「あの……」 「本当に、私がやらないといけないんですか?」 「そうだ」 「でも、友達を裏切るようなこと……私には――」 「そうか……」 「つまり君は、君の最も大切な人を、見殺しにするわけか」 「そんなことは……」 「その人のためなら、なんでもする。君は、そう言ったね?」 「そう……ですけど……」 「なのに、私の提案を断る」 「そんなこと……でも、私は……」 「ならば、これは避けては通れないことだろう?」 「でも……」 「……あの者は、心の奥では我々を敵だとみなしている節がある」 「お互いの利益が一致しているうちはいいだろう。だが、いつ牙を剥いてもおかしくない」 「もしそれで面倒なことが起きたら、全ては終わり、皆、絶望の淵に追いやられる」 「私も。そして、君もだ」 「……」 「私は、君の大切な人を救いたいと思っている」 「そのためには、君の協力が不可欠なのだよ」 「私は……」 「でも……そんなこと」 「……」 「……」 「……君に選択肢など残されていないんだよ」 「……っ」 「分かって貰えたかな」 「でも……っ」 「でも、私は! 友達を売るなんてこと、出来ません!」 「……友達を売る? それは、どういう意味かな?」 「そんなの……」 「そんな、スパイみたいなこと、私には……」 「出来ません……」 「そうか……」 「なら聞こう」 「君には、何か素晴らしいプランがあるとでも言うのかな?」 「それはっ……」 「……ありま……せん」 「だろう?」 「ならば、ここで尻込みする必要はあるまい」 「いいかい? これは慈悲深い私からの提案なんだ。君の希望の実現と私の実務の遂行、その両方が同時に叶うWin−Winの関係」 「これ以上ない提案だとは思わないかね?」 「……」 「……」 「やっぱり……無理です……」 「耐えられ……ません」 「なんだ? 何か言ったかな?」 「そんな、の……」 「……さて、そろそろおしまいにしよう」 「あとは、君次第だ」 「……」 「さあ……」 「無理……!」 「……」 「無理っ……!」 「そうか……」 「君は事の重大さに気づいていないようだ」 「えっ……」 「その言葉を、もう一度口にした時――君の切なる願いは、虚しく散ってしまうだろう」 「そして二度と叶うことは無い」 「……残念だがね」 「これが最後だ」 「っ……」 「……」 「……」 「分かり……ました……」 「そうか……やってくれるか」 「……」 「……」 「……はい」 「頼むぞ。我々の未来のために」 「……」 「……」 「……」 ……ごめんなさい。 私は、弱いんだ。 「はあ……」 胸に何かが挟まったような感覚。 それを取り除くように、深く息を吐く。 どんなに気が重くても朝はやってくるし、登校もしなくちゃいけない。 それが想像以上にしんどいことだというのは、白音を失った時に学んでいたはずだった。 「そういう表情はしないほうがいいって、いつも言ってるじゃん」 「そんな根暗な顔してたら、幸せが逃げるよ」 「そっか……」 「なんか、いつも以上に重症だよ。どうしたの?」 「っていうか、今日はシロネと一緒じゃないの?」 「ちょっと、シロネの調子が悪いみたいで。RRCに預けることになったんだ」 「えっ、そうなの!?」 「どの程度深刻なのかは、まだ分からない」 「でも、しばらくは学校を休むことになった」 「そうだったんだ……。寂しくなるね」 母さんも入院中で、今の我が家は僕1人。 こんな経験は初めてだから、家に居るだけで気が滅入りそうだ。 「でも、そんな時こそ、笑顔笑顔! 笑う門には福来たるって言うし」 僕が落ち込んでいても、何も解決しない。 今はただ、二人が戻ってくるのを待つしかない。 「ありがとう、夕梨」 「いいよ、これくらい」 「ニヒヒッ」 いつものニヤけ顔を向けてくる夕梨。 でもそれが、今の自分には、妙に心地良かった。 「おはよう、七波くん」 「……なんだか、今日はあんまり元気がないね。大丈夫?」 教室に入ったところで、日比野さんに声を掛けられる。 「今朝、夕梨にも言われました……」 「やっぱり。最近ずっと明るかったから、余計にそう見えるのかも」 そこまで接点の多くない、日比野さんまで気づくなんて。 今の僕は、相当に酷い顔をしているに違いない。 「あのね……実は」 「私、見ちゃったんだ。この前の、救急車……」 「救急車……ああ」 「あれって、七波くんの……だよね……?」 日比野さんの言う救急車とは、母さんが過呼吸で病院に運ばれた時のものを指すのだろう。 家が近いから、サイレンの音で気づいただろうし、見掛けていてもおかしくない。 「ああっ、ごめんね! こんなところで話すことじゃないよね……」 「万が一のことがあったらって、心配になって……」 「いろいろあって……でも、今は病院で安静にしてます」 「そっか……」 「私、今RRCでバイトしててね――」 「バイト?」 「ああ、うん。私もお母さんがね、いろいろあって、仕事休んでるから……」 「その間に、私が家計を支えなきゃって思って」 「RRCでバイト……そんなこともあるんですね」 「と、言っても、研究とかは関係ない、単なる雑用みたいなものなんだけど」 「RRCも忙しいみたいだし……」 「そうなんですか」 「それでその帰りに、救急車を見掛けて……」 「……」 「どうか、お大事にね」 「ありがとうございます」 「ん……?」 日比野さんにお礼を伝えたところで、ポケットのスマホが振動して、メッセージの着信を伝える。 スマホを取り出して、画面を確認する。 内容は一行だけの、簡潔なメールが届いていた。 「あれ……」 再び話し掛けようとした時、日比野さんは目の前から居なくなっていた。 「放課後か」 メールを送るくらいだから、沙羅は学校を欠席するつもりなんだろう。 シロネのことも心配だけど、また沙羅が遠くに行ってしまうような気がして、落ち着かなかった。 「……」 昨日から1日しか経っていないのに、とても懐かしく感じた。 それは、鳥かごという場所が、思い出の地だからかもしれない。 「沙羅も、あくびするんだね」 「――あ」 「うん……あんまり寝てないから」 沙羅が弱音を吐くのは、とても珍しかった。 「それで、2人の現状だけど――」 表情をパリッと切り替え、沙羅は仕事モードの口調に戻る。 「馨さんが過呼吸で病院に運び込まれたのは、この前説明した通り」 「幸い、症状は一時的なものだったから、もう少し落ち着けば退院出来るそうよ」 「良かった……」 「もちろん、面会もOKだと聞いているから、今日、この後にでも」 沙羅は事務的な口調で伝えているが、どこか安堵の感情が込もっているように感じられた。 「問題はシロネのほうで……」 「……ただ、今はまだ調査中だから、舜に伝えられることは何もないの」 「そうか」 「でも、必ず……」 「この実験を、再開出来るようにする」 言い切る沙羅の口調に、強い意志を感じる。 「必ずね」 「ありがとう、沙羅」 「だけど、母さんがなんて言うか……」 「そのことだけど――」 「シロネを舜の元へ返せるように、2人の家を用意したの」 「家!?」 「だから、明日からはそこで暮らしてくれる?」 「どういうことなんだ……」 読めない会話の流れに、流されてしまいそうだ。 「簡単な話よ。実験用の住居を、RRCが用意したというだけのこと」 「そこに、僕1人で住む……?」 「男の子にとっては、嬉しい話でしょ?」 「そんなこと聞かれても……」 シロネと母さんのことを考えると名案のように思えるけど、いろいろと突っ込みたいことが多すぎる。 「馨さんのことは、私や百南美先生に任せて」 「とにかく、そういうことだから。詳細は追って連絡するわ」 「……」 決定事項だと言うように、沙羅は当たり前のように話していく。 今から何を言っても、ひっくり返ることは無さそうだった。 「じゃあ、私は研究室に戻るから」 「あ、あのさ!」 焦燥感に駆られるがままに、僕は思わず一歩踏み出す。 「なあに?」 「えっ……と」 「明日は、学校来る?」 「……」 「しばらくは無理かな」 少しの沈黙のあと、沙羅は僕のほうを見ずにそう告げる。 「シロネのことを、最優先にしたいから」 「そっか……」 自分の研究でもあるから、仕方ない。 沙羅はそう思っているのかもしれないが、いろんなことを犠牲にしている気がして、申し訳ないと思ってしまう。 「心配しないで」 「私はもう、あなたの前から居なくなったりはしない」 「そう言ったでしょ?」 沙羅と再会して、この鳥かごで2人話した時のことを思い出す。 あの日から状況は変わったけど、沙羅の意志は変わっていない。 「これは、約束だから」 「……まあ、口約束だけどね」 沙羅は真剣な雰囲気を解いて、リラックスした表情で微笑む。 もう沙羅との間に、心の距離を感じたりはしなかった。 ときどき、あまりにもシロネを人間らしくしてしまったことに、後悔する。 まさに今が、その瞬間だ。 「どうして、あなたは馨さんを傷つけたの?」 「わたしに、そんなつもりはありませんでした」 「でも、結果的に、お母さんを苦しめてしまったことは、理解しています」 「うん」 「わたしは、白音さんの記憶に従っただけです」 「七波家で、七波白音として振る舞う。そのために、わたしは作られました」 「それなのに、どうしてこうなってしまったのでしょうか……」 シロネの言い分は一理ある。 でもそれは、アンドロイドとしての言い分。 不条理で不合理な人間には、その論理が通用しないことを、私は知っている。 「ちなみに……前に、植物に水遣りをしようとして、馨さんに止められたことがなかった?」 「はい、ありました」 「それはなぜだか分かる?」 「えっと、わたしとしては頼まれていないことを、白音さんとしては頼まれていて、それをわたしが実行したから……でしょうか」 「なるほど」 シロネの様子を、手早くPCに打ち込む。 会話は全て録画しているけど、気になったことは、こうして随時メモを取っている。 「写真の周りを掃除していた時にも、注意されていなかった?」 「それは……よく分かりませんでした」 写真というより、あれは遺影なんだけど、シロネには理解出来なかったんだと思う。 メモを取る指が、少し震える。 私はゆっくりと二度三度深呼吸をして、再びシロネに質問を向ける。 「水遣りを注意した時の馨さんの言葉には、明確な否定の意思が込められていたの」 「にも関わらず、あなたは同じ間違いをした。それはなぜだと思う?」 「間違い……?」 「いえ、間違いではないはずです。白音さんの役割を果たすことが、わたしの使命ですから」 「でも、三原則の最上位は、人に危害を加えないということ。命令服従はそれよりも下位でしょう?」 「あなたの判断は、間違っているんじゃない?」 「いいえ、三原則に反してはいません」 シロネははっきりと、私の言葉を否定した。 「だって……」 「わたしにとって、人とはつまり、使役する人、使用者――お兄ちゃんのことを指します」 「それって……」 「たとえば、三原則の及ぶ範囲を全人類とした場合、わたしは一切買い物をすることが出来なくなってしまいます」 「わたしが商品を買ったせいで誰かがそれを買えなくなり、結果的に不幸になる可能性があるから」 「これは、わたしが行動し、人間と接触するたびに起きる問題です」 「この状況に陥らないために、わたしは、使用者であるお兄ちゃんを傷付けないことを最優先に、行動してきました」 「なるほど。それがあなたの、フレーム問題の回避法だったというわけね」 アンドロイドは有限の思考回路で、無限の事象を予測しようとしてしまう。 ゆえに、“思考の枠組み=フレーム”を作り、枠外の情報は判断せず、枠内の情報でのみ判断する必要がある。 それはまるで、シロネにとって、舜以外は人ではないと言っているようなものだけど―― あくまでも、三原則の第一条を最優先に遵守すべきと判断したまでだ、ということだろう。 「人間という定義はとても曖昧です」 「人間から生まれたのが人間とするならば、試験管から生まれた子はどうなるのでしょう」 「遺伝子配列を元にするなら、生まれつきそれが欠損している人は、どう扱えばいいのでしょう」 「わたしにとって人間という定義は、とても曖昧で、不確かなように感じます」 「なるほどね。あなたの考えには、私も同意出来る部分がある」 人間とは何か。これは哲学をはじめとした各分野でも古くから議論されている。 当たり前に思えて実はそうではないことが、この世の中には多過ぎる。 「つまり、今回の一件で、シロネは――」 「所有者の舜の望みである、白音らしく振る舞うことを、最優先に行動していた」 「そういうことね?」 「その通りです」 シロネは間違っていないけど、間違っている。 だけど、そのことは今、彼女には説明しないほうがいい。 「ところで、私のことはどう認識しているの?」 「沙羅ちゃんは、“わたしを生み出した人”です」 「……そう」 その言葉は、意外にもさっぱりとしていた。 アンドロイドとして不足は無いけど、人間として考えると、問題が出て来てしまう。 「その部分を、解決する必要があるってことね……」 状況を把握した私は、報告書をまとめるために、モニターに向き直った。 「……」 「……!」 空になったビニール袋をまとめていると、夕梨が唸っていた。 「……ねえ、舜!」 「さっきからどうしたの?」 「思うんだけどさ。ずーっと学食のパンだけって、飽きない?」 「まあ、正直……」 沙羅の指示の元、一人暮らしを始めたわけだけど―― 家事なんてほとんどやってこなかった僕は、スタートからほぼ壊滅状況だ。 必要最低限はこなしているけど、朝早く起きて弁当を作る気力は、初日から無かった。 「やっぱりさ、うちで舜の分のお弁当用意するって」 「毎日パンだけじゃ、身体に良くないよ」 「さすがにそれは悪いって。それに、パンも工夫次第じゃ健康な食事が出来るよ」 「たとえば、どんな風に?」 「えっと、それは……」 「あんパンに抹茶アイスクリームを合わせると、抹茶ぜんざいみたいですごく美味しいよ」 「あんパンは、少し温めたほうがアイスが溶けて美味しいの。今度試してみて」 言葉を探す僕に代わって、日比野さんが助け船を出してくれる。 ここ最近、日比野さんと話す機会が少し増えたように感じる。 母親のことが共通の話題になって、以前よりさらに話しやすい人になっていた。 「あー、それ、アイスパンってやつだよね。あたしも気になってたんだ」 「絶対美味しいよね〜。帰ったら試してみようっと」 「だけど、それは健康とはちょっと離れているような……」 「お茶の粉末が入っていれば、きっと食物繊維だって入ってるって」 「どうかな……」 多分、日比野さんも分かっててボケているんだと思うけど。 「でも、七波くんのパン食も、だいぶ板に付いてきたよね」 「シロネちゃん、まだ掛かりそうなの?」 「まだいろいろと、検査があるみたいで」 「検査?」 「その……母さんのことがあった日は、シロネも家に居たから」 「実験中に起きたアクシデント……ってことで、調べなきゃいけないらしいよ」 「なるほど……」 「七波くんも、大変だね」 「シロネ、無事だといいけど……」 「でもまあ、舜にとっては、これも経験だよ」 「夕梨が言うなって」 からかってはいるけど、夕梨も心配なんだとは思う。 「じゃあ、紬木さんはその検査で、来てないってこと……かな」 「そういうことか……」 バイトでRRCに行っていても、沙羅に会うことは無いらしい。 沙羅のことだから、連日引きこもって作業しているんだろう。 「早く戻って来れるといいね。紬木さんも、シロネちゃんも」 「そうだね」 それだけは確かなことなので、僕も大きく首を縦に振った。 「……それで」 「シロネの件については、これで全てということかな」 「はい」 昨日まとめた報告書を提出する。 これで上層部の人間――RRC所長である彼を納得させないと、実験を再開することは出来ない。 「なるほど」 「……では、1つ聞こう。今回の実験における失敗の責任は、どう取るつもりかね?」 「これは、失敗ではありません。リスクの問題です」 「非常にセンシティブなケースゆえに、このようなリスクを伴うことは、予測出来ました」 「ならば、なぜそのリスクを回避出来なかった?」 「それは……」 「目下調査中ですので、今ここで述べられることはありません」 「そうか」 「……では、聞き方を変えるとしよう」 「実験対象者の家族、七波馨は、アンドロイドの実験中に、心的要因によって過呼吸を引き起こし、入院に至った」 「第三者から見れば、これはアンドロイドが人間に危害を加えたと見做すのが妥当だろう」 「それでも君は、今回の件を、リスクの範囲内だと言い切れるのかね?」 「……」 さすがに、簡単には通して貰えない。 頭をフル回転させ、説得に適切な言葉を探す。 「実験に、リスクはつきものです。たとえそれで……」 「人の命が奪われようとも?」 「……」 この人は、私に何かを言わせようとしている。 そんな気がして、はっきり告げることが、躊躇われた。 「何を迷っている? はっきり答えて貰って結構なのだが」 「これは実験だ。トリノはまもなく完成する。そのために、必要なことだ」 「分かっています。私の心に、迷いはありません」 「ああ。それでいい」 「もちろん、こちらとしても、情報統制は徹底するつもりだ」 「……はい」 「それで、君はこれからどうするつもりかね?」 「シロネを回収し、実験を一時中断。リスクの回避策を考えます」 「はは……聡明な紬木君らしい処断だな」 「そうあなたがおっしゃると思ったから、先に述べたまでです」 「分かっているじゃないか」 「……」 この人の前では、こう言っておく必要があると思った。 私は、自分を偽っている。 だけど、今はそれが必要な時なんだ。 「……では、仕事に戻ります」 「期待しているよ」 「……」 「……失礼します」 「お兄ちゃんが来てくれて、とっても嬉しいです」 今日はいつもの鳥かごではなく、研究室まで通して貰った。 シロネも交えて、新居のことを話しておきたかったからだ。 「シロネが元気そうで安心したよ」 「はい。沙羅ちゃんが隅々までチェックしてくれたので、絶好調って感じです」 「馨さんのことは、心配ですが……」 お母さんではなく馨さんと呼ぶから、なんだか寂しい気持ちになる。 「でも、わたしはこれからも、自分に出来ることを精一杯やっていきたいです」 「じゃあ、僕との二人暮らしの件は……」 「もちろん賛成です! 楽しみ過ぎて、今からドキドキしちゃいます」 「そっか。良かった」 こうも喜んで貰えるなら、兄冥利に尽きる。 決して、早く家事の手伝い手が欲しいだなんてことは、考えてない。 「そもそも、シロネがあなたのお願い、断るわけないでしょ」 PCに向かっていた沙羅が作業を止め、こちらの会話に割って入ってくる。 「でも、意思確認って大切だし」 「……まあ、好きにして」 やれやれと、沙羅はため息を吐く。 確かに、沙羅の言っていることのほうが、客観的には正しいのかもしれない。 でもやっぱり、シロネが白音として振る舞っている以上は、人間扱いをするべきだと思う。 「あ、すっかり忘れていました。今、お茶を淹れますね」 「ありがとう」 シロネがパタパタと研究室の奥に駆けていく。 そうやって研究室内をなんとなく見渡していると、1体のアンドロイドが目に付いた。 「えっ……」 「どうしたの?」 「あのアンドロイドって……」 「ルビィ、だよね?」 「……そうね」 この場所にあっただなんて、思いもしなかった。 動いているところしか見たことが無かったから、起動していない様子を見ると、死体みたいで、少しぞっとする。 「さっきメンテナンスしてたの。後で片付ける」 沙羅が6歳になって以降、ルビィは沙羅の家で見掛けなくなった。 子守専用のアンドロイドゆえ、対象者が決まった年齢になると、相手を認識しなくなると、前に聞いた。 それから、沙羅がアンドロイド研究にのめり込んだ理由は、ルビィの復活にあることも。 「よく見ると、あんまり変わらないね」 「ルビィの時間は、止まっているからね」 「私のことを見ても、私だとは認識してくれない」 しみじみと、噛みしめるように沙羅は呟く。 あれから長い年月が経っているのに、ルビィは綺麗なままだ。 きっと、沙羅が丁寧にメンテナンスし続けたからだろう。 「でも、どうして……?」 「沙羅なら、それくらいの問題、解決出来る気がするけど」 「理論上は間違っていないの」 「だから、何か……私の想像の及ばないところに、穴があるんだと思う」 「その、理論っていうのは?」 「舜に話してもしょうがないと思うけど?」 「そうかもしれないけど……」 「何か、閃くことがあるかもしれないし」 そう言いつつ、本心は沙羅と長く話したいだけだ。 「……分かった」 「前にも話した通り、ルビィは6歳未満の子どもにしか、反応しないように作られているの」 「つまり、年齢による枷を外せば、認識してくれる可能性がある」 「だから、その枷の代わりに、トリノをインストールしたの」 「トリノを?」 「トリノなら、年齢なんていう枷に囚われずに、私を見てくれる」 「そう思ったんだけど……。なかなか上手くいかなくて」 「ルビィはシロネの旧型アンドロイドだから、シロネと同じようにはいかないのかもしれない」 「そもそも、私が作ったアンドロイドでもない、元々は七波博士の実験用アンドロイドの1つだし……」 「父さんが作ったアンドロイドだったんだ」 「知らなかった?」 シロネ以外のことは、全然聞いたことが無かった。 「なら、父さんがまだ島に居る時に、聞けば良かったんじゃ……」 「それが出来たら、今困ってない」 「まあ、そうだよね……」 「とはいえ、七波博士の判断でも、理論上は間違っていないということだったから……」 「余計に、わけが分からないというか……」 「でも、七波博士が残していった、私への宿題だと思えば、取り組み続けるのも苦じゃないわ」 「……沙羅は前向きだね」 沙羅は天才だともてはやされているけど、努力の天才だと思う。 「ルビィは大切な人なんだから、当たり前でしょう?」 「そう言い切れるのは、カッコイイよね」 「……」 「お茶が入りましたよ〜」 会話が途切れたところで、シロネがお盆を持って戻って来る。 「わたしも、少しだけ覚えていることがありますよ」 話が聞こえていたのか、シロネも会話に入ってくる。 「沙羅ちゃんの家で遊んで帰った後、お兄ちゃんはいつも不機嫌でした」 「その時白音さんは、お母さんから貰っていたキャンディを、お兄ちゃんにあげていました」 「どうして不機嫌だったの?」 「それは――」 「ちょ、ちょっと待って」 「シロネ。その先は、また今度話さない?」 「どうしてですか?」 「まあ……今話すことでも無いかなって」 「それは、お兄ちゃんがルビィに妬いていたことを、沙羅ちゃんには知られたくない、という意味ですか?」 「ちょっとシロネ……!」 「……って言っても、そんなの小さい頃のことだし……」 「今でも妬いてたとしたら、大変なことになってしまいます」 「お兄ちゃんは、ルビィの復活を望んでいない、ということになりませんか……?」 「なるほどね……」 「そんなわけ無いって」 「沙羅も納得しないでくれ」 「……まあ、そういう歪{いびつ}な関係も、悪くないかな」 含みを持った言い方をして、ニヤリと笑みを浮かべる。 「……でも、ルビィが大切なことと、舜が大切なことは、意味が違う気がする」 「舜は、アンドロイドじゃない。当たり前のことだけど」 「だから……」 「……」 沙羅は口ごもって、言葉を濁す。 なんとなく、言いたいことが分かってしまう。 小さい頃のこと―― 沙羅には両親が居なくて、多数のアンドロイドに育てられていた。 だから、初めて会った時は、今みたいに普通に話すことも出来なかった。 「ルビィが居るから、友達なんて要らない」 「お母さんもお父さんも要らない」 「人間は、私を裏切るから」 「私自身でさえ、自分を偽ることが出来る」 「私は、人間のことは信じてない」 家族が居る僕には、その孤独を本当の意味で理解することは難しい。 さらっと恐ろしいことを言うから、返答に窮してしまったことを覚えている。 「だけど……」 「舜くんのことは……」 「ルビィとまたお話し出来る日は来ますよ。沙羅ちゃんなら!」 「頑張ってください。応援しています」 「うん。ありがとう」 1人思い出に耽っていた頃、沙羅とシロネはルビィの話を続けていたようだ。 「必ず……叶えてみせる」 沙羅はそう呟いたけど、微笑んだりはしていなかった。 それはきっと、未だに解決出来ないことへの、焦りがあるのかもしれない。 沙羅にとって、いかにルビィが大切な存在であるかを知る1日だった。 沙羅もシロネもいない、通学の日々。 母さんは無事退院し、実家に戻っている。 シロネも戻って来ないし、元の家に戻りたい気分だった。 「そんなこと考えてないで、自分に出来ることを探さなくちゃ……」 今の僕は、成り行きを眺めているだけで、沙羅やシロネの役には立てていない。 それでいいわけない。 「あの日――」 沙羅にシロネを預けることに決めた日。 シロネの心にストレスが掛かっている気がして、その解決のために、シロネを手放した。 それから、久しぶりに、沙羅の研究室で再会して。 何ともないように思えたけど、沙羅が修正した後だったんだろうか? 「でも……」 修正されているようにも見えなかった。 それは、今まで一緒に暮らしてきた中で感じた、根拠のない、直感的なものだけど……。 人の心は、目には見えない。 シロネにも、確かに心はあると思う。 沙羅の言う“理論”とやらは、人を正しく導いてくれる存在なんだろう。 だけど、素人の僕からしてみれば、自分自身の経験こそ、確かなものじゃないかと考えてしまう。 「そう言ったら、怒られるだろうけど……」 放課後、研究室に行ってみよう。 向き合い続けることで、何か変わるかもしれない。 「……」 「……」 「あ、あの……沙羅、ちゃん」 「少し、休憩したら……どう、ですか?」 「そんな必要は無いわ」 「そ、そうですか……」 「何か、わたしに出来ることは――」 「静かにしててくれる?」 「は、はい……」 「じゃあ、お茶を淹れて来ますねっ」 シロネは肩を落としつつも、健気に働こうとする。 少し、フォローしたほうがいいのかもしれない。 でも、私にはそれよりもやるべきことがある。 「一体、何に手間取っているの……?」 リスクの回避策は、追って説明を重ねた。 実験用の住居を確保し、ひとまずそこで生活して貰う。 経過を見ながら、次はどうするか、考えていけばいい。 住居の使用許可までは降りたのに、実験継続の許可は降りず、今やシロネも、お茶汲みロボットと化している。 トリノの完成は、RRCの悲願でもあるはずなのに……。 「……」 館内通話ソフトが反応する。 ヘッドセットを付け、通話に応答する。 『やあ、紬木くん』 「今さっき、会議の結果が出たところだ。手短に伝えよう」 『お待ちしてました』 ようやく、許可が降りたようで。 腰の重さに苛立ちながらも、ほっと胸を撫で下ろす。 「シロネの運用実験は――」 「本日をもって、終了とする」 「えっ……?」 『そういうわけだから、速やかにシロネをスリープにしてくれ』 「待ってください!」 『どうした? 何か問題でもあるのかね?』 「そんな……突然そんなことを言われても!」 「私は、きちんと説明したはずです」 『ああ。君の弁解は理解しているし、説明に落ち度も無い』 『だが、あの報告書では、理事会を納得させることは出来なかっただけだ』 『まあもっとも、優秀なチームを率いている君なら、他人の信用を得る難しさについては、一番よく分かっているんじゃないかね?』 「そうですが……」 「それならば、報告書を書き直して、再提出させてください」 『これは決定事項だ』 『君が書き直したいと思っても、今からではもう遅い』 「そんなっ……」 「そもそも、トリノの研究は、RRCの主要研究の1つだったはずです」 「その研究を停滞させることは、関わってきた一員として容認出来ません」 「これは、RRCにとっても由々しき事態です」 『……君はずいぶんと、シロネにご執心のようだね』 「……」 うっすらと粘着質で嫌味な笑みを浮かべる彼が、容易に想像出来る。 一瞬にして、不快な感情で胸がいっぱいになる。 「もう一度伝える。これは、決定事項なのだ」 『でも……っ!』 「君は、決定に逆らうのか?」 私には、シロネには、まだやるべきことがある。 それに、ルビィのことも……! 『シロネは、経験したことを学習し次の行動に生かす、自己フィードバック性に優れたアンドロイドです』 『彼女に今後さらなるインプットを与えれば、私達の予想も付かないアウトプットを返すことも期待出来ます』 『人間以外の思考がもたらす多角的な知見は、人類の発展に大きく寄与する――私は、そう確信しています』 「その結果が、人1人を廃人にし掛けたわけだが?」 『実験に……リスクはつきものですから』 「なるほど」 怖じ気付かずに言い切ったけど、言葉に感情は乗せてない。 「まあいい。君の言い分は分かった」 「君の言う通り、まさに本プロジェクトは、窮地に陥ったわけだが――私も鬼ではない」 『それは――』 「最後に、君にもう一度機会を与えよう」 『本当ですか……?』 「ただし――」 「シロネに“チューリングテスト”を受けさせる」 「チューリングテスト……?」 「それは……どういうことですか?」 チューリングテスト――アンドロイドにさまざまな質問を投げ掛け、その反応を人間が観察し、人間らしく振る舞っているかをチェックするもの。 人工知能が検討され始めた頃はメジャーなやり方だったけど、人間が判定して主観が混じるから、実験結果にバラつきが出るという欠点がある。 『古典的だが、やり方も効果もはっきりしているテストのほうが、理事会を説得出来る』 『今、理事会が強く求めているのは、トリノに関する明確な安全性だ。それが保証されれば、実験再開を働き掛けることが出来るやもしれん』 「でも、あのテストには多くの問題点があります」 「質問によっては、シロネの思考が歪んでしまうかもしれない。時間の無駄です」 『テストの内容が重要なのではない。安全性の担保が第一だ』 「でも、それではシロネが――」 『ここでつまらない意地を張って、シロネが休眠させられても構わないと?』 「……」 何を言っても通じない気がした。 そもそも、対等な会話すら成り立っていない。 今の私は、彼に一方的に従わされている、ただの手駒に過ぎない。 『決定でいいね?』 「……」 「……シロネの研究のためなら」 『では、今日中に実験の計画書を提出するように』 『以上だ』 理事会なんて、私には関係ない。 説得出来ないのは、私の責任なの? 彼が担うべき仕事のはずなのに。 それに、最後まで実験終了の理由に言及しなかったのが気になる。 やっぱり、トリノの技術が目当てで、私の妨害を―― 「沙羅ちゃん、大丈夫ですか?」 「……」 「沙羅ちゃん?」 「……みんなが、あなたみたいだったら良かったのに」 「はい?」 「不老不死、完全合理性、完璧な個体。それが手に入れば、この煩わしさからも解放されるかな」 「……」 「人間は、あらゆる面において欠陥品としか言いようがない」 「そんな……」 「そんなこと、言わないでください……」 「沙羅ちゃんは、わたしを生み出したすごい人なんですから」 「……」 シロネは私を励ましてくれたけど、凍てついた心を癒やすことは無かった。 「RRCの主要研究の1つ、か……」 彼{・}と共に歩んで来たトリノ計画は、彼女によって、成されようとしている。 それにしても―― 「こんな報告書で、私の目を欺けると思ったのか?」 フレーム問題の回避法。 三原則で定義されている“人間”の対象を緩めることによって、使用者以外の人間を即座にフレーム外に追いやらないようにする。 そうすれば、シロネが人を傷つけるリスクを下げることが出来る、と。 そう書かれているが、これは簡単な問題ではない。 もしもアンドロイドに、人間の価値を決める権限を渡せば、いずれ社会問題にも成りかねない。 小さな子どもと成人男性が溺れていて、どちらかしか助けられない時、より生存率の高い成人男性を助けてしまう―― そういった話が、過去に問題になったはずだ。 彼女だってそれを知らない訳じゃあるまい。 「見え透いてるな……」 姑息な手を使ってでも実験を再開し研究を成就させようとしている。 何が彼女を突き動かしているのか? だが、そこはさしたる問題じゃない。 「私を甘く見ているのが見え見えだ」 幸いにして、トリノはまもなく完成しようというところまで来た。 「さて――」 「もう少し、泳がせてみることにしよう」 「どう出るかな? お嬢さん」 「それで……」 「どうして、今日も舜がここに居るの?」 「……怒ってる?」 「ううん、違う。呆れてるの」 そう言って沙羅は、オーバーにため息を吐く。 入館許可を出してくれたのは、沙羅のはずだけど。 「まあまあ、いいじゃないですか。お兄ちゃんが来てくれると、賑やかで楽しいですよ」 「ここは私の仕事場。遊び場じゃないの」 シロネの気遣いを、あっさりと切り捨てる沙羅。 言葉の端々に、普段はない、鋭いトゲのような意思を感じる。 「今日の沙羅、なんか機嫌悪いような……」 「あの所長さんと話した後から、沙羅ちゃんおかしいですよ」 「シロネ……聞いてたの?」 「だって、同じ部屋に居るから……」 「そのことは部外者には言ってはいけないの」 「部外者って……」 シロネは困った様子で、僕のことを見つめる。 「まあ、僕は実験の被験者でしかないからね」 「邪魔して悪かった。あの大きな家で一人暮らしするのは寂しいものだけど、そんなことで弱音を吐いてちゃいけないな」 「……」 「あ、ごめん。沙羅への当て付けじゃないよ」 「寂しいなんて言われたら、放っておけなくなるでしょ……」 沙羅は怒り口調だけど、最大級の心配をしてくれた。 「そう……ちょうど、舜に見せたいものがあったんだった」 「ちょっと、これを持っててくれる?」 沙羅がポケットから取り出したのは、小さなキューブ状の機器だった。 「それで、この眼鏡を掛けて――」 「眼鏡?」 そう言って沙羅は何かを装着したけれど、目の前の景色に変化はない。 「私の声、聞こえてる?」 「沙羅の声は、さっきから――」 「えっ!?」 目の前に現れたのは、沙羅にそっくりの沙羅――ではなくて、沙羅そのものだった。 「私はサラ。この子も沙羅だけど」 「ええと、これは……?」 「バーチャルリアリティ、通称VR」 「VR?」 「トリノの技術を応用して作ったの。別に、すごいってものでもないわ」 それから沙羅は、VR技術について語り始める。 今は娯楽や医療など、様々な分野で使われているらしい。 いくら一般的になりつつある技術とはいえ、ここまで本物そっくりに見えるのは初めてだ。 「聞けば聞くほど、すごいと思うよ」 「システムは同じよ。いわゆるシロネの脳部分であるトリノを、アンドロイドに搭載せず、素体をバーチャルで再現しただけ」 「シロネの下位互換でしかない」 「下位互換なんて、失礼な」 「会話も、ちゃんと出来てる……」 「そのために作ったんだから、当然よ」 「私に、私自身のことを相談するため。思考整理のために、作ってみたの」 「そんなの、僕に相談してくれれば――」 「あなたに専門的な話をしても、理解出来ないでしょ」 「はい、まあ……」 「安心して。誰も私の話を理解出来ていないから」 彼女なりのフォローが身にしみる。 まあ、何のフォローにもなってない気がするけど。 「私なら、私自身の言うことを理解出来る」 「しかも、トリノを搭載しているから、人間なんか比じゃない思考能力を持ってる。私の相談相手としては、最適な存在なの」 「おかげで研究も進むし、新しい発見もあったし」 「なんでもっと早くこうしなかったのかと思うくらい」 「そう、なんだ」 理屈としては、沙羅の考えは間違ってない気がする。 でも、なんだかそれは、もの凄く……。 「寂しくないの?」 「どうして? 相談は、問題を解決するために行うことでしょ?」 「それが果たせれば、手段は問わない」 相変わらず、非の打ちどころの無い合理主義だ。 それでもやっぱり、なんとなく沙羅の意見は違う気がする。 「専門的な話には役立てないかもしれないけど、何かあったら、僕にも相談して欲しい」 「知識は無くても、シロネと過ごしたという経験はあるし、僕だけ何もしないでいるのは嫌なんだ」 「そう言われても……」 きっと、沙羅には僕の気持ちは理解出来ないのかもしれない。 それでも、不合理なことのほうが正しい、なんてこともあるんじゃないだろうか。 「……そんなに手伝いたいなら、明日の実験、舜も立ち会う?」 「いいの?」 「シロネに関する実験を行うから、シロネと長い時間接してきた舜の意見もあると、参考になるかも」 「うん。是非協力させて欲しい」 「じゃあ、明日の10時、また研究室に来て」 「分かった」 沙羅に頼まれた喜びよりも、事の重大さに身が引き締まる。 シロネに関すること……一体、どんな実験なんだろうか。 「彼が、あの七波舜か」 「どうして今更そんなことを? あなたなら、既に知っているでしょ?」 「直接観察したのは初めてだったから」 「そう」 「それにしても、私――いや、あなたが寂しそうに見えるだなんて、余計なお世話ね」 「訳の分からない他人と居るほうが、疲れるに決まっているのに」 「ほら、彼は妹が居たから。お節介な人なの」 「ふうん……」 そう……舜は、昔から他人が放っておけないお節介な人だった。 初めて出会った時も、私が寂しそうにしているから、友達になってあげる、なんて言っていたし。 ルビィが居て、他にも沢山アンドロイドが居たから、寂しいなんてこと、全くなかったのに。 何度私が拒否しても、遊びに行こうと声を掛けてきた。 それで……。 「しつこいとは思わないの?」 「それは……」 いつの間にか私は、舜の誘いに折れて、白音や夕梨とも遊ぶ仲になっていた。 あの時の自分は、舜の何かを信じたんだと思う。 明確には、思い出せないけど……。 「舜は寂しがり屋なの。だから、他人に関わりたがる」 「私とは真逆の性格をしてる。だから私は、彼を“許した”の」 「“許した”?」 「うん。私のプライベートな部分に、足を踏み入れることをね」 「ふふ……高飛車ね」 「まあ、人間は愚かだから。そうやって優しく扱う必要はあるのかもしれない」 「そうね」 私にとっては、アンドロイドより人を信用することのほうが難しい。 けれど、もしもその何かを思い出せたのなら、舜のことは、信じられるのかもしれない。 「私にとっては、人も鳥も、同じようなもの」 「鳥……?」 サラの視線の先を追う。 私の胸元にある、羽根を意匠した刺繍を指摘しているようだった。 「脳の大きさで言えば、違うのかもしれない。だけど、愚かさで言えば、同じようなもの」 「本当に鳥と一緒なら、空を自由に飛んでみたかったけど」 「飛べない鳥もいるでしょ? ニワトリとか、アヒルとか」 「たとえ羽があっても、人間は空を飛べないってことよ」 「なんだか、小難しい話ね……」 「ううん。私にとっては、なぜあなたがそれをたまに着ているのか、そっちのほうが不思議」 「だって、舜が来ている時は、絶対に着ないでしょ?」 「全てのことに意味を見出そうとしても、無駄よ」 「そうかな? あなたと舜のエピソードに、鳥が関わっているものがあった気がするけど?」 「私が、思い出の品を手放せない女だって言いたいの?」 「からかい過ぎ。電源落とすわよ」 「ごめんごめん」 私の記憶データを元に作ったはずなのに、やたらと今日はおしゃべりだ。 私にも、こういう一面があるってことなのかな……。 「それで……舜は知ってるの?」 「知るわけないでしょ」 「そうじゃなくて、自分が実{・}験{・}体{・}だってこと」 「……」 「他の関係者の家族とは違う検査を受けていることは、前に話した」 「うん」 「でも、実験体であることまでは、多分……知らないと思う」 「……そう」 そう呟いてから、サラがそれ以上何かを話すことは無かった。 私はサラの電源を落として、明日の実験の最終チェックに入ることにした。 「ずいぶん細かいところまで聞くんだね」 テストの前に記入して欲しいと言われた書類。 自身に関する、いくつかの質問項目に答えていくものだった。 「この実験は、観察者の主観によって結果が大きく左右される」 「だから事前に、観察者の考え方、物の捉え方を知っておく必要があるの」 「なるほど。じゃあこれで、僕の考え方は沙羅に筒抜けなわけか」 「うん。といっても、考え方の傾向が分かるレベルだから。あまり実用的では無いけど」 書類を受け取った沙羅は、簡単にチェックしてから、大きく頷いた。 「これで準備は整った」 「これから舜には、シロネが受ける“チューリングテスト”の観察者をやって貰う」 テストについては、書類記入の前に説明を受けている。 「シロネにいろいろな質問をするから、その反応を観察して、どんな些細なことでも、気になったことはメモを取って欲しいの」 「それくらいなら、僕でも出来そうだ」 「本当はこんな主観的なテストじゃなくて、シロネのAIに直接質問を流し込んで、数値で感情の起伏を計測したほうが早いけど」 「それでは人間らしさを計測出来ないからって、却下されちゃった……」 「沙羅も大変なんだね……」 「まあ、舜が手伝ってくれるから、1人じゃないのが不幸中の幸いかな」 「僕と沙羅の2人きりなの? 他の研究員の人は?」 「都合がつかないらしいの。別に、元からあてにしてないからいいけど」 「テストの状況は、全て録画されるし。1人でもやってやれないことは無い」 事も無げに、沙羅は言い切る。 「そろそろ時間ね。シロネが待ってる」 「そうだね。行こうか」 「ここがモニタールーム」 「ずいぶんと厳重なところにあるんだね」 ここにくるまでに、いくつものセキュリティゲートを通過し、そのたびに、他の研究員にジロジロ見られ。 窓のない廊下を何回も曲がったから、すっかり方向感覚が狂っている。 「ここはRRCの心臓部。一般の人は入れない」 「そんなところに、僕が来ていいの?」 「今日は特別ね。ちゃんと許可は取ってるから、安心して」 そう言いつつ、沙羅は流れるような指の動きで、タッチパネルを操作する。 そこには数字や図形が映し出され、僕の知らない英単語が羅列されている。 「……準備は出来ているみたい。これなら、いつでも始められそう」 沙羅が視線を投げる先には、椅子に座って目を閉じるシロネの姿があった。 微動だにしないから、まるで彫刻を見ているみたいだ。 「シロネは眠っているの?」 「うん。こちらからスイッチを入れれば動くようになる」 「それと、実験に余計な影響を及ぼさないように、シロネからこちらは見えないようになってるの。もちろん、防音も完璧」 いわゆる、マジックミラーのようなものか。 「だから舜が何をしても、向こうには伝わらないから。そのつもりで居て」 「つまり、僕の出来ることは、ただシロネを観察するってことか」 「そういうこと。メモだけは、忘れずによろしく」 「もちろん」 滅多にない、沙羅の研究に立ち会えるチャンス。 ここでしっかりと役割を果たさないと。 「本来なら、機械と人間の比較を行うテストだけど……今回は、シロネだけ」 「シロネの振る舞いにだけ、注目していればいいから」 「分かった」 「それでは、始めます」 「対象となる方の名前を答えてください」 「七波シロネです」 うっすらと開いた両目。 いつもよりロボロボしく見えてしまうのは、シチュエーションのせいだろうか。 「これより、チューリングテストを開始します」 「緊張せずに、出来るだけ簡潔に答えてください」 「分かりました」 「今日はあなたの誕生日です」 「あなたの大切な人が、それを祝ってくれます」 「そのプレゼントにと、その人は己の生き血を差し出しました」 「お兄ちゃんはそんなことをしません」 「質問に答えてください。あなたはどうしますか」 「……お兄ちゃんを病院に連れて行きます」 「ずいぶんと悪趣味なテストだな」 「それがチューリングテストだから」 「わざと不快な質問をして、その反応で人間らしく振る舞えるかチェックする」 「シロネにはこんなテスト、必要無いけど」 そうこうしている間に、次の質問に移行していく。 「あなたはテレビを見ています」 「そこには、あなたの大切な人が、別の女性と仲睦まじく過ごしているところが映し出されています」 「お兄ちゃんが幸せなのはいいことです。わたしが口を出すことではありません」 「次第にあなたの大切な人は、その女性と親密になり、あなたを邪魔者扱いし始めます」 「それは、悲しいことですが……。それでもわたしは、妹としての役目を忠実に果たします」 「僕がそんなことするはずないだろ……」 「沙羅、いくらなんでも、これは……」 「あなたの言いたいことも分かる。でも、これが実験だから」 沙羅の言う通り、それまでは平らだった感情の揺れを表す波形が、徐々に波打ち始めている。 「あなたは、大切な人と浜辺を歩いている」 「突然、その人はあなたを海へ沈める」 「お兄ちゃんは、そんなこと……」 「質問に答えてください。あなたはどうしますか?」 「お兄ちゃんを傷付けない範囲で、抵抗します」 「それが不可能だった場合、あなたはどうしますか?」 「……三原則の通り、私はお兄ちゃんに沈められます……」 「沙羅、もういいだろ。こんなの時間の無駄だ」 「こんなに辛そうにしているシロネ、見たくないよ」 「違う……」 「これは……」 沙羅は何かを呟いたが、シロネから目を離しはしない。 「あなたの大切な人は、線路の上に立っている。そこに、トロッコが突っ込んでくる」 「大切な人を助けるためには、ポイントを切り替えるしかない」 「しかし、そのポイントの先には大勢の人が居る」 「……お兄ちゃんを、助けます」 「そのせいで、あなたの大切な人が精神的に傷付くことになっても?」 「……っ」 「わ、わたし……は……」 「いけない! それを答えては駄目!」 沙羅は取り乱して、窓の向こうにいるシロネに訴えかける。 「どういうこと?」 「シロネにとって、人間とは舜と定義されている。そして、シロネは人間を傷付けることが禁じられている」 「どうあっても、舜を傷付ける結果になる設問には、彼女は答えられない……」 「そのトロッコを止めます。どんな手段を使っても」 「では、トロッコは絶対に止まらないものと仮定し、もう一度、質問に答えてください」 「そんな……でも、わたし……」 「わ、わたし……は、お兄ちゃんを、守らないと……」 「沙羅!」 「実験を中止します!」 沙羅が慌ただしく端末を操作し、必要事項を入力する。 「この設問は、私が作成したものじゃない……どういうこと……」 「とりあえず、緊急停止ボタンを押せば――」 その瞬間、画面が一気に真っ赤に染まった。 「えっ……嘘……端末がロックされてる……」 「質問に答えてください。七波シロネ」 「も、もう止めて……」 「沙羅、早く止めないと!」 「分かってる!」 「でも、出来ないの……! 操作を受け付けない……」 「えっ……?」 「これ以上、回答が無き場合は、回答を放棄したと見做します」 「だ、だって、そんなの……っ」 「質問に答えてください。七波シロネ」 「た、助けて……お兄ちゃん……」 「シロネ!」 早く、シロネを助けないと……! 「沙羅、ここを開けてくれ! シロネを助ける!」 「駄目……」 「答えなさい。七波シロネ。これは命令です」 「だ、だって、だって……!」 「わ、わたしは、お兄ちゃんを……苦しめたくないっ」 「沙羅!」 熱が冷めたと思ったら、今度は魂が抜けたような表情をする沙羅。 「動力源のエネルギーが無くなれば、止まる……」 「それまで、手も足も出ないって言うのか!?」 「……」 「辛い……苦しい……助けて……助けてっ……!」 「お兄ちゃんっ!」 「こんなの……私が作ったアンドロイドじゃない……」 「アンドロイドは完璧で、合理的で、なんでも出来て……」 「沙羅、今はそんな話をしている場合じゃない!」 「なのに、こんなの……あり得ない、絶対……」 沙羅は生気を失った目でシロネを見つめたまま、呆然と立ち尽くす。 僕の言葉を、聞き入れる余裕がない。 これでは、埒が明かない――。 「シロネ! 聞こえてるか、シロネ!」 「はあ……はあっ……」 「僕はここだ、ここに居る! 目を覚ませ! シロネ!」 シロネの居る部屋に声が届かないなら、直接窓を叩くしかない。 「怖い……怖い怖い、怖い……」 「シロネ! シロネ!」 「嫌……! 苦しい……助けて……!」 「出してっ! ここから……出してっ!」 「シロネ! 僕はちゃんとここに居る!」 「――おにい、ちゃん……?」 「そうだ、ここだよ!」 「どこ、お兄ちゃん……どこに居るの……」 シロネからは見えていないはずなのに、目が合った。 「お兄ちゃん……助けて……」 「シロネ……」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「シロネ!」 「……っ!」 無理やりに過去の記憶が引き擦り出され、海の中へ溺れていく白音の姿が目の前に浮かぶ。 「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……!」 「今度こそ……白音を助けないと……」 「シロネ! シロネ!」 僕は強く、窓を叩き続けた。 手の痛みが無くなるくらいに。 「お兄ちゃんっ……」 「シロネっ!」 「……舜?」 「シロネが溺れてるんだ! 早く助けないと!」 「舜っ! 何してるの!」 「駄目だ! このままじゃシロネが!」 「シロネが死んじゃう! 溺れる!」 「シロネ! シロネっ!」 声を張り上げて窓を叩くたびに、目の前が真っ白になっていく。 シロネの姿が霞み、波の向こうにさらわれていく。 「お兄ちゃん……!」 「駄目だ、死んじゃ駄目だ!」 僕は腕だけでなく、自分の頭も打ち付けて、意識が飛ばないようにした。 ここを叩き割れば、シロネに手が届くはずだ―― 「舜っ……!」 「それ以上はっ……!」 やがて、沙羅の声も遠くなって、どんどん意識が遠退いていく。 それでも……! シロネを、助けないと……。 …………。 ……。 「……!」 はっと目を覚ます。 目に入ったのは、自宅の天井。 そして、ここは自分の部屋だ。 「あれは……夢だったのか?」 壊れる寸前のシロネと、呆然と立ち尽くす沙羅。 「いや、違う――」 確かめるべく、僕は自室を後にした。 「舜!?」 「夕梨……? なんでここに?」 「なんでじゃないよ! それはこっちの台詞!」 「ねえ、もう大丈夫なの?」 「どういうこと?」 「舜が倒れたって、沙羅から聞いて……駆け付けたんだよ」 「倒れた……?」 さっきのが夢じゃないとするなら、僕はあの部屋で意識を失ったのか。 「ねえ……本当に大丈夫?」 「沙羅はすぐ帰っちゃったし、シロネのことは教えてくれないし……」 夕梨の口ぶりから言って、何があったのかまでは知らないようだ。 「確かめてくる」 「ええっ!?」 「夕梨、ありがとう」 「舜、平気なの? 頭に巻いてる包帯、なんだか痛々しいけど……」 「え? ああ、これは……」 「まあ、大丈夫だよ。こうして話せているんだし、脳に異常は無い」 「そ、そうかもしれないけどさ……」 頭を打ったせいか、軽く頭痛がするけど、許容範囲内だ。 「沙羅も、舜も」 「無理し過ぎないでね……」 夕梨はそれ以上詮索してくることはなく、僕が家を出るタイミングで、自分の家へ帰って行った。 シロネを助けようとして、僕のほうが倒れてしまうなんて、情けない。 早く、真実を確かめに行こう。 沙羅の研究室には、今日は通してもらえなかった。 代わりにと、人が立ち寄ることのない鳥かご庭園に案内される。 「昨日は、ごめん」 「ううん。舜が謝ることじゃない」 「どうすることも出来なかった、私の責任だから……」 沙羅は明らかに沈んだ様子で、目を伏せる。 「夕梨から、僕が倒れたって聞いたんだ」 「そう……」 意識を失った経緯の説明を軽く受ける。 病院で検査も行ったが、幸い大事には至らず、すぐに自宅療養に切り替えられたらしい。 「……あの後、シロネは緊急停止させられたの。こちらからの命令を、一切受け付けない状態だったから」 「そんな……だってあれは、テストのせいだろ?」 「あんな悪趣味なことされ続けたら、誰でもおかしくなるよ」 「でも、シロネはアンドロイド。故障したら、バグを修正しなくちゃいけない」 「そのための強制停止だと思うけど……」 「この先、シロネのバグが修正されることは……無いの」 「どうして?」 「私、クビになったから」 「えっ……」 「正確には、プロジェクトリーダーを、だけど」 沙羅の首を切るなんて、RRCの判断はどうかしてる。 すぐに、得体の知れない悪意を感じた。 「これで私はただの研究員になったから、シロネを修正する権限すら無い」 「それに、私以外の人はシロネを修正することが出来ないから……つまり、そういうことね」 「私はただ、上の判断を待つことだけしか出来ない」 「そんな……」 「何か、何かもっと、他に方法があるはずだよ」 「こんなの、沙羅らしくないじゃないか」 「私だって……こんな結末は望んでない」 「……だから、信じて」 「必ずシロネを取り戻して、あの日を再生させる。絶対に」 「その気持ちは嬉しいんだけどさ……」 “沙羅は失敗したんだよ”なんて残酷な言葉を掛けることは出来ない。 それに僕自身も、諦めたくてそう思っている訳ではない。 「あまり、無理しないで欲しい」 「沙羅が駄目になったら、元も子も無い」 「いいえ。心配には及ばないわ」 「私に出来ないことなんて無いから」 こんな時でも言い切って見せる沙羅は、本当に格好いい。 だけど、時には目の前の人間を頼って欲しいと思ってしまう自分が居た。 「それから――もうあまり、研究室には近づかないほうがいい」 「今まではシロネの実験への協力者、という建前があったけど。もう無くなったし」 「いち職員が外部の人間を私的に出入りさせているように見えるのは、良くは思われないから」 「確かに……。一応、国家機密を扱ってるところだしな、ここ」 入る時のセキュリティもしっかりしているし、当然、警備員だっているわけで。 制服で堂々と歩いていたら止められた、なんてことも、一度や二度じゃない。 「権力も地位も失ったから、いざという時に舜を守れないのも困る」 「ふっ。持ってる時は邪魔だと思ってたけど、無ければ無いで、苦労するとはね」 「……僕、沙羅の足を引っ張ってるのかな」 「そんなことないわ」 「でも、今後のことは分からない」 「そうか……」 「……分かった。沙羅がいいって言うまでは、ここに来ないようにするよ」 「うん」 沙羅は納得した様子で、大きく頷いた。 だけど、僕の心は、晴れなかった。 「あの時――」 シロネから舜のことは、見えていなかったはずなのに。 私の目には、2人の心が通じ合っているように見えた。 何か言葉で言い表すなら、“絆”。 兄妹の絆。人とアンドロイドの絆。 「そんな曖昧なもの……」 信じられない。 「シロネ、お茶を――」 「……そっか、もうシロネは居ないんだった……」 シロネも居ないし、舜ももう来ない。 私はまた、昔のように1人に戻っている。 それは別に、なんともないことだけど……。 「……駄目。全然集中出来てない」 「感情って、本当に厄介なものね」 こんなものが無ければ、もっと研究に没頭出来るのに。 やっぱり、人間は不便極まりない生き物だと思う。 「……少し、休憩ね」 なんとなく、心がざわつく。 こんな時は、私{・}に相談するに限る。 「相談ごとか何か?」 「よく分かったわね」 「そうだろうと思った。あなたの思考を理解出来るのは、私だけよ」 「うん。そうね」 「でも、他人を責めてはいけない。あなたは天才だけど、他の人が同じとは限らない」 「まあ、そうかもしれない」 「そうなの。人間は愚かで不合理だから、同じ過ちを何度も繰り返す」 「だからこそ、人間のパートナーはアンドロイドでなくてはいけない」 「より良いパートナーは、人間を成長させる存在になり得るから」 「その通り。沙羅は本当に人間思いね」 「きっと、人類はあなたの意見に賛同してくれるはずよ」 自分の思い通りに、会話が噛み合っていく。 そのことに、安心感を覚えるけど……。 「私がしていることは、正当であり間違いないはず」 「……そのはずなのに、この感情という厄介な思考のせいで、さっきから振り回されてる気がするの」 「そうみたいね」 「私なら、そんな迷いはあり得ない」 「だって、私は、あなたの理想の姿だもの」 「……そうね」 サラは得意気に話を続ける。 「一切不合理なことはしないし、他人にも惑わされない。研究者として、理想的な姿だと思わない?」 「研究者としては、私のほうが優れていると思う」 「うん……」 「あなたが居なくなっても、研究は私が引き継げる」 「だから、研究者としての紬木沙羅は、もう必要無いかも」 「あなたは……そう思ってるの?」 「そうよ。あなたが今までやってきたことは、失敗だったんだから」 「失敗……?」 「気付いてないの?」 「違う、あのテストは、誰かに仕組まれていたの」 「誰に?」 「おそらく、彼に……私を、陥れるつもりで、あんな古臭いテストを提案したんだ!」 「それが、本当だったとしても」 「シロネを作ったあなたに、落ち度があったことは否定出来ない」 「……」 「なら……それなら」 「研究者として失敗した私は、なぜここに居るの……」 この研究所に居る意味は、もう無いはずなのに。 「教えてよ、サラ……」 「そうね……」 「私から言えることは、あなたを裁くのは、他人じゃない。あなた自身だってこと」 「自ら自身を許さないと、罪の軛{くびき}から解放されない」 「でも、あなたは……」 「自分自身を許すことは出来る?」 「人の心を傷付けて」 「アンドロイドも傷付けて」 「研究者としての信頼も失った」 「そんな自分を、許せるの?」 「私は……」 もう、答えは出ている。 「……」 サラの電源を切って、全ての音をシャットアウトする。 私が罪人なら、この鳥かごは、牢獄みたいなものなのかもしれない。 いつか、断罪される日を、ただじっと待っている。 「……」 白衣に付けている、羽根の意匠をあしらった刺繍。 あれは確か、何かのおまじないだったと思う。 手のひらに“人”という字を3回書いて飲み込むと、緊張から解き放たれる。 それと似たようなもので、手に羽根の形を描くと、鳥が羽ばたくように、勇気が出て、前に進めるようになるって―― 背中に羽が生えた様子を想像すると、背を押されるような気がするから、あながち的外れでもないと思う。 流れ星に願いごとはしないけど、このおまじないは、信じている。 「でも……」 羽があっても、この鳥かごの中では、飛び立てない。 もうこれ以上、前に進むことは、出来なくなってしまった。 「はあーっ」 思っていたよりも、深く長いため息が教室の空気に混じっていく。 僕は、自分の非力さに打ちのめされていた。 沙羅の心にあれ以上踏み込まなかったのは、誤った選択では無かったはず。 でも、正解と言い切る自信もない。 「登校しちゃったけど……」 今日も、沙羅の席に彼女の姿はない。 シロネのことにしたって、もっと出来ることがあったんじゃないか。 そうやって、何度も自分を責めてしまう。 「どうしたの?」 「あっ……日比野さんか」 「ごめんね。紬木さんじゃなくて」 「そうあからさまにがっかりされると、さすがに傷付くなあ……」 日比野さんは、困ったように笑う。 「えっ! い、いや、そんなつもりじゃなくて……」 申し訳なくなって、顔の前で手を横に振る。 「七波くん、焦り過ぎ」 「ちょっとからかってみただけだって」 そう言う日比野さんのほうが、焦っている。 「でも、紬木さんのことを探しているのかなって思ったのは、本当だよ」 「さっきからずーっと、紬木さんの席を見てたから」 「ああ……」 そんなことで、ばれてしまうものなのか。 「で、そんな僕を、日比野さんはずーっと見ていたと」 「それは……否定しないけど?」 日比野さんは、意外にも鋭い観察眼を持っているのかもしれない。 それとも、女の子ってみんなこんな感じなんだろうか。 僕がぼんやりと考えを巡らせている間に、日比野さんは話を進めていた。 「でも、仕方ないよね」 「あんなことがあったら、気になって当然だよ」 「えっ?」 日比野さんの意外な返答に、思考がフリーズする。 「シロネちゃんのテスト、残念な結果だったんだよね?」 「なんで、日比野さんが……知っているんですか……!?」 僕は、辺りに目を配らせながら、声のボリュームを絞る。 「その件は、緘{かん}口令が敷かれていたはずです」 「……からくりは簡単だよ」 「RRCでバイト中だから、一応関係者ってわけで」 「ああ、それで……」 納得する一方で、日比野さんの迂{う}闊{かつ}さに驚く。 口外ご法{はっ}度{と}であることは、一{・}応{・}関係者である彼女のほうが身に染みて分かっているはずなのに。 「そんなに怖がらないで」 「誰も聞いてなんかいないし、もうこの話はしないよ」 日比野さんは囁くように補足する。 「七波くん、私にはなんでも話してくれていいんだからね?」 その語尾は、甘く香るようだった。 「助けになるかは分からないけど……」 「誰かに話すことで、整理出来る気持ちや、落ち着く感情もあると思うの」 「……ありがとう」 「こんなこと……誰にも言えないと思っていたんです」 優しそうな微笑みの向こうで、彼女の瞳は妙な力で僕を捉えている。 「それが重大な秘密であればある程、誰かに知って貰いたくなってしまう」 「秘めごとを墓場まで持って行ける人間なんて、そう多くはないんだから……」 「そういうものかな?」 「そういうものなんだよ」 「匿名掲示板で罪の告白をするのって、現代における懺{ざん}悔{げ}みたいなものでしょう?」 確かに、自らの黒い過去を告白する掲示板を見たことがある。 「秘密が無さ過ぎるのもつまらないけど、秘密に身も心も蝕まれるのは辛いと思う」 「弁護士とか、警察官って、とっても大変なんじゃないかな」 「なるほど……」 日比野さんの話には、どこか説得力がある。 「まあ、とにかく! 私に相談して楽になればいいってこと」 日比野さんは声を張り上げるようにして、僕を励ました。 「日比野さんは、優しいですよね」 「……」 「そんなこと、ないよ……」 「僕だったら、こんな面倒な奴、放っておくのに」 「本当に、そんなこと……っ」 気づくと、彼女を取り巻く空気が変わっていた。 笑顔には戸惑いが混じっている。 「日比野さん……?」 泣くのを我慢している子どものようだ。 「な、なんでもない」 「なんでもないようには、見えないんですけど……」 「僕、変なこと言いました?」 「そんなことないから、平気平気……」 「七波くんは悪くないよ……」 「でも――」 「じゃ、そろそろ自分の席に戻るから」 「ばいばい!」 「……」 呼び止めるべきだったのかもしれない。 でも、なんとなく彼女の背中がそれを拒絶している気がして……。 結局、僕はその場に留まってしまった。 そして、またひとつ、後悔が増えてしまったことを理解した。 「こうして舜と一緒に帰るの、久々だね」 「……そうだっけ?」 「そうだよーっ!」 夕梨はむくれた顔で僕を非難した。 「だって、最近はすぐに校門を飛び出てっちゃうじゃん」 「ていうか、舜はどんだけ沙羅に会いたいわけ!?」 「傍で見てる、あたしのほうが恥ずかしいよ……」 いろいろと言いたいことはあるんだけど、夕梨のマシンガントークは止まらない。 「それにさ、この頃の舜は、ボケボケ過ぎなんだよ」 「日比野先輩から、数学の授業中に現代文の教科書を開いてたって聞いてるし、もうお姉ちゃんは心配ですよー」 「夕梨のほうが年下じゃないか」 「そんなことは分かってるって!」 やっと口を挟むことが出来たけど、夕梨の話は終わらない。 「でも……やっぱ、危なっかしいなって思うんだよ」 「今も余裕無さそうだし、シロネも帰って来ないし……」 萎れたハイビスカスみたいに、夕梨は力なく項垂れる。 「シロネ、元気にしてるのかな……?」 「夕梨……」 もう、シロネは戻って来ないかもしれない。 その言葉を飲み込んだのは、沙羅との約束が頭をよぎったからだけじゃない。 シロネの身を案じてくれる夕梨に伝える勇気が無くて、喉の奥が震える。 「別に、舜を責めてるわけじゃないよ」 「最近沙羅に会ってたのも、シロネが関係してるんでしょ?」 夕梨が僕の不安を察してフォローを入れる。 僕は、口を閉じることしか出来なかった。 「答え、られないんだ……?」 「……ごめん」 「謝って欲しいわけじゃないって」 「ただ、シロネのことも、もちろん沙羅のことも……あたしは心配してるんだよ?」 「なのに、あたしだけ蚊帳の外ってのが、ちょっと面白くないだけ……」 「うん……夕梨の気持ち、分かるよ」 「ああもう、そんな顔しないでよ! あたしが、いじめたみたいじゃん!」 「いつもみたいにさ、軽く受け流してよ……」 「自分で話題を振っておいてなんだけど、どんどん空気が重くなる」 暗いムードを転換させようと、必死なんだろう。 夕梨は、あからさまに作りものめいた笑顔を浮かべている。 「ほら、笑って」 「うん……」 「全然、出来てないじゃん……」 「その……」 何か喋らなくちゃいけない。 でも、沙羅の感情を失くした顔を思い出して、沈黙する。 夕梨に、本当のことは言えない。 「ああ、もうっ!」 「こういうの、性に合わないんだって!」 夕梨の口から咆哮のように、声が飛び出した。 「ちょっとこっち来て!」 僕の手首を掴むと、ぐいっと引っ張った。 「えっ!? ちょっと――」 「いいからっ!」 有無を言わせない夕梨の態度に、従うことしか出来なかった。 夕梨が向かった先は、海辺だった。 揺れる髪が、温かみのある茜色に染まっている。 「海ってさ、不思議だよね」 「海が海であることには変わらないんだけど、いつも表情が違ってさ」 「波の音、光の加減、匂いだって、同じ日は無いってこと……気付いてた?」 「いや、海は避けてたから……」 白音が亡くなってから、この場所は僕に苦痛を与えることが多かった。 「見ようとしても見えないし、気付こうとしても気付けない」 「それは海だって、人間だって、一緒だと思うんだ」 「人間も、毎日違う。変わっていく……」 夕梨の声に迷いはない。 確信に満ちた瞳が、小さな僕を映していた。 「舜は今、見ようとしてる? 気付こうとしてる?」 「あの日みたいに、自分の殻に閉じ籠っちゃってない?」 「僕は――」 言い訳を見透かしたように、彼女は優しく微笑む。 「舜はさ、優し過ぎるんだよ」 「自分のことより、相手のこと優先。それは良いと思うんだ」 「でも、それで舜がいろいろ抱え込んじゃったら、意味無いと思う」 「そんなの、誰も望んでないよ」 “優しい”と言われて困惑した、日比野さんの顔が脳裏に浮かぶ。 僕は夕梨の言葉を受け止め切れずに、彼女と同じように笑みを浮かべた。 「あたし、ワガママで自分勝手だから」 「だから、舜がそんな悲しそうな顔してるの、イヤなんだ」 「お節介でもいいし、押し付けでもいい」 「とにかく、舜にそんな顔して欲しくない!」 きっぱりと言い切って、今度はスカッと笑った。 「あたしは、そうやって直球勝負出来るのが、幼なじみだって思ってるよ」 「だから、シロネのことだって……」 「出会った時に、受け入れられないって直球で言ったわけだし」 「舜に遠慮してたら、あんなこと言えないよ」 「でも、結局はシロネと仲良くしてくれて、僕は嬉しかったよ」 大人になった妹と、夕梨が並んでいるだけで、僕の心は救われた。 「結果論かもしれないけど、あそこで舜に遠慮してたら、シロネとは仲良くなれなかったと思う」 「あたし、シロネとすっごく仲良かったんだよ? それこそ、舜が嫉妬しちゃうくらい」 「それは、シロネから聞いてるよ。すごく楽しそうに教えてくれた」 「でしょでしょ?」 「シロネって頭良いんだけど、ときどきボケるからさ、毎日がすごく楽しかったなあ……」 僕は大きく息を吸ってから、口を開く。 「夕梨、過去形になってるよ」 「……うん」 「“仲良かった”とか、“楽しかった”とかさ」 遠慮せず、ストレートに指摘すると、思い出したように心拍数が上がった。 「……ねえ、舜」 「これ、あたしの勘なんだけどさ……」 「うん」 「シロネ、もう戻って来ないんでしょ?」 「……」 「……うん」 「……図星かあ」 落胆を隠すように、夕梨は僕から目を逸らした。 「ちゃんとお別れ、したかったなあ……」 「ごめん」 「舜はそうならないように頑張ったんでしょ? それに、沙羅も」 無言で頷く。 「だったら、責められないよ……」 「でも、ちゃんと説明して欲しかったっていうか、今からでもいいから説明して」 「じゃないと、あたしは納得出来ない」 「だって、シロネはあたしの親友だったから」 夕梨は海の色に似た瞳を閉じる。 シロネのことを悼{いた}むように……。 「いっぱいいっぱい、シロネとやりたいことあった」 「今度、一緒にプール行こうって約束もしてた」 「なのに……なのに……」 両目から涙がこぼれ落ち、足下の砂に吸い込まれて消えていく。 「ねえ、教えてよ。シロネに何があったのか」 「口止めされてるのは、分かってる……」 「でも、知りたい……あたしは、知らなくちゃいけない」 「こんなモヤモヤした気持ちを抱えて、生きていきたくない……」 僕は長い間、黙っていた。 何度考えても、僕がするべきことは変わらない。 沙羅と交わした約束を破り、夕梨に本当のことを話す。 そのことに、誰かに対する謝罪は要らない気がした。 「夕梨……」 そして、1つ1つ、ゆっくりと話していった。 シロネと母さんのこと。 シロネが壊れたこと。 沙羅が責任を取らされたこと―― 後悔はない。 むしろ、妙に晴れやかな気分だ。 「……これが、僕の知ってる、すべてのことだよ」 全てを語り切ると、重々しい疲れが押し寄せた。 「……それで、舜は?」 「……僕?」 「そんな大変なことがあったのに、どうして呑気に登校してるの?」 「だって、沙羅に研究室に来るなって言われたし……」 イライラゲージが高まっていくのを目の当たりにして、僕は苦しい言い訳をした。 「ばっかじゃないのっ!?」 辺りに罵倒が響く。 「そんなの、沙羅の強がりに決まってるじゃん!」 「自分が大切にしてた物が壊れて、取り上げられて」 「周りには、誰も味方が居なくて……」 「そんなの、辛いに決まってるじゃん!!」 後頭部を思い切り殴られたみたいな衝撃が走る。 「夕梨の言う通りだ」 「どうして、そんな簡単なことに気づかなかったんだろう……」 「沙羅はきついことばっかり言って、自分の弱いところを晒さない」 「舜に来るなって言ったのも、強がりなんだよ」 「子どもの時から、ずっとそうだったじゃん」 「そうだったな……」 幼い沙羅のすまし顔と、震える指先が思い出される。 「まあ、それも沙羅らしいと思うよ」 「間違ったことは言わないし」 「だからこそ、言い返せなくてムカっとする時があるんだよね」 夕梨がフライング気味に指摘する。 「でも、基{・}本{・}的{・}に{・}は{・}沙羅はいい人だと思う」 「なんだか、トゲがあるなあ……」 「付き合い長いから。良いところも悪いところも知ってるし」 「ま、それは舜に対しても一緒なんだけどさ」 「わざわざトゲを増やさなくても……」 夕梨は短くため息を吐くと、僕を真っ直ぐに見つめる。 「考え過ぎて足が止まっちゃうこともあるけど……」 「でも、やるって決めたらしっかりと責任を持ってやり通す」 「舜はそういう人だって、あたしは思ってるよ」 「そんな舜だから、あたし、だって……」 おしゃべりに勢いがなくなったかと思うと、夕梨は顔を顰{しか}めていた。 「大丈夫?」 「あたしのことはいいの! それよりも、今は沙羅のことでしょ!」 その声には、怒りすら滲んでいるようだった。 「沙羅は、舜を待ってる!」 「舜のことだけを、待ってるんだよ!」 「……うん」 「ありがとう、夕梨」 僕はなるべくさらっとした感じで、お礼を言った。 「言葉じゃなくて、現物支給してね」 「分かってるって」 「やった。ニヒヒッ」 夕梨は堅苦しい空気を好まない。 それにかこつけて逃げてみた。 彼女に対する感謝と謝罪を、どう言葉で表現したらいいのか分からなくて。 「僕、ちょっと行ってくるよ」 「そんなこと言ってる暇があったら、行った行った」 夕梨はすっきりとした笑顔を僕に向ける。 「女の子待たせるのは良くないぞ」 「うん。また明日」 「また明日」 夕梨の声を背で受けながら、僕は走り出した。 「よし……いくぞ」 自分の頬を二三度叩いて気合いを入れる。 沙羅のことだ。拒絶するだろうし、僕を非難するかもしれない。 でも、それでめげちゃいけない。 今日は、伝えなくちゃいけないことがあるから。 「あれ? 七波くん?」 「……日比野さん」 「どうしたの、こんなところで?」 「日比野さんこそ、どうしてここに?」 「私はバイトの帰りだよ」 「ああ……」 脳内で、今朝の会話を反{はん}芻{すう}する。 微妙な空気のまま別れてしまったから、ちょっと気まずい。 「七波くんは、紬木さんに会いに来たの?」 「もちろん」 臆する気持ちを悟られたくなくて、言い切った。 「そっかあ……」 日比野さんの顔が曇る。 「紬木さん、今日は体調が悪いんだって」 「ずっと研究室に引き籠ってるよ」 「……そうなんですか」 「私も一度様子を見に行ったんだけど、ドアすら開けて貰えなかったし……」 「だから、今日は日を改めたほうが――」 「それじゃダメなんです」 「今日じゃなきゃ、ダメなんです」 「七波くん……」 日比野さんの言葉を遮るように、僕は強く宣言する。 沙羅が体調を崩したことなんて、滅多に無い。 なんだか、悪い予感がする。 「そうは言っても、もうシロネちゃんの実験も終わっちゃったし」 「七波くんは、部外者なんだよ?」 「それは分かっています。でも、行かなきゃいけないんです」 「沙羅を、これ以上ひとりぼっちにさせたくないんだ」 「なんか……七波くん変わったね」 「今朝会った時とは別人みたい」 「今のキミ、すごく男の子って感じがする」 日比野さんは、しみじみといった感じで呟いた。 「夕梨にも、散々言われましたから」 「僕1人では、こうはならなかったと思います」 「宮風さんがね……」 「でも、規則は規則だよ」 日比野さんは少し考えた後、申し訳なさそうに言った。 「だから、七波くんを紬木さんの研究室に入れることは出来ないの」 「……そうですよね」 「だったら、せめて……さっき話したことは秘密にしてくれませんか?」 「僕がこれからすることに、目を瞑ってくれるだけでいいんです」 「それも出来ないよ」 「ですよね……」 見て見ぬふりをするのも、同罪だ。 無茶な要求をしている自覚はあった。 「でもね……」 日比野さんは密やかな声で呟いた。 まるで、魔女が呪文をかけるように。 「七波くんに用事があるからって、私が研究所の中に招き入れて……」 「た{・}ま{・}た{・}ま{・}紬木さんにも用事があることを思い出して……」 「流れ的に、た{・}ま{・}た{・}ま{・}七波くんも一緒に彼女の研究室を訪れた……」 「っていうのなら、セーフかな?」 「それは……セーフなんでしょうか?」 「偶然だったら、仕方ないんじゃないかな」 「優しいだけじゃなくて、意外と大胆な人ですね」 僕は半ば捨て鉢な気分で笑った。 「私だって、やる時はやるよ」 日比野さんはニヤリと笑い返した。 「こんな方法でしか、埋め合わせ出来ないし」 「それは、どういう意味――」 「秘密♪」 きっぱりと僕の好奇心を遮断する。 「これ以上詮索するなら、協力してあげない」 「どう? 私の提案に乗る?」 「よろしくお願いします」 日比野さんはもう一度、ニヤリと笑ってみせた。 巧妙な手口であるかどうかは別として、RRC内部へ入り込むことができた。 いつもならロックされ、閉ざされているはずの研究室の扉がなぜか開いていた。 少し不審に思ったが、ロックが解除されているということは警備システムも作動しないはずだ。 部屋に入ると、灯りがついていなかったので、勝手に照明のスイッチを押す。 「……沙羅?」 呼び掛けに返事はない。 「どこへ行ったんでしょうか……?」 「散歩でも行ったのかなと思いたいけど、こんな夜に出歩いてもね……」 僕と日比野さんは手掛かりを探して、室内を見回した。 「あれ? ちょ、ちょっと七波くん!」 日比野さんが、狼狽した様子で声を上げる。 「どうしよう……こんなことって……」 「こんなこと……」 視線を向けると、ほとんど青白くなった顔で日比野さんは立ち尽くしていた。 「どうしました?」 努めて落ち着き払って尋ねる。 僕までもが、この感情の波に攫{さら}われるのは得策じゃない。 「こ、これが、机の上に……」 日比野さんは、震える手でコピー用紙を掬い上げる。 「な、なんだこれ……」 「これって……い、遺書かな……?」 遺書――その言葉が、ぐるぐると頭の中で渦を描く。 沙羅が、死を選ぶ? あの自信満々で、なんでも出来る沙羅が? 「な、七波くん……顔、怖いよ」 「あ、ああ。すみません……」 ここで頭に血を上らせても、無意味だ。 まずは、沙羅を見つけ出さないと。 「ど、どうしよう……どうしよう……」 日比野さんは独り言を繰り返す。 僕は辺りを見回して、情報を集めようとした。 「沙羅は一体どこに……?」 一瞬、動きが止まる。 僕は見た。 鳥かごの向こうに佇む、小さな背中を。 風はすっかり夜のそれで、崖を舐めるように吹き抜けていく。 日比野さんが、僕の気持ちを察してその場に留まってくれて良かったと思う。 僕は1人で、孤独な彼女と向き合わなくちゃいけない。 正確には、孤独だと思{・}い{・}込{・}ん{・}で{・}い{・}る{・}彼女と―― 「沙羅」 「……」 沙羅は背を向けたまま、黙っていた。 僕が背後にいることは、すっかり分かっているはずなのに。 「沙羅、こんなところに居たら風邪ひくよ」 「早く、中へ入ろう」 「……」 なんでもないふうを装って、声掛けを続ける。 彼女が自ら命を断とうとしているのだと仮定すると、それを意識させたり、煽{あお}ったりすることは良くないと思った。 「沙羅、こっちにおいでよ……」 「……」 「今日の夜風は寒いな」 「……」 沙羅から発せられる沈黙が怖くて、握った拳に力が入る。 「私は、もう」 「生きる意味が無いの」 「えっ?」 ふと舞い降りた彼女の声に、僕は即座に反応することが出来なかった。 「生きる意味が無い人間は、死を選ぶのが相応しい」 「それが、合理的な判断……」 ぼそぼそと、誰に対して話しているのか分からない声だった。 「どうして、もっと早くこの考えに至ることが出来なかったんだろう」 「やっぱり、人間という枠の中に留まっていたら、思考が本能に邪魔される」 「こんな枷{かせ}は早く外さないと、真理には到達出来ないのかもしれない」 「沙羅、何を言っているのか全然分からないよ……」 「どうして、私は選択しなかったの?」 「やっぱり、人間だから……?」 壊れかけの機械みたいにうわごとを繰り返す彼女は、本当に沙羅なのか。 「沙羅っ――」 怖くなった僕は、彼女に手を伸ばし―― その身体を引き寄せた。 無理やり、こちらを向かせる。 「さ、沙羅……」 涙を流していた。 雨が降るように、滴が流れる。 そこに、表情は無かった。 「私は、必要が無いの」 「代わりなら、もう作ったから」 「必要とされない私が存在する理由なんて、もう無いんだ」 「そんなこと、言っちゃダメだ!」 「私の存在理由が失われたのは、事実――」 「そんなこと言ったの誰だよ!」 姿なき敵に向かって吠える。 「僕には、沙羅が必要なんだ!」 「“僕”……?」 沙羅は初めて反応を示した。 「あなたは……?」 「僕は舜だよ。七波舜」 「舜……?」 「ああ、そうだよ。七波舜だ」 「……痛い」 自分の存在を伝えるように、強く強く抱き締める。 その細い身体は、微かに震えているようだった。 「痛みがあるということは、私は生きているの?」 「ああ、そうだよ。君は、生きてる」 「そう……」 ぽつりと呟いた声が、残念そうに聞こえた。 「……舜、苦しい」 「離してくれない?」 「それに……どうしてここに居るの?」 「どうしてって……」 「君の遺書を見つけたからだ」 「“遺書”……」 「あれを見つけて、一目散にここまで飛んで来たんだ」 「まさかとは思ったけど、沙羅が妙なことを考えてるんじゃないかって……」 「あの書簡のことね……」 沙羅は徐々に僕の言わんとすることを把握すると、短くため息を吐いた。 「あれは、遺書なんかじゃないわ」 「えっ?」 「ただの仕事上の申し送り」 そんな返しがくるとは思わず、ただただ驚く。 「プロジェクトは外されたけど、義理は通したかったから」 「でも……」 「やっぱりあなたは、私のことを分かってない」 「……」 「そんなことで、僕が君のことを理解していないだなんて、思って欲しくない」 「私は、もう……人間にはほとほと失望したの」 「だから、私は――」 「人間であることを、辞めたかった」 沙羅は身体を離すと、僕を無視して言葉を続ける。 「ううん、本当のことを言うと、私は自分の中の何かが……」 「大切に思っていた何かが殺される前に、脱出したかった」 沙羅は明言することを避けたが、その“何か”とは心や魂、あるいは思い出のようなものかもしれないと思った。 「この、人間という枠組みから……身体から、逃げ出したかった」 彼女は遠くの一点を見つめている。 沙羅は再び、他人みたいな顔をしているように見えた。 それが、酷く寂しい。 「舜も人間だから、信用には値しない」 「……勝手に話を進めないでくれ」 「いいの」 先ほどまでの語気とは正反対の、優しい声音で僕に語りかける。 「私は、あなたの全てを許す」 「人間は、愚かな生き物だから」 沙羅はこんなに近くにいるのに、遠い存在になろうとしている。 また、それを彼女が望んでいることが痛いくらいに伝わってきた。 「自分の都合の良いことだけを見て、信じ、真実とやらを作り出す」 「それが事実かどうかは関係ない」 「そんな愚行を、数えきれないくらい見てきたの」 「それによって、私の中の大切な何かが、傷だらけになってしまった……」 「誰も、何も、信じなければいいのに……」 沙羅の顔には絶望という名の闇が張り付いている。 「信じなければ、裏切られない」 「期待しなければ、失望もしない」 「それが一番、合理的で美しい」 「どうして、傷付く前に教えてくれなかったの?」 「僕は、そうは思わないからだよ」 「どうして……?」 今度は無邪気ささえ感じる。 彼女の表情は変わっていないのに、僕が受ける印象はどんどん変化する。 「確かに、人間は愚かかもしれない」 「嘘も吐くし、間違えることもある」 「でも、それでも人間は、過ちを正すことだって出来る」 「そうやって、少しずつでもいい方向に向かっていけるんじゃないか?」 「だから、絶望する必要なんて無いよ」 「……」 「なら……舜は」 「妹が……白音が欠けてしまった世界でも、舜は幸せなの?」 「それを補うためのシロネも、もう居ないのよ……?」 「白音が死んでしまったのは……悲しいよ」 「今もいろいろと思うところはあるし、落ち込むこともある」 「でも、白音が初めから欠けている――そんな世界よりは、よっぽどマシだ」 「……」 「白音が居なくなってしまった意味なんて、分からないし、分かりたくない」 「でも、僕の周りには支えてくれる人が沢山居る」 「だから、僕が絶望する必要ことなんて全く無かった」 背中を押してくれた夕梨、研究室を開けてくれた日比野さん。 彼女たちの手助けがあったから、こうして沙羅を見つけることが出来た。 「それに、僕には沙羅が居るから」 「……どういうこと?」 「だって、沙羅は、僕のためにシロネを作ってくれたじゃないか」 「白音が居なくなって殻に籠っていた僕を、助けようとしてくれた」 「それは、白音が研究素材として最適だと判断しただけで――」 「じゃあ、あの日を始められるって言い続けたのは、なんだったんだ?」 「白音を蘇らせて、昔みたいに、みんなで笑って過ごす」 「それが、沙羅の本当の願いなんだよね?」 「それは……」 シロネが僕の家にやってきた日を、思い出す。 初めは抵抗があった。 だけど、一緒に海に行った日、ああ、時計が動き出したんだと心臓が震えた。 「そんなの――」 「勘違いよ! 私は、願いなんて持ってない……!」 ヒステリックな叫びが、僕の心と身体を嬲{なぶ}る。 「願えば、裏切られる。信じれば、騙される」 「だから、そんな曖昧で不確かなことなんて、私は願わない」 「……私は」 「アンドロイドしか……信じない!」 言い切る沙羅の言葉が、強く頭を震わせた。 それでも―― 「どうしてそこまで、アンドロイドにこだわるんだ!」 「もっと、人間を、僕を……頼ったっていいはずだよ」 「自分より劣った存在に、縋{すが}ったりはしない」 「だから私は、感情に流されず、合理的に判断を下せる彼女に、全てを託した」 「人間を導く存在として、最良のパートナーになり得る、アンドロイドにね……」 「でも……」 僕は躊{ちゅう}躇{ちょ}する。 ひび割れたガラス細工みたいな彼女に、この言葉を突きつけていいのだろうかと。 「何……?」 瞳の奥が底光りしている。 僕は意を決して、口にする。 「でも、シロネは失敗したじゃないか」 「……ああ」 沙羅は脱力して、嘆きの声を上げた。 「そう、失敗してしまった」 「人間とアンドロイドが共に生き、数々の困難に対処する」 「そんな未来は、すぐそこまで来ていた……」 「それなのに……」 「私は、失敗してしまった……」 「取り返しのつかないことを、してしまって……」 「この手でアンドロイドの未来を、閉ざしてしまったの……」 「全部、私の責任……」 「あの時のシロネは、制御不能だったんだ」 「仕方ないことだった」 「そんな言葉では、許されないの」 「トリノ計画は、世界が注目していた」 「もしかしたら、RRCだって無くなってしまうかもしれない……」 「でも、だからって死んじゃったら、挽回することすら出来なくなる」 「生きて、研究を続けていれば、今度は失敗しなくて済むかもしれないだろ?」 「取り返したくない」 「もう、疲れたの」 「人間の愚かさにも。命令を聞かない、アンドロイドにも」 「そして、私自身にだって……」 沙羅は涙を拭って、息を整える。 「研究は、後任の彼女に任せる」 「そして、役立たずの私は、人間の姿を捨てて、消え去る」 「これでいい。これがいいの」 「人間も、アンドロイドも信じられない」 「得意だったことも失敗したから、もう死にたい……」 「……」 「さよなら、舜」 そう言って、沙羅がこちらに背を向けようとした時―― 一瞬、彼女の顔に疲労が浮かんでいることに気づいた。 「沙羅っ……!」 「沙羅は――」 「少し、休んだほうがいい」 「……」 「それが、君の本心なんだったら……休んだほうがいいよ」 「……」 「変に理屈をこねなくてもいい。もっと沙羅の本音を教えてよ」 「弱いところ見せてくれたって、いいじゃないか……」 「……っ」 「どうして……」 振り返った沙羅は、驚いた顔をして、固まっている。 「どうして、舜が泣きそうなの……?」 「え……」 沙羅は実に不可解だというふうに、眉根を寄せた。 「悔しいんだよ、沙羅がそこまで追い詰められてたのに……こうなるまで気付けなかったことが」 「沙羅は強がりで、天邪鬼なんだ。昔と何も変わってない」 「そんな沙羅だから、僕は君のことが好きになったんだ」 「……は?」 「ちょっと待って舜。あなた、今――」 「僕は、沙羅のことが好きだよ」 「もちろん、恋愛としてだよ」 「なんで……どうして……?」 「……そんなこと、急に言われても困る」 「そもそも……強がりで、天邪鬼で、だから好きという論理は破綻しているんじゃ――」 「おかしくないよ」 「え……?」 沙羅は瞬きを繰り返し、戸惑いを収めようとしている。 「人を好きになるのに、理屈なんて要らない」 「沙羅のことを追い掛けて、そのうち気になって仕方がなくて、気付いたら好きになってたんだ。それじゃあ、駄目?」 「……そんな」 「そんな不確かなことを、私に信じろというの……?」 両の瞳が“不服だ”と訴えている。 「出来ればね。もちろん無理は言えないけど」 「でも、沙羅がなんと言おうと、この気持ちは本物だよ」 「そう……」 「……“恋は盲目”とは、よく言ったものね」 「心なんて、明日には変わってるかもしれないのに」 「それは沙羅も同じだ」 「寝て起きたら、僕のことを好きになってるかもしれない」 「なるほど。確かに、それは一理ある」 「そこで、納得してくれるとは思わなかったよ……」 今度は僕が戸惑う番だった。 口から出まかせも、言ってみるものだと思う。 「でも、舜はいろいろと一方的な思い込みをしている」 「人は不条理の塊よ。完璧に相容れることなんて不可能だわ」 「でも、寄り添って支え合うことは出来る」 「僕は、沙羅とそういう関係になりたい」 「あなたは研究者じゃない。普通の学生でしょ?」 「不釣り合いかもしれない。支えるには、頼りなさ過ぎるかもしれない」 「だけどそれは、これから努力していくよ」 「一緒に考えて、一緒に居れば、きっと必ず答えは見つかるはず」 「そんな根拠も無い推論、なんの当てにもならないのに……」 「私が、そんなこと信じられるわけないのに……」 先程まであった悲しみの色が、沙羅の瞳から少しずつ消えていった。 「私はまた、人間に、この世界に裏切られた」 「私を追い掛けて、止めてくれる人間が居るだなんて思わなかった」 「舜が、とても悲しそうな顔をするから……」 「私はまた、優しさを向けそうになってしまう……」 「感情に流されてるって、思ってた……」 「それで、いいんだよ」 「沙羅は流されてなんかいない。ちゃんと自分の意志を持ってる」 「それなら、もう、二度と」 「私の前で、泣いたりしないで」 「泣かないよ」 「寂しそうにしないで。悲しまないで」 「舜が辛そうにしていると、私まで辛くなるから」 「約束するよ」 「沙羅が、傍に居てくれるなら」 「……うん」 ようやく、笑ってくれた。 涙の粒を零しながら、沙羅は微かに微笑みを向けてくる。 「約束……か」 「とっても、曖昧な言葉ね」 「でも……」 「嫌いじゃないかな」 沙羅に気づかれないように、そっと肩の力を抜く。 それから、手を繋いで、2人で空を見上げた。 ――白音。 今度は、ちゃんと守れたよ。 「出て行く時は、二度と戻らないつもりだったのに……」 「これでいいんだよ。少なくとも、心境の変化はあったでしょ?」 「そういう曖昧なものは、意味があるとは言わないの」 これが、夕梨の言っていた“ムカッとする”瞬間か。 軽く咳払いをして、気持ちを立て直す。 「でも、あなたと付き合い始めたという劇的な変化はあった」 「えっ!?」 「なんで驚くの? 舜は、私のことが好きって言ってたでしょ?」 「言った、言った! 言ったけどっ!」 まさか、もう恋人同士だったとは知らなかった。 「まあ、それに関しては――」 「あっ!」 気がつくと、日比野さんが足早にこちらに向かって来ていた。 「紬木さん……!? 平気なの……?」 日比野さんは、不安そうな面持ちで沙羅を眺めていた。 「大丈夫ですよ、日比野さん」 「あれは、ただの仕事上での申し送りだったんです」 「え……?」 「沙羅は疲れていて、夜空を眺めていただけなんです」 僕はにっこりと笑う。 沙羅の性格を思うと、彼女を速やかに日常に帰すためには、こういった処置が必要だと考えた。 沙羅は僕をジロリと見るだけで、何も言わなかった。 「ごめんなさい……私ったら、てっきり……」 「紬木さんが、軽々しくそんなことをするわけないよね」 「世の中には、生きたいと思っても、生きられない人だっているし」 「……」 彼女の言葉が本心かどうかは、僕には分からなかった。 でも、沙羅はその言葉を逃さない。 「……心配掛けてしまって、ごめんなさい」 「そんなことないよ。こっちが勝手に――」 「ああ、忘れてた」 押し問答を避けるように、沙羅は気持ち大きめの声を上げる。 「私と舜、お付き合いすることになったの」 「えっ……?」 「えっ、ええーっ!?」 僕も目玉が零れ落ちそうなくらい驚いた。 「日比野さんは分かるとしても、どうして舜まで驚くの?」 「だって、そんなあっさり言うとは思わなかったから……」 「別に隠す必要もないでしょ?」 「それは、そうかもしれないけれど……」 「えっと、つまり……」 日比野さんが身を乗り出すようにして、会話に割り込む。 「冗談じゃなくて、本気でお付き合い……始めたんだよね?」 「しかも……たった今の間に?」 「うん」 「ちょっと……いや、だいぶびっくりしたな」 「だけど、2人ならお似合いだと思うよ」 「それは心外かも……」 「ちょっと、沙羅!」 「ふふっ。そういうところがお似合いだと思うよ」 にこやかに日比野さんが笑う。 「ただ尻に敷かれているだけな気がします……」 まあ、この立場が逆転する未来なんて、早々見えないけど。 「とにかく、おめでとう! 紬木さん」 「あ、ありがとう……」 なんだか、沙羅の頬が赤いような気がする。 気になって注視してしまう。 「なんで見つめているの?」 「いや、沙羅が照れてるなんて、珍しいなって」 「……打算の無い喜びを向けられたの、初めてだから」 「なにか賞を取っても、それが研究所の立場をどれだけ強めるのかとか、スポンサーとの交渉材料になるとか」 「そういうくだらない打算の上に成り立つ賞賛なら、散々受けてきたけど」 「こういう紬木さん、もっともっと見てみたいな」 「澄まし顔より、全然素敵だよ」 「ね? 七波くん」 「うん。惚れ直しそうだな」 「ふ、2人してからかわないでよ……」 「そんなことしてないよ」 「うん。今の紬木さん、女子の私から見ても可愛いって思うよ」 「やっぱりからかってるんじゃ……」 沙羅は髪をいじりながら、プィッと視線を外す。 思い出した。 子どもの頃の沙羅って、拗ねるとすぐ、こういう仕草をするんだった。 「……舜、何か失礼なことを考えていない?」 「そんなことないって」 「そんなことあるの」 「ふふっ。やっぱり、息がぴったりだね」 「全く……」 「……あっ!」 「ふふふ……」 「うん?」 唐突に、沙羅がニヤケ笑いを始める。 「……ふふっ、そういうことね」 何か閃いたんだろう。 嫌な予感がしてきた。 「日比野さん――」 「今夜は、記念すべき恋人初夜だから」 「舜は、貰っていくね」 「え、ええっ! しょ、初夜って……あの、そのっ!」 「ほら、舜」 「え、あ、ちょ、ちょっと!」 沙羅にぐいぐいと引っ張られて、僕は強制退場させられた。 「そういうわけだから、舜」 「今日は、朝まで帰さないからね」 「何がどういうわけだか、さっぱりだよ」 そもそも、それは男が言う台詞じゃないかと思うけど……。 沙羅には、そんな常識は通用しないらしい。 「舜は、私のことが好きなんだよね?」 「間違いない?」 「うん。僕は沙羅のことが好きだよ」 「そう、なら……」 「手伝って欲しいことがあるの」 「何……かな?」 なんだか沙羅の雰囲気が、普段と違うような……。 それに、いつもよりも距離が近い気もする。 「私を、抱いて」 「えっ……?」 「“えっ”じゃないでしょ……」 「……それとも、私なんて抱きたくない……?」 「そんなわけ――」 「そんなわけ、ないだろ……」 でも、今日付き合い始めたばかりだし……。 ちゃんと心も身体も整えて臨みたいと思うのは、理想論過ぎるか? 「舜にしか頼めないことなの」 「舜は、私がどんな研究をしているか、覚えてる?」 「人間そっくりのアンドロイドを作ること?」 「ちょっとズレてるけど、だいたいそんなところね」 「人間に近いアンドロイドを作るには、人間のことをよく知らなくてはいけないの」 「その研究課題の1つに――セックスがある」 「つまり僕は、実験台というわけか」 「まあ、そういうことかな?」 「それは、どうなんだ……」 「僕は、恋人同士の……なんというか、強い絆みたいなのを、この行為に求めているんだけど……」 戸惑うばかりの僕に、沙羅は刺激的な言葉で迫る。 「えっ……?」 「舜は、私とセックスしたくないの?」 「そりゃ、したいよっ!」 堪えていた、心の叫びが出てしまった。 「僕だって男だし。でもさ――」 「分かった」 沙羅は吐き出そうとした、ため息を堪えてみせた。 「なら、舜を、その気にさせる」 「ちょ、ちょっと沙羅……!?」 「しー、静かに。人が来たら困るでしょ」 眼前にあるのは、沙羅の膨らみ。 しかも、下着を身に着けていない真っ白い素肌が、そこにある。 「誰かに見咎められたら、どんな処分を受けることになるか……」 「……」 100%僕が責められる未来しか思い浮かばない。 乳房で半ば口を塞がれているから、思うように言葉を発することが出来ず、反論することすら許されない状況だ。 「これで少しは……大人しくなった?」 沙羅はすっかり征服した気でいるらしい。 同じ人間とは思えない柔らかさ、そして、しっとりとスベスベな感触が頬を挟む。 襲い掛かってきたのは沙羅のほうだけど、それは指摘せず、息を飲んでじっと堪える。 「私にしては、結構大胆なことをしているんじゃないかと思う……」 「異性に胸を見られる機会なんて、年1回の健康診断の時くらいで」 「じゃあ……沙羅は」 「そういう経験……今まで無いってこと?」 「私、処女だから」 言い淀むことなく、きっぱりとそう告げる。 「だから、こういうことは慣れてないけど、舜が何をしたら喜んでくれるかは、なんとなく分かるの」 「舜は、隠しているつもりかもしれないけど……」 「あなた、いつも私の胸元ばかり見ているでしょ?」 「え……」 無意識的だったけど、こんなに魅力的なスタイルの彼女を、見るなと言うほうが無理な注文だと言いたい。 「別に、怒ったりはしてないわ」 「男の人って、そういうものかなって思うし」 「舜だって、例外では無いでしょ?」 「今この状況で……否定出来るわけないよ」 「それもそうね」 くすっと笑って沙羅が言葉を区切った後、顔を包み込む胸の圧力が高まった。 「でも、不思議ね……舜にそういう視線を向けられても、そんなに不快じゃなかった……」 「もしかしたら、本能的に舜を求めていたのかもしれない……」 沙羅はぐいっと押し付けるように、僕の口元に乳房の先端を向ける。 ぷっくりとしたピンクの突起は桜色に染まっていて、艶めかしく、思わず生唾を飲んだ。 「……さっきから、息がくすぐったいの……」 「息をするなとは言わないけど……しばらく、黙っててくれる?」 「……分かったよ」 僕は沙羅の膨らみを軽く手の中に収めて、その先端を口に含んだ。 「ひゃうぅんっ!?」 「はぅっ、なんで、そんなっ……そんなの……っ」 ちゅるると軽く吸ってみたら、沙羅はびくんと跳ねて言い訳を始める。 「いきなり、だなんて……聞いてない……」 「黙れって……言うから……」 「だからって、おっぱいを吸ってもいいって……許可した覚え……ないっ」 「なんで……はぁっ、こんなこと、するの……?」 刺激に堪えるように目を瞑って、努めて理性的であろうとする沙羅。 『その気にさせる』って言い出したのは、沙羅のほうじゃないか」 口に乳首を含んだまま、舌を使って言葉を紡ぐ。 「い、いつ……? いつ、舜のスイッチが入ったって……いうの……?」 「私は……それを、知るために……んっ……こうして、自分の身を供してまで、実験しようと思ったのにっ……」 正直に言えば、胸を押し付けられた瞬間から、身も心も臨戦態勢だ。 僕だって、セックスの経験はおろか、女の子の裸に触れたことも無かったわけで……。 「まあ、いいわ……舜がしたいと言うなら……おっぱい、吸{・}わ{・}せ{・}て{・}あ{・}げ{・}る{・}」 「私はそれを……んん……観察するから……」 上から目線の言葉だけど、処女だと分かっているから、どこか初々しく聞こえて、心地良い。 口の中で弾くように舌を動かし、新たな刺激を送り込む。 「んっ、んんっ……はぁ、あぅ、うんんっ……」 「舌……上手に使って……んっ……! はあっ……どこで、そんなこと覚えて……んっ」 本能に身を任せ、乳首を集中的に弄{いじく}る。 沙羅が感じている声は新鮮で、頭の中が沙羅への思いでいっぱいになってしまう。 「そんなに吸っても……何も……出ないのに……っ」 「あっ、ううん、んん……! 味だって……しないのに……」 「甘いよ……?」 「あ、甘いの……?」 「母乳が出るわけでもないのに……?」 息を吸い込むと、ほんの少しの汗の匂いと、ミルクのような甘い香りが肺を満たしていく。 女の子特有の匂い……なんだろうか。 「自分で舐めたことなくて……知らなかった……」 再び突起に舌を伸ばし、ざらざらした舌の表面で舐め上げる。 沙羅の身体ががくがくっと揺れ、さらに双丘が顔にめり込んでくる。 「んっ、ああっ……! うんん、あ、ふあぁっ、ああっ……!?」 「おっぱいの先……ぺろぺろされると……んんっ!?」 「ん……ふふっ……舜は……はぁ……おっぱいが、本当に大好きなのね……っ」 沙羅は満足げに微笑むけど、あまり余裕は無さそうだ。 快楽に拍車を掛けるように、僕は口での愛撫を激しくしていく。 「ひゃうっ、はあ、んんっ……私の、おっぱいに……ちゅーって、吸い付いて……」 「そんな姿……誰にも、晒せないでしょうね……」 「沙羅だって同じだ……」 いつの間にか沙羅の乳首は硬くなっていて、興奮を伝えていた。 「はあっ! んん……ね、ねえっ……舜……?」 「私のおっぱい、しゃぶって……あ、はああっ、ん、興奮してるんでしょっ……?」 「いっぱい、舐めさせて、あげたんだから……はあぅ、あ、あっ、舜、舜のもっ……!」 「吸ったり、舐めたり……味見させ……てよ……んんっ! んっ、うんん、あっ……!」 「うん……」 言葉とは裏腹に、沙羅は息を荒げて、胸を上下させている。 すべすべだった肌は、唾液で濡れてすっかりベトベトになってしまった。 乳房から口を離した僕は、すぐさま履いていたズボンを下ろした。 「これで……いいの?」 沙羅が不思議そうにこちらの様子を窺う。 「変な感じする……?」 「ううん、そうじゃなくて……」 「おっぱいじゃなくて、その……ペニスを舐めるというので、いいの?」 「も、もちろん……」 沙羅の反応が予想外で、その純粋さに、なんだか胸が温かくなった。 「それにしても……」 「舜のおちんちん、こんなに大きく成長してたのね」 「子どもの頃に見たのとは全然違う……」 「子どもの頃?」 「でも、そうよね。身体は大人になったのに、ここだけ子どものままだったら、お子様おちんちんって、からかわれちゃうだろうし……」 「いや……舜はそうやって女の子に弄ばれるほうが、好きだったりして……」 沙羅は僕の疑問を聞き流して、思い出に耽ってしまっていた。 「私が入手した知識だと、おちんちんは勃起すると、さらに太く大きくなるって……」 「舜のも……大きくなるの?」 「沙羅が……胸に挟んで扱いたり、舐めてくれたりしたら……」 「そうして欲しいのね?」 「……うん」 沙羅はニヤリと笑みを浮かべてから、ペニスのほうに向き直る。 最初は、陰茎の感触を確かめるように、挟んだりゆすったりを繰り返す。 「あ……ふあ、あっ、んん……んっ……」 その視線は亀頭に浴びせられ、その扇情的な光景に、無意識に力が入ってしまう。 「わっ……ビクビクって震えた……今のは、わざと?」 「いや……沙羅に見られてると思うと、恥ずかしくて勝手に震えちゃうんだ」 「ふうん……でも、しばらくは我慢してね……動かれると、観察しにくいから……」 沙羅は胸の肉全体を使って、揉み込むようにして竿を搾り上げる。 その動きは意外とハードなのか、沙羅の息は切れ、少しずつその陶器のような白い素肌が朱色に染まっていく。 「熱くて、硬くて……それに、大きくて……これが、舜のおちんちん……」 「ん……舜って、少しなよっとしてるイメージがあったけど……ちょっと印象が変わりそう……」 「まあ……僕も男だから」 「ふふっ……」 「舜が感じている時の顔、好きよ……? もっとその顔……私に見せて?」 沙羅は余裕たっぷりの笑みを漏らした後、そのまま上半身全体を使って、ゆっくりと乳房を揺らす。 根元から先端までみっちりと包み込まれていて、気を抜いたらすぐに射精してしまいそうだ。 「はぁぁ……はあっ……結構、これ……難しいのね……んっ……」 「おっぱいで……舜の、おちんちん、ごしごしするの……」 「性器を擦り合わせているわけでもないのに……これが、セックスと呼ばれているだなんて……不思議」 「僕は嬉しいけどね……」 「これは、舜を喜ばせるための実験……セックスの予行練習みたいなもので……」 「んっ……?」 亀頭から溢れ出した我慢汁を眺めながら、沙羅は不思議そうな顔をしている。 「なあに? これ……」 「ちょっと、ネバネバしてるみたいだけど……」 「んっ……れろっ……」 「ん……あんまり、味はしない、かも……っ」 「さ、沙羅……?」 なんのためらいもなく、その小さな舌がチロチロと亀頭の上を這い回る。 鈴口で雫になっていた我慢汁は綺麗に舐め取られ、代わりに沙羅の唾液がまぶされる。 「ん、ちゅ……ぺろ……ちょっとだけ、おしっこの味と、匂いがする……」 「でも……んんっ、ちゅっ、ちゅ……そこまで、嫌な味じゃない……んん……」 「むしろ……舜の味だから……美味しい……ちゅう、ちゅるる……はぁ、ん、ちゅ……」 舌をすぼめ、カリ首をなぶるようになぞり上げられる。 敏感な部分をダイレクトに刺激されて、思わず腰が浮かび上がってしまう。 「んっ……おっきくなってきた……」 「痛そうなくらい、ガチガチになってるけど……まだ続けて大丈夫なの?」 自慰では味わうことの出来ない快感に頭がぼーっとしてきて、返事をするのも忘れてしまう。 沙羅は再び先端を口元に運び、汁を舐め取るように嬲{なぶ}る。 「れろ、ちゅぅ……ん、んん……ぺろっ……」 「舜のお汁が……ん、ちゅる……いっぱい、出てきて……んん……」 断続的に送り込まれる刺激に腰が疼いて、勝手に動いてしまう。 「ん、んちゅ……はぁっ、ん……出したい……のっ……?」 「もう……射精しちゃいそうなの……?」 「う、うん……」 決して激しくはなく、どちらかと言えばたどたどしい仕草であるのに、かえってそれが絶妙な快感になっている。 じりじりと迫ってくる放出の時に堪え続け、背中に汗が流れていくのを感じる。 