんっ……」 ミアが俺の首に腕を巻きつける。 「ふうっ、あっ、くちゅ……ぴちゅっ」 「ちゅっ……くちゅっ、ぺちゃ、ぺちゃ……」 ミアの舌が俺の口の周りをねぶる。 それはもうキスとは言えない。 ただ、お互いの口を舌でまさぐりあっているだけだ。 「やっ、あっ、あ、あ、あ、あっ」 「くちゅっ……あうっ……ぴちゅっ、にちゃ……」 口の周りが唾液に濡れていく。 ねっとりとしたミアの舌遣いに、どんどん理性を奪われていく。 ミアを跳ね上げるように腰を振る。 ……。 じゅちゅっ、ぐちっ、ねちゃっ!聞こえてくる水音が激しくなった。 「あうっ……あっ、あっ、ひゃんっ」 「達哉さんっ、あうっ、んっ、んっ、あうっ!」 振動が激しくなり、もう舌を絡めていることはできない。 ミアが俺にしがみつく。 「やっ、達哉さんっ、すごくっ、すごく熱いですっ」 「奥が痺れてっ……ああんっ、あっ、あっ、やっ、だめっ」 高い声が上がる。 ミアもずいぶん感じてくれているようだ。 膣内の締め付けも、一段と激しくなっている。 「ミアっ、すごく気持ちいいぞっ」 「はいっ……嬉しい、ですっ、達哉さんっ」 「どんどんっ、気持ち良く、なって……なって、あうっ!」 ミアの腰と足を支え、叩きつけるように突き上げる。 結合部から漏れた愛液が、股間をぬるぬるにしていく。 「ああっ、うあっ……達哉さんっ」 「何かっ、何かっ、溢れてきます……ああっ!」 声が甘くなる。 快楽に抗おうとせず、ミアは腰の動きを早めていく。 「あああっ、達哉さんっ、達哉さんっ!」 俺の腰に足を絡める。 膣内の締め付けが強くなった。 奥歯をかみ締め、一気にペースを上げる。 「わたしっ、わたしっ……ひゃうっ、ああっ!」 「もうっ、もうっ、どこかへ、飛んで行きそうですっ!」 「やあっ、あぁぁっ、あ、あ、あ、あ……だめっ、だめっ!」 「いいよっ、ミアっ、イッちゃって」 「あんっ……あああぁっ、達哉さんっ、もうっ、もうっ、もうっ!」 「ひゃんっ、あっ、んんっ、きゃうっ……あ、あ、あ、ああああぁぁっっ!!」 ミアの声が駆け上がり──上体が仰け反った。 恐ろしいほどの力で、ペニスが絞り上げられる。 「くっ……」 先程の射精で鈍感になった肉棒も、射精寸前まで持っていかれた。 俺は、見えてきたゴールへ向かって腰を突き動かす。 「ひゃああっ! ああっ! んあっ!」 「おかしくっ! きゃあああっ!」 激しい声を上げて、ミアが何度も体を震わせる。 その度に、ペニスが強烈に圧迫された。 「ぁ……ぁ……ぁ……」 ミアはもう、ほとんど反応しない。 ぐったりと俺にもたれかかっている。 「もう、いくよっ」 「あう……あっ……ぁ……」 抜け殻になったミアに向かい、腰を思い切り突き込んだ。 亀頭が終点にぶつかる。 「っっ!!」 びゅくびゅくびゅくっっ!!どくっ、どくどくっ! びゅくんっ!!びゅっびゅっ、びゅびゅっ! どくんっ! どぴゅっ!大量の精液をペニスから吐き出した。 絶望的なほどの快感が、全身を貫通する。 「ああっ、あ、あ、あ」 「うっ……あっ……あっ……」 ミアの体が揺れる。 射精の衝撃を体で受け止めているようだ。 ……。 「あぁ……ぁ……ぁ……ぁ……ぁぁ……」 放心状態のミア。 膣内だけは相変わらず俺を締め付ける。 もう別の生き物だ。 「ぁ……ぁ……」 「はぁはぁぁ……はぁ、はぁ……」 口を利くこともできない。 ただ獣のように呼吸し、快楽の余韻に浸る。 ……。 とぽとぽと、膣内から精液が溢れ出した。 その白い姿を見る力もなく、俺たちはソファに折り重なった。 ……。 「ミア、本当に大丈夫?」 「え、ええ……えへへ」 明日の朝食の材料を買うため、ミアと商店街に出た。 最初は俺一人で行くつもりだったんだけど、ミアも一緒に行くと言い張ったのだ。 「でも、その……ほら」 ミアが、まだ心配している俺に、そっと耳打ちする。 「今日は、とても気持ちよかったです」 「ばっ、こっ、こんなところでっ」 ミアの小さい囁き声の何倍も大きい声を上げてしまう。 動揺した俺を見て、ミアは口に手を当てた。 「しー」 逆にミアに諭される始末。 俺は、少し仕返しするつもりで、ミアの手を握った。 そしてすぐに、指を一本一本、交互に絡める。 「た、達哉さん……」 「あの、商店街の皆さんが……」 「見られちゃ困る?」 「あうぅ……」 ミアが赤くなって縮こまる。 「ほらほら、手も振ってみたりして」 大きく手を振って歩く。 もちろん、二人の手は繋いだまま。 「あ、あ、あ……」 首まで真っ赤になりながらも、ミアは俺のなすがまま、手を繋いで歩く。 小さい子供のお守りをしているような気分になる俺。 でも、今、手を繋いでいる相手とは、さっきまで、うちのリビングで…………。 思い出すだけで、俺まで恥ずかしくなるようなことをしていた仲なのだ。 「えいっ、とりゃっ」 俺は、自分の想像をかき消すように、更に手を大きく振った。 「も、もう、達哉さんっ」 「やめて下さい~」 ミアは、ついにしゃがみ込んでしまう。 無理に手を引っ張ることもできないので、俺もミアの隣にしゃがむ。 小さく丸くなっているミア。 「恥ずかしい?」 「知らない人ばかりの場所で、手を繋ぐのはいいんですが……」 「その……商店街の皆さんに見られるのが……」 「分かった分かった」 「……じゃ、普通に歩こう。 な」 「は、はい……」 俺が先に立ち上がり、ミアに手を貸す。 ミアも立ち上がる。 ……しかし、俺はわざと手を離さない。 「もう、達哉さんっ」 恥ずかしいのと、怒っているのとで、真っ赤なミア。 俺が握っている方とは逆の手で、ぽかぽかと叩いてきた。 「ははは、ごめんごめん」 「もう~」 ぽかぽか「仲良きことは美しきかな」 「ねっ……姉さん!?」 「わわわわわっ、あっ、あのあの……」 ミアは目をぐるぐる回して、両手をばたばたさせている。 にこっと微笑む姉さん。 「お買い物?」 「えっ、ええ、そう、そうなんです」 嫌になるくらい動揺してしまい、舌が回らない。 「そうだっ、さやかさんっ、ひひひっ姫さまは?」 「フィーナ様は、カレンとスケジュールの調整をしているわ」 「あ、でも左門での夕食には間に合うように帰るって」 「そ、そうですか……」 相変わらずにこにこしている姉さん。 ……もしかしたら、俺たちがじゃれ合ってるところは、見てないんじゃないか?一縷の望みに賭けてみる。 「姉さんは、今帰って来たところ?」 「ええ。 そこのコンビニで『ぽてりこ』の新作を買おうと思って……」 「ついでに雑誌を読んでたら、仲良さそうな二人が歩いてたから」 愉快そうに言う姉さん。 本当に楽しそうだ。 「あのっ……み、見てましたか?」 「ええ。 手を繋いで、その手を大きく振って……」 「いつの間にか、こんなに仲良しさんになってたのね」 これは……言い訳のしようも無い。 俺とミアは、悪戯が見つかった子供のように、俯いていた。 「あの様子からすると、もうずいぶん仲良くなってるみたいね」 「そのこと自体にどうこう言うつもりは無いから、安心して」 何というか……もしかしたら、もう全てお見通しなんだろうか。 「はーい」 「私も見てましたー」 「なっ、菜月……」 「菜月さんまで」 「私は、斜め向かいの花屋さんで観葉植物の肥料買ってたんだけど……」 「レジでお金払って外に出ようと思ったら、出るに出られなくてさー」 こちらは多少ジト目。 「なんて言うの? 邪魔しちゃ悪いって言うか」 「まあまあ、菜月ちゃん」 「それくらいにしといてあげないと」 「そうねぇ」 俺もミアも、発言権の無い裁判で被告になってる気分だった。 ……。 …………。 その後も二人にやいのやいの言われたが、二人ともおおむね祝福してくれていた。 「フィーナ様は、二人のこと知ってるの?」 「うん、一応最初に……報告に行った」 「あとは、麻衣さんもその場にいたので知ってます」 「これだけ周りの人に知られたら、もう公認だね」 菜月の言葉に、少しほっとする俺。 正直、もっと揉めるかなとも考えていたのだ。 「……でもさ、達哉」 「フィーナが帰るのって、確か……もうあと一週間くらいじゃなかったっけ?」 ……一番痛いトコ。 「ま、そう……なんだけどさ」 「どーするのよ?」 「短い間だけの関係にするつもりなの?」 ……。 「……」 「……」 菜月らしい単刀直入な言葉が、俺とミアの胸に刺さる。 その話題に何となく踏み込めないでいる俺の不甲斐なさを、責められているような気がした。 「まあ……」 「考えなくちゃいけないことよね」 「ああ」 絞り出すような相槌しか打てない。 「お付きのメイドって、そんなに簡単に辞められるものじゃないんでしょ」 「遊び……じゃないんだよね」 「っ!」 「そんなはず無いだろっ」 思わず語気が荒くなる。 「まあまあ」 「ご……ごめん」 菜月の言うことが、いちいち正論だから辛い。 ミアは……今にも泣き出しそうだ。 「あ……」 「ミア、ほんとごめん。 責めるつもりじゃ……」 「ええ、わか……てます」 「考えるさ」 「しっかり考える」 「……これから、どうするか」 「そうね」 「ちゃんと、後悔しないように、ね」 「はい」 「一時の感情に流されちゃ駄目」 「でも、何でも理性的に割り切ればいいってものでもないわ」 姉さんの言葉が染みる。 「……しっかり」 「そうよ、しっかりね」 「……ああ」 ……。 「さ、あまり外でするものじゃない話をしちゃったわね」 「達哉くんも、あんまりのんびりしてると、バイトに遅れるわよ」 「そ、そうよ達哉」 「お店で待ってるからね」 「……そんなしょんぼりした顔じゃ、接客なんかできないわよっ」 「ああ、そうだな」 菜月らしい励まし方だ。 こんな時、元気づけてくれるのはありがたかった。 ……。 …………。 バイト中もバイト後も、姉さんと菜月はこの件に触れなかった。 きっと、自分達でまずは話し合えってことだと思う。 ……俺は、ミアと話し合おうと屋根裏部屋の扉をノックした。 こんこん「……ミア?」 「ご、ごめんなさい、達哉さん」 「今晩は、ひとりで……じっくり、考えてみたいと思います」 「そうか……分かった」 「あまり夜更かしはするなよ」 「……はい……」 ……。 …………。 俺は、素直に退散した。 部屋の電気を消し、ベッドの上に体を投げ出す。 そうなんだ。 ミアと話し合う前に、俺も、自分の考え方をしっかり固めておかなくちゃいけない。 ……基本的に選択するのはミアだ。 帰るか、帰らないか。 フィーナ付きのメイドを辞めるのか、辞めないのか。 そして、ミアが『帰らない』という選択をした時には、次のハードルがある。 それが許されることなのか、許されないのか。 許されなかったらどうするのか。 その時、俺にできることはなんだろう。 許されたとして、何か条件はあるのか。 その時、俺ができることはなんだろう。 ……。 漠然とした問いかけは、次第に眠気に取って代わられていった。 ……。 …………。 ミアには「夜更かしするな」 なんて言っておいて、夜更かししたのは俺の方だった。 目が覚めたのは、朝食ギリギリの時間。 「遅れましたっ」 「あ、今ちょうど起こしに行こうと思ってたところなんですよ」 「では、頂きましょうか」 「はい」 「いただきまーす」 全員が、朝食に箸をつける。 ……。 …………。 妙な、緊張感を感じるのは……俺だけだろうか。 「お兄ちゃん、醤油とって」 「あ、ああ」 ……。 …………。 箸を動かす音。 茶碗をテーブルに置く音。 そんな、いつもなら気にならない些細な音が、やけに耳につく。 周りの人の反応に、過敏になってるのかもしれない。 ……俺は、一気に朝食を胃の中に流し込んだ。 ……。 …………。 「ごちそうさま」 ……結局この日は、一日中ミアに避けられているうちに暮れていった。 達哉さんは、一緒に考えてくれようとしている。 でも……これは、自分で考えなくてはいけない問題。 姫さまと月に帰るか、達哉さんと一緒にいることを選ぶか。 ……。 今日も、とても天気がいい。 わたしの部屋で夜を過ごしたチコを、丸い窓から外に放す。 チコは、二三度旋回してから、餌を取りに飛んで行った。 ……。 姫さまは、さやかさんと一緒に残り少ない日程での仕事をしに、大使館へ。 麻衣さんは部活動へ。 また、達哉さんと二人きりの時間が訪れる。 ……達哉さんと二人の時間。 最初は、とても緊張していた。 でも、達哉さんが優しくしてくれたので、少しずつ安心できる時間になり──いつしか、とても楽しみな時間になっていた。 数日前までは。 ……。 姫さまの帰還が迫って、わたしと達哉さんは…………ううん、『わたし』は。 決断をしなくちゃいけない日が迫っているのに。 それが見えないフリをしていた。 だけど……カレンダーの日付は、容赦なく進んでいる。 ……。 達哉さんは、昨日から、何か言いたそうにしていた。 でも、何も言わずにいてくれる。 待っていてくれる。 わたしが、自分で答えを出すのを、じっと待っていてくれている。 ごめんなさい、と謝りたい。 達哉さんに、甘えたい気持ちに、何度もくじけそうになる。 達哉さんなら、もしかしたら「帰らないでくれ」 って言ってくれるかもしれない。 姫さまなら、「一緒に月に帰ろう」 と言ってくれるかもしれない。 でも、姫さまも、わたしには何も言ってくれない。 きっと、言わないでいてくれるんだ。 これはわたしの問題だから。 ……。 幼い頃からずっと、わたしを信頼してくれた姫さま。 地球に来る時も、たった一人、わたしをお供に選んでくれた姫さま。 姫さまの信頼は、わたしがわたしでいられる拠り所だ。 ……。 大好きな達哉さんと一緒にいたいという思い。 大好きな姫さまと一緒にいたいという思い。 どちらも、わたしの嘘偽りない思いだ。 セフィリアさまなら、どう言ってくれただろう。 母さまなら、どう言ってくれるだろう。 「フィーナをよろしくね」 と言ってくれたセフィリアさま。 セフィリアさまから母さまへ、そして母さまからわたしが引き継いだ思い──『もしフィーナ様が間違った道を歩いて行きそうになったら、正してあげないとね』その願いを、わたしは果たせているだろうか……。 ……。 考えれば考えるほど、答えの出ない迷路に迷い込む。 日が暮れ、チコが部屋に戻ってくる。 ……そして、また貴重な一日が終わる。 昨日も、一昨日も、ミアとはほとんど会話をしていなかった。 ミアも一生懸命に考えているようだったし──何より、俺が口を出す前に、まずミアの決断が無いと話にならなかった。 ……。 だが、そう分かっていても、俺の焦りはそろそろ限界を迎えそうだ。 もうあと三日でフィーナは月に帰ってしまう。 このまま、ミアと話す機会も無いまま、ミアが帰ってしまうのではないかという不安が膨らむ。 もう……ミアは、フィーナと一緒に月に帰ることを選択したのだろうか。 それで、俺を避けているのだろうか。 何度否定しても、そんな弱気な想像が膨らむ。 一度生まれた疑念は、なかなか消えてくれない。 だけど、それでも……俺は、何とか歯を食いしばって、ミアから話し掛けてくれるのを待つことにした。 ……。 でも、今日もまだミアは一人で悩んでいる。 二人きりの家の中で、俺はその沈黙に耐えられなくなりそうだった。 とりあえず、イタリアンズの散歩に出掛けることにする。 ……。 「ふう……」 いつも通りのんきに遊び回る三匹を眺める。 ほんの少しだけ、ささくれ立った心が丸くなる。 芝生の上に寝転がる。 広い空。 夏の熱気と草いきれをはらんだ風。 目を閉じる。 瞼の裏に強い日の光を感じる。 その光が、ふと、何かに遮られた。 ……。 「ミア……」 「達哉さん」 「どうして、ここに?」 ……。 ミアの顔がくしゃっと歪む。 「ごめんなさい、自分一人で考えなきゃいけなかったんですけど……」 「もう……分かんなくなっちゃって……」 「ミア」 ミアを抱き寄せる。 俺の胸で、声を抑え、肩を震わせて泣いている。 ……良かった。 とりあえず、まだ、結論を出したわけではなかったようだ。 でも……状況は、何も変わっていなかった。 ……。 …………。 それから俺とミアは、これからのことを話し合った。 これまで何度か話し合い、頭の中ではその何百倍も考えたことを、互いに口にする。 その中に、決定的な解決策は無い。 当たり前だ。 何度も考えたんだ。 今更、二人で話し合ったところで、相手が突然正解を持ってたりするはずがない。 そして分かったことは、やはりミアが、最終的には答えを出さなくてはいけないことだった。 ……。 日が傾き始める。 俺は今日もバイトがあるから、そろそろ帰らないといけない。 「じゃ、行こうか、ミア」 「は、はい……」 「そうだ」 「ミア、イタリアンズを呼んでみる?」 「あ……」 「はい、やってみます」 ……。 「アラビアータぁ」 ミアが呼ぶと、てくてくとアラビアータが寄ってきた。 「ぅおん」 首輪にリードをつなぐミア。 「行きましょうか、達哉さん」 「ああ」 帰るそぶりを見せる、二人と一匹。 「わんわんっ」 「わふっ、わふー」 慌てて駆け寄ってくる二匹。 「よーしよしよし」 手際よく、残る二匹にもリードをつける。 「ミア、上手いじゃないか」 「ふふ……達哉さんがやってるのを、何度も何度も見ていましたから」 「そっか」 「ミア」 「今日は、相談してくれてありがとう」 「……何の役にも立てなかったけど、話し掛けてくれて、嬉しかった」 「達哉さん……」 ……。 「何の役にもなんて、そんなことないですっ」 「わたしが一人で悩んでいるのを、分かってて、そっとしててくれて……」 「今日も、ちゃんと話を聞いてくれて……」 「本当は、わたしが一人で決めなくちゃいけなかったのに」 俺は、ミアの頭を撫でた。 「達哉さん……」 「ミアにばかり、辛い思いをさせちゃってごめんな」 「そんな……」 抗議しかけて俺を見上げたミアに口づけた。 ……。 「待つよ、ミアが結論を出すのを」 「そして、その結論がどっちでも、俺はミアが決めたことを尊重する」 「ミアが決めたことに従うよ」 「達哉さん……」 「ありがとう……ございます」 もう一度、ミアの頭を撫でる。 「さ、帰ろうか」 「はい」 俺とミアとイタリアンズは、この組み合わせではもう何度目か分からない、そして──最後になるかもしれない家路に就いた。 「今日は、私とフィーナ様は遅くなると思うから」 「夕食は待ってなくていいからね」 「あ、はい」 「できれば、あまり長居せずに済ませたいものだけど」 「まあまあ、フィーナ様」 「何か、特別なイベントなの?」 「今回の留学でたった一度の、大歓迎会なのよ」 「博物館の館長……フィーナ様が来るのに合わせてリニューアルしていた工事も終わったし」 「最近、お姉ちゃん忙しそうだったよね」 「で、それに合わせての豪華レセプションってわけ」 「地球側のお偉い様たちが、もう、ぞろぞろ」 「ぞろぞろ?」 「そう、ぞろぞろよ」 「ふう」 どんな仕事にも、姫としての責任感を持って当たっているフィーナ。 そのフィーナが、ため息をついたりすること自体が珍しい。 俺が訝しがっているのに気づいた姉さんが、耳打ちして教えてくれる。 「今日来る『偉い人』の中には……」 「物珍しいお姫様を見るためだけに来る人が多いのよ」 「報道陣も多いしね」 「そっか」 フィーナを見ると、ふと目が合った。 俺とミアの件について、フィーナも何も言ってこないと、ミアが言っていた。 ずっとフィーナと一緒だったミア。 ミアの公的な立場は置いといたとしても……フィーナ個人としては、ミアを地球に置いていきたくないというのが本音だろう。 表には出さないけど、フィーナにもきっと色々思うところがあるはずだ。 それでも、何もミアに押しつけないフィーナ。 フィーナもきっと辛いはずだ。 でも、それを出さないでいてくれる。 フィーナに、俺はそっと心の中で感謝した。 ……。 姉さんとフィーナが出掛けると、ミアと麻衣は料理の教え合いを始めた。 ミアが、フィーナと一緒に帰る場合、もうあまり残り時間が無い。 麻衣もミアも、そのことを考えながら、教え合っているのかもしれない。 ……。 鳥の鳴き声。 見上げると、チコが屋根に留まっている。 仲間と一緒にいるようだ。 ……チコも、もう十分に大人になった。 今でもミアの部屋で寝ているのは、拾ってくれた親代わりのミアに対する親愛の情だろうか。 それとも、ただ単に、安全な寝床だからだろうか。 ……。 「おつかれー」 「お疲れ」 「野菜ジュース飲む?」 菜月が、冷蔵庫からお手製の野菜ジュースを出す。 「今日は遠慮しとくわ」 「そんなんじゃ、元気出ないよ」 「ほらほら」 頼んでもいないのに、コップにどぼどぼと注がれるジュース。 ……そうだな。 こういう時は、じっくり腰を据えた方がいいかもしれない。 「じゃ、頂くよ」 「そうでなくっちゃ」 ……。 …………。 ごくごくっと一気にあおり、机にコップをたんっと置く。 「おっ、いい飲みっぷり」 「……それより、みんな少し遅くないか?」 「そう言われれば……そうかも」 ぷるる……そんな時、俺の携帯が鳴る。 閉店後なので、電話に出ると……「達哉さん、帰って来て下さいっ」 「どうした!?」 「ひ……姫さまが」 「姫さまが……」 ぷつ「おやっさん、すみませんっ」 「今日はあがらせてもらいますっ!」 「お、おう」 「どうした?」 「なんだか、うちでフィーナが大変らしくて」 「分かった。 早く行ってやれ」 「今の電話?」 「その辺は後でまた!」 玄関で靴をぽぽいっと脱ぎ捨て、リビングへ向かう。 「どうしたっ!?」 「達哉」 「す、すみません……」 「少し焦っていました」 「?」 「……えっと、状況が掴めないんですけど」 見渡すと、珍しく家の中で私服のフィーナと、そのお世話をしているミア。 麻衣は、フィーナが脱いだドレスを見て、ため息をついている。 「これ、かなり頑張らないと落ちないよきっと」 そのドレスを見て、俺はぎょっとした。 一部の布が、真っ赤に染まってるのだ。 ……まるで、血がついたように。 「そ、それって……」 「ふう」 「レセプションで、こぼされてしまったの。 ワインを」 「なんだ、ワインか……」 ほっとため息をつく。 「わたしも、最初に見た時はびっくりしました」 「ドレスが真っ赤だったものですから……」 その時のミアの狼狽ぶりが目に浮かぶようだ。 「こんなの着て、歩いて帰って来たのか?」 「まさか、カレンに送ってもらったわ」 「……でも、手にも怪我をされているんです」 「ほんの、かすり傷みたいなものだけどね」 「怪我?」 「ええ、割れたワインの瓶の欠片で」 フィーナが、包帯が巻かれた腕を見せてくれる。 「少し酔ってる方が、ワインクーラーを豪快に倒してくれて……」 「でも本当に大したことは無いのよ」 「その場で、すぐにカレンが応急手当もしてくれたし」 「とにかく、そんなにひどい怪我じゃなくて良かった」 「フィーナが大怪我でもしたのかと思ったよ」 「心配をさせてしまったわね」 「ごめんなさい……」 「わたしの早とちりのせいです」 ぺこりと俺に頭を下げるミア。 「わたしはこの通り大したこと無かったのだけど……」 「主賓が怪我したということで、レセプションも、そのままお開きになったわ」 「さやかは忙しくなってしまったかもしれないわね」 「お姉ちゃん、パーティの責任者だったもんね」 「後始末してるんだよ」 「でも、そのワインクーラーを倒したって人……」 「きっと、無茶苦茶怒られてるんだろうな」 「かなり立派な肩書を持った方のはずだから、案外そんなことも無さそうよ」 「そういや、偉い人がぞろぞろ集まるって言ってたね」 「ええ」 「その割に実務的な話はほとんど無くて、客寄せパンダの気分だったわ」 「……もちろん、それも王家の人間の責任のうちなのだけれど」 そう言って、にこっと微笑んで見せるフィーナ。 ついでに、私服なのにスカートの裾を持ち上げてみたりして。 ……俺たちは、そのあまりに様になっている姿と服装のギャップに、思わず笑ってしまった。 ……。 …………。 しかしその夜、結局、姉さんは帰って来なかった。 日が明けても、姉さんの姿は無かった。 「お姉ちゃん、まだ帰って来れないのかな」 「ほらきっと、特別展示の前日みたいに、博物館に泊まっちゃったんだよ」 「館長室のソファに毛布一枚でよく寝てるって言ってたし……」 「そ、そうだね、そうかもしれないよね」 食卓にも、心なしか笑顔が少ない。 ……。 「ごちそうさま」 「今日の皿洗いは、俺がやるよ」 なんとなく、体を動かしていたかった。 ……。 そんなもやもやした状態の午前中。 フィーナとミアは部屋の片づけに、麻衣は掃除と洗濯に、それぞれ黙々と打ち込んだ。 俺は皿洗いの後、庭でイタリアンズに餌をやっている。 「わふ」 嬉しそうに、餌皿に顔を埋めるイタリアンズ。 ……。 庭から家を見上げると──軒に、小鳥が留まっている。 ミアの部屋の丸窓から、出たり入ったり。 多分チコだろう。 ……。 …………。 チコが飛び立った。 黒塗りの車が、家の前に停まる。 ……何度か見た、大使館の車だ。 そこから、カレンさんが降りてくる。 「こんにちは」 「……こんにちは」 「皆様、いらっしゃいますか?」 「ええ」 「……姉さんは、どうしているんですか?」 「そのことをお話しに参りました」 「リビングで待ってて下さい。 みんなを呼んできます」 「ありがとうございます」 姉さんが帰って来なくて、カレンさんが来た。 ……あまり良くない話になりそうだ。 ……。 …………。 「揃ったわ」 「はい。 では……」 「姉さんは、今どこにいるんですか?」 「順番に、お話し致します」 少し先走ってしまった。 俺は、カレンさんが語り始めるのを待つ。 「昨晩起きたことは、皆様ご存知ですか?」 「ワインがこぼれてって、話ですか?」 「あとは腕に傷を」 ミアと麻衣も頷く。 フィーナは……黙って話を聞いていた。 「そうですか」 「では、説明の必要はありませんね」 カレンさんは、小さく一つため息をついた。 「昨晩、あの後……」 「月と地球双方の高官による話し合いが行われました」 「私が退出してから、話がずいぶん大きくなったようですね」 「はい」 「……月と地球の友好のため、地球側高官の失態を公にするわけにはいかないと」 「そういうことになりました」 フィーナは、ゆっくりと頷く。 「今回は、故意のトラブルではありませんし……」 「この程度のことで、友好が損なわれるようなことは避けるべきでしょう」 「はい、仰る通りです」 「そのことについて、地球側からの話がありました」 「レセプションの責任者であるさやかは、今回の件の責任を取る形で──」 「月関係の職から、何年か離れさせると」 「!」 「それはっ」 「なんで姉さんが!」 「あらゆる物事には、責任を取る者がいなくてはいけません」 「責任者は、責任を取るのが仕事なのです」 淡々と語るカレンさん。 「博物館は月と地球の共同運営ですが、人員の大部分は、地球側の人たちです」 「人事権を持っている地球側は、そういう形で今回の件を終わらせようとしているのでしょう」 小さいため息をつき、カレンさんは言葉を継ぐ。 「もちろん、他の職の紹介を含め、できる限りの補償をするよう働きかけはします」 「一定の期間が過ぎた時には、また復職もできるようになるでしょう」 「さやかには申し訳無い結果となりますが……」 カレンさんの口から出てくる言葉の意味が分からない。 フィーナの、全然大したこと無い怪我と、ワインで染まったドレス。 そして、その小さな事故とは全く関係無い姉さん。 その姉さんに、なぜ責任などというものが発生するのだろう。 「『双方の高官同士の話し合い』には、カレンさんも参加していたんですか?」 「ええ」 「もちろん、月側も私一人ではありません」 「であれば、今回の幕の引き方には注文を出せたのでは?」 「このケジメのつけ方は、地球側からのたっての望みということで提案されたものです」 「私たちの方から、そのような提案に対して注文をつけるのは、外交上適切ではありません」 「軽いケジメならばともかく、重い方の提案ですから」 「……それに、下手をすると地球の内政干渉になる可能性も考慮する必要があります」 ……。 「さやかは何と」 一瞬、眉間に皺を寄せ、沈痛な面持ちになるカレンさん。 「……これが、一番良い解決方法だと」 「月と地球の友好のために」 ……。 「さやかは、そう申しておりました」 「そう、ですか……」 「……」 フィーナは、悩ましげな表情で押し黙っている。 ……どうすればいいんだろう。 姉さんが言ってた通り、これが一番良い解決方法なのだろうか。 月と地球の友好。 ……それと、姉さん個人を天秤に掛けることができるのだろうか。 そんな判断が、俺にできるはずも無い。 ミアを見ると、膝の上で握りしめた手を震わせている。 「あの、それで……」 「今、お姉ちゃんはどこにいるんですか?」 「大使館で善後策の会議を終え、そのまま仮眠室に入っています」 「この度の方針が決定すれば、博物館での引継ぎが忙しくなるでしょう」 フィーナが顔を上げた。 何かを決意したような顔だ。 「月の王家の者として、私が最も優先して考えなくてはならないのは……」 「月王国のためになるかどうか、です」 「カレン、今回の地球側の申し出は、そのまま受けることにしましょう」 「えっ」 「……かしこまりました」 「待って下さい、姫さま」 「ミア」 「……どうしたの」 全員の視線が、ミアに集まる。 「姫さま、本当にそれでよろしいのですか?」 何か決意を秘めた表情で、だけど低い声で、フィーナに問う。 「ええ。 もちろん」 「月のためを思って決めたことよ」 静かに語るフィーナ。 一方のミアは、小さく震えているようにも見える。 「それは、月の姫として、決めたこと……なんですか?」 「ええ」 「月王国の姫、フィーナ・ファム・アーシュライトとして考え、決めたことよ」 「それでも姫さまですかっ!」 大きな声を上げて、ミアが席から立ち上がる。 みんな、驚いてミアを見る。 ……ミアのこんなに大きな声を聞いたのは、初めてだ。 「失礼は承知の上で言わせて頂きます」 「セフィリアさまが、姫さまに望んでいたのは、そんな姫さまではありません!」 「恩を受けた方に対して仇で返すなんて……」 「王家の一員としてあるべき姿ですか!?」 「ミア、無礼よっ!」 「……っ!」 リビングから駆け出していくミア。 一気に喋っているうちにどんどん潤んでいった瞳から、数滴涙が溢れた。 フィーナは、とても険しい顔をしている。 「……」 ミアが、フィーナに向かって、あんなに直接意見するのは珍しい。 ……いや、見たことが無い。 それも、日常の些細な出来事に対してではなく──フィーナが、月王国の姫として決断したことに対してだ。 そして、一喝したフィーナの迫力も……一国の王族とはこういうものかと思う激しさだった。 部屋の中の空気がビリビリと震え、麻衣は少しも動けずにいる。 今も、落雷後のように張りつめた雰囲気が満ちている。 ……。 階段を駆け上っていく音が聞こえる。 ミアは、屋根裏部屋に行ったようだ。 俺は……室内の緊張に負けないよう肝を据えて、ゆっくり立ち上がった。 ……。 …………。 「フィーナ」 「ミアが、どんな気持ちであんなことを言ったのか、分かってるのか?」 「達哉には分かるというの?」 ……。 「分かる」 俺は、力を込めて答えた。 「……」 冗談を許さない真剣な目で、フィーナが俺を見つめ、次の言葉を待っている。 一つ呼吸をしてから──言葉を継いだ。 「ミアは前に、こう言っていたんだ」 「自分の身を投げ打ってでも、主の不明を正すのが私の役目だって」 「……」 「フィーナがミアのことをどう思っているのかは分からないけど」 「ミアは、初めて王宮に出仕した時から……」 「フィーナに仕える者として、損得抜きでフィーナのことを考えていたんだ」 「セフィリア女王に頭を撫でられて、『フィーナと仲良くしてあげてね』って言われてから、ずっと」 ……。 「そんな、母様はそんな人では……」 ……。 「公務に厳格で、自分に厳しくて……」 「いつだって、国のことを一番に考えてて……」 フィーナは、信じられないといった顔をしている。 フィーナが理想としてきた、厳格なセフィリア女王。 その理想としていた姿と……セフィリア女王がミアに見せた姿は、どうやらかなり違っていたようだ。 ……。 「ミアのお母さんは、セフィリア女王からの伝言もミアに伝えていたんだ」 「『フィーナには、フィーナが正しいと思う道を進んでほしい』」 「『自分の信念を大切にしろ』」 「そして……」 「『フィーナが間違った道を歩いて行きそうになったら、正してあげてくれ』」 「それは……母様が……」 「セフィリア女王から、ミアのお母さんに……」 「そして、ミアのお母さんから引き継いで、今はミアが背負ってる言葉だ」 「母様……ミア……」 ……。 …………。 「さっき、ミアが言ったことを思い出してくれ、フィーナ」 「王族の矜持にかけて、恩義は忘れないってのは……」 「前に、フィーナが言ってたことじゃないか」 フィーナは正面から俺を見つめ、頷く。 「それなのにフィーナは、自分の信念より国を取ったんだ」 「だから、ミアは怒ったんだ」 「……ミアの他に、誰が、フィーナを止めてくれる?」 「……」 ……。 …………。 俺は、月王国の姫であるフィーナに対して、言いたかったことを全部言ってしまった。 ミアの、フィーナに対する思い。 それだけは、フィーナに伝えなくっちゃいけないと思ったからだ。 そうじゃなきゃ……ミアが、フィーナに仕えてきた日々が──ミアが、セフィリア女王から、ミアのお母さんから、受け継いできた思いが──意味を失ってしまうから。 俺が言わないと……ミアとフィーナが、すれ違ったままになってしまう。 ……。 フィーナは、目を閉じている。 じっと動かずに。 俺は、フィーナの次の動き、次の言葉を待っている。 ……。 …………。 「達哉」 ゆっくりと瞼を上げ、落ち着いた声を発するフィーナ。 「ありがとう、冷静になれたわ」 「そして……」 「ミアの思い、ミアが受け継いできた思いを、教えてくれて──」 「ありがとう」 フィーナは、俺に対して深々と頭を下げた。 「そ、そんなに頭を下げなくても……フィーナ」 「いいえ」 「達哉が言ってくれなかったら、無二の忠臣を失ってしまうところだったわ」 「いくら礼を言っても足りなかったくらいよ」 「それなら、ミアに言ってやらないと」 フィーナが、目を伏せる。 「そうね……」 「ミアには、悪いことをしてしまったわ」 「恩義を忘れないなんて言っておいてこれでは、ミアも怒るわよね」 苦笑いするフィーナ。 苦さが効きすぎたのか、目尻には薄く光るものがあった。 「カレンっ」 「はっ」 「今回の件については、私がスカートの裾を踏んでしまい、自ら倒れてしまった」 「……その際に、ワインクーラーも倒してしまったことにするわ」 「もちろん、レセプションを切り上げることになったのも、全て、私一人の責」 「それに伴って必要なら、謝罪でも遺憾の意の表明でも、何でもするわ」 晴れやかな顔になって、カレンさんに指示を出すフィーナ。 「つまり、地球高官の失態は、公式には一切無かった」 「分かった?」 心なしか、少しだけ嬉しそうな表情のカレンさん。 「かしこまりました」 「月側の意志統一、地球側との調整はお任せ下さい」 カレンさんが、すっと立ち上がる。 「そうね……きっと必要になるから、一筆したためるわ」 「少し待ちなさい」 「お気遣い、ありがとうございます」 ……。 …………。 一度部屋に戻ったフィーナは、見たことが無い紋章が入った便箋に、ペンを使って文字を書き始めた。 そして、月大使館内部向けと地球側宛の書簡をさらさらと書き上げていく。 フィーナの立場・責務の一端を垣間見た気ているようだ。 ……筆を走らせながら、小さい声でつぶやく。 「……ミアは、許してくれるかしら」 「謝らないといけないわ」 「謝りに行けばいいさ」 「でも……ミアは私の話を聞いてくれるかしら」 「私のためを思って言ってくれたのに、それを無礼だなんて……」 沈痛な面持ちのフィーナ。 後悔で、胸の中がいっぱいのようだ。 「……じゃあ、俺が呼んでこようか?」 「ごめんなさい、達哉」 「お願いできるかしら……」 「ああ」 「任せてくれ」 フィーナに頷き返し、屋根裏部屋に向かう。 ……。 屋根裏部屋の扉を、そっとノックする。 ……こんこん……。 …………。 「ミア、俺だよ」 「……達哉さん、ですか」 「ああ」 「大丈夫?」 「え、ええ……」 「あの……」 「フィーナ様は、どうされてますか?」 「フィーナは……」 「何て言うか、落ち着いたよ」 「フィーナ様が、自分を見失われているように見えたので……」 「それを正すのもわたしのお役目だと思ったのですが」 ……。 「出すぎた真似をしてしまいました……」 扉越しだけど、ミアの姿が見えるようだ。 きっと今、ミアは肩を落として、しょんぼりしている。 もう、今にも泣きそうになりながら。 「フィーナが……話したいことがあるんだってさ」 ミアが自らに課している使命については、俺がしゃしゃり出てしまったけど。 二人の仲直りには……俺は口を出さない方がいいだろう。 謝るべき人が謝り、許すべき人が許す。 それが大事なんだ。 ……だから俺は、わざと、フィーナが謝ろうとしていることは伝えない。 「リビングへ一緒に降りよう、ミア」 「でっ、でも、わたしはとても失礼なことを言ってしまいました」 「長い間、わたしにずっと良くしてくれた姫さまに……」 ……。 「わたしはメイドを解任されても仕方ありません」 「きっと、姫さまも怒ってらっしゃいます……」 ミアに勇気が出ないなら、背中を押すくらいはいいかな。 俺は、扉の内側に向かって、鼓舞するように声を送った。 ……。 「フィーナが怒っているかどうかを気にして、フィーナの側に仕えてたのか、ミア?」 「そ、それは……」 「さっきミアがフィーナに言ったことは、無礼かどうかなんて気にしてたら言えないことだろ」 「それでも、言う価値があると思ったから言った。 違うか?」 「え、ええ……そうです」 「例え相手が誰でも、自分が言ったことが正しいと思ってるなら胸を張って会えるはずだ」 「それとも、自分が言ったことに……自信が無いのか?」 ……。 …………。 「い、行きましょう」 「平気?」 「……は、はいっ」 精一杯の虚勢を張っているミア。 可愛いな……。 頑張れ。 ……そんな、応援したくなる気持ちを抑えながら、リビングへ向かう。 リビングから、フィーナとカレンさんが何かを話している声が聞こえる。 ミアの歩幅が、少しずつ縮んでいく。 ……あと少しなのに、くじけそうなミアの気持ちが、手に取るように分かる。 俺は──そっとミアの背中を押してやった。 「あ……」 ……。 一瞬だけ。 俺が二人の間で余計なことをしなければ、ミアは地球に残ったかも……なんて、邪な考えが頭をよぎる。 でも、そんな思いはすぐに消えた。 消した。 二人にとって、これが一番いいことなんだ。 ミアが、フィーナがそうしたように、俺も、自分がこうすべきだと思ったことをしただけだから。 ……。 …………。 「ただいまー」 「お姉ちゃん、おかえりなさい」 「おかえりなさい」 ……ちょうど、俺がバイトから帰って来た時、姉さんも家に戻ってきた。 「あ、フィーナ様」 「さやか、今回は迷惑を掛けたわね」 「ごめんなさい」 「そんな、謝るのは私の方ですよ」 ……。 …………。 今日は、最後の晩餐だ。 フィーナは、明日、月に帰る。 ……。 夕食はうちで食べることになったけど、鷹見沢家も黙っちゃいない。 「こんばんはー」 「おっ。 皆さん、おそろいですね」 「夕食デリバリー左門、ただいま到着でございます」 「トラットリア左門の料理が忘れられなくなるように、腕を振るったからな」 「存分に味わってくれ」 「わたしとミアちゃんが作った料理も、負けませんよー」 「こっちは、月と地球の連合軍です」 ダイニングとリビングのテーブルの上に、乗り切らないほどの料理が並ぶ。 固い挨拶は全て明日ということにして、今日はどんちゃん騒ぎ。 終いにはイタリアンズもリビングに上がってきて、宴は大いに盛り上がった。 ……。 …………。 祭の後は、いつだって少し寂しい。 祭が大きければ大きいほど、その反動も大きくなる。 「そっちのお皿、まとめてちょうだい」 「今日はもう、油汚れとか気にしないで、全部まとめちゃっていいよ」 ……。 左門の食器を持った鷹見沢家一同が去り、明日の帰還に備えてフィーナとミアが去り、……残りの三人で、宴の後片づけをしている。 月王国のお姫様であるフィーナ・ファム・アーシュライトその人が、うちにホームステイに来るという祭。 そんな特大の祭が、あともうすぐで終わってしまう。 終わってから来るはずの寂しさに、今から泣いてしまいそうだ。 「達哉くん、あとはやっておくから」 「姉さんこそ、昨日は大使館に泊まりだったんだろ?」 「今日は早く休みなよ」 「あー、もうっ」 「あとはわたしが引き受けました」 「二人はゴミをまとめてくれたら終わり。 家事担当からの命令っ」 「はーい」 ……ベッドに入ってからも、なかなか寝つけなかった。 一瞬で眠りに落ちそうなくらい体は疲れているのに、精神が昂っているようだ。 ばたんばたんと、寝返りを何度も打つ。 ……。 窓の外からは、虫の鳴く声が聞こえる。 昼はまだまだ蝉が鳴いているのに、秋は、夜中に少しずつ近づいてくるようだ。 ……もう、夏も終わりかけている。 そして。 どんなに考えても。 どんなに頭をひねっても。 ……ミアと一緒にいるために、俺にできることは、無かった。 ……。 …………。 きいっ……部屋の扉が、そっと開かれる。 ……。 俺は、布団を頭からかぶり、じっとしていた。 扉を開けた主の足音が、近づいてくる。 ……。 …………。 ………………。 「達哉さん……」 「明日でお別れです」 ……。 「思い出は……置いていきますね」 とさ何かを床に置いた音。 ……きっと、鳥籠だろう。 この時間だと、中にチコが寝ているかもしれない。 ……。 もともと私物の少なかったミアのことだ。 荷物は、鞄が一つあればまとまってしまっただろう。 この鳥籠とチコを俺に託して、きっと片づけは終わる。 あとは……明日、フィーナと一緒に。 月へ──「達哉さん、ありがとうございました」 「チコをよろしくお願いします」 寝ている俺に向かって、囁き声で語りかけるミア。 「さよう……なら」 遠ざかる足音。 このまま、足音が遠くへ行ってしまうのを、ただ聞いていると──一生、手に入れたいものが何一つ手に入らないような気がした。 「ミアっ」 ベッドから飛び下り、ミアに後ろから抱きつく。 一瞬、ミアはびくっと震えた。 「た、たつ……や……さん……」 「ミア……」 ミアが……少しずつ振り向く。 その声は、消え入りそうなくらいに小さかった。 「あの……」 「起きてた」 「全部聞いてたよ」 ミアが何か言う前に、俺の言いたいことを伝えよう。 「ミアが、俺を選ぶことができないのは分かってる」 「何でか知ってる俺は……」 くっ、と自分を振り切るように、続きを絞り出す。 「……ミアを止めることもできない」 「あ……」 「明日、フィーナが帰ってしまえば、ミアは一緒に帰ることになるよな」 「それ以外に選択肢があったとしても、選んじゃいけないんだよな」 「た、達哉さん……」 俺は、一層強く、ミアを抱きしめた。 「分かってるんだ」 「全部、分かっちゃいるんだ……」 最初、身体を固くしていたミアが、そっと俺の手に自らの手を重ねる。 「達哉さん、わたし……」 「明日、姫さまと一緒に……月に帰ります」 「……ああ」 「でも、達哉さんと一緒に過ごした、この数ヶ月……」 「達哉さんと一緒に行ったお買い物」 「達哉さんと一緒に行ったピクニック」 「達哉さんと一緒に行った犬の散歩」 「達哉さんと小鳥を一緒に育てたこと……」 「わたし、全部、全部、忘れません……」 そう言うミアの声には、時々鼻をすする音が混じる。 「俺だって……忘れないよ」 「忘れられるもんか」 「ミアと一緒にいた時間は、俺にとっては一瞬一瞬が宝石みたいだった」 「わ、わたしだって……」 「う……うぅ……」 ミアが肩を震わせる。 「わ、わたし……」 「達哉さんに会えて良かったです」 「達哉さんと仲良くなれて、本当に良かったです」 ……。 「うあぁ……ぐす……うぅ……」 泣きだしてしまったミア。 俺は、ミアを抱きしめていた腕をそっと緩め……ミアに正面を向かせた。 「うぅ……達哉さん……」 そっと顔を持ち上げ、ミアに口づける。 ちゅっ一回目は軽く、唇を触れ合うだけのキス。 それから、何度も何度も。 俺からだけじゃなく、ミアからも積極的に唇を寄せてくる。 ……。 いつしか、互いの舌が絡み始めた。 「あうっ……んぁっ……ぴちゅっ……ちゅっ」 二人の唇の間から、ぴちゃ……と湿った音がする。 俺の唾液をミアの口の中に注ぎ込む。 これまで何度もそうしてきたように。 ……。 …………。 「ぷはぁ……はぁ……」 「た、達哉さん……」 ミアが、俺の胸に顔を埋める。 両腕は、俺の脇の下から背中に通り、ぎゅっと抱きしめられた。 「うぅ……わあぁぁ……あぁっ……くぅ……っ」 「ミア……」 俺は、ミアが落ち着くまで、その頭を撫で続けた。 もう一方の手では、背中をさする。 ……。 …………。 ………………。 「…………ごめんなさい、達哉さん」 「わたしが、わがままなんですよね」 「姫さまという素晴らしい方にお仕えしているのに……」 「ミア、言わないでいいよ」 「でもっ……」 ……。 「で、では、達哉さん」 「今晩が、私が地球にいる最後の夜です」 「ああ」 「だから……今晩だけ」 「今晩だけ……」 「達哉さんに、お仕えさせて……もらえませんか?」 「ミア……」 「お願い……します……っ」 ミアが、ぎゅっと目を閉じて懇願する。 その手は、固く俺の服を掴み、かたかたと震えている。 ……俺とミアの、最後の夜。 ミアが地球にいられる、最後の夜。 ……。 俺は、またミアを抱きしめ、そっと耳元にささやいた。 「分かった……ミア」 ……。 ミアは、俺をベッドに座らせると、慣れない手つきで服を脱がしていく。 ついには下着にも手がかかり……ミアの手によって、俺は全裸になった。 服を脱ぐのかと思ったら、ミアは床に膝をつく。 「で、では……」 俺の両脚の間に割って入ったミア。 恐る恐る、俺のものに指を伸ばす。 ミアの両肩が、俺の太腿を内側から押し開いた。 ……竿の部分をきゅっと握ったと思うと、そこに口を近づけていく。 「達哉さん……あ、あの、よく分からないので下手かも知れませんが……」 「が、頑張りますっ」 「あ、ああ」 ミアは、口でしてくれようとしているみたいだ。 ……俺の屹立を間近で見るのは、初めてかもしれない。 「あ、お、大きくなって……」 びっくりしたように、充血していくペニスを見つめている。 今まで散々セックスをしてきたっていうのに、なんだか少し照れ臭い。 「あ、あまり見られると……」 「いえっ」 「ずっと、月に帰ってからも忘れないようにと……」 「そっか……」 「ミアは、かわいいなぁ」 腰のすぐ近くにあるミアの頭。 その髪を撫でてあげる。 「すごい……達哉さんの、こんなに大きくなるんですね……」 「でも、今まで何度も、ミアの中に入ってたんだよ」 「あ、そ、そう……ですね」 ミアが、忘れていたことを恥ずかしがるように、顔を赤くする。 「達哉さん……」 うっとりとした目つきのミアが、優しく肉棒を握る。 そのまま、軽く手を上下に揺すられると、俺はもう、これ以上無いくらい勃起していた。 「い、いきますよ……」 少し緊張しているミア。 俺の亀頭へ舌を伸ばしていく……「れろ……っんん……ちゅ……っ」 その熱く濡れた舌先が、亀頭に触れた瞬間──俺の下半身に、電気が走ったように快感の波が広がった。 「ちゅっ……ちゅうぅ……ちゅぱっ……」 亀頭の先だけを舐めたり、キスしたりしているミア。 ミアの小さい舌が、尿道口をなぞる。 「達哉さん、熱いです……」 そう言うミアの吐息が、俺の下半身をくすぐる。 「れろっ……んちゅっ……はむっ……ちゅぱっ……んちゅぅ……」 少しずつ、亀頭全体がミアの唾液で濡れてきた。 特に亀頭に刺激が集中しているせいか、充血度も亀頭が一番激しい。 そのカリ首にも舌が這ってきた。 「ちゅっ……ぴちゃっ……んっ、む……ぺちゃっ、ぴちゅ……」 「うっ……あぁ……」 「達哉さん、気持ちいいですか……?」 「……あ、ああ」 「よ、良かったです」 「……ちゅっ、ちゅっ、れろ……」 再び、亀頭を舐め回すミア。 「じゅっ……ちゅ……ん、んん……?」 「た、達哉さん、何か、透明の液体が……」 「あ、ああ、それは……えーと」 「ちゅうっ」 ミアが、俺の先走りを舐めとる。 「ミアが、俺のことを気持ち良くしてくれた証拠だよ」 「そうなんですか……」 「達哉さんの身体のこと、少しは分かったつもりになっていたのですが……」 「まだまだ、ですね」 少し、しゅんとするミア。 「そんなことないさ」 「分からないことがあったら、教えてあげるよ」 「は、はい」 返事をして、ミアは再び亀頭を舐め始める。 「ミア、あのさ」 「……もう少し、口を大きく開けて」 「……全部、咥えることってできる?」 「あ、は……はい、やってみます」 ミアが口を開き、そのまま俺の亀頭を咥える。 「……んっ、ぴちゅ……はあぁ……んっ、じゅぅ……んく……っ」 ミアの口もあまり大きくない。 かなり頑張って口を大きく開けた所に、やっと俺の亀頭が収まった。 「んぐっ……んく……じゅぱ……んぐ、ちゅぱっ、ぢゅっ」 俺の肉棒とミアの唇の間から、唾液が垂れる。 その唾液は肉竿を伝い、たらたらと広がっていった。 「じゅっ……ちゅ……んん……ぢゅっ……ちゅうっ」 懸命に俺の亀頭を飲み込むミア。 しかし……「ミア、もっと、奥まで飲み込める?」 「んっ? ……んっ、く」 俺のペニスを咥えたまま、頷くミア。 「んっ……むっ、じゅう……」 俺を深く飲み込んでいくミア。 「うあぁ……っ」 亀頭からカリ首、それから肉竿へと、ミアの口の中の感触が広がっていく。 そのかわいい唇がカリを咥えた時は、あまりの気持ち良さに声が出てしまった。 「……んちゅ……んっ、んむっ……ぢゅっ、ちゅ……じゅぷぅ……」 ミアの両手が、ペニスの付け根を包むように握る。 その指も、既に唾液と先走りでべたべただ。 「んん……じゅぱ……っ、ちゅ……じゅ……ん、んんんっ!」 「……ぷあぁっ、けほけほっ、けほっ……」 「ミア、どうした? 苦しかったか?」 「ご、ごめんなさい、達哉さん」 「喉の奥が、奥に、その……」 きっと、頑張ってペニスを飲み込んで行って、思わず喉にまで飲み込みそうになってしまったんだろう。 「ありがとうミア、とても気持ちいいよ」 「でも、あまり無理して奥まで咥えなくても……」 「奥まで咥えない方が、達哉さんは気持ちがいいのですか?」 「いや、そ、そんなことは……」 俺の反応を見て、ミアはきっと決意を秘めた顔になった。 「も、もう一度、やらせて下さいっ」 そう言いつつミアは、再度亀頭に舌を伸ばしていた。 きっとミアは、月の王宮でも、いろんな知識や技術を体当たりで覚えていったんだろう。 「はむ……ぢゅっ……ちゅうっ……んうっ……」 「ん……いいよ、ミア……」 「……んむぅ……ん……っ」 再び、深くペニスを飲み込むミア。 「はむ……ちゅうっ……ぢゅ……んうっ……ぢゅぱ……」 「ミア、頭を動かして……」 俺がそう言うと、ミアは素直に頭を上下に動かす。 ミアの小さい口、薄い唇の中を、俺の剛直が何度も何度も出入りした。 「んちゅっ……んふ……ぢゅっ、ちゅぱ……っ、ぺちゃっ」 ミアの髪が揺れる。 熱い鼻息が俺の下腹部にかかり、少しくすぐったい。 ぎこちなくも一生懸命なミアの奉仕は、俺の一層の充血を促した。 「ずちゅっ……ちゅぷっ……んっ……んんっ?」 更に固くなった肉棒に気づいたミアが、少し驚いた顔になる。 ……が、すぐにまた、一心不乱に頭を動かし始めた。 さっきは咳き込んでしまった深さまで、ぐっと肉棒を飲み込む。 亀頭がミアの喉に当たり、そのまま喉に締めつけられた。 「ミア……くっ、すごく……いい……」 「んっ……ちゅぱっ……はあっ……ぢゅうっ……んぐぅっ」 じわっと腰が熱くなる。 もう留められない射精感に、ミアの頭をぐっと掴んだ。 「あぁ……ミア、手を動かして……根元まで……」 「んっ……んちゅぅっ……ちゅっ、んんっ……んぢゅぅっ……」 ミアの手が、俺の肉竿をしっかり握り、根元のあたりで打ちつけるようにシゴき始めた。 「ちゅぶっ……んぶ……ちゅばっ……うくぅ……んぐ……っ」 頭の動きも早くなる。 熱い舌は亀頭からカリに絡まる。 唾液まみれの手が、肉棒を握って高速で動く。 「んーっ……んくっ……ぴちゃ……ぢゅ……んぐうっ……ちゅぱっ」 ミアの温かい手が……何も言ってないのに、俺の陰嚢を弄び始めた。 「あぁ……ミア、もう俺……あっ、くぁ……っ」 「んちゅっ、ちゅぱっ……んふぅ……ぴちゃっ、ちゅぅ……ずちゅっ」 ……ミアの懸命の奉仕に、俺のペニスはついに陥落した。 どぴゅっ! びゅくっ! びゅっ!温かい口の中に、思い切り精を迸らせる。 「ん……んぐぅっ!?」 ……どくっ……どくっ……「……ぷぁ、けほっ、んぐ……っけほっ」 ミアは驚いてペニスを口から出してしまい、喉と、顔全体で白濁液を受け止めることとなった。 「ミア、大丈夫?」 「あ……は……はぃ……」 まだ少し、ぼうっとしているミア。 俺の問いかけに返事をしつつも──ぴくっぴくっと射精の余韻を残しているペニスの先を、舐め始める。 「んくっ……ぢゅ……んっ……こくっ……」 「え……あ、ミア……あぁっ……」 そこに残った精液を舐め取り、自らの口の中にあるものと一緒に飲み下してる。 「んっ……んく……ん……」 「んん……はぁ……ふぅ……」 少しだけ、呼吸が乱れているミア。 「た、達哉さんも、あの……大丈夫ですか?」 「何が?」 「あ、いえ、あの……」 「その……たくさん、出たので……」 頬を赤く染め、ミアが言う。 「そっか、ミアは実際に間近で見るのは初めてだもんな」 「……大丈夫だよ、ミア」 安心させようと髪を撫でる。 「今までも……こんなに出ていたんですね」 ……。 「た、達哉さん……?」 「うん」 「あ、あの……」 「気持ち……良くなっていただけたでしょうか?」 上目遣いのミアが、少し心配そうに訪ねてくる。 そんなの……これだけたくさん精液が出てるんだから、当たり前じゃないか……。 「ああ、とても良かったよ」 「ミア……初めてだよね?」 「えっ……ええっ!?」 「もっ、もちろん、初めてですよぅ」 泣きそうになるミア。 「ごめんごめん」 「ミアが、とても上手かったからさ」 「どうやって覚えたのか……聞いてもいい?」 「あ……えと……」 さっきまで泣きそうだったのが嘘のように、耳まで真っ赤になる。 「あの……べ、勉強しました……」 「どうやって?」 「うぅ……」 もじもじしているミア。 普通に考えれば、本とか映像なんだろうけど。 王宮に伝わる秘伝の……とかだったりして。 「あぅ……」 「ああ、言いたくないなら、無理に言わなくても」 「……す、すみません……」 「ちゅぅ……」 「んぁっ……」 ミアは、謝りつつ尿道口を吸った。 「んっ……ちゅぱっ……はあ、ふあぁ……ちゅっ」 ミアは、愛おしそうに俺の亀頭を舐める。 まるで、それが事後の掃除であるかのように……。 「うぁ……ミア……」 「ぢゅ……れろ……ちゅぱ……んはぁ……」 おかげで、敏感になっている亀頭は、さっきまで萎えかけてたとは思えないほど復活している。 俺は……俺ばかりが気持ち良くなっているんじゃなくて、ミアにも気持ち良くなってほしかった。 ……最後の夜だから。 ミアにばかりさせておくんじゃなくて、俺も、ミアに何かしてあげたかった。 優しく、ミアの黒い髪を撫でる。 「ミア、ありがとう」 「次は、俺に……」 そう言って、ベッドの傍に正座していたミアを、ぐっと持ち上げて後ろを向かせた。 「わ……きゃっ」 片足をぐっと持ち上げ、テーブルの上に載せる。 「た、達哉さん……?」 「ミア……」 「俺だけ、気持ち良くなってちゃ駄目だ」 「俺に仕えるとかじゃなくって、二人で……」 言いたいことが、上手く言葉にならない。 「ミアと、繋がって……」 「ミアとひとつになって、二人で気持ち良くなりたいんだ」 「達哉さん……」 「わ、わたしも、達哉さんが欲しいです」 「でも、いいのかなって……」 「もう、達哉さんのことが忘れられなくなりそうで……」 「忘れないでいい」 「忘れられないように……」 ぎゅっ「ああっ」 俺は、ミアの背後から、メイド服ごと胸を掴んだ。 服の上からだと、ほとんど分からないミアの胸の膨らみ。 それでも、確かに存在するそれを、押し潰すように激しく愛撫する。 「あ、ああっ……」 エプロンを大きく前に引っ張り、その下のボタンを外していく。 すると、ミアのブラジャーが丸出しになった。 俺は、片手でブラごと胸を揉みしだきながら、もう片方の手をスカートの中に入れる。 「ひゃぁうっ……はあっ……うあっ……あぁ……んっ」 びくっとミアの下半身が揺れる。 ストッキングと、パンツの間の太腿を撫でる。 「はぁ、はぁ……んっ、んはぁ……」 ミアの太腿は少し汗をかいてしっとりしていた。 そこに、執拗に、何度も指と手のひらを往復させる。 「はあぁ……あっ、ふあぁっ……くぅ……んんっ」 敏感な反応を見せるミア。 それでも、脚を閉じたりはせずに、俺のなすがままになっている。 誰も足を踏み入れていない雪原のように、白くて、初々しい太腿。 ……そっと舌を這わせてみる。 「あぁんっ……あうっ……ああっ……んはぁ……っ」 ぷるぷるとお尻を震わせながらも、ミアは何とか刺激に耐えようと踏ん張っている。 「んんっ! んっ……っ……ん……ううっ……んく……っ」 その耐える姿が可愛いくて仕方無い。 俺は、ミアのパンツの上から割れ目を撫でつつ──再度胸へと手を伸ばし、ブラをずらした。 「んっ、ああっ……うぅんっ……」 ブラのワイヤーがミアの乳首を擦った時、ぴくっと反応したミア。 指を伸ばして確かめてみると……ミアの乳首は可愛らしく勃っていた。 両方の乳首を、一度に摘んでみる。 「はぁんっ! はあぁ……んく……んん……っ!」 乳首は小さいのに、そこを弄った時のミアの反応は大きかった。 中指の腹で、転がすように刺激を与え続ける。 「はあっ……はあぁっ! んっ、はあ……ぁ……っ」 摘んだり押したり転がしたりしているうちに、最初は可愛らしかった乳首が……徐々につんっと誇らしげに勃ってきた。 「ミア……ここ、すごく勃ってるよ……」 「たっ、達哉さんが……ああっ、んっ……んんっ」 スカートの下では、中から染みだしてくる液体で、パンツがぐっちょりと濡れていた。 わざと音を立てるように、布地の上から割れ目を押し揉む。 くちゅ……ちゅぷ……ちゅ……くちゅっ……「あ……ああ……た、達哉さん……」 羞恥に、ミアが顔を真っ赤にしている。 俺は、更に強くミアの秘所を弄る。 ぐちゅっ……ぢゅ……くちゅっ……「だ、だめ……です……ぅあああっ、ああんっ、んんっ!」 パンツの布地が濡れて割れ目に貼りつき、その上からでも形が分かるようになる。 「た、達哉さん……脱がせて……脱がせて下さい……」 「ミア、こんなに濡れてるもんな」 「このままだと……パンツがぐちゃぐちゃに……」 「分かった。 ……一度、脚を下ろそうか」 一度ミアの脚をテーブルから下ろし、両縁に指をかけてするっとパンツを抜く。 そして、もう一度ミアの脚をテーブルに乗せると……「やぁ……は、恥ずかしいです、こんなに……」 こんなに大きく脚を開いて。 ……でも、おかげで俺からはミアの一番恥ずかしい部分が丸見えだった。 「舐めるよ」 「ええっ、そ、そんな……」 「たっ達哉さんっ、汚いですっ……」 「そんなことないよ」 「ミアの身体には……どこも、汚いところなんか無い」 ちゅっ手始めに太腿の付け根にキス。 「ふぁぁっ……ああん……っ」 それから、ミアの股間にキスの雨を降らせた。 「うぁ……ああぁ……あっ……」 お尻、太腿、膣口、陰唇、クリトリス……それら全ての場所に、思い出を刻むように、キスマークがつくくらいに激しく、口づけた。 「ひゃ……うっ……あんっ……あ……は……」 特に、包皮に包まれたクリトリスにキスをしている時には、多くの愛液が漏れてきていた。 それを舌に乗せ、更に周囲に塗りたくる。 ……だいぶ、ミアの身体はほぐれてきていた。 濡れ具合も申し分無い。 「ミア……挿れるよ?」 「はぁ、はぁ……はぁ……はぁ……」 「ど、どうぞ……達哉さん……」 「来て……下さい」 俺は、さっきからずっと勃ったままのペニスを、ミアの秘所に押し当てる。 そこはもうぐぢゅぐぢゅだった。 「あっ……」 今すぐにでも、俺を受け入れられそうに感じる。 腰に力を入れ、ミアの薄い小陰唇を左右にこじ開け、割れ目の中に侵入する。 「あぁ……あっ! ああっ、ああああぁぁっっっ!」 じゅぷうっ……やはり、数度のセックスを経ても、ミアの中はキツかった。 ミアの膣内は、俺の肉棒でみっちりと塞がれている。 「うぁぁ……達哉さん……、お、大きいです……」 実際、俺のものを全部挿れる前に、ミアの一番奥に到達してしまう。 ぐりぐりと、亀頭で子宮口を突く。 「はあぁ……あぁ……うあぁ……ぁ……ん……っ」 「ミア、動くよ」 「あ……は、はい……ぅ……んんっ、んんんっ!」 ついさっきまでミアの口に入っていた肉棒を……今は、下の口に出し入れしている。 「うあぁ……ああっ、あぁ……はぁ……ん……」 胸へ手を伸ばし、乳首に触れる。 すると、ミアの身体は面白いように反応し、膣がきゅきゅっと締まってきた。 「うあぁ! くはあぁ……うぅっ、ふあぁ……っ!」 その狭い膣道を、何度も行き来するペニス。 次第に、ミアの中から染みだしてきた新たな愛液が、滑りを良くしてくれる。 じゅぷっ、ぬぷっ、じゅぷぷぅっ、ぬぷっ……二人の性器が繋がっている部分からは、卑猥な音が響いてきた。 「ああぁ……っ、た、達哉さん……達哉さん……っ」 意識が朦朧としたまま、ミアが俺の名前を呼ぶ。 俺は、胸を弄ったりしていた手で、ミアの腰の一番細い部分をがっちり支えた。 折れそうなくらいに細いそこをしっかり固定すれば、どんなに突いてもミアは動けない。 「ミア、少し動くよ」 「は、はい……あっ、ええっ!? うあぁぁ……っ!」 テーブルから落ちかけていたミアの腰を、両手で抱えてぐっと持ち上げる。 そして、淫らに開いた両脚の間に、剛直を強く打ちつけた。 「ああっ! はあっ……んくぅっ! ああっ、うぁあっ!」 無数の肉襞が、ひとつひとつ、精一杯俺の亀頭に絡みつく。 俺のペニスは、その中を強引に動いていた。 「わ、わたしの中っ、達哉さんでいっぱい……です……」 肉棒が抜ける直前まで腰を引き、次の瞬間、一番奥まで突き挿れる。 一突きごとに、ミアは背を弓なりに反らせて喘いでいた。 「あっ! あんっ! ああんっ! うぅんっ!」 そのミアの喘ぎ声に、俺の頭が何も考えられなくなっていく。 限界が近い。 抽送の感覚を楽しんでる余裕が無くなり、俺は一心にミアの膣内を突いた。 「ああっ、た、たつやさんっ、わたし、わっ、わたし……ああっ、あああ……っ」 じゅぷっ! ぢゅうっ! ぐちゅっ! ぬぷっ! じゅぷっ!「くっ、ミア……ミア……っ!」 「んああっ! ああぁっ、んんっ……はああっ!」 ぎゅっと、ミアの小さい乳房を掴む。 ミアはびくびくっと震えた。 「ああぁ……と、溶けます……あぁ……ふあぁ……っ」 急激に締まるミアの膣内。 「やああっ! わ、わたしっ……あぁっ! んんっ! わあぁ……っ」 そのキツい中に、怒張を強く、深く打ち込んでいく。 「ふぁぁっ!! んんっ! あっ、んっ、ああっ、あっ、ああっ……」 ミアが頭を激しく振る。 最後に、一番奥まで、肉棒を押し込んだ。 「んぁあっ! くはぁっ、あぁっ、あっ、ああっ、んくっ……あああああああぁぁぁぁぁっ!!」 びゅくっ! びゅくうっ! びゅくっ!「ああぁっ! 熱い……ああぁ……はぁ、はぁ……あぁ……っ」 俺は、ミアの最深部に精液を注ぎ込んでいた。 どくっ……びゅっ……びくっ……「ああっ、ああぁ……はあぁっ……」 膣内は、俺の肉棒から精液を搾り取るように、ミアの呼吸に併せて波のように締まってくる。 俺は、愛液と精液でいっぱいいっぱいになってるミアの膣内で……更に肉棒を動かした。 「ああっ、たっ、達哉さん、だめ……ですっ、ああっ、あああああ……」 淫液が溢れんばかりのミアの膣は、いやらしい音を立てる。 じゅぽっ、ぬぷぷっ、ぢゅぷっ……「あっ、あふぁ……ああっ、あああっ、たっ、たつやさんっ、やっ、やめっ……」 射精直後の肉棒はまだまだ固かった。 ミアの柔らかいお腹をさすりながら、余韻を味わうように腰を打ち込んでいく。 じんじんとした、痺れるような快感が、下半身から脳にまで広がった。 「ああっ、だっ、だめ……ああぁんっ、ああっ、あああっ、うあぁぁ……っ」 俺とミアが繋がっているところのすぐ近くから……温かい液体が漏れだした。 「そんな、いや、いやぁ……あぁ……」 ちょろ……しゃーっ「やっ、あああっ、だめっ、だめぇ……」 「ミア?」 ミアは……お漏らしをしていた。 薄く黄色がかった液体が、床に広がっていく。 「ああっ、と、とまら……ない……です……あぁ……うぁ……」 ミアの膣内は、力が入らないのか、これまでで一番緩くなっていた。 俺は構わずに、腰を振った。 じゅぷっ……にゅぷっ……「ああ……うぅ……ああぁぁ……」 どうにもできない自らの身体に、ミアは泣きだしてしまった。 「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……うぅぅ……あぁ……」 俺は、そんなミアの頭を、優しく撫でる。 「ミア……」 ちょろ……ミアのお漏らしが、ようやく止まった。 「はあぁ……うぅ……あ、た、達哉さん……」 これまでに経験したことが無い大失態。 俺に怒られると思っているミアは、俺を半泣きの目で見つめていた。 「ミア、大丈夫?」 「えっ……あ、は、はい……」 「気持ちよくなり過ぎちゃったんだね」 「す、すみません、達哉さん……」 そう謝るミアの顔は羞恥で真っ赤になっている。 髪には、さっき俺が飛ばした精液がまだ垂れていた。 「いいよ、ミア」 「俺は、ミアに気持ち良くなってほしかったんだから」 「こんなになるまで、気持ち良くなってくれたなら、望むところさ」 俺はそう言って、まだミアの中に入りっぱなしになっていたペニスを抜く。 ぬぷぅぅ……すると、ミアの膣口から、たっぷり注いだ俺の精液も垂れてきた。 こぽっ……とろっ……「あっ、ああっ……」 また、ミアの中から出てきた液体が床を汚すのを心配してか、ミアが声をあげた。 「大丈夫、後から拭くさ」 「ミアも、手伝ってくれよ」 「わっ、わたしが……やります……」 そう言うミアは、右脚の太腿がびしょびしょになっていた。 太腿を濡らした液体は、ストッキングへと伝い、大きな染みを作っている。 「はぁ、あぁ……」 放心状態のミアは、少しぼんやりしていた。 だけど、発射直後にもミアの中で動かしていた俺の肉棒は……恥ずかしがっているミアを見て、むしろ固くなっている。 「ミア……」 俺は、背後からミアを抱えると、そのままベッドへと持ち上げた。 「えっ、あっ……きゃっ」 ミアを後ろ向きにだっこした格好で、ベッドに乗る。 ぎしっ、とスプリングがきしんだ。 「今日は……まだまだ、ミアに感じて欲しい」 「今晩のことを、忘れられないように……」 こんなに可愛いミア。 そのミアを抱けるのも、こうして繋がっていられるのも今晩が最後だと思うと……俺の肉棒は、再び天井を向いて勃っていた。 「た、達哉さん……」 「わた、わたしを……」 「達哉さんの、好きなようにして下さい……」 消え入りそうな声で、そう告げるミア。 「いいのか?」 俺は、もう一度、ミアの中に挿れて、無茶苦茶かき回したいと思ってる。 でも……ミアが大丈夫かどうか、少し心配していた。 「え、ええ」 「わたしを、また……溶かして……」 さっきの余韻が続いているのか、ミアは少し意識がとろけているのかもしれない。 それでも……俺は、ミアとの間に思い残すことが無いようにしたいと思った。 「ああぁ……」 抱えたミアの身体を、一度少し持ち上げる。 腰の位置を微調整すると……再度、ミアの割れ目に、亀頭があてがうことができた。 「あっ……ああ……っ」 「ミア、いくよ」 そのまま、ミアを抱える力を緩めると……俺の肉棒の上に、ミアの身体が降りてきた。 ずぷ……じゅぷぷぅぅ……っ「あっ、ぅあああああっ……んんんっ!」 俺の屹立が、全てミアの膣に飲み込まれた。 「ミアの中、熱いよ……とろけそうだ」 「あぁ……たつやさんの……すごい、です……ああぁ……んっ」 あまりミアの中の感触を味わう間も無く、俺はミアを動かし始めた。 抱えている身体を持ち上げ、また降ろす。 「あ……なんだか……今までと違うところに当たって……?」 そして、俺の肉棒がミアの割れ目から出入りする度に、淫らな音が部屋に響いた。 ぢゅぷっ……じゅぷうぅっ……ぬぷぷっ……ぢゅぱっ……「あぁんっ……あぁ……はぅっ……うぁぁ……っ」 ミアの下半身が、びくびく震える。 肉襞がキツくペニスに絡みついてくる。 「ああっ、ああぁんっ……え? あぁ……んああっ! あああっ!」 俺から逃げようとするかのように、ミアが身をよじった。 「うああっ! あっ、あっあああっ、んくぅ……」 「あっ、ああっ、ああぁっっ! ああ……あ……んっ……あぁ……」 ミアの膣内が、ぎゅうっと締まった。 もしかして……またイったのか?「ふはぁ……ああ……んっ、あぁ……はぁ……」 断続的に、きゅっ、きゅっ、と肉棒へ刺激を与えてくるミア。 「はぁ……た、たつやさん、わ、わたし……」 「いいんだミア、何度でも、気持ち良くなって」 「あっ、あああ……っ!」 再び、勢い良くミアを上下させる。 ぬぷうっ! じゅぷぅっ!「あっ、だっ、だめ……ああっ! ぅああっ!」 達したばかりで敏感になってるミア。 でも、俺は更に激しくミアを突き上げた。 ミアがイった時の膣の締まりが、とても気持ち良くて……何度でも味わいたいと思ってしまった。 「ぅあっ、んんっ! くうぅっ、はあぁぁっ! あぁ……んああぁ……っ」 ぬぷっ! じゅぷっ! じゅぷうっ!肺の中の全ての空気を吐き出してしまったかのようなミアが、か細い喘ぎを上げる。 「……っ……ぅっ……も、もう……あぁっ……はあぁ……っ!」 俺の指が、ミアの内腿に食い込むくらい、強く抱く。 そして、激しく動かした。 「あっ……ああっ、や……あぁっ……また……っ」 「はあぁっ……と、溶ける……あ、あっ、ああっ、んくっ……あああっ、はぁあああっっ!」 もう何度目かも分からなくなってきている。 ミアはまた絶頂に達し、俺の肉棒を健気に締めつけてきた。 「はあっ……はあぁ……はあ……ぁ……」 「ああっ! また、あっ、ああぅ……んはぁっ、ああん……っ!」 もう、ミアの膣内は誰のだか分からない液体でぐちゅぐちゅになっている。 互いの肉も熱くとろけ……俺のがミアに入っているのか、ミアが俺を飲み込んでいるのか……「ああっ! もう、もう、わたしっ……」 「ああっ、だ、あ、ああっ、また……っ、あああぁぁぁっ!!」 俺は、自分の限界まで、ミアを動かし続けた。 持ち上げ、亀頭が抜けそうになったら腕の力を緩め、またミアに屹立を飲み込ませる。 じゅぶっ! ぬるぅ……ずぶぅっ! じゅぷぅっ!「ぁああぅ……ああぁ……んんっ! あはぁ……ぅああ……っ」 ミアは俺が動かすままにするしかなく、俺のものを、秘所から出し入れしてた。 それでも、ミアの奥からはどんどん新たな愛液が出ていたし、膣は相変わらず強烈に締めつけている。 「ふあああっ……ひうっ……ああっ、んくっ……あうっ……ああっ、あああっ」 俺の肉棒を受け止めるためにミアが存在し……ミアの穴を塞ぐために俺の肉棒があるような錯覚。 俺も……何も考えられなくなっていった。 「くっ……ミアっ、ミアっ……」 「あぁ……たつやさん……た、たつやさん……」 うわ言のように、俺の名前を呼ぶミア。 俺は、最後の力を振り絞って、ミアの腰を激しく揺すった。 「あっ、ああっ! た、たつ……あっ! んんっ! あああっ!」 ずぬぬぅっ! ぢゅぷっ! ぬぷぷぅっ! ずぷぅっ!深く深く、ミアの一番奥まで、怒張を突き上げる。 「やあっ! ああっ、くうぅっ、んんっ! はああっ! ぅああ……っ!」 1ストロークごとに、ミアの膣の突き当たりをぐっぐっと突く俺の亀頭。 俺がミアの子宮を押し上げる度に、ミアは俺の名前を呼んだ。 「ああっ、たつやさんっ、たつやさんっ、ああっ、たっ、たつやさぁ……んっ!」 「ふあぁっ!? あぅ……たつ……ああっ、わ、わたしま……た……あっ、あっ、ああっ」 ミアがまた絶頂を迎えそうだ。 「ミアっ、俺もっ、いっ……しょ、に……っ」 俺の声が届いたかどうか分からない。 ただ、強く、激しくミアの膣内を突き上げる。 「たっ、達哉さ……やっ! やぁぁぁ……、あああっ、あ、あっ、ああっ!」 強くミアの肉襞が締めつけてくる。 俺も限界だった。 じゅちゅっ! ぶちゅっ! ぐちゅっ! じゅぽっ!「あっ、ああっ、んああっ! んくぁっ! あはぁっ! あああっ……あ、あ、あ、あ」 俺の想いを全て乗せて……ミアの膣内へ、残る全ての精を打ち上げた。 「ああっ、くうっ、ん……はああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」 びゅるうっ! びゅくっ! びゅくっ!「あ……ぁ……ぁ……」 びゅうっ! どくぅっ!「ぅ……ぁ……ん……っ……」 「……」 びゅっ……びゅ……「はぁぅ……あぁ……はぁ……」 ……。 …………。 しばらく、俺もミアも、動くことができなかった。 互いの呼吸音だけが、静かに耳に入ってくる。 「はぁ……はぁ……ぁ……」 時折、どちらかの下半身がぴくっと痙攣した。 その度、結合部からはこぽっと粘液が漏れ、俺の肉棒を伝って垂れる。 ……。 頭の芯が、じんじん言っていた。 きっと、ミアも似たような状態だろう。 「ミア、どう……だった?」 「あ、あの……とても、すごくて……」 「身体が、わたしの身体じゃないような……」 「ふわふわして、頭の中が真っ白になってて」 「……そんな気持ちでした」 「そっか」 もう何度目か分からないけど……俺はまた、ミアの頭を撫でた。 「達哉さんは……どうでしたか?」 「わたしで、気持ち良くなっていただけていれば良いのですが……」 「さっきも言ったろ」 「俺はとても気持ち良かったし……」 「俺一人じゃなくて、ミアにも気持ち良くなって欲しかったんだ」 「達哉さん……」 いつまでも、このまま繋がっていたい。 多分、二人とも同じことを考えている。 でも…………。 …………。 それは、叶わない夢だ。 「ミア……?」 「は、はい……達哉さん……」 「……抜くよ」 「あ……」 ……。 一瞬、ミアはためらったけど。 「は、はい……」 既に力を失いつつあった俺の肉棒は──ミアを少し持ち上げただけで、ぬるっと割れ目から押し出された。 ごぷっ俺の亀頭が最後に抜けた穴から、精液が溢れる。 「あぁ……」 どろっ……とろ……白濁液が、ミアの愛液と混じって、俺の下腹部に垂れる。 「ミア……」 「達哉さん……好きです、大好きです……」 ミアが、絞り出すような涙声で、俺に言う。 その言葉に、俺は掻きむしるようにミアを強く抱きしめた。 「俺だって……!」 でも……俺を振り返ったミアの顔は、穏やかだった。 「ありがとう……ございました」 「これで……思い残すことは……」 「……ありません」 「そっか……」 「良かった、本当に……良かった」 その微笑みを、俺は信じることにした。 もしかしたら……と思う一縷の希望も、表に出ることは無いであろうミアの想いも、俺の想いも──何もかもを、その笑みで上書きすることにした。 これでいいんだ。 「明日は、笑って……」 「お別れしよう、な」 「はい」 ……。 …………。 月人居住区の中でも、大使館の奥にあって、一般の人には全く馴染みの無い「連絡港」 。 月-地球往還船の出発ロビーは、施設の規模に比べて、ものすごく閑散としていた。 「お世話になりました」 「お、お世話に……なりました」 「こちらこそ」 鷹見沢家一同には、うちから出る時に見送られた。 大使館の車に同乗して、ここまで来たのは俺と姉さんと麻衣。 ホストファミリーとして、連絡港での見送りとなった。 「何かと不自由だったと思いますが、有意義な留学となったでしょうか」 「ええ、もちろんよ」 ……フィーナが、月に帰る。 もちろん、ミアも一緒だ。 ミアも、月に帰る。 見送りに来た俺は……どうせ見送るなら、笑顔で別れようと考えていた。 ……。 …………。 私物の少なかったフィーナとミアは、トランク一つだけを携え、出発の準備を終えている。 「お土産は買ったんですか?」 「ええ。 もう往還船に積み込んだわ」 「……あとは、身一つで乗るだけよ」 ガラス越しに、青く晴れ渡った空を見上げるフィーナ。 「晴れて良かったわ」 「窓の外に、もう一度満弦ヶ崎を見られるものね」 「……」 「……ミアちゃん、これ」 もう、涙が溢れかけているミアに、麻衣が小さな包みをひとつ渡す。 「ミアちゃんに教えてもらった通りに作ったジャムだよ」 「あ……」 「ありがとうございま……す……麻衣さん……」 ぼろぼろと、ミアの頬を大粒の涙が伝う。 ミアは、麻衣の包みを胸に抱きしめた。 俺も、瞼の中から液体が溢れそうになる。 こらえるために、上を向く。 ……。 空は、どこまでも青かった。 ここから飛び立つ往還船を見上げる俺の姿は、ミアからは見えるだろうか。 どんなに高く昇っても見えるように──俺は、上着を脱いで、大きく振ろう。 俺からミアが見えなくなっても、ずっと振っていよう。 ……。 「フィーナ様、そろそろ搭乗のお時間です」 「分かりました」 もう一度、俺たちに向き直るフィーナ。 そして……その後ろに、そっと付き従うミア。 「……では、これで私は帰ります」 「皆様から受けた御恩は、一生……」 「一生、忘れません」 フィーナも、涙がこぼれないようにするのが精一杯だ。 でも、ぐっとこらえて。 もう一度、微笑んで。 俺を見た。 「それと」 「ミア、これまで、私の世話を見てくれて、本当にありがとう」 「えっ」 「あなたは、ここに残りなさい」 「……これが、私からの、最後のお願い」 ……。 「……ひ、姫さまっ」 「先日の件で、ミアと達哉の繋がりの深さに気づかされたわ」 「そして、ミアの言葉のおかげで……」 「私も、見失っていた自分、そして母と乳母の思いを受け取ることができたの」 フィーナは、ミアに真剣な目をして頷く。 「もう大丈夫。 安心して」 「私も、そろそろ親離れしないといけないでしょう?」 ……。 …………。 俺は、フィーナが言ってることを理解するまでに、たっぷり数秒を費やした。 よく見ると、無理矢理笑顔を作っているのが、ばればれのフィーナ。 「フィーナっ!?」 「いつまでも、ミアに心配してもらわないといけない姫ではいられないわ」 ……。 「だから、今度は、私に背中を押させて頂戴」 「……昨日、達哉がミアにしてくれたようにね」 フィーナが、ミアの耳元に囁く。 「幸せになりなさい」 フィーナがミアの背中を──とん、と軽く押す。 自失状態のミアはふらふらと三歩、四歩……涙でぐしゃぐしゃの顔を、俺の胸にうずめた。 「行くわよ、カレン」 「はっ」 くるっと踵を返し、搭乗ゲートに向かうフィーナ。 トランクを引くカレンさんが一瞬振り返り、俺に向けて頷く。 ……。 フィーナの足音がロビーに響いていた。 まっすぐ搭乗ゲートに歩いていく、高貴な後ろ姿。 フィーナは、小刻みに震えていたように見えたけど──一度も振り返らず、搭乗ゲートの中に消えて行った。 ……。 …………。 フィーナからの便りが届いたのは、それからほんの数日後だった。 「達哉くん、ミアちゃん」 「フィーナ様からよ」 「本当ですか?」 俺とミアが同時に覗き込む。 便箋には、端正なフィーナの直筆の文字が並んでいた。 「手配してあげるから、一度二人でこっちへ帰って来なさい」 「達哉も、クララには会って、話を直接通さないといけません」 「私がクララに達哉の人となりを話したら、是非会いたいと言っていたわ」 「二人の仲については、私が上手く取りなしておいたから、心配しないで」 ……。 空港でフィーナと別れ、ミアが地球に残ってから、何か落ち着かなかった。 色々と、ケジメをつけなくてはいけない事だらけだったからだ。 ……。 フィーナから、ミアを奪ったような形になってしまったこと。 月人であるミアが、地球に住んでいいのかってこと。 俺は、将来やっぱりミアと──結婚するのだろうかってこと。 ……。 …………。 「達哉くんも、早くしっかりしないとね」 「はい」 俺はカテリナ学院を卒業したら、そのまま満弦ヶ崎大学へ進学するつもりだ。 その後は、もしかしたら姉さんのように月へ留学するかもしれないし……ずっと地球にいるかもしれない。 とにかく、月関係の学部へは進もうと思っている。 ……。 姉さんに聞いた話だと──カレンさんが動いてくれたおかげで、ミアが地球に住むことにも許可が出たそうだ。 だからミアは、とりあえずそのまま屋根裏部屋に住んでいる。 俺たちは、少なくとも表面上は、それまでとあまり変わらない生活を続けていた。 ……。 「そろそろ行くか」 「はい」 一つ変わったことと言えば。 ミアが、トラットリア左門で働き始めていた。 フィーナに仕えていた分の時間で、少しでもうちにお金を入れようとしているらしい。 俺や菜月とは違い、昼の部も夜の部も働いている。 「看板娘の座が奪われそうよ……」 「ミアちゃんは、料理も上手いからね」 「仁より先に厨房スタッフになるかも知れんぞ」 「はっはっは。 僕も精進しないといけないなぁ」 ……。 そして、もう一つ大きく変わったことがある。 俺とミアが、結婚を前提につき合っていることが、知れ渡ったことだ。 最初は、姉さんと麻衣に。 次に鷹見沢家一同に。 ……もちろんみんな知ってはいたけど。 俺たちは、ちゃんと告げて回った。 ここまではいい。 しかし……気づくと、商店街中の人が知っているのはどういうことだ。 「あらミアちゃん」 「旦那が持ってくれるだろ。 これを買ってくれたら、こっちもサービスするよ」 「山芋がいいらしいよミアちゃん」 「えっ、何に……ですか?」 「それは旦那に聞いてくれよぉ」 「定番のニンニク、オクラもいいそうだが」 「あのねえ」 「あらやだ、たっちゃん元気無いの?」 「それなら……ちょっとシーズンには早いけど、何と言っても牡蠣がお勧めだよ」 「あとはウナギだね。 安くしとくよ」 二人で買い物に出ると、こんな具合だ。 ……。 実際……そんな心配をされなくても、俺はほとんど毎晩、ミアと寝ていた。 最初からそうだったけど、ミアは熱心に色々と勉強する。 俺もミアも、夜を重ねるごとに、互いが無くてはならない存在になっていった。 ……。 …………。 季節は巡り。 また春がやってきた。 ミアと出会った季節だ。 ……俺は、無事満弦ヶ崎大学に入学した。 ミアは、地球での日々の出来事やそこから考えたこと、感じたことを、フィーナに送り続けている。 忙しいはずなのに、フィーナからもよく返事が来ているようだ。 ……。 「達哉さん、あれを見て下さい」 ミアは、庭の隅の木を指さした。 「あの木に、チコが巣を作っているんです」 「あんなところに?」 「ええ」 「どうやら、いい旦那さんを見つけたようですよ」 「あれ、チコってメスだったんだ」 「そっか……ちゃんと卵を産んで、育ってくれるといいな」 「そうですね」 「雛が落ちないかどうか、ちゃんと見てなくっちゃ」 「チコなら、大丈夫だろ」 「くすくす……そうですね」 ……。 入学前の春休みには、一度、ミアと二人で月にも行って来た。 フィーナが、約束通り手配してくれたのだ。 久し振りに会うフィーナは、一段と姫としての威厳が備わっていた。 クララさん……ミアのお母さんにも会うことができた。 ミアそっくりのクララさんは、ミアをよろしくと笑顔で言ってくれた。 ……。 「そうだ、達哉さん」 「姫さまからのお便りがまた来たんですが……」 「今度の夏に、また地球へ来る機会があるそうですよ」 「仕事なので、あまり長くは居られないようですけど」 「フィーナのことだ、一晩くらいはこっちに来るんだろうな」 「盛大に歓迎しないと」 「今から楽しみです」 「そうだな」 ミアの頭を撫でる。 「……」 ミアは目を閉じ、俺に撫でられている感触を楽しんでいた。 ……。 ……。 フィーナが地球へ留学しに来たこと。 お供にミアを選んだこと。 ホームステイ先にうちを選んだこと。 ……そんな、様々な偶然のおかげで、今の俺とミアの関係が生まれた。 それらの全て、そして何より……俺たちが一緒に居られるようにしてくれたフィーナに、今、心から感謝している。 生まれ育った月から、遠く離れたこの場所にいるミア。 そんなミアと、共に歩いていく俺。 二人が、ずっと一緒にいること。 俺とミアが、この関係を温め、育てていくことが──みんなへの恩返しになると信じて。 放課後、俺と菜月は校門へと歩いていた。 今日は月曜日。 例によって左門のバイトデーである。 「……ふわあぁぁ」 「あ、虫歯発見」 大きなあくびをかます菜月にツッコむ。 「やだ、ちょっとどこ見てるのよっ」 「菜月がでかい口開けるから」 「つーか、さっきからあくびばっかだなあ」 朝から今に至るまで、あくびの回数がゆうに2桁は行ってる気がする。 「昨日、海ではしゃぎすぎちゃったからかなぁ。 イマイチ疲れが取れなくて」 「そう言われてみれば、俺も体がだるいな」 「……ふわぁ」 「あはは、私のあくび移った。 あははは」 「そんなに笑うか? あくびって普通移るもんだろ?」 「そうなんだけど、ホントに移るんだもん。 あははは」 なにやら妙にツボに入ってしまったらしく、笑いこけている。 「こら。 人を指さして笑ってはいけません」 「ごめんごめん」 「……あはははっ」 「こらこら」 そう菜月の頭をこつんと叩いた瞬間。 「……あ! 麻衣のお兄さんだ!」 ……背後で大きな声がした。 「あーほんとだ。 朝霧先輩だ!」 「ちょ、ちょっとちょっと、やめてよー」 見れば、フルートを持った女の子たちが猛スピードで駆け寄ってくる。 ……麻衣と同じ部の子たちだろうか?「あ、麻衣だ」 「よう。 今から部活か?」 「う、うん。 そうなんだけど」 「……もしかして私たち、お邪魔虫だったかな?」 「え?……あ、そうか。 デートだ」 ……。 俺と菜月を交互に見ながら、ひやかすような視線を送ってくる少女たち。 もしかして、なんか誤解されてる?「あ、あのー……」 「も、もう、お兄ちゃんは見せ物じゃないって言ってるでしょ」 「ごめんごめん。 そんなに怒らないでよ」 「どさくさにまぎれて質問! お二人は、これからどこかに行かれるんですか?」 「うん。 私たち商店街にあるレストランでバイトしてるの。 だから一緒に……」 「えーーーっ」 「……聞いた聞いた? 同じバイトだって」 ……もしかしなくても、誤解されてるんだろうなあ。 これって。 「……どうする達哉。 このままほっとく?」 「はぁ?」 「ほら、誤解とくのも面倒臭いし、これはこれでおもしろいかなって」 顔は真面目なくせに、声だけはニヤついている菜月。 おもしろいとかおもしろくないとか、そういう問題じゃないと思うが……。 「あの……もしかしてお二人は、付き合……」 「もう、いい加減にしてってばっ」 「あ、怒った」 「お兄ちゃんは忙しいんだから、つまんないことで引き留めたらダメ!」 「分かった、分かったよー」 「ごめんね麻衣~。 アイスおごるから許して~」 「ぅ」 ……モノで釣られるな、我が妹よ。 って、まずいまずい。 こんなことしてる場合じゃないんだ。 「じゃ、じゃあ、そろそろ行くな」 「う、うん。 ごめんね。 バイトがんばって」 「おう、あとでな」 ……俺たちは、後輩たちに見送られながら校門へと歩き出した。 ……。 「……麻衣って、ホントにお兄ちゃんのことが大好きなんだねえ」 「え……?」 菜月の何気ない一言に、どきっとする。 「なんで動揺してるの?」 「してないよ」 「急にヘンなこと言うからびっくりしただけ」 「菜月だって、『仁さんってお前のこと大好きなんだな』って言われたら驚くだろ?」 「ひゃあぁ」 菜月が怪しげな叫び声を上げる。 「見て見て、そんなこと言うから鳥肌立っちゃったよ」 あ、ホントだ。 ……仁さん、不憫だなあ。 「……あぁ、違うの。 別に私が兄さんのこと嫌いとか言ってるわけじゃなくてね」 「分かってる」 「菜月は仁お兄ちゃんのことが大好きですって、後で仁さんに言っとくよ」 「……冗談だよね?」 「冗談です」 菜月に小さく睨まれ、即座にうなずいた。 なんだかんだで、菜月と仁さんは仲がいい……と思う。 いつも口喧嘩ばかりしてるけど、仕事上ではお互い信頼し合っているのが分かるしな。 「でも、達哉たちほど仲のいい兄妹も珍しいと思うよ?」 「……そうかあ?」 「そうだよー」 「ほら、このぐらいの年になると、仲良くするのが逆に照れくさかったりするでしょ」 「……それはあるかもな」 「でも、兄妹なんだから、お互い好きなのは当たり前だと思うけど」 「えー、そう?」 「そうだよ。 兄妹なんだし」 「そうかなー。 兄妹だから絶対好きとは限らないと思うよ?」 「……」 なんとなく、黙ってしまう俺。 なぜか心がモヤモヤする。 でも、その「モヤモヤ」 を上手く言葉にすることができない。 「……」 「やめよっか、この話。 なんか急に恥ずかしくなってきた」 「ああ、そうだな」 俺たちは気を取り直し、小走りに左門へと向かった。 ……。 「ただいまー」 左門での夕食後。 いつものようにイタリアンズの散歩に行ってきた。 「お帰りなさい、達哉くん」 「ちょうどお風呂あったまってるから、今のうちに入っちゃって」 「あれ、麻衣は?」 「麻衣ちゃんなら、今お風呂から出たところよ」 「そっか。 じゃ入るかな」 朝霧家では、夏でもちゃんと浴槽に湯を張ることが多い。 姉さんいわく──「湯船に浸からないと疲れが取れないから」 だそうだ。 「ちなみに、今日の入浴剤はローズヒップなの」 「なんでも美肌効果があるんですって。 うふふっ」 ぷにぷに、と自分の頬を触りながら笑う。 ……俺も喜んでおいたほうがいいのだろうか?「あ、お風呂終わったら栓を抜いておいてね」 「うん、分かった」 姉さんは軽い足取りでリビングへと戻っていった。 ……そういえば以前、姉さんが「蜂蜜レモンの入浴剤」 にハマったことがあったっけ。 あれも確か、美肌効果がなんちゃらとか言ってたような。 どうやら今回のブームも、長く続きそうだ。 ……。 「……失礼しまーす」 脱衣所のドアをノックし、中が無人なのを確認してからゆっくりと中に入っていく。 フィーナとミアがこの家に来てから、ごく自然に身についた動作だ。 ちょっと前までは、考えなしに家中のドアをばかばか開けていた。 おかげで風呂場で大変なことになったりして……。 ……今考えると、相当デリカシーの無いことしてたんだよな。 「ふぅ……」 しかし、今日の左門は忙しかった。 4、5人のグループが立て続けにやって来て、あっという間に満席になってしまったのだ。 おかげでふくらはぎはパンパンだが、まあヒマ疲れするよりはずっといい。 「……あれ?」 シャツを脱ぎ、ランドリーボックスに入れようとした瞬間。 床に、ヒモのようなものが落ちているのを見つけた。 「なんだこれ」 ……まじまじと見つめてから、持ち上げる。 それは、小さな白いリボン。 いつも麻衣が髪に結んでいるヤツだ。 「……」 風呂から上がったら、届けてあげよう。 ……。 風呂から上がり、リビングに入る。 すると、そこにはフィーナとミアがいた。 「あれ? 二人とも風呂入った?」 「ひゃぐっ!」 ……ひゃぐ?なぜか二人は、驚いた表情で俺を見た。 「あ、あら達哉。 お帰りなさい」 「ただいま。 あ、なんか甘い匂いがする」 「ぎくっ」 ……ぎくっ、て。 わざわざ口に出す人、生まれて初めて見たぞ。 「た、達哉ひゃん、んぐっ……しゅ、しゅみまへん……むぐ」 「ミア。 食べ物を口に入れながら喋るのはお行儀が悪いわ」 やれやれ、といった様子でフィーナはため息をつく。 「達哉、怒らないで聞いてほしいのだけど」 「実は私たち、アイスを食べていたの」 「ふーん」 「……怒らないの?」 フィーナは不思議そうに言う。 「なんで?」 「なんでって……」 「なんでって、残り2つしかなかったアイスを私たちが食べてしまったんですよ?」 「しかもハーダンゲッツ季節限定マンゴー味ですよ?」 「売り切れ続出、再販ナシと噂される幻の逸品ですよっ?」 「わ、分かった。 分かったから落ち着いて」 「わ、私からもお願いするわ。 落ち着いて、ミア」 「……あ! す、すみませんっ、つい取り乱してしまいました」 しゅん、と縮こまるミア。 「つ、つまりですね。 達哉さん」 「うん」 「私たちの住む月では、マンゴーは非常に貴重なものなのです」 「どれぐらい貴重かと言うと、王宮でも食べたことのある人がほとんどいないぐらいでして」 「へえー、そうなんだ」 マンゴーって、育て方が難しいっていうしな。 こっちでも一応、高級果物扱いされてるぐらいだし。 「それでですね、マンゴーアイスが冷凍庫に残り2つしかないと知っていたんですけど」 「麻衣さんに食べていいと言われた時、嬉しくてつい手を伸ばしてしまい」 「あ、もちろん達哉さんのことを忘れていたわけではないんですよ?」 「で、ですが、気がついたらもう半分以上も食べてしまっていたんですーっ!」 「み、ミア、落ち着いてっ」 「……というわけなの。 ごめんなさい、達哉」 ……。 大いに取り乱すミアを見ているうちに、だいたい話が読めた。 要するに彼女たちは、俺が風呂に入っている間、夢中でアイスを食べていたと。 で、俺がリビングに入ってきた時初めて、俺の取り分が無いことに気づいたと。 「……俺、そんなに心の狭い人間だと思われていたのか」 「そ、それは違います! 違うんですよ達哉さんっ」 「はははっ、冗談だよ」 「俺は甘いものあんまり得意じゃないから、どんどん食べてもらって構わないよ」 ぜんぜんダメってわけじゃないけど、この家の女性陣ほどの情熱はないしな。 「でも……マンゴー味ですよ? 売り切れ続出ですよ?」 「マンゴーでも、売り切れ続出でも」 それに……地球にいれば、本物のマンゴーが比較的安易に手に入るんだよな。 「……達哉の心遣いに感謝するわ」 「せめて、と言うわけではないけれど、一口だけでも食べてくれないかしら」 フィーナはアイスをスプーンですくい、俺に差し出した。 「い、いや、ホントにいいって」 「姫さま、いけません! 姫さまのアイスを減らすわけにはっ!」 同じように、スプーンを差し出すミア。 「ホントにいいんだってばっ」 こんなにしつこく食い下がるということは、よっぽど後ろめたかったのか、ミア……。 「……あれ? そういえば」 はた、と気づく。 「麻衣はアイス食べなかったの?」 「ええ、そうなの」 「麻衣さんを差し置いてアイスをいただくのは忍びなかったのですが……」 「ご本人がいらない、とおっしゃるので」 「ふーん……」 麻衣のことだから、二人に気を遣って譲ったんだろうけど。 それにしても、珍しいこともあるもんだ。 ……。 …………。 しばらくしてから、俺は麻衣の部屋の前に立っていた。 ……。 「麻衣、起きてる?」 「あ、お兄ちゃん。 どうぞー」 ……。 「散歩から帰ってきてたんだ?」 「おう」 「お風呂もう入った?」 「ああ、今さっき」 久々に入る、麻衣の部屋。 五年前くらいまではよく互いの部屋を行き来してたが──その回数も、だんだん減ってしまった。 ……思えば、意識的にそうしていたのかもしれない。 「……くんくん、くんくん」 「わっ、な、なんだよ」 急に麻衣が犬みたいな真似をするので、思わず後ずさる。 「お兄ちゃんが、また、わたしのシャンプー使ったんじゃないかと思って」 「だから使ってないって」 「別にいいんだけどね、使っても」 「ほら、いい匂いでしょ?」 麻衣は、背伸びをしてぐっと俺に近づいた。 「……」 ほんのりと濡れた髪から、甘い匂いが漂う。 上気した頬と、襟元から覗く鎖骨。 俺の首筋に麻衣の吐息があたり、とっさに身を引いた。 「そ、それよりほら! 忘れ物届けに来てやったぞ」 「忘れ物?」 「……あっ」 俺が差し出したリボンを見て、麻衣はぱちんと手を叩いた。 「ありがとー。 どこにあったの?」 「風呂場」 「そっか。 髪洗うから外したんだ」 「でも、よくわたしのだって分かったね」 「……」 「そりゃ、分かるに決まってるだろ」 だってこのリボンは……。 「……」 麻衣はじっと俺の顔を見ている。 まるで、なにかを試しているかのような目だ。 「……いい加減、違うリボン買ってもいいんじゃないか?」 「それ、子供の頃からずっとつけてるだろ」 「いいの。 あんまり無駄遣いしたくないし」 「それに、これはお兄ちゃんがくれたものだから……」 「……」 このリボンは、かつて俺が麻衣にあげたものだった。 『これから僕たちは本当の兄妹になるんだ』『血が繋がっていないことは、誰にも内緒だよ』幼かったあの日、二人で交わした秘密の約束。 その誓いを忘れないようにと、麻衣にあげた白いリボン。 ……別にリボンじゃなくても、なんでもよかったのだ。 血の繋がりは無くても家族になれる。 いや、なってみせる。 その決意を、何かに託したかっただけで……。 「……お兄ちゃん」 「うん?」 「わたしたち、ちゃんと兄妹やれてるかな」 麻衣の瞳は、不安げに揺れている。 こんなことを言い出すのは、初めてのことだった。 「大丈夫だろ。 きっと誰にも気づかれてないよ」 「そっか」 「……でもね」 「ん?」 「……ううん。 何でもない」 「わたし、そろそろ寝るね」 「あ、ああ」 ……。 おやすみの挨拶をしてから、俺は麻衣の部屋を出た。 ……なんだろ、麻衣のヤツ。 妙に寂しげに見えたのは、俺の気のせいだろうか。 ……。 …………。 翌朝。 起きてからダイニングに下りると、既に朝食の準備が済んでいた。 ご飯と豆腐の味噌汁、だし巻き玉子とほうれん草のおひたし。 それと焼き鮭。 ごくごく一般的な、和朝食セットである。 「あぁ……やっぱり白米はいいわねえ」 濃厚緑茶を飲んで通常モードに切り替わった姉さんが、ほっとしたようにつぶやく。 「今日のメニューのハイライトは、ミアちゃん特製のだし巻き玉子だよ」 「おお、素晴らしい」 「素晴らしいわ」 「素晴らしいわよ、ミア」 一同の喝采を浴び、ミアは真っ赤になった。 「皆さん大げさです。 ただ焼いただけですから」 「そんなことないよ。 高度な技が必要とされるメニューだ」 「手首の返しが重要なんだよね」 「この形といい焼き加減といい、もはや職人の域だわ」 「いや、むしろ達人かと」 「達人なのね、ミアは」 「と、とんでもないです……」 さらにさらに赤くなるミア。 茹でダコ一丁上がり、といった様子だ。 「あ、そういえば納豆もあったんだ」 麻衣は冷蔵庫から、納豆を5パック取り出した。 「あらあら、嬉しいわ。 ご飯が足りなくなってしまいそう」 「おかわりあるから、どんどん食べてね」 「……」 「……」 「?」 フィーナとミアは、姉さんが開けた納豆パックをまじまじと見つめている。 ……もしや、納豆を見るのが初めてなのか?「……これは、ビーンズですか?」 「大豆を発酵させた食べ物で、納豆っていうんだ」 「ナットウ」 「ナットウ」 律儀に復唱する二人。 「心配しないで下さい。 決して腐っているわけではないんですよ」 「い、いえ、そのようなことは」 「お、思ってないですよ。 ええ」 二人して後ろを向く。 納豆独特のこの匂い。 この容姿。 この粘り。 ……まあ、知らない人が見たら普通は引くよなあ。 「あ、あのっ」 「無理に食べなくていいんです、ごめんなさいっ」 麻衣はとっさに納豆を下げようとした。 「麻衣、ちょっと待って」 「え?」 「ほら、いい機会だから二人に挑戦してもらえば?」 「月では納豆を食べることもなさそうだし」 「でも……」 「ええ、達哉の言う通りだわ」 フィーナは箸を握る手にぐっと力を込めた。 「私たちは、地球の文化を学びに来たのですもの」 「そ、そうですね、姫さま」 「わたしも、新しい食材を見ると血が騒ぎます」 二人の表情はやや固かったが、どうやら覚悟は決まったらしい。 「それで、どうやって食べればいいのかしら?」 「混ぜる。 とにかくひたすら混ぜる!」 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ納豆パック片手に実演すると、二人はマジックショーを観ている観客のようなまなざしになった。 「姫さま、見て下さい。 あんなに粘りが」 「まるで竜巻のようね……」 「お二人とも、どうぞ真似してみて下さい」 「こうですよ、こうっ」 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ姉さんは、いつにも増して真摯に納豆へと向かった。 「す、すごいです! わたしも頑張ります!」 「頑張りましょう、ミア」 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃそれぞれが無心に納豆をかき混ぜている。 フィーナはコツが掴めないのか、苦戦を強いられている様子だ。 「フィーナ、も、もういいんじゃないかな?」 「いえ、だめよ」 「達哉のような粘りにはほど遠いもの」 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ納得がいかないのか、フィーナはさらに箸の回転を速めた。 ……うーん、このままじゃ遅刻してしまいそうな予感。 「フィーナ、もっと箸を強く持って」 「こうかしら?」 「いや、もっと下のほうを」 「こう?」 「いやいや、そうじゃなくて」 「こうっ」 ぎゅっ見ているだけでは歯痒くて、つい箸を持つフィーナの手を握りしめてしまう。 「あっ……」 「あ……」 何とも言えない空気が、辺りを支配した。 「あら」 「まぁ」 「……」 「ご、ごめんっ」 俺はとっさにフィーナの手を放し、無礼を詫びた。 「悪気は無いんだ。 ついつい手が伸びちゃって」 「……謝らなくても良いわ、達哉」 「私のためを思ってしてくれたのですもの。 逆にお礼を言わなくてはね」 「でも……」 とはいえ、相手は月のお姫様だ。 場合が場合なら、俺は打ち首になっても文句を言えない立場かもしれず。 ……てのは、大げさか?などと悶々と考えていると。 「達哉」 「え?」 「もう一度、基礎からお箸の持ち方を教えてくれるかしら?」 フィーナは上品な笑みを浮かべた。 「わたしもお願いします、達哉さん」 「特にこの、ねばーっとした糸をどう始末していいか分からなくて」 「……うん、分かった」 俺は頷いた。 どうやら怒ってないみたいだな。 よかった……。 「ではまず、こうやって箸を素速く回転させ……」 「お、お兄ちゃん」 「ん?」 「……えっと」 それまで黙っていた麻衣が、突然身を乗り出した。 「わたしにも教えて」 「は? 何を?」 「だから……」 「お箸の使い方だよ」 意味が分からず、俺は首を傾げた。 「今さら何言ってるんだ。 ちゃんと使えてるだろ?」 「そ、そうだけど……」 「お兄ちゃんみたいに、力強い粘りが出ないんだもん」 「安心しろ、麻衣はもう免許皆伝だ」 「こちらの2名は初心者コースなんだからな」 「……そ、そっか」 「麻衣ちゃん。 達哉くんの言う通り、もう十分よ」 「十分な粘りだと思います」 「堂に入った粘りだと思うわ」 「ほら、褒められた。 よかったな、麻衣」 「あ、ぅ……」 麻衣は何かを言いかけ、やがて言葉を呑むように俯く。 笑顔と困惑が入り交じったような、何とも言えない表情だった。 「……」 「達哉さん、見て下さいっ」 「この粘り、合格ですか?」 ミアは得意げに手持ちの納豆を差し出す。 「ああ、合格だ」 「私のはどう?」 「フィーナも合格」 そう答えると、二人は嬉しそうに微笑み合った。 ……。 キーンコーンカーン……四時間目が終わり、待ちに待った昼食タイムだ。 俺はこれから購買部で繰り広げられる戦いに挑むべく、「うしっ」 と気合いを入れた。 「フィーナ、購買に行くけど買ってきてほしいパンある?」 そう尋ねると、フィーナは小さくかぶりを振った。 「いつも買ってきてもらっているから、申し訳無いわ」 「今日は私が行きます」 「だ、だめだっ」 「あんな戦場にフィーナを差し向けるわけにはいかない」 俺はぶんぶんと首を振った。 「とにかく、今日は俺に任せてくれ」 「では、私も一緒に」 「いや、それはもっといかん」 こういう場合、二人よりも一人のほうが動きやすかったりする。 第一、フィーナのことが気になって、パンを買うどころじゃなくなるかもしれないし。 「なになに?」 「朝霧君、パン買ってきてくれるの?」 「あ、私もー」 「今日はヤキソバパンが食べたいな」 振り返ると、二人はきらきらとした眼差しを俺に向けていた。 「あのなあ、ヤキソバパンは……」 「ヤキソバパン?」 「……それはどういうものなの?」 フィーナは不思議そうに首を傾げた。 「パンにヤキソバが挟まってるんです」 「そのまんまだ」 「えっと、厳密に言うと、焼いたソバがパンに挟まってるの」 ぜんぜん厳密じゃない。 「ソバを? 焼く? パンに?」 「……では達哉、私もそのヤキソバパンというものをお願いしてもよいかしら?」 「うっ」 俺は思わず詰まった。 ヤキソバパンといえば、購買部で1、2位を争うほどの人気メニュー。 正直、ゲットできる自信は無い。 しかし……。 「朝霧君、がんばれー」 「よかったねフィーナ」 「ヤキソバパンってすっごく美味しいんだよ」 「まあ、そうなの」 「ふふふ、とっても興味があるわ」 「……」 期待に目を輝かせたフィーナを見ていると、今更無理とも言えず。 「……分かった、何とかする」 「ただしフィーナの分だけ」 「期待して待ってるよ」 「行ってらっしゃーい」 「お、おう」 俺は果敢に、教室を飛び出した。 ……。 ……。 だめだった。 ……まるで歯が立たなかった。 はりきって購買部に向かったはいいものの──なにぶんスタートが遅かった。 俺が着いた頃には、既にヤキソバパンの片鱗も見受けられず。 それどころか、総菜パンと名の付くものが一つも残っていなくて。 「ど、どうしよう」 今、俺の手の中にあるのは、メロンパンとチョココロネ。 アップルパイ、あんパンがそれぞれ二つずつ。 ……しまった、また甘いパンばっかりだ!「このままじゃ教室に帰れないな……」 奥の手として、近くのコンビニで調達という方法もある。 ただし、先生に見つかったらもちろん怒られるので、なるべくなら避けたい手だ。 ……でも、今回ばかりは手段を選んでる場合じゃないかもしれない。 「うーん……」 「お兄ちゃーんっ」 うろうろしていた俺に、通りかかった麻衣が声をかけてきた。 「あ、麻衣」 「お兄ちゃん、こんなところで何してるの?」 「この世の終わりみたいな顔してるから、ビックリしたよ」 「いやぁ、実は……」 「……あああっ!!!」 俺は周囲の目も忘れ、大きな声で叫んでいた。 ……なんと、麻衣の手にヤキソバパンが握られていたからだ。 「しかも3つも……」 「ど、どうしたのお兄ちゃん」 「麻衣、ちょっと聞きたいんだけど……」 「そのヤキソバパンは、お前のものなのか?」 「うん、そうだよ」 「えへへ。 今日はスタートダッシュが良かったんだ」 麻衣は笑顔で答える。 まるで投げたボールを拾ってきた犬のような、誇らしげな笑顔だ。 ……まさかライバルが身内にいるとは思わなかったぜ。 「……で、3つとも麻衣が食べるのか?」 「もちろん」 「……太るぞ?」 「むぅ~」 やばい、怒らせた。 「食べきれなかったら、クラスの男の子にあげるつもりだし」 「くれっ」 「じゃなくて、交換してくれ。 できれば3つ」 「いや2つ……」 「いやいや、1つでいいから」 「ええぇ~」 「お兄ちゃん、食べたいの?」 「いや、そういうわけじゃないんだが」 「……?」 麻衣はいぶかしげに、俺を見上げた。 「ま、まさかお兄ちゃん」 「怖い人たちのパシリに使われてるんじゃないよね?」 「は?」 「『おい達哉! ヤキソバパンとコーラ買ってこいよ!』」 「『もちろんお前のおごりな!』」 「って、長い学ラン着た人たちに……」 「いやいやいやいや」 ……麻衣にとって、俺はそんなに情けない兄に見えるのか。 と言うより、長ラン着た学生なんて今時いないし。 そもそも制服が学ランじゃない。 「実はさ、フィーナが食べたいって言ってるんだ」 「……フィーナさんが?」 俺は頷いた。 「悪いんだけど、このパンのどれかと交換してくれないか?」 「……いいけどフィーナさん、ヤキソバパン3つも食べるかなあ?」 「いや、実は菜月と遠山からも頼まれててさ」 ……まあでも、この際二人には泣いてもらうか。 麻衣に甘いパンばかり食わせるのも悪いしな。 「……」 「ふーん。 そっかぁ」 「え?」 「……ううん、何でもない」 「何だよ、気になるじゃないか」 「何でもないよー」 「さーて、どうしよっかな?」 麻衣はわざとじらすように言う。 「頼むよ麻衣」 「今度、お前のためにお兄ちゃんがヤキソバパンをゲットしてやるから」 「なんならアイスもつけるぞ」 「……」 あれ? アイスでも釣られないか?「……果たしてお兄ちゃんに、ヤキソバパンをゲットできる日が来るのかなぁ」 「むぅ」 確かに俺には、あの競争を勝ち抜くバイタリティは無いかもしれない。 やがて麻衣は、諦めたようなため息をついた。 「仕方無い。 ここはお兄ちゃんに花を持たせてあげるか」 そう言って、麻衣は俺にヤキソバパン3つを手渡した。 「……それじゃ、メロンパンとアップルパイもらうね」 「またね、お兄ちゃん」 「お、おいっ、ヤキソバパンは1つでいいんだぞっ!」 ……。 ……麻衣はひらひらと手を振りながら、校舎へと走って行ってしまった。 ……。 なんだか悪いことをしてしまったような。 第一、メロンパンとアップルパイじゃ栄養が取れないじゃないか。 育ち盛りなのに……。 「……あらまー、麻衣に申し訳無かったね」 「わっ」 背後から、急に遠山が声をかけてきた。 「今の、見てた?」 「うん。 帰りが遅いから様子を見に来たの」 「そっか……」 「でも、心配しなくていいよ」 「朝霧君が並み居る猛者を抑え、見事ヤキソバパン戦争を勝ち抜いたーと皆に報告しておくから」 「気遣いは嬉しいが、虚しくなるからいいや……」 俺はため息をついた。 「しっかし、麻衣がスゴ腕のヤキソバパンゲッターとは知らなかったなー」 「体が小さいから、小回りが利くのかもな」 「あははっ」 「お兄ちゃん、後でちゃんとフォローしてあげないと」 「分かってる」 言われるよりも先に、この埋め合わせをどうするか考えていた。 ハーダンゲッツのカプチーノアイス。 それも特大サイズを大盤振る舞いするべきか。 いやそれよりも、100円アイスを10個買ったほうが喜ぶかな。 「……でもさー」 「ん?」 「さっきの二人見てたら、なんだかおかしかったよ」 「兄妹ゲンカっていうより、恋人同士の痴話ゲンカみたいで」 「……」 「……え?」 傍目から見たら、俺はかなり動揺していたと思う。 動揺なんて、するべきところじゃないのに。 じっとりと手汗が出て、ズボンで拭い取った。 「どうしたの?」 遠山は不思議そうに俺の顔を覗く。 ……駄目だ。 ここで動揺を悟られてはいけない。 今まで通りうまくやらなきゃ。 俺たちは、ずっとずっとそうしてきたんだから。 「……遠山は、時々ヘンなこと言うよな」 「俺と麻衣は、兄妹だから」 「そんなこと分かってるよー。 冗談だって」 ……。 「ああ、そっか」 ふう、と密かにため息をついた。 「早く教室戻ろっ。 みんなお腹空かせてるよ?」 「そ、そうだな」 遠山は手招きをしながら走り出した。 ……。 馬鹿だな、俺。 一人で焦ってしまった。 本当の兄妹じゃないとバレたわけでもないのに。 今までも何度か、「兄妹なのに似てない」 と言われたことがあったけど……。 その度に俺と麻衣は、ポーカーフェイスでやり過ごしてきた。 世の中には、似てない兄妹など山のようにいる。 そこで変に動揺すれば、それこそ怪しまれかねないと思ったから。 ……だけど。 俺は今、ポーカーフェイスを崩した。 危うく麻衣との「約束」 を破りそうになってしまった。 ……どうして、あんなに動揺したりしたんだろう。 ……。 …………。 今日は左門の定休日。 学院から帰ってきた俺と麻衣は、川原へと歩いていた。 「今日、天気が崩れるみたいだよ」 「こんなにいい天気なのに?」 晴れ渡った空を見上げる。 まさに、絶好のフルート練習日和と言えよう。 最近、バイトが無い日はいつも麻衣の練習に付き合っているような気がする。 「フルートケース、重くないか?」 「うん、大丈夫」 「ホルンやコントラバスに比べれば、ぜんぜん軽いから」 「そりゃそうだ」 「まあ麻衣はいつも、米5キロを平気で担いだりするからな」 「平気じゃないよー」 「たまにひっくり返ったりしてるもの」 「ホントか?」 「うん。 こっそりね」 「危ないなあ。 重い買い物する時はちゃんと俺に言えよ」 「ありがとう」 「じゃあお米一俵買う時は声をかけるね」 ……。 年貢でも納める気か?「あ、雲が増えてきた」 「急ごう? お兄ちゃん」 麻衣は小走りになって、俺の前を行く。 「……」 麻衣がぴょこぴょこ走る度に、その短いスカートが揺れた。 見えるか見えないか、ギリギリのラインまでスカートの裾が翻る。 ……いかんいかん。 頭をぶんぶんと振ってから、走り出す。 川原に到着。 麻衣は早速練習の準備を始めた。 俺はいつものように、ごろりと芝生に寝っ転がる。 大きな雲が空を横切り、湿気を帯びた生暖かい風が通り過ぎていく。 ……。 「さ~、準備できたっと」 「フルート触ってる時の麻衣って、本当に嬉しそうだな」 「そう?」 俺はしみじみと頷いた。 そんな麻衣を見ていると、時々羨ましくなる時がある。 俺も趣味が無いこともないけど、麻衣ほど熱中できてるわけじゃないし。 「お兄ちゃんも、試しにフルートやってみれば?」 「俺?」 「無理だな」 「え~、すっごく楽しいのに」 「前に試した時だって、ろくに音が鳴らなかったじゃないか」 ……以前、麻衣がフルートの手入れをしてた時のことを思い出した。 頭管部だけ借りて、思いっきり吹いてみたけど音は鳴らなくて。 ……。 今考えると、あれって間接キスしたってことだよな。 ……。 だからどうってわけじゃないけど……。 なんで俺、今更になってドキドキしてるんだ。 「あのねお兄ちゃん」 「フルートって、ちょっと練習すればすぐに音が出るようになるんだよ」 麻衣は「パートリーダー」 の顔になって言った。 「そうなのか?」 「ちょっと興味出てきた?」 なぜか嬉しそうに、俺の顔を覗き込む。 「じゃあ、俺もすぐ麻衣ぐらい演奏できるようになるんだな」 「それが、ただ音を出すだけなら簡単なんだけど……」 「いい音を出そうと思うと、すごく難しいんだよね」 「……」 「じゃあ駄目じゃないか」 「駄目じゃないよ。 いっぱい練習すればいいんだから」 けろりとした顔で麻衣は言う。 結局は頑張らないと駄目ってことだな。 「じゃあ、俺の分まで麻衣が頑張ってくれ」 「さ、早く練習しないと雨降ってくるぞ」 「ふわぁ、大変大変」 「お兄ちゃん、絶対寝ちゃ駄目だからね」 「分かった分かった」 ……。 ~♪やがて、いつもの練習曲が流れてきた。 心地よい音色に耳を傾けながら、ぼんやりと空を眺める。 こんなにゆっくりできるのは、久し振りなような気がする。 最近バイトが忙しかったからな……。 ……。 ぽたっ「……?」 あれ。 今、何かが頬に落ちてきたような……。 ……。 ぽたぽたっ「……麻衣っ」 「なによぉ、お兄ちゃん」 「せっかく調子が出てきたところだったのに」 「ぶうたれてる場合じゃないぞ、雨だ雨!」 ザザザザザーッ「……ひゃあああっ」 ようやく事態を察した麻衣は、案の定慌てだした。 いつのまにか雨雲が空を覆い、雨が地面を激しく打ちつけている。 「ほら、早くフルートしまって!」 大急ぎでフルートをしまい、かばうようにしてケースを抱きしめる麻衣。 「ちょっと濡れるけど、頑張れよっ」 「うんっ」 俺たちはスコールのような雨の中を走り出した。 ……。 …………。 ……死にもの狂いでダッシュし、なんとか家に到着。 雨は依然として降り続いている。 「……ふぅ、ひどい目に遭ったねー」 「当たったな、天気予報」 「フルートは無事か?」 「うん、死守したから大丈夫」 「でも、おかげでわたしはびっしょりだよー」 麻衣はクスクスと笑いながら、制服の裾を少しだけ持ち上げてみせた。 「……」 夏用の制服が、雨のせいでぴったりと肌に貼りついている。 白い生地に透けて見えるのは、ピンク色の下着……。 「うわぁ、お兄ちゃんもびしょ濡れだ」 麻衣は犬のようにはしゃぎながら、俺の肩に触れようとした。 「こ、こらっ」 とっさに体が反応し、麻衣の手から逃れるように身を引いてしまう。 「……?」 ……。 ……自分でも、過剰すぎる反応だったと思う。 麻衣が困惑したような表情を浮かべるのも、無理からぬことで……。 「……ま、まったく」 「麻衣はすぐ子供みたいにはしゃぐ」 「む」 頬を膨らませる麻衣。 子供扱いされるのが嫌いだと知っているのに、俺は……。 「だいたい、フルートの練習なら学院でもできるだろ?」 「俺だって、いつまでも付き合えるわけじゃないんだから」 「いい加減、自立することを考えないと……」 言い出したら止まらなかった。 悪気なんて無い。 ただ麻衣に対してドキドキしてしまった自分を、誤魔化したかっただけだ。 「……なんてな」 「うん、分かった」 「お兄ちゃんの言う通りかもね」 「え?」 「早く体拭かないと、風邪ひいちゃうよ?」 ばたばたばたばたっ麻衣は洗面所へと走って行ってしまった。 ……。 ……ちょっと言い過ぎたかな?いや、麻衣は笑ってた。 だから怒ってはいないと思うんだけど……。 物分かりの良すぎる麻衣を見て、少しだけ寂しくなってしまった。 ……。 …………。 水曜日の夜は、朝霧家にて5人で夕食。 ……となるはずだったのだが。 ぴりりりりっがちゃ「はい」 「達哉くん?」 「あ、姉さん」 「連絡が遅くなってごめんなさい」 ……時刻は午後7時。 なかなか帰ってこない姉さんから、ようやく連絡があった。 「それはいいけど、どうしたの?」 「仕事がまだ終わりそうにないのよ」 「だから先にご飯食べちゃってていいわ」 「うん、分かった」 「姉さんもあんまり無理しないで」 「ありがとう」 「じゃあね」 がちゃ……。 姉さん、ここ数日ずっと忙しそうだな。 体壊さなきゃいいけど……。 「おーい、麻衣」 「ん?」 さっきから黙々と料理を作っていた麻衣が、顔を上げる。 「姉さん、今日遅くなるらしいよ」 「先に夕飯食ってくれってさ」 「そうなんだ」 「じゃあフィーナさんとミアちゃんが帰ってきたら、ご飯にしようね」 そう言われてみれば、二人の姿が無い。 「どこに行ったんだ?」 「ごま油を買い行ってるの」 「フィーナさんがね、スーパーをゆっくり見てみたいんだって」 「なるほど」 最近のフィーナは、地球の食材について研究熱心だ。 先日納豆を食べて、カルチャーショックを受けたらしい。 「雨もやんだことだし、そろそろ帰ってくるかな」 「うん。 そうだね」 ぎゅるるるるるその時、腹の虫が騒ぎ出した。 「……麻衣、お行儀が悪いぞ」 「またそんな意地悪言う」 「今のは明らかにお兄ちゃんでしょ」 「バレたか」 「二人っきりなんだからバレるってば」 「そりゃそうか」 ……。 二人っきり。 この家には、俺と麻衣以外誰もいない。 普段は賑やかな我が家だからこそ、逆に強く意識してしまう。 「……なんか、静かだよね」 「え?」 「ほら、いつもはもっと賑やかだから」 「あ、ああ」 麻衣も俺と同じことを考えていたらしい。 外から聞こえる風の音。 レタスをパリパリと千切る音。 コトコトと煮える鍋の音。 ドキドキと脈打つ心臓の音。 ……それ以外は、何も聞こえない。 「……」 「……」 「あー、本気で腹減ってきたな」 緊張を誤魔化すように、大きな声で言う。 「ちょっとだけ味見していい?」 「駄目」 「そこを何とか」 「えー」 「ちょっとでいいから」 「もう、仕方無いなあ」 ばさっばさばさっ麻衣は冷蔵庫から何かを取り出し、カウンターに並べた。 「……」 目の前に並べられたのは、ほうれん草と小松菜、そしてチンゲンサイ。 何やら緑色の食べ物ばかり。 しかも、生。 「何これ」 「ん?」 「草」 麻衣はしらっとした顔で言う。 草って……。 こんなに配慮の無いグリーンサラダは生まれて初めてだ。 「俺に草でもはんでろと?」 「というのは冗談で」 「中華野菜炒めと、明日の朝食用のおひたしを作ろうと思うのね」 「なるほど、それで?」 「手伝ってくれたら、つまみ食いしてもいいよ?」 ……。 そうきたか。 「よし、じゃあさっさと作るか」 「うんっ」 麻衣ははりきった様子で腕をまくった。 いつも通りの会話と、いつも通りの笑顔。 そんな当たり前の光景が戻ってきたことに、俺はホッとしていた。 ……。 ……。 午前1時。 なのに、まだ姉さんは帰ってこない。 忙しい時は徹夜が続いたりするから、それほど珍しいことではないけれど……。 やっぱり、ちょっと心配だ。 ばたんっ「……あ」 ソファーでぼんやりと座っていると、玄関のドアが開く音がした。 やっと帰ってきたのかな?……。 「ただいま、達哉くん」 「姉さん……」 「うわ、酒くさっ」 玄関に駆けつけると、カレンさんの肩を借りた姉さんがいた。 多量のアルコールを摂取したらしく、顔が真っ赤だ。 「すみません、遅くなりまして」 「い、いえ、とんでもないです」 「そうよ、カレンが謝ることはないわ」 「お姉ちゃんがね、無理に付き合わせちゃったの」 口調はしっかりしているが、微妙に足元がおぼつかない。 「……近くのバーで、一緒に飲んでいたのです」 「カレンさんと?」 「はい」 「気づいたら二人で、ワインを2本も空けてしまいまして」 ワイン2本。 それって、けっこうな量なのではないだろうか。 カレンさん、実はめちゃめちゃ酒に強い……?「はぁ……やっぱり家が一番落ち着くわね」 ぺたんっ姉さんは、唐突に玄関に座り込んだ。 「姉さん……大丈夫?」 「大丈夫よ、達哉くん」 「ちょっと涼んでいるだけだから」 ……。 「もしかして、かなり酔ってますか?」 「そうですね」 「さやかは酔うと、時々座り込んでしまいますから」 「……すみません」 身内を代表して、謝る俺。 「大丈夫です。 慣れていますので」 「はあ……」 こんなに酔っている姉さんを見るのは、久し振りだ。 ……何かあったのかな。 「達哉君」 「はい?」 「……さやかは、家でも愚痴一つ言わない人でしょう?」 「……」 「ええ、それはもう」 俺は頷いた。 忙しいとか、30時間くらい寝たいとか、それぐらいなら言うことはあるけど。 誰かの悪口だとか、「もうやめたい」 だとか……。 そういったネガティブな発言をしたことは一度も無い。 たぶん、俺たち家族に心配をかけさせたくないからだと思う。 「私がこんなことを言うのもなんですが……」 「月王立博物館におけるさやかの立場は、非常に難しいのです」 「難しい?」 「はい」 「いえ、難しいというのは、仕事ぶりに問題があるというわけではなくて……」 言葉を止め、少し間を置く。 「逆に仕事ができる人だからこそ、周囲との軋轢が生じるのです」 周囲との、軋轢?にわかに言葉の意味を理解することができなかった。 「……」 「さやかは地球人でありながら、月王立博物館の館長代理をしている」 「たったこれだけのことに、過敏に反応する人間が少なくないのです」 「それだけではありません。 年齢、性別……」 「多くの人たちの思いが渦巻く中で、彼女は日々仕事を全うしようとしています」 「……」 「さやかは今日、久し振りに息抜きができたのだと思うので……」 「今夜の件は、大目に見ていただけないでしょうか?」 「カレンさん……」 その言葉の一つ一つが、胸にきた。 俺は、本当に姉さんのことを知らなかったんだと実感したからだ。 努力して、苦労して、気を遣って……。 姉さんは、必死に俺たち家族を支えようとしている。 「……すみません。 出過ぎた発言をしてしまいました」 「私も酔っているのかもしれません」 そう言って、微笑むカレンさん。 「……ありがとうございます」 「カレンさんのような人が姉さんのそばにいてくれて、俺も嬉しいです」 「えっ……」 心から、そう思った。 真面目な姉さんのことを、妬む人は確かにいるのかもしれない。 でも、それと同じくらい……いやそれ以上に。 姉さんの味方も多いはず。 カレンさんも、俺も、麻衣も、左門のみんなだってそうだ。 「……むにゅ……むにゅ」 「……あああ、姉さんこんなとこで寝たら駄目だって」 「カレンさん、本当に今日はありがとうございました」 「……」 「いえ、では私はこれで」 「さやかに、明日は遅刻しないよう伝えて下さいね」 ……。 ばたんっカレンさんは、一礼してから帰っていった。 ……。 「……むにゅ……もう飲めないわ……」 「姉さんってば」 さて、どうしよう。 仕方無い、抱えて二階まで運ぶしかないか?「……お兄ちゃん」 その時、階段の方から声がした。 「麻衣?」 見れば、麻衣が階段から心配そうな顔を覗かせている。 「お姉ちゃん、寝ちゃったの?」 「ああ、この通り」 「ごめんな、麻衣こそ寝てたんだろ?」 「……」 ……いや、違う。 麻衣も起きてたんだ。 そして、ずっと俺たちの様子を見守っていたんだ。 なぜかは分からないけど、そう思った。 「……ちょっと待ってて」 「え?」 麻衣はぱたぱたとキッチンに向かう。 ……。 ……しばらくしてから、大きなグラスを持って玄関に戻ってきた。 「麻衣、それは……」 「特濃緑茶」 「の、冷たいやつ。 熱いとヤケドしちゃうから」 そう言って、ストローを姉さんの口元に寄せる。 「お姉ちゃん、起きて」 「……?」 「寝る前にメイク落とさないと、お肌が荒れちゃうよ」 「歯だって、磨かなきゃ虫歯になっちゃう」 「ほらほら」 「ん……」 麻衣に指示されるまま、ストローをくわえる姉さん。 「んぐ……んぐ……」 「そうそう、いい感じ」 「ホットじゃなくても効くのかな」 「どうだろうね」 「今はカテキンパワーを信じるしかないよ」 ……やがて姉さんは、全てのアイス緑茶を飲み干した。 「……」 「……姉さん?」 むくっそれまでくたびれたぬいぐるみのように鎮座していた姉さんが、突然立ち上がった。 「二人とも、こんなところで何してるの?」 「うわあっ」 「ほ、ほんとに起きた」 「なあに? 人をゾンビみたいに」 呆れた表情で俺たちを交互に見ている。 ……恐るべし、カテキンパワー。 「……姉さん」 「え?」 「カレンさんが、明日は遅刻しないようにだって」 「……」 「…………」 「……もしかして私、またやっちゃったのかしら」 俺と麻衣は、同時に頷いた。 どうやら、ようやく記憶が蘇ってきたようだ。 「ごめんなさい」 「二人に迷惑かけちゃったわね」 「いいっていいって」 「それより早く寝ないと」 「ああ、そうだったわ」 「達哉くんと麻衣ちゃんも、早く寝てね」 姉さんは、ぱたぱたと洗面所に向かっていった。 「ふぅ……」 「ありがとな、麻衣」 「ううん」 「でも、起こしちゃって悪かったかなあ」 「そんなことないだろ」 「さっぱりしてから寝たほうが、疲れも取れるだろうし」 「……そっか」 「じゃ、おやすみ。 お兄ちゃん」 「ああ、おやすみ」 麻衣は足音を立てないよう、静かに階段を上っていった。 ……。 姉さんを介抱してた麻衣は、まるで母親のように頼もしく見えた。 麻衣は麻衣なりに、いつだって家族のために一生懸命だった。 そんなこと、分かってたつもりだったのに。 ……。 川原からの帰り、麻衣を子供扱いしてしまった自分を恥じた。 子供なのは、俺のほうだ。 ごめんな、麻衣。 ……。 …………。 ピリリリリ、ピリリリリピリリリリ、ピリリリリバシッ気合いを入れてアラームを止めたはいいものの……よくよく考えたら、今日は日曜日。 それでも早起きしてしまうのが、長年の習性というもので。 俺はベッドから飛び降り、服に着替え始めた。 ……。 …………。 「おはようございます、達哉さん」 「おはよう、達哉」 「お、おはよう」 一階に下りると、フィーナたちが優雅な笑顔で俺を出迎えた。 「達哉さん、朝食の前に何かお飲みになりますか?」 「実は、珍しいお茶が手に入ったんですよ」 テーブルには、二人分のティーカップが並んでいる。 どうやら朝のティータイムを楽しんでいたらしい。 「なんだろ、この匂い……」 雨上がりの土のような、レモンのような、複雑な匂いが鼻腔を漂う。 「月桃茶、というらしいわ」 「南国で育つ月桃という植物を、お茶にしたものなの」 「月の桃なんて、かわいい名前ですよね」 「フィーナたちにぴったりだな」 そう言うと、二人はクスクスと微笑んだ。 「そういえば……」 「姉さんたちは?」 きょろきょろと周囲を見回すが、姉さんたちの姿は無い。 「さやかさんは、朝早くからお仕事に行かれました」 「大事な会議があるとおっしゃっていましたけど」 「そっか……」 相変わらず忙しそうな姉さん。 しばらく休日返上だとも言ってたような。 「麻衣もいないな」 「さっき、学院に行くと言って出ていったわ」 「学院?」 今日は日曜日。 当然、学院は休みだ。 「なんでも、フルートの練習をするとおっしゃってましたけど」 「……」 ……麻衣は、一人でフルートの練習に行った。 しかも、学院へ。 いつもは俺と一緒に、川原で練習してたのに。 「そういえば、珍しいですね」 「麻衣さん、いつも達哉さんと練習に行かれるのに」 「……」 「達哉が疲れていたようだったから、麻衣も気を遣ったのではないかしら」 「あ、そうかもしれません」 「麻衣さんはとてもお兄さん思いな方なんですね」 「……そうかな」 「え?」 「いや、何でもない」 麻衣はどうして、俺を誘わなかったのだろう。 ……。 本当は、分かってる。 この俺自身が、麻衣に言ったからだ。 『だいたい、フルートの練習なら学院でもできるだろ?』『俺だって、いつまでも付き合えるわけじゃないんだから』『いい加減、自立することを考えないと……』麻衣は、その言葉通りに行動した。 ただそれだけの話。 なのに、この気持ちは一体なんだろう。 まるで……かくれんぼで自分だけ見つけてもらえなかったような──そんな寂しさ。 ……。 寂しい?なんで寂しいんだ。 麻衣が休みの日に何をしようが、俺には関係無いことなのに。 「……」 ……。 俺はリビングを横切り、窓を開けた。 からりと乾いた風と共に、刺すような日差しが部屋に入ってくる。 どこまでも青い青い空。 「……雨、降るかな」 「雨ですか?」 ミアはすっとんきょうな声をあげた。 「天気予報では降水確率10パーセントと言ってましたが」 「ふうん」 俺は少し考えてから、リビングの窓を閉めた。 「……用事を思い出したから、ちょっと出かけてくる」 「えっ」 「い、今すぐ朝食のご用意を」 「いや、いいからいいから」 「で、でも」 「……」 「行ってらっしゃい、達哉」 「ああ、行ってくる」 本当は、出かける用事なんてなかった。 ただ、家にじっとしていることができなかった。 なんで俺は、こんなに焦っているんだろう。 自分でもよく分からない。 ……。 …………。 ……結局、ここに来てしまった。 近所を軽く散歩するつもりだったのに、気づいたらここにいた。 俺は一体何をしているんだ。 その時。 「……?」 「あれ、お兄ちゃん?」 タイミングよく、麻衣が校門から出てきてしまう。 「うわっ」 「こんなところで何してるの?」 俺が聞きたい。 うまく返事できないでいると、麻衣は俺の顔を覗き込んできた。 「じぃーっ」 「……」 「ねえ、どうして?」 「そ、それは……」 ずいっ俺は、手に持っていた傘を差し出した。 「えっ」 「傘だよ、傘」 「前みたいに雨が降ったら大変だから、傘を持ってきたんだ」 嘘だった。 いや……半分は本当だった。 俺はたぶん、ここに来る口実が欲しかったんだと思う。 だから意味もなく、傘を持って家を出た。 「雨?」 「こんなに晴れてるのに?」 「……」 「この前だって、あんなに晴れてたのに降ってきたじゃないか」 「あ~」 「そういえばそうだったね」 「ありがとう、お兄ちゃん」 にっこりと笑い、傘を受け取る麻衣。 チクリ、と小さな痛みが胸に走る。 「練習終わったのか?」 「うん」 「帰ったら、お昼ご飯にしようね」 「……」 「あのさ」 「ん?」 「昼飯食ったら、デートしないか?」 ……。 「デート?」 麻衣は目を丸くした。 俺も、自分の台詞に自分で驚いていた。 「いやほら、デートっていうか」 「商店街に新しいアイスクリーム屋ができたんだよ」 「麻衣、行きたいだろうと思ってさ」 「あ、行きたい行きたいっ」 アイスと聞いて、俄然目を輝かせる。 「じゃあ早く帰らないと」 「お兄ちゃん、急いで急いでっ」 「あ、ああ」 ぎゅっ麻衣はごく自然に俺の手を握り、小走りに急いだ。 麻衣の手のひらが汗ばんでいるのは、きっと暑さのせいだろう。 俺の手のひらが汗ばんでいるのは……。 ……。 …………。 午後。 昼飯を食べ終わった俺と麻衣は、商店街を訪れていた。 目的は、もちろん新しくオープンしたアイスクリーム屋。 この暑さのせいか、店内はかなり賑わっている。 「わぁ、おいしそう!」 「ねえお兄ちゃん、どれにする?」 「俺?」 「うーん、そうだなあ」 麻衣と違い、コッテリ系のアイスが苦手な俺。 ここはさっぱりとしたシャーベット系で攻めてみるか。 「じゃあ俺は、オレンジシャーベット」 「えぇー」 「なぜに不満げ?」 「わたしもオレンジにしようと思ってたのに」 「おお、奇遇だな」 「奇遇じゃないよ」 「同じのだとつまんないでしょ」 その論理が、俺にはよく分からない。 「できれば、かぶらないでほしいんだけどなー」 「なんで」 「ほら、いろんな味を楽しみたいでしょ?」 ……てことは、俺のアイスを食べる気満々ということか。 俺は唐突に、仁さんの言葉を思い出した。 『達哉君、女の子はいろんなものをちょっとずつ食べたい人種なんだよ』「ほらお兄ちゃん、メイプルチョコレートなんてどう?」 ……限りなく甘そうな響き。 「あ、ニューヨークチーズケーキもいいかも」 美味しそうだとは思うが、激しく喉が渇きそうだ。 「ていうか、全部自分が食べたいんだろ?」 「そうだよ」 臆面もなく頷く。 「わたしが大富豪だったら、全種類制覇するのに」 「小さいなあー」 俺は苦笑した。 「ほら、何でも好きなもの頼めよ」 「今日は俺が、いくつでもおごってやる」 「え、ほんと?」 麻衣は、にぱっと笑ってみせた。 「お兄ちゃん、宝くじでも当たったの?」 「当たってたら店ごと買い取ってるよ」 「ほら、早く。 だんだん混んできた」 「う、うん」 俺はレモンシャーベットを選び、麻衣は結局オレンジとバニラを選んだ。 何でも、バニラが美味しい店は信用できる店ということらしい。 「レモンのシングルが一つと、オレンジとバニラのダブルが一つ」 「合計880円になりますね~」 「はい、880円……」 あれ?いざ会計になって、俺は青くなった。 無い。 ……財布が、無い。 「お客様?」 「えっと……」 「お兄ちゃん、どうしたの?」 ごそごそごそごそごそっポケットというポケットを全て調べたが、肝心のブツはどこにも無い。 「すまん、麻衣」 「財布を忘れてきたみたいだ」 「えっ」 「えっ」 ……。 「仕方無いなあー」 「ホントにすまん」 「じゃ、わたしが出すね」 麻衣はポケットから財布を取り出し、千円札をトレーに置く。 店員はほっとしたように会計を続けた。 どうしよう。 最高に恥ずかしいことをしてしまった。 ……。 …………。 「えへへ、おいし~い」 逃げるように店を出た俺たち。 アイスを食べている麻衣は、ただただ上機嫌だ。 「お兄ちゃんも、早く食べないと溶けちゃうよ?」 「あ、ああ」 確かに、アイスは美味しかった。 天然果汁をたっぷり使っているらしく、嫌みのない酸味が喉に心地良い。 しかし……。 「麻衣」 「ん?」 「その……悪かったな」 何でもおごるとか言っといて、結局自分がおごってもらうことになった。 兄として、男として、これほど恥ずかしいことは無い。 「いいよいいよ、気にしないで」 「これは貸しにしておくから」 「貸し?」 「そう」 「いつか別の形で返してもらえばいいよ」 そう言って、にぱっと笑ってみせる。 その笑顔に、少しだけ救われた。 「でも……」 「え?」 「わたしの貸しは高く付くから、覚悟しといてね?」 「うわぁ」 「た、例えばどんな風に?」 「えへへ」 「そうだなあ。 例えば……」 アイス十倍返し、とかだったらどうしよう。 給料日後だったらなんとかなるかな……。 「あのね」 少しためらってから、小さくつぶやく。 「また、前みたいにね」 「お兄ちゃんにフルートの練習、付き合ってほしい」 「……っていうのはどう?」 「……」 麻衣は恥ずかしそうに俯いた。 「それとも、自立できるまで待った方がいい?」 「いや」 「……仕方無い、付き合ってやるか」 気恥ずかしさを隠すため、ぶっきらぼうに言った。 「それで貸し借りはナシになるんだな?」 「うんっ」 こんなに些細なことで、顔をほころばせる麻衣。 ……なんだろう。 なぜか、胸が熱くなった。 ……。 「あー美味しかった」 「どうして美味しいものって、すぐ食べ終わっちゃうんだろうね?」 「それは永遠の謎だな」 アイスを食べ終わった俺たちは、あてもなく商店街をブラついていた。 もう用事は終わったんだから、まっすぐ家に帰ってもいいのに。 なんとなく、このまま帰るのはもったいないような気がして。 ……もったいない?「お兄ちゃん見て見て」 「あのスーパー、玉子が118円だって」 「お、安いな」 「わっ、ゴーヤが78円だよ?」 「今日の夕飯はゴーヤチャンプルに決まりだね」 「でも、今夜は確かミアが夕食を作るって言ってなかったっけ?」 俺たちが商店街に出かけると言ったら、ミアが気を遣って申し出てくれたのだ。 「あ、そうだった」 「ミアちゃん、何を作ってくれるのかな?」 「楽しみだな」 「うんっ」 めまぐるしく表情を変える麻衣。 デートにしては、お世辞にも色気のある会話とは言えない。 だけど、こんな何気ない会話が楽しくて。 とても尊いもののように思えて。 ずっとこうして歩いていたい。 いつの間にか、そんなふうに思っている自分がいた。 「お兄ちゃん、聞いてる?」 「え?」 ぎゅっ俺の手を軽く握りながら、麻衣は顔を近づけた。 白桃のような、すべすべとした頬。 ほんのりと濡れた小さな唇。 よく動く長いまつげ。 俺の顔をいっぱいに映す、大きな瞳。 ……俺と麻衣は、兄妹なのに。 なのに、お互いちっとも似ていなくて。 そんなの当たり前じゃないか。 だって俺たちは……。 本当の兄妹じゃないんだから。 「お兄ちゃん……?」 夕焼けのオレンジが、麻衣のまつげに灯る。 なぜか急に泣きたくなる。 ぎゅっ無意識のうちに、麻衣の手を強く握り返し……。 すぐに、手を放した。 「……」 「ごめん」 「今日の夕飯のこと考えてた」 「えっ」 「お兄ちゃんってば、もうお腹空いたの?」 呆れたように、麻衣は肩をすくめた。 「ああ。 悪いか」 「あはは」 踊るような足取りで、麻衣は俺の前を歩く。 ふと、どこかに飛んでいってしまいそうな気がして……。 俺は慌てて、麻衣の隣に並んだ。 「……麻衣」 「ん?」 ……。 ……ああ、そうなんだ。 俺は、麻衣のことが好きだ。 今、はっきりと認めることができる。 麻衣が朝霧家に引き取られ、幼い頃から同じ時を過ごして、やがて思春期を迎え……。 本当はずっと前から、麻衣を一人の女として意識していた。 だけど、俺たちは兄妹だから。 恋に変わりそうだった気持ちを、ずっとずっと封印してたんだ──「どうしたの……?」 「……」 「そろそろ帰ろうか」 「……」 「うん、そうだね」 小さく笑いながら、頷く。 その笑顔が少しだけ、名残惜しそうに揺れた気がした。 ……。 「ただいまー」 玄関のドアを開けると、リビングからフィーナが出てきた。 「お帰りなさい、お二人とも」 「ただいま、フィーナ」 「ただいまフィーナさん」 「……あれ、ミアは?」 いつもはだいたいミアが出迎えるのに、珍しいこともあるものだ。 「ミアなら、今夕飯の下ごしらえに奮闘しているわ」 「何でも今夜は、超大作になる予定らしくて」 「……超大作?」 「まさか、満漢全席とか?」 俺たちの頭の上に、クエスチョンマークが浮かぶ。 「それが、何というメニューか教えてくれないのよ」 「どうやら私たちを驚かせたいみたいね」 「じゃあ、手伝わないほうがいいのかな」 「ええ、その方が良さそうよ」 「時間がかかりそうだから、先ほどお風呂を入れておいたけど」 「わぁ、ありがとう」 「フィーナさん、わたしと一緒に入らない?」 「えっ……」 少しだけ、びっくりした様子のフィーナ。 そういえば、麻衣とフィーナは一緒に風呂に入ったことがないかもしれない。 相手はお姫様ということで、多少気を遣っていた部分があったのだろうか。 「……いいのかしら?」 「なぜ俺を見る」 「お兄ちゃんは入ってきちゃ駄目だよ?」 「ぬっ」 「ぬっ。 だって」 「あはははっ」 ……。 麻衣の無邪気な笑顔がまぶしい。 俺の想いなど、一欠片も気づいていないその笑顔。 ……。 いつも通りにしなくては。 それが兄の俺にできる、せめてもの努めだ。 「では、一緒に入りましょうか」 「うんっ」 「じゃあね、お兄ちゃん」 「ああ」 ……。 …………。 その夜。 今日も姉さんは、残業で遅くなるらしい。 俺たち4人は、仕方無く姉さん抜きで食卓を囲んでいた。 「きょ、今日は、とても暑いわね」 「は、はい、姫さま」 「エアコン、効いてるのかな?」 「一応、設定温度は23度だけど……」 ぐつぐつぐつぐつぐつ……本日の夕食は、なぜか水炊き鍋だった。 俺たちは卓上用のコンロを囲み、言葉少なに鍋を囲んでいる。 確か今日は、今年一番の暑さを記録したんじゃなかったっけ?「すみません……」 「お鍋は、冬のお料理だったのですね」 ミアは汗だくになりながら、しゅんと縮こまった。 「いいよいいよー」 「すっごく美味しいもの。 ねえお兄ちゃん?」 「あ、ああ」 「このポン酢ダレがいい味出してる。 さすがミア」 「そのタレは、市販品ですから……」 「……」 「でも、よかったわ」 「こんなに美味しい料理を月の皆に教えたら、きっと喜ばれるもの」 「そ、そうですか?」 ナイスフォローだ、フィーナ。 「そうだよミアちゃん」 「今度は、ちゃんこ鍋の作り方教えてあげる」 「ありがとうございますっ」 「みなさん、どんどん食べて下さいねっ」 どさどさどさっ鍋の中に大量投入される野菜たち。 確かに、具の量だけで言えば超大作。 鍋を挟んだ向こう側に、蜃気楼が見える……。 「……」 ちらっ麻衣は春菊をつまみながら、フィーナを見た。 「……」 ちらっあ、また見た。 ろくに食べもしないで、なにやってるんだ。 「麻衣、どうした?」 「えっ?」 「なんか落ち着きがないな」 「そ、そんなことないよ」 「うん、そんなことない」 自分に言い聞かせるように言う。 「……」 ちらっあ、まただ。 「……?」 フィーナも変に思ったのか、麻衣を見つめ返した。 「……分かったぞ」 「え」 「麻衣……」 「フィーナと一緒に風呂に入って、ショックを受けたんだろ」 「う」 麻衣の耳が真っ赤になる。 ……やはり図星か。 「……どういうことかしら?」 怪訝そうな表情で首を傾げるフィーナ。 「いやぁ、えっと……」 言葉にしづらいな。 「つまり、フィーナのスタイルがいいからさ」 「羨ましかったんだよ、麻衣としては」 「な、なんでお兄ちゃんがわたしの気持ちを代弁するわけー?」 「まあ……」 「ありがとう、麻衣」 「あ……う……」 「しゅるるるる……」 いたたまれなくなったのか、麻衣はさらに小さくなった。 「でも、麻衣だってとても可愛らしかったわよ?」 「脚や腕なんて折れそうなくらい細くて、羨ましいわ」 「そ、そんなこと」 「お肌だって、とってもきめ細かくてキレイですよね」 「ほ、褒めすぎだよー」 「……」 自分で話を振ったくせに、だんだん恥ずかしくなってきた。 「達哉さん、顔が赤いですよ?」 「熱でもあるのではないですか?」 「い、いや、大丈夫」 鍋食いながらお風呂トークを聞かされたら、そりゃ熱が出てもおかしくはない。 「……」 俺は麻衣を見た。 確か子供の頃は、一緒に風呂に入ったこともあった。 昔のことだからよく覚えてないけど……。 あの頃と今とでは、やはり明らかに違う。 女らしい曲線を描く腰と、柔らかそうな胸と、色香の漂う細いうなじ。 今まで、あまり強く意識はしなかったけど。 体つきは、立派に女なんだ。 ……。 胸がばくばくする。 食事中に、妹の裸を想像してる俺。 しかも当の本人は、目の前にいて。 「お兄ちゃん、シイタケ独り占めしないでよー」 「わ、す、すまん」 俺が想像してることを麻衣が知ったら、きっと幻滅されてしまうだろうな。 ……。 学院から帰り、いつものように左門でバイト。 本日も満員御礼の大盛況だった。 今の俺にとって、忙しいのは有り難い。 多忙であればあるほど、余計なことを考えないですむからだ。 「達哉君、今日はいつになく張り切っていたね」 「俺はいつでも張り切っています」 ダスターでテーブルを拭きながら答える。 ラストオーダーが終わり、ちょうど最後の客が帰ったところだった。 「僕はてっきり、昨日のデートが嬉しくて張り切っているのかと思ったけど」 「ぶふっっっ」 危うく転びそうになる。 「……何を見ました?」 「いや、何も?」 「見かけたなら、話しかけてくれればよかったじゃないですか」 「そう思ったんだが、なかなか声をかけづらいムードでね」 「……やっぱり見てたんだ」 軽く咳払いをしてから、再びテーブルを拭く。 何もやましいことはないが、知らないところで見られていたと思うと恥ずかしい。 「しかし、君たちは本当に仲がいいな」 「まあ、うちには負けるけどね」 「あ、しゃもじが」 すこーん「んぎゃぷっ」 ……遅かった。 「さりげなく恥ずかしいこと言わないでよっ」 「はっはっは、素直じゃないな」 しゃもじがヒットした頭をさすりながら、仁さんは笑った。 「あの、言っときますけど」 「昨日はただ、アイス食いに行っただけですからね」 「分かった分かった」 「そんなに必死にならなくてもいいじゃないか」 「別に必死になってなんか」 からんからん「こんばんはー」 ……麻衣だ。 心臓がどきっと反応するが、それを無視して軽く手を挙げた。 「よう、麻衣」 「あ、お兄ちゃん」 とてとて、と小走りに駆け寄ってくる。 「今日はどうだった?」 「めちゃめちゃ忙しかったよ」 「すごい。 左門は大人気だね」 「テレビの取材が来る日も遠くないかも」 「ははは、それはどうかなあ」 ……。 あれ。 おかしいぞ、俺。 麻衣の顔が、まともに見れない。 「……」 「まどろっこしいなあ、達哉君は」 「あ、仁さん。 こんばんは」 「おやおや、気づいてなかったのかい?」 「僕はとんだピエロだな」 ピエロって……。 「おい仁、苦悩してないで早くサラダ作れ」 「ウィー、ムッシュ!」 「……麻衣ちゃん、今日は君のためにサラダを作るよ」 「はい?」 「名付けて『コスモスの如き君なりき・シシリア風』」 「どうだい、ズキューンときたかい?」 さわっさりげなく、麻衣の肩に手を回す仁さん。 「……」 「うーん」 「美味しければいいかな」 「正論だ。 さすが僕のマドモアゼル」 わしわし、わしわし今度は頭を思いきり撫で始めた。 ……まあ、仁さん流のスキンシップはいつものことなんだけど。 何でこう、俺の心はもやもやしてしまうのか。 ここは冷静に流すところなのに。 ……いや、深く考えるのはやめよう。 俺は麻衣に気持ちを悟られないよう、普段通りでいなくちゃならないんだ。 「ああ、かわいいなあ麻衣ちゃんは」 「それ、絶対みんなに言ってる」 「誤解だ!」 「こんな台詞、我が妹以外の女性にしか言ってないよ」 「……あれぇ、達哉。 しゃもじどこに行った?」 菜月は顔を引きつらせながら、仁さんと麻衣の間に入った。 「兄さん、サラダ! 早く!」 「ああ、そうだった」 「ではマドモアゼル、しばしの別れ!」 仁さんはビシッと手を挙げてから、厨房へと引っ込んだ。 「いつもごめんね、麻衣」 「え? なにが?」 麻衣はにっこりしたまま菜月を見た。 あのクドい攻撃をものともしないとは……。 大物なのか、警戒心が薄いのか。 それとも本当に何とも思っていないのか。 ……。 老若男女問わず、気軽にスキンシップを楽しむ仁さん。 今、ほんの少しだけ。 仁さんの性格を羨ましいと思ってしまった。 ……。 …………。 カルボナーラ「わふわふわふっ」 ペペロンチーノ「わんっわんっ」 アラビアータ「わう」 「よーしよーし、いい子だな」 左門での夕食後。 散歩から帰ってきた俺は、庭でイタリアンズと戯れていた。 空に浮かぶのは、下弦の月。 風ひとつない、澄みきった美しい夜だ。 「……うーん、これはちょっと難しそうですね」 「やっぱり直らないかなあ?」 ……お?リビングに繋がる窓が、少しだけ開いている。 中には、ミアと麻衣がいるようだ。 「このお花と、ストラップの繋ぎ目の部分が壊れているようですね」 「ずいぶんと長くお使いになっていたのでは」 「うん……」 「とっても大切なものなの」 話を聞く限りでは、携帯のストラップを修理しようとしているようだ。 「どれくらいお使いになられていたのですか?」 「えっと」 「……三年くらい?」 「三年!」 「ずいぶん物持ちがいいな」 リビングの外から会話に参加すると、「ひゃぁっ」 俺の顔を見た麻衣は、ソファーからずり落ちた。 「お、お兄ちゃん!」 「悪い、驚かせちゃったな」 「お帰りなさいませ、達哉さん」 ミアは立ち上がり、ぱたぱたと俺の方に近づいてきた。 「どれが直らないって?」 「ええ。 実は、この麻衣さんのストラップが……」 俺は、ミアの手元を見た。 それは、ピンクのコスモスをモチーフにした携帯ストラップ。 ……確か、これは。 「わわっ、待って待って」 麻衣は素速く体勢を立て直し、ミアからストラップを奪取した。 「大丈夫、自分で直せそうだから!」 「えぇっ」 「それは難しいかと……」 「麻衣」 「そのストラップ、もしかして」 「ほんとに大丈夫だから!」 「ありがとうね、ミアちゃんっ」 「あ、おい……」 ばたばたばたばたばたっ麻衣は顔を真っ赤にして、リビングから出て行ってしまった。 ……。 あんなに麻衣が慌てるなんて。 まるで俺から、ストラップを隠すみたいに……。 「麻衣さん、どうしたのでしょう」 「とても大切にしていたようなのに、直さなくてよかったのでしょうか」 「あれは……」 「?」 「……三年前に、俺があげたやつだ」 今の今まで、すっかりその存在を忘れていた。 確かジュースのオマケか、友達からもらったか。 そんな理由で俺の手元に回ってきたストラップ。 男の俺がピンクのコスモスなんてと思ったから、何気なく麻衣にあげたのだった。 本当は菜月でも姉さんでもよかったんだけど……。 そのかわいらしい花が、なんとなく麻衣っぽかったから。 ……。 俺ですら、すっかり忘れていたのに。 まさか麻衣が、ずっと使い続けてるなんて思わなかった。 なぜ?どうしてそれを、俺に隠す?「そうでしたか……」 「麻衣さんは、達哉さんからのプレゼントだから大切にされていたのですね」 「……」 俺の願望にも近い仮定を、すらすらと口にするミア。 本当に、そうなのか?俺があげたものだから、大切に持っていてくれたのか?だとしたら。 「……嬉しい」 「それはそうでしょう。 嬉しいに決まっています」 「え?」 「俺、今、口に出してた?」 「はい、ばっちりと」 にっこり。 ……駄目だ。 この気持ちを、みんなに気づかれたらいけないんだ。 「よ、よし、ミア」 「麻衣がいなくなったところで、こっそりかき氷でも食べるか」 「後で麻衣さんに叱られますよ?」 「ここは兄妹仲良く、そろって食べましょう」 「ミアは優しいなあー」 俺は大げさに笑ってみせた。 笑いながら、ずっと麻衣のことを考えていた。 ストラップを持っていてくれた麻衣の気持ちが、例え兄妹愛によるものだとしても。 俺は、本当に嬉しかったのだ。 ……。 麻衣が可愛い。 麻衣が愛しい。 こんな気持ち、認めてはいけないのに……。 ……。 ……。 「……ふぅ」 「お帰り、姉さん」 時刻は、午前0時。 今日も残業だった姉さんが、ようやく帰宅した。 「あら、達哉くん。 ただいま」 「お帰り、姉さん」 「先に寝ててもよかったのに……」 姉さんは申し訳無さそうに言う。 「たまたまテレビ見てただけだから、気にしないで」 というのは、半分本当で半分嘘だ。 やっぱり心配だから、できるだけ姉さんの帰りを待ちたいと思う。 さすがに明け方までは睡魔に勝てないけど。 ……。 「はぁ……極楽極楽」 姉さんはソファーに倒れ込み、思いきり体を伸ばした。 「はい、冷たいお茶」 「ありがとう」 お茶を受け取ると、一気にごくごくと飲み干す。 「ぷはぁ」 「あら、このお茶は何かしら」 「月桃茶っていうんだって」 「美肌に効く、とか何とか」 「まあ大変。 大量摂取しなくちゃ」 やはり女性は、美肌という言葉に反応するらしい。 「左門のみんなも心配してたよ」 「姉さん、働きすぎなんじゃないかって」 結局、今夜も一緒に夕飯を食べることができなかった。 以前は無理にでも、家族全員で食べようと頑張っていたのだが……。 今はそれすらもままならない様子だ。 「ごめんなさいね、心配かけちゃって」 「でも、私はこの通り元気ピンピンよ」 「……」 「もう、達哉くんってば」 「私は館長代理ですもの。 忙しいのが当たり前なの」 「うん……」 「好きで選んだ仕事よ? 心配はいらないわ」 どんなに食い下がっても、姉さんは俺に愚痴一つ言わない。 分かってる。 もっとも愚痴を聞かれたくない人間が、俺たちなんだってことを。 「俺は、姉さんには納得いくまで頑張ってほしいと思う」 「でも、体だけは壊さないでほしい」 「姉さんが元気でいてくれるのが、俺と麻衣の願いなんだ」 「達哉くん……」 何もできない自分が歯痒い。 俺がもっともっと月学を勉強して、姉さんの右腕になれるぐらいに成長すれば……。 なんて考えは、おこがましいのだろうか。 「ありがとう、達哉くん」 姉さんは体を起こし、まっすぐに俺を見た。 「あなた方と家族になれて、本当によかったと思うわ」 「姉さん……」 そう。 俺たちは家族。 例え誰一人、血が繋がっていなくても。 この絆は壊せない。 いや、壊したくないんだ……。 ……。 …………。 水曜日。 つまり、左門の定休日。 学院から帰ってきた俺と麻衣は、川原に行く準備をしていた。 「えーと……」 「準備できた?」 「あ、ああ」 ストラップの一件から、なんとなく麻衣はよそよそしい。 俺はといえば、相変わらず麻衣の顔をまともに見れなかった。 「じゃあ、行こっか」 「う、うん」 ……。 …………。 麻衣と並んで、川原を目指す。 いつもなら、いろいろと話しかけてくる麻衣。 なのに、今日は一、二言話しただけで、あとは黙ったままだ。 「……」 「……」 「あ、あのさ」 「何?」 「例の『約束』のことだけど……」 「え」 ……。 「約束がどうかしたの?」 麻衣が取り繕うような笑みを浮かべる。 「いや」 「麻衣はまだ覚えてるのかなって」 「……」 「覚えてるよ、もちろん」 「そうだよな」 ……俺は何を言おうとしていたのだ。 いつもみたいにうまく喋れなくて、つい変なことを口走ってしまいそうになる。 「……変なお兄ちゃん」 「聞こえてるぞ」 「聞こえるように言ったんだもんね」 「なにぃ」 「そんなヤツは、おんぶの刑だ」 俺は冗談めかして麻衣の前に立ち、体をかがめた。 「……」 「あはは、わたし重いよ?」 「重くないだろ」 「重いってば」 「もう、子供の頃とは違うんだから」 ……。 そうだ。 麻衣はもう子供じゃない。 だから子供の頃みたいに、おんぶをせがんだりはしない。 「……ははっ」 「……」 今近づけば、きっと鼓動を聞かれてしまう。 だから俺は、麻衣からほんの少しだけ離れて歩き出した。 ……。 …………。 言葉少ないまま、川原に着いた俺たち。 気まずいような、そうじゃないような──何ともいえない微妙なムードが漂っている。 「……じゃ、俺はここで横になってるから」 そう言って芝生に寝転がろうとすると、「ちょっと待って、お兄ちゃん」 がさごそ、とバックの中から何かを取りだした。 「はい、これ」 「なんだ?」 手渡されたのは、透明な袋に入ったクッキーだった。 ご丁寧に、かわいらしいリボンで封をしてある。 「練習に付き合ってくれたお礼」 「今朝急いで作ったから、味の保証はできないけど」 「え……」 麻衣を見ると、ほんのりと頬が赤い。 ついでに、目も。 わざわざ俺のために、早起きをしてくれたのか。 「……ありがとう」 「って、もともとは俺が借りを作ったんだから」 「いいよ、それぐらい」 「第一、美味しいかどうか分からないんだし」 「うーん、それもそうだな」 「あぁ、ひどいっ」 俺たちは小さく笑い合った。 さっきまでギクシャクしていた空気が、少しずつ和らいでいく。 「そうそう、紅茶も持ってきたの」 持参した水筒の中には、冷たい紅茶。 さすが、実に用意がいい。 俺は早速、麻衣のクッキーを一口食べた。 「どう?」 「うん、すごく美味しい」 ほんのりと広がるジンジャーの風味。 サクサクとした歯ごたえが楽しくて、つい袋の中に手が伸びる。 「マジで美味い」 「ホント? よかったー」 麻衣は満足げに微笑んだ。 甘いものが不得意な俺でも、さくさく食べられる大人風味のクッキー。 俺のために考えてくれたのかと思うと、全部食べるのがもったいなく思えた。 ……。 …………。 ~♪ゆったりとした風に、フルートの音色が溶けていく。 対岸では、散歩中の犬が音色に合わせて駆け回る。 ……あ、麻衣め。 今トチったな。 何度も聴いているから、いつの間にかメロディを覚えてしまった。 ……。 幸せな時間。 傍目から見たら、俺たちはどういう関係に見えるのか。 兄妹?それとも?子供の頃の俺は、麻衣と本当の兄妹になりたくて。 兄妹に見られるよう、一生懸命振る舞って。 「仲のいい兄妹」 と言われる度に喜んでいたのに。 ……今は違う。 できることなら、恋人同士に見られたいと思っている。 「仲のいいカップル」 だと思われたい。 ……。 だけど、思われたところで何が変わるというんだろう。 俺たちは、兄妹。 麻衣の髪に揺れる白いリボンが、その証なのだ。 ……。 「わぁ、珍しいこともあるもんだね」 「なにが?」 フルートの練習を一時中断し、麻衣は俺の隣に座った。 「お兄ちゃんが寝なかった」 「……来る前にコーヒー飲んできたからな」 わざと茶化して言うが、本当は違う。 麻衣がそばにいると思うだけで、胸がざわつく。 ほっとする一方で、どこか落ち着かない自分がいる。 だから、眠れなかった。 「……」 「あぁっ」 「え?」 麻衣の視線は、残ったクッキーに注がれていた。 「わたしのクッキー、やっぱり美味しくなかったんだ」 ぷぅ、と小さな頬が膨らむ。 「違う違う、そうじゃないんだ」 「これはただ、食べるのがもったいなくて……」 「もったいない?」 麻衣は小首を傾げた。 つい本音が口から出て、俺は大いに慌ててしまう。 「あー、えーと、なんだ」 「俺、女の子から手作りのお菓子もらう機会なんてあんまりなかったし」 「まあ相手が麻衣ってところが、ちょっと寂しいけど」 「それでもさ、けっこう有り難いものだなーと思って」 不自然なほどにまくしたてると、麻衣は怪訝そうな顔をした。 「えー、嘘だよそれ」 「嘘って」 「自分の胸に手をあててよく考えてみて」 「過去に何度か、手作りのお菓子もらったことあるでしょ?」 ……。 あったかも。 でも、そう多いわけじゃない。 せいぜいクラスの女子から、義理チョコもらうぐらいが関の山で。 「お兄ちゃんあんまりチョコ食べないから、いつもわたしが食べてた」 「チョコ食べ過ぎると、ニキビができるし太るしで大変だったんだよ?」 ぷにっ「このほっぺの肉は、きっとあのチョコの名残だと思うなぁ」 「そんな、大げさな」 「むぅ」 俺、怒られてるのだろうか。 麻衣の目が、イタリアンズをしつけている時と同じ目になっている。 ……ハウス!今にもそう言われてしまいそうで。 「い、いいほっぺじゃないか」 「よくない。 ハムスターのエサ袋みたいだもん」 ……そんなことないと思うけどなあ。 「じゃあ何か?」 「このほっぺには、ヒマワリの種でも入ってるのか」 ぷにっぷにぷにっついおもしろがって、麻衣のほっぺをつねる俺。 「えいえいっ」 「えいっ……」 「……」 やだ、やめてよお兄ちゃん。 てっきり、そういう反応をされると思ったのに。 「……」 麻衣はただじっと、俺を見つめている。 まるで俺の心の内を、見透かすような目で。 ……。 何だよ、麻衣。 俺が一生懸命、兄妹みたいに振る舞ってるんじゃないか。 ……頼むから何か言ってくれよ。 「……お兄ちゃん」 やがて、ようやく麻衣は口を開いた。 「何?」 「えっと……」 「お兄ちゃん、彼女とかいるの?」 ……。 「え!?」 「そ、そんなに大きな声出さないでよ」 麻衣は俯き、しばらく言葉を探している様子だった。 大きな声出すなって……。 驚くだろう、普通は。 「何でそんなこと聞くんだ?」 「何でって、ほら」 「休みの日はいつも練習に付き合わせちゃってるでしょ?」 「彼女がいたら申し訳無いなーって」 「ははは」 脱力した笑いが出る。 ……そういう理由か。 意味もなくドキドキしてしまった自分が恥ずかしい。 「麻衣こそどうなんだよ」 「人に聞く前に、まず自分から話さなきゃ」 「わたしは、話すほどのことなんて何もないよ」 「今はフルートが恋人かな」 ……。 「あ、笑った」 「笑ってないって」 俺は内心、ほっと胸を撫で下ろしていた。 ……そうだよな、彼氏なんていないよな。 今の麻衣は、恋よりも部活。 なんせパートリーダーを務めるほどの器だ。 恋などにうつつを抜かしている場合じゃない。 「そっか、恋人はフルートか」 安堵した俺は、麻衣の頭をわしゃわしゃと撫でた。 「か、髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃう」 「もう、いい年して彼氏もいないのかって思ってるんでしょ」 「思ってないよ」 わしゃわしゃわしゃっ「……」 「次はお兄ちゃんが答える番だよ」 「え?」 麻衣は俯いて言う。 「彼女、いるの?」 ……。 「いないよ。 俺も麻衣と一緒」 「強いて言うなら、バイトが恋人かな」 「……ふうん」 「今、寂しい青春だって思っただろ」 「思ってないってば」 「……じゃあ」 一瞬ためらってから、麻衣は俺を見た。 「好きな人は?」 「……」 好きな人。 彼女じゃなくて、好きな人。 「……いるよ」 今、目の前にな。 そう口に出せたら、どんなに楽だろう。 麻衣はじっと俺を見つめている。 その表情からは、気持ちをくみ取ることができなかった。 「麻衣は、好きな人いるのか?」 「うん、いるよ」 ……。 「えっ?」 思わず聞き返す。 俺は動揺を隠せない。 「いたら変?」 「お兄ちゃんだっているんでしょ」 「それはそうだけど」 でも……。 麻衣には、好きな男がいる。 ……俺が好きなのは、麻衣だ。 妹の麻衣を好きになってしまったのだ。 その事実が、改めて俺を打ちのめした。 「……その相手って、誰なんだ?」 「い、言うわけないじゃない」 「……」 何を浮き足立っていたのだろう。 俺を慕ってくれる麻衣を、可愛いと思っていた。 その気持ちはいつしか、愛しさへと変わっていった。 ……。 だけど、麻衣が俺を慕ってくれるのは……。 兄妹だから。 俺が、麻衣の兄だからだ。 それは決して恋愛感情なんかじゃない。 分かっていたはずなのに。 なのに……。 「お兄ちゃん?」 「……あ、ああ」 「そろそろ帰るか」 「うん……」 胸が痛い。 自分でもどうしていいのか分からない。 俺は麻衣と、どうなりたいと思っていたのだろう。 兄妹のままでいれば、何も問題はなかったのに。 この幸せな関係を崩してもいいくらいに、俺は麻衣の心が欲しいのか?……。 駄目だ。 気持ちを打ち明ければ、麻衣を困らせてしまう。 俺はこの先もずっと、麻衣の良き兄でいるしかないんだ。 ……。 …………。 今日で、一学期は全て終了。 明日からはいよいよ夏休みに突入する。 長い終業式が終わり、校門を出て行く学生たちの顔はみな明るい。 それぞれが、楽しい夏休みの予定に思いを巡らせているのだろう。 「ねえ達哉」 「……」 「達哉ってばっ」 「……え?」 隣を歩く菜月が、俺の顔を覗き込む。 「もう、ぜんぜん人の話聞いてない」 「達哉、最近変だよ。 いつもぼーっとしてる」 「悪い悪い」 菜月に指摘され、初めて気づく。 そんなにぼーっとしていたのか。 「で、何?」 「えっとね、夏休みのご予定は?」 「俺のシフト知ってるくせに……」 これでもかというくらい、バイトのシフトで埋めつくした夏休み。 とりあえず体さえ動かしていれば、忙しさに埋没できる。 昼も夜も、何も考えられないくらい疲労に身を任せたい。 それに、家にいなければ……。 麻衣とあまり顔を合わさずに済む。 「達哉!」 「は、はい?」 「もう、こんな美人が隣にいるんだからボケっとしない!」 「え、どこどこ?」 「……」 しまった。 今、ギャグじゃなく素で周囲を見渡してしまった。 「……まあ、いいけどね」 「す、すまん……」 ……。 …………。 「いっただっきまーす」 最後の客が帰り、恒例の夕食タイムとなった。 本日のメニューはカマンベールチーズのリゾット。 そして、それぞれが好きな具を挟むオープンスタイルのパニーニだ。 「菜月ちゃん、そのハム取ってくれる?」 「うん」 俺の目の前にあったハムを、麻衣に渡す菜月。 ……あの日から、俺と麻衣は数回ぐらいしか会話をしていない。 もちろん顔を合わせれば、普通に挨拶はするけれど。 たぶん変に意識しているのは、俺だけなんだと思う。 見ての通り、麻衣は至って普通だ。 ……俺とあまり目を合わせない、という点を除いたら。 「……このパン、とても美味しいですね!」 「表面がぱりぱりして、でも中はしっとりとして」 「これはパニーニという、イタリア生まれのパンなんだよ」 「ぱにーに……」 「ぱにーに……」 うっとりとした様子で、二人は同時につぶやく。 「なんて可愛らしい響きなのかしら」 「口にするだけで、心が温かくなりますね」 「ぱにーに……」 再びつぶやきながら、ミアは俺の顔を覗き込む。 「わたしのイメージでは、毛並みのいいまふまふした不思議な動物なんです」 「何が?」 「ぱにーにが」 「いや、パンでしょ?」 素でツッコむ俺。 「そう、ぱにーには白くて温かくて大きくて、とても柔らかい動物なんだ」 「でっぷりとしたお腹に顔を埋めると、お日様の匂いがする」 「そうです、まさにその通り!」 ミアは、驚きと喜びが入り交じった眼差しで仁さんを見た。 「どうして私のイメージが分かるのですか?」 「ははは、乙女の心の機微を語らせたら、僕の右に出る者はいないからね」 「達哉君には高尚すぎて、ついてこれなかったかな?」 「うーん、さっぱり」 みんなの笑い声が、室内に響く。 麻衣も大きく口を開けて、けらけらと笑っていた。 誰かが場を沸かせ、誰かが笑い、誰かが話を繋げる。 いつもと変わらない光景がそこにはあった。 いつもと何も、変わらない……。 「タツ、さやちゃんは相変わらず仕事が忙しいのか」 「……」 「おい、タツ」 「え?」 呼ばれて顔を上げると、おやっさんが眉間に皺を寄せていた。 「なんだ、ぼけっとして」 「そーなのよお父さん。 達哉、最近変なの」 「具合でも悪いのか?」 「いや、そうじゃなくて」 みんなが一斉に俺を見る。 「明け方まで本読んでたから、ちょっと寝不足なだけ」 「……」 「そうか」 「まあ、ほどほどにな」 「ういっす」 「……」 「そうだ、フィーナちゃん」 「なんでしょう?」 「先日もらった月麦粉でマフィンを作ってみたから、後で差し上げよう」 「まあ、ありがとうございます」 「鼻血が出るほど美味しいから気をつけてくれ」 「僕は出た」 「もう、食べる気なくすようなこと言わないでよねっ」 みんなが笑い、俺も遅れて笑った。 ……。 …………。 夕食が終わり、俺は後片づけを手伝っていた。 左門には、俺と仁さんの二人だけ。 みんなが手伝いを買って出たが、あえて先に帰ってもらったのだ。 別に、家に帰りたくないわけじゃない。 ただ、くたくたになるまで動きたかっただけだ。 「これが最後の皿かい?」 「はい」 「こっちのテーブル、全部拭いときましたから」 「ああ、悪いね」 「しかし、達哉君はよく働くなあ」 「そんなことないですよ」 「いや、そんなことありありだよ」 「まるで、何かから逃げようとしているかのようだ」 ……。 「……もう少しで皿を落とすところでした」 「うん」 「仁さんが変なこと言うから」 「変かな?」 「僕はただ、素直な印象を述べただけだけど」 仁さんは真面目な顔で皿を拭いている。 ……何かから逃げようとしてる?俺が?「達哉君、人生の達人から言わせていただくとだね」 「誰が達人ですか」 「まあ聞きたまえ」 「君が思っている以上に、君の周囲の人間は心配しているんだ」 「みんなが本気で、さっきの言い訳を信じたと思うかい?」 「……」 「……すみません」 俺は深々と頭を下げた。 みんな、分かってたんだ。 仁さんもおやっさんも菜月も。 恐らく、俺の心が悲鳴をあげていることに気づいてた……。 「俺、普段通りにしなきゃって思って」 「でもやっぱりできなくて」 「心配かけるつもりなんて、本当になかったのに」 「苦しいのかい?」 「……はい」 自分がこんなに女々しい人間だと思わなかった。 もっともっと強い人間だと思ってた。 なのに仁さんの優しい声を聞いただけで、全てを打ち明けてしまいそうになる。 「……まあ、恋なんてものはさ、苦しくなきゃ嘘だ」 「えっ」 溢れそうになった涙が、瞬時に引っ込んだ。 「俺、恋なんて一言も言ってないですけど」 「違うのかい?」 「君、恋してるんだろう?」 「……」 そこまで見透かされていたら、頷くしかない。 「まあ、さすがに相手までは分からないけどさ」 ……本当だろうか。 時々、この人は全てを知っているんじゃないかと思う時がある。 「……俺は、その子を傷つけたくない」 「でもその一方で、俺の気持ちに気づいてほしいとも思ってる」 口に出して、自分で自分に驚いた。 これが本当の、俺の気持ち。 あまりにも身勝手な、俺の本心……。 「その彼女の気持ちは、君に向いてはいないのかい」 「……はい」 「他に好きな男がいるとか?」 ……。 俺は頷いた。 「はははっ、それじゃ手も足も出ないな」 仁さんはオーバーに肩をすくめた。 全くその通りだった。 「若い頃は、とかく暴走してしまいがちだからね」 「完全に君の片思いで、なおかつ相手を傷つけてしまう恐れがあるなら……」 「自分の想いを押しつけるべきではないのかもしれない」 俺は深く頷いた。 全てにおいて、仁さんの言う通りで。 俺の場合、麻衣を傷つけるだけではなく……。 長年築き上げてきた「家族」 を、壊してしまうかもしれない。 だから、怖いんだ。 「……」 「まあどちらにせよ、君はもう少し冷静になる必要があるね」 「女の子が恋に一喜一憂する姿は可愛いが、野郎だと目も当てられないよ?」 「すいません」 「ははは、素直だな」 「まあ、以上は所詮戯れ言だ。 聞き流してくれたまえ」 「人生の達人なんじゃないんですか?」 「もちろん達人さ」 「だが、いくら達人でも君の人生を代われるわけではないからね」 「……」 不敵に微笑む仁さん。 いつもはおちゃらけているのに、真面目な顔で俺の話を聞いてくれた。 俺に「冷静になれ」 と言ってくれた。 俺の中で、まだ完全に答えは出ないけれど。 いつか何らかの形で、心を決めなくてはならないんだ。 ……。 …………。 「……お兄ちゃん」 「お兄ちゃーん」 ……麻衣が、俺を呼んでいる。 ここはどこだろう?分からない。 俺には麻衣しか見えない。 「ふふふっ、お兄ちゃん」 「早くしないと、先に行っちゃうから」 待ってくれ。 どこに行くんだ、麻衣。 そう声にしたいのに、漆黒の闇に消えていくばかりで……。 「……わたしはここだよ、お兄ちゃん」 世界が、少しずつ光を取り戻す。 「ずっとずっと、ここにいるよ」 それにつれ、麻衣の姿が……。 「お兄ちゃん……」 だんだん薄くなって……。 麻衣。 ……麻衣。 行くな。 どこにも行かないでくれ。 頼むから、俺のそばにいてくれ。 麻衣──!「麻衣、行くなっ!」 「きゃぁ……!」 ……。 えっ!?目を開けると、世界は光で満ちていた。 窓で揺れるカーテンと、机と、観葉植物と。 ……俺の腕の中で、震える麻衣と。 「お兄ちゃ……」 とっさに、状況を理解することができなかった。 なぜ俺は、麻衣の小さな体を抱きしめているのか。 まるで夢のような……。 ……夢?「わ、わあぁっ!」 慌てて麻衣を放し、ベッドから飛び降りる。 「ごめん、寝ぼけてたっ」 「……」 「う、うん、そうだよね」 「お兄ちゃん、寝ぼけてたんだよね」 麻衣は自らを抱きしめ、放心したように俺を見上げている。 「な、なんで麻衣がここに」 「お兄ちゃんを、起こしにきたの」 「一緒に川原に行こうと思って」 「そしたら……」 「俺、何か言ってなかったか?」 自分の耳が赤いのが分かる。 俺は夢の中で、必死に麻衣を呼んだ。 あれを麻衣に聞かれていたら……。 「……」 「ううん、別に何も」 「本当に?」 「うん、ほんとだよ」 何度も何度も頷く麻衣。 「……そ、そうか」 俺は小さくため息をつく。 重症だ。 夢の中までも麻衣を追い求めるとは。 「ご、ごめんね。 勝手に部屋に入っちゃって」 「じゃあっ」 ばたばたばたばたっばたんっ俺が止めるよりも先に、麻衣は部屋を出て行ってしまった。 部屋に一人残された俺は、じっと腕を見る。 まだ麻衣のぬくもりが、この腕と胸に残っている。 麻衣の体は、驚くほど小さかった。 驚くほど、柔らかかった……。 「おはよう、達哉」 しばらくして一階に降りると、リビングにフィーナがいた。 時刻は午前11時。 夏休みということで油断したからか、あんな夢を見たせいか。 俺にとってはかなりの寝坊だ。 「麻衣は?」 「フルートの練習に行くと言っていたわ」 「ずいぶんと慌てた様子で出て行ったけれど」 「そっか……」 すぐに後を追う気にはなれなかった。 第一、どんな顔をして会えばいいか分からない。 「……」 「ふふふっ」 ぼんやりと玄関の方を見ていると、フィーナが小さく笑った。 「達哉はいつも、麻衣のことを探しているのね」 「えっ?」 「そんなこと、ないと思うけど」 「そう?」 「私はいつも『麻衣は?』と尋ねられているような気がするわ」 「……」 「ごめん」 「謝らなくてもいいのよ」 「ただ……少しだけ麻衣が羨ましくて」 「羨ましい?」 俺はソファーに座り、フィーナを見た。 「お茶でもいかがかしら?」 「あ、ああ」 細く白い指が、優雅にティーポットを持ち上げる。 こんな些細な動作にすら、気品を感じられるのはさすがというべきか。 「実は私、今回留学するにあたって、王宮の人間たちから大反対を受けていたの」 訥々と、フィーナは話し始めた。 「え、そうだったの?」 「ええ」 「もちろん最初から、全員が全員賛成してくれるとは思っていなかったわ」 「でも私は、反対派を押し切る形で準備を進めてきたのよ」 自嘲気味にフィーナは微笑む。 意外だった。 こんなに気品に溢れた姫君が、自分の意志を貫くために小さな反乱を起こしたとは。 「今回の件で、多くの人々に迷惑をかけたと思う」 「でも、私には私の意志があるわ」 深いグリーンの瞳が、鮮やかな光彩を放つ。 見つめれば吸い込まれてしまいそうな、その美しさ。 「地球での経験は、必ず私が月を統べる日の糧になるはず」 「誰がなんと言おうと、私はそう思ったから……」 「後悔はしないわ」 「……すごい」 思わず感嘆のため息が出た。 フィーナはこんなに若くして、既に月の女王となる覚悟を決めているんだ。 目先の問題だけではなく、遠い未来の行く末を視野に入れている。 それに比べて、俺は……。 「……」 「もしも達哉が、私の夫だったとしたら……」 どきりとするような例えを出した。 「私の留学に賛成した?」 「当然」 「俺は、フィーナのことを信じて送り出すと思う」 「ふふふ……」 「だから麻衣のことが羨ましいと言ったの」 「何で?」 言葉の意味がよく分からない。 「達哉のような、理解と思いやりのあるパートナーがいるからよ」 ……真っ正面から言われ、俺は言葉に詰まってしまった。 「俺たちは兄妹だ。 パートナーなんかじゃない」 「兄妹でも、パートナーには代わりないでしょう?」 「あなた方は、お互いをちゃんと支え合えているもの」 ……。 うまく言葉が出ない。 麻衣が俺を支えてくれているとしても……。 俺が麻衣を、ちゃんと支えてやれているとは思えない。 「ごめんなさい。 出過ぎたことを言ってしまったわね」 「いや……」 「ただ私は、最近達哉が悩んでいるようだったから……」 「月に帰る前に、感じたことを伝えておきたかったの」 「フィーナ……」 「君が思っている以上に、君の周囲の人間は心配しているんだ」 ……仁さんの言葉とフィーナの顔が重なる。 俺はまた一人、誰かに心配をかけてしまった。 でも今は……。 不謹慎かもしれないけど、その気持ちが嬉しい。 俺の心に届いたフィーナの言葉が、ただただ嬉しかった。 「……俺も、フィーナみたいに後悔しない方法が見つかるのかな」 「後悔するかしないかは、後になってみなければ分からないわ」 「はは……それもそうだ」 「悩んだら、後悔しないと思える道を行くしかないと思うの」 「これはあくまでも、私のやり方だけれど」 そう言って、フィーナは口元に笑みを浮かべた。 ……。 後悔しないと思える道。 ともすれば、それは自らのエゴを押し通すことになる。 「……」 「麻衣は、まだ帰ってこないのかしらね」 「そろそろミアが、お昼ご飯の買い物から帰ってくる頃だけれど」 「それなら、俺が麻衣を呼んでくるよ」 俺は立ち上がった。 「フィーナたちは、先に昼飯食べててくれ」 「そう……ではお願いするわ」 「私たちは午後から出かけるので、冷蔵庫にお昼ご飯を用意しておくわね」 「そうしてもらえると助かる」 「じゃあ、行ってくるよ」 「ええ、行ってらっしゃい」 ……。 俺は小走りに玄関へと急いだ。 今は電話越しで話すのではなく、ちゃんと麻衣の顔が見たかった。 根拠はないけど、麻衣に会えば何かの答えに近づけるような気がしたからだ。 ……いざ答えが出たとして。 フィーナのように、潔く動けるかどうかは分からないけど。 「……?」 靴を履こうとして、俺は何かが落ちていることに気づいた。 紺色の、小さな手帳。 カテリナ学院の学生手帳だ。 「……俺のかな」 不思議に思い、手帳を手に取る。 そして何気なく表紙を開いて、「……」 「えっ……?」 手帳の中には、麻衣の証明写真。 そのページの間に挟まれた、もう一枚の写真。 その写真を見た瞬間──俺は。 俺は──……。 『あのね、麻衣』『恋をすると、毎日がカーニバルなんだって』『誰かを好きになると、鼓動がサンバのリズムを奏でるの』恋の意味すら知らなかった、あの日のわたしに。 そう教えてくれたのは、菜月ちゃんだった。 毎日がお祭り?そんなの、きっと疲れちゃうよ。 わたしは毎日がお祭り騒ぎじゃなくても、今のままで十分幸せ。 わたしには大好きな家族がいるの。 それ以外に望むものなんて……。 ……。 そう思っていたのに。 わたしの心は、わたしが思っていたより贅沢だった。 初恋を覚えたのは、あの日──一番仲が良くて、一番近くにいたあの人が。 初めて出会った時、わたしと同じ背丈だったあの人が。 ……いつの間にか、わたしの背を追い越して。 いつの間にか声が低くなって。 いつの間にか大きくなった手で、わたしの髪を撫でた。 ──その時だった。 わたしの鼓動の、リズムが乱れたのは。 『菜月ちゃん、わたしは恋をしたよ』『サンバどころの騒ぎじゃないよ、和太鼓の乱れ打ちだよ』……菜月ちゃんに、そう伝えたかったけど。 できなかった。 あの日以来、わたしは白いリボンを肌身離さず身につけた。 約束を守るために。 この思いを封印するために。 だって、わたしの好きな人は……。 ……。 「……ふぅ」 フルートから唇を離し、わたしはため息をついた。 今日のコンディションは最悪。 いつもだったら、フルートを吹けば気持ちが落ち着くのに。 今日に限って、全く集中できなかった。 ……ううん。 今日だから、集中できないんだ。 さっきあんなことがあったから……。 「……」 古傷が痛む、という言葉は、こういう時にも使えるのかもしれない。 ずっとずっと、もう何年も封印していた気持ち。 早鐘を打つ鼓動。 ……あんなことさえなければ、私は永遠に想いを隠すことができたのに。 あの日交わした「約束」 を、守り抜くことができたのに──……。 …………。 「やあ、麻衣ちゃんじゃないか」 背後から声をかけられ、振り向いた。 そこには、買い物袋を下げた仁さんがいた。 「こ、こんにちは」 「いやぁ、悪かったねえ」 「……?」 「君の目当ての人じゃなくってさ」 「そ、そんなこと……」 「そう?」 「ちょっとがっかりしたように見えたからさ」 ……仁さんは、たまに意地悪を言う。 そんなつもりもないのに、心を言い当てられたような気分になる。 「ところで、さっき吹いてた曲は何ていうんだい?」 「風に乗って聞こえてきたよ。 とても切ないメロディだった」 「……」 「コンクール用の曲なのかな?」 「あれは……」 片思いを唄う曲。 決して叶うことのない恋の唄。 わたしが想いを乗せて作った、名前のない曲だ。 「タイトル、忘れちゃった」 「おや、それは残念だ」 「いつか思い出したら、僕にこっそり教えてくれ」 「……うん」 仁さんは笑顔を浮かべ、わたしに手を振った。 ……。 もう、いい加減やめなきゃ。 このままじゃ、わたしは一番大切な人を困らせてしまう。 わたしが気持ちを抑えれば済むことなんだから。 ……。 そうだ。 あの写真。 あの写真と一緒に、この想いも川に流してしまおう。 あれは、わたしが持っていても仕方のないものだ。 そう思って、ポケットに手を入れた時。 ……。 「……?」 誰かが、わたしの名前を呼んだ──……。 ……走っていた。 フルートの音色に誘われるように、俺は走っていた。 ここからじゃ聞こえるはずもないのに。 「……麻衣」 川原を目指し、ひたすら走り続ける。 麻衣の学生手帳を握りしめながら──……。 …………。 麻衣。 ……麻衣。 いくら名を呼んでも、強い風が声をさらってしまう。 本当に、麻衣はここにいるのだろうか。 ……。 いや、いるはずだ。 だって俺たちは、いつもここに戻ってきた。 いつも二人で、対岸の景色を眺めていた。 俺の指定席は、いつだって……。 麻衣の隣だった。 「麻衣ーっ」 「……」 やがて、俺は……。 フルートを握りしめ、川面を眺める麻衣を見つけた。 「あ……」 麻衣は、驚いた様子で俺を見た。 いつもの笑顔はない。 ただ、川面のように揺れる瞳がそこにあるだけ。 「麻衣」 俺は一歩ずつ、ゆっくりと踏み出していく。 すぐそこに、麻衣がいる。 いつだって探し続けた、麻衣がいる……。 「ど、どうしたの?」 「お兄ちゃ……」 ……。 言いかけて、麻衣はなぜかためらった。 「えっと……お兄……」 「……」 ……。 「どうした?」 「な、何でもない」 「ただ……」 「……お兄ちゃんって呼ぶの、もう恥ずかしいよ」 唐突に、麻衣はそんなことを言う。 「……」 「なんで恥ずかしいって思うんだ?」 「……」 その問いに、麻衣は答えない。 麻衣が俺を「お兄ちゃん」 と呼び続けてきたのは、あの「約束」 があったからだ。 「ずっと兄妹でいよう」 という約束。 なのに……。 麻衣は、「お兄ちゃん」 と呼ぶことをやめたがっている。 ……。 俺と兄妹でいることを、やめたがっている……?「……お兄ちゃんじゃなかったら、俺のことをなんて呼ぶんだ」 「い、今そんなこと言われたって、すぐには思いつかないよ」 「だって恥ずかしいんだろ?」 「……」 「もうお兄ちゃんって呼びたくないんだろ?」 「う……」 「そ、それより、どうしてここに来たの」 「また傘を持ってきてくれたんじゃないよね?」 「……」 「傘じゃないけど……」 「忘れ物」 ……そう言いながら。 俺は、麻衣に学生手帳を差し出した。 「……」 「……やだ」 ぱしっ麻衣は即座に、学生手帳を奪う。 「……中、見た?」 「ああ」 「麻衣の証明写真、可愛かった」 「……」 「見たの、それだけ?」 「……いや」 俺はゆっくりとかぶりを振った。 「これも入ってた」 俺は、ポケットから一枚の写真を取り出して見せた。 「……!」 ……。 写真には、俺と麻衣が並んで写っていた。 かつて俺の両親がいた頃、みんなで撮った古い写真だ。 だけど……。 「どうして……」 「どうして、俺と麻衣の部分だけ切り抜いて持っていたんだ?」 幼い笑顔を浮かべながら、寄り添う俺たちの姿。 この写真は、本来なら家族四人で写っていたはずだ。 それを、なぜわざわざ隠すように……。 俺と麻衣の部分だけ、切り抜いて持っていたのか。 「……」 「だって、わたしは……」 やがて麻衣の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。 ……。 …………。 「ううん……言えないよ」 「だって、ずっと我慢してきたんだよ」 「あの日からずっと我慢して……」 「お兄ちゃんに迷惑かけないようにって……」 ぽたんっ涙が頬を伝い、草原に落ちた。 「俺も、我慢してた」 「『約束』があったから……」 『本当の兄妹になろうね』『血の繋がりがないってことは、誰にも内緒だよ』そう言ってリボンを贈ったのは、ほかでもないこの俺だ。 まさかその約束が、俺自身を縛ることになろうとは。 ……。 なのに……。 俺はとうの昔に、その約束を破っていた。 麻衣とは、本当の兄妹のように接してきたのに。 麻衣のことを、本当の兄妹として見られなかった。 俺はいつからか、麻衣を一人の女性として見ていたんだ……。 「お兄ちゃん……」 「わたし、もう限界だよ」 「もう、今までみたいに頑張れない」 「麻衣……」 「今までみたいに、平気な顔できない」 「……わたしは」 「お兄ちゃんのことが好き」 ……。 ……俺の中で、何かが爆ぜた。 頑なだった何かが、決壊する音を聞いた。 こらえていた想いが、麻衣に向かって全て流れ出していく。 「麻衣……!」 「……っ」 両手を思いっきり広げ、麻衣を抱きしめた。 一番近くにいて、一番遠かったもの。 一番欲しかったもの。 それが今、確かに俺の腕の中にいる……。 「お前、好きなヤツがいるって言ってたじゃないか」 「……いるよ」 「わたしの目の前に」 ……胸が締めつけられる。 麻衣の吐息が、麻衣の温度が、麻衣の全てが、愛しくてたまらなかった。 「お兄ちゃんだって、好きな人がいるって言ったじゃない」 「……いるよ」 「俺の目の前に」 「……」 「えへへ……」 麻衣は真っ赤な目で、小さく笑った。 「お兄ちゃん、大好きだよ」 「ああ」 「ずっとずっと、好きだったんだよ」 「俺だって、ずっと麻衣のことが好きだった」 「……ううん」 「え?」 「わたしの方が、ずっとずっとずっと好きなの」 「この気持ちは、お兄ちゃんなんかに負けないんだから……」 ぎゅっ再び強く、麻衣を抱きしめる。 ……自分の気持ちを伝え、麻衣の想いを受け入れることが、本当に正しいのかは分からない。 だけど。 俺は、絶対に後悔しないと思う。 何かを壊してしまうかもしれないけど。 誰かを傷つけてしまうかもしれないけど……。 「お兄ちゃん……」 やがて麻衣は顔を上げ、そっと目を閉じた。 小さな唇が震えている。 俺のことを想って、震えている。 「……」 俺は、麻衣の顎をそっと持ち上げ……。 ……。 …………。 その唇に、キスをした。 ……それから俺たちは、ほぼ無言のまま帰宅した。 言いたいことや話したいことはたくさんあった。 けど、うまく言葉にできなかった。 「……」 それは麻衣も同じらしく、何か言いかけては言葉を呑む、という繰り返しで。 結局沈黙を守ったまま、玄関のドアを開けたのだった。 「……ただいまー」 ……。 …………。 反応はない。 「誰も……いないみたいだな」 「う、うん」 ……あ。 そういえば、フィーナたちは午後から出かけると言ってたな。 「……」 玄関やリビングは薄暗く、心細くなるほど静かだった。 静かすぎて、逆に静寂に押し潰されそうだ。 ドクン、ドクン……やがて少しずつ、鼓動が大きくなる。 この家は今、俺と麻衣の二人きり。 俺たち以外は、誰もいない──……。 「あ、あのさ」 「あ、あの」 口火を切ったのは、同時だった。 互いに驚いた顔を見合わせ、即座に目を逸らす。 「な、なあに? お兄ちゃん」 「麻衣こそなんだよ」 「……わ、わたしは」 ……。 再び沈黙が降りる。 ……何やってんだろ、俺。 麻衣にもっと話したいことがあるのに。 麻衣にもっと伝えたいことがあるのに。 麻衣にもっと……触れたいのに。 このまま手を伸ばし、麻衣に触れたら……。 きっと麻衣のことを、めちゃくちゃにしてしまいたくなる。 床に押し倒し、服を剥ぎ、欲望をぶつけてしまいたくなる。 俺は、麻衣を壊したくない。 麻衣を傷つけたくない。 何よりも、麻衣に嫌われたくない……。 「麻衣……」 「……わ、わたし、宿題しなくちゃ」 「じゃあ、部屋に行くね……」 「……」 「あ、ああ……」 麻衣はまつげを伏せ、やがて逃げるように二階へと行ってしまった。 ……。 なんであんなに、怯えた表情をするんだ。 俺が……。 怖いのか?……。 …………。 ……。 何も手につかない。 無理に宿題に手をつけようとしたが、当然のように頭に入ってこなかった。 「……」 隣の部屋には麻衣がいる。 気持ちを打ち明けあって、ようやく気持ちが通じて……キスもしたのに。 意識し過ぎて、まるで今まで通りにできない自分がいる。 ……。 麻衣。 今、お前は何を考えている?俺は、こうなったことを後悔はしないけれど……。 不安になる。 麻衣のことが好きすぎて、不安になるんだ。 俺たちは、これからどうなるんだろう?「……っ」 俺は、衝動的に立ち上がった。 心に体がついていかない。 俺はもっと麻衣を知りたい。 麻衣に触れたい。 触れたい……。 ……。 …………。 ばたんっ「……っ!」 「麻衣……っ」 部屋から出た瞬間、麻衣の部屋のドアが開いた。 不安と焦りが入り交じったような瞳。 俺と同じように、肩を震わせて……。 「お兄ちゃんっ」 「わたし、わたし……っ」 「麻衣っ」 俺は考えるよりも先に、麻衣へと駆け寄った。 そして……。 「あぁ……」 抱きしめた。 これ以上ないほど、強く強く抱きしめた。 やっと捕まえた俺の妹。 ようやく触れられた、俺の愛しい人……。 「お兄ちゃん……」 「麻衣……」 「もう、一秒でも離れていたくないよ」 「一人にしないで」 麻衣の覚悟が、鼓動を通して伝わってくる。 俺は、なにを一人で悩んでいたんだろう。 今まで、お互い同じ苦しみを味わってきたんじゃないか……。 「お兄ちゃん、お願い……」 麻衣の瞳が潤む。 かすかに唇を開く。 俺は……。 「んっ……」 小さな唇を、舌で押し開く。 今日で二度目のキス。 柔らかなそれを舌で味わい、口内へと忍び込んだ。 「はぅ……っ」 ねっとりとした口内を舌でたどり、唾液の海を泳ぐ。 麻衣の唾液は熱くて、眩暈がしそうだ。 「んちゅっ……はぁ……」 小さな体が震えている。 俺の舌に、おずおずと自分の舌を絡めていく。 「お、お兄ちゃん……」 「ん……?」 「こんなに長い間一緒にいたのに……」 「わたしの体には、お兄ちゃんが触れてないところがたくさんあるんだよ……?」 ……。 …………。 「だから……」 それ以上の言葉は、いらなかった。 俺は麻衣の体を抱き上げ……。 ゆっくりと麻衣の部屋に入っていった。 ……。 …………。 「あっ……」 部屋に入り、俺は麻衣をベッドに横たえた。 緊張しているのか、体が硬い。 ゆっくりと、その白い太腿を撫で回す。 「ふぁっ……」 麻衣の唇から、甘い声が出る。 その声だけで、リミッターが外れそうになる。 「お兄ちゃん……」 「ん……?」 「大好きだからね」 「ほんとにほんとに、大好きなんだから」 「分かってる」 「俺だって、麻衣のことが大好きだ」 「ずっとずっと好きだったんだからな」 もう止められない。 何がどうなろうと、もう麻衣のことを離さない。 「あんっ……」 適度に肉づいた太腿を、丹念に丹念に撫でる。 ハリのある素肌は、薄っすらと汗ばんでいた。 「……キレイだな、麻衣の肌は」 「う……」 びくびくと肩が揺れている。 ちょっとでも力を入れたら、壊れてしまいそうな体。 「麻衣」 「服、脱がしていいか?」 「う、うん」 「でも……がっかりしないで」 「がっかり? 何で?」 「だってわたし……」 「フィーナさんみたいに、キレイじゃないし」 「胸だってちっちゃいし」 ……。 「誰かと自分を比べるなんて、無意味だよ」 「俺の好きな人は麻衣だけだ」 「だから俺は、麻衣の全てが見たい」 「……」 やがて麻衣は、ゆっくりと頷いた。 俺は、麻衣のワンピースの肩ひもをほどいていく。 衣擦れの音と共に、一枚一枚服が剥がされた。 「……」 下着姿になった麻衣は、頬を真っ赤に染めていた。 ノーストラップのブラに、おそろいの小さなパンツ。 ピンクの生地に白いフリルを縁取った、愛らしいデザインだ。 「……恥ずかしい」 「まさかお兄ちゃんに、こんな姿を見られるなんて……」 「俺も、夢にも思わなかった」 ……想像したことは何度もあったけど。 俺はそっと手を伸ばし、ブラの上から胸に触れた。 「きゃふっ」 柔らかい。 そんなに大きくはないけど、キレイな形の乳房。 ちょうど手のひらにすっぽりと収まる具合だ。 「ひぁ……んっ……」 少しだけ揉んでみる。 柔肉がぷにぷにと形を変え、俺の手の中で震えている。 「ひゃぁ……手を動かしちゃっ……あぁ」 麻衣の声が、しだいに大きくなっていく。 「麻衣」 「あんまり声出すと、外に聞こえちゃうぞ」 「……う、うん、ごめん」 「はうんっ、ああぁっ」 ぎゅっと乳房を掴むと、麻衣の声量が二割増になった。 自分をコントロールできる余裕がないのは、俺も同じこと。 「お兄ちゃん……っ」 「……わたしは、もう妹じゃないからね」 「今は、お兄ちゃんの彼女だよ……」 瞳に涙をたずさえ、小さくつぶやく麻衣。 ……愛しい。 何度だってそう思う。 「じゃあ俺は、麻衣の彼氏だな」 「そ、そうだよ……」 「お兄ちゃんは、わたしの彼氏」 「……離さないでね」 「ああ……」 ちゅっ麻衣の額にそっとキス。 「……ブラ、外すからな」 「うん」 ブラを取ると、愛くるしい二つの乳房が現れた。 チェリーピンクの乳首に、小さな乳輪。 想像通り、お椀型のキレイな形だ。 「……可愛い」 「ちっちゃいでしょ?」 「自分で思ってるほど、小さくはないと思うけど」 「そ、そうかな……」 乳房の谷間に汗が流れていく。 肌が夕陽を浴びてキラキラと輝いている。 俺は両手で、二つの乳房を揉みしだいた。 「あはぁ、あぁっ」 直に触る胸は、驚くほどの柔らかさだ。 少しずつ乳首が膨らみ、やがてツンと上を向く。 その先端を、親指と人差し指で軽くつまみ上げた。 「んっ……ああぁっ!」 肩を震わせながら、背中をしならせる麻衣。 「あん、だめぇ……お兄ちゃんっ」 「麻衣……すごく可愛い」 俺の手に触れられ、麻衣は時々驚くほど大人びた顔をする。 その変化の一つひとつから、まるで目が離せない。 「……んはぁ、はう……あぁっ」 指で乳首をつまみ上げながら、コリコリとさすってみる。 いじればいじるほど、俺に応える乳首。 硬く身をこわばらせ、充血して鮮やかな色に染まっていく。 「お兄ちゃんっ……」 「そんなことしたら、変な声出ちゃう……」 「もっと麻衣の声が聞きたい」 そう言ってから、乳首を口に含んだ。 「あぁっ……!」 ほんのりとしょっぱい乳首に舌を這わせ、たっぷりと先端に唾液を乗せた。 そして唾液と一緒に、勢いよく乳首を吸引する。 「ひゃぁっ、あふぅ、あぁっ」 ちゅぱっ……ちゅぱ……ちゅぱっ……水音を立たせながら吸いつくと、麻衣の太腿がぴきんと緊張した。 左手でもう片方の乳房を包み、ゆっくりと撫で回す。 「お兄ちゃん、いやらしいよぉ……」 不安が入り交じっていた顔が、今ではすっかりとろんととろけていた。 麻衣がグラマーだと言えば、嘘になる。 だが、この匂い立つような色気はなんだろう。 折れそうなほど華奢なのに、抱き心地はしっとりと柔らかくて。 薄い唇が、俺を誘うように淫らに開いて。 ……体の真ん中が熱い。 麻衣をめちゃくちゃにしたい欲望と戦いながら、俺は乳房を揉み上げた。 「ん……麻衣のここ、美味しい」 「あぅっ……す、吸わないでぇっ……」 乳首は硬く勃起し、俺の舌に弄ばれている。 次はもう片方の乳首に口を移し、舌のざらざらした部分で猫みたいに舐め上げた。 「も、もうだめ、許してぇ、お兄ちゃんっ」 腰をくねらせ、切ない悲鳴をあげている。 ……もっともっと、麻衣の全てが見たい。 俺はパンツに手をかけ、ゆっくりと引き下ろした。 「あぁっ、やぁ……」 抵抗も虚しく、大切な部分が俺の眼下に晒された。 陰毛はごくわずかで、ヴァージンピンクの秘肉がぬらりとした光を纏っている。 小ぶりなクリトリスの周囲には、薄い陰唇が左右対称に顔を覗かせていた。 麻衣が身につけているのは、白いソックスとチョーカーだけ。 たまらなくいやらしい格好だ。 「ちょ、ちょっと待って……」 太腿にぐっと力が入る。 「……見られるの、嫌か?」 「う……」 「い、嫌ってわけじゃないけど」 「……俺、麻衣のぜんぶを見ておきたいんだ」 「だから、もうちょっと脚の力を抜いてもらえないかな」 「……」 やがて麻衣は、小さく頷いた。 「……う、うん、分かった」 ほんの少しだけ力が抜け、自然と脚が開かれる。 俺は顔を近づけ、舐めるように陰部を眺めた。 「あぅ……」 「……キレイだよ」 「そ、そうなの?」 麻衣は少しだけ体を起こし、下腹部を見下ろした。 「自分のここ、見たことないのか?」 「……な、ないわけじゃないけど」 「そんなにまじまじとは見ないよ……」 「そっか……」 俺はぐっと膝を開き、さらに割れ目を開かせた。 「ふわぁっ」 たっぷりとした愛液に塗られた陰部。 透明な蜜の中で、クリトリスがヒクヒクと身動きしている。 「……っ」 ごくり、と唾を飲む。 その卑猥な秘肉に、引き込まれるように見入っていた。 「んっ……あ、あんまり顔近づけちゃ……」 ……ちゅぷっ。 「ひゃうううっ」 蜜壺にそっと人差し指を入れる。 中に溜まっていた蜜が、どろりと流れ出した。 「はぁっ……あぁ……」 「き……気持ち……いい……」 素直な気持ちを吐露する麻衣。 乳房の愛撫で、ここも昂ぶっていたらしい。 「麻衣、いっぱい濡れてる」 「えっ……」 「あ、そんなこと……」 「でも……ほら」 「お、お兄ちゃんがいけないんだよ……」 「お兄ちゃんがいっぱい触るから……」 ぬぷっ。 「あっ」 すぐさま指を引き抜くと、麻衣は困ったような表情になった。 「や、やめちゃうの?」 「駄目だったか?」 「うぅ……」 しばらくもじもじとしていたが、「……も、もうちょっとだけ、触ってほしい……かも」 どうやら耐えきれなくなったようだ。 俺は再び陰部に指を差し入れ、小さくさすり上げた。 「はんっ、んんっ……!」 蜜壺は愛液を垂れ流し、俺の指をべたべたに汚す。 内部はただただ熱く、ねっとりと潤っていた。 「あふ、あ、敏感に……なってる……」 指先がクリトリスに触れる度に、太腿を震わせる麻衣。 恐らく麻衣は、こうやって男に触られるのは初めての経験だろう。 ……ここは、俺しか知らない秘密。 誰も知ることのない秘密の場所だ。 「ひゃふぅ、あん、あぁ、はあぁ……」 ぴちゃ……ぴちゃっ……ぺちゃっ……陰部をさするほどに溢れる泉。 陰唇はヒクつき、俺の指にしっとりと触れている。 「あぁっ、おかしくなっちゃうよぉっ……あふぁっ……」 蜜壺の周囲をこすりながら、中指でクリトリスに触れた。 「ひゃふぅっ」 すっかり硬くなった先端は、コリコリとした感触だ。 つんつんと指で突くと、包皮を脱いでさらに勃起する。 「あ……大きくなった」 「い、言わなくていいのっ」 いやいやをするように首を振る。 俺の指で感じている麻衣は、たまらなく可愛くて……。 たまらなく淫靡だ。 俺は蜜壺に入れた指を、さらに奥へと押し進めた。 「あっ……ひゃぁ……」 ぬぷぷぷぷぷっ肉襞が収縮し、俺の指を奥へ奥へと誘っていく。 「……痛いか?」 「う……ちょっとだけ」 「でも、大丈夫だから……」 わずかに顔を歪めながらも、麻衣は笑顔を浮かべてみせた。 それ以上奥に進むのはやめ、くちゅくちゅとかき回す。 肉壺は激しくうねり、俺の指を締めつけていた。 「あぁっ、はぁ、う、動いてるっ……!」 麻衣の全身が弓なりにしなった。 「わたしの中って、そんなに深いんだ……」 「俺の指がどう動いてるか分かるか?」 「ん……わたしの中で……動いてることしか……っ」 「自分の体じゃないみたいだよ……」 麻衣の肌には、玉のような汗が浮かんでいた。 雪のように白かった肌は、うっすらとした桜色に染まっている。 わずかに幼さを残した、開花寸前の体だ。 「麻衣っ……」 回転するような動きから、今度は前後に指をグラインドさせた。 湿り気のあるいやらしい音が、部屋中に響く。 「お兄ちゃ……あぁっ……んはぁっ」 「恥ずかしいっ……んぁ……ああぁ、ひゃうぅっ……」 俺は麻衣の胸に顔を埋め、指の動きを速めた。 感じている顔を見られているのが恥ずかしいのか、俺とは目を合わせない。 「麻衣、俺を見て」 「やあぁ……」 「俺、麻衣が感じてるところを見たい」 「うぅ……」 「お兄ちゃんっ……」 やがて麻衣は、潤んだ瞳を俺に向けた。 その瞳には、俺がいっぱいに映って……。 「お兄ちゃん……好き」 「ああ」 「お兄ちゃんが……大好き……」 「……俺も、麻衣が大好きだよ」 俺は恐らく、世界一の果報者なのだと思う。 どうして俺を選んでくれた?……俺が理由もなく、無条件に麻衣を好きなように。 麻衣も俺を、無条件に好きでいてくれるのか。 「お兄ちゃん、わたしはもうお兄ちゃんのものだから……」 「来て……」 「……麻衣」 唇は吐息で濡れ、汗で首に髪が貼りついている。 呼吸する度に上下する胸。 俺を求める、細い腕。 ……もう、俺の欲望は抑えられない。 どの道、後戻りはできないんだ。 「いいのか……?」 「うん……」 麻衣が頷いたのを見届けてから、俺はズボンのベルトを外した。 そしてズボンとトランクスを一気に脱ぎ、怒張したペニスを陰部にあてがう。 「……わっ」 俺の下半身をちらりと見た麻衣は、目を丸くした。 「どうした?」 「お、お兄ちゃんの」 「大変なことになってる……」 勃起したペニスを初めて見たからか、麻衣は驚きを隠せない。 「そ、それを、どうするかと言うと……」 「麻衣の中に、入れたい」 恥ずかしいから、できれば言わせないでほしい。 「む、無理かも」 「無理かな」 「ううん、無理じゃない」 どっち……?「……頑張る」 「ううん、頑張りたいの」 「俺も、頑張るよ」 「こんな日が来ればいいと、ずっと思ってたから……」 「……うん」 俺は先端を膣口にあて、そのままゆっくりと腰を押し進めた。 「あ……ぁはあぁ……んっ、んん……っ!」 麻衣の全身が力む。 少し力を入れ、さらに亀頭を押し込んだ。 「んはあああぁ……っ」 ……痛い、よな?俺には、麻衣の痛みを知ることができない。 いっそのこと、一気に貫いてしまうべきか。 それとも、いったんやめるべきか。 どうしていいか分からなくて、俺は固まっていた。 「お兄ちゃん……」 「わたしなら……大丈夫だよ」 「でも……」 このままでは、麻衣を壊してしまう。 そんな不安が、俺の中で渦巻く。 「この日を待っていたのは、わたしも一緒だから……」 「……今、してほしいの」 「お願い、お兄ちゃん」 「……ああ」 俺は頷いた。 麻衣はとっくに、覚悟を決めてくれていた。 躊躇している自分が恥ずかしかった。 「んぁっ……!」 どうにか亀頭が埋まり、そのまま少しずつ前進する。 膣内は激しく動き、俺の進入を阻止するかのように締まった。 ……だが、確実に繋がりつつあるのだ。 「あぁっ……お兄ちゃんっ……」 「麻衣っ」 やがて膣壁がほぐれたような感覚の後、亀頭が一気に膣奥に到着する。 「くっはあぁっ……!」 ……。 入った、のか?「……麻衣、大丈夫か?」 「う……」 痛みがひどいのか、麻衣は固く目を閉じている。 ……太腿の間には、うっすらとした血。 まぎれもない、破瓜の証だ。 「麻衣?」 「は……入ったんだね」 「これでもう、本当の恋人同士なんだよね?」 「俺たちは、とっくに恋人同士だよ」 麻衣の涙が、シーツに落ちていく。 その涙を、唇で拭った。 「……嬉しい」 「お兄ちゃん、本当に嬉しいと涙が出るんだね」 「……俺も、ちょっと出た」 「そうなの?」 「じゃあ、お兄ちゃんも嬉しいんだ」 「嬉しいに決まってる」 「えへへ……」 泣いてるのか笑っているのか、よく分からない顔。 本当は怖かっただろうに、それを悟られまいとしている。 愛しさで胸がいっぱいになり、強く麻衣を抱きしめた。 「お兄ちゃん、わたしはもう大丈夫だから……」 「う……動いても、いいよ?」 「……うん」 麻衣の中で、俺のペニスはビクビクと脈打っていた。 はやる気持ちを抑え、まずはゆっくりと腰を引いていく。 「……あぁっ」 わずかに顔を歪める麻衣。 亀頭まで腰を引いてから、今度はずぶずぶと突き進んでいく。 「んぁっ、あっ……」 「し、締まる……」 膣道はこれ以上ないほど俺を締め上げていた。 腰がぶるぶると震え、下腹部に熱いものが溜まっていくのを感じる。 ……やばい。 かなり、気持ちいい。 「お兄ちゃん……?」 快感で固まっている俺に、麻衣が呼びかける。 「ごめん」 「あまりにも麻衣の中が気持ちよくて……」 「……っ」 麻衣の耳たぶが真っ赤になった。 俺は深呼吸をしてから、再び腰を押し進めていく。 「んはぁ……あぅ……う……」 じゅぷっやがて内部の肉が活発に動き始め、ペニスにまとわりついた。 蜜に埋もれたクリトリスは、硬く充血している。 「は、入ってる……あぁ、奥に……」 最深部に亀頭が辿り着くと、麻衣は大きく体を震わせた。 膣道全体が波打ち、ペニスを執拗に締め上げる。 「ぐっ……」 あまりの快感に、息を呑む。 おびただしい量の愛液が溢れ、二人の接合部をぬらぬらと濡らしている。 