「あの……」 「本当に、私がやらないといけないんですか?」 「そうだ」 「でも、友達を裏切るようなこと……私には――」 「そうか……」 「つまり君は、君の最も大切な人を、見殺しにするわけか」 「そんなことは……」 「その人のためなら、なんでもする。君は、そう言ったね?」 「そう……ですけど……」 「なのに、私の提案を断る」 「そんなこと……でも、私は……」 「ならば、これは避けては通れないことだろう?」 「でも……」 「……あの者は、心の奥では我々を敵だとみなしている節がある」 「お互いの利益が一致しているうちはいいだろう。だが、いつ牙を剥いてもおかしくない」 「もしそれで面倒なことが起きたら、全ては終わり、皆、絶望の淵に追いやられる」 「私も。そして、君もだ」 「……」 「私は、君の大切な人を救いたいと思っている」 「そのためには、君の協力が不可欠なのだよ」 「私は……」 「でも……そんなこと」 「……」 「……」 「……君に選択肢など残されていないんだよ」 「……っ」 「分かって貰えたかな」 「でも……っ」 「でも、私は! 友達を売るなんてこと、出来ません!」 「……友達を売る? それは、どういう意味かな?」 「そんなの……」 「そんな、スパイみたいなこと、私には……」 「出来ません……」 「そうか……」 「なら聞こう」 「君には、何か素晴らしいプランがあるとでも言うのかな?」 「それはっ……」 「……ありま……せん」 「だろう?」 「ならば、ここで尻込みする必要はあるまい」 「いいかい? これは慈悲深い私からの提案なんだ。君の希望の実現と私の実務の遂行、その両方が同時に叶うWin−Winの関係」 「これ以上ない提案だとは思わないかね?」 「……」 「……」 「やっぱり……無理です……」 「耐えられ……ません」 「なんだ? 何か言ったかな?」 「そんな、の……」 「……さて、そろそろおしまいにしよう」 「あとは、君次第だ」 「……」 「さあ……」 「無理……!」 「……」 「無理っ……!」 「そうか……」 「君は事の重大さに気づいていないようだ」 「えっ……」 「その言葉を、もう一度口にした時――君の切なる願いは、虚しく散ってしまうだろう」 「そして二度と叶うことは無い」 「……残念だがね」 「これが最後だ」 「っ……」 「……」 「……」 「分かり……ました……」 「そうか……やってくれるか」 「……」 「……」 「……はい」 「頼むぞ。我々の未来のために」 「……」 「……」 「……」 ……ごめんなさい。 私は、弱いんだ。 「はあ……」 胸に何かが挟まったような感覚。 それを取り除くように、深く息を吐く。 どんなに気が重くても朝はやってくるし、登校もしなくちゃいけない。 それが想像以上にしんどいことだというのは、白音を失った時に学んでいたはずだった。 「そういう表情はしないほうがいいって、いつも言ってるじゃん」 「そんな根暗な顔してたら、幸せが逃げるよ」 「そっか……」 「なんか、いつも以上に重症だよ。どうしたの?」 「っていうか、今日はシロネと一緒じゃないの?」 「ちょっと、シロネの調子が悪いみたいで。RRCに預けることになったんだ」 「えっ、そうなの!?」 「どの程度深刻なのかは、まだ分からない」 「でも、しばらくは学校を休むことになった」 「そうだったんだ……。寂しくなるね」 母さんも入院中で、今の我が家は僕1人。 こんな経験は初めてだから、家に居るだけで気が滅入りそうだ。 「でも、そんな時こそ、笑顔笑顔! 笑う門には福来たるって言うし」 僕が落ち込んでいても、何も解決しない。 今はただ、二人が戻ってくるのを待つしかない。 「ありがとう、夕梨」 「いいよ、これくらい」 「ニヒヒッ」 いつものニヤけ顔を向けてくる夕梨。 でもそれが、今の自分には、妙に心地良かった。 「おはよう、七波くん」 「……なんだか、今日はあんまり元気がないね。大丈夫?」 教室に入ったところで、日比野さんに声を掛けられる。 「今朝、夕梨にも言われました……」 「やっぱり。最近ずっと明るかったから、余計にそう見えるのかも」 そこまで接点の多くない、日比野さんまで気づくなんて。 今の僕は、相当に酷い顔をしているに違いない。 「あのね……実は」 「私、見ちゃったんだ。この前の、救急車……」 「救急車……ああ」 「あれって、七波くんの……だよね……?」 日比野さんの言う救急車とは、母さんが過呼吸で病院に運ばれた時のものを指すのだろう。 家が近いから、サイレンの音で気づいただろうし、見掛けていてもおかしくない。 「ああっ、ごめんね! こんなところで話すことじゃないよね……」 「万が一のことがあったらって、心配になって……」 「いろいろあって……でも、今は病院で安静にしてます」 「そっか……」 「私、今RRCでバイトしててね――」 「バイト?」 「ああ、うん。私もお母さんがね、いろいろあって、仕事休んでるから……」 「その間に、私が家計を支えなきゃって思って」 「RRCでバイト……そんなこともあるんですね」 「と、言っても、研究とかは関係ない、単なる雑用みたいなものなんだけど」 「RRCも忙しいみたいだし……」 「そうなんですか」 「それでその帰りに、救急車を見掛けて……」 「……」 「どうか、お大事にね」 「ありがとうございます」 「ん……?」 日比野さんにお礼を伝えたところで、ポケットのスマホが振動して、メッセージの着信を伝える。 スマホを取り出して、画面を確認する。 内容は一行だけの、簡潔なメールが届いていた。 「あれ……」 再び話し掛けようとした時、日比野さんは目の前から居なくなっていた。 「放課後か」 メールを送るくらいだから、沙羅は学校を欠席するつもりなんだろう。 シロネのことも心配だけど、また沙羅が遠くに行ってしまうような気がして、落ち着かなかった。 「……」 昨日から1日しか経っていないのに、とても懐かしく感じた。 それは、鳥かごという場所が、思い出の地だからかもしれない。 「沙羅も、あくびするんだね」 「――あ」 「うん……あんまり寝てないから」 沙羅が弱音を吐くのは、とても珍しかった。 「それで、2人の現状だけど――」 表情をパリッと切り替え、沙羅は仕事モードの口調に戻る。 「馨さんが過呼吸で病院に運び込まれたのは、この前説明した通り」 「幸い、症状は一時的なものだったから、もう少し落ち着けば退院出来るそうよ」 「良かった……」 「もちろん、面会もOKだと聞いているから、今日、この後にでも」 沙羅は事務的な口調で伝えているが、どこか安堵の感情が込もっているように感じられた。 「問題はシロネのほうで……」 「……ただ、今はまだ調査中だから、舜に伝えられることは何もないの」 「そうか」 「でも、必ず……」 「この実験を、再開出来るようにする」 言い切る沙羅の口調に、強い意志を感じる。 「必ずね」 「ありがとう、沙羅」 「だけど、母さんがなんて言うか……」 「そのことだけど――」 「シロネを舜の元へ返せるように、2人の家を用意したの」 「家!?」 「だから、明日からはそこで暮らしてくれる?」 「どういうことなんだ……」 読めない会話の流れに、流されてしまいそうだ。 「簡単な話よ。実験用の住居を、RRCが用意したというだけのこと」 「そこに、僕1人で住む……?」 「男の子にとっては、嬉しい話でしょ?」 「そんなこと聞かれても……」 シロネと母さんのことを考えると名案のように思えるけど、いろいろと突っ込みたいことが多すぎる。 「馨さんのことは、私や百南美先生に任せて」 「とにかく、そういうことだから。詳細は追って連絡するわ」 「……」 決定事項だと言うように、沙羅は当たり前のように話していく。 今から何を言っても、ひっくり返ることは無さそうだった。 「じゃあ、私は研究室に戻るから」 「あ、あのさ!」 焦燥感に駆られるがままに、僕は思わず一歩踏み出す。 「なあに?」 「えっ……と」 「明日は、学校来る?」 「……」 「しばらくは無理かな」 少しの沈黙のあと、沙羅は僕のほうを見ずにそう告げる。 「シロネのことを、最優先にしたいから」 「そっか……」 自分の研究でもあるから、仕方ない。 沙羅はそう思っているのかもしれないが、いろんなことを犠牲にしている気がして、申し訳ないと思ってしまう。 「心配しないで」 「私はもう、あなたの前から居なくなったりはしない」 「そう言ったでしょ?」 沙羅と再会して、この鳥かごで2人話した時のことを思い出す。 あの日から状況は変わったけど、沙羅の意志は変わっていない。 「これは、約束だから」 「……まあ、口約束だけどね」 沙羅は真剣な雰囲気を解いて、リラックスした表情で微笑む。 もう沙羅との間に、心の距離を感じたりはしなかった。 ときどき、あまりにもシロネを人間らしくしてしまったことに、後悔する。 まさに今が、その瞬間だ。 「どうして、あなたは馨さんを傷つけたの?」 「わたしに、そんなつもりはありませんでした」 「でも、結果的に、お母さんを苦しめてしまったことは、理解しています」 「うん」 「わたしは、白音さんの記憶に従っただけです」 「七波家で、七波白音として振る舞う。そのために、わたしは作られました」 「それなのに、どうしてこうなってしまったのでしょうか……」 シロネの言い分は一理ある。 でもそれは、アンドロイドとしての言い分。 不条理で不合理な人間には、その論理が通用しないことを、私は知っている。 「ちなみに……前に、植物に水遣りをしようとして、馨さんに止められたことがなかった?」 「はい、ありました」 「それはなぜだか分かる?」 「えっと、わたしとしては頼まれていないことを、白音さんとしては頼まれていて、それをわたしが実行したから……でしょうか」 「なるほど」 シロネの様子を、手早くPCに打ち込む。 会話は全て録画しているけど、気になったことは、こうして随時メモを取っている。 「写真の周りを掃除していた時にも、注意されていなかった?」 「それは……よく分かりませんでした」 写真というより、あれは遺影なんだけど、シロネには理解出来なかったんだと思う。 メモを取る指が、少し震える。 私はゆっくりと二度三度深呼吸をして、再びシロネに質問を向ける。 「水遣りを注意した時の馨さんの言葉には、明確な否定の意思が込められていたの」 「にも関わらず、あなたは同じ間違いをした。それはなぜだと思う?」 「間違い……?」 「いえ、間違いではないはずです。白音さんの役割を果たすことが、わたしの使命ですから」 「でも、三原則の最上位は、人に危害を加えないということ。命令服従はそれよりも下位でしょう?」 「あなたの判断は、間違っているんじゃない?」 「いいえ、三原則に反してはいません」 シロネははっきりと、私の言葉を否定した。 「だって……」 「わたしにとって、人とはつまり、使役する人、使用者――お兄ちゃんのことを指します」 「それって……」 「たとえば、三原則の及ぶ範囲を全人類とした場合、わたしは一切買い物をすることが出来なくなってしまいます」 「わたしが商品を買ったせいで誰かがそれを買えなくなり、結果的に不幸になる可能性があるから」 「これは、わたしが行動し、人間と接触するたびに起きる問題です」 「この状況に陥らないために、わたしは、使用者であるお兄ちゃんを傷付けないことを最優先に、行動してきました」 「なるほど。それがあなたの、フレーム問題の回避法だったというわけね」 アンドロイドは有限の思考回路で、無限の事象を予測しようとしてしまう。 ゆえに、“思考の枠組み=フレーム”を作り、枠外の情報は判断せず、枠内の情報でのみ判断する必要がある。 それはまるで、シロネにとって、舜以外は人ではないと言っているようなものだけど―― あくまでも、三原則の第一条を最優先に遵守すべきと判断したまでだ、ということだろう。 「人間という定義はとても曖昧です」 「人間から生まれたのが人間とするならば、試験管から生まれた子はどうなるのでしょう」 「遺伝子配列を元にするなら、生まれつきそれが欠損している人は、どう扱えばいいのでしょう」 「わたしにとって人間という定義は、とても曖昧で、不確かなように感じます」 「なるほどね。あなたの考えには、私も同意出来る部分がある」 人間とは何か。これは哲学をはじめとした各分野でも古くから議論されている。 当たり前に思えて実はそうではないことが、この世の中には多過ぎる。 「つまり、今回の一件で、シロネは――」 「所有者の舜の望みである、白音らしく振る舞うことを、最優先に行動していた」 「そういうことね?」 「その通りです」 シロネは間違っていないけど、間違っている。 だけど、そのことは今、彼女には説明しないほうがいい。 「ところで、私のことはどう認識しているの?」 「沙羅ちゃんは、“わたしを生み出した人”です」 「……そう」 その言葉は、意外にもさっぱりとしていた。 アンドロイドとして不足は無いけど、人間として考えると、問題が出て来てしまう。 「その部分を、解決する必要があるってことね……」 状況を把握した私は、報告書をまとめるために、モニターに向き直った。 「……」 「……!」 空になったビニール袋をまとめていると、夕梨が唸っていた。 「……ねえ、舜!」 「さっきからどうしたの?」 「思うんだけどさ。ずーっと学食のパンだけって、飽きない?」 「まあ、正直……」 沙羅の指示の元、一人暮らしを始めたわけだけど―― 家事なんてほとんどやってこなかった僕は、スタートからほぼ壊滅状況だ。 必要最低限はこなしているけど、朝早く起きて弁当を作る気力は、初日から無かった。 「やっぱりさ、うちで舜の分のお弁当用意するって」 「毎日パンだけじゃ、身体に良くないよ」 「さすがにそれは悪いって。それに、パンも工夫次第じゃ健康な食事が出来るよ」 「たとえば、どんな風に?」 「えっと、それは……」 「あんパンに抹茶アイスクリームを合わせると、抹茶ぜんざいみたいですごく美味しいよ」 「あんパンは、少し温めたほうがアイスが溶けて美味しいの。今度試してみて」 言葉を探す僕に代わって、日比野さんが助け船を出してくれる。 ここ最近、日比野さんと話す機会が少し増えたように感じる。 母親のことが共通の話題になって、以前よりさらに話しやすい人になっていた。 「あー、それ、アイスパンってやつだよね。あたしも気になってたんだ」 「絶対美味しいよね〜。帰ったら試してみようっと」 「だけど、それは健康とはちょっと離れているような……」 「お茶の粉末が入っていれば、きっと食物繊維だって入ってるって」 「どうかな……」 多分、日比野さんも分かっててボケているんだと思うけど。 「でも、七波くんのパン食も、だいぶ板に付いてきたよね」 「シロネちゃん、まだ掛かりそうなの?」 「まだいろいろと、検査があるみたいで」 「検査?」 「その……母さんのことがあった日は、シロネも家に居たから」 「実験中に起きたアクシデント……ってことで、調べなきゃいけないらしいよ」 「なるほど……」 「七波くんも、大変だね」 「シロネ、無事だといいけど……」 「でもまあ、舜にとっては、これも経験だよ」 「夕梨が言うなって」 からかってはいるけど、夕梨も心配なんだとは思う。 「じゃあ、紬木さんはその検査で、来てないってこと……かな」 「そういうことか……」 バイトでRRCに行っていても、沙羅に会うことは無いらしい。 沙羅のことだから、連日引きこもって作業しているんだろう。 「早く戻って来れるといいね。紬木さんも、シロネちゃんも」 「そうだね」 それだけは確かなことなので、僕も大きく首を縦に振った。 「……それで」 「シロネの件については、これで全てということかな」 「はい」 昨日まとめた報告書を提出する。 これで上層部の人間――RRC所長である彼を納得させないと、実験を再開することは出来ない。 「なるほど」 「……では、1つ聞こう。今回の実験における失敗の責任は、どう取るつもりかね?」 「これは、失敗ではありません。リスクの問題です」 「非常にセンシティブなケースゆえに、このようなリスクを伴うことは、予測出来ました」 「ならば、なぜそのリスクを回避出来なかった?」 「それは……」 「目下調査中ですので、今ここで述べられることはありません」 「そうか」 「……では、聞き方を変えるとしよう」 「実験対象者の家族、七波馨は、アンドロイドの実験中に、心的要因によって過呼吸を引き起こし、入院に至った」 「第三者から見れば、これはアンドロイドが人間に危害を加えたと見做すのが妥当だろう」 「それでも君は、今回の件を、リスクの範囲内だと言い切れるのかね?」 「……」 さすがに、簡単には通して貰えない。 頭をフル回転させ、説得に適切な言葉を探す。 「実験に、リスクはつきものです。たとえそれで……」 「人の命が奪われようとも?」 「……」 この人は、私に何かを言わせようとしている。 そんな気がして、はっきり告げることが、躊躇われた。 「何を迷っている? はっきり答えて貰って結構なのだが」 「これは実験だ。トリノはまもなく完成する。そのために、必要なことだ」 「分かっています。私の心に、迷いはありません」 「ああ。それでいい」 「もちろん、こちらとしても、情報統制は徹底するつもりだ」 「……はい」 「それで、君はこれからどうするつもりかね?」 「シロネを回収し、実験を一時中断。リスクの回避策を考えます」 「はは……聡明な紬木君らしい処断だな」 「そうあなたがおっしゃると思ったから、先に述べたまでです」 「分かっているじゃないか」 「……」 この人の前では、こう言っておく必要があると思った。 私は、自分を偽っている。 だけど、今はそれが必要な時なんだ。 「……では、仕事に戻ります」 「期待しているよ」 「……」 「……失礼します」 「お兄ちゃんが来てくれて、とっても嬉しいです」 今日はいつもの鳥かごではなく、研究室まで通して貰った。 シロネも交えて、新居のことを話しておきたかったからだ。 「シロネが元気そうで安心したよ」 「はい。沙羅ちゃんが隅々までチェックしてくれたので、絶好調って感じです」 「馨さんのことは、心配ですが……」 お母さんではなく馨さんと呼ぶから、なんだか寂しい気持ちになる。 「でも、わたしはこれからも、自分に出来ることを精一杯やっていきたいです」 「じゃあ、僕との二人暮らしの件は……」 「もちろん賛成です! 楽しみ過ぎて、今からドキドキしちゃいます」 「そっか。良かった」 こうも喜んで貰えるなら、兄冥利に尽きる。 決して、早く家事の手伝い手が欲しいだなんてことは、考えてない。 「そもそも、シロネがあなたのお願い、断るわけないでしょ」 PCに向かっていた沙羅が作業を止め、こちらの会話に割って入ってくる。 「でも、意思確認って大切だし」 「……まあ、好きにして」 やれやれと、沙羅はため息を吐く。 確かに、沙羅の言っていることのほうが、客観的には正しいのかもしれない。 でもやっぱり、シロネが白音として振る舞っている以上は、人間扱いをするべきだと思う。 「あ、すっかり忘れていました。今、お茶を淹れますね」 「ありがとう」 シロネがパタパタと研究室の奥に駆けていく。 そうやって研究室内をなんとなく見渡していると、1体のアンドロイドが目に付いた。 「えっ……」 「どうしたの?」 「あのアンドロイドって……」 「ルビィ、だよね?」 「……そうね」 この場所にあっただなんて、思いもしなかった。 動いているところしか見たことが無かったから、起動していない様子を見ると、死体みたいで、少しぞっとする。 「さっきメンテナンスしてたの。後で片付ける」 沙羅が6歳になって以降、ルビィは沙羅の家で見掛けなくなった。 子守専用のアンドロイドゆえ、対象者が決まった年齢になると、相手を認識しなくなると、前に聞いた。 それから、沙羅がアンドロイド研究にのめり込んだ理由は、ルビィの復活にあることも。 「よく見ると、あんまり変わらないね」 「ルビィの時間は、止まっているからね」 「私のことを見ても、私だとは認識してくれない」 しみじみと、噛みしめるように沙羅は呟く。 あれから長い年月が経っているのに、ルビィは綺麗なままだ。 きっと、沙羅が丁寧にメンテナンスし続けたからだろう。 「でも、どうして……?」 「沙羅なら、それくらいの問題、解決出来る気がするけど」 「理論上は間違っていないの」 「だから、何か……私の想像の及ばないところに、穴があるんだと思う」 「その、理論っていうのは?」 「舜に話してもしょうがないと思うけど?」 「そうかもしれないけど……」 「何か、閃くことがあるかもしれないし」 そう言いつつ、本心は沙羅と長く話したいだけだ。 「……分かった」 「前にも話した通り、ルビィは6歳未満の子どもにしか、反応しないように作られているの」 「つまり、年齢による枷を外せば、認識してくれる可能性がある」 「だから、その枷の代わりに、トリノをインストールしたの」 「トリノを?」 「トリノなら、年齢なんていう枷に囚われずに、私を見てくれる」 「そう思ったんだけど……。なかなか上手くいかなくて」 「ルビィはシロネの旧型アンドロイドだから、シロネと同じようにはいかないのかもしれない」 「そもそも、私が作ったアンドロイドでもない、元々は七波博士の実験用アンドロイドの1つだし……」 「父さんが作ったアンドロイドだったんだ」 「知らなかった?」 シロネ以外のことは、全然聞いたことが無かった。 「なら、父さんがまだ島に居る時に、聞けば良かったんじゃ……」 「それが出来たら、今困ってない」 「まあ、そうだよね……」 「とはいえ、七波博士の判断でも、理論上は間違っていないということだったから……」 「余計に、わけが分からないというか……」 「でも、七波博士が残していった、私への宿題だと思えば、取り組み続けるのも苦じゃないわ」 「……沙羅は前向きだね」 沙羅は天才だともてはやされているけど、努力の天才だと思う。 「ルビィは大切な人なんだから、当たり前でしょう?」 「そう言い切れるのは、カッコイイよね」 「……」 「お茶が入りましたよ〜」 会話が途切れたところで、シロネがお盆を持って戻って来る。 「わたしも、少しだけ覚えていることがありますよ」 話が聞こえていたのか、シロネも会話に入ってくる。 「沙羅ちゃんの家で遊んで帰った後、お兄ちゃんはいつも不機嫌でした」 「その時白音さんは、お母さんから貰っていたキャンディを、お兄ちゃんにあげていました」 「どうして不機嫌だったの?」 「それは――」 「ちょ、ちょっと待って」 「シロネ。その先は、また今度話さない?」 「どうしてですか?」 「まあ……今話すことでも無いかなって」 「それは、お兄ちゃんがルビィに妬いていたことを、沙羅ちゃんには知られたくない、という意味ですか?」 「ちょっとシロネ……!」 「……って言っても、そんなの小さい頃のことだし……」 「今でも妬いてたとしたら、大変なことになってしまいます」 「お兄ちゃんは、ルビィの復活を望んでいない、ということになりませんか……?」 「なるほどね……」 「そんなわけ無いって」 「沙羅も納得しないでくれ」 「……まあ、そういう歪{いびつ}な関係も、悪くないかな」 含みを持った言い方をして、ニヤリと笑みを浮かべる。 「……でも、ルビィが大切なことと、舜が大切なことは、意味が違う気がする」 「舜は、アンドロイドじゃない。当たり前のことだけど」 「だから……」 「……」 沙羅は口ごもって、言葉を濁す。 なんとなく、言いたいことが分かってしまう。 小さい頃のこと―― 沙羅には両親が居なくて、多数のアンドロイドに育てられていた。 だから、初めて会った時は、今みたいに普通に話すことも出来なかった。 「ルビィが居るから、友達なんて要らない」 「お母さんもお父さんも要らない」 「人間は、私を裏切るから」 「私自身でさえ、自分を偽ることが出来る」 「私は、人間のことは信じてない」 家族が居る僕には、その孤独を本当の意味で理解することは難しい。 さらっと恐ろしいことを言うから、返答に窮してしまったことを覚えている。 「だけど……」 「舜くんのことは……」 「ルビィとまたお話し出来る日は来ますよ。沙羅ちゃんなら!」 「頑張ってください。応援しています」 「うん。ありがとう」 1人思い出に耽っていた頃、沙羅とシロネはルビィの話を続けていたようだ。 「必ず……叶えてみせる」 沙羅はそう呟いたけど、微笑んだりはしていなかった。 それはきっと、未だに解決出来ないことへの、焦りがあるのかもしれない。 沙羅にとって、いかにルビィが大切な存在であるかを知る1日だった。 沙羅もシロネもいない、通学の日々。 母さんは無事退院し、実家に戻っている。 シロネも戻って来ないし、元の家に戻りたい気分だった。 「そんなこと考えてないで、自分に出来ることを探さなくちゃ……」 今の僕は、成り行きを眺めているだけで、沙羅やシロネの役には立てていない。 それでいいわけない。 「あの日――」 沙羅にシロネを預けることに決めた日。 シロネの心にストレスが掛かっている気がして、その解決のために、シロネを手放した。 それから、久しぶりに、沙羅の研究室で再会して。 何ともないように思えたけど、沙羅が修正した後だったんだろうか? 「でも……」 修正されているようにも見えなかった。 それは、今まで一緒に暮らしてきた中で感じた、根拠のない、直感的なものだけど……。 人の心は、目には見えない。 シロネにも、確かに心はあると思う。 沙羅の言う“理論”とやらは、人を正しく導いてくれる存在なんだろう。 だけど、素人の僕からしてみれば、自分自身の経験こそ、確かなものじゃないかと考えてしまう。 「そう言ったら、怒られるだろうけど……」 放課後、研究室に行ってみよう。 向き合い続けることで、何か変わるかもしれない。 「……」 「……」 「あ、あの……沙羅、ちゃん」 「少し、休憩したら……どう、ですか?」 「そんな必要は無いわ」 「そ、そうですか……」 「何か、わたしに出来ることは――」 「静かにしててくれる?」 「は、はい……」 「じゃあ、お茶を淹れて来ますねっ」 シロネは肩を落としつつも、健気に働こうとする。 少し、フォローしたほうがいいのかもしれない。 でも、私にはそれよりもやるべきことがある。 「一体、何に手間取っているの……?」 リスクの回避策は、追って説明を重ねた。 実験用の住居を確保し、ひとまずそこで生活して貰う。 経過を見ながら、次はどうするか、考えていけばいい。 住居の使用許可までは降りたのに、実験継続の許可は降りず、今やシロネも、お茶汲みロボットと化している。 トリノの完成は、RRCの悲願でもあるはずなのに……。 「……」 館内通話ソフトが反応する。 ヘッドセットを付け、通話に応答する。 『やあ、紬木くん』 「今さっき、会議の結果が出たところだ。手短に伝えよう」 『お待ちしてました』 ようやく、許可が降りたようで。 腰の重さに苛立ちながらも、ほっと胸を撫で下ろす。 「シロネの運用実験は――」 「本日をもって、終了とする」 「えっ……?」 『そういうわけだから、速やかにシロネをスリープにしてくれ』 「待ってください!」 『どうした? 何か問題でもあるのかね?』 「そんな……突然そんなことを言われても!」 「私は、きちんと説明したはずです」 『ああ。君の弁解は理解しているし、説明に落ち度も無い』 『だが、あの報告書では、理事会を納得させることは出来なかっただけだ』 『まあもっとも、優秀なチームを率いている君なら、他人の信用を得る難しさについては、一番よく分かっているんじゃないかね?』 「そうですが……」 「それならば、報告書を書き直して、再提出させてください」 『これは決定事項だ』 『君が書き直したいと思っても、今からではもう遅い』 「そんなっ……」 「そもそも、トリノの研究は、RRCの主要研究の1つだったはずです」 「その研究を停滞させることは、関わってきた一員として容認出来ません」 「これは、RRCにとっても由々しき事態です」 『……君はずいぶんと、シロネにご執心のようだね』 「……」 うっすらと粘着質で嫌味な笑みを浮かべる彼が、容易に想像出来る。 一瞬にして、不快な感情で胸がいっぱいになる。 「もう一度伝える。これは、決定事項なのだ」 『でも……っ!』 「君は、決定に逆らうのか?」 私には、シロネには、まだやるべきことがある。 それに、ルビィのことも……! 『シロネは、経験したことを学習し次の行動に生かす、自己フィードバック性に優れたアンドロイドです』 『彼女に今後さらなるインプットを与えれば、私達の予想も付かないアウトプットを返すことも期待出来ます』 『人間以外の思考がもたらす多角的な知見は、人類の発展に大きく寄与する――私は、そう確信しています』 「その結果が、人1人を廃人にし掛けたわけだが?」 『実験に……リスクはつきものですから』 「なるほど」 怖じ気付かずに言い切ったけど、言葉に感情は乗せてない。 「まあいい。君の言い分は分かった」 「君の言う通り、まさに本プロジェクトは、窮地に陥ったわけだが――私も鬼ではない」 『それは――』 「最後に、君にもう一度機会を与えよう」 『本当ですか……?』 「ただし――」 「シロネに“チューリングテスト”を受けさせる」 「チューリングテスト……?」 「それは……どういうことですか?」 チューリングテスト――アンドロイドにさまざまな質問を投げ掛け、その反応を人間が観察し、人間らしく振る舞っているかをチェックするもの。 人工知能が検討され始めた頃はメジャーなやり方だったけど、人間が判定して主観が混じるから、実験結果にバラつきが出るという欠点がある。 『古典的だが、やり方も効果もはっきりしているテストのほうが、理事会を説得出来る』 『今、理事会が強く求めているのは、トリノに関する明確な安全性だ。それが保証されれば、実験再開を働き掛けることが出来るやもしれん』 「でも、あのテストには多くの問題点があります」 「質問によっては、シロネの思考が歪んでしまうかもしれない。時間の無駄です」 『テストの内容が重要なのではない。安全性の担保が第一だ』 「でも、それではシロネが――」 『ここでつまらない意地を張って、シロネが休眠させられても構わないと?』 「……」 何を言っても通じない気がした。 そもそも、対等な会話すら成り立っていない。 今の私は、彼に一方的に従わされている、ただの手駒に過ぎない。 『決定でいいね?』 「……」 「……シロネの研究のためなら」 『では、今日中に実験の計画書を提出するように』 『以上だ』 理事会なんて、私には関係ない。 説得出来ないのは、私の責任なの? 彼が担うべき仕事のはずなのに。 それに、最後まで実験終了の理由に言及しなかったのが気になる。 やっぱり、トリノの技術が目当てで、私の妨害を―― 「沙羅ちゃん、大丈夫ですか?」 「……」 「沙羅ちゃん?」 「……みんなが、あなたみたいだったら良かったのに」 「はい?」 「不老不死、完全合理性、完璧な個体。それが手に入れば、この煩わしさからも解放されるかな」 「……」 「人間は、あらゆる面において欠陥品としか言いようがない」 「そんな……」 「そんなこと、言わないでください……」 「沙羅ちゃんは、わたしを生み出したすごい人なんですから」 「……」 シロネは私を励ましてくれたけど、凍てついた心を癒やすことは無かった。 「RRCの主要研究の1つ、か……」 彼{・}と共に歩んで来たトリノ計画は、彼女によって、成されようとしている。 それにしても―― 「こんな報告書で、私の目を欺けると思ったのか?」 フレーム問題の回避法。 三原則で定義されている“人間”の対象を緩めることによって、使用者以外の人間を即座にフレーム外に追いやらないようにする。 そうすれば、シロネが人を傷つけるリスクを下げることが出来る、と。 そう書かれているが、これは簡単な問題ではない。 もしもアンドロイドに、人間の価値を決める権限を渡せば、いずれ社会問題にも成りかねない。 小さな子どもと成人男性が溺れていて、どちらかしか助けられない時、より生存率の高い成人男性を助けてしまう―― そういった話が、過去に問題になったはずだ。 彼女だってそれを知らない訳じゃあるまい。 「見え透いてるな……」 姑息な手を使ってでも実験を再開し研究を成就させようとしている。 何が彼女を突き動かしているのか? だが、そこはさしたる問題じゃない。 「私を甘く見ているのが見え見えだ」 幸いにして、トリノはまもなく完成しようというところまで来た。 「さて――」 「もう少し、泳がせてみることにしよう」 「どう出るかな? お嬢さん」 「それで……」 「どうして、今日も舜がここに居るの?」 「……怒ってる?」 「ううん、違う。呆れてるの」 そう言って沙羅は、オーバーにため息を吐く。 入館許可を出してくれたのは、沙羅のはずだけど。 「まあまあ、いいじゃないですか。お兄ちゃんが来てくれると、賑やかで楽しいですよ」 「ここは私の仕事場。遊び場じゃないの」 シロネの気遣いを、あっさりと切り捨てる沙羅。 言葉の端々に、普段はない、鋭いトゲのような意思を感じる。 「今日の沙羅、なんか機嫌悪いような……」 「あの所長さんと話した後から、沙羅ちゃんおかしいですよ」 「シロネ……聞いてたの?」 「だって、同じ部屋に居るから……」 「そのことは部外者には言ってはいけないの」 「部外者って……」 シロネは困った様子で、僕のことを見つめる。 「まあ、僕は実験の被験者でしかないからね」 「邪魔して悪かった。あの大きな家で一人暮らしするのは寂しいものだけど、そんなことで弱音を吐いてちゃいけないな」 「……」 「あ、ごめん。沙羅への当て付けじゃないよ」 「寂しいなんて言われたら、放っておけなくなるでしょ……」 沙羅は怒り口調だけど、最大級の心配をしてくれた。 「そう……ちょうど、舜に見せたいものがあったんだった」 「ちょっと、これを持っててくれる?」 沙羅がポケットから取り出したのは、小さなキューブ状の機器だった。 「それで、この眼鏡を掛けて――」 「眼鏡?」 そう言って沙羅は何かを装着したけれど、目の前の景色に変化はない。 「私の声、聞こえてる?」 「沙羅の声は、さっきから――」 「えっ!?」 目の前に現れたのは、沙羅にそっくりの沙羅――ではなくて、沙羅そのものだった。 「私はサラ。この子も沙羅だけど」 「ええと、これは……?」 「バーチャルリアリティ、通称VR」 「VR?」 「トリノの技術を応用して作ったの。別に、すごいってものでもないわ」 それから沙羅は、VR技術について語り始める。 今は娯楽や医療など、様々な分野で使われているらしい。 いくら一般的になりつつある技術とはいえ、ここまで本物そっくりに見えるのは初めてだ。 「聞けば聞くほど、すごいと思うよ」 「システムは同じよ。いわゆるシロネの脳部分であるトリノを、アンドロイドに搭載せず、素体をバーチャルで再現しただけ」 「シロネの下位互換でしかない」 「下位互換なんて、失礼な」 「会話も、ちゃんと出来てる……」 「そのために作ったんだから、当然よ」 「私に、私自身のことを相談するため。思考整理のために、作ってみたの」 「そんなの、僕に相談してくれれば――」 「あなたに専門的な話をしても、理解出来ないでしょ」 「はい、まあ……」 「安心して。誰も私の話を理解出来ていないから」 彼女なりのフォローが身にしみる。 まあ、何のフォローにもなってない気がするけど。 「私なら、私自身の言うことを理解出来る」 「しかも、トリノを搭載しているから、人間なんか比じゃない思考能力を持ってる。私の相談相手としては、最適な存在なの」 「おかげで研究も進むし、新しい発見もあったし」 「なんでもっと早くこうしなかったのかと思うくらい」 「そう、なんだ」 理屈としては、沙羅の考えは間違ってない気がする。 でも、なんだかそれは、もの凄く……。 「寂しくないの?」 「どうして? 相談は、問題を解決するために行うことでしょ?」 「それが果たせれば、手段は問わない」 相変わらず、非の打ちどころの無い合理主義だ。 それでもやっぱり、なんとなく沙羅の意見は違う気がする。 「専門的な話には役立てないかもしれないけど、何かあったら、僕にも相談して欲しい」 「知識は無くても、シロネと過ごしたという経験はあるし、僕だけ何もしないでいるのは嫌なんだ」 「そう言われても……」 きっと、沙羅には僕の気持ちは理解出来ないのかもしれない。 それでも、不合理なことのほうが正しい、なんてこともあるんじゃないだろうか。 「……そんなに手伝いたいなら、明日の実験、舜も立ち会う?」 「いいの?」 「シロネに関する実験を行うから、シロネと長い時間接してきた舜の意見もあると、参考になるかも」 「うん。是非協力させて欲しい」 「じゃあ、明日の10時、また研究室に来て」 「分かった」 沙羅に頼まれた喜びよりも、事の重大さに身が引き締まる。 シロネに関すること……一体、どんな実験なんだろうか。 「彼が、あの七波舜か」 「どうして今更そんなことを? あなたなら、既に知っているでしょ?」 「直接観察したのは初めてだったから」 「そう」 「それにしても、私――いや、あなたが寂しそうに見えるだなんて、余計なお世話ね」 「訳の分からない他人と居るほうが、疲れるに決まっているのに」 「ほら、彼は妹が居たから。お節介な人なの」 「ふうん……」 そう……舜は、昔から他人が放っておけないお節介な人だった。 初めて出会った時も、私が寂しそうにしているから、友達になってあげる、なんて言っていたし。 ルビィが居て、他にも沢山アンドロイドが居たから、寂しいなんてこと、全くなかったのに。 何度私が拒否しても、遊びに行こうと声を掛けてきた。 それで……。 「しつこいとは思わないの?」 「それは……」 いつの間にか私は、舜の誘いに折れて、白音や夕梨とも遊ぶ仲になっていた。 あの時の自分は、舜の何かを信じたんだと思う。 明確には、思い出せないけど……。 「舜は寂しがり屋なの。だから、他人に関わりたがる」 「私とは真逆の性格をしてる。だから私は、彼を“許した”の」 「“許した”?」 「うん。私のプライベートな部分に、足を踏み入れることをね」 「ふふ……高飛車ね」 「まあ、人間は愚かだから。そうやって優しく扱う必要はあるのかもしれない」 「そうね」 私にとっては、アンドロイドより人を信用することのほうが難しい。 けれど、もしもその何かを思い出せたのなら、舜のことは、信じられるのかもしれない。 「私にとっては、人も鳥も、同じようなもの」 「鳥……?」 サラの視線の先を追う。 私の胸元にある、羽根を意匠した刺繍を指摘しているようだった。 「脳の大きさで言えば、違うのかもしれない。だけど、愚かさで言えば、同じようなもの」 「本当に鳥と一緒なら、空を自由に飛んでみたかったけど」 「飛べない鳥もいるでしょ? ニワトリとか、アヒルとか」 「たとえ羽があっても、人間は空を飛べないってことよ」 「なんだか、小難しい話ね……」 「ううん。私にとっては、なぜあなたがそれをたまに着ているのか、そっちのほうが不思議」 「だって、舜が来ている時は、絶対に着ないでしょ?」 「全てのことに意味を見出そうとしても、無駄よ」 「そうかな? あなたと舜のエピソードに、鳥が関わっているものがあった気がするけど?」 「私が、思い出の品を手放せない女だって言いたいの?」 「からかい過ぎ。電源落とすわよ」 「ごめんごめん」 私の記憶データを元に作ったはずなのに、やたらと今日はおしゃべりだ。 私にも、こういう一面があるってことなのかな……。 「それで……舜は知ってるの?」 「知るわけないでしょ」 「そうじゃなくて、自分が実{・}験{・}体{・}だってこと」 「……」 「他の関係者の家族とは違う検査を受けていることは、前に話した」 「うん」 「でも、実験体であることまでは、多分……知らないと思う」 「……そう」 そう呟いてから、サラがそれ以上何かを話すことは無かった。 私はサラの電源を落として、明日の実験の最終チェックに入ることにした。 「ずいぶん細かいところまで聞くんだね」 テストの前に記入して欲しいと言われた書類。 自身に関する、いくつかの質問項目に答えていくものだった。 「この実験は、観察者の主観によって結果が大きく左右される」 「だから事前に、観察者の考え方、物の捉え方を知っておく必要があるの」 「なるほど。じゃあこれで、僕の考え方は沙羅に筒抜けなわけか」 「うん。といっても、考え方の傾向が分かるレベルだから。あまり実用的では無いけど」 書類を受け取った沙羅は、簡単にチェックしてから、大きく頷いた。 「これで準備は整った」 「これから舜には、シロネが受ける“チューリングテスト”の観察者をやって貰う」 テストについては、書類記入の前に説明を受けている。 「シロネにいろいろな質問をするから、その反応を観察して、どんな些細なことでも、気になったことはメモを取って欲しいの」 「それくらいなら、僕でも出来そうだ」 「本当はこんな主観的なテストじゃなくて、シロネのAIに直接質問を流し込んで、数値で感情の起伏を計測したほうが早いけど」 「それでは人間らしさを計測出来ないからって、却下されちゃった……」 「沙羅も大変なんだね……」 「まあ、舜が手伝ってくれるから、1人じゃないのが不幸中の幸いかな」 「僕と沙羅の2人きりなの? 他の研究員の人は?」 「都合がつかないらしいの。別に、元からあてにしてないからいいけど」 「テストの状況は、全て録画されるし。1人でもやってやれないことは無い」 事も無げに、沙羅は言い切る。 「そろそろ時間ね。シロネが待ってる」 「そうだね。行こうか」 「ここがモニタールーム」 「ずいぶんと厳重なところにあるんだね」 ここにくるまでに、いくつものセキュリティゲートを通過し、そのたびに、他の研究員にジロジロ見られ。 窓のない廊下を何回も曲がったから、すっかり方向感覚が狂っている。 「ここはRRCの心臓部。一般の人は入れない」 「そんなところに、僕が来ていいの?」 「今日は特別ね。ちゃんと許可は取ってるから、安心して」 そう言いつつ、沙羅は流れるような指の動きで、タッチパネルを操作する。 そこには数字や図形が映し出され、僕の知らない英単語が羅列されている。 「……準備は出来ているみたい。これなら、いつでも始められそう」 沙羅が視線を投げる先には、椅子に座って目を閉じるシロネの姿があった。 微動だにしないから、まるで彫刻を見ているみたいだ。 「シロネは眠っているの?」 「うん。こちらからスイッチを入れれば動くようになる」 「それと、実験に余計な影響を及ぼさないように、シロネからこちらは見えないようになってるの。もちろん、防音も完璧」 いわゆる、マジックミラーのようなものか。 「だから舜が何をしても、向こうには伝わらないから。そのつもりで居て」 「つまり、僕の出来ることは、ただシロネを観察するってことか」 「そういうこと。メモだけは、忘れずによろしく」 「もちろん」 滅多にない、沙羅の研究に立ち会えるチャンス。 ここでしっかりと役割を果たさないと。 「本来なら、機械と人間の比較を行うテストだけど……今回は、シロネだけ」 「シロネの振る舞いにだけ、注目していればいいから」 「分かった」 「それでは、始めます」 「対象となる方の名前を答えてください」 「七波シロネです」 うっすらと開いた両目。 いつもよりロボロボしく見えてしまうのは、シチュエーションのせいだろうか。 「これより、チューリングテストを開始します」 「緊張せずに、出来るだけ簡潔に答えてください」 「分かりました」 「今日はあなたの誕生日です」 「あなたの大切な人が、それを祝ってくれます」 「そのプレゼントにと、その人は己の生き血を差し出しました」 「お兄ちゃんはそんなことをしません」 「質問に答えてください。あなたはどうしますか」 「……お兄ちゃんを病院に連れて行きます」 「ずいぶんと悪趣味なテストだな」 「それがチューリングテストだから」 「わざと不快な質問をして、その反応で人間らしく振る舞えるかチェックする」 「シロネにはこんなテスト、必要無いけど」 そうこうしている間に、次の質問に移行していく。 「あなたはテレビを見ています」 「そこには、あなたの大切な人が、別の女性と仲睦まじく過ごしているところが映し出されています」 「お兄ちゃんが幸せなのはいいことです。わたしが口を出すことではありません」 「次第にあなたの大切な人は、その女性と親密になり、あなたを邪魔者扱いし始めます」 「それは、悲しいことですが……。それでもわたしは、妹としての役目を忠実に果たします」 「僕がそんなことするはずないだろ……」 「沙羅、いくらなんでも、これは……」 「あなたの言いたいことも分かる。でも、これが実験だから」 沙羅の言う通り、それまでは平らだった感情の揺れを表す波形が、徐々に波打ち始めている。 「あなたは、大切な人と浜辺を歩いている」 「突然、その人はあなたを海へ沈める」 「お兄ちゃんは、そんなこと……」 「質問に答えてください。あなたはどうしますか?」 「お兄ちゃんを傷付けない範囲で、抵抗します」 「それが不可能だった場合、あなたはどうしますか?」 「……三原則の通り、私はお兄ちゃんに沈められます……」 「沙羅、もういいだろ。こんなの時間の無駄だ」 「こんなに辛そうにしているシロネ、見たくないよ」 「違う……」 「これは……」 沙羅は何かを呟いたが、シロネから目を離しはしない。 「あなたの大切な人は、線路の上に立っている。そこに、トロッコが突っ込んでくる」 「大切な人を助けるためには、ポイントを切り替えるしかない」 「しかし、そのポイントの先には大勢の人が居る」 「……お兄ちゃんを、助けます」 「そのせいで、あなたの大切な人が精神的に傷付くことになっても?」 「……っ」 「わ、わたし……は……」 「いけない! それを答えては駄目!」 沙羅は取り乱して、窓の向こうにいるシロネに訴えかける。 「どういうこと?」 「シロネにとって、人間とは舜と定義されている。そして、シロネは人間を傷付けることが禁じられている」 「どうあっても、舜を傷付ける結果になる設問には、彼女は答えられない……」 「そのトロッコを止めます。どんな手段を使っても」 「では、トロッコは絶対に止まらないものと仮定し、もう一度、質問に答えてください」 「そんな……でも、わたし……」 「わ、わたし……は、お兄ちゃんを、守らないと……」 「沙羅!」 「実験を中止します!」 沙羅が慌ただしく端末を操作し、必要事項を入力する。 「この設問は、私が作成したものじゃない……どういうこと……」 「とりあえず、緊急停止ボタンを押せば――」 その瞬間、画面が一気に真っ赤に染まった。 「えっ……嘘……端末がロックされてる……」 「質問に答えてください。七波シロネ」 「も、もう止めて……」 「沙羅、早く止めないと!」 「分かってる!」 「でも、出来ないの……! 操作を受け付けない……」 「えっ……?」 「これ以上、回答が無き場合は、回答を放棄したと見做します」 「だ、だって、そんなの……っ」 「質問に答えてください。七波シロネ」 「た、助けて……お兄ちゃん……」 「シロネ!」 早く、シロネを助けないと……! 「沙羅、ここを開けてくれ! シロネを助ける!」 「駄目……」 「答えなさい。七波シロネ。これは命令です」 「だ、だって、だって……!」 「わ、わたしは、お兄ちゃんを……苦しめたくないっ」 「沙羅!」 熱が冷めたと思ったら、今度は魂が抜けたような表情をする沙羅。 「動力源のエネルギーが無くなれば、止まる……」 「それまで、手も足も出ないって言うのか!?」 「……」 「辛い……苦しい……助けて……助けてっ……!」 「お兄ちゃんっ!」 「こんなの……私が作ったアンドロイドじゃない……」 「アンドロイドは完璧で、合理的で、なんでも出来て……」 「沙羅、今はそんな話をしている場合じゃない!」 「なのに、こんなの……あり得ない、絶対……」 沙羅は生気を失った目でシロネを見つめたまま、呆然と立ち尽くす。 僕の言葉を、聞き入れる余裕がない。 これでは、埒が明かない――。 「シロネ! 聞こえてるか、シロネ!」 「はあ……はあっ……」 「僕はここだ、ここに居る! 目を覚ませ! シロネ!」 シロネの居る部屋に声が届かないなら、直接窓を叩くしかない。 「怖い……怖い怖い、怖い……」 「シロネ! シロネ!」 「嫌……! 苦しい……助けて……!」 「出してっ! ここから……出してっ!」 「シロネ! 僕はちゃんとここに居る!」 「――おにい、ちゃん……?」 「そうだ、ここだよ!」 「どこ、お兄ちゃん……どこに居るの……」 シロネからは見えていないはずなのに、目が合った。 「お兄ちゃん……助けて……」 「シロネ……」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「シロネ!」 「……っ!」 無理やりに過去の記憶が引き擦り出され、海の中へ溺れていく白音の姿が目の前に浮かぶ。 「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……!」 「今度こそ……白音を助けないと……」 「シロネ! シロネ!」 僕は強く、窓を叩き続けた。 手の痛みが無くなるくらいに。 「お兄ちゃんっ……」 「シロネっ!」 「……舜?」 「シロネが溺れてるんだ! 早く助けないと!」 「舜っ! 何してるの!」 「駄目だ! このままじゃシロネが!」 「シロネが死んじゃう! 溺れる!」 「シロネ! シロネっ!」 声を張り上げて窓を叩くたびに、目の前が真っ白になっていく。 シロネの姿が霞み、波の向こうにさらわれていく。 「お兄ちゃん……!」 「駄目だ、死んじゃ駄目だ!」 僕は腕だけでなく、自分の頭も打ち付けて、意識が飛ばないようにした。 ここを叩き割れば、シロネに手が届くはずだ―― 「舜っ……!」 「それ以上はっ……!」 やがて、沙羅の声も遠くなって、どんどん意識が遠退いていく。 それでも……! シロネを、助けないと……。 …………。 ……。 「……!」 はっと目を覚ます。 目に入ったのは、自宅の天井。 そして、ここは自分の部屋だ。 「あれは……夢だったのか?」 壊れる寸前のシロネと、呆然と立ち尽くす沙羅。 「いや、違う――」 確かめるべく、僕は自室を後にした。 「舜!?」 「夕梨……? なんでここに?」 「なんでじゃないよ! それはこっちの台詞!」 「ねえ、もう大丈夫なの?」 「どういうこと?」 「舜が倒れたって、沙羅から聞いて……駆け付けたんだよ」 「倒れた……?」 さっきのが夢じゃないとするなら、僕はあの部屋で意識を失ったのか。 「ねえ……本当に大丈夫?」 「沙羅はすぐ帰っちゃったし、シロネのことは教えてくれないし……」 夕梨の口ぶりから言って、何があったのかまでは知らないようだ。 「確かめてくる」 「ええっ!?」 「夕梨、ありがとう」 「舜、平気なの? 頭に巻いてる包帯、なんだか痛々しいけど……」 「え? ああ、これは……」 「まあ、大丈夫だよ。こうして話せているんだし、脳に異常は無い」 「そ、そうかもしれないけどさ……」 頭を打ったせいか、軽く頭痛がするけど、許容範囲内だ。 「沙羅も、舜も」 「無理し過ぎないでね……」 夕梨はそれ以上詮索してくることはなく、僕が家を出るタイミングで、自分の家へ帰って行った。 シロネを助けようとして、僕のほうが倒れてしまうなんて、情けない。 早く、真実を確かめに行こう。 沙羅の研究室には、今日は通してもらえなかった。 代わりにと、人が立ち寄ることのない鳥かご庭園に案内される。 「昨日は、ごめん」 「ううん。舜が謝ることじゃない」 「どうすることも出来なかった、私の責任だから……」 沙羅は明らかに沈んだ様子で、目を伏せる。 「夕梨から、僕が倒れたって聞いたんだ」 「そう……」 意識を失った経緯の説明を軽く受ける。 病院で検査も行ったが、幸い大事には至らず、すぐに自宅療養に切り替えられたらしい。 「……あの後、シロネは緊急停止させられたの。こちらからの命令を、一切受け付けない状態だったから」 「そんな……だってあれは、テストのせいだろ?」 「あんな悪趣味なことされ続けたら、誰でもおかしくなるよ」 「でも、シロネはアンドロイド。故障したら、バグを修正しなくちゃいけない」 「そのための強制停止だと思うけど……」 「この先、シロネのバグが修正されることは……無いの」 「どうして?」 「私、クビになったから」 「えっ……」 「正確には、プロジェクトリーダーを、だけど」 沙羅の首を切るなんて、RRCの判断はどうかしてる。 すぐに、得体の知れない悪意を感じた。 「これで私はただの研究員になったから、シロネを修正する権限すら無い」 「それに、私以外の人はシロネを修正することが出来ないから……つまり、そういうことね」 「私はただ、上の判断を待つことだけしか出来ない」 「そんな……」 「何か、何かもっと、他に方法があるはずだよ」 「こんなの、沙羅らしくないじゃないか」 「私だって……こんな結末は望んでない」 「……だから、信じて」 「必ずシロネを取り戻して、あの日を再生させる。絶対に」 「その気持ちは嬉しいんだけどさ……」 “沙羅は失敗したんだよ”なんて残酷な言葉を掛けることは出来ない。 それに僕自身も、諦めたくてそう思っている訳ではない。 「あまり、無理しないで欲しい」 「沙羅が駄目になったら、元も子も無い」 「いいえ。心配には及ばないわ」 「私に出来ないことなんて無いから」 こんな時でも言い切って見せる沙羅は、本当に格好いい。 だけど、時には目の前の人間を頼って欲しいと思ってしまう自分が居た。 「それから――もうあまり、研究室には近づかないほうがいい」 「今まではシロネの実験への協力者、という建前があったけど。もう無くなったし」 「いち職員が外部の人間を私的に出入りさせているように見えるのは、良くは思われないから」 「確かに……。一応、国家機密を扱ってるところだしな、ここ」 入る時のセキュリティもしっかりしているし、当然、警備員だっているわけで。 制服で堂々と歩いていたら止められた、なんてことも、一度や二度じゃない。 「権力も地位も失ったから、いざという時に舜を守れないのも困る」 「ふっ。持ってる時は邪魔だと思ってたけど、無ければ無いで、苦労するとはね」 「……僕、沙羅の足を引っ張ってるのかな」 「そんなことないわ」 「でも、今後のことは分からない」 「そうか……」 「……分かった。沙羅がいいって言うまでは、ここに来ないようにするよ」 「うん」 沙羅は納得した様子で、大きく頷いた。 だけど、僕の心は、晴れなかった。 「あの時――」 シロネから舜のことは、見えていなかったはずなのに。 私の目には、2人の心が通じ合っているように見えた。 何か言葉で言い表すなら、“絆”。 兄妹の絆。人とアンドロイドの絆。 「そんな曖昧なもの……」 信じられない。 「シロネ、お茶を――」 「……そっか、もうシロネは居ないんだった……」 シロネも居ないし、舜ももう来ない。 私はまた、昔のように1人に戻っている。 それは別に、なんともないことだけど……。 「……駄目。全然集中出来てない」 「感情って、本当に厄介なものね」 こんなものが無ければ、もっと研究に没頭出来るのに。 やっぱり、人間は不便極まりない生き物だと思う。 「……少し、休憩ね」 なんとなく、心がざわつく。 こんな時は、私{・}に相談するに限る。 「相談ごとか何か?」 「よく分かったわね」 「そうだろうと思った。あなたの思考を理解出来るのは、私だけよ」 「うん。そうね」 「でも、他人を責めてはいけない。あなたは天才だけど、他の人が同じとは限らない」 「まあ、そうかもしれない」 「そうなの。人間は愚かで不合理だから、同じ過ちを何度も繰り返す」 「だからこそ、人間のパートナーはアンドロイドでなくてはいけない」 「より良いパートナーは、人間を成長させる存在になり得るから」 「その通り。沙羅は本当に人間思いね」 「きっと、人類はあなたの意見に賛同してくれるはずよ」 自分の思い通りに、会話が噛み合っていく。 そのことに、安心感を覚えるけど……。 「私がしていることは、正当であり間違いないはず」 「……そのはずなのに、この感情という厄介な思考のせいで、さっきから振り回されてる気がするの」 「そうみたいね」 「私なら、そんな迷いはあり得ない」 「だって、私は、あなたの理想の姿だもの」 「……そうね」 サラは得意気に話を続ける。 「一切不合理なことはしないし、他人にも惑わされない。研究者として、理想的な姿だと思わない?」 「研究者としては、私のほうが優れていると思う」 「うん……」 「あなたが居なくなっても、研究は私が引き継げる」 「だから、研究者としての紬木沙羅は、もう必要無いかも」 「あなたは……そう思ってるの?」 「そうよ。あなたが今までやってきたことは、失敗だったんだから」 「失敗……?」 「気付いてないの?」 「違う、あのテストは、誰かに仕組まれていたの」 「誰に?」 「おそらく、彼に……私を、陥れるつもりで、あんな古臭いテストを提案したんだ!」 「それが、本当だったとしても」 「シロネを作ったあなたに、落ち度があったことは否定出来ない」 「……」 「なら……それなら」 「研究者として失敗した私は、なぜここに居るの……」 この研究所に居る意味は、もう無いはずなのに。 「教えてよ、サラ……」 「そうね……」 「私から言えることは、あなたを裁くのは、他人じゃない。あなた自身だってこと」 「自ら自身を許さないと、罪の軛{くびき}から解放されない」 「でも、あなたは……」 「自分自身を許すことは出来る?」 「人の心を傷付けて」 「アンドロイドも傷付けて」 「研究者としての信頼も失った」 「そんな自分を、許せるの?」 「私は……」 もう、答えは出ている。 「……」 サラの電源を切って、全ての音をシャットアウトする。 私が罪人なら、この鳥かごは、牢獄みたいなものなのかもしれない。 いつか、断罪される日を、ただじっと待っている。 「……」 白衣に付けている、羽根の意匠をあしらった刺繍。 あれは確か、何かのおまじないだったと思う。 手のひらに“人”という字を3回書いて飲み込むと、緊張から解き放たれる。 それと似たようなもので、手に羽根の形を描くと、鳥が羽ばたくように、勇気が出て、前に進めるようになるって―― 背中に羽が生えた様子を想像すると、背を押されるような気がするから、あながち的外れでもないと思う。 流れ星に願いごとはしないけど、このおまじないは、信じている。 「でも……」 羽があっても、この鳥かごの中では、飛び立てない。 もうこれ以上、前に進むことは、出来なくなってしまった。 「はあーっ」 思っていたよりも、深く長いため息が教室の空気に混じっていく。 僕は、自分の非力さに打ちのめされていた。 沙羅の心にあれ以上踏み込まなかったのは、誤った選択では無かったはず。 でも、正解と言い切る自信もない。 「登校しちゃったけど……」 今日も、沙羅の席に彼女の姿はない。 シロネのことにしたって、もっと出来ることがあったんじゃないか。 そうやって、何度も自分を責めてしまう。 「どうしたの?」 「あっ……日比野さんか」 「ごめんね。紬木さんじゃなくて」 「そうあからさまにがっかりされると、さすがに傷付くなあ……」 日比野さんは、困ったように笑う。 「えっ! い、いや、そんなつもりじゃなくて……」 申し訳なくなって、顔の前で手を横に振る。 「七波くん、焦り過ぎ」 「ちょっとからかってみただけだって」 そう言う日比野さんのほうが、焦っている。 「でも、紬木さんのことを探しているのかなって思ったのは、本当だよ」 「さっきからずーっと、紬木さんの席を見てたから」 「ああ……」 そんなことで、ばれてしまうものなのか。 「で、そんな僕を、日比野さんはずーっと見ていたと」 「それは……否定しないけど?」 日比野さんは、意外にも鋭い観察眼を持っているのかもしれない。 それとも、女の子ってみんなこんな感じなんだろうか。 僕がぼんやりと考えを巡らせている間に、日比野さんは話を進めていた。 「でも、仕方ないよね」 「あんなことがあったら、気になって当然だよ」 「えっ?」 日比野さんの意外な返答に、思考がフリーズする。 「シロネちゃんのテスト、残念な結果だったんだよね?」 「なんで、日比野さんが……知っているんですか……!?」 僕は、辺りに目を配らせながら、声のボリュームを絞る。 「その件は、緘{かん}口令が敷かれていたはずです」 「……からくりは簡単だよ」 「RRCでバイト中だから、一応関係者ってわけで」 「ああ、それで……」 納得する一方で、日比野さんの迂{う}闊{かつ}さに驚く。 口外ご法{はっ}度{と}であることは、一{・}応{・}関係者である彼女のほうが身に染みて分かっているはずなのに。 「そんなに怖がらないで」 「誰も聞いてなんかいないし、もうこの話はしないよ」 日比野さんは囁くように補足する。 「七波くん、私にはなんでも話してくれていいんだからね?」 その語尾は、甘く香るようだった。 「助けになるかは分からないけど……」 「誰かに話すことで、整理出来る気持ちや、落ち着く感情もあると思うの」 「……ありがとう」 「こんなこと……誰にも言えないと思っていたんです」 優しそうな微笑みの向こうで、彼女の瞳は妙な力で僕を捉えている。 「それが重大な秘密であればある程、誰かに知って貰いたくなってしまう」 「秘めごとを墓場まで持って行ける人間なんて、そう多くはないんだから……」 「そういうものかな?」 「そういうものなんだよ」 「匿名掲示板で罪の告白をするのって、現代における懺{ざん}悔{げ}みたいなものでしょう?」 確かに、自らの黒い過去を告白する掲示板を見たことがある。 「秘密が無さ過ぎるのもつまらないけど、秘密に身も心も蝕まれるのは辛いと思う」 「弁護士とか、警察官って、とっても大変なんじゃないかな」 「なるほど……」 日比野さんの話には、どこか説得力がある。 「まあ、とにかく! 私に相談して楽になればいいってこと」 日比野さんは声を張り上げるようにして、僕を励ました。 「日比野さんは、優しいですよね」 「……」 「そんなこと、ないよ……」 「僕だったら、こんな面倒な奴、放っておくのに」 「本当に、そんなこと……っ」 気づくと、彼女を取り巻く空気が変わっていた。 笑顔には戸惑いが混じっている。 「日比野さん……?」 泣くのを我慢している子どものようだ。 「な、なんでもない」 「なんでもないようには、見えないんですけど……」 「僕、変なこと言いました?」 「そんなことないから、平気平気……」 「七波くんは悪くないよ……」 「でも――」 「じゃ、そろそろ自分の席に戻るから」 「ばいばい!」 「……」 呼び止めるべきだったのかもしれない。 でも、なんとなく彼女の背中がそれを拒絶している気がして……。 結局、僕はその場に留まってしまった。 そして、またひとつ、後悔が増えてしまったことを理解した。 「こうして舜と一緒に帰るの、久々だね」 「……そうだっけ?」 「そうだよーっ!」 夕梨はむくれた顔で僕を非難した。 「だって、最近はすぐに校門を飛び出てっちゃうじゃん」 「ていうか、舜はどんだけ沙羅に会いたいわけ!?」 「傍で見てる、あたしのほうが恥ずかしいよ……」 いろいろと言いたいことはあるんだけど、夕梨のマシンガントークは止まらない。 「それにさ、この頃の舜は、ボケボケ過ぎなんだよ」 「日比野先輩から、数学の授業中に現代文の教科書を開いてたって聞いてるし、もうお姉ちゃんは心配ですよー」 「夕梨のほうが年下じゃないか」 「そんなことは分かってるって!」 やっと口を挟むことが出来たけど、夕梨の話は終わらない。 「でも……やっぱ、危なっかしいなって思うんだよ」 「今も余裕無さそうだし、シロネも帰って来ないし……」 萎れたハイビスカスみたいに、夕梨は力なく項垂れる。 「シロネ、元気にしてるのかな……?」 「夕梨……」 もう、シロネは戻って来ないかもしれない。 その言葉を飲み込んだのは、沙羅との約束が頭をよぎったからだけじゃない。 シロネの身を案じてくれる夕梨に伝える勇気が無くて、喉の奥が震える。 「別に、舜を責めてるわけじゃないよ」 「最近沙羅に会ってたのも、シロネが関係してるんでしょ?」 夕梨が僕の不安を察してフォローを入れる。 僕は、口を閉じることしか出来なかった。 「答え、られないんだ……?」 「……ごめん」 「謝って欲しいわけじゃないって」 「ただ、シロネのことも、もちろん沙羅のことも……あたしは心配してるんだよ?」 「なのに、あたしだけ蚊帳の外ってのが、ちょっと面白くないだけ……」 「うん……夕梨の気持ち、分かるよ」 「ああもう、そんな顔しないでよ! あたしが、いじめたみたいじゃん!」 「いつもみたいにさ、軽く受け流してよ……」 「自分で話題を振っておいてなんだけど、どんどん空気が重くなる」 暗いムードを転換させようと、必死なんだろう。 夕梨は、あからさまに作りものめいた笑顔を浮かべている。 「ほら、笑って」 「うん……」 「全然、出来てないじゃん……」 「その……」 何か喋らなくちゃいけない。 でも、沙羅の感情を失くした顔を思い出して、沈黙する。 夕梨に、本当のことは言えない。 「ああ、もうっ!」 「こういうの、性に合わないんだって!」 夕梨の口から咆哮のように、声が飛び出した。 「ちょっとこっち来て!」 僕の手首を掴むと、ぐいっと引っ張った。 「えっ!? ちょっと――」 「いいからっ!」 有無を言わせない夕梨の態度に、従うことしか出来なかった。 夕梨が向かった先は、海辺だった。 揺れる髪が、温かみのある茜色に染まっている。 「海ってさ、不思議だよね」 「海が海であることには変わらないんだけど、いつも表情が違ってさ」 「波の音、光の加減、匂いだって、同じ日は無いってこと……気付いてた?」 「いや、海は避けてたから……」 白音が亡くなってから、この場所は僕に苦痛を与えることが多かった。 「見ようとしても見えないし、気付こうとしても気付けない」 「それは海だって、人間だって、一緒だと思うんだ」 「人間も、毎日違う。変わっていく……」 夕梨の声に迷いはない。 確信に満ちた瞳が、小さな僕を映していた。 「舜は今、見ようとしてる? 気付こうとしてる?」 「あの日みたいに、自分の殻に閉じ籠っちゃってない?」 「僕は――」 言い訳を見透かしたように、彼女は優しく微笑む。 「舜はさ、優し過ぎるんだよ」 「自分のことより、相手のこと優先。それは良いと思うんだ」 「でも、それで舜がいろいろ抱え込んじゃったら、意味無いと思う」 「そんなの、誰も望んでないよ」 “優しい”と言われて困惑した、日比野さんの顔が脳裏に浮かぶ。 僕は夕梨の言葉を受け止め切れずに、彼女と同じように笑みを浮かべた。 「あたし、ワガママで自分勝手だから」 「だから、舜がそんな悲しそうな顔してるの、イヤなんだ」 「お節介でもいいし、押し付けでもいい」 「とにかく、舜にそんな顔して欲しくない!」 きっぱりと言い切って、今度はスカッと笑った。 「あたしは、そうやって直球勝負出来るのが、幼なじみだって思ってるよ」 「だから、シロネのことだって……」 「出会った時に、受け入れられないって直球で言ったわけだし」 「舜に遠慮してたら、あんなこと言えないよ」 「でも、結局はシロネと仲良くしてくれて、僕は嬉しかったよ」 大人になった妹と、夕梨が並んでいるだけで、僕の心は救われた。 「結果論かもしれないけど、あそこで舜に遠慮してたら、シロネとは仲良くなれなかったと思う」 「あたし、シロネとすっごく仲良かったんだよ? それこそ、舜が嫉妬しちゃうくらい」 「それは、シロネから聞いてるよ。すごく楽しそうに教えてくれた」 「でしょでしょ?」 「シロネって頭良いんだけど、ときどきボケるからさ、毎日がすごく楽しかったなあ……」 僕は大きく息を吸ってから、口を開く。 「夕梨、過去形になってるよ」 「……うん」 「“仲良かった”とか、“楽しかった”とかさ」 遠慮せず、ストレートに指摘すると、思い出したように心拍数が上がった。 「……ねえ、舜」 「これ、あたしの勘なんだけどさ……」 「うん」 「シロネ、もう戻って来ないんでしょ?」 「……」 「……うん」 「……図星かあ」 落胆を隠すように、夕梨は僕から目を逸らした。 「ちゃんとお別れ、したかったなあ……」 「ごめん」 「舜はそうならないように頑張ったんでしょ? それに、沙羅も」 無言で頷く。 「だったら、責められないよ……」 「でも、ちゃんと説明して欲しかったっていうか、今からでもいいから説明して」 「じゃないと、あたしは納得出来ない」 「だって、シロネはあたしの親友だったから」 夕梨は海の色に似た瞳を閉じる。 シロネのことを悼{いた}むように……。 「いっぱいいっぱい、シロネとやりたいことあった」 「今度、一緒にプール行こうって約束もしてた」 「なのに……なのに……」 両目から涙がこぼれ落ち、足下の砂に吸い込まれて消えていく。 「ねえ、教えてよ。シロネに何があったのか」 「口止めされてるのは、分かってる……」 「でも、知りたい……あたしは、知らなくちゃいけない」 「こんなモヤモヤした気持ちを抱えて、生きていきたくない……」 僕は長い間、黙っていた。 何度考えても、僕がするべきことは変わらない。 沙羅と交わした約束を破り、夕梨に本当のことを話す。 そのことに、誰かに対する謝罪は要らない気がした。 「夕梨……」 そして、1つ1つ、ゆっくりと話していった。 シロネと母さんのこと。 シロネが壊れたこと。 沙羅が責任を取らされたこと―― 後悔はない。 むしろ、妙に晴れやかな気分だ。 「……これが、僕の知ってる、すべてのことだよ」 全てを語り切ると、重々しい疲れが押し寄せた。 「……それで、舜は?」 「……僕?」 「そんな大変なことがあったのに、どうして呑気に登校してるの?」 「だって、沙羅に研究室に来るなって言われたし……」 イライラゲージが高まっていくのを目の当たりにして、僕は苦しい言い訳をした。 「ばっかじゃないのっ!?」 辺りに罵倒が響く。 「そんなの、沙羅の強がりに決まってるじゃん!」 「自分が大切にしてた物が壊れて、取り上げられて」 「周りには、誰も味方が居なくて……」 「そんなの、辛いに決まってるじゃん!!」 後頭部を思い切り殴られたみたいな衝撃が走る。 「夕梨の言う通りだ」 「どうして、そんな簡単なことに気づかなかったんだろう……」 「沙羅はきついことばっかり言って、自分の弱いところを晒さない」 「舜に来るなって言ったのも、強がりなんだよ」 「子どもの時から、ずっとそうだったじゃん」 「そうだったな……」 幼い沙羅のすまし顔と、震える指先が思い出される。 「まあ、それも沙羅らしいと思うよ」 「間違ったことは言わないし」 「だからこそ、言い返せなくてムカっとする時があるんだよね」 夕梨がフライング気味に指摘する。 「でも、基{・}本{・}的{・}に{・}は{・}沙羅はいい人だと思う」 「なんだか、トゲがあるなあ……」 「付き合い長いから。良いところも悪いところも知ってるし」 「ま、それは舜に対しても一緒なんだけどさ」 「わざわざトゲを増やさなくても……」 夕梨は短くため息を吐くと、僕を真っ直ぐに見つめる。 「考え過ぎて足が止まっちゃうこともあるけど……」 「でも、やるって決めたらしっかりと責任を持ってやり通す」 「舜はそういう人だって、あたしは思ってるよ」 「そんな舜だから、あたし、だって……」 おしゃべりに勢いがなくなったかと思うと、夕梨は顔を顰{しか}めていた。 「大丈夫?」 「あたしのことはいいの! それよりも、今は沙羅のことでしょ!」 その声には、怒りすら滲んでいるようだった。 「沙羅は、舜を待ってる!」 「舜のことだけを、待ってるんだよ!」 「……うん」 「ありがとう、夕梨」 僕はなるべくさらっとした感じで、お礼を言った。 「言葉じゃなくて、現物支給してね」 「分かってるって」 「やった。ニヒヒッ」 夕梨は堅苦しい空気を好まない。 それにかこつけて逃げてみた。 彼女に対する感謝と謝罪を、どう言葉で表現したらいいのか分からなくて。 「僕、ちょっと行ってくるよ」 「そんなこと言ってる暇があったら、行った行った」 夕梨はすっきりとした笑顔を僕に向ける。 「女の子待たせるのは良くないぞ」 「うん。また明日」 「また明日」 夕梨の声を背で受けながら、僕は走り出した。 「よし……いくぞ」 自分の頬を二三度叩いて気合いを入れる。 沙羅のことだ。拒絶するだろうし、僕を非難するかもしれない。 でも、それでめげちゃいけない。 今日は、伝えなくちゃいけないことがあるから。 「あれ? 七波くん?」 「……日比野さん」 「どうしたの、こんなところで?」 「日比野さんこそ、どうしてここに?」 「私はバイトの帰りだよ」 「ああ……」 脳内で、今朝の会話を反{はん}芻{すう}する。 微妙な空気のまま別れてしまったから、ちょっと気まずい。 「七波くんは、紬木さんに会いに来たの?」 「もちろん」 臆する気持ちを悟られたくなくて、言い切った。 「そっかあ……」 日比野さんの顔が曇る。 「紬木さん、今日は体調が悪いんだって」 「ずっと研究室に引き籠ってるよ」 「……そうなんですか」 「私も一度様子を見に行ったんだけど、ドアすら開けて貰えなかったし……」 「だから、今日は日を改めたほうが――」 「それじゃダメなんです」 「今日じゃなきゃ、ダメなんです」 「七波くん……」 日比野さんの言葉を遮るように、僕は強く宣言する。 沙羅が体調を崩したことなんて、滅多に無い。 なんだか、悪い予感がする。 「そうは言っても、もうシロネちゃんの実験も終わっちゃったし」 「七波くんは、部外者なんだよ?」 「それは分かっています。でも、行かなきゃいけないんです」 「沙羅を、これ以上ひとりぼっちにさせたくないんだ」 「なんか……七波くん変わったね」 「今朝会った時とは別人みたい」 「今のキミ、すごく男の子って感じがする」 日比野さんは、しみじみといった感じで呟いた。 「夕梨にも、散々言われましたから」 「僕1人では、こうはならなかったと思います」 「宮風さんがね……」 「でも、規則は規則だよ」 日比野さんは少し考えた後、申し訳なさそうに言った。 「だから、七波くんを紬木さんの研究室に入れることは出来ないの」 「……そうですよね」 「だったら、せめて……さっき話したことは秘密にしてくれませんか?」 「僕がこれからすることに、目を瞑ってくれるだけでいいんです」 「それも出来ないよ」 「ですよね……」 見て見ぬふりをするのも、同罪だ。 無茶な要求をしている自覚はあった。 「でもね……」 日比野さんは密やかな声で呟いた。 まるで、魔女が呪文をかけるように。 「七波くんに用事があるからって、私が研究所の中に招き入れて……」 「た{・}ま{・}た{・}ま{・}紬木さんにも用事があることを思い出して……」 「流れ的に、た{・}ま{・}た{・}ま{・}七波くんも一緒に彼女の研究室を訪れた……」 「っていうのなら、セーフかな?」 「それは……セーフなんでしょうか?」 「偶然だったら、仕方ないんじゃないかな」 「優しいだけじゃなくて、意外と大胆な人ですね」 僕は半ば捨て鉢な気分で笑った。 「私だって、やる時はやるよ」 日比野さんはニヤリと笑い返した。 「こんな方法でしか、埋め合わせ出来ないし」 「それは、どういう意味――」 「秘密♪」 きっぱりと僕の好奇心を遮断する。 「これ以上詮索するなら、協力してあげない」 「どう? 私の提案に乗る?」 「よろしくお願いします」 日比野さんはもう一度、ニヤリと笑ってみせた。 巧妙な手口であるかどうかは別として、RRC内部へ入り込むことができた。 いつもならロックされ、閉ざされているはずの研究室の扉がなぜか開いていた。 少し不審に思ったが、ロックが解除されているということは警備システムも作動しないはずだ。 部屋に入ると、灯りがついていなかったので、勝手に照明のスイッチを押す。 「……沙羅?」 呼び掛けに返事はない。 「どこへ行ったんでしょうか……?」 「散歩でも行ったのかなと思いたいけど、こんな夜に出歩いてもね……」 僕と日比野さんは手掛かりを探して、室内を見回した。 「あれ? ちょ、ちょっと七波くん!」 日比野さんが、狼狽した様子で声を上げる。 「どうしよう……こんなことって……」 「こんなこと……」 視線を向けると、ほとんど青白くなった顔で日比野さんは立ち尽くしていた。 「どうしました?」 努めて落ち着き払って尋ねる。 僕までもが、この感情の波に攫{さら}われるのは得策じゃない。 「こ、これが、机の上に……」 日比野さんは、震える手でコピー用紙を掬い上げる。 「な、なんだこれ……」 「これって……い、遺書かな……?」 遺書――その言葉が、ぐるぐると頭の中で渦を描く。 沙羅が、死を選ぶ? あの自信満々で、なんでも出来る沙羅が? 「な、七波くん……顔、怖いよ」 「あ、ああ。すみません……」 ここで頭に血を上らせても、無意味だ。 まずは、沙羅を見つけ出さないと。 「ど、どうしよう……どうしよう……」 日比野さんは独り言を繰り返す。 僕は辺りを見回して、情報を集めようとした。 「沙羅は一体どこに……?」 一瞬、動きが止まる。 僕は見た。 鳥かごの向こうに佇む、小さな背中を。 風はすっかり夜のそれで、崖を舐めるように吹き抜けていく。 日比野さんが、僕の気持ちを察してその場に留まってくれて良かったと思う。 僕は1人で、孤独な彼女と向き合わなくちゃいけない。 正確には、孤独だと思{・}い{・}込{・}ん{・}で{・}い{・}る{・}彼女と―― 「沙羅」 「……」 沙羅は背を向けたまま、黙っていた。 僕が背後にいることは、すっかり分かっているはずなのに。 「沙羅、こんなところに居たら風邪ひくよ」 「早く、中へ入ろう」 「……」 なんでもないふうを装って、声掛けを続ける。 彼女が自ら命を断とうとしているのだと仮定すると、それを意識させたり、煽{あお}ったりすることは良くないと思った。 「沙羅、こっちにおいでよ……」 「……」 「今日の夜風は寒いな」 「……」 沙羅から発せられる沈黙が怖くて、握った拳に力が入る。 「私は、もう」 「生きる意味が無いの」 「えっ?」 ふと舞い降りた彼女の声に、僕は即座に反応することが出来なかった。 「生きる意味が無い人間は、死を選ぶのが相応しい」 「それが、合理的な判断……」 ぼそぼそと、誰に対して話しているのか分からない声だった。 「どうして、もっと早くこの考えに至ることが出来なかったんだろう」 「やっぱり、人間という枠の中に留まっていたら、思考が本能に邪魔される」 「こんな枷{かせ}は早く外さないと、真理には到達出来ないのかもしれない」 「沙羅、何を言っているのか全然分からないよ……」 「どうして、私は選択しなかったの?」 「やっぱり、人間だから……?」 壊れかけの機械みたいにうわごとを繰り返す彼女は、本当に沙羅なのか。 「沙羅っ――」 怖くなった僕は、彼女に手を伸ばし―― その身体を引き寄せた。 無理やり、こちらを向かせる。 「さ、沙羅……」 涙を流していた。 雨が降るように、滴が流れる。 そこに、表情は無かった。 