「んん、んっ……もうちょっと……味わっていたい……ちゅ、ちゅううぅっ……」 「先っぽまで……んんっ……パンパンになってて……精液、溢れちゃいそう……んっ」 「丁寧に、擦って……んちゅ、ちゅっ、ちゅる……はぁ、んっ、ちゅ……!」 沙羅は上下運動をより激しくし、その衝撃でさらさらと髪が揺れ、乳房も弾む。 それでいて舌先は亀頭から離さず、小刻みに鈴口をタッチし、我慢汁で口元をべとべとにしている。 「んん……射精……させてあげる……っ」 「ちゅ、ちゅうっ……! 出して、いいから……ちゅっ……いっぱい射精して、気持ち良くなって……!」 「もう……イク……」 「うん、うんんっ! んちゅ……イッて……あなたのが欲しい……!」 「ちゅ、ちゅるるっ、んんっ! はぁ、ちゅ、ん、んっ、あ、ちゅっ……ちゅ、んん!」 「あっ、すごい、もう……来てるっ……! 出そう、はぁっ……ちゅ、ちゅっ! んんっ、んっ!」 「んんんっ……!?」 「ひゃうぅぅぅぅぅんんんんんっ……!」 大好きな女の子を汚{けが}す背徳感が背筋を駆け上がり、腰に溜まっていた熱が放出される。 目の前がチカチカし、しばらくした後、視界に精液が掛かった沙羅が見えてくる。 「きゃっ……す、すごい勢い……それに、熱くて、濃い……」 驚く沙羅をよそに、間欠泉のような射精は留まるところを知らない。 顔に胸に精液が掛かり、綺麗な肌が白濁液によってコーティングされていく。 「はぁっ……収まったみたいね……」 「なんか、変な味……苦くて、粘っこくて……何かに例えるのが難しいけど……」 「普通は飲むものじゃないから……」 口元に付いたものを舐めたんだろうけど、味の感想を言われるのは恥ずかしい。 きっとこれも、沙羅の言う研究の一環なんだろう。 どんな研究なのか、まったく検討がつかないけど。 「これだけ射精したのに……おちんちん、硬いままなのね……」 「もしかして、まだまだ射精し足りない……?」 「ま、まあ……」 「もう1回、舐めて欲しい?」 「ええと……」 それもいいけど、出来れば沙羅の中に挿れてみたい。 「ねえ、舜……」 「私から1つ、お願いしてもいい……?」 「お願い?」 「その……おちんちんを観察するのも、セックスの予行練習をするのも、もうおしまいにしたい……」 「それより、今は……舜と、セックスしたいの」 「……」 今日はもうここで終わりなのかと残念な気持ちになっていたのも忘れ、期待通りの展開に胸が高鳴る。 沙羅も同じ気持ちで居てくれたことが嬉しい。 「やっぱり、ダメよね……付き合ってすぐに、性欲を剥き出しにする女なんて……」 「そんなことないよ。僕も同じ気持ちだ」 「沙羅にお願いされなくても、下手したら無理やり押し倒していた……かもしれない」 「そうなの?」 「……うん」 緊張で喉がカラカラになりつつ、なんとか声を絞り出す。 「じゃあ……私のこと、押し倒してみせて?」 ソファーの上で沙羅を優しく押し倒す。 一方沙羅のほうは、満足そうな笑みを浮かべている。 「無理やりしたいんじゃなかったの?」 「ほら、早く……おちんちん挿れたら?」 「いやいや、無理やりなんて良くないよ」 「こんなところまで、優しくしてくれなくていい」 「それに、こんな格好で待たせるのは……紳士的でも、なんでもない」 「そうかな……」 沙羅のほうが案外グイグイ来るので、嬉しいのにどうしたらいいのか分からない複雑な気持ちになる。 「挿れるためのものなんだから、挿れなきゃ意味ないでしょ……?」 視線を落として、沙羅の秘部を確認する。 そこは充分なほど潤っていて、甘酸っぱい匂いが立ち込めている。 「早くっ……」 急かしてくる沙羅に、あまり余裕は感じられない。 彼女なりに、緊張しているのだと思う。 「来て……」 「挿れるよ……」 先端を膣口に当て、ぐっと腰を押し込める。 「んんっ……は、はぁぁぁっ……!」 「さ、さすがに……んっ……きつい……っ……」 華奢な全身に力が入り、手をぎゅっと握り締めて貫通の痛みに堪えている沙羅。 いつもの澄まし顔は一転し、苦悶の表情に歪んでいる。 「やっぱり、止め――」 「止めなくて、いいの……お願い……止めないで……」 「痛いのは、分かってたことだから……」 沙羅は痛みを堪{こら}えつつ、ふっと笑みを浮かべる。 僕を安心させようとしている、というのは考え過ぎだろうか。 「んん……っ! そのままじっとされても……痛いだけみたい」 「だから、出来ればそのまま……続けてくれる……?」 「分かった」 改めて気合いを入れ直し、きつい締め付けをこじ開けるように挿入を続ける。 「う、んんんっ……!」 「はぁぁぁ……はぁぁ、んっ……ふぅ」 徐々に、しっかりと濡れている秘裂に肉幹が埋まり始める。 「んっ……まだ、入り切らないの?」 「もう少し……」 まだ挿入しきっていないのに、何かに阻まれるような感触があった。 「一気に、いくよ」 「うん……」 「んんっ、ああぁぁっ!」 メリメリっと何かが破けるような感触と共に、つうっと鮮血が流れ出てくる。 血液の生々しさに動揺してしまって、一瞬モノを引き抜きそうになる。 「はぁ、はぁぁっ……初めて、だもの……」 「血が出るくらい……んんっ……当然……のこと……」 「痛い……よね?」 「うん……」 「でも……続けて欲しいの……」 「うん」 苦悶の表情を浮かべながらも、沙羅は気丈な態度を崩さない。 沙羅の気持ちに応えるように、ゆっくりと抽送する。 「んっ、はあ、うんんっ……!」 「舜の……大きいので、んんっ、お腹の中、圧迫されてて……はあっ……!」 「苦しいのに……ああっ、胸が、いっぱいで……んっ!」 もどかしい程ゆっくりとした動きでも、沙羅の中は熱く潤んでいるため、十分過ぎるくらい気持ちいい。 沙羅のほうにも少し余裕が生まれ始めたのか、全身の緊張がほぐれてきた。 「はあ、はあぁっ……呼吸をするだけで……幸せな気持ちになる……」 「ん……痛いけど……嫌じゃない……んんっ……」 実験や研究に根気よく向き合っている沙羅だからこそ、性行為にもマゾな感情を抱くのかもしれない。 苦々しい表情に喜びを見つけて安堵する。 「はあっ……舜は……?」 「長くは、持たないかも……」 「えっ……?」 「ごめん……」 心の中では、沙羅を気遣っていたいのに、身体は言うことを聞かず、抽送の速度が上がってしまう。 「あっ、ああっ、うんん! それ、激しい、のっ……はあぁっ!」 「無理やり、されるの……いいの! はあぁっ、思うままに……セックス、してっ……!」 受け入れる覚悟を決めたのか、沙羅は自分の手をぎゅっと握り締めて堪えながらも、快感に貪欲であろうとする。 僕はそのまま腰の動きを止めずに、奥へ奥へと突き込んだ。 「はあぁ、う、んん、んんんっ! あっ、ああっ、ん……!」 「奥まで、来てるの……分かる……はあぁっ! おちんちん、奥まで、入ってるの……!」 「ふあぁっ、ああっ……んっ、ん……だんだん、気持ち良くなってきて……ふぁっ……」 沙羅が自分の胸を揉む度に、その口から熱い吐息が漏れる。 乳首も指で弾ける程に勃起し、その色はピンクから赤へと色付きが変化していっている。 「ひゃ、ううん、んっ……! はあっ、大きい……」 「中で、ぱんぱんに膨らんで……んんっ、私のあそこが、きゅんってしちゃうの……」 不規則な締め付けが引き金となり、押さえつけていた欲望が弾け飛ぶ。 思考停止し、腰を打ち付けることしか考えられなくなる。 「はぁ、激しいっ、ああっ、いっぱい入って……来て……ひゃあぁっ!」 「私……ああっ! 舜に、犯されちゃってるのっ……!」 「ごめん……腰、止まらなくて……」 「謝らないで……んんっ、はぁぁ……こういうのも、悪くはないから……は、はぁぁ、はぁん!」 「ん、んんっ……いつ射精しても、いいから……はう、はぁぁ……」 「ふぅ……んんっ、はぁぁっ……! そ、そのまま、中、で……んっ!」 「んんっ、は、はあ……全部、受け止める、から……あ、ああ、ああっ!」 お互いの全身は汗にまみれ、室内は体液の匂いとリズミカルな肉のぶつかる音が支配する。 膣内も熱くうねり、精液を欲しがるようにモノを搾り上げ、だんだんと射精感が高まってくる。 「んっ、んんっ、そろそろ、い、イキそうなの? ん、あ、んぁぁ、あ、あんっ」 「おちんちんが、あ、ふあぁぁ! 私の中で、また、あ、あぁっ! 大きくっ、ふ、ふぅん!」 「私も、気持ち良くてっ……あんん、変に、なっちゃいそうっ……!」 ペニスと膣壁の境が分からなくなり、だんだんと目の前が白くなっていく。 沙羅の体温や感触に包まれながら、いよいよ最後の絶頂を迎える。 「沙羅……好きだっ!」 「ちょ、ちょっと、んんっ! こ、このタイミングで、そんなこと言われても……んんっ!」 「あっ、ああっ、おちんちん、イキそう……イッちゃいそうっ……!」 「はああぁっ、うっ、ひゃああぁっ……!」 「ふぅぅぅぅぅぅぅぅんんんっ……!」 最奥に精液を叩きつけた瞬間、沙羅の身体も大きく跳ねる。 膣内が小刻みに痙攣し、それが刺激となって陰茎全体に伝わってくる。 「はあっ、すごい……んんっ、ま、まだ出て……2回目、なのに……」 「んっ、はあ、またっ……んんっ!」 射精するたびに、膣内が震えて、さらなる快感が下腹部に送り込まれる。 その刺激でまた射精してしまうという無限ループの中で、僕は快楽に翻弄され続けていた。 「やっと……止まったの……? ふう……」 「もう……出し過ぎ。お腹の中、熱くなってる」 「だって、沙羅の身体、気持ち良過ぎるから」 「こんなに乱暴に扱われるの、初めてだったから……ちょっとびっくりした」 「でも、1つになることの意味は、なんとなく分かった気がする」 「これが、セックス……。人と人とが、交わることなのね……」 うわごとのように呟きながら、沙羅は息を整える。 その間に僕の頭の中は徐々にクリアになっていき、そして、また欲望がムクムクと湧き上がってきた。 「ありがとう、舜……未知の物事がこうして1つ分かって、スッキリした」 「舜も、気持ち良くなれたみたいだし……お互いに、良かったってことで……」 「いや……終わりじゃないよ」 「ひゃううぅっ!?」 沙羅を窓際まで抱きかかえて運び、挿入したままガラス窓に押し付ける。 「なに、してるの……!?」 「だめよ……ここでしたら、外から見えちゃうかもしれない……」 外からは多少見えにくくなる仕組みの窓だから、このくらいの戯れは許されるはずだ。 「それより、こんなに大きな声を上げている時点で、他の部屋の人に聞こえててもおかしくないというか……」 「そ、それはっ……!」 「んんっ、はあぁ、ああっ……!」 口では嫌がる素振りを見せつつ、ゆっくりと抽送を開始しても、本気で抵抗しようとはしない。 それどころか、産道は先ほどよりも潤み、きゅっきゅっと小刻みに締め付けてくる。 「はぁ、もう、嫌っ……こんなの、恥ずかし過ぎてっ……」 「もうっ……離して! お願い、はぁっ……お願いだからっ……!」 腰を大きく引き抜くと、奥から大量の愛液が掻き出され、太ももを伝って零れ落ちていく。 沙羅は……見られると感じるタイプなのかもしれない。 「こらっ……言うこと聞いて……聞きなさいよっ……」 「押し付けられてるから……んんっ、はぁっ、さっきよりも、奥まで、来ちゃうっ……!」 沙羅はあれこれいいつつも、悩ましげにお尻をふりふりと振る。 締め付けも強く、離したくないという意思が伝わってくる。 「ふあ、んんっ……舜のおちんちん……さっきより、大きくなってない……? んっ、はぁぁ」 「もう、2回も出してるのに、んっ……こんなに、熱くて、硬いなんて……舜は、性欲が強いほうなの……?」 「いや……沙羅相手だからだよ」 その証拠にと、下腹部に力を入れて、息子を跳ね上げさせる。 膣ひだをズルっと擦り上げると、傷1つ無い綺麗な沙羅の背中が、弓なりに大きく反り返る。 「ひゃぅっ!? ちょ、ちょっと、もう、いいでしょ……んんっ」 「そろそろ……はぁ、んん、うんん、おしまいにしてっ……」 言葉とは裏腹に、吐息に熱が込もってガラス窓が白く曇る。 その呼吸に合わせて膣内は複雑な動きをし、緩急つけてペニスを締め上げる。 「もう、立ってるのも、やっとなんだから……」 「だ、だから……そのっ……」 「するなら、早く……してっ……」 そう呟く沙羅の足を見ると、確かに小刻みに震えていた。 「こんなに大きいのを、入れられてたら……当たり前でしょ……んんっ……はぁぁっ」 「ね……私の気持ち、分かってるんでしょ……ねえっ……?」 「ひゃううぅぅっ!?」 「うんんっ、ふああ、あ、ああんっ……は、はぁぁ、あああっ!」 細いウェストをしっかり支え、反動をつけて一気に膣奥まで貫く。 沙羅はガクガク膝を折りながらも、必死に快感を貪ろうとする。 「さ、さっきよりも、んんっ……おまんこの奥まで、届いて……は、はぁんっ!」 「中で出した精液で……んっ、滑りが良くなって……ああっ!」 沙羅の言葉通り、僕が腰を動かすたびに、膣口から白濁液が溢れ出てくる。 結合部は粘った体液で泡が立ち、甘酸っぱい匂いが立ち込める。 「ふあ、はぁんんっ! あ、あんっ、すごく、荒々しいの……ああんんっ!」 「ん……んっ、はぁぁっ、そんなにされたら……私、私、おかしくなっちゃう……ああぁっ!」 まるで素手で握られているかのように、強く締め付けてくる膣肉。 その刺激はすさまじく、腰が砕けて無くなってしまうのではないかと錯覚するほどだ。 「ああっ、刺激、強過ぎて……! よく、分からない……は、はぁぁっ……!」 「分からない、けど……んっ、でも、さっきとは、全然、違うの……」 「感覚が、無くなって……はぁぁっ、何も、考えられないっ……!」 ガラスに反射する可憐な表情はいつしか快楽に溶け、だらしなく口元が開いている。 沙羅が自分で気持ち良くなってくれていることが伝わり、我慢に我慢を重ねた射精感が、急に形を作る。 熱がせり上がってきて、いつ果ててもおかしくない。 「そろそろ、出そう……」 「わ、私もっ! なんだかすごいの……来ててっ! んんっ!」 「き、来てぇ、舜っ! 私のおまんこに、あ、ああっ!?」 「あ、ふあぁぁっ! 舜のを、刻み付けてっ……んんっ、は、はぁぁっ!」 沙羅も自分から腰を振り、より深く繋がろうとペニスを咥え込む。 目の前がチカチカとしてきて、腰全体からペニスに何かが集まっていくのを感じた。 「んんっ! 舜、舜! あ、ああぁぁっ、んっ! も、もうっ、イキそう……!」 「だ、だめ! このままじゃ……私が、私で、いられなく、なる……んんっ!」 「イッて、イッて、舜! 私の中で、イッてっ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 先端を沙羅の最奥に突き付け、勢いよく精液をぶちまける。 狭い膣内は一瞬にして白濁液に満たされ、それでもなお足りないと、膣ひだがざわめき続ける。 「ふっ……あぁぁ……また、いっぱい……出て……あ、あぁぁ……」 「す、すごい……3回目なのに、こんなに……はぁぁ、はあ……!」 身震いする沙羅をがっちりとホールドしつつ、最後の一滴まで膣内に注ぎ込む。 「はあ……すごかった……」 朦朧としていた意識が戻ってきた頃に、ようやく射精が収まる。 「私の身体で……満足した……?」 「うん……かなり」 「そう……」 ふう、と沙羅は深く息を吐く。 初めてで多少乱雑に扱ってしまったにも関わらず、沙羅は嫌な顔ひとつせず、中で受け止めてくれた。 「良い経験だった。付き合ってくれてありがとう、舜」 「こちらこそ、受け入れてくれてありがとう」 まだまだ沙羅と僕の間には、いろいろと壁がありそうだけど。 それでも、今彼女に抱いている感情は、一生をかけても大切にしたい。 「このままだと話しづらいから……」 「おちんちん、抜いて貰ってもいい……?」 「うん」 そのまま僕はほぐれきった膣穴からペニスを引き抜き、彼女の身支度を手伝った。 「……」 「……はあ」 行為の後、沙羅は静かに沈黙を続けていたが、ため息をひとつ吐くことで口を開いた。 それは少し、重く感じられるものだった。 「無理……させちゃったよね」 「ううん……別に」 素っ気ない言葉だったけど、その声には温かみが籠もっていた。 僕を拒絶している訳ではなさそうで、安堵する。 「私達、セックスしちゃったのね」 「そう……思って、いろいろ思い出してただけ」 「……」 「小さい頃は、舜とこんなことするなんて、考えもしなかったから」 「確かに……」 「舜は考えたことあった?」 「私と、セックスするの……」 「それは……」 あったかもしれないというより、確かにあったけど、出来れば秘密にしていたい感情だ。 「……無いの? 年頃の男の子なのに?」 「ど、どうだろうね……」 「……ふうん」 「いや、あるよ……多分」 沙羅が不服そうなので、なんとか勇気を出して言葉を搾り出す。 「へえ……」 「……それって、いつ?」 「えっ?」 「いつから、セックスしたかったの?」 「いつからとかは、分からないよ……」 「……」 「だけど、再会した時は……胸がドキドキした」 「昔から、可愛いとは思ってたし、好きだったけど……」 「……」 「……そう」 沙羅はぽっと頬を赤く染めて、短く呟いた。 「舜は、その……」 「また、私と……したい?」 「そりゃ、もちろん」 「それは、即答なのね」 「当たり前だよ」 「……」 「……」 自分でも驚くほど大きい声が出てしまって、恥ずかしさに言葉を失う。 沙羅のほうも同じ気持ちのようで、羞恥の表情を浮かべたまま、固まっている。 「……あ、うん」 「うん、じゃあ、私も……」 「私も、したいから……また……」 「……また、しよっか」 「……うん」 沙羅は精一杯の笑顔を向けて、優しく手を握ってくれる。 心から安心すると、一気に眠気が襲ってきた。 「……おやすみなさい」 最後に幸せそうな沙羅の表情が見えて、そのまま意識を手放した。 耳元に、カチャカチャと不規則な音が聞こえてくる。 この静けさの中ではうるさいくらいだけど、不思議と不快な気持ちにはならない。 今は……朝の9時くらいだろうか? 「起きた? もうすぐお昼よ」 「えっ……?」 確かに、時計を見るとそろそろ正午を指す頃合いだ。 「遅刻確定ね」 「遅刻どころの騒ぎじゃないね。大遅刻かまして、もうお昼だけ食べて逃げ帰る勢いだよ」 沙羅が楽しそうに呟くから、それに合わせて僕もオーバーにとぼけてみせる。 「ふふっ、そうね。舜も早く、私みたいに出席を免除して貰えるようになればいいのに」 「そんな簡単になれるものじゃないよ」 「何度か定期テストで満点を取ればいいだけじゃない」 「それが、凡人には難しいことなんだよ」 「ふうん……」 沙羅くらい成績が優秀だと、学校に行くのが時間の無駄だと思っていそうだ。 「それで……」 「そろそろ、服を着たら?」 「えっ……ああっ!」 「うふふっ。女の子みたいな反応ね」 「昨日の夜は、あんなに獣みたいだったのに」 「それは、気持ちが昂ぶってたからで……」 言葉にしているうちに、沙羅の肢体を思い出してしまう。 肌の滑{すべ}らかさ、抱き締めた時の温もり、まぐわった時の乱れ姿――。 全裸で居たことによって、昨日の行為は夢じゃなかったんだと実感した。 「シャワー浴びたかったら、勝手に使っていいから」 「あと、洗濯物なんだけど……」 「洗濯機には入れないで。蓋の上に置いといてくれる……?」 「どうして? 洗濯機回すことくらい、僕がやっておくよ」 「昨日……汚れたのが入ってるから、開けて欲しくない」 「……なるほど」 恥ずかしそうに、目を伏せる沙羅。 その様子が昨日の表情と重なり、思わず身体が熱くなる。 「……」 「……」 「……」 「……」 照れくさいような、くすぐったいような沈黙。 沙羅を押し倒したい衝動に駆られる。 この部屋には、誰もいない―― 「……えっ」 視線を巡らせていると、見覚えのある顔が目についた。 「……シロネ?」 「そう……素体だけだけどね」 「フォーマットして完全停止しているから、もう彼女は、シロネとは呼べない」 「もし、再起動するとしても、ベースの記憶から入れ直すことになるから、前のシロネとは違っちゃうだろうし……」 「そもそも、今の私の権限では起動することすら出来ない」 「そうか……」 目を閉じて眠っているシロネは、アンドロイドというより、等身大のドールのようだった。 実物を見たことは無いから、あくまで想像に過ぎないけど。 「これから、シロネはどうなるの?」 「私に決定権は無いから、今後は上層部の判断に委ねられると思う」 「出来ればずっと、私の手元に置いておきたいけど……」 「もうシロネではないと言われても、僕達にとってはシロネだ」 「思い出がいっぱい詰まってる」 「うん。この素体だけでも、莫大な予算がつぎ込まれているから……廃棄されることはないはず」 「なるほど……」 「少し、安心したよ」 「精密に出来ているからこそ、盗難や悪用には気を付けなくちゃいけない」 「とはいえ、私以外にシロネを操れる人はかなり限定されるから、そこまでのことは起きないかな」 「そうだと良いね」 「あ……」 沙羅が何かを思いついたように、言葉を短く切る。 「どうしたの?」 「ううん。別に、大したことじゃないんだけど……」 「洗濯が終わったら、散歩に出掛けない?」 「良いね!」 「ふふ。まあ、そのまま学校に行ってもいいけど」 「いや……そっちは、今日はいいや」 出席日数が心配になってきたけど、なんとかなるだろう。 「決まりね」 考えてみれば、僕はシロネのことについて、ほとんど知らない。 どうやって作られたのか、どうやって動いているのか――その仕組みは、ベールに包まれたままだ。 「でも……」 「どうしたの?」 「やっぱり、引っ掛かるんだ」 「どうして、シロネは暴走したのかなって」 「……」 僕のほうを見て、沙羅は一瞬押し黙る。 「そのことだけど……」 「一応、仮説を立てたわ」 「仮説……?」 「報告書を書く必要もあるでしょ」 「それで……」 僕の声を遮るように沙羅は説明を始める。 「まず、シロネに何が起きていたかを検証する前に、シロネ……いや、トリノの基本原理を考えて欲しいの」 「うん……」 「そもそも、人工知能の発展の歴史はディープラーニングにあるのよ」 「こういった時はこうなる。こうすればこうなる。みたいな事象の組み合わせを大量に用意して、今はどのパターンに当て嵌まるか考える」 「つまりパターン化ね」 「パターンを大量に溜め込んで、今後何が起きるかシミュレーションすることで、最適解を求める。これが人工知能の基本原則」 「トリノの場合は、これとは違うアプローチをしていて、まずベースとなる記憶が重要なファクタとなるの」 「いわば個性とでも言ったらいいかしら?」 「人間もそうでしょ? 最適解があったとしても、それぞれの個性によって、辿り着いたり辿り着かなかったり」 「さらに、その道のりも様々」 「より人間に近づくということは、個性としての揺らぎを受け入れることなのよ」 「個性というベースと、従来から研究されてきたラーニングシステム」 「そして、もう1点」 「もう1点?」 「トリノは自己フィードバック、いわば自己学習をする際も個性が反映される」 「フィードバックを行う際のウエイト処理とでも言えばいいかしら?」 「ここに今回の問題があったのね」 「問題?」 「シロネはシロネという立場において、シロネ固有のフィードバックの方式で思考を続けた」 「その結果、何度やっても三原則に抵触してしまい、それを避けるためにシミュレーションで模索し続けた」 「本来なら解が出ないなら、解が見つからないという答えを返して、思考を打ち切り、自己保護をして、主に対応を求める」 「けど、テストではそれを封じられ、理不尽なシミュレーションを繰り返し、フィードバックを続けた結果、思考メモリがオーバーフローして……」 「そして、パニック状態に陥った」 「ええと……つまり、どういうこと?」 「もう少し噛み砕くとね」 「シロネは三原則という枷があることによって、最優先で舜を守らないといけないことになってるの」 「うん」 「だけど、チューリングテストの内容は、どの方法でも舜を守れない、意地悪な質問ばかりだった……」 「シロネにとって答えにくい問題に対して、思考を繰り返しているうちに、思考中枢がエラーを吐いてしまった。というわけね」 「……答えが出せないことを考え続けて、ノイローゼになったのか」 「……まあ、だいたい合ってるかな」 「人間なら、ある程度考えると疲労で思考力が低下したり、そもそも考えることを止めちゃうけど、アンドロイドにはそれがない」 「だから、壊れるまで、考え続けてしまったのね」 「なるほど。少し理解出来た気がする」 「でも、そのテストの設問自体は、沙羅が考えたものじゃなかったの?」 「最初はそうだった」 「でも……」 沙羅は答えにくそうに、言葉を濁す。 「途中から、質問が差し替えられていたの」 「そんなことって……」 「操作パネルもロックされていたし、機械音声も、私の指示を無視していた」 「まんまと罠に嵌められたってことね」 沙羅は悔しそうでもなく、事実を淡々と述べていく。 「落ち込んでても、しょうがないから……」 「私は、シロネがエラーを起こさないようにするための策を、考えていたの」 「つまりそれは、アンドロイド自身が考える権限の幅を、どう定義するかという問題だけど……」 「うん」 「そうね、楽な言い方をすれば――」 「三原則という縛りを、外してしまえばいい……」 沙羅の口から、考えたこともないフレーズが飛び出す。 「三原則に縛られないアンドロイドって、もうそれは、アンドロイドじゃないんじゃ……?」 「でも、もともと沙羅は、人間に近いアンドロイドを生み出す研究をしているから、それが正解なのか……」 「なかなか鋭い指摘ね」 「舜が言った通り、アンドロイドは、三原則という判断基準が無いと、答えを導き出せない」 「何も分からない時、とりあえず三原則に遵守するかを考えることで、解に辿り着ける」 「もっとも、私達が“答え”と呼ぶものが、正解か不正解かなんて、誰も決められないけど」 「たとえば、この前の実験だったら、舜が少し傷付くことは仕方がないと割り切る思考が出来れば、シロネは壊れなかった」 「でも、三原則の第一条で、使用者の安全が定義されている以上、シロネにそんな柔軟な対応は出来ない」 「出来ないというか、考えること自体無いの」 「なるほど……」 人で考えれば、重傷か軽傷かは大きな違いだけど、シロネ達にとっては、“傷害”と一括りになってしまうんだろう。 「答えを導き出せないアンドロイドは、本来は作ってはいけない」 「だけど、三原則という判断基準のみだと、シロネみたいに、思考の迷路に陥ってしまう可能性がある」 「つまり、三原則は無くとも、それに代わる判断基準は、必要ってわけか」 「そうそう」 「私が考えているのは、その新しい枠組み――」 「いわゆる、“真トリノ”をいかにして完成させるか、ということ……」 「“真トリノ”……」 なんだか、中二心がくすぐられそうなワードだ。 「聞いたこと、ある……?」 「いや、全く。初耳だよ」 「そう……」 沙羅は残念そうに、少し俯きがちで呟いた。 「それって、もしかして……」 「僕の父さんの考えていた理論……とか、そういうこと?」 「そ、そう……」 沙羅は心底驚いたというふうに、大きく目を見開く。 「“アンドロイドは、人間のパートナーになるポテンシャルを持っている”……」 「今の三原則は、人間とアンドロイドの関係を、使用者とその道具として定義しているけど――」 「優れたパートナーの存在は、相手の進化にも繋がる……」 「アンドロイドは、人類をより良い方向へ導くために、きっと役に立てるだろうって」 「私も……そう信じてる」 沙羅は目を輝かせて、そう言って微笑んだ。 「だから……」 「紬木沙羅は、七波舜と付き合っているけど」 「研究を第一に、これからもアンドロイドに情熱を注いでいくつもり……って」 「そんな、他人のことみたいに言わなくても」 「だってっ……」 「恋人より自分のことを優先するなんて、なんだか身勝手で……」 「でも、それが沙羅じゃないか」 「僕は、そういう沙羅が好きだから……沙羅は、沙羅のままでいいんじゃない?」 「いいの……?」 「沙羅を否定する気持ちなんて無いよ」 「舜……」 「私、彼氏が優しい人で、本当に良かった……」 にっこり笑いながら、安堵の表情を浮かべる沙羅に、胸がドキッとした。 彼氏という響きは甘酸っぱ過ぎて、毎日聞いたらきっと、頭がおかしくなってしまうだろう。 魔法がかかった言葉だと思った。 「その彼女のために、僕も……」 「沙羅の研究の手伝い、何か出来ないかな?」 「手伝い?」 「沙羅が頑張ってるのに、見ているだけなのが歯痒くてさ」 「舜には学校の勉強があるし、気軽には頼めない……」 「それをやるのは当然として!」 「そう……?」 馬鹿にされているような気がしたけど、沙羅のことなのでしょうがない。 「なんでもやるから」 「うーん……」 「本当に、なんでも?」 「ああ、なんでも」 「……」 沙羅が真剣に検討してくれているのか、呆れているのかは分からない。 『アンドロイドに任せるからいい』 それが無いのは、多少なりとも沙羅の心境に変化があったということなのかもしれない。 「少し、考えさせて貰ってもいい?」 「もちろん」 「前向きに、検討してみる」 その後は、好きな食べ物やお菓子など、他愛もない会話をした。 研究所に戻る沙羅を見送って、自宅へ帰ることにした。 「……ふう」 キーボードを打つ手を止めて、1つ大きく深呼吸をする。 今日はいつもより、休憩の回数が多いかもしれない。 「舜があんなこと口にするから……」 専門知識の無い人に頼めるようなことは、かなり限られている。 思い付くのは、頼むまでもない、どうでもいいことばかり。 「ただ、1つを除いて……」 そう、1つだけ、舜にも出来る大役がある。 いや、今はもう、舜にしか頼めないことなのかもしれない。 「RRCからの支援も期待出来ない、この状況では……」 「舜に頼むしかないんだけど……」 これは、駄目……。 たとえ私が今、困窮した状況にあったとしても―― この選択肢は、最後まで切り札に加えてはいけない。 研究が第一と、舜の前では言い切ったけど。 100%の自信を持って託せるかと聞かれたら……首を縦に振ることは出来ない。 そういう、いわく付きの大役だ。 「……今一度、思考を整理しよう」 私はゆっくりと心を落ち着かせるように、VR装置を起動した。 「……死んでなかったんだ」 「最初に言う台詞がそれなの?」 「あなたが居なくなった時に備えて、いろいろと準備しておいたのに」 サラは残念そうに、がっくりと肩を落とす。 「それに、舜と付き合うなんて……」 「人間は愚かだって、沙羅はそう言ってたのに」 「他人の思考を理解することが、アンドロイド研究に繋がると思ったの」 「だから、その結果が出るまで、私は死ねないし……やるべきことは、まだ沢山ある」 「そう」 「あまり驚かないのね」 「あなたは舜に、何か影響を受けたみたいだけど……でも、あなたの根本は変わっていない」 「そう見えるから、まだ失望はしてない」 「失望する前提みたいな言い方に聞こえるけど……」 わざとらしく言うのがサラだから、特に含みは無いのかもしれない。 「それで、今日はどんな相談?」 「ちょっと、迷っていることがあって」 「実は、舜に――もっと頻繁に脳スキャンを受けて貰おうと思ってるの」 「脳スキャン?」 「真トリノを作るには、どうしても今よりももっと詳細なデータが必要なの」 「舜は昔から定期スキャンを受けている1人だから、蓄積されたデータが多いし、私がよく知ってる人でもある」 「つまり、舜が適任というわけね」 「……でも、定期的な脳スキャン以外はリスクを伴うものでしょ?」 「だから、スケジュールも綿密に管理されているわけだし」 「そうね。そこも専門に研究されてるわけで」 「だから、サラの意見を聞いてみたかったの。あなたなら、どうする?」 「ふうん。そうね……」 「いや……それより」 「沙羅はやっぱり、策士ね」 「どういうこと?」 「自分の身体と引き替えに、彼に人体実験をする」 「それが目的で、舜と付き合い始めたんでしょ?」 「違うっ。私は、そんな――」 「彼はお節介な人だって、沙羅はそう言ってた」 「自分のお願いなら、快く引き受けてくれる。そう、あなたは思ったんでしょう?」 「違う……!」 「まだ迷っているから、あなたに意見を求めているの!」 「誤魔化さなくていいのに。あなたは自分自身の感情を、欺{あざむ}けてはいない」 「研究のためには必要なことだって、顔にはそう書いてあるもの」 「それは、違うの!」 何度制止しても、言葉に食いついて、感情をコントロールしようとしてくる。 相談のためのアンドロイドなのに、これじゃあ埒が明かない。 「あなたは、私に何を隠そうとしているの?」 「ねえ……」 「……沙羅」 「……」 「迷うことでもない」 「答えは、ただひとつ」 「ほら……言ってみせて?」 「ううん……」 「私は、あなたとは違う……」 「違うのっ――」 「……っ」 気づいたら、装置の電源を無理やり落としていた。 目の前に迫り来る彼女が消え去り、私はほっとしている。 「私……」 「私は、舜を……」 頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。 舜は、私の恋人。 実験体にするだなんてことは、考えられない。 「でも、そうしなければ、真トリノは完成しない……」 それでも――! 「舜……」 「舜じゃなければ、こんなに迷うことも無かったの……?」 恋人同士になんて、ならなければ……。 「今日はサボらずに来たんだ?」 「……まるで、僕がいつもサボっているかのような言い方だなあ」 「分かってるって。どうせ寝坊したんでしょ?」 「うん、まあ……だいたい、そんなところ」 沙羅の研究室で……なんだけど、夕梨には黙っておく。 「このままじゃ舜、あたし以上の不良になっちゃうかもね?」 僕が小言を言えないからか、夕梨は終始、優越感に浸っている。 「その時はその時ということで……」 「不良の先輩として、ご教授よろしく」 「よろしくされたくないわ……!」 「全く……」 付き合い出したことは、いつか話さなくちゃいけないと思う。 でも、夕梨のことだから、噂を聞いて、勘付いているかもしれない。 「……何?」 「いや、別に……」 「そうやってはぐらかされるのが、一番もやっとするよね」 「まあ、どうせ舜だし。いいけどさっ」 「一緒に登校しないうちに、なんか扱いが雑になった気がする……」 「そう? あたしはいつも通りだけど」 夕梨の対応が少しトゲトゲしい感じがして、少しだけ気まずい。 僕が勝手にそう感じているだけなのかもしれないけど。 「はあ……沙羅も相変わらず、全然学校に来ないし……」 「あたしが一番、真面目っ子になっちゃうじゃんかー!」 寂しさを吹き飛ばすように、夕梨は強がってみせる。 悩みの種は、尽きないようだった。 「おはよう、夕梨ちゃん」 「それと……七波くんも」 「お、おはよう……」 日比野さんが照れ気味で挨拶するものだから、こっちまで照れくさくなってしまう。 「夕梨、日比野さんに用事があるんだっけ?」 「うん。コテージで出すアイスについて、意見貰ったりしててね」 「私も業務用アイスまでは詳しくないから、いろいろと教わっているんだ」 「それで、日比野先輩に言われてたアイスを取り寄せたから、今度試食しに来て欲しいなって思って」 「うん。都合が合えば、行きたいかな」 最近バイトが忙しくて、と日比野さんは苦笑しながら応対する。 夕梨も家の手伝いを任されることがあるらしく、お互いに愚痴を言い合う仲になっているようだった。 いつの間にか、呼び方も変わっている。 それは、良いこととして―― 「で、夕梨。そんなことを言うためだけに、朝の教室へ来たわけじゃないんだろ?」 「え? まあ……」 夕梨は気まずそうに目を伏せる。 「夕梨には、自分の口から伝えたいと思ってたけど」 「ずいぶん、日比野さんと仲が良いみたいだし……もう、聞いてるか」 「えっ? ご、ごめん……私、そういうつもりはなくて……」 「そうそう。あたしが聞き出そうと迫ったから、教えてくれたの」 「だって、あんだけ沙羅のところに通ってるのに、結果が伴わなかったら、なんかガッカリじゃない」 「お節介な友人止まりでいいわけないんだからさ」 「そ、そっか……」 「……でも」 「ちゃんと、気持ちが通じて良かったじゃん……」 「舜が沙羅のこと、小さい頃から好きだったの、知ってたし……」 「夕梨ちゃん……」 「沙羅のことは、夕梨のおかげでもあるんだ」 「あの時の夕梨の後押しがあったから、僕は沙羅を助けられたんだと思う」 「助けるって……だいぶ飛躍した話になってるけど」 「あ……いや、今のはなんでもない」 あれは遺書ではなく、ただの仕事上の申し送りなだけだった、ということにしてあるから、日比野さんに対しても気まずい。 「あーでも、そっか。舜と沙羅が……かぁ」 「分かってはいたんだけどなあ……」 夕梨の沈んだ声に、胸が締め付けられる。 「でも、大丈夫。あたしは大丈夫」 「だって、幼なじみ同士が結ばれたんだよ? お祝いしなかったら、あたしイヤな子じゃん」 「だから……うん」 「おめでとう、舜。沙羅を幸せにしてあげなよ?」 「ああ、もちろん」 きっと、夕梨もいろいろと思うところがあるだろう。 複雑な思いを抱えつつも、祝福の気持ちを向けてくれているのだから、それにはきちんと応えるべきだ。 「さて、そろそろ自分の教室へ行かないと……」 「じゃあね、日比野先輩」 「ついでに舜!」 相変わらずの対応が、今は嬉しかった。 「えっ、沙羅? どうして……」 「私だって、ここに通ってるんだから」 「そりゃそうだけど……」 席に着こうとしたところで、沙羅の声が耳に届く。 反射的に、廊下に飛び出す。 「あ……舜」 「おはよう」 「おはよう……」 沙羅は、最低限の言葉だけを伝えてくる。 「夕梨、そろそろ教室に向かったほうがいいんじゃない?」 「そんなの、分かってるよ……」 「なら――」 「来られるんだったら、メールしてよ。お昼、一緒に食べよ?」 「それはいいけど……」 「ごめん。今日はあまり寝てなくて、朝からお喋りする気分にはなれないの」 「そんなに研究が忙しいの?」 「ううん、そうじゃないけど、ただ……」 「……なんでもない。気にしないで」 僕達の前を横切って、沙羅は教室に入っていく。 「大丈夫かな、沙羅」 「何が?」 「何がって、沙羅の体調のことだよ」 「舜、まさか気づかなかったなんて言わないよね……?」 夕梨に図星を突かれて、思わず押し黙ってしまう。 「寝不足って言ってたけど、いつもより元気ない気がする」 「久しぶりに会ったから、そう感じるのかもしれないけど……」 「でも、多分、気のせいじゃないよ」 「僕もそんな気がする」 「早速彼氏の出番だね、舜!」 「沙羅のこと、よろしくね」 夕梨は気を回して、小言を言わずそのまま自教室へ向かって行った。 『気にしないで』 午後はプールの授業だった。 水着に着替え、プールサイドへ向かおうとしたところで、更衣室に戻ろうとする沙羅を見掛ける。 「今日も見学するの?」 「うん。やっぱり調子悪いみたい」 「あ、単なる寝不足だから。舜は気にしなくていいからね」 「大丈夫?」 「何か、不安なことでもあるの?」 「どうして?」 「寝不足って、何か考えごとでもしてたのかなって……」 「それは……」 沙羅の言葉は途切れ、視線は僕に向けられる。 「ううん。大丈夫」 「まさか、悩みの原因って……僕?」 「違うの。舜が悪いわけじゃない」 「じゃあ――」 「気にしないで。もう、いいから」 「っ――!?」 沙羅の細い腕を掴んで、更衣室のほうに向かわせる。 「しつこいって思ってるかもしれないけど……今日は聞くよ」 「とことん……沙羅が正直になってくれるまで」 「ちょっと、舜……?」 「何考えてるのっ……?」 「よくもあんなところであんなこと……」 「ごめん……」 「誰かに見られてたら、下手すれば退学もあり得る話で……」 「まあ、舜が無理やり犯してきたことについては、責めないけど」 「えっ!?」 かと言って沙羅は、無理やりされることに悦びを覚えるタイプでも無いと思う。 むしろ、相手を責め立てるほうが―― 「おふざけの話は、この辺まで」 「今日は、舜に大切な話があるの」 不意に、沙羅をとりまく空気が変わる。 思わず、僕も居住まいを正す。 「ずっと、悩んでいたことなんだけど……」 「舜に、お願いしたいことがあって」 「ほんと!?」 「そんなに喜ばないでよ」 「だって、沙羅から仕事を任されるなんて、嬉しいに決まってるじゃないか」 「それで、どんな内容なの?」 「それは……」 「ううん、やっぱり頼むのは止める」 「え……?」 「ごめん、今の話は忘れて……」 沙羅は自信なさげに目を逸らす。 「頼りないって思ってるかもしれないけど……」 「僕に遠慮なんてしなくていい」 「沙羅は、研究に人生を懸けているって言ってたじゃないか」 「そうなんだけど……」 「でも、舜の人生まで懸けてしまうのは、間違ってる気がした」 「僕が望んでいるんだからいいんだよ」 「舜の人生を、私が奪ってもいいの……?」 「沙羅と同じ道を一緒に歩めたら嬉しいって思っているけど」 「……」 沙羅は変わらず、複雑な心境を抱えているようだった。 「私に、命を預けるってこと……」 「そういうリスクもある実験に、協力して欲しいの」 「……」 「別に、断ってくれてもいい。それで、舜を嫌いになったりもしない」 「恋人に、実験体になれってお願いするなんて、正直間違ってるって思ってる」 「だけど……」 「これは、舜にしか、頼めないことなの」 「そうなのか……?」 「うん。舜にしか出来ないこと」 「私が、今までの定期スキャンで得たデータを流用することが出来るのは、白音を除くとあなただけ」 「もちろん、RRCの関係者の家族なら、他にも定期スキャンを受けていた人は居るけど……」 「舜は継続的にスキャンを行っていて、データの蓄積量も多いのよ」 「そして、私がアクセス出来るエリアに、あなたのデータはある」 シロネが初めてうちにやって来た時に、説明を受けた気がする。 「確か、その脳スキャンで得た“記憶データ”が、父さんの研究に不可欠だったからって――」 「そうか。沙羅は父さんの研究を継いで、“真トリノ”を完成させたいって言ってたから……」 「それに必要なデータ採取に、僕の協力が必要ってことか」 「ええ」 「でも、定期的にスキャンしているから、そのデータじゃ駄目なの?」 「真トリノの完成のためには、より緻密な記憶データが必要だから……」 「もう少し、頻度を上げて精密なスキャンをしたいの」 「頻度が上がるとリスクが無いわけじゃないし、負担になっちゃうかもしれないけど……」 「なるほど」 確かに今までは、検査日をきっちり指定されていた。体調で多少の遅れがでることもあったが早まることは無かった。 「その、真トリノを完成させるためのプロセスを、少し聞いてみたいんだけど」 「分かったわ」 『専門外の人間に話しても理解出来るわけない』 こちらを信じてくれているのか、不安の色は薄れ、真摯な眼差しを向けてくる。 「たとえば――」 「バナナは黄色い。じゃあ、リンゴは?」 「赤い?」 「トマトは野菜ね。リンゴは?」 「果物?」 「そう」 「今の質問に、何か意味があるの?」 「私は舜に、同じ類別になるように答えて欲しいとは言っていないけど、それでもちゃんと答えを導くことが出来た」 「何気なくやっているけど、これって実はすごいことなの」 連想ゲーム……みたいなことか? 「同じ質問を子供にしても、たぶん正答率は大人より落ちると思う」 「それは、子供はまだ物事をあまり経験していないから。だから、何を答えたらいいのか、適切に推測出来ない」 「トリノを搭載していたシロネも同じことなの。彼女の思考の根幹は、当時の白音の記憶データだから」 「つまり――“答えを推測する力”」 「これが、トリノをバージョンアップさせる鍵だと、私は考えているわ」 「“答えを推測する力”……か」 「その力を得るためには、とても複雑な思考を、同時にこなす必要がある」 『その中から一番的確な回答を導き出す』というように思考している」 「これを、人間は一瞬のうちに、ほぼ同時に行っているわけだけど」 「なるほど……」 「シロネがオーバーフローしたのは、シミュレーションの経験値が足りなかったから」 「もしかすると答えに辿り着けたかもしれなくて、その情報や思考の仕組みが欠落していただけかもしれない」 白音が亡くなっている以上、参照出来るデータが少ないのは、理解出来る。 「経験値を積ませることで答えを推測する機能はトリノが持ち得ているもの」 「でも、今のように判断根拠も思考パターンも小さいものじゃなくなれば……」 「その時は、三原則でアンドロイドの思考を縛らなくてよくなると、私は考えているの」 「シロネみたいな悲劇は、もう二度と起きない」 ふっと僕の脳内に、チューリングテストの光景がフラッシュバックする。 シロネに限らず、人間に尽くしてくれるアンドロイドが、あんなふうに壊れてしまう。 それを避けられるというだけでも、沙羅の話は興味深い。 「……本当に、そんなアンドロイド作れるの?」 「もともと、ルビィだって、七波博士の脳をスキャンしたデータから作られたものなの」 「父さんの……!?」 「まだトリノが出来上がる前だから、不完全だけどね」 「彼がシロネの旧型と言われ、他のアンドロイドよりも高性能だったのは、そういうわけがあるの」 「知らなかった……」 「脳スキャンや記憶データの仕組みを知っているのは、RRCのごくひと握りの人間だけよ」 データがうまく活用されているなら僕はいいけど、研究所の関係者家族が実験体であるというのは、少々複雑な感情を抱かざるを得ない。 でも、どんな分野だって、そうやって多くの人の協力を得て成り立っているんだから、至極当然のことでもある。 「シロネが居ない今、本当はルビィを再起動させて、実験を再開したいところなんだけど……」 「七波博士も居ないし、そもそもルビィは目覚めてくれないし……」 「それで僕、というわけか」 「うん……」 「もう、舜しかいない」 「それじゃあ――」 「早速、実験を始めようか」 「えっ!?」 「ほら、善は急げって言うし」 「でもっ」 「何か手伝いがしたいってお願いしたのは、僕のほうだ」 「どんなことでも、任せて貰えるなら、やるつもりだった」 「沙羅の言う、リスクを伴う実験だったとしても」 「舜……」 「それに、実験に限らず、大抵の物事はリスクを伴うものだと思う」 「だから、それに怖気づいて前に進まないのは、ただの言い訳でしかないんじゃないかって」 「本当に、いいの……?」 「後悔しない……?」 沙羅自身の意思も固まったのか、視線は揺るがず、じっとこちらを見つめる。 「任せて欲しい」 「……」 「……うん!」 ようやく沙羅は緊張をほぐし、温かみのある声で応えてくれた。 海の向こうで照り輝く夕日に熱気を感じながら、気合を入れるために、拳を振り上げた。 「どう、舜。きつかったり、気分が悪くなったりしない?」 「私も自分でやるのは初めてだから……」 「え?」 「マニュアルは読み込んで来たし、シミュレーションもやったわ」 「それで、大丈夫?」 「今のところは大丈夫」 研究室に戻って検査着に着替え、硬めのベッドの上に寝かせられる。 身体全体を専用の機材に覆われ、これからスキャンが始まるのを理解した。 「それじゃあ、開始するから。目を閉じて、リラックスして」 「もし気分が悪くなったら、すぐに手元のスイッチを押して」 「データを取るのも重要だけど、舜の身体が一番大切だから」 「分かった」 「……それでは、スキャンを始めます」 その言葉に、思わず身構える。 視界が黒で覆われ、周囲の音も聞こえなくなる。 「ん?」 定期的に受けているスキャンの感覚がまったく無い。 「どう、舜。気分は?」 スピーカー越しに、沙羅の篭もった声が聞こえてくる。 「何も起きてない気がするんだけど……」 「……こっちも、全然スキャンが進んでない」 何か一瞬悩んだのだろうか? ひとつ呼吸を置いてから、沙羅が話し掛けてきた。 「少し強度を上げるわ……異常があったら、すぐに言って」 「うっ――!」 途端に、強烈に高い音が聞こえ始める。耳鳴りに近い。 それと共に、グルグルと身体全体を回されている感覚に支配される。 「舜、大丈夫?」 「……」 「舜……?」 「さら……」 自分の声が、どこか遠くから聞こえる気がする。 それから、電源が落ちるような音が遠くで聞こえた気がした。 「舜……起きて……お願い」 「舜!」 「……」 「大丈夫、舜?」 「あ、ああ……」 真っ暗闇から解放され、心配そうに覗き込む沙羅が、視界に戻って来る。 「ごめんなさい。いきなり強度を上げ過ぎたかも……」 「いつもとはだいぶ違う感じだったよ……」 「気分が悪くなったらスイッチを押してって言ったのに」 「ごめん……。でも、本当に一瞬のうちだったんだ……」 「スイッチ押す暇なんて、どこにも無かったんだよ」 「……本当に?」 「うん」 「そう……」 定期スキャンではこんな感覚は今まで味わったことがない。 「じゃあ……今日は、もう終わりにする」 「そんな。少し休めば、また――」 「ううん。舜の身体に何かあってからじゃ遅いし」 「明日またやってみましょう」 「ごめん」 「大丈夫。時間はまだあるから」 「……」 起き上がってみると、一気に不快感が押し寄せてきた。 僕は吐き気がするほどの頭痛を必死に耐えつつ、なんでもないふうを装って、研究室から出た。 「きっつ……」 荷物を投げ捨て、そのままソファーに倒れ込む。 沙羅にこんなところは見せられない、その一心で、家まで気合いで帰って来た。 幸いにして、吐きも倒れもしなかったけど、本当にギリギリの攻防だった。 「これが、明日もか……」 脳スキャンをして意識を失いかけたのは、初めてだった。 どうやって機材を動かしているのか分からないから、原因を突き止めようはないけど……。 でも、いつもと違うという感覚だけは、確かにあった。 「少しだけ……休もう……」 そう呟いて僕は、意識を手放した。 ……。 …………。 ………………。 朝日―― いや、スマホの画面が光っているだけだった。 少しずつ、意識が覚醒していく。 時計を見ると、ほんの数十分だけ、眠っていたようだ。 「あれ……何でソファーなんかで……」 どうしてここで寝ていたんだ……? ……ああそうか、沙羅の実験に付き合って、それで……。 なんだろう……頭がぼーっとする。 寝起きだから……かな。 「……」 言い様のない不安が胸に募って、思わず叫びたくなる。 こんなに不安定になるのは、白音を失った時以来だ。 「何か、何かないかな……」 この押しつぶしてきそうな気持ちを紛らわせる、何か……。 スマホを適当に操作していると、音楽プレイヤーが立ち上がった。 スピーカー部分から、聞き慣れた音楽が流れてくる。 正確な曲名は知らないけど、父さんも白音も好きだったことをよく覚えている。 シロネも、家のピアノを弾いてくれたことがあった。 そういえば、沙羅も……昔、この曲を弾いてくれたことがあった気がする。 沙羅……。 今頃どうしてるんだろう。 なんとなく、星空を見上げる。 本当はこんなことをしてる場合じゃなくて、明日の実験の準備をしなくちゃいけない。 分かっているのに、どうしても集中出来ない。 「どうして実験を続けなかったの? 本人が大丈夫だと言ってたのに」 「あなたにとっては研究が全て。そうやって生きてきたからこそ、今の地位がある」 「このままだとあなた、単なる凡人に成り下がるわよ」 「……ふふっ」 こうも単刀直入に言われると、いっそ清々しい。 だから、サラに対しては負の感情はない。 「自分を客観視してくれる存在が身近に居るというのは、研究者としてはありがたいこと」 でも、ほんの数日前までは、サラと同じ思考をしていた。 そう、舜と付き合うまでは……。 「私、いつの間にか、変わってたのかもしれない」 「良くも悪くも、だけど」 この変化が良いものかどうかは分からない。 舜は、肯定してくれたけど……。 彼は他{ひ}人{と}に甘いから、鵜呑みには出来ない。 「でも、変わらないものもある」 針を落とすと、柔らかい旋律が奏でられる。 デジタル全盛の時代にレコードなんてと思うけど、今は却{かえ}ってこの音が心地良い。 舜は、この曲を覚えているのだろうか。 星空を見上げながら、2人で聴いたこの曲を。 あの頃は、私と舜はいつも一緒だった。 同じ音を聞いて、同じものを食べて、同じものを見て。 そうやって、舜と様々なことを共有するのが、私は大好きだった。 そして、それはきっと今も――。 「……いけないわね、こんなことじゃ」 明日には、また舜がやって来る。 その時に不安な顔をしていたら、心配させてしまう。 もう二度と、失敗は許されない。舜を危険な目に遭わせるわけにはいかない。 「今日も、長い夜になりそう」 私の独り言は、研究室の窓の向こうに溶けていった。 「何を考えてるのか知らないけど……」 「こういうことは、学校では止めてくれる?」 とっさに連れ込んだ女子更衣室で、ぐっと沙羅を引き寄せて胸を鷲掴みにする。 こんなところ誰かに見られたら、一巻の終わりだ。 「舜……聞いてるの?」 でも、止められないし、止めたくもない。 そのくらい、僕は頭に血が上っていた。 「無視しないで。聞こえてるんでしょ?」 「聞こえてるよ」 「だったら、こんなこと、もう止めて」 「帰ってから、いくらでもしてあげるから」 「先延ばしにするのは良くないよ。沙羅は僕に、隠しごとしてる」 「だからって襲い掛かるのはおかしいでしょ? 少し、頭を冷やして」 あくまでいつも通りの、澄ました表情の沙羅。 こんなに気持ちをぶつけても、そこには波1つ立っていない。 その悔しさで、大胆な行動に出てみたくなる。 「んっ……んん……んんあっ……」 気づいた時には、その可憐な唇にむしゃぶりついていた。 「う、んんっ、ん……はぁ、んんっ……」 愛情の交わし合いもない、理性の欠片もない野性的なキス。 沙羅はそれを、ただ静かに受け止める。 「ん……ん、ん……んんっ、んちゅ……」 「んんっ、ん……ふあ、んん、ん……」 「はあっ……いきなり、キスするなんて」 「私の話、聞く耳持たないのね」 激しく唇を押し付けても、沙羅の態度は少しも変わらない。 でも、その唇は僕の唾液でより瑞々しさを増してきた。 「素直じゃない沙羅の話は、聞く気ないかな」 「ううん。私はいつも通りで、舜が思い込み激しいだけ」 「違うよ、沙羅は強がってる」 「僕は沙羅のことをずっと見てきたんだ。だから、僕には分かる」 「それを、思い込みだって言ってるの」 「……違うの?」 「それなら、僕の言うことを証明してみせるよ」 今度は、あえてゆっくりと顔を近づける。 でも、沙羅は顔を背けなかった。 「んんっ! んっ……んん……はぁ……ん、ん、んちゅ……」 「ん、んむむ……ん、ん、んっ……」 今度はゆっくりと、丹念に唇をついばむようなキスを交わす。 最初は肩に力が入っていた沙羅も、少しずつ力が抜けてきたようだ。 「ん……んちゅ……はむむ……んっ!」 「ん、んはぁ……んっ……ん、ちゅっ……」 長い口づけに酸欠で頭がクラクラしてくる。 でも、まだ沙羅を離したくない。 内なる情動に突き動かされるがままに、前歯をそっと舌で舐め上げる。 「んっ! んんっ! んっ……ん、ふんんっ」 「んん……ん……んちゅっ、はあっ、んんっ!」 さすがに刺激が強かったのか、華奢な肩がビクッと震える。 息も苦しくなってきたし、沙羅の様子を見るために一度口を離す。 「はぁぁ……はあ、はあっ……」 「私を窒息させる気……?」 「ごめん、さすがにちょっとやり過ぎたかな」 「ちょっと……?」 沙羅がジトっとした目つきで睨みつけてくるが、全然怖くない。 むしろ、余計にそそる表情だと思ったけど、それを伝えたら怒られそうだ。 「失礼なこと、考えてるでしょ」 「どうして?」 「舜が私を見ていたように、私も傍で、舜を見てきたの」 「……もちろん、観察対象としてだけど」 ふふんっと余裕たっぷりに微笑む沙羅。 この顔を汚したい、蕩けせてやりたい。 そんな雄の本能が、ムクムクと湧き上がってきた。 「力で捩じ伏せようとしても、私には無駄なことよ」 「そんなに煽られたら、期待に応えるしかないな」 「別に、求めてなんかいない」 「でも、結構……沙羅の顔、感じてるみたいだし……」 「こういうの、満更でもないんじゃない?」 「これは、生理現象だから」 「それに、急に舌を入れられたら、息も切れるでしょ?」 「じゃあ、またするから」 「そんな……断りを入れればいいってものじゃ――」 「はぁ、んんんっ!」 「んっ、んんっ……ちゅ、んん……ん、ふあぁっ」 これ以上言い訳させないように、唇全体で口を塞ぐ。 沙羅は視線で抗議してくるが、僕は気にせずその頬の内側を舌でなぞる。 「んっ……んんっ……んちゅ、ちゅ……はむむっ……」 「んはぁ……ん、んんっ……んむむ、ん……」 口内は熱く、そしてぬるっとした感触で、僕の舌を受け入れる。 沙羅は完全になすがままで、時折ぶるっと全身を震わせる。 「んんっ!? んんっ、んっ! んんんっ……!」 乳房を包み込んでいた指にぐっと力を込めると、沙羅の口元から嬌声が漏れ出る。 「はぁぁ……は、ああっ……」 「本当に、やりたい放題ね……」 沙羅のぼやきは聞かぬ振りをして、再びたわわな乳房を揉みしだく。 ザラザラとした水着に指が埋まって、ムニムニとした弾力が性欲を直撃する。 「んっ……だめ、もうおしまい……」 「だめ?」 「だめよ……」 「ふ、ううん、んっ、はぁっ……」 「じゃあ……」 「もっといっぱいしないと……」 沙羅の後ろに回り込み、下乳を両の手のひらで支える。 そのままゆっくりと持ち上げると、胸の重さで指先が勝手に柔肉に埋まってしまう。 「んっ……やっぱり、話聞いてない……」 「そりゃ、拒否されたら続けないといけないと思うし……」 「どういうことよ……」 「いや、沙羅の胸、やっぱり大きくて、気持ちいいなあと思って」 「答えになってない……」 沙羅が強く抵抗してこないことを確認してから、優しく胸を揉みしだく。 「んっ、ふう、は、ううん、ん……」 「水着の中で、もぞもぞされるの……変な、感覚……」 柔らかいだけじゃない、しっかりとした弾力。 本当に同じ人間なのかと疑いたくなるほど、独特の触感をしていた。 「沙羅って……サイズ、どのくらいあるの?」 「ん……正確には、分からないけど……ブラのサイズはGカップよ」 「まだ、成長が止まってないから……もっと、大きくなるかもしれないけど……」 「へえ……」 成長途中の胸を揉んでいるんだと思うと、ますます昂ぶってきた。 「舜が、そうやって、揉むから……んんっ、はあぁっ……」 「私のおっぱい、大きくなってるんじゃないかって……ふあ、んん……!」 「それは良かった」 「そんな、こと……ないっ……!」 「これ以上育っても、迷惑なだけで……んんっ……」 さわさわと撫でるように指をスライドさせ、沙羅の様子を窺う。 くすぐったいのか、指が動くたびに肩がびくっと跳ねて、胸も膨らみも大きく上下する。 「はあっ、ううん、んっ、はあぁっ……」 「汗掻いてる」 「は、うんんっ……違う、そんなの……嘘……」 「ん、はあっ、んんっ……熱い……はぁっ……」 学校指定の水着は、布面積に対して、保温性が高い衣服だ。 愛撫による興奮も相まって、沙羅の水着の中は蒸れてじっとり濡れている。 「もう、止めて……汗で、べとべとして、気持ち悪いの……」 「脱がしてもいい? 少し、肌寒いかもしれないけど」 「こんなところで脱ぐなんて……」 「更衣室だし、問題ないよ」 「そ、そうだけど……」 「じゃあ……」 「……」 ゆっくりと布地をずらして、胸を露出させる。 なんだかんだ言って、沙羅は僕に甘い。 そのことにありがたく思いながら、彼女を感じさせるためにさらに指を踊らせる。 「んっ……んっ……はぁぁ……」 「はあ……本当に、止める気ないのね……」 「んっ……授業は、いいの?」 「いい」 「そう……んんっ、んっ……は、はぁぁ……」 特に抵抗することなく、沙羅は僕の愛撫を受け止め続ける。 だからこそ、僕の指先はどんどんとエスカレートしてしまう。 「んっ……はぁ……んんっ……」 「乳首、勃ってきたみたい」 「はぁぁ……ん、いちいち言わなくていいの……」 「そのくらい、自分でも分かってる……んんっ」 整った顔は耳の先まで赤くなり、吐息は湿り気を帯びている。 「これで感じているのなら、もっと揉んでもいいってことだよね……?」 「ん……そんなこと、聞かないで……はぁっ……」 「駄目に決まってる……でしょっ……?」 肩越しだから、沙羅の表情までは見えないけど。 拒絶されていないことだけ確認して、膨らみに指を沈めていく。 「はぁぁ……うんん……はあ……」 「舜……んんっ、手つきが、いやらしい……はぁ……」 絹のような肌は徐々に赤みが差し、先端の突起は痛々しいほどに膨れあがる。 焦らすようにあえて乳首には強く触れず、乳輪のあたりをさわさわと撫で回す。 「んっ……はあ……ふ、んん……は、はぁぁ……」 「ちょ、ちょっと……舜……ん、は、うんんっ……!」 「はぁぁ、はあ……わざと、やってる……でしょ……?」 沙羅の言葉は聞こえない振りをして、乳輪や乳房全体の輪郭をなぞるように触れる。 鳥肌が立ってざらざらとしており、普段の肌とは明らかに触感が違う。 「んっ、は、はぁぁ……あ……はぁぁっ……」 「……意地悪、しないで……」 「うんんんんっ……」 沙羅がおねだりをしてくるなんて、珍しい。 切なげに腰を揺らす沙羅を視界の端に置きつつ、ふいに突起を摘んで、強い刺激を与える。 「ひゃううううっ!?」 「は、はぁんっ、んん……ふ、ああっ!」 電流が走ったように、沙羅の身体が大きく跳ねる。 その震えによって、より強く指先が乳首をとらえてしまう。 「んんっ! んっ……も、もう……は、はぁぁ……」 「ちょっと……手をどけて……」 「だめだった?」 「そうじゃなくて……はぁ、はぁぁ……」 「んんっ……も、もう、立ってられな……い……」 気づけば沙羅の両膝は、生まれたての子鹿のように震え、かなりおぼつかなくなっている。 とはいえ、ここで挿入して果てるわけにもいかない。 「じゃあ、ちょっとしゃがんでみて……」 「……舜って、前々から性欲強いほうだとは思っていたけど」 「まさか、自分の彼女にオナニーを見せて欲しいと迫るなんて、考えもしなかった……」 沙羅は僕の指示通り、僕の目の前にしゃがみ込んで水着を半脱ぎにした。 一方の僕は水着を脱ぎ、沙羅に勃起したそれを見せつけるように立つ。 「それで私は、オナニーしながらおちんちんを舐めれば……いいの?」 「自慰って……あまりやったことはないから、上手く出来るかは、分からないけど……」 「でも、やったことはあるんだね」 「たまによ? 本当にたまに、するだけで……!」 「声、大きいって」 「……っ」 点呼は終わっているだろうから、僕らがここにいることはバレてないと思うけど。 とはいえ、人に見つかったら大変なことになるのは間違いない。 「んっ……はぁぁ……んんっ……」 「舜が射精してくれれば……これ、終わるんでしょ……?」 「なら、とっとと……出して貰わないと……ん……」 沙羅の指先が、己の秘所へとうずまる。 そしてそのまま割れ目に沿って、ゆっくりと上下し始めた。 「沙羅、濡れてきてる……」 「はあっ……当たり前……でしょっ……」 「オナニー……してるんだから……ふあ、ああっ……」 喋りつつも、沙羅の指は秘裂を滑らかに動き続ける。 その指先はヌメヌメと光り、くちゅくちゅとくぐもった音が聞こえてくる。 「はぁ、ううん……ん、うんん……っ」 「んっ、ああっ、ふあ、んんっ……!」 熱にうなされたような、沙羅の喘ぎ声。 その痴態を見ていると、どんどんと自分の中心に熱が溜まりつつあるのを感じる。 「僕のも……」 「んっ……ちゅっ……ちゅっ」 「んふぅ……れろっ……ちゅ、れろ」 ゆっくりと、小さな舌が亀頭にまとわりつく。 その的確な刺激に、思わず腰が引けそうになる。 「これで、いい? ふ……ん、んんっ……」 「ああ、最高だ……」 「このくびれになっている部分が……ん……舜の弱点ね……ここをなぞると……」 「んっ……れろっ……んんっ、ちゅぱっ」 「ちゅっ……んっ……ちゅっ、ちゅぶっ」 「うわっ」 カリ首をねぶるように、尖らされた舌先が蠢く。 その微細なタッチが一番弱いところに集中し、腰が勝手に跳ねてしまう。 「それから、はぁっ……裏筋を、舌先で刺激すると……」 「ちろ、ちゅっ……ん……れろ」 「ちゅぷっ……ちゅ、んんっ……んんっ」 「ん……どう?」 まるで試すような沙羅の舌技。 まだまだ慣れてないはずなのに、責め方が的確だから、防戦一方になってしまう。 「思った通りだったみたいね……仮説が実証されるのは嬉しいわ……んん」 「仮説って……僕とまたすることを想像してたの……?」 「……さあ、それはどうかしら?」 「私はただ、舜が気持ち良くなることを考えていただけ……」 「もう……早く……射精してよっ……」 怒ったように照れながら、再び沙羅は舌を伸ばしていく。 「ふふっ、んっ……ちゅっ……ん、れろっ……ちゅぱっ」 「ちゅ、ん……大きく、なってきた……んん、ぺろっ……」 微笑みを交えながら、沙羅はペニスを舐め上げていく。 整った顔とグロテスクな一物の対比に、さらに僕は昂ぶってしまう。 「んっ……透明なお汁が出てきた……そろそろ、射精しそう……?」 確かに気持ちいいけど、もう一押し足りない。 もっと刺激が欲しいと、本能が訴えかける。 「そのまま、咥えてくれる?」 「お口の中に入れれば……いいの?」 「うん……お願い出来る?」 「やってみる……」 「んんっ……んんっ、ん……」 先端から根元まで、熱い粘膜がまんべんなく包み込む感覚。 その強烈な刺激に驚いた下半身が、無意識のうちに喉奥へと腰を突き出す。 「んー、んんんんっ!?」 「ごめん。勝手に腰が動いちゃって……」 「ん、んんっ……」 沙羅の両目には、うっすらと涙が溜まっている。 初めて見る表情にゾクゾクするけど……とりあえず今は我慢だ。 「じっとしてるから、続けてくれる?」 「んっ……ちゅっ、ちゅりゅりゅっ……」 「じゅるっ……んんっ、ちゅう、ちゅる……じゅぽっ」 沙羅の頬はすぼまり、頬の肉が亀頭を包み込む。 そのままゆったりと頭が前後に動き始め、長い髪がさらさらと揺れる。 「あむ……ふっ、んちゅ、んむっ、ふぁ……ちゅる、じゅっ」 「んちゅちゅっ……ちゅぱっ……ちゅるっ、ちゅ、ちゅぅぅっ……」 しだいに大きくなる、粘っこくいやらしい音。 口内は唾液で満たされ、唇からはヨダレがしたたり落ちる。 「ちゅむむっ、んんっ……ちゅっ、れろっ……ちゅりゅりゅっ」 「ちゅぅ、ちゅぷっ、れろっ……んじゅぅっ、じゅぅぅ……」 ゆっくりとした一定のリズムで、沙羅は頭を振って口の中で愛撫を続ける。 まるで、じっくりと肉棒を味見しているような、そんな雰囲気だ。 「ん……じゅ、じゅるるっ、ちゅうっ……ちゅぷっ」 「んはぁ……んっ、れろっ……れるっ、んんっ」 「さ、沙羅……」 ギリギリまで快感が引っ張り上げられるが、臨界点は超えない。 イキそうでイケないもどかしさが、徐々に僕を焦らせる。 「ちゅぷっ……れろ、んちゅ……ちゅっ、ちゅぷっ」 「れろ、ちゅぅっ……ちゅ、ちゅぱぁっ、ちゅ、ちゅぅぅ」 もどかしい、もう我慢が利かない―― 「沙羅ごめんっ!」 「ん!? んんっ、んんんっ!」 気づけば僕は、沙羅の頭を掴んで、自分のほうに引き寄せていた。 その衝撃で先端が喉奥に当たり、ビリッとした刺激が背筋を駆け上がる。 「んんっ! んぐっ! んんっ、んじゅぅっ、んぶっ!」 「んぐっ、んんっ……んっ、んむむ、んあ、んっ!」 沙羅の目は涙ぐみ、嗚咽とともにさっきよりも大量の唾液がこぼれ出る。 止めなきゃいけないと思うのに、身体は真逆のことをしてしまう。 「んぐっ! んっ……んじゅっ、んんんっ、うっ!」 「んぶ、んっ! ん、ん、ふっ」 舌も唇も、必死に剛直を押し出そうとするが、それがかえって快楽を与える。 目の前はチカチカとしだして、熱い塊が一気に駆け上がってくる。 「そ、そろそろっ!」 「んぐぐぐ! んんっ、んんんっ!?」 沙羅の頭をぐいっと自分の方向に引き寄せる。 全てを放出するイメージで、喉奥まで抽送する。 「じゅるる、んんんん、はんんんっ、うんんんっ!」 「あ、んん! ちゅうう、ちゅぅぅぅぅっ……!」 沙羅が強く吸い上げた瞬間、欲望が一気に弾けた。 「ううんんんんんんんんっ……!?」 「んぐっ、んっ、んんっ……! ん、んんっ……」 ドクドクッと脈打つ感触。 それと共に力が抜け、頭を押さえる手の力が抜ける。 「ああああああっ……!」 「あああっ……ふあああぁぁっ……」 唐突にペニスが外気にさらされ、その刺激で沙羅に射精を続けてしまう。 自分でも呆れるほどの精液が、端正な顔を白濁に染め上げていく。 「はあっ……はあぁっ……」 「……ちょっと、出し過ぎ……」 「ごめん……」 威圧的な沙羅の声に、思わず頭を下げる。 さすがに今回ばかりは、弁解のしようもない。 「そう……罪の意識はあるのね」 「でも、こんなに激しいと、身が持たないわ……」 「だから……今度からは、事前に言ってね」 「えっ?」 「舜の性欲が旺盛なのは、仕方がないこととして……」 「心の準備が出来ていれば、まだ耐えられると思う」 「……怒ってないの?」 「別に……」 「そんなことより――」 「……」 沙羅は口元から精液を垂らしながら、じっと黙って目をつむっている。 「私、ずっとお預けされっ放しで……おかしくなっちゃいそうなんだけど……」 「このまま、授業に戻るなんて、出来ない……」 「うん……」 僕は沙羅を抱き締めると、そのまま壁に押しつけた。 「んっ……は、はぁぁぁ……」 「さ、さすがに、きつい……」 沙羅自身がほぐしていたとはいえ、挿入するのは2回目だからまだまだ狭い。 入り口はきつく締め付け、奥も挿入をこばむように力が入っている。 「舜のが、大き過ぎるの……」 「あっ、あ……だんだん、おちんちん硬くなってきたかも……んっ……」 そう言いつつ、沙羅は2人の接合部に視線を落とす。 表情はしっかりとは見えないけど、その声は満足そうだ。 「動いていい?」 「うん……でも、最初はゆっくりね……」 「分かってる」 僕はしっかりと沙羅を支えつつ、上下に腰を動かし始める。 ペニス全体に伝わるみっちりと肉が詰まっている感触で、勝手に下半身が震えてしまう。 「ん……は、はぁぁぁ……あ、あぁぁ……」 「はぁぁ……あぁぁ……すご……い……出たり入ったりしてるの、よく、見える……」 「まるで、自分の身体じゃない、みたい……んんっ、ふああっ」 1つ突くごとに、その口から大きく息が漏れる。 膣内がざわめき、より奥まで一物を迎え入れようと、蠕動運動をし始める。 「はぁぁ、はぁぁ、嘘……んんっ、こんなにおまんこ広がって、びらびらも、めくれ上がって……」 「初めての時は、余裕なかったけど……んんっ、今日はじっくり、楽しめそう……」 膣内だけでも気持ちいいのに、沙羅の実況を聞いているだけで余計に昂ぶる。 五感全てで沙羅を感じてしまい、愛しさがどんどん募っていく。 「私だって、羞恥心はあるの……んっ、は、はぁぁ……」 「だから、こんなところでするなんて……絶対無理だと思ってたけど、でも……」 「1人じゃ、こんな体験……んっ、出来ない、から……あ、あんっ!」 「じゃあ、もっと味合わせてあげるよ」 「んんっ!? は、激しっ! ん、は、はぁぁっ!?」 股間に衝撃が伝わるほど、思い切り腰を打ち付ける。 その衝撃で沙羅は大きくのけぞるが、構わず腰を動かし続ける。 「ちょ、ちょっと、舜っ! もう、硬くなって……は、はぁぁっ、んんっ!」 「そんなに、あ、あんっ! 突かれたら……はあっ!」 膣内は摩擦で一気に熱がこもり、ぐちゅぐちゅと愛液が滴る。 甘酸っぱい愛液の香りが立ちこめ、息をするだけで頭がクラクラする。 「んんっ、は、はぁぁ、あああんっ!」 「もっと声抑えないと、他{ひ}人{と}に聞かれちゃう」 「分かってる……けどっ……んんっ! は……んっ、は、んんっ!」 「んんんっ……ん、ん、勝手に出ちゃうの……んん、は、は、んぁぁぁ!」 沙羅の口元には力が入り、必死に閉じたままでいようとする。 そのために身体に余計な力が入り、さらに膣の締まりがよくなってしまう。 「だ、だめ……あ、あぁぁ……! 声、抑えられないっ、う、うぅんん」 「ゆっくり……して……あ、ああっ、は、はぁぁっ!」 我慢する沙羅が可愛らしく、もっと乱れさせたくなる。 パンパンと乾いた音がするほどに、深く強いピストン運動を続ける。 「ちょ、ちょっと! んんっ! や、やんっ、そ、そこはっ、は、はぁぁ」 「んっ! んんっ、あ、ああんっ、だめ、ん、んっ、うぅんんっ!」 お腹側を擦りあげるたびに、沙羅の四肢がビクビクと震える。 どうやら、ここが沙羅の弱点のようだ。 「んんっ! お、お願い、そ、そこ、突かないでっ」 「声、出ちゃう、から……んんっ、は、はぁぁ、あ、だめ、ああっ!」 「可愛い……もっと苛めたくなるな」 「ちょ、ちょっとっ! んん、あ、あああっ!?」 コリッという感触。どうやら子宮口にまで先端が到達したようだ。 Gスポットと最奥を交互に突き上げると、まるで精液を欲しがるように膣圧が強まり、一気に搾り上げてくる。 「んんっ! あ、ああっ、んんんっ、も、もうっ、だめ……」 「僕も、出そう……」 「は、はぁぁ、だめ、出しちゃだめよ……」 「んんっ、ふああ、ああんっ! だめ、だめ、だめっ……!」 沙羅の言葉が快楽の引き金となり、一気に絶頂への階段を駆け上がる。 熱い塊が尿道を駆け上がり、いつ射精してもおかしくない。 「んんっ! ああっ、は、はぁぁぁっ、だめなの、んん、あ、まだだめ! あぁぁっ!」 「出すよ……」 「いや! やめてっ! おちんちん抜いて! だめ! 出しちゃだめ!」 「止まってっ! ああっ、まだいや! 出さないで! いやあぁぁっ!」 「んっ、いやあああああぁぁぁぁっ!」 精液をこぼさないようにと、本能的に膣ひだが亀頭に絡みつく。 その刺激で、何度も何度も精液が沙羅の中に注がれてしまう。 「出しちゃだめって……言ったのに……はあっ……」 「は、はぁぁぁ、はぁぁぁっ……」 「出し過ぎよ……もう……」 膣内のざわめきが収まり、ようやく僕も一息吐く。 産道はぬめってどろどろになり、熱い体液によってペニス全体がコーティングされているようだ。 「それ……で……」 「なんで、射精したのに、勃起したままなの?」 「まだ、出し足りないらしくて……」 僕はその証拠にと、軽く腰を揺らす。 ドロッとした感触と共に、しっかりと亀頭が最奥に当たる刺激が伝わる。 「んっ! ちょ、ちょっと、今は、敏感、だから……はぁぁっ」 「沙羅、イッてなかったみたいだし……」 「もう1回、しようよ……」 「いい……もう、疲れちゃったし……」 そう口にする沙羅だが、息は切れていないし、まだ少しは余裕があるように見えた。 沙羅はほとんど動かなくてもいいようにと、ぐっと身体を抱え上げた。 「ちょっと、なにして……ひゃんっ!」 「ねえ、んんっ! お、下ろしてっ!」 太ももを掴んでしっかり支え、両手に彼女の重みを感じる。 思ったよりも軽かったから、これならしばらくの間この体勢でも大丈夫そうだ。 「落ちそうだから、下ろしてって言ってるの……」 「大丈夫だよ。落とさないから」 その証拠にと、その華奢な身体を軽く揺すってみる。 「ひゃうっ!? んんっ!」 その瞬間に、膣肉が痛いほどに引き締まり、思わず声が漏れる。 「沙羅、締め過ぎ……ちょっと、力抜いて」 「無茶言わないでよっ……は、はぁぁっ、んんっ!」 「舜のおちんちんが、奥まで刺さるのっ……はうっ!?」 断続的に続く強い締め付けのおかげで一気に下半身に血が集まり、早くも息が切れてしまう。 「これじゃ……んっ、長くは持たない……」 「はあぁっ、いや……お腹に来るの……いやっ……!」 「待って、私も……イッちゃう、いや……イキたくないのにっ……!」 ゆっくりと、沙羅を落とさないように慎重に動き始める。 さっきよりもじっくりとした動きなのに、締め付けのせいでひだのひとつひとつがカリ首を擦りあげる感覚が分かる。 「は、はぁぁ、んん、んんっ! いつもよりはっきり、形、分かって……あ、ああっ」 「おちんちんの先が、中で引っ掛かると……気持ちいい……んんっ」 「はぁ、はぁぁ、んんっ、舜、すごい汗……」 汗なのか愛液や精液なのか、もはや分からない。 スタイルのいい身体を全身に感じつつ、じっくりとその一番大切な部分を堪能する。 「はぁぁ、はぁぁ、んんっ、うんんっ、あ、あぁっ!」 「さっきより、あ、ああぁ、感覚が、敏感になってて……はあ、気持ちいい!」 「こ、これ、おかしく、なるぅっ……う、うんっ!」 沙羅が身をよじるたびに、きゅーっと媚肉がペニスを絞り上げる。 膣口から愛液と精液が滴り落ち、その香りがダイレクトに射精を煽る。 「だ、だめっ……んんっ! あんまり、余裕が……」 「私、私……イッちゃう……いや、はあっ、イッちゃいそうなのっ……!」 「……このまま、中で……」 「んんっ! 中に出して……はぁ、はぁっ、一緒に、イッてっ……!」 「おちんちん、抜かないでっ! は、はぁぁ、そのまま、イッて!」 その言葉通り、もう逃がさないという勢いで、亀頭から肉幹まで熱い粘膜に包み込まれる。 「イッちゃう、あ、あっ、ああっ、ああああっ!?」 「出して、出して、射精してっ! 中で出して、いっぱい出してぇっ!」 限界ギリギリで我慢していた僕はあっさりと音を上げ、一気に頭が真っ白になる。 「で、出るっ!」 「わ、私もっ……イクッ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「あああっ! イッてる……あっ、いっぱい、来てる……!」 「はああっ、あ……! はぁっ、熱いの……いっぱい、注がれてる……」 「ふわぁぁ……あ、中で、精液が広がっていく……んんっ、ん、はぁぁ」 「……え? う、嘘……んんっ……」 両手に伝わる、強めの振動。 単なる絶頂とはひと味違う雰囲気に、沙羅自身も戸惑いを隠せない。 「しゅ、舜っ……目を瞑{つぶ}ってっ!」 「えっ?」 「は、早くっ……じゃ、じゃないと……んんっ!」 「もうだめ、あっ、出ちゃう……いやっ……」 「も、もう、げんか……い……」 「ふぅ、ああぁぁぁぁぁぁぁ……」 気の抜けたような声を共に、じょぼじょぼと水がしたり落ちる。 それがおしっこだということに気づくまでには、少し時間が掛かった。 「あ、あぁぁ、はぁぁ……」 「はぁぁ……もう……見ないでって、言ったのに……はぁぁ……」 「ああ、恥ずかしい……もう、嫌よ……」 たっぷりお漏らしをした沙羅は、涙声で訴え掛ける。 「ご、ごめん。女の子がおしっこするところ、初めて見ちゃったから……」 「当たり前でしょ、そんなの……」 「……でも、可愛かったよ」 「それで、フォローしてるつもりなの?」 「まあ……一応……」 「……」 「まあ、いいわ……」 「今度、舜がおしっこするところ、見せて貰うから……」 「えっ、それは……」 困惑して、掛ける言葉を失う。 でも、ここまで沙羅を追い込んだのは自分だし、あまり強くも出られない。 「私のためなら、してくれるんでしょ……?」 「それに、あなたを知るために、必要なことでもあるんだから……」 そう呟いた沙羅は、この状況を楽しんでいるような、小悪魔的な表情を浮かべていた。 キータイプ音が研究室の中で響く。 お互いに言葉を交わすことはなく、気づけば空には、夕焼け色の雲が広がっていた。 「……」 音の主は、画面を難しい顔で睨みながら、指先だけをせわしなく動かしている。 綺麗な顔立ちの沙羅だから、そうやって仕事している姿も様になっている。 「……何か用事?」 「あっ、いや。とても大変そうだなって」 「うん……」 沙羅は画面から全く目を逸らさず、タイプスピードも落とさず応対する。 今日は最後までスキャンに耐えられたから、実験は上手くいったと思ったんだけど――。 沙羅の様子を見ていると、そう簡単な話ではなさそうだ。 「何か、僕に手伝えることはある?」 「……ガムシロップ」 「ん……?」 「ガムシロップが、飲みたい……」 「え? コーヒーが飲みたい、じゃなくて?」 「ガムシロップ、早く……」 「え……」 「ガムシロップ……」 仕事のし過ぎで壊れたのか、沙羅はガムシロップという言葉しか発さなくなっていた。 「ガムシロップ……」 「お、おう……」 給湯室にあったガムシロップをコップに注ぎ、沙羅に手渡す。 「ふう。充電完了」 「そ、そりゃあ、良かった」 コップいっぱいに入っていたガムシロップ。 それが今、全て沙羅の身体の中に収まっている。 その残骸を見ているだけで、胸焼けがしそうだ。 「ガムシロップ分が不足すると、集中力や思考力が低下するの」 「……それ、ただ単に血糖値が下がっただけじゃ」 「まあ、そうとも言うけど」 真面目な沙羅にしては珍しい、ボケた瞬間だった。 「スキャンしたデータを、仮想空間に展開して実験してたの」 「仮想空間?」 「使える素体は無いし。そもそも素体に載せるのは実証実験になってからよ」 「ほとんどの場合は、まず仮想空間に展開、その後、VRの制作へと進むの」 「物理的なアナログベースのものはコストが天井知らずなのよ」 「へー」 「その仮想空間で条件を立てて何度もシミュレーションを回してるんだけど、なかなか望んだ解が得られないから……」 「いろいろ試してみているところ」 「もしかして、僕のデータのせい?」 「その可能性はあるけど、まだ確かなことは分からない」 「でも、必ず、原因を突き止めてみせるから」 沙羅はぐっと手を握り締める。 「そ、そうか」 何か僕も手伝えればと思うけど、専門知識も無いし、どうすることも出来ない。 「頑張ってね」 「うん」 当たり前のことしか言えない自分が恥ずかしい。 「もう今日はスキャンしないから、舜は帰っても構わないわ」 「というか、もう帰って。休める時に、休んでおいて欲しいし」 「分かった」 沙羅は親切心で言ってくれているんだと思うが、なんだか冷たく感じてしまう。 「その……」 「無理はしないでね」 「うん。また明日」 軽く会釈をすると、再び沙羅はデスクに戻り、画面とにらめっこを始めた。 なんとなく、それが寂しく感じた。 「今日はもう、学校へ行っていいから」 「でも――」 「このまま休み続けたら、舜、進級出来なくなっちゃうし」 「……」 それには何も反論出来ず、言葉を失ってしまう。 「あともう少しで、終わるはず……」 「私は出席しなくても大丈夫だから。夕梨達によろしくね」 沙羅はそう強がるけど、目の下にはクマが出来ているし、空元気なのが丸わかりだ。 対する僕も、朝から何度もスキャンしたせいで、気分が悪い。 初回に比べ多少慣れたとはいうものの、やはり日常のままというわけにはいかない。 気を強く持っていないと、座り込みそうだ。 定期スキャンの時にこんなことが起きないのは、やはりマニュアル化できないノウハウがあるんだろう。 「ともかく、今日のところは十分だから」 「分かった」 そう言われても、僕から見ると、研究が進んでいるようには見えない。 本当に役に立てているのか、不安になってくる。 「舜?」 「……行ってくる」 「うん。行ってらっしゃい」 「しゅーん、おーい、しゅーん」 「ん? あ、夕梨か」 「はぁ……。ここまで気付かないって、ほんとに重症」 「夕梨ちゃんでもダメか〜。私だけが無視されてたわけじゃなくて、ちょっと安心したよ」 「えっ? 無視したつもりは無いけど……」 「朝からずーっと上の空だったよ。何か、見えちゃいけないものが見えてるんじゃないかって、夕梨ちゃんと心配してたの」 「沙羅絡みで、何かあったんじゃないの?」 「えっと」 実験のことは口外出来ないと思い、思わず口をつぐむ。 「ふっふっふ。もうネタは上がっているのだ、舜君」 「ここ最近、キミが沙羅の研究室に入り浸っていることは、まるっとお見通しだ!」 「はあ……」 「夕梨ちゃん、キャラ変わってるよ……」 「ふふっ。今、うちのコンドミニアムでお試しで出前を始めたの」 「で、お得意さんがRRCだから、いろいろと話を聞いたりするわけで」 「あの、人を寄せ付けないことに定評のある紬木沙羅が、人と会って話しているってだけで、RRC中の噂になってるらしいよ」 「そうなんだ」 「でも、もっと話題になってるのは、あの紬木沙羅を手懐けたのは誰だってこと」 「良かったじゃん、舜。これで有名人だよ」 「そんな、人を珍獣みたいに……」 「私もバイト中にその噂について聞かれたよ。言いふらすことじゃないと思って、適当に誤魔化しておいたけど」 「ごめん……」 「でも、RRC内でそれだけ有名になるってことは、2人は上手くいってるってことだよね?」 「うーん……。まあ、一応」 表面的に見れば、大きな喧嘩もしてないし、特に問題はない気がする。 ただ1つ、実験が上手くいかないことを除けば。 「……なんか、あんまり幸せそうじゃないね」 「まあ……ちょっと気掛かりなことがあって」 「どんなこと?」 「さすがにそれは……言えないんだ」 夕梨に隠し事するのは気が引けるけど、僕の独断で話せる内容じゃない。 「ふーん。ま、いいけどさ」 「沙羅はあんまり自分のことを喋らないタイプだし、ちゃんとフォローしてあげなきゃ駄目だよ?」 「せっかく恋人同士になったんだし、お互い言いたいこと言って、話し合わないと」 「分かってるよ。付き合い長いしね」 「分かってるのかなぁ?」 「あまり抱え込まないで、私達にも相談してね? ちゃんと相談に乗るから」 「うん。ありがとう」 2人の気持ちは嬉しいけど、本当は自分でどうにかしなくちゃいけないことだと思う。 他の人を巻き込んで余計に沙羅の手を煩わせたら、それこそ目も当てられない。 「あ、もうこんな時間だ。早く、お昼ご飯食べちゃわないと」 「そうね」 「舜も食べるでしょ?」 「食べようかな」 でもこの日の昼食はいつもと変わらないはずなのに、なんだか味があまりしないように感じられた。 いつの間にか、放課後になっていた。 授業中は、先生の声が右から左に抜けて、何も頭に入ってこなかった。 疲れて、集中出来ていないだけなのか。 それとも、脳スキャンをすることによる症状なのか。 なんだか、妙に胸がザワザワして、落ち着かない。 研究室へ行くまでに、なんとかしないと。 ……でも、そう思えばそう思うほどに。 まるで手から大切な物がこぼれ落ちるような、そんな焦燥感に駆られていた。 舜が学校へ行った後もずっと、私は分析を続けていた。 「ずいぶんと調子悪そうね」 「舜や夕梨ならともかく、あなたから言われるとは思わなかった」 「自分のことは、自分が一番よく分かってる」 「でも、そんなことすら気付かないなんて……それでも舜は、本当にあなたの恋人なの?」 「……」 「沙羅が良いなら、構わないけど。人間は体調で心も身体も左右されるから、大変ね」 「そうかもね。あなたがちょっぴり羨ましいかも」 「眠らない身体があれば、ずっと研究をしていられるのにな……」 「それで、今日は何の用事なの?」 「ああ、あなたに聞きたいことがあって」 「どうして、舜の実験は、上手くいかないのか」 「答えは2つに1つ。スキャンの手法が間違っているか、舜が実験体として向いていないか」 「私は、後者だと思うけど」 「どうして、そう思うの?」 「脳スキャン自体は、まだまだ発展途上の技術だけど、その臨床サンプル例は、統計として有意なもの」 「対して舜は、いち個人の問題。幼い頃から脳スキャンに成功しているからといって、今日も成功するとは限らない」 「どういうこと?」 「あなたはスキャンしたデータを取り扱う知識はあるけど、スキャンの技師ではないでしょ?」 「彼自身の体調が最良な時でないと、正確なデータが取れない。そういうことも、あるかもしれない」 「その可能性は無いと思う。マニュアルにそんな補足は無かったし、データは正常に取れてる」 「でも、最初にここでスキャンした時、舜の体調が悪くなった件は、明らかなことだと思うけど」 「それは……負荷を掛け過ぎたから、なのかもしれない」 「まあ、リスクを伴う行為だからこそ、関係者の家族しか、実験体になっていないんだもんね」 「私が見る限り、彼は実験体としてベストな状態ではない」 「理由は今言った通り、スキャンの影響で体調が悪化したからよ」 「そのことは、私も気になってる……」 「それで……」 「まさか、実験を中断するなんて……言わないよね?」 「どうして?」 「いえ、別に。最近のあなた、ちょっと変わったみたいだから」 「そんな、馬鹿げたことを言い出しかねないなって、思ったの」 「あなたが心配することじゃないわ」 「これは、私の夢。失敗は出来ないし、諦められないことなの」 「それならいいけど」 「少なくとも、スキャンは続けないと、失敗の原因を探ることも出来ない」 「実験は、継続すべきね」 「……うん、分かった」 「参考になったわ。ありがとう」 そう言いつつ、私はVRの電源を落とした。 結局、失敗の原因はサラにも分からないみたいだった。 だとしたら、どうやって答えを導けばいいんだろう? 考える。考えれば、いくらでも策は講じられる。 「でも……」 このままスキャンし続けて、舜が倒れてしまったら? そのまま意識が戻らず、亡くなってしまったら……? 自分の夢を叶えるためなら、舜を犠牲にしても良いの……? シロネも失ったのに、また――私は、失敗を繰り返すの? 夢って、諦めてもいいものなの? きっと、違う。 研究が、私の人生の全て。 それを諦めたら、私は私でいられないと思う。 「どうしたら、いいの……」 「ふうん。夕梨と、日比野さんが」 「アイスをきっかけに仲良くなるなんて……意外だったかも」 「でも……良かった」 恋人になって初めて、沙羅と一緒に登校する。 研究のことが気掛かりではあるけど、今は学生として、学校生活を満喫して欲しいと思う。 「シロネのこと、夕梨は気にしてる?」 「まあ、それなりに」 「けど、沙羅のこともものすごく心配してた。体調悪いんじゃないかって」 「そっか」 「……夕梨は? 病気のこともあるけど……最近は、サボってないの?」 『エクセレントではないデスが、グッドはあげマショウ』だってさ」 「それって、ハナコ先輩のものまね?」 「似てないけどね」 「ふふ」 沙羅は控えめに、口元だけの笑みを浮かべる。 夕梨の言っていた通り、沙羅は無理をしているのかもしれない。 「そういえばね、夕梨の家が、出前を始めたらしくて」 「ああ、夕梨から聞いたよ。RRCにも配達に行ってるとかで」 「それで、朝食にカツ丼とざるうどんを頼んだんだけど、なぜかお箸が二膳付いてきて」 「確かに最近は、ずっと研究室で一緒に居るけど……」 「舜のこと、他の人に知られてるってことなのかな……」 「相当、深読みし過ぎてると思う……」 カツ丼とざるうどん、どちらも主食だから、二人分の注文だと考えるのが妥当だろう。 「まさかそれで、体調が悪いわけじゃないよね……?」 「えっ? いつも朝食はこんな感じだけど?」 僕の知らない沙羅が、まだいるみたいだ。 「逆に、夜は軽めにしているから。炭水化物は食べないとかね」 「前に、忙しいとカップ麺ばかり食べてる……って話してなかったっけ?」 「ラーメンも、立派な炭水化物だよ」 「ラーメンは飲み物じゃないの?」 「ラーメンは飲み物……じゃないでしょ?」 「あら、舜? 考えてみて」 「例えば、あなたはタピオカミルクティを何に分類してる?」 「……飲み物……かな?」 「そう。飲み物ね」 「タピオカはどういうもの? 固体で……そして食べられる」 「麺とタピオカは形状は違えど、どちらも固体で食べられるもの。しかも液体の中に入っている」 「つまり、ラーメンは飲み物なの。分かった?」 「……そ、そうだね」 「え……違うの?」 沙羅はきょとんとして、こちらの表情を窺っている。 本気で言っているみたいだったから、それ以上は聞き返せなかった。 「……あっという間だった」 授業を最後まで受け、放課後の教室、沙羅と2人で夕日が落ちるのを見つめていた。 もう、校内にはほとんどの生徒が残っていないのだろう。 部活動をする声も聞こえてこない。 「楽しかった」 「また明日も来るんだけどね」 一日の出来事を思い巡らせながら、柔らかく微笑む沙羅。 「今日も、この後は実験するんだよね?」 「しないわ」 「もしかして、完成の目処が立っているとか……?」 「いえ。それはまだ……」 「じゃあなんで?」 驚きながらも、沙羅の次の言葉を待つ。 「もう、脳のスキャンは終わり」 切れ味抜群のナイフで切り裂くように、鮮やかで鋭い声だった。 「私は、今後一切、舜に対してスキャンをしない」 「ど、どうして……?」 「成果の上がらないことに費やす時間を、省きたいから」 「でも、実験を止めたら――」 「沙羅は、夢を諦めることになるんじゃないの?」 「諦めるとは言っていないわ」 「ただ、この方法は止めるだけ」 「じゃあ、他の方法は何かあるの?」 「別の方法は、まだ見当もついていない」 「だったら、そんな簡単に諦めちゃ駄目だよ」 「舜……」 「何度だって、僕は協力する」 「だから、もうちょっと頑張ろうよ」 「いえ。この方法は駄目。そして……」 「この研究自体、辞めることにする」 「どうしてさ!」 「……舜!」 思うような実験結果が出せなくて、沙羅は弱気になっているんだろう。 こんな時こそ、僕が励まさななくちゃいけない。 そんな僕の気持ちを遮るように沙羅が話し始めた。 「あなたは、本当に……」 「全然……分かってない」 静かな怒りが、教室に響く。 「この結論に至るまで、一体どれ程の時間を要したか……」 「この夢を叶えるために、どれだけのことを犠牲にしてきたか……」 沙羅は、歯を食いしばるようにして、身体の震えに耐えていた。 「他{ひ}人{と}との関わり、温かい微笑み、朝起きて学校へ行くこと、放課後の退屈」 「今日みたいな、なんでもない一日だって、研究のためなら、失っても惜しくはなかった」 「そんな私から研究を取り上げてしまったら――」 「鳥かごの中で息絶え朽ちた、カナリアみたいなもの」 「用済みってことなんだ」 「そんなこと――」 「実験を続け、正しく努力すれば、夢に手が届く」 「そう信じて、自分の全てを注いできた」 「信じ込んでしまっていたの」 口に出すことで、より絶望を確かなものにしているような気がした。 その一方で、僕は彼女を止めることが出来そうにないとも思った。 「でも、今回ばかりは努力じゃどうにもならない」 「もう、おしまいなの。幕を下ろさなくちゃいけない」 今、実験や研究から解放しなければ、沙羅自身が潰れてしまう。 それくらいの質量を、この絶望は持っていた。 「舜の脳は、限界にあるの」 「あなたの知らないところで、今も悲鳴を上げている」 「舜。正直に話して」 「最近、物忘れが酷くなったり、ぼうっとしてしまうことが、増えたでしょ?」 「それは……」 一瞬だけ、誤魔化そうかと悩む。 でも、緊張を張り詰めたこの空間が、それを許さない。 「沙羅の言う通りだよ」 「やっぱり……」 「忘れっぽいなあと思ってたし、気が付いたら授業が終わってたこともあった」 「いつから?」 「沙羅がスキャンを始めてから、少しずつ……」 「やっぱり……」 苦悶の声が、波紋のように広がっていく。 「……どうして、早く言ってくれなかったの?」 「私が信用出来なかった?」 「違うよ。これ以上、君に迷惑を掛けたくなかったんだ」 「沙羅の助けになりたいって気持ちを形に出来るのは、スキャンを受けることくらいだから」 「そんな……」 「ごめん。沙羅のために出来ることをしたい一心だったんだよ」 「私のためって、どういうこと?」 「じゃあ、舜の幸せを願う私は、どうしたらいいの?」 「……体調のことを黙っていたのは、謝るよ」 「今さら、その謝罪を受け入れても意味が無いの」 「正直言うと、実験に付き合うことに不安はあったよ」 「ここ最近、どんどん調子が悪くなっていたし……」 「そんなっ……」 「私は、それを教えて欲しかったの……!」 憤りに満ちた沙羅の声を聞いて、拳を握り締める。 悔しくて、どうにかして沙羅を納得させたいと、考えあぐねてしまう。 「でも、実験が失敗続きだったから、少しでも力になりたくて……」 「それに、その失敗にしたって、仕方ないことだと思う」 「え……?」 「失敗は、仕方がない……?」 「沙羅は、前人未到の夢を追い掛けているんだ」 「失敗を繰り返すことで、少しずつ成功に近づくんじゃないか?」 「どういうこと……」 「僕も一緒に、沙羅の夢を追い続けていたい」 「灰になっても、塵になっても」 「自分の言っていること、分かっているの……?」 呆れを通り越しているんだろう。 沙羅の言葉には、うっすらと笑みが含まれている。 「僕は、沙羅の夢を実現する過程で、犠牲になってもいい」 「数え切れない失敗の中から、未来の沙羅が夢を掬{すく}い上げてくれるなら……」 「それでもいいんだよ」 「いいわけない」 「私がその“失敗”のせいで一度は死を選ぼうとしたこと……」 「舜だって覚えてるでしょ……?」 笑みは消えて、燃えるような怒りに変わる。 「それに、今回の失敗は舜の命に関わること」 「舜の命より大切な夢なんて、私にはないの」 「あなたを守るためなら、私は用済みになってしまってもいい!」 「沙羅……」 その怒りは、僕を包み込む温もりを持っていた。 「自分に巣くうエゴが、大切な人を傷付けて、損なってしまう……」 「私はそんなことを望んではいない……」 「これ以上実験を続けたら、舜が壊れる前に、私が壊れてしまいそうなの……」 細い肩が震えている。 「だから、私はもう、この先には進めない」 「夢を追い掛け続けることは出来ない」 「舜の居ない未来なんて、欲しくないから」 「舜を失った世界で、一人ぼっちで生きることは出来ない」 「だから……」 「ごめんね……」 いっそ、泣いてくれたらいいのにと思う。 そうしたら、今すぐ彼女を抱き締められるのに。 「そんな、沙羅が謝ることじゃない」 「僕がスキャンに耐えられないのが悪いんだ」 「それこそ、舜が謝ることじゃない」 「これは、私の技術の問題であり、私の責任なの」 「私が、もっといい方法を考えられなかったから」 「私が、力不足だから……」 「そんなことないよ」 「ううん」 「もういいの」 「でもっ!」 「少し……1人にさせて」 「今はもう、これ以上この話をしたくないから」 「沙羅……」 僕の返事を聞く前に、彼女は去っていった。 どうしたらいい。 どうしたら良かったんだろう。 心の中で、白音に問い掛ける。 なんだか、すべてが振り出しに戻ってしまったみたいだった。 頃合いを見計らって、沙羅の元へ向かった。 彼女にもう一度前を向いてもらうために、僕が出来ることを考えてみる。 確かな答えがないまま、彼女の傍までたどり着いてしまった。 「あのさ……」 「……」 沙羅は僕のほうに目線だけ向けて、口を噤{つぐ}んでいた。 “なぜやって来たの?” そう言われている気がして、腰が引けそうになるのを堪える。 「いろいろ考えたんだけど……」 「そうやって、1人で抱え込まないで欲しい」 「抱え込むなと言われても……」 「じゃあ、どうしたらいいの……?」 「一体、誰と困難に立ち向かったらいい?」 沙羅は、ぼそぼそと小声で苛立ちを口にした。 そんな独白みたいな言葉だって、嬉しいと感じてしまう。 彼女はまだ、僕を完全に拒絶しているわけじゃないんだと分かる。 「僕には専門知識なんて無いし、技術面で力になれることも無い」 「考え方だって、沙羅に比べたら幼稚だろう」 「“そんなことない”って否定出来ないのが、悲しいわね」 「だから、口出ししないようにしてた」 「それは、賢明だと思う」 「だよね……」 きっと、僕は沙羅にがっかりされるのが辛かったんだ。 彼女となるべく対等でありたくて、見せかけだけでも均衡を保ちたかった。 下手なことを言わなければ、馬鹿だとは思われない。 「でも、これからはそんなことしないし、思ったことは言う」 「そんなに無理して関わって、意味があるの?」 「きっと、的外れなことも多いと思う」 「沙羅をムッとさせることもあると思う」 「君には迷惑を掛けてしまうけど、どんどん僕に失望して欲しい」 「“失望して欲しい”って、一体どういうことなの……?」 「思いっ切り、呆れてくれていいんだ」 「その代わり、君が何を思い、考えているのかを教えて」 「少しずついろいろなことを理解して、沙羅が抱えている重荷を、僅かでも肩代わりしていきたいんだよ」 沙羅は、目を閉じる。 「なぜ……?」 頭痛に耐える時のように、顔を顰{しか}めている。 「どうして、私のためにそこまでしてくれるの?」 「沙羅のことが好きだから」 「沙羅に笑顔になって欲しいから」 「これじゃ、理由になってないかな?」 「……ごめん」 「それは、私には理解し難いみたい」 沙羅は僕から目を逸らし、空を見上げる。 そして、静かに呟いた。 「星を……見ていたの」 「この景色だけは、昔と何も変わらない気がする」 沙羅につられて、星空を見上げる。 「見慣れた夜空だけど、隣に沙羅が居るだけで特別な感じがするよ」 「特別……?」 「……やっぱり、舜の言うことがときどき分からない」 「そうだよね」 実際、理解してもらえるなんて思ってないけど、言ってみた。 「でも、嫌な感じはしない……」 「これって、変じゃない?」 「全然、そんなことないよ」 「そういえば、子どもの頃もこうやって、星空を見上げて星座を観察したな」 「うん」 目を瞑{つぶ}ると、あの日のことが昨日のように思い出される。 「真夜中に家を抜け出して、ここに集合した」 「でも、疲れて眠ってしまったの」 「気付いたら、この場所で朝を迎えていた」 「母さん、赤くなったり青くなったりして怒ってたな……」 「ねえ、舜……」 「あの時の曲は、覚えてる?」 僕はゆっくりと頷いて、答える。 「あのレコードを聴きながら、星座を見てたよね」 「……ちゃんと覚えてたんだ」 沙羅は満足そうに言った。 「実は、最近もあの曲を聴いていたんだ」 「えっ……? 舜も?」 「私も、急に聞きたくなって……」 「あれを聴いていると、なんだか落ち着いてさ」 「もし良かったら、掛けようか?」 「レコードを持ってきたの?」 訝{いぶか}しそうに僕を見る。 「いや、スマホの中に入ってるんだ」 「ああ、そういうこと……」 「うん、聴かせて」 アプリを起動すると、音が割れない程度に音量を調節する。 そしてそのまま、ゆったりとした音楽に身をゆだねる。 ああ―― またこの曲をここで、沙羅と一緒に聴けるだなんて……。 「良い曲ね……」 「うん……」 「白音が生きてた頃は、ずっとこんな時が続くと思っていた」 「それが、いつしか当たり前じゃなくなって」 「見ているものも、変わってしまった」 「どうして、あのままでいられなかったのかな……?」 「沙羅……」 「答えなんて分かってる。なんだって、変わらないでいるほうが難しい」 「変化は時に成長を意味するし、成長とは終わりを意味することもある」 「一体、どれだけの人間が、それを受け入れてきたんだろう……」 もしかしたら、この星の数よりも多いのかもしれない。 「でも、変わらないものだってあるんだよ」 「変わらないもの……?」 「僕は、昔から沙羅を大切に思ってる」 「……まあ、ずっと音信不通だった僕が言っても、説得力が無いかもしれないけど」 「ふふっ」 久しぶりに沙羅の笑い声を聞いた気がする。 「舜に忘れられてるかもって、少し心配だった」 「私達、今は付き合っているんだから、不思議な変化ね」 「“変わるもの”と“変わらないもの”、その両方で、この世界は成り立っているのかもしれない……」 はにかむ沙羅を見ていると、鼓動が激しくなる。 「私達には、“今ここ”しか与えられていないというのに――」 「どうして、遠い思い出の日々や、まだ見ぬ未来に想いを馳せることが出来るんだろう……」 「なぜ、神様はそんな能力を私達に授けたのかな……」 「なんて悲しい……嬉しい力なの」 唇を震わせて、沙羅は呟いた。 「沙羅に迷惑を掛けたくないと思って空回りして、結局は迷惑を掛けた」 「僕が正直に話していたら、君はあんなに苦しまなかった」 “ごめん”という言葉ではこの気持ちは表現出来なくて、深々と頭を下げる。 「……それは、もう済んだことよ」 「スキャンを行わなければ、多分大丈夫」 「今の段階なら、まだ回復の余地があるだろうし」 「百南美先生にも相談してみる」 「そうか、安心した……」 「これ以上、沙羅を苦しめずに済むんだね」 「舜……」 ほっとして、肩の力を抜く。 「じゃあ、これからの話をしよう」 「これからの話……」 「私とあなたのこれからについて?」 僕は、大きく頷く。 「当たり前の話だけど、ちゃんと言わなかったら相手には何も伝わらない」 「伝わるわけない」 「そうだよね?」 「そうね」 「伝えてしまったら、何かが終わるかもしれない」 「すれ違うかもしれないし、喧嘩をするかもしれない」 「うん」 「でも、そうしないと人間は分かり合えない」 「だから、みっともなくてもいい」 「僕はちゃんと、思ったことを言う」 「沙羅と分かり合いたいから。君のことを理解したいから」 「だから沙羅も、出来れば同じように接して欲しい」 「……」 思い出に浸っていた優しい目つきから、真剣な眼差しに変わる。 「舜は、みっともなくなんてない」 「私からしたら、それは途方もない勇気を要する行為よ」 「舜が正直でいるなら、私も……」 「正直になれる気がする」 「ううん……無理をしてでも、正直でいなくてはいけないと思う」 もう一度沙羅は口を噤んで、空を大きく見上げた。 夜風が優しく吹き込んで、彼女の背中を押してくれる。 「あのね、舜……」 「……実は、私、凄く怖がりなの」 沙羅は、一つ一つ言葉を選びながら口にしているようだった。 「失敗するのが、怖かった」 「舜を失うのが、怖かった」 「要らない子と言われるのが、怖かったの……」 「うん……」 「強がって、自分を守ろうとした」 「存在意義を失ってしまうことは、死を意味している」 「そういうふうに、RRCで教え込まれてきたから……」 「……凄く、辛い環境だったんだね」 「それは分からない」 「そうじゃない生活なんて、経験したことないから」 困ったようにこちらを見つめる。 「こんな私なんて、駄目じゃない?」 