「んっ……あぁ……んふぅっ!」 ガチガチに緊張していた麻衣の太腿から、少しずつ力が抜けてきた。 俺はさらに太腿を高く掲げ、グラインドの速度を上げていく。 「あんっ、す、すごい……あぁ、熱いよぉっ……!」 じゅぷじゅぷと音を立たせながら、さらに奥を目指す。 ねっとりとした肉襞が、亀頭を絞り上げるように愛撫した。 「ひぅ、あああぁ、お兄ちゃんっ……」 麻衣の声が少しずつ艶を帯びてきた。 腰を揺らす度に乳房が揺れ、乳首がツンと天井を向いている。 「麻衣、気持ちいいよ……」 「うぅ、わ、わたしも、だんだん……」 ペニスにこすられ、陰唇がぷりぷりと揺れている。 膣は激しく収縮し、がっちりと俺自身をくわえ込んでいた。 「はぁ、はあぁっ、お兄ちゃんの、大きいよ……っ」 「わたしの中が……お兄ちゃんで、いっぱい……あぁ……」 麻衣の頬は上気し、しっとりと艶めいている。 こんなに色っぽい顔をする麻衣は、初めて見た。 俺にだけしか見せない顔。 俺だけの、麻衣……。 「麻衣、好きだっ……」 「わたしも……お兄ちゃんが好きっ……」 「好きで好きで、おかしくなっちゃいそう……」 呼吸をする度に、膣内がぎゅっぎゅと締まる。 ペニスをギリギリまで引き抜き、一気に貫いた。 「んひゃぁっ、ああっ、はああぁっ……!」 ビクンと腰が跳ね、陰部から大量の愛液が流れ出した。 その蜜を指ですくい、クリトリスになすりつける。 「ひうぅっ、あん、だめぇっ……」 クリトリスは俺の指から逃れるように身をよじらせる。 シーツは二人の汗と体液でじっとりと濡れていた。 「あふぅっ……んっ……あぅっ……!」 だんだんと麻衣の腰が前後に揺らめいてきた。 全身が紅潮し、とろんとした瞳を俺に向けている。 じゅぷっ、ぬるぅっ……じゅぷうっ……!「あぁ、熱い……ああぁ、気持ちいいっ……!」 「お兄ちゃん、どうしよう……気持ちよくなっちゃうっ」 「もっともっと気持ちよくなっていいんだよ」 「でも、でも……怖い……」 「わたしがわたしじゃなくなりそうで……」 じゅぷぅっ……ずぷっ!こみ上げる思いをぶつけるように、一気に膣奥を突く。 「ひゃううっ」 我慢できなくなって、陰部に激しく腰を打ち付けていく。 「あん、あたるっ……ああぁ、んっ、はうぅっ」 「麻衣っ……あぁっ……」 性器と性器がぶつかり合い、水気のある淫らな音が響く。 ペニスはぱんぱんに膨れ上がり、麻衣の小さな性器を貪っていた。 「あぁ、麻衣っ……麻衣っ……」 「お兄ちゃんっ、わたし、あんっ……ああぁっ」 膣内が大きく震え、麻衣は声がだんだん高くなっていく。 まずい……。 ずぷぅっ! じゅぷぅっ! ぬぷぅっ!限界まで固くなった屹立が、麻衣の中を激しく出入りする。 もう限界だ……っ。 「麻衣っ、俺……」 「お兄ちゃん、来てっ」 「わたしも、もう……あぁ、んっ、はあぁっ……」 「あふぁっ、んあああっ、あはぁ……!」 最後の力を振り絞り、陰部を突き続けた。 「んあぁ、はあぁ、はあんっ、はうぁ、ああぁっ……!」 下半身がビリビリと痺れ、もう何も考えられない。 「お兄ちゃんっ……んああぁ、ふああぁっ、あぁっ」 小刻みに膣内全体が痙攣し、ペニスを強烈に締め上げる。 「ああぁ、んぁ、はあああぁっ、あぁ、んっ……あああぁっ!」 「麻衣っ……もうっ……!」 「ああぁっ……んはああっ……はあああああぁっ!」 ……ずぴゅぴゅぴゅっ! どぴゅうっ!「ああぁっ!」 下半身が爆発し、俺はペニスを引き抜いて麻衣の体に射精した。 あまりに強い快感に、くらくらと眩暈がする。 「はぁ……はぁ……」 「うあぁ……熱い……よ……」 精液は麻衣の上半身にべっとりと付着していた。 勢いが良すぎて、顔にまでかかってしまう有様だ。 「だ、大丈夫か?」 「はぁ……はぁ……はぁ……」 「だ……だいじょう……ぶ……」 荒い息を吐きながら、なんとか返事をする。 放心状態といった様子だ。 「はぁ……はぁ……お兄ちゃん……」 「ん?」 「い、いっぱい……出たね……」 ……確かに。 「麻衣も、いっぱい感じてたな」 「うん……」 恥ずかしそうに笑う麻衣。 「……頭の中がふわーっとして、お腹がぎゅっと熱くなって」 「ジェットコースターに乗ってるみたいだった」 「……すごいなあ、それ」 「うん、すごかったよ」 「でも……」 ためらいながら視線を逸らす。 「……」 「どうした?」 「……ううん、何でもない」 「気になるじゃないか。 言ってくれよ」 「あぅ……」 「えっと……」 「……ったな」 「え?」 あまりに声が小さくて聞こえなかった。 「なになに?」 「だから……」 「な……」 「中に、欲しかったな……」 ……。 俺の顔は、たぶん真っ赤になっているに違いない。 「……もう一回言ってくれ」 「に、二回も言わないよーっ」 「でも、よく聞こえなかったし」 「う、嘘っ。 聞いてたでしょっ」 手をぶんぶんと振り、そっぽを向いた。 ……よっぽど恥ずかしかったんだな。 俺は小さく笑いながら、体を起こした。 「……ひゃうっ!」 その瞬間、亀頭が陰部に触れてしまい、麻衣は跳び上がる。 「び、敏感になってる……」 「ここが?」 ぴちゃっわざとクリトリスに亀頭をこすりつける俺。 「あふうっ!」 麻衣の甘い悲鳴が、俺の鼓膜を刺激した。 今の声で、俺のペニスが再び頭をもたげてくる。 「あ……」 「すまん」 今出したばっかりなのに……。 かなり恥ずかしい。 「いいよ、お兄ちゃん……」 「え?」 「お兄ちゃんの、好きなようにして?」 上目遣いで俺を見つめる麻衣。 下腹部から、熱い欲望がこみ上げてきた。 「はうっ……」 俺は体を起こし、麻衣の性器にペニスをこすりつけた。 とろとろと流れる愛液で、亀頭がぬらぬらと光る。 「ひゃんっ、くすぐったい……」 すぐにでも挿入したいのをぐっとこらえ、じりじりとクリトリスをねぶる。 「すっごいぬるぬるしてる」 「う……」 ちゅぷ……ねちゃ……ぬちゅっ……。 「んっ……お兄ちゃんてばっ」 やがて麻衣の腰が悩ましげに動く。 じらされて我慢できないのか、自ら腰を押しつけてきた。 「切ないよ……お兄ちゃん」 「そういう麻衣の顔、すごく可愛い」 「もうっ……」 「あああっ……!?」 ずぷぷぷぷっ!丹念に陰部を愛撫してから、再び一気に貫いた。 内部はすっかり潤って、俺をしっかりと受け止めていく。 「ま、また入って……ああぁ、んふぅ!」 麻衣はわずかに体を起こし、恥じらってみせた。 「……繋がってるとこ、見える?」 「やんっ……」 恥ずかしがりながらも、ちらりとその部分に目を向けてくる。 俺のペニスは極限まで勃起し、麻衣の割れ目に食い込んでいた。 「わ……わわわっ」 愛液まみれの陰唇が恥ずかしそうにヒクついている。 俺に見られて、さらに潤いを増してくるようだった。 「はうんっ……!」 麻衣に見せつけるように、腰を高く掲げてゆっくりと出し入れを開始する。 二度目ともなると、だいぶ感度が上がってきたようだ。 じゅぷぷっ……ぬるぅっ……ずぷうっ……にゅるうっ……「あ、さっきより深いっ……あぁ、んふぅ」 「すごい……よく見えるよ」 「うぅ、見ないでってばぁ……!」 出したばかりの精液が、麻衣のおへそで水たまりを作っている。 腰を振る度に、愛液の甘酸っぱい匂いが鼻腔を漂う。 「んぁっ、あうぅ、どうしよう……」 「ま、また気持ちよくなってきちゃったよぉ……」 息を荒らげながら、くねくねと腰を回す麻衣。 自分が気持ちよくなる角度が分かってきたみたいだ。 「あんっ、お兄ちゃん……」 「もっとぉっ……」 恥じらいながら求めてくる麻衣の陰部を、思いきり突く。 「ひあああぁっ!」 勢いよく亀頭をぶつけられ、麻衣は弾かれたように背中を反らした。 「んああぁ、はあぁ、はぁ、いいっ、ああぁ」 膣内はプルプルと蠢き、みっちりとペニスを巻き込んでいる。 「あふんっ、気持ちいいっ……もっとぉっ……!」 麻衣はどこまでも貪欲に、俺を求めてくる。 俺も負けじと、激しく腰を突きまくった。 「麻衣、すごくいい……っ」 ずぷぷっ、ぬぷっ、ぬぷぷぷっ……!「はうっ、また熱くなってきちゃう……あうん、やはぁっ!」 突けば突くほど、麻衣は淫らになっていく。 股を大きく広げ、俺の腰に脚を絡ませてきた。 「こ、こんなに気持ちいいなんて、知らなかったよぅ……!」 「おっ……お兄ちゃん、ああっ……ぅああ……っ!」 髪を振り乱し、麻衣は切なげに叫ぶ。 トロトロに溶けた秘肉が収縮し、ねっぷりとペニスを飲み込んでいく。 「麻衣っ……はあぁっ……」 麻衣をリードするどころか、俺のほうが快楽に浸食されてしまいそうだ。 むしろ喜んで快楽にハマりたいと思っている自分。 麻衣の魅力から、もう逃れられない。 「ぐっ……」 何度も深く突き、たまにじらすように動きを止めてみる。 「やぁっ……だめ、止めちゃだめっ……」 苦悶に歪んだ顔で、首を振る麻衣。 自ら腰を俺へと押しつけてきた。 「ふぁっ、お兄ちゃん……あぁ、もっと……ああぁっ」 俺は、ねじり込むように膣奥へとペニスを差し入れた。 「ひああぁ、んはぁっ」 膣襞が波打つように反応し、さらに熱を持つ。 気が遠くなるような刺激に、身震いした。 「んっ、はうぅ、熱いっ……」 絶妙なリズムで、膣内がペニス全体を愛撫する。 「ひゃぅっ、あん、気持ちいい、あふぁっ」 「お兄ちゃん、また……あぁ、なんか来るっ……」 膣内が激しく痙攣し、麻衣のつま先がピンと張りつめた。 「あんっ……ああぁ、あふああぁっ」 絶頂はすぐそこに迫っているらしい。 俺は遠のきそうになる意識の中、必死に腰を打ちつけていく。 「あぁんっ……あっ、い、いっちゃう……かもっ……あぁっ」 「んはぁ、あん、ああぁ、あっ、ふあぁ……っ!」 「麻衣っ……麻衣……!」 「はうぅ、お兄ちゃんっ、あんっ、あはあぁっ、あっ、あっ」 全身に稲妻を受けたような衝撃が俺を襲う。 「あぁっ、いくっ……んああっ、あっ、あぁっ、はあぁっ!」 「俺も……一緒にっ……!」 「お兄ちゃんっ……中に……あぁ、んあぁ、あふああああああっ!」 「うぅっ……!」 ……どぴゅうっ! ぴゅうっ! ずぴゅっ!俺は、全ての欲望を麻衣の中に放出した。 膣内が小刻みに震え、きゅうっとペニスを絞り上げている。 まるで一滴残らず吸い取ろうとするかのような、激しい収縮だ。 「はぁっ、はぁっ……ああ……」 「うぅ……」 麻衣の膣内は、俺の精液でいっぱいになっている。 「はぁっ……はぁ……」 「お腹の中が……熱いよ……」 二度目の射精だというのに、こんなに精液が出るなんて。 自分でも恥ずかしくなるほど興奮してしまった……。 「……体、辛くないか?」 「はぁっ……はぁ……平気……」 「あ……血が出てる……」 太腿に付着した破瓜の証を見て、麻衣は戸惑いの表情を浮かべた。 「わっ、どうしよう……シーツにも……」 「ご、ごめん」 「俺が後で洗っておくよ」 そう言うと、麻衣はぶんぶんと首を振った。 「そ、そんなこと、させられないよ」 「漂白剤につければいいんだろ?」 「そうじゃなくて、恥ずかしいんだってば……」 むぅ……そういうものなのか。 「じゃ、そろそろ抜くぞ?」 「うん……ゆっくりね」 刺激を与えないよう、俺はゆっくりとペニスを引き抜いた。 麻衣のあそこから、愛液と精液と血の混ざったものがドロリと流れ出る。 「んっ……」 「わ、シーツにもっと血がっ……」 「ごめん」 「……そんなこと気にしないで」 「ありがとうね、お兄ちゃん」 「なにが?」 「わたしを、女にしてくれて……」 少女から女の表情になった麻衣は、うっとりとした目で言った。 ……俺が麻衣を女にしたのか。 そう思ったら、胸にじんと喜びが広がっていった。 「ひゃぁっ」 近くにあったティッシュで、麻衣の陰部をそっと拭う。 かなり大量に濡れていたので、とても一枚では追いつかない。 「麻衣は濡れやすい体質みたいだな」 「う……」 「俺でいっぱい感じてくれてたんだ」 「……うん」 「いっぱいいっぱい気持ちよくなっちゃった」 そうつぶやいてから、にぱっと笑う。 麻衣の笑顔を見ていると、心が和む。 何度この笑顔に助けられたか分からない。 「……えへへ」 「お兄ちゃんとハダカでいるのって、不思議な気分」 「確かに」 「昔はよく一緒に風呂に入ったり、寝たりしてたのにな」 「……」 「わわわっ」 なぜか麻衣は、急に脚をばたつかせた。 「今思うと、すっごく恥ずかしいこと平気でしてたんだね」 「わ、忘れて、お兄ちゃん」 「忘れてって……」 そりゃ無理だろう。 「俺たちはあの頃の時間があって、今こうしているんだからさ」 「……うん。 そうだね」 しみじみと頷く。 「ねえ、お兄ちゃん」 「ん?」 「……わたしのこと、いつから好きになってくれてたの?」 ……。 俺はその質問について、しばらく考え込んでいた。 「うーん」 「なんで悩んでるの……?」 麻衣は露骨に不安そうな顔をする。 「いやいや」 「……ずっと、好きだったんだろうな」 麻衣への気持ちに気づいたのは、ごく最近だ。 でも今思うと、気づかない振りをしていただけなのかもしれない。 麻衣を愛しいと思う気持ちは、「兄妹」 だから当たり前だと思っていた。 俺はいつからか、「兄妹」 という大義名分を隠れ蓑にしていたんだ……。 「……うん、ずっと好きだった」 「でも、まさか麻衣が受け入れてくれるとは思わなかったよ」 「わ、わたしだってそう」 「お兄ちゃんは、わたしなんて眼中にないと思ってた」 「だから……お兄ちゃんとこうなって、すごく嬉しい」 幸せに満ち溢れた、輝かしい笑顔。 「俺だって嬉しいよ」 「ほんと?」 「ああ、本当だ」 「……じゃあ、ずっとわたしだけ、見ていてくれる?」 麻衣は、きらきらした目で俺を見つめた。 「俺には、麻衣以外の女の子は考えられないよ」 「……」 「ほんとかなあ」 「……そこは素直に喜んでほしかったんだが」 「だって……」 急に表情が曇る。 「お兄ちゃんの周りには、女の人がたくさんいるから……」 「わたしを好きになってくれたこと自体が奇跡だよ」 はぁ、と麻衣は大きくため息をついた。 その台詞を、そっくりそのまま返したい気分だ。 「奇跡って、そりゃ大げさだ」 わざとからかうように言う。 「麻衣の周りだって、全く男がいないわけじゃないだろ」 「ほら、クラスメイトとか」 「わたしは……」 「お兄ちゃん以外の人は、好きにならないの」 「ううん……なれなかったんだよ」 ……。 この気持ちを、どう口にしていいか分からない。 俺だけを想ってくれていた麻衣に、何千何百の感謝を捧げたい気持ちだった。 「ん……」 言葉にできない代わりに、麻衣にそっとキスをする。 こんなに幸せなキスができることを、心から嬉しく思った。 「えへへ」 「これからも、いっぱいいっぱいキスするんだ」 とろんとした目で、麻衣はつぶやく。 「……ああ。 いっぱいするぞ」 「いっぱい、いっぱい……」 「……」 麻衣の瞼が、だんだんと降りてくる。 ……もしかして、眠い?「少し眠れば?」 「夕飯の時間になったら起こしてやるよ」 「……そうしようかな」 「ん」 俺が立ち上がろうとすると、麻衣はぎゅっと腕を掴んできた。 「?」 「行っちゃやだ」 「やだ、って」 「お願い」 「あと10分だけでいいから、ここにいてほしいな」 「だめ?」 「……じゃあ、あと10分な」 「ありがとう、お兄ちゃん」 再び麻衣の隣に腰を下ろすと、小さな手が俺の手をぎゅっと握りしめた。 「……」 なんだろう、この胸の内は。 幸せなのに……。 急に怖くなってきた。 この手がいつか離れていくと想像しただけで、気が狂いそうになる。 離れるわけなんてない。 俺たちは兄妹だから。 ……兄妹だから?……。 もし俺たちが付き合っていると知ったら、みんなはどう思うだろう。 血の繋がりがないことは、俺たちだけしか知らない。 世間的に見れば、俺と麻衣は実の兄妹なのだ。 でも……。 俺は自らの手で、禁忌を破ってしまった。 妹であるはずの麻衣に、恋をしてしまった。 「お兄ちゃん?」 「……」 「悲しい顔しないで、お兄ちゃん」 「……ごめん」 「今、夏休みの宿題をどう片づけるか考えてた」 そう答えると、麻衣はぽかんと口を開けた。 「もう、今は宿題なんかどうでもいいの」 「……わたしのことだけ考えて」 ……。 考えてる。 もうずっと前から、麻衣のことばかり考えてるに決まってるじゃないか。 ……俺は麻衣の手を強く握り返した。 もう二度と、俺から離れていかないように。 ……。 …………。 「わっ、大変! もうこんな時間!」 麻衣と結ばれてから、なんとなく離れがたくてずっと腕枕をしていた俺。 眠るつもりはなかったのだが、気づいたら一時間が経過していた。 「ミアちゃんたち、もう帰ってきたかな?」 「どうかな」 「帰ってきてたら、呼びに来るんじゃないか?」 「そ、そっか……じゃあまだだよね」 麻衣は俯いた。 「どうした?」 「うん……」 「ずっとお兄ちゃんと部屋にこもってたら、変に思われるかなって」 「……」 「そりゃ気にしすぎだろ」 「フィーナたちは、そんなふうに勘ぐる人たちじゃない」 「うん、そうだよね」 「……なんで不安になってるのかな、わたし」 麻衣の不安が、手に取るように伝わってくる。 ……駄目だ、俺まで不安になってどうする。 「じゃ、俺そろそろ下に行くよ」 「もうすぐみんなも帰ってくるだろうし」 「うん……」 頷きはするものの、麻衣は俺の手を放さない。 「どうした?」 「……ううん、何でもない」 麻衣は気を取り直したように笑顔を浮かべた。 「……大丈夫か?」 「うん、ぜんぜん大丈夫」 「下に行くんだよね?」 「ああ」 少しもじもじとしていた様子だったが、麻衣はぱっと手を放した。 「じゃあ、行ってらっしゃい」 「達哉さん」 「おう」 ……。 「ん?」 ……今、ものすごく耳慣れない単語を聞いたような。 「なんて言った? 今」 「……」 「達哉……さん?」 「なぜ疑問形?」 「だ、だってだってっ」 「……せめて二人の時は、恋人同士みたいに呼び合いたいなって」 麻衣はみるみると赤くなっていく。 ……。 その乙女心が、分からないわけではないが。 「そうは言ってもなあー」 俺は腕を組んだ。 「だってほら、お兄ちゃんって呼び方もちょっと子供っぽいし……」 「じゃあ逆に、大人っぽい呼び方ってどんなの?」 「だから……達哉さん」 ぞわぞわぞわっ「なんで鳥肌立ってるのーっ」 「わ、悪い。 なんか聞き慣れなくて」 「うぅ、分かった。 じゃあ急遽変更して……」 「タツ」 「無理」 「おやっさんに呼ばれてるような気分になる」 「もう、お兄ちゃんはワガママだなあ」 「だから、それでいいよ。 お兄ちゃんで」 「……むぅ」 あ、なんか不服そう。 「……ま、いいか」 「今日のところは、これぐらいにしといてあげるね」 「そうしてくれ」 「じゃあな」 「うん」 俺はベッドから立ち上がり、麻衣の部屋を出て行った。 ……。 …………。 翌朝。 一階に下りると、リビングにはミアと麻衣がいた。 「……おはよう」 「おはようございます、達哉さん」 「あ、お兄ちゃん」 「おはよー」 麻衣はいつも通りの笑顔を俺に向けた。 あまりにいつも通り過ぎて、昨日のことは夢だったんじゃないかと思うほど。 「お兄ちゃん、冷たいお茶がいい? それともコーヒー?」 「あ、ああ、じゃあ冷たいお茶」 ……俺なんか、こんなにドキドキしてるのに。 ……。 「はいお兄ちゃん、お茶……」 「きゃああっ」 ばちゃっ「うわっ」 麻衣の手元が狂い、お茶が俺の手にかかる。 「ごごご、ごめん!」 「だ、大丈夫ですか? 達哉さん」 「大丈夫、ちょっと濡れただけだから」 「……うぅ」 麻衣はそばにあった布巾で、ごしごしと俺の手を拭いた。 「麻衣さん、お手伝いします」 「ううん……わたしのせいだから、わたしがやるよ」 そう言って、うっすらと頬を赤らめる。 ……。 もしかして、緊張してるのは俺だけじゃないのかもしれない。 「おはよー」 「おはようございます、さやかさん」 「おはよう、姉さん」 「おはよー、お姉ちゃん」 ものすごい寝癖の姉さんが、目をこすりながら入ってくる。 昨日も残業で、かなり帰りが遅かった。 「姉さん、大丈夫?」 「ぜんぜん大丈夫よ?」 「ほらほら、みんなおいでー」 姉さんがベランダに下りると、イタリアンズが一斉に駆け寄ってくる。 カルボナーラ「わふわふー」 ペペロンチーノ「わ、わんっわんっ」 アラビアータ「ぅおんっ、おんっ」 「かわいいわねー、ふがっ……よしよーし……むぐっ」 最近姉さんが多忙なせいで、イタリアンズはすっかり甘えん坊になっていた。 三匹にのしかかられ、もはや「犬布団」 状態になっている。 「あら? さやかは?」 洗面所から出てきたフィーナが、周囲をきょろきょろと見回した。 「今日は一緒に博物館に行くはずだったのだけど……」 「そこで熱烈歓迎を受けてるのが姉さん」 「え?」 「……ぷはぁっ」 「おはようございます、フィーナ様」 なんとか脱出成功したものの、顔がよだれだらけだ。 「おはよう、さやか」 「……それはそうと、早く用意をしないと間に合わないのではないかしら」 「……」 「……あらら?」 ようやく我に返った姉さんは、時計を見て慌てだした。 「えっ、そうなのお姉ちゃん?」 「言ってくれれば、早く起こしたのに」 「ご、ごめんなさいっ」 「私としたことが、ついうっかりしてしまったわ」 「朝食のサンドイッチを包んでおきましたから、後で食べて下さいっ」 「さあさあ、急いで準備を」 「はいっ、少々お待ちをっ」 ばたばたばたばたばたばたばたばたっ「お待たせしました」 「早っ」 あっという間に着替え終わった姉さん。 いつもながら、惚れ惚れするほどの早着替えだ。 「姉さん、次の休みはいつなの?」 「休み?」 「えーと……いつだったかしら……」 姉さんは首を傾げ、真剣に考え込んでしまった。 「ごめん、聞いた俺が悪かった」 「たぶん来週……いいえ、再来週?」 「もう、お姉ちゃんってば」 「忙しいのは分かるけど、ご飯だけはちゃんと食べてね」 「毎日コンビニ弁当やラーメンばっかりじゃ、体壊しちゃう」 腕を組み、「母親」 の表情で麻衣は言う。 「ありがとう。 でも大丈夫よ」 「あなたたち家族のためなら、私はいくらでも頑張れるんだから」 姉さんは、柔らかな表情を浮かべた。 ……なんだろう。 今、「家族」 という言葉でチクリと胸が痛んだ。 「……」 「お姉ちゃんったら……」 「そんなこと言って、ほんとに倒れても知らないんだから……」 「さやか、もう時間よ」 「さやかさん、そろそろっ」 玄関からミアたちの声が聞こえる。 「麻衣さん、私も一緒に出かけますので、後のことお願いしてもよろしいですか?」 「うん、任せといて」 「そうそう、達哉くん」 「今日はフィーナ様の大事な会食があるから、帰りはちょっと遅くなるわ」 「仁くんたちにもそう伝えておいてくれる?」 「うん、分かった」 「気をつけてね、お姉ちゃん」 「ええ、行ってきますね」 「行ってらっしゃい」 ……。 ばたんっ……やがて姉さんたち三人は、家を出て行った。 残された俺と麻衣は、食事のためダイニングへ向かった。 「……お姉ちゃん、あんまり顔色よくなかった」 「ああ」 「この時期は展示会があるから、特に忙しいんだろうな」 「そっか……」 ぼんやりとしながら、麻衣はサラダを盛りつけた。 麻衣の考えていることが、なんとなく分かる。 いつ姉さんに、俺たちのことを打ち明けるべきか。 早いうちがいいのか、もっと時期を見計らうべきか。 それとも……。 このまま、黙っていたほうがいいのか。 今の俺は、家族にとってどれを選択すべきか判断できなかった。 「……」 「な、なんかさ」 「いきなり二人っきりにされると、ちょっと困るね」 「……そ、そうだな」 「ちょっと困る」 ……しばし沈黙。 でもこの沈黙は、決して居心地の悪いものではない。 「とりあえず……ご飯でも食べるか」 「そうそう、そうだね」 「今日のメニューは、スモークチキンのサンドイッチとー」 「シーザーサラダに冷製パンプキンスープ」 「お、豪華」 「あと、これ」 どんっ目の前に置かれたのは、かき揚げのようなものだった。 「なぜここにかき揚げが?」 「昨日の夜ね、冷蔵庫の野菜整理をしたの」 「そうしたら半端な野菜がいくつか出てきて、全部かき揚げにしちゃった」 「ふーん」 どう見ても、今日のメニューの中でかき揚げの存在だけが浮いている。 ……これって、暗に「味見しろ」 って言ってるんだろうな。 「あ、無理に食べなくてもいいよ。 お昼天ぷらそばにするから」 「んー。 じゃあ、ちょっとだけ」 俺はサンドイッチを皿に戻し、箸でかき揚げを取った。 せっかく作ってくれたんだし、今食べないのも申し訳無い。 それに、なんだかんだで麻衣の手料理を食べられるのは嬉しい。 「いただきまーす」 「召し上がれー」 「あ、ちょっと辛いかも」 「むぐっ……」 ……食べてから言うのは、反則だと思います。 「かかかかか、かかからっ!!!!」 麻衣の予告というか忠告通り、あまりの辛さにのたうち回った。 「わぁっ、ごめんねお兄ちゃん」 「辛いとは思ったけど、そんなに辛いとは思わなくて……」 よく分からない言い訳をする麻衣。 「い、一体何を入れたんだっ」 「ピーマン」 「……と思ったけど、ハバネロかも」 ……。 ハバネロと言えば、通称「世界一辛いトウガラシ」 。 「ついこの間、ミアちゃんが珍しいからって買ってきたんだ」 「……そういえばそんなことが」 あった気がする。 「それをすっかり忘れてて、なんか妙に小さいピーマンだなって思って……」 「俺に味見させてみたと」 「そういうつもりじゃないけどー」 「……結果的には、そうなるのかな」 「なんと」 「ごめんね、お兄ちゃん」 しゅんとする麻衣。 「いや、いいよ。 眠気覚ましになったし」 「そ、そう?」 「でもね、サンドイッチは自信作なんだ」 すぐに笑顔を取り戻し、さりげなく話題を変える麻衣。 とにかく、一つ口に放り込んでみる。 ……。 …………。 「うん、美味いよこれ」 「さて、隠し味はなんでしょう」 「んー……」 「マーマレード?」 「わ、さすが。 大当たり」 麻衣は感心したように手を叩いた。 ……。 実に平和なひととき。 なんか俺たち、新婚家庭みたいじゃないか?……そんなことを思って、一人で赤面してみたり。 「ねえお兄ちゃん」 「な、なに?」 「今日は何か予定あるの?」 「……えーと」 「あ、バイトだ」 「そっか」 「……麻衣は?」 「わたしは、特に何も」 「だから今のうちに、宿題やろうかなーって」 「ふーん」 気のせいか、麻衣はほんの少しだけ寂しそうな顔をしている。 ……。 今日はいい天気。 世間のカップルは、こんな日に海や山へとデートをするのかもしれない。 しかし俺の夏休みの予定表は、ほぼバイト一色だ。 「あの……さ」 「バイトの前にイタリアンズの散歩行こうと思うんだけど、一緒に行かないか?」 「行くっ」 麻衣は嬉々として立ち上がった。 「わたし、後片づけしてくるねっ」 「あ、ああ」 ぱたぱたぱたぱたっ食器を片づけたりゴミをまとめたりと、目まぐるしく働く麻衣。 ただの散歩なのに、そんなに嬉しかったのかな。 ……。 もっと麻衣に、何かしてあげられたらいいんだけど。 ……。 …………。 朝食後。 俺と麻衣は、イタリアンズを連れて物見の丘公園に来ていた。 カルボナーラ「わふわふー」 ペペロンチーノ「わ、わんっわんっ」 アラビアータ「ぅおんっ、おんっ」 二人で散歩に来たのは久し振りなので、イタリアンズも嬉しそうだ。 「アラビ、こっちだよー」 「ぅおんっ」 麻衣の言いつけ通りに、軌道修正するアラビ。 「……やっぱ、俺より麻衣を主人だと認めてるんだろうなあ」 「あはは、そうかな~」 無邪気にリードを握る麻衣。 しかし、なにぶん麻衣は体が小さいので、傍目からは引きずられているようにも見える。 まるで犬ゾリの、ソリ無しバージョンというか……。 カルボナーラ「わふわふー」 ペペロンチーノ「わ、わんっわんっ」 アラビアータ「ぅおんっ、おんっ」 「よしよーし」 「……ごめんな」 「え?」 麻衣はアラビに顔を舐められながら、俺を見る。 「ほら、あれだよな」 「せっかくの夏休みなんだし、その……」 もっと、恋人同士っぽいことしたいんじゃないか?……そう聞きたかったけど。 わざわざ聞くまでもないことだと気づいて、途中でやめた。 「……」 「お兄ちゃん、わたしに気を遣わなくていいんだからね」 「……うん」 俺の言いたいことが、麻衣にも伝わったらしい。 「わたしは、今こうしてお兄ちゃんと一緒にいられるだけでいいの」 「これ以上望むものなんて、ほかにはないよ?」 「麻衣……」 強がりでも無理をしているわけでもなく。 麻衣の笑顔は、とても自然だった。 「わたしの一番の夢は、もう叶ったんだもん」 「今、すっごく幸せだよ」 「……俺も」 麻衣となら、どこにいても幸せな気分になれる。 一番好きな子と一つ屋根の下で暮らせる俺は、誰よりも幸運な男なんだ。 「ねえお兄ちゃん」 「……わたしたち、恋人同士に見えるかな?」 麻衣は真っ正面から俺を見つめる。 「うーん」 周囲にはほとんど人はなく、たまに犬の散歩中の人が通るだけ。 彼らは俺たちの関係など、きっと気にも留めないだろう。 「お兄ちゃん、手を繋ごうよ」 言いながら、麻衣は俺の手を握ってきた。 「こうすれば、さすがに恋人同士に見えるよね?」 「……どうだろうな」 「えー、じゃあ、じゃあ……」 「キス……する?」 ……。 「き、キスっ……!?」 後頭部を殴られたような衝撃が襲う。 「わわ、大きい声出さないでよ」 「麻衣が突拍子もないこと言うから」 「じょ、冗談だってば」 「さすがにこんな家の近くじゃ、キスなんて……ね」 「……」 「ああ、そうだな……」 麻衣は冗談めかしたが、やはりどことなく寂しそうだ。 本当の兄妹のフリをしている以上、俺たちの恋はおおっぴらにはできない。 いくら人気のない公園とはいえ、いつ誰が通るか分からないのだ。 ……。 俺だって、麻衣と今すぐキスしたい。 今すぐ抱きしめたい。 でも……「……なあ、麻衣」 「え?」 「どっか行こうか、二人で」 「……」 きょとんとする麻衣。 そして、いぶかしげに目をつり上げた。 「バイトさぼる気ー?」 「違う違う、今じゃなくて」 「近いうちに、二人でどっか行こう」 「……できれば、ちょっと遠出してさ」 誰にも気兼ねせずに、麻衣と二人きりで過ごしたい。 そんな願いが、考えるよりも先に口を出た。 「……いいの?」 「もちろん」 「デートしてくれるの?」 「俺が麻衣に頼んでるんだよ」 「どこに行きたい?」 「海!」 ……即答だ。 「海か」 「前に行ったばかりだけど、それでもいいのか?」 「……あの日は、二人っきりじゃなかったもの」 ほんのりと頬が赤くなる。 「もちろん、あの日もすごく楽しかったよ? でも……」 「お兄ちゃんと二人っきりなら、もっといいのにって思ったりして……」 「え……」 ……知らなかった。 いつも通り振る舞う麻衣が、心の中でそんなことを考えていたとは。 「……幻滅した?」 「まさか」 俺はぶんぶんと首を振った。 ……嬉しい。 俺を想ってくれていた麻衣の気持ちを、素直に嬉しいと思う。 「よし、そうとなったら、早速日にちを決めよう」 「いつがいい? 来週とかは?」 「うーんと……来週は、吹奏楽部の集まりがあるんだ」 「あ、部活か」 「部活っていうか、みんなで草むしりするの」 「……なんだそりゃ?」 「ほら、いつも部活で中庭とか裏の雑木林とか使わせてもらってるでしょ?」 俺は頷いた。 吹奏楽部のメンバーは、パートごとに学院のいろいろな場所で練習している。 一ヶ所に集まると、それぞれのパートの音がかぶってしまうからだ。 「夏って、ほっとくと雑草がすごいの。 すぐボーボーになっちゃうし」 「だから、みんなで話し合って草むしりすることに決めたんだ」 「そっか……偉いな」 「偉くないよ。 いつも吹奏楽部が占領しちゃってるから、その分ね」 いや、十分偉い。 この炎天下で草むしりするのかと思うと、尊敬の念すら湧いてくる。 ……となると、デートは再来週か。 「あの、お兄ちゃん」 「ん?」 「……再来週になるよね」 「この分だと、そうだな」 「じゃあ……」 「8月3日じゃだめかな?」 「……」 今日が7月24日の月曜日だから……。 8月3日は、木曜日か。 ここらへんのバイトのシフトって、もう決まってたっけ?「もしかしたらバイトかもしれない」 「あ、そっか」 「そうだよね、じゃあいいや」 「でも、その日がよかったんだろ?」 「ううん、いいのいいの」 「どうしてもってわけじゃないから」 麻衣はにこにこと微笑む。 8月3日。 3日……。 ……。 あ。 すっかり忘れてた。 8月3日は、麻衣の誕生日だ……。 ……。 「すみませんっ、8月3日は休ませて下さいっ!」 「駄目ですっ!!」 ……。 「やっぱり……」 俺は、へなへなとテーブルに手をついた。 ──麻衣と散歩から帰ってきた後。 左門に駆け込むなり、俺は真っ先に休みの申請を試みたのだった。 「おい仁」 「あんまりタツをいじめるなよ」 「ははは、冗談だよ達哉君」 「再来週のシフトは本決まりじゃないから、休んでもいいんじゃない?」 「ほ、本当ですか?」 俺は思わず、仁さんに抱きつきそうになってしまった。 「達哉が休みをほしがるなんて珍しいね」 「気の毒になるぐらい、バイトに青春を燃やしてる達哉君がねえ」 「俺だって、バイト以外で青春を燃やすこともありますよ」 「へえーっ」 「へえーーーっ」 ……。 あ、しまった。 余計なこと言っちゃったかも。 「それはどんな青春なのか、お兄さんに教えてくれないかい?」 「お、お姉さんにも教えて?」 「何でもないですっ」 ……言えない。 絶対に言えない。 麻衣と海に行くだなんてことは。 ……。 いや、言わないほうが逆に怪しい気もする。 俺と麻衣が一緒に出かけたって、何ら不自然じゃないわけだし。 「……」 「まさか、デートだったりして」 ……。 …………。 「ははは、まさか」 「……今の間はなに?」 「ホントにデートなわけ?」 「ち、違うって」 「妬くな、我が妹よ」 「だ、誰が妬いてるのよ」 「まあまあ、落ち着け落ち着け」 自分で焚きつけたくせに、仁さんは菜月をなだめにかかった。 「達哉君がデートだろうがそうじゃなかろうが、我々には関係のないことだ」 「それはそうだけど……」 「ま、僕はデートに千円賭けるけどね」 「……」 「あれ? ちょっと待って」 唐突に菜月は、カウンターに置いてあるカレンダーを見た。 「8月3日って、確か麻衣の……」 「あっ、いや、そのっ……」 からんからん「いらっしゃいませーっ」 「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ~」 その時、ちょうど本日第一号のお客が店に入ってきた。 俺は弾かれたようにメニューを取り、そそくさとそちらに向かう。 ふぅ……。 助かった。 ……。 …………。 8月3日。 今日は俺と麻衣の、初デートの日。 そして……。 麻衣の誕生日。 「お兄ちゃん、ほんとにバイト大丈夫だったの?」 「全く問題無し」 俺たちは二人で駅へと向かっていた。 本当は車で、遠い南の綺麗なビーチにでも行きたかったけど。 車もなく、金もない俺は、それを実行できるほど大人じゃなくて……。 結局、電車で五駅ほど離れた場所にある海岸に行くことになったのだ。 「えへへ」 「ほんとにほんとに、いいのかな」 「なにが?」 「……今日一日、お兄ちゃんを独り占めしちゃっていいのかな」 「……」 あまりに可愛すぎる発言に、膝から崩れ落ちそうになる。 「?」 「い、いや……」 「それより、荷物重くないか?」 「ううん、大丈夫」 麻衣は、水着の入ったバッグを嬉しそうに抱きしめた。 「ねえねえ、海に着いたらまず何する?」 「そーだなー……」 「とりあえず泳ぐ」 「うん」 「後は昼飯だよな」 「じゃじゃーんっ」 待ってましたとばかりに、麻衣はバッグの中から何かを取りだした。 「お弁当作っちゃった」 「いつの間に!?」 「お兄ちゃんが寝てる間だよ」 「そ、そっか……」 ぜんぜん気づかなかった……。 「なんかね、嬉しくてあんまり眠れなくて……」 「朝5時に目が覚めちゃったんだ」 「……」 そう言われてみれば、麻衣の目が赤い。 ……そんなに楽しみにしててくれたのか。 「……よ、よしっ」 「じゃあ弁当のお礼に、俺がかき氷をおごってやる」 「わーいっ」 「アイス乗せてもいい?」 「ああ」 「ミルクかけてもいい?」 「もちろん」 「まさか白玉も?」 「どんと来い」 「ひゃぁ~っ」 麻衣は大げさに体をのけぞらせた。 「そんなに喜ぶことか?」 「喜ぶよー」 「だって、グランドスラム達成だよ?」 ……わけが分からない。 あまり寝てないせいもあるのか、今日の麻衣はややテンション高めだ。 「お兄ちゃん、早く行こっ」 「おう」 俺の手をぎゅっと握り、麻衣は駅へと駆けだしていった……。 ……。 「わぁ~……」 ……なんとか海に到着。 8月上旬の海水浴日和だというのに、人気はまばらだ。 それもそのはずで、ここは地元民しか知らない穴場スポット。 本当は、弓張海岸でもよかったんだけど……。 あそこは近所すぎて、いつ誰に会うか分からない。 俺はできれば誰も知ってる人がいないところで、麻衣とゆっくり過ごしたかったのだ。 「キレイだねー、お兄ちゃん」 「ああ」 「ほら、水着に着替えてこいよ」 「……」 「お、お兄ちゃん、お先にどうぞ」 なぜかためらう麻衣。 「俺はいいや」 「なんでっ」 「はははっ、実は既に装着済みっ」 そう言いながら、俺はズボンの下の海パンをチラ見せした。 「あーっ、ず、ずるいっ」 「ずるくはないだろ」 「ほら、行ってこい」 「うー……」 麻衣はしぶしぶといった様子でバッグを抱え、更衣室へと歩いて行った。 ……。 そして、数分後。 「ただいまー」 ……。 やはり。 俺の想像通り、麻衣は水着の上にTシャツを着ていた。 「……暑くない?」 「暑くないよー」 「それにほら、日焼けしちゃイヤだし」 「うーん」 「……なに?」 俺はゆっくりと首を振った。 麻衣が、自分の体にコンプレックスを持っていることは知ってる。 みんなよりも胸が小さいこと、しきりに気にしてたっけ……。 ……。 俺とは、水着どころかその下の裸まで見た仲なのに。 乙女心というものは、複雑なものらしい。 「……ま、いっか」 「なによー?」 「何でもない。 じゃ、泳ぐか」 「やっぱり……泳ぐの?」 急に不安な顔になった。 「そりゃそうだ」 「ここで泳がないでどうする」 「それはそうだけど……」 わずかにテンションが落ちていく麻衣。 Tシャツを脱ぐべきかどうしようか、悩んでいるのだろうか。 「……」 「ええい、こうなったら強行突破だっ」 「え?」 「……きゃ、きゃあああっ」 俺は麻衣の背中と脚に手を回し、一気に抱き上げた。 そしてそのまま、海へと駆けていく。 「きゃあぁっ、下ろしてーっ!」 「わははははっ!」 ざっぱーんっ!「ひゃああっ」 ……。 勢いよく海に入ったはいいものの。 波に煽られ、思いっきりすっ転ぶ俺。 そして俺に投げ出され、ぶくぶくと沈んでいく麻衣……。 「うわっ、麻衣!?」 「……むぐ……ぶく……ぐ……」 「……ぷっはぁっ!」 もがきにもがいて、なんとか水面から顔を出してきた。 「おお、無事か」 「もうっ、無事じゃないよーっ」 「危うく海の藻屑になるとこだったじゃないっ」 「ごめんごめん」 麻衣はぷんすかと頬を膨らませている。 全身ずぶ濡れでTシャツが体に貼りつき、水着が透けて見えた。 「可愛いじゃん、それ」 「え?」 「ピンクのワンピースだろ?」 「……」 ざぶんっ水着のデザインを指摘すると、麻衣は首まで海に浸かった。 「……お兄ちゃんのえっちー」 「なにっ?」 「えいっ、えいっ」 再び立ち上がり、ばしゃばしゃと水をかけてくる。 「わ、冷たっ」 「あはははっ」 さっきまで、なんとなくブルーだった麻衣。 ようやく今、生き生きとした笑顔を見せるようになった。 「麻衣、せっかく来たんだから、めいっぱい泳ごうぜ」 「……うん」 「ここには他に知ってるヤツもいないんだし」 「俺は、誰かと麻衣を比べたりしないからさ」 「……」 「ありがとう、お兄ちゃん」 「達哉さん、だろ?」 「あれはもうナシっ」 麻衣の笑顔が、水しぶきと共にキラキラと輝く。 二人きりで過ごす、初めての夏。 その一秒一秒が、泣きたくなるほど愛しいと思う。 「ねえお兄ちゃん、あっちのブイまで競争しない?」 「なんだよ、さっきまで泳ぎたくなさそうだったくせに」 「えへへ」 「一回海に入ったら、いっぱい泳ぎたくなっちゃった」 「よしっ」 「じゃあ平泳ぎにするぞ」 「なんで平泳ぎなの?」 「俺の得意ジャンルだから」 「ふーん」 「お兄ちゃんが平泳ぎなら、わたしはクロールにするね」 「は!?」 「じゃあ行くよっ。 よーいドンっ!」 「あ、お、おいっ」 俺の制止も聞かず、麻衣は勢いよくダイブした。 仕方無く俺もそれに続く。 ……ていうか、絶対勝負にならないと思うんだけど。 ……。 「やったー! いっちばーんっ」 ブイにタッチし、麻衣はガッツポーズを取ってみせた。 「ぜい……ぜい……ず、ずるいぞ……」 馬鹿正直に平泳ぎでブイを目指す俺。 ようやくブイに着いた頃には、疲労困憊でへとへとになっていた。 「全く、しょうがないなあー」 「お兄ちゃんは運動不足なんだよ」 「そ……そういう麻衣はどうなんだ」 「あ、吹奏楽部を甘く見てるね」 麻衣は得意げに胸を張る。 「管楽器は腹筋が重要なんだから、筋トレは欠かしませんよ」 「ほう」 そういや麻衣って、華奢だけど適度に筋肉がついてるんだよな。 「それなら、自慢の腹筋を見せてみろ」 ぷかぷかと浮いている麻衣のお腹に、背後から手を回す。 「ひゃぁっ、く、くすぐったいっ」 水中でじたばたと暴れる麻衣。 「こらこら、暴れるなって」 「だ、だって、やんっ」 「どさくさに紛れてヘンなとこ触んないでよ~っ」 「触ってないって」 ……偶然、手が触れたかもしれないけど。 「きゃぁっ、んっ、ちょ、ちょっと」 「……んもうっ」 ぎゅっ麻衣は体の向きを変え、俺の首に腕を回して抱きついた。 「……」 「これなら、もう触れないでしょ?」 抱き合いながら水中に浮かぶ俺たち。 麻衣の胸が、俺の胸にぴったりと密着している。 ……。 麻衣の顔が近い。 Tシャツと水着の中身をリアルに思い出してしまい、俺は目をそらした。 「お兄ちゃん?」 「……そんなふうに抱きついて、襲われたって知らないからな」 「……」 「いいよ」 「え?」 「……襲っても、いいよ?」 ……。 「お、お兄ちゃんっ!?」 「うぅ……」 麻衣の一言で全身の力が抜け、俺はぶくぶくと海に沈んでいった……。 ……。 「……もう、お兄ちゃんったらー」 「すみません……」 危うく溺れかけた俺は、麻衣の助けもあってなんとか砂浜にたどり着いた。 全くもって情けない。 その一言に尽きる。 「俺も今日から筋トレしよう……」 「そうそう、日々精進だよ」 「うぅ」 「あはは、動いたからお腹空いたでしょ?」 麻衣はバッグの中から、弁当を取り出した。 日差しで温まらないよう、ちゃんと銀色のクーラーバッグに入れてある。 「はい、お弁当」 「待ってました」 「そんなに大したものじゃないから、期待しないでね」 そう言いながら、麻衣は弁当箱のフタを開けた。 「おおっ……」 中には、鶏の唐揚げとエビシューマイ。 アスパラベーコンにひじきの煮物。 ……プラス、巨大なおにぎりが添えられていた。 どれくらい大きいかというと……ソフトボールくらい?「これはまた……でかいな」 「うん。 爆弾おにぎりって言うの」 「……」 「ねね、早く食べてみて?」 麻衣の目がキラキラと輝く。 俺は、おそるおそる爆弾おにぎりにかぶりついた。 「……あ」 おにぎりの中から、シャケが出てきた。 それだけじゃない、こんぶとおかか……あと梅干しも。 「な、なんかいっぱい出てくるぞ?」 「うん、爆弾だもん」 説明になってない。 「ま、まさかハバネロは入ってないだろーな」 「あはは、入れないよー」 「たぶん」 「……」 「うそうそ、冗談だってば」 ……いまいち怪しいが、これはこれでなかなか美味しい。 というか、すごく美味しいかもしれない。 「麻衣、料理上達したな」 「えっ」 麻衣は、ぎょっとして俺を見た。 「そんなに驚かなくても」 「だ、だってお兄ちゃんがそんなこと言うの、珍しいし」 「そんなことないだろ」 「俺は、褒める時はちゃんと褒めるぞ」 「うーん」 曖昧な表情だ。 「美味しい? って聞けば、一応頷いてはくれるけどね」 「ほら、ちゃんと褒めてるじゃないか」 そう言うと、麻衣は苦笑した。 「お兄ちゃんは、女心が分かってないなあ」 「な、なに?」 「女の子は、それだけじゃ満足しないの」 「わざわざ聞かれなくても、美味しい美味しいって言ってもらいたいもの」 「えー」 「できれば、一口食べるごとに言ってもらいたいくらい」 「そ、それはさすがにわざとらしくないか?」 「いいのいいの。 わたしは褒めて伸びるタイプだもんね」 「……」 ……暗に、これからはそうしろと言ってるのだろうか?「ほ、ほら、男ってそういうとこ無頓着だからさ」 「わざわざ言わなくても、分かってくれてるだろうって思うんだよ」 「あ、なるほどー」 納得したように頷く。 麻衣が素直な性格でよかった……。 ……。 それから俺たちは、再び海で泳ぎ。 岩場でカニを見つけたり、貝殻を拾ったりして過ごした。 やがて日が傾き、空がうっすらとオレンジ色を帯びてくる。 ミアたちには、夕食までに帰ると言って出てきたんだよな……。 「……」 海を見つめる麻衣は、少しだけ寂しそうだ。 もっともっと、二人で一緒にいたい。 そう思っているのは、俺だけじゃないはず……。 「……やだな」 ぽつり、とつぶやく。 「なにが?」 「……このまま一日が終わっちゃうのが、やだなと思って」 「せっかくお兄ちゃんと二人きりでいられるのに……」 俺は、ぎゅっと麻衣の肩を抱いた。 「……誕生日、おめでとう」 「……」 「えっ?」 驚いた顔を俺に向ける。 「今日、麻衣の誕生日だろ?」 「そうだけど……」 「覚えててくれたんだ」 「当たり前だろ」 「……と言いたいところだが、正直ちょっと忘れそうになってた」 「やっぱりー」 「お兄ちゃん、人の誕生日覚えるの苦手だもんね」 「苦手ってわけじゃないけどさ……」 なんとも言い訳のしようがない。 「でも、これからは絶対忘れたりしない」 「麻衣の誕生日は、俺の誕生日よりも大切な日になったから」 「お兄ちゃん……」 俺の胸に、そっと体を寄せてくる麻衣。 Tシャツに包まれた麻衣の体は、とても小さい。 水に濡れたせいで、少しだけ肌が冷たくなっている。 ……。 俺が、もっと大人だったら。 麻衣をこのまま、帰らせないことだってできるのに。 ……。 違う。 大人とか子供とか、そういうことじゃない。 今の俺たちにとって、そういうのは問題じゃないんだ……。 「……そろそろ、帰る?」 「あ、ああ。 そうだな」 俺は気を取り直し、麻衣に向き直った。 「それでさ、実は……」 「誕生日プレゼントのことなんだけど」 「?」 「あ、そんなのいいよー」 麻衣はふるふると首を振る。 「いや、よくない」 「だから、これから一緒に買いに行こう」 ……実は、今日までにプレゼントを用意しておくつもりだった。 だけど、女の子が喜びそうな物がよく分からなかったのだ。 菜月に相談しようと思ったのだが……。 当然、プレゼントする相手を聞かれることになるので、寸前でやめた。 「麻衣はなにがほしい?」 「服とか、アクセサリーとかか?」 「……」 「今すぐには、思いつかないかなぁ」 麻衣はにっこりしながら答えた。 「……もしかして」 「俺の財布に気を遣ってるんじゃないだろうな?」 俺はそれほど金持ちではないけれど、多少は貯金がある。 これは、いつか家族のために使おうと思っていたお金だ。 麻衣の誕生日プレゼントを買う。 実に正当な使い道である。 「違う違う。 そうじゃないの」 「……今、すごく満たされてるから、ほんとに欲しいものが思いつかないの」 真面目な顔で麻衣は言う。 「……」 「じゃあ、あれは?」 「携帯ストラップ、壊れてただろ?」 「それは、もっとだめ」 「えっ」 「……あのストラップは、わたしの宝物なんだよー」 恥じらいながら、えへへと笑う麻衣。 「あれは、お兄ちゃんが初めてわたしにくれたものだから……」 「できれば、替えたくないんだ」 「……」 やばい。 喜びが胸いっぱいに溢れて、涙が滲んできた。 ちょっとでも気を緩めたら、すぐにでも涙がこぼれてしまいそうだ。 「……お兄ちゃん?」 俺の異変を感じたのか、不思議そうに顔を覗き込む。 「泣いてるの……?」 「泣いてない」 毅然とした声で答える。 「そう?」 「ああ」 「……」 「よしよし、泣いてない泣いてない」 俺の頭を撫でる麻衣。 ……。 ……まるでイタリアンズになった気分だ。 「ほ、ほら、さっさと帰るぞっ」 「あぁっ、待ってよお兄ちゃーん」 俺は気づかれないように涙を拭い、歩き出した。 遠くでは夕陽が海を染め、薄紫色の空が降りてくる。 初めて二人きりで過ごした夏の日が、終わっていく──……。 …………。 「はぁ~……」 「夏休みももう終わりかぁ……」 ランチタイムが過ぎて一息ついた頃、菜月がつぶやいた。 「もう終わりって、まだ8月5日だぞ?」 むしろ中盤にも差しかかってない気がする。 「私の中では、もう終わったも同然なの」 「今年は勉強とバイトばっかで、あとはなーんもなかったなぁ……」 「……」 菜月は既に、大学の推薦試験に合格していた。 ずいぶん早くから、獣医になるための勉強を進めていたのだ。 「もう推薦決まってるんだから、勉強する必要無いだろ?」 「そうはいかないよ」 「試験合格がゴールじゃなくて、これからがスタートなの」 「そっか……」 菜月の言葉には、とても実感がこもっている。 「菜月は頑張ってるなあ」 「そう?」 俺は菜月が努力家だということを知っている。 きっと俺の知らないところでも、人一倍頑張ってきたんだろう。 「……」 「達哉、ちょっと焼けたね」 「え?」 「腕とか顔とか、焼けたよね」 「あ、ああ」 俺はとっさに、腕を背中に回した。 「……なんで隠すの?」 「隠してないって」 別に隠す必要もないのに、なぜか焦る俺。 これは言うまでもなく、麻衣と海に行ったから焼けたわけで。 「……はぁ」 「いいなぁ~。 青春満喫してるなぁ~」 「だからデートじゃないって」 「誰もデートなんて言ってないけど?」 「……」 「さて、仕事仕事」 「あ、逃げたっ」 俺は菜月の質問攻撃をかわしながら、ワインの在庫チェックを始めた。 ……一昨日の、8月3日。 あの夜、左門にて麻衣の誕生パーティーが盛大に行われた。 仁さんとおやっさんが、麻衣に内緒で大きなケーキを作ってくれて。 残業だった姉さんも、なんとか時間を作って駆けつけてくれたっけ。 ……。 そんな麻衣は今日、学院に行っている。 なんでも、例の吹奏楽部による草むしり大会が行われるとかで……。 ……。 そういや最近、二人でフルートの練習に行ってないな。 「夏休みはヒマ」 と言ってた麻衣だが、やはりなんだかんだで忙しそうだ。 果たして次は、いつ二人になれるんだろう。 ……。 …………。 朝。 「おはよー……」 「おはようございます」 「おはよう」 「おはよう、お兄ちゃんっ」 一階に下りると、麻衣は切羽詰まった様子で朝食の準備をしていた。 「ミアちゃん、お味噌汁作っておいたから温めて食べてね」 「かしこまりました」 「あと、おひたしが冷蔵庫の中にあるから」 「はい、皆さんにお出ししておきますね」 「……麻衣、どっか行くのか?」 「うん」 「学院で草むしりするの」 「えっ、また?」 ……確か、昨日も草むしりに行ってたはず。 「あんなの、絶対一日じゃ終わらないよー」 「そんなにすごい有様なのか」 「すごいなんてもんじゃないよ」 「抜いたそばから生えてくるって感じ」 「まあ……」 「地球の雑草は、それほどまでに生命力が強いのね」 感心したようにフィーナがつぶやく。 それはさすがに大げさだと思うが。 「ミアちゃん、あとよろしくね」 「たぶん夕方までには帰ってくると思うから」 「麻衣さんも、お気をつけて」 「うんっ」 「じゃあ、行ってきまーす」 「行ってらっしゃいませー」 「行ってらっしゃい」 「行ってらっしゃい……」 ……。 行ってしまった。 そうか……今日は麻衣がいないのか。 バイトが休みだったから、一緒にどこか行こうと思ってたんだけど。 ……。 ま、夏休みはまだまだあるし。 焦らなくても、いいよな……?……。 …………。 ……。 焦らなくても、いいよな?……と思っていた俺だったが。 麻衣は、今日も昨日も一昨日も……草むしりに明け暮れていた。 俺は俺でバイトが忙しくて、顔を合わすタイミングといえば夕食ぐらい。 こんな状況じゃ、当然二人きりになれるはずもなく。 ……。 さすがにこのままじゃまずいような気がする。 早く、麻衣と二人きりになりたい。 そんな思いが、日に日に募るばかりだった。 ……。 「それじゃ、行ってきまーすっ」 「行ってらっしゃーい……」 ……。 ばたんっ「……」 今日も元気に、草むしりへと出かけていった麻衣。 俺は一人、玄関のドアをぼんやりと見つめていた。 今日は水曜日。 つまり、左門の定休日。 今度こそ、麻衣とデートしようと思っていたのに……。 「達哉さん、朝食の準備できました」 その時、キッチンからミアが声をかけてきた。 「ああ……」 「?」 「どうされたんですか?」 「いや、何でもないよ」 「麻衣も、毎日毎日……大変だなあと思ってさ」 何気なくつぶやくと、ミアは深々と頷いた。 「わたしもそう思います」 「なんでも、人手が足りなくて大変らしいですよ」 「え? そうなの?」 「わたしも詳しいことは分からないのですが……」 「俺も、ぜんぜん知らなかった」 確か、吹奏楽部ってけっこうな人数がいたはずだよな。 それでも人手が足りないって、どういうことなんだろう?「……」 「達哉さん?」 「あぁごめん」 「朝食、食べようか」 「はい」 ……。 ……。 朝食を食べ終わってから、三十分後。 俺はわざわざ制服に着替えてから、学院を訪れていた。 終業式から二週間ぐらいしか経っていないのに、ずいぶんと久し振りな感じがする。 ……。 ここに来たのは、やはり麻衣のことが気になったからだ。 さて、どこにいるんだろう。 ……。 しばらく学院内を探し歩き──ようやく、中庭で麻衣の姿を発見した。 「麻衣ーっ」 「?」 「あ、お兄ちゃんっ」 黙々と草むしりしていた麻衣が、俺を見て立ち上がった。 体操着にハチマキ。 気合い十分といった格好である。 「どうしたのー?」 「はいこれ。 差し入れ」 行きにコンビニで買ったお茶を投げ渡す。 「わっ、ありがとー」 「ちょうど喉が渇いてたところだったんだ」 腕で額の汗を拭ってから、嬉しそうにプルトップを開ける。 「調子はどうだ?」 「うーん」 「まあなんとか」 麻衣は微妙な表情をした。 周囲は荒れ放題、とまではいかないが、やはりそれなりに雑草が生い茂っている。 「……あれ? ほかの人は?」 きょろきょろと周りを見渡すが、人影がない。 「野球部とサッカー部なら、校庭にいるよ?」 「いやいや、そうじゃなくて」 「吹奏楽部のメンバーだよ」 「あー、今日は来てないみたい」 ……。 「なんで?」 「なんでって言われても……」 「これって強制じゃないから、来れない人は来ないよ」 「え、そうなのか?」 俺はすっとんきょうな声をあげてしまった。 てっきり、強制参加のイベントかと思っていたのに。 「ほら、みんな塾があったり、旅行に行ったりするでしょ?」 「そういう時は、別に無理して来なくてもいいってことになってるの」 「だったら麻衣だって、無理して来ることないじゃないか」 「わたしは無理なんてしてないよー」 「それに草むしりが終わったら、音楽室を独り占めできるしね」 そう言って、麻衣はにぱっと笑う。 「……」 なんとまあ、生真面目というか馬鹿正直というか。 手を抜く、ということを知らないのか。 こんなにゆるいイベントだと知っていたら、もっと強引にデートに誘ったのに……。 ……。 いや。 やっぱり、麻衣には麻衣なりの考えがあったのだろう。 三年生が引退した今、麻衣は後輩たちをまとめなければならない立場だ。 手本になるような先輩になろうと、試行錯誤しているに違いない。 だから、サボらない……。 ……。 「よーし、じゃあ俺も手伝うぞ」 「えっ」 「いいよいいよー、大変だし」 「だから手伝うんだって」 「こんな広いとこ、麻衣一人じゃ三十年かかったって終わらないぞ」 「う……」 麻衣は少し迷っていた様子だったが、やがて大きく頷いた。 「……じゃあ、お願いしちゃおうかな」 「おう」 「抜いた雑草は、そのゴミ袋に入れればいいのか?」 「うん」 「あ、園芸部が育ててる花もあるから、それだけ気をつけてね」 「分かった」 そして俺たちは、さっそく作業に取りかかった。 草むしりだろうがなんだろうが。 やはり麻衣と一緒にいられるのは、嬉しい。 ……。 「……」 「……」 ぶちっぶちぶちっ中庭での作業が終わり、俺たちは校舎裏にある林へと場所を移した。 それほど広くもないが、静かなので楽器の練習にはもってこいな場所らしい。 しかし……。 林だけあって、雑草だらけだ。 むしろ雑草しかないと言っていい。 「……」 ぶちっぶちぶちっ「なあ、麻衣」 「ん?」 「さすがにここは、全部抜かなくてもいいんじゃないか?」 「うーん」 「それもそうだね」 麻衣はちょっとお疲れらしく、途方に暮れたように周囲を見渡した。 「じゃ、もうちょっとだけやるか」 「うん」 ぶちっぶちぶちっ額から汗がぽたぽたと落ちていく。 でもここは中庭よりも木陰が多いので、幾分涼しさを感じる。 「……」 このまま、誰も来なきゃいいのにな。 そうしたら、ずっと麻衣と二人でいられるのに……。 ……。 「……」 ちらっ「……」 ちらっ「……」 さっきから、ちらちらと麻衣が見ている。 俺はわざと気づかないフリをして、黙々と草をむしっていた。 「……」 ちらっ「……」 ちらっ「……なんだよ、麻衣」 根負けしてそう言うと、麻衣は恥ずかしそうに微笑んだ。 「えへへ」 「やっとこっちを見てくれた」 「……」 「さっきからずっと見てるって」 「えっ」 「ど、どこ見てたの?」 どこと言われても……。 麻衣のほんのりと日焼けした腕とか、袖の中から見える二の腕とか、体操着が貼りついた胸とか、ブルマから伸びた太腿とか……。 つまり、麻衣の全部だ。 「あ、えっちな目してる」 「してないって」 俺が密かに動揺していると、麻衣は上目遣いで笑みを浮かべた。 「……」 たまに麻衣は、こういう表情をする。 誘うような、試すような、意味深な表情だ。 たぶん本人は気づいてないんだろうけど……。 「お兄ちゃん、今日はありがとね」 「え?」 「あ、ああ、別に」 「わたし、すごく嬉しかったんだ」 「今年の夏休みはもう、お兄ちゃんと二人っきりになれないかもって思ってたから」 「……俺も、ちょっと思ってた」 「俺はバイトだし、麻衣は草むしりだし」 「あはは」 「お互い寂しい青春だねえ」 「まったくだ」 「……」 「ねえ、お兄ちゃん」 気づいたら、麻衣は俺の隣に座っていた。 そして──「……ちゅっ」 「……」 頬に、麻衣の唇があたる。 それは、とてもささやかで甘い衝撃だった。 「手伝ってくれたお礼だよ」 「う……」 くらくらと眩暈がした。 もちろんそれは、熱中症のせいとかじゃなくて……。 「……っ!」 俺は麻衣の手首を掴み、勢いよく自分へと引き寄せ……。 その小さな唇に、キスをしていた。 「んっ……ぁ……お兄ちゃ……」 自分でも呆れるほど、強引なキス。 でも、この気持ちを抑えきれない。 「んぁ……ちゅ……んふぅ……」 舌で唇を開き、こじ開けるようにしてねじ込んでいく。 麻衣の小さな舌は小刻みに震え、いとも容易く俺の侵入を受け入れた。 「はぁっ、んちゅ……お兄ちゃんっ……あふっ」 狂ったように鳴く蝉の声と、木々を通る風の音。 それらに混ざる、俺たちの荒々しい吐息。 「お兄ちゃんってば……んんっ……」 「だ、誰か来ちゃうよぉっ……あぅ……!」 ……そんなこと、分かってる。 だけど俺は、この腕から麻衣を解放することができなかった。 「麻衣、俺……」 「ずっとずっと二人きりになりたかったんだ」 顔中にキスを浴びせながら言う。 麻衣のいろんなところにキスしたい。 今しなきゃ、気が済まない。 「……お兄ちゃん」 「わ、わたしだって……」 「こうやって抱きしめてもらったり、キスしてもらいたかったよ……」 熱っぽい瞳で俺を見上げる麻衣。 ……そうか。 俺だけじゃなかったんだ。 麻衣も俺と、こんなことがしたいと思ってたんだ。 「麻衣……ここで……」 「今すぐ麻衣と、繋がりたい」 「えっ……」 麻衣の顔に戸惑いの色が浮かぶ。 「駄目か?」 「……」 「い、言わせないで……」 「麻衣……」 麻衣も、俺を求めている。 その潤んだ瞳と、しっとりと濡れた唇がなによりの証拠だ。 「あぅ……」 俺は手を伸ばし、その小さな胸に触れる。 長時間外で作業していたせいか、体操着が汗で湿っていた。 布越しに触れる乳房が、柔らかく手になじむ。 「お、お兄ちゃん、やっぱり」 「部員が来るかもしれないから……」 「うん」 「うん、じゃなくて……」 「……んぁっ」 そっと手に力を入れ、乳房を揉みしだいた。 口の中に唾液が溜まり、ごくりと嚥下する。 「あったかい……」 「あっ……お兄ちゃん……」 麻衣の額から汗が流れ、太腿に落ちていく。 体操着に透けた、ブラの薄いグリーンがまぶしい。 「……直に見てもいいか?」 「……」 「うん……」 麻衣は頷き、静かに体操着をまくり上げた。 「うぅ……恥ずかしい……」 体操着の下から、ブラに包まれた乳房が現れる。 真ん中に小さなリボンをあしらった、麻衣らしいデザインのブラだ。 「やっぱり恥ずかしいのか?」 「あ、当たり前だよ」 「前にも見てるのに?」 「そ……そういう問題じゃないの」 「何度見られたって恥ずかしいんだから……」 照れ隠しか、わずかに唇を尖らせている。 「もっと胸が大きかったら、自信を持って見せられるのになぁ……」 「まだ言うか、それを」 「だって……」 「男の人は、胸の大きな女の人が好きなんでしょ?」 ちらり、と俺を見上げる麻衣。 「……人それぞれなんじゃないかな」 「じゃあお兄ちゃんは、大きいのと小さいの、どっちが好きなの?」 「俺は……」 「俺は、麻衣の胸が好きだ」 そう耳元で囁きながら、両手で乳房を掴む。 「はうんっ……!」 「こ、答えになってないよぉっ……」 じっとりと汗ばんだ肌に、手が密着する。 手の中で自由に形を変える、麻衣の柔らかな乳房。 「んっ……ふぁ、あぁっ」 乳首の周辺に指が触れると、麻衣はさらに高い声を出す。 「あん、気持ちいい……っ」 木漏れ日の下で、つやつやと煌めく素肌。 大人になる一歩手前の、みずみずしい肢体……。 「……乳首、硬くなってきてる」 ブラの上から、小さなでっぱりを指でつまんでみる。 さらにコリコリとさすると、麻衣の肩がビクンと反応した。 「ひゃぅっ、んんっ……そこ、だめ……んぁっ」 「……麻衣、感じてる」 「はぁっ……だって……んんっ……」 麻衣の声が、熱い吐息と共に風に運ばれていく。 いつ誰が来るかも分からないこの状況に、かなり興奮している俺。 知らず知らずのうちに息も荒くなっていく。 「はうぅ、んっ、お兄ちゃん……あはぁっ」 「……いっぱい汗かいてるな」 「お兄ちゃんだって……そうだよ」 麻衣の胸元から下腹部に、幾筋もの汗が流れている。 顔を近づけ、それを舌ですくい取った。 「ひゃんっ!」 「……しょっぱい」 「やぁっ、もうっ……」 ちろちろと舌を動かしながら、俺はブラを少しずつたくし上げた。 「あぁっ、ま、待って……」 太陽の下で、麻衣のかわいらしい乳房がこぼれ落ちる。 ぷっくりと膨らんだ乳首は、朝露に濡れた果実のように輝いていた。 「……何度見ても可愛いな」 「やぁっ……」 「見られると、感じちゃうよぉ……」 体が震え、乳房もぷるぷると揺れている。 俺は直に乳房に触れ、大きく撫で回した。 「あふっ、あんんっ……!」 甲高い声をあげ、俺の愛撫を受け入れる麻衣。 力んでいた全身が、少しずつほぐれていくようだった。 「柔らかくて、気持ちいい……」 「わたしも、気持ちいい……よ」 「はぁっ……あぁ……ヘンな声、いっぱい出ちゃう……」 「ヘンじゃないよ。 麻衣の声、すごく可愛い」 「えっ……」 「う、嬉しい……かも……」 左の乳房をふにふにと揉みながら、右の乳首にそっと唇を寄せる。 唇と唇の間で軽く挟んでから、少し強めに吸いついた。 「ふああぁっ、んふぁ、あっ……!」 ちゅぱっ……ちゅぱ……ちゅっわざと唾液の音を立たせながら、舌先で乳首をねぶる。 唾液と汗の混じった汁が、トロトロと麻衣の肌を濡らしていった。 「あぁ、あんっ、ち、力が、抜けちゃうっ……」 「お兄ちゃんっ……あぁ、えっちだよ……っ」 舌に包まれた乳首は硬さを増し、自らの存在を誇示していく。 きゅっと甘噛みすると、麻衣の背中に緊張が走った。 「ひゃぁっ、くふぅっ!」 固く目を閉じ、俺の舌使いに耐えている顔がたまらなく色っぽい。 俺は夢中で乳首に吸いつき、もう一方の乳房を激しめに揉み上げた。 「はぁ、んはぁっ、んっ……くはぁっ」 「も、もっと……お兄ちゃん、お願い……」 切なげな様子でおねだりする麻衣。 興奮が高まり、少しずつ大胆になってきているようだ。 「あぁ……はあぁっ……あはぁ……んん……」 ……ちゅぱ……ちゅぅっ……ちゅぷっ……舌に唾液をたっぷりと乗せ、乳首になすりつけてから一気に吸い込む。 「ふわぁっ、ああぁ、あはぁっ」 「あぁっ……こんなところ、誰かに見られたら……あん、んはぁっ」 快楽とスリルで、麻衣の体はさらに熱くなっていく。 「はぁ……はぁっ……お兄ちゃんの顔、熱い……」 「お兄ちゃんも、興奮してるの……?」 「……ああ、めちゃくちゃ興奮してる」 ここが学院だということも忘れて、俺は麻衣の体に夢中になっていた。 股間はすっかり怒張を極め、ズボンの中で窮屈そうに震えている。 「お兄ちゃん、ずっと……わたしだけを見ていてね」 「……当たり前だろ」 「もっと、もっと見て……」 「もっとわたしに、めろめろになってね……」 「……」 「もうとっくにめろめろだよ……」 この幼くて美しい体に、心を奪われている。 一度味わってしまったら、もう二度と離れられない。 「はぁっ……んっ」 俺は麻衣にしがみつき、乳房全体にむしゃぶりついた。 「麻衣っ……あぁ……」 「お兄ちゃん……」 「ふふ……甘えん坊だね……」 悩ましい声で囁かれ、ゾクゾクと全身が粟立つ。 「麻衣……」 「……もっと、えっちなことしてもいい?」 「ぇ……」 「ど、どんなこと?」 不安と期待が混じったような声。 「そこの木に、両手をついてくれ」 俺は麻衣の手を木につかせ、こちらにお尻を向けるような格好をさせた。 「あんっ……」 「こんな格好……恥ずかしいってばぁ」 そう言いながらも、体は抵抗していない。 むしろ俺を誘うように、腰を高く掲げている。 「……」 ブルマにぴっちりと包まれたお尻が、ふりふりと揺れている。 その扇情的な腰つきを見ているだけで、絶頂に達してしまいそうだ。 「お兄ちゃん……?」 すぐに触れてしまうのがもったいなくて、しばらく背後から眺めていた。 「お兄ちゃんってばぁ……」 「うん?」 「い、いつまでこうしていればいいの……?」 「あともう少しだけ」 「えぇ~……」 我慢できないとでもいうように、太腿がぷるぷると震える。 「……つらいよぅ、お兄ちゃんっ」 「ごめん」 「……今、楽にしてあげるから」 俺は麻衣の腰を押さえながら、右手の指でそっと股間に触れた。 「あっ……んんっ……」 汗でしっとりと湿ったブルマ。 特に割れ目の部分は、より湿り気が強い。 「わ……ブルマにまで染みてる」 「う、うそ……っ」 俺の指摘に、耳の付け根が真っ赤になる。 麻衣の体は、俺に触れられる度にどんどん感じやすくなっていく。 「ひぁ、んはぁっ……ああぁ」 ブルマの上から、さらに強く指を押しつけた。 ぬちゅ、という音と共に、縦スジに指が食い込んでいく。 「んふぁ、くぅっ、あぁっ……」 ブルマが股間に貼りつき、あそこの形がくっきりと浮かび上がる。 幼い蕾の、愛らしい麻衣のあそこだ。 「ゆ、指、押しつけちゃだめっ……んふぁ、あんっ」 くちゅくちゅとこすり続けると、ほんのりと愛液の匂いが漂ってきた。 破裂しそうな欲望をなんとかこらえ、執拗に指を前後させる。 くちゅ……くちゅっ……ぬちゅ……「はうっ……お尻、動いちゃう……あんっ……ふあぁっ」 腰が動く度に、はだけた乳房がぷるんぷるんと揺れる。 愛液が次々と滲み出し、指がべとべとになっていた。 俺は一度指を離し、ブルマに手をかけて少しずつ太腿へと降ろしていく。 「あっ、ひゃぁっ……!」 ……ブルマの下には、小さな薄緑色のパンツ。 やはり予想通り、陰部が濡れて濃い染みを作っていた。 「だめっ……んぁっ……!」 麻衣のお尻は、まさに白桃のようなみずみずしさ。 両手で尻の肉を掴むと、柔らかく吸いついてくるようだ。 「あはぁっ、んっ……ひぁっ、あぁっ」 「……お尻、すべすべしてるな」 「う……く、くすぐったいよ……」 さわさわと優しくお尻を撫でると、麻衣の膝が今にも崩れ落ちそうなほど震える。 度重なる愛撫で、全身が敏感になっているようだ。 くちゅっ……「ひああぁっ……!」 パンツの上から割れ目に触れると、麻衣は大きく喘いだ。 「そんな声出したら、誰かに聞かれちゃうよ」 「はぁんっ……わ、分かってる……けど……」 「き、気持ちよすぎて……声が止まらな……ふあぁんっ」 たっぷりと蜜を吸い込んだ薄布が、俺の指にまとわりつく。 熱を持った割れ目が、みっちりと指を挟んで離さない。 「はうんっ、気持ちいいっ……あぁ、お兄ちゃんっ」 ……校舎の向こうのグラウンドから、野球部のかけ声が聞こえる。 俺たちがすぐそばでこんなにいやらしいことをしているなんて、誰も知らないんだ……。 「んんっ、ふぁ……あぅ、指、入っちゃう……んんぁっ」 蜜壺に人差し指を食い込ませ、ほじるように押し進める。 溢れた愛液がパンツの脇からこぼれ、太腿へと伝っていた。 「ここ、すごく熱い……」 「うぅっ……だって、感じちゃって……あぁっ……」 「麻衣のクリトリスも、すごく感じてるみたいだ」 そう言いながら、硬くなった秘芯をそっと押し潰す。 「やぁんっ、そ、そこはっ」 蜜に埋もれたクリトリスは、ピクピクと先端を痙攣させていた。 俺に愛撫され、悦びを隠しきれない様子だ。 「ふぁっ、あぁ、あ、あそこが、もぞもぞするぅっ」 「お、お兄ちゃん、もっと……お兄ちゃんっ」 「……じゃあ、もっと気持ちよくさせてあげる」 俺はパンツを掴み、太腿の真ん中まで一気に引き下ろした。 「えっ……!?」 唐突にあそこをむき出しにされ、戸惑っている麻衣。 太陽の下で、蜜に濡れた性器はぬらりと輝いている。 プラムみたいに赤く充血した割れ目は、まさに熟した果実のように香しい。 「もうこんなに濡れてたのか……」 蜜が溢れ、陰部から透明な糸が引いている。 俺は腰をかがめ、その割れ目に顔を近づけた。 「やん、お、お兄ちゃん、どこ見てるのっ」 「麻衣のあそこ」 「そ、そんなに鼻を近づけちゃ……ひあぁんっ!」 両手の親指で陰部を割り、熟れた秘肉をめくり上げた。 とろりと垂れた愛液を舌で受け止め、そのまま蜜壺に舌先を差し入れる。 「ひぁっ! あぁ、んふぁっ!」 口内に広がる、甘さを秘めた潮の風味。 これが麻衣の味だ……。 「はうんっ、あはぁ、んっ、ああぁっ、やはぁっ!」 「ちゅ……ちゅぱっ……ぺちゃ」 陰部に鼻を押しつけながら、その敏感な肉をたっぷりと味わう。 膣内がざわめき、俺の舌を締めつける。 「ん……ぺろっ……ちゅぱ……」 「やんっ、やぁ、お兄ちゃん、待ってぇっ」 「そ、そこは、感じすぎちゃうからっ……!」 なんとか脚を閉じようとする麻衣。 俺は力を入れ、さらに大きく脚を開かせた。 「ひゃぅっ! あぁっ、あそこがっ……ああぁっ!」 熱い蜜をしたたらせながら、肉襞が震える。 口内が愛液でいっぱいになり、ごくりと飲み干した。 「麻衣、美味しいよ」 「ふぁっ、飲んじゃだめだよぉ……!」 俺は舌先を硬く尖らせ、さらに奥へとねじり入れた。 内部をほじればほじるほど、とめどない蜜が湧いてくる。 「あぁ……奥に……あんっ、入ってきてるっ」 「だめって、言ってるのにっ……あぁ、気持ちいいっ……!」 「麻衣……ちゅぷぅ……ぺちょ……美味しい……」 舌を奥に突き刺してから、ゆっくりと前後させた。 膣内が大きくうねり、舌をきつく締めつける。 「あうぁ、あぁ、おかしくなっちゃいそうっ……あぁ、ひああぁ」 「も、もうっ……あぁ、はぁっ……!」 俺の舌の動きに合わせて、麻衣の腰もしだいに揺れ始めた。 汗と唾液と愛液とで、もう俺の顔はべちゃべちゃだ。 「あっ、んあぁっ!?」 いったん舌を抜き出し、今度はクリトリスを丹念に愛撫する。 舌のザラザラした部分をなすりつけると、陰唇がぶるぶると波打った。 「ひんっ、あふっ、あぁ……はううぅっ!」 クリトリスを中心に、舌全体で割れ目をペロペロと舐め上げる。 幼い秘部は快感に身を震わせ、断続的に収縮を繰り返していた。 「お兄ちゃんっ……あんっ……も、もうだめぇっ……!」 もう一度舌を蜜壺に突き刺し、激しく前後運動する。 跳ね上がる腰を押さえながら、奥へ奥へとひねり入れていく。 「ふわぁっ、んぁ、お兄ちゃんっ……くはぁっ……!」 俺の股間が、さっきから猛烈に熱く反応している。 このままでは破裂しそうだ……!「あふっ、はうあぁっ……!?」 俺は陰部から顔を離し、ゆっくりと立ち上がった。 「あぅ……お兄ちゃん……?」 「俺、もう我慢できない」 「入れるぞ……?」 俺は手早くベルトを外し、ファスナーを引き下げた。 トランクスの中では、怒張が顔を出してスタンバイしている。 「わ、わたしも、もう我慢できないよ……」 「お願いだから入れて……お兄ちゃん」 充血したあそこを俺に向け、恥じらいながらおねだりをする麻衣。 快楽に濡れた瞳が、俺の下半身をちらちらと盗み見している。 「麻衣……」 俺はトランクスの中からペニスを取り出し、麻衣の背後から亀頭を陰部にあてがった。 ぬぷっ、と音がして、先端が割れ目に埋まっていく。 「あんっ……!」 内部は十分に潤っていたが、それでも締めつけは強く、侵入は容易くない。 俺は歯を食いしばり、じわじわと膣奥を目指していく。 「ひぅっ……んぁ……くあぁっ」 「うぅ、キツい……」 腰を少しだけ落とし、下からゆっくり突き上げる。 蜜壺から愛液がブシュッとはじけ、俺の下腹部をいやらしく汚した。 「あぁ、入って……あふぁ、んんっ」 この格好だと、あそこにペニスが入っていくのがはっきりと見える。 こんな刺激的な光景を見て、冷静でいられるわけがない。 「ふぅっ……!」 ずぶぶっ!「はうあああぁっ!」 我慢ならなくなって、一気に麻衣の膣を貫いた。 マグマのように熱い肉が、俺のものをみっちりと包み込んでいく。 「はぁっ……ひぁ、あぅ……うぅ……」 「……痛くないか?」 「う、うん……」 「すごく……気持ちいい……」 麻衣はうっとりとした様子でつぶやいた。 呼吸をする度に背中が上下し、地面に汗が落ちる。 俺は背後から麻衣を抱きしめ、舌で背中の汗を舐め取った。 「ふあぁっ……んくぅ」 「あ、脚に力が入らないよ……」 木に爪を立て、必死に快感をこらえているようだ。 「俺……ずっと麻衣としたかった」 耳に息を吹きかけながらつぶやく。 「この数日間、そのことばっかり考えてた……」 「ほんと……?」 「ああ」 「……わたしだって、お兄ちゃんと同じ」 「だけど、ぜんぜん構ってくれなかったから……我慢してたの」 恥ずかしそうに、ちらりと俺を見る。 「麻衣も、したかったってこと?」 「……ぅ」 「き、聞かなくても分かるでしょっ」 「あっ……!」 ぎゅっとペニスを締めつけられ、俺は思わず情けない声を出してしまう。 「わわっ」 「お兄ちゃんの、ビクンビクンってなった」 「あ、あんまり締めないでくれ」 「こうしてるだけで、けっこうヤバイから……」 快楽の波に飲み込まれないよう、深呼吸をする。 麻衣は大きく脚を開き、貪欲に性器を飲み込んでいた。 「あっ……お腹の中、熱いっ……」 ぱっくりと割れたお尻の真ん中には、ピンク色にすぼまった小さな蕾がある。 腰をゆっくり動かすと、その部分がきゅっきゅと収縮した。 「ひぁっ……ふぁ、あんっ……」 カリ首までペニスを抜き、時間をかけて再び内部へと押し戻す。 溢れた粘液をパンツが受け止め、びしょびしょに濡れてしまっている。 「すごい……麻衣の中、グチュグチュだ……」 「やんっ、あぁ……はうんっ」 さっきまでごく控えめだった腰の動きが、だんだん激しくなっていく。 ゆっくりとした律動が物足りないのか、自ら腰を小刻みに前後させていた。 「お兄ちゃん、もっとぉ……」 「もっと早く……動かしてほしいの……っ」 リクエストに応えるべく、俺はがっしりと麻衣の腰を掴み、勢いよくペニスを叩きつけた。 「ひあああぁっ!」 膣襞が蠢き、俺のものを遠慮なく締めつける。 頭のてっぺんからつま先まで、甘い痺れが通過した。 じらされまくったせいか、麻衣の感度はかなり上がっている。 「お兄ちゃん、あぁ、もっと来てっ……!」 ずぶぶっ……ぬちゅ……ぬぷぷぷっ性器と性器のこすれ合う音が、いやらしく漏れている。 俺は下腹部に手を回し、割れ目に指を入れて肉芽をつまみあげた。 「んひゃぁっ! あ、ああんっ」 クリトリスをコリコリといじりながら、激しく腰をぶつけていく。 ぬるぬるとした粘液が溢れ、すぐに手がべたべたになってしまう。 「お兄ちゃ……んっ……あぁ、ひあぁ、んはあっ」 麻衣の腰は、止まることなく縦横無尽に揺れ動いている。 左手で尻をそっと撫でると、腰がさらに高く突き上がった。 「ひあぁん、だめぇっ……!」 「お兄ちゃん、わ、わたしっ……あぁ、わたし……っ」 麻衣は顔をこちらに向け、唇を震わせた。 「こんなに気持ちよくなったら……困っちゃうよぉ」 「どうして?」 「だって……」 「お兄ちゃんなしじゃ、生きていけない体になっちゃう……っ」 瞳に涙を溜め、腰を振りながら囁く麻衣。 愛しくて愛しくてたまらなくて、背後からぎゅっと抱きしめる。 ……俺だって、麻衣なしの人生はもう考えられない。 今までも、これからも、ずっとずっと一緒に生きていくんだ。 「お兄ちゃんっ……好き……」 「わたし以外の人に、こんなことしたらイヤだよ……?」 「当たり前だろ」 「麻衣を悲しませるようなことは、絶対にしない」 「お兄ちゃん……」 ぽろり、と涙が落ちる。 俺だけを想って流してくれる、尊い涙。 「麻衣……好きだ……」 いつのまに、こんなにも心を掴まれてしまったのか。 こうやってずっと抱き合えるなら……。 ほかに望むものなんて、なにもない。 何度だってそう思う。 「あぁっ……お兄ちゃんっ……あたる、奥に、あたって……っ」 俺はさらに腰の動きをスピードアップし、膣奥に亀頭を打ちつけた。 一番奥の狭い部分が、締まったり緩んだりと複雑な動きを見せる。 「あっ、くぅ、んぁ……熱い……熱いよ……」 じゅぷっ……ぐちゅっ……じゅっ……!膣内のうねりがさらに激しくなり、ペニスの根元をきつく搾ってきた。 「うっ……麻衣っ、力を抜いて」 「む、無理だよぉっ……もう、もうっ、わたし……」 内腿がピクピクと痙攣し、赤みが増してくる。 麻衣も限界が近いのかもしれない。 「はうん、あぁ、ああ、んはああぁっ……ふあぁっ」 俺たちは汗だくになりながら、互いの腰を打ちつけ合った。 腰の痺れが全身に広がり、もう何も考えられなくなっていく。 「お兄ちゃんっ、わたし、ああぁ、あっ、はうああぁっ」 麻衣の全身が緊張し、太腿の筋がぴんと張りつめる。 じゅぶっ! ぬぷぅっ! じゅぷうっ! ぬぷっ!やがて膣全体が大きく波を打ち始めた。 「はあぁ、んぁ、あはぁ、はぁっ、はぁっ……ああぁっ!」 最後の力を振り絞り、最深部にペニスを叩きつける。 「あぁ、お兄ちゃんっ……あぁ、いくっ……」 「うっ……麻衣っ……!」 「ああぁ、はぁ、はああぁっ……んはあああああっ!」 びゅくぅっ! びゅくううっ! びゅくっ!麻衣が達したと同時に、俺も全ての欲望を膣奥にぶちまけた。 ペニスがびゅくびゅくと痙攣し、膣内に大量の精液が溢れていく。 「はあぁっ……はぁ……はぁ……」 全身の力が抜け、俺は麻衣の背中に覆い被さった。 「はぁ……はぁ……すごい……あぁ……」 「……麻衣の中、まだびくびくしてる」 「やだ……はぁ……あぁ……」 腰を動かしすぎて、もう一ミリも動けない。 フルマラソンを全力疾走したような気分だった。 「はぁ……」 麻衣は甘いため息を吐いた。 「お兄ちゃん……中に出してくれてありがと」 「……お兄ちゃんの熱いの……奥にいっぱいあたったよ」 「う……」 今までにないほどの長い射精感に、俺も驚いていた。 こんなに大量の精液、いったいどこに溜まっていたんだろう?「麻衣……抜くぞ」 「うん……」 ぬぷっ……ゆっくりとペニスを抜くと、溜まっていた精液が膣から溢れ出した。 「わっ、すご……」 「やんっ……見ないでぇ」 白い粘液でぬらぬらと光る、麻衣のあそこ。 さっきまで俺のものをくわえこんでいた陰唇が、恥ずかしそうにヒクついている。 「……」 「もう、見ないでってば~っ」 「ああ、ごめん」 ついつい見入ってしまった。 俺はポケットに手を突っ込み、ハンカチを取り出した。 「ひぁ……」 麻衣のあそこにハンカチをあてがい、上下に優しく撫でる。 「そ、それ、お兄ちゃんのハンカチ?」 「うん」 「だめだよ、汚れちゃう」 「いいんだよ、ハンカチなんだから」 「ええっ、でも……」 しきりにハンカチが汚れることを気にする麻衣。 「じゃあ、後でわたしが洗濯しておくからね」 「ああ、分かった」 「ポッケに入れっぱなしにしちゃだめだよ?」 「分かってるって」 苦笑しながら、陰唇の間に溜まった精液もキレイに拭き取っていく。 太陽の日差しは相変わらず強く、ジリジリと俺の肌を灼いている。 風が吹いて木々が揺れ、濃い緑の匂いが漂った。 「……」 「えへへ」 「ん?」 「体操着、汗でびしょびしょになっちゃった」 「麻衣、いっぱい興奮してたからな」 「お兄ちゃんだって……」 上目遣いで、麻衣は俺の顔を見た。 「……こんなところ、誰かに見られたら大変なことになってたね」 「ああ」 俺は頷いた。 後先を考えず、欲望優先で動いてしまった自分に少し反省する。 ……だけどそのスリルが、少なからず興奮を煽ったのもまた事実で。 「もしも先生に見つかってたら……」 「停学、かなぁ?」 「それで済めばいいけど」 「……最悪、自主退学を勧められる可能性もあるかもなあ」 「う……」 麻衣の眉間に皺が寄る。 「ごめんな。 こんなところで……」 「自分の気持ち、抑えられなくなっちゃって」 「ううん、謝らないでお兄ちゃん」 「さっきも言ったでしょ? わたしだってお兄ちゃんとしたかったし……」 「わわわっ」 自分の言葉に、猛烈に照れたらしい。 「それに……わたしは」 「お兄ちゃんとなら、退学になったって構わない」 毅然とした目で、麻衣は言った。 「……」 「めったなこと言うもんじゃないぞ」 「だ、だって、ほんとだよ」 「わたしはお兄ちゃんとなら、どこへでも行く」 「お兄ちゃんとなら、どんな罪だって背負ってみせるから……」 「麻衣……」 俺は、麻衣の髪をそっと撫でた。 麻衣の愛情はとても大きくて、時々言葉が見つからなくなる。 いつもいつも、与えてもらってばかりだな……。 「あぁ、大変っ」 突然麻衣は、弾かれたように手を叩いた。 「草むしり終わってなかったんだ」 「……」 「もう十分なんじゃないか?」 「だめだめっ。 ここらへんボーボーでしょ?」 「お兄ちゃん、一緒にがんばろうね」 「うへえっ」 絶対そう来ると思った。 だけど、俺が麻衣のためにしてやれることと言ったら……。 とりあえずは、草むしりしかない。 ……。 かくして俺たちの「草むしりデート」 は、その後3時間にわたって続いたのだった。 ……。 …………。 「ぱにーに!」 「姫さま、ぱにーにですよぱにーにっ」 「まあ、ぱにーにだわ」 「よかったわね、ミア」 「はいっ」 今日も今日とて、左門でのディナータイム。 本日のメニューは、トマトソースのペンネとたっぷり野菜をサンドしたパニーニ。 特にパニーニは、ミアのかねてからの熱烈リクエストによるものだ。 「どうだい、マドモアゼル・ミア」 「今日は僕が、君のために愛情を込めてぱにーにを焼き上げたんだ」 「ありがとうございます、仁さん」 「食べてしまうのがもったいないくらい、美味しそう……」 と言いながら、さっそくパクつくミア。 「わぁ、ほんとに美味しそう」 麻衣も顔をほころばせ、大きく口を開けてパニーニにかぶりつく。 「どうだい、マドモアゼル・麻衣」 「今日は僕が、君のために愛情を込めてぱにーにを……」 「仁さん、重複してますよ」 そうツッコむと、仁さんは豪快に笑った。 「はっはっは、達哉くんは細かいなあ」 「A型ですから」 「奇遇だね。 僕もA型だ」 「えっ!?」 「嘘。 Bだよ、B」 「……」 俺は血液型占いなど信じないが、Bと言われてなんとなく納得してしまう。 「ところでお二人とも、お味のほうはいかがかな?」 「もぐ……もぐ……」 「もぐ……もぐ……」 「まふまふー」 「まふまふでふー」 「なんだそりゃ」 しかもミア、思いっきり噛んでるし。 「まあ、本当ね、まふまふだわ」 続けてフィーナも、同じ感想を口にした。 ……時々、女の子は男にはよく分からない形容詞を使う。 「ほーら、どうだね達哉くん」 「なぜ得意げに俺を見ますか?」 「いや、僕ばかりちやほやされて申し訳無いなと思ってね」 「ちやほやされてるのはパニーニでしょ?」 冷静に菜月がツッコむ。 「タツ、そういえば……」 「今日はさやちゃん、早く帰れるんだっけな?」 「はい。 さっき電話でそう言ってました」 早く帰れるといっても、日付が変わる前には帰れるという意味で。 ……最近、姉さんのいない食卓が当たり前のようになっている気がする。 これは一時的な忙しさなのだと思いたいけど……。 「夕飯、余分に作っといたから持って帰ってやりな」 「ありがとうございますっ」 「あ、私も特製野菜ジュース作ったんだ」 「後でさやかさんに、渡しておいてくれる?」 「サンキュー」 「わぁ、お姉ちゃん愛されてる」 俺たちの会話を聞いていた麻衣が、にっこりと微笑んだ。 「そりゃそうとも」 「さやちゃんは、俺にとって娘みたいなもんだからな」 「そーそー。 家族も同然だもんね」 「僕にとっては、妻のようなものかな」 ぱこんっ「いてっ!」 どこからともなく、しゃもじが飛んできた。 「勝手に妻扱いしないのっ」 「なぜだ、家族には変わりなかろう?」 「あははっ」 「ははは……」 ……。 麻衣の言う通り、姉さんは本当にみんなから愛されてる。 そういう姉を持ったことを、俺は……誇りに思っている。 ……。 …………。 「お兄ちゃーん」 「わふっわふっわふっ」 「うー……わんっ」 「をん」 夕食の後片づけが終わり、在庫チェックをしてから左門を出ると……。 家の前で、麻衣が待っていた。 「どうした?」 「イタリアンズの散歩、一緒に行こうと思って」 そう言って、ちょこんと俺の隣に並ぶ。 「それはそれは、わざわざどうも」 「いえいえ、どういたしまして」 「……ねえお兄ちゃん、見て」 「今夜は、月がとってもキレイなの」 空を見上げると、見事な満月が俺たちを照らしていた。 雲一つない夜空には星々の鋭利な光が瞬き、神聖な静寂を保っている。 「キレイだな……」 「夜のデートにはぴったりでしょ?」 「……デートか」 「そう、デート」 麻衣は嬉しそうに笑ってから、イタリアンズを引き連れて歩き出した。 「お兄ちゃん、行こっ」 「ああ」 ……。 昼間は、ほとんど人のいない公園。 そして夜になると、さらに人気が無くなる。 「……誰もいないね」 「そうだな」 「……」 「えいっ」 唐突に、俺の背中に抱きついてくる麻衣。 どくん、と心臓が跳ね上がる。 「どうした?」 「……」 「今日は、お兄ちゃんに甘える日って決めたの」 麻衣は小さな声でつぶやく。 背中に、麻衣の柔らかい胸があたっている。 ぴたりとくっついた頬の熱まで、伝わってくるようだ。 「わふっわふっ」 「わんっわんっ」 「わうわうーわうわうっ」 「こ、こら」 俺たちの周囲を、イタリアンズが興奮気味に駆け回った。 「ほら、イタリアンズがヤキモチ妬いてる」 「う……」 麻衣は俺から離れ、イタリアンズの頭を順番に撫でた。 「そうだよね、みんなも甘えたい時あるよねー」 「わんっ」 「うん、だって」 「あはは」 ……。 ……それからしばらく、麻衣はイタリアンズと公園中を駆け回っていた。 俺はベンチに座り、そんな麻衣の姿をじっと見つめている。 月明かりを浴びた麻衣の髪が、闇の中でキラキラと踊る。 子鹿のような細い脚がステップを踏み、スカートが翻る度に、なぜかドキドキしたりして……。 「……麻衣」 「なに?」 「あんまり走ると、パンツ見えるぞ」 というか、既に何度か見えていた。 「見たの?」 「うん」 「ううん」 「……どっち?」 「見ましたすみません」 「もぉー」 「もぉーったって、そんなに短いスカート履いてたら誰だって見るだろ」 そう言うと、麻衣は肩をすくめた。 「そうかなあ?」 「そうだって」 「お前は、ちょっと警戒心なさすぎ」 無意識のうちに、口調がキツくなっていたかもしれない。 麻衣は小さく唇を尖らせながら、俺の隣に腰を下ろした。 「……このスカート、似合わない?」 ちらっ麻衣は少しだけスカートを持ち上げて、俺を見た。 むき出しになった太腿の白が、目映く光る。 「そ、そんなことは、ないと思うけど」 「だから、似合うとか似合わないとかそういう問題じゃなくて」 ……正直、心配なのだ。 麻衣ほどかわいい女の子が、そんな短いスカートを履いて……。 俺の知らないところで他の男に見られているのかと思うと、いてもたってもいられなくなる。 「……ブルマを履く、とかさ」 「えっ?」 「……お兄ちゃん、ブルマ好きなんだ」 「だからそうじゃなくてっ」 「ブルマ履けば、パンツ見えないだろ」 ぽかんと口を開ける麻衣。 「お兄ちゃん、時々お父さんみたいなこと言うね」 「……父心というか、兄心ってやつだよ」 「ふうん」 「要はわたしのこと、心配なんだ」 じーっ麻衣はまっすぐな目を俺に向ける。 「……兄として、心配なの?」 「……」 「それとも……?」 「う……」 「……彼氏として、だよ」 根負けした。 たまらなく恥ずかしくなって、目を逸らす。 「目を逸らさないで」 「え……」 「ちゃんとわたしのこと見てくれなきゃ、やだ」 ぐいっ俺の両頬に手をあて、自分へと顔を向けさせる麻衣。 「なんか、麻衣がいつになく強気だ……」 「……言ったでしょ? 今日はお兄ちゃんに甘える日だって」 「甘えてるっていうより、いじめられてる気がするんだが」 「むぅ」 「じゃ、もっといじめちゃおっと」 いたずらっぽい笑みを浮かべてから、麻衣はぐっと俺に顔を近づけた。 「……ちゅっ」 ……。 …………。 キス、されてしまった。 「……んっ……麻衣……」 「ちゅっ……んんっ……」 唇に触れるだけの軽いキスから、少しずつディープなキスへと移行していく。 舌と舌が絡み合い、唾液も混ざり合う。 「はぅ……ちゅ……んちゅ」 俺は麻衣の体を抱き寄せ、口内を貪った。 「んんっ……はぁっ、ちゅぱ……」 「んふぅ、あっ……お兄ちゃ……」 「麻衣っ……」 「はぁ……んぐ……く、苦しいよ……」 ついつい強く抱きしめすぎてしまい、麻衣は苦しそうに息を吐いた。 「……ごめん」 「う、ううん」 再び俺の目を見つめ、くすくすと笑う。 その笑い方が、なぜかとても大人びて見えて……ドキドキする。 ……今日は完全に、麻衣のペースにハマりっぱなしだ。 「わふっわふわふっわふっ、わふわふっ」 「わんっわんっ」 「わう、わうわうっ」 「わわわっ」 俺たちの間に割り込むように、イタリアンズがじゃれてくる。 「悪い悪い。 ほったらかしにしちゃったな」 「わうっ」 「うん、だって」 「……やれやれ」 「お前たち、もうちょっとだけ気を利かしてくれてもよかったのになぁ」 「……わふ、わふっっっ」 カルボは大きく体を揺らして、麻衣の前に立ちはだかった。 「駄目、だって」 「……」 ……。 散歩が終わり、家に到着。 時刻はもう10時を回ろうとしていた。 「……ちょっと遅くなっちゃったね」 「ああ」 「いちゃいちゃしすぎたかな?」 「……」 真っ赤になる麻衣。 「わたしは、もっといちゃいちゃしたかったよ?」 「……」 今度は俺が真っ赤になる番だった。 「お兄ちゃんと、もっとくっついたりして……」 「もっと抱っこしてもらって……」 「もっと……キスしたかった」 ゆっくりとつぶやいてから、俺の手を握る。 「……」 「ごめんな」 「?」 「なあに?」 「いや……」 俺はかぶりを振った。 ……本当は、人のいないところだけでいちゃいちゃするんじゃなくて。 もっと堂々と、恋人同士として振る舞いたい。 普通の恋人同士みたいに、好きな時に抱きしめたい。 キスしたい。 ……。 恐らく、麻衣も同じことを思っているはずだ。 決して麻衣は、そんなことを口には出さないけど……。 「……あら?」 「……!」 俺は反射的に、麻衣の手を振りほどいた。 「……?」 俺たちの背後に立っていたのは、姉さんだった。 「お、おかえり、姉さん」 「ただいま、達哉くん」 姉さんは、麻衣の顔を覗き込んだ。 「……二人とも、ケンカでもしたの?」 「えっ、なんで?」 「だって……」 「麻衣ちゃん、泣きそうな顔してるじゃない」 」 「……っ」 見ると、麻衣は紅潮した頬を隠すように俯いている。 「ち、違うの」 「わたしが、家事のことでワガママ言っちゃって……」 「お兄ちゃんに、謝ってたところなの」 「まあ、そうだったの」 麻衣の曖昧な言い訳に、姉さんは納得したようだった。 「ごめんね、お兄ちゃん」 「い、いや」 「俺こそ、ごめん」 「よしよし、二人とも、ちゃんとごめんねが言えたわね」 「じゃあ、仲直り」 そう言いながら、姉さんは俺と麻衣の手を取り……。 「はい、仲直りの握手」 ぎゅっ、と握らせた。 「……」 「……」 胸が締めつけられるような痛みが襲う。 なぜか姉さんの顔を直視できない。 「あなたたち、昔から仲直りする時はいつも握手してたでしょ?」 「そうだっけ……」 「そうよ。 昔のことだから、覚えてないのかしら」 姉さんは、小さく笑う。 「二人とも、もう大人なんだから兄妹仲良くね」 「……」 「はーい」 「はーい」 「よろしい」 「さ、早くおうちに入りなさい」 ぽんぽん、と俺の肩を叩いてから、姉さんは玄関へと入っていった。 「……」 「麻衣」 麻衣は俺から手を放し、唇を噛みしめた。 「麻衣?」 「……手を繋いでたの、見られちゃったかな」 「どうかな」 「別に手ぐらい繋いでたって、ヘンに思わないだろ」 そうは言いながらも。 まっさきに麻衣の手を振り払ったのは、ほかでもない自分だった。 「……」 「うん、そうだよね」 「家、入ろっか」 「ああ……」 麻衣は気を取り直したように笑顔を作り、玄関へと歩いていった。 ……。 …………。 その夜。 俺はベッドに寝ころんで天井を見上げていた。 いろんなことが、頭の中でぐるぐると渦巻く。 ……目が冴えて、眠れない。 コンコン「……?」 外から、窓を叩く音が聞こえる。 俺はベッドから起き上がり、部屋の窓をゆっくりと開けた。 「やっほー」 「……よう」 向かいの窓から、菜月が身を乗り出している。 「もしかして、寝てた?」 「いや……」 「暑くてあんまり眠れなかった」 「あはは、私も」 菜月はいつも通りの笑顔を浮かべた。 ……こうやって、窓越しに会話するのは久し振りな気がする。 「元気ないじゃない」 「そうか?」 「うん」 「……」 「ま、俺だって元気がない日ぐらいあるさ」 軽い口調でそう言うと、菜月は首を傾げた。 「そりゃまあ、そうだろうけど」 「なんだよ」 「……」 「さっき、見ちゃった」 「?」 「さっき外で、麻衣と深刻そうな顔してたでしょ」 「……えっ」 ……まさか、さっきの話を聞いてたのか?「ど、どど、どこまで」 どこまで聞いてたんだ。 ……と言いたかったのだが、動揺してうまく言葉が乗らない。 「なに動揺してんのよ」 「動揺してなんか」 「ちょっと、私が盗み聞きしたなんて思ってないわよね?」 「お、思ってないって」 ……。 あれ?ってことは、菜月は俺たちの話を聞いてなかったのか?「さっきたまたま下みたらさー、やけにブルーになってるのが二人もいるじゃない」 「どーしたのかな、と思ってね」 「……それだけ?」 「それだけよ」 「もう、なんなの? さっきから達哉ヘンだよ」 「す、すまん」 ああ、焦った。 てっきりバレたかと思った……。 「兄妹ゲンカ?」 「まあ、そんなようなもんかな」 「……」 「そっか」 菜月は曖昧な表情を浮かべた。 「ねえ……」 「ん?」 「私って、達哉の幼なじみでしょ?」 「うん」 「昔から達哉のこと、よーく知ってるわけ」 「……うん」 菜月は少し間を置いてから、言葉を続けた。 「でも、達哉のことだけじゃないよ」 「麻衣のことも……よく知ってるの」 「……」 それはそうだ、と思う。 むしろ女同士である分、菜月と麻衣の方が解り合えているのかもしれない。 「……でもさ、達哉と麻衣って、あまり自分のこと話さないじゃない?」 「そうかなあ」 「そうなの」 「特に肝心なことになると、なかなか話してくれないの」 少しだけ強い口調で言う。 「……」 「あ、ごめん。 責めてるわけじゃなくて」 「ただ、もうちょっと頼ってくれてもいいのにな……」 「って、思う時もある」 「……すまん」 謝ることしかできなかった。 菜月は、たぶん……。 俺たちが何かを隠していることを、悟ってる。 そして、できれば打ち明けてほしいと願ってる。 俺がポーカーフェイスを作れない男だということを、昔から知っている奴だから。 だけど……。 「ホントに、何でもないから」 「そーなの?」 「ああ」 「……」 「うん、分かった」 諦めたふうでもなく、落胆したふうでもなく。 菜月は笑顔で、そう言った。 「ま、もしなんかあったら相談してよ」 「私じゃ役に立たないかもしれないけどさ」 「……」 「相談するよ」 「いつか……その時が来たら」 「……うん」 ……。 …………。 「ただいまー」 「おかえり、麻衣」 バイト後、リビングでくつろいでいると、ちょうど麻衣が買い物から帰ってきた。 「……なんで制服着てるんだ?」 「今日、部活だったでしょ?」 「一回家に帰ってきて、そのまますぐ買い物に行ったから」 「あ、そっか」 「……あれ? ミアちゃんたちは?」 麻衣はリビングをきょろきょろと見渡した。 「フィーナと大使館に行ってる」 「今日は二人で夕飯食ってくれってさ」 「ええっ」 俺の発言に、麻衣は目を丸くした。 「お兄ちゃん、それもっと早く教えてよー」 「はりきって五人分の材料買ってきちゃったじゃない」 「……」 「ごめんなさい」 俺は深々と頭を下げた。 「忘れてたわけじゃないんだけどさ、今日、バイト忙しくて」 「で、忘れてたんだ」 「……極めて遠回しに言うと、そういうことになるかな」 「んもう。 しょーがないなあ」 麻衣は買い物袋をテーブルの上に置き、手早くエプロンを身につけた。 「じゃあバツとして、夕飯の準備を手伝うこと」 「御意」 「今夜のメニューは?」 「キノコの和風パスタだよ」 そう言う麻衣の手には、やたらと大きなキノコが握られている。 「……エリンギ?」 にしては、ちょっとでかすぎるような。 「分かんない」 「分かんないって……」 「どこの山から採ってきたんだ」 「ちゃんと八百屋さんで買ってきたんだよ?」 憮然とした顔で言う。 「滋養強壮にいいって言ってたから、お姉ちゃんに食べさせてあげようと思って」 「滋養強壮ねえ……」 見るからに怪しい。 しかし、八百屋が言うなら間違いはないのだろう。 「あー、怪しんでる」 「そんなことないけど」 「ほら、ものは試しって言うでしょ?」 「それに、わたしがお姉ちゃんにできることって、これぐらいしかないしね」 麻衣は小さく微笑んだ。 「……」 「じゃ、お兄ちゃんはパスタ茹でてね」 「わたしはキノコの下ごしらえをするから」 「ああ」 ……そして俺たちは、それぞれパスタの準備をすることにした。 珍しい食材を手に入れたからか、麻衣は少しだけご機嫌だった。 「ふふっ、どう料理してくれよーか」 「普通でいいよ、普通で」 「ふんふふーん♪」 「るんららーん♪」 ……。 ……ん?気のせい?今、例のデスマーチが聞こえたような……。 ……。 …………。 そうこうして、ようやくパスタが完成した。 「いっただっきまーす」 「いただきます」 「……見た目はけっこう普通だよな」 俺はおそるおそる、ソテーしたキノコにフォークを刺した。 「大丈夫だってば。 美味しいよ?」 麻衣は平気な顔で、ぱくぱくとキノコを口に運んでいる。 「……」 「あのさ」 「ん?」 ここしばらく、ずっとずっと考えていたこと。 『姉さんに……俺たちのこと話すか?』そんな言葉が、喉まで出かかった。 「どうしたの?」 「いや……」 言いかけて、言葉を飲む。 姉さんに話して、その後どうなるんだろう?俺はただ、この罪悪感から解放されたいだけなんじゃないのか?「お兄ちゃん?」 「キノコ、あんまりおいしくなかった?」 「い、いや」 「けっこう美味いよ」 「そう。 ならいいけど」 ……なに考えてんだ、俺。 麻衣は、俺と一緒ならどんな罪でも背負うと言ってくれたのに……。 「お兄ちゃん、上の空だね」 「え?」 「……ごめん」 「またすぐ謝る」 「……お兄ちゃん、もしかして」 「わたしと付き合ったこと、後悔してるの……?」 麻衣はフォークを置き、俺をじっと見つめた。 「そんなわけないだろ」 はっきりと口にする。 「なんでいきなり、そんなこと聞くんだ?」 「……なんとなく」 「なんとなくって」 「……なんとなく、悲しそうな顔してるから」 ……。 悲しそう?俺が?「……わたしは、お兄ちゃんとこうなったこと、後悔してないよ」 「この先も、絶対に後悔しない自信ある」 「……でもね」 一瞬間を置き、言葉を探す。 「わたしと付き合ったことで、お兄ちゃんが悲しい思いをするなら……」 「それは絶対にイヤなの」 「……俺だって、麻衣と同じ気持ちだよ」 「麻衣が悲しい思いをするのは、嫌だ」 「……」 「わたしたち、同じ気持ちなんだよね」 「じゃあ……これから何があっても、わたしたち大丈夫だよね?」 切実な口調だった。 自分に言い聞かせるような、そんな口調だった。 「大丈夫」 「だから、そんな心配そうな顔すんな」 「……うん」 ほっとした表情で笑う。 「えへへ……パスタ冷めちゃったね」 「冷めても美味いよ」 「……」 「ほんと?」 「あ、ああ」 ……実は、微妙だった。 ただでさえクセの強いキノコの風味が、冷めたことでより際立った感がある。 味付け自体はそんなに悪くないのだが……。 「……口に合わなかったら、残してもいいよ?」 「いやいやいや」 「元気が出るようにって作ってくれたんだから、残さず食べるよ」 「……ありがとう、お兄ちゃん」 麻衣はにっこりと笑った。 良薬口に苦し。 そう割り切れば、食べられないこともない。 ……。 やはり、さっきのデスマーチは幻聴じゃなかったんだな……。 ……。 …………。 「はー、食った食った」 なんとかパスタを完食した。 最初は微妙な味だと思ったが、慣れてくると意外にイケた。 ……むしろ、クセになりそうな勢いかもしれない。 「どう?」 皿洗いを終えた麻衣が、俺の隣にちょこんと座った。 「どうって?」 「滋養強壮効果、実感できたかなあと思って」 「うーん、そう言われてみれば」 実際の効果云々というより、プラシーボ効果に近いものがあるかもしれないけど。 「……元気になってきた?」 自分の椅子を俺の椅子にくっつけ、至近距離で見つめてくる。 「……」 時計の秒針が、カチカチと鳴っている。 そういや、よく考えたら……。 よく考えなくても、今は二人っきりなんだよな。 「元気になった……かも」 「……」 「ふうん」 思わせぶりな目で、髪をいじっている。 「なんだよ」 「あ、そーいえば」 「精力増進の効果もあるかも~って、言ってた」 「……」 「嘘臭いなあ」 「えへへ、嘘かな。 やっぱり」 「ははは」 ……。 そんなこと言われたら。 思いっきり意識しちゃうじゃないか。 「……麻衣はどうなんだ?」 「なにが?」 「だから、その……」 「効果を実感できたのかなー、と」 「……」 意識的に、危うい方向へと会話を持っていってる。 どうやらその意図が、麻衣にも伝わったらしく……。 「……だんだん、実感してきたかも」 潤んだ瞳で、そう言った。 「……俺も」 「ほんとに?」 「ああ」 「じゃあ……」 「わたしが、確かめてあげる」 ゆっくりとつぶやきながら、麻衣は俺のベルトに手をかけた。 「……っ!」 「わ……」 おぼつかない手で、トランクスからペニスを取り出す麻衣。 既に俺のものは、どうしようもなくいきり立っていた。 「び、びっくりした」 「俺も」 「お兄ちゃんがびっくりしてどうするのよ……」 その通りだった。 麻衣はうっとりとした目で、そっと亀頭に指を這わせる。 「……うっ」 「あ、ごめんね。 痛かった?」 「いや……」 「あまりにも、気持ちよくて」 「ふふっ、そうなんだ」 悩ましい笑みを浮かべながら、裏スジをツーッと辿っていく。 麻衣のささやかな愛撫で、ビクンビクンと反応してしまうペニス。 さっきまで食事してたとこで、こんないやらしいことをするなんて……。 精力増進の効果を信じるわけじゃないけれど、いつも以上に興奮してる自分がいる。 「お兄ちゃん……」 「ん?」 「これ……舐めてみてもいい?」 「……!」 その言葉だけで、思わず果ててしまいそうになる。 「い、いいけど……」 「ほんと?」 「えへへ……嬉しいな」 そうつぶやいてから、麻衣は小さく舌を出して亀頭を舐め上げた。 「あぁっ……」 あたたかく濡れた舌が、先端で蠢いている。 唾液が亀頭を濡らし、蛍光灯の下でてらてらと輝いていた。 「ぺろっ……ちゅ……」 麻衣は跪いた格好で、上目遣いに俺を見た。 制服にエプロンという姿も、欲望を大いに煽っている。 「んっ……ちゅぱ、ぺちゃ……」 大好物のアイスを舐めるかのように、ぺろぺろと舌が動く。 唾液がこぼれ、麻衣のエプロンに染みを作っていく。 「……ちょっとしょっぱい……んっ」 興味津々な様子で、ペニスの反応を楽しむ麻衣。 その気まぐれな舌使いに、俺の腰はガクガクと震えていた。 「あ……大きくなった」 「麻衣の舌がいやらしいから……」 「……お兄ちゃんが興奮しすぎなの」 小さく笑ってから、今度は竿の部分に舌を移動させる。 「ちゅるるっ……ちゅぱっ」 唾液と先走りの汁が混ざり、フローリングの床にぽたぽたと垂れた。 ぬめぬめとした舌が根元から先端まで一気に駆け上り、全身の肌が粟立つ。 「はぁ……んっ……ちゅ……」 「はぅっ」 熱い吐息が亀頭にかかり、下腹部に電流のような刺激が走った。 「わ……もっと大きくなった」 「はむっ……」 麻衣は大きく口を開け、いきなり亀頭にかぶりついた。 「あっ」 熱くしたたる口内が亀頭を包み、思わず呻いてしまう。 「ちゅぱ、んぷ、ちゅっ」 口内に唾液をたっぷり溜め、小刻みに頭を動かしている。 まるで熱いガムシロップをかけられたような感覚だ。 「んじゅっ、ちゅるるる……んぷぅ」 唇の端から唾液がこぼれ落ち、竿を伝って根元へと流れていく。 俺は麻衣の頭を押さえ、めくるめく快感に酔いしれていた。 「んっ……くちゅ……れろ、ぺちゃ」 ともすれば性急な、麻衣の舌使い。 だが、俺を喜ばせようとする思いが痛いほど伝わってくる。 「ちゅるっ……じゅっ……んぅっ……くちゅっ」 唾液がペニス全体になじみ、かなり滑りがよくなってきた。 麻衣は勢いにまかせ、喉奥まで一気にペニスをくわえ込む。 「んんっ……じゅるるるっ」 「あぁっ、麻衣……っ」 喉の狭いところで亀頭が挟まれ、陰嚢がぷるぷると痙攣した。 「……わたひも、かんじてきひゃった」 ……わたしも、感じてきちゃった。 ペニスをくわえながら、麻衣は恥ずかしそうにつぶやく。 「……俺も、麻衣を気持ちよくさせてあげたい」 そう言って手を伸ばそうとすると、麻衣はふるふると首を振って制した。 「だめ、今はわたしが、お兄ちゃんを気持ちよくさせてあげたいの」 「でも……」 「……いいから」 麻衣は再びペニスにしゃぶりつき……。 自らの股間に、ゆっくりと手を伸ばした。 くちゅっ……「んはぅっ……!」 パンツの上から、割れ目を指でまさぐる麻衣。 腰はもじもじと円を描くように動いている。 「はぁっ……んちゅ……ちゅ……じゅぷっ」 股間をいじりながらも、口の動きを止めようとはしない。 丁寧にペニスをしゃぶり上げ、舌を動かしている。 その刺激的すぎる光景に、俺はごくりと唾液を飲み込んだ。 「麻衣、えっちだ……」 「……い、言わないでよぅ」 小さく俺を睨みながら、小刻みに指を上下させた。 くちゅ……ぐちゅ……ぬちゅ……「ふぁっ……んちゅちゅっ、じゅるっ」 俺のペニスと自らの股間を同時に愛撫しながら、なまめかしく喘ぐ麻衣。 いつもより積極的な姿に、もう下半身は爆発寸前だ。 「ひぁっ……ぺろ……ちゅぽぽっ……んふぅっ」 ペニスの根元まで一気に飲み込み、搾り上げるように唇をすぼめる。 口内の粘膜に亀頭がこすられ、トロトロと先走り汁が溢れるのが分かった。 「んひゃっ……ぺちゃ……んん、きもひいいっ……じゅぽっ」 少しずつ頭の動きが速くなり、それに合わせて俺も腰を動かす。 麻衣もかなり感じてきているらしく、陰部から湿っぽい音が漏れてきた。 「んんっ、んっ……あぁ、ちゅぱ……いいっ……あふぅっ」 「ああ、麻衣……可愛いよ……」 「んふ、も、もう、我慢できな……んちゅ、ちゅぱっ」 やがて麻衣は、慌ただしい手つきでスカートをまくり上げた。 そして自らのパンツに手をかけ、太腿まで引き下ろす。 「んっ……んはあぁっ!」 むき出しになった陰部に指をあてがい、くちゅくちゅと激しくこすり始めた。 「麻衣っ……」 「んっ……ごめんね、おにいちゃん」 「こんなにえっちな妹で、ごめんね……」 うっすらと瞳に涙を浮かべながら、それでも手を動かすことをやめない。 「麻衣、いいよ……もっと感じてくれ」 「んっ……ちゅぷぷっ、れろ……はうぅっ」 自分のあそこをいじりながら、ペニスをおいしそうにしゃぶる麻衣。 こんなに淫らな表情を見せるのは、俺にだけだ。 「あぁ、気持ちいい……あんっ、じゅぷぅ……ぺちゃ」 くちゅ……ぐちゅ……ちゅぷっ……陰部から漏れる音はますます大きくなり、床に愛液がとろりと流れ出る。 俺は激しく腰を動かし、麻衣の喉奥にペニスを突き立てた。 「んっ、んっ、ちゅぱっ……おいひいっ……ちゅぷぅっ」 腰の動きに合わせて、椅子がギシギシときしむ。 苦悶に顔を歪めながら、麻衣はどこまでも深くペニスをくわえていた。 「はぁっ、んんっ、れろ、むちゅ……はぁ、はぁ」 いつもフルートを奏でる唇が、今はこんなにいやらしいことに使われている……。 「うっ……気持ちいい……」 「わたひも、きもひいいっ……あぁ、んちゅ、むふぅっ」 麻衣は腰を高く突き上げ、陰部に深く指を突っ込んだ。 額には汗が浮かび、露わになった太腿はほのかなピンクに染まっている。 「あぁ、いいっ……ひぁ、じゅっ……はむ……んっ」 一定のリズムでペニスをしゃぶられ、だんだんと腰が快感に痺れてきた。 俺のものは限界まで膨れ上がり、麻衣の口内を圧迫している。 「うぁ、麻衣っ……」 「お、おにいちゃ……んちゅ、はぁ、あふ、はあぁっ」 麻衣も限界が近いのか、腰がビクビクと痙攣した。 俺は絶頂を迎えるべく、息を止めて小刻みに腰を揺り動かしていく。 「あぐっ、あぁ、も、もう、ちゅぱっ、いくっ、ああぁっ」 「お、俺も、もうっ……!」 「んぷぅ、あぁ、じゅるっ、はぁ……はぁ、ふあああああぁっ!」 ……びゅくっ! びゅっ! びゅくびゅくっ!「んぐううっ!?」 ……頭の中がホワイトアウトした瞬間、俺は全ての精を麻衣の口に放出した。 麻衣は目を見開き、溢れる精液を喉奥で受け止めている。 「んっ……んく……」 口端から白濁液がどろりと漏れ、麻衣のエプロンを白く汚した。 「はぁ……はぁ……」 「麻衣、大丈夫か……?」 予告無しに口内に射精してしまい、麻衣も驚いたようだった。 「んんっ……」 「ちゅぱっ」 ペニスをゆっくりと口から引き抜き、ぎゅっと目を閉じる。 「んく……んく……」 精液を嚥下しているのか、喉がこくこくと動いていた。 「んくっ……はぁ、はぁ……」 「お兄ちゃん、いっぱい出た……」 「す、すまん」 ぺこりと頭を下げると、麻衣は、小さく首を振った。 「ううん、嬉しいよ。 わたしのお口でこんなに感じてくれて……」 「えへへ」 にぱっと笑ってから、再び麻衣は亀頭を口に含む。 「うぉっ!?」 「んちゅ……ちゅぅ……」 敏感になった先端を吸い上げられ、椅子から滑り落ちそうになってしまう。 「あぁ、そ、そんなに吸ったらっ……」 「……中にお汁が残ってるから」 「ちゅ、ちゅるるっ……」 ゼリー状の粘膜が、限りなくソフトに亀頭を包む。 「んちゅ、ちゅっ……ちゅぱ」 ほじくるようにして、先端に舌を差し込んだ。 「うっ、あぁ……」 えも言われぬ刺激が股間を襲う。 少し強く亀頭を吸われ、くらくらと眩暈がした。 「んっ……ちゅるるっ……ちゅっ……」 唾液と精液で、グロスを塗ったようにてらてらと輝く唇。 度重なる刺激に、脱力したペニスが再びむくむくと頭をもたげてきた。 「む……んんっ……?」 「ま、また大きくなっちゃったよ?」 「だ、だって、麻衣が……」 だめだ、今射精したばかりなのに……。 ……。 「麻衣……」 「んん?」 「俺、麻衣にお返しがしたいんだけど」 「……お返し?」 「ああ……いいかな」 「え? え?」 ……だめだだめだ。 もう我慢できないっ……!「麻衣っ!」 「ふあああぁ、お兄ちゃん!?」 俺は椅子から立ち上がり、麻衣を抱えてダイニングテーブルに乗せた。 はやる気持ちをなんとか抑えながら、精液で汚れたエプロンを脱がしていく。 「わ、わわっ」 制服のリボンを取り、ボタンを外すと……。 ブラに包まれた小さな乳房が現れた。 「お、お兄ちゃん、ここで?」 「だめか?」 「だ、だめじゃないけど」 「こんなところで……恥ずかしいよ」 「でも……もう我慢できないんだ」 俺は麻衣の太腿を抱えながら、ブラ越しに乳房を揉み上げた。 「あぁっ……!」 既に麻衣の体は熱を持ち、ドクンドクンと激しい鼓動が伝わってくる。 肌はしっとりと湿り、ほんの少しだけ汗の匂いがした。 「あぁ、だめ……」 「さっき、いったばかりだから……体が敏感になってるよ……」 「……麻衣、自分の指でいっちゃったんだ」 「う……」 さっきまでの行為を思い出したのか、急激に顔が赤くなる。 「お、お兄ちゃんが気持ちよさそうな顔するから……」 「なんか……いろんなこと考えちゃって」 「どんなこと?」 「……」 「お兄ちゃんのが、わたしの中に……」 「入ってるのを……想像したりして」 「それで……気持ちよくなっちゃったのか?」 「うん……」 俺のペニスをしゃぶりながら、そんな妄想をしてたのか。 「も、もう……何を言わせるのっ……」 視線を逸らし、唇を尖らせる。 ……そんな姿が、たまらなく愛しい。 「ふぁ……あ……ひぁっ」 ブラの上から乳首をつまみ、少し力を入れて刺激してみる。 俺の愛撫ですぐに乳首は硬くなり、ぷっくりとブラを押し上げていた。 「あぁ、んっ……お、お兄ちゃん……」 「お願い、直に触って……?」 「……分かった」 俺は頷き、ブラを一気にたくし上げた。 「う……」 眼下に、麻衣のまあるい乳房が晒される。 乳首はツンと上を向き、桃色に充血していた。 「はあぁっ、んふぁ、はあっ……」 手のひらで右側の乳房を優しく包む。 しっとりと汗をかいたそれは、まるで水蜜桃のようにみずみずしく吸いついた。 「ふぁ、あ……気持ちいい……」 ゆっくりと全体を撫でると、麻衣の腰が小さく揺れる。 やはり全身が敏感になっているようで、ほんの少し触れただけでビクンと反応している。 「んぁ……あ……」 「お、お兄ちゃん、テーブルが……」 麻衣は自分の股間を見下ろしてから、俺を見上げた。 「どうした?」 「テーブルが、汚れちゃうよ……」 見ると、麻衣の愛液がぽたぽたとテーブルに垂れている。 「後で拭けば大丈夫だよ」 「そ、そうだけど……」 「やっぱり恥ずかしい……」 俺は構わず、両手でふたつの乳房を撫で回した。 「ひゃううっ、あぁ、くふぁ……」 柔肉はしだいに熱くなり、手の中で自由に形を変えていく。 「う……」 されるがままの麻衣を見ていたら、完全にペニスが復活していた。 赤く膨らんだ先端には、早くも透明な汁が滲んでいる。 「麻衣……」 「入れても……いいか?」 そう尋ねると、麻衣は小さく頷いた。 「いいよ……」 「お兄ちゃんが感じてる顔、もっと見たいから……」 「……」 顔が赤くなるのをごまかしながら、俺は自らのペニスに手を添えた。 麻衣の太腿を高く掲げ、蜜壺に先端をあてがう。 「あっ……」 ぬぷ、と音がして、亀頭が割れ目に沈む。 「ふぁんっ、あぁ、来てる……っ」 麻衣の肉襞を左右にかきわけながら、奥へと進んでいく。 少しずつ、少しずつ……「あぁ……お兄ちゃ……ん……お兄ちゃんっ」 真っ赤な顔で、俺を呼ぶ麻衣。 膣口をやっと通り抜けた亀頭は、麻衣の中へとどんどん深く潜っていく。 その度に、麻衣がため息を漏らした。 「……ぁふ……は……ぁ……はぁ……」 「くうぅ……熱いっ……」 とろけるような肉の渦に、みるみるとペニスが吸い込まれていく。 既に膣内は激しく収縮し、ペニス全体を愛撫し始めた。 「はぁん、あくぅ、あ、いいっ」 じゅぷっ、ぬぷぅっ! ぐちゅ……じゅぷうっ!「お兄ちゃんっ……もっと、来てっ……!」 ダイニングに響く、麻衣の甘い声。 二人の吐息が混ざり、天井へと消えていく。 「ふぅっ……ん……あぁ、すごいっ……ひぁっ」 膣内は相変わらず狭かったが、大量の愛液で滑りはスムーズだ。 俺は勢いよく腰を突き出し、亀頭を膣奥に到着させた。 「ひぁっ、あたってるっ……!」 麻衣が大きく息を吸い込んだ瞬間、内部がぎゅっと締めつけられる。 「あっ……」 「すごい、お兄ちゃんのっ……熱いよ……」 「わたしの中で、ピクピク動いてる……」 脚を大きく開き、陰唇を震わせながら囁く麻衣。 俺はそのまま、リズミカルに腰を動かしていく。 じゅぷっ……じゅっ! ぴちゅっ……ぐちゅうっ!麻衣の制服の下にある割れ目に、俺の剛直がじゅぷじゅぷと出入りしている光景。 ……かなり刺激的だ。 「ひぁ、はぁ、あ、はあんっ、ああぁっ」 結合部から、溜まっていた愛液がぴゅっぴゅとはじける。 もはやテーブルは、愛液にまみれてべたべたになっていた。 「あ、はうぅ、わたしの中、お兄ちゃんのでぱんぱんだよぉ……!」 じゅぷぅっ! ぬるうっ! じゅっ、ずぷぷっ!性器と性器のぶつかり合う音が聞こえ、さらに俺の鼻息も荒くなった。 「あっ、はああっ……はぁ、はぁ、んん……っ!」 ペニスには膣壁が絡みつき、ぎゅっと搾り上げて離さない。 このままだと、膣内と一緒に溶けて無くなってしまいそうだ。 「あぁ、すごく感じちゃう……あぁ、どうしようっ……」 麻衣は、頭を振って快感に耐えている。 「お兄ちゃん、気持ちいいっ……あぁ、あんっ」 「麻衣のあそこ、丸見えになってる」 「やぁっ、そんなに見られたらっ……もっと感じちゃうからっ……」 感度抜群の麻衣のあそこは、俺の理性を容易に狂わせる。 歯を食いしばり、テーブルが壊れそうなほど激しく腰を打ちつけていく。 「あぁ、あ、ひあぁ、そんなに強く、こすられたらっ……」 じゅぷっ!「あああっっ!?」 早く動くだけではなく、奥深くまで貫く。 「あぁ……や……っ」 少し涙目になる麻衣。 「す、すぐいっちゃうよ……お兄ちゃんっ……!」 ……麻衣と同じく、俺もかなりまずい状況だった。 頭の中が真っ白になり、油断すればすぐにでも果ててしまいそうだ。 「くぅ……!」 「あひぁ、うぁ、お兄ちゃんっ……はぁ、んくっ……!」 唇を噛みしめ、ただ闇雲に膣を貫く。 内部はさらにうねりを増し、容赦なく亀頭を締めつけた。 「ああぁっ、んっ、はうぅ、あふぅ、んんぁっ……!」 腰がズンと重くなり、視界がしだいに狭くなっていく。 最後の力を出し切るように、何度も何度も膣奥を目指した。 「お兄ちゃんっ……あぁ、わたし、もう、あぁ、あはぁっ」 「麻衣、俺と……一緒に……!」 「あぁ、お兄ちゃん、はぁ、はぁっ、ああ、いくっ……」 「ふああぁ、あああ、はふああああああっ……!」 「うぅっ……!」 びゅくっ! びゅくううっ! びゅっ!射精直前に膣からペニスを抜き、胸元を目がけて激しく欲望を放出した。 腰が爆発するような感覚と共に、大量の精液が乳房にまき散らされていく。 「ああぁっ……」 俺は膝から崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえ、快感の余韻に浸った。 「はぁっ……はぁ……あぁ……」 絶頂に達した麻衣は、荒い息を吐きながら俺を見上げていた。 胸元だけでなく、鎖骨や首にまでも白濁液が付着している。 「あぁ、はぁっ……熱い……」 「またいっぱい出ちゃったね……お兄ちゃん」 「うぅ……」 「ごめん、制服が汚れちゃったな……」 精液が飛びすぎて、制服のブラウスに白い染みができていた。 「うん……大丈夫」 「……」 「やっぱり、あのキノコの効果ってほんとだったのかな?」 俺の股間を見つめながら、麻衣はつぶやく。 二度目の射精を迎えたというのに、なぜかペニスはいきり立ったままだ。 「さあ……」 信じてやるのも、なんとなく悔しい。 「だってお兄ちゃんの、まだこんなにおっきい」 つんっ「うぁっ」 指で亀頭を突かれ、瞼の裏に火花が散る。 ……ホントに、俺のペニスはどうかしちゃったんじゃないのだろうか。 何度果てても、飽くことなく麻衣を求め続けている。 「このまま収まらなかったら、どうなるのかな……?」 「……」 「ちょっと、困るな」 「……困る、よね?」 「うん……」 「……」 なにやら麻衣は、真剣に悩み始めてしまった。 「……じゃあ、お兄ちゃん」 「ん?」 麻衣は体を起こし、テーブルから降りて、「こっちに、来て……」 俺をリビングに誘った。 「……」 引き寄せられるように、その後をついていく。 「……麻衣?」 リビングにつくと、麻衣は俺の腕を引っ張ってソファーに座らせる。 「えへへ」 「お兄ちゃん……このまま収まらないの、辛いでしょ?」 そう言いながら、俺のシャツをめくりあげていった。 「だから……今度はわたしが、お兄ちゃんにしてあげたいの」 「え……」 「んしょ……」 麻衣はソファーに上がり、俺の上にまたがる。 意外な行動に、俺はなすがままになっていた。 「は、恥ずかしいね、この格好」 「そうだな……」 「でも、眺めはいいよ」 「もう……」 小さく舌を出してから、クスリと笑う。 「うまくできるか分からないけど……」 「お兄ちゃんのために、がんばるね」 「あ、ああ……」 麻衣は恥じらいながら、俺のペニスを握って自らの陰部に押し当てた。 「あ、あれ……?」 懸命に陰部に入れようとするが、なかなかうまく入らない。 「ど、どこに入れるのかな……?」 「……」 場所を指示しようとしたが、困ってる麻衣がかわいくて、ついそのままにしてしまう。 「えいっ、えいっ」 ぬちゃ……ぺちゃっ……亀頭と陰部がこすれ合い、卑猥な音が漏れる。 「あっ……んんっ……」 どうやら、ペニスがあたって気持ち良くなってしまったらしい。 熱い吐息を漏らしながら、陰唇に亀頭を押しつけている。 「麻衣、どうした?」 「な、何でもない……」 「待ってね、今入れる……から……」 そう言いながらも、ペニスの先端をクリトリスに押しつけている麻衣。 コリコリした突起があたり、俺の下腹部がカッと熱くなる。 「んっ……あぁっ……」 やがて亀頭がつるりと滑り、膣口にぴたりと収まった。 「ふわぁっ! あひ、ああぁっ」 「そう……そこに入れるんだ」 「はぁ……はぁ……うん……」 左右に開いた陰唇の中央に、俺の先端が食い込む。 麻衣は体勢を整え、ゆっくりと腰を沈めていった。 「ひあああぁっ!」 ぬちゅっ……ぬぷぷぷぷっ……麻衣の体重が腰にかかり、少しずつペニスが埋まっていく。 「ふわぁっ、な、なんか、入ってるのが分かるよっ……」 膣道は戸惑ったように震え、竿部分をゆっくりと締め上げた。 「そうだ……上手だぞ、麻衣」 「う……恥ずかしいけど、気持ちいい……よ」 この体勢に慣れてきたのか、麻衣は思いきり腰を落とした。 「はあぁっ! ああ、んはぁっ……!」 熱い肉に包まれ、つま先がジリジリと痺れる。 亀頭が最深部に辿り着いたと思うと、麻衣は激しく腰を上下し始めた。 「わぁっ……あぁ……!」 「ふぁ、あぁ、んはぁっ! はううぁっ……!」 狂ったように腰を振られ、俺は思わずソファーの肘掛けを掴んだ。 「麻衣っ、もうちょっとゆっくり……」 「う、うんっ……でも、止まらないよぉっ……!」 「だ、だめだ、このままだと……っ」 容赦のない動きに、俺の股間は悲鳴をあげた。 まずい……このままだと、すぐに達してしまう……!「ひゃうううっ!?」 俺は麻衣の背後に手を回し、お尻の割れ目に指を這わせた。 汗で濡れた丸いお尻は、腰の動きに合わせてぷるぷると揺れている。 「あん、だめっ……そこは、やんっ……!」 さっきまで暴れていた麻衣は、お尻の間を触られると急に大人しくなった。 「ここ……ヒクヒクしてる」 お尻の割れ目に指を挟み、小さな蕾をいじる。 「ふあぁっ! だ、だめぇっ!」 麻衣は弾かれたように体を起こし、きゅっとお尻を締めた。 「そ、そこは、まだわたしには、早いよっ……」 「大丈夫、ちょっといじるだけ」 「え、でも……」 「んひゃうううっ!」 再び、人差し指で肛門を刺激した。 やはり刺激が強かったのか、膣内が混乱したように騒がしく収縮する。 「……やばい……また締まる」 「お兄ちゃんが、そんなところいじるからっ……」 「あそこがヘンになっちゃうよぉ……!」 麻衣は俺の胸元を掴み、縦横無尽に腰を動かした。 ぬるぅぅっ……じゅぶうっ!ペニスが抜ける寸前まで腰を引いたかと思うと、一気に奥まで下ろす。 あまりに激しすぎる刺激に、俺は我を忘れそうになった。 「んんっ、この格好だと、すっごく深く入るよっ……」 ぎしっ、ぎしっ、とソファのスプリングが鳴る。 「あぁ……んくっ、はぁ、はぁ……」 「気持ち良すぎて、怖いよ……お兄ちゃん……あぁ……っ」 「……もっと気持ち良くなっていいんだぞ」 そう囁くと、麻衣はさらに容赦なくペニスを締め上げた。 「んぐっ……!」 「はぁ、あ、んはぁ、はううっ、あ、あああぁ」 麻衣はもう、自分自身をコントロールできないらしい。 口端からよだれを流し、乳房を揺さぶりながら悲鳴のような声をあげている。 じゅぷうっ……ぬぷぅ、ぢゅぷっ!俺もなんとか腰を突き上げ、麻衣の膣内をペニスでかき回した。 「あふぁ、動いてるっ……あ、お兄ちゃんのっ、あああぁっ」 涙を流しながら俺に抱きつき、乳房を押しつけてくる。 「ふああぁ、お兄ちゃんっ、好き、ああぁ、好きっ」 「俺も、好きだ……麻衣……っ」 きつく抱き合うと、さらに性器の密着度が高まった。 まるで獣のように腰を押しつけ合い、快楽の海に溺れていく。 じゅぷっ! じゅぷっ! ぬぷうっ! ぐちゅうっ! じゅぷうっ!もうなにも、考えることができない。 「あぁ、お兄ちゃんっ……また、来ちゃうよぉ……!」 俺の下腹部にクリトリスを押しつけるようにして、麻衣は叫んだ。 上に乗ってる二人の激しい動きに、ぎしっぎしっとソファが悲鳴を上げる。 「あん、はあぁ、あ、ひゃぁ、ああああっ……んはあぁっ」 「う……麻衣っ……」 「お兄ちゃん、ああぁ、好き、ふああぁ、んくうっ、あぁ、あああっ」 俺は麻衣のお尻をぎゅっと掴み、叩きつけるように股間を突き上げた。 「ああっ、あああっ、も、もう、あっ、ああっ……くぅんっ、はぁあっ!」 じゅっ、じゅぷうっ!「ふわぁ、んはぁ、あ、来てっ……あぁ、中にっ……!」 俺の下半身がぶるぶると痙攣する。 「ああっ、あっ、ああっ、あ……も、もうっ、だ、だめっ、だめぇっ!」 その瞬間、全ての景色の色が消滅した。 「ああっ、はぁっ、んんっ、あぁっ、はああっ、んくっ、ぅあああっ」 「あぁっ、いくっ……!」 「ああぁ、わたしも……んはぁ、ああああ、ふわああああぁあぁっ!」 ……びゅくくっ! びゅくっ! びゅるるるっ!亀頭が膣奥に届いた瞬間、残りの精が全て迸った。 全身から力が抜け、そのままぐったりとソファーに沈んでいく。 「はあぁ、はぁ……ふあぁ……」 麻衣も魂が抜けたような様子で、俺にぐったりと体重を預けてきた。 「はぁ……あぁ……麻衣……」 絶頂に達したばかりの陰部は、しばらくびくびくと痙攣していた。 「はぁ、はぁっ……ふあぁ……お兄ちゃん……」 三度の射精で、さすがの俺のペニスもようやく沈静化し始める。 「あ……収まってきた……かな?」 「うーん、そうみたいだな」 「……よかったね」 「一生おっきくなったままだったら、お兄ちゃん変態扱いされちゃう」 「……」 それは、限りなく嫌な想像だった。 「ありがとう、麻衣」 髪を撫でながら言うと、麻衣は子犬のような笑顔を浮かべる。 「えへへ」 「わたしこそありがと。 お兄ちゃん」 「なんで?」 「……だって、すっごく気持ちよくしてもらったから」 「わたし……」 「お兄ちゃんが、お兄ちゃんで良かった」 そう言って、麻衣は俺の胸にしがみつく。 ……。 「俺も、麻衣が妹で良かった」 「麻衣と一緒に暮らしてない生活なんて、想像できないよ」 「お兄ちゃん……」 きゅっと、麻衣が俺を抱き締める手に力を込めた。 俺も麻衣を……世界一大切なもののように、抱きしめた。 ……。 …………。 「……あ」 「どうした?」 「ダイニングテーブル、ちゃんとキレイにしとかなきゃ」 「もう、ご飯食べるところであんなことしちゃ駄目なんだからねっ」 ……。 そもそもの発端は、麻衣が妙なキノコを買ってきたからだと思うが……。 なんてことは、怒られそうだから口にしないでおく。 「……じゃ、抜くからね」 「ああ」 麻衣は少しずつ腰を引き、俺から離れていった。 ペニスが完全に抜けると、ぬぷっという音と共に……。 大量の精液が、ソファーにこぼれる。 「あ」 「あ!」 「たたたた、たいへんっ。 染みになっちゃうよぉ~っ」 「……」 「仕方無い。 これはカルボのよだれということで……」 「カルボのせいにしちゃだめっ」 麻衣は半裸姿のまま立ち上がり、俺の腕を引っ張った。 「お兄ちゃん、早く、ぞうきん!」 「は、はいっ」 腕を引っ張られた俺は、そのままソファーから転がり落ち……。 トランクスを引き上げながら、洗面所に走ることを余儀なくされたのだった。 ……。 …………。 ……その夜。 午後11時を過ぎても、まだ姉さんたちは帰ってこなかった。 当然、帰ってくるまで起きているつもりだったが、妙に眠くて仕方無い。 まあ、さっきは麻衣と三回もあんなことをしてしまったのだから……。 眠くなるのも、無理はない話だ。 コンコン「……」 窓の向こうで音がする。 俺は立ち上がり、ゆっくりと窓を開けた。 「こんばんはー」 向かいの窓には、例によって菜月が身を乗り出している。 「……どうした?」 「わ、不機嫌」 「不機嫌ってわけじゃないけど、ちょっとウトウトしてた」 「あ、そうだったんだ。 ごめんね」 「いや、いいけど……」 「夏休みの宿題なら、他をあたってくれ」 当てずっぽうでそう言うと、菜月はこれ以上ないというぐらい目を見開いた。 「……図星?」 「ビンゴ」 「すごいねー。 さすがだな、達哉」 ……そんなんで褒められても、あまり嬉しくない。 「実はさ、数学でどうしても分からないところがあって」 「数学か……」 「一応終わってはいるけど、あんまり自信ないんだよな」 「わ、すごい。 本当に終わってるんだ」 「じゃあさ、とりあえず答え合わせだけさせてくれない?」 「この時間からかぁ」 俺は肩をすくめ、ため息をついた。 ……と、その時。 コンコン「……!」 誰かが、俺の部屋のドアをノックした。 誰かって、この時間に家にいるのは麻衣しかいない。 「……ん? 誰?」 俺は大慌てで机の引き出しを漁り、数学のノートを取り出した。 「こ、これ、渡しとくから!」 「え?」 「きゃ、きゃあっ」 俺は狙いを定め、菜月の部屋にノートを放り投げる。 「それ、適当に参考にして」 「じゃあなっ」 「あ、達哉っ」 がらがらがらっばたんっ慌てて窓を閉めると同時に、今度は部屋のドアが開いた。 「お兄ちゃん?」 「……麻衣」 ゆっくりと部屋に入ってきたのは、案の定麻衣だった。 菜月には後で謝っておこう。 「今、誰かと話してなかった?」 「あ、ああ」 「その……菜月と」 「ふうん」 「そんなに慌てて窓閉めなくてもいいのに」 「……」 そう言われてみれば、そうだった。 別に、麻衣が来たのを菜月に知られたからって、なんら怪しいことはない。 なのに……。 なぜか、体が反応してしまったのだ。 「……」 「そーいや、麻衣は何か用事か?」 そう尋ねると、麻衣は無言のまま俺のもとに近寄ってきた。 「用がなきゃ、来ちゃいけない?」 「いや、そういうわけじゃないけど」 「俺の部屋に来るなんて、珍しいなと思ったから」 「……」 「普段は、あんまり来ないようにしてるんだよ」 ……。 麻衣は笑顔を作ったが、どことなく寂しそうだった。 「ごめん、愚問だった」 「みんなから変に思われないように、気を遣ってくれたんだよな」 「……うーん」 「まあ、そういうことかな」 にっこり笑ってから、俺の布団の中に潜り込む。 「お、おい」 「……ちょっとだけだよ」 「昔みたいに、ちょっとだけ添い寝してもらいたかったの」 「……」 麻衣は毛布にくるまり、隣に来るよう合図した。 俺はしばらく考えてから、そっと麻衣の隣に体を横たえる。 「えへへ」 「……みんなが帰ってくるまでだぞ」 「うん、分かってる」 頷いてから、麻衣は俺の肩に頭を乗せた。 ……あたたかい息が、俺の頬にかかる。 麻衣の前髪が、俺の鼻をくすぐる。 懐かしい……とても懐かしい感触。 「……思い出した」 「確かに昔、よくこうやって一緒に寝たよな」 「うん、五年前くらいまでかな?」 「それ以降は、なぜかぱったり無くなっちゃったけど」 「……」 「何で無くなったんだろう」 理由が思い出せない。 「……そんなの、決まってるじゃない」 「わたしが、お兄ちゃんのこと好きになっちゃったからだよ」 「……えっ」 「男の人として好きになっちゃったら、こうして一緒に寝られないでしょ?」 麻衣は、俺の横顔を見つめながらつぶやいた。 ……そうだったのか。 麻衣が密かにそんなことを考えてたなんて、知らなかった。 「……ごめん」 「もう、また謝る」 「そんな昔のことはもういいの」 「今、こうしてお兄ちゃんと一緒にいられるんだから……」 「……」 俺は麻衣のほうに体を向け、腕を伸ばした。 「はい、腕枕」 「……え、いいの?」 「いいもなにも、これぐらいお安いご用だ」 そう言うと、麻衣はにぱっと笑って腕の中に転がり込んできた。 「やったー。 今日はスペシャルだね」 「……なんて安上がりな」 俺は苦笑した。 安上がりで、可愛くて、たまに甘えん坊で、たまに泣き虫になる麻衣。 そんな麻衣が……俺は大好きなんだ。 「お兄ちゃん……好き」 麻衣は目を閉じ、寝言ともつかぬような声でつぶやいた。 俺はそんな麻衣の髪を撫でながら、天井を見上げる。 大好きだよ。 麻衣……。 ……。 …………。 「……ちゃん、お兄ちゃん」 ……目を開けると、まぶしい光が世界に広がった。 誰かが、俺を呼びながら体にしがみついてきている。 ……夢?「お兄ちゃん……えへへ」 肩が重い。 ちょうど人間の頭くらいの重さが、俺の肩に乗っているような……。 ……。 …………。 「ん?」 俺は目をこすりながら、隣を見た。 するとそこには……。 「ん? ……あれぇ?」 俺に腕枕された、麻衣がいる。 今起きたばかりなのか、寝ぼけ眼だ。 「……」 「……おはよ」 「おはよう……」 ……。 なぜ麻衣がここにいるのか、すぐには理由が分からなかった。 確か昨夜、麻衣が部屋に来て……。 なんとなく腕枕をして……。 なんとなく目を閉じて……。 ……?「……おはようのキス~」 ちゅっ麻衣は俺に抱きつき、キスをしてきた。 「こらこら……」 かなり寝ぼけているらしく、何度も何度もキスを繰り返す。 「……お兄ちゃん、好きー」 ちゅっちゅっちゅっ「甘えん坊だなあ……」 コンコン「……」 なんか、物音が聞こえたような……。 「お兄ちゃーん……」 ちゅっコンコン「……っ!」 「達哉さん、起きてますー?」 ばたんっ「……!」 「……!」 ……。 …………。 麻衣がキスしたのと、ミアがドアを開けたのは同じタイミングだった。 意識が、遠ざかるような感覚。 いや……本当に意識が遠ざかってくれたら、どんなに楽だったろう。 「えと……」 「あれ?」 「あっ……!」 我に返った麻衣は、とっさに俺から離れたが……。 もう遅い。 部屋に入ってきたのは、ミアとフィーナ。 俺と……俺に腕枕をされている麻衣を見て、言葉を失っている。 「……」 「これは……」 「ち、違うの!」 麻衣は、ベッドから飛び降りた。 「これは、違うの」 「お兄ちゃんは悪くないの」 「わたしが、勝手に……」 「……麻衣」 「わたしが……勝手に……」 「麻衣、もういいから……」 俺もベッドから立ち上がり、小さく震える麻衣の腕を掴んだ。 「……」 「……」 二人は顔を見合わせてから、再び俺たちを見る。 当然のように、ごまかせる雰囲気ではない。 ……迂闊だった。 ……。 だけど。 いつかこんな日が来るんじゃないかと、心のどこかで思っていたのかもしれない……。 「……達哉」 「……ん?」 「あなた方は、兄妹なのよね?」 「……」 「イエスでもあり、ノーでもあるかな」 俺はフィーナを真っ正面から見つめた。 もう、言い逃れはできない。 なによりも、この凛とした美しい瞳で見つめられたら……。 嘘を突き通すことは不可能なのだ。 「……わたしは」 「あなた方の問題に、土足で立ち入るつもりはないの」 「ああ」 「だけど……もし達哉が、私たちに話してくれる気があるのなら」 「その時は、ちゃんと受け入れたいと思うわ」 「……」 「ありがとう、フィーナ」 「……麻衣」 「え?」 「もう、俺たちのこと話していいよな?」 「……」 「うん」 麻衣は少し迷っていた様子だったが……。 やがて、はっきりと頷いた。 ……。 …………。 ……それから、俺たちは。 フィーナとミアに、全てを打ち明けた。 麻衣の両親が、幼い頃に亡くなったこと。 その後、朝霧家に引き取られてきたこと。 「みんなの前では本当の兄妹として振る舞おう」 と約束したこと。 ……。 だけどいつしか、お互いが恋愛感情を持ってしまったこと……。 ……話を聞き終わると、ミアは目を見開いて驚いた。 「驚いた……かな」 「はい、とてもっ」 正直にミアは言う。 「ですが、お二人が本当の兄妹ではないのなら……」 「惹かれ合ってしまうのも、無理はない話だと思います」 「……」 「……」 意外な反応だった。 どちらかというと、もっとネガティブな反応を示されるかと思っていたのに。 「……」 「このことは、さやかは知っているの?」 「……いや」 核心に迫る問いに、俺はかぶりを振る。 「そう……」 「どうして言わないのかしら?」 「それは……」 うまく言葉で言い表せない。 もう何年も、本当の兄妹だと偽ってきた。 それを今更、どんな顔で覆せる?ましてや、「恋人同士になりました」 だなんてことは……。 ……。 絶対に、言えやしない。 「……達哉たちが悩むのも、分からないではないわ」 「だけど……」 フィーナは少しためらってから、言葉を続けた。 「隠している時間が長ければ長いほど、さやかは傷つくでしょうね」 「……」 「でも、このまま隠し通すことができれば……」 その方が、姉さんは傷つかずに済む。 「……」 「では、逆に聞くけれど」 「あなた方は、一生自分たちのことを隠し通す覚悟はあったの?」 ……。 俺も麻衣も、答えられなかった。 覚悟はあった、と思う。 でもその一方で……。 この罪悪感から、逃れたいとも思っていた。 はっきりとした答えが出せないまま、俺は中途半端な場所で足踏みをしていたのだ。 「……俺は、姉さんを傷つけたくない」 「だけど、今のままだと姉さんを裏切っている気がして……」 「答えを選択するのは、貴方たち自身よ」 「……」 「私たちは、このことは誰にも話さないわ」 「誰かに話すとしたら、それはあなた方がしなければならないことですもの」 フィーナの言葉に、ミアも頷いた。 ……俺たち自身が、選択しなければならない答え。 俺たち自身が、話さなければならない事実。 ……頭では、理解できるのに。 どうして俺は、素直にフィーナの言葉を受け入れることができないのだろう。 「そろそろ下に行かなければ、さやかが不自然に思うわ」 フィーナが立ち上がった。 「……これだけは、覚えていてほしいのだけど」 「私たちは、あなた方家族を愛しているの」 「あなた方に幸せになってほしいから……よく考えて、答えを出して」 「……分かった」 きっと……すぐには答えは出ない。 だけど、フィーナのその言葉が。 その言葉が……。 俺の胸に、じんと染み入った。 ……。 …………。 「あら、おはよう、二人とも」 「お、おはよう、姉さん」 「……」 「おはよう、お姉ちゃん」 ……フィーナたちに俺たちのことを打ち明けてから、数分後。 俺と麻衣は、二人そろって一階に下りていった。 「おはようございます」 「おはよう」 ミアとフィーナは、いつも通りてきぱきと朝食の準備をしている。 ……まるで、何事もなかったかのような様子だ。 「昨夜は、帰りが遅くてごめんなさいね」 「もしかして、ずっと待っていてくれたのかしら?」 「……」 「あ、いや……昨日は早くに寝ちゃったから」 「そう、それならよかったわ」 姉さんはにっこりと微笑んでから、慌ただしく立ち上がった。 「まあ、もうこんな時間」 「姉さん、仕事?」 「ええ、もうすぐ展示会があるから早めに行かないといけないのよ」 「……今日も、帰りは遅いの?」 「そうねえ……」 「まあ、みんなのがんばり次第ってとこかしらね」 「……」 「お姉ちゃん」 ……。 それまでずっと黙ってた麻衣が、大きな声で姉さんを呼んだ。 「どうしたの? 麻衣ちゃん」 「あ、え、えっと……」 「何でもない」 「何でもないけど……」 「?」 「……」 「たまには、早く帰ってきて」 そう言って、俯いてしまう。 「……」 麻衣の戸惑いが、俺にも伝わってくる。 何かを言わなきゃいけないような気がして……。 でも、何も言えなくて。 自分自身が、歯痒くて仕方無いのだ。 きっと。 「……」 「分かったわ、今夜は早めに帰ります」 「ほ、ほんと?」 「ええ、たまに早く帰っても、バチは当たらないわ」 「……」 「さやか、そろそろ時間よ」 「あら、そうでした」 姉さんは弾かれたように動き、近くにあったバッグを取った。 「それでは、行ってきますね」 「……行ってらっしゃい」 みんなの挨拶を聞き届けてから、姉さんは家を出て行った。 ドアがばたんと閉じた瞬間、家の中に沈黙が訪れる。 ……。 「……ミア」 「は、はい、姫さま」 「私たちも、出かける準備をしましょう」 「……」 「かしこまりました」 「え……どっか行くの?」 「はい。 本日も大使館の方へ」 ……。 フィーナたちが大使館に行く日は、だいたい帰りが遅くなる。 そうなると……。 今夜は、俺と姉さんと麻衣の、三人になる。 ……。 「麻衣……」 「……」 「うん」 ……言葉に出さなくても、きっと麻衣も分かっている。 なぜかは分からないけど。 このタイミングを逃したら、二度と姉さんに打ち明けられない気がした。 今日という日を逃したら……。 俺たちは一生、貝のように口を閉ざすだろう。 「……達哉さん」 「ん?」 「わたしたちの帰りは、恐らく10時頃になると思います」 「……」 「分かった」 「ありがとう、ミア」 「いえ……」 「……ありがとう、フィーナ」 「……」 フィーナは小さく微笑んでから、洗面所へと歩いていった。 ……。 今俺の選んだ選択が、本当に正しいのかどうかは分からない。 だけど……。 後悔だけは、しないように。 そう願うことしか、俺にはできなかった。 ……。 …………。 ……その夜。 俺と麻衣は、二人で姉さんの帰りを待っていた。 「……」 「……」 二人で話し合わなきゃいけないことは、たくさんあるはずなのに。 なぜかお互い、口数は少なかった。 ……。 「お、お兄ちゃん」 唐突に、麻衣が口を開く。 「……え?」 「……」 「わたし……まだ迷ってるのかもしれない」 「本当に、お姉ちゃんに打ち明けてもいいのかな」 「本当のこと知ったら、お姉ちゃんきっと……」 「麻衣……」 麻衣の不安は、俺の不安だ。 この期に及んで、まだ迷ってる。 だけど……。 ……。 ばたんっ「ただいまー」 「……っ」 姉さんが帰ってきたのは、ちょうどその時だった。 ぱたぱたと廊下を走る音。 やがて、満面の笑顔の姉さんがリビングに入ってくる。 「……お帰り、姉さん」 「じゃーん、どう?」 「……どうって?」 「ふふっ、ちゃんと早く帰ってきたでしょ?」 褒めてくれ、と言わんばかりの表情だ。 「……ありがとう」 「どういたしまして」 「なんてね、お礼を言わなきゃいけないのはこっちの方よ」 「いつも待っていてくれて、どうもありがとう」 そう言って、姉さんは律儀に頭を下げる。 「……いいから」 「頭なんて下げなくていいから、ここ座って」 「ねえ、二人とも、お腹空かない?」 「たまには三人で、焼肉でも食べに行く?」 「……姉さん」 「え?」 ……。 やがて、俺たちのただならぬ様子を見て取った姉さんは……。 そのまま無言で、ソファーに座った。 「……」 「やだ、どうしたのよ二人とも」 「……話があるんだ」 「話?」 俺と麻衣の顔を交互に見ながら、首を傾げる。 「大事な話なの?」 「……ああ」 「俺と、麻衣の話」 「ずっとずっと、姉さんに黙ってた……」 「……?」 不安で手が震える。 でも……。 もう後には引き返せないんだ。 ……。 「……」 ……話を聞き終わった姉さんは、しばらく放心状態だった。 何度も俺と麻衣の顔を見て、俯いて、ため息をついて。 そして再び、ぼんやりと宙を見つめる。 さっきからずっと、その繰り返しだ。 「姉さん……ごめん」 「俺たち、姉さんを騙すつもりはなかったんだ。 でも」 「私には、よく分からないの」 それまで黙っていた姉さんが、突然俺の言葉を遮った。 「あなたたちは、兄妹なんでしょう……?」 「……」 「違う」 「兄妹のフリをしていただけなんだ」 「姉さんがうちに来る前から、そう麻衣と約束していたんだ」 「……」 「だったら……どうして好きあっちゃったのかしら」 「……」 「……それは」 ……言葉が見つからない。 時計の秒針だけが、カチカチと響いている。 「……」 「……」 「……」 ……沈黙が重い。 何かを話せば話そうとするほど、言葉の真実味を失うような気がする。 それは麻衣も同じ気持ちらしく、じっと俯いてスカートを握りしめている。 ……。 「……」 「私は……」 「もし最初から全てを知っていれば……」 「素直にあなたたちのことを、祝福できたかもしれない」 「……」 「……うん」 「だけど……私は何も知らなくて」 「一人で、家族を築いた気になって……」 「……」 「本当は、そうじゃなかった」 ……違う。 俺たちは家族だ。 そう言いたかった。 でも……。 今まで姉さんを騙してきた俺には、否定する権利もないような気がして。 ……なにも言えなかった。 「……」 「……どうして、私に隠していたのかしら」 「どうして……教えてくれなかったのかしら」 「……」 「……」 「……」 いつもは賑やかなリビングが、重苦しい空気に包まれている。 秒針の音が、やけに耳障りだった。 ……。 時計は10時を示していた。 ……いつの間に、こんなに時間が経ってしまったんだろう。 なにも分かりあえないまま、ただいたずらに時だけが過ぎて……。 ……。 「……」 「そろそろ、夕飯の支度をしないと……」 姉さんは、ゆっくりと立ち上がった。 「ちょっと待って、姉さ……」 「ごめんなさい」 「今は、気持ちの整理がつかないの」 「……」 「……もう少しだけ、時間をくれるかしら」 「……」 「うん……分かった」 ……。 今はただ、そう答えるしかなかった。 ……。 …………。 夕飯は、正直、何の味もしなかった。 「……」 「……」 「……」 食器の音だけが、辺りに響いている。 「……」 「……」 俺たちの様子を察知したフィーナとミアも、ほとんど言葉を発しなかった。 ただただ気まずい時間だけが、通り過ぎていく……。 ……。 「……」 「では……わたしたちはそろそろ寝ますね」 早々と夕食を食べ終え、フィーナとミアは立ち上がった。 「……」 「……さやか?」 「えっ?」 「……あ、ああ、お休みなさい」 「お休みなさい」 「……お休みなさいませ」 ……。 …………。 二人がいなくなった後……。 俺と麻衣と姉さんの、三人が残された。 「……」 「……」 ……。 駄目だ。 会話できる空気じゃない。 でも、こんな空気を作ってしまったのは……。 他でもない、この俺自身なのだ。 「……」 「……じゃあ、私もそろそろ寝るわ」 「あ、うん……」 姉さんは食器を持って立ち上がった。 すると、その瞬間──「あっ……」 ぐらり、と姉さんの体が揺らいだ。 「危なっ……」 「お、お姉ちゃんっ!?」 俺は反射的に立ち上がり、姉さんの体を抱き留めた。 ……。 「……あら」 「姉さん……大丈夫?」 「……ええ、大丈夫よ」 そう言いながらも、俺の腕に寄りかかる姉さんの顔は真っ青で……。 驚くほど、軽かった。 「……ごめんなさい」 「お姉ちゃん……」 「……」 「あなたたちも、早く寝なさい」 肩を貸そうとする俺を制し、姉さんはゆっくりと歩き出した。 まるで、俺たちを拒否するみたいに──背を向けて、二階へと上がっていった。 ……。 …………。 ……翌朝。 目覚めると、姉さんはいなかった。 たぶん、誰よりも早く起きて仕事に行ったのだと思うけど……。 「……」 「……」 今日は、二人きりの朝食。 ミアもフィーナも、朝食もそこそこに大使館へと出かけてしまった。 「お姉ちゃん、わたしたちのこと避けてるのかな」 「……」 「そんな心配するなって」 「展示会があるから、早く仕事に行かなきゃいけないって言ってたじゃないか」 「そうだけど……」 麻衣の目は真っ赤だ。 恐らく、俺と同じで……昨夜はほとんど眠れなかったのだろう。 「……大丈夫か?」 「え?」 「わたし?」 「ああ」 そう頷くと、麻衣は大げさに手を振った。 「ぜんぜん大丈夫、昨日もぐっすり寝たしね」 ……嘘つき。 だけど、あえて突っ込まなかった。 「……」 「これから、わたしたちどうなるのかな」 「どうなるって?」 「だから……」 「今まで通り、普通に暮らせるのかな……って」 「暮らせるさ」 俺は即答した。 「そりゃあ、姉さんのことは、ちょっと時間かかるかもしれないけど……」 「いつかきっと、分かってくれる」 「……そう、かな」 「そうだよ」 「だって俺たちは、家族なんだから」 「……」 ……。 麻衣は、じっと俯いた。 「なんとか言ってくれよ」 「……ごめん」 「わたしもお兄ちゃんみたいに、しっかりしなきゃいけないんだけど」 「……なんか、ちょっと混乱してて」 「あはは……」 「……」 ……なんで、そんなふうに無理に笑顔を作るんだろう。 そんな麻衣が見たくて、ここまでやってきたわけじゃないのに。 ……。 今夜、もう一度姉さんと話してみよう。 一晩経った今なら、たぶん昨日よりは冷静に話せるはず。 麻衣の悲しそうな笑顔を見て、俺は強くそう思った。 ……。 …………。 がっしゃーんっ「あ……」 何かが割れる音がして、俺は我に返った。 「達哉君、何やってるんだっ」 「……」 「あ、す、すみません!」 床を見ると、パスタ用の皿がこっぱみじんに砕けている。 ……俺が落としたのか?「おいタツ、大丈夫か?」 厨房から、おやっさんが顔を出す。 「すみません……弁償します」 「そんなのいいんだよ」 「それより、もうちょっと気合い入れろ」 「……はい」 一礼してから、すぐに皿の破片を拾い集める。 「……いてっ」 「こらこら、素手で拾うなんて君は素人か」 そう言って、ホウキとチリトリを差し出す仁さん。 ……。 ……本当だ。 普段なら、こんなミス絶対にしないのに。 「達哉、大丈夫?」 近くでクローズ作業をしていた菜月が、手を止めて俺に声をかけた。 「……大丈夫大丈夫」 「そうかなあ?」 「今日、一日中ボーッとしてたじゃない」 「え……」 ぜんぜん気づかなかった。 いつも通り、頑張ってたつもりなのに。 ……。 「……」 「まあ、人間誰でも失敗はあるさ」 「僕はないけどね」 「昨日、シナモンと間違えてコショウをアップルパイに入れてたのは誰?」 「……変なところで記憶力を発揮するなあ」 「記憶力の高さと料理の腕は、比例しないものなのか……」 すぱこーんっ「うひゃぶっ」 「……」 定石通りのコントだ。 「よーし、そろそろ夕食の準備するぞ」 「はーい」 おやっさんの合図で、俺たちは一斉にテーブルを移動させた。 「今日は何人だっけ?」 「えーと……」 「フィーナとミアはいないから、6人分じゃないですか?」 「6人?」 「違うよ、5人だよ」 「え?」 「さやかさんがいないから、5人」 「……」 「姉さん、今日いないの?」 テーブルを動かす手を、止めた。 姉さんは、夕食がいらない時はいつも連絡を入れてくるはずだけど……。 「ごめんごめん。 さっき店の電話に連絡があったんだ」 「……なんでもさやかさん、今日から三日連続で徹夜らしいよ?」 「……」 「えっ?」 ……危うく、テーブルを自分の足の上に落とすところだった。 「……なんで?」 「なんでって、毎年展示会の前は博物館に泊まり込んでいるじゃないか」 ……。 そう言われてみれば、そうだけど。 どうして姉さんは、俺に直接言ってくれなかったんだろう。 たまたま電話を取ったのが、菜月だっただけの話かもしれないが……。 「……」 じゃあ、今夜は姉さんと話ができないのか?いや、今夜どころか展示会が終わるまで……。 姉さんに会えないかもしれない。 こんなにすれ違った状態のままで、あと何日も過ごさなくてはいけないのか……。 ……。 …………。 ……左門での夕食の後、俺は一人でイタリアンズの散歩に来ていた。 カルボナーラ「わふっ」 ペペロンチーノ「わんっ」 アラビアータ「わう……」 俺の足元にじゃれてくるイタリアンズ。 ……心なしか、みんなも元気がなさそうだ。 「……ごめんな」 「飼い主がこんなんじゃ、しょーがないよな」 「わふっわふわふっ」 「ははは……」 ベンチに座り、空を見上げる。 あいにく月は雲に隠れていて、その神々しい姿を見ることができない。 「……」 どうしてこんなことになってしまったんだろう。 悩んでも仕方無いのに、何度も自問自答してしまう。 「はぁ……」 「ため息の数だけ、幸せが逃げていくよ」 ……。 「えっ!?」 とっさに背後を振り返ると、「やあ、センチメンタルボーイ」 ……そこには、仁さんが立っていた。 「な、なななな、ななな」 「なんで僕がここにいるかって?」 「それはこっちの台詞だけど?」 「ここは、俺の散歩ルートなんですよ」 「ほう、それは奇遇だね」 「実は僕の散歩ルートでもあるんだ」 「……」 そんな話は、聞いたことがない。 仁さんはニヒルに微笑みながら、俺の隣に座った。 「いやあ、びっくりしたよ」 「たまたまここを歩いていたら、一人世を儚んでいる少年がいたからさ」 「……別に、儚んでなんかいませんよ」 つい、むきになってしまう。 「ふうん、そうかい」 「じゃあ、例の好きな子とはうまくいったのかな」 「……仁さん、覚えてたんですか」 俺が麻衣への気持ちで悩んでいた頃。 それとなく、仁さんに相談したことがあったっけ。 「忘れるはずがないさ」 「で、麻衣ちゃんとはうまくいってるのかい?」 ……。 …………。 「えっ……?」 ここが暗くてよかった。 俺は今、とんでもなく珍妙な表情をしてると思うから。 「……君は今、恐ろしく珍妙な顔をしているね」 「……」 「……まさか」 「本当に麻衣ちゃんと付き合っているのかい?」 「ぅ……」 不意をつかれてしまった。 誤魔化したくても、上手い言葉が出てこない。 「……すまなかった」 「今の会話は忘れてくれ。 ほんの冗談だったんだよ」 「いや、いいんです……」 「冗談なんかじゃ、ないですから」 「……」 ……俺は、たぶん。 誰かに救いを求めたかったんだ。 誰かに話を聞いてもらって、誰かに何かを言ってもらいたかった。 背中にのしかかる罪悪感を、誰かの手で払いのけてほしかったんだ。 「念のために聞いておくけど」 「君たちは、本当の兄妹? それとも……」 「……後者です」 「ああ、そうなのか」 大して驚いた様子でもなく、仁さんは深々と頷いた。 「そのことは、もちろんさやちゃんは知ってるんだよね?」 「……」 「昨晩、打ち明けました」 「なんと」 「……なるほど。 だいたい話の輪郭が見えてきたよ」 「だから君は、今日一日中ネガティブオーラを放っていたんだね」 ……そんなの放ってたのか。 自分のことは、自分じゃ分からないものだ。 「……俺、どうしたらいいと思います?」 「どうしたらって」 「愛だよ、愛」 「……は?」 「愛を貫き通すしかないってことだ」 仁さんは、大真面目だ。 「というのは冗談として」 ……冗談なのか。 「さやちゃんは、家族というものに対して非常に強いこだわりを持っている」 「……恐らく、君たちが思っている以上にね」 「……」 「俺たちは……」 「その家族を、壊してしまったんでしょうか」 「いや」 仁さんは首を振った。 「さやちゃんは、いつかは分かってくれると思う」 「……でもそれは、彼女が自信を取り戻してからの話だ」 「自信?」 「そう」 「家族を築いてきた、という自信だよ」 ……。 姉さんは今、自信を失っているのか?家族を築いてきたという自信を……?「君たちは今まで、さやちゃんにたくさんの愛情をもらったろう?」 その問いに、俺は強く頷いた。 「それなら、今度は君たちが返す番だ」 「さやちゃんの自信を取り戻すことができるのは、君たちしかいないんだからね」 「……」 俺たちは、まだ間に合うのだろうか。 失いかけた信頼を、取り戻すことができるのだろうか。 「……ありがとうございます、仁さん」 仁さんに話したことで、だいぶ気持ちが楽になった。 もちろん、気持ちが楽になっただけでは、なにも問題は解決しないけど……。 「どういたしまして」 「僕は老若男女問わず、恋する者の味方だからね」 「……」 「それじゃっ」 仁さんは俺に投げキッスしてから、てくてくと公園の出口に向かった。 ……。 …………。 「お姉ちゃんに、差し入れを持っていかない?」 散歩から帰ると、麻衣は突然こんなことを言い出した。 「ほら、泊まり込みじゃロクなもの食べてないだろうし」 「どうせいつもコンビニ弁当ばっかりでしょ?」 麻衣が熱っぽく言う。 ……。 麻衣なりのきっかけ作りなのだろう。 気まずいままで、家族が離れているのは嫌だから。 せめて自分ができる方法で、コミュニケーションを図ろうと思ったんだ。 ……。 …………。 「えーでは、これからスーパー爆弾おにぎりを作りたいと思います」 麻衣が半ば命令口調で言った。 「なんでスーパーなんだ?」 「普通のじゃつまんないでしょ」 「つまんないとかじゃなく、美味しいかどうかだろ?」 「うるさいなあ」 ……うるさい、と言われてしまった。 ちょっとショックだ。 「まあいいや。 じゃあ早速作ろうぜ」 「で、どうやるんだ?」 「じゃんじゃじゃーん」 妙な効果音を口にしながら、麻衣は明太子を取り出した。 「爆弾おにぎりの中に、この明太子を入れると……」 「あら不思議、たちまちスーパー爆弾おにぎりに大変身」 「……」 「それだけ?」 「うん」 「明太子って高いから、なかなか買えないんだよ」 ……。 ……だからスーパーなのか?「……分かった、じゃあそれで行こう」 そう頷くと、麻衣はにぱっと笑った。 「……」 そういえば、麻衣の笑顔って久し振りに見た気がする。 例の件があってからというもの、ぜんぜん元気なかったもんな……。 「わーい、できあがりー」 一時間後。 俺たちは、なんと10個ものスーパー爆弾おにぎりを完成させた。 「……ちょっと多くないか?」 「いいのいいの、ほかの館員の人たちも徹夜だろうし」 「それに、隣の大使館にはカレンさんもいるんでしょ?」 ……そう言われてみれば、そうか。 「よし、じゃあ行くか」 「うんっ」 「あ、ぽてりこも忘れずにね」 「ああ」 「ぽてりこ」 は、姉さんの大好物のスナック菓子だ。 おにぎりと一緒に、とりあえず5個ほどバッグに詰めてみる。 もちろん俺たちは、こんなことで姉さんと今まで通りの関係に戻れるとは思ってない。 ……だけど、何もしないよりはいい。 というより、何かをせずにはいられなかったのだ。 ぴりりりりっ──その時だった。 リビングの電話が、けたたましく鳴り出す。 俺と麻衣は、おにぎりの入ったバッグを持ち上げ……。 再び、テーブルの上に置いた。 「誰だろ、ミアちゃんかな」 「俺が取るよ」 俺はリビングに向かい、電話の受話器を取った。 がちゃ「はい、朝霧です」 「もしもし、カレンです」 ……電話の主は、カレンさんだった。 「あ、こんばんは」 「その声は達哉君ですね?」 「はい、そうです」 「お久し振りですね」 「挨拶は抜きにして、手短に報告します」 「……さやかが、今日博物館で倒れました」 ……。 …………。 「……え?」 膝がガクガクと震え、頭の中が真っ白になって、俺は受話器を握りしめたまま、その場に座り込んでいた。 「倒れた……?」 「……!」 俺の言葉を聞きつけた麻衣が、ダイニングから駆け寄ってくる。 「よ、容態はどうなんですか!?」 「命に別状はありませんので、安心して下さい」 「恐らく……過労とストレスによるものだと思われます」 「……そうですか」 命に別状はないと聞いて、ひとまずは胸を撫で下ろす。 「今からさやかを送っていきますので、準備をしておいて下さいね」 「分かりました……」 がちゃ「……どうしたの!?」 電話を切るのと同時に、麻衣がしがみついてくる。 「姉さんが……倒れた」 「え……っ?」 「でも、心配するな」 「命には別状ないから」 「そっか……」 それを聞いて、麻衣はほっとした様子だった。 「今から、カレンさんが姉さんを送ってくるからさ」 「悪いけど……ベッドの準備してくれるか?」 「うん、分かったっ」 返事をしながら、麻衣はすぐに二階へと走っていった。 ……。 姉さんが、倒れた。 原因は過労とストレス。 ……。 胸の奥をぎゅっと掴まれたような感覚をおぼえながら、俺は玄関へと走った。 ……。 …………。 ……姉さんが帰ってきたのは、それから30分後のことだった。 俺は車から姉さんを抱きかかえ、静かに部屋へと連れて行った。 「今は眠っているだけですから、心配なさらないで下さい」 「はい……」 カレンさんの話によると──姉さんは展示会のミーティング中、ひどい立ちくらみに襲われたらしい。 やがて立っていることもままならなくなり、急遽医務室に運ばれたそうだ。 医者の話に寄れば、ただの過労による貧血らしいのだが……。 「……さやかの様子に異変を感じたのは、一昨日からです」 「一昨日?」 ……俺と麻衣とで、例のことを打ち明けた日だ。 「それまではなんとか元気でやっていたのですが……」 「もっと早くに忠告していればよかったと、今では後悔しています」 「……カレンさんは、悪くないですよ」 俺はゆっくりとつぶやいた。 「……すー……すー……」 今、姉さんはベッドで深い眠りについている。 いつのまにか、こんなにやつれて。 こんなに目の下にクマをつくって。 こんなに寝不足気味の肌で……。 ……。 こんなふうに、近くで見るまでは気づかなかった。 姉さんがどんなに大変な思いをして、家族を支えてきてくれたか。 全ては、俺たち家族のため。 ……なのに、俺は。 そんな姉さんの気持ちを、裏切ってしまったんだ……。 「……」 「それでは、私は仕事が残っているので失礼します」 「……は、はい」 「送ってくださって、ありがとうございました」 「いえ……」 ……。 ばたんカレンさんは一礼してから、部屋を出て行った。 ……。 …………。 カレンさんが帰ってから、数時間後。 俺と麻衣は、姉さんの看病をし続けていた。 「お兄ちゃん、入るよ」 ばたんっ麻衣の手には、たくさんのタオルとミネラルウォーター。 それに、何枚かの着替えを持っている。 「わたしがついてるから、お兄ちゃんは寝ても大丈夫だよ?」 「いや……」 「もうしばらくは、ついててあげたいんだ」 「……」 「うん、そうだね」 麻衣は俺の隣に腰を下ろし、じっと姉さんの寝顔を見つめる。 「……」 「お姉ちゃ……ん」 小さな肩が、震えていた。 それまで堪えていた思いが、ここにきて一気に噴きだしたようだった。 「ごめんね、お姉ちゃん……」 「ぜんぶ、わたしのせいだよね……」 「違う、麻衣のせいなんかじゃない」 俺は麻衣の肩を掴み、揺さぶった。 「今は、誰のせいとかそういうこと言ってる場合じゃないだろ?」 「……今は、一日でも早く姉さんに元気になってもらうことだけを考えよう」 自分に言い聞かせるように、そう言った。 「……」 「そ、そうだね」 「泣きたいのは、お姉ちゃんの方だもんね」 「……」 「ああ」 俺は麻衣の頭をぽんぽんと叩いた。 ……そう。 誰が悪いとか、悪くないとか、今はそんなこと論議してる場合じゃない。 家族として。 兄妹として。 俺たちができることを、していかなければならないんだ。 「麻衣……とりあえず今日はもう寝ろ」 「でも……」 「ここに二人でいたって、仕方無いよ」 「……」 「うん……」 「じゃあ、なにかあったら呼んでね」 「ああ」 「……」 ……。 後ろ髪引かれている様子ではあったが、やがて麻衣は部屋から出て行った。 「……」 再び、姉さんの寝顔を見つめる。 ……。 「……姉さん」 「ごめんな、姉さん」 俺は小さな声で、姉さんに問いかけていた。 「俺たち、姉さんに悪いと思ってさ……」 「今日、スーパー爆弾おにぎり作ったんだ」 「明太子が入ってると、スーパー爆弾おにぎりになるんだって」 「麻衣の発案だよ。 笑っちゃうよな」 「……」 「だから……」 「早く元気になってくれよ」 「頼むよ、姉さん……」 ……。 「……つや……くん?」 「……!」 俺は勢いよく顔を上げた。 ベッドに身を乗り出すと、少しずつ姉さんの目が開かれようとしているところだった。 「姉さん……起きたの?」 「ええ……」 「達哉くんの声が聞こえて……」 「……」 「ここは、私の部屋なのかしら?」 姉さんは、にわかに自分の状況が理解できなかったようだ。 「カレンさんが、姉さんのこと送ってくれたんだよ」 「あら……そうだったのね」 「カレンには迷惑をかけてしまったわ……」 そう言いながら、姉さんは起き上がろうとした。 「だ、駄目だよ起きちゃ」 「でも、仕事に行かないと」 「今は仕事に行けるような状態じゃないって」 「そうは言ってられないわ」 「今週末から、展示会があるのよ……」 「分かってる」 「分かってるけど……とりあえず今日だけは安静にして」 「……」 そう言うと、姉さんは再び布団の中に戻っていった。 仕事に戻らなきゃと思ってはいても、やはり体がついていかないらしい。 「……麻衣ちゃんは?」 「下にいる」 「あ、ここに着替えとか、持ってきてもらったから」 「……」 「分かったわ」 「もう大丈夫だから、達哉くんは寝てちょうだい」 姉さんは布団にもぐり、俺に背を向けた。 「……うん」 もっといろんなこと、話したかったけど……。 疲れている姉さんを、さらに疲れさせるわけにはいかないよな。 ……。 …………。 「さやか、大丈夫?」 「さやかさん、何か食べたいものはないですか?」 ……翌日。 ミアとフィーナに昨夜の件を話すと、二人は血相を変えて姉さんの部屋に向かった。 「お二人とも、大げさですよ」 「私はもう、こんなに元気ですから」 姉さんは、青白い顔で笑う。 確かに口調は元気だったが、誰が見ても体調が悪いのは明らかだった。 「こうなったら、徹底的に看病しないと気が済みません」 気合い十分といった様子で、ミアは腕まくりをした。 「私も、できる限りのお世話はするわ」 「いけません、フィーナ様」 姉さんはわずかに強い口調で制した。 「地球での残り少ない時間を、もっと有意義なことに使って下さい」 「……」 「さやかの看病をするのは、私にとって必要なことよ」 「フィーナ様……」 「さやかが何と言おうと、私はさやかの力になりたいの」 ……。 「……姉さん、そろそろ寝ようか」 「そ、そうですよね」 「お休み中のところ、お邪魔してしまって申し訳ありませんでした」 「いいんですよ、ミアちゃん」 「こちらこそ、ご心配おかけしてすみませんでした……」 ミアとフィーナは、無言で首を振った。 「あの、何かありましたら、遠慮なく声をかけて下さいね」 「ええ」 「それでは……失礼します」 ……。 ばたん……。 二人が出ていった後、沈黙が訪れた。 姉さんは、ただぼんやりと天井を眺めている。 「……」 「……」 「あの……」 「なに? 姉さん」 「……」 「昨夜、私はパジャマに着替えていたようだったけど……」 「いつ着替えたか、記憶にないのよ」 「それは……麻衣だよ」 「濡れタオルで体も拭いてたみたいだけど……」 「な、何かまずいことでもあった?」 「……」 「いえ、それならいいの」 「……」 「あ、さっきカレンさんに連絡しておいたんだ」 「とりあえず今日は様子を見させてくれって、博物館の人に伝言を頼んだんだけど……」 「……そう」 余計なことをしたかと思ったが、姉さんはそれ以上何も言わなかった。 「……」 「姉さん、この前の話だけど……」 「達哉くん」 言いかけて、遮られた。 「……また今度でいいかしら」 「……」 「うん、そうだよね」 「ごめん」 「……」 「謝らないで」 弱々しい声で、姉さんはつぶやいた。 「謝られるのが、とてもつらいのよ……」 ……。 姉さんの肩が、小さく震えている。 ……今は、俺がここにいるべきではないのかもしれない。 「……薬の時間に、また来るから」 「それまでは、ゆっくり眠ってて」 「……」 姉さんが無言で頷くのを見届けてから、俺は部屋を出た。 ……。 一階に下りると、フィーナとミアがソファーに座っていた。 「さやかは眠ったの?」 「うん」 「達哉、私たちに何かできることはない?」 フィーナは真剣な表情で身を乗り出した。 「それについて、考えてたんだけど……」 「姉さんの言う通り、フィーナには自分の時間を大切にしてほしいんだ」 「……それは、どういうことなの?」 フィーナの表情が曇る。 「姉さんは、みんなに心配をかけたことを心苦しく思ってる」 「フィーナには……特に」 せっかく月から来てくれたお姫様に、自分のことで時間を取らせたくない。 ただ、フィーナが心配してくれている手前、姉さんもあまり強くは言えなかったのだろう。 「……」 「ごめんなさい」 「私は、さやかの立場を考えていなかったわ」 フィーナは瞬時に、俺の言いたいことを理解してくれたようだ。 「でも、たまに二人にも協力をお願いするかもしれない」 俺たちと姉さんとの問題は、まだ解決していない。 そんな状況で俺たちがつきっきりになるのは、姉さんが辛いだろうと思ったからだ。 「……分かりました」 「なるべくわたしも、お世話させていただきたいと思います」 「そうしてもらえると、助かるよ」 「……」 「達哉、あなたは大丈夫なの?」 「何が?」 「あなたと……麻衣のことよ」 「さやかに話したのよね?」 「……ああ」 俺は頷いた。 「今あなた方は、そのことで苦しんでいるのね……」 フィーナの瞳が、わずかに揺れた。 ……俺には、フィーナの考えていることが分かる。 彼女は少なからず、俺たちに対して罪悪感を抱いているのだろう。 「……俺は」 「フィーナたちに、俺たちのことを知られてよかったんだと思う」 「達哉……」 「確かに今、家族がちょっとギクシャクしちゃってるけど……」 「俺たちが選んだ結果なんだから、俺たちが乗り越えなきゃならないんだ」 「……」 「だから、心配しないで」 ……。 …………。 「……分かったわ」 フィーナは毅然とした目を俺に向けた。 「私は、あなた方の力を信じるわ」 「……ありがとう」 フィーナの言葉に、ミアも力強く頷いた。 ……。 その日の夕方。 俺はおやっさんたちに、状況を簡単に説明した。 「……そうだったのか」 「達哉、水臭いよ」 「さやかさんが倒れたのは、一昨日なんでしょ?」 「ああ」 「……もっと早く、言ってくれてもよかったのに」 ……。 「悪い悪い」 「ただの貧血だし、そんなに騒ぐほどのことでもないと思って」 本当は、あまりみんなに心配をかけたくなかった。 これは俺の意思というより、姉さんの意思だ。 「それはそうかもしれないけど……」 「……」 「達哉君の言う通りだよ」 「貧血ぐらいで騒いでたら、逆にさやちゃんが気を遣うだろう?」 「う……そっか」 仁さんのフォローに、菜月は納得したようだった。 「でも、ホントに大したことないんだよね?」 「ああ、ぜんぜん大丈夫」 「本当はいつでも仕事に復帰できるんだけど、まあ大事を取って休んでるだけだから」 ……嘘だった。 正直、今すぐ仕事に復帰できるほど、姉さんの体力は回復していない。 というより、気力の問題なのかもしれないけど……。 「……」 「タツ、今日はもう上がっていいぞ」 「えっ」 「雑炊の下ごしらえしとくから、それを持っていきな」 「あ、ありがとうございます、でも……」 「いいんだよ、どうせ今日は暇なんだし」 「看板娘は僕だけで十分だ」 「私だけで十分だから。 ね?」 仁さんの前に回り込むように、菜月は言った。 「……」 「ありがとうございますっ」 「おう、すぐ用意するからちょっと待ってろ」 「……」 「タツ」 「はい?」 「さやちゃんもそうだが……」 「麻衣ちゃんのことも、しっかり支えてやるんだぞ」 「……」 「分かりました」 俺は深く頭を下げた。 ……。 おやっさんに雑炊の材料をもらってから、すぐ家に帰った。 「ただいま」 「おかえり、お兄ちゃん」 リビングでは、麻衣が大量の洗濯物を整理していた。 「これ、おやっさんが姉さんにって」 雑炊の材料を、どさどさとテーブルに置く。 「わぁ、すごい」 「後でお礼言ってくるね」 「うん」 「……姉さんは?」 「さっき起きて、今はフィーナさんたちが部屋に行ってるよ」 「公務に関する報告をしてるみたい」 「そっか……」 時計を見ると、ちょうど午後6時を指していた。 姉さんが食後の薬を飲む時間だ。 「じゃあ、俺が雑炊を作るよ」 「え? いいの?」 「下ごしらえまでは終わってるから、後はあっためるだけだし」 「そっか」 「じゃあ、お願いしてもいいかな」 「ああ」 ……。 心なしか、麻衣の顔色が悪い。 目の下にもクマができている。 今回のことが心労となって、寝不足気味になっているのかもしれない。 「麻衣」 「ん?」 「後は俺がやっておくから、少し休んでろよ」 「えっ、いいよーそんなの」 「手の空いてる人が家事をするのは、我が家の基本ルールじゃない」 麻衣は笑いながら言う。 「そりゃそうだけど……」 「こういう時こそ、家のことしっかりやりたいの」 「家の中がちゃんとしてれば、それだけお姉ちゃんの心配事も少なくなるでしょ?」 「……」 麻衣の意思は固そうだ。 「ねえお兄ちゃん、覚えてる?」 「昔、わたしとお兄ちゃんが同時に風邪ひいたことあったよね」 「ああ……」 あれは何年前のことだろうか。 麻衣と二人でプールに出かけて、その日の夜同時に熱を出した。 完治するまでの三日間、姉さんはほとんど寝ずに看病してくれたんだ。 後にも先にも、あれほど姉さんが取り乱したことはなかったっけ……。 「……今思うと、それほど大した熱じゃなかったのにね」 「三日後には、ランニングと短パンで走り回ってたもんな」 「なのにお姉ちゃんったら、こっちが心配になるくらい慌てちゃって」 「はは、そうそう」 「たかが風邪なのにな」 「ほんとだよー」 「たかが風邪なのに」 「なんであんなに……」 「わたしたちに、一生懸命になって……」 「……」 俯く麻衣の肩に、そっと手を乗せる。 ……。 あの頃の俺たちは、まだ子供で……。 姉さんが一生懸命になってくれる理由なんて、考えたこともなかった。 ……でも、今なら分かる。 姉さんにとって、俺たちは家族だったからだ。 例え血の繋がりはなくとも、家族だと思ってくれたからだ。 ……。 だから、今度は俺たちが返す番だ。 姉さんがくれた愛情を、今度は俺たちが返していくんだ。 仮に1パーセントでも、あの頃のような家族に戻れる可能性があるのなら……。 ……。 …………。 それから10分後。 俺は雑炊の入った土鍋を持って、姉さんの部屋の前に立った。 そして、ドアをノックしようとした瞬間──「……ってあげてほしいのよ、達哉たちのことを」 俺の名を口にする、フィーナの声が聞こえた。 いったい何を話しているんだろう……。 「フィーナ様……」 「……」 「私は、今でも……」 「達哉くんたちが本当の兄妹じゃない……ということが信じられなくて」 「どうして自分がこんなに混乱しているのか、よく分からないのです」 「……」 「さやかさんが混乱しているのは、きっと……」 「今まで築いてきた家族が、壊れてしまうと思っているから……ですよね」 「……」 「そうかもしれません」 「私は、達哉くんたちにとって……」 「信頼できる家族ではなかったんじゃないかって、そう思って……」 「それは違うと思うわ」 「達哉たちは、あなたを信頼しなかったわけではないの」 「それなら、なぜ……?」 「……」 「あなたと同じよ」 「……?」 「家族が壊れてしまうのが不安だったの」 「だから……ずっと言い出せなかったのでしょうね」 「……」 「ごめんなさい」 「私はいずれ、月に帰ってしまう人間だから……」 「口を出す資格など無いと、十分わかっているの」 「そんな……」 「でも、これだけは言わせて」 「あなた方は、誰一人家族を壊したいなどと思っていないわ」 「家族を大切に思うからこそ、苦しんでいるのよ……」 ……。 俺は、その場から動くことができなかった。 「……」 今、姉さんが感じている気持ち。 家族という絆が崩壊するかもしれないという不安。 ……なにも、俺と麻衣だけじゃなかったんだ。 姉さんも、同じ不安を抱えていたんだ……。 ……。 「あれ、お兄ちゃん?」 「その雑炊、どうしたの?」 一階に下りると、麻衣が不思議そうに鍋を見た。 「あ、そうだ……」 俺、なにやってるんだろう。 フィーナたちの話を立ち聞きしてしまい、なんとなく部屋に入りづらくて……。 土鍋を持ったまま、一階に下りてきてしまったのだ。 「……すまん、ぼーっとしちゃって」 「悪いけどこれ、麻衣が持って行ってくれるか?」 「うん、いいけど……」 「大丈夫?」 「ああ、大丈夫」 「……」 麻衣はいぶかしげな様子だったが、土鍋を持って二階へと上がっていった。 ……。 ピンポーンソファーに座りかけた時、玄関のチャイムが鳴った。 誰だろう……?「こんばんは、達哉君」 ドアを開けると、カレンさんが立っていた。 「あ、カレンさん」 「突然ごめんなさい」 「いえ」 「姉さん、ですよね?」 「ええ」 「さやかは、今寝ているのですか?」 「いや、食事中だと思います」 「あ、どうぞ、入って下さい」 「いいえ、食事の邪魔をしては悪いわ」 「でも……」 「……カレンさん?」 その時、ちょうど二階から麻衣が下りてきた。 「こんばんは、麻衣さん」 「こんばんは」 「……さやかの具合はどうですか?」 「……」 「……」 なんとも説明できず、二人して言葉に窮してしまう。 「あまり良い状態ではない……と?」 「……はい」 「そうですか……」 カレンさんは、しばらく考え込んでいる様子だった。 「あの」 「何か問題でもあったんですか?」 「問題があったというより……」 「さやかが復帰できないとなると、週末の展示会は間に合わないかもしれません」 「えっ」 「……っ」 俺と麻衣は、顔を見合わせた。 「それって、かなり大変なことになるんじゃ……」 毎年博物館で行われる展示会は、かなり大がかりなイベントだったはず。 姉さんはこの日のために、身を粉にして働いていたのに……。 「どうしよう……」 「わたしのせいで、お姉ちゃんが……」 「麻衣っ」 泣き崩れそうになる麻衣の腕を、強く掴んだ。 「……」 「申し訳ありませんでした」 「こんなことを、あなた方に言うべきではなかったですね」 「いえ……」 カレンさんは、麻衣の様子を見て戸惑っているようだ。 「……さやかが不在の間は、私もできる限りバックアップします」 「ですから……」 「とりあえずさやかには、心配は無用だとお伝え下さい」 「分かりました」 「ありがとうございます……カレンさん」 「……」 「あなた方も、あまり無理をなさらないように」 「はい……」 「では、失礼いたします」 ……。 ばたん……行ってしまった。 「……」 「麻衣」 「泣くなって」 「な、泣いてない」 「……」 ぽたぽたと涙が床に落ちる。 それを隠すように、麻衣は背を向けた。 「う……っ」 「麻衣、大丈夫だから」 「一生懸命看病すれば、姉さんはすぐ元気になるって」 そんなありきたりの言葉しか出てこない。 でも、ほかにどう励ましていいか分からなかった。 「……」 「大丈夫じゃなかったら……?」 「え……」 「大丈夫じゃなかったら、どうなるの?」 「もしこのまま展示会が間に合わなかったら……」 「お姉ちゃんはきっと、わたしたちのこと一生許してくれないよっ」 絞り出すように言ってから、振り向いた。 「……」 ……今まで、必死に感情を押し殺していたのだろう。 でも、もう限界なのかもしれない。 それが分かるから、辛かった。 「お兄ちゃん……」 「このままじゃもう、わたしたち……」 「それ以上言うな」 「……」 「頼むから……それ以上言わないでくれ」 嗚咽が漏れそうになるのを、なんとか堪える。 ……駄目だ。 くじけそうな麻衣を見ていると、自分まで弱気になってしまう。 あれほど後悔しないと、自分に誓ったのに……。 「……ごめん」 「お兄ちゃん、ごめんなさい……」 「……いや、いいんだ」 「姉さんが元気になったら、ちゃんとこれからのこと話そう」 「ちゃんと話し合えば、きっとうまくいくから……」 「うん……」 俺は、麻衣の体をぎゅっと抱きしめた。 不安に支配されそうな心を、封印するかのように──きつく、きつく抱きしめた。 ……。 「どうもありがとうございましたーっ」 最後の客が帰り、スタッフ全員がクローズ作業に入る。 いつもなら、これから身内だけのディナータイムが始まるのだが……。 俺たちは姉さんが回復するまで、自宅で夕食を取ることに決めた。 姉さんを、家に一人残したくなかったからだ。 ……。 「菜月」 「はい?」 「お前、今日はもう上がっていいぞ」 「え、でも片づけが」 「今日ぐらいは早く帰って、早めに寝ろ」 「……」 「そう? じゃあお言葉に甘えて……」 「じゃあ僕も、お言葉に甘えて……」 「仁、お前は居残り」 「……やっぱり」 仁さんは肩をすくめた。 「達哉、悪いけど後のことお願いね」 「任せとけ」 「それでは、お先に失礼しまーすっ」 ……大きく手を振りながら、菜月は左門を後にした。 「……悪いな」 「いつも夜遅くまで勉強してるからよ、あいつは」 「分かってますって」 「そうですね」 推薦の試験に合格してからというもの、より一層勉強に燃えている菜月。 根を詰めている様子を見て、父親としては心配に思ったのだろう。 「よし、達哉君、がんばって片づけようじゃないか」 「はい、もちろん」 俺は腕まくりをして、気合いを見せた。 「……しかし、今日も忙しかったなあ」 「繁盛するのは嬉しいが、さすがの僕もヘトヘトだよ」 「そうですか?」 「俺は、もっと忙しいぐらいがちょうどいいかも」 「そうかい?」 「ええ」 「だって、もっと忙しい方が……」 「……」 もっと忙しい方が、いろんなことを忘れられるから。 自然とそんなことを言いかけた自分に、驚いた。 ……。 「……」 「……」 「おい、タツ」 「はい?」 「お前も、今日は上がれ」 「えっ」 「駄目ですよ。 まだ仕事終わってないですし……」 「いいから」 有無を言わせない口調だった。 「おやっさん……」 「自分の顔を、鏡でよく見てみろ」 「魂の抜けたような顔してるぞ、まったく」 「……」 俺は仁さんを見た。 「本当に、そんな顔してますか……?」 「……」 「ああ」 「ほら君、昔からポーカーフェイスができないタチだから」 そう言って、仁さんは苦笑する。 「……すみませんでした」 「なんか、いろいろあって」 「頭がぐちゃぐちゃになっちゃって……」 「……」 「そのぐちゃぐちゃを、ここで吐き出してみろ」 「え……」 「一人で悩んでたって、ロクなことにならないからな」 おやっさんがテーブルに座る。 「仁、あれ出せ」 「ビール?」 「違う、タバコだタバコ」 「へえ、珍しいですねえ」 仁さんはポケットからタバコを取り出し、おやっさんに渡した。 「……ま、たまにはな」 そうつぶやいて、オイルライターの火をつける。 「タツがもうちょっと大人なら、ここで一緒に酒でも飲むんだがな」 「……すみません」 「なあに、先の楽しみとして取っておくさ」 「代わりに僕が付き合いましょうか?」 「お前と飲むと、いつの間にかワインの在庫が空になるから駄目だ」 「ひどいなあ、僕のせいにして」 「おい、タツ」 仁さんの言葉を遮るように、おやっさんは言う。 「どうした、シラフじゃ言えないか?」 「いえ……」 俺は首を振り、おやっさんの対面に座った。 「……俺、今までずっと」 「みんなに黙っていたことがあって……」 「……」 おやっさんは、俺を見つめた。 ……まるで、本当の親父のような温かい目で。 ……。 …………。 「……」 全てを、話し終えた。 麻衣が朝霧家に引き取られた日から、今までのこと。 その全部を、おやっさんに打ち明けた。 「なるほどなあ……」 「あの……」 「驚かないんですか?」 「何が?」 「いや、俺と麻衣が、兄妹じゃないってとことか……」 「……」 「この歳になると、ちょっとやそっとのことじゃ驚かんよ」 「はあ……」 「……」 おやっさんは、二本目のタバコに火をつけた。 「しかし、タツも難儀な道に足を踏み入れたな」 「え……どういうことですか?」 「タツと、麻衣ちゃんのことさ」 「事情を知ってる俺たちは、手放しで二人のことを祝福できる」 「だが……周囲の人間から見たら、どうだろうな」 ……。 周囲の人間。 友達や、クラスメイトや、近所の人。 そういう人たちのことを言っているのだろうか。 「実際に血が繋がってなくても、兄妹同然として育ってきたんだろう」 「そんな二人が恋人同士になったなんて、みんなが知ったら……」 「やっぱり、素直に受け入れられないかもしれんぞ」 「はい……」 「覚悟してます」 「……そりゃあ本当か?」 おやっさんは小首を傾げる。 「だったら、なぜそんなに自信のなさそうな顔をしてる」 「タツは、麻衣ちゃんと幸せになりたいんだろう?」 「……なりたいですよ」 「俺は……」 「麻衣を、幸せにしてやりたい」 拳をぎゅっと握る。 そうだ……俺はずっと麻衣を幸せにしてやりたいと思っていた。 麻衣が初めてうちに来た日から、そう思い続けてきたんじゃないか。 「だったら、うだうだするな」 「何度でも、さやちゃんと話し合うんだ」 「でも、姉さんは俺たちのことがストレスになって……」 そう言いかけると、おやっさんはタバコを強く揉み消した。 「さやちゃんが倒れたのは、タツたちのせいじゃない」 「あれは働き過ぎだって、医者も言ってたんだろ?」 「……」 「だから、自分を責めるな」 俺はゆっくりと頷いた。 ……自分のことが、だんだん恥ずかしくなってきた。 自分だけ苦しんでいる気になって、自分だけ仕事の忙しさに逃げようとした。 こうしている間にも、麻衣は一人で悩んでいるというのに……。 「ありがとうございました、おやっさん」 「……仁さんも」 「僕は何もしてないけどね」 「……そんなことないですよ」 「俺、何度仁さんの言葉に救われたか分からないです」 「へえ、そうなのか」 「まあ、こいつの話は聞き耳半分でな」 「ひどい言われようだなあ」 「ははは」 しばしの間、三人の笑いが周囲に響く。 やがておやっさんは、真面目な顔で言った。 「俺は……タツのことを、本当の家族のように思ってる」 「タツだけじゃないぞ。 麻衣ちゃんも、さやちゃんもだ」 「血なんか繋がってなくたって、家族になれるんだからな」 「……はい」 ありがとう、おやっさん。 ありがとう、仁さん。 心の中で、何度もそうつぶやいた。 「よし、じゃあタツはもう帰れ」 「え、でも……」 「いいからいいから」 「……すみません、本当に」 俺は立ち上がり、バックヤードから荷物を取ってきた。 「それじゃ、お先に失礼します」 「おう、お疲れ」 「お疲れー」 からんからん俺は荷物を抱え、左門を出た。 ──と、その時。 「……」 「……!」 ドアの前に、菜月が立っていた。 なぜか……悲しそうな目で、じっと俺を見上げている。 「菜月……」 いつから、ここにいたんだ?「……」 「今帰り?」 「ああ」 「そっか……」 「私は、忘れ物を取りに来たんだ」 「あ、そうだったんだ」 「うん……」 「……それで、聞いちゃった」 ……。 菜月の目が、全てを物語っていた。 今ここで、俺たちの話を全部聞いてたんだ……。 「ごめんね」 「いや……」 「いつかは、話そうと思ってたことだから」 「……そう」 ……。 …………。 沈黙が続いた。 果たして菜月は、俺たちのことをどう思ったのか……。 「……」 「ほら、しゃっきりしなさいっ!」 ばんっ!「いてぇっ」 思いきり背中を叩かれ、俺は飛び上がった。 「何すんだよっ」 「早く麻衣と公認カップルになりなさいって言ってるのよ」 「菜月……」 菜月は、まっすぐに俺と向かい合った。 「あれは、確か……」 「五年くらい前のことだったかな」 唐突に、菜月はそんなことを語り出す。 「私、その頃から、麻衣に好きな人がいるって知ってた」 「え?」 「知ってたっていうか……勝手に私が決めつけてただけだけどね」 「だって麻衣ったらおかしいんだよ」 「バレンタインが近づくと、妙にソワソワしたりして」 「そうそう、それまで占いなんてぜんぜん興味なかったくせにね?」 「急に雑誌の恋愛占いをチェックするようになったりして」 「……」 「でね、冗談のつもりで『好きな人いるんでしょ?』って聞いたら……」 「『いない! 絶対いない!』って否定するの」 「ふふっ、真っ赤な顔しちゃってバレバレなのにね」 ……。 少しためらってから、菜月は続けた。 「麻衣は……」 「私に何も相談してくれなかったけど……」 「……」 「あれって、今思えば……達哉だったからなんだよ」 「相手が達哉だったから、誰にも言えなかったんだよね……」 ……。 菜月の口から語られる、昔の麻衣。 今日までずっと、誰にも言えない想いを抱き続けてきた麻衣。 それが、どれほどの痛みを伴うものなのか……。 今の俺には、分かるはずもないけれど。 「麻衣は……私の妹みたいなものなんだからね」 「妹を幸せにしなきゃ、許さないんだから」 「ああ……分かった」 強い決心を持って、頷いた。 ……。 俺たちは、こんなにも多くの人に見守られている。 一緒に悲しんでくれる。 叱ってくれる。 ……笑ってくれる。 この幸福を、俺は伝えられるだろうか。 麻衣に。 姉さんに。 俺の家族たちに……。 ちゃんと伝えることが、できるだろうか──……。 …………。 「……さやかが、部屋で待ってるわ」 フィーナにそう言われたのは、ちょうど昼食の後片づけが一段落した時だった。 「姉さんが待ってるって……どういうこと?」 「……」 「あなた方と、話がしたいのでしょう」 「えっ……」 「さやかさんの体調のことなら、もう心配いりませんよ」 フィーナと共に二階から下りてきたミアが、会話に加わった。 「部屋でお仕事できるくらいには、回復されましたから」 「……」 姉さんが、自分から俺たちと話をしたいと言ってくれた。 姉さんの中で、どんな答えが出たんだろう。 ……。 俺たちは、それを確かめなければならない。 「麻衣」 「……」 フルートを吹きに出かけようとしていたのだろうか。 楽器を手にした麻衣は、ただ俯いている。 「麻衣?」 「……今、話さなきゃ駄目なの?」 「用事でもあるのか?」 「そういうわけじゃないけど……」 麻衣は、ぎゅっとフルートを握りしめた。 ……怖いのだろうか。 何かしらの結果が出るのを、恐れているのだろうか。 「……麻衣」 「……」 「達哉を信じてあげて」 「……そして、さやかを信じてあげて」 麻衣は逡巡している様子だったが、やがて小さく頷いた。 「じゃ、ちょっと行ってくるよ」 「ええ」 「行ってらっしゃいませ」 「……」 「行こう、麻衣」 「……うん」 俺は、麻衣の手を握りしめ……。 階段を上っていった。 ……。 …………。 トントン「姉さん、入るよ」 「……ええ、どうぞ」 ばたん部屋に入ると、姉さんはベッドに腰かけていた。 ……気づかないうちに、すっかり痩せてしまった姉さん。 俺たちを見ると、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。 「もう、具合はいいの?」 「……ええ」 「みんなが看病してくれたおかげよ」 「……そっか」 「……」 姉さんは、言葉を探している様子で。 俺も言葉を探したけど、何から口にすればいいか分からない。 「……ごめんなさい」 「達哉くんたちと話そうと思って呼んだのに……」 「私、やっぱりまだ信じられなくて」 「あなたたちが、本当の兄妹じゃないってことを……」 「……」 「姉さんは……俺たちのこと変だと思う?」 「え……?」 「兄妹として育ったのに、お互い好き合っちゃって……」 「そんな俺たちのこと、変だと思う?」 そう尋ねると、姉さんはためらった。 「最初は……少しだけ混乱したわ」 「あなた方は、普通に仲の良い兄妹に見えたから」 「……そうだよね」 俺は頷いた。 こんな話、すぐに受け入れろという方が無理なんだ。 ましてや、一番身近にいる姉さんだからこそ……。 「でも……」 「納得できないわけではないの」 「……?」 「考えてみれば、人を好きになるのに理由なんてないのよね」 「だから、あなた方が惹かれ合ったのも……今ならなんとなく分かる」 「分かるんだけど……」 ……。 再び沈黙が降りた。 姉さんの心が、近いようで遠い。 分かり合いたいのに、分かり合う術がない。 三人の心が、まるでバラバラの方向を向いてるみたいだ。 「……」 「俺たちは、ずっと本当の兄妹として生きていこうと思ってた」 「それは、姉さんがうちに来る前から決めてたことなんだ」 「姉さんのこと、信頼してないとか、そういうことじゃなくて……」 「……」 「本当の兄妹になれば、みんなが幸せになれると思ったから」 「だけど……」 「俺は、麻衣を一人の女性として、好きになってしまった」 一言ひとこと、噛みしめるように口にした。 「好きになってしまったら、もう麻衣を妹として見られなくなった」 「その時点で、俺たちは本当の兄妹じゃなくなってしまったんだ……」 「……」 もしかしたら、この気持ちを一生隠し通すことは可能だったのかもしれない。 でも……俺たちは、それを選択しなかった。 「俺たちは、認められたかった」 「他の誰に認められなくても、姉さんだけには受け入れてほしかったんだ」 「達哉くん……」 姉さんの瞳に、涙が浮かぶ。 その涙は、大粒の雫となって姉さんの膝に落ちていく。 「姉さん」 「姉さんにとって、俺たちは迷惑な存在なのかな……」 「……っ」 俺の言葉に、姉さんは立ち上がった。 「私は……」 「あなたたちのことを、一度でも迷惑だなんて言ったことがある?」 姉さんの体が、大きく震えていた。 涙に濡れた頬が、紅潮する。 「私は、あなたたちのことを家族だと思っていたのよ……?」 「だから……最初から本当のことを言ってほしかったのよ」 「……」 「じゃあ、姉さんの言う家族ってなに?」 「俺と麻衣は、血が繋がってない」 「それにそもそも、姉さんだって従姉じゃないか」 「お兄ちゃんっ」 麻衣の制止を振り切って、俺は続けた。 「それとも姉さんは」 「俺と麻衣が愛し合ったら、もう俺たちのこと信頼してくれないの?」 「お兄ちゃん……っ」 「そうじゃないわ」 「じゃあ達哉くんは、私があなたたちのことを信頼してないと思ってるの?」 「そんなわけないじゃないか」 「だったら、どうして」 「……もう、やめてーっ!」 ……。 俺の前に、麻衣が立ちはだかった。 ぼろぼろと涙をこぼしながら、しきりに首を振っている。 「もう、やめて」 「こんなの、もう嫌だよ」 「麻衣……」 「もう、これ以上……」 「みんなを困らせたくないっ」 ばたんっ「麻衣っ!」 部屋を出て、ばたばたと階段を下りていく麻衣。 「麻衣ちゃん……」 「達哉くん、麻衣ちゃんを追いかけてっ」 「……」 「早くっ」 「わ、分かったっ」 俺は大急ぎで、麻衣のあとを追った……。 ……。 …………。 「麻衣ーっ!」 家を出て、大きな声で麻衣の名を呼ぶ。 ……やはり、返事はない。 「どこ行ったんだよ……」 ……。 ……。 ……。 ひたすら探し回って、川原に辿り着いた。 いつも麻衣が、フルートの練習に来る場所。 ……しかし。 麻衣は、どこにもいない。 「……」 俺は途方に暮れたまま、きょろきょろと周囲を見渡した。 何かある度に、いつもここに来ていたのに。 一体どこに行ったんだよ……。 「……?」 その時、俺は。 足元に白い紐のようなものが落ちているのを見つけた。 麻衣が、いつもフルートを吹いているあたりの場所だ。 「これは……」 拾い上げて、確信する。 これは、麻衣のリボンだ。 俺が子供の頃に麻衣と交わした、「約束」 の証……。 それがどうしてここに?……。 …………。 ~♪「……」 どこからともなく、フルートの音色が聞こえたような気がした。 いつも麻衣が奏でていた、あの曲。 題名も知らない、あの悲しそうな曲……。 「麻衣……」 俺は走り出した。 その音色を探すために、走り出した。 ……。 …………。 ~♪気のせいじゃない。 それは消え入りそうなほど、かすかな音だけれど……。 俺はひたすら走った。 少しずつ、フルートの音が大きくなっていく。 頼むから、そこにいてくれ……。 ……。 ~♪……辿り着いたのは、公園だった。 中央の小さな池のほとりに、麻衣は立っていた。 ~♪……ほどかれた髪が、風に舞う。 澄んだ音色が、空へと消えていく。 いつも楽しそうに、フルートを奏でていた麻衣が……。 今はとても、寂しそうな顔をしている。 「……」 俺はゆっくりと、麻衣のもとに近寄った。 ……。 「……」 俺に気づくと、麻衣は演奏をやめた。 そして伏し目がちに、水面を見つめる。 「……俺はいつも、麻衣を探してばかりいるな」 「……」 「ほら、忘れ物」 川原に落ちていた、リボンを差し出す。 しかし麻衣は、俺を見ない。 「……もう、いいの」 「え?」 「もういいの、約束もなにもかも……」 その表情には、諦めが漂っている。 「もういいって、どういうことだよ」 「あんな風に逃げ出したら、姉さんも心配するだろ」 「……」 「だって、逃げたかったの!」 俺へと一歩踏み出し、麻衣は叫ぶ。 「わたし、ずっと頑張らなきゃって思った」 「お兄ちゃんが好きだから……」 「お兄ちゃんと、ずっと一緒に生きていきたいから」 「どんなことでも頑張れるって思った」 「だけど……」 そこで、言葉が途切れた。 「……もう、麻衣は頑張れないのか?」 「俺たちのために、頑張ってはくれないのか?」 ……俺だって、何度も挫けそうになった。 分かり合えないことが、ただただ辛かった。 でも、俺は麻衣が好きだから。 麻衣と生きていきたいから……。 こうやって、麻衣を追いかけ続けてきたんだ。 「……わたしたちが、みんなを困らせてるんだよ?」 「わたしたちのわがままで、みんなに迷惑が……」 「そう思うなら、俺たちが幸せにならなくちゃ」 「俺たちが幸せになることで、みんなに恩を返せるんだよ」 「……」 涙が、風に飛ばされる。 麻衣はさらに一歩、俺に近寄った。 「……わたし、不安なの」 「またいつか、こうやって逃げ出してしまうんじゃないかって……」 「その時は、俺が麻衣を追う」 「何度だって、麻衣を探し出してみせる」 「……」 「うっ……うぅ……」 「お兄……ちゃん……っ……!」 ……俺の胸に、飛びついてくる麻衣。 その細い体を、力いっぱい抱きしめた。 ……。 「うぅ……お兄ちゃん……」 「ごめんなさいっ……」 「……俺の方こそ、一人で悩ませてごめんな」 「うぁ……うぅ……っ」 ただひたすら、泣きじゃくっている。 こんなに小さな体の中に、どれだけの痛みを抱えていたのだろう。 誰にも言えない恋を抱いて、誰にも言えない想いを育んで、誰にも言えないまま、心が挫けそうになって……。 今ようやく、俺のもとに帰ってきてくれたのだ。 「……もう、離さないからな」 「……」 「もう、離れないよ……っ」 涙でぐちゃぐちゃになった笑顔。 この笑顔を、ずっと見たかったんだ。 ……。 「……麻衣、帰ろう」 「俺たちのこと、みんなが待ってるぞ」 「うん」 「あっ……」 体の力が抜けたのか、麻衣の膝ががくりと崩れた。 俺は慌てて、腰を抱えた。 「だ、大丈夫か?」 「う、うん」 「お兄ちゃんの顔見たら、何か安心しちゃって……」 えへへ、とはにかむ麻衣。 「……」 「よし、じゃあ背中に乗れ」 そう言って、おんぶのポーズを取った。 「ええっ」 「だ、駄目だよ」 「何で?」 「だって、誰かに見られたら……」 「……もう、そんな心配をする必要はないんだよ」 「これからは、みんなに認めてもらうために頑張るんだからさ」 「……」 「そうだね」 ほっとしたように息を吐いてから、麻衣は俺の背中に覆い被さった。 俺は立ち上がり、公園の出口へと歩いていく。 麻衣の体はとても軽い。 子供の頃と、何も変わってないように思えて……。 確実に、何かが変わっているんだ。 「えへへ……」 「泣きすぎて、疲れちゃった」 「寝てていいよ」 「家に着いたら、起こしてやるから」 「……うん」 ……。 しばらくして、麻衣の寝息が聞こえてきた。 安心しきった子供みたいな、安らかな寝息……。 ……。 …………。 ……。 誰かが、わたしの髪を撫でている。 とてもあたたかくて、優しい手。 ……。 お母さん?……。 違う。 お母さんは、もういない。 ……。 じゃあ、わたしの髪を撫でるこの手は。 誰の手なの……?……。 …………。 ……。 「……?」 「お姉……ちゃん?」 「麻衣ちゃん……起きたの?」 ベッドに横たわる、わたしのそばにいたのは……。 お姉ちゃんだった。 「ごめんなさい、私が起こしちゃったのね」 「ううん……」 わたしの髪に触れる、お姉ちゃんの手……。 「……わたし、どうしてここに?」 「達哉くんが、おんぶして連れてきてくれたの」 「あんまりにもよく眠っていたようだから、起こすのもかわいそうで……」 「そうだったんだ……」 少しずつ思い出してきた。 公園でお兄ちゃんに会って。 おんぶしてもらって……。 そのまま泣き疲れて、眠ってしまったんだ。 「さっき、達哉くんに言われたわ」 「麻衣を怒らないでやってくれって……」 「……お兄ちゃんが?」 「ええ」 「ふふっ、私が怒るわけないじゃないの」 そう言って、微笑んだ。 「お姉ちゃん……」 また涙が溢れてくる。 でも、泣いちゃだめだ。 絶対泣いちゃだめなんだから……。 「お姉ちゃん……ごめんなさい」 「わたし、ずっとずっとお姉ちゃんに隠してて……」 「すごく……苦しかった……」 「……」 「謝らなきゃいけないのは、こっちの方よ」 「私は……たぶん」 「あなたたちと私が兄妹ではないことに、ずっと不安を感じていたんだと思うの」 「……」 「千春さんも、琴子さんもいなくなって……」 「急に私たち三人だけになってしまったでしょう?」 「私は、どうにかあなたたちに家族として認められたくて、必死だったわ」 「そう……なの?」 「ええ。 だって……」 「この家が、私のたった一つの居場所だったんですもの」 ……悲しそうな笑顔。 「だから、あなたたちに本当のことを打ち明けられて……」 「急に家族が壊れてしまうんじゃないかと思ってしまって……」 「不安でいっぱいになっちゃったのよね」 「お姉ちゃん……違うよ」 「家族を壊したいだなんて、わたしたち思ってない」 「……」 「……私を、家族だと認めてくれるの?」 「当たり前じゃない」 「わたしたちこそ、お姉ちゃんに本当の家族だって……認められたかったんだよ」 わたしはベッドから起き上がり、お姉ちゃんに抱きついた。 泣いちゃだめだって、分かってるのに。 どうしても涙が止まらない。 「うぅっ、お姉ちゃん……っ」 「……あらあら、泣き虫ね」 「本当に子供みたいなんだから……」 ……わたしを抱きしめる、お姉ちゃんの手が優しくて。 子供みたいに、泣きじゃくってしまう自分がいる。 「ねえ、麻衣ちゃん」 「……達哉くんは、あなたに優しくしてくれてる?」 「うんっ……」 「あなたを大事にしてくれてる?」 「うん……うんっ……」 何度も頷く。 「あなたは、達哉くんを愛している?」 「……うん」 「わたしはお兄ちゃんを……愛してるのっ……」 「……そう」 お姉ちゃんは、わたしの頬を両手で押さえた。 そして、まっすぐに目を見る。 「私の一番の幸せはね」 「あなたたちが幸せになることなの」 「……」 「もしあなたたちが、お互いを幸せにできるのなら……」 「これ以上の喜びは、他にないわ」 「お姉ちゃん……っ」 お姉ちゃんは、わたしを再び強く抱きしめた。 ふんわりとした、甘い香り。 懐かしいような、切ないような──胸をぎゅっと締めつけられるような──そんな香りに包まれながら、わたしは泣いた。 「麻衣、行くぞ」 「ちょ、ちょっとだけ待って」 朝食を食べ終わり、俺たちは川原に行く用意をしていた。 外は晴天。 高い雲がどこまでも伸びた、真夏の空。 「あ、達哉さん」 「ん?」 「はい、お弁当です」 そう言って、ミアは俺に紙袋を差し出した。 「何これ」 「ぱにーにですよ、ぱにーに」 「大きいぱにーにと小さいぱにーにが二つずつ入ってますので、仲良く食べて下さい」 「……了解」 俺は紙袋を受け取り、ソファーから立ち上がった。 「達哉」 「ん?」 ダイニングから、フィーナが顔を出す。 「さやかから伝言よ」 「今日の展示会は、必ず麻衣と一緒に観に来ること」 「はい、こっちも了解」 「夕方くらいに、麻衣と顔を出すよ」 そう答えると、フィーナは小さく微笑んだ。 ……昨夜。 姉さんは、泊まり込みの準備をして博物館へと出かけていった。 まだ体調は万全ではなかったが、さすがに居ても立ってもいられなくなったらしい。 カレンさんの協力もあって、予定通り展示会は開催される運びとなったそうだ。 またあの多忙な毎日が始まるのかと思うと、心配ではあったが……。 仕事のことをあれこれ考えている姉さんは、とても生き生きしているように見えた。 「お兄ちゃん、準備できたよ」 「おう」 「じゃあ、行くか」 「うん」 「気をつけて行ってらっしゃい」 「今日の夕飯は、流しそうめんですからね」 ……うちに流しそうめんの道具なんてあったっけ?ま、いいか。 「じゃ、行ってきます」 「行ってきまーす」 ……。 麻衣と二人で、いつもの練習場所まで歩く。 今日は土曜だからか、家族連れがあちこちで散歩を楽しんでいた。 水鳥たちが、ゆっくりと川を滑っていく。 魚のはねる音。 水面に映る、雲の影。 ……こんな風に、ゆっくりと周りの景色を眺めるのは久し振りだ。 昨日までの俺は、景色を眺める余裕すらなかったんだ……。 「ねえ、お兄ちゃん」 「ん?」 「昨日、わたしが寝てる間……お姉ちゃんと何話してたの?」 「……」 「いろんな話だよ」 「姉さんがうちに来てから、今までのこと……」 血の繋がりがないことへの不安。 家族が壊れることへの不安。 そして……。 お互いが、家族として認められたいと思っていたこと。 ずっとずっと話したくて、話せなかったこと全部。 もちろん姉さんだって、まだ完全に気持ちの整理がついたわけじゃない。 でも……これから少しずつ、お互いを理解していこう。 そんな前向きな話ができたことだけは、確かだった。 「麻衣は、姉さんと二人で何を話してたんだ?」 「……」 「えへへ」 「なんだ、その笑いは」 「恥ずかしくて教えられないよ」 「……ふうん」 もっと突っ込みたい気もしたが、とりあえずやめておいた。 俺の知らない、女同士の秘密があってもいいのかもしれないし。 ……。 いつもの練習場所に着くと、麻衣は早速フルートの準備をした。 「じゃあ、俺は寝てるから」 「わ、予告しちゃうんだ」 「久し振りなんだから、いいだろ」 「もちろん」 「じゃ、とびっきりのアルファー波出してあげる」 そんな冗談を言いながら、麻衣はフルートを構えた。 ……。 ~♪……耳元で揺れる、透明な音色。 昨日と同じ曲のはずなのに、今日は全く違った印象を受ける。 ……。 そうか。 麻衣は自分の気持ちを、誰かに打ち明ける代わりに……。 こうやって、フルートに託していたんだな。 一人きりの時も、誰かといる時も、俺と一緒にいる時も。 言葉ではなく音色で、気持ちを伝えようとしてたんだな……。 ……。 ……ふと、フルートの音色が止まる。 「麻衣?」 麻衣はフルートを握りしめたまま、遠くを見ていた。 そして──ポケットから、白いリボンを取り出した。 「それは……」 「お兄ちゃん」 「もう、いいよね?」 「……」 ……俺たちが交わした、約束の証。 『これから僕たちは本当の兄妹になるんだ』『血が繋がっていないことは、誰にも内緒だよ』約束を守りたくて、約束に縛られて、約束を守れなくて。 ……。 今、麻衣はその証を、自らの手で解放しようとしている。 「……」 「ずっと、大事に持っていようかと思ったけど……」 「わたしたちには、もうこの約束は必要じゃないんだよね」 「だから……」 俺は、リボンを持つ麻衣の手を取った。 俺たちが守り続けて、守れなかった約束。 今こそ、俺たちの手で解放しよう。 思い出のたくさん詰まった川に、解放しよう……。 「……手を、放すよ」 「うん……」 麻衣はリボンを握りしめた手を、少しずつ開いていった。 「あ……っ」 風に、二本の白いリボンがさらわれる。 互いを追い求めるように、くるくると宙に舞い……。 ……。 …………。 やがて、空の向こうへと消えていった。 「……」 「お兄ちゃん……」 「行っちゃったね」 「ああ」 「本当に……行っちゃった……」 「……」 「俺たちは、ずっとずっと一緒に生きていくんだ」 「だから、もう約束の証なんていらないんだよ」 「……うん」 「わたしはもう、約束なんていらない」 「お兄ちゃんがそばにいてくれれば、それでいい……」 麻衣は、俺の手を強く握りしめた。 流れゆくリボンを見つめる、その横顔は……。 とても美しくて。 とても凛として。 まるで少女時代の自分に別れを告げるかのように、大人びて見えた──……。 …………。 あれから、一年後──俺は無事に、満弦ヶ崎大学へと進学していた。 ほとんどの同級生たちが一緒に進学したので、新鮮味がないといえばないが……。 それでも、確実に俺の毎日は変化していた。 ……。 「今日も暑いわねえ……」 「暑いね……」 朝からエアコンをガンガンに入れ、ソファーで涼んでいる姉さん。 「暑いけど姉さん、そろそろ急がないと」 「ええ」 頷きはするものの、寝起きで頭が回らないようだ。 例によって、髪の毛が寝癖で大変なことになっている。 「お姉ちゃん、早くご飯食べないと仕事に遅れちゃうよ?」 「は~い」 麻衣に特濃アイス緑茶を手渡され、一気に飲み干す。 「……ぷはぁっ」 「やっと生き返ったわ」 「そうそう、その調子で早くご飯食べて」 麻衣に促され、ようやく立ち上がる。 「展示会の準備、どうなの?」 「まあ順調よ」 「新人も何人か増えたし、去年ほど忙しくはならないと思うわ」 ……そう言いつつ、さっそく昨日徹夜していたのは誰だろう。 俺と麻衣は顔を見合わせ、苦笑した。 「達哉くん、今日はバイト?」 「ううん、休み」 「あらそう」 「麻衣ちゃんは?」 「ん?」 ……。 「ああ、デート」 「な、なんで分かるのー」 「顔に書いてあるとはこのことよねえ」 「そういや、仁さんが姉さんとデートしたいってさ」 「仁くんはみんなにそう言うんだから」 「うーん、確かに」 「ふふふ」 「二人とも、今日は暑いんだから熱中症に注意するのよ?」 「はーい」 「はーい」 「……」 「まったく、返事だけは子供の頃のまんまなんだから」 姉さんはやれやれと笑いながら、ダイニングへと向かった。 ……。 俺と麻衣が恋人同士になっても、三人の生活は相変わらずだ。 誰かが家事をして、誰かが学校に行って、誰かが仕事して。 三人で笑って、たまにケンカしたりして、すぐ仲直りをして。 例え何があっても、すぐに元通りの関係に戻ることができる。 ……それが、本当の家族というものなのかもしれない。 ……。 「おはよーございまーす」 麻衣と家を出て、左門の前を通ると……。 仁さんが打ち水をしながら、俺たちに声をかけてきた。 「なんだいなんだい、デートかね君たちは」 「はい」 「はい」 同時に頷く俺たち。 「ああ、そうかい」 「やけに今日は暑いと思ったら、君たちのラブラブタイフーンのせいだったんだね」 「なんですかその、ラブラブタイフーンってのは」 「ただの例えだよ、例え」 「そういや、さやちゃんに例の話しといてくれたかな?」 「ああ……」 例のデートの話か。 「姉さん、仕事が恋人みたいです」 「……」 「おい、タツ」 脱力している仁さんの後ろから、おやっさんが登場した。 「はい?」 「菜月からの伝言だ」 「夏休み暇なんだったら、麻衣ちゃんと一緒に遊びに来いってさ」 「うぃーす」 「菜月に、美味い食い物屋に案内しろって伝えて下さい」 「おう、了解だ」 菜月は今、遠く離れた大学で新しい生活を始めている。 一度くらいは顔を見に行ってやるかと、ちょうど思っていたところだった。 「ほら仁、次は中の掃除だぞ」 「はいはい」 「それじゃあ君たち、良いデートを」 「はーい」 「失礼しまーす」 ……。 「麻衣、どこに行く?」 「うーん、そうだなあ……」 ……今日は、二週間ぶりのデート。 俺はバイトやら何やらで忙しく……。 麻衣は麻衣で、今年受験生なので勉強を疎かにするわけにはいかない。 せっかくの夏休みだというのに、そんなこんなでデートできる時間は少なかった。 「うーんうーん」 デートの目的地選びに、相当頭を悩ませているようだ。 「わたし、こうやってブラブラしてるだけで楽しいかも」 「そう?」 貧乏学生の俺にとっては嬉しい返答だが、果たしてそれでいいのだろうか……。 「よう、麻衣ちゃん、今日はデートかい?」 「はい、そうなんです」 「あらいいわねー、こりゃ暑いはずだわ」 「あははっ」 商店街を歩いていると、いろんな人が麻衣に声をかけてくる。 どれもがみな、仲の良い俺たちをひやかすような声だ。 ……。 こうやってみんなに、俺たちのことが認められるまで一年もかかってしまった。 もちろん、中には露骨に拒否反応を示す人もいた。 好奇な目で見られることもあった。 でも、それ以上に祝福してくれる人たちがいた。 だから俺たちは、二人で堂々と道を歩ける。 たくさんの人たちが応援してくれるから、何があっても二人でやっていけるんだ。 ……。 フィーナ。 そして、ミア。 一緒に過ごした時間は、たったの数ヶ月間だったけど……。 彼女たちがくれた笑顔や言葉の数々に、何度も何度も救われた。 あれから一年経った今でも、俺はつらいことがある度に月を見上げている。 あの月に二人がいると思うだけで、励まされる気がするから。 そこに月があるだけで……。 ……。 「……麻衣」 「なあに?」 「手を繋ごうか」 「……いいの?」 「当たり前だろ」 「俺たちは、恋人同士なんだから」 そう言うと、麻衣はにぱっと笑い……。 俺に向けて、手を伸ばした。 太陽の光を浴びて、薬指の小さな石がキラキラと光る。 永遠に失われることのないその輝きが、麻衣の瞳に反射した。 「……わたし、今大きな声で叫びたい気分」 「何て?」 「わたしの彼氏は、お兄ちゃんなんです……って」 「……」 「俺は、お兄ちゃんじゃないだろ?」 そう言うと、麻衣は口元に手をあてた。 「あぁ、そうだった」 「えと……」 「うん」 「……」 「達哉」 「何だって?」 「んもう……」 「達哉」 耳元で、そっと囁く。 「達哉、愛してる……」 ……。 俺たちは笑いながら、手を繋いで歩き続ける。 泣き虫だった子供時代の麻衣。 兄妹になろうと誓ったあの日の麻衣。 やがて恋を覚えた思春期の麻衣。 初めて気持ちが通じ合った一年前の麻衣。 ……そして今も、麻衣は俺の隣で歩いている。 だから、これからも。 永遠に二人で、歩き続けることができますように。 あの空に浮かぶ、昼間の月に──そう願った。 ……。 この日最後の号令がかかり、教室が喧騒に包まれた。 「菜月、もう帰れる?」 「大丈夫。 行こっか」 と、菜月がイスから腰を浮かせたところで「鷹見沢、ちょっと」 お呼びがかかった。 「あ、はーいっ」 「何かあったのか?」 「ううん、違うと思う」 「ちょっと行ってくるね」 菜月が小走りに教卓に向かう。 どうやら、呼ばれた理由に心当たりがあるようだ。 ……。 少しして戻ってきた菜月の手には、茶封筒があった。 「ふふ、これもらっちゃった」 菜月が、封筒から数枚の資料を取り出す。 一番上の紙には『推薦入学試験要項』と太字で印刷されていた。 「推薦申し込んだの」 「え……」 予想だにしなかった菜月の言葉。 一瞬、意味が分からなかった。 「そっか、推薦か」 「うん。 驚いた?」 「かなり」 「試験、来週なんだ」 「全然知らなかった」 「なんとなく言いそびれちゃってさ」 菜月がぺろっと舌を出す。 「出願前に相談してくれてもいいじゃないか」 「ごめんね」 申し訳無さそうに書類を封筒にしまう。 「でもさ……」 「何でもかんでも相談するわけにはいかないでしょ?」 「それは、まあ……」 「でも、あれだ。 せっかく受験するなら頑張って合格しろよ」 「ありがと」 「頑張るよ、約束だしね」 「え?」 約束って……何?「やっほー、なっつき。 旦那と喋ってるとこ悪いんだけどさ」 「夫婦じゃないっ」 「きゃははははっ、おーけーおーけー、夫婦じゃない夫婦じゃない」 「でもさ……あははははっ」 翠の笑い声に引かれて、フィーナも近づいてくる。 「遠山さん、笑いすぎよ」 そう言うフィーナも口元を手で隠している。 「で、どうしたの?」 「うん、あのね、今日ウチの班が2人休みでさ」 「掃除?」 「うん、手伝ってもらえない?」 「もちろん、旦那がOKなら、でいいけど」 ピッと立てた人差し指で俺の胸をつつく。 「くすぐったいなぁ」 「時間あるよね?」 「そうだな……」 見上げた時計は、まだ余裕がある時刻を指していた。 「ああ、大丈夫」 「よーし、やろっか」 菜月がカバンを机に載せ、掃除当番の輪に入る。 それだけで、一同が活気づいた。 「ありがとう、菜月」 「ううん、いいよ」 「さ、何からしよっか?」 菜月は、よく人からものを頼まれる。 まず断らないし、仕事もきっちり。 何より、楽しんで手伝ってくれるから、頼む方も気持ちがいいのだ。 「俺も手伝うよ」 菜月に負けじと、元気良く腕をまくった。 「さんきゅ、朝霧君っ」 「いやぁ~、助かった~」 「本当。 二人のお陰ね」 「褒めすぎだよ、ねえ?」 「ああ」 「それに、菜月は頑張ってたかもしれんが、俺は普通だったぞ」 「いやいや、菜月が頑張れるのも、頼もしい旦那がいてこそだよ」 「だ、旦那じゃないって……ねえ?」 「ああ」 「ふふふ。 息が合っていて、うらやましい」 フィーナが目を細める。 「やだ、そんなフィーナ。 ……ねえ?」 「あ、あああ……」 分かっているのか分かっていないのか、赤い顔で俺に聞いてくる菜月。 「きゃははははっ、もうだめ、良すぎるっ、はあっ、はあっ」 呼吸困難直前の遠山。 「……」 さすがにウケすぎだと思うが……。 「そう言えば……先ほどは何の話を?」 「そうそうそう、深刻な顔してさ」 「あ、うん。 大学の推薦を受けることになって」 「それは、どんなものなの?」 「大学ごとに『あなたの学院からは何人取りますよ』みたいな優先枠があって」 「学院から、その枠の学生として推薦してもらうんだ」 「では、試験はないのかしら」 「面接と筆記試験があるよ。 合格率は高いけど」 「日頃の努力が評価されるということね」 「菜月はいつも頑張ってるもんね」 「ええ、菜月のような人にこそ、ふさわしい制度だわ」 「あの、そ、そんな、面と向かって……」 フィーナに真顔で褒められて、菜月の顔が一瞬で沸騰する。 絵に書いたようなテレっぷりだ。 「でたぁー。 菜月の瞬間沸騰」 「あ~、今日は学院来て良かったぁ~」 ご満悦な遠山。 「遠山は、楽しみを感じるポイントが親父っぽいな」 「うっ、直接的っ」 「ところで、大学では何を勉強するの?」 パタパタと、手で顔を扇いでいた菜月の動きが止まる。 「えっと、獣医学」 「獣医か……」 菜月は、前から獣医になりたいと言っていた。 せっかく受験するなら、合格して夢を追って欲しいと思う。 「でも、私たちのクラスは文科系のはずだけれど?」 「いやいやいやいや」 「そこは不利になると分かっていながらも、朝霧君と同じクラスがいいってハナシ」 「じゃないけどね」 「そりゃそうだ」 「朝霧君、もうちょっと残念がってもいいんじゃないかな」 「あのな、菜月の将来の話なんだからさ、真面目に……なあ?」 「えっ」 「……あ、う、うん」 視線を泳がせながら俯く。 「でも、菜月はすごいよ。 私なんか志望校も決めてないのに、なりたいものまで決まってるんだもん」 「ああぁぁ、もうこの話は終わり、ね、終わり終わり」 両手を顔の前で振って、菜月は先に立って歩き始めた。 「こら菜月、もっと聞かせろ~」 「ふふ、恥ずかしがらせてしまったわね」 「ああ」 日差しが弱まる気配のない、夏の午後。 賑やかな帰り道だった。 この日も、いつも通り左門でバイトに勤しむ。 あっという間に夜9時半を回り、クローズ作業も一段落した。 「お疲れ様。 はい」 菜月が野菜ジュースを差し出す。 「ああ、お疲れ」 「僕にはないのかな?」 「冷蔵庫の中にあるけど」 「妹想いな僕の、精一杯の配慮だというのに……いや、いいんだ」 「何よ?」 「少しでも動いた方が、重量上の問題をぉぉわたぁっ」 仁の側頭部をしゃもじが痛打した。 「お見事」 「あらやだ、それほどでも」 と、空になったグラスを持って洗い場に引っ込む。 ……。 「あ、そーだ。 明日さぁ」 洗い場からの声。 「ん?」 「明日、お弁当作るから」 「ふうん」 「『ふうん』じゃなくて、前に私の料理をカーボン呼ばわりしたでしょ?」 「呼ばわりというか、事実だしな」 「そこで一計を案じたわけですよ」 「聞いてないな」 「はい?」 「いや、先をどうぞ」 「というわけで、私の本当の力を見せてあげる」 「手間だろうし、別にいいって」 「まあまあまあまあ」 「いや、カーボンってのは言葉の綾だから、そんな」 「いいじゃない、作るのは私なんだから」 「ああ。 その上食べるのは僕だし、作って頂いて全く問題は無い」 「新事実ね」 「僕も明日は、親父のお遣いで遠出なんだよ」 「ご苦労様」 「聞いたかい達哉君。 ひどい妹だよ。 その上最近は体重をしきりと気にしている」 「関係無いでしょ」 「それに、いつものことでは?」 「確かに、そう言えばそうだね」 「はぷっ」 「もうカーボンなんて言わせないから、覚悟してらっしゃい」 「う、うん」 ……。 「それじゃあ、行ってきますね」 「いってらっしゃい。 今日も頑張ってね」 「はい、頑張りますよ」 「いってらっしゃい」 「あ、そうそう」 姉さんが俺を手招きする。 「どうしたの?」 「昨日の夜、菜月ちゃんが」 「菜月が、何かあったの?」 朝から菜月の名前が出たことにちょっと驚く。 「うふふ、心配しないで」 「夜遅くまでお店でお料理していたみたいだから、どうしたのかなって」 「ああ、今日お弁当を作るんだって」 「あら。 あらあらあらあら」 「どうしたの?」 「いや、あの。 菜月がおべ……もごっ」 姉さんが、ふわりと俺の口をふさぐ。 「おべ?」 「まあまあ、ここはそっとしておきましょう」 「どういうこと?」 「うふふふ。 それじゃ、行ってきます」 「あ、お姉ちゃん、今日降るかもって」 「そうなの? ありがと、麻衣ちゃん」 姉さんは棚から折りたたみ傘を取り出す。 「あ、さやかさん、いってらっしゃいませ」 「いってらっしゃい」 部屋から、身支度を済ませたフィーナとミアが出てきた。 「はい、改めて行ってきます」 傘を軽く振って、姉さんは出かけていった。 ……。 「じー」 ……。 …………。 麻衣が俺を見つめる。 「な、何?」 「菜月ちゃんが何だって?」 「菜月がどうかしたの?」 「まあ、心配です」 3人の好奇の視線が俺に注がれる。 とは言え、姉さんもそっとしておけと言っていたし……。 「いや、特には」 「ええ~教えてよ~」 「まさか達哉が菜月に何かしたの?」 フィーナが整った眉を吊り上げた。 顔が整っている分、迫力がある。 「いや、本当に何でもないから」 「……さ、そろそろ出ないと遅刻するぞ」 「もー、お兄ちゃんはー」 「達哉、約束は覚えてるよね」 誇らしげにお弁当の包みを、俺の目の前でプラプラさせる。 「ああ、どこで食べる?」 「せっかくのお弁当だし、中庭でどう?」 「そうねえ」 「教室で仲良くお弁当なんてつついてると、私が奇声を発するかもしれないしね」 やれやれ、といった表情の遠山。 訳が分からない。 「なんでさ」 「なんでさって、何で分からないのかこっちが聞きたいよ」 「そーゆー話じゃないって、もうぜんぜん」 菜月まで変なことを言い出す。 「そーゆーってどんな?」 「……うわぁ」 「ど、どんなって、ほら。 奥さんとか旦那とか……ごにょごにょ」 「あーもー、周りに毒だから、さっさと中庭でもどこでも行っちゃいなさい」 言うなり、遠山は俺たちの背中をずずいと押した。 中庭のベンチに菜月と腰を下ろす。 「まったく、遠山は元気だよな」 「もういいじゃない」 「それより、これこれ」 ベンチに置いた包みを開く。 飾り気のないアルミの弁当箱が現れた。 「もうカーボンなんて言えなくなるからね」 「ほう」 「さ、遠慮なくどうぞ」 言いながら、菜月は弁当箱から目を逸らしている。 どうやら緊張しているらしい。 「じゃ、お言葉に甘えて……」 弁当箱を手に取り、ふたを開けた。 白米の中心に、鮮やかな小梅が一個。 申し分のない日の丸弁当だった。 ……。 …………。 「確かに、これをカーボンにするのは難しい」 「ふっふっふ、カーボンもダイヤモンドも由来は一緒」 まだ目をつぶっている菜月。 「ダイヤって言うか、銀だよ、シャリ」 「ご飯じゃなくて、おかずを見てよ。 金色に輝く玉子焼きとかさ」 大きなトラブルが発生しているような気がする。 「……菜月、これ何?」 「ん、どれどれ?」 「これ」 日の丸弁当を差し出す。 「ふぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」 中庭にいた、恐らく全員がこっちを向いた。 「どういうこと? ねえ、ナニコレ?」 「胸倉を、つかむな、こら、落とすからっ」 「どうしてコイツがここに」 「落ち着け、落ち着けよ」 「……ああぁぁぁ」 煙を吐きながら、菜月はガクリとうなだれた。 周囲の学生は、事態が終息したと見たのか、各自の話題に戻っていく。 「それ、兄さんの」 「大筋で読めた」 「達哉に作ったやつ、間違って持って行かれちゃったみたい」 「……ううううぅぅぅ」 泣き出しそうな菜月。 俺は箸を取り、ご飯を口に運ぶ。 「うん、上手いよ。 良く炊けてる」 「ふぇ?」 「冷めても美味しいなんて、なかなかできるもんじゃないよ」 「だ、だけどさぁ」 菜月は俯いてもじもじしている。 「結局作ってあげたんだ。 昨日は邪険にしてたのに」 「だってさ、兄さんしつこいから」 「なんだかんだ言って優しいな、菜月は」 ぽむっと音を立てて菜月が赤くなる。 「なななな、何を言うのよ、もう、達哉は」 「あはははっ、テレてやんの」 「あーもー」 「あははははははっ」 「そーゆー風に人をからかう人は、こーしてやる」 「え、何?」 菜月は俺から箸を奪うと、これ見よがしに「はい、あーん」 と、ご飯を差し出す。 「お、おい、菜月、やめろよ」 菜月に見つめられて、顔が熱くなってくる。 「ん? ほら、どうしたの?」 更に俺の目を覗き込んでくる菜月。 耐え切れなくなって視線を逸らす。 ……。 逸らした先では、フィーナと麻衣が俺たちを見て硬直していた。 「あ」 「チャンスッ」 口にご飯を放り込まれる。 それを見たフィーナと麻衣は、俯いて足早に立ち去った。 ……。 ……うへえ。 「おいし?」 もはや頷くしかない。 「そ、良かった」 菜月の芝居がかった笑顔が、網膜に焼きついた。 家に帰ったら、どんなからかわれ方をするのだろうか……。 ……。 学院からの帰り道。 商店街に入ると、甘い香りが漂ってきた。 「……うぅ、この香りは」 「タイヤキなんて食べたら、後悔するんじゃないのか」 「でも、今日はお昼食べなかったしさ」 「そういえば、菜月は弁当どうしたんだ?」 「私? 私は、ほら、3つ作る時間なかったから……」 「なんだそりゃ」 結局、仁さんと俺の弁当だけ作ったのか。 「何味がいいんだ?」 「え?」 「タイヤキ」 「おごってくれるの?」 「ああ、早く決めろよ」 瞳を輝かせる菜月。 俺は、気恥ずかしくなって、そっけなく返事をした。 「じゃあね……えっと……」 「俺はプレーンに決めた」 「ちょっと待ってよ」 「どうしよ、んーと、クリームかな? あーでも、チーズかな?」 「じゃ両方ね」 「うーごめん、ありがと。 でも今月平気?」 「あはは、タイヤキで破産はしないさ。 心配するなよ」 タイヤキ屋のおじさんにオーダーを告げる。 威勢のいい返事とともに、ガラスの向こうの鉄板に生地が流しこまれた。 「う~ん、甘くておいし~」 「こっちも、尻尾まであんこぎっしりだ」 「そりゃそうよ。 うちの商店街にはケチケチしたお店なんてないもの」 自分のことのように胸を張る。 「こっちのチーズは、コクがあって美味しい」 歩道のベンチに並んで腰を下ろし、タイヤキをほおばる。 ……。 ポツ……ポツ「あれ?」 ポツ ポツポツ ポツ ポツ「雨?」 見上げた空には、いつの間にか黒い雲が立ち込めていた。 そう言えば、麻衣が雨降るって言ってたな……。 などど考えている間にも、雨脚が強まる。 「ほら、走らないと」 「分かった」 食べかけのタイヤキを口に放り込み、俺たちは走り出した。 タッタッタッタッタタッタッタッタッタザーーーーーーーー「おわあああぁぁぁっ」 「ひええええぇぇぇっ」 タッタッタッタッタ「うっひゃあ……」 「いきなり来たなぁ」 俺たちの服からはパタパタと雫が落ち、左門のタイルにしみを作る。 「夏は夕立があるから油断できないよね」 「まったくだよ。 とにかく体拭かないと……いくしょんっ」 「あーもー」 「あれ、ここの柵、ちょっと壊れてる」 「柵は後でいいから、ほらほらほらほら、中入ろ」 「ああ、うん……」 ガチャ「お父さん、タオルお願いー」 「お帰り、やられたなー」 おやっさんが、奥からタオルをぽんぽん投げてくる。 「ほら、はーやーくー」 菜月が俺の頭をタオルで拭いてくる。 「うああぁ、いい、自分でやるから」 「ダメ、風邪引くとすぐ熱出すでしょ」 ごしごしごしごしごし「いつ誰が熱出したんだよ、うわっぷ」 何が彼女を駆り立てるのか、俺の頭を拭き続ける。 いい加減抵抗を諦め、イスに座ってされるがままになる。 「あのさ、菜月」 「なに?」 タオルの向こうから声がする。 「俺、そんな病弱に見られてるのか?」 「達哉の場合は、1回1回がヘビーなの」 ごしごしごしごしごし「そうか?」 「そうなの」 頭をくらくらと揺すられて、何だかぼんやりしてきた。 昔から菜月は、俺が雨で濡れると妙にまめまめしく面倒を見てくれた。 菜月にこんなことされるのも、今年で最後になるのかもしれない。 「大学の推薦さあ」 ごしごし……ごしごし頭を拭く力が弱くなる。 「昨日、約束って言ってたじゃない」 「……うん」 「あれってさぁ……」 「その話は、恥ずかしいからナシ」 「何で恥ずかしいのさ?」 ごしッごしごしごしごしごしごし「いたたたたっ」 「はい、終わり」 菜月は手を止めると、軽く俺の頭を叩いた。 「でも、今日のは驚いたよ」 夕食の時間。 案の定、昼休みの話題が持ち上がった。 「ふふっ、目を疑ったわ」 「あらあら、ずいぶん楽しんだようですね」 「違うって。 あれは俺を恥ずかしがらせようとしてしたことだよ」 「そうです。 私たち、全然そんな関係じゃないし、ねえ?」 「もちろん」 答える時、かすかな痛みが胸を走った気がした。 しかしそれも、一瞬で消える。 「お似合いのお二人だと思っておりましたが」 「本当に違うから、なあ」 「うん。 ただ付き合いが長いだけ」 「くすっ、そういうこと言って、後で後悔しても知らないよ」 「しないよ」 「あらあら」 「今日は若い二人の門出を祝って、僕が腕を振るわせてもらったよ」 仁さんが大皿を両手に持って現れる。 テーブルに置かれた皿には、チキンのトマト煮とラザニアが盛られていた。 「仁さん、話聞いてないでしょ」 「うっわー、すごい」 「まあ、とてもおいしそう」 上品な声を上げるフィーナ。 なんだか白々しく見えるのは気のせいか。 「まかないにしては、豪華なものですね」 「頂いちゃっていいの?」 「もちろん。 僕からの気持ちだよ。 ねえ菜月?」 わざとらしく笑う仁さん。 「ふうん……ま、許してあげてもいいかな」 「あっはっはっは」 「最終的には、きっと僕を愛のキューピットだと思うようになるさ」 「ならないから」 「まあまあ、仁もせっかく作ったんだし、冷めないうちに食べてやってくれよ」 「では、取り分けさせて頂きます」 「ミアちゃん、トマト多目にしてね」 「はい、かしこまりました」 「今日は鶏肉気分です」 「くすくす、はい」 小皿に取り分けられた料理から湯気が上がり、いやが上にも期待が高まる。 「さ、どんどん食べてくれたまえ」 「よーし、いただきまーす」 という菜月の声に「いただきます」 の唱和が続き、この日の夕食が始まった。 ……。 カンカンカンカンカンコンカンコン壊れていた左門の柵は、結局俺が直すことになった。 7月中旬の直射日光が容赦なく降り注ぐ。 かなづちを振るう度に額からは汗が飛ぶ。 ガチャ「お疲れさまー。 ちょっと休んだら」 「あー、もうちょっとだからやっちゃうよ」 「そう? 飲み物持ってこようか?」 「大丈夫。 暑いから中で待ってなよ」 「もう」 タッタッタッタ小走りに菜月が店の中に入っていく。 再び現れた菜月が「うわああっ」 俺の首筋に冷たいタオルを巻きつけた。 「気持ちいいでしょ?」 「いいけど、びっくりするじゃないか」 「あんまり根つめてると、熱射病になっちゃうよ」 「……そうだな」 「はい、休憩休憩」 俺は左門の入口に続く階段に腰を下ろし、冷えたタオルで顔をぬぐう。 生き返る心地良さだ。 「これもどうぞ」 差し出された水を受け取り、一気に飲み干す。 いくらかこぼれて、コンクリートに染みを作る。 それも、一瞬で消えてしまう今日の暑さだ。 「生き返った~」 「定期的に休憩を取らないと、こういう日は危ないよ」 「悪いな、心配かけて」 「いいのよ、仕事を頼んでるのはこっちだから」 「隣、いい?」 俺の隣を指差す。 無言でスペースを取ると、菜月が腰を下ろした。 「柵、直りそう?」 「もう少しで直るよ」 「そっか。 達哉が日曜大工得意でよかった」 「大工ってほどのことじゃないさ」 「それでもありがと」 それっきり菜月が黙って、沈黙が流れた。 何か俺に言いたいことがあるような気がする。 ……。 …………。 「あのさ、明日、試験なんだ」 試験?そうか、来週だって言ってたな。 「頑張って合格しろよ」 「心がこもってないなぁ」 「そんなことないさ」 そう反論しながらも、心の中では菜月の指摘に頷いていた。 ただ自分の言葉が虚ろな理由が、いまいち分からない。 菜月に合格して欲しくない……って訳ではない、はずだ。 「いや、そんなことないさ」 「何で2回言うかな」 「応援してる」 言葉を重ねるほど、空虚さが募る。 「大学、遠いんだ」 ジーワ、ジーワ、ジージージー遠くでセミの声が聞こえた。 「一人暮らしか」 「受かればね」 「受かるさ。 菜月は一生懸命やってるから」 「うん」 「さ、仕事再開」 会話を断ち切るように、俺は立ち上がる。 「あのさ……」 「ん?」 座ったままの菜月と目が合う。 ……。 …………。 「頑張るよ」 「ああ、頑張れ……水、ありがと」 ブツ切れにそう言って、俺は作業に戻った。 強烈な日差しの下、どこか醒めた空気が俺たちを包んでいた。 試験当日。 菜月が家を出たのは、いつもより早い時間だった。 「行ってきますっ」 「菜月ちゃん、慌てずにしっかりね」 「菜月ちゃんファイト」 「頑張って下さい」 「菜月、良い結果を待っているわね」 フィーナが明るい笑顔を見せる。 一国の姫として、激励の場はいくつも経験しているのだろう。 なぜか、期待に応えたいと思わせる笑顔だ。 「ありがとう」 そう答えた菜月が、ゆっくりと俺を見た。 「行ってこい」 「うん、頑張ってくるよ」 元気なガッツポーズを見せる。 先日あった得体の知れない雰囲気は、どこかへ消し飛んでいた。 「道草して試験に遅刻するなよ」 「大丈夫。 これもあるしね」 と、お守りをプラプラさせる。 どこかの神社のものだろうか。 「気をつけてな」 「ここで、お袋からの電報を読ませて頂きます」 「え」 「準備がいいですね」 菜月の母親──鷹見沢春日(ハルヒ)さんは、現在ミラノで料理の修業中だ。 名前の通り、とても明るくて可愛らしい女性だったと思う。 ……。 「それでそれで?」 「『キバレ』……以上」 「おいおいおいおい」 「何かもうちょっとあってもいいよなぁ」 「まあ、親父もお袋のそんなところが良くて結婚したのだけどね」 「ははは、まあそういうことだな……ってお前が言うことじゃないだろ」 「まあ、綺麗なノリツッコミですね」 「お姉ちゃん、話がズレてるよ」 「菜月、お母様のメッセージはどう?」 「お母さんらしくて良かったと思うよ」 「菜月、そろそろ時間が」 「あ、そうだね。 じゃあ、行ってきます」 そう言って、菜月は元気良く出発した。 「姫さま、『キバレ』とはどういう意味ですか?」 「恐らく、頑張れという意味のスラングね」 「なるほど、さすがは姫さま」 そんなやり取りが小声でなされていたが、聞かなかったことにした。 菜月不在のため、この日の掃除班は俺を含め4人だった。 なんとなく雰囲気も盛り上がらず、淡々と義務的に作業をこなす。 菜月が、いわゆるムードメーカーであることを思い知らされた。 「じゃ、また明日」 口々にお別れを言って廊下に向かう。 「きゃっ!?」 「おわぁっ」 ドサドサドサッ「いったーー。 あれれ、朝霧君」 書類の紙ふぶきが舞う中、しりもちをついていたのは遠山だった。 「遠山……悪かった。 ボーっとしてた」 「えへへ、気にしないで」 「菜月のことでも考えてた」 「いつもそっちに引っ張るな」 「いやあ、興味津々なお年頃ですから」 たはは、と笑う遠山に手を貸して立ち上がらせる。 「ごめんな、前見てなくて」 「いいって、いいって」 遠山と手分けして、散乱した書類をダンボールに戻す。 見たとところ、進路指導資料のようだ。 「宮下先生に頼まれちゃってさ。 これ製本しろって」 書類を拾いながら時計を見る。 「30分くらいなら大丈夫だよ」 「さんきゅ。 話が早くて助かっちゃう」 と、茶目っ気がある笑顔を浮かべる遠山。 作業は単純で「5枚の資料を束ねて綴じる」 を約30回。 さっき撒き散らしてしまった分、ページを整えるのに多少時間がかかった。 「菜月って、今日試験なんでしょ?」 作業中、遠山が話しかけてくる。 「みたい」 「受かるといいよね」 「ああ」 「心がこもってないなぁ、受かって欲しくないの?」 「受かって欲しいさ」 「そうよねー。 菜月みたいな頑張り屋さんが報われなかったら、世の中真っ暗ってなもんだよ」 「まったくだ」 「朝霧君は進路考えてる?」 「はっきりとは決めてないよ」 「なははは、わたしも」 「手を動かさないと、30分で終わらないぞ」 「わーわー、ごめん」 ……。 ぱちん……。 ぱちん「でも、朝霧君って真面目だよね」 「そう?」 「なんとなくね」 「もうちょっと柔らかい方がいいかな?」 「ん~、どうかなぁ」 熟考する遠山。 「手、止まってる」 「わお、ごめん」 ぱちん……。 「悪くないよ」 「は?」 「今くらいでちょうどいいんじゃいないって話」 「ああ。 ……でも意外だよ」 「何が?」 「もっと賑やかに仕事するかと思ってた」 「え? わたし?」 「いつも元気じゃないか」 「あははは」 言葉の通り、遠山はもっと賑やかだと思っていた。 と言うか、いつもはもっと賑やかだ。 今は……どことなく緊張しているような気がしないでもない。 「ま、そういう日もあるってことですよ」 ……。 ぱちん「はーい、終了」 「よし、時間内だ」 「いえーいっ!」 キメのポーズを取る遠山。 「朝霧君もやってよ」 「い、いえーい」 「それそれ」 「じゃ、悪いけど俺バイトあるから急ぐわ。 後、大丈夫?」 「うん、持ってくだけだから」 「ホントありがとね」 「いいって、気にするなよ。 じゃまた明日」 「まったねー」 元気に手を振る遠山。 その姿には、どことなく名残惜しさがあったように見えた。 「職員室寄ってくから、先帰ってて」 放課後になってすぐ、菜月が言ってきた。 「仕事は間に合う?」 「うん、5時までには帰れると思う。 じゃ、また左門で」 もう試験結果が分かるのだろうか。 菜月の背中を見ながら、ちょっと取り残されたような気持ちになった。 「朝霧君」 背後からの声に振り向くと、遠山が駆けてきた。 「暑いんだから、そんな走るなよ」 「あははは、わたしはこのくらいの方が調子いいの」 隣に滑り込んだ遠山が朗らかに笑う。 「菜月は?」 「職員室」 「試験の話かな」 「かもなあ」 ふと、視線を感じて校舎に目を遣る。 ……が、格別のことはない。 「夏休みさ、何かネタはあるの?」 「今年はフィーナもいるし、いつもとは違いそう」 「おおー、申し分ないじゃない」 「遠山は?」 「わたしは……ネタ、大募集中」 「学院生活最後の夏休みだってのに」 「勉強しろってことかなあ」 「……それ言っちゃあ」 遠山と作った進路指導資料は、帰りのホームルームで配られた。 内容はお決まりのものだったが、菜月が身近にいるせいか焦燥感は強かった。 「菜月は偉いよねぇ……」 遠山も同じ気持ちのようだ。 「うん。 俺も真剣に考えないと」 「うちの大学に進むんじゃないの?」 「月のことをやるなら、それが一番だとは思うけど……」 「心配でもあるの?」 「あ、特にないよ」 遠山の質問に戸惑った。 いつの間にか、附属の大学に進むことへの迷いが生まれていたのだ。 「……いや、そうなると思うけど」 月の勉強がしたかった。 だからカテリナに入ったし、そのまま大学に進みたかった。 ついさっきまで、そう思っていたのにどうして……。 「わたしもぼちぼち考えないと」 「ゆっくり考えるのがいいよ、人生のことだから」 「大人なアドバイス、どうもです」 「ありがとうございましたっ」 「またお越し下さいませ」 今日、最後のお客様が帰って行った。 「菜月」 「なに?」 「ダスター取って」 「はい」 「機嫌悪くないか?」 「べ、別にそんなことないけど」 学院から帰ってきた菜月は、ずっとこんな調子だ。 どことなくぶっきらぼうで、落ち着きがない。 「達哉君」 カウンターの奥で仁さんが手招きする。 「気づいていると思うけれど、菜月はどうしたのかね?」 「分かりません」 「学院で破廉恥な行為に及ぼうとしたりしたのではないのかね?」 「してません。 本人に聞くのが早いんじゃ?」 「菜月も分からないと言っているんだよ、これが」 「分からない?」 「なぜか機嫌が悪いんだって、本人も悩んでたよ」 「はあ」 「さてさて、何があったのやら」 大げさに考える仕草をする仁さん。 「ほーら、喋ってないで仕事してよ」 「すいません」 まかないも食べ終わり、全ての片づけが終了した左門。 「お疲れ様、また明日」 「ねえ、達哉?」 おずおずと菜月が話しかけてきた。 「どうした?」 「あのさ、今日はごめんね。 嫌な思いをさせちゃったかもしれない」 「気にするなよ」 「明日になれば直るから、きっと」 「ああ」 「それと……」 「明日、試験の結果が分かるみたい」 胸がドキリと鳴ったが、すぐに心を落ち着ける。 「きっと受かるよ、菜月は頑張ってたし」 「そうだといいんだけど」 「大丈夫さ、ゆっくり寝ろよ」 「うん、お疲れ様」 「お疲れ」 ……。 …………。 ドサッ……。 何だろう、このモヤモヤした感覚は。 心から菜月の合格を祈れていないというか──心から合格を祈っている俺を見下ろしている自分がいるというか──心と体がバラバラに動いている感じだ。 上半身を起こす。 向かいの部屋には明かりが灯り、机に向かう菜月のシルエットが浮かんでいる。 俺以上にバイトをしてなお、しっかりと目標を定めて励んでいる菜月。 大学にいったらどうなるのだろうか?一人暮らしをしたり、彼氏ができたりして、きっと変わっていくのだろう。 菜月だけが先へ進んでいく。 俺は、俺は追いついていけるのだろうか。 ……。 昼休みに入ると、菜月は昼食も取らず職員室に向かった。 教室には、どことなく浮ついた雰囲気が漂っている。 クラスメートは、菜月が呼び出された理由を察しているようだ。 「ねえねえねえねえ、きっと試験の結果だよね」 「う、うん」 「どーしったの?」 「きゃはははっ、寂しいんでしょ~?」 「何で俺が」 「だって、奥さんと離れ離れになっちゃうでしょ?」 「そういうんじゃないから」 「ふーん、いーけどねー」 教室が騒がしくなる。 「あっ、来たんじゃない?」 「う、うん」 クラスメート達の視線が、教室の前扉に注がれる。 ……。 …………。 菜月が現れた。 俺は菜月を正視できずに、視線を逸らす。 教室が沸いた。 「きゃああぁぁー、菜月すっごーいっ」 「やったーーーっ」 「おおおおおおおぉぉぉっ」 「オメデトー」 「すげーぞーーっ」 「や、やだもう。 そんな、運が良かっただけだって」 視線を戻すと、菜月の周りには人垣ができていた。 その中心で沸騰している菜月。 ……。 彼らを離れたところから見ている俺。 自分が何を考え、何をしているのか、それすらも曖昧だ。 ただ浮遊しているような感覚が全身を包んでいる。 「おめでとう」 どうにか言葉を発する。 声が届いたのか、菜月は俺に向かっていつぞやのお守りを振って見せた。 ……。 …………。 「達哉は、輪に入らなくていいのかしら?」 いつの間にか、隣にフィーナが立っていた。 「いや、俺は家に帰ってからも祝えるからさ」 「ふふふ、そうね」 「パーティーを開かないとな」 「ええ、すばらしいパーティーにしましょう」 フィーナがまぶしそうに菜月を見る。 菜月はじっとこちらを見ていた。 その表情には大きな喜びと、少しの陰りが見て取れた。 この日の放課後も、菜月は職員室へ呼ばれていった。 学院から推薦されるということで、いろいろと手続きや注意があるらしい。 「今日は、本当に良い日になったわ」 「日ごろの努力が報われたということね」 「うん」 「文系クラスから獣医学部なんて前代未聞じゃないかな」 「菜月はどうして獣医になりたいのかしら?」 「どうしてだろう……」 「単に動物が好きなんじゃないかな。 うちの犬も俺より菜月に懐いてるし」 「確かに、菜月が庭に来ると大喜びしているわね」 口元に手をあて、フィーナがくすくすと思い出し笑いをする。 「でも、何か違う理由があるような気がするのだけれど?」 「う~ん、詳しいことは俺も分からないな」 「達哉が知らないなら、私には分かりそうもないわね」 「機会があれば、菜月に聞いてみることにしましょう」 「そういえば……」 「どうしたの?」 「今日は、少し複雑な表情をしていたわね」 フィーナの言葉で、教室での菜月の顔を思い出した。 「ああ、菜月も嬉しくないってことはないと思うんだけど」 「達哉のことよ?」 「え?」 「クラスメートが菜月を囲んでいるのに、離れたところに立って」 「それは……言ったじゃないか。 後で祝えるから、あの時は控えてたんだ」 「ふふふ、そうかしら?」 フィーナが苦笑する。 「何が言いたいのさ?」 「本当は、菜月が遠くの大学へ行ってしまうのが寂しいのでしょう?」 「……まさか、そんな」 「もちろん、今まで毎日顔を合わせていたから、離れるのが寂しくないと言えば嘘になるけど」 フィーナが足を止める。 「そういう話ではないのよ」 「……」 フィーナの澄んだ双眸が俺を見つめる。 やましい点などないはずなのに、思わず目を逸らしてしまう。 「私からとやかくは言えないけれど……」 「自分の気持ちは大切にした方が良いと思うわ」 翠もそうだが、フィーナも俺と菜月をそういう関係にしたいようだ。 そんな反発を覚えながらも、「う、うん」 と頷いてしまう。 俺の返事を聞いて、フィーナはにっこりと笑った。 「後悔のないように、達哉」 そう言って、フィーナは再び歩き出した。 日付も変わろうかという時刻。 菜月の部屋の明かりは、灯り続けている。 窓越しに見える菜月のシルエットは机に向かっていた。 こんな日くらい勉強しなくてもバチは当たらないと思うのだが。 コンコンコンコン「よう」 「ここは禁止って言ったでしょ」 「別に侵入しようって訳じゃないよ」 「で、どうしたの、こんな時間に?」 「そっちこそ」 「合格が決まった日くらい、勉強しなくてもいいんじゃないのか?」 「あははは。 眠れなくてさ」 「ちょっと興奮してるみたい」 「なるほどね」 「どうせ眠れないなら、犬の散歩でもどう?」 「夜遅いし、危なくない?」 「大丈夫さ」 「ふうん、守ってくれるの?」 「任せておけよ……なんてな」 「分かった、そっち行くね」 身支度を整え、皆を起こさないよう静かに家を出る。 「んーほら、気持ちいーでしょ、ほらほら」 イタリアンズは、早くも菜月に転がされていた。 「相変わらず好かれてるな」 「まあね」 「虫除けスプレーはしてきた?」 「うん、ばっちり」 「おっけー。 じゃ、行こっか」 犬の首輪にリードをつけ、俺たちは夜の散歩に繰り出した。 川面を渡る風が、少しだけ火照った素肌に心地良い。 並木の葉が微かな音を立て、涼しさを引き立ててる。 「気持ちいいね」 菜月がようやく口を開いた。 「ああ」 「合格しちゃった」 「おめでとう」 「ありがとう」 菜月は俯いたまま答える。 「あんまり嬉しそうじゃないな?」 「そ、そうかな」 言葉が途切れる。 菜月からは迷いと不安が見て取れた。 足元を見つめて、淡々と足を運んでいる。 「実際、嬉しくないのかもしれない」 「あ、嬉しいのは嬉しいんだけど、それより不安の方が大きいのかな……えっと」 「ゆっくりでいいよ」 「あ、うん」 「春になったらさ、一人で暮らすわけだけど、不安っていうか、そうしている自分の姿が想像できないの」 「なるほどな。 何となく分かる気がする」 「今までさ、朝起きてからずっと、寝る前まで誰か一緒にいたじゃない?」 「俺のうちも、皆で食事しに行くしね」 「本当に賑やかで、皆といるのが本当に楽しかった」 「そこから、ポロリと自分だけこぼれちゃうのが信じられなくて」 そこまで言って、菜月は言葉を切った。 ……。 春になって、菜月は家から出て行く。 俺は……順当に行けば、附属に進学して家に残る。 他の人たちも、今のところ出て行く話はない。 菜月だけがいなくなる。 ……。 ザアアアァァァ並木が風に揺れる。 ……。 菜月とはずっと一緒にいた。 それこそ、物心つく前からずっとだ。 一緒にいなかった時間を思い出すことすら難しい。 「寂しいな」 「今まで毎日顔を合わせてたんだもんな」 瞬間、フィーナの言葉が脳裏をよぎった。 「そういう話ではありません」 毎日顔を合わせていたから、別れるのが寂しいと言った俺に、フィーナはそう応えた。 あの時、フィーナがどういう話をしたかったのか──それは分かっている。 好きだの嫌いだのといった話をしたかったのだ。 ……。 どうして、何でもかんでも恋愛に結びつけたがるのか。 今は、菜月が夢に向かって歩き出そうとしているのだ。 彼女が、不安を感じているなら、勇気づけてあげるのが俺の役目だ。 今まで、そうして助け合ってきた。 できる限り──側にいられるうちは、俺が助けてあげなくてはならないのだ。 ……。 「確かに寂しいけどさ」 「……ん」 菜月が顔を上げた。 「でも、もう2度と会えなくなる訳じゃないんだしさ」 「うん」 「菜月が夢に向かって頑張ってるんだったら、離れていても俺たちは菜月を応援し続けられるよ」 「……ありがとう」 なぜだろう。 言葉を重ねるほど胸に鈍い痛みが走る。 しかし、痛みは一瞬で、捕まえようとしてもすぐに通り過ぎてしまう。 「おばさんだって、修行でヨーロッパに行ってるだろ?」 「それと一緒さ。 菜月が一番分かってるんじゃないか?」 「そうだね」 「皆、絶対応援してるからさ。 頑張ろうよ」 「……うん、分かった」 笑顔で「頑張る」 のポーズを取る菜月。 俺は、なぜか菜月の顔を正視することができなかった。 ……。 「うぉん」 リードを持った右手が引っ張られる。 いつの間にか、二人とも立ち止まっていたようだ。 「あはは、怒られちゃったね」 「きっと、気合入れろって言ってるんだよ」 「犬に元気づけられてれば、世話ないな」 「犬は、ちゃんと人の気持ちが分かるんだよ」 菜月は3匹の頭を撫ぜる。 かがんだ菜月の肩が、微かに震えている気がした。 「さ、そろそろ行こっか」 そういって立ち上がると、菜月は先に立って歩き出した。 しばらく堤防を歩いてから、俺たちは家に戻った。 「話を聞いてくれてありがと」 「相談ならいつでも乗るよ」 「春になったら、いつでも乗ってもらえなくなるから悩んでるんでしょ」 やれやれ、とため息をつきながら菜月が言う。 「すいません、失言でした」 「で、でも大学に行っても電話とかあるだろ、な」 「あははははっ、もちろん。 寂しくなったら電話するって」 「それに、地の果てに行くわけじゃないんだから、どうしてもってことになったら戻ってくるよ」 「そうしてくれよ」 「うん。 それじゃ」 「また明日な」 菜月が足早に家へ向かった。 あと何回「また明日」 と言えるのだろうか。 そう考えると、急に胸が痛くなった。 定休日のトラットリア左門に、鷹見沢家と朝霧家の面々が集まった。 理由はもちろん、菜月の合格記念パーティーのためだ。 「さて、飲み物は行き渡ったかな?」 「はい、皆さんお持ちです」 「では、僭越ながら鷹見沢仁が乾杯の音頭を取らせて頂きます」 「菜月ちゃん、ほら前に出て」 「え、そんな、いいよここで……わわ」 麻衣が菜月の背中を押して、みんなの前に立たせる。 それだけで、菜月は真っ赤になってしまう。 「菜月ともゼロ歳からの付き合いですが、このように立派に育ってくれたことを兄として嬉しく思います」 「早いもんだな、月日が経つのは」 「あんなちっこかった子供が、ちゃんと大学に行くんだからなぁ」 「も、もう、お父さん、恥ずかしいから」 「ふふふ、あんまり引っ張ると、菜月ちゃんがユデダコになっちゃいますよ」 「おお、ほら仁、頼んだぞ」 「では皆さん、菜月の大学合格を祝って」 「かんぱーいっ」 「かんぱーいっ」 グラスがぶつかる澄んだ音がフロアに響く。 「おめでとう、菜月」 「夢に向かって真っ直ぐ進んでね」 「頑張って獣医さんになってね」 「お仕事もしながら、学業もすばらしいなんて、尊敬してしまいます」 「菜月ちゃんは頑張り屋さんだから、きっと立派な獣医さんになれますよ」 「うん、ありがとう。 ありがとう」 菜月はうっすらと目に涙を浮かべて、一人一人の言葉に応える。 「さあ、一通り飲んだら、料理も食べてくれよ」 「親父と二人で腕によりをかけさせてもらったからね。 残すと後悔するよ」 テーブルには、前菜からデザートまで色とりどりの料理が所狭しと並んでいる。 「うわぁ、こんなに食べたら、大変だってー」 とか言いながら満面の笑顔の菜月。 「いつもしっかり食べているのだから、ハメをはずしても体重は変わらない……」 ドズッ言い終わらないうちに、仁さんの頭にしゃもじが刺さった。 「どれでも好きなだけ食べてくれよ。 足りなければまだまだ作るからな」 「頂きまーす」 各々が、取り皿に料理を取り分け舌鼓を打つ。 なのに、俺はその輪に入るのをためらっている。 昨夜、菜月が抱える不安を知ってしまったからだろうか。 心から祝ってあげたいという思いはあるのに、素直に足が動いてくれない。 「達哉、すばらしいお味よ」 笑顔のフィーナが料理を持ってきてくれる。 皿には、料理が少なめに取り分けられていた。 「フィーナ……」 「これでは足りないでしょうし、後はご自分で」 そう言って、フィーナは微笑を浮かべた。 フィーナのことだから、俺の戸惑いを感じて気を遣ってくれたのだろう。 「ありがとう」 「どういたしまして」 彼女のお陰で踏ん切りがついた。 早く輪に入って、菜月の合格を祝おう。 「菜月っ」 「ん、どうしたの?」 きょとんとした表情で見つめられる。 「いや、あの……乾杯しよう」 「な、何よ改まって」 菜月がテレテレと視線を逸らす。 「合格おめでとう、菜月」 「あ、うん、ありがと」 おずおずとグラスを掲げた菜月。 チーン澄んだ音が響く。 「私、頑張るね」 「ああ、菜月ならきっと大丈夫だ」 「うん、約束したもんね」 「え、ああ、そうだな」 約束って、以前も言われたような……。 「あのさ、その約束って……」 「さて、お二人が愛を確かめ合ったところで」 「確かめ合ってないっ!」 「うふふ、恥ずかしがらなくてもいいのに」 「引っ張らないように」 「ここで、お母様からの祝電を披露させて頂きます」 「おばさんマメだね」 「目立ちたがり屋なだけだと思うけど……」 「では読むよ。 『ヨクヤッタ』……以上。 ご静聴ありがとうございました」 「……あはは」 「短いな」 「で、でも前回より長いですよ」 「2文字だけだけどね」 「遠方からわざわざ送って下さるなんて、本当にお優しい方ね」 「それだけではなく、素直に尊敬できる方ですよ」 「そう言えば、菜月のお母様はいつお帰りに?」 「さあ?」 「存じません」 「どうなの、おじさん?」 「ああ…………」 しばし天井に視線を漂わすおやっさん。 「分からん」 「いや困ったな、あっはっは」 「あははははは」 「自分なりに満足行く修行ができたら、帰ってくるだろう」 「でも、お母さんが帰ってこない代わりに、私が合格の報告に行こうかと思って」 「夏休みにですか?」 「はい、4、5日で帰ってきちゃいますけど」 「海外旅行かあ、すごいなぁ」 「おばさんには顔を見せるだけで、後は遊んでくるんじゃないのか?」 「ち、違うわよ」 「うふふ、のんびりと羽を伸ばしてきてね」 「さやかさんまで……んもう」 「さーて、話はそのくらいにして、料理を食べてもらわないとな」 「まだまだ、たくさんありますよ」 「よーし、食べるぞー」 「ダイエットはどうしたのかね?」 「……明日から」 「ふふふっ。 ミア、私たちも頂きましょう」 「はい」 「よし、俺はこのパスタを……」 ……。 …………。 この後は、ひたすら食べて飲んで……。 数時間後、女性陣は膨らんだ胃を気にしながら部屋へ帰っていった。 1学期最後の放課後がやってきた。 教室は解放感に満ち、そこかしこから夏休みの予定を披露する声が聞こえる。 菜月は、ホームルームが終わってすぐ職員室へ呼び出されていった。 「なーつやーすみーーー、だね、朝霧君」 「ああ、何かワクワクしていいよな、休み前は」 「まったくですよ。 朝霧君は予定あるの?」 「夏休み?」 「これからー」 今日は終業式と大掃除だけの日程だったので、バイトまではしばらく時間がある。 「別にないけど」 「だったらさ、一緒に帰らない?」 「いいよ、帰ろうぜ」 そう答えながら、なぜか、頭にはぼんやりと菜月の顔が浮かんでいた。 青い空に、巨大な入道雲が立ち上がっていた。 日差しは強いが、吹き抜ける風はカラリとして爽やかだ。 遠山は鼻歌交じりに隣を歩いている。 「朝霧君って、今日もバイト?」 「ああ、夕方からだけど」 「偉いよねー、ほとんど毎日でしょ?」 「でも、慣れちゃってるしな」 「いつも、麻衣が言ってるよ」 「何を?」 「いつか恩返ししたいって」 「そのせいかもしれないけど、練習もすっごく一生懸命なの」 「俺はそれだけで十分だよ」 「やりたいこと元気にやってくれてれば」 「うわっ、大人だ。 なかなかそうは言えないよ~」 「おだてるなよ」 「俺も、意識してやってるんじゃないし」 「自然にというか、成り行きというか……何となくさ」 「なるほどにゃ~」 「何それ?」 「とっても感心した時の語尾」 「へぇ」 「うわ、リアクション薄いよ」 「いやあ、なんともなぁ」 「救いなしですか」 「ん!」 唐突に立ち止まる。 「どうした?」 「ケーキ食べに行こう」 「時間あるよね、ね、ね?」 「そうだな、時間もあるし……」 「いい店知ってる?」 「もっちろん」 「美味しいお店はちょーっと詳しかったりするよ」 「よし、教えてくれよ」 「おっけー。 一見さんお断りのすごいとこね」 「え、金あんま持ってないぜ」 「きゃははははは、冗談だって、ごめんごめん」 「……」 遠山が爽快に笑う。 からかわれても嫌な気分にならないのは、彼女の明るさに湿っぽさがないからだろうか。 終業式を終えた学生が溢れる駅前を歩き、一軒の喫茶店に入った。 俺は駅前に来ること自体が少ないし、こんな店にはもちろん入ったことがない。 周囲にはカップルが多く、何となく緊張してしまう。 「さぁ~どーんと行っちゃおうよ」 席に座るなり、いそいそとメニューを広げる遠山。 いつになく目が輝いている。 「どれが美味しいかな?」 「どんなのがいいの?」 「甘くないのがいいな」 「へぇーへぇー、やっぱり男の子って甘いのダメなんだ?」 「俺はダメ」 「じゃさ、これは? 甘さ控えめだと思うけど」 遠山が指差したのは、クリームチーズケーキだった。 「それにする。 遠山は?」 「えっと、ちょっと待ってね」 「これもいいなぁ……あーでも、こっちかな」 などと言いながら、結構な間悩んでいる。 何につけてもテンポが速い奴だと思っていたので、意外だった。 「決めたっ、決めました。 これ……いやー、これっ」 決めたと言ってから、変えているあたりが微笑ましい。 「じゃあ店員呼ぶぞ。 すみませーん」 結局遠山は、店員が来てからもオーダーを変更した。 ……。 「優柔不断でごめんね、ほんとごめん」 「あははは、何か意外だったよ」 「やだもー、朝霧君はー」 手をパタパタと振る遠山。 「でも、もう頼んだから、バッチリだよ」 「はいはいはい」 遠山がいると、オーダーを決めるだけでも賑やかにしてしまう。 さすがと言えばさすがだ。 ……。 「いやぁー、楽しかったよ。 今日はありがとね」 「こっちも賑やかで楽しかった」 「わたしがうるさいみたいに言わないでくださーい」 「あははは、じゃ、バイトがあるからまた今度」 「今度って、もう夏休みになっちゃうよ」 「あそっか」 「だったらさ、えっと……」 急に尻すぼみになる。 「あれ、達哉?」 遠山の後ろから、菜月が近づいてきた。 「おう、菜月」 「あ……やっほー」 「今まで職員室?」 「うん、長引いちゃってさ」 「二人は?」 「あ、うん。 えっと」 「一緒に帰ってさ、時間があったからちょっと遊んでた」 「え……あ、そうなんだ」 一瞬、菜月の表情が固まったように見えたが、すぐにいつもの菜月に戻る。 「それじゃ、わたし帰るね」 「うん、またね」 「時間が合ったら、また遊ぼうぜ」 「ありがとっ、まったねーっ」 遠山は元気良く手を振って小走りに帰っていった。 ……。 菜月は、遠山の背中をずっと見つめている。 「菜月?」 「……」 「なーつき」 「……あ、ごめん」 「いいけど、何かあったのか?」 「ううん、別に無いよ」 「ただちょっと、ぼーっとしちゃって。 暑さのせいかなあ」 自分でも良く分からない、といった雰囲気だ。 「夏バテか? 忙しかったからな」 「大丈夫、大丈夫。 行こっ」 菜月は、いつも通りの歩調で歩き出した。 バイト、夕食、入浴、と終え、自室に戻ろうとしたところで「お兄ちゃん」 麻衣に呼び止められた。 「ん?」 「菜月ちゃん、何か言ってなかった?」 「特には。 どうして?」 「ご飯の時、なんだか考え事をしてたみたいだったから」 今日の菜月は、仕事中からおかしなところがあった。 気のせいかと思っていたけど、麻衣もそう言うなら間違いなさそうだ。 「帰ってきてからあの調子なんだ」 「学院で何かあった?」 「ちょっと、分からないなぁ」 「聞けそうだったら聞いてみるよ」 「うん、お願いね」 「そういえば、今日遠山と帰ったんだけど、麻衣のこと褒めてたぞ」 「……遠山さん?」 「ああ、しっかり頑張ってるって」 「遠山さんとはよく一緒に帰るの?」 「たまにだよ……ていうか、何の話だ?」 「う、ううん、何でもない」 「そっか、遠山さんが褒めてくれたんだ、良かった」 「……まあ、そんなわけだから、これからも部活は楽しくな」 「ありがと。 皆にもらった時間だし、頑張るよ」 麻衣がにぱっと笑う。 そんな彼女の頭をぽむぽむ撫でる。 「んじゃ、お休み」 「えへへ、お休み~」 ベッドに身を任せて天井を眺めると、すぐに菜月の顔が浮かんできた。 ……。 麻衣も言っていた通り、菜月の仕事振りが、どことなくおかしかった。 考え事をしているような、呆けているような感じ。 テキパキとした仕事を旨としている菜月にしては、非常に珍しいことだ。 遠山と別れた時も同じような感じだったけど、ケンカでもしているのだろうか?なら、もうちょっとはっきり分かりそうなものだが……。 そんな、ぼんやりとした思考をめぐらせているうちに、瞼は重くなっていった。 ……。 …………。 瞼の向こうに光を感じる。 ……もう朝か?部屋はまだ闇に包まれている。 俺の目を覚まさせた光は、菜月の部屋から漏れていた。 時計を見ると、午前3時を指していた。 菜月はいつまで勉強しているつもりなのだろうか。 いい加減、明日に支障が出そうな時間だが。 コンコンコンコン「どうしたの?」 「いや、遅くまで起きてるみたいだから、ちょっと……」 「達哉だって起きてるじゃない」 「いや、俺はたまたま目を覚ましただけで」 「私は大丈夫だよ。 眠くなったら寝るし」 「でもさ、もう合格したんだし、根詰めて勉強しなくても」 「推薦だとね、普通に受験勉強をした人と差がついちゃって大変なんだって」 「今日、宮下先生に言われたんだろ?」 「先生は、私のことを思って言ってくれてるんだと思うけど」 「まあ、そうだろうけど」 「それにさ、最近は大学に行ってからの勉強もちょっとずつやってるんだ」 「春になりゃいくらでもできるだろうに」 「やりたいことやってるんだから、いいじゃない」 「もともと、大学に行くのが目的じゃなくて、獣医になるのが目的なんだから」 正論だ。 しかし菜月は、そんな正論を活力に満ちた表情で語っていた。 ……。 昔からそうだった。 やりたいことをやってる時の菜月は、まぶしいくらいの輝きを放っていた。 ウェイトレスの仕事をしている時も、獣医になる夢を語る時も。 それはきっと、俺が一番近くで見てきた。 だからかもしれないが──そんな菜月を応援してあげたいと、強く思った。 「菜月がその気なら、止めないよ」 「でもさ、無茶なことはしないでくれよ……心配だからさ」 自分の言葉に、少しだけ首が熱くなった。 「ありがと。 じゃあ今日はもう少ししたら寝るね」 「実はページ読みかけでさ」 たはは、と笑う菜月。 「そりゃ邪魔して悪かったな」 「いえいえ」 「あ、言い忘れてた」 「ミラノに行くの、月曜日になったから」 とくん……「??」 一瞬、胸に痛みが走ったような……。 「ん? どうしたの?」 「あ、いや」 「そっか、合格の報告に行くんだっけ……おばさん元気かな」 「あんな電報送ってくるくらいだからね、絶対元気だよ」 「おばさんによろしくな」 「うん、お土産買ってくるから楽しみにしててね」 「ああ、気をつけて行けよ」 「大丈夫だって」 「そうかな? 今日みたいにぼんやりしていると何があるか分からないぞ」 「えっ?」 あからさまに意外な様子の菜月。 「ぼんやりしてた、私?」 「自分で気づいてないってのは、よくよくだぞ」 「遠山と別れてからずっと、仕事中も」 「ん~……」 菜月は考え込んでしまう。 「……きっと暑かったからだよ、そうそう」 昼間も同じことを言っていたが……深追いするでもないか。 「ま、なんだ。 しっかり頼むよ」 「うん、心配かけてごめん」 「じゃ、おやすみ。 根詰めるなよ」 「おやすみ」 ガラララ……。 カーテンを閉める。 音と光が遮断され、闇が訪れた。 とくん……「あ、あれ……?」 とくん……なぜか、脈拍が上がっていた。 そのままベッドに横たわり、原因を考えてみる────が、答えが見つかるより、瞼が下りるほうが先だった。 その日は、アラームが鳴る30分ほど前に目が覚めた。 菜月がミラノへ発つ日だ。 もう一度眠ろうと布団を体にかけ直すが、どうにも目が冴えてしまう。 「……」 「おはようございます、達哉さん」 朝食の準備をしていたミアが、手を休めて深々と頭を下げる。 「おはよう」 「今日はいつもより、お早いようですが?」 「うん、何となく目が覚めちゃって」 「すぐにお食事になさいますか?」 「ああ、頼むね」 「はい、少々お待ち下さい」 ソファに腰かけ、朝食ができるのを待つ。 じっと目をつむると自分の拍動が聞こえる。 穏やかな朝の光の中、なぜか俺の胸は慌しく動いていた。 俺は、どうして興奮しているのだろう?ソファに深く体を沈め深呼吸する。 だが、なかなか心臓は落ち着いてくれない。 じゅーーーーーキッチンから小気味良い音が流れてくる。 「達哉さん、そろそろお席について下さい」 「あ、うん」 「どうかされました?」 「いや、何でもないよ」 「さ、今日の朝飯は何かな」 話を逸らす。 「はい、今日はベーコンエッグにしました」 「じゃ、熱いうちに食べないと」 菜月の見送りのため、家の前に皆が集まった。 体の興奮はまだ続いている。 「気をつけてね、菜月ちゃん」 「うん、行ってくるね」 大きな荷物を持った菜月。 春になったら、こんな風に家を出て行くのだろう。 一度出て行けば、次に会うのは何ヶ月も先で──菜月は、俺の知らない菜月になって……。 知らず知らずのうちに、そんな考えが浮かぶ。 「達哉、どうしたの?」 「え、いや……き、気をつけて行ってこい」 「もう、達哉がそんなじゃ安心して出発できないじゃない」 「心配することはないよ。 僕と達哉で左門のフロアは万全さ」 「ああ、任せておけよ」 「うん、すぐ帰ってくるからよろしくね」 一際、鼓動が激しくなる。 「行ってらっしゃい、菜月」 「いってらっしゃいませ」 「旅行先では、生水に気をつけてね」 「はい」 菜月が俺を見る。 目で出発の時間が来たことを告げた。 とくんまた胸が鳴る。 今までで一番強い拍動だった。 そして、朝からの緊張の正体がぼんやりと理解できた。 菜月はミラノへ旅行に行くだけで、数日後には帰ってくる。 今日の出発と、春に訪れるであろう菜月との別れ。 この二つを無意識のうちに重ね合わせていたのではないだろうか?頭では気づいていなかったくせに、体はさっさと緊張していたのだ。 「じゃあ、いってきまーす」 元気な菜月の声。 それに答える家族。 俺も手を振る。 振りながら──春の別れで感じる寂しさは今回よりどのくらい強いのか、想像していた。 「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます……お嬢さん」 「あらやだ、もう上手なんだから」 「ほんとにもう、困っちゃうわね」 相変わらず口の上手い仁さん。 俺には真似のできないことだ──特に今日は、お客様にお世辞を言える気がしない。 ……。 「どうしたんだね達哉君、体調でも悪いのかい?」 フロアの隅で、仁さんが聞いてきた。 「いえ」 「菜月を見送ってからそんな調子だけど?」 「違いますよ。 ホント大丈夫ですから」 「ふうん、まあ、本人が大丈夫だというなら詮索はしないけれど……」 「お客様とは一期一会だからね。 その辺を頼むよ」 「すみません、笑顔で頑張ります」 「その意気さ」 壁際で顔を近づけて話す俺たち。 おばさまたちの脳内では、どうやら特殊な設定が組みあがっているようで、目を細めて俺たちを見ている。 「さぁ、満弦ヶ崎のマダム達が君をお待ちかねだよ」 「タツ、こちら3番さん」 厨房からの声。 「分かってるとは思うが、父はマダムではないよ」 「当たり前です」 笑顔で答えた。 「ははは、ここで笑顔を使われると怖いなあ」 「仁、お前はさっさと皿洗え」 「あっはっはっは、笑顔笑顔」 今日のお客様は、過去のお嬢様が大半だった。 どこから聞きつけたのか、今日の左門がウェイターディだと知っているようだ。 美形の仁さんはともかく、俺なんぞを見てどこが楽しいのだろうか。 「ねえねえ、こっちのオーダーをお願いできるかしら?」 「はい、ただいま」 「このコースを2つね」 「ありがとうございます。 ではAコースお二つですね」 「こっちにお水をお願いできるかしら」 「はい、ただいま」 「ねえ、こっちのオーダーはまだかしら?」 「申し訳ございません、ただいまお伺いいたします」 客層はともかく、今日の左門は大繁盛。 フロアは戦場さながらだ。 オーダー、提供、レジ、セッティングと、息をつく間もない。 今更ながら、菜月の存在の大きさを実感する。 ……。 それでも、何とかミス無く仕事を続ける。 「お兄さん、お会計をお願いできるかしら」 「はい、ただいま」 チーン「お会計、4600円になります」 「美味しかったわ。 また寄らせてもらうわね」 「ありがとうございます。 お待ちしております」 「お兄さん、いつになったらデザート来るの?」 「申し訳ございませんっ」 「おい、菜月っ」 ……。 数瞬遅れて、自分が何を叫んだか気づいた。 もちろん菜月からの返事はない。 「菜月でございます。 ご指名ありがとうございます」 変な人からの返事はあった。 「……うへぇ」 「なんなりとご指示を」 ニヤリと笑う仁さん。 「4番のお客様お願いします」 「分かったわ、達哉」 後から散々からかわれるんだろうな……。 暗澹たる気分でレジを打った。 「そこで、菜月っと絶叫したんです、達哉君は」 「絶叫はしてませんから」 「怖いなあ、笑顔だよ、笑顔」 「もう閉店してます」 「さて、僕はまかないでも持ってくるとしようかな」 この件以外はさしたるトラブルも無く、今日の営業は終了していた。 左門には夕食のため朝霧家一同が集まっている。 「それだけ忙しい状態なら、仕方がないわね」 「お二人は息が合ったパートナーですもの」 「別にパートナーって訳じゃないし」 「菜月ちゃんが聞いたら、残念がるんじゃないかなー」 「まあまあ、恥ずかしがっているだけですから」 「ね、達哉くん?」 「え、そ、そんなことは」 「お兄ちゃん、分かりやすいかも」 「ふふふ。 達哉、赤くなっているわね」 フィーナに言われて余計に赤くなるのを感じる。 「はてさて、菜月も変な男に引っかかってしまったものだね」 両手にまかないを持って仁さんが現れる。 「仁さんに変と言われるとは」 「ひどい言い様じゃないか」 「では、変な料理人が作った変な料理は、達哉君の口には合わなそうだね」 「卑怯な……」 「達哉さん、謝ってしまった方がいいのでは?」 「あはははっ、お兄ちゃんの負け」 「むう」 「ま、それはそれとして、頼むから菜月を弄ばないでくれよ」 「な、何のことですか」 「おや? まあ君が分からないなら、僕が言うでもないさ」 「仁くん、からかうのはその辺にしてあげて、夕食にしてもらえると嬉しいな」 姉さんは、苦しそうに笑いをかみ殺しながら言う。 「今日のご飯は何ですか?」 「仁さんは、日に日に料理が上達されているから楽しみね」 「姫さまのおっしゃる通りです」 「フィーナちゃんにそこまで言ってもらえるとは光栄です」 「しかし、こうして料理に集中できるのも、菜月がフロアを切り盛りしてくれているからなのだよ、達哉君」 今日一日働いただけでも、菜月の存在の大きさは痛感した。 でもそれ以上に、張り合いが無いというか……充実感がない。 俺だけだろうか。 「は、はあ……」 「何だい、煮え切らない男だね」 「まあまあ仁くん」 「さあ、料理が冷めないうちに頂きましょう」 「では、遠慮なくいただきます」 こうして、いつもの夕食会が始まった。 「ほれ、行くぞ」 「わふっ、うぉうっ」 足元に絡みつくイタリアンズにリードをつける。 家を出ようとしたところで、明かりの点いていない菜月の部屋が目に入った。 「……いないんだよな」 ボソリとつぶやく。 「うぉうん?」 「ん、今日は菜月がいないんだ、知ってたか?」 「わふん、わふっ」 「あははは、知ってたか。 ちょっと寂しいよな」 イタリアンズの首を3匹まとめて撫でてあげる。 「さて、行くぞ」 顔を上げると、リビングから俺を眺める朝霧家一同。 「お兄ちゃん元気ないね」 「いつもあるものが無いというのは、思いのほか寂しいものね」 「あのように落胆されて……おかわいそう」 「まあまあ、一人にしてあげるのも家族の愛情ですよ」 「はーい」 「……」 無言で散歩に出た。 菜月がミラノに発った次の日。 何か手伝えることがあればと、いつもより早く仕事に入った。 「じゃあ買出しを頼む」 「買う物は冷蔵庫のメモに書いてあるから」 冷蔵庫に貼られたメモには、食材の名前がいくつか書き込まれている。 「金はどうしたら?」 「仁から財布をもらってくれ」 「はい」 ……。 「おや、達哉君が行ってくれるのかい。 それは助かるよ」 レジの棚から財布を取り出し、俺に渡してくれる。 「こんなところに財布が……知りませんでした」 「買出しは菜月の担当だからね」 「別に達哉君を信頼していないわけではないよ」 「いえ、そういう意味じゃなくて……」 「菜月の大きさを思い知らされた、というわけだね?」 「はい」 「たしかに、ずいぶんと大きくなったね」 遠い目をする仁さん。 「ええ」 「触り心地もよいだろうね、きっと」 「……」 「あれが達哉君のものになるかと思うと、僕は残念……ふおっ」 星にした。 メモには、ポルチーニ茸やフェンネルなど、小さな店では売ってなさそうなものが並んでいたが、「はい、いつものね。 毎度ありっ」 「ありがと、左門さんによろしくね」 その辺は話が通っているらしく、滞りなく買い物は終った。 一風変わった食材満載のかごを手に、左門へ戻る。 「あれ? あれれれれれれれっ」 背後から素っ頓狂な声がする。 振り返ると、目をまん丸にした遠山がいた。 「朝霧君だっ!」 何を驚いているのだろうか。 「え、あ、よう」 「うわぁ、かっこいー。 バイトの制服?」 「ああ」 「そっかそっか、見違えちゃったよ」 「あははは、馬子にも衣装ってヤツだな」 「ん~、馬子ってことはないと思うけどなぁ」 「今、買出しか何か?」 「そう。 足りない食材があってさ」 と、かごを見せる。 「あ、イタリア料理のお店だね」 「ねえねえ、高いの?」 「料理? コースじゃなきゃ大丈夫だと思うよ。 ケーキとかもあるし」 「よーし、遠山翠、今から行っちゃいますっ」 「ええっ?」 「どーして嫌がるんですかー? お客さんですよ?」 「だって、恥ずかしいだろ」 「いいじゃない、記念、記念」 「何のだよ……しょうがないな、写真とか撮るなよ」 「はいはいはーい」 「その代わり、心のフィルムに焼き付けちゃうよっ」 「そっか」 「朝霧君ってリアクション薄いよね」 「ネタによると思う」 しょんぼりした表情の遠山。 「さ、行くなら行こうぜ」 「うんっ」 俺たちは左門に向かって歩き出した。 ……。 「いらっしゃいませ……おや達哉君か、お帰り」 「仁さん、お客様です」 「達哉君がかい?」 「いや、俺じゃなくて……」 後ろを見ると遠山がいない。 と思ったら、ドアの外から恐る恐る店内を見ていた。 「おやおや、これはかわいらしいお嬢さんだ」 「遠山、早く入れよ」 「え? だってまだ開店前でしょ?」 「何、お嬢さんのためなら、10分くらいのフライングは何でもありませんよ」 「あははははっ、では、お言葉に甘えて」 「ここは僕が引き受けるから、達哉君は食材を」 「はい、お願いします」 「あれ、朝霧君行っちゃうの?」 「これを厨房に持ってくだけだよ」 と、カゴを見せる。 「なーんだ。 後でちゃんとオーダー取りに来てね」 「分かった分かった」 「さ、お嬢様はこちらの席へどうぞ」 ……。 10分程が経過してディナータイムの開店時間を迎える。 が、遠山はまだメニューとにらめっこしていた。 「オーダーは決まった?」 「うーん、もーちょっと待って、どれも美味しそうで」 そういえば、遠山はオーダー決めるの苦手なんだっけ。 「何が食べたい? パスタとかピッツァとか、ケーキとか」 「えーと……パスタ」 「じゃあ、今日はこれがオススメ」 と、ポルチーニ茸のクリームソーススパゲッティを指差す。 「ホント? じゃあこれこれ」 「かしこまりました」 「ありがと、助かったー」 「あははは、たくさん種類があるから迷うよな」 「そういえば、菜月は? ここで働いてるんだよね?」 「ああ、土曜まで旅行で休みなんだ」 「ふーん……。 旅行かー、いいないいなー」 「それじゃ、料理ができるまで少々お待ち下さいませ」 「うわぁ、ちゃんとしたウェイターさんだね、かっこいー」 「当たり前だって」 遠山のオーダーを伝票に書きつけ、厨房に向かう。 ……。 「かわいい子じゃないか」 厨房に下がったところで、仁さんが話しかけてくる。 「買い物のメモに『かわいい女の子』って書いてあったのかい?」 「成り行きです」 「なるほど、彼女もそうかな?」 飄々とした表情で言う仁さん。 「どういう意味ですか?」 「そうだな、マイルドに言えば……」 「君に会いたくて、昼間から商店街をフラフラしていて、運良く出会ったなら、そのまま夏の開放感に任せて遊んでしまおう……」 「と画策していたかもしれないという話さ」 「まさか」 「まさかって……見れば分かることじゃないかね?」 「そんなことはありません。 うがった見方は良くないですよ」 「ストレートな見方だと思うのだけれど」 「こーら、お客様に声が聞こえるぞ」 「すみません」 「これ、2番さんによろしく」 「あ、俺が持って行きます」 「この茸って、さっき買ったやつだよね?」 「ああ、だと思う」 「うんうん、そっかそっか……うんうん」 ……。 なぜか、遠山は料理を前にしたまま手をつけない。 「どうしたの? 料理に何か?」 「ああああああ、そ、そうじゃないんだけど、ホラ、見られてると……ね、ね、ね」 「あ、気づかなくて悪かった。 ではごゆっくり」 「はーい」 ……。 遠山は、一口ずつ味を確かめるようにゆっくりとパスタを口に運ぶ。 食後には、エスプレッソをオーダーし、都合1時間程度を過ごして帰っていった。 閉店後の左門。 夕食のため、朝霧家の面々が揃っている。 「そこで、遠山さんというかわいい女の子を連れてきたんです、達哉君は」 同じような状況が24時間前にあった気がする。 「遠山さん、きれいだもんね」 と麻衣が俺に振る。 「ただのクラスメートだって」 「麻衣ちゃん、知ってるの?」 「部活の先輩だよ。 クラリネットをやってるの。 もう引退しちゃったけど」 「私もよくお話ししているわ」 「僕は菜月が不憫でならないよ」 「でも、達哉さんと菜月さんはお付き合いされていたのでは?」 厨房で皿が割れる音。 「いや、ぜんぜん全く四方八方、勘違いだから」 「まあまあ、変わった言葉ね」 「これは……大変失礼なことを申し上げてしまいました」 「あの、頑張って下さい、微力ながら応援しております」 勘違いに溢れている。 「菜月と付き合うなんて、ちょっと想像しづらいな」 「もともと、一緒にいる時間も長いし、今更って言うか……」 「そんなこと言って、後で後悔しちゃったりしてね」 「しない」 「まあまあまあ、この話題はそろそろ、ね」 ちょっとヒートアップした場を、姉さんが鎮めてくれる。 「ところで、菜月ちゃんが帰ってくるのは……?」 「土曜だな」 料理を持ってきたおやっさんが答える。 「僕たちのゴールデンコンビも、すぐ解散になってしまうね」 「あははは、とっても残念です」 笑顔で答えた。 「冷たいなあ、達哉君は」 「ともかく、きっちり働かないと」 「ミラノに向かって、固く誓う達哉君だった」 「うふふ、達哉くんをからかってばかり……困った仁くん」 姉さんは、笑顔でちょっと怒っていた。 食後の団欒。 各自が好みのお茶を飲みながら、胃を落ち着けている。 「仁くんにも困ったものね」 「さっきのこと?」 「からかってばかりでは、達哉くんがかわいそうだわ」 「俺は気にしてないけど」 仁さんが茶化してくるのはいつものことだ。 「家族としては、やっぱり協力してあげないと」 「そうそう」 「フィーナさんと、ミアちゃんも、何か考えて」 「私は本人同士の問題かと思うけれど」 「私にできることがあるなら、ぜひお力になりたいです」 4人は、俺の知らない議題を検討し始めた。 ちなみに、あまりいい予感はしていない。 「あの、話が見えないんだけど」 「菜月ちゃんのことですよ?」 やっぱり。 「結局、皆してからかってるんじゃないか」 「何かって言うと、すぐに菜月の話だ」 「だって……」 「先日も寂しそうにしていたのでは?」 「俺がいつ寂しそうにしてたって言うんだ?」 「犬の散歩に行かれる時に、菜月さんの部屋を見上げてらっしゃいました」 そういえば、皆で俺のことを見てたよな。 恥ずかしさで顔が熱くなる。 「……あ、あれは、寂しいとかじゃなくて」 「まあまあ、赤くなって」 「その、なんていうか、張り合いが無いというか……」 「そちらの方が、より繋がりが深いように思えるわね」 墓穴を掘った。 「違うって……だから……」 適当な言い訳が見つからない。 寂しいと思ったことも、張り合いが無いと思ったことも事実なのだから。 「も、もう、この話は……」 ぴりりりりっ「電話だ、俺出ます」 天の助け、とばかりに飛びつく俺。 ぴりりりりっがちゃ「はい」 「あ、あの、朝霧さんのお宅ですか」 妙にどもった声が聞こえた。 誰だろう。 「はい、朝霧です」 「あの、菜月です」 「ぶっ」 「えっ、誰? 達哉?」 「あ、ああ」 なぜか、俺が緊張している。 「元気にしてる?」 「皆元気。 そっちは?」 「お母さんも私も元気」 「そっか、良かった」 「うん」 会話が途切れて静かになると、自分の心臓の音が聞こえた。 激しく動いている。 ……。 「電話で話すのって久し振りだよね」 「えっ? ああ」 「直接言ったほうが早いもんね、いつも」 「何か、声が違って聞こえるな」 「あ、そっちもなんだ。 こっちも少し変わって聞こえるの」 「初め分からなかった」 「俺も」 早くも、受話器を押し付けている耳が痛くなる。 何だって俺は、こんな必死になって菜月の声を聞いているのか。 「何か変わったことはあった?」 「変わったこと……」 ……。 周囲に変わったことはなかった。 だけど、俺は変わったのではないか。 菜月の声に緊張して、菜月の声を必死に聞いて──こんな俺は今までの俺ではない。 「と、特には無いかな。 そっちは?」 でも、こう答えてしまった。 「こっちも何もないよ」 「あ、でも……」 「?」 「私って意外に寂しがり屋だったみたい」 恥ずかしそうに菜月が言う。 「たった1日なのにね、おかしいよね」 「大学のことがあったから、妙に意識しちゃってるのかな」 ……。 菜月も、今回の旅行に大学入学を重ねていたのか。 もし、俺と同じように菜月が感じてくれているなら、きっと今は──胸を高鳴らせて、受話器を汗ばんだ手で強く耳に押し付けてそれはそれは、傍から見たら恥ずかしい状況なのだろう。 「俺も、同じ……」 と、言い切る前に、「あは、あはははははっ、何でもない、忘れて忘れて」 などと言われてしまう。 「……しょうがないな、忘れるよ」 「何だろね、顔が見えないからかな、いろいろ喋っちゃうね」 「あははは」 「遠距離恋愛……みたいかな?」 おずおずと菜月が言う。 「え? ごめん、よく聞こえない」 「あーうー……何でもない」 「もう一回言えよ」 「だめ、絶対ダメ」 「何なんだよ一体」 ふと、視線を感じて後ろを振り返る。 「うおっ」 「え、達哉、どうしたの?」 4人がすぐ後ろまで来て、俺をじっとりとした目で見ていた。 「お兄ちゃん、独り占めは良くないよ」 「お姉ちゃんにも換わってもらえると嬉しいな」 「とても楽しそうに話していたようだけれど」 「私も、ミラノのことを聞かせて頂きたいです」 「ちょっと、達哉、達哉」 俺は、観念して受話器を渡した。 「あ、菜月ちゃん、わたし、麻衣」 「そっちどう?」 ……。 魔法が解けたように脱力し、リビングのソファに沈み込む。 今さっきまで話していたのに、もう菜月の声を聞きたくなっている。 ……これって、普通じゃないよな。 ぼんやりとそんなことを考えながら、ソファで全身の力を抜く。 背後では、家族がかしましく話し続けている。 早く帰ってこないかな、菜月……。 瞼が、次第に重くなっていった。 ……。 …………。 「達哉くん」 「ん?」 「達哉くん、達哉くん」 姉さんの声に目を開ける。 周囲には、姉さんしかいなかった。 「俺、寝ちゃってたのか」 「こんなところで寝ると、風邪引いちゃいますからね」 「夏だから大丈夫ですよ……へくしっ」 どうやら、電話中にかいた汗が冷えたようだ。 「ほら、言ってる側から」 「……すみません」 「お風呂空いてます?」 「ええどうぞ、ゆっくり温まってね」 「それじゃ、私も寝ようかな」 そう言って姉さんは、2階へ上がっていった。 俺も、さっさと風呂に入って寝ることにしよう。 なんだか、今日は良く眠れそうな気がした。 ……。 この日も時間より早くシフトに入った。 いつもの左門では、お客様の多い時間とそうでない時間がはっきりしている。 だがこの日は、常時8割方の席が埋まり、ロクに休憩も取れない状態が続いた。 閉店後の店内。 疲れきった俺たちは、イスにぐったりと腰を下ろしていた。 「すごかったですね」 「さすがの僕も疲れたよ」 「野菜ジュースあります?」 「あれは菜月のお手製だから、当然無いね」 「ああ、そうでしたっけ」 いつも飲んでいた野菜ジュースは、菜月がダイエットのために作っているものだ。 「ダイエットのためとはいえ、菜月も毎日良くやるな」 「菜月が、ダイエットのためだけに作っていたと思うかい?」 「……?」 「あとは……健康のため、くらいしか思いつきませんけど」 俺の答えを聞いて、仁さんは嘆息する。 「達哉君、少し鈍感なのはかわいいかもしれないけど」 「何事も行き過ぎは良くないよ」 「……すみません」 「菜月はね、毎朝、達哉君の分も作っていたんだよ」 「菜月……」 菜月が野菜を搾っているところを想像する。 仁さんが教えてくれなかったら、俺は事実を知ることができたのだろうか。 そう考えると、菜月に申し訳無い気分で一杯になった。 「……ま、たまには礼でも言ってあげることだね」 「帰ってきたら言います」 「僕が教えてあげたことは内緒だよ」 「え?」 とっさに返事を返せない俺に、仁さんはため息をついた。 「さて、そろそろお腹をすかせた人たちが来る時間だ」 仁さんが立ち上がった。 俺もそれに合わせる。 「あ、あれ」 一瞬頭が白くなって、足元がフラついた。 「お疲れだね、達哉君」 「あははは、さすがに」 「ま、僕が作ったまかないでも食べて、体力を回復してくれたまえ」 「はい、じゃあ上がらせてもらいます」 「うん、お疲れ様」 からんからんちょうどそこで、入口のベルが鳴った。 朝霧家の面々が到着したようだ。 夕食を終え、自宅に帰る。 イタリアンズには気の毒だが、すぐには散歩に行けそうもない。 「達哉さん、お茶をどうぞ」 「ありがと」 「今日は忙しかったようね」 労るような、優しい表情を見せるフィーナ。 「やっぱり、菜月の穴は大きいよ」 「それはそうですよ、菜月ちゃんは人一倍働きますもの」 「土曜日までの辛抱だよ。 頑張ってねお兄ちゃん」 各自が思い思いの場所に座り、食後のお茶を飲む。 「でもさ、春になったら菜月はいなくなっちゃうんだよな」 ポツリと思いが漏れた。 「寂しくなるということかしら?」 「そういうことじゃなくて、今日みたいな日が続いたら持たないってこと」 「新しい方をお雇いになるのでしょうか?」 「だろうね」 ……そう言いながら、俺は動揺していた。 菜月以外の人とコンビを組んで働いている自分を、想像できなかったからだ。 ……。 「達哉さん、達哉さん」 「……ああ、ごめん。 何?」 「達哉さん、お茶をもう一杯召し上がりますか?」 「ありがと。 でもそろそろ犬の散歩に行かないと」 庭を見ると、イタリアンズが落ち着きなく動いている。 「くすくす、お待ちかねみたいだよ」 でも、何となく動きがいつもと違う気がした。 散歩に行きたい時の動きではないように見える。 少しの間観察していると、イタリアンズはますます落ち着きが無くなる。 「わふっ、わう」 などと、声まで上げ始めた。 「変だな」 そう口にした瞬間だった。 ピンポーンドアチャイムが鳴った。 「どなたでしょう、こんな時間に」 ミアがパタパタと玄関に向かう。 「どちら様でしょうか?」 がちゃ「わあっ、菜月さん、え、え?」 「菜月……」 「ええっ、菜月ちゃん!?」 「帰りは土曜日の予定だったのでは?」 「まあまあまあ、大変」 パタパタパタ徐々に足音が近づいてきた「た、ただいま~」 ひょこりと菜月が顔を出す。 すぐに、菜月と目が合った。 ちょっと疲れているようだが、目はいきいきとしていた。 「どうしたの? 明日じゃなかったの?」 「え、えと……何となく、ね」 「あちらで何かありました?」 「ううん、特には……」 歯切れ悪く答える。 「とにかく、荷物を降ろして。 お茶でも飲みましょう」 菜月は、出発の時に持っていたカバンを持っていた。 つまり……家に寄らずにここへ来たのだ。 「お茶がはいりましたが」 タイミングよく、ミアがお茶を準備してキッチンから出てきた。 皆がお尻をずらして席を空ける──なぜに俺の隣。 「あは、あははは、じゃちょっとだけ」 菜月が体を縮っこめて、隣に座る。 ふわりと、菜月の匂いがした。 「達哉くん、さっきから黙っちゃってどうしたの?」 「え? お、俺?」 「硬直してるよ」 言われて気がつく。 体は火照り、じっとりと汗をかいていた。 「あ、いや、ちょっと驚いちゃってさ」 「お、おかえり、菜月」 ちょっと待て……菜月と話すのに、何で俺は緊張してるんだ?「う、うん。 ただいま」 菜月は菜月で、何だかもじもじしている。 そして、なぜかお互いに頭を下げ合い、ごちんぶつかった。 「ご、ごめん」 「ううん、私こそ」 顔を上げると、周囲が呆気にとられた表情で俺たちを見ている。 菜月の顔が、ぼんっと赤くなる。 今まで見た中で、最速の沸騰だ。 「あ、ちょっと失礼しますね」 笑いをこらえながら、姉さんがリビングを出る。 一瞬の静寂。 「あ、あ、そうだ、お、お茶頂くね」 取り繕うように菜月が言い、一息にお茶を飲み干した。 俺も残っていたお茶を飲み、大きく息を吐く。 それで、何とか落ち着くことができた。 ……。 姉さんも戻ってきて、ようやく普通の土産話が始まる。 「でも、いきなり帰ってくるから驚いたよ」 「うんごめんね、連絡しなくて」 「ミラノはどうだった?」 「お母さんも元気だったし、楽しかったよ」 「街はね、おとぎ話に出てきそうな感じだった」 「わあ~、わたしも一度見てみたいです」 「で、結局、なんで早く戻ってきたんだ?」 「お母さんも料理の勉強で忙しそうだったし……」 「お店も心配だったし……」 「ほら、一人で観光しても、つまらないじゃない?」 窺うように俺を見る菜月。 視線に顔が熱くなる。 ……おかしい、今までこんなこと無かった。 「ま、まあ、そうかもしれないな」 という俺の返事に、なぜか一同は脱力していた。 ピンポーン「あ、私が出ますね」 姉さんがさっと立ち上がり、リビングを出る。 「左門さんと仁さんかしら?」 「きっと、お姉ちゃんが電話したんだね」 ぱたぱたぱた「菜月ちゃん、おじさんと仁くん」 「菜月、帰ってくるなら連絡くらいしろ」 「大体、荷物も持ったままで何だ」 「……ごめんなさい」 バツが悪そうに頭を下げる菜月。 「会いたい、会いたい、達哉に会いたい……」 「この思い、どうにも止められない」 「はぴょっ」 ミラノ帰りのしゃもじが仁さんに刺さった。 若干切れ味が増した気がする。 それはともかく……「菜月、今日はもう休んだ方がいいんじゃないか?」 「うん、もう遅いしね」 「さ、そうしよう菜月」 「なんだか、私だけ騒いじゃってごめんなさい」 「いいえ、とても楽しいお話でしたよ」 「また明日お話を聞かせて下さいね」 ちょっと凹んでいる菜月を、二人が笑顔で慰める。 「はい、じゃあまた」 ……。 ぞろぞろと、鷹見沢家一同を見送りに出る。 「それじゃ、夜分にお騒がせしました」 「そんな、うちはいつでも大歓迎ですよ」 「またね、菜月ちゃん」 「うん、おやすみ」 菜月がちらりと俺を見る。 「ゆっくり休めよ」 「うん、ありがと」 「おやすみなさい」 「おやすみなさいませ」 「それでは、失礼するとしようか」 仁さんの声を合図に、鷹見沢家一同は帰っていく。 ぱたん玄関のドアが閉まり、家の空気が静まる。 そんな中、俺の胸は激しく拍動していた。 菜月が帰ってきて、隣に座って、土産話をして……たったそれだけのことで、胸は高鳴り、体にはじっとりと汗をかいている。 おかしい。 これではまるで、俺が菜月のことを……そこまで考えて頭を振った。 今日は疲れている。 こんな状態で考えても、安直な答えしか出てこないに決まっている。 何度も自分に言い聞かせる。 「お兄ちゃん、汗かいてるけど大丈夫?」 麻衣の声で我に返る。 「ああ、ちょっと疲れたのかもしれない」 「お休みになった方がよろしいのでは?」 「だね、そうさせてもらうよ」 「おやすみ、達哉くん」 「はい、おやすみなさい」 ……。 「いらっしゃいませっ」 左門に菜月の声が戻ってきた。 いなかったのは数日だけなのに、ずいぶん久し振りな気がする。 「達哉、1番さんお願い」 「了解」 「ねえ、こっちメニューをもう1冊お願い」 「はい、少々お待ち下さいませ」 「これ持っていって」 すぐに菜月からメニューが差し出される。 「さんきゅ」 「パスタが来ないんだけど、どうなってるの?」 「はい、ええと……」 「盛り付けに入ってるから、ちょっと待ってもらって」 「うん」 ……そう、この感じだ。 菜月は自分の仕事をしながら全体に気を配っていて、的確なサポートをしてくれる。 その分、一つひとつの事態に消費するエネルギーが減るから、俺も菜月の仕事に気を配れるようになる。 結果として、少ない疲労で高いクオリティの接客ができるのだ。 からんからん「いらっしゃいませ」 入口を見ると、そこには──「やっほー、こんにちはーっ」 遠山が立っていた。 「あれ、翠?」 「わあああっ、菜月!?」 本気で驚いている遠山。 店にいたお客が、そろってこっちを向いたくらいだ。 「ど、どうしたの?」 「ううん、何でもない、ないない」 言葉とは裏腹に、手をパタパタと落ち着きなく振っている。 そういえば……前に遠山が店に来た時、菜月の帰りは土曜だって教えた気がする。 ……そりゃ驚くか。 「あ、あのあの、わたしどこに座ったらいい?」 「はい、こちらのお席にどうぞ」 「うん。 じゃあ失礼します」 ……。 …………。 遠山のオーダーを厨房に告げる。 「おやっさん、ホウレンソウとベーコンの和風スパゲッティ」 「はいよ」 「翠のオーダー?」 「ああ、前はポルチーニ茸のクリームソーススパゲッティだったな、確か」 「前? 前にも来たの?」 真剣に聞いてくる菜月。 「いつだっけ……火曜日かな」 「そ、そうなんだ」 と、視線を落とす菜月。 明らかに、さっきまでとは様子が違う。 「どうした?」 「う、ううん、別に」 「たださ、私こういう格好だから、ちょっと恥ずかしくて」 あははは、と笑う菜月。 「ああ、俺もびっくりされたよ」 「無理もないさ、いつもは学院でしか顔を合わせてないんだし」 「すいません、オーダーお願いします」 「はい、ただいまっ」 二人で同時に足を踏み出し、ぶつかりそうになる。 「ごめん、俺が行くよ」 「あ、うん、ごめん」 仕事を始めたころはともかく、ここ数年はなかったことだ。 一体、菜月はどうしたのだろう。 ……。 …………。 しばらくして、遠山に料理を運んだ。 前回はゆっくりとパスタを食べていた遠山だが、今日はどこか落ち着きがない。 ……。 程なくして、食事を終えた遠山が席を立つ。 「ご、ごちそうさま」 「もう帰るのか?」 「う、うん」 どこかそわそわと落ち着きがない遠山。 ……。 俺は伝票を持ってレジに入る。 「ホウレンソウとベーコンの和風スパゲッティで……」 「850円になります」 「ええと、850円ね……」 遠山が財布から札を取り出そうとしている。 財布に引っかかっているのか、手間取っている様子だ。 こういう時って、結構焦るんだよな……そんなことを考えているうちに、遠山は無事お札を取り出すことができた。 ……。 「とっても美味しかったよ」 と、差し出されたお札の上には、何かのチケットが載せられていた。 お札と一緒に取り出してしまったのだろうか?「これは余計だぞ」 チケットを、遠山に差し出す。 「あ、えっと、えっと……違うの……」 「??」 遠山の顔が真っ赤に染まる。 「あ、あ、もし、良かったらで、い、いいんだけど」 遠山は顔を高潮させながら、必死に言葉を紡ぐ。 「一緒に……映画、なんて……どうかなって思っちゃったりして、さ」 「と、遠山?」 「2時に、商店街の出口で、ま、待ってるから」 「え、えっと」 「じゃ、ごちそうさまっ」 「おいっ、お釣りっ!」 ……。 俺の制止も聞かず、遠山は店を飛び出していった。 手には、1000円札と映画のチケットが残される。 ……。 何事かと、店内がざわつき始めた。 菜月は……店の隅から俺を見つめている。 菜月と目が合う。 ……。 …………。 菜月は目を逸らさない。 寂しげな表情で、ただ真っ直ぐに俺の目を見ている。 ……。 …………。 「失礼しました」 菜月から視線を逸らし、お客様に頭を下げた。 ……。 再び顔を上げた時、菜月はカウンター席でオーダーを取っていた。 俺は、錆びた機械みたいに軋む腕を無理やり動かし、お札をレジに入れる。 映画のチケットはポケットに突っ込んだ。 それだけで体力を消耗した。 ……。 動きを止め、目をつぶる。 心に浮かんだのは、菜月の顔だった。 寂しげな表情で、じっと俺を見つめている頭がじんじんと痛む。 体も熱く、感覚が遠い。 ……。 だが、今は仕事中だ。 最低一人分は働かないと、菜月に迷惑がかかる。 気持ちを落ち着けるため、店内を一度見回す。 お客様はまだ結構残っていた。 一歩踏み出す。 雲の上を歩いているかのように、現実感がない。 それでも、自分に喝を入れフロアに戻る。 「すいません、オーダーを」 「はい、ただいまっ」 ……。 「4番さん、カルボナーラとシーザーサラダ」 「はいよ」 頂いたオーダーを厨房に告げ、店の隅の待機位置に戻る。 「はい、これ」 笑顔で菜月が水を差し出してきた。 「え?」 「ノド、乾いたでしょ?」 言われてみて初めて、自分の声がかれていることに気づいた。 「ああ、ありがと」 コップを受け取り、一息に飲み干す。 水が、食道から胃へ流れ落ちていくのが分かった。 「……さんきゅ、助かった」 菜月は俺からコップを受け取ると、淡々と片づけた。 「さっきは……」 と切り出すと、菜月がピクリと震えた。 「どうしたの?」 俺から切り出しておいて、先を言うことをためらった。 菜月にデートの件を知られたくないと強く思ったのだ。 その理由は……もやもやとして判然としない。 「さっきは……騒いで悪かったな」 「粗相があったわけじゃないんでしょ?」 「ああ、大丈夫」 なんとか笑顔で答えた。 そんな俺を、菜月が見つめる。 ……。 「そっか。 なら良かった」 菜月も笑顔で答えた。 「さ、シャキッと仕事頑張ろっ」 菜月がガッツポーズを見せる。 「……よしっ」 再びフロアに注意を向ける。 ……。 …………。 それからは、何も考えたくなくて体を動かした。 自分の胸を埋め尽くそうとしている、混沌の渦から逃げたくて──ただ体を動かした。 夕食を終え、すぐに部屋に戻った。 仕事が終わってからのことは、ほとんど覚えていない。 いつも通りに振舞うことで精一杯だった。 倒れるようにベッドに寝転ぶと、頭が痛かった。 全身の関節が軋んでいる。 しかし、ここで体調を崩すわけにはいかない。 ここで倒れれば、菜月は自分が旅行に行ってシフトを空けたことを悔いるだろう。 それは避けたかった。 「菜月……」 じくじくと頭痛が激しくなる。 「……くそっ」 寝返りを打つと、ポケットの中に固い感触があった。 遠山からもらった映画のチケットだ。 「……」 瞼の裏に、左門での遠山の様子が浮かび上がる。 とても、一生懸命だった。 状況から見るに……「遠山は、俺のことを……」 好き、と考えていいのだろう。 頭痛が一層激しくなる。 ……。 どうしたらいいのだろう。 結局、デートのことは菜月に話せなかった。 知られたくなかった。 なぜ知られたくないのか……痛む頭を回転させる。 ……。 恥ずかしいからか?確かに、フィーナや麻衣に話すのは気恥ずかしい。 だが菜月はどうだ──恥ずかしいよりも、もっと強い感情がある。 ……。 その瞬間、頭に一つの言葉が浮かんだ。 好き──「ああ……そっか……」 思わず声が出る。 全てが腑に落ちた。 ちょっと考えれば簡単なことだった。 俺が他の子に興味を持っているように思われたくなかったんだ。 自分が興味を持っているのは菜月だと──俺が好きなのは菜月だと──そう伝えたいからだったんだ。 ……。 トンネルから抜けたように、視界が明るく、広くなる。 菜月が試験に合格したと聞いた時、菜月がミラノへ発った時、菜月がいない左門を見た時、菜月が帰ってきた時、その時々に感じたこと、何でもかんでもが、好きという感情で説明がついてしまう。 「ははは……」 家でも、左門でも、学院でも、テレビでも、本でも世の中あらゆるところに恋愛の話題はあふれている。 にもかかわらず、自分のこととなると、こんなにも鈍感になれるものなのか。 無性に笑えた。 笑えたと同時に、すがすがしい気分になった。 体を、心地よい疲労感が包んでいく。 ……。 俺は菜月のことが、好きなんだ……。 もう一度、思いを反芻する。 それっきり、意識は途絶えた。 ……。 ピリリリリ、ピリリリリピリリリリ、ピリリリリバシッ目を覚ますと、頭の中がガンガンと鳴っていた。 おまけに体の節々が軋みを上げる。 ベッドに縛り付けられているかのように、動くこともできない。 ……。 夕方までには回復させないと、バイトを休むことになってしまう。 ……。 …………。 だが、激しい痛みでなかなか眠ることができない。 コンコン「お兄ちゃん、起きてる? お兄ちゃーん」 元気な声がドアの外から聞こえてくる。 「ああ……起きてる……ぞ……」 這いつくばるようにベッドから降り、ドアに向かう。 ……。 ガチャ「お兄ちゃん、どうしたの!?」 「ちょっと……頭痛がして、夏風邪かも」 「うん、分かった、分かったから、ベッドに戻って」 「ってお兄ちゃん、昨日から着替えてないじゃない」 「すまん……そのまま寝ちまった」 「わたし、体温計とか持ってくるから、ちゃんと着替えてね」 「りょ、了解」 ばたんっ机で体を支えながら何とか着替えを済ませ、再びベッドに倒れこむ。 ……。 それから後のことは覚えていない。 ……。 …………。 がちゃぱたん誰かが部屋に入ってきた。 うっすらと目を開くと、菜月の顔があった。 なぜか、目が赤くはれている。 「ごめん、起こしちゃったね」 「……菜月」 「今、何時だっ?」 「午後の2時くらいだよ」 「そっか、俺もあとちょっと休めば」 「もしかして、今日お店に出ようとか考えてるの?」 「そりゃ、まあ……」 ぺちおでこをたたかれた。 「いいから寝てなさい」 「でも……」 「お店は大丈夫だから心配しないで」 「お父さんには、私から言っておくからさ」 無理をして更に体調を崩したら、余計に迷惑をかけることになってしまう。 申し訳無いが、今日は休ませてもらうことにしよう。 「……分かった」 「よしよし」 「すまん」 「いいのよ、気にしないで」 「そもそも、私が旅行なんかに行ってたから、無理させちゃったんだし」 「言うと思ったよ」 「頼むから、そんな風には考えないでくれ」 「でも……」 「いいんだ」 「……うん」 菜月はベッドから離れ、イスに腰を下ろす。 菜月の一連の動作を見ていたら、昨夜考えていたことを思い出した。 ……。 俺は、菜月のことを……。 そう頭で反芻すると、恥ずかしさで体が熱くなった。 「熱あるって麻衣ちゃんが言ってたけど……やっぱり顔赤いね」 「何、大したこっちゃないよ」 「そんなこと言って、いつも無理するんだから」 強い語調で言われる。 「すまん」 「とにかく、早く元気になってね」 「ありがとう。 休憩時間にわざわざすまん」 「そんな、これくらいでお礼なんて言わないで」 わずかに頬を赤らめて、そっぽを向く菜月。 そんな彼女の表情を、かわいいと素直に感じていた。 「そうだ、お腹空いてる? ミアがおかゆ作ってくれたんだけど」 「卵がいっぱい入ってて美味しそうだよ」 菜月は、小さい土鍋を持ってきていた。 「ああ、少しなら食べられそうだ」 「体起こせる?」 「……よっと」 上半身に力を入れるが、上手く体が起こせない。 「しょうがないな~」 と、菜月が俺に覆いかぶさるような体勢になる。 「うわ……」 この程度のことは昔から何度もしているはずなのに、恥ずかしさが先に立つ。 「どうしたの?」 「い、いや」 そのまま布団をはがされ、両脇に手を入れられた。 「わあぁっ!」 思わず声が出てしまう。 「……ど、どうしたの?」 菜月は手を引っ込めて目を丸くしている。 「い、いや、何でもない」 「もう、嫌がるなら自分で起きてね」 再び菜月は手を入れてくる。 「熱あるんだね、体、熱い」 心配そうな顔をしてくれる菜月。 ……。 熱があるのは事実だが、それ以上に恥ずかしさが先に立つ。 「ほら、いくよー」 菜月が上半身を引っ張る。 俺も一緒に体を起こした。 「ふう」 「ミアが作ったものだから、きっと美味しいよ」 菜月がベッドに座り、レンゲでおかゆをすくう。 「はい、口開けて」 「『あ~ん』ってやってる」 「まあ、うらやましい」 「こちらまで幸せな気分になるわね」 「こうして食べて頂けるなんて、作った甲斐がありました」 「あの、菜月?」 「なに?」 「ドアの外に誰かいない?」 「恥ずかしがらないの、ほら『あ~ん』」 どうやら、菜月には聞こえていないようだ。 諦めて、言われた通りにすることにした。 「んあ」 開いた口に、温かなおかゆが入ってくる。 体調のせいかあまり味は分からなかったが、ごま油とネギの風味を感じた。 「熱くない?」 もぐもぐと咀嚼しながら頷く。 「はい、もう一口」 一度やってしまうと、もう抵抗する気も起きない。 そのまま何度となく、おかゆを口に入れられた。 ……。 …………。 「……あ、そろそろ仕事に戻らないと」 「食べたら、また眠くなってきた」 「良かった。 眠ればきっと元気になるよ」 「じゃあ、少し眠るな」 「うん」 立ち上がった菜月が布団を掛け直してくれる。 「おやすみ、ゆっくり休んでね」 菜月がドアに向かう。 「あ、ああ」 菜月と離れるのを残念に感じている自分がいる。 よもや、自分か菜月に対してこんな感情を抱くとは思わなかった。 「菜月」 「ん?」 菜月が振り返る。 「また来てくれるか?」 「え」 菜月の顔が少し赤くなる。 「うん、必ず来るよ」 笑顔でそう言って、菜月は部屋から出て行った。 ……。 何か、かわいいな……。 などと考えながら、心地よいまどろみに身を任せた。 目を覚ますと、部屋は暗くなっていた。 気温が下がったせいか、体の痛みがぶり返している。 軋む首を回し時計を見る。 夜光塗料が塗られた針は、午後10時過ぎを指していた。 左門は今ごろ、クローズ作業の最中だろう。 ……。 ふと、昨日脱ぎ捨てた服が畳まれているのが目に入った。 ポケットには遠山からもらったチケットが入っている。 俺は、遠山からデートに誘われているのだ。 ……。 だが、もう俺の気持ちは決まっている。 遠山には悪いけど、デートは断ろう。 そして、菜月に……「……告白するのか」 初めて気が付く。 俺が菜月のことを好きなのと、菜月が俺のことを好きなのは別問題だ。 菜月とはずっと一緒に過ごしてきた。 つい昨日まで、俺は菜月を恋愛対象として自覚していなかった。 それは菜月にも当てはまるではないか。 今日だって、「幼なじみだから」 見舞いに来てくれたのかもしれないのだ。 菜月は、俺が告白したら受け入れてくれるのだろうか?もしダメだったら、俺たちは元の関係には戻れないのではないか?……。 …………。 考えるが、答は出ない。 数学の問題じゃあるまいし、明確な答などあろうはずもない。 でも、一つだけ分かったことがある。 菜月と一緒にいられる時間は限られている。 こうしている間にも、刻一刻と、菜月とともに過ごせる時間は減っているのだ。 告白するなら、早い方がいい。 ……。 こんこんがちゃ「達哉、起きてる?」 ためらいがちな声が聞こえた。 「ああ、起きてる」 「どう、調子は?」 言いながら、菜月がベッドの側まで近づいてくる。 「また少し、痛みが出てきたみたいだ」 「じゃあ、私帰った方がいいかな?」 ずきん菜月が「帰る」 と言っただけで胸が痛くなる。 「大丈夫だから、少し話相手になってくれよ」 「うん、分かった」 しかし、良い方向へ進んだ時の喜びは、今まで味わったことも無いようなものだ。 『帰った方がいいか?』『帰らないでほしい』『分かった』たったこれだけのやり取りの中で胸が痛くなり、自分の言葉に不安になり、たとえようも無く嬉しくなった。 これが人を好きになるということなのだろう。 「お腹空いてない?」 「いや、大丈夫」 「……そっちは、もう食事は終わったんだろ?」 「ごめんね、私たちだけ食べちゃって」 「ぐっすり眠ってたみたいで」 「いいよ、気にするなよ」 「うん、ありがと」 それから菜月は、左門の一日を話してくれた。 変わったお客さんがきたこと、仁さんが言った怪しいこと、みんなで食事をしたこと、どうやら、いつも通りの一日だったようだ。 でも、菜月が一生懸命話してくれたことが、俺には何より嬉しかった。 ……。 日付が変わった。 菜月もちょっと眠くなっているようだ。 「菜月、そろそろ休んだほうがいいんじゃないか?」 「え? 私、眠そうにしてた?」 「ちょっとな」 「そっか、私、大丈夫だから」 と言いながら、菜月は右のつま先を自分の左足で踏んでいる。 「あははは、いいよ、無理しなくて」 「十分楽しかったから」 「いいの」 菜月が強い語気で言う。 「菜月?」 「達哉が寝るまでは、ここにいるよ」 菜月の表情は真剣だ。 「分かったよ。 じゃあ俺は寝ることにするな」 「わがまま言ってごめん」 「いいんだ。 いてくれた方が、俺は嬉しい」 「え」 「……ありがと」 菜月は俯いて、耳たぶを赤くした。 「じゃあ、電気消すね」 「ああ、お休み」 「お休み、達哉」 ぱちっ目を閉じた。 視覚が遮断された分、他の感覚が鋭敏になる。 菜月が呼吸する音が聞こえる。 うっすらとした菜月の匂いを感じる。 それらが、まるで子守唄のように優しく俺を包む。 こんなに安らぐ時間があったなんて、今まで知らなかった。 ……。 意識が急速に遠のいていく。 この時間を、もっと味わっていたい。 心からそう願ったが──そんな願いも虚しく、俺の意識は沈んでいく。 ……。 …………。 心地よいまどろみの中、かすかな声に気が付いた。 「どうか、達哉が元気になりますように」 薄っすらと目を開ける。 そこには、何かを手にして一心に祈る菜月の姿があった。 あれは──お守り。 確か、試験を受ける時に菜月が持っていたような。 何だか、以前にもこんなことがあった気がする。 「元気でさえいてくれれば、私は、多くを望みませんから」 ……。 夏風邪くらいで、大げさなものだ。 心の中で苦笑する。 「どうか……達哉を」 菜月の声には、ふざけているような響きは一切無かった。 菜月の真摯な姿。 切れ切れな祈りが、暗い部屋に響く。 ……。 次の日。 看病のお陰か、仕事ができる程度には体調が回復していた。 菜月はもう一日休むように言ったが、早く元気になった自分を見せたくてフロアに立った。 何より、菜月と一緒に働きたかった。 ……。 閉店後。 菜月特製の野菜ジュースを飲み終えたところで、仁さんが俺を呼び止めた。 「調子はどうだね達哉君」 「おかげさまで、大丈夫そうです」 「なによりだね。 達哉君がいないと寂しくて仕方がないよ」 「いじる相手がいないからでしょ」 「おやおや、卑屈になる病気にでもかかっていたのかね」 「ま、今日の仕事ぶりを見ると、もう一つ別の病気にかかってしまったようだがね」 「なんです?」 心当たりは……ない。 「ほら、あれだよ」 「子供からお年寄りまで、身分国籍人種関係無しにかかってしまうアレさ」 「風邪なら治りましたが」 「仕方がない人だね君も。 恋だよ、恋の病」 「はあ……」 脱力系クイズだった。 1日でバレてしまう辺り、仁さんがすごいのか自分がバレバレなのか。 「あんまりロコツに目で追うと、嫌われちゃうかもしれないよ」 「そんな、俺は別に」 恥ずかしさで顔が熱くなる。 「今更だから、僕も気にしてはいないのだけれど」 と、人が悩んだ末に見つけた恋はあっさりスルー。 「ところで、菜月の様子が一昨日からおかしいんだけど、気づいてるかい?」 一昨日というと……忘れもしない、遠山からデートに誘われた日だ。 でも、昨日お見舞いに来てくれた時は、いつも通りだった気がするけど。 「気づきましたけど、昨日は普通でしたよ」 「今日は?」 「今日も元気そうでした」 「そうか。 達哉君の前では平気なフリということか」 「我が妹ながらかわいいところがあるね」 「どんな様子なんですか?」 「重度の恋の病だね」 「もうちょっと具体的に……」 「悩んでるね」 「そりゃそうでしょ」 「おやおや、悩ませてる本人がそんなことを言っていいのかい?」 「お、俺が悩ませてるんですか?」 「おいおいおいおい」 「ちょっと仁さん」 「ま、頑張りたまえよ」 「仁さんっ」 「ちょっと二人とも、遊んでないでクローズ手伝ってよ」 「はーい」 俺を見て、ニヤリと笑う仁さん。 「誰と映画にいくのか、ちゃんと考えた方がいいかもしれないね?」 「え?」 ……。 クローズ作業をしながら悶々とする。 なぜ、映画のことを仁さんが知っているんだ。 ……。 遠山に誘われた日。 デートに誘われたことは菜月には言っていない。 菜月が立っていた位置から、俺たちの会話は聞こえなかったろうし──チケットをもらったのも見えなかっただろう。 ……。 そう言えば、チケットはどこに行ったのだろう?……。 …………。 「あ」 思わず声が出る。 「どうしたの?」 怪訝な表情の菜月。 「い、いや、何でもない」 「怪しいなぁ、見るからに焦ってるけど」 「ほんと、何でもないから」 「ふーん、そーですかー」 菜月は不貞腐れた口調で仕事に戻る。 これは……いや、きっとそういうことなんだろう。 ……。 …………。 夕食が終わる。 俺は飛ぶように家へ帰り、部屋に飛び込んだ。 部屋の隅にたたまれているズボンのポケットを探る。 ……。 …………。 あった。 指先に当たる紙の感触。 取り出してみると、確かに映画のチケットだった。 ……。 あの日、俺は、もらったチケットをポケットに入れたまま寝てしまった。 次の日起きた時にはもう体調を崩していて、麻衣に言われて服を着替えたはずだ。 だが、それを律儀に畳んだ記憶は無い。 とすれば、誰かが畳んでくれたのだ。 それが菜月だったら……。 「うわ……あ……」 自分の愚かさを呪った。 菜月が畳んだと断言はできないけど、結果的に菜月の耳に入ったのだろう。 それで、菜月は仁さんに映画のことをそれとなく聞いて──察しのいい仁さんが、経緯に気づいたと……。 ……。 でも、俺が遠山から誘われたと知って、菜月が機嫌を損ねたということは──もしかしたら、菜月は俺のことを……。 ……。 遠山との約束の日。 待ち合わせ場所に向かって歩いている。 結局、菜月に遠山のことは話さなかった。 ちゃんと断ってから、菜月に報告しようと思っている。 「よう、たっちゃん、お出かけかい?」 「ええ、ちょっと」 「何だってそんな怖い顔してんのさ?」 「菜月ちゃんとケンカでもしたかい?」 「え、し、してないですよ」 「あはははっ。 ま、帰りがけにうちのキュウリでも買って仲直りしてくれよ」 「キュウリでどうやって仲直りするんですか。 じゃっ」 「おう、気をつけてな」 ……。 店を離れ、俺は顔をマッサージする。 触って分かるほど顔が強張っていた。 ……。 けど、仕方がないことだ。 これから遠山に直接会って、デートを断ることを告げなくてはならない。 顔も強張ろうというもの。 ……。 電話やメール、断り方はいくつかある。 でも、遠山は勇気を出して直接誘ってくれた。 だから俺も直接会って断るのだ。 遠山は怒るだろうか?悲しむだろうか?もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。 もう口を聞いてくれなくなるかもしれない。 こんなことを考えながら歩いているのだから、顔がこわばるのも仕方無い。 ……。 …………。 待ち合わせ場所に近づくと、遠山の姿が見えた。 歩道脇のベンチに座っている。 緊張しているのだろう──太腿の上で組んだ手を、もぞもぞと動かしている。 遠山はかわいい子だと思う。 容姿はもちろんだが、性格も明るいし、一緒にいて飽きない。 映画に行けないと言ったら、どんな顔をするのだろうか。 悲しげな表情の遠山が頭に浮かぶ。 ……。 でも、断らなくてはならない。 俺は、小走りに遠山のもとへ向かう。 「お待たせ」 「うわっ、ホントに来てくれたんだ」 「わ、わ、どーしよ、どーしよ」 わたわたと立ち上がった遠山が、せわしなく自分の服装をチェックしている。 「遠山」 そんな遠山をじっと見る。 遠山も俺の顔を見た。 ……。 …………。 どうしたの? といった遠山の表情。 俺は唇を強く引き結び、奥歯をかみ締める。 遠山の目がわずかに見開かれ──静かに目を伏せた。 初めて見る、遠山の憂いを含んだ表情。 遠山が、妙に大人びて見えた。 「ごめん、行けない」 「……そっか」 遠山の目が開かれ──「そりゃ、仕方無いっすね!」 笑った。 華やかに笑った。 そんな遠山を、俺は正視できない。 ただ申し訳無くて、奥歯をかみ締めた。 「どーしたの、暗い顔しないっ、仕方無いでしょ、こーいうのは」 「すまん」 声が喉に貼り付く。 「ほらほら、湿っぽくならないで、ね、ね」 あべこべだ。 俺が遠山に元気づけられている。 「俺、好きなやつがいるんだ」 「うん、知ってる」 「……え?」 「他の人は知らないけど、この翠さんの目はごまかせないですよっ」 「そっか、バレバレか」 「まあね」 えへんと、芝居がかった動きで胸を張る遠山。 「朝霧君は、やっぱし菜月と一緒にいるのが似合うよ、悔しいけどね」 「でも……菜月がOKしてくれるとは限らないし」 「はい?」 「だから、菜月が俺を好きとは……」 尻すぼみになる俺。 「うーわぁ、菜月も大変だこりゃ」 「どういうこと?」 遠山は俺をギロリと睨んでから「わたしと付き合ってくれたら教えたげる」 と、笑顔で言った。 「さ、菜月んトコに行った、行った」 「あ、ああ」 「ほら、早く早く早く」 遠山が手をヒラヒラと振る。 「すまんっ」 俺は遠山に頭を下げ、逃げるように走り出した。 ……。 …………。 「ったく、あんなの続けられたら、こっちが泣いちゃうっての……」 「朝霧君の……」 「……アホ」 とにかくクールダウンしたくて、俺は川原を歩いていた。 落ち着いてからでないと、菜月の顔を見たら自分が何を言い出すか分からない。 「……ふう」 土手に腰かける。 ……。 遠山は、強いな……。 素直にそう思う。 最後まで笑顔だった。 俺なんかじゃ、とても真似はできない。 風が吹き抜けた。 並木ではセミが盛大な声を上げ、夏を謳歌している。 ……。 菜月と満弦ヶ崎で夏を過ごすのは、今年が最後だ。 学院を卒業した人が、どこかの遠くの大学に行く。 ごくありふれたこと。 でも、菜月がそうなるなんて最近まで想像だにしなかった。 今まで菜月はずっと側にいてくれたから──これからも側に居続けてくれるなどと、俺は考えていたのだろうか。 そんな美味い話などあるはずがない。 俺の家族だってそうだ。 親父は突然いなくなるし、母さんは死んでしまうし、麻衣にしろ姉さんにしろ、複雑な事情を抱えている。 そんな中でも、何とか家族としてやってこられたのは──皆が努力してきたからだ。 欲しいものは、得ようとしなければ得られない。 そんな当たり前のことを、なぜ忘れてしまうのか。 ……。 菜月に告白しよう。 すっと覚悟が決まった。 俺に与えられた時間は限られている。 なら、早いほうがいい。 ……。 告白して失敗したら、元の幼なじみには戻れないかもしれない。 疎遠になってしまうかもしれない。 でも、俺はもう菜月と今の関係を続けたいのではない。 互いが互いを特別に思う──そんな関係になりたいのだから。 「よしっ」 自分に気合を入れて立ち上がった。 左門の前で、仁さんがのんびりとタバコを吸っていた。 「仁さん、菜月はいますか?」 「そんな怖い顔してどうしたんだい?」 「ちょっと菜月に話したいことがあって」 仁さんが値踏みするように俺の目をじっと見る。 「菜月はね……部屋で寝てるよ」 「え、体調が悪いとか?」 「前も言ったじゃないか、恋の病だって」 「ずいぶん、こじらせたみたいだけど」 吸っていたタバコを携帯灰皿でもみ消す。 「前、言ってましたけど……」 仁さんが無言で俺を見る。 「菜月を悩ませているのが俺だって」 「言ったねえ」 「それは……菜月が俺のことを?」 「知りたいかね?」 「そりゃ……」 知りたい、と言いかけた。 でもそれは、もうじき分かることだ。 俺は告白すると決めたのだから。 今ここで知ることに、どれほどの意味があるのか。 「いえ、本人に聞きます」 俺は仁さんの目を見て答えた。 「やっぱり男はそうでなくっちゃ」 仁さんがニヤリと笑う。 「ところで、定休日の真昼間に、勇んでどこに行ってたのかね?」 「そ、それは」 「菜月は、達哉君が出て行ってから体調を崩してね」 迂闊だった。 菜月がチケットを見ていたなら、デートの日時を知っていても不思議ではない。 俺が家から出て行くのは、鷹見沢家のどこからでも見える。 「誤解です、俺は……」 「ちゃんと説明したのかい、菜月には?」 「い、いえ」 「人間、面と向かって話したって誤解する時はするんだよ」 「説明無しで分かってもらおうなんて、そりゃ無理さ」 「……今から説明してきます」 「ああ、気張りたまえよ」 「はい」 「そうそう、家には親父がいるから、達哉君専用ルートで行った方がいいかもね」 そう言って、仁さんはもう一本タバコを取り出した。 部屋には、西日の熱気が溜まっていた。 クーラーもつけず、菜月の部屋に面した窓に向かう。 ぴったりとカーテンが閉じられた菜月の部屋。 緊張に汗が噴き出した。 それでも、退くわけには行かない。 俺は大きく深呼吸をして、窓をたたいた。 コンコンコンコン……。 返事は無い。 だが、何となく人の気配は感じられる。 コンコンコンコン……。 コンコンコンコン……。 …………。 無言。 ほほを伝い落ちた汗が、家と家の隙間に落ちていく。 コンコンコンコン……。 コンコンコンコン……。 窓に菜月のシルエットが浮かんだ。 動きは緩慢で、いつもの元気さが感じられない。 「菜月」 ……。 返事は無い。 「菜月っ」 住宅街に、俺の声が反響した。 がらっ窓が開いて菜月が顔を出す。 「菜月、話を聞いてくれ」 「ごめん、気づかなくて」 「ちょっと寝てたから」 菜月が笑顔で言う。 「ご、ごめん」 ……だが、瞼は赤く腫れていた。 恐らく、寝てなどはいなかったのだろう。 ……。 何事も無かったように振舞う菜月を見ているだけで、胸が痛くなった。 鈍感すぎるのは良くない、という仁さんの言葉を思い出し、申し訳無い気持ちで一杯になる。 「良かったら、俺の話を聞いてくれないか?」 ぴくりと菜月が肩を震わす。 「何の話?」 それでも笑顔を保ち続ける。 「大切な話なんだ」 「ん~、今日はちょっと」 「何時でもいいんだ、時間を取ってくれないか?」 「明日じゃだめなの?」 一瞬、迷った。 ……でも、今日でなくてはいけない気がする。 ここで引き下がったら、俺はこれから先も譲歩を続けてしまう気がする。 「今日にしてほしい、わがままだけど」 「大事な話?」 「ああ……とても大事だ」 菜月の表情に初めて影が差す。 「聞きたくないよ……デートの話なんて」 ぽつりと言った。 菜月が窓に手をかける。 「っ」 自室の窓から思い切り上半身を伸ばし、窓の隙間に手を入れた。 とっさのことだった。 自分がそうしたことに、後から気づいたくらいだ。 「ちょっと、危ないよ達哉っ」 「少しでいいから、話を聞いてくれ」 「それはいいから、落ちちゃうって」 と、菜月が俺の腕をつかんでくれる。 「落ちてもいいから聞いてくれ」 「そんなっ」 「聞いてくれ」 「……分かったよ」 「聞く、聞くからっ」 「……良かった」 「しっかりして、力抜かないでよ」 「分かってる」 「こんなところで落ちたら、話聞いてもらえなくなっちゃうもんな」 「……バカ」 ……。 …………。 菜月に手伝ってもらい、苦労して体勢を立て直した。 汗だくになってしまった俺たち。 「ずるいよ、こういうやり方」 菜月がぶすっとして言う。 「悪かった」 「でも、わざとやろうとしてやったわけじゃ……」 「わざとじゃなくてもやめてっ」 強い意思表示だった。 菜月の目に涙が溢れる。 「ごめん」 「謝ってもだめ」 「無茶しないで。 達哉が苦しむところを見るのは、辛いの」 菜月の言葉は、重く俺の胸に沁みた。 「……しない」 「うん」 「無茶はしないよ」 「うん」 俺の言葉に、菜月は何度も頷いた。 ……。 …………。 しばらくして、俺と菜月は夜の商店街を歩いていた。 菜月の涙を見たせいだろうか。 俺の想いを伝えたいという、強い衝動は消えていた。 その代わり、菜月を大切に思う気持ちが、俺の中に深く根を張った気がする。 ……。 隣を歩く菜月を見る。 硬い表情で、地面を見つめて歩いている。 ……。 …………。 「座ろうか」 「うん」 家を出てから、これが初めての会話だった。 俺たちは並んで腰を下ろす。 そのまま、月の光を静かに反射する川面を見つめた。 「話、聞くよ」 「ああ」 ……。 「今日、遠山に会ったんだ」 「前に左門で映画に誘われたから」 菜月は無言で川面を見つめている。 その表情からは、感情を読み取ることはできない。 「断ってきた」 「え?」 唖然として、菜月が俺の顔を見る。 「どうして?」 やっぱり菜月は、俺が遠山を好きだと思ってるんだ。 誤魔化さず、きちんと伝えなくては。 ……。 「俺、菜月のことが好きだから」 風が川面を走り抜けた。 菜月の髪が風に舞う。 顔にかかる髪にも構わず、菜月は俺を見つめ続けた。 「菜月が大切だから」 「そんな……」 動きを止める菜月。 目には徐々に涙が湧き出し──頬を伝い落ちる。 ……。 涙が膝ではじけた。 「うれしい」 つぶやくような声。 菜月は目尻を指先でぬぐって笑う。 「菜月も……俺のこと?」 菜月の顔が、ゆっくりと桜色に染まっていく。 若々しさと色気が同居した、思わず触れたくなる肌の色。 菜月の急速沸騰は見慣れていたが、こんな風に赤くなるのは初めて見た。 ……。 「うん」 菜月が控えめに頷いた。 胸がじん、と熱くなる。 静かで、深い充実感。 その熱さが指先にまで広がっていく。 「良かった」 安堵のため息をついた。 「じゃあ、私……一人で誤解して、空回りしてたんだ」 菜月の顔が苦しくゆがむ。 「いいんだよ、菜月」 「俺は、そんな菜月が好きなんだ」 「……達哉」 菜月が顔をほころばせた。 ……。 今にして思えば、家族も仁さんも遠山も、菜月や俺の気持ちに気づいていて──からかいながらも、俺が気づくよう促してくれていたのだ。 ……。 そんな人たちに囲まれて、俺は幸せ者だ……。 心からそう思った。 ……。 「菜月?」 「何?」 「俺と付き合ってくれるか?」 俺の真剣な声に、菜月も表情を引き締める。 ……。 …………。 「遠距離恋愛になるよ」 ……。 「構わない」 ……。 菜月が目を細める。 「付き合おっか」 ……。 俺は、ゆっくりと菜月の頬に手を伸ばす。 菜月は俺の手が届く範囲に体を寄せてくれた。 指先が頬に触れる。 張りがあって健康的な肌だ。 菜月は、俺の手を迎え入れるように、手を添えてくる。 「菜月」 「……あったかい」 手のひらに、頬がぴったりと当てられる。 「菜月のこと、こんな風に触るのは初めてだ」 「私も、こんなに安らぐのは……初めて」 初めて聞く甘やかな声。 頭の奥が、ぼんやりと熱くなる。 お互いに空いた手を握り合う。 ……。 菜月の手はしっとりと汗ばんでいた。 「好きだよ」 「……うん」 菜月が目を瞑る。 ……。 息を呑む。 何も考えられない。 ……。 引き合う磁石のように、俺たちは距離を縮める。 かすかに開かれた菜月の薄い唇が近づく。 ……。 距離が無くなった。 ……。 …………。 ふっくらと柔らかい、唇の感触、唇の隙間からもれてくる、体内の温度、わずかな呼吸のくすぐったさ、髪の甘い香り、握り締めた手の熱さ、これらが、一体となって俺を包む。 安らぎと興奮が渾然となった感覚に、体中が熱くなる。 菜月も、同じように感じてくれているのだろうか。 分からなかったから、手を強く握った。 すぐに、菜月も握り返してくれる。 それだけで、安心できた。 ……。 今度は、菜月が握る手に力を入れた。 何か不安になったのだろうか。 俺は、すぐに強く握り返す。 菜月の呼吸が、少し熱くなった。 少し安心する。 キスに体を熱くしていたのは、俺だけではなかった。 菜月も、俺とキスをして喜んでくれているのだ。 彼女が俺の存在に反応してくれている。 それが、とても嬉しく思えた。 ……。 こんな風に、何度も手を握り合いながら、俺たちはキスを重ねた。 ……。 …………。 どのくらいキスをしていたのだろうか。 唇を離した時、俺の体はかなり汗ばんでいた。 ……。 夜の風が、火照った体に心地よい。 菜月が、俺の手を握ったまま口を開く。 「達哉、一つ聞いていい?」 「ああ」 「いつから私のことを?」 「え……何か恥ずかしいな」 「いいじゃない、教えて」 菜月が明るく言う。 「菜月が教えてくれたらね」 「ええっ」 「……やっぱり、テレるね」 「じゃあ、俺から言うぞ」 「う、うん」 「いつからってのは、分からないけど」 「自覚したのは、遠山からデートに誘われた時かな」 「……良かった。 結構、最近なんだね」 菜月が胸をなでおろす。 「何が良かったんだよ」 「だって、ずっと私が気づいていなかったら、申し訳無いじゃない」 「た、確かに……」 遠回しに責められている気分だ。 「菜月は、どうなんだ?」 「生まれた時から」 「嘘つけ」 「あー、ひどい。 本当だったら傷つくでしょ」 「こういう時に冗談言うなよ」 「だ、だって……恥ずかしいし」 上目遣いに俺を窺う。 「はい、教えて」 「えっと……私が自覚したのはミラノに行った時かな」 「大学が決まった直後だったから、お別れの予行練習みたいな気分になっちゃって……」 ……。 電話をしてきた時、俺が考えたことは偶然にも的中していたらしい。 「良かった。 5年前とかじゃなくて」 「ほら、良かったって思うでしょ?」 「だな」 「二人ともお互いの気持ちに、言われるまで気づかなかったんだね」 「おまけに、自分の気持ちにもずっと気づかなかった」 「鈍感なんだな、きっと」 「……みたいだね」 菜月が苦笑する。 ……。 幼い頃からずっと一緒だった菜月。 多くのことは、言葉にしなくても通じていた。 お互いが気持ちよく過ごせる、安全地帯に似たフィールドを自然と獲得していたのだ。 しかし、菜月を好きになってから、言葉にしなくては伝わらないことがあると知った。 それは、俺たちが今までの関係ではない、新しい関係に足を踏み出したから──俺たちが安全地帯から飛び出そうとしたからだと思う。 ……。 「少し、歩こうか?」 「うん」 二人で、手をつないだまま立ち上がる。 「さ、行こう」 「うんっ」 手をつなぎ、夜の道を歩き出す。 こうして──俺たちは安全地帯から踏み出した。 互いにとって、特別な一人になるために。 ……。 翌日。 左門では、麻衣の誕生パーティーが盛大に執り行われた。 若干のアルコールも入り、雲の上を歩くような心持ちで自室に入る。 「ふぅ……」 大きく息を吐いて、体に残ったパーティーの興奮を消す。 菜月は、まだ起きているだろうか。 他人のお祝い事には人一倍熱心な菜月のことだ。 今夜は燃え尽きて寝てしまったかもしれない。 ……。 しゃっカーテンを開く。 「あ……」 同時に、菜月もカーテンを開いた。 ……。 …………。 口を開かぬまま、顔を見合わせた。 ……。 「あ、今日は、お疲れ」 「うん、麻衣も喜んでくれて良かったね」 「菜月が盛り上げてくれたお陰だ」 「ぜんぜん大したことないって」 「それより、何か用事があったの?」 「あ、いや、何となく、どうしたかと思ってさ」 「そう、私も一緒」 菜月が微笑む。 ……。 触れたくなる笑顔。 だが、俺たちの間には1メートル程度の溝がある。 今の俺たちにとっては少し遠い距離だ。 もっと近づきたい。 ……。 「達哉……」 菜月が俺の顔をじっと見る。 さっきまでとは、少し雰囲気が違う。 何というか、その……ドキドキする。 「そう言えば、子供の頃はよく菜月の部屋に入ったな」 「今より身軽だったのかな?」 「きっと、落ちた時のことを考えてなかったんだと思う」 「ははは、今は初めに下を見ちゃうからな」 菜月も笑う。 でも、瞳は俺を見つめたまま。 彼女の丸い瞳に吸い込まれそうな気分だ。 ……。 触れたい。 肌に触れて、またキスをしたい。 欲求が湧き上がってくるのをどうしようもない。 人を好きになると、誰もがこうなってしまうのだろうか……。 「ね、ねぇ、達哉?」 「ええっと、何?」 妙にぎこちないやり取りをする。 「昔、窓からは進入禁止って言ったの覚えてる?」 「覚えてるよ」 いつのことだったか正確には覚えてないけど──窓から入った拍子に、菜月の着替えを見てしまったのだ。 「あの時の恐怖は未だに忘れないぞ」 「いきなり入ってくる方が悪いと思う」 「あの頃は、年中だったろ?」 「入る前に一声かければ済む話でしょ」 菜月が、ぶすっとした表情で俺を見る。 俺も菜月を見据えた。 ……。 …………。 「あははは」 破顔一笑。 ひまわりのような、明るい笑顔だった。 「なんて、言い合いをしたのよね」 「そうだったな」 「ねえ?」 「ん?」 菜月の頬がかすかに赤く染まる。 恥ずかしそうに目を逸らした。 ……。 何を言うつもりなのだろう。 ……。 …………。 「あれ……じ、時効にして……あげよっか」 蚊の鳴くような声で言った。 「時効?」 一瞬、言葉の意味が分からなくて、菜月の顔をまじまじと見つめる。 「……嫌なら別にいいけど」 恥ずかしさに顔を染めながら、頬を膨らます。 ……。 ようやく意味が分かった。 つまり……「そっち、行くぞ」 ……。 …………。 「……うん」 菜月が窓際から離れた。 ……。 窓枠に足をかける。 あの頃より、ずいぶん体が大きくなった。 菜月の部屋までの距離より、窓枠の大きさのほうが今は問題だ。 ……。 「行くぞ」 ゆっくり足を伸ばし、菜月の部屋の窓に足をかける。 思ったよりもそこは近かった。 手を伸ばし、窓枠の内側を掴む。 「頑張って」 菜月が笑う。 ……。 男も女もなかった子供の頃。 先に成長したのは菜月だった。 そんなことは露知らず、菜月の部屋に入った俺。 そして出入り禁止。 思えば、俺たちが男と女に分かれた瞬間だったのかもしれない。 ……。 今、再び、その境界線を越えようとしている。 昔に戻ったのではない。 一人の男として菜月の部屋に入るのだ。 ……。 「おりゃっ」 腕を縮め、体を菜月の部屋に引っ張り込む。 ……。 「お見事っ」 着地成功……「おわっ」 毛足の長いじゅうたんに足をすくわれた。 「わわっ」 菜月ごと、ベッドに倒れこんだ。 ……。 「ご、ごめん」 「いいよ……ちょっと痛かったけど」 菜月の声が変わっていた。 聞いたことのない声色。 それはとても甘くて──頭が痺れるような──……。 菜月が俺の下から体を出し、上半身を起こす。 一瞬起こった風は、果実のような香りを孕んでいた。 ……。 「菜月」 「ん?」 引き寄せられるように、菜月を後ろから……抱きしめた。 温かな感触が俺の前半身を一杯にする。 「達哉、温かい……」 「菜月もあったかいよ」 「……うん」 「胸の中が、とても温かくなってるから」 菜月の言葉で、俺もほっとした気持ちになった。 「達哉にこんな風にしてもらうなんて、夢みたい」 「俺だって、信じられない」 菜月の体温が少しずつ上がってくる。 俺は、菜月の髪に顔をうずめた。 「あっ……」 「く、くすぐったい、よ」 菜月がもじもじと身をよじる。 「菜月の髪、柔らかくていい匂いがする」 「や、やだぁ……」 菜月の首筋が、さっと汗ばんだ。 新しい匂いが加わる。 俺の理性を崩す、甘美な匂い。 「お店の匂いがするでしょ? オリーブオイルみたいな」 「いや、甘い匂いだよ」 「すごく、いい匂い……」 「達哉、少しいやらしい」 その声は、わずかに喜びを隠しているように聞こえた。 「正直に言っていいか?」 「ん?」 「俺、部屋に入る前からこうしたかったんだと思う」 「やっぱり、いやらしい」 くすりと菜月が笑う。 「大体、思うって何よ、自分のことじゃないの?」 「分からない」 「ただ、菜月に近づきたくて……」 「近づきたくて?」 「触れたくて」 「触れたくて?」 「キスしたくて……」 「キ、キス、したくて……?」 ……。 菜月の声色が、徐々に変わってくる。 緊張と期待を含んだ、かすかに震えた声。 「そ、その……」 「……」 「菜月と……」 「私と?」 ……。 …………。 その先まで、俺は考えていただろうか?……でも少なくとも今は、その先を望んでいる。 「セックスしたい」 「ぁ……」 菜月が身をぴくりと震わす。 そして、一気に体温が上がった。 耳たぶまで真っ赤になっている。 きっと顔は大変なことになっているに違いない。 「ぁ……ぅ……」 菜月の息が上がっている。 俺は、菜月の首筋に唇を近づける。 「ひゃうっ」 くっつける前に反応した。 さあっ、と菜月の体に鳥肌が立つ。 「く、くすぐったい……」 「……」 無言で唇を這わせる。 「ひゃ……あっ……ちょっと……」 体を捩じらせてくすぐったがる菜月。 「だめ……お父さんが……」 「起きてるの?」 ……。 菜月は首を振った。 ……なんだそりゃ?「でも……でも……」 「菜月は俺じゃだめか?」 耳元で囁く。 「ひゃうっ」 「ちょっと、息とか、だめ」 「答えてくれないと、もっとするぞ」 「……うぅ」 観念したように動きを止める。 「それは……私も、ほら、彼女だから……」 「達哉とは……その……達哉がいいって言うか、達哉じゃないとって言うか……」 尻すぼみに声が小さくなる。 反比例するように、体の熱は高まっていく。 ……。 「じゃあ、しようか」 再び菜月の首に唇を近づけ──同時に、回した腕で優しくしっかりと胴体を抱きしめる。 「ぁ……達哉……くすぐったぃ……」 菜月の体が再び震える。 首筋の柔らかな産毛が唇をくすぐる。 「ひゃっ……あっ……やっ……」 身をすくませながら、菜月がぴくぴくと痙攣する。 「敏感なんだな」 「違う……くすぐったいだけ」 「これじゃ、笑っちゃうって」 そう言う菜月だが、さっきからの反応は笑ってしまうような感じではなかった気がする。 「じゃあ、こっちは……」 菜月を抱いていた腕を解き、胸に実ったたわわな果実を下から持ち上げる。 「わぁ、そこは……ちょっと……」 「すごく大きいな、菜月の」 「やぁ……達哉が……私の、触って……あ、あ……」 興奮か緊張か、菜月の体が一気に汗ばむ。 少し酸味のある甘い香りが立ち上る。 その香りに陶然となりながら、菜月の胸をゆっくりと揺すり始める。 「あ、やだ……達哉……くすぐったぁ……ぁぁ」 どっしりとした重量感がある菜月の乳房。 にもかかわらず、指の間から零れてしまうほどの柔らかさを持っている。 たぷん、と乳房が揺れるのが、服の上からでも分かった。 「かわいいよ、菜月」 耳元で囁きながら、胸をゆさゆさと揺すり続ける。 「やだって、そういうこと言ったら……私、あ」 何かに耐えるように菜月が俯く。 目の前に晒された首筋に舌を這わせる。 「ひゃあぁぁぁぁっ、あ、あっ」 舌の動きに合わせてぴくぴく動く菜月。 今度は、耳たぶを舐めてみる。 「や、やだもぅ……いたずらばかりして……」 俺の行動一つひとつに派手な反応を見せる菜月。 くすがったがりなのだろうか。 ……。 俺は首筋への愛撫を止め、胸に集中することにした。 「じゃあ、こっちをするから」 揺すり続けていた胸を、今度は大きく回すように動かす。 「あぁぁぁ……あ……」 菜月がため息を漏らす。 「こっちは平気?」 「うん……優しくね、強いのはダメ……」 「達哉に触られてるって思うだけで……恥ずかしくて死にそうなんだから」 顔を真っ赤にして言う菜月がたまらなく愛しくなる。 「菜月……好きだよ……」 結局また、首筋にキスをしてしまう。 「ひゃっ……ぁ」 少し反応が落ち着いた。 もしかしたら、菜月の中でスイッチが入りきってなかったのかもしれない。 首筋は顔をうずめる程度にして、手の動きに注力する。 「ん……あ……熱く……ぁ……」 胸を大きく動かす度に、菜月が甘い声を上げる。 たゆたゆと揺れる胸。 「どうしてこんなに大きくなるんだ?」 「知らない……あう……胸に聞いてよ……」 「じゃあ……」 回転運動に、軽く握るような動きを加える。 「も、もぅ……そういう話じゃ……ないよ……」 菜月の声を聞きながら、俺は胸を優しく刺激し続ける。 指が埋没してしまうほどの柔らかさ。 とろける様な熱さが、中に一杯詰まっている。 「菜月とこんな風になれて嬉しいよ」 「……私も……嬉しい……」 少し呼吸を荒くしながら菜月が言う。 「ずっと鈍感で、ごめんな」 「ううん……私こそ……あぁ……」 菜月の熱い吐息が手にかかる。 「菜月……胸、もっと良く見たいな」 耳元で言う。 ぴくりと菜月が体を震わす。 「み、見たいの……?」 「ああ」 ……。 …………。 無言で菜月が頷いた。 「ありがとう……優しくするから」 「うん」 俺は、ゆっくりと服のチャックを下ろしていく。 俺の手の動きを菜月がじっと見ている。 じ、じじ……「あ……あ、あ……あぁ……」 呆然とした声を上げる菜月。 ……。 上着に続き、シャツの裾をたくし上げる。 「や、やぁ……」 菜月の体温が一段と上がる。 シャツの下から、下着に包まれた豊満な乳房が現れた。 真っ白な肌に、薄く血管が浮かんでいる。 よく見ると、汗が玉になって浮かんでいた。 「すごく綺麗」 ご馳走を前にした時のように、幾分緊張しながら、俺は乳房に手を伸ばす。 「あ……」 指先が触れただけで菜月が声を漏らす。 ブラと一緒に胸を支えるように、果実を下から包み込む。 「ん……ふぅ……」 両手を大きく円運動させる。 上に持ち上げる度に、菜月の胸は下着から零れ落ちそうになる。 大きいとは思ってたけど……。 「達哉の手が……とっても……熱い……あ……ん……」 菜月が身をよじると、乳房がたゆんと揺れる。 くっきりとできた胸の谷間には、きらきらと光る汗が見えてきた。 「はぁ……あ……んぁ……はぁ……」 呼吸が荒くなってきた。 下着に隠された乳首が、少しずつ存在を主張してきている。 強い刺激を与えないよう、手のひらで乳首と乳房を一緒に包み込んで愛撫した。 「あぅ……あぁ……達哉……何か……変わった感じ……」 愛撫の変化を敏感に察して、声色がより甘く変わる。 「乳首が少し固くなってきたみたい」 「そんなの……分からない……から……」 恥ずかしそうに言う。 「ほら、ここ」 手のひらで突起を転がす。 「ひゃぁっ……あっ……やっ」 菜月が身を反らせる。 「どう?」 「あっ、あっ、あっ、あっ」 手の動きに合わせて菜月が声を上げる。 どうやら、俺の声は聞こえていないみたいだ。 「かわいい……」 愛撫を続けると、徐々に下着がずれて桃色の部分が見え隠れしてきた。 「もっと見せて」 乳房を覆うカップを、ずり上げていく。 「え? あ……」 菜月が戸惑った声を上げた時にはもう遅い。 ……。 たゆん……豊かな乳房が外界に晒された。 真っ白な丘の頂点で、桃色に染まった乳首が誇らしげに屹立している。 「や、やぁぁぁ……」 「こんなに綺麗なんだから、隠さないで」 胸を覆う菜月の腕を優しくどけた。 双丘が波打つ。 「な」 すかさず手を伸ばし、乳房を包む。 手のひらに吸い付くような質感。 指の動きに合わせて柔軟に形を変え、俺の指を飲み込もうとする。 「あっ……達哉……恥ずか、しい……」 「平気……俺しか見てないよ」 「達哉に見られているからだよぉ……」 極甘な声が出た。 後頭部が、じん、と痺れる。 「菜月……可愛いすぎる……」 菜月の首筋にキスしながら、手を動かす。 「達哉が、達哉が触って……私の胸……あっ……ん……達哉……」 首筋へのキスも、さっきみたいにくすぐったくは感じないようだ。 キスを舌での愛撫に切り替え、首筋から耳の裏まで満遍なくくすぐる。 「あっ、ひゃっ、きゃうっ、んあっ」 びくびくと体を震わせる菜月。 「首筋……おかしく……なりそう……」 気をよくした俺は、執拗に首を攻める。 前の方では、乳房をマッサージしながら指先で乳首をなぞる。 「あっ……ひゃうんっ……達哉……だめ、もう……や……やああぁ」 首筋を伝う汗を舌ですくって飲み込む。 それは媚薬のように俺の興奮を高める。 いつの間にか、俺の分身は硬直し、ジーンズの中で窮屈そうにしていた。 「菜月、服が汗で汚れるから」 「あんっ……うっ……ん……ぬがせ……て……」 「ほら、万歳して」 「あっ……やだっ……胸、止めて……」 「いいから、万歳して」 菜月がゆるゆると腕を上げる。 その分、胸を張ることになり、乳首がより突き出された。 「こんなに固くなってる……不思議だな」 「た、達哉が触るから……」 「可愛いんだから、仕方無いさ」 言いながら、菜月の上着を脱がせる。 「ああ、私……裸に……」 「まだ、こっちが……」 更に、スカートのホックに手をかけ、手早く外す。 ……。 パンツだけを残し、菜月が肌を晒す。 「恥ずかしい……あんまり見ないでね……」 「大丈夫」 優しく言って、再び愛撫に戻る。 唇と舌は首筋。 左手は乳房と乳首。 右手は膝から太腿の付け根までを摩擦する。 「あっ、やだっ、そっちは……」 「こっちもしなきゃ、気持ちよくないだろ?」 「私は……上だけで……」 「気持ちよくなっちゃったのか?」 「ば、ばかぁ……」 菜月が俯く。 「じゃ、こっちもな」 と、ソックスの内側に指を入れる。 「そ、そっち?」 「間違い」 「ばか、ばか、ばかぁ……」 菜月の非難を浴びながら、俺は、右手を秘所に添えた。 「っ……」 菜月が体を震わせ、膝を閉じようとする。 だがそれも、首筋と胸へ愛撫を施すと、すぐに緩んだ。 「強く……しないでね……私、感じやすいみたいだから……」 恥ずかしそうに言う。 言葉通り、菜月の下着は蜜で濡れていた。 「本当だ」 「どこが良かった?」 「く、首……」 「よし」 再び首筋に舌を這わせた。 女性器に当てた手は、濡れた下着の上をゆっくりと滑らせる。 「あっ、くぅっ、やっ……達哉、首……だめぇ」 もともと滑らかな素材の下着は、潤滑油のお陰でかなりすべりが良い。 俺は中指を折り曲げ、秘裂にうずめるようにしながら上下運動を繰り返す。 「ひゃうっ、あっ、達哉……ちょっと、あんっ」 小刻みな声を上げる菜月。 身を震わせる度に、指は秘所にもぐりこみ、乳首が手のひらにこすり付けられる。 それに反応して、また体を震わせる。 「やあっ、だめっ、達哉……ああっ、あ、あ、あっ」 「だめっ、だめだめ……あうっ、ぅうっ……ああっ」 菜月の声が一層高くなる。 下着からはもうすぐ音が聞こえそうなほどだ。 俺は一旦手を止める。 「……あ、達哉」 「パンツ汚れちゃうから」 「あ…………」 「脱がせてあげるから、腰浮かせて」 おずおずと菜月が腰を上げる。 あまり体に力が入っていない。 下着の横に指を絡め、くるくると足に沿って転がしてく。 「あ、あ……やぁ……」 菜月の秘所と下着の間に、透明な糸が引いた。 同時に、甘酸っぱい匂いが立ち上った。 これが菜月の匂い……。 くらくらするような匂い。 頭の代わりに、下半身が敏感に反応した。 ……。 菜月はじゅくじゅくになった自分を見たくないのか、顔を反らしている。 まず足に手を這わせる。 これからのことを、菜月に感じてもらってから、ゆっくりとそこに手を移動させる。 「や、あ、あ」 じっとりと湿った秘所に手が触れた。 「ひゃっ、達哉……直接触るの?」 「触らせて」 「でも、汚いよ、そこ……」 「そんなことない」 俺は、潤いを塗りつけるように手を動かす。 実際見たことがない部分だから、どこに何があるか良く分からない。 「っ……ぁっ……ぅ……」 菜月が身を縮こまらせる。 今までと違い、喉の奥で声を出している。 刺激が強すぎるのだろうか。 「痛くないか?」 「うん、あっ……だいじょぶ……続けて」 真ん中を走る筋に中指を合わせ、上下にこする。 ちゅぷっ「ひゃうっ!」 可愛らしい音を立てて、指の腹が埋没する。 入ったのは第一関節の半分くらいまでだったが、ここが繋がる場所なのだと分かった。 結構下の方なんだな……。 頭の中に、この先にある結合がリアルに想像される。 熱くぐちゃぐちゃに濡れた菜月に、俺のペニスが挿し込まれていく。 想像するだに、気持ちが良さそうだ。 「た、達哉……あの……当たってる」 「え?」 「背中に……」 俺のナニのことだ。 「ご、ごめん……」 「いいの……私で興奮してくれたんだ?」 「そ、そりゃ」 「一緒にお風呂入った頃は、何でもなかったのにね」 「そりゃお互い様」 菜月がくすりと笑う。 「服、脱いだ方がいいよな」 「私だけに脱がせるつもり?」 「悪かった」 恥ずかしさをこらえ、全裸になる。 「達哉、たくましくなったね」 菜月がベッドに横たわる。 足の付け根がチラチラと目に入り、淫靡なことこの上ない。 「菜月も綺麗になった」 俺は、ゆっくりと菜月の脚の間に入っていく。 ……。 菜月の足がぱっくりと開かれた。 「っ……」 恥ずかしさに、菜月が目を反らす。 足の付け根では、十分に潤った女性器がてらてらと光を放ってる。 俺の視線を感じてか、ひくりと動いた。 「行くぞ」 「う、うん……」 不安そうに菜月の眉がゆがむ。 俺はペニスを右手で支え、菜月の秘裂にあてがう。 ……この辺かな。 「もっと……下」 言われた通りスライドさせる。 先端がわずかに埋没する部分があった。 「ここ?」 菜月がかすかに頷く。 ……。 少し腰を進める。 ぎしっとした抵抗が俺を阻む。 それでも、ペニスを前進させていくみり……「あ……ううっ……」 亀頭の半分くらいが入ったところで、急にきつくなる。 「っ……」 菜月の眉が再びゆがむ。 菜月の体はガチガチに緊張している。 これでは、辛そうだ。 ……。 俺は、ゆっくりと菜月の上に覆いかぶさる。 「ど、どうしたの?」 「菜月、怖いか?」 「……うん」 俺は、優しく菜月の唇をふさぐ。 「んっ……ちゅっ……」 すぐに舌を差し入れ、菜月の口内をまさぐる。 菜月も舌を懸命に動かして応戦した。 「くちゅ……こくっ……んくっ……ちゅぱっ」 上になった俺の口から唾液が落ちていく。 菜月がそれを飲み干す。 「こくっ……ちゅくっ……ちゅぱっ……ぷはぁ」 唇が離れた。 菜月の体からは、力が抜けている。 「大丈夫そうか?」 「うん……」 「じゃ、行くぞ」 腰に力を込める。 くちゅっ淫らな音を立て、俺の怒張が前進していく。 「あ……くっ……う……」 狭い膣内を、かすかな隙間を頼りに進んでいく。 「あ、うっ……」 菜月が歯を食いしばる。 「菜月、深呼吸してみろ」 「う、うん……はぁ……はぁ」 深呼吸まで行かない、あえぐような呼吸だった。 それでも、膣圧が少し緩む。 「菜月、大丈夫、ゆっくり行こう」 「う……うん……」 菜月の緊張が解けるよう、俺は優しく菜月の胸に触る。 「ほら、どうだ?」 「はぁ……ん……達哉、優しい……」 また膣内がゆるくなる。 さっきまでの愛撫で、潤滑油も十分だ。 俺は、更に腰を進める。 「んあっ……あ……あ……」 一際狭い場所に先端が行き着く。 結合部に目を遣ると、俺はまだ半分も入っていなかった。 「菜月、どうだ? やめるか?」 「ん……平気……聞いてたより痛くない……」 菜月が苦しそうに笑う。 頑張り屋の菜月のことだ。 やめるとはきっと言わないだろう。 「よし、続けるぞ」 「もうすぐ一つになれるから、頑張れ」 覚悟を決め、腰を前進させた。 ぐぐっ「んっ……」 隘路を切り開いた。 「菜月、菜月っ」 「あっ……んあっ……う……」 ……。 腰と腰がぶつかった。 ようやく俺のモノは、全身が菜月の中に吸い込まれた。 強烈な圧迫が、俺のペニスを包んでいる。 このまま引き抜けるのか心配になってしまう。 「菜月、全部入ったぞ」 「良かった……できたね」 菜月が結合部を見て、満足げな表情を浮かべる。 「菜月の中、すごく気持いい」 「ありがとう」 菜月がゆっくりと首を振る。 「優しくしてくれて……嬉しいよ、達哉」 「私も、気持ち良くなれる気がするから……動いていいよ」 菜月の膣内がざわめく。 こうして挿し込んでいるだけで、射精してしまいそうだ。 「じゃ、少しずつ動いてみるな」 「う、うん……遠慮しないで」 少し不安そうな表情を浮かべて、菜月が言った。 怖いのを我慢してくれている。 心の中で菜月にお礼を言って、俺は剛直をゆっくりと引き抜く。 「んっ……動いてる、抜いてるんだ……」 「ああ、すごく気持良いよ」 菜月の蜜壺から、ゆっくりと俺のペニスが出てくる。 肉棒の周囲には、泡立った粘液とかすかな血がまとわりついていた。 「今度は挿れるな」 「んっ……ど、どうぞ」 もう一度菜月の中にもぐりこむ。 膣内をゆっくりと掻き分けていく。 襞は俺の行く手を阻み、通り過ぎる際には名残惜しげに亀頭を擦る。 「くっ、何か、すごい」 「ふっ……あ、達哉、すごく熱いのが、奥に来るのが分かる」 先端が一番最奥に達した。 重い痺れが、肉棒から背筋へ伝わる。 「もう一往復行くぞ」 「いちいち、断らなくていいから……さ、ほら、好きなように……」 菜月がかすかに微笑んで言う。 「分かった、覚悟しろよっ」 言うなり、俺は一気に前後運動に入る。 じゅちゅっ……ちゅっ……くちゅっ……水音が菜月の部屋に響く。 その淫靡さに、俺の頭はどんどん熱くなる。 「んあっ……うぁ……ううっ、あ、あ、うあぁっ」 切れ切れに菜月の声が上がる。 痛みは十分に隠せていない。 「達哉っ……どう、気持……いい?」 「ああ……すごく……くっ」 まともな返事をしている余裕はない。 次々と押し寄せるぬめりと圧力。 快楽の手が、肉棒を掴んでしごき上げているようだ。 俺は、奥歯をかみ締めて抽送を続ける。 「あっ……達哉っ、なんか、お腹が……じんじんして……熱くて……あうっ」 「菜月っ、とっても……」 言葉が続かない。 俺は、何もかもを忘れて、腰を振り続ける。 ぐちゅっ……じゅちゅっ……くちゅっ……ちゅっ……結合部から、次々と淫液が飛び散る。 俺の腰やシーツが、粘液質な液体で汚れていく。 「うあっ……ひうっ、あっ、あっ、あっ……達哉っ……」 俺の動きと、菜月の声のリズムが合ってきた。 同時に、菜月の膣内もペニスに合わせて収縮を繰り返す。 「菜月の……どんどん、俺に……合ってきてる」 「う、うん……それなら、嬉しい……ああっ……ひゃうっ……」 「達哉以外の人、なんかと……きゃうっ、しないから……達哉に一番合ってれば……」 「嬉しい……ひあっ……!」 菜月の声が麻薬のように染み込み、腰の動きを止められなくなる。 じゅっ……ぐちゅっ……ぐちゃっ……腰と腰がぶつかる度に、柔らかな菜月の体が波打ち、胸がぶるんと震える。 「うあっ……もう……」 達するには、まだ早い。 菜月の上で激しく波打つ乳房に手を伸ばす。 やっぱり、俺だけが気持ちよくなっちゃだめだ。 こんなに俺に尽くしてくれている菜月と一緒に……。 「ひゃっ……胸、触っちゃ、だめっ……ああっ」 菜月の声が高くなった。 「菜月っ……俺と一緒に……気持ちよくっ」 湧き上がる射精感をしのぎながら、俺は菜月の胸を揺らす。 「達哉……胸っ、優しいっ……うあっ……あっ」 菜月の体に浮いた汗が、シーツに飛び散る。 膣内に愛液が溢れ出す。 更にぬめりが増し、俺の男根はもう爆発寸前だ。 「私っ……だんだんっ……うあっ……くうっ」 ぐちゅっ……ぐちゃっ……ずちゅっ……じゅちゅっ……部屋に響く音が、更に淫らに粘液質なものに変わった。 俺を包む全ての情報が、絶頂へと導く。 「菜月っ……いけるか、俺と一緒にっ」 「あっ……わ、分から、ないよ……でも、もうすぐ、何か……降りて……」 荒い息の下から、菜月が声を出す。 菜月の膣内は、更に快楽の度を増し、俺をきゅうきゅうと締め付ける。 もう、胸を触っている余裕はない。 菜月の腰をしっかりと支え、俺は動物みたいに腰を振った。 ぐちゃっ……ぱんっ……ちゅっ……ぐちゅっ……「んあっ……あああっ、達哉っ、もうっ、ひあっ、あっ……だめっ……」 結合部からは卑猥な音、菜月の鼻に掛かった嬌声、締め付ける膣にぐちゃぐちゃの愛液、もう、訳が分からなくなってきた。 「だめだ……もう俺っ……くっ、ああっ」 腰のもやもやはもう、限界だ。 早くほとばしりたくてうずうずしている。 菜月の体に、体の奥に、白濁をぶちまけたいっ。 「ひゃっ……達哉、もう、もうっ……ひうっ……ああっ、あっあっあっ」 菜月の表情が快楽にゆがむ。 「いくぞっ……もうっ……菜月っ」 「うんっ……ああっ、あ、あ、あ、あ……うあっ」 「ひゃうっ、達哉っ、達哉っ……んあっ、あっ、あうっ!」 「やあっ、あ、あ、あ、あ、ああっ……んっ、ひゃああっ!」 「ひあっ……ひゃっ、うあっ……ああああっ、あぁぁぁあぁぁぁっ!!」 一際高い声が上がった。 「うああっ!」 慌ててペニスを引き抜く。 ダムが決壊するように、抑制がはじけ飛んだ。 どくっ……びゅくっ……びゅっ、びゅっどくんっ……欲望が次々と放出された。 衝撃に近い快感が、背中から頭へと駆け上がっていく。 「ぐあっ」 びゅくっ……どぴゅっ……びゅっくんっ……どくっ……肉棒の痙攣が止まらない。 宙を舞った白濁が、菜月の上にぼとぼとと落ちていく。 「くっ……あっあ……あ……」 だらしない声を上げる。 出すものも無いのに、痙攣が収まらない。 「あ、あ……あぁ……」 菜月が、何度も体を振るわせる。 彼女の中を快感が駆け巡っているのだ。 「た、達哉……あぅ……いっぱい……出て……」 精液に体を汚されながら菜月が酔ったように言う。 「やばい、菜月……気持ち良すぎる」 「うん……私も、良かった……」 柔らかな胸を慌しく上下させる菜月。 「まだ動いてる……あは……は……」 「これ、な」 下半身では、ほとんど力を失ったペニスが余韻に浸っている。 菜月の下半身を見ると、どろどろになった性器から、だらりと淫液が垂れていた。 俺は、ベッドの脇に置いてあったティッシュを何枚か取る。 ……。 「菜月、ありがとう」 菜月の秘所を優しく拭う。 ティッシュには、薄桃色の液体が広がった。 「ううん……嬉しかったから……いいの……」 菜月が目を細める。 「私……すごく、充実した感じがしてる」 それは俺も同じだった。 セックスをしたからだろうか。 俺の中で、菜月が一回りしっかりと根付いた気がした。 「俺もだ……」 心と体は繋がっているといえば聞こえはいいが──ちょっとずるい気がした。 だからその分、優しく菜月のそこを拭いた。 ……。 「ねえ達哉?」 「ん?」 「遠距離になる前に、いっぱいしておこうね」 「ああ、毎日でもいいぞ」 「ばかぁ……私が持たないでしょ」 「でも、少しずつ慣れていけば、毎日できるかな……」 「あはは……」 自分から言っておいて、俺が持たないと感じた。 ……。 疲労でガタガタになった下半身を無理やり動かして、自室に戻る。 「ありがと、嬉しかった」 菜月が笑う。 「菜月……」 じっと見つめ合った。 なんだか、交わる前よりもつながりが強くなった気がした。 ……。 「そうそう……」 「明日、フィーナがうちでバイトするんだって」 突然フィーナの話が出た。 わけが分からない。 「あ……そうなんだ」 「フィーナ、きっと綺麗だと思うけど……」 「浮気なんてしたら、ダメだからね」 茶目っ気満点の瞳で、菜月が俺を見る。 「当たり前だ、浮気なんてするかよ」 「よろしい」 「それじゃ、また明日ね」 菜月が窓に手をかける。 ……。 …………。 そう言えば、俺、窓を閉めた記憶が無いな……。 ……。 背筋が冷たくなった。 「どうしたの?」 「あ、いや、何でもない」 「じゃ、おやすみ」 菜月が怪訝な顔をして窓を閉めた。 ……。 …………。 夜空に向かって、大きく一つため息をついた。 ……。 がららら心地よいまどろみの中、かすかな音が聞こえた。 うっすらと目を開ける。 部屋はカーテン越しに朝日が入り込み、明るくなっている。 無理に早く起きることはない。 目覚ましが鳴るまでは寝ていよう。 再び目を閉じる。 ……。 …………。 「よっ……と」 「っ……いたたた」 近くで音が聞こえたような。 ……。 …………。 ぴりりりっ「ひゃっ」 びしっ目覚まし……鳴ってなかったか?……。 …………。 「おっきろーーーっ」 「おわっ」 突然、何かが胸の上に乗ってきた。 慌てて上半身を起こすと……どさっ「いだっ」 上に乗っていた菜月が床に落ちた。 「いたたたた……」 「……菜月?」 「お、おはよ……」 「大丈夫か?」 「怪我はないけど……いきなり起きないでよ」 「不可抗力だって」 「それで、朝っぱらからどうしたんだ」 「起こしに来てあげたんでしょ」 からっと笑う菜月。 「もう起きちゃったけど」 「……せっかく来たのに」 「大体さ、そんな格好でベランダ越えたら、下からパンツ見えるぞ」 「え」 「……やっぱり見えたかな」 気まずそうに言う。 「だって、跨いで来たんだろ?」 「う、うん」 「通行人がいなかったことを祈るんだな」 コンコンコンッ「達哉くん、何か物音が聞こえたけど、大丈夫?」 「っ、姉さんだ」 「どうしよ、どうしよっ」 狼狽しまくりの菜月。 「?? ちょっと入るわね」 「布団入れ、早く」 「うんっ」 がちゃ「起きてる?」 「ああ、今起きたところ」 「何か音が聞こえたけど、大丈夫?」 心配そうな姉さん。 「目覚まし止める時に、時計落としちゃってさ」 「そう、ならいいけど」 「朝食の用意ができてるから、身支度したら来てね」 「は、はい」 ばたん「うへえ……」 布団の中でモゾリと菜月が動く。 「もう出て大丈夫だぞ」 「……うん」 「……ぷはっ」 出てきた菜月は、顔を真っ赤にしていた。 「危なかったね」 「びっくりしたな」 「菜月、中で息止めてたのか?」 「う、ううん」 菜月は、なぜか気まずそうにしている。 「どうした?」 「え、えっと」 「布団の中、達哉の匂いがいっぱいしてさ……」 「ああ、ごめん、汗臭かっただろ?」 「ううん」 「ただ、ちょっと当てられちゃって」 フラフラとベッドから這い出す菜月。 当てられたってどういうことだろう。 どうも分からない物言いだ。 「じゃ、部屋に戻るね」 「ああ、また左門でな」 菜月が窓に向かう。 「あ、そうだ」 菜月が振り返る。 「ん、どうした?」 「……おはようの挨拶」 トトッと軽い足取りで俺に近づいてきた菜月は──「……あ」 俺の額に軽くキスをした。 「またねっ」 呆然とする俺の目の前で、菜月は窓から出て行った。 ……。 俺は窓から目を逸らせず、朝の風に翻るカーテンを見ていた。 我に返ると、顔が熱くなり頭もくらくらしている。 もしかしたら、これが当てられるということかもしれない……。 額を手でさすりながら、そんなことを考えた。 今日はフィーナがアルバイトをする日だ。 いつもより早くシフトに入り、開店準備を済ませたスタッフ一同。 フィーナの登場を今か今かと待っていた。 「さて、どう思うね、達哉くん」 「何がですか?」 「今、フィーナちゃん以外のことを話すのは、彼女に失礼だと思うよ」 「きっと、一生懸命に働いてくれると思いますよ」 「おいおいおい、僕が聞きたいのはそういうことじゃないよ」 やれやれといった仕草。 「フィーナちゃんと菜月、どっちが似合うと思う?ってことさ」 「なっ」 恐ろしいことを言う人だ。 どちらと答えても波風が立つのを分かって言っているに違いない。 「どうしたの? 青い顔して」 「い、いや、大したことじゃないよ」 「ああ、ちょっとした加重実験だよ」 「はあ?」 「フィーナちゃんと菜月で、制服が似合うのはどっちか答えてもらう趣向さ」 「悪趣味な実験」 「そうかな?」 「大体、私がフィーナに敵う訳ないじゃない」 菜月が俺の隣に立つ。 「ねえ?」 と、俺を見た。 なんだか剣呑な表情をしている気がする。 「そそそ、そんなことはないと思う……けど……」 「あ、出てくるみたいだっ」 すばらしいタイミングで、フィーナがミアと出てくる。 「わあ、見違えちゃったよ」 「これは、かわいいな」 バックヤードに近い方から歓声が上がる。 「いかがでしょう?」 少し頬を紅潮させて、フィーナが現れた。 フィーナ自身が持つ凛とした雰囲気と、制服の親しみやすく、かわいらしいデザイン。 二つのギャップが、独特の存在感を発している。 俺も菜月も、一瞬見とれてしまった。 「やっぱりフィーナは何着ても似合うわね」 感心してつぶやく菜月。 「菜月には敵いませんよ」 静かな笑顔でフィーナが言う。 謙遜しているようなわざとらしさが無いのは、さすがフィーナだ。 「どうかね、達哉君」 「二人とも、違う方向性で良く似合ってると思うよ」 「なんだいその無難な言い草は」 「兄さん、達哉をあんまりいじめないの」 「ふふふ、そうですよ」 「ミア、もう大丈夫」 ずっと後ろに控えていたミアに言う。 「はい、ではわたしはこれで」 「じゃ、わたしたちは邪魔になるから帰るね」 「いこっ、ミアちゃん」 「はい」 「姫さま、お仕事頑張って下さい」 「ええ、足手まといにならないよう、精一杯頑張るわ」 「そういうわけで、お前らも頼むぞ」 「フロアでいいんだよね?」 「ああ、そうしてやってくれ」 「任せて下さい」 「フィーナちゃん」 フィーナの手を引こうとする仁さんに、しゃもじが迫る。 「……うっ」 無言で崩れ落ちた。 「フィーナ、私が一から説明するからね」 「はい、よろしくお願いします」 「達哉も、よろしくお願いします」 軽く頭を下げるフィーナ。 いつもと違った雰囲気に、ちょっと緊張してしまう。 「が、頑張ろうな、きっとフィーナなら大丈夫だ」 「ありがとうございます」 「おかしなところがあったら、どんどん指摘して」 「おう、まずは基本の挨拶かな?」 「そうだね」 「大きな声で元気良く、親しみを込めて、が基本よ」 「よし、俺が入口に立つから、お客さんだと思って挨拶してくれ」 フィーナをフロアの奥に立たせ、俺は対角にある入口に立つ。 「さ、いいぞっ」 「いらっしゃいませ」 発音の乱れが無い、美しい挨拶。 しかし、ちょっと声が小さい。 俺は、手を耳に当て「聞こえない」 というジェスチャーをする。 菜月が意味を察して、フィーナに指導してくれる。 ……。 「いらっしゃいませっ」 さっきより声は大きくなったが、若干、緊張感があった。 「そうだな、今度はもうちょっと……」 ……。 …………。 こんな風に、フィーナの教育は進んでいった。 ディナータイムに入り数時間が過ぎた。 フィーナは、まさにスポンジが水を吸うように、新しいことを吸収していく。 もちろん、仕事振りだけではない。 その気品と可憐さが相まった姿に、お客さんが見とれてしまうこともしばしばだ。 「達哉、達哉っ」 「……あ、はっ、はいっ」 「何をボーっとしてるの?」 低い声で菜月が言う。 「何って、新人の様子を見てるだけだけど」 「……そっか、そうよね」 慌てて顔を逸らす菜月。 その首筋が赤く染まる。 「もしかして……妬いてるのか?」 「えっ……えっと……」 「良くないとは思うんだけど、自分でも上手くコントロールできなくて……」 申し訳無さそうに俯く菜月。 「心配しないで……俺は菜月が好きだから」 と、菜月に耳打ちする。 「ちょ、ちょっと、何を言うのよ……」 菜月がますます赤くなる。 「すみません、5番テーブルをお願い」 「達哉はレジをお願い」 「は、はいっ」 「はいっ」 慌てて離れる俺たち。 これでは、どっちが新人だか分からない。 俺たちは苦笑しながらそれぞれの仕事に戻った。 ……。 夕食が終わって部屋へ戻る。 俺は、着替えもせずに窓に向かった。 ちょうど電気が点く。 すぐに菜月が窓際に寄ってきた。 がらら「よ」 「あ、待っててくれたんだ」 「お疲れ」 「うん、お疲れさま」 菜月が微笑んでじっと俺を見る。 俺も見返す。 ……。 …………。 菜月の長い髪が照明に透ける。 手で梳きたくなるような、美しい髪が──真夏のかすかな風に、ふわりと揺れた。 ……。 気恥ずかしくなって目を逸らす。 「はい、達哉の負け」 会心の笑みを浮かべる菜月。 「は?」 「にらめっこだよ」 「そんなの知らないぞ」 「いいのいいの。 じゃ、負けた罰として……」 「……」 何をされるんだろ。 「手をつないで」 「え?」 「何度も言わないよ」 菜月が窓から手を伸ばす。 ……。 別に、にらめっこなんてしなくても、手くらいいつでもつないであげるのだが……。 そんなことを考えながら、菜月の手を受けた。 菜月の手が動き、指を絡めてくる。 「ありがと」 満足そうに目を細める。 菜月の手から体温が伝わり、体がじんと熱くなる。 「フィーナ、綺麗だった?」 「ん? ああ」 正直に答える。 手をつかまれているせいか、嘘をつく気にはなれなかった。 「仕事もできるし、ああいう人っているんだね」 また、妬いているのだろうか。 「さすがだよ」 「また手伝って欲しいな」 「そう思う?」 「うん」 菜月が笑う。 「大丈夫、もう妬いたりしないから」 「ははは……」 それはそれで、ちょっと寂しい気がした。 「左門でも言ったけどさ、他に綺麗な人がいても、俺、菜月のこと好きだから」 冗談ではなく、俺は本気でそう思っていた。 「……も、もう、ずるい」 何がずるいのかよく分からなかったが、菜月はふにゃふにゃと脱力してしまった。 ……。 「でもさ、何だか変だよね」 菜月が、つかんでいる俺の手をブラブラと振る。 手を振られるままに、俺は答える。 「何が?」 「だって、こうしてるだけで、何か安心するなんて……」 菜月の言いたいことは、俺も実感していた。 こうして窓枠越しに手をつないで、ただ喋る。 それだけで、自分の中からふわっとした安心感が湧いてくる。 菜月と付き合う前には、想像もつかなかったし、誰かに言われても信じられなかったと思う。 「俺もちょっと不思議だよ」 「そっか、そうだね……」 と、菜月は俺の手を強く握る。 「あのさ……今度デートしないか?」 「で、でーとぉっ」 菜月が大きな声を出す。 「ばっ、お前声大きいって、何が恥ずかしいんだよ?」 「面と向かって言われると……ちょっと……」 ガララッ朝霧家一階、眼下の窓が開いた。 フィーナの部屋だ。 俺たちの目が点になる。 「姫さま、何でしょう今の声は……」 「わっ、ひゃあああっ!」 菜月の声より大きい悲鳴が上がった。 そりゃそうだ、頭上で男女が手をつないでいるのだから。 「どうしたのっ?」 ミアに続いて、フィーナが顔を出した。 「ふふ……」 フィーナの美しい顔が引きつる。 「あは、あははははっ」 「じゃ、邪魔をしてしまったようね」 庭先に人が出てくる音がする。 「ど、どうしよう」 「ちゃんと説明するいい機会じゃないか?」 「そ、そうだね……うん、うん」 自分を鼓舞する菜月。 平静を装いながらも、俺は暗澹たる気持ちになっていた。 30分後。 朝霧家のリビングには、関係者一同が集まっていた。 俺たち二人は、同じソファで畏まっている。 「それで、付き合うことにしたと」 「朝霧達哉くーん」 仁さんが連邦議会の議長のように俺を呼ぶ。 「付き合うことに……しました」 「達哉の言う通りです……」 ……。 リビングに、いくつかため息が漏れた。 「う~ん、いつかはこうなる気がしてました」 「まあ遅いくらいだよね」 「わたしは、菜月ちゃんが義姉ちゃんになったら嬉しいけどな」 「いや、まだそこまでは……」 菜月も俯く。 「どこまで行ったの?」 「ぶっ」 おやっさんが茶を吹いた。 「朝霧達哉くーん」 ……。 「黙秘します」 「も、黙秘……」 「こっちもガキの遣いじゃないんだから、ちゃんと答えてくれたまえ」 「と も か く」 全員の目が俺に向けられる。 「俺は中途半端な気持ちで付き合い始めたんじゃないし」 「これからも、菜月と真剣に付き合っていくので……」 「まあ、それはあまり心配してないんだが」 「浮気できるほど器用ではないからね、達哉君は」 「私は応援したいと思いますけど」 「わたしも応援するよ、うん」 力説する麻衣。 「フィーナ様はどう思われますか?」 ずっと口をつぐんでいたフィーナに水を向ける。 「私が発言してよろしいのでしょうか?」 「はい、家族ですから」 「もちろんミアちゃんもね」 「えっ、えっ、私もですか?」 緊張しまくっている。 「私は、お似合いのカップルだと思うわ」 そう言うフィーナの表情には、わずかにだが、陰りが見えた。 「わ、私も、思います」 「ありがとう、二人とも」 「せっかくのホームステイなのに、ごめんね」 「いえ、むしろ……」 「こう言っては失礼かもしれないけれど」 「とても貴重な経験をさせてもらってるわ」 「はい、私もです」 「そういって頂けると、大変助かります」 ……。 「さて」 少し大きな声で左門さんが場をまとめる。 「もとより、付き合うことをどうこう言うつもりはない」 「タツのことは生まれた時から知ってるわけだし、むしろ安心さ」 「お父さん」 「ありがとう、おやっさん」 「ただなぁ……年頃の子が多い所帯だからなぁ」 「まったくだね」 「お前もだな」 「刺激的なことは、避けてほしいもんだな」 威厳のある声でおやっさんが言う。 ……。 さすがに、もう経験済みですとは言えない。 「わ、分かりました」 「はい」 菜月が赤面して俯く。 そこで赤くなってはバレバレな気がする。 「では、お暇しましようか」 「そうだな」 「ミアちゃん、お茶美味しかったよ」 「は、はい、ありがとうございます」 「すみません、遅い時間に」 「いいんだよ」 「じゃ、私も行くね」 「ああ、また明日」 おやっさんと仁さんに続いて菜月も立ち上がり、リビングを出て行った。 ……。 …………。 ………………。 残された朝霧家一同。 誰かが話し出すのを待っている雰囲気だ。 ……。 「良かったわね、達哉くん」 「え?」 「おめでとう、お兄ちゃん」 「二人なら、きっと幸せになれるわ」 「お二人のこれからが楽しみです」 みんなが祝福してくれる。 何か小言を言われるものと思っていた。 「ありがとう、みんな」 妙にツボに入った。 涙腺が熱くなる。 「あらあら」 「お兄ちゃん、恥ずかしいよ」 「ありがとう……」 「さ、私たちは下がりましょう」 「はい」 二人が立ち上がる。 ……。 「あ、待って」 「どうしました?」 二人が足を止める。 「二人には関係無い話ばかりして、ごめん」 「ふふっ、その話はもういいの」 フィーナがおかしそうに笑う。 「私は少しも気分を害してなどいないし……」 「むしろ、家族の一員としていられることを嬉しく思っているわ」 「そうでしょう、ミア」 「はい、私も同じように思います」 「だから、菜月と精一杯楽しんで」 「ありがとう」 この日、何度目かのありがとうを言う。 「それでは、お休みなさい」 「おやすみなさいませ」 ……。 「二人も休んだら? もう遅いわよ」 「うん、そうするね」 「おやすみなさい」 ……。 部屋に戻ると、どっと疲れが出た。 ベッドに横になると、すぐに菜月の顔が浮かんできた。 あんな話し合いをした後で、すぐさま窓越しに話すわけにもいかない。 ……。 …………。 そうだ、メール。 すぐに机の上の携帯を手に取り、メールを打つ。 菜月は今日のことをどう思っているのだろうか、怒っているのではないか、そんな心配が頭の中をぐるぐる回る。 ……。 …………。 悩んだ末、こう打った。 『今日はみんなに話せて良かった気がする。 これからも仲良くやっていこう!』2、3度読み返してから、送信ボタンを押した。 ……。 携帯から目を離すと、庭を外へ出て行く姉さんの後姿が見えた。 菜月の家からは、おやっさんと仁さんが出てくる。 前の道路で落ち合った3人はどこかへと消えていった。 これからのことを話し合うのだろう。 ……。 いろいろな人に心配をかけているんだな……。 そう実感した。 ……。 ベッドに転がると、携帯電話が震えた。 菜月からの返信メールだ。 はやる気持ちを抑えて、本文を読む。 ……。 『私も話せて良かった。 明日からもよろしくね。 おやすみ』「良かった」 大きく息を吐く。 温かな安心感が体を包んでいた。 ……明日も頑張れそうな気がする。 ……。 俺は、携帯を持ったまま、瞼を閉じた。 昨日のこともあり、決められた時刻より早く左門に入る。 「おや、達哉君、早いじゃないか」 「ええ、何か手伝えることはあります?」 「そうだな……」 ぐるりとフロアを見回す。 「親父、達哉君がね、昨日の件が後ろめたいから早く来たって言ってるんだけど」 「言ってません」 「違うのかい?」 「違いますよ」 「おいおい、からかうなよ」 おやっさんがキッチンから出てくる。 「前も頼んだと思うが、買出しを頼むよ」 と、メモを渡される。 がちゃ「私も行くよ」 奥から菜月が出てきた。 「おお、こりゃ……あっはっはっは」 「やだねぇ、最近の若いのは、人目もはばからず」 「うるさいなー」 「いいから行って来い」 「はーい」 「よし、行こうぜ」 俺たちは並んで左門の出口へ向かう。 ……。 …………。 「いいじゃないか、お似合いだ」 「付き合いが長いから、息は合ってるだろうけどね」 「上手くいかないと思うのか?」 「いやいや、トラブルはあるだろうって話さ」 「そりゃ無いほうがおかしい」 「ま、あの二人ならなんとかなるんじゃないかな」 「そう願いたいね」 「お前も、早くいい子見つけて結婚しちまえよ」 「やれやれ、こっちが本命か」 「菜月より年食ってんだから当たり前だ」 「この国で一夫多妻制が認められるまでは無理だね」 「まずはその性格の矯正からだろうな……」 ……。 …………。 焼け付く日差しの下、俺たちは並んで商店街を歩く。 「達哉、メモ見せて」 「ああ、はい」 「んー……」 「これなら、八百屋さんだけでOK」 「さすがに慣れてるな」 「昔から買出ししてるからね」 「俺、最近まで、菜月が買出し担当だって知らなかった」 「ま、そういうこともあるよ」 「菜月は偉いな」 「俺と同じ時間に学院から帰っても、買出ししてるんだもんな」 「あはははっ、褒めても何にも出ないよ」 ふと、菜月が買い物カゴを持っていることに気がついた。 「それ、俺が持つよ」 「え、いいよ、まだ何も入ってないし」 「ずっと持つよ」 「そこまでしてもらわなくてもいいです」 ちょっと突き放された気分。 「ならいいや」 ……。 …………。 菜月がチラチラ俺の顔を見ている。 機嫌を損ねたのか気にしているのだろうか。 「じゃあさ、半分持ってよ」 「半分?」 「せっかく持ち手が二つ付いてるんだし」 確かに、買い物カゴは籐製のトートバックで、持ち手は2つ付いている。 「片っぽずつ持つってこと?」 「うん」 「恥ずかしいだろ、それは」 「持つって言ったのは達哉でしょ、折衷案、折衷案」 「……しょうがないな」 しぶしぶ持ち手を握る。 並んで歩く俺たち。 俺は右手に、菜月は左手に買い物カゴの持ち手を握っている。 そんな格好で商店街を歩いているのだから。 当然のように、「あら菜月ちゃん、仲いいわね」 等と声が飛ぶ。 恥ずかしいこと、この上ない。 体中の毛穴から汗が噴き出しそうな気分だ。 ……。 …………。 「おじさーん、こんにちは」 「おう、菜月ちゃん……」 俺たちを見たオヤジさんの動きが止まる。 「いや、これは……」 「いやぁー、ようやくかっ」 破顔一笑。 「おらぁね、いつかくっつくと思ってたよ、ああ」 もとより、雰囲気は察していたらしい。 オヤジさんが気づいていたとなると、商店街の結構な数の人が気づいていたのだろう。 自分の鈍感さに、目の前が暗くなる。 「おじさん、それはいいから、買い物を」 とか言いながら、菜月も嬉しそうだ。 俺はそんな菜月を横目にメモを渡す。 「よぉし、待ってな、サービスするからよ」 メモに有るもの無いもの、次々にカゴへ放り込むオヤジさん。 「小玉スイカは店じゃ使わないんですが……」 「じゃあ家で食え」 「はい、ありがとうおじさん」 「お代はメモに書いてあるだけでいいからよ」 菜月が財布からお金を渡す。 ……。 カゴの中から溢れ出さんばかりの野菜、野菜、野菜。 帰り道は、かなりの重労働になりそうだ。 ……。 八百屋からしばらく歩いた頃。 菜月が、何かを横目に見ているのに気が付いた。 「……ん、そっか」 視線を追うと──街の不動産屋だった。 ……。 そう……菜月は、春から遠くの大学に行くのだ。 最近、付き合い始めたことに浮かれて忘れていた。 もしかすると、忘れたかったのかもしれない。 「……」 菜月は歩く速度をわずかに落として、張り紙を見ている。 時間的には、立ち止まって見ても問題無いはずだが、菜月は立ち止まろうとしない。 「はぁ……」 菜月はため息をついて、張り紙から目を逸らした。 「どうした?」 「えっ? 何が? 別に何でもないけど」 慌てた声で言う。 「そうか? ならいいんだけど」 「さ、お店までもう一踏ん張りっ」 話題を断ち切るように言う。 俺も、あえてここで話を持ち出さなかった。 「よし、行くぞっ」 気合を入れて歩き出すが、胸にはわだかまりが残ったままだ。 菜月に、会いたい時会えない。 一体、どれほどの不安を感じるのだろう。 ミラノに行った時でさえ、あれほどの寂しさがあったのだ……。 横目に菜月を見る。 「ん? どうしたの?」 「い、いや……」 でも、こうなることは分かっていて付き合い始めたのだ。 今更「行くな」 なんて言うのは、菜月への裏切りだと思う。 ……。 進学と引越し、そして遠距離恋愛。 どうしたらこのハードルを乗り越えられるのか──今の俺には見当も付かなかった。 ……。 夕食が終わり、俺はイタリアンズの散歩に行くことにした。 「わふっ」 「お前達は心配事がなくていいな」 リードをつけながら、話しかける。 「わう?」 「わうわうわうっ」 突然、俺の背後に向かって尻尾を振るイタリアンズ。 この喜び方は菜月だな。 振り返ると、案の定菜月が立っていた。 「やあ」 「一緒に行くか?」 「うん」 俺は菜月にアラビアータのリードを手渡した。 「今日もフィーナはよく働いてくれたね」 いつも通りの調子で、菜月が話しかけてくる。 「ああ、もう教えることが無いよ」 フィーナのバイトは3日間の約束だ。 2日目にして、既にフィーナは大きな戦力になっていた。 「憧れちゃうな、かっこいい女性って」 「菜月が?」 「そうよ、変?」 菜月がスーツに身を包んで、めがねをかけているところを想像してみた。 思わず、笑いがこみ上げる。 「失礼ね」 「菜月がスーツ着てるとこを想像しちまった」 「私だってもうちょっと大人になれば、似合うようになるわよ」 「……恐らく」 「菜月は菜月で、親しみやすくていいと思うけどな」 「そう?」 「俺は好みだよ」 「面と向かって何でそんなこと言うかな」 「……ねえ?」 と、アラビアータのリードをぶんぶん振る。 「わうん?」 「知らないってさ」 「む、アラビ薄情」 「わふん」 風に吹かれ、ケヤキの並木が音を立てる。 視覚的にも、恐らく実際も、ここは他より涼しい場所だ。 夜風に吹かれながら、のんびりと土手を歩く。 ……。 あと何回、ここを菜月と歩けるのか……。 どうしても考えてしまう。 「菜月、手をつなごうか?」 「ん? 寂しくなっちゃった?」 「違うよ。 何となくさ」 憮然と答える。 「いいのいいの」 「寂しくなったら手をつなご」 菜月が俺の手を取る。 体温が伝わってきた。 「……むむ」 「不満?」 「いや」 「あはははっ、よしよし」 いいようにあしらわれている。 ……。 …………。 「達哉さ、買出しの時……」 しばらく歩いて、菜月が切り出す。 「私が、不動産屋さん見てたの気づいてたよね」 「あ、ああ」 隠しても仕方がないと思い、正直に答えた。 何を言われるんだろう……。 「ごめんね」 菜月が頭を下げる。 「うぉん?」 訳が分からない。 アラビアータと首を傾げてしまった。 「何で菜月が謝るんだ?」 「だって、せっかく一緒にいるのに……」 「あんまりいい気分じゃないでしょ」 心から心配そうに聞いてくる。 どうやら、菜月も俺の前では大学のことは出さないよう意識していたようだ。 「不安にはなるよ」 「そうだよね……私も」 「でもさ、菜月のことで悩むのが嫌なら、初めっから付き合わないし」 自分に言い聞かせるように言う。 不安にならないわけじゃない。 むしろ、不安は胸の中で膨らみ続けている。 それでも、夢に進んでいく菜月の障害になるようなことは言いたくない。 「……そっか」 「また一人で悩んじゃったみたい」 「悩んだら、相談してくれよ」 「二人で乗り越えていかなくちゃ、な?」 「うん」 「今から止められるわけじゃないしね」 菜月が俯き加減に言った。 菜月の体からは、張り詰めた、それでいてはかない雰囲気が漂って来る。 ……。 もしかしたら、菜月も、行きたくないと思ってくれているのかもしれない。 「『行くなっ』とかさ、ドラマみたいなこと言ったら、困るだろ?」 「困るというか……怒る」 真面目な声で菜月が言う。 「約束でしょ」 「う、うん」 菜月の語調に押されて、頷いてしまう。 また「約束」 だ。 付き合う前から、何度か菜月が口にしていたが、俺には思い当たることがない。 話の流れからして、大学とか獣医に関係することなんだろうけど……。 「でもね、離れたくないって思ってくれるのは……」 「嬉しくないわけじゃないよ」 真剣な表情から一転、菜月が笑う。 「さ、遅くなっちゃうし、そろそろ帰ろっか」 「ああ」 前進を続けようとするイタリアンズに、Uターンしてもらう。 硬い表情を見せた菜月も、いつも通りの、明るい表情に戻っていた。 ……。 家の前で菜月と別れ、庭に入る。 「あ、お兄ちゃんお帰り」 麻衣が縁側に下りてくる。 「おう。 今何時だ?」 「もう12時過ぎだよ。 ずいぶんのんびりだったね」 「あ、ああ、まあな」 「最近、二人とも楽しそうでいいな~」 「からかうなよ」 まだ遊んでくれ、とばかりに体に絡みつくイタリアンズからリードを外す。 「みんな大きくなったよね」 ぼんやりと言う麻衣。 「ああ、うちに来てずいぶん経つもんな」 犬達をわしゃわしゃ撫でる。 「こんなのがもっと増えたら、破産しちまうよ」 と、一番図体が大きいカルボナーラの頭を撫でる。 「また拾ってくるの?」 「ま、捨てられてるのがいればな」 「子供みたい、お兄ちゃん」 「なんで?」 「よく子供は拾ってくるでしょ。 それで親に怒られたりして」 「あははは、あるなそういう話」 「ナポリタンが死んだ時は、もう絶対拾わないって思ったけど……」 「どうしても拾っちゃうんだ?」 「ああ」 泣きじゃくっている菜月の顔が頭に浮かんだ。 ……。 ……あれ?かすかな違和感。 ナポリタンが死んだ時にしては、菜月の顔が……。 「麻衣、ナポリタンが死んだのっていつだっけ?」 「えっと……」 麻衣が指折り数える。 「確か……5年前かな?」 おかしい。 さっき浮かんだ菜月の顔は、5、6年前のものではない。 記憶が混乱しているのか?「どうしたの?」 「い、いや。 気にするな」 「そう? ならいいけど」 「でもさ、菜月ちゃんは、それで獣医になろうって思ったのかな?」 「さあ? 聞いた事ないけど、そんなとこかもな」 ふと、菜月が言っていた「約束」 のことを思い出す。 さっきの話だと、大学や獣医に関係する内容みたいだった。 ……麻衣なら、覚えてるかもしれないな。 「あのさ、変なこと聞くけど……」 「なに?」 「俺と菜月の間で約束って言われたら、何か思い当たるか?」 「どういうこと?」 「菜月と、何か約束したみたいなんだけど……」 「忘れちゃったの?」 「……ああ」 「それはまずいね」 「まずいんだよ。 聞くに聞けないし」 「デートの約束とかだったら、大ピンチだね」 「そういうのじゃないみたいでさ」 「進学とか、獣医のこととか、そっち関係のだと思うんだけど……」 「う~ん……」 しばらく考え込む麻衣。 ……。 「ごめん、ちょっと分かんないよ」 申し訳無さそうに言う麻衣。 「そっか。 いや、気にしないでくれ。 そのうち思い出すだろ」 「うん……」 「あの、頑張ってね。 わたし応援してるから」 「ありがとう」 ぽむぽむと麻衣の頭を軽く叩く。 麻衣も俺と菜月の約束を知らなかった。 潔く、菜月に聞いてしまった方がいいのかもしれない。 「さて、俺は風呂にでも入るか」 「うん、空いてるよ」 ……。 「麻衣、もしかして俺のこと待っててくれたのか?」 「さあ? 知らない」 麻衣が笑う。 「それより、明日登校日だからね」 「忘れちゃダメだよ」 ……登校日?「ああ、そうだったな」 「忘れてたんでしょ?」 「……実は」 「あはは」 「毎年、夏休みに慣れた頃にあるからね、登校日」 「明日はちゃんと起きるようにするよ」 「うんっ」 「じゃ、わたしは寝るね」 「ありがとう、おやすみ」 麻衣が2階へ上がっていくのを確認して、俺は玄関から家に入った。 ……。 …………。 菜月の部屋の電気はまだ点いている。 シルエットは机に向かっていた。 ……勉強中か。 菜月は合格が決まってからも、ほとんど毎日勉強を続けている。 大学に入ってからの内容も先取りしていた。 その上、バイトはいつも通り。 生半可な根性ではない。 風呂で温まった体を冷ましながら、ぼんやりと思った。 ……。 ホームルームと大掃除だけの登校日が終わり、俺と菜月は、まだ日の高い通学路を歩いていた。 学院を離れてからの菜月は、どうも様子がおかしい。 俺の横についたり離れたり、落ち着きがない。 「なあ、どうしたんだ?」 「ひゃっ」 「な、何が……?」 「何か落ち着きないぞ」 「そそ、そんなことないよ」 「じゃあ、何でどもってるんだ?」 「えっと……その……」 恥ずかしそうに顔を伏せる。 「あ、あのさ……」 菜月がおずおずと手を伸ばし、指先で俺の手に触れた。 「ほ、ホラ……」 手を突付いて……なんだろう?……。 ……手を繋ぎたいのだろうか?「手、繋ぐか?」 菜月の顔が明るくなる。 「……うんっ」 「手を繋ぐくらいなら、遠慮しないで言ってくれよ」 菜月の手を握りながら言う。 「だって、周りにいるでしょう、ホラ、学院の人が……」 「達哉はそういうの気にするのか分からなかったから」 「変なこと気にするんだな」 「二人で商店街の外に出るのって初めてでしょう?」 「何かデートみたいじゃない」 「まあなぁ……」 商店街には顔見知りが多い。 俺たちにとっては、いわばご近所さんだ。 だから商店街を歩いても、精神的には出かけたうちには数えない。 ……。 「登校日が初デートってのも申し訳無いな」 「ん? じゃあ、どこか行く?」 菜月がニコッと微笑む。 「今から?」 「バイトまでは時間があるでしょ」 「そうだな……」 空を見上げる。 日はまだ中天を少し回ったところ。 山際には、立派な入道雲が湧き上がっていた。 ……夕立があるかもしれないけど。 「よし、行こうっ」 菜月の手をぎゅっと握る。 「どこか行きたいところあるか?」 「天気もいいし……見晴らしがいいところがいいな」 頭の中で近くの遊び場を、さっと検索する。 「じゃ、物見の丘公園でいいか?」 「おっけー」 ……。 学院方面に多少戻り、物見の丘公園に到着する。 ケヤキの並木を抜けて、池のほとりに出た。 「んー、木陰が涼しくて気持ちいいね」 「やっぱり、クーラーなんかより自然の涼しさがいいな」 「クーラーは体が冷えるから、私も苦手」 「ははは」 「で、どうする? 丘登るか?」 「うーん……」 二人で丘を見上げた。 モニュメントが強い夏の日光を反射している。 見晴らしのいい場所に行くには、かなりの階段を上がらなくてはならない。 「行こう、せっかくだし」 「そもそも、見晴らしがいいところに来たかったんだから」 「よーしっ」 菜月の手を引いて、階段に足をかけた。 ……。 …………。 頭上からは容赦なく太陽が照りつける。 加えて急な階段。 息が上がるには、さして時間が掛からなかった。 「はぁ……ほら、もうちょっとだぞ」 「うん……やっぱ、暑いねぇ……」 額に汗を浮かべて菜月が笑う。 暑いのは確か。 でも、菜月と一緒に汗を流すのはとても気持ちがいい。 ……。 …………。 「ひゃー、着いたーっ」 「はぁ……ふぅ……」 柵の外には満弦ヶ崎湾と街並みが広がっている。 ……。 ザザァーーーーー一陣の風が丘を走りぬけ、くるぶしほどの草がざわめいた。 浮かんだ汗が気化して、肌の熱を奪っていく。 「おぉ~、気持ちいいな」 「来て良かったね」 「ああ」 「俺は一休みするよ」 鞄を草の上に投げ、それを枕にして寝転ぶ。 「もー、おじさん臭い」 ザザァーーーーー再び風が走り抜ける。 菜月の短いスカートが翻り、薄緑色の下着が見えた。 股上の浅い、なかなか色っぽいデザインだ。 「下より涼しいかもしれないね」 菜月が気持ち良さそうに髪を掻き上げる。 「あのさ、そこに立ってるとパンツ見えるぞ」 「ぶっ」 恐らく、菜月の鞄が腹を直撃した。 「荷物番しててねっ」 菜月がパタパタと柵の方に駆けていく。 「滅多なことは言うもんじゃないな……」 当たり前のことを悟りつつ、菜月の鞄を頭の脇に置く。 ふと、鞄から菜月の匂いが漂ってきた。 さっきの下着映像と相まって、少し頭がぼうっとした。 ……。 ……。 …………。 「……達哉」 耳元で菜月の声がする。 「……すぅ……」 「達哉、起きてよ」 「……ん」 「起きないと……」 ゴロゴロゴロッ!「うあぁっ」 「きゃっ」 目を開くと、ほとんど別世界だった。 生暖かい空気。 空を覆う薄暗い雲。 雷雨直前の空だ。 「早く帰らないと……」 「うん」 耳元で声がした。 顔を横に向けると、菜月の顔がアップになった。 手では、しっかり俺の服を握っている。 「何で横にいるんだ?」 「隣で寝ちゃダメなの?」 「いや……そうじゃないけど」 「達哉はすぐ寝ちゃうし、他にすることないでしょ?」 「ごめん」 「それより、早く帰らないと」 「そうだな」 俺は勢い良く立ち上がり、菜月に手を差し出す。 菜月が俺の手をしっかり握って立ち上がる。 「さ、行こうっ」 ゴロゴロゴロッ!「ひゃあっ」 「近いな」 菜月に注意を払いながら、できる限り早く階段を下りる。 ……。 …………。 階段を降り切った。 並木まで入れば、雨が降っても大して濡れることはない。 「もうちょっとだぞ」 「良かった、ぎりぎりセーフ……」 ドザーーーーッその瞬間、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。 「ひゃあっ、アウトだったーっ」 「早く、木の下にっ」 微妙に楽しそうな菜月を引っ張って、並木に走りこむ。 ……。 …………。 数秒後。 並木の下に飛び込んだが、全身びしょぬれになっていた。 「しかし、ひどい降りだな」 「夕立だから仕方無いよ」 外は白く煙るほどの雨。 並木も雨を受けきれないようで、木の下にいても徐々に体が濡れていく。 「すぐに止むと思うんだけど」 「祈るしかないね」 菜月が俺に身を寄せた。 お互いが濡れているせいで、菜月の体の温かさが強く感じられた。 ……。 「達哉の体、温かい……」 「そうか?」 「うん」 菜月が更に体を寄せる。 「菜月の体も温かいよ」 「風邪ひかなくて済みそう」 「ああ」 菜月の髪を指で梳く。 濡れたせいでより艶を増している気がした。 「できれば、晴れている間にこうして欲しかった」 「……ごめん」 「今度埋め合わせするよ」 「今度っていつ?」 菜月が上目遣いに俺を見る。 ここは誤魔化せないところだ。 「じゃあ、明後日。 定休日だろ」 「分かった、じゃあ水曜日は初デートっと」 菜月が楽しそうに笑う。 「初デート……か」 「でしょ?」 「……しちゃってから初デートってのも変だな」 「『しちゃって』とか言わないの」 「何か嫌なことをしたみたいでしょ?」 「私にとっては大切な日なんだから」 そう言って微笑む。 「……」 菜月がとても可愛らしく見えて、俺は彼女の頭を抱き寄せた。 「あ、やだっ……あはは」 菜月がくすぐったそうに腕の中で体を動かす。 ……。 「おっ……」 「空が晴れてきた」 土砂降りだった雨が小降りになり、雲間から光が差してきた。 ……。 「あっという間だったね」 「まったく、何でこう運が悪いかな……」 菜月が自分の体を見回す。 雨に打たれた制服はぴったりと肌に貼り付き、肌色が透けている。 時折髪から滴り落ちる水滴が、日の光に輝いていた。 菜月が緑色のリボンに手をかけ、しゅるりと解く。 ……。 どきり、とさせられる仕草だった。 「な、何でリボンを解くんだ?」 「濡れたままで縛っておいたら、シワになるでしょ」 「わわっ、スカートもびしょびしょ」 と、スカートの裾をきゅっとつまむ。 ぱたぱたと雫が滴り落た。 「わ、こっちも」 菜月は体中をチェックしては絞ったりこすったりしている。 ……。 俺の目は──菜月の胸に釘付けになっていた。 今までリボンで隠していた部分。 覆いがなくなったそこでは、菜月のブラが透けていた。 ……。 菜月が動く度に豊かな胸が、たゆんと揺れる。 「……ぅわ」 「何?」 きょとんとした表情の菜月。 どうやら自分の姿には気が付いていないようだ。 「あい、いや、何でもないよ……」 俺は緊張しながら目を逸らした。 「どうしたの?」 俺の目を覗き込む。 目の前にくっきりと透けた豊かな胸がある。 菜月は、本当に、ただ不思議そうに俺を見ている。 「ホント、何でもないって」 ますます緊張する。 初体験を済ませたとはいえ、菜月の体にはまだまだ慣れていない。 見る見るうちに下半身が反応を示してしまった。 ……。 「……あれ?」 菜月が一瞬硬直した。 「あ、これは、その……」 慌てて腰を引いた。 「ええっ、ちょっと、何で!?」 想像もしていなかったのだろう。 菜月は目を丸くしている。 だがその視線は、変わらず下半身に注がれている。 ……。 「な、菜月……胸、透けてる……から」 ……。 …………。 「……え?」 菜月の顔が音を立てて赤く染まった。 「わっ、わわわわっ……」 ……。 「あ、そ、そっか……ごめん……気づかなくて……」 「あは、あはははは……」 目を逸らしながら笑う。 「いや、俺こそ……すまん」 ……。 …………。 それっきり、お互い口を開けなくなった。 並木の外はまだ小雨模様。 帰るに帰れない。 ……。 「あんなに……」 菜月の口から、かすかな声が漏れる。 「み、見るなって……」 「みみみ、見てない、見てない」 更に顔を赤くする菜月。 ……。 どうしても股間に意識が向かってしまう。 呼応するように、ペニスにはどんどん血が集まりズボンを押し上げる。 濡れているのが災いして、その形は既にくっきり浮かんでいた。 「あの、見てない、見てないからね」 菜月が更に慌てる。 その態度からも、見てしまったことは明らかだ。 ……。 コントロールできないのは仕方がない。 でも、雨に濡れた自分を見て興奮されたのでは、菜月も気持ちは良くないだろう。 何だか、申し訳無い気分で一杯になった。 ……。 「ごめんな、菜月」 「……ううん、気にしないで」 菜月の優しい声。 「ほ、ほら、私を見てそうしてくれたなら、何ていうか、その……」 「嫌ってわけじゃない……から」 恥ずかしそうに言う。 「……そう言ってもらえると助かる」 「別に慰めてるわけじゃないからね」 「ほ、本心だし……」 ……。 菜月が俺を見た。 つられて菜月の目を見てしまう。 わずかに潤んだ瞳が、俺をじっと見ていた。 ……。 俺の中で理性が綻びかけている。 「……菜月」 「な、何……?」 菜月の緊張が伝わってくる。 だめだ。 いくらなんでも、こんな場所でそういうことになったら菜月が可哀想だ。 ……。 俺はぎゅっと唇を噛む。 早く元に戻ってくれればいいのに──一度あっち側にスイッチが入ると、簡単には戻ってきてはくれない。 ……。 「収まりそう?」 「……いや、ちょっとまだ」 菜月が周囲を窺った。 ……。 …………。 菜月が何かを言おうとしている。 周囲を窺って──人がいないことを確かめて──……。 緊張で胸が痛くなる。 胸の音が菜月にまで聞こえてしまいそうだ。 「あのさ……達哉?」 菜月が俺の目を見た。 戸惑いに揺れている。 ……。 もし菜月がここですることを考えていたとして──菜月に言わせてしまっていいのだろうか。 女の子に言わせるなんて、何か情けない。 早く、早く決心しないと……。 ……。 菜月の口が開きかかる。 菜月に言われる前に──俺が──「私……きょ、協力……」 「菜月っ、俺としてくれっ」 ……。 …………。 沈黙が流れる。 ……。 …………。 「……うん」 かすかな声で菜月が言った。 ……。 菜月の指が制服にかかる。 じじ……じ……じーーゆっくりと制服が開いていく。 緊張と興奮のあまり、無意識に固唾を飲んだ。 ……。 …………。 乳房は、菜月らしい清楚な下着に包まれている。 きらきらとした木漏れ日の下、菜月の肌は桜色に染まっていた。 それは、芸術的な一枚の絵にも見えた。 「誰も……来ないよね?」 「あんな夕立の後だし、大丈夫」 「……うん」 菜月がわずかに視線を泳がせた。 口には出さなくても、羞恥心が彼女を包んでいるのが分かる。 「菜月、綺麗だよ」 一歩菜月に近づく。 菜月が身を縮ませた。 「触るからな……」 ゆっくりと手を伸ばす。 指先と胸の距離が徐々に縮まっていく。 比例して鼓動が高くなる。 心臓が壊れてしまいそうだ。 ……。 さわっ指先がブラのカップに触れた。 「ひゃっ」 菜月が声を上げて後ずさった。 緊張で敏感になってしまっている。 いつもの敏感さに加えてこれでは、触るのもおぼつかない。 「菜月、キスしよう」 「う、うん……」 菜月がおずおずと近づいてくる。 俺は、彼女の肩に手を置き、ゆっくりと唇を近づけた。 ……。 「ん……ちゅ……ふぅ……」 柔らかな鼻息が頬にかかる。 薄く開いた唇の隙間から、ゆっくりと舌を挿し入れる。 「くちゅ……ぴちゅ……」 すぐに菜月の舌が動き出した。 彼女の緊張をほぐすよう、極力丁寧に口内を愛撫する。 「んふっ……くちっ……ぴちゃ……ちゅ……」 唇の隙間から、水っぽい音が聞こえ始めた。 俺は、両手で肩を撫でながら、その手を下ろしていく。 ……。 「ふうっ……んっ……っ……」 そして、下着の上から乳房を覆った。 今度は菜月も受け入れてくれる。 滑らかな布に包まれた、それ以上に滑らかな肌。 中身を温めるように、ゆっくりと愛撫していく。 「ふうっ……んっ……くちゅっ……ぴちゃ……んんっ」 呼吸が乱れる。 菜月から舌を抜き、首筋から鎖骨へと滑らせていく。 彼女の敏感なところだ。 「あうっ……達哉の舌が、いやらしい……」 「そう?」 言いながら、もう一度舌先を首筋まで上げていく。 胸を温める手も休めない。 「なんか……んっ……慣れてる?」 「まさか……どうしてそういう意地悪言うんだ」 舌を耳に滑り込ませる。 「ひゃうっ……あっ……く、くすぐったぁ……」 菜月の肌に鳥肌が立つ。 乳房全体の愛撫を止め、指先で円を描くように乳首を刺激する。 早くも固くとがった突起を、痛くないように転がした。 「っっ、達哉っ……すぐそうやって、おもちゃにして……や、んっ」 「そういう菜月が可愛いんだから仕方無いよ」 言いながら、両手をブラの隙間に滑り込ませる。 ぷっくりと膨れた乳首ごと白桃を覆う。 「あっ、うっ」 小刻みな息が洩れる。 「ずらすよ」 「……え、あ……」 菜月が止めるより早く、両手を上へ動かしてブラをずらす。 ……。 白い乳房がぷるんと震えた。 「ちょっ……や、いきなり……」 伏目がちに周囲に目を遣る菜月。 「大丈夫」 耳元で囁きながら、再び両胸を包む。 乳首を手のひらの中央に置き、やや圧迫するように愛撫を始める。 「んっ、あ、ん……達哉の手が、温かい……」 「菜月の胸は、すごく熱いよ」 「手が溶けそう」 菜月の胸が俺の手に吸い付き、包み込むように姿を変える。 愛撫されているのが自分に思えてしまうほど、触っているだけで気持がいい。 休みがちな舌では、再び首筋から鎖骨への愛撫を始める。 「ふあ……あっ……ん……」 菜月の声が、少しずつ甘い響きを帯びてくる。 「やっぱり、首が好き?」 「あ、ん……わ、分からないよ、そんなこと」 「くすぐったいような、気持ちがいいような……変な感じ……」 「じゃあ、分かるまで続けてみよっか」 つつっと舌を動かす。 「あっ、ひゃっ、達哉、変、変だよ……」 菜月がぴくぴくと肩を震わせる。 そんな菜月の姿を見ていると、俺は満たされた気分になった。 俺の動きに反応してくれている──基本的なことだけど、とても大切なことだ。 「そろそろ、下に行くな」 舌を乳房、乳首へと下ろす。 胸を愛撫していた手は、短いスカートから伸びた足へ。 太腿の内外を下着に触れないよう、さわさわといじる。 「あうっ……くうっ……」 菜月の体が少しこわばる。 緊張を解きほぐすように、乳首を口で含み、舌で転がす。 「あ、う、ふう……あっ……」 鼻に抜けるか細い声。 両手を内腿に入れ、徐々にそこへ近づけていく。 「菜月、可愛い下着つけてたよな」 「え……?」 「丘でちょっと見たの、知ってるだろ?」 「……あ……うん」 「良かったら、見せて」 「俺、手が塞がってて……」 菜月の体温が上がる。 「わ、私が……?」 「うん、手でスカートを持って」 「……」 おずおずと菜月の手がスカートの裾を掴む。 ……。 …………。 「や、やぁぁぁぁ……」 顔を真っ赤にしながら、菜月がスカートをたくし上げた。 青いチェックのスカートが徐々に上がり、中から薄緑色の下着が覗く。 股上に深い切れ込みが入った、とても可愛いらしいデザインだ。 菜月が自分の手で下着を見せている──刺激的な光景に、俺の肉茎がかちかちになる。 「すごく可愛い」 「……本当?」 「ああ、可愛いくて、興奮する」 「ここ、固くなってるだろ?」 ……。 菜月が俺の下半身に視線を落とす。 挨拶をするように、俺のペニスが脈打った。 「……あ、動いて……」 「少し、そのままにしてて」 右手の中指を股間に滑り込ませ、指の腹を秘所に当てる。 既にとろみのある湿り気があった。 左手は菜月の背後に回し、腰をきゅっと支える。 「指、動かすぞ」 声と同時に中指をスライドさせる。 「あうっ、ひゃっ、達哉っ、あっ」 菜月の膝がかくかくと笑う。 その度に上下動が加わり、指は秘裂に軽くもぐりこむ。 舌では乳首を転がす。 さっきよりも固くこわばっていた。 「達哉っ……同時は、あっ、だめ……体が、おかしく……あうっ、ひゃんっ」 自分から性器を擦りつけるように、菜月の体が揺れる。 女陰は湿り気を増し、指の動きはどんどんスムーズになっていく。 ぬりゅっ……ぬるっ……くちゅっ……ぬるぬるを指に絡めつつ、すばやく指を動かす。 「あっ、うっ、達哉っ、速い……刺激、強っ……くうっ」 菜月の息が荒くなってきた。 もう周囲の状況は目に入っていないだろう。 菜月の腰をしっかりと支え、右手はクリトリスを中心とした愛撫に切り替える。 「きゃうっ……ああっ、達哉っ……やっ、くっ……」 同時に乳首を唇で甘く挟む。 菜月自身の動きで、乳首は勝手に刺激されていく。 