「私は、必要が無いの」 「代わりなら、もう作ったから」 「必要とされない私が存在する理由なんて、もう無いんだ」 「そんなこと、言っちゃダメだ!」 「私の存在理由が失われたのは、事実――」 「そんなこと言ったの誰だよ!」 姿なき敵に向かって吠える。 「僕には、沙羅が必要なんだ!」 「“僕”……?」 沙羅は初めて反応を示した。 「あなたは……?」 「僕は舜だよ。七波舜」 「舜……?」 「ああ、そうだよ。七波舜だ」 「……痛い」 自分の存在を伝えるように、強く強く抱き締める。 その細い身体は、微かに震えているようだった。 「痛みがあるということは、私は生きているの?」 「ああ、そうだよ。君は、生きてる」 「そう……」 ぽつりと呟いた声が、残念そうに聞こえた。 「……舜、苦しい」 「離してくれない?」 「それに……どうしてここに居るの?」 「どうしてって……」 「君の遺書を見つけたからだ」 「“遺書”……」 「あれを見つけて、一目散にここまで飛んで来たんだ」 「まさかとは思ったけど、沙羅が妙なことを考えてるんじゃないかって……」 「あの書簡のことね……」 沙羅は徐々に僕の言わんとすることを把握すると、短くため息を吐いた。 「あれは、遺書なんかじゃないわ」 「えっ?」 「ただの仕事上の申し送り」 そんな返しがくるとは思わず、ただただ驚く。 「プロジェクトは外されたけど、義理は通したかったから」 「でも……」 「やっぱりあなたは、私のことを分かってない」 「……」 「そんなことで、僕が君のことを理解していないだなんて、思って欲しくない」 「私は、もう……人間にはほとほと失望したの」 「だから、私は――」 「人間であることを、辞めたかった」 沙羅は身体を離すと、僕を無視して言葉を続ける。 「ううん、本当のことを言うと、私は自分の中の何かが……」 「大切に思っていた何かが殺される前に、脱出したかった」 沙羅は明言することを避けたが、その“何か”とは心や魂、あるいは思い出のようなものかもしれないと思った。 「この、人間という枠組みから……身体から、逃げ出したかった」 彼女は遠くの一点を見つめている。 沙羅は再び、他人みたいな顔をしているように見えた。 それが、酷く寂しい。 「舜も人間だから、信用には値しない」 「……勝手に話を進めないでくれ」 「いいの」 先ほどまでの語気とは正反対の、優しい声音で僕に語りかける。 「私は、あなたの全てを許す」 「人間は、愚かな生き物だから」 沙羅はこんなに近くにいるのに、遠い存在になろうとしている。 また、それを彼女が望んでいることが痛いくらいに伝わってきた。 「自分の都合の良いことだけを見て、信じ、真実とやらを作り出す」 「それが事実かどうかは関係ない」 「そんな愚行を、数えきれないくらい見てきたの」 「それによって、私の中の大切な何かが、傷だらけになってしまった……」 「誰も、何も、信じなければいいのに……」 沙羅の顔には絶望という名の闇が張り付いている。 「信じなければ、裏切られない」 「期待しなければ、失望もしない」 「それが一番、合理的で美しい」 「どうして、傷付く前に教えてくれなかったの?」 「僕は、そうは思わないからだよ」 「どうして……?」 今度は無邪気ささえ感じる。 彼女の表情は変わっていないのに、僕が受ける印象はどんどん変化する。 「確かに、人間は愚かかもしれない」 「嘘も吐くし、間違えることもある」 「でも、それでも人間は、過ちを正すことだって出来る」 「そうやって、少しずつでもいい方向に向かっていけるんじゃないか?」 「だから、絶望する必要なんて無いよ」 「……」 「なら……舜は」 「妹が……白音が欠けてしまった世界でも、舜は幸せなの?」 「それを補うためのシロネも、もう居ないのよ……?」 「白音が死んでしまったのは……悲しいよ」 「今もいろいろと思うところはあるし、落ち込むこともある」 「でも、白音が初めから欠けている――そんな世界よりは、よっぽどマシだ」 「……」 「白音が居なくなってしまった意味なんて、分からないし、分かりたくない」 「でも、僕の周りには支えてくれる人が沢山居る」 「だから、僕が絶望する必要ことなんて全く無かった」 背中を押してくれた夕梨、研究室を開けてくれた日比野さん。 彼女たちの手助けがあったから、こうして沙羅を見つけることが出来た。 「それに、僕には沙羅が居るから」 「……どういうこと?」 「だって、沙羅は、僕のためにシロネを作ってくれたじゃないか」 「白音が居なくなって殻に籠っていた僕を、助けようとしてくれた」 「それは、白音が研究素材として最適だと判断しただけで――」 「じゃあ、あの日を始められるって言い続けたのは、なんだったんだ?」 「白音を蘇らせて、昔みたいに、みんなで笑って過ごす」 「それが、沙羅の本当の願いなんだよね?」 「それは……」 シロネが僕の家にやってきた日を、思い出す。 初めは抵抗があった。 だけど、一緒に海に行った日、ああ、時計が動き出したんだと心臓が震えた。 「そんなの――」 「勘違いよ! 私は、願いなんて持ってない……!」 ヒステリックな叫びが、僕の心と身体を嬲{なぶ}る。 「願えば、裏切られる。信じれば、騙される」 「だから、そんな曖昧で不確かなことなんて、私は願わない」 「……私は」 「アンドロイドしか……信じない!」 言い切る沙羅の言葉が、強く頭を震わせた。 それでも―― 「どうしてそこまで、アンドロイドにこだわるんだ!」 「もっと、人間を、僕を……頼ったっていいはずだよ」 「自分より劣った存在に、縋{すが}ったりはしない」 「だから私は、感情に流されず、合理的に判断を下せる彼女に、全てを託した」 「人間を導く存在として、最良のパートナーになり得る、アンドロイドにね……」 「でも……」 僕は躊{ちゅう}躇{ちょ}する。 ひび割れたガラス細工みたいな彼女に、この言葉を突きつけていいのだろうかと。 「何……?」 瞳の奥が底光りしている。 僕は意を決して、口にする。 「でも、シロネは失敗したじゃないか」 「……ああ」 沙羅は脱力して、嘆きの声を上げた。 「そう、失敗してしまった」 「人間とアンドロイドが共に生き、数々の困難に対処する」 「そんな未来は、すぐそこまで来ていた……」 「それなのに……」 「私は、失敗してしまった……」 「取り返しのつかないことを、してしまって……」 「この手でアンドロイドの未来を、閉ざしてしまったの……」 「全部、私の責任……」 「あの時のシロネは、制御不能だったんだ」 「仕方ないことだった」 「そんな言葉では、許されないの」 「トリノ計画は、世界が注目していた」 「もしかしたら、RRCだって無くなってしまうかもしれない……」 「でも、だからって死んじゃったら、挽回することすら出来なくなる」 「生きて、研究を続けていれば、今度は失敗しなくて済むかもしれないだろ?」 「取り返したくない」 「もう、疲れたの」 「人間の愚かさにも。命令を聞かない、アンドロイドにも」 「そして、私自身にだって……」 沙羅は涙を拭って、息を整える。 「研究は、後任の彼女に任せる」 「そして、役立たずの私は、人間の姿を捨てて、消え去る」 「これでいい。これがいいの」 「人間も、アンドロイドも信じられない」 「得意だったことも失敗したから、もう死にたい……」 「……」 「さよなら、舜」 そう言って、沙羅がこちらに背を向けようとした時―― 一瞬、彼女の顔に疲労が浮かんでいることに気づいた。 「沙羅っ……!」 「沙羅は――」 「少し、休んだほうがいい」 「……」 「それが、君の本心なんだったら……休んだほうがいいよ」 「……」 「変に理屈をこねなくてもいい。もっと沙羅の本音を教えてよ」 「弱いところ見せてくれたって、いいじゃないか……」 「……っ」 「どうして……」 振り返った沙羅は、驚いた顔をして、固まっている。 「どうして、舜が泣きそうなの……?」 「え……」 沙羅は実に不可解だというふうに、眉根を寄せた。 「悔しいんだよ、沙羅がそこまで追い詰められてたのに……こうなるまで気付けなかったことが」 「沙羅は強がりで、天邪鬼なんだ。昔と何も変わってない」 「そんな沙羅だから、僕は君のことが好きになったんだ」 「……は?」 「ちょっと待って舜。あなた、今――」 「僕は、沙羅のことが好きだよ」 「もちろん、恋愛としてだよ」 「なんで……どうして……?」 「……そんなこと、急に言われても困る」 「そもそも……強がりで、天邪鬼で、だから好きという論理は破綻しているんじゃ――」 「おかしくないよ」 「え……?」 沙羅は瞬きを繰り返し、戸惑いを収めようとしている。 「人を好きになるのに、理屈なんて要らない」 「沙羅のことを追い掛けて、そのうち気になって仕方がなくて、気付いたら好きになってたんだ。それじゃあ、駄目?」 「……そんな」 「そんな不確かなことを、私に信じろというの……?」 両の瞳が“不服だ”と訴えている。 「出来ればね。もちろん無理は言えないけど」 「でも、沙羅がなんと言おうと、この気持ちは本物だよ」 「そう……」 「……“恋は盲目”とは、よく言ったものね」 「心なんて、明日には変わってるかもしれないのに」 「それは沙羅も同じだ」 「寝て起きたら、僕のことを好きになってるかもしれない」 「なるほど。確かに、それは一理ある」 「そこで、納得してくれるとは思わなかったよ……」 今度は僕が戸惑う番だった。 口から出まかせも、言ってみるものだと思う。 「でも、舜はいろいろと一方的な思い込みをしている」 「人は不条理の塊よ。完璧に相容れることなんて不可能だわ」 「でも、寄り添って支え合うことは出来る」 「僕は、沙羅とそういう関係になりたい」 「あなたは研究者じゃない。普通の学生でしょ?」 「不釣り合いかもしれない。支えるには、頼りなさ過ぎるかもしれない」 「だけどそれは、これから努力していくよ」 「一緒に考えて、一緒に居れば、きっと必ず答えは見つかるはず」 「そんな根拠も無い推論、なんの当てにもならないのに……」 「私が、そんなこと信じられるわけないのに……」 先程まであった悲しみの色が、沙羅の瞳から少しずつ消えていった。 「私はまた、人間に、この世界に裏切られた」 「私を追い掛けて、止めてくれる人間が居るだなんて思わなかった」 「舜が、とても悲しそうな顔をするから……」 「私はまた、優しさを向けそうになってしまう……」 「感情に流されてるって、思ってた……」 「それで、いいんだよ」 「沙羅は流されてなんかいない。ちゃんと自分の意志を持ってる」 「それなら、もう、二度と」 「私の前で、泣いたりしないで」 「泣かないよ」 「寂しそうにしないで。悲しまないで」 「舜が辛そうにしていると、私まで辛くなるから」 「約束するよ」 「沙羅が、傍に居てくれるなら」 「……うん」 ようやく、笑ってくれた。 涙の粒を零しながら、沙羅は微かに微笑みを向けてくる。 「約束……か」 「とっても、曖昧な言葉ね」 「でも……」 「嫌いじゃないかな」 沙羅に気づかれないように、そっと肩の力を抜く。 それから、手を繋いで、2人で空を見上げた。 ――白音。 今度は、ちゃんと守れたよ。 「出て行く時は、二度と戻らないつもりだったのに……」 「これでいいんだよ。少なくとも、心境の変化はあったでしょ?」 「そういう曖昧なものは、意味があるとは言わないの」 これが、夕梨の言っていた“ムカッとする”瞬間か。 軽く咳払いをして、気持ちを立て直す。 「でも、あなたと付き合い始めたという劇的な変化はあった」 「えっ!?」 「なんで驚くの? 舜は、私のことが好きって言ってたでしょ?」 「言った、言った! 言ったけどっ!」 まさか、もう恋人同士だったとは知らなかった。 「まあ、それに関しては――」 「あっ!」 気がつくと、日比野さんが足早にこちらに向かって来ていた。 「紬木さん……!? 平気なの……?」 日比野さんは、不安そうな面持ちで沙羅を眺めていた。 「大丈夫ですよ、日比野さん」 「あれは、ただの仕事上での申し送りだったんです」 「え……?」 「沙羅は疲れていて、夜空を眺めていただけなんです」 僕はにっこりと笑う。 沙羅の性格を思うと、彼女を速やかに日常に帰すためには、こういった処置が必要だと考えた。 沙羅は僕をジロリと見るだけで、何も言わなかった。 「ごめんなさい……私ったら、てっきり……」 「紬木さんが、軽々しくそんなことをするわけないよね」 「世の中には、生きたいと思っても、生きられない人だっているし」 「……」 彼女の言葉が本心かどうかは、僕には分からなかった。 でも、沙羅はその言葉を逃さない。 「……心配掛けてしまって、ごめんなさい」 「そんなことないよ。こっちが勝手に――」 「ああ、忘れてた」 押し問答を避けるように、沙羅は気持ち大きめの声を上げる。 「私と舜、お付き合いすることになったの」 「えっ……?」 「えっ、ええーっ!?」 僕も目玉が零れ落ちそうなくらい驚いた。 「日比野さんは分かるとしても、どうして舜まで驚くの?」 「だって、そんなあっさり言うとは思わなかったから……」 「別に隠す必要もないでしょ?」 「それは、そうかもしれないけれど……」 「えっと、つまり……」 日比野さんが身を乗り出すようにして、会話に割り込む。 「冗談じゃなくて、本気でお付き合い……始めたんだよね?」 「しかも……たった今の間に?」 「うん」 「ちょっと……いや、だいぶびっくりしたな」 「だけど、2人ならお似合いだと思うよ」 「それは心外かも……」 「ちょっと、沙羅!」 「ふふっ。そういうところがお似合いだと思うよ」 にこやかに日比野さんが笑う。 「ただ尻に敷かれているだけな気がします……」 まあ、この立場が逆転する未来なんて、早々見えないけど。 「とにかく、おめでとう! 紬木さん」 「あ、ありがとう……」 なんだか、沙羅の頬が赤いような気がする。 気になって注視してしまう。 「なんで見つめているの?」 「いや、沙羅が照れてるなんて、珍しいなって」 「……打算の無い喜びを向けられたの、初めてだから」 「なにか賞を取っても、それが研究所の立場をどれだけ強めるのかとか、スポンサーとの交渉材料になるとか」 「そういうくだらない打算の上に成り立つ賞賛なら、散々受けてきたけど」 「こういう紬木さん、もっともっと見てみたいな」 「澄まし顔より、全然素敵だよ」 「ね? 七波くん」 「うん。惚れ直しそうだな」 「ふ、2人してからかわないでよ……」 「そんなことしてないよ」 「うん。今の紬木さん、女子の私から見ても可愛いって思うよ」 「やっぱりからかってるんじゃ……」 沙羅は髪をいじりながら、プィッと視線を外す。 思い出した。 子どもの頃の沙羅って、拗ねるとすぐ、こういう仕草をするんだった。 「……舜、何か失礼なことを考えていない?」 「そんなことないって」 「そんなことあるの」 「ふふっ。やっぱり、息がぴったりだね」 「全く……」 「……あっ!」 「ふふふ……」 「うん?」 唐突に、沙羅がニヤケ笑いを始める。 「……ふふっ、そういうことね」 何か閃いたんだろう。 嫌な予感がしてきた。 「日比野さん――」 「今夜は、記念すべき恋人初夜だから」 「舜は、貰っていくね」 「え、ええっ! しょ、初夜って……あの、そのっ!」 「ほら、舜」 「え、あ、ちょ、ちょっと!」 沙羅にぐいぐいと引っ張られて、僕は強制退場させられた。 「そういうわけだから、舜」 「今日は、朝まで帰さないからね」 「何がどういうわけだか、さっぱりだよ」 そもそも、それは男が言う台詞じゃないかと思うけど……。 沙羅には、そんな常識は通用しないらしい。 「舜は、私のことが好きなんだよね?」 「間違いない?」 「うん。僕は沙羅のことが好きだよ」 「そう、なら……」 「手伝って欲しいことがあるの」 「何……かな?」 なんだか沙羅の雰囲気が、普段と違うような……。 それに、いつもよりも距離が近い気もする。 「私を、抱いて」 「えっ……?」 「“えっ”じゃないでしょ……」 「……それとも、私なんて抱きたくない……?」 「そんなわけ――」 「そんなわけ、ないだろ……」 でも、今日付き合い始めたばかりだし……。 ちゃんと心も身体も整えて臨みたいと思うのは、理想論過ぎるか? 「舜にしか頼めないことなの」 「舜は、私がどんな研究をしているか、覚えてる?」 「人間そっくりのアンドロイドを作ること?」 「ちょっとズレてるけど、だいたいそんなところね」 「人間に近いアンドロイドを作るには、人間のことをよく知らなくてはいけないの」 「その研究課題の1つに――セックスがある」 「つまり僕は、実験台というわけか」 「まあ、そういうことかな?」 「それは、どうなんだ……」 「僕は、恋人同士の……なんというか、強い絆みたいなのを、この行為に求めているんだけど……」 戸惑うばかりの僕に、沙羅は刺激的な言葉で迫る。 「えっ……?」 「舜は、私とセックスしたくないの?」 「そりゃ、したいよっ!」 堪えていた、心の叫びが出てしまった。 「僕だって男だし。でもさ――」 「分かった」 沙羅は吐き出そうとした、ため息を堪えてみせた。 「なら、舜を、その気にさせる」 「ちょ、ちょっと沙羅……!?」 「しー、静かに。人が来たら困るでしょ」 眼前にあるのは、沙羅の膨らみ。 しかも、下着を身に着けていない真っ白い素肌が、そこにある。 「誰かに見咎められたら、どんな処分を受けることになるか……」 「……」 100%僕が責められる未来しか思い浮かばない。 乳房で半ば口を塞がれているから、思うように言葉を発することが出来ず、反論することすら許されない状況だ。 「これで少しは……大人しくなった?」 沙羅はすっかり征服した気でいるらしい。 同じ人間とは思えない柔らかさ、そして、しっとりとスベスベな感触が頬を挟む。 襲い掛かってきたのは沙羅のほうだけど、それは指摘せず、息を飲んでじっと堪える。 「私にしては、結構大胆なことをしているんじゃないかと思う……」 「異性に胸を見られる機会なんて、年1回の健康診断の時くらいで」 「じゃあ……沙羅は」 「そういう経験……今まで無いってこと?」 「私、処女だから」 言い淀むことなく、きっぱりとそう告げる。 「だから、こういうことは慣れてないけど、舜が何をしたら喜んでくれるかは、なんとなく分かるの」 「舜は、隠しているつもりかもしれないけど……」 「あなた、いつも私の胸元ばかり見ているでしょ?」 「え……」 無意識的だったけど、こんなに魅力的なスタイルの彼女を、見るなと言うほうが無理な注文だと言いたい。 「別に、怒ったりはしてないわ」 「男の人って、そういうものかなって思うし」 「舜だって、例外では無いでしょ?」 「今この状況で……否定出来るわけないよ」 「それもそうね」 くすっと笑って沙羅が言葉を区切った後、顔を包み込む胸の圧力が高まった。 「でも、不思議ね……舜にそういう視線を向けられても、そんなに不快じゃなかった……」 「もしかしたら、本能的に舜を求めていたのかもしれない……」 沙羅はぐいっと押し付けるように、僕の口元に乳房の先端を向ける。 ぷっくりとしたピンクの突起は桜色に染まっていて、艶めかしく、思わず生唾を飲んだ。 「……さっきから、息がくすぐったいの……」 「息をするなとは言わないけど……しばらく、黙っててくれる?」 「……分かったよ」 僕は沙羅の膨らみを軽く手の中に収めて、その先端を口に含んだ。 「ひゃうぅんっ!?」 「はぅっ、なんで、そんなっ……そんなの……っ」 ちゅるると軽く吸ってみたら、沙羅はびくんと跳ねて言い訳を始める。 「いきなり、だなんて……聞いてない……」 「黙れって……言うから……」 「だからって、おっぱいを吸ってもいいって……許可した覚え……ないっ」 「なんで……はぁっ、こんなこと、するの……?」 刺激に堪えるように目を瞑って、努めて理性的であろうとする沙羅。 『その気にさせる』って言い出したのは、沙羅のほうじゃないか」 口に乳首を含んだまま、舌を使って言葉を紡ぐ。 「い、いつ……? いつ、舜のスイッチが入ったって……いうの……?」 「私は……それを、知るために……んっ……こうして、自分の身を供してまで、実験しようと思ったのにっ……」 正直に言えば、胸を押し付けられた瞬間から、身も心も臨戦態勢だ。 僕だって、セックスの経験はおろか、女の子の裸に触れたことも無かったわけで……。 「まあ、いいわ……舜がしたいと言うなら……おっぱい、吸{・}わ{・}せ{・}て{・}あ{・}げ{・}る{・}」 「私はそれを……んん……観察するから……」 上から目線の言葉だけど、処女だと分かっているから、どこか初々しく聞こえて、心地良い。 口の中で弾くように舌を動かし、新たな刺激を送り込む。 「んっ、んんっ……はぁ、あぅ、うんんっ……」 「舌……上手に使って……んっ……! はあっ……どこで、そんなこと覚えて……んっ」 本能に身を任せ、乳首を集中的に弄{いじく}る。 沙羅が感じている声は新鮮で、頭の中が沙羅への思いでいっぱいになってしまう。 「そんなに吸っても……何も……出ないのに……っ」 「あっ、ううん、んん……! 味だって……しないのに……」 「甘いよ……?」 「あ、甘いの……?」 「母乳が出るわけでもないのに……?」 息を吸い込むと、ほんの少しの汗の匂いと、ミルクのような甘い香りが肺を満たしていく。 女の子特有の匂い……なんだろうか。 「自分で舐めたことなくて……知らなかった……」 再び突起に舌を伸ばし、ざらざらした舌の表面で舐め上げる。 沙羅の身体ががくがくっと揺れ、さらに双丘が顔にめり込んでくる。 「んっ、ああっ……! うんん、あ、ふあぁっ、ああっ……!?」 「おっぱいの先……ぺろぺろされると……んんっ!?」 「ん……ふふっ……舜は……はぁ……おっぱいが、本当に大好きなのね……っ」 沙羅は満足げに微笑むけど、あまり余裕は無さそうだ。 快楽に拍車を掛けるように、僕は口での愛撫を激しくしていく。 「ひゃうっ、はあ、んんっ……私の、おっぱいに……ちゅーって、吸い付いて……」 「そんな姿……誰にも、晒せないでしょうね……」 「沙羅だって同じだ……」 いつの間にか沙羅の乳首は硬くなっていて、興奮を伝えていた。 「はあっ! んん……ね、ねえっ……舜……?」 「私のおっぱい、しゃぶって……あ、はああっ、ん、興奮してるんでしょっ……?」 「いっぱい、舐めさせて、あげたんだから……はあぅ、あ、あっ、舜、舜のもっ……!」 「吸ったり、舐めたり……味見させ……てよ……んんっ! んっ、うんん、あっ……!」 「うん……」 言葉とは裏腹に、沙羅は息を荒げて、胸を上下させている。 すべすべだった肌は、唾液で濡れてすっかりベトベトになってしまった。 乳房から口を離した僕は、すぐさま履いていたズボンを下ろした。 「これで……いいの?」 沙羅が不思議そうにこちらの様子を窺う。 「変な感じする……?」 「ううん、そうじゃなくて……」 「おっぱいじゃなくて、その……ペニスを舐めるというので、いいの?」 「も、もちろん……」 沙羅の反応が予想外で、その純粋さに、なんだか胸が温かくなった。 「それにしても……」 「舜のおちんちん、こんなに大きく成長してたのね」 「子どもの頃に見たのとは全然違う……」 「子どもの頃?」 「でも、そうよね。身体は大人になったのに、ここだけ子どものままだったら、お子様おちんちんって、からかわれちゃうだろうし……」 「いや……舜はそうやって女の子に弄ばれるほうが、好きだったりして……」 沙羅は僕の疑問を聞き流して、思い出に耽ってしまっていた。 「私が入手した知識だと、おちんちんは勃起すると、さらに太く大きくなるって……」 「舜のも……大きくなるの?」 「沙羅が……胸に挟んで扱いたり、舐めてくれたりしたら……」 「そうして欲しいのね?」 「……うん」 沙羅はニヤリと笑みを浮かべてから、ペニスのほうに向き直る。 最初は、陰茎の感触を確かめるように、挟んだりゆすったりを繰り返す。 「あ……ふあ、あっ、んん……んっ……」 その視線は亀頭に浴びせられ、その扇情的な光景に、無意識に力が入ってしまう。 「わっ……ビクビクって震えた……今のは、わざと?」 「いや……沙羅に見られてると思うと、恥ずかしくて勝手に震えちゃうんだ」 「ふうん……でも、しばらくは我慢してね……動かれると、観察しにくいから……」 沙羅は胸の肉全体を使って、揉み込むようにして竿を搾り上げる。 その動きは意外とハードなのか、沙羅の息は切れ、少しずつその陶器のような白い素肌が朱色に染まっていく。 「熱くて、硬くて……それに、大きくて……これが、舜のおちんちん……」 「ん……舜って、少しなよっとしてるイメージがあったけど……ちょっと印象が変わりそう……」 「まあ……僕も男だから」 「ふふっ……」 「舜が感じている時の顔、好きよ……? もっとその顔……私に見せて?」 沙羅は余裕たっぷりの笑みを漏らした後、そのまま上半身全体を使って、ゆっくりと乳房を揺らす。 根元から先端までみっちりと包み込まれていて、気を抜いたらすぐに射精してしまいそうだ。 「はぁぁ……はあっ……結構、これ……難しいのね……んっ……」 「おっぱいで……舜の、おちんちん、ごしごしするの……」 「性器を擦り合わせているわけでもないのに……これが、セックスと呼ばれているだなんて……不思議」 「僕は嬉しいけどね……」 「これは、舜を喜ばせるための実験……セックスの予行練習みたいなもので……」 「んっ……?」 亀頭から溢れ出した我慢汁を眺めながら、沙羅は不思議そうな顔をしている。 「なあに? これ……」 「ちょっと、ネバネバしてるみたいだけど……」 「んっ……れろっ……」 「ん……あんまり、味はしない、かも……っ」 「さ、沙羅……?」 なんのためらいもなく、その小さな舌がチロチロと亀頭の上を這い回る。 鈴口で雫になっていた我慢汁は綺麗に舐め取られ、代わりに沙羅の唾液がまぶされる。 「ん、ちゅ……ぺろ……ちょっとだけ、おしっこの味と、匂いがする……」 「でも……んんっ、ちゅっ、ちゅ……そこまで、嫌な味じゃない……んん……」 「むしろ……舜の味だから……美味しい……ちゅう、ちゅるる……はぁ、ん、ちゅ……」 舌をすぼめ、カリ首をなぶるようになぞり上げられる。 敏感な部分をダイレクトに刺激されて、思わず腰が浮かび上がってしまう。 「んっ……おっきくなってきた……」 「痛そうなくらい、ガチガチになってるけど……まだ続けて大丈夫なの?」 自慰では味わうことの出来ない快感に頭がぼーっとしてきて、返事をするのも忘れてしまう。 沙羅は再び先端を口元に運び、汁を舐め取るように嬲{なぶ}る。 「れろ、ちゅぅ……ん、んん……ぺろっ……」 「舜のお汁が……ん、ちゅる……いっぱい、出てきて……んん……」 断続的に送り込まれる刺激に腰が疼いて、勝手に動いてしまう。 「ん、んちゅ……はぁっ、ん……出したい……のっ……?」 「もう……射精しちゃいそうなの……?」 「う、うん……」 決して激しくはなく、どちらかと言えばたどたどしい仕草であるのに、かえってそれが絶妙な快感になっている。 じりじりと迫ってくる放出の時に堪え続け、背中に汗が流れていくのを感じる。 「んん、んっ……もうちょっと……味わっていたい……ちゅ、ちゅううぅっ……」 「先っぽまで……んんっ……パンパンになってて……精液、溢れちゃいそう……んっ」 「丁寧に、擦って……んちゅ、ちゅっ、ちゅる……はぁ、んっ、ちゅ……!」 沙羅は上下運動をより激しくし、その衝撃でさらさらと髪が揺れ、乳房も弾む。 それでいて舌先は亀頭から離さず、小刻みに鈴口をタッチし、我慢汁で口元をべとべとにしている。 「んん……射精……させてあげる……っ」 「ちゅ、ちゅうっ……! 出して、いいから……ちゅっ……いっぱい射精して、気持ち良くなって……!」 「もう……イク……」 「うん、うんんっ! んちゅ……イッて……あなたのが欲しい……!」 「ちゅ、ちゅるるっ、んんっ! はぁ、ちゅ、ん、んっ、あ、ちゅっ……ちゅ、んん!」 「あっ、すごい、もう……来てるっ……! 出そう、はぁっ……ちゅ、ちゅっ! んんっ、んっ!」 「んんんっ……!?」 「ひゃうぅぅぅぅぅんんんんんっ……!」 大好きな女の子を汚{けが}す背徳感が背筋を駆け上がり、腰に溜まっていた熱が放出される。 目の前がチカチカし、しばらくした後、視界に精液が掛かった沙羅が見えてくる。 「きゃっ……す、すごい勢い……それに、熱くて、濃い……」 驚く沙羅をよそに、間欠泉のような射精は留まるところを知らない。 顔に胸に精液が掛かり、綺麗な肌が白濁液によってコーティングされていく。 「はぁっ……収まったみたいね……」 「なんか、変な味……苦くて、粘っこくて……何かに例えるのが難しいけど……」 「普通は飲むものじゃないから……」 口元に付いたものを舐めたんだろうけど、味の感想を言われるのは恥ずかしい。 きっとこれも、沙羅の言う研究の一環なんだろう。 どんな研究なのか、まったく検討がつかないけど。 「これだけ射精したのに……おちんちん、硬いままなのね……」 「もしかして、まだまだ射精し足りない……?」 「ま、まあ……」 「もう1回、舐めて欲しい?」 「ええと……」 それもいいけど、出来れば沙羅の中に挿れてみたい。 「ねえ、舜……」 「私から1つ、お願いしてもいい……?」 「お願い?」 「その……おちんちんを観察するのも、セックスの予行練習をするのも、もうおしまいにしたい……」 「それより、今は……舜と、セックスしたいの」 「……」 今日はもうここで終わりなのかと残念な気持ちになっていたのも忘れ、期待通りの展開に胸が高鳴る。 沙羅も同じ気持ちで居てくれたことが嬉しい。 「やっぱり、ダメよね……付き合ってすぐに、性欲を剥き出しにする女なんて……」 「そんなことないよ。僕も同じ気持ちだ」 「沙羅にお願いされなくても、下手したら無理やり押し倒していた……かもしれない」 「そうなの?」 「……うん」 緊張で喉がカラカラになりつつ、なんとか声を絞り出す。 「じゃあ……私のこと、押し倒してみせて?」 ソファーの上で沙羅を優しく押し倒す。 一方沙羅のほうは、満足そうな笑みを浮かべている。 「無理やりしたいんじゃなかったの?」 「ほら、早く……おちんちん挿れたら?」 「いやいや、無理やりなんて良くないよ」 「こんなところまで、優しくしてくれなくていい」 「それに、こんな格好で待たせるのは……紳士的でも、なんでもない」 「そうかな……」 沙羅のほうが案外グイグイ来るので、嬉しいのにどうしたらいいのか分からない複雑な気持ちになる。 「挿れるためのものなんだから、挿れなきゃ意味ないでしょ……?」 視線を落として、沙羅の秘部を確認する。 そこは充分なほど潤っていて、甘酸っぱい匂いが立ち込めている。 「早くっ……」 急かしてくる沙羅に、あまり余裕は感じられない。 彼女なりに、緊張しているのだと思う。 「来て……」 「挿れるよ……」 先端を膣口に当て、ぐっと腰を押し込める。 「んんっ……は、はぁぁぁっ……!」 「さ、さすがに……んっ……きつい……っ……」 華奢な全身に力が入り、手をぎゅっと握り締めて貫通の痛みに堪えている沙羅。 いつもの澄まし顔は一転し、苦悶の表情に歪んでいる。 「やっぱり、止め――」 「止めなくて、いいの……お願い……止めないで……」 「痛いのは、分かってたことだから……」 沙羅は痛みを堪{こら}えつつ、ふっと笑みを浮かべる。 僕を安心させようとしている、というのは考え過ぎだろうか。 「んん……っ! そのままじっとされても……痛いだけみたい」 「だから、出来ればそのまま……続けてくれる……?」 「分かった」 改めて気合いを入れ直し、きつい締め付けをこじ開けるように挿入を続ける。 「う、んんんっ……!」 「はぁぁぁ……はぁぁ、んっ……ふぅ」 徐々に、しっかりと濡れている秘裂に肉幹が埋まり始める。 「んっ……まだ、入り切らないの?」 「もう少し……」 まだ挿入しきっていないのに、何かに阻まれるような感触があった。 「一気に、いくよ」 「うん……」 「んんっ、ああぁぁっ!」 メリメリっと何かが破けるような感触と共に、つうっと鮮血が流れ出てくる。 血液の生々しさに動揺してしまって、一瞬モノを引き抜きそうになる。 「はぁ、はぁぁっ……初めて、だもの……」 「血が出るくらい……んんっ……当然……のこと……」 「痛い……よね?」 「うん……」 「でも……続けて欲しいの……」 「うん」 苦悶の表情を浮かべながらも、沙羅は気丈な態度を崩さない。 沙羅の気持ちに応えるように、ゆっくりと抽送する。 「んっ、はあ、うんんっ……!」 「舜の……大きいので、んんっ、お腹の中、圧迫されてて……はあっ……!」 「苦しいのに……ああっ、胸が、いっぱいで……んっ!」 もどかしい程ゆっくりとした動きでも、沙羅の中は熱く潤んでいるため、十分過ぎるくらい気持ちいい。 沙羅のほうにも少し余裕が生まれ始めたのか、全身の緊張がほぐれてきた。 「はあ、はあぁっ……呼吸をするだけで……幸せな気持ちになる……」 「ん……痛いけど……嫌じゃない……んんっ……」 実験や研究に根気よく向き合っている沙羅だからこそ、性行為にもマゾな感情を抱くのかもしれない。 苦々しい表情に喜びを見つけて安堵する。 「はあっ……舜は……?」 「長くは、持たないかも……」 「えっ……?」 「ごめん……」 心の中では、沙羅を気遣っていたいのに、身体は言うことを聞かず、抽送の速度が上がってしまう。 「あっ、ああっ、うんん! それ、激しい、のっ……はあぁっ!」 「無理やり、されるの……いいの! はあぁっ、思うままに……セックス、してっ……!」 受け入れる覚悟を決めたのか、沙羅は自分の手をぎゅっと握り締めて堪えながらも、快感に貪欲であろうとする。 僕はそのまま腰の動きを止めずに、奥へ奥へと突き込んだ。 「はあぁ、う、んん、んんんっ! あっ、ああっ、ん……!」 「奥まで、来てるの……分かる……はあぁっ! おちんちん、奥まで、入ってるの……!」 「ふあぁっ、ああっ……んっ、ん……だんだん、気持ち良くなってきて……ふぁっ……」 沙羅が自分の胸を揉む度に、その口から熱い吐息が漏れる。 乳首も指で弾ける程に勃起し、その色はピンクから赤へと色付きが変化していっている。 「ひゃ、ううん、んっ……! はあっ、大きい……」 「中で、ぱんぱんに膨らんで……んんっ、私のあそこが、きゅんってしちゃうの……」 不規則な締め付けが引き金となり、押さえつけていた欲望が弾け飛ぶ。 思考停止し、腰を打ち付けることしか考えられなくなる。 「はぁ、激しいっ、ああっ、いっぱい入って……来て……ひゃあぁっ!」 「私……ああっ! 舜に、犯されちゃってるのっ……!」 「ごめん……腰、止まらなくて……」 「謝らないで……んんっ、はぁぁ……こういうのも、悪くはないから……は、はぁぁ、はぁん!」 「ん、んんっ……いつ射精しても、いいから……はう、はぁぁ……」 「ふぅ……んんっ、はぁぁっ……! そ、そのまま、中、で……んっ!」 「んんっ、は、はあ……全部、受け止める、から……あ、ああ、ああっ!」 お互いの全身は汗にまみれ、室内は体液の匂いとリズミカルな肉のぶつかる音が支配する。 膣内も熱くうねり、精液を欲しがるようにモノを搾り上げ、だんだんと射精感が高まってくる。 「んっ、んんっ、そろそろ、い、イキそうなの? ん、あ、んぁぁ、あ、あんっ」 「おちんちんが、あ、ふあぁぁ! 私の中で、また、あ、あぁっ! 大きくっ、ふ、ふぅん!」 「私も、気持ち良くてっ……あんん、変に、なっちゃいそうっ……!」 ペニスと膣壁の境が分からなくなり、だんだんと目の前が白くなっていく。 沙羅の体温や感触に包まれながら、いよいよ最後の絶頂を迎える。 「沙羅……好きだっ!」 「ちょ、ちょっと、んんっ! こ、このタイミングで、そんなこと言われても……んんっ!」 「あっ、ああっ、おちんちん、イキそう……イッちゃいそうっ……!」 「はああぁっ、うっ、ひゃああぁっ……!」 「ふぅぅぅぅぅぅぅぅんんんっ……!」 最奥に精液を叩きつけた瞬間、沙羅の身体も大きく跳ねる。 膣内が小刻みに痙攣し、それが刺激となって陰茎全体に伝わってくる。 「はあっ、すごい……んんっ、ま、まだ出て……2回目、なのに……」 「んっ、はあ、またっ……んんっ!」 射精するたびに、膣内が震えて、さらなる快感が下腹部に送り込まれる。 その刺激でまた射精してしまうという無限ループの中で、僕は快楽に翻弄され続けていた。 「やっと……止まったの……? ふう……」 「もう……出し過ぎ。お腹の中、熱くなってる」 「だって、沙羅の身体、気持ち良過ぎるから」 「こんなに乱暴に扱われるの、初めてだったから……ちょっとびっくりした」 「でも、1つになることの意味は、なんとなく分かった気がする」 「これが、セックス……。人と人とが、交わることなのね……」 うわごとのように呟きながら、沙羅は息を整える。 その間に僕の頭の中は徐々にクリアになっていき、そして、また欲望がムクムクと湧き上がってきた。 「ありがとう、舜……未知の物事がこうして1つ分かって、スッキリした」 「舜も、気持ち良くなれたみたいだし……お互いに、良かったってことで……」 「いや……終わりじゃないよ」 「ひゃううぅっ!?」 沙羅を窓際まで抱きかかえて運び、挿入したままガラス窓に押し付ける。 「なに、してるの……!?」 「だめよ……ここでしたら、外から見えちゃうかもしれない……」 外からは多少見えにくくなる仕組みの窓だから、このくらいの戯れは許されるはずだ。 「それより、こんなに大きな声を上げている時点で、他の部屋の人に聞こえててもおかしくないというか……」 「そ、それはっ……!」 「んんっ、はあぁ、ああっ……!」 口では嫌がる素振りを見せつつ、ゆっくりと抽送を開始しても、本気で抵抗しようとはしない。 それどころか、産道は先ほどよりも潤み、きゅっきゅっと小刻みに締め付けてくる。 「はぁ、もう、嫌っ……こんなの、恥ずかし過ぎてっ……」 「もうっ……離して! お願い、はぁっ……お願いだからっ……!」 腰を大きく引き抜くと、奥から大量の愛液が掻き出され、太ももを伝って零れ落ちていく。 沙羅は……見られると感じるタイプなのかもしれない。 「こらっ……言うこと聞いて……聞きなさいよっ……」 「押し付けられてるから……んんっ、はぁっ、さっきよりも、奥まで、来ちゃうっ……!」 沙羅はあれこれいいつつも、悩ましげにお尻をふりふりと振る。 締め付けも強く、離したくないという意思が伝わってくる。 「ふあ、んんっ……舜のおちんちん……さっきより、大きくなってない……? んっ、はぁぁ」 「もう、2回も出してるのに、んっ……こんなに、熱くて、硬いなんて……舜は、性欲が強いほうなの……?」 「いや……沙羅相手だからだよ」 その証拠にと、下腹部に力を入れて、息子を跳ね上げさせる。 膣ひだをズルっと擦り上げると、傷1つ無い綺麗な沙羅の背中が、弓なりに大きく反り返る。 「ひゃぅっ!? ちょ、ちょっと、もう、いいでしょ……んんっ」 「そろそろ……はぁ、んん、うんん、おしまいにしてっ……」 言葉とは裏腹に、吐息に熱が込もってガラス窓が白く曇る。 その呼吸に合わせて膣内は複雑な動きをし、緩急つけてペニスを締め上げる。 「もう、立ってるのも、やっとなんだから……」 「だ、だから……そのっ……」 「するなら、早く……してっ……」 そう呟く沙羅の足を見ると、確かに小刻みに震えていた。 「こんなに大きいのを、入れられてたら……当たり前でしょ……んんっ……はぁぁっ」 「ね……私の気持ち、分かってるんでしょ……ねえっ……?」 「ひゃううぅぅっ!?」 「うんんっ、ふああ、あ、ああんっ……は、はぁぁ、あああっ!」 細いウェストをしっかり支え、反動をつけて一気に膣奥まで貫く。 沙羅はガクガク膝を折りながらも、必死に快感を貪ろうとする。 「さ、さっきよりも、んんっ……おまんこの奥まで、届いて……は、はぁんっ!」 「中で出した精液で……んっ、滑りが良くなって……ああっ!」 沙羅の言葉通り、僕が腰を動かすたびに、膣口から白濁液が溢れ出てくる。 結合部は粘った体液で泡が立ち、甘酸っぱい匂いが立ち込める。 「ふあ、はぁんんっ! あ、あんっ、すごく、荒々しいの……ああんんっ!」 「ん……んっ、はぁぁっ、そんなにされたら……私、私、おかしくなっちゃう……ああぁっ!」 まるで素手で握られているかのように、強く締め付けてくる膣肉。 その刺激はすさまじく、腰が砕けて無くなってしまうのではないかと錯覚するほどだ。 「ああっ、刺激、強過ぎて……! よく、分からない……は、はぁぁっ……!」 「分からない、けど……んっ、でも、さっきとは、全然、違うの……」 「感覚が、無くなって……はぁぁっ、何も、考えられないっ……!」 ガラスに反射する可憐な表情はいつしか快楽に溶け、だらしなく口元が開いている。 沙羅が自分で気持ち良くなってくれていることが伝わり、我慢に我慢を重ねた射精感が、急に形を作る。 熱がせり上がってきて、いつ果ててもおかしくない。 「そろそろ、出そう……」 「わ、私もっ! なんだかすごいの……来ててっ! んんっ!」 「き、来てぇ、舜っ! 私のおまんこに、あ、ああっ!?」 「あ、ふあぁぁっ! 舜のを、刻み付けてっ……んんっ、は、はぁぁっ!」 沙羅も自分から腰を振り、より深く繋がろうとペニスを咥え込む。 目の前がチカチカとしてきて、腰全体からペニスに何かが集まっていくのを感じた。 「んんっ! 舜、舜! あ、ああぁぁっ、んっ! も、もうっ、イキそう……!」 「だ、だめ! このままじゃ……私が、私で、いられなく、なる……んんっ!」 「イッて、イッて、舜! 私の中で、イッてっ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 先端を沙羅の最奥に突き付け、勢いよく精液をぶちまける。 狭い膣内は一瞬にして白濁液に満たされ、それでもなお足りないと、膣ひだがざわめき続ける。 「ふっ……あぁぁ……また、いっぱい……出て……あ、あぁぁ……」 「す、すごい……3回目なのに、こんなに……はぁぁ、はあ……!」 身震いする沙羅をがっちりとホールドしつつ、最後の一滴まで膣内に注ぎ込む。 「はあ……すごかった……」 朦朧としていた意識が戻ってきた頃に、ようやく射精が収まる。 「私の身体で……満足した……?」 「うん……かなり」 「そう……」 ふう、と沙羅は深く息を吐く。 初めてで多少乱雑に扱ってしまったにも関わらず、沙羅は嫌な顔ひとつせず、中で受け止めてくれた。 「良い経験だった。付き合ってくれてありがとう、舜」 「こちらこそ、受け入れてくれてありがとう」 まだまだ沙羅と僕の間には、いろいろと壁がありそうだけど。 それでも、今彼女に抱いている感情は、一生をかけても大切にしたい。 「このままだと話しづらいから……」 「おちんちん、抜いて貰ってもいい……?」 「うん」 そのまま僕はほぐれきった膣穴からペニスを引き抜き、彼女の身支度を手伝った。 「……」 「……はあ」 行為の後、沙羅は静かに沈黙を続けていたが、ため息をひとつ吐くことで口を開いた。 それは少し、重く感じられるものだった。 「無理……させちゃったよね」 「ううん……別に」 素っ気ない言葉だったけど、その声には温かみが籠もっていた。 僕を拒絶している訳ではなさそうで、安堵する。 「私達、セックスしちゃったのね」 「そう……思って、いろいろ思い出してただけ」 「……」 「小さい頃は、舜とこんなことするなんて、考えもしなかったから」 「確かに……」 「舜は考えたことあった?」 「私と、セックスするの……」 「それは……」 あったかもしれないというより、確かにあったけど、出来れば秘密にしていたい感情だ。 「……無いの? 年頃の男の子なのに?」 「ど、どうだろうね……」 「……ふうん」 「いや、あるよ……多分」 沙羅が不服そうなので、なんとか勇気を出して言葉を搾り出す。 「へえ……」 「……それって、いつ?」 「えっ?」 「いつから、セックスしたかったの?」 「いつからとかは、分からないよ……」 「……」 「だけど、再会した時は……胸がドキドキした」 「昔から、可愛いとは思ってたし、好きだったけど……」 「……」 「……そう」 沙羅はぽっと頬を赤く染めて、短く呟いた。 「舜は、その……」 「また、私と……したい?」 「そりゃ、もちろん」 「それは、即答なのね」 「当たり前だよ」 「……」 「……」 自分でも驚くほど大きい声が出てしまって、恥ずかしさに言葉を失う。 沙羅のほうも同じ気持ちのようで、羞恥の表情を浮かべたまま、固まっている。 「……あ、うん」 「うん、じゃあ、私も……」 「私も、したいから……また……」 「……また、しよっか」 「……うん」 沙羅は精一杯の笑顔を向けて、優しく手を握ってくれる。 心から安心すると、一気に眠気が襲ってきた。 「……おやすみなさい」 最後に幸せそうな沙羅の表情が見えて、そのまま意識を手放した。 耳元に、カチャカチャと不規則な音が聞こえてくる。 この静けさの中ではうるさいくらいだけど、不思議と不快な気持ちにはならない。 今は……朝の9時くらいだろうか? 「起きた? もうすぐお昼よ」 「えっ……?」 確かに、時計を見るとそろそろ正午を指す頃合いだ。 「遅刻確定ね」 「遅刻どころの騒ぎじゃないね。大遅刻かまして、もうお昼だけ食べて逃げ帰る勢いだよ」 沙羅が楽しそうに呟くから、それに合わせて僕もオーバーにとぼけてみせる。 「ふふっ、そうね。舜も早く、私みたいに出席を免除して貰えるようになればいいのに」 「そんな簡単になれるものじゃないよ」 「何度か定期テストで満点を取ればいいだけじゃない」 「それが、凡人には難しいことなんだよ」 「ふうん……」 沙羅くらい成績が優秀だと、学校に行くのが時間の無駄だと思っていそうだ。 「それで……」 「そろそろ、服を着たら?」 「えっ……ああっ!」 「うふふっ。女の子みたいな反応ね」 「昨日の夜は、あんなに獣みたいだったのに」 「それは、気持ちが昂ぶってたからで……」 言葉にしているうちに、沙羅の肢体を思い出してしまう。 肌の滑{すべ}らかさ、抱き締めた時の温もり、まぐわった時の乱れ姿――。 全裸で居たことによって、昨日の行為は夢じゃなかったんだと実感した。 「シャワー浴びたかったら、勝手に使っていいから」 「あと、洗濯物なんだけど……」 「洗濯機には入れないで。蓋の上に置いといてくれる……?」 「どうして? 洗濯機回すことくらい、僕がやっておくよ」 「昨日……汚れたのが入ってるから、開けて欲しくない」 「……なるほど」 恥ずかしそうに、目を伏せる沙羅。 その様子が昨日の表情と重なり、思わず身体が熱くなる。 「……」 「……」 「……」 「……」 照れくさいような、くすぐったいような沈黙。 沙羅を押し倒したい衝動に駆られる。 この部屋には、誰もいない―― 「……えっ」 視線を巡らせていると、見覚えのある顔が目についた。 「……シロネ?」 「そう……素体だけだけどね」 「フォーマットして完全停止しているから、もう彼女は、シロネとは呼べない」 「もし、再起動するとしても、ベースの記憶から入れ直すことになるから、前のシロネとは違っちゃうだろうし……」 「そもそも、今の私の権限では起動することすら出来ない」 「そうか……」 目を閉じて眠っているシロネは、アンドロイドというより、等身大のドールのようだった。 実物を見たことは無いから、あくまで想像に過ぎないけど。 「これから、シロネはどうなるの?」 「私に決定権は無いから、今後は上層部の判断に委ねられると思う」 「出来ればずっと、私の手元に置いておきたいけど……」 「もうシロネではないと言われても、僕達にとってはシロネだ」 「思い出がいっぱい詰まってる」 「うん。この素体だけでも、莫大な予算がつぎ込まれているから……廃棄されることはないはず」 「なるほど……」 「少し、安心したよ」 「精密に出来ているからこそ、盗難や悪用には気を付けなくちゃいけない」 「とはいえ、私以外にシロネを操れる人はかなり限定されるから、そこまでのことは起きないかな」 「そうだと良いね」 「あ……」 沙羅が何かを思いついたように、言葉を短く切る。 「どうしたの?」 「ううん。別に、大したことじゃないんだけど……」 「洗濯が終わったら、散歩に出掛けない?」 「良いね!」 「ふふ。まあ、そのまま学校に行ってもいいけど」 「いや……そっちは、今日はいいや」 出席日数が心配になってきたけど、なんとかなるだろう。 「決まりね」 考えてみれば、僕はシロネのことについて、ほとんど知らない。 どうやって作られたのか、どうやって動いているのか――その仕組みは、ベールに包まれたままだ。 「でも……」 「どうしたの?」 「やっぱり、引っ掛かるんだ」 「どうして、シロネは暴走したのかなって」 「……」 僕のほうを見て、沙羅は一瞬押し黙る。 「そのことだけど……」 「一応、仮説を立てたわ」 「仮説……?」 「報告書を書く必要もあるでしょ」 「それで……」 僕の声を遮るように沙羅は説明を始める。 「まず、シロネに何が起きていたかを検証する前に、シロネ……いや、トリノの基本原理を考えて欲しいの」 「うん……」 「そもそも、人工知能の発展の歴史はディープラーニングにあるのよ」 「こういった時はこうなる。こうすればこうなる。みたいな事象の組み合わせを大量に用意して、今はどのパターンに当て嵌まるか考える」 「つまりパターン化ね」 「パターンを大量に溜め込んで、今後何が起きるかシミュレーションすることで、最適解を求める。これが人工知能の基本原則」 「トリノの場合は、これとは違うアプローチをしていて、まずベースとなる記憶が重要なファクタとなるの」 「いわば個性とでも言ったらいいかしら?」 「人間もそうでしょ? 最適解があったとしても、それぞれの個性によって、辿り着いたり辿り着かなかったり」 「さらに、その道のりも様々」 「より人間に近づくということは、個性としての揺らぎを受け入れることなのよ」 「個性というベースと、従来から研究されてきたラーニングシステム」 「そして、もう1点」 「もう1点?」 「トリノは自己フィードバック、いわば自己学習をする際も個性が反映される」 「フィードバックを行う際のウエイト処理とでも言えばいいかしら?」 「ここに今回の問題があったのね」 「問題?」 「シロネはシロネという立場において、シロネ固有のフィードバックの方式で思考を続けた」 「その結果、何度やっても三原則に抵触してしまい、それを避けるためにシミュレーションで模索し続けた」 「本来なら解が出ないなら、解が見つからないという答えを返して、思考を打ち切り、自己保護をして、主に対応を求める」 「けど、テストではそれを封じられ、理不尽なシミュレーションを繰り返し、フィードバックを続けた結果、思考メモリがオーバーフローして……」 「そして、パニック状態に陥った」 「ええと……つまり、どういうこと?」 「もう少し噛み砕くとね」 「シロネは三原則という枷があることによって、最優先で舜を守らないといけないことになってるの」 「うん」 「だけど、チューリングテストの内容は、どの方法でも舜を守れない、意地悪な質問ばかりだった……」 「シロネにとって答えにくい問題に対して、思考を繰り返しているうちに、思考中枢がエラーを吐いてしまった。というわけね」 「……答えが出せないことを考え続けて、ノイローゼになったのか」 「……まあ、だいたい合ってるかな」 「人間なら、ある程度考えると疲労で思考力が低下したり、そもそも考えることを止めちゃうけど、アンドロイドにはそれがない」 「だから、壊れるまで、考え続けてしまったのね」 「なるほど。少し理解出来た気がする」 「でも、そのテストの設問自体は、沙羅が考えたものじゃなかったの?」 「最初はそうだった」 「でも……」 沙羅は答えにくそうに、言葉を濁す。 「途中から、質問が差し替えられていたの」 「そんなことって……」 「操作パネルもロックされていたし、機械音声も、私の指示を無視していた」 「まんまと罠に嵌められたってことね」 沙羅は悔しそうでもなく、事実を淡々と述べていく。 「落ち込んでても、しょうがないから……」 「私は、シロネがエラーを起こさないようにするための策を、考えていたの」 「つまりそれは、アンドロイド自身が考える権限の幅を、どう定義するかという問題だけど……」 「うん」 「そうね、楽な言い方をすれば――」 「三原則という縛りを、外してしまえばいい……」 沙羅の口から、考えたこともないフレーズが飛び出す。 「三原則に縛られないアンドロイドって、もうそれは、アンドロイドじゃないんじゃ……?」 「でも、もともと沙羅は、人間に近いアンドロイドを生み出す研究をしているから、それが正解なのか……」 「なかなか鋭い指摘ね」 「舜が言った通り、アンドロイドは、三原則という判断基準が無いと、答えを導き出せない」 「何も分からない時、とりあえず三原則に遵守するかを考えることで、解に辿り着ける」 「もっとも、私達が“答え”と呼ぶものが、正解か不正解かなんて、誰も決められないけど」 「たとえば、この前の実験だったら、舜が少し傷付くことは仕方がないと割り切る思考が出来れば、シロネは壊れなかった」 「でも、三原則の第一条で、使用者の安全が定義されている以上、シロネにそんな柔軟な対応は出来ない」 「出来ないというか、考えること自体無いの」 「なるほど……」 人で考えれば、重傷か軽傷かは大きな違いだけど、シロネ達にとっては、“傷害”と一括りになってしまうんだろう。 「答えを導き出せないアンドロイドは、本来は作ってはいけない」 「だけど、三原則という判断基準のみだと、シロネみたいに、思考の迷路に陥ってしまう可能性がある」 「つまり、三原則は無くとも、それに代わる判断基準は、必要ってわけか」 「そうそう」 「私が考えているのは、その新しい枠組み――」 「いわゆる、“真トリノ”をいかにして完成させるか、ということ……」 「“真トリノ”……」 なんだか、中二心がくすぐられそうなワードだ。 「聞いたこと、ある……?」 「いや、全く。初耳だよ」 「そう……」 沙羅は残念そうに、少し俯きがちで呟いた。 「それって、もしかして……」 「僕の父さんの考えていた理論……とか、そういうこと?」 「そ、そう……」 沙羅は心底驚いたというふうに、大きく目を見開く。 「“アンドロイドは、人間のパートナーになるポテンシャルを持っている”……」 「今の三原則は、人間とアンドロイドの関係を、使用者とその道具として定義しているけど――」 「優れたパートナーの存在は、相手の進化にも繋がる……」 「アンドロイドは、人類をより良い方向へ導くために、きっと役に立てるだろうって」 「私も……そう信じてる」 沙羅は目を輝かせて、そう言って微笑んだ。 「だから……」 「紬木沙羅は、七波舜と付き合っているけど」 「研究を第一に、これからもアンドロイドに情熱を注いでいくつもり……って」 「そんな、他人のことみたいに言わなくても」 「だってっ……」 「恋人より自分のことを優先するなんて、なんだか身勝手で……」 「でも、それが沙羅じゃないか」 「僕は、そういう沙羅が好きだから……沙羅は、沙羅のままでいいんじゃない?」 「いいの……?」 「沙羅を否定する気持ちなんて無いよ」 「舜……」 「私、彼氏が優しい人で、本当に良かった……」 にっこり笑いながら、安堵の表情を浮かべる沙羅に、胸がドキッとした。 彼氏という響きは甘酸っぱ過ぎて、毎日聞いたらきっと、頭がおかしくなってしまうだろう。 魔法がかかった言葉だと思った。 「その彼女のために、僕も……」 「沙羅の研究の手伝い、何か出来ないかな?」 「手伝い?」 「沙羅が頑張ってるのに、見ているだけなのが歯痒くてさ」 「舜には学校の勉強があるし、気軽には頼めない……」 「それをやるのは当然として!」 「そう……?」 馬鹿にされているような気がしたけど、沙羅のことなのでしょうがない。 「なんでもやるから」 「うーん……」 「本当に、なんでも?」 「ああ、なんでも」 「……」 沙羅が真剣に検討してくれているのか、呆れているのかは分からない。 『アンドロイドに任せるからいい』 それが無いのは、多少なりとも沙羅の心境に変化があったということなのかもしれない。 「少し、考えさせて貰ってもいい?」 「もちろん」 「前向きに、検討してみる」 その後は、好きな食べ物やお菓子など、他愛もない会話をした。 研究所に戻る沙羅を見送って、自宅へ帰ることにした。 「……ふう」 キーボードを打つ手を止めて、1つ大きく深呼吸をする。 今日はいつもより、休憩の回数が多いかもしれない。 「舜があんなこと口にするから……」 専門知識の無い人に頼めるようなことは、かなり限られている。 思い付くのは、頼むまでもない、どうでもいいことばかり。 「ただ、1つを除いて……」 そう、1つだけ、舜にも出来る大役がある。 いや、今はもう、舜にしか頼めないことなのかもしれない。 「RRCからの支援も期待出来ない、この状況では……」 「舜に頼むしかないんだけど……」 これは、駄目……。 たとえ私が今、困窮した状況にあったとしても―― この選択肢は、最後まで切り札に加えてはいけない。 研究が第一と、舜の前では言い切ったけど。 100%の自信を持って託せるかと聞かれたら……首を縦に振ることは出来ない。 そういう、いわく付きの大役だ。 「……今一度、思考を整理しよう」 私はゆっくりと心を落ち着かせるように、VR装置を起動した。 「……死んでなかったんだ」 「最初に言う台詞がそれなの?」 「あなたが居なくなった時に備えて、いろいろと準備しておいたのに」 サラは残念そうに、がっくりと肩を落とす。 「それに、舜と付き合うなんて……」 「人間は愚かだって、沙羅はそう言ってたのに」 「他人の思考を理解することが、アンドロイド研究に繋がると思ったの」 「だから、その結果が出るまで、私は死ねないし……やるべきことは、まだ沢山ある」 「そう」 「あまり驚かないのね」 「あなたは舜に、何か影響を受けたみたいだけど……でも、あなたの根本は変わっていない」 「そう見えるから、まだ失望はしてない」 「失望する前提みたいな言い方に聞こえるけど……」 わざとらしく言うのがサラだから、特に含みは無いのかもしれない。 「それで、今日はどんな相談?」 「ちょっと、迷っていることがあって」 「実は、舜に――もっと頻繁に脳スキャンを受けて貰おうと思ってるの」 「脳スキャン?」 「真トリノを作るには、どうしても今よりももっと詳細なデータが必要なの」 「舜は昔から定期スキャンを受けている1人だから、蓄積されたデータが多いし、私がよく知ってる人でもある」 「つまり、舜が適任というわけね」 「……でも、定期的な脳スキャン以外はリスクを伴うものでしょ?」 「だから、スケジュールも綿密に管理されているわけだし」 「そうね。そこも専門に研究されてるわけで」 「だから、サラの意見を聞いてみたかったの。あなたなら、どうする?」 「ふうん。そうね……」 「いや……それより」 「沙羅はやっぱり、策士ね」 「どういうこと?」 「自分の身体と引き替えに、彼に人体実験をする」 「それが目的で、舜と付き合い始めたんでしょ?」 「違うっ。私は、そんな――」 「彼はお節介な人だって、沙羅はそう言ってた」 「自分のお願いなら、快く引き受けてくれる。そう、あなたは思ったんでしょう?」 「違う……!」 「まだ迷っているから、あなたに意見を求めているの!」 「誤魔化さなくていいのに。あなたは自分自身の感情を、欺{あざむ}けてはいない」 「研究のためには必要なことだって、顔にはそう書いてあるもの」 「それは、違うの!」 何度制止しても、言葉に食いついて、感情をコントロールしようとしてくる。 相談のためのアンドロイドなのに、これじゃあ埒が明かない。 「あなたは、私に何を隠そうとしているの?」 「ねえ……」 「……沙羅」 「……」 「迷うことでもない」 「答えは、ただひとつ」 「ほら……言ってみせて?」 「ううん……」 「私は、あなたとは違う……」 「違うのっ――」 「……っ」 気づいたら、装置の電源を無理やり落としていた。 目の前に迫り来る彼女が消え去り、私はほっとしている。 「私……」 「私は、舜を……」 頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。 舜は、私の恋人。 実験体にするだなんてことは、考えられない。 「でも、そうしなければ、真トリノは完成しない……」 それでも――! 「舜……」 「舜じゃなければ、こんなに迷うことも無かったの……?」 恋人同士になんて、ならなければ……。 「今日はサボらずに来たんだ?」 「……まるで、僕がいつもサボっているかのような言い方だなあ」 「分かってるって。どうせ寝坊したんでしょ?」 「うん、まあ……だいたい、そんなところ」 沙羅の研究室で……なんだけど、夕梨には黙っておく。 「このままじゃ舜、あたし以上の不良になっちゃうかもね?」 僕が小言を言えないからか、夕梨は終始、優越感に浸っている。 「その時はその時ということで……」 「不良の先輩として、ご教授よろしく」 「よろしくされたくないわ……!」 「全く……」 付き合い出したことは、いつか話さなくちゃいけないと思う。 でも、夕梨のことだから、噂を聞いて、勘付いているかもしれない。 「……何?」 「いや、別に……」 「そうやってはぐらかされるのが、一番もやっとするよね」 「まあ、どうせ舜だし。いいけどさっ」 「一緒に登校しないうちに、なんか扱いが雑になった気がする……」 「そう? あたしはいつも通りだけど」 夕梨の対応が少しトゲトゲしい感じがして、少しだけ気まずい。 僕が勝手にそう感じているだけなのかもしれないけど。 「はあ……沙羅も相変わらず、全然学校に来ないし……」 「あたしが一番、真面目っ子になっちゃうじゃんかー!」 寂しさを吹き飛ばすように、夕梨は強がってみせる。 悩みの種は、尽きないようだった。 「おはよう、夕梨ちゃん」 「それと……七波くんも」 「お、おはよう……」 日比野さんが照れ気味で挨拶するものだから、こっちまで照れくさくなってしまう。 「夕梨、日比野さんに用事があるんだっけ?」 「うん。コテージで出すアイスについて、意見貰ったりしててね」 「私も業務用アイスまでは詳しくないから、いろいろと教わっているんだ」 「それで、日比野先輩に言われてたアイスを取り寄せたから、今度試食しに来て欲しいなって思って」 「うん。都合が合えば、行きたいかな」 最近バイトが忙しくて、と日比野さんは苦笑しながら応対する。 夕梨も家の手伝いを任されることがあるらしく、お互いに愚痴を言い合う仲になっているようだった。 いつの間にか、呼び方も変わっている。 それは、良いこととして―― 「で、夕梨。そんなことを言うためだけに、朝の教室へ来たわけじゃないんだろ?」 「え? まあ……」 夕梨は気まずそうに目を伏せる。 「夕梨には、自分の口から伝えたいと思ってたけど」 「ずいぶん、日比野さんと仲が良いみたいだし……もう、聞いてるか」 「えっ? ご、ごめん……私、そういうつもりはなくて……」 「そうそう。あたしが聞き出そうと迫ったから、教えてくれたの」 「だって、あんだけ沙羅のところに通ってるのに、結果が伴わなかったら、なんかガッカリじゃない」 「お節介な友人止まりでいいわけないんだからさ」 「そ、そっか……」 「……でも」 「ちゃんと、気持ちが通じて良かったじゃん……」 「舜が沙羅のこと、小さい頃から好きだったの、知ってたし……」 「夕梨ちゃん……」 「沙羅のことは、夕梨のおかげでもあるんだ」 「あの時の夕梨の後押しがあったから、僕は沙羅を助けられたんだと思う」 「助けるって……だいぶ飛躍した話になってるけど」 「あ……いや、今のはなんでもない」 あれは遺書ではなく、ただの仕事上の申し送りなだけだった、ということにしてあるから、日比野さんに対しても気まずい。 「あーでも、そっか。舜と沙羅が……かぁ」 「分かってはいたんだけどなあ……」 夕梨の沈んだ声に、胸が締め付けられる。 「でも、大丈夫。あたしは大丈夫」 「だって、幼なじみ同士が結ばれたんだよ? お祝いしなかったら、あたしイヤな子じゃん」 「だから……うん」 「おめでとう、舜。沙羅を幸せにしてあげなよ?」 「ああ、もちろん」 きっと、夕梨もいろいろと思うところがあるだろう。 複雑な思いを抱えつつも、祝福の気持ちを向けてくれているのだから、それにはきちんと応えるべきだ。 「さて、そろそろ自分の教室へ行かないと……」 「じゃあね、日比野先輩」 「ついでに舜!」 相変わらずの対応が、今は嬉しかった。 「えっ、沙羅? どうして……」 「私だって、ここに通ってるんだから」 「そりゃそうだけど……」 席に着こうとしたところで、沙羅の声が耳に届く。 反射的に、廊下に飛び出す。 「あ……舜」 「おはよう」 「おはよう……」 沙羅は、最低限の言葉だけを伝えてくる。 「夕梨、そろそろ教室に向かったほうがいいんじゃない?」 「そんなの、分かってるよ……」 「なら――」 「来られるんだったら、メールしてよ。お昼、一緒に食べよ?」 「それはいいけど……」 「ごめん。今日はあまり寝てなくて、朝からお喋りする気分にはなれないの」 「そんなに研究が忙しいの?」 「ううん、そうじゃないけど、ただ……」 「……なんでもない。気にしないで」 僕達の前を横切って、沙羅は教室に入っていく。 「大丈夫かな、沙羅」 「何が?」 「何がって、沙羅の体調のことだよ」 「舜、まさか気づかなかったなんて言わないよね……?」 夕梨に図星を突かれて、思わず押し黙ってしまう。 「寝不足って言ってたけど、いつもより元気ない気がする」 「久しぶりに会ったから、そう感じるのかもしれないけど……」 「でも、多分、気のせいじゃないよ」 「僕もそんな気がする」 「早速彼氏の出番だね、舜!」 「沙羅のこと、よろしくね」 夕梨は気を回して、小言を言わずそのまま自教室へ向かって行った。 『気にしないで』 午後はプールの授業だった。 水着に着替え、プールサイドへ向かおうとしたところで、更衣室に戻ろうとする沙羅を見掛ける。 「今日も見学するの?」 「うん。やっぱり調子悪いみたい」 「あ、単なる寝不足だから。舜は気にしなくていいからね」 「大丈夫?」 「何か、不安なことでもあるの?」 「どうして?」 「寝不足って、何か考えごとでもしてたのかなって……」 「それは……」 沙羅の言葉は途切れ、視線は僕に向けられる。 「ううん。大丈夫」 「まさか、悩みの原因って……僕?」 「違うの。舜が悪いわけじゃない」 「じゃあ――」 「気にしないで。もう、いいから」 「っ――!?」 沙羅の細い腕を掴んで、更衣室のほうに向かわせる。 「しつこいって思ってるかもしれないけど……今日は聞くよ」 「とことん……沙羅が正直になってくれるまで」 「ちょっと、舜……?」 「何考えてるのっ……?」 「よくもあんなところであんなこと……」 「ごめん……」 「誰かに見られてたら、下手すれば退学もあり得る話で……」 「まあ、舜が無理やり犯してきたことについては、責めないけど」 「えっ!?」 かと言って沙羅は、無理やりされることに悦びを覚えるタイプでも無いと思う。 むしろ、相手を責め立てるほうが―― 「おふざけの話は、この辺まで」 「今日は、舜に大切な話があるの」 不意に、沙羅をとりまく空気が変わる。 思わず、僕も居住まいを正す。 「ずっと、悩んでいたことなんだけど……」 「舜に、お願いしたいことがあって」 「ほんと!?」 「そんなに喜ばないでよ」 「だって、沙羅から仕事を任されるなんて、嬉しいに決まってるじゃないか」 「それで、どんな内容なの?」 「それは……」 「ううん、やっぱり頼むのは止める」 「え……?」 「ごめん、今の話は忘れて……」 沙羅は自信なさげに目を逸らす。 「頼りないって思ってるかもしれないけど……」 「僕に遠慮なんてしなくていい」 「沙羅は、研究に人生を懸けているって言ってたじゃないか」 「そうなんだけど……」 「でも、舜の人生まで懸けてしまうのは、間違ってる気がした」 「僕が望んでいるんだからいいんだよ」 「舜の人生を、私が奪ってもいいの……?」 「沙羅と同じ道を一緒に歩めたら嬉しいって思っているけど」 「……」 沙羅は変わらず、複雑な心境を抱えているようだった。 「私に、命を預けるってこと……」 「そういうリスクもある実験に、協力して欲しいの」 「……」 「別に、断ってくれてもいい。それで、舜を嫌いになったりもしない」 「恋人に、実験体になれってお願いするなんて、正直間違ってるって思ってる」 「だけど……」 「これは、舜にしか、頼めないことなの」 「そうなのか……?」 「うん。舜にしか出来ないこと」 「私が、今までの定期スキャンで得たデータを流用することが出来るのは、白音を除くとあなただけ」 「もちろん、RRCの関係者の家族なら、他にも定期スキャンを受けていた人は居るけど……」 「舜は継続的にスキャンを行っていて、データの蓄積量も多いのよ」 「そして、私がアクセス出来るエリアに、あなたのデータはある」 シロネが初めてうちにやって来た時に、説明を受けた気がする。 「確か、その脳スキャンで得た“記憶データ”が、父さんの研究に不可欠だったからって――」 「そうか。沙羅は父さんの研究を継いで、“真トリノ”を完成させたいって言ってたから……」 「それに必要なデータ採取に、僕の協力が必要ってことか」 「ええ」 「でも、定期的にスキャンしているから、そのデータじゃ駄目なの?」 「真トリノの完成のためには、より緻密な記憶データが必要だから……」 「もう少し、頻度を上げて精密なスキャンをしたいの」 「頻度が上がるとリスクが無いわけじゃないし、負担になっちゃうかもしれないけど……」 「なるほど」 確かに今までは、検査日をきっちり指定されていた。体調で多少の遅れがでることもあったが早まることは無かった。 「その、真トリノを完成させるためのプロセスを、少し聞いてみたいんだけど」 「分かったわ」 『専門外の人間に話しても理解出来るわけない』 こちらを信じてくれているのか、不安の色は薄れ、真摯な眼差しを向けてくる。 「たとえば――」 「バナナは黄色い。じゃあ、リンゴは?」 「赤い?」 「トマトは野菜ね。リンゴは?」 「果物?」 「そう」 「今の質問に、何か意味があるの?」 「私は舜に、同じ類別になるように答えて欲しいとは言っていないけど、それでもちゃんと答えを導くことが出来た」 「何気なくやっているけど、これって実はすごいことなの」 連想ゲーム……みたいなことか? 「同じ質問を子供にしても、たぶん正答率は大人より落ちると思う」 「それは、子供はまだ物事をあまり経験していないから。だから、何を答えたらいいのか、適切に推測出来ない」 「トリノを搭載していたシロネも同じことなの。彼女の思考の根幹は、当時の白音の記憶データだから」 「つまり――“答えを推測する力”」 「これが、トリノをバージョンアップさせる鍵だと、私は考えているわ」 「“答えを推測する力”……か」 「その力を得るためには、とても複雑な思考を、同時にこなす必要がある」 『その中から一番的確な回答を導き出す』というように思考している」 「これを、人間は一瞬のうちに、ほぼ同時に行っているわけだけど」 「なるほど……」 「シロネがオーバーフローしたのは、シミュレーションの経験値が足りなかったから」 「もしかすると答えに辿り着けたかもしれなくて、その情報や思考の仕組みが欠落していただけかもしれない」 白音が亡くなっている以上、参照出来るデータが少ないのは、理解出来る。 「経験値を積ませることで答えを推測する機能はトリノが持ち得ているもの」 「でも、今のように判断根拠も思考パターンも小さいものじゃなくなれば……」 「その時は、三原則でアンドロイドの思考を縛らなくてよくなると、私は考えているの」 「シロネみたいな悲劇は、もう二度と起きない」 ふっと僕の脳内に、チューリングテストの光景がフラッシュバックする。 シロネに限らず、人間に尽くしてくれるアンドロイドが、あんなふうに壊れてしまう。 それを避けられるというだけでも、沙羅の話は興味深い。 「……本当に、そんなアンドロイド作れるの?」 「もともと、ルビィだって、七波博士の脳をスキャンしたデータから作られたものなの」 「父さんの……!?」 「まだトリノが出来上がる前だから、不完全だけどね」 「彼がシロネの旧型と言われ、他のアンドロイドよりも高性能だったのは、そういうわけがあるの」 「知らなかった……」 「脳スキャンや記憶データの仕組みを知っているのは、RRCのごくひと握りの人間だけよ」 データがうまく活用されているなら僕はいいけど、研究所の関係者家族が実験体であるというのは、少々複雑な感情を抱かざるを得ない。 でも、どんな分野だって、そうやって多くの人の協力を得て成り立っているんだから、至極当然のことでもある。 「シロネが居ない今、本当はルビィを再起動させて、実験を再開したいところなんだけど……」 「七波博士も居ないし、そもそもルビィは目覚めてくれないし……」 「それで僕、というわけか」 「うん……」 「もう、舜しかいない」 「それじゃあ――」 「早速、実験を始めようか」 「えっ!?」 「ほら、善は急げって言うし」 「でもっ」 「何か手伝いがしたいってお願いしたのは、僕のほうだ」 「どんなことでも、任せて貰えるなら、やるつもりだった」 「沙羅の言う、リスクを伴う実験だったとしても」 「舜……」 「それに、実験に限らず、大抵の物事はリスクを伴うものだと思う」 「だから、それに怖気づいて前に進まないのは、ただの言い訳でしかないんじゃないかって」 「本当に、いいの……?」 「後悔しない……?」 沙羅自身の意思も固まったのか、視線は揺るがず、じっとこちらを見つめる。 「任せて欲しい」 「……」 「……うん!」 ようやく沙羅は緊張をほぐし、温かみのある声で応えてくれた。 海の向こうで照り輝く夕日に熱気を感じながら、気合を入れるために、拳を振り上げた。 「どう、舜。きつかったり、気分が悪くなったりしない?」 「私も自分でやるのは初めてだから……」 「え?」 「マニュアルは読み込んで来たし、シミュレーションもやったわ」 「それで、大丈夫?」 「今のところは大丈夫」 研究室に戻って検査着に着替え、硬めのベッドの上に寝かせられる。 身体全体を専用の機材に覆われ、これからスキャンが始まるのを理解した。 「それじゃあ、開始するから。目を閉じて、リラックスして」 「もし気分が悪くなったら、すぐに手元のスイッチを押して」 「データを取るのも重要だけど、舜の身体が一番大切だから」 「分かった」 「……それでは、スキャンを始めます」 その言葉に、思わず身構える。 視界が黒で覆われ、周囲の音も聞こえなくなる。 「ん?」 定期的に受けているスキャンの感覚がまったく無い。 「どう、舜。気分は?」 スピーカー越しに、沙羅の篭もった声が聞こえてくる。 「何も起きてない気がするんだけど……」 「……こっちも、全然スキャンが進んでない」 何か一瞬悩んだのだろうか? ひとつ呼吸を置いてから、沙羅が話し掛けてきた。 「少し強度を上げるわ……異常があったら、すぐに言って」 「うっ――!」 途端に、強烈に高い音が聞こえ始める。耳鳴りに近い。 それと共に、グルグルと身体全体を回されている感覚に支配される。 「舜、大丈夫?」 「……」 「舜……?」 「さら……」 自分の声が、どこか遠くから聞こえる気がする。 それから、電源が落ちるような音が遠くで聞こえた気がした。 「舜……起きて……お願い」 「舜!」 「……」 「大丈夫、舜?」 「あ、ああ……」 真っ暗闇から解放され、心配そうに覗き込む沙羅が、視界に戻って来る。 「ごめんなさい。いきなり強度を上げ過ぎたかも……」 「いつもとはだいぶ違う感じだったよ……」 「気分が悪くなったらスイッチを押してって言ったのに」 「ごめん……。でも、本当に一瞬のうちだったんだ……」 「スイッチ押す暇なんて、どこにも無かったんだよ」 「……本当に?」 「うん」 「そう……」 定期スキャンではこんな感覚は今まで味わったことがない。 「じゃあ……今日は、もう終わりにする」 「そんな。少し休めば、また――」 「ううん。舜の身体に何かあってからじゃ遅いし」 「明日またやってみましょう」 「ごめん」 「大丈夫。時間はまだあるから」 「……」 起き上がってみると、一気に不快感が押し寄せてきた。 僕は吐き気がするほどの頭痛を必死に耐えつつ、なんでもないふうを装って、研究室から出た。 「きっつ……」 荷物を投げ捨て、そのままソファーに倒れ込む。 沙羅にこんなところは見せられない、その一心で、家まで気合いで帰って来た。 幸いにして、吐きも倒れもしなかったけど、本当にギリギリの攻防だった。 「これが、明日もか……」 脳スキャンをして意識を失いかけたのは、初めてだった。 どうやって機材を動かしているのか分からないから、原因を突き止めようはないけど……。 でも、いつもと違うという感覚だけは、確かにあった。 「少しだけ……休もう……」 そう呟いて僕は、意識を手放した。 ……。 …………。 ………………。 朝日―― いや、スマホの画面が光っているだけだった。 少しずつ、意識が覚醒していく。 時計を見ると、ほんの数十分だけ、眠っていたようだ。 「あれ……何でソファーなんかで……」 どうしてここで寝ていたんだ……? ……ああそうか、沙羅の実験に付き合って、それで……。 なんだろう……頭がぼーっとする。 寝起きだから……かな。 「……」 言い様のない不安が胸に募って、思わず叫びたくなる。 こんなに不安定になるのは、白音を失った時以来だ。 「何か、何かないかな……」 この押しつぶしてきそうな気持ちを紛らわせる、何か……。 スマホを適当に操作していると、音楽プレイヤーが立ち上がった。 スピーカー部分から、聞き慣れた音楽が流れてくる。 正確な曲名は知らないけど、父さんも白音も好きだったことをよく覚えている。 シロネも、家のピアノを弾いてくれたことがあった。 そういえば、沙羅も……昔、この曲を弾いてくれたことがあった気がする。 沙羅……。 今頃どうしてるんだろう。 なんとなく、星空を見上げる。 本当はこんなことをしてる場合じゃなくて、明日の実験の準備をしなくちゃいけない。 分かっているのに、どうしても集中出来ない。 「どうして実験を続けなかったの? 本人が大丈夫だと言ってたのに」 「あなたにとっては研究が全て。そうやって生きてきたからこそ、今の地位がある」 「このままだとあなた、単なる凡人に成り下がるわよ」 「……ふふっ」 こうも単刀直入に言われると、いっそ清々しい。 だから、サラに対しては負の感情はない。 「自分を客観視してくれる存在が身近に居るというのは、研究者としてはありがたいこと」 でも、ほんの数日前までは、サラと同じ思考をしていた。 そう、舜と付き合うまでは……。 「私、いつの間にか、変わってたのかもしれない」 「良くも悪くも、だけど」 この変化が良いものかどうかは分からない。 舜は、肯定してくれたけど……。 彼は他{ひ}人{と}に甘いから、鵜呑みには出来ない。 「でも、変わらないものもある」 針を落とすと、柔らかい旋律が奏でられる。 デジタル全盛の時代にレコードなんてと思うけど、今は却{かえ}ってこの音が心地良い。 舜は、この曲を覚えているのだろうか。 