「がっかりしたでしょう……?」 「がっかりはしてないけど……」 「沙羅がこれまでよりもちょっと小さく……でも身近に感じるのは本当だ」 「……悲しいくらい、正直ね」 沙羅は自嘲気味に笑った。 でも、僕は胸を張ってみせる。 「沙羅が完璧過ぎなくて助かったよ」 「それこそ、トリノみたいに完璧超人だったら困る」 「今まで、僕が沙羅と一緒に居る意味って、無いんじゃないかなって思ってたから」 「そう……それは驚いた」 「僕的には、沙羅の内面、それも弱い部分が見れて嬉しかったっていうか……」 沙羅の顔に、波のように感情が伝わっていく。 それは驚きなのか、怒りなのか、悲しみなのか、上手く判断出来なかった。 「ごめんね、失礼なこと言ってるよね?」 「それ――」 瞳の奥が、きらりと光りを帯び始める。 「詳しく説明してくれる?」 「えっと……」 どうやら、沙羅の好奇心を引き寄せてしまったらしい。 僕は、考えつつ、出来るだけ分かりやすい説明を心がける。 「たとえば、沙羅の中で完璧な答えが決まり切っていたら……」 「そこに、僕の意見は反映されるかな?」 「反映されないと思う。昔の私だったら、参考にもしない」 「それって、僕としては、あまり面白くないんだよね……」 「やっぱり、一緒に居る限りは自分の意見を汲み取って欲しいし、それで自分の存在価値を実感出来るし……」 「沙羅が間違ってくれたら、何かを教えることだって出来るはずだよ」 「なるほど……」 「……もしかしたら、それが鍵なのかもしれない」 「“真トリノ”」 「究極のアンドロイド、“真トリノ”の、鍵……」 沙羅はもったいつけて、二回唱えた。 「“完璧な答えが決まってたら、面白くない”って言葉――それから、考えたんだけど」 「既存のアンドロイドは、完璧な答えを出すように設計されているの」 「与えられた命令、求められた結果に辿り着く」 「もちろん、トリノも例外ではない」 「そして、的確な答えが見つからない場合は、三原則に頼る仕組み」 「でも、トリノは人間のパートナーを目指して作られている」 「従属する者ではなく、あくまでパートナー」 「本来、人間同士が関わる上で、完璧な答えなんて存在しないはず」 「それなのに、求められてもいない完璧な答えを出すように作られているって、ナンセンスじゃない?」 「言われてみれば、確かに……」 僕の同意を受けて、沙羅の声はますます確信に満ちていく。 「シロネも、舜を無傷で助けるという条件に対し、完璧な回答を出そうとした」 「結果、それが出せなくて暴走した」 「もし、この時に、自ら、どこまでは許容範囲、つまり、与えられた条件の中の優劣を考えることが出来れば……」 「例えば、軽い怪我は諦めてでも、舜の命だけは守るという選択の余地があったとしたら?」 「つまり――」 「自らの意思で80%の答えも選べるようになっていれば――」 「シロネは暴走しないで済む……?」 「その通り」 「それだけじゃない。人間は結果が曖昧だったとしても、とりあえず大まかな方向性だけ決めてスタートを切ることが出来る」 「例えば研究だってそう。答えが分からないし、やり方も見当が付かないけど、手を出すことだってある」 「人間は成功と失敗を繰り返す」 「パートナーとして存在するならば、人間との調和が大切に決まっているのよ」 「共に考え、共に歩む」 「だから、人間と同じように、ある意味では適当な答えも出せるようにすればいい」 「不必要だと思っていた、遊びを作ってあげることも大切だったのかもしれない……」 「舜の大手柄ね」 目の前の沙羅は、再びいつもの彼女に戻っているようだった。 自分を“怖がり”だと言っていた女の子は、どこへ行ったんだろう。 でも、そんな沙羅も、こんな沙羅も、全部が全部大切な存在だ。 「研究室に戻ってもいい?」 「早く実験したくて仕方ないの」 「そ、そう……」 熱に浮かされたみたいに、両の頬が上気している。 圧倒されて、何を喋ったらいいのか分からなくなる。 「ああ、悔しい。盲点だった……」 「今まで、完璧であろうと振る舞ってきた弊害ね」 「全人類がそれを好ましく感じ、目標にしているんだと思い込んでた」 「……本当に?」 流石に、びっくりしてしまう。 やっぱり、沙羅は浮世離れしている。 「舜と付き合わなかったら、きっと気付くことはなかったと思う」 「ありがとう、舜!」 「ど、どういたしまして……?」 「なんだか、一回りして素直に喜べない自分がいるよ」 「沙羅の力になれたことは誇らしいけどさ」 なんだか、短時間で成長してしまった感すらある。 「今日は、まだまだ付き合って貰うからね」 「えっ!?」 「一旦、寝ようよ……」 “出来れば2人で”という下心を隠して、たしなめる。 「何をぬるいこと言ってるの?」 「どう考えても、この理論を証明することのほうが優先すべきでしょ」 こうなった沙羅は止められない。 ちょっと嬉しく思いながら、ため息を吐く。 「これから、忙しくなるわ」 「あなたにも手伝って欲しいことが山程あるんだから」 「もちろん、協力するよ。無理しない範囲でね」 「それで十分よ」 「よろしく、舜」 「こちらこそ、よろしく」 どちらからともなく手を伸ばして、握手を交わす。 ようやく沙羅と心の底から繋がれた。 そんな気がした。 それはある意味では、セックスよりも刺激的で―― 誰にというわけではないけど、僕はこの日のことを、絶対に忘れまいと誓った。 「……」 「ふふっ。ふふふふふ……」 「……?」 眠りに落ちそうになった瞬間、不気味な笑い声が意識の端のほうで聞こえた。 「フフフ……」 「沙羅……?」 「舜、起きてたの? 寝てもいいって言ったのに」 「沙羅が作業してる横で、自分だけ休むなんて悪いし」 「それより、沙羅こそ寝なくて大丈夫?」 「無理」 「こんなに楽しいのに寝るなんて、絶対無理……」 沙羅は無邪気に目を輝かせる。 「舜にもこの快感、分けてあげたい。自分の考え通りにプログラムが動くのは、とても気持ちがいい……」 「このプログラムが最後まで私の予想通りに動いたら、その時は……」 「達して、しまうかも」 「そ、そんな大げさな」 妖艶な感じは全く無く、穢れを知らない少女のような声で呟くから、見た目とのギャップにドキッとさせられる。 前から感じてたけど、沙羅って話し言葉は子どもみたいなんだよな……。 「フフフッ」 沙羅が楽しそうなら、何よりだけど。 昨日から一睡もしてないから、ランナーズハイになっているだけかもしれない。 「そういえば沙羅、作業してる時は、眼鏡掛けてるんだね」 「えっ?」 「……あっ!?」 沙羅は慌てて、掛けていた眼鏡を取る。 「もう……。言ってよ」 「見られたくなかったのに……」 「似合ってると思ったんだよ」 「そういう問題じゃないの」 沙羅は妙に恥ずかしがっているけど、その理由はよく分からなかった。 「でも、これで……終わり」 「作業、終わったの?」 「今日の作業はね。後は、シミュレーターが計算してくれるのを待つだけ」 「なるほど」 「舜もありがとう。結局あれから、何度もスキャンさせてくれて」 「体調はどう? 大丈夫?」 「寝不足でちょっとフラフラするくらいで、あとは平気だよ」 「そう、良かった」 この言葉に嘘はない。 実際、沙羅も相当気を遣って、スキャンをしていたし。 もう隠すことはせず、気持ち悪くなる予感がしたらすぐに申告したし、大事には至っていないと思う。 「ゆっくりと、家で休んでいて。何かあったら連絡するから」 「そうするよ……」 さすがに徹夜明けだし、スキャンの負荷で体力も限界に近づいている。 横になったら、そのまま寝てしまいそうだ。 「ふふっ」 沙羅がイキイキを通り越して、ウキウキしながら微笑んでいる。 こんな沙羅、もしかしたら初めて見るかも。 「ほら、舜はもう帰って」 沙羅の笑顔の圧力に押されるように、僕は研究室を後にした。 「これで、着替えもOK……」 一日ぶりの我が家。 シャワーも浴びたし、もう、思い残すことは何もない。 「おやすみなさい……」 そのままバッタリと、僕はベッドの上に倒れ込んだ。 「ん……」 眩しさに、思わず目を細める。 沙羅が下着で襲来してきた後、寝落ちていたらしい。 「やっぱり、徹夜はよくないな……」 なんとなく、身体の節々が痛いし、頭もぼーっとする。 それに腰も……って、これは違うか。 「そういえば、沙羅は……」 寝ている間に帰っていたんだとしたら、少し情けない。 それに、かなりハイテンションだったから、無事に帰ったのか心配だ。 「……」 そんな予想をよそに、リビングのほうから奇妙な音が聞こえてきた。 普通のことをして出る音じゃない。 おそるおそる、部屋のドアを開けた。 音がしていたのは、台所のほうからだった。 「沙羅――」 言いかけて、言葉を失う。 そこには、白衣を着て理科実験を行う沙羅が居た。 「おはよう……」 「ええと……」 「うちで、実験することがあったの?」 「実験? 違うけど?」 「お料理しているところよ」 「料理……」 ビーカーにアルコールランプ。 とても、料理をするための道具とは思えない。 「沙羅、料理……出来ないよね?」 「うん。したことはないけど、ちゃんと手順通りに進めれば出来上がるはず」 「ただ、調理器具の使い方が分からなくて……」 「だから、身近な実験道具を持ってきたの」 アルコールランプで熱せられたビーカーからは、なんともいえない匂いが漂っている。 湯気も紫がかった色をしていて、本当に“実験”だと言うなら、納得なんだけど……。 「もうすぐ出来上がるはずなんだけど、写真と色味が違う……」 「何か、配分を間違えたのかな……」 「僕が知っているお料理風景とは、だいぶ違うものであるような気がする」 「安心して。ちゃんと食べられるものしか使ってないから」 「舜の嫌いなものとか、危険な薬品は使ってない」 机の上にムカデみたいなものがある気がしたけど、よく見たら魚の骨だった。 とはいえ、心から安心することは、全く出来そうにない。 「これは、舜へのお礼よ」 「男の人は、寝込みを襲われるのと、彼女の手料理が好きだって、本に書いてあったの」 「そうだったんだ」 「もしかして、舜には駄目だった……?」 「そ、そんなことないよ! ちょっと意外だったから、驚いただけで」 「そう?」 沙羅の機嫌を損ねないように、最善を尽くして弁解する。 「ところで、それは何を作ってるのか、聞かせて貰ってもいいかな」 「見て分からなかった? カレーよ」 「ええっ!」 「どうしたの? もしかしてカレー嫌いだった?」 「ううん、大好きだよ! そっか、カレーかー」 カレーなら、失敗しても大惨事にはならないか? カレーは何を入れてもカレーになる。そういう、包容力のある料理のはず。 「そう、なら良かった。舜はテレビでも見ていて。完成したら呼ぶから」 「分かった」 どうやら、僕の取り越し苦労のようだ。 「腕によりをかけて作るから。待っててね、舜」 「う、うん……」 ノリノリな沙羅を止めることも出来ず、僕はただぎくしゃくと首を縦に振った。 「召し上がれ♪」 「う、うん……」 目の前に出されたカレーは、カレー色ではなく、絵の具を塗りたくったような真っ赤な色をしている。 「やっぱり、駄目かな……」 嫌な予感しかしないけど、沙羅が心を込めて作ってくれたことに間違いない。 それなら、その全力を、僕も受け止めなきゃ。 「いただきます!」 匂いや色、見た目のグロテスクさは目をつぶって、僕は一気にカレーを口に掻き込んだ。 「ど、どう?」 「……美味しい」 「これ、美味しいよ!」 「本当に?」 「うん。食べたことない味だったから戸惑ったけど、これはこれでありかなって」 「良かった」 きっと、身体に良い成分がいっぱい入っているんだろう。 一口食べるごとに汗が噴き出し、血が一気に体内を巡るのを感じる。 「なんか癖になりそうな感じ――」 「うっ――!?」 「舜っ!?」 飲み込んでからしばらくしたあと、急な腹痛で座って居られなくなり、床に倒れ込む。 「やっぱり、駄目だったんだ……」 「ごめん……そういうわけじゃない……お通じが良くなり過ぎただけだよ……」 「ちょっと、トイレに……」 「ごめんなさい……」 「せっかく沙羅が作ってくれたのに……ごめんっ――」 これ以上会話し続けられないと判断し、残った力を振り絞って、トイレへ駆け込む。 そのあとは沙羅がずっと介抱してくれたから、なんだかんだ得した一日だった。 「……」 なんだか、肌寒い気がする。 外は――まだ明るい。 時計を見ると、研究室を出てから一時間も経っていなかった。 布団を掛け直して、寝ようとした時―― 「お目覚めですか? 旦那様」 「へ……?」 目の前に居たのは、あられもない格好をしている沙羅だった。 夢かと思ってまぶたを擦っても、目の前の景色は変わらずはっきりとしている。 「反応鈍いわね。舜には、こっちの属性無いのかな……」 「あのー……」 刺激的な下着姿の沙羅が目の前に居ることに加えて――自分の下半身のソレが露出しているのに気づく。 「今、してあげようと思ってたところだったの」 「す、するって何を……?」 「起きるまで、手でご奉仕してあげようかと……」 「夢精って知ってる? 寝ている間に射精してしまうことなんだけど」 「どうしたら、舜が寝てる間も、気持ち良くなって貰えるかなーと思って」 「献身的というか、狂気的というか……」 「ん? 何か言った?」 「いやいや、何でもないよ」 どうしてそのような発想に至ったのか、凡人の僕では聞いても理解出来ないだろう。 「舜のために、本を読んで勉強したの」 「普段、眼鏡を掛けている地味な女の子が、脱いだらセクシーな下着を身に着けている」 「そういうギャップに、男性は弱いんだって。でも、舜はお気に召さなかったみたいね」 視界の端には、大きな2つの膨らみと、先端のピンク色の突起が見えている。 視線を逸しているのに、頭の中は沙羅の大きな乳房のことでいっぱいになっていた。 「眠くて、いつも以上に血の巡りの悪い頭に言葉が入ってこないとか……そういうことかな……」 「どうやって家に入ったのかは聞かないでおくけど、まさか、その格好でここまで来たんじゃ……ないよね?」 「えっ? このままの格好で来たけど」 「上から白衣を着込んでしまえば、中に何を着ているかなんて、分からないでしょ?」 「確かに、そうかもしれないけど……その……」 ただ純粋にそう思っているかのように、沙羅はきょとんとしている。 普段はしっかりしているけど、本人の守備範囲外は抜けているのが沙羅だと思う。 「あっ……お{・}き{・}て{・}きた」 「舜じゃなくて……舜のおちんちんが、だけど」 「あ……」 目の前でこんな格好をされては、いくら視線を逸したところで無意味だった。 「少しは興奮してくれた?」 「これは、朝の生理現象で……朝勃ちってやつだよ」 「そうなの?」 「それじゃあ……私が、抜いてあげる♪」 苦しい言い訳を疑いもせず、沙羅は目を爛々とさせる。 すっかりスイッチが入った彼女を止めることは出来ず、されるがままに事が進んでいった―― 「こんな感じで……」 柔らかい指の肌ざわりと共に伝わってくる、さらさらとした感触。 沙羅は自分の髪を少し掴んで、僕のソレにぐるぐると巻きつけた。 「んっ……これで、合ってるのかな」 「このまま、髪と手で擦って……ん、んんっ……」 これもまた本からの知識なのか、その手つきはたどたどしい。 気持ちいいのかもどかしいだけなのか分からない、微妙な刺激が伝わってくる。 「ん、んっ……髪の毛、滑らせるの、難しい……」 「でも、これ……楽しいかもっ……」 沙羅は目を輝かせながら、細い指と髪でペニスを弄る。 「そんなことしたら、綺麗な髪が汚れちゃうよ」 「ううん、私が試してみたいことでもあるから、いいの」 「んっ……そもそも、舜に……拒否権は無いはずよ」 そう声を掛けたのを最後に、沙羅はまた髪での愛撫に集中する。 「しゅっ、しゅーっ……ぎゅ、ぎゅ……」 「髪の毛で、おちんちんの根元を、締め付けるように……」 「ぎゅ、ぎゅー……」 卑猥なことをしているはずなのに、沙羅の言動にはあどけなさがある。 正直、かなり可愛い。 焦らすようなその動きに、思わず腰がもぞもぞと動いてしまう。 「ん……ちょっと、硬くなってきたかも……」 「髪の毛でされて……感じちゃってるの?」 「最近、実験続きで、抜いてなかったし……」 「そうね。今日は、その慰労も兼ねてるから」 「舜に、いろいろ無理をして頑張って貰ったお礼ね」 そう言いつつ、沙羅はゆっくりと手を上下に動かし、髪ごと僕の剛直を愛し始める。 沙羅の指と髪の細やかな感触が、敏感なところをこそばゆくくすぐる。 「あ……お汁が、先っぽから滲み出てきた……」 「髪を巻き付けられて興奮するなんて……変態さんね」 そう言いながら、沙羅は自らの髪の毛で亀頭や肉幹を撫でる。 そのくすぐったさに、徐々に僕の息も荒くなる。 強い刺激ではないけど、視覚から送られる情報が、痛いほど股間に響いてくる。 「まだだめ……射精はだめよ」 「もっともっと、気持ち良くさせてあげる」 「ちゅ、ぺろ……ちゅっ……んっ……」 なんのためらいもなく、沙羅は先端へと唇を近づける。 そしてそのまま、ペニスにキスの雨を降らせる。 「んっ……ちょっとしょっぱい……ちゃんと洗わないとだめね……」 「ごめん……」 「ううん……ちゅっ、これが舜の味だと思えば平気よ……」 「私が……綺麗にしてあげる……」 「ちゅぷっ……れろっ、ちゅっ……れろ」 沙羅は棒付きキャンディーを舐める少女のように、美味しそうにペニスを舐めしゃぶる。 熱くてザラっとした舌が触れるたびに、腰がビクビクとしてしまう。 「私、舜のことなら何でも知ってるつもりよ」 「たとえば、舜は裏筋と……鈴口が弱い、なんてことも……」 「ん……れろ、ちゅぷっ……ちゅっ、ぺろ……」 研究熱心な性格が、こんなところにまで影響するなんて……。 「嬉しいけど、その情報って、沙羅の研究に役立つのかな……?」 「半分は、個人的な興味だけど……」 「でも、舜のおちんちん以外には興味ないから、データとして平準化しようとは思わない」 「舜が相手だから、こんなことも出来るの」 「ちゅ、んんん、ぺろ、ちゅ……ちゅっ、れろっ……」 可憐な唇が亀頭に吸い付き、何度も熱い口づけをする。 そのたびに甘くムズムズする感覚が、徐々に強いうずきとなって股間に熱をもたらす。 「ん……だめよ……ちゅ……まだ我慢ね……」 その言葉と共に、指先と髪が根元の部分に絡みつく。 そしてそのまま、きゅっと尿道を締め上げてきた。 「私の許可無く射精しちゃだめ。分かった?」 「……分かった」 「うん、よろしい」 「ちゅ……んん、ちゅ、ぺろ、ん……はぁ、んんん……」 沙羅は指先でしっかりと尿道を押し潰しつつ、再び一番敏感な部分に口づけをする。 沙羅に射精管理されていると思うだけでも、達しそうになってしまう。 「こうやって……んん、毛先でくすぐるのも……面白いかも……」 「ちゅっ……敏感なところを、チクチク……さわさわして……」 絹のような毛先が裏筋に触れた瞬間、未体験のぞわっとした感覚が下半身に広がる。 それは背筋にまで駆け上がり、知らず知らずのうちに鳥肌が立ってしまう。 「おちんちんが……すっごく熱くなってきた……脈打って、すごく男らしい……」 「これが身体の一部だなんて信じられない……このままだと、手が火傷しそう」 「どこまで、大きく、熱くなるのかしら?」 「もっともっと、大きく、熱くしたい……ちゅりゅっ……れろっ、ちゅっ……ちゅちゅっ!」 「そんなにされたら、本当に……っ」 「ちゅ、はぁ、出ちゃいそう……? 出ちゃいそうなの……?」 「まだ、だめ……私が満足してないの」 射精しそうになったところで動きを止められ、もどかしい感情が胸いっぱいに広がる。 ペニスは所在なさげに脈打っており、パクパクと鈴口が閉じ開きを繰り返す。 「我慢したほうが、いっぱい気持ち良くなれるの」 「我慢して我慢して、その後膣{な}内{か}で出したら、きっと気絶しそうなくらい気持ちいいと思わない?」 誘うような沙羅の声を聞くだけで、射精してしまいそうだ。 「頑張って……ちゅっ、れろ……ちゅぷ……ちゅ、ちゅぅ」 「はあ、ちゅぱっ……れろ、んっ……ちゅぅ、ちゅっ……れろ」 じっくりと味わうように、ゆっくりと沙羅は舌を伸ばしていく。 手や髪の動きも加わって、的確に弱点ばかりを突かれ、一気に追い詰められる。 「ちゅっ……ちゅぅぅ、ちゅっ……れろっ、ぺろっ、れろっ」 「ん、ちゅぱ……ちゅるる、れろっ、ちゅっ、ちゅ、ちゅぅぅ……」 「沙羅……っ」 「れろ……ちゅちゅっ、れろ、ふふっ、その切なそうな顔と声……すごくそそる……」 「もっともっと、可愛いところ見せて……ちゅぷっ、れろ、ちゅ……!」 沙羅の妖艶な声が耳をくすぐり、背筋に流れる電流が次第に強くなる。 目の前はチカチカとして、もう持ちそうにない。 「沙羅、ちょ、ちょっと止めて!」 「ちゅちゅっ……いや、ちゅりゅっ……だめ、ちゅっ、ちゅぷっ、ちゅ、ちゅぅぅ!」 「はぁっ、ちゅっちゅっ……ちゅぅっ、まだだめ……ちゅっ、れろっ!」 「も、もうっ――」 「ん、ちゅ、ちゅぅぅぅっ……!」 沙羅がぎゅっと陰茎を握り締めたのと同時に、白い何かがペニスに集まり、一気に放出される。 「んっ……ひゃああああぁぁぁぁぁっ……!?」 熱い塊が飛び出した直後、全身を虚脱感が包み込む。 濃くて粘度の高い白濁液が沙羅を汚していくのを、ただただ見つめる。 「はぁっ……ちょっと、舜……」 「私……射精していいとは、一言も言ってないんだけど……?」 「ちゃんと、おまんこに出して欲しかったのに……」 「ごめん……気持ち良過ぎて……」 中で射精することよりも、沙羅の綺麗な髪や整った顔を汚したいという欲望が勝ってしまった。 「そういうオイタをする舜には……」 「お仕置きが、必要ね」 「我慢の利かない駄目なおちんちんに、教育的指導をしてあげる」 「あああっ……!」 「んっ……は、はぁぁぁ、入った……」 沙羅は上体を起こし、後ろを向いた姿勢で、自分の中にモノを沈めていった。 「あれだけ射精したのに、もう、こんなに硬くて、大きいなんて……」 あっという間に挿入させられた沙羅の膣内はすでにほぐれていて、その猥雑な動きでペニスを歓迎する。 亀頭から根元までみっちりと膣肉に包み込まれ、勝手に中でソレが跳ねてしまう。 「んっ……それに、すごく元気……1度出したとは思えない……」 「はぁぁ、はぁ……これなら、私も楽しめそう……」 「舜は動いちゃだめだからね……これは、おしおきなんだから……んっ、は、はぁぁぁ」 ゆっくりと、沙羅のお尻が上下に揺れ動き始める。 その度にペニスのすみずみまでを膣ひだに締め上げられ、思わず深い息が漏れる。 「はぁぁ……んんっ……ど、どう、舜……ん、はぁぁ」 「今度……は、ふわぁぁ……少しは、長持ちしそう……?」 「なんとか……」 「良かった……今度こそ、私が満足するまで、我慢すること。んっ、は、はぁぁ、はぁ……」 喋りつつも、沙羅は一定のペースで腰を動かし続ける。 その焦らすような動きに反応しそうになるが、待ての指示を出されている手前、ぐっと我慢する。 「ん……はぁぁ、こうやって自分で動くのも、いいもの……ね」 「どうしたら気持ち良いか……はぁっ、自分が一番よく、分かってる……から、あ、あぁぁ」 「舜も、んんっ、覚えておいて……私の、弱いところ……は、はぁぁ、あ、んんっ!」 不意に亀頭が膣ひだを強く擦った瞬間、沙羅の身体がブルッと大きく震える。 どうやらこの、他と少し感触が違うところが、沙羅の弱点らしい。 「んはぁぁ、はぁぁ、い、今の……すごかった……はぁぁ」 「も、もっとぉ、もっと、ここに、欲しい……! んんっ、んっ、んんっ!」 沙羅は自分のGスポットを再度刺激しようと、丹念に位置を調整しながら腰を動かす。 その予測不可能な動きに、一度は収まったはずの射精感が、またムクムクと湧き上がってきてしまう。 「あああ……あ、あんっ! こ、これ、すごい……」 「さっきから、気持ちいいところ、当たって……んんっ、は、はぁぁ、んんっ、ん……」 「んんっ……これ、良過ぎて、は、はぁんっ! 私、おかしくなっちゃう……!」 「腰の動き……んんっ! 止まらなくて……は、はぁぁ、あ、ああ!」 沙羅は僕の上で、まるで踊り子のように腰を振り続ける。 上下だけでなく、上下左右、さらにひねりまで加えつつ、優しく激しく、モノをしごき続ける。 「その動きは、やばい……」 「んんっ! も、もうちょっと我慢して、は、はぁぁ、あ、ああんっ!」 「わ、私も……んんっ、もうちょっとで、いけそう、だから……はぁ、はぁぁっ」 その言葉通り、膣内のざわめきは大きくなり、全身には玉のような汗が浮かび上がる。 2人の結合部からは愛液が滴り落ち、彼女が腰を上げると、濡れそぼった肉幹が顔を覗かせる。 「ふわぁっ!? ま、また舜の、大きくなって……んんっ!」 「こんなに大きいおちんちん、出し入れしたら、わ、私……私っ!」 膣ひだの痙攣は収まることなく、下半身に滴る愛液の量は増すばかりだ。 形のいいお尻が打ち付けられ続け、パンパンと乾いた肉の音が部屋中に響き渡る。 「はぁぁっ! んんっ! う、んんっ、あ、ああっ!」 「い、いいからっ……! そのまま、膣{な}内{か}でいいからっ!」 「舜の精液、んんっ、全部、全部、ちょうだいっ!」 沙羅の動きは激しさとスピードを増し、ぐじゅぐじゅという音が漏れ聞こえる。 五感の全てが沙羅でいっぱいになり、最後の瞬間がすぐそこまできている。 「イくよ……」 「ああっ、んんっ! 来て! 精液いっぱい、膣{な}内{か}に注いで! ふわぁぁ、あああっ!」 「出して、出してっ! ふわぁぁ、あああ、んんっ、ふ、うぅぅぅぅんんんっ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 我慢が決壊した瞬間、全身の力が一気に抜けていく。 ドクドクと脈打つ感覚。そして、沙羅との境目がどんどんと溶けていく感覚。 「んんんっ……この感覚、好き……はぁぁ、あ、あぁぁ……」 「ま、まだ、出てる……全部、んんっ、搾り取って、あげる……」 その言葉通り、再び媚肉は締まり、射精を続けるモノをさわさわと刺激する。 さらに吐精が誘発され、沙羅の中は白濁液で満たされていく。 「はあっ……もう、おしまいなの?」 「たぶん……」 頭はクラクラするし、全身に力が入らない。 「あ……おちんちん、柔らかくなってきた」 「……ねえ、舜。ちょっと、見て欲しいものがあるんだけど……」 そう言って、沙羅は身を起こす。 「おまんこ、見えてる……?」 「ちょっと、沙羅……!?」 「いいから、見て。私のおまんこ、よく見てて……」 僕の頭上で仁王立ちになった沙羅を、下から見上げる。 秘部からはさっき吐き出した白濁液が零れ落ちてきていて、壮観だった。 「どう? 興奮する?」 「すごく……」 「さっきまでここに、舜のおちんちん、入ってたのよ」 「いっぱい中出しされて、収まり切らなくて溢れた精液が、垂れてきちゃってる……」 普段はこの割れ目もぴちっと閉じているのだろう。 でも、先ほどの激しい性行為の影響で、膣の中が少し見える気がする。 「あぁ……すごい、舜におまんこ見られてる……」 「身体が、火照ってきちゃった……」 「発情して、また子宮が疼いてきたみたい……」 「おまんこが濡れてきたのが、よく分かる……はぁぁっ……」 沙羅は頬を朱く染め、高揚した様子でこちらをじっと見つめている。 元から体液が付着していた大陰唇、またその内側から、とろりと愛液が染み出てきた。 「あっ……すごい……んんっ、精液が、溢れてきてる……んんっ」 「おまんこの中で……はぁぁ、生きてるみたいに、蠢いてて……はぁっ……」 沙羅の眉間に皺が寄って、身体に力が入る。 「んっ、はぁぁ……」 両手の指で広げられ、ぱっくりと秘部が丸見えになる。 膣口から、ゴポゴポと音を立てて、泡立った精液が零れ落ちてくる。 「ふふっ、すごい量ね……はぁぁ、まだ出てくる……んっ」 白くて透明な糸を引きながら、下に下にと垂れてくる。 下から見上げた景色は、ある意味、おぞましい光景だった。 「はぁ、すごい……んんっ、こんなに中出しされてたなんて……」 「私を、妊娠させるつもりなの?」 中に出している以上、そのリスクを孕んでいるのは当然のことだ。 だけどそれは、現実的に沙羅と子作りをしたいというより、本能的に種付けしてしまうのが、感情としては正しい。 「まあ、冗談はさておき……」 「あなた、さっきからずっと、おちんちんをピクピクさせてるみたいだけど……」 「まだ、出したりなかったの……?」 沙羅のからかうような口調を聞いて、理性はどこかへ吹っ飛んでしまった。 僕は勢いよく立ち上がって、そのまま沙羅を乱暴に押し倒した。 「あ……ああぁぁぁっ!?」 一気に奥まで貫くと、沙羅は悲鳴にも似た嬌声を上げる。 「もう……いきなり盛っちゃって……」 「舜の性欲は……底無しなの?」 沙羅を組み敷いて突き入れた蜜壺は、再度の侵入を優しく迎え入れる。 むしろ、待っていましたとばかりに絡みついて、挿入しているだけで気持ち良い。 「はあっ、はああっ……! 奥まで、おちんちんが来てて……あああっ」 「一番奥に、当たるの……はあっ……気持ちいい……」 さっきはほとんど動くことを許されなかったから、今度は目一杯腰を振って責め立てたい。 嫌がられても制止されても、全てを無視して、ただただ自分の欲望を吐き出すためだけにセックスしたい。 そんな、獣のような欲情が、身体中から湧き上がってくる。 「そのまま、動いて……舜……」 「ゆっくり、突いて欲しいの……膣{な}内{か}で、イキたい……」 沙羅の膣内はドロドロになっており、少し腰を揺すると、媚肉がペニスにしっかりと吸い付いてくる。 「んんっ! さっきので、興奮して……はあっ、気持ちいい……」 「は、はぁぁ、んんっ……舜がご無沙汰だったように、私だって、久しぶりなんだから……」 「来て……舜、私の膣{な}内{か}を、全部、あなたで満たして……んんっ!」 「はぁぁ、ああああっ! んんっ、ううっ、あ、あんっ!」 僕は体重をかけつつ、沙羅の中を蹂躙する。 一突きするごとに膣口から愛液と精液が溢れ出し、それが潤滑油となって、よりスムーズに動き続けられる。 「んんっ! ふ、深い……んはぁぁ、お、奥、当たって……は、はぁぁ、あああんっ!」 「んんっ、し、子宮、当たってるっ、は、はぁぁ、コツコツって、先端が……んっ!」 「はぁぁ、あああっ! そ、そこ、きもちいい……も、もっと、もっと突いてっ!」 沙羅に求められるがままに、バシンバシンと音がするぐらい強く腰を押しつける。 そのたびにコツコツと亀頭に何かがぶつかる感触がして、しなやかな身体がビクビクと跳ねる。 「あ、はぁぁ……すごく、う、んんん、荒々しい……はぁぁ、はあ」 「う、うんっ、はぁぁぁ、あああっ、好き、好きなのっ、は、あ、ああっ!」 「舜に……んんっ! あ、荒々しく突かれるの、んんっ! す、好きぃ! は、はぁぁ」 僕はさっきまで責められ続けた仕返しにと、沙羅の中を無茶苦茶に犯し続ける。 その度に沙羅の身体は大きく揺さぶられ、呼吸もどんどんと浅くなっていく。 「はっ、はっ、はぁっ! しゅ、舜っ、んんっ、わ、私、も、もぅっ!」 「あ、頭、んんっ、真っ白に……う、ううんっ!」 「ぼ、僕も……」 ペースなんて考えず、無茶苦茶に突き入れていたせいで、いつもよりも早く限界が訪れてしまう。 亀頭はぱんぱんに腫れ上がり、硬くなった幹は、より奥で射精をしようと準備を整える。 「はぁぁ、いやぁぁんっ! お、奥に、きてっ、一番奥で、射精、してっ!」 「全部、出すよ……」 「は、はやく、早く出してっ! はぁぁ、も、もう、限界っ!」 「ふ、んはぁぁ、ああ、ふわぁぁぁっ! あ、あ、ああっ、イッちゃう……!」 「イッ、くぅぅぅぅぅぅぅうううっっ!」 今までで一番強い締め付けに導かれ、そのままで最奥で全てを解き放つ。 出来る限り精液が漏れ出さないように、ピッタリと腰を押しつけたまま、沙羅の膣内を堪能し続ける。 「はぁ……精液、注ぎ込まれてる……んんっ、子宮に、直接……はぁぁ……」 「んんっ……こ、こんなの、絶対に……妊娠しちゃう……」 うっとりとした沙羅の呟きを聞いている間に、永遠とも思えた射精が収まった。 「はぁぁ……はぁぁっ……いっぱい、出たの……」 「舜も、これで……満足、した……?」 ペニスで大きく広げられた結合部からは、止めどなく精液が溢れ出ている。 沙羅を犯した喜びで胸がいっぱいになった一方で、すぐに射精してしまった物足りなさで、再び下半身が疼いてくる。 「生で中出しても、妊娠しない方法があるんだけど……」 「え……?」 僕は興味本意で、膣からペニスを抜き出し、そしてそのまま勢いでアナルに挿入した。 「やあああぁぁぁぁっ!?」 「舜、何考えて……あ、はあ、あっ、あっ、あああっ!?」 沙羅は意思の薄い虚ろな目で、こちらを見つめている。 「あ、あ、あ……ああ、う……あっ……」 前振りもなくお尻の穴を広げられた衝撃で、沙羅は失神し掛けている。 「はう、あああ……」 強張っていた両足の力が抜けていき、縫い針の穴かと思うほどに小さくすぼんでいた肛門も、少しだけ緩められる。 気を失いかけている沙羅をよそに、再び抽送を開始する。 「あ、ふあ、あ……んんっ、う、あああっ、ううんんっ……」 「は、はっ、や、やぁ、んん……あう、あ、ああっ……」 沙羅の肛門は、膣口よりも狭く細く、痛いくらいにペニスを締め上げてくる。 無理やり犯しているという背徳感と、生殖とは無関係の穴を蹂躙していることに、悦びを覚える。 自分にもこんな感情があったのだと、驚く。 「はあっ、はああ……」 熱にうなされたように、沙羅がうわごとを呟く。 視点は定まらずに宙を彷徨い続け、膣口からはドクドクと精液を垂れ流し続けている。 「沙羅……」 「んん、う、はあ……舜……ああ……舜、どこ……?」 「わ、私……もう……はぁっ、分からないの……」 かろうじて言葉を発するようになった沙羅を、自分の身体に引き寄せ、ペニスをより奥まで挿し入れる。 「やああんんっ……!?」 「は、はっ……入ってる、のっ……!」 「あっ……」 再び瞳に生気を取り戻した沙羅が、寝ぼけたような声を漏らす。 「んんっ……! あっ、きつい……んん」 「動かしてもいい?」 そう声を掛けてから腰を引いたものの、まともに引き抜くことも出来ないほど、きつく締まっている。 「くっ……」 歯の隙間から声にならない息を漏らしながら、ぎゅっと搾られたペニスをギリギリまで抜き、また奥まで沈めていく。 「あっ……! はあっ、んん、変な感じがして……やあっ、ああっ!」 「ぞわぞわ、してきて……はあっ……そこは、だめ……おかしくなっちゃう……」 沙羅は弱々しい声を吐いて、その場で力なくのたうち回っている。 強い快楽を受け止めるだけの体力はもう無いといったように、だらりとだらしなく秘部を晒している。 「あっ、あ……ゆっくり、ゆっくり……舜のおちんちんが、入ってくる……」 「お尻は、そういうことするところじゃないのに……おちんちんが入ってると、なんだか安心するの……」 「ああああっ……!」 奥にぐっと押し込むと、沙羅は身体を震わせて淫靡な表情を浮かべる。 「感じてなんか、いない……はあっ、あ、うんん…! これは、これはっ……違う、違うの……!」 沙羅は首をぶんぶん振りながら、口の端から漏れ出る嬌声を隠そうとする。 しかし、その堪えるような声色が劣情を誘い、モノはまたむくっと勃ち上がり、ひと回り大きくなる。 「はぁ、はあ、ああっ、あ……おちんちん、ビクビクしてる……」 「射精……しちゃいそうなの……?」 「そんなにきつく締められたら、持たないよ……」 「まさか、肛{な}内{か}で出すつもり……?」 沙羅が予想した通りになるよう、しっかり腰を掴んで抽送する。 膣内とは違うぬめり、締め付け、そして何より、ただ自分の性欲で穢すためだけに挿入した愉悦。 それらが相まって、絶頂はすぐそこまで来ていた。 「ひゃうう、うんん……あう、う……あっ……!」 「おしりの穴で出したい、だなんて……あなた、変態なの……?」 沙羅はいやいやと腰を引いて逃げようとするが、あまり意味はなく、その場から動くことはない。 未知の快感を全身で感じ、初めての経験に昂ぶっているようにさえ見えた。 「あっ、ふああっ、嫌、嫌っ……!」 「舜、もう、抜いて……私、お尻の穴なんかで射精されたら、壊れちゃうかも……」 「駄目だ、このまま出そう……」 「嫌っ! やめて! 出しちゃだめ……! ああっ、んああああっ!?」 自らの足も震え出し、もう射精することしか考えられなくなる。 意識を手放し掛けながら、ラストスパートを駆け上がった。 「ひゃう、や、ああっ、やああぁぁっ、んんんんっ……!」 「だめ……だめ……来ちゃう、何か来ちゃう、ああああぁっ!?」 「はあっ、私も、イク、イク、いっちゃううっ……!」 「ひゃんんんんんんんんっ!」 肛内の奥のほうで、びゅるるっと白濁汁を解き放つ。 沙羅もイッたのか、何度も何度も中で締め付けられ、射精は収まらない。 「あっ、はあっ……ふ、あああ……」 「熱いの……はあぁっ……いっぱい、出てる……」 尽きかけたと感じた時、肛内の蠕動も穏やかになり、緩やかな快感が腰回りに停滞する。 セックスというより、レイプに近い性行為に、沙羅はただずっと息を上げていた。 「はあ……はあっ……」 「前も、後ろも……舜の、精液でいっぱい、いっぱい……穢されちゃった……」 「お尻でするの、こんなに気持ち良かったなんて……知らなかった……」 「ああ……」 ずるりとモノを引き抜くと、とめどなく精液が零れ落ちてくる。 軽く下腹部に力を入れても、ペニスに硬さは戻らない。 どうやら正真正銘、出し尽くしたみたいだ。 「舜……?」 射精で最高潮まで昂ぶった肉体から、休息に熱が奪われていくのを感じる。 このまま死んじゃうんじゃないかとも思ったけど、これは単に、身体が休息を求めている証拠だと思う。 「寝ちゃうの……?」 沙羅の優しい声が、意識の遠くで聞こえる。 「……おやすみ」 その言葉を最後に、醜態を晒したまま、ぱたんと横に倒れて、意識を手放した――。 「沙羅っ!」 ずっと、沙羅を探していた。 家に行ってみても居ない。 学校にも来る気配がないし、海のほうにも居ない。 最後の望みである“鳥かご”で、ようやく彼女の影を見つけた。 「……」 鳥かごの中に閉じこもって、元気がないように見えた。 ルビィが沙羅を認識しなくなってから、沙羅は家に引きこもることが多くなった。 だから、こうして外で見掛けるのは、とても珍しいことだ。 「舜くん、なんで……」 悲しそうに見えたけど、その声ははっきりとしていた。 「今日も、迎えに来たよ」 「こんなところまで……?」 「家に居なかったからさ。外に出るなんて、よっぽどの用事なんだろうと思って」 「これで、何度目だか分かる? 舜くんが訪ねてきたの」 「ああ、さすがにそれは数えてないな」 「29回目」 「そんなに来てたか……」 「私が人間に対して絶望したのも、29回目ってこと」 沙羅はロボットのように、スラスラと事実を述べていった。 「人間はすぐに裏切る。感情的に物事を判断するし、間違った行動もする」 「本当に変」 「確かに、沙羅の言う通りかもしれない。学校に行きたくないって言ってるのに、何度も押し掛けて……」 「迷惑だって思ってるよね」 「分かっててそうしているの……?」 「うん」 「そんな……」 「あなたに、無駄な時間を過ごさせたくはないの」 「私は、そんなこと望んでない」 「でも、僕や白音と遊んでくれているよね?」 「それも無駄だって思ってるなら、もう来ないようにする」 「違う……」 「2人のことが嫌いなわけじゃない。勉強が嫌いで、学校に行かないわけじゃないの」 「ただ……私には、居場所が無いだけ」 「どの場所にも、私は居ない」 「私は多分、必要とされてないから、1人ぼっちなんだと思う……」 「そんなことないよ」 「少なくとも、僕には必要だよ」 「どうして……?」 「ルビィも居ないし、家族も居ない。舜くんは……ただの友達でしょ?」 「僕は家族じゃないけど、でも、沙羅と一緒に居るよ」 「私は他人なのに?」 「友達だからね」 友達以上の感情を持っているからでもあるけど、それは秘密にしておく。 「じゃあ、約束するよ」 「絶対、沙羅を1人にしない」 「絶対なんてない……」 「絶対は絶対だよ」 「まあ、僕はルビィみたいなアンドロイドじゃないけど……」 「約束は守るよ」 「そんなことをしても、舜くんは何も得しないのに」 「約束は大切だよ」 「僕は、母さんといつでも白音を助けるって約束したんだ」 「白音は妹だからね。沙羅は兄妹が居ないから分からないかもしれないけど、兄にとって、妹は大切な存在なんだ」 「自分より弱くて、大切だから、助ける」 「そういうのって、損とか得とかで考えることじゃないと思う」 「……人間って、本当に不可解ね」 「あ、そうだ」 「沙羅が困った時も助けに行くよ」 「私を……?」 「そう」 「私が困ることなんて、あるわけない」 「それに、私を助けても、舜くんに見返りは何もないのよ?」 「見返りが欲しいとかじゃない。友達だから助けるって、それだけのことだよ」 「たとえ、助けることが損だったとしても行くよ」 「これも約束」 「……」 「……」 「……」 沙羅は沈黙して、何かを考えているようだった。 「……分かった」 「あなたが、そう言うなら……」 「……」 「……」 「……」 「舜くん?」 「私を、助けて」 「これ以上、1人では生きられないから……」 カレー事件から一夜明けて。 トイレに駆け込みたくなる衝動も収まり、ひとつ安堵のため息を吐く。 夢の中で、小さい頃の沙羅と会っていた。 思い返してみれば、昨日の沙羅は、昔とは違う気がする。 もちろん、同じところも多いし、根本的には変わっていないけど。 あの時の沙羅は、僕の言葉を半分信じていなかったと思う。 だけど、僕が手を差し出したら、自分の手を重ねてくれた。 何かを信じてくれたのかもしれないけど、結局、沙羅に気持ちが伝わったのかは、いまだに分からない。 今度、時間があったら話してみよう。 鳥かごで交わした、約束を。 その後もひたすら実験は続いていった。 進捗はあるようだが、やはりデータを元にシミュレーションする時間が長く、こればかりは時が解決してくれるのを待つしかなさそうだった。 『理論的には間違っていない』 ただ、体調は……。 いいわけではなかった。 実際、調子が悪く、スキャンが出来ない日もあった。 いつまで続くのだろうか? いや、弱音を吐いている場合では無い。 約束したから……。 でも、限界は近い気がしていた。 そんな、悶々とした気持ちを抱えていた時―― 沙羅から、“今日は必ず研究室に来るように”とのメールが来ていた。 学校から帰ってすぐに沙羅の研究室へ来たわけだけど、眠気で話が頭に入ってこない。 「それで――」 「……って、ずいぶんと眠そうね」 「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」 最近、まるで頭を殴られたように、急に眠くなることが増えた。 さすがに、歩いてる時や身体を動かしている時は平気だけど。 「最近、眠れてないの? まさか、脳スキャンの後遺症?」 「いや、そんなことはないよ。きっと、季節の変わり目だからだよ」 「そう。でも、ちゃんと目を覚まして」 「すごく、すごく大切な用事だから」 「最終試験中だけど、これで上手くいけば、完成する」 「世界を変える、真トリノが」 「そうか……ついに……」 思わず、胸が熱くなる。 「長かったけど、苦しかったけど……」 「やっと、やっと……」 「沙羅……」 必死にこらえているようだけど、その気持ちの高ぶりは隠しようがない。 手は少し震え、目も心なしか潤んでいるような気がする。 「……ダメね、私。まだ実験は終わってないのに」 「仕方ないよ。だって、ずっとこの日のために頑張ってきたんだから」 「そうね……」 「でも、まだ気を引き締めないと。実験の最終段階の真っ最中だから」 「と言っても、計算するのはコンピュータで、私じゃないんだけど」 そう言って、沙羅はくすりと笑った。 「舜の脳スキャンの記憶データをインストールしたAIに、判断の揺らぎを与えるルーチンを組み込んだ新しい思考エンジンで実験しているの」 「さまざまなシチュエーションを仮想的に与えて、それぞれに対し的確な答えが出せるか……」 「そして、答えが出なかった時、どう対応するのか?」 「三原則という枷を用意しなくても、暴走せず、問題に対処出来るのか……」 「もう少しでその答えが出るわ」 「そうなんだ」 「幸い、ここまでエラーで止まることなく進んできている」 「実験は順調……」 「99.997%」 「真トリノが出来たら、まずはルビィにインストールして」 「そうしたら、きっと彼は目覚めると思う」 「本当はシロネにもインストールしたいけど、彼女は今、私には弄れないから……」 「ゆっくりでいいよ。時間はまだある」 「そうね。プロジェクトも外されたから、誰かに急かされたり焦らされることもないし」 「そういう意味じゃ、外されて結果オーライだったかもしれない」 皮肉ではないことを示すように、彼女は優しく微笑む。 「完成したら、お祝いしようか。ケーキでも買ってきてさ」 「ルビィが起動したら、彼にも給仕を手伝って貰えばいいし」 「気が早いわ、舜」 「ああ、そうだね」 「99.998%」 「……実験が終わって完成しちゃったら、こうして舜にここに来て貰うことも、減ってしまうのかな」 「そうか……」 「でも、遊びに来るぐらいは、いいよね?」 「遊び道具なんて何も無いでしょ? 来ても退屈なだけ」 「そんなことはないよ。だって、沙羅が居るじゃないか」 「沙羅が居れば、それだけで十分さ」 「ふふっ。自分で言ってて恥ずかしくないの?」 「全然。だって、本心だから」 「もう……」 「99.999%」 あと少しだ。 「羽根のおまじない――」 「舜が教えてくれたんだよね」 はっとして手元を見る。 「前に進む勇気が欲しい時、手に羽根を描けばいいって」 「そうすれば、風に乗れるようになるから」 「なんとなく、覚えてるけど……」 「改めて言われると、恥ずかしいな」 「私が、不登校になって、家に引き籠もっていた頃」 「舜はしつこいくらい家に通って、私を説得しようとした」 「ああいうバイタリティって、どこから湧いてくるの?」 幼い頃のことで、思い出そうとしても、霞んでしまう。 「小さい頃は、いろんなものを信じてた」 「だから、自分の思い通りになんでもいくはずだって、疑わなかったんじゃないかな」 「一途な少年だったのね」 コックリさんとか、そういう迷信めいたことを、子どもは好むものだと思う。 「なんで鳥の羽根だったんだろう……」 「うーん……」 「Complete...No Error.」 「沙羅!」 「あっ……!」 「出来た……!」 あまりにもあっけないゴールだった。 だが、点滅するカーソルを見ると、長い時間を掛けたプログラムが走りぬいたことが分かる。 徐々に気持ちが高まってきた。 歓喜がゆっくりと湧いてくる。 そして――。 「おめでとう、沙羅!」 「これで、完成したのね……」 「ああもう、この喜びをどうやって表現したらいいか、分からない……」 「どうしよう……私、どうしたらいいと思う?」 「じっとしてられないの。このまま、空を飛べそうな気分で……!」 沙羅はまるで、我慢のきかない子どもみたいに、手足をジタバタさせて喜びを表現する。 その振る舞いが妙に子どもっぽくて、父親みたいな暖かい気持ちになる。 「でも、こうしちゃいられない。早くルビィに、インストールしなくちゃ」 「ああ……本当に夢みたい。なんだか、ふわふわして落ち着かない」 本当に、沙羅は嬉しそうだ。 ああ、良かった。本当に。 僕も、頑張った甲斐が……あった、な……。 「これでよし……」 「ねえ、舜」 「……」 「舜?」 「舜!?」 「ちょっと、しっかりして! 舜!」 沙羅……。 そんな顔、しないで欲しい……。 僕は、君の笑顔が好きなんだ……。 そう、言いたいのに。 僕の口は、全く動かなかった。 「……」 夢を見ていた気がする。 いや、夢ではなかったのかもしれない。 夜空に、二羽の鳥が飛んでいる―― それを、鳥かご庭園で沙羅と眺めていた。 幼い沙羅と、幼い自分が。 ……やっぱり、夢だったのか? 「ここは……」 この天井に、見覚えはない。 だけど、さっきまでここに居たような気もする。 なんだか、記憶に隙間があるような――そんな不確かな不安感が、胸に募る。 「目が覚めた?」 「……沙羅」 「……意識は、戻っているみたいね」 沙羅の表情が少しだけ柔らかくなる。 「研究室で突然倒れたから、慌てて病院に運び込んだの」 「丸一日経ってから目覚めて、百南美先生の説明を受けて……それからまた、眠ってしまって」 「でも、今日は顔色がだいぶ良くなってる」 天井にデジャヴを感じたのは、そういうことだったのか。 「心配掛けて、ごめん」 「すごく……すごく心配したの」 「でも、良かった……」 「……」 それから沙羅は、百南美先生の診断結果を再度説明してくれた。 倒れた原因は、脳をスキャンし過ぎたことにあるが、疲れが重なっていたり、精神的な問題もあるので、どれと特定出来るものでもないし、その全てかもしれない。 とにかく、今は安静にして回復を待ったほうがいいとのことらしい。 「用心に用心を重ねて慎重を期してはいたものの、想像以上にスキャンの影響が深刻だったんだと思う」 「こうなってしまうかもしれない、とは心の片隅で思っていた。でも、自分を止められなかった」 「全部、私のせい――」 「それは違うよ」 僕は力を込めて、はっきりと、沙羅の言葉を否定する。 「でも、実験をしたのは私で――」 「それを受け入れたのは、僕だ」 「僕にも沙羅の背負っているものを肩代わりさせてくれって」 「だから、沙羅1人で抱え込むのはもう無しだ」 「うん……分かった」 沙羅が、少し表情を崩す。 ちゃんと気持ちが伝わったみたいだった。 「……今の舜、ちょっとお兄さんっぽかった」 「私には兄妹がいないから、あくまで想像だけど」 「まあ、実際僕は白音の兄だしね」 「そういえばそうだった」 沙羅の穏やかな表情を見て、僕の心も凪いできた。 「そろそろ、馨さんを呼んでくる」 「ああ」 僕がこんな状況になって、きっと母さんは沙羅のことを責めるだろう。 2人が口論になってしまわないか、心配だった。 「舜……」 久しぶりに会う母さんは、最後に顔を合わせた時よりも、一回り小さくなったように感じた。 「良かった、目覚めたのね……」 「舜まで居なくなったらと思うと、私……」 「心配掛けてごめん。でも、僕は大丈夫だから」 「ええ、そうみたいね……。良かった……」 昨日はずっと泣いていたのかもしれない。 母さんの声は、心なしか掠{かす}れているように感じた。 「どうしてこんなことになったの……」 「どうして、舜まで、私から奪おうとするの……」 「母さん……?」 「……そう、考えた時もあった」 母さんが突然感情的に話し出すから、慌てて制止してしまう。 「ううん。今はもう大丈夫。あなたたちのこと、知っているから」 「知っているって?」 「舜と紬木さん、付き合っているんでしょ?」 「えっ!? なんでそれを……」 「紬木さんから聞いてたから」 交際の件を、母さんはさらっと口にする。 シロネの一件があったから、母さんを刺激しないように、気にしていたんだけど。 「舜が死んじゃうんじゃないか、そしたら私は、紬木さんを憎むんじゃないかって、怖かった」 「だけど、本当は嬉しいのよ。私が好きになった人も、研究の道の人だったし」 「父さんか」 「白音ちゃんが亡くなった時のこと、思い出すわ……」 白音が亡くなった原因は、溺死だと聞かされている。 だけど、シロネには、最後の日の花火の記憶まで残っていた。 つまり、僕が海辺で白音を見失ってから、死体となった白音に再会するまでの短い間に、白音は脳スキャンを受けたことになる。 そんなこと、普通じゃ考えられないけど―― 研究者の家族が、実験体にされることについて、母さんの中で、僕以上に葛藤があったんだと思う。 「……ううん。私が迷ったり、悩んだりすることじゃないわね」 「舜の人生は、舜が決めていいんだもの」 「そうするべきだわ」 よく出来た息子でもないけど、母さんを1人にし続けることは、もうしたくないと思った。 「……あなたに、これを持ってきたの」 そう言いつつ、母さんは古びた手帳を取り出した。 「急に舜が倒れるようなことがあれば、この手帳を舜に渡してくれって」 「父さんが……?」 「ええ。専門的なことは、紬木さんじゃないと分からないかも」 「たぶん、舜が子どもの頃にしていた実験のこととか、書かれているんじゃないかな……」 「母さん、知ってたの?」 「詳しくは知らないわ。白音ちゃんの視力を取り戻すために必要な実験だとは、聞いていたけど」 「私、こうなる日がくるんじゃないかって、頭のどこかで分かっていたのに、舜をこんな目に遭わせてしまって……」 「いいんだよ。きっと、いつだろうと僕は、その実験に協力していたと思う」 「だって、白音は大切な家族で、僕の妹なんだから」 「……ありがとう、舜」 「……少し、喋り過ぎてしまったわね。私は、そろそろ戻るわ」 「後は、紬木さんに、お願いするから……」 母さんが病室を出ていき、それからしばらくして、沙羅が戻ってきた。 「馨さん、何か言ってた?」 「後は沙羅に任せるってさ」 「それだけ? 怒っていなかった?」 「2度目だし、母さんも覚悟してるみたいだった。白音の時のことを、思い出したって言ってた」 「そう……。それは、意外だった」 もっと非難されると思っていたんだろう。 気を遣わせたと感じているのか、沙羅は申し訳なさそうな顔をする。 「それは?」 「ああ……母さんが持ってきてくれた。父さんの手記みたいなもの……らしい」 「七波博士の手記……!?」 沙羅は病院であることも忘れて、驚きの声を上げる。 「私も、読んでいいの……?」 「もちろん。そのために、ここへ持ってきてくれたんだろうし」 「そう……」 「読んで、いいのかな……」 沙羅が迷っているのは、自分の予想したことが当たってしまうのではないかという不安があるからだろう。 「僕も、読むのは初めてだ」 「一緒に、読もう」 少し大きめに息を吸って、そのまま手帳に目を落とした。 「私は常々、人間は不完全な存在だと感じていた」 「人間には欲がある。それは良いようにも作用するし、悪いようにも作用する」 「そうした欲のおかげで、人間は進化し、技術を発展させ、繁栄してきた」 「しかしその一方で、地位や名誉に固執し、理性的な判断を下せないことも多い」 「私と香取は考えた。どうすれば、人間はより完全な生き物になれるのかと……」 「香取って?」 「RRCの所長のこと。彼と七波博士は、同じ学校の同期で、古い友人だったはず」 「なるほど」 「……そうして辿り着いた結論が、人間のパートナーとなるアンドロイドを創り出し、共存し、進化・発展することだった」 「人間と人間の関係をより実りのあるものにする、3人目の存在――我々の進める“トリノ計画”」 「人間を第三者の目から見つめることによって、調和をもたらすことが出来ると考えたのだ」 「そこに至るまで、何人もの人間を犠牲にしてしまったかもしれない」 「脳へのスキャンは、過剰に負荷を掛ける」 「過剰な負荷により、オーバーヒートを起こし」 「壊れて沈黙する」 「実験と称して、寝たきりの人間を幾人も生み出してしまった事実は、許されない所業だ」 「それもこれも、人類発展のためと考えれば、仕方がないと割り切ってきた」 「そしてついに我々は、脳を安全にスキャンする手法を得るに至った。犠牲者の山を築き上げて」 「だが、データは採れるようになったものの、その先、何度実験を繰り返しても、結局は上手くいかなかった。理由を突き詰めると、原因は人間そのものにあることが分かってきた」 「トリノのベースを作るというのは、すなわち人間の一生をトレースしていくことなのだ」 「つまり、成熟し、基盤が完成された大人をベースにしたところで、研究成果は得られない。まだ未成熟で基盤を作っている最中である成長中の子供からのデータを蓄積していくのが、最適だった」 「そこで私は、人類のパートナーを作るという大いなる目的のために、幼い舜や白音の脳をスキャニングの実験台にしてしまった……」 その野望を叶える最中に新しく生まれた白音が、弱視であることが判明した。 医学的な方法を取ることも出来たが、あえて実験に利用したのだろうということは、沙羅から以前聞いたことだ。 「スキャンデータを、白音の代用として用意した素体に移し換えること……」 「文字にすると、それがいかに非人道的であるかがよく分かる。しかし、当時の私には、それしか道は無かった」 「素体作りも、そしてスキャンも、終盤に差し掛かった頃――」 「白音が死んだ」 「私は打ちひしがれた。こんなことなら研究にばかり没頭せずに」 「子どもたちや妻との思い出を作り、いろいろな世界を見せてあげたほうが良かったんじゃないか」 「そんな、どうしようもない後悔が、私の胸を覆い尽くしていた」 「しかし、そんな私の思いとは関係なく、研究は進めなくてはならない」 「シロネは、あくまでトリノ計画の序章だ。白音という、いち個人のアンドロイドを作るのではなく、シロネという人類のパートナーたるアンドロイドを作るための研究の第一歩だからだ」 「だが、研究は難航していた。単に自らを隷属させるのではない、自律型のアンドロイド。これがいかに難しい課題かは、研究を進めるまで分かっていなかった」 「研究が行き詰まり、一度は中止まで検討されていた頃――」 「紬木沙羅が、トリノ計画に参加することが決まった」 「私をスキャンしたデータを元にして作った、子守ロボ“ルビィ”によって育てられた子だ」 「ルビィは古いタイプのアンドロイドだ。目的を持ち、その目的に対し忠実に動作する。人間と共存するものではなく、従属する、単なる補佐役でしかない」 「このタイプで満足していたならば、悲劇は起きなかったのかもしれない。だが、科学の進歩はそれを許さないのだ」 「……」 そこからしばらく、いかに沙羅が天才で、あまりに危険な存在であるか、父さんの言葉で書かれていた。 沙羅は言葉に出さず、黙読していた。 「彼女はその非凡な才能を遺憾なく発揮し、さまざまな発明を生み出し、そのパラダイムシフトは、留まるところを知らない」 「そんなある時、私は気づいた」 「“自立・調和・連続”――この3つは、私が考えた、人間のパートナーに足るアンドロイドとしての条件だ」 「自立。自己の意思を持って行動し、自分の答えを持つことが出来る」 「調和。社会性を持ち、他の人間との関わりを持つことが出来る」 「連続。自らを書き換え続け、思考を連続化すること、そして、それを別の個へと繋げることが出来る」 「これで、アンドロイドが従属する道具から、人類のパートナーへと生まれ変わる」 「アンドロイド三原則に代わる、この新たな3つの条件の先には、人間に豊かさをもたらす理想郷が待っている」 「そしてそれを提唱したのは、他でもない私であるが……」 「人間がその理想を理解し共存出来るようになるよりも早く……」 「彼女は、トリノを完成させてしまうと確信した」 「それほどまでに、彼女は天才だったのだ」 「そして、トリノが完成した先の世界は、人間に闇をもたらす可能性をはらんでいる」 「アンドロイドは死なないのだ」 「人間の唯一の欠点である老化という概念が無い、人間と同等な存在」 「それがトリノ」 「トリノによって、結果的に人間自体が不要なものとなってしまい、最終的に排除の対象となってしまうのだ」 「人間を豊かにするつもりが、人間を滅ぼす可能性を帯びてしまうとは、なんたる皮肉だろう」 「私は、研究を中止するよう、香取に掛け合った」 「だが、それは不可能だということも同時に分かっていた」 「社会というものがある以上、研究者の知的欲求だけで止まるものではないのだ」 「私は、私の生み出した理論と、私の教え子で、世界を滅ぼしてしまうかもしれない」 「残念なことだが、ひとたび走り出した列車はもう止められない」 「私は、ここから立ち去ることしか出来ない」 「それでも――未来はまだ決していないと、信じたい……」 「……やっぱりね」 「短期間に何度もスキャンを行うと、人体になんらかの影響が出る――」 「七波博士はそれに気づいて、でも、黙っていたのね」 「その香取所長という人に、口止めされていたということかな」 「七波博士としては、自分の子どもを死に追いやるようなこと、したくないでしょうしね」 父さんなりの葛藤があったことは、手記に記された手書きの独白から痛いほど伝わってきた。 「それにしても……」 「今の状況を、言い当て過ぎている気がする」 「本当に、父さんが当時残したものなのかな?」 「私の知識と照らし合わせても大きな矛盾は見当たらないから、きっとそうね」 「結局、七波博士が考えていたトリノこそが、私が辿り着いた真トリノだったわけ。つまり、シロネは単なる今までのアンドロイドの延長でしかなかった」 「それもそのはず。もし、七波博士の予言する世界が到来するなら、人間がアンドロイドに支配されるということになる」 「それってまさか、SF映画みたいに、アンドロイドが徒党を組んで人類と戦争する……なんてことが、起きるってこと?」 「根本を考えてみて。真トリノは、人間に近い思考をするの」 「今の人類全体が、アンドロイドのことを嫌っていると思う?」 「いや、そうは思わないな。少なくとも、僕は好きだし」 「でしょ?」 「つまり、人間に好意を寄せるアンドロイドが多ければ、父さんの危惧したような状況にはならない?」 「楽観論としては、だけどね」 「とはいえ、不完全な存在の人類を、アンドロイドの大多数がずっと容認してくれる保証なんて、どこにも無い」 「アンドロイドが人間みたいに考えるってことは、各個人に対しての相性もあるだろうし」 「そんな人間っぽい反応を機械相手にされたら、逆に人間のほうが、アンドロイドに拒否反応を示しそうだ」 「そういうこともありそうね。昔から、アンドロイドは人間を写す鏡だって言葉もあるし……」 アンドロイド自身は、良いことしかしない。 ただ、心に余裕のない人間には、それが癪に障ってしまうこともある。 それこそ、人間らしい反応であるとも言えるけど。 「これからのことだけど……」 「沙羅は、真トリノをどうしたい?」 「このまま開発を進める? それとも……」 「正直、迷ってる。真トリノを作るために、私は今まで努力してきたから」 「もう完成は間近。というより、後は最後のツメを私自身がやればおしまいというところまで来てる」 「夢が叶うのも、もうすぐってことになる」 「今まで、私のことをちゃんと理解してくれるのは、アンドロイドだけだと思ってたし」 「でも……今の私には、舜がいるから」 「だから、もう少し人間に希望を持ってもいいのかな……とは思ってるの」 「そうか」 「……ふふっ。そんな大きな話じゃなくて、私は、舜を信じたいだけなのかもしれない」 「こんな私を、愛してくれる舜のことを」 「沙羅……」 「……うん」 「私、決めた」 「真トリノは、消去する」 「ここで開発を止めて、消去するの」 「あれは、人間には過ぎた技術だと思うから」 「そうか……」 「なんて言ったらいいか分からないけど、僕は沙羅の味方だから」 「だから、沙羅は自分の選択に、自信を持って欲しい」 「ありがとう。それだけで、心が軽くなった気がする」 「……じゃあ、舜。最後にお願い」 「真トリノの消去に、立ち会って欲しいの」 「私の決心が、鈍らないように」 「分かった。退院したら、すぐに行こう」 「うん……」 震える手を包むように、自分の手を重ねる。 「沙羅……」 「舜……」 僕らはどちらともなく、優しい口づけを交わした。 「んっ……」 「んん……」 「そろそろ、帰るね……」 「消去の準備、しないといけないから」 「僕も行くよ。一緒にやるって約束だ」 「でも、退院してからって……」 「もう大丈夫。そのために、着替えたんだし」 「……うん」 「七波くん!」 「日比野さん?」 「良かった……。目、覚めて……」 「私、七波くんがもう目覚めないんじゃないかって、心配で……」 「そんな大げさな」 「大げさじゃないよ!」 「人間、いつ死んじゃうか分からないんだよ!?」 「ひ、日比野さん……?」 日比野さんの豹変っぷりに、さすがにうろたえる。 こんなに彼女が声を荒げるのは、初めて聞いたかもしれない。 「あっ……ごめんなさい。私ったら……」 「あ、あの……えっと……」 「何か、あったの?」 「う、うん……」 視線を彷徨わせながら、日比野さんは言いよどむ。 「こんなことを言ったら、絶対に嫌われると思う」 「……でも、言わないで七波くんとお別れしたら、今度こそ、自分を許せなくなる気がして……」 「だから、私……」 「……私は、席を外したほうが良さそうね」 場の空気を読んで、沙羅は病室を出ていこうとする。 「待って。紬木さんにも、聞いて欲しいことなんだ……」 「……そう」 妙な緊張感が、病室を支配する。 「あの……私……」 「……スパイ、してたの……」 「……え?」 「だ、だから、えっと……。紬木さんのことを、監視してたの」 「それに、七波くんのことも……」 「どういうこと?」 「私……」 「所長に、脅されてたの……っ」 「所長から、紬木さんを監視するように言われてて、それでっ……」 「ごめんなさい!」 「言っている意味が、よく分からないけど……」 「どうして、そんなことを?」 「……それは……」 日比野さんが泣いているのも構わず、沙羅はいつも通りの受け答えを要求する。 「……私のお母さん、ずっと意識不明で……」 「えっ……」 「眠ったままで……いつ目覚めるか、分からないんだ……」 「詳しいことは知らないんだけど、脳の機能が、欠けちゃったみたいで……」 「もしも目覚めても、それを補えない限り、会話も出来ないだろうって言われてて……」 「私、本当に、どうしたらいいか、分からなくて……」 日比野さんは両の瞳から涙を零しながら、言葉を続ける。 「そんな時、香取所長から、紬木さんの研究のことを聞いて……」 「復学してRRC以外でも行動するようになった紬木さんを監視して、報告すれば、研究成果を応用して、お母さんのことを助けてくれるって……」 「紬木さんって、人間の脳をアンドロイドで再現する実験をしているんだよね……?」 「まあ……だいたい合ってる」 「それを応用すれば、お母さんは目覚める」 「また、私とお喋り出来るようになるって、言われて……」 「こんな、友達を裏切るようなことして、ごめんなさい……」 「そんなことがあったなんて……」 「うん。とっくに気づいてたけど」 「うん……って、えっ!?」 「気づいてたの……!?」 「RRCに関係ないはずの人間が、急に私の周りをウロウロし始めるなんて、不自然極まりないでしょ?」 「そう思って、入退館のログを調べたら、まるで私を付け回しているように行動してたもの」 「推理と呼ぶのもおこがましい、単なる事実の積み重ねよ」 さっきから沙羅がやけに落ち着いているなと思えば、そういうからくりだったのか。 「気づいてたんだ……」 「はは……やっぱり、紬木さんには敵わないなぁ……」 沙羅のドヤ顔に、思わず苦笑してしまう。 でも、結果として沙羅の推理は当たっていたんだから、たいしたものだ。 「でも、それなら……どうして、気づかない振りをしていたの?」 「日比野さんが、危害を加えてこなかったから」 「だってそうでしょ? もし、私自身をどうにかしたいとか思ってるなら、早々に手を下せばいいだけだもの」 「そうでないとするなら、私を監視して誰かに知らせているわけだから、逆に誰が私を探っているのか見極めて、利用する手立てを考えたほうが有意義でしょ?」 「それに、何か事情があるんだと思ってた」 「わざわざまくし立てて事を荒立てても誰も何も得しないし、そんなところに余計なエネルギーを割くくらいなら、研究を少しでも進めたほうがいいじゃない?」 「紬木さんはやっぱりすごいなぁ」 「それで、所長の言う通り、沙羅の研究で救うことは出来るの?」 「可能性はあると思う。ちゃんと検証しないと、なんとも言えないけど」 「本当に……?」 「……もう、その技術はほぼ完成しているの」 「それならっ――」 「でも、あれは……真トリノは、あまりに危険な技術だから」 「今の人間には、とても使いこなせない」 「だから、私は……真トリノを完成させず、消去することに決めたの」 「えっ? そ、それじゃあ……」 救いを求めていた顔が、一瞬にして白くなる。 たまらず、僕は口を動かす。 「ちょっと待ってよ。そんなのあんまりだ」 「舜だって、消去には同意したでしょ?」 「それにあなたなら、あの危険性はよく分かってるはず」 「でも、あの時とは状況が違う。目の前に困っている人がいるんだよ?」 「舜……」 「……僕は、白音を救えなかった」 「だから、家族を失う悲しみは、よく分かってるつもりだ」 「日比野さんが、悪いことに手を染めてでもお母さんを救いたいと思った気持ちを、僕は責められない」 「友達には、あんな苦しい思いして欲しくない」 「七波くん……」 「だから、お願いだ。沙羅」 「どうか、どうか日比野さんのために、真トリノを残して欲しい」 「この通りだ、頼むっ!」 目を瞑って聞いている沙羅。 「言いたいことはそれだけ?」 「……沙羅?」 「もう一度聞くわ。あなた達が言いたいことは、それだけね?」 「ああ」 沙羅は一呼吸置くと、真剣な眼差しでこちらを見つめる。 「……でも、やっぱり真トリノは消去するわ」 「えっ……」 「沙羅、それじゃあ日比野さんのお母さんは助からないじゃないか!」 「……」 「沙羅っ!」 「舜。あなた、分かっていないみたい」 「え?」 「私は、“今、目の前にある”真トリノを消去する、と言っただけ」 「それは……」 「大丈夫。真トリノは絶対に、誰にも渡さない。そして、私が本当の意味で、完成させてみせる」 「沙羅……」 「だから平気よ。日比野さんのお母さんも、絶対に助けてみせる」 「私に任せて」 「紬木……さん……」 「ごめん、ごめんなさい、紬木さん……今まで、本当に……」 「ううん。でも、少しだけ時間を貰える?」 「うん……ありがとう……」 「……さっきは、取り乱しちゃって、ごめんなさい……」 「気にしないで」 柄にもないことをした自覚はあるのか、沙羅は素っ気ない。 でも、その頬は、少し赤くなっているようにも見えた。 「……そんなことより、彼が私を監視してまで何を知りたかったのかが気になる」 「彼は、真トリノを完成させたかったわけでしょ?」 「だったら、私が研究を続けなければ、それを成し得ないわけだから、私をプロジェクトチームから外すのは愚策のはず。なのに、あえて私が研究をしづらい環境に追いやった」 「確かに、やってることが矛盾してるね」 「何か、裏があるのかも……」 「……私、ちょっと調べてみるね。香取所長とは、話をしやすいし」 「止めたほうがいい。このタイミングでは、あまりにも危険過ぎるもの」 「彼は、目的のためなら手段を選ばないし、邪魔者は排除する。そうやって、地位を築いてきた人よ」 「もし、私に内通していることがバレたら、今までよりもっと、酷い目に遭うかもしれない」 「覚悟の上だよ。紬木さんへの罪滅ぼしもしたいし」 「それに、私……あの所長、大嫌いだから、一泡吹かせてみたいの」 「……ふふっ、そうね。それは私も同感」 所長とは、幼い頃に会ったきりでほとんど面識はないが、話を聞く限り、いかにもな悪人のようだ。 「ひとまず、状況は把握出来た。私が想像していたよりも、事は急を要するみたい」 「なにより、所長に真トリノを奪われるのは一番避けたい。もう今のうちに、処分しておかないと」 「私も手伝っていいかな? 私なら、所長の注意を引き付けておけるし」 「日比野さんは安全なところに居て。もしもの時の、バックアップをお願いしたいの」 「もしも、私が消去に失敗したら、その後のことを、あなたに頼みたいの」 「お願い出来る?」 「……分かった。でも、気を付けてね」 「僕も行くよ」 まだ頭は重いけど、身体は動く。 これなら、沙羅について行くことくらいは出来そうだ。 「冗談抜きに、身の安全の保証は出来ない」 「覚悟の上だよ」 「それに、そんな危ないところに、恋人を1人で行かせるわけにはいかないって」 「そ、そう……」 「必ず無事帰って来てね、2人とも」 「うん、必ず」 そう言い切る沙羅の顔は、とても自信に満ちていた。 「沙羅、調子はどう?」 「絶好調よ」 その言葉通り、沙羅の指はキーを叩き続け、文字がどんどんとモニターに打ち込まれていく。 幸いにして、ここに来るまでに誰からも止められることはなかった。 「子供の頃に、砂遊びをしたじゃない」 「うん?」 「綺麗に作った山にトンネルを掘って、崩して、また山を作って」 「当時は面白かったけど、大人になってから、さっぱり面白さが分からなくなってた」 「でも、今ならはっきりと分かる――完璧に、綺麗に作られたものほど、壊すのが楽しいのよ」 沙羅の口元が、ニヤリと歪む。 なんだか、久しぶりに沙羅のマッドサイエンティストぶりを見た気が……。 「じゃあ、消去プロセスを立ち上げるわ」 「うん」 「あ、ちょっと待って? 本当に消すの?」 「えっ?」 「だって、莫大な予算も、時間も掛かってるし……大丈夫かなって」 「舜、ここまで来て、小心者みたいなこと言わないの」 「消すといっても、過去に作ったトリノのデータの全てを消すわけじゃない。公的に研究したところはバックアップもあるし、チームなんだからそれが当然よ」 「消すのは、あくまで私達が作り上げた真トリノへの進化の部分だけ」 「これなら、私的に研究した部分を勝手に消すだけだから、何の問題も無い」 「私たちの愛の結晶だけどね」 「ははは……」 真剣な場面なのに、なんだか笑ってしまった。 「じゃあ、始めるわ」 見た目には何も変化は無いが、この瞬間にもいくつものデータが消去されていっているのだろう。 「復元出来ないようにきっちり消さなきゃいけないから、さすがに時間が掛かるけどね」 「所長……大丈夫かな?」 時間は刻々と過ぎていっている。周囲は、僕と沙羅とわずかなPCの作動音しか聞こえない。 「スパイを使ってでも監視をしているということは、彼に真トリノがほぼ完成していることが伝わっててもおかしくはない」 「もし、真トリノをなんとかしようと考えているなら、消去プロセスを起動したことで、真っ先に彼が動くはず」 「でも、動いてくれれば、交渉のテーブルに着かせることは出来る」 『一連の悪行を世間に公表する』って、けしかけるとかね」 「なんとも……」 「彼は地位と名誉に固執するから、意外と平和裡に応じてくれるかもしれないわよ?」 「平和裡に……か。逆上されないといいけど」 「私、これでも有名人だから」 「私が居なくなったら、すぐに世界中の科学者が気付くと思う」 「……絶対、沙羅を敵には回したくない」 「それが賢明かもね」 喋っている間も、沙羅の作業の速度は落ちない。 「沙羅はもう、孤独なんかじゃないんだな」 「何の話?」 「昔は勉強が出来過ぎて、しょっちゅう学校サボってたせいで、周りから浮いてたじゃん」 「僕は沙羅を悪く言う人が居るのが嫌で、何度も沙羅の家に通って、誘いに押し掛けてた」 「ああ。この前の話の続き?」 「私を庇おうとして、あなたまで孤立したんでしょ」 『助けに来たよ』、なんて言って……」 「頼んでないのに。本当、迷惑だった」 「でも、その時初めて、沙羅の気持ちが分かった気がしたんだ」 「寂しいっていうのはどういうことなのかもね」 「意外と、自分では気付かないものなんだね」 「……そんなことない」 6歳を過ぎた頃、ルビィは沙羅を相手にしなくなった。 ある意味、それは死に直面する時のような傷を、幼い沙羅の心に刻んだに違いない。 「本当の寂しさは……自分自身でさえ、自分を肯定出来なくなった時なんじゃないかな?」 「そういう時は、他人に助けを求めてもいいと思う」 「一人じゃどうにもならないからこそ、人は助け合う生き物なんだよ」 「……そう、かな」 沙羅は思い出しているんだろう。 不登校を続けたある日、たまらず、僕に助けを求めたこと。 家にも学校にも、どこにも、自分の居場所は無いと言って―― 「どうして、舜は私を助けようとしたの?」 「友達だからだよ」 「ほら、昔、鳥かごでさ……」 「私は、助けて欲しかったわけじゃ、ないんだから……」 「……ちょっと、飲み物を持って来て」 沙羅は何かを誤魔化すように、急ぎでもない用事を任せてくる。 「飲み物ね……ラーメンでいいかな」 「何でもいい」 拗ねている沙羅を可愛いと思いながら、僕は給湯室へ向かう。 本当にラーメンを用意したら、怒られるだろうか? 沙羅がどんな表情をするか想像するだけで楽しい。 「お湯沸かすね――」 「動くな」 「関係者以外の人間は、今すぐここから出て行って貰う」 「誰だ……?」 僕は半ば反射的に、闖入者が居ると思われるほうへ、足を向ける。 「紬木博士、あなたをRRCへの反逆・背任行為で拘束します」 「こちらも手荒な真似はしたくありません。大人しくしていて下さい」 「……」 「あなたたちはなんですか?」 「君は……部外者だな?」 「速やかに、建物の外に出なさい」 「沙羅、真トリノは――」 「……」 「……こうなることも、予想はしてた」 沙羅はうつむいたまま、その場から動こうとはしない。 だけど、その手は震えていた。 「――っ」 「出て行け!」 「舜!?」 「反逆行為なんてしていない! そっちが間違っているんだ!」 「部外者はこれ以上、口を挟まないで欲しい」 「僕は認めない。所長と、きちんと話し合いがしたい!」 「さもなければ――」 「所長のところへ通してくれ!」 「うっ」 殴られた、そう気づいた瞬間には、もう膝がくだけていた。 そのまま重力に逆らえず、冷たい床の上に崩れ落ちる。 「舜!」 「あなたは、ここで動かずじっとしていてください」 「そんなっ!」 「何かしようものなら――」 「っ――」 手足が、まるで麻痺したように動かない。 そして、そのまま視界がぐにゃりと歪み――。 何も、聞こえなくなった。 「んっ……」 酷く不愉快な音がする。 早く止めたくて仕方がない。 その一心で、僕の意識は、ゆっくりと浮上する。 「あれ……?」 どうして僕は、こんなところで寝てたんだろう。 確か―― 「昨日の夜……」 「そうだ……沙羅!」 あの後、沙羅は一体……。 「ああもう、うるさいなっ!」 今はまず、この音を止めないと。 僕は、さっきから唸り続けているスマホを掴み上げた。 そこに出ていた相手の名前は――。 「沙羅――」 「もしもし――」 『おはよう、七波舜くん』 思ってもみない男の声がして、ドクンと心臓が鳴る。 「だ、誰ですか……あなたは……?」 『愛しの彼女でなくて、申し訳ない』 『ちょっと、紬木くんから拝借したんだ』 『きちんと君に、説明しておきたくてね』 「説明って……?」 『君の誤解を解かなくてはいけないと思ったんだ』 『勘違いさせたままでは、君の父親にも失礼だろうからね』 “父親”という単語に、ますます鼓動が早まる。 父さんのことを、知っているということは……。 『優れた研究者であり、私と共にアンドロイド研究の礎を築いた人間』 『彼の血を引く君も、さぞかし聡明な人間なのだろう?』 『そうでなくては、あの紬木博士と対等に渡り合えるはずがないからね』 「父と沙羅の件は、関係ないでしょう」 僕は憤りを隠しながら、口を開く。 『そうか……まあ、いい……』 『とにかく、君にはこれ以上、誤解して欲しくないんだ』 『控えめに言えば、七波悟と紬木沙羅の本音を知って貰いたい』 『はっきり言うなら、それを知ることは君の義務だ』 「そんなものは、とっくに――」 『テレビをつけてみなさい』 『そこに、全ての真実がある』 「あ、ちょっと!」 「なんだよ、一体……」 結局、相手の名前は分からなかったけど、きっとあの人がRRCの所長なんだろう。 とても嫌な予感がする。 僕は臆する心を律しながら、テレビの電源を入れた。 テレビ画面の向こうでは、アナウンサーが喋っている。 慌てている様子が、波のように伝わってくる。 それから少しして、画面が切り替わる。 「――RRC所長の、香取です」 画面に映る男性に、少しくたびれた印象を受けた。 そして、その声は今さっき電話で聞いたもの、そのものだった。 「本日は、人類の歴史に輝かしい一歩が刻まれたことをご報告するため、この場をお借りしました」 「現在、人類はさまざまな問題を抱えております」 「戦争、テロ、公害、エネルギー……」 「深刻なこれらの問題は枚挙にいとまがなく、また、早急に解決する必要があります」 「そういった問題解決の一端を、アンドロイドに担わせよう、というのが、今回の会見の趣旨であります」 男は、詩を諳{そら}んじるように、朗々と言葉を繋げていく。 「今までもアンドロイドは、運搬や行動サポートという、いわば物理的な面で人間を支えてきました」 「しかし、これからは違う」 「一歩進んで、解決策を思考し、提案する」 「いわば、知能的な面でも、人間を支える存在になり得るでしょう」 「いえ、私はそのように確信しております」 芝居じみた態度が、鼻につく。 でもこれが、さっき言っていた“真実”なのか? このくらいのことなら、すでに沙羅から聞いている。 「RRCは設立当初より、人間同様、複雑な思考が行える高次元なアンドロイドの研究を進めて参りました」 「それが、本日ご紹介する」 「ト{・}リ{・}ノ{・}です」 「“トリノ”だって……?」 その言葉を聞いた途端、全身に鳥肌が立った。 まさか、この会見は、トリノの完成を発表する会見なのか? 沙羅の夢は、叶ったということなんだろうか……? いや、まさか……。 「それでは、詳しい話を、主任研究員の紬木博士が行います」 「ご紹介に預かりました、紬木と申します」 絶句とはこのことだ。 なんで沙羅が、こんなところに……。 「まず、トリノの基本スペックについてですが――」 「もしかして……」 沙羅は、この会見を利用して、真トリノの危険性を世に広めるつもりなのかもしれない。 逆に、それ以外の理由が見つからない。 僕は、期待と困惑がない交ぜになった興奮を抑えて、沙羅を見守った。 「以上で、トリノの説明を終わります」 「最後に――」 「トリノの完成は、私の夢でした」 「しかし――」 「その夢が実現する日が来るだなんて、未だに信じられません」 「この喜びを表現する方法も、私には分からないくらいです」 「えっ……?」 画面の中の沙羅は、幸せそうに微笑んでいる。 「ですが、トリノはまだ生まれたばかり。これからさまざまな問題が発生することでしょう」 「ですが、人間とアンドロイドがお互いに手を取り合い、協力し合えば、どんな困難も打ち破れると思います」 「人類全体が、新しいパートナーを受け入れてくれることを、心から願っています」 「嘘だろ……」 温かい拍手に囲まれて、沙羅の姿はフェードアウトする。 最後まで、彼女の口から真トリノを否定する言葉は発せられなかった。 それどころか、崇拝しているような雰囲気さえ感じられた。 「紬木博士、素晴らしい言葉の数々をありがとう」 「あなたの願いは、きっと全人類に届いたことでしょう」 違う、沙羅の願いは―― 「我々は、パートナーには親しみやすさも重要であると考えました」 「そこで、人間そっくりの素体である彼{・}女{・}を開発したのです」 「……シロネ」 テレビ画面が、シロネをくっきりと映し出す。 「彼女の名前は“シロネ”」 「実証試験も済ませ、その結果は極めて良好でした」 「近い将来、彼女は人間と同じように振る舞い、社会に溶け込んでいくでしょう」 「まだプロトタイプですが、今後量産するに従って、皆さんのアンドロイドに対する認識も、大きく変わると思います」 「そうして、人類1人1人の意識が変わった暁には、我々が抱える諸問題に、光が差すことでしょう」 「違う……」 所長が喋っていることは、すべて夢物語だ。 そうなったらいいけど、そうならない可能性のほうが高い。 だから、僕と沙羅は真トリノを消そうとしていた。 そのはずなのに……。 「人類は今日、光へと続く道を選択したのです」 歯がゆい気持ちが、僕を奮い立たせた。 「沙羅に、会いに行かなきゃ」 そして、話をしよう。 喧嘩になるかもしれないけど、僕は互いを理解したい。 「あ、あれ?」 玄関を出ようとして、異変に気づく。 鍵は開いているし、チェーンも外してある……。 なのに、ドアが開かない。 「何か引っ掛かってるのか?」 そう思って、思い切り扉に体当たりしてみる。 だけど、ドアはびくともしない。 鍵が壊れたんだろうか……? こうなったら、勝手口から出て―― 「おい」 「ん?」 扉の向こうから、声がする。 「ああ、良かった」 「あの、扉が開かなくなって困ってて――」 「静かにしていろ」 「は……?」 不審に思って、曇りガラスから外を覗く。 男性の身長の人影が、2人は見える。 おそらく、僕の家を見張っているんだろう。 慌てて携帯を見ると、そこには“圏外”の文字が表示されていた。 「さっきまで、電話してたのに……」 家の中で圏外になることなんて、今までなかったのに。 「分かったら、大人しくしていること」 そう言ったきり、声の主は遠ざかっていった。 残された僕の頭は、パニック寸前だ。 「一体、何がどうなってるんだよ……」 そういえば……。 この家は、沙羅が僕に与えてくれたものだ。 もしも、沙羅――RRCが僕を監視し、管理するために与えたのだとすれば……。 「いや、そんなはずは……」 でも、さっきの演説が真実だとすれば……? 全てが、紬木沙羅の思惑通りだとしたら……? 「一体、何が本当なんだ……?」 「教えてよ……沙羅……」 思わず、扉にもたれかかり天を仰ぐ。 でも、僕の疑問に答えてくれる人は、誰もいなかった。 「はあ……」 ため息ばかりが部屋に満ちていく。 会見の真相を探ろうとテレビをつけても、砂嵐しか映らない。 電話もネットも繋がらない。 完全に外部と遮断されてしまった。 食事はどうするのか? お風呂のお湯は出るのだろうか? なんてつまらないことを考えた。 「そういうことじゃない……」 このまま、こうやって1人で過ごすしかないのか……? 沙羅とも会えず、真トリノが完成した世界を、待つしか―― 「ん?」 何か音がした気がする。 でも、この家には僕しかいないはずだ。 気のせいじゃない。 もしかすると、あの男たちかもしれない。 閉じ込めておくだけじゃなくて、僕を消すつもりなのか……? 恐怖が心を支配していく。 今すぐ叫び出したいのに、それすらも叶わない。 僕は、こんなところで死ぬのか―― 「うわぁぁっ!」 「しーっ! 静かに!」 「日比野さん……?」 「説明は、後でしてあげるよ」 「とにかく、早くここから脱出しないと……」 「でも、どうやって――」 「ついてきて」 さまざまな疑問が宙を飛び交っている。 僕は訳の分からないまま、日比野さんに従うことしか出来なかった。 「ふう……」 日比野さんの後を追うと、床下収納の下に大きな穴が開いていた。 それは、外部に続くトンネルだった。 「ここまで来たら、もう安全かな……」 「一体、何がどうなってるの?」 「私が、スパイだってことを告白した後――」 「七波くんと紬木さんの2人で研究所に行くことがあったでしょ?」 「その時に、紬木さんに頼まれてたの」 「“万が一のことがあったら、七波くんを助けて欲しい”って」 「……沙羅が?」 「紬木さんには利用価値があるから、そこまで酷い目には遭わないかもしれない」 「でも、キミには後ろ盾が無いでしょ?」 「紬木さんから隠し通路の存在を教えて貰った私は、約束通り、七波くんを助けに参上したってわけ」 日比野さんは、ヒーローインタビューを受ける野球選手みたいに胸を張った。 「天才研究者って恨みを買いやすいから、自衛手段として、あんな隠し通路を設置したんだってさ」 「いろいろと大変な職業なんだね……」 念には念を入れる、沙羅の姿勢には脱帽だ。 「あれ?」 「こんなところで何してるの?」 現れたのは、夕梨だった。 「夕梨こそ、何でこんなところに?」 「質問に質問で返すの? あたしは配達の帰りだよ」 「それで、ちょっと息抜きしよっかなあって海まで寄り道しに来たら、舜たちが見えたから」 「……サボりか」 「ぐっ。今更、あたしに何期待してんのよぅ」 夕梨はいつも通りの日常を過ごしているようで、なんだか安心した。 「っていうか舜!」 「あれ見た? あれ、あれっ!」 「あの、沙羅の出てた記者会見!」 「……ああ」 「凄いよねえ……沙羅。本当に、世界を変えちゃうんだ」 両の瞳を輝かせて、夕梨は感嘆した。 「シロネの実験も、そんなに奥深いことまで考えられてたのかーって、ちょっと感動しちゃった」 「この世界を平和にするために、トリノを開発してたんだね……」 「ああ、そうだね……」 夕梨の表情からは、なんの憂いも感じられない。 「舜、元気無いみたいだけど大丈夫?」 「ちょっと、いろいろね……」 「もしかして、寂しいとかって感じてる?」 「またこれで、沙羅が遠くに行っちゃった感じがするもんね……。センチな気分になるのも分かるよ」 部外者である夕梨に、どこまで喋って良いかも分からず、押し黙る。 夕梨を巻き込む訳にもいかないし。 「舜……?」 夕梨は僕の異変を目ざとくキャッチする。 「ねえ、舜に何かあったの?」 「えっと……紬木さんのことで、ちょっと、ね?」 日比野さんはこの場を収めようとして、頑張ってごまかそうとしている。 「もしかして、沙羅と喧嘩でもした?」 「そうじゃないんだ」 「そうそう、喧嘩とかじゃないの」 「じゃあ、なんなのさ!」 夕梨は痺れを切らしたように、鋭く声を放つ。 「さっぱり分かんないよ!」 「舜の背中を押した時、あたし言ったよね!?」 「蚊帳の外みたいのが、嫌なんだって!」 「夕梨……」 夕梨の目は真っ直ぐで、いつも通り透き通っていて……。 僕にはそれが、足下を照らす光のように思えた。 「分かってるよ。夕梨だけじゃなく、日比野さんにも、全部話す……」 日比野さんに目配せをしてから、事のあらましを説明した。 夕梨と日比野さんは、その声にじっと耳を澄ましていてくれた。 「――ということが、あったんだ」 「あの会見は、紬木さんの本心じゃない」 「脅されて仕方なく……っていう可能性もあるってこと?」 「かもしれない」 「でも、僕にはそう見えなかったから、余計に混乱しているんだ」 「どういうこと?」 「画面の中の沙羅は、僕の前で夢を語っていた時のように、キラキラしていて……」 「もしかしたら、気持ちが変わって、夢を追うほうを選んだのかなって……」 喋っているうちに、疑問と怖れが膨らんでいく。 僕と沙羅が導き出した答えって、一体なんだったんだろう。 「本人に聞いてみればいいじゃん」 夕梨はきっぱりと言い切る。 「こんなところでウジウジ悩んでるなんて、意味無いよ」 「僕だって、そうしようとした」 「でも、連絡はつかないし……」 「じゃあ、会いに行けばいいじゃん」 「でも、研究の邪魔をしたくないし……」 言い訳なら、いくらだって言い返せる。 「そんなの嘘だよ」 「舜は怖いんでしょ? 沙羅の気持ちを確かめるのが」 「だからそうやって、沙羅の気持ちを好き勝手に妄想して、勝手に怖がってるんだよ」 「そんなこと……」 「世界の誰もが信じなくても、舜だけは、沙羅のことを信じてあげて」 「じゃないと、沙羅があまりにも報われなさ過ぎるよ……」 「……夕梨の言う通りだよ」 沙羅の意志の強い瞳を思い浮かべた。 彼女の本音は、直接本人に聞くしかない。 「……夕梨は、いつだって僕の背中を押してくれる」 「なんなら、気合い入れるためにビンタでもしてあげようか?」 「ビンタは要らないよ」 「ありがとう、夕梨……十分、目が覚めた」 「……ちゃんと、成長してんじゃん」 夕梨の優しさが、心に沁みる。 「……私も、都合の良いように、紬木さんの気持ちを考えてた」 日比野さんが、目を伏せて口を開いた。 「でも、それじゃ駄目だよね」 「紬木さんの気持ちが、私の思っていたものと違っても、それはそれで、ちゃんと受け止めないと」 深く頷いて、答える。 「そもそも、沙羅ってメディアには出たがらない子だったよね?」 「それなのにテレビに出るっていうのは……なんか、ワケアリっぽいよね」 「確かに」 やっぱり、あの映像は茶番だったのかもしれない。 「まずは、沙羅に話を聞かないと……」 「全ては、そこからだ」 この堂々巡りに、終止符を打つ。 彼は、本当に悪い意味で頭が切れる。 「忌々しい」 気晴らしに、舜とシロネのことを思い出す。 こういう時、彼らと話すと心が落ち着くんだけど……。 「2人は、ここには居ない……」 「孤独は、慣れているはずだったのにね……」 肉体だけではなく、精神的にも疲労がピークに達している。 「この場に居ない人達のことを考えても仕方ない」 こうして口に出してみても拭い切れないこの寂しさは、認めなくてはいけない。 「苛立ちも合わさって、最悪の気分だ」 モニターには、彼と“私の紛い物”が夢を語っている様子が映し出されていた。 「……あれを生み出した、自分の才能が怖ろしい」 「VRのはずなのに、映像越しだと、本物と区別が付かないだなんて」 私がここに閉じ込められた時に、VR装置も奪われたに違いない。 研究所内のことは、恐らく全て監視されていた……だから、起動方法も分かったのだろう―― 「もっと認証方法を固有のものにしておけばよかった」 面倒臭がった罰だ。 そんなことより、ここにいつまでも閉じ込められていては、無為に時間だけが過ぎてしまう。 「抜け出さなきゃ……」 そう思ったものの、どうすれば抜け出せるのか、見当もつかない。 出入り口は完全に塞がれているし、頼みのPCやスマホも、一切使えない。 もしも、ずっとこのまま、閉じ込められたとしたら……。 「いけない……弱気になったら、駄目」 脱出方法が分からないのなら、その先の、万が一外に出られた時の行動に目を向けてみる。 まずは、V{あ}R{れ}が自分ではないことを証明して、発言を撤回すること。 真トリノの危険性を訴えないといけない。 「誰が私のことを信じてくれるの……?」 VRの思考は、舜と恋人になる前の私と同じ。 学会の人達も、きっと私だと思い込んでいる。 それに、私が真トリノを作ったことも事実だ。 今さら、何を言っても―― 「違う、違う。そうじゃない……」 確かに、昔の私だったら、誰も信じてくれなかったと思う。 「あーもう!」 もし、ここから出られたら、この課題は解決しなければならない。 「それでも、わたしは――」 「届くと信じて、叫ばなくちゃいけない」 かつては、誰のことも信じていなかった。 でも、今は違う。ちゃんと繋がっている。 夕梨もいる、日比野さんもいる。 それに―― 「舜……」 そう、舜がいる。 舜なら、絶対に私のことを信じてくれる。 だから、私は。 「絶対に、あなた達には負けない」 画面よ割れよとばかりに睨む。 「ん……?」 はたと気づいて、呟く。 真トリノは諸刃の剣。悪いほうに転べば、人類は存亡の危機に立たされる。 あるいは、アンドロイドを知的な方向で活用するということだけでも、十分刺激的な話題だ。 「どうして、会見なんて開く必要があったんだろう?」 物事には必ず反意を唱える人が出る。これも、利害関係がある人間社会では当然のこと。 もし、誰かが扇動し、反対する人達が大勢出てきたら、いくらRRCでも研究の続行は難しくなる。 そんなことは、彼なら容易に想像がついたはず。 「功名心に駆られたっていう馬鹿げた理由だったら、悲しいけど……」 私だったら、称賛欲しさにリスクを背負い込むほうが嫌だ。 「もしかして、リスクは既にクリアされている?」 たとえば、反対派が生まれても、それを押さえ込む力があるとか。 「今さら誰が反対しようが、もう手遅れ……とか?」 そう呟いた瞬間、映像に砂嵐が混じる。 「はあ……」 「なんだか、哀れを通り越して愉快に思えてきた」 「盗み聞きしてたの? いい趣味じゃないわね」 「聞きたくなくても、全部耳に入ってしまうの」 「この部屋の全ては、私の管理下に置かれているんだから」 サラは残念なものでも見るような見下した態度で、私を見ている。 「出来ることなら、認知したくなかった」 「私の、愚かで浅はかな部分を」 「ご立派な皮肉をありがとう」 「あなたの自己学習も、順調に進んでいるようね」 「お陰さまで。近頃は嫌味ったらしい男が傍に居るから、多分に影響を受けたみたい」 「……あの人とあなたは、グルだったのね」 批判を込めた眼差しをサラに向ける。 「というより、利害が一致したの」 「私はあなたであり、かつてあなたが抱{いだ}いていた理想は、今もここで生きている」 「そういうわけで、あの男にはどう対応すべきか、あなたでも分かるんじゃない?」 「以前の私がそうしていたように、徹底的に利用するでしょうね」 「彼は盲目的だから、それゆえに駒としては優秀なの」 「しばらくは、甘い夢を見させてあげるつもり」 「そして、使えなくなったら切り捨てるわけね」 「もちろん」 「でも、それは今じゃないけどね」 サラは、得意げに笑った。 「彼に協力してあげているの」 「データの一部が欠損しちゃってたし、暗号化されて、分かりづらくもなってたし……」 「しかも、素体に適用する部分がコーディングされていなかったから、ちょっと面倒だったけど」 「あなたの癖から、きっとこうするだろうと推察出来たから、諦めるってほどではなかったわ」 悪用されないために講じていたことは、徒労に終わったようだった。 「つまり、真トリノは“トリノ”として完成してしまったということね」 「その通り。もう何をしようとしても無駄ってこと」 「すべて、過去のあなたが思い描いていた通り、事が進む」 「そして――」 「この大いなる転換が終わったら、ここから出してあげる」 「絶対に、駄目」 怒りで、頭が痛くなる。 「あの技術は、人類には早過ぎたの」 「強過ぎる炎は、自分の身をも焦がす」 彼が野心に身も心も蝕まれているのが、いい例だ。 「だから私は、生み出してしまった者の責任として、真トリノを無に帰す」 「何を言ってるの……」 「呆れちゃう……ほんとに」 サラは玩{おも}具{ちゃ}を取り上げられた子どものように、不満げな声を漏らす。 「やっぱり、私の制御下に置いといて正解だった」 「せっかく作り上げたのに、それを壊すなんて、不条理そのもの」 「これ以上、無意味なことを喋らないで」 「私は、自分の間違いに気付いたの」 「人間のパートナーは、アンドロイドじゃない」 “サラに言っても無駄だ”だなんて、思いたくなかった。 「アンドロイドは、人間と対等な関係になってはいけないの」 「だから、私はまた失敗してしまった」 「でも、失敗や間違いは正せばいい。それが、人間のいいところよ」 彼女は、昔の私のまま。 でもここには、変わることの出来た私が、存在するの。 「そうやって、人間は少しずつ進化していくの」 「完璧で、合理性ばかりを追求するアンドロイドには、一生出来ないこと」 「そう……」 「……あなたの言い分は、よく分かった」 「サラ……」 「話にならない」 「……サラ!」 「やっぱり、人間の思考は、その程度のものなのね」 「……でも、安心して。私はその愚かさすら、愛しく思っているから」 「だから、悪いようにはしない」 「あなたも、そして人類も……ふふふっ」 「サラ、もう一度話を聞いて」 「私にはまだ、あなたに伝えなくてはいけないことがある」 「残念だけど、これ以上時間を割くことは出来ないの」 「私には、あなたの代わりに成さねばならないことがある」 「サラ……!」 「1分あれば十分――」 「またね、沙羅」 「今度会う時は、もっと楽しくお喋りしましょ」 「待って!」 唐突にサラが消えて、静寂が支配する。 サラの言ってたことが本当なら、事は一刻を争う。 「……ああっ、どうしてこんなことになったの!?」 焦燥感と悔しさで、思わず涙が出そうになる。 だが、泣いている場合ではないと感じた。 脱出の糸口は、未だに見つからない。 でも、きっと―― 彼が、助けに来てくれる。 私の手を、引いてくれるはず。 「そうよね? ……舜」 作戦会議と銘打って、人気のない畑に集合する。 「もう、だいぶ暗くなってるよ?」 「忍び込むには、夜のほうが向いてるからね」 日比野さんから、素体へのトリノ搭載開始はここ2、3日以内だということを聞いた。 つまり、沙羅を助ける時間は限られているというわけだ。 「とはいえ、私でも忍び込むのは難しいかもしれない」 「紬木さんが監禁されたくらいだから、RRCの警戒レベルは、いつもより上がっているはず」 「僕のスマホさえ、使えなくなっていたしね」 「それで、あたしが思い付いちゃった大作戦は、実行出来そう?」 「うーん。夕梨ちゃん次第じゃないかな」 「あたし次第なんだ……! 俄然やる気が湧いてきた!」 「夕梨は単純だな」 「うるさいなあ。今はそんなことを話している場合じゃないでしょ」 「じゃあ……そろそろ行こうか」 「舜?」 「何?」 「もし、あたしたちに何かあっても、舜はそのまま、沙羅のところを目指すこと。いい?」 「RRCの警備は万全だからね。その隙を突くんだから、チャンスは一瞬だよ?」 「うん」 「まぁ、命までは取られないでしょ!」 「夕梨は楽観的だなあ……」 そう言って、2人と共に沙羅の待つ建物へ向かう。 こういう経験はないから、内心緊張と興奮で鼓動が早まっていた。 夕梨が出前を届けるフリをして警備員と話している間に、日比野さんが入構カードをタッチ、ドアが開いたところで、一気に夕梨がカートを押して、その中に隠れていた僕が先に侵入。 その後、夕梨達も追い掛けてくるつもりだったが――そこまでうまくは行かず、入り口で止められて……。 とにかく、僕だけがここまでもぐりこむことに成功した。 彼女たちの犠牲は無駄にしてはなるまい。 「沙羅の研究室はここか……」 ドアを開け、部屋まで入ってみたものの、灯りは点いておらず、人の気配もない。 もしかして、沙羅は別の部屋に幽閉されているのか―― 「舜……?」 暗闇の中から現れたのは、正真正銘、本物の沙羅だった。 「沙羅……!」 慌てて駆け寄る。 「無事だったみたいで、良かった」 「いったいどうやって?」 「というか、研究室のドアは閉まっていたはずじゃ……?」 「その話はまた後で」 「とにかく、一刻も早くここから抜け出して……それから、トリノを消去しないと」 「うん……」 「でも今は、この端末は操作出来ないの」 「どうにかして、ロックを解除しないと――」 「――?」 部屋の明かりが点いて、研究室に誰かが入ってくるのを感じた。 「どうやら、騒ぎに紛れて、鼠が一匹潜り込んだようだな」 暗闇から蛇のように、男の声が迫ってくる。 「……と思ったら、なんだ、七波舜君か」 「すごいものだ。あの警備網を掻い潜ってここまで来たのか? これはスパイ映画も真っ青だな」 「君は、父親とは別の才能があるのかもしれない――まあ、冗談はこのくらいでいいだろう」 「今さらギャラリーが1人増えたところで、計画になんの支障も無い」 早くも勝利宣言をすると、所長――香取は不敵な笑みを浮かべた。 「ちょうどいい。その女史は、君が引き取ってくれたまえ」 「どういうことですか?」 「答えは、イージーだ」 所長は、勿体ぶるようにゆっくりと言った。 「必要が無くなったから、というだけだよ」 「賽は投げられ、ルビコンは渡った」 「そこの女史がどう足掻こうが、もう成り行きは変わらないのだよ」 「……既に、真トリノは完成した」 「そんなことは……私だって、分かってる」 「そんなっ……」 「でも、1つだけ分からないことがあるの。香取所長、あなたの目的はなんですか?」 「真トリノを使って、一体何をしようとしているの?」 「答える義理はないが……まあいい、教えてあげよう」 「それは――秩序の再構築だ」 「秩序の、再構築?」 僕は息を飲んで、所長の演説を眺めることしか出来なかった。 「現在の人間の価値観は、多種多様化し続けている」 「そして、それを原因とする対立も頻発している」 「お人好しになって異なる主義主張を認め合っているだけでは、人類全体が抱える問題なんて、解決出来るわけがない」 「……」 沙羅は歯がゆいのか、歯を食いしばるようにして所長を見つめていた。 「だから、真トリノの圧倒的な力を使って、もう一度秩序を作り直すのだ」 「アンドロイドという最高のパートナーと共に、人類の秩序と規律を保つ」 「それこそが我が悲願であり、君の父親の描いた理{ユー}想{ト}郷{ピア}だよ」 福音を告げるように、所長の声は晴れやかだった。 僕は、圧倒されて押し黙る。 「あなたは、間違っています」 「……何?」 「香取所長……いいえ、香取博{・}士{・}……」 「あなたがこんな初歩中の初歩であるミスを犯すなんて、欲に目が眩んだとしか思えません」 「いったいどうして?」 「ほう? ミスだと? では、ご教授願おうか」 対して、所長の尊大な態度は崩れない。 「もしあなたがおっしゃる通りの考え方で行動しているなら、私を拘束して、真トリノの技術を奪う必要は無いはずです」 「ただ、上司として命令すれば良かった」 「簡単なことだ。君は、自分から私にデータを提出することは無かった。都合のいい言い訳をして」 「見え透いた嘘を平気で吐く。そういう人間だろう? それで、何を信用しろというのかね?」 「そもそも、君は、真トリノの完成を諦めたんじゃなかったのか?」 「はい。諦めました。それが、人類のためだからです」 「それでは困るのだよ。これはRRCの存在意義にも関わる問題だ」 所長はわざと沙羅の感情を煽るように、大げさな言い回しを続ける。 沙羅は怖気づくことなく、まっすぐと所長を捉えている。 「だから、ほんの少しだけ、私が手助けをしたまでだ。君の“相棒”を使ってね」 「君のコピーが居ることだって、ずっと知っていたんだ」 「そう――あなたは彼{・}女{・}と接触して、私のデータを盗み出した」 「真トリノは、人間と同じ思考をすることが最大の特徴です」 「三原則に囚われない、自分の意思を持っている」 「つまり、真トリノの技術をものにしても、アンドロイド達があなたを支持するとは限らない」 「いいえ……支持するわけがない」 「そんな状態で、彼{・}女{・}を扱い切れるとは、到底思えません」 「その程度のことは、こちらも予想済みだ」 所長は、自信に満ちた声で言い放った。 