秘部にじゅくりと蜜がにじんだ。 「出て、きちゃって……パンツ、濡れちゃう……達哉……」 「分かった」 俺は、腰を支えていた手で、くるくるとパンツを下ろしていく。 ……。 ぽたぽたと、下ろした下着の上に蜜が垂れる。 「すごく……濡れてる」 「や、やだ、言わないで……」 誰かが来ればすぐに見つかってしまう。 そんな状況で、菜月が性器から愛液を滴らせている。 それは、例えようもなく淫靡な光景。 俺の股間は固く硬直し、パンツの裏側には、既にねっとりとした液がこびりついている。 「直接するよ」 言うなり、右手の中指を秘裂に這わせる。 くちゅり「あうっ!」 水音がして、指の半分くらいが割れ目にもぐりこむ。 にちゅ、くちゅ、ぴちゅ、くちっ……指の動きに合わせて淫音が鳴る。 興奮を誘う音に、俺は膝を折って菜月の秘部に顔を近づける。 むあっとした匂いが鼻腔を貫く。 頭が白くなりそうだ。 「やあっ……見ちゃ、見ちゃ……やあっ、やあぁ……」 指が襞を押し込むように進む。 膣口に軽く触れてから、ビラビラをめくりながら帰ってくる。 一往復するごとに、泡立った淫液が下着に落ちた。 「すごく、いやらしい」 「やぁ、ばか……ばかぁ……あうっ、ひゃんっ!」 言葉とは裏腹、菜月の腰の動きは明確になっている。 俺の指の動きとは逆に腰をスライドさせ、より強い刺激を求めていた。 スカートを持つ手も、小刻みに震えている。 「恥ずか、しい……よぉ……達哉ぁ……きゃうっ、んああっ……!」 声が一段高くなった。 菜月がかなり高まってきている。 菜月の腰から手を放す。 親指にたっぷりと唾液をつけ、一番敏感な部分に当てる。 「あうっ……や、そこっ……達哉っ、達哉っ、だめっ……何か、来るっ!」 愛液が更に噴き出した。 ぐちっ、びちゅっ、くちゃっ、にちっ……「ひゃあっ……足に力が、力が入らなくなって……ああっ、んっ」 「ああっ、達哉っ、達哉っ……やだっ、もう、もう……あっ、あぁぁっ」 淫核を押さえる指を軽く振動させた。 「やあぁっ、だめっ、だめっ、だめっ……あ、あ、あ、あ……もうっ、うああっ!」 「達哉っ、達哉っ……もうっ、もうっ、もうっ、もうっ……ん、ん、んんあああっ!」 「ひゃああぁぁぁ、あ、あ、あ、あ、あ……ああぁぁぁぁっ!!」 秘所がきゅっと引き締まり、蜜が溢れた。 「あうっ……あ、あ、あ……う……」 背筋をぴんと仰け反らす菜月。 彼女の中を、絶頂が駆け巡っているのだ。 ……。 そして、膝から力が抜けた。 菜月を抱きかかえるように支える。 ……。 「はぁ、はぁ……あ……あ……はぁ……」 菜月が、腕の中で苦しげに呼吸する。 「達哉……はぁ……真っ白に……なって……」 陶然とした声で菜月が言う。 「イクってやつかな?」 「……うん……はぁ……そうだと、思う……」 「次は……達哉が……」 「大丈夫か?」 「一人で……気持ちよくなっても……嬉しくないよ」 菜月がかすかに笑う。 「達哉も、気持ちよくしてあげたい……ね」 菜月の健気さが愛しくてたまらなくなる。 「ありがとう」 そう言って、菜月の背後に回った。 「後ろ……から?」 「いいか?」 「ちょっと怖いけど……平気」 「じゃあ、パンツから足を……」 菜月の体を支え、左足をパンツから抜いてもらう。 後ろから抱え込み、右足を高く持ち上げた。 ……。 菜月の秘密の場所が、ぱっくりと白日の下に晒される。 菜月の首筋が真っ赤に染まる。 「恥ずかしい格好ばかり、させて……もう……ばかぁ……」 「可愛いところ、見たいから」 「どこが可愛いのよ……もう」 左手でベルトを外した。 パンツの中では、ペニスがびくびくと震えている。 前開きに隙間を開けると、待ちかねたように飛び出した。 「すごい興奮してるよ」 張りに張った亀頭は、もうカウパーでぬらぬらと輝いている。 これが菜月の膣内を出入りするかと思うと、それだけでペニスが脈打った。 「ほら……」 と、菜月の足の間に怒張を通す。 肉茎の上側が菜月の性器を擦り、蜜で濡れる。 「あ……動いてるの分かるよ……すごい、ね」 「菜月の体を触ってたら、こうなったんだ」 「……嬉しいよ、達哉」 「怖くない?」 「……うん」 菜月の返事を待って、俺は性器同士を擦り合わせる。 にちっ、くちゃっ、ぴちゅ、くちゅっ……淫らな音が響いた。 泡だった液がペニスを、てらてらと輝かせていく。 「や……達哉、そういうやり方、するの?」 「大丈夫、普通にするよ」 そう言って、先端を蜜壺に宛てがう。 「ん……いいよ、いつでも……」 「行くぞ」 にちっ、みちゅ……「う……あ……」 ……。 ぱんぱんになった亀頭が、襞を掻き分けて膣に収まった。 じん、とした熱さに包まれ蕩けそうだ。 「全部……なの?」 「まだ」 「でも、気持ち良くて」 「ゆっくり行かせて」 亀頭だけを挿れたまま、ゆらゆらと腰を揺する。 「あう……ん……あ……達哉、じらさ……ないで」 ピストン運動をしながら、徐々に腰を進める。 にちゅ、ぐちゅ、じゅ、じゅぷ……ペニスが、菜月に飲み込まれていく。 「ん……あっ……熱いよ……」 やがて、全身が菜月に包まれた。 「入ったよ、菜月」 「うん……分かる……」 菜月の膣内が、ペニス全体をきゅっきゅと締め付けている。 先端から、じわりと先走りが洩れた。 「うあ、菜月の膣内、すごく締まる」 「そう、なの……?」 「気持ちよくて、溶けそうだ」 「良かった……ねえ、達哉、動いて……」 「私も、達哉が気持ちいいように……頑張ってみるから」 言った途端、菜月のあそこが更に締まった。 「うあっ」 先端から少し精液が漏れた。 更に白濁を引き出そうと、菜月の襞が俺をさいなむ。 冗談ではなく、挿れているだけでイッてしまう。 「菜月、動くからな」 亀頭まで一気に引き抜く。 「ひゃうっ……あっ」 掻き出された愛液が、ぱたぱたと地面に落ちる。 休まずに、再び菜月に突き立てた。 「ふうっ……達哉、何か……お腹のところに、当たってる……」 「痛くないか?」 「大丈夫……お腹がじんじんして、変な感じ」 「なら、もう少し速く動くぞ」 「うん……あうっ、あっ……やっ……」 言うなり、腰を思う存分突き上げる。 ぐちゅっ、ちゅっ、ぴちゃっ、ずちゅっ、ぐちゃっ……結合部から蕩けるような音が漏れ、飛び散る愛液が俺と菜月の足を汚していく。 「菜月っ、菜月ぃ……」 「ああっ、ひゃんっ……倒れちゃ、う……」 菜月が必死にしがみついてくる。 更なる密着に、俺の理性が溶けていく。 ペニスを突き刺す度、菜月の膣内は潤いを増し、より滑らかに俺を締め付ける。 「くっ……」 また少し精液が迸った。 下腹部に力を込め、何とかこらえる。 「んっ、達哉……少し出た?」 「ごめん、気持ち良すぎて」 「いいよ……我慢しなくて……ね」 菜月の膣内がざわめく。 肉茎が重く痺れだした。 「菜月……俺……」 「うん、すごく、熱くなってるよ……んっ」 自分からしようと言っておいて、あっさり達してしまうのも情けない。 俺はぐっと下腹部に力を込め、上下運動を再開する。 「あうっ……達哉っ……ひゃんっ……」 抽送と平行して、左手を菜月の胸に伸ばす。 手探りで固く硬直した乳首を探し当て、軽くつまんだ。 「やんっ、あっ、そこは……敏感だから……っっ」 「だめっ、同時にされたら……あうっ、やっ、あっ!」 菜月の体が跳ね、新たな潤滑油が膣内に送り込まれる。 ここぞとばかりに腰を振る。 「ああっ、達哉っ、お腹に当たって……やっ、やっ」 「んっ、あうっ……達哉っ……あっ、ひゃうっ、もうっ」 菜月が狂おしげに首を振る。 汗と雨の雫が飛び散り、きらきらと日の光を反射した。 「菜月っ……どう、だ?」 「もう、頭が……白く、なって……あ、あ、あ……」 菜月の声が高みを目指していく。 軽く反った菜月の首筋に舌を這わせた。 「ひゃううっ」 「やっ、だめっ、首は、首はっ、ああぁぁっ!」 背中が仰け反ると同時に、ペニスが締め付けられた。 「……っっ」 高まる射精の欲求をなんとかこらえ、抽送と愛撫を続ける。 「達哉、達哉、達哉ぁ……あっ、あうっ、ひっ」 べそをかくような菜月の声。 膝にも力が入らなくなってきている。 俺の我慢もそろそろ限界だ。 「達哉っ……私っ、もうっ、イッて……イッて……」 菜月の腕が首に回される。 息も絶え絶えになりながら、俺に掴まろうとする菜月。 その姿が俺の中の劣情に火をつける。 「菜月っ、最後まで行くぞっ」 「うんっ、一緒にっ……達哉っ」 ぐちゅっ、くちゃっ、みちゅっ、にちゃっ……粘液質な音が、一層高くなった。 蜜でどろどろに溶けた女性器を、俺のペニスが激しく出入りする。 「あうっ、やっ……達哉っ、達哉っ」 「体の芯が……あうっ、あっ、あっ、あっ!」 菜月の脚をより高く掲げ、性器を丸出しにした。 「やだっ、見えて、前から見えちゃうっ……開いちゃ、だめっ、あうっ、んっ、んんっ!」 体を揺する菜月。 ペニスの先端が、膣内で暴れ回る。 最後の力を振り絞って突き上げた。 「やああっ、今までと、違ってっ、あううっ、あ、あ、あ、あ……んっ、あああぁぁっ」 「ひうっ、ひゃああぁっ、達哉っ、達哉っ、達哉っ、達哉ぁっ!」 「菜月っもうっ」 「うんっ、一緒、一緒、達哉と一緒に……あ、あああっ、んんっ、うあ、ああああっ!」 「もう、来るっ、来ちゃうよっ、達哉っ、達哉っ……いっ、いっ、あ、あ、あ、あ、あ……」 「達哉っ、達哉っ、達哉あぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」 菜月の体が弓のように反る。 同時にペニスが吸い上げられた。 「くっ」 びゅくっ!どくっ、びゅびゅっ……どくんっ、びゅっ……体の中身まで放出するかのように、ペニスが勢い良く精液を噴き出す。 どくっ……びゅくっ……びゅっ、びゅっ……「……っ」 口を利くこともできない。 「はぁはぁ、はぁ……達哉……はぁ、はぁ……」 体をぴくぴくと痙攣させる菜月。 「あ……はぁ……膣内に、達哉が……流れ込んでくる……はぁ……」 俺のペニスは、まだ菜月のお腹の中で痙攣を続けている。 精子は出し尽くしているはずなのに、痙攣の度、快感が腰から背中へ走った。 「はぁ、はぁ……まだ……震えてる、達哉のが……震えてる、はぁ……」 「気持ち良かったって……言ってる……」 うっとりと菜月が言う。 「ああ……気持ち良すぎて、おかしくなりそうだった」 「はぁ……わ、私も……」 力を失った菜月を、背後の木にもたれ掛かって支える。 「痛いか?」 「ううん……なんだか安心する」 菜月がうっとりと目を細める。 「そっか……」 何だか無性に菜月が愛しくなって、きゅっと体を抱きしめた。 「……達哉」 「菜月、好きだよ」 耳元に語りかける。 「……もう、恥ずかしいから」 菜月が苦笑する。 ……。 リラックスしたのだろう。 膣内の圧力が下がり、やや固さを失ったペニスが抜けた。 ……。 こぽ……大きく開かれた足の付け根から、白く濁った体液が零れる。 それは、菜月の太腿を伝い落ち、白いソックスへと沁み込んでいく。 「あ、あ……あ……脚を、伝って……」 菜月が体を震わす。 ぱっくりと開いた性器からは、次々と俺たちの体液が流れ落ちた。 ソックスでだけでは吸収できなくなり、地面の小さな水溜りへ零れる。 「私……また、イッちゃったんだ……」 ぼんやりとした言葉。 「外で……2回も……」 「誰かに見られてたかもしれないな」 「も、もう……意地悪なんだから……」 菜月が俺に体重を預ける。 ……。 菜月を、後ろからきゅっと抱きしめる。 胸の中は、菜月への愛しさで一杯になっていた。 「今日の菜月、とっても可愛かったよ」 「……うん」 「下着も色っぽかったし」 「良かった……新しいの、買っておいたんだ……」 「こうなるって分かってたのか?」 「……外でするなんて分かるわけないでしょ……ばかぁ」 菜月が拗ねる。 「あはは」 「じゃあ今度は、屋根があるところにしよう」 「……もう、知らないから」 膨れて言う菜月。 そんな彼女の頭を、俺は何度も撫で続ける。 ……。 髪はもう、ほとんど乾いていた。 ……。 「へくしょっ」 菜月とのデートはくしゃみから始まった。 「また風邪?」 菜月の心配そうな顔。 「公園でした時、濡れたのがマズかったのかな」 「ちょ、ちょっと、昼間から……」 ご多分に漏れず、大赤面している。 ……。 実を言うと、「デート」 という言葉の響きに少し緊張していた。 だが、いつもと変わらぬ菜月の反応に、いい意味で力が抜けた。 ……。 …………。 左門の定休日。 俺たちは駅前で待ち合わせをした。 家から一緒に出て行かなかったのは、「何だか、普通のデートっぽくない」 という菜月の要望があったためだ。 「天気もいいし、デート日和だな」 「うん……」 「でも、夜から降るかもって言ってたけど、テレビ」 「……そうですか」 「そうですよ」 「傘持ってないの?」 「ああ」 「じゃあ、降ったら相合傘の刑ね」 「うへえ」 「何で嫌そうにするの?」 「菜月ってすぐ赤くなるくせに、恥ずかしいこと好きだよな」 「赤くなるのは、からかわれた時だけ」 「結構気にしてるんだからね」 「知らなかった」 「赤面する方も恥ずかしいんだよ、みんなに見られるし」 難しいことを言う。 つまりはこうだ──1・恥ずかしい思いをして赤面する。 2・赤面しているのを見られて恥ずかしくなり、更に赤面する。 ※2は、疲れるまで繰り返す。 「なるほどなぁ」 「妙に納得しないでよ」 「で、結局見ている方が恥ずかしくなることは好きなの?」 「違うわよ、一度くらいはやってみたいことってあるじゃない?」 「その……せっかく付き合ってるんだし」 赤面をこらえつつ、目を逸らす菜月。 「よし、じゃあ今日は雨が降ったら相合傘にしよう」 「おっけー」 ……。 デートは主にウィンドウショピングだった。 「わー、これかわいい」 「さっきのとどう違うんだ?」 「結構違うよ。 ほら、ここのレースのところとか」 違うといわれればそんな気もする。 俺に分かるのはその程度だ。 「いくらかな……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……」 目を回しそうな菜月。 「……ははは」 「あっちの店はどうかな?」 「どーかなー……」 ちなみに、半分諦めている。 「……ダメでした」 「どこの店でも、ウィンドウにディスプレイされてる奴は無理だろ」 「みたいだね」 野菜や魚の相場には詳しい菜月も、ファッションの相場には疎いところがあるようだ。 無理もない。 学院と左門で2足のわらじ。 その上、受験までしているのだ。 同年代の女子学生と比較すれば、極端に自由時間が少ない。 俺がきちんとした職を持ったら、菜月にはいろんなものを買ってあげよう……などと、遠い先のことを夢想した。 「あっちの雑貨屋なら、買えそうなものがあるんじゃないか?」 「ん、別に私は買えなくてもいいよ」 「こうしてるだけで楽しいから」 そう言って俺の手を強く握る菜月。 「まあ、行ってみようぜ」 「み、見るだけでいいよ」 洋服の値段に驚いてしまったのか、腰が引けている。 思わず苦笑してしまう。 ……。 俺は、初デートの記念に何かを買ってあげたいと思っていた。 もちろん、資金が豊富なわけではない。 出掛けに、「頑張ってね」 と姉さんが渡してくれた一万円札が一枚。 後は、今までのバイト代から毎月コツコツと貯めたものが多少。 家族に内緒で貯めている、朝霧家の緊急資金にはさすがに手をつけられない。 大体、緊急資金からお金が出たと知ったら、菜月がいい顔はしない。 「ねえねえ、見て」 「……うお」 菜月が抱きついていたのは、ピレネー犬の巨大なぬいぐるみだった。 「カルボナーラみたいだね」 「奴に見せたら、きっと驚くぞ」 「ケンカしないかな」 「絶対、バラバラにするよ」 「いたずらっ子だしねえ……」 「そうだ、イタリアンズのぬいぐるみを揃えてみるか?」 「いいかもしれない」 「小さいヤツだったらそんなに高くないしね」 早速、店内を物色する。 今、うちにいる3匹はそれぞれ豆柴・シェトランドシープドッグ・ピレネーがベースの雑種だ。 「お、こっちにいっぱいあるぞ」 「うわあ、どれどれ……」 「あはははっ、これそっくりだよ」 大喜びの菜月。 犬好きが高じて獣医を目指すだけあり、とことん目が無い。 「本当だ……んじゃ、これと、これと……これかな」 カゴに3体のぬいぐるみを入れる。 「達哉、忘れてる」 と、菜月が更にパグを入れる。 「そっか、忘れてたな」 「天国で怒ってるよ」 「ああ、口をブルブル言わせてるぞ」 「うん、絶対やってる」 「んじゃ、後は会計っと……」 「あ、ごめん、これもっ」 と、菜月がシベリアンハスキーのぬいぐるみも追加した。 菜月が意味ありげに俺を見る。 ……。 おねだりされるのも悪くない気分だ。 「よし、買ってくる」 俺は笑顔で答えてレジに向かう。 「あ、私も……」 菜月が財布を取り出す。 「いいよ、初デートの記念に俺が買うよ」 「いいっていいって。 お互いお金持ちじゃないんだし」 「そう言うなよ」 「初めてのデートくらい、彼氏らしいことさせてくれよ」 「……達哉」 「ちゃんとバイト代で買うんだ、いいだろ?」 ……。 …………。 「……うん」 「ありがと、達哉っ」 しばらく考えて、菜月は答えた。 俺の財布の中身など、菜月は大体知っている。 だから迷ってくれたのだろうし、俺はそれだけで嬉しかった。 「よし、待ってろよ」 「うん、お願いね」 ……。 …………。 しばらくウィンドウショッピングを続けてから、俺たちは菜月ご推薦の店に入った。 何でも、ケーキとコーヒーが美味しいらしい。 ……。 遠山と来た店だった。 以前と変わらず、店内はカップルで溢れている。 さすがに気まずい気分になった。 「ここね、ケーキとコーヒーが美味しいんだって」 「そ、そうか」 「どうしたの?」 「い、いや、カップルばかりだから緊張しちゃって」 「あはははっ、大丈夫だって、しっかりしてよ彼氏」 「さ、座ろ」 ……。 席まで一緒だった。 ぬいぐるみを隣の席に置き、早速メニューとにらめっこする菜月。 俺もメニューをめくり始めるが、どうも落ち着かない。 ……。 「いつもオーダー取る側だから、何かドキドキするね」 「そうだな」 「店員さん呼んでいい?」 「あ、ああ、お願い」 歯切れの悪い俺の様子に、怪訝そうな視線を向けつつ、菜月が手を上げた。 「あの、申し訳ございません」 「ぶっ」 水を吹きかけた。 バイトで鍛えた接客用語が、これまたバイトで鍛えたクリアな声で店内に響く。 いつもの癖で出てしまったようだ。 店員を含め、店にいる人全員の視線が菜月に注がれた。 「うあああ……」 菜月は真っ赤になってテーブルにうなだれる。 これで、遠山云々の話は俺の頭から抜けた。 ……。 菜月に代わって、店員を呼ぶ。 グロッキー状態の菜月に代わり、適当に見繕ってオーダーを告げた。 ……。 「ありがと……」 うめくように言う菜月。 「気にするなよ、まあよくあることさ」 「うん、ごめん」 接客業の人が日常生活で接客用語を使ってしまう話は、まあ良く聞く。 実際に現場を見たのは、今回が初めてだったけど……。 ……。 日が西に傾く。 夜景を見に行こうという菜月の提案で、俺たちは公園に向かっていた。 「今日、雨降るんじゃなかったっけ?」 「ん~、大丈夫そうだけど」 空は申し分ない夕焼だ。 「相合傘ができないのは残念だな」 「ホントは安心してるくせに」 「そんなことないさ、ちょっと楽しみにしてたんだぜ」 「じゃ、今度しよっ」 「そうだな」 楽しい一日だった。 ウィンドウショピングをして……カフェでお茶をして……ただ、それだけの一日。 でも、菜月が側にいてくれるだけで楽しかった。 菜月といる毎日が楽しければ楽しいほど、離れてからのことが不安になる。 その時、俺を襲うであろう寂しさと虚脱感。 俺は耐えられるのだろうか。 繋いだ手に力を込める。 菜月は無言で握り返してくれた。 それでも、胸の中の不安は消えない。 俺は、どうしてしまったんだろう。 ……。 それから、公園までの道のり、俺は不安を悟られないようにするのが精一杯だった。 「うわああ……」 眼下に広がる夜景に、菜月が驚嘆の声を上げた。 手前には満弦ヶ崎湾の穏やかな水面、その先には、駅前繁華街の光の群れが遠望できる。 「すごいすごいっ、夜は全然違うね」 菜月が展望台の手すりまで駆け寄る。 俺は、そんな彼女を後ろから見ていた。 「ねえ、達哉もこっちに来てよ」 「う、うん」 歯切れ悪く返事する。 川原を歩いていた時から抱えていた不安は、未だ消えていない。 むしろそれは「離れたくない」 という欲求として、明確な輪郭を取り始めていた。 「綺麗だな」 俺は、菜月の隣に立った。 菜月が、こてん、と俺の肩に頭を乗せる。 「こうしてると、全部忘れてしまいそう」 「そうか?」 「うん」 菜月の体温が感じられる。 心にまで沁みる、大切な、離したくない、体温。 俺は菜月の肩に手を回す。 「ん?」 優しい目で菜月が俺を見る。 無言で、ゆっくりと唇を近づけた。 「ん……」 一心に、唇の感触を求める。 全ての特効薬がそこにあるかのように、俺は強く唇を吸う。 「んん……」 菜月の息が熱くなる。 もっと菜月の熱が欲しくて、唇の隙間から舌を割り入れた。 「んっ……」 瞬間、菜月が顔を離した。 「あ……」 「こらこらこらこら」 「これ以上は困るでしょ、外なんだから」 「……ご、ごめん」 傍から見たら、母親に怒られた子供のような顔をしているに違いない。 菜月が、わずかに乱れた髪を撫で付ける。 「本当に、ごめん」 菜月の隣に立ってから、今まで、自分の感情の動きが分からなかった。 何か……ダメな奴だな、俺……そう思うと、菜月を見ていられず、ただ俯くしかなかった。 ……。 「達哉、どうしたの急に?」 菜月の優しい声。 「……何でもない」 「何でもないってことはないでしょ、そんな顔して」 「え?」 「辛そうな顔してる」 「……」 自分で自分の表情も分からない。 「土手を歩いてた時から、ちょっとおかしかったよね?」 「……知ってたんだ」 「さすがに、鈍感な私でも分かったよ」 見抜かれていたと知って、なぜか胸が少し軽くなる。 「離れ離れになるのが頭に浮かんで……」 「消えなくなった」 ……。 「そっか」 菜月の声は消え入りそうだった。 「ごめん」 「仕方無いよ、こればかりは」 「今更変えようがないからか?」 当たり前だ。 菜月が進学先を変えることなどありえない。 「……うん」 「すまん、分かりきったこと聞いちまった」 「もう、進学のことは言わないで」 無表情にそう言って、唇を結ぶ。 「強いな」 「言わないで」 「こんなんじゃ、続けていけなくなっちゃうよ……」 菜月が手を強く握る。 「で、でも……」 「辛いのはお互い様なんだから、言わないで」 視線を伏せる菜月。 その肩がかすかに震えている。 「菜月だって辛いなら……」 「っ!」 菜月が鋭い視線で俺を見る。 こんな目を見るのは……初めてだ。 「大学は変えられないよ」 「だって、獣医になるって約束したじゃない……」 「っ……」 奥歯をかみ締める。 ……。 獣医になる約束?そんなものは知らない。 そんな約束をした覚えはない。 約束、約束っ、痛いほど手を握り締め、怒鳴りたくなるのを押さえる。 「約束って何だよ?」 「何度も何度も、いい加減にしてくれっ」 「……っ」 菜月が動きを止める。 ……。 微動だにしない。 彼女の中で何を考えているのか、俺には分からない。 ただ、菜月の中の深い──根幹をなす部分に踏み込んでしまったことだけは、ありありと分かった。 まずい…………。 「菜月」 口から出たのは、それだけだった。 自分がどんな感情で菜月を呼んだのか──そもそも呼びかけであったかすら定かではない。 ……。 菜月は、返事もなく、俺から一歩離れる。 意思の感じられない動き。 ただ、俺の前から逃れることを絶対の命令とされた機械のように──菜月がきびすを返した。 走ることもなく、一歩一歩遠ざかる。 「菜月っ!」 とっさに腕を掴む。 そして抱きすくめようと、体に力を入れる。 が、強い力で押し返された。 「菜月……」 菜月が遠ざかる。 何も言わず振り返りもせず一歩一歩遠ざかる。 俺には追うことができなかった。 ……。 雲が出ていた。 全身を、強い脱力感が包んでいる。 立っている感覚すらおぼろげだ。 ……。 菜月の特別な一人になるために、安全地帯から危険地帯へと踏み出した。 その結末がこれなのか。 言葉無しでも多くが通じたあの頃が、はるか遠くのことに思える。 今は、何も分からない。 洞窟を手探りで進むかのようだ。 ……。 それでも、簡単に諦めたくない。 まず、約束が何なのか確かめないと。 ……。 菜月がいた場所には、ぬいぐるみが入った袋と、彼女のバッグが置き去りにされていた。 さっき、菜月ともみ合った時に落としたのか、バッグの中身が散乱している。 ひどいデートになってしまった。 いや、そうしたのは俺なんだ。 ……。 俺は唇を噛みながら、落ちているものを拾う。 視界がゆがむ。 瞬きと同時にそれは地面に落ち、はじけた。 ……。 震える指先で、財布、ポーチ、と一つずつバッグに戻していく。 最後に拾ったのは、古ぼけたお守りだった。 金糸で『学業成就』と刺繍されている。 受験の時に菜月が持っていたものだろう。 「?」 お守りは、妙に膨らんでいた。 お守りは平べったいものだと思っていたが、このお守りは違う。 中にかなり厚みのあるものが入っている。 開けてみようかとも思ったが、さすがに気が咎める。 ……。 バッグに全てのものを戻し、ぬいぐるみを持つ。 帰ろう。 帰って、頭を冷やして──菜月と仲直りする方法を考えよう。 菜月の部屋の電気は消えていた。 菜月は、きちんと家に帰れているのだろうか。 ふと、鷹見沢家の窓の一つから、仁さんがこっちを見ているのに気がついた。 じっと、俺を見ている。 ……。 見返す元気もなく、俺は自宅に入る。 「ただいま」 「お兄ちゃんっ!」 リビングから、朝霧家一同が出てくる。 「……よう」 「菜月ちゃん、一人で帰ってきたけど……」 「そっか良かった」 「何かあったの?」 心配げに言う麻衣の肩を、姉さんが後ろから優しく掴む。 「お茶、飲む?」 にこやかな、いつも通りの姉さん。 急に目頭が熱くなって、俺は唇を強くかんだ。 「もらいます」 「私、準備します」 と、ミアがキッチンへ入る。 「お疲れ様、達哉」 フィーナも笑顔で俺を迎えてくれた。 「ただいま」 カチャテーブルに置かれた湯飲みを、両手で包む。 じわりとした熱さに、やっと心と体が繋がった気がした。 ……。 一口飲み込んで、大きく息を吐く。 俺の動作を、心配そうなみんなの視線が追う。 俺が口を開くのを待っている様子だ。 ……。 「心配かけてごめん」 全員に頭を下げる。 「少しは落ち着いた?」 「……はい」 「あの、菜月はどうでした?」 「達哉が帰る30分程前に、家に入っていくのを見たわね」 「遠目だったけれど……」 フィーナが言葉を切る。 「いいよ、教えて」 「ぼんやりしているというか、放心状態かしら」 「そっか」 「でも、無事帰って来てるなら良かった」 「何があったのか、聞いていい?」 「ケンカだよ」 「仲直りできそうなんですか?」 「分からない」 「ケンカの原因は分かっているの?」 「菜月としていた約束を忘れたんです」 「獣医になるって約束を俺にしたらしいんですが、全然覚えてなくて」 「獣医に……なる」 「そうだったんだ……」 麻衣が視線を落とす。 自分が、約束についてアドバイスできなかったのを悔やんでいるのだろう。 「麻衣、気にするな」 俺は、手を伸ばして麻衣の頭を撫でる。 「う、うん」 ……。 これ以上詳細に話しても、みんなを悩ませるだけだろう。 それに、この問題は俺自身の力で解決しなくてはならないと思う。 悔やんで、反省して、克服しないことには、また同じことを繰り返してしまうかもしれない。 「俺、部屋に戻ります」 「お風呂沸いてるから、どうぞ」 「ゆっくり入って、お兄ちゃん」 「ありがとう」 「よく温まって」 フィーナが優しい笑顔を浮かべる。 俺の気持ちを分かってくれている──そんな気持ちになる笑顔だった。 「今日は、リラックスする入浴剤を入れましたから」 「ああ、みんなも遅くまでありがとう」 俺は湯飲みを流しに置いて、リビングを後にした。 ……。 部屋に戻り、真っ先に菜月の部屋を見た。 電気はついていない。 告白した時と同じく、部屋にいるのではないだろうか。 だけど、あの時とは違い窓を叩くことはできない。 ……。 俺が約束を忘れていると知った時の様子──フィーナによれば、帰ってきた菜月は放心状態だったという。 あの元気で明るい菜月が……だ。 約束は、菜月の中で大きな意味を持つものだったのだろう。 それを、俺は忘れてしまったのだ。 初めは難癖をつけられたような気がした。 でも今は──申し訳無さだけが募る。 謝って許してもらえるなら、今すぐにでも謝ってしまいたい。 だが、約束を思い出さないことには、謝まったところで仲直りにはつながらない。 「だって、獣医になるって約束したじゃない……」 いつ?どこで?どんな状況で?それが思い出せない。 ……。 まずは風呂に入ろう。 心身をリラックスさせれば、約束を思い出せるかもしれない。 俺は、持っていた菜月の荷物を机に置いて、浴室へ向かった。 ……。 入浴を済ませ、静かになった廊下をゆっくりと進む。 ラベンダーの入浴剤のお陰か、かなりリラックスすることができた。 がちゃ階段に足をかけたところで、ドアが開く音が聞こえた。 「達哉」 静かな表情のフィーナ。 「どうした、こんな時間に?」 「少し、いいかしら?」 「いいけど」 「では」 と、フィーナが自室へと俺を入れる。 久し振りに入るフィーナの部屋。 フィーナが住む前とはうって変わって、部屋には清浄な雰囲気が満ちている。 俺は勧められるままにソファに腰を下ろした。 側にはミアが控えている。 「ミア、今日はもう下がっていいわよ」 「はい、それでは姫さま、達哉さん、失礼致します」 ミアが静かに退出する。 「湯加減はどうでした?」 ミアが階段を上る音が聞こえた頃、フィーナが口を開く。 「ああ、入浴剤が効いたみたいだ」 「それは良かった」 「明日にでも、ミアに言ってあげると喜びますよ」 「そうするよ」 で? と目で促す。 「以前、菜月に『どうして獣医になるのか?』と聞いたことがあるの」 そういえば、自分は聞いたことがない。 昔から菜月がそう言っていたせいか、気にもしなかった。 「菜月は何て答えたの?」 「小さい頃、犬が死んだのが悲しかったから……と」 「小さい頃……」 ナポリタンが死んだのは5年程前。 菜月は5年前のことを「小さい頃」 と言ったのだろうか?以前、ぼんやりと思い出した菜月の顔が、また浮かんだ。 幼い顔をくしゃくしゃにして、菜月が泣いている。 ……。 俺の記憶にある菜月の泣き顔は、5年以上前のものに思える。 「他には何か言ってた?」 「残念ながら、教えてもらえたのはそれだけ」 「何か役に立てばと思ったのだけれど……」 「いや、助かったよ。 少し光が見えてきた気がする」 「なら良いのだけれど」 「それと、達哉」 「ん?」 「約束は、ぜひ自分で思い出してあげて」 「ああ」 「約束や思い出、記憶……全て、その人が生きてきた証」 「二人の間では、昔から共に歩み続けてきた証だと思うの」 「だからこそ、菜月は約束に強い思い入れがあったのでしょう」 「達哉が、菜月と新しい関係を目指しているとしても──」 「その関係は過去の上に成り立っているのが、二人らしいのではないかしら」 熱心にフィーナが言う。 「分かった。 頑張るよ」 「その調子なら大丈夫ね」 「あと……」 フィーナが言い淀む。 「私とミアは、もうすぐ月へ帰らねばなりません」 「できれば、心配事を地球に残したくないの」 「……私のわがままだけれど」 そう言って、フィーナは笑う。 「そんな……わがままなんかじゃないと思う」 「ありがとう、達哉」 ああ、また忘れかけていた……。 自分には心配してくれる人がいるのだ。 帰宅した時、俺を迎えてくれたみんな。 フィーナは、わざわざ俺にアドバイスをしてくれた。 「フィーナと話して、少し元気が出てきた」 「良かった。 引き止めた甲斐があったわね」 「じゃ、部屋に戻って考えてみるよ」 「フィーナ、ありがとう」 「ええ」 立ち上がり部屋を出る。 そんな俺を、フィーナはずっと見つめていた。 ……。 自室に戻る。 時計の針は、午後10時を指していた。 菜月の部屋は暗いままだ。 もう寝てしまったのだろうか──それとも、泣いているのだろうか。 ……。 とにかく、考えなくてはならない。 フィーナの話によれば──菜月は小さい頃、犬が死んだことが原因で獣医を志したという。 約束は、恐らくナポリタンが死んだ5年程前より古いものだ。 ……。 …………。 頭を回す。 じんじん痛くなるほど回す。 ……。 …………。 「くそ……」 ぼふっ枕に顔を突っ込む。 ……。 …………。 ………………。 ……………………。 思い出せない。 いくら考えても、頭が軋みを上げるだけだ。 枕をきつく握り締める。 菜月が──菜月が大切に、本当に大切に思っていること。 それをどうして俺は、思い出すことができないのか。 情けなくて涙が出た。 ……。 …………。 時計が午前3時を刻む。 全身を疲労感が包んでいた。 徐々に瞼が重くなってくる。 まだ思い出せていないのに……。 ……。 …………。 明日は木曜日だ。 バイトに行かなくてはならない。 ……。 多分、菜月は来るだろう。 昨日の今日で顔を合わせなくてはならない。 その上、一緒に仕事をしなくてはならないなんて……。 暗澹たる気持ちになる。 ……。 ふと、菜月の荷物のことを思い出した。 机の上には、少し汚れたバッグとぬいぐるみが入った袋がある。 ……。 そういえば、このバッグは今まで見たことがない。 今日のために新調したのだろうか。 ちゃんと褒めてあげたら、菜月は喜んでくれただろうか?初デートの記念にと買ったぬいぐるみ。 菜月も喜んでくれた。 何だか、遠い昔のことのように思える。 待ち合わせをして、ウィンドウショッピングをして、ぬいぐるみを買って、食事をして、川原を歩いて……。 何の変哲もない、普通のデートだった。 それが今はどうだ。 たった半日しか過ぎていないのに、俺たちはこんなに変わってしまった。 ……。 俺はベッドを降り、菜月の荷物に手を触れる。 「菜月……」 袋からわずかに透けて見えるぬいぐるみ。 つぶらな瞳が俺を見つめている。 「……この犬」 ガサガサガサッ袋からぬいぐるみを取り出していく。 アラビアータ、ペペロンチーノ、カルボナーラ、そして、ナポリタン。 ……最後に残された1匹。 凛々しい表情のシベリアンハスキー。 菜月が最後にカゴに入れた犬。 あの時、菜月は俺を意味ありげな視線で見上げていた。 ……。 ……まさか。 一瞬、視界が真っ白になった。 ぬいぐるみを持つ手が震える。 血が沸騰するかのような感覚。 これだ、こいつだ、ナポリタンを飼う前に死んでしまった犬。 小さい頃、救うことのできなかった犬。 俺たちが初めて見つけた犬。 家へ連れて帰ることもできず、死んでしまった犬。 どうして気づかなかったんだ。 俺の中で、バラバラになっていた記憶が──次々に整然と組みあがっていく。 ……。 菜月はこの犬の死以来、獣医になることを志し、忘れることなく、諦めることなく、努力を続け──とうとう今年、獣医になるための第一歩を踏み出したのだ。 「そんな大切な事を、俺は……」 ようやく口から出たのはそれだけだった。 早く伝えないと、俺が思い出したことを、菜月に早く伝えないと……。 でも、どうやって?俺が思い出したことを、どうやって証明すれば──……。 「っ!」 証明する方法ならあった。 あれだ、あれを菜月に見せれば……。 俺は寝巻きのままで、部屋を飛び出す。 俺と菜月が、まだ小さかった頃のことだ。 ……。 「達哉、箱の中にワンちゃんがいるよ」 宝物を見つけたかのように目を輝かせる菜月。 「ホントだ」 「きゃん」 「触っても大丈夫かな?」 「大丈夫さ」 「よーし、ワンちゃん」 菜月が、恐る恐る犬の頭を撫でる。 「わ、柔らかーいっ」 「ねえねえ、達哉も触ってみて?」 「ええっ」 「怖いの?」 「こ、怖くなんかないよ」 恐る恐る犬の頭に手を遣る。 「くーん」 「よ、よし、怖くないぞ」 「やっぱり怖かったんだ」 「くーん……」 「あれ、この犬元気がないぞ」 「病気なのかな?」 「くーん……くーん……」 「わっ、力がなくなってきた」 「どうしよ、どうしよ、ねえ達哉」 「えっと、えっと、こういう時は、う~ん」 「そうだ、動物のお医者さんに行こうよ」 「きっと元気にしてくれるよ」 「よし、探しに行こう」 「近くにあるかな?」 「わかんないけど、早くしないと、死んじゃうかもしれないぞ」 「やだよ~」 ……。 そうして俺たちは、ダンボールを二人で抱え、獣医を探しに出たのだ。 思えば、捨て犬が既に弱りきっていたところを俺たちが見つけた──それだけの話だった。 ……。 程なくして雨が落ち始め、時を経るごとに強くなっていった。 俺たちは、犬を助けたい一心で、びしょ濡れになるのも構わず街を歩いた。 「ねえ、ワンちゃんが動かなくなってきたよ」 「大丈夫、お医者さんに見せれば、きっと元気になる」 「う、うん、そうだよね」 「よーし、あっちだ」 当時の俺は、何を思っていたのだろう。 どこかに動物病院のアテなどあったのだろうか。 恐らく、菜月を泣かせたくない──ただそれだけのために、虚勢を張っていたのではないだろうか。 ……。 「達哉、お医者さん、いないよ?」 「き、きっと、あっちだ」 「う、うん……」 ……。 …………。 子犬が死んだのは、それから間もなくだったと思う。 何がどうなったのか、俺たちは親父の運転する車で自宅へ向かっていた。 菜月は濡れてボロボロになったダンボールをひざに抱き、飽くことも知らず、わんわん泣いていた。 ……。 それからのことは曖昧な部分が多い。 覚えているのは、俺と菜月と親父の3人で公園の隅にお墓を作ったことだ。 その時、菜月は墓石の上にプラスティックのネームプレートを置いた。 刻まれていた犬の名前は何だっただろう……。 「達哉、私がんばって動物のお医者さんになるね」 菜月は墓に向かって両手を合わせながら、俺にそう言った。 ……。 厚い雲が空を覆っていた。 はぁ……はぁ……あ……ここまで、休み無しに走ってきた。 いや、休もうなどと考える余裕も無かった。 げほっ……はぁ……はぁ心臓がうるさいくらいに拍動している。 急激に運動させたせいで、痛みもある。 ……。 お墓は……どこに……。 確か、人目につかない場所を、と道から外れたところに埋めたはずだ。 曖昧な記憶を手繰り寄せながら、広い公園を走る。 はぁ……はぁ……あ……池の周りを一周するが、思い当たる場所は無かった。 両足が鉛のように重くなってきた。 どこかには、埋まっているはずだ……。 俺は自分に言い聞かせ、再び走り始める。 雲が厚みを増す。 所々に配された街灯以外に、明かりはない。 ほとんど見通しの利かない道を走る。 ズザッ気が付くと地面に転がっていた。 膝や肘にチリチリとした痛みが走る。 ゴロリと仰向けになる。 はぁ、はぁ、はぁ……信じられないほどに早く上下する胸。 全身が痛いほど熱くなっている。 どうやら、しばらく動けそうにもない。 ……。 ザーーーーーーーー……程なくして、雨が落ちていた。 煉瓦タイルを打つ雨のしぶきが、俺の顔を濡らしてる。 大きく口を開き、雨を体内で受ける。 少しずつ、気力がよみがえってくる。 「……菜月」 俺は重い体をもう一度立たせた。 雨は強く、見通しは更に悪くなっていた。 ……埋めたんだから見つかるはずだ。 俺は自分に言い聞かせて、走り出す。 ……。 …………。 しばらくして、その場所は見つかった。 過ぎた年月が、横道を草が塞いでいたのだった。 道の両側からは、背丈を越える草が覆い被さるように繁茂し、下草も我が物顔で道を侵している。 この先、少し入ったところに埋めたはずだ。 ……。 雨は、一層強く俺の体を叩く。 寝巻きに、サンダルという軽装で中に分け入ればどうなるか、想像は容易につく。 ……。 ざくっ、ざくっ俺は一歩ずつ草むらを進んでいく。 早くも足には鋭い痛みが走る。 どうなっているかなど、見たくもない。 ざくっ、ざくっ子供と大人では、距離感が大いに異なる。 遠かったと記憶していても、実際は近い場所かもしれない。 だから、近いところから下草を掻き分け、墓を探す。 ……。 誰かがいたずらで移動してしまったかもしれない。 公園の整備員が破壊してしまったかもしれない。 今更、そんなことを考えて何になる。 もう自分には、ここしか残されていないのだ。 ここに無ければ、もう見つけることはできないのだ。 がさがさがさっがさがさがさっ雨で濡れた下草を素手で掻き分ける。 手に無数の傷が走る。 がさがさがさっがさがさがさっ……どこに。 がさがさがさっがさがさがさっ……どこに。 がさがさがさっがさがさがさっ「どこにあるんだよーーっ!」 絶叫した。 雨も傷も痛みも流血も、もう何でもいい。 ただ、墓が見つかればそれでいい。 多くは望まない。 菜月に──俺が約束を思い出したと、俺たちが積み上げてきた過去は消えていないと、証明できればそれでいい。 がさがさがさっがさがさがさっ全身の感覚がマヒし始めた頃、他の場所に比べ下草が少ない場所を見つけた。 がさがさがさっむさぼるように草を掻き分ける。 「っ!」 手が石にぶつかった。 あの時の墓石だ。 ならば、近くにネームプレートがあるはずだ。 菜月が墓石に置いたプラスティックのプレートが。 がさがさがさっがさがさがさっ下草や、腐葉土化した落ち葉を、手当たり次第にひっくり返す。 爪の間に土が入り込む。 草が手の甲を切り裂く。 もうどうでも良かった、痛い個所が多すぎて、いちいち気にしていられなかった。 がさ深い下草の中。 墓石から1メートルほど離れた所にそれはあった。 オレンジ色の小さなプラスティックの板。 長方形の角を取った滑らかな四角形。 長年の風雨にも耐え、それはあった。 確かに、菜月が置いたものだ。 「ははは……」 全身から力が抜ける。 「やった……見つけた……」 不意に胸が熱くなった。 全身を覆う痛みと冷たさ──その中で、俺の胸はねじり切られるかのように熱くなった。 溢れた涙が雨に流され口に入ってくる。 しょっぱさが心地良い。 ……。 後は、これを菜月に見せればいい。 俺が約束を思い出したことを証明できる。 先のことは、それから考えればよい。 ガサガサガサガサッ草むらを走り出る。 ……菜月、待っててくれ。 ……。 ……。 …………。 夜が白みかけていた。 強かった雨もほとんど上がっている。 薄明かりの中、自分の姿を見ると、馬鹿らしいほどにボロボロだった。 血と泥と汗と雨で汚れた寝巻き。 転んだせいか膝が破けている。 露出していた部分は、手足を問わず切り傷だらけだった。 「ははは……しょうがねえな」 俺は、右手のネームプレートを強く握る。 これで、菜月と仲直りできるだろうか……。 ……。 玄関に向かいドアノブに手をかける。 力を込め、ゆっくりとドアを開く。 ……。 中の空気が流れ出して来た。 ずっと親しんできた朝霧家の匂いがする。 俺の体から急速に力が抜けていった。 どさっ 「ふえっ、ぐすっ……ぐしっ、ぐすっ」 どこからか女の子の泣き声が聞こえる。 それは懐かしくて、温かい声。 「ぐすっ……ふえぇ……ぐし、ぐしっ」 幼い頃の菜月が顔をくしゃくしゃにして泣いている。 せっかくのかわいい顔が台無しだ。 「ぐすっ……達哉、達哉ぁ……」 そんなに泣くなよ、すぐ起きるから……。 起き上がろうと体に力を入れる。 なぜか、全身に痛みが走った。 あれ……おかしいな……。 もう一度力を込める。 痛みに力が抜ける。 何で痛いんだ、俺の体?顔にも手足にも、肘にも膝にも、ぴりぴりとした痛みを感じる。 おまけに頭痛までする。 怪我なんてしたっけ?再び起き上がろうとするが、どうにもダメだ。 「ふえっ、うえっ、嫌だよぉ……」 ……。 そうだ──俺は、犬のネームプレートを探しに……菜月との約束を思い出したと、証明するために……菜月に見せなければ。 あのネームプレートを……「ふえぇ、達哉っ、ぐすっ、うっ、うっ……」 菜月……。 枕元で菜月が泣いている。 何度も、何度も嗚咽を漏らす。 顔は涙やら何やらで大混乱。 せっかくのかわいい顔が台無しだ。 「菜月……」 菜月の動きが止まる。 恐る恐る、まるで怖い物でも見るかのように、菜月は目を開く。 「あんまり泣くなよ」 「……達哉」 菜月の目から涙が溢れ、ぱたぱたと音を立てて布団に落ちた。 「達哉ぁぁぁ……」 また顔をゆがめる。 「大丈夫、大丈夫だから」 「うんっ……ぐすっ……うん、ひっく、うん」 頷きながらしゃくりあげ、子供のように泣いている。 手を伸ばして、菜月の腕を優しくさすった。 自分でもぎょっとするくらい、俺の手は切り傷だらけだった。 「達哉ぁ……」 菜月は俺の手を両手で包み頬に押し付ける。 そして、傷の一つ一つに、優しく唇を這わせた。 熱い息と粘膜が傷をくすぐる。 傷口をふさぐ魔法をかけられたように、痛みが引いていく気がした。 ……。 「菜月」 菜月が俺の手から唇を離し、顔を上げる。 「俺さ、思い出したよ」 「……」 「菜月との約束」 そういえば、ネームプレートはどこに行ったのだろう?もちろん、手には握られていない。 ポケットを探る。 寝巻き自体は新しい物になっていたが、ポケットには小さな板が入っていた。 誰かが、入れておいてくれたようだ。 「これは、その証拠」 菜月の手を開き、オレンジ色のプラスティック片を乗せる。 「ひとっ走りして、探してきた」 「達哉……」 声を詰まらせる菜月。 「ありがとう……」 両手でネームプレートを握り、額に押し当てる。 菜月の頬を、また涙が伝った。 「俺のこと……」 「許してくれるか?」 ……。 菜月が目を細める。 その目には、まだ涙がたまっていて、泣いているのか笑っているのか分からない。 「当たり前じゃない」 「ん?」 「当たり前じゃない」 困ったような泣き笑いで菜月が言った。 ……。 菜月の笑顔で緊張が解けた。 自責、不安、恐怖、諦め──胸の中でずっと蠢いていたものが、何事もなかったかのように消えていく。 そして今、この瞬間、空っぽになった俺を、ゆっくりと、温かなものが満たしていく。 「良かった」 いつの間にか、頬を熱いものが伝っていた。 「無茶ばかりして……馬鹿なんだから」 菜月が、タオルで俺の目尻をぬぐってくれる。 そう言っている菜月の目からも、大粒の涙がこぼれ、俺の顔に落ちた。 「菜月だって泣いてるじゃないか」 「仕方無いでしょ」 菜月は手の甲で自分の涙をぬぐい、そしてまた俺の顔を拭いた。 「どんどん溢れてくる……困ったね」 「ああ、困った」 次第に菜月の顔が近づく。 「困った」 「うん」 菜月の指が俺の唇をめくるように撫でる。 「じらすなよ」 「あはは、困った困った」 菜月の首に腕を回して引き寄せる。 ……。 「ありがとう」 唇が溶け合った。 「体、やっぱり熱いね」 しばらくして、唇を離した菜月が言う。 「大したことないさ」 「すぐ、やせ我慢するんだから」 涙をぬぐう菜月。 「また、心配かけちゃったな」 「ううん、もういいの」 菜月は微笑して首を振った。 穏やかな、屈託の無い笑顔。 「そうだ、菜月に渡すものがあるんだっけ」 「机の上にあるやつ」 「あ、バッグとぬいぐるみ。 持って来てくれたんだ」 「丸ごと置いていっちゃうんだもんな」 「しょーがないでしょっ」 机のバッグを取り、慌てて中身を確認し始めた。 「全部拾ったつもりだけど?」 「ん~、えーと……」 「あ、あった! 良かったー」 心底安心した表情。 菜月が取り出したのは、古ぼけたお守りだった。 「ええっ? お守りが一番大事なのか?」 「うん。 見る?」 と、お守りを渡してくる。 公園でも見た通り、学業成就と書かれたお守りだ。 中には何か入っているようで、パンパンに膨れている。 「開けていいよ」 「いいのか?」 菜月が笑顔で頷く。 ……。 なんとなく緊張する。 何が入っているのか、想像もつかないけど──ここには、何か、菜月の芯になっている物が入っている気がしたからだ。 ゆっくりとお守りの紐を弛めた。 中には隙間なく物が詰まっている。 俺は指先で慎重に中身を引き出す。 ……。 出てきたのはお守りだった。 お守りの中に、もう一つお守りが入っていたのだ。 中のお守りも外側と同じようなデザインだが、金糸で『病気平癒』と刺繍されていた。 「これって受験の時に持っていたやつだよな?」 「そうだよ」 「わけが分からないんだけど」 「あはははっ、そうだよね」 「これはね、あの時神社で買ったんだ。 達哉が助かりますようにって」 「え?」 俺が、助かる?命の危険があるほどの病気に罹った記憶はないが。 「あの時って、子犬が死んじゃった時か?」 「うん」 「二人で雨の中走り回って、結局、子犬を助けられなくて……」 「それから、一緒に埋めたよな?」 菜月が怪訝そうな顔で俺を見た。 「達哉、大事なところが抜けてるでしょ」 「……」 俺は、全部思い出したんじゃないのか?何が抜けてるって言うんだ?「家に帰ってから、風邪をこじらせて倒れたでしょ?」 「熱が40度越えて危なかったんだから」 ちょっと待て……「あの時も今日と同じで、ずっと泣いてた」 「私が獣医に見せようなんて言ったから、達哉が倒れたって」 菜月は……「変わってないの、あの時と」 「私は昔から、達哉に無茶させてばかり……」 菜月は、子犬のために泣いていたんじゃ……頭が真っ白になり、菜月の声がどんどん遠くなっていく。 幼い菜月が顔をくしゃくしゃにして泣いている。 「ぐすっ……ふえぇ……ぐし、ぐしっ」 「ぐすっ……達哉、達哉ぁ……」 「私が……動物のお医者さんに行こうって……言ったから……ぐすっ」 「びしょびしょになって……」 「私が……動物のお医者さんだったら……達哉、風邪ひかなかったのに」 記憶の中の菜月は、子犬のために泣いているのだと、ずっとそう思っていた。 でも違った。 菜月は、俺が高熱を出したことに責任を感じ、自分を責めて泣いていたのだ。 「だからね、私は、自分が獣医だったら達哉が熱を出さなくて済んだはずだって考えたの」 「それで獣医を目指すことにしたんだ」 「……」 言葉も発することができない。 「だから、このお守りは記念として持ってるの」 「子犬を助けられなかった悔しさも、達哉に風邪を引かせてしまった後悔も……」 「絶対に忘れないようにってね」 ……。 この事があったから菜月は、学院の帰りに雨で濡れた時も、風邪で寝込んだ時も、そして今も、幼い頃の痛みを思い出して、熱心に面倒を見てくれたのだ。 それを、俺は……菜月の痛みも知らず、当然のものとして享受し続けた。 ……。 こんなにも近くに、こんなにも深い愛情があったことに、どうして気が付けなかったのだろうか。 「な……つき……」 両目からとめどなく涙が溢れ、枕へと落ちていく。 「ちょっ、達哉、何泣いてるの?」 「私、ひどいこと言った?」 「違う……」 「俺は、何も思い出してなかった……大切なことは何一つ」 「いいんだよ」 菜月が笑う。 「もういいの」 「菜月?」 「私のために、ここまで無茶してくれるのなんて、達哉だけだもん」 菜月が俺の首に腕を回す。 「それにね……」 「細かいことは忘れてるかもしれないけど、約束はずっと守ってくれてるんだよ」 「……?」 俺の胸に菜月が額を当てる。 「私が獣医になるって約束した時、達哉はこう言ったの」 「菜月が獣医になるまで、捨て犬が可哀想な目に会わないように、俺が全部拾うって」 「……何言ってんだ俺」 「あはははっ」 「実際、見つけた犬はちゃんと拾ってるし、エサ代も自分で稼いでるんだから、立派だよ」 「無自覚なら尚更ね」 「……」 誉められているのかけなされているのか、微妙な気分だ。 「ほら、もう泣かないの」 菜月がキスで涙をぬぐってくれる。 「何か、情けないな……俺」 「そんなことないよ」 一層強く俺を抱く菜月。 コンコン「失礼します」 がちゃ「達哉さん、お食事が……」 そこまで言って、ミアが凍りついた。 「あ」 「あ、わっ、わああぁぁ」 菜月が一瞬で赤く染まり、動きを止める。 「あの、私……私……」 「ミア、こ、これは」 「し、失礼しましたっ」 足音も賑やかに、ミアが部屋を出て行く。 菜月はまだ俺の胸の上で硬直している。 「菜月、また誰か来るかもしれないけど」 「……こうなったら」 ワナワナ震えている菜月。 「?」 「思う存分見せ付けちゃうっていうのはどうかな?」 菜月がキレた。 「……どうかなぁ」 「知らないっ」 菜月が唇を押し付けてくる。 入り口のドアも開け放したまま、俺たちは何度も唇を重ねる。 ミアに続き、麻衣、姉さんと被害にあっていくが、俺にはもう気にならなかった。 ……。 「いらっしゃいませっ」 「こちらのお席へどうぞ」 次の日、俺はバイトに復帰した。 まだ頭痛が残っていたが、ずいぶん楽にはなっていた。 何より、「実際、見つけた犬はちゃんと拾ってるし、エサ代も自分で稼いでるんだから、立派だよ」 という菜月の言葉が、俺を勇気づけてくれた。 こうして働き、犬たちのエサ代を得ることが、菜月との約束を果たす一部となっている。 約束を忘れていたことを後ろめたく思っていた俺には、働くことが一番の薬だった。 「達哉、体は平気?」 「寝てるより、こうしてた方がすっきりするよ」 「ならいいんだけど……」 「無茶はしないでね」 先日の胸の痛みを思い返しているのか、菜月は心底心配そうに言ってくれた。 「大丈夫」 俺は、菜月を安心させたくて、笑顔でそう言った。 「ほんとかなぁ?」 菜月が、俺の体を嘗め回すように見る。 「あんまりじろじろ見るなよ」 「あはははっ、恥ずかしがっちゃって」 軽やかに笑う菜月。 「あれ? 胸のところ、トマトソースが付いてるよ」 言われて見てみると、胸に丸く赤い染みができていた。 「気が付かなかった」 「早く拭かないと……」 菜月がカウンターにあった布巾を持って俺に近づく。 「じっとしててね」 と、菜月はボタンの合わせから左手を差し入れ、汚れの裏側に指を当てる。 「……っ」 指のひやりとした感触に、体が勝手に痙攣する。 「ほら、反応しないの」 菜月は俺を気にする様子もなく、ぽんぽんと汚れを布巾で叩く。 「むむ、なかなか頑固な……」 薄くならない染みに、菜月は顔を近づけて熱心に汚れを叩く。 視線を下げれば、すぐ菜月の頭が見える。 かすかに立ち上る髪の香りに、知らず知らず胸が高鳴ってしまう。 「ん?」 動きを止める菜月。 胸が一層高鳴る。 「ど、どうした?」 「胸、ドキドキしてるよ」 あっと言う間にばれてしまった。 「ヘンなこと考えちゃった?」 「そ、そういうつもりじゃ……」 俺はしどろもどろに答える。 「おしおき」 いたずらっぽい笑みを浮かべて、シャツを裏側から押さえていた指で胸をくすぐる。 「わ、こら、やめろって」 「こりゃこりゃこりゃ」 「お前、おやじ臭いぞ、こら……」 「……あ」 気が付くと、音もなく菜月の背後に仁さんが近寄って来ていた。 俺は、菜月に後ろを向くよう目で促す。 「……あは、あははははっ」 仁さんの姿を見た菜月が情けない笑いを漏らす。 「やれやれ、困ったものだね」 「や、やだな、別にそんなんじゃ」 「僕は『困った』と言っただけだけれど」 しれっと言う仁さん。 「何か人に見られては困ることでもしていたのかね?」 「ま、ま、まさか」 真っ赤になった顔が、全てを肯定している。 「そういえば、昨日は達哉君の部屋で公然と接吻……」 「はい、この話は終了」 しれっと言って、菜月は仕事に戻る。 「別に恥ずかしがらなくてもいいのにね」 「は、はあ……」 何と返事してよいか分からず、曖昧な答を返す。 「ところで、今夜は商店街の懇親会があってね」 「あ、はい」 「親父と僕は出てしまうから、クローズを頼むよ」 「分かりました。 まかないは?」 「ああ、それは僕からさやちゃんに説明しておくよ、懇切丁寧に」 「菜月と二人きり、気兼ねなく昨日の続きをしてくれたまえ」 「な、何のことですか」 「おいタツ、2番さんに頼む」 キッチンから、おやっさんが顔を出す。 「は、はいっ」 俺は逃げるようにキッチンへ向かった。 「若いというのは実に……」 「仁、お前もサボッてないで仕事しろ」 「はははははははっ」 ……。 慌しかった営業時間が過ぎ、閉店時間が訪れた。 「じゃ、頼むよ」 「はーい」 「いってらっしゃい」 おやっさんと仁さんが手早くエプロンを外して、店から出て行く。 ……。 「ふう……」 手近なイスに腰を下ろし、一息つく。 頭痛はいつの間にか消えていた。 やっぱり、病人っぽくしているより、体を動かしている方が俺にはいいみたいだ。 「お疲れさま。 体の調子はどう?」 バックヤードから、モップを持って菜月が現れた。 「もう大丈夫。 いつも通り」 「良かった」 「仕事を始めた頃、ちょっと頭痛そうにしてたから」 隠しおおせた気になっていたけど、どうやら見抜かれていたらしい。 「む、バレてたか」 「そのくらいはお見通し」 菜月が自慢げに言う。 「さて、ぱぱっと店閉めちゃうか」 「うん」 俺は菜月からモップを受け取り、床を掃除する。 菜月は……「ふーん、ふふーん……」 謎めいた鼻歌を歌いながら、テーブルを拭いている。 菜月の動きにはほとんど無駄が無い。 気楽に掃除しているように見えるけど──実は、新人とは比べ物にならないスピードで拭き掃除をこなしている。 ……。 やっぱり菜月には制服が似合うな。 かわいらしいデザインと短めのスカートは、菜月の明るい性格にぴったりだ。 掃除をする菜月の体が柔らかく上下し、短いスカートが翻る。 暗めに落とされた照明のせいだろうか。 見慣れた菜月のウェイトレス姿が、いつもより綺麗に見える。 ……。 「達哉、手が止まってるよ」 菜月が急に振り向いた。 「あ」 「考え事?」 「いや、菜月って制服が似合うなって」 くらっ菜月がよろけた。 「そういうことは、思うだけで言わなくていいの、恥ずかしいでしょ」 首筋を赤く染めながら、菜月はぷいっと掃除に戻る。 「ご、ごめん」 「それでなくっても、二人きりでちょっと緊張してるんだから」 ぼそりと背中を向けた菜月が言った。 緊張って……不意に胸が高鳴る。 「菜月」 ……。 聞こえていないのか、菜月は返事をしてくれない。 俺は少し不安になって、菜月に近づく。 「菜月」 「だ、だめだからね」 ズレた答えが返ってきた。 菜月の首筋は、さっきより赤くなっている。 「何で赤くなってるのさ?」 「し、知らないわよ」 菜月が、わざとらしく力を込めてテーブルを拭く。 それがどうしようもなく可愛く見え──俺は菜月の腰に、後ろから手を回した。 ……。 菜月が動きを止める。 ……。 「だ、だめだよ……掃除しなきゃ」 「うん」 腕に力を込める。 「言ってることと、違うじゃない」 「いいの」 菜月の首筋に顔をうずめる。 「くすぐったいって……」 「お父さんとか帰ってきたらどうするの」 「大丈夫、懇親会なら遅くまでかかるから」 「で、でも……」 「菜月のこと、すごく欲しくなってるんだ」 これは本心だ。 ケンカをしたことで知ることができた菜月の愛情──過去の約束は、たまたま思い出すことができた。 でも、もし忘れたままだったら──俺たちの中で核になっている部分を知らないまま、ずっと菜月と付き合っていたことだろう。 それはあまりに申し訳無いことだ。 だから、約束を思い出させてくれた菜月には、とても感謝している。 ……。 菜月の思いの深さを知るにつれ、どうしようもなく菜月を抱きしめ、むさぼりたくなる。 「菜月……」 唇で首の産毛を撫でながら、菜月の匂いを存分に吸い込む。 お酒を飲んだように、頭がクラクラした。 「んっ……達哉、だめだったら……」 「もう少しで仕事終わるんだからさ、ね?」 もうちょっと我慢しろということだろう。 ……けど、一度菜月の匂いを嗅いでしまった。 もう我慢できそうもない。 証拠に、俺の下半身は既に固くなってきていた。 「あ、あれ……もう?」 「ごめん、もう固くなってる」 菜月の柔らかな臀部に屹立を押し付けた。 「仕方がないんだから……」 菜月が苦笑して俺に体重をかける。 「外から見えないよね?」 「中の方が暗いから、大丈夫」 「ホントかな?」 菜月が不安そうに笑う。 ……。 「少し、だけだよ」 「ありがと……気持ち良くするから」 そう言って、菜月の体をひねり、唇を重ねる。 「ん……ちゅ……」 菜月の唇から控えめに粘液の音が漏れる。 何度目かの菜月の唇。 柔らかで張りのある感触は相変わらず。 少しも飽きることなんてない。 「ちゅっ……くちゅっ……んふっ……」 角度を変えて、何度も唇を押し付け合う。 顔にかかる息までもが俺の興奮を掻き立てる。 「菜月、好きだ」 菜月が小さく頷く。 舌を伸ばし、菜月の中に割り入った。 ……。 「んちゅっ、くちゅっ、ちゅぅ、ぴちゃ」 いつもより早いスパンで、水音が漏れる。 舌が互いの口内をまさぐり、唾液が絡み合う。 今夜の菜月は、いつもより積極的な気がする。 閉店後の店内というロケーションに興奮しているのだろうか。 「くちゅっ、達哉っ……ちゅっ……」 「思い出してくれて、良かった……ちゅぱっ……」 ……。 菜月の気持ちが聞けた。 俺は返事の変わりに唾液を送り込む。 「んくっ、こくっ、んうっ……ぷはぁ」 口の端から零しながらも、菜月は懸命に俺の唾液を飲み込んだ。 愛しさがこみ上げる。 俺は菜月の胸にゆっくりと手を伸ばす。 「んふっ……」 相変わらずの敏感な反応。 だが唇は離さない。 薄いブラウスの上から、たわわな果実を大きくマッサージする。 「んっ、くちゅっ、ちゅぱっ、ちゅっ」 菜月の舌使いが激しくなった。 唇の間から落ちた唾液が、菜月の肩口を汚す。 濡れたブラウスの下から、菜月の肌色が透けて俺の興奮を誘った。 乳首付近に指を当て、優しく円運動を加える。 「んぅっ、くちゃっ、ぴちゃ、ふうっ」 息に混じって唾液が溢れ、俺の顔を塗らす。 親指と人差し指で乳首を軽く圧迫するように刺激する。 「ぷはぁっ……あっ、うっ」 耐えかねて、菜月が唇を離す。 「あ、くぅ……達哉、そこ、敏感で……あっ」 苦しげな声を漏らす菜月。 「痛いか?」 「そんなこと……ない」 「じゃ、もうちょっと強くしよっか」 「ボタン外すよ」 胸への愛撫を止め、ブラウスのボタンを外す。 自分の服とは逆のとじだから、外しにくい。 「達哉、ほら、こう……」 見かねた菜月が手伝ってくれる。 ……。 少しして、真っ白な胸と薄いピンクの下着が露になった。 ゆさっとした重量感。 「相変わらず、大きいな」 「やだ、はっきり言わないで」 「じゃあ、とっても綺麗」 「も、もう……」 菜月が耳を染めて俯く。 改めて、菜月の乳房に触れる。 「ひゃっ……う……」 「手、冷たかった?」 「ううん、熱いくらい」 「まだちょっと、触れられるのドキドキしちゃって……」 白桃のような乳房に、薄っすらと鳥肌が立っている。 「敏感さんだな」 言いながら、胸を揺する。 たぷんと波紋が走った。 「しょうが、ないでしょ……達哉に触れられるって思うと、緊張しちゃうの……」 「ホントに可愛いな、菜月は」 「そういうこと言うんだから」 菜月が恥ずかしそうに体を揺する。 「ははは、それも可愛い」 「や、やだもう……」 顔を真っ赤にして俯く。 「続けるよ」 耳元に言って、俺は乳房への刺激を再開する。 手のひらから零れるほどの果実。 下着越しにも十分柔らかさが伝わってくる。 大きく揺り動かしながら、下着の中でぷっくりと膨れた突起に指を這わせる。 「ま、また、そうやって……あっ、そこばかり……」 「どこ?」 ……。 「敏感な、とこ……だって」 菜月が小さく身を震わせる。 「ここね」 指先で先端をなぞる。 「ひうっ……あっ」 ぴくりと跳ねる。 突起は刺激を加えられるほどに、下着の中で膨れ上がる。 圧迫されて痛そうだ。 「ここ、痛くない?」 乳首を優しく撫でながら聞く。 「はぁ……あ、少し、こすれてる……かも」 期待通りの答え。 「じゃ、外すぞ」 「えっ……出すのは、恥ずかしいって」 「いいの」 「良くないよぉ……」 ブラのホックを服の上から外してしまう。 続いて、前から下着を引き抜いた。 ……。 双丘がぷるんと揺れた。 外から差し込む街灯の光に、乳房が白く輝く。 「あぁぁ……だめ……恥ずかしい」 「こんなになってたら、痛かったろ?」 桜色の乳首に指先で軽く触れる。 「うくっ、あっ、あっ」 ぴくぴくと揺れる菜月の体。 乳首に指を当てたまま、乳房をゆっくりと愛撫する。 「はぁあぁ……達哉……手がいやらしい」 菜月がため息を漏らしながら言う。 「そうか?」 「そう、だよ……」 「どの辺が?」 胸をいじりながら聞く。 「私の、知ってる達哉は……こんな、いやらしくなかったのに……」 困ったように菜月が言う。 「嫌いになった?」 ……。 「そんなこと……あるわけ、ないでしょ……ばか」 拗ねた声を出す。 こんな話をしながらセックスができるなんて思わなかった。 初めての時と比べると、ずいぶん慣れてきた感じがする。 ……でも、もしかしたらあんまり感じてなくて余裕があるのかもしれない。 「菜月は、首がすきなんだよな」 「え……だめ、首は弱いっていうか……変な感じになっちゃうから……ひゃうっ」 言い終わる前に舌を走らせた。 「あ、あうっ、うっ、ひうっ」 ぞくぞくっと菜月の背中が震える。 首筋から耳の後ろ、下って鎖骨、その窪みまで舌を動かしていく。 「ひゃっ、あっ、やっ、うあっ」 弾かれたように声を出す。 肌が急速に汗ばんだ。 「やっぱり弱いんだな、この辺」 「そう言って……ひうっ……るでしょう……」 膝を震わせる菜月。 「じゃ、こっちは?」 右手を下腹部に伸ばしていく。 ……。 短いスカートをたくし上げながら、秘裂をまさぐる。 柔らかな生地の中央に、湿り気を帯びた場所があった。 「見つけた」 中指の先で湿りをくりくりとこする。 「あ、う……達哉……やだ、そこ……」 菜月が俺の手を掴む。 力はあまり入っていない。 「達哉……や、やっぱり、やめようよぉ……」 下着の内側には、既にぬるぬるが溜まっているのだろう。 布と肌の間には抵抗がない。 「良かった、菜月も感じてくれてるんだ」 秘所をこすりながら囁く。 「やっ、耳に息が、くすぐった……い」 下着に湿りが追加される。 とことん首周りが弱い。 「達哉がへんなトコばかり……するから、あっ、あっ」 再び首筋を舐めつつ、乳房と膣口を同時に愛撫する。 「やっ、うあっ、もう……だめになっちゃうから、ホント、達哉ぁ……」 菜月が体を揺り動かす。 お陰で、指が下着ごと埋没してしまう。 「ひゃうっ!」 じゅくりと蜜が溢れた。 中指はそのままに、親指をクリトリスの上に当てる。 「あ、や、そっちは、もっとだめ……ね、お願い……」 鼻にかかった声は余計に俺を興奮させるだけだ。 左手を小刻みに振動させる。 「あうっ……あっ、ああっあうっ……達哉、だめっ、だめっ」 湧き上がる快楽を振り払うように菜月が首を振る。 だがそれは逆効果。 菜月が動けば動くほど、指から加えられる刺激は強くなる。 「やあぁっ、あうっ、ひうっ」 菜月の膝がガクガクと震えだした。 かなり感じてきている。 そう確信した俺は、一層愛撫に熱を上げる。 舌は首筋から耳、鎖骨へ、右手は乳首をつまみながら乳房全体を揺する。 そして、左手では膣口とクリトリスに小刻みな振動を加える。 「どう、気持ちいい?」 「ひゃああっ、ああっ……うああっ、きゃうっ、ああっ」 俺の声など耳に入っていない。 体をびくびくと震わせながら、自分の世界に没入している。 こうなれば、最後までいってもらいたい。 「菜月、イッちゃっていいからな」 「ああぅっ……達哉っ、私だけなんて……や、やだよ……ひゃぁっ」 「大丈夫、先に良くなって」 そう言って、耳の穴に舌先を入れた。 同時に乳首とクリトリスを、ぎゅっと埋没させる。 「ひゃうっ!!」 「うあっ、あっ……あ、あ、あ、あっ!」 「達哉っ、だめっ、そこはっ、あうっ、やんっ!」 「やっ、やっ、ひゃあっ、もうっ、もうっ!」 「だめっ、だめっ……あ、あ、あ、あっ、やああぁぁぁっっ!!」 菜月の全身が大きく波打った。 「あうっ……あっ……あっ……あ……」 菜月の体重が俺にかかる。 一人では立てないらしい。 俺は菜月の体を、後ろから受け止める。 「……っ……あっ……んっ」 菜月の体を何度か痙攣が走り抜ける。 ……。 …………。 「はぁ……ぁ……う……はぁ、はぁ……はぁ……」 少しして、ようやく痙攣が収まる。 秘所に当てられた俺の手は、下着から染み出した淫液で、てらてらと光っていた。 ……。 「どう、平気?」 「う、あ……うん……」 ぼんやりとした声の菜月。 「すごく可愛い声だったよ」 「私だけ……気持ちよくなっちゃって……ごめん、ね」 「いいんだ、菜月に気持ち良くなってもらえると俺も嬉しい」 「そう、なの?」 「ああ」 菜月をきゅっと抱きしめる。 「……達哉も、かちかちだね」 「え?」 「……ここ」 と、菜月がかすかに腰を動かし、俺の股間を揺する。 そこには、ズボンを突き破らんばかりに怒張した俺のペニスがあった。 「今度は、私の番ね」 「えっと……どうするの?」 「あのね、ほら、勉強したんだ……」 熱い息をはいて、菜月が俺の前に屈む。 菜月の細い指がズボンのチャックにかかった。 「うあ」 それがちょうど、ペニスの先端を刺激し、腰が引ける。 「任せてね……」 菜月は優しく微笑みながら、指を下ろしていく。 ……。 …………。 じじ……じ、じ……じ……ゆっくりとチャックが下ろされていく。 もう、俺のペニスは外に出たくて仕方がない。 ある程度までチャックが開くと、パンツごとチャックからせり出す。 「達哉の、すごい……」 菜月の指が、パンツの前開きをまさぐる。 こしょこしょと先端がくすぐられる。 「うっくっ……あ……」 快感に声が漏れる。 「あはは、気持ち良さそうな顔してるよ」 明るい声で言いながら、菜月はペニスを優しく取り出した。 「す、すご……いかも……」 それは立っているというよりは、天井を指していた。 かちかちに強張った屹立が、ぴくぴくと脈打つ。 「いつも、こ、こんなのが……」 菜月の手がかすかに震える。 「驚いた?」 「う、うん」 「無理しなくていいからな」 「こんなにしながら言っても説得力ないよ」 上目遣いに菜月が言う。 「あんまり上手くできないかもしれないから……痛かったら教えてね」 「ああ、頼む」 「……うん」 ……。 菜月が赤い舌を伸ばす。 舌にはたっぷりと唾液が乗っていた。 それが徐々に先端に近づき…………。 ぴちゅっ裏筋を舐め上げた。 「あっ」 背筋を電気が走る。 「い、痛かった?」 「い、いや……続けて、すごくいいから」 「やっぱり、濡れてないと痛いのかな……」 菜月が再び舌を伸ばす。 そして、カリの周りを、れろりと一周させた。 「あ、う」 泡立った唾液が、肉棒に滴った。 「大丈夫……かな……」 菜月が俺のモノに顔を近づける。 菜月の可愛らしい顔の側で、俺のペニスが脈打っている。 下の方では、柔らかそうな乳房が、ほよほよと揺れていた。 刺激的な光景に、先からカウパーが流れる。 「何か、出てきたね……?」 菜月が不思議そうに舌を伸ばした。 ぴちゅくちゅっざらついた感触が先端をこすり、先走りが塗り広げられた。 「っ……」 「気持ちいい?」 「ああ、すごくいいよ」 「良かった……続けるね」 唾液の熱さと舌のざらつきが、カリ、裏筋、先端と順に襲い掛かってきた。 痺れるような快感に、腰が浮く。 「くちゅ……ちゅぱっ、ちゅっ……ねちゅっ……んふっ……ぴちゅ……」 菜月の口から、湿った音が流れ出る。 とろんとした表情で、唾液がたっぷり載った舌を絡めてくる。 「ぴちゅっ……どこがいいか、教えて……くちゅり、ぴちゃ……んっ……」 竿から先端までを舐め上げながら、菜月が聞いてきた。 「裏側のスジの……ところが、あ……」 「うん、任せて」 「くちゅっ……れろっ……ぴちゅ……」 舌に唾液をいっぱいに溜め、亀頭の裏側をそこに乗せる。 そして、菜月は舌を前後に揺らした。 裏スジをぬらぬらと菜月の舌が擦る。 先端はもう口の中に入りそうで、熱い息が周期的にかかる。 「うっ……あ、あ……菜月、気持ち良すぎ……」 腰の辺りがモヤモヤとしてきた。 このまま続けられればひとたまりもない。 「うれひい……たちゅや……」 ペニスを舌に乗せたまま喋る菜月。 もぞもぞとした動きが裏スジを攻める。 「くちに、いれひゃほうがいい?」 「あ、頼む」 舐められるだけでこの快感だ。 口に入れたら一体どうなるのか……。 菜月が口を開く。 ぽっかりとした空洞に、俺が吸い込まれていく。 ……。 ぬらりとした粘膜が、全体を包んだ。 「っっ……」 危うく射精感がボーダーを越えそうになった。 菜月は口の中で、まだ裏スジを舐め続けている。 とろけるような快感。 「んむっ……くちゃっ、ぴちゅ、くちゅっ……んあっ」 ペニスを離さぬよう、菜月が竿をぎゅっと持ち、先端を吸い上げる。 「あ……うっ」 「れろっ……ぴちゅ、くちゅっ……にちゃっ……んむっ、れりゅっ……」 舌が先端を包み込むように動く。 加えて、定期的な吸引。 精液がどんどん先端に向かっていく。 「も、もう、菜月……あっ……うあ」 恥ずかしげもなく声を漏らす。 「くちゅり……んむつ……すぞっ……ぐちゅっ……じゅじゅじゅっ……」 口から溢れた唾液が、竿を伝って袋まで濡らす。 ……。 菜月が上目遣いに俺を見る。 可愛らしい顔と、俺の怒張はコントラストが激しすぎる。 「んむっ……ぴちゅっ、れろっ、くちゅちゅっ……ちゅぱっ……」 淫らな水音が聞こえてくる。 菜月が、一心不乱に俺を刺激し続けている。 俺の腰が自然と揺らめいていた。 「んあっ……にゅちゅっ、ぴちゅっ……くぽっ……」 菜月の口中をぱんぱんになった亀頭がゆらゆらと行き来する。 時折ぶつかる歯の固さがアクセントとなり、俺を絶頂に導く。 「やばい……菜月、もう、俺、あっ……」 声が出る。 俺の限界を待っていたのか。 菜月が竿を持っていた手をゆっくりとしごき始める。 竿をどろどろにした唾液を潤滑油に、柔らかな手が滑らかな動きで俺を擦り上げた。 「あっ……うあ……菜月っ、菜月っ……あ」 菜月の口の中で腰を揺すってしまう。 「んむっ……ずちゅっ……ぐちゅっ……ずずっ……ぴちゅ……」 負けじと菜月も俺をすすり、右手ですばやく俺を摩擦する。 じんとした熱さが、腰で限界を迎えた。 「ごめっ……あうっ」 どくっ……びゅびゅびゅっ……どくっ……肉棒が痙攣した。 「ンむっ!?」 菜月の口中に白濁を暴発させた。 「くっ……あ、あ……」 体が壊れそうなほどの快感が俺を突き上げる。 「ぷはっ……」 口から精液を漏らしながら、菜月が口を離す。 最後に下の歯が、裏スジを軽く擦った。 「うあっ!」 どくんっ……びゅくっ……どぴゅぴゅっ……どくっ再びペニスが痙攣する。 「ひゃっうっ」 勢い良く迸った欲望が、びしゃびしゃと菜月の顔にかかる。 謝りたいが、背筋を走る快感に上手く言葉が出ない。 菜月の顔は、俺の精液でべとべとに汚れた。 口の端からも、白濁の塊が、どろりと落ちようとしている。 「ん、む……」 ……。 菜月が口を閉じ、精液を落とすまいとする。 「こくっ……ん……んくっ……」 そして、嚥下した。 「な、菜月……」 菜月は口の中で舌をもごもごさせている。 「ご、ごめん」 ……。 「いいよ……ちょっと変わった味がしたけど」 笑顔の菜月。 「私が達哉を気持ち良くさせたんだね」 「ああ、夢みたいに気持ち良かった」 手を伸ばし、精液で汚れた菜月の頬を撫でる。 「ん……」 菜月が俺の手に頬を寄せる。 「まだ、大丈夫そう?」 下半身を見る。 精液と唾液でどろどろになったそれは、いくぶん元気を失っている。 「ちょっと待ってね」 そう言って、菜月は手で俺をしごき始めた。 ぴちゅ……くちゅ……ちゅ……粘液質な音が出る。 菜月が陶酔した表情で、俺のペニスをしごく。 白い手にねばねばを溜め、それをこすり付ける。 これは……やばい……「どうかな、こんな風にしたら気持ちいい?」 指をわっかのようにして、カリをくるくると擦る。 「うっ……あ……」 魔法にかかったように、男根が力を取り戻す。 「わぁ……」 菜月が驚嘆の声を上げる。 これを続けられたら、また達してしまう。 「菜月、いけるから、俺の上に乗って」 「……うん」 菜月が半腰になり、俺に体をこすり付けるように這い上がってきた。 ……。 菜月が屈んでいた場所には、ぽつぽつと液体の跡が付いていた。 豊満な乳房が、俺との間でつぶれる。 菜月が大きく足を広げ、俺の腰にまたがった。 むっとした菜月の匂いが鼻腔を貫通する。 「首に手を回して」 「う、うん……」 結合部が見えない不安からか、菜月がきつめに俺を抱く。 俺も、菜月の腰を支えた。 菜月の女性器が、ペニスの上に乗る。 じゅくっとした熱さを感じる。 「やっぱり、ここに挿れたいな」 「や、やだぁ……」 菜月の秘所は、いつの間にか十分に潤っていた。 俺のを舐めることで、彼女も興奮していたのだろう。 俺は、性器同士を密着させたまま腰を揺すった。 ぎしっ……ぴちゅ……くちゅ……ぎしっ、ぎしっ……イスが軋む。 「あっ……やっ……しないの……うっ……」 ぬるぬるの器官が擦れ、熱くなってくる。 「んっ、あっ……達哉の、熱くて、やっ……」 菜月が少し腰を落とす。 更に密着度が増すペニスとヴァギナ。 精液と愛液を潤滑油に、ずるずると擦れる。 「気持ち、いいな……」 ぐっしょりと濡れた下着と、その奥にある肉厚の襞が、棒と先端を包み込み、刺激する。 「あっ……うっ……や、これ……んあっ……」 菜月の腰が自然に動いている。 大きく足を開いた菜月が、腰をスライドさせているのだ。 それだけで、爆発してもおかしくない刺激だ。 くちゅ……ぴちゅ……ぎしっ、ぎっ……くちゅ……立ち上る淫臭に頭がおかしくなりそうだ。 「菜月、挿れさせて」 「ん……うん……いいよ……」 俺はいそいそと菜月の下半身に手を伸ばす。 絞れば愛液が落ちそうな下着を横にずらした。 「あうっ……達哉、さわっちゃ……あっ……」 指で体内への入口を探す。 くちゅり指が沈み込む地点を見つけた。 ペニスを右手で持ち、蒸れかえった孔に導く。 ぴちゅ水音がした。 「菜月、行くぞ……」 「う、うん……いいよ」 返事を聞いた瞬間。 俺は腰を突き上げた。 ……。 ぐちゅっ俺の怒張が菜月の襞を掻き分け、一気に終点に達する。 「うああっ……あああああぁぁ」 菜月が甘い声を漏らした。 菜月の中は相変わらずの締まり。 襞が肉棒をみっちりと包み、それぞれがざわめいている。 「熱くなってる……んっ、あっ」 「すごい……イきそう」 俺から挿れていなければ、不覚にも発射してしまったかもしれない。 それほどに菜月の膣内は充実していた。 「あう……達哉の……中で動いてるの分かる……」 「動かしていいな、今日は手加減できなそう」 「うん……一緒に気持ちよくなろ……んあっ」 菜月が言い終わる前に、力強く突き上げた。 みちっ、ぬちゃっ、ぐちゅっ、ぎしっ、にゅちゅっ……「んっ、んっ、あっ、やっ、ひゃあっ」 「強いっ、強くてっ、あうっ、あっ、あんっ!」 粘液質な音。 淫らなリズム。 俺は力の限り腰を動かす。 「ひゃうっ……やあっ、あっ、あうっ……」 「達哉っ、やんっ……当たるっ、奥がっ……あうっ」 ずりゅっ……びちゅっ……挿る時にはきつい抵抗。 出る時には、吸い上げるような力。 「あうっ、んっ、やっ、だめっ」 「達哉をっ、達哉を感じて……あっ、あうっ」 後ろから見れば、きっと結合部が丸見えだ。 蜜が滴り落ちる菜月の肉壺に、俺のモノが激しく出入りしている。 ちょっと想像するだけで、ペニスがぎんぎんに固くなる。 「あんっ……うあっ……達哉っ、達哉っ、達哉っ」 菜月もリズムを合わせてきた。 腰と腰が同じタイミングでぶつかり、淫音が上がる。 ぐちゅ、みちゅっ、ぐしゅっ、じゅちゅっ……「あうっ……ああっ……ひゃんっ……達哉っ、達哉っ……ああうっ」 汗を飛び散らせる菜月。 胸をぎゅっと押し付ける。 「菜月の、うあっ……吸いついて……くっ」 腰がじんじんし始めた。 まだ、早い。 俺は、必死に腰を振る。 「達哉っ……離れても、大丈夫……かな……」 「私たち、離れても、やって……いける、かな……」 喘ぎながら口を開く。 快感に身を揺らしながらも、菜月はじっと俺を見て尋ねてきた。 「不安……か?」 「……うん、不安じゃないって言ったら……あっ……嘘になる……」 「俺が浮気するとでも思ってるのか?」 「……それは……あっ……だって、仕方無いでしょ、彼女として……」 菜月が困ったような顔をする。 「大丈夫、俺じゃ浮気したくたって相手がいないさ」 「そんなこと……ないって……あうっ」 「少なくとも、私の主観では……んっ、一番、かっこいいんだから……」 「……くっ」 あまりにも可愛いことを言ってくれる菜月。 「心配するなよ、浮気なんてしない」 「……俺には菜月しかいない……ずっと側にいてくれた、菜月だけだ」 「……うん」 菜月の表情が明るくなる。 同時に、膣内に愛液が溢れた。 「菜月こそ、大丈夫なのか?」 腰に力を込めつつ尋ねる。 「わ、私の方こそ……相手が、あんっ……いないって……」 「……バカ」 「お前こそ、自分の可愛さを分かってないよ」 菜月を、ぎゅっと抱きしめる。 そして耳元に囁いた。 「俺の主観では、菜月より可愛い子なんていないんだから」 「……あ、あああぁぁ……」 なんともいえない声を上げて、菜月がユデダコのように赤くなった。 声に含まれていた感情は、喜び、驚き、嬉しさ、恥ずかしさ、快感……といったところか。 つまりはごちゃごちゃだ。 ……。 「気に食わないこともある」 「……え?」 ぽんやりとした表情の菜月。 「離れても『やっていけるかな?』じゃなくて……」 「離れても『やっていこう』だろ」 「……あ」 「別れるも別れないも、俺たちが決めることだ」 ……。 「……うんっ……うんっ……」 「やっていこうよ、菜月。 離れても」 「うんっ……ずっと好き……達哉っ、達哉っ」 菜月が俺にしがみつく。 その瞬間、菜月の膣内がきゅっと俺を掴んだ。 「……達哉……」 菜月の背中が震えているのは、きっと行為のせいだけではなかった。 ……。 「よし、動くぞっ」 「……もっと、していいよ……あんっ」 声に応え、一層激しく腰を振る。 「ひゃあっ、あうっ……もう、やっ……達哉っ……」 びちゅっ……ぐちゅ……すちゅっ……菜月の心と体は繋がっている。 そう実感させてくれる、蜜の量、膣内の締まり。 圧倒的な快感の前に、俺はもう射精寸前だ。 「達哉……ずっと……好きっ、好きっ、好きっ!」 「俺も、だ」 菜月の襞が激しくざわめく。 先端、亀頭、カリ、竿──全ての部分を膣内が締め付ける。 「菜月……俺っ……もうっ」 「私も、もう少し……あうっ……ひゃんっ……一緒に、一緒に、達哉っ……」 歯を食いしばり、菜月を突き上げる。 菜月の足が俺に絡み、ぎゅっと体を密着させた。 怒張が終点を突付く。 「きゃうっ!」 「……達哉、当たるっ、当たるっ……あああっ」 菜月の声が高くなる。 こっちは限界が近い。 けど、どうしても一緒に達したい。 単純な上下運動に、左右の動きを加える。 「きゃうっ……違うトコ、当たって……」 「達哉、すごくっ……やっ、おかしくなって……あんっ」 菜月の襞が縦横に俺を包む。 頭が真っ白になった。 精子が竿を上る。 「達哉っ……ああっ、んあっ、やっ、やっ、やっ、やっ!」 「もうっ、だめ……ああっ、んっ……何か、来て、あうっ!」 「達哉っ……一緒にっ……あああっ、ひゃうっ、ああっ、あ、あ、あ、あ……」 「もう……出るっ、菜月……うあっ、あっ」 「私も、すぐっ……ああっ……あぁぁぁっ……あ、あ、あ、あ……やっ……ひゃあっ」 「あっ、あっ、あっ……あうっ、達哉っ、達哉ああぁぁぁぁぁっ!!」 菜月の膣内が俺を握りつぶさんばかりに収縮した。 「出すぞっ、菜月っ」 どくんっっ……びゅびゅびゅっっ……びゅくっ……どくどくっ……びゅっくんっ!びゅっ……びゅびゅっ……どくっ……ぴゅっ……「うあ……あ……あ……」 止まらない。 断続的な快感が体を突き抜ける。 こんな気持ち良さ初めてだ。 気が遠くなる。 「はぁ……あ……あう……はぁ、はぁ、はぁ……」 菜月は、何度か身を震わせた後、俺の腕の中で呼吸を荒げている。 ……。 結合部の隙間から、俺たちが混ざった液体があふれ出す感覚があった。 「はぁ……はぁ……達哉……溢れちゃった」 「ずいぶん、出たんだね……」 虚ろな声で菜月が言う。 とてつもなく菜月が愛しくなって、腰に回した腕に力を込めた。 「はぁ、はぁ……達哉……温かい……」 「菜月……」 「心配しないで、獣医を目指して……」 ……。 「俺は大丈夫だから」 「はぁ……はぁ……達哉……」 「俺たちなら、遠距離くらい乗り越えられるさ」 「うん……」 菜月が俺の頭を抱きしめる。 こぽり、と粘液が溢れ、床に落ちた。 ……。 「ねぇ……赤ちゃんできちゃったら……どうする?」 「ん……そうだな……」 「大学を休学して、生むのがいいよ」 「俺と大学の近くに住んで、育てよう」 「元気になったら、また大学に行けばいいさ」 「達哉……ありがとう……」 菜月が俺の唇を吸う。 ……。 自分の答えに後悔はない。 学院を卒業して、働いて、子育てをして──大変なことも多いだろうけど、菜月となら何とかやっていけそうな気がする。 ……。 菜月の腰がまた揺らめき始めた。 にちゃ……ぐちゅ……結合部から音が聞こえる。 「……」 望むところだ。 菜月がその気なら、俺も抜け殻になるまで頑張ろう。 そう覚悟を決め、俺は再び腰を動かし始めた。 ……。 左門の掃除を終えた俺たちは、連れ立ってイタリアンズの散歩に出た。 いつも通り、アラビアータのリードを菜月が持つ。 全ての照明が落ち、ひっそりとした左門。 あと何回、菜月と一緒に働けるのだろうか。 ふと、疑問が浮かぶ。 以前の俺なら、不安にかられて後ろ向きな気持ちになっていただろう。 でも今は違う。 残された時間を、どうやって大切な思い出へと変えていくか、あれこれ考えて胸を躍らせている。 「何をニコニコしてるの?」 「ん? いや……結構外から見えるなって思ってさ」 ぼんっ菜月がゆでだこみたいになる。 「み、見えないよっ」 「もしかしたら、一人くらいは見てたかもしれないぞ」 「見てない見てない、絶対見てない」 「あはははっ」 「さ、行こうぜ」 手を握ろうとする俺を、菜月がくるりとかわす。 「意地悪言う人は知りません」 「悪かったよ」 「知りませーん」 菜月が走り出す。 「よーし、追いかけるぞ」 「うおんっ」 「うおんっ」 「わー、追いかけてきた。 走れアラビアータ」 「わんわんっ」 先を行く菜月が速度を上げる。 菜月はこれからも、ああして前に進んでいくのだろう。 負けていられない。 俺は、全力で菜月の後を追った。 ……。 「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅーーー」 「はっ、はあ……」 「追いかけっこなんて、何年ぶりかな?」 「覚えてないなあ」 「ちょっと、休もうか」 俺たちは、いつかのように並んで土手に腰を下ろす。 「はあーーーー」 菜月が大きく息を吐き出す。 「何だか、最近はずっと慌しかったな」 「私たちだけがね」 「あははは……確かに」 「今は落ち着いてるの?」 「どうだろ、分からない。 菜月は?」 「私もはっきりは分からない」 「でも、今までよりは少し、周りを見ることができそう」 「今まで、自分のことばかりできっと迷惑かけてきたと思うんだ」 「俺さ、みんなに少しずつ恩返ししようと思ってる」 「恩返し?」 「ああ。 菜月とケンカした時……いや、もっと前からだな」 「みんな、俺のこと応援してくれたんだ」 「うちも、なんだかんだで応援してくれたよ」 「お母さんも応援してくれたし」 「ミラノで?」 「うん」 「そっか。 じゃあ、これからは恩返し期間にするか」 「期間限定なんだ」 苦笑する菜月。 「でも、その前に……」 「ん?」 「私、達哉に謝らなきゃって思ってたの」 菜月がじっと俺を見る。 「何を?」 「公園で……怒ったこと」 「どうして? 俺はそれだけのことをしたと思うけど」 「あの後、フィーナが俺に言ったんだ」 「約束や思い出、記憶……全て、その人が生きてきた証」 「二人の間では、昔から共に歩み続けてきた証だと思うの」 「だからこそ、菜月は約束に強い思い入れがあったのでしょう」 俺は、フィーナのアドバイスを繰り返す。 菜月は少し目を伏せてそれを聞いた。 「フィーナがそんなことを……」 「当たってる?」 「うん、正解」 「ちょっと恥ずかしいね」 「ズバリ言い当てられると、さすがにな」 「やっぱりすごいな、フィーナ」 「ま、そんな大切なものを忘れてたわけだし、怒られて当然」 「でも、もう思い出したんでしょ?」 「教えてもらっただけだよ」 「いいよ、それでも」 「約束は体で覚えててくれたし……」 「それにね、あの後考えたんだ。 どうして自分は、あんなに腹が立ったんだろうって」 菜月が視線を川面に向ける。 「?」 「私も不安だったの」 「達哉と一緒にいるのが楽しくて、進学したら自分はどうなるんだろうって」 「俺と一緒だ……」 菜月の言葉を聞いて、胸が軽くなった。 「獣医になるのは達哉との約束だったから、止めるわけにはいかない」 「……でも、離れたくない」 「考えても解決策なんて無くて、苦しかった」 菜月が視線を落とす。 「そしたらさ、本人は約束忘れてるんだもん」 「私、カーッとなっちゃって……」 言葉にされてみると、菜月の心の動きは至極普通だ。 普通に考えれば、分かりそうなもの。 でも、菜月を好きだと気づいてからの俺は、ずっと菜月の気持ちが分からなかった。 洞窟を手探りで進むような感覚に、何度も不安になった。 結局、思い知らされたのは思いは言葉にしなくては伝わらない……ということだった。 「でもね、今思うと、達哉へのあてつけだったんじゃないかって思うの」 「不安を分かってもらえないことへの、ね」 「だから、謝りたいの」 俺は、答えをしばらく考えた。 菜月は目を伏せたまま、俺の言葉を待っている。 ……。 「謝ってもいいよ……けど」 菜月がピクリと体を震わす。 「その代わり、嬉しかったこと、不安に思ったこと、嫌だったこと……」 「どんな小さなことでもいいんだ。 これからは、どんどん教えて欲しい」 「……達哉」 別の人間であるという、絶対的な断絶。 だけど、その距離を経験によって埋めることはできると思う。 「菜月のこと、たくさん勉強させて欲しいんだ」 「そしたら、少しずつ言葉にしなくても通じることが増えると思う」 「前の俺たちが、そうだったろ?」 「うん」 菜月のことなら、どんなに些細な事でも、知りたいと思う。 それは、菜月のことが好きだからだ。 「私のこと、いっぱい勉強してね」 菜月が笑顔で言う。 「任せとけ」 「あと……」 おずおずと口を開く「何?」 「達哉のことも勉強させてね」 菜月が、恥ずかしそうに目を伏せた。 「難しいぞ、試験より」 「そうかな? 意外に単純だったりして」 ニヤリと笑う菜月。 「失礼なやつめ」 「あははっ、ほら、分かりやすい」 「……」 尻に敷かれている、というのはこういうことなのだろうか。 ちょっと、先が思いやられた。 「そ、そうだ。 菜月謝るんじゃなかったっけ?」 「え、あ……」 「よ、よーしっ」 菜月が勢い良く立ち上がり、姿勢を正した。 「じゃ、いくよっ」 「お、おう」 「失礼致しましたっ」 ……。 接客言葉だった。 俺も立ち上がり、菜月に向かい合う。 「どういたしまして」 恭しく頭を下げた。 「何かテレるな」 「あはははっ、顔が赤くなってる」 菜月が気持ち良さそうに笑う。 ……。 「さ、もう少し歩くか」 「うんっ」 ゆっくりと歩き出す。 これからも、俺たちの前には多くの困難が立ちふさがるだろう。 今の俺には、それが楽しみに思えた。 きっと俺たちは、仕掛けられた罠に一つずつ引っかかりながらも、不器用に乗り越えていくのだろう。 互いが、 互いにとって、特別な一人であり続けるため─ 俺たちは、歩き続ける。 ……。 隣を歩く菜月の手を、ちょっと強引に掴んだ。 「ん? 手をつなぎたいの?」 「俺は……つなぎたい」 「菜月は?」 ……。 菜月が目を細めた。 ……。 …………。 「つなぎたいよ」 「ずっと、これからもずっと」 「いただきます」 ミアと麻衣が作ってくれた朝食を食べる。 荒く削った鰹節がたっぷりかけられた、水菜と豆腐のサラダ。 カリカリのベーコンと半熟の目玉焼きが乗った、厚切りのトースト。 そしていつも通り、姉さんの前にだけ特濃の緑茶。 「ありがとう~」 お茶を持って行ったミアの頭を撫でる姉さん。 「はうぅ……」 こちらもいつも通り、嬉しそうにしているミア。 フィーナが、そんなみんなをにこにこ見ている。 ……。 そんな朝食が終わり掛けた時、姉さんが俺に話し掛けてきた。 「達哉くん、今日は左門のバイトお休みよね」 「うん、定休日だしね」 「あまり割は良くないんだけど、博物館で単発のバイトがあるの」 「……何か予定が入っちゃってる?」 「んー、イタリアンズの散歩くらいかな」 「お姉ちゃんを助けると思って、来てくれないかしら?」 「分かった、何時にどこに行けばいい?」 「ありがとー、達哉くん」 嬉しそうに、ころころ笑う姉さん。 「夕方の5時に博物館」 「時間厳守。 大丈夫よね」 「左門より遅いし、大丈夫」 「……で、バイトの内容は?」 「特設展示コーナーっていうのがあるんだけど……」 「そこの展示品の入れ換えをするの」 「えっと、俺、専門的な知識なんて無いけどいいの?」 「プロがしっかり梱包したものを、専用のトラックに運ぶ仕事だから」 「専門知識より、若さの方が重要よ」 「……肉体労働ってことでいいかな」 「ふふ、そうね」 「でも、信頼できない人には任せられない仕事でもあるのよ」 「はいはい」 「姉さんは、人をのせるのが上手いなぁ」 「あら、嘘は一つも言ってないけど」 「さやか、私も行っていいかしら?」 興味深げに会話を聞いていたフィーナが、姉さんに問いかける。 「肉体労働は難しいかもしれないけど、さやかの仕事は是非拝見したいわ」 「もちろん、大歓迎ですよ」 「フィーナ様は、館長ですから」 冗談めかして言う姉さん。 フィーナが館長。 ん?「館長? フィーナが?」 「そうよ」 事も無げな返事。 「私は館長代理」 「それは知ってるわね?」 「う、うん」 「ということは、館長もいるのよ」 「王立月博物館には」 「あ、王立って」 「姫さまの母上であるセフィリアさまが、設立されたんでしたよね」 「そうなの」 「フィーナ様が、今の館長よ」 「そうだったんだ……」 「館長と言っても、本当に名前を貸しているだけよ」 「実質、さやかが館長として切り盛りしてくれているのだから」 「……だから、今日もこっそりと見ているだけにするわ」 「何か歓迎会のようなものは、無し」 「そうですね」 「職員総出の正式な歓迎会は、後日改めて行わせて下さい」 「あまり、大がかりな会じゃなくていいのよ」 「それはもちろん、心得てますよ」 にこにこ微笑んでいる姉さん。 姉さんのこの笑顔は、何か見る者を安心させる。 「では、達哉と一緒に、5時に博物館へ行けばいいのね」 「ええ、待ってますね」 ……。 …………。 夏休みが近づき、どことなく落ち着かない学院を出る。 フィーナの掃除当番が終わるのを待っていると、バイトに間に合うかどうか微妙な時刻になっていた。 「家に戻って、それから博物館だと時間に余裕が無いわね」 「急げば何とかなるか……ギリギリだな」 「私は制服のままでいいわ」 「直接行きましょう」 「フィーナがいいなら、そうするか」 直接博物館に向かえば、家に戻って着替えるのと比べて、三分の一くらいの時間で着く。 それなら、急がなくても間に合うだろう。 「掃除が終わるまで待っててもらったせいね」 「ごめんなさい」 「いいって」 「自分で待ってるって言ったんだし」 ……。 …………。 学院からだと、うちよりも博物館の方が近いかもしれない。 案外早く、月人居住区の三角州に着いた。 「服装のおかげで、館長とは思われずに済みそうね」 「ははは、そうだな」 博物館を見渡すと、トラックが頻繁に出入りしている。 今日は早めに閉館して、展示品の入れ換え作業をしているのだろう。 「正面玄関じゃなくて、通用口かな?」 「一般のお客さんがいないなら、どちらでも同じではない?」 「でも、この服装じゃ客と間違われそうだ」 「もう閉館してるからって、追い返されるんじゃないか」 「そうね、では、あちらに……」 と、移動しかけた時。 ん?正面玄関を入ったところ……指を差して指示を出したり、走り回ったり、一番動いてる人。 「ちょっと待ってフィーナ」 「あれって、姉さんじゃないかな」 フィーナも目を凝らす。 「そう……かもしれないわね」 「何にしても、さやかに直接会えるなら、それが一番早いわ」 「じゃ、正面玄関だ」 業者の人や、館員らしき人の視線を感じながら、二人で正面玄関をくぐった。 「ごめんなさい、今日はもう閉館なの」 「あ、いえ」 「俺たちは……」 「達哉くん、来てくれたのね」 そう言って腕時計を見る姉さん。 「セーフよ」 「館長、この梱包はトラックでいいですか!?」 「あ、その箱は最後に積むから脇にどけといて!」 「先に20番代と30番代、青と黄色のラベルからよ」 「はい、館長!」 「館長、夕食の仕出し業者から個数の確認の電話が入っています!」 「50……52で頼んでおいて!」 「はいっ」 「館長、通用口にカレンさんが見えました!」 「館長室に通して」 「ああ、カレンに案内は要らないわ」 「はい!」 てきぱきと、適切で分かりやすい指示を出していく姉さん。 家で、毎朝眠そうに緑茶をすする姿からは想像もつかない。 「見事な仕事ぶりね」 「館員の人達からの信頼も厚いようだし」 「そうだな」 正直、姉さんがバリバリ働いているのを目の当たりにするのは初めてだ。 姉さんは仕事ができるとかエリートだとか、分かってはいたつもりだったけど。 こうして、何十人ものプロにてきぱきと指示を出している姿を見て、初めて実感する。 少し悔しいくらいに、かっこいい。 「俺も、ぼうっとしちゃいられない」 「ここに立ってると邪魔になるかしら……」 フィーナと相談していると、俺たちにも指示が飛んできた。 「達哉くんは、そこにある70番代の銀色のラベルが貼ってある箱担当ね」 「それを、牛田運送さんのトラックまで運んで」 「白い2トン車だからすぐに分かるわ」 「は、はいっ」 「フィー……ごほん」 「マイちゃんは、館長室に行ってカレンにお茶を淹れてあげて」 「それと、私はあと30分くらいしたら行くわと伝言をお願い」 一瞬だけはっとしたフィーナ。 「はいっ」 すぐに自分のことを呼んだ偽名だということに気づいたようだ。 ……。 …………。 「麻衣ちゃんとミアちゃんには、電話を入れておいたから大丈夫」 「はい」 夜の9時を回った頃。 あとは専門家の仕事となり、俺はお役御免となった。 まだまだ、これから朝まで作業は続くらしい。 「お弁当が届いてるはずだから、一緒に食べましょう」 「ずっと働いてたし、お腹減ったよね?」 「ええ、まあ」 曖昧な返事をしたものの、お腹はさっきから何度も鳴っていた。 ……。 「お疲れ様、さやか」 「待たせたわね」 「フィーナ様、退屈しませんでしたか」 「いえ、カレンに常設展示を案内してもらっていましたから」 「カレン、ありがとう」 「気にしないで」 ……この二人は、飲み友達だって聞いたことがある。 大使館と博物館は近いし、歳もほとんど同じみたいだし。 これまで二人の印象は全く逆だと思ってたけど、今日の姉さんを見たら、そうでもない気がした。 「あら」 応接テーブルの上にある、仕出し弁当を見て姉さんが軽く驚く。 「フィーナ様、先に食べていて良かったんですよ」 「さやかや達哉が働いているのに、私だけ先に食べるのは気が引けるわ」 「お気遣いありがとうございます」 「カレン、晩御飯は?」 「大使館で済ませたから……気を遣わなくていいわ」 「……それでは、食べましょうか」 「いただきます」 「いただきます」 「礼儀正しいのね」 「うちの教育方針なの」 そう言って悪戯っぽく笑う姉さん。 ……仕出し弁当は、海苔弁当を一回りだけ立派にしたようなものだった。 鮭の切り身、なんだかよく分からない白身魚のフライ、ひじきの煮物……。 味は普通に美味しかったものの、もう冷えてしまっている。 「フィーナ様、お弁当を温めましょうか?」 「多分、給湯室あたりに行けば電子レンジが……」 「いえ、皆と同じものを食べたいわ」 「あまりお客様扱いはされたくないものね」 そう言うフィーナを、カレンさんが優しそうな目で見ていた。 ……。 …………。 「食べ終わったら、二人は通用口から帰ってね」 「できることがあれば、まだ手伝うよ」 「達哉くんは、明日も学院があるのでしょう?」 「でも、まだ作業は……」 「もうこんな時間なんだから」 「さやかはまだ続けるの?」 「ええ、続けますが……明け方には帰れると思います」 「明日の朝食で、またご一緒しましょう」 明け方に帰って、朝食。 今日のような大きな作業がある日に限らず、時々、姉さんだけ一緒に夕食を食べられないことがある。 ……起きたばかりの姉さんが眠いわけだ。 働きすぎなんじゃないかと、少し思う。 「……そうそう」 「達哉くんには、バイト代を出さないと」 「今日はよく働いてくれたしね」 机の引き出しから封筒を取り出し、俺に渡す。 「偉い偉い」 姉さんが俺の頭を撫でようと手を伸ばす。 フィーナくらいならいいけど、カレンさんに見られているのは恥ずかしい。 何だか、子供みたいだ。 「ね、姉さんっ」 俺は、姉さんの手を払いのけた。 「達哉くん」 一瞬だけ寂しそうな顔をする姉さん。 「……」 あ……。 姉さんの目が、俺を逸れる。 姉さんに謝りたい気持ちが溢れる。 ……でも、俺は。 何も言えなかった。 ……。 少しして、バイト代の領収書にサインをして姉さんに渡す頃には──いつもの姉さんに戻っていたと思う。 ……。 「達哉くん、荷物重くなかった?」 「もっと重い荷物でも大丈夫だったのに」 実際、俺が任された箱は、小さくてあまり重くなかった。 日頃、体育の授業以外で運動をしてない俺にとっては、それでも結構な労働だったけど。 ……でも、なぜか強がってしまう。 半人前扱いされるのが、少し悔しかったからだ。 「ふふふ……その元気があるなら、また今度お願いしようかしら」 「いつでもどうぞ」 「じゃあ、次はもう少し重い箱にしようかな」 ……俺は、もっと運動しておこうと思った。 ……。 まだ明かりの消えない博物館を後にし、フィーナと二人で家路に就いた。 「さやか、頑張っていたわね」 「ああ」 ……。 …………。 「どうかしたの、達哉?」 「いや……」 「俺、姉さんが働いてるところを、間近で見たのは初めてだったからさ」 「思ってた以上にすごい人だったんだなって」 「そうね」 「あの若さで館長代理なんて、いくら月帰りでも凡庸なはずが無いわ」 「知ってたつもりだったんだけどさ」 ……。 「達哉は、少し焦っているように見えるわ」 「焦っている?」 「ええ」 「さやかに、あまり子供扱いされたくないようね」 「そう……かな」 ……。 「そうかもしれない」 「私も、母様が偉大な女王と言われていたから、その気持ちは分かるわ」 「あまりに非力な自分と比べてしまったりしてね」 フィーナにも、そんなことを考えたことがあったんだ。 そして、今の俺も……同じなのかな。 「フィーナはその時、どうした?」 「何もできなかったわ」 「一歩一歩、自分の道を進んでいくしかないのよ」 「どんなに気にしても、母様は遥か先を歩んでいたのだから」 ……。 「姉さんも、かなり先を歩いているよ」 「俺も頑張らないと」 「そうね、焦っても仕方無いけど、前を見るのはいいことよ」 ……夜風を浴び、月の光に照らされながら。 一緒に歩いているフィーナの言ったことが、胸に深く響いていた。 ……。 昨晩は疲れていたせいか、部屋に戻ると、ベッドに倒れ込むように眠ってしまった。 朝日が差している。 時計を見る。 ……ん、そろそろ起きてもいい時間だ。 ミアか麻衣が朝食を作ってたら、たまには手伝ってみるか。 「……」 しかし、キッチンには誰もいなかった。 でも……。 何か、人の気配がするような。 リビングかな?誰もいない。 ……と思ったら、いた。 これは……。 姉さん……。 明け方に帰って来たあと、ずっとここで寝てたんだろうか。 ちゃんと部屋に戻ってから寝た方が、体も休まると思うんだけど……。 「姉さん」 小さい声で呼びかけてみる。 「すう……すう……」 「姉さん、姉さん」 「ん、んん……」 「たつやくん……?」 「姉さん、部屋に戻った方がいいんじゃない?」 ……。 「そうね……」 「すう……すう……」 再び、眠りの国に帰って行った姉さん。 ……涼しくはないから、風邪は引かないだろうけど。 うーん。 どうしたものか。 ……。 よく見ると、一応外出する時に着てる服からは着替えているみたいだ。 でも、髪は乱れている。 シャワーを浴びて、そのまま寝てしまったのだろうか。 ……しかし、それならなんでパジャマじゃないんだ?考えれば考えるほど、謎だ。 「たつやくん……」 「なに?」 「今、何時かな?」 「えっと」 時計を見る。 「7時少し前だけど」 「そう……ありがとう」 「すう……すう……」 「姉さん、部屋で寝た方がいいよ」 「ううん……」 ……返事なのか何なのか分からない声を上げ、また瞼が閉じる。 しかし。 スカートは捲くれちゃってるし、よく見ると……脇のあたりにはブラのようなものまで見える。 ああもう。 この人は、大人なんだか子供なんだかよく分からないなぁ。 「……大人よ」 「えっ?」 「むにゃ……すう……」 ……。 ドキドキした。 俺の考えてることが分かったのかと思ったけど…… どうやら寝言みたいだ。 心臓に悪いので、俺はキッチンでミアか麻衣を待つことにした。 ……。 忙しい姉さん。 仕事ができる姉さん。 俺の頭を撫でる姉さん。 うちを支えてくれている姉さん。 無邪気にソファで丸くなってる姉さん。 ……姉さんは一人なのに、まるで何人も姉がいるみたいだ。 「ぇくちっ」 今のは……姉さんのくしゃみ、だな。 やっぱり、タオルケットか何か掛けとこう。 ……俺はリビングに向かった。 夕方、左門のバイトがちょうど終わった頃。 俺の携帯が鳴った。 姉さんだ。 「あ、達哉くん?」 「うん」 「今日は私、ご飯食べられないと思うから……」 「おじさんと仁くんに、そう伝えておいて」 「ん、分かった」 電話が切れる。 今日も忙しいのかな。 姉さんの声の後ろからは、ざわざわとした音、車のエンジン音などが聞こえてきた。 昨日で、一応展示の入れ換えは終わったはずだけど……。 「おやっさん」 「おう、どうした?」 「今日、姉さん来れないみたいです」 「何だかまだ忙しいみたいで」 「そうか、分かった」 「……しかし、さやちゃんも大変だな」 「睡眠不足は、お肌の大敵だと伝えてくれたまえ」 「それはいいから、あまり無理するなとだけ伝えてくれ」 「分かりました」 ……。 夕食を食べ終え、家に戻る。 ……順番に風呂に入って、最後に俺が入ろうとした時。 ぴんぽーん「はーい」 「お姉ちゃんですよー」 これは……もしや。 がちゃ扉を開けると、カレンさんに肩を貸した姉さんが立っていた。 「ただいまー」 「おかえりなさい」 カレンさんは、見るだに酔いつぶれていた。 「……珍しいね」 「肩を貸してるのが、いつもと逆ってことね?」 困ったような笑顔の姉さん。 去っていくタクシー。 俺は、黙って頷いた。 「とりあえず、カレンを私の部屋に運ぶのを手伝ってくれる?」 「りょーかい」 ……。 寝ている人間に階段を登らせるのは、かなり大変な作業だった。 でも、姉さんと二人で協力して、何とか二階にたどり着く。 「私が布団を出して寝るから、カレンはベッドへ」 「うん」 姉さんの指示で、カレンさんを姉さんのベッドに横たえる。 「服脱がせたりするから、達哉くんは」 「あ、そっか」 「手伝ってくれて、ありがとう」 ……。 俺と姉さん以外は、みんなもう寝ている時間だ。 姉さんより先に風呂に入ってしまうか迷っていると、階段を降りてくる気配がある。 「寝かせてきたわ」 「カレンさんが潰れるなんて、珍しいね」 「そうね」 「今日は、少し私のせいでもあるんだけど」 「姉さんの?」 「うん」 「ちょっと、昔のことを話したのよ」 「そうしたら、カレンが『そういう話なら、飲んだ方が』って言いながら……」 「どんどん杯を重ねていっちゃって」 ……。 「昔のことって……」 「私が、この家に来るまでとか、来た後の話」 「あまり、他人に話すことじゃないとは思うんだけど……」 「何で今日は話しちゃったのかしらね」 そう言いながらも、にこにこしている姉さん。 姉さんとカレンさんは、本当に仲がいいようだ。 話したことで、姉さんの表情が明るくなった気さえした。 ……。 姉さんがうちに来てから、今年でどれくらい経つだろう。 あの頃はまだ、親父も母さんもいて……きっと、8年くらい前のことだと思う。 最初に姉さんがうちに来たのは、もっと前の夏休み。 次は冬休み。 その次が春休み。 そのあとは、日曜日ごとになり、土日になり──気がついたら、平日も姉さんがうちにいるようになっていた。 ……。 「今なら冷静に考えられるけど、子供にあの環境はね……」 ……。 親父も母さんも、もちろん姉さんも、誰も詳しくは教えてくれなかったけど。 子供心に、なんとなく感じていた。 姉さんの両親──姉さんの両親──俺の伯父伯母夫婦が、上手くいっていないんだろうなって。 ……。 「だから、引き取ってくれた千春さんと琴子さんには、本当に感謝しているの」 ……。 それより前の、姉さんの記憶はあまりない。 記憶に無いというより、印象が薄い人だったような気がする。 でも、うちに住み始めてからの姉さんは……まるで本当の姉さんのようだった。 俺や麻衣を、徹底的に可愛がってくれたし、時に過剰とも思えるくらいに姉ぶっていた。 ……。 「その頃、達哉くんをお風呂に入れてあげたら、嫌がっちゃって大変だったのよ」 ……。 だってその時は、俺も、もう一人で風呂に入れる歳だった。 おまけに、姉さんは女らしい体つきになりかけてて。 あの状況で恥ずかしがらない少年なんて、いるはずがない。 嫌がっていたんじゃなくて、もう、どうしようもなく恥ずかしかったんだ。 ……。 「あの頃は、達哉くんも私のことを『お姉ちゃん』って呼んでたよね」 ……。 親父の行方が分からなくなって。 姉さんが留学に行って。 母さんが死んで。 うちの家族がバラバラになる直前に、姉さんが月から帰って来てくれた。 姉さんは、いつの間にか「エリート」 と呼ばれる存在になっていた。 ……。 「そんなことないのよ」 「親に褒められた記憶がほとんど無かったから……」 「千春さんや琴子さんに褒められたのが嬉しかったのね」 「勉強も、そんなに得意じゃないのに、頑張ったもの」 ……。 月への交換留学生第一陣として、地球を代表して月へ行った、エリートの姉さん。 それでも、両親がいなくなったうちに居続けてくれたことが、とても嬉しかったんだ。 嬉しかったんだけど……俺も、俺も……そんな姉さんに守られてるだけじゃ嫌で男として情けなくって恥ずかしくていつの間にか「お姉ちゃん」 を「姉さん」 と呼ぶようになってそれで、それで…………。 …………。 「……くん」 「達哉くん」 「自分の部屋で、ベッドに入って寝た方が、疲れも取れるわよ」 「……今」 久し振りに、懐かしいことを思い出してしまった。 「なーに?」 「いや、何でもない」 不思議そうに、俺の顔を覗き込む姉さん。 俺は、一瞬意識が飛んでいたようだ。 「どうしたの、ぼうっとして」 「今、俺寝てた?」 「ううん」 「少しだけ、ウトウトはしてたけど」 「えっと……」 「先に風呂入っていい?」 「ええ、どうぞ」 「昨日みたいに、またソファで寝ないでよ」 「はいはい」 「私の目の前で、鼻ちょうちんを膨らませてた達哉くん」 「はっ、はなっ!?」 「ふふふ……冗談よ」 ……。 それで俺は。 ……相変わらず、姉さんには敵わない。 「たっ、大変失礼致しましたっ」 こんなカレンさんを見たのは初めてだ。 顔を真っ赤にして、自らの非礼を詫びている。 ……というより、恥じている。 「そんなに気にしなくてもいいのよ、カレン」 「しかし……」 「家主であるさやかがいいと言っているのだから、あまり気にしては失礼よ」 「それに誰しも、たまにはそういう日もあるでしょう」 「も、申し訳ありません……」 予備の椅子を一つ出してきて、我が家の朝食を6人で囲む。 なかなか新鮮だ。 「食べ終わったら、シャワーを浴びた方がいいかもしれないわね」 「う……」 「さやかの言う通りにしなさい、カレン」 「……かしこまりました」 「では」 「いただきます」 「カレンさん、おかわりもありますから、遠慮なく言って下さいね」 「冷たいお水、よろしければもう一杯いかがですか?」 「……」 「いいですね」 「この食卓は温かい感じがします」 「そうでしょう?」 「ええ」 「王宮にいた頃が嫌というわけではないけれど……」 「私は、ここの食卓が大好きなのよ」 「分かるような気がします」 ……。 …………。 「それでは、お先に失礼します」 「お世話になりました」 そう言って、誰よりも先に出て行ったカレンさん。 こんな用事で車を呼ぶわけにはいかないと言って、結局歩いて帰った。 ……。 「あんなカレンさん、初めて見たよ」 「もっと隙の無い人かなって思ってた」 「そんなこと無いわ」 「ああ見えて、案外人情話に弱かったりするのよ」 「へえ……」 友達である姉さんにしか見せない面ってのもあるんだろうな。 「私が忙しい時に、差し入れを持ってきてくれたりね」 「あ、そうだ」 「おやっさんから、姉さんに伝言が」 「『あまり無理するなよ』だって」 「そう……そうね」 しばし思案顔になる姉さん。 ……。 「達哉くん」 「今日は学院休みよね」 「そうだけど」 「夕方からのバイトまで、また、博物館のバイトしない?」 「あ、でもね」 「何か別の用事があるなら、無理はしなくていいのよ」 「いいよ、大丈夫」 「すぐ出られるように準備するよ」 「一緒に行こうか」 ……。 …………。 「おはようございます、館長」 「おはようございます」 博物館の館員たちが、姉さんに挨拶をする。 俺は、姉さんの後ろから目立たないようについて歩いた。 姉さんは、ぐるっと館内を巡り、館長室へ向かう。 「達哉くん」 「制服に着替えるから、ちょっと向こうを向いててね」 「あっ、出てるから」 「別にいいのよ」 「でも、そういうわけにも」 この人は……何を言い出すんだ。 少し心臓が止まった。 「それなら……」 そう言って、姉さんはロッカーの中をごそごそ漁る。 「これを着て行って、入り口の受付を手伝ってあげて」 姉さんが俺に差し出したのは、スタッフ用のウィンドブレーカー。 色は、姉さんや他の館員の人達が着ている制服と同じだ。 「分かった」 「チーフには話を通しておくから、何かあったらチーフに訊いてね」 「私は午前中はデスクワークが続くから」 「りょーかい」 ……。 「じゃ、よろしくね朝霧君」 「はい」 任された仕事は、入場受付の補佐。 しかし、土曜日とは言え、午前中はあまり来館者も無い。 ただ館員の数も少ないため、暇ということはなかった。 ……。 迷子の親を探したり、来館記念スタンプを押してあげているうちに、午前中は終わっていた。 「館長からは昼までって聞いてるから、一度館長に予定を確かめてね」 「今日の午前中は、休みを取ってる人が重なってたから助かったわ」 「あ、いえ」 「また手伝ってね、朝霧君」 「子供の世話、なかなかスジがいいよキミ」 チーフと呼ばれている館員の人は、そう言って俺と交代してくれた。 ……。 姉さんのところに呼ばれていた時間まで、少し間がある。 俺は、その時間で近くの店に足を伸ばした。 そして、姉さんの好きな『ぽてりこ』を購入。 新発売の「しそバター味」 を持って、館長室へ向かった。 ……。 姉さんは、パソコンに向かいながら、書類の山と格闘していた。 「ん……んー……ん、ん~……」 何をしてるんだろう。 書類をめくったり、何かをパソコンに入力したり。 「んー、困ったわねー」 独り言まで出て来た。 とにかく、姉さんの眉間に深い縦皺があるのが気にかかる。 「姉さん、少し休憩取らない?」 「これ、買ってきたんだけど」 そう言って、さっき仕入れたぽてりこ(しそバター味)を机の上に置く。 「あら、新作ね」 「うちの近くのスーパーでは売り切れだったのよ」 「すぐそこのお店で買ったんだけど」 「そんなに近くに……盲点だったわ」 「……とにかく、ありがたく頂きます」 にっこり微笑む姉さん。 「良かった」 「良かった?」 「さっきまで、なんて言うか……すごく険しい顔してたから」 「難しい仕事なんだろうけどさ」 「そんなに険しかった?」 「俺が部下なら、ちょっと声を掛けたくないくらいには」 「気をつけないとね」 人指し指で頬の肉を持ち上げ、笑顔を作って見せる姉さん。 「それならおっけー」 「眉間に皺を刻んでると、みんなにも心配掛けちゃうもんね」 「難しい仕事こそ、にこっと笑いながらやるくらいじゃないと」 「そだね」 いつもの姉さんだ。 これだけ明るいなら大丈夫だろう。 「そう言えば、今日は館員の人達が少なかった気がするんだけど」 「俺みたいな素人にもけっこう仕事があったし」 「そうね……」 「今やってる仕事も決算関係のデータ整理なんだけど……」 「なかなか楽じゃないわねー」 「本当は、もう少し専門知識を持ったスタッフを増やしたいのよ」 ため息をつく姉さん。 「でも、地道に来館者は増えてるの」 「まだまだやれることはあるはず」 姉さんに笑顔が戻った。 この、他人に安心感を与える微笑みが出ているうちは大丈夫だろう。 「さ、お昼ごはん、お昼ごはん」 伸びをしながら、姉さんが席を立った。 ……。 館内の食堂で昼食を食べ終え、館長室に戻る。 すると、姉さんは机の上を片づけ始めた。 「あれ、決算の仕事ってもう終わりなの?」 「ううん」 「でも、そんなに急がなくてもいいから、後回し」 「それより、達哉くんに手伝ってもらえるうちに、やりたいことがあるのよ」 「どんな仕事?」 ……。 姉さんに連れて行かれたのは、第二資料室という部屋だった。 「こんなことまで、姉さんの仕事なんだ」 「うーん、誰もやる人がいないって言うか……」 「あまり、他の人には任せられないのよ」 脚立に登った姉さんが、俺に次々と箱を渡す。 「で、これは何?」 「月王国から預かっている、貴重な資料よ」 「だけど、分類できてなかったり詳細が分からなかったりして、展示できていないの」 「もったいないね」 「でも、全く資料価値が無いものも混ざってたりして、やっかいなのよねー」 「かと思うと、ただのゴミみたいなものがとんでもない値打ちものだったりして」 ……。 口は動かしながらも、姉さんは一つ目の棚から隣の棚へ移り、また脚立に登った。 「じゃあ……達哉くんは、一度その箱を私の部屋まで持って行って」 「わかった」 「……あ、IDカード貸して」 「そっか」 「ええと……」 「姉さん、一度箱は置いた方が」 不安定な体勢で、箱を抱えたままIDカードを手に取ろうとして──「きゃあっ!」 姉さんの足が、ズルリと脚立から滑り落ちた。 「姉さんっ」 間に合わない!どがしゃっ脚立から落ちた。 手に持ってた箱は、棚に押し込んでいた。 「姉さん、大丈夫!?」 「いたたた……」 「大丈夫、大丈夫」 そう言って、立ち上がろうとする。 が、「いたっ」 右足を押さえてうずくまる。 「大丈夫じゃないよ」 「それより、私がさっき持ってた箱は?」 見上げると、とっさに棚に押し込んだ箱は、多分無事だ。 「大丈夫そう」 「ふう」 「良かった……」 自分の足より、資料の方が大事なんだな。 姉さんらしいというか、さすが館長というか。 「姉さん、救護室みたいなトコってあるよね?」 「ええ」 「そこ行って、治療してもらおう」 姉さんに手を貸し、立ち上がらせる。 「歩ける?」 「ん……」 「つっ」 「肩、貸すよ」 「ごめんね」 姉さんの右側に立ち、肩を貸して歩く。 「救護室ってどこにあるんだっけ」 「一階の、受付を入って……あ」 「救護室には、お客様がいるかもしれないわ」 「スタッフは、救護室はなるべく使わないようにしないと」 「でも、歩けないほどひどいんじゃ……」 「多分、骨に異常は無いから」 「……湿布だけもらってきてくれる?」 「はぁ……」 思わず漏れるため息。 こういう性格の人が館長なんかやってたら、そりゃ仕事も終わらないわけだ。 それどころか、自分で仕事をどんどん見つけて来そうな気さえする。 「じゃ、館長室に戻ろうか」 「そうね」 「……ったたた」 姉さんは、歩くのも辛い様子だ。 「もういいよ。 ほら」 「えっ、あ……きゃっ」 俺は、姉さんの膝と脇の下に腕を差し入れる。 そして姉さんを持ち上げ、館長室まで運んで行った。 ……。 「よっ」 「ご、ごめんなさい……」 「いいってば」 「あとは……救護室から湿布をもらって来るよ」 「そうね」 俺は、館長室を後にする。 ……。 救護室に向かう。 実は、少しショックだった。 ずっと、家を支えてきた姉さん。 ずっと、うちの母親代わりだった姉さん。 ……これまで、本当に姉さんには頼りっぱなしだったけど。 抱えてみたら、思っていたよりも、全然軽かった。 びっくりした。 姉さんは、俺にとって大きな存在だったから。 俺の身長が姉さんより大きくなった時よりも、ずっとずっと驚いた。 ──姉さんは、ちっとも大きくなんかないあの身体で、俺たちを支えてくれていたんだ。 「湿布と、テーピングセットを借りてきたよ」 「ごめんなさい……ありがとう」 「救護室も子供が多くてバタバタしてたから、やっぱり行かなくて良かったみたいだ」 「……で、どうすればいいのかな」 「姉さん、足を出してくれる?」 「あ、うん……」 ソファに座った姉さんが、ブーツを脱ぐ。 「でも、ストッキングが」 「あ、そ、そだね」 「……じゃあさ、救護室の担当の人をここに呼ぼうか?」 「そうした方がいいよね」 「でも」 「救護室にはお客様がいるんでしょう?」 「だったら、そのお客様を放ったまま、救護室を空けるわけにはいかないわ」 「そっか……」 「ちょっと待ってて」 そう言うと、ブーツを脱いだ姉さんは、ストッキングに手を掛けた。 「っ!?」 慌てて後ろを向く俺。 しゅるしゅると、衣擦れの音が聞こえてくる。 ……。 「あ、もういいわ」 一瞬の躊躇の後、振り向くと……姉さんは、スカートはそのままで、ストッキングを引き下ろしていた。 「これで大丈夫ね」 「お願いしていいかしら……」 確かにこれなら手当もできるけど……。 「あ……うん」 姉さんが座る前に膝をつき、湿布を取り出す。 左脚には、ストッキングが残っている。 「痛いのは……このへん?」 「あ、ええと……」 「いたっ」 「ごめんっ」 姉さんの足に触ってみると、痛がる場所が分かった。 くるぶしより少し上あたり。 ぺた「ひゃ」 「つ、冷たいわね……」 「ここで良かった?」 「ええ」 テーピング用のテープを取り出し、湿布の上から、足首全体をカバーするように巻き付ける。 だけど……上手く巻けない。 一度ほどいて、もう一度下から巻いてみることにする。 姉さんの足が、少しくすぐったそうにぴくっと動いた。 「ごめん、俺、下手かもしれない」 「いいのよ」 「はがれないように、しっかり巻いてね」 「やってるつもりなんだけど……」 足が動いてしまわないように、左手でかかとを支える。 「あ……ちょっ……と、くすぐったいわ……」 笑いをこらえながら、姉さんが言う。 「ご、ごめん」 博物館の制服は、膝のところが締まっている。 足の付け根の方は、見ないようにしようと思えば思うほど気になる。 ……けど、それを姉さんには知られたくない。 集中しないと。 テープも、一回目よりはちゃんと形になったような気がする。 「こんなもんかな?」 「そうね」 「本当は、もっとガッチリ足首が動かないように固めた方がいいんだろうけど……」 「難しいのよね、ちゃんとしたテーピングって」 「上手くできなくて……」 「もう一度やるよ」 「ううん、もう大丈夫」 「達哉くん、ありがとう」 姉さんが俺の左肩をぽんぽんっと叩く。 「それで、その……」 「?」 「ストッキングを履き直すから」 「あ、て、手伝う?」 「……」 「ぷっ」 「ふふふっ……お願いしちゃおうかしらー」 「え……」 心底おかしそうに吹き出す姉さん。 ……あそっか、俺が部屋を出てないといけないんだ。 「ごめんっ」 「部屋出てるからっ」 ……。 ちょっと、どきどきしていた。 姉さんの脚がずっと目の前にあって、少し頭がぼうっとしていたのかもしれない。 ……。 …………。 「もう大丈夫よ」 「ええ」 ……。 にこにこと、楽しそうに笑う姉さん。 「手伝いたかった?」 「失言だったなぁ……」 しばらく、このネタで遊ばれそうな予感がする。 「……それより姉さん」 姉さんの方に向き直り、「これから真剣なことを話す顔」 になる。 「おやっさんも言ってたろ、『あまり無理するな』って」 「来週末から夏休みだし、俺も、役に立てることがあれば手伝うよ」 「そうね……」 「じゃあ、お願いしたい時には、遠慮なく頼むわね」 「何か勉強が必要なら、言ってくれれば勉強するからさ」 「色々、必要なことも教えてくれよ」 「分かったわ」 「でも……」 「どうしたの、急に」 ……。 「あ、嬉しいのは嬉しいのよ」 「達哉くんがやる気になってくれたのは」 本当は、自分でもよく分かっていなかった。 でも、何とか、言葉にしなくてはいけない。 「姉さんがやってることを、知れば知るほど……」 「大変なことをやってるんだなって分かったから、かな」 「俺も、ただ姉さんの世話になってるだけじゃいけないって思ったし」 「そんなこと、気にしなくていいのに」 「達哉くんはまだ学生なんだから」 ……なんだろう。 姉さんに、子供扱いされているのが、何となく悔しい。 自分の不甲斐なさが……悔しいんだ。 「今は、学生生活を謳歌してもいい時期よ」 「誰だって、そのうちいろんな苦労をするものなんだから」 「でも……」 「何も考えずに学生をやってられるのも、姉さんに支えてもらってるからだし」 「俺も……少しくらいは、自分で、自分の足で立てるようにならないと」 「麻衣と俺を支えてくれている、姉さんを手伝えるくらいにはなりたいんだ」 ……。 思わず言ってしまってから、急に照れ臭くなる。 ……こんなんだから、姉さんに子供扱いされるんだ。 どんどん、自分の顔が赤くなるのが分かる。 ……。 でも、姉さんはまたにこっと微笑んだ。 「ううん、その気持ちだけでも嬉しいわ」 「達哉くんも、ちゃんと成長してるのね」 「偉い偉い」 嫌味でもお世辞でもなく。 本当に姉さんは、喜んでいるようだった。 そして、姉さんは俺の頭に手を伸ばすと──今では姉さんより背が高い俺の頭を、ゆっくり、撫でてくれた。 ……。 …………。 それから一週間。 学院は今日の終業式で夏休みに入る。 フィ・それから一週間。 学院は今日の終業式で夏休みに入る。 フィーナが登校する最終日だったが、本人の希望で送別会の類は無かった。 ……フィーナは、これから一ヶ月ほどは公務が多くなるらしい。 「夏休みに入るまでは、カレンが、押し寄せる公務を食い止めてくれてたの」 「これから少し忙しくなるけど、仕方無いわね」 フィーナは、そう言って笑った。 ……。 俺はといえば、相変わらず、それまでと変わらない生活を送っている。 姉さんは「遠慮なく頼む」 と言っていた割に、博物館の仕事を手伝う機会も無く。 左門でのウェイターに励む日々が続いていた。 ……。 「ごちそうさまでしたー」 左門での夕食を終え、家に戻る。 「お兄ちゃん」 「ん、どうした?」 「あの、相談したいことがあるんだけど……」 「わたしの部屋か、お兄ちゃんの部屋に行こう?」 「ここじゃ……」 麻衣のちょっと真剣な目。 「駄目なんだな、分かった」 「まあまあ、座って下さいよ」 「何だか気持ち悪いな」 いつもは座ってると怒られるベッドに座るよう促される。 「で、ね」 「お兄ちゃん、今って貯金ある?」 「ぶほっ」 「……単刀直入だな」 「ううん、貸してさえくれれば、後で必ず返すから」 「どうしても、必要になっちゃって」 真面目な顔で、頼み込んでくる麻衣。 「その理由ってのを、先に聞かせてくれよ」 「あとは金額次第」 「うん、そうだよね」 ……。 麻衣は、自分のフルートが欲しいと言った。 これまで使っていたのは吹奏楽部の備品だったそうだ。 しかし、備品の数には限りがある。 新入生が入部しやすくするため、備品はなるべく下級生に回すのがルールだという。 もちろん、長年使い込まれた備品は傷も多い。 「上級生はコンクールにも出るし、備品のボロボロのフルートじゃちょっと……」 「なるほどな」 腕を組む。 「……で、俺はよく知らないんだが」 「フルートって、いくらくらいするものなんだ?」 「ええと……」 麻衣が、少し言い淀む。 「金とか、銀とか、材料で全然違うの」 「ちょっと待て」 「金とか銀のフルートなんてあるのか?」 「うん、何百万もするよ」 くらくらした。 俺のバイト代、何年分だろう。 「無理。 無理無理。 絶対無理」 「駆け引きは無しだ、貸せるだけ貸すから……」 「これならギリギリ許せるかなってレベルで、一番安いものの金額は?」 「な、ななまんごせんえん……」 「ぐっ……」 ……。 俺の貯金──左門のバイト代は、イタリアンズの餌代と、いざって時のための貯金に回している。 自由に使える金額はほとんど無い。 ……となると、今が、家族にとっての「いざ」 なのか? ってことだけど。 「んー」 「……実は、中古という手もあるんだけど」 「そっちは?」 「今日行ったら、『つい昨日売れちゃって』って言われちゃって」 ……。 「困ったな」 「八方塞がりだよ……」 こんこん「あ、はい」 「お風呂空いたわよー」 「……って、何か真剣なお話し中?」 「ええと……」 「麻衣、ほら」 促すと、麻衣が言い難そうにさっきと同じ話をした。 姉さんは、最後まで黙って聞いている。 ……。 「……そんな感じ」 「麻衣ちゃんも、相談してくれれば良かったのに」 「大丈夫よ」 「そういう時のために、少しなら蓄えがあるの」 「本当? やったーっ」 麻衣は、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねる。 「お姉ちゃん、ありがとうっ」 「部活、頑張ってね」 「うんっ」 姉さんが麻衣の頭を撫でる。 「よしよし」 麻衣は、これ以上無いくらい、嬉しそうな顔をしていた。 3人で1階に下りてくる。 麻衣は真っ直ぐお風呂へ向かった。 「麦茶、飲む?」 「ああ、うん」 ……。 姉さんは、ちゃんと働いてて収入がある。 俺は、バイトはしてるけど、そんなに収入は多くない。 だから、違うのは当たり前だ。 「どうしたの、元気ないみたいよ」 「いや、麻衣の相談に乗ってやれなかったからさ」 「ちょっと、自分が情けないっていうか」 「しょうがないじゃない、お金のことなんだから」 「それに、達哉くんたち学生には少し高いお買い物だしね」 「それはそうなんだけど」 上手く言えないんだけど、胸がもやもやした。 なんで、こんな当たり前のことで、俺は悩んでいるんだろう。 「達哉くん、そんな顔しないで」 「……」 ……。 姉さんと俺と麻衣。 俺たちは、姉さんに頼りすぎのような気がする。 もちろんそれは、俺が頼りないから。 でも……あの、博物館で姉さんを抱えた時の軽さを思い出してしまう。 「姉さん」 「なぁに?」 「前にも少し話したけどさ」 「俺たちって、姉さんに頼りすぎなんじゃないかって思ってるんだ」 「……うん、それで?」 姉さんは、穏やかな表情で先を促す。 「それで……俺も、何か姉さんの役に立ちたいって言うか」 「姉さんに頼らないでも、少しは何とかなるようになりたいって言うか……」 「何か、できることって……ないかな」 「……」 「そうね、達哉くんは……」 「今は、しっかり勉強してくれるのが一番嬉しいな」 「そういうことじゃなくってさ」 「ううん、学生は勉強するのが仕事よ」 「……でも」 「その気持ちは嬉しいわ」 姉さんが、俺の頭に手を伸ばし、優しく撫でてくれる。 いつも通り、ほんわかとした気分になる。 でも、俺は、この気持ちよさに安住しちゃいけないような気がしていた。 「姉さん」 「いいのよ」 姉さんが伸ばした人指し指が、俺の唇の上に置かれる。 「確か、達哉くんは満弦ヶ崎大学に進むつもりだって言ってたわね」 口を開かずに、ただ頷く俺。 「そうなったら、また視野が広がると思うの」 「視野が広がると、今は気づいてない、いろんなことに出会えるわ」 「例えば……」 「姉さんが、月に留学することになったように?」 「うん」 「チャンスは、その瞬間につかまえないと逃げていくわ」 「だから、重要なのは、いつでもそのチャンスをつかめるようにしておくこと」 「そして……なるべくチャンスが多い道に進むことよ」 「……」 ……姉さんの言ってることはもっともだ。 大人の意見だ。 きっと、姉さんが言ってくれたことは、正しいんだろう。 でも。 俺が言ってほしかったことは、そういうことじゃないような気がする。 ……。 俺は、何を言ってほしかったんだろう。 何か、言ってほしいことがあるような気がする。 ……。 「どうしたの?」 「んー」 「……」 ……。 俺は姉さんに、何か姉さんの役に立てることは無いかと訊いた。 でも、それに対する回答は無くて。 今はしっかり勉強しろって言われたということは──俺が何かをしても、直接、姉さんの役に立てることは無いってことか。 ……。 そうか。 ……やっと、もやもやの中身が分かった。 俺は──姉さんに一人前の男として見てほしかったんだ。 一人前の男なら、姉さんを支えることができるから。 俺が、姉さんを支えたいから。 ……。 …………。 「……達哉くん、大丈夫?」 ここで、姉さんに心配を掛けるようじゃ、本末転倒だ。 まずは一人前の男にならないといけない。 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」 「変なこと訊いてごめん」 「ううん、いいのよ」 「達哉くんが何を考えてるのか、少しでも知ることができて嬉しいんだから」 姉さんは、にこにこと微笑んでいる。 俺は……その微笑みが少しだけ辛くて。 とりあえず、微笑み返すことにした。 「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」 「さ、それじゃどうぞ」 二人に促され、風呂に向かう。 ……姉さんに言いたいことを上手く伝えられない自分が、少し歯痒かった。 翌日から、俺は少しずつ行動を開始した。 とりあえず、バイトを増やすことにした。 ……。 雑誌やネットで、まずは仕事をチェック。 単純だけど、最初に思いついたのは工事現場とかの肉体労働系だ。 体力もつくだろうし、収入もそれなりに見込める。 ……。 でも、何かが違うような気がする。 お金が稼げれば、一人前の男なのだろうか。 ……。 …………。 「ありがとうございましたー」 からんからん今日も、左門の最後のお客様が店を出て、閉店となった。 「達哉君」 「はい」 「どうしたんだい、今日は」 「なんだか、やけに気合が入ってるように見えたけどね」 「えっ、そうですか?」 「あ、私もそう思った」 「なんて言うのかな……」 「そう、背筋が伸びてるって感じ」 「別に、どうもしませんけど」 「……ただ、ちょっと真面目にやってみようかなって」 どうもしないってのは本当だ。 でも……無意識のうちに背筋を伸ばさなくちゃと思ってたかもしれない。 「いいことだぞ、タツ」 「何事も、真剣に取り組まないことには実にならんからな」 「おかげで今日は、仁と菜月も気合が移ってた」 「えっ、そ、そうかな」 「いやだなぁ、僕はいつも真剣勝負ですよ」 「これからも、その調子で頼むぞタツ」 「はい」 ……何事も真剣に、か。 今の俺に必要なことのような気がする。 「おやっさん」 「ん、どうした?」 「夏休みになったんで、もっとシフト増やしたいんですが……入れるトコありますか?」 「おっ、そう来たか」 「昼でもいいか?」 「はい」 「分かった。 ランチの方で調整してみるから、明日まで待っててくれ」 「達哉君……」 「トラットリア左門のシェフの後継者争いなら、受けて立とうじゃないか」 「あっ、いや、そういうつもりじゃ」 「はっはっは、いいじゃないか」 「仁にもいい刺激になる」 「……それとも、本当に調理まで勉強を始めてみるか?」 「お願いします」 口が、驚くくらい自然に開いた。 ……。 …………。 「ごちそうさまでした」 「お皿は、こちらに下げてください」 「ミア、たまには俺が皿洗いするよ」 「えっ、で、でも」 「ミアが来てから、ずっとやってもらってるからな」 「俺も久し振りにやりたくなったんだ」 「あ、あの、えっと……」 ミアは、どうしていいか分からずに、助けを求めてフィーナの方を見る。 「達哉がそう言ってくれているのだから、厚意に甘えておきなさい」 ……。 …………。 「分かりました」 「では達哉さん、よろしくお願いします」 「ああ、任せとけ」 シンクに向かう俺。 麻衣は、そんな俺をびっくりした表情で見つめている。 姉さんは……姉さんの方は、見ないでおくことにした。 ……。 風呂を上がって床に就く。 心地よい疲れが、体中に溜まっていた。 俺は、筋肉の緊張をほどいていくように、ゆっくりとベッドに身体を伸ばす。 ……。 本当は、何でも良かったのかもしれない。 俺は、身の回りのこと一つひとつを、手を抜かず真剣にやってみることにした。 おやっさんが言っていた、「何事も、真剣にやらないと実にならない」 という言葉が、耳の中に残っていた。 ……。 …………。 博物館にとっては書き入れ時の日曜日。 姉さんは、もちろん出勤する気満々だ。 そんな姉さんの出掛けを捕まえ、話かける。 「姉さん、博物館のバイトってどうなった?」 「えーと……」 「雑用でもなんでも、やれって言われた仕事をするからさ」 「本当になんでもいいの?」 「もちろん」 俺の目をじっと覗き込む姉さん。 「……」 「ふう」 少し困ったような、それでいて嬉しいような顔で、ため息をつく。 「……雑用で良ければ、人はいつだって足りないのよ」 「専門の勉強をしたわけでもないし、雑用しかできないから……」 「遠慮なく雑用を言いつけてよ」 「分かったわ」 「ただし、本当に雑用ばっかりだし、その上、楽な仕事じゃないわよ?」 「望むところさ」 前回来た時は、どこかで、何か役に立たなくちゃと焦っていたのかもしれない。 もしかしたら、俺の面倒を見なくちゃいけなくなった姉さんの邪魔だったかも。 それでも、姉さんはまたチャンスをくれた。 ここで姉さんの優しさに甘えてちゃ駄目だ。 俺が、姉さんの支え無しでも、しっかりと一人立ちできていることを証明しなくては。 そして、それが背伸びすることじゃないのも、今の俺は知っている。 今回は、専門的なことも知らないし──『できることをやろう』そう決めてからは、ずいぶん気が楽になった。 決めたというよりは、開き直ったと言った方が近いかもしれない。 目の前にある仕事を、まずは愚直にやってみる。 俺にできることはそれしかないし、真剣に取り組めば、何かが残っていくはずだ。 「よろしくね」 「じゃあ、行きましょうか。 朝霧くん」 「はい」 最初にやったのは、館外の芝生の清掃。 二ヶ月に一度は専門の業者が手入れする芝生も、その間何度か手入れが必要なのだそうだ。 その後も、裏方の仕事が続く。 館内清掃の手伝い。 傘などの忘れ物の管理。 ダイレクトメールの発送手配。 事務所や売店から出たゴミ捨て。 にわか雨が降ったら傘立てを出して。 閉館後はユニフォームをまとめてクリーニングに出したり。 ……。 …………。 前回手伝いに来た時が、いかに『博物館体験ツアー』だったかを思い知った。 確かに、どれも必要な雑用ではあるけど……王立月博物館の仕事というよりは、どこでもある雑用だ。 そして、俺がやった仕事は、確かに人手が足りなかった。 ……。 「お疲れさま、朝霧くん」 「あ、お疲れ様です」 「終わったら、館長が館長室まで来てくれって言ってたよ」 「ありがとうございます」 「……あの、まだ仕事あるんですか?」 「戸締りだけね」 「そこまで、一緒にやります」 ……。 戸締りの確認が終わったところから、広い館内の電気が落とされて行く。 電気が落ちている部屋は自動の防犯装置が稼働し始めるそうだ。 「それじゃね。 今日は助かったよ」 「お疲れ様でした」 「ずっと手伝ってくれると助かるんだけどね」 「……館長の弟さんなんだって?」 「まあ……そんなようなものです」 「こっちの仕事を手伝いたいなんて、珍しいんだけど、よくやってくれたよ」 「ありがとうございます」 「それじゃ、館長室ね」 「お疲れさま」 「お疲れ様でした」 ……。 …………。 「お疲れさま、達哉くん」 「お疲れ様です」 館長室には姉さんとカレンさんがいて、お茶を飲みながら、何かの話をしていたようだ。 あまり仕事っぽくもないけど、そんなに緩んだ雰囲気でもない。 「お疲れさまです」 「どうだった? 裏方の更に裏方の仕事は」 「いやあ、こき使われたよ」 「……でも、どれも必要な仕事なんだよね。 博物館の運営には」 「そういうこと」 「裏方と言っても、研究や資料整理はまだ人気があるのよ」 「どこも同じです」 「日の当たる仕事、日の当たらない仕事」 「その両方を支える仕事」 「ええ、そうね」 ぷるる……「ごめんなさい」 姉さんが受話器を取る。 「はい、穂積です」 ……。 姉さんは、受話器を持ったまま、隣室に行ってしまった。 何か資料が必要な問い合わせだったのか、俺やカレンさんに聞かせたくない話だったのか。 ……。 「達哉君、最近色々と頑張ってるようですね」 「え……い、いやそれほどでも」 「さやかが、そう言っていましたよ」 「……嬉しそうに」 「……」 嬉しそう……。 嬉しそうだったのか……。 「これまでも、さやかは忙しそうだったから……」 「貴方が支えになってあげられると、いいですね」 「はい」 俺の返事を聞いて、少し満足気に頷くカレンさん。 「でも……」 「なかなか、相手の気持ちになって考えるというのは、難しいものです」 「カレンさん、それってどういう……」 「ごめんなさい」 姉さんが戻ってきた。 「館員のプライベートな相談だったみたい」 「長くなりそうだったから、掛け直すことにしたわ」 「……ええと、何の話をしてたんだっけ?」 「裏方の仕事の話よ」 「あ、そうだったわね」 カレンさんが、上手く今の話を逸らしてくれた。 ……だけど。 「相手の気持ちになって考えるのは難しい」 って話は……カレンさんに、聞きそびれてしまった。 ……。 …………。 「今日は達哉くんもいるし、まっすぐ帰ることにするわ」 「それがいいでしょう」 「あの……」 「お二人はよくお酒を飲んでると思うんですが」 「ええ」 「そうね」 「どちらから誘うことが多いんでしょうか?」 「……」 「……」 「その件は秘密です」 「そ、そうね」 「こら達哉くん、変なこと聞かないの」 「ふふ……じゃあね、さやか。 達哉君も」 「じゃあね、カレン」 「失礼します」 石畳にコツコツという足音を響かせて、カレンさんが大使館へ去って行った。 ……。 …………。 姉さんと二人で、夜の川原を歩く。 「達哉くん、今日はどうだった?」 「いろいろ、勉強になったよ」 「勉強になったというか……考えさせられた」 「どんなことを考えたの?」 「左門でもそうだけど……」 「華やかな、目に見える部分だけが仕事じゃないこととか」 「もっと……なんて言うか……」 ……。 「どんな仕事でも、真剣にやらないと実にならないこととか」 ……これは、おやっさんに言われたことだけど。 「そうね」 「姉さんは広い範囲を見てなきゃいけなくて、その仕事の大変さとか」 ……。 「ふふ……達哉くんは、素直ね」 並んで歩いている姉さんが、俺を見て、微笑む。 そしていつも通り、手を伸ばしてきた。 「よしよし」 姉さんが、頭を撫でてくれる。 歩きながらだから、ほんの少しの間だったけど。 頭に姉さんの手のひらの感触を感じながら……少しずつでも、撫でられる意味を変えていければと思っていた。 ……。 朝食後。 それぞれにお茶を飲んで胃を落ち着ける。 珍しく、まだ姉さんがのんびりしていた。 「ミアちゃんの淹れてくれたお茶、美味しくなったわねー」 「あ、ありがとうございますっ」 「お湯の温度を変えたり、器の温度とか、色々と研究しているんです」 「……実は、葉っぱも少しだけいいものに変えました」 「でも、おかげで最近は朝の目覚めもばっちりよ」 「よしよし」 姉さんがミアの頭を撫でる。 「ひゃあぁぁ……」 ミアは、嬉しそうな顔をしていた。 ……。 「姉さん」 「今日は博物館、休み?」 「ええ」 「久し振りに、まる一日お休みよ」 「たまには、私もお料理作ったりしようかな」 「それじゃ、イタリアンズの散歩なんてどう?」 「むむむ」 腕を組んで、悩むフリをする姉さん。 「……最近、あまり運動してないから、それもいいか」 「そのかわり、達哉くんも一緒に来てね」 「もちろん行くさ」 ……。 カルボナーラ「わふわふわふっ」 ペペロンチーノ「わんわんっ!」 アラビアータ「おんっ」 「わわわ」 姉さんは、甘える気満々の三匹にあっと言う間に囲まれてしまった。 「ほら、大人しくしろ」 「まあまあ」 のんびりと、イタリアンズの頭を撫でる姉さん。 「姉さんは甘いんだから……」 ……苦労して三匹にリードをつけ、物見の丘公園に向かう。 姉さんと散歩するのは久し振りなのだろう。 犬たちは大喜びで、姉さんの脚にまとわりつくように歩いていた。 「ふう、暑いわねー」 「夏休みってくらいだしな」 「ちょっと汗かいちゃった」 胸元までカットの入った服をつまみ、ぱたぱたと空気を出し入れする。 ……周りに人がいるなら、止めたくなる行為だ。 幸いここには、イタリアンズくらいしかいない。 ……。 日差しは強いけど、海から崖を登ってくる風は、熱をさほど含んでいない。 その代わりに、潮の香りがほんの少し。 遠くからは、放してやった三匹がじゃれ合う鳴き声。 「座ろうかしら」 「芝がつくよ」 「向こうにベンチがあるけど」 「いいじゃない」 明るく笑って、ぺたんと芝生の上に腰を下ろす姉さん。 「気にしない、気にしない」 「でも、こすったりすると落ちないからね、芝の汚れって」 「それくらいは、お姉ちゃんも知っています」 「ぶっ……あははは」 ……突然大人ぶってみせるのが、妙にツボにはまった。 「笑うなんて、失礼よ」 「座り方には、ちゃんと気をつけてるんだから」 「そうしないと、ミアが洗濯機の前でおろおろするからな」 「そうね」 「……ミアちゃんのおかげで、ずいぶん楽させてもらってるわ」 「私たち、三人ともね」 「そうだね」 ……。 「左門でのバイトなんだけど」 「ええ」 「夏休みの間だけでも、増やそうと思ってるんだ」 「もしかしたら、調理の手伝いもすることになるかもしれない」 「すごいわ、達哉くん」 「頑張ってるのね」 にこにこと、俺の話を聞いてくれる姉さん。 俺は、姉さんに少しだけ近づくように腰をずらす。 「前にも話したけど……姉さん一人に任せっきりじゃなくて」 「……俺も支えたいんだ、うちを」 「……」 真剣に姉さんの目を覗き込む。 「嬉しいわ」 ……。 …………。 「……ところで達哉くん」 「うん」 「学院での成績はどう?」 「え?」 「え……っと、前と変わらず、かな」 「附属とは言っても、行きたい学部を選ぶのは、成績順よ」 「確か、達哉くんは月学部を目指してるんだったわよね」 「でも、月学部はほとんど競争も無くって、希望すればほとんど入れるから」 「ふふ……いつまでもそうかしら」 「フィーナ様が留学に来たりしてるのよ?」 「む……」 「フィーナ様が次の月王国の女王になったりしたら……」 「きっと、月と地球の交流も今よりずっと盛んになるわね」 「その時、月学部は看板学部として難関になってる可能性だってあるのよ」 「た、確かに」 「私がやっている仕事もね……」 「上手くいくほど、月学部の人気を上げるのよ」 「だから、附属と言っても手を抜かずに、ちゃんと勉強もしなくちゃね」 「はい……」 「宿題は出ていないの?」 「……あまり達哉くんが勉強しているのを見てないような気がするんだけど」 「ええと、三年になると……」 それから俺は、姉さんの進路相談を受けることになった。 現状についてあれこれ喋り、姉さんからアドバイスをもらった。 ……どうも、姉さんに話を逸らされたような気がする。 俺は、進路の話が終わったあと、話を戻す。 ……。 「姉さん、聞いてほしい話があるんだ」 「なあに?」 「最近……いや、本当はずっと前からなんだけど」 「うん」 ……くっ。 いざとなると、言いにくいな。 ……。 「いいところを見せたいって言うか、格好つけたいって言うか」 「そんな相手が……いるんだ」 「あら、誰かしら?」 「はぁ……」 ……また姉さんは。 「でも、その人は……」 「俺なんかより、ずっとしっかりしてて」 「オトナで、包容力もあって……」 「……それは」 ……。 「達哉くんも、しっかりしないといけないわね」 「そう……なんだけどさ」 「ははは……」 本当に気づいてないのか、それともとぼけてるのか分からない。 ……。 他人の人間関係には鋭いくせに。 自分が絡むと急に鈍感になるのはずるいと思う。 「で……」 「その人には、達哉くんの想いはもう伝えたの?」 「んー、まだってことになるのかなぁ」 「その人がまたニブくて、遠回しに言っても通じないんだ」 「あら、達哉くんも大変ね」 心から同情するような顔になる姉さん。 一体誰のせいだと思っているのか。 俺は、もう一歩ずずいと姉さんに近寄り──間近から、顔を覗き込んだ。 「いつも、その人には面倒を見てもらってばっかりだけど……」 「俺、その人に認められたいっていうか」 「その人を幸せにしたいんだ」 「あ……」 「う、うん……そうね」 「達哉くんに、そこまで想われてる子は……幸せね」 ……。 ごろん、と芝生の上に横になる。 ……。 まいったなぁ。 ここまで言ってしまったら一緒かもしれないけど……もう、あとは。 誰が聞いても間違いようのないくらいに、直接、全部言うしかない。 ……。 「達哉くん、あのね」 「……」 ~♪「あ、ごめんなさい」 「……博物館からだわ」 「はい、穂積です……はい、……」 姉さんは、くるっと向こうを向いて、博物館の人と話を始めた。 専門用語が飛び交っているので、断片的にしか、話の内容は分からない。 「わわんっ」 いつもと違う姉さんの真面目な声が聞こえたからか、イタリアンズが寄ってきた。 「しーっ」 「わふ」 三匹とも、大人しくしている。 「ええっ!」 「本当なの、それは?」 なんだろう。 嬉しそうな声だ。 いいニュースなのかな。 ……それにしても、タイミングが悪すぎやしないか。 何も、こんな一大事の真っ最中にかかってこなくても。 こんなのってないよな。 ……いろいろ考えながらイタリアンズの首輪のあたりを掻いてやる。 すると。 姉さんの電話が終わったようだ。 「ごめんなさい、急に博物館に行かなくちゃいけなくなったの」 「でも、いいニュースみたいじゃない」 俺は、努めて冷静に応える。 「本当に、ごめんなさい」 「イタリアンズは、任せてちゃっていい?」 「ああ、大丈夫」 こんなところで頼りになってもなぁ。 いや、ここで駄々をこねる方がよっぽど子供だ。 ……そう思い返して、ぎこちない笑顔で姉さんを見送る。 「一度、落ち着いたら家にも連絡を入れるわね」 「分かった。 麻衣たちにも伝えとくよ」 「それより、早く行かなくちゃいけないんじゃないの?」 「ええ、行ってきます」 「行ってらっしゃい」 「ぅおん」 ……。 …………。 まいった。 自分がこんなに意気地無しというか、ヘタレだとは思わなかった。 姉さんに掛かってきた電話に邪魔されたはずなのに。 ……どこかに、ほっとしている自分がいる。 なんでほっとしているんだろう。 ……。 …………。 それは、多分。 俺自身が、まだ姉さんに相応しいと思っていないから。 だから、不安で。 姉さんにすげなく断られるのが。 ……いや。 姉さんのことだから、笑顔のまま、困った色を浮かべて。 ……。 …………。 そんな表情されたら、最悪だ。 姉さんと、どんな顔をして一つの屋根の下で暮らせばいいんだ。 食卓で向かい合う度に、少し困った笑顔で。 ああ……。 そりゃ臆病にもなるさ。 そして、そんな臆病さも子供っぽさに繋がってるような気がして。 俺はもう、どうしていいか分からなくなりかけていた。 ……。 …………。 結局、博物館に行った姉さんからは、晩御飯が食べられないという連絡が入った。 いつもだったら残念なところだけど……今日に限っては、少し胸をなで下ろした。 「今日は、さやちゃん仕事休みだったんじゃねえのか?」 「いえ、途中で博物館から電話が掛かってきて」 「たまの休みだってのに忙しいことだな」 「忙しければ商売繁盛、ってわけでもないんだろう?」 「あ、でも今日は電話してる時の声が弾んでましたから、きっといい知らせだったと思います」 「へえ、それなら良かったね」 からんからん「こんばんはー」 「今日も、お世話になります」 「おじゃまします」 姉さん抜きの、夕食だ。 ……。 …………。 「達哉さん、お風呂いただきました」 「あとは……俺だけかな?」 「ええ、達哉さんと、さやかさんだけです」 「そっか」 「じゃ、俺が入ろうかな……」 ばたん「あれ、姉さんかな?」 ……。 「ただいまー♪」 「お帰りなさいませ」 「お帰り、姉さん」 日付が変わろうかという時間になって、やっと姉さんが帰って来た。 「ふんふんふーん♪」 ……その割には、ごきげんのようだ。 「いいお話があったんですか?」 「ええ」 「これもフィーナ様のおかげよ」 「何があったの?」 「フィーナ様を通じてお願いしてた展示品が、月から貸し出してもらえることになったの」 「これは価値のある展示になるわよー♪」 「カレンと祝杯を上げてたら遅くなっちゃった」 通りでご機嫌なわけだ。 「その展示品って、なんですか?」 「ふっふーん♪」 「ミアちゃん、アポロって知ってる?」 「あ、あぽろ……ですか?」 「ええと、聞いたことはあるのですが」 ……これは、月学概論の初めの授業で習った名前だ。 「確か、初めて月に人が行った時に乗ってたっていう船の名前だよね」 「そうそう」 「偉いぞ達哉くん」 なでなで撫でられた。 「その、初めて月に降りたアポロが、月に残していったものを展示できるの」 「んーっ、もう今から楽しみよ♪」 ……放っておくと、踊りだしそうな勢いだ。 「特に、着陸船の脚についてた銘板が見ものよ」 「へえ、そんなのがあるんだ」 「王立博物館で、見せて頂いたことがあるかもしれません」 「もしかして、それですか?」 「そう、私も留学中に一度だけ見せてもらったわ」 「『惑星地球の人類、ここに月への第一歩を印す。 我等、全人類の平和を希求して来れり』」 「そう刻まれているの」 「保存状態も良さそうだし、船長たちのサインも読めるみたい」 「月に着いてから、初めての里帰りよ……ああ、早く届かないかしら」 ……。 正直、次に顔を合わせたらどんな話をしようか迷っていた。 だから、今の状況は少し助かっている。 「さやかさん、ご機嫌ですね」 「ええ、そりゃもう」 「本当は、もう一度月に行けるといいんだけど……」 月に?「そう簡単には行かないわねー」 「あ、あの、さやかさん」 「お風呂が空いてますが、お入りになりますか?」 「ああそうね」 「ありがとう、ミアちゃん」 なでなでミアの頭も撫でた姉さんは、足どりも軽く脱衣所に消えて行った。 ……。 …………。 「さやかさんって……」 「本当に、今のお仕事が好きなんですね」 「そうだな」 「あんなに大喜びしてる姉さんは、初めて見たかも」 ……。 「それでは達哉さん、すみませんが……」 「ああ、お休みミア」 ミアもリビングを出ると、俺一人になる。 賑やかだったリビングが、しんと静まった。 ……。 姉さん、やっぱりもう一度月に行きたかったんだ。 ……姉さんが留学に行っていた一年間のことを思い出す。 あの時はまだ母さんがいて。 俺と麻衣と三人で暮らしていた。 姉さんとはもう4、5年一緒に暮らしてたから……少し寂しかったっけ。 ……。 帰って来た姉さんは、一時期、ちょっとした人気者だった。 テレビにも何度か出ていたのを覚えている。 でも、この家に帰って来てくれて、嬉しかった。 ちょうどその頃死んだ母さん。 それ以来、ずっとうちを支えてくれた姉さん。 三年間一緒に暮らしてきたけど……姉さんは「また月に行きたい」 という言葉を抑えてたのかもしれない。 ……やっぱり、行きたいよな。 それが、今の姉さんの夢なんだろう。 ……。 俺は……姉さんの夢の邪魔になってないだろうか。 月に行きたいといった姉さん。 もちろん、そんなに簡単に月に行けるはずは無い。 それでも……自分が、羽ばたこうとしている姉さんの足を引っ張ってないか、少し不安だ。 ……。 俺は、姉さんにどう接すればいいんだろう。 最近やっと、一人前になろうと頑張り始めたところ。 姉さんだけに支えてもらわなくても、うちがなんとかなるように。 ……漠然とそう考えてはいたけど。 まだまだ一人前には程遠い自分。 所詮、学生の身分だ。 それでも、俺は、姉さんに認めてほしくて。 姉さんに、頼りにしてほしくて。 姉さんに、必要とされたくて。 ……。 …………。 「上がったわよー」 そう言って、リビングに入ってきた姉さんは……バスタオルを巻いただけの姿だった。 「あ、ああ」 少し、ドキっとした。 どうしても、胸元や脚に向かいそうになる視線を、姉さんから外す。 「あとは俺が入っておしまいだから」 「先に入っちゃってごめんなさい」 「待っててくれたのよね?」 姉さんも、少しは酔いが覚めたようだ。 「いや、いいんだ」 「姉さんは明日も仕事だろ」 「俺は夏休みだからさ」 「達哉くんは優しいのね」 ……。 「そうだ」 「さっき『月に行きたい』って言っちゃったけど」 「そんな機会も無いだろうし、気にしないでね」 「いいから姉さん」 「夏だからって、いつまでもそんな格好じゃ風邪引くぞ」 「そうね」 「それじゃ……おやすみなさい」 「おやすみ」 ……。 姉さんの足音が、静かにリビングから遠ざかっていく。 ……。 …………。 「もうっ、どうしてあの人は!」 俺は、ソファの背もたれをボスっと叩く。 少しも手が痛くないのがおかしかった。 「ははは……」 俺の前なのに、あんなに無防備な格好で……家族だって言ったって、俺だって男なんだけどな。 ……やっぱり、俺が一人の男として見られてないってことなんだろうか。 なんだか、無性に悔しい。 俺は……姉さんを、一人の女性として見ているのに。 ……。 …………。 ベッドに入ってからも、しばらく眠ることができない。 悶々と、頭は姉さんのことばかり考えている。 ……。 俺は、姉さん……穂積さやかという人を、一人の女性として見ている。 つまり…………。 姉さんが好きなんだ。 だから……姉さんが俺をどう思っているのかを、聞きたい。 ……。 聞いてどうするんだろう?そんなことを何回も自問した。 姉さんが、俺を一人の男として全然考えていなかったら。 俺は、まだまだこれから努力して、経験して、勉強して、自分を磨いて……姉さんに、認められるように頑張るしかない。 ……。 もし……もし、姉さんも俺を──……。 そういえば……俺が姉さんに想いを伝えようとした時。 「達哉くんに、そこまで想われてる子は……幸せね」 と言っていた。 俺は、姉さんに想いを伝えたつもりだったんだけど……姉さんは……本当に気づかなかったのか。 ……。 カレンさんだって、言ってたのに。 「さやかが、そう言っていましたよ」 「……嬉しそうに」 嬉しそうに。 ……。 昨日今日と、姉さんの様子がおかしいような気がする。 これは、どういうことだろう。 もしかして……姉さんは、俺を避けているんじゃないか?なんで?……。 俺の気持ちに……気づいているから?だとしたら。 俺に、想いを伝えられるのが迷惑なのか、それとも……俺との仲が進展するのを思い止まらせる何かが、姉さんにあるのか。 例えば……俺が年下で、まだ学生であること。 俺が……姉さんにとって、家族であること。 ……。 …………。 朝、いつも通りに目が覚める。 昨晩、決意していたことを、思い出す。 ……。 ベッドを出て、ダイニングに向かった。 「行ってきまーす」 「行ってらっしゃいませ」 ばたん「ミア」 「達哉さん、おはようございます」 「今の……姉さん?」 「はい」 「昨日から引き続いて、あぽろの仕事があるとのことでした」 「一緒に食べられなくてごめんなさい、と皆さんにご伝言です」 ……。 もしかすると……姉さんも俺に顔を合わせにくかったりとか。 ……いや、さすがにそれは自意識過剰だな。 「わたしとほとんど同じ時間に起きてらっしゃいました」 「それなのに、今日は全然眠そうじゃないんです」 「そっか……」 「そうだ、達哉さんがお茶を飲まれますか?」 「えと、あの、特濃緑茶?」 「あはは……」 「おはようございます」 「おはよー」 「あ、おはようございますっ」 「皆さんお揃いになりましたので、すぐ朝食のご用意をしますね」 「手伝うよー」 ……。 そうして、姉さんがいないこと以外は、いつも通りの朝霧家の朝が始まる。 ……。 …………。 姉さんからは夕方、俺が左門でバイトをしている間に、泊まりで仕事をすると連絡があった。 結局俺は、一日中、姉さんと顔を合わせることは無かった。 姉さんが泊まりで仕事をすること自体は、そんなに珍しいことじゃない。 でも、俺は姉さんに会いたかった。 姉さんに会って、自分の想いを伝えたい。 姉さんの返事を聞きたい。 姉さんの考えていること、思っていることを聞きたかった。 ……。 確か、博物館の閉館は夕方5時。 それ以前に行くと、本当に姉さんの仕事を邪魔するだけになる。 一般のお客様もいる。 と、なると……閉館直前に博物館に行き、そのまま、姉さんに会いに行こう。 ……。 …………。 「あら、朝霧君」 「こんにちは」 「今日も、お手伝いに来てくれたの?」 「あ、はい」 「もうすぐ閉館だけど、頑張ってね」 ……。 知ってる人に会うと、何だか自分が悪いことをしに来たように、心臓がバクバク鳴った。 通用口から入る。 何度か姉さんと一緒に通っているから、すんなり通してもらえた。 平日だからか、閉館間近だからか、人影はまばらだ。 そんな館内を歩く。 「朝霧君じゃない」 「館長なら、館長室よ」 「ありがとうございます」 「館長、なんとなくうきうきしてたけど、何かあったのかな?」 「そうなんですか」 「気づきませんでした」 「そう?」 俺は、曖昧な笑顔で乗り切る。 ……。 館長室の扉。 その前を……通過して、廊下の角を曲がる。 何をためらっているんだろう。 あの扉をノックして、そして中に入らないと。 ……もう一度、廊下の角から頭だけを出して、館長室の扉の様子を窺う。 がちゃその扉が開いた。 びっくりした。 「カレン、今回はありがとう」 「いえ、さやかが頑張ったからよ」 二人はそう言って別れた。 カレンさんが、廊下を歩いて去っていく。 ……危なかった。 やたらと決意がみなぎった顔のまま、二人がいる部屋に突入するところだった。 ……。 しばらく時間を待つ。 もう少しで、閉館時間になるだろう。 それからでも遅くない。 ……。 …………。 館内に、閉館が近いことを知らせる音楽が流れ──5分後に閉館放送が流れた。 館長室に動きは無い。 さあ。 行こう。 ……。 館長室の扉の前に向かって、一歩一歩、足を前に運んでいく。 静かな館内に、足音が、やたらと大きく響いているような気がする。 足が……足が重い。 扉までの距離が長い。 ここでびしっと決めないでどうする。 早くしないと、姉さんがどこかに出て行ってしまうかもしれない。 ……そしたら、もう今日は二人きりになれる場所は無い。 もし、そうなってしまったら。 それは仕方無い。 また明日にするしかない。 今日はチャンスが無かったってことだ。 扉まであと数メートルというところで、足が止まる。 振り向いて、逃げ出しそうになる。 ……。 …………。 って、そんなんじゃ駄目だろ!さあ行け。 扉の前まで。 そしてノックしろっ俺は、自らを叱咤激励しながら、足を無理矢理持ち上げた。 右足、左足。 右足、左足…………。 …………。 やっとのことで扉の前に立つ。 ……。 こんこん「はーい」 「カレン、忘れ物?」 がちゃ「どうしたの……」 「……って、え?」 いきなり、姉さんは扉を開けた。 「達哉くん……」 「や、やあ姉さん」 ……。 間抜けな挨拶をしてしまった。 姉さんに断り無く、俺はここに来ている。 だから、そのことについて話さないと。 ……でも、仕事中の姉さんに対して「私用で来ました」 とは、言いにくい。 どうしよう。 どうすれば…………。 「ふう」 「とにかく、中に入ろっか」 姉さんが、微笑んでいたので。 俺は、ものすごくほっとした。 ……。 「達哉くん、お茶飲む?」 「あ、う、うん……」 気合を入れてきたはずなのに。 すっかり気勢をそがれた俺。 姉さんが、お茶を淹れてくれている。 家でミアが淹れてくれるのと同じ、緑茶だ。 「はい、どうぞ」 「達哉くん、座っていいのよ」 湯飲みに入ったお茶を手渡される。 「あ……ありがと」 ずず……。 ソファに座り、熱いお茶をすする。 「ミアちゃんに薦めてもらった葉っぱを使ってるの」 「美味しい緑茶よ」 「うん、美味い」 ……。 嘘だ。 実際には、緑茶の味なんてロクに分からない。 と言うより、今は分かっていない。 ……姉さんを見ると、一緒に淹れた自分のお茶に口をつけている。 「それで……」 「達哉くんは、どうしてここに?」 姉さんが、まっすぐ俺を見る。 怒ってはいないけど……適当にごまかせる目でもない。 ……。 「姉さんに、聞きたいことと、話したいことがあって」 「そう……」 「どんな話かは置いておいて」 ……すうっと姉さんが息を吸う。 「ここはどこ? 無断で入っていい場所?」 「う」 「王立、月博物館の館長室で……」 「勝手に入っちゃ駄目な場所です」 「私は誰? 今何をしているの?」 「博物館の館長代理で……」 「仕事中です」 「よくできました」 笑っているだけに、怖い。 姉さんが、近づいてくる。 「まず、話よりも先に言うことがあるでしょう?」 「う……」 「ご、ごめんなさい」 「はい」 「よくできました」 なでなで姉さんが、頭を撫でてくる。 ……。 これが良くないんだ。 わざとやってるんじゃないと思うけど……姉さんに撫でられてる限り、いつまでも俺は子供扱いされるような気がする。 「姉さん」 「あっ……」 姉さんの手を払いのける。 ……前にも一度、こんなことがあったような気がする。 あれは、カレンさんの前で撫でられた時だったっけ?そして……その時と同じく、姉さんは寂しそうな顔をした。 「達哉くん……」 ……。 「そうね」 「達哉くんも、もう子供じゃないもんね」 「姉さん、話したいことがあるんだ」 「うん」 姉さんは、残ったお茶を飲み干した。 湯飲みを、テーブルの上に置く。 「何かしら?」 いつもと変わらない調子で、問いかけてくる。 ……。 じっと見つめられている。 何から話せばいいんだっけ。 あ……えっと…………。 こんなことなら、原稿でも作ってくれば良かった。 「どうしたの?」 「あのさ」 「前にも言ったけど……」 意味のない前置き。 時間を稼いでどうなるわけでもないのに。 「うん」 「……今のうちって、姉さんに色々支えてもらってるけど」 「それじゃ駄目だって思ったんだ」 「で、俺も姉さんと一緒になって支えられればって考えて……」 ……。 「もちろん、まだまだ始めたばかりで、全然実になっちゃいないんだけど」 「色々、やってみようと思うことは多くて、とりあえずバイトに一生懸命になってみたり」 「姉さんの仕事を……手伝ってみたり」 「勉強だって、頑張っていこうと思ってるし、できれば月学部に入って姉さんの後輩になりたいし」 「将来は、姉さんみたいに、月関係の仕事ができればいいなって思ったりもしてて」 ……。 「それで……」 「……うん」 「それで……」 「姉さんから見て、どうかなって思って」 「達哉くんが?」 「そ、そう」 そうか?……何だか、肝心なことを伝えられてない。 大切なことを訊けてないような気がする。 「そうねー」 「達哉くん、頑張ってると思うわ」 「まだ始めたばかりかもしれないけど、続けられればすごい結果になるわ」 「きっと」 「あの、そういうことじゃ」 「それにね」 「さっき、月関係の仕事がしたい、って言ってくれたけど……」 「とても嬉しかったの」 「……」 嬉しい?「だって、それって……」 「達哉くんが、私がしている仕事を見て、意味のある仕事だって思ってくれたんでしょう?」 「達哉くんも分かると思うけど」 「自分の仕事が認められるのは、とても嬉しいのよ」 「……うん、分かると思う」 「達哉くんは、あまり『あれをしたい』『これをしたい』って言わなかったから……」 「やりたいことが決まったっていうのも、嬉しいこと」 「……決まっちゃえば、あとはやり方を考えるだけだもんね」 微笑む姉さん。 ……。 「姉さんの……」 「姉さんのやりたいことって、何?」 「私は……」 ……。 「月関係の仕事は、もちろんやりたいことだけど」 「うちのみんなが、安心して暮らしていける家を守ること」 「これが、一番やりたいことよ」 「……達哉くんや麻衣ちゃんと、暮らしていけるように」 「ずっと、ね」 「……俺は、姉さんにとって、家族?」 「もちろんそうよ」 「でも……」 「どういうこと?」 「俺は、姉さんに世話になってるだけじゃなくて……」 「姉さんを支えたいんだ」 「姉さんに、頼ってほしいとも思ってる」 「姉さんに、一人前の男として、見てほしいと思ってる」 ……。 「……」 ごくり、と唾を飲みこむ。 心臓が……これ以上ないくらいに、ばくばく言ってる。 もう、止まれない。 「俺は、姉さんのことを……」 「一人の女の人として、好きなんだ」 「……」 息が、できない。 苦しい。 でも、もう一言だけ──「だから、俺も、姉さんに一人の男として見てほしい」 ……。 …………。 言った。 言えた。 姉さんを見ることができない。 しかし、後戻りもできない。 ……俺は、背筋を伸ばして、姉さんを正面から見据える。 「……」 つと、姉さんが視線を外した。 「達哉くん、もう一杯お茶を……」 「姉さんっ」 「……ご、ごめんなさい」 「達哉くんの気持ちは、嬉しいわ」 「本当よ」 「朝霧のうちを一緒に支えたいって、言ってくれた時は……とても嬉しかったの」 「でも、だめ……」 「駄目って、何が?」 「頼りない?」 「ううん」 「そんなこと、ないわ」 ……。 「じゃあ、何が……」 「たっ、達哉くんは、私の……」 「弟のような存在だから」 ……。 弟?「弟って……」 「姉さんと俺は従姉弟じゃないかっ」 「それでも、私たちは、同じ家で暮らしてきたし……」 「ま、麻衣ちゃんだっているし……」 「……」 姉さんの視線は、俺を見ていない。 「姉さん、俺の目を見て話してよっ」 両手で、姉さんの肩をつかむ。 驚いて、姉さんが目を見張る。 この前、足をくじいた姉さんを運んだ時にもそう感じたように──姉さんの肩は、俺の肩より低いところにあって。 思ってたより、ずっとずっと華奢だった。 「だめ……」 「っ」 姉さんに口づける。 姉さんは、固く目を閉じていたけど。 顔を逸らしたりはしなかった。 ……。 姉さんの唇の感触を味わってる余裕なんて無い。 俺は、まさに貪るように、姉さんの口に自分の口を押しつけた。 「あ……む……」 ……。 姉さんは、二、三度身じろぎしたが……俺が肩をがっしり握っているから、逃げられない。 「ん……んんっ……」 手で俺の胸を押しのけようとした力も、徐々に弱まっていった。 「んん……ん……」 「あ……ん……んんっ……む……」 顔を、小刻みに左右に振る。 互いの唇が、擦り合わされる。 「んちゅ……ちゅ……っ……んっ……」 姉さんの口は柔らかかった。 ほんのりリップが引いてあり、それが俺の唇にも移って、ぺたぺたする。 俺は、首を傾けてより強く姉さんの唇を求めていった。 「んんんっ……ちゅ……う……あむ……っ」 姉さんも、俺とは反対側に首を傾けた。 互いの鼻が触れ合う。 俺は、自分の唇の間から、舌を出してみた。 「あ……んん……」 互いの唇はくっついたまま、姉さんの唇をぺろぺろ舐めると……姉さんの唇に、少しだけ隙間ができた。 そこから、舌を割り入れる。 「んちゅ……ちゅ……う……んんっ……」 姉さんは、かすかにいやいやをするように顔を振るが、俺の舌は口内に侵入した。 そこで……姉さんの舌と触れ合った。 柔らかくて、熱くて……俺は、互いの舌が触れる感触の淫靡さに驚いた。 「……ちゅうっ……れろ……ぺちゃっ……んふ……」 奥に縮こまっていた姉さんの舌も、少しずつ俺の舌に絡んでくる。 姉さんの鼻息が、頬にあたってくすぐったい。 俺は、姉さんが少しずつ応えてくれてることが嬉しくて、一層強く唇を吸った。 「ん……ちゅ……んふぅ……ちゅっ……」 俺の腕の中で身悶えしていた姉さんの身体から、力が抜けていく。 舌を引っ込めると、姉さんの舌もそれを追うように俺の口に入ってくる。 俺は唾液を姉さんの口に注ぎ込んだ。 「んちゅっ……ちゅば……んく……」 姉さん……。 俺は、キスがこんなに淫らなものだと思っていなかった。 姉さんの背中を掻きむしるように抱きしめる。 夢中で、時々体勢を変えつつ、俺は舌を絡ませ続けた。 ……。 …………。 どれくらいの時間が経ったのか分からないくらい、頭の中がとろけていた。 いつの間にか俺の背中に回っていた姉さんの手が、するっと下り……俺も、唇を離した。 「んちゅっ……むちゅ……ぷはぁ……」 「はぁ……はぁ……」 「はふぁ……はぁ……はぁ……」 「……た、達哉くん……」 「あ、姉さん……」 俺は、キスに夢中になって、全く他のことを考えられなくなっていた。 ここは博物館の館長室。 なんだか、とても姉さんに悪いことをした気になって。 「ご、ごめん」 「ううん、いいのよ」 姉さんは、少し潤んだ瞳で笑っていた。 「嬉しかったわ」 「……思ったより、情熱的だったけど」 「あっ、いや、今のは」 「それも含めて、達哉くんが好きよ」 なでなで姉さんが、俺の頭を撫でる。 「こんなことしたら、また子供扱いするなって怒っちゃうかしら」 「いや、そんなことないよ」 だって、今にも泣きそうな顔で、俺を撫でている。 「姉さん……」 「頼もしかったわ」 「……達哉くんが」 ……。 「思わず、頼ってしまいそうにもなっちゃったりして」 「今まで、ずっと一人で」 「自分一人で、支えてきたつもりになっていたから……」 「こんなに、近くにいた達哉くんが、いつの間にか成長してて」 「泣きそうなくらい、嬉しかったのよ」 「姉さん」 泣きそうなくらい、なんて言ってる姉さんは──もう、とっくに泣いていた。 ……。 強いと思っていた。 子供は、誰もが親をそう思ってる。 でも、いつか、親だってそんなに強くないってことを知る。 そして、親代わりの姉さんも。 「う……ぐす……す……」 「ご、ごめんなさい」 「なんか、気が緩んだみたいね」 涙でぐしゃぐしゃになった顔で微笑むと……姉さんは、机の上にあるティッシュまで手を伸ばす。 「……っ!」 俺は……後ろを向いた姉さんを、背中からぎゅっと抱きしめた。 「姉さんっ」 「た、達哉くん……」 「だめ……」 「……だめよ……」 姉さんの声は小さい。 ……俺は、一瞬、自分が何をしたのか分からなかった。 机の上に、姉さんの後ろから、のしかかり、抱きしめている。 「あ……姉さん……」 「あ……」 キスしている間から固くなっていた、俺の股間のものが、姉さんのお尻に当たっている。 「当たってるのは……た……達哉くんの?」 「っ!」 身を離すという選択肢もあったはずだけど、俺は……一層強く、姉さんのお尻に、ズボンの中でぱんぱんに固くなっているモノを押しつけた。 「や……」 姉さんが腰を揺すれば揺するほど、俺の剛直はお尻の谷間に深くはまっていく。 「姉さん、俺……」 「達哉くん、こんなになってる……」 「どうする……の?」 少し、怯えの色も混じっている、姉さんの声。 でも、俺はどうするかなんて、考えてもいなかった。 ただ勢いに任せてしまっただけで……「その……」 「こういうことは、また今度、ちゃんとしてから」 「姉さんが、俺を興奮させたから……」 「俺、今、もう治まりそうにないよ」 「そ、そんなこと……」 「きゃっ」 姉さんに、後ろから覆い被さるような体勢のまま、胸元へ手を回す。 見えないまま、少し乱暴にもぞもぞと手を動かし……何度も失敗しながら、制服のボタンを外していく。 「あ……だ、駄目よ……」 「姉さん、ごめんっ」 制服の前がはだけ、ブラジャーがあらわになる。 「姉さんが、本当に駄目ってとこまで」 「……姉さんが、本気で嫌なら」 「そこで、やめるから……多分……」 「そんなこと言ったって……あぁ……んっ」 姉さんの柔かい胸を、ブラごと握る。 手のひらには収まり切らない大きさ。 俺は、姉さんの柔らかさを確かめるように、執拗に胸を揉み続ける。 姉さんは、拒まない。 「あ……んんっ……はあ……ああっ」 姉さんが普段は発しないような、鼻に掛かった声。 その喘ぎは、ますます俺の股間を固くする。 ブラの布地越しに、尖って固くなっているものを感じる。 直接……触りたい。 「ああっ……」 強引に、姉さんのブラを上にずらす。 「えっ……あ、い、痛い……わ」 ワイヤーが引っ掛かったけど、無理に通す。 そして……むき出しになった胸を、再び両手で握った。 「ああ……んっ……や、優しくして……」 「ご、ごめん」 長年、一緒に過ごしてきた姉さん。 風呂上がりとか、ソファで寝ちゃってた時とか……ずっと意識だけはしてた、その姉さんの胸を、今、存分に弄んでいる。 「ああ……あぅ……ん、んんっ……」 手のひらに吸いつくような、みずみずしい肌。 水蜜桃のような張りと柔らかさ。 そのふにふにとした柔らかさに、俺は夢中になってこねくり回した。 「やっ……達哉くん……強いわ」 「でも……」 ぷるる……俺も、姉さんも、びくっとした。 館長用の机の上にある、電話機が鳴っている。 「で、でるわね」 「……うん」 「……は、はい、穂積です」 ……。 姉さんが、電話の向こうの人と、仕事のやり取りをしている。 俺は、姉さんの後ろに密着し、むき出しになった胸を両手で包むように持っている。 「あ、はい、その件は伺っております。 はい、はい……」 仕事の話を続ける姉さん。 俺は、俺の存在が忘れられてしまったような寂しさに襲われ、胸をまた揉み始めた。 ぎゅっ「……んっ」 姉さんがこっちを見る。 「あっ、いえ、何でもありません、何でもないんです」 電話の向こうの人に、言い訳をする姉さん。 俺は、胸をこねていた手を、姉さんの腰に持ってくる。 豊かな胸と、煽情的なお尻。 そして、その間にある、細くくびれた腰。 「いえ、あの……ですから、先日お渡しした資料の通り……」 ぼんやり想像していたよりとても細い腰を、両側から、両手で支えるように持つ。 ……と、左手がスカートのホックに触れた。 それを、ぷちっと外す。 「あっ……」 「あのっ、ええ、そうです、今後こちらでも検討致しまして……」 電話をしている姉さんを放っておいて、するっとスカートを下げる。 姉さんが、こちらをちらちらと見ている。 俺は、その視線に気づかないフリをして、姉さんの膝までスカートを下ろした。 姉さんの顔が、羞恥に赤く染まる。 「は、はい……ええ……ええ……」 黒いストッキングに包まれた姉さんのお尻が、俺の眼前で小刻みに震えている。 部屋の明かりをてかてかと反射する、化学繊維の光沢。 その下には、姉さんのパンツが透けて見える。 俺のペニスは、もう苦しいくらいにズボンの中で膨らんでいた。 「あっ……い、いえ、その……はい、ええ、こちらもその件は承知しておりますので……」 電話の相手は、少し偉そうな人みたいだ。 地球連邦の高官といったところだろうか。 でも俺は、そんなことは気にせず、姉さんのお尻を円を描くように撫でていた。 つるつるのナイロンの上を手のひらが滑る。 「ん……そうです。 今後も、これまでと……んんっ……あ、し、失礼しました」 両脚の間に手を差し入れ、太腿を下から撫で上げる。 ストッキング越しに、お尻の割れ目を指で上下にさする。 悩ましげに、姉さんのお尻が揺れた。 ……俺は思い切って、ストッキングの縁に手をかけた。 「あ……」 「す、すみません、もう一度お願いします……」 まぶしいほどに白い、姉さんのお尻と太腿。 そして、それを包むパンツ。 ストッキングの中に隠されていたそれらが、俺の目の前に現れた。 そっと触れる。 「ひぁ……」 キメ細かい肌は、うっすらと汗をかいている。 俺は、その太腿からお尻の膨らみをそっと撫で回した。 「あ、いえ、ですから、その……」 「すみません、後ほど詳細はメールでお送りしま……すので」 あまりの背徳感と、姉さんの困ったような、でも赤らんでいる顔に……自分がどんどん興奮していくのを止められない。 薄い布地で覆われた、ふっくらとした割れ目に……ついに、指を伸ばすことにした。 ふにっ「……ぁ……んっ……」 姉さんの下半身が、びくっと震えた。 ……指が埋まりそうになった。 ここの中に、姉さんの……「ええ、よろしくお願い致します。 はい、はい。 分かりました……」 もう一度、姉さんの筋に指を這わせる。 指先に、じわっとした湿り気を感じた。 がちゃっ「んっ……たっ、達哉くん」 「仕事の電話をしているのに……」 「でも姉さん……」 「ここ、濡れてきてる」 「そんな、濡れてなんか……」 「でも、ほら……」 姉さんの割れ目の上に染みができたパンツをなぞると、ちゅぷっという音がした。 「……もしかして、姉さん、感じてた……?」 「そんなこと……」 姉さんは否定してるけど……パンツに滲んでいる液体は、どんどん増えているようだった。 「ああ……だめ……そこは……」 ……。 何度も何度も、割れ目の上を往復した指は、さらさらした粘りのある液体で濡れている。 「姉さん……」 右手の中指を、割れ目に合わせてぎゅっと押し込む。 「……はあぁ……あっ……んああっ……」 パンツの布地ごと、指が割れ目に埋まる。 そこは……熱く濡れていた。 左手で、お尻が動かないように支え、埋まった指をそのまま動かす。 「ああっ……んんっ……、くぅっ……」 声を抑えようとしても収まらないといった感じで、姉さんが喘ぐ。 俺は、こんなに液体を溢れさせているパンツの下がどうなってるのか……見たくて仕方無かった。 パンツの上辺に指を伸ばす。 「な、なにを……」 「姉さんの……直に、見たいんだ」 「え、あ……だめ……、や……やめ……」 一気に、パンツをずり降ろす。 姉さんの大事なトコを隠していた小さい布地が無くなった。 「あ……」 「や……達哉くん、そんなに見ないで……」 これが、姉さんの……普段は、紺色の制服とその下の黒いストッキングに包まれている姉さんの身体。 その一番奥の部分が、何ひとつ隠すもの無く、目の前に広がっている。 「姉さん、綺麗だよ」 「やぁ……そ、そんなこと……ないわ……」 ちゅぷ割れ目の真ん中、蜜が溢れてきているところを、指で触ってみる。 「ああっ……そこは……っ!」 パンツとの間に引いた粘性のある糸も指で巻き取り、そこらじゅうに塗りたくる。 綺麗な色をした陰唇が、ぬらぬらと指の下で形を変えた。 「ぁ……んんっ……はぁぁ……」 姉さんの呼吸が荒くなっている。 手のひらは上を向けたまま、両脚の間に手を差し入れ、割れ目にそってぬめりを広げていくと……少しだけ、しこりのように固く尖っているものに触れた。 「ああっ……!」 両脚がぐっと閉じられ、俺の手が挟まれる。 その反応に気を良くした俺は、ぬめりの載った指だけを動かし、その肉芽をいじった。 手のひらは、もう姉さんから染みだしてくる淫液でべたべただ。 「ああっ……はあっ……あんっ、くうんっ……」 俺は、姉さんを昂らせているのが嬉しくて……そのお尻にキスをした。 「んんっ……や……ああぁ……はあぁ……」 俺の指がクリトリスをなぶり、舌がお尻を舐める度に、姉さんが苦しそうに喘ぐ。 苦しそうなのは……誰かに見られたらという恐れからか、それとも快楽に身を任せるのが怖いのか。 「姉さん、すごく……濡れてきてる」 「もう俺の手、べたべただよ……」 「ああ……いや……駄目、それ以上したら……私……」 もう一度、左手を使って、姉さんの左右の脚を開かせる。 右手も抜いて、両手で、姉さんの太腿を抱え……そっと、姉さんの割れ目に口づけた。 「はあんっ!」 びくびくっと腰が動くが、俺が両太腿をがっしりと抱いているせいで逃げられない。 俺は、舌を伸ばし、割れ目を撫でるように舐め上げた。 「……ああんっ……ううん……あぁぁ……」 「姉さん、どんどん溢れてる……」 「いや……言わないで……お願い……」 恥ずかしがる姉さんが可愛くて。 俺は、むしゃぶりつくように姉さんのお尻に顔を埋めていった。 舌での愛撫を始めたあと、姉さんの蜜壺から溢れてくる液はとめどない。 じゅっ……ずちゅっ……「ああっ、あはぁっ……んんっ……くぅぅっ……」 悩ましげに揺れるお尻。 その真ん中に顔を埋めている俺。 頬に当たるお尻の膨らみ。 鼻をつく、少し酸味のある匂い。 舌に感じる、姉さんのぬめり。 ……俺はもう頭の中が真っ白になって、ひたすらに姉さんを味わった。 「だめっ、ああっ……やぁ……ああんっ……んっ、んんんっ!」 割れ目の中に沈んだ舌は、姉さんの熱を感じていた。 鼻が、割れ目の後ろに控えめにあるお尻の穴を突つく。 「ああ……んああっ……はぁ、ああっ、ふああ……」 右の太腿を抱え込んでいる手を、前から股間に伸ばす。 中指の腹で、包皮に包まれた肉芽を、包皮ごと転がすように撫で回した。 「んんっ! くはぁ……あぁ……あっ、あああっ……やぁ……」 「ひぃあっ!……達哉くんっ、私……あぁん! おかしく……なっちゃうっ」 舌では受けきれないほどの愛液が、泉のように湧き出して来た。 小刻みに、お尻が震えている。 「ああっ……もう……もうっ……だ、だめっ、ああっ……ああぁっ……!」 姉さんが、再度逃げるように下半身を揺する。 ぴんっ、と指でクリトリスをはじく。 「はあぁぁっ! ああっ、んんっ……あああぁぁぁぁっっ……!」 じゅうっと、姉さんの秘裂から液体が溢れた。 俺は、それを残らず口で受け止める。 ぢゅっ、ぢゅううっ「はぁ、はあぁ……ああっ、はあぁ……」 「た、たつやくん……ああっ、すすっちゃ……いや……」 姉さんの膝はがくがくと震え、充血した陰唇がふっくらと膨らんでいる。 ……姉さん、いったのか?「姉さん、もしかして、今……」 「いや……言わないで……はぁ……ううっ……」 俺は姉さんを気持ちよくさせたことに、ささやかな満足感を覚えていた。 まだ、とろとろと蜜が垂れてくる。 俺は舌で丹念に舐めとった。 「はぁ……ふはぁ……あぁ……んんっ……」 まだ、呼吸が荒い姉さん。 その薄く桃色に染まったお尻を撫でつつ、立ち上がる。 「あぁ……達哉くん、ど、どうするの……?」 「姉さん、俺、もう……」 「あっ……」 俺は開き直って、ズボンの前にある膨らみを隠さなかった。 振り返ってこっちを見ている姉さんも、当然、そのテントのような膨らみに気づく。 でも、俺は……姉さんなら、こんな俺も許して、受け入れてくれるんじゃないかと思っていた。 「ここは……ちょっと……」 「じゃあ姉さん」 部屋の中を見渡すと、黒い革張りのソファが目に映った。 でも、このままじゃ姉さんは歩けないだろう。 俺は、姉さんのブーツを脱がせ、スカートも引っ張り下ろした。 すると姉さんが、左脚をストッキングとパンツから抜く。 「さあ、ソファへ……」 腰に腕を回し、ソファに姉さんを座らせた。 「た、達哉くん……」 「姉さん、綺麗だよ」 「そういうことを言って、からかっちゃいけないわ……」 恥ずかしさから、姉さんは脚を閉じているけど──正面から見ると、恥ずかしい部分が丸見えだった。 「それに、ここは博物館で、館長室なのよ?」 「でも、その館長室で、姉さんはさっき……」 大きな声を上げて、いっちゃったんだ。 「あれは……達哉くんが……」 弱々しい抗議。 「でも、姉さんは、一度も本気でやめてって言わなかった」 「逃げようと思えば、逃げられたはずなのに」 「逃げようとしたわ」 「でも……」 「でも?」 「達哉くんが、一生懸命やってくれてるのが、嬉しくて……」 「気持ち良くなっちゃって……」 そう言って、頬を染める姉さん。 そんな姉さんが、とてつもなく可愛く見えた。 「姉さん、見て」 俺はベルトを外し、ズボンを脱ぐ。 「俺も、姉さんを見てて……興奮してたんだ」 「そ、そんなに……」 ズボンが無くなると、トランクスが大きく膨らんでいるのがよく分かる。 「我慢しろって言われても、もう、無理かもしれない」 「でも、誰か来ちゃったら……」 「扉の鍵をかけておけばいい」 俺は、今まで開きっぱなしだった扉の鍵をかちゃりとかける。 「もう……達哉くん……」 「姉さん、俺……」 「姉さんと、したいんだ」 俺は、姉さんの両膝を開いて、その間に割り入った。 「あ……や……」 姉さんの秘裂は、なお閉じたままだ。 でもその割れ目からは、さっきまでの余韻か、透明な淫汁が垂れている。 片足に残っているストッキングとパンツが、妙に煽情的だ。 ……俺は、恥ずかしさを振り切って、トランクスを降ろす。 「た、達哉くん……」 「そんなに大きいなんて……」 「姉さんに……入りたいんだ」 ……。 姉さんは、俺の屹立したものをじっと見つめていた。 照れ臭くて逃げ出したいのを、ぐっと堪えて、姉さんの目を見つめ返す。 「しょうがない達哉くん……」 「男の人って、こうなってしまうと、もう止められないんでしょう?」 「う……そ、そう……だけど」 「俺は、姉さんだから、その、姉さんと……」 「あの……ね、達哉くん」 「私、その……えっと……」 「男の人と、こういうことするの……初めてなの」 「……う、うん」 ごくり、と喉が鳴る。 「だから……」 「優しく、してね……」 くらっと来た。 姉さん……初めてだったのか……。 もしかしたら……とは思ってたけど、姉さん自身の口から聞くと……頭の芯がじんじんと熱くなる。 「姉さん……」 ソファの前で中腰になると、目の前に姉さんの女性器がある。 俺は、そこを目指してガチガチに固くなったものを押し進めた。 「あ、そんなの……入るかしら……?」 「た、多分、大丈夫……だと思う」 ちょっと苦しい格好だけど、姉さんの足首を握る。 そのまま、もう少し前へ……「あ……ぅああ……」 亀頭が、姉さんの割れ目に触れる。 「……んんっ……んはぁ……」 俺は、割れ目のどこに挿れればいいのか分からず、とりあえず割れ目にそって亀頭を這わせた。 亀頭は、ほどなく姉さんの愛液まみれになる。 「ね、姉さん……あの、ここでいいのかな?」 「も、もう少し……下……よ」 勝手が分からず、腰に力を込めつつ、下へ竿を押し下げていくと……。 「ああっ……んっ!」 ずっ、と亀頭が前に割り行くポイントがあった。 「だ、だめ……やっぱり、入らな……」 姉さんが、息も絶え絶えに訴える。 しかし……俺も、もうここで止まることはできなかった。 「ね、姉さん……我慢して……」 じゅぷ……キツい。 亀頭のみが何とか姉さんの割れ目に収まったものの、一瞬でも気を抜くと押し返されそうだ。 「あ……いた……い……」 「だ、大丈夫?」 「ん……が、我慢する……わ……ああっ……」 俺も、本当にここに入るんだろうか、と少し不安になる。 痛がっている姉さんも、早く楽にしてあげたい。 俺は、ぐっと姉さんの両脚の間に腰を入れ、ソファの背もたれに手をついた。 「姉さん、少し痛いと思うけど……」 「達哉くん……好きよ……」 「だから……だ、大丈夫だから……」 「俺も、姉さんが好きだよ」 「うん……は、はやく……お願いっ……」 「はやく……達哉くんのを……挿れて……っ」 姉さんが、俺の背中に手を回す。 俺は、その手と、姉さんの言葉に勇気づけれられて……ぐっと腰に体重をかけた。 「姉さん、ごめんっ」 「んああっ、あっ、あっああああぁぁっっ……!!」 ずぶぶぅっっ!!誰も踏み入れたことの無い、姉さんの膣内。 そこに、俺のペニスが、突き刺さっていく。 キツい。 押し出されそうな中に、かろうじて踏み留まっている俺の怒張。 「はぁ……ああっ……来て、もっと、ああぁ……奥まで……」 姉さんの、処女の証。 そこを突き破ったところで止まっていた侵入を……姉さんは、更に続けるようせがんできた。 「いくよ、奥まで……」 「ええ……はぁ……あぁ……来て、来て……っ!」 更に、腰に体重を乗せる。 ずっ、ずぷう………っ狭い。 俺の肉棒も、ぎゅうぎゅうと締めつけられる。 「は……入ったよ、姉さん」 「うん……あぁ……当たって……奥に、当たってる……わ……」 「姉さん、痛い?」 当たり前のことだけど、聞いてしまう。 「う……ううん、だ、大丈夫……よ」 「でも、ちょっとだけ……このままで……」 俺のペニスは、狭い姉さんのヴァギナを押し分けて進み、今、最奥地まで到達している。 姉さんの身体の、一番深いところ。 そこは、熱くて、キツく締めつけてきて……そして何より、最初に受け入れたのが俺だった。 その事実が、俺を興奮させる。 「あっ……た、達哉くん……なんだか……大きく……なっ……」 俺の腰に手を巻き付けている姉さんは、呼吸が荒かった。 今や、二人の性器は深く結ばれている。 そして、熱くうねる姉さんの膣内の襞が、絶え間ない快感を俺の亀頭に与えている。 「あはぁ……はぁ……、あぁ……はあぁ……ん……っ」 姉さんの呼吸ひとつごとに、きゅっきゅっと膣が締まる。 ずっとズボンの中で圧迫されていたペニスは、その初めての刺激に喜び勇んでいた。 「姉さん……」 「ごめん、俺、動きたくって……」 「あ……え、ええ……それじゃ、ゆっくり……ね」 「ああ」 姉さんの膣内から、ゆっくりと肉棒を引き抜く。 「んっ、ああぁ……はあぁぁぁ……」 ため息のような喘ぎが、姉さんの口から漏れる。 ごぽっ抜ける直前、俺の肉竿と姉さんの陰唇の間から、赤い処女の証が垂れた。 カリ首が掻き出したのだろうか。 ……亀頭が全て抜けてしまう直前で、俺はまた姉さんの中へとペニスを埋めていく。 じゅぷ……じゅぷぷぅ……「あぅっ……あはぁぁあっ……ああ……っ!」 腰に体重をかけないと、狭い姉さんの中へと亀頭を押し入れることができない。 ゆっくり、姉さんの膣内へと、肉棒が沈み込んでいく。 ずちゅっ……「はぁ、はあぁ……うあぁ……ふはぁ……あぁ……」 「た、達哉くん……?」 「どうしたの、姉さん?」 「き、気持ち……いい?」 「ああ、もちろんっ」 俺は、苦しそうな姉さんが、俺が気持ちいいかどうかを気遣ってるので、少しムキになって答えた。 「すっごく、気持ちいい」 「姉さんの中、とてもいいよ」 「そ、そう……なのね……はあぁ……よ、良かったわ」 「姉さん、もっと……もっと、早く動いても……」 「ええ、いいわ……」 「私も、少し、慣れてきた……みたい」 嘘だと思った。 苦しそうな表情は、ちっとも変わっていない。 でも……俺は、それなら早く終わらせた方がいいのかと、猛烈な勢いで腰を動かし始めた。 「ああっ! あああっ! ふああっ!」 キツい肉壁を押し分けて、俺の剛直が出入りする。 じゅぷっ、ぬぷっ、じゅぷぷうっ!粘性の音が、二人の性器の間から漏れて、館長室に響き渡った。 「姉さん……姉さん……っ!」 「ああっ……達哉くんっ……うぁああぁ……達哉くん……」 姉さんの表情が、痛みに耐えるだけの顔から……少しずつ、艶を含んできている。 膣内の愛液も、心なしか新たに奥から湧いてきているようだった。 「ああんっ……はぁああっ……あふぅ……んんんっ……」 姉さんの嬌声にも、甘いものが混ざってきたようだったが……俺の方は、それより先に限界を迎えそうだった。 「ね、姉さん……俺、俺……もう……」 「えっ……ああっ……んぁああっ……はああん……っ!」 姉さんに聞こえていたかは分からない。 俺は、もう何も考えられなくなり、ただ激しく腰を振った。 「はあぁんっ……あはぁ……、あぁっ!……はあぁっ……んんっ!」 愛液と血とが混じった粘液が、どんどん肉棒の滑りを良くしていく。 これまでにも増して、姉さんの膣内に、深く、速く、ペニスを打ち込んだ。 「ああっ、もうっ、わ、私っ……ああっ、はああっ、んああっ……!」 閉じようとする姉さんの膝を、またぐっと割り開く。 そこにのしかかるように、俺は腰を沈める。 「ああ……ああ……んあぁ……た……達哉くんっ……達哉くんっ……」 姉さんの手が、俺の首に巻きついてきた。 「姉さんっ、姉さんっ……!」 もう、何も見えない、聞こえない。 腰を姉さんの脚の間にぶつけることしか考えられない。 じゅぷっ! ぬぷうっ! ずぷぷぅぅっ!そんな中で、最後に残った理性の一かけらが、生で中出ししていいのかと警鐘を鳴らした。 でも、その最後の一瞬まで、俺は姉さんの膣内にいたかった。 「あぁんっ! はぁんっ! んくうっ! あっ、ああっ、もう、もうっ……!」 「姉さんっ!」 ぐっと最後に姉さんの一番奥まで亀頭をぶち込んで……「んっ、あああぁっっっ!」 そこから、一気に引き抜いた。 どぴゅうっ! どぷぅっ! びゅるぅっ!見たこともないくらいの精液が、姉さんめがけて飛んで行く。 「はああっ! んんっ、ふはあぁぁ……っ!」 びゅうっ! どぷっ! びゅうっ!「はぁ……はぁ……」 「ああ……はあぅ……うぁ……はぁ……ふぁ……」 「た……たくさん……はぁ……出るのね……うぁ……」 「姉さん……」 「だ、大丈夫……?」 「ええ……とっても……良かったわ……」 姉さんは、太腿の内側から、お腹の上、そして胸までが俺の精液でどろどろになっていた。 俺のペニスも、自分の精液と姉さんの愛液、そして血でぬらぬらしている。 「達哉くんは……気持ち良かった?」 「姉さん、俺、とても……」 「でも、途中から、自分のことしか、考えられなくなっちゃって……」 「いいのよ……達哉くんが良かったなら、いいの」 「私も、嬉しかったんだから」 そう言って、姉さんは欲望をぶつけた俺を許してくれる。 俺は、嬉しくて涙が出そうだった。 「あ、姉さん、ティッシュは」 「私の机の上よ」 館長机の上から、箱ごとティッシュを持ってくる。 俺はそこで、自分のものをささっと拭いて、姉さんのところへ戻ってきた。 「こんなに汚しちゃって……ごめん、姉さん」 「ううん、いいの」 「きゃっ……た、達哉くん?」 しゅっ箱から抜き取ったティッシュで、姉さんを拭いてあげる。 「あっ、いいわっ……じ、自分でやるから……」 「いや、俺にやらせて」 「俺が……こんなにしちゃったんだから」 「で、でも……恥ずかしい……わ」 俺は、姉さんがそう言うのを無視して、太腿からティッシュで拭き始めた。 「あぁ……あっ、んっ」 まだ敏感なのか、少しティッシュを動かすだけで、姉さんはびくびくっと震えた。 両方の内腿から、徐々に足の付け根に向かって拭き進める。 「そ、そこはいいから……ぁあんっ」 次のティッシュで、姉さんの割れ目を丁寧に拭く。 下から撫で上げるように。 割れ目の間も。 「あぁ……やっ、そんなとこまで……っ」 ティッシュは、すぐにぐしょぐしょになり、次々と新しいものが必要になる。 粘液に混じっている血は、姉さんへの申し訳無さと、征服感を高めていく。 「姉さん……」 「な、なに?」 「本当に、俺が初めてだったんだ」 「え、ええ……」 「ごめんなさい……」 「えっ、な、何でごめんなんて」 「もっと、私が上手くリードしてあげられれば良かったんだけど……」 「そ、そんなっ」 「俺は、姉さんが初めてで嬉しかったよ」 「姉さんの初めての男になれて、嬉しかったって言うか……誇らしかった」 「そう……なの?」 「ああ」 「俺こそ、姉さんが初めてなら、もっと優しくしなくちゃいけなかったのに……」 姉さんが……ティッシュを持っている俺の手に、手のひらを重ねてくる。 「ううん、達哉くんは優しかったわ」 「今度は、二人でもっと……ね?」 「あ……も、もちろんさ」 ……。 …………。 それから、互いに服装の乱れを直した。 事が済んで向き合うと……「……」 「……」 なぜか、妙な気恥ずかしさがあった。 今になって、やたらと顔が熱くなる。 「まさか……ここで初体験を迎えるとは思ってなかったわ」 「あ……ご、ごめん」 「いいのよ……」 「いつか、どこかで迎えるものだったのが、たまたま今日、ここだっただけよね」 「それに、達哉くん……たくましかったし」 「よしよし」 「うあぁ……」 俺は、姉さんの笑顔がまた見れて、嬉しかった。 「これからも、よろしくね」 「お、俺こそ」 「うふふ……」 「子供扱いしてるんじゃないのよ」 「達哉くんが、しっかりと育ってくれた、ご褒美」 ……。 これだから、姉さんには敵わない。 「私と、達哉くんがしっかりしていれば……」 「うちは大丈夫」 「……ずっとね」 「ああ」 「お茶でも飲む?」 「……はい」 こぽこぽ……葉っぱの入った急須にお湯が注がれ、少しの間、蒸らされる。 そして、湯飲み二つに注がれたお茶が、目の前のテーブルに置かれた。 「どうぞ」 「あ、いただきます」 ずず緑茶をすする。 姉さんと……する前に飲んだのと同じ味だ。 「改めまして」 姉さんの背筋が、いつもと同じようにしゃんと伸びた。 「私、達哉くんのことが好きよ」 「え……」 「大好きよ」 「達哉くんにばかり、何度も好きって言わせちゃったもんね」 「あ、う、うん」 姉さんが、明るく笑う。 姉さんが笑っていると、俺も……なんて言うか、とても心強い。 「これからは、一人じゃない」 「二人で、頑張ろうね」 俺は、力強く頷いた。 ……。 昨日の夜は、何事も無かったかのように、家で夕食を食べた。 そのまま、いつも通り、風呂に入って自分の部屋に戻る。 でも、ベッドに入ってからは……姉さんと、一つに結ばれたことを思い出してしまって、ずっと眠れなかった。 ……。 姉さんの髪、姉さんの唇、姉さんの身体、姉さんの感触……。 そして、姉さんにとって、俺が初めてだったこと。 俺を受け入れてくれたこと。 姉さんが俺を頼りにしてくれて、そして好きだと言ってくれたこと。 思い出す度に、嬉しさが込み上げてくる。 ……。 …………。 おかげであまり眠れなかったけど。 今日もまた姉さんと会えるんだと思うと、目はきっちりと覚めた。 姉さんと会えるのが、純粋に嬉しい。 「おはよう」 「おはよー、お兄ちゃん」 「おはようございます」 「おはよう、達哉くん」 「ね、姉さん?」 「今日は……早いんだね」 「びっくりだよね」 「お茶も、まだお出ししていないんです」 「ずいぶんな言われようでしょ」 「ひどいと思わない? 達哉くん」 「いや、俺も驚いた」 「ひどいひどい。 ぶーぶー」 ……ふざけて見せてるけど。 姉さんは、きっと、俺と同じ理由で目覚めが良かったんだと思う。 自意識過剰な気もするけど……それでも、当たってる自信が今はあった。 「おはようございます」 「さ……さやか?」 「ほら」 「普通びっくりするって」 「むー」 ずいぶんお茶目な姉さんだ。 ……。 「皆さんに、お知らせしたいことがあります」 食後。 フィーナが全員に向けて言った。 「明日から、私はミアと一緒に、公務に赴かなくてはなりません」 「各地を回るので、一週間ほど掛かります」 「その間……この家を離れることになります」 ミアは、フィーナの後ろで黙って聞いている。 「お土産を買ってきますので、楽しみにしていて下さいね」 そう言って、フィーナは微笑んだ。 地球に居られる残り日数もあまりないのに、一週間か……。 「フィーナ、大変だな」 「いえ、これでもずいぶん減っているのよ」 「カレンが頑張ってくれたおかげね」 姉さんを見ると、優しい表情で頷いていた。 「麻衣さん、色々とお願いしたいことが……」 「ジャムの管理とかも、教えてくれればちゃんとやっとくから」 「安心して行ってらっしゃい」 「ありがとうございます……」 キッチン組にも、引き継ぐことがありそうだ。 ……。 …………。 その日、フィーナとミアは出発の準備で忙しかった。 一週間ずっと出先を転々とするのは、大変そうだけど……行ったり帰ったりを繰り返すよりは、一度に回ってしまう方が楽だとか。 ……。 夜には、トラットリア左門にみんなが集合した。 フィーナとミアが、一週間元気でいられるように。 おやっさんが作ったメニューは、「精がつくイタリア料理」 だった。 量も多かったので、みんなで平らげるのが精一杯。 這うように、家に帰ってきた。 ……。 「お、お腹いっぱいです~」 「本当に。 一週間分食べてしまったわね」 「じゃ、風呂洗って沸かしてくるから、ゆっくり浸かってくれ」 「ありがとう、達哉」 「ここだけの話だけれど……」 周囲を軽く確認するフィーナ。 「帰ってくる時に、いいお土産を持って来ることができるかもしれないの」 「へえ」 「楽しみにしてればいいのかな」 「ええ、確定するまでは、みんなには内緒にしていて頂戴」 「分かった」 「ちなみに……誰あて?」 「そうね……みんなだけど、やっぱりさやかになるかしら」 「でも、本人に話してしまうと……」 「万が一の時、ぬか喜びになってしまうから」 「そうだな」 ……。 風呂を出てから、二人は早々に寝たようだ。 続けて、今は麻衣が風呂に入っている。 ……。 風呂が回ってくるのを待つ間は……ソファにでも寝転がって、スポーツニュースでも見るか。 ……。 そう思って、リビングに来ると。 ……姉さんが先にソファで寝ていた。 「すう……すう……」 朝、張り切って目を覚ましていたからだろうか。 安らかな寝息を立てている。 その寝顔に近づき……鼻息が掛かりそうな距離からじっと見る。 ……。 「すう……ん、んんっ……」 ……化粧っ気のほとんど無い、あどけない寝顔。 何となく、指で突ついてみる。 ぷにっ「んっ……す……すう……」 突つかれた瞬間は、少し苦しい顔をするものの、すぐに寝息に変わる。 もう一度つつく。 ぷにっ一瞬だけ眉間に皺を寄せ、またすぐに子供のような表情で眠りに落ちていく。 こんなに無防備に眠っているのを見ると……つい、悪戯したくなってしまう。 ……。 耳に息を吹きかけてみる。 ふうっ「んんっ……」 艶っぽい声を上げる姉さん。 ふくらはぎを、撫でてみる。 つつーっ「あ……ん……」 ぴくっと全身に震えが走る。 