星空を見上げながら、2人で聴いたこの曲を。 あの頃は、私と舜はいつも一緒だった。 同じ音を聞いて、同じものを食べて、同じものを見て。 そうやって、舜と様々なことを共有するのが、私は大好きだった。 そして、それはきっと今も――。 「……いけないわね、こんなことじゃ」 明日には、また舜がやって来る。 その時に不安な顔をしていたら、心配させてしまう。 もう二度と、失敗は許されない。舜を危険な目に遭わせるわけにはいかない。 「今日も、長い夜になりそう」 私の独り言は、研究室の窓の向こうに溶けていった。 「何を考えてるのか知らないけど……」 「こういうことは、学校では止めてくれる?」 とっさに連れ込んだ女子更衣室で、ぐっと沙羅を引き寄せて胸を鷲掴みにする。 こんなところ誰かに見られたら、一巻の終わりだ。 「舜……聞いてるの?」 でも、止められないし、止めたくもない。 そのくらい、僕は頭に血が上っていた。 「無視しないで。聞こえてるんでしょ?」 「聞こえてるよ」 「だったら、こんなこと、もう止めて」 「帰ってから、いくらでもしてあげるから」 「先延ばしにするのは良くないよ。沙羅は僕に、隠しごとしてる」 「だからって襲い掛かるのはおかしいでしょ? 少し、頭を冷やして」 あくまでいつも通りの、澄ました表情の沙羅。 こんなに気持ちをぶつけても、そこには波1つ立っていない。 その悔しさで、大胆な行動に出てみたくなる。 「んっ……んん……んんあっ……」 気づいた時には、その可憐な唇にむしゃぶりついていた。 「う、んんっ、ん……はぁ、んんっ……」 愛情の交わし合いもない、理性の欠片もない野性的なキス。 沙羅はそれを、ただ静かに受け止める。 「ん……ん、ん……んんっ、んちゅ……」 「んんっ、ん……ふあ、んん、ん……」 「はあっ……いきなり、キスするなんて」 「私の話、聞く耳持たないのね」 激しく唇を押し付けても、沙羅の態度は少しも変わらない。 でも、その唇は僕の唾液でより瑞々しさを増してきた。 「素直じゃない沙羅の話は、聞く気ないかな」 「ううん。私はいつも通りで、舜が思い込み激しいだけ」 「違うよ、沙羅は強がってる」 「僕は沙羅のことをずっと見てきたんだ。だから、僕には分かる」 「それを、思い込みだって言ってるの」 「……違うの?」 「それなら、僕の言うことを証明してみせるよ」 今度は、あえてゆっくりと顔を近づける。 でも、沙羅は顔を背けなかった。 「んんっ! んっ……んん……はぁ……ん、ん、んちゅ……」 「ん、んむむ……ん、ん、んっ……」 今度はゆっくりと、丹念に唇をついばむようなキスを交わす。 最初は肩に力が入っていた沙羅も、少しずつ力が抜けてきたようだ。 「ん……んちゅ……はむむ……んっ!」 「ん、んはぁ……んっ……ん、ちゅっ……」 長い口づけに酸欠で頭がクラクラしてくる。 でも、まだ沙羅を離したくない。 内なる情動に突き動かされるがままに、前歯をそっと舌で舐め上げる。 「んっ! んんっ! んっ……ん、ふんんっ」 「んん……ん……んちゅっ、はあっ、んんっ!」 さすがに刺激が強かったのか、華奢な肩がビクッと震える。 息も苦しくなってきたし、沙羅の様子を見るために一度口を離す。 「はぁぁ……はあ、はあっ……」 「私を窒息させる気……?」 「ごめん、さすがにちょっとやり過ぎたかな」 「ちょっと……?」 沙羅がジトっとした目つきで睨みつけてくるが、全然怖くない。 むしろ、余計にそそる表情だと思ったけど、それを伝えたら怒られそうだ。 「失礼なこと、考えてるでしょ」 「どうして?」 「舜が私を見ていたように、私も傍で、舜を見てきたの」 「……もちろん、観察対象としてだけど」 ふふんっと余裕たっぷりに微笑む沙羅。 この顔を汚したい、蕩けせてやりたい。 そんな雄の本能が、ムクムクと湧き上がってきた。 「力で捩じ伏せようとしても、私には無駄なことよ」 「そんなに煽られたら、期待に応えるしかないな」 「別に、求めてなんかいない」 「でも、結構……沙羅の顔、感じてるみたいだし……」 「こういうの、満更でもないんじゃない?」 「これは、生理現象だから」 「それに、急に舌を入れられたら、息も切れるでしょ?」 「じゃあ、またするから」 「そんな……断りを入れればいいってものじゃ――」 「はぁ、んんんっ!」 「んっ、んんっ……ちゅ、んん……ん、ふあぁっ」 これ以上言い訳させないように、唇全体で口を塞ぐ。 沙羅は視線で抗議してくるが、僕は気にせずその頬の内側を舌でなぞる。 「んっ……んんっ……んちゅ、ちゅ……はむむっ……」 「んはぁ……ん、んんっ……んむむ、ん……」 口内は熱く、そしてぬるっとした感触で、僕の舌を受け入れる。 沙羅は完全になすがままで、時折ぶるっと全身を震わせる。 「んんっ!? んんっ、んっ! んんんっ……!」 乳房を包み込んでいた指にぐっと力を込めると、沙羅の口元から嬌声が漏れ出る。 「はぁぁ……は、ああっ……」 「本当に、やりたい放題ね……」 沙羅のぼやきは聞かぬ振りをして、再びたわわな乳房を揉みしだく。 ザラザラとした水着に指が埋まって、ムニムニとした弾力が性欲を直撃する。 「んっ……だめ、もうおしまい……」 「だめ?」 「だめよ……」 「ふ、ううん、んっ、はぁっ……」 「じゃあ……」 「もっといっぱいしないと……」 沙羅の後ろに回り込み、下乳を両の手のひらで支える。 そのままゆっくりと持ち上げると、胸の重さで指先が勝手に柔肉に埋まってしまう。 「んっ……やっぱり、話聞いてない……」 「そりゃ、拒否されたら続けないといけないと思うし……」 「どういうことよ……」 「いや、沙羅の胸、やっぱり大きくて、気持ちいいなあと思って」 「答えになってない……」 沙羅が強く抵抗してこないことを確認してから、優しく胸を揉みしだく。 「んっ、ふう、は、ううん、ん……」 「水着の中で、もぞもぞされるの……変な、感覚……」 柔らかいだけじゃない、しっかりとした弾力。 本当に同じ人間なのかと疑いたくなるほど、独特の触感をしていた。 「沙羅って……サイズ、どのくらいあるの?」 「ん……正確には、分からないけど……ブラのサイズはGカップよ」 「まだ、成長が止まってないから……もっと、大きくなるかもしれないけど……」 「へえ……」 成長途中の胸を揉んでいるんだと思うと、ますます昂ぶってきた。 「舜が、そうやって、揉むから……んんっ、はあぁっ……」 「私のおっぱい、大きくなってるんじゃないかって……ふあ、んん……!」 「それは良かった」 「そんな、こと……ないっ……!」 「これ以上育っても、迷惑なだけで……んんっ……」 さわさわと撫でるように指をスライドさせ、沙羅の様子を窺う。 くすぐったいのか、指が動くたびに肩がびくっと跳ねて、胸も膨らみも大きく上下する。 「はあっ、ううん、んっ、はあぁっ……」 「汗掻いてる」 「は、うんんっ……違う、そんなの……嘘……」 「ん、はあっ、んんっ……熱い……はぁっ……」 学校指定の水着は、布面積に対して、保温性が高い衣服だ。 愛撫による興奮も相まって、沙羅の水着の中は蒸れてじっとり濡れている。 「もう、止めて……汗で、べとべとして、気持ち悪いの……」 「脱がしてもいい? 少し、肌寒いかもしれないけど」 「こんなところで脱ぐなんて……」 「更衣室だし、問題ないよ」 「そ、そうだけど……」 「じゃあ……」 「……」 ゆっくりと布地をずらして、胸を露出させる。 なんだかんだ言って、沙羅は僕に甘い。 そのことにありがたく思いながら、彼女を感じさせるためにさらに指を踊らせる。 「んっ……んっ……はぁぁ……」 「はあ……本当に、止める気ないのね……」 「んっ……授業は、いいの?」 「いい」 「そう……んんっ、んっ……は、はぁぁ……」 特に抵抗することなく、沙羅は僕の愛撫を受け止め続ける。 だからこそ、僕の指先はどんどんとエスカレートしてしまう。 「んっ……はぁ……んんっ……」 「乳首、勃ってきたみたい」 「はぁぁ……ん、いちいち言わなくていいの……」 「そのくらい、自分でも分かってる……んんっ」 整った顔は耳の先まで赤くなり、吐息は湿り気を帯びている。 「これで感じているのなら、もっと揉んでもいいってことだよね……?」 「ん……そんなこと、聞かないで……はぁっ……」 「駄目に決まってる……でしょっ……?」 肩越しだから、沙羅の表情までは見えないけど。 拒絶されていないことだけ確認して、膨らみに指を沈めていく。 「はぁぁ……うんん……はあ……」 「舜……んんっ、手つきが、いやらしい……はぁ……」 絹のような肌は徐々に赤みが差し、先端の突起は痛々しいほどに膨れあがる。 焦らすようにあえて乳首には強く触れず、乳輪のあたりをさわさわと撫で回す。 「んっ……はあ……ふ、んん……は、はぁぁ……」 「ちょ、ちょっと……舜……ん、は、うんんっ……!」 「はぁぁ、はあ……わざと、やってる……でしょ……?」 沙羅の言葉は聞こえない振りをして、乳輪や乳房全体の輪郭をなぞるように触れる。 鳥肌が立ってざらざらとしており、普段の肌とは明らかに触感が違う。 「んっ、は、はぁぁ……あ……はぁぁっ……」 「……意地悪、しないで……」 「うんんんんっ……」 沙羅がおねだりをしてくるなんて、珍しい。 切なげに腰を揺らす沙羅を視界の端に置きつつ、ふいに突起を摘んで、強い刺激を与える。 「ひゃううううっ!?」 「は、はぁんっ、んん……ふ、ああっ!」 電流が走ったように、沙羅の身体が大きく跳ねる。 その震えによって、より強く指先が乳首をとらえてしまう。 「んんっ! んっ……も、もう……は、はぁぁ……」 「ちょっと……手をどけて……」 「だめだった?」 「そうじゃなくて……はぁ、はぁぁ……」 「んんっ……も、もう、立ってられな……い……」 気づけば沙羅の両膝は、生まれたての子鹿のように震え、かなりおぼつかなくなっている。 とはいえ、ここで挿入して果てるわけにもいかない。 「じゃあ、ちょっとしゃがんでみて……」 「……舜って、前々から性欲強いほうだとは思っていたけど」 「まさか、自分の彼女にオナニーを見せて欲しいと迫るなんて、考えもしなかった……」 沙羅は僕の指示通り、僕の目の前にしゃがみ込んで水着を半脱ぎにした。 一方の僕は水着を脱ぎ、沙羅に勃起したそれを見せつけるように立つ。 「それで私は、オナニーしながらおちんちんを舐めれば……いいの?」 「自慰って……あまりやったことはないから、上手く出来るかは、分からないけど……」 「でも、やったことはあるんだね」 「たまによ? 本当にたまに、するだけで……!」 「声、大きいって」 「……っ」 点呼は終わっているだろうから、僕らがここにいることはバレてないと思うけど。 とはいえ、人に見つかったら大変なことになるのは間違いない。 「んっ……はぁぁ……んんっ……」 「舜が射精してくれれば……これ、終わるんでしょ……?」 「なら、とっとと……出して貰わないと……ん……」 沙羅の指先が、己の秘所へとうずまる。 そしてそのまま割れ目に沿って、ゆっくりと上下し始めた。 「沙羅、濡れてきてる……」 「はあっ……当たり前……でしょっ……」 「オナニー……してるんだから……ふあ、ああっ……」 喋りつつも、沙羅の指は秘裂を滑らかに動き続ける。 その指先はヌメヌメと光り、くちゅくちゅとくぐもった音が聞こえてくる。 「はぁ、ううん……ん、うんん……っ」 「んっ、ああっ、ふあ、んんっ……!」 熱にうなされたような、沙羅の喘ぎ声。 その痴態を見ていると、どんどんと自分の中心に熱が溜まりつつあるのを感じる。 「僕のも……」 「んっ……ちゅっ……ちゅっ」 「んふぅ……れろっ……ちゅ、れろ」 ゆっくりと、小さな舌が亀頭にまとわりつく。 その的確な刺激に、思わず腰が引けそうになる。 「これで、いい? ふ……ん、んんっ……」 「ああ、最高だ……」 「このくびれになっている部分が……ん……舜の弱点ね……ここをなぞると……」 「んっ……れろっ……んんっ、ちゅぱっ」 「ちゅっ……んっ……ちゅっ、ちゅぶっ」 「うわっ」 カリ首をねぶるように、尖らされた舌先が蠢く。 その微細なタッチが一番弱いところに集中し、腰が勝手に跳ねてしまう。 「それから、はぁっ……裏筋を、舌先で刺激すると……」 「ちろ、ちゅっ……ん……れろ」 「ちゅぷっ……ちゅ、んんっ……んんっ」 「ん……どう?」 まるで試すような沙羅の舌技。 まだまだ慣れてないはずなのに、責め方が的確だから、防戦一方になってしまう。 「思った通りだったみたいね……仮説が実証されるのは嬉しいわ……んん」 「仮説って……僕とまたすることを想像してたの……?」 「……さあ、それはどうかしら?」 「私はただ、舜が気持ち良くなることを考えていただけ……」 「もう……早く……射精してよっ……」 怒ったように照れながら、再び沙羅は舌を伸ばしていく。 「ふふっ、んっ……ちゅっ……ん、れろっ……ちゅぱっ」 「ちゅ、ん……大きく、なってきた……んん、ぺろっ……」 微笑みを交えながら、沙羅はペニスを舐め上げていく。 整った顔とグロテスクな一物の対比に、さらに僕は昂ぶってしまう。 「んっ……透明なお汁が出てきた……そろそろ、射精しそう……?」 確かに気持ちいいけど、もう一押し足りない。 もっと刺激が欲しいと、本能が訴えかける。 「そのまま、咥えてくれる?」 「お口の中に入れれば……いいの?」 「うん……お願い出来る?」 「やってみる……」 「んんっ……んんっ、ん……」 先端から根元まで、熱い粘膜がまんべんなく包み込む感覚。 その強烈な刺激に驚いた下半身が、無意識のうちに喉奥へと腰を突き出す。 「んー、んんんんっ!?」 「ごめん。勝手に腰が動いちゃって……」 「ん、んんっ……」 沙羅の両目には、うっすらと涙が溜まっている。 初めて見る表情にゾクゾクするけど……とりあえず今は我慢だ。 「じっとしてるから、続けてくれる?」 「んっ……ちゅっ、ちゅりゅりゅっ……」 「じゅるっ……んんっ、ちゅう、ちゅる……じゅぽっ」 沙羅の頬はすぼまり、頬の肉が亀頭を包み込む。 そのままゆったりと頭が前後に動き始め、長い髪がさらさらと揺れる。 「あむ……ふっ、んちゅ、んむっ、ふぁ……ちゅる、じゅっ」 「んちゅちゅっ……ちゅぱっ……ちゅるっ、ちゅ、ちゅぅぅっ……」 しだいに大きくなる、粘っこくいやらしい音。 口内は唾液で満たされ、唇からはヨダレがしたたり落ちる。 「ちゅむむっ、んんっ……ちゅっ、れろっ……ちゅりゅりゅっ」 「ちゅぅ、ちゅぷっ、れろっ……んじゅぅっ、じゅぅぅ……」 ゆっくりとした一定のリズムで、沙羅は頭を振って口の中で愛撫を続ける。 まるで、じっくりと肉棒を味見しているような、そんな雰囲気だ。 「ん……じゅ、じゅるるっ、ちゅうっ……ちゅぷっ」 「んはぁ……んっ、れろっ……れるっ、んんっ」 「さ、沙羅……」 ギリギリまで快感が引っ張り上げられるが、臨界点は超えない。 イキそうでイケないもどかしさが、徐々に僕を焦らせる。 「ちゅぷっ……れろ、んちゅ……ちゅっ、ちゅぷっ」 「れろ、ちゅぅっ……ちゅ、ちゅぱぁっ、ちゅ、ちゅぅぅ」 もどかしい、もう我慢が利かない―― 「沙羅ごめんっ!」 「ん!? んんっ、んんんっ!」 気づけば僕は、沙羅の頭を掴んで、自分のほうに引き寄せていた。 その衝撃で先端が喉奥に当たり、ビリッとした刺激が背筋を駆け上がる。 「んんっ! んぐっ! んんっ、んじゅぅっ、んぶっ!」 「んぐっ、んんっ……んっ、んむむ、んあ、んっ!」 沙羅の目は涙ぐみ、嗚咽とともにさっきよりも大量の唾液がこぼれ出る。 止めなきゃいけないと思うのに、身体は真逆のことをしてしまう。 「んぐっ! んっ……んじゅっ、んんんっ、うっ!」 「んぶ、んっ! ん、ん、ふっ」 舌も唇も、必死に剛直を押し出そうとするが、それがかえって快楽を与える。 目の前はチカチカとしだして、熱い塊が一気に駆け上がってくる。 「そ、そろそろっ!」 「んぐぐぐ! んんっ、んんんっ!?」 沙羅の頭をぐいっと自分の方向に引き寄せる。 全てを放出するイメージで、喉奥まで抽送する。 「じゅるる、んんんん、はんんんっ、うんんんっ!」 「あ、んん! ちゅうう、ちゅぅぅぅぅっ……!」 沙羅が強く吸い上げた瞬間、欲望が一気に弾けた。 「ううんんんんんんんんっ……!?」 「んぐっ、んっ、んんっ……! ん、んんっ……」 ドクドクッと脈打つ感触。 それと共に力が抜け、頭を押さえる手の力が抜ける。 「ああああああっ……!」 「あああっ……ふあああぁぁっ……」 唐突にペニスが外気にさらされ、その刺激で沙羅に射精を続けてしまう。 自分でも呆れるほどの精液が、端正な顔を白濁に染め上げていく。 「はあっ……はあぁっ……」 「……ちょっと、出し過ぎ……」 「ごめん……」 威圧的な沙羅の声に、思わず頭を下げる。 さすがに今回ばかりは、弁解のしようもない。 「そう……罪の意識はあるのね」 「でも、こんなに激しいと、身が持たないわ……」 「だから……今度からは、事前に言ってね」 「えっ?」 「舜の性欲が旺盛なのは、仕方がないこととして……」 「心の準備が出来ていれば、まだ耐えられると思う」 「……怒ってないの?」 「別に……」 「そんなことより――」 「……」 沙羅は口元から精液を垂らしながら、じっと黙って目をつむっている。 「私、ずっとお預けされっ放しで……おかしくなっちゃいそうなんだけど……」 「このまま、授業に戻るなんて、出来ない……」 「うん……」 僕は沙羅を抱き締めると、そのまま壁に押しつけた。 「んっ……は、はぁぁぁ……」 「さ、さすがに、きつい……」 沙羅自身がほぐしていたとはいえ、挿入するのは2回目だからまだまだ狭い。 入り口はきつく締め付け、奥も挿入をこばむように力が入っている。 「舜のが、大き過ぎるの……」 「あっ、あ……だんだん、おちんちん硬くなってきたかも……んっ……」 そう言いつつ、沙羅は2人の接合部に視線を落とす。 表情はしっかりとは見えないけど、その声は満足そうだ。 「動いていい?」 「うん……でも、最初はゆっくりね……」 「分かってる」 僕はしっかりと沙羅を支えつつ、上下に腰を動かし始める。 ペニス全体に伝わるみっちりと肉が詰まっている感触で、勝手に下半身が震えてしまう。 「ん……は、はぁぁぁ……あ、あぁぁ……」 「はぁぁ……あぁぁ……すご……い……出たり入ったりしてるの、よく、見える……」 「まるで、自分の身体じゃない、みたい……んんっ、ふああっ」 1つ突くごとに、その口から大きく息が漏れる。 膣内がざわめき、より奥まで一物を迎え入れようと、蠕動運動をし始める。 「はぁぁ、はぁぁ、嘘……んんっ、こんなにおまんこ広がって、びらびらも、めくれ上がって……」 「初めての時は、余裕なかったけど……んんっ、今日はじっくり、楽しめそう……」 膣内だけでも気持ちいいのに、沙羅の実況を聞いているだけで余計に昂ぶる。 五感全てで沙羅を感じてしまい、愛しさがどんどん募っていく。 「私だって、羞恥心はあるの……んっ、は、はぁぁ……」 「だから、こんなところでするなんて……絶対無理だと思ってたけど、でも……」 「1人じゃ、こんな体験……んっ、出来ない、から……あ、あんっ!」 「じゃあ、もっと味合わせてあげるよ」 「んんっ!? は、激しっ! ん、は、はぁぁっ!?」 股間に衝撃が伝わるほど、思い切り腰を打ち付ける。 その衝撃で沙羅は大きくのけぞるが、構わず腰を動かし続ける。 「ちょ、ちょっと、舜っ! もう、硬くなって……は、はぁぁっ、んんっ!」 「そんなに、あ、あんっ! 突かれたら……はあっ!」 膣内は摩擦で一気に熱がこもり、ぐちゅぐちゅと愛液が滴る。 甘酸っぱい愛液の香りが立ちこめ、息をするだけで頭がクラクラする。 「んんっ、は、はぁぁ、あああんっ!」 「もっと声抑えないと、他{ひ}人{と}に聞かれちゃう」 「分かってる……けどっ……んんっ! は……んっ、は、んんっ!」 「んんんっ……ん、ん、勝手に出ちゃうの……んん、は、は、んぁぁぁ!」 沙羅の口元には力が入り、必死に閉じたままでいようとする。 そのために身体に余計な力が入り、さらに膣の締まりがよくなってしまう。 「だ、だめ……あ、あぁぁ……! 声、抑えられないっ、う、うぅんん」 「ゆっくり……して……あ、ああっ、は、はぁぁっ!」 我慢する沙羅が可愛らしく、もっと乱れさせたくなる。 パンパンと乾いた音がするほどに、深く強いピストン運動を続ける。 「ちょ、ちょっと! んんっ! や、やんっ、そ、そこはっ、は、はぁぁ」 「んっ! んんっ、あ、ああんっ、だめ、ん、んっ、うぅんんっ!」 お腹側を擦りあげるたびに、沙羅の四肢がビクビクと震える。 どうやら、ここが沙羅の弱点のようだ。 「んんっ! お、お願い、そ、そこ、突かないでっ」 「声、出ちゃう、から……んんっ、は、はぁぁ、あ、だめ、ああっ!」 「可愛い……もっと苛めたくなるな」 「ちょ、ちょっとっ! んん、あ、あああっ!?」 コリッという感触。どうやら子宮口にまで先端が到達したようだ。 Gスポットと最奥を交互に突き上げると、まるで精液を欲しがるように膣圧が強まり、一気に搾り上げてくる。 「んんっ! あ、ああっ、んんんっ、も、もうっ、だめ……」 「僕も、出そう……」 「は、はぁぁ、だめ、出しちゃだめよ……」 「んんっ、ふああ、ああんっ! だめ、だめ、だめっ……!」 沙羅の言葉が快楽の引き金となり、一気に絶頂への階段を駆け上がる。 熱い塊が尿道を駆け上がり、いつ射精してもおかしくない。 「んんっ! ああっ、は、はぁぁぁっ、だめなの、んん、あ、まだだめ! あぁぁっ!」 「出すよ……」 「いや! やめてっ! おちんちん抜いて! だめ! 出しちゃだめ!」 「止まってっ! ああっ、まだいや! 出さないで! いやあぁぁっ!」 「んっ、いやあああああぁぁぁぁっ!」 精液をこぼさないようにと、本能的に膣ひだが亀頭に絡みつく。 その刺激で、何度も何度も精液が沙羅の中に注がれてしまう。 「出しちゃだめって……言ったのに……はあっ……」 「は、はぁぁぁ、はぁぁぁっ……」 「出し過ぎよ……もう……」 膣内のざわめきが収まり、ようやく僕も一息吐く。 産道はぬめってどろどろになり、熱い体液によってペニス全体がコーティングされているようだ。 「それ……で……」 「なんで、射精したのに、勃起したままなの?」 「まだ、出し足りないらしくて……」 僕はその証拠にと、軽く腰を揺らす。 ドロッとした感触と共に、しっかりと亀頭が最奥に当たる刺激が伝わる。 「んっ! ちょ、ちょっと、今は、敏感、だから……はぁぁっ」 「沙羅、イッてなかったみたいだし……」 「もう1回、しようよ……」 「いい……もう、疲れちゃったし……」 そう口にする沙羅だが、息は切れていないし、まだ少しは余裕があるように見えた。 沙羅はほとんど動かなくてもいいようにと、ぐっと身体を抱え上げた。 「ちょっと、なにして……ひゃんっ!」 「ねえ、んんっ! お、下ろしてっ!」 太ももを掴んでしっかり支え、両手に彼女の重みを感じる。 思ったよりも軽かったから、これならしばらくの間この体勢でも大丈夫そうだ。 「落ちそうだから、下ろしてって言ってるの……」 「大丈夫だよ。落とさないから」 その証拠にと、その華奢な身体を軽く揺すってみる。 「ひゃうっ!? んんっ!」 その瞬間に、膣肉が痛いほどに引き締まり、思わず声が漏れる。 「沙羅、締め過ぎ……ちょっと、力抜いて」 「無茶言わないでよっ……は、はぁぁっ、んんっ!」 「舜のおちんちんが、奥まで刺さるのっ……はうっ!?」 断続的に続く強い締め付けのおかげで一気に下半身に血が集まり、早くも息が切れてしまう。 「これじゃ……んっ、長くは持たない……」 「はあぁっ、いや……お腹に来るの……いやっ……!」 「待って、私も……イッちゃう、いや……イキたくないのにっ……!」 ゆっくりと、沙羅を落とさないように慎重に動き始める。 さっきよりもじっくりとした動きなのに、締め付けのせいでひだのひとつひとつがカリ首を擦りあげる感覚が分かる。 「は、はぁぁ、んん、んんっ! いつもよりはっきり、形、分かって……あ、ああっ」 「おちんちんの先が、中で引っ掛かると……気持ちいい……んんっ」 「はぁ、はぁぁ、んんっ、舜、すごい汗……」 汗なのか愛液や精液なのか、もはや分からない。 スタイルのいい身体を全身に感じつつ、じっくりとその一番大切な部分を堪能する。 「はぁぁ、はぁぁ、んんっ、うんんっ、あ、あぁっ!」 「さっきより、あ、ああぁ、感覚が、敏感になってて……はあ、気持ちいい!」 「こ、これ、おかしく、なるぅっ……う、うんっ!」 沙羅が身をよじるたびに、きゅーっと媚肉がペニスを絞り上げる。 膣口から愛液と精液が滴り落ち、その香りがダイレクトに射精を煽る。 「だ、だめっ……んんっ! あんまり、余裕が……」 「私、私……イッちゃう……いや、はあっ、イッちゃいそうなのっ……!」 「……このまま、中で……」 「んんっ! 中に出して……はぁ、はぁっ、一緒に、イッてっ……!」 「おちんちん、抜かないでっ! は、はぁぁ、そのまま、イッて!」 その言葉通り、もう逃がさないという勢いで、亀頭から肉幹まで熱い粘膜に包み込まれる。 「イッちゃう、あ、あっ、ああっ、ああああっ!?」 「出して、出して、射精してっ! 中で出して、いっぱい出してぇっ!」 限界ギリギリで我慢していた僕はあっさりと音を上げ、一気に頭が真っ白になる。 「で、出るっ!」 「わ、私もっ……イクッ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「あああっ! イッてる……あっ、いっぱい、来てる……!」 「はああっ、あ……! はぁっ、熱いの……いっぱい、注がれてる……」 「ふわぁぁ……あ、中で、精液が広がっていく……んんっ、ん、はぁぁ」 「……え? う、嘘……んんっ……」 両手に伝わる、強めの振動。 単なる絶頂とはひと味違う雰囲気に、沙羅自身も戸惑いを隠せない。 「しゅ、舜っ……目を瞑{つぶ}ってっ!」 「えっ?」 「は、早くっ……じゃ、じゃないと……んんっ!」 「もうだめ、あっ、出ちゃう……いやっ……」 「も、もう、げんか……い……」 「ふぅ、ああぁぁぁぁぁぁぁ……」 気の抜けたような声を共に、じょぼじょぼと水がしたり落ちる。 それがおしっこだということに気づくまでには、少し時間が掛かった。 「あ、あぁぁ、はぁぁ……」 「はぁぁ……もう……見ないでって、言ったのに……はぁぁ……」 「ああ、恥ずかしい……もう、嫌よ……」 たっぷりお漏らしをした沙羅は、涙声で訴え掛ける。 「ご、ごめん。女の子がおしっこするところ、初めて見ちゃったから……」 「当たり前でしょ、そんなの……」 「……でも、可愛かったよ」 「それで、フォローしてるつもりなの?」 「まあ……一応……」 「……」 「まあ、いいわ……」 「今度、舜がおしっこするところ、見せて貰うから……」 「えっ、それは……」 困惑して、掛ける言葉を失う。 でも、ここまで沙羅を追い込んだのは自分だし、あまり強くも出られない。 「私のためなら、してくれるんでしょ……?」 「それに、あなたを知るために、必要なことでもあるんだから……」 そう呟いた沙羅は、この状況を楽しんでいるような、小悪魔的な表情を浮かべていた。 キータイプ音が研究室の中で響く。 お互いに言葉を交わすことはなく、気づけば空には、夕焼け色の雲が広がっていた。 「……」 音の主は、画面を難しい顔で睨みながら、指先だけをせわしなく動かしている。 綺麗な顔立ちの沙羅だから、そうやって仕事している姿も様になっている。 「……何か用事?」 「あっ、いや。とても大変そうだなって」 「うん……」 沙羅は画面から全く目を逸らさず、タイプスピードも落とさず応対する。 今日は最後までスキャンに耐えられたから、実験は上手くいったと思ったんだけど――。 沙羅の様子を見ていると、そう簡単な話ではなさそうだ。 「何か、僕に手伝えることはある?」 「……ガムシロップ」 「ん……?」 「ガムシロップが、飲みたい……」 「え? コーヒーが飲みたい、じゃなくて?」 「ガムシロップ、早く……」 「え……」 「ガムシロップ……」 仕事のし過ぎで壊れたのか、沙羅はガムシロップという言葉しか発さなくなっていた。 「ガムシロップ……」 「お、おう……」 給湯室にあったガムシロップをコップに注ぎ、沙羅に手渡す。 「ふう。充電完了」 「そ、そりゃあ、良かった」 コップいっぱいに入っていたガムシロップ。 それが今、全て沙羅の身体の中に収まっている。 その残骸を見ているだけで、胸焼けがしそうだ。 「ガムシロップ分が不足すると、集中力や思考力が低下するの」 「……それ、ただ単に血糖値が下がっただけじゃ」 「まあ、そうとも言うけど」 真面目な沙羅にしては珍しい、ボケた瞬間だった。 「スキャンしたデータを、仮想空間に展開して実験してたの」 「仮想空間?」 「使える素体は無いし。そもそも素体に載せるのは実証実験になってからよ」 「ほとんどの場合は、まず仮想空間に展開、その後、VRの制作へと進むの」 「物理的なアナログベースのものはコストが天井知らずなのよ」 「へー」 「その仮想空間で条件を立てて何度もシミュレーションを回してるんだけど、なかなか望んだ解が得られないから……」 「いろいろ試してみているところ」 「もしかして、僕のデータのせい?」 「その可能性はあるけど、まだ確かなことは分からない」 「でも、必ず、原因を突き止めてみせるから」 沙羅はぐっと手を握り締める。 「そ、そうか」 何か僕も手伝えればと思うけど、専門知識も無いし、どうすることも出来ない。 「頑張ってね」 「うん」 当たり前のことしか言えない自分が恥ずかしい。 「もう今日はスキャンしないから、舜は帰っても構わないわ」 「というか、もう帰って。休める時に、休んでおいて欲しいし」 「分かった」 沙羅は親切心で言ってくれているんだと思うが、なんだか冷たく感じてしまう。 「その……」 「無理はしないでね」 「うん。また明日」 軽く会釈をすると、再び沙羅はデスクに戻り、画面とにらめっこを始めた。 なんとなく、それが寂しく感じた。 「今日はもう、学校へ行っていいから」 「でも――」 「このまま休み続けたら、舜、進級出来なくなっちゃうし」 「……」 それには何も反論出来ず、言葉を失ってしまう。 「あともう少しで、終わるはず……」 「私は出席しなくても大丈夫だから。夕梨達によろしくね」 沙羅はそう強がるけど、目の下にはクマが出来ているし、空元気なのが丸わかりだ。 対する僕も、朝から何度もスキャンしたせいで、気分が悪い。 初回に比べ多少慣れたとはいうものの、やはり日常のままというわけにはいかない。 気を強く持っていないと、座り込みそうだ。 定期スキャンの時にこんなことが起きないのは、やはりマニュアル化できないノウハウがあるんだろう。 「ともかく、今日のところは十分だから」 「分かった」 そう言われても、僕から見ると、研究が進んでいるようには見えない。 本当に役に立てているのか、不安になってくる。 「舜?」 「……行ってくる」 「うん。行ってらっしゃい」 「しゅーん、おーい、しゅーん」 「ん? あ、夕梨か」 「はぁ……。ここまで気付かないって、ほんとに重症」 「夕梨ちゃんでもダメか〜。私だけが無視されてたわけじゃなくて、ちょっと安心したよ」 「えっ? 無視したつもりは無いけど……」 「朝からずーっと上の空だったよ。何か、見えちゃいけないものが見えてるんじゃないかって、夕梨ちゃんと心配してたの」 「沙羅絡みで、何かあったんじゃないの?」 「えっと」 実験のことは口外出来ないと思い、思わず口をつぐむ。 「ふっふっふ。もうネタは上がっているのだ、舜君」 「ここ最近、キミが沙羅の研究室に入り浸っていることは、まるっとお見通しだ!」 「はあ……」 「夕梨ちゃん、キャラ変わってるよ……」 「ふふっ。今、うちのコンドミニアムでお試しで出前を始めたの」 「で、お得意さんがRRCだから、いろいろと話を聞いたりするわけで」 「あの、人を寄せ付けないことに定評のある紬木沙羅が、人と会って話しているってだけで、RRC中の噂になってるらしいよ」 「そうなんだ」 「でも、もっと話題になってるのは、あの紬木沙羅を手懐けたのは誰だってこと」 「良かったじゃん、舜。これで有名人だよ」 「そんな、人を珍獣みたいに……」 「私もバイト中にその噂について聞かれたよ。言いふらすことじゃないと思って、適当に誤魔化しておいたけど」 「ごめん……」 「でも、RRC内でそれだけ有名になるってことは、2人は上手くいってるってことだよね?」 「うーん……。まあ、一応」 表面的に見れば、大きな喧嘩もしてないし、特に問題はない気がする。 ただ1つ、実験が上手くいかないことを除けば。 「……なんか、あんまり幸せそうじゃないね」 「まあ……ちょっと気掛かりなことがあって」 「どんなこと?」 「さすがにそれは……言えないんだ」 夕梨に隠し事するのは気が引けるけど、僕の独断で話せる内容じゃない。 「ふーん。ま、いいけどさ」 「沙羅はあんまり自分のことを喋らないタイプだし、ちゃんとフォローしてあげなきゃ駄目だよ?」 「せっかく恋人同士になったんだし、お互い言いたいこと言って、話し合わないと」 「分かってるよ。付き合い長いしね」 「分かってるのかなぁ?」 「あまり抱え込まないで、私達にも相談してね? ちゃんと相談に乗るから」 「うん。ありがとう」 2人の気持ちは嬉しいけど、本当は自分でどうにかしなくちゃいけないことだと思う。 他の人を巻き込んで余計に沙羅の手を煩わせたら、それこそ目も当てられない。 「あ、もうこんな時間だ。早く、お昼ご飯食べちゃわないと」 「そうね」 「舜も食べるでしょ?」 「食べようかな」 でもこの日の昼食はいつもと変わらないはずなのに、なんだか味があまりしないように感じられた。 いつの間にか、放課後になっていた。 授業中は、先生の声が右から左に抜けて、何も頭に入ってこなかった。 疲れて、集中出来ていないだけなのか。 それとも、脳スキャンをすることによる症状なのか。 なんだか、妙に胸がザワザワして、落ち着かない。 研究室へ行くまでに、なんとかしないと。 ……でも、そう思えばそう思うほどに。 まるで手から大切な物がこぼれ落ちるような、そんな焦燥感に駆られていた。 舜が学校へ行った後もずっと、私は分析を続けていた。 「ずいぶんと調子悪そうね」 「舜や夕梨ならともかく、あなたから言われるとは思わなかった」 「自分のことは、自分が一番よく分かってる」 「でも、そんなことすら気付かないなんて……それでも舜は、本当にあなたの恋人なの?」 「……」 「沙羅が良いなら、構わないけど。人間は体調で心も身体も左右されるから、大変ね」 「そうかもね。あなたがちょっぴり羨ましいかも」 「眠らない身体があれば、ずっと研究をしていられるのにな……」 「それで、今日は何の用事なの?」 「ああ、あなたに聞きたいことがあって」 「どうして、舜の実験は、上手くいかないのか」 「答えは2つに1つ。スキャンの手法が間違っているか、舜が実験体として向いていないか」 「私は、後者だと思うけど」 「どうして、そう思うの?」 「脳スキャン自体は、まだまだ発展途上の技術だけど、その臨床サンプル例は、統計として有意なもの」 「対して舜は、いち個人の問題。幼い頃から脳スキャンに成功しているからといって、今日も成功するとは限らない」 「どういうこと?」 「あなたはスキャンしたデータを取り扱う知識はあるけど、スキャンの技師ではないでしょ?」 「彼自身の体調が最良な時でないと、正確なデータが取れない。そういうことも、あるかもしれない」 「その可能性は無いと思う。マニュアルにそんな補足は無かったし、データは正常に取れてる」 「でも、最初にここでスキャンした時、舜の体調が悪くなった件は、明らかなことだと思うけど」 「それは……負荷を掛け過ぎたから、なのかもしれない」 「まあ、リスクを伴う行為だからこそ、関係者の家族しか、実験体になっていないんだもんね」 「私が見る限り、彼は実験体としてベストな状態ではない」 「理由は今言った通り、スキャンの影響で体調が悪化したからよ」 「そのことは、私も気になってる……」 「それで……」 「まさか、実験を中断するなんて……言わないよね?」 「どうして?」 「いえ、別に。最近のあなた、ちょっと変わったみたいだから」 「そんな、馬鹿げたことを言い出しかねないなって、思ったの」 「あなたが心配することじゃないわ」 「これは、私の夢。失敗は出来ないし、諦められないことなの」 「それならいいけど」 「少なくとも、スキャンは続けないと、失敗の原因を探ることも出来ない」 「実験は、継続すべきね」 「……うん、分かった」 「参考になったわ。ありがとう」 そう言いつつ、私はVRの電源を落とした。 結局、失敗の原因はサラにも分からないみたいだった。 だとしたら、どうやって答えを導けばいいんだろう? 考える。考えれば、いくらでも策は講じられる。 「でも……」 このままスキャンし続けて、舜が倒れてしまったら? そのまま意識が戻らず、亡くなってしまったら……? 自分の夢を叶えるためなら、舜を犠牲にしても良いの……? シロネも失ったのに、また――私は、失敗を繰り返すの? 夢って、諦めてもいいものなの? きっと、違う。 研究が、私の人生の全て。 それを諦めたら、私は私でいられないと思う。 「どうしたら、いいの……」 「ふうん。夕梨と、日比野さんが」 「アイスをきっかけに仲良くなるなんて……意外だったかも」 「でも……良かった」 恋人になって初めて、沙羅と一緒に登校する。 研究のことが気掛かりではあるけど、今は学生として、学校生活を満喫して欲しいと思う。 「シロネのこと、夕梨は気にしてる?」 「まあ、それなりに」 「けど、沙羅のこともものすごく心配してた。体調悪いんじゃないかって」 「そっか」 「……夕梨は? 病気のこともあるけど……最近は、サボってないの?」 『エクセレントではないデスが、グッドはあげマショウ』だってさ」 「それって、ハナコ先輩のものまね?」 「似てないけどね」 「ふふ」 沙羅は控えめに、口元だけの笑みを浮かべる。 夕梨の言っていた通り、沙羅は無理をしているのかもしれない。 「そういえばね、夕梨の家が、出前を始めたらしくて」 「ああ、夕梨から聞いたよ。RRCにも配達に行ってるとかで」 「それで、朝食にカツ丼とざるうどんを頼んだんだけど、なぜかお箸が二膳付いてきて」 「確かに最近は、ずっと研究室で一緒に居るけど……」 「舜のこと、他の人に知られてるってことなのかな……」 「相当、深読みし過ぎてると思う……」 カツ丼とざるうどん、どちらも主食だから、二人分の注文だと考えるのが妥当だろう。 「まさかそれで、体調が悪いわけじゃないよね……?」 「えっ? いつも朝食はこんな感じだけど?」 僕の知らない沙羅が、まだいるみたいだ。 「逆に、夜は軽めにしているから。炭水化物は食べないとかね」 「前に、忙しいとカップ麺ばかり食べてる……って話してなかったっけ?」 「ラーメンも、立派な炭水化物だよ」 「ラーメンは飲み物じゃないの?」 「ラーメンは飲み物……じゃないでしょ?」 「あら、舜? 考えてみて」 「例えば、あなたはタピオカミルクティを何に分類してる?」 「……飲み物……かな?」 「そう。飲み物ね」 「タピオカはどういうもの? 固体で……そして食べられる」 「麺とタピオカは形状は違えど、どちらも固体で食べられるもの。しかも液体の中に入っている」 「つまり、ラーメンは飲み物なの。分かった?」 「……そ、そうだね」 「え……違うの?」 沙羅はきょとんとして、こちらの表情を窺っている。 本気で言っているみたいだったから、それ以上は聞き返せなかった。 「……あっという間だった」 授業を最後まで受け、放課後の教室、沙羅と2人で夕日が落ちるのを見つめていた。 もう、校内にはほとんどの生徒が残っていないのだろう。 部活動をする声も聞こえてこない。 「楽しかった」 「また明日も来るんだけどね」 一日の出来事を思い巡らせながら、柔らかく微笑む沙羅。 「今日も、この後は実験するんだよね?」 「しないわ」 「もしかして、完成の目処が立っているとか……?」 「いえ。それはまだ……」 「じゃあなんで?」 驚きながらも、沙羅の次の言葉を待つ。 「もう、脳のスキャンは終わり」 切れ味抜群のナイフで切り裂くように、鮮やかで鋭い声だった。 「私は、今後一切、舜に対してスキャンをしない」 「ど、どうして……?」 「成果の上がらないことに費やす時間を、省きたいから」 「でも、実験を止めたら――」 「沙羅は、夢を諦めることになるんじゃないの?」 「諦めるとは言っていないわ」 「ただ、この方法は止めるだけ」 「じゃあ、他の方法は何かあるの?」 「別の方法は、まだ見当もついていない」 「だったら、そんな簡単に諦めちゃ駄目だよ」 「舜……」 「何度だって、僕は協力する」 「だから、もうちょっと頑張ろうよ」 「いえ。この方法は駄目。そして……」 「この研究自体、辞めることにする」 「どうしてさ!」 「……舜!」 思うような実験結果が出せなくて、沙羅は弱気になっているんだろう。 こんな時こそ、僕が励まさななくちゃいけない。 そんな僕の気持ちを遮るように沙羅が話し始めた。 「あなたは、本当に……」 「全然……分かってない」 静かな怒りが、教室に響く。 「この結論に至るまで、一体どれ程の時間を要したか……」 「この夢を叶えるために、どれだけのことを犠牲にしてきたか……」 沙羅は、歯を食いしばるようにして、身体の震えに耐えていた。 「他{ひ}人{と}との関わり、温かい微笑み、朝起きて学校へ行くこと、放課後の退屈」 「今日みたいな、なんでもない一日だって、研究のためなら、失っても惜しくはなかった」 「そんな私から研究を取り上げてしまったら――」 「鳥かごの中で息絶え朽ちた、カナリアみたいなもの」 「用済みってことなんだ」 「そんなこと――」 「実験を続け、正しく努力すれば、夢に手が届く」 「そう信じて、自分の全てを注いできた」 「信じ込んでしまっていたの」 口に出すことで、より絶望を確かなものにしているような気がした。 その一方で、僕は彼女を止めることが出来そうにないとも思った。 「でも、今回ばかりは努力じゃどうにもならない」 「もう、おしまいなの。幕を下ろさなくちゃいけない」 今、実験や研究から解放しなければ、沙羅自身が潰れてしまう。 それくらいの質量を、この絶望は持っていた。 「舜の脳は、限界にあるの」 「あなたの知らないところで、今も悲鳴を上げている」 「舜。正直に話して」 「最近、物忘れが酷くなったり、ぼうっとしてしまうことが、増えたでしょ?」 「それは……」 一瞬だけ、誤魔化そうかと悩む。 でも、緊張を張り詰めたこの空間が、それを許さない。 「沙羅の言う通りだよ」 「やっぱり……」 「忘れっぽいなあと思ってたし、気が付いたら授業が終わってたこともあった」 「いつから?」 「沙羅がスキャンを始めてから、少しずつ……」 「やっぱり……」 苦悶の声が、波紋のように広がっていく。 「……どうして、早く言ってくれなかったの?」 「私が信用出来なかった?」 「違うよ。これ以上、君に迷惑を掛けたくなかったんだ」 「沙羅の助けになりたいって気持ちを形に出来るのは、スキャンを受けることくらいだから」 「そんな……」 「ごめん。沙羅のために出来ることをしたい一心だったんだよ」 「私のためって、どういうこと?」 「じゃあ、舜の幸せを願う私は、どうしたらいいの?」 「……体調のことを黙っていたのは、謝るよ」 「今さら、その謝罪を受け入れても意味が無いの」 「正直言うと、実験に付き合うことに不安はあったよ」 「ここ最近、どんどん調子が悪くなっていたし……」 「そんなっ……」 「私は、それを教えて欲しかったの……!」 憤りに満ちた沙羅の声を聞いて、拳を握り締める。 悔しくて、どうにかして沙羅を納得させたいと、考えあぐねてしまう。 「でも、実験が失敗続きだったから、少しでも力になりたくて……」 「それに、その失敗にしたって、仕方ないことだと思う」 「え……?」 「失敗は、仕方がない……?」 「沙羅は、前人未到の夢を追い掛けているんだ」 「失敗を繰り返すことで、少しずつ成功に近づくんじゃないか?」 「どういうこと……」 「僕も一緒に、沙羅の夢を追い続けていたい」 「灰になっても、塵になっても」 「自分の言っていること、分かっているの……?」 呆れを通り越しているんだろう。 沙羅の言葉には、うっすらと笑みが含まれている。 「僕は、沙羅の夢を実現する過程で、犠牲になってもいい」 「数え切れない失敗の中から、未来の沙羅が夢を掬{すく}い上げてくれるなら……」 「それでもいいんだよ」 「いいわけない」 「私がその“失敗”のせいで一度は死を選ぼうとしたこと……」 「舜だって覚えてるでしょ……?」 笑みは消えて、燃えるような怒りに変わる。 「それに、今回の失敗は舜の命に関わること」 「舜の命より大切な夢なんて、私にはないの」 「あなたを守るためなら、私は用済みになってしまってもいい!」 「沙羅……」 その怒りは、僕を包み込む温もりを持っていた。 「自分に巣くうエゴが、大切な人を傷付けて、損なってしまう……」 「私はそんなことを望んではいない……」 「これ以上実験を続けたら、舜が壊れる前に、私が壊れてしまいそうなの……」 細い肩が震えている。 「だから、私はもう、この先には進めない」 「夢を追い掛け続けることは出来ない」 「舜の居ない未来なんて、欲しくないから」 「舜を失った世界で、一人ぼっちで生きることは出来ない」 「だから……」 「ごめんね……」 いっそ、泣いてくれたらいいのにと思う。 そうしたら、今すぐ彼女を抱き締められるのに。 「そんな、沙羅が謝ることじゃない」 「僕がスキャンに耐えられないのが悪いんだ」 「それこそ、舜が謝ることじゃない」 「これは、私の技術の問題であり、私の責任なの」 「私が、もっといい方法を考えられなかったから」 「私が、力不足だから……」 「そんなことないよ」 「ううん」 「もういいの」 「でもっ!」 「少し……1人にさせて」 「今はもう、これ以上この話をしたくないから」 「沙羅……」 僕の返事を聞く前に、彼女は去っていった。 どうしたらいい。 どうしたら良かったんだろう。 心の中で、白音に問い掛ける。 なんだか、すべてが振り出しに戻ってしまったみたいだった。 頃合いを見計らって、沙羅の元へ向かった。 彼女にもう一度前を向いてもらうために、僕が出来ることを考えてみる。 確かな答えがないまま、彼女の傍までたどり着いてしまった。 「あのさ……」 「……」 沙羅は僕のほうに目線だけ向けて、口を噤{つぐ}んでいた。 “なぜやって来たの?” そう言われている気がして、腰が引けそうになるのを堪える。 「いろいろ考えたんだけど……」 「そうやって、1人で抱え込まないで欲しい」 「抱え込むなと言われても……」 「じゃあ、どうしたらいいの……?」 「一体、誰と困難に立ち向かったらいい?」 沙羅は、ぼそぼそと小声で苛立ちを口にした。 そんな独白みたいな言葉だって、嬉しいと感じてしまう。 彼女はまだ、僕を完全に拒絶しているわけじゃないんだと分かる。 「僕には専門知識なんて無いし、技術面で力になれることも無い」 「考え方だって、沙羅に比べたら幼稚だろう」 「“そんなことない”って否定出来ないのが、悲しいわね」 「だから、口出ししないようにしてた」 「それは、賢明だと思う」 「だよね……」 きっと、僕は沙羅にがっかりされるのが辛かったんだ。 彼女となるべく対等でありたくて、見せかけだけでも均衡を保ちたかった。 下手なことを言わなければ、馬鹿だとは思われない。 「でも、これからはそんなことしないし、思ったことは言う」 「そんなに無理して関わって、意味があるの?」 「きっと、的外れなことも多いと思う」 「沙羅をムッとさせることもあると思う」 「君には迷惑を掛けてしまうけど、どんどん僕に失望して欲しい」 「“失望して欲しい”って、一体どういうことなの……?」 「思いっ切り、呆れてくれていいんだ」 「その代わり、君が何を思い、考えているのかを教えて」 「少しずついろいろなことを理解して、沙羅が抱えている重荷を、僅かでも肩代わりしていきたいんだよ」 沙羅は、目を閉じる。 「なぜ……?」 頭痛に耐える時のように、顔を顰{しか}めている。 「どうして、私のためにそこまでしてくれるの?」 「沙羅のことが好きだから」 「沙羅に笑顔になって欲しいから」 「これじゃ、理由になってないかな?」 「……ごめん」 「それは、私には理解し難いみたい」 沙羅は僕から目を逸らし、空を見上げる。 そして、静かに呟いた。 「星を……見ていたの」 「この景色だけは、昔と何も変わらない気がする」 沙羅につられて、星空を見上げる。 「見慣れた夜空だけど、隣に沙羅が居るだけで特別な感じがするよ」 「特別……?」 「……やっぱり、舜の言うことがときどき分からない」 「そうだよね」 実際、理解してもらえるなんて思ってないけど、言ってみた。 「でも、嫌な感じはしない……」 「これって、変じゃない?」 「全然、そんなことないよ」 「そういえば、子どもの頃もこうやって、星空を見上げて星座を観察したな」 「うん」 目を瞑{つぶ}ると、あの日のことが昨日のように思い出される。 「真夜中に家を抜け出して、ここに集合した」 「でも、疲れて眠ってしまったの」 「気付いたら、この場所で朝を迎えていた」 「母さん、赤くなったり青くなったりして怒ってたな……」 「ねえ、舜……」 「あの時の曲は、覚えてる?」 僕はゆっくりと頷いて、答える。 「あのレコードを聴きながら、星座を見てたよね」 「……ちゃんと覚えてたんだ」 沙羅は満足そうに言った。 「実は、最近もあの曲を聴いていたんだ」 「えっ……? 舜も?」 「私も、急に聞きたくなって……」 「あれを聴いていると、なんだか落ち着いてさ」 「もし良かったら、掛けようか?」 「レコードを持ってきたの?」 訝{いぶか}しそうに僕を見る。 「いや、スマホの中に入ってるんだ」 「ああ、そういうこと……」 「うん、聴かせて」 アプリを起動すると、音が割れない程度に音量を調節する。 そしてそのまま、ゆったりとした音楽に身をゆだねる。 ああ―― またこの曲をここで、沙羅と一緒に聴けるだなんて……。 「良い曲ね……」 「うん……」 「白音が生きてた頃は、ずっとこんな時が続くと思っていた」 「それが、いつしか当たり前じゃなくなって」 「見ているものも、変わってしまった」 「どうして、あのままでいられなかったのかな……?」 「沙羅……」 「答えなんて分かってる。なんだって、変わらないでいるほうが難しい」 「変化は時に成長を意味するし、成長とは終わりを意味することもある」 「一体、どれだけの人間が、それを受け入れてきたんだろう……」 もしかしたら、この星の数よりも多いのかもしれない。 「でも、変わらないものだってあるんだよ」 「変わらないもの……?」 「僕は、昔から沙羅を大切に思ってる」 「……まあ、ずっと音信不通だった僕が言っても、説得力が無いかもしれないけど」 「ふふっ」 久しぶりに沙羅の笑い声を聞いた気がする。 「舜に忘れられてるかもって、少し心配だった」 「私達、今は付き合っているんだから、不思議な変化ね」 「“変わるもの”と“変わらないもの”、その両方で、この世界は成り立っているのかもしれない……」 はにかむ沙羅を見ていると、鼓動が激しくなる。 「私達には、“今ここ”しか与えられていないというのに――」 「どうして、遠い思い出の日々や、まだ見ぬ未来に想いを馳せることが出来るんだろう……」 「なぜ、神様はそんな能力を私達に授けたのかな……」 「なんて悲しい……嬉しい力なの」 唇を震わせて、沙羅は呟いた。 「沙羅に迷惑を掛けたくないと思って空回りして、結局は迷惑を掛けた」 「僕が正直に話していたら、君はあんなに苦しまなかった」 “ごめん”という言葉ではこの気持ちは表現出来なくて、深々と頭を下げる。 「……それは、もう済んだことよ」 「スキャンを行わなければ、多分大丈夫」 「今の段階なら、まだ回復の余地があるだろうし」 「百南美先生にも相談してみる」 「そうか、安心した……」 「これ以上、沙羅を苦しめずに済むんだね」 「舜……」 ほっとして、肩の力を抜く。 「じゃあ、これからの話をしよう」 「これからの話……」 「私とあなたのこれからについて?」 僕は、大きく頷く。 「当たり前の話だけど、ちゃんと言わなかったら相手には何も伝わらない」 「伝わるわけない」 「そうだよね?」 「そうね」 「伝えてしまったら、何かが終わるかもしれない」 「すれ違うかもしれないし、喧嘩をするかもしれない」 「うん」 「でも、そうしないと人間は分かり合えない」 「だから、みっともなくてもいい」 「僕はちゃんと、思ったことを言う」 「沙羅と分かり合いたいから。君のことを理解したいから」 「だから沙羅も、出来れば同じように接して欲しい」 「……」 思い出に浸っていた優しい目つきから、真剣な眼差しに変わる。 「舜は、みっともなくなんてない」 「私からしたら、それは途方もない勇気を要する行為よ」 「舜が正直でいるなら、私も……」 「正直になれる気がする」 「ううん……無理をしてでも、正直でいなくてはいけないと思う」 もう一度沙羅は口を噤んで、空を大きく見上げた。 夜風が優しく吹き込んで、彼女の背中を押してくれる。 「あのね、舜……」 「……実は、私、凄く怖がりなの」 沙羅は、一つ一つ言葉を選びながら口にしているようだった。 「失敗するのが、怖かった」 「舜を失うのが、怖かった」 「要らない子と言われるのが、怖かったの……」 「うん……」 「強がって、自分を守ろうとした」 「存在意義を失ってしまうことは、死を意味している」 「そういうふうに、RRCで教え込まれてきたから……」 「……凄く、辛い環境だったんだね」 「それは分からない」 「そうじゃない生活なんて、経験したことないから」 困ったようにこちらを見つめる。 「こんな私なんて、駄目じゃない?」 「がっかりしたでしょう……?」 「がっかりはしてないけど……」 「沙羅がこれまでよりもちょっと小さく……でも身近に感じるのは本当だ」 「……悲しいくらい、正直ね」 沙羅は自嘲気味に笑った。 でも、僕は胸を張ってみせる。 「沙羅が完璧過ぎなくて助かったよ」 「それこそ、トリノみたいに完璧超人だったら困る」 「今まで、僕が沙羅と一緒に居る意味って、無いんじゃないかなって思ってたから」 「そう……それは驚いた」 「僕的には、沙羅の内面、それも弱い部分が見れて嬉しかったっていうか……」 沙羅の顔に、波のように感情が伝わっていく。 それは驚きなのか、怒りなのか、悲しみなのか、上手く判断出来なかった。 「ごめんね、失礼なこと言ってるよね?」 「それ――」 瞳の奥が、きらりと光りを帯び始める。 「詳しく説明してくれる?」 「えっと……」 どうやら、沙羅の好奇心を引き寄せてしまったらしい。 僕は、考えつつ、出来るだけ分かりやすい説明を心がける。 「たとえば、沙羅の中で完璧な答えが決まり切っていたら……」 「そこに、僕の意見は反映されるかな?」 「反映されないと思う。昔の私だったら、参考にもしない」 「それって、僕としては、あまり面白くないんだよね……」 「やっぱり、一緒に居る限りは自分の意見を汲み取って欲しいし、それで自分の存在価値を実感出来るし……」 「沙羅が間違ってくれたら、何かを教えることだって出来るはずだよ」 「なるほど……」 「……もしかしたら、それが鍵なのかもしれない」 「“真トリノ”」 「究極のアンドロイド、“真トリノ”の、鍵……」 沙羅はもったいつけて、二回唱えた。 「“完璧な答えが決まってたら、面白くない”って言葉――それから、考えたんだけど」 「既存のアンドロイドは、完璧な答えを出すように設計されているの」 「与えられた命令、求められた結果に辿り着く」 「もちろん、トリノも例外ではない」 「そして、的確な答えが見つからない場合は、三原則に頼る仕組み」 「でも、トリノは人間のパートナーを目指して作られている」 「従属する者ではなく、あくまでパートナー」 「本来、人間同士が関わる上で、完璧な答えなんて存在しないはず」 「それなのに、求められてもいない完璧な答えを出すように作られているって、ナンセンスじゃない?」 「言われてみれば、確かに……」 僕の同意を受けて、沙羅の声はますます確信に満ちていく。 「シロネも、舜を無傷で助けるという条件に対し、完璧な回答を出そうとした」 「結果、それが出せなくて暴走した」 「もし、この時に、自ら、どこまでは許容範囲、つまり、与えられた条件の中の優劣を考えることが出来れば……」 「例えば、軽い怪我は諦めてでも、舜の命だけは守るという選択の余地があったとしたら?」 「つまり――」 「自らの意思で80%の答えも選べるようになっていれば――」 「シロネは暴走しないで済む……?」 「その通り」 「それだけじゃない。人間は結果が曖昧だったとしても、とりあえず大まかな方向性だけ決めてスタートを切ることが出来る」 「例えば研究だってそう。答えが分からないし、やり方も見当が付かないけど、手を出すことだってある」 「人間は成功と失敗を繰り返す」 「パートナーとして存在するならば、人間との調和が大切に決まっているのよ」 「共に考え、共に歩む」 「だから、人間と同じように、ある意味では適当な答えも出せるようにすればいい」 「不必要だと思っていた、遊びを作ってあげることも大切だったのかもしれない……」 「舜の大手柄ね」 目の前の沙羅は、再びいつもの彼女に戻っているようだった。 自分を“怖がり”だと言っていた女の子は、どこへ行ったんだろう。 でも、そんな沙羅も、こんな沙羅も、全部が全部大切な存在だ。 「研究室に戻ってもいい?」 「早く実験したくて仕方ないの」 「そ、そう……」 熱に浮かされたみたいに、両の頬が上気している。 圧倒されて、何を喋ったらいいのか分からなくなる。 「ああ、悔しい。盲点だった……」 「今まで、完璧であろうと振る舞ってきた弊害ね」 「全人類がそれを好ましく感じ、目標にしているんだと思い込んでた」 「……本当に?」 流石に、びっくりしてしまう。 やっぱり、沙羅は浮世離れしている。 「舜と付き合わなかったら、きっと気付くことはなかったと思う」 「ありがとう、舜!」 「ど、どういたしまして……?」 「なんだか、一回りして素直に喜べない自分がいるよ」 「沙羅の力になれたことは誇らしいけどさ」 なんだか、短時間で成長してしまった感すらある。 「今日は、まだまだ付き合って貰うからね」 「えっ!?」 「一旦、寝ようよ……」 “出来れば2人で”という下心を隠して、たしなめる。 「何をぬるいこと言ってるの?」 「どう考えても、この理論を証明することのほうが優先すべきでしょ」 こうなった沙羅は止められない。 ちょっと嬉しく思いながら、ため息を吐く。 「これから、忙しくなるわ」 「あなたにも手伝って欲しいことが山程あるんだから」 「もちろん、協力するよ。無理しない範囲でね」 「それで十分よ」 「よろしく、舜」 「こちらこそ、よろしく」 どちらからともなく手を伸ばして、握手を交わす。 ようやく沙羅と心の底から繋がれた。 そんな気がした。 それはある意味では、セックスよりも刺激的で―― 誰にというわけではないけど、僕はこの日のことを、絶対に忘れまいと誓った。 「……」 「ふふっ。ふふふふふ……」 「……?」 眠りに落ちそうになった瞬間、不気味な笑い声が意識の端のほうで聞こえた。 「フフフ……」 「沙羅……?」 「舜、起きてたの? 寝てもいいって言ったのに」 「沙羅が作業してる横で、自分だけ休むなんて悪いし」 「それより、沙羅こそ寝なくて大丈夫?」 「無理」 「こんなに楽しいのに寝るなんて、絶対無理……」 沙羅は無邪気に目を輝かせる。 「舜にもこの快感、分けてあげたい。自分の考え通りにプログラムが動くのは、とても気持ちがいい……」 「このプログラムが最後まで私の予想通りに動いたら、その時は……」 「達して、しまうかも」 「そ、そんな大げさな」 妖艶な感じは全く無く、穢れを知らない少女のような声で呟くから、見た目とのギャップにドキッとさせられる。 前から感じてたけど、沙羅って話し言葉は子どもみたいなんだよな……。 「フフフッ」 沙羅が楽しそうなら、何よりだけど。 昨日から一睡もしてないから、ランナーズハイになっているだけかもしれない。 「そういえば沙羅、作業してる時は、眼鏡掛けてるんだね」 「えっ?」 「……あっ!?」 沙羅は慌てて、掛けていた眼鏡を取る。 「もう……。言ってよ」 「見られたくなかったのに……」 「似合ってると思ったんだよ」 「そういう問題じゃないの」 沙羅は妙に恥ずかしがっているけど、その理由はよく分からなかった。 「でも、これで……終わり」 「作業、終わったの?」 「今日の作業はね。後は、シミュレーターが計算してくれるのを待つだけ」 「なるほど」 「舜もありがとう。結局あれから、何度もスキャンさせてくれて」 「体調はどう? 大丈夫?」 「寝不足でちょっとフラフラするくらいで、あとは平気だよ」 「そう、良かった」 この言葉に嘘はない。 実際、沙羅も相当気を遣って、スキャンをしていたし。 もう隠すことはせず、気持ち悪くなる予感がしたらすぐに申告したし、大事には至っていないと思う。 「ゆっくりと、家で休んでいて。何かあったら連絡するから」 「そうするよ……」 さすがに徹夜明けだし、スキャンの負荷で体力も限界に近づいている。 横になったら、そのまま寝てしまいそうだ。 「ふふっ」 沙羅がイキイキを通り越して、ウキウキしながら微笑んでいる。 こんな沙羅、もしかしたら初めて見るかも。 「ほら、舜はもう帰って」 沙羅の笑顔の圧力に押されるように、僕は研究室を後にした。 「これで、着替えもOK……」 一日ぶりの我が家。 シャワーも浴びたし、もう、思い残すことは何もない。 「おやすみなさい……」 そのままバッタリと、僕はベッドの上に倒れ込んだ。 「ん……」 眩しさに、思わず目を細める。 沙羅が下着で襲来してきた後、寝落ちていたらしい。 「やっぱり、徹夜はよくないな……」 なんとなく、身体の節々が痛いし、頭もぼーっとする。 それに腰も……って、これは違うか。 「そういえば、沙羅は……」 寝ている間に帰っていたんだとしたら、少し情けない。 それに、かなりハイテンションだったから、無事に帰ったのか心配だ。 「……」 そんな予想をよそに、リビングのほうから奇妙な音が聞こえてきた。 普通のことをして出る音じゃない。 おそるおそる、部屋のドアを開けた。 音がしていたのは、台所のほうからだった。 「沙羅――」 言いかけて、言葉を失う。 そこには、白衣を着て理科実験を行う沙羅が居た。 「おはよう……」 「ええと……」 「うちで、実験することがあったの?」 「実験? 違うけど?」 「お料理しているところよ」 「料理……」 ビーカーにアルコールランプ。 とても、料理をするための道具とは思えない。 「沙羅、料理……出来ないよね?」 「うん。したことはないけど、ちゃんと手順通りに進めれば出来上がるはず」 「ただ、調理器具の使い方が分からなくて……」 「だから、身近な実験道具を持ってきたの」 アルコールランプで熱せられたビーカーからは、なんともいえない匂いが漂っている。 湯気も紫がかった色をしていて、本当に“実験”だと言うなら、納得なんだけど……。 「もうすぐ出来上がるはずなんだけど、写真と色味が違う……」 「何か、配分を間違えたのかな……」 「僕が知っているお料理風景とは、だいぶ違うものであるような気がする」 「安心して。ちゃんと食べられるものしか使ってないから」 「舜の嫌いなものとか、危険な薬品は使ってない」 机の上にムカデみたいなものがある気がしたけど、よく見たら魚の骨だった。 とはいえ、心から安心することは、全く出来そうにない。 「これは、舜へのお礼よ」 「男の人は、寝込みを襲われるのと、彼女の手料理が好きだって、本に書いてあったの」 「そうだったんだ」 「もしかして、舜には駄目だった……?」 「そ、そんなことないよ! ちょっと意外だったから、驚いただけで」 「そう?」 沙羅の機嫌を損ねないように、最善を尽くして弁解する。 「ところで、それは何を作ってるのか、聞かせて貰ってもいいかな」 「見て分からなかった? カレーよ」 「ええっ!」 「どうしたの? もしかしてカレー嫌いだった?」 「ううん、大好きだよ! そっか、カレーかー」 カレーなら、失敗しても大惨事にはならないか? カレーは何を入れてもカレーになる。そういう、包容力のある料理のはず。 「そう、なら良かった。舜はテレビでも見ていて。完成したら呼ぶから」 「分かった」 どうやら、僕の取り越し苦労のようだ。 「腕によりをかけて作るから。待っててね、舜」 「う、うん……」 ノリノリな沙羅を止めることも出来ず、僕はただぎくしゃくと首を縦に振った。 「召し上がれ♪」 「う、うん……」 目の前に出されたカレーは、カレー色ではなく、絵の具を塗りたくったような真っ赤な色をしている。 「やっぱり、駄目かな……」 嫌な予感しかしないけど、沙羅が心を込めて作ってくれたことに間違いない。 それなら、その全力を、僕も受け止めなきゃ。 「いただきます!」 匂いや色、見た目のグロテスクさは目をつぶって、僕は一気にカレーを口に掻き込んだ。 「ど、どう?」 「……美味しい」 「これ、美味しいよ!」 「本当に?」 「うん。食べたことない味だったから戸惑ったけど、これはこれでありかなって」 「良かった」 きっと、身体に良い成分がいっぱい入っているんだろう。 一口食べるごとに汗が噴き出し、血が一気に体内を巡るのを感じる。 「なんか癖になりそうな感じ――」 「うっ――!?」 「舜っ!?」 飲み込んでからしばらくしたあと、急な腹痛で座って居られなくなり、床に倒れ込む。 「やっぱり、駄目だったんだ……」 「ごめん……そういうわけじゃない……お通じが良くなり過ぎただけだよ……」 「ちょっと、トイレに……」 「ごめんなさい……」 「せっかく沙羅が作ってくれたのに……ごめんっ――」 これ以上会話し続けられないと判断し、残った力を振り絞って、トイレへ駆け込む。 そのあとは沙羅がずっと介抱してくれたから、なんだかんだ得した一日だった。 「……」 なんだか、肌寒い気がする。 外は――まだ明るい。 時計を見ると、研究室を出てから一時間も経っていなかった。 布団を掛け直して、寝ようとした時―― 「お目覚めですか? 旦那様」 「へ……?」 目の前に居たのは、あられもない格好をしている沙羅だった。 夢かと思ってまぶたを擦っても、目の前の景色は変わらずはっきりとしている。 「反応鈍いわね。舜には、こっちの属性無いのかな……」 「あのー……」 刺激的な下着姿の沙羅が目の前に居ることに加えて――自分の下半身のソレが露出しているのに気づく。 「今、してあげようと思ってたところだったの」 「す、するって何を……?」 「起きるまで、手でご奉仕してあげようかと……」 「夢精って知ってる? 寝ている間に射精してしまうことなんだけど」 「どうしたら、舜が寝てる間も、気持ち良くなって貰えるかなーと思って」 「献身的というか、狂気的というか……」 「ん? 何か言った?」 「いやいや、何でもないよ」 どうしてそのような発想に至ったのか、凡人の僕では聞いても理解出来ないだろう。 「舜のために、本を読んで勉強したの」 「普段、眼鏡を掛けている地味な女の子が、脱いだらセクシーな下着を身に着けている」 「そういうギャップに、男性は弱いんだって。でも、舜はお気に召さなかったみたいね」 視界の端には、大きな2つの膨らみと、先端のピンク色の突起が見えている。 視線を逸しているのに、頭の中は沙羅の大きな乳房のことでいっぱいになっていた。 「眠くて、いつも以上に血の巡りの悪い頭に言葉が入ってこないとか……そういうことかな……」 「どうやって家に入ったのかは聞かないでおくけど、まさか、その格好でここまで来たんじゃ……ないよね?」 「えっ? このままの格好で来たけど」 「上から白衣を着込んでしまえば、中に何を着ているかなんて、分からないでしょ?」 「確かに、そうかもしれないけど……その……」 ただ純粋にそう思っているかのように、沙羅はきょとんとしている。 普段はしっかりしているけど、本人の守備範囲外は抜けているのが沙羅だと思う。 「あっ……お{・}き{・}て{・}きた」 「舜じゃなくて……舜のおちんちんが、だけど」 「あ……」 目の前でこんな格好をされては、いくら視線を逸したところで無意味だった。 「少しは興奮してくれた?」 「これは、朝の生理現象で……朝勃ちってやつだよ」 「そうなの?」 「それじゃあ……私が、抜いてあげる♪」 苦しい言い訳を疑いもせず、沙羅は目を爛々とさせる。 すっかりスイッチが入った彼女を止めることは出来ず、されるがままに事が進んでいった―― 「こんな感じで……」 柔らかい指の肌ざわりと共に伝わってくる、さらさらとした感触。 沙羅は自分の髪を少し掴んで、僕のソレにぐるぐると巻きつけた。 「んっ……これで、合ってるのかな」 「このまま、髪と手で擦って……ん、んんっ……」 これもまた本からの知識なのか、その手つきはたどたどしい。 気持ちいいのかもどかしいだけなのか分からない、微妙な刺激が伝わってくる。 「ん、んっ……髪の毛、滑らせるの、難しい……」 「でも、これ……楽しいかもっ……」 沙羅は目を輝かせながら、細い指と髪でペニスを弄る。 「そんなことしたら、綺麗な髪が汚れちゃうよ」 「ううん、私が試してみたいことでもあるから、いいの」 「んっ……そもそも、舜に……拒否権は無いはずよ」 そう声を掛けたのを最後に、沙羅はまた髪での愛撫に集中する。 「しゅっ、しゅーっ……ぎゅ、ぎゅ……」 「髪の毛で、おちんちんの根元を、締め付けるように……」 「ぎゅ、ぎゅー……」 卑猥なことをしているはずなのに、沙羅の言動にはあどけなさがある。 正直、かなり可愛い。 焦らすようなその動きに、思わず腰がもぞもぞと動いてしまう。 「ん……ちょっと、硬くなってきたかも……」 「髪の毛でされて……感じちゃってるの?」 「最近、実験続きで、抜いてなかったし……」 「そうね。今日は、その慰労も兼ねてるから」 「舜に、いろいろ無理をして頑張って貰ったお礼ね」 そう言いつつ、沙羅はゆっくりと手を上下に動かし、髪ごと僕の剛直を愛し始める。 沙羅の指と髪の細やかな感触が、敏感なところをこそばゆくくすぐる。 「あ……お汁が、先っぽから滲み出てきた……」 「髪を巻き付けられて興奮するなんて……変態さんね」 そう言いながら、沙羅は自らの髪の毛で亀頭や肉幹を撫でる。 そのくすぐったさに、徐々に僕の息も荒くなる。 強い刺激ではないけど、視覚から送られる情報が、痛いほど股間に響いてくる。 「まだだめ……射精はだめよ」 「もっともっと、気持ち良くさせてあげる」 「ちゅ、ぺろ……ちゅっ……んっ……」 なんのためらいもなく、沙羅は先端へと唇を近づける。 そしてそのまま、ペニスにキスの雨を降らせる。 「んっ……ちょっとしょっぱい……ちゃんと洗わないとだめね……」 「ごめん……」 「ううん……ちゅっ、これが舜の味だと思えば平気よ……」 「私が……綺麗にしてあげる……」 「ちゅぷっ……れろっ、ちゅっ……れろ」 沙羅は棒付きキャンディーを舐める少女のように、美味しそうにペニスを舐めしゃぶる。 熱くてザラっとした舌が触れるたびに、腰がビクビクとしてしまう。 「私、舜のことなら何でも知ってるつもりよ」 「たとえば、舜は裏筋と……鈴口が弱い、なんてことも……」 「ん……れろ、ちゅぷっ……ちゅっ、ぺろ……」 研究熱心な性格が、こんなところにまで影響するなんて……。 「嬉しいけど、その情報って、沙羅の研究に役立つのかな……?」 「半分は、個人的な興味だけど……」 「でも、舜のおちんちん以外には興味ないから、データとして平準化しようとは思わない」 「舜が相手だから、こんなことも出来るの」 「ちゅ、んんん、ぺろ、ちゅ……ちゅっ、れろっ……」 可憐な唇が亀頭に吸い付き、何度も熱い口づけをする。 そのたびに甘くムズムズする感覚が、徐々に強いうずきとなって股間に熱をもたらす。 「ん……だめよ……ちゅ……まだ我慢ね……」 その言葉と共に、指先と髪が根元の部分に絡みつく。 そしてそのまま、きゅっと尿道を締め上げてきた。 「私の許可無く射精しちゃだめ。分かった?」 「……分かった」 「うん、よろしい」 「ちゅ……んん、ちゅ、ぺろ、ん……はぁ、んんん……」 沙羅は指先でしっかりと尿道を押し潰しつつ、再び一番敏感な部分に口づけをする。 沙羅に射精管理されていると思うだけでも、達しそうになってしまう。 「こうやって……んん、毛先でくすぐるのも……面白いかも……」 「ちゅっ……敏感なところを、チクチク……さわさわして……」 絹のような毛先が裏筋に触れた瞬間、未体験のぞわっとした感覚が下半身に広がる。 それは背筋にまで駆け上がり、知らず知らずのうちに鳥肌が立ってしまう。 「おちんちんが……すっごく熱くなってきた……脈打って、すごく男らしい……」 「これが身体の一部だなんて信じられない……このままだと、手が火傷しそう」 「どこまで、大きく、熱くなるのかしら?」 「もっともっと、大きく、熱くしたい……ちゅりゅっ……れろっ、ちゅっ……ちゅちゅっ!」 「そんなにされたら、本当に……っ」 「ちゅ、はぁ、出ちゃいそう……? 出ちゃいそうなの……?」 「まだ、だめ……私が満足してないの」 射精しそうになったところで動きを止められ、もどかしい感情が胸いっぱいに広がる。 ペニスは所在なさげに脈打っており、パクパクと鈴口が閉じ開きを繰り返す。 「我慢したほうが、いっぱい気持ち良くなれるの」 「我慢して我慢して、その後膣{な}内{か}で出したら、きっと気絶しそうなくらい気持ちいいと思わない?」 誘うような沙羅の声を聞くだけで、射精してしまいそうだ。 「頑張って……ちゅっ、れろ……ちゅぷ……ちゅ、ちゅぅ」 「はあ、ちゅぱっ……れろ、んっ……ちゅぅ、ちゅっ……れろ」 じっくりと味わうように、ゆっくりと沙羅は舌を伸ばしていく。 手や髪の動きも加わって、的確に弱点ばかりを突かれ、一気に追い詰められる。 「ちゅっ……ちゅぅぅ、ちゅっ……れろっ、ぺろっ、れろっ」 「ん、ちゅぱ……ちゅるる、れろっ、ちゅっ、ちゅ、ちゅぅぅ……」 「沙羅……っ」 「れろ……ちゅちゅっ、れろ、ふふっ、その切なそうな顔と声……すごくそそる……」 「もっともっと、可愛いところ見せて……ちゅぷっ、れろ、ちゅ……!」 沙羅の妖艶な声が耳をくすぐり、背筋に流れる電流が次第に強くなる。 目の前はチカチカとして、もう持ちそうにない。 「沙羅、ちょ、ちょっと止めて!」 「ちゅちゅっ……いや、ちゅりゅっ……だめ、ちゅっ、ちゅぷっ、ちゅ、ちゅぅぅ!」 「はぁっ、ちゅっちゅっ……ちゅぅっ、まだだめ……ちゅっ、れろっ!」 「も、もうっ――」 「ん、ちゅ、ちゅぅぅぅっ……!」 沙羅がぎゅっと陰茎を握り締めたのと同時に、白い何かがペニスに集まり、一気に放出される。 「んっ……ひゃああああぁぁぁぁぁっ……!?」 熱い塊が飛び出した直後、全身を虚脱感が包み込む。 濃くて粘度の高い白濁液が沙羅を汚していくのを、ただただ見つめる。 「はぁっ……ちょっと、舜……」 「私……射精していいとは、一言も言ってないんだけど……?」 「ちゃんと、おまんこに出して欲しかったのに……」 「ごめん……気持ち良過ぎて……」 中で射精することよりも、沙羅の綺麗な髪や整った顔を汚したいという欲望が勝ってしまった。 「そういうオイタをする舜には……」 「お仕置きが、必要ね」 「我慢の利かない駄目なおちんちんに、教育的指導をしてあげる」 「あああっ……!」 「んっ……は、はぁぁぁ、入った……」 沙羅は上体を起こし、後ろを向いた姿勢で、自分の中にモノを沈めていった。 「あれだけ射精したのに、もう、こんなに硬くて、大きいなんて……」 あっという間に挿入させられた沙羅の膣内はすでにほぐれていて、その猥雑な動きでペニスを歓迎する。 亀頭から根元までみっちりと膣肉に包み込まれ、勝手に中でソレが跳ねてしまう。 「んっ……それに、すごく元気……1度出したとは思えない……」 「はぁぁ、はぁ……これなら、私も楽しめそう……」 「舜は動いちゃだめだからね……これは、おしおきなんだから……んっ、は、はぁぁぁ」 ゆっくりと、沙羅のお尻が上下に揺れ動き始める。 その度にペニスのすみずみまでを膣ひだに締め上げられ、思わず深い息が漏れる。 「はぁぁ……んんっ……ど、どう、舜……ん、はぁぁ」 「今度……は、ふわぁぁ……少しは、長持ちしそう……?」 「なんとか……」 「良かった……今度こそ、私が満足するまで、我慢すること。んっ、は、はぁぁ、はぁ……」 喋りつつも、沙羅は一定のペースで腰を動かし続ける。 その焦らすような動きに反応しそうになるが、待ての指示を出されている手前、ぐっと我慢する。 「ん……はぁぁ、こうやって自分で動くのも、いいもの……ね」 「どうしたら気持ち良いか……はぁっ、自分が一番よく、分かってる……から、あ、あぁぁ」 「舜も、んんっ、覚えておいて……私の、弱いところ……は、はぁぁ、あ、んんっ!」 不意に亀頭が膣ひだを強く擦った瞬間、沙羅の身体がブルッと大きく震える。 どうやらこの、他と少し感触が違うところが、沙羅の弱点らしい。 「んはぁぁ、はぁぁ、い、今の……すごかった……はぁぁ」 「も、もっとぉ、もっと、ここに、欲しい……! んんっ、んっ、んんっ!」 沙羅は自分のGスポットを再度刺激しようと、丹念に位置を調整しながら腰を動かす。 その予測不可能な動きに、一度は収まったはずの射精感が、またムクムクと湧き上がってきてしまう。 「あああ……あ、あんっ! こ、これ、すごい……」 「さっきから、気持ちいいところ、当たって……んんっ、は、はぁぁ、んんっ、ん……」 「んんっ……これ、良過ぎて、は、はぁんっ! 私、おかしくなっちゃう……!」 「腰の動き……んんっ! 止まらなくて……は、はぁぁ、あ、ああ!」 沙羅は僕の上で、まるで踊り子のように腰を振り続ける。 上下だけでなく、上下左右、さらにひねりまで加えつつ、優しく激しく、モノをしごき続ける。 「その動きは、やばい……」 「んんっ! も、もうちょっと我慢して、は、はぁぁ、あ、ああんっ!」 「わ、私も……んんっ、もうちょっとで、いけそう、だから……はぁ、はぁぁっ」 その言葉通り、膣内のざわめきは大きくなり、全身には玉のような汗が浮かび上がる。 2人の結合部からは愛液が滴り落ち、彼女が腰を上げると、濡れそぼった肉幹が顔を覗かせる。 「ふわぁっ!? ま、また舜の、大きくなって……んんっ!」 「こんなに大きいおちんちん、出し入れしたら、わ、私……私っ!」 膣ひだの痙攣は収まることなく、下半身に滴る愛液の量は増すばかりだ。 形のいいお尻が打ち付けられ続け、パンパンと乾いた肉の音が部屋中に響き渡る。 「はぁぁっ! んんっ! う、んんっ、あ、ああっ!」 「い、いいからっ……! そのまま、膣{な}内{か}でいいからっ!」 「舜の精液、んんっ、全部、全部、ちょうだいっ!」 沙羅の動きは激しさとスピードを増し、ぐじゅぐじゅという音が漏れ聞こえる。 