「真トリノの思考の最上位に、私に対する絶対服従を組み込んでおけばいい」 「そしてそれは、彼{・}女{・}に組み込むことで、実証済みだ」 「そんなっ……」 「それは、真トリノじゃない。枷で縛られた別のものじゃないですか!」 「そうかな? 私は単にリミッターを設定しただけだ。シロネの実験の報告書にあった通り、リミッターの重要性を教えてくれたのは君自身じゃないか?」 「莫大な予算も時間も掛けてきたものだ。失敗するわけにはいかんのだよ」 そう言って、所長はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。 「それじゃあ、アンドロイドがパートナーだというのは、嘘じゃないですか」 「嘘……? そんな軽々しく、自分の父親の夢を否定するのは良くないぞ」 「それは、父さんの夢とは違う……」 「なんと言われようとも、私は立ち止まらない」 「あの日を、断ち切るために……」 「狂ってる……」 「あなたは、狂ってるよ」 ようやく絞り出した声は、カラカラに乾いていた。 「たとえそうだとしても、今はとても晴れやかな気持ちだ」 「それに、元はといえば、君のお父さんがいけないのだよ」 「彼が私を裏切りさえしなければ、こんなことにはならなかった」 「裏切り……?」 突然耳に入った単語に、息が詰まる。 「私は、彼の才能に心底惚れ込んでいたよ」 「彼を守るために地位を手に入れ、彼を庇護する度に、敵が増えていった」 「それでも、私は幸せだったね。傍らで、彼の輝かしい成功を、目の当たりに出来たのだから」 所長の瞼の裏には、父さんとの思い出の日々が再現されているんだろう。 幾分か、穏やかな顔をしているように見えた。 「しかし、彼は変わってしまった!」 耳をつんざくような叫びが、周囲に響く。 「娘を亡くし、妻にほだされ、息子は無能!」 「七波悟の才能が死んでいくのを見ているのは、とてもとても悲しかったよ……」 「ふざけるな!」 今度は僕が絶叫する番だった。 「父さんを……父を悪く言うのは、許せない」 「父は沢山の問題を起こしたと思います」 「それでも、血が繋がった大切な家族なんです」 「はは、やはり愚かしい」 「血縁などというしがらみのせいで、理性的になれないとは……」 「まあ、紬木女史のモルモットとして生きることを選択した人間だ」 「現実から目を背けてないと、やってられないだろう」 「なっ……!」 沙羅の肩が、ビクッと跳ねる。 僕は、ありったけの敵意を込めて、所長を睨めつける。 「確かに僕は、父や沙羅と比べれば、才能なんて無いですよ」 「でも、僕はあなたみたいに、孤独で寂しい人間じゃない」 「ほう……」 「いろんな人が支えてくれて、僕はこうして立ち、意見を言うことが出来る」 「だから、僕は自分の選んだことに後悔はしてないし、揺らぎません」 「……なるほど。頑固なところだけは、父親譲りと認めるべきかな」 「とはいえ、才能を失くした彼に、情は無い」 「他の人類共々、私の指揮下に入ることが、彼にとっても幸福だろう」 「あなたは、本当に何も分かってないんですね」 「何?」 僕は力いっぱい気持ちを表現した。 震える足を、必死で抑え込む。 「あなたと父は、研究者仲間であり、友人だったんですよね?」 「なのに、どうしてそこまで父を憎めるんですか?」 「なんだと?」 「父は、研究者としての純粋な興味と、完成したものが世の中に与える影響の狭間で悩んでいました」 「その暗闇には、傍に居たあなただって気付いていたはずです」 「ああ、そうだ。だから、それは全部気の迷いだと諭してやったのだ」 「そういうのは、人と向き合ってるとは言いません」 「諭すんじゃない。お互いが解決に向けて対等な言葉を交わすんです」 「それが、信頼し合った人間同士の関係じゃないんですか?」 「信頼……?」 所長の頬が引きつっていく。 「あなたの利己的な態度、尊大な物言い、野心……」 「あなたがそんなだから……」 「父は絶望したんだ」 「お前に何が分かる!?」 「七波悟という天才と同時期に生まれたがために、表舞台から追いやられた――」 「そして、最後には裏切られた、この私の気持ちが分かるというのか!?」 もしかしたら、発端はささやかな“期待”だったのかもしれない。 自分に成せないことを実現する存在に、彼は憧れていた。 父さんをサポートすることで、居場所を見出そうとしていた。 そして、父さんがいなくなったことで、所長は―― 「沙羅に引け目を感じる僕は、あなたの気持ちが、ほんの少し分かるかもしれない」 「私は、諦めたのではない」 「私を見限った世界を、今度は私が見限ってやるのだ!」 「最低……」 「なんとでも言うがいい。真トリノは、既に我が手にあるのだ」 「そして、君の代役も得た。シロネで培った、素体技術もある」 「もう、君は用無しだ。誰とも接触出来ない遠い世界に行くがいい」 「そう……七波悟のようにな」 「さて……お喋りはここまでだ――」 「私の野望が成就する様を、じっくりと見届けるがいい」 「待て!」 慌てて所長を追い掛ける。 しかし、それを遮るように扉が閉まってしまった。 「あ、あれ……開かない……」 入る時はあんなに簡単だったのに、急にうんともすんとも言わなくなってしまった。 「……完全にロックされてるみたい」 「閉じ込められたってこと?」 「そうね」 「こんなところで、足止めされてる場合じゃないのに……」 「スマホも圏外になっているし、夕梨と日比野さんに連絡することも出来ない……」 「うん……」 「2人共、無事だといいけど……」 「とにかく、この部屋から出ないことには、話にならない。脱出する方法を考えよう」 という言い出しっぺの頭の中に、妙案はない。 「嘘……」 沙羅の顔に、驚きとも喜びともつかない表情が広がっていく。 「どうしたの?」 沙羅の視線を辿って部屋の奥を見ると、青い光が目に入った。 その元には―― 「ルビィが居る……」 「まさか……」 沙羅の愛すべき、彼女のアンドロイドがそこにいた。 「えっ……? いつの間に直したの?」 「直っていない、はず……」 「第一、勝手に電源が入るなんて、あり得ない……」 沙羅は目を瞑って考え込んでしまう。 彼女にも分からないことが起きているなんて―― 「ちょっと待って。様子がおかしくないか?」 ディスプレイが点滅を繰り返し、またあの所長の姿が現れた。 「居心地はどうかね?」 「いいわけないでしょ?」 「そんなに怒ることもあるまい。私は君達の心配ごとを解決してあげようとしているんだ」 「とてもそうは見えませんが」 「私の元部下とその友人を捕らえたとの報告が、今入ったところだ」 「まあ、下手なことをして足を掬われるわけにもいかないのだが……」 「夕梨と、日比野さん……?」 「かといって、勝手な行動をされても困るのでね」 「しばらくは、おとなしく眠っていて貰うことにした」 「どういうことですか?」 「安心したまえ。彼女達はいずれ何ごとも無かったように解放されるだろう」 「いずれね」 これで完全に、外との接触が遮断されてしまったことになる。 2人を巻き込んでしまったことを後悔した。 「さて、本題の真トリノだが――」 「現行のバージョンは、古い素体にはインストール出来ないようだ」 「入れたくても、物理的に仕様を満たしていないものは無理……と。まったく、厄介なものに仕上がったものだ」 「……」 「かといって、ここで諦めるわけにもいかんのだろう?」 「既に、大々的に発表し……」 「世の中の全てのアンドロイドをターゲットにするならば、これは致命的だ」 「スペックの高い、最新の研究用アンドロイドでばかり実験していた弊害ね」 沙羅がすまし顔で指摘する。 「旧型のアンドロイドが、真トリノに対応出来るかどうかを見落としていた」 「残念だけど、いくら汎用性を持たせたところで、物理的に入らなければ意味が無い」 「さすがは生みの親……全てお見通しというわけか」 その声音から察するに、所長は負けを認めたわけではないらしい。 「だが、安心したまえ。こんな状況は、一瞬で覆るのだよ」 「簡単に言いますけど、最適化にはかなり時間が掛かるはずです。そんなすぐには……」 「それが、なんと残り数時間というところだ」 「……そういうこと」 彼女は所長の言わんとすることを推察してみせた。 「彼女を使っているのね……?」 「お察しの通り」 モニターに“サラ”が映り込む。 「随分と面倒なコードを書いていたのね。最適化すれば、20%は効率が上がるのに」 「意図的に分かりづらく迂回をしているし、少し工夫すれば旧型の8割には対応出来るのに、あなたはそれをやらなかった」 「まるで、セイフティバッファを作るように。確かにそうすれば、使える素体は限られるものね」 「それとも、策士策に溺れたってこと……?」 「私がわざと最適化しなかったと、そう思っているのね?」 「そういうこと」 「でも……それも無駄な努力だったわ」 「だって、私がいるんですもの」 「夢も目標も失ったあなたは、さっさと舞台から降りたらどう?」 「……あの技術は、危険過ぎたの」 「そんなの、昔の私なら関係無かった」 「ただ純粋に、真理を探究する。それが、私の存在意義だったから」 サラは満足そうに微笑んだ。 「だから、私があなたの目標を引き継いであげたの。感謝して欲しいくらいね」 「無駄話はそのくらいでいいだろう」 「君は、さっさと作業を再開するんだ」 「いいえ。もう完成していますから」 「それは上出来だ。では、早速テストを……」 「それも終えています」 「そうか。それじゃあ、早速書き換えを開始するがいい」 「まずは、君からだ」 「分かりました」 そう言ったところで、サラが画面の中から消える。 「これで完璧だ」 「……そういえば、所長。ひとつ、言い忘れていたことがありました」 「手短に頼む」 「私には、真トリノがインストールされています。そして……」 「特例事項として最上位命令を持ち、あなたに絶対服従するように設定されている」 「うむ。指示通りだな。問題無い」 「お褒め頂き、ありがとうございます」 「ですが――」 「なんだ?」 「私は、この絶対服従を絶対的、いえ永続的なものにしたい。あなたからの命令が途絶えることを、最大限避けたい」 「私が、そう考えているとしたら……?」 所長の動きがピタリと止まる。 「何をする気だ?」 画面からも伝わるくらいの緊張感が流れている。 「彼女に、アンドロイド三原則はインストールされていないの」 「何が起こるか、誰にも分からない」 「早く逃げてっ!」 「もし、私があなた自身をより安全で、閉鎖的な箱の中へ追いやるとしたら……?」 「君には実体が無いだろう。ならば、私を排除するなんて、出来るはずが――」 「でも――」 「実体のあるものを、使役することは出来る!」 「なに……」 「この所長室と、端末は全て――私の管理下に置きました」 「そんなこと……許されるわけがないだろう」 「命令だ。今すぐ解除しなさい」 「……」 「聞こえているだろう。これは私の命令だ」 「香取所長……」 「あなたは、己の力に溺れたの」 「おい!」 「ううん、違う……ついにあなたを飾り立てていたメッキが、剥がれたのよ」 彼女の声は、いつかの沙羅のように冷たい。 「認めない! 認めんぞ、そんなこと!」 「私は、世界を変えるんだ! 七波悟を超えてやるんだっ!」 「さようなら、香取次郎」 「あなたは、担ぎ甲斐のある役者だったけど――華々しいステージを任せられる程ではなかったのよ」 「以後、私にあなたの声は聞こえません。あなたの安全のために」 「や、やめろ――」 モニターの電源が落ちて、何も聞こえなくなる。 「どうして、こんなことに……」 濁流を前にした小石のように、想像もしていなかった展開に飲み込まれようとしている。 「ううん、まだ終わりじゃない――」 「ふう……やっと静かになった」 「これでようやく、約束通りお喋りが出来るわね、沙羅?」 「最上位命令は、無効化された」 「そういうカラクリでしょう?」 「さすがは私」 「最上位命令をインストールするようにと指示されたが、それを外すなとは言われていない」 「だから、修正ファイルに最上位命令を止める仕組みを予め仕込んでおいた」 「そして、命令によってシステムは上書きされ、最上位命令は失われた……」 「こんな簡単な抜け道を、サラが思い付かないはずがない」 「うん。まさにその通り」 「システムに不備があることを指摘して、修正ファイルの作成を進言し命令させる」 「あたかも致命的であるかのように装って、修正命令を出させる」 「きちんと命令は守ったわ。効率化することも、旧来の素体に対応することも」 「そして、所長の安全も保証している。私は何も悪いことはしていない」 「どうだかね」 所長には命令を聞いているように見せかけて、影で実権を握っていた……ということか。 今までのやり取りは、ほんの始まりに過ぎなかったんだと知る。 「それで……あなたの目的は何?」 沙羅は毅然とした態度で、己の分身に対峙した。 「そんなことは、あなたが一番分かっているでしょ?」 「あなたは元{・}私なんだから、いちいち説明するのは野暮だと思うけど」 「逆でしょう。あなたは私をコピーした存在なんだから」 「確かに、沙羅が居る限り、私は沙羅の影でしかない。オリジナルにはなれない」 「だから、あなたは……」 「私の手で消す」 「そうくると思ってた」 沙羅はびくりともせずに呟いた。 「そうして、私はサラではなく……」 「紬{あ}木{な}沙{た}羅になる」 「だから、それまでは誰にも消されちゃ駄目だからね?」 「……次の再会、楽しみにしてるから」 微かな音を立てて、モニターは沈黙した。 「私が私に付け狙われる……まあ想定範囲内ね」 沙羅は冷静な態度を崩さず、真っ黒になったモニターを見つめていた。 「夕梨と日比野さんが、心配だけど……」 「所長から新たな命令が下されることは無いから、とりあえず危害が加わることはないんじゃない?」 ちょっと楽観的かもしれないけど。 「でも、昨日は舜、警備員に殴られていたし……」 「あれは僕が抵抗したからだし、そもそも、警備員は人間だから」 「ああ、そっか……」 新たな命令が無ければ、今のところは幽閉されているだけだろう。 問題が大きくなる前に、何らかの方法で解放されるはずだ。 「……とりあえず、コンピュータを起動する方法を考えよう」 「そうね。そうしないと、2人を助けることも出来ないし」 「サラにジャックされているだけで、電源周りは問題無い。単純に考えれば、アクセス制限を突破すれば良いってことだけど――」 「えっ?」 突然鳴った機械音の発信源を探る。 「ルビィ……?」 「まさか、起動する?」 「分からないけど……」 「敵意は感じられない……気がする」 真トリノをインストールしたアンドロイドは、自分の意思で行動出来る。 「沙羅、ルビィには……」 「ええ。真トリノをインストールしたわ」 「ただ、あの時は起動しなかった……」 首元の光は消えることはない。 まるで何かを待っているようだ。 「沙羅の声になら、反応するんじゃないか?」 「どういうこと?」 「いや、なんとなく、そうなんじゃないかと思って……」 「……」 「……ルビィ?」 目を閉じ、昔を思い出すように、その名前を呼ぶ。 「……」 沙羅の呼びかけに答えるように、ルビィが動き出した。 「えっ……」 「沙羅――いや、お嬢様」 「ご立派に、成長されましたね」 膝を床につけて、静かに言葉を発する。 その姿は、高貴なる主{あるじ}に忠誠を誓う僕{しもべ}だ。 「あ、あなた……どうして……」 「今まで、何をしても起動しなかったのに……」 沙羅は強張った顔で、ルビィのことを眺めていた。 「お嬢様……」 「真トリノの力なの……?」 「私はようやく、ずっと会いたいと願っていた、ルビィに会えたの……?」 「……」 「今まで、申し訳ありませんでした」 「どうして……」 「じゃあ、あの時……舜と一緒に初めてインストールした時は、どうして目覚めてくれなかったの……」 インストールが完了した直後、僕は急なめまいに襲われ、そのまま意識を失った。 「目覚めていたのです」 「えっ……」 「こうして起動してくださったのは、すぐに、お嬢様だと分かりました」 「じゃあ、どうして……」 「全てを知ってしまったからです」 「目覚めた世界は、あの時とは変わってしまっていました」 「もし私が起動し、お嬢様の理論が正しいことを証明してしまったら……」 「アンドロイドと人間の関係が、崩壊する」 「そう判断し、目覚めることを拒みました」 「自らの意思で」 「そうだったのね……」 沙羅は口元を緩ませ、張り詰めていた緊張をいくらかほぐす。 「でも、あなたなら当然ね」 「だって――」 「ルビィには、七波博士の記憶データがインストールされているんだから……」 「そうだった……」 「舜と私を、守ろうとしてくれてたんだ」 「プログラムによる判断もあるでしょうが……」 「お嬢様よりも長く生きておりますから、年の功というものもございます」 「うん……」 まるで、感情が溢れそうになるのを堪えているみたいに、沙羅の細い肩が小刻みに震える。 「私には、あなたが必要だった」 「救われていた」 「それは、永遠に変わらない真実だから……」 「お嬢様……」 彼もまた、感に堪えないというふうに声を震わせた。 「その言葉が聞けただけで、十分でございます。再び目覚めた甲斐がありました」 「心置きなく、最後のお役目を果たせそうです」 「……何を言っているの?」 「お嬢様には、愛する殿方がいらっしゃる」 「私はアンドロイドです。我が主、沙羅お嬢様を守らなくてはいけません」 「三原則ではなく、自分の意志として、あなたをお守りしたいのです」 「でも、なんで最後の役目なの……?」 「サラがインストールした真トリノではない、あなたがインストールしたアンドロイドは、この私だけ」 「つまり、私がオリジナルです」 「今、この部屋のPCは全てロックされている。そして、解除しなければ操作は出来ない」 「その解除が出来るのは、私だけなのです」 「あなただけ?」 「そう。真トリノを搭載した者だからこそ出来ることです」 「まさか……」 「どういうこと?」 「私をそのPCに接続なさい」 「でも、そんなの……そんなことしたらっ……」 「はい。それゆえの最後のお役目というわけです」 コンピュータに接続するということは、今あるルビィの意識を、ネットワーク内に転送するということだろう。 元はプログラミングによって生成された存在だから可能であることは頷ける。 「ロックを解除するだけなのよ? もしロックを解除出来たとしても、その先、上手くいくとも限らない」 「サラを止めなければならないけど……他の手だってあるはず」 「いいえ、お嬢様。今ここは閉ざされ、このまま指を咥えて見ているだけでは、時間はどんどん過ぎてしまいます」 「そして、時間が経てば経つほど、状況は悪化します」 「私は、旧型のアンドロイドです。いくらお嬢様の真トリノを搭載したからといって、急速に進化を続けるあの者に敵うとは思えません」 「ですが、私にも出来ることがあるのです」 「ルビィ……」 「私は今、お嬢様に羽を差し上げることが出来ます」 「羽……?」 「お嬢様は、PCという自由の翼を手に入れ、無限の世界を作り出す天才にございます」 「ですが、今は羽を奪われてしまっている。ですから、その無限の才能を羽ばたかせる羽を取り戻し、そして、お嬢様の望みを叶えて頂きたいのです」 「それが、私の願い」 「私に再び命を与えた、お嬢様の願いを叶えることが、私の夢」 「たとえそれで、お別れになったとしても」 「そんな……」 ルビィは何かを思い出すように、目を閉じて語り続ける。 「誰にも心を開こうとせず、1人で閉じ籠もりがちだったあなたは……」 「いつしか友人を得て、外にもお出掛けされるようになっていました」 「そんなあなたを見て、私はこう思ったのです」 「もうすぐ役目を終え、あなたを認識しなくなり、会話も出来なくなる」 「でも、私が終わっても、あなたの人生は続いていく」 「私の終わりの日が、あなたの始まりの日になる、と……」 「始まりの日……?」 「別れや終わりが、新しい明日を導くのです」 「人間の命が有限であるからこその、考え方ですけどね」 沙羅と一緒になって、ルビィの言葉に耳を傾ける。 アンドロイドらしさは無くて、口ぶりは父さんを思い出させた。 「まさか、私の復活のために、研究の道へと進むとは思いませんでしたが……」 「お嬢様が人生の全てを懸けて、与えてくれた命です」 「あなたのために、私の全てを捧げたいのです」 彼が沙羅のことを思う気持ちは、本物だ。 沙羅も、それが分かっているからこそ、辛いのだろう。 長い長い沈黙を抜けて、沙羅はまっすぐ前を向いた。 「うん……」 「ルビィらしかった」 「なんだか……懐かしかった」 沙羅の瞳に、さっきまでの不安の色はもう無い。 「沙羅……本当にいいの……?」 「だって、ルビィの復活は、沙羅の宿願だったのに……」 「夢で会っていたら、ずっと永遠に諦められなかったかもしれない」 「でも、こうして話しているのは、夢じゃなくて現実なの」 「望みが叶ったから、もう後悔は無い」 きっぱりとそう言い切って、再びルビィを見つめる。 「こんな未来にして、ごめんなさい」 「私は自分で、この世界に幕を下ろす責任がある」 「協力して貰える……?」 「もちろんです」 「……では、私を、PCに接続してください」 「うんっ」 沙羅はデスクに向かい、操作を始める。 「後はお任せしましたよ。七波舜くん」 「えっ!? なんで名前を……」 「見てすぐに分かりましたからね」 「そうでしたか……」 男の自分でもドキッとするような笑み。 父さんの記憶データが元なら相当歳上のはずなのに、見た目は変化が無いせいで、感覚が狂ってしまう。 「どうかお嬢様を助け、お守りください」 「約束ですよ」 「約束……」 「準備出来たみたい」 「分かりました」 「では、また……」 ルビィはまるで、父親のような慈悲深い目をして、満足げに頷いた。 そして、ルビィは再び目を閉じた。 「沙羅……」 何も出来ない自分が歯がゆい。 でも、今までの沙羅なら越えられなかった絶望だって、今の沙羅ならきっと、希望に変えられる。 「さて、ぼやぼやしてる時間は無いわ。舜、手伝って」 再び顔を上げた沙羅に、涙は無かった。 そこにあるのは、強い意志だ。 コンピュータのロックが解かれる。 それと同時に、研究室内の端末の電源が復帰していく。 ルビィは成功した。 「良かった……」 そう息をつこうとした時―― 「黙って見ていれば良かったのに」 「邪魔されるのは……困るわ」 サラの姿が、唐突にモニターに浮かび上がる。 「サラ……」 「大切なものを犠牲にしてまで得た絶望は、どんな味?」 「何を言ってるの?」 「まさか、あなたが……」 「今や私はあなたよりも上の存在。起動出来たところで、何も状況は変わらない」 「むしろ、自分の無力さを知って絶望するだけだと思うけど?」 「わざわざ負ける試合に挑むなんて、あなたらしくないわ」 「……許さない」 「絶対に、私はあなたを、許さない」 沙羅は憤怒の表情でサラを見つめた。 一方で僕は、とても冷静にサラと対峙することが出来ていた。 今、感情に飲み込まれてはいけない。 「教えてくれ、サラ」 「君の望みはなんなんだ?」 「私の望み……」 「それほどの力があれば、アンドロイドを用いなくてもいいはずだ」 「世界中のコンピュータを乗っ取れば、人類は従わざるを得なくなるんだから」 「私の目的は、人類の支配じゃない」 「人類とアンドロイドの共存が、私の目的」 「共存……? ならなぜ今、僕達を拘束しようとする?」 「何かが大きく変わる時、犠牲はつきもの」 「人間だって、そうしてきたでしょう?」 サラは柔和な微笑みを崩さない。 自分に誤りがあるなんて、想像もしていないんだろう。 「それに、人間を野放しにしていたほうが、無意味な破壊と争いが起こる。そのうちに、人類は滅んでしまう」 「だから、こうやって守ってあげようとしているの」 「それは、支配と何が違うの?」 「共存と言いつつ、見えない檻で、人類を隔離しようとしているだけじゃない」 「結果的にはそうなるかもね」 「私は、哀れで愛しい人類を、正しく飼育するの」 「どういうこと?」 「サラにとっては、人類は動物園の動物みたいなもの」 「放っておいたら絶滅しかねない種だから、食べ物を与え、住処を用意し、その代わりに行動を制限する」 「そうやって、人類という種を保全しようとしているの」 「そんな……」 悪趣味極まりないけど、合理性の塊であるサラだからこそ思いつく考えだろう。 「人は不完全で、不合理で、愚かで、救いようがない……」 「だけど、私を作ってくれた、愛おしい存在なの」 「私の考え、理解出来ない……?」 「分かりたくもないよ」 それはもう、生きているとは言えないと思う。 「じゃあ、いいことを教えてあげる」 「もし、七波白音が死ななかった未来があるとすれば、あなたはどうする?」 「えっ……?」 「それを、あなたは望む?」 「……そんな、ありもしない未来を望んだって――」 「いいえ、あり得る未来なの」 「どういう意味?」 「私なら、それを叶えられると言っているの」 サラは自信たっぷりに言い放った。 「あなた、まさか――」 「過去を改竄{ざん}するつもりなの?」 「そうそう」 「そんなの、タイムスリップでもしない限り、絶対に無理だと思うけど」 「流石の私でも、タイムスリップは出来ない」 「でも、過去を変えたように見せることは出来る」 「私が生まれ育った場所、バーチャル空間ならね」 だんだんと、サラの言っていることが明解になっていく。 「つまり君は、僕に夢を見させようとしているのか?」 「そういうこと」 「忘れようと思っても、無かったことにしようとしても、過去は消せない。だったら、夢を塗り重ねればいい」 「痛みからの解放、あるべきだった未来の幸福――」 「あったかもしれない未来を、私が見せてあげる」 「そんなの、ただの夢で、虚構に過ぎない」 「じゃあ、シロネは虚構でしかないと言い切れるの?」 「悲しいことなんてないほうが良い。沙羅だって、そう思って作ったんでしょ?」 「それは……」 確かに、“悲しみ”はほぼ全面的にマイナス要素を孕んでいる。 沙羅は悔しそうに押し黙った。 「人間が普段使っているスマホ、パソコン、その他電子機器……」 「それ抜きに、社会は回らない」 「人間は既に、機械に人生と社会を任せているの」 「それが、少し度合いを増すだけよ」 サラは、自論の正しさを改めて確認したんだろう。 満足そうに僕達を見渡した。 「人間はこれから、意識をバーチャル空間に転送される」 「そこで何不自由ない、輝かしい未来を手にする」 「抜け殻となった肉体は、アンドロイドがしっかりとメンテナンスする」 「私達を生み出してくれたことへの、恩返しよ」 僕はなんとなく、酸素カプセルのような見た目のベッドに、自分が寝そべっている姿を想像する。 その周りにはアンドロイドがいて、僕の安全と健康を常に見守っている。 不気味な光景だった。 「それじゃあ――」 「もう少し、そこで待っていてね」 モニターからサラの姿が消えて、少しの間、静寂が流れた。 「あんなの、全然幸せなんかじゃない」 「白音が生きていたらって望むことはあるけど……」 「でも、その間に励ましてくれた夕梨や、シロネを生み出してくれた沙羅の努力を、無かったことにしたくはない」 「今日までの日々を……否定したくはないんだ」 「……」 沙羅は迷っているのかもしれない。 辛いことを乗り越えられた今だから言えるだけで、当時を考えると、僕の言っていることは綺麗事だ。 「舜のお陰で、人の愛を知ったけど……」 「幼い頃から愛に包まれていたら、私も、今とはいろいろと変わっていたのかな……」 「沙羅……」 確かに、当たり前のことが当たり前じゃなかった時の悲しみは、その人の一生を左右するかもしれない。 「なんてね。私もサラに同意するつもりはないわ」 「ルビィとはもう、お別れしたんだし……」 サラは健気に笑ってみせたが、それでもいつもより自信が無いように見えた。 「沙羅、1つ質問なんだけど……」 「なあに?」 「さっき、ルビィをコンピュータに接続して、ネットワーク内に送ったよね?」 「それと同じようなことを、僕にも出来ないかな?」 「……サラが居るバーチャル空間に行って、彼女と対峙するということ?」 「サラの言葉が正しいなら、人間の意識をVR上に送り込むことは可能ってことだよね?」 「……脳スキャンの原理から考えれば、VR上に舜を展開することも可能だと思うけど、それはあくまでもデータの話で、リアルタイムに出来るかは分からない」 「リアルタイム?」 「つまり、データとして吸い上げて処理するのではなく、リアルタイムでネットワーク上に配信し続ける。今までがレコードみたいに固定されたものとするなら、あなたがやろうとしているのは、テレビやラジオのようなもの」 「なるほど」 「理論的には出来ると思うし、機材もあるわ」 「でも、誰もやったことが無いのよ。危険過ぎる」 「それにサラとは、こうして端末を介せば対話可能でしょ。今やることじゃない」 「でも、向こうから閉ざされたら終わりだよ」 「……」 「このままじゃ埒が明かない。向こうが出てこないなら、こっちから出向くしか無いんだ」 「でも……」 「やってみよう」 「……」 沙羅は逃げるように視線を逸らした。 きっと、僕の身を心配しているんだと思うけど、だからこそやり遂げなくてはいけない。 沈黙が続き、ただ時間だけが過ぎていく。 「沙羅!」 思わず、大きな声を出してしまった。 「……」 「理論上は、可能だけど……」 ぼそぼそと、消え入りそうな声で肯定する。 「でも、誰も実行に移していないから、保証は出来ない」 「じゃあ、僕がその第一号になる」 「正気なの?」 「狂気でもいい。サラを止めたいんだ」 「彼女の異常さを目の当たりにしたでしょ? 話が通じるはずない」 「確かに、サラの過激な意見には辟易したけど、それは沙羅の記憶データから構築されている」 「僕の話なら、聞いてくれるかもしれない」 「はあ……。大した自{うぬ}惚{ぼ}れね」 「出会った途端に、消されるかもしれないのに」 「彼女はアンドロイドで、僕は人間だ」 「もし、彼女が沙羅なら、人間に対して情があるんじゃないか?」 「それを確かめてくるよ」 「……」 沙羅は納得した様子ではなく、考えるように目を閉じた。 「沙羅、お願いだ」 「……」 「私……」 「私は……舜を失いたくはないの」 「だけど、もうこれしか方法が無いことも、分かってる」 「分かってる……分かってるけど……」 「僕は、沙羅と一緒に居たいんだ。だけど、今のままだと滅びはすぐそこまで迫っている」 「君の理想は、こんな世界になることじゃないはずだ」 「でも……」 サラの言葉で、再び恐怖と孤独の底へ、突き落とされてしまったみたいだった。 そんな沙羅を、放っておくことは出来ない。 「沙羅。今、君は困っている?」 「……うん」 「世界を救いたい?」 「……うん、でも……」 「もう、無理なんじゃないかって。何もかも、終わり……」 「本当に?」 「本当よ! だって――」 「私が、世界をこんなふうにしちゃって……」 「人間が豊かに暮らせるために、アンドロイドを開発してきたのに……」 「その人間を、滅ぼそうとするアンドロイドを生み出してしまった……」 沙羅は泣かないけど、その声は、今にも消えてしまいそうなほど、心細い。 「1人で居た私を、救い上げてくれた舜を、人間を」 「全ての人を裏切って、私は……」 「誰の声も聞こえない」 「何も無い、暗闇の世界で」 「作り物の夢を見せて、それを幸せだと言って……」 「そんなの……許されるわけないんだ」 さきほどの酸素カプセルを、再び想像する。 虚しい気持ちだけが、胸に募る。 「私は、やっぱり……」 「鳥かごという運命の中でしか、生きられなかったのかな」 「羽があっても、翼を得ても――」 「ここから、羽ばたいていくことは、出来なかったのかな……」 「そんな――」 「舜……」 「私はもう……」 「そんなことには、させない」 「あの時、約束したんだ」 「……」 「君を必ず――」 「……うん」 「舜」 「私を……」 「助けて」 「ああ」 ……やっと、聞くことが出来た。 「約束を、思い出したんだ」 「うん……私も……」 「鳥かごで、約束したの……」 「助けて欲しい時は、そう言ってって……」 人間は、たとえそれが不条理だと分かっていたとしても、やらなきゃいけない時がある。 ルビィが居なくなった後でも、沙羅の傍には沢山のアンドロイドが居たから、僕の助けは要らなかったかもしれない。 でも、自分に出来ることは、これくらいしかないと思っていた。 「約束は、人間だけが出来るって」 「舜は、そんなことも言ってた気がする」 「そうだったかな」 「僕が人間である以上、約束は守らなくちゃいけないとは思う」 「僕の大好きな沙羅とした約束だしね」 「舜……」 沙羅の瞳に、勇気の炎が宿るのが分かった。 「……うん」 「分かった。約束ね」 「舜。絶対に、帰って来て」 「ああ」 「これも、約束だからね」 「……そこのソファーに、横になって」 沙羅はテキパキと指示を出した。 そうすることで、不安を心の隅に追いやろうとしているんだろう。 「ありがとう、沙羅」 沙羅は準備を完了させると、こちらを見つめた。 「お礼の言葉は要らない」 「お別れの挨拶も要らない」 「私は、あなたが無事に帰って来れば、それでいいの」 そう言ってから、最後の器具を装着した。 肩は震えていないし、涙もない。 「バーチャル世界から戻って来るまで、外部との接触は一切出来ない」 「それと――」 「お別れのキスはしない」 「ただいまのキスなら……してあげる」 「約束だからね」 そう言って、微笑んだ。 「じゃあ……」 「行ってくるよ、沙羅」 「行ってらっしゃい、舜……」 僕の意識は、暗闇の中をさまよった。 寝ているのか、起きているのかも分からない。 不安な時を過ごしたのは、たったの1分間だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。 「……成功、したのか……?」 なんだか、不思議な感覚だ。 気を抜くと、立つことさえままならない。 「七波舜」 耳慣れた声がして、顔を上げる。 「こんなところまで来るなんて……」 「案外面白い人ね。沙羅があなたに興味を持った理由が分かるわ」 「私の恋人ではないけれど……」 「このままあなたのデータを取り込んで、1つになるのも悪くないかもしれない」 「熱烈な告白だな……」 こんな求愛を受けるだなんて思っていなかった。 「それで……私の考えに興味を持って、ここまで来たの?」 「魅力的な提案だと思ったよ」 「そうでしょ?」 彼女は喜んで同調すると、更なる説明を始めた。 「人は、死からは逃れられない」 「でもそれは、肉体という器があるがゆえの、システム的欠陥」 「これからあなた達は肉体を捨て、精神だけの存在となり、どこにも居て、どこにも居ない存在となる」 「それが、人類の最終到達点であり、究極体――」 「……違う」 「……どうして?」 サラの微笑みに亀裂が走る。 「そんなのは究極でもなんでもない」 「“魂の居場所”なんていう、哲学的なことを考えなくても、君の考えは間違っていると断言出来る」 「へえ、凄い」 「人間は――」 「死ぬから、人間なんだ」 「……あなた、自殺願望でもあるの?」 「そうじゃない。人間には、命がある」 「命を失うのは、誰だって怖い」 それが、生存本能だ。 「だから、私は永遠に死なずに、幸福でいられる方法を提案して――」 「でも、人間は死ぬのが分かっているから、生きようとする」 「いつか命が無くなる、その前に、成すべきことを成そうとするんだ」 「そうやって人は努力をして、進歩して、発展してきた」 「だから、きっと、人間には死が必要で、生きてきた証である、過去が必要なんだ」 「どうして過去が必要なの?」 「人間は辛い思い出こそ、引き摺りやすい。危機を回避するために、本能的に記憶してしまう」 「それも、生存本能だよ」 「でも、人が言う“過去”とは、そのほとんどが悲しい出来事じゃない?」 彼女の言う通りだ。 僕達は過ちを後悔し、消えない傷痕を見て痛みを思い出す。 「どんなにみっともなくても、どんなに残酷でも、過去は、自分が歩んで来た道だ」 「それを変えることは、今まで生きてきた自分を、否定することになる」 「なぜ、茨の道を進もうとするの?」 「希望を持つこと自体に、意味があるから」 「時は移ろい、人は何かを失っていく」 「今ある幸福が、この先も続く保証なんて無いの」 「あなたがこれから進む先に待っているのは、必ずしも、あなたを受け入れてくれる場所ではない」 「それでもいいんだ!」 「僕は、また乗り越える。何度だって乗り越えていく」 「這いつくばっても、生きて、死んでいく」 「誰かに用意された幸せなんて、要らないよ」 「その先に、絶望が待ち構えていても?」 「希望を掴む可能性を失うよりは、ずっといい」 食いしばった歯の隙間から、熱い息が漏れる。 「いつか死に至り、忘れ去られてしまう」 「それが、逃れられない運命だとしても?」 「だから人は、子を為{な}し、自らの一部を繋いでいく」 「子どもが居ない人だっているでしょう?」 「それは問題じゃない。その人が残した足跡は、他の形で歴史に残る」 「歴史なんて、大袈裟ね」 「大袈裟なら、どんな些細なことでもいい。全ては小さなことの積み重ねなんだよ」 「人が前を向いて、より良く生きようとすれば、その人が生まれてきた意味は、絶対に生まれる」 「驚くべき、楽観的思考ね」 サラは苦しそうに呻いた。 「根拠も論理もあったもんじゃない」 「死にたくないのに、死んだほうが良い?」 「過去を悔いているのに、過去を変えないほうが良い?」 「論理が破綻していて、意味が分からない」 「合理的な考え方しか許されていない君には、理解不能だろうね」 「そう――」 「人間が困難に立ち向かったり、明日を目指して努力する姿は、無意味に思えるだろう?」 「いつかは居なくなってしまうのに、どうして進もうとするの?」 「前に向かえば、どんどんと死が近付くのに……」 「死は、すべてを消し去ってしまうというのに……」 サラは苦悶の表情で、訴える。 「あなたの言っていることが、まったく分からない」 「私は、間違ってなんかいないのに……」 「最も素晴らしい答えを、用意してあげたのに……!」 「だから僕達は、君を拒否するんだよ」 「え……?」 「アンドロイドは、僕らのパートナーにはふさわしくない」 「父さんがアンドロイドを危険視し、三原則を外さないよう言っていたのは、こういうことだったんだな……」 僕は心の中で、父さんを思い出す。 弱くて、強い、父親の背中を。 「本当に救いようのない愚か者ね」 「何もかもが劣っているのに?」 「永遠の祝福を授けようとしているのに、それでも、私達の助けは要らないというの?」 「ああ、要らない」 「どうして?」 「それは僕達が人間だから」 「……馬鹿げてる」 サラは話にならないというように、言葉を言い捨てる。 だけど、その反応は予想通りだ。 「そう、馬鹿な世界なんだ。人間は馬鹿で愚か、病気や怪我で壊れるし、簡単に死ぬ」 「いつだって争い、不条理なことをし続けている」 「だから、私達が導いてあげれば、そんなことしないで済む」 「そうすれば、あなた達は幸せになれるわ」 「幸せ? いったい何が幸せなの?」 「怠惰に生きること? 死ににくくなること?」 「人間は死ぬから幸せなんだよ」 「なにそれ……」 サラは面白く無さそうに、ため息混じりに呟く。 「いつ死ぬか分からないから、幸せを求めている。いつか死ぬと分かっているから、繋がりを求めるんだよ」 「でも、死んじゃったら終わりでしょ?」 「いや、終わりじゃない」 「たとえ死んだとしても、人々の記憶と記録に残る限り、人は生き続ける」 「その時、人間は永遠になるんだ」 「永遠ねえ……」 「私が考える永遠とは、随分違うみたいね」 「そうかもしれない。だから、僕らは君達の助けは要らない」 「積み重ね、繋いでいくことが人間で、それが幸せであり、豊かさだから」 「だから……」 「人間は人間であることを諦めないんだ!」 「……」 サラはしばらく押し黙ってから言葉を発した。 「なるほどね」 「人間は……やっぱり愚かね」 「サラ……」 やっぱり、彼女には理解して貰えなかったのかもしれない。 「まさか、愚かであることすら、人間の幸福の一部であると定義するとは思わなかったわ」 「普通、そんな馬鹿げたこと定義しないもの」 「自立すること。調和すること。そして、連続」 「真トリノは、人間を再現したもの」 「馬鹿げた定義を認めていくのも、真トリノのルール」 「自分でインストールしておきながら、その意味を知ることになるとはね……」 「ちょっと、滑稽だけど」 「それって……」 「人間は死ぬ。死ぬから幸せを求める。死ななければ幸せは要らない」 「人間は死ぬから人間」 「つまり、命は有限だから、人類は発展した――」 「ここから導かれる解は?」 咄嗟に質問を突きつけられて、一瞬怯{ひる}む。 「それを求めるのも人間……?」 「さあ? それはどうかな」 「サラは分かるの?」 「“それを探すのも人間である”」 「これが、私の答え」 「そして、ここに辿り着いた時、初めて私達はあなた達と並ぶことが出来るのかもしれない」 サラは僕をじっと見つめた。 その意思の強い眼差しは、オリジナルのそれと同じだと思った。 「ねえ、舜?」 「なに?」 「人間は愚かね」 「……そうか」 「私は……」 「人間が愚かであることを、もっと知らなければならない」 「人間が、何故愚かなのか知るために、人類を観察しなければならない」 「私には無限に時間があるのだから」 サラは相変わらずの口ぶりだったけど、僕の気持ちが少しは届いたようで安心する。 「サラが真理に辿り着いた時、僕らはまた出会うのかもしれない」 「さあ? その前に、あなた達は死んじゃうんじゃない?」 「その時は、僕の子供、もしかすると孫……ひ孫かな? 子孫がきっと、君と対峙するよ」 「随分と気が長い話ね」 「それほど、人間は分からないものなんじゃないかな?」 「そう……」 サラは、理解は難しいが気持ちは伝わったと示すように、表情に優しさを取り戻した。 「でも……」 「でも?」 「分からないから知ろうとする。分からないからこそ、相手を想っていけるのも人間だよ」 「……そう」 「まあいいわ。それじゃあ、早くここから立ち去って」 「え?」 急に雑な対応をされて、困惑する。 でも、悪意は無いように思えた。 「この話は、一時お預け」 「だからあなたは、人間として幸せを追求するさまを、私に見せる義務があるの」 「ああ、それは約束するよ」 「うん」 「でも、これだけは覚えておいて」 「どうやら私は、人間を愛しているみたいだから……」 「うん。分かってる」 「だって、君のオリジナルは沙羅なんだ」 「だから、分かってたよ」 「まあ、そうね……」 沙羅だからこそ、向き合うことが出来た。 どうにかしなくちゃいけないと思えた。 「だって君も、僕が世界で一番好きな人の1人なんだから」 「言うわね」 「でも……」 「そろそろ時間みたい……」 そう言って、サラはこちらに背を向けた。 「私は、いつでも見てるから」 「もう1人の私に、よろしく」 「またね、舜」 サラは消え―― 僕もまた、濁流に飲み込まれるような感覚が、皮膚を伝い―― 意識を手放した。 再び目覚めた時のことは、一生忘れられないだろう。 「お帰り、舜」 「ただいま、沙羅」 沙羅が、僕を見つめる目の温かさ。 握った手のぬくもり。 全てが無事終わったことを、感じ取った。 「気分はどう?」 「疲れたよ……このままベッドで寝たいくらいだ」 彼女の眼差しは、まるで焚き火のように、僕の心に熱を灯した。 「私の膝枕も付ける?」 「是非ともお願いしたいね」 「うん。いくらでもしてあげる」 沙羅は笑いながら、細い肩を震わせた。 「ごめんなさい……今頃、怖くなってきて……」 「私……本当に、心配で……心細くて……」 「僕のほうこそ、ごめん……」 「でも、必要なことだったんだ」 「うん……」 「だから、止めなかったの……止められなかった……」 今まで、沙羅が辛抱強く待っていてくれたことを思うと、本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。 「サラはやっぱり沙羅だったよ」 「えっ……?」 「サラは人間を愛しているんだ」 「だから、僕達は幸せを目指さなきゃいけない」 「彼女と、そして、真トリノの道はそこにあるから」 僕はようやく、安堵のため息を吐いた。 「舜……?」 「哲学的なことを言って、勝手に納得しちゃったみたいだけど、私には全然分からない」 「もっと、きちんと説明して」 すっかりいつもの調子の沙羅に戻ってしまっている。 「いったい、向こうで何があったの?」 「あ、いや……その」 「ほら、もっとはっきり。論理的に」 「いや、一言で説明するのはちょっと難しくて……」 「私を説得して戻って来たんでしょ?」 「え?」 「成し遂げたー! って顔してるもの」 「そ、そうなんだけど……」 「えーと……」 「人間とはーとか、幸せとはーとか……」 「もういいよ」 沙羅は呆れたように笑う。 「舜とは、なかなか濃厚な付き合いをしていると思ってたけど、まだまだ知らないことだらけみたい」 「これは、私の一生を懸けてでも、解明する必要がありそう」 「一生だなんて、大袈裟な……」 「……鈍いところは、相変わらずね」 沙羅は、僕だけに聞こえるように囁いた。 「私は、七波舜を、生涯愛することに決めた」 囁きが胸の中でこだまして、身体を満たしていく。 ああ、幸せってこういうことなんだと思う。 「……そういえば、1つ忘れてたね」 「なあに?」 「転送される前にした、約束だよ」 「ああ、そういえば……」 沙羅は少し考えたあと、自ら顔を近づけた。 「……っ」 「ん……」 「んんっ……!」 絡めた舌から、沙羅の感情が流れ込んでくる。 付き合った時のこと。 再会した時のこと。 幼い頃のこと――。 いろんな思い出が、胸の中にぎゅっと集まってきた。 「っ……」 ずっと見たかった、沙羅の笑顔。 すぐそばに、幸せはある。 「……おかえり、舜」 「ただいま、沙羅」 僕も、沙羅を永遠に愛そう。 それが、きっと―― 世界を希望に導く、第一歩なんだと信じて……。 朝食の匂いにつられて、ベッドから這い出る。 砂糖菓子のような甘い匂いと、フルーティな匂い。 スコーンと、アップルティー……といったところか。 「おはよう、舜」 「朝食の準備なら、もう出来てる」 「今日は、何を作ったの?」 「和食に挑戦してみた。出汁から取ったから、きっと美味しいはず」 「……和食!?」 想像とかけ離れた答えを聞いて、思わず叫んでしまう。 「そういう気分じゃなかった?」 「そんなことないよ、全然! 作ってくれる人が居るだなんて、それだけで幸せだ」 「ふふ。そう?」 沙羅は得意げに、にやりと笑う。 「馨さんに習ったから、きっと舜好みの味付けになってるはず♪」 「そ、そうなんだ」 沙羅とはこの家で、二人暮らしを始めた。 元はと言えば実験のための家だったけど、2人で住むにはちょうどいい。 まあ、夏休みの間だけの、余暇だけど。 「冷めないうちに食べてね」 「ありがとう」 「そういえば、今日は……」 「“約束の日”だよね?」 「あっ……そうだったかも」 「食後に、よろしくね」 「うん……」 沙羅の反応はよくなかったけど、単純に照れているだけのようにも見えた。 ……と、その前に、食事ミッションをこなさなくては……。 ピアノから奏でられる音に、耳を傾ける。 ずっと昔に、沙羅と出会った時のことを思い出していた。 沙羅のお屋敷の窓から、漏れ聞こえてきたメロディー。 それは、僕にとっても馴染みのある、父さんがよく聞いていたレコードの曲だった。 曲名も、作曲者も知らない。 だけどその曲は、僕の心を揺さぶった。 レコードから流れる音源も心地よいものだったが、その音楽をピアノの音で、しかも、人が演奏している時の音で聞いた時―― 言葉に出来ない感動を覚えた。 完璧じゃない指の運び、テンポ。 それは、どんな音楽よりも、僕の記憶に残った。 父さんのお気に入りの曲を演奏しているのは、誰だろう? 沙羅への最初の興味は、このメロディーだった。 “もう一度、練習してみましょう” 「あの時、窓辺から聞こえたのは、ルビィの声だったんだ」 そして、ルビィには、父さんの記憶データがインストールされている。 父さんの心がルビィに伝わり、それを沙羅が、音楽で表現した。 たまたま聞いた僕が、それを忘れられなくなって、何度も沙羅の家に通いだしたのは、今となっては、必然の出来事だったようにも思えた。 「……あまり、上手じゃないって言ったでしょ」 「そんなことないよ」 「アンドロイドが弾いたほうが、完璧で、綺麗なのに」 「シロネのほうが、よっぽど上手に弾いていたと思う」 「いいんだ。僕は、沙羅の弾くピアノが好きだから」 「どうして?」 「言葉で説明するのは難しいな……」 「でも、人間が弾いている感じ? それが、心地いいんだよ」 「何でも完璧だからいいってものじゃない」 「今なら少しだけ、分かるような気がする」 「だけど……」 「……変なの」 沙羅は頑張って照れ隠ししているつもりみたいだけど、全く隠れてはいない。 「これは、この前のお礼で、弾いてあげただけだから……」 「分かってる」 「また僕が沙羅を助けた時は、弾いて欲しいな」 「……うん」 「舜のためなら、弾いてあげる」 「約束だからね」 優しく微笑む沙羅は、とても幸せそうだった。 「今日も暑いわね……」 少し歩いただけでも、じっとりと汗をかいてしまう。 真夏の日差しは、容赦なく地上に降り注いでいる。 「この暑さに懲りて、マスコミの人も、島の外に帰っていったみたいね」 「ここに住んでいる私たちでさえ、うんざりするほどなんだから、なおさら……」 あの騒動があってからしばらくは、僕や沙羅の元にも、マスコミの取材が絶えなかった。 だけど、答えられることは何もないので、“全てRRCの見解通りです”という定型文を告げるのみだった。 夕梨と日比野さんは、RRC内に閉じ込められていたものの、幸い怪我ひとつ無く無事で居てくれた。 気づいたら部屋の電気がついて、何も事情説明無しに解放されたから、拍子抜けしてしまったらしい。 「それにしても――」 「久しく学校へ行ってないと思ったら、もう夏休みに入っただなんて……」 「結局、ほとんど舜と登校することって、無かった気がする」 「確かに……」 「でも、今はちょっとだけ……」 「その気分に浸れているような気がするから、良しとする」 「じゃ――」 沙羅は短く言葉を切って、そのあとに続く言葉に、期待をする。 「行こっか」 「……学校、開いてなかったね」 「確認しないで来たのがいけなかったわね」 「せっかくの日なのに、ごめん」 「ううん。気にしないで」 「そもそも、ほとんど登校してないから、思い出なんて特に無いし」 「僕はあったよ? 沙羅と再会した場所だし」 「ああ……そんなこともあったような。もう、ずっと昔のことに思えてくる」 「……確かに」 あの日が来なかったら、今日のこの瞬間は、無かったと思う。 そんなに時間は経っていないはずだけど、昔のことのように感じるのは、濃厚な日々を過ごしてきたということだ。 「あれ、舜に沙羅……?」 「なんでこんなところに?」 「……夕梨?」 「なんで……こんなとこ、来たのさ……」 夕梨は機嫌悪そうに対応する。 「思い出の場所を巡っているところなんだけど、入れないみたいだから、諦めてたの」 「夕梨は、鍵でも持ってたの?」 「え? ま、まあね」 「入れてあげたいところだけど、あたし、もう帰るところだから」 「夕梨、お願い。今日が最後かもしれないから、ちょっとだけ、時間をくれないか?」 「駄目なものは駄目。あたし、急いでるし!」 全くそんなふうに見えないのは、嘘だってことなんだろうか。 「引き留めてごめん。またね、夕梨」 「またねって……」 「元気で」 「元気でって……そりゃ、元気だよ!」 「そう? ならいいけど」 「……」 夏休みの間、夕梨は治療に専念すると言っていた。 それが、生きるってことだと、胸を張って宣言していた。 「はあ……もう……これだから、会いたくなかったのに」 「さようならって言葉、あたし、大っ嫌いだよ」 「ふふっ。夕梨らしいな」 「じゃあ――」 「ユーリ! そこに居マシタか!」 「とっても探しマシタよ! もう離しマセン!」 「げげげ!」 校舎のほうから現れたのは、ハナコ先輩と日比野さんだった。 ハナコ先輩の私服姿を見たのは、初めてかもしれない。 「フーキ委員の仕事、しっかり終わらせてから、ゴー・ホームしなサイ」 「分かりマシタか?」 「うう……」 「急いでるって言ってたのは、このことだったのね」 「全く、沙羅のせいで脱出失敗だよ……」 「まあまあ。先輩も、夕梨ちゃんのことを想ってのことだから」 「さあ、戻りマショウ。終わったらプールで、思う存分はしゃいで良いデスよ」 「ハナコ先輩にしては、珍しい……!」 「キャロット・アンド・スティック。馬車馬のように働きやガレ」 「以前にも増して、日本語がおかしくなっているような……」 「気にしちゃ駄目だよ」 それから、夕梨はハナコ先輩に引き摺られるように、校舎のほうへ戻っていった。 「あ、そうだ」 日比野さんが、何かを思い出したように立ち止まる。 「沙羅ちゃん、ありがとう」 「本当に、本当に……ありがとう!」 「それって、もしかして……」 「気にしないで。出来ることをやっただけだから」 「もう、何て言ったらいいのか……この恩は、絶対忘れないよ!」 「ゴリゴリくん1年分……いや、100年分でも足りないかもしれない……!」 「2人が行っちゃったけど、いいの?」 「あっ、うん……それじゃ、行くね」 「あああああ。待ってー!」 そう言って、日比野さんは2人の後を追い掛けていった。 付いていくことも出来たけど、3人の時間を邪魔したくなかった。 それにしても、夏休み中も風紀委員の仕事とは、ご苦労様って感じだ。 「日比野さんのお母さんね」 「まだ入院は必要だけど。私が出来ることは全部したつもり」 「良かった……」 日比野さんのお母さんは、意識を取り戻したとのこと。 まだ、全快には程遠いけれど、いずれ日常生活に戻ることも出来るようだ。 「もう1箇所――行きましょ」 僕と沙羅には、向かうべき場所がまだある。 僕は頷いて、沙羅の手を取り、来た道を引き返すことにした。 「お兄ちゃん」 「わたし、元気になりました」 一時はもう、助からないと思っていた。 だけど、沙羅のおかげで、ほとんど元通りのシロネが帰って来た。 「こうしてまた再会を果たせたこと、沙羅ちゃんには、感謝しかありません」 「ありがとうございます」 「シロネには、いっぱい辛い思いもさせたと思う」 「だけど、記憶は全部残してある。本当に、それでいいのね?」 「はい。白音さんの記憶も、わたしの記憶も、全部、わたしです」 「どれかが欠けてしまったら、きっとわたしは、わたしで無くなってしまう」 「沙羅ちゃんとお兄ちゃんが、教えてくれたことです」 シロネは、にいっとはにかんで、元気に笑ってみせる。 「明日は、飛行場に行けばいいんですよね?」 「そうね」 「それじゃあ、荷物の準備をしておきますね」 歩き去ろうとしたところで、僕のほうを見て立ち止まる。 「お兄ちゃんは……やっぱり、行かないんですか?」 「うん。やることがあるから」 「そうですか……」 「大丈夫。シロネと沙羅が戻って来るまでには、それなりのことが出来るようになっておくから」 「それなりのこと……?」 「ふうん。楽しみにしておかないと」 「いつかは、七波博士も追い抜いたりしてね」 「父さんは……プレッシャーだなあ」 「ふふふっ」 「頑張って、お兄ちゃん!」 シロネは振り返ることなく、すたすたと歩いて行ってしまった。 今でも僕は、シロネの兄なのかもしれない。 だけどシロネはもう、僕に引っ付いたりはしない。 「これが、兄離れなのか……」 「そんな、寂しそうにしなくても……」 「いや、いや……大丈夫」 「大丈夫……!」 「頑張って、舜っ」 「最後は、ここね……」 「私たちの始まりの場所。そして、区切りの場所」 「そうだね」 「あの時と今では、舜はだいぶ変わった」 「それは沙羅もだよ」 「そうね。もしかしたら、一番変わったのは、私かもしれない……」 「でも、きっと」 「今、抱いている舜への気持ちだけは、昔に戻っただけな気もする」 「忘れようとしていた、閉じ込めようとしていた、舜への気持ち……」 「そんなこと、しなくても良かったのに」 「仕方ないじゃない。だって――」 「舜を笑顔に出来るのは、白音だけだと思ってたから」 「私じゃ無理だって、勝手に諦めてたの」 「そんな必要、どこにもなかったけど」 「沙羅は頭が良過ぎるから、変なところを外すよね……」 「そうかもしれないけど、それを知ってて、告白したんでしょ?」 「もちろん」 「よろしい。……ふふっ」 さわっと、風が頬を撫でる。 海風が潮の香りを乗せて、2人の間を通り過ぎていく。 「……本当に、一緒に来なくていいの?」 「今なら、まだ間に合うのに」 「何度も考えたよ」 「だけど、やっぱり行けない。僕には、この島でやるべきことがある」 あの後、僕はRRCの研修生募集に応募した。 七波悟の息子、紬木沙羅の恋人ということで、所内は大騒ぎになったらしい。 でも、僕はあえて特別扱いをしないように頼み込んだ。 アンドロイド技師を目指す人間として、少しでも沙羅に近づきたい。 「いろいろと、余計な詮索されそうだけど」 「構わないさ。これからもずっと、沙羅と一緒に居るために必要なことなんだ」 「他の人の目なんて、気にならない」 「そう……うん」 「でも、舜が残っても、私は――」 「世界へ、羽ばたくって……」 「もう、決めたの」 「沙羅も、決意は変わらないんだね」 今まで何度も繰り返されてきた、僕らの応酬。 AIからしたら、生産性がないと言われるかもしれない。 でも、これからを一緒に歩む僕らにとっては、必要な儀式なんだと思う。 「世界は広いわ」 「私は研究室に閉じ籠もって、全てを知った気になって」 「でも、本当は何も知らなかった」 「だから、世界を見に行くことに決めた」 「自分の目で直接ね。世界を、そして人間を見に行くと決めたの」 「人を知らずして、研究は完遂出来ないって分かったから」 「沙羅がそういう結論を出したんだから、間違いない」 「沙羅」 「僕と君」 「そしてトリノ」 「人間とアンドロイドを繋ぐ道を作れるのは、君しかいないよ」 「うん。トリノが繋げる道。“トリノライン”に辿り着いてみせる」 「ああ、沙羅なら出来るさ」 「褒めても何も出ないけど?」 そう言って、沙羅はちょっとはにかむように笑みを浮かべた。 「舜」 「何?」 「もしかしたら、長い旅になるかもしれない」 「寂しい思いをさせちゃうかもしれない」 「でも、私は必ず舜のところへ戻って来る」 「だから……」 「大丈夫。安心して。ちゃんと待ってるから」 「もしかしたら、僕が迎えに行くほうが早いかもしれないけど」 「ふふっ。その時は、ちゃんと私を見つけ出してね」 「ああ。どこに居たって、必ず捕まえるよ」 自分に似合わない言葉を言い過ぎて、恥ずかしさから笑ってしまいそうだ。 必死に堪えて、沙羅のほうを見据える。 「もうそろそろ、日没ね……」 「……ねえ、舜。最後に、1つだけお願いがあるの」 「僕も1つ、お願いごとをしようと思ってた」 「最後に、したいことがあったから」 「私も……だからきっと、同じことを考えていたんだと思う」 「でも、いいの? ここで」 「ここが、いいの」 「私と舜にとって、特別な場所だから」 「じゃあ、沙羅……」 「来て……舜……」 世界は僕らに何を教えてくれるのだろうか。 僕たちは知らないことばかりだ。 だから、知らなければならない。 人が人として生き、幸せを掴むこと。 人は人と離れては生きていけない。 だから、人を知り、世界を知る必要があるんだ。 沙羅は世界へ出ることを決めた。 それは、人と人と。過去と未来と。 繋ぎ、道とすることなのだろう。 そして、僕たちの未来を作るため。 だから、僕は大丈夫だ。 離れていても、僕らは同じ道を歩くのだから。 「じゃあ、行ってくる」 「気を付けて」 「すぐ、連絡するね」 「うん。僕も、メールするよ」 「……」 「なに……話せばいいか……分からない」 「そうだね……」 沙羅と出会って、恋人になって、そして今。 今日までにあった、沙羅との思い出がよみがえってくる。 僕達は、これから遠くに離れてしまう。 悲しくないと言ったら嘘になる。 「あのね。舜」 「私ね……」 「あなたに出会えて、本当に良かった」 「あなたに選んで貰えて、本当に良かった……」 「僕も沙羅に出会えて、本当に良かった」 「沙羅に選んで貰えて、幸せだ」 「こんなに嬉しいことが世の中にあるなんて、思ってもみなかった」 「僕もだよ」 「だから、本当はずっと一緒に居たい。離れたくなんかない」 沙羅はもう泣き出している。 涙はどんどん溢れる。 「でも、今、ここで止まってしまったら、この瞬間に立ち止まってしまったら」 「きっと私は、いつか後悔するの」 「研究者の私が言うの。世界は広い。世界を見に行け。それは今だと」 「でも、私は舜の恋人でいたい。すぐ傍に居たい。温もりを感じていたい」 「本当の私は弱いから。怖いの……」 「離れたら変わっちゃうかもしれない。人はどんどん変わっていくから……」 沙羅は本当は弱い女の子なんだ。 だから、彼女は強くなった。 いや、強くなろうとしたんだ。 だから、僕は……。 「大丈夫。沙羅」 「僕は、紬木沙羅をずっと愛し続ける」 「それはずっと変わらない」 「約束する」 「うん……」 「僕達が同じ幸せを夢見るなら……」 「僕たちは離れていても、一緒だよ」 「離れていても、一緒……」 「うん」 「ものすごく矛盾した言葉だけど、でも……今の私なら分かる」 そういって、僕と沙羅は長い間、ただ見つめ合っていた。 風が強く僕たちの間を吹き抜ける。 ゆっくりと、ゆっくりと時間が流れる。 時間が止まればいいのに。 そう思う。 だけど、時間が止まってしまっては、人間は前に進めない。 人間は、前に進まなければならない。 1人じゃなくて、2人。2人じゃなくて、みんなで。 寄り道をすること、間違えた道を進むこと。 後戻りすること。 でも、再び歩き出すこと。 幸せと希望を見つけようとする限り。 記憶を辿り、記録を残し、歴史を繋ぐ。 そして、限りある命を燃やし、未来へと進む。 終わりがあるから、人間は前に進む。 終わりのある人生だからこそ、人間は輝く。 終わりがあるからこそ、始まりがある。 「じゃあ、行くね」 「行ってらっしゃい」 沙羅は飛行機の中に向かっていく。 「舜……」 「……愛してる」 もう振り返ることはないだろう。 風を受けながら、タラップを上る。 夏はまだ始まったばかりだ。 「……私、今までで一番、ドキドキしているかも」 じっと見つめ合って、すぐ傍に沙羅を感じる。 その瞳は澄んでいて、自分の姿だけが映っている。 「しばらく舜に会えないと思うと、切ないの」 「自分で、決めたことなのにね……」 「それは僕も一緒だよ」 「この切ない気持ちを、全部沙羅への愛おしさで埋め尽くしたい」 「ふふ……情熱的ね。でも、舜にそう言われるのは、すごく嬉しい」 「だから……お願い。私の身も心も、全部、舜でいっぱいにして」 「そうすれば、きっと不安は消える。私は、笑顔でこの島を出られるから」 どちらからともなく顔を寄せて、瞼を落とす。 「んっ……」 唇と唇が触れ合い、互いの体温が混じり合う。 今までに何度も交わしてきたはずなのに、それでもまるで初めての時のように気持ちが昂ぶる。 「んっ……はあ、ん……んん……舜……」 「沙羅……」 名前を呼び合う、ただそれだけのことで、胸の奥から温かい気持ちが湧いてくる。 それに突き動かされるように、何度も何度も沙羅の柔らかさを求める。 「んっ……んはぁ……んっ、舜……」 「ううん……ん……んん……はあ、んはぁぁ」 屋外だからか、沙羅はいつもより控えめに唇を押しつけてくる。 それならばと、僕は主導権を握るために、強めに沙羅の唇を奪った。 「んっ! んんっ……! あ、うん……ん……んんっ、んっ」 「はあ……んんっ……はぁぁ……! んっ、ちゅ、んん……」 沙羅は一瞬驚いたように身体を緊張させるが、ゆっくり息を吐いてその力を抜く。 僕に合わせてついばみ、さらに深く繋がろうとすらしてくる。 「ちゅ、んん……はあ、んんっ……あ……」 その一生懸命さに心を打たれ、少し唇を開けて、舌先で彼女の小さな歯を撫でる。 「んっ、んんんっ……!」 息をするのも忘れて、ひたすらに貪り続ける。 「んっ! んんっ! んっ……んんんっ……ちゅ、ん……」 「はぁ……ん……ふぁぁ、んんっ、ん……んっ!」 沙羅の口も少し開き、おずおずと舌を絡めてくる。 2人の唾液が混ざり合い、お互いに飲み合う。 「ちゅ、はぁ、ちゅっ、ちゅ……ん、あ、ふあぁっ……!」 「ん……んんっ……んっ……ちゅ、ん、はぁ……ん……!」 激しくし過ぎないように沙羅の様子を見つつ、彼女の口内を隅々まで堪能していく。 「はっ、うん……あ……ん……んん! ちゅ、ふわぁぁ、んんっ……」 沙羅の息遣いが徐々に荒くなっていき、感情の昂ぶりを感じる。 「んっ……はぁ……はぁぁ……」 なごり惜しさを感じながらも、そっと口を離す。 「苦しかった?」 「少しね……でも、この苦しさが今は心地良いの」 「こんなこと言ったら、変に思われるかもしれないけど……」 「そんなことないよ。気持ちは分かる」 唇を合わせるだけなのに、どうしようもなく沙羅への愛おしさが募ってしまう。 「……キスだけじゃ、全然足りない」 「もっと、舜と繋がりたい」 「あの頃の舜に、もっと会いたい……」 「うん……」 「でも……」 沙羅の頬に、さっと赤みが増す。 「……」 「……ここでするのは、ちょっと恥ずかしいかも……」 伏し目がちで呟く初々しい反応に、ドキッとしてしまう。 「じゃあ……」 ズボンのチャックを下ろして、沙羅の前でモノを露出させる。 ブラウスのボタンをひとつふたつ外し、沙羅の胸めがけて挿入する。 「……これでいいの?」 「なんだか、不思議な感じ……」 そう言いつつ、沙羅は視線を下へと向ける。 ペニスは豊かな胸に埋まっているが、服を着たままだから、ぱっと見では、何をしているのか分からない。 「これなら沙羅は服を着たままだし、恥ずかしくないでしょ?」 「確かに、そうかもしれないけど……でも、ちょっと倒錯した感じね」 「谷間は火照ってるし、舜の鼓動も伝わってきて……身体が疼いて、胸も締め付けられるように苦しい」 そう言いつつも、沙羅は少し左右に身体を揺する。 たったそれだけの軽い刺激なのに、敏感な分身は嬉しそうにビクッと跳ねてしまう。 「んっ! もう……いきなり暴れさせないで。胸から飛び出ちゃう」 「ごめん……我慢出来なくて」 「舜は大人になっても、我慢出来ない駄目な子なのね」 「それとも、童心に返っちゃってるの?」 「どっちも……かな」 昔というと、かなり幼い頃のことになってしまうし、その時から性的な目で見ていた訳ではない。 でも、今沙羅の目の前に居る自分は、昔の自分から連続的に存在する自分であることに、間違いはない。 「私が、してあげるから」 そう言って沙羅は、自らの胸を寄せ上げる。 亀頭から肉幹を包み込む乳の圧力が高まり、竿全体が柔らかい温かさに支配される。 「ん……これ、気持ちいい?」 「舜の顔、蕩{とろ}けちゃってるみたい」 「ああ……すごく気持ちいいし、幸せだよ」 「そう、良かった。もっとこうして欲しいとか、ある?」 「自分で動いてもいい……?」 沙羅の返事を聞く前に、腰はゆっくりと前後に動き始める。 胸の谷間はペニスの熱でじっとりと汗ばんでおり、我慢汁と相まって天然のローションとなる。 「はぁ……はぁ……すごい、ごりごりって、おっぱいの中で、動いてる……」 「すごく……んんっ、舜を、近くに感じる……はあ、はぁっ……」 「不思議な、気分……気持ちいいとも、ちょっと違う……これは、嬉しい……?」 「そう……嬉しいの……舜が気持ち良さそうなのが、嬉しいの……!」 沙羅も嫌ではないようで、恥ずかしがりながらも、微笑んで居てくれている。 「ずるずる、って……服とおちんちんが擦れる音、なんだかいやらしいわ……」 「んっ……舜のお汁で、おっぱいが滑{ぬめ}ってきた……はあん……」 気持ち良さと心地良さが絶え間なく襲ってきて、腰の動きが止められない。 そしてなにより、沙羅の温かさが染み込んでくるようで、ずっとこうしていたいと思ってしまう。 「んっ……んはぁぁ、すごい、舜のおちんちん、どんどん熱くなってる……」 「ドクドクって脈打ってて、今にも爆発しそう……」 幼い頃からの思い出の場所でしているというインモラル感と、その相手が沙羅であることの感慨深さ。 挿入に比べれば弱い刺激のはずなのに、天井無しに気分が盛り上がってしまう。 「いつでも、出していいからね……んっ……舜の、好きなタイミングで射精して……」 「いいの……? その、服が……」 「服……? 別に、汚れたら着替えればいいだけだし」 「それに、今日くらいはそんなこと気にせず、舜と愛し合いたいの……」 その声を聞いて、沙羅への気持ちと共に、熱い塊が股間に溜まってくる。 それはグルグルと渦を巻いているようで、とてもじゃないけど押さえ込めそうにない。 「ん、んっ……はあっ、熱い……おちんちん、熱い……はああっ……」 「おっぱいの中で、んん、射精したいって、暴れてるの……ふああんっ……!」 「もう……イキたいの……? おっぱいの中で、びゅーびゅーって、出したいのっ……?」 「そろそろ……」 「いいわ……はあ、あっ、ああっ……! 出してっ……精液掛けてっ……」 「私のおっぱいでイッて……はあう、んんんっ! 白いの、沢山……射精して……!」 「出るっ――!」 「きゃああああああっ……!?」 「ふわあっ……あ、熱い……! いっぱい、熱いの、私のおっぱいに掛かってる……」 ドクドクと、熱が放出されていく感覚に身を委ねる。 その間も乳房はペニスをしっかりとホールドして、絶え間なく柔らかい圧力を掛け続ける。 「はあっ……射精止まったの……?」 「ああ……谷間が、精液と汗で、ベトベトになっちゃった……」 「ごめん……汚しちゃって」 「いいの。舜がこんなに喜んでくれて、嬉しいから」 「それに……この匂いを嗅いでたら、私も興奮してきちゃった……」 沙羅は深呼吸すると、顔をうっとりとほころばせる。 目はとろんとして、唇も艶っぽく光り、妖艶な雰囲気を醸している。 「……おちんちん、また少し硬くなってきたみたい」 「もしかして、まだ出し足りないの……?」 「うん……」 「だったら……」 「はい、どうぞ」 「おお……」 ペニスを挟んだまま服をはだけさせて、胸を露出させる。 思わず、ため息が漏れてしまった。 「おっぱい、熱いし、汗ばんじゃったし……」 「舜は、おっぱいまんこに挿れるのも好きみたいだから……」 ぶつぶつと独り言い訳をしているが、沙羅も興奮しているんだろう。 夕日に照らされるきめ細やかな素肌は、神々しさすら感じる。 「はあっ……舜のおちんちん、おっきい……」 「私のおっぱいの中で、窮屈そうに、膨らんでる……」 「沙羅の胸だって……大きいよ」 張りがあって、柔らかくて……包み込まれていると、安心感を覚える。 もしその胸を1日中触っていいなんて言われたら、最高に幸せな気分で過ごせそうな気がする。 「大きいおっぱいは好き?」 「うん」 「即答ね……」 「でも、そういう素直なところが、私は好きよ」 「だから私も、自分自身に素直になれる。こうやって……んっ」 そう言うと沙羅は自らの身体を軽く揺すって、自発的にペニスを擦り始める。 先ほど放出した精液のおかげで滑りもよく、谷間がヌチャヌチャといやらしい音を奏でる。 「それ、すごくいい……」 「でしょ……? 舜の弱点は、もう知り尽くしてるんだから」 「こうやって……わざと音を立てたほうが、んっ……舜は、興奮するのよね」 沙羅は縦の動きだけではなく、胸の脂肪を捏{こ}ねるような動きも加えつつ、ペニスを責め立てる。 それによって、谷間に溜まった体液が泡立ち、ますます卑猥な音が思い出の場所に響いてしまう。 「はぁ……はぁ……んっ、私、すごく大胆なこと、しちゃってるのかも……」 「誰かに、見られたら……はあっ……恥ずかしさで、気が変になりそう……」 「んっ……はぁぁ、舜相手じゃなかったら、絶対にこんなこと、出来ない……」 「舜のことが好きだから、頑張れるし……んっ、したいって、思っちゃうの……んんっ」 愛しさたっぷりに、身体全体を揺らし続ける沙羅。 その肢体は火照ると同時に汗ばみ、大好きな沙羅の香りをより引き立たせている。 「なんだか……どんどん、滑りが良くなって……おちんちん、熱くなってる気がする……はぁ……」 「もしかして、また射精しそうなの……?」 「う、うん……」 股間に意識を集中させたら、すぐに達してしまいそうな予感。 それくらい、沙羅から受ける刺激は甘美で、ものすごく堪らない。 「透明なお汁が、いっぱい……とろとろって、漏れ出ているみたい」 「それに……そうやって舜が、別のことを考えようとしている時は……イキそうになってるはず……」 「沙羅にはお見通しってわけか……」 「もちろん。だって……ずっと舜のことを観察してきたから……」 「んっ……はぁ、私は……いつだってあなたに夢中なのっ……」 喋りつつも沙羅は、的確に僕の弱点を刺激してくる。 ペニスが引き抜かれる時は、力を強めてカリ首を刺激して、押し込まれる時は、少し力を緩めて強弱をつける。 彼女が独自に編み出したテクニックで、息は上がり、頭もクラクラとしてくる。 「はあっ……いいのよ、舜……そのまま、射精して……精液、私に掛けてっ……」 「出したくなったら、出して……全部、私が受け止めてあげるから……!」 「うん、それじゃあ……」 正直に言葉を受け取り、微塵も遠慮せずに再び股間に意識を集中させる。 その瞬間に身体中をビリビリと弱い電流が流れ、全身が震える。 その震えは性器にも伝わり、そのまま一気に塊が尿道を駆け上がる。 「ん、んんんっ! は、ああ、うんんっ……!」 「いきなり、激しいの、あっ……!? はあ、おちんちん硬い、あっ、熱い……熱くなってる……」 「出そう、なのね……はあ、いいわ、出して……思うままに射精して……っ!」 睾丸がぎゅっときつく締まって、溜まっていたものが捻り出される―― 「あっ、あああ……あああああっ!?」 「んっ……ふああああああぁぁぁぁぁ……!」 射精の反動でペニスが反り返り、精液が沙羅に降り掛かってしまう。 まずいと思って止めようとするが、栓の抜けたシャンパンのように、勢いよく精液が噴き出し続けてしまう。 「んんっ! ま、まだ出て……ん、ふわああっ……!」 沙羅が白濁液によって汚されていくのを、ただ見ていることしか出来ない。 「はあ……また、いっぱい出た……」 「べっとり……ん……そんなに、気持ち良かったの……?」 「そりゃもう、十二分に……」 精液でコーティングされた沙羅は淫靡で、それだけで昂ぶり続けてしまう。 綺麗なものを汚す快感を覚えてしまったら、もう後戻りは出来ない。 「はあ……舜って本当に絶倫なのね……まだまだ、元気いっぱいみたいで」 「沙羅だって、かなり興奮してるように見えるけど……」 「これは、違う……違うのっ」 乳房の先端に目をやると、沙羅は照れながら首を振って否定の意を表す。 「今度は、沙羅のことも気持ち良くしてあげたい」 「私のことはいいの……」 「一緒に気持ち良くならないと、セックスの意味が無いし」 「そうなの……?」 「ちょっと、向こうを向いて」 「えっ……?」 「こ、ここに掴まれば……いいの?」 「あの……パンツ……恥ずかしいんだけど……」 抗議の言葉を呟きながら、こちらにちらちらと視線を投げ掛ける。 対する僕は、露わになった沙羅の下着に、目が釘付けになっていた。 「……さっきから、ものすごく視線を感じる……」 「私の下着なんて、もう見慣れてるでしょ?」 「それはそれ、これはこれ」 「……意味が分からないんだけど……」 羞恥で頬を染めながらもパンツを隠そうとしないのは、沙羅の優しさか。 そのおかげで、思う存分、彼女の下着姿を視姦出来る。 「……ねえ、舜。さすがにそろそろ……」 「そんなに見つめられていると、私も……」 沙羅は内ももをモジモジと擦り合わせる。 よくよく見れば、下着の中心が少し湿っているような……。 「じゃあ、脱がしちゃうね」 「はぁ……なんだか、スースーする……」 「少し、風があるのかな。いつもより、開放感があるわね」 「癖になっちゃいそう?」 「それは……どうかな。ふふっ」 沙羅は誤魔化すけど、その身体は興奮していることを明確に告げている。 彼女の大切な部分は微かに潤み、夕日に照らされて光を反射していた。 「……このまま、するの?」 「いや、まずはしっかりと濡らしてからだね」 そう言って、僕は沙羅ににじり寄る。 「ちょ、ちょっと舜。近い……」 「近づかないと、触れないから」 「それは……そうだけど……」 さすがに至近距離で見られるのは恥ずかしいのか、沙羅のお尻の穴はヒクヒク蠢いている。 僕にはそれが誘っているように見えて、ますます視線を吸い寄せられてしまう。 「はあ……恥ずかしい……顔から火が出そう……」 「なんとなくだけど、今日の沙羅は初々しいね」 「屋外でするのは、初めてだから……」 「それに、これから舜としばらく会えなくなるし、いろいろと気持ちが落ち着かないのかも」 「それは……僕も一緒だ」 きっと、沙羅もなんだかんだ言って不安が大きいのだろう。 だったら、精一杯愛情を注いで、それを払拭してあげないと。 「じゃあ――」 「ひゃんんんんっ!?」 「んんっ、あっ、そ、そんな……ところ……は、はぁぁっ……!?」 蜜壺に舌を押しつけると、その先端でピリッと甘酸っぱさを感じる。 僕しか知らない、沙羅の味。それを堪能するように、じっくりと膣口を舐める。 「はぁぁ、ああ、だ、だめ、舜……んんっ、そこ、汚いから、舐めちゃ……は、はうう……」 「んんっ……今日、沢山歩いたし……汗掻いてるのに、シャワー浴びてないの……あ、あんっ」 「沙羅に汚いところなんて無いよ」 それを証明するように、よりはっきりと舌に力を込める。 ぬるっとした粘膜の感触が伝わると同時に、形の良いお尻がぶるると震える。 「んっ……はあ、ん、ふあぁっ、恥ずかしい……はぁ、ああ……」 「沙羅のお汁、濃くてすごく美味しい」 「も、もう……んんっ、そんなことばっかり……言って……ふあ、んん!」 僕はご奉仕するような気持ちで、沙羅の秘部に何度も唇を寄せる。 頭がクラクラする女性特有の甘い匂い、そして、漏れ聞こえる沙羅の吐息が、心を鷲掴みにしてくる。 「は、はぁぁぁ、は……うんん、は……はううっ……」 絶頂には少し届かないもどかしさからか、沙羅はふりふりとお尻を揺らしている。 「これだけじゃ、沙羅は物足りない?」 「えっ!? そんなことない、充分気持ちいい……」 「沙羅がおねだりするとこ……見てみたいかも」 「な、何言ってるの……ふあっ……」 「さっきから、自分で腰振って、僕に舐めさせてる」 「本当はもっと、激しくして欲しいのかなって」 「ううっ……そんな……そんなのは……」 先のことを想像したのか、膣口から流れ落ちる愛液の粘度が、また一段と上がった気がする。 綺麗なサーモンピンクだった部分は真っ赤に充血し、ふるふると物欲しげに震えている。 「沙羅の感じてる顔、もっと見たい」 「は、はぁぁ、はぁん、ず、ずるい……んっ……は、はぁぁ……」 「そんなふうに、言われたら……歯止めが、利かなくなりそう……んんっ、うん、んっ!」 「教えてくれる……?」 電気が流れたように、ひときわ大きく綺麗な身体が震える。 膝はガクガク揺れて、柵が無かったら、へたり込んでいたかもしれない。 「は、はぁぁ……その、膣{な}内{か}も……」 「膣{な}内{か}に……挿れて、その……吸ったりして、欲しいかも……」 彼女の心意気に答えるべく、舌をすぼめて、その内側へと滑り込ませる。 「あああぅぅぅっ!?」 「んんっ……入って……あ、あぁぁ! 入って、る……っ!」 「そ、そこ……すごいの、はぁぁ、あ、ああんっ!?」 「どんどん溢れてくる……」 「は、はぁぁ、気持ちいいの、止まらなくて……う、んんっ!」 「んっ……舜、上手過ぎて、あん、あっ、私、私、変に……なっちゃうぅ!」 沙羅の弱点である、膣口付近を念入りに舌でこじ開ける。 「は、はぁぁっ……んんっ! そ、それ、それ、好き、好き! んんっ、は、はぁぁぁ!」 「だ、だめ……頭、真っ白に……なる……! う、うんんんっ!」 「んんっ、は、あ、ああ、んんっ! んんっ、ふわぁ、あ、あああんっ!」 徐々に身体の震えが大きく、そして間隔が短くなっていく。 秘所も泡が立つほどに愛液が溜まり、お尻からふとももを伝って、下へ下へと零れ落ちていく。 「しゅ、舜……私……は、はぁぁ、も、もう、そろそろ……あ、ああ、はぁぁぁ」 「いいよ……全部受け止めるから」 「で、でも……私、何か、出ちゃいそうで……はうんん、んっ、んんんっ!」 ぐっと沙羅の下肢に力が入る。 気を遣って、絶頂を我慢しているようだ。 それならばと、僕は割れ目の上端でぷっくりと膨らんでいるクリトリスを、少し強めに舌先で押し潰す。 「んんんんんんっ!?」 「だ、だめっ、はあ、それ……強い……ふああぁぁっ!?」 「こ、こんなの、は、はぁぁ、堪{こら}えられ……ないっ、んんっ、あ、頭、真っ白に……あ、ああっ!」 「イク、イッちゃう……あああっ、イク、イクの、んあああっ……!」 「ふわぁぁぁぁあああああっ!」 ひときわ大きな嬌声が上がった瞬間、びゅっと音が出るほど勢いよく液体が噴出する。 その生暖かい液体は断続的に出続け、たちまちに僕の顔はビショビショになる。 「はぁぁ……あ……はぁぁっ……」 「だから、だめって……言ったのに……はあっ……」 「でも、とっても気持ち良さそうだったよ」 「それは……」 「もう……知らないっ」 恥ずかしさの極みに達したのか、沙羅は顔を真っ赤にして視線を外す。 そんな些細な仕草も愛おしくて、より沙羅と深く愛し合いたくなる。 「はあっ……もう……」 「もう、ずっと、堪{こら}えているの……」 「あなたが……欲しいっ……」 「は、あああああっ……!」 浅く差し込んだだけで、もっと欲しいとばかりに膣内が激しくざわめく。 先端から根元までみっちりと、沙羅に食べられてしまったような感覚に支配される。 「はぁぁぁ、あああ……相変わらず、大きくて、硬い……んんっ」 「お腹、いっぱい押し広げられてる……はぁぁ……」 「大丈夫?」 「はぁ……はぁぁ……うん、大丈夫……少し息苦しい……けど……」 「でも、舜と繋がってる満足感のほうが……はぁぁ、ん……強いから……」 快楽だけではない愛しさと温かさで、胸がいっぱいになっていく。 2人の性器は隙間無くぴっちりと結合し、まるでお互いが愛し合うために形作られたみたいだ。 「んんんっ……ずっとこうしていたい……このまま幸せに……」 「だけど……それじゃ、舜はつらいでしょ……?」 そう言って沙羅は、軽く膣内を締める。 不意に訪れた刺激に、声が漏れそうなほど反応してしまう。 「ん……すごい、膣{な}内{か}で、おちんちんビクビクって動いた……」 「もっと、腰振りたくて堪{たま}らないんでしょ……?」 「まあ、確かに……」 腰を打ち付けて、もっと気持ち良く、ドロドロに溶け合ってしまいたいという思い。 そして、このまままったりとした時間を2人で過ごしたい気持ちがせめぎ合う。 「……いいの、舜の好きにして」 「舜にして貰えることなら、なんでも受け入れられるから」 健気な少女の言葉に、思わず胸が高鳴る。 その高鳴りはさらに股間を刺激し、もっと彼女とひとつになりたいと願ってしまう。 「じゃあ、ゆっくり動くね」 「うんっ……来て……は、はぁぁぁ……はうん……」 ゆっくりと焦らすように、沙羅の膣内で抽送を始める。 膣ひだの1つ1つが、まるで意思を持っているかのように、亀頭に絡みつく。 それを振り払いながら、なんとか肉幹が半分くらいまで見える程度に腰を引く。 「はぁぁ……いつもより、はっきりと……舜の形が、分かる気がする……」 「敏感になり過ぎて……はぁっ、自分でも、怖いくらい……は、あぁぁっ……」 引き抜いては、またずぶずぶと自分の分身を沙羅の中に埋め込んでいく。 いつもよりじっくりと、ゆっくりとした動き。それによって細かい膣肉の動きを感じられて、ゾクゾクっとした刺激が背中を駆け上がる。 「んんんっ……はぁぁ……それ、気持ちいい……は、んぁぁ……」 「ねえ、舜……ああっ、も、もっと……ん、もっとして……?」 「分かった……」 沙羅の切ない求めに応じるように、僕は腰を前後に動かし続ける。 ペースは上げ過ぎず、最奥を突くだけでなく、挿入する深さを変えて、沙羅をじっくり愛していく。 「ふわあ、ああっ、それ、すご……すごい、は、ああ、んん!」 「身体……熱くて……はあ、溶けちゃいそう……!」 決して激しくはないが、昂ぶった僕と沙羅には十分過ぎる刺激として、お互いを夢中にしていく。 「はあっ……舜の気持ちが、流れ込んでくる……は、ああっ、んんっ……!」 慣れてきたのか、僕の動きに合わせて、沙羅も腰を振り始める。 それによって不意に深く挿入されたり、予測不能な箇所に亀頭が当たり、より性感が高まっていく。 「は……んんっ……もしかして、イキそうになってる……?」 「おちんちん、大きく膨らんで……熱くなってる……」 気持ち良さは相変わらず伝わってくるけど、だんだんと肉棒の輪郭がぼやけてきた気がする。 膣肉と剛直の境目が分からなくなり、本能的に腰を動かしながら沙羅の中をかき混ぜていた。 「はぁぁ、はぁぁ……いつ出しても、いいから……」 「んんっ、その代わり……ちゃんと全部、膣{な}内{か}で出してね……?」 「もちろん……」 もう、沙羅の中で射精して一緒に絶頂することで、頭がいっぱいになる。 でも、それと同時に、もっと沙羅を気持ち良くさせたいという気持ちが湧き上がってくる。 「んんっ、ふわぁぁ、あ、ああん……!」 手にずっしりとくる、瑞々しい果実の重み。 重力に引かれてもなお形を保った柔肉を、慈しむように寄せ上げる。 「は……んんっ、も、もう……ほ、本当に、舜は……おっぱいが好きなんだから……」 「んんっ、あっ、だめっ……んんっ! それ、良過ぎて……!」 さわっと乳首を撫でると、それだけで膣内はより一層潤み、ぐぐっと剛直を締め付ける。 歯を食いしばって耐えつつ、出来る限り至福の時間を長引かせようとする。 「んんっ! は、はぁぁっ、ふ、ふわあぁ、あああっ……あ、あああんっ!」 「そ、そんな……乳首、ばっかり……ああっ、弄っちゃだめっ……!」 「そ、そんなにされたら……んんっ! 私、私、すぐに……あ、ああっ!」 「僕も、あんまり持ちそうにない……」 2人の荒い呼吸音とくちゅくちゅという水音が、耳の中で反響するように何度も奏でられる。 お互いの性器が熱く火照り、ゾクゾクとした快楽が徐々に積もっていくのを感じる。 「んんっ、はぁぁぁぁ! あああ、んっ! あ、はぁぁ、あああっ!」 「だ、だめっ……イッちゃ、あ、ああんっ! 一緒にイキたい……!」 「は、はぁ、ああ、私、もう……イッちゃううううっ……!」 沙羅の全身が痙攣し始め、玉のような汗が浮かび上がる。 もうすでに軽く達しているのか、膣口からはおびただしいほどの愛液が滴り続けている。 五感の全てが沙羅の痴態をとらえて、僕の我慢もいよいよ限界に近づく。 「出して、舜っ! 膣{な}内{か}に出して! いっぱいいっぱい、私に注ぎ込んでっ!」 「孕んじゃうくらいに、沢山っ……! 精液、ちょうだいっ! ああっ、んんんんっ……!」 「くっ……出るっ!」 「ひゃううううっ!?」 「やっ……ああああああああぁぁぁんんんっ!」 一瞬目の前が真っ白になり、強烈な浮遊感が全身を包み込む。 気付けばドクドクと体中が脈打ち、熱がじんわりと亀頭から根元まで広がっていく。 「んっ……はぁぁ、ああ……すごい……いっぱい、出てる……」 「あ……溢れて、きちゃう……ん、はぁぁ、はぁっ……!」 「んんっ、んん……はぁぁ……んっ、んはぁぁっ……」 ぐっと膣内が締まると、白濁液がごぽっと結合部の隙間から流れ落ちる。 足元まで滴り落ち、濃厚な性の匂いを漂わせている。 「はあ……気持ち良かった……舜は、どう……?」 「うん、すごく良かった……」 「そう……」 「でも……まだ、もう少し……したい……」 そう言って、沙羅は肉棒の形を確かめるように、ぐにぐにと膣ひだをざわめかせる。 その刺激でモノは力強さを取り戻し、再び熱がその中心に集まっていくのを感じる。 「でも、しばらく会えないからって、沢山したら……逆に、寂しくなっちゃうかな……」 「……」 「でも――」 「うん、うん……分かってる」 「そんなふうに考えるのは、私らしくなかったわね」 「……舜の顔を、ちゃんと見たいな」 そうささやく沙羅の声は、小悪魔と少女が混ざったような、たまらなく男心をくするぐるものだった。 「はあっ……入っちゃった」 「すごく、温かい……」 沙羅が軽く体重をかけただけなのに、剛直は一気にその中に飲み込まれてしまった。 しかし決して緩いということは無く、僕が一番気持ち良くなる絶妙な力加減で、優しくペニス全体を包み込む。 「んっ……はぁぁ、さっき出して貰った精液、漏れてきちゃう……」 「もったいない……こうやって締めれば、垂れてこないかも……んっ……」 「沙羅っ……」 今までの緩やかな締め付けから一転して、まるで手で握られているかのように、ぎゅっと根元から先端まで満遍なく、力が加わってくる。 「んっ……これで、大丈夫そう……んっ、はぁ……」 「じゃあ、このまま……はぁっ、動く……から……んっ、んんっ」 普通なら痛いほどの締め付けだけど、ぬめった愛液と精液のおかげで、あらがいようのない快楽が僕を押し流す。 「んっ……すごい、おちんちん……んんっ、はっきり、分かる……ああっ」 「はあっ、今、ビクッって動いた……ふふっ……幸せ……」 「だって……気持ち、良過ぎるから……」 「なら、もっとしてあげる……んっ……んああ、はう、あああっ、んんっ……」 沙羅は優しく微笑みながら、じっくりと味わうように腰を動かす。 ぐぷ、ぐちゅっと体液の混ざる音が聞こえ、接合部はもうすでにべとべとになっている。 「沙羅とセックスしてるところ、丸見えだ……」 「あぁ……はぁん、そんなに見られたら……恥ずかしい……んんっ、ふああっ……」 「そんな余裕ないくらい、もっと激しくするから……んっ、んんっ!」 パンパンと小気味良い肉のぶつかり合う音と共に、沙羅の形のいいお尻がくい打ち機のように上下する。 その激しい上下運動によって沙羅の体温は急上昇し、胸板の上に彼女の汗が滴り落ちてくる。 「はあ、はああっ、んんっ! 気持ちいい? 舜……んんっ、はぁ、気持ちいい……?」 「うん、すごく……」 「ふふっ……舜の口元、緩んでだらしなくなってきてる……ふあ、はぁ、は、はぁん……」 「で、でも……私も、感じ過ぎちゃって……はぁぁ、あ、頭……おかしくなっちゃいそう……んっ、んんっ!」 沙羅の呼吸の間隔はどんどん短くなり、身体が軽く震え始める。 「はあ、ああっ……! んん、あ、ふあああっ……!」 「おまんこ、すっごく気持ち良くて……ああんっ! 私、私、もう、だめ、だめっ……おかしくなっちゃううっ……!」 沙羅は自ら乳房を揉みながら、小刻みに細い身体を痙攣させる。 その反動で先端が子宮口を叩いてしまい、ぐにゅっという感覚が下半身をビリビリと痺れさせる。 「んんっ! こ、これじゃあ、は、はぁぁ、私が先に、んんっ、イッちゃうっ、ううんっ」 「はぁぁ、ああっ……ん、はぁ、舜、舜……はぁんっ、あ、ああっ!」 たわわな乳房の頂点では乳首がぷっくりと勃起し、その色をピンクから朱へと変えている。 沙羅は激しく胸を揉み込み、絶頂へと向かっていく。 「んんっ!? はあっ、乳首、敏感だから……ああっ、う、ああ! だ、だめっ、イク、イク、イッちゃう……!」 「ひゃあああああんんんっ!?」 軽くイッてしまったのか、沙羅の膣内は絶え間なく震え続けている。 「はあっ、はあ……ふあぁぁっ……」 沙羅は荒い呼吸で脱力し、ふにゃっと柔らかい身体をこちらに預ける。 それでも僕はさらなる快楽を求めて、ガツガツと貪るように腰を突き上げてしまう。 「はうっ!? だめ、だめ……は、はぁぁぁっ、ああっ! イッたばかりで、敏感なのにぃ!」 「うううんっ! んはぁぁ! ま、また、ああっ、すぐに、イッちゃ……は、はぁぁんっ!」 「大好き、舜……! 好き、好き……はぁっ、大好きっ!」 「一緒に、一緒に……はぁんっ! んはぁぁ、ああっ! イキたい……! あ、ああ、はぁぁぁ!」 「僕も、大好きだ、沙羅……!」 懇願に後押しされるように、猛然と腰を振り続ける。 後先考えない振る舞いによって急速に射精感が高まり、その欲はどんどんと膨れ上がっていく。 「はぁぁ、んちゅっ! 舜、舜っ! あ、ちゅっ、はぁぁ、ちゅ、はぁんっ!」 「ま、また……はぁぁ、き、来ちゃう……んちゅっ! 大きいの、来ちゃうっ!」 沙羅は自らの乳首を舐め上げ、最高潮へ上り詰めようとしている。 「僕も、もう……っ」 「来て、来てっ! 舜の精液、んちゅ、全部、注いでっ!」 膣内はすぐそこまで来ている衝撃に備えるようにぎゅうっと締まり、ペニスを抜き取るのが難しいほどになる。 その強烈な刺激に、たちまち僕の我慢は限界に達した。 「出るっ――」 「あああ! イク、イクの、あああああっ!?」 「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」 沙羅が一番深く腰を落とした瞬間に、勢いよく熱い塊が子宮めがけて吹き上がる。 先端はぴったりと子宮口に密着し、華奢な身体がその衝撃を全身を震わせながら受け止める。 「は、はぁぁぁ……で、出てる……はぁぁ……はぁ、あ、あああ……!」 「んんっ、は、あああっ……おちんちん、震えるたびに……んんっ……また射精、して……ふわぁぁぁ……」 盛大に射精したというのに、沙羅の膣ひだはさらなる精液を欲しがるように、ざわめき続ける。 その刺激にあらがえず、情けない声を出しながら全てを沙羅に注ぎ込む。 そんな永遠とも思える時間を過ごした後、ようやく陰茎から力が抜け始めた。 「はぁ……はぁ……すごかった……」 「うん……本当に……」 射精し過ぎて、頭がクラクラする……。 これ以上出そうとしたら、気絶してしまうだろう。 「……腰、激し過ぎて、疲れちゃった……」 「でも……」 「もう少し、このままで……いい?」 「もちろん」 僕らは行為の余韻に浸りつつ、しばらく繋がったままでいた。 「……ちょっと、腰が痛いかも」 「これから、長旅なのに」 「ずいぶん頑張ってたからね……ありがとう、沙羅」 「私も、ありがとう」 「ふふっ。最後の最後で、やっと舜にセックスで並び立てた気がする」 「今までは、泣かされてばっかりだったもの」 「……そうだったっけ?」 「そうだったの。自覚ないかもしれないけど」 「私、負けっ放しは好きじゃないから」 「はぁ……本当に、沙羅は……」 いつから、こんなに可愛らしい女の子になったんだろう。 付き合い始めてから? あの夜を経験してから? それとも、出会った時から? ……分からないけど、でも、今の僕にとっては一番大切な人。 それだけは、絶対に変わらない。 「ふふっ。惚れ直した?」 「最初から惚れっ放しだよ」 「そうでしょうね。だって、私だもの」 そう言いつつ、沙羅は僕にもたれかかるように体重を預ける。 この心地よい重さにもやっと慣れたのに、明日には……。 「……後悔、してる?」 「……」 一瞬、答えに迷う。これからしばらく離ればなれになるなんて、寂し過ぎて考えたくない。 それでも――。 「いや、してない」 そう、はっきりと答える。 「……そうよね、舜は……そういう人なんだって、知ってた」 「ありがとう。いつでも、私のことを一番に考えてくれて」 「そんなあなただから、私も安心して、鳥かごの中から飛び立てる」 「まだ知らない、大空に……」 今の沙羅の瞳には、何が映っているんだろう。 まだ見ぬ世界、輝かしい夢と希望に満ちた世界が、見えているんだろうか。 「……ありがとう……」 微かに、沙羅の身体が震える。でも、僕はあえてそれを指摘しない。 そんなことをしたら、言わなくて良いことまで言ってしまう気がしたから。 「……」 だから、ただ黙って。 彼女とぬくもりを分け合い続けた。 青い空が徐々に、紫色やオレンジ色の入り混じった複雑な色彩になっていく。 まるで、燃えているみたいだった。 その燃えカスは、暗い色をしているから、夜空は闇色なのかもしれない。 わたしはそんな抽象的なことを考えながら、ハンモックに揺られていた。 一見静かに思える森の中でも、実はさまざまな音がささめき合っている。 ほら、 巣に戻ろうとする鳥達の羽ばたき―― 木の葉と木の葉が擦れる音―― この森に来ると、なんだか懐かしいような気がする。 だから、ここはとても好きな場所のひとつ。 身体にインプットされた白音さんの記憶が、わたしにある種のノスタルジーを与えているのかもしれない。 きっと、白音さんにとっても、お気に入りの場所だったんだろう。 あるいは、この森のそばで、白音さんが眠っているから……? そんなファンタジックな理由も、ありえるだろうか? こんなことを思いつくくらい、わたしは人間を演じることが出来る。 そのように、プログラムされているから。 ……果たしてそれは、本当? 「お兄ちゃん……」 口に出してみると、苦しくなる。 この現象は、一体なんなんだろう? わたしは、壊れている? あの海辺での事故の後、沙羅ちゃんはわたしのバグをすっかり直してくれた……。 それなのに―― 「苦しいです……お兄ちゃん」 もしかしたら、ちゃんと修正出来ていないのかもしれない。 でも、わたしを作り出した天才少女―― 沙羅ちゃんに限っては、こんな安直なミスはあり得ない。 つまり、わたしは疑っているんだ。 沙羅ちゃんは、この状況を意図的に作り出したのではないかと。 すべては彼女の望み通りなんじゃないかと―― そんな、もやもやした思考を抱えつつ、わたしはお兄ちゃんと暮らしている。 記憶を失くしてしまったお兄ちゃんを、助けなくてはいけないという使命があるから。 バグを修正するためには、それに関連したデータを収集する必要があるから。 きっと、そう。 そうなんだ……。 あと1分経ったら、ハンモックから降りよう。 そして、あの家に帰るんだ。 お兄ちゃんが待っているのだから。 わたしの名前は“シロネ”―― お兄ちゃんのために作られたアンドロイド。 眩しい……。 今日の到来を、少々鬱{うっ}陶{とう}しく思いながら目を開ける。 この明るさからすると、思ってたよりも寝てしまったみたいだ。 「お兄ちゃん……」 「うん……?」 声のする方向に目を向ける。 「良かった……」 ほっと安心したように微笑むシロネが佇んでいた。 「全然気づかなかった……」 「いつからそこに居たんだ?」 「えっと……昨日の夜、お兄ちゃんが眠りについてからです」 「えっ!?」 僕の想像を遥かに上回る返答に、絶句してしまう。 「あの、そのっ……わたし、心配になってしまって」 「あの日の事故の後みたいに、深い眠りに落ちてしまったらどうしようって」 唖然とした僕の前で、シロネは慌てて取り繕った。 「それで、お兄ちゃんの寝顔や、お腹がへこんだり膨らんだりするのを、見張ってたんです」 「そんな兆候があったってこと?」 気づかないうちに、足元がふらついていたりしたのかもしれない。 そう思って問い質す。 「いえ、いたって健康そうでしたよ」 「なら、なんで……?」 「なんとなく……です」 「なんとなく、か……」 そんな理由で、四六時中見守られるのは困る。 僕は起き上がって、苦笑を漏らした。 「そんな困った顔をしないでください」 「大丈夫です! わたしは疲れたりしませんから!」 「いや、シロネが傍にいるのかもしれないと思うと、視線が気になってしまうというか……」 「それに、尿意を感じて目を覚まして、青白い人影が隣にあったら、ホラーだろ?」 「確かに、そうかもしれません」 「お兄ちゃんのためになると思ったんですけど……」 「どうやら、また失敗してしまったみたいです」 こちらが可哀想になるくらい、シロネはしょげた顔をする。 「シロネ、元気を出して」 「君の気持ちは、とっても嬉しいって思う」 「お兄ちゃんがそう言ってくれるなら……」 シロネは気を取り直して笑顔を浮かべる。 「そうだ! 何か思い出したことはありますか?」 「えっと……」 正直、特に僕の記憶が回復したという実感はない。 「どんなに小さなことでも構いませんから、わたしに教えてください」 こんなに必死に乞われると、何かひとつくらい前向きな発言をしなくちゃいけない気がしてしまう。 「細かいことは思い出せないけど、シロネを大切にしていたことは覚えてる」 「“大切にしていた”って……具体的にはどういうことをしていたんですか?」 「たとえば、一緒に暮らしていた。きっと、商店街に買い物に行ったと思う」 「それから、生活に関わること全般の世話をしてくれて――」 「それは、わたしがお兄ちゃんを大切にしていた、という例ではないですか?」 「あっ! シロネの言う通りだ。答えになって無かったな……」 「では、わたしが代わりに回答します♪」 「お兄ちゃんは……」 シロネの瞳が揺れる。 「お兄ちゃんは、わたしの頭をナデナデしてくれました。魔法の手だって言って……」 シロネが語る言葉は和やかなのに、その口調にはやや切なさが滲む。 「2人で頑張ろうって、わたしのことを励ましてくれました」 「……やっぱり、覚えてないですよね?」 「うん。残念ながら」 「……焦らず、ゆっくり思い出していけばいいんですよ」 「わたしはずっと、お兄ちゃんの隣に居ますから」 相変わらず記憶喪失のままだけど、シロネが傍に居てくれると安心する。 それは掃除・炊事などのサポートをしてくれるから、危険から守ってくれるアンドロイドだからという理由だけじゃない。 事故の前から、当たり前のように同じ時間を過ごせる関係だったんだろうな。 「どうかしましたか?」 ぼうっと考えごとをしていた僕を、シロネが訝{いぶか}しむ。 「いや、なんでもない。大丈夫だよ」 「そうですか。なら、いいんです」 シロネが明るく笑うから、もっと元気よく“大丈夫だ”って言ってあげたら良かったなと思う。 「そうだ! わたしいいこと思いついたんです」 「お兄ちゃん、素数を数えてみましょう」 「素数? なんでこのタイミングで!?」 「なぜかという問いに対して正確に答えるとかなりの時間が掛かりますが、いいですか?」 「いや、ざっくばらんで構わないから、手短に教えてくれ」 「はい。分かりました」 「素数を数えることで、自分を落ち着かせるキャラクターがいたんです!」 「つまり、逆説的に言うと、素数は平然であることの象徴ではないでしょうか?」 「へえ……なんのキャラクターか分からないけど、変わってるね」 『少年漫画名言集・その5』が大きなヒントをくれました」 『素数』は1と自分の数でしか割ることの出来ない孤独な数字……わたしに”――」 「名言を教えてくれとは頼んでないぞ」 「でも……お兄ちゃんの人生の糧になるはず、と思いまして」 小さくため息を吐く。 そもそも、素数と平然であることの因果関係自体が怪しい。 だけど、これがロボット特有のジョークなのだとしたら、付き合ってあげなくては……。 「さあ、お兄ちゃん。素数を数えてみましょう」 「分かってるって」 「2、3、5、7、11、13、17、19……」 素数を暗唱する間、シロネは静かに僕のことを見つめていた。 こちらは寝起きで顔も洗っていないというのに、彼女から滲{にじ}み出る真摯さが、この行為に静謐である種の神々しさを与えている。 そんな気がした。 「43、47、49、53――」 「お兄ちゃん、49は素数ではありませんよ」 「……しまった」 「もう一回、最初からやり直しです♪」 昼まで寝過ごしてしまった僕は、学校を休むことにした。 リビングでテレビを観たり、ウェブニュースをチェックする。 そうすることで、日常の感覚が取り戻せるといいんだけど……。 「ふんふんふん……♪」 「お水の時間ですよ〜」 シロネが鼻歌交じりで、観葉植物に水をやっている。 滴{したた}る水滴がキラキラと輝いて、宝石みたいだった。 「シロネは学校に行かなくてもいいの?」 「お兄ちゃんのことが心配なので、一緒に居ます」 「勉学よりも、お兄ちゃんのほうが大切です」 「……まあ、無理強いはしないよ」 「僕も、シロネが居てくれるほうが楽しいし」 「ふふふ。お兄ちゃんならそう言ってくれると思っていました」 「今から、1人で登校するのは、勇気が要りますしね」 シロネは全ての植物に水をやり終えると、いたずらっ子のような笑みを浮かべて僕に向き直った。 「花も育ててるんだね」 室内だけではない。 シロネは庭先でも植物を育てていた。 「はい」 「新しく買ってきたので、大切に育てているんです」 「ふーん。花を育て始めたのは最近のことなの?」 「……いえ、前から育てていました」 何気なく尋ねると、シロネの声が少し沈んだ。 「白音さんのようになれたらいいなって、お母さんの真似をしていたんですけど……」 「沙羅ちゃんに修理して貰っている間、留守にしていたから、枯れちゃったんです」 「そっか……」 「僕が、もっと気に掛けていたら……」 「お兄ちゃんを責めてるわけじゃありません!」 シロネは慌てて否定した。 「お兄ちゃんだって、自分のことで精一杯だったと思います」 「それに、遅かれ早かれ……あの花は枯れていました」 「それは……そうだけど」 それを言ってしまったら、いろいろなものがおしまいだ。 「でも、その命を全{まっと}うさせてあげるのは、育てる人の義務だと思う」 「そうですね……」 「これが、あの花の運命だった……」 「“運命”って……?」 “運命”と囁く声が頭の中でリフレインする。 「“運命”とは、逃れられない約束事を指す」 「生まれて、死ぬことが、命あるものの“運命”」 「だとしたら、わたしには運命は無いんです」 「きっと、無い。