膝の近くにある指を、そのまま太腿の付け根の方へ……つーっ「あぁ……」 ……。 「こら、達哉くん」 ぺし手のひらで、頭を叩かれた。 「調子に乗るんじゃありません」 「えっ、あ……えっと」 「起きてたんだ、姉さん」 「ええ」 ぷりぷり怒っている姉さん。 目が覚めていた姉さんは、俺が何をするのか確かめてたんだ。 今のは……俺が謝る以外に無い。 「ごめんなさい」 素直に頭を下げる。 「あまりにも無防備に姉さんが寝てたから、つい……」 「もう、達哉くんたら……」 「そういうことがしたいなら、ちゃんと言ってね」 「え」 「……」 姉さんの顔がアップになり、俺の唇に、柔らかくて熱い感触。 「私だって、達哉くんと……」 「その……」 「キスしたり、くっついたりしたいんだから」 「姉さん……」 姉さんの肩に手を置き、今度は俺から唇を重ねた。 ……そこに、廊下からこっちに近づいてくる足音。 「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」 「……あれ?」 とっさに、ソファの手前に倒れ込んで、隠れてしまった。 ……隠れてどうするんだ。 麻衣がちょっと探せば、こんなところ簡単に見つかってしまう。 「もー、お兄ちゃんってば」 「最後の人は、電気消してって言ってるのになぁ……」 ……。 …………。 「……」 「……」 「……もう、行ったかな?」 ……。 「でも、達哉くんの部屋に行ったんじゃない?」 「部屋にいなければ、またすぐ下りて……」 俺は、立ち上がろうとする姉さんを押さえ、唇を押しつけた。 「んんっ……!?」 驚いた姉さんも、一瞬のためらいの後、俺に身を預け……いや、俺よりも積極的に抱きつき、足も絡めてくる。 「んちゅっ……ちゅ……んぅ……」 図ったように同じタイミングで舌を伸ばす。 「ふ……ちゅう……んん……ぢゅっ……」 姉さんの熱い息が、俺の頬をくすぐる。 俺と姉さんは、床のカーペットの上で絡まり合って……互いを激しく求めていた。 「んちゅ……ぷはぁ……」 「達哉くん、ここまで」 「だね」 俺は立ち上がると、リビングの電気をつける。 「あれ、お兄ちゃん?」 「ずっとここにいた?」 「ああ」 「ソファで寝てたら、床にずり落ちてた」 「もー、寝相悪いんだから」 「電気消してくれたんだな、ありがとう」 「ううん」 「それじゃ、お風呂入ってね」 「ああ、おやすみ」 「おやすみー」 ……。 …………。 「危ないところだったけど、なんとか」 「でも……麻衣ちゃんには、遅かれ早かれ分かっちゃう話よ」 「近いうちに、私たちの方から、ちゃんと説明しないと」 難しいことのような気がするけど……姉さんが微笑んでると、簡単に何とかなるような気がする。 「そだね」 ……。 早朝、フィーナとミアが出発する。 俺も眠い目をこすって、家の前に出た。 「私も、月人居住区まで一緒に行ってお見送りしますね」 「それでは、行って参ります」 「行って参ります」 「行ってらっしゃい」 「楽しんできてね」 ……。 俺と麻衣の前から、大使館の車が遠ざかっていく。 ……。 麻衣と二人で、簡単な朝食を済ませる。 「わたしは、今日も部活で学院に行くけど……」 「お兄ちゃんは一人で留守番してる?」 「んー、出掛けるかも」 「そっか。 出掛けるなら、お米買っておいてくれないかなー」 「5キロでいいから」 「はいはい」 「いつもと同じ銘柄な」 「うん、じゃあ行ってきまーす」 一人になったけど、あまりすることが無い。 イタリアンズとの散歩から帰ってくると、手持ち無沙汰になってしまった。 ……。 フィーナ達を送って行った姉さんも、もう博物館に戻っているかな。 俺は、とりあえず博物館に行ってみることにした。 雑用でも、姉さんを手伝えることがあるかもしれない。 ……。 「あら、朝霧君」 「こんにちは」 「姉さん、いますか?」 「ふふ……最近館長べったりね」 「そ、そんなことないですけど」 「また、手伝えればと思って」 「ありがと。 夏休みを交代で取り始めたから、人が足りないのよ」 ……。 姉さんが館長室にいるのを確認して、俺は館長室に向かった。 扉をノックする。 こんこん「はーい」 「どうぞー」 がちゃ「達哉くん」 「あ、えと、何か手伝えることがあるかなと思って」 「今日は……左門でのバイトまでの間ね」 カレンダーを見て曜日をチェックすると、姉さんはモニターに向かう。 「ちょっと待っててね」 ……。 スケジュール表のようなものが出ている。 「うーん……」 俺は、姉さんの後ろに周り、肩ごしにモニターを覗き込む。 姉さんの髪からは、ふわっといい香りがする。 「姉さん、どう?」 「……やっぱり、スケジュールとか聞いてから来た方が良かったかな」 「ううん」 「達哉くんが頑張ろうとしてるんだから、私も手を貸せるだけ貸さないとね」 そう言った姉さんは、モニターとにらめっこしたまま、うーん……と唸っている。 でも、俺の頭は……姉さんの香りでいっぱいになっていた。 「そうね……」 「じゃあ、また資料の整理をお願いしようかな」 立ち上がる姉さん。 俺は、なぜかとっさに姉さんの腕を掴んでいた。 「あっ」 「姉さんっ」 姉さんは、そのまま……俺の胸の中に倒れ込んできた。 「……」 「……あ」 「ご、ごめん」 ……そう俺が謝るのと同時に。 姉さんの手が、俺の背中に回った。 「……達哉くん」 「仕事中よ……」 「で、でも……」 俺は、それ以上反論する代わりに、姉さんの肩ごと腕の中に包みこんだ。 もう一度、姉さんの髪の香りを、鼻から吸い込む。 「姉さん、いい香りがする」 「嘘」 「私が使ってるのは、お風呂にあるシャンプーよ」 「いや」 「シャンプーの香りじゃなくて、姉さんの香りだ」 「な、何を言ってるのよ、もう……」 そう言うと、姉さんは恥ずかしそうに、俺の胸に顔を埋めた。 Tシャツの薄い布地を通して、姉さんの熱い吐息を感じる。 「達哉くんの匂いがする」 「そ、外は暑かったから……」 「ちょっと、汗くさいかも」 とか言いつつ、さっきシャワーを浴びてきて良かった、とそっと胸をなで下ろす。 「胸も、背中も、広くなったのね」 「身長だって、姉さんより高いよ」 「あーあ」 「抜かれたの、つい最近だと思ってたんだけどな」 そう言って、俺の背を見上げる姉さん。 ちょうど、口の前に額があったので、髪をかき上げて軽く口づける。 ちゅっ「達哉くん……」 切なそうな声と視線が俺を虜にする。 俺は、今度は少しかがんで、姉さんの唇にキスをする。 直前に瞼を閉じた姉さん。 俺は、片手で肩を、片手で腰のあたりを抱き寄せる。 二人の身体の全面が、ぴたっと密着した。 「ちゅっ……ちゅ……ちゅうっ……」 鳥がさえずるような音が、二人の唇の間から漏れる。 その音は、少しずつ、湿り気を帯びて……いつしか二人とも唇を開き、互いの舌を絡ませていた。 「ちゅ……ぢゅっ……ぷはぁ……」 姉さんの腰に回した手を、少しずつ下にずらす。 お尻の肉が、柔らかく丸くなっているところを、撫でる。 何度も何度も、執拗に撫でる。 「ちゅう……んんっ……ぢゅ……あふぁ……」 姉さんの口から、喘ぎが漏れた。 「あ、だ……だめ……」 俺は、もう止まれなくなりかけていた。 「姉さん……」 こんこんっ「!」 「!」 俺たちは、慌てて身体を離す。 素早く。 それでいて、なるべく物音を立てないように。 「は、はーい」 姉さんは、一瞬こちらに視線を走らせ、大丈夫なのを確認してから返事をした。 「どうぞー」 がちゃ「こんにちは」 「カレン、ようこそ」 「達哉君もいたのですね」 「こ、こんにちは」 ……。 それから、二人は仕事の話をするということで、俺は席を外すことにした。 昼下がりまで、未整理資料を入れた箱のラベル貼りを延々と続ける。 ……危なかった。 この前は閉館してからだったけど、今日は真っ昼間だ。 カレンさんに限らず来客があっても全然おかしくないし……そもそも、いつかは館員の誰かが入ってきただろう。 カレンさんみたいに、ノックの返事を待たないことがあるかもしれない。 ……そう考え始めると、カレンさんで良かった。 まだ、服も乱れていなかったし。 「ふう……」 深い安堵のため息をついた。 気をつけないと。 ……。 …………。 「よっ……と」 商店街で、麻衣に頼まれていた米を買って帰る。 5キロって重さがまた難しい。 ちょっと持つ分には軽く感じたんだけど……持って歩く距離が長くなると、途中からどんどん辛くなる。 米が入った袋を、右手で持ったり左手で持ったり。 指が痛くなったら抱えて持ったり。 更に抱き抱えてみたり。 ……そんなことをしているうちに、何とか持ち帰ることができた。 しかし。 今の米の持ち運びは、なかなか重労働だった。 おかげで、Tシャツが背中に貼りついている。 イタリアンズと散歩に行ったあとに一度シャワーを浴びたのに……左門のバイトまでには時間がある。 ……もう一度シャワーを浴びるとするか。 がちゃ「ただいまー」 ん?姉さん?「達哉くん、ただいま」 「お帰り、姉さん」 「あ、お米買ってくれたのね」 「重かったでしょう。 お疲れ様」 「それより……どうしたの、今日は?」 「ずいぶん早いよ」 「今朝は、フィーナ様の出発準備でかなり早かったじゃない?」 「おかげで、仕事も早く上がれたの」 「そういうものなんだ」 「せっかく珍しい時間に帰れるんだから、帰っちゃうことにしたんだけど……」 「ふふ……日差しが強くて、汗かいちゃったわ」 「姉さん、なんだか楽しそうだね」 「だって、こんな時間にお家にいられるなんて、珍しいじゃない?」 「そうだ」 姉さんが、少し悪戯っぽい瞳で俺を見る。 「一緒に、お風呂……入らない?」 「風呂、今ちょうど入ろうかと思って…………えええっ?」 「いっしょ……に?」 顔を赤らめる姉さん。 「ええ……嫌かしら?」 「ね、姉さんが入ろうって言うなら……」 「じゃなくて、入ろう。 一緒に。 入りたいっ」 「じゃあ、決まりね」 ……。 …………。 「さあ、達哉くんも脱いで脱いで」 「あ、う、うん……」 いつもは、一人で入っている風呂。 そこに、姉さんと一緒に入るってことは……。 「どうしたの?」 「いや、その……」 早くも、バスタオル一枚しか身につけてない姉さん。 腰のくびれも、乳房の膨らみも丸分かりな上に、裾から長くすらりと伸びた脚は……健康な男子には、教育上良くない。 「もしかして……照れてる?」 「そりゃ照れるだろっ」 ……ここ10年以上、異性と風呂に入ったことなんて無い。 「ほら、私だって恥ずかしいんだから、達哉くんが恥ずかしがっちゃだめよー」 姉さんが、俺のトランクスを引き下ろそうとする。 「わっ、自分でっ、自分で脱ぐってばっ」 バスタオル越しに、姉さんの胸がぷにっと俺の背中に当たる。 「じゃあ、恥ずかしがってないで、早く脱いでね」 「ね、姉さんだって、バスタオルで身体を隠してるじゃないか」 「私がバスタオル取ったら、達哉くんも脱いでくれる?」 「う……えっと……」 一緒に風呂に入るということと、さっきの姉さんの胸の感触で……早くも、股間に血が集まっていた。 「あ、もしかして……」 姉さんがくすっと笑う。 「な、なんだよっ」 「えいっ」 後ろから、俺の腰に手を回す姉さん。 「あっ」 トランクスの上から、既に上を向いて固くなっているものを、きゅっと握られる。 「ふふ……達哉くん、今日も元気なのね」 「ね、姉さんのせいだって」 「嬉しいわ」 「私の身体を見て、こんなになってくれるんだもん」 きゅきゅっと、姉さんは肉竿をリズムをつけて握る。 「あ……姉さん……」 ……かと思うと、握ったまま小刻みに上下に揺すってきた。 しかも、また胸が背中に当たっている。 「達哉くん……気持ちいい?」 「う……き、気持ちいいに決まってるだろ……」 「ふふ……かわいい」 その吐息が背筋に当たり、俺はびくっと震えた。 はらっ「あぁっ」 姉さんのバスタオルが……床に舞う。 何も身にまとっていない姉さん。 一糸まとわぬ姿を見るのは、初めてだ。 「わ……もっと固くなった」 姉さんの柔らかな指が、俺の屹立をそっと握る。 「だから、姉さんのせいだってば」 「……続きは、お風呂の中で、ね?」 「ん……」 俺も、トランクスを脱いで裸になり……姉さんの後に続いて、浴室に入った。 ……。 温めでいいからと、姉さんは湯船にお湯を張っていた。 俺と姉さんは、ざっとかけ湯をして、すぐに湯船に入る。 「ちょっと、狭いかな?」 「でも、その方がくっついていられるでしょ?」 「ま、まあ……」 姉さんと一緒に湯船に身を沈める。 俺が先に入ったところに、姉さんは、両脚の間にするっと入ってきたのだ。 「姉さん……」 「あっ……」 俺は、姉さんが入ってきてすぐに、いろんなところを弄り始めた。 頭を撫でる。 胸を揉む。 首筋から耳へと舌を這わせる。 そして……両脚の間に指を這わせる。 「も、もう……達哉くんったら……」 「あ、ご、ごめん……」 「だって、こんな体勢じゃ」 「だからって、焦らないの」 姉さんは、そう言うと……右手で俺の内腿を撫でた。 「時間はあるし、お風呂は温くしたから……」 「少しずつ……ゆっくり楽しみましょう?」 俺は、もう一度姉さんの頭を撫でた。 「達哉くんに頭を撫でられると、安心するの」 「そう?」 「ええ」 「いつもは、私が撫でるじゃない?」 「達哉くんも、麻衣ちゃんも、他のみんなも……」 ……。 「でも、本当は、私が誰かに頭を撫でてほしかったのかもしれない」 「……良く頑張ってるよって、ね」 「姉さんは、頑張ってるよ」 「俺も麻衣も、姉さんのおかげで……」 「うん、ありがとう」 「でも今は……」 「ただ、私の頭を撫でてくれると、嬉しいな」 「ああ」 ……姉さんの髪の香りが鼻をくすぐる。 胸から、お腹から、腕からお腹から……姉さんの息づかいと鼓動が伝わってくる。 「ああ……少し、照れるわね……」 息づかいと鼓動を伝えてくる姉さんの肌。 すべすべしていて……ぎゅっと強く抱きしめれば、それだけで壊れてしまいそうな。 ……。 俺は、そっと姉さんの太腿をさすった。 「あっ……」 でも、今度は……姉さんから咎められることは無かった。 右手では、姉さんの頭を撫で続ける。 左手では、姉さんの身体を隅まで味わい尽くすように、ゆっくりと、撫で回す。 「んっ……はあぁ……」 姉さんの太腿の内側は、絹のようにさらさらしている。 それだけじゃなく、ふにふにと柔らかくて。 指に少し力を入れると、マシュマロのようにへこみ……指を離すと、ほよんと元の形になった。 「あぁ……あぁんっ……はぁ……」 姉さんのお腹。 びっくりするくらいに細い腰。 こんな細い腰の中には子宮があって、命を育む仕組みがあるなんて信じられない。 臍のあたりを撫で回すと……姉さんが軽く身をよじった。 「あっ……うふふ……達哉くん、少し、くすぐったいわ」 姉さんの腰が動くと……その後ろにある、俺の股間にお尻が擦りつけられる。 それが気持ち良くて、俺は姉さんの臍をくすぐった。 「きゃ……あはぁ……あはは……っ」 「もう、くすぐらないでよ、達哉くん」 俺の太腿を撫でていた姉さんの右手が、俺の肉棒をそっと握る。 「あっ」 「ほら、こんなにして……」 「さっきから、これがお尻に当たってるのよ」 「……なんだか、待ちきれないって言ってるみたい」 そう言って、くすりと笑う姉さん。 「仕方無いだろ」 「姉さんがこんな……」 「お姉ちゃんを、もっと気持ち良くさせて?」 ……姉さんの口からは聞いたことの無いような、艶のあるおねだり口調。 俺にとっては、いわば育ての親でもあった姉さん。 いつだって俺たちを励まし、褒めて、時には叱ってくれた大きな存在の姉さん。 その姉さんに……そんなことを言われちゃ、断れやしない。 「じゃあ……」 ふにっ俺は、姉さんの胸を揉んでみた。 「あっ……あぁ……んっ……」 すごい。 さっきまで撫でていた、太腿とは比べ物にならないくらいの柔らかさ。 この前、博物館の時の感触は、焦っていたせいかあまり覚えてない。 だけど今、俺の手のひらの中で、俺の指の動きに合わせて形を自在に変える乳房は……この世のものとは思えないくらいに、柔らかかった。 「はあぁ……はぁ……う、うん……」 ふよふよ……きっと、姉さんの胸の中には幸せが詰まっている。 そんな思いすら抱かせた。 ……柔らかい乳房の真ん中では、乳首がつんっと勃っている。 ピンク色の突起を、親指と人指し指で挟んだ。 「ああっ……くうぅ……はああぁん……」 姉さんの身体がぴくぴくっと震える。 「達哉くん、そこは……敏感だから、優しくね……」 「うん、分かってる」 指の間で転がすように、乳首をそっと弄ぶ。 すると、面白いくらいに固さを増していった。 「ふあぁ……あはぁ……んくぅ……」 左右の乳房を同時に揉みしだく。 左右の乳首を同時に捏ねる。 「ふはあっ……ああん……んん……っ」 両手の中指で、つんつんっと乳首を突つくと……それに抗議するように、乳頭がかわいく水面から飛び出した。 「姉さん、こんなに勃ってるよ」 「う、うん……気持ちいい……の」 姉さんの声がとろけてきたので、俺は再び姉さんの下腹部に手を伸ばす。 お湯の中だけど……そこからは、粘液が漏れ始めているのが分かった。 「姉さん、濡れてるんだ?」 「あ……分かるのね……」 姉さんが、恥ずかしがって腰を引く。 すると、またお尻が俺のペニスに押しつけられた。 姉さんの手が、俺の陰嚢に伸びて……手のひらで玉を転がすように、ほよほよと弄ぶ。 俺も、姉さんへの愛撫を強めることにした。 割れ目の上端にあるクリトリスを、中指と薬指で包皮ごと挟む。 「う……ん……、ううっ……はああぁ……っ」 ため息のような、喘ぎのような声が、姉さんの口から漏れた。 俺はそのまま、指を割れ目沿いで蠢かせる。 左右の陰唇を割って、中指と薬指を侵入させた。 「ああっ……ん……んふ……はあぁ……」 指先に、粘性のある液体の存在を感じる。 そこからは……先程にも増して愛液が溢れていた。 「姉さん、すごい……」 「お湯の中でも分かるくらいだよ」 「あ……そ、そうね……」 恥ずかしがる姉さん。 「でも、達哉くんのこれも、ずっとお尻で感じてるわ」 そう言って、陰嚢を弄んでいた手が、肉竿へと伸びてくる。 「あ……うっ……」 姉さんは指でわっかを作り、竿の部分を上下させてきた。 少しぎこちない動きが、また新鮮な刺激となって……俺のペニスも、風呂の中とは思えないくらいに固くなる。 「達哉くんの……大きくなった?」 「姉さんが……いじってるからだよ」 「でも……すごい……」 「これが、私の中に入っていたのね……」 その「入っていた場所」 への愛撫を続ける。 入り口は十分にほぐれたような気がしたから、姉さんの膣内への侵入を試みる。 「あっ! んんっ……うぅ……っ」 「姉さん、痛い?」 「だ、大丈夫よ……」 姉さんのことだから、痛くても大丈夫と言うに決まってる。 俺は、慎重に、他の指よりは柔らかそうな薬指を押し進めることにした。 「あ……入って……くるわ……」 姉さんが、逃げるように腰をよじる。 ちゅぷっ…………薬指は第二関節までが飲みこまれた。 姉さんの中は、熱くて、そして狭い。 この前、ここに俺の剛直が飲みこまれていたなんて、思えないくらいだった。 「うあっ……あんっ……ああんっ……」 親指の腹で、クリトリスを小刻みに押す。 姉さんの首筋には、何度もキスをする。 同時に、薬指を少しずつ奥へ……奥へ……「くはっ……あ……っ……はあぁぁ……ぁぁ……」 ついに、薬指は根元までが姉さんの肉襞に包まれた。 姉さんの膣内は、異物を押し出そうとするように、ぎゅうぎゅうと締めつけてくる。 「姉さん……すごい締めつけてくるよ」 「そ、そう……ね……はぁ……あぁ……」 姉さんは、苦しそうに呼吸をしながら答える。 俺は、差し込んだままの薬指を、左右にくいっと捻ってみた。 「あっ……すご……い……うぅんっ……あはぁ……」 脚を閉じ、身を悶えさせる姉さん。 一度閉じた両膝の間に右手を入れ、左右に開かせる。 その間も、左手の薬指と親指は動かし続けた。 「ああっ……だ、だめ……た、達哉く……ん……」 「も、もう少し……あ……よ、弱く……」 「もっと、気持ち良くなって」 「ああぁ……っ!」 俺は、姉さんが動けないように、がっちり身体を抱え込んだ。 割れ目からは、いよいよ大量の愛液がお湯の中へとにじみ出す。 薬指を、そっと姉さんの膣内から引き抜く。 「はあぁ……あぅ……ああぁぁ……はぁぁ……」 そして、全部抜ける前に再び奥へと差し入れる。 「あっ! あぁ……ぅ……んくっ……ああぁ……」 抱きすくめられて動けない姉さんは、俺の肉棒をぎゅっと握って、快感を伝えてきた。 ……俺は、指の動きを少しずつ早める。 ぬるうっ……ずぷぅ……っ初めは鼓動に合わせたくらいのペースで出入りしていた指も……姉さんがどんどん昂っていくのに合わせて、すごく早くなっていった。 「あっ、あっ、あっ、ああっ、ああっ、あん……っ!」 右手では乳首を転がし、左手の親指は、変わらずクリトリスを突つく。 「あっ! た、達哉く……ん……だ、だめっ、あああっ……あっ!」 姉さんの絶頂が近い。 俺は、姉さんのお尻にギンギンに固くなったペニスを押しつけ、左手の動きを更に早めた。 「ああんっ! そんなに……速くしちゃ……あっ、ああっ、んんん……っ!」 姉さんが、精一杯身悶えし、俺の指から逃れようとする。 「あぁん……ああっ! あっ……あっ、ああっ……あああっ、ふああああああっ!」 びくびくっと、電気が流れたように全身を震わせる姉さん。 俺の薬指も、ちぎれそうなくらい強烈に締めつけられた。 「あ……! うぁ……ぁ……、はぁ……ぁ、あぁ……」 水槽の金魚のように、口をぱくぱくさせている。 「ね、姉さん……?」 「あ……ふあぁ……はぁ……あぁ……、あぁ……」 俺は、薬指をそっと姉さんの中から抜く。 こぽっ……一緒に、姉さんの膣内に溢れていた愛液が流れ出た。 「はぁ……はぁ……た、達哉くん?」 「姉さん、気持ち良かった?」 「え、ええ……とても……良かったわ……はぁ……」 「でも……」 姉さんが、俺の肉棒をぎゅっと握ったままだった手を、きゅきゅっと揺さぶる。 「次は、達哉くんにも……気持ち良くなってもらいたいの」 「あ、ああ」 上気した顔で俺を振り返った姉さんと、口づける。 んちゅっ……ちゅぅ……最初から舌を絡めたキス。 互いの舌が相手の口の中に入ろうとして、よじれる。 姉さんは、俺の舌を伝っていった唾液を、こくっと飲み下した。 「ぷはぁ……はぁ……ねえ、達哉くん……」 「わたし、どうすればいいかしら?」 「あ、えっと……」 どんな体位がいいかなんて、全く考えてなかった。 とりあえず……「姉さん、一度立ち上がって?」 「はい」 素直に、俺の言うことに従う姉さん。 その従順さに、俺はかぁっと顔が熱くなった。 「姉さん、身体を前に倒して……」 「こ……こう?」 「そして、もう少し、その……」 俺は、姉さんの腰を支えるように、両手で持ち上げた。 「お尻を上に突き出すように……」 俺がそう指示すると、姉さんは背を弓なりに反らせ、お尻をくっと上に突き出した。 これで……ちょうど俺からは、姉さんの女性器が丸見えになる。 「あ、でも……」 「この格好は……恥ずかしいわ……」 「ご、ごめん」 「あ、いいの、いいのよ」 「達哉くんがやりやすいようにして……ね」 そんな言葉のせいか、温いとはいえお湯に浸かっていたからか、俺は頭がくらっとした。 「姉さんっ……」 無造作に、天井を向いてそそり立ったペニスを、眼前のお尻の割れ目に押しつける。 「あぁ……っ、た、達哉くん……」 亀頭が、竿が、陰嚢が……姉さんの割れ目からお尻までを蹂躙すると……姉さんが、切なげな声をあげた。 ちゃぷっ、とお湯が跳ねる。 「え……あぁ……んあっ……」 まあるいお尻を、両手で撫で回す。 姉さんに押しつけていた股間を、少し放してみると……そこは、姉さんの中から分泌された淫液で、てらてらと輝いていた。 指で、割れ目に沿って撫でてみる。 「あぁ……んんっ……い、いつでも……いいのよ……?」 姉さんはそう言ってくれたけど……さっきまで散々焦らされていたのだ。 姉さんも、少しくらい待つ方の身になってもらおう。 「あ……あっ、ああっ、ひゃう……っ!」 竿を手で持って、姉さんの割れ目にあてがい、そのまま上下させる。 既にちょこんっと勃っているクリトリスから、膣口まで、ゆっくりと亀頭が撫でる。 「やぁ……ああ……あぅ……うんっ……」 亀頭に十分ぬめりが載ったところで、俺の中にちょっとしたイタズラ心が湧いた。 姉さんは、これから挿入があるものだと身構えている。 俺は……亀頭を、姉さんのお尻の穴の方にあてがった。 「えっ……?」 「あっ、た、達哉くん……そこは……ちが……」 ぐっと腰を進める。 「えっ……あっ、だ、だめぇっ……たっ、達哉くん、だめええっっ!」 「ああっ……あぁぁっ!?」 ……が、姉さんの後ろの穴は、キツく閉じたまま俺の侵入を許さなかった。 「えと……」 「じょ、冗談でーす」 「も、もうっ達哉くんったら!」 「そんな簡単に、入るはずないんだからねっ」 「ご、ごめん……」 姉さんは、ちょっと本気混じりで怒っていた。 それに、いきなり入れようとしても、こっちにはなかなか入らないみたいだ。 「ちゃ、ちゃんとした方に……挿れて……」 「わ、分かった」 少し涙声の姉さんに、罪悪感が胸の中に広がる。 しかし、罪悪感とは逆に、俺の屹立はさっきよりも固さを増していた。 くちゅ……姉さんの陰裂の中心に、亀頭を沈める。 「いくよ……」 「う、うん……来て……」 俺は、ぐっと腰に力を入れ……同時に、両手で掴んでいた姉さんのお尻を、ぐっと手前に引き寄せた。 「ああぁぁ……あぁ……はあぁぁぁ……」 さっき一度イってるとはいえ、姉さんの中は相変わらずきつかった。 肉棒は、半分ほどが姉さんの膣内に入っている。 俺の薬指が入っていたあたりまでだろうか。 「姉さん……少し、力を抜いて……」 「あ、う、うんっ」 その返事とは裏腹に、姉さんの膣圧はさっぱり変わらなかった。 「くっ」 ずぷぷぅぅっ!姉さんの腰を、思い切り引き寄せた。 「あああっ! あふ……はあああっっ……っ!」 ぴっちりと閉じていた姉さんの膣奥。 そこを無理にかき分けて、俺の肉棒が突き挿れられていく。 「ああんっ……はあ……ああっ……」 姉さんの身体からは、新たに汗が浮き始めている。 俺は滑らないようにしっかりお尻を抱え直し、抽送を始めた。 ずぷぷぅぅにゅちゅううっ「ああっ……あんっ……くうんっ……ううんっ……」 少し鼻に掛かったような、甘い声をあげる姉さん。 姉さんの蜜壺は、既にぐちゅぐちゅに濡れていた。 しかし、きつい締めつけのおかげで、なかなかスムーズにピストン運動ができない。 「ふあぁ……はあぁぁ……ふはぁ……あぁぁ……ぁぁ……」 肉襞の一つひとつがカリに絡みつき、名残を惜しむように引き抜くのを食い止める。 そのくせ次に押し込む時は、強烈な締めつけで、侵入の邪魔をする。 自然と抽送はゆっくりになり、姉さんの蜜壺をじっくり味わうことになった。 「んん……はぁ……、ああぁぁぁ……っ」 俺は、上体を前に倒し、姉さんの胸に手を伸ばしてみた。 ふにっ「ああんっ……た、達哉くん、気持ち良く……ない?」 「えっ、な、なんで?」 「だって、達哉くん、少し退屈そうっていうか……」 「私ばかり……気持ちいいんじゃないかって」 ……そう言って、俯く姉さん。 姉さんが俺を気持ち良くしてくれようとしてる思いに、胸が熱くなる。 「大丈夫だよ、姉さん」 「俺も、とてもいいから……姉さんももっと感じて……」 胸に回した手で、きゅっと乳房を握る。 「んんっ……はあぁ……そ、そう……なら、良かった……わ」 姉さんにのしかかるような体勢になった俺は、首筋に舌を這わせる。 同時に、手のひらにある乳房の中心の突起をきゅっとつまんだ。 「ああんっ! あっ……あは……ふあぁ……ああ……」 姉さんのお尻が、悩ましげに揺れていた。 どうやら……姉さんが自ら腰をグラインドさせている。 「た、達哉くん……これは、気持ち……いい?」 「うあっ……い、いいよ、姉さんっ……」 ざわざわと蠢く姉さんの肉襞が、俺のペニスに、四方から刺激を与える。 「んっ……ああぁ……達哉くんのが、入ってるのが……よく分かるわ……」 肉棒で受ける刺激もそうだけど……俺は、お尻を振っている姉さんの姿が妙に淫らに見えて……興奮していた。 「姉さんっ……姉さんっ!」 「あっ!? ああぁ……っ!」 俺は再度姉さんの腰をしっかり掴むと、ぐっと引き寄せた。 ぬぷうっ!浅く入っていた肉竿が、一気に奥まで姉さんを貫く。 「はあぁ……んっ!」 それをまたすぐに、抜ける寸前まで引き抜く。 「ああっ!? はああぁぁ…………ぁぁ……」 大丈夫だ。 姉さんの膣内も、十分ほぐれている。 俺は、抽送の速度を上げた。 「やあっ……んんっ! ああんっ、はあんっ……!」 俺の腰に、姉さんの尻肉がぶつかる音が響く。 「くっ……姉さんっ……すごい……」 湯船のお湯がぱちゃぱちゃと踊る。 姉さんの一番奥からは、どんどん愛液が湧いて出ていた。 「やあぁ……っ! はあ……んっ、うあっ……んんんっ!」 滑りの良くなったペニスが、ずぷずぷと姉さんの膣口を出入りする。 時々、姉さんを強く引いて、同時に腰を前へぶつけると……亀頭が、姉さんの子宮口にぶつかった。 「うあぁっ! だめぇ……そんなに……ああっ! 突かれたら……んあぁぁっ」 たぷたぷと、姉さんの胸が揺れる。 髪が乱れて跳ね、汗で背中に貼りつく。 「うぅ……あぁっ! くうぅ……あっ、んはぁっ……!」 姉さんの昂りが、波となって俺の肉棒を締めつける。 俺も、そろそろ限界が近くなってきた。 「ああっ、姉さん、締まるっ……」 「んんっ、いっ……しょに……あぁっ! あっ、ああっ……達哉くんっ!」 腰を支える手に力を込め、俺は限界まで姉さんの中に突き進む。 ばちゃばちゃとお湯が飛んだ。 「あぁっ、あぁんっ! あっ、うあぁっ、はあぁっ……!」 姉さんは、お湯の中で爪先立ちになっている。 俺の腰が、姉さんの尻肉をクッションに、何度もバウンドする。 「わっ、私っ……も、もうっ……ああっ、だ、だめ、だめっ……あああっ!」 姉さんの膣内が、熱い泉となって俺を誘う。 このまま……中に出してしまいたい……「姉さんっ……うぁ……姉さんっ!」 「達哉くんっ、ああっ……な、中に……っ!」 「だっ、大丈夫……だか……んんっ! ああっ! ああああぁ……っ!」 俺の気持ちが通じたかのように、姉さんが言う。 もう……何も迷わず、何も考えず、俺はただ腰を振った。 「ああっ! 奥に……当たって……も、もうわたしっ……ああっ、あはぁっ!」 あっ……もう、止められない。 最後まで、快楽を味わいつくすように、必死に膣へとペニスを打ち込む。 「んぁああっ……おかしくなっちゃう……もう、だめぇ……っ!」 「姉さん、俺もっ……!」 「ああぁっ、はあぁっ、あっ! あぁっ! ああああああああぁぁぁっっ!」 どぴゅうっ! どぷうっ! じゅぷっ!「はぁぁ……んっ、ふあぁぁぁ……あぁぁ……」 姉さんにいじられてる時間が長かったからか、かなりの量の精液が姉さんの中に注がれていく。 びゅうっ びゅくっ どくっ……「あああぁ……はあぁ……あ、熱い……達哉くん……」 俺は、なおもペニスを姉さんの中に出し入れしていた。 最後の一滴まで、姉さんに飲みこまれるように、……俺の精液が、姉さんの中に染み込んでいくように。 「はぁ……あふぅ……はぁ……あぁぁ……ぁぁ……」 呼吸が荒い姉さん。 全部、姉さんの中に出してしまったけど……「ね、姉さん……」 「その……中に……出しちゃったけど……」 「あ……あぁ……そ、そうね……はぁ……はぁ……」 「だ、大丈夫……なの?」 自分で出しておいて大丈夫も何もないけど……「た、多分……大丈夫だと思う……わ」 「多分って……」 「それに」 「達哉くんのなら……私は……」 そこまで言って、姉さんは自らの言葉に真っ赤になった。 ……。 俺は、少し充血の抜けかけたペニスを姉さんの女性器から抜いた。 ぬるうぅっ……俺の精液と、姉さんの愛液が混ざった粘液で、挿れた時と比べると滑りは良くなっている。 そのままの体勢でいると……姉さんの割れ目の中から、白濁液がとろっと流れだしてきた。 「た、達哉くん……あまり見ないで……」 「ご、ごめん」 「でも……」 「とても良かったわよ」 「ああ、俺も……」 すっかり脱力した身体で壁に持たれ、俺もそう答えた。 ……。 …………。 互いに身体を洗ってから風呂を出る。 姉さんは少し思案顔だ。 「どうしたの、姉さん」 「麻衣ちゃんたちには……」 「そろそろ私たちのことを話さないといけないわね」 「そうだ……な」 二人が避けてきた問題。 家族という枠組みを、何とか維持してきた俺たちが──それを崩壊させるかもしれない関係になってしまったこと。 これを、いつまでも麻衣に隠しておくわけにはいかない。 「大丈夫、麻衣ならきっと分かってくれるさ」 「そうだといいけど……」 「それに、いつまでも隠しとく方が良くない」 「そうね……」 「麻衣ちゃんにも、誠心誠意話して、分かってもらわないとね」 「ああ」 ……。 俺たちは、実際に麻衣に話すタイミングについて相談しながら服を着た。 トラットリア左門での夕食を終え、家に帰る。 そこで、俺と姉さんは互いに目配せをして、麻衣に話し掛けた。 俺と姉さんの緊張が伝わったのか、麻衣も居住まいを正す。 「な、何だか珍しい雰囲気だね」 「あのね、麻衣ちゃん……」 「実は、その」 ……自分が言う、とその役を買って出た割に、しどろもどろの姉さん。 「……俺が言おうか?」 「いえ」 「大丈夫よ」 気合を入れ直す姉さん。 「まさか……」 気づかれたか?「この前のフルート、実はレンタルだったとか……?」 「んなアホな」 「ふふ……違うのよ麻衣ちゃん」 少しだけ、場の緊張がほぐれた。 今だ、姉さん。 「実は、私と達哉くん、つき合うことになったの」 「つきあう……?」 「ええ」 「その……いわゆる正式な、恋人として」 言ってる姉さんは、とても言い難そうに喋っている。 聞いてる麻衣は、何を言われたのか分かっていない。 「こいびと……」 ……。 少し、麻衣の頭が情報を消化するのを待とう。 ……。 麻衣が、俺の方を見る。 俺は軽く頷いた。 「ええーっ!」 「お姉ちゃんとお兄ちゃんが?」 「ああ」 「それで、できれば家族はこのまま……」 「……」 「当たり前だよ、お姉ちゃん」 麻衣は、少し考えた後……強い語調でそう言った。 「というより……従姉のお姉ちゃんが、もしかしたら義理のお姉ちゃんに」 「こら、気が早いっ」 「……」 「へえー、そっかそっかー」 「お兄ちゃんは、大金星ですな」 おどけて、麻衣が言う。 「ああ、そうだな」 「ふ、二人ともっ」 「あははっ」 「たはは」 ……姉さんも俺も、麻衣に話す前にとても緊張していた。 特に姉さんは、今までいびつながらも『家族』として暮らしてきた仲だけに……と心配していた。 でも、何とか麻衣にも伝えることができて、ほっとする。 ……。 「でも」 「家族の中に夫婦が一組いるってのは、別に不自然じゃないもんね」 「そ、そういうものかしら……?」 「また先走ってる」 「わたしも、お二人のかすがいとして頑張る所存です」 「ふふ……もう、麻衣ちゃんったら」 ……。 …………。 もしかしたら、そういう日が来るのかもしれないけど。 とりあえず今は、麻衣に認めてもらえて良かった。 姉さんも、ほっとした顔をしていた。 ……。 週末に忙しくなる博物館。 姉さんは、土日とも働いていた。 久し振りに、麻衣と姉さんと俺、3人で食べる晩御飯には帰って来ていたものの……その分朝が早い生活。 そして、今日。 月曜日は、姉さん久々のオフタイムだった。 「平日の昼間なのに、賑やかね」 「夏休みだからなぁ」 「ああ、なるほど」 今日は、姉さんの提案で、繁華街に出てきた。 買いたいものがある、って言ってたけど……。 「姉さん?」 「なぁに?」 「これって、デートかな」 何気ないフリをして、さらっと姉さんに問いかける。 「え、ええと……」 姉さんの顔が、ほんのり赤くなる。 「……私は、そのつもり、なんだけど……」 街中で、照れている姉さん。 俺は、そんな姉さんがとてもかわいいと思ってしまった。 「じゃあさ」 「うん」 「手を繋ごうよ」 「えっ……」 さらに頬を染める。 そんな姉さんの手を、俺はきゅっと握った。 「ほら」 「あ……」 街には人が溢れている。 その中を、俺と姉さんは、堂々と手を繋いで歩いた。 最初はぎこちなく。 互いに手のひらを汗だらけにしながら。 「達哉くんの手、大きいのね」 「姉さんの指は細いんだ」 ……ここまで来て、思春期のカップルのようなことをするとは思ってなかったけど。 俺も姉さんも──「互いの手を握って歩く」 ことを、心から楽しんでいた。 3日後は、麻衣の誕生日だ。 その時に渡すプレゼントを、姉さんと二人で選ぶ。 ……。 フィーナ達が来る前からずっと、うちのキッチンを守っていた麻衣。 これまでに、いくつか調理器具を欲しがっていた。 ピザカッター、キッチンタイマー、ラーメン屋にあるような胡麻摺り器。 確かに、あると便利なものではある。 いいものはそれなりの値段になったけど……日頃の感謝の意味を込めて、3つともプレゼント用の包装をしてもらった。 ……。 「ここね、麻衣ちゃんお勧めのアイスを売ってるお店」 「そうそう」 片手にプレゼントの包みが入った袋。 もう片手は姉さんの手を握って。 二人で、オープンカフェにやってきた。 席についてオーダーを告げると……正面に座った姉さんが、俺をニコニコと見つめている。 「ど、どうしたの?」 「ううん、どうもしないわ」 「ただ、楽しくって」 本当に嬉しそうな顔の姉さん。 「何だか今、デートしてるなぁって感じ」 「ね、姉さん……」 さらりと、照れ臭いことを言う。 俺は、体中がかあっと熱くなった。 「こうしてデートするのって、初めてね」 「今日が、私と達哉くんの初デートかぁ……」 「うぅ……」 俺が恥ずかしがるのを楽しんでる。 絶対そうだ。 ……。 俺と姉さんが頼んだパフェが出てきた。 数種類のアイスがたっぷり盛られている。 「美味しそう~」 「あ、少しずつ味見し合おうよ」 「いいわね」 時々、相手のパフェにスプーンを伸ばしながら味をみる。 美味い。 さすが、麻衣の見立てに狂いは無い。 「甘くて冷たくて……美味しいわね」 「うーん、このチョコが絶品」 「少しもらっていい?」 「じゃあ、あーん」 ……。 固まる姉さん。 そして、意を決したように瞼を固く閉じ、口を開いた。 ……。 半分以上、冗談のつもりで言ったのに。 準備万端の姉さん。 自分で仕掛けておいてなんだけど、周囲の視線が気になって仕方無い。 困った。 「……どうしたの?」 薄っすらと目を開く姉さん。 「ごめんなさい、調子に乗りました」 「えっ、や、やらないなら、早く言ってくれないと……」 「ほんと、ごめん」 恥ずかしそうに口を尖らせ、怒ったフリをしてみせる姉さん。 「こういうことは……」 「おうちで、二人きりの時にしましょうね」 「そだね……」 二人で赤面して俯く。 ……店のオープンテラスには、燦々と真夏の日差しが降り注いでいた。 ははは、と二人で笑って、残りのパフェを片づけにかかった。 ……。 …………。 「今まで気がつかなかったけど……」 「うん」 「手を繋いで歩いてる人達って、けっこう多いわね」 「え、そう……?」 「ほら」 姉さんに促されるまま、道行く人をさりげなく観察する。 行き交う人の中には、カップルが多い。 そして、カップルは、かなりの割合で手を繋いでいる。 「本当だ」 「これまで、気にしてなかったからなぁ」 「私も、きっとそう」 「みんな、幸せそうね」 「……そうだな」 「達哉くんも幸せ?」 「当たり前だろ」 「ふふ……良かった」 「私も幸せよ」 綺麗で、大人の女性なさやか姉さん。 こんなによくできた彼女と、一緒に歩き、買い物をし、カフェで甘いものを食べる。 これが幸せでなくてなんだろう。 ……。 大人の雰囲気のするカップル。 まだまだ初々しいカップル。 いろんなカップルが通りすぎていく。 ……。 姉さんを見る。 静かに微笑んでいる。 ……俺たちは、どう見えるだろう。 カップルだろうか。 まだ、姉と弟に見えるかもしれない。 これからはどうなっていくだろう。 ……。 行き交う人に目を移す。 手を繋いだカップル。 サラリーマン。 宅配便を運ぶ人。 菜月。 ……。 菜月!?「た、達哉……」 「菜月ちゃん、こ、こんにちは」 「こここんにちは」 「菜月、なんでこんなところに?」 「いや、ちょっと夏物の服を買いに……」 「それより、達哉たちってまさか」 「俺たちは、ほら、えーと」 「麻衣ちゃんの誕生日のプレゼントを買いに来たの」 「そ、そう。 そうなんだ」 「……今、ここに来たのか?」 ……。 「『あーん』のあたりから」 言い逃れはできなそうだ。 ……。 …………。 「じゃあ、お邪魔虫はこのあたりで失礼しまーす」 俺たちが事情を正直に説明すると、菜月は去って行った。 ……あの調子だと、今晩の左門ではおやっさんや仁さんに冷やかされるのだろう。 いつかは言おうと思ってたから、少し早まっただけではあるんだけど。 「ふふ……少しびっくりした」 「まさかばったり会うとはなぁ」 「……それじゃ、私たちも帰ろっか」 ……。 俺と姉さんは、ささやかなデートを終えた。 そして……バイト後の左門では。 「はい、達哉君」 「あーん」 なぜかくねくねしながら、ニンニクの丸焼きをスプーンで差し出してくる仁さん。 店内は爆笑の渦。 これも一時の嵐だと、俺は耐え忍んだ。 ……。 …………。 「ただいま戻りました」 「戻りましたー」 早朝。 フィーナ達が、朝霧家に戻ってきた。 「お帰りなさい」 「お帰り」 昨晩の盛大な誕生パーティで、いつの間にかお酒を飲まされていた麻衣は、珍しく大寝坊中だ。 「疲れたでしょう」 「お茶を淹れるから、ゆっくり落ち着いてね」 「ありがとう、さやか」 ……。 「はい、お茶ですよー」 「あ、ありがとうございます」 「一週間、何事も無かった?」 「全て予定通り、全て滞り無く、全て問題無く終わったわ」 「そうでしたね」 「姫さまが、堂々と外交の舞台にデビューしていたのを見て、わたしも嬉しかったです」 「へえ、そんなことしてたんだ」 「まだまだ、表舞台には程遠いわ」 「今回は、将来のための地ならしみたいなものよ」 「でも、それが大切なのよね」 「ええ、そう……」 「そうそう。 皆さんに、お土産もあるんです」 「あら、ありがとう」 「楽しみにしているわ」 「麻衣の誕生日には間に合わなかったけど、プレゼントになるようなものを選んだつもりよ」 「麻衣も喜ぶよ」 「ふわあぁぁ」 「お二人は、寝ていないのですか?」 「あ、すみません」 「ごめんなさい、私達二人は、一度休ませてもらうわね」 「疲れているものね。 ゆっくり休んで」 「お休みなさい」 ……。 …………。 フィーナとミアも加わって、一週間ぶりにフルメンバーで夕食となった。 各地を回って、いろんな料理を食べたと言うフィーナとミア。 負けてなるものかと腕を振るう、おやっさんと仁さん。 ……この二人、どうやら腕を振るうイコール量が多くなるという方程式が成り立つらしい。 フィーナ達を見送った前夜と同じく、テーブルに乗り切らないくらいの料理が並んだ。 ……。 …………。 「またお腹いっぱいです~」 ミアは、出発前日と同じくグロッキー状態だ。 「ミア、先に休んでもいいわよ」 「す、すみません……」 ……。 「お茶淹れるね」 「お願い」 麻衣が、キッチンにぱたぱたとお茶を取りに行く。 リビングでくつろぐ、食後のまったりタイムだ。 ……。 「今回は、色々な方とお会いして来ました」 お茶を飲みながら、フィーナの土産話を聞く。 もちろん機密に相当する部分は避けていたけど、フィーナが月の王家の跡取り──つまり、次期女王になる人なんだということが、ひしひしと伝わってきた。 ……。 「……といった感じでした」 「すごいね、フィーナさん」 「立派にお役目を果たして来たんですね」 「それと……」 「実は今回、色々な方とお会いしていただけではなく」 「月に連絡を取って、一つお願いをしていたのです」 「月?」 「ええ」 にこやかに、嬉しそうに頷くフィーナ。 言いたくて言いたくて仕方無かったことを、今やっと喋ることができるって顔だ。 「さやかに……」 「もう一度、月への留学の機会を用意できないかと思って」 「えっ……」 「さやかは、もう一度月に行ってみたいと考えているのでしょう?」 「はい、いつも考えてはいますが……」 「まさか、本当にその機会があるとは思っていませんでした」 「カレンも言っていたわ」 「さやかは、今後の月と地球の関係の上で……」 「両国の『架け橋』になってくれる人だと」 姉さんの瞳をまっすぐに見つめるフィーナ。 「もちろん、私もそう考えています」 ……。 姉さんに、もう一度月に行く機会が……。 考えてもみなかった。 フィーナが、出発前に言ってた「お土産」 ってのは、これのことだったのか。 「お姉ちゃん、すごいねっ」 「月からは、仮ではあるけれど既に許可を取り付けたわ」 「あとは、さやかが決めるだけ」 姉さんに微笑みかけるフィーナ。 「博物館の館長代理を、次に誰にやってもらうか」 「仕事の引き継ぎにどれくらいの期間が必要か」 「そして……地球をいつ発つか」 「……」 ……?一も二もなく、この話に飛びつくと思った姉さん。 でも、じっとテーブルの上の一点を見つめながら、じっと何か考えことをしている。 「さやか?」 「どうしたの、具合でも悪い?」 「いえ、なんでもありません」 「……お姉ちゃん?」 「フィーナ様」 「この度のお誘い、本当にありがたいお話だと思います」 「私に、これだけの機会を与えて下さって、本当に感謝しております」 「では……」 「ですが……返事は、明日まで待って頂いてもよろしいでしょうか」 「えっ」 「……お姉ちゃん」 ……。 驚いていたフィーナが、ゆっくり頷く。 「分かりました」 「さやかにも何か考えがあっての返事のはず」 「……明日は、色好い返事を貰えるものと信じているわ」 「すみません」 ……。 そして姉さんは自分の部屋に戻っていった。 ……。 …………。 姉さんが何を考えているのか、分からない。 もう一度月に行くのは、ずっと姉さんの夢だったはずだ。 「……」 「それでは、私も休みますね」 「ああ、お休みフィーナ」 「ええ、お休みなさい」 ……。 フィーナは、少しだけ残念そうな表情で、部屋に戻っていく。 俺と麻衣は、互いの顔を見合わせた。 「お姉ちゃん、どうしたのかな」 「あんなに、月に行きたがってたのにね」 「ああ」 まさか、俺とのことが足枷に……なんて考えてもみたけど。 俺も、姉さんには自分の夢を追ってほしいし──それなら、俺に相談してくれてもいいはずだ。 「明日になれば、きっと姉さんも話を受けるよ」 「今日はちょっとびっくりしただけさ」 「うん……」 「そうだね、そうかもね」 「俺たちも、もう寝ようぜ」 「うん」 ……。 …………。 起きてからダイニングに向かう。 「おはよう」 「おはよー」 「おはようございます」 いつも通りの朝食の席。 だけど……少し、微妙な空気が漂っていた。 「おはようございます」 「おはよう、達哉くん」 いつもより少しだけ会話が少ない。 いつもより少しだけ雰囲気が重い。 ……。 そんな朝食を食べ終える。 「フィーナ様、昨日のお話ですが」 ごくっ俺も、麻衣も、ミアも、動きを止めて、姉さんとフィーナの方を窺う。 「ええ」 「どうするか、決めてくれたかしら?」 「はい」 「お断りさせて頂くことにしたいと思います」 ええっ!麻衣やミアが息を飲む。 見えない衝撃波が、うちの中を走り抜けた。 ……。 でも、フィーナは落ち着いていた。 「そう」 「残念だけど……分かったわ」 そう言って、席を立つ。 「せっかくのお話なのに、申し訳ございません」 「色々と、手配して頂いたのに……」 ……。 「いいのよ」 「一応保留ということにしておくから……」 「私たちが月に帰るまでに気が変わったら、また言ってね」 昨日の様子から、フィーナはある程度この結末を予想していたのだろう。 理由などは、一切訊かなかった。 フィーナは、少しだけ寂しそうに微笑むと、リビングを出て行った。 ……。 …………。 残された俺たちは、何を言えばいいのか分からなかった。 しばらく、沈黙が続く。 ……。 「ごめんね」 「何だか、雰囲気を悪くしちゃって」 「い、いえ……」 ミアは何が起きたのかよく分かっていなかった。 でも、俺と麻衣は、姉さんに一歩近づく。 「お姉ちゃん、どうして……」 「月に行きたいって、姉さんの夢じゃなかったのか?」 「うん、そうなんだけど……」 「前も、月にもう一度行きたいって言ってたじゃないか」 「ええ」 「じゃあ、なんでっ」 ……。 …………。 姉さんは、困ったような顔をして、俺たちを見ている。 「……ごめんね」 「謝られても分からないって!」 「お兄ちゃん」 麻衣に肩を叩かれ、興奮していた自分に気づく。 「そのうち、ちゃんと理由を話すわね」 「みんな、心配してくれてありがとう」 「……ミアちゃん、フィーナ様によろしく」 「あ、は、はいっ」 ……。 そう言って、姉さんもリビングを出ていった。 俺たちは、ただ見送ることしかできなかった。 ……。 …………。 夕食の席。 麻衣とミアは、いつも通りに振る舞っていた。 博物館から帰って来た姉さん、それにフィーナも、朝のことなど無かったように料理を口にしている。 ……。 残念ながら、俺はその輪の中にいま一つ入れていなかった。 一日中ずっと、もやもやしていたからだ。 ……。 どれだけ考えても、分からない。 姉さんは、どうして月に行けるチャンスを逃すのだろう。 ……普通の人が月に行ける機会なんて、ほとんど無い。 その月に一度行ったことがあり、月に関連した仕事をしてて、それでもなお、まだまだ知識が足りないと言って、月に行きたがってた姉さん。 フィーナが留学に来たことも含めて、こんな絶好のチャンスはそう望めるものではない。 なのに……どうして?……。 …………。 夕食を食べ終えても、まだ俺は悩んでいた。 前に、姉さんが月に留学した時。 姉さんは、既にうちの家族の一員となっていた。 月への留学が決まった時。 盛大に……とは行かなかったけど、ささやかにお祝いをしたものだ。 姉さんと俺と麻衣と母さん。 ……。 その頃の姉さんと、今の姉さん。 大きく変わったことは三つ。 一つ目は、博物館で働いていること。 でも、姉さんは月の仕事をするにあたっての『知識の足りなさ』を気にしていたのだ。 月への留学は、姉さんの仕事にとってプラスにはなっても、マイナスのはずがない。 二つ目は、俺と付き合うようになったこと。 どんな理由で断るにしても、相談されることを期待していた俺。 少なくとも、俺とのことを理由に話を断るなら……俺に、何かしら相談してくれるはずだ。 ……それが、全くない。 三つ目は。 うちに、母さんがいないことだ。 あの時、笑って姉さんを送り出した母さん。 そして今では、母さんの代わりに……姉さんが家を支えている。 ……。 それが原因なのか?フィーナとミアが月に帰り、姉さんがまた月に行ってしまったとしたら──この家に残るのは、俺と麻衣だけになる。 保護者のいない家。 ……姉さんのことだ。 十分にあり得る。 『俺と麻衣を残して、自分がこの家を離れる訳にはいかない』姉さんが考えそうなことだ。 ……。 もしそうだとしたら……俺と麻衣が、姉さんの足を引っ張っているってことか?やりきれない。 俺が、姉さんより年下なのも。 まだ学生なのも。 俺のせいじゃないし、ましてや、姉さんのせいでもない。 だが、そのために姉さんは夢を諦めようとしている。 ……。 脳の芯が、かあーっと熱くなる。 納得が行かない。 姉さんは、どうしてそうも俺たちのために自分を犠牲にしようとするんだ。 ……。 …………。 ばんっ俺は、姉さんに直談判することにした。 姉さんが、俺たちのために夢を諦めるなんて……俺が、自分を責めても責めきれない。 こんこんっ返事を待たずに部屋に入る。 ばんっ「姉さんっ」 「達哉くん……」 姉さんは、もう風呂に入ったのか、パジャマ姿だった。 「そうね、来ると思ってたわ」 「……でも、ミアちゃんがもう寝てるから、もう少し静かにね?」 「あ、ああ」 姉さんのペースがあまりにもいつも通りだったから、俺は少したじろいだ。 「留学の話?」 俺は、黙ったまま頷く。 「ベッド、腰掛けてもいいのよ」 促されるままにベッドの端に腰掛ける。 それと同時に、口を開いた。 「姉さん、教えてほしいのはたった一つ」 「どうして、フィーナの誘いを受けて月へ行くことにしなかったんだ?」 「……」 「達哉くんのことだから、ある程度は想像ついているんじゃない?」 「……その言い方はずるい」 「でも、想像したことを言ってみようか?」 「どうぞ」 「姉さんは、本当は月に行きたい」 「でも、実際に月に行ける人は、ほんの一握りの留学生だけ」 「そこに今回、フィーナが持ってきてくれた話は、千載一遇のチャンスだ」 「だから……姉さんは、心の中では、とても強く『行きたい』と思っている」 「……」 姉さんの様子を窺う。 ……少し挑発的に言ってみたけど、姉さんの表情は全く変わっていなかった。 「だけど、姉さんには行けない理由があるんだ」 「それは……」 ……。 自分で、自分が役立たずだと言うのは、少し情けなかった。 「姉さんがいなくなると、この家には『保護者』がいなくなるからだ」 「俺と麻衣だけじゃ、不安なんだ」 「二人ともまだ学生だし、今、この家で保護者をやれるのは姉さんだけだから」 「……違う?」 姉さんの表情は、ずっと変わらないままだった。 そして、今は、次に何と答えようかと考えている。 ……。 やがて姉さんは、ゆっくり俺に近づいてきて……俺の目を、じっと覗き込んできた。 「……さすがに、達哉くんは鋭いわね」 「大体、そんなところだと思ってくれて構わないわ」 「でも、姉さん」 「これを逃したら、もう一生月には……」 「ううん、きっとまたチャンスはあるわ」 「でも、目の前にチャンスがあるのにっ」 「いいの」 「これは、私の中での優先順位だから」 「そうじゃなくて!」 大きな声を出してしまったことに気づき、声のトーンを落とす。 「俺が、嫌なんだ」 「姉さんが、夢に向けて進もうとしてるのに……」 「俺がその足を引っ張るっていうのが」 「……」 「ありがとう、達哉くん」 「姉さん……」 「達哉くんが、そう言ってくれるのは……とても嬉しいわ」 「でもね……」 姉さんが、目を伏せる。 「私は、達哉くんや麻衣ちゃんを足枷だなんて思ったことは一度も無いの」 「そんなこと言ったって、現にそうなってるじゃないか」 「……」 ……。 「俺と麻衣だけでも、もう十分やっていける」 「姉さんが家族を大事にするのは分かるけど……」 「そんなもののために、諦めていいものなのか? 姉さんの夢は」 「達哉くん」 姉さんの顔が、険しくなる。 「家族は……」 「『そんなもの』なんて言っちゃ駄目よ」 「絶対に駄目」 「みんなが、守っていこうと思ってないと、簡単に崩れちゃうの」 「お願いだから、達哉くん」 「……はい」 姉さんの肩が微かに震え、目から優しい光が消えていた。 俺は、素直に頭を下げた。 「ごめんなさい」 ……。 「達哉くんも、私のためを思って言ってくれたんだものね」 「本当にありがとう」 「達哉くんが成長してくれてるのは……とても嬉しいわ」 ……。 「だから、今回は私のわがままを聞いてちょうだい?」 「……」 ……。 姉さんが、申し訳無さそうな……哀願するような目で、俺を見る。 俺はもう、姉さんにこんな顔をされるのは限界だった。 ……。 「……うん」 「ごめんね」 姉さんは、何度も何度も、俺の頭を撫でていた。 ……。 …………。 「では、行ってきますね」 お客さんが一番多い日曜日。 姉さんが、博物館へ仕事に向かう。 「行ってらっしゃい」 「行ってらっしゃいませ」 ……。 俺は今日、一つの案が頭の中にあった。 それを実行すべく、姉さんに遅れること数十分で、家を出る。 ……その案というのは。 姉さんと歳が近く、飲み友達。 腹を割って話をするという一番の親友、カレンさんに会って話をすることだった。 もし、カレンさんが留学の話を知らないなら、一緒に説得してもらおう。 それくらいの気持ちで、待つことにした。 ……。 …………。 そう言えば。 日曜日だけに、大使館の門の扉が閉まっている。 カレンさん、今日は休みだったりして。 ……。 そもそも、カレンさんってどこに住んでるんだろう?大使館の中に、公邸というか、住める部屋があるのだろうか。 それとも、一般の月人居住区に住む家があるのかな。 ……。 …………。 仕事中に、こんなプライベートな話をするのはどうかと思って、日曜日を狙ったけど。 考えてみれば、カレンさんが日曜日に大使館にいるかどうかは全く知らなかった。 ……ここで待ってて会えるのかな。 ちょっと不安になってきた。 もう少し、計画的に動けば良かった。 ……。 …………。 じりじりと暑い夏の日差し。 風も全く無いため、空気がどかーっと重いような気さえする。 咽が乾いて仕方がない。 ……。 そろそろ、諦めるか。 そう思った時、一人の人物が、大使館内から出てきた。 「達哉君?」 「カレンさん……良かった」 「お仕事中ですか?」 「いえ、これから私用で出掛けようと思っていたところですが……」 言われてみれば、大使館から出てきた割に、カレンさんは私服を纏っていた。 「お願いがあるんですが……」 「ええ、なんでしょう?」 「相談に乗って……ごほ、ごほっ」 乾いた喉が、貼り付いた。 「すいません」 ……。 …………。 「それで、私に御用ですか」 「はい」 守衛さんに持ってきてもらった水を飲み干し、やっと一息つく。 「姉さんのことで、相談したいことがあるんです」 「それは……」 「さやかの耳に入ってもいい内容ですか?」 「いいえ」 「プライベートに関する話ですか?」 「ええと」 留学することになると、公式な話になりそうな気もするけど……俺と姉さんがつき合ってることを思い出し、考え直す。 「はい、プライベートな話もかなり含むと思います」 「そうですか」 「……少し歩きますが、満弦ヶ崎中央駅の駅前に行きましょう」 「人を隠すなら、人込みの中と言います」 「あ、は、はいっ」 ……。 …………。 「さすがに人が多いですね」 「あの、月人居住区ではいけなかったんですか?」 「確かに人は少ないですが……」 「その分、私と達哉君が二人でいるのは目立つでしょうから」 なるほど。 言われてみればそうだ。 カレンさんは、月人の間でも顔が知られてるだろうしな。 「カレンさんは、何か用事があったんじゃ……?」 「いえ、大した用ではありません」 「それよりご相談についてですが……」 「完全に密室の方がいいですか?」 「あ、いえ、そこまでではないかと」 「分かりました。 では……」 大層な人出の繁華街の真っ只中を、人にぶつかりもせず、するすると進んでいくカレンさん。 ……何か、体術でもやってそうな動きだ。 俺は、その後をついていくので、精一杯だった。 ……。 「ここでいかがでしょうか」 「ここは……」 姉さんと、初めてデートらしいデートをした時に来た店だ。 しかし……あの日と違って日差しが強く、気温はかなり高い。 おかげで、外の席には人影がまばらだった。 「中は満員ですね」 「ええ、それではここで」 「冷たいものを頼むと良いかと思います」 「もちろん、そうします」 ……。 二人が頼んだ飲み物が出ると、早速俺は話を切り出した。 「カレンさんは、姉さんに留学の話が来ているのをご存知ですか?」 「ええ」 「手配の一部は、私がしました」 「じゃあ、姉さんがどういう返事をしたかも?」 「はい」 ……。 俺は、それから一気に現状を喋った。 あんなに月に行きたがってた姉さんが、話を断っていること。 その理由。 俺がその理由についてどう思っているか。 姉さんに何を言ったか。 姉さんがどんな返事をしたか。 ……。 …………。 「……なるほど」 「事情は大体掴めました」 「それで、現状を踏まえて、私に相談とは?」 「あ、その……」 ……カレンさんの冷静な視線に、少し戸惑う。 「姉さんに、もう一度考え直してもらうように話して頂くとか」 「それは、難しいでしょう」 「えっ」 「私がさやかに話すのが難しいのではなく……」 「さやかが、考えを変える可能性が限りなくゼロに近いということです」 「そう……ですか」 「フィーナ様にきちんとお断りし、フィーナ様がそれを受けています」 「その時点で私の出る幕ではありませんが……」 「更に達哉君が説得に失敗している時点で、ほぼ不可能でしょう」 「カレンさんでも駄目ですか」 「誰が説得するかという話をすれば、私よりは達哉君の方が説得力はあるでしょう」 ……。 これまで、立て板に水を流すように語り続けていたカレンさんが……ここで一息置いた。 「そして……」 「それ以前に、何らかの理由があると考えるべきです」 「でも、姉さんの理由っていうのは、さっき言った通り……」 「さやかの中に、もっと他の理由がある可能性は考えましたか?」 「もしかしたら……」 「達哉君には言いたくない理由があるのかもしれません」 カレンさんは表情を変えずに言う。 ……。 俺は混乱していた。 他に理由って……俺は、一晩考えて、姉さんが断った理由を「こうじゃないか」 って直に問い質した。 姉さんもそうだって言ってたはずだ。 ……はず?あの時、姉さんはなんて言ってた?「……さすがに、達哉くんは鋭いわね」 「大体、そんなところだと思ってくれて構わないわ」 ……。 もしかしたら……本当に、カレンさんの言うように別の理由があるのだろうか。 「でもカレンさん、別の理由って言っても」 「俺は、全然思いつかなくて……」 ……。 小さく小さく、ため息をついたカレンさん。 「例えば、こういったことは考えられませんか?」 「貴方が『もう自分たちの力だけでやっていける』と主張する気持ちは分かります」 「分かりますが……」 「同時に、貴方たちの生活が、さやかによって支えられているのも知っていますよね?」 「ええ、もちろん」 それは、痛いほど知っている。 俺もバイトをしてはいるけど、イタリアンズの餌代を引くと、わずかずつしか貯まらない。 どうしても姉さんに頼らなくてはならない自分の無力さに……これまで何度も唇を噛んでいた。 「それでは……」 「今、フィーナ様がお世話になっている家」 「達哉君たちが今、住んでいる家は……どなたのものでしょうか」 「え……そりゃもちろん……」 「……」 もちろん?誰のもの……なんだっけ。 建てたのは、親父と母さんだったはず。 でも、親父はずっと行方不明扱い。 母さんが死んでから…………。 …………。 土地とか、建物とか、財産とか……俺は、何も知らない。 きっと姉さんが、全て手配してくれたんだろうけど……「地球連邦には、相続税というものがあると聞いています」 「達哉君はそれがどう処理されたか、知っていますか」 次から次へと、知らない話が出てくる。 知らないどころか、聞いたことも無い。 何もかも、姉さん任せでここまで来ていることに気づく。 俺、なにやってたんだろう。 姉さんだけに頼るんじゃなく、一緒に支えたいなんて言っておきながら、これじゃ……「カレンさん、俺……」 「もしかしたら、という話ですが」 「さやかは、税金を払うために、お金を借りている可能性もあります」 「しゃ、借金?」 「ええ、例えば……頭なんか絶対に下げたくない人にお金を借りたりしているかもしれません」 頭を下げたくない人……?まさか。 姉さんがうちに来る原因になった、不仲だって言ってた……伯父さんや伯母さんのことか?「もちろん、今の話は、全部私の推測です」 「さやかは、決して……」 「他人に、家庭の事情をぺらぺら喋るような人ではありません」 「は、はい」 「もしかしたら、他人だけではなく」 「……ご家族にも話していないかもしれませんが」 ……俺は、カレンさんに返事はしたものの。 頭が真っ白になっていた。 頭に、血が上っていた。 いろんなことを知らな過ぎたことに。 自分の不甲斐なさに。 姉さんが、黙って色々背負っていることに。 それを、相談してくれなかったことに。 そして、もしかしたら、姉さんが月留学を諦めたのは、このことが関係あるんじゃないかと考えるだけで……居ても立ってもいられなくなった。 「カレンさん、ありがとう」 「俺、何も知らないままだったみたいです」 俺が、席を立とうとすると。 カレンさんに呼び止められた。 「あ、達哉君」 「隠し事無く、何でも相談するのも家族ですが……」 「相手のことを思うからこそ、言えないことというのもあります」 「さやかに何か話をする前に、なぜさやかがそういう行動を取ったのか」 「……相手の立場になって、考えてみて下さい」 「はいっ」 ……。 …………。 家の近くまで、ずっと走って帰ってきた。 息が切れてもずっと走っていた。 全身から、汗が吹き出す。 シャツが、背中に貼りつく。 髪が、額に貼りつく。 走っている間、ずっと考えていた。 俺は、何をすればいいのか。 どうすれば、本当の意味で、姉さんを支えることになるのか。 でも……答えはなかなか出なかった。 「あ、達哉。 シフト表見たよ」 「すごいねー、張り切っちゃって」 「どうかしたの?」 ……。 あれからすぐ、俺はおやっさんに話をして、シフトを更に増やしてもらった。 土日も昼も、可能な限り働かさせてもらえるようにお願いすると……おやっさんは、何も聞かずに、頷いてくれた。 このやり方が正しいのか、意味があるのかは分からなかったけど、とにかく、俺は何もしないわけにはいかなかった。 ……。 「オウ、マイシスター」 「彼には、やらねばならない時というのが訪れたのだよ」 「はあ?」 「あるんだよ、男にはそういう時が」 「仁さん……」 「僕らにできることは、ひとつだけ」 「彼がボロボロになって行く様を、生暖かく見守ることだけだ」 「あの、ボロボロって……」 「頑張りたまえよ、達哉君」 仁さんは、ひらりと身を翻し、厨房へ消えていく。 「何だか分からないけど……」 「頑張るなら、応援するからね」 「ありがとう、菜月」 「よしっ」 菜月が、背中を叩いて元気づけてくれる。 「じゃ、掃除から始めよう!」 ……。 俺は、とにかく焦っていた。 何かをして、身体を動かしていないと、気が済まなかった。 ……。 カレンさんの言う通り、姉さんの立場になって考えてみようとしても──姉さんにとっては、俺が頼れる存在じゃないってことしか思いつかなかった。 以前から少しずつ貯めてきたとはいえ、俺自身の貯金も全然無い。 ……せめて、少しでも働くこと。 今の自分にできることは、それくらいだった。 がむしゃらに働いた一週間も、もう週末を迎えていた。 ……。 「じゃあ達哉君、戸締りは任せるよ」 「はい」 「しかし……達哉君も頼りになるようになったねえ」 「いえ、まだまだですよ」 雑用から何から、任せてもらえる仕事は全部引き受けることにしてから一週間。 トラットリア左門で過ごす時間は、格段に長くなっていた。 仁さんと一緒に売上を数え、最後には戸締りまで任されている。 ランチのシフトに入るのはもちろん、仕入れにも、荷物持ちとして付いていく。 以前の約束通り、簡単なサラダあたりから、料理も教えてもらっている。 ウェイターも本格的にできるよう、店のレジの下にあった『一流の接客』という本も読んだ。 ……。 身体も疲れてはいるけど、心地よい疲れだ。 どこに向かって走っているかはともかく……走っているという事実が、俺の焦りを緩和する。 店内の鍵を一つ一つチェック。 火の元、ガスの元栓をチェック。 店内の電気を落とす。 ……。 …………。 静かに玄関に向かう。 寝ていたペペロンチーノが片目を開けてこちらを窺い、また目を閉じた。 そっと玄関の扉を開ける。 ぎいっ最小限の電気だけしか点いてない家の中。 もう、みんな寝ちゃってるかな。 ……俺も、風呂に入って明日に備えよう。 風呂に入る前に、一杯麦茶を飲もうと思って冷蔵庫に向かう。 そんな俺の背中に、声が掛かった。 「おかえりなさい」 「ただいま」 「最近、帰りが遅いのね」 「ああ、左門さんにお願いして、いろいろ任せてもらってる」 「料理とか接客も、少しずつ様になってきた」 「でも、毎日朝から夜遅くまで……」 「少し心配しているのよ」 「いいんだ、俺が働いていたいんだから」 「どうしたの達哉くん、急に」 「何だか……焦っているみたいよ」 図星を突かれて、顔が熱くなる。 ……。 「焦りもするさ」 「だって、まだまだ、全然足りない」 「足りない?」 「ああ、姉さんが背負っているものに比べたら」 「……」 冷静に言ったつもりだった。 それでも姉さんには、言葉の奥の熱が伝わってしまったようだ。 「私が背負っているものって」 「達哉くん……」 「ああ」 「この家って……」 「姉さんがどこからかお金を用意して、税金を払って、守ってくれたんだろ?」 ……。 …………。 「達哉くんたちには、教えるつもりは無かったんだけど……」 「麻衣には言ってないよ」 「でも、俺たちは家族だって言うなら」 「姉さん一人で背負いこまずに、教えてほしかった」 ……。 「……」 申し訳無さそうな顔をした姉さんが、一歩、俺の方へ踏み出す。 もう一歩。 「達哉くん」 「本当に、大きくなったわね」 そう言って、俺の頭を撫でる。 「何で、教えてくれなかったんだよ」 「姉さん一人に重荷を背負ってもらっても、俺は……」 「そうね」 微かに笑って、姉さんが言う。 「達哉くんにも、守るものができたら分かるわ、きっと」 「……ううん、そうじゃないわね」 「自分にできることなら何をしてでも……」 「本気で何かを守りたいと思うようになったら、ね」 姉さんの顔は晴々としている。 その笑顔には、一点の曇りも無かった。 「姉さん……」 「つまり、姉さんにとって本気で守りたいものっていうのが、今の俺たちってこと?」 「ええ」 「決まっているじゃない」 むぎゅ……。 姉さんが、俺の頭を胸に抱く。 ……姉さんの香り。 姉さんの温もり。 姉さんの柔らかい胸の膨らみを頬に感じ、姉さんの鼓動が優しく耳に響く。 ……。 …………。 姉さんの腕に抱きすくめられて、俺は──あまりの心地よさに、頭がくらくらしていた。 ……。 姉さんの手のひらが、俺の頭を、優しく、優しく、何度も撫でている。 嬉しさと、そして、表裏一体の寂しさが胸に溢れる。 ……思わず涙が出そうになった。 ここで、姉さんの前で、泣くわけにはいかない。 涙をこらえるため、瞬きをすると……姉さんの顔が、目の前にあった。 ちゅっ……。 唇に軽く触れるだけのキス。 「おやすみなさい、達哉くん」 姉さんが席を立つ。 姉さんの言ったことに、言い返すことができない。 ……守るものができたら分かる。 そう言われてしまっては、まだ分からない俺には、反論の余地なんか無い。 だから、俺は……黙って見送ることしかできなかった。 ……。 …………。 以前は働いていなかった日曜日も、左門でバイトをするようになった。 俺以外は、それまで通り家で夕食を食べている。 みんなが夕食を食べ終わり、風呂に入ったり、早い人は床に就く時間に──俺は、音を立てないように気をつけながら帰宅した。 ……。 「ただいま……」 小さい声で挨拶して靴を脱ぐと、ミアが出迎えてくれた。 「おかえりなさい、達哉さん」 「ああ」 「ただいま、ミア」 まるで、俺の帰りを待っていたかのようなミア。 「……どうしたの?」 「あの、姫さまが」 「達哉さんにお話があるそうなんですが……」 ちらっと、フィーナの部屋の方を見る。 「分かった」 「フィーナの部屋に行けばいいのかな」 「はい、お願いします」 ミアに先導されて、フィーナの部屋まで行く。 こんこん「どうぞ」 「達哉さんにお越し頂きました」 「おじゃまします」 「わたしは失礼致しますね」 「ああ、ありがとうミア」 ミアが扉を閉める。 フィーナは、少し砕けた感じで、ベッドに腰掛けた。 「ミアに聞いて来たんだけど……」 「何か話があるって?」 「ええ、達哉」 「どうぞ、座って」 「ああ」 勧められるままに、ソファに座る。 一つ、小さく深呼吸をするフィーナ。 少し声を抑え目にして、いきなり本題に入った。 「先日、私がさやかに勧めた月への留学だけど……」 「さやかがきっぱりと断ったので、少し驚いているの」 「ああ、そうだったな」 「達哉なら、理由を知っているかと思って」 ……あの場では、姉さんが断るのをそのまま受け入れたフィーナ。 実は、やはり少し気になっていたようだ。 「もし良ければ、教えてくれないかしら」 「こちら側の落ち度なら、改めなくてはと思うし」 「いや、フィーナのせいじゃないよ」 「本当は、姉さんも喉から手が出るほどのチャンスだと思う」 「だから、きっとそんなチャンスをくれたフィーナには感謝してるはずだよ」 「それなら良かった」 「でも……なぜさやかは?」 「……」 ……。 「あ、達哉が言いたくないならいいの」 「いや、聞いてほしい」 「フィーナは、姉さんのために、色々と骨を折ってくれたんだもんな」 「実は……」 ……。 俺は、フィーナにかいつまんで状況を説明をした。 俺たち家族がこの家に住み続けるためには、税金の支払いが必要だったこと。 そんなお金は俺も麻衣ももっておらず、全て姉さん一人で払ってくれたこと。 多分、その時に姉さんが借りたお金はまだ返済中であること。 ……。 そんなことも知らないくせに、俺が姉さんの役に立ちたいと張り切っていたこと。 そして、実際には姉さんが一人で全部背負うつもりであること。 ……。 …………。 「そうだったのね……」 俺はため息をつく。 「……俺や麻衣は、確かにまだまだ頼りにはならないけど」 「こんな時くらい、甘えてくれてもいいのに……」 俺の口を突いて、ぽろりと出た言葉。 その言葉に、フィーナが反応した。 「この場合の頼る、甘えるというのは……」 「金銭的な負担を、達哉たちが軽くするということね?」 「そ、そうだけど」 「……さやかが、それを望むかしら?」 「……それ、って?」 「留学の話を受けてしまうことによって、最近の達哉のように……」 「アルバイトなどでお金を稼ぐために時間を使ってしまうこと、よ」 「……」 姉さんの望み。 姉さんが、俺たち──家族に求めていること。 ここ数日、考えても考えても、ずっと分からなかったことだ。 「さやかが、一番守りたかったものは何なのか」 「……私も達哉も、もう少し考えてみた方が良さそうね」 「ああ……そうだな」 「そして」 「差し出がましい話かもしれないけど……」 「お金の件なら協力することができるわ」 「えっ」 「さやかが留学に来るなら、奨学金という形でお金を貸すことができるわ」 「そうすれば、望まぬ相手からの借金を、建て替えることができると思うの」 俺はソファから立った。 「フィーナ、ありがとう」 「姉さんに話してみるよ」 これなら……姉さんも安心して月へ行けるんじゃないか。 姉さんが留学するまでの道が開けたような気がして、俺は体温が上がっていた。 「達哉、こちらこそありがとう」 「ずっと気にかけていたことの原因が分かって、ほっとしたわ」 「いや……こっちこそ」 「私から話した方がいいことがあったら、遠慮なく行ってね」 「本当のことを言うと、さやかには是非月に来てほしいのよ」 「分かった」 「それじゃ、おやすみ」 「おやすみなさい」 ……。 …………。 風呂から出て、換気扇を回して、キッチンで麦茶を一杯飲んで──一階の電気を消して、足音を立てないように階段を上り、ベッドに入る。 そして、天井を眺めた。 ……。 姉さんの留学に一番の障害だったお金の問題は、フィーナのおかげで何とかなりそうだ。 あとは……姉さんが、一番守りたかったもの。 フィーナが言ってたことについて、ずっと考えていた。 カレンさんも言ってた。 なぜ、姉さんがそういう行動を取ったのか、考えろと。 ……。 学生の俺と麻衣。 社会人の姉さん。 姉さんが俺と麻衣の面倒を見てくれる。 でも、姉さんには夢がある。 その夢と、俺や麻衣を支えること。 どっちが姉さんにとって大事かって話……なのかな。 ……。 だけど、姉さんは従姉であって、俺たちの親でも兄弟でもない。 俺たちの面倒を見てくれてること自体は、とてもありがたいことだけど……俺は、姉さんには姉さん自身の夢を追ってほしい。 ……。 …………。 ちょっと待て。 『姉さんの立場で考える』べきなのは、ここじゃないか?……。 考えろ。 考えろ。 姉さんになったつもりで。 ……。 姉さんの立場だったら……どう考えるんだろう。 俺が、家を支える立場。 親父と母さんがいなくなった朝霧家。 学院で、伸び伸びと学生生活を送っている麻衣。 吹奏楽部で頑張っている麻衣。 パートリーダーとして、後輩を引っ張っている麻衣。 そんな麻衣に……『この家が無くなってしまう』と告げられただろうか。 ……。 …………。 多分、言わないんだろうな。 麻衣には、そういった心配をしてほしくない。 だから……自分で、できるだけ何とかしようとするだろう。 憂いのない、学生生活を送ってほしい──麻衣に望むのは、それだけだ。 ……。 …………。 そうか。 姉さんも、きっと。 ……。 フィーナとミアが月に帰るまで一週間を切った。 二人は、何かと忙しそうだ。 日程の終盤に押し込まれた公務のスケジュール。 そして、地球を満喫しておくべく入っている様々な予定。 「はい、できましたー」 「これが、山かけ……てっか、てっか……」 「山かけ鉄火丼よ」 「マグロの身が、火で真っ赤に焼けた鉄の色をしているから鉄火丼なの」 「えっ」 「サンドイッチと一緒で、鉄火場で食べた『鉄火巻き』からじゃないの?」 「……なるほど」 「どっちもありそうな話だ」 「調べておきますね」 「山かけとは?」 「山芋を、こうやってすり下ろして……」 ……。 朝から不思議な食卓。 それもそのはず。 麻衣が、フィーナ達に「帰るまで毎食違うものを食べてもらおう」 と張り切っていた。 「わたしも、ギリギリまでたくさんの料理を覚えて帰ります!」 ミアも張り切っているようだ。 「それなら、フィーナさんのためにもシュークリームを作れるようにならないと」 「ああっ、そうでした」 「まあ、嬉しいわね」 本当に嬉しそうに笑うフィーナ。 シュークリーム調理技術習得にやる気を燃やすミア。 そんな二人がこの家で過ごすのも、地球にいるのも……今週末までだ。 ……。 …………。 フィーナとミアは、束の間の休みを利用して、ショッピングに出掛けて行った。 月へのお土産をじっくり選べるのは、今日が最後らしい。 姉さんは仕事へ。 俺は、麻衣が食器洗いを終えるのを見計らって、話し掛けた。 「なあ麻衣」 「なーに、お兄ちゃん?」 「ちょっと話があるんだけど……時間はあるか?」 「今日も部活はあるんだよな」 「うん」 「でも、まだ時間はあるから大丈夫だよ」 「すぐ行くから、お兄ちゃんはソファに座っててよ」 「おう」 ……。 たたた……麻衣は、冷蔵庫から二人分の麦茶を持ってきた。 「お兄ちゃん、最近……」 「お姉ちゃんと何かあったでしょ」 「えっ」 「何となく……見てたら分かるよ」 麻衣にまで気づかれてたか。 「……ケンカ?」 「そういうわけじゃないけど」 「でも、あまり目を合わせてないし、話もしてないでしょ」 「相談って、それに関係あるんじゃないの?」 じっと、俺の瞳を覗き込んでくる麻衣。 ……そうだな。 麻衣に隠しててもしょうがない。 「……あのさ」 「相続税って知ってるか?」 「それくらい知ってるよー」 麻衣が、口をとがらせる。 「お金持ちの人が死んだら、遺産の中から税金を納めるんでしょ」 「そう、それなんだけど……」 「実はうちも払わなくちゃいけなかったらしいんだ」 ……。 俺が言ったことを受けとめ、咀嚼している麻衣。 「えっと……」 「それって、お母さんが……死んじゃった時?」 「そうだったのかもしれないし……」 「オヤジが行方不明になって、何年か経った時かもしれない」 「でも……その税金ってどうなったの?」 「まさか、払ってないとか……」 俺は、答えを言わずに黙っている。 「……えと、でも、そんなに遺産なんて無かったし」 「税金なんて無かったのかも」 「確かに貯金なんかはあまり無かったけど……」 「この家がある」 「あっ……」 「土地もな」 「えっと、それっていくらくらいするのかな」 ……。 「俺も、詳しいことは分かってない」 「でも、土地と建物を含めてそれなりの資産であることは確かだ」 「相続税について調べてみたけど、かなり高くて……」 「結構な金額になったと思う」 「……」 「ただ……」 「確実なのは、俺たちが今もこの家に住めていること」 「うん」 「それと……」 「姉さんが、そこら辺を全部やってくれてるってことだ」 「そ、そうか……」 初めて聞く事実を消化するように、小刻みに頷く麻衣。 「そうだよね……」 ……。 「これも、確かな話じゃないんだけど」 「もしかしたら、姉さんはお金を借りてるかもしれない」 「え……」 「ど、どこから?」 「分からない」 「でも……もしかしたら」 「姉さんの、両親かも」 「……」 姉さんの両親、俺の伯父伯母。 姉さんが、きっと一番頼りたくない人達だ。 ……。 俺がまだガキだった頃、姉さんは生みの両親の家を出て、うちに住むようになった。 漏れ伝わってきた話だと……姉さんの両親はいつも仲が悪く、口論も絶えず、家の中はひどい状態だったらしい。 互いに家にもロクに帰らず、一緒にいればいつも罵り合い。 ……にも関わらず、世間体のために離婚もしないで家の外で浮気をしていたとか。 それを見かねた親父と母さんが、姉さんを引き取ることにした時──伯父伯母は、やっかい払いができたと、むしろ喜んだそうだ。 ……。 …………。 「フィーナからの、留学の誘いを断ったのも、もしかしたらこのせいなんじゃないかって」 「いや、このせいだと思う、確実に」 ……。 「だって、月に行きたいってのは、姉さんの夢だったじゃないか」 「それなのに、せっかくそのチャンスが来たのに……」 「姉さんが行かないって言ってるんだぞ」 「う、うん……」 「……」 何かを考え込んでいる麻衣。 ……しかし、きっと顔をあげる。 表情は晴れやかだった。 「簡単だよ」 「わたしが部活を辞めて……」 「わたしとお兄ちゃんの二人で頑張ってバイトしようよ!」 「そうすれば、お姉ちゃんがいなくなっても、きっと大丈夫だよ」 「ねっ」 何の迷いも無い顔で、麻衣が言う。 「今まで、ずうっとお姉ちゃんのお世話になってばかりだったもん」 「こんな時くらい、わたし達も頑張らなくっちゃ」 ……。 麻衣は、部活を辞めると言う。 それもあっさりと。 喉まで、「部活を辞めてしまっていいのか」 「ここまでせっかく頑張ってきたのに」 という言葉が出かかる。 「家族は、助け合わないとね」 「これまでは助けてもらう側だったから、今度はお姉ちゃんを支えてあげたいな」 ……。 …………。 同じだ。 姉さんに対して俺が言ったことと。 麻衣も、この前の俺と同じく、自分よりも姉さんのことを考える。 そっか。 多分姉さんも、俺を見てて、こんな気持ちになったんだ。 自分を犠牲にして、家を守る。 自分を犠牲にして、これまで散々世話になった姉さんを応援したい。 俺も、麻衣も。 ……。 姉さんのために頑張らなくちゃと、これまで積み上げてきたものを放り出してしまおうとしている麻衣。 その姿を見ているだけで、こんなに辛くなるのだ。 ましてやこれが……自分のためにと、自分に向けられる好意であったら。 その申し訳無さは、今の俺の比ではないだろう。 だから、俺の申し出を断って……全部、自分で背負ってしまおうとしたんだ。 ……。 「?」 「麻衣」 「麻衣の気持ちは分かったよ」 「お兄ちゃん、どうするの?」 「もう一度、姉さんとじっくり話し合ってみる」 「じゃあ……」 「話が終わったら、すぐにわたしにも話してね」 「ああ、約束する」 「でも……話し合いの結果に納得いかなかったら、わたしが直接話すから」 「分かった」 「今晩、姉さんが帰って来たら、話をしてみるよ」 「……それより麻衣、そろそろ部活の時間なんじゃないか?」 「あっ、ほんとだ」 「あぶないあぶない」 ……ばたばたと、家を出る準備をする麻衣。 「じゃあ、行ってきます」 「ああ」 「お兄ちゃん、頑張ってね」 麻衣が、俺を励ますように小さくガッツポーズをしてくれる。 ばたん……。 麻衣が出て行った扉をしばらく見つめる。 俺も、さっきの麻衣みたいに、覚悟を決めなくては。 今晩。 姉さんと話をする。 もう一度、月に行くことについて考え直してもらえるように。 今回の、もう二度と無いかもしれないチャンスを、みすみす逃さないように。 日付が変わる時刻になっても、姉さんは帰ってこなかった。 姉さんからは、バイト中に電話が一本。 なんでも、トラブルがあって帰るのが遅くなるそうだ。 「お兄ちゃん、先に寝るけど……」 「お姉ちゃんによろしくね」 「何がよろしくか分からんが、分かった」 「ふふ……じゃ、おやすみなさい」 「ああ、おやすみ」 とっくに寝ているフィーナとミア。 リビングに残っているのは、俺一人になった。 ……。 …………。 誰もいなくなると、急に静かになるリビング。 耳を澄ますと、遠くから蝉の鳴き声と鈴虫の鳴き声が両方聞こえたり。 最近は夜も蝉が鳴くんだな。 しかも、ずいぶんのんびりした蝉だ。 鈴虫の方は気が早い。 まだまだ、熱帯夜になることだってあるのに。 ……。 冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注ぐ。 それを、ちびちびと飲んでいると……玄関から、遠慮がちに扉が開く音が聞こえた。 ……。 「ただいま」 「おかえり、姉さん」 「達哉くん、遅いのね」 「今日もバイトで疲れてるんじゃないの?」 「姉さんこそ」 「風呂に入って、疲れを取った方がいいよ」 「ふふ……そうね」 「でも、達哉くん」 「何か、私にお話があるんじゃない?」 「え」 姉さんの目は笑ってるけど、ごまかすことはできそうになかった。 「うん」 「聞いてほしいことがある」 「そうじゃないかと思ったわ」 「少し待っててね」 姉さんがキッチンに向かう。 冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎ、それを持ってリビングに戻ってきた。 「お待たせ」 「さあ、じっくり聞くわよ」 「うん……」 「でも、ここだとフィーナにうるさいかも」 「そうね」 「じゃあ……私の部屋に行きましょうか」 俺は、姉さんに勧められてベッドの端に腰掛ける。 姉さんは椅子に座る。 「知りたいことがいっぱいあるから」 「最初は、それを教えてほしい」 「ええ、どうぞ」 「なんでもいらっしゃい」 「まず……」 「今、この家ってどうなってるの?」 「相続とか、全然意識してなくて……」 「今さら、こんなこと聞くのは恥ずかしいんだけど……」 「この家ね」 姉さんは、部屋の中、そして天井を、一通りぐるっと見渡す。 そして、懐かしい日々を思い出すような目をした。 「千春さんや、琴子さんの思い出が詰まった家だわ」 「私にとってはね」 「うん」 親父と母さんの話は、出てきてもおかしくない。 この家は、きっと親父のものだったはずだから。 「私は、千春さんたちが作ってた家族に憧れてここに来たの」 「前にも言ったかしら」 「この、温かい家が大好きだったわ」 「俺は、綺麗な姉さんが遊びに来るのを楽しみにしてた」 「ふふ……ありがと」 「それから、この家にお世話になるようになって……」 「月へ留学して……」 「それでも、帰って来れる場所があるのは、とても安心できたのよ」 その時の姉さんの気持ちを、正確に知ることはできない。 でも、何となく分かるような気がして、俺は頷いた。 「私にとっては、そんな家だったのに」 「千春さんが行方不明、琴子さんも亡くなって……」 「どうなるか、全く分からない状態になったの」 「うん」 「相続できる達哉くんたちはまだ子供だし」 「相続税は払わなくちゃいけないし」 「だから、達哉くんはきっと忘れてると思うけど、後見人になったの」 「私とおじさん……左門さんで」 ……。 どういうことだ?「この家は、達哉くんが相続したことになっているわ」 「だから、この家は、達哉くんのものよ」 「えっ」 「そう……なの?」 「ええ」 「麻衣ちゃんとの分配とか、色々と面倒なこともあるんだけど……」 「早くしないと、色々と『親戚』が寄って来そうだったから」 そう言って、笑う姉さん。 笑い事じゃないような気がするけど……「すんなりと話が通ったのは、琴子さんが残してくれた遺書のおかげもあるわ」 「その中で琴子さんは、私に分配の仕方を任せてくれたの」 「そうだったのか……」 「で、でも」 「この家を残すには、税金を払わなくちゃいけなかったんだよね?」 「ええ」 「税金を払うために、姉さんがどこかから借金したんじゃないかって思って……」 「そのせいで、姉さんは……」 「今回の、月への留学を諦めなくちゃいけなくなったのかなって」 「……」 姉さんは、びっくりした顔をしている。 もしかして……いや、やっぱり、図星なのか?「それで俺、でしゃばってるのかもしれないけど、フィーナにも相談したんだ」 「フィーナは、留学に来るなら奨学生としてお金を建て替えることができるって」 「だから、気が進まない借金は、もう……」 「達哉くん」 「そうじゃないのよ」 「今回の留学の話と、借金の話は関係無いの」 「えっ」 「で、でも、この前話をした時も、借金したって……」 「ええ、借金をしたのは事実よ」 「でも、もう返済は終わってるの」 「ふぇ?」 ……俺は、相当変な声をあげたらしい。 姉さんは、くすくすと笑ってから続きを喋り始めた。 「返済は、もう済んだわ」 「あまり顔を合わせたくない人から借りてたしね」 「って姉さん、やっぱり伯父さんたちから!?」 「ええ」 「かなり利子を取られたのよ」 「実の親子なのにね」 ……と言う割には、せいせいした顔で笑う姉さん。 でも。 俺は、混乱していた。 じゃあ、姉さんは……「姉さんは、なんで月への留学の話を断ったの?」 「それはもちろん」 「達哉くんと麻衣ちゃんの二人だけを残して、この家を出たくなかったからよ」 「そんな、だって……」 「俺も一人前になったんだよって、姉さんに認めてもらおうとして」 「バイトも頑張ったし、それに、それに……」 ……。 「……」 「家が無くなったって構わない」 「この家に三人で住んでるのだって、広過ぎるくらいじゃないか」 「アパートの一室だっていいんだ」 「俺と、麻衣と、姉さんが住んでれば、そこが俺たちの家だろっ」 ……。 …………。 「そうね……」 「今朝、麻衣にも少しだけこの話をしたんだ」 「そしたら、麻衣」 「『部活辞めて、わたしもバイトするよ』だってさ」 「麻衣ちゃん……」 「それを言われて、俺も、姉さんの気持ちは痛いくらいに分かったんだ」 「麻衣に、そんなことをしてもらうくらいなら……俺が全部、背負おうと思った」 「麻衣がやりたいことをやれる、そのために頑張ってるのに……」 「麻衣に助けてもらうようじゃ本末転倒だってね」 ……。 「きっと、姉さんもそう思ってたんだろ?」 「……」 「ええ、そうね……」 「……でもそうじゃなくて」 「俺と麻衣は、これまでずうっと姉さんに甘えてきたから」 「今度は、姉さんも俺たちに甘えてほしいんだ」 「達哉くん」 「離れて暮らしてたって、家族は家族だよね?」 「姉さんだって、親父が研究で飛び回ってばかりいても、母さんと信頼関係で繋がってるって」 「そんな親父と母さんに憧れてたって言ってたろ?」 「え、ええ」 「だったら、姉さんが月に行ったって同じことじゃないか」 「それに……」 「姉さんが、俺たちに甘えられないとか」 「俺たちがいつまでも姉さんに世話になってるとかじゃなくて……」 「お互いに、気兼ねなく甘え合うことができるのが、家族だと思う」 ……。 「今回は、姉さん」 「……俺たちに甘えてよ」 ……。 …………。 「達哉くん」 姉さんが、椅子を立って俺に近づく。 「私は……」 「私達は、また……」 「千春さんたちが作っていたような、あんな、温かい家族を作れるかしら?」 姉さんの、微笑んでる目尻から、一粒の水滴がきらきらと零れた。 「……ああ」 「もちろんさ」 ……。 …………。 「達哉くん」 「一緒に作ってくれる?」 どきっとした。 これじゃまるで…………。 でも、姉さんはいたって真剣に、正面から俺の目を見据えている。 ここで逃げるわけにはいかない。 「望むところだ」 「俺で良ければ」 「達哉くんがいいのよ」 「達哉くんと、作りたいの」 姉さんのまっすぐな目に、俺は、まっすぐな目で返さなくてはいけないような気がした。 「俺も……」 「姉さんと、作りたいよ」 俺の返事を聞いた姉さんは、優しく頷いた。 いつもの、姉さんだ。 「だから……私は、月に行くわね」 「ああ」 「月には、ずっと、もう一度行けたらって思ってたわ」 「ああ」 「一度行ったら、しばらく帰って来れなくなるわ」 「ああ」 「達哉くんは……それで、大丈夫?」 ……。 姉さんの夢は、痛いくらいに分かっている。 そして、俺と姉さんが付き合ってて……恋人同士だとしても、いや、恋人同士だからこそ、それを妨げちゃいけないってことも。 「ああ」 「……」 「……ありがとう」 姉さんは、少し鼻をすすりながら、そう言って微笑んだ。 ……。 「いつの間にか、達哉くんも立派になったわね」 姉さんが、俺の頭をぎゅっと抱きしめる。 「これなら、私も安心して月に行けるわ」 「姉さん……」 ブラウス越しに鼻腔をくすぐる、姉さんの香り。 ……この香りを吸うことが、これから最低一年以上できなくなる。 姉さんの夢を応援する、それに変わりは無いけど……俺は、無性に寂しくなった。 「姉さんっ……」 俺も、姉さんの身体を、ぎゅっと抱きしめる。 ……。 俺は、もう知っている。 姉さんの背は、思っているほど高くないこと。 姉さんの肩は、思っているよりずっと細いこと。 そんな姉さんが、大きく見えるほど……家族のため、仕事のために、姉さんが頑張ってくれたこと。 「達哉くん……」 姉さんが、俺の頭を撫でる。 ……いつも、魔法のように、俺たち家族を温かい気持ちにしてくれた姉さんの手。 俺は、その手を取って──姉さんを、俺の胸に抱きしめた。 「ね、達哉くん」 「なに、姉さん?」 「私が……月から帰ってくるの、何年後になるか分からないわ」 「その間、達哉くんが地球で……」 「そ、その……」 苦しそうなのは、俺に抱きしめられてるからじゃない。 きっと、姉さんは……「俺は、姉さんが帰ってくるのを、ずっと待ってるよ」 「俺が……愛してるのは、姉さんだけだから」 「姉さんが帰ってくるのが、何年後になっても、俺はずっと……」 「あ……達哉くん……」 「好き……」 「大好きよ、達哉くん……」 「私も、ずっと達哉くんのことだけを思ってるわ」 「遠く離れた、月にいても、ずっと」 ……。 「達哉くん……」 「私が……た、達哉くんを忘れないように……」 「抱いて……くれる……?」 顔を耳まで真っ赤にして、姉さんが言う。 俺は、そんな姉さんが心底可愛くて……狂おしいほどに、抱きたいと思った。 「ああ」 ……。 …………。 「達哉くん、すごい……」 「もうこんなに……」 ズボンから飛び出た俺のペニスは、早くも、待ちきれないと言いたげに屹立していた。 「だって、姉さんとするの……久し振りだし」 「ああんっ……」 ストッキングとパンツを下ろした姉さんの下半身が、俺の目の前に広がっていた。 白い太腿、白いお腹、そして……そこにあるのがそぐわないような、朱い割れ目。 俺は、そこに舌を伸ばした。 「あっ……」 「あのっ、達哉くん……今、私少し汗臭いかも……」 「そんなことないよ」 姉さんの陰唇を両手で左右に押し開くと……その中に、綺麗なサーモンピンクの秘裂があらわになった。 「や……そ、そんなに広げないで……」 「忘れないように、しっかり見ておきたくて……」 「それに、綺麗だし」 ぺろっ姉さんの割れ目の一番上にある、包皮に包まれた肉芽を舐める。 「あんっ……!」 ぴんっと、姉さんの脚の指が伸びる。 「それに、姉さんだって……俺のを見てるだろ」 「そ、そう……ね」 「あぁ……達哉くんのを、こんなに近くで見るのは、初めてね……」 そう言って、姉さんは肉竿を指で撫で上げる。 姉さんの熱い吐息を、ペニスが感じる。 「こうして、改めて見ると……」 「かわいい形をしてるのね、男の人のって」 か、かわいい……?「だって、このくびれた所とか……お人形さんみたい」 「かわいいって……」 「それ、男にとっちゃ褒め言葉じゃないから」 「あっ、ご、ごめんなさいっ」 「……そういう意味じゃなくて」 「これが、私の中に入ってくるんだなって思ったら……」 姉さんが、肉棒の中程と亀頭に、ちゅっちゅっと軽くキスをする。 「うっ……」 久し振りの、姉さんの刺激に……俺の下半身はびくっと反応した。 「気持ちいいのね……?」 「そ、そうだよ」 「姉さんにも……気持ち良くなってほしい」 再び、姉さんのクリトリスを舌で愛撫する。 「あっ……やぁ……んっ、んんんっ……」 最初は、包皮ごと転がすように。 次には包皮を舌でかき分け、その中にある敏感な部分を……そっと、舌先で突ついてみた。 「ああっ……はあぁっ……くうんっ……」 ……姉さんの割れ目を濡らす唾液に混じって、蜜壺からも透明な液体が湧きだしてきた。 「姉さん、濡れてきたよ」 「や……た、達哉くん、言わなくてもいいの……」 姉さんの恥じらいに反して、淫液の量は少しずつ増えていく。 俺は、わざと音を立てて、姉さんの割れ目を舐めた。 ぴちゅ……くちゅ……その音に反応して、お尻の穴がきゅっとすぼまる。 「いや……音、たてないで……」 「だって、姉さんの中から……どんどん溢れてて……」 姉さんは、反撃のつもりか、俺の肉竿に舌を這わせた。 それと同時に、俺のペニスを……指の腹で揉むように弄ぶ。 「はあ……ああ……んんぅ……ちゅっ……」 姉さんはきっと、俺が上に乗ったセックスをするつもりだったんだと思う。 ベッドに横たわった姉さんに俺が誘われた時は……俺もそのつもりだった。 でも……姉さんに導かれてそのまま、ってのが嫌だった俺は、奥と手前を逆にしてベッドに乗ったのだ。 「ふあぁ……あはぁ……んくぅ……ぺろ、ちゅっ……」 姉さんが、ゆっくりと俺の亀頭を舐め回す。 俺も、姉さんの敏感な肉芽を……優しく、丁寧に舐め続けた。 「ぴちゃ……あ……んちゅ……た、達哉くん、どう……?」 「き、気持ちいいに……決まってるじゃないか……」 「そう、良かった……」 ちろちろと舌を伸ばし、男性器のあちこちを舐める姉さん。 でも……本当は、全部を口に含んでもらったら、どんなに気持ちいいだろう……と思っていた。 「達哉くんは……」 「やっぱり、全部口で咥えた方が……いいのかしら?」 「あ、た、多分……」 「でも、そんなことをしてもらったこと無いから、分からないかも」 「じゃあ……やってみるわね」 ちゅっ、ちゅうぅっ……姉さんは、俺の肉竿を指で支えて──そのまま亀頭を丸ごと口に含んだ。 「あ……あぁぁ……」 姉さんの口の中はびっくりするくらい熱くて、舌は柔らかかった。 「ちゅっ……ちゅう……ちゅぱっ……」 口でしてもらうのが……こんなに気持ちいいものだとは、知らなかった。 まずい……これじゃ、そんなにもたないかも……「ふっ、ふぅ……んぐ……む……ちゅばっ、ちゅっ……」 姉さんの舌遣いは……多分、ぎこちない。 それでも、一生懸命、俺の反応を窺いながら……気持ち良くしてくれようとしてる。 「あっ……姉さん、そこ……とても、いい……」 「こ、ここね……」 「はむ……ちゅうっ……ぢゅっ、ちゅぱっ……んうっ……ちゅ……」 俺も、姉さんに負けじと、懸命に姉さんの性器を舐める。 れろっ……ちゅっ……ぺろ……左右の陰唇を、交互に、丹念に、舌で舐める。 そして、時々唇で挟んで引っ張った。 「んん……ちゅっ、ああ……はむぅ……んはぁ……ちゅっ……ぢゅぱっ……」 姉さんは、気持ち良さに耐えるように、シーツを握りしめている。 俺は、もっともっと姉さんに気持ち良くなってほしくて……指と舌を両方使って、割れ目を責めたてた。 「んーっ、んんっ! ちゅぷっ、ちゅばっ……ふあぁ……はむっ……んんんっ……ぢゅぷ……」 舌では、クリトリスを舐め転がす。 ぱくぱくと陰唇を広げたり閉じたりすると、中からは淫液が溢れてきた。 そっと、膣口に指で触れてみる。 「んんんーっ! ぷはぁっ……ああっ! んはぁっ……!」 「姉さんも、気持ち良くなって……」 「ああぁ……達哉くん……そこ、はあぁ……ああっ!」 姉さんが、俺のものを口から出し、喘いでいる。 俺は、姉さんに握られているかちこちのペニスのことは、できるだけ考えないようにして……目の前の淫裂に何をすれば、姉さんの反応があるかに神経を集中させた。 そうでもしないと……姉さんの口の感触に、暴発してしまいそうだった。 「はぁ……あぁあっ! はぁぅ……はぁぁ……ちゅばっ……ちゅうっ……」 姉さんも、荒い呼吸のまま、俺の肉棒を舐めてくれる。 きっと、姉さんの唾液でとろとろになってるはず。 割れ目も、俺の唾液と姉さんの愛液でべたべただ。 「ちゅっ……ちゅうっ……ちゅぱっ……れろ……ちゅっ……」 俺は、姉さんのクリトリスの包皮を両手で広げて……その中に慎ましやかに勃っている肉芽に、唇を丸めて、吸いついた。 「きゃううっ! はあんっ……ああああっ……やあぁ……はあぁ……ぁ……」 姉さんの下半身がベッドのスプリングに跳ねる。 大きく開いた両脚に力が入っていた。 俺は陰核に吸いついたまま、舌でちろちろと真ん中を舐める。 「うああぁっ……あっ、あああっ! んはあっ、ああぁ……っ!」 閉じようとする姉さんの脚。 俺は太腿を腕で押さえつつ、クリトリスへの刺激を与え続けた。 吸う。 転がす。 はじく。 「はあっ、あぁぁ……くはぁ……んんっ! はぅあぁ……ぅぅ……ああっ!」 舌で押さえつける。 突つく。 ……それらひとつひとつの動きに合わせて、姉さんの腰が悶えた。 シーツも引っ張られる。 「んはあ……ああぁ……はむっ……ちゅうっ……ぢゅっ……」 意地の張り合いか、何かの勝負をしているかのように……姉さんは、再び俺の肉棒を咥えた。 「ああっ……うぁ……、ね、姉さん……」 「ぢゅ……ぺちゃっ……ああっ、んんっ……ぴちゃっ」 やっぱり、姉さんの口の中は気持ち良過ぎる。 俺は、右手の指を姉さんの膣内に侵入させることにした。 にちゃっ……人指し指が、姉さんの膣口から中に沈み込んでいく。 「んー、んんーっ! んちゅぱっ……ちゅっ……ずちゅっ……ちゅぱっ」 姉さんは、悶えながらもペニスを深く飲みこんでいく。 こうして、互いの性器を舐めあっていると……いつまでも、どこまでも快感を求め続けているような気がして、とても淫らな気分になってきた。 「んぐっ、ぐっ……ちゅぶっ、ちゅぽ……んふっ……んぐうっ……!」 ……姉さんの喉に、亀頭が挟まれる。 唇は肉竿を挟み、舌はカリにまとわりつく。 「ぴちゃ……あむっ……ちゅ、ちゅうっ……んくっ……ちゅうっ、ぢゅぱっ」 「あぁ……っ」 思わず声が漏れる。 腰に溜まっていた射精感が、一気にペニスに集中する。 「ううんっ……ぴちゅっ……ぢゅぱ、ちゅぷっ……んくっ、ぴちゃっ、ぢゅうっ……」 姉さんの指が、肉棒の根元をぎゅうっと掴んで往復する。 その動きが激しくなり、亀頭は強く吸われた。 俺は……もう限界だった。 「ぢゅ……はむ……ちゅぱっ、ぢゅっ、ちゅうぅ……っ、んんっ、ぢゅぽっ……」 「姉さん、で、出る……っ!」 びゅくうっ! びゅくっ! びゅうっ!勢いよく飛び出た精液が、姉さんの喉の奥へと迸った。 「んんんっ!? ……っ……んぐ……んく……っ」 ずっと我慢してきた射精。 その下半身に込めていた力を抜くと……性の奔流が、もう止めるもの無く、姉さんの口に流れ込み続ける。 びゅっ! どくっ ……っ「はぁ……ね、姉さん……ごめん……」 「んーっ? んんっ……んっ、んく……あ……」 姉さんの口の中の気持ち良さに耐えられず、注ぎ込んだ俺の精。 それを、喉で受け止めた姉さんは……全て、飲み下そうとしている。 「けほっ、あ……んぐっ」 喉に絡まったのか、姉さんが咳こむ。 「姉さん……そんな、飲まなくても……」 しかし……姉さんは、首を振って、飲み込む努力を続けた。 「んくっ……ん……ぐ……んんっ……はぁ、はぁ……ぁぁ……」 「はぁ……んんっ、んくぅ……はぁ、はぁ……」 ……ついに、姉さんは全ての白濁液を飲み下した。 「姉さん、どうして……」 「た、達哉くんの……精液だから……」 「飲めば、少しでも……達哉くんと一緒になれる気がしたの」 その言葉を聞いて……俺は、泣きそうなくらい、嬉しかった。 ……。 「はぁ……あぁ……た、達哉くん……?」 「まだ……大丈夫?」 今日はまだ、姉さんと繋がっていない。 大丈夫? と問いかけつつも、姉さんの指は……俺の肉棒に添えられていた。 「だ、大丈夫だと……思う」 「元気に……なって……」 きゅっとペニスを握った姉さんは、そのまま手をゆっくりと動かし始めた。 そして……俺に快楽を与えるように、こすってくる。 「た、達哉くん、どうかしら……?」 艶かしくも不慣れな手つき。 陰嚢が感じる姉さんの熱い吐息。 ……本当のことを言うと、もうとっくに、俺のペニスは固さを取り戻していた。ただ、姉さんが手でしてくれてる気持ち良さをもう一度味わいたくて。 ほんの一呼吸分だけ……返事を遅らせた。 「……大丈夫、行けるよ」 俺は、姉さんに促されて、ベッドに仰向けに横たわった。 スカートを取った姉さんが、俺の上にまたがる。 「私が上になるの……初めてね」 少し照れながら、姉さんが腰を前後に揺らして……ちょうど、俺のペニスの真上に腰を持ってくる。 「姉さん、このリボン……いい?」 「え、ええ……いいわ」 姉さんの胸のリボンをほどき、ブラウスを肩から滑り落とす。 「達哉くん……また、頑張って……」 姉さんが、俺の肉竿にそっと細い指を添える。 そして……自らの割れ目に沿って往復させ、再び愛液にまみれさせた。 「うあぁ……」 「あ……こ、これでいいのかしら……?」 初めての体位に、少し不安げな姉さん。 俺は手を伸ばして、目の前に揺れている乳房をふわっと包む。 「あぁ……っ……んっ」 「達哉くん……この体勢、苦しくない?」 正直、姉さんの中に入る直前で、焦らされてる方が辛かった。 俺の亀頭と、姉さんの膣口は何度も擦れ違い……さっきから、くちゅくちゅと粘液質の音を立てている。 「じゃあ……い、挿れる……わね……」 「う……ん」 姉さんが、俺の亀頭を割れ目にあてがう。 「あ……んっ……く……ぅ……あぁ……ぁ……」 姉さんが、自ら動いて挿入するのは初めてだった。 その感触に、明らかに戸惑っている。 「うぁ……ああぁ……こ、ここで……いいの……よね?」 「多分」 「最初、馴染んでくるまでは、まだキツいかもしれないけど……」 「そ……そうね」 「くぅ……んんっ……、はぁぅ……あぁっ……ん……っ!」 まだ亀頭までしか、姉さんの膣内には入っていない。 その肉鞘が、ずぷぅっと、上から降りてきた。 ぬぷっ、じゅぷぷぅぅ……っ「うあぁっ! ああぁ……っ、はあぅ、あぁ……はあぁ……」 体重を掛けた姉さんの腰が、俺の肉棒を飲み込む。 姉さんの中は、とろとろに熱く溶けていて、最高に気持ちいい。 「姉さん?」 でも……姉さんは、そのまま動くことができないでいた。 「あぁ……う、んぁぁ……た、達哉くん……少し、このままでいて……いい?」 「いいよ」 「……姉さんが動けるようになったら、動いてくれればいいから」 「う、うん……ごめんね……」 これまでは、キツい姉さんの中でペニスを動かしていたのは、いつも俺の方だった。 姉さんが、自分で動くには、まだ膣内が緊張で強張っているし……何より、姉さんの女性器は、中に異物を受け入れるのにまだ慣れていない。 「はあぁ……、んっ、はあ……ふはあ……」 姉さんの緊張をほぐそうと、ふわふわのマシュマロのような胸を、そっと揉む。 少し汗で湿った肌は、指が吸いつきそうなくらいみずみずしい。 そのたわわな双丘は、姉さんが大きく息をする度にぷるぷると揺れる。 「はあぁ……あぁ……ふあぁっ……くぅ……んっ、んんっ」 少しずつ……俺の肉竿を伝って、姉さんの淫液が垂れてきている。 少し力を入れて姉さんの胸を掴む。 きゅっ姉さんの乳房に、俺の指がめり込んだ。 「ああっ……た、達哉くん……う、動かないと、気持ち良く……ならないよね?」 「そんなこと、ないけど……」 姉さんが息を吐く度に、ぎゅぎゅっと肉襞が波打ち、ペニスは刺激を受けていた。 でも、姉さんが「動かなきゃ」 と思っているのが伝わってくる。 「少し、動いてみる?」 「ええ……えっ? あっ……ああっ!」 俺は、少し膝を立てて足を踏ん張ると、下から姉さんめがけて腰を打ち上げた。 「あああっ! ああっ、あっ……あ、あぁぁぁっ」 じゅぷっ! ずぷぅっ!驚いた姉さんが、膣をぎゅうっと締めつけてくる。 俺はその膣圧に負けないように、姉さんの腰を両手で抱えて、更に下から突き上げる。 「うあぁんっ! ふあぁ……ああっ、やぁん……っ!」 姉さんは、為す術無く俺の屹立を受け止めている。 でも、俺の手のひらの中の乳首は、いじらしくも固さを増していた。 「たっ、達哉くん……ああっ! わ、私が……うご……くから……んんっ」 下に横たわる俺に主導権を取られるとは思ってなかった姉さんが、苦しげに訴える。 「姉さん、大丈夫……?」 「ううっ……だ、だいじょ……うぶ……よ、ああっ! はあぁっ!」 俺は最後に深いところまで突いた後、腰を落として、姉さんが動くのを待つことにした。 さっきとくらべて、姉さんの膣内もぬめってきたし、もう……動けるかな?「はぁ……あぁ……はぁ……」 「じゃ、じゃあ……う、動く……わね……」 ぬぷぷぅぅ……姉さんが、腰を下ろして俺の肉棒を全て飲み込む。 「はああぁぁ……ぁぁ……んんっ……あぁ……」 それは……ゆっくりした動きではあったけど、紛れもなく、姉さん自身の意志での動きだ。 「はぁ、はぁ……んんっ、くはぁ……っ」 姉さんの膣口と、俺の根元がぴったりとくっつく。 亀頭は姉さんの一番奥に到達し、ぐいぐいと子宮口を押している。 「ああっ……お、奥に……届いて……」 「まだ、片道しか動いてないよ、姉さん」 「そ、そうね……んんっ、くぅあぁ……」 太腿に力を入れ、姉さんが腰を持ち上げる。 俺から丸見えの結合部。 そこには、姉さんの割れ目から徐々に姿を現す、俺の肉竿が見えた。 姉さんの愛液でてらてらと光り、今まさに亀頭までが抜かれようとしている。 「んんっ……ん、んはぁっ……ああぁっ……」 再び、姉さんの秘裂が俺の剛直を飲み込んでいく。 じゅぷぷうぅっ……「はああぁぁ……はあ……んんっ……あぁ……んっ」 また一番奥まで届いたと思うと、今度は、すぐに姉さんは腰を上げる。 ぬぷうっペニスが抜ける寸前でまた腰を下ろし……また、上げる、下ろす、上げる……姉さんの下半身の動きが、どんどん早くなってきた。 「はぁっ……やっ、んんっ……はうっ、くぅ……あぁっ、んんうっ!」 姉さんの内股の肉が、俺の腰にむにむにと押しつけられる。 だんだんと動き方が掴めてきたことと、愛液の増加で、姉さんの動きもスムーズになってきた。 じゅぷっ……ぬちゅっ……ぐしゅっ……ぢゅうっ……ぬるっ……「あぁ、はあぁ……た、達哉くん……き、きもち……いい……?」 「あ、ああ……」 俺は、再び腰のあたりに溜まってきた射精感を、必死で散らしていた。 姉さんの動きを少しでも緩めようと、時々乳首を捻ってみるけど……それすら、姉さんの動きに快感の艶を伴わせるだけだった。 「じゃ、じゃあ……こういうの……は?」 姉さんは、俺のものを深くまで飲み込んだところで、腰をグラインドさせた。 「うあっ……あぁ……くっ」 あらゆる方向から、ペニスに加えられる快感の波。 それにも増して、姉さんが俺の上で淫らに腰を回している光景の刺激。 「んっ……くぅぅ……んんっ、ああぁ……はあぁっ」 ……俺は、もう射精感を散らす努力を放棄して、再び自らの腰を打ち上げた。 ぬぷぅっ! ぐちゅっ! ちゅぶっ! じゅぷっ!「ふあっ、ああっ! くあっ、んんっ! んあっ……くあっんん……っ!」 姉さんの腰が逃げないように、両手でまたがっちりと支える。 下から、姉さんの熱い泉めがけて、肉棒を突き上げる。 「だっ、だめぇっ……ああんっ、んんっ! はぁ……あぁっ! あああっ!」 口ではダメと言いつつも、姉さんも小刻みに下半身を揺すり始めていた。 意識的にやってるのかは分からないけど、気持ちいい交わり方を探っているかのようだ。 「んあっ、あぁぁんっ……あうっ……あっ、ああんっ……んんっ、んくぅ……っ!」 俺は、何も考えずに下から姉さんを突く。 次第に……姉さんの動きも、同調してきていた。 「はあんっ! ああんっ! んんっ、くぅっ! ああっ!?」 最後に、大きく強く、姉さんの一番深いところまでペニスを突き上げた。 「あっ、んんんっ! ああああああぁぁぁぁっっっっ!!!」 びゅくうっ! びゅくっ! びゅくっ!「はああぁぁぁ……っ……うあぁっ……ぁあああ……ぁぁ……」 「はあっ……はぁ……」 俺は、姉さんの中に精液を吐き出した。 どくっ……びゅっ……びゅく…っ姉さんの腰から乳房に手を移し、余韻を楽しむように揉む。 「ふぁぁ……はあぁ……ああっ……うぅ……はぁ……」 姉さんの下半身には、ぴくぴくっと震えが走っている。 その度に、俺の屹立から精液を搾り取るように、膣内が締めつけきた。 「姉さん……いった?」 「はぁ……あぁ……う、うん……」 「達哉くん……すごかった……わ……」 俺は、全身に力が入らず、姉さんの下でベッドに伸びていた。 姉さんも、上半身を俺の胸の上に倒し、背中を上下させて呼吸する。 「はぁ……はぁぁ……あぁ……」 乳房が、俺の頬を包む。 胸の谷間に、俺の顔が沈んだ。 「ね、姉さん……息ができな……」 「ご、ごめんなさい……力が……入らなくて……」 俺の上にくたっと倒れ込んでいる姉さん。 でも、その股間には、俺のペニスを飲み込んだままだ。 ……。 姉さんが月に行く前には、今晩を最後に、こうやって肌を重ねることはないだろう。 そう思うと……俺は、最後の力を振り絞って、姉さんをぎゅっと抱きしめた。 肉棒は、姉さんの割れ目に飲み込まれたまま。 「た、達哉くん……?」 俺は、姉さんを抱きしめたままベッドの上で横に転がって──今度は姉さんを下に組み敷く体勢になった。 「きゃっ……」 姉さんの脚を、折り畳むように持ち上げる。 「あっ、達哉くん……も、もう……わたし……」 自らの膝を抱えた姉さんが、俺の下から許しを乞う。 姉さんの太腿をぐっと押しつけると……俺のペニスと繋がった姉さんの割れ目が、間近に見下ろせた。 「あぁ……た、達哉くん、また……大きく……」 その煽情的な光景に、屹立が再び固さを取り戻す。 「姉さん……俺と、繋がってるのが見える?」 「あぁ……み、見えるわ……」 「私の中に……達哉くんが入って……ああっ!」 俺は、無心で姉さんの中に出入りした。 下半身は、二度の放出で痺れている。 それでも……姉さんに、月に行ってもずっと俺を覚えてて欲しいとの一心で、腰を振った。 「姉さんっ、姉さん……っ!」 ずぷっ……ぬぷぷうっ……ずっ……じゅぷっ……ずちゅっ……「あっ! ああんっ! だ、だめ……私……ああんっ! いやあ……っ!」 さっきイったばかりで、姉さんは敏感になっているんだろう。 何度も首を振って、快感に耐えるように悶えている。 「いやぁ……きゃっ……んんっ! はああっ! ああっ、あああっ!」 拒む口調とは裏腹に、姉さんの膣奥からは、更に新たな淫液が湧いてきた。 「姉さん……姉さん……っ!」 「うぅっ! あぁ……っだめ……わ、わたし……ああっ! はあぁ……っ!」 逃げようとするかのように腰を揺する姉さん。 それでも、俺が太腿を押さえ……その中心に肉棒が突かれている状態では、俺へ快感を与えるだけだ。 じゅぶっ! じゅぷうっ! ぬぷっ!「ああっ……達哉くん……達哉くん……」 うわ言のように、俺の名を呼ぶ姉さん。 口は開きっぱなしで、時々、ぱくぱくと息をしている。 「んぁぁっ、あっ、ああっ……はぁ、ああっ! た、たつやくん……ああっ、あああ……っ!」 姉さんの腹筋がぴくっと震える。 「ああっ……わっ、わたしっ……また……」 ずぷうっ! じゅぷぅっ! ぬぷぅっ!両脚の爪先が、ぴんと伸びた。 「だめっ、あああっ! あっ! んあああっ、ああっ、あ、あ、ああああぁぁっっっ!」 姉さんは、またイったようだった。 でも、俺はそれに構わず、姉さんの膣内へ肉棒を打ち込んでいく。 「はぁっ、はぁ、あぁ……あ……っ、ああっ、ああっ! ああぁ……っ!」 亀頭あたりの感覚は、もう無くなっている。 姉さんの一番深いところに、俺のしるしを刻むことだけを考えた。 「はぁ、ああぁ、や……ああっ、だ、だめ……んんっ、ああっ!」 ……もう、どれくらいこうしているのかも分からなくなっている。 大きく脚を開いて俺を受け入れている姉さんは……途切れることのない快感の波に、為す術無く身を委ねていた。 「あぁぅ……たつやくん……も、もう……ああっ……たつやくん……」 半分涙声になっている姉さん。 俺の下で、俺の肉棒を打ち込まれながら悶えている姉さんの姿に……また、絞り出すような射精感が集まってきた。 「わたし……ああっ、おかしく……なっ……あぁっ! はぅぅ……あああっ!」 「姉さんっ、姉さんっ、姉さんっ!」 「ああっ、たつやくん……たつやくん……っ、あっ、ああっ! ああっ、んんっ」 「ああぁぁぁっ……あっ、あっ……う、うあぁぁっ」 「だめっ、だめえぇっ、んああっ! うぁっ、あぁっ、ああああああああぁぁぁっっ!」 びゅるうっ! びゅくっ! びゅくうっ! ……っ!……!「ああぁぁ……はあぁ……うぁぁ……んくっ、あ、はああぁぁ……あぁ……ぁぁ……」 「くはぁ……っ……あぁ……」 俺は、身体中に残った想いを、全て姉さんに注ぎ込んだ。 「あぁ……たつやくん、大好き……愛して……る……わ……」 どくっ姉さんを押さえていた手の力を緩めると……ぬるぅ……っ割れ目の中から、精根果てた俺のものが、押し出された。 姉さんの膣内からは、とろとろと白濁液が漏れてお腹に流れる。 「ぁあ……はあぁ……んんっ、はぁ……ぁ……」 「俺も……愛してるよ、姉さん……」 そう言うと、姉さんは……俺に、優しく微笑んだ。 「達哉くんのこと……ずっと、想ってるから……ね」 「38万キロ離れたところからでも……」 俺は、その姉さんの笑顔と、言葉に……胸が詰まった。 「姉さん……行ってらっしゃい」 「行ってきます……」 ……。 …………。 「大変失礼なお願いとは存じておりますが」 「もしまだ、間に合うようでしたら、ぜひお願いしたく」 「もちろん……」 「大丈夫よ、さやか」 「やったーっ!」 「良かったです」 翌日。 姉さんは、フィーナに話をした。 留学の件について、やはりお願いしたいと。 「本当は、さやかに断られたら、どうしようかと思っていたのよ」 「月には、優秀な人が一人来るって伝えてしまっていたし……」 「カレンに誰か適任の人はいない? と聞いてもさやかの名前しか挙げてくれないの」 そう言って、悪戯っぽく笑うフィーナ。 「まあ、カレンったら」 ……。 …………。 それからの数日間、姉さんは息をつく暇も無かった。 フィーナとミアは、元から月に帰る予定だったから、準備も進んでいる。 しかし姉さんは、仕事の引き継ぎから家のことまで、全てを5日間でやらなくてはならなかった。 今日も、姉さんが博物館に駆けていく。 ばたばたしている中でも、特に博物館の仕事の引き継ぎは大変そうだ。 ……。 ばたんっ 「行ってきますっ」 「お姉ちゃん、お弁当お弁当っ」 最近では、寝ぼけてる暇も、のんびりお茶を飲む時間も無いようだ。 ……。 朝から夜遅くまで、後任の人に引き継がなくちゃいけないことが山積み。 だから、俺と麻衣で、月へ持っていく荷物の用意をできるだけ進めることにした。 「ねえ、これは要るのかなぁ」 麻衣が手にとったのは、姉さんの部屋にあった奇妙なぬいぐるみ。 「いらないだろ」 「そもそも、往還船にはそんなに荷物積めないし」 「……」 麻衣が何事かを考え込む。 「……どうした麻衣?」 「お兄ちゃん」 「……いいの?」 「何が?」 「お姉ちゃん、また1年とか……」 「今度はもしかしたらもっともっと長く、月に行っちゃうんだよ?」 「ああ」 麻衣は…… 麻衣なりに、俺と姉さんの仲のことを心配してくれているのだ。 嬉しかった。 俺は……姉さんの真似をして、麻衣の頭を撫でてみた。 「ひゃ……」 「ありがとうな、麻衣」 「……でも、大丈夫」 「俺と姉さんは、大丈夫さ」 「うんっ」 「ほら、続きやるぞ」 どの本が必要になるのかは、流石に本人じゃないと分からない。 俺たちは、姉さん用の歯ブラシや生活雑貨をトランクに詰めていった。 ……。 ひとつひとつの荷物に見覚えがあって。 それをトランクに詰める時には、正直少し寂しくもなったけど…… 顔には出さずに、何とか乗り越えられたと思う。 ……そんなことをしながら過ごすうちに。 一日、一日と出発は近づいていった。 ……。 …………。 「それでは、お世話になりました」 「ありがとうございました」 「おう、月に帰っても元気でやれよ」 「また地球に来る機会があったら、是非トラットリア左門にお運び下さい」 うやうやしく頭を下げる仁さん。 「それと、さやちゃん。 しっかりな」 「ありがとうございます」 「さやかさん、体には気をつけて下さいね」 「菜月ちゃんも、頑張ってね」 ……。 昨晩の『またお会いしましょうパーティ』を経て、今日は遂に出発当日。 カレンさんが、車を回すと言ってくれたけど。 フィーナにミア、姉さん、見送りの俺と麻衣が乗ると定員オーバーだ。 それに、フィーナが…… 「地球の光景を瞼に焼き付けるためにも……」 「みんなで、ゆっくり歩いて、連絡港に向かいましょう」 こんなことを言ったので、もうみんな歩いて行く気満々だった。 ……。 一緒に、満弦ヶ崎を散歩するのも、これが最後だろう。 俺たちは、たっぷり時間に余裕を見て、家を出た。 「月の王宮以外で、最も長い時間を過ごした場所になったわね」 「お世話になりました」 フィーナが、スカートの裾をつまんで、ぺこりと一礼した。 「ありがとうございました」 ミアも続いてお辞儀する。 「私も、この家とはしばらくお別れね」 姉さんが、様々な思いを込めて、家を見る。 「二人とも、しっかりね」 「ああ、任せといてくれ」 「大丈夫だよ」 「よしよし」 満面の笑みで、俺と麻衣の頭を撫でた。 ……。 …………。 商店街では、いつも世話になってるお店から、声が飛んできた。 「あら、さやちゃん。 また月に行くんだって?」 「どうでい、餞別にこの大根持っていくか?」 「ンなもん、荷物になるだけだよ。 ねえ?」 「ふふ……ありがとうございます」 ……。 「この川を初めて見た時は、驚いたものよ」 「こんなに水が流れているんですもんね」 通学にも使った道路は、二人が地球に降り立った直後から、思い出でいっぱいだ。 ……。 「いってらっしゃい、館長!」 「お体に気をつけて!」 「土産話、楽しみにしてますよっ」 博物館で姉さんと働いてた人達が、みんな見送りに集まっていた。 みんな博物館前に並んで、帽子を振っている。 「いってきますね、みんな!」 姉さんも、手を振って応えた。 「さやかは人気者ね」 「すごいです……」 ……。 「お待ちしておりました」 「間に合ったわね」 大使館前で、カレンさんが一人待っていた。 「最後に、ここまでゆっくり歩けて良かったわ」 「はい、そうですね」 二人は、もう一度だけ…… 名残惜しそうに、満弦ヶ崎の街を振り返った。 「それでは、参りましょうか」 カレンさんの後ろに続き、閑散とした連絡港に足を踏み入れる。 見送りは、ここにいる人だけ。 少し寂しい気もした。 「達哉、それに麻衣」 「お世話になりました」 フィーナが深々と頭を下げる。 ミアもそれに倣った。 「こちらこそ、二度とできないような体験をさせて頂きました」 「月に帰っても、元気でいて下さいね」 俺たちは、交互に抱き合い、別れの挨拶を済ませる。 ……。 「それじゃ、行って来るわね」 「姉さん……」 毎朝、玄関で聞いていたのと全く変わらない言葉。 俺も、一緒の挨拶で応えなくちゃ……。 「行ってらっしゃい」 「行ってらっしゃい」 姉さんが、俺と麻衣の頭を撫でる。 「麻衣ちゃん、お家のことは任せたわよ」 「う、うん……」 目を潤ませる麻衣をぎゅっと抱く姉さん。 麻衣は、姉さんの制服の胸のあたりを、少しだけ濡らした。 「しっかりね」 「姉さんも」 「私も、ついに達哉くんに甘えることになっちゃったわ」 「しっかり、守ってね」 「はは……」 姉さんの留学は最短でも1年。 もしかしたら、もっと長くなるかもしれない。 ……それでも、俺は麻衣とは違って。 姉さんが心配しないように、笑顔で見送らなくては。 ぎゅっ 姉さんと抱き合う。 この腕の中の温もり。 姉さんの髪の香りが鼻腔をくすぐり、指は背中を滑る。 ……。 ほんの、一瞬だったと思う。 その姉さんとの別れの挨拶である抱擁は、何分も、何時間も続いたように感じた。 ……。 …………。 「それでは……」 そんな声で我に返って、 名残惜しいのを隠すように、 姉さんを腕から放した。 その刹那。 「愛してるわ」 そんなささやきが、俺の耳に滑り込む。 ……姉さんは、こっそり俺だけに笑いかけ、腕の間をすり抜けて行った。 「行きましょうか」 すっかり、月王国の姫の顔になっているフィーナが、ミアと姉さんを促す。 「はいっ」 「はい」 俺も、笑って三人を見送る。 麻衣と二人、搭乗ゲートの手前で立ち止まり、手を振った。 フィーナも、ミアも、姉さんも。 往還船へのデッキに姿が隠れる直前に、こちらを振り返る。 俺も麻衣も、ちぎれるくらいに、何度も何度も、手を振った。 三人の姿が見えなくなっても、手を振り続けた。 ……。 …………。 麻衣と見上げた空に、往還船はあっと言う間に消えて行った。 月まで、半日。 姉さんが向かった青い空の向こうには、白く三日月が輝いていた。 ……。 それから、姉さんのいない日々が始まった。 フィーナとミアも帰ってしまい、最初は家の中が寂しく感じたけど。 すぐに、それが当たり前になった。 ……。 姉さんからはマメに便りが届いた。 こっちも近況を書いて送り返す。 向こうの生活は、充実しているようだ。 こちらも充実した日々を送ろうと、麻衣と励まし合う。 ……。 …………。 季節は巡り、春。 麻衣はカテリナ学院の3年に進級。 俺は無事、満弦ヶ崎大学の月学部に進学した。 そのことを姉さんに報告すると……文章から、姉さんが躍り上がって喜んでるのが伝わるような、返事が来た。 ……。 どんなに季節が巡っても、年月を経ても、見上げれば、そこにある月。 ……にもかかわらず、地球上のどこよりも遠い。 そんな場所に、今、俺の最愛の人がいる。 ……。 38万キロは、遠い。 それでも──確かに、一度通い合った心は、互いを感じることができる。 「……姉さんも、あの大地から、こっちを見ているだろうか」 俺はいつも、そう思いながら、天空の月を見上げる。 大丈夫。 きっと、姉さんもこっちを見ている。 そしていつか、博物館から帰ってくる時と同じ調子で、「ただいまー」 と帰ってくるに違いない。 その時、俺は──いつまでも変わらない、家族としての温かさと、甘えてもらえるくらいの、しっかりした自分をもって、姉さんを迎えよう。 7月に入り、日差しはすっかり夏のものに変わった。 刺すような暑さが肌を焼き、立っているだけでも汗がにじみ出てくる。 ミアのお遣いで洗剤を買い、家へ帰る途中──「にゃあ」 八百屋の前を通り過ぎた時だった。 店の脇にある小道から猫の声が聞こえてきた。 ……。 商店街に猫は多い。 いつもなら猫の声なんて気にならない。 足が止まってしまったのは、猫の声がどこか普通ではなかったからだ。 「にゃあ」 「にゃー」 「みゃっ」 「なごなご」 小道を覗き込むと、見覚えのある女の子が猫と遊んでいた。 ……。 リースだ。 「気持ちいい?」 しなやかな指で猫の首を撫でる。 「ふぎゃ、ぎゃ」 喜びの声を上げる黒猫。 喧嘩で負った傷だろうか、額から右目を通り鼻先まで一本の傷が走っていた。 もちろん右目は失明している。 ヤクザか堅気かといえば見るからにヤクザだし、恐らく武闘派だ。 「どう?」 猫に話しかけるリースの口調は柔らかい。 もしかしたら彼女は猫が好きなのかもしれない。 「ぎにゃ、にゃ」 猫はリースの手に飽きてきたのか、やや苛立った声を上げた。 リースは構わず撫で続けている。 ……。 そろそろ手を引かないと……「リ……」 名前を呼ぼうとしたところで、「なふっ!」 猫の前足が、すばやくリースの手を払った。 猫はそのまま身を翻して、路地の奥へ走っていく。 「リースっ」 「……誰?」 俺の声に反応して、リースが振り向く。 「久し振り」 「何か用?」 「たまたま見かけたから」 「そう」 リースが立ち上がる。 白く透き通った肌。 優しくカールした金糸のような髪。 エメラルドのように深い色をたたえた瞳。 まるで人形のようだ。 「猫、好きなのか?」 「嫌いじゃない」 リースは猫が走り去った方向に目をやる。 「残念だったな」 「野良猫はいずれ逃げる……」 「残念じゃない」 そう言ってリースは俺を見た。 「でも、できるだけ長く遊べた方がいいだろう?」 「最終的に懐かないなら一緒」 「……」 取り付く島も無い。 もう少し言いようがあると思うのだが……。 「用が無いなら帰る」 そっけなく言う。 「ちょっと待て」 ぽたり…………ぽたりリースの足元に小さな水溜りができていた。 赤い色をしている。 「リース、猫に引っかかれたのか?」 「そうみたい」 「なら消毒しないと」 「バイ菌がついてると大変だぞ」 「構わない」 「俺が嫌」 「これで押さえてろ」 ポケットから取り出したハンカチを差し出す。 「この傷なら押さえなくても大丈夫」 「いいから、ほら」 リースの言葉を半ば無視しつつ、傷ついた指にハンカチを巻く。 更に彼女の手を取り、自分で押さえさせた。 「あとは左門で手当てしよう」 「……あ」 リースの腕を掴み、人込みで賑わう商店街へ戻る。 「タツヤ、歩くの早い」 すぐに後ろから非難の声が上がった。 「悪いな」 日曜日の午後。 今日の人出はなかなかのものだ。 気を抜こうものなら、リースはすぐ人込みに紛れてしまう。 「うぷっ」 苦しそうな声と共に、リースが後方へ流されていく。 人にぶつかってしまったようだ。 離れ離れにならないよう、俺はリースの腕を強く掴む。 「大丈夫か?」 「平気」 俺なら苦もなく歩いていける人の流れ。 体の小さいリースから見れば、雨後の濁流に見えるのだろう。 「ひゃっ」 今度は誰かの荷物がリースに当たった。 「あ、おいっ」 思わず声を荒げる。 だが、荷物をぶつけた人は既に人並みの中。 対向してくる人には、リースが目に入っていないようだ。 ……。 リースは体が小さい上に、どことなく存在感が薄いところがある。 そのせいで、余計に人が気づきにくいのではないだろうか。 ……。 「あうっ」 またぶつかった。 これでは、いつ怪我をするか知れたものではない。 「ごめんなさい、通してっ」 「ちょっと、すいませんっ」 目の前の人が、さっと横によけてくれる。 「よし、もう少しで着くぞ」 「……ぶつかっても構わない」 「そういうこと言うな」 自分を軽視するような発言。 それは、自分に関わる人を傷つけるものだと思う。 周囲の人たちから受ける恩を自覚しているなら、口にしてはいけないことだ。 何が彼女にそんな言葉を言わせるのか。 俺には気がかりだった。 「あら達哉くん」 「その子どうしたの? 迷子?」 左門の前で、家から出てきた姉さんと鉢合わせした。 姉さんがリースを見る。 リースは無関心な表情で応じた。 「ちょっとした知り合いなんだ」 「リース、こっちは俺の姉さんで……」 「穂積さやかよ、よろしくね」 姉さんはリースの手を握ってぷらぷら振った。 「名前はリースちゃんっていうのね?」 「そう」 「どこから来たの?」 姉さんが俺に聞く。 「さあ」 「どうなんだ?」 「その情報は必要?」 「うふふ、怖いわね」 そう言いながら、姉さんの目から、かわいがりたいオーラが湧き出ている。 「かわいいわね~」 リースの頭を撫でようと、姉さんが手を上げる。 「あら、私ケガをして……」 姉さんの右手には血がついていた。 もちろん、リースの血が付着したものだ。 「ああ、それリースの血」 「ええっ、怪我してるの」 「どうしてそれを先に言わないのよ、もう」 「いや、左門で手当てしようと思ってたんだけど」 「分かりました、とにかく中へ入れてもらいましょう」 ……。 からんからん「いらっしゃいませっ」 「……あ、リースちゃんっ」 「いらっしゃい」 「お、さやちゃんも一緒か」 「ちょうど、お店の前で会ったんです」 「ようやく僕の修行の成果を見せる時が来たようだね」 「俺も腕に磨きをかけておいたよ」 二人がリースに向かう。 「帰る」 ふい、と方向転換したが「ほーら、ケガの手当てをしないと」 姉さんがひょいとリースを抱き上げた。 「放して、私は頼んでいない」 「リースちゃん、ちょっと怪我をしているみたいだから、バックヤードを貸してもらえる?」 「どうぞ、使って下さい」 リースを無視して、姉さんが菜月に声をかける。 「はーい、行きましょうね」 姉さんが抱っこしたリースに言う。 「下ろして、自分で歩けるから」 「逃げたりしないって約束できる?」 「……」 「……分かった」 リースが床に下ろされた。 姉さんはリースをバックヤードへ導く。 歯医者に連れてかれる子供みたいで、ちょっと不憫になった。 ばたん……。 …………。 ……。 姉さんとリースが出てきた。 「はぁ……はぁ……」 リースは、なぜか入る前より体力を消耗しているようだ。 大方、姉さんが治療ついでに、嫌がるリースの頭を撫でまくったのだろう。 「ふぅ……」 「大したケガじゃなくて良かったわ」 リースの指先には、小さな包帯が巻かれている。 猫に引っかかれただけだし、消毒さえしていれば問題無いだろう。 「で、リースは何でぐったりしてるの?」 「もしかしたら、人に触れられるのが苦手なのかもしれないわね」 指を手当てするだけなら、さほど体には触らないと思うが…………。 「ま、美味いもんでも食って、元気を出してもらおうじゃないか」 「この日のために、最新鋭のケーキを開発しておいたのだよ」 「食えるんですか、それ?」 「当たり前だろう」 「食べられないケーキを作ってどうするというのだね」 「じゃ、1番テーブルを使って下さい」 「はい、座ってね」 とリースを促す。 「大丈夫か、リース」 「気にしないで」 リースは、やや頬を紅潮させて言った。 テーブルの上に料理が並んだ。 鰯を揚げたものと、たっぷりの細切り野菜を和えたマリネ──トマトの赤も鮮烈なボンゴレロッソ──という2品だ。 「マリネは……店に出してないものですね」 「リースちゃんの評判が良かったら、メニューに加えようと思ってな」 「ちょっとつまんだけど、美味しかったよ」 「リースちゃん、期待できそうよ」 「そう」 「遠慮しないで食ってくれ」 「代金はもちろん要らないからね」 仁さんが笑顔で付け加える。 イスにちょこんと座ったリース。 フォークを手に持ったまま、食べるのを躊躇している。 みんなが周りに集まっているものだから、気まずいのだろう。 人見知りが激しそうなリースにとっては、少し辛い状況なのかもしれない。 ……。 「いただきます」 それでもリースは、黙々と料理を口に運び始めた。 前よりフォークの使い方も上手くなっているようだ。 「さ、仕事に戻るぞ」 「後で感想を聞きに来るから。 頼んだよリースちゃん」 おやっさんと仁さんは仕事に戻っていく。 ……。 俺と姉さんは行き先が無い。 このままリースを見ているのも気がとがめるが……。 「これ」 リースが俺に小皿を突き出した。 「俺も食うのか?」 「食べ切れない」 「そっか、じゃあ姉さんも」 「あら、頂いてしまっていいの?」 「いい」 「それじゃ、遠慮なく頂くわね」 俺と姉さんがリースの皿から料理を取り分ける。 「気を遣ってくれたのか?」 「違う」 「満腹になるのが嫌なだけ」 「……」 ややこしい子だ。 「うふふ、私たちも頂きましょう」 「そうだね」 ……。 新メニューの味はなかなかのもので、俺は姉さんと顔を見合わせて頷いた。 相変わらず黙々と食事をするリース。 だが、以前のようなピリピリしたところは減っている。 姉さんのなでなでが功を奏したのだろうか。 ……。 …………。 「どうだったかな?」 食べ終わった頃を見計らって、おやっさんがテーブルに寄って来た。 「俺は美味かったですよ」 「夏にはいいメニューですね」 「私の好みでは、もうちょっと味が強い方がいいですね」 「俺はマリネの酸味がちょっとキツかったかな」 「そうか、なるほど」 おやっさんは腕を組んで頷いている。 「リースちゃんは?」 「お待ち下さい」 「僕のデザートを食べてもらってから、感想を聞こうではありませんか」 「デザートで締めねば食事は終わったとは言えない。 そうでしょう?」 「ああ、その通りだな」 「さ、このケーキを味見してくれないか?」 仁さんがリースの前にケーキを置く。 ……。 白い皿には、三角形のケーキとクリームが乗せられていた。 一見するとチョコレートケーキだ。 優しい洋酒の香りが漂ってきた。 「全部食べられるの?」 「もちろん」 「皿は食べられないけどね」 「知ってる」 リースが銀色のフォークを握る。 「どうぞ」 「いただきます」 つかみ所の無い性格の仁さんを警戒しているのだろうか──リースは、おそるおそるといった様子でケーキを口にする。 ……。 「どうかな?」 「甘い」 そりゃそうだ。 一瞬、場が凍った。 リースは周囲の空気を無視して、作業のようにケーキを食べる。 ……。 あれ?リースの顔が少し赤くなっているような……。 ……。 …………。 ケーキを食べ終えた頃には、顔の赤味は鮮明になっていた。 もともと肌が白いだけに、色が変わると目立つ。 「ごちそう、さま」 ふらりと頭を下げたリースを、皆が見つめる。 「仁くん、ちょっと大人向けだったんじゃないの?」 「ふむ、少し入れすぎたようだね」 「何言ってんのよ、リースちゃん真っ赤だよ」 「まあまあ、美味しければ良いではないか」 「どうだったかね、味は?」 「嫌いじゃない」 とろんとした表情でリースが言う。 「あっはっはっは」 鼻高々の仁さん。 「リースちゃん、俺の料理はどうだったかな?」 「悪くない」 「前よりいい」 「おおっ」 「良かった、少しは気に入ってもらえたな」 相変わらずの辛口評価だったが、どうやら前進はしているようだ。 喜ぶ二人には一瞥もくれず、リースは面倒くさそうに紙ナプキンで口元を拭いた。 「帰る」 リースの足元が怪しい。 「リース、大丈夫か?」 「大丈夫」 「休んでから、帰った方がいいんじゃないの?」 「構わないで」 「ごちそうさま」 リースが出口に向かって歩き出す。 ふらっ……。 ふらっ……。 どう見ても危なっかしい。 「やっぱり休ませたほうがいい」 「そうね」 俺はイスから立ち上がり、リースを後ろから捕獲する。 「放せ、心配ない」 リースがもがく。 「ほら、そんな調子じゃ危ないから」 「放せというのが分からないの」 勢い良く振った手が俺の目に当たった。 「あだっ」 「達哉くん!?」 拍子に、リースを掴んでいた手を離してしまう。 「……っ」 急に手を離されたリースがバランスを崩す。 ごちんっ派手な音がした。 痛む目を開くと、出口の柱にリースが頭をぶつけていた。 「リ、リースっ」 「リースちゃんっ」 俺たちの声に、店内がざわめく。 リースはすぐに立ち上がり、姿勢を正した。 自分の足で立っている。 「おい、リース、大丈夫か?」 慌ててリースに駆け寄る。 「近づかないで」 ぴしゃりと言われる。 重みのある声だった。 なんだろう、どこかいつもと声質が違う感じがする。 気のせいだろうか?「リースちゃん、本当に大丈夫なの?」 姉さんも側に寄ってきた。 「怪我はしていないわ、心配しないで」 ……。 気のせいではない。 わずかにだが、リースの声からは姉さんへ気を遣っているのが感じられた。 今までのリースにはなかったことだ。 「帰る」 「ちょっと、リースちゃんっ」 からんからんリースは姉さんの制止を振り切って、店の外に駆け出す。 俺たちを注視していた他のお客さんも、目の前の食事に戻った。 「大丈夫かしら……」 姉さんが表情を曇らせる。 「本人は大丈夫って言ってたけど」 「だといいのだけど」 心配げな顔で店の外に目をやる。 商店街は混雑している。 今から出て行っても、リースを見つけることはできないだろう。 「また会えることを祈るしかないな」 「そう、ね」 「達哉くん、リースちゃんの家は知らないの?」 「あ、ああ……」 歯切れ悪く答える。 「だめよ、もしもの時にはご両親に連絡しなくちゃならないんだから……」 「分かった、今度聞いておく」 「大人の責任よ、面倒を見るならきちんとね」 姉さんはそう言って優しく笑った。 「さ、席に戻りましょう」 ……。 「変な音したけど、何かあった?」 水を一口飲んだところで、菜月がやってきた。 「ええ、リースちゃんが柱に頭をぶつけちゃって」 「うわっ」 「それでリースちゃんは?」 「自分で出て行ったから、大丈夫そうだ」 「……そう、なら良かった」 続いておやっさんと仁さんがキッチンから出てくる。 「リースちゃん帰っちゃったのか」 「一声かけてくれればよかったのに」 「彼女は何か言っていたかい? また来るとか、来ないとか?」 「特には」 「タツ、またどこかで見つけたら、連れてきてやってくれ」 「どうもあの子は放っておけなくてな」 そう言って苦笑いを浮かべる。 ……。 おやっさんは俺たちのやることにほとんど口を出さない。 でも、本当に助けが必要な時には、いつも適切な助言をくれる。 そのおやっさんが、放っておけないと言うのだ。 俺が気づかないところで、何か気になったのだろう。 ……。 「分かりました、見かけたら必ず連れてきます」 「よろしく」 「さあ、仕事に戻ろうか」 菜月と仁さんが持ち場に戻っていく。 おやっさんの直感が当たっているなら、リースは何か問題を抱えているのかもしれない。 ……。 「私からもお願いするわ」 向かいに座った姉さんが真剣な表情で言う。 「リースを連れてくるってこと?」 「おじさんも言っていたけど、リースちゃんってどこか気になるのよね」 「気になる?」 「どこか欠けてるって言うか……」 「一人でいることは、あまり良くないと思うの」 正直、姉さんの言うことは感覚的で要領を得ない。 だがリースについて、二人の年長者が同じような感覚を持ったのは重要かもしれない。 俺で役に立つなら、できる限り力になりたいけど……。 「分かった、連れてくるよ」 「お願いね」 俺の答えに、姉さんはゆっくりと頷いた。 少し左門で休憩をした後、俺は家に帰ることにした。 「じゃあ、私はちょっと用を済ませてくるわね」 「いろいろ面倒かけてごめん」 「もう、水臭いわね」 「困った達哉くん」 優しく笑って、姉さんは雑踏に消えた。 ……。 「さて……」 家に足を向けた時、はたと気がついた。 買い物を頼まれてたんじゃなかったっけ?俺の右手には台所洗剤がぶら下がっている。 「しまった」 ミアが困っているかもしれない。 慌てて自宅方面の路地へ入ろうとする。 「にゃお」 「……」 左門の裏口近くで、黒い猫が日向ぼっこをしている。 リースと遊んでいた猫のうちの一匹だ。 堅気には見えない顔も、太陽の温かさに負けてほんわかしている。 「お前、リースに会ったらちゃんと謝っとけよ」 「なーご」 渋みのある声で返事をする。 「じゃあな」 猫に声を掛け、俺は自宅へ向かった。 ……。 日曜日の午前中。 姉さんは仕事、麻衣は友達との約束があると言って出て行った。 ミアは家事に勤しんでいる。 「達哉、今日は何か用事があるのかしら?」 「別にないけど?」 「そう」 「どこか行くか?」 「ええ、礼拝堂に付き合ってもらえない?」 「礼拝堂? えっと……」 「以前、行ったでしょう?」 「居住区にある……」 「ああああ、思い出した」 フィーナがこっちへ来てすぐ、一度行ったことがある。 そう言えば……リースを初めて見かけたのも礼拝堂だったな。 「俺は構わないけど」 「なら決まりね」 「ミア、ミア」 フィーナの声に、すぐミアが現れた。 「どうなさいましたか?」 「着替えを手伝って頂戴」 「はい、かしこまりました」 ミアがぺこりとお辞儀をする。 「達哉、着替えをしますから少し待っていて」 「ああ、急がなくていいからな」 家から歩いて20分程度。 月人居住区にある礼拝堂に到着する。 隣の敷地には、姉さんが勤める博物館が建っている。 「この宗教って、月の国教になってるんだっけ?」 「そう考えてもらって差し支え無いわ」 フィーナの表情が少し硬い。 施政者と宗教という見方をすれば、単に信仰している以上に複雑な感情があるのだろう。 「どこの国にも宗教はあるんだな」 「人が生きている以上は欠かせないものね」 「特に教団はロストテクノロジーの管理も行っているから、人々の生活になくてはならない存在なの」 「ロスト??」 「既に失われた、今より進んだ技術のことよ」 「大昔には、手のひらに乗るくらいの装置で、空を飛んだり姿を消したりすることができたらしいわ」 「うわ」 どういう仕組みの機械なのか想像もつかない。 「実際、一、二度見たことがあるの」 「本当に浮くのよ……ふわっと」 ちょっと興奮気味に話すフィーナ。 本当にそんな装置があるなら、一度見てみたいものだ。 「すごいな、そりゃ」 「見ている方からすると、原理が分からないから魔法みたいなものね」 おかしそうにフィーナが笑う。 種があるのは分かっていても、それを見破れないって訳だ。 「時々そういう装置が掘り起こされて、大変な騒ぎになるわ」 「うかつに触ると、何が起こるか分からないもんな」 「ええ」 「教団は、事故が起こらないようロストテクノロジーを一括管理しているの」 「ふうん」 分かったような分からないような心持ちで頷く。 「では、そろそろ礼拝に行くわ」 「ああ、変なこと聞いちゃってすまなかったな」 「いいのよ。 でも、こういうことは私よりさやかの方が詳しいはずよ」 「あんまり家では仕事の話はしない人だからなぁ」 「ふふふ、そうね」 「では、そろそろ行くわ」 「この辺で待ってるから」 「ごめんなさいね、待たせて」 「いいってこと」 ……。 さて、時間をつぶさなくちゃいけない。 礼拝堂を囲む回廊に腰を下ろした。 ここなら直射日光も当たらない。 「ふう」 ……。 地中に眠るロストテクノロジー……か。 幼い頃、そんな話を親父からされたのを覚えている。 曰く、現在の月人は、かつて地球から月に渡った人たちの子孫。 大昔には、地球人も自らの力で月へ行けたということだ。 なら、どこかにその痕跡が残っているはず。 そう信じて、親父は毎日フラフラしていた。 ……。 ロクでもない男だった。 研究と称してその辺を歩き回り、穴を掘ったり、変なことをして新聞に載ったり──ついには、家を出たっきり帰ってこなかった。 親父のお陰で母さんは早死にするし、一家は崩壊するしで大変な迷惑を蒙った。 思い出すだけで気分が悪くなる。 ……。 俺はごろりと回廊に横たわった。 ……。 石畳が程よく温まっており、すぐに気持ちが良くなってくる。 少しこの辺で……。 ……。 …………。 「……達哉、終わったわよ」 フィーナの声がする。 「起きて、ほら」 体がゆすられた。 目を開くと、フィーナが立っていた。 「……ん、もう終わったのか?」 「予定通りのはずだけれど」 礼拝堂を見ると、もうほとんど人は残っていない。 礼拝が終わってから、少し時間が経っているようだ。 俺が寝ていたから、なかなか見つけられなかったのだろう。 「ごめん、探させちゃったみたいだな」 「いいのよ、待ってもらっていたのだから」 「じゃ、おあいこってことで……よっと」 俺は、立ち上がって伸びをした。 強い日差しを体中に感じる。 ……。 「あれ」 中庭を見知った女の子が歩いていた。 「どうしたの?」 「いや、あそこ」 中庭を指差す。 「あの子、知り合いなの?」 「ああ、左門に何回か来たんだ」 「リースっていう子」 「月関係者の子供かしら」 フィーナがさらりと言う。 「……ど、どうして?」 「名前が変わっているし、それにここは月人居住区よ」 「出会った人が月人である可能性は高いと思うけれど」 「確かに、そう言われれば……」 カタカナの名前と場所から見れば、頷けなくもない。 どちらにせよ、本人に聞いてみれば分かるだろう。 リースの場合、答えてくれるかが微妙だが。 「リースーっ」 リースはピクリと体を硬直させてから、周囲を見回した。 ほとんど猫の動きだ。 「また会ったな」 回廊から中庭に下りる。 たたたたたっ……。 リースが駆け出す。 「……」 「逃げているのかしら?」 「だろうな」 逃げられると捕まえたくなる。 おやっさんからも連れてくるように言われていたし──ちょっと運動してみるか。 「行ってくる」 「た、達哉」 驚いているフィーナを置いて、俺は走り出した。 たたたたたっ「ぬ……」 たたたたたっ「くそっ」 たたたたたっなかなかすばしっこい。 リースは花壇や回廊をちょろちょろと走り回る。 どうもこの場所には慣れているようだ。 ……。 とすると、普通に追いかけたのでは分が悪い。 「フィーナ、挟み撃ちだ」 「仕方が無いわね」 俺たちは花壇の両側からじりじりと距離を詰める。 「気に入らない」 すぐにリースはそれを察し──フィーナの守る方向に走り出す。 俺より、女の子の方が振り切りやすいと思ったのだろう。 「見くびられたものね」 フィーナの体が滑るように動く。 「っっ」 あっと言う間に間合いをつめ、リースの腕を掴んだ。 「どうして逃げるのかしら?」 「何かやましいことがあるの?」 フィーナがリースに問いかける。 「無い」 リースは不機嫌な顔でフィーナを見た。 「まあ、怖い」 そう言いながら、フィーナは笑っている。 「ありがとう、フィーナ」 「どういたしまして」 「久し振り、リース」 リースが冷たい瞳で俺を見据える。 「人を追い掛け回して、何の用?」 「ま、そう邪険にするなよ」 と、リースのもう一方の手を握る。 リースは俺とフィーナに片手ずつを掴まれた。 捕獲成功だ。 ……。 「リース、左門に行かないか?」 「放っておいて」 「おやっさんが新しいメニューを用意して待ってるぞ」 「……」 ちょっと揺らいでいるようだ。 「達哉?」 「この子が何か悪いことをしたわけではないの?」 「いや、興味本位で捕まえた」 「……呆れたわ」 フィーナがため息を吐く。 実際のところ、100%興味本位ではなかった。 おやっさんと姉さんは以前……「放っておけない」 「一人でいるのは良くない」 と言った。 もちろん、真偽の程は分からない。 でも俺は二人の勘を信じる。 ……。 それに、俺自身気になることもあった。 時々リースが発する、自分を軽視するような言葉。 何が彼女にそう言わせるのか知りたいのだ。 ……。 「リースには、左門の新メニューの味見をしてもらってるんだ」 「おやっさんに連れて来いって言われててさ」 「でも、この子にも予定があると思うのだけれど?」 「構わない」 そっけなく言う。 「あら」 「ご家族が心配するのでは?」 明るい返事をどこかで期待していた。 「……」 だが、リースは何も言わない。 何か特別な事情でもあるのだろうか。 「ま、いいじゃないか」 努めて明るい声で言った。 「リース、行くだろ?」 そう言って、俺はリースの手を少しだけ強く掴んだ。 「強引」 ……。 三人並んで商店街まで戻ってきた。 リースは特に騒ぐこともなく、てこてこと歩いている。 気のせいかもしれないけど、どことなく彼女は嬉しそうに見えた。 「もうすぐだぞ、疲れてないか?」 「平気」 初めはリースのぶっきらぼうさに驚いていたフィーナだが、もう慣れてしまったようだ。 終始楽しそうに、俺たちの会話を聞いている。 ……。 「あ、お兄ちゃんとフィーナさん」 前から、イタリアンズを連れた麻衣が歩いてきた。 リースが、さっと俺の後ろに隠れる。 「??」 「お友達との約束はどうされたのですか?」 「もう終わりました、物を渡すだけだったから」 「で、その子は……?」 「リース、友達だよ」 リースの背中を押すが、彼女は前へ出たがらない。 「へえ……」 「わたしは朝霧麻衣、よろしく」 「よろしく」 寒々しい声で答える。 「……」 麻衣も一瞬驚いたようだ。 いきなり氷点下の声で「よろしく」 と言われても、困るのが普通だと思う。 「あの、こっちはうちの犬で……」 麻衣がイタリアンズを前に出そうとする。 「ちょっと待てっ」 「ひゃあっ」 俺が叫んだ時にはもう遅かった。 イタリアンズが猛然と彼女にじゃれついた。 「わうっ、わふわふわふっ」 「わわわわっ」 なめる、抱きつく、のしかかる、あらゆる技を駆使して、イタリアンズはリースに親愛の情を見せる。 「っ……止めろ」 三匹に包まれ、リースの姿はほとんど見えなくなってしまった。 ……。 「だ、大人気……だね」 麻衣は目を白黒させている。 「こんなに歓迎される人は、初めてだわ」 イタリアンズからのモテ具合では、ずっと菜月が一位独走だった。 しかし、リースの好かれっぷりは尋常ではない。 「いいから、イタリアンズを下げてっ」 「あ、うんっ」 ……。 だが、大喜びの3匹の力はなかなかのものだ。 「むー、離れて、離れなさいっ」 麻衣がリードを引っ張るが、イタリアンズはものともしない。 いつもなら麻衣の言うことは素直に聞くはずなんだけど……。 「しょうがないな」 と、麻衣のほうに一歩踏み出した時──蜘蛛の子を散らすように、イタリアンズがリースから離れた。 「……っ!」 「……」 「す、すまん、リース」 慌ててリースに近づく。 「気にしないで」 「……っ」 この声、どこかで……。 「帰る」 リースが商店街の人ごみに走り込む。 「ちょっと待てっ」 「リースちゃん、服がっ」 リースは体の小ささを活かして、人込みを縫うように走っていく。 俺の体では、さすがに追いつけない。 リースの黒い姿が、あっという間に視界から消えた。 ……。 …………。 一瞬の出来事に、俺たちは呆然としていた。 「悪いことしちゃった」 麻衣が俯く。 「知らなかったんだから、仕方無いさ」 麻衣の頭を撫でる。 「うん」 「イタリアンズがあんなに喜ぶなんて思わなかった」 「素晴らしい人気だったわね」 フィーナも麻衣を責めないよう、優しい顔をしている。 「前、公園でも同じようなことがあってさ、もうすごい騒ぎだった」 「そっか……」 「次会った時は注意しないと」 「だな」 そんな話をしながら、俺の中には気がかりなことが浮かんでいた。 リースが走り去る前、少しだけ言葉を発した。 あの声。 リースが左門で頭をぶつけた時のものと、同じだった気がする。 ……。 「ねえ、お兄ちゃん」 「……ん?」 「もしリースちゃんに会ったら、謝っておいてくれる?」 「ああ、任されたよ」 「ありがと」 「じゃ、散歩に行くね」 「気をつけてね、麻衣」 「うんっ」 明るく言って、麻衣は俺たちから離れていった。 「私達も戻りましょうか?」 「ああ」 「リース、びっくりしただろうな」 「また、遊びに来てくれれば良いけれど」 「来てくれないなら、こっちから探すさ」 「謝らなくちゃいけないしな」 「もし私が見つけたら、謝っておくわ」 「ああ、頼んだ」 「任されました」 俺の真似をして、くすりと笑うフィーナ。 「そう言えば、さっきのリース、少しおかしくなかったか?」 「どうかしら?」 「何も気が付かなかったけれど」 「そっか、気のせいかな」 「犬に突然構われたら、誰だって驚くわ」 「ま、それもそうか」 確かに、さっきの件についてはそれで納得できてしまう。 だけど、左門で頭をぶつけた時の事は──どう理解したらいいのだろうか。 からんからん左門での夕食が終わり、俺たちは店の外に出た。 「最近、左門さんの料理が一段と美味しくなった気がするわ」 「ミアはどう?」 「はい、わたしもそう思います」 「リースちゃん効果ね」 姉さんが笑う。 「どういうことかしら?」 「以前、リースを左門に連れ来てたんだけどさ」 「なかなか『美味しい』って言わないんだよ」 「マスター、気落ちされたのでは?」 「ところが、逆に張り切っちゃって」 「次は必ず『美味い』って言わせてやるってわけ」 「ふふふ、それで腕に磨きをかけたのね」 「リースちゃんにお礼を言わなきゃ」 「そうだな」 次にリースに会えるのはいつだろう。 昨日の様子だと、もしかしたら当分会えないかもしれない。 彼女の家も連絡先も知らない以上、いつ最後のお別れがきてもおかしくない。 ……。 リースに会うってことは、野良猫を探すようなものだ。 いつどこに現れるか分からない。 会えそうな場所を、運に任せて探すしかない。 ……。 「あれ?」 遠くの方で、何かが道を横切った気がした。 ……。 黒くて、頭がとんがっていて……。 もしかして……。 「悪いけど、先帰ってて」 「どうしたの?」 「リースがいたような気がしたんだ」 そう言って、俺は走り出す。 野良猫相手なら、わずかな機会も見逃せない。 それが、最後の機会になるのかもしれないのだから。 「あ、お兄ちゃんっ」 「達哉くんっ」 「夜は危ないから、あまり走ってはダメよ」 母親みたいなセリフに、思わず転びそうになった。 ……。 人の姿は、どこにも無い。 「……」 気のせいだったのだろうか。 そう思った時、「にゃー」 無愛想な猫の声が聞こえてきた。 声が聞こえた方向に走る。 ……。 いつでも会えなくなる可能性がある──そんなことを考えていたせいだろうか。 俺の胸は、いつに無く高鳴っていた。 ……。 …………。 リースを見つけたのは、商店の隙間にある細い路地だった。 前と同じく、屈みこんで猫を構っている。 「こんな時間にフラフラしてると危ないぞ」 ピクリと動きを止め、リースが振り返った。 「何か用?」 相変わらずの無愛想な言葉。 かえってそれが安心できた。 「いや、たまたま見かけたからさ」 「何か話でもしようよ」 「話すことなんて無い」 「……俺にはあるんだ」 ……。 「昨日のこと、謝りたかったんだ」 表情を少しも変えず、リースが俺を見る。 「ワタシは怒っていない、謝っても無意味」 「俺が謝りたいんだ、それですっきりするからさ」 「勝手な話」 リースが立ち上がる。 昨日、服に付いていた犬の毛は、もう残っていなかった。 身支度を整える場所はあるらしい。 「でも謝らせてくれ」 「昨日はすまなかった」 俺は深く頭を下げた。 ……。 「もういい」 リースがため息をつく。 「リースはさ、何でこの辺を歩いてるんだ?」 「別に……理由など無い」 じっとリースの目を見る。 なぜか、今夜のリースにはいつもより感情の色が感じられた。 とは言っても、それは微細な変化で、言葉にできるほど明確なものではない。 「無いってことは無いだろ?」 「同じ質問には答えない」 「さっきの猫に会いにきているのか?」 「しつこい」 エメラルドの瞳の奥に、わずかながら感情が揺れる。 強いて言えば……不安。 そんな気がした。 ……。 「何か飲むか?」 話題を変え、近くにある自販機を指す。 「いらない」 「そう言うなって」 どうしてこんなに、必死になってリースを引き止めているのだろう。 ……明らかに年下の女の子に振り回されている。 「いろいろ種類があるぞ、見てみようぜ」 リースは無言で自販機に近寄る。 青白い蛍光灯の光が、彼女の金髪を輝かせる。 ……。 「……」 多少は興味が湧いたらしく、見本の缶を端から順に見ている。 「どれがいい? 買ってあげる」 ……。 …………。 「これ」 リースが指差したのは「おしるこ」 だった。 正気か?味を想像しただけで喉の奥が焼け付く。 「本当にこれでいいのか?」 「同じ質問には答えない」 先ほどの答えを繰り返された。 ……。 自販機に硬貨を入れる。 硬い音が夜の商店街に響いた。 「ボタン届く?」 おしるこは、3段あるボタンの一番上、右から2番目だ。 「届かない」 「どれ」 リースに近寄り、彼女を持ち上げる。 彼女の体からは、お香のようないい匂いが漂ってきた。 「タツヤが押せばいい」 「いいからいいから」 「意味が無い」 「言い合ってるのが一番時間の無駄さ」 「……」 かすかに、笑ったのだろうか。 ……。 …………。 確かめる前に、リースはボタンを押した。 「よし」 リースを下ろし、取り出し口から缶を取り出す。 「ほれ」 自販機から取り出したおしるこをリースに渡す。 ……。 「熱い」 「そりゃそうだ」 「あそこのベンチで飲もう」 俺はさっさとコーヒーを買い、街路樹脇のベンチに向かう。 ぱきょ缶を開く。 俺の様子を見て、リースも缶を開く。 ぱきょ俺が缶を口につける。 俺の様子をじっと見て、リースが缶を口につける。 「美味いな」 「……」 ……。 絶句していた。 「おしるこ」 がどういうものなのか、分かっていなかった様子だ。 「こっち飲んでみる?」 リースが俺のコーヒーを飲む。 「どう?」 「悪くない」 「……」 まあ、絶句するよりはいい。 ……。 リースにコーヒーを手放す気配は無い。 手元には熱々のおしるこが残る。 ……。 諦めておしるこを口に含む。 ……。 「リースさ、こんな時間に出歩いて怒られないのか?」 「問題無い」 「親は? 仕事かなんかか?」 「答える必要ない」 「一緒にいる時に何かあったらまずいだろ?」 リースが、すたっとベンチから下りる。 「帰る」 「ああああ、悪かった」 「もうこの話はナシな」 疑わしげな視線が注がれた。 「学習しない人、好きじゃない」 痛烈なコメントを頂いた。 ……。 どうやら家族の話題はNGらしい。 こんな時間にフラフラしてる時点で、まあ普通ではない。 話題を選ばないとな。 「リースは猫好きか?」 「嫌いじゃない」 好きだと思っていたが、意外な答えだ。 「犬は?」 「普通」 これも意外。 嫌いだと思っていた。 「でも、昨日は走って逃げただろ?」 「……知らない」 わずかにリースの表情が曇る。 「知らないって何だよ?」 「くどい」 「あれからどこに行ったんだ?」 「……」 答えない。 ……。 何だろう。 胸が騒ぐ。 ……。 あの時何があったのか……。 大はしゃぎのイタリアンズに囲まれたリース。 麻衣が引っ張っても離れなかった3匹が、あの時いっせいにリースから離れた。 動物が人より敏感なのは、言うまでもない。 とすれば、あの瞬間リースに何か変化があったのだ。 そして──リースの発した言葉。 俺には、同じ人から発されたものとは聞こえなかった。 「じゃあ、どこまで知ってるんだ?」 「犬に抱きつかれたのは覚えてる?」 「覚えてる」 「それからどうした?」 「……」 答えない。 どうやら、俺に何かを教えるつもりは無いようだ。 「もし心配とかあるなら、力になれるかもしれないぞ」 どうしようも無くなって、そう言った。 「……」 相変わらずの無言。 「ふぅ」 ため息をついて、おしるこを口に運ぶ。 ……。 …………。 「なぜワタシを構うの?」 突然、リースが尋ねてきた。 「なぜかな……」 ……。 …………。 「放っておけないんだな、きっと」 少し考えてから言った。 「迷惑か?」 「別に」 表情無く答える。 「でも、誰かといた方が楽しいだろ?」 「どちらでも構わない」 ……。 「リースは、こうしたいとか、あれが好きとかないのか?」 「無い」 はっきりと言う。 誰かといるのが楽しくもなくて、好きなものもしたいこともなくて──それはとても寂しいことだと思う。 少なくとも、身の回りの人にそんな風になって欲しくない。 「お前、そんなんじゃ友達もできないぞ」 「もとから望んでいない」 「リースっ」 無意識に声が大きくなってしまった。 ……。 …………。 「あ……」 リースは真っ直ぐ前を見ている。 「ごめん、大きな声出して」 「構わない」 決め台詞のようにリースが言う。 「……」 徒労感が身を包む。 俺が何を言っても、リースの気持ちには波紋すら起こすことができないのだろうか。 そう思うと、不覚にも目頭が熱くなってきた。 「何?」 「っ」 慌てて目尻を拭う。 「何でもない」 リースが立ち上がった。 帰るなら帰ればいい。 だが、リースは俺の前に立った。 「どうして泣く?」 ……。 リースの口調はかすかにだが感情の響きがあった。 もしかしたら、少しは心を動かしてくれたのかもしれない。 「悔しいんだ」 「せっかく知り合ったんだから、リースには楽しい気分になって欲しい」 「お前の勝手だって言われりゃそれまでだけどさ」 「勝手だ」 ……。 …………。 ……もう何も言うまい。 「……」 「勝手だけど……」 ……。 …………。 「嫌いじゃない」 嫌いじゃない……か。 ま、少なくとも猫と同レベルには出世したわけだ。 馬鹿みたいに気分が軽くなった。 ……。 小さな女の子の言葉に一喜一憂。 何をやってるんだ、と思う反面──リース風に言えば、嫌いじゃないとも思った。 「ありがとう」 「気にしていない」 リースがそっぽを向く。 「今日は帰るのか?」 「帰る」 「また遊ぼうな」 ……。 リースは無言で踵を返す。 が、そこで動きを止めた。 ……。 「どうした?」 「……くっ」 リースが苦痛に満ちたうめきを漏らす。 「リースっ!?」 慌ててリースの正面に回る。 「リース、しっかりしろ、リースっ」 彼女の肩に手を置いて体を揺すった。 ……。 ゆっくりと、リースが顔を上げる。 「っっ!」 ……。 目が──赤い。 ……。 リースの体がゆっくりと前のめりに崩れた。 とさ医者を見送った姉さんが、リビングに戻ってきた。 一同の視線が姉さんに注がれる。 「貧血じゃないかって仰ってました」 「じゃあ、病気じゃないんだ」 「まずは一安心ね」 リビングに安堵のため息が漏れる。 だが俺の胸は不安で揺れていた。 目が赤くなる貧血なんて聞いたことも無い。 そもそも、突発的に目の色が変わる病気なんてあるのだろうか。 ……分からない。 「お腹をすかせたりはしていませんか?」 「今はぐっすり寝ているから、そっとしておいてあげましょう」 「明日、彼女が目を覚ましたら、存分に腕を振るってあげるといいわ」 「はい、頑張ります」 「それで、何があったの?」 ……。 麻衣の言葉に合わせて、全員が俺を見る。 俺はさっきまでの出来事を簡単に説明する。 目のことは、無意識に伏せてしまった。 「特に倒れるようなことは無いわねぇ」 「おしるこ?」 「んなわけあるか」 「何か身元が分かるようなものはあったのかしら?」 「見当たりませんでした」 「そう」 「ま、今日は寝かせてやろうよ。 明日には元気になるさ」 「そうですね、もう遅いですし」 時計を見上げると、午前2時を回ったところだった。 「でも、お姉ちゃんはどうするの?」 「ベッドはリースちゃんが寝てるんでしょ?」 「大丈夫、予備の布団を敷いて寝るわ」 「ならいいんだけど」 「心配してくれてありがとう」 「それじゃ、今夜は解散」 姉さんの声に一同が返事をする。 ……。 「……」 天井を見上げると、赤い目をしたリースの顔が脳裏に浮かんできた。 一体何だったのだろう?光の加減で赤く見えただけなのだろうか?どうにも気になってしまう。 気になるといえば、もう一点不思議なことがあった。 先日、犬にじゃれつかれてからのことをリースは覚えていない様子だった。 目の色のことと関係があるのだろうか?何にせよ、本人に聞いてみないことには始まらない。 今日はさっさと寝て、明日に備えよう。 そう決めて、俺は目を閉じた。 「おはよー」 いつも通りの時間にダイニングへ降りると、既に全員が揃っていた。 「おはよう、達哉」 「おはようございます」 「お兄ちゃんおはよう」 「おはよう」 「パンとご飯、どちらになさいますか?」 「パンで」 「はい、少々お待ち下さいませ」 ミアがキッチンに入る。 ……。 リビングから笑い声が聞こえた。 テレビがつけっぱなしのようだ。 「テレビがつけっぱなしだけど?」 「見てる人いるよ」 ……。 「もしかして」 「ええ、朝食を食べてからはテレビを見ているようね」 姉さんがおかしそうに笑う。 「元気……なんだよね?」 「ええ、相変わらず無愛想だったけれど」 フィーナも笑う。 「それなら、いつも通り」 「ちょっと見てくる」 リースはちょこんとソファに座っていた。 「リース、おはよう」 「……」 「すー……すー」 健やかな寝息を立てていた。 特に苦しそうな様子は無い。 ……。 こうしていると、本当に人形のようだ。 ひとまず安心して、俺はテレビを消す。 「テレビ消しちゃっていいの?」 「寝てた」 「ふふふ、かわいいわね」 「それより、姉さんは仕事行かなくて大丈夫なの?」 「あら、いけない」 姉さんが慌てて立ち上がる。 「そうそう、リースちゃんは好きにさせてあげて」 「ここにいたいと言うなら、いてもらっても構わないから」 「分かったよ」 「じゃ、行ってきます」 「行ってらっしゃい」 ……。 「朝食ができました」 「ありがとう、ミア」 ミアがテーブルにベーコンエッグとトーストを並べる。 そう言えば、昼間はミアとリースだけがこの家に残ることになるのか。 「ミアは、リースと二人きりで大丈夫か?」 「えっと……」 「よく分かりません」 「今朝、少し話そうとしたのですが、返事をしてもらえなくて」 と、しょんぼりする。 「リースは少し無愛想なだけだわ」 「悪意があってあのようにしているわけではないと思うから、心配しないで」 「は、はい……」 それでも安心はできないらしい。 ミアの性格だとリースの相手は辛いかもしれないな。 「リースのことだから、放っておけば好きなようにするだろ」 「やや、ずいぶん親しげなことを」 「先に言っておくけど、そういうんじゃないからな」 すたすたすたすた「うわあっ」 リースが、俺たちを一顧だにせずダイニングを出て行った。 「お兄ちゃんが冷たいこと言うから、機嫌悪くしちゃったんだよ」 「どこに行ったのでしょう?」 「洗面所じゃないかしら?」 「タオルの場所を教えないと」 「ああ、だから、その辺は放っておくのがいいって」 「でも……」 すたすたすたすた戻ってきた。 「リース、おはよう」 「おはよう」 さしたる表情も無くそう言った。 目は緑色に戻っている。 またリビングへ入っていった。 「ま、気にしてもどうせあんなもんだから」 「はあ」 釈然としない様子のミア。 ま、一日も一緒にいれば慣れるだろ。 「では、私たちも行きましょうか」 「うわ、まだ全然食べてないぞ」 「5分だけ待ってあげるわ」 「はい、スタート」 麻衣が時計を見上げた。 せっかく作ってくれた物を残すわけには行かない。 俺は、最高速で平らげることにした。 学院が終わり、俺はフィーナと並んで家路に就いていた。 「達哉、歩くのが少し早いわ」 「あ、ごめん」 「ずいぶん気になっているのね」 「まだ家にいると思う?」 「うーん、いないような気がする」 いると言うのが何となく恥ずかしくて、そう言った。 「私はいるような気がしているわ、根拠は無いのだけれど」 「俺は『いない』に晩御飯のおかずを一品賭ける」 「フィーナは?」 「まあ、一国の姫が賭け事をすると思って?」 フィーナがおどけて言う。 「あはは、失礼しました」 かしこまって言う。 「ふふふ、分かればよろしい」 「ただいま」 「ただ今戻りました」 ぱたぱたぱたダイニングからミアが出てきた。 「お帰りなさいませ」 「いつもより少しお早いようですね」 「達哉が、早くリースの顔を見たくて仕方がないらしいの」 「くすくす、仲がよろしいのですね」 「ち、違うって」 どうしてすぐ、そっちの方向へ持って行きたがるのか。 「と、ところで、リースはまだいる?」 「はい、いますよ」 「今日のリース、何してたの?」 「達哉さんが登校されてから、すぐにどこかへ出ていかれました」 「帰っていらしたのは……」 「つい30分ほど前かと」 「どこに行ったんだろう……」 「本人に聞いてみるのが一番だと思うけれど」 「ま、そうか」 「じゃ、早速ご機嫌でも伺ってみるよ」 「ただいま」 テレビを見ていたリースが振り向く。 「おかえりなさい」 「ご機嫌いかがかしら?」 「別に」 「昼間はどこに行ってたんだ?」 「答えたくない」 「どうして?」 リースはさめた視線を俺に送る。 同じ質問には答えないって事だったな……。 俺は追求を諦める。 ……。 テレビでは討論番組が放送されていた。 何人もの評論家が何やら激しく応酬している。 「面白いか」 「普通」 ……。 この返事にも慣れて来た。 リースの「普通」 は非常に幅が広い。 俺で言うと「ちょっと嫌」 ~「なかなか良い」 くらいまでを「普通」 の一言で済ます。 後は、感想を考えるのが面倒な時も「普通」 で済ませる。 おおむねそういう基準だ。 ……。 「どれ、俺も見るか」 冷蔵庫から麦茶を持ってきてリースの隣に座る。 リースは何も言わない。 「フィーナも飲む?」 「ええ、頂くわ」 「リースは?」 「飲む」 「了解」 3人分の麦茶を注いでテーブルに置く。 ……。 テレビではどっかの評論家が、得意げな表情で何か言っていた。 リースはそれを不機嫌そうに眺めている。 「この人、嫌い」 唐突に言った。 「チャンネル替えていいぞ」 「面倒」 「簡単だって」 リモコンをぴこぴこ押して、チャンネルを替えてみせる。 「そう」 「自分でやってみろよ」 「うん」 チャンネルが替わる。 「っ」 チャンネルが替わる。 「っ」 ……。 …………。 いろいろと番組をいじったリースは、元の討論番組へ戻った。 やっぱり、こういう番組が好きなのだろうか。 討論番組が終わり、ドラマの時間に入る。 「眠い」 もぞもぞとリースが目をこすり始めた。 目を意識させる動作に、思わず緊張する。 「ど、どうした?」 「飽きてしまったのかしら?」 「……普通」 と言いながら──リースの目は見る見るうちに、とろんとしていく。 「眠いなら寝てもいいんだぞ」 「……眠い」 夢見るように言って、リースは頭を俺の二の腕に預ける。 いや、半ば倒れたという表現が適切だろうか。 すぐに寝息が聞こえてきた。 「疲れてたのかな」 「知らない家に住んでいるのだから、仕方が無いことだわ」 ホームステイに来たフィーナが言うのだから説得力がある。 「そっとしておいてやろう」 と、俺はソファにもたれる。 「しかし達哉。 まるで父娘のようですね」 「あはは、よせよ」 苦笑する。 「今日もアルバイトでしょう?」 「そうだな、もうすぐ出ないと」 「目を覚ました時に達哉がいなかったら、きっとリースは残念がるわ」 「どうかな?」 リースには悪いけど、彼女がそう思ってくれたら少し嬉しい。 「ま、彼女に限ってそんなことはないさ」 ……。 リースを捨て猫に例えるなら、今は拾ってきたところだ。 猫は家には懐いても、人には懐かないと聞いている。 このままリースがうちにい続けたとしても、彼女は俺に懐かないのではないか──そう思うと、かすかな寂しさが胸を掠めた。 慌しい営業時間が終わる。 クローズ作業が一段落した頃、朝霧家の面々が到着した。 からんからん「こんばんわ~」 麻衣を先頭に、フィーナ、ミア、姉さんと入ってくる。 ……。 リースの姿はなかった。 「リースは?」 「寝てるよ」 「また寝てるのか」 うちに来る前も、そんな風に過ごしていたのだろうか。 ほとんど猫みたいな生活だ。 「日が暮れた頃に、またどこかへ出かけたようなのですが」 「ついさっき見たら戻ってきていました」 「声はかけたんだけど、晩御飯食べないって」 「昼食が遅かったので、お腹が空いていないのかもしれません」 「そっか……仕方無いな」 「家にリースちゃんがいるの?」 「ああ、ちょっと事情があって」 「リースちゃんのご家族は大丈夫なのか?」 「それは……」 実際のところ分からない。 聞いても答えてくれないし……。 「家族については、どうも話したくないらしくて……」 「今のところは、話してくれるまで待ってみようと思っています」 姉さんが話を引き継ぐ。 「ふぅむ」 おやっさんが真剣な表情で腕を組む。 「とは言っても限度があるだろう?」 「はい、ずっとリースちゃんから何も言ってこないようだと……」 「何らかの対応をしなくてはいけませんね」 「そうなるな」 「力になれることがあったら遠慮なく言ってくれよ、さやちゃん」 「はい、ありがとうございます」 何らかの対応……。 ……。 考えつくのは、警察とか相談所とか、そういう筋に相談することだ。 ぼんやりと光景を想像してみると胸が痛くなった。 できることなら、俺たちの手で何とかしたい。 力になれることがあればいいのだけど……。 ……。 「それじゃ、突っ立ってないで食事をしようか」 おやっさんの明るい言葉に従って席に着く。 家に帰ると、縁側にリースの姿があった。 イタリアンズを眺めながら、足をプラプラさせている。 「起きてたのか」 「うん」 俺は玄関に上がらず、そのまま縁側へ向かう。 「犬は平気?」 「ここなら」 紐につながれたイタリアンズは、リースの所まで行くことができない。 期待に満ちた表情でこちらを見ているだけだ。 ……。 リースの隣に腰掛ける。 「きつい」 「もうちょっと横にずれてくれよ」 縁側は大人二人が座れる長さがある。 リースが少し移動してくれればそれで済む。 「頼むよ」 俺はリースを腰で押す。 「隣に座らないで」 「なあ」 「しつこい」 口をへの字に結んだ。 ツンとした表情が可愛らしく見えた。 ……。 こんな子を警察や相談所に預けるなんて、あまりにかわいそうだ。 「……」 俺は、ひょいっとリースを持ち上げる。 「……っ」 「お前が強情だからだぞ」 と、胡坐をかいてリースを足の間にすっぽりと納めた。 ……。 …………。 「どういうつもり?」 「別に」 「聞いている」 「同じ質問には答えない」 ……。 「……」 リースが大人しくなった。 軽くリースを抱きかかえる。 「暑い、放して」 「いいんだよ、暑いくらいの方が」 「なぜ?」 「……いろいろと、さ」 答えなんか考えてもいなかった。 俺に放す気が無いと悟ったのか、リースはすぐに何も言わなくなった。 ……。 「リースってさ、俺と会う前はどこに住んでたんだ?」 「答えたくない」 「リースは月人なのか?」 ……。 リースは口を開かない。 答える意思は無いようだ。 「どこかに親がいるのか?」 「……」 この質問も空振りだったようだ。 ちょっと、質問の方向を変えよう。 「俺がバイトに行った後は何してたんだ?」 「出かけた」 「どこに?」 「昼と同じ質問」 「……」 ……。 「リースさあ、これからどうするんだ?」 「予定とか決まってるのか?」 リースの体に力が入る。 「決まっている」 「ワタシには果たすべき責務がある」 「だから余計な事は考えない……無駄になるだけだから」 はっきりとリースは答えた。 責務がある、なんて大人が言うようなことだ。 それを自分より年下の少女が口にしている。 俺にはそれが、とても悲しいことに思えた。 「どんな責務?」 「……」 だんまりだ。 教えるつもりがないなら初めから言うなよ、と思う。 でも、詳しくは言えないと分かった上で、あえて口にしたのなら──リースは、心の中で誰かに知って欲しいと思っているのかもしれない。 「その責務って、俺に手伝えないか?」 どんな簡単なことでもいい。 リースの力になりたいと思った。 そうすれば、彼女の負担が減り、もっと楽しいことに時間を使えるのではないか──そんな、単純な思考だった。 「手伝えない」 即答だった。 「はぁ……」 思わずため息が漏れる……。 誰にも頼らない、必要なこと以外は何も教えない、彼女はなぜ、全てを自分の中で処理しようとするのか。 周囲と何かを共有するという感覚が無いのだろうか。 これらは全て、リースの言う『余計なこと』に含まれてしまうのだろうか。 ……。 「タツヤ、なぜ質問ばかりする?」 「リースのことが知りたいからさ」 「どうして?」 「知ってどうする?」 「楽しく過ごしてもらうのに役立てるさ」 ……。 …………。 「何をされても、ワタシにはお返しをすることができない」 リースが、わずかに俯いて言う。 「別に礼を言って欲しくてやっているわけじゃないよ」 「ただ、リースに楽しくなってもらえればそれでいいんだ」 「……無駄なこと」 リースが小さく息を吐く。 その吐息には、悲しみが込められていような気がした。 ……。 「……んっ」 腕の中のリースが急に力をなくす。 「リース?」 「……う」 くたりと俺の胸にもたれかかった。 「リースっ」 リースを軽く揺する。 「しっかりしろっ」 だが、彼女は反応しない。 ……。 どういうことだ。 昨夜といい、今日といい──何か病気にでもかかってるのか。 もし重大な病気なら、こんなところで遊んでいる暇はない。 病院へ連れて行かなくては……。 ……。 「……くっ」 リースの体に力が戻った。 「リース……」 ……。 「大丈夫、心配ない」 思いのほかしっかりとした口調だ。 「本当に大丈夫か? 無理するなよ」 「平気よ」 抱きしめる俺の手を優しく解くと、リースは庭に立った。 芝生に寝転がっていたイタリアンズが、じりじりと小屋に下がる。 リースを見ての反応だ。 ……。 まさか──強い風が吹いた。 リースの金髪が濃紺の夜空をバックに舞い上がる。 「良い風だな」 声が風に流れた。 穏やかでしっとりとして、それでいて芯がある。 こなれた人柄を想起させる、そんな声だった。 少なくとも、いや絶対にリースの声ではない。 「そなたと会うのは、これで四度目になるか」 リースがゆっくりと振り向く。 ……。 人形のように整った顔には、真っ赤な瞳が輝いていた。 リースの瞳をエメラルドとすれば、彼女のそれはルビー。 紫がかった深い赤が揺らめいている。 「……」 「驚かせてすまない」 彼女は薄く笑顔を浮かべた。 哀しげな笑みだった。 「出てくるつもりはなかったのだが、リースリットがこの調子では仕方が無い」 「な、何を……」 「リース、しっかりしてくれよ」 「私はリースリットではない」 「……体はリースリットのものだがな」 言っていることが分からない。 ……。 「達哉」 俺の肩に後ろから誰かの手が置かれた。 「うわあっ」 「情け無い声を出さないで」 「フィーナ……」 振り返るとフィーナが立っていた。 リースの変化に気づいていないのか、表情はいつも通りだ。 ようやく頭の中が静かになってきた。 「フィーナ姫……か」 ルビーの瞳は、視線をフィーナへと移す。 フィーナが小さな女の子を見つめた。 「私はフィーナ・ファム・アーシュライト」 フルネームを名乗る。 ……彼女は目の前の人物がリースでないと判断したのだ。 「あなたは?」 「フィアッカ・マルグリッド」 リースの姿をした人物は、そう名乗った。 「説明してもらえるかしら?」 「そうしたいのは山々だが、残念ながら時間が無い」 フィアッカが目を伏せる。 「どういうことかしら?」 「間もなく、リースリットが目を覚ますからな」 「私は席を譲ることにする」 「どういうことだ?」 「焦る必要はない」 「不本意だが、また会うことになるだろうし、その時にでも……」 フィアッカが笑う。 「では、リースリットをよろしく」 そう言ったと同時に、彼女の体から力が抜けた。 「リースっ」 崩れ落ちるリースをかろうじて支える。 「ん……む……」 小さな口から、かすかなうめきが漏れた。 ……。 聞き覚えのある声。 どうやら、リースで間違いないようだ。 安堵で、全身から力が抜けた。 「達哉、リースを部屋に運んで」 「皆は寝てしまっているから、私の部屋に」 「あ、ああ」 フィーナが先に立ち、ドアを開けてくれる。 清潔感あるミントグリーンのベッドにリースを横たえた。 「水を持ってくるわ」 「よろしく」 ぱたん「……ぅ」 ドアの音に反応してか、リースが小さな声を漏らす。 「リース?」 ……。 …………。 「……タツヤ」 リースの目が薄く開かれた。 瞳はエメラルドだ。 ……。 「大丈夫か?」 「平気」 弱々しい表情で、いつも通りの言葉を吐く。 こんな時にも、周りに頼ろうとしない。 ……。 悔しくなって、俺は小さな手を両手でしっかりと握った。 「ほら、ちゃんといるぞ」 「痛いところとかないか?」 「無い」 「でも眠い」 「よし、寝ちまえ」 「明日になったらきっと元気になるぞ」 「うん」 俺は片手でリースの手を握り、もう一方で頭を撫でた。 「う……ん……」 気持ち良さそうに目を閉じるリース。 ……。 …………。 すぐに寝息が聞こえた。 どうやら、体調は落ち着いているようだ。 一つ安堵のため息を漏らし、リースに布団を掛けた。 がちゃちょうど、ダイニングからフィーナが出てきた。 手に持ったトレイには、水とタオルが置かれている。 「あら、リースは?」 「寝ちゃったよ」 「……疲れてるみたいだ」 「そう、今は寝かせた方が良いわね」 「達哉は水を飲むかしら?」 トレイの水を見てフィーナが言う。 「ああ」 ……。 俺はコップの水を一気に飲み干した。 「美味いな……」 「喉がカラカラだったみたいだ」 「ふふふ、無駄にならずに済んだわ」 「ところで、少し時間をもらってもいいかしら?」 「リースの話か?」 「ええ、リビングで話しましょう」 ……。 トレイをキッチンに下げ、フィーナがリビングに入ってくる。 「ありがとう、フィーナがいてくれて助かったよ」 「気にしないで」 ソファに腰を下ろす。 ……。 「良かったら、説明してもらえないかしら」 「ああ……」 左門を出てからの顛末を手短に説明する。 フィーナは真剣な表情で、俺の言葉に聞き入っていた。 「どう思う?」 「……現状では大雑把に二重人格と捉えるのが良いと思うけれど」 「一つの体に、二つの人格が入ってるってこと?」 「そうね。 確か解離性同一障害という症状だったと記憶しているわ」 ……。 「なぜそんなことに」 「分からない」 「けれど……」 「けど?」 「別れ際にフィアッカが言っていたことを覚えている?」 「ええと、確か……不本意ながらまた会うことになるだろう、とか」 「あとは……説明するには時間がないとか言ってたな」 「フィアッカに説明する意思があるのなら、待つのが確実だと思うわ」 「幸い、私たちに敵意は持っていないようでしたし」 フィアッカがリースについて話す時の口調は、穏やかなものだった。 感覚的に言えば、慈しみすら感じるものだった。 「リースに直接聞くのもいいかもしれないな」 「何にせよ待てってことか」 フィーナは頷き、大きく息を吐いた。 ……。 「そう言えば、フィアッカってフィーナのことを知ってるみたいだったな」 「私も気になっていたの」 フィアッカはフィーナが名乗る前に『フィーナ姫か』と言った。 フィーナの顔と名前、立場を知っていたということだ。 地球人でフィーナの顔と名前が一致している人は、さほど多く無い。 「リースが礼拝堂にいたことも考えると、月人である可能性が出てくるわね」 「……そうだな」 「ともかく、リースの体調も分からないし、もう少し様子を見よう」 ……。 「さて、そろそろ休みましょう」 時計を見ると、午前2時を回っていた。 「フィーナはどこで寝るんだ?」 「さやかの部屋に予備の布団があったかしら?」 「ああ、昨日使ったやつがあるだろ」 「さやかには悪いけど、お邪魔させてもらうことにするわ」 「それがいい」 「あと、俺がフィーナの部屋で寝ていいかな?」 「私の部屋で?」 「変なことはしない、約束する」 「ふふふ、心配はしていないわ」 「リースの体調を考えれば、付き添いが必要ね」 「悪いな」 「いいのよ」 「それでは、お休みなさい」 「おやすみ」 ……。 自分の部屋から布団を持ち出しフィーナの部屋に入った。 ベッドに目をやる。 リースの胸が小さく上下している。 ……。 一体リースの身に何が起きているのだろうか。 フィーナの言う通り、二重人格というヤツなのだろうか。 「ううん……」 リースが寝返りを打ち、体が布団からはみ出た。 「風邪ひくなよ」 そうつぶやいて、俺は布団を掛け直す。 「……ん」 ……。 無垢な寝顔。 こんな少女が何か深刻な事態に陥っている。 ……。 やり場のない憤りが湧いてきた。 どんな小さなことでもいい。 彼女の力になりたい……。 ……。 朝日が瞼を刺す。 昨夜は、何度か目を覚ましてリースの様子を見ていたため、寝不足気味だった。 軽い足音が聞こえる。 リースかな……。 元気になったのなら喜ばしい限りだ。 まどろみの中、ふと胸が軽くなる。 ……。 足音が近づいてきた。 がちゃ「姫さま、お早うござ……」 目を開くと、ミアが硬直して立っていた。 「あ」 「……た、達哉……さん?」 「ミ、ミア、これには訳が……」 「わわっ、わああぁぁっ」 ドアを開けっ放しで、ミアが走り去った。 ……。 …………。 笑うしかなかった。 「まあ、それで姫さまのお部屋に……」 「申し訳ございませんでした」 フィーナと二人がかりで説明し、ようやく事情を飲み込んでくれた。 ちなみに、フィアッカの存在については言及していない。 「ふふふ、ミアの早とちりにも困ったものだわ」 穏やかにフィーナが笑う。 「説明しなかったんだから仕方無いさ」 「で、リースちゃんはどうだったの?」 「寝ているうちは特に異常なかったな」 「今はまだ寝てるよ」 リースはミアの悲鳴にも目を覚まさず、穏やかな表情で眠っていた。 「起こした方が良いでしょうか?」 「無理をして起こすことないわ」 「そのうちお腹を空かせて出てくるでしょう」 姉さんが特濃緑茶を飲み干す。 「さて、行ってきます」 「いってらっしゃい」 「今日もリースちゃんには好きにしてもらってね」 「かしこまりました」 ミアの返事に頷いてから、姉さんはダイニングを出ていった。 ……。 …………。 「あらリースちゃん、おはよう」 「ううん……サヤカ」 「どこへ行くの?」 どうやらリースが目を覚ましたようだ。 「お仕事に行ってきます」 「いい子にしていてね」 「……撫でないで」 「うふふふ、照れなくていいのよ」 「照れてない」 何やら楽しくやっているようだ。 「じゃ、行ってきます」 「……」 「『行ってらっしゃい』って言ってくれないの?」 「……」 「いってらっしゃい」 「はい、行ってきます」 ……。 ばたん……。 …………。 「おはよう、楽しそうだったな」 「サヤカに襲われた」 「ふふふ、リースはかわいがられているのよ」 「愛情表現、愛情表現」 「どうだか」 ぶすっとした表情だが、まんざらでもないようだ。 以前より、少しずつリースの表情が豊かになってきている気がする。 「リースさん、朝食の準備はできていますけど」 「食うか?」 「食べる」 ……。 「……はむ」 席に着いたリースは、寝ぼけ眼でパンをかじり始める。 「リース、体調はどうだ?」 「眠いだけ」 「昨夜は、たくさん汗をかいていたから心配したのだけれど」 「昨夜」 リースがぽそりと言う。 眉根にシワを寄せ、何かを思い出そうとしている様子だ。 ……。 …………。 覚えていないと判断していいのだろうか。 ……。 リースと商店街で話していた時も同じようなことがあった。 確か、イタリアンズに絡まれてからのことを答えられなかったはずだ。 あの時は、答えないのか答えられないのか分からなかったけど──今の様子を見ると、どうやら後者の方が正解に近いようだ。 ……。 「汗?」 少しして、リースが口を開いた。 「覚えていないのかしら?」 「……」 リースは無言でテーブルの上を見つめる。 無表情を装ってはいるが、体から不安がにじみ出ていた。 これは深刻な話になりそうだ……。 「時間も無いし、細かいことは帰ってきてからにしよう」 「そうね」 「リース、今日はゆっくり寝てろ」 「……そうする」 素直に同意した。 リースはパンをもう一口かじる。 ……。 …………。 ミアをじっと見る。 「な、なんでしょう?」 「このジャムは?」 「へ?」 あっけに取られた表情のミア。 「嫌いじゃない」 リースはもくもくとパンを食べ続ける。 「ありがとうございます、わたしが作ったものなんですよ」 「そう」 それ以上、リースは何も言わなかった。 ……。 「お兄ちゃん、そろそろ出ないと遅刻しちゃうよ」 「おう、行くか」 「じゃ、俺は行ってくるから」 「いってらっしゃい」 「お、ちゃんと言えるようになったな」 リースの頭をわしゃわしゃと撫でる。 「……やめて」 「じゃあな、リース」 リースは頷きながら、ズレた帽子を真っ直ぐにかぶり直す。 そんな彼女を横目に見ながら、俺は玄関へ向かった。 学院が終わり、早々に帰宅する。 今日は左門が定休日だから、ゆっくりとリースを構ってやれそうだ。 「ただいま」 「ただいま帰りました」 「おかえりなさいませ」 「リースはどう?」 「はい、今日はずっとリビングで寝ていますよ」 「本当に一日中寝るとは……」 比較的早起きの俺には理解できない。 「日向ぼっこをしている猫のようで、気持ち良さそうなんです」 「リースは起きていても猫のようだわ」 「気まぐれなところなんか特に」 「くすくすっ、そうですね」 「よし、ちょっと様子を見てみるか」 「私は着替えてきます」 「おう」 「ただいま」 小声で言って、リビングに入る。 ミアの言った通り、ソファでリースが寝ていた。 ……。 俺は隣のソファに腰を下ろし、リースの寝顔を眺める。 「うう……ん」 リースが寝返りを打った。 桜色の薄い唇が、かすかに開く。 耳を澄ませば、吐息が聞こえきそうだ。 「なご」 猫と遊ぶ夢でも見ているのだろうか。 リースが無愛想な猫の声を出す。 こうして見ると、本当にまだ子供だ。 ……。 頭の中で、昨夜のリースの言葉が甦る。 「だから余計な事は考えない……無駄になるだけだから」 子供が口にするにはふさわしくない言葉。 無駄になってしまうから──これからの予定を立てることもせず、他者とも積極的に付き合わないのだろうか。 それは──あまりに不憫だ。 しかし、同情したところで何を変えられるわけでもない。 リースを変えることができるのは、結局彼女だけだ。 俺には、ちょっとしたサポートくらいしかできない。 ……。 「……ん」 リースの体が、ぴくりと動いた。 すぐに起き上がる。 「よう」 リースは少しの間、ほけっとしたまま周囲を見回している。 小動物のような仕草で可愛らしい。 「おはよう、リース」 「良く眠れたか?」 「タツヤ……」 第一声は、やはりフラットなものだった。 「どうだ、調子は?」 「……眠い」 「あんまり寝ていると、起きられなくなっちまうぞ」 苦笑交じりに言う。 「リース、何か飲むか?」 「飲む」 「よし」 俺は麦茶を取りにキッチンへ向かう。 「ほれ」 リースに麦茶を手渡す。 「ありがとう」 珍しくお礼を言って、リースは麦茶を受け取る。 ……。 この2日で、リースは少し感情を表に出すようになってきている気がする。 姉さんが以前言っていたように「一人ではないこと」 が、彼女に良い影響を及ぼしているのだろうか。 ……。 日差しが、少し西に傾いてきた。 やや赤味を増した光がリビングを照らしている。 リースが空になったコップをテーブルに置く。 「朝の話の続きしていいかな?」 「昨日の夜のことなんだけど……」 「……」 リースの表情から不安が垣間見える。 「夜、縁側で俺と話してからのこと、覚えてるか?」 無言で視線を落とすリース。 「覚えてない」 「ん?」 「覚えてない」 ……。 やっぱり……リースは覚えていなかった。 「どこから覚えてないんだ?」 「タツヤの膝の上で眠くなった」 「それで?」 「……それだけ」 つまり、倒れた後、自力で立ち上がって俺と話したこと。 フィアッカが現れてからのことを覚えていない。 「商店街でコーヒー飲んだ後のことは?」 リースが首を振る。 あと、思い当たるのは──商店街でイタリアンズに絡まれた時と、左門で頭をぶつけた時くらいだ。 両方とも、リースの声の変化が気になったタイミングだ。 「じゃあ、商店街でイタリアンズに絡まれた後のことは覚えてるか?」 「麻衣が連れてきた犬がじゃれついてきただろ?」 また首を振る。 「左門でドアに頭をぶつけた後は?」 「仁さんのケーキを食べてさ」 ……。 「覚えていない」 リースの声は、かすかに震えていた。 いつもは感情を映さない彼女の瞳も不安に揺れている。 ……。 どこかで蝉が鳴き始めた。 物悲しい声が、リースの顔に落ちる陰を一層濃くする。 ……。 「何があったの?」 かすれそうな声でリースが尋ねてきた。 「細かいことは、昨夜のことしか分からないんだけど……」 と前置きして、昨夜庭で起こったことを説明する。 リースが倒れたこと。 すぐに自力で歩き出したこと。 赤い目をしていたこと。 赤い目をしてからのリースは、別人のように話し始めたこと。 そして──「赤い目をした人の名前は……」 「フィアッカ……」 「フィアッカ・マルグリッド」 セミの声が大きくなった。 橙色の西日が部屋を焦がし、背中を汗が伝い落ちる。 日差しの暑さに比べ、それはあまりにも冷たい汗だった。 「フィーナは、二重人格みたいなものって言ってたけど?」 「そう考えるのが分かりやすい」 テーブルの一点を見つめたまま、リースが答える。 厳密には、いろいろあるということだろうか。 「フィアッカって誰なんだ?」 「答えられない」 「どうして、二重人格なんかになったんだ?」 無言。 「治るのか?」 無言。 「リース、お前自身のことなんだぞ」 「だから、答えるかどうかはワタシが決める」 「……」 リースの言っていることは分かる。 確かに正論だ。 ……でも何か教えて欲しかった。 俺はリースの力になりたいのだ。 ……。 「リース」 「何か、俺で力になれることは無いのか」 半ばすがるようにリースに尋ねる。 「何でもいい」 リースが俺の目を見つめる。 「無い」 ……。 …………。 「そっか」 ……。 助けたいと思っている人に頼られない──それが、こんなに堪えるとは思わなかった。 深く息を吐く。 空気に変わって、無力感が体の中に充満した。 ……。 リースが立ち上がる気配がした。 ゆっくりと俺から遠ざかっていく。 「ごめんなさい」 ……。 …………。 空耳かと思ってしまうほど、小さな声だった。 再び顔を上げた時、既にリースの姿はなかった。 ……。 入れ違いに、麦茶を持ったフィーナが入ってきた。 着替えるだけにしては、ずいぶん時間がかかっている。 「話が終わるまで待っててくれたのか?」 「入りづらかっただけよ」 テーブルに麦茶入りのグラスを二つ置いた。 ……。 「なかなか難しい性格ね」 フィーナが笑って言う。 笑い事じゃない──初めはそう思ったけど、何となく気持ちが楽になっていた。 ……。 「困ったもんさ」 もうちょっと上手く折り合いがつけられてもいいのだが……。 ……。 俺はグラスを手に取り、麦茶を一気に飲み干す。 フィーナが、すぐにお代わりを注いでくれた。 「リースは、どうしたかな?」 「外に出て行ったわ」 「……」 橙色に染まる外の景色に目を遣る。 西日が目に滲みた。 「戻ってくると思う?」 「どうかしら……」 「私は戻ってくると思うわ」 「どうして?」 「リースは達哉に懐いているもの」 「俺に?」 意外だった。 「でも、まともに会話できてないぞ」 「私とリースでは、それ以下だわ」 ……。 「どっちにしろ、俺たちには待つしか無いけどな」 「そうね」 フィーナが麦茶に手を伸ばす。 トントントントン台所から包丁の音が響いてきた。 左門定休日の今日は、家で食事をすることになっている。 夕食までには戻ってくれるといいのだけど……。 夕食の準備ができてから、1時間ほどが経っていた。 麻衣が時計を見てため息をつく。 「遅いね」 「何もなければ良いのですが……」 いないのは姉さんばかりではない。 リースの姿も無かった。 「……大丈夫さ、二人とも」 半分は自分に言い聞かせていた。 ピリリリリッピリリリリッ電話の呼び出し音が鳴った。 「わたしが出ます」 ミアが立ち上がり、電話に向かう。 ……。 「はい、朝霧です」 ……。 …………。 「えっ、さやかさんっ!?」 ミアが俺たちに向かって笑顔を向ける。 まずは良かった。 目の前の、冷め切ったお茶に手を伸ばす。 「あとはリースちゃんだね」 「そうだな、帰ってきてくれればいいんだけど……」 湯飲みに口をつける。 強い渋みが口の中に広がった。 「はい? ケーサツっ!?」 「ぶうっ」 「わああっ!?」 一瞬前まで麻衣が座っていた場所を、緑色の霧が通過した。 なかなかの反射神経だ。 「達哉……」 眩暈がしたのか、フィーナは目頭を押さえた。 「お兄ちゃん、信じられない……」 「ちゃんと拭いておいてね」 「ごめん」 「それより、警察って……」 「わたしに聞かれても」 「はい、分かりました。 お待ちしております」 ミアが電話を切った。 「30分程度でお帰りになるそうです」 「良かった」 「さやかさんは、リースさんのことを相談するため、警察に寄られたそうです」 「リースのことを?」 「はい、詳しいことはお帰りになってからとのことでした」 「そっか」 リースがうちに来て3日。 彼女くらいの子が3日も家に帰らないなんて、普通の人なら何らかのトラブルに巻き込まれたと考えるだろう。 もしかしたら、親御さんが捜索願を出していても不思議じゃない。 リースに起こった事態が特殊だったせいで、この辺のことを忘れていた。 さすがに姉さんは大人だ。 ……。 「まずは、ひと安心だね」 「ええ」 だが……俺の気持ちは晴れない。 リースがまだ帰って来ていない。 野良猫みたいなリースのことだし、帰ってくる時はふらりと帰ってくるのだろう。 だが、野良猫だけに、いなくなる時はふいっと消えてしまうかもしれない。 それが怖かった。 夕方の会話が、最後のお別れになるのは寂しい。 俺は、もっともっとリースと話がしたい。 ……。 がちゃ「ただいま」 姉さんが帰ってきた。 言葉通り、電話から約30分だ。 足音が近づいて──リビングに姉さんが現れた。 「遅くなってごめんなさい」 「お帰り、姉さん」 「はい、ただいま」 「良かったー、心配したんだよ」 「麻衣ちゃん、ごめんね」 姉さんが麻衣の頭を撫でる。 「無事で何よりでした」 「ご心配をおかけしました」 「では、お食事の準備をしますね」 ミアが立ち上がる。 「ミアちゃん」 「はい」 「家族が揃ってからにしましょう」 姉さんがにっこり笑う。 「??」 「どういうこと?」 「新しい家族を紹介するわね」 姉さんがリビングを出て行く。 ……。 …………。 「はい、自己紹介して頂戴」 再び現れた姉さんの傍らには、リースが立っていた。 「……リース」 さすがにバツの悪そうな顔をしている。 「リ、リースっ」 「実はリースちゃんを預かることにしたの」 「リースちゃんが家族に!?」 「どどど、どうしましょ、お祝い、お祝いの準備をっ」 「と言っても、期間限定よ」 「どのくらいの期間?」 「そうねえ……一週間程度だと思うわ」 「もしかして、リースと警察に行ったの?」 「いいえ、リースちゃんと会ったのは偶然よ」 「商店街を歩いていたから一緒に帰ってきたの」 「違っ」 「うぷっ……」 姉さんに口を押さえられた。 「……うわ」 何があったのだろうか……。 「ともかく、新しい家族よ」 「みんな、仲良くしてね」 一同が返事をする。 「では、家族全員揃ったところで食事にしましょうか」 「今日は遅れてごめんなさい」 姉さんは、最後にもう一度謝って、ダイニングへ向かった。 ……。 「ふふふ、驚いたわね」 「まさかリースを連れてくるなんて」 「妹ができたみたい」 「そうだ、今日はリースちゃんとお風呂入ろっと」 麻衣が楽しそうにダイニングへ入る。 「私たちも行きましょう」 「そうだな」 興奮で目が冴えていた。 ……。 夕食後。 姉さんの部屋で寝ることになったリースは、すぐ部屋に引っ込んでしまった。 大した話をすることもできなかったが構わない。 一週間程度とは言え、同じ家で暮らすことができるようになったのだ。 まだ時間はある。 抱えている責務や、今までの生活についても教えてくれるかもしれない。 目を瞑った。 ……。 明日リースはどんな顔をして起きてくるだろうか。 一晩中、姉さんに頭を撫でられてげっそりしているかもしれない。 こんなに、朝が楽しみなのは久し振りだ。 ……。 …………。 ………………。 ……………………。 かちゃぼんやりとした意識の中で、ドアが開く音を聞いた。 ……。 「タツヤ」 名前を呼ばれた。 この声は──暗闇にその人が立っていた。 黒い服。 白い肌。 ルビーのような赤い瞳。 全身に鳥肌が立つのを覚えた。 「……っっ」 ベッドから跳ね起き、その人──フィアッカから距離を取る。 「突然、すまないな」 「お、お前……」 「そう邪険にするな、話もできない」 苦笑して、フィアッカは後ろ手にドアを閉めた。 「何の用だ?」 「そう、だな……」 ゆったりと部屋を見回す。 「座って良いか?」 「え?」 「あ、ああ……」 フィアッカの邪気の無さに、毒気を抜かれてしまった。 イスをフィアッカに渡し、自分はベッドに腰を下ろす。 「少し高いな」 そう言って、フィアッカはイスに座ろうとする。 しきりにスカートを気にして、難儀そうだ。 「このスカートは装飾過多だな……どうも取り回しが良くない」 ……。 少しして、ようやくフィアッカはイスに座った。 ……。 「今夜は礼を言いに来た」 「礼を言われるようなことは、してないつもりだけど」 「家族に加えてくれたではないか」 加えたのはリースだが……。 「そのことか」 「リースはあまり嬉しそうではなかったけど」 「リースリットは、喜びの表し方を知らないだけだ」 「あれで結構、喜んでいたよ」 「……意外だな」 「それより、リースリットっていうのは?」 「リースのことだ」 「フルネームはリースリット・ノエル」 「初めて聞いた」 「別に知らなくても問題無いだろう」 「大体、長くて呼びづらい」 「フィアッカはリースリットって呼んでるじゃないか」 「本名は尊重することにしているのでな」 「単に私の趣味だ」 ……よく分からない趣味だ。 「その名前……月人なのか?」 「そうだ」 「フィアッカもか?」 「無論だな」 フィーナの予想は当たっていた。 道理でフィーナの顔を見ただけで名前と地位が分かるはずだ。 ……。 「話が戻るけど、どうしてリースが喜んでたって分かるんだ?」 「ふむ、リースリットとは付き合いが長いからな」 「ちょっと待ってくれ、話が見えないんだけど」 「そうか、すまなかった」 フィアッカが一度座り直す。 ……。 「リースリットが二重人格のようなもの、というのは聞いただろう?」 「ああ」 「細かいことは面倒なので、その理解で行こう」 「私たちの間には一定のルールがある」 「リースリットは私を知覚することができない」 確かに、フィアッカが出ている間の記憶は無いようだった。 