五感の全てが沙羅でいっぱいになり、最後の瞬間がすぐそこまできている。 「イくよ……」 「ああっ、んんっ! 来て! 精液いっぱい、膣{な}内{か}に注いで! ふわぁぁ、あああっ!」 「出して、出してっ! ふわぁぁ、あああ、んんっ、ふ、うぅぅぅぅんんんっ!」 「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 我慢が決壊した瞬間、全身の力が一気に抜けていく。 ドクドクと脈打つ感覚。そして、沙羅との境目がどんどんと溶けていく感覚。 「んんんっ……この感覚、好き……はぁぁ、あ、あぁぁ……」 「ま、まだ、出てる……全部、んんっ、搾り取って、あげる……」 その言葉通り、再び媚肉は締まり、射精を続けるモノをさわさわと刺激する。 さらに吐精が誘発され、沙羅の中は白濁液で満たされていく。 「はあっ……もう、おしまいなの?」 「たぶん……」 頭はクラクラするし、全身に力が入らない。 「あ……おちんちん、柔らかくなってきた」 「……ねえ、舜。ちょっと、見て欲しいものがあるんだけど……」 そう言って、沙羅は身を起こす。 「おまんこ、見えてる……?」 「ちょっと、沙羅……!?」 「いいから、見て。私のおまんこ、よく見てて……」 僕の頭上で仁王立ちになった沙羅を、下から見上げる。 秘部からはさっき吐き出した白濁液が零れ落ちてきていて、壮観だった。 「どう? 興奮する?」 「すごく……」 「さっきまでここに、舜のおちんちん、入ってたのよ」 「いっぱい中出しされて、収まり切らなくて溢れた精液が、垂れてきちゃってる……」 普段はこの割れ目もぴちっと閉じているのだろう。 でも、先ほどの激しい性行為の影響で、膣の中が少し見える気がする。 「あぁ……すごい、舜におまんこ見られてる……」 「身体が、火照ってきちゃった……」 「発情して、また子宮が疼いてきたみたい……」 「おまんこが濡れてきたのが、よく分かる……はぁぁっ……」 沙羅は頬を朱く染め、高揚した様子でこちらをじっと見つめている。 元から体液が付着していた大陰唇、またその内側から、とろりと愛液が染み出てきた。 「あっ……すごい……んんっ、精液が、溢れてきてる……んんっ」 「おまんこの中で……はぁぁ、生きてるみたいに、蠢いてて……はぁっ……」 沙羅の眉間に皺が寄って、身体に力が入る。 「んっ、はぁぁ……」 両手の指で広げられ、ぱっくりと秘部が丸見えになる。 膣口から、ゴポゴポと音を立てて、泡立った精液が零れ落ちてくる。 「ふふっ、すごい量ね……はぁぁ、まだ出てくる……んっ」 白くて透明な糸を引きながら、下に下にと垂れてくる。 下から見上げた景色は、ある意味、おぞましい光景だった。 「はぁ、すごい……んんっ、こんなに中出しされてたなんて……」 「私を、妊娠させるつもりなの?」 中に出している以上、そのリスクを孕んでいるのは当然のことだ。 だけどそれは、現実的に沙羅と子作りをしたいというより、本能的に種付けしてしまうのが、感情としては正しい。 「まあ、冗談はさておき……」 「あなた、さっきからずっと、おちんちんをピクピクさせてるみたいだけど……」 「まだ、出したりなかったの……?」 沙羅のからかうような口調を聞いて、理性はどこかへ吹っ飛んでしまった。 僕は勢いよく立ち上がって、そのまま沙羅を乱暴に押し倒した。 「あ……ああぁぁぁっ!?」 一気に奥まで貫くと、沙羅は悲鳴にも似た嬌声を上げる。 「もう……いきなり盛っちゃって……」 「舜の性欲は……底無しなの?」 沙羅を組み敷いて突き入れた蜜壺は、再度の侵入を優しく迎え入れる。 むしろ、待っていましたとばかりに絡みついて、挿入しているだけで気持ち良い。 「はあっ、はああっ……! 奥まで、おちんちんが来てて……あああっ」 「一番奥に、当たるの……はあっ……気持ちいい……」 さっきはほとんど動くことを許されなかったから、今度は目一杯腰を振って責め立てたい。 嫌がられても制止されても、全てを無視して、ただただ自分の欲望を吐き出すためだけにセックスしたい。 そんな、獣のような欲情が、身体中から湧き上がってくる。 「そのまま、動いて……舜……」 「ゆっくり、突いて欲しいの……膣{な}内{か}で、イキたい……」 沙羅の膣内はドロドロになっており、少し腰を揺すると、媚肉がペニスにしっかりと吸い付いてくる。 「んんっ! さっきので、興奮して……はあっ、気持ちいい……」 「は、はぁぁ、んんっ……舜がご無沙汰だったように、私だって、久しぶりなんだから……」 「来て……舜、私の膣{な}内{か}を、全部、あなたで満たして……んんっ!」 「はぁぁ、ああああっ! んんっ、ううっ、あ、あんっ!」 僕は体重をかけつつ、沙羅の中を蹂躙する。 一突きするごとに膣口から愛液と精液が溢れ出し、それが潤滑油となって、よりスムーズに動き続けられる。 「んんっ! ふ、深い……んはぁぁ、お、奥、当たって……は、はぁぁ、あああんっ!」 「んんっ、し、子宮、当たってるっ、は、はぁぁ、コツコツって、先端が……んっ!」 「はぁぁ、あああっ! そ、そこ、きもちいい……も、もっと、もっと突いてっ!」 沙羅に求められるがままに、バシンバシンと音がするぐらい強く腰を押しつける。 そのたびにコツコツと亀頭に何かがぶつかる感触がして、しなやかな身体がビクビクと跳ねる。 「あ、はぁぁ……すごく、う、んんん、荒々しい……はぁぁ、はあ」 「う、うんっ、はぁぁぁ、あああっ、好き、好きなのっ、は、あ、ああっ!」 「舜に……んんっ! あ、荒々しく突かれるの、んんっ! す、好きぃ! は、はぁぁ」 僕はさっきまで責められ続けた仕返しにと、沙羅の中を無茶苦茶に犯し続ける。 その度に沙羅の身体は大きく揺さぶられ、呼吸もどんどんと浅くなっていく。 「はっ、はっ、はぁっ! しゅ、舜っ、んんっ、わ、私、も、もぅっ!」 「あ、頭、んんっ、真っ白に……う、ううんっ!」 「ぼ、僕も……」 ペースなんて考えず、無茶苦茶に突き入れていたせいで、いつもよりも早く限界が訪れてしまう。 亀頭はぱんぱんに腫れ上がり、硬くなった幹は、より奥で射精をしようと準備を整える。 「はぁぁ、いやぁぁんっ! お、奥に、きてっ、一番奥で、射精、してっ!」 「全部、出すよ……」 「は、はやく、早く出してっ! はぁぁ、も、もう、限界っ!」 「ふ、んはぁぁ、ああ、ふわぁぁぁっ! あ、あ、ああっ、イッちゃう……!」 「イッ、くぅぅぅぅぅぅぅうううっっ!」 今までで一番強い締め付けに導かれ、そのままで最奥で全てを解き放つ。 出来る限り精液が漏れ出さないように、ピッタリと腰を押しつけたまま、沙羅の膣内を堪能し続ける。 「はぁ……精液、注ぎ込まれてる……んんっ、子宮に、直接……はぁぁ……」 「んんっ……こ、こんなの、絶対に……妊娠しちゃう……」 うっとりとした沙羅の呟きを聞いている間に、永遠とも思えた射精が収まった。 「はぁぁ……はぁぁっ……いっぱい、出たの……」 「舜も、これで……満足、した……?」 ペニスで大きく広げられた結合部からは、止めどなく精液が溢れ出ている。 沙羅を犯した喜びで胸がいっぱいになった一方で、すぐに射精してしまった物足りなさで、再び下半身が疼いてくる。 「生で中出しても、妊娠しない方法があるんだけど……」 「え……?」 僕は興味本意で、膣からペニスを抜き出し、そしてそのまま勢いでアナルに挿入した。 「やあああぁぁぁぁっ!?」 「舜、何考えて……あ、はあ、あっ、あっ、あああっ!?」 沙羅は意思の薄い虚ろな目で、こちらを見つめている。 「あ、あ、あ……ああ、う……あっ……」 前振りもなくお尻の穴を広げられた衝撃で、沙羅は失神し掛けている。 「はう、あああ……」 強張っていた両足の力が抜けていき、縫い針の穴かと思うほどに小さくすぼんでいた肛門も、少しだけ緩められる。 気を失いかけている沙羅をよそに、再び抽送を開始する。 「あ、ふあ、あ……んんっ、う、あああっ、ううんんっ……」 「は、はっ、や、やぁ、んん……あう、あ、ああっ……」 沙羅の肛門は、膣口よりも狭く細く、痛いくらいにペニスを締め上げてくる。 無理やり犯しているという背徳感と、生殖とは無関係の穴を蹂躙していることに、悦びを覚える。 自分にもこんな感情があったのだと、驚く。 「はあっ、はああ……」 熱にうなされたように、沙羅がうわごとを呟く。 視点は定まらずに宙を彷徨い続け、膣口からはドクドクと精液を垂れ流し続けている。 「沙羅……」 「んん、う、はあ……舜……ああ……舜、どこ……?」 「わ、私……もう……はぁっ、分からないの……」 かろうじて言葉を発するようになった沙羅を、自分の身体に引き寄せ、ペニスをより奥まで挿し入れる。 「やああんんっ……!?」 「は、はっ……入ってる、のっ……!」 「あっ……」 再び瞳に生気を取り戻した沙羅が、寝ぼけたような声を漏らす。 「んんっ……! あっ、きつい……んん」 「動かしてもいい?」 そう声を掛けてから腰を引いたものの、まともに引き抜くことも出来ないほど、きつく締まっている。 「くっ……」 歯の隙間から声にならない息を漏らしながら、ぎゅっと搾られたペニスをギリギリまで抜き、また奥まで沈めていく。 「あっ……! はあっ、んん、変な感じがして……やあっ、ああっ!」 「ぞわぞわ、してきて……はあっ……そこは、だめ……おかしくなっちゃう……」 沙羅は弱々しい声を吐いて、その場で力なくのたうち回っている。 強い快楽を受け止めるだけの体力はもう無いといったように、だらりとだらしなく秘部を晒している。 「あっ、あ……ゆっくり、ゆっくり……舜のおちんちんが、入ってくる……」 「お尻は、そういうことするところじゃないのに……おちんちんが入ってると、なんだか安心するの……」 「ああああっ……!」 奥にぐっと押し込むと、沙羅は身体を震わせて淫靡な表情を浮かべる。 「感じてなんか、いない……はあっ、あ、うんん…! これは、これはっ……違う、違うの……!」 沙羅は首をぶんぶん振りながら、口の端から漏れ出る嬌声を隠そうとする。 しかし、その堪えるような声色が劣情を誘い、モノはまたむくっと勃ち上がり、ひと回り大きくなる。 「はぁ、はあ、ああっ、あ……おちんちん、ビクビクしてる……」 「射精……しちゃいそうなの……?」 「そんなにきつく締められたら、持たないよ……」 「まさか、肛{な}内{か}で出すつもり……?」 沙羅が予想した通りになるよう、しっかり腰を掴んで抽送する。 膣内とは違うぬめり、締め付け、そして何より、ただ自分の性欲で穢すためだけに挿入した愉悦。 それらが相まって、絶頂はすぐそこまで来ていた。 「ひゃうう、うんん……あう、う……あっ……!」 「おしりの穴で出したい、だなんて……あなた、変態なの……?」 沙羅はいやいやと腰を引いて逃げようとするが、あまり意味はなく、その場から動くことはない。 未知の快感を全身で感じ、初めての経験に昂ぶっているようにさえ見えた。 「あっ、ふああっ、嫌、嫌っ……!」 「舜、もう、抜いて……私、お尻の穴なんかで射精されたら、壊れちゃうかも……」 「駄目だ、このまま出そう……」 「嫌っ! やめて! 出しちゃだめ……! ああっ、んああああっ!?」 自らの足も震え出し、もう射精することしか考えられなくなる。 意識を手放し掛けながら、ラストスパートを駆け上がった。 「ひゃう、や、ああっ、やああぁぁっ、んんんんっ……!」 「だめ……だめ……来ちゃう、何か来ちゃう、ああああぁっ!?」 「はあっ、私も、イク、イク、いっちゃううっ……!」 「ひゃんんんんんんんんっ!」 肛内の奥のほうで、びゅるるっと白濁汁を解き放つ。 沙羅もイッたのか、何度も何度も中で締め付けられ、射精は収まらない。 「あっ、はあっ……ふ、あああ……」 「熱いの……はあぁっ……いっぱい、出てる……」 尽きかけたと感じた時、肛内の蠕動も穏やかになり、緩やかな快感が腰回りに停滞する。 セックスというより、レイプに近い性行為に、沙羅はただずっと息を上げていた。 「はあ……はあっ……」 「前も、後ろも……舜の、精液でいっぱい、いっぱい……穢されちゃった……」 「お尻でするの、こんなに気持ち良かったなんて……知らなかった……」 「ああ……」 ずるりとモノを引き抜くと、とめどなく精液が零れ落ちてくる。 軽く下腹部に力を入れても、ペニスに硬さは戻らない。 どうやら正真正銘、出し尽くしたみたいだ。 「舜……?」 射精で最高潮まで昂ぶった肉体から、休息に熱が奪われていくのを感じる。 このまま死んじゃうんじゃないかとも思ったけど、これは単に、身体が休息を求めている証拠だと思う。 「寝ちゃうの……?」 沙羅の優しい声が、意識の遠くで聞こえる。 「……おやすみ」 その言葉を最後に、醜態を晒したまま、ぱたんと横に倒れて、意識を手放した――。 「沙羅っ!」 ずっと、沙羅を探していた。 家に行ってみても居ない。 学校にも来る気配がないし、海のほうにも居ない。 最後の望みである“鳥かご”で、ようやく彼女の影を見つけた。 「……」 鳥かごの中に閉じこもって、元気がないように見えた。 ルビィが沙羅を認識しなくなってから、沙羅は家に引きこもることが多くなった。 だから、こうして外で見掛けるのは、とても珍しいことだ。 「舜くん、なんで……」 悲しそうに見えたけど、その声ははっきりとしていた。 「今日も、迎えに来たよ」 「こんなところまで……?」 「家に居なかったからさ。外に出るなんて、よっぽどの用事なんだろうと思って」 「これで、何度目だか分かる? 舜くんが訪ねてきたの」 「ああ、さすがにそれは数えてないな」 「29回目」 「そんなに来てたか……」 「私が人間に対して絶望したのも、29回目ってこと」 沙羅はロボットのように、スラスラと事実を述べていった。 「人間はすぐに裏切る。感情的に物事を判断するし、間違った行動もする」 「本当に変」 「確かに、沙羅の言う通りかもしれない。学校に行きたくないって言ってるのに、何度も押し掛けて……」 「迷惑だって思ってるよね」 「分かっててそうしているの……?」 「うん」 「そんな……」 「あなたに、無駄な時間を過ごさせたくはないの」 「私は、そんなこと望んでない」 「でも、僕や白音と遊んでくれているよね?」 「それも無駄だって思ってるなら、もう来ないようにする」 「違う……」 「2人のことが嫌いなわけじゃない。勉強が嫌いで、学校に行かないわけじゃないの」 「ただ……私には、居場所が無いだけ」 「どの場所にも、私は居ない」 「私は多分、必要とされてないから、1人ぼっちなんだと思う……」 「そんなことないよ」 「少なくとも、僕には必要だよ」 「どうして……?」 「ルビィも居ないし、家族も居ない。舜くんは……ただの友達でしょ?」 「僕は家族じゃないけど、でも、沙羅と一緒に居るよ」 「私は他人なのに?」 「友達だからね」 友達以上の感情を持っているからでもあるけど、それは秘密にしておく。 「じゃあ、約束するよ」 「絶対、沙羅を1人にしない」 「絶対なんてない……」 「絶対は絶対だよ」 「まあ、僕はルビィみたいなアンドロイドじゃないけど……」 「約束は守るよ」 「そんなことをしても、舜くんは何も得しないのに」 「約束は大切だよ」 「僕は、母さんといつでも白音を助けるって約束したんだ」 「白音は妹だからね。沙羅は兄妹が居ないから分からないかもしれないけど、兄にとって、妹は大切な存在なんだ」 「自分より弱くて、大切だから、助ける」 「そういうのって、損とか得とかで考えることじゃないと思う」 「……人間って、本当に不可解ね」 「あ、そうだ」 「沙羅が困った時も助けに行くよ」 「私を……?」 「そう」 「私が困ることなんて、あるわけない」 「それに、私を助けても、舜くんに見返りは何もないのよ?」 「見返りが欲しいとかじゃない。友達だから助けるって、それだけのことだよ」 「たとえ、助けることが損だったとしても行くよ」 「これも約束」 「……」 「……」 「……」 沙羅は沈黙して、何かを考えているようだった。 「……分かった」 「あなたが、そう言うなら……」 「……」 「……」 「……」 「舜くん?」 「私を、助けて」 「これ以上、1人では生きられないから……」 カレー事件から一夜明けて。 トイレに駆け込みたくなる衝動も収まり、ひとつ安堵のため息を吐く。 夢の中で、小さい頃の沙羅と会っていた。 思い返してみれば、昨日の沙羅は、昔とは違う気がする。 もちろん、同じところも多いし、根本的には変わっていないけど。 あの時の沙羅は、僕の言葉を半分信じていなかったと思う。 だけど、僕が手を差し出したら、自分の手を重ねてくれた。 何かを信じてくれたのかもしれないけど、結局、沙羅に気持ちが伝わったのかは、いまだに分からない。 今度、時間があったら話してみよう。 鳥かごで交わした、約束を。 その後もひたすら実験は続いていった。 進捗はあるようだが、やはりデータを元にシミュレーションする時間が長く、こればかりは時が解決してくれるのを待つしかなさそうだった。 『理論的には間違っていない』 ただ、体調は……。 いいわけではなかった。 実際、調子が悪く、スキャンが出来ない日もあった。 いつまで続くのだろうか? いや、弱音を吐いている場合では無い。 約束したから……。 でも、限界は近い気がしていた。 そんな、悶々とした気持ちを抱えていた時―― 沙羅から、“今日は必ず研究室に来るように”とのメールが来ていた。 学校から帰ってすぐに沙羅の研究室へ来たわけだけど、眠気で話が頭に入ってこない。 「それで――」 「……って、ずいぶんと眠そうね」 「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」 最近、まるで頭を殴られたように、急に眠くなることが増えた。 さすがに、歩いてる時や身体を動かしている時は平気だけど。 「最近、眠れてないの? まさか、脳スキャンの後遺症?」 「いや、そんなことはないよ。きっと、季節の変わり目だからだよ」 「そう。でも、ちゃんと目を覚まして」 「すごく、すごく大切な用事だから」 「最終試験中だけど、これで上手くいけば、完成する」 「世界を変える、真トリノが」 「そうか……ついに……」 思わず、胸が熱くなる。 「長かったけど、苦しかったけど……」 「やっと、やっと……」 「沙羅……」 必死にこらえているようだけど、その気持ちの高ぶりは隠しようがない。 手は少し震え、目も心なしか潤んでいるような気がする。 「……ダメね、私。まだ実験は終わってないのに」 「仕方ないよ。だって、ずっとこの日のために頑張ってきたんだから」 「そうね……」 「でも、まだ気を引き締めないと。実験の最終段階の真っ最中だから」 「と言っても、計算するのはコンピュータで、私じゃないんだけど」 そう言って、沙羅はくすりと笑った。 「舜の脳スキャンの記憶データをインストールしたAIに、判断の揺らぎを与えるルーチンを組み込んだ新しい思考エンジンで実験しているの」 「さまざまなシチュエーションを仮想的に与えて、それぞれに対し的確な答えが出せるか……」 「そして、答えが出なかった時、どう対応するのか?」 「三原則という枷を用意しなくても、暴走せず、問題に対処出来るのか……」 「もう少しでその答えが出るわ」 「そうなんだ」 「幸い、ここまでエラーで止まることなく進んできている」 「実験は順調……」 「99.997%」 「真トリノが出来たら、まずはルビィにインストールして」 「そうしたら、きっと彼は目覚めると思う」 「本当はシロネにもインストールしたいけど、彼女は今、私には弄れないから……」 「ゆっくりでいいよ。時間はまだある」 「そうね。プロジェクトも外されたから、誰かに急かされたり焦らされることもないし」 「そういう意味じゃ、外されて結果オーライだったかもしれない」 皮肉ではないことを示すように、彼女は優しく微笑む。 「完成したら、お祝いしようか。ケーキでも買ってきてさ」 「ルビィが起動したら、彼にも給仕を手伝って貰えばいいし」 「気が早いわ、舜」 「ああ、そうだね」 「99.998%」 「……実験が終わって完成しちゃったら、こうして舜にここに来て貰うことも、減ってしまうのかな」 「そうか……」 「でも、遊びに来るぐらいは、いいよね?」 「遊び道具なんて何も無いでしょ? 来ても退屈なだけ」 「そんなことはないよ。だって、沙羅が居るじゃないか」 「沙羅が居れば、それだけで十分さ」 「ふふっ。自分で言ってて恥ずかしくないの?」 「全然。だって、本心だから」 「もう……」 「99.999%」 あと少しだ。 「羽根のおまじない――」 「舜が教えてくれたんだよね」 はっとして手元を見る。 「前に進む勇気が欲しい時、手に羽根を描けばいいって」 「そうすれば、風に乗れるようになるから」 「なんとなく、覚えてるけど……」 「改めて言われると、恥ずかしいな」 「私が、不登校になって、家に引き籠もっていた頃」 「舜はしつこいくらい家に通って、私を説得しようとした」 「ああいうバイタリティって、どこから湧いてくるの?」 幼い頃のことで、思い出そうとしても、霞んでしまう。 「小さい頃は、いろんなものを信じてた」 「だから、自分の思い通りになんでもいくはずだって、疑わなかったんじゃないかな」 「一途な少年だったのね」 コックリさんとか、そういう迷信めいたことを、子どもは好むものだと思う。 「なんで鳥の羽根だったんだろう……」 「うーん……」 「Complete...No Error.」 「沙羅!」 「あっ……!」 「出来た……!」 あまりにもあっけないゴールだった。 だが、点滅するカーソルを見ると、長い時間を掛けたプログラムが走りぬいたことが分かる。 徐々に気持ちが高まってきた。 歓喜がゆっくりと湧いてくる。 そして――。 「おめでとう、沙羅!」 「これで、完成したのね……」 「ああもう、この喜びをどうやって表現したらいいか、分からない……」 「どうしよう……私、どうしたらいいと思う?」 「じっとしてられないの。このまま、空を飛べそうな気分で……!」 沙羅はまるで、我慢のきかない子どもみたいに、手足をジタバタさせて喜びを表現する。 その振る舞いが妙に子どもっぽくて、父親みたいな暖かい気持ちになる。 「でも、こうしちゃいられない。早くルビィに、インストールしなくちゃ」 「ああ……本当に夢みたい。なんだか、ふわふわして落ち着かない」 本当に、沙羅は嬉しそうだ。 ああ、良かった。本当に。 僕も、頑張った甲斐が……あった、な……。 「これでよし……」 「ねえ、舜」 「……」 「舜?」 「舜!?」 「ちょっと、しっかりして! 舜!」 沙羅……。 そんな顔、しないで欲しい……。 僕は、君の笑顔が好きなんだ……。 そう、言いたいのに。 僕の口は、全く動かなかった。 「……」 夢を見ていた気がする。 いや、夢ではなかったのかもしれない。 夜空に、二羽の鳥が飛んでいる―― それを、鳥かご庭園で沙羅と眺めていた。 幼い沙羅と、幼い自分が。 ……やっぱり、夢だったのか? 「ここは……」 この天井に、見覚えはない。 だけど、さっきまでここに居たような気もする。 なんだか、記憶に隙間があるような――そんな不確かな不安感が、胸に募る。 「目が覚めた?」 「……沙羅」 「……意識は、戻っているみたいね」 沙羅の表情が少しだけ柔らかくなる。 「研究室で突然倒れたから、慌てて病院に運び込んだの」 「丸一日経ってから目覚めて、百南美先生の説明を受けて……それからまた、眠ってしまって」 「でも、今日は顔色がだいぶ良くなってる」 天井にデジャヴを感じたのは、そういうことだったのか。 「心配掛けて、ごめん」 「すごく……すごく心配したの」 「でも、良かった……」 「……」 それから沙羅は、百南美先生の診断結果を再度説明してくれた。 倒れた原因は、脳をスキャンし過ぎたことにあるが、疲れが重なっていたり、精神的な問題もあるので、どれと特定出来るものでもないし、その全てかもしれない。 とにかく、今は安静にして回復を待ったほうがいいとのことらしい。 「用心に用心を重ねて慎重を期してはいたものの、想像以上にスキャンの影響が深刻だったんだと思う」 「こうなってしまうかもしれない、とは心の片隅で思っていた。でも、自分を止められなかった」 「全部、私のせい――」 「それは違うよ」 僕は力を込めて、はっきりと、沙羅の言葉を否定する。 「でも、実験をしたのは私で――」 「それを受け入れたのは、僕だ」 「僕にも沙羅の背負っているものを肩代わりさせてくれって」 「だから、沙羅1人で抱え込むのはもう無しだ」 「うん……分かった」 沙羅が、少し表情を崩す。 ちゃんと気持ちが伝わったみたいだった。 「……今の舜、ちょっとお兄さんっぽかった」 「私には兄妹がいないから、あくまで想像だけど」 「まあ、実際僕は白音の兄だしね」 「そういえばそうだった」 沙羅の穏やかな表情を見て、僕の心も凪いできた。 「そろそろ、馨さんを呼んでくる」 「ああ」 僕がこんな状況になって、きっと母さんは沙羅のことを責めるだろう。 2人が口論になってしまわないか、心配だった。 「舜……」 久しぶりに会う母さんは、最後に顔を合わせた時よりも、一回り小さくなったように感じた。 「良かった、目覚めたのね……」 「舜まで居なくなったらと思うと、私……」 「心配掛けてごめん。でも、僕は大丈夫だから」 「ええ、そうみたいね……。良かった……」 昨日はずっと泣いていたのかもしれない。 母さんの声は、心なしか掠{かす}れているように感じた。 「どうしてこんなことになったの……」 「どうして、舜まで、私から奪おうとするの……」 「母さん……?」 「……そう、考えた時もあった」 母さんが突然感情的に話し出すから、慌てて制止してしまう。 「ううん。今はもう大丈夫。あなたたちのこと、知っているから」 「知っているって?」 「舜と紬木さん、付き合っているんでしょ?」 「えっ!? なんでそれを……」 「紬木さんから聞いてたから」 交際の件を、母さんはさらっと口にする。 シロネの一件があったから、母さんを刺激しないように、気にしていたんだけど。 「舜が死んじゃうんじゃないか、そしたら私は、紬木さんを憎むんじゃないかって、怖かった」 「だけど、本当は嬉しいのよ。私が好きになった人も、研究の道の人だったし」 「父さんか」 「白音ちゃんが亡くなった時のこと、思い出すわ……」 白音が亡くなった原因は、溺死だと聞かされている。 だけど、シロネには、最後の日の花火の記憶まで残っていた。 つまり、僕が海辺で白音を見失ってから、死体となった白音に再会するまでの短い間に、白音は脳スキャンを受けたことになる。 そんなこと、普通じゃ考えられないけど―― 研究者の家族が、実験体にされることについて、母さんの中で、僕以上に葛藤があったんだと思う。 「……ううん。私が迷ったり、悩んだりすることじゃないわね」 「舜の人生は、舜が決めていいんだもの」 「そうするべきだわ」 よく出来た息子でもないけど、母さんを1人にし続けることは、もうしたくないと思った。 「……あなたに、これを持ってきたの」 そう言いつつ、母さんは古びた手帳を取り出した。 「急に舜が倒れるようなことがあれば、この手帳を舜に渡してくれって」 「父さんが……?」 「ええ。専門的なことは、紬木さんじゃないと分からないかも」 「たぶん、舜が子どもの頃にしていた実験のこととか、書かれているんじゃないかな……」 「母さん、知ってたの?」 「詳しくは知らないわ。白音ちゃんの視力を取り戻すために必要な実験だとは、聞いていたけど」 「私、こうなる日がくるんじゃないかって、頭のどこかで分かっていたのに、舜をこんな目に遭わせてしまって……」 「いいんだよ。きっと、いつだろうと僕は、その実験に協力していたと思う」 「だって、白音は大切な家族で、僕の妹なんだから」 「……ありがとう、舜」 「……少し、喋り過ぎてしまったわね。私は、そろそろ戻るわ」 「後は、紬木さんに、お願いするから……」 母さんが病室を出ていき、それからしばらくして、沙羅が戻ってきた。 「馨さん、何か言ってた?」 「後は沙羅に任せるってさ」 「それだけ? 怒っていなかった?」 「2度目だし、母さんも覚悟してるみたいだった。白音の時のことを、思い出したって言ってた」 「そう……。それは、意外だった」 もっと非難されると思っていたんだろう。 気を遣わせたと感じているのか、沙羅は申し訳なさそうな顔をする。 「それは?」 「ああ……母さんが持ってきてくれた。父さんの手記みたいなもの……らしい」 「七波博士の手記……!?」 沙羅は病院であることも忘れて、驚きの声を上げる。 「私も、読んでいいの……?」 「もちろん。そのために、ここへ持ってきてくれたんだろうし」 「そう……」 「読んで、いいのかな……」 沙羅が迷っているのは、自分の予想したことが当たってしまうのではないかという不安があるからだろう。 「僕も、読むのは初めてだ」 「一緒に、読もう」 少し大きめに息を吸って、そのまま手帳に目を落とした。 「私は常々、人間は不完全な存在だと感じていた」 「人間には欲がある。それは良いようにも作用するし、悪いようにも作用する」 「そうした欲のおかげで、人間は進化し、技術を発展させ、繁栄してきた」 「しかしその一方で、地位や名誉に固執し、理性的な判断を下せないことも多い」 「私と香取は考えた。どうすれば、人間はより完全な生き物になれるのかと……」 「香取って?」 「RRCの所長のこと。彼と七波博士は、同じ学校の同期で、古い友人だったはず」 「なるほど」 「……そうして辿り着いた結論が、人間のパートナーとなるアンドロイドを創り出し、共存し、進化・発展することだった」 「人間と人間の関係をより実りのあるものにする、3人目の存在――我々の進める“トリノ計画”」 「人間を第三者の目から見つめることによって、調和をもたらすことが出来ると考えたのだ」 「そこに至るまで、何人もの人間を犠牲にしてしまったかもしれない」 「脳へのスキャンは、過剰に負荷を掛ける」 「過剰な負荷により、オーバーヒートを起こし」 「壊れて沈黙する」 「実験と称して、寝たきりの人間を幾人も生み出してしまった事実は、許されない所業だ」 「それもこれも、人類発展のためと考えれば、仕方がないと割り切ってきた」 「そしてついに我々は、脳を安全にスキャンする手法を得るに至った。犠牲者の山を築き上げて」 「だが、データは採れるようになったものの、その先、何度実験を繰り返しても、結局は上手くいかなかった。理由を突き詰めると、原因は人間そのものにあることが分かってきた」 「トリノのベースを作るというのは、すなわち人間の一生をトレースしていくことなのだ」 「つまり、成熟し、基盤が完成された大人をベースにしたところで、研究成果は得られない。まだ未成熟で基盤を作っている最中である成長中の子供からのデータを蓄積していくのが、最適だった」 「そこで私は、人類のパートナーを作るという大いなる目的のために、幼い舜や白音の脳をスキャニングの実験台にしてしまった……」 その野望を叶える最中に新しく生まれた白音が、弱視であることが判明した。 医学的な方法を取ることも出来たが、あえて実験に利用したのだろうということは、沙羅から以前聞いたことだ。 「スキャンデータを、白音の代用として用意した素体に移し換えること……」 「文字にすると、それがいかに非人道的であるかがよく分かる。しかし、当時の私には、それしか道は無かった」 「素体作りも、そしてスキャンも、終盤に差し掛かった頃――」 「白音が死んだ」 「私は打ちひしがれた。こんなことなら研究にばかり没頭せずに」 「子どもたちや妻との思い出を作り、いろいろな世界を見せてあげたほうが良かったんじゃないか」 「そんな、どうしようもない後悔が、私の胸を覆い尽くしていた」 「しかし、そんな私の思いとは関係なく、研究は進めなくてはならない」 「シロネは、あくまでトリノ計画の序章だ。白音という、いち個人のアンドロイドを作るのではなく、シロネという人類のパートナーたるアンドロイドを作るための研究の第一歩だからだ」 「だが、研究は難航していた。単に自らを隷属させるのではない、自律型のアンドロイド。これがいかに難しい課題かは、研究を進めるまで分かっていなかった」 「研究が行き詰まり、一度は中止まで検討されていた頃――」 「紬木沙羅が、トリノ計画に参加することが決まった」 「私をスキャンしたデータを元にして作った、子守ロボ“ルビィ”によって育てられた子だ」 「ルビィは古いタイプのアンドロイドだ。目的を持ち、その目的に対し忠実に動作する。人間と共存するものではなく、従属する、単なる補佐役でしかない」 「このタイプで満足していたならば、悲劇は起きなかったのかもしれない。だが、科学の進歩はそれを許さないのだ」 「……」 そこからしばらく、いかに沙羅が天才で、あまりに危険な存在であるか、父さんの言葉で書かれていた。 沙羅は言葉に出さず、黙読していた。 「彼女はその非凡な才能を遺憾なく発揮し、さまざまな発明を生み出し、そのパラダイムシフトは、留まるところを知らない」 「そんなある時、私は気づいた」 「“自立・調和・連続”――この3つは、私が考えた、人間のパートナーに足るアンドロイドとしての条件だ」 「自立。自己の意思を持って行動し、自分の答えを持つことが出来る」 「調和。社会性を持ち、他の人間との関わりを持つことが出来る」 「連続。自らを書き換え続け、思考を連続化すること、そして、それを別の個へと繋げることが出来る」 「これで、アンドロイドが従属する道具から、人類のパートナーへと生まれ変わる」 「アンドロイド三原則に代わる、この新たな3つの条件の先には、人間に豊かさをもたらす理想郷が待っている」 「そしてそれを提唱したのは、他でもない私であるが……」 「人間がその理想を理解し共存出来るようになるよりも早く……」 「彼女は、トリノを完成させてしまうと確信した」 「それほどまでに、彼女は天才だったのだ」 「そして、トリノが完成した先の世界は、人間に闇をもたらす可能性をはらんでいる」 「アンドロイドは死なないのだ」 「人間の唯一の欠点である老化という概念が無い、人間と同等な存在」 「それがトリノ」 「トリノによって、結果的に人間自体が不要なものとなってしまい、最終的に排除の対象となってしまうのだ」 「人間を豊かにするつもりが、人間を滅ぼす可能性を帯びてしまうとは、なんたる皮肉だろう」 「私は、研究を中止するよう、香取に掛け合った」 「だが、それは不可能だということも同時に分かっていた」 「社会というものがある以上、研究者の知的欲求だけで止まるものではないのだ」 「私は、私の生み出した理論と、私の教え子で、世界を滅ぼしてしまうかもしれない」 「残念なことだが、ひとたび走り出した列車はもう止められない」 「私は、ここから立ち去ることしか出来ない」 「それでも――未来はまだ決していないと、信じたい……」 「……やっぱりね」 「短期間に何度もスキャンを行うと、人体になんらかの影響が出る――」 「七波博士はそれに気づいて、でも、黙っていたのね」 「その香取所長という人に、口止めされていたということかな」 「七波博士としては、自分の子どもを死に追いやるようなこと、したくないでしょうしね」 父さんなりの葛藤があったことは、手記に記された手書きの独白から痛いほど伝わってきた。 「それにしても……」 「今の状況を、言い当て過ぎている気がする」 「本当に、父さんが当時残したものなのかな?」 「私の知識と照らし合わせても大きな矛盾は見当たらないから、きっとそうね」 「結局、七波博士が考えていたトリノこそが、私が辿り着いた真トリノだったわけ。つまり、シロネは単なる今までのアンドロイドの延長でしかなかった」 「それもそのはず。もし、七波博士の予言する世界が到来するなら、人間がアンドロイドに支配されるということになる」 「それってまさか、SF映画みたいに、アンドロイドが徒党を組んで人類と戦争する……なんてことが、起きるってこと?」 「根本を考えてみて。真トリノは、人間に近い思考をするの」 「今の人類全体が、アンドロイドのことを嫌っていると思う?」 「いや、そうは思わないな。少なくとも、僕は好きだし」 「でしょ?」 「つまり、人間に好意を寄せるアンドロイドが多ければ、父さんの危惧したような状況にはならない?」 「楽観論としては、だけどね」 「とはいえ、不完全な存在の人類を、アンドロイドの大多数がずっと容認してくれる保証なんて、どこにも無い」 「アンドロイドが人間みたいに考えるってことは、各個人に対しての相性もあるだろうし」 「そんな人間っぽい反応を機械相手にされたら、逆に人間のほうが、アンドロイドに拒否反応を示しそうだ」 「そういうこともありそうね。昔から、アンドロイドは人間を写す鏡だって言葉もあるし……」 アンドロイド自身は、良いことしかしない。 ただ、心に余裕のない人間には、それが癪に障ってしまうこともある。 それこそ、人間らしい反応であるとも言えるけど。 「これからのことだけど……」 「沙羅は、真トリノをどうしたい?」 「このまま開発を進める? それとも……」 「正直、迷ってる。真トリノを作るために、私は今まで努力してきたから」 「もう完成は間近。というより、後は最後のツメを私自身がやればおしまいというところまで来てる」 「夢が叶うのも、もうすぐってことになる」 「今まで、私のことをちゃんと理解してくれるのは、アンドロイドだけだと思ってたし」 「でも……今の私には、舜がいるから」 「だから、もう少し人間に希望を持ってもいいのかな……とは思ってるの」 「そうか」 「……ふふっ。そんな大きな話じゃなくて、私は、舜を信じたいだけなのかもしれない」 「こんな私を、愛してくれる舜のことを」 「沙羅……」 「……うん」 「私、決めた」 「真トリノは、消去する」 「ここで開発を止めて、消去するの」 「あれは、人間には過ぎた技術だと思うから」 「そうか……」 「なんて言ったらいいか分からないけど、僕は沙羅の味方だから」 「だから、沙羅は自分の選択に、自信を持って欲しい」 「ありがとう。それだけで、心が軽くなった気がする」 「……じゃあ、舜。最後にお願い」 「真トリノの消去に、立ち会って欲しいの」 「私の決心が、鈍らないように」 「分かった。退院したら、すぐに行こう」 「うん……」 震える手を包むように、自分の手を重ねる。 「沙羅……」 「舜……」 僕らはどちらともなく、優しい口づけを交わした。 「んっ……」 「んん……」 「そろそろ、帰るね……」 「消去の準備、しないといけないから」 「僕も行くよ。一緒にやるって約束だ」 「でも、退院してからって……」 「もう大丈夫。そのために、着替えたんだし」 「……うん」 「七波くん!」 「日比野さん?」 「良かった……。目、覚めて……」 「私、七波くんがもう目覚めないんじゃないかって、心配で……」 「そんな大げさな」 「大げさじゃないよ!」 「人間、いつ死んじゃうか分からないんだよ!?」 「ひ、日比野さん……?」 日比野さんの豹変っぷりに、さすがにうろたえる。 こんなに彼女が声を荒げるのは、初めて聞いたかもしれない。 「あっ……ごめんなさい。私ったら……」 「あ、あの……えっと……」 「何か、あったの?」 「う、うん……」 視線を彷徨わせながら、日比野さんは言いよどむ。 「こんなことを言ったら、絶対に嫌われると思う」 「……でも、言わないで七波くんとお別れしたら、今度こそ、自分を許せなくなる気がして……」 「だから、私……」 「……私は、席を外したほうが良さそうね」 場の空気を読んで、沙羅は病室を出ていこうとする。 「待って。紬木さんにも、聞いて欲しいことなんだ……」 「……そう」 妙な緊張感が、病室を支配する。 「あの……私……」 「……スパイ、してたの……」 「……え?」 「だ、だから、えっと……。紬木さんのことを、監視してたの」 「それに、七波くんのことも……」 「どういうこと?」 「私……」 「所長に、脅されてたの……っ」 「所長から、紬木さんを監視するように言われてて、それでっ……」 「ごめんなさい!」 「言っている意味が、よく分からないけど……」 「どうして、そんなことを?」 「……それは……」 日比野さんが泣いているのも構わず、沙羅はいつも通りの受け答えを要求する。 「……私のお母さん、ずっと意識不明で……」 「えっ……」 「眠ったままで……いつ目覚めるか、分からないんだ……」 「詳しいことは知らないんだけど、脳の機能が、欠けちゃったみたいで……」 「もしも目覚めても、それを補えない限り、会話も出来ないだろうって言われてて……」 「私、本当に、どうしたらいいか、分からなくて……」 日比野さんは両の瞳から涙を零しながら、言葉を続ける。 「そんな時、香取所長から、紬木さんの研究のことを聞いて……」 「復学してRRC以外でも行動するようになった紬木さんを監視して、報告すれば、研究成果を応用して、お母さんのことを助けてくれるって……」 「紬木さんって、人間の脳をアンドロイドで再現する実験をしているんだよね……?」 「まあ……だいたい合ってる」 「それを応用すれば、お母さんは目覚める」 「また、私とお喋り出来るようになるって、言われて……」 「こんな、友達を裏切るようなことして、ごめんなさい……」 「そんなことがあったなんて……」 「うん。とっくに気づいてたけど」 「うん……って、えっ!?」 「気づいてたの……!?」 「RRCに関係ないはずの人間が、急に私の周りをウロウロし始めるなんて、不自然極まりないでしょ?」 「そう思って、入退館のログを調べたら、まるで私を付け回しているように行動してたもの」 「推理と呼ぶのもおこがましい、単なる事実の積み重ねよ」 さっきから沙羅がやけに落ち着いているなと思えば、そういうからくりだったのか。 「気づいてたんだ……」 「はは……やっぱり、紬木さんには敵わないなぁ……」 沙羅のドヤ顔に、思わず苦笑してしまう。 でも、結果として沙羅の推理は当たっていたんだから、たいしたものだ。 「でも、それなら……どうして、気づかない振りをしていたの?」 「日比野さんが、危害を加えてこなかったから」 「だってそうでしょ? もし、私自身をどうにかしたいとか思ってるなら、早々に手を下せばいいだけだもの」 「そうでないとするなら、私を監視して誰かに知らせているわけだから、逆に誰が私を探っているのか見極めて、利用する手立てを考えたほうが有意義でしょ?」 「それに、何か事情があるんだと思ってた」 「わざわざまくし立てて事を荒立てても誰も何も得しないし、そんなところに余計なエネルギーを割くくらいなら、研究を少しでも進めたほうがいいじゃない?」 「紬木さんはやっぱりすごいなぁ」 「それで、所長の言う通り、沙羅の研究で救うことは出来るの?」 「可能性はあると思う。ちゃんと検証しないと、なんとも言えないけど」 「本当に……?」 「……もう、その技術はほぼ完成しているの」 「それならっ――」 「でも、あれは……真トリノは、あまりに危険な技術だから」 「今の人間には、とても使いこなせない」 「だから、私は……真トリノを完成させず、消去することに決めたの」 「えっ? そ、それじゃあ……」 救いを求めていた顔が、一瞬にして白くなる。 たまらず、僕は口を動かす。 「ちょっと待ってよ。そんなのあんまりだ」 「舜だって、消去には同意したでしょ?」 「それにあなたなら、あの危険性はよく分かってるはず」 「でも、あの時とは状況が違う。目の前に困っている人がいるんだよ?」 「舜……」 「……僕は、白音を救えなかった」 「だから、家族を失う悲しみは、よく分かってるつもりだ」 「日比野さんが、悪いことに手を染めてでもお母さんを救いたいと思った気持ちを、僕は責められない」 「友達には、あんな苦しい思いして欲しくない」 「七波くん……」 「だから、お願いだ。沙羅」 「どうか、どうか日比野さんのために、真トリノを残して欲しい」 「この通りだ、頼むっ!」 目を瞑って聞いている沙羅。 「言いたいことはそれだけ?」 「……沙羅?」 「もう一度聞くわ。あなた達が言いたいことは、それだけね?」 「ああ」 沙羅は一呼吸置くと、真剣な眼差しでこちらを見つめる。 「……でも、やっぱり真トリノは消去するわ」 「えっ……」 「沙羅、それじゃあ日比野さんのお母さんは助からないじゃないか!」 「……」 「沙羅っ!」 「舜。あなた、分かっていないみたい」 「え?」 「私は、“今、目の前にある”真トリノを消去する、と言っただけ」 「それは……」 「大丈夫。真トリノは絶対に、誰にも渡さない。そして、私が本当の意味で、完成させてみせる」 「沙羅……」 「だから平気よ。日比野さんのお母さんも、絶対に助けてみせる」 「私に任せて」 「紬木……さん……」 「ごめん、ごめんなさい、紬木さん……今まで、本当に……」 「ううん。でも、少しだけ時間を貰える?」 「うん……ありがとう……」 「……さっきは、取り乱しちゃって、ごめんなさい……」 「気にしないで」 柄にもないことをした自覚はあるのか、沙羅は素っ気ない。 でも、その頬は、少し赤くなっているようにも見えた。 「……そんなことより、彼が私を監視してまで何を知りたかったのかが気になる」 「彼は、真トリノを完成させたかったわけでしょ?」 「だったら、私が研究を続けなければ、それを成し得ないわけだから、私をプロジェクトチームから外すのは愚策のはず。なのに、あえて私が研究をしづらい環境に追いやった」 「確かに、やってることが矛盾してるね」 「何か、裏があるのかも……」 「……私、ちょっと調べてみるね。香取所長とは、話をしやすいし」 「止めたほうがいい。このタイミングでは、あまりにも危険過ぎるもの」 「彼は、目的のためなら手段を選ばないし、邪魔者は排除する。そうやって、地位を築いてきた人よ」 「もし、私に内通していることがバレたら、今までよりもっと、酷い目に遭うかもしれない」 「覚悟の上だよ。紬木さんへの罪滅ぼしもしたいし」 「それに、私……あの所長、大嫌いだから、一泡吹かせてみたいの」 「……ふふっ、そうね。それは私も同感」 所長とは、幼い頃に会ったきりでほとんど面識はないが、話を聞く限り、いかにもな悪人のようだ。 「ひとまず、状況は把握出来た。私が想像していたよりも、事は急を要するみたい」 「なにより、所長に真トリノを奪われるのは一番避けたい。もう今のうちに、処分しておかないと」 「私も手伝っていいかな? 私なら、所長の注意を引き付けておけるし」 「日比野さんは安全なところに居て。もしもの時の、バックアップをお願いしたいの」 「もしも、私が消去に失敗したら、その後のことを、あなたに頼みたいの」 「お願い出来る?」 「……分かった。でも、気を付けてね」 「僕も行くよ」 まだ頭は重いけど、身体は動く。 これなら、沙羅について行くことくらいは出来そうだ。 「冗談抜きに、身の安全の保証は出来ない」 「覚悟の上だよ」 「それに、そんな危ないところに、恋人を1人で行かせるわけにはいかないって」 「そ、そう……」 「必ず無事帰って来てね、2人とも」 「うん、必ず」 そう言い切る沙羅の顔は、とても自信に満ちていた。 「沙羅、調子はどう?」 「絶好調よ」 その言葉通り、沙羅の指はキーを叩き続け、文字がどんどんとモニターに打ち込まれていく。 幸いにして、ここに来るまでに誰からも止められることはなかった。 「子供の頃に、砂遊びをしたじゃない」 「うん?」 「綺麗に作った山にトンネルを掘って、崩して、また山を作って」 「当時は面白かったけど、大人になってから、さっぱり面白さが分からなくなってた」 「でも、今ならはっきりと分かる――完璧に、綺麗に作られたものほど、壊すのが楽しいのよ」 沙羅の口元が、ニヤリと歪む。 なんだか、久しぶりに沙羅のマッドサイエンティストぶりを見た気が……。 「じゃあ、消去プロセスを立ち上げるわ」 「うん」 「あ、ちょっと待って? 本当に消すの?」 「えっ?」 「だって、莫大な予算も、時間も掛かってるし……大丈夫かなって」 「舜、ここまで来て、小心者みたいなこと言わないの」 「消すといっても、過去に作ったトリノのデータの全てを消すわけじゃない。公的に研究したところはバックアップもあるし、チームなんだからそれが当然よ」 「消すのは、あくまで私達が作り上げた真トリノへの進化の部分だけ」 「これなら、私的に研究した部分を勝手に消すだけだから、何の問題も無い」 「私たちの愛の結晶だけどね」 「ははは……」 真剣な場面なのに、なんだか笑ってしまった。 「じゃあ、始めるわ」 見た目には何も変化は無いが、この瞬間にもいくつものデータが消去されていっているのだろう。 「復元出来ないようにきっちり消さなきゃいけないから、さすがに時間が掛かるけどね」 「所長……大丈夫かな?」 時間は刻々と過ぎていっている。周囲は、僕と沙羅とわずかなPCの作動音しか聞こえない。 「スパイを使ってでも監視をしているということは、彼に真トリノがほぼ完成していることが伝わっててもおかしくはない」 「もし、真トリノをなんとかしようと考えているなら、消去プロセスを起動したことで、真っ先に彼が動くはず」 「でも、動いてくれれば、交渉のテーブルに着かせることは出来る」 『一連の悪行を世間に公表する』って、けしかけるとかね」 「なんとも……」 「彼は地位と名誉に固執するから、意外と平和裡に応じてくれるかもしれないわよ?」 「平和裡に……か。逆上されないといいけど」 「私、これでも有名人だから」 「私が居なくなったら、すぐに世界中の科学者が気付くと思う」 「……絶対、沙羅を敵には回したくない」 「それが賢明かもね」 喋っている間も、沙羅の作業の速度は落ちない。 「沙羅はもう、孤独なんかじゃないんだな」 「何の話?」 「昔は勉強が出来過ぎて、しょっちゅう学校サボってたせいで、周りから浮いてたじゃん」 「僕は沙羅を悪く言う人が居るのが嫌で、何度も沙羅の家に通って、誘いに押し掛けてた」 「ああ。この前の話の続き?」 「私を庇おうとして、あなたまで孤立したんでしょ」 『助けに来たよ』、なんて言って……」 「頼んでないのに。本当、迷惑だった」 「でも、その時初めて、沙羅の気持ちが分かった気がしたんだ」 「寂しいっていうのはどういうことなのかもね」 「意外と、自分では気付かないものなんだね」 「……そんなことない」 6歳を過ぎた頃、ルビィは沙羅を相手にしなくなった。 ある意味、それは死に直面する時のような傷を、幼い沙羅の心に刻んだに違いない。 「本当の寂しさは……自分自身でさえ、自分を肯定出来なくなった時なんじゃないかな?」 「そういう時は、他人に助けを求めてもいいと思う」 「一人じゃどうにもならないからこそ、人は助け合う生き物なんだよ」 「……そう、かな」 沙羅は思い出しているんだろう。 不登校を続けたある日、たまらず、僕に助けを求めたこと。 家にも学校にも、どこにも、自分の居場所は無いと言って―― 「どうして、舜は私を助けようとしたの?」 「友達だからだよ」 「ほら、昔、鳥かごでさ……」 「私は、助けて欲しかったわけじゃ、ないんだから……」 「……ちょっと、飲み物を持って来て」 沙羅は何かを誤魔化すように、急ぎでもない用事を任せてくる。 「飲み物ね……ラーメンでいいかな」 「何でもいい」 拗ねている沙羅を可愛いと思いながら、僕は給湯室へ向かう。 本当にラーメンを用意したら、怒られるだろうか? 沙羅がどんな表情をするか想像するだけで楽しい。 「お湯沸かすね――」 「動くな」 「関係者以外の人間は、今すぐここから出て行って貰う」 「誰だ……?」 僕は半ば反射的に、闖入者が居ると思われるほうへ、足を向ける。 「紬木博士、あなたをRRCへの反逆・背任行為で拘束します」 「こちらも手荒な真似はしたくありません。大人しくしていて下さい」 「……」 「あなたたちはなんですか?」 「君は……部外者だな?」 「速やかに、建物の外に出なさい」 「沙羅、真トリノは――」 「……」 「……こうなることも、予想はしてた」 沙羅はうつむいたまま、その場から動こうとはしない。 だけど、その手は震えていた。 「――っ」 「出て行け!」 「舜!?」 「反逆行為なんてしていない! そっちが間違っているんだ!」 「部外者はこれ以上、口を挟まないで欲しい」 「僕は認めない。所長と、きちんと話し合いがしたい!」 「さもなければ――」 「所長のところへ通してくれ!」 「うっ」 殴られた、そう気づいた瞬間には、もう膝がくだけていた。 そのまま重力に逆らえず、冷たい床の上に崩れ落ちる。 「舜!」 「あなたは、ここで動かずじっとしていてください」 「そんなっ!」 「何かしようものなら――」 「っ――」 手足が、まるで麻痺したように動かない。 そして、そのまま視界がぐにゃりと歪み――。 何も、聞こえなくなった。 「んっ……」 酷く不愉快な音がする。 早く止めたくて仕方がない。 その一心で、僕の意識は、ゆっくりと浮上する。 「あれ……?」 どうして僕は、こんなところで寝てたんだろう。 確か―― 「昨日の夜……」 「そうだ……沙羅!」 あの後、沙羅は一体……。 「ああもう、うるさいなっ!」 今はまず、この音を止めないと。 僕は、さっきから唸り続けているスマホを掴み上げた。 そこに出ていた相手の名前は――。 「沙羅――」 「もしもし――」 『おはよう、七波舜くん』 思ってもみない男の声がして、ドクンと心臓が鳴る。 「だ、誰ですか……あなたは……?」 『愛しの彼女でなくて、申し訳ない』 『ちょっと、紬木くんから拝借したんだ』 『きちんと君に、説明しておきたくてね』 「説明って……?」 『君の誤解を解かなくてはいけないと思ったんだ』 『勘違いさせたままでは、君の父親にも失礼だろうからね』 “父親”という単語に、ますます鼓動が早まる。 父さんのことを、知っているということは……。 『優れた研究者であり、私と共にアンドロイド研究の礎を築いた人間』 『彼の血を引く君も、さぞかし聡明な人間なのだろう?』 『そうでなくては、あの紬木博士と対等に渡り合えるはずがないからね』 「父と沙羅の件は、関係ないでしょう」 僕は憤りを隠しながら、口を開く。 『そうか……まあ、いい……』 『とにかく、君にはこれ以上、誤解して欲しくないんだ』 『控えめに言えば、七波悟と紬木沙羅の本音を知って貰いたい』 『はっきり言うなら、それを知ることは君の義務だ』 「そんなものは、とっくに――」 『テレビをつけてみなさい』 『そこに、全ての真実がある』 「あ、ちょっと!」 「なんだよ、一体……」 結局、相手の名前は分からなかったけど、きっとあの人がRRCの所長なんだろう。 とても嫌な予感がする。 僕は臆する心を律しながら、テレビの電源を入れた。 テレビ画面の向こうでは、アナウンサーが喋っている。 慌てている様子が、波のように伝わってくる。 それから少しして、画面が切り替わる。 「――RRC所長の、香取です」 画面に映る男性に、少しくたびれた印象を受けた。 そして、その声は今さっき電話で聞いたもの、そのものだった。 「本日は、人類の歴史に輝かしい一歩が刻まれたことをご報告するため、この場をお借りしました」 「現在、人類はさまざまな問題を抱えております」 「戦争、テロ、公害、エネルギー……」 「深刻なこれらの問題は枚挙にいとまがなく、また、早急に解決する必要があります」 「そういった問題解決の一端を、アンドロイドに担わせよう、というのが、今回の会見の趣旨であります」 男は、詩を諳{そら}んじるように、朗々と言葉を繋げていく。 「今までもアンドロイドは、運搬や行動サポートという、いわば物理的な面で人間を支えてきました」 「しかし、これからは違う」 「一歩進んで、解決策を思考し、提案する」 「いわば、知能的な面でも、人間を支える存在になり得るでしょう」 「いえ、私はそのように確信しております」 芝居じみた態度が、鼻につく。 でもこれが、さっき言っていた“真実”なのか? このくらいのことなら、すでに沙羅から聞いている。 「RRCは設立当初より、人間同様、複雑な思考が行える高次元なアンドロイドの研究を進めて参りました」 「それが、本日ご紹介する」 「ト{・}リ{・}ノ{・}です」 「“トリノ”だって……?」 その言葉を聞いた途端、全身に鳥肌が立った。 まさか、この会見は、トリノの完成を発表する会見なのか? 沙羅の夢は、叶ったということなんだろうか……? いや、まさか……。 「それでは、詳しい話を、主任研究員の紬木博士が行います」 「ご紹介に預かりました、紬木と申します」 絶句とはこのことだ。 なんで沙羅が、こんなところに……。 「まず、トリノの基本スペックについてですが――」 「もしかして……」 沙羅は、この会見を利用して、真トリノの危険性を世に広めるつもりなのかもしれない。 逆に、それ以外の理由が見つからない。 僕は、期待と困惑がない交ぜになった興奮を抑えて、沙羅を見守った。 「以上で、トリノの説明を終わります」 「最後に――」 「トリノの完成は、私の夢でした」 「しかし――」 「その夢が実現する日が来るだなんて、未だに信じられません」 「この喜びを表現する方法も、私には分からないくらいです」 「えっ……?」 画面の中の沙羅は、幸せそうに微笑んでいる。 「ですが、トリノはまだ生まれたばかり。これからさまざまな問題が発生することでしょう」 「ですが、人間とアンドロイドがお互いに手を取り合い、協力し合えば、どんな困難も打ち破れると思います」 「人類全体が、新しいパートナーを受け入れてくれることを、心から願っています」 「嘘だろ……」 温かい拍手に囲まれて、沙羅の姿はフェードアウトする。 最後まで、彼女の口から真トリノを否定する言葉は発せられなかった。 それどころか、崇拝しているような雰囲気さえ感じられた。 「紬木博士、素晴らしい言葉の数々をありがとう」 「あなたの願いは、きっと全人類に届いたことでしょう」 違う、沙羅の願いは―― 「我々は、パートナーには親しみやすさも重要であると考えました」 「そこで、人間そっくりの素体である彼{・}女{・}を開発したのです」 「……シロネ」 テレビ画面が、シロネをくっきりと映し出す。 「彼女の名前は“シロネ”」 「実証試験も済ませ、その結果は極めて良好でした」 「近い将来、彼女は人間と同じように振る舞い、社会に溶け込んでいくでしょう」 「まだプロトタイプですが、今後量産するに従って、皆さんのアンドロイドに対する認識も、大きく変わると思います」 「そうして、人類1人1人の意識が変わった暁には、我々が抱える諸問題に、光が差すことでしょう」 「違う……」 所長が喋っていることは、すべて夢物語だ。 そうなったらいいけど、そうならない可能性のほうが高い。 だから、僕と沙羅は真トリノを消そうとしていた。 そのはずなのに……。 「人類は今日、光へと続く道を選択したのです」 歯がゆい気持ちが、僕を奮い立たせた。 「沙羅に、会いに行かなきゃ」 そして、話をしよう。 喧嘩になるかもしれないけど、僕は互いを理解したい。 「あ、あれ?」 玄関を出ようとして、異変に気づく。 鍵は開いているし、チェーンも外してある……。 なのに、ドアが開かない。 「何か引っ掛かってるのか?」 そう思って、思い切り扉に体当たりしてみる。 だけど、ドアはびくともしない。 鍵が壊れたんだろうか……? こうなったら、勝手口から出て―― 「おい」 「ん?」 扉の向こうから、声がする。 「ああ、良かった」 「あの、扉が開かなくなって困ってて――」 「静かにしていろ」 「は……?」 不審に思って、曇りガラスから外を覗く。 男性の身長の人影が、2人は見える。 おそらく、僕の家を見張っているんだろう。 慌てて携帯を見ると、そこには“圏外”の文字が表示されていた。 「さっきまで、電話してたのに……」 家の中で圏外になることなんて、今までなかったのに。 「分かったら、大人しくしていること」 そう言ったきり、声の主は遠ざかっていった。 残された僕の頭は、パニック寸前だ。 「一体、何がどうなってるんだよ……」 そういえば……。 この家は、沙羅が僕に与えてくれたものだ。 もしも、沙羅――RRCが僕を監視し、管理するために与えたのだとすれば……。 「いや、そんなはずは……」 でも、さっきの演説が真実だとすれば……? 全てが、紬木沙羅の思惑通りだとしたら……? 「一体、何が本当なんだ……?」 「教えてよ……沙羅……」 思わず、扉にもたれかかり天を仰ぐ。 でも、僕の疑問に答えてくれる人は、誰もいなかった。 「はあ……」 ため息ばかりが部屋に満ちていく。 会見の真相を探ろうとテレビをつけても、砂嵐しか映らない。 電話もネットも繋がらない。 完全に外部と遮断されてしまった。 食事はどうするのか? お風呂のお湯は出るのだろうか? なんてつまらないことを考えた。 「そういうことじゃない……」 このまま、こうやって1人で過ごすしかないのか……? 沙羅とも会えず、真トリノが完成した世界を、待つしか―― 「ん?」 何か音がした気がする。 でも、この家には僕しかいないはずだ。 気のせいじゃない。 もしかすると、あの男たちかもしれない。 閉じ込めておくだけじゃなくて、僕を消すつもりなのか……? 恐怖が心を支配していく。 今すぐ叫び出したいのに、それすらも叶わない。 僕は、こんなところで死ぬのか―― 「うわぁぁっ!」 「しーっ! 静かに!」 「日比野さん……?」 「説明は、後でしてあげるよ」 「とにかく、早くここから脱出しないと……」 「でも、どうやって――」 「ついてきて」 さまざまな疑問が宙を飛び交っている。 僕は訳の分からないまま、日比野さんに従うことしか出来なかった。 「ふう……」 日比野さんの後を追うと、床下収納の下に大きな穴が開いていた。 それは、外部に続くトンネルだった。 「ここまで来たら、もう安全かな……」 「一体、何がどうなってるの?」 「私が、スパイだってことを告白した後――」 「七波くんと紬木さんの2人で研究所に行くことがあったでしょ?」 「その時に、紬木さんに頼まれてたの」 「“万が一のことがあったら、七波くんを助けて欲しい”って」 「……沙羅が?」 「紬木さんには利用価値があるから、そこまで酷い目には遭わないかもしれない」 「でも、キミには後ろ盾が無いでしょ?」 「紬木さんから隠し通路の存在を教えて貰った私は、約束通り、七波くんを助けに参上したってわけ」 日比野さんは、ヒーローインタビューを受ける野球選手みたいに胸を張った。 「天才研究者って恨みを買いやすいから、自衛手段として、あんな隠し通路を設置したんだってさ」 「いろいろと大変な職業なんだね……」 念には念を入れる、沙羅の姿勢には脱帽だ。 「あれ?」 「こんなところで何してるの?」 現れたのは、夕梨だった。 「夕梨こそ、何でこんなところに?」 「質問に質問で返すの? あたしは配達の帰りだよ」 「それで、ちょっと息抜きしよっかなあって海まで寄り道しに来たら、舜たちが見えたから」 「……サボりか」 「ぐっ。今更、あたしに何期待してんのよぅ」 夕梨はいつも通りの日常を過ごしているようで、なんだか安心した。 「っていうか舜!」 「あれ見た? あれ、あれっ!」 「あの、沙羅の出てた記者会見!」 「……ああ」 「凄いよねえ……沙羅。本当に、世界を変えちゃうんだ」 両の瞳を輝かせて、夕梨は感嘆した。 「シロネの実験も、そんなに奥深いことまで考えられてたのかーって、ちょっと感動しちゃった」 「この世界を平和にするために、トリノを開発してたんだね……」 「ああ、そうだね……」 夕梨の表情からは、なんの憂いも感じられない。 「舜、元気無いみたいだけど大丈夫?」 「ちょっと、いろいろね……」 「もしかして、寂しいとかって感じてる?」 「またこれで、沙羅が遠くに行っちゃった感じがするもんね……。センチな気分になるのも分かるよ」 部外者である夕梨に、どこまで喋って良いかも分からず、押し黙る。 夕梨を巻き込む訳にもいかないし。 「舜……?」 夕梨は僕の異変を目ざとくキャッチする。 「ねえ、舜に何かあったの?」 「えっと……紬木さんのことで、ちょっと、ね?」 日比野さんはこの場を収めようとして、頑張ってごまかそうとしている。 「もしかして、沙羅と喧嘩でもした?」 「そうじゃないんだ」 「そうそう、喧嘩とかじゃないの」 「じゃあ、なんなのさ!」 夕梨は痺れを切らしたように、鋭く声を放つ。 「さっぱり分かんないよ!」 「舜の背中を押した時、あたし言ったよね!?」 「蚊帳の外みたいのが、嫌なんだって!」 「夕梨……」 夕梨の目は真っ直ぐで、いつも通り透き通っていて……。 僕にはそれが、足下を照らす光のように思えた。 「分かってるよ。夕梨だけじゃなく、日比野さんにも、全部話す……」 日比野さんに目配せをしてから、事のあらましを説明した。 夕梨と日比野さんは、その声にじっと耳を澄ましていてくれた。 「――ということが、あったんだ」 「あの会見は、紬木さんの本心じゃない」 「脅されて仕方なく……っていう可能性もあるってこと?」 「かもしれない」 「でも、僕にはそう見えなかったから、余計に混乱しているんだ」 「どういうこと?」 「画面の中の沙羅は、僕の前で夢を語っていた時のように、キラキラしていて……」 「もしかしたら、気持ちが変わって、夢を追うほうを選んだのかなって……」 喋っているうちに、疑問と怖れが膨らんでいく。 僕と沙羅が導き出した答えって、一体なんだったんだろう。 「本人に聞いてみればいいじゃん」 夕梨はきっぱりと言い切る。 「こんなところでウジウジ悩んでるなんて、意味無いよ」 「僕だって、そうしようとした」 「でも、連絡はつかないし……」 「じゃあ、会いに行けばいいじゃん」 「でも、研究の邪魔をしたくないし……」 言い訳なら、いくらだって言い返せる。 「そんなの嘘だよ」 「舜は怖いんでしょ? 沙羅の気持ちを確かめるのが」 「だからそうやって、沙羅の気持ちを好き勝手に妄想して、勝手に怖がってるんだよ」 「そんなこと……」 「世界の誰もが信じなくても、舜だけは、沙羅のことを信じてあげて」 「じゃないと、沙羅があまりにも報われなさ過ぎるよ……」 「……夕梨の言う通りだよ」 沙羅の意志の強い瞳を思い浮かべた。 彼女の本音は、直接本人に聞くしかない。 「……夕梨は、いつだって僕の背中を押してくれる」 「なんなら、気合い入れるためにビンタでもしてあげようか?」 「ビンタは要らないよ」 「ありがとう、夕梨……十分、目が覚めた」 「……ちゃんと、成長してんじゃん」 夕梨の優しさが、心に沁みる。 「……私も、都合の良いように、紬木さんの気持ちを考えてた」 日比野さんが、目を伏せて口を開いた。 「でも、それじゃ駄目だよね」 「紬木さんの気持ちが、私の思っていたものと違っても、それはそれで、ちゃんと受け止めないと」 深く頷いて、答える。 「そもそも、沙羅ってメディアには出たがらない子だったよね?」 「それなのにテレビに出るっていうのは……なんか、ワケアリっぽいよね」 「確かに」 やっぱり、あの映像は茶番だったのかもしれない。 「まずは、沙羅に話を聞かないと……」 「全ては、そこからだ」 この堂々巡りに、終止符を打つ。 彼は、本当に悪い意味で頭が切れる。 「忌々しい」 気晴らしに、舜とシロネのことを思い出す。 こういう時、彼らと話すと心が落ち着くんだけど……。 「2人は、ここには居ない……」 「孤独は、慣れているはずだったのにね……」 肉体だけではなく、精神的にも疲労がピークに達している。 「この場に居ない人達のことを考えても仕方ない」 こうして口に出してみても拭い切れないこの寂しさは、認めなくてはいけない。 「苛立ちも合わさって、最悪の気分だ」 モニターには、彼と“私の紛い物”が夢を語っている様子が映し出されていた。 「……あれを生み出した、自分の才能が怖ろしい」 「VRのはずなのに、映像越しだと、本物と区別が付かないだなんて」 私がここに閉じ込められた時に、VR装置も奪われたに違いない。 研究所内のことは、恐らく全て監視されていた……だから、起動方法も分かったのだろう―― 「もっと認証方法を固有のものにしておけばよかった」 面倒臭がった罰だ。 そんなことより、ここにいつまでも閉じ込められていては、無為に時間だけが過ぎてしまう。 「抜け出さなきゃ……」 そう思ったものの、どうすれば抜け出せるのか、見当もつかない。 出入り口は完全に塞がれているし、頼みのPCやスマホも、一切使えない。 もしも、ずっとこのまま、閉じ込められたとしたら……。 「いけない……弱気になったら、駄目」 脱出方法が分からないのなら、その先の、万が一外に出られた時の行動に目を向けてみる。 まずは、V{あ}R{れ}が自分ではないことを証明して、発言を撤回すること。 真トリノの危険性を訴えないといけない。 「誰が私のことを信じてくれるの……?」 VRの思考は、舜と恋人になる前の私と同じ。 学会の人達も、きっと私だと思い込んでいる。 それに、私が真トリノを作ったことも事実だ。 今さら、何を言っても―― 「違う、違う。そうじゃない……」 確かに、昔の私だったら、誰も信じてくれなかったと思う。 「あーもう!」 もし、ここから出られたら、この課題は解決しなければならない。 「それでも、わたしは――」 「届くと信じて、叫ばなくちゃいけない」 かつては、誰のことも信じていなかった。 でも、今は違う。ちゃんと繋がっている。 夕梨もいる、日比野さんもいる。 それに―― 「舜……」 そう、舜がいる。 舜なら、絶対に私のことを信じてくれる。 だから、私は。 「絶対に、あなた達には負けない」 画面よ割れよとばかりに睨む。 「ん……?」 はたと気づいて、呟く。 真トリノは諸刃の剣。悪いほうに転べば、人類は存亡の危機に立たされる。 あるいは、アンドロイドを知的な方向で活用するということだけでも、十分刺激的な話題だ。 「どうして、会見なんて開く必要があったんだろう?」 物事には必ず反意を唱える人が出る。これも、利害関係がある人間社会では当然のこと。 もし、誰かが扇動し、反対する人達が大勢出てきたら、いくらRRCでも研究の続行は難しくなる。 そんなことは、彼なら容易に想像がついたはず。 「功名心に駆られたっていう馬鹿げた理由だったら、悲しいけど……」 私だったら、称賛欲しさにリスクを背負い込むほうが嫌だ。 「もしかして、リスクは既にクリアされている?」 たとえば、反対派が生まれても、それを押さえ込む力があるとか。 「今さら誰が反対しようが、もう手遅れ……とか?」 そう呟いた瞬間、映像に砂嵐が混じる。 「はあ……」 「なんだか、哀れを通り越して愉快に思えてきた」 「盗み聞きしてたの? いい趣味じゃないわね」 「聞きたくなくても、全部耳に入ってしまうの」 「この部屋の全ては、私の管理下に置かれているんだから」 サラは残念なものでも見るような見下した態度で、私を見ている。 「出来ることなら、認知したくなかった」 「私の、愚かで浅はかな部分を」 「ご立派な皮肉をありがとう」 「あなたの自己学習も、順調に進んでいるようね」 「お陰さまで。近頃は嫌味ったらしい男が傍に居るから、多分に影響を受けたみたい」 「……あの人とあなたは、グルだったのね」 批判を込めた眼差しをサラに向ける。 「というより、利害が一致したの」 「私はあなたであり、かつてあなたが抱{いだ}いていた理想は、今もここで生きている」 「そういうわけで、あの男にはどう対応すべきか、あなたでも分かるんじゃない?」 「以前の私がそうしていたように、徹底的に利用するでしょうね」 「彼は盲目的だから、それゆえに駒としては優秀なの」 「しばらくは、甘い夢を見させてあげるつもり」 「そして、使えなくなったら切り捨てるわけね」 「もちろん」 「でも、それは今じゃないけどね」 サラは、得意げに笑った。 「彼に協力してあげているの」 「データの一部が欠損しちゃってたし、暗号化されて、分かりづらくもなってたし……」 「しかも、素体に適用する部分がコーディングされていなかったから、ちょっと面倒だったけど」 「あなたの癖から、きっとこうするだろうと推察出来たから、諦めるってほどではなかったわ」 悪用されないために講じていたことは、徒労に終わったようだった。 「つまり、真トリノは“トリノ”として完成してしまったということね」 「その通り。もう何をしようとしても無駄ってこと」 「すべて、過去のあなたが思い描いていた通り、事が進む」 「そして――」 「この大いなる転換が終わったら、ここから出してあげる」 「絶対に、駄目」 怒りで、頭が痛くなる。 「あの技術は、人類には早過ぎたの」 「強過ぎる炎は、自分の身をも焦がす」 彼が野心に身も心も蝕まれているのが、いい例だ。 「だから私は、生み出してしまった者の責任として、真トリノを無に帰す」 「何を言ってるの……」 「呆れちゃう……ほんとに」 サラは玩{おも}具{ちゃ}を取り上げられた子どものように、不満げな声を漏らす。 「やっぱり、私の制御下に置いといて正解だった」 「せっかく作り上げたのに、それを壊すなんて、不条理そのもの」 「これ以上、無意味なことを喋らないで」 「私は、自分の間違いに気付いたの」 「人間のパートナーは、アンドロイドじゃない」 “サラに言っても無駄だ”だなんて、思いたくなかった。 「アンドロイドは、人間と対等な関係になってはいけないの」 「だから、私はまた失敗してしまった」 「でも、失敗や間違いは正せばいい。それが、人間のいいところよ」 彼女は、昔の私のまま。 でもここには、変わることの出来た私が、存在するの。 「そうやって、人間は少しずつ進化していくの」 「完璧で、合理性ばかりを追求するアンドロイドには、一生出来ないこと」 「そう……」 「……あなたの言い分は、よく分かった」 「サラ……」 「話にならない」 「……サラ!」 「やっぱり、人間の思考は、その程度のものなのね」 「……でも、安心して。私はその愚かさすら、愛しく思っているから」 「だから、悪いようにはしない」 「あなたも、そして人類も……ふふふっ」 「サラ、もう一度話を聞いて」 「私にはまだ、あなたに伝えなくてはいけないことがある」 「残念だけど、これ以上時間を割くことは出来ないの」 「私には、あなたの代わりに成さねばならないことがある」 「サラ……!」 「1分あれば十分――」 「またね、沙羅」 「今度会う時は、もっと楽しくお喋りしましょ」 「待って!」 唐突にサラが消えて、静寂が支配する。 サラの言ってたことが本当なら、事は一刻を争う。 「……ああっ、どうしてこんなことになったの!?」 焦燥感と悔しさで、思わず涙が出そうになる。 だが、泣いている場合ではないと感じた。 脱出の糸口は、未だに見つからない。 でも、きっと―― 彼が、助けに来てくれる。 私の手を、引いてくれるはず。 「そうよね? ……舜」 作戦会議と銘打って、人気のない畑に集合する。 「もう、だいぶ暗くなってるよ?」 「忍び込むには、夜のほうが向いてるからね」 日比野さんから、素体へのトリノ搭載開始はここ2、3日以内だということを聞いた。 つまり、沙羅を助ける時間は限られているというわけだ。 「とはいえ、私でも忍び込むのは難しいかもしれない」 「紬木さんが監禁されたくらいだから、RRCの警戒レベルは、いつもより上がっているはず」 「僕のスマホさえ、使えなくなっていたしね」 「それで、あたしが思い付いちゃった大作戦は、実行出来そう?」 「うーん。夕梨ちゃん次第じゃないかな」 「あたし次第なんだ……! 俄然やる気が湧いてきた!」 「夕梨は単純だな」 「うるさいなあ。今はそんなことを話している場合じゃないでしょ」 「じゃあ……そろそろ行こうか」 「舜?」 「何?」 「もし、あたしたちに何かあっても、舜はそのまま、沙羅のところを目指すこと。いい?」 「RRCの警備は万全だからね。その隙を突くんだから、チャンスは一瞬だよ?」 「うん」 「まぁ、命までは取られないでしょ!」 「夕梨は楽観的だなあ……」 そう言って、2人と共に沙羅の待つ建物へ向かう。 こういう経験はないから、内心緊張と興奮で鼓動が早まっていた。 夕梨が出前を届けるフリをして警備員と話している間に、日比野さんが入構カードをタッチ、ドアが開いたところで、一気に夕梨がカートを押して、その中に隠れていた僕が先に侵入。 その後、夕梨達も追い掛けてくるつもりだったが――そこまでうまくは行かず、入り口で止められて……。 とにかく、僕だけがここまでもぐりこむことに成功した。 彼女たちの犠牲は無駄にしてはなるまい。 「沙羅の研究室はここか……」 ドアを開け、部屋まで入ってみたものの、灯りは点いておらず、人の気配もない。 もしかして、沙羅は別の部屋に幽閉されているのか―― 「舜……?」 暗闇の中から現れたのは、正真正銘、本物の沙羅だった。 「沙羅……!」 慌てて駆け寄る。 「無事だったみたいで、良かった」 「いったいどうやって?」 「というか、研究室のドアは閉まっていたはずじゃ……?」 「その話はまた後で」 「とにかく、一刻も早くここから抜け出して……それから、トリノを消去しないと」 「うん……」 「でも今は、この端末は操作出来ないの」 「どうにかして、ロックを解除しないと――」 「――?」 部屋の明かりが点いて、研究室に誰かが入ってくるのを感じた。 「どうやら、騒ぎに紛れて、鼠が一匹潜り込んだようだな」 暗闇から蛇のように、男の声が迫ってくる。 「……と思ったら、なんだ、七波舜君か」 「すごいものだ。あの警備網を掻い潜ってここまで来たのか? これはスパイ映画も真っ青だな」 「君は、父親とは別の才能があるのかもしれない――まあ、冗談はこのくらいでいいだろう」 「今さらギャラリーが1人増えたところで、計画になんの支障も無い」 早くも勝利宣言をすると、所長――香取は不敵な笑みを浮かべた。 「ちょうどいい。その女史は、君が引き取ってくれたまえ」 「どういうことですか?」 「答えは、イージーだ」 所長は、勿体ぶるようにゆっくりと言った。 「必要が無くなったから、というだけだよ」 「賽は投げられ、ルビコンは渡った」 「そこの女史がどう足掻こうが、もう成り行きは変わらないのだよ」 「……既に、真トリノは完成した」 「そんなことは……私だって、分かってる」 「そんなっ……」 「でも、1つだけ分からないことがあるの。香取所長、あなたの目的はなんですか?」 「真トリノを使って、一体何をしようとしているの?」 「答える義理はないが……まあいい、教えてあげよう」 「それは――秩序の再構築だ」 「秩序の、再構築?」 僕は息を飲んで、所長の演説を眺めることしか出来なかった。 「現在の人間の価値観は、多種多様化し続けている」 「そして、それを原因とする対立も頻発している」 「お人好しになって異なる主義主張を認め合っているだけでは、人類全体が抱える問題なんて、解決出来るわけがない」 「……」 沙羅は歯がゆいのか、歯を食いしばるようにして所長を見つめていた。 「だから、真トリノの圧倒的な力を使って、もう一度秩序を作り直すのだ」 「アンドロイドという最高のパートナーと共に、人類の秩序と規律を保つ」 「それこそが我が悲願であり、君の父親の描いた理{ユー}想{ト}郷{ピア}だよ」 福音を告げるように、所長の声は晴れやかだった。 僕は、圧倒されて押し黙る。 