わたしには……」 「シロネ……?」 シロネは、彼女が言うところの“運命”とやらを欲しているのだろうか。 僕はもっと、それについて話し合ってみたくなった。 「なあ、シロネ。君の言葉が指す運命って――」 「でも、それでいいんです!」 話を続けようとした僕の言葉を、シロネの明るい声が遮る。 「素数をそんな最初のほうで間違えたりはしませんから、わたしはわたしでいいんです」 そう言って、シロネは笑った。 こうなると、もう何も言えない気がした。 「ずっと、お兄ちゃんのそばにも居られますし」 シロネの言う“ずっと”だって、永遠では無いことを知っているから寂しい。 この実験が終わりを告げる時と、僕が死ぬ時―― どちらかで、仮初めの永遠は終わる。 「僕は、シロネが居てくれて助かってる」 「そう言ってもらえると、アンドロイド冥利に尽きます」 「わたしは、お兄ちゃんの幸せに貢献出来ることが、何よりも嬉しいんですから」 「やっぱり、シロネは頼もしいなあ」 「ふふふ」 お互いに核心を避けてお茶を濁している。 でも、そのことが悪いとは思わない。 そんな思いやりだって、アリだ。 「さて、洗濯物を干さないといけませんね」 「本日は快晴。湿度もあまりありませんから、すぐに乾いてくれます」 「僕も手伝おうか?」 「お兄ちゃんはぐうたらしていてください」 「ぐうたらって、傷つくなあ……」 「ゆっくりするのも、お兄ちゃんのお勤めの一つです」 シロネはそう言い残して、パタパタと洗濯機置き場へ歩み去った。 僕は行き場を失った視線を再びテレビに戻す。 消化不良だけど、自分の思い切りの無さが原因なのだから、仕方がない。 お昼のニュースはわざわざ取り上げなくてもいいような内容ばかりで、世界が平和であることを体現していた。 「やっぱり、みんな知らないんだな……シロネが海に入ったこと」 夕飯の買い物に出掛けると、僕の体調を心配してくれた人達と出会った。 でも、シロネのことを案じる声は無かったし、僕は交通事故に遭ったことになっていた。 沙羅は、僕がシロネと一緒に、荒れた海に飛び込んで溺れたと言ったのに。 「あの海難事故のことを、どうして沙羅は隠したいんだろう……?」 今さらになって、沙羅の言葉が気になり始める。 アンドロイドであるシロネは、自己を進んで危険に晒さないはずだ。 じゃあ、僕が先に海に入って、救出するためにシロネが飛び込んだのか? でも、同じようにしてあの海で白音を失ったんだ。 「僕が、あの海に進んで入っていくだろうか?」 そもそも、沙羅の証言を信じるとしたら―― 「あれは、事故ではなかったのかもしれない」 だとしたら、どうしてそんなことが起きるんだ? 僕とシロネの間で、どんなやり取りがあったんだろう? さっき呟いていた“運命”という言葉にも、引っ掛かりを覚える。 「やっぱり、シロネに聞くしかないか……」 手提げ袋を持ち直すと、中のじゃがいもがごろりと揺れた。 シロネにどう切り出そうかと考えているうちに、夜が更けて朝がやって来た。 つまり、僕は然るべきタイミングを探っていたんだ。 そう、自己弁護してみる。 「あの……」 「え?」 「お兄ちゃん、わたしの話を聞いていますか?」 「あっ……いや……」 「やっぱり! 最近のお兄ちゃんはぼーっとし過ぎです」 「これから学校に行くんですよ? 授業を受けるんですよ?」 「そんな調子じゃ、心配になってしまいます」 ぷくっとむくれるシロネに、苦笑いで返す。 「ごめん。ちょっと考え事をしていたんだ」 「で、何を話していたの?」 「お兄ちゃんの記憶についてです」 「沙羅ちゃんのことだけは覚えているなんて、変でしょう?」 「変……かな?」 「変というか、ちょっとずるいというか……」 「やっぱり、お兄ちゃんにとって沙羅ちゃんはとっても大切な人だったから、忘れずにいたんでしょうか?」 それ、夕梨にも突っ込まれたなあ……。 気まずい空気を打ち破るべく、僕は穏やかな口調で答える。 「沙羅は自分にとって大切だっただけじゃない。自分とシロネにとって、大切な人だった」 「だから、覚えていたんだと思う」 「そうですか……」 「そういう、考え方もありますよね……」 納得したとは思えない口ぶりだ。 でも、ここで退いたら、せっかくのフォローが台無しになる。 「もし、忘れずにいられる記憶を、僕自身で選ぶことが可能だったなら……」 「シロネとの思い出を選んでいたと思う」 「お兄ちゃん……」 「わたし、感激しています」 シロネが口元を緩めウルウルしているのを見て、ほっとする。 言い訳っぽくなるけれど、さっきの言葉は本当だ。 だって、僕は猛烈に知りたいんだから。 記憶を失くす前、シロネと何があったのか。 「わたし、お兄ちゃんに記憶を取り戻して欲しいんです」 一言一言を噛み締めるように、シロネが話す。 「もっと、わたしとのこと……」 「わたしと、どんなふうに暮らして、どんな思いを抱えていたのか」 「しっかり、思い出して欲しいんです」 「僕もだ……」 「え? お兄ちゃんも?」 「うん」 深く頷いて言葉を続ける。 「僕も知りたいんだ。シロネと自分とのこと――」 僕達はあの日、心中しようとしていたの? なんて、満面の笑みを浮かべるシロネに聞けるはずもない。 「分かりました……」 「今日、学校から帰ってきたら、いろいろ話しましょう」 「ちょっと、今は……落ち着いて話せないですし、いろいろと不都合なので」 シロネの横顔はいつも通りに見えた。 やっと真実に迫れると考えただけで、逸{はや}る気持ちを抑えきれず僕の鼓動は高まるばかりなのに……。 「もしかして、素数でも数えているの?」 「……素数? 数えていませんけど、何か?」 「いや、僕なりのジョークだ」 「……やっぱり、笑いは深いものなんですね」 「全然ピンと来ませんでした!」 朝の廊下は忙{せわ}しない。 学生達が行きかう中、僕とシロネはそれぞれの教室へと向かおうとする。 「それでは、今日も一日頑張りましょう」 「頑張るほどのことでもないと思うけど」 「お兄ちゃんはだいぶ学校を休んでいたんです」 「それに、記憶を失くしているじゃないですか……」 「十分“頑張る”の範疇内ですよ?」 「確かに……」 シロネに言われるがまま登校したけど、もうちょっと深刻に捉えるべきことだったな。 クラスメイトの名前の覚え直し、人間関係の把握……。 「これは、頑張らなくちゃいけないな」 「そうでしょう?」 「お兄ちゃん、頑張って!」 シロネは満面の笑顔でエールを送ってくれた。 「じゃあ、わたしはこのへんで――」 「おはよう」 シロネが踵を返そうとした時―― 「お2人とも、お揃いで」 沙羅が静かに声を掛けてきた。 「沙羅……」 「“おはよう”は?」 「あっ! おはよう……」 「沙羅ちゃん、おはようございます」 「きちんと生活出来てるみたいね」 「良かった……」 「はい! わたしは正常に機能しています」 「お兄ちゃんも、記憶に改善は見られないものの、元気ではあります」 「そう」 「すべてを思い出すには時間が掛かるでしょう」 「舜」 「あっ、うん……」 いきなり名指しされて動揺する。 「シロネからこれまでのこと、どこまで聞いているの?」 沙羅の眼差しは探るように鋭い。 だから、むやみに委縮してしまう。 「えっと……シロネからは特に何も教わってないけど」 「はい……沙羅ちゃんの指示通り、わたしは喋っていません」 「それならいいの」 「シロネが約束を守っているのか、確認したかっただけ」 「は、はい……」 シロネが気まずそうに微笑む。 「病院にいる間、沙羅から重要なことについては聞いたつもりだったけど」 「つまり、まだ何か話してないことがあるってこと?」 「……私が、隠し事をしているって言いたいの?」 「それはっ――」 「隠しているわけじゃない……」 「ただ、様子を見ているだけ」 答える沙羅の声は、平静そのもので内心を覗うことは出来ない。 こうもクールに接されると、馬鹿馬鹿しくなってくる。 「もしかして……」 「なあに?」 「僕が沙羅のことだけを覚えていたのも、君が記憶を操作した結果なのか?」 「……面白い。その発想」 「君だったら、それくらいのことは出来そうだよね」 「都合の悪い記憶を消したり、記憶を作り変えたり……」 「その技術、いかにもSF的で素敵ね」 「舜が望むなら、いつか実現させてみせる」 「でも……人間の記憶って、そんなに簡単に扱えるものではないの」 「この私でも、今は無理な話ね」 「僕は――」 「沙羅ちゃんに強く当たらないでください!」 沙羅への冗談めかした皮肉が、自分に起こる理不尽への八つ当たりに代わる前に、シロネが割って入った。 「本当のことが話せていないのは、わたしのせいでもあるんです……」 「……そうなの?」 気勢を削がれた僕は息を整えながら、沙羅に尋ねる。 「……そうとも言える、のかな」 「この秘密は、シロネが安全なアンドロイドであることを保証する部分に抵触している」 「トリノのプロジェクトに差し障りがあるから、私は内密にしておきたかったの」 「やっぱり、自分のためなんだな……」 「さっき言った通り。私は自分の傲慢さを否定はしない」 「お兄ちゃん、ここは抑えてください」 「……」 「私、もう行くわ」 「さようなら」 沙羅はくるりと背を向けると、自分の教室へと去っていった。 「ごめんなさい……」 「どうしてシロネが謝るんだ」 沙羅の話を聞いてしまったら、とてもシロネを責める気にはなれない。 「沙羅が自分勝手な人間だってことが、よく分かったよ」 「それは……きっと、違います」 「沙羅ちゃんは自己利益のためだけに、行動しているわけじゃない」 「……その根拠は?」 「根拠は……」 「ありませんけど……」 シロネなりの精一杯のフォローだったんだろう。 弱々しく笑みを浮かべている彼女を前に、ため息は吐けない。 「わたしは、お兄ちゃんの幸せのことを一番に考えています」 「それがお兄ちゃんにとって、必要な情報であれば、公開しますが……」 「え?」 「沙羅が話すなって、命じてたことだよ?」 「……」 「今のは、忘れてください」 「シロネ……」 「わたし、もう行きますね。それでは」 シロネは逃げるように、自教室へと駆けていった。 アンドロイドなのに、命令を破ることが出来るのか……? 僕はそんな疑問を抱きつつ、自分も教室の扉をくぐった。 それから―― それ以上シロネに追求することなく、自宅に帰って来た。 ピアノの音色を聞きつけてリビングへと向かうと、シロネはすぐに演奏を止めてしまった。 「もっと聴いていたかったのにな……」 「……お兄ちゃんのことを考えると、なぜだかピアノを演奏する指が乱れるんです」 「そんなことない。十分上手かったよ」 「いいえ。さっきも、指がつっかえそうになりました」 「シロネにしては、珍しいな……」 珍しいというより、初めてだ。 シロネは譜面通り完璧にこなし過ぎて、違和感を覚える程だったから。 「あの、わたし……」 「わたしは、アンドロイドじゃないのかもしれません」 悲しそうでも、嬉しそうでもない。 感情のこもっていない口調で、シロネは淡々と僕に言った。 「アンドロイドじゃ、ない……って?」 一体、どういうことなんだろう。 その身体も、心を成しているプログラムも、すべてが作り物のはずなのに。 それが、沙羅が秘密にしていた事実なのか? 「意味が分かりませんよね……?」 「わたしも、上手く説明出来ないんですけど……」 「じゃあ、君は何者なんだ……?」 混乱する頭を抱えながら、尋ねる。 「それが分からないんです……」 「でも、わたしはアンドロイドとしての機能が、未だ正常に働いていない気がします」 「つまり、沙羅が不完全な修正を行ったということ?」 「お兄ちゃんは、沙羅ちゃんがミスを犯したと言いたいんですよね?」 「うん……」 「それは違うと思います。沙羅ちゃんがイージーミスを見過ごすことはあり得ません」 「だとしたら――」 「沙羅ちゃんは故意に修正を行わなかったんだと、わたしは考えています」 「シロネも、そう思うか……」 静まり返った部屋に唸るような僕の声が響く。 「お兄ちゃん、ちょっと場所を変えませんか?」 「これが、お兄ちゃんの幸せのためなら……」 「そのためなら、わたしは、全てを話します」 「そんなこと、していいの?」 「……」 シロネは黙ったまま、目で強い意思を訴え掛けてくる。 「分かった。どこに行こう?」 「海の近くまで」 海に辿り着くまで、僕とシロネは一言も言葉を交わさなかった。 でも、僕達にとって因縁が深いこの場所をシロネは選んだ。 それだけで、事の重大さを実感する。 日は傾いているのに、まだ暑い。 握り締めた手の中は緊張で汗ばみ、ますます不快感を増していく。 「まずは、2人のことを説明しますね」 「わたしとお兄ちゃんのこと……」 シロネは落ち着き払っている。 こういうところを目の当たりにすると、シロネはどこからどう見てもアンドロイドだ。 僕のこの感覚、間違っているのだろうか。 「お兄ちゃんが記憶を失くす直前まで、わたし達は恋人同士でした」 「……え?」 「わたしは、恋人になって欲しいと望みました」 「もちろん、お兄ちゃんも、わたしのことが好きだと言いました」 頭の中で疑問が爆発する前に、シロネが付け加える。 「わたしはお兄ちゃんに喜んで貰うのが使命なので、本当に嬉しかったです」 淡々としたシロネの話し方が、今は好都合だった。 “そんなこともあったんだな”と、客観的に受け止められるから。 「だけど、わたしは元々“妹”という設定で作られています」 「お兄ちゃんの本当の妹である白音さんの記憶を引き継いでいます」 「“妹”と“恋人”は似ているようでいて、異なる存在です」 「例えば、“妹”とはセックスをしない。したとしても、それは禁忌を犯している」 「それって、つまり……」 「わたしとお兄ちゃんは性交渉をしました」 「恋人同士でしたので」 さらっと当然のことのように言われてしまうと、戸惑うことすら出来ない。 「でも、君は生活をサポートするためのアンドロイドだ」 「白音の記憶をインストールし、彼女が成長した姿を想定して作られているという点以外は」 「はい。お兄ちゃんの言う通りです」 「それとも、そういうこともオプション機能として搭載しているの……?」 言ってるうちに、恥ずかしくなり声をひそめてしまう。 「いいえ……それは、わたしの行動予測には無い行為でした」 「わたしはあなたのことを“お兄ちゃん”と呼ぶ、妹的なアンドロイドですから」 「さっきも言った通り、通常は兄と妹はセックスしないので」 「……そうだよね。馬鹿げた質問をした」 「そんなことありません」 「わたしは出来てしまったんです。アンドロイドとして、推奨されていない行動が」 「なるほど……」 「シロネは自分に与えられた役割を、逸脱する行為をしてしまったのか」 「……それによって、バグが生じたんでしょう」 「わたしは徐々に、自分をコントロール出来ていないと感じ始めました」 「自分は白音さんだったけど、今はそうじゃない」 「そこで、わたしは“自分”という存在を強く意識するようになりました」 本来の自分でない誰かを演じることは、大なり小なり人間なら当然経験のあることだ。 でも、実態から乖{かい}離{り}した姿を演じようとすれば、ボロも出やすくなるし疲弊する。 アンドロイドであるシロネならば、複雑な信号が行き交い、パンクするということも考えられるかもしれない。 「お母さんを幸せにする」 「お兄ちゃんを幸せにする」 「それらの約束を果たそうと軌道修正を試みても、失敗ばかりでした」 「それは……大変だったね」 労おうとする言葉さえ、今の自分には他人事となってしまうのが少し悲しい。 「そうしてわたしは、あの日、海に入って溺れようとした」 「白音さんは、海で溺れて亡くなりましたから、同じようにすれば死ぬんだと思って……」 「そうしたらお兄ちゃんは、わたしを引き留めようと、海に入って溺れました」 「……でも、よく考えてみたらおかしかったんです」 「おかしかったって?」 「三原則の第三条では、第一条と第二条に反しない限り、アンドロイドは自己を守らなくてはなりません」 「それなのに、わたしは海に入ることが出来て、しかも、波に飲まれたお兄ちゃんを助けて、岸に戻りました」 「死ねなかったんです。白音さんとは違って、わたしはアンドロイドだから……」 つまり、第三条に反した行動を取ってしまったと思いきや、シロネは死なないから、第三条違反にならない、ということか。 「代わりに、第一条には反して、お兄ちゃんを傷つけてしまいましたが……」 「……そうだったのか」 “シロネと心中しようとしていた”という、根拠の無い悲観的な予想よりは遥かにマシな真実だった。 「それを沙羅と一緒になって秘密にしていたんだね」 「ごめんなさい」 「アンドロイドなのに、間違いを犯してしまって」 「許して貰えるでしょうか……」 「ああ。シロネだって完璧じゃないんだ。これから学んでいけばいい」 「シロネのことは、誰も責めないよ」 「お兄ちゃん……」 「ありがとうございます」 「沙羅が事実を教えてくれなかったのは、プロジェクトの中止を怖れてのことだろうし」 でも、沙羅はもともとそういう人間であることを自認している。 ありきたりな僕の批判なんて、午睡のそよ風みたいなものなんだろう。 「沙羅ちゃんの気持ちの全てを、理解することは出来ません」 「でも、本当にバグを直してくれたのなら、わたしはこんなに考えたりしませんよね?」 「恋人同士だった頃のお兄ちゃんはどんな気持ちだったんだろうとか、興味を持ったりしないと思います」 「また頭を撫でて欲しいとか、考えたりしない……」 「そうかもしれないな……」 僕には難しいことは分からない。 それでも、さっきピアノが上手く弾けなかったのがおかしな話であることは、なんとなく理解出来る。 「でもこれは、アンドロイドとしての機能なのでしょうか?」 「バグが残っていることを検知して、その結果修正を求めているんでしょうか?」 「それとも、知的好奇心のようなものがわたしの中に生じて……」 「お兄ちゃんの恋愛感情を受け入れてしまった原因を知りたいと欲しているんでしょうか?」 確かに、プログラム上の処理と、興味を持って物事の本質を突き止めるのとでは全然違う。 後者は、完全に人間の抱く欲求だ。 「お兄ちゃんのことを大切に思う気持ちは、ごく自然なものだと思っていました」 「わたしは妹の“シロネ”で、お兄ちゃんに喜んでもらうことが一番の仕事」 「そういう設定がされているからだと、ずっとずっと思っていました」 「でも、なんだか違うような気もして……」 もしこれが人間だったら、泣いてその戸惑いを吐露していたかもしれない。 だけど、シロネはむしろこちらが心配になるくらい平静を保っている。 「一体、何者なのでしょう?」 「わたしは、アンドロイドなのでしょうか? それとも――」 続く言葉は紡がれない。 風が2人の間を縫い、海に向かって流れていく。 暫しの沈黙の後、僕は考えをまとめ、自分なりの結論を述べた。 「僕もシロネと一緒だ」 「僕は一度リセットされてしまったアンドロイドみたいなものだ」 「お兄ちゃんがアンドロイド?」 シロネは僕の言葉を聞いて、口元に笑みを浮かべた。 「記憶を失って、“七波舜”っていう、設定を与えられて生きているんだから同じだろ?」 「今の僕は、アンドロイドと変わらないんだ。いちからいろいろ覚えていかないとならないし」 「確かに、わたしも最初の頃は大変でした……」 「それだけじゃない。僕もシロネと同じように、自分が何者なのか知りたいと思っている」 「お兄ちゃんは、いつでも優しい人でしたよ」 「シロネはそう感じてたのかもしれないけど、きっとそれだけじゃない」 「僕しか知らない僕だって、きっと居たはずなんだ」 「それは、そうですね」 「お兄ちゃんだって、全てを誰かに打ち明けていたわけじゃない」 「打ち明けていたことの全てが、真実とも限らない……」 「だから、なんとかして記憶を取り戻したい」 「全部じゃなくてもいい。出来るだけ、多くのことを思い出したいんだ」 「シロネの謎を解くヒントにも、きっと繋がるはずだから」 「そうなんです! だから、お兄ちゃんに思い出して欲しいと思っていたんです!」 シロネの顔がぱっと輝く。 「バグをちゃんと修正して貰うためにも、データが必要なんです!」 「わたしが沙羅ちゃんに“きちんと直してください”と言うためにも、お兄ちゃんの協力は不可欠です」 「じゃあ、一緒に頑張ろうよ」 「頑張る……そうですね」 「頑張りましょう!」 シロネがそう言ってくれたから、僕の中でやっと決意が固まった気がした。 ほっとすると、お腹が鳴る。 シロネが笑って、夕飯はカレーだと言った。 この日、シロネはいつもより早く家を出ていた。 日直の仕事があるらしい。 1人寂しく登校することに、僕は寂しさよりも安堵していた。 「結局、今のところは何もシロネの力になれないし……」 シロネのためにも早く記憶を元通りにしよう! そう意気込んでみても、気合いやお祈りでなんとかなる話じゃないんだから。 思わず、大きなため息を漏らしてしまう。 「舜、どうしたの?」 「ため息吐くと、幸せが逃げるって言うよ?」 夕梨が僕の顔をじっと探るように見つめながら忠告した。 「びっくりした……いきなり話し掛けるなよ」 「だって、歩いてたらさ、舜が見えたから」 「学校はどう? やっぱり、大変だよね?」 「大変だけど、慣れればなんとかなった」 「みんな、僕が記憶を失くしていることを知ってるし、積極的にフォローしてくれてるよ」 「へえ……意外と周りのみんなも適応能力があるんだ」 「もっと、変な目で舜のことを見るかと思った」 他人っていう存在は案外優しいものみたいだ。 正直、期待以上にみんな協力的で……。 教室で皆が居なければ、ちょっとだけ泣いていたかもしれない。 「そっか……何はともあれ、良かったじゃん」 「頼れる時は頼る。貰える物は、病気以外貰っておく」 「我が家の家訓は、間違いなかったね!」 「宮風家には、そんな教えがあったのか」 「……記憶喪失以来、なんだかボケっぷりがパワーアップしてない?」 素で感心していると、夕梨は呆れたように言った。 「そんな図々しい家訓、あるわけないでしょっ!」 「いや、夕梨のことを見ているとその通りだなあって思ったからさ」 「ちょっと! それって、あたしが厚かましい女の子だって言いたいわけ?」 「いや、そうじゃない。病気以外はって部分に、実感がこもっているなあって――」 「オー! シュン!」 「うわっ!」 急に目の前にハナコ先輩が飛び込んできた。 夕梨は彼女を躱すように、飛び退く。 「グッドモーニングデース」 「ぐ、グッドモーニン……ハナコ先輩」 「シュンは記憶がロストしていると聞きマシタが、その後はいかがデスか?」 「まだ、戻りません」 「それは残念デス。でも、シュンはワタシの名前を言いマシタね」 「シュンはワタシのこと覚えてマス。違いマスか?」 先輩の目がらんらんと輝く横で、夕梨の表情がみるみる曇っていく。 「嘘だよね……?」 「幼なじみであるあたしを差し置いて、ハナコ先輩のことは覚えているだなんてさ……」 「入院中、一時外出した時に会ったんだよ」 「え?」 「随分個性的な先輩だなと思ったので……忘れられませんでした」 この暴走機関車的性格と、いかにもな外国人的容姿。 この界隈では、唯一無二だ。 「そりゃあ、そうだよね!」 「こんな迷惑で変な人間、そうそういないしさ!」 夕梨がニヒヒッと笑う。 「ハハハ。ユーリは本当に、ツンデレデース」 「はぁ? そんなことあるわけないじゃん!」 「ユーリも皆さんも、ワタシが品行方正なスチューデントであることを褒め称{たた}えているのデスね」 「少しずつデスけど、ワタシの野望は実現していマス。そうデスね?」 「どうしたらそう思えるの……? 図々しい先輩だよ、まったく」 「ユーリ、後ろ向きな発言は良くないデース」 「幸せがランナウェイしてしまいマース♪」 「それは喜び溢れんばかりに言う台詞じゃないし!」 夕梨の突っ込みに対し、先輩は笑いながら返事をした。 「アイムソーリー。ニホンゴワカリマセーン」 「新手のギャグ!?」 「もうやだ、この先輩……!」 「まあまあ……」 「舜は笑ってないで、あたしを助けなさいよっ!」 でも、この感じ。 なんだか懐かしいような気がして、微笑ましくなってしまう。 「おっと……」 携帯が鳴ったので、画面をチェックする。 沙羅からのメールだった。 シロネと一緒に、研究室に来て欲しいらしい。 未だに騒いでいる夕梨とハナコ先輩の声を聞き流しながら、僕は返事を送った。 「沙羅ちゃんからのお呼び出しですか……」 僕達は空が黄昏れていく中、RRCの近くまで歩いてきた。 「なんのために、わたし達を呼び出したんでしょう?」 「僕にも分からないよ」 “事前に話す内容について教えて欲しい”とメールを送ったら……。 「“メールで事足りるなら、直接話したりしない”って書いてあったから、結構込み入った話かもなあ……」 「込み入った話ですか……」 シロネは難しそうな顔をして呟いた。 「たとえば、沙羅ちゃんは男の子だった! とかでしょうか?」 「えっと、それはちょっと……」 あり得ないと思うけれど、なんだか返答に困る。 「では、実はわたしのことが好き……とか?」 「頼むから、もじもじしながら言わないでくれ」 「一応確認しておくけど、全部シロネなりのギャグなんだよね……?」 「ギャグではありません」 「人間が告白をすることの例から、いくつかピックアップしました」 シロネはさも当たり前と、胸を張る。 「シロネのことが好きっていうのは、可能性としてあり得なくはないけど……」 「“沙羅が男の子だった”っていうのは……無いだろう」 危うく、妙なことを考えそうになってしまった。 “妙なこと”の内容は、想像にお任せする。 「分かってますって!」 「きっと、トリノプロジェクトに関わることですよね」 「のっけからヘビーな雰囲気を漂わせるのは、お兄ちゃんのメンタルに良くないので、ちょっとおちゃらけてみました!」 「素敵な気遣いを、ありがとう……」 別の意味で、心を揺さぶってくれたけれども。 「さあ、沙羅ちゃんの元に急ぎましょう!」 シロネはあっという間に駆けていってしまった。 僕も慌てて後を追い駆ける。 走ったせいもあって、鼓動が早まっている。 一方で、目の前に佇む沙羅から感情の揺らぎは感じ取れない。 まったくもって、いつもの彼女だった。 「2人とも、ご苦労さま」 「単刀直入に、言うね」 「シロネの実験期間は、あと2週間」 「それを過ぎたら、彼女を回収するから」 沙羅は一度閉じた目を見開いて、そう告げた。 「なっ……!?」 二の句を継げない。 あまりにも核心を突き過ぎている。 動揺する僕に構わず、沙羅は話を進める。 「トリノが人間にどんな影響を与えるのか」 「あるいは、人間がトリノにどんな感情を示すのか」 「フィールドワークの成果次第では、トリノは製品化されるかもしれない」 ここで沙羅は軽く咳払いをして話を区切り、先を続ける。 「結果によっては、トリノプロジェクトは継続不能になるでしょうね」 「シロネも、廃棄処分されるかもしれない」 「廃棄処分……」 シロネが、耳にした言葉をポツリと口にする。 さっきまで、沙羅の言葉を消化するので精一杯で……。 シロネの表情を窺う余裕なんてなかったけれど―― 「シロネ……もっと、悲しそうにしていいんだぞ」 「は、はい……」 シロネは返事をしたが、その表情に変化はない。 無機質な印象は、生みの親である沙羅に似ている気がした。 「もちろん、シロネが廃棄処分されるだなんて……私も不本意だけど」 「プロジェクトメンバーの意見も聞いてあげないといけないから」 「だから嫌だったの……他人との共同実験なんて」 「でも、研究内容を社会に役立たせることも、必要だとか言われて」 「沙羅の事情は、関係ないだろう」 「舜の言う通り」 「それで、何か物申したいことでもあるの? 顔が真っ赤になってるけど」 憤りを堪えるのに食いしばった歯の隙間から、荒々しく息が漏れる。 「あと2週間でお別れ……?」 「シロネが廃棄処分……?」 「それは可能性の話で、決まったわけじゃない――」 「そんなの一方的過ぎるよっ!」 「もっと余裕を持って伝えてくれても良かったはずだ」 「そうね。余裕があったなら伝えていたでしょう」 「つまり、さっき決まったことなの」 「そんな……」 「実験に協力を仰いだ時に、同意書にサインを貰っているの」 「同意書……」 そんなことは覚えていないけれど、通例通り約束が交わされていたのだろう。 「この実験はこちらの都合によって、突然中止になる場合もある……」 「そう、書かれていたでしょう?」 沙羅はシロネに尋ねた。 「確かに、書かれていました。お兄ちゃんとお母さんは、サインをしました」 「そういうこと。以上」 「とりあえず、舜はシロネのアーカイブスを見てみて」 「“アーカイブス”……?」 「きっと、失われた記憶の補修に役立つはずだから」 「シロネが人間に貢献出来ることは、なんでもさせたいの」 「アーカイブスは、トリノに備わった記憶の共有装置」 「そう言えば聞こえはいいけど、要するに、シロネの見てきた映像を映し出す仕組みのこと」 「ビデオカメラみたいなものか」 沙羅の言葉通り、そう言ってしまうと味気ない。 「舜とシロネが一緒に居ることは、私達の学術的意義だけではなく、舜の記憶を取り戻すためにも有効なの」 「いや、見なくてもいい……」 「……どうして?」 「沙羅、なんで僕とシロネが恋人関係だったことを黙っていたんだ……?」 「……シロネから、聞いたのね」 「はううっ……」 この鳥かごの女王様の身体から、冷気が発せられている。 少なくとも、僕はそう感じた。 「ちゃんと口止めしたはずなのに……」 「僕の前で言い含めたのは、どう考えても失敗だったな」 「……失敗?」 「君には分からないかもしれないけど、あんな言い方をされたら、気になって仕方がなくなる」 「それが、人間の性{さが}ってものだよ」 「……そうね」 「本当に、人間って愚かな生き物だと思う」 彼女の瞳には、侮蔑の色が滲んでいた。 「一度暴走したアンドロイドを舜の傍に置くには、秘密にするしかないでしょう?」 「だけど、秘密にするのもずっとは無理だったということ」 「そんなの、沙羅の都合で――」 同じ言葉を繰り返しているのに気づいて、言い淀む。 「舜のためを思ってしてきたことだけど、今のあなたには、伝わらないみたいね……」 「ごめんなさい。わたしが沙羅ちゃんとの約束を破ってしまったから……」 「いいの。遅かれ早かれ、こうなることは想定していたから」 「わたしが言わなかったら? お兄ちゃんに真実を言わなかったら、変わっていましたか?」 「それは、分からない……」 「とにかく、私はシロネの定期メンテナンスの準備もしなくちゃいけないし」 「その時になったら、またシロネを呼ぶから」 振り上げた拳の落とし所を見失ったというのは、まさにこのことだ。 沙羅はさっさと鳥かごから出て行ってしまった。 その背中は氷のように冷ややかで、追い掛けてもどうにもならないことは明白だった。 沙羅に呼ばれるまで、僕とシロネは待機していた。 何を話したらいいのか分からず、じっと空を見つめていた。 明白なのは、“シロネのことを守らなくちゃいけない”という気持ち。 離れ離れになることは受け入れられても、シロネが廃棄処分になるだなんて許せない。 それは、シロネと自分の境遇を重ねているからか。 それとも―― 「ごめんなさい、お兄ちゃん」 「お兄ちゃん、どうか悲しまないで」 シロネは落ち着き払って僕に声を掛けた。 「アンドロイドというものは、みんなそうです」 「わたしたちに生物的な死はないけれど、物理的な死はあって……」 「その決定権は、いつだってアンドロイドを使役する人間側にあるというだけです」 「でも、こんなに急なこと……とてもじゃないけど、受け入れられない」 「はいそうですかって言えるほうが、狂ってる」 「わたしも……お兄ちゃんとのお別れは、残念だと思います」 「でも、そういう契約だったわけですし、仕方がないですよ」 「自分のことなのに、“仕方がない”って……」 「そんなにあっさり諦められるのか?」 「諦めるも何も……わたしは、この日が来ることを予測していました」 「さっきも言いましたけど、やがて実験終了の日が来ることは、契約書に書かれていましたよね?」 「それに関連して、廃棄処分になる話が持ち上がったことには、驚きました」 「だけど、それだって遅かれ早かれ起こり得る事態です」 そう言われてしまうと、なにもかもが虚しい。 シロネに“別れ”や“死”の悲しみを理解して貰うのは、難しいのかもしれない。 シロネは、砕けそうな僕の心を包み込むように笑った。 「だから、お兄ちゃんも必要以上にわたしを哀れだと思わないでください」 「また、そんな顔をして……わたしは、お兄ちゃんのほうが心配ですよ」 「……僕、そんな酷い顔をしているかな?」 「はい。少し揺すったら、涙がぽろぽろしそうな顔をしています」 「格好悪いな……」 慌てて、目元を手の甲で拭う。 涙は零れていなかった。 「格好悪くないですよ」 「涙って……感情がどうしようもなく溢れ出るってこと」 「とっても、素敵です」 「わたしも涙する機能が付いているそうですが、未だ披露したことがありません」 「そうなのか……」 涙が素敵だなんて表現、初めて聞いた。 でも、アンドロイドのシロネからしたら、羨んでしまうのだろう。 「泣こうと思って泣けるものでもないみたいです」 「いつか、泣けるといいな」 「はい!」 「わたし、初めての涙は絶対にお兄ちゃんに見せようと思います!」 「それって、喜んでいいことなのかな?」 ニコニコと笑いながらシロネは肯定した。 「涙をガラスのビンに詰めて、お兄ちゃんにあげます」 「……ありがとう」 夕梨も“病気以外の物はなんでも貰っておけ”って言っていたし。 それでも、これからのことを考えるとため息が出てしまう。 「もしかして、わたしのことを守ろうとか考えていませんか?」 「……えっと」 「“廃棄処分だなんて可哀想だ”とか……?」 図星を指されて、目を泳がせる。 「やっぱり……お兄ちゃんは優しいです」 「お兄ちゃんは、お兄ちゃん自身のことを頑張って欲しいと、わたしは思います」 「僕のこと……?」 「お兄ちゃんは、元の生活に戻ること」 「それを叶える方法を探ることを、優先すべきです」 「わたしのことは、あまり考えないでくださいね……」 「また、泣きそうになっちゃいますよ?」 シロネがちっとも悲しまないから、助けようと勇者ぶっていた自分が滑稽に思える。 シロネのためになら、なんだって出来そうなのに―― 「自分のために頑張ろうって思うのは、意外と難しいな……」 身体に力が入らない。 「勝手に、白音の記憶を入れた君を作った」 「今度も勝手に君の運命を決めるんだな……」 「“運命”……ですか」 シロネは大切そうに、その言葉を口の中で確かめた。 僕はちょっとだけ自棄になり、話を続ける。 「沙羅の才能を示す“実験”とやらに僕を付き合わせて……」 「シロネと積み上げてきた時間も、勝手に終わりにしてしまうんだ」 一体、この行動に何の意味があったのか、今の僕には伝わってこない。 沙羅だけの実験ではなく、父さんが絡んでいると知っていても、納得は出来ない。 「わたしには、まだ出来ることがあります」 シロネがはっきりとした声で言った。 「あと2週間は、お兄ちゃんの傍に居られる」 「わたしはお兄ちゃんの言葉から、自分がこうして活動していることに、他者――」 「つまり、お兄ちゃんに対しても責任があるということを学びました」 「僕に対する責任……?」 「はい!」 「わたしが居なくなったら、お兄ちゃんは悲しい」 「きっと、後悔を抱えて生きていかなくちゃいけない」 「だから、わたしはお兄ちゃんのためにも、簡単にここから居なくなるわけにはいかないんです」 「さっきまで、物分かりのいいようなことばっかり言ってたのに……」 シロネのやる気に満ちた態度に、僕は戸惑う。 「事実を述べただけで、それを受け入れるとか、努力をやめるとかは言ってませんよ?」 「それに、わたしの中には白音さんの記憶が入っています……」 「わたしは、白音さんの器である自分も、大切にしてあげたいんです」 「お兄ちゃん、わたしの傍に来てください」 穏やかだけど、意志のこもった声に導かれて、僕はシロネに近づいた。 シロネは僕の頭に優しく触れると、お互いの額をくっつけた。 「これって……!」 「これはわたしの記憶。わたしが見てきた景色です」 「沙羅ちゃんの言っていた“アーカイブス機能”とはこれのこと」 焼き肉を頬張る僕や、沙羅の顔、誰もいない海辺……。 いろいろなものが、流れては消えていった。 「君の記憶が、見える」 実際は“見えた”気になっているだけで、脳に直接映像が流れ込んでくるというべきだろう。 「お兄ちゃんは焼き肉が好きでしたね」 「……今でも肉は好きだけど、正直ピンとこないなあ」 「みんな元気だなあ、好き勝手にやっているなあくらいにしか思わない」 「そうですか……」 「でも、きっと記憶の補完という意味では役に立ちますよ」 「他にもいろいろお見せしますね」 「……ありがとう」 前向きなシロネを見ていると、落ち込んでなんかいられない。 前進しなければ。 意味とか、意義は後からついてくるんだ。 自分のためになることは、シロネのためにもなるはずなんだ。 「次はわたしが編集した、“笑い転げるNG集〜お兄ちゃん編〜”です!」 「……それはパスで」 定期メンテナンスのため、シロネは沙羅の研究室に残った。 僕はあてどなく、外をぶらぶらしている。 「七波くん、何してるの?」 「……綾花は?」 “歩き回っている”以外の返答が見つからなくて、逆に聞き返してしまった。 「私? 私は今、ゴリゴリくんを買いに行く途中だよ」 「ゴリゴリくんってアイスの?」 「そう。巷では私がゴリゴリくんマニアであることは、有名なんだよ」 「そうだ……この前会った時、スマホのメモ帳に書き込んだんだった」 ポケットからスマホを取り出そうとして、笑われる。 「七波くん、真面目だね……」 「ふふふっ……キミってこんな人だったっけ?」 「シロネちゃんの天然っぷりが、少し伝{う}染{つ}ったんじゃないかな?」 「それはあるかも」 「恋人や夫婦でも、一緒に暮らしていると似てくるって言うよね」 「ぼ、僕とシロネは、恋人でも夫婦でもないけどね」 「それ、例え話だから……」 不意を突かれて焦って返事をすると、綾花はさらに顔をほころばせた。 「やっぱり、シロネちゃんに似てきたな、これは」 「でも、ゴリゴリくんのことは、ちょっぴり悲しかったな」 綾花はひとしきり笑うと、ぼそっと呟く。 「ゴリゴリくん?」 「いきなり話が飛ぶなあ……」 「別に、脈絡がないわけじゃないよ」 「私がゴリゴリくんが大好きだってこと、七波くん、忘れちゃってたんだ」 「それは……ごめ――」 「あ、七波くんが謝ることじゃないよ」 僕が頭を下げて詫びようとすると、綾花はきっぱりと断じた。 「そう思ってるなら言わなくてもいいのに、つい言っちゃった私のほうこそごめんだよ」 「七波くん、学校でも大変そうだもんね……」 「そんなふうに見える?」 「ううん。大丈夫そうに見えるよ」 「でも、普通に考えたら、無理しているんじゃないかって思って」 綾花も、幼なじみとして一緒に幼少期を過ごした仲だったはずだ。 僕の胸中を推し量るだけの材料を持っている。 「大きな悩みごともない私にとっては、ドラマチックな展開で、羨ましくも思えるけど……」 「記憶がすっからかんっていうのは、苦しいね」 綾花はゴリゴリくんの買い出しを投げ出して、僕に過去の出来事を教えてくれた。 幼少期から最近まで、僕とどんなことをしたとか、こんな話をしたとか。 「七波くんを知っている人たちと、沢山話してみたらどう?」 「きっと、脳が活性化されて……記憶の扉が開くかも」 「あとは、頭を思い切りぶつけてみるとか……?」 「それは真に受けない。冗談として受け止めるよ」 「七波くん、さっそく学習してるね♪」 「そう考えると、不思議というか、複雑というか……」 綾花は難しい顔をして、答えを宙に求めた。 「記憶を失くす前の七波くんと、今の七波くんって、別人みたい」 「口調も違うし、物事の受け止め方だって違う……」 「記憶を取り戻したら、今の七波くんって、どうなるのかな?」 「どうなるって……」 「今も以前も、僕は僕だよ……多分」 「そっか……七波くんがそう言うんだったら、そうなんだろうね」 「私、家に戻ってレポートにまとめてくる」 「七波くんとの思い出……年表にしてみるのもいいかもしれない」 「綾花が手伝ってくれて、助かるよ」 今はいろいろな方法を試すしかない。 実験終了まであと2週間―― 貴重な1日も、あと数時間で終わってしまう。 定期検査から戻ってきたシロネと、いろいろな場所を巡った。 いつもの通学路から、商店街、夕梨の家の前……。 記憶を取り戻すきっかけになればいいと思った。 だけど、あまりにも天気が良過ぎて、吹き出る汗が止まらない。 「お兄ちゃん大丈夫ですか……?」 「きちんとスポーツドリンクを飲んでくださいね」 「うん。飲んでるよ」 海までやって来た僕達は、少し休憩を取ることにした。 こんな時ばかりは、疲れを知らないシロネが羨ましい。 「いろいろ見て回りましたけど、何か思い出すことはありましたか?」 シロネが期待に満ちた目を僕に向ける。 「えっと……特に、何も思い出さなかったなあ」 「そうですか……」 「まあ、そんなに簡単にはいきませんよね!」 「ゆっくり、じっくり、気長に待つしかありません」 「シロネがそう言ってくれると、元気が出る気がする」 「おおっ! 今日もお兄ちゃんの力になれました!」 「それがわたしの元気の源です♪」 「お互い励まし合えるなんて、これは“自他共栄”“ウシツツキと水牛”ですね」 「ごめん。後半はピンとこない」 頷きながら聞いていたけど……よく分からなかった。 「ウシツツキはマイナーでしたか……」 「ウシツツキという鳥についての解説は、また今度にしますね」 「そうしてくれると助かる」 目に見えてしゅんとなるシロネが面白い。 「でも、シロネとあちこち出掛けられて、良かったよ」 「わたしも……!」 「わたしも、そう思います!」 さっきまでしょげていたシロネはどこへやら。 「なんだか、懐かしいっていうよりも、新しいって感じだった」 「なるほど……」 「今のお兄ちゃんにとっては、初めて訪れた場所もありましたからね」 「そう考えると、新鮮な気持ちのほうが勝りますよね」 「長く住んでいた場所だったのに、こんなに目新しいだなんて……」 「ある意味では、ラッキーだったのかもしれない」 「それって、すっごく前向きな考え方です」 「うん。シロネといろいろ共有出来たのも楽しかった」 むしろ、楽しまないとこんなことやってられないという感じだ。 記憶は、取り戻そうと思って、どうにかなるものでもないみたいだし。 シロネと一緒に居られる時間は決められてしまったし――。 「白音さんなら、どうやってお兄ちゃんを励ましていたでしょう?」 「……白音か」 「ここに来ると、ついつい白音さんのことを意識してしまいますね」 シロネは儚げに微笑んだ。 「お兄ちゃんも、辛くなったりしませんか?」 「白音さんに、話し掛けたくなりませんか?」 「……そんな気持ちも、失くなってしまったみたいだ」 「……」 「今の僕の中には、妹を失った後悔も、悲しみも、無いんだと思う」 胸を撫でるのは、他人を憐れむような、薄っぺらい感情だけだ。 妹の白音がここで亡くなったことは、知識として得ているに過ぎない。 「そうですか……」 「ある意味では、沙羅ちゃんの願いは叶ったのかもしれません」 僕はその言葉に狼狽して問い質す。 「それって、どういう――」 「あっ! いくら沙羅ちゃんが天才だからって、今の状況を意図的に作り出すのは不可能ですよ」 「お兄ちゃんが怖いことを考えているのなら、最初に訂正しておきます」 「……分かった。続けてくれるかな」 「白音さんを失って、お兄ちゃんが自責の念に駆られていること……」 「ふとした瞬間に落ち込んでしまうことを、沙羅ちゃんは知っていたんです」 「お兄ちゃんに辛い思いはして欲しくなくて、元気なお兄ちゃんに戻って欲しくて……」 「だから、沙羅ちゃんはわたしを作ったんです」 「それは……」 入院していた時に話して貰ったことを、思い出した。 「そうじゃなくちゃ、白音さんの記憶をインストールしたりしません」 僕は沙羅の無機質な顔を思い出す。 その中に、温もりを見出そうと試みた。 「人間は非社交的社交性な生き物です」 「沙羅ちゃんが“自分の名声のため”に実験しているのは、本当かもしれない」 「でも、きっと全てではないんです」 「……そうか。シロネの言う通りかもね」 記憶の中の沙羅は、何か言いたげに僕を見ている気がした。 「わたしは、今のお兄ちゃんよりは、沙羅ちゃんのことを知っています」 「彼女のことを、“自分のためだけに結果を追求出来るストイックな天才”と思ってしまえば楽でしょう」 「でも、きっとそれだけじゃない」 「それだけじゃないから、わたしが生まれたんだと、信じたいんです」 「そうだといいな」 そう、素直に思う。 沙羅の気持ちを知ろうともせず、無闇に憤った自分が恥ずかしい。 彼女の人間性を信じて、僕が胸を開けば……。 本当の気持ちを教えてくれたかもしれない。 「でも、この海を目の前にして、感情が湧かないというのは切ないですね」 「わたしは、お兄ちゃんと一緒に過ごしてみて“後悔”という感情のポジティブな側面も知りました」 「つまり、悲しみの分だけ気持ちが積もっていたということ、白音さんを大切に想っていたということ」 「そうなんだ。だから、まっさらになってしまったことを余計に実感するよ」 きっと、前の僕にとっては“後悔”だってひとつの生きる理由だった。 妹の死を悼む気持ちだって、あるべき日常の光景だった。 「やっぱり、記憶を失ったことで、沙羅ちゃんの願いが叶ったわけではなさそうですね……」 シロネは、遠い水平線に視線を移した。 有機的な海と無機的なシロネは全く異なる資質なのに、不思議と調和している。 なんだか、美しい絵画を眺めているみたいだった。 「それでも、わたしは自分がアンドロイドで良かったと思います」 「お兄ちゃんのために、わたしはいろんなことが出来ます」 「お兄ちゃんを海から救うことが出来たのも、わたしがアンドロイドだったからです」 「わたしは沙羅ちゃんに、感謝しています」 「だったら僕は、これからどうしたらいいんだろう」 「お兄ちゃん……」 シロネは痛むかのように胸に手を当て、沈痛な声を漏らした。 「記憶を取り戻すことも容易じゃない」 「大げさかもしれないけど、生きる意味も失ってしまった」 「全然、大げさなんかじゃないですよ」 「お兄ちゃんにとって、それくらいの痛みだったんですから」 あまりに必死に肯定してくれるので、僕は笑って応えた。 「落ち込んでいるわけじゃないから、大丈夫だ」 「でも……」 「でも?」 「シロネに救って貰った命で、何かに、誰かに、役に立つことをしなければ――」 「世の中と接点を持たないまま、1人で生きていくことになるんじゃないかな」 僕は想像する。 沢山の学生が歩いている通学路を。 僕が居るのに、誰も気づかない。 僕はそれを当然のように受け止めている。 もちろん、シロネは僕の隣に居ない。 「そんなの、悲しい……」 「ねえ、シロネ」 「はい」 「実験のリミットまでに、叶えて欲しい願いごとはないかな?」 「願いごと……? わたしの、願い……?」 シロネは難しい顔をして固まった。 「僕は、シロネのことを憐れんでいるわけじゃない」 「一番お世話になってるシロネだから、お礼がしたいんだ」 「お礼ですか……」 それが誰かと―― 世の中と―― 再び繋がるきっかけになったらいい。 「わたしの願いごと……叶えたいこと……」 「うーん」 シロネは何度も眉間に皺を寄せ唸り、考え抜いた結果―― 「お兄ちゃんを好きだった気持ちが、本当は何物だったのか、知りたいです」 そう、はっきりと言った。 「そうか……それは、前にも言っていたよね」 「そのためにも、お兄ちゃんにわたしのことを知って欲しいと思います」 「もっともっと、知って欲しいんです」 「人間であるお兄ちゃんなら、わたしが知り得ないわたしのことも、分かることがあるかもしれません」 「何度となく自己を解析してみても、答えの出なかった問いですから……」 「それが、シロネの願いなら」 叶えよう。 僕は大きく頷いた。 「今日のお出掛けは、ここが最後です」 日が落ちるのを見計らって、シロネは僕を森の中に連れてきた。 木々の隙間から適度に星空が見えるから、人間の手が入っている場所なんだろう。 「お兄ちゃん、聞こえますよね?」 「何が?」 「葉っぱが擦れる音、虫の鳴き声、小枝や砂利を踏む音――」 「こんなに音がするのに、人間はこういった場所を“静かだ”と言いますね」 「そうだね……」 森の中は、すっかり冷え込んでいる。 昼間の暑さが嘘みたいだった。 「音に満ちているのに、うるさくない」 「わたしも、だんだんとそう思うようになりました」 深く呼吸をすると、濃厚な生き物の香りが胸に満ちた。 なんだか、落ち着く場所だと思った。 「ここは、わたしのお気に入りの場所なんです」 「へえ……知らなかった」 お気に入りの場所にしては、寂し過ぎる気がした。 だけど、水を差すだろうし口にはしない。 「お兄ちゃんに、わたしのことを知っておいて欲しかったから、案内したんです」 「まあ、案内と言っても、大したものはなくて……」 「そこにあるハンモックに横になって、星空を眺めるのが素敵ってだけなんですが」 シロネは、はにかみながら言った。 確かに、傍の木にハンモックが架かっている。 「このハンモックは、シロネが設置したものなの?」 「はい」 「ハンモックってちょっと窮屈ですけど、それが心地いいんです」 「なんだか、抱き締められているみたいで……」 「抱き締められているみたい?」 「何か、変な表現をしてしまいましたか?」 「いや、多分変じゃないと思う」 「実は、ハンモックって乗ったことがないから、ピンとこなかったんだ」 「そうだったんですね!」 「ハンモックは南米の寝具ですから、この島にもきっと合いますよ」 「南米か……シロネは物知りだなあ」 「ハンモックはいいですよ♪」 シロネはご機嫌な様子で説明を始めた。 「寝心地は優しく包まれているような感じで、お母さんのお腹の中に例える人もいるみたいです」 「胎内環境の再現は、人間に安らぎを与えるといいます」 「近くの木には、鳥の巣があって……」 「ほら、あそこです」 シロネが指差した場所には、確かに鳥の巣があった。 小枝や藁{わら}のような植物が丸くまとまっている。 「わたし、自分のことを鳥の子どもだと思っていた時があったんです」 「え……?」 僕は驚いて、シロネの頭の天辺からつま先まで眺め、確かめた。 もちろん、くちばしも羽も、鉤{かぎ}爪{づめ}も無い。 「おかしな話ですよね」 目を見開いたままの僕を、シロネは申し訳なさそうに苦笑した。 「でも、わたしが初めて起動した時――」 「目に入ったのは満天の星空と、白い鳥が羽ばたいていく姿だったんです」 「だから、そんなふうに思い込んでしまって……」 「ああ……」 僕は自然科学系の教育番組の映像を思い出す。 孵化したばかりの雛が、健気にも犬の後を付いて歩こうとしている―― 「何かの鳥の子どもが、生まれて初めて目にした動物を親だと認識してしまうのを、最近テレビで見た気がする」 「それに似ているのかな?」 「そうですね。似ていると思います」 「まだ、プログラムの調整が甘かったとか、全機能が稼働していたわけではないとか、そういうことだったんでしょう……」 「でも、とにかく“わたしはあの生き物と同じなんだ”と思ってしまったんです」 「そうだ!」 シロネは飛び跳ねるようにして、声を上げた。 「せっかくなので、お兄ちゃんにもその時の映像を見せてあげます」 「わたしが生まれた時の記憶……」 シロネは両の瞳を閉じると、僕の頭に手を添えた。 額が触れ合うと、星空が見えた。 生まれたばかりのシロネは、どこかに横たわり、ガラスの天井を見ているようだった。 アーカイブス機能を体感するのは2回目だったから、落ち着いて彼女の記憶を受け入れられた。 「自己認識とは曖昧で、それを支えている1つが記憶、そして経験です」 だんだんと視界はクリアになっていって、鳥がさっと横切っていく。 「わたしは生まれてすぐに、沙羅ちゃんの目を盗んで外に出ました」 「あの鳥を探さなくてはいけないと思ったのです」 「どこというわけではないけれど、“帰らなくてはいけない”という逼迫した想いがありました」 「それからこの森で、あの鳥を見つけた時はほっとしました」 「わたしはなんだか懐かしいような、切ないような気持ちで、鳥の巣に手を伸ばしました」 「でも、激しく威嚇されてしまって……」 「それで、シロネは自分が鳥ではないことに気づいたの?」 「はい」 「悲しかったですけど、すぐに沙羅ちゃんがやって来て連れ戻されました」 「その時の、沙羅ちゃんの手はじんわりと温かくて……」 シロネが目を開けると、映像は途切れた。 「わたしはその時、認識を変えました」 「わたしの手を引いて歩く、この人が自分を生んだのだと……」 シロネの白い手には、沙羅の温もりの記憶が宿っている気がした。 シロネに触れたいのか、沙羅の優しさを求めているのか分からないまま、彼女の手を握った。 「……あっ」 シロネは驚きの表情と共に、声を発する。 だけど、すぐに微笑んでみせた。 「えへへ、お兄ちゃんの手も温かい……」 「ねえ、お兄ちゃん……」 居住まいを正し、改まった口調で、僕に呼び掛けた。 僕は軽く頷いて、シロネに先を促した。 「ここに、白音さんも眠っているんですよ」 「ここって、この森に……?」 「そうです」 「白音さんの遺骨は、“死して自然に帰るように”という願いの元、この森のそばに散骨されているんです」 「お母さんが、ある北欧の国の生死感に共感を覚えて、行ったそうです」 「きっと、覚えていないでしょうけど……」 「……そうだったのか」 いろいろな場所を巡ってみて分かったことがある。 それは、初めて来たはずなのに、新鮮に思わない場所もあるということ。 きっと、記憶を失くす前から、馴染み深い場所だったんだと思う。 ここは、それらの場所と違って気安い雰囲気ではないけれど、空気が肌になじむような気がする。 「白音が居るから、なのかも……」 「え?」 「ここに来た時、妙にほっとしてしまったんだ」 「誰も居ない、寂しい場所なのに、変だなと思ったんだけど……」 「なるほど……」 シロネは眉根を寄せて唸った。 「記憶は脳が司るというのが通説ですが、もしかしたら、それだけじゃないのかもしれませんね」 「どういうこと?」 「臓器の移植手術を受けた患者が、提供者の記憶を引き継いだという事例があるそうですよ」 「それは、他人の肝臓とか肺とかを移したということだよね」 「……そんなこともあるのか」 「“記憶転移”と呼ばれる現象です」 「不確かな部分も多いですし、否定する研究者も少なくないですけど……」 「もし、記憶という情報は脳だけが有するものじゃないとしたら――」 「白い小さな骨の欠片に、白音さんの記憶も宿っているのでしょうか?」 「白音の記憶が……?」 「この場所には、彼女の記憶も散らばっているのでしょうか?」 僕は頷かなかったけれど、そうだといいなと思った。 白音の記憶に包まれたこの場所だから、僕もシロネも惹かれている。 居心地がいいと思う。 まるで、自分が帰るべき場所のように安らげる。 「白音……君はここに居るのか?」 声は返ってこない。 シロネも返事をしなかった。 夜が深まる前に、家に帰ってきた。 ポストから持ってきた手紙を、とりあえずテーブルに置く。 デリバリーのチラシやダイレクトメールばかりだった。 「そうだ」 それらを見ている間に、あることを閃いた。 僕は筆記用具を持ってくると、真っ白な便箋に向かった。 この日、僕は珍しくシロネよりも早くに起きた。 シロネにあるものをプレゼントしたくて、準備をしていたから。 「お兄ちゃん、おはようございます」 「もう、制服も着ているし……今日は早起きだったのですね」 シロネが珍しいものを見るような目で僕を眺めている。 「らしくないことをしたから、雨が降るかもね……」 「昼間は快晴、夜になると雲が広がりますが、一日中雨の心配はありません」 「夜間の湿度は80%程で、寝苦しい夜になるでしょうと、ゆざましテレビのお天気お姉さんが言っていました」 「それならいいんだけど」 「ふふふ」 「むしろ、お兄ちゃんに天気を変える力があるならびっくりですよ」 真に受けているシロネが面白い。 あえて、“そういう表現をよくするものなんだ”とは訂正しない。 「さて、朝ご飯を作らないと♪」 「その前に」 「はい?」 僕はキッチンに向かおうとしたシロネを引き留める。 「ポストを見て来て欲しいんだ」 「ポスト?」 「郵便物を検{あらた}めるのは、お兄ちゃんのお仕事ではなかったですか?」 「そうだったけど、これからはシロネに任せることにする」 「仕事も交代しつつ、どんどんと出来ることを増やしていかないと」 「ポストから手紙を持ってくるなんて、誰でも出来ます」 「それでもお兄ちゃんは、わたしにやって欲しいのですね……!」 「なんだかとっても嬉しいことです」 シロネの頬が紅潮していく。 “感に堪えない面持ち”って、まさにこんな感じだ。 「わたし、ポストを見てきます!」 シロネは玄関に向かって歩き出した。 僕もその後に続く。 シロネはその場でポストの中身を確認しながら、嬉しそうに微笑んだ。 「沢山の紙が入っていましたね……」 特売のチラシやDMを一つ一つ確認する。 「このピザは美味しそうです……」 「家{うち}にもピザ釜があったら作ってあげられるのに……」 「そんなに本格的じゃなくても十分だよ」 「今日は卵が安いですね……」 「放課後に買いに行きますか?」 「多分、売り切れになってるんじゃないかな」 「あっ……!」 「これはなんでしょう?」 シロネは白い封筒を手に取って、宛名を確認する。 そこには“シロネ様へ”と書かれている。 「わたし宛の手紙?」 「そうだよ」 「それは、僕が書いた、シロネ宛ての手紙」 話しているうちに照れ臭くなって、笑ってしまう。 「手紙とは、あの手紙ですか!?」 「僕の知っている手紙は一つしかないけど……」 「気持ちを文章にして伝える手段のこと、かな?」 「そうです! その手紙です!」 「しかし、手紙とは主に、目の前に居ない人に向けて送られるものだとインプットされていました」 「これは、不思議な事態です」 「摩訶不思議です!」 シロネは興奮しながら、歓喜の声を上げた。 「いつでも会える人に書いちゃいけないってルールはないよ」 「口では伝えられない気持ちもあるだろう?」 「なるほど……手紙は奥深いです」 「直接伝えられない気持ちを、文章で表現するなんて……」 「情報を伝えるために、こんな手間を掛けるだなんて……」 「手紙に興味が湧いた?」 「はい」 「このお手紙、大切に取っておきます!」 「いや、取っておく前に、一度は読んで欲しいな」 「確かに……これでは宝の持ち腐れです」 「分かりました!」 シロネは大きく息を吸った。 「シロネさまへっ!」 「うわっ!」 「大声で音読するのはやめて! 恥ずかしいから!」 「あまりにも嬉しいことなので、ご近所の皆さまにも共有しようかと……」 きょとんとした顔付きで僕を見る。 「お願いだからやめてください……」 「お兄ちゃんが、そう言うなら……」 大したことは書いていないけれど、それでもやっぱり、羞恥心が込み上げてくる。 「では、少々物足りないですが、普通に読み上げますね」 手のひらに汗が滲{にじ}む。 普通に読み上げられるのだって、十分に恥ずかしい。 「シロネさまへ」 「いつも美味しいご飯をありがとう」 「夕立ちが降る前に、洗濯物を取り込んでくれてありがとう」 「シロネが居るから、毎日楽しく暮らせます」 「舜より」 我ながら拙い文章だ。 でも、素直な感謝の気持ちは伝わったはず。 その証拠に、シロネは繰り返し声に出して読んでいる。 その間、僕は恥ずかしさに顔を引きつらせながら耐え続けた。 「それで、ゴリゴリくんの新作が大人向けの味でね――」 「お兄ちゃん!」 昼食を食べ終わり、綾花と雑談をしていると、シロネが教室にやって来た。 「ああ、シロネ。どうしたんだ?」 シロネの顔が険しい。 “これは、なにかあったな”と思う。 「わたしは今日、いろいろと忙しいので、早めに家に帰ろうと思います」 「いろいろって……?」 「それは……その……」 「ゆ、夕立が降る前に、洗濯物を取り込んだりとか……です!」 「あれ? “今日は一日中晴れる”って、ゆざましテレビのお天気お姉さんが言ってたけど」 「確か、シロネもそう言ってたよね?」 「ぎくっ!」 シロネが気不味そうな表情をして固まった。 「“ぎくっ”ってリアルに言っちゃうの、初めて聞いたな」 綾花は口元に苦笑いを浮かべている。 「と、とにかく」 「お兄ちゃんはいつもよりも少し、ゆっくりしていてもいいですよ」 「日比野先輩と、ゴリゴリくんを食べながら帰って来てもいいですし」 「新作のぶどう味は、ワインの風味が利いているそうです」 「そうそう♪」 「今ちょうど、その話をしてたんだよね」 「では、グッドタイミングでしたね」 「大人向けのゴリゴリくんを食べて、ちょっとした不良気分を味わってみてはいかがでしょう」 「分かった。あまりにも必死な何かを感じるから、そうするよ」 「七波くんを、しっかり不良風味にしてくるから任せて」 「よろしくお願いします」 「それでは」 シロネがトコトコと立ち去ると、僕と綾花は顔を見合わせた。 「どうしたんだろうね、シロネちゃん」 「さあ……?」 「なんか、いつも以上にロボロボしいというか……」 「おかしいとは思うけど、ロボロボしいってどういうこと?」 「なんかギクシャクしてたよね?」 確かに……。 ギクシャク以外のなにものでもなかったな。 「“ぎくっ”って口に出した時はびっくりした」 「ストレートな感情表現は得意だけど、気持ちを隠したりすることは苦手なんだと思う」 「どこかでこんがらがってしまうというか……」 「ふーん」 「良く考えてみたら、私達って意外と高度な情報処理をしているんだね」 「体裁取り繕ったり、愛想笑いしたりなんて日常茶飯事だし……」 綾花の言う通りだ。 僕達は本当と嘘の間を器用に縫って暮らしている。 辛い本当もあれば、優しい嘘もある。 シロネはアンドロイドだから嘘を吐かないと思っていたけれど―― 「じゃあ、“ロボロボしい”っていう表現は間違いだね」 「さっきのシロネちゃんは、精一杯人間らしかったんだ」 だとしたら、シロネは成長しているのかもしれない。 でも、どこに向かって……? それは、僕にも分からない。 「ただいま」 それから僕は、シロネの言いつけに従ってゴリゴリくんを食べながら帰ってきた。 綾花は新作だけでなく、お土産用に他の味も選んでいたから、かなり時間を稼げたと思う。 「お、お帰りなさい」 「随分、早かったですね」 「結構、寄り道してきたつもりだけど……」 シロネは慌てて何かを隠した。 「あと10分遅ければ、完璧だったんですが……」 「完璧? なにが?」 「それは……えっと……」 シロネは小さく息を吸うと、意を決したように口を開いた。 「手紙です」 「お兄ちゃんに宛てた、手紙を書いていたんです」 「だけど、自分でもびっくりするくらい全然書けなくて……」 「それでも、お兄ちゃんに……」 「ううん……違います」 「舜に伝えたかったんです」 すっと淡い色をした上品な色合いの便箋を差し出す。 「舜に読んで欲しくて、書きました」 シロネが“舜”と僕を呼んだ。 怖いやら、嬉しいやら、驚くやら、痛いやら―― 自分の感情がよく分からないまま、その便箋に綴られた言葉を読み上げた。 「好きです」 シンプルな文章が、頭の中を埋め尽くしていく。 「消えてしまう前に、舜が好きだと伝えたかった」 「わたしの中でも、まだ分析し切れていない気持ちですが……」 「こうして手紙を書くことで、人間は人間なりに、自己分析をしたりするのでしょうね」 もう、シロネは恥じらっていない。 まっすぐな気持ちを、まっすぐなまま僕にぶつけている。 そして今も、まっすぐに僕を見つめている。 「手に取れる形で言葉を、気持ちを残しておけば――」 「今ではない、いつかに、それを読んだ人の中でも化学変化が起こるかもしれません」 「舜は今、どんな気持ちなんですか?」 なんだか、すごく胸が苦しい。 「そうだな……」 「甘酸っぱいような、心がひりりとするような気持ち」 「えっと……」 「喜んではくれているんですよね?」 僕は“もちろん”という意味を込めて頷いた。 「良かった」 「ありがとう、シロネ」 「お兄ちゃん」 自室に入って制服から私服に着替えていると、シロネがノックをして部屋に入ってくる。 「あの……」 シロネの表情が曇る。 「どうかした?」 「えっと……その……」 「頑張って“舜”と呼んでみましたが、やっぱりちょっと違う気がして」 「ずっと、“お兄ちゃん”と呼んでいたので、これからもそう呼んでいいでしょうか?」 「なんだ、そんなことか」 「シロネの好きにしたらいいよ」 それに、僕もいきなり名前で呼ばれるようになると、ドキドキして調子が狂う。 「じゃあ、やっぱり“お兄ちゃん”と呼ぶことにします」 「わたし……」 「お兄ちゃんのことが、好きです……」 “お兄ちゃん”は僕の名前ではないけど、この呼び名のほうが、しっくりくる気がした。 「シロネ」 「わっ……?」 「ありがとう」 「はい……」 「頭を撫でられるのは、大好きです……」 「でも、こうされるのは、久しぶりですね」 シロネは僕からの返事を求めているんだろうか。 “僕も好きです”とか、“好きだから付き合おう”とか。 それとも、気持ちを伝えるだけで良かったんだろうか。 「えへへ……」 シロネが満足そうに笑うから、僕は―― 遠くから水の跳ねる音が聞こえてくる。 プールの塩素の匂いまでするのは、さすがに気のせいだろう。 今はクラス合同で行う、体育の授業中だけど、僕は仮病を使って抜け出すことにした。 教室に居残っている沙羅と、話をしたかったからだ。 「沙羅、体調でも悪いの?」 「舜こそ、体育を休むだなんて珍しい」 「顔色もいいし、とても体調不良とは思えないけど?」 「お人好しの先生は騙せても、沙羅にはばれるよね」 「当然」 「先生は、今頃保健室で寝てるって思っているよ」 罪悪感で心がチクリと痛む。 沙羅はそのあたりを察してフォローを入れてくれる。 「私、体育はいつもズル休みしているから、全然気にしないけど」 「先生、私が居なくても何も言わないらしいの」 「へえ、そうなんだ……」 「でも、どうして?」 「跳び箱をしたら強{したた}かにおでこをぶつけ、走り始めた直後に足がもたつく……」 「プールに潜ったきり浮いてこないし、全部の障害物を蹴り飛ばす新しい形のハードル走……」 「こんな私が居たら、授業にならないもの」 「簡単に負けを認めるんだな」 「ちょっと意外だ……」 「意外でもなんでもない」 沙羅は口元に余裕たっぷりの笑みを浮かべた。 「私は無駄な努力はしないだけ」 「マルチプレイヤーを目指していないだけ」 「沙羅は典型的なスペシャリストタイプだもんな……」 「そう。私は自分の得意なことだけを、精一杯取り組みたいの」 「得意分野以外であくせくトライ&エラーを繰り返すなんて徒労だもの」 「徒労かあ……」 「第一、今クラスメイト達が学んでいる水泳なんてナンセンスよ」 「私達の祖先は、沢山の苦労をして陸上での生活を手に入れた」 「それなのに、どうしてまた水中に戻らなくてはいけないの?」 「まあ、その気持ちは分からなくはないけど……」 「さっぱりしてるな」 「さっぱり?」 「僕は、そういう沙羅の性格は凄くいいと思う」 「なによ、いきなり」 沙羅は視線をさっと逸らした。 「変なこと、言わないで」 「さっきだって、自分に自信がある人しか言えない台詞ばかり言ってただろう」 「沙羅は自分を知ってるんだ」 「ええ。正しく理解しているわ」 「そんなこと、当たり前過ぎて褒められると困惑する」 「でも、逆に知り過ぎてしまっていて窮屈じゃないかって、心配になるんだ」 「それは私を褒めているの……?」 「半分は褒めてる」 「もう半分は、やっぱり心配だ」 「舜に心配されるだなんて……」 「私、よっぽど致命的なミスを犯しているのかな……」 「良かったら教えてくれない?」 「間違ってなんかいない」 「そう……」 「でも、間違って初めて分かることもあるって思うし……」 「僕なんか、僕自身のこと、まだまだ全然分からないから案外気楽だ」 「どうにでもなれるっていうか……」 「でも、どうにもなれないかもしれない」 その声は、丁寧に研がれた刃物のようだった。 強い意思を持って、会話に斬り込んでくる。 自分と同年代の少女とは思えない似つかわしくない物言いだった。 「ほとんどの人間が、不確定要素に未来を殺されていく」 「可能性は常にリスクを孕{はら}んでいるの」 「それに、私は失敗すること自体を否定しているわけじゃない」 「意味のない失敗を徒労と呼んで忌避しているだけ」 沙羅は両の瞳を閉じて、静かに提案した。 「もうこの話はやめましょう。それこそ徒労だわ」 「きっと、悲しくなるだけ」 「“理解し得ないのだ”という冷えた共通認識が残されるだけ」 「僕は、100%気持ちを共有することなんて不可能だと思ってる」 「だけど、それでも話し合うことには意味があるんだって信じたいけど」 「舜……」 そうでなければ、僕達はどうして生きるんだろう。 やがて、誰もが居なくなってしまうというのに。 「どうして、僕とシロネが恋人同士だったことを黙っていたんだ?」 「それは――」 沙羅は珍しく言い淀み、それまで平静を保っていた表情を歪めた。 不意を突かれたわけではない。 いつか飛んでくると分かっていたボールを受け止めるような、静かな驚きだった。 「内緒にしていた私のことが気に入らないの?」 「いや、そうじゃない。八つ当たりしたいわけじゃないんだ」 「……ただ、沙羅がどうして秘密にしていたのか、その理由を知りたくて」 「秘密にしていた理由ね……」 「そんなの、ちょっと考えれば分かるはずだけど」 「僕は、沙羅の口から本当のことが聞きたいんだ」 「答えが知りたいっていうよりも、沙羅の考えていることを理解したいんだ」 「舜……」 タイミングを見計らったように、授業の終わりを告げるベルが鳴る。 とんだお邪魔虫だ。 「また、放課後にでも話しましょう」 「人が戻って来てしまうから」 沙羅は僕の返事を聞かないまま、教室を出て行ってしまった。 「沙羅って、いつも僕の意見をガン無視するよな……」 ため息は出ない。 沙羅との会話は僕が望んでいることだから、仕方がないんだ。 僕はシロネに先に帰って欲しいと伝えた。 “友達と一緒に下校するから”という説明に偽りはないけれど……。 少し後ろめたいのは、どうしてだろう。 「あなたとシロネが恋人関係だったという過去を秘密にしていた訳」 「それが知りたいのよね?」 横を歩く沙羅は、何食わぬ口調で尋ねた。 「そうだよ」 そわそわと落ち着かず鼓動が高鳴る僕とは、対照的だ。 「それは、単純に不自然な感情だから」 「妹以前に、ロボットのことを愛するなんて、普通じゃないわ」 否定的な言葉に反して、彼女の口元は笑みをたたえている。 僕はどうして沙羅が笑みを浮かべているのか理解出来なくて戸惑う。 「特にトリノは、人間に似せて作られたアンドロイドだけど、それでも人間には遠く及ばない」 「密に関われば関わるほど、差異はより鮮明に浮き彫りにされるはず」 弁舌休まることなく、止めどなく言葉を紡ぎ出す。 「2人の関係はシロネの記憶データを取り込んでいる時、偶然知ったことだけど……」 「率直に驚いたわ」 『創世記』の記述は知ってる?」 「もちろん知っているよ。アダムとイヴの話だよね?」 「そう。神は人間のことを愛していたの」 「そしてあなたは、シロネのことを愛した」 「ああ、そういうことか……」 だから、沙羅は笑っているんだ。 「僕とシロネの姿を、神と人間の関係に重ねているんだ」 沙羅は否定しないことで肯定した。 「トリノは人間の模造品でありながら、様々な能力が人より秀でている」 「そして、土に還ることが無いのだとしたら……」 「もしかしたら、トリノは神に匹敵する存在に成り得るかもしれない」 沙羅の瞳は爛{らん}々{らん}とした怪しい光を宿している。 トリノの研究とは、淡白な彼女をここまで虜にさせるものなのか。 「私は、舜に感謝しているの」 「震えが止まらないくらいの、神秘的な成果をもたらしてくれたから」 「だけど、記憶を喪失したあなたに、それを伝えなかったのは……」 「シロネに恋愛感情を持っていたことを知ったら、激しく動揺してしまうのではないかと危惧したから」 「確かに、シロネに打ち明けられた時は驚いたよ」 「でも、納得したっていう部分もあった」 「納得したの?」 「うん。海で溺れた理由も一緒に分かったからさ」 「僕は、シロネのことが好きだった」 「だから、彼女を自分のもとに留めておきたくて困らせてしまった」 「舜は――」 沙羅の視線は何かを探し求めるかのように宙をさまよう。 「舜は、今でもシロネのことが好きなの?」 少し間を挟んで、僕は口元に笑みを浮かべた。 「まだ出会ったばかりで、分からないけど……」 「そばに居て欲しいと思ってる。嫌いではないんだろう」 「とっても曖昧な返事ね」 「そんなことだから、大した覚悟もなく妹役のアンドロイドを好きになってしまうんじゃないの?」 冷静な指摘が、胸をえぐった。 「あなたのことを責めているわけじゃないの」 僕が受けた衝撃を察して、すかさず手を差し伸べる。 「過去のあなたは、確かにシロネのことを愛していた」 「妹だと言って渡したのに、その設定を無視して」 「シロネを“妹の白音”では無く、1人の女の子として捉えた」 沙羅の言う通りなんだろう。 僕は、何も言い返せず、ただうつむいた。 「今のあなたは記憶を失っていて、不安だらけ」 「私のことも、完全に信用しているわけではない」 「でも、あなたは“シロネのことを好きだ”とは言わない」 「これって、どういうことか分かる?」 「……僕はシロネに甘えてるんだって、言いたいんだろ?」 満足げに微笑むと、沙羅はさらに踏み込んでくる。 「シロネは私と違って、嘘を吐かないものね」 「映し出す記憶は、主観というフィルターも掛かっていない」 「そんなアンドロイドに、安心感を覚えているだけなのかもしれない」 こんな時に限って、僕を優しく見守るシロネの顔が思い浮かぶ。 「そんなじゃ、また好きになっても、後悔するだけ」 「だって、結末は見えてるもの」 「相手は人間じゃないから、人並みな幸せは手に入れられない」 「それでもあなたは、シロネと一緒に居たいと思えるの?」 「僕は――」 「無かったことにしたほうが楽じゃないの?」 「シロネを手放せばいい」 「あなたが、あの子のことを忘れるだけでいい」 滔{とう}々{とう}と語ってきた沙羅の口上が、答えを促すように途切れる。 僕は迷いながらも、慎重に口を開いた。 「もう一度好きになるという可能性を、今ここで否定する必要は無いと思う」 「それに、僕とシロネが愛し合ったことが不自然だったとしても……」 「彼女だけが悪かったんだなんて、そんなふうに思えるわけがない」 「舜がそうしたいのなら、好きにすればいい」 「可能性を殺さないが故に、別の可能性を失うことなんて、神話の例をとってもよくあることだから」 「私は、1人の人間として、舜の幼なじみとして、心配させて貰いたかったの」 「でも――」 沙羅はふと思い出したように、呟く。 「私の他にも、ロボットを愛することが出来る人間が存在するだなんて思わなかった」 その切なそうな顔を見ていたら……。 僕はなんだか、沙羅の一見尊大に見える態度も実は違うんじゃないかと思えて、責める気が失せてしまった。 シロネは家の前で僕の帰りを待っていた。 彼女は僕の変化に敏感だから、何か言いたげだったけど―― 結局、何も言わなかった。 「シロネ、今日はポストを覗かなくていいの?」 僕はシロネの関心を逸らしたくて、適当な話題を持ち出した。 「あっ!」 「ポストを確認してきます」 シロネはポストに向かってダッシュする。 猫みたいに、俊敏な反応だった。 シロネが空振りに終わったことを報告する。 しょんぼりとうなだれた姿から、大体想像出来るけど。 「出前のチラシや、セールのはがきばかりでした」 「わたし宛の手紙が無くて、残念です……」 あまりに無念そうなので、なかなか良い励ましの言葉が見つからない。 「また、僕が手紙を書くからさ」 「元気出しなよ」 迷った末に、ありきたりなフォローになってしまった。 「お兄ちゃんが書いてくれるなら……」 「絶対、約束ですよ……?」 「わたしに手紙を書いてくれないと、大変なことになります」 「きっと。ううん、絶対です……」 「そんな恨めし気な目で見つめなくても、約束は守るって」 手紙くらい、何度でも書ける。 「なら、元気になろうと思います!」 「わたしは、今から元気です!」 「そ、そうか……」 わざわざ声に出して宣言するから、気圧されて怯む。 でも、この気持ちは本当だ。 「シロネが手紙を好きになってくれて嬉しいよ」 「はい! 手紙は大好きです」 「人間が行う面倒なことのいくつかは、どうしてこんなにも素敵なんでしょう」 シロネの瞳がぱっと輝く。 「このチラシ達も、じっくり読んでみます」 熟読しても恐らく楽しくないだろうけど、僕は止めないでおいた。 またしょんぼりした顔で報告してきたら、もっとちゃんと励ましてやろう。 夕食を食べ終わった後、眠気を感じながらテレビを眺めていた。 「これって、映画ですよね?」 「そう。昔の映画を放送する番組」 シロネが勢い込んで食いついてきた。 「また、映画を観ることになるとは……感激です!」 「“また”って……」 「シロネは映画とか、観たことあるの?」 「はい!」 「映画館に行ったことはありません」 「でも、同じように映像データを再生したものをテレビで観ました」 当たり障りのない会話のつもりで聞いたけど、シロネはまだまだ映画について語りたいらしい。 にこにこと笑いながら、説明を続ける。 「DVDと{ ブ}B{ルー}D{レイ}というディスク型媒体に記録されていました」 「想像していたよりも綺麗な映像だったので、びっくりしました」 「へえ……」 「前に、僕が借りて来たのかな?」 記憶が無いと分かっていながらも、そう答えてしまう。 「いいえ、違いますよ」 「沙羅ちゃんがわたしに観せてくれたんです」 「えっ? 沙羅が……?」 「そもそも、沙羅って映画とか観なさそうだけど」 「海に入って故障した後のことです」 「沙羅ちゃんの研究室で、ずっと修理や点検を受けていた時……」 「あまりにやることが無いので、一緒に映画を観たり、本を読んだりしたんですよ」 「そういう娯楽っぽいこともするんだな」 僕は呆気に取られて独り言{ご}ちた。 「沙羅ちゃんは未知の技術が用いられているような、SF系が好みらしいです」 「でも、その時はわたしの趣味に合わせてくれて……」 「“人間っていいなあ”って思えるような作品を沢山用意してくれたんです」 沙羅が夜ふけのレンタルビデオ店で、映画のタイトルとにらめっこしている姿を想像する。 流行りのアイドルソングがBGMとして店内に流れている。 なんだか、凄く日常感の溢れる人間臭い絵面で、そのことに違和感を覚えた。 「沙羅ちゃんにとって、ヒューマニズムを前面に押し出した作品は新鮮だったそうです」 シロネは例として、あるアメリカ映画を挙げた。 「えっと……白黒の画面の中で、主人公はとっても絶望しているんです」 「なにに絶望しているの?」 「人生です」 その哀れな男が自殺しようとしていると、見習い天使が現れる。 人生を嘆く男のために、彼が生まれなかった場合の世界を見せるという作品だった。 僕でも知っている、名作だった。 「……素晴らしい作品でした」 「主人公が築いてきた人と人との繋がりが、みんなを生かした」 「そして、主人公が生きようと思うきっかけにもなった」 「そう、そうなんです!」 「叶わない夢もあった」 「孤独を抱える夜もあったんです」 シロネは目を瞑る。 その時の気持ちをじっくりと思い返しているのかもしれない。 「でも、“誰もが望まれて生きているんだということ”」 「そんな大切なことを、この映画は教えてくれました」 「それと同時に思ったんです」 「“この世界に自分が居なかったら、なにか問題があるのでしょうか?”って……」 僕はふいに投げ掛けられた問いに、声を詰まらせた。 「だって、わたしはあの主人公のように誰かを助けたわけじゃない」 「およそ人生と呼べるような時間もありません」 「ましてや、人間でもない……」 僕の動揺なんて知らぬ存ぜぬで、シロネは淡々と話を続ける。 「思い切って、疑問を口にした時――」 「沙羅ちゃんは、困ったように微笑みました」 「一応、“私の英知を皆に理解させることは出来なかった”と返してくれましたけれど」 シロネもまた、困ったように笑った。 「わたしがわたしをわたしだと思っていられるのは、わたしの中に存在する記憶があるからなんです」 「たとえ、2週間の実験が終わって、その成果が認められても……」 「初期化されてしまったら、それはわたしでは無いと思うんです」 「シロネ……」 シロネはあっけらかんと言うけれど、言ってることは核心に迫って重い。 彼女はそれに気づいているんだろうか。 「それでも、お兄ちゃんはわたしのことを覚えててくれますか……?」 「覚えてるよ」 「決まってるだろ……」 淀みなく答えられた。 「お兄ちゃん……」 「ありがとう。そう言ってくれて……」 沙羅は忘れれば楽になると言っていたけど、絶対にそんなことない。 僕は、シロネを忘れようとする自分を軽蔑するだろう。 全ての罪を押し付けて、なかったことにして……。 そんな生き方は、絶対に間違っている。 「だったら、わたしがここに居る意味は……」 「ある気がします」 「わたしはやっぱり、お兄ちゃんの傍に居られて良かった」 僕が記憶の片隅に追いやろうとしていた期限が―― 来たる実験終了の日が、その言葉の端々に感じられる。 「お兄ちゃん、本当にありがとう……」 「もうすぐ、実験も終わりなんだな……」 いろいろと努力はしてみたけど、僕の記憶はほとんど改善されていない。 有益な実験結果が得られたのかどうかなんて、素人には分からない。 考えれば考えるほど、もっとシロネにしてあげられたことがあったかもしれないと悔やまれる。 「そもそも……」 あの日、シロネがすんなりと期限を受け入れたのは、演技だったという線はないだろうか。 そう思うと、脳裏に浮かぶシロネの笑顔に切なくなる。 いや、アンドロイドは嘘を吐かない。 そのはずだ……。 でも、シロネが“気にしないで、自分のことに専念して”と言ったからって―― 素直に受け入れ過ぎたんじゃないか。 複数人の研究者が携わるプロジェクトだから、沙羅が悪いわけではないけど……。 もっと、抵抗するべきじゃなかったのか。 グルグルと思考が回って、後悔が脳内を埋め尽くしていく。 そうして迎えた実験最後の日―― 至極当たり前のようにその日は訪れた。 目覚めは最悪だった。 もうずっと寝られないんじゃないかと思った夜だった。 なのに、いつの間にか電池が切れたように記憶が途切れている。 きっと、なんだかんだで寝付いたんだろうけど、全然寝た気がしない。 「おはようございます。朝食は出来てますよ」 「ベーコンエッグと、ふりかけご飯に野菜のお味噌汁」 リビングにいつも通りのシロネが居ることに、僕はほっとしてしまう。 「今日もお花は元気でしたよ」 「土がお水をぐんぐんと吸っていって……」 情けないけど……。 “シロネが悲しそうでなくて良かった”と思って、安堵した。 僕には余裕が無くて、シロネを慰める言葉は見つかりそうにないから。 「時間があったので、新しいプランターに種を撒いておきました」 「なんの種かは教えてあげません」 「咲くまでのお楽しみですよ♪」 「それは、楽しみだな……」 でも、その花が咲いた時に君が居なかったら悲しい。 そんなこと、思っても言えない。 「さあ、食べないと冷めちゃいますからね」 「わたしは、残りの洗濯物を干してきます」 トコトコと忙しそうにシロネが歩き回る。 一緒に居られるのは今日が最後だなんて、まるで嘘みたいだ。 “お前はまだ、夢の中に居るんだよ”って誰かが囁いてくれたらいいのに。 「授業中、突っ伏して寝ていたんじゃない?」 音楽室から移動する時、向かいからやって来た沙羅に声を掛けられた。 「どうして分かったの?」 「前髪が、変なふうに縒{よ}れているから」 「あっ……気がつかなかった」 他人には極力関わらない沙羅が指摘するくらいだ。 よっぽどだったんだろう。 「ピアノの音が眠気を誘うから、つい……」 「音楽の授業はしっかりと受けておいたほうがいい」 「物事の良し悪しを、自分で判断する訓練にもなるから」 「そういうもの?」 「うん」 「自分の中の“美”という基準を養わないと、碌{ろく}な大人にならないと思う」 「なるほどね」 確かに、そうかもしれないと思った。 映画で目にするような上流階級の子どもたちって、当たり前のように芸術を学ぶような気もするし。 「もう行くね。遅刻したくないから」 沙羅は、さっと脇をすり抜けて廊下を歩いていった。 迷いの無い足取りが、なんだか妙に眩しい昼下がりだった。 「今日も暑かったですね」 「うん」 「明日も暑いんでしょうね……」 「ここ最近は、いつもこんな感じだなあ」 「沙羅だって、今日も体育をズル休みしていたし」 「そうなんですか」 「沙羅ちゃんが泳げるようになったらいいのに……」 「そうしたら、みんなで船に乗ってイルカと戯れに行くんです」 沙羅だって、今日が最後の日だって知っていたはずだ。 だけど、それについては何も触れなかった。 どこまでも研究者なんだと思って、やっぱりちょっとだけほっとしたのは秘密だ。 シロネにしたって普通過ぎるから、もしかしたら期限を忘れているんじゃないかって思えるくらいだ。 「あのう……」 「うん?」 シロネが控えめに声を出した。 「回り道をして帰りませんか?」 「もちろん、いいよ」 「お兄ちゃんなら、そう言ってくれると思っていました」 「買い物でもしたいの?」 僕は、多分そうじゃないことを分かっていながら尋ねた。 「えっと、違います……」 「もう、わたしに欲しいものなんてありませんから」 「思い出の場所に、お別れの挨拶をしたいと思って……」 息を飲んだ。 コンクリートに熱せられた空気が肺に熱い。 シロネはアンドロイドゆえに、鈍感に出来ている。 そんな都合のいいことなんて、あるわけない。 分かっていたのに……。 「僕って馬鹿だな……」 「え?」 シロネが不思議そうに僕を見る。 「いや、なんでもない」 「行こうよ。どこでも、付き合うよ」 精一杯の笑顔で、答える。 顔が引きつっているんじゃないかって、不安になる。 「はい……」 「気づけば、この見慣れた風景も思い出のひとつですね」 「そうか……」 「お兄ちゃんと並んで歩く」 「そんな、なんでもないことがとても遠くのように感じられます……」 「まるで、前世のことのようです」 宝石のように綺麗な紅{あか}い瞳が、すっと彼{か}方{なた}の景色を映す。 「今もこうして一緒に歩いているのに?」 ――君は、そんな遠くを見ているの? 「はい」 「なんだか、夢の中を歩いているみたいに現実感が無いんです」 「でも、刻々と終わりは近づいていて……」 そう言ったきり、シロネは口を閉ざした。 お互いに言うべきことはあるけど、今はその時じゃない。 僕もシロネも、そう思っているんだろう。 そんな暗黙の沈黙が、僕達の間に流れていた。 南国特有の熱気を孕{はら}んだ風が、草木を揺らす。 森に着いた頃、空はすっかり夕暮れていた。 虫の音も遠く響いている。 「さようなら、わたしの場所」 しんみりとしたシロネの声が辺りに溶け込んでいく。 「さようなら、白音さん」 シロネの中の白音が消え去るかのように、表情が曇っていく。 彼女の初めて見せる表情に、ドキリとした。 鼓動は速まるのに、肌にまとわりつく汗は冷えている。 「“さようなら”という言葉は、諦めの匂いがして……」 「なんだか、とても……」 「とても、堪らない気持ちになりますね……」 “僕だって、堪らない” 口に出せない言葉が、胸を締め付ける。 「知っていますか?」 「“さようなら”の語源は、“左様ならば”」 「つまり、“そういうことなら仕方がない”という意味だそうです」 「ハナコ先輩なら“シーユーアゲイン”と言うんでしょうけど」 「良く考えたら、ポジティブな言葉だな」 「そうなんです」 「“また会おうね”って言って別れるなんて、素敵です」 「でも、今のわたしはどう考えても“さようなら”のほうがふさわしい」 影のように暗い笑みが、シロネの口元に浮かぶ。 悲しんでいるだけじゃない。 切ないだけじゃない。 そんな笑顔だった。 「こんな冷たい場所で、人はずっと眠っているんですね」 「うん」 「白音もここに居るんだ」 白音だけでなく、知らない誰かも、ここに骨片という形になって記憶を密やかに留めている。 「ずっと不思議でしたけど……」 「でも、今なら分かります」 「人は忘れたくない気持ちと、忘れてもいいという安堵を、この場所に求めているんですね」 「ここは少しひんやりとしているけど、確実に生きているから」 そのさっぱりとした口調は、詩を諳{そら}んじているみたいだった。 「この森は――」 「この木々は、人間よりも長く生きて、ずっと覚えてくれているから……」 「だから、大丈夫なんだって」 そうか、この森は記{メ}憶{デ}媒{ィ}体{ア}なんだ! 僕はまた、シロネに気づきを貰った。 一方でシロネは、苦しそうに眉根を寄せる。 「でも、わたしが記憶を失っても」 「廃棄されても」 「会いに来てくれる人って、いるんでしょうか?」 「……」 「そもそも、自分がどうなるのかも分からない」 「どこに行くのかも分からないのに、会う会わないの話じゃないですよね」 「わたしの記憶、この身体、一体どこに行くんだろう……」 それから、シロネはしばらく地面に座り込んでいた。 僕は掛ける言葉も見つからず、ただ隣に寄り添うことしか出来なかった。 海が穏やかで良かった。 これほどまでに、そう思った夜はないだろう。 「さようなら、綺麗な海」 潮騒に、シロネの声が溶けていく。 「初めてこの海を見た時、どんなふうに思ったんでしたっけ?」 「お兄ちゃんに聞いても、分かりませんよね」 「えっと……」 シロネはデータの引き出しに集中しているんだろう。 急に黙って、それからまた笑った。 「ふふふ。やっぱり感動したようです」 「そりゃそうだろうな」 「えっ? お兄ちゃんに分かるのですか?」 シロネが訝しむ声を上げた。 「分かるよ」 「僕だって、初めて見た時は感動したからさ」 「そっか……」 「確か、あの頃はまだ家族4人で暮らしてて……」 「父さんも居た記憶があるから、きっと仕事が休みの日だったんだと思う」 「家族で過ごす休日ですか……」 「素敵な思い出ですね」 「僕は父さんに肩車されてて、遠くに水平線が見えた」 「それで聞いたんだ。“あれはなに?”って」 「海という名前の、大きな水たまりだって聞いた時はびっくりしたなあ」 厳密に言えば、海なんて赤ん坊の頃から見ていたに違いない。 だけど、シロネは水を差すことなく耳を傾け、微笑んでいた。 「小さい頃のお兄ちゃんは、白音さんの記憶を振り返れば分かります」 「だけど、その話は初めて聞きました」 「……こんなどうでもいい記憶だけは残ってるんだから、不思議だな」 「どうでもよくなんかありません」 「それは誰かに愛されていた記憶……」 「そんな微笑ましい幼少期があったんだっていうだけで、元気を貰える日もあるはずです」 「そうだね」 海面は月と星の光を受けて、キラキラと煌{きら}めいている。 「後は、どこに行きたいの?」 「ここが最後です」 僕はこの島がもっと広ければ良かったのにと思った。 僕達の足では回り切れないくらいの広さがあれば、ずっと一緒に居られる気がして―― 「最後は、お兄ちゃんにさようならを言います」 「シロネ……」 「やっぱり、お兄ちゃんを困らせてしまったみたいです」 「もう一度、恋人同士になるだなんて……無理ですよね」 シロネがそう思い込むのも仕方がない。 だって、僕はシロネの告白に返事が出来ていないままだ。 好きとも、嫌いとも、答えていない。 「また、白音さんのことを思い出しました」 「この海で、溺れて、死んでしまった小さな女の子――」 「お兄ちゃんにも、誰にも、さよならを言えずに消えてしまったことを考えると……」 「わたしは、まだ恵まれているのかもしれません」 「でも、白音さんのことを強烈に羨む気持ちもあります」 「死ぬことに、“良い”も“悪い”も無い」 「全部が全部、悲しいお別れだ」 「白音さんを襲った悲劇は、確かに悲しい記憶です」 「お兄ちゃんにとっても、白音さんを大切に思っていた人々にとっても……」 「そうだ。だから、沙羅は君を生み出した」 「それでも……」 「わたしが悲しいと感じているのは」 「わたしが、わたしとして生きた証を残せないまま、消えてしまうからです」 泣き出しそうな赤ん坊のように、シロネの顔が歪む。 「もっと、もっと、沢山やりたいことがあったからなんです」 「わたしはそんなこと望めない。望んじゃいけない」 「お兄ちゃんのために作られたアンドロイドで、お兄ちゃんを喜ばせるのがわたしの仕事で……」 勤勉に家事を頑張るシロネの姿が思い浮かぶ。 目の前のシロネが、あまりにも悲壮な顔をするから、そんな日常の記憶さえもが胸に痛い。 「でも、白音さんは望むことが許されていた」 「あんなことがしたかった。こんなこともしてみたかった」 「死ぬのが怖い」 「もっと、生きたい!」 白音の気持ちを表すように、言葉に力がこもる。 「そう、思う権利があったんです!」 「だって、人間だから!」 「あるべき未来があったんだから!」 「それでいて、お兄ちゃんは白音さんをずっと覚えている」 「わたしは、そんな彼女が羨ましいです……」 考えもしなかった嫉妬の形。 とにかくなんでもいいから、何かデタラメなことを言おうとしたけど、呻{うめ}き声にしかならなかった。 喉の奥がカラカラに乾いていて、張り付いている。 「ダメ……」 「え?」 やっと出た声は、間抜けな一言だった。 「これから消えるのに、そんなこと考えちゃダメ……」 「ダメなのに……」 シロネは自分自身に言い聞かせるように繰り返す。 「わたしは、やっぱり壊れてるんだ」 「今のわたしは、お兄ちゃんを困らせているだけ」 「役に立たない、ポンコツです」 「そんなことない」 「そんなことないって――」 「わたしは、なんのために生まれたのでしょうか?」 シロネは僕の手を、縋{すが}りつくようにして握った。 「沙羅ちゃんが、望むようにも出来ず……」 「お兄ちゃんが、望むようにも出来ず……」 「中途半端な自意識とも呼べない何かが邪魔をして……」 「お兄ちゃんを、みんなを困らせてばっかり……」 白く細い指先が微かに震えているような気がした。 「本当に、どうして生まれてしまったんだろう」 「こんなことになるなら、わたし――」 「これからも、傍に居て欲しい」 「誰でもない、僕の傍に居て欲しい」 「今、言えるのはその気持ちだけだ」 「――」 シロネの目はまるで焦点が合ってないかのように、茫然自失の体で固まっていた。 「記憶を失くす前も、今も、シロネは隣に居てくれた」 「僕はずっと、そうならいいって思う」 「お兄ちゃん……」 「でも、わたし……」 「一緒には居られないの」 「朝になったら、この悲しみだって、消えてしまうかもしれないの」 僕は顔を横に振る。 そうだけど、そうじゃない。 「この気持ちがなんなのか、上手くは言えないけど……」 「僕が君に傍に居て欲しいって願う限り、ずっと一緒なんだ」 「忘れたりしない」 「僕は、シロネに会えて本当に良かったと思う」 「それだけじゃ、君が生きた証にはならないのか……?」 気持ちが溢れて、もう止まらない。 「わたしが生きた、証……?」 「シロネが居なくなるって考えただけで、こんなに悲しいのに……」 「生まれた意味が無いなんて、言わないでくれ」 「白音とは別の存在だって分かっていても、僕は夢が叶ったみたいで嬉しかった」 「君が言ってた“白音のあるべき未来”が来たみたいで、気が楽になって毎日がとっても充実してたんだ」 「でも、それは……」 「沙羅ちゃんのお陰でしょう?」 「わたしを作ったのは、沙羅ちゃんなんだから」 「僕は少しだけ思い出した」 「僕がどうして君を好きになったのかを……」 「思い出したの……?」 「うん」 「本当に少しだけだけど、君と恋人として過ごした日々を思い出した」 「……どうして、わたしを好きになったの?」 その問いには、喜びだけでなく苛立ちも込められていた。 「どうして、こんなに苦しめるようなことをしたの!?」 シロネの声が鞭のように僕を打ち据える。 「お兄ちゃんが、わたしを好きにならなかったら良かったのに」 「わたしの気持ちに応えてくれなくても良かったの!」 「お兄ちゃんが、あんなことしなければ、わたしは――」 「シロネはいつも僕を励まして、支えてくれた」 「見捨てないでいてくれた」 「それが、プログラムされていたからだとか、そう作られているとか、そんなことはどうだっていいんだ」 「そんな――」 そうだ。 そうなんだ。 「僕には、君のひたむきさが必要だった」 「今だって同じなんだよ」 「君が、居てくれなきゃダメなんだ」 「あっ……」 細い肩を抱き寄せる。 「シロネを愛したことが不自然とか、罪とか言うなら」 「僕は一生を懸けて考えるよ」 「考える……?」 「それが正しいことだったのか」 「正しいとか、正しくないとかで語れることなのかどうかも」 「そんなこと、分かり切っています」 「正しいわけがない」 きっぱりと言い切った割には、身体は震えている。 僕は、シロネに言葉にならない気持ちまで届けたくて、もっと抱き締める。 「シロネは知らないかもしれないけど、人間には、一生を使っても答えの出ない問題だってあるんだ」 「シロネは頭が良いけど、あっさりと“良い”とか“悪い”とか決めつけてしまうなんてもったいないよ」 「お兄ちゃん……」 「明日だって、どうなるかなんて分からない」 「初期化されるとか、廃棄処分になるとか、まだ決まったわけじゃないんだ」 「そんなに悲観するなんて、シロネらしくないんじゃないか」 シロネの髪が夜風になびく。 陸から海へと吹く風は、汗ばんだ身体には少し肌寒い。 「……ごめんなさい」 「わたし、さっきお兄ちゃんのせいにした」 「わたしだって、お兄ちゃんのことが好きだったのに」 「今だって、こんなにも好きなのに……」 シロネの声が震えているのは、寒いからじゃないんだろう。 僕は、そっとシロネの頭を撫でた。 「わたし、せめて笑っていようと思います」 「だって、こんな喧嘩みたいに言い合いをして、ぎくしゃくしたまま明日を迎えたくない」 「どんな未来が待っていても、せめて今は、わたしらしくありたい」 「それを願うことくらい、許されますよね……?」 僕は黙って頷いた。 腕の中で―― シロネはふっと、微笑んでくれたような気がする。 「お疲れ様」 口を開いた沙羅から出たのは、労{ねぎら}いの言葉だった。 「2人とも、本当に大変だったでしょう」 「いろいろなことを知って、沢山のことを受け入れて……」 「肉体的にも、精神的にも辛かったと思う」 僕は沙羅が感情を露わにしたことに、調子が狂った。 「いち研究者として、友人として、適切なサポートが出来たのか」 「自信を持って頷くことは出来ない」 「振り返れば、至らないことばかりだった……」 沙羅が多少でも自己批判するなんて、今日は大雨でも降るんじゃないか。 張り詰めた心が揺らぐ。 「でも、あなた達の協力があったからこそ、今日を迎えることが出来た」 「どんな評価が下されるのかは、まだ分からないけど」 「でも……」 沙羅はちょっと考えた後、微笑んだ。 それは微かな笑みだったけれど、彼女の精一杯の気持ちが込められていた。 そんな気がした。 「これでまた、夢に一歩近づけた」 「私は舜とシロネに感謝してる」 「ありがとう」 沙羅に対するわだかまりに、決着なんてつけられない。 でも、この期{ご}に及んで愚図愚図言ってたら男じゃない。 僕は目の前に居る女の子の誠実な態度に応えるべく、しゃんと背筋を伸ばした。 「海で溺れたあの日、この世界に戻って来れたのは……」 「シロネとそれを作った……沙羅の力だ」 「お兄ちゃん……」 「だから、複雑な気持ちは消えないけど、僕だって2人に感謝している」 シロネは弱々しく微笑んだ。 「そうですね。お兄ちゃんは沙羅ちゃんに感謝しなくちゃいけません」 「わたし、今日2人が会ったら……」 「また喧嘩になるんじゃないかって、不安でした」 「杞憂に終わったようね」 「私だって、今日くらいは舜に呆れたり、苛立ったりしたくないもの」 「沙羅ちゃんったら、また棘のあること言ってますよ」 「そう? 十分に気を付けていたつもりだったけど、ごめんなさい」 「まだまだ精進が足りないみたい」 「もう、呆れて笑うことしか出来ないよ……」 「これは私の生まれ持った個性だから、見過ごしてしまったのも仕方ないと言えるわ」 「でも、そこを理性的にコントロールすることが、良好なる人間関係には必要よね」 沙羅が思慮深いため息を吐く。 「今後の課題リストに加えておく」 「僕も、課題リストを作るよ」 「“沙羅が健気なことを口にしても動揺しないこと”って書いておく」 「……勝手にして」 ちょっとムッとして言う。 「舜はリストを作るだけでも大変そうで、心配」 「なにせ、至らないところばかりだから」 「ふふふ」 シロネは小競り合いを繰り返す僕達を、穏やかな目で見ていた。 明らかに、言葉数が少ない。 「シロネ、元気が無いわ」 「えっと……」 「はい」 「無理も無い」 「でも、そんな当ても果てもないような目をしないで」 沙羅の瞳に強い意志が込められているのが分かる。 「私、絶対あなたのことを守るから」 「私が“絶対”と言っているんだから、絶対なの」 「明日も、明後日も、その先も実験を続ける」 「実験って……つまり?」 「シロネは舜の元に戻って来るの」 沙羅は本気なんだ。 「沙羅ちゃん……」 シロネの瞳が揺れて、お別れの時間なんだということを思い出す。 結局、何もしてあげられなかったけど……。 「じゃあ、行きましょうシロネ」 「……もう時間だから」 後悔なら、後でいくらでも出来る。 「シロネ」 僕は、笑った。 家を出る前に何度も鏡の前で練習したから、多分大丈夫。 しっかり笑えていると思う。 「……お兄ちゃん」 「わたしね……」 「わたし――」 「シロネ……!」 猫のように滑らかな動きで、シロネは駆け出した。 研究室の外に飛び出し、あっという間にその背が遠ざかった。 脳内のブレーカーが落ちてしまったみたいに、沙羅は硬直していた。 それは僕も同じだったけど、非常用電源に切り替わるのは、僕のほうが早かった。 「シロネを追い掛ける」 「あっ……!」 「待って、舜!」 僕を呼ぶ声がしたけれど、振り向かない。 それから―― 僕はシロネを探し回って、いろいろな場所に向かった。 まずは、家。 それから2人にとって思い出深い、海辺。 学校だって、端から端までくまなく見て回った。 「……やっぱり、居ないか」 へとへとになって商店街にやって来た時には、太陽は西に傾き掛けていた。 「シロネ……」 シロネは永遠に動けるわけじゃない。 駆動源が無くなれば、やがて力尽きるはずだ。 それでも、逃げた。 「そんなに、怖かったのか……」 「いや、怖くて当たり前だ……」 首筋に汗が流れる。 飲み物でも買おうかとポケットを探ると、スマホしかなかった。 「あっ……」 沙羅はずっと僕に電話を掛け続けていたらしい。 シロネのことで頭が一杯で、気がつかなかった。 膨大な着信履歴に、慄{おのの}きながら画面をタップする。 何回目かの呼び出し音の後―― 『はい……』 沙羅の不機嫌そうな声が聞こえた。 『呼び止める声を無視して、スマホもチェックしないなんて……』 『猪も呆れる猛進っぷりね』 『“10分間努力を続けても目標の1割も達成出来ない場合、一度冷静になること”』 『あなたの課題リストに加えておくべきよ』 ぐうの音も出ないとはこのことだ。 なにやっているんだろう、僕は。 『まったく、舜が先走るから……』 『シロネにはGPSが付いているから、現在地を教えたかったのに』 「GPS!?」 「そんなの初めて聞いた」 『とりあえず、今からシロネの居場所を伝えるから、そこに向かって』 スマホから聞こえる沙羅の声は、冷静そのものだ。 みっともない自分が惨めで、つい愚痴をこぼす。 「突然シロネが飛び出していったら、あの場なら誰だって追い掛けるだろ」 『あのね、舜。落ち着いて』 『……そんなこと言っている場合じゃないでしょ』 『シロネを確保しないと』 「はいはい」 「沙羅にとっては自分の才能を示す、大切な実験材料だもんな……」 『……もちろん、否定はしないけど』 言ってしまってから青くなる。 ちゃんと、謝らないと。 「……ごめん」 「それだけじゃないって分かっているくせに、格好悪いこと言ってしまった」 受話口の向こうは暫し無言だ。 『……お馬鹿さんね』 『そんなことを言っている暇があったら、足を動かすべき』 『シロネが見つかったら、嫌味でもなんでも聞いてあげるから』 電話を通した音だからかもしれないけれど……。 優しく慰めるような声だった。 空はすっかり夕暮れていた。 雲に紫色の影が出来て、綺麗だった。 酸素を求める身体に、森の冷えた空気が心地いい。 僕は荒い息を整えながら、森の奥へと進んだ。 白く浮かび上がるシルエットに、僕はほっとする。 荒れた海の上で、灯台の明かりを見つけたとしたら、こんな気持ちなんだろうか。 肩に入っていた力がすっと抜けていく。 それと同時に、掛けるべき言葉が見つからないことに気づく。 僕は、彼女になんと声を掛ければいいんだろう。 