「逆に私はリースリットを知覚できる……」 「と言うより、いつも隣で見ているといった趣かな」 「私はリースリットが必要とする情報を提供している」 「……もちろん、私が知らないことは教えられないが」 「つまりどういうことだ……?」 リースからフィアッカが知覚できないなら、リースの知識が増えたのと変わりは無い。 「単にリースの知識を増やしているってことか?」 「まあそうだな」 「じゃあ、俺とリースが喋ってることも全部聞いてるのか?」 フィアッカが頷く。 「悪趣味……」 「他人の恋路を覗くのは、私にとっても気持ちが良いものではない」 「なんだよ恋路って」 急に変な話題を振られ、顔が熱くなる。 「恥かしがることはないだろう、自然なことだ」 俺がリースに好意を抱いてるなんて、そんなこと……。 混乱する頭で考えても、分かるわけがない。 ……。 「話を逸らしてすまなかった」 「あ、いや……」 「何だ、まんざらでもなさそうじゃないか」 「そ、そういうんじゃないって」 「まあ良い」 フィアッカが愉快そうに笑う。 「さて、ここからが本題だ」 フィアッカがルビー色の目を細める。 「私は元来、表には出てこない」 「というのも、出るか出ないかは私の独断で決定できるからだ」 「優先度の話をすれば、私の人格の方が高い」 「フィアッカが出ていないから、リースが出ているということか?」 「そうだ」 「ちなみに、私は極力外に出たくないのだ」 「でも、出てるだろ、今」 ……。 フィアッカの眉が釣り上がった。 それもすぐに平静に戻る。 「それはリースリットが弱くなっているからだ」 ……。 「え……」 とっさに、フィアッカが言っていることが理解できなかった。 「リースリットの意識が弱くなってしまうのだ」 「最近、その頻度が加速度的に上がっている」 リースの意識が弱くなる?そんな病気、聞いたことも無い。 「覚えているだろう?」 「商店街でコーヒーを飲んだ時や、縁側で会話した時のことだ」 「あ、ああ」 どちらの場合も、リースが急に倒れた。 その直後に、目が赤くなっていたから、それが原因だと思っていたけど……。 「突然、リースリットが気絶してしまってな」 「仕方無く私が出ることにした」 「病気か何かなのか?」 「正確なところは分からない」 「治せるのか?」 「それも分からない」 「このままだとどうなるんだ」 自分の語調が、徐々に強くなっているのが分かる。 分かってはいるが、自分を制御できない。 「基本的に私が外に出ることになるだろう」 「それって……リースが、消えるってことじゃ」 フィアッカは目を伏せた。 肯定の意味だろう。 そんな、そんなっ「馬鹿なっ」 気がついた時には立ち上がっていた。 ……。 そんな俺を、フィアッカは冷静に見つめている。 「夜中だ、大声を出すな」 「どうすればいいんだっ」 「私も考えている、今しばらく待ってくれ」 「……」 力なくベッドに腰を下ろした。 「リースリットと一緒にいてやってくれ」 「今のところ、できることはそれしかない」 諭すようにフィアッカが言う。 ……。 「……分かった」 頷くことしかできなかった。 「頼んだぞ、タツヤ」 力強く言って、フィアッカはイスから降りた。 「私もリースリットを消したくはない」 ……。 フィアッカが残した声は、深い悲しみをはらんでいた。 ……。 眠気なんて欠片も無かった。 冴えた目で天井を凝視する。 だけど、目には何も入っていなかった。 頭の中をフィアッカの言葉がぐるぐる回り、それ以外のところに神経を向けられなかった。 ……。 彼女の言葉を鵜呑みにすることはできない。 だが、俺が経験した事象は、いちいち彼女の理屈に合っていた。 それが気に入らない。 フィアッカの論が正しいとするなら、このままではリースの意識が徐々に弱くなり──最終的にはリースが消えてしまう。 ……。 見た目は普通の女の子のくせに、誰にも頼ろうとせず──責務だとか、余計なことだとか、歳にそぐわないことばかり言う彼女に──普通の女の子のように笑って欲しいのだ。 今が楽しい、明日が楽しみだと、思えるようになって欲しいのだ。 強く唇を噛む。 せっかく一緒に暮らせるようになったのに……。 このままでは、リースのことを何も知らないまま終わってしまう。 俺は彼女のことをもっと知りたい。 もっと知って、力になりたいのだ。 ……。 野良猫みたいに気まぐれで、自分勝手で、何者も意に介さず生きているようなリース。 彼女の力になりたい、認めて欲しい、頼りにされたい──そんな自分勝手な欲求だけで、俺はリースの後ろを追っている。 この気持ちが恋かどうかなんて、今は正直分からない。 現状、俺はリースのことをほとんど知らないのだ。 本名だって、ついさっき知ったくらい。 まず彼女を知ること。 自分の気持ちの名前なんて、それから考えればよい。 幸い、リースの側にいることについてはフィアッカの意思にも適っている。 ……。 そうと決めたら、眠ろう。 リースと話をするのは根気が要る。 体力負けなんてしていられない。 「よし」 一つ声に出して、俺は目を閉じた。 ……。 目覚めはあまり良くなかった。 興奮で眠りが浅かったのだろう。 目覚ましを止め、身支度を始める。 ……。 リースはもう起きているだろうか。 「おはよう」 ダイニングには家族が全員そろっていた。 もちろん、新しい家族もだ。 「リース、おはよう」 「おはよう」 リースは、トーストを食べながら、どこか恥ずかしそうに言った。 ……。 フィアッカはリースの意識が弱くなっていると言っていた。 だが、見た目に変化はない。 昨夜のことが、夢だったのではないかと思えてくる。 「どうしたの、達哉?」 「あ、ちょっと頭が寝てた」 ごまかし笑いを浮かべ、自分の席に腰を下ろす。 いつの間にか、リースには彼女用のイスがあてがわれていた。 「あれ、このイスって……」 「千春さんの部屋から持ってきたの」 「なんで、わざわざ親父が使ってたのを……」 「達哉くん、ダメよ家族の悪口は」 「チハル……」 リースが顔を上げる。 「千春はわたしたちのお父さん」 「もういなくなっちゃったけど」 「……そう」 「達哉さん、お食事ができました」 「ありがとう」 テーブルにトーストとグリーンサラダが並ぶ。 「リース、今日はどうするんだ?」 「やるべきことをする」 「だから、何やるんだ?」 「秘密」 「達哉は?」 「俺は、フィーナや麻衣と学院に行くぞ」 「私はお仕事よ」 「ミアは一日家にいるわね」 「ふうん……」 リースがトーストを口に運ぶ。 口元にブルーベリージャムがくっついた。 「リースちゃん、ほっぺに忘れ物よ」 姉さんが自分の頬を指差して言う。 「何も忘れてない」 「あはは、ここ、ここ」 麻衣も自分の口元を指す。 「何?」 リースが自分の頬に手を伸ばす。 すぐにジャムを見つけた。 「……ジャム?」 「忘れ物、あったでしょう?」 「うん」 姉さんがティッシュを取り、リースの口元を拭く。 「ううっ」 「こ、このくらい、自分でできる」 「あら、私に拭かれるの嫌なの?」 笑顔で姉さんが尋ねる。 「……ち、違う」 「じゃあ、拭いてあげるわね」 「待って……あ、あ」 観念したのか、リースはされるがままになった。 リースも姉さんの笑顔には敵わないようだ。 ……。 少しして、リースの顔を拭き終えた姉さんが立ち上がる。 「じゃ、行ってくるわね」 「いってらっしゃい」 俺たちの挨拶に続き、「いってらっしゃい」 リースも口を開いた。 「はい、ありがとう」 「それじゃ」 姉さんは最後にリースの頭を軽く撫でると、ダイニングを出て行った。 「ごちそうさま」 少しして、リースも席を立つ。 「テレビか?」 「少し寝る」 ぼそりと言って、リースはダイニングを出て2階へ上がって行った。 ……。 「相変わらず厳しいな」 「そう?」 「少しずつ打ち解けてきたんじゃないかな」 確かに、うちに来た当初に比べればマシになった気がする。 「さやかにはずいぶん懐いているようね」 「お姉ちゃんの和ませパワーは強力だから」 「あっという間に打ち解けて……」 「私にはできないことだわ」 「リース、嫌がってないかな?」 「顔に出さないだけで、喜んでると思うけどな」 「お兄ちゃんは、神経質になりすぎだって」 「もうちょっと、オープンに行った方が、リースちゃんも安心すると思うよ」 「ある程度は強引さが必要なのかもしれないわね」 「相手が手を出してこないなら、こっちから手を出すしかないよ」 「具体的にはどうするんだ?」 「それは自分で考えなきゃ」 「わたしは昨日、一緒にお風呂入ったよ」 得意そうな麻衣。 「どうだった?」 「初めは嫌がってたけど、最後の頃は慣れたみたいだよ」 「お兄ちゃんも試してみたら?」 「あほか」 俺は、空になった皿を持って立ち上がる。 「そろそろ時間のようね」 フィーナが時計を見上げる。 「じゃ、行こっか」 二人もイスから腰を上げる。 ……。 リースと一緒に風呂に入る訳には行かないけど──もっと積極的に触れていった方がいいのかもしれない。 夕食時。 「こんばんわ~」 麻衣を先頭に、家族が入ってくる。 フィーナ、ミア、そして──姉さんに手を引かれてリースが入ってきた。 「良かった、リースも来たんだ」 「家族が来るのは当然でしょう、達哉くん?」 「まあ、それは……」 「いらっしゃい、リースちゃん」 「また来てくれて嬉しいよ」 おやっさんが腰を屈めてリースの頭を撫でる。 「今夜は僕の料理でお腹いっぱいにしてくれたまえ」 「わ、分かった」 かわるがわる声をかけられ、リースは戸惑い気味だ。 「達哉君、テーブルのセッティングを」 「了解です」 菜月と協力して、いつもの夕食シフトを作り、イスを一つ追加する。 ……。 朝霧家と鷹見沢家、ずっと6人だった食卓。 フィーナとミアが増え、リースが加わり、とうとう9人の食卓になった。 ちょっとしたパーティーのようだ。 「リースはこっちの席な」 と、お誕生日席を勧める。 リースは、スカートにシワがよらないよう、器用にイスに座る。 そう言えば、フィアッカは座るのに難儀していたな。 ……。 「私もリースリットを消したくはない」 フィアッカの言葉が、頭の中をよぎる。 リースは今、仁さんが並べる料理を、少し興奮した面持ちで見つめている。 能面のようだった表情にも、少しずつ感情が見えるようになってきた。 こんな子が、消える途上にあるなんて、とてもではないが信じられない。 ……。 「達哉、みんな待っているわ」 「えっ、あ」 イスに座った一同が、立ったままの俺を見つめていた。 「すいません、お待たせしました」 懸命に笑って、心のモヤモヤを吹き飛ばす。 今はリースとの食事を楽しいものにするのが一番大切だ。 「よし、全員揃ったな」 「ではっ」 ……。 トラットリア左門に「いただきます」 の唱和が響いた。 ……。 夕食が終わって家に戻ると、リースは早々に部屋へ引っ込んでしまった。 どうやら、ずいぶん疲れていたようだ。 「リースちゃんは食事を楽しんでくれたみたいね」 姉さんが湯飲みを口に運ぶ。 「ちょっと疲れちゃったみたいだけどね」 「仕方無いさ、人が多いのは得意じゃないみたいだし」 「少しずつ慣れてくれれば良いわね」 各々、今日の戦果に満足しているようだった。 リビングに穏やかな空気が流れる。 「そう言えば、昼間のリースは何やってたんだ?」 ミアに尋ねる。 「昼食以降は、リビングで寝ていたと思います」 「わたしも仕事がありましたので、時々しか見ていませんが」 「ふふふ、まるで猫のよう」 「ちょっと、憧れる生活ですね」 「寝る子が育てばいいんだけどな」 「あはは、リースちゃんはまだまだこれからだよ」 「きっと美人になりますよ」 姉さんが俺を見て笑う。 ……。 俺の胸を一つの疑念が走った。 朝食後、リースは寝ると言って部屋に入った。 それからはリビングで眠り、夕食後もすぐに部屋へ……。 一日のうち20時間近くを寝ていたことになる。 寝すぎじゃないか。 うちに来てからのリースは、頻繁に眠いと言っていたし、実際眠ってもいた。 ずっと、新しい環境からくる疲れだと思っていたけど……。 ……。 「リースリットの意識が弱くなってしまうのだ」 「最近、その頻度が加速度的に上がっている」 まさか、そんな……。 一瞬、思考が停止した。 ……。 リースが置かれている状況は、既に危険な状態なのではないか?「ちょっとリースの様子を見てくる」 「どうしたの、顔色が悪いわ?」 「いや、大丈夫」 俺は平静を装う。 みんなに状況を説明するのは骨が折れる。 今は、一時も早くリースの様子を確かめたかった。 階段を一段ずつ踏みしめる。 一歩ごとに嫌な想像が頭を駆け巡り、汗が背中を伝い落ちた。 2階に上がる。 姉さんの部屋の電気はまだ点いていた。 起きているのか、寝ているのか。 部屋に近づき、ドアをノックする。 コンコン……。 コンコン……。 返事は無い。 俺はノブを握る手に力を込めた。 久し振りに入る姉さんの部屋。 その昔は、両親の寝室として使用されていた部屋だ。 広々とした空間の奥にベッドがあった。 「っっ!」 床に座ったリースが、ベッドに背中をもたれかけさせていた。 ピクリとも動かない。 「……っ」 声も出せず、慌てて駆け寄る。 ……。 …………。 ………………。 薄い胸が、ゆっくりと上下していた。 「リース」 彼女の肩に手を添える。 体温が伝わってきた。 「……ぅ」 「リース、大丈夫か?」 リースがゆっくりと瞼を開く。 瞳は深く澄んだエメラルドだった。 「タツヤ……」 リースの声を聞いた。 たったそれだけのことで、俺の胸にかかっていた圧力が小さくなっていく。 「こんなところで寝てると、風邪ひくぞ」 「うん……」 リースがかすかに笑った。 「起きられるか?」 「平気」 リースがゆっくりと立ち上がろうとする。 俺は、彼女のわきの下に手を入れ、優しく持ち上げる。 「くすぐったい」 「少しくらい我慢しろ」 「うん」 ……。 リースが自分の足で立った。 「大丈夫か?」 「大丈夫。 少し眠いだけ」 とろんとした表情で言う。 こんな言葉を何度聞いただろう。 その一つひとつが、危険信号だったのだ。 「無理せずにベッドに寝て」 リースが緩慢な動作でベッドにもぐりこむ。 ……。 セミダブルの広いベッド。 リースが入っただけでは、ほとんど膨らまない。 ぎし、とも音がしなかった。 「ふぅ……」 安心したように、リースが一つ息を吐いた。 「どこか痛いところはないか?」 「ない」 「そうか」 布団の上から、リースの体を優しく叩く。 俺はしばらく時計の秒針に合わせて、彼女の体をぽんぽんと撫でた。 ……。 …………。 リースの呼吸が、俺の手のリズムに合ってきた。 「安心する」 リースの表情が和らぐ。 こんな表情を彼女が見せてくれるなんて思わなかった。 「今日は一日寝てたのか?」 「うん」 「寝てばかりだな」 「仕方が無い、眠いから」 「何でそんなに眠いんだ?」 ……。 …………。 リースは答えない。 ……。 …………。 ゆうに30秒は経過しただろうか。 俺は言葉を続けた。 「フィアッカから聞いたよ」 「リースの意思が、だんだん弱くなっていってるって」 リースが息を吐く音が聞こえた。 諦めを含んだ吐息だった。 「そう」 「何でこんなことになったんだ?」 「左門で頭をぶつけた」 「恐らく、あれが原因」 頭をぶつけた──そう言えばあの時、俺はリースの声を違う人のもののように感じていた。 ……。 あれはフィアッカだったってことか。 「頭をぶつけた後のことを覚えてるか?」 リースが首を振る。 彼女はフィアッカが出ている時の記憶を持っていない。 それは、昨夜フィアッカが言った通りだった。 ……自分の記憶がない。 それはどんな気持ちなのだろう。 俺には想像することしかできない。 「あの時まで、こんな風に眠くならなかった」 「俺が左門になんて連れて行かなきゃ……」 「違う」 「ワタシが付いていっただけ」 「タツヤは悪くない」 ……。 慰めてくれたのだろうか。 情けない。 辛いのはリースだというのに。 「元々、フィアッカ様とは接合が弱かった」 「頭をぶつけたのはきっかけに過ぎない」 「元々って、リースはいつから二重人格になったんだ?」 「ワタシは二重人格ではない」 「それでは順序が逆」 「どういうことだ?」 「ワタシたちは元々別の人」 「それを一つにした」 「でも接合が上手くいかなかった」 「だから頭をぶつけただけで、分かれてしまった」 「そ、そんなこと……できるわけ」 「結果がワタシ」 粘土細工みたいに、人をくっつけ合わせることができるなんて──にわかには信じがたい。 ……。 「じゃあ、仮にできたとしてだ、何でそんなことを?」 「フィアッカ様の人格と記憶を、未来へ残すため」 「そして、フィアッカ様が自由に動かせる手足を得るため」 「リースはそのための入れ物だっていうことか?」 「そう」 そう言って、リースは目を閉じた。 ……。 冗談じゃない。 そんな話、訳が分からない。 第一、リースの人生はどうなるのだ。 リースは何のために生きているのだ。 「お前は嫌じゃないのか、おかしいだろそんな話っ」 「嫌ではないし、おかしくはない」 「ワタシは役割を果たすために生きている」 リースが目を瞑ったまま答える。 その表情に迷いはない。 「だからおかしいだろ、そんな役割」 「ワタシに異存は無い」 「リースの人生が台無しになっているのにか」 「台無しになっていない」 「ワタシが満足しているのだから」 はっきりと言った。 おかしい。 おかしすぎる。 自分を犠牲にして、誰かを生かすなんて……恋人でも家族でもない人間のために、人生を投げ出すなんて……そんな話、リースがあまりにもかわいそうだ。 ……。 胸が壊れるほど痛い。 「リースが……かわいそうだ」 「……」 「なあ、リース、お前の人生はどこにあるんだよ」 「教えてくれよ」 「やりたいこととか、好きなものとか、どこに行っちゃうんだよ」 「どこに行っちゃうんだよ……」 言葉が詰まった。 胸が壊れるように痛い。 ……。 熱い雫が頬を伝い、リースの頬に落ちた。 初め1滴だったそれは、すぐに2滴、3滴と数を増やす。 「……」 ぼんやりとした視界の中で、リースが目を開く。 「温かい雨が降ってる」 「……リース」 「どうして泣くの?」 「お前が、かわいそうだ」 「……ワタシのために泣くの?」 誰のために泣いているのか、俺には分からなかった。 ただ、胸が締め付けられて涙を流していた。 「分からない」 リースが布団から手を出し、俺の腕に優しく触れる。 俺はリースの手を強く握った。 熱くしっとりとした質感は、まさに女性のものだった。 「ワタシは悲しくない」 「ワタシは役割を果たすために生まれた」 「今こうして役割を果たしている。 だから悲しくない」 「それがワタシの生きる意味だから」 リースの一言ひとことが、更に俺の涙腺を刺激する。 「泣き虫」 「泣かせてるのはリースだろ」 リースは困ったように眉根を寄せる。 「もっと自分のために生きてくれよ」 「明日を楽しみにして眠れるように」 ……。 「そんなことを言ったのはタツヤが初めて」 「うちの家族なら、誰でもそう思ってるさ」 「嫌いじゃない、そういうの」 リースが少しだけ笑う。 俺の言うことを、少し分かってくれた──そう思いかけた時だった。 「だけどワタシにはやるべきことがある」 「ワタシはワタシであることをやめられない」 リースは強い視線と言葉で、俺を叩き伏せた。 ……。 …………。 リースが俺から手を引く。 「そろそろサヤカが来る」 「リースっ」 「何でもいいんだ、俺に手伝えることはないのか?」 ……。 「ない」 リースが目を閉じた。 ……。 …………。 結局は何も変わらない。 リースは俺を必要とせず、自分一人で進む。 俺を含め、みんながリースのことを心配している。 どうしたら彼女に、家族の──俺の思いを伝えられるのだろうか。 ……。 ゆっくりと手を伸ばし、リースの頭を撫でる。 一瞬、ピクリと体を反応させるリースだが、また動かなくなった。 リースはもう目を開かないと決めたようだ。 ……。 俺はリースに笑って欲しい。 自分を犠牲にするような役割は捨てて、自由に生きて欲しい。 好きなものや嫌いなもの、いろんなものを見つけて、毎日を元気に生きて欲しい。 だがそれは俺のわがままだ。 リースの信念は、俺の存在くらいでは揺るがない。 役割を果たすために生まれてきたと、リースは言った。 それほど深く、彼女という人格と役割は深く結びついている。 それを俺のわがままでやめさせることはできないだろう。 ……。 俺が彼女にしてあげられるのは──周囲に愛されていることを伝えることくらいだ。 結果、彼女の生き方は変わらないかもしれない。 でも、リースが優しい想いに包まれていた事だけは忘れて欲しくない。 ……。 リースの静かな寝息が聞こえてきた。 あっという間に眠りに落ちてしまったようだ。 疲れていたのだろう。 それでも頑張って俺の話を聞いてくれた。 「リース、ありがとう」 「ん……ぅ……」 ……。 俺は、リースの上にゆっくりと屈みこみ──リースの額に優しく口付けた。 ……。 前期終業式が終わった。 フィーナの登校はこの日が最後だったが、彼女の希望で式典などは行われなかった。 ホームルームで2分程度の挨拶をしただけで、彼女の留学は終了となったのである。 「ただいま」 「ただいま戻りました」 「お帰りなさいませ」 「前期のご学業、お疲れ様でした」 「短い間だったけど、有意義に過ごせたわ」 「何よりですね」 そう言う、ミアの表情がどこか浮かない。 嫌な予感がした。 「ミア、何かあった?」 「はい、リースさんが風邪を引かれまして」 風邪?そんな様子はなかったけど。 「大丈夫なのか?」 「熱は無いようですので、しばらく休めば元気になるかと思います」 「ちょっと見てくる」 急いで靴を脱ぐ。 「あっ、今はお休みになっています」 「顔見るだけ」 がちゃ姉さんの部屋は柔らかな光に満ちていた。 寝ているリースを起こさないよう、静かにベッドへ向かう。 ……。 …………。 リースが眠っていた。 眠るというには、あまりに静かな姿。 生命活動を示すのは、かすかに上下する布団だけだ。 「リース、ただいま」 急に不安になり、名前を呼んでみた。 ……。 「ううん……」 返事の代わりに寝返りを打つ。 横向きになったリースの顔に、髪がかかる。 「ん……っ……」 リースがむずがる。 「……」 顔にかかった髪を払い、そのまま頭を撫でる。 ふと、指先が昨日キスをした場所に触れた。 ……。 打ち解けるには、多少の強引さも必要。 フィーナは、まあそんなことを言っていたけど……。 キスはなぁ。 俺も思い切ったことをしたものだ。 ……。 リースに俺の思いを伝えたい。 ただ、その一心だった。 俺の気持ちによって、リースを変えることは難しいだろう。 これからも一人で生きていくだろう彼女に──俺や家族がいたことを忘れて欲しくなかった。 ……。 何度もリースの頭を撫でる。 「んう……すぅ……タツヤ」 リースの薄い唇が開いて、俺の名前を紡ぐ。 「……リース」 胸が温かい気持ちで一杯になる。 ……。 何だろう。 今までリースに対して感じていた気持ちとは、少し違う。 頼られたいとか、認められたいという、ガツガツした感情ではない。 リースと一緒に居たい。 それもできるだけ近くで、できるだけ長く。 そんな感情だった。 リースに触れているのが怖くなって、俺は手を引いた。 ……。 わずかに赤味を帯びた日光に、リースの顔が照らされる。 髪はどこまでも金色で、一切の濁りが無い。 とくり   とくり      とくり……。 心臓の音が聞こえる。 いつもより早く拍動していた。 何て心地のよい高揚。 少しだけぬる目の風呂にゆったりと浸かるような、そんなふわっとした気持ちが俺を包んでいた。 ……。 もしかして、俺は……。 こんな状況で俺はリースを好きになってしまったのだろうか。 リースが消えるか消えないかという話をしているのに。 ……。 リースがゆっくりと目を開いた。 「リ、リース……」 考えていたことを見透かされそうな気がして、焦ってしまう。 「タツヤ……」 ぼんやりとした声。 「た、ただいま」 「……お帰り」 「風邪ひいたんだって?」 ゆっくりと首を振る。 「そう言わないと、みんな心配する」 言い終わると、リースは目をつぶった。 リースが周囲を気遣って、嘘を吐いている。 こんな配慮をしてくれるなんて。 「ありがとう、リース」 「事情を説明するのは面倒だから、それだけ」 「……おい」 まあ、確かに説明するのは面倒だ。 それに、実際にフィアッカを見ていないと、恐らく信じられないだろう。 「タツヤ」 「何だ?」 「頭、触って」 一日寝ていたせいで気弱になったのか、リースが珍しく接触を望んできた。 俺は言われた通り、リースの頭を撫でる。 「ん……」 リースが気持ちよさそうな声を出した。 「これは触るじゃなくて、撫でるっていうんだぞ」 「うん」 小さく頷く。 俺は、そんなリースを何度も飽きずに撫でた。 ……。 …………。 「眠い……」 そう言ったきり、リースは再び目を閉じた。 目を閉じてすぐだと言うのに、リースは寝息を立てている。 ……。 こんな眠り方、普通じゃない。 リースの体調がおかしいことを実感する。 フィアッカの話も、リースの話も、今まで半信半疑だった。 でも、結果を見せられてしまうとそれを認めざるを得ない気がしてくる。 ……。 フィアッカの人格と知識を後世に残すため、リースにフィアッカを融合させる。 しかし、何らかの理由で二人が分離し始めた。 一つの体に、元々は二つの人格が入ることは難しいのだろうか。 結果としてリースの人格が、徐々に弱まっている。 信じがたい話だ。 大体、そこまでして引き継がなければならないフィアッカっていうのは何者なんだ。 それに、二人の人を一つの体に入れるなんてできるはずが……。 「……もしかして」 ふと、礼拝堂でのフィーナの言葉に思い当たった。 「教団は、事故が起こらないようロストテクノロジーを一括管理しているの」 ……。 ロストテクノロジー。 今より遥かに進んだ、大昔の技術。 もしかしたら、リースとフィアッカはその技術を使って一つになったのではないか。 なら、逆の方法でフィアッカをどこかへ移せば、リースは助かるかもしれない。 ……。 でもリースは、それを了承するだろうか。 彼女は、フィアッカを引き継ぐことを、自分の存在意義として認識している。 フィーナで言えば、姫を辞めろと言っているようなものだ。 恐らく叶わないだろう。 このままでは、本当にリースが消えてしまう。 俺はどうしたらいいんだ……。 コンコンドアがノックされ、現実に引き戻される。 「ど、どうぞ」 がちゃ入ってきたのはミアだった。 「達哉さん、そろそろお仕事の時間ですよ」 「もうそんな時間か」 「はい」 「リースさんのご様子はいかがですか?」 「ああ、よく寝てるよ」 「すぐ元気になるんじゃないかな」 家族に嘘を吐くのは、あまり気持ちのいいものではない。 でも、リースの優しさから出た嘘だ。 彼女の気持ちは尊重したい。 「そうですか」 「達哉さんがお仕事に行かれている間は、わたしが看病しますね」 「ああ、任せたよ」 「かしこまりました」 「夕食、一緒に食べられればいいんだけど」 「体調がいいようでしたら、連れて行きますね」 リースは、ベッドで昏々と眠り続けている。 もしかしたら、昨日の夕食が一緒に食べる最後の食事になるのかもしれない。 そんな嫌な予感がした。 ……。 「さて、仕事に行くよ」 重い気分を振り払うように、明るい声を出した。 俺は最後にリースの頭を撫で、ベッドを離れる。 「いってらっしゃいませ」 「あとはよろしく」 そうして、俺は姉さんの部屋を後にした。 ……。 夕食時、リースは左門に顔を出してくれた。 驚くと同時に、嬉しかった。 「リースちゃん、風邪の具合はどう?」 「悪くない」 短い答え。 実際、風邪はひいていないわけで、起きてさえいればいつものリースなのだ。 「お薬飲んですぐに寝れば、きっと良くなるよ」 「帰ったら、用意しますね」 「ありがとう」 「夏休みになったことだし、元気になったらどこか遊びに行きましょう」 「分かった」 「どこか、行きたいところを考えておけよ」 リースの頭を撫でる。 以前のリースなら、行きたいところなんて無い、と答えただろう。 だが今日のリースは何も言わない。 ズレた帽子を真っ直ぐに直しただけだった。 ……。 夕食後少しして、姉さんの部屋に向かう。 帰宅早々、リースは薬を飲んで部屋に戻った。 もう寝てしまっただろうか。 がちゃリースは寝ていなかった。 フローリングに座り込んで、熱心に本を読んでいる。 姉さんの部屋に子供向けの本なんてあったかな。 「リース、調子はどうだ?」 「リースリットは休憩中だ」 「うわあっ」 顔を上げたリースの瞳はルビー色に輝いていた。 「あはは、驚かせてすまない」 フィアッカが笑う。 楽しそうなフィアッカとは裏腹に、俺の胸の中は暗く沈んでいた。 この人が、リースの体に入っているせいでリースが消えそうになっている。 フィアッカのどこに、人ひとりの人生を犠牲にして守る価値があるのだろう──どうしても、そんなことを考えてしまう。 ……。 そんな俺の雰囲気を察したのか、フィアッカが顔を引き締めた。 「怒っているか?」 落ち着いた声でフィアッカが言う。 「……そうだな」 「殴っても構わない」 「体はリースのものだろ」 「今なら痛みを感じるのは私だ」 「やめてくれ、殴っても何も変わらない」 「気が晴れるかと思ったが……」 フィアッカが、広げていた本を書棚にしまう。 月に関する学術書だった。 姉さんの様に、本格的な研究を行う人のためのものだ。 一般的な知識で読みこなせるものではない。 「そんな本、読めるのか?」 「自分たちに関するものだからな」 「そうじゃなくて、内容的に難しいだろ、その本は」 「外見で判断されては困る」 「私はリースリットと同年齢ではないぞ」 ……。 言われてみればそうだ。 フィアッカが普通の子供なら、人格や知識を引き継ごうとはしないだろう。 「フィアッカ、お前は何者なんだ?」 「ただの技術屋だ」 技術屋って……。 人を犠牲にしても守らねばならない技術なんてあるのか?それも、2人の人を1人にするなんていう離れ業を使ってまで……。 ……。 待てよ……二人を融合させたのがロストテクノロジーだとする。 フィーナの話によれば、ロストテクノロジーは、月の教団が一括管理している。 ロストテクノロジーを管理するには、管理する知識が必要だ。 フィアッカの知識と人格には、人を犠牲にして守るほどの価値がある。 リースは月人で、しかも礼拝堂で2回見かけている……。 頭の中で、ゆっくりとパズルが組みあがっていく。 ……。 もしかしたら、フィアッカの知識というのは……。 「さて、本題に入ろう」 考えが煮詰まってきたところで、フィアッカに思考を遮られた。 「あ、ああ」 「リースリットの状況が徐々に悪くなってきている」 「タツヤがいない時はほとんど寝ていると言っても良い」 「そんなに……」 胸が締め付けられる。 「寝ているように見えて、意識を失っている時もある」 「そんな状態で、夕食を食べに左門まで来たのか、リースは」 「心配をかけたくなかったのだろう……タツヤに」 そう言って、フィアッカは寂しそうな顔をした。 「どうしてっ」 「いつもは自分勝手にやってるくせに、こんな時だけ」 「こんな時だから、だろうな」 「それに、家族が心配していると言ったのはタツヤだろう?」 「それはそうだけど」 「キミが言ったことだから、リースリットは守ろうとしたんだ」 「え?」 俺が言ったことだからって……。 「タツヤがリースリットの名を呼ぶ度に、ここで彼女が強くなるのが分かる」 と、フィアッカは自分の胸を指した。 「真面目な話をしてるんだ」 「私は至って真剣だ」 「結局のところ、リースリットが弱くなっていくのは、自己への執着の薄さが原因だと思っている」 フィアッカは言葉の通り、真剣な表情で語った。 「感覚的な表現になって申し訳無いが、タツヤといる時のリースリットはしっかりしている」 「恋愛をしている時ほど、強く自分に意識を働かすことはない」 「それが、結果的に彼女を強くしているのだと思う」 フィアッカの話を聞くうちに、だんだん腹が立ってきた。 「分かったのはそのくらいだ」 「前例が無いことだけに、特効薬はない」 「一つずつ、良いと思うことを積み重ねるのが近道だ」 恋愛ってのはそういうものではないだろう。 「じゃあ何か、俺にリースと恋愛をしろっていうのか?」 「もうしているのではないか?」 「なっ!?」 ……。 …………。 「不意打ちは卑怯だと思わないか?」 そう言って、フィアッカは薄く笑った。 ……。 もしかして……昨夜のキスのことを……フィアッカが、これ見よがしに額をポリポリと掻いた。 「……ぐ」 昼間、リースに会った時、俺を包んでいた感情。 ……。 あれが恋であることは否定しない。 でも、それが利用されているようで気持ちが悪い。 「本当にそれでリースは良くなるのか?」 「分からん」 「良いと思われることを積み重ねていくしかない」 ……。 …………。 百歩譲って俺は了承するとしよう。 だが、リースはどうなる。 「リースにだって相手を選ぶ権利はあるだろう?」 「俺のことを……その、好きじゃなかったらどうするんだ?」 「そんなことは本人に聞け」 「……こら」 「フィアッカってズルくないか?」 「ズルくない」 「自分の恋愛は自分でしろ」 至極まっとうなことを言われた。 「そうだな」 「リースリットを頼む」 「私がこういうことを言うのは卑怯だと思うが、彼女には不幸になって欲しくない」 実際、フィアッカを守るためにリースが犠牲になっているのは事実。 フィアッカの価値より、リースの価値が低いと、誰かが判断した結果だ。 フィアッカさえいなければ、リースはこんな目に遭わなかった。 だが、今更それを言っても仕方が無い。 ……。 「大丈夫だ」 「俺もリースを不幸にしたくない」 俺の言葉を聞いて、フィアッカは深く頭を下げた。 「すまない、こんなことになってしまって」 胸の奥から吐き出すように言う。 ……。 「その代わり、聞かせて欲しいことがある」 フィアッカが顔を上げ、俺を見る。 「二人はどうやって一人になったんだ?」 「月のロストテクノロジーとやらを使ったのか?」 フィアッカが小さくため息をついた。 「そうだ」 「なら、それを使って、二人に戻すことはできないのか?」 「不可能ではないが、私が入る別の器が必要になる」 ……リースの代わりに誰かが犠牲になるということか。 そこまでしても、フィアッカの知識と人格は守られなくてはならないものらしい。 ……。 …………。 俺たちの間に、気まずい沈黙が流れた。 ……。 「分かった」 「どうせリースは、身代わりを立てることを許さないだろう」 「俺は俺のできることをする」 「頼む」 もう一度、フィアッカが頭を下げた。 ……。 その時、階下から階段を上がってくる足音が聞こえた。 「うおっ!」 「サヤカかっ!」 「タツヤ、リースリットのこと、頼んだぞ」 「分かってる」 俺の返事を受け、フィアッカが急いでベッドにもぐりこむ。 修学旅行で先生の巡回が来た時のようだ。 今までの話の内容とのギャップに、思わず苦笑してしまう。 ……。 …………。 足音が近づいてきた。 がちゃ「あ、姉さん」 「……ひゃあっ」 ……。 …………。 「達哉くん、まだ部屋にいたの?」 「ちょっとリースと話込んじゃってさ」 「まあ、ずいぶん仲がいいのね」 「一日寝てたから、話すことが溜まってたみたいだな」 「ふふふ、じゃあリースちゃんも喜んだわね」 「ああ」 「それじゃ、部屋に戻るよ」 「はい、おやすみなさい」 「おやすみ」 ばたん深夜の静かな廊下。 気がつくと、俺の心臓が激しく動いていた。 姉さんに驚いたからではない。 リースのこと、フィアッカ自身のこと、これらは、俺の処理能力を超えていた。 きっと、体が驚いてしまったのだろう。 頭も何だかクラクラしている。 ……。 今日は頭を休めてしまった方が良さそうだ。 そう決めて、俺は自分の部屋へと向かった。 ……。 「おはよう」 ダイニングに下りると、家族が揃っていた。 嬉しいことにリースも席についている。 「お兄ちゃん、おはよー」 「おはよう」 「おはようございます」 「おはよう、達哉くん」 「リース、挨拶は?」 「……おはよう」 「よくできたな」 ぽんぽんっとリースの頭を軽く叩く。 「タツヤはどうしていつも叩くの?」 帽子を直しながらリースが言う。 「何となく」 「何となくで叩くな」 何か機嫌が悪い気がする。 「かわいいからって、あまりいじめちゃだめよ」 姉さんが笑って言う。 「そういうんじゃないから」 「おやおやおや」 「昨日は遅くまで語り合ってたんでしょ?」 「なぜそれを」 姉さんを見る。 「さて、出勤します」 姉さんが足早にダイニングを出る。 「……」 「いってらっしゃい」 俺たちの挨拶も受けず、姉さんは出勤していった。 ……。 「で、何の話したの?」 話を戻すのか。 「知らない」 「あ、恥かしがっちゃって」 「リースちゃん、教えて?」 「知らない」 昨夜の話し相手はフィアッカだから、リースは本当に知らない。 ……。 「ふふふ、諦めたほうが良いみたいね」 「そういうこと」 「しょーがないなー」 「くすくす」 「達哉さん、パンとご飯、どちらにしますか?」 「パンで」 「はい、少々お待ち下さいね」 ……。 朝食を食べ終えた俺は、リビングでのんびりと食休みをしていた。 キッチンから、皿を洗うミアの鼻歌が聞こえてくる。 ……。 てこてことリースが現れた。 無言で向かいのソファに座る。 「あの人と何を話したの?」 ぶすっと言った。 何だろう。 やはり機嫌が悪そうだ。 「みんなが聞いたら怪しむだろ」 「こっち来いよ」 「嫌」 ……。 仕方無い。 こっちが移動しよう。 ……。 「何の話だっけ?」 「同じことは2回言わない」 「悪かったよ」 「昨日はリースのこと話してた」 「どんなこと?」 さて、どう説明したものか。 俺と恋をすれば治る、とは言えないし……。 「自分にもっと執着を持てってさ」 「リースはこうしたいとか、ああしたいとか、そういうのが少ないから」 「無駄なことだから」 「ちょっと考えてみたらどうだ?」 「好きな食べ物とか、好きな花とかなら、役割には支障無いだろ?」 「……」 「後は何を話したの?」 引き続き不機嫌なご様子。 「あとは大したこと話してないよ」 「……うん」 リースはむっつりとテーブルを見つめる。 「お前、何で不機嫌なんだ?」 「分からない」 ……。 リースは眉根にシワを寄せている。 どうも、考えるのが面倒臭いということではないようだ。 「困ったな」 「困った」 「いつから機嫌が悪いんだ?」 「朝」 「朝のいつ?」 「タツヤがワタシと話していたと言った時」 「それから機嫌が悪いのか?」 「うん」 ……。 もしかして、焼きもち?リースがそれを知らずに機嫌を損ねているとしたら、可愛い限りだ。 「頭撫でるか?」 「ん?」 ……。 「うん」 「ちょっと遠いな。 こっち来いよ」 リースをひょいと持ち上げた。 「タ、タツヤ」 「こっちの方が撫でやすい」 そのまま足の間に座らせる。 「……」 体の前面に、リースの背中が密着した。 両腕でリースを包み込む。 「撫でないの?」 「こうしてるのがいいな」 「リースは?」 「これでいい」 リースに接している部分に神経を集中する。 彼女のかすかな鼓動を感じた。 ゆっくりと腕に力を込める。 「ん」 鼓動が少し早くなり、体温が上がった。 ……。 視線を下ろすと帽子のてっぺんが見える。 俺は、帽子の耳の間に顎を乗せた。 「リースさあ……」 「喋るな、頭に響く」 「いいじゃないか」 「良くない」 リースの反発は置いておいて、腕に力を込める。 「このまま放さないって言ったらどうする」 「怒る」 「怒ったリースが見てみたいな」 「タツヤ、サヤカに似てきた」 意外なことを言われた。 我が家のカリスマ・スキンシップ師に似てきたらしい。 「褒めてるのか?」 「……褒めてない」 「まあいい」 目を閉じる。 また、リースの鼓動を感じた。 彼女の脈に合わせて、体を優しく撫でる。 リースがため息のように息を吐いた。 ……。 …………。 早くなっていたリースの鼓動が落ち着く。 「すぅ……」 寝てしまった。 ……。 こんなことでいいのだろうか。 これで、リースの気持ちは強くなるのだろうか。 バロメーターがあるわけでもなく、それは確かめられない。 ただ、今までよりずいぶん話せるようにはなった。 少し強引にコミュニケーションを取るくらいで、リースにはちょうどいいのかもしれない。 ……。 穏やかな呼吸が背中を通して伝わってくる。 心地の良いリズム。 リースと、ずっとこうしていられたら、どんなに幸せなことだろう。 ……。 ……。 …………。 ………………。 「姫さま、お二人が……」 「まるで親子のよう」 「何だかリースさん幸せそうです」 「もしかしたら、親子と言うよりは……」 「ふふふ、そうかもしれないわね」 「しばらくそっとしておいてあげて」 「しかし姫さま、そろそろ昼食を作る時間に……」 「私とミアしかいないのだし、何か買ってきて部屋で食べましょう」 「くすっ、秘密のお茶会のようですね」 「さっそく準備します」 「よろしくね」 ……。 「……ん……んあぁ?」 いつの間にか寝てしまったようだ。 リースはまだ足の間で眠っている。 ……。 壁の時計は午後4時を指していた。 6時間以上寝ていたことになる。 疲労が溜まっていたのかもしれない。 思えば、ここ数日リースやフィアッカにいろんな話を聞かされ、ゆっくり眠ることができていなかった。 時間的には十分でも、眠りが浅く、ちょっとした物音で目を覚ましたりしていたのだ。 ……。 今は頭も体もすっきりしている。 リースの側で眠れたことで、熟睡できたのかもしれない。 「リース」 少し体を揺すってみる。 ……。 起きる気配は無い。 気を失っているってことは無いだろうか……。 急に不安になる。 「フィアッカ?」 試しに呼んでみる。 リースが気を失っていて、フィアッカにその気があるなら出てくるかもしれない。 ……。 …………。 返事は無かった。 胸を撫で下ろす。 このまま一緒にいたいのは山々だが、そろそろバイトに行く時間だ。 俺は、リースを2階へ運ぶことにした。 ……。 体をリースから離しつつ、首の後ろと膝の裏にそれぞれ腕を入れる。 いわゆるお姫様だっこだ。 「よっと」 苦も無く持ち上がる。 「ちょっと揺れるぞー」 返事の無いリースにそう言って、俺は歩き出した。 ……。 リースをベッドに横たえ、布団を掛ける。 今日の食事には来てくれるだろうか。 「行ってくるよ」 「体調が良かったら、メシ食べに来いよ」 返事はなかった。 リースの頭を撫で、俺は姉さんの部屋を後にした。 ……。 ばたん……。 …………。 「……不憫な」 その夜。 リースは左門に現れなかった。 暗い気持ちに包まれ、家へと向かう。 「リースちゃん大丈夫かな」 「わたし、起きてるリースちゃんをあんまり見てないんだけど」 「風邪を引かれていると言ってましたが」 フィーナが窺うような目で俺を見た。 彼女はフィアッカの存在を知っている。 風邪、という理由を疑っているのかもしれない。 「何か病気にかかっているのかしら」 「それなら急いで病院に連れていかないと」 「今日の朝は元気だったわよ」 「はい、起きていらっしゃる時はいつもと変わりません」 「……不思議ねぇ」 姉さんが首をひねる。 まずいな。 一緒の家に住んでいる以上、こうなるのは考えておくべきだった。 何とかしないと。 ……。 「明日あたり、遊びに誘ってみるよ」 「家にこもりっきりで、もしかしたら機嫌が悪くなってるのかもしれないしさ」 「うん、それがいいよ」 「そうね、達哉くんはバイトも休みだしね」 フィーナがもう一度俺を見た。 どうやら彼女はかわせないようだ。 俺はフィーナを見て、少し頷く。 フィーナもそれに応えてくれた。 「ミアはお弁当を作ってあげたら?」 「はい、そうさせて頂きます」 「よし、頼んだぞ」 「じゃあ、わたしも手伝っていいかな?」 「ぜひ」 「美味しいお弁当を作りましょう」 問題は、明日リースが起きているかだが……。 それは明日になってみなくては分からない。 ……。 「あら?」 姉さんが玄関に目を遣る。 そこには見知った影が立っていた。 「カレンじゃない」 カレンさんが振り向く。 「こんばんわ」 「どうしたの、こんな時間に?」 「さやかに相談したいことがありまして」 「私に?」 「ええ、時間をもらえるかしら?」 「構わないけど……」 姉さんも少し緊張しているようだ。 「みんなは、先に帰っていて」 「う、うん」 「では、また」 俺たちは、姉さんとカレンさんを外に残して家へ向かう。 そんな光景を、イタリアンズが不思議そうに見ていた。 「達哉、ちょっと部屋に来てくれないかしら?」 フィーナの目は真剣だ。 どうやら、リースの事情を説明しなくてはならないようだ。 「分かった」 「ミアちゃん、わたしたちは、明日の献立を考えようよ」 「はい、それは楽しそうです」 靴を脱ぎ、俺たちは二手に分かれる。 楚々とした雰囲気が漂うフィーナの部屋。 住む人の性格が現れているようだ。 「ソファに掛けて」 言われたようにソファに向かう。 途中、カーテンに隙間を作って庭を見た。 姉さんとカレンさんが、家の前の道で話し込んでいる。 二人は、家の二階を見上げていた。 嫌な予感が走る。 フィーナが住んでいるのは一階だ。 話の内容がフィーナ以外のことだとすると、一体誰の……。 「ふふふ、覗き見は良くないわよ」 「ああ」 「何を話してるのかな?」 ソファに腰をおろす。 「分からないわ」 「私たちに関係の無い話か、まだ聞かせたくない話なのでしょう?」 「ま、そうか」 フィーナがデスクからイスを持ってきて座る。 「こちらの話なのだけれど」 「リースに何かあったのかしら?」 さっと本題に入ってきた。 ここまで来て迷っても仕方が無い。 同じ月人のことだし、フィーナも力になってくれるだろう。 「実はさ……」 ……。 ゆっくりと順序立てながら、リースとフィアッカの関係について教える。 また、リースが置かれている現状も説明した。 恋愛をしなくてはならない、という点は省いたが。 ……。 「複雑な話ね」 フィーナが沈思する。 ……。 …………。 少しして口を開いた。 「まとめるとこうかしら?」 「フィアッカは何らかの技術を持っている」 「彼女を後世に残すため、ロストテクノロジーでリースの体に融合させた」 「しかし、何らかの原因で融合が解け始めている」 「結果的に、1つしかないイスの奪い合いになっている」 「リースは自分に対する執着が薄いため、現状、リースが不利」 「それで記憶を失う時間が増えてきている」 「このままだと、リースが消える」 フィーナは、一つずつ俺に確認を取りながら、状況を整理していく。 「二人の関係については」 「リースはフィアッカを知覚できないが、存在は知っている」 「リースはフィアッカの知識を自分のものとして使用できる」 「表面に出るか出ないかはフィアッカが決められる」 「そんなところだ」 「事実関係だけなら、フィアッカをベースに考えるのが分かりやすそうね」 「リースは活動に大幅な制限を受けているけど、フィアッカはほとんど自由のようだし」 「つまり、フィアッカの都合最優先の仕組みってこと?」 フィーナが頷く。 「リースの体を自由に使えるし、それを悟られることもないのだから」 じゃあ、リースが知らないうちに操られているってこともあるわけだ。 「どうして、こんなひどいことを」 「誰かにとって、フィアッカは非常に価値があるということね」 「他人を犠牲にしても、彼女の存続を望んでいるのだから」 フィーナがカーテンの外に目を遣る。 「カレンの用件が何となく飲み込めたわ」 「えっ」 「これは推測だけれど」 と、前置いてフィーナが話し始める。 「フィアッカとリースは、教団関係者……それも組織の深いところにいる」 「ロストテクノロジーで人を融合させるなんていう事ができるのは、教団以外には思いつかない」 「フィアッカが教団にとって、非常に価値のある人物だと仮定すると」 「彼女が持っているのはロストテクノロジーの技術ね」 「以前にも言ったけれど、教団はロストテクノロジーを一括管理しているわ」 「ああ、礼拝堂でしてもらった話だな」 「月社会にとっては無くてはならない教団の役割ね」 「でも、違う見方をすれば、それが彼らへの信仰心の基盤でもあるの」 「そうすると、フィアッカの知識は教団にとって大切なものだな」 「そうね」 「でも、知識だけなら本にでもすれば残せるんじゃないか?」 「私もその辺の事情は分からないわ」 「でも、わざわざフィアッカという人格を残すのだから、何か意味があるのでしょう」 ……。 フィーナは一つひとつの事項を論理立てて考えている。 俺がもやもやと考えていたことまで、するりと明快だ。 「フィーナってすごいな」 「何の話?」 フィーナがきょとんとする。 「いや、話も論理的だし、分かりやすいし」 「ありがとう」 「でも、理屈は理屈よ」 「筋は通っているかもしれないけれど、それが事実だとは限らないわ」 フィーナはそう言うが、俺には彼女の言っていることが外れている気がしなかった。 これも、王女の資質なのだろうか?……。 「そういえば、カレンさんの用件っていうのは?」 「リースを引き取る時、さやかは警察に行ったわよね」 「ああ」 「リースについて、警察から大使館に問い合わせが行った可能性があるわ」 「……」 リースという名前は特殊だ。 土地柄、満弦ヶ崎では、まず月人であることが懸念されただろう。 そう考えると、大使館に照会が行った可能性は否定できない。 「詳細は分からないけれど、カレンが何か気づいたのかもしれない」 「リースについては、消えてしまうという事情は別にして、何かトラブルが発生する可能性があるわね」 「リースに害が及ぶのは避けられないか?」 ……。 フィーナがじっと俺を見る。 「……難しいわ」 「カレンは月の為に働いているの」 「私からそれを止めることはできないでしょうね」 ……。 ちょっと失言だった。 むしろ、苦しい立場に立たされるのはフィーナだ。 リースと家族である上に、フィーナは月の姫。 板ばさみになるかもしれないのだ。 「もし何かあったら、フィーナは姫として無理の無い方を選んでくれ」 「でも……」 「フィーナの事情はみんなが知ってる」 「何があっても責めはしないさ」 「ありがとう、できる限りのことはするわ」 「達哉も、リースのことをよろしくね」 「俺が拾ってきた猫さ」 「何とかする」 「ええ」 「最近、ずいぶん懐いたのではない?」 「猫が人に懐くとは知らなかったわ」 俺の瞳を覗き込むように、フィーナが見つめてきた。 「なな、何を突然」 顔が熱くなる。 「ふふふ、恥ずかしがっているのね」 「どうなの、リースのことは?」 「き、嫌いじゃないさ」 「まあ、リースのようなことを言って」 フィーナが笑う。 「じゃ、じゃあ俺はこの辺で」 「そうね。 早くリースの様子を見に行ってあげて」 「ああ」 ソファを立つ。 「話してくれてありがとう」 「いいんだ、こっちも勉強になったよ」 「じゃっ」 ……。 フィーナの部屋を出て、すぐに姉さんの部屋へ向かう。 コンコンッ返事は無い。 がちゃ部屋の奥、ベッドに近づく。 ……。 …………。 リースは眠っていた。 「リース」 名前を呼ぶ。 ……。 返事は無い。 ……。 朝一緒に寝てから目を覚ましていないのだろうか。 なら、食事もロクに取っていないことになる。 心なしか、頬がやつれている気がした。 胸が痛くなる。 ……。 教団の役割。 それは確かに重要かもしれない。 でも、こんな子を犠牲にしてまで守るべきものなど、本当にあるのだろうか。 どうしてリースがこんな目に遭わなくてはならないのか……。 涙腺が熱くなり、俺はぎゅっと唇をかみ締めた。 ゆっくりとリースの枕もとに近づく。 ……。 がちゃんっ「いだっ」 看病用のイスに足をぶつけて、派手な音がした。 「わあっ!?」 ……。 ん?今、声が聞こえなかったか?「起きてるのか?」 「……」 「リースっ」 リースの体を揺する。 ……。 …………。 くすぐってみた。 こちょこちょ「ううっ」 リースの眉が動く。 こちょこちょ「あっ、やめろ、こらっ」 赤い瞳が現れた。 ……。 …………。 「フィアッカ……」 「……」 バツが悪そうに目を逸らす。 「何で寝たフリなんてしてるんだ?」 「それは……」 ……。 「起きたのが私だと、タツヤが落胆するだろう?」 「とは言え、リースリットを気絶させておくわけにもいかん」 ……。 以前、「リースを消したくない」 と言っていた気持ちが本当なのだと、今更気づく。 今まで接してきた限り、フィアッカは冷血な人では無かった。 むしろ、人格がこなれた印象を受けている。 そんな人が、他人を犠牲にして自分が生きることに、罪悪感がないはずがない。 ……。 「私にできることは、もうこのくらいしか無いのだ」 消え入りそうな声で言った。 「いや、こっちこそ悪かった」 「リースの調子はどうなんだ?」 フィアッカが視線を伏せる。 「悪いな」 「朝、タツヤと話している時は驚くほどしっかりしていたのだが……」 「一度眠ってからはいかん」 「……」 それでも、俺といた時はしっかりしていたらしい。 あんな感じの接触を続けていけば、光が見えるかもしれない。 ……。 「時に、誰か来ているようだが」 「何で知ってるんだ?」 姉さんの部屋から庭は見えない。 「先ほど、顔を洗いに出た時な」 「ああ、廊下の窓か」 カレンさんのことを話すべきか迷う。 リースがこんな状況になっているのに、カレンさんが目をつけているかもしれないとなると……全く先が予測できない。 「隠さずとも良い」 「あの女……カレン・クラヴィウスだったか」 「知り合いなのか?」 「いや、1、2度見たことがあるだけだ」 「何でも、先の女王のお気に入りだったと言うことだが」 「お前の方が詳しいじゃないか」 「あはは、これでも月人だからな」 フィアッカが笑う。 「姉さんの友人でもあるみたいだ」 「なるほど、サヤカのな……」 何か考える素振りのフィアッカ。 「さっきフィーナと話したんだが」 「何かあったのか?」 「いや、フィアッカとリースが……その、教団の……」 「おお、気づいたか」 「なかなか聡明な姫だな」 「アーシュライトの家も安泰というもの」 妙に楽しそうなフィアッカ。 「気づかれていいのか?」 「望ましくはない」 「ただ、それとは別に、月を導く王家の姫が聡明なのは喜ばしいことだ」 「まあ、そうかもしれないけど」 「フィーナ姫はどこまで気づいていた?」 「ロストテクノロジーの知識を残す意義については分かってた」 「でも、フィアッカの人格を残す意味は分からないみたいだな」 「まあ、俺も分からないけど」 「確かに、若い者には難しいかもしれないな」 「年寄りくさいな」 「年寄りだからな」 ……。 ルビー色の目が細められる。 「装置……道具には、必ず正しい使い方と目的がある」 フィアッカが切り出した。 「それらを知識として残すのは簡単だ」 「だが、残された知識が意図的に変更されるのを防ぐのは難しい」 「使い方は、使う人次第ってことか」 「その通りだ」 「ロストテクノロジーは、今の社会にとって影響力が大きすぎる」 「使い方によっては、国が滅んでしまうようなものもあるのだ」 「……うわ」 「手に入れれば、世界が思うままだ」 「そんなものが見つかったらどうなる?」 ……。 「……奪い合いになる、かな」 フィアッカが頷く。 「富と権力の前に、人はあまりに弱い」 「技術は、常に社会と二人三脚で発展していかなくてはならない」 「技術だけが先行すると、必ず大惨事が起きる」 「社会が、技術の使用目的を監視できないからだ」 「……」 言葉が出ない。 俺が想像していたものと、全くスケールが違う話になっている。 「最も良いのは、社会全体がロストテクノロジーの危険性について認識することなのだが……」 「残念ながらそれは難しい」 「どうして? 本にして配るとかできるんじゃないか?」 「経験が伴わない知識が広まるのは、むしろ危険だ」 「人間、知っていることは試したくなる」 「そうかもしれないな」 「それは分かった気になっているだけなのだ」 「結局、人間は自分が痛い目を見ないと、本当には分からない」 「だから、危険性が高い技術については、私が出向いて処理しているのだ」 「細かい装置を片づけるのは教団の役目だがな……」 「フィアッカは痛い目を見たのか?」 「いろいろ見たな」 「だからこそ、本気で技術の独占や暴走を止められるのだ」 「言いたいことは分かるよ」 「記憶は、代を経るごとに薄れる。 残っても孫の代までがせいぜいだ」 「かつて月と地球であった戦争など、もう昔話だろう?」 月と地球が戦争をした。 これは事実。 かなりの人が知っている事実。 だが、誰も実感を伴ってそれを語ることができない。 俺だってその一人だ。 知ってはいるが、感じてはいない。 「……ああ」 「ならばやはり、私が必要ということだ」 「じゃあ……フィアッカは戦争の時から生きてるのか?」 「そうだ」 ……。 信じられない。 戦争があったのは、教科書によれば7、8百年前。 その生き証人だと、フィアッカは言うのだ。 「何十という人の体を借りて、今まで生きてきた」 「じゃあリースみたいな人が、もっとたくさん」 フィアッカが頷いた。 「リースリットの家系は代々、私の器になる人を出すことになっている」 「そんな家に生まれたのか」 リースの言葉が甦る。 自分は、役割を果たすために生まれた──自分の時間の一切を、外部から与えられた責務に費やさねばならない。 リースは、そんな運命の元に生まれたのだ。 好きなものも、嫌いなものも、明日の予定も、何も無い。 それらを余計なものと言ったリース。 ……。 そうなってしまった彼女を、誰が責められると言うのだ。 「そうやって私は、『今』を獲得している」 「戦争で著しく後退した文明も、ようやく元に戻ってきた」 「月の姫が地球に留学に来られる時代が来たことを、私はとても嬉しく思っている」 フィアッカが表情を綻ばせ──やがて引き締めた。 「私も、迷うことがある」 「自分には本当にその価値があるか、とな」 「だが、犠牲になった人たちのためにも、私は今更この責務を捨てるわけにはいかないのだ」 「……」 自分の人生をフィアッカに捧げた人たち。 そして、それがゆえに決して休むことを許されないフィアッカ。 一体、どっちが不幸なのだろう。 俺には分からない。 「話はこんなところだ」 そう言ってフィアッカは言葉を切る。 ……。 …………。 言葉も出ない。 「誰にも教えてはいかんぞ。 私もこれ以上は教えない」 「分かった」 「学会が騒然となってしまうからな」 そう言って、フィアッカは楽しそうに笑った。 ベッドが軋んで小さく音を立てる。 ……。 参ったな。 どこにも敵とすべき人がいない。 誰もが自分の役割を認識し、しっかりと進んでいる。 リースもフィアッカもフィーナもカレンさんもみんなが、役割を果たしながら生きている。 俺はどうなのだ?一時の情に任せて、まぜっかえしてしまっただけではないのだろうか。 「あとはリースが元に戻れば何も言うことは無い」 「あ、ああ」 ふと思う。 「リースが元気になったら、フィアッカはどうなるんだ?」 「また融合できたら、ということか?」 「ああ」 「そうだな……」 「リースには私の目的は十分伝えてあるし……」 「リースがよっぽど目的を外れるか、命の危険が生まれるか……」 「まあ、そんなことが無い限りは、大人しくしていることになるな」 「それじゃ、フィアッカがいなくなるようなものじゃないか」 「いいのだよ……それで」 「必要以上にリースたちに干渉したくはない」 「今更、偽善ぶるのもどうかと思うが、彼女たちには彼女たちの人生がある」 「寂しくないのか、それで?」 「……」 フィアッカがかすかに笑う。 ……。 「もう忘れたよ」 そう言って、フィアッカは目を閉じた。 ……。 何も言えなかった。 人生を賭して何かの為に戦う。 俺の前には、そんな人たちが横たわっている。 慰めなど滑稽なだけだ。 ……。 …………。 「おやすみ、フィアッカ」 「……リース」 この日。 朝からリースの調子が良かった。 俺は考えていた通り、リースを散歩に誘った。 ……。 「ここ知ってる」 「ああ、イタリアンズがリースを襲ったとこだな」 思えば、俺たちの関係が始まったのもここだった。 「そう言えば、リースは何でこんなところにいたんだ?」 「秘密」 「秘密ですか」 「そう」 リースが無愛想ながらも穏やかな顔で言う。 今日は本当に機嫌がいいようだ。 「猫」 リースが池へ降りられる階段を指差す。 日光に暖められたタイルの上で、猫が転がって遊んでいた。 見覚えがある猫だった。 「リース、あの猫」 「黒い猫」 リースがてこてこと歩み寄っていく。 足音に気づいた猫が体を起こした。 確かに商店街にいたヤツだ。 額から鼻先まで伸びた傷。 開かれることの無い片目。 「にゃー」 「ぎにゃー」 黒猫が渋みのある声でリースに答える。 ……。 でも、どうしてこんなに商店街から遠い場所にいるのだろう?何かの気まぐれか、いづらくなるかして、シマを変えたか……。 もしかしたら、こっちが本来のシマで、商店街には骨休めに来ただけかもしれない。 和やかに遊ぶ一人と一匹を見て、そんな取り留めの無いことを考えていた。 「なーご」 「にゃっ」 猫が身を翻し、茂みの中へ走りこんでしまった。 「猫、逃げた」 「あはは、そう言えばリースは猫と話せるのか?」 リースが、一瞬きょとんとした目で俺を見た。 「どうして?」 「リースも猫みたいな動きしてるから」 「してない」 「話せるわけ無い」 「でも、耳がついてるじゃないか」 と、帽子の耳を指で突付く。 「触らないで」 リースが嫌がって移動する。 追いかけると、ちょこちょこと更に移動する。 ……。 やっぱり猫に似ていた。 「悪かったよ、もう触らない」 「ならいい」 「それより、見晴し台に登って弁当でも食おうぜ」 ミアと麻衣が持たせてくれた弁当を振る。 「階段、長い」 「前は自分で上ったんだろ?」 「うん」 ここ数日の生活で、リースの体力が落ちているのだろうか。 「おんぶしてやろうか」 「子ども扱いしないで」 ぷいっと膨れる。 「よし、手をつなごう」 返事を待たず、リースの手を取る。 「あ……」 「行くぞっ」 見晴し台に続く階段に足をかける。 ……。 一歩ごとに、周囲の景色が変わっていく。 握るリースの手が、少しずつ汗ばんできた。 しっとりと吸い付くような感触に、ちょっとクラクラする。 「もう少しだぞ、頑張れ」 「頑張る……はぁ」 俺にとっては楽な階段。 でもリースには、なかなかの運動らしい。 ……。 …………。 視界が一気に開けた。 「よし、ゴールだ」 「ふぅ……はぁ……」 「疲れた」 「もうちょっと運動しないとな」 「今度はイタリアンズでも連れてくるか」 「犬はくっつくから嫌」 「そっか」 「俺もくっつくけど、嫌か?」 ……。 リースが、ぽくりと俺の足を蹴った。 「いてっ」 リースはブーツを履いているので結構痛い。 「帰る」 「ごめん、変なこと聞いた」 リースがすたすた歩き出す。 むむ、本気で怒ったか。 かくなる上は。 「弁当を全部食べないと、ミアと麻衣が心配するぞ」 リースが止まる。 ……。 「タツヤ、卑怯」 「あははは、ほら、弁当食おうぜ」 再びリースを引っ張って芝生がある場所へ移動する。 レジャーシートを芝生に広げ、四隅をお互いの靴で押さえる。 「さ、こっちこいよ」 「どこ?」 「膝の上」 「……」 リースが冷たい目で俺を見た。 「こっちから行くぞ」 「来ないで」 リースがシートの上を逃げる。 「待てっ」 たたたたっどさどさどさたたたたっどさどさどさ……。 狭いシートの上。 逃げられるわけも無く、リースは俺のあぐらの上に収まった。 「サヤカよりしつこい」 カリスマを超えた!……。 ちょっと複雑な心境だ。 「お弁当」 「よし、開けるぞ」 リースの後ろから手を伸ばし、弁当のバスケットを開く。 ……。 中からは、サンドイッチ、サラダ、フルーツなどの食事。 スコーンなどのお菓子も入っていた。 リースが気に入っていたミアお手製のジャムも何種類か入っている。 「……」 「何でも好きなものから食べていいぞ」 「……これ」 早速スコーンに手を出す。 「こっちのジャムを付けて食べるんだ」 「ミアの?」 「ああ、何味がいい?」 「イチゴと、アンズと……これはバラだな」 「バラ」 リースがジャム入りのタッパーを開き、たっぷりとスコーンに塗る。 リースの頭が小さく動いている。 どうやらスコーンを楽しんでいるようだ。 俺もサンドイッチを口に入れる。 まだしっとりしていて美味しい。 中に入っているツナサラダも、きっと二人で作ってくれたのだろう。 「これ……」 今度はフルーツに狙いを定めたリース。 「お前、サンドイッチも食べないと、大きくならないぞ」 「別にいい」 俺の言葉など、どこ吹く風。 リースは甘夏みかんを食べ始めた。 「美味いか?」 「嫌いじゃない」 「良かったな」 リースは黙々と食べ続ける。 「寝てばかりだったし、お腹空いてたのか?」 リースが頷く。 「じゃあ、お腹空いたって言えよ」 「面倒」 「……」 ある意味すごい。 ……。 その後もリースは、サンドイッチ、サラダ、と狙いを変えながら弁当を満喫した。 ……。 …………。 しばらくして、弁当を食べ終えた。 俺たちはシートに大の字になる。 抜けるように青い空。 少し早足に流れる雲。 背中の芝生の感触。 そして、お腹に乗ったリースの頭。 全てが気持ち良かった。 ……。 「今日は眠くないのか?」 「平気」 「良かった。 少し安定したのかもしれないな」 「かも」 「何か好きなものでもできたか?」 リースは何も言わない。 強い風が丘を駆け上がり、俺たちの上を走りぬけた。 「……」 リースが何か言った気がした。 それは、風にかき消され、俺の耳へは届かなかった。 「何か言ったか?」 「言ってない」 「そうか」 「好きなものは早く作った方がいいぞ。 いろいろと楽しくなるからな」 「タツヤは何が好き?」 「リース」 という答えが、恥ずかしげも無く浮かんだ。 だが、ちょっと言いにくい。 「家族かな」 「家族?」 「ああ、リースだって家族だぞ」 「そう」 「じゃあ、嫌いなものはできたか?」 「イタリアンズ」 「……」 どうやら本当に嫌いだったらしい。 ま、猫と犬じゃ相性が悪いか。 「タツヤ」 「ん?」 「ワタシ、タツヤのせいで少し変わった」 リースの言葉にはかすかに悲しい響きがあった。 「いい変化か?」 「悪くない」 「なら、俺も一緒にいて良かったよ」 自分でも少し寂しくなるような言葉が出た。 俺は、慌てて話の流れを変える。 「今日の弁当は美味かったか?」 「うん」 「ミアと麻衣にお礼を言うんだぞ」 「言う」 ……。 俺は手を伸ばし、リースの頭に触れる。 ふわりと柔らかな感触。 俺も、ふわっと気持ちが浮き立った。 リース……本当にかわいいな。 ……。 …………。 ……。 …………。 ………………。 風の匂いが変わる。 ……。 「……ん」 「しまったっ」 つい寝てしまった。 俺は慌てて上半身を起こす。 頭から手元に、ポロリと何かが落ちた。 草で編んだ、小さな輪っかだった。 リースが作ったのか……。 ……。 リース。 リースはどうしたっ!?俺は慌てて周囲を見回す。 ……。 …………。 いた。 モニュメントから少し離れたところで、草をいじっている。 良かった……。 「リースっ」 リースが振り向く。 「すまん、ついウトウトして」 リースがこちらへ帰ってくる。 ……。 携帯を取り出し、時間を確認する。 寝ていたのは1時間くらいのようだ。 「タツヤ起きた」 「ごめん」 「気にしないで」 「これは何?」 俺は輪っかをリースに見せる。 「ごほうび」 「……あ、ありがとう」 何のご褒美だろうか……?リースがこんなものを作れるなんて意外だった。 俺は、輪っかを頭に載せる。 「雨が来る」 リースが空を見上げる。 さっきまで晴れていた空は、黒くて重い雲が立ち込めていた。 これは夕立が来るな。 「よし、急いで帰ろうっ」 シートから降り、急いで後片づけをする。 ……。 階段を下りるうちにも、空はどんどん暗くなる。 落雷の音が、遠くから聞こえた。 雨が落ちてくるのも時間の問題だ。 とは言え、リースに走らせるわけにもいかない。 ……。 …………。 夏だしな。 いいか。 「リース」 「何?」 「普通に歩いて帰ろう」 「夏だし、濡れてもいいだろ」 俺は笑って言う。 「……む」 リースが頷く。 そうと決まれば、後は楽しく歩こう。 俺はリースの手を握る。 ……。 ぽつ雨が落ちてきたのは、間もなく商店街へ着こうかという頃だった。 ぽつぽつ ぽつどざーーーーーーーーーーーっ!バケツをひっくり返したような雨だった。 「うわっ、マジですごいぞこれは」 俺の声も通らないような雨。 一瞬でびしょ濡れになった。 「……濡れた」 相変わらずそっけなく言う。 だが、リースの顔を見て、俺は我が目を疑った。 笑っている。 俺を見て、リースが笑っている。 ……。 …………。 良かった。 本当に良かった。 そんな思いが湧き上がり…………。 目頭が熱くなった。 「タツヤ、濡れた」 リース自身は気づいているのだろうか。 自分が笑っていることに。 「あ、ああ……濡れちゃったな」 「あはは」 「あははは、びしょ濡れだ」 雨に紛れて涙を流す。 今なら、どんなに泣いてもいいのだ。 嗚咽は隠せなかったかもしれない。 でも、俺は泣いた。 彼女の笑顔を見ることができた嬉しさに……。 ……。 「さ、行こう」 「うん」 俺はリースの手をもう一度握り直す。 激しい雨の中でも、リースの手はとても熱く感じられた。 大雨の中。 俺たちは、ゆっくりと歩き始める。 ……。 家に着く頃には、雨は小降りになっていた。 「ふぅ、楽しかったな」 「うん」 「さっさと風呂入らないと」 玄関のドアに手を伸ばす。 がちっ「あれ、閉まってるな」 俺はポケットの鍵を使う。 「ただいまー」 「ただいま」 家の中に人の気配は無かった。 どこかに出かけたらしい。 雨にやられてなきゃいいけど。 ……。 ポケットから携帯を取り出す。 メールが届いていた。 ……。 …………。 「みんな出かけたみたいだな」 「晩飯まで帰ってこないってさ」 「そう」 リースは靴を脱ぐなり家に上がる。 「タオル持ってくる」 そう言って、洗面所へ向かった。 「コーヒー作っておくから」 洗面所に向かって声をかけた。 ……。 手早く作ったインスタントコーヒーを持ってリビングに入る。 「タオル」 リースはちょこんとソファに座っていた。 「ああ、ありがとう」 「こっちはコーヒー、甘くしておいたから」 「うん」 タオルとコーヒーを交換する。 リースはミルク入りの甘いコーヒーに口をつけた。 「美味いか?」 「悪くない」 「そっか」 俺はタオルで頭を拭く。 ……。 みんなが出かけているせいで、家のクーラーは全部切られていた。 それがかえって良かった。 濡れた状態でクーラーに晒されれば、すぐに風邪を引いてしまう。 「リースは、もう拭いたか?」 「拭いた」 「どれ……」 見ると、長い髪からはまだ雫が落ちていた。 「ちゃんと拭いてないだろ」 「ほら、拭いてあげるから頭出して」 「……うん」 リースが斜め後ろを向く。 「よしよし」 リースの背中に垂れた美しい金髪。 しっとりと濡れて、いつもとは違う美しさがあった。 毛先から、叩くように水気を取っていく。 「リースの髪は綺麗だな」 「知らない」 「他に、こんな綺麗な人はいないだろ?」 「考えたことない」 そういえば、リースは誰に髪を切ってもらっているのだろう?彼女が美容室に行っている姿は想像しにくい。 教団の人に切ってもらっているのだろうか?そんなことを考えながら、リースの髪を拭いていく。 「もういい」 そう言って、リースはコーヒーカップをテーブルに置いた。 「まだ半分だぞ」 「いいから大人しくしてろって」 俺は髪を拭き続ける。 ふと、リースの髪から立ち上る匂いに気がついた。 なんだろう……?いい匂いであることは間違いないのだが、花や石鹸のような香りではない。 甘いお香のような、複雑な匂いだった。 「リースの髪、いい匂いがするな」 「分からない」 「甘い匂いだ」 俺は、髪を持ち上げ顔に当てる。 息を吸うと、甘い香りが体中に染み渡っていくような気がした。 「……何を、するの」 戸惑っているような声。 「あっ」 慌てて髪を離した。 「ご、ごめん、つい……」 何をやっているんだ俺は。 女の子の髪の匂いを直接嗅ぐなんて……それじゃまるで──……。 「拭いて」 「え?」 「……あ、ああ」 リースの言葉に従い、髪を拭き続ける。 とくんとくん……胸が高鳴っている。 変なことを考えたせいか……?……違う。 俺はリースが好き。 それは、前から分かっていることだ。 ……。 「リース、痛くないか?」 「平気」 リースの髪に触れる手が、かすかに震えている。 ……。 ……俺は──興奮しているんだ。 リースの髪に触れ、匂いを吸い込み──性的に昂ぶっているのだ。 ……。 髪を拭く手を止める。 「……リース」 「何?」 ……。 …………。 好きだ、とは言えなかった。 リースは俺を好ましく思っていてもそうでなくても──彼女は俺の想いに応えることはできない。 リースには使命がある。 重い使命が。 ……。 今ここで気持ちを告げても、俺だけが楽になるだけ──リースには苦悩が増えるだけだ。 フィアッカから事情を聞いた今、俺から想いを口にすることはできない。 ……。 「いや……何でもないよ」 そう言って、俺は顔をリースの首筋にうずめた。 嫌がられたらそれでいい。 ゴロゴロゴロッ遠くで雷鳴がなった。 ザァーーーー強い雨の音が家を包む。 ……。 …………。 「また、雨」 「……ああ」 リースは拒絶しない。 ……。 …………。 しっとりと濡れたリースの服。 夏とは言え、まだ生乾きだ。 むっ、としたリースの香気が鼻腔を満たす。 髪と同じく、甘い複雑な香り。 ……。 「リース……」 つぶやくように言った。 ……。 …………。 「ワタシが……応えられることは……少ない」 ぽつり、と言う。 ……。 「リースを責めはしないさ」 ……。 …………。 「……いい香りがする」 「少ないけれど……」 リースの長い髪を掻き上げ、首筋を露出させる。 彼女は外を見ていた。 窓を雨が叩き、波紋のブラインドができている。 ……。 「できることなら、タツヤ……」 「もういいから」 俺は首筋に唇を這わせる。 「っ……」 リースの体がぴくりと震えた。 ……。 …………。 「なら……もう、話すことはない」 リースがかすかに笑ったような気がした。 ……。 バチバチバチッ……一際強く、雨が窓を叩いた。 ……。 俺は両手をリースの体に回す。 前のボタンを外しながら、少しずつ体重をかけた。 ……。 服の前を開き、キャミソールをたくし上げる。 「……ん……」 恥ずかしそうに、リースが眉根にシワを寄せた。 隆起のない胸部。 ぽちっとした乳首だけが、ほとんど唯一の凹凸だ。 「可愛いな、リース」 平坦な乳房に手のひらを当て、優しく揺する。 「……ぁ……ぅ……」 喉の奥からかすれた声が聞こえた。 「痛かったら、教えて」 「……うん」 乳房への愛撫を続けながら、指先で乳輪をなぞる。 「っ……っ……」 リースの体が震えた。 「服、まだ濡れてるな」 「……仕方無い」 リースは夏とも思えないほどの厚着だ。 乾くのが遅いのは、彼女の言う通り仕方がない。 「風邪ひくから……脱がすぞ」 リースの返事を待たず、靴下に手をかける。 「……」 リースが不安そうに俺を見た。 「大丈夫……」 ……。 右、左、と靴下を取った。 ……。 ほっそりとした白い脚が現れた。 いつも長いスカートを着用しているリース。 その白さは、まさに白磁のようだ。 「すごく綺麗だ」 俺は、左手を再び胸に伸ばし、右手では足首からふくらはぎまでを優しく撫でる。 「っ……くすぐった、い」 リースがゆらゆらと体を動かす。 俺は脚を撫でていた手を徐々に上げ、ドロワーズに包まれた太腿まで持っていく。 「ぁ……ぁ……ぁ……」 脚がぴくぴくと痙攣する。 くすぐったいのとは違う反応だ。 俺は内股に手を入れ、何度も上下させる。 「う……ぁ……」 リースが何かを堪えるように体に力を入れる。 胸に当てていた手に、乳首が触れた。 「っっ!」 そこは、既に固くなっている。 さすがに刺激が強いようで、リースは体を強張らせた。 「ちょっと痛かったか……ごめんな」 「ぅ……気にしないで」 胸への愛撫をやめ、両手をお尻にまで持っていく。 「あ……」 まだ肉の薄いそこは、成熟した女性のものとは言えなかった。 ふくらみを手のひらに収め、ゆっくりを縁を描くように愛撫する。 「ぅん……ん……」 リースの声が少し鼻に掛かり始めた。 「これ、取るから」 ドロワーズをゆっくりと引き下ろしていく。 「ぁ……ぅ……」 ……。 薄いピンクの下着が露になる。 可愛らしいパンツだ。 「……ぁぁ……」 「可愛らしい下着つけてるな」 脚の付け根には、ふっくらとした盛り上がりがある。 ここに触れるには、まだ早そうだ。 俺は、再び両手をお尻に伸ばす。 「ん……ん……」 リースが穏やかに喘ぐ。 小さなお尻とはいえ、その柔らかさは男の比ではない。 指に吸い付くようにフィットしてくる。 「どうだ、痛くないか?」 「ぅ……ぁ……平気……」 「リースのお尻、柔らかくて気持ちいいよ」 「ぅぅ……」 恥ずかしそうに顔を伏せるリース。 可愛らしい姿に胸が熱くなる。 「そろそろ、こっち行くよ」 右手の人差し指を、股間の空間に差し入れていく。 「ぁ……ぁ……あぁ……」 ぴとり、と指全体を割れ目に沿わせた。 両側の肉厚な部分がしっとりと指を包む。 「あう……ぁ……ぁ」 痛くしないように、ゆっくりと指を前後させていく。 「ん……あぁ……ぁ……」 くちゅ……わずかに水っぽい音が聞こえた。 ……濡れてる、のか?下着をはいたままでは分からない。 「リース、パンツ脱がすぞ」 「あ……う……だめ……」 「怖がらないで、大丈夫だから」 「う……タツヤ……」 リースの表情が少し緩む。 下着のサイドに指を掛けた。 ……。 「……いや……」 性器が露になる。 ふっくらとした肉の間の切れ目。 恐らく膣口があるであろう部分は、かすかに水気で光っていた。 ここに何かを入れるなんて、知っていなければ考え付かないだろう。 ……。 「リース綺麗だよ」 その部分に指を伸ばしながら言う。 「ぁ……見ないで…………あぁっ……」 指先が触れた瞬間、リースの体が跳ねた。 さすがに敏感だ。 「優しくするから、心配しないで」 リースを抱きしめながら囁く。 「……ん」 「このくらいでどう?」 触れるか触れないかの力で、指を動かす。 「あう……平気……」 「分かった、このくらいな」 「うん……ぁ……ぅ……はあぁ……」 ため息を漏らす。 「ぁ……ぅ……ぅ……」 指で触れ、なぞるだけ。 たったそれだけの愛撫で、リースは腰を震わす。 「気持ちいいのか?」 「し、知らない……ぁ、ぁ……」 「……ぁ……ぅ……っ」 くちゅ……くちっ……粘り気のある音が聞こえた。 目を遣ると、割れ目がしっとりと濡れていた。 「リース、濡れてきてる」 「……んんっ」 俺の言葉を否定するようにリースが首を振る。 「可愛いな、リースは……」 リースが俺の指で感じてくれている。 その事実は、俺を驚くほど興奮させた。 ズボンの中でペニスがむくむくと起き上がる。 ……。 そろそろ……かな。 俺はベルトを外し、ズボンとパンツを脱ぎ捨てる。 「ぁ……ぅ……タツヤ……」 リースがチラリと俺を見る。 そして、視線を股間のモノに移した。 「……っっ」 リースが息を飲んだ。 恐らく、初めて目の当たりにしたのだろう。 「リース、怖いか?」 「……ぅ」 かすかに頷く。 「優しくするから」 俺はリースを後ろから抱く。 「タツヤ……」 「触ってごらん、平気だから」 「……ぅ……ぁ」 こわごわとリースが手を伸ばす。 ぴとリースの手が亀頭に触れた。 「……っ」 思わず声が漏れそうになる。 俺も誰かに触られるのは初めてだ。 けど、ここで声を出したら、リースを驚かせてしまう。 「……固い」 「な、怖くないだろ?」 リースの小さな手が、俺のペニスを何度も握っては放す。 俺も、リースの秘所を指でなぞった。 ぴちゅ……くち……にちっ……「あ……うっ……ぁ……」 さっきよりも濡れている気がする。 触ってもらって良かった。 「さ、そろそろ……」 「……うん」 リースがペニスから手を放す。 先端からは、リースの愛撫で先走りが漏れていた。 それを亀頭にまぶす。 今まで見たこともないほど、肉棒は硬直している。 「行くよ」 右手でペニスを膣口に導く。 二つの性器を並べてみて、そのサイズ比に驚く。 果たしてこんなところに入るのだろうか。 「……ん」 リースが腰をもぞもぞと動かす。 割れ目が少し開き、蜜が光った。 ……。 それで俺の抵抗が削り取られた。 「リース……」 ぴちゅ……「ぁ……」 亀頭を押し当てる。 固い抵抗。 みり……「あっ、うっ」 ゆっくりと──センチ刻みで腰を前進させる。 「あうっ! あ、あ」 リースが背中を仰け反らせる。 想像以上にきつい。 ようやく亀頭の半分が埋まったところで体を止める。 「リース、一度深呼吸しようか」 「あ……う……」 「すぅ……はぁ……ほら」 「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……」 深呼吸と言うには浅い。 だが、膣はわずかに緩んだ。 「続けるよ」 また、腰を進める。 みち……くち……「う……あ……あ……」 ズブズブとペニスが侵入していく。 「あうっ!!」 一際狭くなった部分に到着する。 その狭さは、壁にぶつかったのと大差ない。 「あ……う……」 「行くぞ」 リースの腰をしっかり支え、腰を突き出す。 「ああっ……っっっ!!」 ペニスが純潔の証を破った。 全身を硬直させ、ピクピクと痙攣するリース。 「リース……」 俺はリースを抱き、何度も頭を撫でる。 「タ、タツヤ……」 「大丈夫か?」 「……痛い」 ストレートな答えだった。 「よく頑張ったな」 更に頭を撫でる。 俺にできるのはそのくらいだった。 「……っっ……タツヤ……」 苦痛に眉をゆがませながら、リースが俺を見た。 苦痛、悲しみ、嬉しさ──複雑な表情すぎて、その真意を窺い知ることはできない。 「タツヤ……動く?」 「……いいのか?」 リースが静かに頷く。 膣内に入ったペニスは、先程から痛いほどに圧迫されていた。 痛みと、それを上回る快感が俺を包んでいる。 「じゃあ、動くぞ」 リースが、ぎゅっと目を瞑った。 俺は再びペニスを送り出す。 「うあ……あ……」 リースも少し慣れたのだろうか。 さっきよりは楽に奥まで挿れることができた。 「……んっ」 こつん、と終点に行き当たった。 強烈な締め付けが、ペニス全体を覆う。 腹筋に力を入れていないと、今にも射精しそうだ。 「くっ……入ったよ、リース」 「……う……ん」 リースの返事を聞いて、今度はゆっくりとペニスを引き出す。 ……。 にちっ……にゅちゅ……くち……「あっ……うっ……ひゃ」 リースの中からペニスが姿を現す。 てらてらと光るそれには、粘液と少しの血液がこびりついていた。 「行くぞ」 「ああっ……っっ……はあっ」 「んあっ、あ、あ、あ……」 リースの様子を見ながら、3度往復する。 ぎちぎちだった膣内にも潤滑油が出てきた。 俺は徐々に速度を上げながら腰を突き入れる。 「あうっ、やっ、んっ」 「あ、あ……うっ、んくっ、はあっ」 ぐちゅっ、にちゃっ、くちゅっ、ぴちゃっ「いっ、あっ、う、あんっ、ああっ、あうっ」 「うっ、うっ……くっ……ひゃんっ、ああぁっ」 腰を送る度に、ぬめりと圧迫が俺に快感を与える。 もう、いつ発射してもおかしくない状態だ。 「どうだ、リース?」 「へ、平気……もっと動いて」 薄っすらと涙を浮かべて言う。 「……分かった」 ……。 ぐちゅっ、ぴちゅっ……くちっ、ずちゅっ続けざまに腰を動かす。 結合部から愛液が垂れ、床に落ちていく。 「ああっ、うっ、ひゃっ……あうっ、うっ」 リースの声に、だんだん余裕が見えてきた。 少しずつ慣れてきている──そんな風に聞こえた。 「んあっ、あうっ、タツヤっ……やっ、いっ……あっ!」 ……。 膣内が、じゅわっと熱くなる。 「あんっ、あっ、あっ……くっ、ああっ、んっ」 「ひゃうっ……あ、あ、あ、あっ……んあっ」 リースの声に甘さが乗る。 もしかしたら、一緒に……なんてことも考えてしまう。 更に抽送のペースを上げていく。 「リース、気持ち良く……なれてるか?」 「うあっ……知ら、ない……わ、分からない」 「くっ、あんっ……やっ、やあっ、あ、あ、あ、あっ!」 その声は、彼女の中で快感が増していることを示していた。 腰の動きをランダムに変えていく。 真っ直ぐ、斜め、上下、左右──リースの狭い膣内のいろいろな場所を突付く。 「ひゃあっ、あ、当たるっ……あうっ、あっ、あああっ、んっ」 「タツヤっ、ああっ、タツヤっ……怖いっ、何か、波が……」 膣内の襞が、ざわざわと蠢き始めた。 圧力に加えてこの刺激はきつい。 「くっ……リース、俺、もう……」 「うあっ、あ、あ、あ……あうっ、タツヤっ、ああっ!」 「くうっ……あんっ、や、あ、あ、あっ……だめっ……あっ!」 リースの声がどんどん高くなる。 俺はリースの腰をしっかり掴んで、ペニスを打ちつけた。 「ああっ、当たるっ、奥っ……あっ、あ、あ、あ、あ、あっ」 「ひゃあっ、あっ、う、んんっ……ん、んっ……あああぁぁっ!」 「タツヤっ、タツヤっ……来るっ、波がっ、波がっ……」 「あああっ、あっ、うあっ、くっ……ひゃああんっ、ああっ、うあああっ!」 「あ、あ、あ、あ、あ、あ……タツヤあぁぁっ!!」 リースが小さな体を目いっぱい痙攣させた。 ぎゅっと膣内が縮まる。 「ああっ!」 俺は慌ててペニスを引き抜く。 それが、揺れるリースのお尻を叩き……びゅくっ!!どくんっ、どぴゅっ!どくどくっ、どくんっ、びゅくっ!!幾度となく精液を吐き出した。 「うあっ、あ、あ、あ……」 腰が抜けるような快感。 ペニスから噴き出した精液が、リースを汚していく。 「ぁ、ぁ……はぁ、はぁ、はぁ……あ、ぁ……」 リースは息も絶え絶えだ。 ……。 「リース、大丈夫か?」 「はぁ……はぁ……はぁ……う……」 「はぁ……はぁ……ああっ」 リースが身をよじる。 秘裂からは、濁った愛液と血が流れている。 「無理させちゃったな」 俺は持っていたタオルで、リースの性器を拭く。 ……。 「……ん……タ、タツヤ……あ……」 大きく肩を上下させながら、リースが俺の方を向く。 「ありがとう、リース」 「……うん」 リースの頭を撫でる。 「……ん……ん」 リースが気持ちよさそうに目を閉じた。 ……。 雨はまだ強い。 リビングには淫臭が満ちていた。 みんなが帰ってきた時、流石にこのままではまずい。 「リース」 リースの頬を優しく撫でる。 リースが目を開いた。 「……?」 「お風呂、入るか?」 「お風呂?」 「ああ、汗かいただろ?」 「俺もべたべただから」 「……入る」 「よし……服、脱いじゃおう」 俺は率先して服を脱ぐ。 どうせ下半身は露出していたのだ。 「……」 リースの目がペニスに注がれる。 「ん? どうした」 「小さくなった」 「ああ、男のはそういうもんさ」 「ふうん」 「ほら、リースも」 「分かった」 リースが精液でべとべとになった服を脱いでいく。 ……。 …………。 やがて、リースが全裸になった。 凹凸は少ないけど、肌には一点の曇りも無い。 ……将来は絶対美人になる。 俺はそう確信した。 「さ、行こう」 「うん」 脱いだ服を持って浴室に向かう。 ……。 「……くしゅんっ!」 「ははは、可愛いくしゃみだな」 「……仕方無い」 「自分で音を変えられないから」 「変えなくていいって」 「今のが似合ってるよ」 ……。 洗濯籠に衣服を放り込む。 リースの服についた精液は、見つけられる限りはティッシュで拭き取った。 「入ったら、体洗ってあげるからな」 「自分でする」 ぶすっとした表情で言った。 「遠慮するなって」 「してない」 「いいから、いいから」 体を重ねても、リースはいつもの調子だ。 全裸でいることも、あまり恥ずかしくないのかもしれない。 ……。 浴室に入るなり、俺はリースを抱え上げた。 「あ、放して」 「洗ってあげるって言っただろ」 ……。 タイルに座り、足の間にリースを収める。 「……む」 不機嫌そうにリースがうなった。 「さっき、頑張ってくれたお礼だって」 早速スポンジを泡立てる。 「最初は腕からな」 「痛かったら教えて」 俺はリースの腕を取る。 彼女の裸の腕は、ちょっと力を入れれば折れてしまいそうなほど細かった。 こし、こし、こし撫でるようにリースの腕を洗う。 「ん……」 「どうだ?」 「気持ち……いい」 どうやら、体を洗う気持ちよさはリースにも通じるようだ。 肩から二の腕、そして指の間まで丁寧に洗う。 「次はもう片方」 「うん」 素直に腕を出してくれた。 こし、こし、こし上から見下ろすリースの体。 本当に凹凸がない。 かすかに膨らんだ胸の先には、ちょこんと桜色の乳首。 その下は、柔らかそうなお腹を越え、そのまま局部。 さっきまで俺がペニスを入れていたところだ。 ……。 腕を洗いながら、リビングでの情事を思い起こす。 リースは小さな体をいっぱいに使って俺を受け入れてくれた。 最初は、大して口も利いてくれなかったリース。 それがこんな関係になれるなんて……。 ……。 「次は前な」 上から覆い被さるように腕を伸ばし、リースの鎖骨付近から洗っていく。 「こっちはいい」 「自分でする」 「いいって、ほら」 ……。 こし、こし、こし薄い胸を擦る。 泡がリースの体を覆った。 「んっ……」 スポンジが乳首に触れたとたん、リースがピクリと動いた。 「ごめん、痛かったか?」 「……へ、平気」 リースの可愛らしい反応に、いたずら心を刺激される。 ……。 俺は、乳首の周りをくすぐるように洗っていく。 「ん……あ、タツヤ……きちんと洗って」 「洗ってるよ……ほら」 スポンジをわざと乳首に触れさせる。 「あうっ……あ……」 素直な反応が返ってきた。 こし、こし、こし「う……あっ……や……」 「タツヤ……だめ……」 リースが体を揺り動かす。 その度に、挟まれた俺のペニスが刺激され、徐々に血が集まってきた。 「……」 リースが俯く。 どうやら固くなってきたのがバレてしまったようだ。 「ほら、大人しくして」 なおも胸を洗い続ける。 「や……あ、あ……んっ」 乳首が存在を主張し始めた。 ここからは流石にスポンジでは痛いだろう。 俺は、指先に石鹸をたっぷり付け、優しく乳首をこする。 「ひゃっ……あうっ、あ、あ……んっ」 リースの反応がだんだん良くなってきた。 胸がないからかは分からないが、どうやら乳首は弱いようだ。 ……よし。 指の先端を乳首に合わせ、ぷるぷると振動させる。 「ああっ……ぁ、ぁ、ぁ、ぁ……んっ、あっ」 「タツヤ、ああっ、うっ……だめ、そこはっ!」 リースの体が不規則に跳ねる。 だんだん息も荒くなってきた。 「も、もう……胸はやめて」 「……じゃあ」 と、手を下ろしていく。 目的地は足の付け根だ。 ……。 くちゅ……股間に右手をもぐりこませる。 「や、だめ」 「今度はこっち」 そこは既に、石鹸以外の液体が少し漏れていた。 「……まだ……うっ、っっ」 リースが少し痛そうにする。 「分かった、優しくするよ」 性器全体を手で覆い、ゆるゆると揺する。 「……ん……ん」 リースが喉を反らし、俺に後頭部を預ける。 気持ちいい……と見ていいのだろう。 「さっきはありがとう」 感謝の気持ちを口に出す。 これなら、力が入ることもないだろう。 「うん……あ、あ、あ……タツヤ……ん……」 「ぁ、ぁ……熱く……なって、くる……」 体をもぞもぞと動かすリース。 「気持ちいいか?」 「う……ん……いい……」 「良かった」 俺は、少しずつ力を込めながら、リースの割れ目をゆっくりとなぞった。 「あ、あぁ……うあ……んっ、ん、ん」 「ひゃぅ……ん、ん……あうっ……あっ」 リースの声が甘くなってきた。 「リース、気持ち良くなって」 「う……あっ……タツヤ……だめ、だめ」 急にリースが俺の手を押さえる。 「どうした?」 「だめ……触られていると……出て……」 「え?」 「出るから」 ……。 達するということではなさそうだ。 ということは……「……いいよ、お風呂なんだから」 俺は手を休めない。 「やっ……だめ、だめっ!」 「あっ、あうっ……タツヤ、だめっ……出るから、ああっ」 「だから、いいって」 手を小刻みに振動させる。 「あ、あ、あ、あ……だめ、だめ、だめ!」 「ああっ……あうっ、うっ……あ、あ、あ、あぁっっ!」 ぷしゅ手の内側に熱い感触。 俺は手を引いた。 ……。 ぷしゃああぁぁぁ……「ああっ……ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ……」 金色の液体が放物線を描いた。 「ぁ、ぁ……い……や……」 リースが恥ずかしそうに顔を伏せる。 それでも液体は勢い良く飛び出し続ける。 「う……あ……」 リースの体が羞恥で桜色に染まった。 そんなところまで可愛らしいと思ってしまい、俺はリースの頭を撫でた。 ……。 放物線が小さくなってきた。 ……。 それは放物線ですらなくなり──やがて止まった。 ……。 「あうっ」 リースの体がぴくりと震えた。 そして、放心して俺に頭を預けた。 「お疲れ様」 俺は、湯船からお湯を取りタイルの上に流す。 ……。 「タツヤ……嫌い」 ストレートに言われた。 むしろ気持ちいい。 「ごめんな……意地悪して」 「……知らない」 リースが拗ねた声を出す。 「リースは拗ねても可愛いな」 「……」 ぶすっとした表情は変わらない。 「リース、ごめん」 と、指先で乳首に触れる。 「んっ……あ……」 すぐに甘い声が出た。 高まりは、まだ続いているようだ。 すぐに手を局部へ運ぶ。 「あ……やっ……」 くちゅっと粘ついた音がした。 指を秘裂に沿わせ、ぷるぷる動かす。 「ひゃっ……あ、あ、あ……タツヤ、しつこ、い……」 「ああっ、あんっ……やっ……んっ、んっ」 鼻に掛かったリースの声に、俺の興奮も高まっていく。 俺たちに挟まれたペニスは、もうカチカチだ。 「んっ……タツヤの……固い……あうっ、ああっ」 「リース……いいか?」 「ふうっ……あ、うっ……う、ん……」 リースが頷く。 「じゃあ……」 俺はリースの脇に手を入れ、軽く持ち上げる。 「あ、あ……」 リースが身をよじらせた。 「動くと、ズレるから……ほら」 「う、うぅ……」 大人しくなったリースを下ろしていく。 リースは小さな手でペニス掴み、女性器に導いてくれた。 ……。 …………。 くちゅ……性器と性器が触れ合う。 「行くぞ」 ……。 じゅぷ……ずっ……ずっ……「あっ……くっ……ぁぁぁぁっ!」 ぴったりと閉じた性器を、ペニスが割り開いていく。 そのキツさに、思わず腰が浮く。 「くっ……すごい」 「う、あ……あ、あ、あ、あ……」 歯を食いしばり、リースを下ろす。 ずっ……じゅちゅ……こつん、と終点に行き着く。 待ちかねたように、リースの膣内がざわめいた。 「うあっ、あ……」 あっという間に達しそうになる。 「あう……タツヤ……」 リースが熱っぽい声を出す。 「今度は、どうだ?」 「痛い」 相変わらずストレートな回答。 「けど、熱い」 ちょっとおまけ付きだった。 「リース、動かすよ」 「うん」 返事を受け、俺は腰を揺すり始める。 「あう……うっ、あっ……」 「タツヤ……んっ、あっ、あっ」 リースの嬌声が浴室に反響する。 初めからある程度感じられているようだ。 「少し慣れた、リース?」 「んっ、すこ……し……あうっ」 「あんっ……あ、あ、あ……んっ、んあっ」 リースの言葉に安心して、俺は腰の動きを早める。 腰に乗ったリースを跳ね上げるように、上へと突き上げた。 くちっ、じゅっ、くちゃっ、にちゃっ……リズム良く、リースの体が浮き上がる。 「あっ、あっ、んっ、あっ」 「タツヤっ、奥にっ、当たるっ、あっ、あうっ!」 リースの喘ぎと、腰の動きが揃ってきた。 突き上げる度に、きゅっきゅと膣内がペニスを締め上げる。 「リース……締まってる」 「すご……いぞ」 「うっ……タツヤ、タツヤも、良くなって……欲しい」 「あんっ……あ、あ、あ、あ……ひゃあっ、あうっ、んんっ」 良くなって欲しい、とリースが言ってくれた。 「欲しい」 という言葉が、彼女の口から発されたこと。 そこに、俺は大きな満足感を覚えた。 「ああ……良くなってる」 「すぐ、我慢できなくなりそうだ」 「ひゃあっ……うんっ……ああっ、んっ、あっ」 「良く、良く、なって……あうっあ、あ、あ、あっ!」 リースの腰が前後に動き出す。 恐らく無意識の動きなのだろう。 まだ2回目だというのに、リースが頑張ってくれている。 そのことに、胸が熱くなった。 「俺だけじゃなくて……リースも……」 ……。 手を前に持っていき、乳首を探る。 リースが弱いといっていた部分だ。 「……あ、あ、あ、あ、ひゃああっ!」 乳首に触れた瞬間、リースの声が跳ね上がった。 手全体で胸を包み、手のひらの真ん中に乳首を置く。 これなら、どんなに動いても乳首を刺激できる。 「あんっ、やあっ、そこっ……あっ、あっ、あっ!」 「タツヤっ、やっ、やっ、ピリピリしてっ……あああっ!」 声に合わせて、膣内に愛液が分泌される。 ぬちゅ、くちゃ、ぐちゅっ、じゅじゅっ……膣内の吸い付きが強くなった。 「リース、もう……く」 「ああっ、ひゃんっ……んっ、んっ、っっ」 「いいっ、タツヤもっ、出し、て……ああぁっ!」 「リースは、ま、まだ」 「ワタシもっ、もうっ、もうっ、もうっ!」 最後の力を振り絞って腰を振る。 体を打ち合わせる高い音が、浴室を震わせた。 「ひゃあっ……あっ、んっ、んっ、んっ、んっ」 「タツヤ、もうっ、だめっ……ワタシっ、ああっ、あっ」 「また、波が……波が、来てっ……あ、あ、あ、あ……んあぁっ!」 「タツヤっ、タツヤっ、タツヤっ……だめっ、あっ、あっ、あっ、あっ!!」 「うあっ、あ、あ、あ……やああぁぁぁぁぁぁっっ!」 俺より先に、リースが絶頂を迎える。 膣内が強烈に締まった。 「出るっ!」 どくんっ!!びゅくっ、びゅくっ……どくっ!びゅびゅびゅっ、どぴゅっ、ぶぴゅっ!全身を痙攣させているリースの膣内に、思い切り精液をぶちまけた。 「あっ、あっ……出て、出て……あ、あああぁぁぁっ!」 更なる高みへリースが導かれ、俺を吸い上げる。 「うあっ!」 どぴゅっ!どくどくっ! びゅっっ!ペニスが痛いほど痙攣し、2度3度と精子を吐き出す。 めくるめく絶頂に気が遠くなった。 ……。 リースは彫像のように俺の上で固まり、幾度となく体を震わせる。 「ぁ……ぁ……ぁ……」 彼女を絶頂に導けたことを嬉しく思うと同時に、安心した。 ……。 リースより一足速く、俺が脱力した。 ……。 リースが、くたりと俺に身を預ける。 膣内の締め付けも和らぐ。 こぽっ……疲れ果てたペニスがリースから抜け、俺たちの混合液が漏れた。 ようやく、膣内に出してしまったことを実感した。 ……。 「はぁ……う……あ……はぁ……タツ、ヤ……」 切れ切れな声が漏れる。 「……大丈夫か?」 「はぁ、はぁ……わから、ない……はぁ……」 「波が……来たら、白く、なって……はぁ、はぁ」 リースが絶頂をそう表現した。 俺とは、ずいぶん違う。 でも今は、言わなくてはならないことがある。 「リース……俺、膣内に……」 「うん……」 リースが性器に手を遣り、溢れた精液に触れた。 「ごめん」 頭を下げる。 ……。 「大丈夫、今日は妊娠しない」 根拠は分からないが、リースはそう言った。 「でも……もしものことがあったら、責任取るよ」 「リースに使命があるなら……俺だけで育ててもいい」 ……。 「……そう」 リースが少し嬉しそうに言った。 「ああ」 俺はリースの頭を慈しむように撫でた。 ……。 ふと、フィアッカの言っていたことを思い出した。 リースが自分に執着を持てば、状況は良くなるかもしれない──彼女はそう言っていた。 ……。 こういう行為の最中とは言え、リースは少し欲求を持つようになってきた気がする。 もしフィアッカの言っていることが本当なら──こういう関係を続けることで、もしかしたら快方に向かってくれるかもしれない。 そんな考えが、俺の気持ちを軽くした。 ……。 「さ、今度こそ体を洗うか」 俺はスポンジを手に取る。 「自分で洗う」 そっけなく言われた。 「頑張ってくれたお礼だって」 「さっきも同じこと言った」 「いいから、いいから」 ぶすっとした表情のリース。 俺は、また彼女の腕から体を洗い始めた。 ……。 入浴を終え、お互いに服を着る。 「もう乾いたか?」 「大体」 「良かった」 リースは、鏡に向かい服装を整える。 「リビングでお茶でも飲もうか」 「うん」 ……。 前を行くリースは、ひょこひょこと歩いている。 どうも足の付け根が痛むようだ。 「痛いのか?」 「少し」 「無理させちゃったな」 「別にいい」 「分かっていたこと」 静かに言って、リースは先に進んでいく。 その後姿が、どことなく寂しげに見える。 ……。 好きとすら言えていない自分を、リースは受け入れてくれた。 彼女は俺をどう思っているのだろうか?体を任せたのだから、憎からず思ってくれてはいるのだろう。 けれど、行為の最中も後も、リースは何も言わなかった。 ……。 胸の中が不安で揺れる。 だが、リースに聞くわけにはいかない。 彼女だって、俺が一時的な衝動で体を求めたとは思っていないだろう。 その上で何も言わないのなら、言わないなりの理由があるはずだ。 ……。 いつもより甘く作ったコーヒーを持ってリビングに入る。 部屋に満ちていた情事の痕跡は、もう無くなっていた。 「はい、コーヒー」 「……うん」 リースがマグカップを受け取る。 俺はリースの隣に腰を下ろした。 「……甘い」 マグカップに口をつけてリースが言う。 「美味いか?」 「悪くない」 「そう……」 リースはぼんやりと外を眺めている。 ……。 「体の調子はどうだ?」 「いや、意識が途切れる方の話な」 ……。 リースが少し考える。 「改善してる気がする」 「実際のところは分からない」 恋をすれば、調子が良くなるかもしれない──フィアッカの言ったことは当たっていたのだろうか。 「治るといいな」 「……うん」 視線を伏せてリースが言う。 ……。 胸が落ち着かない。 どこからか、何かが迫っている気がした。 静かに、でも確実に近付いている。 気づいた時には取り囲まれ、どうしようも無くなってしまう──そんな何かが近付いている気がする。 ……でもそれが何なのか分からない。 ……。 「ただいま~」 「ただ今戻りました」 「ごめんなさい遅くなってしまって」 「夏の夕立には注意ですね」 賑やかに家族が帰ってきた。 家の空気が急に華やかになる。 もう、二人きりの時間も終わりだ。 「リース、一つだけ聞いていいか?」 「……何?」 「後悔……してるか?」 ……。 …………。 リースがじっと俺を見た。 静かな大人びた瞳。 ……。 …………。 「達哉と同じ」 「え?」 「ワタシの気持ちは、タツヤと同じ……きっと」 そしてリースは、かすかに笑った。 ……。 リビングに家族が入ってきた。 朝。 食卓で俺を向かえた家族は、揃って心配そうな顔つきだった。 「おはよう……どうしたの?」 「達哉くん、リースちゃんを知らない?」 「え、何の話?」 「朝起きたら、いなくなっていたの」 「……え?」 ……。 …………。 頭が真っ白になった。 ……。 …………。 「そんな……」 「どこかへ、散歩に出たのなら良いのだけれど」 「うん……」 「でも何か、嫌な感じがするの」 麻衣の言葉に、みんなが暗い表情になる。 「昨夜はいつも通りにしていたのに、一体……」 ……。 昨夜リースは、夕食を食べた後、いつも通り姉さんの部屋で寝た。 それから朝までに、リースはどこかへ行ったということだ。 ……。 「何か心当たりはない?」 姉さんの声が遠く聞こえる。 ……。 「い、いや、特には……」 昨日のことを口にするには、まだ早い。 ただ、散歩に出ただけかもしれないのだ。 「待ちましょう」 「リースちゃんのことだもの、きっと帰って来るわ」 「そ、そうだね」 自分を鼓舞するように、麻衣が答える。 「じゃあ、私は仕事に行きます」 「いつリースちゃんが帰ってきてもいいように、シャキッとね」 「うん」 「分かりました」 「ええ」 「いってらっしゃい」 自分の声がどこから出ているのか分からない。 「達哉くんがしっかりしなくてどうするの、男の子でしょ」 姉さんが俺の髪を、くしゃっと撫でる。 「……ごめん」 「では、行ってきます」 ……。 …………。 「達哉さん、朝食をご用意しますね」 「……」 「お兄ちゃんっ」 「……あ、ごめん……何?」 「朝食をご用意しますが……」 「あ、ああ……パンでお願い」 「はい、かしこまりました」 ……。 味が分からないままに朝食を済ませ、部屋に入る。 もちろんリースの姿は無い。 ……。 結果は分かっているのに、何度も部屋を見回す。 ……。 …………。 「……?」 ふと、机の上に見慣れないものを見つけた。 ……。 草で編んだ輪っかだった。 昨日、リースからもらったものだ。 リースの言葉が頭をよぎる。 ……。 「ごほうび」 ……。 なぜ、あそこで「ごほうび」 という言葉を使ったのか──……。 なぜ、俺に抱かれたのか……。 ……。 それは──俺たちの関係を締めくくるためだったのではないか。 ……。 …………。 この瞬間、全部腑に落ちた。 ……。 …………。 リースはもう──帰ってこない。 だから昨日は、あんなに楽しそうにしてくれたのだ。 あのピクニックを、最後にすると決めていたから……。 ……。 …………。 ………………。 胸が壊れる音が聞こえた。 ……。 「うわああああぁぁぁぁぁっ!!」 絶叫した。 枕に顔をうずめ、何度も何度も声を絞り出す。 何度も、……何度も、…………何度も、酸欠で頭が真っ白になるまで、俺は絶叫した。 ……。 …………。 その日。 リースは、朝霧家から姿を消した。 俺を含め、誰一人として彼女の背中を見た者はいなかった。 ……。 今思えば、リースには昨日を最後と決めていたフシがあった。 機嫌が良かったり、心境を語ったり、お礼をしてくれたり、肌を重ねたり……。 考えれば考えるほど、そうとしか思えない。 ……。 恐らくリースは、復調を確認し、使命の為に出て行ったのだ。 決して、猫みたいに──死に際を飼い主に見られないよう、ひっそりと出て行ったのではない。 そう信じたかった。 ……。 夕食後のリビングに、重い空気が流れている。 時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。 「みんな、そろそろ休んだら」 姉さんが言う。 「まだ大丈夫」 「わたしもです」 二人が、とろんとした表情で言う。 時刻は午前3時を回っている。 「私は大丈夫よ」 フィーナは毅然としている。 流石だ。 俺はといえば、一日中意識にもやがかかっている感じ。 寝ているのか起きているのかも怪しい。 「お姉ちゃんからのお願い」 「みんな休んで」 姉さんが全員を見回す。 ……。 …………。 「分かったわ」 フィーナが初めに了承した。 続けて、麻衣、ミアと頷く。 「分かった」 「姉さんは?」 「私もすぐに寝るわ」 そう言って笑う。 嘘なんだろうな……。 それはすぐに分かった。 姉さんはリースを可愛がっていた。 それに、家族を人一倍大切にする人だ。 きっと今夜はここで寝るのだろう。 ……。 それを止めるのは難しい。 「分かった……お休み」 それぞれ挨拶をして、部屋に戻る。 ……。 月明かりに浮かぶ部屋。 リースの匂いが残っている気がして、眠気など起こらなかった。 俺はベッドに腰をおろし、リースが残してくれた「ごほうび」 を弄ぶ。 ……。 リースは、今ごろどうしているだろうか。 また気を失ってはいないだろうか。 ……。 「ごほうび」 を鼻に当て、息を吸う。 ……。 今日一日で、草の香りもだいぶ抜けていた。 そのくせ、鼻がツンとして涙が零れた。 コンコンドアが控えめにノックされた。 俺は慌てて目を拭う。 ……。 「ど、どうぞ」 がちゃ……。 「悪いわね、こんな時間に」 「い、いや」 「大丈夫?」 フィーナが心配そうに聞いてくる。 「……まだ、よく分からない」 「……」 「達哉は、本当にリースのことを」 ……。 …………「……好きだったよ」 「もちろん、今でも」 はっきりと言った。 「そう……」 「人を強く思えることは、幸せなことだわ」 フィーナが、かすかに笑った。 「……ありがとう」 フィーナの言葉が、緩やかに俺の胸に染み込んだ。 ……。 …………。 フィーナが窓の外に目を遣る。 「ついさっき、カレンから電話があったの」 「??」 「カレンが、リースの手配に踏み切ったそうよ」 「容疑は密航ですって」 「密航?」 「地球にいる月人の情報は大使館が全て管理しているわ」 「その名簿にリースの名前がなかったの」 「つまり、正規のルート以外で地球に来たということね」 「それで、見つかったのか?」 「一度目撃したらしいわ」 「空へ逃げてしまったらしいけれど」 「そ、空!?」 リースが空を飛んで逃げる?「それもロストテクノロジーなのか」 「恐らくは」 「空は飛ぶ、姿は消すでは、カレンもお手上げでしょうね」 ……。 痛快だ。 リースがカレンさんをキリキリ舞いさせているなんて。 「ははははっ」 思わず笑いがこみ上げる。 「達哉」 「カレンが困っているのに、笑うなんて」 「す、すまん……」 「しかしリースが、あのカレンさんを」 「カレンも魔法使いが相手なんて……かわいそう」 フィーナも笑った。 「あと、もう一点」 「今回、さやかはリースを警察から一時的に預かる形を取ったようね」 「それを逃がしたことになるけれど……」 「もしかして、何か罪を?」 「その辺はカレンが処理してくれるそうよ」 「月からの密航者がいたとあっては、王家の面子が潰れますから」 憮然とした表情でフィーナが言った。 「ありがとう」 「いろいろと気を遣ってくれて」 「いいのよ、家族なのだから」 「……ああ」 「誰も一人で生きているわけではないわ」 「達哉だって、リースにそれを教えたかったのでしょう?」 フィーナが、じっと俺の目を見る。 ……。 「そうだな」 ……。 だから初めは、リースに頼って欲しくて、いろいろ言ったものだ。 でも、途中で変わった。 心配してくれる人、想ってくれる人がいることを──自分が、たくさんの想いの中で生きていることを──責務を果たすため、これからも一人で生きていくリースに知って欲しかった。 そうすれば……きっとリースは、今までより強く生きていける。 ……。 「達哉、何を持っているのかしら?」 リースからもらった「ごほうび」 を見て、フィーナが言う。 「これか……」 「リースがくれたんだ、ピクニックのご褒美に」 ……。 「そう、いいものをもらったわね」 フィーナが意味ありげに頷く。 「何か特別なものなのか?」 「ええ、教団に伝わるお守りよ」 「その人が、ずっと健康であるよう願いを込めて渡すの」 ……。 「普通は恋人にね」 去り際、フィーナはそう言い残した。 ……。 ぱたんドアが閉まる。 ……。 …………。 「……リース……」 額にお守りを押し当てる。 すぐに涙が溢れた。 際限も無く、ただ涙が零れ落ちた。 ……。 その場に膝を着く。 ぱたぱたと音を立て、雫が床にはじける。 そんな音を聞きながら、俺はいつまでもお守りを額に当て続けた。 リースが姿を消して一週間が経過した。 今のところ、リースがカレンさんに捕まったという情報は無い。 リースからもらったお守りは、部屋の壁に掛けた。 どこからかリースが見守ってくれている気がして、心強い。 ……。 離れていても、想ってくれる人がいる──誰に対しても心を開かず、ぶっきらぼうだったリース。 そんな彼女が、想いを形にしてくれたのだ。 それだけで、俺は自分のしたことに自信が持てた。 夕食を終え、部屋に戻る。 「??」 机の上に何か置いてある。 自分が置いたものではない。 何だろう?……。 白い便箋だった。 『7月31日 夜11時公園のモニュメントから南へ20歩3度手を叩く』……。 訳が分からない。 宝捜しかなんかか?大体、もう30分前だし。 ……。 …………。 「もしかして」 ばたんっ「わあっ!」 階段を上がってきた麻衣とぶつかりそうになる。 「悪いっ」 「お兄ちゃん、どこ行くのっ!?」 「ちょっと出てくる」 言いながら靴を履く。 「ちょっとって、もう遅いよ」 「大丈夫……じゃっ」 「もー」 あの手紙はリースからのものだ。 俺は、根拠も無く確信していた。 ……。 切れる息を無視して、全速力で公園へ向かう。 リースと手をつないで上った階段を駆け上がり──モニュメントの下に到着した。 「はあっ、はあっ、はあっ……」 芝生に仰向けになる。 頭も胸も、脚も腕も痛くて、しばらく身動きが取れなかった。 ……。 …………。 携帯の時計を見る。 10時55分。 約束の時間より、5分早く着くことができた。 ……。 ポケットから白い便箋を取り出す。 汗でくしゃくしゃになっていた。 にじみかけた文字を読み取る。 ……。 「モニュメントから南へ20歩」 モニュメントはすぐ分かる。 目の前に建っている、変な形をした塔だ。 とりあえず、モニュメントの下に立つ。 そこから南へ20歩。 「南」 が問題だ。 大体の南は分かるが、南南西と南の区別がつくほど正確には分からない。 とにかく歩いてみよう。 何か分かるかもしれない。 「1」 歩数を口に出して歩く。 ……。 …………。 「20」 足元を見る。 ……。 草しかなかった。 空にも何も見当たらない。 ……。 もしかしたら、正確な南ではなかったのかもしれない。 目印となるよう土を少し掘り返し、元の位置に戻る。 ……。 少し角度を変えて20歩進む。 ……。 …………。 何も無い。 目印をつけ、また戻る。 また、角度を変えて20歩進む。 ……。 …………。 何も無い。 約束の時間は、あと2分と迫っていた。 何か方法を考えないと……。 ……。 ずっとこの調査を続ければ、俺がつけた目印は円を描く。 なら、円周に当たる場所を歩いていけば手間が省ける。 「よし」 俺は、ほかの目印の方向へ歩き出す。 ……。 …………。 「??」 地面に、短い棒が刺してあった。 人差し指ほどの長さだ。 注意していなければ見落としてしまっただろう。 ……。 ふと、思い当たることがあった。 ここは──ピクニックに来た時、リースが草をいじっていた場所。 ……。 何かあるとしたら、きっとここだ。 時間を確認する。 約束の時間まで、あと32秒……31秒……30秒……心を決め、手を打つ準備をした。 ……。 20秒…………。 …………。 10秒…………。 …………。 54321手を3回鳴らした。 ……。 …………。 ヴン…………。 足元から低い電子音がした。 「な、何だ?」 その場所から飛びのこうとした瞬間、体が浮いた。 「っ!?」 どこからも力を加えられていないのに──。 ごく当たり前のように、体が30センチほど浮いていた。 エレベーターで上昇するような感覚も無い。 「お、おいっ、嘘……だろ……」 徐々に、俺の体が地面から離れていく。 鳥肌が立った。 ……。 50センチ1メートル3メートル10メートルもう、落ちたらただじゃ済まない高さだ。 「うあ……ぁ……ぁ……」 どうする?どうしたらいいんだ?何も分からない。 何も考えられない。 とにかく、下を見ていたら怖くて気を失ってしまいそうだ。 恐怖で凍りついた首を上に向ける。 星を見る。 星なら、数キロ上昇したところで見える大きさは変わらない。 自分が移動しているのに気づかなくて済む。 少し、恐怖が薄くなった。 ……。 …………。 強い風が吹き始めた。 俺はもう、全身の感覚が鈍くなってぼんやりとしていた。 一体どのくらいの高さまで来たのだろうか。 ……。 下を見そうになる自分を、ぎりぎりのところでとどめる。 だめだ、見たらきっと俺は……。 思い切って目をつぶることにした。 ……。 これはリースが仕掛けたものなのだろうか。 とすると、これがロストテクノロジー……?……。 そう言えば、フィーナも人が飛ぶのを見たことがあると言っていた。 リースだって、カレンさんから飛んだり消えたりして逃げてるらしい。 ……。 そうだ。 きっとこれは、そんなにひどいことじゃない。 そう思うことにした。 ……。 …………。 風の音が一層強くなった。 「タツヤ」 もう、何キロも上昇しているのかもしれない。 「タツヤ」 変な声まで聞こえてきた。 「目を開けて」 ……。 …………。 リースの声だ。 リースが俺を呼んでいる。 ……。 ゆっくりと目を開いた。 艶やかな金髪が、強い風に流れていた。 人形のように、白く整った顔。 エメラルドの瞳。 薄紅色の唇。 ……。 3メートルほど向こうに、リースが浮いている。 とっさに言葉が出ず、俺は呆然と彼女の姿を見つめた。 ……。 …………。 「もう会えないと思ってた」 ……。 …………。 「……うん」 「どうして俺をここに呼んだんだ?」 リースが目を伏せる。 「……謝りたかった」 「何を?」 「突然出て行ったこと」 「心配をかけたこと」 ……。 「そっか」 「でも、仕方無かったんだろ?」 ……。 …………。 「うん」 リースが頷く。 「怒ってる?」 ……。 怒ってなどいない。 リースが出て行った日は、自分でも驚くくらい泣いたけど──彼女を責める気にはなれなかった。 「ごめん」 ……。 …………。 「いいんだ」 「こうやって、元気なところを見せてもらえたから」 「……タツヤ」 リースが目を細める。 ……。 「調子はどうだ?」 「戻った」 「タツヤがあの人と話したこと、思い出せる」 フィアッカと知識を共有できるようになったのだろう。 「じゃあ、またフィアッカと一つになったんだな?」 「うん」 「良かった」 「……うん」 リースが寂しそうに声のトーンを落とす。 ……。 そもそもリースがうちに来たのは、突然気を失うようになったからだ。 しかし、フィアッカと融合を果たした今、彼女はもう気を失わない。 つまり、リースは使命を果たさねばならなくなったのだ。 仕方の無いこととは言え、少し悲しい仕組み。 「そう言えば、どうしてこんなやり方で俺を呼んだんだ?」 「下は騒がしい」 ……。 そう言えば、リースは手配されているのだった。 「逃げられるのか?」 「平気」 「なら大丈夫だな」 「うん」 ……。 それっきり、リースは口を閉ざしてしまった。 ……。 …………。 リースの小さな体が、強風に揺れている。 とても儚げな姿。 今にも折れてしまうそうだ。 いたたまれなくなって、俺は一歩踏み出す。 ……。 リースが首を振った。 「来ないで」 「1メートル以上出ると落ちる」 ……。 リースは嘘をついている。 そんな気がした。 俺に触れれば、再び旅立つことができなくなる。 リースはそう考えているのだと思う。 ……。 俺は踏み出した足を、ゆっくりと戻す。 「リースはこれからどうするんだ?」 「責務を果たす」 きっぱりと言う。 「……そうだな」 リースはこれからもずっと、どこまでも責務と共にある。 リタイアが許されるほど甘いものではないのだ。 ……。 「あと1分」 「何が?」 「あと1分で……さよなら」 「……」 ……。 …………。 「……そっか」 ……。 静かな気分だった。 別れるのは確かに辛い。 だけど、遠く離れていても──これが、最後の対面になるとしても──俺も、家族も、ずっとリースを想い続ける。 ……。 「リース」 俺は、精一杯明るい声で彼女の名前を呼んだ。 「リースは、俺に手伝えることが無いって言ってたけど……」 「一つだけ、手伝えることが見つかったよ」 ……。 リースが、かすかに目を見開く。 「あの家で、みんなと一緒にリースを待ってる」 「リースが、また気を失うようになるかもしれないだろ」 「そしたら俺が……」 「俺がまた、姉さんより激しく構ってやる」 「……っ」 リースが顔を伏せる。 ……。 …………。 「体調が悪い時じゃなくてもいい、遠慮なく帰って来い」 「……リースは家族なんだから」 俺は、どんな顔をしていたのだろうか。 きっと、笑えていたのだと思う。 ……。 リースが再び顔を上げる。 エメラルドの瞳から、幾筋もの涙が零れ落ちていた。 ……。 「あと10秒」 「秒読みをしようぜ」 リースが、かすかに笑って頷く。 ……。 「6」 「5」 「4」 「3」 「2」 「1」 「タツヤ……ありがとう」 風が吹き抜けた。 彼の手を離れた紙飛行機は── 決まって、俺のものより遠くまで飛んだ。 どれだけ改良を加えても、結果を変えることはできなかった。 あれから、いくつもの年月が流れた。 今の俺は── 彼より遠くまで── ……。 …………。 ゆっくりとフィーナの唇が離れる。 ……。 物足りなさ加減が絶妙で、すぐにも続きをねだりたくなった。 「……フィーナ」 「どうしたの?」 「いや、もう少し……したいかなって」 「ふふふ、何事も少し足りないくらいがちょうど良いわ」 分かってました、といわんばかりの表情でフィーナが笑う。 「特に……好きなことはね」 「……なるほど」 フィーナの手を握る。 「まだ日も高いしな」 「まあ」 フィーナがかすかに頬を染めた。 俺たちは手を取り合い、連絡港の出口へ向かう。 ……。 …………。 「お待たせしました」 出口で待つこと数分。 退去の手続きを済ませた姉さんが現れた。 「私たちも今来たところよ、待っていないわ」 「しかし、建物から出るにも手続きが必要なんて、面倒だな」 「警備が厳重なのは仕方無いわ、月へと通じる唯一の道だから」 「いつかは、もっと開放的な施設にしたいわね」 フィーナが周囲を見回す。 誰もいない空間。 ほとんど使用されていないイスが、寂しげに並んでいる。 このフロアが、月へ向かう人でいっぱいになる日は、果たして来るのだろうか。 ……。 「さあ、行きましょう。 外の空気が吸いたくなったわ」 「よしっ」 ……。 剣術の試験から3日。 周囲を含め、俺たちは少しずつ落ち着いてきていた。 「前からいつも一緒にいたし、収まるところに収まったって感じね」 とは菜月の弁。 家族も、おおむね同意しているようだった。 ……。 だが、俺の中では大きな変化があった。 関係を認められるまでは、一緒にいても、不安や寂しさが付きまとっていた。 手を繋いでもキスをしても無くすことができなかったそんな感情が、嘘のように消えていた。 今は、雲の上を歩くような、ふわふわとした幸福感に包まれている。 ただ隣にフィーナがいるだけで、これからの全てが彩り豊かに見えた。 ……。 「どうしたの、考え事?」 明るい笑顔でフィーナが聞いてくる。 「あ……いや、大したことじゃないよ」 「言ってくれないと気になるでしょう?」 「それとも、誰か綺麗な女性でも見かけたのかしら?」 「まさか……」 フィーナの耳元に口を寄せる。 「フィーナより綺麗な人なんていないよ」 「も、もう……」 視線を慌しく動かしながら、顔を赤くするフィーナ。 「達哉は仕方のないことばかり……」 「じゃあ、もう言わないよ」 「そ、そういう話をしているのではないわ、達哉」 腕を、ぎゅっと掴まれる。 柔らかな乳房の感触に、思わず嬉しくなった。 ……。 俺たちから少し離れたところで、姉さんが小さくため息をついた。 大使館の敷地を15分ほど歩き、ようやく入口に到着した。 「二人は、これから予定があるの?」 「俺は特に考えてないけど」 「せっかくのお休みなのに?」 今日はバイトがない水曜日だ。 羽を伸ばせと言ってくれているのかもしれない。 「私は行きたい所があるのだけれど、付き合ってもらえるかしら?」 「ああ、構わないよ」 「私は、ここまで来たついでに博物館に寄っていきますから」 「姉さんこそ、無理して休みを取ったんだから羽を伸ばせばいいのに」 「その分、今日はいつもできない仕事をするわ」 穏やかに笑って言う。 「模範的な館長代理だわ」 「館長にお褒めの言葉を頂けるなんて感激です」 「館長? フィーナが館長なのか?」 「私は名前を貸しているだけよ」 「実質的にはさやかが館長ね」 「『王立』博物館でしょ、あそこは」 ……確か、正式な名称は王立月博物館だった気がする。 「……そうだったね」 「私たちが月に行ったら、もっと喜んでもらえる展示物を送りましょう」 「ふふふ、二人を応援して良かったわ」 「まさか、そのために私たちを?」 「冗談ですよ」 と、笑う姉さんに釣られて俺たちも表情を崩した。 フィーナが隣にいて、 こんな風に一緒に笑えて、 とても幸せな気分だ。 博物館の前まで来て姉さんと別れた。 「さっき行きたいところがあるって言ってたけど?」 無言で手を差し出す。 「ええ」 と、フィーナは話しながら俺の手を握った。 「以前、満弦ヶ崎には、遺跡がいくつもあると言っていたでしょう?」 「……ああ、言ったな」 「行ってみたいのだけれど?」 フィーナが俺の目を真っ直ぐに見る。 ……正直、分からない。 彼女はなぜ、遺跡に興味を持っているのだろうか。 満弦ヶ崎に点在する、いつのものとも知れない遺跡。 そのほとんどは、草木に埋もれた瓦礫の山だ。 整備されていないから危険もある。 瓦礫が落ちてきて怪我をしても、文句は言えない。 「まあ、行きたいって言うなら案内するけど……」 「瓦礫の山があるだけだぞ?」 「構わないわ」 「……」 「分かった」 「じゃあ、近いところに案内するよ」 場所なら分かっている。 子供の頃、親父に連れて行かれた遺跡の一つだ。 「ごめんなさい、せっかくのお休みなのに」 俺の半歩後ろを歩きながら、フィーナが言う。 「いいんだ、一緒にいられるんだし」 俺は笑顔で答えた。 遺跡へ向かう途中、学院の前を通過する。 敷地からは、かすかに運動部の声が聞こえてくるくらいで、人気は無い。 「……」 フィーナが足を止めた。 「懐かしいわ」 目を細め、俺たちの教室の窓を見つめている。 ……。 9月。 俺が再びここに通う時、フィーナは隣にいない。 寂しさが胸をよぎった。 「問題」 「はあ?」 「私たちが付き合い始めたのは、学期中か、夏休み中か、どちら?」 「……ええーっと……??」 確か……終業式の日だったような……。 「学期中……だと思う」 ……。 フィーナがぶすっとした顔をする。 や、やってしまったのか!? 「違うわ、終業式が終わった後だから、夏休み中」 ……。 「夏休みは22日からじゃないか?」 「21日の夜は、前期最後の放課後だろ?」 「……どうなのかしら?」 「夏休み中……だと思う」 「覚えていてくれたのね」 「ああ、もちろん」 あの時のことを忘れるはずが無い。 「……でも、21日の夜は夏休みなのかしら?」 ……。 「??」 「終業式が終われば夏休みだと思う?」 ……。 言うのかそれを。 ごまかすと怒ると思うが……。 ……。 「フィーナ……記念日」 ……。 …………。 「えっ?」 フィーナが目を丸くする。 「だから……フィーナ記念日だって」 「フィーナと付き合えた日なんだから、フィーナ記念日」 「これから毎年祝うぞっ!」 ……。 かなり恥かしい。 「た、達哉?」 フィーナも凍っている。 ……。 …………。 「すばらしいわ」 「ぶほうっ!」 「でもフィーナ記念日は少し恥ずかしいわね」 「あ、ああ……うん」 「7月21日は月の祝日にします」 「……あの?」 「月全体の仕事を休みにして、毎年セレモニーを行いましょう」 満面の笑顔で言うフィーナ。 ……。 …………。 ……怒ってる? 「……すいませんでした」 ……。 楽しげに語っていたフィーナが、俺を見る。 「達哉、答えが分からないからと言って、ごまかすのは良くないわ」 「ごまかしても何も解決しないでしょう?」 「す、すまん」 案の定、怒られた。 根の真っ直ぐさは相変わらずだ。 「以後、注意して」 「はい」 「とは言え、フィーナ記念日自体は悪くないわ」 「毎年、達哉がプレゼントをしてくれる日ということで覚えておくわね」 「……」 クイズ1問で、一生モノの罰を負うことになった。 「しょうがないな……」 「で、さっきの答えは?」 ……。 「終業式の後だから、夏休み中ね」 ……。 「夏休みは22日からじゃないか?」 「21日の夜は、前期最後の放課後だろ?」 「……どうなのかしら?」 フィーナが顎に手を当てて考え込む。 「い、いやぁ……どうなんだろ」 考えたことがなかった。 ……。 「でも、キスした時は日付が変わってたんじゃないかな?」 「それなら文句なく夏休み中だ」 「縁側で話したのは夕食が終わってすぐだったわ」 「私はあれから真っ直ぐ公園に向かったから……」 「キスをしたのは日付が変わる前よ」 「あのう……」 「でも俺は、いろいろ走りまわったぞ」 「絶対、日付は変わってたって」 「達哉は足が速いから、そうとも言い切れないわ」 「お ふ た り と も」 「と、遠山……」 「ま、まあ遠山さん」 「校門の前でキスがどうとかってのは、やーめたほーがいいんじゃないかなー」 「……と思うよ、遠山さんは」 フィーナの顔が真っ赤に染まる。 「あははははっ、かわいいなぁ、フィーナさんは」 大ウケの遠山。 「ま、頑張ってね」 「お姫様の仕事も」 遠山が、ちょっと真面目な顔で言う。 「……ありがとう」 「個人的なお願いでアレなんだけど、月面旅行ができるようにしてほしいな」 「一度でいいから行ってみたいんだ、月」 「ええ、頑張るわ」 フィーナがしっかりと答えた。 「じゃ、後は若い人たちに任せて」 遠山は年寄りのように、ヨタヨタと学院に入って行った。 9月になったら、からかわれるんだろうな……。 夏の熱い風が走り抜けた。 草薮が、まるで生き物のようにざわめく。 「……」 フィーナは、やや赤みがかった光に照らし出される草薮を無言で見つめる。 その視線には悲しい光が満ちていた。 「フィーナ、近くまで行ってみるか?」 遺跡にたどり着くには、盛大に繁茂した雑草の中を進まねばならない。 多少の擦り傷は避けられないだろう。 「行くわ」 フィーナは躊躇わず、一歩踏み出す。 「俺が先に行くよ」 「服が汚れてしまうわ」 「達哉は待っていて」 「いいって」 「こんなところに彼女を先に行かせたとあっちゃ、こっちが気分悪いよ」 フィーナの返事を待たず、手近な棒を拾う。 「道を作るから」 ガサガサッガサガサッ 草薮に一歩踏み込むと、濃密な緑の匂いが俺を包み込んだ。 羽虫が顔の周りを飛び回る。 「子供の頃は、よくこんな所で遊んだな」 「ふふふ、男の子ね」 「親父が遺跡とか大好きだったからさ、よく連れ回されたよ」 「ここも初めてじゃない」 「お父様?」 「ああ」 思わず親父の話題を切り出してしまったことを、少し後悔した。 ……。 親父の思い出は良くないものばかりだ。 調査と称して家を空ける毎日。 ついには行方が知れなくなった。 残された俺と麻衣を、女手一つで育てることになった母さん。 そのせいだろう。 過労であっさりこの世を去った。 それからは、残された三人で何とか家族を作ってきた。 結果として、結束の強い家族を得られたけど…… だからといって、親父への不快感が消えるわけではない。 彼は、俺たちを見捨てたのだ。 ……。 ガサガサッガサガサッ 遺跡が近づいてきた。 草薮は一層高くなる。 フィーナが傷つかないよう、念入りに草を倒して道を作る。 ……。 「そう言えば、フィーナの親父さんの話って聞いたこと無かったな」 フィーナの親父。 つまりは現国王。 俺の義父となる人だ。 「父様は……優しい方だわ」 フィーナが言葉を濁す。 どうやら、あまり好きな話題ではないようだ。 「フィーナのお袋さんは、どんな人だったんだ?」 「母様は、私にとって最も大きな目標よ」 「常に月のことを第一に考えていらっしゃったわ」 「地球との交流にも積極的だったし……」 「私が地球に留学できたのも、母様の尽力の賜物よ」 母親のことを語るフィーナは誇らしげだ。 ……。 フィーナの母親、セフィリア・ファム・アーシュライト。 地球との交流に熱心で、地球への公式訪問を初めて実現した月の君主だ。 姉さんのような留学生の受け入れや、博物館の建設など── 文化レベルの交流も大切にした人だったと記憶している。 亡くなったのは、確か3年前。 生前の輝かしい実績と比べ、その死はひっそりと伝えられたのが印象的だった。 「じゃあ、俺はセフィリアさんに感謝しなくちゃな」 「どういうこと?」 「フィーナに出会えたのも、セフィリアさんのお陰ってことだろ?」 「ふふふ、そうね」 フィーナが嬉しそうに言った。 ……。 ガサガサッガサガサッ しばらくして、遺跡の下にたどり着いた。 「ふぅ……到着」 「達哉、ありがとう」 「いいって」 「擦り傷だらけよ……」 露出していた腕には、たくさんの擦り傷ができていた。 そんな汚い腕を、フィーナが手に取る。 「汚れるぞ」 「そのようなことを言って」 フィーナがたしなめるように俺を見た。 「達哉の血で汚れるのは構わないわ」 そう言って、フィーナは俺の腕をいとおしげに撫でる。 彼女が触れた箇所から、痛みが引いていくような錯覚を受けた。 ……。 ずっと撫でられていたいけど…… 「さ、せっかくここまで来たんだし……」 と、遺跡にフィーナを促す。 「そうね」 フィーナは腕を撫でていた手を滑らせ、そのまま俺の手を握る。 「行きましょう」 ……。 遺跡の周りを一周する。 ……。 ほとんど自然と一体化した瓦礫の山。 元がどんな形だったのかも、よく分からない。 こんな遺跡のどこに、フィーナは興味を持っているのだろうか。 ……。 …………。 「めぼしいものは……見当たらないわね」 西日で赤く染まった遺跡を、フィーナが寂しそうな目で見つめる。 ……。 やっぱり、遺跡に何か思い入れがあるのだろう。 そうでなくては、こんな悲しい目はしない。 「ここに何があったのかしら」 「俺には分からないな」 教科書には、満弦ヶ崎に点在する遺跡について触れられていた。 戦争以前に作られた施設で、使用目的は不明。 説明はそれだけ。 戦争以前のものだと分かったのは、瓦礫の組成が分析できなかったからだ。 見た目には大理石だが、どうやら違うらしい。 今の技術で分析できない組成を持った人工物。 それは、過去に今より進んだ技術があったことを示している。 ……。 「なあ、一つ聞いていいか?」 「どうぞ」 「どうして、遺跡に興味があるんだ?」 「……」 フィーナは答えぬまま、瓦礫の壁に手を触れた。 ……。 …………。 「母様が訪れた場所なのよ……ここは」 ぽつり、とフィーナが言った。 「セフィリアさんが?」 にわかには信じがたい。 なぜ、こんな瓦礫の山を月の女王が見に来るのか。 少なくとも、観光目的でないとは思うが……。 「母様は地球に何度か来ているのだけれど……」 「多忙なスケジュールの合間を縫って、遺跡を巡られた」 「何でまた?」 「……」 「分からないわ」 フィーナが視線を落とす。 「でも、母様のされたこと」 「必ず、月にとってプラスになる目的があったはず」 「確かに、意味も無くこんなところには来ないな」 「フィーナは一緒に行動していなかったのか?」 フィーナが無言で頷く。 ……。 敬愛する母親が地球で巡った場所。 地球にいる間にそこを訪れてみたい。 フィーナの気持ちは分からなくもない。 「それに……」 言いかけて、フィーナは言葉を飲み込んだ。 「ん?」 「後で話すわ」 「そろそろ戻らないと、道が分からなくなってしまう」 フィーナが空を見上げる。 ……。 西日が弱まり、東の空が濃紺に染まっていた。 周囲に照明は無い。 夜になれば、帰り道で迷ってしまうかもしれない。 「ここで遭難は困るな」 「二人きりで星を見るのも悪くはないけれど、今日は装備が甘いわね」 フィーナが自分の体を見回す。 外出用の涼しげなワンピースに、小さなハンドバッグ。 ……。 「あれ?」 「どうしたの?」 気のせいだろうか── ハンドバックの中身がぼんやりと輝いている気がする。 携帯電話の光かな? 「いや、バッグが光ってる気がして」 「光るようなものは入れていないはずだけれど」 怪訝そうな顔をしたフィーナがバッグの口に手を掛け── 押し広げた。 ……。 バッグの口から青白い光が漏れるのが、ここからでも見えた。 「こ、これは……」 フィーナがバッグから布の包みを取り出す。 白い布が青く見えるほどの輝きを放っている。 ……。 空港でカレンさんに見せた、セフィリアさんの形見だ。 フィーナが包みを開いていく。 彼女に近づき、宝石を観察する。 ……。 …………。 フィーナの手の上で、その宝石は冷たい光を放っていた。 それは月光にも似て── 清冽さの中にも穏やかさを感じさせる光。 薄暗くなってきた遺跡で、フィーナの顔が青白く照らし出されている。 「なぜ光っているのかしら」 「そういう石なのか?」 自然に発光する石なんて、聞いたことがない。 放射線でも出していれば光るかもしれないが、それを形見にするのは少しおかしい。 「こんなことは初めてよ」 ……。 親指と人差し指で輪を作った位の大きさの宝石。 そいつが、プラチナ製と思しき逆三角形の台に嵌め込まれている。 「さっきまでは光ってたかな?」 「分からないわ」 「このくらいの光では、昼間は気づかないかもしれないし」 「そうだな……」 ……。 俺たちが話している間にも、日は徐々に傾き周囲が暗くなる。 その分だけ、宝石の輝きは強さを増して見えた。 ……。 魅入られるように宝石を見つめる。 セフィリアさんの形見。 それがなぜか、突然光り始めた。 一体、どんな意味があるのだろう。 「暗くなってきたわね」 「考えるのは後にして、まずは戻りましょう」 フィーナが宝石を布で包み直す。 「ああ、そうだったな」 自分たちが来た道を振り返る。 暗さで、道が見えづらくなっている。 「戻ろう」 俺はフィーナの手を引く。 ……。 ふと、俺たちではない誰かの気配を感じた。 ……。 …………。 ……。 あれ? 今、誰かの姿が見えたような……。 「……」 何となく不安になって、周囲を見回す。 「どうしたの?」 「いや、誰か人がいた気がして」 「人が……?」 フィーナが動きを止める。 周囲に神経を張り巡らせているようだ。 ……。 …………。 ………………。 「……ふぅ」 フィーナが息を吐いた。 「どう?」 「分からないわ」 「そっか……なら、俺の気のせいだな」 「いえ、勘は大切よ」 「心に留めておきましょう」 そう言うフィーナは、真剣な表情だった。 遺跡見物に来ただけの俺たちを、観察する必要がある人なんているのだろうか。 ガサガサッガサガサッ 「達哉」 草薮の真ん中で、フィーナが俺の手を引いた。 「どうした?」 「今、宝石の光が消えたの」 フィーナがバッグの口を広げる。 バッグの中は真っ暗だ。 「どこで消えたんだ?」 ……。 フィーナが3メートルほど遺跡の方向へ戻る。 「ここね」 ……。 じわり、とバッグの中から青白い光が溢れた。 「おおっ」 フィーナが道を行ったり来たりする。 ……。 遺跡に近づくと宝石の光が強くなる。 遺跡から離れると宝石の光は弱くなり、やがて消える。 「なるほど」 フィーナがバッグを閉じた。 「遺跡にある程度近づくと光るってことかな?」 「断定はできないけれど、可能性は高いわね」 フィーナが遺跡を見つめた。 ……。 顔の周りを薮蚊が飛んでいる。 「ともかく、ここから出ようぜ」 「そうね」 再び、フィーナと手をつないだ。 ……。 川原に差し掛かった頃には、すっかり日が落ちていた。 宝石はもう光っていない。 「宝石のこと、どう思う?」 口数が少なくなっていたフィーナに問いかける。 「今、考えていたところ」 ……。 形見としてフィーナに渡されていた宝石。 フィーナが、かつて母親が行った遺跡に近づくと、そいつが光った。 「母様は、私に何かを伝えたかったのではないかしら?」 「もちろん断定はできないけれど」 「形見の宝石は、セフィリアさんから直接渡されたのか?」 「ええ」 「亡くなる直前に頂いたわ」 「生前に渡したってことは、フィーナに持っていて欲しかったってことだよな?」 「そうね」 「亡くなった後では、誰の手に渡るか分からないもの」 「なら……やっぱり何かを残したかったのかもしれないな」 「……」 フィーナが無言で視線を落とした。 何かを考えているような、悲しんでいるような、そんな複雑な表情。 俺には、その胸の内は分からない。 ……。 セフィリアさんは、娘に何かを伝えたくて形見を残した……。 親から引き継がれたものがあること。 それが何となくうらやましかった。 ……。 俺には、親から引き継がれたものがあっただろうか。 あるとすればロクでもない思い出…… ……。 …………。 そこまで考えて、頭を振る。 自分を憐れんでも仕方がない。 大切なのは、これからどうするかだ。 自分の過去を受け入れ、前を向く。 これは、フィーナと付き合っていく過程で彼女から教わったことだ。 「明日は他の遺跡に行ってみようか?」 「俺、いくつか知ってるし」 「一緒に行ってくれるの?」 「当たり前だろ」 握ったフィーナの手に力を込める。 「大体、ずっと一緒にいるって言ったのはフィーナじゃないか」 「ふふふ、そうね」 フィーナも俺の手を握り返す。 ……。 「頼りにしているわ」 そう言って、フィーナは俺の頬に軽くキスをした。 5分ほどして、家に到着した。 夕食の時間も近いというのに、明かりが消えている。 今日は家で食事をする日。 準備くらいはしていてもいいはずだが……。 「おかしいな、何か言ってたっけ?」 「聞いていないわ」 「だよなぁ」 ポケットから鍵を取り出し、ドアを開いた。 がちゃ明かりをつけると、床に置かれたメモが目に入った。 手に取り、内容に目を走らす。 ……。 …………。 「今日は左門で夕食だってさ」 「水曜日なのに?」 「そう書いてある」 「でも、前を通った時には、左門の明かりは消えていたけれど?」 「……」 「ま、とにかく行ってみようぜ」 鍵を閉め、左門へ向かう。 フィーナの言った通り、左門の電気は消えている。 階段を上がりドアノブに手を掛けた。 からんからん開いた。 パンパパパンッ「うおっ!?」 「っっ!?」 クラッカーの破裂音と共に、拍手が巻き起こった。 「おめでとーーーっ!」 「んー、めでたいっ」 「お二人とも、おめでとうございますっ」 「おめでとう」 「めでたいなぁ、いやまったく」 「おめでとう」 ……。 体に舞い降りるクラッカーの紙テープ。 漂う、温かな料理の匂い。 みんなの笑顔。 「これは……」 「二人の婚約記念パーティーに決まってるじゃない」 「前にやるって決めたでしょ?」 ……。 そう言えば……。 「……」 嬉しかった。 嬉しくて動けなかった。 ……。 フィーナが腕を組んでくる。 「達哉、固まっている場合ではないわ?」 「みんなが祝ってくれているのよ」 笑顔のフィーナが言う。 「あ、ああ……」 フィーナとしっかりと腕を組み、みんなに向き直る。 ……。 「改めて紹介するよ、俺の婚約者フィーナですっ」 「私の伴侶、達哉よ」 「もーー、おめでとーーーーーー」 菜月はひたすらフィーバーしている。 「すごいよ、もうなんか涙出ちゃう」 麻衣が手で目をこする。 「本当に、本当に良かったです」 ミアは既に泣いていた。 「良かったわ、本当に」 「達哉君がフィーナちゃんとくっつくなんてねえ」 「ああ。 よく覚悟したもんだ」 大人3人は、穏やかに拍手を続けている。 「みんなが支えてくれたから、私たちは頑張れました」 「ありがとうっ」 再び拍手が起こる。 「さあっ、主賓が登場したところで、パーティーを始めましょうっ!」 菜月の声で、おやっさんと仁さんがキッチンへ入る。 テーブルの上に華やかな料理が並ぶ。 いつもの食事は、四人席を二つ連結したセッティング。 だが今日は、三つくっつけても乗り切らない数の料理が出てきた。 サラダ、前菜の盛り合わせ、ピッツァ、パスタ……などなど。 店のメニューを全部作ったような勢いだ。 「二人はここに座って」 俺とフィーナは隣り合わせで、お誕生日席に座らされた。 ついでにグラスも持たされる。 「お飲み物は皆さんに回りましたか?」 各々が手に持ったグラスを掲げる。 「では、誰か乾杯の音頭を……」 「菜月、頼むよ」 「わ、私っ!?」 菜月の顔が徐々に赤くなっていく。 「え、えっと……」 「二人とも、結婚するのかな……?」 「そういう予定ね」 「そかそかそか……何か、同い年なのに、すごいね」 菜月は緊張でコチコチになっている。 「菜月も頑張れよ」 「あ、うん。 私も頑張って……」 「って、私は関係無いでしょっ」 「そうかな?」 「横からごちゃごちゃ言わないで」 ……。 咳払いをして、菜月が再び声を出す。 「そ、それじゃ、二人とも幸せになって下さい」 菜月がコップを掲げた。 「おめでとーーーっ!」 グラスの澄んだ音が店内に響く。 こうしてパーティーが始まった。 「お兄ちゃん、剣術を頑張った甲斐があったね」 麻衣が近づいてきた。 満面の笑みを浮かべている。 「練習中は、麻衣も麦茶とか持ってきてくれたよな」 「ありがとう」 「わたしは何もしてないって」 「麻衣も達哉を応援してくれていたのね」 「たはは、だからそれはいいですってば」 「これからもお兄ちゃんのこと…………よろしくお願いします」 「ええ、任せておいて」 フィーナが笑顔で答える。 「達哉、飲んでるーーーっ?」 お次は顔を真っ赤にした菜月だ。 「お前、飲んでるのか?」 「飲んでないって、場に酔ってるの」 「はい、グラス空けてっ」 言われるがままにグラスを空ける。 「はい、よくできましたー」 「達哉がこんなにしっかりしちゃうなんて、ほんと驚き」 幼なじみの必殺技、子供の頃の話だ。 「小さい頃の達哉はどんな子だったの?」 「お、おいっ、やめろって」 「そうねぇ、窓越しに私の着替えを覗いたり、えっちな子だったかな」 「まあ、達哉ったら」 にこやかな笑顔で、フィーナが俺を見る。 「その話はNGだろ、菜月」 「達哉のことは後でじっくり聞かせてもらうわ」 「変なこと言いふらすなよ」 「どうしよっかな、ネタには困らないし……」 菜月が不敵な笑みを浮かべる。 勘弁してくれ……。 「じゃ、お二人とも幸せにっ」 「あ、そうそう」 「また、気が向いたらバイトしてね」 菜月が席に戻る。 「達哉はいやらしい子供だったのね」 いきなりフィーナが聞いてくる。 危うくジュースを噴き出しそうになった。 「違うって、事故だよ、事故」 「部屋が隣同士だから、仕方無いんだって」 「ふふふ、どうかしら」 ……。 「お食事をお持ちしました」 ミアが取り皿に料理を持ってきてくれた。 「ありがとう」 ミアはいつも通りの服装で、まめまめしく給仕をしている。 「今日は、仕事ナシでいいんだよ」 「いえ、わたしはこうしているのが一番楽しいので」 「ミアは本当に働き者だな」 ミアが元気に頷く。 「あの、ずっとお伺いしようと思っていたんですが……」 「達哉さんのことは、これから何とお呼びしたらいいのでしょうか?」 達哉「そうだな……」 俺がフィーナと結婚すれば、ミアの主人であるアーシュライト家の一員だ。 いつまでも「さん」 で呼ぶわけにはいかない、ということだろう。 「俺は今まで通りでいいけど」 「ちなみに、どんな候補があるんだ?」 「えっと……」 「達哉さま、ご主人様……?」 「ご、ご主人様……」 嫌かもしれない。 「今まで通りでいいよ」 「でもそれでは示しが……」 「ミア、それは月に行ってから決めましょう」 「今の私たちは家族でしょう?」 「……仰る通りですね」 「分かりました、では」 そう言って、ミアは他の人の給仕へ戻っていった。 ……。 「フィーナ、さっきから食べてないじゃないか?」 「みんながお祝いに来てくれるのに、食べてなんていられないわ」 「それに、あまり食べては太ってしまうし」 少し恥かしそうにフィーナが言った。 体重を気にしているなんて、初めて知った。 「気にしてるの?」 「それほどは気にしていないけれど……でも」 「崩れたプロポーションでは、達哉も嫌でしょう?」 フィーナが耳たぶを赤らめて俯く。 その姿は、俺の目にとても可愛らしく映った。 「大丈夫、嫌いになったりしない」 俺は、フィーナのわき腹を指でつつく。 「ひゃっ」 「も、もう、達哉、くすぐったいわ」 「うふふ、二人とも、本当に仲が良いわね」 「姉さん」 「さやちゃん、僕達も負けないように仲良くしようじゃないか」 と、仁さんが肩に回した手を、姉さんは笑顔でつねった。 「達哉くんも、フィーナ様も、必ず幸せになってね」 「ありがとう、さやかには感謝しています」 「いいんですよ、私はちょっと背中を押しただけです」 「でも、姉さんがいなかったら、俺たちきっとダメになってた」 「月に行ったらもう私はいないのだから、二人で頑張るのよ」 姉さんが穏やかに笑う。 「分かった」 「しかし、タツが月に行くことになるとはな」 おやっさんが笑う。 「千春さんも琴子さんも、きっと喜んでいるよ」 「親父はどうだか」 「一番喜ぶだろうさ」 「何せ、息子が月に行くっていうんだからな」 「……」 「達哉くん、まだ千春さんのことを好きになれないの?」 「好きになるのは無理だって」 「そう? とても素敵な人だったけれど」 「いい男だったね」 「いつまでも冒険心を忘れない、俺もああなりたいもんさ」 きっと麻衣や菜月に聞いても、同じような答えが返ってくるだろう。 なぜか、俺の周りの人は親父のことを気に入っている。 「私も会ってみたかったわ」 「そうか?」 「好きな人を育ててくれた人に会いたいのは、不自然かしら?」 「達哉は私の父様に会いたくない?」 ……。 言われてみれば……。 「……会ってみたいな」 「それと同じことだわ」 そうかもしれないが、しかし……釈然としない。 「そうか、達哉君にはまだ『娘さんを僕に下さい』の儀式が残っているのだね」 「うっ」 「はははは、頑張りたまえ」 「父様はお優しいから、大丈夫よ」 「月でも地球でも父親っていうのは、娘に優しいのだね」 「俺は娘にも厳しいぞ」 「そうですか?」 「おじさんは、とても優しいと思いますけど」 「何だよ、さやちゃんまで」 苦笑するおやっさん。 「ともかく、二人とも仲良くな」 「ありがとうございます、左門さん」 「おい仁、飲むか」 「了解」 「さやちゃんも、久し振りに」 「では、ちょっとだけ」 三人がテーブルに戻っていく。 ……。 ようやく、お祝いが一巡する。 ちょっと気疲れした。 「ふぅ……」 「あら、もうダウン?」 フィーナがおしぼりで額を拭いてくれる。 さすがに彼女は場慣れしている。 背筋を伸ばしたまま、いつもと様子が変わらない。 酒が入る席でも、彼女はずっとこの調子を保てるのだろう。 流石だ。 「俺も、フィーナみたいにならなきゃダメだな」 「楽しめればそれが一番よ」 「仕事のレセプションではないのだから」 「……それもそっか」 視界の隅で、菜月が立ち上がった。 「さあ、第二陣が来たわよ」 俺はコップに入った水を一気に飲み干す。 「よし来いっ」 「ふふふ、頑張って」 ……。 延々と続く祝いの乾杯。 洪水のような祝福におぼれて、俺は頭の先まで幸せに浸かっていった。 ……。 パーティーが終わったのは、深夜といって差し支えない時間だった。 心行くまで飲んで食べて、祝って祝われ──それぞれ、満足げな表情で部屋へと帰っていった。 ……。 「あああぁぁぁ~……」 パーティーの余韻を体から抜くように、俺は大きく伸びをする。 「今日はご苦労様」 フィーナがリビングに入ってきた。 「みんなも楽しんでくれたみたいで良かったよ」 「パーティーのこともあるけど、こっちもね」 フィーナは隣に腰を下ろし、俺の腕を取った。 「やっぱり、傷ができて……」 剣術の練習で怪我に慣れてしまったのだろう。 草負けや擦り傷など、ほとんど気にならない。 「血も出てないし、すぐ治るさ」 「ずいぶん逞しくなったわね」 「剣術が効いたよ」 「これからも練習を続けてみようかな」 「それが良いわ」 「互角に手合わせできるようになってもらえれば、私も退屈しないし」 「それって、いつの話になるんだ?」 「達哉なら、すぐよ」 そう言って、フィーナは俺の腕を撫でた。 ……。 「そうだわ」 「どうした?」 「達哉は満弦ヶ崎の地図を持っているかしら?」 確か授業で使ったのがあったような……。 「あると思う。 探してくるよ」 「よろしくね」 「私の部屋に持って来て」 「分かった」 床の本棚を探す。 「地図、地図っと」 ……。 …………。 あっさりと見つかった。 地理の地図帳だ。 コンコンッ「達哉だけど」 「どうぞ」 「見つかったよ」 「ありがとう、助かるわ」 フィーナがソファに座るよう促す。 「何に使うんだ?」 ソファに腰を下ろしながら尋ねる。 「遺跡の記録よ」 「役に立つこともあるかもしれないわ」 そう言って、フィーナは俺の隣に座った。 風呂を上がってしばらく経ったはずだが、彼女の体からは優しい石鹸の匂いがした。 「満弦ヶ崎は……ここだ」 満弦ヶ崎が載っているページを開く。 「今日行った遺跡はどこかしら?」 「この辺り」 俺は地図の一点を指差す。 「書き込んでしまっていいかしら?」 「ああ」 フィーナが赤いペンを走らす。 丸印と今日の日付が書き込まれた。 「他に知っている遺跡はあるかしら?」 「そうだな……」 親父と遺跡を巡った記憶を呼び起こす。 ……。 初めに浮かんだのは、母さんの疲れた表情だった。 続いて葬式の光景。 泣きじゃくる麻衣。 唇を噛む姉さん。 嫌なことばかり思い出してしまう。 ……。 「どうかした?」 「いや、何でもない」 「ええと、大きな遺跡は……ここと、ここだな」 更に二箇所を指差す。 後を追うように、フィーナが印をつけた。 「分かったわ、順に回っていきましょう」 フィーナの瞳には、強い決意が感じられる。 彼女がセフィリアさんを目標としていることは、何度か聞いた。 母親が行った遺跡だから自分も行く。 それだけで、こんなに強い決心が生まれるものなのだろうか。 ……。 「ああ、でもこっちの遺跡は行かない方がいいかも」 「どうして?」 「中途半端に形が残ってて危ないんだ」 「壁が倒れたり、床が抜けたりするかもしれない」 「そう……」 フィーナが、片方の遺跡にドクロマークを入れた。 「なら、安全なほうから回りましょう」 「結局、行くのかよ」 「危険なのが分かっていれば、事故はある程度防げるわ」 「まあそうだけど」 ……。 フィーナがペンのキャップを閉める。 ぱちん、という小気味よい音が部屋に響いた。 「そういえばフィーナ……」 「何かしら?」 「あの、後で話してくれるって言ってたことだけど」 「……」 フィーナが俺の目をじっと見つめた。 ……。 …………。 フィーナがゆっくりと口を開く。 「そうね、せっかくの機会だから話しておくわ」 フィーナが背筋を伸ばす。 何か大切な話のようだ。 ……俺も居住まいを正す。 「達哉は、どのように母様が亡くなったか知っているかしら?」 フィーナの口からは、想像もしていなかった言葉が飛び出た。 セフィリアさんの死去に際して、地球で流された情報は「急逝」 の一言だけだった。 それ以上のことなど知りようも無い。 「いや、聞いたことないな」 「母様は、亡くなる1年ほど前に地球へ行っていたの」 そのことがニュースで流れたかどうか、覚えていない。 「母様は、地球から帰ってきてすぐ……」 「政治力を剥奪され、謹慎させられたわ」 「……」 ……。 フィーナの言っていることが、すぐには理解できなかった。 『月の民に愛された、優秀な政治家』それがセフィリアさんのイメージだ。 どこをどうひっくり返しても、失脚なんて言葉は出てこない。 ……。 「でもセフィリアさんは、お札の肖像になったりしてるんだろ?」 「もし失脚したなら、お札に顔が載っているのは……」 本、彫刻、絵画、貨幣──支持が厚い権力者の肖像が、これらに用いられることは多い。 もちろん、支持を失えば肖像が変更されるのは言うまでも無い。 ……。 「表向きには、失脚したことにはなっていないわ」 「だから、今でも母様の人気は高いの」 フィーナが寂しそうに視線を伏せる。 彼女は、母親を尊敬していると言っていた。 こんな冗談を言うはずが無い……。 ……。 「で、でも……どうして失脚なんか」 俺の質問に、フィーナは視線を落とす。 「貴族たちが、母様が地球で売国行為を行ったと非難したの」 「貴族たちって、臣下だろ?」 「君主を失脚させるなんて、そんなこと……」 「君主一人で国は動かせないわ」 「支えてくれる多くの臣下がいて初めて、君主は政治を行うことができる」 「臣下の心が離れれば、施政者は政治力を失ったも同様だわ」 「最終的には、母様が正式に罪を問われる前に、父様が政治の舞台から引かせたのよ」 重い口調でフィーナが言う。 「……そんな」 自分の奥さんを失脚させるなんて。 「仕方が無かったのよ」 「そうでもしないと、国がまとまらなかったから」 「母様も、それは分かっていたのだと思う」 国の為に家族を犠牲にする。 ……。 以前、カレンさんにされた質問を思い出す。 重要な会議の直前に、家族が交通事故に遭った。 今すぐ病院に連れて行かないと命が危ない。 どちらを選ぶ?そんな内容だった。 俺は家族を選ぶと答えたはずだ。 だが、フィーナの親父さんは国を選んだ。 ……。 他人事には思えなかった。 フィーナが女王になる。 入婿の俺が彼女を補佐する。 フィーナから貴族達の心が離れたら──その時、俺はどうするのか……。 ……。 「政治的な力を失った母様は、一年程して亡くなったわ」 「最後の一年は、まるで羽をもがれた鳥のようだった」 フィーナがぽつりと言う。 まさか、死の前に失脚していたなんて……。 「原因は何なんだ」 「その、地球での売国行為ってのは?」 フィーナの視線が険しくなる。 ……。 …………。 「……遺跡の調査よ」 ……。 話が繋がっていないように聞こえた。 「ちょっと待て」 「遺跡を調査しただけで、何で失脚するんだよ?」 「遺跡調査の目的が、月に害をなすものだったらしいの」 「月に害をなすものって……」 何だろう?答えを絞るには抽象的過ぎる。 「詳しいことは分からないわ」 「遺跡調査が原因で失脚したこと自体、父様もカレンも教えてくれなかったくらいだから」 「まだ子供だから、知らない方が良いと判断されたのでしょうね」 筋が通っていない。 なら、どうしてフィーナは失脚の原因を知っているのか。 「じゃあ、フィーナは誰かに教えてもらったのか?」 「そうね」 「ある日、私の部屋に手紙が置かれていたの」 「そこに、母様が遺跡調査をしていたことと、その目的が月に害をなすものだったことが書かれていたわ」 「出所が不明だったから、私も半信半疑だったのだけれど……」 「今日、宝石が光るのを見て確信したの」 「母様が調査していたのは、満弦ヶ崎の遺跡だということを」 遺跡調査を理由に政治力を奪われたセフィリアさん。 彼女からフィーナに託された形見の宝石。 それが、満弦ヶ崎の遺跡で光り出した。 そこには、偶然では片づけられない、何らかの意図を感じる。 「母様は、誰よりも強く月の平和を願っていたわ」 「月へ害をなすものなんて、探すはずがない」 フィーナが強い語調で言う。 ……。 そして、フィーナが表情を引き締めた。 「私は母様の目的が知りたいの」 「そして、母様の名誉を回復したい」 決して大きな声ではない。 だがその声には、凛とした気迫が込められていた。 ……。 「達哉……手伝ってくれるかしら?」 フィーナが少し不安そうな目で俺を見る。 ……。 ちょっと悔しかった。 俺が断るとでも思っているのだろうか。 フィーナが目的を定め、進もうとしているのだ。 「俺がフィーナの側を離れる理由なんて、どこにもない」 ……。 …………。 「達哉……」 フィーナが目を細める。 「ありがとう」 そう言って、ソファに置かれた俺の手を握る。 彼女の肩をぎゅっと抱きしめた。 ……。 公園で一緒に戦うことを決めたあの日から──俺はフィーナと同じ道を進むと決めたのだ。 政治、失脚、汚名……フィーナと出会うまでの俺とは全く縁の無かった言葉が、次々と飛び出してくる。 俺が新しい世界へ足を踏み出している証だ。 ……。 「達哉は、月と地球はどうあるべきだと思う?」 胸の中で、フィーナが口を開いた。 「え……」 大きな問題を突きつけられ、俺は答えに窮する。 正直、考えたことが無かった。 「そうだな……」 「仲がいいのが一番じゃないかな」 などと、子供みたいなことを言う。 「そうね、それが一番ね」 だが、フィーナは真剣な声で答えた。 「今は、月に行きたくても行けないじゃないか」 「行きたくない人が行かないのは自由だけど……」 「行きたい人が、気軽に行けないのは良くないよ」 ……。 フィーナは返事をしない。 「ごめん、単純で」 「怒ったか?」 「いいえ、怒ってなんかいないわ」 「私も、そう思っているの」 「……そっか」 「でも、悲しいことだけれど、月人が全員そう思っているわけではないわ」 「中には、地球人を怖れたり、蔑んだりしている人もいるわ」 ……。 それは、地球人も同じことだ。 月人は正体不明の隣人。 そんな考え方が、地球では支配的だ。 遠い昔には、大規模な戦争も行っている。 戦争の結果として、地球も月も、互いに文明を後退させた。 文明を後退させるほどの被害。 それは想像を絶する。 生き残った人の方が少ない位の被害が出ないと、文明は後退しない。 記憶は風化したとは言え、そんな相手と仲良くしようというのは──もしかしたら無謀なのかもしれない。 ……。 「でも、俺とフィーナは仲良くなれただろ?」 「……そうね」 「なら、地球人と月人が仲良くなれないってのは嘘だ」 「俺たちが証明してる」 「俺たちのことを見たら、みんな、少しは考え直してくれるんじゃないかな」 「楽天的ね」 ポツリと言う。 「悲観的なことを言って欲しかったのか?」 「いいえ」 「悲観的では、できることもできなくなるわ」 「慎重さは必要だけれど、悲観は必要ない」 「そうだな」 「俺たちが、星を越えた初めてのカップルになろう」 「そしたら、みんな真似するさ」 「ふふふ、そうね」 フィーナが笑う。 「……なら、みんなが真似したくなるようなカップルにならないと」 フィーナの瞳が、少し熱っぽさを帯びる。 とても、色っぽい瞳だ。 「そうだな……」 ……。 俺たちは、どちらからともなく唇を寄せた。 「ん……ちゅ……ふうっ……」 とろけるような情熱が、すぐに俺の口内を侵す。 ……。 そう言えば俺、風呂入ってないな。 空港、遺跡と歩いて、おまけにパーティーまでやっている。 ちょっと──いや、かなり汗臭いかもしれない。 ……。 「ちょっ……」 「……どうしたの?」 少し不満そうにフィーナが言う。 「いや、風呂入ってなくて……」 「汗臭いだろ?」 「そうかしら?」 「自分で分かるくらいだから……」 「……もう」 ぶすっとした表情。 フィーナの手は、しっかりと俺を捕まえたままだ。 「一緒に入ろっか?」 冗談めかして言う。 「……え」 ……。 …………。 「……」 しばらく間があって、フィーナが頷いた。 「……」 ……よもや了承するとは。 「先に行っていて」 「え、あ、うん」 ガクガクと頷いた。 「達哉が誘ったのよ、しっかりして」 怒られた。 「じゃ、じゃあ……」 ぼんやりした頭で、ソファから立ち上がる。 「まずいな」 鏡に向かってつぶやく。 この状態で一緒に風呂に入ったら……ちょっと我慢できそうにない……。 ……嫌われるかな。 ちょっと心配になる。 ……。 そんな俺の気持ちを他所に、早くもペニスは隆々としていた。 なぜコイツは空気を読めないのか。 ……いや、読んでるのか?頭が混乱している。 ……。 がちゃドアが開き、フィーナが入ってきた。 「あ……」 「まだ、入っていなかったのね」 「今、服を脱ごうと思ってたところで……」 「では、早く服を脱いで」 フィーナが頭にかぶっていたナイトキャップに手をかける。 「え、えっと……」 「……くすっ」 「今さら恥ずかしがらないで」 「私まで恥ずかしくなってしまうわ」 頬を赤らめたフィーナが、体を隠すようにする。 ……。 こうなれば、覚悟を決めるしかない。 「よし、脱ぐぞ」 一気にシャツを脱ぐ。 「ええ……」 フィーナも胸元とアンダーバストのリボンを解く。 ……。 …………。 「……」 明るい照明の下で見る、フィーナの体。 無駄も不足もない、彫刻のようなプロポーション。 一点のくすみもない肌。 性欲を催す前に、その美しさに固唾を呑んだ。 「達哉も、早く……」 「……ああ」 ベルトを外してジーンズを脱ぐ。 パンツの下からは、ペニスが嫌というほど存在を主張していた。 「これは……その……」 「いいのよ……」 フィーナが、目で先を促す。 「……」 パンツをひき下ろす。 はちきれそうになったペニスが現れた。 「……」 俺たちは裸で向き合った。 完璧な体を持つフィーナに比べ、俺は至って平凡だ。 剣術の練習で若干引き締まったとはいえ、運動部の友人などにはとても敵わない。 そのくせ、下半身だけは一丁前に硬直している。 なんだか、申し訳無い気分になった。 「達哉……とてもたくましいわ」 「フィーナは、とっても綺麗だ」 フィーナがはにかむ。 「ここは少し……気が早いようだけれど……」 フィーナが俺の股間を見て笑う。 「し、仕方無いだろ、こればっかりは」 「ふふふ、そうね……」 フィーナが俺に体を寄せる。 柔らかな乳房が腕に押し付けられた。 「入りましょうか」 「そうだな」 ……。 カラカラカラ「先、体洗ったら?」 「そ、そうね……」 ……。 かけ湯をしてから、俺は湯船に入る。 ……。 フィーナがスポンジを泡立てる。 見てはいけないと思いつつも、どうしても目が行ってしまう。 ……。 フィーナは十分に泡立ったスポンジを左肩に当てた。 初めは左肩から洗う人のようだ。 恥ずかしさのせいか、フィーナは俯きがちに体をこする。 ごし、ごし、ごし……男の俺から見れば、撫でているような洗い方。 徐々に体が泡で覆われていく。 ……。 手が乳房に差し掛かったところで、フィーナは動きを止めた。 「……見ている……のね、達哉」 恥ずかしさと興奮が入り混じった声だった。 「……どうしても見ちゃうって」 「……」 フィーナは俺を非難せず、手を動かし続ける。 ……。 フィーナの手が自分の胸を慈しむように動く。 スポンジが這い回り、にゅるにゅると乳房が形を変える。 どうしても、いやらしい目で見てしまう。 ……。 そんな俺の視線に気づいたのか、フィーナはすぐお腹へスポンジを移した。 「もう……?」 「え?」 フィーナが俺を見る。 ……。 「あ、えっと……」 慌てて視線を逸らす。 「私を……やはり、いやらしい目で見ていたのね……」 「そ、それは……」 「……」 フィーナが顔を赤らめて俯く。 ……。 …………。 そして、再び体を洗い始めた。 「……ま、まだ、洗っていないところがあったわね」 そう言って、フィーナは胸を持ち上げ乳房の下を洗う。 その動きには、どこか俺に見せるような雰囲気があった。 ……。 形のいい乳房がぷるぷると揺れ、泡が流れ落ちていく。 初めに顔を出したのは、乳首だった。 思わず息を呑んだ。 固くなってる……。 ……。 「……達哉……」 フィーナの口からうめくような声が漏れる。 俺に対して発されたものではない。 ……。 スポンジが何度も乳房を撫でる。 乳房の下からスポンジを滑らせ、先端に向かう。 「……っ……ぁ……」 フィーナの体が揺れた。 ……。 もしかして、フィーナ……。 感じている。 そう思った瞬間、湯船の中で俺のペニスがピクリと反応した。 「フィーナ……」 声が出てしまう。 「えっ!?」 ……。 「ど、どうしたの、達哉?」 一瞬間があってから、フィーナが取り繕うように聞いてくる。 「あ、いや……独り言だから」 「そ、そう……」 動揺を隠すように咳払いをして、フィーナは再び体を洗い始める。 白いお腹から背中へ……背中から……再び胸へ。 ごし、ごし、ごし……「……あ……ん……」 確かに、甘い声が漏れた。 見られていることで妙に意識してしまったのか──フィーナの中では、もうスイッチが入りかけているようだった。 ……。 スポンジが乳房の先端を重点的に擦る。 「う……あ……」 「洗っている……だけ、なのに……私……」 フィーナの体が揺れる。 それは、自慰行為と言って差し支えない動き。 ……。 フィーナが目の前でオナニーしている。 一国の姫が、俺の前で乳房を弄んで甘い声を漏らしているのだ。 「フィーナ、下は洗わなくていいの?」 「……あ、洗うわ……今から……」 俺のいやらしい問いかけにも、フィーナは素直に応じる。 体を反らせながら脚を開き、スポンジを股間に押し当てた。 「あう……」 手を動かす前から声が上がる。 ごし、ごし、ごし……「あ……ん……ん……」 スポンジがゆっくりと動き出す。 合わせてフィーナの腰がゆっくりと上下していた。 手を動かしているのか、腰を振っているのか、判然としない。 その動きは、ひどく俺を興奮させた。 「達哉……み、見ては……あっ……嫌……」 フィーナが眉根にシワを寄せる。 しかし、手は止まらない。 振動させるように局部を洗っている。 「あ……あうっ……んっ……達哉……達哉……」 切なげな声が上がる。 「手が……手が、止まらないの……」 「達哉に……見られていると思うと……私……あうっ」 フィーナが上体を反らす。 「ひゃうっ、んっ、んっ……あんっ……あ、あ、あっ」 「達哉っ……達哉っ……あ……ひゃっ、あうっ」 感極まったような声を出すフィーナ。 絶頂がそこまで迫っていることを感じさせる。 「達哉……一人は……嫌……」 快感に身を震わせながら、フィーナが言う。 「フィーナ……」 ……。 じゃぱったまらず湯船から上がった。 フィーナの嬌態に、ペニスは誇らしげに天井を指している。 「た、達哉ぁ……あっ、あうっ……あっ、あっ、あっ、あっ!」 「一人に……一人に、しないで……お願い、ああっ、達哉……」 フィーナが切なげな顔で俺を見る。 「フィーナ……ごめん」 フィーナに近づき、体を抱きかかえた。 「……達哉……達哉……側に、側にいて……」 「ああ、いるよ」 「ごめん、俺、いやらしいことばかり考えて……」 フィーナに唇を重ねる。 「んっ……ん、ん……」 フィーナの手は、まだ動いている。 その手を握り、局部から引き離す。 「達哉……?」 代わりに俺の手を股間に当てる。 くちゅ……「あうっ……」 そこは、明らかに石鹸とは違う液体で濡れていた。 「達哉……も、もう……我慢が……」 「その……」 フィーナが俺の下半身に手を伸ばし、ペニスをそっと掴む。 石鹸まみれの手が、ぬるりと亀頭を擦った。 「くっ……」 「達哉……」 フィーナの手が、ゆっくりと竿を上下する。 くちっ、ぬるっ、くちゃっ……袋から先端まで、フィーナの柔らかい手が満遍なくしごいていく。 俺も負けじとフィーナの秘所をまさぐった。 「あうっ……あ、あ、あ、あ……達哉、だめ……」 中指を膣内にもぐりこませ、親指はクリトリスにあてがう。 そのまま、ぷるぷると振動させた。 「ひゃっ、んんっ、達哉っ……だめっ、手では……手では……」 フィーナの手の動きが速まる。 くちゅっ、ぬちゅっ、ぴちゅっ……お互いの性器から発された淫音が、浴室に響く。 「ああっ、んんっ……達哉……達哉……」 懇願するような目にペニスが高ぶった。 愛撫をやめ、フィーナの脚の間に体を入れる。 ……。 「一人にしてごめんな」 「達哉……き、来て……」 フィーナが自ら俺のペニスを秘所に当てる。 「入れるよ、フィーナ」 フィーナの腰をしっかりと掴み、ペニスを突き出した。 ず、ずちゅ……「ひゃ、あっ……」 フィーナの体がびくりと痙攣する。 初体験は済ませたとはいえ、フィーナの膣内はまだ窮屈だ。 ペニスが強く圧迫される。 すぐにでも動き出したい衝動に駆られる。 「くっ……動く、よ……」 フィーナの返事を待たず、腰を叩きつけた。 「ひゃあっ……あんっ……ああっ、あ、あ、あ、あっ!」 初めからフィーナの声が高い。 ずちゅっ、じゅっ、ぐちゅ、ずにゅっ……速いテンポで腰を振る。 フィーナの膣内が俺のリズムに合わせて、きゅっきゅとペニスを締め付ける。 「あうっ……ひゃんっ……やっ、達哉っ、達哉っ、達哉っ」 「ひゃあっ、いやっ、あああっ……私っ、あうっ、熱いっ……ああぁっ」 フィーナが激しく髪を振り乱す。 強く求められていたことが嬉しくて、一心に腰を振る。 「ひゃっ、あうっ、だめっ……んんっ、達哉っ、達哉っ」 「やあぁっ、熱くて……お腹が、あっ、あっ……熱いっ、達哉ぁ……」 浴室に響く嬌声が甘さを増す。 じゅっ、びちゅっ、ずちゅっ、ぐちっ……「あ……石鹸が、少し……染みて……あうっ!」 緊張のためか、膣内が縮まる。 「くっ……一回、流した方が……いいか?」 「え、平気……離れないで、繋がっていて……」 「……分かった」 両手でフィーナの腰を支え、腰の力を全て伝えていく。 「あんっ、あっ……んんっ!」 「やあっ、あっ、んっ、達哉っ、ひゃあっ!」 俺のリズムに合わせて、フィーナの中身が吸い付いてくる。 激しい熱とぬめり。 あっという間に、絶頂寸前まで持っていかれた。 射精をこらえ、全力で腰を振る。 「あっ、あっ……達哉っ……私、私っ!」 「うぅっ……もうっ、もうっ……あっ、あああっ!」 「やんっ、熱いっ……熱くてっ、あうっ、あっ……ん、あっ、あっ、あっ」 「来るっ、達哉っ……何か、何か来てっ……ああぁぁっ、あ、あ、あ、あ、あっ!!」 「いやぁっ、あ……んっ、あんっ、あ、あ、あ、あ……あ、あああぁぁぁぁっっ!!!!」 フィーナが一気に階段を駆け上る。 膣内が、ペニスを握りつぶさんばかりに締め上げた。 「うあぁっ!」 慌てて腰を引く。 どぴゅっ!どくっ、びゅくっ、びくびくっ!!突き抜けるような快感。 発射された精子が、フィーナの上に落ちていく。 その光景が刺激となり……どくんっ、びゅっ、びゅっ、びゅっ!!!ペニスは欲望を吐き出し続けた。 ……。 「あ……う、あ……」 声も上手く出せないまま、濡れたタイルに手を着く。 ……。 床では、ぐったりとなったフィーナが、金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 荒い息遣いのフィーナ。 胸の上では、ゼリー状の白濁がぷるぷると揺れている。 「フィーナ、大丈夫か?」 優しく髪を撫でる。 ……。 「はぁ……え、ええ……はぁ……」 フィーナは、切れ切れに答えた。 「達哉に……してもらえて……良かった……」 薄っすらと笑顔を浮かべる。 「自分でするのは……寂しすぎるわ……」 「ごめん、意地悪して」 フィーナが優しい表情で首を振る。 「もういいの……」 そう言って、指で胸に付着した精液を伸ばす。 うっとりとした表情のフィーナ。 「フィーナ……」 情の深さを強く感じる。 ……。 「また、外に出して……しまったのね……達哉は……」 少し残念そうに言う。 「こっちの方が好きなのかしら?」 フィーナが笑う。 「そういうわけじゃないんだけど……」 「フィーナが気持ち良すぎて、驚いちゃったんだ」 「ふふふ……仕方の無いことを……」 フィーナが俺の下半身に手を伸ばす。 「……お疲れ様」 フィーナの手が、優しくペニスを撫でる。 慈しむような優しい刺激。 ……。 「あの、フィーナ……リベンジして、いいか?」 「今度は、ちゃんと中に……」 ……。 「……どうしようかしら?」 細い指が、うねうねと亀頭を握る。 ちゅっ、くちっ、くちゅ……「あ、う……」 みるみるうちに肉棒が固くなる。 「どんどん……熱く……」 好奇心を刺激されたのか、フィーナが手の動きを速める。 指がなまめかしく動き、ペニスを何度も往復していく。 ぬちゅっ、ぬちっ、ちゅくっ……「フィ、フィーナ……気持ち……いいかも……」 「元気に、なるかしら……」 時間の問題であることはすぐに分かった。 それほど、フィーナの手は気持ちがいい。 筒状にされた手の中を、ペニスが滑っていく。 時に強く、時に優しく筒がすぼまり、俺に快感を与える。 ……。 「うっ……あ……く……」 ペニスが固さを取り戻してきた。 「すごいわ、固くなって……」 手の動きが激しくなる。 「あうっ……やばいって……このままじゃ……」 肉棒が、刺激を取り込んで、どんどん大きくなっていく。 「もう大丈夫?」 「あ、ああ……」 ペニスが解放される。 硬度は十分だ。 ……。 「フィーナは、準備いい?」 フィーナの性器を指でまさぐる。 絶頂の余韻が残っているのか、まだぬるぬるだった。 「あ、ん……だ、大丈夫よ……」 「じゃあ……行くよ」 フィーナが頷く。 俺は、もう一度ペニスを膣の入り口にあてがった。 「達哉……」 フィーナを抱きしめるように腰を進める。 くちゅ……「あうっ」 湿った音と共に、ペニスがフィーナにもぐりこむ。 じんっとした痺れが腰を走った。 「どう? 痛くない?」 「はぁ……はぁ……」 フィーナが息を吐いて、体の緊張を抜く。 「……ええ、少し……慣れてきたかもしれないわ」 フィーナの声は、虚勢を張っているようには聞こえなかった。 ……。 「じゃあ、違うやり方を試してみる?」 「……違う……?」 「持ち上げるよ」 「……え?」 「達哉……ちょ、ちょっと……」 ためらうフィーナの腕を取り、首に回してもらう。 そのまま、フィーナの腰をしっかりと支えた。 「立つから、落ちないようにして……」 「えっ……あっ……」 俺が体を起こすと、フィーナが脚で俺を挟み込んだ。 「そう、そんな感じ……」 フィーナを抱え、ゆっくりと立ち上がる。 ……。 「ひゃっ!」 「あ……あ……達哉……私……浮いて……」 フィーナは思ったより重くなかった。 これなら、十分に動けそうだ。 「どう?」 「ど、どうと……聞かれても……」 「試しに動いてみようか」 「……え、ええ」 フィーナの返事を受け、試しに腰を振る。 くちっ……じゅぷっ……「あうっ……あ……」 フィーナが一瞬俺の体から離れ、すぐに戻る。 ……いけそうだ。 「フィーナは痛くないか?」 「……ええ、大丈夫」 「……動かすよ」 痛がらせないよう、ゆっくりと腰を振り始める。 ……。 にちゅっ、くちゅっ、ぴちゃっ……水っぽい音が、浴室に響く。 「あうっ、あっ、やっ、うっ……」 腰の振幅に合わせてフィーナが声を上げる。 「どう?」 腰を振りながら尋ねる。 「あっ……そんなこと、あうっ、聞かないで……んっ」 辛くはなさそうだ。 安心して、俺は腰を動かす。 じぷゅっ、ぴちゃっ、くちっ、にちゅっ……「ひゃっ、んっ、あうっ……やっ、んっ」 「達哉っ……あっ、うっ、んあっ」 小刻みに声が響く。 腰を跳ね上げるごとに、フィーナの膣内が、きゅっと俺を締め付ける。 「ペースを上げるぞ」 「ええ……あっ、うあっ、やっ、んんっ!」 フィーナの体が浮いては打ち付けられる。 視線を下ろせば結合部が丸見えだ。 出入りする俺の性器。 刺激的な光景だ。 「やっ、達哉の、大きくっ……あうっ……なって……」 「奥にっ、あたっ……て……あうっ、ひゃんっ、いやっ!」 フィーナの言葉通り、腰を突き込む度に、俺の先端が終点にぶつかる。 それがアクセントとなって、えも言われぬ快感が肉棒を包む。 「あんっ、んっ、きゃっ……だめっ、あうっ」 フィーナが喉を仰け反らせる。 いつの間にか、フィーナも積極的に腰を動かしていた。 「きゃうっ、あっ、あっ、あっ……うあっ、やんっ、達哉っ、んっ、あっ」 フィーナの声が高みを目指して登っていく。 「好きっ、好きっ……あうっ、ずっと、好きっ、あんっ、ひゃうっ!」 「フィーナっ、締まって……すごいっ」 腰に溜まっていく快感に刺激され、がむしゃらに腰を振る。 じゅぷっ、ずちゅっ、ぐちっ、にちゃっ……結合部から淫液が飛び散り、俺とフィーナの下腹部を濡らす。 「達哉っ、達哉っ、達哉っ……だめっ、あんっ、好きっ!」 俺の名前が連呼された。 呼応するように膣内が締まる。 「くっ、そろそろっ……出るかも」 「いいわっ、出してっ、達哉のっ!」 「今度はっ、あうっ、ちゃんとっ、私にっ、私にっ……きゃうっ、あぁっ!」 フィーナが、俺の腰に回した脚に力を入れた。 「フィーナは……まだかっ」 「私、もうすぐっ……あうっ、ああっ」 「熱いものがっ……上がって、上がってっ……あうっ、あんっ」 フィーナが上半身を仰け反らした。 胸が波打って揺れる。 ずちゅっ、ぐちゃっ、にちゅっ、ぐちゅっ……精液が肉棒に集まる。 ラストスパートだ。 「きゃうっ、もうっ、やっ!」 「私っ、私っ、私っ……だめっ、だめっ、だめっ!」 「ああぁっ、いやぁっ、あ、あ、あ、あ……あんっ、もうっ!」 「溢れてっ……来てっ、もうっ、もうっ……あうっ、だめっ、あぁぁっ!!」 「フィーナっ!!」 「来てっ……達哉っ、達哉っ!」 「ああっ……あ、あ、あ、あ、あ、あ……ひゃあああぁぁぁぁぁぁっっ!!!」 「うあぁっ!!」 どくどくっ!びゅくっ! どぴゅっ!びゅるっ、びゅびゅっ、どくんっっ!!フィーナの中で、ペニスが存分に痙攣する。 「ああっ……あっ……うっ……出ているわっ……達哉が……」 より多くの精子を得ようと、フィーナの膣内が、ぎゅっと俺を絞る。 どくっ……びゅっ……びゅくっ…………ぴゅっ………………。 「はぁ……お腹の中が……熱くて、溶けていきそう」 酔ったような声で、フィーナが状況を告げる。 「熱くて……体が……溶けそうよ……」 最後の一滴まで搾り取られた俺は、言葉を返すこともできない。 フィーナは、余韻にうっとりと目を細めている。 もしかしたら、何も目に入っていないのかもしれない。 ……。 …………。 「ん……」 フィーナが身を震わす。 結合部から、とろりと白く濁った液体が零れた。 「はぁ……はぁ、はぁ……」 ようやく息をつけた。 疲労感が体を包んでいる。 あれだけ腰を振って精液を出したのだ。 仕方が無い。 「フィーナ……下ろす……よ」 俺は最後の力でゆっくりと膝を着き、フィーナをタイルに下ろした。 そのまま、彼女の隣に横たわる。 ……。 「はぁ、はぁ……はぁ……」 精根尽き果てるとはこのことだ。 俺は、ぼんやりと天井を眺めながら、息をつく。 ……。 フィーナも隣でぐったりとしている。 少し、休んだ方がいいだろう……お互いに。 ……。 …………。 ………………。 「……達哉……」 ぼんやりとした声で名前を呼ばれた。 「……?」 「とても充実した気分よ……」 「お疲れ様」 フィーナが優しく言ってくれる。 それだけで、自分の務めを果した気分になれた。 「ちょっと腰に来たよ」 「ふふふ……」 フィーナが苦笑する。 「でも、ここまで頑張ってくれて……とても嬉しいわ」 「ありがとう」 「こちらこそ」 フィーナが体に付いた精液を指でなぞる。 「また、体を洗わなくてはならないわね……」 「ああ」 「今度は、俺が洗ってあげる」 「ふふふ、達哉はいやらしいから……また同じようなことにならないかしら?」 流石に、そんな元気はない。 「……普通に洗うって」 ……。 「そう?」 「では、お願いするわね」 フィーナが少し楽しそうに言った。 ……。 カツン、カツン、カツン……硬い足音が、高い天井に反響する。 ……。 空気が澄んでいる。 澄み過ぎている。 24時間、365日、休み無く運転し続ける空気循環装置群。 それらにより供給される、無味乾燥な空気。 月人、全ての生命を支える空気。 ……。 だがそれを、物足りなく感じている。 土の香りも、生命の香りも……何も無い。 地球には満ち溢れていたものが、ここには無い。 ……。 仕方がない。 仕方が無いことなのだ。 ……。 ぎぎ……荘厳な雰囲気に満ちた空間が広がる。 部屋の奥、中央に据え付けられた玉座。 一瞬、玉座に掛けられているセフィリア様のお姿が、脳裏をよぎった。 ……。 「カレン・クラヴィウス、ただいま帰還致しました」 「ご苦労であったな」 現在の玉座の主、ライオネス陛下の温和な声が響いた。 「恐れ多いことでございます」 「どうかね地球は」 「余も長く訪れていないが」 私が初めて地球へ訪れたのは、セフィリア様の公式訪問に同道した時だった。 もう、13年前になるか……。 「以前、お運びになった時と変わらぬように思います」 「やはり、美しゅうございました」 ……。 「そうよな……地球は美しい」 「セフィリアも、よくそう言っていたよ」 そう言って陛下は優しく笑った。 ……。 「さて、本題に入ろう」 「報告書は読んだ」 「カレン、そなたは本気なのか?」 「もちろんです」 「……ふむ」 陛下が深く頷く。 「しかし、名も知れぬ平民とはな……」 「身分の面では、確かに問題があります」 「ですが、人間的には非常に好ましい青年かと」 「ほう」 「フィーナ様に似て、一本気で、誠実」 「そして、諦めることなく、前に進みます」 「フィーナと気が合うとなれば、そういうことになろうよ」 「御意」 「……しかし」 陛下が言葉を切る。 「貴族達が首を縦に振ると思うか?」 「振らせてご覧に入れます」 私は決意を込めて言った。 ……。 「ずいぶんな入れ込みようだな」 「分かっているかとは思うが、失敗すれば全てを失うかもしれんぞ」 私を敵視する貴族は少なくない。 地位を失うだけで済めばまだいい方だ。 それは分かっている。 ……。 同じ状況で、家族を信じると言った友がいる。 彼女の想いを無駄にしたくはない。 さやかが家族のために全てをなげうったのなら、私は彼女のために同じ道を歩もう。 ……。 「失敗した時の事は、存じております」 「陛下にご迷惑をお掛けすることはございません」 「はっはっは……一番の迷惑は、お前が王宮からいなくなることだ」 陛下が微笑まれた。 「過分なお言葉……」 「無茶なことはするな」 「かしこまりました」 無茶をするな、か。 そもそもフィーナ様と達哉さんとの縁談自体が無茶なのだ。 今更、真っ当なことをするほうが難しい。 だが、そう考える度に、熱い情熱が胸の奥底に湧いてくる。 セフィリア様と無茶を通すために駆け回ったあの頃。 それが帰ってくるようだ。 ……。 「時に、フィーナの様子はどうだ?」 「引き続き、朝霧邸で生活されております」 「達哉殿も一緒の家に?」 「はい。 仲睦まじく」 「そうか、特に病気にかかったというようなことはないか?」 「今のところございません」 「実務訓練はどうだ? しっかり取り組んでおるか?」 「定期的に小さな仕事から触れて頂いております」 「簡単なお仕事でしたら、既に習得されていると見て良いかと」 「なるほど」 「月に帰ってきたら、手伝ってもらうことにするか」 「そうそう……」 ……。 陛下からは、次々とフィーナ様についてのご質問を頂いた。 その一つひとつに、できる限り細かく答える。 国王といえども人の親。 やはり心配で仕方がないらしい。 未だ独身の私には、分かりかねる部分が無いでもない。 ……。 陛下の質問が一段落した。 さて、そろそろあの話をしてみるか。 口に出す前に、もう一度頭の中を整理する。 ……。 遡ること2時間ほど前。 大使館から通信が入った。 私の留守中、送るように頼んでおいた定時連絡だ。 全体として、今日の大使館は平穏だったようだ。 だが一つ、気になる情報があった。 それは警備部門からの報告だった。 夕刻に、フィーナ様と達哉さんが、遺跡に赴かれたという。 遺跡には、深い草薮と瓦礫の山があるだけ。 現状、特筆すべきものは見つかっていない。 デートをするにしては、不適当な場所と言えるだろう。 ……。 それに──『遺跡』という単語に、嫌な記憶を掘り起こされた。 セフィリア様の失脚。 あの時、直接的な原因となったのは地球での遺跡調査だった。 恐らくセフィリア様も、その危険性に気づかれていたのだろう。 私は調査メンバーから外されていた。 当時は、呆然と人選を聞いたものだが……。 今思えば、私を巻き添えにしないようにとのお気遣いだったのだ。 ……。 フィーナ様が満弦ヶ崎の遺跡に関心を抱かれている。 何かしらの目的があると見ていいだろう。 トラブルがあってからでは遅い。 そうでなくとも、今は達哉さんとの問題で不安定な時期なのだ。 ……。 「陛下、一つ気にかかっていることがございます」 「フィーナのことでか?」 頷く。 「聞こう」 「つい先ほど大使館より連絡があったのですが……」 「満弦ヶ崎の時間で、昨日夕刻」 「フィーナ様と達哉さんが、満弦ヶ崎の遺跡に赴かれたそうです」 ……。 陛下の表情が、一瞬凍りついた。 「遺跡だと……」 「はい、間違いございません」 「何かの偶然ではないのか?」 「詳細は分かりません」 「ですが、問題が発生してからでは……」 「分かっておるっ」 「分かって……おる……」 拒絶により得られる平穏は、所詮、暗く儚きもの──あの日。 反逆の罪を問われた場で、セフィリア様はそう仰った。 日の当たる舞台での、最後の言葉だった。 その声は、今でも私の頭に響いている。 ……。 セフィリア様の失脚が正当なものだったとは思っていない。 だが、潔白を証明できないのも事実。 フィーナ様にセフィリア様と同様の疑いが掛けられた時──私に何ができるのだろう。 「カレン、何をすべきかは分かっておろう?」 「フィーナ様をお止め致します」 「そうしてくれ。 最優先で頼む」 「娘に、妻と同じことで苦しんで欲しくない」 陛下が沈痛な面持ちで言う。 「心得ました」 あの日。 セフィリア様に政治の舞台から退くよう説いたのは、他ならぬ陛下ご自身だった。 セフィリア様は潔く身を引かれ、それで貴族達も納得した。 彼らの目的が、地球との交流を強く望むセフィリア様を失脚させることだったからだ。 ……。 妻の次は、娘を自らの手で政治の舞台から下ろさせる。 それは、今や老年に差し掛かった陛下には、いささか堪えよう。 「ただ今より地球に向かいます」 「すまぬな。 休む間もなく」 「構いません、こう見えて頑丈にできております」 「……しかしなぜ、今になってフィーナが」 ……。 陛下が苦渋に満ちた表情をされる。 「兵器関連の書類は、全て処分したはずではなかったのか?」 「はい、処分致しました」 「ではどうして、地球の遺跡に関心を持っているのだ?」 「それは……私にも分かりかねます」 「ですが、フィーナ様は聡明なお方」 「誰に聞くともなく、ご自身でお知りになったのかもしれません」 「……」 陛下が目を伏せる。 ……。 「今、原因を追究しても仕方がなさそうだな」 「もし、フィーナが目標に到達するようなことがあれば……」 ……。 …………。 「破壊せよ」 「かしこまりました」 「では、これにて失礼致します」 「頼んだぞ」 「はい」 カツン、カツン、カツンゆっくりと入ってきた扉へ向かう。 ……。 しかし……、なぜ、フィーナ様は遺跡のことをご存知なのか。 誰かが漏らしたとしか思えないが……。 ばたんっ……。 …………。 「誰かある」 「大使館に連絡を取りたい。 専用回線で頼む」 ……。 雨の音が聞こえていた。 遺跡巡りをしようと決めた矢先にこれだ。 ……。 「……ん」 腕の中で、フィーナが息を漏らした。 素肌と素肌が接する感触が心地良い。 こんなとこ誰かに見られたら、何を言われるか分かったものではない。 と言うより、見せられた方が迷惑だろう。 見つからないうちに部屋に戻ろう。 ……。 「フィーナ」 「……ん……すぅ」 寝顔だけ見れば、フィーナも普通の女の子だ。 薄紅色の唇をかすかに開いて、穏やかに呼吸している。 「俺は戻るからな」 「……うん、また」 分かったのか分からないのか、フィーナは小さく首を動かした。 ……。 俺は、フィーナの頬に軽くキスをして、朝日で仄明るい部屋を後にした。 「では、行きましょうか?」 「ああ、行ってくるよ」 「お気をつけて」 午後近くになり、雨は上がっていた。 フィーナとの約束通り、昨日とは別の遺跡へ向かうこととなった。 右手には、フィーナ手ずからの弁当が入ったバスケット。 左手には彼女の柔らかな手。 十分すぎるくらいに幸せな気分だ。 「タッちゃん、見せつけてくれるねぇ」 「あー、何だかアタシも若い頃に戻りたくなったよぉ」 店から飛んでくる冷やかし。 くすぐったい気分になりながら、俺たちは遺跡を目指す。 ……。 「達哉」 川原まで来たところで、フィーナが俺の手を引く。 「ん?」 「その……」 珍しく、フィーナが言い淀む。 「どうした?」 「ベ、ベッドから出て行く時は、一声かけて欲しいの」 そう言って、フィーナは恥ずかしそうに俯いた。 「いや、かけたけど?」 「ええっ、知らないわ」 「フィーナも返事したじゃないか」 「……」 「寝ぼけてたんだろ」 「そ、そんな、一国の姫が寝ぼけるなど……」 妙なプライドを主張し始めた。 ……。 …………。 「ごめんなさい、寝ぼけていたかもしれないわ」 「いいよ、次からは俺もちゃんと言うようにする」 「ええ、そうして」 そう言って、フィーナは俺の手を強く握った。 ……。 「でも、何で?」 「それは……」 「朝いなくなっていると、寂しいから……」 蚊の鳴くような声で言った。 ……。 …………。 どうしようもなくフィーナが愛しくなる。 有無を言わさず、フィーナの頭を掻き抱いた。 「ひゃっ」 「た、達哉、誰かに見られたら……」 「大丈夫、誰もいないって」 俺は、フィーナの美しい髪を何度も撫でた。 「も、もう……」 フィーナは抵抗するのを諦めたのか、くたりと俺に頭を預けた。 ……。 川をさかのぼること一時間程度。 住宅街も消え、畑が増えてきた頃、それが見えた。 広がる畑の真ん中に、ポツリと手付かずの丘がある。 地面にめり込むように、瓦礫の山があった。 ……。 フィーナの手を取り、急勾配の丘を登る。 くるぶしほどに伸びる下草は、今朝降った雨できらきらと輝いている。 「母様はここに来たのかしら」 つぶやくようにフィーナが言う。 彼女の表情は引き締まっている。 「どうかな」 セフィリアさんを失脚させた貴族たちによれば、彼女は月に害をなすものを探していたという。 彼らの主張が正当だとすれば、ここに何か危険なものが埋まっているのかもしれない。 ……。 畑の中の小高い丘。 そんな長閑な景色の中、緊張で体がこわばった。 「達哉、これを見て」 フィーナがバッグの口を開いて、俺に見せる。 ……。 中が、ぼんやりと青く輝いていた。 その光は弱い。 バッグの中でなくては、光っていることに気づかないだろう。 「……」 青白い光に、なぜか不安をかき立てられる。 俺たちは、何か危険なことに首を突っ込んでいるのではないか……。 そんな予感が脳裏を掠めたのだ。 ……。 「遺跡に近づいてみましょう」 「ああ」 言葉少なに丘の頂上を目指す。 一歩進むごとに、宝石の光が強くなっていく。 ……。 …………。 頂上に達した。 宝石は、しっかりとした光を放っている。 「遺跡に近づくほど強く光るのかしら?」 「ちょっと調べてみるか」 俺はフィーナのバッグを借り、登ってきたのとは逆の方向に遺跡から離れる。 初めに南から登ってきたとすれば、北側に丘を下りていることになる。 ……。 光は、徐々に弱くなった。 ……。 もう一度頂上に登り。 今度は東に丘を降りる。 ……。 続いて西。 ……。 …………。 全ての方向で、遺跡から離れると光は弱くなった。 「どう?」 「遺跡に反応して光ってるみたいだな」 「遺跡から離れたら、どの方向でも光が弱くなった」 「少し遺跡を調べてみましょう」 「ああ」 ……。 30分ほどかけ、俺たちは瓦礫の周辺を調べる。 めぼしいものは見つからなかった。 「何も無いわね」 「そうだな」 あるのは瓦礫だけだ。 月に害をなすものがあるかどうか以前に、セフィリアさんが、ここを調査した意味が分からない。 「地表に何も無いのなら、あとは丘の中かしら?」 「とは言っても……」 できることと言えば、せいぜい地表を数センチほじくるくらいのことだ。 「母様……」 フィーナがバッグの中を見つめる。 宝石は何も言わず、ただ光るだけだ。 俺たちを重い空気が包む。 ……。 「フィーナ、飯にしよう」 苦し紛れに言う。 ……。 …………。 「そうね、気分転換しましょうか」 少し考えて、フィーナは頷いた。 ……。 バスケットからレジャーシートを取り出し、地面に広げる。 靴を脱いでシートに乗ると、草の感触がダイレクトに伝わってきた。 「何だか、草に申し訳無いわね」 「でも、クッションみたいだぞ」 おどけて飛び跳ねる。 「ふふふ、石を踏んでも知らないから」 「そりゃ痛そうだ」 「さあ、食事にしましょう」 ……。 丘を駆け上がる風が、土や草の匂いを運んできた。 麓には、畑に植えられた野菜の列。 その先には住宅地が広がり、遠く満弦ヶ崎湾の美しい弧が見えた。 空を見上げれば、ゆっくりと流れる綿菓子のような雲。 申し分の無いピクニック日和だ。 ……。 「今日はおにぎりにしてみたわ」 そう言って、フィーナがタッパーを開く。 中には、俵型のおにぎりが綺麗に並べられていた。 ワカメごはん、ゆかり、鮭ごはん── 色とりどりだ。 「美味そうだな、食べていいか?」 「慌てないの」 「これで手を拭いて」 と、おしぼりが渡される。 「あはは、そうだな」 おしぼりを広げて手を拭く。 炎天下をずっと歩いてきたのだ。 ひんやりとした感触が、たまらなく心地良い。 「んじゃ、頂きます」 「はい、どうぞ」 まずは、ワカメご飯のおにぎりに手を伸ばした。 ……。 程よい塩気と、海の香りが口の中いっぱいに広がった。 「美味いな」 「こっちはどうかな」 2口で平らげ、ゆかりに手を出す。 ……。 こっちは、スッキリしたシソの香り。 「幾つでも食べられそうだ」 最後に鮭ご飯。 「そんなに慌てなくても、おにぎりは逃げないわよ」 フィーナがおかしそうに苦笑する。 「フィーナも食べろよ」 「見てるだけじゃつまらないだろう?」 「ふふふ、そうでもないわ」 「そんなもんか?」 「そんなものよ」 フィーナが笑う。 「と言っても、お腹は空いているのだけれど」 フィーナが、箸で紙皿におにぎりを取った。 相変わらずの慎ましやかさだ。 「いただきます」 「どうぞ」 「……俺が作ったわけじゃないけど」 「もう、仕方が無いことを言って」 フィーナは、笑いをかみ殺しながらおにぎりを食べる。 そんな姿を見ているだけで、胸がほんわかする。 こんな時間が、ずっと続けばいい。 そう思わずにはいられなかった。 ……。 「あー、お腹いっぱい」 「お粗末さまでした」 「すごく美味かったよ」 「料理、上手くなってるんじゃないか?」 「そうかしら」 「絶対、上手くなってる」 そう言って、俺はごろりと横になった。 ……。 空を、ゆっくりと雲が流れていく。 突然、頭を持ち上げられた。 「おっと」 ……。 そして、柔らかなフィーナの太腿に乗せられた。 甘い香りに包まれる。 「枕なら、ここにあるわ」 「高級枕だな」 ぺしぺしと太腿を叩く。 「こら、いたずらをしないで」 「甘い匂いがする」 「そういうことも言わないで」 おでこを軽く叩かれた。 ……。 満腹感と爽やかな風。 フィーナのぬくもりと香り。 あっという間に眠くなってきた。 「少し眠ってもいいかな?」 「どうぞ」 「アルバイトに間に合う時間には起こしてあげるわ」 「よろしく」 心地よい眠気。 甘いシロップの中に、体が融けていくような幸福感。 ……もうだめだ。 俺はフィーナから離れられそうもない。 ……。 「こんな幸せもあるのね」 頭の上から声が聞こえる。 「どんな幸せ?」 目を瞑ったまま聞いた。 「好きな人のために食事を作って……」 「好きな人が、それを美味しいと言ってくれて……」 「こうして、膝の上で眠ってくれている……」 「……俺も幸せだよ」 「ふふふ……さ、お休みなさい」 「……ああ」 フィーナの満たされた声を子守唄に── 俺の意識は深く、深く沈んでいった。 ……。 …………。 どのくらい眠ったのだろうか。 意識が浮上した。 ……。 不意に視界が暗くなる。 ……何だろう? ぱちりと目を開く。 「んん?」 「ひゃっ」 フィーナが慌てた表情で顔を上げる。 ……。 「お、驚かさないで」 「キスしようとしてた?」 ……。 「私がキスをしようとしてはおかしいですか?」 ぷいっとそっぽを向いて、フィーナが言う。 「別に……おかしくないさ」 「もういいわ」 「何だよ……」 ちょっと損した気分だ。 「気づかれずにしたかったのよ」 「な、なんか複雑だな」 「女心は複雑なものよ」 フィーナが笑う。 どうやら、機嫌は損ねていなかったようだ。 ……。 安心して、俺は体を起こす。 「今、何時?」 「三時ね」 「少し早いけれど、帰りましょうか」 「そうだな」 一つ伸びをしてから、片づけに掛かった。 来た道を逆に辿る。 強烈な日差しが、ほぼ真上から降り注ぐ。 「結局、遺跡には何があるのかしら?」 「今日の調査くらいじゃ分からないな」 「もっと調べようとしたら、丘を掘らなきゃいけない」 「手作業では無理ね」 「とは言え、ショベルカーはないし……」 ……。 目で確認できる範囲では、何も見つからない。 でも、宝石は光った。 大体、遺跡に近づくと宝石が光る、という現象自体が不思議だ。 何もなければ、光るわけが無い。 「学術的な方面から調べてみてはどうかしら?」 「学術的?」 「例えば、遺跡の分布とか……」 「何か分かるかもしれないわ」 「そうだな」 「あとは、歴史的な観点で見たりとか」 フィーナが頷く。 「どこで調べることができるかしら?」 「手っ取り早いのは、学院の図書館かな」 「専門的な資料になると、博物館にしかないと思うけど……」 「なら、次は学院の図書館に行ってみましょう」 「ああ」 学院の図書館なら、基礎的な部分から勉強できるだろう。 ……。 …………。 「でも、フィーナはもう学生じゃないよな?」 「あ……そうだったわね」 フィーナの表情に陰りが差す。 卒業の寂しさが、まだ残っているのだろう。 ちょっと失言だったかな。 「そうだ」 「まだ、制服持ってるだろ?」 「ええ、あるけれど」 「制服を着てれば、気づかれないよ」 「それは、規則に反しているわ」 フィーナが憮然と言う。 「でも、本を借りてくるにしても限度があるし」 「俺だけの知識じゃ、分からないこともあるしさ」 「それはそうだけれど」 「必要なことだと思って」 「……」 フィーナが口を閉じる。 ……。 …………。 「頼む」 なぜか俺が頼んでいた。 まあ、彼女に規則を破ってもらうには、このくらい必要だろう。 「考えておくわ」 真夏の光を跳ね返し、白く光る川面。 餌を探して飛び交う鳥の声を聞きながら、川を下って来た。 左門のある商店街は間もなくだ。 ……。 「達哉、あれを見て」 フィーナが控えめに促す。 彼女の視線の先は、土手の下にある住宅街だ。 並木の間から、明るい色の屋根や壁が覗いている。 「……あれは」 住宅街の中、黒塗りの車が停まっていた。 軽くドアの開く音がして、後部座席から女性が出てくる。 ……。 自分の目を疑った。 切れ長の目。 腰まである、艶やかな黒髪。 ……カレンさんだ。 「どうして地球に……」 彼女は婚姻をまとめるため、月へ向かったはずだ。 「月に行かなかったのかな?」 「すぐに戻ってきたのかもしれないわ」 「どちらにせよ、本人に確認しないと分からないわね」 ……。 カレンさんの車の後ろに、もう一台同じ車種の車が停まる。 各ドアから黒服が吐き出され、カレンさんの前に並ぶ。 総勢7人の黒服だ。 「何するつもりだろう?」 「警備にしては、少々ものものしいわね」 カレンさんはキビキビとした動作で、黒服たちに何事か話し掛けている。 言うまでもなく、黒服たちはガッシリとした体つきをしている。 身長もカレンさんより低い者はいない。 そんな男達が、カレンさんの言葉に聞き入っている。 ……。 指示が終わったのか、カレンさんが一つ頷いた。 車を運転する2人はそのままに、残りの男達はバラバラの方向に散っていった。 ……。 閑静な住宅街に、黒尽くめの屈強な男は不似合いだ。 清流に流された汚水が、広がっていくような── そんな嫌な気分になった。 ……。 一体、何をしようというのだろう? 真っ当な目的とも思えないが。 「達哉、行きましょう」 フィーナが、気持ちきつめの言葉で言う。 「ああ」 歩き出そうとした、その瞬間のことだ。 カレンさんが俺たちを見た。 距離はざっと30メートル。 しかも、間に並木を挟んでいる。 にもかかわらず、彼女は迷うことなく俺たちを見据えた。 「このようなところでお会いするとは」 湿度の高い夏の空気をものともせず、カレンさんの声が届いた。 「それはこちらの台詞でしょう?」 「一体どういうことかしら?」 凛とした声でフィーナが問いかける。 カレンさんは答えず、土手への道を近づいてきた。 ……。 …………。 「緊急の要件が発生しまして、急ぎ立ち返りました」 「何があったの?」 「この場ではお話ししかねます」 「よろしければ、今夜にでもお時間を頂きたいのですが」 「私は構わないけれど」 フィーナが即答する。 「達哉さんは?」 「え、俺も?」 突然水を向けられ、間の抜けた声を出してしまった。 「はい、できれば」 ……。 「でも、今日はこれから仕事があるんですが」 「終わってからでも結構ですよ」 「私は何時になっても構いません」 カレンさんの目は、いつも通り静かだ。 「夕食を食べてからでどうかしら?」 「そうだな」 「大体10時くらいになります」 カレンさんが軽く頷く。 「分かりました」 「では、その頃、お宅にお伺いします」 カレンさんが深く頭を下げた。 ……。 「何か、ずいぶん忙しいようだけれど」 フィーナが住宅街を見て言う。 「少々立て込んでおりまして……」 「詳しいことは後程」 「そう……気をつけて」 「ありがとうございます」 「それでは」 もう一度頭を下げ、カレンさんは土手を降りていった。 ……。 「さあ、行きましょうか」 「ああ」 やはり、臣下を前にするとフィーナは変わる。 言葉はより明瞭に、元から良い姿勢も、更に毅然と筋が通ったものになる。 流石だ。 ……。 商店街まで戻ってきた。 歩道は夕食前の買出し客で賑わっている。 「良い運動になったわね」 家が近づいてきた安心感からか、フィーナが表情を緩めて言う。 「足、痛くなったりしてないか?」 「大丈夫よ」 都合10キロ近くは歩いているだろう。 それでもフィーナに疲れた様子はない。 「……」 フィーナが俺を見る。 「どうした?」 「やはり、疲れたことにしておくわ」 笑って、フィーナが腕を絡めてきた。 柔らかな胸の感触が、俺の腕を覆う。 「姫には、少々辛い道のりでしたか」 芝居がかった調子で聞く。 「ええ。 だから腕を貸して頂戴」 そう言って、腕を更に強く絡めてくる。 「もうすぐだから頑張れよ」 ……。 今日の商店街は人が多い。 向かってくる人 追い抜いていく人 流れを横切ろうとする人 突然立ち止まる人…… 少し気を抜くと、誰かにぶつかってしまいそうになる。 ……。 「フィーナ、大丈夫か」 「大丈夫よ、気にしないで」 「気にしないなんて無理だって」 フィーナの腕をより強く掴む。 「ぐおっ」 腹に衝撃。 何かがぶつかる。 ……。 全く気がつかなかった。 それもそのはず、ぶつかったのは小さな子供だった。 