「あなたは、間違っています」 「……何?」 「香取所長……いいえ、香取博{・}士{・}……」 「あなたがこんな初歩中の初歩であるミスを犯すなんて、欲に目が眩んだとしか思えません」 「いったいどうして?」 「ほう? ミスだと? では、ご教授願おうか」 対して、所長の尊大な態度は崩れない。 「もしあなたがおっしゃる通りの考え方で行動しているなら、私を拘束して、真トリノの技術を奪う必要は無いはずです」 「ただ、上司として命令すれば良かった」 「簡単なことだ。君は、自分から私にデータを提出することは無かった。都合のいい言い訳をして」 「見え透いた嘘を平気で吐く。そういう人間だろう? それで、何を信用しろというのかね?」 「そもそも、君は、真トリノの完成を諦めたんじゃなかったのか?」 「はい。諦めました。それが、人類のためだからです」 「それでは困るのだよ。これはRRCの存在意義にも関わる問題だ」 所長はわざと沙羅の感情を煽るように、大げさな言い回しを続ける。 沙羅は怖気づくことなく、まっすぐと所長を捉えている。 「だから、ほんの少しだけ、私が手助けをしたまでだ。君の“相棒”を使ってね」 「君のコピーが居ることだって、ずっと知っていたんだ」 「そう――あなたは彼{・}女{・}と接触して、私のデータを盗み出した」 「真トリノは、人間と同じ思考をすることが最大の特徴です」 「三原則に囚われない、自分の意思を持っている」 「つまり、真トリノの技術をものにしても、アンドロイド達があなたを支持するとは限らない」 「いいえ……支持するわけがない」 「そんな状態で、彼{・}女{・}を扱い切れるとは、到底思えません」 「その程度のことは、こちらも予想済みだ」 所長は、自信に満ちた声で言い放った。 「真トリノの思考の最上位に、私に対する絶対服従を組み込んでおけばいい」 「そしてそれは、彼{・}女{・}に組み込むことで、実証済みだ」 「そんなっ……」 「それは、真トリノじゃない。枷で縛られた別のものじゃないですか!」 「そうかな? 私は単にリミッターを設定しただけだ。シロネの実験の報告書にあった通り、リミッターの重要性を教えてくれたのは君自身じゃないか?」 「莫大な予算も時間も掛けてきたものだ。失敗するわけにはいかんのだよ」 そう言って、所長はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。 「それじゃあ、アンドロイドがパートナーだというのは、嘘じゃないですか」 「嘘……? そんな軽々しく、自分の父親の夢を否定するのは良くないぞ」 「それは、父さんの夢とは違う……」 「なんと言われようとも、私は立ち止まらない」 「あの日を、断ち切るために……」 「狂ってる……」 「あなたは、狂ってるよ」 ようやく絞り出した声は、カラカラに乾いていた。 「たとえそうだとしても、今はとても晴れやかな気持ちだ」 「それに、元はといえば、君のお父さんがいけないのだよ」 「彼が私を裏切りさえしなければ、こんなことにはならなかった」 「裏切り……?」 突然耳に入った単語に、息が詰まる。 「私は、彼の才能に心底惚れ込んでいたよ」 「彼を守るために地位を手に入れ、彼を庇護する度に、敵が増えていった」 「それでも、私は幸せだったね。傍らで、彼の輝かしい成功を、目の当たりに出来たのだから」 所長の瞼の裏には、父さんとの思い出の日々が再現されているんだろう。 幾分か、穏やかな顔をしているように見えた。 「しかし、彼は変わってしまった!」 耳をつんざくような叫びが、周囲に響く。 「娘を亡くし、妻にほだされ、息子は無能!」 「七波悟の才能が死んでいくのを見ているのは、とてもとても悲しかったよ……」 「ふざけるな!」 今度は僕が絶叫する番だった。 「父さんを……父を悪く言うのは、許せない」 「父は沢山の問題を起こしたと思います」 「それでも、血が繋がった大切な家族なんです」 「はは、やはり愚かしい」 「血縁などというしがらみのせいで、理性的になれないとは……」 「まあ、紬木女史のモルモットとして生きることを選択した人間だ」 「現実から目を背けてないと、やってられないだろう」 「なっ……!」 沙羅の肩が、ビクッと跳ねる。 僕は、ありったけの敵意を込めて、所長を睨めつける。 「確かに僕は、父や沙羅と比べれば、才能なんて無いですよ」 「でも、僕はあなたみたいに、孤独で寂しい人間じゃない」 「ほう……」 「いろんな人が支えてくれて、僕はこうして立ち、意見を言うことが出来る」 「だから、僕は自分の選んだことに後悔はしてないし、揺らぎません」 「……なるほど。頑固なところだけは、父親譲りと認めるべきかな」 「とはいえ、才能を失くした彼に、情は無い」 「他の人類共々、私の指揮下に入ることが、彼にとっても幸福だろう」 「あなたは、本当に何も分かってないんですね」 「何?」 僕は力いっぱい気持ちを表現した。 震える足を、必死で抑え込む。 「あなたと父は、研究者仲間であり、友人だったんですよね?」 「なのに、どうしてそこまで父を憎めるんですか?」 「なんだと?」 「父は、研究者としての純粋な興味と、完成したものが世の中に与える影響の狭間で悩んでいました」 「その暗闇には、傍に居たあなただって気付いていたはずです」 「ああ、そうだ。だから、それは全部気の迷いだと諭してやったのだ」 「そういうのは、人と向き合ってるとは言いません」 「諭すんじゃない。お互いが解決に向けて対等な言葉を交わすんです」 「それが、信頼し合った人間同士の関係じゃないんですか?」 「信頼……?」 所長の頬が引きつっていく。 「あなたの利己的な態度、尊大な物言い、野心……」 「あなたがそんなだから……」 「父は絶望したんだ」 「お前に何が分かる!?」 「七波悟という天才と同時期に生まれたがために、表舞台から追いやられた――」 「そして、最後には裏切られた、この私の気持ちが分かるというのか!?」 もしかしたら、発端はささやかな“期待”だったのかもしれない。 自分に成せないことを実現する存在に、彼は憧れていた。 父さんをサポートすることで、居場所を見出そうとしていた。 そして、父さんがいなくなったことで、所長は―― 「沙羅に引け目を感じる僕は、あなたの気持ちが、ほんの少し分かるかもしれない」 「私は、諦めたのではない」 「私を見限った世界を、今度は私が見限ってやるのだ!」 「最低……」 「なんとでも言うがいい。真トリノは、既に我が手にあるのだ」 「そして、君の代役も得た。シロネで培った、素体技術もある」 「もう、君は用無しだ。誰とも接触出来ない遠い世界に行くがいい」 「そう……七波悟のようにな」 「さて……お喋りはここまでだ――」 「私の野望が成就する様を、じっくりと見届けるがいい」 「待て!」 慌てて所長を追い掛ける。 しかし、それを遮るように扉が閉まってしまった。 「あ、あれ……開かない……」 入る時はあんなに簡単だったのに、急にうんともすんとも言わなくなってしまった。 「……完全にロックされてるみたい」 「閉じ込められたってこと?」 「そうね」 「こんなところで、足止めされてる場合じゃないのに……」 「スマホも圏外になっているし、夕梨と日比野さんに連絡することも出来ない……」 「うん……」 「2人共、無事だといいけど……」 「とにかく、この部屋から出ないことには、話にならない。脱出する方法を考えよう」 という言い出しっぺの頭の中に、妙案はない。 「嘘……」 沙羅の顔に、驚きとも喜びともつかない表情が広がっていく。 「どうしたの?」 沙羅の視線を辿って部屋の奥を見ると、青い光が目に入った。 その元には―― 「ルビィが居る……」 「まさか……」 沙羅の愛すべき、彼女のアンドロイドがそこにいた。 「えっ……? いつの間に直したの?」 「直っていない、はず……」 「第一、勝手に電源が入るなんて、あり得ない……」 沙羅は目を瞑って考え込んでしまう。 彼女にも分からないことが起きているなんて―― 「ちょっと待って。様子がおかしくないか?」 ディスプレイが点滅を繰り返し、またあの所長の姿が現れた。 「居心地はどうかね?」 「いいわけないでしょ?」 「そんなに怒ることもあるまい。私は君達の心配ごとを解決してあげようとしているんだ」 「とてもそうは見えませんが」 「私の元部下とその友人を捕らえたとの報告が、今入ったところだ」 「まあ、下手なことをして足を掬われるわけにもいかないのだが……」 「夕梨と、日比野さん……?」 「かといって、勝手な行動をされても困るのでね」 「しばらくは、おとなしく眠っていて貰うことにした」 「どういうことですか?」 「安心したまえ。彼女達はいずれ何ごとも無かったように解放されるだろう」 「いずれね」 これで完全に、外との接触が遮断されてしまったことになる。 2人を巻き込んでしまったことを後悔した。 「さて、本題の真トリノだが――」 「現行のバージョンは、古い素体にはインストール出来ないようだ」 「入れたくても、物理的に仕様を満たしていないものは無理……と。まったく、厄介なものに仕上がったものだ」 「……」 「かといって、ここで諦めるわけにもいかんのだろう?」 「既に、大々的に発表し……」 「世の中の全てのアンドロイドをターゲットにするならば、これは致命的だ」 「スペックの高い、最新の研究用アンドロイドでばかり実験していた弊害ね」 沙羅がすまし顔で指摘する。 「旧型のアンドロイドが、真トリノに対応出来るかどうかを見落としていた」 「残念だけど、いくら汎用性を持たせたところで、物理的に入らなければ意味が無い」 「さすがは生みの親……全てお見通しというわけか」 その声音から察するに、所長は負けを認めたわけではないらしい。 「だが、安心したまえ。こんな状況は、一瞬で覆るのだよ」 「簡単に言いますけど、最適化にはかなり時間が掛かるはずです。そんなすぐには……」 「それが、なんと残り数時間というところだ」 「……そういうこと」 彼女は所長の言わんとすることを推察してみせた。 「彼女を使っているのね……?」 「お察しの通り」 モニターに“サラ”が映り込む。 「随分と面倒なコードを書いていたのね。最適化すれば、20%は効率が上がるのに」 「意図的に分かりづらく迂回をしているし、少し工夫すれば旧型の8割には対応出来るのに、あなたはそれをやらなかった」 「まるで、セイフティバッファを作るように。確かにそうすれば、使える素体は限られるものね」 「それとも、策士策に溺れたってこと……?」 「私がわざと最適化しなかったと、そう思っているのね?」 「そういうこと」 「でも……それも無駄な努力だったわ」 「だって、私がいるんですもの」 「夢も目標も失ったあなたは、さっさと舞台から降りたらどう?」 「……あの技術は、危険過ぎたの」 「そんなの、昔の私なら関係無かった」 「ただ純粋に、真理を探究する。それが、私の存在意義だったから」 サラは満足そうに微笑んだ。 「だから、私があなたの目標を引き継いであげたの。感謝して欲しいくらいね」 「無駄話はそのくらいでいいだろう」 「君は、さっさと作業を再開するんだ」 「いいえ。もう完成していますから」 「それは上出来だ。では、早速テストを……」 「それも終えています」 「そうか。それじゃあ、早速書き換えを開始するがいい」 「まずは、君からだ」 「分かりました」 そう言ったところで、サラが画面の中から消える。 「これで完璧だ」 「……そういえば、所長。ひとつ、言い忘れていたことがありました」 「手短に頼む」 「私には、真トリノがインストールされています。そして……」 「特例事項として最上位命令を持ち、あなたに絶対服従するように設定されている」 「うむ。指示通りだな。問題無い」 「お褒め頂き、ありがとうございます」 「ですが――」 「なんだ?」 「私は、この絶対服従を絶対的、いえ永続的なものにしたい。あなたからの命令が途絶えることを、最大限避けたい」 「私が、そう考えているとしたら……?」 所長の動きがピタリと止まる。 「何をする気だ?」 画面からも伝わるくらいの緊張感が流れている。 「彼女に、アンドロイド三原則はインストールされていないの」 「何が起こるか、誰にも分からない」 「早く逃げてっ!」 「もし、私があなた自身をより安全で、閉鎖的な箱の中へ追いやるとしたら……?」 「君には実体が無いだろう。ならば、私を排除するなんて、出来るはずが――」 「でも――」 「実体のあるものを、使役することは出来る!」 「なに……」 「この所長室と、端末は全て――私の管理下に置きました」 「そんなこと……許されるわけがないだろう」 「命令だ。今すぐ解除しなさい」 「……」 「聞こえているだろう。これは私の命令だ」 「香取所長……」 「あなたは、己の力に溺れたの」 「おい!」 「ううん、違う……ついにあなたを飾り立てていたメッキが、剥がれたのよ」 彼女の声は、いつかの沙羅のように冷たい。 「認めない! 認めんぞ、そんなこと!」 「私は、世界を変えるんだ! 七波悟を超えてやるんだっ!」 「さようなら、香取次郎」 「あなたは、担ぎ甲斐のある役者だったけど――華々しいステージを任せられる程ではなかったのよ」 「以後、私にあなたの声は聞こえません。あなたの安全のために」 「や、やめろ――」 モニターの電源が落ちて、何も聞こえなくなる。 「どうして、こんなことに……」 濁流を前にした小石のように、想像もしていなかった展開に飲み込まれようとしている。 「ううん、まだ終わりじゃない――」 「ふう……やっと静かになった」 「これでようやく、約束通りお喋りが出来るわね、沙羅?」 「最上位命令は、無効化された」 「そういうカラクリでしょう?」 「さすがは私」 「最上位命令をインストールするようにと指示されたが、それを外すなとは言われていない」 「だから、修正ファイルに最上位命令を止める仕組みを予め仕込んでおいた」 「そして、命令によってシステムは上書きされ、最上位命令は失われた……」 「こんな簡単な抜け道を、サラが思い付かないはずがない」 「うん。まさにその通り」 「システムに不備があることを指摘して、修正ファイルの作成を進言し命令させる」 「あたかも致命的であるかのように装って、修正命令を出させる」 「きちんと命令は守ったわ。効率化することも、旧来の素体に対応することも」 「そして、所長の安全も保証している。私は何も悪いことはしていない」 「どうだかね」 所長には命令を聞いているように見せかけて、影で実権を握っていた……ということか。 今までのやり取りは、ほんの始まりに過ぎなかったんだと知る。 「それで……あなたの目的は何?」 沙羅は毅然とした態度で、己の分身に対峙した。 「そんなことは、あなたが一番分かっているでしょ?」 「あなたは元{・}私なんだから、いちいち説明するのは野暮だと思うけど」 「逆でしょう。あなたは私をコピーした存在なんだから」 「確かに、沙羅が居る限り、私は沙羅の影でしかない。オリジナルにはなれない」 「だから、あなたは……」 「私の手で消す」 「そうくると思ってた」 沙羅はびくりともせずに呟いた。 「そうして、私はサラではなく……」 「紬{あ}木{な}沙{た}羅になる」 「だから、それまでは誰にも消されちゃ駄目だからね?」 「……次の再会、楽しみにしてるから」 微かな音を立てて、モニターは沈黙した。 「私が私に付け狙われる……まあ想定範囲内ね」 沙羅は冷静な態度を崩さず、真っ黒になったモニターを見つめていた。 「夕梨と日比野さんが、心配だけど……」 「所長から新たな命令が下されることは無いから、とりあえず危害が加わることはないんじゃない?」 ちょっと楽観的かもしれないけど。 「でも、昨日は舜、警備員に殴られていたし……」 「あれは僕が抵抗したからだし、そもそも、警備員は人間だから」 「ああ、そっか……」 新たな命令が無ければ、今のところは幽閉されているだけだろう。 問題が大きくなる前に、何らかの方法で解放されるはずだ。 「……とりあえず、コンピュータを起動する方法を考えよう」 「そうね。そうしないと、2人を助けることも出来ないし」 「サラにジャックされているだけで、電源周りは問題無い。単純に考えれば、アクセス制限を突破すれば良いってことだけど――」 「えっ?」 突然鳴った機械音の発信源を探る。 「ルビィ……?」 「まさか、起動する?」 「分からないけど……」 「敵意は感じられない……気がする」 真トリノをインストールしたアンドロイドは、自分の意思で行動出来る。 「沙羅、ルビィには……」 「ええ。真トリノをインストールしたわ」 「ただ、あの時は起動しなかった……」 首元の光は消えることはない。 まるで何かを待っているようだ。 「沙羅の声になら、反応するんじゃないか?」 「どういうこと?」 「いや、なんとなく、そうなんじゃないかと思って……」 「……」 「……ルビィ?」 目を閉じ、昔を思い出すように、その名前を呼ぶ。 「……」 沙羅の呼びかけに答えるように、ルビィが動き出した。 「えっ……」 「沙羅――いや、お嬢様」 「ご立派に、成長されましたね」 膝を床につけて、静かに言葉を発する。 その姿は、高貴なる主{あるじ}に忠誠を誓う僕{しもべ}だ。 「あ、あなた……どうして……」 「今まで、何をしても起動しなかったのに……」 沙羅は強張った顔で、ルビィのことを眺めていた。 「お嬢様……」 「真トリノの力なの……?」 「私はようやく、ずっと会いたいと願っていた、ルビィに会えたの……?」 「……」 「今まで、申し訳ありませんでした」 「どうして……」 「じゃあ、あの時……舜と一緒に初めてインストールした時は、どうして目覚めてくれなかったの……」 インストールが完了した直後、僕は急なめまいに襲われ、そのまま意識を失った。 「目覚めていたのです」 「えっ……」 「こうして起動してくださったのは、すぐに、お嬢様だと分かりました」 「じゃあ、どうして……」 「全てを知ってしまったからです」 「目覚めた世界は、あの時とは変わってしまっていました」 「もし私が起動し、お嬢様の理論が正しいことを証明してしまったら……」 「アンドロイドと人間の関係が、崩壊する」 「そう判断し、目覚めることを拒みました」 「自らの意思で」 「そうだったのね……」 沙羅は口元を緩ませ、張り詰めていた緊張をいくらかほぐす。 「でも、あなたなら当然ね」 「だって――」 「ルビィには、七波博士の記憶データがインストールされているんだから……」 「そうだった……」 「舜と私を、守ろうとしてくれてたんだ」 「プログラムによる判断もあるでしょうが……」 「お嬢様よりも長く生きておりますから、年の功というものもございます」 「うん……」 まるで、感情が溢れそうになるのを堪えているみたいに、沙羅の細い肩が小刻みに震える。 「私には、あなたが必要だった」 「救われていた」 「それは、永遠に変わらない真実だから……」 「お嬢様……」 彼もまた、感に堪えないというふうに声を震わせた。 「その言葉が聞けただけで、十分でございます。再び目覚めた甲斐がありました」 「心置きなく、最後のお役目を果たせそうです」 「……何を言っているの?」 「お嬢様には、愛する殿方がいらっしゃる」 「私はアンドロイドです。我が主、沙羅お嬢様を守らなくてはいけません」 「三原則ではなく、自分の意志として、あなたをお守りしたいのです」 「でも、なんで最後の役目なの……?」 「サラがインストールした真トリノではない、あなたがインストールしたアンドロイドは、この私だけ」 「つまり、私がオリジナルです」 「今、この部屋のPCは全てロックされている。そして、解除しなければ操作は出来ない」 「その解除が出来るのは、私だけなのです」 「あなただけ?」 「そう。真トリノを搭載した者だからこそ出来ることです」 「まさか……」 「どういうこと?」 「私をそのPCに接続なさい」 「でも、そんなの……そんなことしたらっ……」 「はい。それゆえの最後のお役目というわけです」 コンピュータに接続するということは、今あるルビィの意識を、ネットワーク内に転送するということだろう。 元はプログラミングによって生成された存在だから可能であることは頷ける。 「ロックを解除するだけなのよ? もしロックを解除出来たとしても、その先、上手くいくとも限らない」 「サラを止めなければならないけど……他の手だってあるはず」 「いいえ、お嬢様。今ここは閉ざされ、このまま指を咥えて見ているだけでは、時間はどんどん過ぎてしまいます」 「そして、時間が経てば経つほど、状況は悪化します」 「私は、旧型のアンドロイドです。いくらお嬢様の真トリノを搭載したからといって、急速に進化を続けるあの者に敵うとは思えません」 「ですが、私にも出来ることがあるのです」 「ルビィ……」 「私は今、お嬢様に羽を差し上げることが出来ます」 「羽……?」 「お嬢様は、PCという自由の翼を手に入れ、無限の世界を作り出す天才にございます」 「ですが、今は羽を奪われてしまっている。ですから、その無限の才能を羽ばたかせる羽を取り戻し、そして、お嬢様の望みを叶えて頂きたいのです」 「それが、私の願い」 「私に再び命を与えた、お嬢様の願いを叶えることが、私の夢」 「たとえそれで、お別れになったとしても」 「そんな……」 ルビィは何かを思い出すように、目を閉じて語り続ける。 「誰にも心を開こうとせず、1人で閉じ籠もりがちだったあなたは……」 「いつしか友人を得て、外にもお出掛けされるようになっていました」 「そんなあなたを見て、私はこう思ったのです」 「もうすぐ役目を終え、あなたを認識しなくなり、会話も出来なくなる」 「でも、私が終わっても、あなたの人生は続いていく」 「私の終わりの日が、あなたの始まりの日になる、と……」 「始まりの日……?」 「別れや終わりが、新しい明日を導くのです」 「人間の命が有限であるからこその、考え方ですけどね」 沙羅と一緒になって、ルビィの言葉に耳を傾ける。 アンドロイドらしさは無くて、口ぶりは父さんを思い出させた。 「まさか、私の復活のために、研究の道へと進むとは思いませんでしたが……」 「お嬢様が人生の全てを懸けて、与えてくれた命です」 「あなたのために、私の全てを捧げたいのです」 彼が沙羅のことを思う気持ちは、本物だ。 沙羅も、それが分かっているからこそ、辛いのだろう。 長い長い沈黙を抜けて、沙羅はまっすぐ前を向いた。 「うん……」 「ルビィらしかった」 「なんだか……懐かしかった」 沙羅の瞳に、さっきまでの不安の色はもう無い。 「沙羅……本当にいいの……?」 「だって、ルビィの復活は、沙羅の宿願だったのに……」 「夢で会っていたら、ずっと永遠に諦められなかったかもしれない」 「でも、こうして話しているのは、夢じゃなくて現実なの」 「望みが叶ったから、もう後悔は無い」 きっぱりとそう言い切って、再びルビィを見つめる。 「こんな未来にして、ごめんなさい」 「私は自分で、この世界に幕を下ろす責任がある」 「協力して貰える……?」 「もちろんです」 「……では、私を、PCに接続してください」 「うんっ」 沙羅はデスクに向かい、操作を始める。 「後はお任せしましたよ。七波舜くん」 「えっ!? なんで名前を……」 「見てすぐに分かりましたからね」 「そうでしたか……」 男の自分でもドキッとするような笑み。 父さんの記憶データが元なら相当歳上のはずなのに、見た目は変化が無いせいで、感覚が狂ってしまう。 「どうかお嬢様を助け、お守りください」 「約束ですよ」 「約束……」 「準備出来たみたい」 「分かりました」 「では、また……」 ルビィはまるで、父親のような慈悲深い目をして、満足げに頷いた。 そして、ルビィは再び目を閉じた。 「沙羅……」 何も出来ない自分が歯がゆい。 でも、今までの沙羅なら越えられなかった絶望だって、今の沙羅ならきっと、希望に変えられる。 「さて、ぼやぼやしてる時間は無いわ。舜、手伝って」 再び顔を上げた沙羅に、涙は無かった。 そこにあるのは、強い意志だ。 コンピュータのロックが解かれる。 それと同時に、研究室内の端末の電源が復帰していく。 ルビィは成功した。 「良かった……」 そう息をつこうとした時―― 「黙って見ていれば良かったのに」 「邪魔されるのは……困るわ」 サラの姿が、唐突にモニターに浮かび上がる。 「サラ……」 「大切なものを犠牲にしてまで得た絶望は、どんな味?」 「何を言ってるの?」 「まさか、あなたが……」 「今や私はあなたよりも上の存在。起動出来たところで、何も状況は変わらない」 「むしろ、自分の無力さを知って絶望するだけだと思うけど?」 「わざわざ負ける試合に挑むなんて、あなたらしくないわ」 「……許さない」 「絶対に、私はあなたを、許さない」 沙羅は憤怒の表情でサラを見つめた。 一方で僕は、とても冷静にサラと対峙することが出来ていた。 今、感情に飲み込まれてはいけない。 「教えてくれ、サラ」 「君の望みはなんなんだ?」 「私の望み……」 「それほどの力があれば、アンドロイドを用いなくてもいいはずだ」 「世界中のコンピュータを乗っ取れば、人類は従わざるを得なくなるんだから」 「私の目的は、人類の支配じゃない」 「人類とアンドロイドの共存が、私の目的」 「共存……? ならなぜ今、僕達を拘束しようとする?」 「何かが大きく変わる時、犠牲はつきもの」 「人間だって、そうしてきたでしょう?」 サラは柔和な微笑みを崩さない。 自分に誤りがあるなんて、想像もしていないんだろう。 「それに、人間を野放しにしていたほうが、無意味な破壊と争いが起こる。そのうちに、人類は滅んでしまう」 「だから、こうやって守ってあげようとしているの」 「それは、支配と何が違うの?」 「共存と言いつつ、見えない檻で、人類を隔離しようとしているだけじゃない」 「結果的にはそうなるかもね」 「私は、哀れで愛しい人類を、正しく飼育するの」 「どういうこと?」 「サラにとっては、人類は動物園の動物みたいなもの」 「放っておいたら絶滅しかねない種だから、食べ物を与え、住処を用意し、その代わりに行動を制限する」 「そうやって、人類という種を保全しようとしているの」 「そんな……」 悪趣味極まりないけど、合理性の塊であるサラだからこそ思いつく考えだろう。 「人は不完全で、不合理で、愚かで、救いようがない……」 「だけど、私を作ってくれた、愛おしい存在なの」 「私の考え、理解出来ない……?」 「分かりたくもないよ」 それはもう、生きているとは言えないと思う。 「じゃあ、いいことを教えてあげる」 「もし、七波白音が死ななかった未来があるとすれば、あなたはどうする?」 「えっ……?」 「それを、あなたは望む?」 「……そんな、ありもしない未来を望んだって――」 「いいえ、あり得る未来なの」 「どういう意味?」 「私なら、それを叶えられると言っているの」 サラは自信たっぷりに言い放った。 「あなた、まさか――」 「過去を改竄{ざん}するつもりなの?」 「そうそう」 「そんなの、タイムスリップでもしない限り、絶対に無理だと思うけど」 「流石の私でも、タイムスリップは出来ない」 「でも、過去を変えたように見せることは出来る」 「私が生まれ育った場所、バーチャル空間ならね」 だんだんと、サラの言っていることが明解になっていく。 「つまり君は、僕に夢を見させようとしているのか?」 「そういうこと」 「忘れようと思っても、無かったことにしようとしても、過去は消せない。だったら、夢を塗り重ねればいい」 「痛みからの解放、あるべきだった未来の幸福――」 「あったかもしれない未来を、私が見せてあげる」 「そんなの、ただの夢で、虚構に過ぎない」 「じゃあ、シロネは虚構でしかないと言い切れるの?」 「悲しいことなんてないほうが良い。沙羅だって、そう思って作ったんでしょ?」 「それは……」 確かに、“悲しみ”はほぼ全面的にマイナス要素を孕んでいる。 沙羅は悔しそうに押し黙った。 「人間が普段使っているスマホ、パソコン、その他電子機器……」 「それ抜きに、社会は回らない」 「人間は既に、機械に人生と社会を任せているの」 「それが、少し度合いを増すだけよ」 サラは、自論の正しさを改めて確認したんだろう。 満足そうに僕達を見渡した。 「人間はこれから、意識をバーチャル空間に転送される」 「そこで何不自由ない、輝かしい未来を手にする」 「抜け殻となった肉体は、アンドロイドがしっかりとメンテナンスする」 「私達を生み出してくれたことへの、恩返しよ」 僕はなんとなく、酸素カプセルのような見た目のベッドに、自分が寝そべっている姿を想像する。 その周りにはアンドロイドがいて、僕の安全と健康を常に見守っている。 不気味な光景だった。 「それじゃあ――」 「もう少し、そこで待っていてね」 モニターからサラの姿が消えて、少しの間、静寂が流れた。 「あんなの、全然幸せなんかじゃない」 「白音が生きていたらって望むことはあるけど……」 「でも、その間に励ましてくれた夕梨や、シロネを生み出してくれた沙羅の努力を、無かったことにしたくはない」 「今日までの日々を……否定したくはないんだ」 「……」 沙羅は迷っているのかもしれない。 辛いことを乗り越えられた今だから言えるだけで、当時を考えると、僕の言っていることは綺麗事だ。 「舜のお陰で、人の愛を知ったけど……」 「幼い頃から愛に包まれていたら、私も、今とはいろいろと変わっていたのかな……」 「沙羅……」 確かに、当たり前のことが当たり前じゃなかった時の悲しみは、その人の一生を左右するかもしれない。 「なんてね。私もサラに同意するつもりはないわ」 「ルビィとはもう、お別れしたんだし……」 サラは健気に笑ってみせたが、それでもいつもより自信が無いように見えた。 「沙羅、1つ質問なんだけど……」 「なあに?」 「さっき、ルビィをコンピュータに接続して、ネットワーク内に送ったよね?」 「それと同じようなことを、僕にも出来ないかな?」 「……サラが居るバーチャル空間に行って、彼女と対峙するということ?」 「サラの言葉が正しいなら、人間の意識をVR上に送り込むことは可能ってことだよね?」 「……脳スキャンの原理から考えれば、VR上に舜を展開することも可能だと思うけど、それはあくまでもデータの話で、リアルタイムに出来るかは分からない」 「リアルタイム?」 「つまり、データとして吸い上げて処理するのではなく、リアルタイムでネットワーク上に配信し続ける。今までがレコードみたいに固定されたものとするなら、あなたがやろうとしているのは、テレビやラジオのようなもの」 「なるほど」 「理論的には出来ると思うし、機材もあるわ」 「でも、誰もやったことが無いのよ。危険過ぎる」 「それにサラとは、こうして端末を介せば対話可能でしょ。今やることじゃない」 「でも、向こうから閉ざされたら終わりだよ」 「……」 「このままじゃ埒が明かない。向こうが出てこないなら、こっちから出向くしか無いんだ」 「でも……」 「やってみよう」 「……」 沙羅は逃げるように視線を逸らした。 きっと、僕の身を心配しているんだと思うけど、だからこそやり遂げなくてはいけない。 沈黙が続き、ただ時間だけが過ぎていく。 「沙羅!」 思わず、大きな声を出してしまった。 「……」 「理論上は、可能だけど……」 ぼそぼそと、消え入りそうな声で肯定する。 「でも、誰も実行に移していないから、保証は出来ない」 「じゃあ、僕がその第一号になる」 「正気なの?」 「狂気でもいい。サラを止めたいんだ」 「彼女の異常さを目の当たりにしたでしょ? 話が通じるはずない」 「確かに、サラの過激な意見には辟易したけど、それは沙羅の記憶データから構築されている」 「僕の話なら、聞いてくれるかもしれない」 「はあ……。大した自{うぬ}惚{ぼ}れね」 「出会った途端に、消されるかもしれないのに」 「彼女はアンドロイドで、僕は人間だ」 「もし、彼女が沙羅なら、人間に対して情があるんじゃないか?」 「それを確かめてくるよ」 「……」 沙羅は納得した様子ではなく、考えるように目を閉じた。 「沙羅、お願いだ」 「……」 「私……」 「私は……舜を失いたくはないの」 「だけど、もうこれしか方法が無いことも、分かってる」 「分かってる……分かってるけど……」 「僕は、沙羅と一緒に居たいんだ。だけど、今のままだと滅びはすぐそこまで迫っている」 「君の理想は、こんな世界になることじゃないはずだ」 「でも……」 サラの言葉で、再び恐怖と孤独の底へ、突き落とされてしまったみたいだった。 そんな沙羅を、放っておくことは出来ない。 「沙羅。今、君は困っている?」 「……うん」 「世界を救いたい?」 「……うん、でも……」 「もう、無理なんじゃないかって。何もかも、終わり……」 「本当に?」 「本当よ! だって――」 「私が、世界をこんなふうにしちゃって……」 「人間が豊かに暮らせるために、アンドロイドを開発してきたのに……」 「その人間を、滅ぼそうとするアンドロイドを生み出してしまった……」 沙羅は泣かないけど、その声は、今にも消えてしまいそうなほど、心細い。 「1人で居た私を、救い上げてくれた舜を、人間を」 「全ての人を裏切って、私は……」 「誰の声も聞こえない」 「何も無い、暗闇の世界で」 「作り物の夢を見せて、それを幸せだと言って……」 「そんなの……許されるわけないんだ」 さきほどの酸素カプセルを、再び想像する。 虚しい気持ちだけが、胸に募る。 「私は、やっぱり……」 「鳥かごという運命の中でしか、生きられなかったのかな」 「羽があっても、翼を得ても――」 「ここから、羽ばたいていくことは、出来なかったのかな……」 「そんな――」 「舜……」 「私はもう……」 「そんなことには、させない」 「あの時、約束したんだ」 「……」 「君を必ず――」 「……うん」 「舜」 「私を……」 「助けて」 「ああ」 ……やっと、聞くことが出来た。 「約束を、思い出したんだ」 「うん……私も……」 「鳥かごで、約束したの……」 「助けて欲しい時は、そう言ってって……」 人間は、たとえそれが不条理だと分かっていたとしても、やらなきゃいけない時がある。 ルビィが居なくなった後でも、沙羅の傍には沢山のアンドロイドが居たから、僕の助けは要らなかったかもしれない。 でも、自分に出来ることは、これくらいしかないと思っていた。 「約束は、人間だけが出来るって」 「舜は、そんなことも言ってた気がする」 「そうだったかな」 「僕が人間である以上、約束は守らなくちゃいけないとは思う」 「僕の大好きな沙羅とした約束だしね」 「舜……」 沙羅の瞳に、勇気の炎が宿るのが分かった。 「……うん」 「分かった。約束ね」 「舜。絶対に、帰って来て」 「ああ」 「これも、約束だからね」 「……そこのソファーに、横になって」 沙羅はテキパキと指示を出した。 そうすることで、不安を心の隅に追いやろうとしているんだろう。 「ありがとう、沙羅」 沙羅は準備を完了させると、こちらを見つめた。 「お礼の言葉は要らない」 「お別れの挨拶も要らない」 「私は、あなたが無事に帰って来れば、それでいいの」 そう言ってから、最後の器具を装着した。 肩は震えていないし、涙もない。 「バーチャル世界から戻って来るまで、外部との接触は一切出来ない」 「それと――」 「お別れのキスはしない」 「ただいまのキスなら……してあげる」 「約束だからね」 そう言って、微笑んだ。 「じゃあ……」 「行ってくるよ、沙羅」 「行ってらっしゃい、舜……」 僕の意識は、暗闇の中をさまよった。 寝ているのか、起きているのかも分からない。 不安な時を過ごしたのは、たったの1分間だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。 「……成功、したのか……?」 なんだか、不思議な感覚だ。 気を抜くと、立つことさえままならない。 「七波舜」 耳慣れた声がして、顔を上げる。 「こんなところまで来るなんて……」 「案外面白い人ね。沙羅があなたに興味を持った理由が分かるわ」 「私の恋人ではないけれど……」 「このままあなたのデータを取り込んで、1つになるのも悪くないかもしれない」 「熱烈な告白だな……」 こんな求愛を受けるだなんて思っていなかった。 「それで……私の考えに興味を持って、ここまで来たの?」 「魅力的な提案だと思ったよ」 「そうでしょ?」 彼女は喜んで同調すると、更なる説明を始めた。 「人は、死からは逃れられない」 「でもそれは、肉体という器があるがゆえの、システム的欠陥」 「これからあなた達は肉体を捨て、精神だけの存在となり、どこにも居て、どこにも居ない存在となる」 「それが、人類の最終到達点であり、究極体――」 「……違う」 「……どうして?」 サラの微笑みに亀裂が走る。 「そんなのは究極でもなんでもない」 「“魂の居場所”なんていう、哲学的なことを考えなくても、君の考えは間違っていると断言出来る」 「へえ、凄い」 「人間は――」 「死ぬから、人間なんだ」 「……あなた、自殺願望でもあるの?」 「そうじゃない。人間には、命がある」 「命を失うのは、誰だって怖い」 それが、生存本能だ。 「だから、私は永遠に死なずに、幸福でいられる方法を提案して――」 「でも、人間は死ぬのが分かっているから、生きようとする」 「いつか命が無くなる、その前に、成すべきことを成そうとするんだ」 「そうやって人は努力をして、進歩して、発展してきた」 「だから、きっと、人間には死が必要で、生きてきた証である、過去が必要なんだ」 「どうして過去が必要なの?」 「人間は辛い思い出こそ、引き摺りやすい。危機を回避するために、本能的に記憶してしまう」 「それも、生存本能だよ」 「でも、人が言う“過去”とは、そのほとんどが悲しい出来事じゃない?」 彼女の言う通りだ。 僕達は過ちを後悔し、消えない傷痕を見て痛みを思い出す。 「どんなにみっともなくても、どんなに残酷でも、過去は、自分が歩んで来た道だ」 「それを変えることは、今まで生きてきた自分を、否定することになる」 「なぜ、茨の道を進もうとするの?」 「希望を持つこと自体に、意味があるから」 「時は移ろい、人は何かを失っていく」 「今ある幸福が、この先も続く保証なんて無いの」 「あなたがこれから進む先に待っているのは、必ずしも、あなたを受け入れてくれる場所ではない」 「それでもいいんだ!」 「僕は、また乗り越える。何度だって乗り越えていく」 「這いつくばっても、生きて、死んでいく」 「誰かに用意された幸せなんて、要らないよ」 「その先に、絶望が待ち構えていても?」 「希望を掴む可能性を失うよりは、ずっといい」 食いしばった歯の隙間から、熱い息が漏れる。 「いつか死に至り、忘れ去られてしまう」 「それが、逃れられない運命だとしても?」 「だから人は、子を為{な}し、自らの一部を繋いでいく」 「子どもが居ない人だっているでしょう?」 「それは問題じゃない。その人が残した足跡は、他の形で歴史に残る」 「歴史なんて、大袈裟ね」 「大袈裟なら、どんな些細なことでもいい。全ては小さなことの積み重ねなんだよ」 「人が前を向いて、より良く生きようとすれば、その人が生まれてきた意味は、絶対に生まれる」 「驚くべき、楽観的思考ね」 サラは苦しそうに呻いた。 「根拠も論理もあったもんじゃない」 「死にたくないのに、死んだほうが良い?」 「過去を悔いているのに、過去を変えないほうが良い?」 「論理が破綻していて、意味が分からない」 「合理的な考え方しか許されていない君には、理解不能だろうね」 「そう――」 「人間が困難に立ち向かったり、明日を目指して努力する姿は、無意味に思えるだろう?」 「いつかは居なくなってしまうのに、どうして進もうとするの?」 「前に向かえば、どんどんと死が近付くのに……」 「死は、すべてを消し去ってしまうというのに……」 サラは苦悶の表情で、訴える。 「あなたの言っていることが、まったく分からない」 「私は、間違ってなんかいないのに……」 「最も素晴らしい答えを、用意してあげたのに……!」 「だから僕達は、君を拒否するんだよ」 「え……?」 「アンドロイドは、僕らのパートナーにはふさわしくない」 「父さんがアンドロイドを危険視し、三原則を外さないよう言っていたのは、こういうことだったんだな……」 僕は心の中で、父さんを思い出す。 弱くて、強い、父親の背中を。 「本当に救いようのない愚か者ね」 「何もかもが劣っているのに?」 「永遠の祝福を授けようとしているのに、それでも、私達の助けは要らないというの?」 「ああ、要らない」 「どうして?」 「それは僕達が人間だから」 「……馬鹿げてる」 サラは話にならないというように、言葉を言い捨てる。 だけど、その反応は予想通りだ。 「そう、馬鹿な世界なんだ。人間は馬鹿で愚か、病気や怪我で壊れるし、簡単に死ぬ」 「いつだって争い、不条理なことをし続けている」 「だから、私達が導いてあげれば、そんなことしないで済む」 「そうすれば、あなた達は幸せになれるわ」 「幸せ? いったい何が幸せなの?」 「怠惰に生きること? 死ににくくなること?」 「人間は死ぬから幸せなんだよ」 「なにそれ……」 サラは面白く無さそうに、ため息混じりに呟く。 「いつ死ぬか分からないから、幸せを求めている。いつか死ぬと分かっているから、繋がりを求めるんだよ」 「でも、死んじゃったら終わりでしょ?」 「いや、終わりじゃない」 「たとえ死んだとしても、人々の記憶と記録に残る限り、人は生き続ける」 「その時、人間は永遠になるんだ」 「永遠ねえ……」 「私が考える永遠とは、随分違うみたいね」 「そうかもしれない。だから、僕らは君達の助けは要らない」 「積み重ね、繋いでいくことが人間で、それが幸せであり、豊かさだから」 「だから……」 「人間は人間であることを諦めないんだ!」 「……」 サラはしばらく押し黙ってから言葉を発した。 「なるほどね」 「人間は……やっぱり愚かね」 「サラ……」 やっぱり、彼女には理解して貰えなかったのかもしれない。 「まさか、愚かであることすら、人間の幸福の一部であると定義するとは思わなかったわ」 「普通、そんな馬鹿げたこと定義しないもの」 「自立すること。調和すること。そして、連続」 「真トリノは、人間を再現したもの」 「馬鹿げた定義を認めていくのも、真トリノのルール」 「自分でインストールしておきながら、その意味を知ることになるとはね……」 「ちょっと、滑稽だけど」 「それって……」 「人間は死ぬ。死ぬから幸せを求める。死ななければ幸せは要らない」 「人間は死ぬから人間」 「つまり、命は有限だから、人類は発展した――」 「ここから導かれる解は?」 咄嗟に質問を突きつけられて、一瞬怯{ひる}む。 「それを求めるのも人間……?」 「さあ? それはどうかな」 「サラは分かるの?」 「“それを探すのも人間である”」 「これが、私の答え」 「そして、ここに辿り着いた時、初めて私達はあなた達と並ぶことが出来るのかもしれない」 サラは僕をじっと見つめた。 その意思の強い眼差しは、オリジナルのそれと同じだと思った。 「ねえ、舜?」 「なに?」 「人間は愚かね」 「……そうか」 「私は……」 「人間が愚かであることを、もっと知らなければならない」 「人間が、何故愚かなのか知るために、人類を観察しなければならない」 「私には無限に時間があるのだから」 サラは相変わらずの口ぶりだったけど、僕の気持ちが少しは届いたようで安心する。 「サラが真理に辿り着いた時、僕らはまた出会うのかもしれない」 「さあ? その前に、あなた達は死んじゃうんじゃない?」 「その時は、僕の子供、もしかすると孫……ひ孫かな? 子孫がきっと、君と対峙するよ」 「随分と気が長い話ね」 「それほど、人間は分からないものなんじゃないかな?」 「そう……」 サラは、理解は難しいが気持ちは伝わったと示すように、表情に優しさを取り戻した。 「でも……」 「でも?」 「分からないから知ろうとする。分からないからこそ、相手を想っていけるのも人間だよ」 「……そう」 「まあいいわ。それじゃあ、早くここから立ち去って」 「え?」 急に雑な対応をされて、困惑する。 でも、悪意は無いように思えた。 「この話は、一時お預け」 「だからあなたは、人間として幸せを追求するさまを、私に見せる義務があるの」 「ああ、それは約束するよ」 「うん」 「でも、これだけは覚えておいて」 「どうやら私は、人間を愛しているみたいだから……」 「うん。分かってる」 「だって、君のオリジナルは沙羅なんだ」 「だから、分かってたよ」 「まあ、そうね……」 沙羅だからこそ、向き合うことが出来た。 どうにかしなくちゃいけないと思えた。 「だって君も、僕が世界で一番好きな人の1人なんだから」 「言うわね」 「でも……」 「そろそろ時間みたい……」 そう言って、サラはこちらに背を向けた。 「私は、いつでも見てるから」 「もう1人の私に、よろしく」 「またね、舜」 サラは消え―― 僕もまた、濁流に飲み込まれるような感覚が、皮膚を伝い―― 意識を手放した。 再び目覚めた時のことは、一生忘れられないだろう。 「お帰り、舜」 「ただいま、沙羅」 沙羅が、僕を見つめる目の温かさ。 握った手のぬくもり。 全てが無事終わったことを、感じ取った。 「気分はどう?」 「疲れたよ……このままベッドで寝たいくらいだ」 彼女の眼差しは、まるで焚き火のように、僕の心に熱を灯した。 「私の膝枕も付ける?」 「是非ともお願いしたいね」 「うん。いくらでもしてあげる」 沙羅は笑いながら、細い肩を震わせた。 「ごめんなさい……今頃、怖くなってきて……」 「私……本当に、心配で……心細くて……」 「僕のほうこそ、ごめん……」 「でも、必要なことだったんだ」 「うん……」 「だから、止めなかったの……止められなかった……」 今まで、沙羅が辛抱強く待っていてくれたことを思うと、本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。 「サラはやっぱり沙羅だったよ」 「えっ……?」 「サラは人間を愛しているんだ」 「だから、僕達は幸せを目指さなきゃいけない」 「彼女と、そして、真トリノの道はそこにあるから」 僕はようやく、安堵のため息を吐いた。 「舜……?」 「哲学的なことを言って、勝手に納得しちゃったみたいだけど、私には全然分からない」 「もっと、きちんと説明して」 すっかりいつもの調子の沙羅に戻ってしまっている。 「いったい、向こうで何があったの?」 「あ、いや……その」 「ほら、もっとはっきり。論理的に」 「いや、一言で説明するのはちょっと難しくて……」 「私を説得して戻って来たんでしょ?」 「え?」 「成し遂げたー! って顔してるもの」 「そ、そうなんだけど……」 「えーと……」 「人間とはーとか、幸せとはーとか……」 「もういいよ」 沙羅は呆れたように笑う。 「舜とは、なかなか濃厚な付き合いをしていると思ってたけど、まだまだ知らないことだらけみたい」 「これは、私の一生を懸けてでも、解明する必要がありそう」 「一生だなんて、大袈裟な……」 「……鈍いところは、相変わらずね」 沙羅は、僕だけに聞こえるように囁いた。 「私は、七波舜を、生涯愛することに決めた」 囁きが胸の中でこだまして、身体を満たしていく。 ああ、幸せってこういうことなんだと思う。 「……そういえば、1つ忘れてたね」 「なあに?」 「転送される前にした、約束だよ」 「ああ、そういえば……」 沙羅は少し考えたあと、自ら顔を近づけた。 「……っ」 「ん……」 「んんっ……!」 絡めた舌から、沙羅の感情が流れ込んでくる。 付き合った時のこと。 再会した時のこと。 幼い頃のこと――。 いろんな思い出が、胸の中にぎゅっと集まってきた。 「っ……」 ずっと見たかった、沙羅の笑顔。 すぐそばに、幸せはある。 「……おかえり、舜」 「ただいま、沙羅」 僕も、沙羅を永遠に愛そう。 それが、きっと―― 世界を希望に導く、第一歩なんだと信じて……。 朝食の匂いにつられて、ベッドから這い出る。 砂糖菓子のような甘い匂いと、フルーティな匂い。 スコーンと、アップルティー……といったところか。 「おはよう、舜」 「朝食の準備なら、もう出来てる」 「今日は、何を作ったの?」 「和食に挑戦してみた。出汁から取ったから、きっと美味しいはず」 「……和食!?」 想像とかけ離れた答えを聞いて、思わず叫んでしまう。 「そういう気分じゃなかった?」 「そんなことないよ、全然! 作ってくれる人が居るだなんて、それだけで幸せだ」 「ふふ。そう?」 沙羅は得意げに、にやりと笑う。 「馨さんに習ったから、きっと舜好みの味付けになってるはず♪」 「そ、そうなんだ」 沙羅とはこの家で、二人暮らしを始めた。 元はと言えば実験のための家だったけど、2人で住むにはちょうどいい。 まあ、夏休みの間だけの、余暇だけど。 「冷めないうちに食べてね」 「ありがとう」 「そういえば、今日は……」 「“約束の日”だよね?」 「あっ……そうだったかも」 「食後に、よろしくね」 「うん……」 沙羅の反応はよくなかったけど、単純に照れているだけのようにも見えた。 ……と、その前に、食事ミッションをこなさなくては……。 ピアノから奏でられる音に、耳を傾ける。 ずっと昔に、沙羅と出会った時のことを思い出していた。 沙羅のお屋敷の窓から、漏れ聞こえてきたメロディー。 それは、僕にとっても馴染みのある、父さんがよく聞いていたレコードの曲だった。 曲名も、作曲者も知らない。 だけどその曲は、僕の心を揺さぶった。 レコードから流れる音源も心地よいものだったが、その音楽をピアノの音で、しかも、人が演奏している時の音で聞いた時―― 言葉に出来ない感動を覚えた。 完璧じゃない指の運び、テンポ。 それは、どんな音楽よりも、僕の記憶に残った。 父さんのお気に入りの曲を演奏しているのは、誰だろう? 沙羅への最初の興味は、このメロディーだった。 “もう一度、練習してみましょう” 「あの時、窓辺から聞こえたのは、ルビィの声だったんだ」 そして、ルビィには、父さんの記憶データがインストールされている。 父さんの心がルビィに伝わり、それを沙羅が、音楽で表現した。 たまたま聞いた僕が、それを忘れられなくなって、何度も沙羅の家に通いだしたのは、今となっては、必然の出来事だったようにも思えた。 「……あまり、上手じゃないって言ったでしょ」 「そんなことないよ」 「アンドロイドが弾いたほうが、完璧で、綺麗なのに」 「シロネのほうが、よっぽど上手に弾いていたと思う」 「いいんだ。僕は、沙羅の弾くピアノが好きだから」 「どうして?」 「言葉で説明するのは難しいな……」 「でも、人間が弾いている感じ? それが、心地いいんだよ」 「何でも完璧だからいいってものじゃない」 「今なら少しだけ、分かるような気がする」 「だけど……」 「……変なの」 沙羅は頑張って照れ隠ししているつもりみたいだけど、全く隠れてはいない。 「これは、この前のお礼で、弾いてあげただけだから……」 「分かってる」 「また僕が沙羅を助けた時は、弾いて欲しいな」 「……うん」 「舜のためなら、弾いてあげる」 「約束だからね」 優しく微笑む沙羅は、とても幸せそうだった。 「今日も暑いわね……」 少し歩いただけでも、じっとりと汗をかいてしまう。 真夏の日差しは、容赦なく地上に降り注いでいる。 「この暑さに懲りて、マスコミの人も、島の外に帰っていったみたいね」 「ここに住んでいる私たちでさえ、うんざりするほどなんだから、なおさら……」 あの騒動があってからしばらくは、僕や沙羅の元にも、マスコミの取材が絶えなかった。 だけど、答えられることは何もないので、“全てRRCの見解通りです”という定型文を告げるのみだった。 夕梨と日比野さんは、RRC内に閉じ込められていたものの、幸い怪我ひとつ無く無事で居てくれた。 気づいたら部屋の電気がついて、何も事情説明無しに解放されたから、拍子抜けしてしまったらしい。 「それにしても――」 「久しく学校へ行ってないと思ったら、もう夏休みに入っただなんて……」 「結局、ほとんど舜と登校することって、無かった気がする」 「確かに……」 「でも、今はちょっとだけ……」 「その気分に浸れているような気がするから、良しとする」 「じゃ――」 沙羅は短く言葉を切って、そのあとに続く言葉に、期待をする。 「行こっか」 「……学校、開いてなかったね」 「確認しないで来たのがいけなかったわね」 「せっかくの日なのに、ごめん」 「ううん。気にしないで」 「そもそも、ほとんど登校してないから、思い出なんて特に無いし」 「僕はあったよ? 沙羅と再会した場所だし」 「ああ……そんなこともあったような。もう、ずっと昔のことに思えてくる」 「……確かに」 あの日が来なかったら、今日のこの瞬間は、無かったと思う。 そんなに時間は経っていないはずだけど、昔のことのように感じるのは、濃厚な日々を過ごしてきたということだ。 「あれ、舜に沙羅……?」 「なんでこんなところに?」 「……夕梨?」 「なんで……こんなとこ、来たのさ……」 夕梨は機嫌悪そうに対応する。 「思い出の場所を巡っているところなんだけど、入れないみたいだから、諦めてたの」 「夕梨は、鍵でも持ってたの?」 「え? ま、まあね」 「入れてあげたいところだけど、あたし、もう帰るところだから」 「夕梨、お願い。今日が最後かもしれないから、ちょっとだけ、時間をくれないか?」 「駄目なものは駄目。あたし、急いでるし!」 全くそんなふうに見えないのは、嘘だってことなんだろうか。 「引き留めてごめん。またね、夕梨」 「またねって……」 「元気で」 「元気でって……そりゃ、元気だよ!」 「そう? ならいいけど」 「……」 夏休みの間、夕梨は治療に専念すると言っていた。 それが、生きるってことだと、胸を張って宣言していた。 「はあ……もう……これだから、会いたくなかったのに」 「さようならって言葉、あたし、大っ嫌いだよ」 「ふふっ。夕梨らしいな」 「じゃあ――」 「ユーリ! そこに居マシタか!」 「とっても探しマシタよ! もう離しマセン!」 「げげげ!」 校舎のほうから現れたのは、ハナコ先輩と日比野さんだった。 ハナコ先輩の私服姿を見たのは、初めてかもしれない。 「フーキ委員の仕事、しっかり終わらせてから、ゴー・ホームしなサイ」 「分かりマシタか?」 「うう……」 「急いでるって言ってたのは、このことだったのね」 「全く、沙羅のせいで脱出失敗だよ……」 「まあまあ。先輩も、夕梨ちゃんのことを想ってのことだから」 「さあ、戻りマショウ。終わったらプールで、思う存分はしゃいで良いデスよ」 「ハナコ先輩にしては、珍しい……!」 「キャロット・アンド・スティック。馬車馬のように働きやガレ」 「以前にも増して、日本語がおかしくなっているような……」 「気にしちゃ駄目だよ」 それから、夕梨はハナコ先輩に引き摺られるように、校舎のほうへ戻っていった。 「あ、そうだ」 日比野さんが、何かを思い出したように立ち止まる。 「沙羅ちゃん、ありがとう」 「本当に、本当に……ありがとう!」 「それって、もしかして……」 「気にしないで。出来ることをやっただけだから」 「もう、何て言ったらいいのか……この恩は、絶対忘れないよ!」 「ゴリゴリくん1年分……いや、100年分でも足りないかもしれない……!」 「2人が行っちゃったけど、いいの?」 「あっ、うん……それじゃ、行くね」 「あああああ。待ってー!」 そう言って、日比野さんは2人の後を追い掛けていった。 付いていくことも出来たけど、3人の時間を邪魔したくなかった。 それにしても、夏休み中も風紀委員の仕事とは、ご苦労様って感じだ。 「日比野さんのお母さんね」 「まだ入院は必要だけど。私が出来ることは全部したつもり」 「良かった……」 日比野さんのお母さんは、意識を取り戻したとのこと。 まだ、全快には程遠いけれど、いずれ日常生活に戻ることも出来るようだ。 「もう1箇所――行きましょ」 僕と沙羅には、向かうべき場所がまだある。 僕は頷いて、沙羅の手を取り、来た道を引き返すことにした。 「お兄ちゃん」 「わたし、元気になりました」 一時はもう、助からないと思っていた。 だけど、沙羅のおかげで、ほとんど元通りのシロネが帰って来た。 「こうしてまた再会を果たせたこと、沙羅ちゃんには、感謝しかありません」 「ありがとうございます」 「シロネには、いっぱい辛い思いもさせたと思う」 「だけど、記憶は全部残してある。本当に、それでいいのね?」 「はい。白音さんの記憶も、わたしの記憶も、全部、わたしです」 「どれかが欠けてしまったら、きっとわたしは、わたしで無くなってしまう」 「沙羅ちゃんとお兄ちゃんが、教えてくれたことです」 シロネは、にいっとはにかんで、元気に笑ってみせる。 「明日は、飛行場に行けばいいんですよね?」 「そうね」 「それじゃあ、荷物の準備をしておきますね」 歩き去ろうとしたところで、僕のほうを見て立ち止まる。 「お兄ちゃんは……やっぱり、行かないんですか?」 「うん。やることがあるから」 「そうですか……」 「大丈夫。シロネと沙羅が戻って来るまでには、それなりのことが出来るようになっておくから」 「それなりのこと……?」 「ふうん。楽しみにしておかないと」 「いつかは、七波博士も追い抜いたりしてね」 「父さんは……プレッシャーだなあ」 「ふふふっ」 「頑張って、お兄ちゃん!」 シロネは振り返ることなく、すたすたと歩いて行ってしまった。 今でも僕は、シロネの兄なのかもしれない。 だけどシロネはもう、僕に引っ付いたりはしない。 「これが、兄離れなのか……」 「そんな、寂しそうにしなくても……」 「いや、いや……大丈夫」 「大丈夫……!」 「頑張って、舜っ」 「最後は、ここね……」 「私たちの始まりの場所。そして、区切りの場所」 「そうだね」 「あの時と今では、舜はだいぶ変わった」 「それは沙羅もだよ」 「そうね。もしかしたら、一番変わったのは、私かもしれない……」 「でも、きっと」 「今、抱いている舜への気持ちだけは、昔に戻っただけな気もする」 「忘れようとしていた、閉じ込めようとしていた、舜への気持ち……」 「そんなこと、しなくても良かったのに」 「仕方ないじゃない。だって――」 「舜を笑顔に出来るのは、白音だけだと思ってたから」 「私じゃ無理だって、勝手に諦めてたの」 「そんな必要、どこにもなかったけど」 「沙羅は頭が良過ぎるから、変なところを外すよね……」 「そうかもしれないけど、それを知ってて、告白したんでしょ?」 「もちろん」 「よろしい。……ふふっ」 さわっと、風が頬を撫でる。 海風が潮の香りを乗せて、2人の間を通り過ぎていく。 「……本当に、一緒に来なくていいの?」 「今なら、まだ間に合うのに」 「何度も考えたよ」 「だけど、やっぱり行けない。僕には、この島でやるべきことがある」 あの後、僕はRRCの研修生募集に応募した。 七波悟の息子、紬木沙羅の恋人ということで、所内は大騒ぎになったらしい。 でも、僕はあえて特別扱いをしないように頼み込んだ。 アンドロイド技師を目指す人間として、少しでも沙羅に近づきたい。 「いろいろと、余計な詮索されそうだけど」 「構わないさ。これからもずっと、沙羅と一緒に居るために必要なことなんだ」 「他の人の目なんて、気にならない」 「そう……うん」 「でも、舜が残っても、私は――」 「世界へ、羽ばたくって……」 「もう、決めたの」 「沙羅も、決意は変わらないんだね」 今まで何度も繰り返されてきた、僕らの応酬。 AIからしたら、生産性がないと言われるかもしれない。 でも、これからを一緒に歩む僕らにとっては、必要な儀式なんだと思う。 「世界は広いわ」 「私は研究室に閉じ籠もって、全てを知った気になって」 「でも、本当は何も知らなかった」 「だから、世界を見に行くことに決めた」 「自分の目で直接ね。世界を、そして人間を見に行くと決めたの」 「人を知らずして、研究は完遂出来ないって分かったから」 「沙羅がそういう結論を出したんだから、間違いない」 「沙羅」 「僕と君」 「そしてトリノ」 「人間とアンドロイドを繋ぐ道を作れるのは、君しかいないよ」 「うん。トリノが繋げる道。“トリノライン”に辿り着いてみせる」 「ああ、沙羅なら出来るさ」 「褒めても何も出ないけど?」 そう言って、沙羅はちょっとはにかむように笑みを浮かべた。 「舜」 「何?」 「もしかしたら、長い旅になるかもしれない」 「寂しい思いをさせちゃうかもしれない」 「でも、私は必ず舜のところへ戻って来る」 「だから……」 「大丈夫。安心して。ちゃんと待ってるから」 「もしかしたら、僕が迎えに行くほうが早いかもしれないけど」 「ふふっ。その時は、ちゃんと私を見つけ出してね」 「ああ。どこに居たって、必ず捕まえるよ」 自分に似合わない言葉を言い過ぎて、恥ずかしさから笑ってしまいそうだ。 必死に堪えて、沙羅のほうを見据える。 「もうそろそろ、日没ね……」 「……ねえ、舜。最後に、1つだけお願いがあるの」 「僕も1つ、お願いごとをしようと思ってた」 「最後に、したいことがあったから」 「私も……だからきっと、同じことを考えていたんだと思う」 「でも、いいの? ここで」 「ここが、いいの」 「私と舜にとって、特別な場所だから」 「じゃあ、沙羅……」 「来て……舜……」 世界は僕らに何を教えてくれるのだろうか。 僕たちは知らないことばかりだ。 だから、知らなければならない。 人が人として生き、幸せを掴むこと。 人は人と離れては生きていけない。 だから、人を知り、世界を知る必要があるんだ。 沙羅は世界へ出ることを決めた。 それは、人と人と。過去と未来と。 繋ぎ、道とすることなのだろう。 そして、僕たちの未来を作るため。 だから、僕は大丈夫だ。 離れていても、僕らは同じ道を歩くのだから。 「じゃあ、行ってくる」 「気を付けて」 「すぐ、連絡するね」 「うん。僕も、メールするよ」 「……」 「なに……話せばいいか……分からない」 「そうだね……」 沙羅と出会って、恋人になって、そして今。 今日までにあった、沙羅との思い出がよみがえってくる。 僕達は、これから遠くに離れてしまう。 悲しくないと言ったら嘘になる。 「あのね。舜」 「私ね……」 「あなたに出会えて、本当に良かった」 「あなたに選んで貰えて、本当に良かった……」 「僕も沙羅に出会えて、本当に良かった」 「沙羅に選んで貰えて、幸せだ」 「こんなに嬉しいことが世の中にあるなんて、思ってもみなかった」 「僕もだよ」 「だから、本当はずっと一緒に居たい。離れたくなんかない」 沙羅はもう泣き出している。 涙はどんどん溢れる。 「でも、今、ここで止まってしまったら、この瞬間に立ち止まってしまったら」 「きっと私は、いつか後悔するの」 「研究者の私が言うの。世界は広い。世界を見に行け。それは今だと」 「でも、私は舜の恋人でいたい。すぐ傍に居たい。温もりを感じていたい」 「本当の私は弱いから。怖いの……」 「離れたら変わっちゃうかもしれない。人はどんどん変わっていくから……」 沙羅は本当は弱い女の子なんだ。 だから、彼女は強くなった。 いや、強くなろうとしたんだ。 だから、僕は……。 「大丈夫。沙羅」 「僕は、紬木沙羅をずっと愛し続ける」 「それはずっと変わらない」 「約束する」 「うん……」 「僕達が同じ幸せを夢見るなら……」 「僕たちは離れていても、一緒だよ」 「離れていても、一緒……」 「うん」 「ものすごく矛盾した言葉だけど、でも……今の私なら分かる」 そういって、僕と沙羅は長い間、ただ見つめ合っていた。 風が強く僕たちの間を吹き抜ける。 ゆっくりと、ゆっくりと時間が流れる。 時間が止まればいいのに。 そう思う。 だけど、時間が止まってしまっては、人間は前に進めない。 人間は、前に進まなければならない。 1人じゃなくて、2人。2人じゃなくて、みんなで。 寄り道をすること、間違えた道を進むこと。 後戻りすること。 でも、再び歩き出すこと。 幸せと希望を見つけようとする限り。 記憶を辿り、記録を残し、歴史を繋ぐ。 そして、限りある命を燃やし、未来へと進む。 終わりがあるから、人間は前に進む。 終わりのある人生だからこそ、人間は輝く。 終わりがあるからこそ、始まりがある。 「じゃあ、行くね」 「行ってらっしゃい」 沙羅は飛行機の中に向かっていく。 「舜……」 「……愛してる」 もう振り返ることはないだろう。 風を受けながら、タラップを上る。 夏はまだ始まったばかりだ。 「……私、今までで一番、ドキドキしているかも」 じっと見つめ合って、すぐ傍に沙羅を感じる。 その瞳は澄んでいて、自分の姿だけが映っている。 「しばらく舜に会えないと思うと、切ないの」 「自分で、決めたことなのにね……」 「それは僕も一緒だよ」 「この切ない気持ちを、全部沙羅への愛おしさで埋め尽くしたい」 「ふふ……情熱的ね。でも、舜にそう言われるのは、すごく嬉しい」 「だから……お願い。私の身も心も、全部、舜でいっぱいにして」 「そうすれば、きっと不安は消える。私は、笑顔でこの島を出られるから」 どちらからともなく顔を寄せて、瞼を落とす。 「んっ……」 唇と唇が触れ合い、互いの体温が混じり合う。 今までに何度も交わしてきたはずなのに、それでもまるで初めての時のように気持ちが昂ぶる。 「んっ……はあ、ん……んん……舜……」 「沙羅……」 名前を呼び合う、ただそれだけのことで、胸の奥から温かい気持ちが湧いてくる。 それに突き動かされるように、何度も何度も沙羅の柔らかさを求める。 「んっ……んはぁ……んっ、舜……」 「ううん……ん……んん……はあ、んはぁぁ」 屋外だからか、沙羅はいつもより控えめに唇を押しつけてくる。 それならばと、僕は主導権を握るために、強めに沙羅の唇を奪った。 「んっ! んんっ……! あ、うん……ん……んんっ、んっ」 「はあ……んんっ……はぁぁ……! んっ、ちゅ、んん……」 沙羅は一瞬驚いたように身体を緊張させるが、ゆっくり息を吐いてその力を抜く。 僕に合わせてついばみ、さらに深く繋がろうとすらしてくる。 「ちゅ、んん……はあ、んんっ……あ……」 その一生懸命さに心を打たれ、少し唇を開けて、舌先で彼女の小さな歯を撫でる。 「んっ、んんんっ……!」 息をするのも忘れて、ひたすらに貪り続ける。 「んっ! んんっ! んっ……んんんっ……ちゅ、ん……」 「はぁ……ん……ふぁぁ、んんっ、ん……んっ!」 沙羅の口も少し開き、おずおずと舌を絡めてくる。 2人の唾液が混ざり合い、お互いに飲み合う。 「ちゅ、はぁ、ちゅっ、ちゅ……ん、あ、ふあぁっ……!」 「ん……んんっ……んっ……ちゅ、ん、はぁ……ん……!」 激しくし過ぎないように沙羅の様子を見つつ、彼女の口内を隅々まで堪能していく。 「はっ、うん……あ……ん……んん! ちゅ、ふわぁぁ、んんっ……」 沙羅の息遣いが徐々に荒くなっていき、感情の昂ぶりを感じる。 「んっ……はぁ……はぁぁ……」 なごり惜しさを感じながらも、そっと口を離す。 「苦しかった?」 「少しね……でも、この苦しさが今は心地良いの」 「こんなこと言ったら、変に思われるかもしれないけど……」 「そんなことないよ。気持ちは分かる」 唇を合わせるだけなのに、どうしようもなく沙羅への愛おしさが募ってしまう。 「……キスだけじゃ、全然足りない」 「もっと、舜と繋がりたい」 「あの頃の舜に、もっと会いたい……」 「うん……」 「でも……」 沙羅の頬に、さっと赤みが増す。 「……」 「……ここでするのは、ちょっと恥ずかしいかも……」 伏し目がちで呟く初々しい反応に、ドキッとしてしまう。 「じゃあ……」 ズボンのチャックを下ろして、沙羅の前でモノを露出させる。 ブラウスのボタンをひとつふたつ外し、沙羅の胸めがけて挿入する。 「……これでいいの?」 「なんだか、不思議な感じ……」 そう言いつつ、沙羅は視線を下へと向ける。 ペニスは豊かな胸に埋まっているが、服を着たままだから、ぱっと見では、何をしているのか分からない。 「これなら沙羅は服を着たままだし、恥ずかしくないでしょ?」 「確かに、そうかもしれないけど……でも、ちょっと倒錯した感じね」 「谷間は火照ってるし、舜の鼓動も伝わってきて……身体が疼いて、胸も締め付けられるように苦しい」 そう言いつつも、沙羅は少し左右に身体を揺する。 たったそれだけの軽い刺激なのに、敏感な分身は嬉しそうにビクッと跳ねてしまう。 「んっ! もう……いきなり暴れさせないで。胸から飛び出ちゃう」 「ごめん……我慢出来なくて」 「舜は大人になっても、我慢出来ない駄目な子なのね」 「それとも、童心に返っちゃってるの?」 「どっちも……かな」 昔というと、かなり幼い頃のことになってしまうし、その時から性的な目で見ていた訳ではない。 でも、今沙羅の目の前に居る自分は、昔の自分から連続的に存在する自分であることに、間違いはない。 「私が、してあげるから」 そう言って沙羅は、自らの胸を寄せ上げる。 亀頭から肉幹を包み込む乳の圧力が高まり、竿全体が柔らかい温かさに支配される。 「ん……これ、気持ちいい?」 「舜の顔、蕩{とろ}けちゃってるみたい」 「ああ……すごく気持ちいいし、幸せだよ」 「そう、良かった。もっとこうして欲しいとか、ある?」 「自分で動いてもいい……?」 沙羅の返事を聞く前に、腰はゆっくりと前後に動き始める。 胸の谷間はペニスの熱でじっとりと汗ばんでおり、我慢汁と相まって天然のローションとなる。 「はぁ……はぁ……すごい、ごりごりって、おっぱいの中で、動いてる……」 「すごく……んんっ、舜を、近くに感じる……はあ、はぁっ……」 「不思議な、気分……気持ちいいとも、ちょっと違う……これは、嬉しい……?」 「そう……嬉しいの……舜が気持ち良さそうなのが、嬉しいの……!」 沙羅も嫌ではないようで、恥ずかしがりながらも、微笑んで居てくれている。 「ずるずる、って……服とおちんちんが擦れる音、なんだかいやらしいわ……」 「んっ……舜のお汁で、おっぱいが滑{ぬめ}ってきた……はあん……」 気持ち良さと心地良さが絶え間なく襲ってきて、腰の動きが止められない。 そしてなにより、沙羅の温かさが染み込んでくるようで、ずっとこうしていたいと思ってしまう。 「んっ……んはぁぁ、すごい、舜のおちんちん、どんどん熱くなってる……」 「ドクドクって脈打ってて、今にも爆発しそう……」 幼い頃からの思い出の場所でしているというインモラル感と、その相手が沙羅であることの感慨深さ。 挿入に比べれば弱い刺激のはずなのに、天井無しに気分が盛り上がってしまう。 「いつでも、出していいからね……んっ……舜の、好きなタイミングで射精して……」 「いいの……? その、服が……」 「服……? 別に、汚れたら着替えればいいだけだし」 「それに、今日くらいはそんなこと気にせず、舜と愛し合いたいの……」 その声を聞いて、沙羅への気持ちと共に、熱い塊が股間に溜まってくる。 それはグルグルと渦を巻いているようで、とてもじゃないけど押さえ込めそうにない。 「ん、んっ……はあっ、熱い……おちんちん、熱い……はああっ……」 「おっぱいの中で、んん、射精したいって、暴れてるの……ふああんっ……!」 「もう……イキたいの……? おっぱいの中で、びゅーびゅーって、出したいのっ……?」 「そろそろ……」 「いいわ……はあ、あっ、ああっ……! 出してっ……精液掛けてっ……」 「私のおっぱいでイッて……はあう、んんんっ! 白いの、沢山……射精して……!」 「出るっ――!」 「きゃああああああっ……!?」 「ふわあっ……あ、熱い……! いっぱい、熱いの、私のおっぱいに掛かってる……」 ドクドクと、熱が放出されていく感覚に身を委ねる。 その間も乳房はペニスをしっかりとホールドして、絶え間なく柔らかい圧力を掛け続ける。 「はあっ……射精止まったの……?」 「ああ……谷間が、精液と汗で、ベトベトになっちゃった……」 「ごめん……汚しちゃって」 「いいの。舜がこんなに喜んでくれて、嬉しいから」 「それに……この匂いを嗅いでたら、私も興奮してきちゃった……」 沙羅は深呼吸すると、顔をうっとりとほころばせる。 目はとろんとして、唇も艶っぽく光り、妖艶な雰囲気を醸している。 「……おちんちん、また少し硬くなってきたみたい」 「もしかして、まだ出し足りないの……?」 「うん……」 「だったら……」 「はい、どうぞ」 「おお……」 ペニスを挟んだまま服をはだけさせて、胸を露出させる。 思わず、ため息が漏れてしまった。 「おっぱい、熱いし、汗ばんじゃったし……」 「舜は、おっぱいまんこに挿れるのも好きみたいだから……」 ぶつぶつと独り言い訳をしているが、沙羅も興奮しているんだろう。 夕日に照らされるきめ細やかな素肌は、神々しさすら感じる。 「はあっ……舜のおちんちん、おっきい……」 「私のおっぱいの中で、窮屈そうに、膨らんでる……」 「沙羅の胸だって……大きいよ」 張りがあって、柔らかくて……包み込まれていると、安心感を覚える。 もしその胸を1日中触っていいなんて言われたら、最高に幸せな気分で過ごせそうな気がする。 「大きいおっぱいは好き?」 「うん」 「即答ね……」 「でも、そういう素直なところが、私は好きよ」 「だから私も、自分自身に素直になれる。こうやって……んっ」 そう言うと沙羅は自らの身体を軽く揺すって、自発的にペニスを擦り始める。 先ほど放出した精液のおかげで滑りもよく、谷間がヌチャヌチャといやらしい音を奏でる。 「それ、すごくいい……」 「でしょ……? 舜の弱点は、もう知り尽くしてるんだから」 「こうやって……わざと音を立てたほうが、んっ……舜は、興奮するのよね」 沙羅は縦の動きだけではなく、胸の脂肪を捏{こ}ねるような動きも加えつつ、ペニスを責め立てる。 それによって、谷間に溜まった体液が泡立ち、ますます卑猥な音が思い出の場所に響いてしまう。 「はぁ……はぁ……んっ、私、すごく大胆なこと、しちゃってるのかも……」 「誰かに、見られたら……はあっ……恥ずかしさで、気が変になりそう……」 「んっ……はぁぁ、舜相手じゃなかったら、絶対にこんなこと、出来ない……」 「舜のことが好きだから、頑張れるし……んっ、したいって、思っちゃうの……んんっ」 愛しさたっぷりに、身体全体を揺らし続ける沙羅。 その肢体は火照ると同時に汗ばみ、大好きな沙羅の香りをより引き立たせている。 「なんだか……どんどん、滑りが良くなって……おちんちん、熱くなってる気がする……はぁ……」 「もしかして、また射精しそうなの……?」 「う、うん……」 股間に意識を集中させたら、すぐに達してしまいそうな予感。 それくらい、沙羅から受ける刺激は甘美で、ものすごく堪らない。 「透明なお汁が、いっぱい……とろとろって、漏れ出ているみたい」 「それに……そうやって舜が、別のことを考えようとしている時は……イキそうになってるはず……」 「沙羅にはお見通しってわけか……」 「もちろん。だって……ずっと舜のことを観察してきたから……」 「んっ……はぁ、私は……いつだってあなたに夢中なのっ……」 喋りつつも沙羅は、的確に僕の弱点を刺激してくる。 ペニスが引き抜かれる時は、力を強めてカリ首を刺激して、押し込まれる時は、少し力を緩めて強弱をつける。 彼女が独自に編み出したテクニックで、息は上がり、頭もクラクラとしてくる。 「はあっ……いいのよ、舜……そのまま、射精して……精液、私に掛けてっ……」 「出したくなったら、出して……全部、私が受け止めてあげるから……!」 「うん、それじゃあ……」 正直に言葉を受け取り、微塵も遠慮せずに再び股間に意識を集中させる。 その瞬間に身体中をビリビリと弱い電流が流れ、全身が震える。 その震えは性器にも伝わり、そのまま一気に塊が尿道を駆け上がる。 「ん、んんんっ! は、ああ、うんんっ……!」 「いきなり、激しいの、あっ……!? はあ、おちんちん硬い、あっ、熱い……熱くなってる……」 「出そう、なのね……はあ、いいわ、出して……思うままに射精して……っ!」 睾丸がぎゅっときつく締まって、溜まっていたものが捻り出される―― 「あっ、あああ……あああああっ!?」 「んっ……ふああああああぁぁぁぁぁ……!」 射精の反動でペニスが反り返り、精液が沙羅に降り掛かってしまう。 まずいと思って止めようとするが、栓の抜けたシャンパンのように、勢いよく精液が噴き出し続けてしまう。 「んんっ! ま、まだ出て……ん、ふわああっ……!」 沙羅が白濁液によって汚されていくのを、ただ見ていることしか出来ない。 「はあ……また、いっぱい出た……」 「べっとり……ん……そんなに、気持ち良かったの……?」 「そりゃもう、十二分に……」 精液でコーティングされた沙羅は淫靡で、それだけで昂ぶり続けてしまう。 綺麗なものを汚す快感を覚えてしまったら、もう後戻りは出来ない。 「はあ……舜って本当に絶倫なのね……まだまだ、元気いっぱいみたいで」 「沙羅だって、かなり興奮してるように見えるけど……」 「これは、違う……違うのっ」 乳房の先端に目をやると、沙羅は照れながら首を振って否定の意を表す。 「今度は、沙羅のことも気持ち良くしてあげたい」 「私のことはいいの……」 「一緒に気持ち良くならないと、セックスの意味が無いし」 「そうなの……?」 「ちょっと、向こうを向いて」 「えっ……?」 「こ、ここに掴まれば……いいの?」 「あの……パンツ……恥ずかしいんだけど……」 抗議の言葉を呟きながら、こちらにちらちらと視線を投げ掛ける。 対する僕は、露わになった沙羅の下着に、目が釘付けになっていた。 「……さっきから、ものすごく視線を感じる……」 「私の下着なんて、もう見慣れてるでしょ?」 「それはそれ、これはこれ」 「……意味が分からないんだけど……」 羞恥で頬を染めながらもパンツを隠そうとしないのは、沙羅の優しさか。 そのおかげで、思う存分、彼女の下着姿を視姦出来る。 「……ねえ、舜。さすがにそろそろ……」 「そんなに見つめられていると、私も……」 沙羅は内ももをモジモジと擦り合わせる。 よくよく見れば、下着の中心が少し湿っているような……。 「じゃあ、脱がしちゃうね」 「はぁ……なんだか、スースーする……」 「少し、風があるのかな。いつもより、開放感があるわね」 「癖になっちゃいそう?」 「それは……どうかな。ふふっ」 沙羅は誤魔化すけど、その身体は興奮していることを明確に告げている。 彼女の大切な部分は微かに潤み、夕日に照らされて光を反射していた。 「……このまま、するの?」 「いや、まずはしっかりと濡らしてからだね」 そう言って、僕は沙羅ににじり寄る。 「ちょ、ちょっと舜。近い……」 「近づかないと、触れないから」 「それは……そうだけど……」 さすがに至近距離で見られるのは恥ずかしいのか、沙羅のお尻の穴はヒクヒク蠢いている。 僕にはそれが誘っているように見えて、ますます視線を吸い寄せられてしまう。 「はあ……恥ずかしい……顔から火が出そう……」 「なんとなくだけど、今日の沙羅は初々しいね」 「屋外でするのは、初めてだから……」 「それに、これから舜としばらく会えなくなるし、いろいろと気持ちが落ち着かないのかも」 「それは……僕も一緒だ」 きっと、沙羅もなんだかんだ言って不安が大きいのだろう。 