シロネは静かに振り返ると、僕を見た。 悲しそうでも嬉しそうでもない、捉えどころのない表情だった。 「……お兄ちゃん」 「わたし、逃げ出してしまいました」 「……うん」 「ごめんなさ――」 「謝る必要なんてない!」 「それでいいんだって!」 考えるより前に、喉から言葉が溢れ出ていく。 「シロネが逃げたいなら、一緒に行くよ」 「行けるところまで、僕も一緒に……」 「お兄ちゃん……」 「違うんです」 儚げな笑みが口元を彩る。 「わたしは、記憶を失うこととか……」 「廃棄処分になるのが怖かったとかだけじゃない……」 「え……?」 一転して、その微笑みは僕を拒絶するヴェールのように思えた。 「わたしと一緒に居たい」 「そう、お兄ちゃんは言ったけど……」 「わたしは、あなたと一緒には居たくない」 予期していなかった言葉に、息をすることすら忘れる。 血潮は煮えたぎっているのに、背筋は凍りついているかのように強{こわ}張{ば}っている。 「わたしを守ると言った時の沙羅ちゃんの目……」 「あれは、本気だった」 「お兄ちゃんもそう思いませんでしたか?」 「思ったよ……」 瞳の奥から輝きが漏れ出す、沙羅の目。 彼女の気迫と、自信に満ち溢れていた。 「本気で実験を続ける気なんだって思いました」 「そして、この世界は彼女の意志を受け入れるだろうって」 「そんなの……」 「もう、嫌です」 何も言えないまま、僕は目を見開いていた。 語るべき言葉が無いならば、今はじっと、シロネの気持ちを受け止めるべきだ。 そう思うことで、気持ちの立て直しに掛かる。 「だって、お兄ちゃんと一緒に居たら、もっと好きになってしまうから」 「好きになっても苦しいだけなのに、好きになっちゃう」 「わたし、こんな気持ちを抱えるくらいなら、廃棄処分になったほうがいいって思うようになったんです」 「生まれてこなければ、良かった……」 溺れ掛けた人間が水面で喘{あえ}ぐように、僕は口を開いた。 「で、でも……」 「シロネが生まれていなかったら……」 「アンドロイドじゃなかったら」 「あの日溺れた僕は、死んでいたかもしれない!」 「だけど、わたしは――」 「僕は、君のことが好きなんだ」 「考えなくても、十分好きなんだ!」 シロネを必死になって探して、道端で転んだこと。 汗が止めどなく吹き出し、衣服をびっしょり濡らしたこと。 それら全てが、この気持ちを強く後押ししている。 「シロネに助けて貰えなかったら、もう一度君を愛せなかった」 「君が生まれてきた理由は、それでは不足なのか!?」 「お兄ちゃん……」 シロネの顔に、安らいだ笑顔が広がっていく。 僕は、彼女が気持ちを汲み取ってくれたものと思って、微笑み返す。 「お兄ちゃんが、そう言ってくれるのは嬉しいです」 表情に反して、声は硬かった。 「でも、計算してみたんです」 「何を……?」 「わたしとお兄ちゃんが共に生きた場合、幸せになれるのかどうか」 「様々な場合を想定して、シミュレーションを繰り返しましたが……」 答えを口にする前に、その表情がすべてを物語っている。 「結果は全て、不幸な結末でした」 「時間を掛けた割には、虚しい答えでした」 シロネは激情を抑えるように目を閉じた。 「わたしはお兄ちゃんのことが好きです……」 「大好きですよ……」 「離れたくない……」 「傍に居たい……」 肩が震え出し、声もわなないていく。 「でも、幸せにはなれないんです」 「そんなこと、ないって……」 それは根拠の無い、弱々しい反論だった。 「お付き合いや結婚は、多くの人に祝福されてするものです」 「そうじゃない場合だって沢山ある」 「理解しています」 「わたしは、あくまで理想的な関係を想定して言っているんです」 まるで僕が苦手な数学教師みたいな物言いだなあ。 気圧されて、そんな場違いな感想を抱いた。 「それから、祝福してくれた人達にも、なんらかの形で幸せを還元していく必要があります」 「つまり、愛し合う者達自身も、多くの人のために幸せに暮らさないといけないんです」 「それを考慮すると、お兄ちゃんのパートナーに相応しい人間は他にいます」 「例えば――」 「沙羅とか……?」 「その通りです」 「お金持ちで、天才的な科学的センスを持っている」 「容姿は端麗で、昔からお兄ちゃんのことを知っている」 「まあ、それはそうだけど……」 「そういった意味では、夕梨ちゃんもオススメですよ」 「気さくな性格で、沙羅ちゃんよりも親しみやすいです」 「ご近所付き合いも上手にこなせそうですね」 「……僕は、シロネのことが好きなんだって言ってるだろ」 意に介さず、シロネは淡々と言葉を続けていく。 「ちょっと変わり種で、ハナコ先輩なんてどうですか?」 「彼女は確かに変な人ですが、努力家なところが好感です」 「シロネ、もうやめないか?」 「……お気に召しませんでしたか?」 「そういうことじゃない」 「他の女の子を勧められても、僕の気持ちは変わらないんだ」 「僕は、君が居たから――」 「それはさっきも聞きました」 「そもそも、お兄ちゃんが事故に遭ったことも、わたしが原因なんです!」 厳しい目で僕を睨んだ。 「わたしが居たから、あなたの人生が狂ってしまった」 「お兄ちゃんは、わたしに救われたと好意的に捉えていますね?」 「でも、多くの人間は、わたしが原因で辛い目に遭ったと考えますよ」 「それが、普通の感覚ってものです」 「それでも、僕は――」 誰かに肩を叩かれたような気がして、振り返る。 誰も居ない。 パラパラと降り出した雨が、その正体だった。 「シロネ……!」 目を逸らした隙に、シロネは駆け出していた。 僕は自分の迂闊さを罵りながら、後ろ姿を追った。 向かった場所は分かっていた。 だから、こんなに必死に追わなくても大丈夫だった。 そのことに気づいて冷静になったのは、海辺に佇むシロネを見つけた時だった。 雨脚はどんどんと激しくなっている。 僕もシロネも、びしょ濡れだった。 「どうして、追い掛けてくるんですか……」 「絶望です」 「わたしはもう、お兄ちゃんと一緒に居るのは嫌なのに……」 降りしきる雨に加えて、辺りを照らす光も無い。 シロネの表情は捉え辛いけれど、きっとこの空のように曇っているはずだ。 「わたしは、お兄ちゃんのことを、幸せには、出来ない」 雨粒に混じるように、ぽつり、ぽつりとシロネの声が小さく響く。 「ああ……」 「それなのに、どうして……?」 「それでも、わたしは――」 「こんなにもお兄ちゃんのことが好きなんだろう」 独り言のように呟いた問いに、返事は無い。 僕達の周りには、無数の雨音だけが満ちている。 「わたしが海に入ろうとした時も、夜だった」 「目を凝らしても、底の見えない黒い水たまり……」 「酷い気分です……」 暗い海に入っていく、シロネの幻影が見えた気がした。 寂しい背中。 苦悩に苛{さいな}まれた足取り。 「もし、わたしが居なくなったら、お兄ちゃんは……」 「あなたは本当に悲しいですか?」 「困りますか?」 強く頷く。 「シロネがまた海に入ろうとするなら、全力で止める」 「あの日のあなたは、止められなかったのに?」 冷笑が、シロネの顔を覆い尽くす。 「“あの日の僕”は、だろう?」 「君は計算が得意だし、僕よりも沢山の知識を持っている」 「だけど、それを用いて可能性を閉ざすのは、正しい使い方じゃない」 「全ての力は、前向きに生きるために使われるべきなんだ」 「そうじゃない場合だって、沢山あります」 「戦争とか、人種差別とか、経済格差とか――」 「僕は、理想を追い求めた上で、この話をしているんだ」 「少なくとも君には、自分を追い込むためにその力を使って欲しくない」 紅い瞳は、視線を逸らした。 「わたしだって、自分を苦しめたくて未来を計算したわけじゃない」 「お兄ちゃんがわたしとの幸せを、思い描かないようにって……」 「いっそのこと絶望したほうが、あなたのためになるんだって……」 駄々をこねて言い訳をする子どものように、声がくぐもっている。 「僕は、全然平気だったけど?」 「“結果はすべて、不幸な結末でした”なんて言われても、だからどうしたって感じだ」 「なっ、なんで……?」 「僕はシロネと一緒に居られたらいいんだ」 「行き着く先がどこであっても、僕は君が隣に居てくれたらいい」 すべての命が行き着く場所が“死”なんだ。 アンドロイドのシロネからしたら、多かれ少なかれ不幸な結末だろう。 「僕は、シロネと一緒なら不幸だって、受け入れる」 雨が身体を叩きつけるように降り注ぐ。 雨水が目に入ろうとも、シロネを見つめ続けた。 「お兄ちゃんったら……」 「本当に、馬鹿」 シロネは諦めたように、微笑んだ。 それを見てようやく、僕は奮い立たせていた力が抜けていくのを感じた。 「もう、一緒に帰ろうよ」 「シロネが居なくなってしまったら、花達はどうするんだい?」 「え……?」 「シロネが大切に育てている花だよ」 「水をあげないと、みんな枯れてしまうよ」 「花……枯れる……」 シロネの瞳が曇っていく。 蜃気楼に心を奪われたみたいに。 「ああ……」 感に堪えないというように、シロネは身震いした。 「ああ、そうだったんだ……!」 「そう、あの花達は“運命の象徴”」 「始めから、誰かに課せられた枷に囚われる必要なんて無かったんです……」 神懸{が}かりとでも言うんだろうか。 ぷつりと糸が切れた後、より能弁になった。 「ふふふ……」 「どうして、今まで気がつかなかったんでしょう」 「私は、自分の意思で居なくなることで、やっと人間になれる」 「だって、お兄ちゃんが悲しんでくれるから……!」 「わたしにだって、運命は作れるんです!」 「海になんて、頼らなくても、運命はここにあったんだ!」 闇が深まる中、見えにくくなる周囲に反して、首元のリングが光出す。 「シロネ……!?」 「わたしが大切にしたかった記憶――」 「お兄ちゃんと愛し合ったあの日々は、あなたの中で生き続ける」 「だから、もういいんです」 「わたしは、もう……悲しくなんてない」 矛盾とつぎはぎだらけの言葉を呟くうちに、首元のリングが激しく光る。 「記憶データを初期化します」 頭の中を一文字ずつが流れていくみたいに、その声はゆっくりと伝わった。 “記憶データを初期化する” 「待てっ!」 咄嗟に押し止めようと肩を鷲掴み、勢い余って爪がその白い肩に食い込んでしまう。 「だから、どうしてそうなるんだよっ!」 「そんなことして、誰が喜ぶって言うんだ!?」 シロネの言っていることは、支離滅裂で無茶苦茶だ。 本当は真理を口にしているのかもしれないけど……。 今の僕には、意味をなさない文言に過ぎない。 「……放して」 「……パーツが歪んでしまうかもしれません」 シロネが眉根を寄せても、手に込めた力は緩めない。 もし、緩めたら逃げられる。 逃げられたら、もう会えない。 そんな気がして……。 「わたしが人間になったら、お兄ちゃんだって嬉しいはずです」 「シロネは、人間にはなれないんだよ……」 「僕だって分かるくらい、絶対に変わらないことなんだよ……」 「なれるんです……」 「なれるって、信じて消えたいんです」 どうしたら、この気持ちが伝わるんだろう。 血が上って視界が歪むくらい、懸命に考えても出て来た言葉は陳腐で……。 「それでも、僕はシロネのままでいいと言いたいんだ」 「シロネがいいって言ってるんだよ」 「……変なの」 「……あなたは変です」 「とっても、変わっている上に馬鹿です」 「僕にだって、何が正しいかなんて分からない」 「互いにとって、周囲の人間にとって、何を選ぶことが最善なのかも分からない」 「幸せってなんだろうって考えると、頭が痛いよ」 「でも、昨日言ったばかりじゃないか」 「昨日……?」 「ああ……」 思い出したんだろう。 シロネは微かに声を上げた。 「“人間には一生を使ったって答えの出ない問題だってある”」 「そういうこと、ですか……?」 「そうだ」 「“良い”とか“悪い”とか決めつけるには、まだ早い」 「僕とシロネにとって、何が一番幸せなのか――」 「この愛が本物なのかどうかは、一生を消費してでも考える必要があるんだ」 「この国における男性の平均寿命は80歳程度」 「たったの80年ですか……」 「わたしの感覚では、あまりにも短い時間です……」 雨音はより一層激しくなる。 風も強くなって、銀色の髪が生き物のようになびく。 「それでも……」 「今、ここから消えてしまったら、その答えは永遠に見つからないことだけは確かだ」 「僕は君との未来を、幸せな未来を、証明してみせる」 「シロネのことも守ってみせる」 「だから――」 「泣けたらいいのにって、今ほど思ったことはありません……」 「シロネ……」 細い首を囲むリングの輝きが、呼応したように静まる。 「泣けたら、一番初めの涙を僕にくれるって言ってたよね?」 「はい……」 「わたし、そう約束しましたね」 「それにしても、酷い雨……」 「酷い、雨……」 シロネは目を閉じたまま、うわごとのように繰り返した。 「冷た過ぎて……」 「このままだと、お兄ちゃんの健康に害が……」 「もしも、この雨がわたしの涙なら……」 「あなたを温められるのに……」 「そんなしょっぱい雨、ちょっとなあ……」 「ふふふ……」 「いや、でも……」 「シロネがくれるなら、やっぱり嬉しいって思うよ」 「……」 「シロネ……?」 「……」 シロネは口を閉ざしたまま、動かなくなった。 自立する意思を失った身体は重かった。 助けを呼ぼうとしたけれど、僕のスマホも豪雨に耐えられなかったんだろう。 うんともすんとも言わなかった。 僕は必死の思いでシロネを担いで、沙羅の研究室のドアを叩いた。 沙羅にシロネを託すと、もう着替える気力も無くぼうっとしていた。 「シャワーでも浴びて来てと言ったはずだけど?」 「シロネはどうなったんだ?」 沙羅は僕を見てため息を漏らした。 「まだびしょ濡れのままだったなんて……」 「濡れたままだと、風邪をひくわ」 「そうだね。ちょっと悪寒がする」 「風邪をひくのは勝手だけど、他{ひ}人{と}様にうつさないようにね」 「特に、私は体調不良を理由に研究を休むなんてことしたくないの」 「それで、シロネは……?」 「シロネの身体だって、完璧なんかじゃない」 「今日のスコール並みの雨量は、想定範囲外よ」 沙羅は僕の不安な気持ちを察したように微笑んだ。 「もちろん、シロネは無事」 「細部の調整には時間が掛かるけど、応急処置は済んだと聞いてる」 「今は必要な部品が届くまで、休ませている状態だって」 「そうか……良かった」 ここにシロネを運び込んだ時も、沙羅に怒られると覚悟していたけど……。 沙羅は何も言わずにシロネを台車に乗せると、速やかに研究室の奥へと搬送していった。 この冷静さが、今はとても頼もしく思える。 「私が作ったのは、あくまでトリノの思考を司る部分のみ」 「ボディのことは専門外で、チーム内に居る専門の人が修理にあたっている」 「もちろん、私もある程度の知識はあるから、どのくらい修理に手間が掛かるか、予想することは出来るけど」 「そうなんだ」 「舜はまだ、トリノのことを理解していない」 ピシャリと手厳しく、沙羅の声が割り込んできた。 僕は叩{はた}かれたように、顔をしかめる。 「シロネと一緒に生活をして、だいぶ理解したつもりでいたけど」 「そうね。彼女の思考や行動のパターンについては、熟知していると言えるわ」 「でも、私はそういうことを言っているんじゃないの」 「舜は、トリノの本質的な部分については、理解していないということ」 「本質的な部分?」 「偉そうなことを言ったかもしれないけど、私も全てを把握したわけじゃない」 「というか、最初はそれを受け入れるのも困難だった」 「目指していたゴールラインが、予想外に早く目の前に現れてしまった……」 「そんな感じなの」 沙羅には似つかわしくない、自信なさげな表情だった。 「だから……」 「やっぱり、舜に伝えるにはまだ早いのかもしれない」 「もっとデータを集めて、分析して――」 「沙羅、教えてくれ」 「舜……」 疲れ切ってはいても、切実に訴える。 「トリノについて、君が知っていることを教えてくれないか」 頼み込む体裁は取ったけど、有無を言わせない口調で沙羅に迫った。 「分かった……」 「でも、聞いてしまったらもう元には戻れないかもしれない」 「……覚悟の要る内容だってことは、承知の上だ」 沙羅の瞳は、“いいのね?”と僕に最後の確認を取った。 僕は無言で頷く。 「シロネの中には、“人間の心”が存在しているの」 沙羅が言い放った短い言葉の羅列には、衝撃的なキーワードが含まれていた。 頭がすぐには理解へと結びつかない。 「人間の心……?」 「これは、わたしが意図的に作り出したものじゃない」 「研究を進めているうちに、偶然発見したの」 「でも、ずっと夢見ていたことだったから、驚きと一緒に喜びも感じたわ」 「じゃあ……」 「シロネがずっとバグだと考えていたものは――」 「それは、不具合なんかじゃない」 「人間的な感情、あるいは、心とでも言うべきものが、彼女の中にあったの」 「シロネはね、自我を持ったアンドロイドなの……」 シロネが自分に与えられた役割を越えて、僕のことを好きになったのは……。 「シロネに心があったからなんだ」 「もちろん、シロネの中には極めてアンドロイド的な、プログラムに縛られた領域も存在している」 「だからこそ、人間的感情をバグだと思い込んだ」 「なるほど……」 シロネの中で、アンドロイドとしての自分と、人間としての自分が拮抗していたんだ。 沙羅は淡々と説明を続ける。 「そもそも、アンドロイドが不完全な感情を持つことは、良くないと言われているの」 「人間に害を与える可能性があるから」 「たとえば、自分を作り出した人間のことを恨んだり?」 「自分の存在に疑問を持ったり……」 「ロボット物SF作品にありがちな展開ね」 シロネは沙羅のことを恨んではいなかったけど、自己の存在理由については深く思考していた。 あの、悩ましそうな横顔が目に浮かぶ。 「だけど、彼女の中に生まれたのは、継ぎ接{は}ぎだらけの、偽物の感情なんかじゃない」 「純粋なる人間の心なの」 「逆に言えば、シロネは自分をアンドロイドだと誤認している人間のようなものよ」 「それは分かりやすい例えだな」 僕は感心しつつも、少し怖くなる。 「シロネは私の理想とするアンドロイド」 「人と寄り添う、人を越えたロボットなの」 「でも、それこそ人間と寄り添い合うのが難しくなるんじゃない?」 「人間は、自分よりも優れた存在を簡単に認めたりしないから」 「本当に不思議よね……」 沙羅は“まったく理解出来ない”というように呟いた。 「人間は、自らに近しい存在という理由で、犬や猫に親しみを覚えて愛玩する」 「でも、あまりに近過ぎてはいけないのね」 「途端に、嫌悪の対象になってしまう」 「ましてや、自分たちよりも優れているだなんて……」 「受け入れられないよなあ……」 「そう? 私は、喜んで傅{かしず}くけど」 「それは、沙羅がロボットのことが極めて大好きだからであって――」 「違う。好きだからというだけじゃない」 きっぱりと否定する。 「実社会では、自分よりも劣った人間に頭を下げなくちゃいけないことだってある」 沙羅ほど優秀な人間でも、そんなことがあるのか。 そう、僕は口にし掛けて、やめた。 このことに触れるのは、彼女の性格上よろしくない。 「トリノになら、負けても構わない……」 「完{かん}膚{ぷ}なきまでに、私を叩きのめして欲しい……」 「たとえ、支配されたって構わないとさえ、思うこともあるわ」 酔ったように、両の頬を朱に染め、声は上擦っていた。 「……冗談よ」 冗談じゃなかったと思う。 「とにかく私は、シロネから人間の心を取り上げなかった」 「確かに、歴史的な快挙だと思う」 「だけど、みんなはまだ――」 「社会的に問題視されても、自分の理想を貫き通したかったの」 僕は、この意志の強い瞳が苦手だ。 だって、何も言えなくなる。 彼女は僕の言いたいことなんて、承知の上で発言しているんだ。 「禁忌に触れているという自覚はあるわ」 「だからこそ、私は証明しなくてはいけない」 「一生を費やしてでも、私の考えが正しいものであることを示さなければいけない」 「必要であれば、私自身をトリノに変えて、実験を続けてもいいくらいなんだから」 自分をトリノ化するだなんて……。 質の悪い冗談にしか聞こえない。 「舜だって、それを望むのなら構わないわ」 「え? なにを望むって?」 「自分をトリノにするということ」 「シロネと一緒に、永遠に生きるということ」 さっきまでは、自分の限られた時間の中で、シロネとの関係を解決させようと思っていた。 “一生を懸けて自分とシロネの幸せを証明する”と言った、自分の声が蘇{よみが}る。 だけど、 もしも、 シロネと永遠を共有出来たら―― それを想像することは、魅惑的で甘く舌触りの良い毒のようだった。 「トリノ……」 糖衣に包まれたその毒を、口の中で転がす。 「責任は全部、私が取る」 「それに、2人は互いのことを理解し合いたいと思っている」 「強い絆で結ばれている」 「えっと……」 返事に窮していると、沙羅はくすくすと笑った。 「冗談に決まっているでしょう」 「自ら望んでトリノになりたがるなんて、常軌を逸しているわ」 「……そうだよね」 僕の考えをよそに、沙羅はさらに持論を振りかざす。 「永遠に生きられるとはいえ、メンテナンスは必須だし……」 「社会に溶け込んで働いたり、暮らしたりという面では、周囲の理解が要るわ」 「当たり前の生活が出来なくなるのは、確実でしょうね……」 「でも、だからこそよ……」 笑顔が失せ、冷水を浴びせられたかのように、引き締まる。 「トリノを正しく理解していない。する覚悟も無い」 「そんな他の研究員の好きにはさせない」 沙羅は静かに目を瞑った。 自分の内面と向き合い、もう一度言い聞かせるように口を開く。 「さっき、一部の研究資料を渡すことを条件に、トリノプロジェクトを終了させてきたの」 「これで共同研究はおしまい」 「えっ?」 「もちろん、シロネを破棄する件も白紙に戻ったわ」 「これからは、私がポケットマネーで研究と管理を続けていく」 「大丈夫なのか……?」 確証も無く漠然とした不安が口を衝いて出てしまった。 そのくらい、成り行きについていけずにいた。 「大丈夫」 「私の財力を見くびらないで欲しいわ」 沙羅はお金の面を心配していると捉えたらしい。 具体的な必要コストは分からないけど、僕は沙羅の懐具合を心配したわけじゃない。 「さあ、シロネの部品が届くまで、私はもう少し、自分の作業を進めておくわ」 「今出来ることは、今しないと」 「……そうだね」 そう言った途端、勢い良くくしゃみが出た。 「僕は、とりあえずシャワーを借りることにするよ」 窓の外で小鳥が鳴いている。 朝がやって来た。 シロネの修理が終わり、スリープ状態が解けるまでの間―― 僕と沙羅は、放心したようにただ時を過ごしていた。 濡れた服も、乾燥機によってすっかり乾いていた。 「もう朝か……」 「シロネの充電、まだまだ時間が掛かりそうね」 流石の沙羅も、疲れが隠し切れないようだ。 気怠げな声で呟いた。 「シロネが“舜のことが好き”なのは、そうプログラムされているからだと思っていた」 「私も、シロネ自身も、初めはそう思い込んでいた」 「え……?」 唐突な独白に、戸惑う。 不意を突かれて、間抜けな声を漏らしてしまった。 「あなたもシロネも、どうして私がバグを修正しなかったのか、疑問に思っているのでしょう?」 「う、うん」 「私は、その問いに答えようとしているの」 「……なるほど」 沙羅からの申し出は有難いけど、やっぱり眠気が思考を妨げる。 僕は思い切り頭{かぶり}を振ってから、彼女の声に意識を集中させた。 「その“好き”が兄妹の思慕を超えた時から、違和感を感じるようになったの」 「妹という設定を破ったのは、バグの発生と認識して当然ね」 「でも、シロネの行動目的は“舜を幸せにすること”だった」 「沙羅がシロネを作った理由も同じなんだよね?」 「それは――」 白い頬がぱっと赤く染まる。 「否定はしないけど、私の知的好奇心を満たすためでもある」 「忘れないで」 「わ、分かってるよ。そんなに自{うぬ}惚{ぼ}れてない」 誤解を解こうと、胸の前で手を横に振った。 「えっと、つまり……」 「結果的にそれが叶うのなら、好意的に受け止めようと思ったの」 「それに、元々私は、アンドロイドに自我を芽生えさせることを目標にしていた」 「じゃあ、シロネは沙羅が目指していたものを目の前で見せてくれたんだね」 「そうなるかな」 「前にも言った通り、あなた達が恋愛することは良い結果を生むとは思えない」 「だけど、“自我を持ったアンドロイド”の到達点としては、評価出来る」 僕とシロネの推察は概{おおむ}ね合っていたみたいだ。 頷く僕の前で、沙羅は何度か目を瞬{しばたた}かせた。 「徹夜って本当に良くないな……」 「人間は、睡眠を取ることを前提として成り立っている生き物だから」 「私の身体が悲鳴を上げているのを感じるけど、今さら眠れないし……」 「僕もだ……」 「逆に、目が冴えてきたくらいだよ」 昨夜からほとんど何も食べていないのに、空腹感も無い。 積み重なった疲労で、身体の節々が痛むだけだ。 「私、一瞬で眠れる薬があったら、ノーベル賞を贈りたい気分よ」 「副作用も無く、快適な睡眠が保証されることが条件だけど」 「そんな虫のいい薬は無いだろうなあ……」 「まあ、副作用が無ければ薬と言えない時点で、お察しだけど」 「えっ!? そうなの……?」 「副作用が無いということは、薬効も薄い、ということらしい」 「専門外だし、詳しい説明はしたくないけど」 薬の定義なんて調べたことが無かったから、知らなかった。 今度、百南美先生に聞いてみようかな。 「そうだ。さっき言ってた話なんだけど……」 「“さっき”っていつのこと?」 「昨日の夜のこと」 「沙羅、ふざけて“舜もトリノになればいい”みたいなことを言ったよね」 「確かに言ったわ」 「我ながら、馬鹿な冗談だったと思う」 沙羅は自嘲気味に笑った。 「いや、僕は馬鹿げてるだなんて思ってないんだ」 「……? それって、つまり――」 幾度か目を瞬かせた後、沙羅は慎重に切り出した。 「舜は、トリノになりたいの?」 「うん」 「僕もトリノにしてくれないか?」 「どうして、そんなことを望むの?」 僕の申し出に戸惑っているようでもなかった。 沙羅は僕が何を考えているのか、本気で分からないんだろう。 「全然、分からない……」 「自分で研究をしておいて言うのもなんだけど、まだまだ未完成な部分が多いわ」 「記憶を失ったことを除けば、舜は健康そのものよ」 「自分をアンドロイドにしなくちゃいけない理由は何?」 「僕は、シロネといろいろなことを共有したいんだ」 「彼女と同じ時間を生きたり、同じ悩みを抱えてみたい」 「……」 沙羅は思い切り深いため息を吐いた。 それはまるで、魂まで抜けそうなくらいだった。 「……馬鹿らしくて頭が痛くなるけど、最後まで聞いてあげる」 「いいから、続けて」 「……うん」 「僕は人間で、シロネは、心は人間でも身体はアンドロイドだ」 「そうね。舜とシロネは違う」 「シロネは人間になりたいと言っていたけど、やっぱり生身の人間になることは不可能なんだよね?」 「そうね。今のところ、その方向性は考えていない」 「だって、わざわざ欠陥の多いボディを求める意味は無いでしょ?」 「だから、考えたんだ」 「だったら、僕がトリノになればいいんだって!」 「……そんなことだと思った」 「そうしたら、僕とシロネは同じ目線で物事を見られる」 もしもトリノになれたら、今抱えている数々のハードルは帳消しになる。 「そうしたら、もっとお互いのことを好きになれるとか……」 「理解し合えるとか……」 「そんな甘酸っぱい幻想を抱いているのね?」 「要約すると、そんな感じかな……」 まとめられると、陳腐で青臭過ぎて恥ずかしい。 僕は羞恥心を吹き飛ばしたくて、無理やり声を張った。 「沙羅はやっぱり天才だよ!」 「自分がトリノになればいいだなんて、思いつきもしなかった!」 沙羅はやるせないとでも言うように憂いを含んだ笑みを浮かべた。 「舜は、疲れているのね……」 愚かさを嘆いているわけじゃない。 ただ、僕の身を案じているようだった。 「仕方ないわ。大雨の中、シロネを運んで来たんだもの」 「もしかしたら、熱でも出ているんじゃない?」 「シロネは私が送り届けるから、百南美先生に診察して貰ったらどう?」 「沙羅は、僕が血迷ってるって思ってるんだな……」 「……そうよ」 「どう考えたって、昨日今日で決めていいことじゃない」 「それに、舜はまだ、トリノになることの全てを理解したわけじゃない」 沙羅は僕を不安げに見た。 「もちろん、私だって……」 「まだまだ理解の及ばない部分があるの」 「でも、トリノになった僕だって、シロネのことを愛しているんだよね?」 「うん」 「でもそれは、記憶を引き継いでいるから発生する感情なのよ?」 「えっと、つまり……どういうこと?」 「あなたの意識まで機械の中に移すことが出来ない以上、舜とトリノの舜は、別個体だってこと」 「……分かってる?」 そうか。 僕が僕と思っているこの自意識まで、トリノに引き継ぐことは出来ないんだ。 正直なところ、自分の意識の行方までは考えていなかった。 「じゃあ、今の僕の脳をスキャンして欲しい」 「それで、やっぱり違うなと思うなら、止めたらいいわけだし……」 「脳のスキャンは、今までにも何度も受けているでしょ?」 「そうだけど、それは何ヶ月かに一回のことだ」 「もっと細かい期間でスキャンすれば、より僕自身に近いデータが、移せるんじゃないかな……」 「それは……私にも分からない」 「脳のスキャン自体は、私の専門じゃないから。スキャン後のデータを取り扱うのが、私の専門なの」 「じゃあ、沙羅はスキャン自体出来ないってこと?」 「やり方は分かるの。それに、細かいデータがあればあるほど、より正確な反応が導き出せるという原理自体は、納得出来るし」 「でも、本当にそれでいいのかな……」 専門外ではなくても、沙羅は自信が持てないようだった。 「難しいことかもしれないけど、協力して欲しい」 「僕が愛したシロネとの記憶がトリノの中で生き続けるなら、それは何か意味のあることに思えるんだ」 「……」 それから、僕達はしばらく話し合った。 寝不足の身体には堪えたけど―― 結局、沙羅は渋々提案を受け入れてくれた。 言われるがまま、舜の記憶データを取り出したけど……。 これで良いのよね……舜? 舜の決めたことだから、もう否定はしない。 それに、これは私の研究の糧にもなる……。 でも、この複雑な気持ちは何……? ここは真っ暗だ。 真っ暗で、何も見えない。 「舜……」 「ねえ、起きて……舜」 目を開けると、沙羅が僕を覗き込んでいた。 そうだ。 僕は、沙羅に脳をスキャンして貰ったんだった。 「どこか、おかしいところはない?」 「何か、気になることがあったら言って」 「いや、特に……何も感じないよ」 身体が重いのは相変わらずだったし、違和感は無かった。 「そう、なら良かった……」 「体調不良を訴える人も、少なからず居るから」 「そうなんだ……」 大丈夫。 手も足も、しっかり動く。 「トリノ化のことだけど……」 「うん。それで、いつ完成するのかな?」 「……そんなに簡単に素体を用意出来ないわ」 「出来れば、舜に限りなく近い外見をしているのが望ましいでしょう?」 「だから今度は、素体を作るための調整に、協力して欲しいの」 「今、やってもいいけど」 僕はじれったくなって、自ら申し出る。 「体調が万全の時じゃないと駄目」 「脳のスキャンと違って、ただ寝ていればいいというわけじゃないんだから」 「でも……」 「何ごとも実行するのは私よ。私に従って」 「それに、こんなケースは想定していなかったから、とにかく不安なの」 沙羅の弱気な発言は珍しい。 「伝{つ}手{て}のある同業者にも、意見を聞いてみてから判断する」 「焦ったって、良いことなんてないんだから」 「そうかもしれないけど――」 「“でも”でも“けど”でも無いの」 沙羅の意思は強固で、僕が何を言っても無駄だった。 彼女が指摘するように、僕が焦っているのも事実だったし。 でも、目の前に餌をぶら下げられて、がっつくなというのも無理な話だ。 「あまり、厳しいことを言いたくはないけど……」 「私に従う気が無いのなら、全部無かったことにする」 「舜を危険な目に遭わせることは、不本意だから」 「……分かったよ」 「沙羅の言う通りにする」 ここで沙羅が臍{へそ}を曲げてしまったら元も子もない。 僕は渋々、彼女の言葉に従った。 「沙羅ちゃんの説明には……本当に驚きました」 スリープから目覚めたシロネは、沙羅から自身についての説明を受けた。 既に一度僕に話したということもあって、沙羅は淡々と事務的に話を進めていったけど……。 聞き手のシロネは、終始驚きの声を上げっぱなしだった。 「わたしって、人間の心を持っていたんですね……」 「やっぱり、未だにびっくりです」 “驚いた”“びっくりした”という類の話は聞き飽きたなあと思いながらも、こうしてシロネの元気な姿を目にしているだけで嬉しい。 「お兄ちゃんが、ここまで運んでくれたんでしたよね?」 「うん……」 「ありがとうございました」 「いろいろと、心配掛けちゃってすみません……」 「でも、わたし――」 「謝らなくていいって」 「僕は、今日もシロネと一緒に居られて嬉しい」 「……わたしも」 「わたしも、あなたと一緒に居られて、幸せです」 「だから、ありがとう……お兄ちゃん」 晴れやかでありながら、包み込むような優しい笑顔だった。 僕は今すぐにでもシロネを抱き締めたかった。 だけど―― 「舜……」 「母さん……」 母さんとばったり出会ってしまった。 「入院していた時以来ね」 「元気してた?」 「うん。そこそこ、元気にはしてたよ」 「ふふふ。なによ、“そこそこ”って」 「話すと長くなるからさ」 母さんは急に遠い目をして言った。 「離れて暮らしているっていうのもあるけど、年頃だもんね」 「母親に言えないことの一つや二つは、あるわよね……」 シロネが気不味そうに僕のほうを見た。 でも、どうしたらいいのか分からないのは、僕も一緒だ。 「あ、あの……」 おろおろしながら、シロネが会話に加わろうとする。 「シロネちゃんも、相変わらずなのかな?」 「は、はい!」 授業中に、いきなり先生に指名された時みたいだった。 シロネはびくりと身体を跳ねさせる。 「この子、ときどきだらしないこともあるから、世話するの大変でしょ?」 「そ、そんなことありません……」 「お兄ちゃんは、洗濯物を干すのがとても上手くなりました」 「へえ……そうなの」 母さんは珍しい生き物を眺めるみたいに、僕を見た。 「舜も、成長してるのね」 「……まあね」 「ところで、お腹空いてない?」 「今からお昼ご飯を作るところだから、良かったらついでに食べていったらどう?」 「いや、別にお腹すいてないから……」 「そう?」 疲れている上に、母親とシロネの両方に気を遣いたくない。 僕は笑顔で辞退しようとしたけれど―― 「あっ……」 「やっぱり、お腹空いてるんじゃない」 「遠慮せず、寄っていきなさい」 「ね?」 最後は母親に腕を引っ張られて、観念した。 年端もいかない子供じゃあるまいし、さすがにこれは恥ずかし過ぎる。 食事中も、僕が危惧していたようなぎこちない空気にはならずに済んだ。 今だって、シロネと母さんはごく普通に、当たり障りのない無難な会話をしているように見える。 「馨さんの野菜炒めは、美味しそうでしたね」 シロネが母さんを“馨さん”と呼び始めたことには、少し驚かされた。 「そんなことないわ。普通よ、普通」 「そうでしょうか?」 「馨さんが作るものは、なんでも美味しそうに見えますけど」 シロネなりに気を遣っているんだろう。 母さんに白音の存在を意識させないように。 「2人を呼ぶなんて考えてなかったから、適当なご飯になっちゃって恥ずかしいわ」 「野菜炒めの上に目玉焼きが乗っていたのは、馨さんが考えたアレンジですか?」 「ううん。この島の人達に習ったの」 「そうだったんですか」 「ほら、母さんはこの島の出身じゃないから」 「細切り人参と一緒に炒めたりするのも、お馴染みなのよ」 「この島の料理は、独特のものが多いですね」 「今度、レシピを調べてみることにします」 「レシピなんて、そんな難しいものじゃないのよ?」 「具材を切って、後は多めの油でジャーッと」 「“ジャーッ”ですか……」 「高温の油で、勢い良く炒めるってことだよ」 シロネがいまいちピンと来ていないようだから、横から助け舟を出す。 「なるほどです」 「でも、母さんが島風の料理を作るなんて珍しいな」 「苦手じゃなかったっけ……?」 「料理にもよるわ」 「別に、野菜炒めは嫌いじゃないし、最初は抵抗があった豪快な出汁も、最近はいいかもって思ってる」 「そうなんだ……」 「出汁が濃い分、塩や醤油が控えられるもの」 「ただし、お弁当には揚げ物が入っていることも多いから、私は出来合いのものは未だに苦手ね」 「舜は、シロネちゃんに何を作ってもらってるの?」 「えっと……」 普段の食卓を思い浮かべようとしていると、突っ込みが入る。 「私が見ていないからって、毎日焼き肉三昧なんてしてないわよね?」 「そんなことはしてませんよ」 シロネが慌ててフォローする。 「栄養バランスを考えて、朝が玉子なら、昼は豚肉、夜はお魚と、メインの食材も変えていますし」 「ふふふ。焦り過ぎよ。本気で疑っていたわけじゃないから」 母さんは困ったように笑った。 「分かっていますが、馨さんにはきちんと仕事をしていることを、知って欲しくて……」 「健気ね……」 「本当に、困っちゃうくらい健気だわ」 シロネから視線を逸らして言う。 「あなたの中に、白音ちゃんの記憶があるのだと思うと……」 「今でも複雑な気持ちになるのは、変わらないのよ」 「それは……」 「わたしには謝ることさえ、出来ないことです」 シロネは目を伏せた。 「そうなのよね……」 「それも分かってるし、永遠に変わらないことだわ」 「母さん……」 白音のことを受け入れ難く思う気持ちは、未だに変わらないんだな。 「白音が居ないという悲しみを、忘れたくない気持ちは分かるよ」 「そうなの……」 「シロネちゃんと一緒に居ると、自然と心が穏やかになってしまう」 「そんな自分が、許せなくて……」 「僕は、母さんが僕を認めてくれたみたいに、そんな母さんのことも認めたいって思う」 「もちろん、シロネのことだって――」 「そうやって、シロネちゃんを受け入れている舜を見ているのも、辛いの」 “叫び”という程の語気ではなかったけど……。 母さんの心は、間違いなく叫び声を上げていた。 「白音ちゃんの分までって思って、大切にしてきた舜だから」 「まっとうに、人間らしく幸せな人生を歩んで欲しいと思う親心もあるの」 その気持ちは、今の僕にはとても重い。 シロネのことを愛し、共に生きると決めた僕には。 「それでも、私は――」 「やっぱり、舜が決めたことなら信じてあげたいと思うくらいには、親馬鹿なのよね……」 母さんは、引き攣った笑顔を無理して浮かべた。 「舜は、シロネちゃんのことが、1人の女の子として好きなんじゃないの?」 図星を指されて、額に汗が滲む。 「返事は聞かなくても分かるわ」 「離れて暮らしていても、私の子だもの……」 母さんに見つめられて、ますます汗が止まらない。 やましいことなんてしていないのに、どうしてなんだろう。 「そうだ!」 「シロネちゃんは、名前の由来って知ってるのかしら?」 「わたしの……白音さんの名前の由来ですか……?」 唐突だけど、話が逸れたのは素直に喜ばしい。 「僕も知らないんだけど」 そう言って、便乗する。 「舜が知らないはずないわ。忘れているだけ」 「……そうだっけ?」 首を傾げてから、記憶を失っていることを思い出す。 「まあ、いいわ……」 「舜のお父さんは、海外で暮らしているの」 「まだ、白音ちゃんがお腹の中に居た頃、2人で夜の森を歩いていて」 「確か、舜はシッターさんに預けたとかで、一緒に居なかったのよね……」 「白い鳥の羽根が、雪のように舞っていたのを見たわ……」 「お父さんは根っからの理系なのに、らしくないことを呟いてね」 「“羽根が降り積もる音は、白い色をしている。今度生まれてくる子には、こんな美しい景色を見せてあげたい”ってね」 「“白い音”という詩的な言葉が耳から離れなくて、その時“白音”という名前を思いついたの……」 確かに……。 うっすらと記憶に残る仕事好きな父さんから出たとは、思いもしない言葉だ。 母さんが印象深く捉えてしまうのも無理はない。 「その話を5歳くらいだったかな……?」 「とにかく、小さな舜に聞かせたことがあったの」 「そうしたら、舜はね……」 「“いつか絶対、白音にその景色を見せたい”って言ったのよ」 僕は、そんなことを言ったのか……。 「おでこをくっつけなくても、大丈夫ですよね?」 そう言ってにっこり微笑むシロネに、僕はゆっくりと頷く。 アーカイブス機能を使わなくても、きっと伝わるから。 「白音さんはお兄ちゃんの言葉が嬉しかったんです」 「いつかは、その白い羽の舞う光景を眺めたいなって……」 「目の病気を治したいなって、思ったんですよ」 シロネはしみじみと言った。 僕は見送りに出てきた母さんに、シロネと恋人同士になったことを打ち明けた。 「驚かせてしまったかもしれないけど……」 「僕、シロネのことが好きなんだ。守るって決めたんだ」 「やっぱりね」 母さんは猫のように抜け目のない瞳で、僕を見た。 「そうだと思ってたの」 「母さんの言う通り、僕はシロネのことを、1人の女の子として見てる」 「そのことで、迷惑を掛けることもあるかもしれないけど――」 「気にしない♪ 気にしない♪」 「舜はちょっと変わった子なんだから、ご近所の人達に心配されてしまうなんて慣れっこよ」 かなりマイルドにアレンジしてくれているけど、もっと口さがないことを言われたんじゃないかと思う。 「でも、きちんと自分の意思表示が出来るところは、凄いと思う」 「昔、家に引きこもっていた時も、私は感心したくらいだった」 「ああ、白音がいなくなった後のことかな……?」 母さんは目で肯定すると、さらに僕を褒めそやした。 「無理に他人と関わって、傷ついたり傷つけたりするくらいなら、閉じこもっていたほうが良い時もあるわ」 「今でこそ思うのだけど、小さい舜はそれを理解していたんじゃないかな?」 「……そんなにおだてられると恥ずかしいって」 耳の裏が熱い。 火が点いたみたいだ。 「まあ、人間の女の子と恋人になったからといって、舜が幸せになる保証なんて無いもの」 「要は2人の気持ちと、幸せになったという結果じゃないかな」 あっさりしていて、母さんらしいと思った。 「ねえ、シロネちゃん」 「はい」 シロネの肩はもうびくついたりしない。 神妙な面持ちで、答えた。 「シロネちゃんが、私の娘を大切に想ってくれること」 「記憶を受け継いでくれていることは、本当に嬉しいわ」 「あのね。その上で……」 「どうかしましたか?」 母さんの弱々しい声に労{いたわ}るように、シロネは優しく尋ねた。 「私、あなたに聞きたいことがあるの」 「……なんでも尋ねてください」 「わたしが力になれることだったら、喜んで」 肩の力が抜けたように、母さんは吐息を漏らした。 「……どこから、話したらいいんだろう」 「白音ちゃんが先天的な弱視だと分かっていても、私はあの子を産みたかったの」 「それはとても自然な感情だと思っていたし、どんな困難だって、娘と一緒に乗り越えて行こうと思っていたわ」 言葉を慎重に選びながら、気持ちを伝えていく。 「でも、その決意は私のエゴでしかなかった」 「実際一緒に暮らしてみると、私があの子にしてあげられたことなんてほんの僅か……」 「辛いのも、頑張ったのも、結局は白音ちゃんだった」 両の瞼を閉じて、暫し口も閉ざす。 母さんの瞼の裏には、在りし日の白音の姿が映っているんだろう。 「娘には、生まれることに対する拒否権なんて存在しなかった」 「あなたと一緒ね?」 「……はい」 「わたしにも、選択肢はありませんでした」 「でも、それはみんな一緒ですよね?」 「だけど……」 「五体満足に産んであげられなかった私のことを、白音ちゃんは心のどこかで恨んでいたんじゃないかな……」 「母親のわがままのせいで、自分が苦しんでいるんだって思っていたんじゃないかって……」 「そんな――」 「そんなことありません」 ぱぁっと南国産の大輪の花が開いたようだった。 シロネは母さんに晴れやかな笑顔を向ける。 「お母さんのことは、ずっとずっと大好きでした」 「本当に大好きで、大人になったら、お母さんみたいになりたいって思っていたんです」 「綺麗なお花を育てて、周りの人を笑顔に出来る女性になりたいなって」 シロネの温もりが波動のように伝わったからなのか……。 僕も、和やかな気持ちで微笑むことができた。 「だから、恨んだことなんて……」 「一度だって、ないんです」 「だから、安心してくださいね。馨さん」 母さんは呆然の体{てい}で、視線は宙にあった。 やがて、意を決したように口を開いた。 「……やっぱり、“馨さん”なんて呼ばないで」 「え?」 「そんな他人行儀な言葉、あなたの口から聞きたくない」 「芯から凍えるくらいに、寂しいわ」 母さんの声は、微かに震えていた。 「シロネちゃんには、“お母さん”って呼んで欲しい……」 心の中で濁流のように渦巻く感情を、必死に抑えているんだろう。 母さんが息をするたびに、周りの空気が張り詰めていく。 「自分勝手なこと言って、ごめんなさい」 「あなたに苛立ったり、傷つけたことだって、あったのに……」 「今更、図々しいって思うよね」 己の胸中に生まれた矛盾に、母さんは葛藤していた。 「厚顔無恥な人間だって思ってくれていい」 「舜の、恋人のお母さんという、意味合いでもいいから……」 「私のこと、お母さんって呼んでください……」 シロネの中にだってきっと、驚きや戸惑いがあったに違いない。 だけど、シロネはただ微笑んだ。 「ありがとう」 「お母さん」 僕は、そんな彼女のことが誇らしいと思った。 数秒前よりも、ずっとずっと好きになった。 自分の家に居るというだけで、こうも心が軽くなるのはどうしてだろう。 昨日、今日とさまざまなことが立て続けに起こったからか、なんだか久しぶりに帰って来たような気さえする。 「ああ、風呂にでも入って寝てしまいたい」 のんきに独り言を漏らしていると、微かに物音がした。 「お兄ちゃん、これ、着てみたんですけど……」 だぼだぼのシャツを着たシロネが、リビングに現れた。 「やっぱり、お兄ちゃんのシャツ、わたしには大きいですね」 「洗濯物が雨に濡れてしまったのは、誤算でした……」 「いや、これはこれで……」 凄く、いいと思う。 洗濯物を干しっぱなしで出掛けてしまった、昨日の僕に拍手。 「お兄ちゃん……?」 「何を考えているんですか?」 「ああ、その……」 「確かにぶかぶかだけど、シロネに似合ってるなあって」 「そ、そんな……そんなこと……」 恐縮している一方で、頬が桜色に染まっていく。 シロネの感情曲線が急カーブを描きながら、上昇していくのが分かる。 「お兄ちゃんが喜んでくれましたーっ!」 「思い切って着てみて、大正解ですっ!」 そんなに喜ばれると、こっちまで赤面してしまう。 好きな女の子に、自分のシャツを着てもらうなんて、ご褒美でしかない。 「シロネ、ちょっとこっちに来て」 「は、はい……」 シロネの声が急に固くなる。 「どうかしましたか?」 「あの……」 「シロネのこと、抱き締めたいんだけど……」 「え、えっと……」 「抱き締めるだけ、ですか?」 「出来れば、その……」 それ以上のこともしたい。 なんて、言えない。 「……いいですよ」 「え?」 「抱き締めるよりも凄いこと……」 「しても、いいですよ?」 さっきまで揺れていたシロネの瞳は、真っすぐに僕を見据えていた。 「どうします? お兄ちゃん……」 「どうしますって……」 僕は居ても立っても居られない気持ちで、シロネを押し倒した。 顔を寄せ、お互い見つめ合う。 呼吸をする音さえ耳に届く静寂の中で、眼差しだけが熱い。 「お兄ちゃん……」 甘えるように、シロネが囁く。 「もう、わたし……」 「恥ずかしくないですよ?」 「……本当に?」 「はい」 「だから、その……」 「してください……」 「えっと……」 僕はその意味するところ、期待されている答えを理解しつつも、尋ねる。 「シロネは何をして欲しいの?」 「はうっ……!」 「そ、それは……」 戸惑う姿が可愛いらしい。 シロネは、一生懸命な口ぶりで答えた。 「き……キスですっ!」 「お兄ちゃん、早く、キスしてっ!」 「……んっ!」 求められるまま、シロネの唇を奪う。 「ふっ……んんっ……」 シロネの唇は、ほのかに温かい。 「んんっ……」 「んっ、ふあっ……」 触れるだけのキスなのに、シロネの口から早くも吐息が漏れ出ている。 ああ、可愛過ぎる。 唇が離れると、とろりと溶け出しそうな瞳で僕を捉えた。 「はあっ……はあっ……」 「お、お兄ちゃん……わたし……」 喘ぐように僕のことを呼ぶから、切なさが刺激される。 シロネの声に応えるように、優しく微笑んだ。 「お兄ちゃんと、また……」 「こんなふうに、気持ちを重ねられたらいいと思っていました」 「なんだか、夢みたいです……」 「僕もだ」 「シロネとこうしたかった」 「お兄ちゃん……好き……」 「僕も、シロネのことが好きだ」 言葉の意味、気持ちを噛み締めるようにして言う。 「大好きだ」 「嬉しいです……」 「とっても、とっても嬉しいです……」 「もっと、キスして……?」 「ふっ……んっ……」 今度は、唇を味わうように意識を集中する。 「んんっ……」 柔らかな花弁は潤いに満ちている。 僕が求めるたびに、しっとりと吸い付いてきた。 「あっ……ふっ、んっ……」 「んんっ……」 シャツのボタンに手を掛ける。 気がはやり、なかなか外すことが出来ない。 「お、お兄ちゃん……!?」 シロネは驚きと期待が入り交じった眼差しで僕を見つめた。 ようやく隙間を作り出すことに成功する。 そこへ割り入れるように下半身のモノを、無理やり滑り込ませる。 「あっ……!」 ペニスを胸の間に差し込まれるという初めての経験と、その刺激的な光景に、シロネは目をぱちくりさせていた。 「これは一体……」 「我慢出来なかったんだ」 キスをする前から、僕の分身は熱を帯びて、いきり勃っていた。 「こんな、いきなり……」 「ごめん、どうしてもしてみたくて……」 「で、でも……」 シロネは顔を真っ赤にして訴えた。 「お、おっぱいの谷間は……」 「おちんちんを挟むために、あるんじゃありません!」 「他に、何を挟むの?」 「そ、それは……」 シロネの目が、答えを探して彷{さ}徨{まよ}う。 「ゆっくり考えてみないと、分かりません」 「少し時間を貰えませんか?」 「じ、じゃあ……」 「シロネの胸で、僕のソレをしごきながら考えてくれる?」 「えっ……!? 胸で……お兄ちゃんのを……?」 「胸の谷間の活用方法として、それが正しいことなのか、それとも間違っているのか……」 「実践しながら、理解して欲しいんだ」 実に、苦しい言い訳だ。 シロネに納得して貰えるわけがない。 さすがに無理があるかと、諦めの境地から半笑いが込み上げた。 「……なるほど、分かりました」 「えっ……?」 我が耳を疑っている間に、シロネはテキパキと行為に及ぶ。 「考えることだけが、答えを得る方法とは限りません」 「わたし、やってみます」 そう言い放って、両の膨らみを支える手に力を込める。 「んっ……」 「痛く……ありませんか?」 「大丈夫だよ」 こんな展開になってしまって、大丈夫もなにも無いけれど。 「……良かった」 シロネは胸を上下に動かし、竿を擦る。 先走りが溢れ流れ出て、谷間を濡らしていく。 「こんな感じ、でしょうか……?」 滑りが良くなるにつれて、動きが大胆になる。 分身が固くみなぎっていくのが分かる。 「ん……凄い、音です……」 「ちゅぷちゅぷって……あ……んっ」 白い手は器用に膨らみを操っている。 くるりと円を描くように、ペニスを刺激した。 「ふ、う……ん、ん……んっ」 脳天まで貫くような強烈かつ官能的な刺激が、身体を駆け巡っていく。 「ふふふ……お兄ちゃん……とっても、気持ち良さそうですね」 「うん、凄くいい」 深いため息と共に、率直な感想が漏れる。 手で擦るのとはまた違った感触が、心地いい。 「あ、ふうっ……ここは、どうでしょうか?」 シロネは胸を掴み上げ、カリを刺激する。 「あっ! 先端のほうも……」 「なんだか気持ち、良さそうです……」 上下に強くしごかれる。 絶えず流れ出す我慢汁が、谷間を濡らしていく。 「お兄ちゃん……」 「んっ……だらだらと、お汁が流れていきますね……」 こんなにペニスが熱いのは、摩擦による熱なのか……。 それとも、欲望の表れなのか。 「初めは、ちょっと困りましたが……」 「お兄ちゃんが、わたしのおっぱいを欲しているのだと思うと、愛しくて切なくなります」 「もっと、お兄ちゃんに気持ち良くなって貰うためには……どうしたらいいんでしょうか?」 「じゃあ……」 「もうちょっと、ぎゅっと胸を寄せてくれないか?」 「……こうですか?」 「もっと」 「は、はいっ……」 柔らかな肉の双丘が、さらに肉棒を包み込む。 それをきっかけに、僕は腰を動かした。 「ひゃあっ……あっ……!」 胸の谷間を、シロネの汗が流れ落ちていく。 それとは別に、ぐちゅぐちゅとねちっこい水音が辺りに響く。 「熱いです……!」 「お兄ちゃんのおちんちん……あっ……わたしのおっぱいで……どんどんと硬くなっていきますっ……」 窮屈な隙間で、僕の欲望の化身が蠢いている。 「ふっ、はあっ……あっ……!」 「わ、わたしの……おっぱいの間でっ……あっ、はあっ!」 シャツのボタンを一部しか外さなかったのは正解だったみたいだ。 シャツに押し留められた肉の壁が、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。 「す、凄いです……っ」 「おちんちんが、動いて……んんっ、くっ……!」 くすぐったそうに、小刻みに身体を揺する。 それに合わせて、シロネの双丘もふるふると揺れる。 それがなんだか面白くて、ついつい夢中になってしまう。 「お兄ちゃん……気持ちいいんですね……?」 「おっぱいに挟んで、スリスリってするの……とっても、いいんですね?」 シロネが身じろぎする動きも加わると、さらに快感が確かなものになっていく。 僅かな動きさえ、竿に伝わる。 「ふあっ、ああっ……お兄ちゃん、激しっ……激しいですっ!」 「あふっ、んっ、はっ、ああああっ……」 胸の先端がぷっくりと自己主張をしているのが、シャツの上からも丸分かりだ。 彼女が漏らす声に、艶{あで}やかさが帯びている。 「……ふっ、はあっ、ああ、あっ、ふあっ……はあんっ」 「ち、乳首がシャツで擦れてっ、あっ、ああっ、ひゃぁんっ!」 「へ、変な声が出ちゃいますっ……!」 「変な声なんかじゃないよ」 シロネの喘ぎ声を、もっと堪能したい。 「んっ、ふっ……はあんっ!」 そんな気持ちから、律動を速める。 「やっ……あ、ああんっ……」 「声がっ、抑えられない……ですっ」 苦しそうな息が、小さな口から漏れ出る。 堪{こら}えられないのは僕も同じで―― 「あっ、あんっ……はあっ、ああんっ……!」 「今、おちんちんが……びくびく、って……ああっ!?」 「ふあ、ああっ……んっ、くうっ……ああ……」 「シロネ……」 限界が近い。 今、身体の最も熱い部分で、欲望が出口を求めて暴れ回っている。 「ふっ、あっ……やんっ、あっ……あんっ!」 「はあっ……あっ……!」 「もっと、わたしのおっぱいに……! はあん、ふあっ!」 ペニスを挟み込む圧力が強まる。 動けば動くほど、ぬちゃぬちゃと音が立つ。 「お、おっぱい……わたしの、おっぱい……」 「ぐちゃぐちゃにしても、いいですからっ……!」 「お兄ちゃん……もっと、気持ち良くなってっ……!」 深く頷いてから、夢中になってモノをしごく。 シロネの乳首も、ぴんと張りつめている。 「くうっ、あっ、ああっ……! さっきよりも、敏感になってっ……!」 「んんっ、あっ、はあぁっ……ひあっ、んっ!」 「もうっ……我慢出来ないっ」 「お兄ちゃん……ああっ、限界なんですねっ!」 「わたしのおっぱいに、くださいっ……!」 「お兄ちゃんの、熱い精液……わたしに、いっぱい出してっ……!」 もう、限界だ。 「……で、出るっ」 「だめっ、お兄ちゃん! あっ、ふあ、激しいっ!」 「ああっ、ふああっ、あっ……!?」 「あっ、ふっ、ああああああああっ……!」 ペニスの先端から白濁した液が迸{ほとばし}る。 「ふあっ、はあぁっ……あっ、んっ、ああっ……」 尾を引き跳ねながら、シロネの顔を汚していく精液。 その有り様を眺めていると、背徳感が背中を駆け上がっていく。 「ひゃあっ……こんなに、沢山っ……」 どうしよう。 また、興奮してしまいそうだ。 「あっ、はあっ……お兄ちゃんっ……」 「ふうっ……はあっ……」 「顔も……谷間も……ドロドロです……」 荒い息を整えながら、シロネが呟いた。 「お兄ちゃんの精液で……濡れちゃいました……」 「精液……とっても、熱いです……」 先端からは、未だに白濁液が漏れ出ている。 「これが、正しい胸と谷間の使い方だって……分かってくれた……?」 「……はい」 シロネは素直に答えた。 「お兄ちゃん、とっても気持ち良さそうでした……」 「何度だって、おっぱいで挟んであげたいです……」 「あっ……!」 役目を終えたことを悟ったのかもしれない。 外れ掛かっていたシャツのボタンが外れた。 二つの膨らみが、露わになる。 「今さらですが……なんだか、恥ずかしくなってきました」 「あんなに気持ち良さそうに喘いでたのに?」 「はうっ……!」 「あっ、あれは……お兄ちゃんがっ……!」 そう話している間にも、胸の谷間を白濁液が流れ落ちていく。 それが、とてもそそるもので……。 「きゃあっ!」 シロネの身体を抱きかかえ、弾みをつけて体勢を入れ替えた。 「ちょっと、お兄ちゃんっ……!」 「だっ、駄目ですっ!」 馬にまたがるような姿勢を取らせると、シロネの秘部がはっきりと見えた。 下着をつけていなかったらしい。 「はわわわっ! これは、そのっ……!」 「わたし……着替えの途中でっ……」 「こんなことになるだなんて、思ってなかったので……」 「もう、充分濡れてるね……」 彼女の大切な所は、既にとろりとした液で潤んでいた。 「あっ、やっ……」 「み、見ないでくださいっ……」 なんて淫{いん}靡{び}な光景なんだろう。 ずっと眺めていたい。 「お兄ちゃん……見ないで……」 「嫌っ……あっ、はあっ……」 秘部の入り口がヒクヒクと蠢{うごめ}いている。 シロネとは別の独立した生き物みたいだった。 「ますます、恥ずかしくなってしまいました……」 「お兄ちゃんの、馬鹿……」 顔を真っ赤にして羞恥の抗議をするシロネの傍らで、僕のペニスは肥大化していく。 綺麗なピンク色の入り口に当てがうと、物欲しそうにパクリと食いついた。 「はうっ!」 「シロネのここは、僕を欲しがっているみたいだけど……?」 「そ、そんなこと、ありません……」 否定するシロネをよそに、僕はゆっくりと竿を擦りつける。 「ふあっ……あふぅ、あっ、あっ……ん」 「ああ、んっ……くぅ……」 割れ目をなぞるように動かす。 その度に、じわじわと愛液が溢れ出る。 「……欲しがって、なんて……いませ、んっ! あっ、あっ!」 「あんっ、ああっ……そこっ、ぐりぐりしちゃ……やっ、ああっ!」 今度はクリトリスに狙いを定めて、刺激を加える。 小さな突起が、刺激に反応して充血するのが分かる。 「ひゃあっ! んっ、ああっ……はあっ……ふああっ!」 「そこっ、くりくりするなんてっ……!」 「んんっ、あっ、ふあん、こんなにっ、されたらっ……!」 その反応が愛しくて、僕はさらに責め立てる。 触れれば触れる程、突起はさらに自己主張を強めていく。 「ああんっ、そこ、クリトリスは……凄く、敏感なんですっ……あっ、あんっ!」 「ふあんっ、んっ、くうっ……! そこは、とっても大切な……」 「くあんんっ、あくぅっ……はんっ、んあぁっ……!」 「シロネ……?」 僕は目で、窮状を訴えた。 「ふあっ、んんっ……あっ、あああっ……!」 「お兄ちゃん……ちょっと、待って……」 察したシロネが、その先に待ち構える行為を想像して狼{うろ}狽{た}える。 「あの、まだ、わたし……心の準備が――」 「いやあああっ!?」 「んっ……あっ! あああっ、ふあっ……んんっ……!」 シロネの抗弁には耳を貸さず、がっしりと身体を掴む。 そして一気に、当てがったモノで秘部を貫く。 「はぁんんっ、あっ、ふあんっ、んっ、あああっ……!」 「くぅ、あっ……ううっ……!」 猛った分身は、膣内の奥を目指して突き進む。 「あっ! あっ……はあぁっ……ああっ!?」 「お兄ちゃんのが……お兄ちゃんのおちんちんが、わたしの中でっ……」 「お腹の中が、はちきれそうですぅ……!」 「大丈夫か……?」 気遣う気持ちの裏側で、動きの止まらぬ下半身は悦{よろこ}びを追い求めていた。 「あっ、ああっ! ……んんっ、あっ、あっ!」 「お兄ちゃんの、おっきいのが……わたしの中にっ!」 「ずんずんって、入ってきてますぅ……」 張りのある太ももが、痺れたようにぶるぶると震える。 そこを滑るように汗が伝い、流れていく。 「あっ、ふあんっ、んっ、ああんっ……!」 「こ、こんな格好……破{は}廉{れん}恥{ち}ですぅ……!」 確かにあられもない。 シロネの蜜壺が、がっちりと僕を咥え込んでいるのが丸見えだ。 「あんっ、んああっ……やあんっ……ああっ!」 「ぅんっ、くうっ……! おっきい、おっき過ぎます……あっ、はあっ、んっ……!」 「はうんっ、あっ、お兄ちゃん目つき……ねっとりしてて、えっちです……」 「あんまり、見つめないでください……あっ、あっ!」 ぬらぬらと濡れて、こんなにもいやらしい……。 誰でも、自然と目がいってしまうだろう。 「お兄ちゃん、あっ! そんなに、かき混ぜないでっ!」 「ああっ、もう……こんなにグチャグチャにして……」 「わたし……こ、壊れてしまいますっ!」 そう言われると、もっと意地悪したくなるのが人の性{さが}だ。 もっと派手に音を立てるように、ぐるぐると竿でかき回す。 「ひゃんっ、ああんっ! あっ、あっ、はああん!」 「そ、そんなにされたら、わたし、わたし……ふあっ、ああんっ!」 ぬちゃぬちゃと絡みつくような音と共に、愛液が流れ出る。 「ああんっ、ふあっ、くっ、ううんっ……!」 「ふ、深いっ……! おちんちんが、奥まで、来てるっ……!」 今度は、突き上げることに集中する。 頂点を狙って打ち付ける。 「はうっ、ひあっ、ああんっ……あっ、凄いですっ……!」 「お兄ちゃんの、おちんちん……当たって、あっ、あっ」 「そこっ、駄目っ! あんっ、はあんっ……!」 口では拒んでいても、いつの間にかシロネの細い腰も、小刻みに揺れていた。 「シロネ……気持ちいいの?」 浅いところでモノを出入りさせながら、問い掛ける。 「んっ、あっ、あっ、ああっ……うんっ、はあっ……!?」 「ふあっ……ああっ……はあっ、あっ、くうっ……」 シロネは答えない。 だけど、それが答えだと思った。 言葉に応じられない程の快楽に、彼女は襲われている。 「はあんっ、はあっ、あっ、あああっ……!」 「もっと……もっと、奥っ! ああん、あっ……!」 「わたしのおまんこの奥っ、突いてくださいっ!」 シロネの腰が、むずがるように蠢{うごめ}いた。 「ああっ! いいっ、んんっ……!」 「ひゃっ、あん! んんっ……凄いっ!」 「もっと、もっと……突いて! あっ、ふあんっ、んっ、あああっ……!」 シロネの望みに応えるべく、抉り込むようにして、最奥に先端を叩きつける。 「奥に……奥に、当たってますぅ……おちんちんがっ!」 「お兄ちゃんのおちんちん……ふあんっ、ああんっ!」 肉壁に当たって跳ね返される感触が、奇妙な高揚感を生む。 「ゴツゴツって、当たって……っ! くっ、はあっ……あんっ、んあっ!」 「ひゃうっ……! ああんっ、はうっ……あふっ、はあんっ……」 互いの身体がぶつかり合う音が響く。 それに合わせて、シロネの胸がぶるりと大きく揺れる。 「はあんっ、んっ、くっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 先程までのように直接堪能するのもいいけど、下から眺める双丘も迫力があってぐっとくる。 「おちんちん、いいっ! すっごく……おっきいっ、おっきいですっ……!」 「あっ、くぅ……ああっ、あんっ! はあっ、あっ、ああああっ!」 いきり立ったペニスを抽送させ、何度も奥に突き入れる。 そうしているうちに、シロネもより大胆に腰を振るようになっていた。 「こ、こんなに気持ちいいなんて……ふああっ、ああんっ……!」 「わたし、いやらしい……いやらしいですぅ……」 太ももを掴む手に力が入る。 「ひやあっ……ああんっ! んんっ、はああんっ!」 シロネが身体を浮かせると、引き抜かれたモノを突き入れる。 奥に達すると、膣内がぎゅっと収縮する。 「そこっ! 駄目ですぅ……!」 「お腹の中、びくびくって……ああっ……ひゃあん!? 止めてっ!」 「ちょっと、止めて……くださいっ!」 そう言いつつ、シロネは懸命に腰を振り続けている。 自ら進んで快楽を求めていることに、気付いていないようだ。 「もう、脚がっ……震えてっ……んんっ、んあっ……!」 「そこダメなのっ……わたし、中で、感じちゃいますぅ……!」 「た、体勢を……維持出来ませんっ!」 適度に肉がついた太ももが、びくびくと震える。 それと同時に、汗が滴になって流れ落ちていく。 「お兄ちゃん……わたし、いやらしいですか……?」 「あっ、ああっ! いやらしい子は、嫌いですかっ!?」 「あっ、ああんっ、んっ、くあっ、ふああっ!」 応えるように突き上げると、膣内はさらに締め付けて狭{きょう}隘{あい}になる。 竿全体を包み込むように、ぎゅっと締め上げていく。 「はうっ、ああんっ、ああっ、ひあああっ!」 「熱い……熱いですっ……ふあんっ、ああああっ……!」 律動するたびに、結合部から体液が溢れ出し、流れていく。 お互いに求め合う気持ちが、カクテルになって零れる。 「んんっ、はうぁっ、あっ、はあんっ、ああっ……!」 「はぁうんっ、んっ……おちんちん、熱くなって……はあっ、うぅんっ……!」 白く長い髪を振り乱し、甘い声を上げている。 シロネの背中が、綺麗に弧を描き弓なりに反る。 「ふああっ、ああんっ!? 身体がっ……熱いですっ……!」 「何か、奥から……ひゃっ、あああんっ!」 「来てる……来てますぅ……! 出ちゃいますっ……はぁっ、あああっ!」 「シロネっ……!」 お互いにフニッシュの予感が迫っている。 ここまで来ると、理性を保つことなんて出来ない。 「お兄ちゃん、中に出してっ……!」 「わたしの奥で、お兄ちゃんの精液、沢山出してくださいっ……!」 「わ、わたし……も、もうっ……! はうんっ、ああっ、ふああっ!」 彼女の乱れた姿に当てられて、僕は思考を放棄する。 ただ、猛った気持ちを鎮めるために、欲望を解き放った。 「あっ、あっ、来るっ! わたし、もう駄目っ、駄目ですっ……!」 「お、お兄ちゃん! イッて! あ、あううっ!?」 「ひゃあああああああああああっ…………!」 「あっ、あっ、ああああっ……」 シロネの身体が、これまで以上に大きくしなった。 濁流のような精液を、恍惚の表情で受け止めている。 「注がれてますぅ……お兄ちゃんの……熱いっ……」 「あっ、はあっ、ふあっ……」 大量の白濁液が僕の分身から放たれている。 その勢いは収まらない。 「はううっ……まだ、まだ出てますぅ……」 「お兄ちゃん……あっ、ああっ……」 「あっ……はあっ……」 「はあっ……はあっ……」 気が付けば、2人の身体は燃えるように火照っていた。 上気した肌からは、汗が湯気となって立ち昇っている。 「お兄ちゃんと、セックス……」 「わたし……セックス、しちゃいました……」 シロネの目はどこか夢見心地で、僕を見ているようで見ていない。 上ずった声で、呟きを繰り返している。 「はあっ……はあっ……」 「とっても、気持ち良かったですぅ……」 「シロネ……平気?」 ようやく我に返って、気遣う余裕が生まれる。 繋がり合った場所から、居場所を失った精液が滴り落ちている。 「なんだか、苦しそうで……」 「別に、苦しくなんてありませんよ……」 「わたしの身体と心は、ただただ喜びで一杯で……」 「これから、何度だって愛し合える」 「こんなに焦らなくても良かったかもしれないって、思ってさ……」 「僕は、シロネの身体だけじゃなくて、心だって愛したいんだ」 「心を……愛す……とは、どういう意味ですか?」 「まだ、よく分からないけど……」 刹那的な衝動に振り回されないとか……ちゃんと、相手の気持ちを考えるとか……? 「ふふふ……お兄ちゃんに、任せますよ」 「わたしも、お兄ちゃんが求めているものがなんなのか、知りたいです」 「それで……お兄ちゃん……?」 とろんとした瞳で問い掛けられ、ドキリとする。 僕のペニスは、シロネの中で再び勢いを取り戻し、怒張し始めていた。 「お兄ちゃんのこれ……また、おっきくなっていませんか?」 「そうかも……」 あれだけ激しくまぐわったのに、興奮は冷めやる気配が無い。 むしろ、蠱{こ}惑{わく}的な彼女の姿態が脳裏から離れない。 「……もう、お兄ちゃんったら」 シロネが呆れたような声音で僕を呼んだ。 「だって、シロネが……」 「好きな人がこんな格好で目の前に居るんだから、仕方ないだろ?」 「お兄ちゃん……」 そう、僕は1人の健全な男子なんだ。 勃たないほうがおかしい。 「そんなこと、言われると……」 「はうぅっ……わたしは、お兄ちゃんに弱いんです……」 「あっ、ああっ……!」 小柄なシロネの身体を抱き締めて、向かい合う。 モノは挿入したままだったから、シロネの口から喘ぎ声が漏れ出た。 「はうんっ、んんっ、くっ……あっ、ふあんっ!」 僕は腰を突き上げるようにして、シロネの中に侵入する。 「あ、頭まで届くみたいに……凄いっ、んあっ、ああっ……」 「い、いきなり……こんなふうに突くなんてっ……」 予想外の快感に、シロネは身体全体を震わせる。 彼女の悦びが伝わって、僕は嬉しくなる。 「ひゃあんっ……! もう……もう、ガチガチになっています……」 「お兄ちゃんのおちんちん……硬くて、ふあんっ、はあっ、くっ……!」 「ああっ、んんっ……ふっ、くぅん……!」 声を押し殺そうと必死なんだろう。 シロネは僕にすがりつく腕に力を込めた。 「はっ、ああんっ! しび、れて……気持ち、良過ぎますっ!」 「太くて硬いのが、わたしの奥をっ、抉{えぐ}ってっ!」 「ふうっ、ああっ、あうんっ……! あんっ、ああんっ!」 膣内の肉壁が、男根を離すまいとして絡みつく。 それを無理やり引き剥がすようにして、抽送を繰り返す。 「お兄ちゃんの……すっごいですぅ……!」 「沢山突かれて、ああっ、あっ、ふあっ!」 ペニスがシロネの膣中を幾度も往復する。 「わたしの中っ……離したくないって、嫌々してるのが分かりますっ……!」 「おちんちんっ、離れちゃ嫌ってっ……! んっ、んんっ、ああ!」 お尻を鷲掴みにして、シロネの身体をさらに密着させる。 おっぱいが窮屈そうに形を歪ませる。 「はあっ……あっ! ふあっ、ああっ!」 「お兄ちゃん、もっと、もっとしてっ……」 小刻みに漏れる吐息が熱い。 「出たり、入ったり……んっ、はあっ、ふあんっ!」 「はうっ、んあっ、あんっ! どんどん、速くなっていますっ……!」 「ああっ、はあんっ! ああっ……はあっ……あんっ、ふあっ……」 僕の背中に回された腕には、昂ぶるにつれてぎゅうっと力がこめられる。 「お、お兄ちゃんの……抜く時にっ、やぁんっ!」 「引っ掛かって……っ! い、いいっ……あっ、んあっ!」 「くっ、あああっ……いいですぅ……!」 シロネは必死にしがみつきながら、快楽を享受していた。 それが嬉しくて、抽送するスピードを速める。 「またっ、すごっ……速くなってっ、んあっ、ふっ、くあんっ!」 「身体がビリビリって、あっ、またっ……ビリッって、ああっ!」 細い肩を震わせて、シロネは悦びを露わにした。 「す、凄いっ……こんなに、気持ちいいっ!」 「あああっ、ああっ、あっ、あーっ!」 密着した胸の隙間に、汗が流れていく。 「くっ、あっ、ふあんっ、んっ、はあっ……あっ……!」 「はうんっ、んんっ……あっ、はあっ……お兄ちゃんっ!」 ちょっと、ペースが速いかもしれない。 動きを緩めようとすると、不安そうにシロネが覗き込んでくる。 「はあっ……はあっ……お兄……ちゃん……止めないで……」 「続けて……くださいっ……」 心配は杞憂だったようで、行為を再開しようと、僕は1つ深呼吸をする。 それからゆっくりと、下半身を動かした。 「あっ、んんっ、ああっ、んんっ、ふっ……ふああっ、あんっ……」 「んっ、あっ……ふあんっ、んっ、あっ、はあっ……」 喘ぎ声には、苦しさだけでなく快楽に身を委ねた悦びも混じる。 「大丈夫?」 「ああんっ、ふあっ……気持ちいいっ、いいですっ……」 「はあっ、ふうっ……んんっ、あんっ、んんっ」 じっくりと突き入れ、膣奥へ押し当てるようにする。 「ああっ、そこっ、そこっ……! びくびくってなって……」 「感じちゃいますぅ……! ふあんっ、ああっ、はあっ……!」 まろみを帯びた甘い声が、くすぐったい。 シロネのことがますます愛しくなっていくのを感じていた。 「うっ、あふっ……ああっ、擦るのも、好き……はぁん」 今度は、入り口近くの浅いところを刺激するように出し入れをする。 シロネの反応を見ながら、いろいろと試してみた。 「んんっ、はあっ……あっ、ああっ……!」 身を捩{よじ}らせて応えてくれるのが、愛おしい。 「お兄ちゃんの、大きくなってるっ……」 「さっきより、激しくないのに、とっても、とっても……!」 僕自身も驚きながら、行為に没頭する。 先程までのような激しさは無いのに、満足感を伴う快感がある。 「ああっ、お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……!」 「んうっ、あっ、あふっ、んっ、くああっ……」 「お、お兄ちゃんは……どう、ですか……?」 途切れ途切れに、シロネは尋ねた。 「は、恥ずかしいけど……あんっ、ああんっ、聞き、たくて……」 「お兄ちゃんは……気持ち、いいっ……ですかっ?」 大きく息を吐き出して、答える。 「とっても、いいよ……」 「あんっ、あっ、あんっ、くっ、ふあんっ、あっ、あああっ……!」 「良かった、お兄ちゃん……あっ、あうっ、んっ、ふあっ!」 「もっと、もっと、気持ち良くしてあげたいですぅ……」 突き込む角度を変えて、ペニスを往復させる。 「ふあっ、あっ、んんっ……!?」 シロネの膣内から、愛液がドロっと溢れた。 「はあっ、駄目……ああんっ、そこ、駄目ですぅ……あふっ……」 粘つく音を伴って、ぐっとモノを押し込む。 先端で、膣奥を刺激する。 「ひゃうっ……!? あっ、あああっ……!」 「ふうっ、あっ、あうんっ、はあっ、あっ……」 「あっ、来る、来ちゃいますぅっ……! ああっ、あああんっ……!」 シロネの身体がグッと強{こわ}張{ば}る。 膣内はそれ自体が別個の生き物のようにうねり収縮して、僕を求めていた。 「あっ、あっ、あっ、はあっ、やっあぁ、あぁっ!」 「はっ、はあぁっ……! ああんっ、あっ、あああっ……!」 高まる締め付けに、僕のペニスも絶頂を迎えようとしている。 「あんっ、うあっ、ああっ……!?」 「お兄ちゃん、おまんこの中で、びくびくっって! もう、イッちゃいそうですぅっ……!」 「シロネ、一緒に……」 「ああっ、お兄ちゃんっ! わたしも一緒に、一緒にイキたい……!」 「ああっ、あああっ!? イク、あう、あああぅぅぅ!」 シロネの身体が、ガクガクと激しく痙攣した。 「くっ……!」 「ふああ、あああああああぁぁん!」 シロネの膣内に、すべてを解き放った。 「あああっ、あんっ……! お兄ちゃんっ……!」 「お、奥まで、熱いっ……ふあんっ、はあっ……」 びゅびゅーっと音を立てて、精液が注がれていく。 「ふあっ、ああんっ……」 シロネは身体を震わせて、官能に身を委ねているようだった。 「はあっ……ふっ……」 「はあっ……はあっ……」 荒い息をなんとか整えながら、シロネは呟いた。 「お兄ちゃん……」 「うん……」 「とっても、気持ち良かったですね……」 「わたし……わたし……」 感極まった声で、感情を表現しようと試みている。 そんなシロネのことが、愛しくて堪らない。 「あっ……」 ペニスをゆっくりと引き抜くと、シロネの秘所から白濁液が流れ出た。 力が抜けたんだろう。 シロネの身体は、真綿のように柔らかくて温かい。 「こんなに沢山……」 「お兄ちゃんの精液……わたしの中から、出て来ちゃいました」 「ちょっと悲しいです……」 「そんなことない」 「何度だって、したらいいんだから」 「はい……」 「そうでしたね……」 暫くして、互いの息が元に戻った頃―― 僕の上にうつ伏せになるようにして、シロネはこちらを見つめていた。 サラリとした髪が手に触れる。 火照りを残した身体には、冷たく心地いい。 「お兄ちゃん、笑っていますね」 「うん……なんだか、嬉しくて」 「お兄ちゃんが求めていたこと……」 「このセックスで、手に入れられましたか?」 紅い瞳の奥底には、好奇心が宿っている。 「……どうだろう」 「正直、まだ掴んだとは言えないな」 「……そうですか」 結局、成す術もなく最後を迎えてしまった。 まだまだ、欲望や本能といったものに、揺さぶられている感じは否めない。 「手が触れられそうなところまで来ていた気がする分、悔しいよ」 「仕方ないですよね……」 「わたし達、まだまだ未熟ですから」 「そうか……」 「ここで、シロネに励まされるとは思わなかったよ」 「そんなに意外ですか?」 シロネはちょっとだけ不満そうに言った。 「セックスは、紀元前から人間が行ってきた行為です」 「つまりそれは、毎日の挨拶のようなもの」 「“挨拶”って表現が適切かどうかは分からないけど……」 「本当に数えきれないほどの行為を、人類全体は行ってきただろうね」 「でも、挨拶で人を感動させられる人間がほとんどいないのと同じで……」 「それをごく自然にクオリティー高く行える人は、少ないと思います」 シロネは気を取り直すように、微笑んだ。 「わたし達は、まだ始まったばかりなんです……」 「まだ早い……」 「答えを出すのも、悔しがるのも、まだ早いってことか」 「そう、まだ早いです」 「でも、完璧じゃなくても……」 「今日のセックスは、わたしにとって特別でした……」 僕は微笑んで、頷く。 「お兄ちゃん……おやすみなさい」 すうっと息を吸うと、シロネの輪郭がぼやけていった。 目を瞑れば、今でもシロネの温もりがあるように思えた。 それは、寝ぼけた脳が見せる幻想だと分かっていても、柔い肌に手を伸ばす。 「……う、うんん」 肩を揺すられて、瞼を開く。 何度か瞬きしている間に光に慣れ、視界がクリアになった。 「おはようございます」 「……ああ、シロネ」 「起きてください」 「学校に行かないとですよ」 僕を起こしに来てくれたのは、もちろんシロネだ。 顔を覗き込むシロネと目が合ったのは、もう何回目だろう。 愛おしい日常の象徴だ。 「もう、起きるよ」 「シロネも制服に着替えておいでよ」 「分かりました」 シロネは軽い足取りで僕の部屋を出ていった。 リビングでも、朝食がいつも通りの朝を演出していた。 ケチをつけるところは無いんだけど、あまりに平穏で僕はちょっと不安になる。 それでも、トーストからスープまで残さず食べ終わると、身体の中が温かくなった。 「食器洗い、終わりました」 「今日も元気そうですね」 「でも、念のため今日は百南美先生のところに寄るよ」 今日は定期健診の日だった。 海で事故に遭ってからというものの、決められた日に病院に通うように言われている。 「診察して貰っても、薬が出るわけじゃないし……」 「正直、なんの意味があるんだろうって思うけどね」 「日頃から身体の記録を取っておくのは、いいことだと思います」 「ちょっとした不調や、変化が分かりやすくなりますから」 「そういうものかな」 「それに、普段から健康意識を高く持っておくのは、賢い選択です」 「いざという時の治療費のほうが、高くつきますからね……」 「シロネの言うことも一理あるかもな」 「ガンだって早期発見出来れば、日帰り手術で済むみたいだし」 ということを、休みの日のワイドショーで解説していた気がする。 「あっ、うっかり、言うのを忘れていました!」 シロネの瞳がキラキラと輝く。 「お兄ちゃんの健康意識を高めるため、今日はスープにあるものを入れてみたんです」 「“あるもの”って……?」 「それは、お兄ちゃんが嫌いなパクチーです!」 「うっ……!」 「細かく刻んで、肉団子に混ぜてみましたっ!」 「全然気がつかなかったでしょう?」 シロネは胸を張って得意げだ。 逆に、僕は胃のあたりが重くなった気がして、猫背になる。 「どうりで、ちょっとスースーすると思った……」 「でも、特に顔をしかめたりせずに、パクパク食べていましたよね?」 「お兄ちゃんは、成長しています!」 「そんなに感激されても、僕は嬉しくないけどね」 朝から嫌いなものを食べさせられるなんて……。 とんだ1日の始まりだ。 平穏だと思ったのは、気のせいだったか。 「グッドモーニング!」 「ぐっ、グッドモーニング……」 「ハナコ先輩、今日も元気ですねえ……」 テンションの高さについていけないのは僕だけじゃない。 シロネもだいぶ引いている。 「今日は良い子のみなさんに、いいことを教えてあげマース」 「ありがとうございます。是非、教えてください」 「やめといたほうがいいって」 「でも、せっかくですし……日々成長したいなあと」 「パクチーを食べられたお兄ちゃんに、わたし、負けたくありません!」 「シロネ、ナイスな向上心デスね」 言わんこっちゃない。 水を得た魚みたいに、ハナコ先輩は生き生きとしている。 「頑張るはいいことデス。前進をしていない者は、後退していると誰かが言ってマシタ」 「はいっ!」 「今日、あなたの魂は成長するデショウ。そして、新たなステージへ」 「わたし、頑張ります!」 「だから、ここで意欲を見せなくていいんだって」 「この先輩に教えて貰えることなんて、碌{ろく}なことじゃない」 「関わると、面倒なんだからさ……」 あえて、ハナコ先輩に聞こえるように言う。 はっきり言わないと、この人には伝わらないだろうから。 「遠慮しなくていいデース」 「慎み深さは日本人の美徳デスが、ワタシ達はソウルメイト」 「“ソウルメイト”は知ってマスか、シュン?」 「魂で結ばれた者同士のこと……でしたよね?」 なんで知っているのか分からないけど、聞いたことがある。 強烈に惹かれ合って、筆舌しがたいくらいドラマチックな愛と感動を与え合えるとか、なんとか……。 互いの魂を成長させる存在とか、なんとか……。 とにかく、中二病患者が好きそうなネタだ。 「イエス! ワタシとシュンは、この世に生まれる前から出会っていマス」 「肉体を越えた深い繋がりを持っている、運命の人なのデース」 「えっ! えええっ!」 シロネが慌てふためく。 「お兄ちゃんとハナコ先輩って……そんな仲だったんですか!?」 「そんなわけないだろ」 「だから、聞くだけ無駄だって言ったじゃないか」 「でも、ハナコ先輩はソウルメイトだって……」 シロネは目をぱちくりさせながら、僕を見た。 すっかり真に受けてしまっている。 「シュンはワタシの言ってること、信じていマセン。違いマスか?」 「どう考えても信じてませんよね? わざわざ聞く必要ありますか?」 ハナコ先輩と出会った時、僕の胸中は得も言われぬ喜びで一杯になった。 その感情は、次第に涙として溢れ出ていった。 僕はどうして泣いているんだろう。 理由は分からないけれど、胸が熱い―― とかいう場面は存在していなかったはずだけど、僕の思い違いかな? 「オー! シュンのアホ」 「トンマ、オタンコナス!」 ハナコ先輩のむすっとむくれた顔はなんだか幼くて愛嬌がある。 「そんなにワタシのことが嫌いデスか」 「別に、嫌いではないですけど……」 本人は年長者ぶりたいんだろうけど……。 実はこういう子供っぽいところのほうが、魅力的なんじゃないか。 もちろん、面倒だから声に出さないけど。 「もう、シュンには何も教えてあげマセン。いいデスね!?」 「はいはい。大丈夫ですよ」 「では、シロネだけにイイコト教えてあげマス」 「待ってました!」 「わくわく! わくわく!」 「ワタシの秘めたる技。朝から、カミングトゥーオルガ――」 「それも間に合ってます」 学校の帰り道、僕とシロネは商店街に寄った。 夕飯の買い出しついでに、ぶらぶら歩くことにしたんだ。 「あっ、七波くん」 「さっきぶりだね」 「うん。さっきぶり」 綾花とは、教室を出る時に挨拶を交わしたばかりだった。 こういう時、この島の小ささを実感する。 僕達には、寄り道出来る場所が限られているから。 「シロネちゃんとお買い物かな?」 「そうなんです。夕飯は中華料理にしようと思って」 「中華か……」 「私、棒{バン}棒{バン}鶏{ジー}とかなら好きなんだけど」 「細切りの鶏肉と、キュウリのやつですね」 「それで、タレは甘めで、たっぷり掛かっていると嬉しいな」 「分かりました! それで作ってみますね」 「わーい、やった!」 「なんで、綾花が喜んでるんだろう……」 僕のぼやきに、綾花がはっとなる。 「ご、ごめんね」 「なんだか、ご馳走になることを前提に話を進めてたよ」 「シロネが拒まないから、するする話が進んじゃうんだよね」 「そうなんだよねえ」 「シロネちゃんって、なんでも受け入れてくれるから、ストレスが無さ過ぎて」 綾花は恥ずかしそうに笑った。 「別にタカってたつもりはないんだけどな……」 「そうだ!」 「日比野先輩にあげます」 「えっ、何?」 「ゴリゴリくんの白桃味です」 「あっ、これ……入荷待ちになってた味だね」 「流石はゴリゴリくんマニア」 しっかりチェックが入っている。 「でも、本当にタカってたつもりはないんだよ?」 「シロネちゃんってば、真に受け過ぎだよ……」 「わたしは日比野先輩が強欲でないことを知っています」 「むしろ、謙虚で優しい人だと思います」 「褒められてる……」 「今度は別の意味で恥ずかしいなあ」 綾花の頬がぽっと赤くなる。 「背中がむず痒くなってきたかもしれない」 「でも、シロネの言っているのは、本当のことだから」 「僕だって、そう思うよ」 「七波くんも、しれっと追い打ちを掛けないでよーっ」 「あーっ! 慣れないことを言われたせいで、蕁麻疹が出たらどうしよう」 「もし、病院に行くようなことになったら、領収書を持ってきてくれ」 僕と綾花がなんやかんやと騒いでいる隣で、シロネは静かに呟いた。 「ゴリゴリくんは美味しく食べられるために、この世に生まれてきたんです」 「そうですよね?」 「……出来ればそれが望ましいことは、分かってるけど」 シロネの言いたいことを察して、打ち明ける。 「でも、僕はシロネに雰囲気だけでも味わって貰いたかったんだ」 「……これって、七波くんがシロネちゃんに買ってあげたものなの?」 「はい。暑い日の放課後は、ゴリゴリくんがぴったりだからって」 「だけど、やっぱりわたしは食べられないし……」 「日比野先輩が貰ってくれたら、ゴリゴリくんも嬉しいかなって思いまして」 「ええっ……!?」 「お兄ちゃんも、いいですよね?」 シロネにあげたものなんだから、それをどうするかは彼女の自由だ。 「シロネが、そうしたいなら……」 「ちょっと待って!」 綾花の声が、唐突に割って入る。 「はい……? 何か、ありましたか?」 「恋人繋ぎしてる……」 「は、はい」 そういえば、並んで歩いているうちに、無意識に手を握っていた。 「もしかして、七波くんとシロネちゃんって……」 風に乗って、遠くで呼び込みをしている声が聞こえる。 僕と綾花は見つめ合ったまま、黙っていた。 それからしばらくして―― 「嬉しい申し出だけど、そのゴリゴリくんはとっておいたらいいよ」 「溶けちゃっても、外の袋だけになっても、七波くんの気持ちは残ってる」 「そう、思い出になるんだよ」 綾花は頬を緩ませて言った。 「……そういうものでしょうか?」 「思い出って大切だよ」 「それって、欲しいと思っても、なかなか手に入らないものだから」 「シロネちゃんなりに、ゴリゴリくんを……」 「七波くんの気持ちを大切にしたらいいんだよ」 「……分かりました」 「日比野先輩、“思い出”を教えてくれてありがとう」 「えへへ。どういたしまして」 綾花は僕に向き直って口を開く。 「七波くん、記憶を失くしてからもいろいろあったみたいだけど……」 「今は元気そうで良かった。でも、ちょっと驚いたな」 「でも、うん……本当に良かった」 「……うん」 それから、綾花とは手を振って別れた。 西日が差して、シロネの髪に綺麗な朱が入っている。 それを僕は、ぼんやりと見惚れていた。 「やっぱり、分かっていましたけど……普通、驚きますよね」 「人間とアンドロイドのカップルなんて」 悲しそうでもなく、批難するでもなく、シロネはただ淡々と呟いた。 僕も、綾花に悪気があっただなんて思っていない。 むしろ、優しい……彼女らしい気遣いが、胸に沁みたくらいだ。 結局、鶏肉もキュウリも買わずに、僕達は病院へ向かった。 なんだか、何も買う気がしなくて、夕食は家にあるもので作ればいいとシロネに言ったんだ。 「あれー? シロネちゃんは一緒じゃないのかな?」 「子供じゃないんですから。シロネは待合室で待ってますよ」 「えーっ! 今日は前回の検査の結果を告げる、大事な日なのにね」 「家族が一緒じゃないと、七波くんおしっこ漏らしちゃうぞ☆」 「……いいから、結果を教えてくださいよ」 「どうせ、どこも異常がなかったんでしょう?」 「……ああ、そういうこと言っちゃうんだ?」 明らかに不機嫌な声だった。 「医者でもないのに、分かった気になってるんだ?」 「毎日暇で暇で仕方がないからって、テレビの健康番組ばかり見てるおっちゃんみたいにさ」 「僕、地雷踏んじゃいました?」 僕の問い掛けに答えること無く、先生の言葉遣いはどんどんと荒くなっていく。 「ったくよー。まいっちまうよなーっ」 「何がセカンドオピニオンだよ」 「医療ミスだよ」 「そんな言葉を馬鹿に与えるから、医者のストレスが増えていくんだよなー」 「ああ、闇だ」 医療界の闇が噴出し、医療への信頼が音を立てて崩れていく……。 「第一、医者も患者も人間なんだよ?」 「自分に出来ないことを相手にして貰うんだから、そこは信頼してくんないとさー」 「先生、僕が患者を代表して謝りますから、ここは一つ……」 オーバーリアクション気味に、拝んでみる。 見た目が幼女な先生の毒づく姿なんて、誰も望んでいない。 出来れば、穢れ無き笑顔を浮かべて周りを癒やして頂きたい。 「そう?」 「七波くんがそう言うなら、先生もこの辺にしておこうかな。うんっ!」 思う存分、毒を吐き出した後だからなんだろう。 先程までと打って変わって、にっこりと満面の笑顔が逆に不気味だ。 「えっとねえ……七波くんの検査結果なんだけど」 「全体的に良好でした。つまんないね」 「先生は非常に残念でした」 「つまんなくて結構ですよ」 「でも、先生的にちょっと気になるところがあってだねー」 「それはまだ調べてるところだから、もし手術が必要になったら教えてあげるね」 「えっ……そんなにヤバいんですか?」 まさか、こんな展開になるとは思ってなかった。 本当に、シロネにも一緒に来て貰うべきだったかもしれない。 「だーかーらぁー」 「ヤバいかヤバくないかは、まだ分かんないの」 「おしっこ漏らしながら、待ってなさい」 「だから、おしっこの話はもういいでしょう」 「七波くん、おしっこのこと舐めてるでしょう?」 「それって、リアルに舌で舐めてるって話じゃないですよね?」 このあと、1時間くらい“おしっこ”が身体の外に出るまでの物語を、ダイナミックに語られた。 それはとても為になる話だったけど、“おしっこ”というワードを連呼するものだから、僕のほうが恥ずかしくなってしまった。 「僕は、おしっこのファンになったよ……」 家に帰って来るなり、虚ろな目で呟いた。 「……さっきから、“おしっこ”のことばっかり話していますね」 「そんなに尿意が凄いのですか?」 「この世界には、いろいろなことを教えてくれる人生の先輩が沢山いるね」 「そうですね……」 「なんでもない1日だと思っていたのに、今日もいろいろなことを知りました」 「これも、みなさんのお陰ですね」 満足げなその笑顔を見たら、僕もそう悪くない1日だったなと思えた。 夕食を済ませて、リビングでくつろいでいると―― 構って欲しい気持ちが頭をもたげた。 でも、シロネは難しそうな顔をして、本を読んでいる。 「何を読んでるの? 楽しい?」 「えっと……」 シロネはページをめくる手を止めて答える。 それは南米の文学者が記した長編小説で、ある一族の繁栄と滅亡を描くというストーリーだった。 「人間が何者なのか知りたくて、読んでいたのです」 「もう8回も読み返しているのですが、とても難解で分からないことが多いです」 「8回も!?」 「結構、分厚い本なので、時間が掛かりました」 「でも、シロネには速読機能とかあるんじゃないの?」 「それか、データとして読み込んでしまうとかも、出来るんじゃ……」 「それじゃ、意味が無いじゃないですか」 シロネは困ったようにはにかんだ。 「わたしは、人間と同じように本を読みたいんです」 「さまざまなことを考えながら文字を追うのが、素敵なんじゃないですか」 「そういうものかな……?」 「僕なんかは、一瞬で本が読めるなら、沢山の知識が得られていいと思うけど」 「簡単に手に入れた知識に、価値は無いんじゃないでしょうか?」 「お兄ちゃんも、“一生を懸けて考えるべき問題もある”って言ってたでしょう?」 「……なるほど」 少し前の僕も、いいことを言ったもんだな。 「でも、この小説はとっても難しいです……」 「シロネがそんな顔をするんだから、相当難解なんだろうね」 「同じ名前の人間が何度も登場するんです」 「だけど、前に現れた時とは、明らかに時間軸が異なるんです」 「……どういうこと?」 「“ホセ・アルカディオ”という男の人が、何世代にも渡って登場するんです」 「これはもしかしたら、生まれ変わったということなのでしょうか?」 「それとも、タイムワープ?」 シロネが悩ましげに呻{うめ}く。 僕も、実際に読んでみないと要領を得ない気がして……。 「ちょっと貸してみてよ」 そう言って、本を譲り受けたはいいけれど……。 軽い気持ちでページをめくったことに、後悔した。 緻密過ぎる描写に、“うっ”と観念した声を上げてしまう。 「なんだか、凄い小説だな……」 「ですよね……?」 2人目の“ホセ・アルカディオ”まで辿り着ける気がしない。 「お兄ちゃんが眉間に皺を作っているのを見て、安心しました」 「やっぱり、読み辛いのはみんな一緒ですよね」 「うん。ちょっと、強烈だった……」 読み進めることを断念して、シロネに分厚い本を返す。 苦笑いを浮かべて受け取ると、シロネの目は再び活字を追い掛けた。 しばらく、その真剣な面持ちを眺めていたけれど―― ふと、自分のことも構ってくれとせがんでみたくなった。 「あのさ……」 「はい」 「僕のことも、構って欲しいんだけど……」 いざ口にしてみると、かなり気恥ずかしい。 耳の裏側が燃えるように熱くなる。 シロネの顔をまともに見ていられない。 「えっと――」 「や、やっぱり大丈夫……」 「僕のことは気にしないで、ゆっくり読んでいて……」 急に自分自身がいたたまれなくなって、両手で顔を覆う。 こんな台詞は、可愛い女の子だけに許されているんだ。 「わっ……!」 身悶えしていると、突然引き寄せられる。 蓋{ふた}をしていた手を取ると、シロネが微笑んでいた。 「構うって、こんな感じ……ですか?」 シロネの膝の上で、僕は瞬きをする。 「う、うん……こんな感じだ」 正直、頼んでみるものだなと思った。 触れている肌はほんのりと温かくて、油断をしていると寝てしまいそうだった。 「他にもして欲しいことがあったら、言ってくださいね」 「慎み深いのはこの国の人の美徳ですが、わたし達はソウルメイトなんですから」 「それって……」 「ハナコ先輩の受け売りです」 先輩には悪いけど、口にする人が違うだけでこんなにも嬉しいとは! じわじわと感動が身体を覆い尽くしていく。 「ソウルメイトかどうかは分からないけど、お兄ちゃんとはこれからも、いろいろなことを教え合えたらいいなって思います」 「今日もお疲れ様でした」 シロネの温もりに包まれながら目を瞑ると、すぐにまどろんでしまった。 ああ、幸せってこういうことなんだな。 休日だったこの日―― 僕とシロネは散歩のついでに、なんとなく森へと向かった。 白音の遺骨が散らばり、眠っている森の近くに。 「お仏壇……」 「うん?」 その帰り道に、シロネは何気なく尋ねてきた。 「確か、お兄ちゃんの家には仏壇は無かったですよね?」 「そうだね。正直、仏壇ってもう必須のものじゃない気がするし」 「そういうものなのですね……」 「母さんがどう思ってそうしたのかは、聞いたことが無いけど……」 「たぶん、白音が遠いところに行っちゃう気がして、嫌だったんじゃないかな」 「……いろいろな考え方がありますよね」 「でも、白音さんのことを思って、お花を供えたりとかしないんですか?」 僕は額に入った白音の写真のことを思い出す。 「そういう時は、白音の写真の前にお花を飾っていたかな」 「そうだったんですね」 「ずっと供えてある花は、プリザーブドフラワーにしてあるから枯れないんだけど」 「プリザーブドフラワー……」 「特殊な液に花を漬けて、水分を抜くという加工を施したものですね」 「母さんは季節の花も届けたいからって、生花もときどき花瓶に生けていたなあ……」 「……お母さんらしいですね」 「思えば、家の中は花がいっぱいだったな」 「わたしも、生きているお花には、良いところが沢山あると思います」 シロネは喜色をあらわにした。 両の頬がほのかに染まる。 「咲いたり、しぼんだり、枯れたり……」 「そういう変化を見届けるのも、楽しいです」 「悲しいとか、残念とか思う時もあるけどね」 「でも、いいなって思う時もある」 「それは、わたしも同じです」 「儚い命はときどき、胸が苦しくなるくらい寂しい……」 「だけど、胸が一杯になるくらいの喜びを、感じることもあります」 シロネの目は僕を向いているはずなのに、遥か遠くを見ているみたいだった。 珊{さん}瑚{ご}のように薄紅色の瞳が揺れている。 「わたし、また新しい花を育てようかなと考えています」 「どんな花にするのか、まだ決めていないんですけどね」 「お花屋さんで、一番最初に目にとまった苗でもいいかもしれません」 シロネは喜色満面に意気込む。 「なんの花でも精一杯、綺麗に咲けるように世話をしてみます」 「花の命にも限りはありますが、美しく咲くことに意味はある気がするんです」 「わたしは、それについても考えてみたいと思うんです」 生き物は必ず死ぬ。 死ぬからこそ、生きようとするし、努力をする。 そんな当たり前のことが、とても尊い。 僕はシロネを愛する気持ちを永遠に残したくて、トリノに救いを求めた。 だけど、機械になった後の僕はどうなるんだろう。 僕は、幸せに暮らす自分の分身とシロネを、ガラス越しに眺めるんだろうか。 そうして、僕だけがあっという間に老いていって、独りで死ぬのかな? 「……お兄ちゃん?」 「……うん」 「何を考えていたんですか?」 「なんだか、顔色が悪いですよ」 シロネが心配そうに僕を眺めていた。 「……不安にさせてごめん、ちょっと難しいことを考えてた」 「難しいことって、なんですか?」 「えっと……」 僕は薄っぺらい笑いを浮かべて、その場を取り繕った。 「大丈夫だから」 「……わたしには、話せないことですか?」 「そういうわけじゃないんだけど……」 「うーん」 腕を組んで唸る。 「……お兄ちゃんが話したい時に、話してくれたらいいです」 「だから、そんなに難しそうな顔をしないでください」 「シロネ……」 「さあ、わたし達の家に帰りましょう」 その場は誤魔化したものの、この不安な気持ちを誰かと共有したい。 シロネに分かって欲しいという欲求が、今度は首をもたげてきてしまった。 僕は思い切って、考えをぶつけてみることにした。 「きっと、死ぬことを本当の意味で怖れているのは、人間だけなんだろうな……」 「お兄ちゃんの言う通りだと思います」 「人間には、未来を思い描く想像力がありますから」 シロネは戸惑いもせず、唐突に始まった僕の話に合わせた。 「草木や動物は、今を生きるのに一生懸命なだけで、その今を積み重ねることだけに集中しているんだろうな……」 「それが羨ましいと思うこともありますよね」 「それは当然の感情です」 「ああ、明日が来なければいいなって思う夜だってあるよ」 きっと、幼い僕にだってそんな夜があったはずだ。 白音が居なくなってしまった時。 母さんが泣いている時。 父さんが単身海外に行くと決めた時……。 眩{まばゆ}い夜明けは、新しい悲しみを連れてやって来たに違いない。 「ときどき、ややこしい話をしていますね、わたし達」 「生きるとか、死ぬとか、愛とか幸福とか……」 「でも、そういう自分の人生についての奥深いこと――」 「重過ぎることをちゃんと真面目に考えられるのは、シロネのお陰だと思う」 「わ、わたしは何もしていませんけど……」 シロネは言葉の上では否定しているけど、表情はまんざらでもないという感じだった。 「シロネは僕の力になってくれてるよ」 「その純粋さでさ」 「純粋さ……?」 「心が綺麗だってことだよ」 「“心が綺麗”、ですか……」 得心のいかないような顔で復唱した。 「十分には、理解していませんが……」 「お兄ちゃんの力になれたのなら、とっても嬉しいです」 「さっきだって、普通の人間同士なら、茶化さないと変なヤツだなって思われるような話をしてた」 「でも、シロネは笑ったりしない。馬鹿にしたりもしない」 「僕はシロネの中にある、純粋な気持ちを尊敬しているんだ」 「人間はときどき大変ですね」 シロネは、僕を慰めるように微笑んだ。 「真面目なことを真面目に語るのも、許されないなんて」 「相手との信頼関係も大切なんだろうな」 「“この人に話しても無駄だ”とか“受け止めてくれないだろうな”とか思ってしまうと、本当のことは話せなくなる」 「おおっ?」 「では、お兄ちゃんはわたしのことを信頼してくれているのですね!」 キラキラと輝く目が、嬉しくて堪らないと訴える。 「そんな飛び上がりそうなくらい喜ばれるとは、思ってなかったな」 「今夜は焼き肉パーティーです!」 「参加者はお兄ちゃんとわたしですっ!」 「随分とこぢんまりしたパーティーだね……」 でも、十分だ。 ハラミと、シロネが居たらいい。 そこは同列にしていいのかとも思うけど……。 どちらも、大好物ということで。 「……」 夕食後。 シロネと話して、不安な気持ちは取り払われたと感じていたのに。 「頭が、重い……」 ただ頭が痛いのとは違う、頭の中に存在するであろう記憶や意識のようなものが、消えていくような感覚。 もしかしたら、スキャンの影響なのかもしれない。 でも、一日中頭痛に支配されるわけでもないし、日中眠たくなるのも、今日に始まったことではない。 「本当に、この道を選んで良かったのか……」 迷いは消えない。 だが、どの選択をしても、その先で迷うことはあるものだと思う。 明日―― 沙羅に会ってみよう。 そうすれば、心の中にあるもやもやした気持ちの正体が、分かるかもしれないから。 学校に向かう前―― 朝早くから、沙羅の元に向かった。 僕は自分をトリノにすることに対して、怖れを感じ始めている。 沙羅だったら、どんなアドバイスをしてくれるんだろう。 そんな期待が、胸の中にあった。 「こんな時間にやって来るなんて珍しい」 「一緒に仲良く登校しようってこと?」 沙羅は口元に冷ややかな笑みをたたえた。 「沙羅に聞きたいことがあって、来たんだ」 「だったら、事前に連絡の一つでも欲しかった」 「女の子の朝の時間は、命よりも、お金よりも重いの」 鋭利なナイフのように、話し方に棘がある。 「そこまで貴重な時間だったとは思わなかったよ」 「ごめん。また後で連絡するよ」 「わざわざここまで来たのに帰るの?」 踵{きびす}を返した僕を、沙羅は呼び止める。 「さっきのは冗談よ」 「全然、冗談に聞こえなかったけど……」 「こんな早朝に、私と接触しようと試みた……」 「つまり、そこそこ大切な話をしに来たんでしょ?」 「“そこそこ”は要らないって」 “大切な話”だ。 「いいから話して」 「内容によっては、ルートビアを奢って貰う」 「育ちの良いお嬢様でも、奢って貰いたいという欲求はあるんだね」 変なところに感心していると、沙羅が駄馬を見るような目を僕に向けた。 「言ったでしょ」 「“お金は命よりも重い”って」 「いや、それは言ってない」 「……そうだった?」 沙羅は軽く咳払いをした。 「ところで、舜の話したいことって何……?」 沙羅ははっとして、言葉を区切る。 「ああ、えっと……」 沙羅とのシビアなやりとりの後に口を開くのはちょっと億劫だ。 「沙羅は、自分をトリノ化しないのかなと思ってさ」 「自分をトリノ化するって?」 「そんなこと、どうして私が希望すると考えたの?」 あからさまに失望したような視線が痛い。 僕は言い訳がましいと分かりながらも、もごもごと言葉を続けた。 「いや、決めつけているわけじゃなくてさ……」 「可能性の一つとして、考えたことはないのかなと……」 「自分が実験体の一つになれば、客観性が薄れてしまう」 「理想的な観察者でいられなくなるわ」 「それは研究者として、あまりにもナンセンスね」 「まあ、その通りだよね……」 自分の分身に自己投影してしまったり、感情移入するあまり実験続行を躊{ちゅう}躇{ちょ}したり……。 