「うぅ……」 俺にぶつかった子供は、なぜか動こうとしない。 俺の腹に頭をうずめたまま、止まっている。 ……。 どうやら、女の子みたいだ。 「君?」 「どうしたの?」 後ろから、ひょっこりフィーナが顔を出す。 「いや、これ」 自分の腹を指差す。 「まあ、女の子かしら」 「みたい」 「大丈夫かな」 俺は少女の肩に手を伸ばす。 その瞬間、 少女の体がゆっくりと傾いた…… 「っ!」 「危ないっ」 横に倒れようとする少女を、俺とフィーナ、二人で支える。 ……。 なんとか、地面に倒れるのは防げた。 こんな所に倒れたら、どれだけの人に踏まれるか知れたものではない。 「おい、しっかりしろ」 軽く少女を揺する。 「……っ」 苦しそうな表情を見せる。 ただ、ぶつかったにしては大げさだ。 「道路の端に移動しましょう」 「ここではどうしようもないわ」 「おう」 ……。 …………。 何度か人にぶつかりながらも、道路の脇に女の子を運んだ。 「くっ……あ……」 女の子が苦しげな声を漏らす。 ……。 白磁の肌に、金糸の髪。 頭には、動物の耳を思わせる飾りが付いた帽子。 そして、ヒラヒラがいっぱい付いた可愛らしい服を着ている。 ……人形のような女の子だ。 ……。 どこかで見たことがあるような。 「お、おーい」 返事はない。 「どこか涼しい場所で、休ませないといけないわね」 「家まで運ぼう、俺が背負うから」 と、女の子の前にしゃがんで背中を向ける。 「乗せるわよ」 ……。 背中に、女の子の感触。 体が熱くなっているのが、服越しにも分かる。 厚着をしているようだし、熱中症かもしれない。 「行くぞっ」 足に力を入れると、難なく立ち上がることができた。 かなり軽い。 ……。 フィーナは俺の先に立ち、道を開いてくれる。 これなら5分もかからず家に着きそうだ。 ……。 ゆっくりと歩を進めながら、女の子のことを考える。 確か、どこかで会ったことがあるはずだ。 ……。 …………。 「あ」 唐突に映像が蘇った。 「何かしら?」 フィーナが怪訝そうな目で俺を見る。 「この子に見覚えがあってさ」 「確か、左門に来てたことがあったと思う」 「礼拝堂でも見かけたな、確か」 「名前は知っているの?」 「ん……」 少し頭を捻るが、出てこない。 「聞いたはずなんだけど、思いだせない」 「そう」 頷いたフィーナは、また先に立って道を開き始めた。 ……。 がちゃっ 「お帰りなさいませ……」 「そ、その方は?」 ミアが驚いて尋ねる。 「説明は後よ」 「ミアは氷水とタオルを何枚か、達哉は女の子を私の部屋に運んで」 「はいっ」 「よしっ」 靴を脱ぎ捨て、家に上がる。 部屋に入り、女の子をベッドに寝かせた。 「布団をたたんで、足の下に入れて」 「了解」 言われた通りに動く。 その間、フィーナはクーラーのスイッチを入れた。 「お待たせしました」 ミアが氷水とタオルを持ってきた。 「服を脱がせるから、後は私とミアに任せて」 「分かった」 ……。 …………。 リビングに入り、ソファに座り込む。 何か手伝いたいのは山々だが、服を脱がせるとあっては仕方がない。 ま、大人しく待つしかあるまい。 ……。 俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、一息つく。 もう少ししたら、二人にも持っていってあげよう。 ……。 …………。 コンコンッ 麦茶が載ったトレイを片手に、ドアをノックする。 「入っていいか?」 「構わないわ」 「どう、具合は?」 「落ち着いたようね」 「良かった」 「あ、これ麦茶」 ソファの前にあるテーブルに、麦茶を2つ置く。 「ありがとう」 「ありがとうございます」 ベッドの上では、女の子が優しい寝息を立てている。 ボタンが外されているのは、タオルで体を拭いたからだろう。 近くに置かれた扇風機の風が、金色の髪を少しだけ舞い上げていた。 「今は意識も戻って、寝ているわ」 そう言うフィーナは、どこか浮かない表情をしている。 「……??」 「わたしはこれで……」 ミアは手早く周囲を片づけ、外に出て行った。 ……。 「何かあったのか?」 「……そうね」 ベッドの脇にいたフィーナがイスに座った。 「体にいくつか打撲の痣があるの」 「打撲の痣?」 「転んだりとかしたのかな?」 ……。 …………。 「……何かで殴られてできたものだと思うわ」 「……」 小さな女の子と、殴られるという言葉が、俺の中で上手く結びつかない。 ただ、行き場のない憤りが俺の胸の中に湧き上がっていた。 「誰がそんなことを……」 「分からないわ」 「詳しいことは、目が覚めてから聞きましょう」 「それしかないか」 フィーナがテーブルの麦茶に手を伸ばす。 ……。 「ところで、お仕事の時間じゃないかしら?」 時計を見上げる。 あと10分後には左門にいなくてはならない時間だ。 「この子のことは私に任せて」 ……。 ためらいはあったが、フィーナもこう言ってくれている。 「分かった……」 「じゃあ……俺は行くよ」 「麦茶をありがとう」 フィーナの言葉に軽く手を振って答え、俺はフィーナの部屋を後にした。 ……。 「今日はちょっと暗いんじゃない、何かあったの?」 仕事を始めて数分。 あっさりと異常に気づかれた。 「……バレたか」 「まあね、伊達に付き合い長いわけじゃないし」 フロアの隅に立ち、客席を見ながら話す。 これが仕事中の基本姿勢だ。 「話せることなら聞くけど?」 「ああ……別に話せないことはないんだけど……」 さて、どこまで話したものか。 ……。 …………。 まあ、いきなりヘビーな話をするでもないだろう。 「今日さ、商店街で小さい女の子が倒れてたんだ」 「前に、左門に来た子だと思うんだけど──」 「熱中症みたいでさ」 「大変……」 「それでどうしたの?」 「フィーナが一緒にいたから、俺んちに運んだよ」 「体調も落ち着いたみたいで、今は寝てる」 「ならひと安心ね」 「しかし、今日の商店街はひどかったな」 「もう、地獄ね」 「私も買出し行ったけど、途中で倒れるかと思ったもの」 「大売り出しでもあったのか?」 「納涼抽選会だってさ」 「……」 どこが涼しいんだか。 「すいませーん」 「はい、ただいまっ」 菜月がパタパタとテーブルに向かう。 「これ2番さん」 「はいっ」 ……。 …………。 1分後、再びフロアの隅に集まる。 「思ったんだけど」 「ん?」 「夕食、家で食べた方がいいんじゃない?」 「その子を診てる人だけ居残り、っていうのは寂しいと思うけど」 「皿運ぶのとか大変だろ?」 「そんなの、2、3人いれば平気だって」 「じゃあ、お願いするか」 「りょーかい」 「お父さんには私から言っておくわね」 そう言って、菜月はキッチンへ入った。 ……。 やっぱり、菜月は気が利くな。 クラスでいろんな人の相談を受けているだけのことはある。 もちろん、俺との付き合いが長いこともあるけど。 「すいませーん、レジいいですか?」 「はいっ」 ……。 「じゃあこれで全部ね」 最後の大皿料理を菜月が俺に渡してくれた。 「気を遣ってくれて、ありがとう」 「何言ってんのよ」 わずかに頬を赤らめ、菜月が笑う。 「菜月ちゃん、ありがとう」 「後でお皿を返しに行きますから」 「いいっていいって」 感謝の言葉に、菜月の顔が徐々に赤くなっていく。 「玄関先に置いといて。 そのうち取りに来るから」 「手間掛けて悪いな」 「ありがとう、菜月」 「みんな揃って恥ずかしいって」 「じゃ、また明日っ」 「菜月ちゃん、またね」 お礼の波状攻撃にたまりかねて、菜月は玄関から出て行った。 ……きっと、麻衣の声は届かなかっただろう。 「冷めないうちに食べよっ」 「手分けして持って行きましょう」 それぞれが、料理を持ってダイニングに向かう。 ……。 左門の料理が自宅のテーブルに並ぶ。 場所が違うだけで、見慣れた料理がなぜか新鮮に見えた。 「あの子はどうしてる?」 「まだ寝ているわ」 「特に苦しんでいる様子もないわね」 「なら良かった」 俺が帰宅した時、姉さんと麻衣には、既に女の子の件は伝わっていた。 フィーナが話をしておいてくれたらしい。 ……。 「皆さん、こちらを……」 ミアが小皿を全員の前に配った。 「さあ、頂きましょうか」 ……。 「頂き……」 言いかけた時だった。 パタンどこからか、ドアが閉まる音が聞こえた。 「あら、起きたみたいね」 「わぁ、可愛いっ」 フィーナの部屋の方を見ると、女の子がこっちへ向かって歩いていた。 「どうだ、調子は?」 「ふふふ、かわいらしい女の子ね」 「よく眠れたかしら?」 「体調は大丈夫ですか?」 「こんばんわ」 「……?」 全員の声に、女の子は戸惑ったような表情を見せる。 「ここどこ?」 その口からは、無感情で平たい声が出た。 どきりとさせられる程、子供の口から出るにふさわしくない声だった。 ……。 姉さんが席から立ち、女の子の前にかがみこむ。 「ここは朝霧のおうち」 「アサギリ」 「私はさやか、あなたは?」 「リース」 ああそうだ。 以前聞いた女の子の名前を思い出す。 ……。 しかし、恐らくカタカナの名前に、食卓の空気は一瞬固まった。 この街にいる人でカタカナの名前──真っ先に頭に浮かぶのは「月人」 という言葉だからだ。 「リースちゃん?」 「そう」 「可愛い名前ね」 姉さんの言葉に、リースは表情を変えない。 なかなかの堅物のようだ。 「俺は朝霧達哉」 一度名乗ってたかもしれないけど、とりあえず自己紹介。 「わたしは朝霧麻衣」 「私はフィーナ、フィーナ・ファム・アーシュライト」 「わたしは、ミア・クレメンティスです」 リースは、一人ひとりの顔を見て頷いた。 「何があったの?」 「リースが、商店街で倒れたんだ」 「今日は暑かったから」 打撲のことは、まだ口には出せなかった。 「だから、ここで休んでいてもらったのよ」 「……そう」 「お腹は空いている?」 「別に」 「じゃあ、一緒にご飯を食べましょう」 話がつながっていない。 「我が家では満腹な人以外は、食卓に着く決まりよ」 初めて聞いた。 「帰る」 回れ右するリースを、すかさず姉さんが捕まえる。 そのままひょいと持ち上げ──イスに座らせた。 「はい、お皿です」 「……」 あっという間に準備が整う。 リースは言葉も出ない様子だ。 「今日は倒れてしまったのだから、まずは体力をつけなくてはいけないわ」 フィーナも打撲のことを知っていて、何も言わない。 「美味しそうでしょう?」 「……うん」 ぶすっとした表情で言う。 「では、改めて、頂きます」 「いただきまーすっ」 「いただきまーすっ」 「いただきます」 みんなが唱和する。 「……」 一人乗り遅れたリースだけが、ぼんやりと周囲を眺めていた。 「何か食べたいものあるか?」 「何でもいい」 「じゃあ俺が取ってあげる」 ……。 リースの皿に、サラダ、パスタ、ピッツァと少しずつ取り分ける。 「どうぞ」 「……ん」 リースはフォークを不器用に使って、パスタを口に運ぶ。 そんな姿を横目に、俺も食事をすることにした。 ……。 食事も終盤に差し掛かった頃、姉さんが口を開いた。 「リースちゃんは、家どこなの?」 「……」 リースは答えない。 「今日はお泊りしちゃって大丈夫?」 「平気」 こっちの質問には答えた。 「今日は泊まって、ゆっくり休むといいよ」 「今後のことは、元気になってからね」 「……うん」 リースがフォークを置く。 「ごちそうさま」 「はい、良くできました」 満面の笑みを浮かべる姉さん。 リースはくすぐったそうな表情を浮かべ、ダイニングから出て行く。 すぐに、ドアが閉まる音がした。 フィーナの部屋に戻ったようだ。 ……。 「変わった子だね」 「人と接するのが苦手なだけで、根はいい子だと思うわ」 「そんなもんかなあ……」 「リースさん、もう寝てしまうのでしょうか?」 「みたいだな」 「フィーナさんはどこで寝るの?」 ……。 「リ、リースさんを起こしてきます」 「いいのよ」 フィーナが苦笑する。 「ソファにでも寝るわ」 「夏だから大丈夫でしょう」 「こ、困りますっ」 「姫さまがソファに寝ていらっしゃるのに、わたしがベッドで寝るわけには」 ミアが慌てて言う。 「……そうね」 フィーナが目を閉じた。 ……。 「では、達哉の部屋で寝るわ」 「ひ、ひぇっ」 「え、え?」 二人が変な声を出した。 「じゃあ、そうするか」 フィーナと寝るのはもちろん嫌ではない。 「い け ま せ ん」 きっぱりと姉さんが言った。 「うちは年頃の子が多いのですから」 「別に、そういうことをするわけではないわ」 「そ、そういうこと!?」 麻衣が目を白黒させる。 「大丈夫だって」 「だ め で す」 「フィーナ様は私のベッドに寝て下さい」 「さやかさんは、どうするのですか?」 「私は予備の布団で寝ます」 「分かりましたか?」 姉さんが、念を押すように笑う。 「……分かりました」 「今日はそのようにします」 ちょっと残念な気もしたけど、さすがに仕方無いだろう。 一緒に同じ布団に入っていたら、何もないとは言えないからな。 ……。 ぴんぽーん唐突にドアホンが鳴った。 すぐにミアが玄関に出て行く。 「誰かしら、こんな時間に」 「あ」 そう言えば……カレンさんが来ることになっていたんだった。 「どうしたの?」 「いや、カレンさんだと思う」 「カレンが?」 ……。 「こんばんわ」 「カ、カレンさま」 「どうされたのですか、このようなお時間に?」 「話を聞いていないの?」 「はい」 「お二人には伝えておいたのだけれど」 ……。 「そうなの?」 「ああ」 時計を見ると、もう約束の時間になっていた。 「リースの件で押してしまったようね」 「ミアちゃん、お通しして」 姉さんが玄関に向かって呼びかける。 ……。 …………。 「お食事中でしたか、申し訳ございません」 「いいのよ、もう約束の時間なのだから」 「こちらこそ失礼したわ」 「カレンさま、リビングにどうぞ」 「すぐ食べ終わるから、ちょっとくつろいでいて」 「ありがとう、遠慮なく」 カレンさんが俺の後ろを通って、リビングに向かう。 ふと、彼女が手に何か持っているのに気がついた。 黒くて長い……まるで刀のようだ。 「あのさ、フィーナ」 「何かしら?」 「カレンさんが持ってる長いのって……」 「刀だけれど」 フィーナはさも当然のように言った。 「か、刀って……」 「カレンは武官だから、帯刀は許可されているわ」 「でも、いつもは持っていないだろう?」 「……そうね」 フィーナの表情がやや硬くなる。 ……。 昼間の話だと、急いで月から帰ってきた理由を聞かせてくれるようだけど。 一体どんな理由なのだろう。 ……。 少しして、俺とフィーナはリビングのソファに座っていた。 カレンさんが人払いを求めたため、姉さんと麻衣は部屋に戻っている。 最後に、茶を供したミアがリビングから出て、俺たち3人だけが残された。 ……。 フィーナがまずお茶に手を伸ばし、俺もそれに従う。 カレンさんが最後に湯飲みを持った。 ……。 張り詰めた緊張感が部屋に満ちている。 「今夜の用件だけれど」 フィーナが切り出す。 「はい」 カレンさんが俺たちの目を交互に見る。 「フィーナ様は、ここ数日遺跡を調査されていらっしゃるかと思います」 「……」 フィーナを包む雰囲気が、冷たく尖った。 ……。 おかしい。 俺たちが遺跡に行ったのは、カレンさんが月に行ってからだ。 なぜ俺たちの行動を知っているのだろう。 「単刀直入に申し上げさせて頂きます」 「遺跡の調査をおやめ下さい」 「なぜ、やめなくてはならないのかしら?」 「理由を聞かねば検討もできないわ」 フィーナが言葉のトーンを変えずに言う。 「遺跡の調査は、フィーナ様の身を危うくします」 「母様と同じ道を辿ると言いたいの?」 ……。 カレンさんが、かすかに視線を落とした。 「やはりご存知でしたか」 「一体、誰がフィーナ様のお耳に……」 「カレン、貴女、どうかしているわ」 「母様が失脚した理由を、実の娘に隠し続けられるわけがないでしょう」 ……。 「……仰る通りです」 「なればこそ、お止め下さい」 「断るわ」 フィーナの言葉が徐々に強くなってきている。 「貴女は、失脚が正当なものだと思っているのかしら?」 「……」 カレンさんは黙したまま答えない。 ……。 …………。 カレンさんが湯飲みに手を伸ばす。 「私とて、セフィリア様が兵器を探していたとは思っておりません」 ……。 「へ、兵器?」 「……どういうこと?」 カレンさんがお茶を口に含んだ。 「セフィリア様にかけられた嫌疑は、国家反逆罪」 「かつての戦争で、月に壊滅的な被害を与えた兵器を探していたというものです」 そんなものが、満弦ヶ崎にあるはず……。 ないとは言い切れない。 戦争があったことは事実。 そして、お互いの文明が後退するほどの被害が出たのも事実なのだ。 「それこそ、お話にならないわ」 「母様が兵器など探すわけがありません……」 「それも、月に対して使用されたものなど」 「それは私も重々承知しております」 「ですが、セフィリア様が罪を問われ、政治力を失われたのも事実」 「遺跡調査を続ければ、同じ疑いをかけられる可能性があります」 カレンさんの言っていることは分かる。 セフィリアさんが兵器を探していたかはともかく──実際に彼女は地位を失ったのだ。 「遺跡調査」 と「兵器」 という言葉に、それだけの説得力があったということだろう。 もし、フィーナを追い落とそうとしている人がいたとしたら──今の状況は、それこそ鴨が葱を背負って来るようなものだ。 「私は母様の無実を証明したいの」 「母様が調査をしていた以上、必ず月にとってプラスになるはずだわ」 フィーナが情熱的な瞳で、じっとカレンを見据えた。 カレンさんは動じない。 ……。 「これは国王陛下よりのご命令です」 「父様の?」 「縁談は保留し、フィーナ様をお止めせよとのご指示を頂きました」 「フィーナ様をお止めして後、婚姻の手配をすることになります」 「それって、つまり……」 「遺跡調査をやめない限り、結婚は認めないということね」 「……」 「卑怯なことを」 フィーナがカレンさんを見据える。 「卑怯ではございません」 「国王陛下が、フィーナ様のことを第一に考えられた結果です」 ……。 俺たちの結婚と、遺跡調査が秤にかけられている。 そこまでして、国王陛下はフィーナを止めたいらしい。 ……。 だが、その気持ちも分からなくはない。 妻と娘を、同じ原因で失脚させたくないと思うのは、人として当然のことだ。 「何卒、ご理解の程を」 カレンさんが深々と頭を下げた。 ……。 …………。 「無駄です、カレン」 「私は、母様の無実を証明すると決めています」 「フィーナ様っ」 珍しく、カレンさんが強張った声を出す。 「……」 「セフィリア様が罪を問われた時……」 「国王陛下は、断罪される前に政治の舞台から身を引くことを説かれました」 「セフィリア様を想うが故の、辛いご決断だったと拝察します」 「それを、もう一度陛下に強いるのは、あまりに酷というものです」 「父様が母様を想っていたと言うなら……」 「なぜ父様は、母様と共に貴族と戦おうとしなかったのです」 「父様に見捨てられた母様が不憫です」 「陛下は見捨てたのでありません」 「貴族たちに断罪される前に……」 「セフィリア様の輝かしい経歴に傷をつけられる前に、お救いしたのです」 「母様がそれを望んだと言うのですか?」 「謹慎させられてからの母様は、抜け殻のようでした」 「あれが、望んだ姿だったと言うのですか?」 ……。 カレンさんが奥歯をかみ締める。 彼女も、謹慎させられてからのセフィリアさんを知っているのだろうか。 ……。 「国王陛下が、それをご存知なかったと思われますか?」 「……っ」 「それでも、月をまとめるためには必要なことだったのです」 「同じ決断を達哉さんにさせたいのですか?」 「それは……」 フィーナが不安そうな目で俺を見る。 ……。 俺は──口を開くことができなかった。 セフィリアさんを信じるフィーナ、フィーナに、セフィリアさんと同じ悲劇を繰り返させたくない国王、どちらの心情も分かる。 そして、一方を間違っていると言うことはできない。 ……。 別の問題もあった。 仮にセフィリアさんが探していたものが兵器だったとするなら──フィーナに見つけさせていいのだろうか?戦争で実際に使われた兵器。 二つの星を人が自由に移動していた頃の技術を用いた兵器。 きっと強力なものだろう。 そんなものが片方の星にあれば、遠からずパワーバランスが狂う。 兵器を持っている方が有利なのは、言うまでもない。 ならば、月のために地球の兵器を破壊するのか、地球のために、兵器の存在を公表するのか。 ……。 頭の中を、いくつもの疑問が走り抜けるが──どれ一つとして答えを出せていなかった。 話しかけて欲しくない。 何も聞かないで欲しい。 今の俺が口を開けば、両者を失望させてしまう気がする。 ……。 「達哉」 「……」 「達哉はどう思うの?」 だが、フィーナは俺に回答を迫った。 フィーナが俺を見つめる。 俺が味方であることを疑っていない表情だ。 ……。 …………。 「少し時間を下さい」 「た、達哉……」 信じられないものを見る目だ。 「どうして……」 「……」 怖かったのだ。 フィーナが罪に問われること。 セフィリアさんと同じように失脚すること。 兵器が見つかってしまうこと。 それが使われること。 調査を諦めてしまえば、これら全ての問題がクリアできる。 それはとても魅力的な提案で、俺は拒みきることができない。 ……。 悲しみをこらえた顔で、フィーナが立ち上がる。 「私は……」 「一人になっても調査を続けるわ」 そして、リビングを出て行く。 「フィーナ様っ」 カレンさんの声も届かない。 フィーナは、そのまま2階に向かっていった。 ……。 重い沈黙が流れている。 ……。 …………。 「ふぅ……」 カレンさんから、軽くため息が漏れた。 「追わなくて良いのですか?」 湯飲みに手を伸ばしながら、カレンさんが言う。 「今は……」 「顔を合わせても何も言えない気がしますから」 「そう……」 「でも、可能な限り早く答えを出して下さい」 「私にはフィーナ様を説得することはできないでしょうから」 期待されているのかいないのか、カレンさんは淡々と言った。 「俺がフィーナに協力すると言ったら?」 ……。 カレンさんが静かに俺を見る。 そして、傍らに置いてある刀を見た。 「お二人とも眠っている間に、月へお帰り頂くことになります」 冗談を言っている顔ではない。 「……」 「少し時間を下さい」 「フィーナ様を説得するお時間なら差し上げますが……」 「それ以外に余裕はありません」 「貴族たちが、いつフィーナ様の動きに勘付くか知れたものではありませんし」 「それに、教団も動いているようですから」 「教団?」 耳慣れない言葉だ。 「フィーナ様からは何も聞いていませんか?」 「はい」 「そうですか」 カレンさんは、湯飲みを口へ運ぶ。 「教団というのは、『静寂の月光』という宗教団体のことです」 「彼らが司る宗教は、月では国教に指定されています」 「じゃあ、カレンさんもその宗教を?」 「はい、私はもとより、フィーナ様も……」 「というより、月に住む者の大多数が信仰しています」 「でも、その教団と遺跡に何の関係があるんですか?」 ……。 カレンさんが、少し間を置いて口を開く。 「彼らには、宗教的な役割と、もう一つ重要な役割があります」 「なんです?」 「ロストテクノロジーの管理です」 「ロストテクノロジーというと……昔の技術ですか?」 「戦争前の技術が、今より遥かに進んでいたことはご存知でしょう」 「月では、その時代の遺産が地中から見つかることがあるのです」 「地球でも見つかることがありませんか?」 最近のニュースを思い出す。 無いでもないが、それほど大きなニュースにはなっていない。 「不意に発見されるロストテクノロジーは、大変危険なものです」 「使い方も機能も分かっていない物ですから」 「……」 「とはいえ、ロストテクノロジーは月に必要なもの」 「そもそも月は生物が住める土地ではありません」 「水も空気も重力も、全て過去の技術に頼っているのです」 「掘り出された機械の処理と生命維持機能の管理、これらが教団の役割です」 「じゃあ、教団なしでは……」 「はい。 月は成り立ちません」 「ですから、彼らへの信頼は絶大ですし、独立した意思を持っています」 「今回問題となっているのは、この独立した意思の部分です」 「と言うと?」 「ここからは、内密にお願いしたいのですが……」 とカレンさんが前置く。 俺は素直に頷いた。 ……。 「月から密航者があった形跡があります」 「密航者?」 話が繋がっていないように思えるけど……。 「月からの渡航者は全て大使館が管理しています」 「ですが、どうやら管理を受けずに地球へ降りたものがいるようなのです」 「ど、どうやって?」 「過去の技術には、飛行したり、姿を消したりできる装置があります」 「それも、個人で携帯できるレベルの大きさのもので」 「……うわ」 「そういった装置を使って、船に乗り込んだようですね」 「それは、見つけようがない……」 「はい」 「お恥ずかしい話ですが……」 「最近、月人居住区内でロストテクノロジー関連の盗難が相次いでいました」 「この件で網を張っていたのですが、今日、目標一人の追跡に成功したのです」 「もしかして、夕方の?」 住宅街に散っていった黒服の姿を思い出す。 カレンさんが頷く。 「相手が姿を消していたので、元から分は悪かったのですが」 「警備の者3人が倒された上、逃走を許しました」 「私も2、3合は切り結んだのですが……」 「まだまだ未熟でした」 カレンさんは悔しそうに唇を噛む。 相手の姿が見えないとは言え、やはり剣で負けるのは悔しいのだろう。 「カレンさんに怪我は?」 「ありませんが」 カレンさんが怪訝な顔で俺を見る。 「なら、良かった」 「元気なら、またいつでも戦えますよ」 ……。 「は、はい……」 「お気遣い頂き、ありがとうございます」 カレンさんは俯き、垂れ下がった髪を耳の後ろに掻き上げた。 ……。 「話は戻りますが、今のところ密航者の目的は断定できません」 「ですが、ロストテクノロジーに関するものであることは確実です」 「仮に、遺跡の調査が過去の兵器に関わるものとすれば……」 ロストテクノロジーを管理する教団。 地球に来た密航者はロストテクノロジーを用いていた──この時点で、密航者が教団関係者である可能性がある。 そして、密航者の目的はロストテクノロジーに関するもの。 もし、満弦ヶ崎の遺跡が兵器やロストテクノロジーに関わるものであったなら──「俺たちが、教団から何かちょっかいを出されるかもしれない……と」 「はい。 くれぐれもご注意を」 「分かりました。 フィーナにも伝えておきます」 「お願いします」 そう言って、カレンさんが頭を下げる。 ちょっとくすぐったいような気分になった。 「では、私はこれで失礼します」 カレンさんが刀を持って立ち上がる。 「くれぐれも、フィーナ様のことをお願いします」 「……はい」 返事をしてみたものの、実際どうしたらいいか分からない。 フィーナに協力するのか、遺跡調査をやめるよう説得するのか……未だ、見通しは立っていない。 「最悪、説得できない場合でも、フィーナ様の側にいて下さい」 「え?」 小さな声でそう付け加え、カレンさんは家から出て行った。 わずかに入ってきた空気は、湿気をはらんでいる。 雨の気配を感じつつ、俺はリビングに戻った。 ……。 時計の秒針の音しか聞こえない。 テーブルには空の湯飲みが二つと──ほとんど口をつけられていないものが一つ。 フィーナの湯飲みだ。 ……。 無意識にそれを手に取り、口をつける。 ……。 苦味が舌を刺した。 「はぁ……」 大きく息を吐いてソファに体を沈める。 ……。 フィーナが最後に残した表情。 何度目かの表情。 あれは、内側で激しく揺れ動く情動を、一人で耐えている時の顔だ。 ……。 一人に、しちゃったんだな。 そんな実感が、俺の内側にじわじわと染み込んできた。 ……。 …………。 フィーナには、俺が一緒に来てくれるという自信があったのだろう。 「一緒に戦う」 これを合言葉に、俺たちはずっとやってきたし──やってくることができた。 ……。 だが今、俺たちは道を違えようとしている。 ……。 母親であるセフィリアを敬愛し、彼女の名誉を回復しようとするフィーナ。 その情熱は強く、とてもではないが消せるものではない。 だが、フィーナの政敵から見れば、彼女を失脚させる格好の機会。 国王からは、遺跡の調査と婚約を天秤にかけるよう圧力を掛けられている。 普通に考えれば、全力でフィーナを説得しなくてはならない。 でも、俺はそうしていない。 普通じゃない考え方──俺とフィーナの間の考え方によれば──彼女と共に歩み続けることが正解である気がしている。 ……。 更に、問題がある。 調査を続けたとして──もし、兵器を見つけてしまったら、俺はどうするのだろう。 カレンさんの話によれば、大昔の戦争で使われたとのことだ。 形状はともかく、兵器を用いることで、たくさんの月人が死んだことは確実なのだ。 ……。 そんなものの存在が、世間の知るところとなれば、奪い合いになること必至だ。 地球は月に兵器を渡すわけには行かないし、月は地球に渡せない。 月が害を受ければ、フィーナやミア、カレンさんが苦しむ。 地球が害を受ければ、家族や鷹見沢の面々が苦しむ。 どっちをとっても俺の大切な人が苦しむ。 俺は誰を守ればいいんだろう……。 ……。 俺は、ゆっくりとソファから体を起こす。 例えば、俺が月に行ってから、二つの星が戦争を起こしたとする。 俺は地球を、家族が住む地球を倒すため、全力を尽くすのだろうか?それとも、地球を守るため月を裏切るのか?結局、俺は地球人なのか、月人なのか……。 ……。 立ち上がり、湯飲みを持つ。 三つの湯飲みをシンクに置き、水を入れた。 ……。 ずっと地球で育った。 頭の中にある記憶は、全て地球のもの。 でも、フィーナの伴侶となる今──俺に期待されているのは、月の人間になることなのだろう。 フィーナを守り、地球と友好を図る。 ひとたび戦争になれば、地球を滅ぼす道を探る。 ……それが、俺に期待されていることなのだろうか。 ……。 電気を消す。 ぼんやりとした月明かりが部屋を照らしていた。 ……。 ……何のために生きたらいいのか。 暗闇に向かって問い掛けても答えは無い。 ……。 考えなくてはならない。 何を守り、何のために生きるのかを。 ……。 2階へ上がり、自室のドアノブに手をかけた。 「達哉くん」 闇の中からの声に呼び止められる。 「姉さん……起きてたんだ」 「ええ」 物言いたげな視線。 俺とフィーナに何かあったことは分かっているようだ。 ……。 「フィーナは?」 「ベッドに入っているわ」 「そっか」 後ろめたい気分になって、俺は俯いた。 姉さんが俺の前まで近づいて来る。 「私にできることがあれば力になるからね」 「ありがとう」 「……あ」 姉さんのしなやかな腕が伸び、俺の頭を撫でた。 「よしよし」 「……」 手の暖かさに、体から無駄な力が抜けていく。 「話せるようになったら、私にも事情を教えてね」 「……うん」 思わず子供のような返事を返してしまう。 「それじゃ、おやすみなさい」 姉さんの手が頭から離れる。 ……。 「姉さん」 「はい?」 「もしもの話だけど」 「月と地球が戦争になったらどうする?」 ……。 姉さんは月と地球をつなぐ仕事をしている。 立場的には俺に近いものがある。 姉さんがどんな風に考えているのか、聞いてみたくなった。 「そうね……」 「大切なものを守るわ、誰を裏切ることになっても」 姉さんの表情は穏やかなままだ。 「大切なものって?」 「ふふふ、何でしょうね……乙女の秘密よ」 「……」 「リアクションがないと寂しいわよ」 姉さんが優しく俺の鼻をつまむ。 「ふいまへん(すいません)」 「私も仕事柄、地球と月のどちらを優先すべきか迷うことがあるわ」 姉さんが、俺の悩みを見透かしたように言葉をかけてくれる。 「でも、そういう時は考えるの」 「どちらの道を通ったら、理想とする二つの星の関係に近づけるのかって」 「……」 「物事を動かすのは人、人を動かすのは理想よ」 「これから達哉くんがなろうとしている立場は、人に理想を示すのが仕事」 「達哉くんの理想は何かしら?」 姉さんが鼻から手を離す。 「理想……」 「地球と月にどうなってほしいのか、ゆっくり考えて」 「……分かった」 俺の答えに軽く頷くと、姉さんは部屋に戻っていった。 ……。 以前、カレンさんも同じようなことを言っていた。 ……。 「君主にとって最も大切なのは、困難な問題に直面した際に、最後まで諦めない胆力」 「そして、私たち臣下に、希望に満ちた未来を指し示して下さる力なのです」 ……。 「地球人だから」 「月人だから」 といったように、視点を限定せず──常に二つの星を視野に入れ、関係の理想像を目指す。 それが、姉さんの言いたかったことだと思う。 俺は、地球人でありながら月の政治を動かせる立場に立つことになる。 お互いのバランスを取りながら、より良い関係を目指す。 そのためには、月人だけでなく地球人にも理想を示さなくてはならない。 両者が納得して初めて、二つの星の人が動いてくれるのだ。 ……。 具体的な答えは教えてくれなかったけど、姉さんは考え方を教えてくれた。 後は時間をかけて自分で考えるだけだ。 俺は、一つ大きく息を吸って自室のドアを開いた。 ……。 「準備はいいか?」 「今日は負けないからな」 「なあに、飛ばしてみれば分かることさ」 「よーし、行くぞっ」 「せーーーーのっ」 思い切り腕を振る。 ……。 紺碧の空に、2機の紙飛行機が舞った。 真っ直ぐに飛んでいく親父の紙飛行機。 それに比べ、俺が飛ばしたものはすぐに失速し、地面の芝に突き刺さった。 「わああっ、何で飛ばないんだよ」 「似たような形なのに」 「あはははっ、勉強が足りないな」 「お父さんは勉強してるの?」 「俺か?」 「もちろんさ」 「僕にも飛ぶ奴を教えてよ」 「どうしようかなぁ」 「教えてよー」 「ようし、帰ったら俺のオリジナル機の作り方を教えてやる」 「ホントっ!」 「でも、教えるのは作り方だけだぞ」 「自分の手で作らないと覚えないからな」 「うん」 「次は負けないからなっ」 「はははっ、お父さんも負けないぞ」 「僕の飛行機がぜったい勝つ」 「よーし、頑張れよ、楽しみにしてる」 ……。 少し乱暴に目覚まし時計を止めた。 朝だというのに、部屋は薄暗い。 ……。 サァ……外から、雨の音が聞こえる。 細かい雨粒が、霧吹きのように窓を濡らしていた。 どうにも季節外れだ。 親父の夢なんか見たのも、きっと雨のせいだろう。 ……。 親父が行方不明になって、もう5年。 最近は親父の夢なんて見なくなっていたのに……。 ぼんやりと、夢の中身を回想する。 頭に残っているのは、親父の背中と紙飛行機、そして、幸福感に満ちた空気。 ……。 幼い頃の俺は、親父に遊んでもらうことに幸せを感じていたのだろうか。 今の俺には考えられないことだ。 家族より研究を優先して、家からいなくなった親父。 そのせいで、母親は早くに死んだ。 そんな親父を、どうして俺が幸福感と共に受け入れられると言うのだろう。 ……。 ベッドから這い出し身支度を整える。 フィーナはもう起きているだろうか?元気良く朝食を食べていればいいのだけど……。 ……。 今回の件は、時間が解決してくれる類の問題ではない。 お互いがどう生きるかという、もっと大きな問題だ。 今、俺たちの間には大きな溝がある。 フィーナは、遺跡調査をやめようとはしないだろう。 とすれば、俺がフィーナ側に行くか、フィーナをこちらへ無理やり引っ張るしかない。 だが、最も大きな問題は、俺がどうするべきか決めあぐねていることだ。 ……。 ダイニングの空気は重かった。 かすかな雨音を背景に、食器の音が響いている。 「お、おはよう」 ……。 「お、おはようございます」 「おはよう、お兄ちゃん」 「おはよう、達哉くん」 「あ、うん」 順番に挨拶をしてくる。 事情の分かっていないミアと麻衣は、戸惑いの笑みを浮かべている。 「おはよう、リース」 帽子の耳の間をぽんぽん撫でる。 「……おはよ」 無愛想な返事。 ……。 最後に、問題の女性を見る。 フィーナはいつもの席に、座っていた。 「おはよう、フィーナ」 フィーナがパンをちぎっていた手を止めて、視線を俺に向ける。 ……。 …………。 「おはよう」 ぽそりと言う。 力ない声だった。 「……」 元気な声が返ってくるとは思っていなかったけど、やはりショックだった。 俺は、ぽつねんとイスに座る。 「た、達哉さん、パンとご飯、どちらにしますか?」 「パンで」 「は、はい……」 「お、お兄ちゃん、今日は予定あるの?」 麻衣が、ぎこちない笑みで話を振ってくる。 「いや、ないよ」 「そ、そう」 ……。 …………。 「フィーナ様は?」 「ありません」 にべもない。 食卓に重い空気が広がる。 ……。 「ケンカ」 黙々とパンを食べていたリースが口を開いた。 「違うわ、心配しないで」 フィーナがリースに笑いかけた。 その笑顔が少し痛々しい。 ……。 …………。 「そう」 リースは、フィーナをじっと見てから言った。 それで関心を失ったのか、リースはまたパンに向かった。 ……。 「それじゃ、私は仕事に行くわね」 姉さんが立ち上がる。 「達哉くん、ちょっといい?」 「え?」 姉さんが俺を玄関へ連れて行く。 ……。 「どうしたの?」 「リースちゃんのことなんだけど」 「数日は、リースちゃんの好きなようにさせてあげて」 姉さんが靴を履きながら言う。 「了解」 「家族のことも話したがらないし、体に傷もあったみたいだから……」 姉さんが言葉を濁す。 家族が原因で家出したことを疑っているのだろう。 「近いうちに、警察に相談してみるわ」 「そうだね」 「かわいい家族が増えるのは大歓迎なんだけど、何しろ相手がいることだから」 「筋は通さないと、ってこと?」 「正解」 「後ろ暗いことがあると、正面からぶつかれないわ」 姉さんが靴を履き終わる。 「それじゃ、お願いね」 「ああ、いってらっしゃい」 「いってきます」 と、ドアノブに手をかけた姉さんが振り返る。 「フィーナ様とは早く仲直りしてね」 「この調子じゃ、先に麻衣ちゃんやミアちゃんが参ってしまうわ」 「面目ない」 「それじゃね」 ……。 今日は雨だし、フィーナと仲直りする方法をじっくり考えてみるか。 「雨降ってたの忘れてたわ」 姉さんが恥かしそうに戻ってきた。 「ごめん、気づかなかった」 俺は傘立てから、花柄の傘を取り出す。 「はい」 「ありがと」 「じゃあ、今度こそ行ってきます」 「いってらっしゃい」 閉まるドアに手を振った。 ……。 「さて、朝飯……」 と、ダイニングの方を向いた俺の脇を、フィーナがすり抜けていった。 「フィーナ」 反射的に呼び止める。 「どうしたの?」 「あ、いや……」 呼び止めてはみたものの、言葉に窮する。 「食事、冷めるわよ」 「ありがと」 言葉が途切れた。 フィーナは俺をじっと見つめている。 瞳が悲しみに揺れている。 「気持ちは変わらないわよ」 フィーナは自分に言い聞かせるように言って、部屋に向かった。 ……。 ダイニングに入ると、二人の心配そうな視線が待っていた。 リースは、関心なさそうにパンにジャムを塗っている。 「わ、達哉さん……」 「お兄ちゃん……大丈夫?」 「ぱく……もぐもぐ」 「大丈夫だって」 俺は、イスに腰を下ろす。 パンを手に取り口に運ぶまで、二人の視線が付いてくる。 熱々のパンをかじるが、味なんて分からなかった。 ……。 「ごめんな、心配かけて」 「姫さまとケンカをしているのですか?」 ……。 「あの、聞いてはまずいのでしたら、そう仰って下さい」 「そうだな……」 「ケンカっていうか、考え方の違いっていうか……」 お互い感情的にはなっていないから、ケンカではない気がする。 「考え方が違うところがあるのは仕方無いんじゃ……」 「たまたま、譲れない部分に当たっちゃったんだ」 「むむう」 「もぐもぐ」 「具体的にお聞きしてもいいですか?」 ちょっと困った。 兵器だの失脚だのって話をするのは避けたい。 「ええと……」 「フィーナにどうしてもやりたいことがあるんだけど」 「でも周りの人は賛成してないんだ」 「悪いことなの?」 「悪いとは言い切れないんだけど……」 「フィーナにとって良くないことが起こる可能性がある」 「でも、フィーナさんはやりたいって言ってるんでしょ?」 「譲れないラインみたいだな」 「一人でもやるって言ってる」 「お兄ちゃんは?」 「正直、迷ってるんだ」 「フィーナに辛い目に遭って欲しくないけど、希望通りさせてもあげたい」 「ふうむ」 麻衣が、顎に人差し指を当てて考え込む。 ……。 「お兄ちゃんの考えも分からなくはないけど……」 「フィーナさんは、周りの人が言うことを分かってないわけじゃないでしょ?」 「まあ、ちょっと考えれば分かることだからな」 「なら、それを言うのはお兄ちゃんの役目じゃないよ」 「お兄ちゃんは、フィーナさんのフィアンセでしょ?」 「フィアンセに普通のこと言われても嬉しくないと思うよ、フィーナさん」 「他の人より、フィーナさんを知りたいって思ったから付き合ったんでしょ?」 「……ま、まあ」 「なら、フィーナさんがどれだけ強く、そのことをしたいのか分かるんじゃないの?」 「分かってるつもりだけど……」 「フィーナさんのたった一人の人になりたいなら」 「他の人でも分かることを言ってても仕方無いよ」 「フィアンセなら、フィーナさんと一緒にいて支えてあげないと」 「……」 「ちょっと偉そうなこと言っちゃったね」 麻衣が、たははと笑う。 「いや、麻衣の考えが聞けて良かった」 「あくまでも、わたしがフィーナさんだったらって話だよ」 「大丈夫、どうするかは自分で決めるから」 「頑張ってね」 「あー、わたしにも素敵なフィアンセが現れないかな」 「難しいんじゃないか」 「何で、そういうこと言うかな」 麻衣がぶすっとする。 「相談に乗ってあげたんだから、もうちょっと気の利いたことを言いなさい」 「すまん」 「罰として、ベーコンエッグは没収~」 ベーコンエッグが奪われた。 ……。 事情を詳しく知らない麻衣の意見。 知らないからこそ言えるストレートな意見。 俺の中でモヤモヤしていたものが、少しスッキリした。 ベーコンエッグくらいなら安いものだ。 ……。 「ごちそうさま」 リースが立ち上がる。 リースは、俺たちのことをどう思ったのだろうか。 試しに聞いてみよう。 「なあリース」 「何?」 「参考までに、リースはどう思う?」 「何の話?」 パンに夢中で聞いていなかったのだろうか?「いや、俺とフィーナの話」 「……」 リースがじっと俺の目を見る。 全てを見透かしたような、そんな目だった。 予想外の迫力に、背筋に冷たいものが走った。 「時代を変える決断の多くは、周囲に理解されない」 「でも、一人でできることには限りがある」 淡々とした口調。 その内容は子供が口にするものではない。 ミアも麻衣も目を丸くしている。 ……。 狐につままれたような気分だ。 だが、その言葉が誤っているようには聞こえなかった。 「あ、ありがとう」 「……ん」 リースが視線を外す。 ……。 「と、ところで体調はどう?」 「……普通」 普通って何だ?「特に予定とか無いんだったら、うちで自由にしてていいからな」 リースがわずかに驚いた表情で俺を見る。 「どうして?」 「どうしてって……」 「人は多いほうが楽しいしさ」 「リースが出てくって言うなら仕方無いけど」 「調子が良くないなら、遠慮しないで」 「うちは平気だもんね?」 麻衣がミアに言う。 「はい、大歓迎です」 「料理はたくさん作った方が美味しくなりますし」 「……気が向いたら」 そう言って、リースはリビングへ向かった。 ……。 朝食が終わり、リビングで一息つく。 リースは大人しくソファにすわり、テレビを見ていた。 画面の中では、数人の評論家が渋い表情で喋っている。 「話、分かるのか?」 「うん」 リースが俺を見る。 「……理想論ばかり」 理想論なんて、難しい言葉がリースの口から飛び出す。 「難しいこと言うんだな」 「そう?」 「でも、最後に人を動かすのは理想なんじゃないか?」 姉さんの受け売りをしてみる。 「理想で傷つくのは、いつも下の者」 「理想を口にした本人は責任を取らないのが相場」 「むむ……」 「なら間違わなきゃいいんじゃないか?」 「人は間違いを犯す」 そう言って、リースは画面に視線を戻した。 ……。 どうやら、付け焼刃の理屈ではリースの相手は務まらないようだ。 彼女は、難しい言葉を操り、自分の中にちゃんとした理屈を持っている。 一体、何者なんだろう。 ……。 「リース」 という名前。 礼拝堂で出会ったという事実。 月人居住区を歩いていて、横文字の名前の人なんて──リースは月人なのだろうか。 「飽きた」 リースはテレビを消して立ち上がる。 「どこ行くんだ?」 「散歩」 「雨降ってるぞ?」 「平気」 「ちゃんと傘差して行けよ」 リースはこくりと頷いて、リビングから出て行った。 ……。 …………。 少しして、大きな男物の傘を差したリースが、玄関から外へと出て行った。 かわいい傘を差して行けばいいのに。 ……。 リビングに一人残された。 ……。 ソファにもたれる。 聞こえるのはかすかな雨の音だけ。 目を瞑ると、自分が雨音の中へ溶け出してしまいそうな気分になる。 少し寂しい。 ……。 時間はまだ午前10時。 起きてからずいぶん時間が経った気がしていた。 フィーナは何をしているのだろうか?脳裏をフィーナの顔がよぎる。 ……。 会いたい。 話をしたい。 恥ずかしげもなく欲求が湧き上がってくる。 ……。 でも、この状態で会っても仕方がない。 フィーナと共に歩むのか、遺跡調査をやめるよう説得するのか──答えが出ていない。 ……。 ゆっくりと目を閉じる。 「フィアンセなら、一緒にいて支えてあげないと……」 麻衣の言葉が甦る。 麻衣の言っていることはよく分かる。 俺は、フィーナのたった一人の人になりたくて、彼女と付き合ったのだ。 どんな時でも、どんな境遇にあろうとも彼女を支えたい。 そう思ったから、付き合ったのだ。 だから、できることならフィーナには自分の思うように進んで欲しい。 ……。 だけど、遺跡調査を続ければ、フィーナ自身に危険が及ぶかもしれない。 それが怖い。 彼女には辛い思いをして欲しくない。 俺は、彼女が苦しむのを見たくないのだ。 ……。 しかし──フィーナを説得するのは難しいだろう。 さっきも、自分の気持ちは変わらないと言っていた。 どうしてフィーナは、一緒に来て欲しいと言ってくれないのだろう。 ……。 カレンさんの前で、フィーナと一緒に行くと即答できなかった時──。 あの瞬間からフィーナは変わった。 彼女は、もう俺に何かを働きかけようとはしていない。 ただ、自分は説得できないと、防御を固めている。 まるで、俺を敵として認識しているようだ。 ……。 一緒に戦い続けると、何度も約束をしたはずなのに──こんなにあっさりと切り捨てられてしまうなんて、思いも寄らなかった。 悲しいと同時に、少し憤りも覚える。 フィーナは、俺と気が合うから付き合っていただけ。 自分と主張が合わなければ、さっさと切り捨てる。 結局は、そういうことなのだろうか。 ……いろんな人に迷惑をかけてまで、自分たちのわがままを通したあの頃は、一体なんだったのだろうか。 ……。 「……お兄ちゃん」 「おーにーちゃん」 気がつくと、麻衣が立っていた。 「ま、麻衣、どうした?」 「どうしたじゃないよ、思い詰めた顔をして」 「はい、麦茶」 と、テーブルに麦茶を置く。 「ありがとう」 グラスを手に持った。 その冷たさに、熱くなっていた自分に気づく。 ……。 麦茶を一気に飲み干した。 「煮立ってたんじゃないの?」 麻衣が俺の頭を指差す。 「ああ、ちょっと熱くなってた」 それに──ネガティブな方向に頭が行っていた。 「ま、そのくらいじゃないとね」 「でも、お兄ちゃんをここまで悩ませるなんて、ちょっと妬けちゃうな」 「おいおい」 「あはは、冗談だって」 「もう一杯飲む?」 「頼む」 「ほいっ」 麻衣が笑顔でキッチンに向かった。 ……。 麻衣に救われた。 あのまま、考え続けていたら、俺はフィーナと過ごした過去まで否定してしまったかもしれない。 過去を受け入れ、前を向く。 フィーナから教わった大切なことを、俺は忘れそうになっていた。 「ふぅ……」 大きく息を吐いて、ソファに体を預ける。 ……。 今考えれば、俺の気持ちは明確だった。 傷ついたフィーナを見ることへの恐怖。 そして、フィーナから切り捨てられてしまったのでは、という恐怖。 二つの恐れが、俺の中にあるのだ。 もちろん、気持ちの整理がついたからといって、問題が解決するわけではない。 でも、少しは楽に今後を考えて行けそうだ。 ……。 「お待たせ」 「ありがと」 麻衣からお代わりの麦茶を受け取る。 「で、結論は出たの?」 麻衣が期待に満ちた表情で俺を見る。 「まだ」 「明るい顔になったから、期待しちゃったじゃない」 「優柔不断なんだから」 「仕方無いだろ」 苦笑して答える。 なんだかんだ言って、やっぱり麻衣は俺のことを良く見てくれている。 よくできた──妹だ。 「ま、元気ならいいや」 「悪いほうに考えたらダメだからね」 「……」 俺の考えていたことを見抜いているのだろうか。 「へ ん じ は?」 「はーい」 「フィアンセなんだから、ちゃんと結婚まで行かないと」 「おう」 元気良く答える。 「いい返事ですね。 これで安心して友達の家に行ける」 「遊びに行くのか」 「約束しちゃってたからね」 「じゃ、行ってくるね」 「心配かけて悪かったな」 俺の言葉に、麻衣は元気に手を振ってリビングを出て行った。 ……。 「あー、わたしの傘~」 「お兄ちゃん、わたしの傘知らない?」 「ん……どういうヤツ?」 「ピンクで花柄の傘」 ……。 姉さんに渡した傘だった。 「悪い、姉さんに渡しちゃった」 「うわぁ……」 「あれ、お姉ちゃんにはちょっと子供っぽいよ」 「今頃、職場で笑われてるかも」 「……そうかな?」 「姉さんなら似合うって」 「あーっと、失言1」 「違うよ、姉さんは雰囲気的に可愛いだろ?」 「しーらないっと」 「……くそう」 「しょうがない、折り畳みで行こっと」 「じゃねっ」 短いスカートを翻して、麻衣は再びリビングを出ていった。 ……。 「ちはー」 「あ、達哉」 「フィーナとケンカしたんだって?」 バイトに行っても、この話題からは逃げられないらしい。 「第一声からそれか」 「あはは、ごめんごめん」 「仲直りはできそうなの?」 「どうだろう……」 「ちょっと、せっかく付き合ったんでしょう?」 菜月がじっとりした目で見る。 「俺だって仲直りはしたいさ」 「おい菜月、ケンカしたくてする人はいないぞ?」 「お父さん……」 キッチンからおやっさんが出てくる。 俺たちの話に入ってくるのは、あまり多くあることではない。 「ややこしい話になってるんだってな?」 「誰から聞いたんですか?」 「情報の出元は言えない」 「これからネタをもらえなくなっちまうからなぁ」 何か、麻衣が犯人っぽい気がしてきた。 「まあ、詳しいことは分からないから大したことは言えないが……」 「頑張って相手を信じてやらなきゃいかんよ」 「頑張って?」 「人間、裏切られる人よりも、信じるのを諦める人の方が多いってことさ」 「信じるのは、とても根性が要るし疲れる。 リスクも高い」 「だからある程度大人になると、中途半端にしか人を信じなくなる」 ……。 「……そうかもしれません」 「だが、恋人相手にそれはダメだ」 「どんなに相手を疑いたくなっても、歯を食いしばって相手を信じなきゃダメだ」 「逆に言えば、それができたヤツだけが相手に選ばれるのさ」 「お父さんもそうなの?」 菜月が苦笑しながら聞く。 「当たり前さ」 「俺は春日を信じてるぞ、ミラノで何やってるか知らないけどな」 「信じてないじゃないですか?」 「いいんだよ、俺を裏切っていないことだけは信じてるから」 「おおー」 菜月が拍手。 「すばらしい」 「兄さんは出てこない方がいいよ、真面目な話してるから」 「失礼な妹だねぇ」 「菜月と違って、体験に基づいた話をしてあげようというのに」 「なっ」 菜月の顔が赤くなる。 「はははは」 「一度好きになったら細かいことは考えないに限るね」 仁さんが俺に言う。 「……うわ」 「せっかくお父さんがいい話してくれたのに」 「そう捨てたものでもないさ」 「追いかける方はそのくらいじゃないと、すぐ息切れしてしまうよ」 「どうせ好きになった方が不利なのだから」 「うーん、分かったような、分からないような」 「シャキッとしたまえよ、男だろう」 「大騒ぎして付き合ったのだから、今更、多少のトラブルを起こしたところで誰も愛想は尽かさないさ」 「この際だから、行けるところまで行くといい」 「なかなか言うじゃないか」 「親父に負けてはいられないからね」 「ま、もしもの時には家に帰ってくりゃいいんだし、当たって砕けろ」 ニヤリと笑うおやっさん。 ……。 「どちらかというと、フィーナちゃんの方が心配だね」 「一人で悩んでいるんじゃないか?」 仁さんの言う通りだ。 俺には、こんな風に支えてくれる人がいる。 でも、フィーナはどうだろう。 今日もずっと、部屋に篭っていた。 一本気な彼女のことだ。 ズブズブと悪い方へ行っているかもしれない。 ……。 一人で悩むのは怖いことだ。 それは、昼間に実感した。 自分でも気づかないうちに、どんどん深みにはまり込んでしまう。 麻衣がいなかったら、俺もどこまでネガティブになっていたか分からない。 ……。 「ま、今は仕事だな」 「何もこんな時に、仕事に精を出さなくても……」 「私一人でも大丈夫だからさ」 菜月が気を遣ってくれる。 「ありがとう」 「でも、仕事はするよ」 「甘えたところがあると、いざって時に頑張れない気がするから」 「達哉……」 「ぴろりろり~ん」 「何の音ですか?」 「菜月の気持ちを音にしてみたが、間違っていたかい?」 仁さんが、菜月に笑顔で問う。 菜月が瞬間沸騰で赤くなる。 「し、知らないわよっ」 「達哉、仕事するなら着替えないと」 「おうっ」 「今日もしっかり頼むぞ」 おやっさんが俺の肩を叩く。 「任せて下さいっ」 おやっさんの力に負けないよう、大きな声で返事をした。 ……。 バックヤードへと向かいながら、俺の中で迷いが晴れているのを感じた。 フィーナはセフィリアさんを信じて、遺跡の調査を続けようとしている。 フィーナには申し訳無いけど、面識もないセフィリアさんを強く信じることはできない。 でも、俺が信じられる人は、もっと近くにいる。 信じなくてはいけない人は、すぐ側にいるのだ。 ……。 俺以外の誰が、フィーナを最後まで信じ続けられるというのだろう。 ……。 夕食後の食休み。 フィーナはほとんど言葉を発さず、部屋に戻ってしまった。 心なしか、顔がやつれていた気がする。 自分がフィーナをやつれさせたかと思うと、胸が痛い。 ……。 「わたしも寝るね」 麻衣も少し疲れた表情をしていた。 気疲れさせてしまったのかもしれない。 「おやすみ」 「はい、おやすみなさい」 「おやすみなさい」 「リースちゃんは?」 「……おやすみ」 「ありがと」 「じゃ、また明日」 麻衣がリビングを出る。 ……。 俺も部屋に戻って、気持ちを固めよう。 そう決めて、ソファから腰を上げた。 「あ、あの……」 ミアがおずおずと声をかけてきた。 「どうした?」 「じ、実は、姫さまのことで……」 ミアが控えめに廊下の方を見る。 ……ここでは話しにくい内容なのだろう。 「リースちゃん、もう寝ましょうか?」 「……」 リースは俺とミアを見てから、軽く頷いた。 「それじゃ、もう休みますね」 「おやすみ」 「……すいません」 「ふふふ、いいのよ」 「リースちゃん、行きましょう」 「……うん」 ……。 二人がリビングから出る。 どうやら、今夜は二人一緒に寝るようだ。 ……。 …………。 「座ろうか」 「はい」 ミアがソファに腰を下ろす。 「すいません、お疲れのところを引き止めてしまって」 「気にしなくていいよ」 「それで……?」 「……はい」 ミアが表情を引き締める。 ……。 「今日お話されていた、姫さまがやりたいことというのは……」 「あの……セフィリア様に関わることですか?」 ミアは禁じられたものに触れるように、ためらいながら話す。 ……。 「そうだな」 俺の言葉に、やっぱり、といった表情のミア。 「どうして分かったの?」 「姫さまは、セフィリア様のこととなりますと、その……」 「目の色が変わる?」 「は、はい……」 「わたしがこのようなことを言うのは、恐れ多いことですが」 ミアが俯く。 「大丈夫、フィーナには内緒にしておくから」 「はい、お願いします」 「それで?」 「姫さまのセフィリア様へのお気持ちは、並々のものではありません」 「ああ、すごく尊敬しているみたいだしな」 ミアが無言で頷く。 ……。 「ですが、理由はそれだけではないのです」 「??」 「これは、わたしの母、クララから聞いたことなのですが……」 「セフィリア様は、政務にご多忙のあまり、姫さまに親として接することができなかったようなのです」 「そのことは、セフィリア様も深く悔いていらっしゃったようです」 ミアの言葉は意外だった。 俺の中でのセフィリアさんのイメージは、いわば完璧な政治家。 それは、彼女の一面しか映していないものだった。 仕事に忙殺され、親としての時間を過ごせないことを悔いる姿。 それはあまりに人間臭い。 ……。 「セフィリア様は、ご自分の母親としての役割を、わたしの母に託されました」 「ミアのお母さんって、フィーナの乳母だっけ?」 「はい」 「姫さまは、多くのお時間をわたしの母と共に過ごしたと聞いております」 「ですが、セフィリア様とは同じお城の中で生活していながら、ほとんどお会いすることができなかったのです」 そう言えば、フィーナからセフィリアさんとの生活についての話は聞いたことが無い。 「姫さまは、ご自分に仕事ができないばかりに、セフィリア様に無視されているとお考えになったようです」 「そ、そんなこと……」 恐らく、幼いフィーナの胸は──なぜ母親は自分を構ってくれないのか、という疑問で一杯だったのだろう。 胸が痛くなる。 「ですから姫さまは、幼い頃より学問に励まれました」 「セフィリア様のような優れた女王になれば……」 「いつか振り向いてもらえると、そうお考えになったのでしょう」 ぽつぽつとミアが語る。 ミアの表情は、深い悲しみに満ちていた。 ……。 ミアが身を粉にしようとも、フィーナの心の隙間を根本から埋めることはできない。 それは、フィーナの側にずっと仕えていたミアにとって、とても辛く悲しいことだと思う。 「姫さまにとってセフィリア様は、目標であり、ただ一つの正義でした」 「そうだったのか……」 それくらいしか言えなかった。 ……。 フィーナは施政者としてセフィリアさんを目標としていただけではなかったのだ。 厳しく自分を律し、努力するフィーナの姿──それは、母親の愛情を得ようと泣き声を上げる赤子と同じ姿だった。 「フィーナ……」 胸が潰れそうなほど痛くなった。 努力し続ける彼女を、すごいすごいと褒めていただけの自分。 俺は、彼女の何を分かっていたと言うのだろう。 自分が情けなくて、フィーナに申し訳無くて、涙が出た。 「それでも、地球に来てから、姫さまはお変わりになりました」 「……?」 「達哉さんにお会いしたことで、少しずつ、お心が癒されているのだと思います」 「今の達哉さんの涙も、きっと姫さまの心に届くでしょう」 「……ミア」 ミアの一言ひとことが、俺を勇気づけてくれる。 彼女の存在が、とてつもなく大きく見えた。 「わたしから、一つわがままを言ってもよろしいでしょうか?」 「……ああ、何でも言ってくれ」 ……。 …………。 「姫さまとずっと一緒にいて下さい」 「わたしに癒すことができない姫さまのお心を、救って差し上げて下さい」 ミアがじっと俺の目を見て言う。 ……。 「……分かった」 「約束する……」 「ありがとうございます」 「ぜひ、フィーナ様のたった一人の人になって下さい」 もう言葉が出なかった。 代わりに、涙腺が緩んだ。 ミアは、そんな俺を優しく見つめている。 ……。 「わたしは、フィーナ様のところへ参ります」 「どうするんだ?」 「フィーナ様は、達哉さんのご意見に、聞く耳をお持ちにならなかったのではないですか?」 「そうだな」 「人の声を聞くことは、君主にとって、まず第一に必要な物だと思います」 「そして、君主が道を誤りかけた時、それを正すのは臣下の役目です」 「ミア……」 「つまらない話を聞いて頂いて、ありがとうございます」 「ありがとう、ミア」 「明日は、美味しく食事を食べて下さいね」 「ああ、約束する」 俺は、ミアに手を差し出した。 「……」 ミアはわずかに頬を赤らめた後、俺の手を握った。 小さくか細い手が頼もしく感じられた。 ……。 「では、わたしは姫さまの部屋に向かいますので」 「じゃあ、俺はここで待ってるよ」 「いえ、お休みになって下さい」 「声が聞こえてしまうと、恥ずかしいですから」 そう言ってミアは笑った。 声が大きくなってしまうかもしれない、と思っているのだろう。 「分かった」 「じゃあ、一緒に出ようか」 「はい、そうして下さい」 ……。 「頑張って」 「はい」 「俺は、俺にしかできないことをするよ」 「お願いします」 「おやすみ」 「お休みなさいませ」 ミアはしっかりとした表情で言った。 ……。 今夜は、もう俺の出る幕は無い。 ここからは、ミアが主役だ。 ……。 俺はいつも通りの速度で階段を上る。 自分の部屋の前に立った。 一度、階下の気配を窺う。 ……。 ミアがフィーナの部屋に入る気配はない。 俺が部屋に戻るのを確認してから、行動を起こすつもりなのだろう。 ……。 ミアを信じているなら、こんなところで心配しちゃいけないな。 そう考え、俺は自分の部屋へ入った。 ……。 …………。 長く感じられた一日だった。 だが、眠気は皆無だ。 暗い天井を眺めながら、自分の胸の内を見つめる。 ……。 俺の中には、しっかりとした答えができていた。 フィーナと共に歩き続ける。 彼女にとってたった一人のパートナーになるため、俺は生きる。 遺跡調査を続けることで、フィーナには多くの苦難が降りかかるだろう。 それでも……いや、だからこそ──フィーナの側で苦難を共に受け、彼女の苦痛が少しでも軽くなるようにしたい。 ……。 フィーナが苦しむ表情を見るのは辛い。 遺跡調査の果てにあるものを想像すると、足がすくむ。 それらの恐怖に負け、俺は、フィーナを信じることを忘れていた。 だけど、俺はもう逃げない。 どんな恐怖や困難が待ち構えていようとも、フィーナの手を握り続ける。 ……。 俺はどこかで、剣術試験の終わりがゴールだと思っていたのかもしれない。 だが、それは俺たちの新しい関係の始まりでもあった。 フィーナと共にあり続ける以上、これからも幾度となく岐路に立たされるだろう。 その度に、俺はパートナーとしての資格を問われる。 今はまだ、一つ目の岐路だ。 こんなところで負けてはいられない。 ……。 全身に気迫がみなぎっている。 明日はまず、フィーナに俺の決心を伝えよう。 カレンさんや教団がいる以上、時間を無駄にはできない。 早く仲直りをして、調査を続けなければ。 ……。 「達哉くん、部屋に戻ったみたいね」 試しに、ベッドで眠るリースちゃんに声を掛けてみる。 起きているだろうか……?「……ん」 返事があった。 やっぱり、達哉くんたちのことが気がかりで、眠っていなかったようだ。 「二人、仲直りできると思う?」 「興味ない」 「なら、どうして起きているの?」 「知らない」 「ふふふ」 ……。 「きっと仲直りできるわね」 「どうして?」 「この程度でくじけるほど、あの二人はヤワじゃないと思うの」 「そう」 「リースちゃんは仲直りしないと思うの?」 「生まれ育った星が違う」 「価値観の違いは決定的」 「そうかしら」 「価値観の違いは、喧嘩をしながら埋めていくものよ」 「埋まらないものもある」 「埋められるものもある」 「仲直りできるかどうか、何か賭けてみる?」 「嫌」 「自信が無いの?」 「違う」 「じゃあ私からね」 「仲直りしなかったら、リースちゃんの好きなもの、何でも作ってあげる」 「リースちゃんは何を賭ける?」 「何もしない」 「決められないみたいだから、私が決めるわね」 「知らない」 「じゃあ、二人が仲直りしたら、リースちゃんはうちに住んで」 「無効」 「負けると思っているの?」 「知らない、無効」 「ふふふ」 「おやすみなさい、明日が楽しみね」 「……無効」 「おはよう」 晴れ晴れとした気分で、朝の挨拶をした。 「おはようございます」 「おはよ、お兄ちゃん」 「達哉くん、おはよう」 「……おはよ」 俺の顔を見て、みんなが緊張を緩める。 「フィーナは?」 「ちょっと出てくると仰って、15分ほど前に出て行かれました」 「もうすぐお帰りになるかと思います」 ミアの表情は明るい。 どうやら、昨夜の話は上手くいったようだ。 「そっか」 「じゃあ、食事を頼むよ。 今日はご飯で」 「はい、かしこまりました」 ミアが笑顔で頷く。 ……。 「ふふふ」 姉さんが笑ってリースを見る。 「まだ結果出てない」 不機嫌そうにリースが言った。 「何?」 「いいえ、何でもないわ」 「何でもない」 「変なの」 ……。 少しして、朝食が運ばれてきた。 献立はご飯と焼き魚、ハムが入った玉子焼き、ナスの味噌汁。 いつもより豪華だ。 「召し上がって下さい」 「遠慮なく頂くよ」 笑顔で応じ、ご飯を口に運ぶ。 昨日は味が分からなかった朝食。 今日の味は格別だ。 スルスルと胃に収まっていく。 ……。 全ての食器が空いた。 「ごちそうさま」 「お粗末さまでした」 満面の笑みで、ミアが食器を下げる。 「お兄ちゃん、すごい食欲だね」 「今日のは特別に美味かったからな」 「あはは、それは何より」 ……。 ミアがコーヒーを持ってきてくれる。 カップに口をつけながら、家の外を眺めた。 フィーナの帰りが待ち遠しい。 第一声はどんな言葉にしよう?フィーナはどんな顔で俺の言葉を受け止めてくれるだろうか?胸躍る想像が頭を一杯にしていく。 ……。 「それじゃ、私は仕事に行くわね」 「いってらっしゃい」 「フィーナ様が帰ってきたら、頑張ってね」 「分かってる」 「それじゃ」 ……。 …………。 30分が経過した。 ……。 遅いな……。 「フィーナはどこまで行ったんだろう」 俺の声に、周囲も表情を曇らせる。 ……。 …………。 さらに15分が経過した。 「ちょっと電話してみる」 居ても立ってもいられず、携帯を取り出す。 ……。 ぴっ登録済みの短縮ダイヤル。 ……。 …………。 とぅるるるるっとぅるるるるっ、とぅるるるるっとぅるるるるっ、とぅるるるるっ、とぅるるるるっぷつ電話からは、電源が切られている旨の案内音声が聞こえただけだった。 ……。 「……ふぅ」 「繋がりませんでしたか……」 「ああ」 「その辺、見てくるよ」 「フィーナさんが帰ってきたら連絡するから」 「よろしく」 ……。 ……。 ……。 商店街、川原と、一通り探したが、フィーナの姿は見当たらない。 散歩なら、そんなに遠くまでは行かないと思うんだけど……。 携帯を取り出す。 ……。 着信はない。 俺が家を出てから、もう30分程度経過していた。 フィーナは、もう2時間以上出かけていることになる。 散歩にしては長い。 とすると、何か用事があって出かけたか……。 散歩に出て、途中で何かあったか……。 不安になって、もう一度フィーナに電話をかけてみる。 ……。 …………。 繋がらない。 「どこ行ったんだ……」 ……。 「ただいま」 俺の声を聞いて、すぐにミアと麻衣が現れた。 「見つからなかったの?」 「ああ、川原まで行ったんだけど」 「一体、どうされたのでしょう……」 ミアが俯く。 「ちょっと、部屋を見てみるよ」 「わ、わたしも行きます」 心配そうなミアが、後ろからついてくる。 ……。 最初に目に付いたのは、テーブルに広げられた地図帳だった。 フィーナと一緒に印をつけたものだ。 ……。 もしかして、フィーナは一人で遺跡に……。 「ミア、フィーナが持ってたセフィリアさんの形見があったよな」 「それって、どこにしまってるんだ?」 「はい、こちらのキャビネットの……」 ミアは怪訝そうな顔をしながら、白いタンスの棚を引き出す。 ……。 「あれ……」 「た、達哉さん、いつもの場所にありません」 ……やっぱり。 形見の宝石を持ち出しているということは、遺跡に行った可能性が高い。 次の問題は、どこの遺跡に行ったかだけど……。 地図帳を思い起こす。 印をつけた遺跡は3つ。 内2つは、もう調査をした。 残りの一つは……。 ……。 ドクロマークをつけた遺跡だ。 構造物が中途半端に形を留めている遺跡。 倒壊の恐れがあることから、危険マークをつけておいたのだ。 ……。 背中を汗が伝った。 「ちょっと出かけてくるっ」 「た、達哉さん、どちらへっ?」 「心当たりがあるんだ」 「何かあったら連絡してっ」 戸惑うミアを置いて、俺は玄関を飛び出す。 どうしてフィーナは、一人で行ってしまったのだろう。 ミアの説得は、実を結んでいなかったのだろうか?彼女の様子からは、説得が失敗した印象は受けなかったけど……。 ……。 フィーナの考えていることが分からない。 会って確かめなくては。 ……。 「はぁっ……はぁっ、はあっ」 さすがに、真夏のマラソンはきつい。 膝に手をつくと、顎の先からぱたぱたと汗が滴り落ちた。 体中の水分が出てしまった気がする。 ……。 しかし、休んでいるわけにもいかない。 こうしている間にも、フィーナの身に何か起きているのかもしれないのだ。 山間の谷。 川に張り出すように、その遺跡はあった。 元は川から離れたところに建てられていたのだろう。 だが、いつしか川の流れが変わり、水に洗われるようになってしまったようだ。 建物の半分は乗っていた土砂を流され、基礎の柱だけで宙に浮いた格好になっている。 上に乗れば、いつ床が抜けるか分からない状態だ。 ……。 その危険性とは裏腹に、自然と一体化したその姿は落ち着きを感じさせる。 陸に残る部分は蔦や苔に覆われ、濃紺と白の鮮やかなコントラストを描き──川に落ちた瓦礫には野鳥が止まり、時折、澄んだ声を山間に響かせていた。 遺跡の中で、人が動くのが見えた。 ミントグリーンと白の服に身を包んだ優美な姿。 フィーナに間違いない。 「……ふぅ」 その姿を見て、まずは安心した。 俺は、ゆっくりと遺跡へ近づいていく。 フィーナは、川の上に張り出した場所に立っていた。 既に壁も天井もなく、あるのは平滑な石畳のみ。 ところどころ床が落ちており、2メートルほど下を流れる川が見えた。 フィーナは俺に背を向け、遠くを見つめている。 俺には気づいているのだろうか。 ……。 深く息を吸う。 「そこは危ないぞ」 意を決して、彼女の背中に向かって声をかけた。 ……。 フィーナは驚いた様子も見せず、ゆっくりと振り向いた。 「私を説得しに来たのかしら?」 挑戦的な言葉だが、俺の目を見ていない。 拒絶するような雰囲気は消え、代わりに迷いに似た空気が彼女を包んでいる。 フィーナの中で何か変化があったのだろう。 ……。 「遺跡の調査に来たんだ」 「……」 フィーナが少しだけ俺の目を見た。 だが、すぐに視線を逸らす。 「一緒に調査をすれば、達哉の身にも害が及ぶわ」 「月から汚名を着せられる可能性もあるわよ」 突き放すようにフィーナが言う。 ……。 「構わない」 「俺にとっては、フィーナの側にいられない方が辛い」 フィーナの目が泳いだ。 内側から溢れる感情を押さえつけるように、体を少し縮めた。 「調査の行き着く先が、兵器だったらどうするの?」 「フィーナは兵器だと思っているのか?」 質問を質問で返したことに、カチンと来たのだろう。 フィーナは俺を見据えた。 「思っていないわ」 そう言って、また視線を逸らす。 ……。 「俺は、フィーナの言葉を信じるよ」 「これから先、どんなに辛いことがあるとしても」 強く言った。 「……仕方の無いことを言って」 フィーナの形の良い眉が歪む。 ……。 「悲しい思いをしただろ?」 「……」 フィーナが無言で首を振る。 「けど、もう大丈夫だ」 「俺はずっとフィーナの側にいる」 俺は一歩ずつフィーナに近づく。 ……。 フィーナが後ろに下がる。 距離は一向に縮まらない。 ……。 …………。 「フィーナ……お願いだから」 言いながら、更に一歩踏み出す。 ……。 フィーナがぎゅっと奥歯をかみ締めた。 「謝らなくてはならないのは、私だわ」 苦渋に満ちた表情だった。 「達哉の気持ちも考えないで、まるで信じてもらえるのが当たり前みたいに」 「勝手に裏切られた気になって、閉じこもって……」 「まるで子供のよう」 胸に溜まっていた物を吐き出すように、フィーナが言った。 ……。 フィーナが自分を責めていたなんて思わなかった。 俺さえ決心すれば、それでいいと思っていた。 フィーナはフィーナなりに悩んでいる。 考えてみれば当たり前のことだ。 ……なのに、俺は自分のことで頭が一杯だった。 ……。 フィーナは、自責の念にかられていたから、こうして一人で遺跡に来たのだろう。 じっと遠くを見ていたのも、気持ちの整理をつけるためだったのかしれない。 フィーナが、一人きりで歩むと決心する前に会えて良かった。 ……。 「私は、達哉に信じてもらえるほど立派な人間ではないわ」 フィーナが俯く。 「立派かどうかなんて、問題じゃないよ」 「フィーナだから、信じるんだ」 「でも……」 「俺はフィーナじゃなきゃだめなんだ」 「フィーナは俺じゃ不服か?」 「そんなこと……」 ……。 フィーナが顔を上げる。 「あるわけないわ」 泣いているような笑っているような、そんな顔だった。 瓦礫に止まっていた鳥が、明るい声と共に飛び去った。 ……。 「一緒に進もう、フィーナ」 「どんな時も、俺が側にいる」 俺はフィーナに右手を差し出す。 フィーナは俺の手を見て、かすかに笑った。 「……これからも、よろしく」 「達哉」 やっと、フィーナが俺に向かって一歩を踏み出した。 ……。 瞬間、フィーナが視界から消えた。 どぽんっ「っ!?」 フィーナがいた場所には、直径2メートルほどの穴が開いていた。 「フィーナっ!」 「フィーナっ、フィーナっ!」 慌てて穴の側に向かう。 ……。 「フィーナ……」 穴の下には、すぐフィーナの頭があった。 ……。 フィーナはぶすっとした表情で俺を見上げた。 「怪我は無いか?」 屈みこんで、穴を覗く。 「大丈夫よ」 「瓦礫の下にならなくて良かった」 にこっと笑う。 「はぁ……びっくりした」 「驚いたのは私の方だわ、急に床が抜けたのだから」 「ははは、だから危ないって言っただろ、この遺跡」 「笑いごとではありません」 フィーナが頬を膨らます。 ……。 「そう言えば達哉」 「ん?」 フィーナの目に、いたずらっぽい光が宿った。 「ずっと私の側にいてくれると言ったわね?」 「一人だけでは寂しいわ」 フィーナが俺を受け止めるように腕を広げる。 ……。 どうやら、俺も落ちろということらしい。 「……」 ……。 「よしっ」 ゆっくりと立ち上がる。 「さ、いつでもどうぞ」 フィーナが明るく笑う。 「行くぞっ」 穴の中に飛び降りた。 ……。 ばっしゃーーーーんっ!水のお陰か、大した衝撃はない。 ひんやりとした水が、走り回って疲れた足に心地よい。 「たまにはこういうのも……」 言い終わる前に、フィーナが俺の体に腕を回した。 「ありがとう、達哉」 俺の胸に顔をうずめる。 ……。 仲違いをしていたのは、たった1日だったのに──フィーナに触れるのが久し振りな気がした。 「ごめんな、寂しい思いをさせて」 フィーナの頭に手を乗せ、優しく撫でる。 「いいの……」 「私の方こそごめんなさい」 唇の動きを胸に感じる。 フィーナの銀色の髪に指をうずめ、何度も梳いた。 ……。 「ふふふ、くすぐったいわ」 「また、こんなことができて良かった」 「……私も」 更に強く、額を俺の胸に押し付ける。 彼女の甘い香りが立ち上り、鼻腔をくすぐった。 それだけで、俺の体から何か悪いものが抜けていくような気分になれた。 ……。 …………。 少しして、どちらからともなく体が離れる。 「これ以上は、また後に取っておきましょう」 「そうだな」 「せっかく遺跡に来たんだし……あれ?」 「どうしたの?」 フィーナのバッグが青く光っている。 心なしか、今までより光が強い気がした。 「ここでも光るのね」 フィーナが宝石を取り出す。 とたんに──天井が少しだけ青く染まった。 ところどころの穴から降り注ぐ光が、幾条もの光線となって水面を照らす。 反射した日光が再び天井へ帰り、オーロラのように揺らめいている。 「綺麗……」 フィーナがうっとりとした声を出す。 「仲直りしたごほうびかな」 「まあ、ロマンチックなことを言うわね」 フィーナが俺の手を握った。 柔らかな手を、しっかりと握り返す。 ……。 「こうして仲直りできたのも、ミアのお陰ね」 「ん? ああ」 「昨夜、遅い時間にミアが部屋に来たのよ」 「たくさん、怒られたの」 「途中からは怒っているミアが泣いてしまって、なだめるのに大変だったわ」 フィーナが苦笑する。 「ははは、そっか」 「怒ってくれる人がいるということは、とても素晴らしいことね」 「私を怒ってくれる人なんて……」 「カレン、ミア、クララ……そのくらいだから」 ……。 俺の名前が無い。 何か負けた気がする。 「俺だって、怒る時は怒るぞ」 「ふふふ、どうかしら?」 「達哉は優しいもの」 「ちゃんと怒るって」 「では、怒って見せて」 「いや……」 「どうしたの?」 無茶な注文だが仕方無い。 ……。 俺は、フィーナをまじまじと見つめる。 「こら、フィーナっ!」 ……。 フィーナが目を丸くした。 ダメだ。 自分で分かる。 「ミアの10分の1も怖くないわ」 笑いをかみ殺していた。 そんなフィーナの頭を、がっしりと掴む。 「ひゃぁっ」 彼女の頭を強引に引き寄せ、耳元に言う。 「次、一人で遺跡に行くようなことがあったら、本気で怒るからな」 フィーナの額を胸に押し付けた。 ……。 「ごめんなさい……」 しおらしい声が聞こえた。 「よし」 フィーナの頭を離す。 「……」 フィーナがじっと俺を見る。 怒っている顔だった。 眉はきりりとつりあがり、切れ味鋭い眼光が俺を射抜く。 青白い光に照らし出された美貌は、かなりの迫力だ。 ……。 フィーナの左手が、俺の首筋へ回った。 「……」 強い力で引き寄せられる。 「わあっ」 耳元に熱い吐息を感じた。 「次、迷うようなことがあったら、許さないわ」 そして──熱い息は、俺の唇に重なった。 川から上がった俺たちは、しばらく遺跡を調べた。 だが、前の遺跡同様めぼしい物は見つからない。 ……。 「帰りましょうか」 「これ以上調べても、埒が明かないわ」 「ああ、服も乾いたしな」 流石に靴の中までは乾かなかったが、衣服はもう湿ってすらいない。 「じゃ、帰るか」 フィーナに手を差し出し、しっかりとつなぐ。 ……。 きゅるるぅ…………。 …………。 この音は……。 フィーナを見る。 耳たぶまで真っ赤にして俯いていた。 「お腹空い……」 「言わないで」 ギロリとにらまれた。 「あ、うん」 フィーナは朝食を食べていないのだろう。 既に昼食の時間も過ぎていた。 ……。 そう言えば……俺はフィーナを探すと言って、家を出てきた気がする。 ……。 絶対みんな心配している。 「家に電話しないと」 「そ、そうね……」 フィーナも事態に気づいたらしい。 「今、出会ったことにしようか?」 「達哉」 「嘘をつくのは、家族の気持ちをないがしろにする行為だわ」 まあ、それはそうなんだけど……。 「私が電話します」 「いや、俺が……」 フィーナは俺を無視して、さっさと電話をかけてしまった。 ……。 …………。 「姫さま、姫さまなのですねっ」 「何かあったのではと、もう、気が気ではなくて……」 「ぐすっ……良かった、良かったです……」 声がここまで聞こえてきた。 「ごめんなさい、あと1時間ほどで帰りますから」 「ええ、達哉も一緒よ」 「代わった方がいいかしら?」 「……分かったわ」 フィーナが電話を渡してくる。 ミアには、ちゃんと謝らなきゃな……。 ……。 「もしもし」 「お兄ーちゃんっ!」 「見つけたらすぐ電話するのが筋でしょう? 違うの? 違わないでしょっ」 「どれだけ心配したと思ってるのよっ」 「お兄ちゃんなんか帰ってこなくていいからっ!」 ……。 耳がキーンとした。 「ははは……」 「頑張って、達哉」 「他人事かよ」 ……。 麻衣をなだめる手立てを考えながら、駅前まで来た。 猛暑にもかかわらず人出は多い。 ……。 「昨夜のことだけれど、達哉はミアから何か聞いた?」 「ああ……まあ、それなりに」 「そう」 フィーナが視線を落とす。 「ごめんな、あんまり知られたくないことだったろ?」 「いいえ」 穏やかな表情でフィーナが言う。 「恥ずかしい話だけれど、達哉には知っておいて欲しいわ」 「実際、ミアの考えは当たっていると思うの」 つまり──フィーナは母親に構ってもらえなかった過去にコンプレックスを持っている。 構ってもらえない原因を、仕事ができなかったことに帰着させた。 そして、母親に認められるため、熱心に勉強する。 過程で、フィーナの中の母親像は強く理想化され、半ば神格化された。 だからフィーナは、母親がけなされたりすることに対して、強く反発する。 ──まあ、そういうことだ。 ……。 「私も薄々は分かっていたのだけれど……」 「子供の頃からのことは、なかなか直せるものではないわね」 フィーナが自嘲気味に言う。 「時間はたくさんある」 「それに、セフィリアさんのことを尊敬するのは悪いことじゃないと思う」 フィーナの手をしっかりと握って言った。 「ありがとう」 「これからは自分の意思で物事を判断できるよう、注意していくわ」 「だから、私が母様の価値観に追従し過ぎることがあったら、遠慮なく指摘して欲しいの」 「では、お前はどう考えるのか、というようにね」 フィーナが笑顔で言う。 相変わらずのストイックさ。 だけど、俺はフィーナのそんなところが好きだ。 こんな姫様が治める国なら、ぜひ住んでみたいと、そう思う。 「分かった」 俺も笑顔で答えた。 ……。 「でも、セフィリアさんみたいに尊敬できる親がいるのはうらやましいよ」 「うちの親父なんか、恨みこそしても、尊敬はできないからなぁ」 「……達哉」 フィーナが足を止める。 真剣なまなざしだ。 「どうした?」 「達哉のお父様だって、尊敬できる方だと思うけれど」 「まさか」 笑って流した。 流しながらも、なぜか胸の中には衝撃が残っていた。 「気づいていないかもしれないけれど、達哉も私と似ているのよ」 「執着するのも嫌悪するのも、ベクトルは違っても、元は同じだわ」 「……」 自分の手が汗ばむのが分かった。 俺が、愛情を受けられなかったから、親父を嫌悪していると言うのだろうか。 ……。 そんなことは無い。 親父は、嫌悪されるに足ることをしたはずだ。 「いや、親父は嫌われて当然だよ。 それだけのことをしている」 「そう……」 「でも、そう言っているのは達哉だけだわ」 「さやかも麻衣も、お父様のことを嫌っていないようだけれど」 ……。 …………。 頭の中がぐちゃぐちゃになる。 みんな、人前だから親父を嫌っていないように言っているだけだ。 本当は心の中で…………。 「次は負けないからなっ」 「はははっ、お父さんも負けないぞ」 「僕の飛行機がぜったい勝つ」 「よーし、頑張れよ、楽しみにしてる」 ……。 「ゆっくり考えてみるよ」 そう答えるのが精一杯だった。 ……。 「ごめんなさい、無遠慮なことを」 「いいんだ」 「フィーナがそう思ったなら、間違っていないのかもしれない」 「さ、帰ろう、腹減ったしさ」 無理やり笑顔を作って言う。 だが、胸の中には重い感覚が残ったままだった。 遺跡から戻った後、バイトをこなした。 疲れた体で入った家の中には、食欲をそそる香りが漂っている。 今日は土曜日。 自宅で夕食を食べる日だ。 「ただいまー」 「お帰りなさい」 「お帰りなさいませ」 「お帰りー」 3人が揃って振り向いた。 麻衣の機嫌も直っている。 遺跡の帰り道でアイスを買っていったのが功を奏したようだ。 「今日はフィーナも料理してるんだ」 「ええ、腕によりをかけているから、もう少し待っていて」 「姫さまは、ずいぶん上達されましたよ」 「そりゃ楽しみだな」 「はぁ、愛の力は偉大……」 「ふふふ、自然と料理をする気になるのだから、不思議なものね」 満面の笑みで言うフィーナ。 「……」 「ご、ごちそうさまです」 ……。 「そう言えば、姉さんはまだ帰ってないのか?」 「はい、先程電話がありました」 「寄る所ができたので、少し遅くなられるとのことです」 寄る所……?昨日言っていた、警察のことかな。 「そっか……」 「じゃ、料理ができるの楽しみにしてるな」 「ええ、お腹を空かせていて」 ……。 リビングでは、リースがテレビを見ていた。 「ただいま」 「……」 ぶすっとした顔で俺を見る。 「な、何だ?」 「えらい不機嫌だな」 「……仲直りした」 「まずかったのか?」 「……負けた」 「はあ?」 話が見えない。 「何の話だ?」 「……」 リースは返事をせず、テレビに視線を戻してしまった。 これ以上は、教えてくれなさそうだ。 相変わらずの無愛想さだ。 ……。 リースの隣に座る。 「きつい、離れて」 「別に体は触ってないだろ?」 「でも、だめ」 取り付く島も無い。 諦めて、隣のソファに移動する。 ……。 こんなリースとそこそこ仲良くやっている姉さんは、やはりすごいのかもしれない。 ……。 「ただいまー」 しばらくして、姉さんが帰ってきた。 ……。 「今日はごちそうね」 「もうすぐ完成するから」 「今日は姫さまがシェフですよ」 「花嫁修業、ご苦労様です」 「さやかったら、仕方の無いことを言って」 照れているフィーナの顔が目に浮かぶ。 ……。 「達哉くん、ただいま」 「お帰りなさい」 「行ってきたの?」 リースの前なので、警察という言葉は出さない。 「ええ、大漁だったわ」 大漁?「詳しいことは、ご飯を食べながらにしましょう」 「あ、うん」 「リースちゃん、遅くなっちゃってごめんなさいね」 「別にいい」 ぶすっとしているリース。 「ふふふ」 何か通じ合っているようだ。 着替えを済ませた姉さんが席に着く。 「はい、お待たせお待たせー」 「じゃ、食べよっか」 「その前に、素晴らしいお知らせがあります」 「何でしょう?」 みんなが姉さんに注目する。 「リースちゃんが、家族に加わることになりました」 「ええっ」 「まあ、素晴らしいわ」 「これはお祝いですね」 確かに大漁だ。 しかし、当のリースはぶすっとしている。 「無効」 「遠慮しないで」 「それに期間限定だから」 「どのくらいの間かしら」 「一週間程度だと思います」 「そう……」 「よろしく、リース」 フィーナが笑顔でリースに話し掛ける。 「よろしくね、リースちゃん」 「よろしくお願いします」 「よろしくな」 「よろしく」 全員の笑顔がリースに向けられる。 「……う」 リースが固まった。 ……。 …………。 「よ、よろしく」 蚊の鳴くような声で、リースが言った。 わずかだが、喜んでいるような響きがあった。 ……。 「フィーナ、準備できたか?」 部屋のドア越しに声をかける。 「ええ、ちょうど準備ができたところよ」 がちゃゆっくりとドアが開く。 ……。 少し恥ずかしそうにしながら、学生服のフィーナが現れた。 「留学が終わったというのに制服を着るなんて、何だか気恥ずかしいわね」 「きちんと学生に見えるかしら?」 「大丈夫。 一ヶ月前までは、毎日着てたじゃないか」 「それはそうだけれど……」 俺の視線が恥かしいのだろう。 フィーナは、短すぎるスカートの裾を、はにかみながら下に引っ張る。 慌てて目を逸らした。 最近、スカートの長いフィーナしか見ていなかったら、この格好はちょっと刺激が強い。 「そ、それじゃ、朝食を食べたら行こっか」 「休み中の図書館は、確か10時からだから、ゆっくり食べられる」 ……。 「あの、達哉……」 「何?」 フィーナの顔がかすかに紅潮している。 「この制服……似合うかしら?」 そう言って、俺の表情を窺う。 ……。 「もちろん」 フィーナの表情がぱっと明るくなる。 「良かった、心配していたの」 「でも、どうして今頃?」 「付き合い始めてから、この服を着るのは初めてでしょう?」 そう言えば、俺たちが付き合い始めたのは終業式の日の夜だった。 「考えてみれば、そうだな」 「だから、聞いてみたくなったの」 そう言って、フィーナは俺の隣に並んだ。 ……。 学院には、ほとんど人気が無かった。 運動部の掛け声が多少聞こえてくる程度だ。 「やはり、気が咎めるわね」 「このくらいは、大目に見てくれるさ」 「さっ」 フィーナの手を引いて校門をくぐる。 中庭に隣接するように建っている図書館。 俺たちは、入口で下足を脱ぎ、館内へ入った。 ……。 ひんやりとした空気が俺たちを迎えてくれた。 自習する学生が、ぱらぱらと席を埋めている。 「手分けして、それらしい本を探そう」 「歴史、考古学といった辺りね」 「30分くらい経ったら、一度ここに集合しましょう」 「分かった」 俺たちは、それぞれ2メートル近くある本棚の列に入っていく。 ……。 席に戻った時には、お互い3、4冊の本を抱えていた。 「期待していた程、数は無かったな」 「とにかく読んでみましょう、話はそれから」 ……。 各々席に着き、本を開く。 ……。 …………。 遺跡の存在に言及している記事はいくつかある。 だが、遺跡が何であるかについては、触れられていない。 「そっちはどう?」 2時間ほど本を読んで、口を開く。 「期待していた程のものはないわ」 「遺跡が使用されていた頃は、時代が古いせいで史料が少ないようね」 「もうちょっと本を探してみようか」 ……。 日が徐々に傾いてきている。 徒労感が身を包んでいた。 本を探して読む。 2、3度これを繰り返したが──結果は芳しくなかった。 ……。 「専門的な本じゃないとダメみたいだな」 「無駄ではなかったわ」 「基礎的な知識の確認にはなったでしょう?」 「ま、そうだな」 分かったことと言えば──かつて月と地球に戦争があったこと。 戦争の結果、双方に文明が後退するほどの被害が出たこと。 遺跡はその頃の建築物であること。 ……だが、これらは調べるまでもなく知っていることだ。 「しかし、何で戦争なんてしたんだろうな?」 「……」 フィーナが赤い空を見上げる。 「お互いがお互いのことを、分からなくなったから……かしら?」 「どういうこと」 「月人の祖先は、みな地球から渡ってきた人々」 「だから、初めは、ある程度意志が通じ合っていたと思うの」 「でも、異なる環境の星に住んで、異なる苦労をして……」 「そんな時間を過ごすうちに、月人と地球人は別の考え方をするようになった」 「でも、それ自体は普通じゃないか?」 「ええ、きっと見解の差を埋めるプロセスに、問題があったのね」 「戦争は、いくつかのプロセスに失敗した結果に発生するものよ」 「ま、初めに戦争ありきってのは、ちょっとおかしいよな」 「月と地球は元が一緒だったわけだし」 「そういうことね」 フィーナは淀みなく、戦争に対する考えを述べた。 日頃から考えていなければ、こうはいかない。 改めて、フィーナが月の姫であることを実感し、そして──彼女と付き合っていることが誇らしく思えた。 ……。 「さ、帰ろっか」 「その前に、行ってみたいところがあるのだけれど」 「どこ? 遺跡?」 「違うわ」 フィーナが苦笑する。 「教室よ、私たちが学んだ」 「これが本当に最後になりそうだから、記念に」 「なるほどね」 「じゃ、寄ってこう」 ……。 幸い、昇降口は開いていた。 俺たちはそのまま、教室へ向かう。 ……。 日頃学生で溢れている教室は、無人というだけで寂しげだ。 窓から差し込んだ光が、教室をほんのりとセピア色に染めている。 どこからともなく、ヒグラシの声が聞こえた。 ……。 フィーナが自分の席に座る。 窓際の列の一番後ろだ。 俺はフィーナの横に立つ。 「……」 「……」 ……。 フィーナは、少しの間、無言で周囲を見回した。 「あっという間だったわ」 「毎日が本当に楽しかった」 フィーナにかける言葉が思いつかない。 「フィーナがそう思ってくれているなら、きっとみんな喜ぶよ」 「……」 「もう、みんなとも会うことができないのね」 寂しそうにフィーナが言う。 そんな彼女を背中から抱きしめた。 「達哉……」 「遠山も言ってたじゃないか」 「月旅行ができるようにして欲しいって」 「そうなれば、また会えるさ」 「ええ……」 フィーナの体の前で交差した俺の腕に、フィーナが触れる。 「フィーナになら、きっとできるよ」 「達哉は手伝ってくれないのかしら?」 ……。 フィーナの髪に顔をうずめる。 可憐な花の香りが、鼻腔一杯に広がった。 「俺は、ずっとフィーナの側にいるよ」 「……ありがとう」 フィーナの首筋に当てていた顔を、徐々にフィーナの顔に滑らせていく。 彼女も首をひねり、俺を迎えてくれる。 ……。 「ん……ちゅっ……」 優しく唇が重なった。 ゆっくりと唇をフィーナに押し付け、彼女の柔らかさを味わう。 張りがあって、しっとりと濡れたフィーナの唇。 心なしか甘い味がする。 ……。 少し唇を離す。 「……ん」 フィーナが目を薄く開く。 軽いリズムで、2、3度キスを交わす。 「教室で……いいのかしら?」 「……知らない」 もう一度唇を重ねる。 すぐに舌を伸ばし、フィーナの唇をなぞる。 ……。 わずかな抵抗の後、控えめな隙間ができた。 すぐに舌を差し入れる。 「くちゅ……ちゅ……」 唇の隙間から、舌が絡み合う音が聞こえた。 舌を精一杯伸ばして口中をまさぐった。 「んっ、ぴちゅっ……ちゅっ……」 くすぐったいのか、フィーナの息が乱れた。 一度、舌を自分の口に戻すと、逆にフィーナの舌が滑り込んできた。 意外に積極的だ。 「くちゅ……ちゅ……」 フィーナの唾液にまみれた舌が、俺の口の中を這い回る。 柔らかなぬめりが、舌の裏や歯茎を撫でる感触。 思わずぞくりと来てしまう。 「ぴちゃ……くちゅ、ちゅっ……ぴちゅ」 俺たちの間から流れる粘液質な音が、大きくなってきた。 薄っすらと目を開ける。 目を瞑ったフィーナが、一生懸命俺に首をひねっていた。 何だか、餌をねだる小鳥の雛のようで、可愛らしい。 「くちゅ、んっ……んふっ、ぴちゃっ……」 熱心に舌を動かすフィーナから、俺は唇を離す。 ……。 俺とフィーナの唾液が交じり合ったものが、糸を引いてフィーナの制服に落ちた。 「……ん、達哉?」 名残惜しそうに、フィーナが俺を見た。 彼女の潤んだ瞳に頭のネジが緩む。 「この姿勢じゃ辛いだろ?」 「……ええ」 「こっちへ」 フィーナの脇の下に前から腕を差し入れ、彼女を立ち上がらせる。 まだキスの余韻の中にいるのか、フィーナの足元はちょっぴりおぼつかない。 「何か……雲の上を歩いているようだわ」 「嫌か?」 「いいえ……」 首を振るフィーナを、机に腰掛けさせた。 ……。 「外から見えてしまうわ」 フィーナが背後のガラス窓に目を遣る。 「大丈夫、誰も見てないよ」 「さ、少しこっちの足を上げて」 俺は、膝の裏辺りに手を入れて持ち上げる。 ……。 「あ……た、達哉ぁ……私、自分の机で……」 非難するようにフィーナが言う。 その言葉に力は無い。 「ずっと勉強してた机で、しよう……」 「いやぁ……意地悪を、しないで」 赤味を帯びた空をバックに銀髪がさらりと揺れる。 机に載せられたフィーナの右足。 少し屈むだけで、付け根を覆う白い布地が顔を出す。 「覗き込んでは……嫌」 上気した表情で、フィーナが言う。 「ごめん……じゃあ、こうしよう」 ゆっくりとフィーナの足の間に入り、彼女の両肩を掴む。 そのまま、彼女の上体に体を押し付け、首筋にキスをする。 「ん……くすぐっ、たい……わ」 熱い息がフィーナの口から漏れる。 俺は、フィーナの肩に載せていた手をゆっくりと下ろす。 そして、半そでの制服から突き出た白い腕を上下に優しく撫でる。 「ん……あ……くすぐったいこと、ばかり」 俺の指先が上に行くと、フィーナの体がぴくりと震え、息が乱れる。 試しに、脇の下まで指を滑り込ませる。 「んぅっ……」 大きく体を震わせる。 「達哉……そこは……あまり綺麗ではないわ」 「いいから」 袖の中に手を入れ、丸い肩と脇を順に撫でていく。 口では、首筋から鎖骨へと舌先を滑らせ、フィーナの甘い香りを存分に吸い込む。 「う、ん、あ……ふうっ……ん、ん」 振るえと声が小刻みに漏れる。 「達哉は……いやらしいわ……変なところばかり」 「じゃあ、こっち」 袖の中に入れていた手を、柔らかな双丘に乗せる。 ふわっとした、柔らかさ。 ゆっくりと包み込むように、手を動かす。 「んっ……あ……達哉が、触ってるのね……」 ぼんやりとした声でフィーナが言う。 「すごく柔らかい」 「達哉は……胸が好きなのかしら?」 「好きだよ。 フィーナの胸だから」 そう言って、胸を包んだ手を大きく動かす。 「あ……乱暴なのは、だめよ……ん……」 乳房の中身を温めるように、ゆっくりと手を動かす。 少しずつ、フィーナの体が熱くなってくる。 「どのくらいの強さがいいの?」 「も、もう少し……強くても、大丈夫よ」 「分かった」 乳首がある辺りを手のひらの中心に置き、少し圧迫するように揉み上げる。 下着と服越しに、突起物の存在を感じた。 「あぁ……達哉……あっ、んっ」 声が、少し高くなった。 「胸、外に出すね」 「え……は、恥ずかしいから……」 フィーナの声には耳を貸さず、しゅるりとリボンを引き抜く。 まるで、そうされるのを待っていたかのように、リボンは抵抗無く外れた。 「ああ、あ……達哉ぁ……」 ボタンを順に外していく俺の手を、声を上げながらじっと見ている。 抵抗する素振りはない。 ……。 可憐な刺繍が施された下着が現れる。 胸の盛り上がりが少し窮屈そうだ。 「綺麗だ」 再び、胸に手を乗せ大きくゆっくりと動かす。 「ん……ああ……達哉の手、温かい」 「フィーナのは、熱くなってる」 更に大きく手を動かす。 下着に包まれていない胸の部分が、たゆたゆと波打つ。 薄く浮き上がる血管に、舌を這わせる。 「うぁっ……くすぐったい……」 両手を乳首への刺激へ移行しながら、舌を胸の谷間へと下ろしていく。 舌先が柔らかな壁に覆われ、少し汗の味がする。 「んうっ……達哉……」 下着の上からでも堅さが分かるほどになった突起を、指の腹で転がす。 フィーナの体が、ぴくりぴくりと震える。 「どう?」 「分からない……分からないわ……」 フィーナが首を振る。 嫌がってはいない感じだ。 「続けるね」 豊満な胸をゆっくりと手のひらで揺り動かしながら、指先で蕾を撫でる。 「ふあっ……達哉……ん、あっ……」 フィーナの肌が、じっとりと汗ばむ。 そろそろ別の場所もいいかな……。 ……。 左手をソックスとスカートの間で光っている白い肌に添える。 「あ……」 これまでとは違う動きに、フィーナが反応する。 気にせず、手をスライドさせ、スカートを捲り上げた。 ……。 控えめな光沢を放つ、白い布地が現れる。 緊張したのだろう。 フィーナの肌が、一層汗ばんだ。 「達哉……ここでは、見られてしまうわ」 「夏休みだから、誰も来ないさ……」 実際は、ほとんどものが考えられる状態ではなかった。 ただ手を止めたくなくてそう答えた。 「いけない……ことだわ……んふっ、ああ」 そう言いながら、止むことなく続く胸への刺激に、熱い息を漏らす。 スカートを捲り上げた手で、太腿の付け根から布地までを何度も往復する。 「あっ……くぅ……ん……」 フィーナがくすぐったさに腰を揺らす。 早くそこに触って欲しいと言われている気がして、興奮した。 「触るね」 「ん……き、聞かないで……そのようなこと……」 返事を待たず、フィーナの秘所にぴったりと手を当てる。 振動を加えるように、ゆっくりと上下運動を始めた。 「あぁ……あっ、あっ……くぅ……」 下着の中にみっちりと篭った熱と湿り気が、伝わってくる。 中指を下着にできた溝に沿わせた。 「達哉っ……あっ……あっ……」 声にならない声を上げながら、フィーナが体を震わせる。 胸の突起も、さっきまでとは比べようも無いほど、自分を主張している。 それを二本の指で軽く挟み、ゆらゆらと揺らす。 体に、玉の汗が浮かんできた。 「ふあっ……だめ……体が、熱くて……」 左手に感じる湿度が高くなった。 筋に沿わせている中指の滑りが良くなってくる。 確かな湿りも感じ始めていた。 「上、取るね」 胸をいじっていた手で、下着をずり上げる。 「あ、ああぁ……」 ……。 二つの乳房が外気に晒された。 滑らかな丘の頂点にある突起は、堅く強張り、天井を指している。 秘部への刺激を続けながら、右手では乳首を転がす。 「ひゃっ……」 フィーナが敏感な反応を見せる。 舌の腹に乳首を乗せ、ゆっくりと転がす。 左手は中指を折り曲げ、少し強く押し付けながら振動を加える。 「ああっ……達哉っ……だめ、だめ……」 フィーナが首を振る。 好反応に気をよくして、俺は、執拗に同じ動きを続けた。 「んあっ……達哉っ……あ、あ、あっ」 左手に湿り気が広がる。 「気持ちいい?」 ……正面からの問いに、フィーナは目を逸らす。 「知らないわ……聞かないで……」 「続けるよ」 秘裂への刺激を一層強める。 空いている口で、右の乳首も口に含んだ。 「達哉、だめ、そんな……一度にされたら……」 快感をこらえるような声を出すフィーナ。 左手の指を、蜜壺に少し押し込んでみる。 「あっ……よ、汚れ……てしまうわ……」 言葉通り、じわりと蜜が染み出してきた。 下着の中に溜まっていた感じだ。 「ごめん……」 秘所をまさぐっていた手を上げると、指先が夕日を受けてきらきらと輝いた。 「っ……い、いやぁ……」 フィーナの顔が真っ赤に染まる。 「下着、取ろうな……」 俺は、パンツの両サイドに手を入れ引き下ろしていく。 フィーナは、腕で体を支え、腰を浮かせてくれる。 ……。 秘裂に食い込んだ下着が、糸を引いて離れた。 開かれた足。 その中心を覆うものが無くなった。 局部は先ほどまでの刺激で濡れそぼり、淫液を滴らせている。 日頃のフィーナとは正反対のなまめかしさに、俺は強い興奮を覚える。 「あ、あまり見ては……いけないわ……」 フィーナが視線をそらす。 俺の視線を感じているのか、女性器がひくりと動いた。 「とっても綺麗だ」 「嘘だわ」 「本当だって」 「俺、興奮してるし」 俺の下半身はパンツから出たくてうずうずしている。 フィーナが、チラリと俺の下半身に目を遣り、すぐに顔を赤らめた。 その仕草が、とても可愛らしい。 「直接するよ」 俺は、再びフィーナの脚の間に入ると、腰を屈めた。 「っ……た、達哉!?」 フィーナが足を閉じる前に、顔を股間にうずめてしまう。 熱気が顔を包んだ。 「ひゃうっ」 左手で足が閉じないように支え、秘所を晒す。 控えめに開いた割れ目。 頂点には濡れた真珠が顔を出し、膣口は透明な液体で濡れている。 「達哉、だ、め……」 舌を伸ばし、肉芽にたっぷりと唾液を垂らした。 「あうっ……」 電流が走ったように、フィーナの体が痙攣する。 舌をぴったりと当て、ゆるゆると揺り動かす。 「あっ、ああ……達哉、そ、そこは……」 言葉と同時に、蜜壺から液体が零れた。 空いた手の指先を膣口にあてがい、円を描くように撫でる。 「ひゃぁっ、あ……んっ……んっ……あ……」 喉の奥から漏れるような声。 フィーナの腰が周期的に揺れる。 舌と指の動きを、少しずつ早めていく。 「達哉ぁ……だめ、ん、あっ……そんな……」 口に入る愛液には、ほとんど酸味がない。 むしろ俺には甘い蜜に感じられた。 もっとよく味わいたくて、指と舌の役目を入れ替える。 「きゃっぁ……あ……うっ」 指先がクリトリスに触れると、再びフィーナが跳ねた。 右手の親指で肉厚な外陰部を押し広げ、秘孔を露出させる。 とろり、と蜜が流れた。 「ああぁ……いやぁ……見ないで……」 「かわいいから、大丈夫」 舌先をすぼめ、秘孔に差し入れていく。 「あ、あ、あ……」 舌が入る感触に、フィーナが身を振るわせる。 甘酸っぱさとしょっぱさが混じったような味が、口内に広がる。 それを理由もなく美味しいと感じる。 「あうっ……あ、もう……恥ずかしく……て……」 舌と指を小刻みに震わせる。 「ひゃあっ……あっ、うあっ、あっ……」 蜜壺から、とめどなく愛液が溢れる。 「フィーナ、とっても可愛い」 「そういうことは……普通の時に言って欲しいわ」 少し拗ねた声が、俺の本能を刺激する。 再び、舌先を淫芽に当て、小刻みに動かす。 「ひゃあっ、ぁぁ……あっあ、あ、あ」 リズミカルにフィーナの声が反応する。 中指を膣口にあてがうと、ぴちゅという粘液質な音を立て、すぐに第一関節くらいまで飲み込まれた。 そのまま、指を曲げ内壁をくすぐる。 「あ、あ……達哉……もう、そんな……」 「どう? 痛くない?」 指を動かしながら尋ねる。 「い、痛く……ないけど……あ、あ……」 切れ切れに答える。 ずいぶん高まっているようだ。 ぴちゅ、ちゅ、くちゅっ、ちゃっ……。 指を動かすごとに、淫らな音が無人の教室に響く。 「達哉、達哉……あ、もう……私……」 俺は、空いた手を乳房に伸ばし、乳首を軽く触る。 全身を使った愛撫は、ちょっと疲れる。 でも、フィーナに気持ち良くなってもらえればそれでいい。 「は、あっ……もう、もう……達哉、だめ」 何かのスイッチが入ったように、愛液の分泌が激しくなった。 初めは包皮に隠れがちだった秘芽。 今は大きく膨れ、その姿をほとんど現している。 「達哉……なんだか、もう……どこかへ、行ってしまいそう……」 ラストスパートとばかり、三箇所を優しく小刻みに刺激する。 「ぁ、ぁぁ……来る……私、あ……」 「教室で……あ、あ、あ、だめ、ああああっ」 坂を駆け上がるように、フィーナの声が高まった。 「達哉っ、達哉っ……私っ、あ、あ、あ、あうっ、ああっ!」 「だめ……来るっ……何か湧き上がって……あっ、ああっ、あああっ!!」 「ひゃぁ……あああぁぁぁぁっ!!!!」 「あうっ……あっ……ぁ、ぁ、ぁ……」 フィーナがガクガクと体を震わせる。 「ああっ……う……あ……ぁ」 膣内に入れていた指が、吸い込まれるように締め付けられる。 「はぁ、はぁ……た、達哉……はぁ……はぁ」 大きく息を荒げながら、フィーナが俺の名前を呼ぶ。 おそらく、その目は俺を捉えていない。 「はぁ……ぁ……ぁ……はぁ、はぁ……あう」 体はまだ周期的な痙攣を繰り返し、その度に蜜壺から淫液が流れ出た。 ……。 こわばっていたフィーナの体から力が抜ける。 「ほら、落ちちゃうから」 机から滑り落ちそうになるフィーナを支える。 「どんな感じだった?」 「分からない……何か、白くなって……」 「今もまだ……夢の中に、いるようで……」 「そっか。 なら良かった」 俺は、フィーナの頭を優しく撫でる。 彼女は、ぼんやりした表情で、俺に身を任せている。 ……。 「達哉……今度は貴方が……」 フィーナが俺の下半身に目を遣る。 そこは、恥ずかしいくらいに固くなり──パンツから解放される時を今か今かと待っている。 「大丈夫か?」 「ええ……私がしてもらったから、今度は達哉が……」 フィーナが笑みを浮かべる。 「じゃあ……するよ」 俺はフィーナの体を抱え起こし、窓に手をつかせた。 ……。 「優しいのに……恥ずかしい格好ばかり……」 「今回だけ、な」 俺はフィーナを後ろから抱きすくめながら、ベルトを外した。 続けてパンツを下ろすと、はちきれんばかりになった肉棒が、顔を出す。 先端からは先走りが溢れ、準備が整ったことを告げている。 「あまり、待たせないで……」 「ああ」 俺は右手で怒張の先端をフィーナの入り口にあてがう。 「……当たっているわ」 「とても……とても熱い」 「興奮し過ぎてるくらいだ」 「少し、足を開いて」 言われるがままに、フィーナが足を広げ、秘部が露になる。 更なる刺激を求めるように、そこはヒクヒクとうごめき、俺を誘う。 とろり、と雫が垂れた。 我慢できる興奮ではない。 「いくぞ」 「……いいわ」 返事を受け、腰を前に進める。 くちゅ熱い泥の沼に沈むように、フィーナの中に入り込んでいく感触。 異物侵入を拒み、フィーナの膣内は俺を締め出そうとする。 「く……きつい……」 「た、達哉……熱いわ……」 「痛くない?」 「平気よ……もっと、達哉の気持ちが良いところまで……入れて」 フィーナの言葉に理性が綻ぶ。 俺は思い切って腰を突き上げた。 ずちゅちゅっ……。 隘路を押し分けて、ペニスが突き進んでいくのが分かる。 「あ……達哉……奥に……あ……」 終点に行き着く。 フィーナが大きく息を吐いた。 ぬめりと締め付けが肉棒全体を包み、思わずぶるりと腰が震える。 すぐにも腰を振りたい衝動に駆られた。 「う、動かすよ」 「いいわ……達哉の好きなように……」 頷く余裕もなく、ゆっくりと肉棒を引き抜く。 フィーナの中が、俺を放すまいと襞を伸ばして絡みつく。 「動いているのが……分かるわ……」 痺れるような刺激がペニスを襲う。 「っ……」 「うあっ……」 くちゅっ亀頭まで引き抜いた。 泡立った粘液が掻き出され、床にシミを作る。 「あぅ……もっと……動いて良いわ……」 「達哉が、気持ち良くないでしょう?」 実際は、今の一往復でもかなり気持ちよかった。 ゆっくり慣らしていかないと、こっちがすぐに果ててしまう。 「だんだん速くするから」 さっきより少し速度を上げて、フィーナの中に突き刺す。 そしてすぐに引き戻す。 ずちゅっ……ちゅっ……くちゃ……ぴちゅっ言葉の通り、徐々にペースを上げながら腰を回転させる。 奥に到達する度に、フィーナの背筋がぴくりと震え、彼女の快感を俺に教えた。 蜜壺から掻き出された愛液が、床に溜まっていく。 「あっ、あっ、んっ、うっ、ああっ、あっ」 挿れる時は、強烈な圧迫と熱。 引き抜く時は、俺を吸引するような力と襞のざらつき。 俺を早々に果てさせようと、それらが交互に肉棒を攻め立てる。 「あ、ああっ、達哉、強くて、いいわ、もっと」 フィーナが俺を求める。 負けじと、腰を振りたてた。 じゅぷっ、ぐしゅっ……肉と肉がぶつかり合う音が響く。 「ああっ、達哉っ、達哉っ……うっ、あっ」 フィーナの声が大きくなってきた。 体を汗がいくつも滴り落ち、床に落ちていく。 「フィーナ、すごく、柔らかくて、熱いっ」 「ええっ……嬉しい……あっ、ああああっ」 爪先立ちになったフィーナを、思い切り突きまくる。 フィーナが窓に密着し、腰を振る度に窓枠がガタガタ音を立てた。 ぐちゅっ、ぐちゃ、ぴちゅっ、じゅちゅっ……俺の怒張が速いペースでフィーナに出入りする。 結合部から漏れる音は、フィーナが立てるものとも思えないほどいやらしい。 「ああっ、ああぁぁっ、達哉っ、達哉っ」 フィーナの声が高まる。 俺は、腰を入れる角度を微妙に変えながら、フィーナの内側を責め立てた。 「ひゃあっ、ぅあっ……当たるっ、達哉っ……あ、あ、あっ」 フィーナが髪を振り乱す。 壁にぶつかる度に、亀頭がぬるりとこすれ、言いようのない快感が背筋を走る。 「フィーナの中、すごい……俺……」 四方から襞に絡みつかれ、限界が見えてきた。 「いいわ……いつでも……全部……受けるから」 フィーナの言葉が、更に性欲を掻き立てる。 「フィーナっ」 ぐしゅっ、ぱんっ、じゅくっ、ぱんっ、ぱんっ……がむしゃらに腰を動かす。 「ひゃうっ、ああっ、あっ……達哉っ……んうっっ」 フィーナの声が高くなる。 下半身にも、熱い衝動が集まってきた。 「好きっ、好きっ……あ、あ、あ、あ……ああああっ」 ぐちゅっ、ぐちゃ、じゅぱっ、じゅっ……泡立ち、白く濁った淫液が床に飛び散り、たくさんのシミを作る。 「ああっ、んうっ、ひゃあっ、んあっ……」 フィーナの膝から力が抜けてきた。 彼女が倒れないよう、腰をしっかり持ち、下の方から突き上げる。 「ひゃああっ、あああっ、ああっ……もうっ、私もっ……またっ」 「達哉っ、達哉っ……一緒に……あっ、あっ、あっ」 「だめっ、またっ……白く、白く……あああっ、好きっ」 フィーナの体が激しくのけぞる。 射精感が腰から肉棒へと移動する。 「ええっ……早く、あっ、いまっ……もう、もう、あ、ああ、あ、あっ」 「達哉っ、私っ、私っ、あああああっ……あぁぁぁぁっ!!」 フィーナの内部が、強烈に収縮する。 「フィーナっ、出るぞっ」 ちぎれるほどの圧迫に、肉棒が震えた。 びゅくっ……びゅっ……びゅくんっ快感が腰から頭へと突き抜けた。 びゅっ……どぴゅっ……肉棒は、小刻みに痙攣を繰り返す。 その度に白濁をフィーナの中に吐き出した。 「ひゃ……ぁ……ぁ……」 フィーナが声を上げる度に、内腿が震え、俺を締め付ける。 最後の一滴まで搾り取られるようだ。 「うあ……あっ……」 どろどろに熱されたフィーナの中で、分身が何度も震える。 快感が徐々に弱まりながらも、俺の中を駆け巡った。 ……。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 フィーナの肩が大きく上下している。 寄りかかっていた窓ガラスは、フィーナの汗に濡れていた。 「はぁ……頭が……白くなって……もう……」 「はぁ、はぁ……フィーナ、大丈夫?」 「ん……あ……達哉……私の中に……溢れてる……」 酔ったような声で、フィーナが膣内の様子を報告する。 それは、肉棒を介して俺も感じていた。 結合部からは、俺とフィーナの混合液が、だらだらと糸を引いて床に落ちている。 「はぁ……はぁ……すごく、気持ちよかった」 「フィーナは?」 荒い息で聞く。 「……」 同じく荒い息で、フィーナは頷いた。 「達哉と一つになれるのだから……こんなに嬉しいことはないわ」 「フィーナ……」 フィーナの言葉に胸が熱くなる。 同時に緊張が解け、俺のモノが徐々に収縮を始めた。 ……。 とぴゅ……結合部から白濁液が大量に零れ、ぼたぼたと床に垂れる。 こんなに出ていたなんて思わなかった。 「あぁ……零れてしまったわ」 フィーナが名残惜しそうな声を出す。 「勿体ないと思う?」 「そ、それは……達哉がくれたものだから……」 恥ずかしそうに言う。 「じゃ、埋め合わせに、また今度しよう」 「まあ……いやらしいわ、達哉……」 俺は、ゆっくりとフィーナの中から肉棒を抜き出す。 「んっ……」 こぽっ更に液体が零れ落ちた。 「達哉……こんなに……」 「半分はフィーナのだぞ」 「わ、私は多くて4分の1くらいだわ」 フィーナがぷいっと顔を背ける。 「……ははは」 「そう言うことは、パンツはいてから言えよ」 「あ……」 フィーナの顔が真っ赤になる。 「達哉、ティッシュがバッグの中にあるから」 「ああ、ちょっと待って」 ……。 そうして、俺たちは宴の後始末に入った。 ……。 校門まで来たところで、フィーナが足を止め校舎を見る。 「ここに来るのは、きっとこれが最後になるわね」 「ああ……そうだな」 「いつか恩返しができれば良いのだけれど」 「月と地球がもっと仲良くなれば、きっとチャンスはあるさ」 「……そうね」 そう言って、フィーナは校舎に向かって軽く頭を下げた。 ……。 「ここであったことは、きっと生涯忘れないと思うわ」 「いろいろあったなぁ……」 ……。 「最後の思い出は、少し複雑なものだったけれど」 フィーナが笑う。 「あ、あれは……その」 「ごめん」 「ふふふ、怒ってなどいないわ」 フィーナが腕を絡めてくる。 「あそこの教室だよな……」 フィーナが校舎に目をやる。 「……そ、そうね」 「意外によく見える」 「……」 フィーナが真っ赤になった。 「か、帰りましょう。 長居は良くないわ」 「そ、そうだな」 涼しい風が土手を駆け上がってきた。 フィーナが短いスカートの裾を、自然な仕草で押さえる。 「気持ちの良い風」 「だな……」 「そう言えば、フィーナに教えなきゃいけないことがあったんだ」 カレンさんから聞いた、密航者のことを思い出していた。 「何かしら?」 歩きながら話をする。 「前に、カレンさんが来ただろう?」 「あの時に聞いた話なんだけど……」 「月から地球に、無断で来た人がいるらしい」 「密航者ということね」 フィーナの表情が引き締まる。 「どうも姿を隠してたみたいだ」 「ロストテクノロジーを利用していたのかもしれないわ」 「カレンさんもそんな風に言ってた」 ……。 「これは別の話なんだけど」 「月人居住区で、ロストテクノロジー関連の盗難がいくつかあったらしい」 「その犯人ってのを、カレンさんたちが追いかけたんだそうだ」 「ほら、前にこの辺でカレンさんに会っただろ? あの時さ」 「なるほど……」 「カレンさんと黒服で追い詰めたらしいんだけど、相手が姿を消したり飛んだりするみたいで……」 「結局、逃げられたってさ」 「カレンさんは切り結んだって言ってたけど」 「まあ、見えない相手と戦えるなんて……」 「私もまだまだ修行不足ね」 自分に気合を入れるフィーナ。 普通の人から見たら、変わったリアクションだろうな……。 俺はもう慣れたけど。 「それで密航者と話が繋がるわけね」 「そうだな」 「でも、教団が出てくるとなると……厄介ね」 「教団とは仲が悪いのか?」 「悪くはないわ。 彼らも月の平和を望んでいるから」 「ただ、私たちとは違うプロセスを取ることが多いわ」 「事前に相談してくれれば良いのに、彼らは秘密主義なの」 「宗教だからなぁ」 「だから、今回も月の平和を考えて行動していると思うのだけれど……」 「カレンさんが気をつけろって言ってたよ」 「カレンには苦労をかけてばかりね」 「……まあ、俺たちが言えた義理じゃないけどな」 「申し訳無いとは思っているけれど、変えられないこともあるわ」 「ただ、カレンは、私に優しいところがあるから、それが裏目に出なければいいのだけれど……」 フィーナが小さくため息をついた時だった。 「っ!」 土手に2人の黒服が上がってきた。 以前、大使館の入り口で俺を押さえつけた奴だ。 ……。 「……何用ですか?」 「突然まかり越しましたこと、お詫び致します」 痩身の黒服が恭しく頭を下げる。 あまり敬意の感じられる姿ではなかった。 「構いません」 「それで、用件は?」 フィーナの口調もいささか強い。 「遺跡調査の件、お考え頂けたでしょうか?」 「カレンにも言った通りよ」 「調査は続けます」 「どうあってもでしょうか?」 「くどい」 「では、力づくでも月にお帰り願います」 黒服が一歩前に踏み出す。 「達哉、協力して」 「逃げるんだっ」 「フィーナが捕まったらお終いだろっ」 言い終わる前に、痩身の黒服が風のように動いた。 反射的に、持っていた鞄を大きく振り回す。 男が軽く後退した。 「ごめんなさいっ」 背後でフィーナが走り出す音がした。 同時に、もう一人の男が土手を下って俺を迂回する。 「っ」 ……。 眼前の相手から目を離したのがいけなかった。 次の瞬間にはアスファルトを舐めていた。 何も考えられない。 痛みすら感じられない。 ……。 目の前を黒服の革靴が通り過ぎる。 「ああぁぁぁっ」 がむしゃらにしがみつく。 幸運にも、黒服の足を捉えた。 「……っ」 口の中に、鉄臭い味が広がった。 タタタタッ足音が遠ざかっていく。 「無礼者っ、放しなさいっ!」 ……。 なんてことだ。 吐き気がこみ上げて、いろんなものが逆流した。 ……。 …………。 ………………。 「ぐっ」 「があっ」 ……。 …………。 「誰っ、誰かいるのっ!?」 ……。 何だ。 何が起こったんだ。 ザッ顔の近くに、何かの気配を感じた。 「勇気があるのは……悪くない」 どこかで聞いたことがあるような、声がした。 それっきり、気配は消えた。 「達哉っ、達哉っ」 体が揺すられる。 ……。 「フィーナ……ゴホゴホッ」 むせた。 頭がクラクラする。 呼吸も楽じゃない。 「大丈夫っ」 「……ああ……何とか」 「休ませてあげたいのだけれど、早くここから離れなくてはいけないわ」 「肩を貸すから、頑張って」 「……おう」 ガクガクする膝に無理やり力を入れ、立ち上がる。 フィーナが体を支えてくれているお陰か、思ったより歩けそうだ。 「人通りの多いところに出ましょう」 「……そうだな」 ゆっくりと歩き出す。 ……。 土手を降り、住宅街に入る。 呼吸を整えながら、少しずつ歩いた。 ……。 …………。 商店街に入った頃には、どうにか自分で歩けるようになっていた。 見慣れた景観に、安堵の息が漏れる。 「ここからは、一人で歩ける」 「達哉……無理しないで」 フィーナが俺の体をぎゅっと抱く。 彼女の頭を優しく撫でる。 「商店街には顔見知りが多いから……」 「心配かけたくないんだ」 「それに、事情を聞かれたら、説明するのが難しいだろう?」 「……そうだけれど」 「大丈夫だ」 フィーナの頬を優しく撫でる。 「……分かったわ」 ……。 フィーナが俺から体を離す。 「よし、行こうっ」 元気な表情を作り、歩き出す。 ……。 「ふぅ」 家に到着した。 体の痛みは、徐々に引いてきている。 この調子なら、バイトにも行けそうだ。 「大丈夫?」 「ああ、痛みも引いてる」 「剣術の練習で頑丈になったのかもしれないな」 「やせ我慢をして……」 冗談と受け取られてしまったようだ。 「……みんなには、今日のこと内緒にしてくれるかな」 フィーナは寂しげな目で、じっと俺を見た。 「言うと思ったわ」 呆れたようにフィーナは言った。 「仕方が無いわね」 「バイトも行くから」 ……。 「もう止めないわ」 「でも、本当に我慢できなくなったら、すぐ休んで」 「分かった、約束する」 ……。 「いらっしゃいませ、こちらのお席へどうぞ」 「Cセットをお二つですね」 「メインは、肉と魚、お一つずつで」 ……。 働き始めてしまうと、実際何とかなった。 謎の脳内物質が分泌されているのかもしれないが、まあ大丈夫だろう。 「おやっさん、Cセット二つ。 肉と魚で」 「はいよ」 オーダーを厨房に告げ、フロアの隅に戻る。 ……。 「ずっと思ってたんだけど……」 「ん?」 「どこか怪我してるでしょ?」 ……。 いきなりバレた。 「……分かるか?」 「体の動き方がいつもと違うから」 「そんなの、分かるのか?」 「ほとんど毎日見てるからね、ずっと」 菜月が少し寂しそうに言う。 「大丈夫なの?」 「ああ、平気だ」 ふうん、と菜月は俺の体を上から下まで眺める。 ……。 「ま、達哉が大丈夫と言うなら、それでいいけど」 「でも……」 「ん?」 「フィーナに心配かけちゃだめよ」 「ああ」 俺の返事を聞いて、菜月はにこりと笑った。 ……。 俺のことをずっと近くで見てくれている菜月。 もしかしたら、家族よりも俺のことを知っているかもしれない。 菜月のような幼なじみがいてくれて、心から良かったと思う。 「そうやって他人の応援ばかりしてるから、お前は負けるんだぞ」 音もなく仁さんが現れた。 抜く手も見せず菜月のしゃもじが光り、仁さんは星になる。 ……。 「さて、仕事仕事」 ちょうどお客様が席を立つ。 菜月は、キビキビとレジへ向かっていった。 ……。 達哉が仕事に向かって、しばらく時間が経った。 胸の中で憤りが渦巻いている。 ……。 カレンたちが暴力に訴えてくるとは思わなかった。 確かに私たちは、父様の命令に背いて調査を続けている。 強引な手段を用いられたからと言って、文句を言える立場ではない。 ……頭では分かっているのだけれど。 苦しんでいる達哉の姿を見て、そんな理屈は吹き飛んでしまった。 達哉をあんな目に遭わせるなんて、絶対に許容できない。 ……。 バッグから携帯電話を取り出す。 ……。 とぅるるるるっとぅるるるるっ、とぅるるるるっとぅるるるるっ、とぅるるるるっ、とぅるるるるっ「お待たせ致しました、フィーナ様」 「カレン、今日の件について説明してもらえるかしら?」 「……今日の件と申されますと?」 「知らないと言うつもり?」 「はい、皆目」 「貴女、警備の者に私と達哉を襲わせたでしょうっ」 自分でも怖いくらいに鋭い声が出た。 「なっ……」 電話越しに、驚いた様子が伝わる。 「知らないと言うの」 「……お恥ずかしながら」 重苦しい声で、カレンが言った。 怒りが、困惑へと変わっていく。 ……。 「フィーナ様、お怪我は?」 「私は無傷よ。 ただ達哉がひどく殴られたわ」 「達哉がかばってくれなければ、私もどうなっていたか分からない」 「達哉さんが……」 「誰が私たちを襲わせたの?」 「現状では分かりません」 「何か言っておりませんでしたか、その者は?」 私は、覚えている限りの情報をカレンに伝えた。 ……。 「誰かが遺跡調査を阻止するため……」 「警備の者を使って、フィーナ様を襲ったと考えるのが妥当かと思います」 「一体誰が、そのようなことを……」 「遺跡調査の件を知っている人間は限られています」 「その中で、私の目に入らないように事を進めることができるのは……」 カレンが発言をためらっている。 私の頭の中には、既にある人の顔が浮かんでいた。 温和で笑顔の優しいあの方だ。 ……。 「父様……」 ……。 …………。 「……はい」 沈痛な声が聞こえた。 父様がカレンの頭越しに命令を出したこと。 それは、とりもなおさず、カレンが父様の信頼を失ったということだ。 アーシュライト家のもっとも近いところにいた彼女にとって、辛い現実だ。 ……。 「フィーナ様、今からでも遅くはございません、遺跡の調査をおやめ下さい」 「このままでは、達哉さまとの件が破談になるだけでは済みません」 「……」 「どうして、そこまでして父様は……」 「国王陛下は、セフィリア様を深く愛されていらっしゃいました」 「だからこそ、同じ事態になることを誰よりも深く憂慮されております」 「ならば、どうして母様と共に戦うことを選ばれなかったのです」 ……。 「お気づきになれませんか」 「何に気づけと言うのです」 「フィーナ様がいらっしゃったからです」 「っ!」 「セフィリア様が裁判を受け有罪となれば、刑を受けねばなりません」 「王家から国家に対する反逆者が出たとすれば、王家の交代が視野に入ってきます」 「我を通すことよりも、フィーナ様へ未来を託すことを選ばれたのです」 「……」 頭の中が白くなりかけている。 想像していなかった父様の愛情に、心が傾く。 ……。 だが、かすかな違和感が、私を踏みとどまらせた。 違和感の原因は──形見の宝石だ。 ……。 宝石を頂いたのは、母様が政治力を失われて後。 なぜ、遺跡の重要性を示すものを私に託したのか……。 私を遺跡から遠ざけたいなら、宝石を渡すのは得策とは言えない。 実際、宝石が光らなければ、遺跡調査を行わなかっただろう。 母様が、宝石が光ることを知らなかったとは思えない。 ……。 そこから導き出される結論は一つ。 父様は私に国を託してくれた。 その上で母様は遺跡と、遺跡の先にある何かを託してくれたのではないだろうか。 ……。 瞬間──心が決まった。 ……。 「カレン……」 「私は調査を続けるわ」 「……フィーナ様っ」 「一時の感情に惑わされてはなりませんっ」 「違うわ」 「私は、父様と母様に託されたものを見つけに行くだけ」 「お二人が到達できなかった場所を目指すだけよ」 「……ど、どういうことでしょうか?」 「今は話すことができないわ」 「だけれど、必ずカレンにも訳を話せる日が来ます」 「それまで、貴女は自分の身を案じて」 「貴女の立場は今、危ういはずよ」 「……」 「とても心躍る話なの」 「貴女が聞いたら、私に荷担したくなるに決まっているわ」 「私が女王になった時、貴女には側にいて欲しい」 「だから今は、父様に従って」 ……。 「フィーナ様……」 「心配しないで」 「私には頼もしいパートナーがいるから」 ……。 …………。 沈黙が流れる。 カレンの逡巡が手に取るように分かる。 ……。 「分かりました」 苦笑しているような声だった。 「もう一度だけ、お伺いします」 「遺跡の調査をおやめ下さいませんか?」 ……。 「断るわ」 「交渉は決裂よ」 「……はい」 「一度決めたならば、お覚悟を」 「一度言ったことは、そう簡単に変更しないわ」 カレンが何度か言っていたセリフを返した。 「ふふふ……では、これで」 「ご武運を」 「貴女にも」 ぷつっ……。 大きく息を吐く。 晴れやかな気分だった。 父様には悪いけれど、真面目一徹な娘ではいられそうもない。 いつの間に自分は、こんな姫になってしまったのだろう。 ……。 きっと達哉に会ってからね。 そう思うと、急に彼の帰りが待ち遠しくなった。 ……。 「達哉、少しいいかしら?」 夕食後、フィーナに声をかけられた。 「おう」 この部屋にも、ずいぶんフィーナの匂いが定着していた。 元々客間だから、フィーナが住む前は新築の家のような匂いがしたものだ。 だが今は、ドアを開くだけで爽やかで少し色のある、バラのような香りがする。 そんな香りを楽しみながら、俺はソファに腰をおろす。 続いて、フィーナも隣に座った。 ……。 コンコンッドアがノックされた。 「フィーナ様、お茶をお持ちしましょうか?」 「私はいらないけれど、どうする?」 「俺もいいや」 フィーナは頷いて、ドアに向かって言う。 「ありがとう、今は特に必要ないわ」 「はい、失礼しました」 ……。 「ミアったら、気を遣ってくれているのね」 「不用意にドアを開けると、気まずいことになるかもしれないしな」 「まあ、達哉は何をするつもりなのかしら」 フィーナが笑う。 「さて、ね」 ……。 「それはともかく、今日のことなのだけれど」 フィーナが表情を引き締める。 「達哉が仕事に行っている間に、カレンに問い合わせたの」 「何て言ってた?」 「どうやら、カレンの頭越しに事が進められているようね」 「つまり、父様がご自身で指示を出していらっしゃるようなの」 つまり、実の父親が娘を引き戻すために強硬な手段を用いたということだ。 ひどい話だが、俺たちのしていることからすれば、仕方がない気もする。 「それじゃ、カレンさんの面子も潰れちゃうな」 「そうね」 「カレンは最終的に私たち寄りの考え方をするから、父様にはそれが気に入らなかったのだと思うわ」 「これからも、今日のようなことは起こるでしょうから、注意が必要ね」 「実際、どんな手段を取ってくるか、想像もつかないわ」 フィーナの言葉は重々しかった。 殴られた痛みが、再びぶりかえしてくる気がした。 ……。 「そう言えば、今日俺たちを助けてくれた人って誰なんだ?」 「ええ……」 フィーナが視線を外す。 「おそらく、教団の人間ね」 「教団? 何で分かるんだ?」 「姿が見えなかったのよ」 「私が警備の者に掴まれた時、突然二人が倒れたの」 「どことなく人の気配はしたのだけれど、誰もいなかったわ」 「……」 「俺、その人に話しかけられたかもしれない」 「え?」 「意識がはっきりしてなかったから、あまり覚えてないんだけど……」 「聞いたことがある女の子の声だった」 「やっぱり、カレンさんが言ってた密航者なのかな」 「断定はできないけれど、可能性はあると思うわ」 「目的は何だろう?」 「教団が関わっている以上、ロストテクノロジー関連のことでしょうね」 「それも、危険なものである可能性が高いわ」 「兵器」 という言葉が頭をちらついた。 「じゃあ、遺跡調査の先にロストテクノロジーが……」 「……そうね」 フィーナが視線を落とす。 彼女も兵器のことを考えているのだろう。 ……。 「明日からどうする?」 「……現状、見通しは立っていないわ」 フィーナが唇を噛んだ。 俺が知っている遺跡は、もうネタ切れだ。 結局分かったのは、遺跡に近づくと宝石が光るということだけ。 学院の図書館でも何も分からなかった。 はっきり言って前進していない。 ……。 「もっと小さい遺跡の分布を調べて、回ってみるか」 「でも、学院の図書館では細かいところは分からなかったわ」 「もっと専門的な資料を探すとなると、大学か……」 「博物館はどうかしら?」 「一般の人が資料なんか見せてもらえるのか?」 「忘れてもらっては困るわ、博物館の館長は私よ」 フィーナがいたずらっぽく笑う。 「あ、そっか」 「と言っても、案内板がなければ館長室にも行けないような館長だけれど」 「さやかに頼んでみましょう」 「まだ起きているかしら?」 「リビングに行ってみよう」 ……。 「あ、起きてた」 「あら、どうしたの?」 姉さんが新聞から視線を上げる。 「相談に乗ってもらいたいことがあるのだけれど」 「ふふふ、とにかく座ったら?」 「あ、うん」 ……。 言われた通り、ソファに腰をおろす。 「それで、どのような相談ですか?」 姉さんが新聞をたたみながら聞いてくる。 「博物館の資料室で調べ物をさせて欲しいの」 「何をお調べになるのですか?」 「簡単なことなら、学院や街の図書館のほうが早いと思うけど」 「学院の図書館にはもう行ったのだけれど、欲しい情報は無かったわ」 「では、どうしても博物館の資料室に」 「ええ、ぜひお願いしたいわ」 「そうですねぇ……」 姉さんが考え込む。 ……。 …………。 姉さんが顔を上げた。 「二人には資料室整理のアルバイトをしてもらいましょう」 「館長に働いて頂くのは申し訳無いのですが」 「いいえ、そのような気遣いはいらないわ」 フィーナが軽く微笑む。 「そう思ってもらえると嬉しいです」 「ただ、あくまでもアルバイトですので、ノルマをこなしてからでないと調べ物はできませんよ」 「ああ、仕事はきっちりこなすよ」 「ありがとう、さやか」 「いえいえ、仕事をしてもらえるのですから……」 「日取りは明後日でいいかしら? こちらにも調整があるから」 「水曜ならバイトも休みだし、ちょうどいいよ」 「では決まりね。 しゃんしゃん、と」 手を打つ仕草をする姉さん。 ……。 「ところで、何を調べるの?」 「ああ、なんて言ったらいいかな……」 「過去の戦争とロストテクノロジーの関係ね」 姉さんが難しい顔をした。 「私には分からない分野ね」 「それに、資料が少ないところだわ」 「千春さんなら何か分かったかもしれないけど」 「何で親父が出てくるのさ?」 「達哉」 声が高くなる俺を、フィーナが肘で突付いた。 「千春さんはオールラウンダーだったから」 「専門は考古学になっていたけれど、政治史にも交流史にも詳しかったわ」 先日、親父のことについてフィーナに指摘されたこともあったのだろう。 親父の話をされると、心がひどく落ち着かなくなった。 「ま、まあ、そういう話はまた今度」 俺は、フィーナの手を引いて立ち上がる。 「ふふふ、達哉くんも、そろそろ大人にならなくちゃね」 「千春さんも達哉くんの父親としてだけ生きていたわけではないわ」 「どんな夢があって、どんな仕事をして、どんな友達がいて、どんな恋をして……」 「結局、千春さんという人はどういう人だったのか、見つめてもいい歳よ」 「それに、琴子さんのこともね」 笑みをたたえながら、姉さんが言った。 今まで考えてもみなかったことを言われ、とっさに反応することができなかった。 「ではさやか、よろしく」 「はい、こちらこそ」 二人は目配せするように笑った。 ……。 ある雨の朝。 親父は忽然と姿を消した。 リビングには、麻衣の泣き声が響いていた。 母さんは、そんな麻衣の背中を優しく撫でるだけ。 「親父はどこ行ったんだよ」 「さあ、分からないわ」 母さんはかすかに笑って答えた。 そこに、悲しみの色はない。 むしろ安心したような、穏やかな色がにじんでいた。 「結局、親父は俺たちなんかより研究の方が大事だったんだな」 「そうかしら?」 「じゃあ、どうして行き先も告げずに出て行くんだよ」 「言えない事情があったのだと思うけれど」 母さんは穏やかな口調を崩さなかった。 「悔しくないのか、母さん」 「悔しくないわ」 母さんの泰然とした姿が、俺を苛立たせた。 どうしてこの人は、悲しんだり怒ったりしないのだ。 どうして、大人しく座っていられるのだ。 俺が、こんなに   気持ちになっているというのに。 「探してくるっ」 ……。 …………。 気が付いた時には、傘も差さず、外を走っていた。 見つけたら何を言ってやろうか──そんな気持ちで一杯だった。 ……。 結局、親父を見つけることはできなかった。 あの時、言おうとしていた言葉は記憶の彼方。 すぐに、思い出すことはできない。 ……。 でも、その言葉は、今でも俺の胸の中のどこかにしまわれている気がする。 『      』……。 だが、言葉は記憶の底から出てこない。 その言葉を思い出すことを、俺の中の何かが阻んでいた。 ……。 水曜日の午前9時。 俺たちは博物館を訪れた。 黒服達も、流石に人目のあるところでは行動に出ないだろう。 ……。 大きな自動ドアをくぐる。 平日だけあって、人影はまばらだ。 「あの、すいません」 受付の女性に話しかける。 「ようこそ王立博物館へ、どうかされましたか?」 「今日、アルバイトをすることになっている者ですが」 「はい、承っております」 「確認を取りますので、少々お待ち下さい」 そう言って、姉さんと色違いの制服をきた女性は、内線の受話器を取った。 ……。 「静かね」 「そうだな」 「ここは、母様が月の文化を地球に伝えたいという願いを込めて作ったのよ」 来館者が少ないことを残念がるフィーナ。 「もうちょっと、びっくりするような展示物があれば、お客さんも集まるんじゃないかな」 「そうね、月に戻ったら考えてみましょう」 「これでは、母様が悲しまれるわ」 「でもさ、政治ばっかりじゃなくて、文化交流にも気が回るなんてすごいよな」 「母様は、どちらかと言うと文化交流の方が楽しかったのだと思うの」 「王宮に学者や留学生を招くのを楽しみにしていらしたわ」 「学者か……」 ふと、頭に親父のことが浮かんだ。 「フィーナは学者とかに会ったことがあるの?」 「ええ、よくお話は伺ったわ」 「専門的な話は分からなかったけれど」 苦笑するフィーナ。 「お待たせしました」 館員が受話器を置いた。 「あちら奥に館長室がございますので、そちらへどうぞ」 「ありがとう」 フィーナが応答する。 大人びた言葉遣いと、美しい笑顔に館員が少し驚いた顔をした。 「それじゃ、失礼します」 「はい、お仕事よろしくお願いします」 ……。 館員に示された通路を進むと、応接室や事務室などが目に入る。 館長室はその一つだった。 重厚な木の扉に「館長室」 と書かれた金色のプレートがはまっている。 ……。 ノックをして部屋に入る。 「失礼します」 「こんにちは」 「いらっしゃい、二人とも」 姉さんがデスクから立ち上がる。 「受付の子が、フィーナ様のことを可愛い彼女だって言ってたわよ」 「え……あ」 突然の話に、リアクションを取ることができない。 「あら、達哉はそう思っていないのかしら?」 「い、いや……思ってるよ」 「まあ、ふふふ」 「彼氏は純情さんみたいね」 「からかわないでよ、姉さん」 「はいはい」 「では、お仕事の話を……」 「仕事内容は、本をラベル通りに本棚にしまうこと」 「それだけ?」 「ええ。 でも、数が多いから大変よ」 「資料室に担当の館員がいるから、詳しいことはその人に聞いて」 「あと、お昼の時間になったらここに来てね、お弁当があるわよ」 「分かったわ」 「では、お願いします」 姉さんは、穏やかな口調ながらも、用件を正確に述べていく。 家での姉さんとは違う。 俺の知らない姉さんだ。 姉さんは、俺の姉さんとしてだけ生きているわけではないんだ。 今更のように、そんなことが実感できた。 ……。 それは以前、姉さんが言ったことと重なる。 「千春さんも、達哉くんの父親としてだけ生きていたわけではないわ」 親父も、俺の親父としてだけ生きていたわけではない。 なら親父は、俺の知らないどんな姿を持っているのだろうか?……。 資料室では、男性の館員が待っていた。 簡単な自己紹介の後、すぐに仕事の説明に入る。 姉さんの言っていた通り、本の背に貼ってあるラベル通りに棚にしまう作業だ。 本棚は3つの書庫に分散しており、1つの書庫は小さな図書館ほどの規模がある。 「まずは本を書庫ごとに分けるところからかな」 「そうね……」 山積みになった本を、ため息混じりに見る。 「早く終わらせないと、調査をする時間が無くなるわ」 「よし、頑張ろう」 ……。 第1書庫行き、第2書庫行き、と大まかに場所を決め、本を分類していく。 どれも『○○総論』とか『○○の基礎的考察』など、難しそうな名前がついている。 そして例外なく、1冊1冊が重い。 俺たちは、ほとんど言葉も交わさず、黙々と作業を続ける。 ……。 …………。 分類を終わらせ、各書庫に運び込むところまでで午前は終わりになった。 休憩は小休止のみにして、すぐに作業を再開する。 「めぼしい本は、メモしておいた方がいいわ」 「後から探すとなると、時間が掛かるから」 「了解」 棚に本を収めながら、周囲の本を見渡す。 遺跡やロストテクノロジーについてのものがあれば、タイトルとラベルをメモする。 そんな作業を続けた。 ……。 …………。 仕事が終わったのは、午後3時近くだった。 「達哉、ずいぶん汗をかいたのね」 「そうか?」 指先で額に触れると、べっとりとした皮脂の感触があった。 「うわ、ベトベトだな」 「これで拭いて」 フィーナが大き目のバッグからタオルを取り出した。 「じゃ、遠慮なく」 タオルを受け取り、顔を拭く。 これと分かるほどタオルが黒くなった。 「ずいぶん汚れてたんだな、ほら」 「もう、見せないで頂戴」 「フィーナはいいのか?」 「そうね、では行ってくるわ」 フィーナがパウダールームに立つ。 ……。 もう2、3度顔や腕を拭いてから、俺は自分が書いたメモに目を走らす。 記されている本は5冊程度。 片づけた本の数に比べ、あまり多いとは言えない。 戦争による知識と資料の喪失が原因だろう。 研究対象の時代が古くなればなるほど、本は少なかった。 ……。 …………。 少しして、化粧を直したフィーナが戻ってきた。 元々、化粧がいらないほどに美しい肌をしているフィーナ。 彼女の化粧は「化ける」 というより、素材の良さをより引き立てる──そんなものだ。 「じゃ、挨拶に行こうか」 「ええ、お待たせしました」 俺たちは、館員に挨拶をしてから館長室に向かった。 「失礼します」 パソコンのディスプレイと、にらめっこしていた姉さんが顔を上げる。 「さやか、眉間にシワが寄っていたわよ」 「あら、いけない、いけない」 「無意識にできてしまうのよね」 苦笑しながら、姉さんが立ち上がる。 手には白いビニール袋と封筒を持っていた。 「あなたたち、お弁当を取りに来なかったわね」 「思ったより仕事が多かったからさ」 「調査の時間が無くなってしまうと思って」 「仕方無いわねえ……」 姉さんは苦笑して、お弁当を渡してくれる。 「後でゆっくり食べるといいわ」 「ありがとう」 「それと、これは今日のお給金」 と、封筒をくれた。 「多くはないけれど、デートの資金にでも充ててね」 「そうさせてもらうわ」 フィーナがにっこりと笑う。 「調査のことだけど、閉館時間までは自由に資料を見て構わないわ」 「といっても、あと2時間程だけど」 2時間では大した数の資料は読めない。 「でも、それでは読みきれないと思うから、特別に無料でコピーをしていいわ」 「助かるわ」 「その代わり、ミスコピーはしないように」 「最近、予算が厳しくて」 「了解」 「それと、これを……」 姉さんが何かを渡してくれる。 ……どこかの鍵だ。 「これは?」 「普段はあけていない閉架書庫の鍵よ」 「貴重な本はそちらに保管してあることが多いから、よかったら使ってみて」 「それじゃ、頑張ってね」 再び資料室へ入る。 「まずは、お互いがメモした本を集めましょう」 「分かった」 バラバラに書架の間に散る。 メモを片手に、一冊、また一冊と本を取り出していく。 ……。 …………。 どさっ二人で集めた本は、11冊だった。 もちろん、これらを時間内に読むことは不可能だ。 「全部のページをコピーしてる時間がないな」 「そうね……」 「30分くらいで、軽く目を通して、コピーするページを決めましょう」 「分かった」 「それより達哉」 「この本は知っている?」 と、フィーナが一冊の本を取り出す。 濃紺の表紙に、金文字で『月への旅』と書かれていた。 著者は……。 朝霧…………千春「……」 とっさに声が出なかった。 ……。 親父が……書いた本。 ……。 …………。 親父が学者だったことは幼い頃から知っていた。 だが、彼が書いた本を目にするのはこれが初めてだ。 ……。 他の本とは趣が違うタイトル。 まるで小説のようだ。 ……。 …………。 ゆっくりと本に手を伸ばす。 ……。 ざらりとした布張りの感触。 震える指先で表紙をめくる。 ……。 1枚目のページの真ん中に、こんな文章が印刷されていた。 『日々、私を支えてくれる琴子とさやか、達哉、麻衣に感謝の気持ちを込めて』……。 …………。 理解を超えていた。 俺の知っている親父は、こんな文章を書く人じゃない。 研究のため、母さんや俺たちを捨て、どこかへ消えてしまった──無責任で薄情な男だ。 ……。 いや、きっと本にはこういうことを書くのが慣例なんだ。 そう自分に言い聞かせて他の本をめくる。 ……。 …………。 どの本にも、同じようなページは無かった。 あとがきに家族のことを書いている人もいる。 でも、初めのページに家族への感謝の気持ちを述べた本は他に無かった。 「すいません」 フィーナが通りかかった館員に声をかける。 「何か調べ物ですか?」 「ええ、興味があることがありまして」 「この本をご存知ですか?」 と、フィーナが親父の本を差し出す。 ……。 「えっと……」 「ああ、知ってますよ」 館員は表紙を見るなり答えた。 「この分野を研究している人は大抵読んでいると思います」 「論文として優れているっていうのもあるんですけど……」 「何と言えばいいんでしょう……研究意欲が湧いてくるんですよね」 「夢があるって言うか、まあ、そんな感じです」 自分でも気に入っている本なのだろう。 若い男性の館員は、すらすらと、そして熱を込めて話した。 そんな言葉を、俺は、半ば夢の中にいるような気分で聞いていた。 ……。 「さあ、コピーをしましょう」 「あ、ああ……」 ぼんやりと返事をする。 フィーナはそんな俺の頬を優しく撫でた。 「精密な論文を書く人は多くても、夢を与える論文を書ける人は少ないわ」 「千春さんは、素晴らしい研究者だったのね」 「……」 ……結果から見ればそうだ。 だが、俺にはまだ受け入れることができない。 それに、文章で書いたことだ。 本人がどう思っていようと、立派なことを書くことはできる──そんな、斜に構えたことも考えていた。 だが、心のどこかでは、それが無駄な抵抗であることを感じていた。 ……。 …………。 コピー機のせわしない音と振動が始まっても、俺の頭はまだぼんやりとしていた。 「達哉、そんな調子では、ミスコピーが増えてしまうわよ」 苦笑交じりにフィーナが言う。 「ああ……」 「ごめんなさい、私が急に本を見せたから」 「いや、いいんだ」 「知らないよりは、知っていた方がいいから」 「……頑張って」 そう言って、フィーナは俺の手を握ってくれた。 閉館時間を迎え、俺たちは博物館の外に出た。 空は、やや赤みを帯びている。 「達哉、芝生のところでお弁当を食べましょう?」 「そうだな、早く食べないとダメになっちゃうしな」 「あちらの方が、見晴らしが良さそうよ」 俺たちは周囲で一番高くなっている芝生の高台に上る。 ……。 高台の頂上からは、礼拝堂や大使館の壁──遠くは物見が丘公園のシンボルタワーまで見えた。 「ここなら美味しくお弁当が食べられそうだわ」 笑って、フィーナが芝生に腰を下ろす。 俺も並んで腰を下ろした。 ……。 満弦ヶ崎湾の海面が、日の光を跳ね返し金色に光っている。 俺たちは、膝の上で仕出しの弁当を開く。 何の変哲も無いのり弁当だった。 「いただきます」 「いただきます」 月の姫様が、俺の隣でのり弁を食べ始めた。 何か奇妙な光景だ。 「どうかしたのかしら?」 「いや、姫様ものり弁食べるんだと思ってさ」 「これはこれで美味しいと思うけれど」 「味じゃなくて、取り合わせの問題」 「ふふふ、のり弁を食べた月の姫は私が初めてかもしれないわね」 気持ち良さそうに笑って、フィーナは視線を弁当に戻した。 「まあ、醤油入れが魚の形をしているわ、かわいらしい」 「かわいいかな?」 「かわいいと思うけれど」 フィーナは醤油をてんぷらの上にかけ、食事に戻った。 食事を終え、コピーしてきた資料に目を通していく。 内容は難しく、何を言っているか分からない箇所もある。 そして、コピーのまずさが、内容の理解を妨げているのも否定できない。 ぼんやりしながらコピーしてたからな……。 せっかくの資料を自分のせいで無駄にしているのが申し訳無かった。 ……。 「あー、またミスコピーだ」 開いた本の綴じている部分が、スキャナに密着しておらず、黒くなっていた。 何枚目かのミスコピーを弁当が入っていたビニール袋に押し込む。 「ごめんな、フィーナ」 「仕方無いわ」 「私が本を見せたタイミングが悪かったのだから」 「フィーナは悪くないよ」 「あのタイミング以外じゃ俺に見せられなかっただろ?」 「……」 「では、おあいこということで手を打ちましょう」 「……ああ」 「ミスコピーは持ち帰ってメモ用紙にするわ」 「エコロジーだね」 「月では資源は貴重なのよ」 「どんなものでも、有効活用を考えないと」 有効活用……。 ……。 ふと、親父と作った紙飛行機のことを思い出した。 フィーナは紙飛行機そのものを知らないかもしれない。 作って見せたら喜ぶだろう。 ……。 「ミスコピーの有効活用法を思いついたぞ」 「何かしら?」 「紙飛行機」 フィーナが笑う。 「良い案ね、どこまで飛ぶか競争をしましょうか」 ……。 「紙飛行機、知ってるんだ」 ちょっと残念。 「ええ、教えてもらったことがあるの」 そう言って、フィーナはミスコピーを取り出し、慣れた手つきで飛行機を折り始める。 「俺のは改良に改良を加えたタイプだから、そう簡単に負けないぞ」 「気迫では飛行機は飛ばせないわよ、早く折ったらどう?」 「よーし、見てろよ」 俺は、親父が最後に開発したタイプの飛行機を作る。 親父に教わったものを作るのは癪だが、ここは意地でもフィーナに勝ちたい。 ……。 「よし、できたぞ」 「私もよ」 フィーナが形の整った紙飛行機を掲げる。 「同型なら、後は飛ばす技量次第ね」 「えっ……」 フィーナの手に目をやる。 ……。 フィーナが持っている紙飛行機。 遠目には同じような形をしている。 ……。 「悪いけど、ちょっと見せてもらえる?」 「……良いけれど」 怪訝な顔をするフィーナから飛行機を渡される。 ……。 …………。 隅々まで見比べる。 同じ形としか思えない。 そんな…………。 馬鹿なことが……「……」 「どうかした?」 「あ、いや……」 胸が恐ろしいほど高鳴っている。 ……。 俺が作った飛行機は、親父から教わったものだ。 親父は、自分オリジナルの飛行機だと言っていた。 ……。 親父オリジナルの紙飛行機を、フィーナが折った。 衝撃が頭の中を何度も反響している。 頭が空洞になったような気分だ。 胸が高鳴り、体中の汗腺が開いたように汗が噴き出る。 ……。 …………。 「達哉、どうしたの?」 「その飛行機……」 「教わったって、言ったよな?」 カラカラに渇いた喉から、かすれた声を出す。 「え、ええ」 怪訝な顔でフィーナが俺を見る。 「どんな人、名前はっ!?」 「達哉っ痛いわ、少し落ち着いて」 知らない間に、俺はフィーナの腕を強く握っていた。 「……ごめん」 ……。 腕を放し、一つ大きく息をつく。 ……。 「私が紙飛行機を教わったのは、地球から来た学者よ」 「母様のお気に入りだったらしくて、よく王宮に出入りしていたわ」 「な、名前は」 ……。 ……千春。 朝霧千春というはずだ。 「分からない……」 ……。 分からないって、そんな……。 「き、聞いたことが無かったのか?」 「いいえ」 ……。 …………。 「本人が覚えていなかったのよ」 フィーナは、一度言葉を溜めてから言った。 「そんな……覚えていないって」 フィーナが視線を落とす。 ……。 「事故よ」 「居住区外、つまり、空気のない地域の遺跡調査をしている時に事故に遭って……」 「その後遺症で、彼はほとんどの記憶を失ってしまったの」 ……。 「そっか……」 「結局、事故の怪我が治らず、半年後に他界したわ」 ……。 「達哉……」 「もしかして、千春さんなの?」 ……。 俺は目で肯定した。 「さっきフィーナが作った紙飛行機……」 「あれは、親父が自分で設計したものなんだ」 「子供の頃、一緒に飛ばして……」 そこで言葉が詰まった。 「……そう」 ……。 フィーナが、優しく俺の体を抱きしめた。 ……。 「なら一つだけ、良いことを教えてあげられるわ」 「……?」 ……。 …………。 「私が紙飛行機の作り方を教わったのは、彼の病床でのことよ」 「自分の名前を忘れても、紙飛行機のことは覚えていたのね」 ……。 …………。 ………………。 なんてことだ。 ずっと嫌って──いや、憎んですらいた親父。 家族への愛情など、どこかへ捨ててしまったと思っていた。 ……。 だが彼は、自分の名前まで忘れるような事故に遭っても──俺と作った紙飛行機のことは覚えていた。 ……。 不意に胸が締め付けられた。 ……。 悲しい──俺は親父の死を悲しんでいる。 ……。 どうして悲しいのだろう。 ずっと、親父が死んだことは分かっていたはずなのに──ずっと、彼を憎んでいたはずなのに──……。 親父が生きていることを望んでいたというのだろうか。 もし仮に彼が生きていて、どこかで出会ったとしても──恨み言くらいしか言うことは無いはずなのに。 ……。 いや……違う。 俺は親父に言いたいことがあったはずだ。 親父が消えた日、俺は彼の背中を追った。 会って伝えたいことがあったからだ。 ……。 胸の中から言葉が湧き上がってくる。 嫌悪や恨み──そんな感情に幾重にも隠されていた言葉が、記憶に蘇ってくる。 ……。 俺は、親父に言いたかったのだ。 ……。 …………。 『もっと遊ぼう』と。 以前フィーナは、親に対する執着も嫌悪も、原因は同じだと言っていた。 フィーナは母親に振り向いてもらおうと、勉強に励んだ。 セフィリアさんを目標として強く認識するあまり、半ば神格化していた。 俺はその逆だ。 何も言わず消えた親父に、俺は捨てられたと思ったのだ。 腹いせに親父を嫌悪して、親父への欲求を隠した。 本当はただ、もっと遊んで欲しかっただけ……。 フィーナと何も変わらない。 ……。 何て愚かなのだろう。 親父に構って欲しい。 そんな単純な欲求に焦がれていたことも、気づけなかったなんて。 ……。 「ぁ…………」 喉の奥から嗚咽が漏れた。 フィーナが強く俺の体を抱く。 その柔らかさに、俺の中で重しが外れた。 「うぁぁ……」 フィーナの胸に顔をうずめ、俺は声を上げた。 自分の中で膨れ上がった後悔と、自責を洗い流すように──ただ、声を上げ続けた。 ……。 食後のリビングに、ミアとリースを除いた面々が集まっている。 親父についての話を、家族は比較的冷静に受け止めた。 親父が月へ行っていたこと、事故に遭ったこと、記憶を無くしたこと、……死んだこと。 ……。 今、フィーナは、親父の写真を見てわずかに目を伏せている。 「間違いないわ」 ……。 「そうですか」 「千春さんは月へ……」 「でも、足取りが分かって良かったね」 目尻に涙をためて、麻衣が言った。 「そうね」 「いつまでも行方不明では、千春さんが可哀相だったから」 法的には、親父の死は既に確定していた。 だけど家族には、いつかひょっこり帰ってくるのでは、という思いがあった。 そんな宙吊りみたいな気持ちが、今ようやく落ち着いたのだ。 「最期に月に行けて、お父さん嬉しかったかな?」 「もちろんよ」 「それに、琴子さんも喜んでいると思うわ」 姉さんがかすかに笑って言う。 「何で母さんが喜ぶのさ」 「親父がいなくなったせいで、母さんは早死にしたんだろ?」 「母さんが喜ぶなんて、おかしい」 「そうかしら?」 姉さんが、少し強い視線で俺を見た。 「え?」 「誰しも少なからず、この人しかいないと決めて結婚するのよ」 「特に、千春さんのように、少し変わった生活をしている人の場合は尚更だわ」 「よく考えてみて」 「琴子さんが、どんな気持ちで千春さんと結婚し、生活していたのか」 「……」 「自分が好きになった人には、やりたいことがあって……」 「でもそれは、周囲に理解されにくい」 ……。 どこかで聞いたことがあるフレーズ。 ……。 …………。 「……あ」 違う。 俺が言った言葉だ。 ……。 俺とフィーナが喧嘩をした時、その理由を説明するために、俺は同じことを言った。 「フィーナにどうしてもやりたいことがあるんだけど」 「でも周りの人は賛成してないんだ」 確かに言った。 ……。 そして、俺は決心したんだ。 フィーナのたった一人のパートナーになるために──どんなことがあっても彼女を信じ、支えようと。 ……。 俺がもし母さんの立場なら──研究のため、飛び回り続ける親父を止めただろうか?……。 恐らく止めないだろう。 寂しくないと言えば嘘になる。 だがこれは、プライドの問題なのだ。 何があっても相手を支えると誓った自分が、寂しいからといって夢を妨げる。 これは、自分が相手にとって唯一のパートナーだという自負を、自分で裏切ることだ。 ……。 俺がフィーナとの関係の中で見つけ出した結論。 それを、こんなにも近くで実践した人たちがいた。 俺は、そんな二人の結晶なのだ。 心強く思うと同時に、胸が熱くなった。 ……。 「なんとなく分かったよ……母さんの気持ち」 「当たってるか分からないけど、納得できた」 「……そう」 「お兄ちゃん……」 二人の顔に安堵の色が浮かぶ。 「もう一つ、達哉くんが勘違いしていることがあるわ」 「え?」 「琴子さんの亡くなった理由よ」 「……」 「千春さんがいなくなった過労が原因だと思っているようだけど」 「本当のところは違うわ」 それは頷ける。 母さんが、俺と同じような気持ちで親父と暮らしていたなら──親父がいなくなるのを見送った時点で、母さんには満足感があったはずだ。 他の人なら許せないであろうことを、自分は相手を信じて許してあげた。 こんな満足感だ。 確かにその後の母さんは働き詰めだったけど、満足感の中での忙しさだ。 死に至る様なストレスを感じていたとは思えない。 ……。 「琴子さんの死因は、肝臓ガンよ」 姉さんが俺の目を見て言った。 「千春さんがいなくなった時には、もうずいぶん進行していたみたい」 「……そうだったんだ」 「これは私の想像だけど、琴子さんは病気のことを千春さんに……」 「言ってないと思う」 俺は、姉さんの言葉の途中で口を開いた。 「え?」 「言わないと思うよ、パートナーのプライドにかけて」 ……。 …………。 しばらく目を瞑って、姉さんが口を開く。 「そうね、私もそう思うわ」 姉さんが穏やかな笑みを浮かべる。 「達哉くん、大人になったわね」 「今までが子供過ぎたんだ」 ……。 「親父や母さんを、一人の人として見ていなかったのかもしれない」 「誰でも通る道よ」 そう言って、姉さんはソファに体をうずめた。 「何だか肩の荷がひとつ下りた気がするわ」 隣に座っていたフィーナが、そっと俺の手を握った。 フィーナは言葉を発さなかったが、俺を祝福してくれているように感じた。 「これで家族みんなが、お父さんとお母さんを大切に思えるようになったね」 「……俺だけ遅かったんだな」 「もういいのよ」 「千春さんも琴子さんも、きっと許してくれるわ」 「……そうだと嬉しい」 ずっとしまいこんでいた言葉をかける人は、もうここにはいない。 憧れていた月で、土に返ったのだ。 ……。 「親父の部屋に行っていいかな?」 「もちろん」 「誰が止めると言うの?」 姉さんが笑う。 「私もついて行って良いかしら?」 「ああ、俺たちのことを報告に行こう」 ……。 「私はお隣へ行ってくるわね」 「わたしは寝よっかな。 安心したら疲れちゃった」 ……。 「こっち」 リビングの真上にある、親父の部屋へフィーナを案内する。 ……。 目の前に、避け続けていた扉が現れた。 別段、変わったところのないドア。 ここを開けるには、まだかすかに抵抗があった。 フィーナが俺の手を握る。 「大丈夫よ、入りましょう」 「……」 俺は無言で頷き、ドアノブに手をかけた。 がちゃ……中から、篭っていた空気が流れ出てきた。 昼間の暑さを残している空気。 どこか懐かしい香りがする。 手探りで電灯のスイッチを入れた。 ……。 …………。 目の前に浮かび上がる親父の部屋を、少しの間、ぼんやりと眺めた。 親父が消えたあの日から、手付かずで残された部屋。 読みかけの本も、書きかけのノートも、全てそのままだ。 いつか帰ってくるかもしれない──そんな思いが、ここを整理することをためらわせていたのだろう。 ……。 誰もいないはずの部屋。 そこかしこから親父の雰囲気が感じ取れた。 「さ、入ろう」 フィーナの手を引いて、部屋の中央へと進む。 ……。 「親父、久し振り……」 デスクに向かって声をかける。 もちろん返事はない。 「紹介するよ、俺のパートナーのフィーナだ」 「もう知ってるかもしれないけどな」 「フィーナ・ファム・アーシュライトです」 「地球でお会いするのは初めてですね、お義父様」 フィーナがスカートの裾を軽く持ち上げて挨拶した。 ……。 「……今まで、誤解しててごめん」 「もう直接謝ることはできないけど……」 「いつか俺に子供ができたら、伝えるよ」 「俺の両親は強いカップルだったって」 俺の言葉が部屋に響く。 「私もお約束します」 残響が消えないうちに、フィーナの声が重なった。 ……。 俺たちは互いに手を取り、デスクに対し目を伏せた。 ……。 俺たちの言葉は、もう両親には届かない。 だけど、俺の中にいる二人は──柔らかく笑ってくれた。 ……。 「達哉、紙飛行機の本があるわ」 フィーナが移動式の書棚の上を指した。 「本当だ……」 本を手に取る。 『よく飛ぶ紙飛行機』というタイトル。 飛行機の飛ぶ仕組みから解説が始まり、投げ方、作り方と続く。 本の後半には、作例のイラストがいくつも掲載されている。 「……」 ……。 そして……作例の一つひとつには、親父の手でメモが添えられていた。 飛行機を飛ばした日付、天候、場所などの情報。 自分がどのように飛行機を飛ばし、結果はどうだったか。 そして、俺の作った飛行機がどこまで飛んだか。 最後には、次に俺に教えることや、作る飛行機など、今後の予定が書いてあった。 ……。 紙飛行機を介して俺とコミュニケーションを取ろうとした、親父の足跡だった。 最初の頃のメモからは、余裕を持って俺の飛行機を見ている様子が窺えた。 しかし、俺が徐々に上達してきたのだろう。 後半は、かなり勝負に夢中になっており、真面目に勝つ方法を考えている。 親父が試行錯誤する姿が浮かび、何だかほほえましくなった。 ……。 「優しい人だったのね」 「ああ……」 俺もフィーナも、いつの間にか目に涙を溜めていた。 ……。 かさっ紙が床に落ちた。 「??」 拾ってみるとそれは、綺麗に折り畳まれた紙飛行機の設計図だった。 ……。 見覚えのある形だ。 「これは……」 「俺たちが親父から教わった物だな」 懐かしさがこみ上げた。 これを飛ばしたのはいつのことだったか…………。 「行くぞ」 「よーしっ」 「おりゃっ」 ……。 俺たちの手を離れた紙飛行機が宙に舞う。 今日は、親父自慢のオリジナル機を二人で飛ばした。 二人で同じ飛行機を飛ばすのはこれが初めてだった。 ……。 飛行機は空を切って進む。 今までにない滑らかな飛行に、俺は夢中になった。 「どうだ、俺の飛行機は」 「すごいっ」 「作り方教えてよっ」 「んー、そうだな、家に帰ったら教えよう」 「よーし」 「だけどな、自分でも考えるんだぞ」 「俺の飛行機で、俺に勝っても嬉しくないだろ?」 「……うん」 「じゃあ、お父さんのをもっと飛ぶようにするよ」 「ははは、それならよしっ」 親父が、飛行機を見る。 俺も自分が飛ばした飛行機を見た。 ……。 今まで真っ直ぐに飛んでいた俺の飛行機が、徐々に右へカーブする。 そして、塔の壁にぶつかって失速。 「あっ……」 見る見るうちに、地面に落ちた。 「俺の勝ちだな」 「今のはナシだよ」 「投げ方だって腕のうちだよ」 「……」 「くそう」 悔しくて、親父の飛行機を見た。 曲がることなく真っ直ぐに飛び、丘を下っていく。 「塔が無ければ、もっと飛んだのに」 悔しくて、塔を睨んだ。 「ねえ、この塔って何?」 「ん……そうだな……」 親父も塔を見上げる。 「この塔は、月に繋がってるのさ」 「うそだぁ、だってそんなに高くないじゃないか」 「はははは、みんなそう言うんだよ」 親父は、楽しげに笑った。 「だからこれは、俺と達哉だけの内緒だぞ」 「みんなに笑われちゃうからな」 そう言って、俺のおでこを突付く。 「分かったか?」 ……。 ……。 …………。 「月に……繋がってる……?」 物見の丘公園に屹立する塔。 それを、月に繋がっていると言った親父。 ただ、塔が高いことを比喩して言ったのだろうか。 「達哉、何か言ったかしら?」 「ああ……ちょっと昔のことを思い出してた」 「どんなこと?」 「親父と物見の丘公園で紙飛行機を飛ばしたんだけど……」 「その時、あそこに建ってる塔を、親父が月に繋がってるって言ってたんだ」 「月に、繋がっている?」 「ああ」 「どういう意味か考えてたんだけど……」 「あの塔は、いつからあそこにあるのかしら?」 「……分からないな」 いつ誰が建てたのか、俺は知らない。 ただ、公園に建っていたから、何かの記念碑みたいなものだと思っていた。 「他には何か言っていなかった?」 「みんな信じないとか、そんなくらいかな」 「……」 フィーナが目を瞑って考え込む。 ……。 少しして、フィーナが目を開いた。 「千春さんは、公園の塔を研究していたのではないかしら?」 「塔を……?」 あの塔が月に関係ある遺跡だなんて、聞いたことがない。 「学説として塔のことを発表したのだけれど、誰も信用してくれなかった、というのはどうかしら?」 「ちょっと、その辺を調べてみよう。 ノートくらいはあるだろ」 「でも、勝手に調べるのは……」 「きっと許してくれるよ」 「捨てるわけじゃないんだし」 「え、ええ……」 躊躇するフィーナの手を引いて、俺は本棚やデスクを調べる。 ……。 …………。 研究ノートらしきものはすぐに見つかった。 一番新しい通し番号が振られたものを手に取る。 ぺらっノートには、汚い書き込みが所狭しと書き並べられている。 どうやら、他人が見ることを想定していなかったようだ。 ぺらっどんどんページをめくっていく。 すぐに、物見の丘公園の塔と思しき図が見つかった。 「間違いなく、公園の塔ね」 図の周辺のメモに目を走らせる……。 ……。 しばらくの間、俺たちはノートの読解に頭を悩ませた。 内容が専門的である上に、字はお世辞にも綺麗とはいえない。 なかなか骨の折れる作業だ。 ……。 …………。 それでも、何となく言いたいことが分かってきた。 ……。 親父は公園の塔を遺跡の一つとして見ている。 つまり、塔が戦争前からあそこにあったと考えているようだ。 ……。 「ふぅ……」 フィーナが息をつく。 「どう?」 「何となく、分かったわ」 「千春さんは、公園の塔を月と地球を結ぶ移動装置として考えていたようね」 「移動装置……?」 「それで、この塔は月へ繋がってるって言ったのか」 「そう思うわ」 「あと、いくつか説を補強する理論が書かれているわね」 「……例えば、この街の名前であるとか」 「名前?」 街の名前は満弦ヶ崎市、正式には満弦ヶ崎中央連絡港市という。 「月大使館ができる前から、ここは中央連絡港市と呼ばれていたそうだわ」 「つまり、中央連絡港というのは、大使館の空港ではないのね」 「じゃあ、他に中央連絡港という名前にふさわしいものがあったってことか」 「ええ」 「千春さんは、それを移動装置に結び付けているわ」 「……なるほど」 一つの考えが頭に浮かんでいた。 セフィリアさんは、何かを探して遺跡を巡っていた。 もし、セフィリアさんが目的のものを見つけられなかったとするなら……彼女が行かなかった遺跡に、目的のものがあると考えることができる。 それが、物見の丘公園の塔だったとするなら……。 セフィリアさんの探していたものが、移動装置である可能性がある。 「フィーナ」 「達哉」 俺たちは、同時に顔を見合わせた。 「あ、いや、フィーナから……」 「達哉からどうぞ」 ……。 「あのさ、セフィリアさんが探していたのって、移動装置なんじゃないか?」 フィーナの表情が輝いた。 「私もそう思っていたの」 「母様の政治方針からすると、兵器より移動装置を探していた方が自然だわ」 フィーナが嬉々として話す。 「公園の塔が移動装置であることを証明できれば、母様の汚名を晴らすことができるかもしれない」 セフィリアさんが兵器を探していたのでは、という疑念。 それは未だにフィーナの中にあったのだろう。 疑念が解消される理屈に行き着いて、彼女は興奮しているようだった。 ……。 でも、俺はここで彼女に問わなくてはいけない。 ……。 「これからは自分の意思で物事を判断できるよう、注意していくわ」 「だから、私が母様の価値観に追従し過ぎることがあったら、遠慮なく指摘して欲しいの」 「では、お前はどう考えるのか、というようにね」 ……。 これはフィーナとの約束だ。 守らなくてはいけない。 「なあ、フィーナ」 「何かしら?」 興奮冷めやらぬ顔で、俺を見るフィーナ。 「セフィリアさんが移動装置を探していたとして、フィーナはどうしたいんだ」 「移動装置を見つけて、どうしたいんだ?」 真剣な表情を作って尋ねた。 ……。 「……そうね」 フィーナが目を瞑って思考をめぐらす。 ……。 …………。 フィーナが口を開いたのは、少し経ってからだった。 「……まず、母様の名誉を回復させるわ」 「そして、月と地球との交流に役立てることができればと思う」 「使用法を解明して運用させたいの、時間はかかるかもしれないけれど」 「なるほどな」 「月と地球が今の状態を続けても、それぞれにとって大きな進歩はないと思うの」 「もちろん、交流を始めればトラブルは起きるでしょう」 「私と達哉がケンカをしたようにね」 「ははは、結構ケンカしたもんな」 「でも、分かり合える喜びを知った今なら、そんな経験も良い思い出だわ」 ……。 俺は頭の中でフィーナとケンカしたことを思い出す。 最初のケンカは、付き合い始めてすぐの頃。 もう一度は、セフィリアさんが兵器を探していたと言われた時だった。 ケンカをしている間は、どちらも辛かったけど──仲直りする度に、俺たちの関係が強固になるのを感じた。 今なら、ケンカは俺たちにとって必要なステップだったとさえ思える。 ……。 「確かに、相手を拒絶することで得られる安定もあると思うけれど」 「でもそれは、分かり合える喜びの前には無意味とすら思えるの」 「俺もそう思うよ」 フィーナが俺の目を見て頷く。 「私が、こうして達哉と良い関係を築けているように……」 「きっと、月と地球も分かり合える日が来るはずだわ」 「だから今は、多少のトラブルは恐れず、まず一歩を踏み出すべきよ」 フィーナは強い語調で言った。 深緑の瞳が情熱に輝いている。 今のフィーナなら、どんなに難しいことも達成してしまうのではないか……。 そんな気分にさせてくれる瞳だった。 ……。 「分かった」 「俺はフィーナの夢を信じるよ」 「達哉……」 ……。 「私からも聞かせて欲しいわ」 「達哉は移動装置を見つけて、どうしたいのかしら?」 「そうだなぁ……」 頭の中を、姉さんから聞いた言葉がよぎる。 「地球と月にどうなってほしいのか、ゆっくり考えて」 ……。 自分が何人かなんてことは置いておく。 二つの星の理想像を、頭に思い描き、それを目指して進めばよい。 姉さんはそう教えてくれたのだった。 ……。 なら答えは決まっている。 月と地球を自由に行き来できるのが一番だ。 ……。 そうなれば、俺たちみたいな星を越えた恋愛をするカップルも現れてくる。 自然と交流も盛んになり、徐々にオープンな関係が作られてゆくだろう。 ……。 俺は大きく息を吸う。 「もし、公園の塔が移動装置なら……」 「動くようにして、月旅行ができるようにしたいな」 フィーナが嬉しそうに目を細める。 「月に行きたい人が、いつでも行くことができるようになるのが理想だな」 「そうじゃないと、家族が結婚式に出席できないからな」 「ふふふ、そうね」 フィーナがおかしそうに笑った。 「私と達哉の理想は重なっているわ」 「ああ、偶然だな」 俺は笑って頷く。 ……。 「私の父様は月の将来を、母様は遺跡への道筋を私に残してくれた」 「そして、達哉のご両親は、移動装置の場所を達哉に残してくれた」 「お互いの両親が達成できなかった夢に、俺たちが到達するんだ」 ……。 俺はフィーナに手を差し出す。 フィーナはためらわず、俺の手を取った。 「一緒に進もう」 「もちろんだわ」 指を絡め、しっかりと握り合う。 期待と不安に、お互いの手はじっとりと汗ばんでいる。 それすらも、今は心地よく思えた。 ……。 …………。 部屋に入り後ろ手にドアを閉めた。 「はぁ……」 まだ胸が高鳴っている。 タンスから形見の宝石を取り出し、胸の前で握った。 ……。 父様が私に託してくれた月の将来。 母様が示してくれた、遺跡への道筋。 そして、達哉のご両親が見つけてくれた移動装置。 夢を追う人と、それを支える人が結びつき生まれた、私と達哉。 そして今、私たちが両親の思いを一つに束ね、進んでいく。 ……。 いくつもの偶然が重なって、今がある。 そんな思いに、体が痺れていた。 ……。 はしたないけれど、ドレスのままベッドに横たわった。 達哉も、ご両親のことを改めて見直すことができて良かった。 紙飛行機のことは偶然だったけれど、達哉の力になれたことは、本当に嬉しい。 ……。 ぴりりりりっぴりりりりっ幸福感に包まれた意識を、携帯電話のけたたましい音が現実に呼び戻す。 ……。 「カレンかしら」 慌てて表情を引き締め、電話を手に取った。 「はい」 「夜分、申し訳ございません、カレンです」 「いえ、構わないわ」 「至急お伝えしたいことがございましたので、お電話致しました」 カレンの口調は、いつになく硬い。 「何かあったのかしら?」 「現在、朝霧家にリースという少女が居候しているかと思います」 「リース……」 意外な名前が出た。 「彼女について、さやかから警察に届出がありました」 「初耳ね」 「現在、リースは身元が分かるまでの暫定処置として、さやかが保護していることになっています」 「そういうこと……」 以前さやかは、期間限定でリースが家族になると言っていた。 裏には、こんな事情があったのね。 「でも、それをどうして貴女が?」 「本日、警察より大使館に身元照会がありました」 「リースという名前は、満弦ヶ崎では特殊ですから、まず月人であることを疑ったようです」 「妥当ね」 「それで結果は?」 「渡航者の名簿に、彼女の名前はありませんでした」 「そう、月人ではないということね」 月からの渡航者は全て大使館で管理されている。 名簿に名前が無いということは、イコール月人ではないということになる。 「ですが、リースについては礼拝堂での目撃証言が多数ありました」 「……!」 「まさか、リースが……密航者と?」 「可能性が高いかと存じます」 「これは個人的な観測ですが、以前密航者と切り結んだ際、相手の間合いはかなり狭かったと記憶しております」 ……。 私と達哉が警備の者と争った時、助けてくれた教団の人間を思い出す。 達哉は、女の子に話しかけられたと言っていた。 更に、その声には聞き覚えがあったという……。 「リースが密航者だとして、どうするの?」 「保護するつもりかしら?」 「はい、その件なのですが……」 カレンが声のトーンを落とす。 「リースが密航者であるなら、以前、お二人を助けた人物である可能性が高くなります」 「目的はさておき、お二人に害があると、リースは困るようです」 「そう考えられるわね」 「その上で、これはご提案なのですが……」 「私としては、リースを見逃そうと考えています」 「リースを暗に護衛として側に置けと?」 「はい」 「リースの目的がはっきりしませんので、危険があることは承知しています」 「ですが、リースがいない場所でお二人が以前の男たちに遭遇した場合……」 カレンが言い淀む。 「逃げられないわ、ほぼ確実に」 彼女の言いたいであろうことを言った。 「賭けになってしまいますが……」 「……少し様子を見てみます」 「それがよろしいかと」 「分かったわ」 ……。 「ところでカレン」 「貴女、いつまで私たちに肩入れするつもり?」 「そ、それは……」 「貴女の身にもしものことがあったら、どうするの」 「……」 「カレン、聞いているのっ」 電話の向こうからは、カレンの落ち着いた呼吸だけが聞こえる。 「……フィーナ様」 ……。 …………。 「立派に、セフィリア様のご遺志をお継ぎなさいませ」 「カレンっ!」 「ご武運を」 ぷつっ「カレンっ、カレンっ!」 一方的に電話が切られた。 カレンには、ありえない行為だ。 ……。 まさか、カレンの身に……。 「……っ」 立ち上がりかけて、留まる。 ……。 カレンの身に何かあったと仮定してみる。 それは、大使館内での力関係に変化があったということだ。 今までの状況からすると、父様がカレンから権力を奪ったと考えるのが自然だ。 そこに、自分がノコノコ出て行ったらどうなる。 私が捕まってしまえば、全てが終わってしまう。 ……。 「……カレン」 唇を噛んだ。 血が出るかと思うほど、強く噛んだ。 今は、カレンの気持ちを無駄にしないためにも、耐えなくては……。 耐えて、遺跡調査をやり遂げるのが、最もカレンの意に適っている。 ……。 「無事でいて……」 「ふぅ……」 背もたれに体を預ける。 虚脱感が全身を包んでいた。 自分には、これ以上できることは無いだろう。 あとは、フィーナ様と達哉さんを信じるしかない。 ……。 達哉さんと出会ってからのフィーナ様は、以前にも増してセフィリア様に似てきた。 婚姻の話も胸躍るものだったが、最後にこんな興奮をくれるとは思わなかった。 流石はセフィリア様のご息女。 ……。 コンコンコンッ「……来たようね」 愛刀を手に立ち上がる。 ドアが勝手に開けられ、三人の黒服が入ってくる。 陛下もあれで気の短い。 日頃のご様子からは想像もできないほど強引なやり口だ。 娘が関わると、ここまで変わるものらしい。 ……。 まったく──愛情ほど扱いが難しいものもない。 人を救いもすれば傷つけもする。 「貴方達を呼んだ覚えはありませんが」 「いえ、こちらには用がございます」 慇懃な態度で黒服が言う。 「何用ですか?」 「カレン・クラヴィウス」 「陛下のご命令により、本日を以って、大使館駐在武官の任が解かれました」 「近日中に、月へご帰還頂きます」 「……」 「嫌だと言ったらどうします?」 刀の鯉口を切る。 黒服に緊張が走った。 「そうされると思っておりました」 黒服の懐から、黒光りする拳銃が取り出された。 3つの銃口が私に向けられる。 ……。 …………。 「そのお年で死に急がれることもありますまい」 「……くっ」 ……。 よもや……。 一合も切り結ぶことなく屈するとは。 ……。 かちゃん……刀を手放し、床に落とす。 「賢明なご判断、助かります」 「貴方に褒められるほど落ちぶれてはいないわ」 ……。 朝。 身支度を整え、一階に下りる。 体には気力がみなぎっていた。 「おはようっ」 「おはよー、元気いいね」 麻衣がにぱっと笑う。 「ああ……そうかも」 「おはようございます」 「昨日はお疲れ様でした」 親父の話を聞いたのだろう、ミアは深く頭を下げた。 「ありがと」 「元気そうで良かったわ」 姉さんも笑っている。 「フィーナが側にいてくれるから」 「ひえっ、熱々……」 「おうらやましい」 「あ、いや、まあ……」 顔が熱くなる。 「リ、リース、パンは美味いか?」 賑やかな俺たちを横目に見ながら、リースはパンにかじりついていた。 「知らない」 あれ? この声は…… どこかで聞いたような……。 ……。 脳裏をよぎったのは、黒服に襲われた時の記憶だった。 まさか……そんなはずは……。 ……。 「と、ところでフィーナは?」 胸に湧き上がる疑念を振り払うように話題を換える。 「はい、先程声をかけましたので、間もなくいらっしゃるかと……」 と、ミアがフィーナの部屋の方に目をやる。 「あ、いらっしゃいました」 ……。 「おはよう」 笑顔のフィーナ。 「……」 だが、どこか雰囲気がおかしい。 無理やり笑顔を作っている感じがする。 「おはよう、フィーナさん」 麻衣を皮切りに、全員が挨拶の言葉を口にする。 「おはよう、フィーナ」 「ええ、おはよう達哉」 フィーナは笑顔のまま、俺に言った。 ……。 …………。 気のせいかな。 朝食を終え、リースとテレビを眺める。 フィーナと、これからの行動について相談をしたいところだ。 しかし、今日に限って彼女はゆっくりと食事をしていた。 ……。 隣に座るリースは、ニュース番組を黙々と見ている。 子供向け番組もやっているのに、どうしてニュースなのだろう。 「なあリース?」 俺は、帽子に付いた耳の間をぽんぽん叩きながら話し掛ける。 リースが帽子がずれないよう手で押さえながら振り向いた、 「ニュースが好きなのか?」 「嫌いじゃない」 ぷいっと顔をテレビに戻す。 にべも無い。 突き放された気分がして、ちょっと切ない。 ……。 そうだ……。 以前、失敗した「抱っこ」 に挑戦してみよう。 「よし、こっち来い」 そう言って、俺はリースを持ち上げる。 「放して」 「いいから、いいから」 ぶすっとした顔のリースを、問答無用で膝の間に収めた。 ……。 見事成功した。 「暑くるしい」 リースは厚着だ。 確かに暑い。 だが── 「いいんだよ、このくらいで」 「……良くない」 俺はリースの肩の上から腕を回し、リースを優しく抱いた。 リースの鼓動が胸に伝わってくる。 それは、とくりとくりと、控えめに鳴っていた。 なんだか、心地よいリズムだ。 ……。 俺は、拍動に合わせて、リースの肩を優しく叩く。 「何?」 「こういうの嫌いか?」 「……嫌いじゃない」 そう言ってリースは俯いた。 恥ずかしがっているようにも見える。 「うちの家族になってみて、どうだ?」 「楽しいか?」 ……。 …………。 リースはなかなか返事をしない。 今まで、家族のことを話さなかったリース。 もしかしたら、嫌なことに触れてしまっているのかもしれない。 ……。 「む、無理には答えなくてもいいぞ」 ……。 「悪くない」 ぽつりと、小さな声で言った。 良くもないのかと、口から出掛かったが我慢する。 リースの声から、かすかに満足感が感じ取れたからだ。 ……。 俺の腕の中で、静かに目を瞑るリース。 安心したような表情に、なぜか俺まで嬉しくなった。 ……。 「達哉」 「……フィーナ」 フィーナの表情は、硬く引き締まっていた。 「少しいいかしら?」 「あ、ああ、構わないけど……」 俺は、リースをソファに戻す。 「リースも一緒でいいわ」 フィーナの言葉に、リースは鋭い視線でフィーナを見た。 まさか…… フィーナも何か感付いたのだろうか。 ……。 リースは無言でソファを下りる。 どうやら、ついてくるようだ。 ……。 フィーナの部屋に入ると、とたんに空気が張り詰めた。 俺はもとより、二人も緊張しているようだ。 「どうぞ」 フィーナに言われるままに、ソファに座った。 リースも隣に腰掛ける。 ……。 「リース、単刀直入に聞くわ」 「貴女は月人なのかしら?」 フィーナがじっとリースを見る。 その眼光は強く、俺まで身が竦みそうだ。 ……。 「……そう」 リースは簡素な言葉で肯定した。 「昨夜カレンから連絡をもらったわ」 「地球に渡った月人の名簿に、リースの名前は無いとのことよ」 「……つまり」 「密航したということ」 リースがぽつりと答えた。 ……。 「じゃ、じゃあ……もしかしてリースは、あの時の……」 「達哉も気づいていたの?」 「さっき、気づいたんだ」 「黒服から助けてくれた人の声と、リースの声が似ていて……」 ……。 「ワタシが助けた」 リースは表情を変えぬまま、じっと前を見つめている。 少女が取るには、少し悲しい姿。 その姿は、どこか孤高を感じさせた。 見ている方が辛くなる。 「ありがとう、助けてくれて」 「私からもお礼を言わせて」 「ありがとう」 俺たちは、揃って頭を下げた。 実際、リースがいなければ俺たちはどうなっていたか分からない。 偽らざる、感謝の気持ちだった。 「……」 リースがわずかに困惑した表情を見せる。 理由はどうあれ、リースは、無言のうちに俺たちを騙していたのだ。 礼を言われるとは思っていなかったのかもしれない。 ……。 「そう言えば、カレンさんと戦ったのもリースなのか?」 「刀を使う、髪の長い女の人さ」 「……知ってる」 「体、傷つけられた」 つまり── リースの体にあった傷は、カレンさんがつけたものだということだ。 見えない相手に攻撃を命中させるなんて、尋常じゃない。 「そっか、痛かったな」 無意識に、リースの頭を撫でていた。 リースが目を細める。 ……。 「ところで、リースの目的を聞かせてもらえないか?」 ……。 ……。 …………。 「セフィリアの目的を知ること」 リースの口から、想像していなかった言葉が出た。 「……そんな」 フィーナが驚きに目を見開く。 「セフィリアさんを知っているのか?」 セフィリアさんが生きていた頃のリースは、もっと小さかったはずだ。 「ワタシは知らない」 「でも、教団では記憶が引き継がれる」 「だから、セフィリアを知っている」 確かに、誰かに教われば分かることだ。 でも、記憶を引き継ぐという表現には、少し引っかかりがあった。 「どうして母様の目的を?」 「兵器を探している可能性があった」 「兵器は破壊しなくてはならない」 リースは、じっとフィーナの目を見つめて言った。 「だから、俺たちを見張っていたのか?」 「兵器まで案内してくれるのを期待して」 「……うん」 ようやく話が分かった。 セフィリアさんの目的を知りたいのなら、俺たちには遺跡調査を続けてもらわねばならない。 だから、黒服が調査を止めさせようとした時、リースは助けてくれたんだ。 ……。 「でも、安心していいわ」 「??」 「母様が捜していたのは、兵器ではないのよ」 「何?」 「移動装置よ」 「かつて、月と地球を移動するために使われていたものだと思うわ」 「そう」 相変わらず無関心そうに、リースは答えた。 「だから、破壊する必要は無いの」 ……。 …………。 「……分かった」 ……。 何だろう。 リースの態度に、どこか釈然としないところが残る。 「場所も目星が付いているから、近いうちにそこに行ってみるよ」 「難しい」 「どうしてかしら?」 「遠いところではないのよ」 ……。 リースが家の外に目を遣る。 「この家、囲まれているから」 「えっ!?」 慌てて窓の外を警戒する。 フィーナも、じっと神経を尖らせている。 ……。 …………。 黒服はおろか、人っ子一人見つからない。 「見つからない、素人じゃないから」 「でも、輪を縮めている」 「……」 「……」 フィーナと顔を見合わせた。 彼女の表情は、硬く強張っていた。 ……。 「これもカレンさんの指示なのかな」 「……違うわね」 「カレンはおそらく、もう力を失っているわ」 フィーナが目を伏せる。 「昨夜の電話で、カレンの様子がおかしかったの」 「まるで、最後の別れを言うようだった……」 その時のことを思い出したのか、フィーナは額に手を当て、目を瞑った。 「じゃあ、カレンさんの身に……」 「無事でいてくれれば良いのだけれど」 部屋に沈痛な空気が満ちる。 カレンさんは何かと俺たちのことを考えてくれていた。 だが、黒服は違う。 力ずくでフィーナを捕まえようとしたくらいの奴らだ。 この家に侵入するくらいのことはやってのけるだろう。 そして、正面から黒服に挑んでも勝てないことは身をもって実感している。 ……。 「しかし、どうやって遺跡まで行けば……」 再び窓の外を窺うが、いつも通りの住宅街が見えるだけだ。 それが逆に不気味だった。 「リース、お願いがあるのだけれど……」 少しして、フィーナが口を開いた。 「私たちに力を貸してもらえないかしら?」 「何するの?」 「遺跡に行く手助けをして欲しいの」 ……。 「なるほど」 「リースなら黒服に負けない」 「……」 リースは表情を変えずに俺たちを見る。 「頼むっ」 「お願い」 俺たちはリースに頭を下げる。 ……。 …………。 「軽々しく、頭、下げちゃだめ」 リースが不愉快そうに言った。 「リース……」 「……」 ……。 「正面突破は難しい」 リースは少し気恥ずかしそうに、そっぽを向いて言った。 「助けてくれるの?」 リースが頷いた。 「助かる、ありがとうっ」 俺はリースの頭をぽんぽんと叩いた。 「痛い」 帽子が落ちないように、リースは両手で頭を押さえる。 「達哉、リースが壊れてしまうわ」 「ああ、ごめん」 慌てて手を引っ込める。 ……。 「礼拝堂に抜け道がある」 リースが曲がった帽子を直しながら言う。 「どこに繋がっているのかしら?」 「居住区の外」 「教団は、居住区にそんなものを作っていたのね」 フィーナが呆れたように言う。 「そこで黒服を撒くってことか?」 「そう」 「礼拝のフリをする」 「確かに礼拝堂の中なら、襲ってこないかもしれないわ」 「そんなに信仰心強いのか?」 「月人なら、一定以上は教団に敬意を払っているはずよ」 「それなら、やれるかもしれない……」 「……そうね」 「決まったら呼んで」 「ワタシはいつでも行ける」 リースはソファから降りて、部屋の出口に向かう。 「リース……ありがとう」 「感謝してる」 ……。 「こういうの、嫌いじゃない」 無関心そうに言って、リースはドアノブに手を掛けた。 そこで、もう一度俺たちの顔を眺める。 ……。 「家を出たら、もう帰れないかもしれない」 「覚悟して」 ぱたん ……。 …………。 リースの言葉が頭に響いていた。 ……。 もう帰れないかもしれない── 非日常的な言葉に頭がクラクラする。 だが、リースの言葉に間違いは無い。 ……。 黒服は俺より圧倒的に強い。 今度は、意識を失うくらいでは済まないかもしれない。 仮に、俺が生きていたとしても── フィーナを失うかもしれないし、家族の元に帰れなくなるかもしれない。 ……。 今までの遺跡調査には、どこかピクニックに行くような、心躍るものがあった。 だが、今回のは遊び気分じゃない。 俺の中に明確な恐怖がある。 こうしている間にも黒服たちは、包囲の輪を縮めているかもしれないのだ。 ……。 フィーナが俺の隣に腰を下ろす。 ふわりと、甘くて優雅なフィーナの匂いが漂った。 「……」 何も言わず、フィーナが俺の肩に頭を預けた。 フィーナの小刻みな震えが、体に伝わってくる。 ……。 フィーナは、一体どんな気分でいるのだろう。 俺たちを妨害しているのは、他でもないフィーナの親父だ。 父親を恨んでしまえば楽だろう。 だが、親の行動は自分への愛情ゆえだと分かっているのだ。 元はといえば、フィーナの行動が全て引き金になっている── 自分のせいで、俺やカレンさんを辛い目に遭わせてしまった── 「……」 フィーナには、絶対にそんなことを思って欲しくない。 俺は、フィーナの頭を優しく掻き抱いた。 「……達哉」 フィーナが俺の胸に顔をこすり付けた。 寄る辺を探すように、彼女は幾度となく頬を俺に押し付ける。 そんなフィーナの頭を、何も言わず撫で続けた。 ……。 怖い。 怪我をすることも、 家族を失うことも……。 だが、一番怖いのはフィーナを失うことだ。 だから、俺の心はもう決まっている。 どんな状況になっても、フィーナを信じると。 母さんが親父を信じて、親父を見送ったように。 フィーナを信じて、どこまでも彼女の側にあり続ける。 ここまで彼女を信じられるのは、自分を置いて他にはいない。 それがパートナーとしてのプライドだ。 ……。 「大丈夫だ……」 「……俺はいつも側にいる」 フィーナの頭を強く抱く。 ……。 「達哉……ありがとう……」 フィーナが俺の体をぎゅっと抱きしめる。 ……。 …………。 「……負けられないわね」 フィーナが俺から体を離しながら言った。 「ああ」 「こんなところで諦めていたら、俺達らしくない」 「どんな困難に遭っても戦い続けるって、約束しただろ」 初めてのキスをした夜。 物見の丘公園で交わした約束。 あの時の約束は、俺たちの中で最もシンプルで重要なものだ。 どちらかが戦うことを止めた時、俺たちは終わる。 これは、暗黙の了解だ。 ……。 「そうね……」 「あの約束が私たちのスタートだったわ」 俺は力強く頷く。 「親父たちが成し得なかったことを、俺たちの手で実現しよう」 立ち上がり、フィーナに手を差し出す。 ……。 「どんなことがあっても、戦い続けられるな?」 ……。 「ええ」 「あなたと一緒なら、きっと大丈夫」 フィーナが俺を見つめる。 俺もじっと彼女の瞳を見つめた。 ……。 フィーナの目に迷いは無かった。 ……。 フィーナが支度を整える間、俺はタクシーを手配する。 歩いて礼拝堂まで行くのは、危険が大きい。 ……そして、鞄に必要になりそうなものを手当たり次第に詰める。 医薬品、非常食、腕時計、ナイフ、マッチなどなど……。 「達哉、準備ができたわ」 ドレスのままのフィーナが部屋から出てきた。 「ドレスで行くのか?」 「ええ、この方が改まった礼拝に見えるでしょう?」 「なるほどな」 こんな時でもフィーナは落ち着いている。 「タクシー呼んでおいたから」 「そうね、歩いていくのは危険だわ」 「あとは……」 車が来るのを待つだけだ。 ……。 俺は、ぐるりと家を見回す。 あらゆる物の配置を覚えているダイニング、リビング。 色々なことを語り合ったフィーナの部屋。 何度上り下りしたか分からない階段。 階段の上には、ミアの部屋、麻衣の部屋、姉さんの部屋── そして親父の部屋。 なぜか、家中が俺たちを温かく見守ってくれている気がした。 フィーナも、少し寂しそうな目で家を眺めている。 「私は忘れないわ、この家であったこと、全て」 「戻ってこよう」 「ええ……必ず」 ……。 間もなく、俺は家を出て行く。 フィーナと二人、お互いの両親が果たせなかったものを実現するため── 俺たちは出て行く。 忘れ物は無いだろうか……。 ……。 …………。 あった。 とても大切なことを忘れている。 俺たちは、誰にも行き先を告げていない。 無言で家を出て行き── もし、帰ることができなかったら── 親父と同じことをすることになる。 ……。 残された家族の落胆、不安、悲哀…… 俺は全てを経験してきた。 みんなに、同じ思いをさせたくはない。 「フィーナ、やり残したことがある」 「……?」 「みんなに手紙を残そう」 「まだ時間はあるはずだ」 フィーナはにっこりと微笑んだ。 ……。 フィーナが机の引出しから白い便箋を取り出す。 「さ、達哉」 フィーナがペンを渡してくれる。 「……ああ」 ペンを手に便箋へ向かう。 ……。 みんなへの書き置きを忘れていたなんて、俺はどうかしてる。 思えば、俺たちの周りには、いつもみんながいてくれた。 嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も── みんなが側にいてくれた。 だから俺たちは、今まで頑張って来れたのだと思う。 だから俺たちは── こうして、出て行けるのだと思う。 ……。 俺は、ペンを走らす。 遺跡調査のこと。 セフィリアさんのこと。 親父のこと。 黒服のこと。 事の経緯を、なるべく簡潔に分かりやすく書いた。 ……。 ペンを動かしていると、頭の中をみんなの顔がよぎる。 姉さんも、 麻衣も、 ミアも、 菜月も、 おやっさんも、 仁さんも、 ……みんな笑っている。 誰一人として、嫌な顔をしている人はいない。 俺の心に住むみんなは── 笑ってくれている。 こんな人たちに囲まれて生きて来られたことが、とても嬉しい。 胸が熱くなった。 「字が震えているわ、しっかりして」 フィーナが、後ろから俺の両肩に手を置く。 「ああ」 ……。 経緯を書き終え、突然家を出て行くこと、バイトを休むことを詫びた。 そして最後に……。 必ず帰ってくると、 余白一杯に書いた。 「後は、名前……と」 しっかりと自分の名前を書き、フィーナにペンを渡す。 「ありがとう」 俺の名前の横に、流麗な文字でフィーナの名が記される。 「これは封筒に入れて、置いておきましょう」 フィーナが純白の封筒に手紙を入れる。 「これも」 いつの間にか、リースが立っていた。 手には小さなメモ。 「入れて」 「分かった」 リースからメモを受け取る。 ……。 あまり上手くない文字で、 『ありがとう リース』 と、書かれていた。 「良くできたわね」 フィーナがリースの頭を撫でる。 「……家族、嫌いじゃない」 リースはいつものように、ズレた帽子を直した。 「これで完成よ」 フィーナは封筒を閉じ、蝋で封をした。 ……。 家の外で、クラクションが鳴った。 「行きましょう」 「ああ」 「姫さま、どちらへ?」 ちょうど、二階から降りてきたミアに呼び止められた。 「礼拝に行くわ」 「ドレスで行かれるのですか?」 「今日は、ちょっと改まった礼拝なんだ」 俺はフィーナの手を取る。 「なるほど、ご報告ですね」 ミアは幸せそうな笑顔を浮かべた。 「それでは、行ってくるわ」 フィーナがミアを見つめた。 ミアはきょとんとした顔でフィーナを見る。 「留守……頼んだよ」 いつも通りの口調に、万感の思いを込めて言った。 「いってくる」 「いってらっしゃいませ」 ……。 無言でタクシーに近づく。 家からは死角になっていたところから、黒服が現れた。 俺を殴り倒した奴だ。 「どちらへ?」 「礼拝に」 「遺跡調査の件、お考え頂けましたか?」 「気持ちの整理に礼拝に行くのよ」 「左様でしたか」 フィーナがドレスを着ているのを見て、黒服は少し油断したようだ。 「すぐに戻るわ」 黒服が2、3歩下がる。 ……。 俺たちは平静を装って車に乗り込んだ。 「うぉんっ」 「行ってくるよ」 「わふっ、わふっ」 イタリアンズが見送ってくれた。 「月人居住区の礼拝堂まで」 運転手がのんびりした声で応答する。 ……。 …………。 「……ご武運を」 ……。 …………。 ……。 タクシーの背後を、黒い車が2台ついてくる。 「自由にはさせてくれないな」 「勤勉なことで何よりね」 ……。 車から出る。 やや遅れて、黒い車も停車した。 「……」 「……」 フィーナの表情も、流石に緊張している。 「中へ」 ……。 カツカツカツ コツコツコツ 俺たちの後ろを、黒服たちの足音がついてくる。 「中に入ったら、鍵閉める」 「祭壇に走って」 俺たちは、目で頷く。 ……。 カツカツカツ コツコツコツ ……。 カツカツカツ コツコツコツ ……。 …………。 背後で扉が閉まった。 清澄な空気に神経が引き締まる。 「閉じよ、硬く」 ぴっ リースの言葉に呼応するように、扉が電子音を立てた。 フィーナの手を引き、祭壇に向かって走る。 ……。 …………。 俺たちにやや遅れて、リースも走ってくる。 ドアを激しく叩く音が、礼拝堂に響き渡った。 高い天井に反響し、押しつぶされそうな圧力を受ける。 ……。 …………。 「姿を現せ」 祭壇の後ろ。 床だったところに、観音開きの扉が現れる。 迷わず開くと、黒々とした闇が広がっていた。 銃声が響く。 「っ!」 「大丈夫なのっ!?」 「1、2分は」 「入ったら走って」 「リースはっ!?」 「ワタシはここで」 いつもと変わらない調子で、リースは言った。 「リースっ!?」 「平気」 「でも……」 唇を噛む。 こんな小さな女の子を銃声の中に置いていくなんて…… 「負けない」 「……」 だが、ここに残っても彼女の役には立たない。 そればかりか、彼女の気持ちを無駄にしてしまうことにもなる。 ……。 …………。 「……分かった」 無言でリースの頭を撫でた。 リースが目を細める。 「こういうの、嫌いじゃない」 「必ずまた会いましょう」 フィーナもリースの頭を撫でる。 「うん」 リースの頭から手を離す。 ……。 そして、地下への階段へ足をかけた。 「閉じよ、硬く」 「姿を隠せ」 扉の向こうで、何かが壊れる音が聞こえた。 「くっ!」 「達哉、急ぐのよっ」 ……。 「はあぁっ!」 「ふぅ……」 どのくらい闇の中を歩いたのか……俺たちはようやく光を見ることができた。 何度か見たことのある景色。 どうやら居住区近くの川原のようだ。 ぱたん地面にある扉を閉めると、すぐに土と同化するように見えなくなった。 「行きましょう」 「おうっ」 炎天下を全力で走る。 リースが命がけで時間を作ってくれているのだ。 1秒たりとも無駄にはできない。 ……。 10分程走り続け、物見の丘公園に到着した。 「はぁ、はぁ、はぁ」 「はあ、はあ……」 いつもは汗をかかないフィーナも、額に玉のような汗を浮かべている。 ……。 「リースは……はぁ……大丈夫、かな」 「大丈夫よ……きっと……」 多分に希望的観測を含んでいる。 だが、そう思わないと、胸がつぶれてしまいそうだった。 最後に聞こえた、土砂降りの雨のような銃声。 あの中で、リースは黒服たちと渡り合ったことになる。 生きてるか、その逆か……「私たちは、私たちにできることを」 「ああ」 見上げれば、いくつかの段を形成する丘。 その頂上には塔がそびえている。 ……。 「行こう」 俺はフィーナの手を握る。 フィーナもしっかりと握り返してくれた。 丘を駆け上がった風が、汗に濡れた肌を優しく撫でた。 夏の光を吸い、濃緑に輝く草が揺れる。 ……。 かつて親父と紙飛行機を飛ばし──フィーナと初めての口づけを交わした場所。 ……。 「ここに来るの、久し振りだな」 「そうね」 「何だか懐かしいわ」 フィーナが塔を見上げる。 俺もそれに倣う。 ……。 高さ60メートルはあろうか。 堂々たる威容で満弦ヶ崎の街を見下ろす塔。 四角錐の基部に、三角形のウェハースを刺したような形をしている。 切っ先は、星を狙う槍のごとく天空を指し、夏の強い光を反射させていた。 ……。 「フィーナ、宝石を出して」 頷いて、フィーナがハンドバッグから宝石を取り出す。 宝石は、まばゆいばかりの光を放っていた。 今までのものとは比べ物にならないほど強い光。 昼間でも輝きを確認することができる。 「何か……あるのね」 「ああ……」 固唾を呑んで、宝石と塔を交互に見る。 瞬間、塔の基部を光が走り抜けた。 直後、壁の一部、横2メートル、縦4メートル程の範囲が窪み──音も無く上方にスライドした。 「……」 「……」 言葉を失い、ぼんやりと塔を見つめる。 ぽっかりと開いた入口の先には廊下が続いていた。 日光は入口1メートルほどまでしか届いておらず、奥は闇の中だ。 ……。 宝石の光に反応して扉が開いた──俺の目にはそうとしか映らなかった。 「その宝石って……」 「分からないわ」 「母様から、大切にしなさいと渡されただけで……」 フィーナが手の中の宝石を見つめる。 依然、強い光を放っていた。 「ともかく、入ってみなくちゃ始まらないな」 「ええ」 フィーナが頷く。 ……。 「俺が先に行く」 「気をつけて」 先に立って入口へ入る。 ……。 中にはホコリっぽい空気が充満していた。 最後に人が入ったのは、一体いつのことなのだろう。 ……。 フィーナが入ってくる。 宝石の光で、周囲がぼんやりと照らし出された。 「うわっ!」 「っ!」 目の前に大きな空間が広がっていた。 どのくらいの大きさがあるか分からない。 「何だ……これ……?」 フィーナが宝石を掲げる。 暗闇の中で、かすかにディスプレイのようなものや、机が見て取れた。 ……。 「入室を確認しました」 「ひゃあっ」 突然、若い女性の声が聞こえた。 「副電源をオンにしますか?」 「どうしましょう、達哉?」 ……。 「と、とりあえずオン?」 そう言った途端──空間に明かりが点った。 ……。 声が出なかった。 まず目を引いたのは、壁に据え付けられた巨大なディスプレイ。 映画館のスクリーンのような大きさだ。 その両脇に、学院の黒板くらいのディスプレイが据え付けられていた。 床には整然とデスクが配置され、それぞれディスプレイや何かの機械と一体化している。 机の上には、書類や筆記用具が使用時のまま放置されていた。 それが、得も言われぬ寂寥感を生み出している。 ……。 「似ているわ……」 「??」 「大使館の連絡港にある、管制室に……」 「じゃあ、ここは……」 「同じような機能をもった施設なのかもしれないわ」 フィーナが部屋の中央にあるコンソールへ歩いていく。 背後で扉が閉まった。 ……。 そういえば、俺たちは追われているんだった……。 もしここを突き止められてしまえば、袋のねずみだ。 また、入口が外から見えなくなっていればいいのだが……。 ……。 「??」 体の側を、何か通り過ぎた気がした。 周囲を見回すが、変わったところはない。 ……。 「達哉、こっちへ来て」 「どうした?」 ……。 フィーナは、中央のコンソールを調べていた。 俺の部屋にあるものの4、5倍はある机に、たくさんのモニターやキーボードが付いている。 フィーナが指しているのはその一箇所。 ノート一冊分くらいの四角いくぼみだった。 中には、薄いプラスティックの板が嵌められており、下から赤い光で照らされている。 「これは何かしら?」 「う~ん」 プラスティックの板には、細い線で何かの模様が描いてあった。 ……。 鳥が翼を広げたような形。 どこかで見たような……。 「この模様、フィーナの宝石と同じ形じゃないか?」 ……。 「言われてみれば……」 フィーナが宝石と模様を見比べて頷く。 「センサーのようにも見えるし、宝石をかざすのかもしれないわ」 宝石の光で入口が開いたとすれば、宝石はこの施設にとって縁の深い物ということになる。 「……そうかもしれない」 「……」 フィーナが、じっと俺の目を見る。 かざしていいか、と聞いていた。 宝石をかざすとどうなるのか──想像もつかない。 ただ、重大なことが起こる予感がする。 中央の一番大きなコンソールに取り付けられた装置だ。 重要なものでないわけがない。 ……。 だが、ここでためらっても仕方がない。 行けるところまで行ってみよう。 「宝石を……かざそう」 フィーナが緊張した面持ちで頷く。 ……。 …………。 