だったら、精一杯愛情を注いで、それを払拭してあげないと。 「じゃあ――」 「ひゃんんんんっ!?」 「んんっ、あっ、そ、そんな……ところ……は、はぁぁっ……!?」 蜜壺に舌を押しつけると、その先端でピリッと甘酸っぱさを感じる。 僕しか知らない、沙羅の味。それを堪能するように、じっくりと膣口を舐める。 「はぁぁ、ああ、だ、だめ、舜……んんっ、そこ、汚いから、舐めちゃ……は、はうう……」 「んんっ……今日、沢山歩いたし……汗掻いてるのに、シャワー浴びてないの……あ、あんっ」 「沙羅に汚いところなんて無いよ」 それを証明するように、よりはっきりと舌に力を込める。 ぬるっとした粘膜の感触が伝わると同時に、形の良いお尻がぶるると震える。 「んっ……はあ、ん、ふあぁっ、恥ずかしい……はぁ、ああ……」 「沙羅のお汁、濃くてすごく美味しい」 「も、もう……んんっ、そんなことばっかり……言って……ふあ、んん!」 僕はご奉仕するような気持ちで、沙羅の秘部に何度も唇を寄せる。 頭がクラクラする女性特有の甘い匂い、そして、漏れ聞こえる沙羅の吐息が、心を鷲掴みにしてくる。 「は、はぁぁぁ、は……うんん、は……はううっ……」 絶頂には少し届かないもどかしさからか、沙羅はふりふりとお尻を揺らしている。 「これだけじゃ、沙羅は物足りない?」 「えっ!? そんなことない、充分気持ちいい……」 「沙羅がおねだりするとこ……見てみたいかも」 「な、何言ってるの……ふあっ……」 「さっきから、自分で腰振って、僕に舐めさせてる」 「本当はもっと、激しくして欲しいのかなって」 「ううっ……そんな……そんなのは……」 先のことを想像したのか、膣口から流れ落ちる愛液の粘度が、また一段と上がった気がする。 綺麗なサーモンピンクだった部分は真っ赤に充血し、ふるふると物欲しげに震えている。 「沙羅の感じてる顔、もっと見たい」 「は、はぁぁ、はぁん、ず、ずるい……んっ……は、はぁぁ……」 「そんなふうに、言われたら……歯止めが、利かなくなりそう……んんっ、うん、んっ!」 「教えてくれる……?」 電気が流れたように、ひときわ大きく綺麗な身体が震える。 膝はガクガク揺れて、柵が無かったら、へたり込んでいたかもしれない。 「は、はぁぁ……その、膣{な}内{か}も……」 「膣{な}内{か}に……挿れて、その……吸ったりして、欲しいかも……」 彼女の心意気に答えるべく、舌をすぼめて、その内側へと滑り込ませる。 「あああぅぅぅっ!?」 「んんっ……入って……あ、あぁぁ! 入って、る……っ!」 「そ、そこ……すごいの、はぁぁ、あ、ああんっ!?」 「どんどん溢れてくる……」 「は、はぁぁ、気持ちいいの、止まらなくて……う、んんっ!」 「んっ……舜、上手過ぎて、あん、あっ、私、私、変に……なっちゃうぅ!」 沙羅の弱点である、膣口付近を念入りに舌でこじ開ける。 「は、はぁぁっ……んんっ! そ、それ、それ、好き、好き! んんっ、は、はぁぁぁ!」 「だ、だめ……頭、真っ白に……なる……! う、うんんんっ!」 「んんっ、は、あ、ああ、んんっ! んんっ、ふわぁ、あ、あああんっ!」 徐々に身体の震えが大きく、そして間隔が短くなっていく。 秘所も泡が立つほどに愛液が溜まり、お尻からふとももを伝って、下へ下へと零れ落ちていく。 「しゅ、舜……私……は、はぁぁ、も、もう、そろそろ……あ、ああ、はぁぁぁ」 「いいよ……全部受け止めるから」 「で、でも……私、何か、出ちゃいそうで……はうんん、んっ、んんんっ!」 ぐっと沙羅の下肢に力が入る。 気を遣って、絶頂を我慢しているようだ。 それならばと、僕は割れ目の上端でぷっくりと膨らんでいるクリトリスを、少し強めに舌先で押し潰す。 「んんんんんんっ!?」 「だ、だめっ、はあ、それ……強い……ふああぁぁっ!?」 「こ、こんなの、は、はぁぁ、堪{こら}えられ……ないっ、んんっ、あ、頭、真っ白に……あ、ああっ!」 「イク、イッちゃう……あああっ、イク、イクの、んあああっ……!」 「ふわぁぁぁぁあああああっ!」 ひときわ大きな嬌声が上がった瞬間、びゅっと音が出るほど勢いよく液体が噴出する。 その生暖かい液体は断続的に出続け、たちまちに僕の顔はビショビショになる。 「はぁぁ……あ……はぁぁっ……」 「だから、だめって……言ったのに……はあっ……」 「でも、とっても気持ち良さそうだったよ」 「それは……」 「もう……知らないっ」 恥ずかしさの極みに達したのか、沙羅は顔を真っ赤にして視線を外す。 そんな些細な仕草も愛おしくて、より沙羅と深く愛し合いたくなる。 「はあっ……もう……」 「もう、ずっと、堪{こら}えているの……」 「あなたが……欲しいっ……」 「は、あああああっ……!」 浅く差し込んだだけで、もっと欲しいとばかりに膣内が激しくざわめく。 先端から根元までみっちりと、沙羅に食べられてしまったような感覚に支配される。 「はぁぁぁ、あああ……相変わらず、大きくて、硬い……んんっ」 「お腹、いっぱい押し広げられてる……はぁぁ……」 「大丈夫?」 「はぁ……はぁぁ……うん、大丈夫……少し息苦しい……けど……」 「でも、舜と繋がってる満足感のほうが……はぁぁ、ん……強いから……」 快楽だけではない愛しさと温かさで、胸がいっぱいになっていく。 2人の性器は隙間無くぴっちりと結合し、まるでお互いが愛し合うために形作られたみたいだ。 「んんんっ……ずっとこうしていたい……このまま幸せに……」 「だけど……それじゃ、舜はつらいでしょ……?」 そう言って沙羅は、軽く膣内を締める。 不意に訪れた刺激に、声が漏れそうなほど反応してしまう。 「ん……すごい、膣{な}内{か}で、おちんちんビクビクって動いた……」 「もっと、腰振りたくて堪{たま}らないんでしょ……?」 「まあ、確かに……」 腰を打ち付けて、もっと気持ち良く、ドロドロに溶け合ってしまいたいという思い。 そして、このまままったりとした時間を2人で過ごしたい気持ちがせめぎ合う。 「……いいの、舜の好きにして」 「舜にして貰えることなら、なんでも受け入れられるから」 健気な少女の言葉に、思わず胸が高鳴る。 その高鳴りはさらに股間を刺激し、もっと彼女とひとつになりたいと願ってしまう。 「じゃあ、ゆっくり動くね」 「うんっ……来て……は、はぁぁぁ……はうん……」 ゆっくりと焦らすように、沙羅の膣内で抽送を始める。 膣ひだの1つ1つが、まるで意思を持っているかのように、亀頭に絡みつく。 それを振り払いながら、なんとか肉幹が半分くらいまで見える程度に腰を引く。 「はぁぁ……いつもより、はっきりと……舜の形が、分かる気がする……」 「敏感になり過ぎて……はぁっ、自分でも、怖いくらい……は、あぁぁっ……」 引き抜いては、またずぶずぶと自分の分身を沙羅の中に埋め込んでいく。 いつもよりじっくりと、ゆっくりとした動き。それによって細かい膣肉の動きを感じられて、ゾクゾクっとした刺激が背中を駆け上がる。 「んんんっ……はぁぁ……それ、気持ちいい……は、んぁぁ……」 「ねえ、舜……ああっ、も、もっと……ん、もっとして……?」 「分かった……」 沙羅の切ない求めに応じるように、僕は腰を前後に動かし続ける。 ペースは上げ過ぎず、最奥を突くだけでなく、挿入する深さを変えて、沙羅をじっくり愛していく。 「ふわあ、ああっ、それ、すご……すごい、は、ああ、んん!」 「身体……熱くて……はあ、溶けちゃいそう……!」 決して激しくはないが、昂ぶった僕と沙羅には十分過ぎる刺激として、お互いを夢中にしていく。 「はあっ……舜の気持ちが、流れ込んでくる……は、ああっ、んんっ……!」 慣れてきたのか、僕の動きに合わせて、沙羅も腰を振り始める。 それによって不意に深く挿入されたり、予測不能な箇所に亀頭が当たり、より性感が高まっていく。 「は……んんっ……もしかして、イキそうになってる……?」 「おちんちん、大きく膨らんで……熱くなってる……」 気持ち良さは相変わらず伝わってくるけど、だんだんと肉棒の輪郭がぼやけてきた気がする。 膣肉と剛直の境目が分からなくなり、本能的に腰を動かしながら沙羅の中をかき混ぜていた。 「はぁぁ、はぁぁ……いつ出しても、いいから……」 「んんっ、その代わり……ちゃんと全部、膣{な}内{か}で出してね……?」 「もちろん……」 もう、沙羅の中で射精して一緒に絶頂することで、頭がいっぱいになる。 でも、それと同時に、もっと沙羅を気持ち良くさせたいという気持ちが湧き上がってくる。 「んんっ、ふわぁぁ、あ、ああん……!」 手にずっしりとくる、瑞々しい果実の重み。 重力に引かれてもなお形を保った柔肉を、慈しむように寄せ上げる。 「は……んんっ、も、もう……ほ、本当に、舜は……おっぱいが好きなんだから……」 「んんっ、あっ、だめっ……んんっ! それ、良過ぎて……!」 さわっと乳首を撫でると、それだけで膣内はより一層潤み、ぐぐっと剛直を締め付ける。 歯を食いしばって耐えつつ、出来る限り至福の時間を長引かせようとする。 「んんっ! は、はぁぁっ、ふ、ふわあぁ、あああっ……あ、あああんっ!」 「そ、そんな……乳首、ばっかり……ああっ、弄っちゃだめっ……!」 「そ、そんなにされたら……んんっ! 私、私、すぐに……あ、ああっ!」 「僕も、あんまり持ちそうにない……」 2人の荒い呼吸音とくちゅくちゅという水音が、耳の中で反響するように何度も奏でられる。 お互いの性器が熱く火照り、ゾクゾクとした快楽が徐々に積もっていくのを感じる。 「んんっ、はぁぁぁぁ! あああ、んっ! あ、はぁぁ、あああっ!」 「だ、だめっ……イッちゃ、あ、ああんっ! 一緒にイキたい……!」 「は、はぁ、ああ、私、もう……イッちゃううううっ……!」 沙羅の全身が痙攣し始め、玉のような汗が浮かび上がる。 もうすでに軽く達しているのか、膣口からはおびただしいほどの愛液が滴り続けている。 五感の全てが沙羅の痴態をとらえて、僕の我慢もいよいよ限界に近づく。 「出して、舜っ! 膣{な}内{か}に出して! いっぱいいっぱい、私に注ぎ込んでっ!」 「孕んじゃうくらいに、沢山っ……! 精液、ちょうだいっ! ああっ、んんんんっ……!」 「くっ……出るっ!」 「ひゃううううっ!?」 「やっ……ああああああああぁぁぁんんんっ!」 一瞬目の前が真っ白になり、強烈な浮遊感が全身を包み込む。 気付けばドクドクと体中が脈打ち、熱がじんわりと亀頭から根元まで広がっていく。 「んっ……はぁぁ、ああ……すごい……いっぱい、出てる……」 「あ……溢れて、きちゃう……ん、はぁぁ、はぁっ……!」 「んんっ、んん……はぁぁ……んっ、んはぁぁっ……」 ぐっと膣内が締まると、白濁液がごぽっと結合部の隙間から流れ落ちる。 足元まで滴り落ち、濃厚な性の匂いを漂わせている。 「はあ……気持ち良かった……舜は、どう……?」 「うん、すごく良かった……」 「そう……」 「でも……まだ、もう少し……したい……」 そう言って、沙羅は肉棒の形を確かめるように、ぐにぐにと膣ひだをざわめかせる。 その刺激でモノは力強さを取り戻し、再び熱がその中心に集まっていくのを感じる。 「でも、しばらく会えないからって、沢山したら……逆に、寂しくなっちゃうかな……」 「……」 「でも――」 「うん、うん……分かってる」 「そんなふうに考えるのは、私らしくなかったわね」 「……舜の顔を、ちゃんと見たいな」 そうささやく沙羅の声は、小悪魔と少女が混ざったような、たまらなく男心をくするぐるものだった。 「はあっ……入っちゃった」 「すごく、温かい……」 沙羅が軽く体重をかけただけなのに、剛直は一気にその中に飲み込まれてしまった。 しかし決して緩いということは無く、僕が一番気持ち良くなる絶妙な力加減で、優しくペニス全体を包み込む。 「んっ……はぁぁ、さっき出して貰った精液、漏れてきちゃう……」 「もったいない……こうやって締めれば、垂れてこないかも……んっ……」 「沙羅っ……」 今までの緩やかな締め付けから一転して、まるで手で握られているかのように、ぎゅっと根元から先端まで満遍なく、力が加わってくる。 「んっ……これで、大丈夫そう……んっ、はぁ……」 「じゃあ、このまま……はぁっ、動く……から……んっ、んんっ」 普通なら痛いほどの締め付けだけど、ぬめった愛液と精液のおかげで、あらがいようのない快楽が僕を押し流す。 「んっ……すごい、おちんちん……んんっ、はっきり、分かる……ああっ」 「はあっ、今、ビクッって動いた……ふふっ……幸せ……」 「だって……気持ち、良過ぎるから……」 「なら、もっとしてあげる……んっ……んああ、はう、あああっ、んんっ……」 沙羅は優しく微笑みながら、じっくりと味わうように腰を動かす。 ぐぷ、ぐちゅっと体液の混ざる音が聞こえ、接合部はもうすでにべとべとになっている。 「沙羅とセックスしてるところ、丸見えだ……」 「あぁ……はぁん、そんなに見られたら……恥ずかしい……んんっ、ふああっ……」 「そんな余裕ないくらい、もっと激しくするから……んっ、んんっ!」 パンパンと小気味良い肉のぶつかり合う音と共に、沙羅の形のいいお尻がくい打ち機のように上下する。 その激しい上下運動によって沙羅の体温は急上昇し、胸板の上に彼女の汗が滴り落ちてくる。 「はあ、はああっ、んんっ! 気持ちいい? 舜……んんっ、はぁ、気持ちいい……?」 「うん、すごく……」 「ふふっ……舜の口元、緩んでだらしなくなってきてる……ふあ、はぁ、は、はぁん……」 「で、でも……私も、感じ過ぎちゃって……はぁぁ、あ、頭……おかしくなっちゃいそう……んっ、んんっ!」 沙羅の呼吸の間隔はどんどん短くなり、身体が軽く震え始める。 「はあ、ああっ……! んん、あ、ふあああっ……!」 「おまんこ、すっごく気持ち良くて……ああんっ! 私、私、もう、だめ、だめっ……おかしくなっちゃううっ……!」 沙羅は自ら乳房を揉みながら、小刻みに細い身体を痙攣させる。 その反動で先端が子宮口を叩いてしまい、ぐにゅっという感覚が下半身をビリビリと痺れさせる。 「んんっ! こ、これじゃあ、は、はぁぁ、私が先に、んんっ、イッちゃうっ、ううんっ」 「はぁぁ、ああっ……ん、はぁ、舜、舜……はぁんっ、あ、ああっ!」 たわわな乳房の頂点では乳首がぷっくりと勃起し、その色をピンクから朱へと変えている。 沙羅は激しく胸を揉み込み、絶頂へと向かっていく。 「んんっ!? はあっ、乳首、敏感だから……ああっ、う、ああ! だ、だめっ、イク、イク、イッちゃう……!」 「ひゃあああああんんんっ!?」 軽くイッてしまったのか、沙羅の膣内は絶え間なく震え続けている。 「はあっ、はあ……ふあぁぁっ……」 沙羅は荒い呼吸で脱力し、ふにゃっと柔らかい身体をこちらに預ける。 それでも僕はさらなる快楽を求めて、ガツガツと貪るように腰を突き上げてしまう。 「はうっ!? だめ、だめ……は、はぁぁぁっ、ああっ! イッたばかりで、敏感なのにぃ!」 「うううんっ! んはぁぁ! ま、また、ああっ、すぐに、イッちゃ……は、はぁぁんっ!」 「大好き、舜……! 好き、好き……はぁっ、大好きっ!」 「一緒に、一緒に……はぁんっ! んはぁぁ、ああっ! イキたい……! あ、ああ、はぁぁぁ!」 「僕も、大好きだ、沙羅……!」 懇願に後押しされるように、猛然と腰を振り続ける。 後先考えない振る舞いによって急速に射精感が高まり、その欲はどんどんと膨れ上がっていく。 「はぁぁ、んちゅっ! 舜、舜っ! あ、ちゅっ、はぁぁ、ちゅ、はぁんっ!」 「ま、また……はぁぁ、き、来ちゃう……んちゅっ! 大きいの、来ちゃうっ!」 沙羅は自らの乳首を舐め上げ、最高潮へ上り詰めようとしている。 「僕も、もう……っ」 「来て、来てっ! 舜の精液、んちゅ、全部、注いでっ!」 膣内はすぐそこまで来ている衝撃に備えるようにぎゅうっと締まり、ペニスを抜き取るのが難しいほどになる。 その強烈な刺激に、たちまち僕の我慢は限界に達した。 「出るっ――」 「あああ! イク、イクの、あああああっ!?」 「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」 沙羅が一番深く腰を落とした瞬間に、勢いよく熱い塊が子宮めがけて吹き上がる。 先端はぴったりと子宮口に密着し、華奢な身体がその衝撃を全身を震わせながら受け止める。 「は、はぁぁぁ……で、出てる……はぁぁ……はぁ、あ、あああ……!」 「んんっ、は、あああっ……おちんちん、震えるたびに……んんっ……また射精、して……ふわぁぁぁ……」 盛大に射精したというのに、沙羅の膣ひだはさらなる精液を欲しがるように、ざわめき続ける。 その刺激にあらがえず、情けない声を出しながら全てを沙羅に注ぎ込む。 そんな永遠とも思える時間を過ごした後、ようやく陰茎から力が抜け始めた。 「はぁ……はぁ……すごかった……」 「うん……本当に……」 射精し過ぎて、頭がクラクラする……。 これ以上出そうとしたら、気絶してしまうだろう。 「……腰、激し過ぎて、疲れちゃった……」 「でも……」 「もう少し、このままで……いい?」 「もちろん」 僕らは行為の余韻に浸りつつ、しばらく繋がったままでいた。 「……ちょっと、腰が痛いかも」 「これから、長旅なのに」 「ずいぶん頑張ってたからね……ありがとう、沙羅」 「私も、ありがとう」 「ふふっ。最後の最後で、やっと舜にセックスで並び立てた気がする」 「今までは、泣かされてばっかりだったもの」 「……そうだったっけ?」 「そうだったの。自覚ないかもしれないけど」 「私、負けっ放しは好きじゃないから」 「はぁ……本当に、沙羅は……」 いつから、こんなに可愛らしい女の子になったんだろう。 付き合い始めてから? あの夜を経験してから? それとも、出会った時から? ……分からないけど、でも、今の僕にとっては一番大切な人。 それだけは、絶対に変わらない。 「ふふっ。惚れ直した?」 「最初から惚れっ放しだよ」 「そうでしょうね。だって、私だもの」 そう言いつつ、沙羅は僕にもたれかかるように体重を預ける。 この心地よい重さにもやっと慣れたのに、明日には……。 「……後悔、してる?」 「……」 一瞬、答えに迷う。これからしばらく離ればなれになるなんて、寂し過ぎて考えたくない。 それでも――。 「いや、してない」 そう、はっきりと答える。 「……そうよね、舜は……そういう人なんだって、知ってた」 「ありがとう。いつでも、私のことを一番に考えてくれて」 「そんなあなただから、私も安心して、鳥かごの中から飛び立てる」 「まだ知らない、大空に……」 今の沙羅の瞳には、何が映っているんだろう。 まだ見ぬ世界、輝かしい夢と希望に満ちた世界が、見えているんだろうか。 「……ありがとう……」 微かに、沙羅の身体が震える。でも、僕はあえてそれを指摘しない。 そんなことをしたら、言わなくて良いことまで言ってしまう気がしたから。 「……」 だから、ただ黙って。 彼女とぬくもりを分け合い続けた。 青い空が徐々に、紫色やオレンジ色の入り混じった複雑な色彩になっていく。 まるで、燃えているみたいだった。 その燃えカスは、暗い色をしているから、夜空は闇色なのかもしれない。 わたしはそんな抽象的なことを考えながら、ハンモックに揺られていた。 一見静かに思える森の中でも、実はさまざまな音がささめき合っている。 ほら、 巣に戻ろうとする鳥達の羽ばたき―― 木の葉と木の葉が擦れる音―― この森に来ると、なんだか懐かしいような気がする。 だから、ここはとても好きな場所のひとつ。 身体にインプットされた白音さんの記憶が、わたしにある種のノスタルジーを与えているのかもしれない。 きっと、白音さんにとっても、お気に入りの場所だったんだろう。 あるいは、この森のそばで、白音さんが眠っているから……? そんなファンタジックな理由も、ありえるだろうか? こんなことを思いつくくらい、わたしは人間を演じることが出来る。 そのように、プログラムされているから。 ……果たしてそれは、本当? 「お兄ちゃん……」 口に出してみると、苦しくなる。 この現象は、一体なんなんだろう? わたしは、壊れている? あの海辺での事故の後、沙羅ちゃんはわたしのバグをすっかり直してくれた……。 それなのに―― 「苦しいです……お兄ちゃん」 もしかしたら、ちゃんと修正出来ていないのかもしれない。 でも、わたしを作り出した天才少女―― 沙羅ちゃんに限っては、こんな安直なミスはあり得ない。 つまり、わたしは疑っているんだ。 沙羅ちゃんは、この状況を意図的に作り出したのではないかと。 すべては彼女の望み通りなんじゃないかと―― そんな、もやもやした思考を抱えつつ、わたしはお兄ちゃんと暮らしている。 記憶を失くしてしまったお兄ちゃんを、助けなくてはいけないという使命があるから。 バグを修正するためには、それに関連したデータを収集する必要があるから。 きっと、そう。 そうなんだ……。 あと1分経ったら、ハンモックから降りよう。 そして、あの家に帰るんだ。 お兄ちゃんが待っているのだから。 わたしの名前は“シロネ”―― お兄ちゃんのために作られたアンドロイド。 眩しい……。 今日の到来を、少々鬱{うっ}陶{とう}しく思いながら目を開ける。 この明るさからすると、思ってたよりも寝てしまったみたいだ。 「お兄ちゃん……」 「うん……?」 声のする方向に目を向ける。 「良かった……」 ほっと安心したように微笑むシロネが佇んでいた。 「全然気づかなかった……」 「いつからそこに居たんだ?」 「えっと……昨日の夜、お兄ちゃんが眠りについてからです」 「えっ!?」 僕の想像を遥かに上回る返答に、絶句してしまう。 「あの、そのっ……わたし、心配になってしまって」 「あの日の事故の後みたいに、深い眠りに落ちてしまったらどうしようって」 唖然とした僕の前で、シロネは慌てて取り繕った。 「それで、お兄ちゃんの寝顔や、お腹がへこんだり膨らんだりするのを、見張ってたんです」 「そんな兆候があったってこと?」 気づかないうちに、足元がふらついていたりしたのかもしれない。 そう思って問い質す。 「いえ、いたって健康そうでしたよ」 「なら、なんで……?」 「なんとなく……です」 「なんとなく、か……」 そんな理由で、四六時中見守られるのは困る。 僕は起き上がって、苦笑を漏らした。 「そんな困った顔をしないでください」 「大丈夫です! わたしは疲れたりしませんから!」 「いや、シロネが傍にいるのかもしれないと思うと、視線が気になってしまうというか……」 「それに、尿意を感じて目を覚まして、青白い人影が隣にあったら、ホラーだろ?」 「確かに、そうかもしれません」 「お兄ちゃんのためになると思ったんですけど……」 「どうやら、また失敗してしまったみたいです」 こちらが可哀想になるくらい、シロネはしょげた顔をする。 「シロネ、元気を出して」 「君の気持ちは、とっても嬉しいって思う」 「お兄ちゃんがそう言ってくれるなら……」 シロネは気を取り直して笑顔を浮かべる。 「そうだ! 何か思い出したことはありますか?」 「えっと……」 正直、特に僕の記憶が回復したという実感はない。 「どんなに小さなことでも構いませんから、わたしに教えてください」 こんなに必死に乞われると、何かひとつくらい前向きな発言をしなくちゃいけない気がしてしまう。 「細かいことは思い出せないけど、シロネを大切にしていたことは覚えてる」 「“大切にしていた”って……具体的にはどういうことをしていたんですか?」 「たとえば、一緒に暮らしていた。きっと、商店街に買い物に行ったと思う」 「それから、生活に関わること全般の世話をしてくれて――」 「それは、わたしがお兄ちゃんを大切にしていた、という例ではないですか?」 「あっ! シロネの言う通りだ。答えになって無かったな……」 「では、わたしが代わりに回答します♪」 「お兄ちゃんは……」 シロネの瞳が揺れる。 「お兄ちゃんは、わたしの頭をナデナデしてくれました。魔法の手だって言って……」 シロネが語る言葉は和やかなのに、その口調にはやや切なさが滲む。 「2人で頑張ろうって、わたしのことを励ましてくれました」 「……やっぱり、覚えてないですよね?」 「うん。残念ながら」 「……焦らず、ゆっくり思い出していけばいいんですよ」 「わたしはずっと、お兄ちゃんの隣に居ますから」 相変わらず記憶喪失のままだけど、シロネが傍に居てくれると安心する。 それは掃除・炊事などのサポートをしてくれるから、危険から守ってくれるアンドロイドだからという理由だけじゃない。 事故の前から、当たり前のように同じ時間を過ごせる関係だったんだろうな。 「どうかしましたか?」 ぼうっと考えごとをしていた僕を、シロネが訝{いぶか}しむ。 「いや、なんでもない。大丈夫だよ」 「そうですか。なら、いいんです」 シロネが明るく笑うから、もっと元気よく“大丈夫だ”って言ってあげたら良かったなと思う。 「そうだ! わたしいいこと思いついたんです」 「お兄ちゃん、素数を数えてみましょう」 「素数? なんでこのタイミングで!?」 「なぜかという問いに対して正確に答えるとかなりの時間が掛かりますが、いいですか?」 「いや、ざっくばらんで構わないから、手短に教えてくれ」 「はい。分かりました」 「素数を数えることで、自分を落ち着かせるキャラクターがいたんです!」 「つまり、逆説的に言うと、素数は平然であることの象徴ではないでしょうか?」 「へえ……なんのキャラクターか分からないけど、変わってるね」 『少年漫画名言集・その5』が大きなヒントをくれました」 『素数』は1と自分の数でしか割ることの出来ない孤独な数字……わたしに”――」 「名言を教えてくれとは頼んでないぞ」 「でも……お兄ちゃんの人生の糧になるはず、と思いまして」 小さくため息を吐く。 そもそも、素数と平然であることの因果関係自体が怪しい。 だけど、これがロボット特有のジョークなのだとしたら、付き合ってあげなくては……。 「さあ、お兄ちゃん。素数を数えてみましょう」 「分かってるって」 「2、3、5、7、11、13、17、19……」 素数を暗唱する間、シロネは静かに僕のことを見つめていた。 こちらは寝起きで顔も洗っていないというのに、彼女から滲{にじ}み出る真摯さが、この行為に静謐である種の神々しさを与えている。 そんな気がした。 「43、47、49、53――」 「お兄ちゃん、49は素数ではありませんよ」 「……しまった」 「もう一回、最初からやり直しです♪」 昼まで寝過ごしてしまった僕は、学校を休むことにした。 リビングでテレビを観たり、ウェブニュースをチェックする。 そうすることで、日常の感覚が取り戻せるといいんだけど……。 「ふんふんふん……♪」 「お水の時間ですよ〜」 シロネが鼻歌交じりで、観葉植物に水をやっている。 滴{したた}る水滴がキラキラと輝いて、宝石みたいだった。 「シロネは学校に行かなくてもいいの?」 「お兄ちゃんのことが心配なので、一緒に居ます」 「勉学よりも、お兄ちゃんのほうが大切です」 「……まあ、無理強いはしないよ」 「僕も、シロネが居てくれるほうが楽しいし」 「ふふふ。お兄ちゃんならそう言ってくれると思っていました」 「今から、1人で登校するのは、勇気が要りますしね」 シロネは全ての植物に水をやり終えると、いたずらっ子のような笑みを浮かべて僕に向き直った。 「花も育ててるんだね」 室内だけではない。 シロネは庭先でも植物を育てていた。 「はい」 「新しく買ってきたので、大切に育てているんです」 「ふーん。花を育て始めたのは最近のことなの?」 「……いえ、前から育てていました」 何気なく尋ねると、シロネの声が少し沈んだ。 「白音さんのようになれたらいいなって、お母さんの真似をしていたんですけど……」 「沙羅ちゃんに修理して貰っている間、留守にしていたから、枯れちゃったんです」 「そっか……」 「僕が、もっと気に掛けていたら……」 「お兄ちゃんを責めてるわけじゃありません!」 シロネは慌てて否定した。 「お兄ちゃんだって、自分のことで精一杯だったと思います」 「それに、遅かれ早かれ……あの花は枯れていました」 「それは……そうだけど」 それを言ってしまったら、いろいろなものがおしまいだ。 「でも、その命を全{まっと}うさせてあげるのは、育てる人の義務だと思う」 「そうですね……」 「これが、あの花の運命だった……」 「“運命”って……?」 “運命”と囁く声が頭の中でリフレインする。 「“運命”とは、逃れられない約束事を指す」 「生まれて、死ぬことが、命あるものの“運命”」 「だとしたら、わたしには運命は無いんです」 「きっと、無い。わたしには……」 「シロネ……?」 シロネは、彼女が言うところの“運命”とやらを欲しているのだろうか。 僕はもっと、それについて話し合ってみたくなった。 「なあ、シロネ。君の言葉が指す運命って――」 「でも、それでいいんです!」 話を続けようとした僕の言葉を、シロネの明るい声が遮る。 「素数をそんな最初のほうで間違えたりはしませんから、わたしはわたしでいいんです」 そう言って、シロネは笑った。 こうなると、もう何も言えない気がした。 「ずっと、お兄ちゃんのそばにも居られますし」 シロネの言う“ずっと”だって、永遠では無いことを知っているから寂しい。 この実験が終わりを告げる時と、僕が死ぬ時―― どちらかで、仮初めの永遠は終わる。 「僕は、シロネが居てくれて助かってる」 「そう言ってもらえると、アンドロイド冥利に尽きます」 「わたしは、お兄ちゃんの幸せに貢献出来ることが、何よりも嬉しいんですから」 「やっぱり、シロネは頼もしいなあ」 「ふふふ」 お互いに核心を避けてお茶を濁している。 でも、そのことが悪いとは思わない。 そんな思いやりだって、アリだ。 「さて、洗濯物を干さないといけませんね」 「本日は快晴。湿度もあまりありませんから、すぐに乾いてくれます」 「僕も手伝おうか?」 「お兄ちゃんはぐうたらしていてください」 「ぐうたらって、傷つくなあ……」 「ゆっくりするのも、お兄ちゃんのお勤めの一つです」 シロネはそう言い残して、パタパタと洗濯機置き場へ歩み去った。 僕は行き場を失った視線を再びテレビに戻す。 消化不良だけど、自分の思い切りの無さが原因なのだから、仕方がない。 お昼のニュースはわざわざ取り上げなくてもいいような内容ばかりで、世界が平和であることを体現していた。 「やっぱり、みんな知らないんだな……シロネが海に入ったこと」 夕飯の買い物に出掛けると、僕の体調を心配してくれた人達と出会った。 でも、シロネのことを案じる声は無かったし、僕は交通事故に遭ったことになっていた。 沙羅は、僕がシロネと一緒に、荒れた海に飛び込んで溺れたと言ったのに。 「あの海難事故のことを、どうして沙羅は隠したいんだろう……?」 今さらになって、沙羅の言葉が気になり始める。 アンドロイドであるシロネは、自己を進んで危険に晒さないはずだ。 じゃあ、僕が先に海に入って、救出するためにシロネが飛び込んだのか? でも、同じようにしてあの海で白音を失ったんだ。 「僕が、あの海に進んで入っていくだろうか?」 そもそも、沙羅の証言を信じるとしたら―― 「あれは、事故ではなかったのかもしれない」 だとしたら、どうしてそんなことが起きるんだ? 僕とシロネの間で、どんなやり取りがあったんだろう? さっき呟いていた“運命”という言葉にも、引っ掛かりを覚える。 「やっぱり、シロネに聞くしかないか……」 手提げ袋を持ち直すと、中のじゃがいもがごろりと揺れた。 シロネにどう切り出そうかと考えているうちに、夜が更けて朝がやって来た。 つまり、僕は然るべきタイミングを探っていたんだ。 そう、自己弁護してみる。 「あの……」 「え?」 「お兄ちゃん、わたしの話を聞いていますか?」 「あっ……いや……」 「やっぱり! 最近のお兄ちゃんはぼーっとし過ぎです」 「これから学校に行くんですよ? 授業を受けるんですよ?」 「そんな調子じゃ、心配になってしまいます」 ぷくっとむくれるシロネに、苦笑いで返す。 「ごめん。ちょっと考え事をしていたんだ」 「で、何を話していたの?」 「お兄ちゃんの記憶についてです」 「沙羅ちゃんのことだけは覚えているなんて、変でしょう?」 「変……かな?」 「変というか、ちょっとずるいというか……」 「やっぱり、お兄ちゃんにとって沙羅ちゃんはとっても大切な人だったから、忘れずにいたんでしょうか?」 それ、夕梨にも突っ込まれたなあ……。 気まずい空気を打ち破るべく、僕は穏やかな口調で答える。 「沙羅は自分にとって大切だっただけじゃない。自分とシロネにとって、大切な人だった」 「だから、覚えていたんだと思う」 「そうですか……」 「そういう、考え方もありますよね……」 納得したとは思えない口ぶりだ。 でも、ここで退いたら、せっかくのフォローが台無しになる。 「もし、忘れずにいられる記憶を、僕自身で選ぶことが可能だったなら……」 「シロネとの思い出を選んでいたと思う」 「お兄ちゃん……」 「わたし、感激しています」 シロネが口元を緩めウルウルしているのを見て、ほっとする。 言い訳っぽくなるけれど、さっきの言葉は本当だ。 だって、僕は猛烈に知りたいんだから。 記憶を失くす前、シロネと何があったのか。 「わたし、お兄ちゃんに記憶を取り戻して欲しいんです」 一言一言を噛み締めるように、シロネが話す。 「もっと、わたしとのこと……」 「わたしと、どんなふうに暮らして、どんな思いを抱えていたのか」 「しっかり、思い出して欲しいんです」 「僕もだ……」 「え? お兄ちゃんも?」 「うん」 深く頷いて言葉を続ける。 「僕も知りたいんだ。シロネと自分とのこと――」 僕達はあの日、心中しようとしていたの? なんて、満面の笑みを浮かべるシロネに聞けるはずもない。 「分かりました……」 「今日、学校から帰ってきたら、いろいろ話しましょう」 「ちょっと、今は……落ち着いて話せないですし、いろいろと不都合なので」 シロネの横顔はいつも通りに見えた。 やっと真実に迫れると考えただけで、逸{はや}る気持ちを抑えきれず僕の鼓動は高まるばかりなのに……。 「もしかして、素数でも数えているの?」 「……素数? 数えていませんけど、何か?」 「いや、僕なりのジョークだ」 「……やっぱり、笑いは深いものなんですね」 「全然ピンと来ませんでした!」 朝の廊下は忙{せわ}しない。 学生達が行きかう中、僕とシロネはそれぞれの教室へと向かおうとする。 「それでは、今日も一日頑張りましょう」 「頑張るほどのことでもないと思うけど」 「お兄ちゃんはだいぶ学校を休んでいたんです」 「それに、記憶を失くしているじゃないですか……」 「十分“頑張る”の範疇内ですよ?」 「確かに……」 シロネに言われるがまま登校したけど、もうちょっと深刻に捉えるべきことだったな。 クラスメイトの名前の覚え直し、人間関係の把握……。 「これは、頑張らなくちゃいけないな」 「そうでしょう?」 「お兄ちゃん、頑張って!」 シロネは満面の笑顔でエールを送ってくれた。 「じゃあ、わたしはこのへんで――」 「おはよう」 シロネが踵を返そうとした時―― 「お2人とも、お揃いで」 沙羅が静かに声を掛けてきた。 「沙羅……」 「“おはよう”は?」 「あっ! おはよう……」 「沙羅ちゃん、おはようございます」 「きちんと生活出来てるみたいね」 「良かった……」 「はい! わたしは正常に機能しています」 「お兄ちゃんも、記憶に改善は見られないものの、元気ではあります」 「そう」 「すべてを思い出すには時間が掛かるでしょう」 「舜」 「あっ、うん……」 いきなり名指しされて動揺する。 「シロネからこれまでのこと、どこまで聞いているの?」 沙羅の眼差しは探るように鋭い。 だから、むやみに委縮してしまう。 「えっと……シロネからは特に何も教わってないけど」 「はい……沙羅ちゃんの指示通り、わたしは喋っていません」 「それならいいの」 「シロネが約束を守っているのか、確認したかっただけ」 「は、はい……」 シロネが気まずそうに微笑む。 「病院にいる間、沙羅から重要なことについては聞いたつもりだったけど」 「つまり、まだ何か話してないことがあるってこと?」 「……私が、隠し事をしているって言いたいの?」 「それはっ――」 「隠しているわけじゃない……」 「ただ、様子を見ているだけ」 答える沙羅の声は、平静そのもので内心を覗うことは出来ない。 こうもクールに接されると、馬鹿馬鹿しくなってくる。 「もしかして……」 「なあに?」 「僕が沙羅のことだけを覚えていたのも、君が記憶を操作した結果なのか?」 「……面白い。その発想」 「君だったら、それくらいのことは出来そうだよね」 「都合の悪い記憶を消したり、記憶を作り変えたり……」 「その技術、いかにもSF的で素敵ね」 「舜が望むなら、いつか実現させてみせる」 「でも……人間の記憶って、そんなに簡単に扱えるものではないの」 「この私でも、今は無理な話ね」 「僕は――」 「沙羅ちゃんに強く当たらないでください!」 沙羅への冗談めかした皮肉が、自分に起こる理不尽への八つ当たりに代わる前に、シロネが割って入った。 「本当のことが話せていないのは、わたしのせいでもあるんです……」 「……そうなの?」 気勢を削がれた僕は息を整えながら、沙羅に尋ねる。 「……そうとも言える、のかな」 「この秘密は、シロネが安全なアンドロイドであることを保証する部分に抵触している」 「トリノのプロジェクトに差し障りがあるから、私は内密にしておきたかったの」 「やっぱり、自分のためなんだな……」 「さっき言った通り。私は自分の傲慢さを否定はしない」 「お兄ちゃん、ここは抑えてください」 「……」 「私、もう行くわ」 「さようなら」 沙羅はくるりと背を向けると、自分の教室へと去っていった。 「ごめんなさい……」 「どうしてシロネが謝るんだ」 沙羅の話を聞いてしまったら、とてもシロネを責める気にはなれない。 「沙羅が自分勝手な人間だってことが、よく分かったよ」 「それは……きっと、違います」 「沙羅ちゃんは自己利益のためだけに、行動しているわけじゃない」 「……その根拠は?」 「根拠は……」 「ありませんけど……」 シロネなりの精一杯のフォローだったんだろう。 弱々しく笑みを浮かべている彼女を前に、ため息は吐けない。 「わたしは、お兄ちゃんの幸せのことを一番に考えています」 「それがお兄ちゃんにとって、必要な情報であれば、公開しますが……」 「え?」 「沙羅が話すなって、命じてたことだよ?」 「……」 「今のは、忘れてください」 「シロネ……」 「わたし、もう行きますね。それでは」 シロネは逃げるように、自教室へと駆けていった。 アンドロイドなのに、命令を破ることが出来るのか……? 僕はそんな疑問を抱きつつ、自分も教室の扉をくぐった。 それから―― それ以上シロネに追求することなく、自宅に帰って来た。 ピアノの音色を聞きつけてリビングへと向かうと、シロネはすぐに演奏を止めてしまった。 「もっと聴いていたかったのにな……」 「……お兄ちゃんのことを考えると、なぜだかピアノを演奏する指が乱れるんです」 「そんなことない。十分上手かったよ」 「いいえ。さっきも、指がつっかえそうになりました」 「シロネにしては、珍しいな……」 珍しいというより、初めてだ。 シロネは譜面通り完璧にこなし過ぎて、違和感を覚える程だったから。 「あの、わたし……」 「わたしは、アンドロイドじゃないのかもしれません」 悲しそうでも、嬉しそうでもない。 感情のこもっていない口調で、シロネは淡々と僕に言った。 「アンドロイドじゃ、ない……って?」 一体、どういうことなんだろう。 その身体も、心を成しているプログラムも、すべてが作り物のはずなのに。 それが、沙羅が秘密にしていた事実なのか? 「意味が分かりませんよね……?」 「わたしも、上手く説明出来ないんですけど……」 「じゃあ、君は何者なんだ……?」 混乱する頭を抱えながら、尋ねる。 「それが分からないんです……」 「でも、わたしはアンドロイドとしての機能が、未だ正常に働いていない気がします」 「つまり、沙羅が不完全な修正を行ったということ?」 「お兄ちゃんは、沙羅ちゃんがミスを犯したと言いたいんですよね?」 「うん……」 「それは違うと思います。沙羅ちゃんがイージーミスを見過ごすことはあり得ません」 「だとしたら――」 「沙羅ちゃんは故意に修正を行わなかったんだと、わたしは考えています」 「シロネも、そう思うか……」 静まり返った部屋に唸るような僕の声が響く。 「お兄ちゃん、ちょっと場所を変えませんか?」 「これが、お兄ちゃんの幸せのためなら……」 「そのためなら、わたしは、全てを話します」 「そんなこと、していいの?」 「……」 シロネは黙ったまま、目で強い意思を訴え掛けてくる。 「分かった。どこに行こう?」 「海の近くまで」 海に辿り着くまで、僕とシロネは一言も言葉を交わさなかった。 でも、僕達にとって因縁が深いこの場所をシロネは選んだ。 それだけで、事の重大さを実感する。 日は傾いているのに、まだ暑い。 握り締めた手の中は緊張で汗ばみ、ますます不快感を増していく。 「まずは、2人のことを説明しますね」 「わたしとお兄ちゃんのこと……」 シロネは落ち着き払っている。 こういうところを目の当たりにすると、シロネはどこからどう見てもアンドロイドだ。 僕のこの感覚、間違っているのだろうか。 「お兄ちゃんが記憶を失くす直前まで、わたし達は恋人同士でした」 「……え?」 「わたしは、恋人になって欲しいと望みました」 「もちろん、お兄ちゃんも、わたしのことが好きだと言いました」 頭の中で疑問が爆発する前に、シロネが付け加える。 「わたしはお兄ちゃんに喜んで貰うのが使命なので、本当に嬉しかったです」 淡々としたシロネの話し方が、今は好都合だった。 “そんなこともあったんだな”と、客観的に受け止められるから。 「だけど、わたしは元々“妹”という設定で作られています」 「お兄ちゃんの本当の妹である白音さんの記憶を引き継いでいます」 「“妹”と“恋人”は似ているようでいて、異なる存在です」 「例えば、“妹”とはセックスをしない。したとしても、それは禁忌を犯している」 「それって、つまり……」 「わたしとお兄ちゃんは性交渉をしました」 「恋人同士でしたので」 さらっと当然のことのように言われてしまうと、戸惑うことすら出来ない。 「でも、君は生活をサポートするためのアンドロイドだ」 「白音の記憶をインストールし、彼女が成長した姿を想定して作られているという点以外は」 「はい。お兄ちゃんの言う通りです」 「それとも、そういうこともオプション機能として搭載しているの……?」 言ってるうちに、恥ずかしくなり声をひそめてしまう。 「いいえ……それは、わたしの行動予測には無い行為でした」 「わたしはあなたのことを“お兄ちゃん”と呼ぶ、妹的なアンドロイドですから」 「さっきも言った通り、通常は兄と妹はセックスしないので」 「……そうだよね。馬鹿げた質問をした」 「そんなことありません」 「わたしは出来てしまったんです。アンドロイドとして、推奨されていない行動が」 「なるほど……」 「シロネは自分に与えられた役割を、逸脱する行為をしてしまったのか」 「……それによって、バグが生じたんでしょう」 「わたしは徐々に、自分をコントロール出来ていないと感じ始めました」 「自分は白音さんだったけど、今はそうじゃない」 「そこで、わたしは“自分”という存在を強く意識するようになりました」 本来の自分でない誰かを演じることは、大なり小なり人間なら当然経験のあることだ。 でも、実態から乖{かい}離{り}した姿を演じようとすれば、ボロも出やすくなるし疲弊する。 アンドロイドであるシロネならば、複雑な信号が行き交い、パンクするということも考えられるかもしれない。 「お母さんを幸せにする」 「お兄ちゃんを幸せにする」 「それらの約束を果たそうと軌道修正を試みても、失敗ばかりでした」 「それは……大変だったね」 労おうとする言葉さえ、今の自分には他人事となってしまうのが少し悲しい。 「そうしてわたしは、あの日、海に入って溺れようとした」 「白音さんは、海で溺れて亡くなりましたから、同じようにすれば死ぬんだと思って……」 「そうしたらお兄ちゃんは、わたしを引き留めようと、海に入って溺れました」 「……でも、よく考えてみたらおかしかったんです」 「おかしかったって?」 「三原則の第三条では、第一条と第二条に反しない限り、アンドロイドは自己を守らなくてはなりません」 「それなのに、わたしは海に入ることが出来て、しかも、波に飲まれたお兄ちゃんを助けて、岸に戻りました」 「死ねなかったんです。白音さんとは違って、わたしはアンドロイドだから……」 つまり、第三条に反した行動を取ってしまったと思いきや、シロネは死なないから、第三条違反にならない、ということか。 「代わりに、第一条には反して、お兄ちゃんを傷つけてしまいましたが……」 「……そうだったのか」 “シロネと心中しようとしていた”という、根拠の無い悲観的な予想よりは遥かにマシな真実だった。 「それを沙羅と一緒になって秘密にしていたんだね」 「ごめんなさい」 「アンドロイドなのに、間違いを犯してしまって」 「許して貰えるでしょうか……」 「ああ。シロネだって完璧じゃないんだ。これから学んでいけばいい」 「シロネのことは、誰も責めないよ」 「お兄ちゃん……」 「ありがとうございます」 「沙羅が事実を教えてくれなかったのは、プロジェクトの中止を怖れてのことだろうし」 でも、沙羅はもともとそういう人間であることを自認している。 ありきたりな僕の批判なんて、午睡のそよ風みたいなものなんだろう。 「沙羅ちゃんの気持ちの全てを、理解することは出来ません」 「でも、本当にバグを直してくれたのなら、わたしはこんなに考えたりしませんよね?」 「恋人同士だった頃のお兄ちゃんはどんな気持ちだったんだろうとか、興味を持ったりしないと思います」 「また頭を撫でて欲しいとか、考えたりしない……」 「そうかもしれないな……」 僕には難しいことは分からない。 それでも、さっきピアノが上手く弾けなかったのがおかしな話であることは、なんとなく理解出来る。 「でもこれは、アンドロイドとしての機能なのでしょうか?」 「バグが残っていることを検知して、その結果修正を求めているんでしょうか?」 「それとも、知的好奇心のようなものがわたしの中に生じて……」 「お兄ちゃんの恋愛感情を受け入れてしまった原因を知りたいと欲しているんでしょうか?」 確かに、プログラム上の処理と、興味を持って物事の本質を突き止めるのとでは全然違う。 後者は、完全に人間の抱く欲求だ。 「お兄ちゃんのことを大切に思う気持ちは、ごく自然なものだと思っていました」 「わたしは妹の“シロネ”で、お兄ちゃんに喜んでもらうことが一番の仕事」 「そういう設定がされているからだと、ずっとずっと思っていました」 「でも、なんだか違うような気もして……」 もしこれが人間だったら、泣いてその戸惑いを吐露していたかもしれない。 だけど、シロネはむしろこちらが心配になるくらい平静を保っている。 「一体、何者なのでしょう?」 「わたしは、アンドロイドなのでしょうか? それとも――」 続く言葉は紡がれない。 風が2人の間を縫い、海に向かって流れていく。 暫しの沈黙の後、僕は考えをまとめ、自分なりの結論を述べた。 「僕もシロネと一緒だ」 「僕は一度リセットされてしまったアンドロイドみたいなものだ」 「お兄ちゃんがアンドロイド?」 シロネは僕の言葉を聞いて、口元に笑みを浮かべた。 「記憶を失って、“七波舜”っていう、設定を与えられて生きているんだから同じだろ?」 「今の僕は、アンドロイドと変わらないんだ。いちからいろいろ覚えていかないとならないし」 「確かに、わたしも最初の頃は大変でした……」 「それだけじゃない。僕もシロネと同じように、自分が何者なのか知りたいと思っている」 「お兄ちゃんは、いつでも優しい人でしたよ」 「シロネはそう感じてたのかもしれないけど、きっとそれだけじゃない」 「僕しか知らない僕だって、きっと居たはずなんだ」 「それは、そうですね」 「お兄ちゃんだって、全てを誰かに打ち明けていたわけじゃない」 「打ち明けていたことの全てが、真実とも限らない……」 「だから、なんとかして記憶を取り戻したい」 「全部じゃなくてもいい。出来るだけ、多くのことを思い出したいんだ」 「シロネの謎を解くヒントにも、きっと繋がるはずだから」 「そうなんです! だから、お兄ちゃんに思い出して欲しいと思っていたんです!」 シロネの顔がぱっと輝く。 「バグをちゃんと修正して貰うためにも、データが必要なんです!」 「わたしが沙羅ちゃんに“きちんと直してください”と言うためにも、お兄ちゃんの協力は不可欠です」 「じゃあ、一緒に頑張ろうよ」 「頑張る……そうですね」 「頑張りましょう!」 シロネがそう言ってくれたから、僕の中でやっと決意が固まった気がした。 ほっとすると、お腹が鳴る。 シロネが笑って、夕飯はカレーだと言った。 この日、シロネはいつもより早く家を出ていた。 日直の仕事があるらしい。 1人寂しく登校することに、僕は寂しさよりも安堵していた。 「結局、今のところは何もシロネの力になれないし……」 シロネのためにも早く記憶を元通りにしよう! そう意気込んでみても、気合いやお祈りでなんとかなる話じゃないんだから。 思わず、大きなため息を漏らしてしまう。 「舜、どうしたの?」 「ため息吐くと、幸せが逃げるって言うよ?」 夕梨が僕の顔をじっと探るように見つめながら忠告した。 「びっくりした……いきなり話し掛けるなよ」 「だって、歩いてたらさ、舜が見えたから」 「学校はどう? やっぱり、大変だよね?」 「大変だけど、慣れればなんとかなった」 「みんな、僕が記憶を失くしていることを知ってるし、積極的にフォローしてくれてるよ」 「へえ……意外と周りのみんなも適応能力があるんだ」 「もっと、変な目で舜のことを見るかと思った」 他人っていう存在は案外優しいものみたいだ。 正直、期待以上にみんな協力的で……。 教室で皆が居なければ、ちょっとだけ泣いていたかもしれない。 「そっか……何はともあれ、良かったじゃん」 「頼れる時は頼る。貰える物は、病気以外貰っておく」 「我が家の家訓は、間違いなかったね!」 「宮風家には、そんな教えがあったのか」 「……記憶喪失以来、なんだかボケっぷりがパワーアップしてない?」 素で感心していると、夕梨は呆れたように言った。 「そんな図々しい家訓、あるわけないでしょっ!」 「いや、夕梨のことを見ているとその通りだなあって思ったからさ」 「ちょっと! それって、あたしが厚かましい女の子だって言いたいわけ?」 「いや、そうじゃない。病気以外はって部分に、実感がこもっているなあって――」 「オー! シュン!」 「うわっ!」 急に目の前にハナコ先輩が飛び込んできた。 夕梨は彼女を躱すように、飛び退く。 「グッドモーニングデース」 「ぐ、グッドモーニン……ハナコ先輩」 「シュンは記憶がロストしていると聞きマシタが、その後はいかがデスか?」 「まだ、戻りません」 「それは残念デス。でも、シュンはワタシの名前を言いマシタね」 「シュンはワタシのこと覚えてマス。違いマスか?」 先輩の目がらんらんと輝く横で、夕梨の表情がみるみる曇っていく。 「嘘だよね……?」 「幼なじみであるあたしを差し置いて、ハナコ先輩のことは覚えているだなんてさ……」 「入院中、一時外出した時に会ったんだよ」 「え?」 「随分個性的な先輩だなと思ったので……忘れられませんでした」 この暴走機関車的性格と、いかにもな外国人的容姿。 この界隈では、唯一無二だ。 「そりゃあ、そうだよね!」 「こんな迷惑で変な人間、そうそういないしさ!」 夕梨がニヒヒッと笑う。 「ハハハ。ユーリは本当に、ツンデレデース」 「はぁ? そんなことあるわけないじゃん!」 「ユーリも皆さんも、ワタシが品行方正なスチューデントであることを褒め称{たた}えているのデスね」 「少しずつデスけど、ワタシの野望は実現していマス。そうデスね?」 「どうしたらそう思えるの……? 図々しい先輩だよ、まったく」 「ユーリ、後ろ向きな発言は良くないデース」 「幸せがランナウェイしてしまいマース♪」 「それは喜び溢れんばかりに言う台詞じゃないし!」 夕梨の突っ込みに対し、先輩は笑いながら返事をした。 「アイムソーリー。ニホンゴワカリマセーン」 「新手のギャグ!?」 「もうやだ、この先輩……!」 「まあまあ……」 「舜は笑ってないで、あたしを助けなさいよっ!」 でも、この感じ。 なんだか懐かしいような気がして、微笑ましくなってしまう。 「おっと……」 携帯が鳴ったので、画面をチェックする。 沙羅からのメールだった。 シロネと一緒に、研究室に来て欲しいらしい。 未だに騒いでいる夕梨とハナコ先輩の声を聞き流しながら、僕は返事を送った。 「沙羅ちゃんからのお呼び出しですか……」 僕達は空が黄昏れていく中、RRCの近くまで歩いてきた。 「なんのために、わたし達を呼び出したんでしょう?」 「僕にも分からないよ」 “事前に話す内容について教えて欲しい”とメールを送ったら……。 「“メールで事足りるなら、直接話したりしない”って書いてあったから、結構込み入った話かもなあ……」 「込み入った話ですか……」 シロネは難しそうな顔をして呟いた。 「たとえば、沙羅ちゃんは男の子だった! とかでしょうか?」 「えっと、それはちょっと……」 あり得ないと思うけれど、なんだか返答に困る。 「では、実はわたしのことが好き……とか?」 「頼むから、もじもじしながら言わないでくれ」 「一応確認しておくけど、全部シロネなりのギャグなんだよね……?」 「ギャグではありません」 「人間が告白をすることの例から、いくつかピックアップしました」 シロネはさも当たり前と、胸を張る。 「シロネのことが好きっていうのは、可能性としてあり得なくはないけど……」 「“沙羅が男の子だった”っていうのは……無いだろう」 危うく、妙なことを考えそうになってしまった。 “妙なこと”の内容は、想像にお任せする。 「分かってますって!」 「きっと、トリノプロジェクトに関わることですよね」 「のっけからヘビーな雰囲気を漂わせるのは、お兄ちゃんのメンタルに良くないので、ちょっとおちゃらけてみました!」 「素敵な気遣いを、ありがとう……」 別の意味で、心を揺さぶってくれたけれども。 「さあ、沙羅ちゃんの元に急ぎましょう!」 シロネはあっという間に駆けていってしまった。 僕も慌てて後を追い駆ける。 走ったせいもあって、鼓動が早まっている。 一方で、目の前に佇む沙羅から感情の揺らぎは感じ取れない。 まったくもって、いつもの彼女だった。 「2人とも、ご苦労さま」 「単刀直入に、言うね」 「シロネの実験期間は、あと2週間」 「それを過ぎたら、彼女を回収するから」 沙羅は一度閉じた目を見開いて、そう告げた。 「なっ……!?」 二の句を継げない。 あまりにも核心を突き過ぎている。 動揺する僕に構わず、沙羅は話を進める。 「トリノが人間にどんな影響を与えるのか」 「あるいは、人間がトリノにどんな感情を示すのか」 「フィールドワークの成果次第では、トリノは製品化されるかもしれない」 ここで沙羅は軽く咳払いをして話を区切り、先を続ける。 「結果によっては、トリノプロジェクトは継続不能になるでしょうね」 「シロネも、廃棄処分されるかもしれない」 「廃棄処分……」 シロネが、耳にした言葉をポツリと口にする。 さっきまで、沙羅の言葉を消化するので精一杯で……。 シロネの表情を窺う余裕なんてなかったけれど―― 「シロネ……もっと、悲しそうにしていいんだぞ」 「は、はい……」 シロネは返事をしたが、その表情に変化はない。 無機質な印象は、生みの親である沙羅に似ている気がした。 「もちろん、シロネが廃棄処分されるだなんて……私も不本意だけど」 「プロジェクトメンバーの意見も聞いてあげないといけないから」 「だから嫌だったの……他人との共同実験なんて」 「でも、研究内容を社会に役立たせることも、必要だとか言われて」 「沙羅の事情は、関係ないだろう」 「舜の言う通り」 「それで、何か物申したいことでもあるの? 顔が真っ赤になってるけど」 憤りを堪えるのに食いしばった歯の隙間から、荒々しく息が漏れる。 「あと2週間でお別れ……?」 「シロネが廃棄処分……?」 「それは可能性の話で、決まったわけじゃない――」 「そんなの一方的過ぎるよっ!」 「もっと余裕を持って伝えてくれても良かったはずだ」 「そうね。余裕があったなら伝えていたでしょう」 「つまり、さっき決まったことなの」 「そんな……」 「実験に協力を仰いだ時に、同意書にサインを貰っているの」 「同意書……」 そんなことは覚えていないけれど、通例通り約束が交わされていたのだろう。 「この実験はこちらの都合によって、突然中止になる場合もある……」 「そう、書かれていたでしょう?」 沙羅はシロネに尋ねた。 「確かに、書かれていました。お兄ちゃんとお母さんは、サインをしました」 「そういうこと。以上」 「とりあえず、舜はシロネのアーカイブスを見てみて」 「“アーカイブス”……?」 「きっと、失われた記憶の補修に役立つはずだから」 「シロネが人間に貢献出来ることは、なんでもさせたいの」 「アーカイブスは、トリノに備わった記憶の共有装置」 「そう言えば聞こえはいいけど、要するに、シロネの見てきた映像を映し出す仕組みのこと」 「ビデオカメラみたいなものか」 沙羅の言葉通り、そう言ってしまうと味気ない。 「舜とシロネが一緒に居ることは、私達の学術的意義だけではなく、舜の記憶を取り戻すためにも有効なの」 「いや、見なくてもいい……」 「……どうして?」 「沙羅、なんで僕とシロネが恋人関係だったことを黙っていたんだ……?」 「……シロネから、聞いたのね」 「はううっ……」 この鳥かごの女王様の身体から、冷気が発せられている。 少なくとも、僕はそう感じた。 「ちゃんと口止めしたはずなのに……」 「僕の前で言い含めたのは、どう考えても失敗だったな」 「……失敗?」 「君には分からないかもしれないけど、あんな言い方をされたら、気になって仕方がなくなる」 「それが、人間の性{さが}ってものだよ」 「……そうね」 「本当に、人間って愚かな生き物だと思う」 彼女の瞳には、侮蔑の色が滲んでいた。 「一度暴走したアンドロイドを舜の傍に置くには、秘密にするしかないでしょう?」 「だけど、秘密にするのもずっとは無理だったということ」 「そんなの、沙羅の都合で――」 同じ言葉を繰り返しているのに気づいて、言い淀む。 「舜のためを思ってしてきたことだけど、今のあなたには、伝わらないみたいね……」 「ごめんなさい。わたしが沙羅ちゃんとの約束を破ってしまったから……」 「いいの。遅かれ早かれ、こうなることは想定していたから」 「わたしが言わなかったら? お兄ちゃんに真実を言わなかったら、変わっていましたか?」 「それは、分からない……」 「とにかく、私はシロネの定期メンテナンスの準備もしなくちゃいけないし」 「その時になったら、またシロネを呼ぶから」 振り上げた拳の落とし所を見失ったというのは、まさにこのことだ。 沙羅はさっさと鳥かごから出て行ってしまった。 その背中は氷のように冷ややかで、追い掛けてもどうにもならないことは明白だった。 沙羅に呼ばれるまで、僕とシロネは待機していた。 何を話したらいいのか分からず、じっと空を見つめていた。 明白なのは、“シロネのことを守らなくちゃいけない”という気持ち。 離れ離れになることは受け入れられても、シロネが廃棄処分になるだなんて許せない。 それは、シロネと自分の境遇を重ねているからか。 それとも―― 「ごめんなさい、お兄ちゃん」 「お兄ちゃん、どうか悲しまないで」 シロネは落ち着き払って僕に声を掛けた。 「アンドロイドというものは、みんなそうです」 「わたしたちに生物的な死はないけれど、物理的な死はあって……」 「その決定権は、いつだってアンドロイドを使役する人間側にあるというだけです」 「でも、こんなに急なこと……とてもじゃないけど、受け入れられない」 「はいそうですかって言えるほうが、狂ってる」 「わたしも……お兄ちゃんとのお別れは、残念だと思います」 「でも、そういう契約だったわけですし、仕方がないですよ」 「自分のことなのに、“仕方がない”って……」 「そんなにあっさり諦められるのか?」 「諦めるも何も……わたしは、この日が来ることを予測していました」 「さっきも言いましたけど、やがて実験終了の日が来ることは、契約書に書かれていましたよね?」 「それに関連して、廃棄処分になる話が持ち上がったことには、驚きました」 「だけど、それだって遅かれ早かれ起こり得る事態です」 そう言われてしまうと、なにもかもが虚しい。 シロネに“別れ”や“死”の悲しみを理解して貰うのは、難しいのかもしれない。 シロネは、砕けそうな僕の心を包み込むように笑った。 「だから、お兄ちゃんも必要以上にわたしを哀れだと思わないでください」 「また、そんな顔をして……わたしは、お兄ちゃんのほうが心配ですよ」 「……僕、そんな酷い顔をしているかな?」 「はい。少し揺すったら、涙がぽろぽろしそうな顔をしています」 「格好悪いな……」 慌てて、目元を手の甲で拭う。 涙は零れていなかった。 「格好悪くないですよ」 「涙って……感情がどうしようもなく溢れ出るってこと」 「とっても、素敵です」 「わたしも涙する機能が付いているそうですが、未だ披露したことがありません」 「そうなのか……」 涙が素敵だなんて表現、初めて聞いた。 でも、アンドロイドのシロネからしたら、羨んでしまうのだろう。 「泣こうと思って泣けるものでもないみたいです」 「いつか、泣けるといいな」 「はい!」 「わたし、初めての涙は絶対にお兄ちゃんに見せようと思います!」 「それって、喜んでいいことなのかな?」 ニコニコと笑いながらシロネは肯定した。 「涙をガラスのビンに詰めて、お兄ちゃんにあげます」 「……ありがとう」 夕梨も“病気以外の物はなんでも貰っておけ”って言っていたし。 それでも、これからのことを考えるとため息が出てしまう。 「もしかして、わたしのことを守ろうとか考えていませんか?」 「……えっと」 「“廃棄処分だなんて可哀想だ”とか……?」 図星を指されて、目を泳がせる。 「やっぱり……お兄ちゃんは優しいです」 「お兄ちゃんは、お兄ちゃん自身のことを頑張って欲しいと、わたしは思います」 「僕のこと……?」 「お兄ちゃんは、元の生活に戻ること」 「それを叶える方法を探ることを、優先すべきです」 「わたしのことは、あまり考えないでくださいね……」 「また、泣きそうになっちゃいますよ?」 シロネがちっとも悲しまないから、助けようと勇者ぶっていた自分が滑稽に思える。 シロネのためになら、なんだって出来そうなのに―― 「自分のために頑張ろうって思うのは、意外と難しいな……」 身体に力が入らない。 「勝手に、白音の記憶を入れた君を作った」 「今度も勝手に君の運命を決めるんだな……」 「“運命”……ですか」 シロネは大切そうに、その言葉を口の中で確かめた。 僕はちょっとだけ自棄になり、話を続ける。 「沙羅の才能を示す“実験”とやらに僕を付き合わせて……」 「シロネと積み上げてきた時間も、勝手に終わりにしてしまうんだ」 一体、この行動に何の意味があったのか、今の僕には伝わってこない。 沙羅だけの実験ではなく、父さんが絡んでいると知っていても、納得は出来ない。 「わたしには、まだ出来ることがあります」 シロネがはっきりとした声で言った。 「あと2週間は、お兄ちゃんの傍に居られる」 「わたしはお兄ちゃんの言葉から、自分がこうして活動していることに、他者――」 「つまり、お兄ちゃんに対しても責任があるということを学びました」 「僕に対する責任……?」 「はい!」 「わたしが居なくなったら、お兄ちゃんは悲しい」 「きっと、後悔を抱えて生きていかなくちゃいけない」 「だから、わたしはお兄ちゃんのためにも、簡単にここから居なくなるわけにはいかないんです」 「さっきまで、物分かりのいいようなことばっかり言ってたのに……」 シロネのやる気に満ちた態度に、僕は戸惑う。 「事実を述べただけで、それを受け入れるとか、努力をやめるとかは言ってませんよ?」 「それに、わたしの中には白音さんの記憶が入っています……」 「わたしは、白音さんの器である自分も、大切にしてあげたいんです」 「お兄ちゃん、わたしの傍に来てください」 穏やかだけど、意志のこもった声に導かれて、僕はシロネに近づいた。 シロネは僕の頭に優しく触れると、お互いの額をくっつけた。 「これって……!」 「これはわたしの記憶。わたしが見てきた景色です」 「沙羅ちゃんの言っていた“アーカイブス機能”とはこれのこと」 焼き肉を頬張る僕や、沙羅の顔、誰もいない海辺……。 いろいろなものが、流れては消えていった。 「君の記憶が、見える」 実際は“見えた”気になっているだけで、脳に直接映像が流れ込んでくるというべきだろう。 「お兄ちゃんは焼き肉が好きでしたね」 「……今でも肉は好きだけど、正直ピンとこないなあ」 「みんな元気だなあ、好き勝手にやっているなあくらいにしか思わない」 「そうですか……」 「でも、きっと記憶の補完という意味では役に立ちますよ」 「他にもいろいろお見せしますね」 「……ありがとう」 前向きなシロネを見ていると、落ち込んでなんかいられない。 前進しなければ。 意味とか、意義は後からついてくるんだ。 自分のためになることは、シロネのためにもなるはずなんだ。 「次はわたしが編集した、“笑い転げるNG集〜お兄ちゃん編〜”です!」 「……それはパスで」 定期メンテナンスのため、シロネは沙羅の研究室に残った。 僕はあてどなく、外をぶらぶらしている。 「七波くん、何してるの?」 「……綾花は?」 “歩き回っている”以外の返答が見つからなくて、逆に聞き返してしまった。 「私? 私は今、ゴリゴリくんを買いに行く途中だよ」 「ゴリゴリくんってアイスの?」 「そう。巷では私がゴリゴリくんマニアであることは、有名なんだよ」 「そうだ……この前会った時、スマホのメモ帳に書き込んだんだった」 ポケットからスマホを取り出そうとして、笑われる。 「七波くん、真面目だね……」 「ふふふっ……キミってこんな人だったっけ?」 「シロネちゃんの天然っぷりが、少し伝{う}染{つ}ったんじゃないかな?」 「それはあるかも」 「恋人や夫婦でも、一緒に暮らしていると似てくるって言うよね」 「ぼ、僕とシロネは、恋人でも夫婦でもないけどね」 「それ、例え話だから……」 不意を突かれて焦って返事をすると、綾花はさらに顔をほころばせた。 「やっぱり、シロネちゃんに似てきたな、これは」 「でも、ゴリゴリくんのことは、ちょっぴり悲しかったな」 綾花はひとしきり笑うと、ぼそっと呟く。 「ゴリゴリくん?」 「いきなり話が飛ぶなあ……」 「別に、脈絡がないわけじゃないよ」 「私がゴリゴリくんが大好きだってこと、七波くん、忘れちゃってたんだ」 「それは……ごめ――」 「あ、七波くんが謝ることじゃないよ」 僕が頭を下げて詫びようとすると、綾花はきっぱりと断じた。 「そう思ってるなら言わなくてもいいのに、つい言っちゃった私のほうこそごめんだよ」 「七波くん、学校でも大変そうだもんね……」 「そんなふうに見える?」 「ううん。大丈夫そうに見えるよ」 「でも、普通に考えたら、無理しているんじゃないかって思って」 綾花も、幼なじみとして一緒に幼少期を過ごした仲だったはずだ。 僕の胸中を推し量るだけの材料を持っている。 「大きな悩みごともない私にとっては、ドラマチックな展開で、羨ましくも思えるけど……」 「記憶がすっからかんっていうのは、苦しいね」 綾花はゴリゴリくんの買い出しを投げ出して、僕に過去の出来事を教えてくれた。 幼少期から最近まで、僕とどんなことをしたとか、こんな話をしたとか。 「七波くんを知っている人たちと、沢山話してみたらどう?」 「きっと、脳が活性化されて……記憶の扉が開くかも」 「あとは、頭を思い切りぶつけてみるとか……?」 「それは真に受けない。冗談として受け止めるよ」 「七波くん、さっそく学習してるね♪」 「そう考えると、不思議というか、複雑というか……」 綾花は難しい顔をして、答えを宙に求めた。 「記憶を失くす前の七波くんと、今の七波くんって、別人みたい」 「口調も違うし、物事の受け止め方だって違う……」 「記憶を取り戻したら、今の七波くんって、どうなるのかな?」 「どうなるって……」 「今も以前も、僕は僕だよ……多分」 「そっか……七波くんがそう言うんだったら、そうなんだろうね」 「私、家に戻ってレポートにまとめてくる」 「七波くんとの思い出……年表にしてみるのもいいかもしれない」 「綾花が手伝ってくれて、助かるよ」 今はいろいろな方法を試すしかない。 実験終了まであと2週間―― 貴重な1日も、あと数時間で終わってしまう。 定期検査から戻ってきたシロネと、いろいろな場所を巡った。 いつもの通学路から、商店街、夕梨の家の前……。 記憶を取り戻すきっかけになればいいと思った。 だけど、あまりにも天気が良過ぎて、吹き出る汗が止まらない。 「お兄ちゃん大丈夫ですか……?」 「きちんとスポーツドリンクを飲んでくださいね」 「うん。飲んでるよ」 海までやって来た僕達は、少し休憩を取ることにした。 こんな時ばかりは、疲れを知らないシロネが羨ましい。 「いろいろ見て回りましたけど、何か思い出すことはありましたか?」 シロネが期待に満ちた目を僕に向ける。 「えっと……特に、何も思い出さなかったなあ」 「そうですか……」 「まあ、そんなに簡単にはいきませんよね!」 「ゆっくり、じっくり、気長に待つしかありません」 「シロネがそう言ってくれると、元気が出る気がする」 「おおっ! 今日もお兄ちゃんの力になれました!」 「それがわたしの元気の源です♪」 「お互い励まし合えるなんて、これは“自他共栄”“ウシツツキと水牛”ですね」 「ごめん。後半はピンとこない」 頷きながら聞いていたけど……よく分からなかった。 「ウシツツキはマイナーでしたか……」 「ウシツツキという鳥についての解説は、また今度にしますね」 「そうしてくれると助かる」 目に見えてしゅんとなるシロネが面白い。 「でも、シロネとあちこち出掛けられて、良かったよ」 「わたしも……!」 「わたしも、そう思います!」 さっきまでしょげていたシロネはどこへやら。 「なんだか、懐かしいっていうよりも、新しいって感じだった」 「なるほど……」 「今のお兄ちゃんにとっては、初めて訪れた場所もありましたからね」 「そう考えると、新鮮な気持ちのほうが勝りますよね」 「長く住んでいた場所だったのに、こんなに目新しいだなんて……」 「ある意味では、ラッキーだったのかもしれない」 「それって、すっごく前向きな考え方です」 「うん。シロネといろいろ共有出来たのも楽しかった」 むしろ、楽しまないとこんなことやってられないという感じだ。 記憶は、取り戻そうと思って、どうにかなるものでもないみたいだし。 シロネと一緒に居られる時間は決められてしまったし――。 「白音さんなら、どうやってお兄ちゃんを励ましていたでしょう?」 「……白音か」 「ここに来ると、ついつい白音さんのことを意識してしまいますね」 シロネは儚げに微笑んだ。 「お兄ちゃんも、辛くなったりしませんか?」 「白音さんに、話し掛けたくなりませんか?」 「……そんな気持ちも、失くなってしまったみたいだ」 「……」 「今の僕の中には、妹を失った後悔も、悲しみも、無いんだと思う」 胸を撫でるのは、他人を憐れむような、薄っぺらい感情だけだ。 妹の白音がここで亡くなったことは、知識として得ているに過ぎない。 「そうですか……」 「ある意味では、沙羅ちゃんの願いは叶ったのかもしれません」 僕はその言葉に狼狽して問い質す。 「それって、どういう――」 「あっ! いくら沙羅ちゃんが天才だからって、今の状況を意図的に作り出すのは不可能ですよ」 「お兄ちゃんが怖いことを考えているのなら、最初に訂正しておきます」 「……分かった。続けてくれるかな」 「白音さんを失って、お兄ちゃんが自責の念に駆られていること……」 「ふとした瞬間に落ち込んでしまうことを、沙羅ちゃんは知っていたんです」 「お兄ちゃんに辛い思いはして欲しくなくて、元気なお兄ちゃんに戻って欲しくて……」 「だから、沙羅ちゃんはわたしを作ったんです」 「それは……」 入院していた時に話して貰ったことを、思い出した。 「そうじゃなくちゃ、白音さんの記憶をインストールしたりしません」 僕は沙羅の無機質な顔を思い出す。 その中に、温もりを見出そうと試みた。 「人間は非社交的社交性な生き物です」 「沙羅ちゃんが“自分の名声のため”に実験しているのは、本当かもしれない」 「でも、きっと全てではないんです」 「……そうか。シロネの言う通りかもね」 記憶の中の沙羅は、何か言いたげに僕を見ている気がした。 「わたしは、今のお兄ちゃんよりは、沙羅ちゃんのことを知っています」 「彼女のことを、“自分のためだけに結果を追求出来るストイックな天才”と思ってしまえば楽でしょう」 「でも、きっとそれだけじゃない」 「それだけじゃないから、わたしが生まれたんだと、信じたいんです」 「そうだといいな」 そう、素直に思う。 沙羅の気持ちを知ろうともせず、無闇に憤った自分が恥ずかしい。 彼女の人間性を信じて、僕が胸を開けば……。 本当の気持ちを教えてくれたかもしれない。 「でも、この海を目の前にして、感情が湧かないというのは切ないですね」 「わたしは、お兄ちゃんと一緒に過ごしてみて“後悔”という感情のポジティブな側面も知りました」 「つまり、悲しみの分だけ気持ちが積もっていたということ、白音さんを大切に想っていたということ」 「そうなんだ。だから、まっさらになってしまったことを余計に実感するよ」 きっと、前の僕にとっては“後悔”だってひとつの生きる理由だった。 妹の死を悼む気持ちだって、あるべき日常の光景だった。 「やっぱり、記憶を失ったことで、沙羅ちゃんの願いが叶ったわけではなさそうですね……」 シロネは、遠い水平線に視線を移した。 有機的な海と無機的なシロネは全く異なる資質なのに、不思議と調和している。 なんだか、美しい絵画を眺めているみたいだった。 「それでも、わたしは自分がアンドロイドで良かったと思います」 「お兄ちゃんのために、わたしはいろんなことが出来ます」 「お兄ちゃんを海から救うことが出来たのも、わたしがアンドロイドだったからです」 「わたしは沙羅ちゃんに、感謝しています」 「だったら僕は、これからどうしたらいいんだろう」 「お兄ちゃん……」 シロネは痛むかのように胸に手を当て、沈痛な声を漏らした。 「記憶を取り戻すことも容易じゃない」 「大げさかもしれないけど、生きる意味も失ってしまった」 「全然、大げさなんかじゃないですよ」 「お兄ちゃんにとって、それくらいの痛みだったんですから」 あまりに必死に肯定してくれるので、僕は笑って応えた。 「落ち込んでいるわけじゃないから、大丈夫だ」 「でも……」 「でも?」 「シロネに救って貰った命で、何かに、誰かに、役に立つことをしなければ――」 「世の中と接点を持たないまま、1人で生きていくことになるんじゃないかな」 僕は想像する。 沢山の学生が歩いている通学路を。 僕が居るのに、誰も気づかない。 僕はそれを当然のように受け止めている。 もちろん、シロネは僕の隣に居ない。 「そんなの、悲しい……」 「ねえ、シロネ」 「はい」 「実験のリミットまでに、叶えて欲しい願いごとはないかな?」 「願いごと……? わたしの、願い……?」 シロネは難しい顔をして固まった。 「僕は、シロネのことを憐れんでいるわけじゃない」 「一番お世話になってるシロネだから、お礼がしたいんだ」 「お礼ですか……」 それが誰かと―― 世の中と―― 再び繋がるきっかけになったらいい。 「わたしの願いごと……叶えたいこと……」 「うーん」 シロネは何度も眉間に皺を寄せ唸り、考え抜いた結果―― 「お兄ちゃんを好きだった気持ちが、本当は何物だったのか、知りたいです」 そう、はっきりと言った。 「そうか……それは、前にも言っていたよね」 「そのためにも、お兄ちゃんにわたしのことを知って欲しいと思います」 「もっともっと、知って欲しいんです」 「人間であるお兄ちゃんなら、わたしが知り得ないわたしのことも、分かることがあるかもしれません」 「何度となく自己を解析してみても、答えの出なかった問いですから……」 「それが、シロネの願いなら」 叶えよう。 僕は大きく頷いた。 「今日のお出掛けは、ここが最後です」 日が落ちるのを見計らって、シロネは僕を森の中に連れてきた。 木々の隙間から適度に星空が見えるから、人間の手が入っている場所なんだろう。 「お兄ちゃん、聞こえますよね?」 「何が?」 「葉っぱが擦れる音、虫の鳴き声、小枝や砂利を踏む音――」 「こんなに音がするのに、人間はこういった場所を“静かだ”と言いますね」 「そうだね……」 森の中は、すっかり冷え込んでいる。 昼間の暑さが嘘みたいだった。 「音に満ちているのに、うるさくない」 「わたしも、だんだんとそう思うようになりました」 深く呼吸をすると、濃厚な生き物の香りが胸に満ちた。 なんだか、落ち着く場所だと思った。 「ここは、わたしのお気に入りの場所なんです」 「へえ……知らなかった」 お気に入りの場所にしては、寂し過ぎる気がした。 だけど、水を差すだろうし口にはしない。 「お兄ちゃんに、わたしのことを知っておいて欲しかったから、案内したんです」 「まあ、案内と言っても、大したものはなくて……」 「そこにあるハンモックに横になって、星空を眺めるのが素敵ってだけなんですが」 シロネは、はにかみながら言った。 確かに、傍の木にハンモックが架かっている。 「このハンモックは、シロネが設置したものなの?」 「はい」 「ハンモックってちょっと窮屈ですけど、それが心地いいんです」 「なんだか、抱き締められているみたいで……」 「抱き締められているみたい?」 「何か、変な表現をしてしまいましたか?」 「いや、多分変じゃないと思う」 「実は、ハンモックって乗ったことがないから、ピンとこなかったんだ」 「そうだったんですね!」 「ハンモックは南米の寝具ですから、この島にもきっと合いますよ」 「南米か……シロネは物知りだなあ」 「ハンモックはいいですよ♪」 シロネはご機嫌な様子で説明を始めた。 「寝心地は優しく包まれているような感じで、お母さんのお腹の中に例える人もいるみたいです」 「胎内環境の再現は、人間に安らぎを与えるといいます」 「近くの木には、鳥の巣があって……」 「ほら、あそこです」 シロネが指差した場所には、確かに鳥の巣があった。 