そういった感情の揺らぎは、研究者としての健全性を犯しかねないと思う。 「もし、人間としての一生のうちに、研究を完成出来なかった時」 「その時には、トリノである自分に、研究を引き継ぐかもしれない」 「それは、あくまでも非理想的な最終手段としてね」 「沙羅の気持ちは良く分かったよ」 「ただし――」 そこで一度口を閉じると、僕を試すように微笑んだ。 「永遠に生きることに関しては、とても興味があるの」 「だけど、永遠の命ってどうなんだろうって思う」 「どうって、何が?」 一体何が、沙羅の心に引っ掛かっているんだろう。 「永遠に生きることと、永遠に眠り続けることは、ほとんど変わらない気がする」 「喜びも、悲しみも無いなら、全てが忌むべき日常なんじゃないかなって」 「だったら人は、なんのために今を続けていけばいい?」 「結局、今と永遠とが、等価値になってしまうんじゃない?」 「一瞬も永遠も同じ、か……」 「そういうこと」 「一瞬も永遠も同じ」 その哲学的な問いは、僕に投げ掛けているだけじゃないんだろう。 沙羅もまた思考を重ねながら、自身に問うている。 そんな気がした。 「舜は、躊躇しているのね」 ふいに名前を呼ばれて、びくつく。 「自分をトリノにすることが怖いんでしょう……?」 「そう。僕は、まだ迷っている」 躊{ため}躇{ら}い迷って足踏みし続ける僕の足元は次第に踏み固められて、もうシャベルが突き刺さりそうにない。 「でも、それって凄く当たり前のこと」 沙羅の眼差しは、母さんのそれのように柔らかく温かい。 「怖くないほうが、おかしいから」 「……さっきの沙羅の話を聞いていて、もっと怖くなった」 永遠に生きるということの代償について、僕は考えた。 「トリノである僕は、シロネと一緒に居たいなんて思うだろうかって、不安なんだ」 「永遠の命を持った者同士なのに……?」 「舜は、シロネと同じ土俵に上がることに、喜びを見出していたんじゃなかった?」 「そうだったんだけど……」 「……舜」 沙羅は渋面で、僕の名を呼んだ。 すぐに僕の思考を察したんだろう。 「永遠に生きられるなら、今この場所で一緒に生きる意味を見い出せなくなるかもしれない」 「だって、明日も出来ることなら、今日必死になる必要なんてない」 「そういうこと……でしょ」 僕は、黙ったまま深く頷いた。 「僕達人間には想像力がある」 「明日を予測する力があるんだ」 「だけど、その明日が無限に続いているのよね」 「明日も、明後日も、そのまた向こうも、途切れることなく」 それは楽園のようでありながら、荒野だ。 「だったら、言葉にはしたくないけど……」 「おそらく、舜が考えている通りの結末になるはず」 「不確定要素ばかりだけど、2人が互いに執着しなくなるという流れが、自然ななりゆきのように思えるわ」 沙羅の声に、いつもの覇気はなかった。 「沙羅が言うならっていうのもあるけど……」 「僕も、そう思うよ」 僕は憂鬱な気持ちを抱えたまま、沙羅の元から立ち去った。 これから、学校に行かなければいけない。 それが今は有難い。 何かしら縛り付けるものが無ければ、僕はふらふらと当て所{ど}もなく彷徨い歩いてしまいそうだったから。 授業が終わっても、重たい気持ちは変わらない。 むしろ、退屈しのぎにあれこれ考え込んでしまったから、朝よりも滅入っている。 クラスメイト達は部活に行ってしまったか、家路についたか……。 僕1人だけが、動き出せないまま居残っていた。 「お兄ちゃん、遅いからここまで迎えに来てしまいました」 ニコニコと笑顔のシロネが教室に顔を出す。 「今夜はハンバーグとミートボール、どちらがいいですか?」 「あっ……」 シロネは僕の顔を見るなり、口を閉じた。 固まるくらい、今の僕は酷い顔をしているらしい。 「どうかしましたか?」 「何か、嫌なことでもありましたか?」 「……なんでもない」 悪いとは分かっているけど、今はシロネの健気さが鬱{うっ}陶{とう}しい。 僕はなるべく、シロネを傷つけないように距離を取ろうとした。 「今日は別々に帰ろうか」 「えっ……?」 「どうしてですか? わたし、また何かドジをしましたか?」 シロネは戸惑いながらも、ぎこちなく微笑んだ。 「そんなこと言わないで、一緒に帰りましょうよ……」 「こんな顔をしているお兄ちゃんのこと、放っておけません」 「1人になりたい時もあるんだ」 「でも――」 なおも食い下がるシロネに、舌打ちしそうになる。 「それに、僕は今とっても不安で、苛立っていて……」 「君と一緒に居たら、何をするか分からない」 「……お兄ちゃん」 シロネの視線は躊{ため}躇{ら}いがちに宙を彷{さ}徨{まよ}った。 「だったら、わたしは大丈夫です」 「お兄ちゃんになら、滅茶苦茶にされても……」 ゆっくりと、僕に近づく。 西日に染まった髪が、幻想的に煌{きら}めく。 「いいんですから」 自分を覆い尽くしていた憂鬱な気分はどこへ行ってしまったんだろう。 今はただ心臓が高鳴る。 高揚感が血流に乗って、全身を駆け巡っていく。 「ううん」 「滅茶苦茶にされる前に、わたしがお兄ちゃんに……」 「凄いことをしてあげます」 「す、凄いことって……?」 「それは……」 シロネの微笑みまで、今は婀{あ}娜{だ}めいて見える。 僕って、本当に単純だ。 「教えて欲しいですか?」 「うん。知りたい」 シロネの魅力的な申し出に抗えない。 いや、抵抗する気なんて起こるはずもないんだ。 「ふふふ……」 「1時間後のお兄ちゃんに聞けば、分かりますよ」 「お兄ちゃん……」 シロネは机の上に座って、大胆に両脚を広げている。 スカートの中はもとより露わになっていて、黒いストッキング越しに下着が透けて見えている。 「どうですか……?」 なんて答えたら正解なんだろう。 考えている間に、シロネがとんでもないことを言い出す。 「お兄ちゃんのおちんちんは、ちゃんと反応していますか?」 “おちんちん”という直截的な単語に反応して、身じろぐ。 「わたしの大切なところを、学校の教室という公共の場で見せつけている……」 「きっと、性的な興奮を覚えてくれるだろうと、思い切ってみました」 僕の分身は、確実に反応して首をもたげている。 「興奮しないほうがおかしいと思う……」 「良かった……」 シロネは安心したようにため息を吐いた。 「結果を確かめたなら、早く帰ろう」 「もう、帰るんですか?」 「さっきは、意地悪なことを言って悪かったよ」 「シロネは僕のことを心配してくれたのに、邪険にしてしまって……」 「そんな……」 「わたし、気にしていませんから大丈夫です」 「じゃあ、まずは脚を閉じよう」 「どうしてですか……?」 「せっかく、可愛いパンツを履いてきたのに……」 そんな露骨にしょげられると、まるで僕が悪者みたいだ。 「お兄ちゃんも、気に入ってくれると思ったんです……」 「こんなところ、他の人に見られたら困るよ」 「なるほど……」 「わたしは、お兄ちゃんの羞恥心をあまり考慮していませんでしたね」 「恥ずかしさの加減って、難しいものです……」 「分かってくれたなら、いいんだ」 ほっと胸を撫で下ろす。 「お兄ちゃんは今、部外者との接触を避けたいと思っている」 「そうですよね?」 「うん」 「では、なるべく短時間で済むようにします」 「え……?」 「じゃあ、早速気持ち良くしてあげますね」 「くっ……」 勃起した剥き出しのペニスを両足で挟み込んで、刺激を加える。 「本当は、もうちょっとまったり余韻に浸っていたかったんですが……」 「お兄ちゃんのおちんちん、もうこんなに元気いっぱいだったんですね」 足の指先で強弱をつけるようにして、竿を擦{さす}る。 いつの間に、シロネはこんなテクニックを身につけたんだろう……? 「ちゃんと言ってくれたら、もっと早くこうしていたのに……」 「“ホウレンソウ”は円滑なコミュニケーションの基本ですよ?」 ストッキングという、テクスチャ―の違いが鍵なんだろう。 胸を使って擦られた時とは、少し異なる感覚だった。 「こうやって、指も動かして……」 少し拙い動きで小刻みにしごかれると、呻{うめ}き声を上げそうになる。 白くて小さな指先が、優しく竿を握っていた。 「ん……お兄ちゃん、見てください……」 「ちょっとなでなでしただけで、どんどん、逞{たくま}しくなっていきます……」 足の裏でぎゅっと圧迫されると、竿全体が脈打っているような錯覚に陥る。 それくらい、僕は興奮していたし、実際にモノも猛っていた。 「繊細な刺激と、安定性の両立……」 「足で、お兄ちゃんを労わるのはなかなか……難しいですね」 右足を操る時は、左足でペニスを支えるようにする。 シロネは短時間のうちにコツを掴んでいるようだった。 その証拠に、どんどんと快楽の度合いが高まっている。 「あ……おちんちん、ビクビクってして……」 「よく観察してみると、なんだか可愛く思えてきますね」 シロネにやり込められているけど、今なら終わりに出来る。 こんなふうになすがまま、性行為に及びたくない。 そう、僕の理性が主張している。 「お兄ちゃん……考えごと、しているんですか……?」 「……ちゃんと……ん、ん……わたしの声が届いていますか?」 亀頭を刺激されると、返事もままならないくらいだ。 「駄目ですよ……」 シロネの声には、険のある響きが含まれている。 「わたしと、おちんちんのことに、集中してください」 「わたしは、お兄ちゃんのことを、とっても気持ち良くしてあげたいだけです」 「それを成功させるためには、お兄ちゃんの協力が、不可欠なんですから……」 「シロネ、僕は――」 「むーっ」 「お兄ちゃん、お口にチャックですよ?」 そう言って、シロネは僕の手を掴み、おもむろに自身の局部に導いた。 「えいっ……!」 黒いストッキングが破かれ、下着が丸見えになった。 「出来れば、お兄ちゃんに破いて欲しかったんですが……」 「まあ、いいでしょう」 「これで、悩殺間違いなしです!」 シロネは自信に満ちた声で宣言した。 「ストッキング破きは、男の子のロマン!」 「ですよね?」 その行為が事実だったとしても、目の前に広がる光景に趣はない。 微妙な気持ちになって、複雑な表情を浮かべる僕の顔を見て、シロネはハッとする。 「駄目でしたか……?」 「“これが好きなんでしょ?”って聞かれると、わざとらしくてちょっと否定したくなるよ」 「そういうムードになって、自然と破いてしまうっていうシチュエーションがいいんだと思う」 「……なるほど」 経験不足な割には、的確なことを言えたと思う。 「少なくとも、ストッキングは“どうぞ、破いてください”と言われて触れるものじゃない」 「ましてや、彼女に破いて貰うものでもない」 「お兄ちゃん……」 「それが、男の子のロマンなんですね……」 シロネが真面目過ぎるから、つい熱くなってしまった。 「勉強になります」 「お兄ちゃん、ありがとうございますっ!」 シロネは興奮に顔を上気させながら真面目な応対で、お礼を述べた。 「じゃあ――」 「とってもとっても恥ずかしいですが……」 「こちらは、どうですか……?」 自ら下着をずらし、割れ目を露わにした。 僕の視線を感じたように、ひくりとピンク色の肉が蠢{うごめ}く。 「お兄ちゃんのおちんちん、頑張ってなでなでしていたら……」 「こんなふうになってしまいました……」 僕が漏らしたため息を皮切りに、シロネは愛撫を再開した。 「んん、ん……もっと、わたしのことを見てください……」 「可愛いパンツも……ふあ……濡れてしまったんですよ?」 確かに、下着には愛液の染みが広がっている。 「おちんちんの先からも、ん、んっ……お汁が出ていますね」 「こちらは、滑り易くなっていい感じです……ふぅっ」 シュッシュッっと音を立てて、竿を擦り上げる。 黒いストッキングも僕の体液を吸って、色を濃くしている。 「ここ……いいんですか?」 「お兄ちゃんの気持ちいいところ、発見しちゃいました……」 「この、くびれたところを……えいっ!」 カリを執拗に責められると、膝が震えた。 「えいっ!」 止めさせるはずだったのに、もう後に引けないところまで来ている。 「もーっと、なでなでしてあげます」 「この段差の部分から上は、特に……んっ、敏感みたいですね」 シロネは丁寧に尿道口に触れていった。 溝の部分に触れられると、背筋がゾクゾクする。 「ん……おちんちんのほうの小さなお口も、パクパクしていますね……」 「わたしの足が、あ、あっ……そんなに、好きなんでしょうか?」 指先を使い、何度か軽いタッチで突{つつ}かれる。 情けないけれど、尿道口はその度にひくついていた。 「お兄ちゃん……ん……すっかり気に入ってくれましたね」 「よしよし、いい子ですね……」 ペニスに沿わせるようにして、土踏まずの部分で撫でる。 ぬちゃりと、ねちっこい水音が立つ。 「ああっ……なんだか、凄いことをしちゃっていますね……!」 「おちんちんを撫でると、穴から、お、お汁が……はあ、溢れてきて……」 左右の足を操り、裏筋を擦り上げる。 シロネの濡れそぼった蜜壺も、それに合わせて艶めかしくひくついた。 「触られていないのに、あ、あ……! わたし、感じちゃってます……!」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……! ちゃんと、見て……!」 言われなくとも、目線はむき出しのそこに釘付けだ。 「わたしのあそこ……びしょびしょになっています……ああっ……!?」 まるで涎{よだれ}のように垂れた愛液が、西日に照らされて妖しく煌{きらめ}いた。 「はあああっ……!」 シロネが熱を帯びた息を吐いた。 互いに、肌が汗ばんでいる。 「もう、辛いですよね……?」 「おちんちん、張り詰めて痛そう……」 「お兄ちゃん、わたしの足で、イッてください……!」 2人きりの教室に、ぐちゅぐちゅと淫{いん}靡{び}な音が響き渡る。 両足は、ラストスパートを掛けるように僕の敏感な部分を刺激した。 「お兄ちゃん……そのまま、出してくださいっ……!」 「いっぱい、いっぱい……びゅーって……わたしに、掛けて……!」 「あっ、あ……ん! はあ、あああっ……!」 「あああああああっ……!」 ぐっと圧迫されて、弾けるような勢いで射精する。 白濁液は、シロネの身体にも噴きかかった。 「お兄ちゃんの、おちんちん……凄い……」 「びゅーっって精液が出てます……あっ、ああっ……」 シロネは精液が掛かるのを厭{いと}わず、ペニスが鎮まるのを待っていた。 その眼差しは、母親のような温もりさえ感じさせた。 「ちゃんと、わたしの足で、イけましたね……」 「おちんちん、熱くて……わたしまで、どうにかなりそうでした」 シロネは、疲れを癒すように竿を擦った。 ストッキングと精液のコントラストが鮮やかで、いやらしい。 「こんなに上手くいくとは思いませんでした……」 「僕も、こんなことになるだなんて思わなかったよ……」 足コキって、こんなに気持ちいいものだったのか。 手に比べたら不自由で、胸のほうが柔らかいけど……。 これ見よがしに広がった秘部も相まって、独特の官能がある。 「もう……お兄ちゃんばっかりズルいです……」 シロネの目は僅かに不満を主張していた。 「よいしょっと……」 シロネは立ち上がり、制服の胸元を開いた。 スカートの裾をたくし上げ、大切なところがきちんと見えるようにする。 「今度はお兄ちゃんの番ですよ……」 蜜壺はとろりとした愛液を垂れ流していた。 腰に力が入らなくて、彼女を見上げるしかなかった。 「シロネ……」 「ちょっと、待って――」 「待ってあげませんっ!」 シロネは自らの局部に、僕の顔を埋{うず}めるようにした。 「舐めてください」 「わたしの、アソコ……」 「おまんこを、お兄ちゃんに舐めて欲しいんです」 「んんっ……」 抗議の声を上げようとしたら、顔にさらに押し付けられた。 「わたしのおまんこを、ドロドロにしたのは誰ですか?」 「お兄ちゃん、ですよね……?」 むせ返るように匂い立つ割れ目から、愛液が滲む。 その愛液が、僕の顔を濡らしていくのを感じた。 「だったら、お掃除しなきゃいけませんね」 シロネの口調には、有無を言わせない雰囲気を漂わせている。 “ほら、早く”と言わんばかりに、秘部を擦り寄せた。 観念した僕は、おずおずと舌を伸ばして割れ目に触れた。 「ああ……っ、くぅん……あっ、あっ……」 縦の秘部をなぞるようにして、舐める。 これでいいんだろうかと自信が持てないまま、ひたすら動かした。 「ふあっ、ああんっ……うんっ、んんっ……」 「はっ、あぁんっ、お兄ちゃん……お兄ちゃん……」 シロネが切なそうに僕の名前を呼ぶから、応えてあげたくなる。 代わりに舌を操って応える。 「お兄ちゃんの息が、おまんこに吹き掛かって、あっ、ああんんっ……」 「あふっ、あっ、くっ、んんっ……!」 「はあんっ、息が、熱いです……とっても、熱くて……」 むずがる子どもみたいにシロネは身体を揺すった。 僕の顔と触れ合って、びちゃびちゃとアソコから卑猥な音が立つ。 「んっ、ああっ……はうんっ、すごい、の……あふっ」 「あっ、はあぁっ……はあんっ、感じちゃって……んんっく!」 シロネは溢れ出そうな唾液を飲み下すようにして、快楽に耐えている。 「お兄ちゃん、ベロベロって……わたしのおまんこ、舐めてる……」 「わんこになった、みたい……ふああっ……はあぁっ……!」 「ひあんっ!」 より一層高い声を上げた箇所を集中して刺激する。 何度も往復して、執拗に責める。 「あんっ、そこの突起はっ! あっ、あっ、あああんっ!?」 「そんなふうに、優しくされたらっ……くっ! はあっ、あっ、あっ!」 軽く押し潰すようにしたり、先端で弾くようにしたり……。 バリエーションを増やしながらクリトリスを刺激する。 「はうんっ! んんっ、はあんっ、ああっ……ひゃあぁんっ!」 「ああんっ、はっ、ああっ! 声が、抑えられませんっ……」 充血してぷっくりと大きく膨らんだそこは、小さな生き物のように震えている気がした。 気のせいかもしれないけど、嬉しくなってしまい、また触れる。 「んっ、あっ! ふあぁっ、あはぁっ……きゅんってしちゃいますっ……」 「そこっ、やあっ、ああんっ……!」 眼前に広がるのは、魔法の井戸か何かなんだろうか。 とめどなく、愛液が溢れ出す。 「あんっ、ふあっ、くっ……んっ、あっ、あああっ……!」 「お兄ちゃんの舌がっ! 奥に、入って……っ!」 「いいですっ……びちゃびちゃ、音がっ、凄く……いいっ!」 膣壁から分泌される液体を、余すことなく舌で舐め取る。 幾度繰り返しても、枯渇することはなさそうな勢いだった。 「わたしの、わたしのおまんこの中に……はあっ、ああんっ、ふぁんっ!?」 「お兄ちゃんの舌が入って、ぐちゅぐちゅって、掻き混ぜて……ふっ、はあっ……」 「あふっ、あっ、くっ、んんっ……! べろべろ舐められるの、気持ち良過ぎ……はぁんっ!」 シロネの太ももを掴む手に力が入る。 そうしていないと、今にも膝から崩れてしまいそうだった。 「どんどん、溢れて……ああんっ! このまま、奥まで、舐められてしまったら……」 「わたしっ、わたしっ! ひゃあん、やぁっ……!」 奥に届かせるイメージで、舌を伸ばして、中を弄{まさぐ}る。 顔を押し付けるたびに、蜜が頬を濡らした。 「はうぅっ、んっ、はあっ!?」 溺れまいとして、愛液を吸い出す。 「じゅるって、っあ! ふあん、ああんっ……!」 「お、美味しいんですかっ? わたしの、えっちな水……あっ、ああっ!」 好評なようなので、わざと派手な音を立てて下品に吸う。 「やあんっ、飲んじゃ駄目っ……! はうっ、はぁんんっ! あはっ、ああっ……!」 「もう、立っていられなく、なりそうですっ……! ふああっ!?」 細い脚はガクガクと揺れ、悦びを露わにする。 「んっ、はっ、ああっ……! 気持ち……いい……はあんっ!」 「わたし、わたしっ……もうっ、おまんこがっ、きゅんきゅんして……!」 僕の舌は充血した突起を再び責める。 触れる際の力加減にも気を配った。 「ああんっ、あっ、クリトリス、駄目、駄目、はあぁっ……!」 「ふあああんっ! そこっ、いいですっ……イッちゃう、駄目、ああっ!?」 「もっと、もっと、あっ、はあんっ! お兄ちゃんっ……!」 お望み通り、クリトリスを軽く弾いた。 「待って、待ってだめ、出ちゃいます、出ちゃいますぅっ!」 「あああっ……! 駄目っ……!」 「ひぁあんっ! んっ、ふあああああぁぁぁぁぁぁんっ……」 「はあっ、ああああんっ……」 ぶるりと大きく身震いしたかと思うと、秘めたる場所から透明な液体が噴出した。 「あああっ……」 その生暖かい液体は、僕をしとどに濡らしていった。 「はあっ……ああっ……ふっ、ううんっ……」 シロネは、それをどこか遠い目で見ていた。 自分の身に起きた現象が、理解出来ていないのかもしれない。 「はあっ……はあっ……」 「なんて、気持ちがいいんでしょう……」 温かい朝のまどろみの中に居るような―― 安らぎさえ感じさせる表情で独りごちた。 「窮屈な檻から、一瞬で解き放たれるような……」 「得も言われぬ快感が、わたしの中を駆け巡りました……」 「そうか……」 ようやく声を掛けることが出来て、僕はほっと息を吐いた。 舌が蓄積した疲労に耐えかね、ぎこちない。 「わたしと、お兄ちゃん……」 「互いに、感度が高まっている状態ですね……」 シロネは嬉しそうに囁く。 「では、次で最後ですよ……」 「ひゃああぁんっ!」 机に身体を押し付けるようにして、背後からペニスを差し挿れる。 「お兄ちゃんの、おちんちん……ああっ、入ってますっ!」 前戯を受けて充分ほぐれ、柔軟になった蜜壺は、いとも簡単に猛ったモノを受け入れた。 「凄いっ、もうこんなに奥まで……ひゃあんっ!」 「くうっ、あっ、ふあんっ! んんっ、んんうっ!」 「あんっ、はぅんっ、あっ! はあっ、んんっ!」 「教室でセックスするなら、この姿勢を試してみたかったんだ……」 「はぁぅぅっ……! あっ、あっ、ああぁーっ!」 一息に差し入れると、先端が最奥に当たる感覚を得た。 「はうっ、はあんんっ、ああっ……ふああっ!」 「あっ……来てますぅ……! はあん、ふあっ、はっ、あっ!」 「大きなおちんちんが、わたしの中でっ! くっ、はあっ!」 腰を大きく振って、モノを抽送する。 身体と身体とがぶつかり合う音が生々しい。 「ふあんっ、あっ、ああんっ!」 「ひゃうっ……! お、奥に、こつこつって、当たってる……!」 「お兄ちゃん、もっとしてっ! わたしを貫いてっ!」 ときおり、壁に引っ掛かるような感触がする。 でも、構わずに竿を引き抜く。 「ふあっ、あっああああっ……!」 そして、また突き入れる。 「んうっ! あっ、あっ、ふあああっ……!」 徐々に衝動を堪え切れなくなってきている。 それを分かっていながら、行為を止めることが出来ない。 「はあんんっ……! あっ、すごい、熱い……ああっ、くっ、あっ!」 「お兄ちゃん、激しっ……! はぁんっ、きゃあんっ!」 「ん、んっ、んんっ! 駄目、駄目、ふあぁぁっ、はぁっ!」 シロネの大切なところが丸見えで、しかも精液で穢されている。 そして、ストッキングはビリビリに破かれている。 ちょっと、無理やりっぽいシチュエーションがいい。 「やあんっ! ああっ、駄目、もう駄目! お兄ちゃんっ!」 反応を確かめながら、ぐりぐりと円を描くようにして膣内を抉る。 「あんっ、んうっ……! もう、こんなにっ……おちんちん、おっきくしてっ!」 「あっ! はぁんっ! ふぁんっ……!」 少し強引に進めてしまったが、問題なさそうだ。 深く挿入されたまま、シロネも腰を動かしていた。 「やあぁんっ! ああっ、はっ、擦れてっ、あっ!」 「ああっ、おちんちん熱くてっ……すっごく、硬いの……っ! はんっ、ふあぁっ!」 「あっ、あんっ……凄い、凄いですっ……!」 「お兄ちゃんのおちんちん、わたしのおまんこの中で暴れて、あっ、ひあっ……!」 「こんなの、こんなのっ……! 駄目になっちゃう……ふあっ、あっ、んっ!」 パンパンと肉と肉のぶつかり合う音が鳴る。 シロネの呼吸に合わせて突くと、密着感が増す。 「んんぅ……ああっ! んん……んっ、あっ!」 「はあんっ、あっ、ああっ……! 凄いっ、気持ちいいっ!」 悩ましそうに眉根を寄せて、嬌声を上げている。 身体がぶつかり合うたびに、白銀の髪が揺れた。 「おちんちん、お腹の中でっ、ぎちぎちって……! やぁっ、ああっ……!」 「おまんこ、みしみしいってます! ひゃあっ、ふあんっ! おかしくなってしまいますぅ!」 「お兄ちゃんっ、気持ち良過ぎてっ! んんあっ! ちょっと、怖いですっ!」 シロネを安心させようと思って、微笑んでみせる。 「はぅっ、あっ、んんっ……あぁ……! お兄ちゃんっ!」 「大丈夫だって、言って……! あぁっ、あっ、あっ、ふあっ!」 「……大丈夫だよ」 囁{ささや}くように言って、滑りのいい膣内を楽しむ。 「お兄ちゃん……! はぅっ、んん、ふわっ、あぁ、んっ、んくっ…!」 「はあぁ、んっ! そこ、沢山っ、擦られるとっ……あぁっ……!」 「うう、あぁ……もう、バレちゃってるっ! わたしの、気持ちいいところっ!」 シロネが感じる場所なら、だいたい把握したつもりだ。 「シロネの気持ちいいところは、機密情報か、なにかだったの……?」 喋る余裕を作るために、スローなストロークを繰り返す。 「はううっ、ああっ……お、お兄ちゃんの言う通りですっ……」 「女の子がえっちになっちゃう場所は……はぁっ……ああっ……」 「好きな男の子にしか、教えちゃいけない、トップシークレットですからっ……あっ!」 「なるほど。それじゃ、問題ないね」 僕は、腰を振る速度を速めた。 「んんっ……あぁ、んっ、んくっ……! は、速いっ!」 「はぁっ、うんっ、だめ、お兄ちゃん……んん、あっ、はあんっ……!」 シロネの身体を揺さぶると、机に押し付けられた胸もつられて動く。 窮屈そうで申し訳ないが、眺めるこちらにとってはそそられるものがある。 「ああっ、わたしのおまんこがっ、ああんっ! どんどん、いやらしくっ、なってますぅ……!」 「きゅんってなって、締まってっ、うねってっ、くぅん、あぁっ!」 「お、音も凄くてっ……あぁぁっ、はぁぁ、あっ、んんっ!」 ねっとりと絡みつくシロネの膣内は、僕を誘っているとしか思えない。 意識よりも先に、下半身はペースを加速させた。 「ふああっ、やあんっ! はうんんっ、はあぁっ! また、イッちゃい、そうですっ!」 「やあっ、ああっ! ど、どうしてもっ、抑えられませんっ! んっ、あああっ!」 ビクビクと、シロネの身体が小刻みに震えた。 「ひあぁっ! あっ、はあんっ! 奥に、当たって、嬉しいのっ! おまんこの奥っ、ビクビクしてますっ!」 「ど、どうしてっ、こんなに嬉しいのっ!? わ、分かりませんっ、あっ、んあっ!」 「た、助けてっ、お兄ちゃんっ! わたしっ、今度こそっ、壊れちゃいますぅ!」 言葉とは裏腹に、シロネはぎゅっとペニスを掴んで放さない。 「んっ、はぁっ、あっ、あっ、ふああっ……!」 「はうっ、あっ、はぁんっ、激し……んっ! くあっ、あっ、あっ……!」 「ふあっ、あっ、んんっ……ああっ、もう駄目ですっ……!」 「わたしっ、こんなにされたらっ……あんっ、駄目になっちゃいますっ!」 彼女の腰も大胆に前後運動を続けていた。 「やあああああああっ! 駄目ですぅ! イッちゃう! イッちゃいますぅっ!」 「わたしのおまんこっ! お兄ちゃんの精液を欲しがってるっ!」 「ああっ……ふあっ! あああ! あああぁぁぁぁっ!!」 「シロネ、出すからな……!」 「あっ、あんっ……お兄ちゃんっ、速いのっ……!」 「あんっ、あっ、ふあああっ……わたし、イッちゃいますっ、中で、イッちゃうっ……!」 「あっ、イク、イクの、ふあ……!」 「お兄ちゃん、出して! 中でいっぱい出してっ!」 脳裏に火花が散るような感覚と共に、お望みのものを注いでやる。 「ああああ! ああっ! はああああああああああぁぁぁぁんっっ!」 シロネも、同時に絶頂を迎えた。 「ひゃああんんっ! イクっ、イクっ、イッてますぅ……!」 「脳天までビリビリってっ、ふわってなってっ! ああっ、んんっ、ふあんっ!」 「ふああっ、ああっ……わたしの奥っ、奥にっ……沢山っ……」 「おちんちん、まだっ、中でっ、あっ、ああっ……」 「んんっ……ああっ、うう、んああっ……」 余韻に浸っているのか、シロネの膣内は射精が終わった後も痙{けい}攣{れん}し続けていた。 秘部はぐちょぐちょの体液に塗{まみ}れている。 「はあっ、ああっ……うう、ふっ、ああっ……」 シロネが譫{うわ}言{ごと}のように、小さく意味をなさない声を漏らしていた。 「はあ……っ」 ペニスを引き抜くと、どろどろと白濁液が流れ出てくる。 「はあっ……今日は、お兄ちゃん……元気無くて、心配でした」 「でも、これで……大丈夫……」 教室の中に、いやらしく淫靡な香りが漂う。 「お、お兄ちゃん……」 「シロネ……」 「そ、そんな……不安そうな顔、しないでくださいよ……」 「わたしは、大丈夫ですから」 「とっても、気持ち良かったですよ」 冷静さを取り戻すと、罪悪感で胸がいっぱいになった。 あんなに愛し合ったというのに、今朝の僕達はギクシャクしている。 正確に言えば、ぎこちないまま今日がやって来てしまった。 「今日は家庭科がある日だから楽しみです」 「自分で作ったクッションカバーに、刺繍を入れるんですよ」 「……そっか」 「刺繍って結構複雑なものなんですね」 「ちょっと、熱中しちゃいそうです」 「……うん」 「スパンコールを使ったりすることも出来るそうですが、慣れてきたらやってみたいな、なんて……」 最初は笑顔で話していたシロネも、だんだんと気勢を削がれてしまう。 それもそのはずで、僕は彼女にも伝わるように、あえて不機嫌そうな顔をしていた。 「上手になったら、お兄ちゃんのハンカチにも刺繍しますね」 シロネは気を取り直して、笑いながら言う。 「でも、図案は先に考えておきます」 「ああ、コツコツと上達していくのが楽しみです♪」 「あのさ、目に見えて機嫌が悪い僕と、並んで歩いて楽しい?」 「えっと……」 意地の悪い質問に、シロネは弱り顔で答える。 「楽しいかどうかと聞かれたら……」 「全然、楽しくありませんね」 「そうだよね」 この居心地の悪さは、僕が意図的に作り出しているものだから。 「ごめん」 「一緒に歩いているのに、お兄ちゃんはわたしに歩調を合わせてくれません」 「わたしがゆっくりにすると、お兄ちゃんは速く歩いて……」 「今度はそれに応じて足早になると、あなたは急に遅くなる」 「うん。わざとそうしてるんだ」 「わたしが、ひたすらお兄ちゃんに合せています」 「ちょっと、対応に忙しくて、困ります」 「別に一緒に登校しなくちゃいけないという決まりもない」 「先に行ってくれて構わないよ」 「そんな寂しいこと言わないでください……」 「言うよ」 「僕だって、シロネを苦しめたいとか、悲しませたいとか思ってるわけじゃないんだ」 自分でもどうしようもない懊{おう}悩{のう}が、身体の中で蛇のようにとぐろを巻いている。 「今は、君と一緒に居たくない」 「でも、わたしがお兄ちゃんと共有したいのは、楽しいことだけではありません」 意志の強い瞳が、僕を捉える。 その熱い眼差しを受けて、みぞおちの辺りから温かいものが込み上がる。 「つまらないことも、悲しいことも、全部分け合うために――」 「そのために、わたしはここに居るんです」 「それが、人間の言う“共に生きること”ではないのですか?」 「共に生きる……」 「それは、きっと眩{まばゆ}いだけじゃない」 「幾つもの退屈な夜や、平凡な1日、苛立つ気持ちと自己嫌悪を抱えている」 「むしろ、きらびやかな面のほうが少ないと思うんです」 声を聞いているうちに、すっかり心は凪いでいた。 僕は、至らない自分が恥ずかしいと思う。 でも、それさえもシロネは、受け入れてくれているんだ。 「でも、お兄ちゃんは一生を懸けてわたし達の幸せについて考えると言いました」 「だったら、くすんだほうの共生だって、受け入れていく必要があると思いませんか?」 「……ごめん」 「君の言う通りだよ」 「……いいんです」 「わたし、お兄ちゃんのそういうところだって好きなんです」 「とっても人間らしくて、素敵だと思います」 シロネに優しく諭され、その笑顔を目にしたら、とたんに身体が軽くなる。 肺の中に詰まっていた塊が抜けて、やっと呼吸が出来るようになったみたいだ。 「シロネを傷つけたくないから遠ざけたい。それは嘘だったんだ」 「はい」 「僕は、僕が悩んでいることについて、シロネに知られたくなかった」 「勘のいいシロネだから、気づかれるんじゃないかって」 そのことによって、最終的にはシロネを傷つけてしまうことが怖かった。 「お兄ちゃんは、どうしてそんなに落ち込んでいるんですか?」 「何を迷っているんですか?」 「それは……」 「わたしにも、教えてください」 有無を言わせない声。 穏やかだけど、そこにははっきりとした気持ちが込められていた。 「お兄ちゃんはわたしに知られたくないと言いましたが、それではいけない気がするんです」 「わたしだって、憂鬱で機嫌の悪いあなたと一緒に居ることは、本意ではありません」 「それは、そうだろうけど……」 「出来れば、一緒に笑っていたいんです」 「そのために、わたしが出来ることだって、あると思うんです」 「いいえ……」 「たとえ、無かったとしても、わたしはお兄ちゃんの気持ちに寄り添いたいんです」 戸惑いや怖れが完全に消え失せたわけではない。 だけど、これ以上1人でウジウジしていても、変化は期待出来そうにない。 「僕も、シロネと分かち合いたい気持ちがあるんだ」 「解決出来なくても、知って欲しい、寄り添って欲しい気持ちが」 「分かりました……」 「ありがとう、お兄ちゃん」 僕達は、改めて放課後に話し合う時間を設けることにした。 そう決めてしまえば、ますます心に陽の光が差す。 足取りが軽いのも、気のせいじゃないんだろう。 僕はスキップでもしたい気分で、学校へ向かった。 それは、無理やり作り出した高揚感だと知っていても。 放課後―― 僕達はゆっくりと話せる人{ひと}気{け}の無い場所を求めて移動した。 結局、僕が考えていた通り、この森に落ち着いてしまったけど。 「お兄ちゃんの悩みごと、やっと聞かせてくれるんですよね?」 「うん。約束したからね」 僕はどこから話したらいいのか考える。 ここに向かう途中もずっと悩んでいたんだけど―― 「実は、僕もトリノになろうと思って、沙羅に相談していたんだ」 単刀直入に、切り出すことにした。 「わあああっ」 「実は、わたしもその可能性を考えていまして……」 シロネは誕生日プレゼントを開けた時の子供のようなはしゃぎ顔で、喜びを表現した。 「お兄ちゃんがトリノになったら、ずっと一緒に居られますね」 「疲れないから、朝も夜もなくイチャイチャ出来ます」 「それから、嫌いなパクチーやお酢を摂る必要が無いですね!」 「お兄ちゃんには好き嫌いを克服して欲しいと思っていましたが、トリノは食事が出来ませんから」 「それから、それから……」 シロネは次々に将来の展望を口にしていく。 中には僕が驚くような発言もあったけど、彼女が楽しげに語るたび、胸が苦しくなる。 「ずっと、白音さんの眠るこの森を守れますね」 「お兄ちゃんが、トリノになりたいだなんて、夢のようです……」 「ああ、あなたが、わたしと一緒に……えへへ」 「違うんだ、シロネ……」 「はい?」 「確かに、僕はトリノになろうと思ってい{・}た{・}」 「でも、今は違うんだ」 「え……?」 シロネの顔が微笑んだまま強張る。 「僕は、僕のままでありたい」 「僕はトリノにはなれないよ」 「だって、永遠に生きる僕は、僕で無いだけじゃなく、シロネと一緒に居たいだなんて思わなくなるだろうから」 「お兄ちゃんは……」 「お兄ちゃんは、わたしのことが嫌いになったんですか……?」 深い海の底のように、暗い顔が目の前にあった。 「わたし、嫌われるようなことをしましたか?」 「まだ、朝ご飯のスープにパクチーを忍ばせたことを怒ってるとか?」 「違うよ。そうじゃない」 「僕はシロネのことを愛してる」 「愛してるなら、トリノになったらいいじゃないですか」 「トリノになれば、わたし達の幸せについても、長い時間を掛けて考えられますよ?」 「でも、記憶だけ生かしても意味が無いだろう」 「僕のシロネを愛する意識はここにある」 僕は意識の所在地を明確に指し示すことが出来なくて、とりあえず胸のあたりに手を添える。 「それは、記憶と何が違うんですか?」 「トリノ化されたお兄ちゃんだって、わたしを愛し、愛し合ったという記憶が備わっているんでしょう?」 「だったら、愛してくれる。そうじゃないんですか!?」 僕は力なく首を横に振った。 「どうして……?」 「どうして愛してくれないんですか?」 「僕にも、断言は出来ないけど……」 「明日も明後日も生きられるなら、今2人が寄り添い合うことに、意味を見い出せなくなるんじゃないかなって――」 「絶対に、わたしを1人にはしません!」 抗弁するシロネの声には、怒りが滲んでいる気がした。 「お兄ちゃんは、わたしにそう約束をしました」 「その約束は、記憶として引き継がれるんでしょう?」 「人間のお兄ちゃんはいつか死んでしまうけど、トリノであるあなたは、わたしと一緒に居てくれる」 「きっと、約束を守り通してくれます!」 「僕の気持ちに寄り添いたいって言ってくれたじゃないか……」 「僕の力になりたいって……」 今朝の天使のようなシロネはどこへ行ってしまったんだろう。 「確かに、言いましたね……」 「だったら、前言を撤回します」 「わたしは、そんなお兄ちゃんの気持ちには寄り添うことは出来ません」 「お兄ちゃんは、トリノが嫌いになってしまったんです」 「僕は、君やトリノのことを否定したいわけじゃない」 「それは嘘です!」 「肯定してるなら、トリノになりたがるはずです!」 どうしたら、この気持ちを分かって貰えるんだろう。 僕はこんなにもシロネのことが好きで、愛しているのに。 「わたしがトリノじゃなければ、きっとお兄ちゃんにも愛して貰えたのに……」 シロネは沈んだ顔で、うわごとのように繰り返す。 「わたしがトリノじゃなければ……」 「人間になれれば、愛して貰えるのに……」 「でも、そんなこと、無理なんです……」 「最初僕は、逆の発想からトリノになることを望んだんだ」 「シロネが人間になれないなら、僕がトリノになればいいんだって」 「だから、わたしもそれがいいって――」 「でも、悩んだり、沙羅と話をしているうちに、考えが変わった」 「シロネの言葉にも影響を受けたんだ」 「わたしの言葉……?」 「僕と君が“共に生きる”のに時間は関係ない」 「短い命でもいいから、君と変わらない日常だって思い出に変えていきたいんだ」 「でも、お兄ちゃんが死んじゃったら、わたしはどうしたらいいんですか?」 「それは……」 人{ひと}気{け}の無い広大な荒れ地に、寂しげに白い髪をなびかせる彼女が思い浮かぶ。 人の営みを感じさせるものは、遺跡のように朽ちている。 それは、圧倒的な孤独だ。 「お願いだから、もう一度考え直してください」 「わたし、お兄ちゃんのためだったらなんだってします」 「完璧、完全にあなたの望み通りにしますから……」 「シロネ……そんなこと、言うもんじゃない……」 「僕は、僕は……」 シロネの姿が視界から消える。 空だ。 赤く染まり上がった、空が見える。 それと同時に、頭と背中に鈍い痛みが走る。 「お兄ちゃん!」 「ねえ、お兄ちゃん!」 僕を呼ぶ声は、遥か遠くから届いたように、砕けひび割れていた。 赤ん坊のように泣き叫びたいのに、それすら叶わない。 ぼやけていた視界から、徐々に全てが失くなっていく。 気づいたら、目の前は真っ暗闇だった。 目が覚めた時、僕は病院のベッドで寝ていた。 びっくりして起き上がろうとすると、酷く頭が痛んだ。 後頭部に手を当ててみると、妙に盛り上がっている部分があった。 いわゆる“たんこぶ”だ。 でも、痛む理由はそれだけじゃない。 揺れるたびに鈍く、重く、目の裏側あたりが悲鳴を上げた。 巡回に来た看護師に幾つか質問を受けたが、なんとか返事をすることが出来た。 それから、僕は医師からの説明を受けるために、部屋を出ることになったんだ。 「気分はどうかな、少年♪」 「……最悪です」 百南美先生の顔を見たら、さらに頭痛が酷くなった気がした。 多分、気のせいじゃない。 「うんうん、そうだろうね」 「えっと……受け答えにおかしなところは無いみたいだね」 「先生、安心したよ」 「説明を受けるようにって、看護師さんに言われたんですけど……」 「出来れば、ちゃんとしたお医者さんにお願いしたいんですが」 「七波くん、それなら先生に任せてちょーだい!」 「え?」 先生の顔に無邪気な喜色が広がっていく。 「ちゃんとしたお医者さん世界代表の百南美先生が、華麗かつ大胆に、病状の説明をしてあげるからね!」 「だから、百南美先生以外の方から、話して欲しいって言ってるんですよ」 「どゆことー? 先生さっぱりだよー?」 「冗談はほどほどにしとこうね。いつもより余計にお注射しちゃうよ☆」 「なんですか? その危ない発言は?」 「最近の若い子は知らないのかな?」 「傘をくるくると回す人達の決め台詞をマネしたんだよ」 「はあ……さっぱり分かりません」 「そっかー。先生、残念だなあ」 「世代格差――ジェネレーションギャップってヤツだね、これは」 “残念”と言う割には、破顔しきりだ。 「もしかして……いや、もしかしての話だよ?」 「はい」 「七波くんは、先生の才能を活かしたハリウッド映画並みの、超ウルトラスペクタクルな解説を聞きたくないのかな?」 「はい」 「ええっ!? 遠慮なんかしなくていいんだよ?」 目を丸くした姿はどこからどう見ても、ただの幼女だ。 僕は咳払いを挟んでから、先生に抗議を始めた。 「この前も、異常が無かったらさっさと家に帰してくれたら良かったのに……」 「1時間も無駄話を聞かされたじゃないですか」 「無駄話ってなんのことかな?」 「分からないんですか?」 「えーっと……」 「もしかして、おしっこの話のことかな?」 「そうですよ! おしっこの話以上に無駄な話がありますか?」 「あれだけ語ったというのに、おしっこの重要性がまったく伝わっていないとは……」 「先生は、めげたりしないけど、めげそうです……」 泣きそうな顔をされると良心が痛むけど、この人はれっきとした大人だ。 僕は自分を鼓舞するように、追い打ちを掛ける。 「どうせ、今回も貧血とか、疲労とかそんなところなんでしょう?」 「だったら、ぱっと説明して、ぱっと帰らせてください」 「それがねー」 「ぱっと帰ることは不可能っぽいんだよ」 「え?」 足音と共に、シロネと沙羅が診療室に入ってきた。 「舜……目が覚めて良かった」 「わたし達も一緒に説明を受けたほうがいいんじゃないかって、百南美先生が」 「そうそう。先生が2人を呼んでおきました」 「もちろん、七波くんのお母さんには、事前に話してあるからね」 「……どういうことなんですか?」 未だに事態が飲み込めない。 母さんにも説明済みって、一体―― 「七波くんの余命はあと少しです……多分ね」 努めて明るく告げてくれたのは、先生なりの気遣いなんだろう。 「もっとも、余命と言ってしまっていいのかと言うと、微妙なんだけど」 「とにかく、世の中と関わることが出来るのは、あと少しじゃないかってこと」 でも、“冗談ばっかり言って”と笑うことは出来ない。 笑顔の裏に、そんな真剣さがあった。 「原因は、不明」 「前の定期健診の結果で、疑わしい部分があったって言ったでしょう?」 「それで調べてみたけど、当てはまるような症例はないし……」 「結局、疑問に答えを与えることが出来なかったんだよね」 あまりに衝撃過ぎると何も考えられないんだな。 百南美先生は、今も詳しい説明を続けてくれているみたいだけど、ちっとも頭に入ってこない。 「……それで実際はいつまで?」 長い沈黙を破って、沙羅が尋ねる。 「具体的に、舜はあとどれくらい生きられるんですか?」 「うーんと」 「こればっかりはなんともねえ……」 「じゃあ、確実に生きられる時間なら答えられますか?」 僕が聞かなくちゃいけないことを、沙羅は代弁してくれているんだろう。 当事者の僕をよそに、話が進んでいく。 「多分……1週間くらいなら、保証出来ると、思う」 「思うって……」 「保証出来るんですか? それとも、出来ないんですか?」 「つまり、保証しろってことなんでしょ?」 「怖いよーっ」 「だって、はっきりしないものですから」 「まるで、医者に詰め寄る患者の家族の図だよー」 「愛息子を病にしたのは、医者じゃないのにさー」 「ふざけてないで、説明を続けてください」 「……ごめんなさい」 百南美先生は、若干声のトーンを落とした。 「脳に問題があるっていうのは分かってるんだけど、なんでそうなっているのかは分からない」 「そして、推移は分かるものの、結果は推測でしかない」 「今のところ治療法が思いつかないし、探しても見つからないんだな、こりゃ」 百南美先生は珍しく苦渋に満ちた表情で唸った。 「どんな症状が現れているんですか? ただ、頭が痛むだけですか?」 「最初は、だんだんと睡眠時間が長くなる。ただそれだけ」 「脳は、起きている時と眠っている時とで、活動のパターンが違うの」 「ざっくり言うと、起きている時は外からの入力を一時的に貯めていて、寝ている時はそれが整理されて記憶として定着する」 「そして、休息して目覚める。これを繰り返すの」 「はい。分かります」 「七波くんの脳は、なぜかこの寝ている時の状況が、どんどん長くなっている」 「だから、だんだんと、一度眠りにつくと、なかなか自分の意思で起きられなくなる」 「このまま進むと、おそらく……」 「最後には、完全に目覚めることが出来なくなる」 「……」 「その後、どうなるかは分からない」 「眠ったままで、いつ起きるのか、ずっと起きないのか」 百南美先生の説明を聞かされて、目を閉じることさえ恐ろしく感じてしまう。 「でもこれは、あくまで事象。なんでそうなるのかは分からないの」 「なるほど……」 「おっ! 天才少女沙羅ちゃんも、分かってくれたかな?」 「正直、七波くんのお母さんに説明するのは、骨が折れたよ」 「まあ、息子の余命宣告をすんなり受け入れられる親も、どうかと思うけどね」 「でしょうね」 説明を聞いているうちに、どんどんと周囲の空気が淀んでいく気がした。 部屋の四隅が押し迫ってくるような、そんな圧迫感も感じる。 「舜の病{やまい}の原因なら、心当たりがあります」 沙羅の一言が、場の空気を一変させた。 「おそらく、過剰に脳をスキャンしたこと――」 「舜の記憶を……通常の周期とは外れたところで、細かくスキャンしたから」 「それで、脳に過剰な負担が掛かったんだと……」 「そんなこと、どうして行ったんですか……!?」 それまで黙っていたシロネが、疑問をぶつける。 「それは、舜がトリノになることを望んだから」 「ああ。僕が望んで、脳を何度も特別にスキャンしてもらったんだ」 「そんな……そんなことって……」 シロネは目を伏せて、理不尽な現実に耐えようとしているみたいだった。 「そもそも、人の脳から記憶を抜き取る技術を開発したのは、七波博士――舜のお父さん」 「生まれつき弱視の娘に、いつか世界を見せることを夢見て、研究をしていたと聞いているわ」 「記憶を引き継げば、その他のパーツを変えても、人間は成立するんじゃないかってことね」 沙羅はゆっくりと、研究の話を続ける。 「もちろん、その研究対象は、選ばれた存在のみで行われた」 「チーム内でも個々に持ち得るノウハウは、恐らく異なっている。そして、その全容を唯一把握していたのは七波博士だけだったのよ、きっと」 「沙羅ちゃんは、こんなことになるだなんて思っていなかった」 「だから、安心してお兄ちゃんの記憶を抜いた……そういうことですか?」 「そう。私の知る限りでは、スキャンで犠牲者が出たなんて聞いていないもの」 「本来、脳に定着された記憶は、必要な時以外は参照されない」 「そうやって取捨選択しないと、脳はオーバーヒートしてしまって、壊れてしまうから。でも、スキャンをするということは、その区間の記憶の全てにアクセスして、人為的に取り出そうとすること」 「当然、本来なら不必要な記憶の参照プロセスも強制的に行うわけだから、被験者の脳に過剰な負担が掛かってしまう」 「そんな……」 「これだって、あくまで推測」 「その後も舜は、普通に過ごしているように見えたし……ここに呼ばれるまでは、なんとも思ってなかったの」 「でも、脳が回復し切らないうちに、次の負荷を何度も掛けてしまっていたとしたら――」 「回復期間が延び続けるうちはまだしも、なんらかの機能が破壊されてしまった場合、最終的に回復プロセスから抜け出せなくなってしまう可能性も、否定出来ない」 「そう考えると、百南美先生の予想する症状は、納得出来る」 「なるほどねー」 「もちろん、スキャンのスケジュールは厳密に管理されていたし」 「恐らく、スケジュールさえ守っていれば、問題が無いものだったのよ……」 沙羅はあくまで、推測を話しているに過ぎない。 もちろん、それが何ら解決の糸口には繋がらないことも、彼女は分かっている。 その場を沈黙が支配する。 それを打ち破るように、百南美先生は料理のアレンジレシピでも思いついたかのような気安さで発言した。 「ちょっと、閃いたことがあるんだけど」 「もしかしたら、原因は記憶のぶっこ抜きだけじゃないかも」 「そ、それはどういうことですか、先生?」 「もっと詳しく教えてください」 シロネが身を乗り出すようにして尋ねる。 「ほら、他にも記憶喪失とか、脳に多大なる負荷を掛けてきたでしょ?」 「そうですね……」 「その記憶喪失も、原因のひとつじゃないかって思ってるの」 「……そんな」 「それって、わたしのせいじゃ――」 立っているのも辛そうな表情で、シロネは呟いた。 「シロネ。ここで話すことじゃないわ」 「でも――」 「今、一番辛いのは舜なの。外野の私達が、後悔したり、悲しんでる場合じゃない」 「ごめんね。解決に繋がらないことを言っちゃって……」 沙羅の目が、僕を気遣うように制する。 「先生も、もう一度七波くんのことを調べ直してみるよ」 「沙羅ちゃんの意見は、とっても参考になったね」 「多分……」 「苦しんだりはしないはずよ」 「ただ、二度と目覚めないだけ……」 沙羅は僕を慰めようとして言ってくれたんだろう。 そして最後には、何も救いになっていないことに気づいて、悲しそうに笑った。 「わたし、なんのために、研究に人生を捧げてきたんだろう……」 次に目が覚めた時、病室内はすっかり暗くなっていた。 無意識のうちに眠ってしまったんだろう。 今{いま}際{わ}の際{きわ}もこんなふうに訪れるなら、意外と怖くないんじゃないかと思った。 無理やりそう思うことで、自分を保とうとしている。 なんだか温かいものが触れた気がして、目を開ける―― 「……」 シロネが僕を見つめていた。 「すみません……」 「頭を撫でていたら、気が付いてしまいましたね」 今は、シロネの微笑みで胸が痛む。 病室の外は暗い。 星がキラキラと瞬いていた。 「制服のままじゃないか……」 「あっ!」 「着替えるのを忘れるくらい、動転していたみたいです」 「……シロネは、いつでもシロネだね」 自然と口元が緩んでしまう。 「えへへ……」 「お兄ちゃんのそういう笑顔、久しぶりに見ました」 “どうしてこんなことになったんだ”と、運命を恨む気持ちが無いわけじゃない。 でも、それ以上に悔しくて、納得がいかないのは、一度は否定した道にすがりそうな自分だ。 トリノになれたら、僕の記憶はずっとシロネと一緒に居られる……。 少なくとも、シロネを愛し続けられる可能性はあるんだ。 “死”に、シロネと寄り添える可能性は存在しない。 「沙羅ちゃんとわたしが話をしていたら、いつの間にか突っ伏すようにして眠ってしまったんですよ」 「そうだったのか……」 「もしかして、覚えてないんですか?」 「うん。まったく覚えてないよ」 「頬をつねっても起きないし、肩を揺さぶっても起きない……」 「死んでしまったのかと思って、慌てて脈拍と呼吸を確かめましたよ」 「ごめん……」 「本当にごめん……すまない」 何度も謝っているうちに、自分が何を詫びているのか、よく分からなくなる。 それくらいに、僕はシロネに謝らなくちゃいけないことが沢山あった。 「そんな、お兄ちゃんが謝ることなんてありません……」 「お兄ちゃんは悪くないんだから、わたしこそ謝らなくちゃ……」 「でも、でも……」 「だったら、誰にこの気持ちをぶつけたらいいの?」 シロネは長いまつ毛を震わせながら僕に尋ねる。 「こんなことって、ありません……」 「一生を懸けて、2人の幸福について考えようって言ったじゃないですか」 「うん。確かに約束した」 「まさか、こんなに儚い運命だったなんて……」 「僕も、信じたくないよ……」 “だったら、トリノになればいい”と心の中でもう1人の僕が囁く。 そんなことをしたって、僕自身の運命を変えたことにはならない。 だけど―― 揺らぐ気持ちを抱えたまま、僕は再び瞼を閉じた。 しばらく経って―― 病室で過ごすことや、代わる代わるやってくる訪問者にも慣れた。 夕梨も何度か来てくれたし、ハナコ先輩とバッティングした時には、盛大に笑わせてもらったな。 近頃の僕は、眠るのが怖い。 無理やり朝まで起きていることが多くなった。 漫画を読んだり、借りてきて貰った映画を観たりして……。 そんな生活にも馴染んでしまった感がある。 「七波くん、おはー」 「おはー」 力なく返してみる。 「なんだか、元気無いね。ちゃんと眠れてるのかな?」 「寝るのに、抵抗感があって……」 「まあ、気持ちは分かるよ。最後は目覚めなくなるとか言われちゃってるし」 「残り少ない人生だと思うと、無駄に過ごせないもんね」 百南美先生は真面目な口調で言った。 「真面目ぶってる先生なんて、珍しいですね」 「先生はいつも真面目だよ?」 「でも、真面目過ぎると嫌われちゃうから、こうしてるの」 「……先生に初めて共感を覚えました」 「そっかー。なんだか嬉しいな」 この頃は、時間が経過していくのもゆっくりに感じる。 百南美先生の表情も、実際とは異なるスピードで変わっていった。 「先生は、沢山の患者さんを診てきたんだ」 「もちろん、その中にはきみのように余命宣告を受けて、もうこの世界には居ない人もね」 「その人達が言ってたことには、共通する部分があったよ」 「それはなんですか?」 「“なにかがしたい”と望んでいた」 「なにかがしたい……」 「つまり、希望だね」 「たとえば、“孫の入学式までは生きていたい”とか、“死ぬまでに富士山をこの目で見てみたい”とか」 「“結婚式を挙げたい”とか、“家族に看取られて死にたい”とか」 「そうなんですか……」 「僕には、あまりピンとこないですね」 「そうだよね……」 百南美先生の笑みは、失望を表していた。 「普通、きみみたいに穏やかに過ごせないよ?」 「もっと、なんとかして生きる術はないかと、もがいてみたり……」 「神様を呪ったりするもんなんだよ?」 「はあ、そういうものなんですね」 「もちろん、多くの患者が、最後には運命を受け入れるけどね」 「でも、それにしたってきみは早過ぎるよ」 「先生、ちょっと心配です」 「これがもし、余命3ヶ月とか、1年だったら、話は違っていたかもしれません」 「僕の場合、あまりにも短過ぎて――」 「うーん。なるほどね……」 僕の胸中を察したように、百南美先生が呻く。 言葉の意味を理解してしまったことが、凄く残念そうだった。 「きみの余命は短過ぎて、まだ全然実感が湧かないのか」 「それに、ある程度先まで生きられるからこそ、可能性の消滅が怖くなるものなんだね」 「まだまだ出来ることがあるから、失うのが怖ろしいんだな」 「多分、そういうことなんだと思います」 「だって、あと何回か寝たら……もう、目覚めないんです」 「出来ることなんてたかが知れてますし、元より期待していません」 「……そんな七波くんにも、選択肢を用意してきました!」 「え?」 情動に乏しいまま驚く僕を見て、百南美先生は静かに微笑んだ。 「今すぐ退院して、大切な人と過ごしてみたらどうかな?」 「たった1秒でも、長く、しっかりと……」 「でも……」 「現状では、先生が七波くんに出来ることは、何も無いんだよ」 「だったら、ここに居る時間って、もったい無さ過ぎるんじゃないかな?」 「それって、やっぱり治らないってことなんですか?」 「そうだね……」 「目の前で起きていることは、分かってる」 「でも、起きていることが分かるのと、それを解決出来るってのは、別のことなんだよ」 「……残念だけどね」 「そうですか」 そう言うと僕は、ため息をひとつ吐いた。 そして―― 「でも、思ったより動揺しないんだな、僕……」 実験の期限を伝えられた時のシロネみたいだと思う。 不謹慎な笑いが、身体の底からふつふつと湧き上がりそうになる。 「でも、先生は諦めてないよ。これは本当だよ」 「だけど、残された時間内に、治療法が見つかる保証も無い」 「だったら、患者に今出来るベストな選択を提案するのも、先生のお仕事!」 「……ごめんなさい」 深い嘆きの井戸に、身を投じそうになった自分を恥じた。 「いいのよ」 「患者の気持ちを受け止めるのも、先生の仕事なんだから」 労わるような笑顔に包まれて、驚く。 百南美先生って、やっぱり大人だったんだな……。 「きみのお母さんには、これからの過ごし方については提案してあるよ」 「そうしたら、“先生の口から息子に伝えて欲しい”って言われたの」 「そうですか……」 母さんも、どんな気持ちで先生の話を聞いたんだろう。 ちゃんと、ご飯を食べてくれてるといいけど……。 昨日会った時は、笑ってたけど、頬のあたりがやつれていたな……。 「だから、退院するかどうかは七波くんが決めてね」 「てゆうか、その手元の紙屑はどうしたの?」 「ああ、これですか」 「便箋……かな?」 「ただのゴミですよ」 余命宣告以来、シロネと沙羅は一度も見舞いに訪れなかった。 そのことが、気がかりだった。 メールを送っても、反応すらないし……。 シロネに宛てた手紙を書いてみたのはいいけど、なかなか満足のいくものは書けなかった。 百南美先生の助言に従って、僕は退院することにした。 荷物をまとめるといっても、大した物は持ち込んでいなかったので楽だった。 病院の車で自宅まで送って貰ったけど、そこにはシロネの姿は無かった。 カレンダーを確認すると、今日は平日だった。 そうか、学校へ向かったのかと思って、なんとなく身軽な服装のまま外に出る。 通学路には沢山の学生がひしめいていた。 みんな、朝特有の気怠さと、それと同じくらいの喜びを抱えて学校へ向かうんだろう。 「まるで、別世界の住人みたいだ」 自分が居たはずの景色が、目の前を流れていく。 気を抜いたら、涙腺が緩みそうだ。 とにかく、歩かないと。 そう思っても、僕に向かうべき場所なんて無い。 いや、あった。 それは死という、途方もない旅路だ。 「あれっ!?」 「舜じゃん! こんなところで、どうしたの?」 行く当てもなくぶらぶらしていたら、夕梨の家の前に辿り着いていた。 制服姿の彼女に声を掛けられてから、ようやく気づく。 「夕梨こそ、学校はどうしたの?」 「あたし……?」 「あたしは、早退よ。早退」 「えっ?」 「どこか具合でも悪いの?」 僕は、夕梨の頭からつま先のほうまで眺め回す。 「違う、違う」 「そんなにジロジロ見ないでよ……」 困ったように笑う夕梨が、妙に懐かしく思えた。 「今日は気分が乗らないから、勝手に抜け出してきたの」 「ちょっと不良っぽいでしょう?」 「ニヒッ♪」 ああ、夕梨ってこういうふうにも笑うんだった。 忘れていたわけじゃないのに、なんだか非日常的に思えて感慨深い。 「舜こそ、不良ライフを満喫してるの?」 「いや、全然」 「なんだ。勝手に病院を抜け出してきたのかと思ったのに」 「やっぱり舜は、“つまらない系ボーイ”だわ」 「変な名前をつけるなよ……」 「百南美先生から、退院するように勧められたんだ」 言葉よりも先に、夕梨の顔に感情が出る。 「つまり、それって……」 「もう治ったってこと? やったじゃん!」 笑顔が溢れんばかりの勢いで、夕梨から幸せオーラが発散していく。 「結構深刻なムードだったから、お見舞いに行くのも怖かったんだ」 「もう、早く言ってよね!」 こんなに喜ばれてしまうと、否定するタイミングを見失う。 僕は何も言い出せないまま、夕梨のことをただ無表情に見つめていた。 そのギャップは不安な波長を伴って、彼女にも伝わったんだろう。 「……もしかして、違うの?」 「……うん」 「病気が治ったから、退院したわけじゃないの?」 「そうなんだ」 夕梨の目は、凍り付いたように見開かれている。 「それって、つまりさ――」 「打つ手が無いって、パターン……なの?」 僕は黙って深く頷いた。 「ちょっと、嘘でしょ……?」 「嘘だったら、良かったんだけど」 「えっ……ええっ……?」 「治らないって、決まったわけじゃない」 「でも、現状では治療方法が無いんだよ」 「だから、早く帰って、大切な人と過ごせって、百南美先生が言ってくれたんだ」 「そんなっ……!」 未だに信じられないんだろう。 夕梨は、目を伏せて呻る。 「そんなことって……無いよっ……!」 「なんで、なんで舜が、こんな目に遭わないといけないの!?」 「口に出してしまうと、現実味が増すんだな」 「え?」 「さっきまでは全然怖くなかったのに、身体の震えが……」 「止まらないんだ」 「舜……」 ガクガク震える手足を携えて、情けなく笑った。 「格好悪いなあ……」 「別に、情けないとか、男らしくないとか、そんなこと思わない」 「てゆうか、思うヤツがいたら、あたしが許さないから!」 叫ぶようにして、夕梨が僕を鼓舞する。 「怖くて当たり前じゃん!」 「これからも続くと思っていた道が、いきなり途切れますって教えられるんだよ?」 「そんなの……動揺しないほうがおかしいよ!」 涙目になりながら、夕梨は僕の気持ちを肯定した。 「あたしだって、きっと、びっくりするもん」 「なんなら、周りに八つ当たりして大暴れするよ!?」 「それから、大泣きして何日も過ごすんだ」 「それは、凄いリアクションだな……」 とても真似出来そうにない。 「いや、舜だって泣いたほうがいいんだよ。泣いてスッキリしたらいい」 「そしたら、気持ちも落ち着くって」 「ありがとう、夕梨」 「でも、僕はまだ泣けないんだ……」 泣いてしまったら、この病に負けてしまいそうで。 「格好つけちゃってさ……」 夕梨は涙を引っ込めながら、ちょっと笑った。 「そういえば、小学生の時、親と一緒に学校に通ってたなー」 「舜はその時のこと、覚えてる?」 「いや、覚えてはいないけど……誰かから聞いたな」 「通学路が一緒だったから、その縁で仲良くなったんだよね?」 「当たり!」 人と話すことって、こんなにも楽しかったっけ? 僕の病気のことには触れまいと、気を遣っているわけじゃないんだろう。 夕梨の口からは、いつもの調子で話題が飛び出す。 「あたし、全然この島に馴染めなくてさ……」 「でも、舜と一緒に過ごすようになって、この島が好きになった」 「それは、良かったよ」 「じゃあ、今の夕梨があるのは、僕のお陰でもあるんだな」 「うん。それは間違いないね」 「でも、そう考えるとさ……いろんなことが、スッと受け入れられる時もあるよね」 「え?」 急に真剣な物言いになって、僕は首を傾げる。 「一緒に生きるってことは、互いに影響を与えるってことなんだね」 「そう思うと、あたしが居なくなっても、誰かの中で、あたしは生きてるのかなって」 「関係性や人と人との繋がりに、終わりはないのかなって……」 「そうなのかもしれないな」 僕はそうであって欲しいと、願った。 「それでも――」 「生きるとか死ぬとかが、悲しくないわけじゃないんだけど」 「でも、ちょっとはマシになるんだよね……きっと」 「うん」 「人間ってさ、無駄に怖がりだけどさ」 「やっぱり、怖がってるだけじゃないんだよ」 海の色に似た瞳に、きらりと光が差す。 「そうだな……」 夕梨の言葉に救われたような気持ちになる。 「人間に与えられた想像力は、恐怖するためだけのものじゃない」 そう、噛み締めるように言ってみる。 その後、僕と夕梨は、朝まで話し続けた。 眠るのが怖かったのもあるけど、ずっと会話をしていたい気持ちが強かった。 夕梨は眠かっただろうに、瞬{しばた}く目を擦り続けて、僕に付き合ってくれた。 「ありがとう。とっても、楽しかったよ」 「夕梨のお母さんにも、朝ご飯美味しかったって、伝えといて」 「ふーん」 見送りに出て来た夕梨は、不満げに僕を見つめた。 「何か、悪いことでもした?」 「いや、別に……?」 「逆に、悪いことの1つや2つくらいしても良かったんだけど」 「えっ?」 夕梨の言いたいことが理解出来ずに、まぬけな声を上げる。 「だーかーらー」 彼女の顔には、はっきりとうんざりしてますと書かれている。 「結局、指の1本も触れて来なかったなんて、残念だって話よ」 「女の子に、あけすけなことを喋らせるんじゃないっ!」 「本当に、舜って鈍感なんだからっ!」 「……ごめん」 「ちょっと、ちょっと!」 「冗談なんだから、真に受けないでよ」 「本気との境目が分かりにくいんだけど……」 小声で苦情を漏らしていると、夕梨の目が光る。 「何か文句でも?」 「いや、何も言ってないけど……?」 「そっか♪」 「それなら、笑顔で見送ってあげる」 僕までもが不思議な朗らかさに包まれる、とびきりの笑顔だった。 「舜……」 「本当はまだまだ、話し足りないけど……」 「またね」 「うん……」 「本当にありがとう、夕梨」 僕は夕梨に背を向けて、歩き出した。 今日も空は青くて広い。 快晴で良かった。 もし雨だったら、その中に紛れて泣き出してしまったかもしれない。 僕を待つシロネの元へ帰ろう。 手紙は書けなかったし、上手く話せる自信も無い。 分かって貰える確信なんか、もっと無い。 だけど、僕は帰るんだ。 そして、話そう……。 僕と彼女の、幸福について―― 「お兄ちゃんがトリノになってくれて、わたし……」 「とっても嬉しかったです」 ハンモックが微かに揺れている。 2人寄り添うと窮屈にも感じるけど、僕はそれを心地良いと思った。 「長い間迷っていましたけど、ベストな選択だったと、わたしは思います」 僕は、シロネの言葉を頷きながら聞いていた。 この胸の中は、シロネへの愛しさで一杯だった。 「僕の――」 「いや、オ{・}リ{・}ジ{・}ナ{・}ル{・}の選んだ道は正しかったんだ」 「命の終わりが見えてしまった以上、そもそも多くの選択肢は残されていませんでした」 「死を受け入れるか、トリノに夢を託すか」 「わたしの愛したお兄ちゃんは、あなたがわたしを愛すことを願ったんですね」 そう、僕は“トリノ”と呼ばれる高性能アンドロイド―― いや、人類の新しい姿と言ってもいいかもしれない。 僕の中に宿った記憶と心は、正常に機能しているようだ。 「シロネ……」 「はい?」 「なんだか、悩ましい表情をしてますね」 「そうだろうな」 「今すぐ、君を抱き締めたいんだから」 「まだ、ダメですよ」 「シロネの頭を撫でたい」 「ここに僕が居て、君がここに居ることを確かめたいんだ」 シロネは僕を制止しながらも、嬉しそうに笑った。 「あっ!」 「空を見てください……」 「今夜も、無数の星と、白い鳥……」 「ああ、綺麗だな」 「わたしが初めて見た景色と同じです」 シロネと一緒に居るからなんだろう。 余計にロマンチックに見えてしまう。 「あの星の光が消えてしまっても、一緒に居よう」 「……星の光?」 「永遠に生きて、永遠に愛し合おう」 「僕達は、ずっと一緒だ」 「今も、これからも……」 「ふふふ、お兄ちゃんったら……」 シロネは静かにハンモックから降りて、一歩前に進んだ。 「どうしたんだ、シロネ……?」 その背筋はぴんと張りつめ、氷のように冷え冷えとしている。 あからさまに、僕を拒絶しているのが窺えた。 「わたし達は永遠を旅する存在」 「だったら――」 その先の答えは、既に分かっている気がした。 「今、一緒に居なくてもいいと思います」 「だって、わたしとあなたには、明日も明後日も、その先もあるのだから」 「シロネ……」 驚きながらも、胸の痛みに懐かしさを覚える。 彼女に突き放されたのは、これが初めてじゃない気がして……。 オリジナルの記憶を紐解くと、幾つかのサンプルが検索に引っ掛かった。 「一緒に居るのは、今じゃなくてもいいでしょう」 「またいつか、どこかで、一緒に暮らしたらいいじゃないですか」 「でも、君と添い遂げることがオリジナルの夢だった」 「僕の使命は……」 「僕が作られた意味は、その願いを叶えることなんだ」 「かわいそうです……」 その声は心の底から僕を哀れんでいるようだった。 それが逆に、僕の心を傷つける。 「アンドロイドという既成概念に囚われているんですね」 「まるで、過去のわたしみたいです」 「“三原則”なんて、わたしたちには有って無いようなものなんですよ?」 「でも――」 「記憶の持ち主とあなたは、同一体では無いんです」 シロネは僕の言い訳を掻き分けて、話し続けた。 「あなたも、わたしと同じトリノなのだから、自分の意思で行動したらいいんです」 「そうじゃなきゃ、なんのための自我ですか?」 シロネの声は酷く乾いている。 「わたしの言ってること、間違っていますか?」 「……分からない」 「なら、いっそ思い出だって、捨ててしまったらどうですか?」 「思い出って……?」 「オリジナルの記憶――」 「他人の記憶のことですよ」 「他人の記憶って、そんな……」 「そんなもの、無闇に重いだけで、余計なメモリを消費してしまう」 シロネが“他人”と言ったのは、僕のことじゃないのに、酷く寂しい。 「わたしたちには、永遠の時間があるんですよ」 「思い出なんて、また作ればいいじゃないですか」 「そんな簡単な話じゃない」 「思い出は欲しがったって、手に入れられるものじゃないんだ」 「……でも、誰もが当然のように持っているじゃないですか」 「だけど、みんなが同じ記憶を持っているわけじゃないんだし――」 「お兄ちゃんの話は、わたしには難しいようです」 「そんなことない」 「根気強く話し合えば、きっと分かり合える」 「今、その必要はありません」 「また今度、話しましょう」 「もう、行かなくちゃいけないので」 あっさりと対話を諦める姿勢に、言葉を失う。 僕が愛した彼女は、もっと他人の気持ちに誠実だったはずだ。 「お兄ちゃん」 「さようなら」 そう言って振り返ると、シロネは微笑んだ。 なんだか、作り物めいた表情だった。 あんなに好きだったシロネのことが、マネキンのように見える。 去っていく背中を、僕は見送ることしか出来なかった。 瞬きをすると、一面を覆い尽くしていた星空は消え失せていた。 「あれ……? シロネは……?」 「ていうか……沙羅のところに居たはずじゃ……」 「やっと、目覚めた……」 「沙羅、いたのか……」 「ここは……病院?」 無機質で寂しい天井が、ここが病院であることを教えてくれた。 「もう、3日も寝ていたのよ」 「3日……!?」 「そんな、嘘だろ……」 「こんなつまらない嘘を吐くわけがないでしょう」 「ねえ、舜、聞いて」 沙羅は真剣な眼差しで僕を見つめている。 「あなたを“トリノ”にしたいの」 「わたしなら、きっと出来るわ。時間はほとんど残されていないけど……きっと」 「僕がトリノに?」 それは、一度は僕が望んだことだ。 トリノになり、シロネと生き続ける。 一度は夢見た理想。 でも……。 「沙羅」 僕はひとつ呼吸を置いた。 「僕は、トリノにはならないよ」 声に出してみて、気持ちが固まることって多い。 なんだか熱いものを胸に感じながら、大きく頷いた。 「え?」 僕の中には、まだこんなにも強い気持ちが残っていたんだ! 驚きながらも、もう一度言葉を繰り返す。 「僕は、トリノにならない」 そう、夢で見た通りだ。 だから、僕はトリノにはならない。 僕が僕であるために。 「なんで? そんなの納得出来ない!」 こんな強い口調で感情を露わにする沙羅は珍しい。 「あなたはこのままじゃ死んじゃうのよ? もう終わりは、すぐそこなの」 「たとえ起きられなくなったとしても、あなたの脳が動いている限り、トリノになれば、再び起き上がれるかもしれない。だから……」 「だから、お願い……あなたを――」 「ありがとう。沙羅」 沙羅の懇願を遮った。 「……」 沙羅は、僕の表情から何かを悟ったのだろう。 それ以上何も言わなかった。 長い沈黙が続く。 「ねえ、舜」 しばらくして、沙羅は重い口を開いた。 「あのね……」 「私が告げるべきことなのか、分からないけど――」 「沙羅、もう僕は決めたから、何を言われても驚かないよ」 「うん」 両の瞼を、静かに閉じてから切り出す。 「あなたは、次に眠ったら、もう二度と目覚めないだろうって……」 「そう、百南美先生が言ってたの……」 「うん。なんとなく分かってた」 「私……」 「私は――だからっ!」 沙羅の声が震えている。 「教えてくれて、ありがとう」 「沙羅には、大変な役目ばかり負わせてしまって……ごめん」 「……っ」 「ルールを破って記憶を抽出させたのは、僕が望んだことだから」 「気にしないっていうのも無理だろうけど、君にはあまり思い詰めて欲しくない」 「でも、“トリノ化”に向けた可能性を示唆したのは私」 「やっぱり、私にだって罪はあるわ」 「あの時は僕もトリノになったらいいのかも? って考えてたし」 「沙羅は、自分の夢を実現させるために、ベストを尽くしていただけだ」 「だから、君のせいじゃない」 「……私は、いつでも身勝手な選択をしてる」 「そうは思わない」 僕は感情を込めて、首を横に振った。 「少なくとも、僕は君のことを非難したりしない」 沙羅がどんな想いでトリノプロジェクトを前進させてきたのかを、知っているから。 「自分のことを恨めないなら、どうしたらいいの……?」 「どうして、舜がこんな目に遭わないといけないの……?」 「やっぱり、こんなこと納得出来ない」 「だったら、ひとつ僕と約束してくれないか?」 「約束?」 「トリノのこと、諦めないでくれ」 「え?」 「僕の居なくなった世界でも、シロネのことを頼むよ」 「そして、いつか、人間のために、トリノを完成させて欲しいんだ」 「舜……」 僕のほうこそ、自分勝手な願いを彼女に迫っている。 その自覚はあった。 「……研究者の性{さが}ってものなのかもしれない」 「こんなに悔しくて、悲しいのに……」 「あなたに言われなくても、私は前進し続けるって……」 「絶対にトリノを完成させるって……言いたくなってしまうわ」 声は震えているのに、とても力強かった。 人間の芯の強さは、こういう時に出るものなんだ。 「たとえそれが、その場しのぎの言葉であってもね……」 「だったら、安心出来る」 「やっぱり、沙羅はそういう人間なんだな」 僕はほっと安堵の息を吐き出した。 病室に誰かがやって来たようだ。 沙羅は、口元に笑みをたたえて、去っていった。 「シロネ、久しぶりだな……」 暗い部屋の中で見るシロネの髪は、僅かに光を発しているように見えた。 「……ずっとずっと、考えていたんです」 珊瑚色の瞳は、弱々しく不安げに揺れている。 沙羅のような頼もしさは感じられない。 「どうして人間は、簡単に壊れてしまうのか……」 「そして、なぜそれを容易に受け入れようとするのか……」 「わたしには、分かりません」 “分からない”と言った声には、静かな怒りが滲んでいる。 病室の空気が張り詰める。 「お兄ちゃんの傍に居られない」 「時間を共有して過ごすことが出来ない」 「だったら、わたしが生きる意味なんか、無いじゃないですか」 「……なんで、そんなことを言うんだ」 こうして死を待つだけの僕には、シロネの生きる力でさえ、眩しく思える。 「わたしは、お兄ちゃんのために生まれた」 「お兄ちゃんを愛することが、わたしの一生なんです」 「それは、アンドロイドとしての使命だけじゃないんです!」 「恋人として、寄り添う存在としての、道{みち}標{しるべ}なんです!」 もしかしたら、シロネには自分が見えていないのかもしれない。 こんなにも輝いて見えるシロネ自身が、長い道{みち}行{ゆき}の目印になる。 そんな可能性に、彼女は気づいていないんだ。 「それを失ってしまったら……」 「お兄ちゃんが消えてしまったら……」 「わたしは、どうやって歩いて行けばいいんですか?」 「答えなんて……どこを探しても、ありはしなかった」 「昔……」 「いや、そう遠くない昔に、シロネは言っていたよね」 「ロボットは死なないから、自分には運命が無いんだって」 「確かに言いました」 「わたしは、枯れて命を全う出来る花のことが羨ましかった」 花を見つめるシロネの横顔を思い出す。 あの頃は、こんなことになるだなんて、夢にも思わなかったな。 「看取って貰えるから、悼{いた}んで貰えるから……」 「命あるものは美しい……」 「でも、あなたの運命はあまりにも悲し過ぎて……」 「どうしたら受け入れられるのか、さっぱり分かりません!」 シロネは僕から目を背けた。 そうすることで、自分の感情を必死にコントロールしようと試みているのかもしれない。 「わたしにも運命があったら……」 「運命があったら、一緒に逝けるのに……」 「シロネにだって、運命はあるよ」 「えっと……」 「……どういうことですか?」 「シロネは自分の運命を、自分で決めることが出来るはずだ」 「生きるって決めたんだろ? 僕と君の幸福について考えるために」 「お兄ちゃんが居ないなら、その問いに意味なんか無いんです」 「答えを知ったところで、なんになるっていうんですか?」 「お兄ちゃんはもう、どこにも居ないっていうのに?」 「そんなことない!」 「僕の願いは、いつか答えを掴むこと」 「僕は命題とひとつになって、シロネの中で生き続ける」 「命題と……ひとつに?」 そうだ。 僕はシロネに問い続ける。 僕と君のあるべき幸福とは、一体なんだったのか。 「シロネなら、きっと答えに辿り着けるよ」 だから、僕はシロネが逞{たくま}しく生きることを、心から祈る。 それはきっと、今{・}は{・}ま{・}だ{・}選ばれない道なんだと、分かっていたとしても。 「お兄ちゃん……」 「そんな勝手なことばかり、言わないで……」 「エゴイズム上等だよ」 「僕にはもう、そんなわがままくらいしか、君に遺せない」 さっきまで見ていた夢を思い出しながら、シロネとの対話を続けた。 「人間は弱く脆い生き物だ」 「もし永遠に生きられるとしたら、生きる意味を求めなくなるんじゃないか?」 「シロネと一緒に生きたいと思わなくても、結果的にそうなってしまうのだとしたら、その大切さをきっと失ってしまう」 「そう思ってしまう僕には、まだ永遠を手に入れる資格が無いんだろう」 「……だから、トリノにはならないんですね」 ゆっくりと頷く。 「僕はトリノにはならない――」 「いや、なれないよ……」 「ごめんな、シロネ……」 謝罪の気持ちは本心だ。 自分のことが情けなくて不甲斐なくて、たまらない。 「わたしだったら、その永遠を乗り越えて……」 「あなたのことを、愛し続けられると言うんですか?」 「そうだよ」 「お兄ちゃんは、永久の時が生む障害を、克服しようとは思わないんですか?」 「そちらの道で、努力はしてくれないんですか?」 目の前に居るのは、本物のシロネなんだと思った。 こんなに馬鹿げた話を、真摯に受け止めて、全力で言葉を返してくれる。 「どうして、諦めてしまうんですか!?」 「一緒に、問題を解決していったらいいじゃないですか!」 強くはないけれど、純粋な眼差し―― 「今の僕じゃ、限りある命の中で、シロネを愛すことしか出来ない」 「それが、自分の精一杯だ」 僕の愛すべき彼女が、ここに居るんだ。 シロネが、ここに居る。 「そんなに、はっきり言われてしまったら……」 「もう、どうしようもないじゃないですか……」 「すまない……」 「わがままを許してくれとは言わないよ」 「分かってます」 「だって、お兄ちゃんは間違ってないんだから……」 「謝る必要なんてないんです……」 だから、心の中でシロネに詫びる。 悲しい思いをさせて、ごめん。 言葉に直すと、伝えたい気持ちのほとんどが消えてしまった。 「……わたしは、お兄ちゃんの意思を尊重しようと思います」 「お兄ちゃんの恋人として……」 「七波シロネとして……」 「それが、お兄ちゃんの幸せに繋がっているのなら……」 「でも、こんなに早いお別れなんて、悲し過ぎる……」 「うん……」 「わたしたちが求めていた幸福はこんなものじゃなかったのに……」 「うん……」 「でも、今を必死に生きようとしているお兄ちゃんが、どうしようもないくらい、愛おしいです」 シロネの顔は、強い悲しみを訴えている。 「海が見たいな……」 「連れてってくれないか……?」 楽しい思い出ばかりじゃない、あの海原が―― どうしても見たくなった。 肌の火照りはとうに静まっている。 僕たちは寄り添って、朝日が昇るのを待っていた。 徐々に沈黙が堆積していくのを、僕は穏やかな気持ちで受け止める。 心には幸せが満ち溢れていて、もう不安はどこにも無い。 動じたりもしない。 もしかしたら、そうする気力が残されていないのかもしれないけど。 それはそれで、幸福なことなんだろう。 「わたし……」 シロネが思い詰めたような表情で口を開いた。 「お兄ちゃんが思っているような、強い生き物じゃないです」 「“生き物”なんて言ってしまうのも、おこがましいくらいですけど……」 「うん。知ってるよ」 「シロネに強く生きて欲しいというのは、僕の願望だ」 「わたしに生きて、答えを見つけて欲しいと、お兄ちゃんは願っている」 「そういうことですよね?」 「うん」 すべてを受け入れてしまった僕―― そんなのは、嘘っぱちだ。 本当は怖い。 どうしようもないくらい、怖い。 シロネを置いて逝くなんて嫌だ。 「お兄ちゃんの願い……」 「叶えてあげたいです」 でも、もう時間は限られているじゃないか。 だったら、せめて強がっていたい。 最後まで、人間として生きていたい。 シロネの行く末に、光を見出していたい。 死という果てのない旅路には、幾つかの希{みち}望{しるべ}が必要なんだ。 「でも――」 「そんなこと、わたしに出来るでしょうか?」 「こんなに、弱くてちっぽけなわたしに……」 「本当のことを言ってしまうと……」 「僕にも、分からない」 「でも、シロネが“頑張って見つける”って言ってくれたら、嬉しいよ」 「そんなことでお兄ちゃんが喜んでくれるなら、そう言ってみたい」 「でも、約束は果たさないといけないので、軽々しく口には出来ません」 シロネは生真面目な顔で眉根を寄せた。 「シロネはどこまでも真っすぐだな……」 口の端から笑い声が漏れる。 「笑いましたね」 「わたし、何かおかしなことを言いましたか?」 「ううん、別におかしくはないよ」 「シロネらしいなって、思ってさ……」 普通の人間だったら、嘘でも“お兄ちゃんの願いを叶えてみせます!”とか口走ってしまうんだろう。 だって、目の前の男は死にかけている。 どうせ結末を見届けることは出来ないんだから。 「なら、いいんですけど……」 シロネは安堵して微笑む。 「朝になったら、新しい花を家から持ってきますね」 「お兄ちゃんも、わたしが育てた花が一番綺麗だって思うでしょう?」 「そうだな」 「シロネが一番綺麗だ」 「はうっ!」 「そんな、大胆なこと……はわわっ!」 顔を真っ赤にさせて慌てふためく姿には、笑いを抑えることが出来なかった。 「お兄ちゃんったら、すっかりプレイボーイです……」 「思ったことを口にしただけなんだけどな」 「ああ、もう……」 「こうやって、わたし以外の女の子にも愛を囁いたりするんですね」 「お兄ちゃんの成長を、受け止めきれません……」 「それは、無いよ」 真剣な眼差しで、精一杯訴える。 愛する君に、信じて欲しくて。 「愛しているのは、シロネだけだ」 「さっきも言っただろう?」 「……はい」 「そうでした」 肌を重ね合わせた時を、思い出したのかもしれない。 シロネの頬が、ぽっと朱に染まった。 「わたしは、本当に幸せ者です……」 そんなシロネのことが愛おしくて、頭を撫でたくなった。 手を伸ばそうと、腕に力を入れる。 「……あっ」 腕が動かない。 気がつくと、視界は輪郭を失い滲みぼやけていた。 「お兄ちゃん……!?」 驚いて、シロネが僕の手を握る。 シロネの手が、こんなにも熱いだなんて……。 知らず知らずのうちに、僕の身体は冷えていたらしい。 「お兄ちゃん、しっかりして……!」 「シ、シロネ……」 声を出すのも苦しい。 舌が痺れたみたいに、言うことを聞かない。 「お兄ちゃんの命が、消えていくのが分かります……」 「壊れそうなくらい、悲しいはずなのに……」 「どうして、涙が出ないの……!?」 憤りを自身にぶつけるように、シロネは嘆いた。 「今、この時以上に、辛いことなんてないのに!」 「やっぱりダメです!」 「居なくならないで、お兄ちゃんっ!!」 強い力で、抱き締められる。 まるで、僕の魂にすがるかのように―― 「わたしには、お兄ちゃんが必要なんです!」 「お兄ちゃんが居なきゃ、強くなんてなれない……」 「笑ったり、出来ないんです……」 恨めしさも、 悲しみも、 身体からすっかり消えてしまった。 「お願いだから、傍に……居てください」 「お兄ちゃんが居ないなんて、無理です……」 「ダメなんです……」 誰が決めたのかも知らない。 その“誰か”を憎む気持ちもない。 ただ、僕はもう行かなきゃいけないんだ。 「お兄ちゃん……傍に居て……」 僕は末期の言葉を発するために、大きく息を吸う。 「いつか、君は僕の気持ちを……」 「分かってくれるって……」 「信じている」 「お兄ちゃん……」 白い腕に身体を預けると、ふわりと宙に浮く。 身体の隅々まで、温かくて柔らかいものに包まれている。 そんな感覚だった。 「い、嫌っ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「……お兄ちゃん」 「お兄ちゃん……」 「……」 「……」 「お兄……ちゃん……」 海までの道のりは、今の僕にとって決して楽なものではなかった。 手を引かれながら、ゆっくりと歩くのもいい。 僕が望んだ場所なのに、辿り着けなくてもいいんじゃないかと思った。 ずっと2人で歩いていられたらな……。 そう願ったまさしく瞬間、僕らの目の前に大海原が広がり、海辺に着いたことを悟った。 「お兄ちゃん……」 なんの前触れも無く、シロネは衣服を脱ぎ捨て一糸纏{まと}わぬ姿になった。 呆然とする僕の耳に、規則正しく、波の音が響く。 月光が僕らを照らしていて、彼女の白い肌は真珠のようにまばゆく輝いていた。 「……お兄ちゃん」 何を言ったらいいのか分からない。 そんなもどかしさを湛えて、シロネが僕を呼ぶ。 僕は黙ったまま、シロネを見つめていた。 「……お兄ちゃん、何か言ってください」 「……うん」 そう答えたきり、次の言葉が出てこない。 「緊張しているんですね……」 「わたしも、同じですけど……」 でも、同時に僕は興奮している。 「上手く言えないんだけど……」 「それでも、構いません……」 「わたしは、お兄ちゃんの声が聴きたいです」 「思っていること、考えていること、なんでもいいから……」 辺りは静寂そのものなのに、僕らだけはヒリヒリとした焦燥感に包まれていた。 「……僕は、シロネのことを抱きたいと思っている」 「はい……」 「だけど、そういうことだけじゃないんだ……」 僕の望みは、ペニスを彼女の中に挿入することだけではない。 「痛みや、怯え、遠慮する気持ち、そういったものから解き放たれて――」 「互いの存在を、求め合いたいんだ」 「“互いの存在を求め合う”……?」 「僕は、セックスを通して君を満たしたいんだ」 「それが、お兄ちゃんの理想のセックスなんですか……?」 “子孫を残したい”“自分が幸福になりたい”という本能が人を恋愛に駆り立てる。 でも、それに囚われていたら―― 本能だけで動いていたら―― 僕は、シロネのことを、こんなに好きにならなかったと思う。 もちろん、きっかけは見た目や性格、妹の記憶を引き継いでいることだったかもしれないけど……。 「僕は、ありとあらゆるエゴを超えて、君とひとつになりたいよ」 「わたしも、お兄ちゃんとひとつになって、幸せだなって思って欲しい」 「わたしの望みは、お兄ちゃんを幸せにすること……」 「それは、今も昔も、やっぱり変わらないんです」 僕は、嬉しくなって微笑む。 「シロネは、初めからエゴイズムから解放されていたんだな」 「僕が1人で、ジタバタしていただけで……」 脳裏に様々なことが蘇る。 思い出の中の紅い瞳は、いつでも僕を見つめていた。 時に慈しみを持って、厳しさを持って……。 「そのジタバタだって、意味のあることだったんです」 「だから、今のお兄ちゃんが居るんですよ」 「今の僕は――」 終わりの近づいている、この僕は……。 「ほとんど空っぽで、そんなこと出来るのかなって不安だけど……」 「大丈夫です」 「きっと、大丈夫にしてみせます」 「わたしが居るんだから、大丈夫……」 シロネは呪文のように何度も同じ言葉を繰り返して、自分を支えているようだった。 「わたしが、お兄ちゃんのことを満たす」 「そうしたら、お兄ちゃんが今度はわたしを……」 「その、繰り返しです」 ゆっくりと語り掛ける声が、優しさと温もりを持って耳に届く。 「お兄ちゃん……」 「わたしの傍に来てください」 シロネに抱き寄せられるようにして、互いの体温を感じ合う。 彼女の肌は、しっとりしていて手によく馴染む。 「温かい……」 「お兄ちゃんを、抱き締めているだけなのに……」 「もう、こんなにも幸せなんです」 「幸せか……」 僕は、口元に微笑みを浮かべた。 「温かいって、それだけで、幸せなことです」 「お兄ちゃんも、わたしのおっぱい、温かいですよね?」 「……そ、そうだね」 無意識のうちに、シロネの胸を掴んでいた。 「息を、大きく吸ってみてください」 「え?」 「いいから、思いっきり吸い込んでみてください」 「……分かった」 双丘の谷間で深呼吸をする。 その匂いや空気に感触があるとしたら、僕は“柔らかい”という言葉がふさわしいと思った。 「幸せな気持ちになりませんか?」 「うん……」 「正直、今すぐ舐め回したいよ」 「っ……!」 「お兄ちゃん、ちょっと正直過ぎます……」 シロネは戸惑ったように感想を漏らした。 僕は、もう片方の手でピンク色の突起を責める。 「あっ……」 指先で挟み込むようにして、刺激を与える。 「ああっ……そこっ、あっ、んんっ……」 「舐め回したかったんじゃ……ふあっ、あっ、あんっ……」 「その前に、いろいろ下拵{ごしら}えを……」 「はあっ、んっ、あっ……んんっ、くうっ……ふ、ああ……」 「下拵{ごしら}えって……はっ、ああんっ、んんっ、ふっ……」 「わたしはお料理の食材か、何か……なんでしょうか……?」 今度は、少し力を入れる。 きゅっと乳首を摘まんで反応を見る。 「ふっ、はあんっ……ああっ、あっ……んんっ、くっ……」 「お兄ちゃんっ! あんっ、ふあっ、あああんっ、駄目っ!」 バストトップから手を放す。 「痛かった……?」 「ち、違います……そんなに、痛くはっ、なくてっ……」 「き、気持ちいいんです……」 「乳首、コリコリってされると、胸が、きゅって……なっちゃうんです……」 「そういう、素直な反応っていいな」 「……いい、ですか?」 僕は、どんどんと気持ちが昂ぶっていくのを感じた。 “きっと、大丈夫”という、シロネの言葉を思い出す。 ここからは、一気に駆け抜けたい。 「あふっ、ああっ……ふぁっ、あんっ……ん、ああ……」 「んんっ、く、ふうっ……お兄ちゃん、気持ちいいっ……」 「乳首、ああんっ! もっと、触ってくださいっ……」 望み通り、突起に触れる。 硬くなりつつあるそれを、摘まみ上げる。 「ふあんっ、はぁんっ……あああっ、あふっ、んっ……!」 「お兄ちゃんに、乳首っ、きゅってされるとっ、あんっ!」 「あっ、あっ……! ふあんっ! えっちな声が止まりませんっ……」 吸い寄せられるようにして、口を近づけた。 「はうっ……ああっ!」 乳首を口の中に含み、舐める。 「お、おっぱい……乳首、舐められてっ、あんっ、んっ、あっ……はあっ」 「ふぁっ、あんっ……ああ……これも、気持ちいいですっ……」 シロネの胸を片手でまさぐると、適度な弾力を感じた。 「お兄ちゃん、おっぱいっ……こんなに触ってっ……」 「ああんっ、んっ、はあっ……くっ、ああっ!」 「どんどん、高まってしまいますっ……あんっ、はぁんっ」 手のひらに少し力を込めると、指が沈んでいく。 白い肌は自ら吸い付くかのようだった。 「んうっ、ああっ、はあんっ、おっぱい……わたしの、おっぱいっ」 「こ、こんなふうになるだなんてっ……あんっ、んっ、あああっ」 こんなにもっちりとしていて心地いいものに、触らずにはいられない。 無心になって胸を揉みしだく。 「ふ、あんっ……あふっ、んっ、はあっ……」 「ま、またっ……おっぱい、そんなに力強くっ、あっ、駄目っ……」 「だ、駄目ですっ、あんっ! ふっ、んっ、あはっ……」 互いの汗のせいだろう。 さっきよりも、肌触りがしっとりとしている。 「んっ、はぁっ……ああっ……ふあっ……あ、んん……!」 「お、お兄ちゃんの舌が、わたしの、乳首をっ……ふっ、あっ……!」 乳首のことだって、忘れてはいない。 嫉妬されないうちに、強く吸い付く。 「もう、ああんっ……そ、そんなに必死に吸わなくても……」 「わたしのおっぱいは、どこにも行きませんよっ……はっ、あんっ……!」 わざと、ちゅぱちゅぱと音を立てるようにしてみた。 「はあっ、ああっ……まるで、赤ちゃんみたいに、ちゅうちゅう、吸って……ふあぁっ」 「あっ、んんっ……あふっ、んっ! あああっ……」 「でも、赤ちゃんと違って、いやらしい、ですっ……はうんっ、あっ、くうっ」 シロネが刺激に耐えかねるように、身じろぐ。 「じれったくて……んんっ、あっ、ああああっ!」 「ああんっ、あっ、あっ……おっぱい、も、もどかしいです……!」 いっそのこと、もっと気持ち良くしたほうがいいのかもしれない。 今度は口と手の両方を使って、彼女を愛撫する。 「ひゃんっ!? んんっ、あああっ……!」 「そ、そんなっ……両方の乳首をっ! ああんっ、んっ、ふっ!?」 「お、お兄ちゃん……わたし、ビクビクしちゃいますっ……!」 舌先を尖らせるようにして、先端を突{つつ}く。 「ああんっ、あっ、あっ……はあんんっ!」 べろりと舐めてから、ちゅうっと吸う。 乳首をつねるようにして、摘まみ上げる。 「んんっ! あふっ、んっ、あっ……ああっ……」 「わたしの乳首っ、はああんっ、あっ、あっ!」 「ふっ、あっ、んんん……! お兄ちゃんに、エッチにされちゃっていますっ……!」 シロネのピンク色の突起は、既に硬く尖っている。 口の中で転がすと、刺激に反応して彼女の身体が小刻みに跳ねた。 「んんんっ……!」 「はああっ、ああんっ! それ……くりくりってされるの、すっごく……好きですっ」 「はあっ、ああっ……お願い、もっとしてくださいっ……!」 請われた通りに、素早く舌を動かす。 「ひゃあんっ!?」 何度も何度も往復して、可愛がる。 「んっ……ああっ、あああっ……んんっ、くうっ……!」 「またっ、乳首っ……コロコロって、されて……ビクビクしちゃうっ……!」 テンポ良く乳首を弄る。 硬さを増したそれは、クリクリと動いた。 「はうんっ……! んんっ、ああっ、はあんっ……」 「お兄ちゃん……も、もう……駄目ですぅ……」 「わたし、もう……駄目になっちゃいますぅ……!」 シロネの熱い吐息を肌に感じる。 「乳首っ、弄られただけで……あああんっ!」 「イッちゃうの……! イッちゃううっ……!」 「あふんっ、んんっ、くうっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 シロネが腰をくねらせ、いやいやと逃れようとしたので、ぐっと引き寄せる。 胸に顔を押し付けるようにして、全力で吸い付き、絶頂を導く。 「あ、あっ、お兄ちゃん! それは駄目ですっ……! わ、わたし、乳首感じちゃって……んあああっ!」 「もう駄目っ……はあ、あっ!? 何か、すごいのが来て……」 「ひゃああああああぁぁぁ……っ!?」 びくんと一際大きく跳ね、くったりと力が抜けていくシロネを両腕で支える。 「あうっ……は……はあ……ああっ……」 「ちょっと、びっくりです……はあ……」 「おっぱいだけで、イッちゃうなんて……恥ずかしい……」 「シロネが気持ち良くなってくれるのは、嬉しいけど」 「そう……なんでしょうか……」 「うん……じゃあ、お兄ちゃんも……」 そう言って、シロネはしゃがみ込んで、上目遣いに僕のほうを見上げた。 僕は自らの衣服を脱ぎ去り、猛ったモノを彼女の目の前に晒す。 「ああっ……」 溜息のような感極まった声を出して、シロネは歓びを表した。 「お兄ちゃんの、おちんちんも……もう、こんなに立派だったんですね……」 「そうだよ……」 「乳首だけで果ててしまったシロネのことが、愛しくて堪らなくてさ……」 「だ、だって……あんなに、されたら誰だって……」 「それとも、わたしが変なんでしょうか……?」 シロネの口が動く度に、呼気が一物に伝わる。 そのくすぐったさを堪える。 「そんなことないって……」 「そうですよね……」 「大好きな人に身体を触られたら……あんな敏感なところを刺激されたら……」 「気持ち良くなってしまうのは、当然ですよね……」 シロネはほっとしたように独り言{ご}ちた。 「お兄ちゃんの敏感なところも、わたしの舌とお口で、いい子いい子してあげますね!」 生暖かい舌が、ペニスに触れる。 「んんっ……ちゅっ、んん……ちゅっ、ちゅっ、れろっ」 「くっ……」 竿に沿わせて、ゆっくりと舐め回す。 「ちゅる……んんっ、ちゅ、ちゅっ……ぺろっ」 下から舐め上げられると、背筋がぞくぞくした。 「……ん、ちゅ、ぺろっ、ぁむ……んんっ」 「おちんちんって……あっつい……ちゅ……ぅ、ん……あふ、んっ……ん」 「こんなこと……いつ、覚えたんだ……?」 「覚えたわけじゃないです……」 「お兄ちゃんを気持ち良くしたいと思ったら、身体が勝手に動いて……」 「ねえ、お兄ちゃん……ちゃんと感じるでしょう?」 「うん……」 「……ちゅるっ、んん、ちゅ……ふあっ……」 「お口を使ったセックスも……いいでしょう?」 「ああ……」 ちゃんと答えたいけど、叶わない。 たどたどしい舌の動きが、予想外の快楽を与えてくる。 「んちゅ……ん、んんっ……ちゅっ、ちゅるっ」 「ちゃんと、裏のほうとか……横のほうとかも……んんっ、ちゅ」 「ぺろっ、ちろっ……わたしの舌で、なでなでしてあげますからね……」 裏筋を擦るようにして、刺激する。 「ふあっ、ちゅ……ぅ、ん……あふっ、んんっ……ちろっ」 「ちょっと、恥ずかしいですけど……ちゅるっ、ちゅっ……」 「お兄ちゃんが、気持ち良くなってくれたら……いいなって……」 「シロネ……」 献身的な言葉に、愛おしさが募っていく。 「先端部から、お汁が……」 「ちろ、ちろっ……ちゅる、れろっ……れろっ……」 「だらだら流れて……ぺろっ、ちゅっ、ちゅるっ……」 気持ちに合わせるようにして、先走りが溢れていく。 シロネはそれを舐め取っていく。 「ぺろっ、ちゅるっ、んん……あっ……」 「はあっ……んんっ、ちゅる、れろっ、れろぅっ……」 懇切丁寧に舐め上げられると、カウパーはますます溢れ出していく。 「ふあっ……えっちなお水が、止まりません……」 「んんっ、ふっ、ちゅるっ……ちゅ、んんっ、ぺろっ……」 快感に悶えて、くぐもった声が漏れる。 「ああっ……おちんちん、動きました……」 「お兄ちゃん、大好き……」 「わたしのお口で、もっとビクビクってしてください……」 舌先を尖らせるようにして、カリを刺激する。 「んんっ、ちゅっ、ちゅっ……ふっ、んんっ……」 「このくびれたところも、なんだか良さそうです……」 溝に這わせるようにして、舐める。 思わず、膝が震えてしまった。 「あっ、ふうっ……ぴちゃ、ちろっ……ちろっ……はあっ」 「お兄ちゃんのお汁……ちょっとだけ、しょっぱいんですね……」 嬉々として、シロネが率直な感想を述べる。 「ちろっ、ぺろっ、ふっ……独特な風味で、癖になりそうです」 「わたしの唾液と混ざって……お口の中、ぐちゃぐちゃです……」 「ん、はっ……れろっ、あふっ……ちゅる、ぺろっ……」 直接カウパーをすくいたいんだろうけど……。 それは、尿道口を責めていることに他ならない。 「ちゅる……んっ、ぴちゃ、ぴちゃ……ぴちゅ……ぺろ、ちゅるっ」 「はあっ、逞しい……お兄ちゃんのおちんちん……」 シロネはうっとりとした目で、僕の分身を見つめた。 息は上がり、頬はすっかり赤く染まっている。 「ちゅるっ、ぺろ、ぺろっ……ちゅっ、ぴちゃっ……」 「ちゅる、ちゅりゅっ……そうだ……!」 シロネの瞳が、なにか思いついたとばかりに輝く。 「お兄ちゃんのお汁は、ガムシロップより、ずっと素敵だって……」 「明日、沙羅ちゃんに教えてあげましょう……」 「そのためには、もっと堪能しなくては……」 「んんっ……」 シロネは口を大きく開けると、ペニスを頬張った。 「あむっ……んんっ、ちゅりゅ、ちゅ……じゅるるっ……!」 「ん、ちゅ……んあっ、ふっ……ずりゅっ、んん」 咥え込んだまま、強く吸われる。 小さな口の中で、ペニスが暴れた。 「んんーっ、ちゅ……ん、ちゅ、む……ふぁっ……、じゅ……じゅるっ……ふっ」 「はむ……ん、ああっ……うんん、んんんっ」 口全体を使って、吸い出そうとしてくる。 長く続けられたら、堪えられそうにない。 「ちゅ……う、んん! じゅる、ちぅ、うっ……んん、ちゅるぢゅる」 「んんっ、ふっ……ああっ、お、大きいっ……!」 シロネの頭が激しく前後して、ヒリヒリとした快感が肌を伝う。 「じゅぽっ、ぢゅるっ、ちゅっ……ちゅるんっ、じゅるっ!」 「ぢゅぷ、ぢゅぷっ、ちゅーっ……ぢゅ、ぢゅぷんっ!」 根元まで食らいつくようにして、口の中に収める。 激しく擦られながら、シロネの喉の奥に亀頭が当たるのを感じた。 「じゅるっ、ちゅぷっ! ちゅう、ぢゅっ、じゅるる……じゅぷっ!」 「んっ、はっ……ぢゅるんっ、じゅ、ぢゅぷ、ちゅぷん!」 いつの間にか、僕の腰もピストンを繰り返していた。 シロネの苦しさを考慮して、なるべくゆっくりとした挿入を心掛けた。 「ぢゅる、ちゅりゅっ……じゅりゅっ! んんっ……!」 シロネが眉根を寄せると、喉が狭くなる。 ぎゅっと締め付けられて、僕はため息を漏らした。 「あふっ……んんっ、ちゅぷ、じゅるっ……」 「ちゅぷ、ちゅるっ、ふっ……じゅぷ、じゅぷ……」 口の中で蕩{とろ}けてしまいそうだ。 極限まで追い込まれていくのに、とっても心地いい。 「くぅん……ちゅる、んん、んむ……ぢゅるっ、んっ、ふうっ……!」 「あむっ、ちゅぷ……ちゅ、ぢゅるっ、じゅぷ、ぢゅ、ぢゅーっ!」 一層深く咥えられて、一気に吸引される。 「じゅるっ、ぢゅぷんっ、ぢゅりゅゅゅーっ!」 「くうっ……!」 もう、我慢ならない。 「あっ……!」 「ふああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」 ペニスを引き抜くと同時に、射精してしまう。 シロネの顔に、白い液体が浴びせ掛けられる。 「あっ……はあっ……お、お兄ちゃんっ……!」 シロネは恍惚の表情で、それを受け入れた。 「はあ……っ、ああっ……」 「ふふふ……」 「お兄ちゃんも、イッてしまいましたね……」 頬を汚した精液を拭うことなく、シロネは満足そうに呟いた。 「そんなに、わたしのお口セックス……良かったですか?」 僕は荒い息を抑えながら、二三度頷いた。 「はううっ……」 「そんな、蕩けそうな顔をして……嬉しいです……」 「こんなつもりじゃなかったんだけどな……」 苦笑いを浮かべる僕に、シロネはフォローを入れる。 「わたしは、お兄ちゃんを気持ち良くしたかったから、これでいいのだと思います」 「声を堪えているお兄ちゃん……とってもセクシーでした」 「……そっか」 「でも……今度は、僕の番だ」 そう言って、シロネの身体に触れる。 シロネを服の上に横たえると、覆い被さるようにして彼女の顔を覗き込む。 「ふああっ……ああんっ……!」 確認するまでもない。 彼女の濡れた秘部は、容易に僕を受け入れた。 「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……あっ、あっ、ああっ!」 戸惑いながらも、シロネは快感に身をくねらせた。 「うっ、はうぅぅぅぅっ……!」 「あっ、いいっ……あっ、あああんっ!」 「ふっ、ああっ……お、お兄ちゃん……」 「おちんちん……また、おっきくなってますぅ……」 シロネのすらりと長い脚が僕の腰を絡め取って、引き寄せた。 「お兄ちゃんのおちんちん、わたしの中っ、ずぽずぽって……!」 「はあっ、んんっ、ああんっ……あっ、ふああっ!」 「ああっ、音がっ、いやらしい音がしてっ……んっ、あっ!」 早くも蜜壺はぐちゅぐちゅと卑{ひ}猥{わい}な音を立て始めていた。 まるで、僕を誘っているかのように。 「あんっ、ああっ、ああ……お兄ちゃんっ……!」 「お願いっ……」 「もっと、気持ち良くしてくださいっ……!」 大きく頷くと、それに応えるように深めに挿入する。 猛った男根は吸い込まれるようにして、沈み込んでいった。 「ああっ、はっ、ふあっ、ああんっ!」 「わたしが、お兄ちゃんのことっ……もっと気持ち良くしますからっ……」 奥を探ると、ぐちゅぐちゅと音が立った。 僕達が愛し合った証が、鼓膜を震わせる。 