ゆっくりと宝石を赤い光にかざす。 ……。 ピッ小さな音がした。 甲高い音が施設に鳴り響き、同時に、周囲のモニターやパソコンに薄っすらと明かりが灯る。 「中央連絡港市、軌道重力トランスポーター」 「待機状態に入りました」 再び、若い女性の声が聞こえた。 どうやら、機械と連動した音声のようだ。 ……。 「今の声……」 「ああ、中央連絡港市、軌道重力トランスポーターって言ってたな」 「トランスポーターというのは、移動装置のことではないかしら?」 「じゃあ、この施設は……」 「千春さんの考えていた通り」 「移動装置だったってことかっ」 興奮が、体の内側から湧き上がってきた。 「やったぞっ」 フィーナの手を握り締める。 「やはり、母様が捜していたのは兵器ではなかったのね」 フィーナが俺の手に力を込める。 「このことを月に報告すれば、セフィリアさんの名誉も回復できるかもしれない」 「使い方が分かれば、月と地球の交流に役立てられるわ」 輝きに満ちた想像が、俺の頭の中を一杯にした。 ……。 「達哉……あれを見て……」 声のトーンを落として、フィーナが言った。 メインディスプレイを指している。 「ん?」 メインのディスプレイの右下に、『00─13─27』の表示があり、1秒ごとにその数を減らしていく。 「何だろう?」 「カウントダウンをしているようだけれど……」 「爆発する、とかじゃないよな」 「そう言えば……宝石を置いた時、待機状態と言っていたわ」 「待機ってどういうことかな?」 「何かマニュアルのようなものがないか探してみましょう」 「ああ」 手分けして周囲のデスクや床を調べる。 ……。 …………。 数字やグラフが並んだ資料、筆記用具、個人的な写真など──様々なものが残っていた。 ここを遺跡と呼ぶのなら、これらは発掘品。 だが、数百年前のものとは思えない保存状態だ。 ……。 …………。 「どうかしら?」 「見当たらないな」 「普通の資料はあるけど……」 「私もだわ」 フィーナが不安げにディスプレイを見る。 数字は『00─01─48』にまで減っていた。 「もう時間が無いし、待ってみよう」 「結果を見て考えましょうか」 そう決めて、俺たちは床に腰を下ろした。 ……。 『00─01─06』……。 『00─00―47』……。 どんどん時間が減っていく。 否応無く胸が高鳴った。 数字がゼロになった時、一体何が起こるのか。 ……。 フィーナを優しく抱き寄せる。 「達哉……」 「大丈夫」 根拠などない。 でも、俺が言えることはそのくらいだった。 『00―00―10』『00―00―09』……。 フィーナを抱く腕に、力を込めた。 フィーナが俺の胸に強く頭を押し付ける。 『00―00―03』『00―00―02』『00―00―01』ひゅううぅぅぅ……何か電源が切れるような音がした。 「待機状態を解除します」 「……」 「……」 周囲のモニターやパソコンに入っていた電源が落ちた。 ……。 「??」 「……電源が落ちた」 「……そんな」 フィーナが俺から体を離し、周囲を見回す。 派手な変化を期待していた分、少し拍子抜けした気分だった。 「……時間内に何かをしなくちゃいけなかったのかな?」 「一体何をすれば……」 「何か手がかりを探そう」 「必要無い」 背後から聞き慣れた声が聞こえた。 この声は……「リースっ」 少し離れた場所にリースが立っていた。 レオタードのような変わった服を着ている。 「よく無事で……」 「怪我は無いのか?」 「平気」 ぶっきらぼうな口調。 けど、それすら嬉しかった。 「でも、よくここが分かったな」 「黒服を撒いてから、後をついてきた」 「そうだったのか……」 リースにとっては、黒服など相手にもならなかったみたいだ。 「リースのお陰で、ここにたどり着くことができたわ」 「ありがとう」 「ありがとう、リース」 「別にいい」 リースはぷいっとそっぽを向いた。 ……。 「ところで……」 「さっき、手がかりを見つける必要は無いって言ったけど、どういうことだ?」 「これから、ワタシが破壊する」 「……」 「……」 ……。 リースの言っていることが理解できなかった。 破壊する?施設を破壊するってことか?「どういうこと?」 「貴女の目的は、兵器を破壊することでしょう?」 「そう、だから破壊する」 「待てって」 「この施設は、軌道重力トランスポーターっていうんだろ?」 「それを兵器だって言うのか?」 「そう」 「軌道重力トランスポーターは、大量物資や人員を月に送る装置」 「でも、実際に戦争で使用された兵器」 「どういうこと?」 「この装置は、物をカプセルに詰めて打ち出す」 「月にある対の装置が、それを受け止める」 ……。 要は、物資や人を弾として打ち出す大砲のようなものか……。 月にも同じような装置があって、飛んできた弾を受け止める、と。 「実際に使われていたのでしょう?」 リースが頷く。 「月社会はこの装置の完成で、急速に発展した」 「なら、どこが兵器なんだ」 「わざと狙いを外した」 「対の装置を狙わず、街を狙う」 「それで、月も地球もたくさんの人が死んだ」 発射するものはただの荷物でも、地表に到着する頃には、それは隕石と変わらない。 月と地球、お互いにとって同じことだ。 ……。 …………。 「おかしいわ、そんな使い方」 「確かに、間違った使い方」 「でも、当時の人が戦争に使ったことは事実」 「そうでなくては、文明が後退するほどの被害は出ない」 「冗談だろっ」 「こんなものを使って撃ち合いをしたなんて」 理解できない。 理解したくなかった。 交流のための装置を、兵器として使ったなんて。 いや、本当は──月と地球が戦争をしたこと自体、認めたくなかったのかもしれない。 戦争があったことは知っている。 知っているが、認めたくなかった。 俺の祖先が、フィーナの祖先をたくさん殺しただなんて。 ……。 「事実は事実」 リースが中央のコンソールへ向かう。 まるで自分のパソコンのように、慣れた手つきで操作する。 メインディスプレイに電源が入った。 ……。 画面に、月と地球らしき天体が映る。 地球が拡大され、陸地に近づき、北半球、細長い列島、徐々に映像が拡大される。 ……。 「……満弦ヶ崎の地図ね」 「これがどうかしたのか?」 リースがコンソールを離れ、俺たちに向き直る。 「満弦ヶ崎湾」 「美しい円形の入り江」 「自然にできたものだと思う?」 リースが悲しい目で俺を見た。 ……。 「ま、まさか……」 「……これが……月からの攻撃で……」 リースが頷く。 「クレーター」 ……。 …………。 リースの言葉に、俺もフィーナも硬直していた。 「戦争を経ても、月と地球の装置は残った」 「ワタシには、戦争の記憶が引き継がれている」 「あんな悲劇を、繰り返してはいけない」 「だからワタシは破壊する」 「月の平穏を保つことが、ワタシの使命」 「そんな……」 フィーナが唇を噛む。 噛み切ってしまうのではと思えるほどに、強く噛む。 ……。 物見の丘公園の塔は、かつて使用されていた移動装置だった。 間違いではない。 でも50点。 物見の丘公園の塔は、かつて使用されていた兵器でもあった。 ここまで来て100点。 そして、現実だった。 セフィリアさんが探していたものは、兵器でもあったのだ。 ……。 「リースは、初めからこの装置を破壊するつもりで協力したのか?」 「そう」 「地球にある装置の場所は知らなかったから」 表情を変えずにリースは言った。 「俺の前に現れたのも、家族になったのも……」 「全部、計算づくってことかっ」 「否定はしない」 「フィーナが遺跡に興味を持つよう、セフィリア失脚の理由を教えたのもワタシ」 「っ!」 「ワタシは使命のために生きている」 「恨んでもいい」 「それで兵器を破壊できるなら、悪くない」 「リース……」 怒りは湧いてこない。 ただ、裏切られたことがとても痛かった。 ……。 そんな俺の手を、フィーナが優しく握ってくれる。 「辛いのは私も一緒よ」 「でも、リースがいなければ私たちはここにいないわ」 ……。 それは事実だ。 リースがいなければ、もうフィーナは月に送り返され──ここに来ることもできなければ、俺が、両親のことを理解することも無かった。 ……。 「リース、確かにこの装置は兵器として使用されたかもしれないわ」 「でも、正しく使用すれば、月と地球の交流を活発にできるかもしれないのよ」 「それを破壊するなんて……」 「長い年月のうちには、いつか間違いを起こす」 「ワタシは繰り返したくない」 「あの戦争は悲惨すぎる」 リースが目を伏せる。 ……。 「戦争を起こすのは兵器ではないわ」 「戦争を起こすのは人よ」 「プロセスに間違いがあったから、結果として戦争になるのでしょう?」 「それは否定しない」 「だが、もしもの際の悲劇は防げる」 リースが、少しむっとした顔で言った。 「それは問題の根本的解決に繋がらないわ」 「戦争になれば、また新しい兵器が作られるのは目に見えているもの」 「注力すべきは、戦争を防ぐことだと思うけれど?」 フィーナが穏やかな顔で言う。 「具体的には?」 「月と地球、両者が交流を持ち、お互いを理解することが必要よ」 「戦争は、どちらか一方が決心すれば起こせてしまう」 「閉鎖された環境では、意見が偏った際にそれを止める者が少ないわ」 「だから、移動装置を使って交流を促進して、意見の硬直を避けたいの」 「交流が盛んになれば、地球に留学できる者も増える」 「私のように素晴らしい留学を経験できた者が、地球と戦争を起こすとは思えないわ」 「リースは、さやかが月と戦争をすると思う?」 「……」 リースが視線を落とす。 「私やさやかのような人が増えれば、戦争が起きる可能性は減らせるわ」 フィーナの弁舌は穏やかながら、的を射ていた。 国のあり方を、迷うことなく話すフィーナ。 それは、国を動かす立場の人間として、物を考えてきたからこそできることだ。 そう、フィーナは一国の姫なのだ。 俺は、改めて彼女に酔った。 ……。 「道具には正しい使い方がある」 「でも人は、長い間には必ず誤った使い方をするもの」 「未然に防げるなら、そうした方がいい」 話題が移動装置の話に戻る。 「……」 フィーナが少し考える。 ……。 「道具に、正しい使い方とそうでないものがあるのは認めるわ」 「でも、間違った使い方をすると危険だからといって、道具自体を放棄するのは得策ではないと思うの」 「まずは、誤った使い方を周知して……」 「事故が起きる可能性を減らすのが先決ではないかしら?」 「危険な使い方を知ると、人は必ずその使い方を試したくなる」 「使いたくなるのは否定しないけれど……」 「でも、実際の使用を抑制するためにも、危険な使い方を知らせるべきだわ」 フィーナの表情が少し硬くなった。 少しずつ興奮してきているようだ。 ……。 「過ちは必ず起こる」 「経験上、そう思わざるを得ない」 「ワタシは何度も裏切られた」 リースの目の色が……変わった?その赤い目で、リースがフィーナを見る。 フィーナも、正面からリースの視線を受ける。 「人が信じさせないのではないわ」 「あなたが信じることを諦めたのよ」 ……。 フィーナの言葉には聞き覚えがあった。 俺がフィーナとケンカをした時に、おやっさんから言われたことだ。 ……。 「人間、裏切られる人よりも、信じるのを諦める人の方が多いってことさ」 「信じるのは、とても根性が要るし疲れる。 リスクも高い」 「だからある程度大人になると、中途半端にしか人を信じなくなる」 ……。 リースがどんな人生を送ってきたのか、どんな記憶を引き継いでいるのか分からない。 きっと、何度も人に裏切られたのだろう。 その結果、人を信じるのを止めてしまったのだ。 それは、とても勿体無いことだと思う。 「本当に人を信じられないなら、見捨てるのはどうかしら?」 フィーナが挑発的に言う。 「……」 リースに返事は無い。 「それができないのは、貴女がまだ、人を信じたいと思っているからよ」 「本当に人を大切に思うのなら、信じる努力をしなくてはいけないわ」 ……。 「どうして交流にこだわるの?」 「人と人が交われば、トラブルが起こる」 「そうね」 「なら、お互い自分の星で生きればいい」 「周囲を拒絶することで得られる平穏もあると思うわ」 「でも、人と分かり合えた時に得られる喜びは格別よ」 「一度、味をしめてしまうと、そう簡単に抜け出せるものではないわ」 フィーナが笑って俺を見た。 俺も笑って頷く。 ……。 「確かに、トラブルは起こるでしょうね」 「考え方が違う人が交われば、それは避けられないわ」 「でも、トラブルは必ず乗り越えられる」 「むしろ、相互理解には必要なステップだわ」 フィーナが言っているのは、以前、親父の部屋で俺に話してくれたことと同じだった。 彼女が、経験の中から学び取ったことを話しているのだ。 説得力がある。 「理想論」 「でも、理想が無ければ人は動かせないわ」 「それに、くじけそうになった時、人を支えるのも理想よ」 「どんなことも、時を経れば薄くなる」 「理想も悲劇の記憶も、みな薄まってしまう」 「この街の名前をどう思う?」 「どういう意味かしら?」 「月の攻撃でできたクレーターを満月に見立て、満弦ヶ崎と呼んでいる」 「そんなこと、戦争を知らない人にしかできない」 「ワタシから見れば死の海」 悲しい声でリースが言う。 月の攻撃のことを言われ、フィーナが俯く。 ……。 装置に宝石を取り付けた時。 「中央連絡港市、軌道重力トランスポーター」 と言った。 この装置が動いていた頃、この街は「中央連絡港市」 という名前だったのだろう。 そこにいつしか「満弦ヶ崎」 という、湾を満月に見立てた名前がついたのだ。 戦争直後の人が、月の攻撃でできたクレーターに月に関する名前を付け──ましてや、それを市の名前にするなど考えられない。 リースの言う通り、戦争の記憶は時と共に薄まっているのだ。 ……。 「リースに、一つだけ聞きたいことがあるんだけど……」 「何?」 「手紙に書いてくれた言葉、あれも計算づくだったのか?」 ……。 リースが俺を見る。 「……」 ……。 …………。 「もしそうなら、リースに人を導く資格は無い」 俺はきっぱりと言った。 「周囲を裏切る人間が、より大きなものを守れるわけが無いじゃないか」 「リースは余計なお世話だと思うかもしれないけど……」 「みんなリースと仲良くしたいって頑張ってたろ?」 「そういう人の気持ちを裏切る人が、どうして国を救えるのさ」 フィーナが俺を見て頷く。 これは、以前カレンさんにも問われたことだ。 「戦争を止めることより、家族が大切なのですか?」 「家族を救えないようなヤツは、またいつか戦争をしてしまうと思う」 ……。 今でも考えは変わっていない。 「それに、リースのやり方には根本的に賛成できない」 「どうして?」 「間違いの芽を先回りして摘んでいくのは、短い目で見ればいいかもしれない」 「けどそれは、人が自力で進む力を奪っているだけだ」 「自力で進めない人は、何も築けない」 「……」 「リースが人の将来を心配するのは分かる」 「でも、リースの愛情が生み出すのは、リース無しでは生きられない人だ」 「リースが危険を取り除いてやらなきゃ、道を歩けない人だ」 「そんな人たちは、必ずリースの想像を越えたところで悲劇を起こすよ」 「そんなこと……ない」 ……。 「リースが本当の平和を望むなら」 「人と一緒に歩み、トラブルにぶつかり、それでも人を信じて戦わないとな」 「リースのことを分かってくれない人がいて、喧嘩をするかもしれない」 「でも、諦めずに相手を信じようと努力すれば、きっともっと仲良くなれる」 「……そんなこと……ない」 蚊の鳴くような声で、リースが言う。 「俺とフィーナがそうだっただろう?」 「でも今は、喧嘩して良かったと思ってる」 「リースも側で見てたじゃないか?」 「……」 「リースと俺たちは、今喧嘩してただろう?」 「お陰で、リースのこと、少しだけ深く分かるようになった」 「今の俺たちなら、きっと今までより楽しくやれる」 ……。 俺は、一つ大きく息を吸った。 ……。 …………。 「リース……」 「俺とフィーナを信じて、手伝ってくれないか?」 ……。 リースが俺とフィーナを見る。 彼女の中の迷いが、ありありと窺えた。 「お願い、リース」 「移動装置を安全に運用するには、あなたが必要だわ」 フィーナが優しく言う。 「俺たちと、一緒に頑張ろう」 ……。 リースが瞼を伏せた。 ……。 …………。 沈黙が流れる。 だが、リースを包む雰囲気が徐々に柔らかくなっていくのが分かった。 ……。 …………。 リースが目を開く。 相変わらず、無関心そうな顔。 ……。 「……仕方無い」 ぶすっとした表情で言った。 「リース……」 「ありがとう」 「破壊を延期するだけ」 「不穏な動きがあるようなら、すぐに破壊する」 「もう、場所は分かっているから」 「それでもいいさ」 「俺たちがしっかりやれば破壊しないってことだろ?」 「二人も、その子孫もずっと」 「ワタシの体が滅びても、記憶は残る」 「いつの時代にも、誰かが兵器を監視する」 「ああ」 「後の人が間違った使い方をしないように、俺たちが頑張ろう」 「ええ」 「俺たちっていうのは、リースも入ってるからな」 と、リースの頭を撫でる。 「よろしく、リース」 俺たちは、リースの頭を撫でた。 「……むむ」 「ははは」 嫌がるのも気に留めず、俺たちはリースの頭を撫で続けた。 ……。 しばらくして、リースは装置の説明をしてくれた。 この装置は、重力制御技術が使われていること。 物を飛ばす機能と受け止める機能があること。 月にも同じ装置があり、対で運用すること。 片方の装置の電源を入れてから15分以内に、もう片方の装置の電源を入れないと、起動しないこと。 ……。 「どうして、そんな手間がかかる仕組みになってるんだ?」 「片方だけを動かすと大事故になる」 「それを防ぐため」 「なるほどな」 「じゃあ、装置を起動するには、誰かが月まで行かなくちゃだめか……」 「ワタシが行く」 「……どうやって?」 「明日、カレンを月に送還する船が出る」 「それに乗る」 「許可は出るのかしら?」 「要らない」 「姿を消していく」 「……」 そう言えば、リースは密航者だったんだ。 フィーナを見ると、不機嫌そうな顔をしている。 まあ、当たり前だ。 「私の前で堂々と……」 「まあまあまあまあ」 「分かっているわ」 「けじめとして言っておいただけよ」 頬を膨らませて、フィーナが言う。 ……。 「ちょっと待て」 「リースは月の装置を動かす鍵を持ってるのか?」 「教団で保管している」 「それも、この宝石のようなものなのかしら?」 「そう」 腑に落ちない。 「何でフィーナが地球の装置を動かす宝石を持ってるんだ?」 「月の鍵を持っているのが普通じゃないか?」 「もともと、鍵は二つずつあった」 「お互い一つは自分で持ち、もう一つを相手に渡した」 「友好の証として」 「母様の形見は、地球人から渡されたものなのね」 フィーナが感慨深げに言う。 友好の証に交換された鍵。 それが時を越えて、また二つの星の友好のために使われようとしている。 「月の鍵は、戦後に教団に移った」 「再び装置が使用されないように、厳重に保管してある」 「それを使ってくれるんだな」 リースが黙って頷いた。 「行く」 「送るよ」 「いい」 「ここから動いてはだめ」 「もうすぐ、この装置は囲まれる」 リースが出口を見ながら言う。 「黒服にか?」 後をつけられていたとは思えなかった。 「ここに入るのを見られていたと言うの?」 「携帯電話」 「??」 「携帯電話は発信機と同じ」 「げ」 「……なるほど」 「居場所は筒抜けってことか……」 「それなら、カレンが私たちの行動を知っていたのも納得がいくわ」 「月に行ってたはずなのに、遺跡調査のこと知ってたもんな」 気持ちのいい話ではない。 俺たちは揃って携帯電話の電源を切った。 ……。 「じゃあ、リースが装置の電源を入れてくれるまで、俺たちはここから出られないな」 「一応、食料は持ってきてるから、2、3日は何とかなるだろうけど」 「両方の装置が起動すれば、通信ができる」 「詳しいことはその時に相談」 「分かった」 「あと、両方の装置が起動すると、入口の扉は誰からも見えるようになる」 「……それって、黒服からも?」 リースは無言で頷いた。 つまり、電源が入った瞬間に黒服が入ってくる可能性があるというわけだ。 「どうしましょう?」 フィーナが心配そうに俺を見る。 フィーナは抵抗しない限り危害を加えられないだろうが、俺の安全は保証の限りではない。 だが……ここで引くわけにはいかない。 「ここまで来て、後には引けない」 「……」 フィーナがもう一度俺の顔を見た。 力強く頷いて見せる。 「……分かったわ」 「月の装置の電源を入れるのは、明後日の昼12時」 「時間になっても何も無ければ、ワタシに何かあったと思って」 「どうすればいいのかしら?」 「知らない、任せる」 「……ははは」 ……。 「月の装置に電源が入ると、カウントダウンが始まる」 「15分以内に宝石を入れて」 「分かりました」 「リース、頼んだぞ」 リースが無言で頷いた。 ……。 「さよなら」 リースが出口へ向かおうとする。 俺は、首根っこを捕まえた。 「痛い」 「『さよなら』じゃなくて『行ってきます』だろ?」 「ふふふ、その通りよ」 ……。 …………。 「……いってきます」 不機嫌そうに言う。 「よし、いってらっしゃい」 ……。 リースが俺たちから遠ざかる。 「あ……」 少し離れたところで、リースの姿はにじむように見えなくなった。 姿が消えるというのは、本当のことだった。 ……。 ひとりでにドアが開き、すぐに閉じた。 ……。 リースを送り出し、俺たちは並んで床に腰掛けた。 「リースが分かってくれて良かった」 「きっと、朝霧家にいた数日間が大きかったのかもしれないわね」 「そうかな?」 「みんなと触れて、少し人を信じる気になってくれたのよ、きっと」 「もしそうなら、本当に嬉しいな」 家に来た頃は、俺たちとあまり関わりあおうとしなかったリース。 でも、時間が経つにつれ、少しずつ話ができるようになった。 多くは姉さんのお陰だと思う。 リースが嫌がる素振りを見せても、姉さんはコミュニケーションを取ろうとしていた。 でも、姉さんは人の嫌がることをする人ではない。 リースが本当は他人との接触を望んでいると、見抜いての行動だったのかもしれない。 「リースはきっと、受け継いでいる記憶が重過ぎるのね」 「人間って嫌なことの方が長く覚えてるだろ?」 「受け継がれた記憶が、嫌なものばかりなのかもしれないということ?」 「ああ」 「そんな記憶をもらったら、人と積極的に付き合おうなんて思わないさ」 「なら、楽しいことをリースと一緒にしていきましょう」 「楽しいものと嫌なもの、バランスが取れるように」 フィーナが俺に体を寄せる。 フィーナの肩を優しく抱き寄せた。 ……。 口を閉じると静寂が辺りを包む。 聞こえるのは、かすかなファンの音だけだ。 ……。 「不思議なものね」 「何が」 「こんな状況なのに、なぜか落ち着いているわ」 「……そっか」 ……。 今頃、塔の周りを黒服が囲んでいるかもしれない。 いつ塔に入り込んできてもおかしくない。 リースが、約束の時間までに月へ辿り着けないかもしれない。 悪い想像はいくらでもできる。 ……。 しかも最悪なことに、自分たちではどうすることもできないのだ。 「手を繋ぎましょう」 何も言わずフィーナの手を握る。 ……。 しっとりと汗ばんだ肌。 手袋越しでも湿度を感じることができる。 「達哉、汗の匂いがする……」 夢見るような声。 「仕方無いさ、走ったんだから」 「ふふふ、責めていないわ」 「……嫌な匂いではないから」 フィーナは自分の言葉を証明するように、俺の胸に顔をうずめた。 彼女のうなじから甘い香りが立ち上る。 走っていたのはフィーナも同じ。 日頃汗をかかないフィーナとはいえ、さすがに発汗があったらしい。 誘蛾灯に引き寄せられるように、彼女の首に唇を這わせる。 「くすぐったい……」 苦笑しながらフィーナが身をよじった。 「フィーナ、すごくいい匂いがする」 「……た、達哉」 顔を見られたくないのだろう。 フィーナはより強く俺の胸に顔を押し付ける。 腕の中で彼女の体温が上がっていくのを感じた。 「フィーナ……」 フィーナの体を起こし、首筋を強く吸う。 「あっ……んっ……」 「達哉……ずっと一緒に……」 フィーナが瞳を潤ませる。 分かっている。 落ち着いている、と言ったのは自分への戒めだったのだ。 だが、それは不安の裏返し。 「達哉は……後悔していないかしら?」 「私と知り合うことが無ければ、こんなことには……」 「自分で選んだことだし、後悔なんてない」 「むしろ逆だよ」 「逆?」 「こんな状況を共に過ごす相手として俺を選んでくれたことが、本当に嬉しい」 「……達哉」 「……一緒だ、ずっと」 フィーナの手で、俺の顔が起こされる。 目と目が合ったのもつかの間、フィーナが俺の唇を吸った。 「んむっ……ふぅ、むうっ……」 フィーナが俺の唇を舐る。 強い興奮──興奮というよりは、本能に近いかもしれない。 俺の全てがフィーナと結びつくことだけを求めている。 危機的な状況が、俺を昂ぶらせているのだろうか。 「ぴちゅっ……くちゃっ……」 水音が立つのもはばからず、フィーナが舌を動かす。 柔らかな肉が、俺の口中を駆け巡る。 「くちゅっ、ちゅっ、ぴちゃっ……」 頬の裏側から、歯茎まで、くまなく舌で撫でられる。 唇の間から、たらたらと唾液が漏れた。 「んむっ……くちゅっ、ぴちゅっ」 フィーナの手が、俺のシャツをまさぐっている。 ……。 はだけられる胸。 「ぴちゅ……」 即座にフィーナの舌が胸板を走った。 「っ……」 思わず体が反応する。 「感じる……のね」 「ああ……」 言葉を証明するように、ペニスがむくむくと隆起する。 「あ……」 フィーナが顔を赤らめる。 だが、その手は俺の下腹部に伸びていった。 「フィーナ……」 「……あ、あの……達哉?」 「ん?」 「……今日は、その私が……」 フィーナが顔を下ろしていく。 「??」 「はぁ……ぴちゅ……はぁ……」 舌が胸から腹へ…………。 …………。 やがて、そこに到達した。 ……。 かちゃ……柔らかな指に導かれ、ペニスがまろび出る。 「……フィ、フィーナ?」 「口で……」 「男性は、好きなのでしょう?」 「いいって、無理しないで」 「……達哉が気持ち良くなってくれるのなら、私は……」 フィーナがペニスに視線を注ぐ。 「今までより……大きくなっているわ」 フィーナの表情に緊張が走る。 「ごめん……すごく、興奮してるんだ」 フィーナの顔、数センチのところで俺のペニスが痙攣している。 「これが……いつも私の中に……」 フィーナの両手が竿を握る。 そして、柔らかくしごき上げた。 「っ……あっ……」 手袋の滑らかな感触に、先端からぷくりと先走りが漏れる。 「……こ、これは?」 「き、気持ちいい証拠だから……大丈夫」 フィーナの指先がカウパーをすくい取り、亀頭にくるりとなじませた。 「痛かったら……教えて」 「……はぁ……」 熱い吐息と共に、フィーナが舌を伸ばす。 舌の上で、唾液がゆらゆらと揺れていた。 ……。 「ぴちゅっ……」 先端に舌が触れた。 亀頭に載せられた唾液が、ペニスを伝っていく。 フィーナが手を動かし、唾液を肉棒になじませる。 ぬるぬるとした感触。 思わず腰が動く。 「気持ち良いのね……」 フィーナが目を瞑った。 ……。 「くちゅ……ぴちゃ……」 赤い舌が、亀頭を舐め上げる。 「っっ……」 未知の刺激に、腰が引ける。 フィーナがペニスの根元を両手で押さえた。 「……少し、じっとしていて」 「くちゅ、れろっ、ぴちゅ……はぁ……少し変わった味……」 「ぺちゃ、ちゅっ……くちゅ、じゅちゅ」 先端を突付き、裏筋を舐め上げ、カリをくるくると周回する。 「フィーナ、あっ……う……」 「くちゅ……達哉の声、気持ちが良さそうだわ……ぺちゃ……」 「じゅっ、ちゅっ、れろっ、くちゃ……」 「はぁ……くちゅ、ぺちゃ……はぁ……くちっ……」 フィーナの息が熱い。 「ん……ぴちゅ……」 フィーナの口から、ペニスに向かって唾液が注がれた。 「ぺちゃ、くちゅっ……」 休まず舌を走らせる。 「こういうのは……どう?」 舌先が先端から中にもぐりこもうとする。 尿意に似た強い刺激。 「っ……あっ……なんか出そうに、なる」 「これは?」 裏筋にぴたりと当てた舌を、速いテンポで上下させる。 ざらりとした感触が腰まで伝わってくる。 「あ、あ……すごい……」 「こちらが良いようね」 かすかに笑って、フィーナが裏筋を攻め続ける。 ……。 ペニスはますます充血し快感に震えている。 「ぺろっ、ねちっ、はぁっ、くちゃっ、んっ……」 「我慢……しなくて、いいわ……ぴちゃっ……くちゅっ」 粘り気のある音を立てながらフィーナが言う。 ふと目を映すと、しどけなく投げ出されたフィーナの脚が擦り合わされていた。 俺の性器を舐めながら、興奮しているのだろう。 フィーナの濡れた蜜壺を想像し、俺の興奮も高まる。 「……震えているわ、ここが……ぴちゅ……」 また、先端に舌がもぐりこんだ。 「っ……あっ……」 じんっとした痺れが走る。 さっきよりも気持ちよいのは、俺が高まってきているからだ。 「んんっ……ぺちゃ、れろっ、くちっ……」 フィーナは休むことを知らない。 ぎゅっと俺のペニスにしがみついている。 「……はぁ……」 フィーナが口を控えめに開いた。 ……。 「ん……」 熱い粘液に亀頭が包まれる。 「れろれろ……ぬるっ、れろ……ぴちゅっ……」 口の中で続けざまに舐め上げられる。 「うあっ、ああ……」 危うく達しそうになる。 「ちゅ……ずちゅっ……」 頬をすぼめて俺を吸い上げる。 「っっ……くっ」 「れろ……すちゅっ、ぴちゅ、ずりゅっ……はぁっ……」 「ぬりゅっ、ぺちゅっ、じゅっじゅっ……くちゃっ……」 吸い付いたまま、フィーナの頭が上下する。 舌と口内がぬるぬると亀頭を擦り上げた。 「ほら、がまん……しないで……」 咥えたまま言い、口中で舌をぬらぬらと動かす。 「あ、う、あ、あ、あ……」 喉から情けない声が漏れる。 歯を食いしばろうとするが……気迫がどんどん吸い取られ、腰砕けになってしまう。 「じゅるるっ……ずちゅっ、ぴちゃ、ぬちゅっ……じゅるるっ」 派手な音が上がる。 それが俺を興奮させると知っているのだろうか。 「もう……あっ、うっ……」 「我慢しないで……はぁ……じゅるるるっ……ぐちっ、じゅぷっ」 いつの間にか、フィーナの頭を押さえていた。 それでもフィーナは頭を振り続ける。 「じゅるっ……ずりゅりゅっ……じゅるっ……」 気が遠くなるような快感に腰が揺れる。 「んむっ!」 一瞬は驚いたフィーナもすぐに順応し、タイミングを合わせて頭を振った。 「んっ、んっ……じゅるるっ……ずりゅっ」 固い歯が、わずかに亀頭をなぞった。 「うあっ……ああっ!!」 びゅるるるっ! どくんっ!!びゅびゅっ……びゅっ……びくんっ!!フィーナの口中に、思い切りぶちまけた。 「んむぅっ……んっ、んっ……こくっ……ぷはぁっ!」 フィーナがペニスから口を離した。 「っっ……」 どくんっ……びゅくっ、びゅびゅっ!押さえつけたフィーナの顔に、至近距離から精液を放つ。 「ひゃっ……あっ……」 べっとりとフィーナを汚す精子。 フィーナは呆然とした表情で掴んだペニスを見ている。 ……。 「ご、ごめん……」 「……」 フィーナが口を閉じたまま首を振る。 そして……「こくっ……こくっ……」 喉を鳴らした。 「……んくっ……けほっけほっ……」 「フィーナ、無理は……」 ……。 「はぁ、はぁ……はぁ……達哉……」 フィーナの唇に俺の精液がついている。 「ありがとう……頑張ってくれて」 俺は、フィーナの唇を袖で拭った。 「……達哉……優しいのね」 「フィーナこそ、飲んでくれて……なんか、嬉しいよ」 「……達哉のだから……零してはいけない気がして」 フィーナが俯く。 「フィーナ……」 俺はフィーナの髪をできるだけ優しく撫でる。 フィーナが嬉しそうに目を細めた。 その表情は、俺にも満足感を与えてくれた。 ……。 ……あれ?出したばかりだというのに、そこは再び硬直を始めていた。 「……ぁ」 「……あ」 ……。 …………。 フィーナが熱っぽい目で、俺を見る。 次は、私を……そういう目だった。 「今度は俺がフィーナを……」 「……え、あ」 恥ずかしそうに俯く。 先ほどまでの積極的な姿とは一転。 少女の恥じらいに愛しさがこみ上げる。 「……お礼だから」 フィーナの肩に手をかける。 「……ありがとう」 フィーナを抱きしめ背中を向かせる。 そのまま床に押し倒し、腰だけを引き上げた。 「あっ……」 「こ、こんな姿勢……た、達哉……」 フィーナが顔を真っ赤に染める。 「後ろからしてみたいんだけど……いいかな?」 フィーナに覆いかぶさり、耳元で囁く。 「で、でも……」 戸惑っているフィーナのお尻を優しく愛撫する。 「あっ……や……くすぐったいわ……」 脚の付けに根には、こんもりと盛り上がった柔らかそうな丘。 その中心は、確かに濡れている。 「……フィーナ、濡れてるよ」 そっと秘裂に指を這わせる。 「い、言わないで……」 「あうっ……あ、あ……」 軽く指を震わせると、フィーナが敏感に反応した。 「わ、私……こんな格好で……」 つぶやくように言う。 四つん這いで、濡れた性器を突き上げた姿。 一国の姫である彼女からは、想像もできないほどなまめかしくて──故に、それだけで俺を嫌というほど興奮させた。 「準備、いいかな?」 下着の食い込みに指を合わせ、何度も擦る。 ぷっくりとした両脇の肉が、ぬるぬると指を包んだ「あっ、うぅ……」 恥ずかしそうな声を上げるフィーナ。 準備ができていることを言えなかったのだろう。 「できれば……その、あまり話さないで……」 「声をかけられると、恥ずかしくて……」 そう言って、フィーナは顔を伏せた。 「……分かった」 俺は両手で柔らかなお尻を愛撫する。 大きく円を描くように柔肉を動かしながら、秘部にも指を触れさせた。 「んっ……あ」 「達哉が……私のお尻を……」 じわじわと下着にシミが広がる。 「そろそろ、下着を脱がすよ」 「……」 フィーナは黙って頷いた。 美しい刺繍があしらわれたシルクの下着。 俺は、サイドに指を入れひき下ろす。 「あ……や……やぁ……」 ……。 パンツを性器の下までずり下ろす。 純白の下着から現れたのは、真っ白な臀部と……愛液でぬらぬらと光る、ぷっくりとした女性器だった。 「み、見ないで……」 羞恥にフィーナの肌が紅潮する。 秘部の少し上には、可愛らしいアナルがあった。 まさに、フィーナの全てが俺に曝け出されていた。 「すごく可愛いよ」 「達哉……見ては嫌だと、言っているのに……」 フィーナが体を揺らす。 秘裂の肉が擦り合わされ、蜜が垂れた。 ……。 「フィーナ、行くよ」 欲望に突き動かされ、フィーナの腰を慌しく掴む。 ガチガチのペニスを蜜壺に当てる。 「……ん」 そこで、動きを止めた。 ……。 「??」 ペニスを右手で持ち、フィーナの秘所を擦る。 「……ん……た、達哉……」 「なぜ、じらすようなことを……」 「フィーナがすごく可愛くて」 「……そ、そのようなことを言って」 フィーナの腰が揺れる。 挿入を促すように、蜜壺が亀頭に押し付けられた。 「して欲しい?」 「っっ……」 フィーナの体が真っ赤に染まる。 「た、達哉……」 半分泣きそうな声が聞こえた。 どうやら、意地悪をしすぎてしまったようだ。 「……ごめん」 ゆっくりと腰を進める。 くちっ……肉を押し分け、つやつやとした亀頭が進入していく。 「あ、あ……」 にちゅ……ぴちゅ……ねちゃねちゃした音が聞こえる。 「う、あ……あ……」 ずちゅ……ねちゃ……全てを突き入れた。 相変わらず、きついフィーナの膣内。 「はぁぁ……はぁ……」 フィーナが肩で息をする。 「動かすよ」 フィーナの腰をしっかり支え、肉棒を引き抜く。 にちゅ、ぬちゃ……吸盤のようにフィーナの膣内が吸い付く。 ペニスにしたがって、彼女の襞がめくれ、鮮やかな色を見せた。 「あっ……あ、う……っ……」 フィーナが体を反らす。 ペニスの上側が、壁を強く擦った。 ぴちゅカリまで抜いてきた。 掻き出された愛液が、とろりと垂れる。 「あ、あ、あ……」 少し速度を上げて腰を送り、また引き抜く。 2、3度くり返し、様子を窺う。 どうやらいけそうだ。 「もっと、速く動かすよ」 「ええ……あっ、あっ、あっ!」 一気に抽送のペースを上げる。 ぐちっ、すちゅっ、にちゃっ、にちゃっ……「あぁっ、うあっ、やあっ、んあっ……」 「何か……あうっ、いつもと違う感じで……んあっ……」 「お、俺も……すごく、興奮して……」 フィーナを見下ろし、腰を叩きつける。 そんな感覚に、俺は頭がクラクラしていた。 征服欲に似た快感に酔うなんて、自分が少し怖い。 ……。 「ああっ、達哉っ……やあぁっ、んあっ、あうっ……」 にちっ、ぐちゅっ、じゅちゅっ、じゅじゅっ、ぴちゅっ……容赦なく淫音が上がる。 結合部から吐き出された粘液が、床に次々とシミを作っていく。 「ひゃっ、んっ、あ、あ、あ……うあっ」 腰を突き入れる度に、背筋を震わせ甘い声を上げる。 「くっ……気持ち、いいよっ」 「あうっ……もっと、好きに……好きに、動いて……」 「私っ、達哉に……喜んでもらいたい……」 前後運動から、円運動へ、腰に左右の動きを加える。 「ひゃうっ、ああっ、やあぁ……当たって、やっ、擦れて……」 声が甘さを増す。 ずちゅっ、びちゅっ、にちゃっ、ぬりゅっ……「ひ、あっ……達哉っ、ああっ……あ、あ……」 フィーナが上体を床につける。 性器がより高く突き出された。 「とっても、いやらしい……」 「いやぁ……言わないで……」 「ああっ、んんっ……うあっ……やっ、んあっ!」 蜜で光る性器に激しく杭を打ち込む。 次々と愛液が零れ落ち、床を濡らす。 「ああっ……達哉っ、好き、好き、好き……」 うわごとのようにフィーナが言う。 「俺も……好きだ……フィーナ……」 こういう時に言っても、信じてもらえないかもしれない。 でも、言わずにはいられなかった。 「私は、達哉の倍の強さで……貴方のことが好きだわ」 「俺と張り合うの?」 「んっ……張り合わない、わ……あうっ……」 「競うまでも無いことだから……んっ」 フィーナが快感に表情をゆがめながら笑う。 何だか悔しい。 「それは、どうかな」 腰を強く叩きつける。 「あうっ!」 「好きの強さなら、負けない」 「ふふふっ、あうっ……んっ、力でねじ伏せるつもり?」 フィーナの膣内がきゅっと締まる。 「くっ……」 「負けない、からなっ」 ペニスが、フィーナの一番深いところを突付いた。 「んっ……達哉、激しい……」 目の前で後ろの穴がヒクヒクと動く。 「ここ……どう?」 片手を腰から離し、親指でアナルをなぞる。 「ひゃあっ!」 びくりっとフィーナの体が跳ね、膣がぎゅっと締まった。 「うあっ」 一気に絶頂近くまで導かれるが、奥歯を食いしばってこらえた。 「そこはっ、そこはっ、だめっ、だめっ……あ、あ、あ、あっ!」 首を振り、いやいやするフィーナ。 その仕草が可愛くて、俺は更に指を動かす。 「負けを認める?」 「み、認めないわ……あっ、うっ」 「負けず嫌いだね」 指先でこしょこしょとくすぐる。 「あうっ、あっ、あっ」 フィーナの腰が痙攣し、ペニスが更に締め付けられた。 「一時、休戦……んっ……ということで、ひゃうっ、どうかしら?」 「……しょうがないな」 「くぅ……あうっ!」 菊門への愛撫を止め、抽送に専念する。 ……。 「あうっ、あっ、んあっ……やっ、本当に、だめっ……おかしくって、あうっ!」 「た、達哉ぁ……恥ずかしい、恥ずかしいから……もうっ、あ、あ、あっ!!」 鼻に掛かったような嬌声が、管制室に響く。 ぐちっ、じゅぷっ、ずちゅっ、ぬちゃっ……「あんっ、達哉……もうっ、私っ、あああっ、いやっ、いやっ!」 フィーナの声がどんどん快楽の色に染まっていく。 「ああっ、あうっ……」 ペニスの先端が一番奥を突付く。 「ひゃああぁっ!!」 フィーナが前のめりに崩れそうになる。 その腰をしっかりと引き寄せ、思い切り突き込んだ。 抽送の度に俺の先端が子宮口にぶつかる。 「ああっ、当たって、当たって……もうっ、もうっ、もうっ……」 奥に当たる刺激が、俺にも強い快感をもたらした。 射精感が肉棒に充満した。 「フィーナっ、そろそろっ」 渾身の力で腰を振る。 「ひゃあっ……私も、もう、もう……本当に、あうっ」 「お腹が、痺れて……あうっ、あ、あ、あ、あ……やああっ!」 「真っ白に……なってしまうっ……あああっ……や、や、や、ひゃうっ!!」 「ひゃっ、あ、あ、あ、あ、あ……」 「達哉っ、達哉っ、達哉っ……来るっ、あ、あ、あ、あ……ひゃああああっ!!」 絶頂の声を上げ、フィーナが体を反らす。 フィーナの声が高く駆け上り、膣内が強烈に締まった。 「っっ!!」 ずりゅっ……ペニスが膣から押し出された。 びゅくっ! どぴゅっ!どくんっ、どくっ! びゅくびゅくっ!!2回目とは思えない量の精液が放出される。 「あ、あ……あ、あ、あ……」 絶頂の快感に、背中を仰け反らせるフィーナ。 そこに、ぱたぱたと白濁が降り注いでいく。 「はぁ……あ、あ……熱い……」 ……。 そのまま、フィーナはぐったりする。 呼吸もおぼつかない中、周期的に下半身を痙攣させている。 「はぁ……はぁ……」 ……。 「はぁ……あ……はぁ……っ……!」 フィーナが一際大きく体を震わせ──ようやく、絶頂の波から解放された。 「フィーナ……大丈夫か?」 「はぁ、はぁ……何とか……大丈夫、よ……」 陶然とフィーナが言う。 「ごめん、俺、なんか暴走しちゃって」 「謝らないで」 「いいのよ……達哉は満足してくれたのでしょう?」 「そ、そうだな……」 まぁ、フィーナを組み敷く感覚は、新鮮で興奮した。 「満足していないの?」 「私を四つん這いにさせておいて……それは酷いわ」 フィーナが笑って言う。 「いや、確かに俺は満足したんだけど……」 「その……今日は、俺ばっかりで……申し訳無くて」 「……達哉」 「やっぱりほら、俺の性欲を解消するためだけじゃなくて……」 「もっと、フィーナにも感じて欲しいから」 「……そう思ってくれるの?」 「ああ」 「出すだけなら、俺だけでもできるからさ……やっぱり……」 「え?」 フィーナがきょとんとした顔をする。 ……。 まさか、通じていないのか?「いや、一人でするだろ、ほら」 「男の人も……するのね」 「も」 ってことは……。 「フィーナは、一人でするんだ」 「なっ、何を……言うの……」 顔を真っ赤にするフィーナ。 お姫様とはいえ人間だ。 一人ですること自体は不思議ではないが……「よしよし」 フィーナの頭を撫でる。 「も、もう……気づいても口にしてはいけないわ」 俺に撫でられながら、拗ねた声を出す。 それが可愛らしく思えて、俺は何度も手を動かした。 ……。 「あ、そうだ」 「どうしたの?」 「また、外に……」 「た、達哉……いやらしいことばかり」 「こういう状況だから……本当は、フィーナにあげたかった」 管制室のモニターに目を遣る。 もちろん、何の変化もない。 「……気にすることはないわ」 「また、次の機会に……すれば……」 そう言うフィーナの声にも力はない。 次があるとは、誰も断言できないのだ。 ……。 …………。 「まだいける?」 「……それは……」 2回出した後だ。 正直、自信はない。 「少し休んだから、俺はいけるよ」 虚勢を張る。 「……」 フィーナが俺の目を見る。 ……。 「……ええ」 かすかに笑って、フィーナは答えた。 ……。 ころり、とフィーナが仰向けになる。 「……達哉、来て」 ……。 「フィーナ……好きだよ」 「私もよ」 俺は、フィーナの服を優しく脱がせた。 綺麗な乳房がぷるんと揺れる。 「今まで服を着たままだったのね」 「ん……ちょっといやらしいな、俺たち」 指先でフィーナの乳首をこねる。 「ん……あ……」 ため息のような声を漏らすフィーナ。 乳首に指を当てながら、ゆっくりと乳房を愛撫する。 「フィーナの胸、形が綺麗だよな」 「ふふふ……今さら言われても……あ、ん」 「嬉しくないか?」 「……嬉しいわ……んっ」 フィーナが手を伸ばし、俺のペニスを握る。 「少し、そうしててくれるか」 「ええ……」 肉棒に付いているフィーナの蜜。 それを手で伸ばし、彼女は優しく俺をしごいてくれた。 射精で鈍感になった亀頭にも、その刺激は十分快感をもたらしてくれる。 「フィーナ……いいよ、その調子」 「ええ……んあっ、達哉も、その調子で……あっ、続けて」 俺たちは、少しの間お互いを愛撫しあう。 愛おしい気持ちで胸がいっぱいになる。 ……。 「あんっ……体が、また熱く……ん……はぁ……」 フィーナの息が熱を帯びてきた。 「下、触るよ」 フィーナが頷く。 手を脚の付け根に持っていく。 ……。 ちゅく……そこは既に潤っていた。 ……。 「フィーナはすごいな」 秘裂に指を這わせながら言う。 「……ごめんなさい、はしたなくて……あんっ」 「い、いや、責めてるんじゃないさ」 「フィーナが積極的になってくれて、嬉しい」 「ふふふ、ありがとう」 フィーナが5本の指をカリに引っ掛け、くりくりと回転させた。 「うあっ、あ、あ……やばい、それ……」 「んっ……どう……達哉……」 「くっ……あ……」 ペニスに再び血が集まる。 「あ……どんどん……固く……」 ……。 数秒後、俺のペニスは隆々といきり立った。 フィーナの手が優しく亀頭を撫で、ペニスを離れる。 その時が来たことを、フィーナが教えてくれたのだ。 ……。 俺もフィーナへの愛撫を止め、体を脚の間に入れる。 「フィーナ」 「達哉……」 ゆっくりと覆い被さり、フィーナの唇を吸う。 そのまま、性器をフィーナのそこにあてがった。 「ん……ん……」 唇を重ねたまま、フィーナが頷く。 ……。 「んっ……んんっ!」 ずずっ、と腰を進めた。 「あっ……ん……」 「……達哉……とても固くて熱いわ」 「良かった、また一つになれて」 心底、安心した。 「こうしているだけで……幸せな気分になれるから、不思議ね」 「ああ、そうだな」 フィーナの手をしっかりと握る。 ……。 「達哉……私、貴方に会えて本当に良かった」 「俺もだよ」 「フィーナに会えて、全部変わった気がする」 「留学の短い期間に、こんな素晴らしいパートナーに出会えるなんて……」 「運命という言葉を信じたくなるわ」 フィーナが微笑む。 フィーナが俺を素晴らしいパートナーと言ってくれた。 胸が温かさでいっぱいになる。 「ほんと、偶然の連続だよ」 「特に、フィーナが俺を受け入れてくれるなんて思わなかった」 「ふふふ、それは偶然ではないわ」 「……貴方はとても素敵よ」 「私の知っているどんな男性よりも、群を抜いて素敵」 フィーナが笑顔で俺を褒めてくれる。 「フィーナだって、俺の知っている誰よりも素敵だよ」 「頑張り屋さんで、綺麗で、優しくて、意地っ張りで……」 「最後のは、褒められている気がしないわね」 「褒めてるよ」 「今のフィーナから何が欠けても、きっとフィーナではなくなってしまうと思う」 「ありがとう、達哉」 「そう言ってくれるのは、とても嬉しいわ」 「フィーナ……」 「達哉……ん、ん……」 もう一度唇を重ねる。 じゅわっと、フィーナの膣内が潤った。 ……女の子が気持ちで感じるというのは、本当のようだ。 ……。 「……んっ」 唇が離れる。 フィーナが潤んだ瞳で俺を見つめる。 彼女の瞳を潤ませているものは……確かめなくてもいいだろう。 ……。 「それじゃ、動くよ」 「ええ……存分にどうぞ」 俺は、握り合った手に力を込めた。 ……。 くちゅっ……「んっ……あうっ……」 初めの抽送から、嬌声が上がった。 フィーナの膣内が穏やかに俺を締め付ける。 「すごく、気持ちいい」 「……私も……幸せよ……あっ」 くちっ……ぬちゅっ……ぴちゅっ……いつもより穏やかなペースで腰を動かす。 それでも、快感は十分だった。 フィーナと繋がっているという充実感が、どんどんペニスを熱くさせていく。 「んあぅ……んっ、あっ……」 「達哉っ……好き、よ……好きっ……好きっ」 「俺も、フィーナが……大好きだ」 体を倒し、フィーナに口付ける。 ……。 「んっ……んんっ……ぴちゅっ……くちゅっ」 すぐに舌が入ってきた。 ぴちゅ……ぺちゃ……くちゅ……唇は離し、外に晒した状態で舌を絡ませ合う。 唾液の音が心地よく聞こえた。 「くちゅ……ん、ん……ぴちゃっ……達哉……くちゅっ」 舌の動きが情熱的になってきた。 フィーナの舌を受けながら、腰も休ませない。 「んあっ……ぴちゅ……あっ、あっ、あっ……ぺちゅっ、れろっ……」 ぬちゅっ、くちゅっ、にちゅ、みちゅっ……上下の結合部から音が漏れる。 その両者が、俺を快楽の世界へいざなっていく。 ……。 「フィーナの膣内、すごく熱くなってる」 舌を離し、フィーナに囁く。 「もっと、もっと……達哉を感じたいの」 「どんなことがあっても、くじけないように……」 フィーナが悲しさを含んだ瞳で俺を見る。 彼女の頭で、どんな状況が想定されているのか……。 それを想像するのは難しくない。 「大丈夫……大丈夫だから……」 「俺は、側にいる」 根拠など無い。 俺がそう決めている。 「達哉……私も、側にいたい……」 快感のためか、それ以外の感情のためか──フィーナの目尻に光るものが伝った。 「大丈夫だ……」 これが最後のセックスになる可能性は低くない。 それは分かっていたが、口には出さなかった。 「達哉……」 フィーナの脚が腰に絡まる。 体を突き抜ける快感と愛しさが、俺たちの理性を崩し──抑えていた不安が、徐々に零れ出しているのだ。 「フィーナ……」 体を倒し、フィーナの手を強く握る。 少しでもネガティブになれば、俺たちはすぐ暗闇に足を取られてしまう。 「大丈夫……俺たちは一緒だ」 「……ええ」 フィーナの手も、俺を強く握り返す。 「フィーナ……」 愛していると──心のうちで叫びながら、全力で腰を動かす。 「ひゃっ……」 「フィーナっ、好きだ……好きだっ」 「私もっ、達哉っ、達哉っ」 ……。 ぐちゅっ、ぬちゅっ、みちゃっ溢れる潤滑油。 さっきまでの量とはまるで違う。 「あうっ……達哉、側に……」 フィーナが脚に力を込め、俺の腰を引き寄せる。 腰が密着し、火傷しそうな熱が伝わってくる。 「熱くて、夢の中に……いる、よう……あうっ!」 フィーナの肌に玉のような汗が浮かぶ。 腰を打ち付ける度、それは中空に舞い、床にシミを作った。 「ああっ……達哉っ、すごく……すごく、奥まで熱く……」 「んんっ、あうっ……あ、あ、あ……や、やあっ……あ、あぁっ!」 腰の動きに合わせ、フィーナの膣内がリズム良く締め付ける。 にゅるにゅるとした感触と相まって、ペニスはどんどん昂ぶらせていく。 「熱くて、溶けそうだ」 「ひゃんっ……私も、お腹が、溶けそうで……ああっ、んっ」 「頭が、ぼんやり……して……あうっ、んっ、んっ、んっ、あうっ!」 ぬちっ、くちゅ、ずちゅっ、ぐちゃっ……水音が粘り気のある音を出す。 フィーナの蜜壺から溢れる液は、白く濁り始めた。 「達哉っ……うあっ……あ、あ……熱いっ、熱くて」 「私……どうなって、しまうの……ああぁっ、ひゃうっ!」 フィーナが快楽の階段を上っていく。 何度も絶頂を迎えた後だ。 お互いに長くは持たないかもしれない。 「フィーナ、激しくするよ」 「……え?」 「あああぁぁっっ!」 腰を激しく打ち付けた。 結合部から愛液が迸る。 「やあっ、やっ、あっ、んっ……うあっ……あああぁっ」 「ひうっ、ひゃあっ……あ、あ、あ……奥に、響いてっ……やああっ!」 快感を逃がすようにフィーナが首を振る。 膣内がぎゅっと狭まった。 「っっ!」 暴発しそうになるのを、唇を噛んで耐える。 「すご……くっ」 フィーナと同時に絶頂を迎えたい。 腰の動きをランダムに変えていく。 「ひゃあっ……いろんなところに、当たって……やっ、気持ち……よくっ」 ぐちゅっ、にちっ、みちゃっ、ぬちゅっ……愛液の粘り気が増していく。 それは同時に、膣の吸い付きが強くなることも意味する。 「フィーナっ……フィーナっ!」 射精の欲求をこらえつつ、腰を振り続ける。 「達哉っ……私っ、どこかへ……行って、行ってしまいそうっ!」 「一緒よっ……達哉っ……私と、一緒に……あああっ、あ、あ、あっ!」 「離れては……だめっ、あっ、あっ、あっ!!」 「くっ……離れたり、しない……から」 「俺は、ずっと……くっ……フィーナを信じて……側に」 フィーナの手をぎゅっと握る。 また愛液の量が増えた。 そこはもう、洪水のようになっていることだろう。 「あああぁっ……やっ、やっ、やあぁっ……んあっ、んっ、あっ、あああっ!」 激しい刺激に、精液がどんどんペニスを登ってくる。 「く、あ……」 俺は前かがみになり、フィーナの乳房を甘く噛む。 「ひゃあああっ!!」 「そこっ、やああっ……だめっ、だめっ、だめっ!!」 フィーナからは遠慮なしの嬌声が漏れる。 膣圧が上がった。 「ぅ……もう……」 「いいわっ、私も、すぐっ……ああああっ!」 「ひゃっ……頭が、もう……白く、白くなって……」 「行くっ、どこかへ……ああああっ、あ、あ、あ……やっ、やあぁっ!」 「達哉っ、達哉っ……うあっ、あんっ、やっ、もうっ、もうっ、もうっ!」 「達哉っ、達哉っ、ぁ、あ、あああっ……んっ、達哉っ、達哉あぁぁぁぁぁぁっっ!!!」 フィーナの全身が、ぎゅっと縮こまった。 ペニスが千切れるほどの締め付けだ。 「うあっ、ああっ!!!」 どくどくどくっ!!びゅくぅ、びゅびゅびゅっ!!この世のものとは思えない快感。 フィーナの体内に幾度も精子を吐き出す。 「ああっ……あ、あ、あ……熱いものが……あ、あ……」 どくんっ! どくっ!びゅくぅ……ぴゅっ……っ……最後の一滴まで出しても、ペニスはまだ痙攣を続ける。 その度に、俺の全身を絶頂が襲う。 「ああっ……くっ……ひゃあっ……っ……っ……」 肉棒の震えが、フィーナを幾度となく絶頂へ導く。 フィーナは声も出せず、酸欠の魚のように口をパクパクさせている。 ……。 「……う……あ」 すさまじい快楽に、膝が笑っていた。 こんなのは初めてだ。 「あ……ん……」 フィーナが体を揺する。 彼女の膣内が熱い液体でいっぱいになっているのが分かった。 フィーナは、ぼんやりと天井を見たまま、何度もお腹を撫でている。 「はぁ……はぁ……」 「達哉……こんなに充実した気持ちになるのは……初めて……よ」 俺と同じような感想を漏らした。 「フィーナ……」 前かがみになり、何度目かのキスを交わす。 その拍子に、役目を終えた性器がフィーナから抜けた。 こぽっ…………。 フィーナの秘部から、白く濁った液体がどろりと流れ出る。 ……。 ……結構な量を出していたようだ。 バッグに入れていたタオルで、フィーナの秘所を優しく拭く。 「ん……」 フィーナが気持ち良さそうな声を出す。 「すごく気持ち良かったよ」 もう片方の手でフィーナの頭を撫でた。 ……。 「達哉も、お疲れ様」 フィーナが目を細める。 そんな彼女の顔を見ると、全ての焦りも不安も消えていくようだった。 胸の中は充実感で溢れている。 ……。 「こんな感じを、幸せって言うのかな?」 「……ええ」 「これ以上無い幸せ……至福ね」 「至福……か」 その言葉は、今の気持ちにぴったりだった。 フィーナが俺と同じ気持ちでいてくれることを、心から願う。 「達哉……」 フィーナがぼんやりとした声で言う。 「ん?」 ……。 …………。 「貴方を……愛しているわ……」 胸が、じん、と熱くなった。 「フィーナ……」 俺に伝わってきたのは言葉ではなかった。 フィーナの心が、俺の心を直接熱くした。 そう、確信できた。 ……。 「俺も、フィーナを愛しているよ」 「……」 俺の言葉に、フィーナが満足げな笑みを浮かべ──そして、彼女からは寝息が聞こえ始めた。 ……。 お腹に置かれた手は、最後までそこを擦っていたように見えた。 ……。 「……ぅ」 床の固さに目を覚ました。 俺に寄り添って、フィーナはまだ寝息を立てている。 腕時計を見ると、午前4時だった。 塔に入ったのは昼間だったから、今は8月18日だろう。 リースと約束した時間までは、丸一日以上ある。 ……。 少し探検してみるか。 フィーナを起こさないよう立ち上がり、周囲を調べる。 ……。 管制室内は、前に調べた時と変わらず大きな収穫は無かった。 ただ1点、俺たちが入ってきた入口の反対側に、もう一つ扉があるのを見つけた。 発見はその先にあった。 ……。 扉の先は階段。 天井全体がぼんやりと光っていて、室内と変わらない明るさだ。 管制室の下に当たるフロアは、生活臭に溢れていた。 廊下の両脇には、会議室や資料室、給湯室、トイレ、仮眠室などなど……ここで人が仕事をしていたことが実感できる。 それぞれの部屋には資料や生活用品が手付かずで残っており、恐怖と寂寥を感じさせる。 ……。 驚くべきことに、水道や電気などのライフラインは生きていた。 現代の水道管がここに繋がっているとは思えない。 恐らく、施設単独で運用できる設計になっているのだろう。 ……。 …………。 しばらく施設を歩いてから、管制室に戻る。 「ひゃっ!?」 扉を開けると、フィーナが可愛らしい悲鳴を上げた。 「起きてたのか」 「た、達哉……」 「ごめん、驚かせちゃったな」 フィーナが小走りにこっちへ来る。 ……。 「一人にするのは感心しないわ」 「悪かった」 「ちょっと探検してきたんだ」 「何か見つかったの?」 「ここの下にフロアがあったんだけど……」 と、見てきたことをそのままに伝える。 ……。 「またここで、人が仕事をする日が来ればいいわね」 フィーナがわずかに微笑んで言う。 「必ず来るさ」 「リースはきっと上手くやってくれるよ」 「楽しみに待ちましょう」 食事をして、夢を語り合って、唇を重ねて、体を重ねて……眠りに落ちる。 一日がふわふわと過ぎていく。 目に入るもの、耳に聞こえるもの、肌に感じるもの──全てがフィーナで埋め尽くされている。 こんな場所だけど……自分が溶けてしまいそうなほど幸福な時間だった。 ……。 でもどこかで、こういう時間の使い方は俺たちに向いていないと思っていた。 やっぱりフィーナとは、一緒に何かに向かって進んでいるのが一番楽しい。 ……。 彼女の美しさは、戦いの中にあってこそ際立つ。 誰もがひるんだり、諦めたりしてしまう状況でも、彼女は決してそうしない。 そんなところが俺は好きなのだ。 もちろん、今のフィーナが美しくないわけではない。 でも、何かに向かっている時のフィーナは一際、美しく輝く。 凛とした雰囲気。 流麗な身のこなし。 淀みの無い言葉。 力強い視線。 その全てを自由に操り、まばゆいばかりの輝きを放つ。 誰もが、彼女に注目せずにはいられない。 理想を高々と掲げ、国民の先頭に立ち燦然と輝く姿。 そんな姿が、姫として生まれ育ってきた彼女にはふさわしい。 ……。 だから俺は、移動装置に電源が入るのを待ち望んでいる。 移動装置が稼動したなら、セフィリアさんの名誉を回復し──そして、フィーナと共に月と地球の新しい時代に向かって進んでいくのだ。 その時、彼女がどれほどの輝きを見せてくれるのか──想像するだけで、俺の胸は高鳴った。 ……。 約束の時間が近づく。 二晩を管制室で過ごし、体力的にはやや衰えていた。 だが、それを補って余りある高揚がある。 ……。 「あと2分」 「もうすぐね……」 フィーナが俺を見る。 緊張しつつも興奮を隠せない表情だ。 「わくわくしてるか?」 「もちろん」 フィーナが俺の手をしっかりと握った。 俺も力強く握り返す。 ……。 …………。 沈黙が流れる。 でも、手を握っているだけで十分だった。 それだけで、フィーナの強い意思を感じることができた。 「あと30秒」 ……。 …………。 「10秒」 ……。 …………。 ………………。 フィーナの手に力が込められた。 ……。 「月面、第一軌道重力トランスポーターが待機状態に入りました」 音声とほぼ同時、メインディスプレイに『00─15─00』の表示が現れる。 「来たわっ」 「よーしっ」 俺たちの気持ちは、ちゃんとリースに届いていた。 「リースが見事に成し遂げてくれたのね」 「簡単に密航しちゃうんだから、すごいよな」 「それは言わないで」 フィーナが笑う。 「さあ、仕上げと行こう」 「これを……」 宝石を高々と掲げる。 「達哉、お願いがあるのだけれど」 「何?」 「一緒に宝石をかざしてくれるかしら?」 「私だけでは、ここまで来ることはできなかった」 「あなたがいてくれたから、私は今ここに立っているの」 「だから、一緒に……」 俺だって同じ思いだ。 そんなフィーナがいてくれたから、ここまで頑張れたのだ。 「喜んで」 フィーナが俺を見つめる。 「ありがとう」 俺たちは宝石を一緒に持った。 そして、板に描かれた模様へと近づけていく。 「どんなことがあっても、ずっと前に進み続けよう」 ……。 「もちろんよ」 「中央連絡港市、軌道重力トランスポーター、起動しました」 「現在より、各施設のオートメンテナンスに入ります」 「各施設、損傷状況を確認中……」 「中央射出棟……0%損壊」 「第1補助重力制御棟……99%損壊」 「第2補助重力制御棟……100%損壊」 「第3補助重力制御棟……100%損壊」 「第1補助動力棟……100%損壊」 「第2補助動力棟……86%損壊」 「第3補助動力棟……92%損壊」 メインディスプレイに電源が入る。 「動いたわ……」 「ああ……動いたな……」 しばらくの間、ぼんやりとディスプレイを眺める。 画面にはいくつものパラメータが表示され、数値が刻々と変化していた。 音声が、次々とよく分からない施設の名前を挙げ、損傷状態を報告する。 ほとんどが全壊に近い状態だ。 ……。 ぷつっサブのディスプレイにリースの顔が表示された。 「おっ」 「リースだわ」「動いた」 「リ、リース、月にいるのか?」 「そう」 「無事でよかった」 「こちらも元気よ」 「良かった」 リースがかすかに笑う。 俺たちのことを心配してくれていたようだ。 「この装置ってもう使えるのか?」 「直径5メートル程度のものなら平気」 「一人で動かせる?」 「できる」 「ほとんどの機能は自動化されているから」 「そうか、動くのか……」 つまり今からだって月に行けるということだ。 ……。 カレンさんは、俺とフィーナの縁談より遺跡調査の問題が優先されると言っていた。 俺とフィーナの関係は、まだ月では認められていないということだ。 ……。 フィーナは大使館の空港から月へ行くことができる。 だが、月にとってただの民間人である俺が空港を利用できるとは思えない。 それに、何かと便宜を図ってくれたカレンさんはもういない。 フィーナと国王の議論をその場で見るためには……この装置で、俺も、月に行く以外方法が無い。 「……達哉、まさか」 フィーナがじっと俺を見る。 俺は、ずっと側でフィーナを支えると誓ったのだ。 何をためらうことがあろう。 「フィーナ……俺は、月に行くよ」 破壊的な音が管制室に響く。 「っ!」 「見つかったか……」 礼拝堂の扉を拳銃で破った奴らだ。 ここも長くは持たないかもしれない。 「分かってくれ」 「でも、装置が正しく動くとは限らないわ」 「もしも達哉の身に何かあったら……」 「フィーナ」 眉をゆがませるフィーナをじっと見る。 「俺が、フィーナと一緒にいるには……」 「フィーナを側で支えるには、この装置で月に行くしか方法が無いんだ」 「……」 フィーナが俯く。 「フィーナっ、しっかりしろっ」 フィーナの肩を揺すった。 「最後まで戦い続けるんだろ、俺たちは」 「……」 「フィーナっ」 「分かっているわ」 フィーナが俺の声を遮る。 ……。 強い視線が俺を射抜く。 「達哉、月に来て欲しいの」 「そして、私を側で支えて」 「よしっ」 「リース、どうすればいい?」 「外に出る」 「外に出ろと言うのっ!?」 「そう」 「分かった、それでどうするんだ?」 「入り口の反対側に階段がある」 「それが射出区域に繋がっている」 「射出区域にカプセルがあるから、それに入って」 「それだけでいいのか」 「あとは遠隔操作でワタシがやる」 「遠隔操作ができるのね」 「再起動をかけたからできるはず」 「話は後だ」 「俺は先に月で待ってる」 「フィーナは後で……」 走り出そうとする俺の腕をフィーナが握った。 「私も行くわ」 「何言ってんだっ」 「フィーナは大使館の連絡港から来い」 だが、フィーナは動じない。 「達哉、貴方が私と離れることを選べなかったように……」 「私も貴方と離れることは選べないわ」 フィーナは、一瞬たりとも俺の瞳から目を離さない。 ……。 …………。 「分かった」 フィーナの手を強く握る。 「行きましょう」 フィーナの声と同時に走り出す。 ……。 「外に出たら、右回りで後ろに回るぞっ」 「絶対に止まるなっ」 「了解よっ」 ドアが衝撃で揺れている。 破られるのも時間の問題だ。 ……。 俺はフィーナに頷く。 フィーナも目で頷いた。 ドアが開く。 蹴る対象を失った黒服が、一瞬よろめいた。 「うあああぁぁぁっ!」 「くっ!」 ……。 フィーナの、ドレスにヒールという装備が災いした。 思ったより速く走れない。 「待てっ!」 一瞬は遠ざかった黒服の声が、あっという間に近づく。 ……。 くそっこんなところで……。 「ぐあ!」 背後で、男のくぐもった声が聞こえた。 何だ?何が起こったんだ?「カレンっ」 「ここはお任せ下さい」 「どうしてここにっ!?」 「誰にも気づかれず船に乗る者がいるなら、その逆もいるということです」 「さあっ」 「がっ!」 カレンさんに襲い掛かった黒服が、壁にぶつかったかのように倒れる。 太刀筋が全く見えない。 「達哉っ」 「ああっ」 ……。 「はあぁぁぁっ!」 男達の咆哮とカレンさんの気合が交錯した。 ………。 裏手にあった階段を駆け上がる。 ……。 …………。 階段を上り、広々としたフロアに入る。 何も考えず手近なカプセルに飛び込んだ。 「ハッチを閉めて」 「すぐに動く」 「フィーナ、怖くないか?」 「大丈夫」 ……。 「私には、あなたがいるわ」 俺の、初めての月への旅は……あっという間に、あっけないくらい簡単に、終わってしまった。 酸素入りの気体が充満した暗い地下道に、三つの靴音が響き、重なり合う。 どのくらい歩いたのか、もう覚えていない。 月面に剥き出しの施設に着陸した俺たち。 リースの話では、間もなく居住エリアに到着するということだけど……。 ……。 …………。 急勾配の坂を登りきると、視界が開けた。 「月へようこそ、達哉」 「ようこそ」 溢れる光。 かすかな風。 空を覆う漆黒の宇宙。 街を歩く人の楽しそうな声。 空の色と人々の服装を除けば、地球とさして変わらない空間だった。 看板の文字も読むことができるし…… 今すぐ、ここで生活を始められそうな気さえする。 ……。 「正直な感想を言っていいか?」 「どうぞ」 ……。 「あんまり地球と変わらないな」 「ふふふっ」 おかしそうにフィーナが笑った。 「だから、私が地球に留学しても生活していけるのよ」 「差が大きければ、カルチャーショックで寝込んでしまうわ」 「月は地球を真似て作られている」 「初期入植者の目標は、第二の地球を作ることだったから」 「なるほど」 月を作ったのは地球人なのだ。 戦争による文明退行で進歩の形は変わったとしても、元が一緒だから共通部分は多い。 「大きな違いと言えば、昼と夜のサイクルかしら」 「月では、昼と夜が半月ずつ繰り返すわ」 「15日間はずっと昼、残りはずっと夜という風にね」 月と太陽の位置関係を考えれば、そういうことになる。 「いわばここは、人工の地球だわ」 「地球に当然あるものが、ここには何も無かった」 「だから作り出したのね」 「……」 地球と自由に行き来することもままならない現状。 にもかかわらず、心は地球に置いたまま。 周囲の景色に、急に寂しげな影が差して見えた。 ……。 「ワタシ、帰る」 「お城には来てくれないのかしら?」 「ワタシでは国王を説得できない」 「あとは二人の仕事」 「また会えるんだろ?」 リースが無言で頷く。 「約束した」 「ああ」 俺はリースの頭を撫でる。 「いろいろありがとう」 「リースがいなかったら、絶対にここまで来れなかった」 「ありがとう」 「これからもよろしく」 フィーナもリースの頭を撫でる。 リースは、少し嬉しそうに目を細めた。 ……。 …………。 リースがじっと俺たちを見る。 「……頑張って」 精一杯の笑顔を浮かべ、リースが言った。 「ふふふ、ありがとう」 「きっと国王を説得してみせる」 「うん」 わずかに柔らかな雰囲気で、リースが頷く。 そして、地球にいた時と同じように、ふいっと姿を消した。 ……。 「リース、少しずつ懐いてきたな」 「ええ、この調子なら、もうすぐ仲良くなれそうね」 フィーナはまるで姉さんのような表情で笑った。 「さて、私たちは成すべきことをしましょう」 フィーナが明るい声で言う。 「遊びに来たわけじゃないしな」 フィーナが、遠くに聳える大きな建物を見た。 その瞳には気迫が漲っていた。 ……。 しばらくして、俺たちは大きな建物の入り口に到着する。 大使館と似た建築様式の巨大な建造物。 城門は、大使館の門を更にふた周りは大きくしたほどの規模がある。 その威容に、飲まれそうになる。 ……。 フィーナが足を止め、俺を見つめた。 「達哉、行くわよ」 フィーナの整った眉が引き締まる。 「ああ、いつでもいいぞ」 フィーナがかすかに笑い、城に向けて歩き出した。 ……。 俺たちの姿を見た衛兵が、銃剣を手に進路をふさぐ。 「許可無き者は、ここより立ち入ることが禁じられている」 毅然とした口調で警告された。 「私の顔を見忘れたかしら?」 「……っ」 「フィーナ様っ、失礼致しましたっ」 門番が道を開け、直立不動の姿勢を取る。 「ご苦労様」 「さあ、達哉」 フィーナはためらわず進んでいく。 ……。 屋根がある場所に入った。 「お帰りなさいませ」 「お帰りなさいませ」 「お帰りなさいませ」 「お帰りなさいませ」 すれ違うメイドたちが次々と頭を下げる。 フィーナは軽く微笑むだけで、歩く足を止めない。 まごうことなき、お姫様の姿だった。 ……。 メイドの次は年配の男性たち。 恐らく貴族と呼ばれる人たちだろう。 彼らは一様に驚いた表情を浮かべてから、深く頭を下げる。 そして例外なく、俺を怪訝な目で見た。 彼らがセフィリアさんを失脚に追いやったのかと考えると、体が熱くなる。 ……。 …………。 周囲に荘厳な空気が満ち始める。 国王がいる場所に近づいていることが直感できた。 ……。 「これはフィーナ様、突然のお帰り、何事ですか?」 豪奢な服をまとった壮年の男が、親しげにフィーナに話し掛けてきた。 「所用があり、急ぎ戻りました」 「父様はどちらにいらっしゃいますか?」 「謁見の間にて、会議をされていらっしゃいます」 「主な者は集まっているのね」 「御意」 フィーナが俺に向かって頷く。 「こちらは?」 「私のパートナーよ」 「は?」 貴族が硬直した。 「行きましょう」 「ああ」 ぼんやりした顔で俺を見る貴族を置いて、歩を進める。 ……。 眼前に一際大きな扉が立ちふさがった。 扉には、引き締まった印象の彫刻が施されている。 フィーナが足を止め、俺の顔を見る。 覇気に満ちた、美しい表情だった。 「達哉、お願いがあるの」 「どうした?」 「何があっても私から離れないで」 フィーナが俺の手を取る。 「当たり前さ」 自分ができる最上の笑顔を作る。 フィーナも目を細めて応えた。 ……。 「行くわよ」 部屋にいた、全員の視線がフィーナに注がれた。 わずかに間があり、一人を除いて、ことごとくが深く頭を下げた。 正面奥に座した男性だけが、フィーナに頭を下げなかった。 あれが国王だろう。 ……。 頭には宝冠を載せ、体には緩やかな衣装をまとっている。 老年に差し掛かったシワの深い貌は、思慮深さを窺わせた。 彼の鋭い視線が、微動だにせずフィーナを見つめている。 ……。 「フィーナ・ファム・アーシュライト、ただいま戻りました」 「会議中だ」 穏やかだが強い存在感を持った声が、広間に朗々と響く。 声の圧力に負けまいと、フィーナが胸を張る。 「ぜひ、この場でお聞き頂きたく」 「その青年は?」 「私のパートナー、朝霧達哉です」 波紋のようにざわめきが広がる。 その中で国王は俺を見つめた。 視線は、雑音をものともせず俺に突き刺さる。 ……。 俺は大きく息を吸う。 「フィーナのパートナー、朝霧達哉です」 貴族たちには、やはり話が通っていなかったようだ。 いぶかしげな視線が俺に投げかけられる。 フィーナと同じように胸を張った。 「静まれ」 水を打ったように、静寂が訪れる。 ……。 「用件は?」 「母様が政治力を失われた原因についてです」 国王の表情が更に引き締まった。 喧騒が巻き起こる。 「静まれっ」 ……。 …………。 「聞こう」 国王の言葉を受け、フィーナが広間の中央まで進み出る。 俺も横について進んだ。 ……。 「母様が政治力を失われた原因は、地球での遺跡調査にあったと聞いています」 単刀直入にフィーナが切り出す。 「正確には、遺跡調査の目的が月の平和を乱すものであったからだ」 「兵器を探していた、ということですね」 国王は静かに頷いた。 「私は達哉と地球の遺跡調査を行いました」 「母様が探していたのは、兵器ではないと考えたからです」 「……結果はどうであった?」 「兵器ではありませんでした」 国王の眉がピクリと動く。 再び喧騒が巻き起こる。 ……。 …………。 「静まれっ」 「その方ら、いちいち騒ぎ立てるな」 「まずはフィーナの話を聞け」 国王の言葉に、群臣が姿勢を正す。 ……。 「兵器ではなく、何だと言うのだ?」 「戦争以前に使われていた移動装置です」 「……人を移動させるものか?」 「人と、大量の物資です」 「私と達哉も、その装置で月に来ました」 国王の目が見開かれる。 「後でお調べになれば明らかになるかと思いますが……」 「今日、月に入った船はありません」 「父様の指示で動いていた者たちも、私が移動装置を用いたことを証明してくれると思います」 これは動かしようの無い事実。 だが、遺跡は移動装置であると同時に兵器だ。 これを口にすれば不利になる。 「では、セフィリアが兵器を探そうとしていたのは、事実無根だと言うのだな?」 国王の表情がわずかに緩む。 それはそうだ。 自分が涙を飲んで失脚させた妻の無実が、今証明されようとしているのだから。 ……。 「一面においてはそうです」 「何?」 「フィーナ?」 「達哉、私は隠し事をしようとは思っていないわ」 「本気で立ち向かうとは、そういうことでしょう?」 「……そう」 「その通りだ」 フィーナの瞳は情熱に燃えていた。 ……。 「正直に申し上げます」 「移動装置は、かつての戦争で月に甚大な被害を及ぼした兵器です」 再び喧騒が巻き起こる。 流石に、衝撃が大きかったようだ。 ……。 …………。 「静まれっ」 それでも、完全に静かにはならない。 「詳しく説明せよ」 「移動装置は、重力制御技術を使用して物体を打ち出すものです」 「月と地球には対になる装置があり、片方が射出したものを、もう片方が安全に受け止めます」 「戦争では、対になる遺跡ではなく、街を目標に物体が打ち出されました」 「その結果、文明が後退するほどの被害が双方に出たのは周知の事実」 フィーナが言葉を切る。 いつの間にか広間は静寂に包まれていた。 ……。 「移動装置が兵器として使用できるのは間違いありません」 「……だからと言って、母様が兵器を探していたとするのは乱暴です」 「別の意図があったとしか思えません」 フィーナが群臣に目を遣る。 フィーナの目を直視できる人はいなかった。 「母様は兵器を探すためでなく、移動装置を探すために遺跡調査をしていたのです」 「それは、地球との友好的交流を望んでいた母様のお人柄からも明らかです」 「以上を踏まえて、私は、母様の名誉が回復されることを希望します」 「……ふむ」 国王が頷く。 「誰か、反論がある者はいるか」 「国家の大事ゆえ、遠慮せず申すが良い」 ……。 …………。 前に進み出るものはいなかった。 「結論が出たな」 「セフィリアが探していたのは移動装置、決して兵器などではない」 「よって、セフィリアの名誉を回復することとする」 国王が、芯の通った声で宣言した。 ……。 「達哉、ありがとう」 フィーナが俺に微笑みかけてくれる。 「本当にありがとう」 フィーナの目には、薄っすらと涙が溜まっていた。 ……。 「セフィリアにはすまないことをした」 国王も、セフィリアさんが兵器を探していたとは思っていなかったはずだ。 だが、遺跡が何なのかが分かっていない状態では、疑惑を打ち消すことができなかった。 そのうち、貴族たちの間に疑惑が浸透し、取り返しのつかないところまで行ってしまったのだろう。 ……。 「さて、話は以上か?」 「いえ、もう一点あります」 「今回、私が使用した移動装置の存在を地球連邦政府に通達し……」 「一般人にも開放された王立の連絡港を開くことを提案します」 広間が驚愕に包まれた。 国王までもが、目を見開いた。 わずかに遅れて── 広間は大騒ぎになった。 隣と口論するもの、 フィーナに対して声高にまくし立てるもの、 それぞれが騒音を撒き散らす。 国王と、国王に最も近いところにいる二人の貴族だけが、状況を静観していた。 国王への距離や立派な風采から見て、大臣とか、身分の高い人たちだろう。 ……。 …………。 耐えかねたように国王が立ち上がる。 「静かにせぬかっ」 「地球との関係は、月の政治を司る以上、避けては通れぬ問題だ」 「常に各々が考え、答えを持っているべきであろう」 「それを子供のように浮き足立つとは何事か」 国王の一喝で、声がぴたりと止んだ。 そんなところまで、親に怒られた子供のようだ。 ……。 「フィーナ様に申し上げたいことがございます」 向かって右の大臣が口を開く。 「何なりと」 「地球とはかつて戦争をした関係」 「戦争では文明が巻き戻るほどの被害が生まれ、月、地球共に相手を憎むものも多いかと存じます」 「大規模に交流を開始すれば、こちらに恨みを持つ地球人が月に入り、混乱が起こること必至」 「再び戦争を引き起こすことになりかねません」 「交流は現在の小規模なものに留めるのが妥当かと存じます」 穏やかな物腰で言う。 大半の貴族が彼の意見に同意して頷く。 「フィーナ」 国王がフィーナを見る。 「今回の留学を経て、地球に興味を示すのもよく分かる」 「だが、いずれは国を率いていく者として、目先の利益に縛られてはならぬ」 「平和を壊すのは簡単だが、作り上げるのは難しい」 「もっと大きな視野で考えよ」 国王が諭すように言う。 「私は、目先の利益に囚われているのではありません」 「月の将来と平和を見据えた上で言っているのです」 「私には理解致しかねます」 「貴方は、地球と交流を深めることが戦争を生むと言いましたね」 「それは、この場にいる者の多くがそのように考えていると理解して良いでしょうか」 国王を含め、居並ぶ貴族たちがそれぞれに頷いた。 ……。 「私は、全く逆のことを考えています」 「地球との積極的な交流こそが、戦争を防ぐのです」 「なぜそう思うのか」 「戦争は月と地球、どちらか一方の意思で始めることができます」 「月にその気がなくとも、地球から戦争を始めることもあれば、その逆もあります」 「交流が深まり、月にも地球にも様々な意見を持った人が増えれば……」 「極端な意見に国内が偏る可能性が減ります」 「それは、戦争を防ぐことに繋がるはずです」 これは、リースを説得する時にフィーナが言っていたことだ。 「しかし、様々な意見が入り乱れれば、争いが増えましょう」 さっきの大臣の向かい側に立っていた貴族が口を開く。 「ですが、いくつもの小さな争いを経ることで、地球に対する理解が深まります」 「そうすれば、相手の不満のサインに早く気づくことができ……」 「大きな争いを未然に防ぐことができます」 ……。 いくつもの争いを経て、相手への理解を深める。 これはフィーナと俺の関係の中で経験してきたことだ。 このことは、人でも国でも同じことだと思う。 貴族たちの意見は、相手と仲違いをしたくないから対話をしないと言っているのと同じだ。 2度と会わない相手ならそれでもいいかもしれないが、あいにく月は地球の衛星。 地球から離れることはできない。 それでは、いつかケンカになることは免れない。 ……。 「私も意見を言っていいですか?」 貴族たちの疑わしげな目が俺に集中する。 突然現れて、フィーナの伴侶を名乗っているのだから仕方がない。 「聞こう」 「ありがとうございます」 「地球に住む、私の知り合いは月のことをあまり知りません」 「月と接点を持たない人は、月や月人に少し恐怖感を持っています」 広間が少し騒がしくなる。 いきなり月に対して否定的なことを言ったのだから当たり前だ。 「例えば、フィーナが……」 「その方、姫を呼び捨てにするとは何事かっ」 「あ……」 ついいつもの調子で名前を呼んでしまった。 ……。 「良いのよ、私が許可します」 「続けて、達哉」 「ああ」 「例えば、フィーナが留学に来た学院の学生は……」 「月の重力が、地球と同じに調整されていることも知りませんでした」 「水が貴重で、水と同じ重さの銀と交換されていると考えている人もいます」 ……。 貴族たちが、そんな馬鹿なといった表情で苦笑する。 「これが実情です」 「知らないものに恐怖を感じるのは自然なことです」 「交流が盛んになり、月への知識や関心が深まれば、無駄な恐怖感を取り除くことができます」 「それは、争いを避けることにならないでしょうか」 貴族たちは、俺の意見に耳を傾けてくれた。 少しはフィーナに助力できただろうか。 ……。 「しかし、国力の面で月は地球に劣ります」 「地球は生命力に溢れた星です」 「交流を持ったとしても、いつ何時、地球が傍若無人な振る舞いに出るか分かりません」 「貴方の言うことも分かります」 「でも、私たちは地球の側から離れることができないわ」 「人に置き換えて考えてみてはどうかしら?」 「とても強い者が側にいるとします」 「その人と争いになるのを避けるには」 「相手を倒すか、従属するか、友人になるしかないと思うわ」 「月が地球を倒せる日が来ると思う?」 「そ、それは……」 「従属する気があるのかしら?」 「ございません」 「では、友人になるしか争いを避ける方法は無いわ」 「……」 フィーナの明確な論理の前に、二人の大臣が口をつぐんだ。 ……。 「なるほど」 国王が重々しく頷く。 「よくぞ、ここまで立派な意見を持つようになってくれたものだ」 「ありがとうございます」 フィーナが国王に微笑む。 国王が俺たちの意見に理解を示してくれている。 これなら、いけるかもしれない。 ……。 「だがな、フィーナ」 「私の言葉も聞かず、わがままを尽くしたお前の意見に、説得力があると思うか?」 「父様……?」 「口ではいくらでも優れた意見を言うことができよう」 「だが、そこに態度が伴わねば、誰もお前についてくることはない」 「規則を守らぬ者が、規則についていくら立派な意見を述べても理解はされまい」 「ましてや、今話していることは国家の大事」 「多くの民の命運が懸かっているのだ」 ……。 確かに俺たちはわがままを尽くしてきた。 この点を責められると、立場が悪くなる。 ……。 「セフィリアの件については、感謝している」 「だが、お前の行動がどれだけ危険なものかは分かっていたはずだ」 「にもかかわらず、自身の判断のみを頼りに事を進める強引さ……」 「王に必要なことの第一は、臣下の声に耳を傾けることだ」 「それができぬお前に、誰がついてくる?」 「……」 フィーナが国王を見据える。 「誰に理解されずとも、貫き通さねばならないものがあります」 「私がもし遺跡調査を諦めていれば、母様の名誉は今も汚されたままでした」 「それに私は、自分の判断のみに頼っていたわけではありません」 と、フィーナが床に置いてあったバッグから例の宝石を取り出す。 ……。 「それは……セフィリアの形見……」 「はい、母様が亡くなられる前に頂いたものです」 「この宝石がどんなものかご存知ですか?」 「ただの宝石ではないのか?」 ……。 国王は宝石の意味を知らなかった。 これで、セフィリアさんが、フィーナだけに遺志を託したことが明らかになった。 「私は、この宝石に導かれて遺跡調査を行ったのです」 「どういうことだ?」 国王が怪訝そうな表情をする。 「この宝石は、遺跡に近づくと光を放ちます」 「何?」 国王が驚いた表情を見せる。 彼はフィーナが遺跡に関心を抱かないよう、セフィリアさんが失脚した理由を秘密にした。 しかし、セフィリアさんは遺跡の鍵をフィーナに託していたのだ。 それも、国王には一言も告げずに。 「母様から政治力を奪ったのは遺跡調査です」 「だから、母様は遺跡について何も仰られなかった」 「にもかかわらず、遺跡に関わるものを形見とされたのです」 「今思えばこれは、己の意思と力で遺跡の謎を解明せよとの、母様のご遺言であったのだと思います」 彼らの注目を一心に集めるフィーナ。 負の感情が込められた視線も少なくない。 だが彼女はひるまず、胸を張って立っている。 その姿は、とても美しく見えた。 「母様の遺跡調査は周囲に理解されませんでした」 「それでも母様は、ご自身の意思を貫き通し、私に宝石を託されました」 「そして私は、母様の無実を信じて遺跡調査を続けました」 「そこで初めて、母様の名誉が回復されたのです」 「……周囲の意見に耳を傾けることは、もちろん大切です」 「ですが、自分の中にある譲れないものまで、周囲に任せてしまっては……」 「真実を見失うこともあります」 広間に、フィーナの透き通った声が響き渡っていく。 彼女の体は凛とした空気に包まれ、その一挙手一投足から目が離せない。 これこそが、俺が見たかったフィーナの姿だ。 「父様は、母様が公式に罪を問われる前に、母様を政治の舞台から引かせ……」 「私に国の未来を残して下さいました」 「父様が私に、母様が謹慎させられた理由をお教え下さらなかったのも……」 「私が遺跡に興味を持たないよう、ご配慮下さったものと思っております」 国王が頷く。 「父様が、私に降りかかる危険を未然に防ぎ続けて下されば……」 「私は自分の考えを持たずとも、身を誤る事は無いでしょう」 フィーナは、そこで一度言葉を切る。 「ですが……それでは私は自らの力で進む力が無くなります」 「そうなれば私は、父様が託して下さったこの国を台無しにしてしまうでしょう」 ……。 …………。 「どうか父様、私から考える機会を奪わないで下さい」 濃緑の瞳が国王を見つめた。 その視線の強さは、広間に入った時に見た国王のものを上回っていたかもしれない。 国王が奥歯を噛み締める。 ……。 「一堂の者、聞いて欲しい」 フィーナが周囲の貴族を見回す。 威厳ある姿に、誰一人として彼女を見ていない者はいなかった。 この場にいる全員がフィーナの言葉を待っている。 「私は、地球と積極的な交流を図りたいのです」 「それは、相互理解こそが戦争を無くすものと信じているからです」 「確かに相手を拒むことで得られる平和もあります」 「けれど、閉じた平穏は長くは続きません」 「そなた達も分かっているはずです」 「閉じた平穏を選択してきたのは、地球への無知、そして無知ゆえの恐怖からだと」 フィーナが貴族たちの顔を順番に見ていく。 異を唱えるものはいない。 皆、黙ってフィーナの言葉を聞いている。 「父様と母様は、私に素晴らしいものを託してくれました」 「父様からはこの国の未来」 「そして、母様からは移動装置」 「お二人の想いを無駄にしたくはありません」 「母様の残された移動装置で、地球と積極的交流を促しましょう」 「そして、月を、月を輝かしい未来へと導くのですっ」 フィーナが朗々と謳い上げた。 広間の隅々にまで響き渡る声。 聞く者に勇気を与えてくれる声。 この人なら、成し遂げてしまうのでは、と思わせてくれる声。 ……。 その残響も消えぬ間に── 「私は姫のご意見に賛同します」 臣下の一人から声が上がった。 それは瞬く間に周囲へ伝播し── 広間を揺るがさんばかりの熱気を生んだ。 今まで反論していた貴族たちが視線を伏せる。 さすがに、この状況では諦めるしかないようだ。 ……。 高々と拳を掲げ、己の意思を示す者、 満面の笑顔で拍手をする者、 隣と肩を叩き合う者、 それぞれのやり方で、未来への熱意を表現している。 そんな人たちの中にあっても、フィーナの存在は決して埋没しない。 彼女の周囲だけが、まばゆく輝いている── そんな錯覚を覚えるほど、フィーナの存在感は圧倒的だった。 深緑の瞳は情熱に燃え、 艶やかな銀髪は、まるで意思を持っているかのように美しく舞う。 彼女の全てが、期待と情熱を分けてくれる。 ……。 フィーナは、今まさに月の先頭に立っている。 臣下が、彼女の理想に共感し、輝かしい未来を確信している。 ……。 フィーナ・ファム・アーシュライト。 彼女が、姫から女王へと生まれ変わった瞬間だった。 ……。 この瞬間を目の当たりにできたこと── パートナーとして、こんなに嬉しいことはない。 ……。 …………。 フィーナが、ゆっくりと国王へ近づいてく。 ……。 「父様……これを」 フィーナが、あろうことか、セフィリアさんの形見を国王に手渡した。 「どうしろと言うのだ」 「群臣の指揮を執るのは、国王である父様であるべきです」 「全てが、私の我がままであることは事実なのですから」 晴れやかな表情でフィーナが言う。 国王はそんなフィーナをじっと見つめた。 ……。 …………。 やがて国王の表情が穏やかになる。 「まったく……」 「一人で話を進めてしまうあたりは、セフィリア譲りだ」 国王がゆっくりと玉座から立ち上がる。 ……。 「今後、我らは地球との積極的交流を推進していく」 「異存は無いな」 再び、臣下たちが声を上げる。 「我々の前には、多くの困難が待ち受けているだろう」 「だが、ここにいるフィーナのように、強い意志をもって前進を続ければ……」 「スフィア王国の未来は、必ずや光に満ちたものとなろう」 「各自、早急に職務へと戻り、交流に向けての具体案を作成せよ」 ……。 国王の言葉を受け、臣下たちが広間を退出していく。 多くの人が、未来への希望に表情を輝かせていた。 ……。 「フィーナ……余は謝らなくてはいかんな」 全ての臣下が退出した後、国王は口を開いた。 「小さな物事に目を奪われていたのは、他ならぬ余だったのかもしれん」 「いいえ、私は父様に感謝しております」 「母様に疑いが掛かった時、父様が違う判断をされていたのなら……」 「私は姫ですらなかったかもしれません」 国王が目を伏せる。 「そうか……そう言ってくれるか……」 一時は、口論に近い状態にまでなったフィーナと国王。 だが、フィーナは国王の気持ちを理解した上で、彼に歯向かっていたのだ。 「よくぞ、ここまで成長してくれた」 国王がフィーナの手を取る。 フィーナが優しく微笑む。 それは、親に守られるだけの少女の表情ではない。 父親の気持ちを慮り、父親と一人の人として向き合う大人の姿だった。 ……。 「それに、私一人の功績ではありません」 「たくさんの人に支えられて初めて、今の私がいるのです」 「地球でお世話になった家族、鷹見沢家の方々、学院の友人、カレン……」 「そして、私のパートナー」 二人が俺を見る。 ……。 「彼がいなければ、私は絶対にここまで戦い続けることはできませんでした」 フィーナが俺に近づいてくる。 表情は安堵と喜びに満ちていた。 ……。 「フィーナ……よく頑張ったな」 「言ったでしょう……」 「達哉が側にいてくれたからよ」 フィーナが俺の手を取った。 ……。 「さあ、私たちのことを父様にご報告しましょう」 俺はフィーナの手に指を絡め、しっかりと握る。 フィーナも応えてくれる。 ……。 晴れがましい気分だった。 群臣の先頭にあって、華やかな光を放っていたフィーナが── こうしてまた、俺の手を握ってくれている。 彼女が変わっていなくて、少し安心した。 ……。 二人で、国王の前に進み出る。 国王は、穏やかな表情で俺たちを見ていた。 ……。 「国王陛下……」 「私たちの結婚を、許して頂けませんか?」 全てが終わり、俺には客室が与えられた。 ……昼間の興奮が体に残っているのだろう。 寝付けなかった俺は、広間の窓から月の街並を眺めていた。 ……。 「眠れないのかしら?」 背後からフィーナの声が聞こえた。 「フィーナ……」 振り返ると、穏やかな表情のフィーナが立っていた。 「まだ体が興奮してるみたいでさ」 「ふふふ、私もよ」 フィーナが隣に立ち、俺の胸に頭をコツンと預けた。 「今日は疲れただろ?」 「そうね」 「でも達成感の方が大きいわ」 「あれだけのことを成し遂げたんだからな」 ……。 セフィリアさんの名誉回復、 月の外交方針の変更、 そして、俺たちの婚姻。 ……。 国王は俺たちの関係を認めてくれた。 だが、すぐに結婚できるわけではないようだ。 国王が認めてくれたとは言っても、貴族たちにはまだ正式に話を通していない。 継承問題も絡むため、一筋縄ではいかないらしい。 身分や実績が十分なら、話は比較的簡単らしいが、そのどちらも俺には欠けていた。 けれど国王は、俺たちが無事結ばれるよう、全力を尽くすと約束してくれた。 これからは貴族達を説得すべく、頑張って行かねばならないようだ。 本当に障害ばかり……。 でも、今の俺には、それすら光に満ちた未来に見えた。 俺には── フィーナがいるのだ。 彼女がいてくれれば、どんな障害も乗り越えることができる気がする。 ……。 「ようやく、ここまで来たのね」 「そうだな」 「でも、何だかあっという間だった気がする」 「そうね」 「全てが、つい先ほどのことのよう」 ……。 楽しかったこと、 嬉しかったこと、 緊張したこと、 辛かったこと、 悲しかったこと── それら全てをひとまとめにして、今は楽しかったと思える。 全ての経験が、俺の一部となり、体に流れているのを感じることができる。 ……。 「フィーナ……」 「どうしたの?」 フィーナが俺から体を離す。 「ありがとう、俺といてくれて」 フィーナの目が一瞬丸くなる。 しかしすぐに、満足げに細められた。 「フィーナがいてくれなかったら、俺はここまで頑張れなかったと思う」 「それはお互い様」 「それに、達哉の側にいてあげたことは一度も無いわ」 フィーナが俺の首に腕を回す。 「私は、一緒にいたい人の側にいただけだわ」 「実は俺もだ」 「ふふふ、これからもよろしく」 「私は、貴方がいないと困るわ」 「とても……とても困るわ」 ……。 フィーナの唇が近づき…… ……。 重なった。 ……。 鼻腔をくすぐる花の香り、 顔にかかる息、 しっとりと冷たい髪、 豊かな胸と体の柔らかさ、 1秒ごとに俺の頭は霞み── ただ、彼女とは離れることができないという実感だけが体に刻み込まれる。 ……。 「達哉」 唇を離したフィーナが、さっき俺が街を見た窓とは別の窓を指す。 「ん?」 促されて窓の外を見る。 ……。 真っ黒な宇宙から滲み出すように、地球が浮かんでいた。 その大きさは、地球からしか宇宙を見たことが無い俺にとって衝撃だった。 濃紺の球の上を、白い筋が幾重にも取り囲み、吸い込まれるような輝きを放っている。 その悠然とした存在感に、俺は息を呑んだ。 「……あれが、地球……」 俺も、家族も…… みんなが生まれ、育った星。 「……そうよ」 「月人は、ずっと地球を見て育つの」 「……あんなに美しい色は、月には無いわ」 フィーナが目を細めて地球を見る。 ……。 「あの日の空と似ているな」 初めてフィーナと体を重ねた日。 二人でベッドの中から見た、夜明け前の空を思い出した。 「達哉の部屋から見た空ね」 フィーナが優しい視線で俺を見る。 ……。 「覚えてたんだ」 「当たり前です、忘れるわけが無いでしょう?」 フィーナが、かすかに頬を染めて笑う。 「本当に綺麗だったよな」 「……ええ」 あれから、俺たちの関係はずいぶん変わった。 フィーナとの関係がカレンさんに認められたことが、ただ嬉しかったあの頃。 でも今は違う。 何度かのケンカを乗り越えて、俺達はより深く繋がり── これからを共に生きていく、パートナーにまでなった。 ……。 フィーナが窓の外に目を戻す。 「けれど、達哉……」 「……ん?」 地球を見つめるフィーナの目が、穏やかに細められた。 ……。 「今の地球は、あの日の空よりも瑠璃色に輝いている気がするわ」 俺たちが朝霧家に戻ったのは、それから2日後だった。 リースが見つからなかったため、帰り道は往還船での旅路。 約7時間の、胸躍る帰途だった。 「ただいま」 「ただ今、戻りました」 パタパタパタッみんながリビングから飛び出てくる。 「お兄ーーちゃんっ、どこ行ってたのよっ」 「ちょっとフィーナの実家に」 「それって……月っ!?」 「ともかく、無事で本当に良かったです」 「良かったです……ううぅ……ぐすっ」 「ごめんなさい、心配かけたわね」 「お帰りなさい、達哉くん、フィーナ様」 「必ず帰ってきてくれると信じていたわ」 姉さんが柔らかい笑顔を浮かべる。 「ごめん、心配かけて」 「いいのよ、無事な姿を見られれば、それで」 涙ぐむ姉さんの後ろ。 リビングの影からこっちを見ている人がいた。 ……。 「誰かいるの」 「ええ」 「二人とも、こっちへ来たら?」 ……。 …………。 「……お帰りなさいませ、フィーナ様、達哉さん」 咳払いと共にカレンさんが現れた。 「カレン、貴女どうしてここに……」 「月へ帰りづらい状況になってしまいましたので、さやかの厚意に甘えておりました」 そう言えば、物見の丘公園で俺たちを逃がしてくれたのはカレンさんだった。 「あの時は、お世話になりました」 「お陰さまで、無事月へたどり着くことができたわ」 「礼などいいのです」 「好きなようにさせて頂いただけですから」 カレンさんがかすかに笑う。 ……。 そんなカレンさんの後ろから現れたのは……。 「お帰り」 小さな女の子だった。 「リース……」 「また、密航してきたのか?」 「違う、正規ルート」 「軌道重力トランスポーターで来た」 正規なのか?「どうしてこっちに?」 ……。 …………。 「月のご飯、美味しくない」 すぐに、鷹見沢家に姉さんが走った。 久し振りに飲む我が家のお茶は、やはり美味しく、体に染み渡るようだった。 ばたんっダダダダッ「達哉っ!」 「よう、菜月」 「ただいま」 「心配をかけてごめんなさい」 「ほんっとにもう、心配ばかりかけるんだからぁ……」 「達哉君、フィーナちゃん、無事で何よりだよ」 「フィーナの実家に行ったんだってな」 「どうだ、男らしく勝負してきたか?」 「ええ、何とか」 「そいつは何よりだ」 おやっさんが満面の笑みを浮かべた。 「明日は、帰還祝いのパーティーやるからね」 「二人には、体のラインが変わるまで飲んで食べてもらうから、覚悟するのよ」 「ありがとう」 「でも、ラインが変わるのは怖いわね」 「達哉に嫌われてしまうわ」 フィーナが冗談めかして言う。 「そ、そんなこと無いって」 「嫌いになったりはしないさ」 「ふふふ、どうかしら」 ……。 「……お兄ちゃん、月で何してきたのかな?」 「釈然としないわね」 「心配して損したかも」 「身も細る思いをしてお待ちしていたというのに」 「……好きじゃない」 みんなの視線が鋭くなる。 もちろん、本気で怒っているわけではない。 「困ったわね、ふふふ」 楽しそうにフィーナが言う。 「あ、ああ……」 みんなの恨めしげな視線に晒されながらも──自分の家に帰ってきたことを実感していた。 ……。 夜逃げみたいに家を出た俺たちを、こんな風に温かく迎えてくれる家族。 これから先、どんな困難にぶつかり、傷ついても──俺には帰る場所がある。 そう思うだけで、勇気が湧いてくるのを感じた。 ……。 フィーナだけじゃない。 俺は、たくさんの人に支えられて生きている。 一人ひとりが、その人にしかできないやり方で助けてくれる。 フィーナと同様、一人ひとりが、かけがえの無い人だ。 だから俺も、俺にしかできないやり方で、みんなを支えていけたらと思う。 家族や鷹見沢のみんなが住む地球をどうしていくのか。 そして、フィーナが住む月をどうしていくのか。 そんな、フィーナが来る前には絶対に考えなかったようなことを──真剣に考えていかねばならない。 ……。 難しいことだけど、悲観はしていない。 俺とフィーナは、星を越えたカップルなのだ。 お互いに納得が行く社会を目指していけば、みんなが納得できる世界ができる。 そう信じている。 ……。 「達哉、準備は良いかしら?」 「準備OK」 「でも、流石に緊張するな」 「全世界に放送されるらしいわよ」 「緊張をあおるなって」 「ふふふ」 「では、本番で失敗しないよう、キスの予行練習でもしておきましょうか?」 「それは失敗しないと思うけど……」 フィーナの肩に手を置き、ゆっくりと唇を重ねる。 ……。 …………。 「もう少し、情熱的な方が良いかしら?」 顔を離してフィーナが言う。 「知らないって、なるようになるさ」 「まあ、恥ずかしがって……ふふ」 フィーナが笑う。 ……。 7月23日。 スフィア王国第一王女──フィーナ・ファム・アーシュライトの結婚式が執り行われることとなった。 式の模様は、両星・全世界に同時中継。 参列者は両国首脳、高官、など1000名を越すという。 だが、一番前の席に座っているのは、フィーナの家族と、朝霧、鷹見沢家の面々だ。 出席者が出席者だけに、席次については大いにもめたが、俺とフィーナがゴリ押ししたのだ。 「彼らより、一番前に座るのにふさわしい人はいないわ」 とはフィーナの弁だ。 ……。 初めてキスをした日から、8年後。 俺たちはようやく、多くの人に祝福される日を迎えた。 今思えば、全ての出来事が懐かしい。 辛いこと、悲しいこと、たくさんあったけど、それらは全て、今日の喜びのためのスパイスだったと思える。 ……。 「お時間です」 「分かったわ」 フィーナが腕を絡めてくる。 「私はいつでも行けるわよ」 フィーナが俺を見て微笑む。 「それじゃ、行こうか」 俺は前を向き、姿勢を正した。 ……。 さあ、進もう。 俺たちと、月と地球の輝かしい未来に向かって。 建物が揺れたかと思えるほどの拍手が、俺たちを包んだ。 無数の笑顔、無数のフラッシュ、無数のテレビカメラ、全てが俺たちに向けられている。 ……。 俺たちは高々と手をあげ、群集の拍手に応えた。 一段と拍手が大きくなる。 最前席では、家族が、晴れやかな表情で拍手をしていた。 姉さん、麻衣、ミア、菜月、仁さん、おやっさん、リースも出席してくれている。 もちろん、国王とカレンさんも。 「おめでとう、二人とも」 「お兄ちゃん、最高にカッコイイよ」 「お二人とも、素晴らしいお姿です」 「あーもー、すごいよ達哉ーーっ」 「いやあ、立派になるものだねえ」 「お前と違って、真面目に頑張ってたからなタツは」 「おめでとう」 フィーナと付き合い始めたその日から、誰よりも迷惑をかけ──誰よりも俺たちを支えてくれた家族。 彼らに最前列で祝ってもらえることが、何よりも嬉しい。 そして、目の前にいる人達だけではない。 セフィリアさんも、母さんも、親父も、きっと……きっと、俺たちを祝ってくれている。 ……。 お互いの両親が託してくれたものを引継ぎ、俺たちは、新しい月と地球の交流を始めることができた。 そして、これからは──次の世代へ、月と地球のよりよい関係を残すための人生が始まるのだ。 ……。 俺たちの前には、多くの困難があるだろう。 だが、負ける気などしない。 俺の傍には、いつでもフィーナがいてくれる。 ……。 フィーナがいつか俺に言ってくれた言葉──『私には、あなたがいるわ──』今は、同じ言葉をフィーナに返したい。 ……。 『俺には、フィーナがいる──』 「大変ですフィーナ様っ、陛下が……!」 「どうしたの?」 「出番が少ないのでスネてしまいました」 「現在、『もう仕事しない』との言葉を残して、ご自分の部屋に立てこもっております」 「ストライキってこと?」 「ありていに言えば、そうなりますか」 「一国の王がストライキとは……前代未聞です」 「でも、父様がストなんて」 「残念ですが、事実です」 「王がスト……」 「王がスト」 「提供は、オーガストでお送り致しました」 「姉さん、持っていく服は決まった?」 「うーん、なかなか絞りきれなくて……」 水曜の昼下がり。 今週末から、再び月に留学に行くことになった姉さんは、準備を進めていた。 クローゼットやタンスから引っ張りだした服が、ベッドの上に並んでいる。 「ある程度は、現地で買うことにしてもいいんじゃないの?」 「でも、あまり甘えるわけにもいかないわ」 「でもほら、現地に早く馴染むには、現地で買った服を着るのも重要でしょ」 「うーん」 「もう少しだけ、考えてみるわね」 姉さんはそう言ってまた悩み始めた。 ……。 …………。 フィーナとミアは、公務で出掛けている。 麻衣は部活。 そんな静かな家の中にいると……いやでも、フィーナとミア、それに姉さんがこの家を出て行った後のことを考えてしまった。 ……。 …………。 姉さんが……あと4日で月に行ってしまう。 この前は、笑って見送るよと言ったけど……実際にその日が迫ってくると、心が折れそうだった。 ……。 きっと、何年も姉さんは月に行ったままになるだろう。 せっかく心から分かり合い、互いを信頼できる関係になれたのに……その姉さんと離ればなれになるなんて。 ……。 いや、だめだ。 俺がこんなんじゃ、姉さんが安心して月に行けない。 笑って……姉さんを送り出さないと。 「……よしっ!」 自分に気合を入れ直す。 ……。 まだまだ時間が掛かりそうだったので、お茶でも持っていこう。 そう思って、キッチンへ来た。 すると……「たーつやくーん」 姉さんが、二階から俺を呼んでいる。 「どーかしたー?」 「いーものが見つかったのよー♪」 「おいでー」 ?お茶は後回しにして、とりあえず姉さんの部屋に行ってみることにする。 いいものが見つかった?なんのことだろう。 「ほら、見て見て」 姉さんが、ベッドの上に広げている服は……カテリナ学院の女子制服だった。 「これは……?」 「タンスの奥から出てきたの」 「私が、学院生だった頃に着てた制服よ」 「そっか……姉さん、学院のOGだったね」 「何年前だっけ?」 ……。 …………。 ……!気のせいか、部屋の気温が一瞬で何度か下がったような気が……「これ着てたのなんてほんの少し前なのに、懐かしいわね」 「は、はい……」 にっこり笑ってる姉さん。 少しだけ、緊張感が漂う部屋。 ……わ、話題を変えないと。 「えと、姉さんってさ」 「うちに来た頃から、結構背が高かったよね」 「ええ、そうだったわね」 「あのまま伸びてたら、きっと170センチを越えてたわね」 何とか……話題を変えられたかな。 「でも結局、学院に入った頃に身長は止まっちゃったわ」 「じゃあさ、もしかして……まだこの制服着れる?」 「そうね……」 「多分、着られるんじゃないかしら」 「じゃあ、着てみない?」 「久し振りに学生気分でさ」 「もう、あの頃は達哉くんも毎日見てたじゃない」 「いや、俺もなんか懐かしいなーって」 「そう?」 姉さんも、まんざらじゃないみたいだ。 「じゃあ……ちょっとだけ、袖を通してみようかしら」 「うんうん」 ……。 …………。 「あの、達哉くん……?」 「うん」 「着替えるのを……見ていられると、その……」 姉さんが、少し顔を赤くする。 「一緒にいられるのも、あと少しだし……」 「姉さんのこと、しっかり見ておきたいんだけど……だめかな」 「んもう、調子のいいこと言って」 姉さんが、一枚ずつ服を脱いでいく。 「……」 下着姿になった姉さん。 ……今度は、制服を身につけていった。 スカートに脚を通し、ブラウスのホックを留めていく。 最後に、胸元でスカーフを結び……「どう?」 「姉さん、やっぱり……似合ってるよ」 「ふふ……お世辞でも嬉しいわ」 「もしかしたら、まだ学院生で通じるかしら?」 スカートの裾をつまんだり、胸のスカーフを直したりする姉さん。 「ああ、十分行けるって」 「俺も制服着てみよっかな」 「いいわねー♪」 ……。 一度部屋に戻り、制服に着替えて……もう一度姉さんの部屋へ。 ……。 「こら、達哉くんっ」 「掃除さぼっちゃだめよ」 「……なんちゃって」 「やっぱり……クラスメイトより迫力があるかな?」 「先輩に怒られた気分」 「一応、私も学院の先輩よ?」 「さやか先輩かぁ……」 俺は、新鮮な感覚を楽しむように、何度か口に出してみる。 「姉さんと、一緒に学院に通ってみたかったなぁ」 「こら、無茶言わないの」 ……困ったような笑顔になる姉さん。 「あ……でも」 「でも?」 「学院の図書館って、かなり資料が揃ってるから……」 「時々、借りに行くことがあるのよ」 「その時で良かったら、一緒に学院に行けるわ」 「でも、姉さん……」 「……ええ」 「しばらく、博物館の仕事もお休みね」 「でも……待ってるからさ」 「何年でも、姉さんが帰ってくるのを」 「達哉くん……」 どちらからともなく、二人の間の距離が縮まる。 姉さんが瞼を閉じる。 俺も目を閉じ……姉さんに口づけた。 「姉さん、制服、本当に似合ってるよ」 「ありがと」 ……。 二人で、ベッドの端に腰掛ける。 「姉さん……」 制服の上から、姉さんの胸を揉む。 「あぁっ……」 「あっ……達哉……くん……っ」 「姉さんって、見た目より……胸大きいよね」 「や……だめ……」 「柔らかい……」 ふにふに「あっ、ああん……んんっ……」 制服の上からでも、姉さんの胸の膨らみは目立っていた。 それを、持ち上げたり、押しつぶしたりするように弄ぶ。 「達哉くん……っ、や、やめて……」 ……。 正直、姉さんにこんなにも制服が似合うとは……思っていなかった。 清楚で、包容力のある先輩といった感じ。 ……学院にいた頃から、姉さんは人気があったんじゃないだろうか。 「姉さん……?」 「な……なぁに、達哉くん」 「姉さんは……学院で、誰かと付き合ったり──」 「告白されたりってことは、無かった?」 「そうね……」 「無かったわ。 残念ながら」 「そ、そうなんだ……」 姉さんと最初にした時……確かに、姉さんは処女だった。 でも……もしかしたら。 学院に通ってた頃、体を重ねる関係まで行かなくても、付き合ってた奴がいたりしたら……「どうしたの?」 ……。 存在すらしない男に、嫉妬してしまった。 俺はバカか。 「……もしかして、制服の私に見とれちゃった?」 姉さんが、少し冗談めかして言う。 「やっぱり、俺も姉さんと一緒に学院に通いたかった」 「え……あっ、ああんっ」 俺は、再び姉さんの胸を揉む。 ……こんな素敵な先輩がいたら、俺なら放ってはおかない。 「あっ、ちょっ……と、強いわ……」 「ああんっ……あぁ……」 「姉さん……脱がすよ」 姉さんの制服のホックを外していくと。 ……中のブラジャーが露になった。 あれ、これって……?「今日は……フロントホックなの」 「あ……うん、そっか」 胸の谷間にある、ブラのホックを指で探り当てる。 そして……ぷちっと外した。 「ああ……っ」 すると、その下に押さえつけられていた乳房が、はじけるようにこぼれる。 「もしかして……」 「姉さん、今日はこうなると思って……?」 「そ、そんなこと……ないわ」 「本当?」 たわわな胸の双丘を、今度は直に揉む。 「あぁっ……ぅああ……んっ……」 「ううんっ……ほ、本当よ……」 「姉さん……もう、こんなに固くなってるよ、ここ」 膨らみの頂上に一つずつあるピンク色の肉芽が、固く尖っている。 俺は、その乳首を人指し指と親指で軽くつまんだ。 「きゃっ……ああっ、はぁ……あぁ……」 姉さんの身体がぴくっと震える。 「あれ……まだ固くなる……」 手のひら全体で胸を大きく揉みしだいていると──姉さんの吐息が、少しずつ熱を帯びてきた。 「はぁ……あぁ……ん……はぁ……」 「姉さん?」 「はぁ……あ、達哉くん……私、留学の準備をしないと……」 「そんな、姉さん……」 「俺、こんなところで……止まれないよ」 きゅっ手のひらに余る姉さんの乳房を、形が変わるほど握る。 「ぅあっ、んっ、ああ……っ!」 いやいやをするように、身をよじらせる姉さん。 もう一方の手を、姉さんのスカートの中に滑り込ませる。 「あうっ……はあっ、ふあぁ……」 汗で薄っすらと湿り気のある太腿。 その一番柔らかい内側に、ゆっくりと指を這わせる。 「あっ、ああっ……んん……っ」 「あっ……達哉くん……」 「ま……まだ、こんなに明るいのに……ああんっ」 「でも、姉さん……」 太腿を撫でていた指で、姉さんの割れ目をなぞる。 くちゅ……予想通り、そこは熱く濡れてきていた。 「姉さん、もう濡れてる」 「はぅ……だ、だって……達哉くんが、あっ、ああっ」 布地の上から、姉さんの一番敏感なところを擦ってみると……身体全体が、びくびくっと痺れたように跳ねた。 「ああんっ! そこは、だ、だめ……よ……」 「だめって言われても……」 一番長い中指で、姉さんの膣口を布越しに押し込んでみる。 ぐちゅっ「すごいことになってるよ、姉さん」 「ぅあああっ! ああ……はぁ……あっ、ああ……っ」 一度蜜壺を押しただけで、中から溢れている愛液がパンツから染みだしてくる。 この調子だと、中は……「姉さん」 「な、なに、達哉くん……?」 「パンツ、脱がせていい?」 「やっ、だ、だめ……」 「これ以上しちゃうと、わっ、私……もう……」 「もう……?」 パンツの中に手を入れ、直に割れ目に触れる。 「あぁんっ……! あ、達哉くん……そこは……あぁっ!」 俺の腕の中で、姉さんが身じろぎする。 でも、どんなに身体を捻ってもお尻を引いても、俺の腕の中であることには変わりない。 「……っはあっ……あああんっ!」 既にそこは、淫液でぐちゃぐちゃになっていた。 「姉さん……いやらしくなってる」 「そんな……」 すぐに敏感なところには触れず、中指と薬指で、ふっくらとした陰唇を揉む。 「うあぁ……んふ……あうぅ……」 俺の指も、すぐに姉さんの中からでてきた粘液まみれになる。 次第に、指を動かすごとにいやらしい音が漏れてくるようになってきた。 くちゅ……くち……ぢゅぷ……「姉さん、聞こえる?」 「あぅ……き、聞こえてる……わ……はぁ、はぁ……」 陰唇に指を押しつけたまま、左右に激しく振る。 割れ目の中から染みだしてくる液体を、周囲に延ばす。 くちゅ……ぴちゃっ……ちゅぷっ……ぴちゅっ俺は、わざと音が出るような指の動かし方をして、姉さんの反応をみた。 「あぁ……だめ……ああんっ、あああ……っ!」 羞恥に耳まで赤くなった姉さんは、俺から顔を背けている。 それでも、秘裂の奥からは更なる粘液が湧いてきた。 「入れるよ、姉さん……」 中指の先を曲げ、膣内に侵入する。 「あぁぁっ! んっ……んあぁぁぁ……っ」 「中……熱いよ、姉さん」 表面上は冷静さを保とうとしている俺だが……実際は、学生服姿の姉さんに、無茶苦茶興奮していた。 「姉さん、もう少し深くしても……いい?」 「いやぁ……きゃっ、ああ……っ!」 中指の第二関節までが、姉さんの秘裂に潜り込んだ。 くいっと指を折り曲げると、肉襞の存在が指の腹に感じられる。 「ああっ……はぁ、はあ……あぁ……ううっ……」 徐々に、強張っていた身体から力が抜けていく。 くたっとなってしまった姉さん。 俺はそんな膝に手をかけ、脚を大きく開かせた。 「あぁ……はぁ……はあぁ、あぁ……」 首も立たずに、俺の肩にもたれかかっている。 「すごい……姉さん、指がぎゅうぎゅう締めつけられる……」 「ちが……勝手に……あぁんっ、はあぁ……はぁ……」 俺の指を、締めつけようとして締めつけているのではない。 身体が勝手に……と言いたいのだろう。 締まるだけではなく、膣壁の抵抗に合って、指はそれ以上奥には入らなそうだ。 「指一本でこんなにキツいんじゃ……」 「とても、俺のなんて入らないよ姉さん」 「そ、そんな……」 もぞもぞと腰を動かす姉さん。 「だって、ほら……」 姉さんの手を取り、ズボンの上から、俺の屹立を握らせる。 「あぁ……大きくなってる……」 うっとりした声を出しながら、きゅっと肉棒を握ってくる姉さん。 「うっ……」 姉さんの手が、俺の肉棒を上下にさする。 ズボンの中でカチカチにいきり立っていたものが、姉さんの指に慰められている。 俺も姉さんへの愛撫を再開した。 「はあ……あぁ……はあぁ……んん……っ」 膣の浅いところで中指を往復させつつ……親指の腹で、姉さんのクリトリスを転がす。 「んっ、ああぁ……っ!」 既に包皮から顔をのぞかせている敏感な肉芽。 それを剥き、ぬめりを乗せた指で再度クリトリスを愛撫する。 「あはぁ……っ、はあぁっ、あんっ……くぅ……っ!」 下半身から広がる快感に、全身を悶えさせる姉さん。 姉さんの耳から首筋に舌を這わせ、顔を上げるように促す。 「ああっ……達哉くん……達哉くん……っ」 「姉さん……っ」 顔を上げた姉さんに覆い被さるように、唇を重ねる。 「んんっ! ちゅうっ……んふ……ちゅばっ……」 砂漠を行く人が水を飲むように、俺の口に吸いついてくる姉さん。 絡み合う舌を伝って唾液を飲ませると、姉さんは、喉を鳴らして飲み下した。 「ちゅっ……ちゅう……んっ、んく……ちゅぱっ……」 すっかり勃起している乳首を摘むと、姉さんの鼻息が熱くなる。 「んんっ! ぢゅっ……ぁんんっ……ちゅ……んんん……っ!」 もう片方の手では、割れ目への愛撫を続ける。 中指を膣内でぐりぐりと回すと、姉さんが背を反らし、唇が離れる。 「あっ、ああっ、ぅああああっ!」 「はああっ! だ……駄目……そんなに……ああっ、あぁぁっ!」 俺に抱きすくめられ、どんなに身をよじっても、姉さんは逃げられない。 「きゃっ! ひうっ……はあああっ……だめっ……ああっ、ああんっ!」 俺は、姉さんの割れ目に出入りしている指を激しく動かした。 そして、時々クリトリスを摘んでやる。 「ぅああぁぁぁぁっ……やっ、はぁあっ、んんっ、あっ、あっああ……っ」 姉さんの身体が強張り、爪先がぴんと伸びた。 「あっ、あああっ! んくっ、あっ、ああっ……ぅあああああぁぁっっ!!」 顎を天井に突き上げて、一際大きな喘ぎを漏らすと……姉さんは、くてんと身体を弛緩させた。 「うあぁぁ……はぁ、はぁ……あぁ……」 それでも、息だけは荒い。 ……蜜壺からは、大量の液体が漏れだしている。 パンツからこぼれて太腿からベッドまで染みは広がっていた。 「あぁ……んう……ああぁぁ……はあぁ……」 「あぁ……はぁぁ……」 「一人だけ気持ち良くなって、ずるいよ姉さん」 「た……達哉くん……はぁ……」 姉さんの手が俺のズボンのチャックを下ろし、中に入ってくる。 トランクスの中で、苦しいくらいに張りつめているペニス。 それを……姉さんは優しく包むように握った。 「達哉くんも……気持ち良くしてあげないとね」 「んっ……」 「じゃあ……達哉くんは、ここに横になって」 姉さんに促されるままに、ベッドに仰向けになる。 片足をパンツから抜いた姉さんが、俺の腰にまたがるように乗ってきた。 しゃがんでいるような格好のせいか、姉さんの性器が、すぐ目の前にある。 「姉さん……よく、見せて……」 「え?」 俺の言ったことの意味が、一瞬分からなかった姉さん。 でも、すぐに視線でそれと気づく。 「あ……」 「……ええ、分かったわ」 そう言うと……姉さんは、指でそっと割れ目を広げ、俺に見せてくれた。 「……すごい、綺麗だよ」 「あまり……見ないで……」 そう言いながらも、てらてらと濡れた陰唇を広げ、その内側を俺の眼前に見せる姉さん。 「姉さん……ひくひく動いてるよ」 「そっ、それは……さっき……」 「さっき?」 「さっき……その……いっちゃったから……」 「姉さん……ごめん、良く聞こえなかった」 「もうっ、知りませんっ」 立ち上がろうとする姉さん。 その姉さんの足首を掴む。 「あっ、達哉くん……」 「姉さん……」 「姉さんが、ずっと遠くへ行っちゃうから……」 「ちゃんと、覚えていたいんだ」 「……ふう」 「調子いいんだから」 再度、姉さんが秘裂を広げる。 さっきまで俺の指が入っていた膣口も見えた。 中からは、透明な愛液が……糸を引いて俺の上に垂れてくる。 あまりに煽情的な光景に、下半身に血が集まり、頭がぼうっとしてきた。 「達哉くんのも……出すわよ」 さっきから、テントを張るように固くなっていた剛直が……姉さんの手で、表に出た。 「ふふ……達哉くん、こんなにしちゃって」 「姉さんの格好が、いやらしいから……」 姉さんは、俺の肉棒を手で弄んでいる。 握ったり、擦ったり……。 時々は、陰嚢を揉んだりされた。 「くっ……姉さん……」 「あら、何か出てきたわよ、達哉くん」 先走りが、姉さんの指で尿道口から広げられ、亀頭をベトベトにする。 それを合図に、姉さんが俺の肉棒をしっかりと握りこみ……上下に動かし始めた。 「気持ちいい?」 「あっ……う……え、ええ……」 返事をするのも大変なくらい、気もちいい。 今まで、服の中で押さえつけられていた欲望が、一気に解放された感じだ。 ……。 姉さんの手の動きが早くなる。 このままじゃ……まずい。 「ね、姉さん……」 「なあに、達哉くん」 「姉さんの中に……入りたい」 「そうね」 頷いた姉さん。 「どうしようかしら」 「じ、焦らされると……」 姉さんの手で……達してしまいそうだ。 俺の顔をじっと見る姉さん。 ……。 …………。 「じゃあ、挿れるわね」 ……姉さんが、再び陰唇を押し広げる。 俺の肉棒を手で支えたまま……腰を下ろしていった。 ちゅ……先端が、姉さんの入り口に触れた。 「あっ……」 「姉さん……」 「んっ……ぁ……ああぁ……っ」 少しずつ、亀頭が中に入っていく。 ぬぷ……ぬぷぅ……すっかり濡れていた姉さんの蜜壺は、それでも狭かった。 俺の指を締めつけていた以上の強さで、締めつけられる。 これ以上は入らないかと思った時──姉さんが、体重をかけた。 ずぷうっ、じゅぷぷうっ!「あああぁっ!」 肉棒の半分が、姉さんの中に入る。 「だ、大丈夫……?」 「ああっ……はぁ、あぁ……っ、んんっ……」 息を整える姉さん。 「え、ええ……大丈夫……んっ、あああああぁぁぁっ!」 ずぷっ、じゅぷぷぅぅ……姉さんのお尻の肉が、俺の足の付け根に触れる。 俺のペニスは……全て、姉さんの膣内に収まっていた。 「うあぁ……はあぁ……くうぅ……ふあぁ……ああ……」 全方向から、刺激を与えてくる肉襞。 姉さんが肩を揺らして呼吸する度に、ぎゅうぎゅうと締めてくる。 「姉さん……」 「全部、入ったよ」 「ええ……そ、そうね……はぁ、はぁ……はぁ……」 「達哉くんが……びくびくと脈打ってるのを……感じるわ……」 俺の肉棒が、膣口をいっぱいに押し広げている。 さっきの余韻でまだ敏感になっているのか、姉さんも時々ぴくっと震えていた。 「動こう……か?」 「うん」 「んっ、んんん……っ」 姉さんが脚に力を入れ、腰を浮かせていく。 俺のものに絡みつく肉襞が、なかなか離そうとしないのか、ひどく辛そうだ。 「あっ……んあっ……んんっ……ああ……」 ぬるぅぅっ……姉さんの愛液で濡れている竿の部分が、徐々に姉さんから抜け出てきた。 ぬぷっ……亀頭が抜けそうになるところまで、姉さんが下半身を持ち上げる。 「ま……また、挿れるわね」 ずっ……ずぶうぅっ……再び飲み込まれていく俺の肉棒。 「うぁ……あぁぁっ……ああぁ……っ!」 自分で動いている時と違って……その様子を良く見ることができる。 姉さんの体内を出入りする俺の剛直。 俺の欲望の柱を飲み込んでいく姉さんの秘裂。 ずぷっ……ぬぷぷうっ……!「うあぁぁ……はぁ、あぁ、んうっ……あぁぁ……」 カリ首が、姉さんの一番深いところから、淫液をかき出す。 どんどん溢れてくる液体は、二人が繋がっている部分から溢れ、俺の肉棒を伝った。 「姉さん、もっと早く……」 「あ、んんっ、うん……はぁ、はぁ……」 じゅちゅっ……ぐちゅうっ……じゅぷっ……ぬちゅっ……少しずつ、姉さんの動きがスムーズになってきた。 「んううっ……はあぁぁっ……うくっ、はあぁぁっ……あぁ……っ」 腰の動きに合わせて呼吸する姉さん。 時々、きつく目を閉じているのは、快感に負けないようにしているのだろうか。 「ああっ! はあっ、くああっ、あっ……だめ……もう……あぁ……」 「んんっ、ああっ、私、またっ……ぁあああああああぁぁぁっっ!」 ずぶぶうぅぅっ!姉さんが、力が抜けたように、俺のものを咥えたまま腰を落とす。 ぎゅぎゅっと姉さんの膣内が締まり、その後もびくびくと波のように肉襞が蠢いた。 「はぁっ、はぁ、ああぁ……はぁ……あぁ……ぅあ……」 「姉さん……また……?」 姉さんが深く腰を下ろしたせいか──これ以上ないくらいに充血している俺の肉棒が、最奥をぐいぐいと押している。 「あっ……んっ、ああっ、お……奥に……奥に当たって……」 「まだ動ける、姉さん?」 「あ……達哉くん……あっ……ああぁ……」 姉さんは、腰を持ち上げる脚に力が入らないようだ。 「じゃあ姉さん、俺が動くよ」 「だっ、だめ……あっ、ああっ、んくっ、あああぁっ!」 ベッドがギシギシと揺れる。 俺はそのスプリングもバネにして、姉さんを下から突き上げた。 ずちゅうっ! ぬぷぅっ!「あぁぁんっ! はぁうっ! んん……っ!」 ずっと刺激を与えられていたせいか、俺の限界もそろそろ近い。 俺は……長引かせるよりも、より多くの快感を得ようと思った。 ちぅぷっ! じゅちゅぅっ! ぬぷぷぅっ! じゅぷうっ!「ああっ、はあっ、ぅああっ、あんっ、くうっ、んん……っ!」 姉さんの胸がたぷんたぷんと揺れる。 髪を振り乱し、姉さんが快感の波に呑まれていく。 「ああんっ! はうっ、はああっ……くうんっ! あはぁっ……!」 俺は限界まで肉棒を突き上げる。 すると……姉さんが、また腰を振り始めた。 「達哉くんっ、達哉くんっ……あぁっ、達哉くぅんっ……んんっ!」 ぬぷぷぅっ! じゅぷぅっ! じゅぷっ!次第に動きがシンクロし、互いの腰がぶつかり始める。 「あああっ、あぁんっ! あっ、うあぁっ、はあっ、んあぁっ!」 俺は既に何も考えられなくなり、ただ腰を突き上げ、姉さんの中に肉棒を打ち込み続ける。 姉さんも、俺の上でひたすらに腰を振った。 「やあ……っ、あああっ! くうぅ、んんっ、あぁっ、あっ、はぁ……あああっ!」 性器が擦れ合う湿った音、汗と愛液で濡れた下半身がぶつかり合う音。 そして、二人の呼吸と喘ぎが部屋を満たす。 「ああっ、達哉くんっ、はああっ、いいっ、すごくっ、いいわっ! あああっ!」 「姉さんっ、姉さん……っ」 「ああんっ、はぁんっ……も、もっと、きてっ、きてぇっ!」 俺は……最後に、姉さんの奥まで思い切り突き上げた。 「ああんっ! あんっ、あっ! んんっ、ああんっ! んんっ!」 姉さんも、貪るように俺の腰を両脚で挟み込む。 「あぁっ! もうっ、だめぇっ……んっ、たっ、たつやっ、たつやあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」 びゅくうっ! びゅるうっ! びゅくぅっ!姉さんの膣の一番奥に、欲望が迸る。 「はあぁん……ああぁっ……はああぁ……んんっ……」 どくっ……どっ……びゅっ……姉さんが、俺に倒れ込む。 ずちゅっ……ぬちゅぅ……っ「ああぁ……はあぁ……んくっ……はぁ、はぁ……あぁ……」 それでも、姉さんの腰は動き続けていた。 俺の中から、全ての精を搾り取るように。 俺の肉棒を、最後まで包みこみ、味わおうとするように……。 俺は、姉さんに肉棒を挿し入れたまま──姉さんを、抱きしめた。 ……。 …………。 結局、そのまま姉さんをあと二回抱いた。 姉さんも俺も、多分、留学前に繋がれるのはこれが最後だという予感がしていたから。 二人とも汗だくになり、腰が動かなくなるほど、互いを求め合った。 ……。 …………。 「達哉くん……」 「今日は、すごかったわね」 よしよし、と俺の頭を撫でる姉さん。 「もう……へとへとです……」 「でも、私の制服姿、本当は良かったんでしょ?」 「そりゃまぁ……それなりには」 ……本当は、とても興奮した。 「ふふ……」 「姉さん、姉さんって、何度も呼ばれちゃった」 何が嬉しいのか、にこにこしている姉さん。 「汗かいたから、シャワーを浴びないと」 「姉さんは、その制服も洗濯しないといけないでしょ?」 「そ、そうね……」 「麻衣ちゃんが帰ってくる前に、さっさと洗っちゃおうか」 「じゃあ、俺が洗濯してるから、姉さんは先にシャワーを」 「うん」 がちゃ「ただいま戻りましたー」 「……」 「ただいま戻りまし……」 「いたっ」 ……俺たちの姿を見て固まったミアに、後から入ってきたフィーナがぶつかる。 「どうしたの、ミア?」 ……直後。 フィーナの目も点になった。 ……。 …………。 その日の夕食時から寝るまで、フィーナとミアの態度は、普段と全く変わらなかった。 気を遣ってくれているのだろうけど、逆に……針のむしろに座っているようだった。 とりあえず、俺は姉さんの制服を洗濯した。 夜中にアイロンをかけ……麻衣に見つかって、何をしてるのかと問い詰められた。 当たり前だけど、姉さんが留学に持っていく服の中に、制服は含まれなかった。 目が覚めた。 枕元の時計は午前3時を指している。 「……3時か……」 声がかすれていた。 どうやら、喉の渇きで目を覚ましたようだ。 ……。 きゅっコップの水を一気に飲み干す。 「ふぅ……」 コップをすすぎ、元の場所に戻す。 喉から胃に落ちた水の感覚が、全身に広がっていく気がした。 ……落ち着いてもう一眠りできそうだ。 ……。 「??」 フィーナの部屋から明かりが漏れている。 ……まだ起きているのだろうか?さすがに、もう寝ないと体に差支えが出る時間だ。 ……。 フィーナの部屋に近付く。 ドアの隙間から、確かに明かりが漏れている。 ……。 こんこんっ……。 …………。 返事はない。 こんこんっ……。 …………。 「……寝てる、のか?」 ……。 返事がないのを再度確認し、ドアノブに手を掛けた。 ……。 状況はすぐに飲み込めた。 ベッドに寝ているフィーナ。 枕元の照明は点いたまま。 床には本が落ちている。 ……。 どうやら、本を読みながら寝てしまったらしい。 普段のフィーナからは想像もつかなかったけど、新しい彼女を知ることができて嬉しい。 剣術の試験や遺跡調査など、何かと忙しい毎日。 これも仕方無いだろう。 ……。 俺は、本を拾って机に置いた。 『地球連邦の成立と変遷』という専門書だった。 確か月学概論の授業で、大学のテキストとして紹介されていたものだ。 授業で紹介された本を読んでみるなんて、勤勉なフィーナらしい。 ……。 ベッドサイドの照明を落とした。 目の前では、フィーナが安らかな寝顔を見せている。 月の光に照らし出された彼女の顔は、白磁のように白く、美しかった。 こんな子が、いまや俺のパートナーなのだ。 「ん……」 フィーナが寝返りを打つ。 柔らかな彼女の銀髪が頬にかかった。 ……。 「ん……んん……」 自分の髪がくすぐったいのか、フィーナは眉根にシワを寄せる。 可愛らしさに思わず苦笑してしまう。 「……大丈夫か」 髪を払ってあげようとして……手を止める。 なんだか、ちょっといたずらしてみたい気分になってきた。 ……。 フィーナのしなやかな髪を手に持つ。 毛先をゆっくりと彼女の頬に近付け、軽く頬をくすぐる。 「……ん……ぁ……」 フィーナが小さく息を漏らす。 色っぽい響きに、思わずドキリとした。 それでも、手の動きは止めない。 「ぁ……ん……ぅ……」 頬から耳へ毛先を動かしていく。 「……んっ……んん……」 流石にくすぐったいらしく、フィーナが身をよじらせる。 やめてあげればいいのに、なぜか俺の手は止まらなかった。 フィーナが鼻にかかった声を上げる度に、もっと声を聞きたくなる。 「ん……ぅ……」 フィーナが寝返りを打った。 ……。 布団がずれ、上半身があらわになる。 気が付いた時には、髪の毛を持っていない方の手が、フィーナの胸に置かれていた。 「ん……あ、う……」 胸が高鳴っていた。 下半身にも血が集まってきている。 ……。 自分の鼓動でフィーナが起きてしまわないか不安だった。 そう、さっさと部屋を出てしまえばいい。 ……それで万事解決。 ……。 なのに、手はフィーナの乳房に置かれたまま。 姿勢を変えれば、もっと良く見えるのでは、なんて考えている。 きっと、部屋が暗いせいで変な気持ちになっているのだ。 ……。 「あ……ぁ……ぅ……」 フィーナの体が動く。 手のひらには柔らかな乳房が押し付けられている。 まずい。 そろそろ本当に、止められなく……。 「……達哉……ぁ……」 その言葉で何かがリミットを振り切った。 ……。 これは仕方がないのだ。 だってフィーナがあまりにも魅力的なのだから。 そう、少しだけ触らせてもらえば、俺だって落ち着く。 頭の中で、間違った理屈が積みあがっていく。 間違っていると気づきながらも、俺は自分を止めることができない。 ……。 「……フィーナ」 罪悪感と興奮が全身を包んでいる。 俺はフィーナの乳房に乗せた手をゆっくりと動かす。 「あ……ん」 ……。 柔らかい感触。 ……下着、着けてないんだ。 薄い寝巻きを挟んだ下では、フィーナの乳房が俺の手の形に歪んでいるはずだ。 「……ん」 薄い唇の間から、かすかな吐息が漏れる。 興奮が、徐々に罪悪感を押しのけていく。 「フィーナ……」 片手を上着の裾からゆっくりとすべり込ませていく。 少し……少し触らせてくれれば、俺も収まりが付く。 そんな都合のいいことを考えながら、俺は手を進めた。 ……。 …………。 「すぅ……ぅ……」 吸い付くような乳房に指先が触れた。 しっとりとキメ細やかで、更なる刺激を促すように俺の指を吸い込む。 「柔らかい……」 俺の体のどの部位よりも柔らかい。 手で乳房を覆う。 柔軟に形を変え、すっと手に馴染む。 「ん……ぁ……」 体が少し動いた。 フィーナの声には、わずかにつやっぽい響きがあった。 眠った状態でも、性感は生きているのだろうか。 休まず手を動かし続ける。 ……。 「ぁ……すぅ……」 変わらず寝息を立てるフィーナ。 ……。 今ならまだ止められるかもしれない。 そんな考えが頭に浮かぶと同時に──止めることはできないと、体が訴えていた。 「んっ……すぅ……」 眠っているフィーナに触る。 その背徳感が俺を突き動かしていた。 「んっ……ん……」 フィーナが薄っすらと目を開いた。 焦点の定まらない視線が、俺に向けられる。 ……。 …………。 一瞬、部屋を沈黙が覆った。 「っっ!?」 フィーナが慌ててベッドから起き上がる。 「うわっ!」 だが、俺の腕はフィーナの服の下に入ったままだ。 フィーナに引っ張られるように、もつれ合う。 「た、達哉っ!?」 「どうして夜這いなどっ……」 「ごめん……寝ているフィーナを見てたら、つい……」 「つい、ではないわ……あうっ」 フィーナの体が震えた。 弁明しようと焦るあまり、乳房を強く揉んでしまったらしい。 「と、とにかく……放して」 フィーナが懇願するように俺を見る。 何だろう……俺の中で、彼女を困らせてみたいという欲求が膨らんでいく。 「……」 黙って乳房を動かす。 「んっ……達哉、何を……あっ」 「せめて……日を……改め、て……んっ」 「フィーナ、ごめん……少し、少しだけ」 言いながら、フィーナの乳房を揉みしだく。 緊張のせいだろう。 フィーナの肌は、一層汗ばんでいた。 「達哉、落ち着いて、落ち着いて頂戴」 そんな声も、なぜか俺を熱くさせた。 「達哉っ」 強い力が、俺を押し返した。 「あっ……」 フィーナがバランスを崩す。 ドタドタッ床に落ちそうになるフィーナを何とか支えた。 フィーナの体は、半分以上がベッドから落ち、俺に覆いかぶさっている。 「フィーナ……」 「達哉っ……こういうことは、いけないわっ」 「危ない、危ないから」 半分ベッドから落ちかけているフィーナをベッドに押し戻す。 「あ……」 どう動いたのか、フィーナの背後に回っていた。 「フィ、フィーナ……」 フィーナが不安そうな目で俺を見ている。 それが妙に俺の体を熱くさせ──フィーナの乳房をぎゅっと握った。 「あっ……た、達哉……乱暴なのは、だめ」 フィーナの要求レベルが、徐々に下がってくる。 もう一度乳房をもみしだく。 「ん……」 フィーナが目を閉じる。 俺が止まりそうもないのを理解してくれたのだろう。 都合よく解釈して、俺は下半身の寝巻きに手を伸ばした。 ……。 「あ……達哉……」 フィーナが少し戸惑った声を出した。 「フィーナ……」 胸に触れていない方の手を、彼女の下半身に持っていき──そっと、秘部に触れた。 「た、達哉、やはり……日を改めて……」 フィーナの瞳が戸惑いに揺れる。 「ごめん。 俺、止まれそうもない……」 手を動かしながら答える。 高まる一方の興奮に、自分で何を言っているのか分かっていなかった。 「それでは……あっ……ケダモノと同じだわ」 「いいよ、もう……ケダモノで」 割れ目に指を沿わせ、ほぐすように上下させる。 もう一方の手は、円を描くように乳房を温めた。 「あ……ん……達哉はケダモノなのね……」 「ああ」 「優しくするから、力抜いて」 「ケダモノなのに……優しいのね」 フィーナの声から緊張が抜けてきた。 合わせて、膣口から少しずつ愛液がにじみ出てくる。 「もう、濡れてきたよ」 「そういうことは、口に出さないで欲しいわ」 「んっ、んっ……ぅ……ぁ……」 熱い吐息が漏れる。 乳首も固く立ち上がってきた。 膣口に指をあて、ぷるぷると振動させる。 「うっ、んっ、んっ」 「達哉……その……し、下着が、汚れてしまう……」 俺の方を見て、恥ずかしそうに言う。 指先は、もうしっとりと濡れていた。 「じゃあ……」 下着に手を入れ、ずずっと太腿まで引き下ろす。 ……。 かすかに、性器と下着の間に糸が引いた。 それを指に絡め、再び性器に手を当てる。 くちゅ……湿った音が聞こえた。 「フィーナ、夜這いされて……こんなに」 「た、達哉……どうしてそういうことを言うの……」 フィーナが顔を真っ赤に染める。 「こういうの、好きだった?」 「ま、まさか、私はケダモノではないわ」 「……人間だってケダモノだろ?」 そう言いながら、ゆっくりと指を膣に挿入する。 「あ……やっ」 そのまま、ゆるゆると出入りさせる。 ……。 くちっ、くちゅっ、ちゅっ、ちゃっ……「んっ、あっ……」 きつそうな音がする。 ここに俺のペニスを挿入するかと思うと、ペニスがより固く充血していく。 「ふうっ、ああっ、ひゃっ、きゃうっ」 乳首はもう、取れそうなほどに屹立している。 執拗に乳首を転がす一方で、膣内を柔らかく指で擦る。 「あう……達哉……わ、私……」 フィーナが鼻に掛かった声を出す。 気持ちが良くなってきている証拠だ。 「指は……その……うっ、んっ……」 それ以上フィーナは言わない。 露骨にペニスをねだるなど、彼女のプライドが許さないはずだ。 「……うん」 片手でズボンを下ろす。 俺の準備は遠の昔に完了している。 がっつくように、フィーナの脚を持ち大きく開かせる。 「達哉……この上、恥ずかしい格好をさせるなんて……」 「フィーナが可愛いから、歯止めが効かなくなってる」 「し、仕方の無いことを言って……達哉は……」 性器から、一滴、愛液が垂れた。 たまらずペニスを突き当てる。 「あぅ……」 フィーナの言葉が終わらぬうちに──ペニスを送り出した。 すぶすぶっ!「くうっ!」 根元まで一気に送り込む。 フィーナの背中が仰け反った。 「うっ……た、達哉……」 ぎゅっと、怖いほどの圧力が肉芯を絞る。 俺の急所を知り尽くしたような締め付けに、危うく達しそうになる。 「くっ……」 歯を食いしばり、快感の波をやり過ごす。 フィーナの体からあふれ出る快楽に、どんどん自制が利かなくなっていく。 ……。 ぐちゅっ、ぬちゅっ、くちゅっ、ずぷっ……「んっ、ぁぁ……達哉っ」 フィーナが俺の腕を掴んでくる。 快感に耐えるような──それでいて、更なる刺激を求めるような仕草。 「フィーナっ、フィーナっ!」 激しく腰を叩きつける。 「やあっ、うっ……こ、声が、出てしまうわ」 「ううっ、うっ、だ、だめ……」 切なげに眉をゆがめるフィーナ。 彼女の表情が、俺の加虐心を加速させた。 「フィーナっ、声、聞かせてっ」 強く、速くペニスを抽送する。 挿れては、フィーナの膣壁を突付き、引いては、彼女の襞をめくり愛液を掻き出す。 「うっ、んっ、んっ……本当に、だめ……」 「あうぁっ、達哉……どうして、困らせるの……」 苦しげに息を漏らす。 「フィーナっ、フィーナっ」 そう言いながらフィーナに覆いかぶさり、乳房をぎゅっと圧搾する。 柔らかな果実が、俺の手の中で歪んだ。 「んんっ!」 苦痛とも快感ともつかない声が上がった。 膣内がより滑らかになる。 ……。 にちゃっ、ずちゅっ、ぐちっ、ぬちゅっ……「やあぁっ、達哉っ、達哉っ」 「うっ、んっ、うあっ……」 必死に声をこらえるフィーナ。 肌には玉のような汗が浮かんでいる。 「……」 フィーナに辛い思いをさせている。 だが、腰を止めることができない。 どこからか体をコントロールされているようだ。 「ああぁぁっ!」 高い声が上がる。 「だめ……同時に、触られると……」 「体が、言うことを……聞かなく……んっ、ああぁっ!」 フィーナがうずくまるように力を入れる。 「ごめん、興奮して……俺、体が言うこと聞かない」 「……こういうのが好きなの、達哉は?」 「嫌いって言ったら、嘘になるかも、しれない……」 「でも、フィーナだって……だんだん」 「それは、そうだけれど……」 「私にも、心の準備というものが……あんっ、んっ!」 「頑固、なんだから……」 ペニスの角度を変える。 ちょうど、お腹の内側を突付くようなイメージだ。 「ああぁぁっ!」 フィーナが喉を反らす。 「だめっ、そこはっ、あっ、あっ!」 「達哉っ、達哉っ、あんっ、ああっ、やあっ!」 フィーナの声が高くなる。 もう、声をこらえる余裕はないようだ。 内部が生き物のように動き、腰が浮くような快感がペニスを包む。 「くっ……フィーナ、すごい……」 「うあっ、あんっ、だめっ、達哉っ」 「そこに当たるとっ、私っ、ああっ、あんっ!」 フィーナが髪を振り乱す。 彼女の体が揺れる度に、俺の先端が四方から擦られ絶頂が近付いてくる。 フィーナの足を抱え込むように支え、密着度を高めた。 ……。 ぐちゃっ、くちゃっ、じゅっ、ぬぷっ……「やあぁっ、達哉っ、当たって……」 「あんっ、あっ、あっ……あ、あ、あっ!」 先端が子宮口を突付く。 その度に、フィーナは体を大きく跳ねさせた。 「ああっ、うあっ、だめっ……もうっ、来てしまうっ!」 溶けそうなほどフィーナの膣内が熱くなる。 熱に導かれて、竿を精液が上がっていく。 俺は、ありったけの力を込めて、フィーナを突きまくった。 「ひゃあっ、達哉っ、私っ、だめっ!」 「ああ、一緒にっ、一緒にっ」 「達哉っ、いいわっ、あうっ、一緒にっ!」 「ああぁっっ、もうっ、もうっ、だめっ、んっ、あっ!」 「頭が、白くっ、白くっ……やあっ、んあっ、あ、あ、あ、あああっ……」 「だめっ、だめだめっ、来るっ、あっ、あ、あ、あ、あ……やああぁぁぁぁっっ!!」 フィーナが全身を痙攣させた。 フィーナの体が大きく揺れ、ペニスが抜ける。 「うあっ!」 ずりゅっ!フィーナのアナルを突いてしまった。 「あうっ!!」 「うあっ!!」 びゅびゅびゅっっ!!どくんっ! どぴゅっ! びゅくんっ!ペニスが跳ねる。 突き上げるような快感が、脳まで達した。 「くっ……」 「あっ、あ、あ……」 背中をそらせたまま、口をぱくぱくさせているフィーナ。 彼女の背中に、白濁が降り注ぐ。 ……。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 短距離走を終えたように、全身を上下させるフィーナ。 彼女の美しい寝巻きが、俺の欲望で汚されている。 「はぁ、はぁ……はぁ……はぁ……」 「……」 快感が収まると、急に罪悪感がこみ上げてきた。 俺は──就寝中のフィーナを襲ってしまったのだ。 「フィーナ……」 フィーナの体に触れる。 「達哉……はぁ……はぁ……」 フィーナが虚ろな視線で俺を見た。 ごめん、と言ったところで彼女は許してくれるのだろうか。 「達哉……困った人ね……」 フィーナが俺の手に触れた。 「そんなに、申し訳無さそうな顔をしないで」 ……。 「……フィーナ」 「怒って……ないのか?」 「少し怒っているわ」 「……」 視線を合わせられない。 「一言、言ってくれれば良いことでしょう?」 「貴方に抱かれるのが嫌だと言っているわけではないのだから」 「……うん」 「ごめん」 「次からは、寝ていても起こして頂戴」 「私にも準備があるのだから」 そう言って、フィーナは軽く笑う。 「……ごめん」 ……。 …………。 俯いた俺の頬にフィーナが触れる。 「それに、せっかく肌を合わせたというのに……これでは私が……」 「……え?」 「達哉を落ち着いて感じられなかったし……」 「……また外で」 「い、いや、それは……」 フィーナが俺の首に手を回す。 「うわっ」 ……。 「これは、おしおきよ」 フィーナが小悪魔っぽい笑みを浮かべた。 「フィーナ……」 フィーナが俺の下で脚を開いている。 中心にはもちろん、濡れた秘部。 ……。 そして、既に硬度を取り戻したペニス。 「いつものように……」 「ああ……優しくする」 「ん……」 フィーナが小さく頷く。 俺は、先端を性器にあてがった。 ……。 ずちゅ……ぬちゃ……くちゅ……ゆっくりとペニスを差し込む。 フィーナとの隙間を埋めていくように。 「んっ……あっ……」 フィーナの腰がぴくぴくと動く。 膣内がざわめき始めた。 「くっ……フィーナの膣内……気持ちいい」 「嬉しいわ、達哉」 「達哉が優しくしてくれれば……」 「きっと、私も達哉を気持ち良くしてあげられると思うの」 「だから、乱暴なのは……」 「ああ、これから気をつけるよ」 俺は体を倒して、フィーナに口付ける。 「んっ……くちゅ……んふっ」 「でも、どうしても我慢ができないようなら、遠慮なく言って欲しいわ」 「分かった」 「本当に辛いなら、我慢はしない方がいいわ」 「もう、誰も私たちの関係をとがめることは無いのだから」 「フィーナも、我慢できない時があるのか?」 ……。 「知らないわ……ちゅっ……くちゅ」 「ちゅぷっ……達哉の……ちゅっ……意地悪……」 舌が絡み合う。 甘い媚薬がお互いの口内を行き来する。 「んっ……このまま……くちゅ……ぴちゅ……」 「ああ……くちゅ……」 フィーナに歯茎をまさぐられながら、俺は腰をゆっくりと動かし始める。 ……。 にちゅっ……くちゅっ……ゆっくりとペニスを引き上げ……「あ……あ、あ……達哉を感じるわ」 突き落とす。 「ひゃうっ……」 フィーナと繋がっていることを確かめるように、それを何セットも繰り返す。 「痛くない?」 「ええ……むしろ……」 そこまで言って、フィーナは俺の耳元に口を寄せた。 「とても……気持ちが良いわ」 ……なんて可愛い人なんだろう。 「……良かった」 俺は嬉しさでいっぱいになって、抽送のペースを早めた。 ……。 ぐちゅっ、じゅぷっ、ぬちゅっ、にゅるっ……「んっ、達哉っ、熱いわ」 「お腹の中に、達哉を感じる……あうっ、んっ」 快感を溶かした熱い沼に、ペニスを打ち込んでいく。 腰を振る度、俺は確実に絶頂へと近付いていた。 「……なんか、フィーナから離れられなくなりそう」 「まあ……んっ、離れる、つもりだったのかしら……やっ」 「ずっと、あうっ……一緒にいると、言ってくれたでしょう?」 「そうじゃないよ」 「ここを抜くことが、できなくなりそうって話」 そう言って、腰を縦横に振る。 「ふふっ……嬉しいけれど、それは困るわね……あんっ」 「でも、明日の朝までなら……達哉と繋がって、んっ、いられるわ」 フィーナが快感に眉を歪めながら笑う。 「でも、寝不足になっちゃうな」 「なら、次からは……私が眠る前に……来て欲しいわ……」 「眠る前が……あっ、うっ……一番、寂しいのだから……ひゃあっ、あうっ」 「フィーナ……」 彼女と話していると、どうしてこんなに幸せな気分になれるのだろう。 「好きだよ、もう、何も考えられなくなるくらい」 「……私も、達哉」 フィーナが目を瞑る。 ……快感を受けることに神経を集中した。 俺は、そう判断した。 「……よしっ」 弾みをつけて腰を叩きつける。 ……。 にちゃっ、ぐちっ、くちゃっ、にちゅっ……「ああっ、うっ、達哉っ、強いっ!」 「やっ、やっ、ひゃっ……あっ、あっ、ああっ!」 フィーナの声が高く上っていく。 結合部からは粘液質な音。 腰がぶつかる音と相まって、情熱的な音楽となる。 「達哉っ、達哉っ……私っ、いつもより、感じてっ」 「あうっ、もう、もう……だめっ、あ、あ、あ、ああっ!」 フィーナが体を震わす。 振動が膣内にも伝わり、ペニスに快感を送り込む。 熱い射精感が腰に溜まる。 「フィーナ、俺もそろそろ」 フィーナが頷く。 ぐっとフィーナの腰を掴み、ラストスパートに入る。 「ああっ、やっ、達哉っ、達哉っ!」 遠慮なしの喘ぎ声。 もしかしたら、2階まで聞こえているかもしれないけど──もう、どうでも良かった。 「フィーナ、いくよっ」 「達哉っ、私……私っ……あうっ!」 「もうっ、すぐそこまでっ……あっ、あああっ!」 「今度は、外に出さない、で……あうっ、ひゃあっ!」 「あっ、ああっ、あああっ……んっ、んっ、んっ、もうっ、だめっ!!」 「達哉っ、達哉っ、達哉っ……あ、あ、あ、あ……ひゃああぁぁぁぁっっ!!!」 フィーナの体が反り上がった。 「くっ!」 びゅびゅびゅっ!どくどくっ、どくんっ!膣内でペニスが震える。 「うあっ」 びゅくん! どぴゅっ! びくびくっ!射精が止まらない。 最後の一滴まで吐き出すよう、襞に促された。 想像を絶する快感が、頭を白くさせていく。 ……。 「うっ……あっ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」 「あんっ……あ、はぁ、はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……はぁ……」 幾度となく小さな痙攣を繰り返したフィーナが、ぐったりと脱力する。 ……。 「お疲れ様、フィーナ」 ペニスを挿れたまま前かがみになり、フィーナの頬を撫でた。 「はぁ、はぁ……達哉も……」 フィーナの胸を幾筋も汗が落ち、お腹へ伝っていく。 「中でしてくれたのね……ありがとう……」 結合部を見ながら、フィーナがうっとりと言った。 「ああ、やっぱり精神的に、中の方がいいな」 「ふふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ」 笑うフィーナの頬を優しく撫で続ける。 そんな俺の手を、フィーナが握った。 ……。 「子供、できるかしら?」 「……どうだろうな、こればっかりは授かりものだから」 「ま、ずっと一緒にいられるんだから、慌てることじゃないだろう?」 「ええ、そうね」 「……じゃ、そろそろ」 ペニスを抜こうとする。 腰に何か柔らかいものが絡みついた。 フィーナの脚だ。 「……え?」 「もう少し……もう少しこのままでいさせて」 フィーナが積極的に俺を求めてくれている。 応えない理由なんてない。 「ああ」 俺は再び体を倒し、フィーナの手を強く握った。 ……。 ペニスが少しずつ萎縮していく。 こぽっ……。 隙間の空いた結合部から精液が溢れ出し──愛液でできたシーツの染みの上に、広がった。 「あ……」 フィーナが少し残念そうな顔をする。 俺は、そんなフィーナの頭を撫でた。 ……。 …………。 何度か頭を撫でていると、フィーナの表情は穏やかになった。 「どうしても、達哉からもらったものは、なくしたくないと思ってしまうの」 フィーナは恥ずかしそうに言った。 「そう思ってくれるのは、とっても嬉しい」 汗で肌に貼り付いた髪を、丁寧に梳く。 「ふふ……」 うっとりとした表情で、俺の手を受け入れるフィーナ。 「達哉は男の子と女の子、どちらが良いかしら?」 「そうだな……」 少し考える。 ……正直、どちらでも良かったけど。 「男の子かな」 「どうして?」 「男の子は母親に似るって言うだろ?」 「なら、きっとかっこいい男になるよ」 「そういうことなら、私は女の子が良いわ」 「俺に似ちゃうぞ」 「だからよ」 そう言って、フィーナはおかしそうに笑う。 「男がいいよ」 「女だわ」 ……。 …………。 「困ったわね、真っ向から対立よ」 「じゃあ、両方生まれるまで頑張るか?」 「まあ……ふふふっ」 フィーナが俺の手のひらにキスをする。 「フィーナ……」 「達哉……」 そのまま、フィーナの頬に手を当て──フィーナの上に体を倒した。 ……。 どのくらいキスをしていたのだろうか。 唇がふやける程にお互いを感じて、俺たちは離れた。 ……。 「今日は、する前にキスできなくてごめんな」 「……もう、いいのよ」 穏やかに笑うフィーナの頭を軽く撫でる。 もう一方の手で、枕元のティッシュを取った。 「フィーナ、お疲れ様」 フィーナの体に付いた体液、そして局部を優しく拭き取っていく。 「……達哉……」 フィーナが嬉しそうに目を細める。 「どこか、痛いところ無いか?」 「平気よ……達哉は?」 「お、俺?」 「男は頑丈にできてるから、大丈夫」 「ふふふ、そう」 「竹刀であれだけ叩かれても、倒れなかったくらいですものね」 フィーナが俺の腕に触れる。 そこには、まだ打撲の跡が残っていた。 剣術の練習でできたものだ。 「いいんだよ、これは消えなくても……思い出になるから」 「フィーナが容赦なかったっていう、ね」 「まあ……そういうことは覚えていなくて良いのに」 フィーナが傷口を軽く叩く。 「……いだっ」 「意地悪なことを言うからよ」 そう言って彼女は、俺に腕を絡める。 ……。 「今日は、ここで寝ていいかな?」 「……ええ、もちろんよ」 時計は午前5時。 外はずいぶん明るくなっている。 ……。 俺はフィーナの隣に横たわり、腕を差し出した。 「おやすみなさい、達哉」 フィーナの頭が二の腕に預けられる。 「ああ、おやすみ」 フィーナの体温を感じながら、呼吸を整える。 ……。 …………。 眠りに落ちるのに、さしたる時間はかからなかった。 「暑い暑い」 夏休み中。 涼しいうちにと思い、朝食後すぐにイタリアンズの散歩に出た。 ……が、帰ってくる頃には、もう気温はうなぎ上り。 さっさと三匹を繋いで、クーラーの効いた家の中に入った。 「あれ?」 ダイニングにもリビングにも、誰もいない。 とりあえず麦茶を一杯、一気に飲み干す。 さて。 姉さんは仕事、麻衣は吹奏楽の練習として……フィーナとミアはどうしたかな。 すると……フィーナの部屋から、二人の声が聞こえてきた。 何か、ひそひそ声みたいだけど……「フィーナ、このこと勘づかれてはおるまいな」 「はっ、ミア様」 !?ミアがフィーナを呼び捨て、フィーナがミアを「様」 付け!?なんだこりゃ。 ……そっと扉に近づく。 扉は完全に閉まってはおらず、隙間から中の二人の声が漏れていた。 「……朝霧家の面々も、全て私を姫、ミア様を姫付きのメイドと信じきっております」 「そうか、それなら良かった」 「ただ……」 「ただ、どうした?」 「あ、いえ、まだ不確かな情報なのですが……」 「さやかが、薄々気づき始めているかも知れません」 「それはいけないな……」 「さやかは、なぜ気づいたのだ?」 「それが……大使館のカレン殿の演技があまり上手くないためかと」 「更迭だっ!」 「そんなことで駐在武官が務まるかっ!」 「すぐに月本国に連絡を取れっ!!」 激昂したミアが、机をバンバン叩いている。 ……。 …………。 おいおい。 これって……洒落にならないだろ。 ミアなんて、性格全然違うし。 「……何か、扉の外に人の気配がせぬか?」 「はっ、ただいま調べて参ります」 まずいっ!なるべく足音を立てないように、階段を上り二階へ。 ……。 …………。 「誰もいないようです」 「そうか。 では続きだが……」 ばたん……。 こりゃ参ったな。 どうしたものか……。 夕方。 部活を終えて帰って来た麻衣に話をした。 「信じられないかもしれないが、聞いてほしいことがある」 「あ、改まっちゃって、なに?」 ……。 「ま、まさかぁ」 「いや、本当なんだ。 この耳で聞いた」 「でも」 「そもそも、考えてみてくれよ」 「一国の姫ともあろう者が、護衛もつけずに、ドレスなんか着てうろうろするか?」 「増してや、昔のこととは言え、戦争をした相手の地球で」 「……そ、そうかも」 「とにかく……気をつけて二人を見ててくれ」 「ミアは、怖そうだったから……くれぐれも慎重に」 「う、うん」 ……。 バイト前。 俺は、菜月にも同じ話を持ちかけてみた。 「……というわけなんだ」 「あははは、そんなはずないじゃない」 「達哉の聞き間違い。 それ以外に考えられないよ」 「だけど……」 「じゃあ、今日の晩御飯の後、私が聞いてみる」 「や、やめた方が……」 「何言ってるのよ。 大丈夫、大丈夫」 ……菜月は、そう言って笑った。 「じゃあ、俺から聞いたってのだけは、絶対に伏せてくれよ」 「もう、心配性だなぁ」 でも、大丈夫だろうか。 ……。 俺は、バックヤードに隠れて、菜月とフィーナ・ミアの話を聞いていた。 菜月は、いつも通りの口調で二人に話かける。 ……。 …………。 「……で、二人の立場が入れ代わってたりしてね」 菜月は、上手く俺から聞いたってことを避けて話を進めている。 「……菜月、少しこちらへ」 心なしか、少し真剣な声のフィーナ。 ぼそぼそ……フィーナとミアが、菜月に何かを耳打ちする。 ここからじゃ聞こえないな…………。 …………。 「では、そういうことで」 「お願いしますね」 ……よく分からんが、二人は笑顔で左門を出ていった。 何を話していたんだろう。 俺は、潜んでいたバックヤードから店内に出て行く。 「どうだった、菜月?」 「えっ?」 「な、何のことかナー」 「いや、二人が入れ代わってる件……」 「わ、私はそんな話は聞いてないヨー」 菜月の動きがぎこちない。 それに語尾も怪しい。 これは……嘘が下手な菜月が、無理矢理嘘を言ってるとしか思えない。 「おい、菜月っ」 「それじゃ、戸締りよろしくネー」 カクカクした動きで、スキップしながら去っていく菜月。 不自然だ。 不自然過ぎる。 ……。 …………。 俺一人、店内に残される。 いったい、どうしたってんだ、菜月。 あの二人……菜月に何を話したんだ。 その日、姉さんは博物館に泊まり込みだとかで、帰って来なかった。 姉さんなら、月に留学していたこともあるから、真相を知ってると思ったんだけど……こんこん「……はい」 「お、お兄ちゃん……」 「麻衣か、どうした?」 「あのね、喉が乾いたからキッチンに行こうとしたんだけど……」 「ミアちゃんが、フィーナさんを怒ってる声が聞こえてきて」 「ミアが、フィーナを?」 「う、うん……」 こ、これは……「もしかして、ミアがフィーナより偉そうにしてなかったか?」 「うん」 「だから、お昼にお兄ちゃんが言ってたことって、もしかして本当なのかなって」 「……分かった、俺も聞きに言ってみる」 「もしかしたら、そのまま姉さんに話を聞きに博物館まで行くかもしれないから、麻衣は寝てろ」 「で、でも」 「大丈夫、心配するな」 「う、う……ん」 扉を静かに開き、足音を立てないように気をつける。 廊下に出ると……一階から、声が聞こえてきた。 フィーナとミアの声だ。 ……。 俺は、こっそり一階に降りてみることにした。 ……二人は、リビングにいるようだ。 「そんなことじゃ、間に合わないだろう!」 「しかし」 「言い訳は許さんっ!」 ごくっいつものミアとは、人が違ってしまったかのような怒声。 「す、すみませんでした」 「あと三日で、地球へ降下する強襲宙挺部隊の準備を終わらせろ!」 「いいなっ」 「はっ」 ……俺は、聞いてはいけない単語を聞いたような気がして、慌てて部屋に戻った。 強襲宙挺部隊って……まさか。 まさか。 俺の心の中で、疑念がどんどん膨らむ。 フィーナとミアが地球に来た「真の目的」 は……俺は、夜の街を駆けていた。 誰に相談すればいいのかも分からなかったけど……とりあえず姉さんに。 姉さんなら、きっと何とかする方法を知っている。 そう思って……「姉さんっ」 「あら達哉くん」 「……どうしたの、こんな夜中に?」 「はぁ、はぁっ……」 走り通しだったため、息が切れている俺。 姉さんに水を一杯もらい、これまでに聞いた全てのことを話す。 ……。 …………。 「ふふふ……」 「そんなはずないじゃない、達哉くん」 「真剣に聞いてくれよっ」 「でも、私が月にいた時だって……」 こんこん「あら、誰かしら」 「はーい」 がちゃ「こんばんは、差し入れを持ってきたわ」 「あっ、カレンさん」 「達哉君……珍しいですね。 こんばんは」 「カレンさんっ、聞いてほしい話があるんです!」 ……と、俺がカレンさんにも同じ話をしようとした時。 姉さんが、手のひらで俺の口を塞いだ。 「ごめんなさい、カレン」 「ちょっと、家の話をしていて……」 「……分かったわ」 「おはぎ、ここに置いておくから。 仕事頑張ってね、さやか」 「ありがとう、この埋め合わせは近いうちに」 ……。 ばたん「ね、姉さん……?」 何で……姉さんは、俺の口を塞いだんだろう。 カレンさんに、聞かれちゃ困る話のはずは無いよな。 「ごめんなさい」 「姉さん……ど、どうしたの?」 「カレンには……」 「聞いてほしくなかったの」 「ね、姉さん……」 姉さんは、本当のことを知っている。 俺は、聞いちゃいけないような気がしたけど……ここで、引き下がるわけにはいかなかった。 「まさか……本当に?」 ……顔を上げた姉さんは、無念そうな表情をしていた。 ……。 …………。 「……朝霧家の面々も、全て私を姫、ミア様を姫付きのメイドと信じきっております」 ……。 「そんなことで駐在武官が務まるかっ!」 「すぐに月本国に連絡を取れっ!!」 テーブルをバンバン叩くミア。 ……。 …………。 「誕生パーティ用の演し物なら、そう言ってくれれば良かったのに」 「いやー、でも口止めされちゃってね」 「私も、言わずに済めば良かったんですが」 ……今日は、麻衣の誕生日。 閉店後のトラットリア左門にみんな集まって、盛大にお祝いをしていた。 俺たちの隣では……「くく……くくく……」 姉さんが是非にと連れてきたカレンさんが、笑いを堪え、顔を真っ赤にしている。 ……。 「カレンはまだかっ!」 「カレン殿は、ただいまさやかとお酒を飲んでいるとの連絡が」 ……。 「んくっ、っくくくっ、んふっ」 「はぁ、はぁ……」 どうやら、カレンさんは笑いをこらえているらしい。 「……カレン、大丈夫?」 「ま、まさかお二人が、こんな……くくく……」 カレンさんは、ぷるぷる震えていた。 きっと、こんなフィーナとミアを見たのは初めてなんだろう。 ……。 …………。 フィーナとミアの熱演が終わり、割れるような拍手が左門に響く。 「どうでしたか?」 「二人で練習もしてたのだけど……」 「あははは……」 「とっっっても、面白かったよー」 俺の勘違いもあって、昨日はぶるぶる震えていた麻衣。 今は、愉快そうにおなかを抱えて笑っている。 「それよりカレンさんが」 「カレン、どうしたの?」 「はぁ、はぁ……はぁ……」 「笑い過ぎて、腹筋を痛めているようです」 「カレンさま、大丈夫ですか?」 「……んくっ、んっ、くくく……」 心配して駆け寄ったミアを見て、カレンさんはまた悶絶した。 ……。 …………。 フィーナとミアの演し物は「入れ代わり姫」 。 楽しい夜。 麻衣の誕生日は、こうして更けていった。 ……。 …………。 夏のある日。 気分転換に庭に出ると、早速イタリアンズが絡み付いてきた。 「わうっ、わふっ」 「ほーら、まだ散歩の時間じゃないだろ?」 「わう~ん……」 露骨に残念そうな顔をするイタリアンズ。 ふと、カルボナーラが白っぽいものを咥えているのが目に入った。 「??」 「わう?」 ……。 手に取ったそれは──ブラだった。 薄いラベンダーの、清楚な感じがするデザインだ。 こんな上品な下着を着けているのって……。 少しだけ、持ち主を知りたくなった。 ……。 …………。 「わうっ、わうっ」 「あっ……ああ……」 「こんなの持って、ぼーっとしてるのはまずいな」 リビングへ上がり、通りがかった人が気づくよう、ソファに下着を置いた。 ……。 達哉が下着を置いて、約15分が経過した。 ……。 「あれ……?」 「どうしたの、麻衣ちゃん」 「こんなところにブラが」 麻衣が下着をつまみ上げる。 薄いラベンダーの上品なデザイン。 女性の目から見れば、そのサイズが決して大きくないことはすぐに分かった。 「本当……誰かしら?」 「私のものでは……ないわね」 「わたしのでもないよ」 「リースちゃん?」 「違う」 「フィーナさんかな、大人っぽいデザインだし」 「違うと思います」 「姫さまの下着は、わたしが全て覚えていますから」 「あっ、もちろんわたしでもありません」 「じゃあ、一体……」 困惑する一同。 ……。 …………。 「捨てる」 「わー、まあまあまあ」 「どこかご近所のものかもしれないから、少し待って」 「ね、リースちゃん」 ……。 「……分かった」 しぶしぶ、といった様子でリースが頷く。 「では、一度お洗濯しておきます」 「ええ、お願いね」 「誰か取りに来るかもしれないもんね」 「はい」 自分の仕事を見つけたミアが嬉しそうに言った。 ……。 「それじゃ、私はちょっと出かけてくるわね」 話が一段落したところで、さやかがバッグを持ち直す。 「今日も仕事?」 「いいえ」 「今日は、カレンと会う約束をしているの」 「……カレン」 ぽそり、とリースがつぶやく。 周囲は気づかなかったようだ。 「まあ、ぜひ楽しんできて下さい」 「ありがとう」 「では、行ってきます」 と、さやかが踏み出したところで──ぴんぽーんドアチャイムが鳴った。 「あら?」 「どなたでしょう?」 ……。 「突然、失礼します」 ミアに誘われてリビングに現れたのは、カレンだった。 「こんにちは、カレンさん」 「こんにちは、麻衣さん」 「……」 「……リース」 一同を見回したカレンの視線が、金髪碧眼の少女の上で止まる。 「何か用?」 突き放した声でリースが問う。 「いえ、貴女に用はないわ」 同じく、突き放した声でカレンも応じた。 二人の間に、ぱちり、と火花が散る。 そんな二人を、周囲は怪訝な目で見た。 この二人が剣を交えたことは、彼女たちの他に、達哉とフィーナだけが知るのみだ。 ……。 「カ、カレン、待ち合わせは駅だったはずだけれど……」 場を取り繕うように、さやかが話題を換える。 「覚えているわ」 「でも、その前に……これを回収しないといけないわ」 ……。 カレンが手に取ったのは、例の下着だった。 「ええっ!?」 「その下着は、カレンさまのものだったのですか!?」 「このサイズの女性は、朝霧家にはいらっしゃらないでしょう?」 「ワタシでもピッタリ」 カレンの額に、「怒りマーク」 が浮かぶ。 「……余計なことを」 「でも、どうしてうちにカレンさんの下着が?」 「さやか、バッグを開いてみて」 「え? 私のバッグが何か……」 困惑した表情で、さやかが自分のバッグを開く。 ……。 「あ……」 取り出されたのは、薄いラベンダーのパンツだった。 例のブラジャーとセットの下着であることは明白だった。 「まあ」 「……」 「昨日、私の家で飲んだ時、干してあったものを持ち出したでしょう?」 「あ、あら……そうだったかしら?」 「お、お姉ちゃん……飲みすぎ……」 「さやかと違って、人様にお見せするほど立派なものではないのだから、気をつけて」 カレンが自分の胸に視線を落としながら言う。 「……ごめんなさい」 とんとんとんっ階段を下りる足音が聞こえた。 「!?」 「達哉くんだわ」 「下着の持ち主については、絶対に口外しないで下さい」 人生の大事と言わんばかりの表情で、カレンが言う。 「……」 俺がリビングに下りると、意外な人が立っていた。 「こんにちは、カレンさん」 「突然お邪魔して申し訳ありません」 カレンさんが頭を下げる。 いつもと雰囲気が違う気がする。 「いや、そんな畏まらないで下さい」 「でも、どうしてうちに?」 「さやかと会う約束をしていまして」 「そ、そうなの」 笑顔を作って答える姉さん。 何だろう……リビングに、ぎこちない雰囲気が漂っている。 ……。 あ……もしかしたら、下着の話をしていたのかもしれない。 なら、確かに俺がいては気まずいだろう。 「そ、そうだ……麦茶でも……」 自分でも分かるくらい下手な言い訳をしてキッチンへ向かう。 「タツヤ」 「え?」 と、リースが俺を呼び止めた。 「下着、タツヤが拾った?」 「……」 ……隠すのもおかしい気がした。 「ああ」 「みんなに言うのが、ちょっと恥ずかしくてさ、ソファに置いといたんだけど……」 「誰のか分かった」 リースがカレンさんを見る。 「っっ!?」 「わあっ」 「まあっ」 「ひゃあっ」 「お、おのれ……」 カレンさんが羞恥で顔を真っ赤に染める。 「いつか、殴ってくれたお礼」 リースがぷいっと顔を背ける。 ……。 カレンさんは、顔を真っ赤にして俯いている。 頭の中に、清楚な下着を纏ったカレンさんの姿が浮かんだ。 「あの……下着……カレンさんの……?」 「いえ、あの……私は……その……」 カレンさんが口篭もる。 「魅力的なサイズではなくて……お恥ずかしい……限りです……」 今まで見たことも無い姿だった。 ……。 どうにかしてフォローしなくては……。 頭をフル回転させるが、なかなか言葉が出てこない。 ……。 「あ、いや……とっても、上品なデザインだったから……」 「カレンさんに、よ、よく似合うと……思いますよ」 「ぁ……」 息の詰まったような声を上げ──カレンさんは、ソファにへたり込んだ。 ……。 …………。 失敗した。 「おーにいちゃーん」 「そんないやらしいフォローを、どこで覚えたのかしら?」 「そんな、とっさに口から出ただけだって」 「とっさにしては、ずいぶん……」 三人の冷たい視線が突き刺さる。 彼女たちの声は極力聞かないようにして、カレンさんの様子を窺う。 ……。 「男性に……このようなことを言われたのは……初めてです」 のぼせたような口調。 「もう、相変わらず免疫がないんだから」 「お水をお持ちしました」 「あ、ありがとう……」 「…………ふぅ」 ようやくカレンさんは落ち着いたようだった。 ……。 「はぁ……頭が急に熱くなって……自分が自分では無いようでした」 「カレンさん……意外に……純」 「言わないで下さい」 カレンさんが俯く。 その姿は全くの少女で、少なからず衝撃を覚えた。 「カレンは昔からこうなの」 「さやか、もういいわ……」 カレンさんがリースを見る。 「リース、ずいぶんなことをしてくれたわね」 「仕返し」 「でも、カレンもまんざらでもないようだし、仕返しになっていないわよ?」 「さ、さやかっ!?」 カレンさんが、これ以上無いくらい顔を紅潮させた。 「……む」 「あ、あの……」 「し、失礼しますっ」 カレンさんは勢い良く立ち上がると、玄関から飛び出していった。 ……。 …………。 「あの、お姉ちゃん」 「一緒に出かけるんじゃなかったの?」 「……あら?」 「あら、じゃないと思うんだけど」 「カレン~、待って~」 どたどたどたっ賑やかな足音が遠ざかり、玄関から出て行く。 ……。 …………。 「ふぅ……」 「はぁ……」 「……オノレ」 「……はぁ……」 自然とため息が出る。 寿命が、確実に1年は短くなった気がした。 4時間目の授業開始が近づいた。 トイレから席に戻る。 ……。 俺の席で何かしていた菜月が、慌てて黒板の方向に向き直った。 「どうした?」 前の席に座る菜月に問う。 「う、ううん、何でもないよ」 首筋をかすかに赤くしながら答える菜月。 見るからに何かありそうな雰囲気だが──目くじら立てて問いただすでもないか。 ……。 夏休み中に付き合い始めた俺たち。 学院では、まだ関係をオープンにしていない。 俺は構わなかったが、恥ずかしがり屋の菜月が二の足を踏んでいる。 「朝霧君、ノート返してもらっていい?」 遠山が話し掛けてきた。 「あ、借りてたんだっけ、ごめん」 「いーよ」 「それより、ちゃんと写せた?」 「ああ、バッチリだ」 「あははははっ、感謝してよ~」 始業のチャイムが鳴る。 「じゃ、またねっ」 ……。 遠山は、菜月との件を経ても変わらない様子で俺に接してくれている。 口を利いてくれなくなるのも覚悟していたのだけど……。 本当にありがたいことだ。 「では、ここの訳を……」 「今日は21日だから……遠山さん、お願いします」 先生が出席簿を見ながら、遠山を指名する。 「はーいっ」 予習万全の遠山が意気揚揚と立ち上がった。 「サムはメアリに、最近の経済状態について一通り解説した」 「というわけで、僕もお先真っ暗ってワケさ」 ノートに書かれた訳を読み上げていく遠山。 さっき俺が写させてもらった箇所だ。 ……。 「まあ、私で何か力になれることがあればいいのだけれど」 「今夜、部屋に行っていい……?」 「……って、なんじゃこりゃーっ!!」 教室に遠山の声が木霊した。 「ふふふ、メアリがサムを好きだったなんて、新しい設定ですね」 「……お、驚きです」 「一番驚いたのは、遠山さんじゃなくてサムだと思うわ」 「遠山さん、廊下に立っていなさい」 「がーん……」 擬音を口に出して教室を去る遠山。 「これは、陰謀……」 ……。 遠山のノートを写したはずなのに、俺のノートには正しい訳が書かれている。 体を張った遠山一流のギャグだったのだろうか。 ……。 昼休みになり、すぐに遠山が現れる。 「良く分からないけど、災難だったな」 「え、あ……そ、そうだね……」 「あの……朝霧、くん?」 もじもじしている。 何だか、胸が高鳴った。 「あの、その……今夜……OKだから」 きゃっと顔を伏せる遠山。 ……。 …………。 「何のこと?」 訳が分からない。 「何のことって、ノートの話よ」 「朝霧君、私の気持ちを受け入れてくれたのね」 瞳を輝かせ、にじり寄ってくる遠山。 ……。 「いや、あの……」 「わざわざ訳をいじって、私に気持ちを伝えてくれたんでしょ?」 「いっ!?」 「でも、ちょっとイイ感じだよね……」 「さすが朝霧君」 一気にまくし立てる遠山。 「いや、全く身に覚えがないんだけど……」 「……え?」 「ごめん、あれ書いたの私」 「ぶふぅっ!」 遠山がこけた。 「あの……菜月、何やったんだ?」 「え、えと……」 菜月が顔を赤くして目を逸らす。 「達哉のノートだと思って……」 「『今夜、部屋に行っていい?』って……書いちゃったかも」 「……」 間違って遠山のノートに書いてしまったということか。 よりにもよって、そんなメッセージを……。 正直、眩暈がした。 「お……お、お……」 「おのれらは、他人のノートで何しとるんじゃーーっ!!」 遠山が噴火した。 「ごめん……」 「罰として朝霧君は没収です」 「あっ」 「お?」 遠山が、ぐいっと俺の左腕を引く。 「み、翠っ」 負けじと菜月も、俺の右腕を引っ張る。 「ぐあっ」 「いいじゃない菜月、減るものじゃなし」 「減ります」 「まあまあまあっまあっっ!!」 遠山の腕に力が篭る。 「達哉は私と付き合っているのっ!」 ……。 …………。 そして歓声が沸き起こった。 「お前ら付き合ってたのか!?」 「でも、今更じゃない?」 「菜月も朝霧君も、応援してるよっ!」 「うわあぁぁ……」 ぼむっ、と音を立てて菜月が真っ赤に染まる。 「な、菜月?」 ふらふらと、菜月が俺から離れる。 そして──「ひゃああぁぁぁっ!」 教室から飛び出していった。 ……。 …………。 「うわぉ」 「あんなに赤くなったのは久し振りに見たよ」 「刺激が強すぎたかな?」 遠山が俺に体を寄せる。 「……あのさ」 「何? 朝霧君」 「いつまでつかまってるんだ?」 「む、気づかれたか」 「気づくって」 「残念……」 遠山は嫌味なく笑って、俺から離れた。 「とばっちり食わせてごめんな、遠山」 「いいっていいって、後で昼でもおごってくれれば」 「じゃあ、明日の昼飯」 「えへへ、らっきー」 「ほれほれ、菜月を探しに行ったら?」 「じゃ、ちょっと探してくる」 「いってらっしゃーい」 遠山がヒラヒラと手を振る。 クラスメイトの注目の中、俺は教室を出た。 ……。 こうして、俺と菜月の関係は周囲の知るところとなった。 真夏の青い空。 セミの声が、そこかしこから湧き上がっている。 俺は、クーラーの効いたリビングで麦茶を飲んでいた。 どこかに出かけたいところだが、留守番がいなくなるのも無用心だ。 のんびりと時間を過ごすのも、たまには悪くないだろう。 ……。 麻衣は、朝食を食べるとすぐ部屋に篭ってしまった。 顔を見るのは、好物のアイスを取りに来る時くらいだ。 ……何か機嫌を損ねるようなことをしたかな?……。 とんとんとんっ軽い足音。 「たぁ~、暑いね~」 薄っぺらな上着の前をパタパタさせながら麻衣が下りてきた。 「この夏一番だってさ」 「うわぁ」 「わたしたちだけ休みで、何か申し訳無いね」 「だよなぁ……」 ……。 本当は申し訳無く思わなくちゃいけない。 それは分かっているつもりなのだが、どうしても胸が躍ってしまう。 なぜなら──今日は麻衣と二人きりだからだ。 それも、初めて過ごす、二人きりの日曜日だ。 がちゃっ冷蔵庫が開く音。 「うぅ~ん、涼しいぃ~」 ダイニングから、とろけた声が聞こえてきた。 おおかた、冷蔵庫の空気でも浴びているのだろう。 「電気代もったいないだろ、涼むならこっちに来ればいいのに」 電気代を理由にしながらも、本当は麻衣に隣に座って欲しかったのだ。 「ごめんなさーい」 「ええっと、この辺にバニラが……」 ……。 ガサガサガサ「またアイス? 今日、何本目?」 「ん~、3本目」 「やや、発見っ!」 目当てのものを見つけたらしい。 冷蔵庫の扉が閉まる音がして、麻衣が廊下に出て行く。 「なあ」 「んむ?」 「……」 部屋に戻って欲しくなかった。 せっかく二人きりなのに、どうして麻衣は部屋に行ってしまうのだろう。 「どうひたの?」 「あ……いや、何でもない」 気恥ずかしくて、口に出せなかった。 「うむぅ……?」 「あー、口冷たくなっちゃった」 アイスを口から出して顔をしかめる麻衣。 「何やってんだか」 「お兄ちゃんが早く話してくれないからだよ」 「俺のせいかよ」 「あはははっ、じゃ、まったね~」 ヒラヒラと手を振って、麻衣は2階に消えた。 ……。 …………。 ぽつりとリビングに残される。 ……。 何か……寂しいな。 二人きりの日曜だってのに……。 ……。 …………。 さっき、遊ぼうって言っておけば良かった。 ……。 そう考え出すと、止まらなかった。 麻衣に会いたくて、いても立ってもいられなくなる。 ……。 「よしっ」 ソファから立ち上がる。 2階に上がり、麻衣の部屋の前に立つ。 何て声をかけたらいいんだろう?……。 ……あれ?ドアが少し空いている。 ……。 「こうして……ぺちゅ……ぺろっ……」 「あれ……こう、かな……れろっ……ぴちゅ」 「……」 な、なにやってんだ……。 ……。 中を覗く。 麻衣が、床に座り込んでアイスを舐めている。 雑誌を見ているようだけど……。 ……。 「こっちは……こうで……くちゅっ、れろれろ……」 アイスの角度を変えた。 舌を伸ばして、バニラアイスを根元から舐め上げる。 ……。 ……これって。 アレの練習してるのか?「……ご、ごくっ」 がたっ固唾を飲んだところで、ドアに体をぶつけてしまった。 慌ててドアに姿を隠す。 ……。 「えっ!?」 「お、お兄ちゃん!?」 「……」 ……。 …………。 「足……見えてる」 「う……」 ……。 諦めて顔を出すことにした。 「……ごめん、覗くつもりはなかったんだけど」 部屋の真ん中で、麻衣が恥ずかしそうに俯く。 床には、見覚えのある雑誌が広がっていた。 ……。 というか、俺がベッドの下に隠しておいた、そういう本だ。 「ま、麻衣……これは」 「あ……あの」 開かれているページには、イラスト付きでフェラチオのやり方が書かれていた。 「ぅ、ぅぅ……」 「お兄ちゃんは、どんなことが……好きなのかなって」 麻衣の顔が真っ赤になった。 ……。 つまり、中を眺めているうちにフェラチオのページを見つけた。 それで思わず練習してしまった……と。 ……。 「……上手くできたら……お兄ちゃん、喜んでくれるかと思って」 「……そうだったのか」 どうやってこの本を見つけたかはともかく──麻衣は、俺のためを思って練習をしてくれていたのだ。 責めるどころか、嬉しい話だ。 ……。 「ありがとう、麻衣」 「え?」 顔を上げる麻衣。 「どうして……お礼?」 「だって、俺のことを考えて練習してくれたんだろ?」 「……う、うん」 そう……俺だって、麻衣に満足してもらう方法を勉強したっていいはずだ。 でも、そんなことは考えてもいなかった。 見習わなきゃいけないのは俺の方だ。 「なら、嬉しいに決まってるじゃないか」 俺は麻衣の頭を撫でる。 ……。 「……あ、ありがと」 「でも、いやらしい女の子だと思うよね」 「……嫌いに、なっちゃう?」 おどおどした視線で俺を見上げる。 麻衣への愛しさが溢れる。 「そんなことないさ」 「積極的にしてくれるのは、嬉しいことだよ」 ……。 「じゃあ、この本に載っているようなことも……その……」 「……し、してみたいの?」 どの記事のことを言っているかは分からない。 でもこの本はソフトな内容が多い。 まあ、頷いても平気だろう。 「ああ、そうだな」 「……でも、麻衣に負担をかけてまでしたいとは思わないよ」 「……」 麻衣が俯く。 首筋が赤く染まってきた。 ……。 もしかして……その気に……。 「お兄ちゃんっ」 麻衣が勢い良く顔を上げる。 ……。 「わたし……お兄ちゃんに、喜んで欲しい……」 麻衣が、じっと俺を見つめる。 真剣な目だった。 「麻衣……いい子だな」 麻衣の肩に手を掛ける。 「お兄ちゃんが、いやらしい方がいいって言うなら……頑張るから」 懸命に言う麻衣を、俺はベッドに優しく引き倒した。 ……。 胸の紐に手を掛け、しゅるりと解く。 もともと大きめのワンピースが、腰まで下がり、黒いタンクトップが現れた。 「ぁ……」 麻衣が恥ずかしそうに俯く。 「麻衣、いやらしくなってくれるんじゃなかったの?」 「え?」 「……う、うん」 麻衣が、ぎゅっと目を瞑る。 ……。 麻衣がタンクトップの裾に手を掛け、ゆっくりとずり上げ始める。 なかなか乳房が現れないもどかしさに、俺の興奮が高まる。 ……。 …………。 やがて、小ぶりな乳房と桜色の突起が俺の前に姿を現した。 「麻衣……相変わらず綺麗だ」 「おにい、ちゃん……」 ……。 恥ずかしさをこらえるような声を出して、麻衣が自分から俺に覆いかぶさる。 ……。 はだけられた麻衣の上半身は俺の下腹部へ──そして、俺の目の前には麻衣のお尻が向けられている。 ……。 麻衣のスカートは、この角度からだと、ほとんど用を成していない。 ぱっくりと開かれた足の付け根では、性器の縦筋に沿って下着が食い込んでいた。 「……う、わ」 刺激的なビジュアルに、ペニスが一気に膨張する。 「お兄ちゃん……見てるの……?」 「え?」 麻衣の声に、一瞬戸惑った。 「分かってるよ、こっちが反応してるから……」 麻衣の指先がペニスを軽く突付いた。 「ま、麻衣……」 「あはは……いやらしい」 「わたしも、いやらしくなれるように頑張るよ」 柔らかな手がズボンの上を這い回り──「うあっ……あ……」 麻衣の手がベルトにかかった。 「今日は、わたしから……させてね」 かちゃかちゃと、ベルトが鳴る。 「あっ、うっ、麻衣ちょっと……」 ……。 そういっている間にベルトは外され、ペニスが取り出された。 見なくても分かるほど、そこは固く屹立している。 「わぁ……」 「なんか、すごい……」 顔を寄せて見ているのだろう。 熱い息が亀頭にかかった。 「あ、う」 それだけで声が出てしまう。 「じゃあ……本に出てたこと……するね」 ここから麻衣の顔は見えない。 だが、彼女が顔を緊張で強張らせているのは、声色から容易に想像できた。 ……。 麻衣が上体を持ち上げる。 「んっ……よっと……」 麻衣の体が、ゆらゆらと揺れる。 何をしているのかは見えない。 だが、そのことで余計に興奮が高まる。 ……。 …………。 ぴと……しっとりとした感触がペニスを包んだ。 「く……」 「ん……ど、どう……?」 「どうって……何してるんだ?」 「……む、胸で……挟んでるの……」 ペニスが左右から柔らかく圧迫される。 実際の快感よりも、麻衣が胸で挟んでくれているという事実が俺を昂ぶらせた。 「好き、なんでしょう? こういうの」 「……ま、麻衣は平気なのか?」 もちろん好きに決まってる。 でも、恥ずかしくて言えない。 「え……えと……」 麻衣が言い淀む。 「も、もちろん平気だって」 ペニスに柔らかい刺激。 「あっ……う……」 「お兄ちゃん……ぴくぴく、震えてる……」 「すごく、興奮してるから」 「良かった」 「じゃあ……本の続き、するね……」 「お願いできるか?」 「うん……んっ……ぴちゅっ……」 肉棒に生暖かいものが降ってきた。 両の乳房が、それを擦り付ける。 「ん……んっ……」 そして、麻衣の体がゆっくりと俺の上を滑り始める。 にゅるっ……ぬるっ……ぴちゅっ……ぬるぬるとした刺激が、ペニスを擦り上げる。 「んっ、はぁ……んんっ……」 「どう、お兄ちゃん……気持ち、いい?」 「ああ……溶けそうだよ」 「……そう、嬉しい」 俺の体の上を麻衣が動く。 刺激は下半身だけではない。 下着が食い込んだ局部が、顔に迫っては遠ざかっていく。 その光景はあまりに扇情的だ。 「あぁ……どんどん、固くなってく……」 うっとりとした声で麻衣が言う。 「くっ……仕方無いだろ、気持ちいいんだから」 「あはは……じゃあ頑張っちゃうね」 麻衣の動きが円運動に変わった。 亀頭のいろいろな場所が乳房に擦られる。 「あうっ、あ……く……」 「お兄ちゃん、可愛い声してる」 くちゅ、ぬりゅ、ぴちゅ……快感が腰に溜まっていく。 ……。 「お兄ちゃん……なんか、白いのが出てきたよ」 「気持ちいいってこと?」 「ああ、そうだよ」 「じゃあ、もっと良くしてあげるね」 麻衣の乳房が、今度はペニスの根元を覆う。 ……。 「ちろちろ、してあげる」 「はぁ……れろ、ぴちゅ……」 先端に熱いものが触れた。 「くうっ」 反射的に腰が跳ねる。 「あっ、動いたら歯が当たっちゃうって」 乳房でペニスが押さえつけられる。 「んっ……ぴちゅ、くちゅっ……れろっ」 麻衣の舌が亀頭を這い回る。 「お兄ちゃん、痛くないかな?」 「……ああ」 快感の中から、ようやく声を出す。 「そっか、良かった……ぴちゅ……」 舌が、カリ首をくるくるとなぞる。 「あ……う……」 背筋を快感が走る。 「お兄ちゃん、びくびくしてる……れろれろっ、ぴちゃ、ぬりゅ」 「はぁ……くちっ、ねちゃっ……はぁ、はぁ……にちゃ……」 麻衣の息が荒くなってきた。 「こういうのは、気持ちいいかな?」 裏筋に当てられた舌がぷるぷると振動する。 「ああっ、あ、あ、あ」 強い刺激に、思わず射精しそうになった。 「れろ……れろれろっ、ぴちゅっ」 「うあっ……あ、あ……」 頭が真っ白になっていく。 「ぴちゅっ、れろれろっ、くちゅっ、ぴちゅっ!」 「はぁぁ……くちゅっ、れろ……すごく、固いよ……ぺちゃ、ぴちゅっ!」 麻衣の舌はなまめかしさを増していく。 俺の絶頂は間もなくだ。 「麻衣、俺……そろそろ」 「んっ、いいよ……遠慮、しないで……」 麻衣が体を揺らし、竿を乳房で擦り上げる。 「あ、あ……」 何だか情けない声を出している。 なされるがままで精液を撒き散らすのは、ちょっと情けない。 俺は目の前で揺れている、割れ目に手を伸ばす。 ……。 「きゃうっ!」 そこに触れた瞬間、麻衣の体が跳ねた。 くちゅっ、とした湿り気が指に伝わる。 「あっ、だめ……今日はわたしが……」 「いいの、一緒に気持ち良くなろうよ」 そう言って、下着の上から割れ目に指を合わせる。 「あうっ……お、お兄ちゃん……」 「もう、ぬるぬるになってるぞ、麻衣のここ」 指を左右に振動させる。 「あぁぁっ、あんっ、やっ」 「指が、どんどん入っていくよ」 「あっ、あっ、あっ、あぁっ!」 麻衣の声が尻上がりに高まる。 そこで手を離した。 ……。 薄い布地が愛液で透け、中の形をはっきり見て取ることができた。 「あ……お兄ちゃん……?」 「すごく濡れてるよ、麻衣」 「中まで透けてる」 「だ、だって……お兄ちゃんのを舐めてたら……」 「想像しちゃったか? ここに入るところ」 下着の紐をほどく。 ……。 蜜をにじませた性器が顔を出した。 「やっ、は、恥ずかしい……よ……」 麻衣が、もじもじと腰を揺らす。 開いた膣口から雫が俺の顔に垂れる。 ……。 「俺も口でしてあげる」 「もっとこっち来て」 「やっ、いいって……あ、だめ……」 麻衣の腰を引き寄せる。 ……。 女性器に口をつける。 「ちゅる……ちゅるちゅる……」 「ひゃあっ! あ、あ、あ……あうっ!」 麻衣の内腿が痙攣した。 「麻衣、俺のは気持ち良くしてくれないの?」 「あ、うん……ごめん……」 ……。 「はぁ……れろ、れろれろっ……くちゅっ……」 再び麻衣の舌がペニスをなぞる。 下半身を走る快感に酔いながら、性器を吸い続ける。 「んあっ、あっ……そこはっ、そこはっ……」 「敏感すぎて……あぁっ、やああっ」 「麻衣、休んじゃだめだよ」 「う、うん……ぴちゅっ……あぅ……ぺちゃ、れろっ」 「はぁはぁ……くちゅくちゅ……ぺちゅっ、ぴちゅっ、くちゃ」 麻衣が舌を懸命に動かす。 先ほどまでのような丁寧さはない。 でも、昂ぶった俺のペニスには、荒っぽいくらいの方が気持ち良かった。 「ぴちゅっ、れろれろっ、くちゅっ」 「あうっ……れろっ、くちっ、ぬりゅっ」 亀頭が容赦なく責め立てられる。 膣からは蜜が溢れ、甘酸っぱい癖のある味が口の中いっぱいに広がった。 「くっ……」 舌をすぼめクリトリスを刺激する。 「ひゃあぁっ!!」 麻衣の背中が反る。 休むことなく秘芽を舐め続けた。 「あうっ、お兄ちゃんっ、あっ、あっっ」 「だめっ、だめだめっ……おかしく、おかしくなるよっ!」 激しく首を振る麻衣。 汗の雫が、周囲に飛ぶ。 「やぁっ、あ、あ、あ……もうっ、もうっ」 麻衣がどんどん高みへ登っていく。 それでも俺のペニスを乳房で刺激している。 「麻衣、擦って」 「一緒にいこうっ!」 クリトリスを口で吸い上げる。 「ひゃああぁっ、ああっ……お兄ちゃん、お兄ちゃんっ」 乳房が懸命に動かされる。 刺激を高めるよう、俺も腰を振った。 「ああっ、やあっ、もうっ、だめっ、だめだめっ!」 肉棒を精液が上っていく。 淫芽を唇で甘噛みし、左右に激しく首を振る。 「きゃうっ、だめっ……あ、あ、あぁっ!」 「あんっ、んああぁっ、あうっ、あっ、あっ!」 「だめだめだめだめっ……んっ、ああっ、ああぁぁっ!!」 射精の欲求が限界に達した。 「あ、あ、あ、あ……だめっ、お兄ちゃんっ!!」 「もうっ、もうっ、やあぁっっ……あ、あ、あ……あああぁぁぁぁっっっっ!!!」 膣口が収縮し愛液が吹き出る。 麻衣が大きく痙攣した。 ……。 どくどくっ!!!ペニスが暴れ、乳房の間から飛び出す。 びゅくっ、びゅくんっ、どぴゅっ、!!びゅびゅびゅっ! びゅくう!至近距離から、麻衣の顔にぶちまけた。 「ひゃうっ、ああっ、あっ!」 快感が高速で全身を走り抜ける。 一瞬、視界が真っ白になった。 ……。 「あっ……うっ……やっ……」 麻衣は、まだ体を震わせている。 声を上げる度に膣が締まり、愛液が流れ出す。 「ぁ……ぁ……はぁ……はぁ……」 「はぁ……はぁ……」 麻衣の体から力が抜け、俺の上にぐったりと横たわる。 大きく開かれた脚の中心では、性器が愛液でぐちゃぐちゃになっている。 少し上にあるアナルも、まるで呼吸をしているみたいだ。 ……。 「はぁ……はぁ……おにい……ちゃん……」 「すごく良かったよ、麻衣」 麻衣の頭を撫でながら言う。 「お兄ちゃんの臭いが……いっぱい……」 ぼんやりとした口調。 俺の声など聞こえていないのかもしれない。 「ぬるぬるに……なっちゃった……」 震える手で、顔に付いた精液を伸ばす。 化粧水を塗りつけているような動きだ。 「いやらしいな、麻衣は」 「昔からずっと……我慢ばかりしてたから……」 「自分でもどうしようもないくらい……熱くて……」 切れ切れに麻衣が応える。 ……。 俺への思いを、小さな胸に押さえ込み続けていた麻衣。 関係が許された今、反動で快感に貪欲になっている。 何だか分かる気がした。 それは俺も同じだからだ。 「もっと、気持ち良くなろうか?」 「え……?」 ……。 「……うん」 「なろう、お兄ちゃん」 とろけた声で麻衣が言う。 ……。 ぐったりした麻衣の脚を抱え上げる。 「あぁ……また、恥ずかしいところ、見られてる……」 濡れそぼった性器が、淫らに液を吐き出している。 その光景に、ペニスが固さを取り戻していく。 「かわいいよ」 「嘘だよ……お兄ちゃんの、えっち……」 「ほんとだって」 ペニスを麻衣の秘部に擦りつける。 ……。 ちゅっ、くちゅっ、にちゃ……すぐに粘り気のある音が聞こえた。 前戯の必要など無さそうだ。 「あ……もう……固い……」 「麻衣のここも、どろどろ」 「だ、だって……気持ち良くなったばかりだから……」 「やめとく?」 ……。 「お兄ちゃんの、ばかぁ……」 鼻に掛かった声を出す。 とても俺以外には聞かせられない淫らな声だ。 「じゃ、いくよ」 先端を膣口にあてがう。 せがむように充血した小陰唇が動いた。 「お兄ちゃん……きて……」 一気に腰を打ち込んだ。 ……。 ずちゅっ!!「あうっ!」 「お兄ちゃんが……入って、きたよ……」 先ほどの絶頂で、膣内はペニスが溶けるほど熱くなっていた。 だが、その締りは衰えることを知らない。 膣全体が意思を持っているかのように、俺の急所を刺激する。 「……相変わらず、すごいな。 俺のこと締め付けて……」 「だって……お兄ちゃんのこと、大好きだから……放したくないの……」 陶然とした声で麻衣が言う。 愛しさで胸がいっぱいになり、俺は反射的に腰を振り始めた。 「ああぁっ!」 「お兄ちゃんっ……いきなり……ひゃんっ!」 ぐちゅっ、ぬちゃっ、みちゅっ!淫液を飛び散らせ、激しくペニスを突き込んだ。 「麻衣っ、麻衣っ!」 「うあっ……お兄ちゃんが、出入りしてる……」 「あんっ、あっ、あっ……すごく、激しい」 麻衣が結合部を見ている。 精液に汚れた顔には、歓喜の色が浮かんでいた。 「麻衣、すごくいやらしい顔してる」 「ひゃうっ……ご、ごめんなさい……」 「でも……でも……お兄ちゃんと、繋がれるのが、嬉しくて……」 「こんなこと……あうっ、お兄ちゃんとしてるのは、わたしだけだって思うと……」 言葉に呼応するように、膣内がきゅと締まる。 甘い刺激がペニスを走った。 「わたし以外と……こんなこと、しないよね」 「当たり前だろ……麻衣以外とこんなことしない」 「約束するよ」 快感に耐えつつ、麻衣に言葉を掛ける。 「お兄ちゃん……大好き」 膣が俺を吸い上げる。 麻衣の気持ちと体は、驚くほど連動していた。 「くっ……俺も、麻衣が好きだよ」 もう一度、脚をしっかりと掴み直す。 力の限り腰を叩き付けた。 「あうっ、ひゃあぁぁっ!」 じゅぷっ、ぐちっ、にちゃっ!淫らな音と共に、麻衣の体をえぐる。 熱く熟した胎内が、容赦なく俺を締め上げた。 「やんっ、ああぁっ、きゃんっ!」 「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ……あ、あ、あ、あっっ!」 部屋に響くほどの声を出す麻衣。 「麻衣の声、可愛いよ。 もっと聞かせて」 「いいよっ……声、声出させてっ、もっとお兄ちゃんを感じさせてっ」 快感に眉を歪めながら麻衣が言う。 単調なピストン運動に、横の動きを加えていく。 「やぁっ、当たってる……お腹の中に当たってるっ」 「んっ、あうっ、あっ、あっ……さっき気持ち良くなったばかりなのに……またっ」 麻衣の脚がピクピクと痙攣する。 再び絶頂が近付いているようだ。 「ひゃあっ、あうぅ、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんはっ!?」 「俺も、良くなってる。 またたくさん出せそう」 「うんっ、一緒に……一緒に良くなろ」 麻衣の腰が揺れ始めた。 亀頭が四方八方から擦られ、一気に性感が高まっていく。 「どう……お兄ちゃんも……良く、なれてる?」 俺を締め付けながら、荒い息で聞いてくる。 「あ、ああ……」 快感をこらえつつ、どうにか答える。 「くすっ……じゃ、じゃあっ……もっと、するねっ」 麻衣の腰の動きが早くなる。 歯を食いしばり、負けじと腰を振った。 「ああぁぁっ!」 ぐちゅっ、ねちゃっ、にちゅっ!膣内にとめどなく愛液が溢れる。 「ふあぁっ……お兄ちゃんのが、中で暴れて」 「だめっ、わたし、またっ……ああぁぁぅ、やあっ!」 俺のピストンで、麻衣の体が大きく揺れた。 肉棒を突き込む度に、体がずるずるとシーツを引きずる。 「もっと、強くして、いいよ……あうっ、ああんっ!」 「ひゃあっ、ああっ、あ、あ、あ、あ……いうっ、だめっ、ああぁぁっ!」 シーツごと麻衣を引き寄せながら、あらん限りの欲望を叩きつける。 麻衣の薄い胸が、ぷるぷると波打った。 「うああっ、お兄ちゃんっ……もうっ、だめっ」 「俺も……出る」 「んっ、一緒にっ、一緒にっ……あうっ、あっ、あっ、あっ!」 「だめっ、飛んじゃうっ、頭が、頭が……真っ白に、あああぁぁっ!」 膣内が激しく波打ち、精液が先端へ向かう。 「やあぁっ、だめっ、だめっ、だめっ……あ、あ、あ、ああぁぁっ!」 「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ……やあぁっ、やああぁぁぁっっ!!」 膣口が、ぎゅっと締め付けた。 「うあっ!」 俺を放すまいとする襞を振り払い、慌ててペニスを抜き出す。 どくどくっっ!!「ああっ」 ペニスが振るえ、全身を電撃が走る。 びゅくっ! どくんっ! びゅびゅっ!全身を痙攣させている麻衣に、精液が落ちていく。 「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」 全力疾走した後のように、全身を上下させる麻衣。 「はあっ……あ……熱い、よ……」 「はぁ……体に……お兄ちゃんの、白いのが……いっぱい……」 麻衣が酔ったような声で自分の体を眺める。 俺の欲望の証で、全身が汚れていた。 「ごめんな、たくさんかけちゃって」 「いいよ、お兄ちゃんの、だから……」 そう言って、麻衣は力なく笑う。 全身を駆け抜けた快楽に力を吸い取られてしまったようだ。 「でも……」 「ん?」 「まだ、もらってない場所……あるよ……」 ……。 ……それって。 麻衣の視線が、俺のペニスに向けられる。 「あ、あの、ごめんね……こんな女の子で……」 「なんだか……自分でも分からないの……」 「どうしてこんな風に、なっちゃうのか……」 麻衣が俯く。 「麻衣が求めてくれるの、すごく嬉しいよ」 麻衣の肩を、そっと撫でる。 「……お兄ちゃん……ありがとう……」 麻衣が少しだけ腰を揺らす。 さっきまで俺が出入りしていた穴から、とろりと愛液が流れた。 「……ま、麻衣っ」 激しい衝動に突き動かされ、俺は再び麻衣の脚を高々と持ち上げる。 「あ、ああ……」 ペニスの前に麻衣の性器が晒された。 俺を誘うように、外陰部が動いている。 「……っっ」 まだ半分くらいの固さしかないペニスを、麻衣に挿し込んだ。 ……。 「あうっ!」 2度達したというのに、麻衣の膣内はなお窮屈だ。 ぬらぬらとした壁が、あっという間にペニスを包囲する。 「お兄ちゃん……求めてくれるの、すごく……」 蜜壺がざわめいた。 麻衣に促され、徐々にペニスが固くなってくる。 「待ってて……今、元気にしてあげる……」 麻衣が自ら腰を振る。 「んっ……ふうっ……っっ」 あの麻衣が──ずっと一緒に育ってきた麻衣が──俺を興奮させようと、腰を振っている。 ……。 「あっ……だんだん……固く」 「わたし……気持ちいいんだね」 麻衣が嬉しそうな顔をした。 「もう、大丈夫だ」 脚をぎゅっと抱え──腰を叩きつける。 ずぷっ!!「ひゃうっ!!」 鮮烈な声を上げ、麻衣が仰け反った。 俺の頭はほとんど働いていない。 ただ、麻衣への性欲のみで腰を振った。 「あぁっ、お兄ちゃんっ……大好き……」 「ずっと……一緒に……」 うわ言のように言う。 「麻衣っ、麻衣っ!」 湧き上がる愛しさを、麻衣の体へ送り返していく。 ぐちゅっ、ねちゅっ、じゅちゅっ!泡立った液体が、結合部から零れ出る。 「うあっ……お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ!」 「あ……ぁぁ……」 ぴくりと震えたかと思うと、体から力が抜けた。 ……軽く達したのだろう。 構わず腰を叩きつける。 「うぁ……ぁ……ぁ……」 「やぁ……だ、め……あうっ……あっ」 何度かペニスを突き入れると、麻衣の体が反応し始めた。 「ああっ、だめっ……もう、おかしく、おかしくなっちゃうっ」 「んあっ、やぁぁ……あああぁっ、あっ、んっ!」 いつの間にかペニスはぱんぱんに膨らんでいた。 そればかりか、じわりと射精への欲求も頭をもたげている。 渾身の力で抽送を繰り返す。 「やぁっ、おにい……ちゃんっ、ああっ、あうっ」 「もう、だめ……だめ、だめ……ああぁぁ、んあっ!」 「麻衣っ、イッて」 「や、やだっ……や、あ、あ、あ、あ、あうっ」 がくがくと首を振る麻衣。 俺は結合部に手を伸ばし、クリトリスに触れた。 「ひゃあぁっ!!」 「あ、あ、あ、あ……やああぁぁぁっっ!!」 麻衣の全身が硬直した。 ペニスが絞られる。 「うっ……あ……」 精液が幹を上りかけた。 「ぁ、ぁ……ぅ、ぁ……」 「麻衣、もう少しだからっ」 速度を上げて腰を振る。 「うあ、あぁぁ……」 「ああっ、お兄ちゃんっ、だめ、だめ……」 ……。 ぐちゃっ、ぬちゃっ、ねちゃっ、ぐちっ!どろどろの蜜壺に幾度となくペニスがもぐり、帰ってくる。 シーツは既にぐっしょりと濡れ、絞れば愛液の雫が落ちそうなくらいだ。 「あう……あ……あん……や」 「あ……あ……だめ……ひゃう……や」 ピストンに合わせて、切れ切れな喘ぎが漏れる。 麻衣の体には、ほとんど力が残っていない。 だが、膣内だけは初めから変わらず、貪欲に俺を擦り続けている。 「んあっ……うっ……ああっ……あ、あぁ……」 「だめっ、お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ、またっ」 再び麻衣の体が痙攣し始める。 収縮する膣内が、俺を絶頂間近まで持ち上げた。 「麻衣っ!」 ラストスパートだ。 「ああんっ、やあぁっ、だめっ、だめっ!」 「もうっ、やあぁ……あうっ、うっ、んんっ!」 「おかしくっ、なって……ああぁぁっ、あ、あ、あっ!!」 「きゃんっ、ひゃあっ、あっ、ひゃんっ、あぁっ、ああぁぁっ!!」 「やっ、や、あ、あ、あ、あ、あ……だめ、だめだめ、だめええぇぇぇっ!!!」 麻衣が三度、絶頂に達した。 「っ……出るっ!」 びゅくっ!!どくんっ! どくっ! びゅくっ!精液を膣内に撒き散らす。 亀頭が痛くなるほど絞られる。 「あ……あ……あ……」 麻衣は、ぼんやりと精液のシャワーを胎内で受ける。 どくっ、びゅぅっ!「……ぁ……ぁ……」 「はぁ……はぁ……はぁ……っっ」 麻衣の体が震えた。 ぷしゃぁぁぁ……片足を抱えられたまま、麻衣の股間から温かいものが噴き出した。 それは、密着した俺たちの腰を濡らしていく。 「はぁ……はぁ……」 麻衣は、ぼんやりと視線を漂わせながら、肩を大きく上下させている。 もしかしたら、自分が失禁していることにも気づいていないのかもしれない。 ……。 そうしている間にも、流れ出る液体は精液や愛液と交じり合い、下半身を伝い落ちていく。 「……?」 麻衣が、自分の下半身とシーツに零れていく液体に目を遣った。 しばらく、それが何であるか分からなかったようだ。 ……。 「あ、あ、あ……見ない、で……」 呆然と麻衣が声を上げる。 「大丈夫、見えないよ」 「あ、う……」 ……。 もう一度、麻衣の体が震えた。 ……。 「……」 麻衣の体がぐったりする。 少し小さくなったペニスが、膣から抜け落ちた。 ……。 こぽ……白い精液がシーツに零れる。 「……零れ……ちゃった……」 麻衣がつぶやく。 「また今度の機会に、膣内ですればいいさ」 「……うん」 「お兄ちゃん……わたしのこと、嫌いになった?」 「どうして?」 「だって……わたし、自分でも信じられないくらい」 「いやらしくて……はしたなくて……」 麻衣が視線を泳がす。 ……。 「嫌いになんてならないよ」 麻衣の頭を撫でる。 「女の子に気持ち良くなってもらえるのは、とっても嬉しい」 「麻衣に何度もイッてもらえて、俺、幸せだったよ」 麻衣が俺の顔を見る。 「……ほんと?」 「ああ」 ……。 「……良かったぁ」 麻衣の声に少し元気が戻った。 「急に元気になって」 「仕方が無いよ」 「今、一番怖いのは……お兄ちゃんに嫌われることだから」 「そっか……」 麻衣を優しく抱きしめる。 「お、お兄ちゃん……つ、付いちゃうよ」 「いいって」 「風呂はいつでも入れるけど、今の麻衣は、今しか抱けないから」 ……。 「……かっこいいこと言うね」 「そんなもんじゃないさ」 麻衣が、腕の中で穏やかな呼吸をする。 ……。 「お風呂、一緒に入ろっか?」 「ああ、そうだな」 「背中、流してあげるね」 「ありがと」 ……。 「そ、それに……ほ、ほら……お風呂でしか……」 「できないことも……あるみたいだし……」 麻衣が視線を泳がせながら言い、自分の言葉に顔を赤くした。 ……。 「あの本……後ろの方にお風呂編も、あったよ……ね?」 おずおずと上目遣いで俺を見る。 それが、俺の性欲を掻き立てると知っているのだろうか?……恐らく、気づいてないんだろうな。 「あ、あった気がする……かな」 「た、試して……みよっか」 「……その、お兄ちゃんが……したいって言うなら……」 「……」 真っ赤な顔で麻衣が言う。 俺のために、精一杯無理をしているのだろう。 ここで断れば、麻衣の気持ちを無駄にすることになる。 ……。 「……そうだな」 「じゃ、じゃあ……風呂、行こうか?」 「……うん」 恥じらいと嬉しさが混じった表情で、麻衣が返事をした。 ……。 時刻は、まだ正午前。 二人きりの長い一日が始まる。