小枝や藁{わら}のような植物が丸くまとまっている。 「わたし、自分のことを鳥の子どもだと思っていた時があったんです」 「え……?」 僕は驚いて、シロネの頭の天辺からつま先まで眺め、確かめた。 もちろん、くちばしも羽も、鉤{かぎ}爪{づめ}も無い。 「おかしな話ですよね」 目を見開いたままの僕を、シロネは申し訳なさそうに苦笑した。 「でも、わたしが初めて起動した時――」 「目に入ったのは満天の星空と、白い鳥が羽ばたいていく姿だったんです」 「だから、そんなふうに思い込んでしまって……」 「ああ……」 僕は自然科学系の教育番組の映像を思い出す。 孵化したばかりの雛が、健気にも犬の後を付いて歩こうとしている―― 「何かの鳥の子どもが、生まれて初めて目にした動物を親だと認識してしまうのを、最近テレビで見た気がする」 「それに似ているのかな?」 「そうですね。似ていると思います」 「まだ、プログラムの調整が甘かったとか、全機能が稼働していたわけではないとか、そういうことだったんでしょう……」 「でも、とにかく“わたしはあの生き物と同じなんだ”と思ってしまったんです」 「そうだ!」 シロネは飛び跳ねるようにして、声を上げた。 「せっかくなので、お兄ちゃんにもその時の映像を見せてあげます」 「わたしが生まれた時の記憶……」 シロネは両の瞳を閉じると、僕の頭に手を添えた。 額が触れ合うと、星空が見えた。 生まれたばかりのシロネは、どこかに横たわり、ガラスの天井を見ているようだった。 アーカイブス機能を体感するのは2回目だったから、落ち着いて彼女の記憶を受け入れられた。 「自己認識とは曖昧で、それを支えている1つが記憶、そして経験です」 だんだんと視界はクリアになっていって、鳥がさっと横切っていく。 「わたしは生まれてすぐに、沙羅ちゃんの目を盗んで外に出ました」 「あの鳥を探さなくてはいけないと思ったのです」 「どこというわけではないけれど、“帰らなくてはいけない”という逼迫した想いがありました」 「それからこの森で、あの鳥を見つけた時はほっとしました」 「わたしはなんだか懐かしいような、切ないような気持ちで、鳥の巣に手を伸ばしました」 「でも、激しく威嚇されてしまって……」 「それで、シロネは自分が鳥ではないことに気づいたの?」 「はい」 「悲しかったですけど、すぐに沙羅ちゃんがやって来て連れ戻されました」 「その時の、沙羅ちゃんの手はじんわりと温かくて……」 シロネが目を開けると、映像は途切れた。 「わたしはその時、認識を変えました」 「わたしの手を引いて歩く、この人が自分を生んだのだと……」 シロネの白い手には、沙羅の温もりの記憶が宿っている気がした。 シロネに触れたいのか、沙羅の優しさを求めているのか分からないまま、彼女の手を握った。 「……あっ」 シロネは驚きの表情と共に、声を発する。 だけど、すぐに微笑んでみせた。 「えへへ、お兄ちゃんの手も温かい……」 「ねえ、お兄ちゃん……」 居住まいを正し、改まった口調で、僕に呼び掛けた。 僕は軽く頷いて、シロネに先を促した。 「ここに、白音さんも眠っているんですよ」 「ここって、この森に……?」 「そうです」 「白音さんの遺骨は、“死して自然に帰るように”という願いの元、この森のそばに散骨されているんです」 「お母さんが、ある北欧の国の生死感に共感を覚えて、行ったそうです」 「きっと、覚えていないでしょうけど……」 「……そうだったのか」 いろいろな場所を巡ってみて分かったことがある。 それは、初めて来たはずなのに、新鮮に思わない場所もあるということ。 きっと、記憶を失くす前から、馴染み深い場所だったんだと思う。 ここは、それらの場所と違って気安い雰囲気ではないけれど、空気が肌になじむような気がする。 「白音が居るから、なのかも……」 「え?」 「ここに来た時、妙にほっとしてしまったんだ」 「誰も居ない、寂しい場所なのに、変だなと思ったんだけど……」 「なるほど……」 シロネは眉根を寄せて唸った。 「記憶は脳が司るというのが通説ですが、もしかしたら、それだけじゃないのかもしれませんね」 「どういうこと?」 「臓器の移植手術を受けた患者が、提供者の記憶を引き継いだという事例があるそうですよ」 「それは、他人の肝臓とか肺とかを移したということだよね」 「……そんなこともあるのか」 「“記憶転移”と呼ばれる現象です」 「不確かな部分も多いですし、否定する研究者も少なくないですけど……」 「もし、記憶という情報は脳だけが有するものじゃないとしたら――」 「白い小さな骨の欠片に、白音さんの記憶も宿っているのでしょうか?」 「白音の記憶が……?」 「この場所には、彼女の記憶も散らばっているのでしょうか?」 僕は頷かなかったけれど、そうだといいなと思った。 白音の記憶に包まれたこの場所だから、僕もシロネも惹かれている。 居心地がいいと思う。 まるで、自分が帰るべき場所のように安らげる。 「白音……君はここに居るのか?」 声は返ってこない。 シロネも返事をしなかった。 夜が深まる前に、家に帰ってきた。 ポストから持ってきた手紙を、とりあえずテーブルに置く。 デリバリーのチラシやダイレクトメールばかりだった。 「そうだ」 それらを見ている間に、あることを閃いた。 僕は筆記用具を持ってくると、真っ白な便箋に向かった。 この日、僕は珍しくシロネよりも早くに起きた。 シロネにあるものをプレゼントしたくて、準備をしていたから。 「お兄ちゃん、おはようございます」 「もう、制服も着ているし……今日は早起きだったのですね」 シロネが珍しいものを見るような目で僕を眺めている。 「らしくないことをしたから、雨が降るかもね……」 「昼間は快晴、夜になると雲が広がりますが、一日中雨の心配はありません」 「夜間の湿度は80%程で、寝苦しい夜になるでしょうと、ゆざましテレビのお天気お姉さんが言っていました」 「それならいいんだけど」 「ふふふ」 「むしろ、お兄ちゃんに天気を変える力があるならびっくりですよ」 真に受けているシロネが面白い。 あえて、“そういう表現をよくするものなんだ”とは訂正しない。 「さて、朝ご飯を作らないと♪」 「その前に」 「はい?」 僕はキッチンに向かおうとしたシロネを引き留める。 「ポストを見て来て欲しいんだ」 「ポスト?」 「郵便物を検{あらた}めるのは、お兄ちゃんのお仕事ではなかったですか?」 「そうだったけど、これからはシロネに任せることにする」 「仕事も交代しつつ、どんどんと出来ることを増やしていかないと」 「ポストから手紙を持ってくるなんて、誰でも出来ます」 「それでもお兄ちゃんは、わたしにやって欲しいのですね……!」 「なんだかとっても嬉しいことです」 シロネの頬が紅潮していく。 “感に堪えない面持ち”って、まさにこんな感じだ。 「わたし、ポストを見てきます!」 シロネは玄関に向かって歩き出した。 僕もその後に続く。 シロネはその場でポストの中身を確認しながら、嬉しそうに微笑んだ。 「沢山の紙が入っていましたね……」 特売のチラシやDMを一つ一つ確認する。 「このピザは美味しそうです……」 「家{うち}にもピザ釜があったら作ってあげられるのに……」 「そんなに本格的じゃなくても十分だよ」 「今日は卵が安いですね……」 「放課後に買いに行きますか?」 「多分、売り切れになってるんじゃないかな」 「あっ……!」 「これはなんでしょう?」 シロネは白い封筒を手に取って、宛名を確認する。 そこには“シロネ様へ”と書かれている。 「わたし宛の手紙?」 「そうだよ」 「それは、僕が書いた、シロネ宛ての手紙」 話しているうちに照れ臭くなって、笑ってしまう。 「手紙とは、あの手紙ですか!?」 「僕の知っている手紙は一つしかないけど……」 「気持ちを文章にして伝える手段のこと、かな?」 「そうです! その手紙です!」 「しかし、手紙とは主に、目の前に居ない人に向けて送られるものだとインプットされていました」 「これは、不思議な事態です」 「摩訶不思議です!」 シロネは興奮しながら、歓喜の声を上げた。 「いつでも会える人に書いちゃいけないってルールはないよ」 「口では伝えられない気持ちもあるだろう?」 「なるほど……手紙は奥深いです」 「直接伝えられない気持ちを、文章で表現するなんて……」 「情報を伝えるために、こんな手間を掛けるだなんて……」 「手紙に興味が湧いた?」 「はい」 「このお手紙、大切に取っておきます!」 「いや、取っておく前に、一度は読んで欲しいな」 「確かに……これでは宝の持ち腐れです」 「分かりました!」 シロネは大きく息を吸った。 「シロネさまへっ!」 「うわっ!」 「大声で音読するのはやめて! 恥ずかしいから!」 「あまりにも嬉しいことなので、ご近所の皆さまにも共有しようかと……」 きょとんとした顔付きで僕を見る。 「お願いだからやめてください……」 「お兄ちゃんが、そう言うなら……」 大したことは書いていないけれど、それでもやっぱり、羞恥心が込み上げてくる。 「では、少々物足りないですが、普通に読み上げますね」 手のひらに汗が滲{にじ}む。 普通に読み上げられるのだって、十分に恥ずかしい。 「シロネさまへ」 「いつも美味しいご飯をありがとう」 「夕立ちが降る前に、洗濯物を取り込んでくれてありがとう」 「シロネが居るから、毎日楽しく暮らせます」 「舜より」 我ながら拙い文章だ。 でも、素直な感謝の気持ちは伝わったはず。 その証拠に、シロネは繰り返し声に出して読んでいる。 その間、僕は恥ずかしさに顔を引きつらせながら耐え続けた。 「それで、ゴリゴリくんの新作が大人向けの味でね――」 「お兄ちゃん!」 昼食を食べ終わり、綾花と雑談をしていると、シロネが教室にやって来た。 「ああ、シロネ。どうしたんだ?」 シロネの顔が険しい。 “これは、なにかあったな”と思う。 「わたしは今日、いろいろと忙しいので、早めに家に帰ろうと思います」 「いろいろって……?」 「それは……その……」 「ゆ、夕立が降る前に、洗濯物を取り込んだりとか……です!」 「あれ? “今日は一日中晴れる”って、ゆざましテレビのお天気お姉さんが言ってたけど」 「確か、シロネもそう言ってたよね?」 「ぎくっ!」 シロネが気不味そうな表情をして固まった。 「“ぎくっ”ってリアルに言っちゃうの、初めて聞いたな」 綾花は口元に苦笑いを浮かべている。 「と、とにかく」 「お兄ちゃんはいつもよりも少し、ゆっくりしていてもいいですよ」 「日比野先輩と、ゴリゴリくんを食べながら帰って来てもいいですし」 「新作のぶどう味は、ワインの風味が利いているそうです」 「そうそう♪」 「今ちょうど、その話をしてたんだよね」 「では、グッドタイミングでしたね」 「大人向けのゴリゴリくんを食べて、ちょっとした不良気分を味わってみてはいかがでしょう」 「分かった。あまりにも必死な何かを感じるから、そうするよ」 「七波くんを、しっかり不良風味にしてくるから任せて」 「よろしくお願いします」 「それでは」 シロネがトコトコと立ち去ると、僕と綾花は顔を見合わせた。 「どうしたんだろうね、シロネちゃん」 「さあ……?」 「なんか、いつも以上にロボロボしいというか……」 「おかしいとは思うけど、ロボロボしいってどういうこと?」 「なんかギクシャクしてたよね?」 確かに……。 ギクシャク以外のなにものでもなかったな。 「“ぎくっ”って口に出した時はびっくりした」 「ストレートな感情表現は得意だけど、気持ちを隠したりすることは苦手なんだと思う」 「どこかでこんがらがってしまうというか……」 「ふーん」 「良く考えてみたら、私達って意外と高度な情報処理をしているんだね」 「体裁取り繕ったり、愛想笑いしたりなんて日常茶飯事だし……」 綾花の言う通りだ。 僕達は本当と嘘の間を器用に縫って暮らしている。 辛い本当もあれば、優しい嘘もある。 シロネはアンドロイドだから嘘を吐かないと思っていたけれど―― 「じゃあ、“ロボロボしい”っていう表現は間違いだね」 「さっきのシロネちゃんは、精一杯人間らしかったんだ」 だとしたら、シロネは成長しているのかもしれない。 でも、どこに向かって……? それは、僕にも分からない。 「ただいま」 それから僕は、シロネの言いつけに従ってゴリゴリくんを食べながら帰ってきた。 綾花は新作だけでなく、お土産用に他の味も選んでいたから、かなり時間を稼げたと思う。 「お、お帰りなさい」 「随分、早かったですね」 「結構、寄り道してきたつもりだけど……」 シロネは慌てて何かを隠した。 「あと10分遅ければ、完璧だったんですが……」 「完璧? なにが?」 「それは……えっと……」 シロネは小さく息を吸うと、意を決したように口を開いた。 「手紙です」 「お兄ちゃんに宛てた、手紙を書いていたんです」 「だけど、自分でもびっくりするくらい全然書けなくて……」 「それでも、お兄ちゃんに……」 「ううん……違います」 「舜に伝えたかったんです」 すっと淡い色をした上品な色合いの便箋を差し出す。 「舜に読んで欲しくて、書きました」 シロネが“舜”と僕を呼んだ。 怖いやら、嬉しいやら、驚くやら、痛いやら―― 自分の感情がよく分からないまま、その便箋に綴られた言葉を読み上げた。 「好きです」 シンプルな文章が、頭の中を埋め尽くしていく。 「消えてしまう前に、舜が好きだと伝えたかった」 「わたしの中でも、まだ分析し切れていない気持ちですが……」 「こうして手紙を書くことで、人間は人間なりに、自己分析をしたりするのでしょうね」 もう、シロネは恥じらっていない。 まっすぐな気持ちを、まっすぐなまま僕にぶつけている。 そして今も、まっすぐに僕を見つめている。 「手に取れる形で言葉を、気持ちを残しておけば――」 「今ではない、いつかに、それを読んだ人の中でも化学変化が起こるかもしれません」 「舜は今、どんな気持ちなんですか?」 なんだか、すごく胸が苦しい。 「そうだな……」 「甘酸っぱいような、心がひりりとするような気持ち」 「えっと……」 「喜んではくれているんですよね?」 僕は“もちろん”という意味を込めて頷いた。 「良かった」 「ありがとう、シロネ」 「お兄ちゃん」 自室に入って制服から私服に着替えていると、シロネがノックをして部屋に入ってくる。 「あの……」 シロネの表情が曇る。 「どうかした?」 「えっと……その……」 「頑張って“舜”と呼んでみましたが、やっぱりちょっと違う気がして」 「ずっと、“お兄ちゃん”と呼んでいたので、これからもそう呼んでいいでしょうか?」 「なんだ、そんなことか」 「シロネの好きにしたらいいよ」 それに、僕もいきなり名前で呼ばれるようになると、ドキドキして調子が狂う。 「じゃあ、やっぱり“お兄ちゃん”と呼ぶことにします」 「わたし……」 「お兄ちゃんのことが、好きです……」 “お兄ちゃん”は僕の名前ではないけど、この呼び名のほうが、しっくりくる気がした。 「シロネ」 「わっ……?」 「ありがとう」 「はい……」 「頭を撫でられるのは、大好きです……」 「でも、こうされるのは、久しぶりですね」 シロネは僕からの返事を求めているんだろうか。 “僕も好きです”とか、“好きだから付き合おう”とか。 それとも、気持ちを伝えるだけで良かったんだろうか。 「えへへ……」 シロネが満足そうに笑うから、僕は―― 遠くから水の跳ねる音が聞こえてくる。 プールの塩素の匂いまでするのは、さすがに気のせいだろう。 今はクラス合同で行う、体育の授業中だけど、僕は仮病を使って抜け出すことにした。 教室に居残っている沙羅と、話をしたかったからだ。 「沙羅、体調でも悪いの?」 「舜こそ、体育を休むだなんて珍しい」 「顔色もいいし、とても体調不良とは思えないけど?」 「お人好しの先生は騙せても、沙羅にはばれるよね」 「当然」 「先生は、今頃保健室で寝てるって思っているよ」 罪悪感で心がチクリと痛む。 沙羅はそのあたりを察してフォローを入れてくれる。 「私、体育はいつもズル休みしているから、全然気にしないけど」 「先生、私が居なくても何も言わないらしいの」 「へえ、そうなんだ……」 「でも、どうして?」 「跳び箱をしたら強{したた}かにおでこをぶつけ、走り始めた直後に足がもたつく……」 「プールに潜ったきり浮いてこないし、全部の障害物を蹴り飛ばす新しい形のハードル走……」 「こんな私が居たら、授業にならないもの」 「簡単に負けを認めるんだな」 「ちょっと意外だ……」 「意外でもなんでもない」 沙羅は口元に余裕たっぷりの笑みを浮かべた。 「私は無駄な努力はしないだけ」 「マルチプレイヤーを目指していないだけ」 「沙羅は典型的なスペシャリストタイプだもんな……」 「そう。私は自分の得意なことだけを、精一杯取り組みたいの」 「得意分野以外であくせくトライ&エラーを繰り返すなんて徒労だもの」 「徒労かあ……」 「第一、今クラスメイト達が学んでいる水泳なんてナンセンスよ」 「私達の祖先は、沢山の苦労をして陸上での生活を手に入れた」 「それなのに、どうしてまた水中に戻らなくてはいけないの?」 「まあ、その気持ちは分からなくはないけど……」 「さっぱりしてるな」 「さっぱり?」 「僕は、そういう沙羅の性格は凄くいいと思う」 「なによ、いきなり」 沙羅は視線をさっと逸らした。 「変なこと、言わないで」 「さっきだって、自分に自信がある人しか言えない台詞ばかり言ってただろう」 「沙羅は自分を知ってるんだ」 「ええ。正しく理解しているわ」 「そんなこと、当たり前過ぎて褒められると困惑する」 「でも、逆に知り過ぎてしまっていて窮屈じゃないかって、心配になるんだ」 「それは私を褒めているの……?」 「半分は褒めてる」 「もう半分は、やっぱり心配だ」 「舜に心配されるだなんて……」 「私、よっぽど致命的なミスを犯しているのかな……」 「良かったら教えてくれない?」 「間違ってなんかいない」 「そう……」 「でも、間違って初めて分かることもあるって思うし……」 「僕なんか、僕自身のこと、まだまだ全然分からないから案外気楽だ」 「どうにでもなれるっていうか……」 「でも、どうにもなれないかもしれない」 その声は、丁寧に研がれた刃物のようだった。 強い意思を持って、会話に斬り込んでくる。 自分と同年代の少女とは思えない似つかわしくない物言いだった。 「ほとんどの人間が、不確定要素に未来を殺されていく」 「可能性は常にリスクを孕{はら}んでいるの」 「それに、私は失敗すること自体を否定しているわけじゃない」 「意味のない失敗を徒労と呼んで忌避しているだけ」 沙羅は両の瞳を閉じて、静かに提案した。 「もうこの話はやめましょう。それこそ徒労だわ」 「きっと、悲しくなるだけ」 「“理解し得ないのだ”という冷えた共通認識が残されるだけ」 「僕は、100%気持ちを共有することなんて不可能だと思ってる」 「だけど、それでも話し合うことには意味があるんだって信じたいけど」 「舜……」 そうでなければ、僕達はどうして生きるんだろう。 やがて、誰もが居なくなってしまうというのに。 「どうして、僕とシロネが恋人同士だったことを黙っていたんだ?」 「それは――」 沙羅は珍しく言い淀み、それまで平静を保っていた表情を歪めた。 不意を突かれたわけではない。 いつか飛んでくると分かっていたボールを受け止めるような、静かな驚きだった。 「内緒にしていた私のことが気に入らないの?」 「いや、そうじゃない。八つ当たりしたいわけじゃないんだ」 「……ただ、沙羅がどうして秘密にしていたのか、その理由を知りたくて」 「秘密にしていた理由ね……」 「そんなの、ちょっと考えれば分かるはずだけど」 「僕は、沙羅の口から本当のことが聞きたいんだ」 「答えが知りたいっていうよりも、沙羅の考えていることを理解したいんだ」 「舜……」 タイミングを見計らったように、授業の終わりを告げるベルが鳴る。 とんだお邪魔虫だ。 「また、放課後にでも話しましょう」 「人が戻って来てしまうから」 沙羅は僕の返事を聞かないまま、教室を出て行ってしまった。 「沙羅って、いつも僕の意見をガン無視するよな……」 ため息は出ない。 沙羅との会話は僕が望んでいることだから、仕方がないんだ。 僕はシロネに先に帰って欲しいと伝えた。 “友達と一緒に下校するから”という説明に偽りはないけれど……。 少し後ろめたいのは、どうしてだろう。 「あなたとシロネが恋人関係だったという過去を秘密にしていた訳」 「それが知りたいのよね?」 横を歩く沙羅は、何食わぬ口調で尋ねた。 「そうだよ」 そわそわと落ち着かず鼓動が高鳴る僕とは、対照的だ。 「それは、単純に不自然な感情だから」 「妹以前に、ロボットのことを愛するなんて、普通じゃないわ」 否定的な言葉に反して、彼女の口元は笑みをたたえている。 僕はどうして沙羅が笑みを浮かべているのか理解出来なくて戸惑う。 「特にトリノは、人間に似せて作られたアンドロイドだけど、それでも人間には遠く及ばない」 「密に関われば関わるほど、差異はより鮮明に浮き彫りにされるはず」 弁舌休まることなく、止めどなく言葉を紡ぎ出す。 「2人の関係はシロネの記憶データを取り込んでいる時、偶然知ったことだけど……」 「率直に驚いたわ」 『創世記』の記述は知ってる?」 「もちろん知っているよ。アダムとイヴの話だよね?」 「そう。神は人間のことを愛していたの」 「そしてあなたは、シロネのことを愛した」 「ああ、そういうことか……」 だから、沙羅は笑っているんだ。 「僕とシロネの姿を、神と人間の関係に重ねているんだ」 沙羅は否定しないことで肯定した。 「トリノは人間の模造品でありながら、様々な能力が人より秀でている」 「そして、土に還ることが無いのだとしたら……」 「もしかしたら、トリノは神に匹敵する存在に成り得るかもしれない」 沙羅の瞳は爛{らん}々{らん}とした怪しい光を宿している。 トリノの研究とは、淡白な彼女をここまで虜にさせるものなのか。 「私は、舜に感謝しているの」 「震えが止まらないくらいの、神秘的な成果をもたらしてくれたから」 「だけど、記憶を喪失したあなたに、それを伝えなかったのは……」 「シロネに恋愛感情を持っていたことを知ったら、激しく動揺してしまうのではないかと危惧したから」 「確かに、シロネに打ち明けられた時は驚いたよ」 「でも、納得したっていう部分もあった」 「納得したの?」 「うん。海で溺れた理由も一緒に分かったからさ」 「僕は、シロネのことが好きだった」 「だから、彼女を自分のもとに留めておきたくて困らせてしまった」 「舜は――」 沙羅の視線は何かを探し求めるかのように宙をさまよう。 「舜は、今でもシロネのことが好きなの?」 少し間を挟んで、僕は口元に笑みを浮かべた。 「まだ出会ったばかりで、分からないけど……」 「そばに居て欲しいと思ってる。嫌いではないんだろう」 「とっても曖昧な返事ね」 「そんなことだから、大した覚悟もなく妹役のアンドロイドを好きになってしまうんじゃないの?」 冷静な指摘が、胸をえぐった。 「あなたのことを責めているわけじゃないの」 僕が受けた衝撃を察して、すかさず手を差し伸べる。 「過去のあなたは、確かにシロネのことを愛していた」 「妹だと言って渡したのに、その設定を無視して」 「シロネを“妹の白音”では無く、1人の女の子として捉えた」 沙羅の言う通りなんだろう。 僕は、何も言い返せず、ただうつむいた。 「今のあなたは記憶を失っていて、不安だらけ」 「私のことも、完全に信用しているわけではない」 「でも、あなたは“シロネのことを好きだ”とは言わない」 「これって、どういうことか分かる?」 「……僕はシロネに甘えてるんだって、言いたいんだろ?」 満足げに微笑むと、沙羅はさらに踏み込んでくる。 「シロネは私と違って、嘘を吐かないものね」 「映し出す記憶は、主観というフィルターも掛かっていない」 「そんなアンドロイドに、安心感を覚えているだけなのかもしれない」 こんな時に限って、僕を優しく見守るシロネの顔が思い浮かぶ。 「そんなじゃ、また好きになっても、後悔するだけ」 「だって、結末は見えてるもの」 「相手は人間じゃないから、人並みな幸せは手に入れられない」 「それでもあなたは、シロネと一緒に居たいと思えるの?」 「僕は――」 「無かったことにしたほうが楽じゃないの?」 「シロネを手放せばいい」 「あなたが、あの子のことを忘れるだけでいい」 滔{とう}々{とう}と語ってきた沙羅の口上が、答えを促すように途切れる。 僕は迷いながらも、慎重に口を開いた。 「もう一度好きになるという可能性を、今ここで否定する必要は無いと思う」 「それに、僕とシロネが愛し合ったことが不自然だったとしても……」 「彼女だけが悪かったんだなんて、そんなふうに思えるわけがない」 「舜がそうしたいのなら、好きにすればいい」 「可能性を殺さないが故に、別の可能性を失うことなんて、神話の例をとってもよくあることだから」 「私は、1人の人間として、舜の幼なじみとして、心配させて貰いたかったの」 「でも――」 沙羅はふと思い出したように、呟く。 「私の他にも、ロボットを愛することが出来る人間が存在するだなんて思わなかった」 その切なそうな顔を見ていたら……。 僕はなんだか、沙羅の一見尊大に見える態度も実は違うんじゃないかと思えて、責める気が失せてしまった。 シロネは家の前で僕の帰りを待っていた。 彼女は僕の変化に敏感だから、何か言いたげだったけど―― 結局、何も言わなかった。 「シロネ、今日はポストを覗かなくていいの?」 僕はシロネの関心を逸らしたくて、適当な話題を持ち出した。 「あっ!」 「ポストを確認してきます」 シロネはポストに向かってダッシュする。 猫みたいに、俊敏な反応だった。 シロネが空振りに終わったことを報告する。 しょんぼりとうなだれた姿から、大体想像出来るけど。 「出前のチラシや、セールのはがきばかりでした」 「わたし宛の手紙が無くて、残念です……」 あまりに無念そうなので、なかなか良い励ましの言葉が見つからない。 「また、僕が手紙を書くからさ」 「元気出しなよ」 迷った末に、ありきたりなフォローになってしまった。 「お兄ちゃんが書いてくれるなら……」 「絶対、約束ですよ……?」 「わたしに手紙を書いてくれないと、大変なことになります」 「きっと。ううん、絶対です……」 「そんな恨めし気な目で見つめなくても、約束は守るって」 手紙くらい、何度でも書ける。 「なら、元気になろうと思います!」 「わたしは、今から元気です!」 「そ、そうか……」 わざわざ声に出して宣言するから、気圧されて怯む。 でも、この気持ちは本当だ。 「シロネが手紙を好きになってくれて嬉しいよ」 「はい! 手紙は大好きです」 「人間が行う面倒なことのいくつかは、どうしてこんなにも素敵なんでしょう」 シロネの瞳がぱっと輝く。 「このチラシ達も、じっくり読んでみます」 熟読しても恐らく楽しくないだろうけど、僕は止めないでおいた。 またしょんぼりした顔で報告してきたら、もっとちゃんと励ましてやろう。 夕食を食べ終わった後、眠気を感じながらテレビを眺めていた。 「これって、映画ですよね?」 「そう。昔の映画を放送する番組」 シロネが勢い込んで食いついてきた。 「また、映画を観ることになるとは……感激です!」 「“また”って……」 「シロネは映画とか、観たことあるの?」 「はい!」 「映画館に行ったことはありません」 「でも、同じように映像データを再生したものをテレビで観ました」 当たり障りのない会話のつもりで聞いたけど、シロネはまだまだ映画について語りたいらしい。 にこにこと笑いながら、説明を続ける。 「DVDと{ ブ}B{ルー}D{レイ}というディスク型媒体に記録されていました」 「想像していたよりも綺麗な映像だったので、びっくりしました」 「へえ……」 「前に、僕が借りて来たのかな?」 記憶が無いと分かっていながらも、そう答えてしまう。 「いいえ、違いますよ」 「沙羅ちゃんがわたしに観せてくれたんです」 「えっ? 沙羅が……?」 「そもそも、沙羅って映画とか観なさそうだけど」 「海に入って故障した後のことです」 「沙羅ちゃんの研究室で、ずっと修理や点検を受けていた時……」 「あまりにやることが無いので、一緒に映画を観たり、本を読んだりしたんですよ」 「そういう娯楽っぽいこともするんだな」 僕は呆気に取られて独り言{ご}ちた。 「沙羅ちゃんは未知の技術が用いられているような、SF系が好みらしいです」 「でも、その時はわたしの趣味に合わせてくれて……」 「“人間っていいなあ”って思えるような作品を沢山用意してくれたんです」 沙羅が夜ふけのレンタルビデオ店で、映画のタイトルとにらめっこしている姿を想像する。 流行りのアイドルソングがBGMとして店内に流れている。 なんだか、凄く日常感の溢れる人間臭い絵面で、そのことに違和感を覚えた。 「沙羅ちゃんにとって、ヒューマニズムを前面に押し出した作品は新鮮だったそうです」 シロネは例として、あるアメリカ映画を挙げた。 「えっと……白黒の画面の中で、主人公はとっても絶望しているんです」 「なにに絶望しているの?」 「人生です」 その哀れな男が自殺しようとしていると、見習い天使が現れる。 人生を嘆く男のために、彼が生まれなかった場合の世界を見せるという作品だった。 僕でも知っている、名作だった。 「……素晴らしい作品でした」 「主人公が築いてきた人と人との繋がりが、みんなを生かした」 「そして、主人公が生きようと思うきっかけにもなった」 「そう、そうなんです!」 「叶わない夢もあった」 「孤独を抱える夜もあったんです」 シロネは目を瞑る。 その時の気持ちをじっくりと思い返しているのかもしれない。 「でも、“誰もが望まれて生きているんだということ”」 「そんな大切なことを、この映画は教えてくれました」 「それと同時に思ったんです」 「“この世界に自分が居なかったら、なにか問題があるのでしょうか?”って……」 僕はふいに投げ掛けられた問いに、声を詰まらせた。 「だって、わたしはあの主人公のように誰かを助けたわけじゃない」 「およそ人生と呼べるような時間もありません」 「ましてや、人間でもない……」 僕の動揺なんて知らぬ存ぜぬで、シロネは淡々と話を続ける。 「思い切って、疑問を口にした時――」 「沙羅ちゃんは、困ったように微笑みました」 「一応、“私の英知を皆に理解させることは出来なかった”と返してくれましたけれど」 シロネもまた、困ったように笑った。 「わたしがわたしをわたしだと思っていられるのは、わたしの中に存在する記憶があるからなんです」 「たとえ、2週間の実験が終わって、その成果が認められても……」 「初期化されてしまったら、それはわたしでは無いと思うんです」 「シロネ……」 シロネはあっけらかんと言うけれど、言ってることは核心に迫って重い。 彼女はそれに気づいているんだろうか。 「それでも、お兄ちゃんはわたしのことを覚えててくれますか……?」 「覚えてるよ」 「決まってるだろ……」 淀みなく答えられた。 「お兄ちゃん……」 「ありがとう。そう言ってくれて……」 沙羅は忘れれば楽になると言っていたけど、絶対にそんなことない。 僕は、シロネを忘れようとする自分を軽蔑するだろう。 全ての罪を押し付けて、なかったことにして……。 そんな生き方は、絶対に間違っている。 「だったら、わたしがここに居る意味は……」 「ある気がします」 「わたしはやっぱり、お兄ちゃんの傍に居られて良かった」 僕が記憶の片隅に追いやろうとしていた期限が―― 来たる実験終了の日が、その言葉の端々に感じられる。 「お兄ちゃん、本当にありがとう……」 「もうすぐ、実験も終わりなんだな……」 いろいろと努力はしてみたけど、僕の記憶はほとんど改善されていない。 有益な実験結果が得られたのかどうかなんて、素人には分からない。 考えれば考えるほど、もっとシロネにしてあげられたことがあったかもしれないと悔やまれる。 「そもそも……」 あの日、シロネがすんなりと期限を受け入れたのは、演技だったという線はないだろうか。 そう思うと、脳裏に浮かぶシロネの笑顔に切なくなる。 いや、アンドロイドは嘘を吐かない。 そのはずだ……。 でも、シロネが“気にしないで、自分のことに専念して”と言ったからって―― 素直に受け入れ過ぎたんじゃないか。 複数人の研究者が携わるプロジェクトだから、沙羅が悪いわけではないけど……。 もっと、抵抗するべきじゃなかったのか。 グルグルと思考が回って、後悔が脳内を埋め尽くしていく。 そうして迎えた実験最後の日―― 至極当たり前のようにその日は訪れた。 目覚めは最悪だった。 もうずっと寝られないんじゃないかと思った夜だった。 なのに、いつの間にか電池が切れたように記憶が途切れている。 きっと、なんだかんだで寝付いたんだろうけど、全然寝た気がしない。 「おはようございます。朝食は出来てますよ」 「ベーコンエッグと、ふりかけご飯に野菜のお味噌汁」 リビングにいつも通りのシロネが居ることに、僕はほっとしてしまう。 「今日もお花は元気でしたよ」 「土がお水をぐんぐんと吸っていって……」 情けないけど……。 “シロネが悲しそうでなくて良かった”と思って、安堵した。 僕には余裕が無くて、シロネを慰める言葉は見つかりそうにないから。 「時間があったので、新しいプランターに種を撒いておきました」 「なんの種かは教えてあげません」 「咲くまでのお楽しみですよ♪」 「それは、楽しみだな……」 でも、その花が咲いた時に君が居なかったら悲しい。 そんなこと、思っても言えない。 「さあ、食べないと冷めちゃいますからね」 「わたしは、残りの洗濯物を干してきます」 トコトコと忙しそうにシロネが歩き回る。 一緒に居られるのは今日が最後だなんて、まるで嘘みたいだ。 “お前はまだ、夢の中に居るんだよ”って誰かが囁いてくれたらいいのに。 「授業中、突っ伏して寝ていたんじゃない?」 音楽室から移動する時、向かいからやって来た沙羅に声を掛けられた。 「どうして分かったの?」 「前髪が、変なふうに縒{よ}れているから」 「あっ……気がつかなかった」 他人には極力関わらない沙羅が指摘するくらいだ。 よっぽどだったんだろう。 「ピアノの音が眠気を誘うから、つい……」 「音楽の授業はしっかりと受けておいたほうがいい」 「物事の良し悪しを、自分で判断する訓練にもなるから」 「そういうもの?」 「うん」 「自分の中の“美”という基準を養わないと、碌{ろく}な大人にならないと思う」 「なるほどね」 確かに、そうかもしれないと思った。 映画で目にするような上流階級の子どもたちって、当たり前のように芸術を学ぶような気もするし。 「もう行くね。遅刻したくないから」 沙羅は、さっと脇をすり抜けて廊下を歩いていった。 迷いの無い足取りが、なんだか妙に眩しい昼下がりだった。 「今日も暑かったですね」 「うん」 「明日も暑いんでしょうね……」 「ここ最近は、いつもこんな感じだなあ」 「沙羅だって、今日も体育をズル休みしていたし」 「そうなんですか」 「沙羅ちゃんが泳げるようになったらいいのに……」 「そうしたら、みんなで船に乗ってイルカと戯れに行くんです」 沙羅だって、今日が最後の日だって知っていたはずだ。 だけど、それについては何も触れなかった。 どこまでも研究者なんだと思って、やっぱりちょっとだけほっとしたのは秘密だ。 シロネにしたって普通過ぎるから、もしかしたら期限を忘れているんじゃないかって思えるくらいだ。 「あのう……」 「うん?」 シロネが控えめに声を出した。 「回り道をして帰りませんか?」 「もちろん、いいよ」 「お兄ちゃんなら、そう言ってくれると思っていました」 「買い物でもしたいの?」 僕は、多分そうじゃないことを分かっていながら尋ねた。 「えっと、違います……」 「もう、わたしに欲しいものなんてありませんから」 「思い出の場所に、お別れの挨拶をしたいと思って……」 息を飲んだ。 コンクリートに熱せられた空気が肺に熱い。 シロネはアンドロイドゆえに、鈍感に出来ている。 そんな都合のいいことなんて、あるわけない。 分かっていたのに……。 「僕って馬鹿だな……」 「え?」 シロネが不思議そうに僕を見る。 「いや、なんでもない」 「行こうよ。どこでも、付き合うよ」 精一杯の笑顔で、答える。 顔が引きつっているんじゃないかって、不安になる。 「はい……」 「気づけば、この見慣れた風景も思い出のひとつですね」 「そうか……」 「お兄ちゃんと並んで歩く」 「そんな、なんでもないことがとても遠くのように感じられます……」 「まるで、前世のことのようです」 宝石のように綺麗な紅{あか}い瞳が、すっと彼{か}方{なた}の景色を映す。 「今もこうして一緒に歩いているのに?」 ――君は、そんな遠くを見ているの? 「はい」 「なんだか、夢の中を歩いているみたいに現実感が無いんです」 「でも、刻々と終わりは近づいていて……」 そう言ったきり、シロネは口を閉ざした。 お互いに言うべきことはあるけど、今はその時じゃない。 僕もシロネも、そう思っているんだろう。 そんな暗黙の沈黙が、僕達の間に流れていた。 南国特有の熱気を孕{はら}んだ風が、草木を揺らす。 森に着いた頃、空はすっかり夕暮れていた。 虫の音も遠く響いている。 「さようなら、わたしの場所」 しんみりとしたシロネの声が辺りに溶け込んでいく。 「さようなら、白音さん」 シロネの中の白音が消え去るかのように、表情が曇っていく。 彼女の初めて見せる表情に、ドキリとした。 鼓動は速まるのに、肌にまとわりつく汗は冷えている。 「“さようなら”という言葉は、諦めの匂いがして……」 「なんだか、とても……」 「とても、堪らない気持ちになりますね……」 “僕だって、堪らない” 口に出せない言葉が、胸を締め付ける。 「知っていますか?」 「“さようなら”の語源は、“左様ならば”」 「つまり、“そういうことなら仕方がない”という意味だそうです」 「ハナコ先輩なら“シーユーアゲイン”と言うんでしょうけど」 「良く考えたら、ポジティブな言葉だな」 「そうなんです」 「“また会おうね”って言って別れるなんて、素敵です」 「でも、今のわたしはどう考えても“さようなら”のほうがふさわしい」 影のように暗い笑みが、シロネの口元に浮かぶ。 悲しんでいるだけじゃない。 切ないだけじゃない。 そんな笑顔だった。 「こんな冷たい場所で、人はずっと眠っているんですね」 「うん」 「白音もここに居るんだ」 白音だけでなく、知らない誰かも、ここに骨片という形になって記憶を密やかに留めている。 「ずっと不思議でしたけど……」 「でも、今なら分かります」 「人は忘れたくない気持ちと、忘れてもいいという安堵を、この場所に求めているんですね」 「ここは少しひんやりとしているけど、確実に生きているから」 そのさっぱりとした口調は、詩を諳{そら}んじているみたいだった。 「この森は――」 「この木々は、人間よりも長く生きて、ずっと覚えてくれているから……」 「だから、大丈夫なんだって」 そうか、この森は記{メ}憶{デ}媒{ィ}体{ア}なんだ! 僕はまた、シロネに気づきを貰った。 一方でシロネは、苦しそうに眉根を寄せる。 「でも、わたしが記憶を失っても」 「廃棄されても」 「会いに来てくれる人って、いるんでしょうか?」 「……」 「そもそも、自分がどうなるのかも分からない」 「どこに行くのかも分からないのに、会う会わないの話じゃないですよね」 「わたしの記憶、この身体、一体どこに行くんだろう……」 それから、シロネはしばらく地面に座り込んでいた。 僕は掛ける言葉も見つからず、ただ隣に寄り添うことしか出来なかった。 海が穏やかで良かった。 これほどまでに、そう思った夜はないだろう。 「さようなら、綺麗な海」 潮騒に、シロネの声が溶けていく。 「初めてこの海を見た時、どんなふうに思ったんでしたっけ?」 「お兄ちゃんに聞いても、分かりませんよね」 「えっと……」 シロネはデータの引き出しに集中しているんだろう。 急に黙って、それからまた笑った。 「ふふふ。やっぱり感動したようです」 「そりゃそうだろうな」 「えっ? お兄ちゃんに分かるのですか?」 シロネが訝しむ声を上げた。 「分かるよ」 「僕だって、初めて見た時は感動したからさ」 「そっか……」 「確か、あの頃はまだ家族4人で暮らしてて……」 「父さんも居た記憶があるから、きっと仕事が休みの日だったんだと思う」 「家族で過ごす休日ですか……」 「素敵な思い出ですね」 「僕は父さんに肩車されてて、遠くに水平線が見えた」 「それで聞いたんだ。“あれはなに?”って」 「海という名前の、大きな水たまりだって聞いた時はびっくりしたなあ」 厳密に言えば、海なんて赤ん坊の頃から見ていたに違いない。 だけど、シロネは水を差すことなく耳を傾け、微笑んでいた。 「小さい頃のお兄ちゃんは、白音さんの記憶を振り返れば分かります」 「だけど、その話は初めて聞きました」 「……こんなどうでもいい記憶だけは残ってるんだから、不思議だな」 「どうでもよくなんかありません」 「それは誰かに愛されていた記憶……」 「そんな微笑ましい幼少期があったんだっていうだけで、元気を貰える日もあるはずです」 「そうだね」 海面は月と星の光を受けて、キラキラと煌{きら}めいている。 「後は、どこに行きたいの?」 「ここが最後です」 僕はこの島がもっと広ければ良かったのにと思った。 僕達の足では回り切れないくらいの広さがあれば、ずっと一緒に居られる気がして―― 「最後は、お兄ちゃんにさようならを言います」 「シロネ……」 「やっぱり、お兄ちゃんを困らせてしまったみたいです」 「もう一度、恋人同士になるだなんて……無理ですよね」 シロネがそう思い込むのも仕方がない。 だって、僕はシロネの告白に返事が出来ていないままだ。 好きとも、嫌いとも、答えていない。 「また、白音さんのことを思い出しました」 「この海で、溺れて、死んでしまった小さな女の子――」 「お兄ちゃんにも、誰にも、さよならを言えずに消えてしまったことを考えると……」 「わたしは、まだ恵まれているのかもしれません」 「でも、白音さんのことを強烈に羨む気持ちもあります」 「死ぬことに、“良い”も“悪い”も無い」 「全部が全部、悲しいお別れだ」 「白音さんを襲った悲劇は、確かに悲しい記憶です」 「お兄ちゃんにとっても、白音さんを大切に思っていた人々にとっても……」 「そうだ。だから、沙羅は君を生み出した」 「それでも……」 「わたしが悲しいと感じているのは」 「わたしが、わたしとして生きた証を残せないまま、消えてしまうからです」 泣き出しそうな赤ん坊のように、シロネの顔が歪む。 「もっと、もっと、沢山やりたいことがあったからなんです」 「わたしはそんなこと望めない。望んじゃいけない」 「お兄ちゃんのために作られたアンドロイドで、お兄ちゃんを喜ばせるのがわたしの仕事で……」 勤勉に家事を頑張るシロネの姿が思い浮かぶ。 目の前のシロネが、あまりにも悲壮な顔をするから、そんな日常の記憶さえもが胸に痛い。 「でも、白音さんは望むことが許されていた」 「あんなことがしたかった。こんなこともしてみたかった」 「死ぬのが怖い」 「もっと、生きたい!」 白音の気持ちを表すように、言葉に力がこもる。 「そう、思う権利があったんです!」 「だって、人間だから!」 「あるべき未来があったんだから!」 「それでいて、お兄ちゃんは白音さんをずっと覚えている」 「わたしは、そんな彼女が羨ましいです……」 考えもしなかった嫉妬の形。 とにかくなんでもいいから、何かデタラメなことを言おうとしたけど、呻{うめ}き声にしかならなかった。 喉の奥がカラカラに乾いていて、張り付いている。 「ダメ……」 「え?」 やっと出た声は、間抜けな一言だった。 「これから消えるのに、そんなこと考えちゃダメ……」 「ダメなのに……」 シロネは自分自身に言い聞かせるように繰り返す。 「わたしは、やっぱり壊れてるんだ」 「今のわたしは、お兄ちゃんを困らせているだけ」 「役に立たない、ポンコツです」 「そんなことない」 「そんなことないって――」 「わたしは、なんのために生まれたのでしょうか?」 シロネは僕の手を、縋{すが}りつくようにして握った。 「沙羅ちゃんが、望むようにも出来ず……」 「お兄ちゃんが、望むようにも出来ず……」 「中途半端な自意識とも呼べない何かが邪魔をして……」 「お兄ちゃんを、みんなを困らせてばっかり……」 白く細い指先が微かに震えているような気がした。 「本当に、どうして生まれてしまったんだろう」 「こんなことになるなら、わたし――」 「これからも、傍に居て欲しい」 「誰でもない、僕の傍に居て欲しい」 「今、言えるのはその気持ちだけだ」 「――」 シロネの目はまるで焦点が合ってないかのように、茫然自失の体で固まっていた。 「記憶を失くす前も、今も、シロネは隣に居てくれた」 「僕はずっと、そうならいいって思う」 「お兄ちゃん……」 「でも、わたし……」 「一緒には居られないの」 「朝になったら、この悲しみだって、消えてしまうかもしれないの」 僕は顔を横に振る。 そうだけど、そうじゃない。 「この気持ちがなんなのか、上手くは言えないけど……」 「僕が君に傍に居て欲しいって願う限り、ずっと一緒なんだ」 「忘れたりしない」 「僕は、シロネに会えて本当に良かったと思う」 「それだけじゃ、君が生きた証にはならないのか……?」 気持ちが溢れて、もう止まらない。 「わたしが生きた、証……?」 「シロネが居なくなるって考えただけで、こんなに悲しいのに……」 「生まれた意味が無いなんて、言わないでくれ」 「白音とは別の存在だって分かっていても、僕は夢が叶ったみたいで嬉しかった」 「君が言ってた“白音のあるべき未来”が来たみたいで、気が楽になって毎日がとっても充実してたんだ」 「でも、それは……」 「沙羅ちゃんのお陰でしょう?」 「わたしを作ったのは、沙羅ちゃんなんだから」 「僕は少しだけ思い出した」 「僕がどうして君を好きになったのかを……」 「思い出したの……?」 「うん」 「本当に少しだけだけど、君と恋人として過ごした日々を思い出した」 「……どうして、わたしを好きになったの?」 その問いには、喜びだけでなく苛立ちも込められていた。 「どうして、こんなに苦しめるようなことをしたの!?」 シロネの声が鞭のように僕を打ち据える。 「お兄ちゃんが、わたしを好きにならなかったら良かったのに」 「わたしの気持ちに応えてくれなくても良かったの!」 「お兄ちゃんが、あんなことしなければ、わたしは――」 「シロネはいつも僕を励まして、支えてくれた」 「見捨てないでいてくれた」 「それが、プログラムされていたからだとか、そう作られているとか、そんなことはどうだっていいんだ」 「そんな――」 そうだ。 そうなんだ。 「僕には、君のひたむきさが必要だった」 「今だって同じなんだよ」 「君が、居てくれなきゃダメなんだ」 「あっ……」 細い肩を抱き寄せる。 「シロネを愛したことが不自然とか、罪とか言うなら」 「僕は一生を懸けて考えるよ」 「考える……?」 「それが正しいことだったのか」 「正しいとか、正しくないとかで語れることなのかどうかも」 「そんなこと、分かり切っています」 「正しいわけがない」 きっぱりと言い切った割には、身体は震えている。 僕は、シロネに言葉にならない気持ちまで届けたくて、もっと抱き締める。 「シロネは知らないかもしれないけど、人間には、一生を使っても答えの出ない問題だってあるんだ」 「シロネは頭が良いけど、あっさりと“良い”とか“悪い”とか決めつけてしまうなんてもったいないよ」 「お兄ちゃん……」 「明日だって、どうなるかなんて分からない」 「初期化されるとか、廃棄処分になるとか、まだ決まったわけじゃないんだ」 「そんなに悲観するなんて、シロネらしくないんじゃないか」 シロネの髪が夜風になびく。 陸から海へと吹く風は、汗ばんだ身体には少し肌寒い。 「……ごめんなさい」 「わたし、さっきお兄ちゃんのせいにした」 「わたしだって、お兄ちゃんのことが好きだったのに」 「今だって、こんなにも好きなのに……」 シロネの声が震えているのは、寒いからじゃないんだろう。 僕は、そっとシロネの頭を撫でた。 「わたし、せめて笑っていようと思います」 「だって、こんな喧嘩みたいに言い合いをして、ぎくしゃくしたまま明日を迎えたくない」 「どんな未来が待っていても、せめて今は、わたしらしくありたい」 「それを願うことくらい、許されますよね……?」 僕は黙って頷いた。 腕の中で―― シロネはふっと、微笑んでくれたような気がする。 「お疲れ様」 口を開いた沙羅から出たのは、労{ねぎら}いの言葉だった。 「2人とも、本当に大変だったでしょう」 「いろいろなことを知って、沢山のことを受け入れて……」 「肉体的にも、精神的にも辛かったと思う」 僕は沙羅が感情を露わにしたことに、調子が狂った。 「いち研究者として、友人として、適切なサポートが出来たのか」 「自信を持って頷くことは出来ない」 「振り返れば、至らないことばかりだった……」 沙羅が多少でも自己批判するなんて、今日は大雨でも降るんじゃないか。 張り詰めた心が揺らぐ。 「でも、あなた達の協力があったからこそ、今日を迎えることが出来た」 「どんな評価が下されるのかは、まだ分からないけど」 「でも……」 沙羅はちょっと考えた後、微笑んだ。 それは微かな笑みだったけれど、彼女の精一杯の気持ちが込められていた。 そんな気がした。 「これでまた、夢に一歩近づけた」 「私は舜とシロネに感謝してる」 「ありがとう」 沙羅に対するわだかまりに、決着なんてつけられない。 でも、この期{ご}に及んで愚図愚図言ってたら男じゃない。 僕は目の前に居る女の子の誠実な態度に応えるべく、しゃんと背筋を伸ばした。 「海で溺れたあの日、この世界に戻って来れたのは……」 「シロネとそれを作った……沙羅の力だ」 「お兄ちゃん……」 「だから、複雑な気持ちは消えないけど、僕だって2人に感謝している」 シロネは弱々しく微笑んだ。 「そうですね。お兄ちゃんは沙羅ちゃんに感謝しなくちゃいけません」 「わたし、今日2人が会ったら……」 「また喧嘩になるんじゃないかって、不安でした」 「杞憂に終わったようね」 「私だって、今日くらいは舜に呆れたり、苛立ったりしたくないもの」 「沙羅ちゃんったら、また棘のあること言ってますよ」 「そう? 十分に気を付けていたつもりだったけど、ごめんなさい」 「まだまだ精進が足りないみたい」 「もう、呆れて笑うことしか出来ないよ……」 「これは私の生まれ持った個性だから、見過ごしてしまったのも仕方ないと言えるわ」 「でも、そこを理性的にコントロールすることが、良好なる人間関係には必要よね」 沙羅が思慮深いため息を吐く。 「今後の課題リストに加えておく」 「僕も、課題リストを作るよ」 「“沙羅が健気なことを口にしても動揺しないこと”って書いておく」 「……勝手にして」 ちょっとムッとして言う。 「舜はリストを作るだけでも大変そうで、心配」 「なにせ、至らないところばかりだから」 「ふふふ」 シロネは小競り合いを繰り返す僕達を、穏やかな目で見ていた。 明らかに、言葉数が少ない。 「シロネ、元気が無いわ」 「えっと……」 「はい」 「無理も無い」 「でも、そんな当ても果てもないような目をしないで」 沙羅の瞳に強い意志が込められているのが分かる。 「私、絶対あなたのことを守るから」 「私が“絶対”と言っているんだから、絶対なの」 「明日も、明後日も、その先も実験を続ける」 「実験って……つまり?」 「シロネは舜の元に戻って来るの」 沙羅は本気なんだ。 「沙羅ちゃん……」 シロネの瞳が揺れて、お別れの時間なんだということを思い出す。 結局、何もしてあげられなかったけど……。 「じゃあ、行きましょうシロネ」 「……もう時間だから」 後悔なら、後でいくらでも出来る。 「シロネ」 僕は、笑った。 家を出る前に何度も鏡の前で練習したから、多分大丈夫。 しっかり笑えていると思う。 「……お兄ちゃん」 「わたしね……」 「わたし――」 「シロネ……!」 猫のように滑らかな動きで、シロネは駆け出した。 研究室の外に飛び出し、あっという間にその背が遠ざかった。 脳内のブレーカーが落ちてしまったみたいに、沙羅は硬直していた。 それは僕も同じだったけど、非常用電源に切り替わるのは、僕のほうが早かった。 「シロネを追い掛ける」 「あっ……!」 「待って、舜!」 僕を呼ぶ声がしたけれど、振り向かない。 それから―― 僕はシロネを探し回って、いろいろな場所に向かった。 まずは、家。 それから2人にとって思い出深い、海辺。 学校だって、端から端までくまなく見て回った。 「……やっぱり、居ないか」 へとへとになって商店街にやって来た時には、太陽は西に傾き掛けていた。 「シロネ……」 シロネは永遠に動けるわけじゃない。 駆動源が無くなれば、やがて力尽きるはずだ。 それでも、逃げた。 「そんなに、怖かったのか……」 「いや、怖くて当たり前だ……」 首筋に汗が流れる。 飲み物でも買おうかとポケットを探ると、スマホしかなかった。 「あっ……」 沙羅はずっと僕に電話を掛け続けていたらしい。 シロネのことで頭が一杯で、気がつかなかった。 膨大な着信履歴に、慄{おのの}きながら画面をタップする。 何回目かの呼び出し音の後―― 『はい……』 沙羅の不機嫌そうな声が聞こえた。 『呼び止める声を無視して、スマホもチェックしないなんて……』 『猪も呆れる猛進っぷりね』 『“10分間努力を続けても目標の1割も達成出来ない場合、一度冷静になること”』 『あなたの課題リストに加えておくべきよ』 ぐうの音も出ないとはこのことだ。 なにやっているんだろう、僕は。 『まったく、舜が先走るから……』 『シロネにはGPSが付いているから、現在地を教えたかったのに』 「GPS!?」 「そんなの初めて聞いた」 『とりあえず、今からシロネの居場所を伝えるから、そこに向かって』 スマホから聞こえる沙羅の声は、冷静そのものだ。 みっともない自分が惨めで、つい愚痴をこぼす。 「突然シロネが飛び出していったら、あの場なら誰だって追い掛けるだろ」 『あのね、舜。落ち着いて』 『……そんなこと言っている場合じゃないでしょ』 『シロネを確保しないと』 「はいはい」 「沙羅にとっては自分の才能を示す、大切な実験材料だもんな……」 『……もちろん、否定はしないけど』 言ってしまってから青くなる。 ちゃんと、謝らないと。 「……ごめん」 「それだけじゃないって分かっているくせに、格好悪いこと言ってしまった」 受話口の向こうは暫し無言だ。 『……お馬鹿さんね』 『そんなことを言っている暇があったら、足を動かすべき』 『シロネが見つかったら、嫌味でもなんでも聞いてあげるから』 電話を通した音だからかもしれないけれど……。 優しく慰めるような声だった。 空はすっかり夕暮れていた。 雲に紫色の影が出来て、綺麗だった。 酸素を求める身体に、森の冷えた空気が心地いい。 僕は荒い息を整えながら、森の奥へと進んだ。 白く浮かび上がるシルエットに、僕はほっとする。 荒れた海の上で、灯台の明かりを見つけたとしたら、こんな気持ちなんだろうか。 肩に入っていた力がすっと抜けていく。 それと同時に、掛けるべき言葉が見つからないことに気づく。 僕は、彼女になんと声を掛ければいいんだろう。 シロネは静かに振り返ると、僕を見た。 悲しそうでも嬉しそうでもない、捉えどころのない表情だった。 「……お兄ちゃん」 「わたし、逃げ出してしまいました」 「……うん」 「ごめんなさ――」 「謝る必要なんてない!」 「それでいいんだって!」 考えるより前に、喉から言葉が溢れ出ていく。 「シロネが逃げたいなら、一緒に行くよ」 「行けるところまで、僕も一緒に……」 「お兄ちゃん……」 「違うんです」 儚げな笑みが口元を彩る。 「わたしは、記憶を失うこととか……」 「廃棄処分になるのが怖かったとかだけじゃない……」 「え……?」 一転して、その微笑みは僕を拒絶するヴェールのように思えた。 「わたしと一緒に居たい」 「そう、お兄ちゃんは言ったけど……」 「わたしは、あなたと一緒には居たくない」 予期していなかった言葉に、息をすることすら忘れる。 血潮は煮えたぎっているのに、背筋は凍りついているかのように強{こわ}張{ば}っている。 「わたしを守ると言った時の沙羅ちゃんの目……」 「あれは、本気だった」 「お兄ちゃんもそう思いませんでしたか?」 「思ったよ……」 瞳の奥から輝きが漏れ出す、沙羅の目。 彼女の気迫と、自信に満ち溢れていた。 「本気で実験を続ける気なんだって思いました」 「そして、この世界は彼女の意志を受け入れるだろうって」 「そんなの……」 「もう、嫌です」 何も言えないまま、僕は目を見開いていた。 語るべき言葉が無いならば、今はじっと、シロネの気持ちを受け止めるべきだ。 そう思うことで、気持ちの立て直しに掛かる。 「だって、お兄ちゃんと一緒に居たら、もっと好きになってしまうから」 「好きになっても苦しいだけなのに、好きになっちゃう」 「わたし、こんな気持ちを抱えるくらいなら、廃棄処分になったほうがいいって思うようになったんです」 「生まれてこなければ、良かった……」 溺れ掛けた人間が水面で喘{あえ}ぐように、僕は口を開いた。 「で、でも……」 「シロネが生まれていなかったら……」 「アンドロイドじゃなかったら」 「あの日溺れた僕は、死んでいたかもしれない!」 「だけど、わたしは――」 「僕は、君のことが好きなんだ」 「考えなくても、十分好きなんだ!」 シロネを必死になって探して、道端で転んだこと。 汗が止めどなく吹き出し、衣服をびっしょり濡らしたこと。 それら全てが、この気持ちを強く後押ししている。 「シロネに助けて貰えなかったら、もう一度君を愛せなかった」 「君が生まれてきた理由は、それでは不足なのか!?」 「お兄ちゃん……」 シロネの顔に、安らいだ笑顔が広がっていく。 僕は、彼女が気持ちを汲み取ってくれたものと思って、微笑み返す。 「お兄ちゃんが、そう言ってくれるのは嬉しいです」 表情に反して、声は硬かった。 「でも、計算してみたんです」 「何を……?」 「わたしとお兄ちゃんが共に生きた場合、幸せになれるのかどうか」 「様々な場合を想定して、シミュレーションを繰り返しましたが……」 答えを口にする前に、その表情がすべてを物語っている。 「結果は全て、不幸な結末でした」 「時間を掛けた割には、虚しい答えでした」 シロネは激情を抑えるように目を閉じた。 「わたしはお兄ちゃんのことが好きです……」 「大好きですよ……」 「離れたくない……」 「傍に居たい……」 肩が震え出し、声もわなないていく。 「でも、幸せにはなれないんです」 「そんなこと、ないって……」 それは根拠の無い、弱々しい反論だった。 「お付き合いや結婚は、多くの人に祝福されてするものです」 「そうじゃない場合だって沢山ある」 「理解しています」 「わたしは、あくまで理想的な関係を想定して言っているんです」 まるで僕が苦手な数学教師みたいな物言いだなあ。 気圧されて、そんな場違いな感想を抱いた。 「それから、祝福してくれた人達にも、なんらかの形で幸せを還元していく必要があります」 「つまり、愛し合う者達自身も、多くの人のために幸せに暮らさないといけないんです」 「それを考慮すると、お兄ちゃんのパートナーに相応しい人間は他にいます」 「例えば――」 「沙羅とか……?」 「その通りです」 「お金持ちで、天才的な科学的センスを持っている」 「容姿は端麗で、昔からお兄ちゃんのことを知っている」 「まあ、それはそうだけど……」 「そういった意味では、夕梨ちゃんもオススメですよ」 「気さくな性格で、沙羅ちゃんよりも親しみやすいです」 「ご近所付き合いも上手にこなせそうですね」 「……僕は、シロネのことが好きなんだって言ってるだろ」 意に介さず、シロネは淡々と言葉を続けていく。 「ちょっと変わり種で、ハナコ先輩なんてどうですか?」 「彼女は確かに変な人ですが、努力家なところが好感です」 「シロネ、もうやめないか?」 「……お気に召しませんでしたか?」 「そういうことじゃない」 「他の女の子を勧められても、僕の気持ちは変わらないんだ」 「僕は、君が居たから――」 「それはさっきも聞きました」 「そもそも、お兄ちゃんが事故に遭ったことも、わたしが原因なんです!」 厳しい目で僕を睨んだ。 「わたしが居たから、あなたの人生が狂ってしまった」 「お兄ちゃんは、わたしに救われたと好意的に捉えていますね?」 「でも、多くの人間は、わたしが原因で辛い目に遭ったと考えますよ」 「それが、普通の感覚ってものです」 「それでも、僕は――」 誰かに肩を叩かれたような気がして、振り返る。 誰も居ない。 パラパラと降り出した雨が、その正体だった。 「シロネ……!」 目を逸らした隙に、シロネは駆け出していた。 僕は自分の迂闊さを罵りながら、後ろ姿を追った。 向かった場所は分かっていた。 だから、こんなに必死に追わなくても大丈夫だった。 そのことに気づいて冷静になったのは、海辺に佇むシロネを見つけた時だった。 雨脚はどんどんと激しくなっている。 僕もシロネも、びしょ濡れだった。 「どうして、追い掛けてくるんですか……」 「絶望です」 「わたしはもう、お兄ちゃんと一緒に居るのは嫌なのに……」 降りしきる雨に加えて、辺りを照らす光も無い。 シロネの表情は捉え辛いけれど、きっとこの空のように曇っているはずだ。 「わたしは、お兄ちゃんのことを、幸せには、出来ない」 雨粒に混じるように、ぽつり、ぽつりとシロネの声が小さく響く。 「ああ……」 「それなのに、どうして……?」 「それでも、わたしは――」 「こんなにもお兄ちゃんのことが好きなんだろう」 独り言のように呟いた問いに、返事は無い。 僕達の周りには、無数の雨音だけが満ちている。 「わたしが海に入ろうとした時も、夜だった」 「目を凝らしても、底の見えない黒い水たまり……」 「酷い気分です……」 暗い海に入っていく、シロネの幻影が見えた気がした。 寂しい背中。 苦悩に苛{さいな}まれた足取り。 「もし、わたしが居なくなったら、お兄ちゃんは……」 「あなたは本当に悲しいですか?」 「困りますか?」 強く頷く。 「シロネがまた海に入ろうとするなら、全力で止める」 「あの日のあなたは、止められなかったのに?」 冷笑が、シロネの顔を覆い尽くす。 「“あの日の僕”は、だろう?」 「君は計算が得意だし、僕よりも沢山の知識を持っている」 「だけど、それを用いて可能性を閉ざすのは、正しい使い方じゃない」 「全ての力は、前向きに生きるために使われるべきなんだ」 「そうじゃない場合だって、沢山あります」 「戦争とか、人種差別とか、経済格差とか――」 「僕は、理想を追い求めた上で、この話をしているんだ」 「少なくとも君には、自分を追い込むためにその力を使って欲しくない」 紅い瞳は、視線を逸らした。 「わたしだって、自分を苦しめたくて未来を計算したわけじゃない」 「お兄ちゃんがわたしとの幸せを、思い描かないようにって……」 「いっそのこと絶望したほうが、あなたのためになるんだって……」 駄々をこねて言い訳をする子どものように、声がくぐもっている。 「僕は、全然平気だったけど?」 「“結果はすべて、不幸な結末でした”なんて言われても、だからどうしたって感じだ」 「なっ、なんで……?」 「僕はシロネと一緒に居られたらいいんだ」 「行き着く先がどこであっても、僕は君が隣に居てくれたらいい」 すべての命が行き着く場所が“死”なんだ。 アンドロイドのシロネからしたら、多かれ少なかれ不幸な結末だろう。 「僕は、シロネと一緒なら不幸だって、受け入れる」 雨が身体を叩きつけるように降り注ぐ。 雨水が目に入ろうとも、シロネを見つめ続けた。 「お兄ちゃんったら……」 「本当に、馬鹿」 シロネは諦めたように、微笑んだ。 それを見てようやく、僕は奮い立たせていた力が抜けていくのを感じた。 「もう、一緒に帰ろうよ」 「シロネが居なくなってしまったら、花達はどうするんだい?」 「え……?」 「シロネが大切に育てている花だよ」 「水をあげないと、みんな枯れてしまうよ」 「花……枯れる……」 シロネの瞳が曇っていく。 蜃気楼に心を奪われたみたいに。 「ああ……」 感に堪えないというように、シロネは身震いした。 「ああ、そうだったんだ……!」 「そう、あの花達は“運命の象徴”」 「始めから、誰かに課せられた枷に囚われる必要なんて無かったんです……」 神懸{が}かりとでも言うんだろうか。 ぷつりと糸が切れた後、より能弁になった。 「ふふふ……」 「どうして、今まで気がつかなかったんでしょう」 「私は、自分の意思で居なくなることで、やっと人間になれる」 「だって、お兄ちゃんが悲しんでくれるから……!」 「わたしにだって、運命は作れるんです!」 「海になんて、頼らなくても、運命はここにあったんだ!」 闇が深まる中、見えにくくなる周囲に反して、首元のリングが光出す。 「シロネ……!?」 「わたしが大切にしたかった記憶――」 「お兄ちゃんと愛し合ったあの日々は、あなたの中で生き続ける」 「だから、もういいんです」 「わたしは、もう……悲しくなんてない」 矛盾とつぎはぎだらけの言葉を呟くうちに、首元のリングが激しく光る。 「記憶データを初期化します」 頭の中を一文字ずつが流れていくみたいに、その声はゆっくりと伝わった。 “記憶データを初期化する” 「待てっ!」 咄嗟に押し止めようと肩を鷲掴み、勢い余って爪がその白い肩に食い込んでしまう。 「だから、どうしてそうなるんだよっ!」 「そんなことして、誰が喜ぶって言うんだ!?」 シロネの言っていることは、支離滅裂で無茶苦茶だ。 本当は真理を口にしているのかもしれないけど……。 今の僕には、意味をなさない文言に過ぎない。 「……放して」 「……パーツが歪んでしまうかもしれません」 シロネが眉根を寄せても、手に込めた力は緩めない。 もし、緩めたら逃げられる。 逃げられたら、もう会えない。 そんな気がして……。 「わたしが人間になったら、お兄ちゃんだって嬉しいはずです」 「シロネは、人間にはなれないんだよ……」 「僕だって分かるくらい、絶対に変わらないことなんだよ……」 「なれるんです……」 「なれるって、信じて消えたいんです」 どうしたら、この気持ちが伝わるんだろう。 血が上って視界が歪むくらい、懸命に考えても出て来た言葉は陳腐で……。 「それでも、僕はシロネのままでいいと言いたいんだ」 「シロネがいいって言ってるんだよ」 「……変なの」 「……あなたは変です」 「とっても、変わっている上に馬鹿です」 「僕にだって、何が正しいかなんて分からない」 「互いにとって、周囲の人間にとって、何を選ぶことが最善なのかも分からない」 「幸せってなんだろうって考えると、頭が痛いよ」 「でも、昨日言ったばかりじゃないか」 「昨日……?」 「ああ……」 思い出したんだろう。 シロネは微かに声を上げた。 「“人間には一生を使ったって答えの出ない問題だってある”」 「そういうこと、ですか……?」 「そうだ」 「“良い”とか“悪い”とか決めつけるには、まだ早い」 「僕とシロネにとって、何が一番幸せなのか――」 「この愛が本物なのかどうかは、一生を消費してでも考える必要があるんだ」 「この国における男性の平均寿命は80歳程度」 「たったの80年ですか……」 「わたしの感覚では、あまりにも短い時間です……」 雨音はより一層激しくなる。 風も強くなって、銀色の髪が生き物のようになびく。 「それでも……」 「今、ここから消えてしまったら、その答えは永遠に見つからないことだけは確かだ」 「僕は君との未来を、幸せな未来を、証明してみせる」 「シロネのことも守ってみせる」 「だから――」 「泣けたらいいのにって、今ほど思ったことはありません……」 「シロネ……」 細い首を囲むリングの輝きが、呼応したように静まる。 「泣けたら、一番初めの涙を僕にくれるって言ってたよね?」 「はい……」 「わたし、そう約束しましたね」 「それにしても、酷い雨……」 「酷い、雨……」 シロネは目を閉じたまま、うわごとのように繰り返した。 「冷た過ぎて……」 「このままだと、お兄ちゃんの健康に害が……」 「もしも、この雨がわたしの涙なら……」 「あなたを温められるのに……」 「そんなしょっぱい雨、ちょっとなあ……」 「ふふふ……」 「いや、でも……」 「シロネがくれるなら、やっぱり嬉しいって思うよ」 「……」 「シロネ……?」 「……」 シロネは口を閉ざしたまま、動かなくなった。 自立する意思を失った身体は重かった。 助けを呼ぼうとしたけれど、僕のスマホも豪雨に耐えられなかったんだろう。 うんともすんとも言わなかった。 僕は必死の思いでシロネを担いで、沙羅の研究室のドアを叩いた。 沙羅にシロネを託すと、もう着替える気力も無くぼうっとしていた。 「シャワーでも浴びて来てと言ったはずだけど?」 「シロネはどうなったんだ?」 沙羅は僕を見てため息を漏らした。 「まだびしょ濡れのままだったなんて……」 「濡れたままだと、風邪をひくわ」 「そうだね。ちょっと悪寒がする」 「風邪をひくのは勝手だけど、他{ひ}人{と}様にうつさないようにね」 「特に、私は体調不良を理由に研究を休むなんてことしたくないの」 「それで、シロネは……?」 「シロネの身体だって、完璧なんかじゃない」 「今日のスコール並みの雨量は、想定範囲外よ」 沙羅は僕の不安な気持ちを察したように微笑んだ。 「もちろん、シロネは無事」 「細部の調整には時間が掛かるけど、応急処置は済んだと聞いてる」 「今は必要な部品が届くまで、休ませている状態だって」 「そうか……良かった」 ここにシロネを運び込んだ時も、沙羅に怒られると覚悟していたけど……。 沙羅は何も言わずにシロネを台車に乗せると、速やかに研究室の奥へと搬送していった。 この冷静さが、今はとても頼もしく思える。 「私が作ったのは、あくまでトリノの思考を司る部分のみ」 「ボディのことは専門外で、チーム内に居る専門の人が修理にあたっている」 「もちろん、私もある程度の知識はあるから、どのくらい修理に手間が掛かるか、予想することは出来るけど」 「そうなんだ」 「舜はまだ、トリノのことを理解していない」 ピシャリと手厳しく、沙羅の声が割り込んできた。 僕は叩{はた}かれたように、顔をしかめる。 「シロネと一緒に生活をして、だいぶ理解したつもりでいたけど」 「そうね。彼女の思考や行動のパターンについては、熟知していると言えるわ」 「でも、私はそういうことを言っているんじゃないの」 「舜は、トリノの本質的な部分については、理解していないということ」 「本質的な部分?」 「偉そうなことを言ったかもしれないけど、私も全てを把握したわけじゃない」 「というか、最初はそれを受け入れるのも困難だった」 「目指していたゴールラインが、予想外に早く目の前に現れてしまった……」 「そんな感じなの」 沙羅には似つかわしくない、自信なさげな表情だった。 「だから……」 「やっぱり、舜に伝えるにはまだ早いのかもしれない」 「もっとデータを集めて、分析して――」 「沙羅、教えてくれ」 「舜……」 疲れ切ってはいても、切実に訴える。 「トリノについて、君が知っていることを教えてくれないか」 頼み込む体裁は取ったけど、有無を言わせない口調で沙羅に迫った。 「分かった……」 「でも、聞いてしまったらもう元には戻れないかもしれない」 「……覚悟の要る内容だってことは、承知の上だ」 沙羅の瞳は、“いいのね?”と僕に最後の確認を取った。 僕は無言で頷く。 「シロネの中には、“人間の心”が存在しているの」 沙羅が言い放った短い言葉の羅列には、衝撃的なキーワードが含まれていた。 頭がすぐには理解へと結びつかない。 「人間の心……?」 「これは、わたしが意図的に作り出したものじゃない」 「研究を進めているうちに、偶然発見したの」 「でも、ずっと夢見ていたことだったから、驚きと一緒に喜びも感じたわ」 「じゃあ……」 「シロネがずっとバグだと考えていたものは――」 「それは、不具合なんかじゃない」 「人間的な感情、あるいは、心とでも言うべきものが、彼女の中にあったの」 「シロネはね、自我を持ったアンドロイドなの……」 シロネが自分に与えられた役割を越えて、僕のことを好きになったのは……。 「シロネに心があったからなんだ」 「もちろん、シロネの中には極めてアンドロイド的な、プログラムに縛られた領域も存在している」 「だからこそ、人間的感情をバグだと思い込んだ」 「なるほど……」 シロネの中で、アンドロイドとしての自分と、人間としての自分が拮抗していたんだ。 沙羅は淡々と説明を続ける。 「そもそも、アンドロイドが不完全な感情を持つことは、良くないと言われているの」 「人間に害を与える可能性があるから」 「たとえば、自分を作り出した人間のことを恨んだり?」 「自分の存在に疑問を持ったり……」 「ロボット物SF作品にありがちな展開ね」 シロネは沙羅のことを恨んではいなかったけど、自己の存在理由については深く思考していた。 あの、悩ましそうな横顔が目に浮かぶ。 「だけど、彼女の中に生まれたのは、継ぎ接{は}ぎだらけの、偽物の感情なんかじゃない」 「純粋なる人間の心なの」 「逆に言えば、シロネは自分をアンドロイドだと誤認している人間のようなものよ」 「それは分かりやすい例えだな」 僕は感心しつつも、少し怖くなる。 「シロネは私の理想とするアンドロイド」 「人と寄り添う、人を越えたロボットなの」 「でも、それこそ人間と寄り添い合うのが難しくなるんじゃない?」 「人間は、自分よりも優れた存在を簡単に認めたりしないから」 「本当に不思議よね……」 沙羅は“まったく理解出来ない”というように呟いた。 「人間は、自らに近しい存在という理由で、犬や猫に親しみを覚えて愛玩する」 「でも、あまりに近過ぎてはいけないのね」 「途端に、嫌悪の対象になってしまう」 「ましてや、自分たちよりも優れているだなんて……」 「受け入れられないよなあ……」 「そう? 私は、喜んで傅{かしず}くけど」 「それは、沙羅がロボットのことが極めて大好きだからであって――」 「違う。好きだからというだけじゃない」 きっぱりと否定する。 「実社会では、自分よりも劣った人間に頭を下げなくちゃいけないことだってある」 沙羅ほど優秀な人間でも、そんなことがあるのか。 そう、僕は口にし掛けて、やめた。 このことに触れるのは、彼女の性格上よろしくない。 「トリノになら、負けても構わない……」 「完{かん}膚{ぷ}なきまでに、私を叩きのめして欲しい……」 「たとえ、支配されたって構わないとさえ、思うこともあるわ」 酔ったように、両の頬を朱に染め、声は上擦っていた。 「……冗談よ」 冗談じゃなかったと思う。 「とにかく私は、シロネから人間の心を取り上げなかった」 「確かに、歴史的な快挙だと思う」 「だけど、みんなはまだ――」 「社会的に問題視されても、自分の理想を貫き通したかったの」 僕は、この意志の強い瞳が苦手だ。 だって、何も言えなくなる。 彼女は僕の言いたいことなんて、承知の上で発言しているんだ。 「禁忌に触れているという自覚はあるわ」 「だからこそ、私は証明しなくてはいけない」 「一生を費やしてでも、私の考えが正しいものであることを示さなければいけない」 「必要であれば、私自身をトリノに変えて、実験を続けてもいいくらいなんだから」 自分をトリノ化するだなんて……。 質の悪い冗談にしか聞こえない。 「舜だって、それを望むのなら構わないわ」 「え? なにを望むって?」 「自分をトリノにするということ」 「シロネと一緒に、永遠に生きるということ」 さっきまでは、自分の限られた時間の中で、シロネとの関係を解決させようと思っていた。 “一生を懸けて自分とシロネの幸せを証明する”と言った、自分の声が蘇{よみが}る。 だけど、 もしも、 シロネと永遠を共有出来たら―― それを想像することは、魅惑的で甘く舌触りの良い毒のようだった。 「トリノ……」 糖衣に包まれたその毒を、口の中で転がす。 「責任は全部、私が取る」 「それに、2人は互いのことを理解し合いたいと思っている」 「強い絆で結ばれている」 「えっと……」 返事に窮していると、沙羅はくすくすと笑った。 「冗談に決まっているでしょう」 「自ら望んでトリノになりたがるなんて、常軌を逸しているわ」 「……そうだよね」 僕の考えをよそに、沙羅はさらに持論を振りかざす。 「永遠に生きられるとはいえ、メンテナンスは必須だし……」 「社会に溶け込んで働いたり、暮らしたりという面では、周囲の理解が要るわ」 「当たり前の生活が出来なくなるのは、確実でしょうね……」 「でも、だからこそよ……」 笑顔が失せ、冷水を浴びせられたかのように、引き締まる。 「トリノを正しく理解していない。する覚悟も無い」 「そんな他の研究員の好きにはさせない」 沙羅は静かに目を瞑った。 自分の内面と向き合い、もう一度言い聞かせるように口を開く。 「さっき、一部の研究資料を渡すことを条件に、トリノプロジェクトを終了させてきたの」 「これで共同研究はおしまい」 「えっ?」 「もちろん、シロネを破棄する件も白紙に戻ったわ」 「これからは、私がポケットマネーで研究と管理を続けていく」 「大丈夫なのか……?」 確証も無く漠然とした不安が口を衝いて出てしまった。 そのくらい、成り行きについていけずにいた。 「大丈夫」 「私の財力を見くびらないで欲しいわ」 沙羅はお金の面を心配していると捉えたらしい。 具体的な必要コストは分からないけど、僕は沙羅の懐具合を心配したわけじゃない。 「さあ、シロネの部品が届くまで、私はもう少し、自分の作業を進めておくわ」 「今出来ることは、今しないと」 「……そうだね」 そう言った途端、勢い良くくしゃみが出た。 「僕は、とりあえずシャワーを借りることにするよ」 窓の外で小鳥が鳴いている。 朝がやって来た。 シロネの修理が終わり、スリープ状態が解けるまでの間―― 僕と沙羅は、放心したようにただ時を過ごしていた。 濡れた服も、乾燥機によってすっかり乾いていた。 「もう朝か……」 「シロネの充電、まだまだ時間が掛かりそうね」 流石の沙羅も、疲れが隠し切れないようだ。 気怠げな声で呟いた。 「シロネが“舜のことが好き”なのは、そうプログラムされているからだと思っていた」 「私も、シロネ自身も、初めはそう思い込んでいた」 「え……?」 唐突な独白に、戸惑う。 不意を突かれて、間抜けな声を漏らしてしまった。 「あなたもシロネも、どうして私がバグを修正しなかったのか、疑問に思っているのでしょう?」 「う、うん」 「私は、その問いに答えようとしているの」 「……なるほど」 沙羅からの申し出は有難いけど、やっぱり眠気が思考を妨げる。 