「あうんっ、んっ、くっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 「お腹の中で、おちんちんが動いてっ……! はあっ、あふっ、あぁんっ!」 互いの体液が混ざり合う音―― それは、イノセンスな響きさえ湛えている。 「その……深いところっ、はあんっ、ふっ、あああっ、あっ……!」 「はうっ……ああんっ、あっ、おちんちん、熱くて、とっても、いいっ!」 「はうっ! んんっ、ああっ、はぁん……深いっ、そこっ……」 「やあんっ、あんっ、あっ! ……いいですっ、ん、そこ、そこですっ!」 シロネのおっぱいはやっぱり、柔らかくて……。 じんわりと温もりが、掴んだ手のひらに広がっていく。 「奥まで、入ってるっ……! 硬いおちんちんが、ぎゅうぎゅうに入ってますっ……!」 「あんっ、ふっ、はあっ……んっ、んんっ、はあんっ……!」 「あふっ、んっ、あああっ……」 「っ、ああああっ、んっ、はあんっ……熱いですぅ……」 「指先も、おまんこの奥だって、熱くてっ……んっ、はあぁっ!」 胸の谷間から、汗が流れていく。 それはシロネのものなのか、零れ落ちた僕のものなのか分からない。 「あんっ、ああっ……はあっ、あっ、あふっ、ん……」 「はあっ、ああっ……んっ、ふうっ……ああっ、ふあっ、あっ!」 「気持ち、いいんですっ……とっても、良くって、あぅ、んんっ、いっ、あんっ!」 「わたしが、こんなにエッチになっちゃうの……お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけですよ……?」 「分かってるよ」 僕がピストンを繰り返すと、二つのたわわな実りがぷるぷると揺れた。 「お兄ちゃん……ずっと、ずっと、好きでした……」 「はあっ、ああん、あ、はっ、あっ……好きっ……」 紅い瞳の奥が、切なそうに潤んだ。 「お兄ちゃんのことっ……好きですっ……!」 「あ、ああんっ、うっ……ああ、あ、ふあっ……! あぁっ、あああっ!」 「僕も、シロネのことが……」 “好きだ”という想いを込めて、子宮口と思われる最奥を突く。 「ひゃ、ああんっ……! ふっ、ああっ、くぅんんっ!」 「奥のほうっ、あっ、あ、ひゃぅんっ! コツコツ当たっ……当たってっ!」 「おちんちんっ、おっきいのっ、当たってますぅ……!」 「シロネっ……」 「ん、んん、あぁ、ふあぁぁ……あっ!」 「あああっ、ひああっ……んんっ、声、止まりませんっ! ふあっ、はうんっ!」 「ふああっ、あんっ! はあんっ、くっ、ふああっ!」 「おちんちんっ……おっきくてっ……あんっ!」 鼓動が早まり、息が苦しくなる。 でも、構うもんか。 「んっ……い、やあっ、あっ、あっ、あっ! お、奥ぅっ!」 「わたしの大切なところ、ずぽずぽって……ぐちゅぐちゅって!」 「もう、身体も、心も……おかしくなりそう……!」 グリグリと膣壁を抉るようにして、腰を動かす。 「わたしっ、そこっ……駄目ですっ……!」 僕は、このままがむしゃらに前へ進まなくていけない。 「お兄ちゃんっ、脚が、震えますっ……んっ、あっ、はあんっ!」 「はんっ、ああっ……! ふあっ、あ、ふっ、んんっ……!」 そうじゃないと、駄目になり無駄となる。 そんな柔な強さを振り絞って、僕はシロネを愛した。 「そんなに、ずぼずぼされたら……あっ、あっ、感じちゃってっ……!」 「また、おまんこっ、びくびくって……! そこっ、やんっ、ああっ!」 快感を貪るように、シロネの脚が僕を締め付ける。 息も絶え絶えだったけど、その瞳は喜びに満ちている。 「ふあっ、ああっ、ふあぁぁぁんっ……! ふああっ……あんっ……!」 「お兄ちゃんっ、どこにも行かないで、くださいっ……!」 「ああんっ、ふあんっ! わたしのことだけが、好きって言ってっ……!」 「シロネのことが好きだよ……」 「シロネのことだけを、見てる……」 「ひゃ、んんっ! いっ、ああっ! ふぁんっ! お兄ちゃんっ……」 「嬉しいっ……もっと、好きって言ってっ……くだしゃいぃっ……!」 「……好きだ」 シロネも、弾みを付けて腰を振る。 「ああんっ、ふあんっ! あっ、うああっ、ふあんっ!」 「お兄ちゃんっ……わたし、幸せですっ……」 タイミングを上手く合わせているんだろう。 ペニスが深く飲む込まれる度に、身を打ち震わせた。 「お兄ちゃんのっ、おちんちんの先っぽ、当たってっ! はぁんっ!」 「奥のほうがっ、きゅんって! ひゃ、あんっ、す、凄いれすっ……!」 「そこっ、ぐりぐりって、はあんっ! はうんっ、ふっ、ひゃあんっ!」 「しゅ、しゅごいっ! ああんっ、くっ、はあっ!」 呂律が怪しくなりながらも、シロネは悦びを訴え続けた。 それが、僕の歩みを後押しする。 「んんっ! あっ! あっ、ああっ! はああっ……!」 「そこっ、擦ったらっ……! ああ、あっ、ああんっ……」 「あんっ、あっ、くっ、あぁんっ……っあ、ああっ、んっく!」 感動が2人の身体を廻{めぐ}って、より強い官能を生み出していく。 セックスで互いを満たすというのは、きっとこういうことだったんだろう。 「んんっ、はうぁっ、あっ……はあんっ、ふあっ、あっ……!」 「お兄ちゃんっ……ああっ! つま先まで、痺れそうですっ……」 刺激に緩急を付ける。 時には掠{かす}めるように、時にはしぶとく押し付けるように。 「ふあ、ああっ……んっ、ふうっ……ああ……!」 「その動きっ、とってもいいですっ……! いやっ、ああんっ!」 「ん、んんぅ、はあんっ……! あんっ、あっ、あっ!」 「こ、こんなの……耐え切れませんっ! ひああっ……はあっ!」 長いまつげが、か弱く震える様まで愛おしい。 奥歯を食いしばって、荒ぶる息を殺す。 「あっ、ああっ……やんっ、ふあっ……ああんっ!」 「お兄ちゃん……ふあっ、はあぁっ、あっ、あああっ……!」 「んっ、はっ、あっ、ずっと一緒っ……! わたし達、ずっと一緒ですよっ……!」 欲望をひとつ超えたところで、シロネのことを求めている。 心の奥底からせり上がる想いが、胸を締め付けた。 「ああぁぁぁんっ! お兄ちゃん、愛してますっ……!」 「愛してますぅ……お兄ちゃんっ……」 「シロネっ……」 「はうっ、あっ、んんっ、ひゃあんっ、んっ、はあぁっ!」 シロネの膣内は僕を求めて、しきりにハグを繰り返している。 その小刻みな震えが、終わりが近いことを告げていた。 「んんっ、あっ、やんっ! お腹っ、響いてっ……!」 「はうぅん! もうすぐ、イッちゃうんですね……お兄ちゃんっ……!」 「はあっ、くぅんっ! あっ、あああんっ!」 「来てる……来てますっ! ひゃっ、あぁぁ、んんっ!」 シロネの脚は僕の腰を捉えて放さない。 それは、彼女の膣壁が僕のペニスを締め付けるさまに似ていた。 「んんっ、ふぁっ、ひっ、あっ、あっ、あっ、くっ、ああ、っあぁぁっ!!」 「ふあっ、あんっ、はうんっ、あぁっ! んっぁ! あっ、ひゃあぁぁんっ!!」 「お兄ちゃんっ……好きっ……んんっ、はっ……っくぁ……」 パンパンっと肉体がぶつかり合う音の中で、シロネは懇願した。 「愛してるって……言って……」 「わたしのことっ……あんっ……はあっ……ふああっ……!」 「わたしのことっ、愛してるって言ってくださいっ……!」 シロネは身体の中の力を集めて、声を発している。 細い肩が、涙する時のように震えている。 「そしたらわたしっ、わたしっ……! はあぁっ……あっ、あああっ……!」 「もう、それだけでっ……大丈夫なんですっ……!」 「大丈夫に、なりますからっ……ああんっ、ふあっ、あっ、あっ、あーっ!」 燃え上がりそうなくらい、身体が熱い。 僕は、瞳に力を込めシロネを見据える。 「愛してるよ……」 「シロネのことを、愛してる……」 「んあっ……あふっ……ああっ! お兄ちゃんっ……!」 「わたしも、ずっと……ずっと……愛していますっ……!」 膣内は激しく収縮した後、一瞬動きを止めた。 切ない叫びと共に、僕達は終わりを迎える。 「好き! 好き! 大好きっ、大好き……!」 「イク、イクっ! イッちゃいますっ! んぁぁっ、おまんこ、ぐちゃぐちゃにされて、ふあぁ、イッちゃいますぅ……!」 「あっ! あああっ! も、もうっ、イクっ! イクのっ!」 「ふっ、あっ……お兄ちゃん、お兄ちゃん出してっ! わたしの中で、いっぱい出して!」 「ああっ……だめ、だめっ……! わたし、わたし、妊娠しちゃうのっ……!」 「シロネ……!」 「あっ、あっ、あっ、あっ、ふあっ! くっ、ああああぁぁんっ!」 「駄目っ……! イッちゃううぅぅっ……!」 「あっ! ああああああぁぁぁんっ……!」 「ふあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」 小さな身体が跳ねるようにしなる。 ありったけの想いを、シロネに届けたい。 一滴残らず、彼女に捧げる。 「ああんっ、ふっ、ああっ! お兄ちゃんっ……お兄ちゃんっ……」 そんな気持ちで、ただただ射精し続けた。 絶頂を迎えたシロネは、長い喘ぎ声でもって、悦びを受け止めていた。 「あ、あっ……あああんっ! 熱いれすぅ……」 ペニスは射精を続けていて、最奥に子種をぶちまけていた。 やがて、快楽は少しの余韻を置いて、波のように引いていった。 「ふあっ……ああっ、はあっ……」 シロネの秘部は、漏れ出した精液で濡れていた。 ぽたり、ぽたりと白濁した液体が、滴り落ちていく。 「はあ、あ……お兄ちゃん……」 シロネの口元に微笑みが添えられた。 心底満足そうな微笑を見て、僕も安堵の溜息を吐く。 「シロネ……」 愛しい人の名を呼ぶまでに、暫く時間が掛かってしまった。 それくらい、互いに消耗していたし……。 言葉を必要としないくらい、満ち足りていた。 「お兄ちゃん……」 シロネもそれきり、口を噤{つぐ}んでしまう。 口に出して言わなくても分かっていた。 僕達は、限られた時の中で、精一杯愛し合った。 「……」 それが、本当に嬉しくて……。 ちょっと切なかったということを。 「……お兄ちゃん」 「なんだか、夢みたいです」 荒い息もようやく収まった頃、シロネが紅い瞳をこちらに向けて呟いた。 「これは、夢なんかじゃないよ」 「……これから朝がやって来て、世界が動き出す」 「世界という大きなうねりの中では、わたし達は、あまりにもちっぽけで……」 「取るに足らない存在です」 言いたいこともあったけど、僕は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。 眼差しで、続きを促す。 「でも、2人が愛し合ったことが……無意味だったなんて思えない」 「ああっ……」 感に堪えないというふうに、シロネは目を閉じた。 「わたしは、想像出来ます……」 「お兄ちゃんの命は、もう……」 言葉尻が震えるのを、シロネは必死に隠した。 「わたし達には、“いまここ”しか与えられていないというのに――」 「どうして、手の届かない過去や、見たことのない明日を想うのでしょう……」 「それは、神様が、人間とトリノに与えてくれた素敵な力だよ」 「お兄ちゃん……」 「悲しくて……嬉しい力だ……」 「わたしは、今は……嬉しいとは思えません」 シロネの手を掴む。 ゆっくりと指と指との隙間を埋めていく。 「……温かい」 「お兄ちゃんの手、温かいです……」 「想像の翼は、いつか君のことを助けるよ……」 「助ける……?」 「どうやって……?」 「それは……」 「今、伝えてもピンとこないと思うよ」 「……そんなこと、ないと思います」 「今すぐ教えてください……」 「想像することは、どんなふうにわたしを救うんですか?」 ムキになるシロネがおかしくて、微笑む。 それから、厳{おごそ}かな気持ちで口を開いた。 「僕が、居なくなっても……」 「君は、僕を、胸の中に思い描くことが出来る」 僕の肉体も、精神も、影すら失っても……。 君が未来を見据えて、 僕を呼ぶのなら、 きっと、帰ってくるだろう。 魂は、愛しい声の周波数を覚えている。 それから、しばらく経ちました―― あなたを失った悲しみは、沢山の人の胸にあって……。 涙に濡れる顔を一人一人思い出すだけで、さらに心の空洞が大きくなりそう。 身体の中のものが、すべて溢れ出てしまいそうなくらい悲しい。 それなのに、まったく涙することが出来ないわたしを―― 沙羅ちゃんは“あまりに悲し過ぎると泣けないこともある”と言って、慰めてくれたんだ。 そんな優しさが、ジワリと染みた。 今度こそ、“泣けるかな”と思ったけど……。 愛する息子を失った悲しみに暮れる、お母さんを見ていたら、泣くに泣けなかった。 わたしなんかが、泣いてちゃいけないと思った。 お母さん、全然寝れてないんだろうな。 せめて、口に入るものを作ってあげなくちゃ。 お風呂を沸かしたら、入ってくれるかな? お葬式の段取りを確認して……。 あっちと、こっちに電話をして……。 夕梨ちゃん、とっても顔色が悪い。 ふらふらしているから、支えてあげないと。 こんなふうに―― まるで、ただの家事をサポートするアンドロイドみたいに働いていた。 だけど、今日、お母さんは言った。 “シロネちゃんのお陰で、なんとかなった” “本当に、ありがとうね” やつれていたけれど、お母さんの笑顔を見るのは久しぶりだった。 気が付けば、海外から戻って来たお父さんが隣に居た。 互いの手を握り合う姿に、わたしはほっとした。 なんとなく、役目を終えた気がして……。 ああ、今夜もこの森は静寂に包まれている。 わたしは1人で手紙を書くために、この場所にやって来た。 手に持っているのは、もちろん、あなたに宛てた手紙。 あなたの遺骨は、白音さんと同じように、この森に撒かれている。 あなたはここを、“記憶媒体”だと言っていたっけ。 だったら、この場所には、あなたの記憶も溶け込んでいるに違いない。 そんなことを考えながら手紙を書いているうちに、いろいろな疑問が浮かんだ。 “この手紙は、いったいどこへ行くんでしょう?” “お兄ちゃんは……今、どこに居るの?” “本当に、わたしの中で生きているの?” 当然、返事はない。 虚しさだけが、足元から這い上がってきた。 手紙を読み上げてみても、その気持ちは消えなくて―― 強い風に煽られた拍子に、便箋は散り散りになって飛んでいった。 それはまるで、白い鳥の羽。 “あっ”と短く叫んで、わたしはそれを見送った。 追い掛けても、どうしようもない。 あの白い鳥のように、あなたは手の届かない場所に行ってしまったんだ。 あなたの傍に寄り添うことが、わたしの生きる意味だった。 あなたは、わたしの中に希望を見出そうとしたんだ。 “あなたとわたしの幸福とは?”という問いに、わたしが答えられる日が来ることを―― 永{と}遠{わ}に生き、あなたを愛し続けることを願って。 だけど、もういいんだ。 もう、いいって言って……。 誰も、返事をしてくれないからこそ、気持ちが固まることもある。 わたしの運命は、わたしが決めるんだって……。 あなたも言っていたでしょう? 怖れなんかない。 あなたを失ったまま生きるほうが、よっぽど怖い。 寂しくなんてない。 あなたが旅立った日に、すべての寂しさを知ったから。 後悔なんてしない。 後悔するべき主語を失うから。 やっぱり、わたしは誰の希望にもなれないんだ。 自分のことだって、導くことが出来ないんだから。 こんなわたしが、答えを得ても……。 今、逝きます。 あなたの元へ―― わたしに、魂というものがあるのなら―― それは、鳥の形をしていたらいいな。 「……」 「…………」 「綺麗……」 「良かった……」 「目が、覚めたのね……」 「……白いマーク」 「さっき、飛んでいったのと同じです」 私は、パチパチと瞬{またた}きを繰り返す珊瑚色の目を、愛しさを持って眺めた。 「今、どんな気持ちなの?」 「えっと……複雑です」 「驚いているような、悲しいような、嬉しいような」 生まれたばかりの赤ん坊も、同じ気持ちなのかもしれない。 赤ん坊と違うのは、彼女の中には基礎的な学習記録が内蔵されているということ。 「身体は動かせる?」 「はい」 「きっと、出来ます」 「おはよう、トリノ」 「……」 「こんにちは」 「こんばんは」 「あなたはトリノ。“私達”が作ったの」 「……トリノ?」 「そうよ」 伸ばした手に、彼女の手が重なる。 きちんと、人間の体温を保っている。 「あなたに与えられた三つの原則を、言って見せて」 「はい」 「第一条。アンドロイドは、人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」 「第二条。アンドロイドは、人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない」 「第三条。アンドロイドは、第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない」 「ありがとう」 あの日を思い出すようだ。 声も身振りも変わらない。 「あなたはこれから、この世界で生きるの――」 だから同じように言う。 「だから……」 その時、前とは違う反応が返ってきた。 「あの……」 「なに?」 「私の名前は“トリノ”というのですか?」 思わずきょとんとしてしまう。 そう、同じようにしたからといって、同じように返ってくるわけではない。 それが、トリノ。 私はひと呼吸置いて、彼女に告げた。 「いいえ、あなたの名前はシロネ」 「夜明け前に目覚めた、3{・}番{・}目{・}のシロネ」 「……わたしは、シロネ」 そう呟く研究対象物に、私は微笑んだ。 「そう、シロネ」 「世界を変えてちょうだい」 「どうして、こんなところまでやって来たのでしょうか?」 「あなたを育てるためよ」 「……育てる?」 「いろいろなものを見て、感じて、考えることで、あなたの中身は成熟していくの」 「そこは人間と一緒なのよ」 「おお!」 「これは、わたしに必要な行為なのですね?」 「そう。だから、質問は大歓迎」 「なんでも聞いて」 さっきまで、シロネはすらりと長い脚で、真っ直ぐに歩いていた。 ボディバランスの調整は、上手くいったみたいだった。 「ここはなんですか?」 「ここは、家」 「人間が帰るべき場所」 「“家”……“帰る”……」 「家は、安心……」 「カエルは両生類……よく跳ねて、鳴く」 「そのカエルではないわ」 「ゴー・ホームの“帰る”よ」 「……そうですか」 シロネは食い入るように家を見つめていたけど……。 あの頃の記憶は、彼女の中には無い。 「なにか、気になるところでもある?」 「はい」 「気になることがあり過ぎて、どこから尋ねたらいいのか分からないくらいです」 「それもそうよね……」 「とりあえず、家の中に入りましょう」 「分かりました」 シロネはきびきびとした足取りで、私の後に続いた。 「これがピアノで、あれは花……」 シロネは一歩進むたびに、あれこれ尋ねてくるので厄介だ。 自分で質問を命じたくせに、うんざりしているだなんて―― ちょっと、自嘲してしまう。 「……家の中には、いろいろなものがありますね」 「ピアノも、花も初めて見ました……」 「そうでしょうね……」 あんなに楽しそうにピアノを弾いていたのに……。 感傷的になる気持ちを、無理やり押し殺す。 「今のシロネからしたら、ほとんどすべてのものが初めてでしょう?」 「はい。目が回りそうです……」 「ゆっくりでいいの。世界は、まだまだ広いんだから」 その言葉はシロネだけに向けたものじゃない。 自分にも言い聞かせたかった。 シロネの好奇心にも、ゆっくりと応えていこう。 「家で見た花が並んでいます」 商店街を歩いていると、花屋の店先でシロネが興味を示した。 「よく見て。同じ花ではあるけれど、種類が異なるわ」 「……確かに」 「人間の顔が異なるのも、種類が違うからですか?」 「いいえ。それは個体差よ」 「個体差……」 「……少しずつですが、分かってきました」 「ありがとう」 その他のものには興味を示さず、すたすたと歩いていく。 「ここは――」 「海」 「知っているの?」 「はい」 「海は大きな水たまりで、しょっぱいとだけ……」 「なんだか変です」 「この場所に来たら胸が苦しくなりました」 「どうして?」 「分かりません……」 「あなたは、知っていますか?」 「わたしが辛くなってしまった理由を、知っていますか?」 シロネは海のほうを向いたまま、身{み}動{じろ}ぎ一つしない。 私はポケットを探る。 指先に便箋が触れて、取り出そうと思ったけど、結局やめる。 私は、観察者なんだ。 研究対象に干渉してはいけない。 「知らないわ」 「……そうですか」 「残念です」 私は、あの日―― シロネのGPS信号を追って、森にやって来た。 彼女を見つけた時には、もう手遅れだった。 メモリは初期化され、ただの精巧な容れ物だけが、木陰に転がっていた。 舜を亡くしてから、まだ間もない頃だったから……。 悲しみよりも、虚しさのほうが勝{まさ}った。 そうなのだと思った。 「記憶の連続性」 「記憶の断絶である」 きっと、シロネもそう思ったのだろう。 彼自身は否定していたけど……。 舜を襲った悲劇の発端は、私とシロネの2人で生み出したものだと思っていた。 記憶を抜き取った私と、記憶喪失を招いたシロネ。 シロネだけが、罪を置いて旅立っていったことが、許せなかった。 シロネは永遠に続く絶望―― 舜の不在に耐えかねて、自ら記憶を消し、1人で逃げ出したんだ。 私は、そう決めつけた。 シロネは確かに死んだのだ。 死ぬことが出来た彼女は、幸せになれたのだろうか? 「?」 その時。 他の研究員の助けを借りて、シロネを運んで貰っているうちに、私は見つけた。 森の中に散らばった、白い便箋を。 「これは、シロネの字ね……」 一目で、シロネが舜に宛てた手紙であることが分かった。 私は、苦労してかき集めた手紙に目を通す。 「私にとっての幸福とは、繋いだ手の温もり、花の名前、満天の星空と白い鳥……」 「書き切れませんが、そういうことでした」 「今、これを読んでいるあなたは、この答えを聞いて納得することもないかもしれません」 「ただ、私はあなたに知って欲しい」 「伝えたい」 「理解して欲しい」 「だから、手紙として書き残そうと思いました」 「私は、いつか信じて貰える日が来ることを望んでいる」 「その日のために――」 「これを読むあなたに訴え掛ける必要がある」 「何度でも、何度でも……」 「彼を愛して良かった」 「私と彼は幸せでした」 「答えは、もう」 「すぐ傍にあったんです」 なんだ―― シロネはもう、答えを見つけていたんだ。 だから、居なくなってしまったんだ。 もう、この世界に未練なんて無かったんだ。 もし、この手紙を3番目のシロネに見せたらどうなるだろう? 何かを思い出すのだろうか。 メモリに残された記憶は、消去してしまったのに? でも、もしそうならば―― シロネは、アンドロイドにおける記憶という概念を覆す。 人間のように、脳以外の臓器にも記憶のようなものが残ることを、証明することになる。 だけど、私はそれを試すことはしない。 3番目のシロネに、この手紙を渡す日は来ないだろう。 私には、打ち込むべき研究があるのだから。 アンドロイドが人に寄り添うことは、出来るのだろうか? そう、あの日約束した。 「そうよね……」 なぜだか、私は笑ってしまった。 「記録」 これは、私だけが知る秘密。 海が輝く程に、シロネのシルエットは陰に沈む。 「さざ波が立っている……」 「ええ、そうね」 「海とはそういうものなのよ」 私は、優しく諭した。 「違います」 「え?」 「わたしの中で、波が立っているんです」 「……そんな気がします」 「比喩表現か……」 シロネはこの短時間で、確実に学習している。 私は喜びをもって、彼女の背中を見つめた。 「わたしの中で、何かが変化している」 「それが、やがて濁流のようになって……」 「助けてください……」 「わたし、おかしくなっているのでしょうか……?」 「いいえ、心配することはないわ」 その変化を、わたしは望んでいたのだから。 「怖れなくていい」 「受け入れて」 「……わたし、泣いてる」 「どうして……?」 「どうして、こんなに悲しいのでしょう……?」 「これが、涙……これが、悲しみ……」 顔を見なくても分かる。 本当だ。 シロネは本当に、泣いているんだ。 「温かい……」 「目から液体が零れて、止まりません……」 「泣いているんですね……」 「涙は、非常に高度な感情表現なのよ」 「ひとつ、いいことを教えてあげる」 涙することの出来た、ご褒美に。 「知ってる?」 「悲しみで涙を流すのは、人間と、トリノだけ」 「……人間と、トリノだけ」 復唱する声には、驚きが含まれている気がした。 「そうよ」 「あなたは、特別な存在なの」 私は、私の答えを見つけよう。 「あなたは、“tri”、3番目のシロネ」 「白い鳥のように、世界に羽ばたいていくの」 「それが、私の望み――」 そして、彼の願いなんだ。 シロネは、宝石のように煌{きら}めく海原を眺めていた。 その目にはまだ、彼女が求める誰かは映っていない。 果ての無い時間だけが、シロネの眼前に広がっている。 「シロネ、どうしたの?」 やがて、シロネは歩き出した。 海に向かって―― 彼女の足首が波打ち際に浸かっても、私は止めない。 「シロネ……」 いつぞやのことを思い出してドキリとしたけど……。 私は、彼女の選択を見守ることに徹する。 「あなたに会いたい」 「それでも、わたしは――」 「まだ会えない」 そう言って、立ち止まる。 「そうですよね?」 「――」 それは、小さな声だった。 いや、本当に声だったのだろうか? 誰かの名前を呼んだ気がしたけど……。 私の耳には届かなかった。 多分、幻聴だ。 私の願望が、シロネの声を歪ませたに違いない。 ただ、波の音は変わらず、規則正しく響いていただけ。 きっと。 昼間には夕梨といろいろあったけど、シロネが帰って来た後は、静かに家で過ごした。 明日から学校に復帰するために、教科書などを準備する。 少しだけ不安はあるけど、頑張らないと。 「お兄ちゃん、夕ご飯、出来ましたよ」 「ありがとう、今行くよ」 シロネは当然のように、僕の昼食も夕食も作ってくれている。 僕の分だけを作り、僕が食事を摂るのを眺めて、片付けまでシロネがやってくれる。 「シロネ、片付けは僕がやるよ」 さすがに自分が食べるわけじゃないのに、僕の分の食事を用意して貰うのは、気が引ける。 料理の知識は……シロネほどは無いけど。 片付けくらいは自分でやりたい。 「ううん、大丈夫ですよ。お兄ちゃん」 「百南美先生は大丈夫だと言っていましたが、お兄ちゃんは退院したばかりなんですからっ」 「ここは、妹のわたしに任せてくださいっ」 シロネはにっこり笑って片付けの準備を始める。 妹か……。 その言葉が、どうしても引っ掛かる。 シロネは……容姿は本当に白音そっくりだ。明るいところも、笑顔も、白音が成長した姿そのものだと思う。 だけど――白音は本当にもう居ないんだ。海難事故で――亡くなってしまったんだ。 僕には、白音が亡くなった記憶は無い。亡くなった後、今まで生きてきた記憶も、何もかも失ってしまった。 「お兄ちゃん、明日からは学校に行くんですよね」 手を止めて、シロネが僕に話し掛けてくる。 「うん。行ってみようと思ってる」 「分かりました。ふふっ、お兄ちゃんは朝が弱いんですから、今日は早く寝てくださいね?」 シロネはすごくしっかりしてる。 弱視で、ほとんど何も出来なかった白音とは……違うんだ。 だからなんとなく、シロネを白音と同じようには、思えないでいる。 「シロネって、白音の記憶があるんだよね?」 シロネには、白音の記憶データが入っていて……他には存在しない、唯一のアンドロイドだと、沙羅は確か、そう言っていた。 「はい。わたしは、白音さんの記憶データを持っています」 「白音さん……? そういえば、前にもそう言ってたよね」 「白音と、シロネは……」 「お兄ちゃん、白音さんとの思い出は覚えていますか?」 「うん。全部じゃないと思うけど……」 幼い頃のことだ。全てをちゃんと覚えているわけじゃない。 「わたしは、覚えています。お兄ちゃんと過ごした日のこと、全て」 「アンドロイドであるわたしは、記憶を忘れることはありません」 「だけど、白音とは、違うんだね……」 「……はい。わたしが白音さんだと感じていた時もありましたが、今は、違うと思っています……」 シロネはそう言うと、すごく悲しそうな顔で俯く。 「ごめん。言っちゃだめだったかな」 「あっ……しんみりしちゃってごめんなさい。わたしは大丈夫です!」 「片付け、終わらせてしまいますね」 シロネはそう言って、洗い物の続きをしに台所へ戻る。 シロネも……白音と自分が違うと感じているんだろう。 「白音……」 「はい? どうしましたか?」 「あ、いや……なんでもないよ」 シロネと一緒に通学路を歩く。 身体の調子も悪くない。今日から、僕は学校に復帰する。 「……」 覚悟していたはずだけど、やっぱり気が滅入る。 一度も通った記憶の無い学校に、戻るだなんて……。それって戻ると言えるのだろうか。 「お兄ちゃん、大丈夫ですか? 顔色が悪いです……」 「うん……大丈夫」 「ちょっと、不安だけど……」 「わたしは1年生で一緒に居られませんが、お兄ちゃんのクラスには沙羅ちゃんも居ますから」 「百南美先生も、しばらくは無理をせずに少しずつ通えばいいって言ってましたし。何かあったら、連絡くださいね」 「ありがとう」 「……」 ここが、僕が通っていた学校か。 初めて来たようにしか思えない。通っていたという実感が湧かない。 「全然、見覚えないや。ここに、ずっと通ってたんだよね」 2年生だということは、この先1年以上もここで過ごすわけだ。 「はい。みんな、ここに通っているんですよ」 「わたしも、沙羅ちゃんも、夕梨ちゃんも、日比野先輩も、ハナコ先輩も」 「そっか……」 1人きりじゃないと思うと、少し心強い。 「ふう……」 深呼吸をして、僕は校舎へ向かって歩き出した。 百南美先生にクラスや出席番号を教えて貰い、その場所に行ってみる。 「……」 僕が教室に入った瞬間に、クラスメイトの視線が一気に僕へと集まる。 好奇の視線を避けるように、百南美先生に言われていた席に着く。 席に着いた途端、あちこちから囁くような声が聞こえてくる。 事故のこと、記憶喪失になったこと。 囁き声の内容は、僕の耳にも届いていた。 周囲を見渡しても――見知った顔は、誰1人いない。 見覚えすら無く、思い出す気配も無い。 僕は本当に、この教室に居たんだろうか。 「……」 沙羅が僕が来たことに気付いて、近くに来てくれる。 「沙羅。おはよう」 「おはよう。いろいろ言う人はいるけど、気にすることはないと思う」 「これ。舜が休んでた時のノートのコピー」 「私も休んでいた分のは無いけど、良かったら使って」 ノートをパラパラとめくると、綺麗な字が几帳面に並んでいる。 「ありがとう。助かるよ」 「どういたしまして」 沙羅はそう言って、自分の席に戻っていく。 「あっ……、七波くん」 綾花が教室に入って来て、僕の姿に気付く。 「おはよー。今日から登校だったんだね」 「うん。この間はありがとう」 「いえいえ。アイス美味しかった?」 「それはちょっと」 「あはは、やっぱりか。分からないことがあったらなんでも聞いてね」 「うん。助かるよ。ありがとう」 分からないことは聞けばいい。そうだな。 顔を上げると、みんな何事も無かったように普段の会話に戻っていた。 「はあ……」 休み時間になり、僕は教室を抜け出す。 先生たちは普段通りに授業を進める。 不思議な気分だった。自分に関する記憶は何1つ無いのに。 勉強に関することは、なんとなく――覚えてる。 朧げではあるけど、頭にある。 それが、どうにも不自然で落ち着かなかった。 1人になりたくて、なるべく人気の無いほうへ向かっていると、向こうから百南美先生が歩いてきた。 「おや、七波くん」 「百南美先生、どうして学校に?」 「きみの体調に関して、担任の先生に説明をしにね。それと、先生はスクールカウンセラーもやってるんだよ」 「久しぶりの学校はどう?」 「体調は大丈夫です。でも、ちょっと変な感じです」 「思い出せることが、何も無くて」 初めて来た場所のようで、どうにも落ち着かない。 自分の過去はもちろん気になる。早く思い出したいとも思う。 だけど――。 「…………」 思い出したくないとでも言うように、胸が苦しくなる感覚に苛{さいな}まれている。 「七波くん、大丈夫? 顔色が悪いわ……」 「……大丈夫です。すみません……」 「……今日は、もう早退しても大丈夫ですか?」 「うん。分かった。早退の連絡は、先生のほうからしておくよ」 「しばらくは、七波くんのペースで大丈夫だから」 「……ありがとうございます」 荷物を取りに、教室へと戻る。 僕は、逃げるように学校をあとにした。 「…………」 ここに来れば、何か思い出すだろうか。 僕は、この場所で海難事故に遭ったと聞いている。 花火大会の日に白音が亡くなったのも、この場所だったらしい。 ずっと、気持ちがモヤモヤしている。 「どうして……記憶喪失なんて……」 クラスメイトが、みんな悪い人たちなわけじゃない。 誰だって、知り合いが記憶を失ったとしたら、あんな態度になるだろう。 『七波舜』 何も分からないまま。 亡くなった妹と同じ姿のアンドロイドと、2人で暮らして。 手探りの毎日で、早く記憶を取り戻さなくてはいけないという気持ちだけが、どんどん強くなる。 「居た! やっぱりここだった」 「……夕梨……どうして」 ふと顔を上げた時、目の前に現れたのは、夕梨だった。 「シロネに、今日から復帰してるって聞いて。慌てて教室覗いてみたら、もう早退したって聞いて、探してたんだ」 「わざわざごめん」 「登校するなら、言ってくれたら良かったのに」 「あたしたち、結構一緒に登校してたんだよ?」 「そうだったんだ。知らなかった」 知っていたとしても、連絡したかどうかは分からない。 夕梨の性格はなんとなく分かってきたけど、まだどこか、遠慮してしまう。 「そのうち家に帰るから、夕梨も授業に戻っていいよ」 「いやいや、あたしは不良だし、サボるの慣れてるから」 不良だからなのか……? 夕梨は、一般的な不良のイメージとはかなり違うようだけど。 「そんな堂々と……! 昨日も、サボらせちゃったしさ」 「もう、気にし過ぎっ。あたしのことより、今は舜のことのほうが大事っ」 「舜、大丈夫? 酷い顏してるよ」 「……ごめん」 『大丈夫』 「海、見てたの?」 「うん……。何か、思い出せるかと思って」 「……そっか……」 夕梨は、僕が記憶を失った事故のことを知らない。 詳細は話していないと、沙羅から聞かされている。僕も、今は言わないほうがいいと思う。 「…………」 「あたしに出来ること、何でも言ってね!」 「……ありがとう」 「……とは言っても、難しいか」 「いや……そんなことないよ」 「舜、嘘吐くことはないって。分かるもん、なんとなく。遠慮されてるなあって」 「……悪い。どうしても、遠慮してしまって……」 夕梨は僕と幼なじみらしい。 付き合いが長いからなのか、記憶は無くても、夕梨と話していてストレスは感じない。 「……あのさ、舜」 「ん?」 「この間、言い掛けたことだけど……」 「この間?」 「あ、あのさ、舜……。あたしたち……」 「あたしと舜って、実は――」 そういえば、夕梨は何か……言おうとしていた気がする。 「なんだったの? 僕と夕梨のこと?」 「……そう。言おうか、ずっと、悩んでたんだけど……」 「やっぱり、言うことにした!」 「あたしたち……っ」 「あたしたち……、付き合ってたから!」 「えっ?」 「付き合ってた! 付き合ってたから! 超付き合ってたから!」 「ちょ、超……?」 「信じてないでしょ?」 「そりゃあ……誰からも聞いたことないし……」 記憶を失ったなら、まずは彼女のこととか、みんな言ってくれそうなものだけど……。 夕梨のことは、幼なじみだとしか聞いていない。 「周りには秘密にしてたから、誰も知らないんだ」 「付き合いたてだったし、本当に誰にも言ってなくて」 「だから、みんな知らなくても無理ないのっ! うん! 分かったっ?」 「……そう、なの?」 まくし立てるように、夕梨は早口で言う。 「本当に覚えていないの? 少しも?」 「ちょっと、悲しいなー」 「……えっと」 「どれくらい付き合ってたの? いつから?」 「えっ……!」 「いっかげつ……あ、いや……3週間……くらい……?」 「そんなに最近なんだ?」 「そ……そうだけどっ、ほら、幼なじみだし、ずっと友達だったから!」 「出会ってからは、もう、10年以上だからっ」 「そうなんだ?」 「もう! 恋人通り越して、家族みたいな存在っていうかっ!? それくらい親密で!」 「ええ……?」 付き合っていたという事実は……半信半疑だけど。 夕梨は悪い子ではなさそうだし、そういうことにしておこう。 「まあ、記憶喪失なんだから、もうそういうそぶりはしないし、舜も気にしなくていいけど……」 「あたしに遠慮だけはしなくていいから。あたしたち、超親密な仲だったから」 「舜の全部を、あたしは知ってたんだからっ。ね?」 「……分かった」 恋人かどうかは疑わしいけど――気を遣わなくていいんだと、夕梨なりに言ってくれているんだろう。 その好意だけは、素直に受け取ることにしよう。 「お邪魔しますーっ」 夕梨と一緒に、自分の家へ戻って来る。 「もうお昼だね。何か、あるもので――」 「あたし、作ってあげようか?」 「……作れるの?」 この間、夕梨がご飯をご馳走してくれたけど。 料理……あんまり得意だった記憶が無い。 「食べれたでしょ?」 「まあ」 不味くはないけど、とっても美味しかったかと言われると、少々疑問だ。 「冷蔵庫開けるねー」 夕梨はそう言って、勝手に冷蔵庫を覗く。 「シロネ、しっかり買い物してるんだね〜。なんでもある!」 「これと……これと……」 夕梨は、冷蔵庫の中からいろいろな食材を取り出していく。 「勝手に使っていいの?」 「舜の家なんだし、いいんじゃない? シロネはだめって言わないと思うよ」 「僕の家だし、そうか」 「気になるんだったら、連絡しておくから」 「分かった」 「えーっと、これを洗って……」 夕梨はゆっくりながらも、慣れた手つきで料理を作っていく。 「よい……しょっ!」 「て、手伝おうか……?」 僕も料理は出来るほうじゃないと思うけど、なんだか危なっかしい音が聞こえて、慌てて台所に顔を出す。 「大丈夫だってばっ。こう見えて、ちょっとずつ練習してるんだよ?」 「……ほら、恋人だから。舜の」 取ってつけたような言い方が、ちょっと怪しいけど。 でも、夕梨は入院している間、毎日お見舞いに来てくれていた。 付き合いも長いみたいだし、慣れている感じはする。 「普段、料理とかするの?」 「ときどき? お母さんが教えてくれて。毎日じゃないけどね」 「僕もそれを、ときどき食べたりとか?」 「え? つ、付き合ってたから……ときどき?」 「でも、周りには隠してたから……そんなには、作ってなかったかな……」 「そうなんだ」 「あれ、お肉と野菜、どっちを先に炒めるんだっけ……?」 「まあ、大丈夫か。ちょっと炒める時間長くしよっと」 ……聞き捨てならない不穏な発言が耳に飛び込んだ。 「やっぱり……僕も手伝うよ」 「大丈夫っ!」 「でも……」 「それに、包丁使ってる傍に立たれると……間違って刺しちゃいそうで怖い」 「離れてるね」 身の危険を感じた。 「そう、そういうわけだから、あたしに任せて!」 夕梨は油を引いて、少しずつ野菜を炒めていく。 「何作ってるの?」 「野菜炒め!」 「それって、僕でも作れる?」 「あたしが作るからっ! 任せてってば!」 「そうじゃなくて、僕が将来的にって意味なんだけど?」 「将来的……? 簡単だと思うよ。冷蔵庫にあるものを炒めるだけだし」 「そうか」 僕も、少しは料理が出来たほうがいいような気がする。 全部、シロネにやって貰うのも申し訳ないし……かといって、外食するのも違う気がするし。 今日は、夕梨の料理をしっかり見ておこう。 「確か、次はこれでいいんだったかな……」 「そういえば、レシピとか見たりしないの?」 なんだか慣れていないように見えるし、調べたりしたほうがいいような気がするんだけど……。 「大丈夫、切って炒めるだけだし。もうちょっと炒めて、味付けしたら完成だよ!」 夕梨は得意げに笑って、フライパンに野菜を入れていく。 「焦げないように火を弱めて……じっくり……」 少しずつ、炒まった野菜のいい匂いがしてくる。 「なんだか、美味しそう」 「でしょーっ♪ にひひっ」 「あとは……味付けして……」 夕梨は野菜に塩コショウをしていく。 「味見……」 野菜の切れ端を、夕梨はひょいっと口に入れる。 「……あれ……」 「しょっぱい……」 「え……」 「まあいっか……大丈夫大丈夫……」 「大丈夫なの……!?」 『大丈夫』 「大丈夫! 失敗した時の裏技、いっぱい知ってるから!」 「ちょっと水入れてっと……」 ……本当に、大丈夫かな。 「おいしかったぁ……! ごちそうさまでした!」 夕梨は笑顔で食事を終える。 「ごちそうさまでした」 作っている途中はヒヤヒヤしたけど、美味しかった。 ときどき、大きくて切れてない野菜とかあったけど。ちょっと水っぽかったけど。 「お水貰うね」 コップに水を汲んで、夕梨は鞄から小さなケースを取り出す。 「薬?」 「うん。毎食後に飲まないといけなくて」 「結構あるけど……なんの薬? 風邪じゃないよね。病気?」 「ああっ、違う違うっ!」 「大したことないからっ。なんだか、大袈裟っぽくてごめんね」 「そうなの?」 「うん。ちょっと……ビタミン剤みたいなのもあるし」 夕梨はごまかすように言って、急いで薬を飲み干す。 「よし、片付けちゃおう!」 「僕がやるからいいよ」 台所へ向かおうとする夕梨を引き留める。 「そう?」 「あのさ……僕って本当に、夕梨と付き合ってたの?」 「つ、付き合ってたよ。うん」 「何か思い出さない? こうやって、いろいろ2人でしてたような、してないような」 「うーん」 なんとなく、夕梨のことは“いやじゃない”。 こうやって隣に居たような記憶も、少なからずある。 付き合っていたかどうかは分からないけど、大切な存在だったことは、確かだと思う。 「……忘れてごめん」 「え?」 「夕梨も、早く、思い出して欲しいよね」 夕梨だけじゃなく、みんなそうなんだと思う。 早く思い出して欲しくて、今の僕に優しくしてくれている。 優しくされているのは僕じゃなくて、過去の僕なんだ。 「……早く、思い出せたらいいんだけど」 思い出したくないわけじゃない。 だけど――どこか、思い出すのが怖い。 「違う」 「違う! 違うから!」 「夕梨……」 「思い出して欲しくないわけじゃないけど、思い出して欲しいから、舜と居るわけじゃない」 「舜のためになりたいのは、あたしの意志だ!」 「ごめん、そんなつもりじゃ……」 「あたし、舜が事故に遭ったって聞いて……すごく心配した」 「舜の目が覚めるのを待ってる間、あたし、気が気じゃなかった」 夕梨の瞳が、少しだけ潤む。 「このまま……もう会えなかったらどうしようって思った」 「――もっといろんなこと話したかった。もっと、舜のためになりたかった」 「……夕梨……」 「後悔ばっかりで胸がいっぱいになって、悲しくて悲しくて、仕方なかった」 「だから、目を覚ました時、すごく嬉しかった!」 「記憶が無いって知って、あたしのこと忘れてて、すごくショックだったけど……それでもすごく、嬉しかった」 「記憶が無くて大変だっていうのも分かるけど、舜は舜だ」 「元気で居てくれれば、それでいい……っ。生きていて、くれたら……いい……」 「ごめん。すごく……辛い思いをさせてしまった」 「ううん。一番大変だったのは舜なんだから、それはいいの」 「記憶のことなんて、気にしない。それでも、あたしは舜のためになりたい」 夕梨は、僕を見てくれている。 記憶の有無じゃなく、僕を。 「みんな、舜にとっては知らない人で、辛いのはなんとなく分かるよ」 「だけど、あたしのことは気にしなくていいからっ」 「舜のためになれるなら、あたしは嬉しいから!」 「……うん。ありがとう、夕梨」 「ちょっと、気が楽になった。ずっと、早く思い出さなくちゃって思ってたから」 「ゆっくりでいいよ。それに、大事なのはこれからなんだし!」 「あたしのことも今から知って、覚えてくれればいいから」 「これからか。……そうだね」 過去のことは、いつか思い出せるかもしれない。 誰かに聞いたりすれば、少しずつ補っていける。 焦ることはない。ゆっくりやっていこう。 夕梨を家の近くまで送っていく。 「送ってくれてありがとう」 「ここ、あたしの家なんだ。来るの初めてだよね」 「そうだね……えっと」 記憶を失ってから、来るのは初めてだ。もちろん、見覚えは無い。 「コンドミニアム。宿泊施設なんだよ」 「普段はそんなにお客さん来るわけじゃないけど、今はシーズン中だから、ちょっと忙しいかな」 「へえ……」 「夕梨も家の手伝いしたりするの?」 「んー、あたしはそんなにしないかな。たまに掃除とかは手伝うけど、それくらい?」 宿泊施設か。知らないことも、こうやって1つずつ知っていきたい。 「今日はありがとう」 「昼食も助かったよ。美味しかったし」 「そう? 良かったー」 「僕、あの家での生活に、まだ慣れてないから……」 「良かったら、夕梨がときどき来てくれると助かる」 「えっ……」 「ほ、本当……?」 「うん。夕梨が嫌じゃなければ」 「全然! いつでも! 頼って!」 「ようやく、あたしに頼る気になったー?」 「大船に乗ったつもりで! 任せて!」 「いや、そこまでは任せられないけど」 料理はそこそこ美味しかったけど、夕梨には雑なところがあって、その度にヒヤヒヤする。 「大丈夫でしょ? お皿だって割ってないし」 「いや、そういう問題じゃない……」 とにかく、少しずつ進んでいこう。 夕梨のおかげで、少しだけ目の前にあった不安が晴れた気がした。 まだ不安はあるけど、明日からの日々が、なんだか楽しみに思えた。 朝起きると、リビングのほうからいい匂いが漂ってきた。 「あ、舜、起きてきた。おはよー」 「おはようございます、お兄ちゃん」 シロネが役割を奪われ、少ししょげたようにこちらを見つめる。 「お兄ちゃん、夕梨ちゃんと約束してたんですか?」 「えっと……まあ、そうなるかな」 「掃除も料理も、夕梨ちゃんが手伝わせてくれなくて」 「いいのいいのっ。シロネは座ってていいから」 「でも……」 「座ってていいよ」 「そうそう。シロネは妹なんだし!」 「……?」 「そうだね。それが一番しっくりくるかも」 シロネに対して、自分でもどう接するかはまだ悩んでいるけど――。 今のまま、料理も掃除もやって貰うのは、メイドロボとして扱っているようで、なんだか落ち着かない。 「妹は、お兄ちゃんのためになるものではないのですか?」 「そうじゃなくて、普通でいいんだよ」 「普通?」 「うんうん。妹はお兄ちゃんの傍に居るのが、仕事なんだから」 「お兄ちゃん、そういうものなんですか?」 「うーん、それは分からないけど……」 「兄妹って対等だと思うから。だから、僕も自分でいろいろ出来るようになりたいって思ってるよ」 シロネに何でも任せきりにするのも違う気がする。僕も、出来ることを増やしていかないと。 「でも、わたしがいろいろ出来ると、お兄ちゃんは喜んでくれました」 「今は、嬉しくないですか……?」 「そうじゃなくて、協力してやるのが大事ってことだよ」 「前の僕がどんなふうにシロネと暮らしてたかは分からないけど、今の僕の考えは、なんでもシロネにやって貰うのは違うと思うんだ」 「協力……」 「そうそう。夕梨、手伝うよ」 「ありがとう。お皿取ってー」 「協力……」 少しだけ寂しい顔をしながらも、シロネは大人しく椅子に座っていた。 「早速、来てくれてありがとう」 「まさか、朝食まで作ってくれるとは……」 「ううん。自分の分も作っちゃったし。あたしのほうこそ、ごちそうさま」 「それは気にしないで」 とは言っても、夕梨の食事は、僕のと比べてすごく少なかった。 「玄関、シロネが開けてくれたの?」 「うん。シロネが舜を起こそうとしてたから、起こさなくていいよって言って」 「あ、ゴミ捨てもしといたからねっ」 「そこまで……。助かるよ」 ゴミ捨ての曜日すら何も覚えていない。 「洗濯は、洗濯機がうちのと違うから、シロネがやってくれたけど」 「……そっ、そっか……!」 そういえば、シロネには当然のように、僕の下着とかも洗って貰ってたけど……。 本当に、それくらいは自分でやらないとまずい。 「暮らしていくって大変なんだな……」 「そりゃあ大変だよ」 「あたしだって、お母さんのお手伝いくらいは出来るけど、全部は絶対無理」 「そうだよね……」 どうして、僕はシロネと2人きりで暮らしているんだろう。 全部、家事など全て、シロネにやって貰っていたんだろうか。 「いろいろ覚えていかないと。今度、教えてね」 「うん、任せてっ」 校門前で、見たことのある姿を見つける。 「おはようございマス」 「今日は一緒に登校デスか?」 「……う」 「ユーリ、挨拶は基本デスよ? それとも……」 「昨日も一昨日も、授業をサボったのが、後ろめたいのデスか……」 「う……やっぱりばれてる……」 「おはようございます。ハナコ先輩」 「少し落ち着いてきたようデスネ、シュン。以前会った時と、表情が違いマス」 「そうですか?」 「イエース」 「デスが、ユーリをフリョーの道に引きずり込むのは、ノーサンキューデスよ?」 「別に、引きずり込まれてないし!」 「……というか、サボるだけで不良なんですか?」 「フリョーデスよ?」 「不良でしょ?」 ……どうやら、僕が考える不良とは、だいぶ掛け離れているみたいだ。 「まあ、ユーリが遅刻せずに来てくれただけ、オーケーとしマスか」 ハナコ先輩は満足そうに微笑む。 「シュン。これからもユーリがサボらぬよう、しっかりとウォッチしてクダサイね?」 そう言ってハナコ先輩は、校舎のほうへ去っていった。 「夕梨って、そんなにサボってるの?」 「そんなことないよ。ハナコ先輩が厳しいだけ!」 「本当かな……」 「舜、放課後も一緒に帰ろう?」 「いいよ」 「やたっ。帰る時、連絡ちょうだいねっ」 放課後、夕梨からプールに居ると連絡が来ていた。 「えっと、プールは……こっちか」 「あっ、舜だ!」 「夕梨、泳いでたんだね」 「1年生は早く終わったの?」 「……えーっと、そんなところ……?」 「……もしかして、サボったとか?」 「し、失礼な!」 「そうだよね、ごめん」 さすがに、昨日もサボったみたいだし、今日はちゃんと行ったんだろう。 「1時間しかサボってない」 「時間の問題じゃないと思う」 「もうっ、いいでしょ!」 「舜までハナコ先輩みたく、口うるさくならないでよね?」 そう言って夕梨はもう一度泳ぎ始める。 ばしゃばしゃという水の音。 激しく泳ぐという感じではなく、ゆっくりと浮かんでいる。 泳いでいる夕梨は、すごく気持ち良さそうだ。 「舜も泳いだらいいのに」 「いや、水着無いし……」 「裸でいいんじゃない?」 「絶対嫌だよ」 学校のプールで全裸で泳ぐなんて、間違ってもしない。 「夕梨は、泳ぐの、好きなの?」 「えー? 何?」 タイミング悪く水を蹴っていたからか、僕の声はよく聞こえなかったようだった。 しばらく、夕梨が泳いでいるのをただぼーっと見つめる。 「うふふー……♪」 「夕梨、もうちょっと泳ぐ?」 「ん、ちょっと待ってて。そろそろ上がるよ」 夕梨はプールから上がり、シャワーのほうへ向かっていった。 「おまたせ!」 しばらくして、制服に着替えた夕梨が戻って来る。 髪はまだ、少しだけ湿っているようだった。 「夕梨って水泳部なの?」 「ん? 違うよ。うちの学校に水泳部は無いから」 「泳ぐのが好きで。夏場だけ、更衣室の鍵を借りてるんだー」 「いつでも自由に使っていいって」 「……授業サボって?」 「い、いいの。自主的な、体育の授業みたいな」 「自主的……?」 学校の鍵を個人が借りられるなんて、知らなかった。 本当かどうかはともかく、泳いでいる時の夕梨は、本当に生き生きしていた。 きっと、泳ぐことが大好きなんだろう。 夕梨は自分の家に戻らず、そのまま僕について来た。 「おじゃましまーすっ」 「よし、掃除でもしようかな」 「掃除は、シロネがやってくれてるみたいだよ」 「リビングとかでしょ?」 「舜の部屋の掃除は、やってないんじゃない?」 「それは……うん」 シロネが入ろうとしていたけど、僕の部屋はいいからと断った。 「お邪魔しまーすっ♪」 「いいっ、いいから! 僕の部屋は自分でやる!!」 記憶を失う前の自分のことは分からないけど――あまり人に見られたくないものが出てきたら大変だ。 「別に、気にしなくていいのに」 「夕梨は気にならないかもしれないけど、僕は気になるからっ」 夕梨は僕と付き合ってたって言ってたけど、さすがに部屋の中のもの、なんでもは見せてないと思う。 「掃除は僕も出来るし。それより、料理を教えて欲しいんだよ」 「僕って、なんでもシロネにやって貰ってたの?」 「うん、そうだったと思うよ。舜がご飯作ったりとかは……聞いたことないなぁ」 「そうなんだ」 前の僕は……呆れるほど、なんでもやって貰ってたんだ。 「シロネも食事出来るならいいんだけど……」 「僕の分だけ、作らせてるみたいで、なんだか申し訳ないっていうか」 「そっか。確かに……」 シロネがアンドロイドだというのは、分かっているけど。 妹に手伝わせているようで、なんだか落ち着かない。自分で出来ることは、自分で済ませられるようにしたい。 「あたし、作るよ?」 「嬉しいけど、僕も出来るようになりたいから」 夕梨に全部やって貰うのも違う。 夕梨だって、料理がすごく得意ってわけじゃないし。 「分かった」 「んー、でも、教えるのってあんまり得意じゃないかも」 「コツとかある?」 「んー……適当?」 「適当……」 「大丈夫、ちょっと味付いてれば、食べれるし!」 「えっ、いやいや!」 「お腹壊さなければ大丈夫」 不安で仕方ない。 「だから、生肉は気をつけたほうがいいよ!」 「慣れるまではウインナーとか、加工肉を使ったほうがいいね」 「そうしてみる」 夕梨を先生にしても、まともに教えては貰えなさそうだ。 母さんに習うか、自分でも勉強しないと。 「じゃあ、舜が野菜切って! あたし、教えたり味付けしたりする!」 「野菜の切り方は?」 「え? 口に入るサイズだったらなんでもいいんじゃない?」 「……」 「味付けは、困ったらめんつゆ。めんつゆ超偉大。分量間違わなければだいたい美味しくなるから」 「それでいいのか?」 頑張ろう。 放課後、研究室にシロネを呼んだ。 事故のことがあって、ひとまずシロネにエラーが無いことを確認して、戻したけど――。 まだ、私の疑問は消えていないから、心配ではある。 「シロネ。舜との生活はどう?」 「…………」 「シロネ?」 シロネは黙り込んだまま、辛そうな表情をしている。 「沙羅ちゃん。わたしは……また壊してしまいました」 「お兄ちゃんを……わたしが……」 「シロネのせいじゃない。シロネは、出来ることを精一杯やった」 「違います!」 「えっ?」 「わたしは……」 「お兄ちゃんとの記憶を、失いたくなかったんです」 「自分が、何もかもを壊してしまう存在で……その上、わたしのこの気持ちも、間違っていて」 「修正されることで、この記憶まで失うならと、わたしは、そう思って……」 「……」 「それでも――舜は生きてる」 「でも! 記憶が無いんです!」 シロネがこんなふうに声に出してまで感情を露わにするのは珍しくて、驚く。 「人を形作るのは、記憶です……。わたしは、記憶から、データから、作られています」 「記憶を失うというのがどういうことなのか、やっと分かりました」 「お兄ちゃんは、もう、私がなんでも出来ることを喜んでくれない。記憶や思い出がなければ、別の人になってしまう」 「今は忘れてしまっているけど、思い出すことだってある」 「思い出せなかったら?」 「……そういうことも、あるでしょうね」 「そうしたら――以前のお兄ちゃんは」 「……死んでしまったことになります」 「わたしが、どうしても――失いたくなかった記憶を、お兄ちゃんが失ってしまった」 「記憶は、もう一度積み上げることが出来る」 「だけど、もう一度……繰り返してしまうかもしれない」 「わたしは、それが怖いんです」 「そう……」 「アンドロイドであるあなたが、どうしてこんなふうに考えてしまったのか。私には分からない……」 「だけど、このままでは、あなたはまた繰り返してしまう」 「……」 私は観察者として、あの事故のシロネの記憶を見ている。 自己を否定し、三原則に抵触し、海に向かったシロネを。 「不安定な状態のあなたを、そのままにはしておけない」 「舜だって、記憶を失って、今は不安定になっているのだから」 「沙羅ちゃん……」 『修正する』と言ったことが、全ての引き金になったのも、理解しているつもり」 「シロネ、三原則を言える?」 「……はい」 「あなたの、一番の望みは何?」 「……お兄ちゃんの傍に居ることです」 シロネは私に、そう言ってみせた。 でも、その声は震えている気がした。 「沙羅ちゃん。お願いがあるんです……」 「もしも、記憶をもう一度積み上げることが出来るのなら――」 「わたしも……」 「ただいま帰りました」 「シロネ、遅かったね」 「遅くなってすみません。ちょっと、沙羅ちゃんのところへ行ってたんです」 「沙羅のところ? 何かあったの?」 「ちょっと、お話ししてただけですよ。すぐに、ご飯の準備を――」 「あれ……?」 テーブルの上に並べられた夕食に、シロネが気が付く。 「いい匂い……。夕ご飯、お兄ちゃんが作ったんですか?」 「うん。夕梨に教えて貰って」 シロネのようには上手に出来てないと思うけど、味見した限りは、それなりに美味しかった。 「ごめんなさい。わたしが帰ってくるの、遅かったから……」 「シロネは悪くないよ。僕も、自分でいろいろ出来るようになりたいんだ」 1人で、夕梨と一緒に作った料理に手をつける。 シロネはただ、僕が食事するところを見ていた。 ……どうして、僕はシロネと一緒に暮らしているんだろう。 元居た家を離れて、2人きりで。それが、どうしても分からない。 シロネなら……答えてくれないだろうか。 「シロネって……沙羅に作られたアンドロイドなんだよね?」 「はい」 「どうして、作られたの?」 「どうして……? そういう実験だからでしょうか?」 「実験って……」 「わたしは、白音さんの生前の記憶を持っています」 「お兄ちゃんと白音さんは、七波博士の研究の一環で、記憶のスキャンを行っていたんです」 「白音さんは海難事故で亡くなってしまいましたが……亡くなる直前までのことを、わたしは覚えています」 「じゃあ……白音そっくりに作られたのは? 何か理由があってのことなの?」 「理由……? わたしは、お兄ちゃんの妹として作られたんです」 死んだ人を蘇らせようとした……というのとは、違うと思うけど。 シロネにとっては、答えるのが難しい質問なのかもしれない。 僕は別の言い方をしてみる。 「じゃあ、どうして僕とシロネだけが2人で暮らしているの? 母さんは?」 「もともとは、馨さんと3人で暮らしていましたよ。この家は、沙羅ちゃんが用意してくれたものです」 『馨さん』 「どうして、僕たちだけが引っ越したの……?」 「それは、わたしが――」 「…………」 「シロネが?」 シロネの言葉が、止まる。 「……ごめんなさい」 「どうして、なんでしょう……?」 「データが、ありません……」 シロネは不思議そうに首を傾げている。 「忘れちゃったの?」 「わたしはアンドロイドなので、一度経験したことは絶対に忘れません」 「わたし、故障してしまったんでしょうか?」 シロネはそう言ってしょんぼりとしょげている。アンドロイドが忘れることはない? シロネが嘘を吐いているようには見えないし、本当に分からないんだろう。 「シロネは、どうして僕が事故に遭ったのか、知ってるんだよね……?」 「あの日、僕とシロネは波に攫われたって聞いた。だけど、どうしてあの日、海に行ったの?」 「それは……」 「ごめんなさい。本当に……分からないんです」 「あの日、何があったんでしょう……? どうして海に……」 僕のように、記憶喪失というわけじゃないだろう。 なんだか、シロネの様子がおかしい。 「ごめんなさい。お兄ちゃん……」 「ううん。いいよ。変なこと聞いてごめん」 シロネは帰ってくる前に、沙羅のところに寄って来たと言っていた。 記憶が不自然に思い出せないとすれば……そうさせているのは……。 白音は弱視だった。 だから引っ込み思案で、明るくて優しい性格ではあったけど、自分から行動することは少なかった。 幼い頃はずっと、僕の傍にくっついていた。 そのことがあって、兄として白音を守らなくちゃと、僕はずっと思っていた。 シロネは白音によく似ているけれど、やっぱり全然違う。 1人でなんでも出来て、目だって見える。 沙羅の作った、アンドロイドなんだ。 だから、記憶を失うことはないけれど、人間には逆らえない。 一体、何があったんだろう。どうして、こうなっているんだろう。 それだけが、気になった。 それから、毎日のように夕梨が僕の家に来てくれるようになった。 シロネも僕の考えを受け入れて、僕にいろいろさせてくれる。 2人に教えて貰いながらではあるけど、僕も普段通りの生活が出来るようになってきた。 記憶が無いことで、周りから好奇の視線を向けられても、以前より気にならなくなってきた。 「シュン、ユーリ。おはようございマス!」 「おはようございます、ハナコ先輩」 「おはようございまーすっ」 「最近のユーリは元気デスネー」 「休んでいられないからね!」 「はは。僕も助かってます」 「授業も前より、サボらなくなったようデスし」 「ま、まあね……」 夕梨は僕と一緒に登校して、一緒に帰っている。 そのお陰か、最近はあまりサボったりしていないようだった。 前に夕梨は病弱キャラで通ってるとか言ってたけど、パワフルで元気な子だとすごく思う。 「舜、今日も一緒に帰れる?」 「今日は百南美先生のところに行かないといけなくて」 「時間が掛かるかもしれないから、今日は大丈夫だよ」 「分かった。頑張ってね!」 「ありがとう」 「じゃあ、今日はフーキ委員の集まりに来れマスね?」 「うっ……」 「い、いや、今日は久しぶりに、家の手伝いでもしようかなーなんて……」 「ワタシが教室まで迎えに行きマスから♪」 「うー……分かったわよ……」 放課後になり、病院へと向かう。 退院してからも、定期的にこうやって、百南美先生と面談することになっていた。 「こんにちは、百南美先生」 「こんにちは。来て貰ってごめんね。あれから調子はどうかな?」 「身体のほうは、今のところ特に問題無いです」 「記憶は……」 思い出しそうだという感覚すらなくて、絶望という二文字が頭をよぎる。 「少しでも、思い出したことはないかな」 「特には……でも」 「知り合いだった人に対しては、話してるとそんなに悪い感じはしないっていうか……」 「思い出したわけじゃないんですけど、そんな感じがします」 思い出したわけじゃない。だけど、赤の他人って感じではなくて、自然に話せる。 「なるほど。いい傾向かもしれないね」 「新居での暮らしのほうは?」 「それは……まだ慣れないです」 「でも、夕梨が手伝ってくれて」 「夕梨ちゃんが?」 「はい。料理とか……今までは全部、シロネにやって貰ってたみたいなんですけど、それはしたくなくて」 「なるほどね。なんだか、押し掛け女房みたいじゃない?」 「えっ!? いや、まあ……手伝っては貰ってますけど」 そういう言い方をされると、ちょっと恥ずかしい。 「でも、ほどほどにね」 「彼女は、ちょっと……きみのことになると、無理をしてしまいそうだから」 「はい、分かってます」 「生活はどうかな?」 「いろいろ、出来ることは増えてきましたが……」 「分からないことばかりです。自分のことも、境遇も、何もかも……」 「すぐに慣れろというのは、難しいだろうね。ゆっくりやっていくしかないと思う」 「あの……」 「百南美先生は、僕の事故のことについて知っているんですか?」 「もちろん。君をシロネちゃんが運んできた時は驚いたよ」 「どうして、僕は――」 嵐の日に、海へ行ったのか。 白音が――妹が、亡くなった海に。 「経緯は知っているよ。だけど、海に行った理由は分からない」 「きみたちの間に何があったのかも。それは当事者にしか分からないんじゃないかな」 「当事者……」 僕と、シロネだけ。 「シロネちゃんには聞いてみたの?」 「少し。でも、何も知らないようでした」 「何も知らない?」 『何も知らない』 「自分でも、どうして覚えていないのか、分からないみたいです」 「……そう」 「とにかく、七波くんは焦らずちゃんと日々過ごしていくこと。出来そうかな?」 「はい」 過去の自分に囚われていても、仕方ない。 だけど、どうして自分が記憶を失ってしまったのか。 自分が生きてきた記憶を失うことになった――あの事故のことだけは、確かめなくてはいけない。 「今日も来てくれてありがとう。でも、大変じゃない?」 「全然? むしろ結構楽しいかな」 夕梨はそう言ってニコニコと笑う。 「何も出来ないよりさ、出来るほうが落ち着くっていうか」 「やっぱり、心配になっちゃうから」 夕梨は、やっぱりいい子だ。 夕梨なら……何か知ってるかもしれない。 「……僕と夕梨ってさ、つ……」 『付き合ってた』 「仲、良かったんだよね?」 「え? ええと……まあ、うん。幼なじみだしね」 「じゃあ、夕梨は……シロネのこと、知ってる?」 「どうして、僕とシロネは一緒に住んでるのか」 「最初は3人で暮らしてたよ。その後、引っ越した時のことは、あんまり……」 「でも、いろいろ、あったみたい」 「いろいろ……?」 「詳しくは知らないけど、舜のお母さんと……」 「一緒に暮らすこと、最初は了承してたんだよね? そうじゃないと暮らせないと思うし……」 「だけど、途中で駄目だったってこと……? それで、引っ越すことになったの?」 「舜……?」 「え、えっと……どうしたの。過去のこと、知りたくなったの……?」 「あ、いや。すごく気になるってわけじゃ……ないんだけど」 つい、夕梨を質問責めにしてしまった。夕梨は心配そうに僕を見ている。 「ごめん。変なこと聞いて」 「ううん。舜がいろいろ疑問に思うの、仕方ないと思うんだけど。……え……と」 「あのね、過去のことは……記憶を失ったばかりで一気に話すのは、混乱するからって……」 「百南美先生が言ってた?」 「……うん」 コクリと、夕梨は小さく頷く。 確かに、思い返すとみんな、僕が記憶を失ってから、思い出させるようなことは言ってなかった。 「舜が知りたいって言うなら、あたしが知ってることくらいなら話せるけど……」 夕梨の表情は心配そうに曇っている。 「ちょっと気になっただけなんだ。大丈夫だよ」 「そう……?」 自分でも、どうしてこんなに気になるのか分からない。 知らないほうがいいんだろうか? 放課後になり、いつものように夕梨は僕の家に来てくれる。 だけど――朝のことが気になっているのか、夕梨はどこか大人しかった。 「夕梨?」 「えっ……? なっ、何……?」 「朝のこと。気にしてるよね? ごめん」 「そっ、そんなことないっ! ないよ!!」 「……」 夕梨との付き合いはまだ短いけど、嘘を吐ける性格じゃないっていうのは、なんとなく分かる。 「ごめん。やっぱり、気になっちゃって……」 「いや、僕のほうこそ、ごめん」 「百南美先生が、無理に思い出さないほうがいいって言ってたなら、僕も……その通りにしたほうがいいと思う」 それが正しい。今すぐに知らなくてもいいことだということも。 「舜、ちゃんと話そう! あたしが知ってることなら、話すよ」 「舜が知りたいって思ってるなら、必要なことなんだと思う」 「夕梨……」 「自分でも、分からないんだ」 「でも、シロネのことは、やっぱり混乱してる。突然、幼い頃に亡くなったって聞かされて……」 「妹とよく似たアンドロイドと2人きりで暮らしていて」 「無理もないよ……」 「舜の人生なんだから、知ろうとしていいんだよ」 「気になるのだって、普通のことだよ」 優しく微笑んで、それからゆっくりと言葉を続ける。 「シロネは……」 「沙羅が作ったアンドロイドなの。トリノって言うんだって」 「普通の便利なロボットとは違う、人工知能を持って、学習する、人を模したアンドロイドで……」 「シロネは、妹の代わりとしてロボが成り立つかどうかの実験? って、沙羅から聞いた」 「代わり……」 「舜は、白音ちゃんのことを本当に大切にしてて……」 「失った悲しみが大きかったの。あの日のこと、あたしも覚えてる」 「みんな、すごく悲しくて……辛くて」 「だから沙羅はきっと……」 「ただいま帰りました」 玄関から物音がして、シロネが帰って来たのだと気付く。 「あっ……!」 「おかえり、シロネ」 「ただいまです。夕梨ちゃん、来てたんですね。今、お茶を……」 「ああっ、いいっ、いいから! もう、帰るところだったからっ!」 「ねっ、舜!」 「そうなんだ、今日はちょっと、寄ってくれただけで」 「夕梨のこと、送ってくるよ」 「そうですか?」 「うんっ、またね、シロネ!」 「はあ……びっくりした」 「ごめんね。シロネにはちょっと、聞かれたくなかったから」 「いや、僕もそう思ったから」 「夕梨は、白音……妹のこと、知ってるんだよね?」 「うん。友達だったから」 「同級生だったし、よく一緒に遊んでたよ。舜も、沙羅も一緒に。みんな幼なじみだった」 記憶はないけれど、なんとなくその光景は思い浮かぶ。 「白音ちゃん、いつも舜と一緒に居て、すごく楽しそうだった」 「あたしは一人っ子だったからさ、2人の仲の良さが羨ましかった」 「あの日は――花火大会だったんだって」 「あたしも一緒に行く約束してたんだけど、その日は行けなくて」 「ここで……?」 「うん。ここから見える景色が、すごく綺麗なの。そうして、その日、白音ちゃんは……」 夜の海で、白音は亡くなったのか。でも、どうして夜の海に入ったんだろう。 暗くて、分からなかったのかもしれない。海岸に近寄りすぎて、波に足を取られてしまったのかもしれない。 「白音ちゃんが亡くなって、みんなすごく悲しんで。あたしも、すごく悲しかった」 「沙羅はその日から、滅多にあたしたちの前に姿を見せなくなった」 「……その時から、ずっと考えてたのかも」 「沙羅は有名な研究者になって、テレビとかでも取り上げられるようになって……」 「ようやく再会した時、沙羅はシロネを連れて来た」 「……そうだったんだ」 少しずつ、自分を取り巻く世界の輪郭が見えてくる。 「あ……っ、ごめん、あたし、一気に話しちゃった……!」 「大丈夫!? ショック受けたり、記憶が混乱したり、してないっ?」 「大丈夫だよ。覚悟は出来てたから」 今までのことが分かって来た分、余計に記憶を失った日の行動が、理解出来ない。 「僕は、どうして海に行ったんだろう……」 「海?」 「大雨の日に……どうして……」 それが、どうしても分からない。そんな僕を、シロネが助けようとしてくれたってことも。 「どういうこと? 何の話?」 「……あっ」 そうだ。このことは、沙羅に言わないように口止めされてた。 「大雨の日に海って、どういうこと? 舜は、シロネと交通事故に遭ったんでしょ?」 「あたしは沙羅にそう聞いたよ?」 「ごめん、それは……」 「あたしだって全部言ったんだから、舜も隠し事しないで!」 沙羅には口止めされてたけど、夕梨に隠しておくことでもないだろう。 「……そうだね、分かった」 「僕は、交通事故に遭ったんじゃない。あの日、荒れた海で波に攫われたみたいなんだ」 「僕は――海難事故に遭ったんだ」 「海……あんな雨の日に……?」 「嘘でしょ……!? そんなの、自殺行為じゃん!」 「……だから、分からないんだ。どうして、僕がそんなことをしたのか……」 自殺未遂――僕は死のうとしたんだろうか。 「沙羅は――僕とシロネが高波に攫われた、不幸な事故だって言ってた」 「それ、絶対嘘でしょ。なんでそもそも、あんな日に海へ行くの?」 「僕も、そう思う」 それに、本当にそれだけの事故なら、沙羅はわざわざ誰にも言わないでなんて釘を刺すはずない。 交通事故だということにしたのも、RRCが絡んだ理由があるんだと思う。 「引っ掛かってるなら、聞きに行こう。沙羅に直接!」 「それは……」 どうすればいいか、少しだけ迷う。 百南美先生も何も知らないようだった。シロネも、何があったのか、僕に言えないようになっている。 沙羅だけが、事情を知っている。 「僕も――知りたい」 「僕に、何があったのか」 「うん! 今すぐ行こう!」 今すぐ行こうと言う夕梨に連れられて、沙羅のところへ向かう。 電話を掛けたら、ちょうど休憩中だった沙羅が出た。 「どうしたの、こんな時間に」 「聞きたいことがあるの」 「交通事故なんて嘘だったんだ。沙羅、あたしに嘘吐いたんだね」 「……はあ……」 沙羅は恨めしそうな目で僕を見る。 「他言無用だって、言ったはずなんだけど」 「ごめん。でも……なんで言っちゃいけないのか、気になって」 「海で高波に攫われただけなら、単なる事故だよね?」 「ええ。ただの事故。でも理由はどうあれ、シロネは傍に居たの」 「人間を守れなかったアンドロイドとして見られてしまう。それを避けたかっただけ」 「そういうわけだから、夕梨も周りに言ったりしないでね」 「じゃあ、この話はこれでおしまい――」 「待ってよ!」 「終わりに出来るわけ、ない。沙羅は大事なことを隠してるでしょ」 「さあ? なんのこと?」 「舜には、知る権利がある! 舜のことなんだから!」 「あの日、なんで海に行ったのか、本当は何があったのか。沙羅は知ってるんでしょ?」 「どうして、私が知っていると思うの?」 「私は別に、当事者ではないのに」 「シロネが、あの日のことを思い出せないって言ってた」 「…………」 「沙羅に会って来た後から、急に様子が変わって」 「それは、沙羅にとって、話されたくないことだからなんじゃないの?」 「違う。興味深いことではあったけど……」 「これは、故障の原因にもなり得ると判断した……シロネの感情には、混乱が生じていたから」 「故障の原因……? どういうことなの?」 「三原則とシロネ自身の感情に、齟{そ}齬{ご}が生じていたの。シロネは、自分を責め続けていた」 「やっぱり、沙羅は何か知ってるんじゃないっ」 「……今は、舜と話をしたいの」 「誤魔化さないでよ!」 「……まあいいわ」 「私がシロネ自身に頼まれて、記憶をロックした」 「シロネが……? どうして?」 「記憶レベルを、舜と同じにしたかった――ってこと」 「もちろん、初期化はしていないけど、舜だけが記憶を失って、自分は何も失っていないことが、辛かったんでしょうね」 「……シロネ……」 そうまでシロネが考えていたことを、僕は知らなかった。 「だけど、シロネがそう思った要因を、沙羅は知ってるんでしょ?」 「僕は、真実を知りたいんだ。沙羅の知っていることを、教えて欲しい」 「何が起きたか――それは、私よりも舜が詳しいはず」 「僕は記憶が無いんだ」 「無いなら、自分で思い出せばいい」 「私が話したところで無意味だと思う。人間は、嘘が吐けるのだから」 「シロネが事実を話せず、舜は記憶を失っている。居合わせなかった私は、何も知らない」 「そんなの……」 「信じられない?」 「……そうね。真実を知っているのが私だけなら、私はいくらだって事実を創作出来る」 「話す気は無いってこと?」 「無意味だって言ってるの。私が真実を話したところで、それが真実だという保証はどこにも無い」 「あなたたちが納得出来るまで、私は嘘を吐き続けることだって出来る」 「……」 沙羅の言うことは、確かに正しい。 自分で思い出したならともかく、沙羅に聞いても意味がない。 「そんなの、卑怯だ!」 「夕梨、いいよ。沙羅の言う通りだ」 「なんで、嘘吐くことが前提なわけ? 本当のこと、全部話したらいいじゃん!」 「元は舜の記憶なんだからっ。舜が知りたいなら言うべきだよ!」 「知ることが正しいとは思わない」 「それに、経緯の全ても知らずに、断片的な事実だけを知ったところで、後悔するだけよ」 「そんなの、分からないじゃんっ!」 「そんなこと言って、沙羅はシロネのために明かさないだけなんでしょ」 「舜よりも、シロネが大切なんだ」 「……それの、何がいけないの?」 「私の研究に、シロネは不可欠なの。シロネが居なきゃ、私の研究は成り立たない」 「ほら、結局、保身じゃない」 「……あくまでも、言わせたいってことね」 「うん、分かった。そんなに真実を言うことが正しいのなら――」 「夕梨。あなたも、舜に言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」 「あたしが……何……」 「あなたが隠している、本当のこと――。まずはそれを言ってから……なら」 「私も、真実を話すことを考えたっていい」 「……っ、そ、そのことは……今は、関係無いじゃない……」 突然、夕梨の様子がおかしくなる。 「夕梨、どうしたの? 何の話……?」 「関係無いけど、取引のようなものね。あなたが話すなら、私も話す。こういうのはどう?」 「ちょっと、待ってよ……そんなの……」 「舜だって、知りたいよね? 実はね、夕梨――」 「や……」 「やめてよ!!!」 叫ぶように夕梨は言う。 何か――言われたくないことを、沙羅に弱みを握られているのだろうか。 「夕梨、いいよ」 「ごめん……舜……」 震える声で言い、夕梨は俯く。 「……沙羅の言いたいことは分かった。もっともだと思う」 自分で思い出さなきゃ意味がない。 それに、確かにそこに至るまでの経緯も知らないで、事故の真実だけ聞かされたところで、また疑問が浮かぶだけだ。 「帰ろう、夕梨。ごめんね」 「ん……」 「…………」 沙羅は一度もこっちを見ず――すぐに自分の研究室へ戻って行った。 「うー……」 「ごめん、舜……。あたし、何も出来なかった……」 「あたし……言えなかった……。ごめん……」 「いいよ。夕梨が聞きに行こうって言ってくれなかったら、きっと僕は、行かなかったと思う」 「言いたくないことは、誰にでもあると思うし」 「ごめん……。でも、大したことじゃないから、忘れてね」 「小さい頃の、恥ずかしいことっていうか……」 それに、沙羅からは何も答えは貰えなかったけど――。 行く前よりもずっと、気持ちはすっきりしていた。 行って良かったと思う。過去が気にならないわけじゃないけど、聞くだけでは意味が無いと分かったから。 「うー……」 「悔しい……悔しい! 悔しいー!!!」 「夕梨、ちょっと! ここ外だから!」 近所迷惑になりそうな大声で、夕梨はじたばたしている。 「だって、舜は当事者なんだよ! その舜が知りたがってるんだから、教えてあげたっていいじゃない」 「それを、話したって意味無い〜とかさっ!」 「最初から沙羅が全部、話してくれればいいだけじゃんっ」 「そうなんだけど」 「妹を失って、それで、記憶も失って……」 「疑問に思ったことすら、教えて貰えないなんて、あんまりだよ」 「夕梨……。ありがとう、もういいんだ」 ゆっくり、知っていけばいい。 いつか、思い出すかもしれない。思い出さなくても、知る日が来るかもしれない。 今は、きっとその時じゃないんだろう。 「とりあえず、今はいいよ。いつか、知る時が来たら……」 「う……ひくっ……うー……」 「えっ!?」 見ると、夕梨の瞳から大粒の涙が零れている。 「な、なんで泣くの……!?」 「だ……だってぇ……う……ひくっ……」 「あたし、何も……出来て、な……ぐすっ……」 「……そんなことないよ。夕梨には、いっぱい助けられてる」 夕梨が居たから、僕は前向きになれたんだと思う。 自分のことのように親身になってくれて、真っ直ぐな夕梨は、本当にいい子だ。 「僕、夕梨と付き合っていたような気がしてきた」 そうだとしたら――過去の自分の気持ちが少し分かる気がする。 「ひくっ……う……?」 「えっ、……ええええっっ!? な、なんて言ったの!?」 「夕梨と付き合ってた時のこと、思い出してきたかも」 「ほ、本当……?」 「よっ、ようやくっ、思い出してくれた?」 「この意気でもっと思い出せるといいね! 急ぐことないけど!」 「はは、そうだね」 きっと、思い出すのも悪いことじゃないだろう。 良いことばかりじゃないというのも、なんとなく分かる。 だけど、夕梨との思い出は、キラキラと輝いているような、そんな気がした。 沙羅と鳥かごでシロネの話をしてから、数日が経過した。 今日は休日ということで、僕も家事に専念する。 「……よし」 レシピを見ながらだけど、料理も少しずつ出来るようになった。 「お兄ちゃん、お皿出しておきますね」 「ありがとう、シロネ」 シロネとの関係も良好だ。 『わたしがやります』 自分で作りたいんだと説明すると、ちゃんと分かってくれて、今はサポートに徹してくれる。 事故のこと――シロネと僕に何があったのか、気にならない訳じゃない。 今は、日々の生活に向き合ってちゃんと生きていこう。そのうち、きっと思い出せるはずだから。 食後、片付けをしていると、シロネに声を掛けられる。 「お兄ちゃん、なんでも自分で出来るようになってきましたね」 「まだまだ完璧とは言い難いけどね。シロネも、いろいろ教えてくれてありがとう」 「わたしの出来ることが減って、少し心細いですが……良いことなんですよね」 「そんなお兄ちゃんに、折り入ってお話があります」 シロネは居住まいを正し、真剣な眼差しで真っ直ぐに僕を見つめる。 「どうしたの?」 「わたし、しばらくRRCに戻ることになりました」 「えっ? そんな、突然だな……」 「事故の後、わたしがお兄ちゃんと一緒に暮らしていたのは、百南美先生に言われたからだったんです」 「記憶が混乱する恐れがあるから、事故の前と同じ状況で、暮らしたほうがいいって」 「それで沙羅ちゃんは、急いでわたしの修理をお願いしてくれたんです」 「そんな経緯があったんだね」 「だから、わたしはちゃんとした精密検査を受けていなくて」 「お兄ちゃんと離れるのは寂しいですが、沙羅ちゃんのところで、しっかり検査して貰ってきます!」 「いつ頃、戻って来るの?」 「うーん……それは、検査の結果次第なのですが……」 「1ヶ月くらいでしょうか? 何か見つかったら、もう少し長くなるかもしれないって」 「そうなんだ……」 シロネとの生活も慣れてきたところだったので、少し寂しい。 「でも、学校にはちゃんと通いますよ」 「沙羅ちゃんも、大丈夫そうだったら戻っていいって言ってました」 「分かった。すぐに戻って来れるといいね」 「わたしが検査の間、家事手伝いアンドロイドを派遣出来るというお話だったのですが、どうしますか?」 「家事手伝いアンドロイドか……」 「今のところ、大丈夫だよ。しばらく、1人でやってみる」 料理も出来るようになってきたし、夕梨も手伝いに来てくれる。 しばらく1人でも大丈夫だ。 「どうしても大変だったら、お願いすることにするよ」 「分かりました。沙羅ちゃんに、そう伝えておきますね」 「うん。シロネも頑張ってね」 「変なお兄ちゃん。頑張るのは、沙羅ちゃんですよ?」 「いや、そうなんだけど……まあ、いいか」 「いつでも遊びにおいで。ここは、シロネの家でもあるんだから」 「ありがとうございますっ、お兄ちゃん。行ってきますね!」 シロネは荷物の準備をして、RRCへ向かった。 精密検査だと言っていたけど、大丈夫だろうか? 事故の記憶のことは、沙羅に頼んでデータを消して貰ったのだと沙羅から聞いた。それも、ずっと気になっていた。 「お邪魔しまーすっ」 「休日に来るなんて珍しいね」 夕梨が来るのは平日が多かったから、休日に連絡もなく来るなんて珍しい。 「シロネから連絡貰ったの」 「検査でしばらく沙羅のところに行くことになったから、舜のことをよろしくって」 「そうだったんだ」 「家事手伝いアンドロイド、頼まなかったんだって?」 「うん。しばらくは1人で頑張ってみようかなって」 「家には戻らないの?」 「母さんから連絡は来たよ。困ったことがあったら、頼ってみようとは思ってる」 「でも、いつシロネが戻って来ても良いように、とりあえずここで暮らそうかなって」 もしかしたら、すぐに戻って来るかもしれないし。 まずは、その連絡を貰ってから決めようと思う。 「そっか。分かった!」 「あたしも、今まで以上に手伝い頑張るからね!」 「舜、買い物に行かない?」 「そうだね。行っておいたほうがいいかも」 平日は授業があるし、なるべく休日に買い溜めしておきたい。 「じゃあ、あたしは洗い物しちゃうね」 「自分でやるから大丈夫だよ」 「舜は自分の部屋でも掃除してて。それとも……」 「逆にする? あたしが舜の部屋を片付けようか?」 「洗い物お願いします」 「にひひっ。遠慮しなくていいのに♪」 夕梨に世話を焼いて貰って嬉しいけど、なんだか申し訳ない。 家事手伝いアンドロイドを頼んでも良かったのかも――。 でも、アンドロイドが手伝ってくれたら、夕梨はもう、手伝いには来てくれないかもしれない。 それよりは、夕梨に習いながらいろいろなことを覚えていくのが、やっぱり楽しい。 リビングから、何かが割れるような大きな音がした。 「夕梨っ?」 「ご……ごめん……お皿……」 床には、割れたお皿の破片が飛び散っている。 「大丈夫だよ。夕梨、怪我はない?」 「ごめん、掃除……すぐ……」 「破片が飛び散ってるかもしれないから、待ってて。すぐに片付けるから」 「……ごめん」 まずは大きな破片を新聞紙でくるみ、小さな破片を掃除機で丁寧に吸い取る。 その間、夕梨はずっと申し訳なさそうにしょんぼりしていた。 「そんなに気にしないで。誰にでもあることなんだし」 「でも、自分で手伝うって言ったのに、役に立てなくて……」 「そんなことないって。夕梨にはすごく感謝してるよ」 「舜……。ごめん、残りの洗い物も……やらないと……」 「きゃっ……」 立ち上がろうとした夕梨が、ふらつき、その場にへたり込む。 「夕梨っ」 「少し休んでていいよ。体調悪い?」 「……ごめ……」 夕梨の瞳に涙が浮かぶ。 「ごめん……舜……」 「僕のほうこそごめんね」 夕梨の身体に触れた瞬間、百南美先生に言われたことを思い出す。 「でも、ほどほどにね」 「彼女は、ちょっと……君のことになると無理をしてしまいそうだから」 無理はさせないように言われていたのに。 夕梨は優しいから。 僕のことになると、頑張り過ぎてしまうんだと思う。 「とりあえず、ソファーで休もう」 「ごめん……少し、休む……」 「うん。ゆっくり休んでね」 女の子だからかもしれないけど、思っていた以上に華奢だ。 夕梨の身体に触れて、初めて抱いた感想は、それだった。 「少し休んだら、大丈夫だから……」 「ん……」 「心配しなくて、いいからね。すぐ、良くなるから」 いつも元気な夕梨の辛そうな表情。 そんな夕梨を見ていると、僕まで辛くなる。 夕梨を片腕で支えながら、ソファーへと導く。 驚くほど軽くて、そのまま簡単に抱き上げられそうなくらいだった。 だけど、今その話をするのはよそう。 「夕梨……いつもありがとう」 そっと呟く。 夕梨はそっと微笑んで、そのまま目を瞑った。 夕方になり、目を覚ました夕梨を家に送って行く。 「今日はごめんね。全然、役に立てなくて……迷惑かけちゃった」 「そんなこと思ってないよ」 「ごめん、体調悪いのに、来てくれたんだね」 「……大丈夫だと思ったんだけど、ちょっと……」 「風邪かな? 少し疲れてる?」 「うん、そうだね。休んだら、良くなると……思うから」 「うん。ゆっくり休んで。早く良くなってね」 「またね、夕梨」 僕はそう言って手を振る。だが、夕梨は辛いのか目を伏せた。 「……また……」 「……また、ね……」 辛そうで、泣きそうな表情で、夕梨は僕を見つめる。 「夕梨……?」 「また……なんて、来ないかも」 「え?」 「……来ないかもよ? なんて……ね」 「ど、どうしたの……?」 「冗談だよ? 冗談」 「でも、冗談じゃないかもしれない」 「またねって別れても、明日は、もう無いかもしれないよ」 「そんなこと……」 「来ないかも……しれないじゃない。舜はそういうこと、考えたこと、ある?」 「夕梨……? それは……」 考えたことがあるかと言われたら――。無いと思う。 いつも通り、明日が来て。 学校へ行って、夕梨が傍に居てくれて。 海難事故で僕の過去は消えてしまったけれど――それでも。 いつの間にかこの日々が、僕の日常になっている。 『無い』 「今日はゆっくり休んで。また連絡するから」 夕梨は少し疲れてるだけだ。そう思いたくて、僕は答えを返さずにお茶を濁した。 「…………」 「……抱き締めて」 「え……?」 「あたしのこと、抱き締めて。抱き締めてよ」 突然そう言われて、返答に詰まる。 「あたしたち、付き合ってたんだから……」 「前は、抱き締めてくれたんだから。キスも……それ以上だって……っ」 「記憶、無くなったの分かるけど! それくらい、してくれたっていいじゃないっ……!」 「少し……くらい、辛い時、くらい……」 「支えてくれたって……いいじゃない……」 「……夕梨……」 確かにそうだ。僕が、夕梨と付き合ってたのなら。 そういうことも、あったのかもしれない。そう思うと、すごくドキドキした。 「……」 記憶は、無くても。 夕梨と付き合っていたことを、覚えていなくても。 僕は、夕梨に触れて、いいんだろうか。 夕梨と付き合っていた頃、僕が夕梨を支えることもあったのなら。 僕が、夕梨を守ることも、あったなら――。 『僕』 僕が、夕梨を守って。支えていけるんだろうか。 「……舜……」 夕梨が僕と付き合っていたのなら。 夕梨の恋人に、僕は、なれるのだろうか。 だけど――何も覚えていないのに? どうして夕梨と付き合うことになったのか、夕梨との思い出すら、何も無いのに? そんな状態で、僕は夕梨に触れて、いいのか――? 伸ばした手を、おずおずと僕は引っ込める。 「ごめん……」 「……あ……」 「夕梨と僕は、付き合っていたのかもしれないけど――」 「その記憶が無いのに、夕梨に触れるのは、違う気がして……」 もしも、ちゃんと付き合っていたなら、こんな不自然な遠慮を抱くこともないのに。 今のままでは、夕梨に触れられない。そんな資格は無いと思う。 「……そっか。真面目だね、舜は」 「ごめん」 「いいの。あたし、そういう舜の真面目で優しいとこ、好きだから」 「またね。舜」 無理をして笑顔を作って。 夕梨はその場を逃げ出すように、家へと取って返した。 僕は呼び止められずに、その後ろ姿をただ見送るしかなかった。 シロネも居なくて、すごく静かだ。 その静けさの中、さっきの夕梨のことを、どうしても思い出してしまう。 夕梨は僕と付き合っていたらしい。 だけど、それは今の僕じゃない。 付き合うことになったきっかけも、好きになった経緯も何も分からないのに付き合うのは、間違っている気がする。 だけど、記憶を失う前の僕が、夕梨を好きだと思ったのも分かる。 何事にも一生懸命で、いつも優しくて。 そんな夕梨に、今の僕も、惹かれている。 「またねって別れても、明日は、もう無いかもしれないよ」 「そんなこと……」 「来ないかも……しれないじゃない。舜はそういうこと、考えたこと、ある?」 さっきの夕梨は、とても見ていられなかった。放っておけなかった。 触れても、良かったのだろうか。 身体を支えた時、軽いと感じたことを、伝えても良かったんじゃないか。 優しく接することが、正しかったんじゃないだろうか。 「夕梨……」 明日は、ちゃんと伝えよう。 今の僕として、夕梨に――。 朝、夕梨が僕の家に来ることはなく、連絡も無かった。 昨日、体調を崩していたようだし、少し心配だ。 「夕梨……大丈夫かな」 メールしてみたけど、返事は来ていない。 休んでるんだったら、放課後、お見舞いに行ってみようか。 「舜、少しいい?」 「どうしたの?」 「シロネのこと、一応話しておこうと思って」 「そうだ。驚いたよ」 「シロネ、大丈夫なの? 長くなるかもしれないって言ってたけど」 「大丈夫。故障しているとか、そういうわけではなさそう」 「ただ、あの子もいろいろあったから」 沙羅は少し含みのある言い方をする。 海難事故のこと――記憶を消すように沙羅に頼んだということも、関係あるんだろう。 「少し、検査をしながら様子を見ようと思って」 「分かった。頑張ってね」 「学校には通ってるから、見掛けたら普段通り接してあげて」 「出来るなら、1ヶ月くらいでまた実験に戻れるといいんだけど」 「もう少し、実験も続けたいしね」 「それも了解」 大事ではないようで、安心した。 「それに――夕梨も頑張っているようだし」 「シロネに聞いたの。家事をしたり、いろいろやってくれてるんでしょ?」 「うん、そうなんだ。すごく助かってる」 「それならなおさら、夕梨に時間をあげようかな」 「夕梨が居てくれるなら、私も研究に没頭出来るし。大切に思ってくれる幼なじみが居て良かったね」 「うん」 頷きつつも、昨日のことがやっぱり引っ掛かる。 「何? うまくいってないの?」 「そういうわけじゃないんだけど……。夕梨、体調崩してるみたいで」 「風邪気味だって言ってたから、無理させてしまったんじゃないかって」 「風邪……?」 的外れなことを聞かれたと言わんばかりに、沙羅は小首を傾{かし}げている。 「風邪……ね。夕梨がそう言ったの?」 「そうだけど……どうしたの?」 「別に。でも」 「舜は、夕梨のことが大切?」 「そりゃあ……大切だよ。すごく」 その気持ちに嘘なんてない。 「沙羅は、何か知ってるの?」 「それを私に聞いても、意味は無いと思うけど」 「私が、仮にあなたが情報を欲しがっているとして、夕梨の許可無く明かすと思う?」 「それは……思わないな」 なんとなく、沙羅のことも分かってきた。 「直接、夕梨と話すべきなんじゃない? もっと、大切なこと」 「大切なことって……?」 「さあね。でも、舜が夕梨にとっても大切な存在なら、いつか話すんじゃないかな」 「だから、私なんかに聞かないで」 「……」 沙羅はそれだけ言い残すと、自分の席に戻って行った。 夕梨と、ちゃんと向き合ったほうがいい……か。 確かに、まだ夕梨について知らないことばかりだ。 夕梨も、これから知っていってくれればいいとは言っていたけど、夕梨自身も、聞かれた以上のことを話してはくれない。 スマホを見ると、夕梨から返事が来ていた。 やっぱり、体調を崩しているんだろう。 『お見舞いに行くよ』 素っ気なく、見舞いを断る一文が表示されていた。 それでも。 夕梨が僕を支えてくれるように、僕も夕梨を支えたい。 風邪で苦しんでいる時くらい、恩返しをしたい。 『行くよ』 夕梨の家へ行くと、優しそうな夕梨のお母さんが、すぐに僕を部屋に通してくれた。 「……舜?」 「びっくりした……。来なくていいって言ったのに」 「心配だったから。はい、これ。お見舞いに」 風邪に効きそうなものを、薬局でいろいろ見繕って来た。 「……ありがと」 ちらりと見て、夕梨はベッドの脇に袋を置く。 「体調、どう?」 夕梨は喉風邪というわけでもなさそうで、話すのに支障はないようだ。 「大丈夫。ちょっと、ふらふらするくらいっていうか」 「大したことじゃないから、心配しないで?」 夕梨はそれだけ言って、微笑んでみせる。 「……ごめんね。家のこと、手伝えなくて」 「シロネも居ないし、心配だけど……」 「そんなこと気にしなくていいよ。僕のほうこそ、無理させちゃってごめん」 「それは……あたしが勝手にやったんだから、舜が気にすることないのっ」 「すぐ良くなるから! 本当に心配しないでっ」 夕梨は元気に笑ってみせる。だけど、やっぱりなんだか、無理している気がする。 「今日、沙羅と少し話したんだ。夕梨のこと」 「え……?」 「ちゃんと話せって言われて……。今までのこと、反省したよ」 「沙羅に、何か言われたの!?」 「んっ……こほっ……。はあっ……」 急に動いたからか、夕梨はゴホゴホと苦しそうに咳き込む。 「夕梨っ、寝てたほうがいいって」 「沙羅に……何を……言われ……て……」 「何も言われてないよ。沙羅は、そういう人じゃない」 何か知っている様子ではあったけど、理由もなく話すような性格じゃないと思う。 「……そう……」 少しだけ安心したように、夕梨は息を吐く。 「そうじゃなくて、僕はまだまだ、夕梨のこと知らないんだって思ったんだ」 「夕梨は、僕のために精一杯のことをしてくれてるのに……」 記憶を失った僕に、笑顔を向けてくれる。今の僕のことを、ちゃんと見てくれている。 僕は夕梨に、感謝してもし切れない。 「もっと、夕梨のことを知りたいって思ってる」 「記憶はまだ戻らないけど……戻る日を待つんじゃなくて、知っていきたいんだ」 「今を、これからを。もっと」 「……舜……」 「僕は夕梨に、すごく支えられてる」 「記憶が無くても、夕梨は、僕は僕だって言ってくれたから」 「それに、昨日はごめん」 「夕梨を抱き締めるのは、嫌じゃないんだ。だけど、今の僕がそうしていいのか、迷ってしまった」 「……いいよ。昨日のことは、あたしもごめん」 「ちょっと、気が動転してたっていうか……」 「だからさ、本当に付き合おうか」 「え……?」 「夕梨のこと、好きだ」 いつの間にか、夕梨は僕の中で一番大切な存在になっていた。 夕梨が居ないと寂しい。夕梨のことばかり考えてしまう。 夕梨に、もっと傍に居て欲しい。 「前の自分のようには、出来ないかもしれない。だけど、夕梨のこと、精一杯、大切にしたい」 「これから、前の自分に負けないように、夕梨を愛せるようになりたい」 「夕梨のこと、大切にしたいんだ」 前の自分を、僕は知らない。前の思い出を、今の僕は持っていない。 それでも、今から、ゆっくり思い出を作っていけばいい。 「どう……かな」 静かに、夕梨の返事を待つ。 「…………」 沈黙を破るように、夕梨がそっと口を開く。 その微かな動きに、期待で胸が高鳴った。 「……でも」 「……付き合えない」 「……え……」 それは、僕にとって予想外の言葉だった。 断られることは無いと――おこがましいけど、自分の中でそう思っていた。 「それは……僕に、記憶が無いから?」 「違う。……付き合っていたなんて……嘘だから」 「嘘?」 「そう言えば、舜が、あたしのほうを見てくれると思っただけ」 「記憶が無いって言うから、それなら、嘘吐いても信じて貰えると……思っただけ」 「……そっか」 嘘かもしれないってなんとなく感じてたから、そんなに驚きはなかった。 むしろ、やっぱりそうだったか、と思った。 「夕梨が、僕が気を遣わないようにって言ってくれたんだってことは、気づいてたよ」 「それでも、今の僕は、夕梨が好きだ」 「夕梨の優しさも、真っ直ぐなところも、笑顔も、全部好きだ」 「だから、僕と付き合って欲しい」 「……舜……」 「あたしは……」 「……あたし……」 「…………」 「やっぱり、付き合えない」 夕梨の言葉は、さっきよりも揺るぎなく、強い意志を感じた。 「今の僕じゃ、だめだってこと?」 「そうじゃ……ない……。今も、前の舜も、関係ない」 「舜と付き合うなんて、考えたこと、ない……」 「夕梨……」 「……付き合えない……」 「夕梨、僕は……っ」 「……付き合えないのっ! 分かってよ!」 夕梨の、沈痛な叫び。 僕はそれ以上、何も言えなくなる。 「……」 「僕に対して、少しも、気持ち……無かった?」 「……ごめん」 「……疲れた。少し休むから……帰って」 「じゃあ、今度……」 「……体調が悪い時に、押し掛けてごめん」 「ううん」 「……ばいばい」 僕と目を合わさず、俯いたままで。 夕梨は小さな声で、そう呟いた。 授業中も、学校にいる間も、ずっと夕梨のことを考えてしまう。 夕梨の気持ちが分からない。 付き合っていたのが仮に嘘だとしても、それは僕に好意を持っているから吐いたものだと思っていた。 夕梨のことだから、記憶を失くした僕が気にしないように、嘘を吐いてくれたんだと思う。 僕が、夕梨に好意を持ったとしたら――。 夕梨もそれを、受け入れてくれるのかと思っていた。そういう類{たぐい}のものなんだと思ってた。 それなのに、夕梨の答えは違った。 家に戻ってから届いていた、夕梨からのメールを何度も読み返す。 それだけのメール。 僕が返信しても、夕梨からの返事は無い。 夕梨は、無理にでも終わらせようとしていると感じた。 僕と離れることが急務のように。 でも僕は、そんなの納得出来ない。 ちゃんと話し合いたい。 きちんと、夕梨のことを理解していきたい。 放課後、夕梨の家へ向かう。夕梨は、今日も休んでいたようだった。 「舜……なんで……」 「来ないでって、言ったじゃん。もう……お別れだって」 そう言いながらも、夕梨は僕と視線を合わせようとしない。 だけど分かってる。これは夕梨の本心じゃない。 「夕梨、体調は?」 「風邪は、もういいの?」 「…………」 夕梨は言いづらそうに、部屋の隅にあるビニール袋に目を向ける。 昨日、僕がお見舞いで持ってきたものだ。 1つも、手を付けていないようだった。 「ごめん。言いづらくて言えなかったんだけど……」 「風邪じゃないんだ。だから、せっかく持ってきて貰ったところ、悪いんだけど……」 「そうだったんだ」 「ごめんね」 「僕が勝手に持ってきたんだから、気にしないで」 「……」 「夕梨、ちゃんと話そう。僕は、このままお別れなんて言われても、納得出来ない」 「そんなこと言ったって、あたしは舜の告白、断ったんだから……」 「しょうがないじゃん。付き合ってたなんて嘘吐いてたのも、ばれちゃったし」 「一緒に居る資格、無いんだよ」 「僕は、そんなこと思わない」 「夕梨が付き合えないって言うのなら、それはしょうがないと思う」 「だけど、夕梨のことが大切なのは、変わらないよ」 「……」 他に好きな人が居るとか、恋愛感情を抱けないとか、そういうことなら仕方ない。 「でも、夕梨が辛そうだから。お別れって言われても、少しも本心だと感じないから」 「……」 「夕梨は、すごく辛そうに見える」 「だから、ちゃんと話したいんだ」 「……」 押し黙ったまま、応えてくれない。 でも、聞き入れて貰えないという感じではなかった。 「……着替える。外で、話したい」 夕梨の提案に従って、2人で外へ出ることにした。 気が付くと、2人で海に来ていた。 潮風が心地良く吹き寄せてくる。 「……舜は、馬鹿だよ」 「あたし、嘘吐いてたんだよ。舜と、付き合ってたって嘘吐いて……一緒に居ようとした」 「それはそんなに、本気にしてなかったんだけど……」 「嘘っぽいなとは思った。でも、夕梨に会って、嫌な感じはしなかった」 言葉の額面通り、信じ込んでいたわけじゃない。 『本当だったらいいな』 「夕梨のことが大切なのは本当だったんだって、自分で分かったよ」 「夕梨は、僕のこと、嫌い?」 「……そうは、言ってないよ」 「幼なじみだし……大切に思ってなかったら、あたしのこと頼ってなんて、言わない」 「でも、付き合うとかは……無理なんだって」 「そんなつもりで優しくしたんじゃないしね」 「舜、騙されてたし……。でも、他に付き合ってた人も居なかったみたいだし。いいかなって……」 「こっち見て……言ってよ」 夕梨はこちらを見ようとせずに海を見つめたまま、話を続けようとする。 でも、その声から、辛そうな気持ちが伝わってきてしまう。 「話してくれなくてもいい。でも、夕梨が苦しそうなのを見ていられない」 「夕梨のこと、好きだから」 「……そう……」 「記憶を失う前のことは思い出せないけど、なんとなく、ずっと前から夕梨が支えてくれてたこと、身体が覚えてた」 「昔からずっと、夕梨は僕にとって特別だったんだと思う」 「夕梨と付き合ってなくても、きっと……夕梨はずっと、大切な存在だったんだ」 「僕は、夕梨が好きだ」 「舜……」 「……なんで……なんで、あたしなの……?」 「あたしじゃなくても、舜は、大丈夫だよ」 「あたしは……記憶失って、弱ってる舜に、嘘吐いて、擦り寄っただけ」 「僕は、そんなふうに思わない。夕梨が傍に居てくれて、嬉しかったから」 「……」 「舜は、記憶を失う前――本当は、沙羅のことが好きだったんだよ」 「僕がそう言ってたの?」 「違うけど……分かるよ。ずっと、舜は沙羅のことを見てた」 「あたし、幼なじみだから、そういうの、分かるんだよ」 「……そうなの、かな」 確かに僕は、記憶を失っても、沙羅の名前は憶えていた。 だけど、自分が沙羅のことを好きだったと言われても、しっくりは来ない。 「沙羅もさ、クールな性格で……たまに、嫌味っぽい言い方もするけど、本当はすごくいい子なんだよ」 「今は実感無いかもしれないけど、きっと、もっと一緒に過ごしていけば……」 「舜はまた、沙羅のことを好きになる」 「過去の僕のことは分からない」 「でも今の僕は、目の前に居る夕梨のことが好きだ」 「僕は、今の僕と、今の気持ちと、生きていきたい」 「今の僕が、僕だ」 「もう……いいよ……」 「わがままだけど、夕梨の気持ちを教えて欲しいんだ」 「ううん……もう……」 「いい……やめ……て、よぉ……」 夕梨は泣きじゃくりながら、首を横に振る。 「夕梨……」 「舜のこと……あたし……」 「好きだよ……。大好き……。ずっと、好きなの……」 夕梨の気持ちが、嬉しい。好きだと言ってくれたことが、すごく嬉しかった。 「だから、嘘……吐いたの。一瞬だけ……記憶が戻るまで……」 「思い出が、欲しかったから」 「これからがあるよ。今だけだなんて、言わないでよ」 「それでも……付き合えないの……」 「思い出なら、これからたくさん作れるじゃないか」 「2人で、これから。……そうじゃないのか?」 「違うの。そうじゃ……ないの」 「今しか、ないから。これからなんて、無いから」 「あたしに、未来なんて……無いから……」 「何を、言って――」 「あたし……もうすぐ死んじゃうの。病気なの……」 「……え……?」 「風邪じゃ……ない。あたし、ずっと……病気なの!」 「体調崩してるのも、そう……」 「夕梨……何、言って……」 嘘だって言って欲しかった。 病気……? 夕