僕は思い切り頭{かぶり}を振ってから、彼女の声に意識を集中させた。 「その“好き”が兄妹の思慕を超えた時から、違和感を感じるようになったの」 「妹という設定を破ったのは、バグの発生と認識して当然ね」 「でも、シロネの行動目的は“舜を幸せにすること”だった」 「沙羅がシロネを作った理由も同じなんだよね?」 「それは――」 白い頬がぱっと赤く染まる。 「否定はしないけど、私の知的好奇心を満たすためでもある」 「忘れないで」 「わ、分かってるよ。そんなに自{うぬ}惚{ぼ}れてない」 誤解を解こうと、胸の前で手を横に振った。 「えっと、つまり……」 「結果的にそれが叶うのなら、好意的に受け止めようと思ったの」 「それに、元々私は、アンドロイドに自我を芽生えさせることを目標にしていた」 「じゃあ、シロネは沙羅が目指していたものを目の前で見せてくれたんだね」 「そうなるかな」 「前にも言った通り、あなた達が恋愛することは良い結果を生むとは思えない」 「だけど、“自我を持ったアンドロイド”の到達点としては、評価出来る」 僕とシロネの推察は概{おおむ}ね合っていたみたいだ。 頷く僕の前で、沙羅は何度か目を瞬{しばたた}かせた。 「徹夜って本当に良くないな……」 「人間は、睡眠を取ることを前提として成り立っている生き物だから」 「私の身体が悲鳴を上げているのを感じるけど、今さら眠れないし……」 「僕もだ……」 「逆に、目が冴えてきたくらいだよ」 昨夜からほとんど何も食べていないのに、空腹感も無い。 積み重なった疲労で、身体の節々が痛むだけだ。 「私、一瞬で眠れる薬があったら、ノーベル賞を贈りたい気分よ」 「副作用も無く、快適な睡眠が保証されることが条件だけど」 「そんな虫のいい薬は無いだろうなあ……」 「まあ、副作用が無ければ薬と言えない時点で、お察しだけど」 「えっ!? そうなの……?」 「副作用が無いということは、薬効も薄い、ということらしい」 「専門外だし、詳しい説明はしたくないけど」 薬の定義なんて調べたことが無かったから、知らなかった。 今度、百南美先生に聞いてみようかな。 「そうだ。さっき言ってた話なんだけど……」 「“さっき”っていつのこと?」 「昨日の夜のこと」 「沙羅、ふざけて“舜もトリノになればいい”みたいなことを言ったよね」 「確かに言ったわ」 「我ながら、馬鹿な冗談だったと思う」 沙羅は自嘲気味に笑った。 「いや、僕は馬鹿げてるだなんて思ってないんだ」 「……? それって、つまり――」 幾度か目を瞬かせた後、沙羅は慎重に切り出した。 「舜は、トリノになりたいの?」 「うん」 「僕もトリノにしてくれないか?」 「どうして、そんなことを望むの?」 僕の申し出に戸惑っているようでもなかった。 沙羅は僕が何を考えているのか、本気で分からないんだろう。 「全然、分からない……」 「自分で研究をしておいて言うのもなんだけど、まだまだ未完成な部分が多いわ」 「記憶を失ったことを除けば、舜は健康そのものよ」 「自分をアンドロイドにしなくちゃいけない理由は何?」 「僕は、シロネといろいろなことを共有したいんだ」 「彼女と同じ時間を生きたり、同じ悩みを抱えてみたい」 「……」 沙羅は思い切り深いため息を吐いた。 それはまるで、魂まで抜けそうなくらいだった。 「……馬鹿らしくて頭が痛くなるけど、最後まで聞いてあげる」 「いいから、続けて」 「……うん」 「僕は人間で、シロネは、心は人間でも身体はアンドロイドだ」 「そうね。舜とシロネは違う」 「シロネは人間になりたいと言っていたけど、やっぱり生身の人間になることは不可能なんだよね?」 「そうね。今のところ、その方向性は考えていない」 「だって、わざわざ欠陥の多いボディを求める意味は無いでしょ?」 「だから、考えたんだ」 「だったら、僕がトリノになればいいんだって!」 「……そんなことだと思った」 「そうしたら、僕とシロネは同じ目線で物事を見られる」 もしもトリノになれたら、今抱えている数々のハードルは帳消しになる。 「そうしたら、もっとお互いのことを好きになれるとか……」 「理解し合えるとか……」 「そんな甘酸っぱい幻想を抱いているのね?」 「要約すると、そんな感じかな……」 まとめられると、陳腐で青臭過ぎて恥ずかしい。 僕は羞恥心を吹き飛ばしたくて、無理やり声を張った。 「沙羅はやっぱり天才だよ!」 「自分がトリノになればいいだなんて、思いつきもしなかった!」 沙羅はやるせないとでも言うように憂いを含んだ笑みを浮かべた。 「舜は、疲れているのね……」 愚かさを嘆いているわけじゃない。 ただ、僕の身を案じているようだった。 「仕方ないわ。大雨の中、シロネを運んで来たんだもの」 「もしかしたら、熱でも出ているんじゃない?」 「シロネは私が送り届けるから、百南美先生に診察して貰ったらどう?」 「沙羅は、僕が血迷ってるって思ってるんだな……」 「……そうよ」 「どう考えたって、昨日今日で決めていいことじゃない」 「それに、舜はまだ、トリノになることの全てを理解したわけじゃない」 沙羅は僕を不安げに見た。 「もちろん、私だって……」 「まだまだ理解の及ばない部分があるの」 「でも、トリノになった僕だって、シロネのことを愛しているんだよね?」 「うん」 「でもそれは、記憶を引き継いでいるから発生する感情なのよ?」 「えっと、つまり……どういうこと?」 「あなたの意識まで機械の中に移すことが出来ない以上、舜とトリノの舜は、別個体だってこと」 「……分かってる?」 そうか。 僕が僕と思っているこの自意識まで、トリノに引き継ぐことは出来ないんだ。 正直なところ、自分の意識の行方までは考えていなかった。 「じゃあ、今の僕の脳をスキャンして欲しい」 「それで、やっぱり違うなと思うなら、止めたらいいわけだし……」 「脳のスキャンは、今までにも何度も受けているでしょ?」 「そうだけど、それは何ヶ月かに一回のことだ」 「もっと細かい期間でスキャンすれば、より僕自身に近いデータが、移せるんじゃないかな……」 「それは……私にも分からない」 「脳のスキャン自体は、私の専門じゃないから。スキャン後のデータを取り扱うのが、私の専門なの」 「じゃあ、沙羅はスキャン自体出来ないってこと?」 「やり方は分かるの。それに、細かいデータがあればあるほど、より正確な反応が導き出せるという原理自体は、納得出来るし」 「でも、本当にそれでいいのかな……」 専門外ではなくても、沙羅は自信が持てないようだった。 「難しいことかもしれないけど、協力して欲しい」 「僕が愛したシロネとの記憶がトリノの中で生き続けるなら、それは何か意味のあることに思えるんだ」 「……」 それから、僕達はしばらく話し合った。 寝不足の身体には堪えたけど―― 結局、沙羅は渋々提案を受け入れてくれた。 言われるがまま、舜の記憶データを取り出したけど……。 これで良いのよね……舜? 舜の決めたことだから、もう否定はしない。 それに、これは私の研究の糧にもなる……。 でも、この複雑な気持ちは何……? ここは真っ暗だ。 真っ暗で、何も見えない。 「舜……」 「ねえ、起きて……舜」 目を開けると、沙羅が僕を覗き込んでいた。 そうだ。 僕は、沙羅に脳をスキャンして貰ったんだった。 「どこか、おかしいところはない?」 「何か、気になることがあったら言って」 「いや、特に……何も感じないよ」 身体が重いのは相変わらずだったし、違和感は無かった。 「そう、なら良かった……」 「体調不良を訴える人も、少なからず居るから」 「そうなんだ……」 大丈夫。 手も足も、しっかり動く。 「トリノ化のことだけど……」 「うん。それで、いつ完成するのかな?」 「……そんなに簡単に素体を用意出来ないわ」 「出来れば、舜に限りなく近い外見をしているのが望ましいでしょう?」 「だから今度は、素体を作るための調整に、協力して欲しいの」 「今、やってもいいけど」 僕はじれったくなって、自ら申し出る。 「体調が万全の時じゃないと駄目」 「脳のスキャンと違って、ただ寝ていればいいというわけじゃないんだから」 「でも……」 「何ごとも実行するのは私よ。私に従って」 「それに、こんなケースは想定していなかったから、とにかく不安なの」 沙羅の弱気な発言は珍しい。 「伝{つ}手{て}のある同業者にも、意見を聞いてみてから判断する」 「焦ったって、良いことなんてないんだから」 「そうかもしれないけど――」 「“でも”でも“けど”でも無いの」 沙羅の意思は強固で、僕が何を言っても無駄だった。 彼女が指摘するように、僕が焦っているのも事実だったし。 でも、目の前に餌をぶら下げられて、がっつくなというのも無理な話だ。 「あまり、厳しいことを言いたくはないけど……」 「私に従う気が無いのなら、全部無かったことにする」 「舜を危険な目に遭わせることは、不本意だから」 「……分かったよ」 「沙羅の言う通りにする」 ここで沙羅が臍{へそ}を曲げてしまったら元も子もない。 僕は渋々、彼女の言葉に従った。 「沙羅ちゃんの説明には……本当に驚きました」 スリープから目覚めたシロネは、沙羅から自身についての説明を受けた。 既に一度僕に話したということもあって、沙羅は淡々と事務的に話を進めていったけど……。 聞き手のシロネは、終始驚きの声を上げっぱなしだった。 「わたしって、人間の心を持っていたんですね……」 「やっぱり、未だにびっくりです」 “驚いた”“びっくりした”という類の話は聞き飽きたなあと思いながらも、こうしてシロネの元気な姿を目にしているだけで嬉しい。 「お兄ちゃんが、ここまで運んでくれたんでしたよね?」 「うん……」 「ありがとうございました」 「いろいろと、心配掛けちゃってすみません……」 「でも、わたし――」 「謝らなくていいって」 「僕は、今日もシロネと一緒に居られて嬉しい」 「……わたしも」 「わたしも、あなたと一緒に居られて、幸せです」 「だから、ありがとう……お兄ちゃん」 晴れやかでありながら、包み込むような優しい笑顔だった。 僕は今すぐにでもシロネを抱き締めたかった。 だけど―― 「舜……」 「母さん……」 母さんとばったり出会ってしまった。 「入院していた時以来ね」 「元気してた?」 「うん。そこそこ、元気にはしてたよ」 「ふふふ。なによ、“そこそこ”って」 「話すと長くなるからさ」 母さんは急に遠い目をして言った。 「離れて暮らしているっていうのもあるけど、年頃だもんね」 「母親に言えないことの一つや二つは、あるわよね……」 シロネが気不味そうに僕のほうを見た。 でも、どうしたらいいのか分からないのは、僕も一緒だ。 「あ、あの……」 おろおろしながら、シロネが会話に加わろうとする。 「シロネちゃんも、相変わらずなのかな?」 「は、はい!」 授業中に、いきなり先生に指名された時みたいだった。 シロネはびくりと身体を跳ねさせる。 「この子、ときどきだらしないこともあるから、世話するの大変でしょ?」 「そ、そんなことありません……」 「お兄ちゃんは、洗濯物を干すのがとても上手くなりました」 「へえ……そうなの」 母さんは珍しい生き物を眺めるみたいに、僕を見た。 「舜も、成長してるのね」 「……まあね」 「ところで、お腹空いてない?」 「今からお昼ご飯を作るところだから、良かったらついでに食べていったらどう?」 「いや、別にお腹すいてないから……」 「そう?」 疲れている上に、母親とシロネの両方に気を遣いたくない。 僕は笑顔で辞退しようとしたけれど―― 「あっ……」 「やっぱり、お腹空いてるんじゃない」 「遠慮せず、寄っていきなさい」 「ね?」 最後は母親に腕を引っ張られて、観念した。 年端もいかない子供じゃあるまいし、さすがにこれは恥ずかし過ぎる。 食事中も、僕が危惧していたようなぎこちない空気にはならずに済んだ。 今だって、シロネと母さんはごく普通に、当たり障りのない無難な会話をしているように見える。 「馨さんの野菜炒めは、美味しそうでしたね」 シロネが母さんを“馨さん”と呼び始めたことには、少し驚かされた。 「そんなことないわ。普通よ、普通」 「そうでしょうか?」 「馨さんが作るものは、なんでも美味しそうに見えますけど」 シロネなりに気を遣っているんだろう。 母さんに白音の存在を意識させないように。 「2人を呼ぶなんて考えてなかったから、適当なご飯になっちゃって恥ずかしいわ」 「野菜炒めの上に目玉焼きが乗っていたのは、馨さんが考えたアレンジですか?」 「ううん。この島の人達に習ったの」 「そうだったんですか」 「ほら、母さんはこの島の出身じゃないから」 「細切り人参と一緒に炒めたりするのも、お馴染みなのよ」 「この島の料理は、独特のものが多いですね」 「今度、レシピを調べてみることにします」 「レシピなんて、そんな難しいものじゃないのよ?」 「具材を切って、後は多めの油でジャーッと」 「“ジャーッ”ですか……」 「高温の油で、勢い良く炒めるってことだよ」 シロネがいまいちピンと来ていないようだから、横から助け舟を出す。 「なるほどです」 「でも、母さんが島風の料理を作るなんて珍しいな」 「苦手じゃなかったっけ……?」 「料理にもよるわ」 「別に、野菜炒めは嫌いじゃないし、最初は抵抗があった豪快な出汁も、最近はいいかもって思ってる」 「そうなんだ……」 「出汁が濃い分、塩や醤油が控えられるもの」 「ただし、お弁当には揚げ物が入っていることも多いから、私は出来合いのものは未だに苦手ね」 「舜は、シロネちゃんに何を作ってもらってるの?」 「えっと……」 普段の食卓を思い浮かべようとしていると、突っ込みが入る。 「私が見ていないからって、毎日焼き肉三昧なんてしてないわよね?」 「そんなことはしてませんよ」 シロネが慌ててフォローする。 「栄養バランスを考えて、朝が玉子なら、昼は豚肉、夜はお魚と、メインの食材も変えていますし」 「ふふふ。焦り過ぎよ。本気で疑っていたわけじゃないから」 母さんは困ったように笑った。 「分かっていますが、馨さんにはきちんと仕事をしていることを、知って欲しくて……」 「健気ね……」 「本当に、困っちゃうくらい健気だわ」 シロネから視線を逸らして言う。 「あなたの中に、白音ちゃんの記憶があるのだと思うと……」 「今でも複雑な気持ちになるのは、変わらないのよ」 「それは……」 「わたしには謝ることさえ、出来ないことです」 シロネは目を伏せた。 「そうなのよね……」 「それも分かってるし、永遠に変わらないことだわ」 「母さん……」 白音のことを受け入れ難く思う気持ちは、未だに変わらないんだな。 「白音が居ないという悲しみを、忘れたくない気持ちは分かるよ」 「そうなの……」 「シロネちゃんと一緒に居ると、自然と心が穏やかになってしまう」 「そんな自分が、許せなくて……」 「僕は、母さんが僕を認めてくれたみたいに、そんな母さんのことも認めたいって思う」 「もちろん、シロネのことだって――」 「そうやって、シロネちゃんを受け入れている舜を見ているのも、辛いの」 “叫び”という程の語気ではなかったけど……。 母さんの心は、間違いなく叫び声を上げていた。 「白音ちゃんの分までって思って、大切にしてきた舜だから」 「まっとうに、人間らしく幸せな人生を歩んで欲しいと思う親心もあるの」 その気持ちは、今の僕にはとても重い。 シロネのことを愛し、共に生きると決めた僕には。 「それでも、私は――」 「やっぱり、舜が決めたことなら信じてあげたいと思うくらいには、親馬鹿なのよね……」 母さんは、引き攣った笑顔を無理して浮かべた。 「舜は、シロネちゃんのことが、1人の女の子として好きなんじゃないの?」 図星を指されて、額に汗が滲む。 「返事は聞かなくても分かるわ」 「離れて暮らしていても、私の子だもの……」 母さんに見つめられて、ますます汗が止まらない。 やましいことなんてしていないのに、どうしてなんだろう。 「そうだ!」 「シロネちゃんは、名前の由来って知ってるのかしら?」 「わたしの……白音さんの名前の由来ですか……?」 唐突だけど、話が逸れたのは素直に喜ばしい。 「僕も知らないんだけど」 そう言って、便乗する。 「舜が知らないはずないわ。忘れているだけ」 「……そうだっけ?」 首を傾げてから、記憶を失っていることを思い出す。 「まあ、いいわ……」 「舜のお父さんは、海外で暮らしているの」 「まだ、白音ちゃんがお腹の中に居た頃、2人で夜の森を歩いていて」 「確か、舜はシッターさんに預けたとかで、一緒に居なかったのよね……」 「白い鳥の羽根が、雪のように舞っていたのを見たわ……」 「お父さんは根っからの理系なのに、らしくないことを呟いてね」 「“羽根が降り積もる音は、白い色をしている。今度生まれてくる子には、こんな美しい景色を見せてあげたい”ってね」 「“白い音”という詩的な言葉が耳から離れなくて、その時“白音”という名前を思いついたの……」 確かに……。 うっすらと記憶に残る仕事好きな父さんから出たとは、思いもしない言葉だ。 母さんが印象深く捉えてしまうのも無理はない。 「その話を5歳くらいだったかな……?」 「とにかく、小さな舜に聞かせたことがあったの」 「そうしたら、舜はね……」 「“いつか絶対、白音にその景色を見せたい”って言ったのよ」 僕は、そんなことを言ったのか……。 「おでこをくっつけなくても、大丈夫ですよね?」 そう言ってにっこり微笑むシロネに、僕はゆっくりと頷く。 アーカイブス機能を使わなくても、きっと伝わるから。 「白音さんはお兄ちゃんの言葉が嬉しかったんです」 「いつかは、その白い羽の舞う光景を眺めたいなって……」 「目の病気を治したいなって、思ったんですよ」 シロネはしみじみと言った。 僕は見送りに出てきた母さんに、シロネと恋人同士になったことを打ち明けた。 「驚かせてしまったかもしれないけど……」 「僕、シロネのことが好きなんだ。守るって決めたんだ」 「やっぱりね」 母さんは猫のように抜け目のない瞳で、僕を見た。 「そうだと思ってたの」 「母さんの言う通り、僕はシロネのことを、1人の女の子として見てる」 「そのことで、迷惑を掛けることもあるかもしれないけど――」 「気にしない♪ 気にしない♪」 「舜はちょっと変わった子なんだから、ご近所の人達に心配されてしまうなんて慣れっこよ」 かなりマイルドにアレンジしてくれているけど、もっと口さがないことを言われたんじゃないかと思う。 「でも、きちんと自分の意思表示が出来るところは、凄いと思う」 「昔、家に引きこもっていた時も、私は感心したくらいだった」 「ああ、白音がいなくなった後のことかな……?」 母さんは目で肯定すると、さらに僕を褒めそやした。 「無理に他人と関わって、傷ついたり傷つけたりするくらいなら、閉じこもっていたほうが良い時もあるわ」 「今でこそ思うのだけど、小さい舜はそれを理解していたんじゃないかな?」 「……そんなにおだてられると恥ずかしいって」 耳の裏が熱い。 火が点いたみたいだ。 「まあ、人間の女の子と恋人になったからといって、舜が幸せになる保証なんて無いもの」 「要は2人の気持ちと、幸せになったという結果じゃないかな」 あっさりしていて、母さんらしいと思った。 「ねえ、シロネちゃん」 「はい」 シロネの肩はもうびくついたりしない。 神妙な面持ちで、答えた。 「シロネちゃんが、私の娘を大切に想ってくれること」 「記憶を受け継いでくれていることは、本当に嬉しいわ」 「あのね。その上で……」 「どうかしましたか?」 母さんの弱々しい声に労{いたわ}るように、シロネは優しく尋ねた。 「私、あなたに聞きたいことがあるの」 「……なんでも尋ねてください」 「わたしが力になれることだったら、喜んで」 肩の力が抜けたように、母さんは吐息を漏らした。 「……どこから、話したらいいんだろう」 「白音ちゃんが先天的な弱視だと分かっていても、私はあの子を産みたかったの」 「それはとても自然な感情だと思っていたし、どんな困難だって、娘と一緒に乗り越えて行こうと思っていたわ」 言葉を慎重に選びながら、気持ちを伝えていく。 「でも、その決意は私のエゴでしかなかった」 「実際一緒に暮らしてみると、私があの子にしてあげられたことなんてほんの僅か……」 「辛いのも、頑張ったのも、結局は白音ちゃんだった」 両の瞼を閉じて、暫し口も閉ざす。 母さんの瞼の裏には、在りし日の白音の姿が映っているんだろう。 「娘には、生まれることに対する拒否権なんて存在しなかった」 「あなたと一緒ね?」 「……はい」 「わたしにも、選択肢はありませんでした」 「でも、それはみんな一緒ですよね?」 「だけど……」 「五体満足に産んであげられなかった私のことを、白音ちゃんは心のどこかで恨んでいたんじゃないかな……」 「母親のわがままのせいで、自分が苦しんでいるんだって思っていたんじゃないかって……」 「そんな――」 「そんなことありません」 ぱぁっと南国産の大輪の花が開いたようだった。 シロネは母さんに晴れやかな笑顔を向ける。 「お母さんのことは、ずっとずっと大好きでした」 「本当に大好きで、大人になったら、お母さんみたいになりたいって思っていたんです」 「綺麗なお花を育てて、周りの人を笑顔に出来る女性になりたいなって」 シロネの温もりが波動のように伝わったからなのか……。 僕も、和やかな気持ちで微笑むことができた。 「だから、恨んだことなんて……」 「一度だって、ないんです」 「だから、安心してくださいね。馨さん」 母さんは呆然の体{てい}で、視線は宙にあった。 やがて、意を決したように口を開いた。 「……やっぱり、“馨さん”なんて呼ばないで」 「え?」 「そんな他人行儀な言葉、あなたの口から聞きたくない」 「芯から凍えるくらいに、寂しいわ」 母さんの声は、微かに震えていた。 「シロネちゃんには、“お母さん”って呼んで欲しい……」 心の中で濁流のように渦巻く感情を、必死に抑えているんだろう。 母さんが息をするたびに、周りの空気が張り詰めていく。 「自分勝手なこと言って、ごめんなさい」 「あなたに苛立ったり、傷つけたことだって、あったのに……」 「今更、図々しいって思うよね」 己の胸中に生まれた矛盾に、母さんは葛藤していた。 「厚顔無恥な人間だって思ってくれていい」 「舜の、恋人のお母さんという、意味合いでもいいから……」 「私のこと、お母さんって呼んでください……」 シロネの中にだってきっと、驚きや戸惑いがあったに違いない。 だけど、シロネはただ微笑んだ。 「ありがとう」 「お母さん」 僕は、そんな彼女のことが誇らしいと思った。 数秒前よりも、ずっとずっと好きになった。 自分の家に居るというだけで、こうも心が軽くなるのはどうしてだろう。 昨日、今日とさまざまなことが立て続けに起こったからか、なんだか久しぶりに帰って来たような気さえする。 「ああ、風呂にでも入って寝てしまいたい」 のんきに独り言を漏らしていると、微かに物音がした。 「お兄ちゃん、これ、着てみたんですけど……」 だぼだぼのシャツを着たシロネが、リビングに現れた。 「やっぱり、お兄ちゃんのシャツ、わたしには大きいですね」 「洗濯物が雨に濡れてしまったのは、誤算でした……」 「いや、これはこれで……」 凄く、いいと思う。 洗濯物を干しっぱなしで出掛けてしまった、昨日の僕に拍手。 「お兄ちゃん……?」 「何を考えているんですか?」 「ああ、その……」 「確かにぶかぶかだけど、シロネに似合ってるなあって」 「そ、そんな……そんなこと……」 恐縮している一方で、頬が桜色に染まっていく。 シロネの感情曲線が急カーブを描きながら、上昇していくのが分かる。 「お兄ちゃんが喜んでくれましたーっ!」 「思い切って着てみて、大正解ですっ!」 そんなに喜ばれると、こっちまで赤面してしまう。 好きな女の子に、自分のシャツを着てもらうなんて、ご褒美でしかない。 「シロネ、ちょっとこっちに来て」 「は、はい……」 シロネの声が急に固くなる。 「どうかしましたか?」 「あの……」 「シロネのこと、抱き締めたいんだけど……」 「え、えっと……」 「抱き締めるだけ、ですか?」 「出来れば、その……」 それ以上のこともしたい。 なんて、言えない。 「……いいですよ」 「え?」 「抱き締めるよりも凄いこと……」 「しても、いいですよ?」 さっきまで揺れていたシロネの瞳は、真っすぐに僕を見据えていた。 「どうします? お兄ちゃん……」 「どうしますって……」 僕は居ても立っても居られない気持ちで、シロネを押し倒した。 顔を寄せ、お互い見つめ合う。 呼吸をする音さえ耳に届く静寂の中で、眼差しだけが熱い。 「お兄ちゃん……」 甘えるように、シロネが囁く。 「もう、わたし……」 「恥ずかしくないですよ?」 「……本当に?」 「はい」 「だから、その……」 「してください……」 「えっと……」 僕はその意味するところ、期待されている答えを理解しつつも、尋ねる。 「シロネは何をして欲しいの?」 「はうっ……!」 「そ、それは……」 戸惑う姿が可愛いらしい。 シロネは、一生懸命な口ぶりで答えた。 「き……キスですっ!」 「お兄ちゃん、早く、キスしてっ!」 「……んっ!」 求められるまま、シロネの唇を奪う。 「ふっ……んんっ……」 シロネの唇は、ほのかに温かい。 「んんっ……」 「んっ、ふあっ……」 触れるだけのキスなのに、シロネの口から早くも吐息が漏れ出ている。 ああ、可愛過ぎる。 唇が離れると、とろりと溶け出しそうな瞳で僕を捉えた。 「はあっ……はあっ……」 「お、お兄ちゃん……わたし……」 喘ぐように僕のことを呼ぶから、切なさが刺激される。 シロネの声に応えるように、優しく微笑んだ。 「お兄ちゃんと、また……」 「こんなふうに、気持ちを重ねられたらいいと思っていました」 「なんだか、夢みたいです……」 「僕もだ」 「シロネとこうしたかった」 「お兄ちゃん……好き……」 「僕も、シロネのことが好きだ」 言葉の意味、気持ちを噛み締めるようにして言う。 「大好きだ」 「嬉しいです……」 「とっても、とっても嬉しいです……」 「もっと、キスして……?」 「ふっ……んっ……」 今度は、唇を味わうように意識を集中する。 「んんっ……」 柔らかな花弁は潤いに満ちている。 僕が求めるたびに、しっとりと吸い付いてきた。 「あっ……ふっ、んっ……」 「んんっ……」 シャツのボタンに手を掛ける。 気がはやり、なかなか外すことが出来ない。 「お、お兄ちゃん……!?」 シロネは驚きと期待が入り交じった眼差しで僕を見つめた。 ようやく隙間を作り出すことに成功する。 そこへ割り入れるように下半身のモノを、無理やり滑り込ませる。 「あっ……!」 ペニスを胸の間に差し込まれるという初めての経験と、その刺激的な光景に、シロネは目をぱちくりさせていた。 「これは一体……」 「我慢出来なかったんだ」 キスをする前から、僕の分身は熱を帯びて、いきり勃っていた。 「こんな、いきなり……」 「ごめん、どうしてもしてみたくて……」 「で、でも……」 シロネは顔を真っ赤にして訴えた。 「お、おっぱいの谷間は……」 「おちんちんを挟むために、あるんじゃありません!」 「他に、何を挟むの?」 「そ、それは……」 シロネの目が、答えを探して彷{さ}徨{まよ}う。 「ゆっくり考えてみないと、分かりません」 「少し時間を貰えませんか?」 「じ、じゃあ……」 「シロネの胸で、僕のソレをしごきながら考えてくれる?」 「えっ……!? 胸で……お兄ちゃんのを……?」 「胸の谷間の活用方法として、それが正しいことなのか、それとも間違っているのか……」 「実践しながら、理解して欲しいんだ」 実に、苦しい言い訳だ。 シロネに納得して貰えるわけがない。 さすがに無理があるかと、諦めの境地から半笑いが込み上げた。 「……なるほど、分かりました」 「えっ……?」 我が耳を疑っている間に、シロネはテキパキと行為に及ぶ。 「考えることだけが、答えを得る方法とは限りません」 「わたし、やってみます」 そう言い放って、両の膨らみを支える手に力を込める。 「んっ……」 「痛く……ありませんか?」 「大丈夫だよ」 こんな展開になってしまって、大丈夫もなにも無いけれど。 「……良かった」 シロネは胸を上下に動かし、竿を擦る。 先走りが溢れ流れ出て、谷間を濡らしていく。 「こんな感じ、でしょうか……?」 滑りが良くなるにつれて、動きが大胆になる。 分身が固くみなぎっていくのが分かる。 「ん……凄い、音です……」 「ちゅぷちゅぷって……あ……んっ」 白い手は器用に膨らみを操っている。 くるりと円を描くように、ペニスを刺激した。 「ふ、う……ん、ん……んっ」 脳天まで貫くような強烈かつ官能的な刺激が、身体を駆け巡っていく。 「ふふふ……お兄ちゃん……とっても、気持ち良さそうですね」 「うん、凄くいい」 深いため息と共に、率直な感想が漏れる。 手で擦るのとはまた違った感触が、心地いい。 「あ、ふうっ……ここは、どうでしょうか?」 シロネは胸を掴み上げ、カリを刺激する。 「あっ! 先端のほうも……」 「なんだか気持ち、良さそうです……」 上下に強くしごかれる。 絶えず流れ出す我慢汁が、谷間を濡らしていく。 「お兄ちゃん……」 「んっ……だらだらと、お汁が流れていきますね……」 こんなにペニスが熱いのは、摩擦による熱なのか……。 それとも、欲望の表れなのか。 「初めは、ちょっと困りましたが……」 「お兄ちゃんが、わたしのおっぱいを欲しているのだと思うと、愛しくて切なくなります」 「もっと、お兄ちゃんに気持ち良くなって貰うためには……どうしたらいいんでしょうか?」 「じゃあ……」 「もうちょっと、ぎゅっと胸を寄せてくれないか?」 「……こうですか?」 「もっと」 「は、はいっ……」 柔らかな肉の双丘が、さらに肉棒を包み込む。 それをきっかけに、僕は腰を動かした。 「ひゃあっ……あっ……!」 胸の谷間を、シロネの汗が流れ落ちていく。 それとは別に、ぐちゅぐちゅとねちっこい水音が辺りに響く。 「熱いです……!」 「お兄ちゃんのおちんちん……あっ……わたしのおっぱいで……どんどんと硬くなっていきますっ……」 窮屈な隙間で、僕の欲望の化身が蠢いている。 「ふっ、はあっ……あっ……!」 「わ、わたしの……おっぱいの間でっ……あっ、はあっ!」 シャツのボタンを一部しか外さなかったのは正解だったみたいだ。 シャツに押し留められた肉の壁が、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。 「す、凄いです……っ」 「おちんちんが、動いて……んんっ、くっ……!」 くすぐったそうに、小刻みに身体を揺する。 それに合わせて、シロネの双丘もふるふると揺れる。 それがなんだか面白くて、ついつい夢中になってしまう。 「お兄ちゃん……気持ちいいんですね……?」 「おっぱいに挟んで、スリスリってするの……とっても、いいんですね?」 シロネが身じろぎする動きも加わると、さらに快感が確かなものになっていく。 僅かな動きさえ、竿に伝わる。 「ふあっ、ああっ……お兄ちゃん、激しっ……激しいですっ!」 「あふっ、んっ、はっ、ああああっ……」 胸の先端がぷっくりと自己主張をしているのが、シャツの上からも丸分かりだ。 彼女が漏らす声に、艶{あで}やかさが帯びている。 「……ふっ、はあっ、ああ、あっ、ふあっ……はあんっ」 「ち、乳首がシャツで擦れてっ、あっ、ああっ、ひゃぁんっ!」 「へ、変な声が出ちゃいますっ……!」 「変な声なんかじゃないよ」 シロネの喘ぎ声を、もっと堪能したい。 「んっ、ふっ……はあんっ!」 そんな気持ちから、律動を速める。 「やっ……あ、ああんっ……」 「声がっ、抑えられない……ですっ」 苦しそうな息が、小さな口から漏れ出る。 堪{こら}えられないのは僕も同じで―― 「あっ、あんっ……はあっ、ああんっ……!」 「今、おちんちんが……びくびく、って……ああっ!?」 「ふあ、ああっ……んっ、くうっ……ああ……」 「シロネ……」 限界が近い。 今、身体の最も熱い部分で、欲望が出口を求めて暴れ回っている。 「ふっ、あっ……やんっ、あっ……あんっ!」 「はあっ……あっ……!」 「もっと、わたしのおっぱいに……! はあん、ふあっ!」 ペニスを挟み込む圧力が強まる。 動けば動くほど、ぬちゃぬちゃと音が立つ。 「お、おっぱい……わたしの、おっぱい……」 「ぐちゃぐちゃにしても、いいですからっ……!」 「お兄ちゃん……もっと、気持ち良くなってっ……!」 深く頷いてから、夢中になってモノをしごく。 シロネの乳首も、ぴんと張りつめている。 「くうっ、あっ、ああっ……! さっきよりも、敏感になってっ……!」 「んんっ、あっ、はあぁっ……ひあっ、んっ!」 「もうっ……我慢出来ないっ」 「お兄ちゃん……ああっ、限界なんですねっ!」 「わたしのおっぱいに、くださいっ……!」 「お兄ちゃんの、熱い精液……わたしに、いっぱい出してっ……!」 もう、限界だ。 「……で、出るっ」 「だめっ、お兄ちゃん! あっ、ふあ、激しいっ!」 「ああっ、ふああっ、あっ……!?」 「あっ、ふっ、ああああああああっ……!」 ペニスの先端から白濁した液が迸{ほとばし}る。 「ふあっ、はあぁっ……あっ、んっ、ああっ……」 尾を引き跳ねながら、シロネの顔を汚していく精液。 その有り様を眺めていると、背徳感が背中を駆け上がっていく。 「ひゃあっ……こんなに、沢山っ……」 どうしよう。 また、興奮してしまいそうだ。 「あっ、はあっ……お兄ちゃんっ……」 「ふうっ……はあっ……」 「顔も……谷間も……ドロドロです……」 荒い息を整えながら、シロネが呟いた。 「お兄ちゃんの精液で……濡れちゃいました……」 「精液……とっても、熱いです……」 先端からは、未だに白濁液が漏れ出ている。 「これが、正しい胸と谷間の使い方だって……分かってくれた……?」 「……はい」 シロネは素直に答えた。 「お兄ちゃん、とっても気持ち良さそうでした……」 「何度だって、おっぱいで挟んであげたいです……」 「あっ……!」 役目を終えたことを悟ったのかもしれない。 外れ掛かっていたシャツのボタンが外れた。 二つの膨らみが、露わになる。 「今さらですが……なんだか、恥ずかしくなってきました」 「あんなに気持ち良さそうに喘いでたのに?」 「はうっ……!」 「あっ、あれは……お兄ちゃんがっ……!」 そう話している間にも、胸の谷間を白濁液が流れ落ちていく。 それが、とてもそそるもので……。 「きゃあっ!」 シロネの身体を抱きかかえ、弾みをつけて体勢を入れ替えた。 「ちょっと、お兄ちゃんっ……!」 「だっ、駄目ですっ!」 馬にまたがるような姿勢を取らせると、シロネの秘部がはっきりと見えた。 下着をつけていなかったらしい。 「はわわわっ! これは、そのっ……!」 「わたし……着替えの途中でっ……」 「こんなことになるだなんて、思ってなかったので……」 「もう、充分濡れてるね……」 彼女の大切な所は、既にとろりとした液で潤んでいた。 「あっ、やっ……」 「み、見ないでくださいっ……」 なんて淫{いん}靡{び}な光景なんだろう。 ずっと眺めていたい。 「お兄ちゃん……見ないで……」 「嫌っ……あっ、はあっ……」 秘部の入り口がヒクヒクと蠢{うごめ}いている。 シロネとは別の独立した生き物みたいだった。 「ますます、恥ずかしくなってしまいました……」 「お兄ちゃんの、馬鹿……」 顔を真っ赤にして羞恥の抗議をするシロネの傍らで、僕のペニスは肥大化していく。 綺麗なピンク色の入り口に当てがうと、物欲しそうにパクリと食いついた。 「はうっ!」 「シロネのここは、僕を欲しがっているみたいだけど……?」 「そ、そんなこと、ありません……」 否定するシロネをよそに、僕はゆっくりと竿を擦りつける。 「ふあっ……あふぅ、あっ、あっ……ん」 「ああ、んっ……くぅ……」 割れ目をなぞるように動かす。 その度に、じわじわと愛液が溢れ出る。 「……欲しがって、なんて……いませ、んっ! あっ、あっ!」 「あんっ、ああっ……そこっ、ぐりぐりしちゃ……やっ、ああっ!」 今度はクリトリスに狙いを定めて、刺激を加える。 小さな突起が、刺激に反応して充血するのが分かる。 「ひゃあっ! んっ、ああっ……はあっ……ふああっ!」 「そこっ、くりくりするなんてっ……!」 「んんっ、あっ、ふあん、こんなにっ、されたらっ……!」 その反応が愛しくて、僕はさらに責め立てる。 触れれば触れる程、突起はさらに自己主張を強めていく。 「ああんっ、そこ、クリトリスは……凄く、敏感なんですっ……あっ、あんっ!」 「ふあんっ、んっ、くうっ……! そこは、とっても大切な……」 「くあんんっ、あくぅっ……はんっ、んあぁっ……!」 「シロネ……?」 僕は目で、窮状を訴えた。 「ふあっ、んんっ……あっ、あああっ……!」 「お兄ちゃん……ちょっと、待って……」 察したシロネが、その先に待ち構える行為を想像して狼{うろ}狽{た}える。 「あの、まだ、わたし……心の準備が――」 「いやあああっ!?」 「んっ……あっ! あああっ、ふあっ……んんっ……!」 シロネの抗弁には耳を貸さず、がっしりと身体を掴む。 そして一気に、当てがったモノで秘部を貫く。 「はぁんんっ、あっ、ふあんっ、んっ、あああっ……!」 「くぅ、あっ……ううっ……!」 猛った分身は、膣内の奥を目指して突き進む。 「あっ! あっ……はあぁっ……ああっ!?」 「お兄ちゃんのが……お兄ちゃんのおちんちんが、わたしの中でっ……」 「お腹の中が、はちきれそうですぅ……!」 「大丈夫か……?」 気遣う気持ちの裏側で、動きの止まらぬ下半身は悦{よろこ}びを追い求めていた。 「あっ、ああっ! ……んんっ、あっ、あっ!」 「お兄ちゃんの、おっきいのが……わたしの中にっ!」 「ずんずんって、入ってきてますぅ……」 張りのある太ももが、痺れたようにぶるぶると震える。 そこを滑るように汗が伝い、流れていく。 「あっ、ふあんっ、んっ、ああんっ……!」 「こ、こんな格好……破{は}廉{れん}恥{ち}ですぅ……!」 確かにあられもない。 シロネの蜜壺が、がっちりと僕を咥え込んでいるのが丸見えだ。 「あんっ、んああっ……やあんっ……ああっ!」 「ぅんっ、くうっ……! おっきい、おっき過ぎます……あっ、はあっ、んっ……!」 「はうんっ、あっ、お兄ちゃん目つき……ねっとりしてて、えっちです……」 「あんまり、見つめないでください……あっ、あっ!」 ぬらぬらと濡れて、こんなにもいやらしい……。 誰でも、自然と目がいってしまうだろう。 「お兄ちゃん、あっ! そんなに、かき混ぜないでっ!」 「ああっ、もう……こんなにグチャグチャにして……」 「わたし……こ、壊れてしまいますっ!」 そう言われると、もっと意地悪したくなるのが人の性{さが}だ。 もっと派手に音を立てるように、ぐるぐると竿でかき回す。 「ひゃんっ、ああんっ! あっ、あっ、はああん!」 「そ、そんなにされたら、わたし、わたし……ふあっ、ああんっ!」 ぬちゃぬちゃと絡みつくような音と共に、愛液が流れ出る。 「ああんっ、ふあっ、くっ、ううんっ……!」 「ふ、深いっ……! おちんちんが、奥まで、来てるっ……!」 今度は、突き上げることに集中する。 頂点を狙って打ち付ける。 「はうっ、ひあっ、ああんっ……あっ、凄いですっ……!」 「お兄ちゃんの、おちんちん……当たって、あっ、あっ」 「そこっ、駄目っ! あんっ、はあんっ……!」 口では拒んでいても、いつの間にかシロネの細い腰も、小刻みに揺れていた。 「シロネ……気持ちいいの?」 浅いところでモノを出入りさせながら、問い掛ける。 「んっ、あっ、あっ、ああっ……うんっ、はあっ……!?」 「ふあっ……ああっ……はあっ、あっ、くうっ……」 シロネは答えない。 だけど、それが答えだと思った。 言葉に応じられない程の快楽に、彼女は襲われている。 「はあんっ、はあっ、あっ、あああっ……!」 「もっと……もっと、奥っ! ああん、あっ……!」 「わたしのおまんこの奥っ、突いてくださいっ!」 シロネの腰が、むずがるように蠢{うごめ}いた。 「ああっ! いいっ、んんっ……!」 「ひゃっ、あん! んんっ……凄いっ!」 「もっと、もっと……突いて! あっ、ふあんっ、んっ、あああっ……!」 シロネの望みに応えるべく、抉り込むようにして、最奥に先端を叩きつける。 「奥に……奥に、当たってますぅ……おちんちんがっ!」 「お兄ちゃんのおちんちん……ふあんっ、ああんっ!」 肉壁に当たって跳ね返される感触が、奇妙な高揚感を生む。 「ゴツゴツって、当たって……っ! くっ、はあっ……あんっ、んあっ!」 「ひゃうっ……! ああんっ、はうっ……あふっ、はあんっ……」 互いの身体がぶつかり合う音が響く。 それに合わせて、シロネの胸がぶるりと大きく揺れる。 「はあんっ、んっ、くっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 先程までのように直接堪能するのもいいけど、下から眺める双丘も迫力があってぐっとくる。 「おちんちん、いいっ! すっごく……おっきいっ、おっきいですっ……!」 「あっ、くぅ……ああっ、あんっ! はあっ、あっ、ああああっ!」 いきり立ったペニスを抽送させ、何度も奥に突き入れる。 そうしているうちに、シロネもより大胆に腰を振るようになっていた。 「こ、こんなに気持ちいいなんて……ふああっ、ああんっ……!」 「わたし、いやらしい……いやらしいですぅ……」 太ももを掴む手に力が入る。 「ひやあっ……ああんっ! んんっ、はああんっ!」 シロネが身体を浮かせると、引き抜かれたモノを突き入れる。 奥に達すると、膣内がぎゅっと収縮する。 「そこっ! 駄目ですぅ……!」 「お腹の中、びくびくって……ああっ……ひゃあん!? 止めてっ!」 「ちょっと、止めて……くださいっ!」 そう言いつつ、シロネは懸命に腰を振り続けている。 自ら進んで快楽を求めていることに、気付いていないようだ。 「もう、脚がっ……震えてっ……んんっ、んあっ……!」 「そこダメなのっ……わたし、中で、感じちゃいますぅ……!」 「た、体勢を……維持出来ませんっ!」 適度に肉がついた太ももが、びくびくと震える。 それと同時に、汗が滴になって流れ落ちていく。 「お兄ちゃん……わたし、いやらしいですか……?」 「あっ、ああっ! いやらしい子は、嫌いですかっ!?」 「あっ、ああんっ、んっ、くあっ、ふああっ!」 応えるように突き上げると、膣内はさらに締め付けて狭{きょう}隘{あい}になる。 竿全体を包み込むように、ぎゅっと締め上げていく。 「はうっ、ああんっ、ああっ、ひあああっ!」 「熱い……熱いですっ……ふあんっ、ああああっ……!」 律動するたびに、結合部から体液が溢れ出し、流れていく。 お互いに求め合う気持ちが、カクテルになって零れる。 「んんっ、はうぁっ、あっ、はあんっ、ああっ……!」 「はぁうんっ、んっ……おちんちん、熱くなって……はあっ、うぅんっ……!」 白く長い髪を振り乱し、甘い声を上げている。 シロネの背中が、綺麗に弧を描き弓なりに反る。 「ふああっ、ああんっ!? 身体がっ……熱いですっ……!」 「何か、奥から……ひゃっ、あああんっ!」 「来てる……来てますぅ……! 出ちゃいますっ……はぁっ、あああっ!」 「シロネっ……!」 お互いにフニッシュの予感が迫っている。 ここまで来ると、理性を保つことなんて出来ない。 「お兄ちゃん、中に出してっ……!」 「わたしの奥で、お兄ちゃんの精液、沢山出してくださいっ……!」 「わ、わたし……も、もうっ……! はうんっ、ああっ、ふああっ!」 彼女の乱れた姿に当てられて、僕は思考を放棄する。 ただ、猛った気持ちを鎮めるために、欲望を解き放った。 「あっ、あっ、来るっ! わたし、もう駄目っ、駄目ですっ……!」 「お、お兄ちゃん! イッて! あ、あううっ!?」 「ひゃあああああああああああっ…………!」 「あっ、あっ、ああああっ……」 シロネの身体が、これまで以上に大きくしなった。 濁流のような精液を、恍惚の表情で受け止めている。 「注がれてますぅ……お兄ちゃんの……熱いっ……」 「あっ、はあっ、ふあっ……」 大量の白濁液が僕の分身から放たれている。 その勢いは収まらない。 「はううっ……まだ、まだ出てますぅ……」 「お兄ちゃん……あっ、ああっ……」 「あっ……はあっ……」 「はあっ……はあっ……」 気が付けば、2人の身体は燃えるように火照っていた。 上気した肌からは、汗が湯気となって立ち昇っている。 「お兄ちゃんと、セックス……」 「わたし……セックス、しちゃいました……」 シロネの目はどこか夢見心地で、僕を見ているようで見ていない。 上ずった声で、呟きを繰り返している。 「はあっ……はあっ……」 「とっても、気持ち良かったですぅ……」 「シロネ……平気?」 ようやく我に返って、気遣う余裕が生まれる。 繋がり合った場所から、居場所を失った精液が滴り落ちている。 「なんだか、苦しそうで……」 「別に、苦しくなんてありませんよ……」 「わたしの身体と心は、ただただ喜びで一杯で……」 「これから、何度だって愛し合える」 「こんなに焦らなくても良かったかもしれないって、思ってさ……」 「僕は、シロネの身体だけじゃなくて、心だって愛したいんだ」 「心を……愛す……とは、どういう意味ですか?」 「まだ、よく分からないけど……」 刹那的な衝動に振り回されないとか……ちゃんと、相手の気持ちを考えるとか……? 「ふふふ……お兄ちゃんに、任せますよ」 「わたしも、お兄ちゃんが求めているものがなんなのか、知りたいです」 「それで……お兄ちゃん……?」 とろんとした瞳で問い掛けられ、ドキリとする。 僕のペニスは、シロネの中で再び勢いを取り戻し、怒張し始めていた。 「お兄ちゃんのこれ……また、おっきくなっていませんか?」 「そうかも……」 あれだけ激しくまぐわったのに、興奮は冷めやる気配が無い。 むしろ、蠱{こ}惑{わく}的な彼女の姿態が脳裏から離れない。 「……もう、お兄ちゃんったら」 シロネが呆れたような声音で僕を呼んだ。 「だって、シロネが……」 「好きな人がこんな格好で目の前に居るんだから、仕方ないだろ?」 「お兄ちゃん……」 そう、僕は1人の健全な男子なんだ。 勃たないほうがおかしい。 「そんなこと、言われると……」 「はうぅっ……わたしは、お兄ちゃんに弱いんです……」 「あっ、ああっ……!」 小柄なシロネの身体を抱き締めて、向かい合う。 モノは挿入したままだったから、シロネの口から喘ぎ声が漏れ出た。 「はうんっ、んんっ、くっ……あっ、ふあんっ!」 僕は腰を突き上げるようにして、シロネの中に侵入する。 「あ、頭まで届くみたいに……凄いっ、んあっ、ああっ……」 「い、いきなり……こんなふうに突くなんてっ……」 予想外の快感に、シロネは身体全体を震わせる。 彼女の悦びが伝わって、僕は嬉しくなる。 「ひゃあんっ……! もう……もう、ガチガチになっています……」 「お兄ちゃんのおちんちん……硬くて、ふあんっ、はあっ、くっ……!」 「ああっ、んんっ……ふっ、くぅん……!」 声を押し殺そうと必死なんだろう。 シロネは僕にすがりつく腕に力を込めた。 「はっ、ああんっ! しび、れて……気持ち、良過ぎますっ!」 「太くて硬いのが、わたしの奥をっ、抉{えぐ}ってっ!」 「ふうっ、ああっ、あうんっ……! あんっ、ああんっ!」 膣内の肉壁が、男根を離すまいとして絡みつく。 それを無理やり引き剥がすようにして、抽送を繰り返す。 「お兄ちゃんの……すっごいですぅ……!」 「沢山突かれて、ああっ、あっ、ふあっ!」 ペニスがシロネの膣中を幾度も往復する。 「わたしの中っ……離したくないって、嫌々してるのが分かりますっ……!」 「おちんちんっ、離れちゃ嫌ってっ……! んっ、んんっ、ああ!」 お尻を鷲掴みにして、シロネの身体をさらに密着させる。 おっぱいが窮屈そうに形を歪ませる。 「はあっ……あっ! ふあっ、ああっ!」 「お兄ちゃん、もっと、もっとしてっ……」 小刻みに漏れる吐息が熱い。 「出たり、入ったり……んっ、はあっ、ふあんっ!」 「はうっ、んあっ、あんっ! どんどん、速くなっていますっ……!」 「ああっ、はあんっ! ああっ……はあっ……あんっ、ふあっ……」 僕の背中に回された腕には、昂ぶるにつれてぎゅうっと力がこめられる。 「お、お兄ちゃんの……抜く時にっ、やぁんっ!」 「引っ掛かって……っ! い、いいっ……あっ、んあっ!」 「くっ、あああっ……いいですぅ……!」 シロネは必死にしがみつきながら、快楽を享受していた。 それが嬉しくて、抽送するスピードを速める。 「またっ、すごっ……速くなってっ、んあっ、ふっ、くあんっ!」 「身体がビリビリって、あっ、またっ……ビリッって、ああっ!」 細い肩を震わせて、シロネは悦びを露わにした。 「す、凄いっ……こんなに、気持ちいいっ!」 「あああっ、ああっ、あっ、あーっ!」 密着した胸の隙間に、汗が流れていく。 「くっ、あっ、ふあんっ、んっ、はあっ……あっ……!」 「はうんっ、んんっ……あっ、はあっ……お兄ちゃんっ!」 ちょっと、ペースが速いかもしれない。 動きを緩めようとすると、不安そうにシロネが覗き込んでくる。 「はあっ……はあっ……お兄……ちゃん……止めないで……」 「続けて……くださいっ……」 心配は杞憂だったようで、行為を再開しようと、僕は1つ深呼吸をする。 それからゆっくりと、下半身を動かした。 「あっ、んんっ、ああっ、んんっ、ふっ……ふああっ、あんっ……」 「んっ、あっ……ふあんっ、んっ、あっ、はあっ……」 喘ぎ声には、苦しさだけでなく快楽に身を委ねた悦びも混じる。 「大丈夫?」 「ああんっ、ふあっ……気持ちいいっ、いいですっ……」 「はあっ、ふうっ……んんっ、あんっ、んんっ」 じっくりと突き入れ、膣奥へ押し当てるようにする。 「ああっ、そこっ、そこっ……! びくびくってなって……」 「感じちゃいますぅ……! ふあんっ、ああっ、はあっ……!」 まろみを帯びた甘い声が、くすぐったい。 シロネのことがますます愛しくなっていくのを感じていた。 「うっ、あふっ……ああっ、擦るのも、好き……はぁん」 今度は、入り口近くの浅いところを刺激するように出し入れをする。 シロネの反応を見ながら、いろいろと試してみた。 「んんっ、はあっ……あっ、ああっ……!」 身を捩{よじ}らせて応えてくれるのが、愛おしい。 「お兄ちゃんの、大きくなってるっ……」 「さっきより、激しくないのに、とっても、とっても……!」 僕自身も驚きながら、行為に没頭する。 先程までのような激しさは無いのに、満足感を伴う快感がある。 「ああっ、お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……!」 「んうっ、あっ、あふっ、んっ、くああっ……」 「お、お兄ちゃんは……どう、ですか……?」 途切れ途切れに、シロネは尋ねた。 「は、恥ずかしいけど……あんっ、ああんっ、聞き、たくて……」 「お兄ちゃんは……気持ち、いいっ……ですかっ?」 大きく息を吐き出して、答える。 「とっても、いいよ……」 「あんっ、あっ、あんっ、くっ、ふあんっ、あっ、あああっ……!」 「良かった、お兄ちゃん……あっ、あうっ、んっ、ふあっ!」 「もっと、もっと、気持ち良くしてあげたいですぅ……」 突き込む角度を変えて、ペニスを往復させる。 「ふあっ、あっ、んんっ……!?」 シロネの膣内から、愛液がドロっと溢れた。 「はあっ、駄目……ああんっ、そこ、駄目ですぅ……あふっ……」 粘つく音を伴って、ぐっとモノを押し込む。 先端で、膣奥を刺激する。 「ひゃうっ……!? あっ、あああっ……!」 「ふうっ、あっ、あうんっ、はあっ、あっ……」 「あっ、来る、来ちゃいますぅっ……! ああっ、あああんっ……!」 シロネの身体がグッと強{こわ}張{ば}る。 膣内はそれ自体が別個の生き物のようにうねり収縮して、僕を求めていた。 「あっ、あっ、あっ、はあっ、やっあぁ、あぁっ!」 「はっ、はあぁっ……! ああんっ、あっ、あああっ……!」 高まる締め付けに、僕のペニスも絶頂を迎えようとしている。 「あんっ、うあっ、ああっ……!?」 「お兄ちゃん、おまんこの中で、びくびくっって! もう、イッちゃいそうですぅっ……!」 「シロネ、一緒に……」 「ああっ、お兄ちゃんっ! わたしも一緒に、一緒にイキたい……!」 「ああっ、あああっ!? イク、あう、あああぅぅぅ!」 シロネの身体が、ガクガクと激しく痙攣した。 「くっ……!」 「ふああ、あああああああぁぁん!」 シロネの膣内に、すべてを解き放った。 「あああっ、あんっ……! お兄ちゃんっ……!」 「お、奥まで、熱いっ……ふあんっ、はあっ……」 びゅびゅーっと音を立てて、精液が注がれていく。 「ふあっ、ああんっ……」 シロネは身体を震わせて、官能に身を委ねているようだった。 「はあっ……ふっ……」 「はあっ……はあっ……」 荒い息をなんとか整えながら、シロネは呟いた。 「お兄ちゃん……」 「うん……」 「とっても、気持ち良かったですね……」 「わたし……わたし……」 感極まった声で、感情を表現しようと試みている。 そんなシロネのことが、愛しくて堪らない。 「あっ……」 ペニスをゆっくりと引き抜くと、シロネの秘所から白濁液が流れ出た。 力が抜けたんだろう。 シロネの身体は、真綿のように柔らかくて温かい。 「こんなに沢山……」 「お兄ちゃんの精液……わたしの中から、出て来ちゃいました」 「ちょっと悲しいです……」 「そんなことない」 「何度だって、したらいいんだから」 「はい……」 「そうでしたね……」 暫くして、互いの息が元に戻った頃―― 僕の上にうつ伏せになるようにして、シロネはこちらを見つめていた。 サラリとした髪が手に触れる。 火照りを残した身体には、冷たく心地いい。 「お兄ちゃん、笑っていますね」 「うん……なんだか、嬉しくて」 「お兄ちゃんが求めていたこと……」 「このセックスで、手に入れられましたか?」 紅い瞳の奥底には、好奇心が宿っている。 「……どうだろう」 「正直、まだ掴んだとは言えないな」 「……そうですか」 結局、成す術もなく最後を迎えてしまった。 まだまだ、欲望や本能といったものに、揺さぶられている感じは否めない。 「手が触れられそうなところまで来ていた気がする分、悔しいよ」 「仕方ないですよね……」 「わたし達、まだまだ未熟ですから」 「そうか……」 「ここで、シロネに励まされるとは思わなかったよ」 「そんなに意外ですか?」 シロネはちょっとだけ不満そうに言った。 「セックスは、紀元前から人間が行ってきた行為です」 「つまりそれは、毎日の挨拶のようなもの」 「“挨拶”って表現が適切かどうかは分からないけど……」 「本当に数えきれないほどの行為を、人類全体は行ってきただろうね」 「でも、挨拶で人を感動させられる人間がほとんどいないのと同じで……」 「それをごく自然にクオリティー高く行える人は、少ないと思います」 シロネは気を取り直すように、微笑んだ。 「わたし達は、まだ始まったばかりなんです……」 「まだ早い……」 「答えを出すのも、悔しがるのも、まだ早いってことか」 「そう、まだ早いです」 「でも、完璧じゃなくても……」 「今日のセックスは、わたしにとって特別でした……」 僕は微笑んで、頷く。 「お兄ちゃん……おやすみなさい」 すうっと息を吸うと、シロネの輪郭がぼやけていった。 目を瞑れば、今でもシロネの温もりがあるように思えた。 それは、寝ぼけた脳が見せる幻想だと分かっていても、柔い肌に手を伸ばす。 「……う、うんん」 肩を揺すられて、瞼を開く。 何度か瞬きしている間に光に慣れ、視界がクリアになった。 「おはようございます」 「……ああ、シロネ」 「起きてください」 「学校に行かないとですよ」 僕を起こしに来てくれたのは、もちろんシロネだ。 顔を覗き込むシロネと目が合ったのは、もう何回目だろう。 愛おしい日常の象徴だ。 「もう、起きるよ」 「シロネも制服に着替えておいでよ」 「分かりました」 シロネは軽い足取りで僕の部屋を出ていった。 リビングでも、朝食がいつも通りの朝を演出していた。 ケチをつけるところは無いんだけど、あまりに平穏で僕はちょっと不安になる。 それでも、トーストからスープまで残さず食べ終わると、身体の中が温かくなった。 「食器洗い、終わりました」 「今日も元気そうですね」 「でも、念のため今日は百南美先生のところに寄るよ」 今日は定期健診の日だった。 海で事故に遭ってからというものの、決められた日に病院に通うように言われている。 「診察して貰っても、薬が出るわけじゃないし……」 「正直、なんの意味があるんだろうって思うけどね」 「日頃から身体の記録を取っておくのは、いいことだと思います」 「ちょっとした不調や、変化が分かりやすくなりますから」 「そういうものかな」 「それに、普段から健康意識を高く持っておくのは、賢い選択です」 「いざという時の治療費のほうが、高くつきますからね……」 「シロネの言うことも一理あるかもな」 「ガンだって早期発見出来れば、日帰り手術で済むみたいだし」 ということを、休みの日のワイドショーで解説していた気がする。 「あっ、うっかり、言うのを忘れていました!」 シロネの瞳がキラキラと輝く。 「お兄ちゃんの健康意識を高めるため、今日はスープにあるものを入れてみたんです」 「“あるもの”って……?」 「それは、お兄ちゃんが嫌いなパクチーです!」 「うっ……!」 「細かく刻んで、肉団子に混ぜてみましたっ!」 「全然気がつかなかったでしょう?」 シロネは胸を張って得意げだ。 逆に、僕は胃のあたりが重くなった気がして、猫背になる。 「どうりで、ちょっとスースーすると思った……」 「でも、特に顔をしかめたりせずに、パクパク食べていましたよね?」 「お兄ちゃんは、成長しています!」 「そんなに感激されても、僕は嬉しくないけどね」 朝から嫌いなものを食べさせられるなんて……。 とんだ1日の始まりだ。 平穏だと思ったのは、気のせいだったか。 「グッドモーニング!」 「ぐっ、グッドモーニング……」 「ハナコ先輩、今日も元気ですねえ……」 テンションの高さについていけないのは僕だけじゃない。 シロネもだいぶ引いている。 「今日は良い子のみなさんに、いいことを教えてあげマース」 「ありがとうございます。是非、教えてください」 「やめといたほうがいいって」 「でも、せっかくですし……日々成長したいなあと」 「パクチーを食べられたお兄ちゃんに、わたし、負けたくありません!」 「シロネ、ナイスな向上心デスね」 言わんこっちゃない。 水を得た魚みたいに、ハナコ先輩は生き生きとしている。 「頑張るはいいことデス。前進をしていない者は、後退していると誰かが言ってマシタ」 「はいっ!」 「今日、あなたの魂は成長するデショウ。そして、新たなステージへ」 「わたし、頑張ります!」 「だから、ここで意欲を見せなくていいんだって」 「この先輩に教えて貰えることなんて、碌{ろく}なことじゃない」 「関わると、面倒なんだからさ……」 あえて、ハナコ先輩に聞こえるように言う。 はっきり言わないと、この人には伝わらないだろうから。 「遠慮しなくていいデース」 「慎み深さは日本人の美徳デスが、ワタシ達はソウルメイト」 「“ソウルメイト”は知ってマスか、シュン?」 「魂で結ばれた者同士のこと……でしたよね?」 なんで知っているのか分からないけど、聞いたことがある。 強烈に惹かれ合って、筆舌しがたいくらいドラマチックな愛と感動を与え合えるとか、なんとか……。 互いの魂を成長させる存在とか、なんとか……。 とにかく、中二病患者が好きそうなネタだ。 「イエス! ワタシとシュンは、この世に生まれる前から出会っていマス」 「肉体を越えた深い繋がりを持っている、運命の人なのデース」 「えっ! えええっ!」 シロネが慌てふためく。 「お兄ちゃんとハナコ先輩って……そんな仲だったんですか!?」 「そんなわけないだろ」 「だから、聞くだけ無駄だって言ったじゃないか」 「でも、ハナコ先輩はソウルメイトだって……」 シロネは目をぱちくりさせながら、僕を見た。 すっかり真に受けてしまっている。 「シュンはワタシの言ってること、信じていマセン。違いマスか?」 「どう考えても信じてませんよね? わざわざ聞く必要ありますか?」 ハナコ先輩と出会った時、僕の胸中は得も言われぬ喜びで一杯になった。 その感情は、次第に涙として溢れ出ていった。 僕はどうして泣いているんだろう。 理由は分からないけれど、胸が熱い―― とかいう場面は存在していなかったはずだけど、僕の思い違いかな? 「オー! シュンのアホ」 「トンマ、オタンコナス!」 ハナコ先輩のむすっとむくれた顔はなんだか幼くて愛嬌がある。 「そんなにワタシのことが嫌いデスか」 「別に、嫌いではないですけど……」 本人は年長者ぶりたいんだろうけど……。 実はこういう子供っぽいところのほうが、魅力的なんじゃないか。 もちろん、面倒だから声に出さないけど。 「もう、シュンには何も教えてあげマセン。いいデスね!?」 「はいはい。大丈夫ですよ」 「では、シロネだけにイイコト教えてあげマス」 「待ってました!」 「わくわく! わくわく!」 「ワタシの秘めたる技。朝から、カミングトゥーオルガ――」 「それも間に合ってます」 学校の帰り道、僕とシロネは商店街に寄った。 夕飯の買い出しついでに、ぶらぶら歩くことにしたんだ。 「あっ、七波くん」 「さっきぶりだね」 「うん。さっきぶり」 綾花とは、教室を出る時に挨拶を交わしたばかりだった。 こういう時、この島の小ささを実感する。 僕達には、寄り道出来る場所が限られているから。 「シロネちゃんとお買い物かな?」 「そうなんです。夕飯は中華料理にしようと思って」 「中華か……」 「私、棒{バン}棒{バン}鶏{ジー}とかなら好きなんだけど」 「細切りの鶏肉と、キュウリのやつですね」 「それで、タレは甘めで、たっぷり掛かっていると嬉しいな」 「分かりました! それで作ってみますね」 「わーい、やった!」 「なんで、綾花が喜んでるんだろう……」 僕のぼやきに、綾花がはっとなる。 「ご、ごめんね」 「なんだか、ご馳走になることを前提に話を進めてたよ」 「シロネが拒まないから、するする話が進んじゃうんだよね」 「そうなんだよねえ」 「シロネちゃんって、なんでも受け入れてくれるから、ストレスが無さ過ぎて」 綾花は恥ずかしそうに笑った。 「別にタカってたつもりはないんだけどな……」 「そうだ!」 「日比野先輩にあげます」 「えっ、何?」 「ゴリゴリくんの白桃味です」 「あっ、これ……入荷待ちになってた味だね」 「流石はゴリゴリくんマニア」 しっかりチェックが入っている。 「でも、本当にタカってたつもりはないんだよ?」 「シロネちゃんってば、真に受け過ぎだよ……」 「わたしは日比野先輩が強欲でないことを知っています」 「むしろ、謙虚で優しい人だと思います」 「褒められてる……」 「今度は別の意味で恥ずかしいなあ」 綾花の頬がぽっと赤くなる。 「背中がむず痒くなってきたかもしれない」 「でも、シロネの言っているのは、本当のことだから」 「僕だって、そう思うよ」 「七波くんも、しれっと追い打ちを掛けないでよーっ」 「あーっ! 慣れないことを言われたせいで、蕁麻疹が出たらどうしよう」 「もし、病院に行くようなことになったら、領収書を持ってきてくれ」 僕と綾花がなんやかんやと騒いでいる隣で、シロネは静かに呟いた。 「ゴリゴリくんは美味しく食べられるために、この世に生まれてきたんです」 「そうですよね?」 「……出来ればそれが望ましいことは、分かってるけど」 シロネの言いたいことを察して、打ち明ける。 「でも、僕はシロネに雰囲気だけでも味わって貰いたかったんだ」 「……これって、七波くんがシロネちゃんに買ってあげたものなの?」 「はい。暑い日の放課後は、ゴリゴリくんがぴったりだからって」 「だけど、やっぱりわたしは食べられないし……」 「日比野先輩が貰ってくれたら、ゴリゴリくんも嬉しいかなって思いまして」 「ええっ……!?」 「お兄ちゃんも、いいですよね?」 シロネにあげたものなんだから、それをどうするかは彼女の自由だ。 「シロネが、そうしたいなら……」 「ちょっと待って!」 綾花の声が、唐突に割って入る。 「はい……? 何か、ありましたか?」 「恋人繋ぎしてる……」 「は、はい」 そういえば、並んで歩いているうちに、無意識に手を握っていた。 「もしかして、七波くんとシロネちゃんって……」 風に乗って、遠くで呼び込みをしている声が聞こえる。 僕と綾花は見つめ合ったまま、黙っていた。 それからしばらくして―― 「嬉しい申し出だけど、そのゴリゴリくんはとっておいたらいいよ」 「溶けちゃっても、外の袋だけになっても、七波くんの気持ちは残ってる」 「そう、思い出になるんだよ」 綾花は頬を緩ませて言った。 「……そういうものでしょうか?」 「思い出って大切だよ」 「それって、欲しいと思っても、なかなか手に入らないものだから」 「シロネちゃんなりに、ゴリゴリくんを……」 「七波くんの気持ちを大切にしたらいいんだよ」 「……分かりました」 「日比野先輩、“思い出”を教えてくれてありがとう」 「えへへ。どういたしまして」 綾花は僕に向き直って口を開く。 「七波くん、記憶を失くしてからもいろいろあったみたいだけど……」 「今は元気そうで良かった。でも、ちょっと驚いたな」 「でも、うん……本当に良かった」 「……うん」 それから、綾花とは手を振って別れた。 西日が差して、シロネの髪に綺麗な朱が入っている。 それを僕は、ぼんやりと見惚れていた。 「やっぱり、分かっていましたけど……普通、驚きますよね」 「人間とアンドロイドのカップルなんて」 悲しそうでもなく、批難するでもなく、シロネはただ淡々と呟いた。 僕も、綾花に悪気があっただなんて思っていない。 むしろ、優しい……彼女らしい気遣いが、胸に沁みたくらいだ。 結局、鶏肉もキュウリも買わずに、僕達は病院へ向かった。 なんだか、何も買う気がしなくて、夕食は家にあるもので作ればいいとシロネに言ったんだ。 「あれー? シロネちゃんは一緒じゃないのかな?」 「子供じゃないんですから。シロネは待合室で待ってますよ」 「えーっ! 今日は前回の検査の結果を告げる、大事な日なのにね」 「家族が一緒じゃないと、七波くんおしっこ漏らしちゃうぞ☆」 「……いいから、結果を教えてくださいよ」 「どうせ、どこも異常がなかったんでしょう?」 「……ああ、そういうこと言っちゃうんだ?」 明らかに不機嫌な声だった。 「医者でもないのに、分かった気になってるんだ?」 「毎日暇で暇で仕方がないからって、テレビの健康番組ばかり見てるおっちゃんみたいにさ」 「僕、地雷踏んじゃいました?」 僕の問い掛けに答えること無く、先生の言葉遣いはどんどんと荒くなっていく。 「ったくよー。まいっちまうよなーっ」 「何がセカンドオピニオンだよ」 「医療ミスだよ」 「そんな言葉を馬鹿に与えるから、医者のストレスが増えていくんだよなー」 「ああ、闇だ」 医療界の闇が噴出し、医療への信頼が音を立てて崩れていく……。 「第一、医者も患者も人間なんだよ?」 「自分に出来ないことを相手にして貰うんだから、そこは信頼してくんないとさー」 「先生、僕が患者を代表して謝りますから、ここは一つ……」 オーバーリアクション気味に、拝んでみる。 見た目が幼女な先生の毒づく姿なんて、誰も望んでいない。 出来れば、穢れ無き笑顔を浮かべて周りを癒やして頂きたい。 「そう?」 「七波くんがそう言うなら、先生もこの辺にしておこうかな。うんっ!」 思う存分、毒を吐き出した後だからなんだろう。 先程までと打って変わって、にっこりと満面の笑顔が逆に不気味だ。 「えっとねえ……七波くんの検査結果なんだけど」 「全体的に良好でした。つまんないね」 「先生は非常に残念でした」 「つまんなくて結構ですよ」 「でも、先生的にちょっと気になるところがあってだねー」 「それはまだ調べてるところだから、もし手術が必要になったら教えてあげるね」 「えっ……そんなにヤバいんですか?」 まさか、こんな展開になるとは思ってなかった。 本当に、シロネにも一緒に来て貰うべきだったかもしれない。 「だーかーらぁー」 「ヤバいかヤバくないかは、まだ分かんないの」 「おしっこ漏らしながら、待ってなさい」 「だから、おしっこの話はもういいでしょう」 「七波くん、おしっこのこと舐めてるでしょう?」 「それって、リアルに舌で舐めてるって話じゃないですよね?」 このあと、1時間くらい“おしっこ”が身体の外に出るまでの物語を、ダイナミックに語られた。 それはとても為になる話だったけど、“おしっこ”というワードを連呼するものだから、僕のほうが恥ずかしくなってしまった。 「僕は、おしっこのファンになったよ……」 家に帰って来るなり、虚ろな目で呟いた。 「……さっきから、“おしっこ”のことばっかり話していますね」 「そんなに尿意が凄いのですか?」 「この世界には、いろいろなことを教えてくれる人生の先輩が沢山いるね」 「そうですね……」 「なんでもない1日だと思っていたのに、今日もいろいろなことを知りました」 「これも、みなさんのお陰ですね」 満足げなその笑顔を見たら、僕もそう悪くない1日だったなと思えた。 夕食を済ませて、リビングでくつろいでいると―― 構って欲しい気持ちが頭をもたげた。 でも、シロネは難しそうな顔をして、本を読んでいる。 「何を読んでるの? 楽しい?」 「えっと……」 シロネはページをめくる手を止めて答える。 それは南米の文学者が記した長編小説で、ある一族の繁栄と滅亡を描くというストーリーだった。 「人間が何者なのか知りたくて、読んでいたのです」 「もう8回も読み返しているのですが、とても難解で分からないことが多いです」 「8回も!?」 「結構、分厚い本なので、時間が掛かりました」 「でも、シロネには速読機能とかあるんじゃないの?」 「それか、データとして読み込んでしまうとかも、出来るんじゃ……」 「それじゃ、意味が無いじゃないですか」 シロネは困ったようにはにかんだ。 「わたしは、人間と同じように本を読みたいんです」 「さまざまなことを考えながら文字を追うのが、素敵なんじゃないですか」 「そういうものかな……?」 「僕なんかは、一瞬で本が読めるなら、沢山の知識が得られていいと思うけど」 「簡単に手に入れた知識に、価値は無いんじゃないでしょうか?」 「お兄ちゃんも、“一生を懸けて考えるべき問題もある”って言ってたでしょう?」 「……なるほど」 少し前の僕も、いいことを言ったもんだな。 「でも、この小説はとっても難しいです……」 「シロネがそんな顔をするんだから、相当難解なんだろうね」 「同じ名前の人間が何度も登場するんです」 「だけど、前に現れた時とは、明らかに時間軸が異なるんです」 「……どういうこと?」 「“ホセ・アルカディオ”という男の人が、何世代にも渡って登場するんです」 「これはもしかしたら、生まれ変わったということなのでしょうか?」 「それとも、タイムワープ?」 シロネが悩ましげに呻{うめ}く。 僕も、実際に読んでみないと要領を得ない気がして……。 「ちょっと貸してみてよ」 そう言って、本を譲り受けたはいいけれど……。 軽い気持ちでページをめくったことに、後悔した。 緻密過ぎる描写に、“うっ”と観念した声を上げてしまう。 「なんだか、凄い小説だな……」 「ですよね……?」 2人目の“ホセ・アルカディオ”まで辿り着ける気がしない。 「お兄ちゃんが眉間に皺を作っているのを見て、安心しました」 「やっぱり、読み辛いのはみんな一緒ですよね」 「うん。ちょっと、強烈だった……」 読み進めることを断念して、シロネに分厚い本を返す。 苦笑いを浮かべて受け取ると、シロネの目は再び活字を追い掛けた。 しばらく、その真剣な面持ちを眺めていたけれど―― ふと、自分のことも構ってくれとせがんでみたくなった。 「あのさ……」 「はい」 「僕のことも、構って欲しいんだけど……」 いざ口にしてみると、かなり気恥ずかしい。 耳の裏側が燃えるように熱くなる。 シロネの顔をまともに見ていられない。 「えっと――」 「や、やっぱり大丈夫……」 「僕のことは気にしないで、ゆっくり読んでいて……」 急に自分自身がいたたまれなくなって、両手で顔を覆う。 こんな台詞は、可愛い女の子だけに許されているんだ。 「わっ……!」 身悶えしていると、突然引き寄せられる。 蓋{ふた}をしていた手を取ると、シロネが微笑んでいた。 「構うって、こんな感じ……ですか?」 シロネの膝の上で、僕は瞬きをする。 「う、うん……こんな感じだ」 正直、頼んでみるものだなと思った。 触れている肌はほんのりと温かくて、油断をしていると寝てしまいそうだった。 「他にもして欲しいことがあったら、言ってくださいね」 「慎み深いのはこの国の人の美徳ですが、わたし達はソウルメイトなんですから」 「それって……」 「ハナコ先輩の受け売りです」 先輩には悪いけど、口にする人が違うだけでこんなにも嬉しいとは! じわじわと感動が身体を覆い尽くしていく。 「ソウルメイトかどうかは分からないけど、お兄ちゃんとはこれからも、いろいろなことを教え合えたらいいなって思います」 「今日もお疲れ様でした」 シロネの温もりに包まれながら目を瞑ると、すぐにまどろんでしまった。 ああ、幸せってこういうことなんだな。 休日だったこの日―― 僕とシロネは散歩のついでに、なんとなく森へと向かった。 白音の遺骨が散らばり、眠っている森の近くに。 「お仏壇……」 「うん?」 その帰り道に、シロネは何気なく尋ねてきた。 「確か、お兄ちゃんの家には仏壇は無かったですよね?」 「そうだね。正直、仏壇ってもう必須のものじゃない気がするし」 「そういうものなのですね……」 「母さんがどう思ってそうしたのかは、聞いたことが無いけど……」 「たぶん、白音が遠いところに行っちゃう気がして、嫌だったんじゃないかな」 「……いろいろな考え方がありますよね」 「でも、白音さんのことを思って、お花を供えたりとかしないんですか?」 僕は額に入った白音の写真のことを思い出す。 「そういう時は、白音の写真の前にお花を飾っていたかな」 「そうだったんですね」 「ずっと供えてある花は、プリザーブドフラワーにしてあるから枯れないんだけど」 「プリザーブドフラワー……」 「特殊な液に花を漬けて、水分を抜くという加工を施したものですね」 「母さんは季節の花も届けたいからって、生花もときどき花瓶に生けていたなあ……」 「……お母さんらしいですね」 「思えば、家の中は花がいっぱいだったな」 「わたしも、生きているお花には、良いところが沢山あると思います」 シロネは喜色をあらわにした。 両の頬がほのかに染まる。 「咲いたり、しぼんだり、枯れたり……」 「そういう変化を見届けるのも、楽しいです」 「悲しいとか、残念とか思う時もあるけどね」 「でも、いいなって思う時もある」 「それは、わたしも同じです」 「儚い命はときどき、胸が苦しくなるくらい寂しい……」 「だけど、胸が一杯になるくらいの喜びを、感じることもあります」 シロネの目は僕を向いているはずなのに、遥か遠くを見ているみたいだった。 珊{さん}瑚{ご}のように薄紅色の瞳が揺れている。 「わたし、また新しい花を育てようかなと考えています」 「どんな花にするのか、まだ決めていないんですけどね」 「お花屋さんで、一番最初に目にとまった苗でもいいかもしれません」 シロネは喜色満面に意気込む。 「なんの花でも精一杯、綺麗に咲けるように世話をしてみます」 「花の命にも限りはありますが、美しく咲くことに意味はある気がするんです」 「わたしは、それについても考えてみたいと思うんです」 生き物は必ず死ぬ。 死ぬからこそ、生きようとするし、努力をする。 そんな当たり前のことが、とても尊い。 僕はシロネを愛する気持ちを永遠に残したくて、トリノに救いを求めた。 だけど、機械になった後の僕はどうなるんだろう。 僕は、幸せに暮らす自分の分身とシロネを、ガラス越しに眺めるんだろうか。 そうして、僕だけがあっという間に老いていって、独りで死ぬのかな? 「……お兄ちゃん?」 「……うん」 「何を考えていたんですか?」 「なんだか、顔色が悪いですよ」 シロネが心配そうに僕を眺めていた。 「……不安にさせてごめん、ちょっと難しいことを考えてた」 「難しいことって、なんですか?」 「えっと……」 僕は薄っぺらい笑いを浮かべて、その場を取り繕った。 「大丈夫だから」 「……わたしには、話せないことですか?」 「そういうわけじゃないんだけど……」 「うーん」 腕を組んで唸る。 「……お兄ちゃんが話したい時に、話してくれたらいいです」 「だから、そんなに難しそうな顔をしないでください」 「シロネ……」 「さあ、わたし達の家に帰りましょう」 その場は誤魔化したものの、この不安な気持ちを誰かと共有したい。 シロネに分かって欲しいという欲求が、今度は首をもたげてきてしまった。 僕は思い切って、考えをぶつけてみることにした。 「きっと、死ぬことを本当の意味で怖れているのは、人間だけなんだろうな……」 「お兄ちゃんの言う通りだと思います」 「人間には、未来を思い描く想像力がありますから」 シロネは戸惑いもせず、唐突に始まった僕の話に合わせた。 「草木や動物は、今を生きるのに一生懸命なだけで、その今を積み重ねることだけに集中しているんだろうな……」 「それが羨ましいと思うこともありますよね」 「それは当然の感情です」 「ああ、明日が来なければいいなって思う夜だってあるよ」 きっと、幼い僕にだってそんな夜があったはずだ。 白音が居なくなってしまった時。 母さんが泣いている時。 父さんが単身海外に行くと決めた時……。 眩{まばゆ}い夜明けは、新しい悲しみを連れてやって来たに違いない。 「ときどき、ややこしい話をしていますね、わたし達」 「生きるとか、死ぬとか、愛とか幸福とか……」 「でも、そういう自分の人生についての奥深いこと――」 「重過ぎることをちゃんと真面目に考えられるのは、シロネのお陰だと思う」 「わ、わたしは何もしていませんけど……」 シロネは言葉の上では否定しているけど、表情はまんざらでもないという感じだった。 「シロネは僕の力になってくれてるよ」 「その純粋さでさ」 「純粋さ……?」 「心が綺麗だってことだよ」 「“心が綺麗”、ですか……」 得心のいかないような顔で復唱した。 「十分には、理解していませんが……」 「お兄ちゃんの力になれたのなら、とっても嬉しいです」 「さっきだって、普通の人間同士なら、茶化さないと変なヤツだなって思われるような話をしてた」 「でも、シロネは笑ったりしない。馬鹿にしたりもしない」 「僕はシロネの中にある、純粋な気持ちを尊敬しているんだ」 「人間はときどき大変ですね」 シロネは、僕を慰めるように微笑んだ。 「真面目なことを真面目に語るのも、許されないなんて」 「相手との信頼関係も大切なんだろうな」 「“この人に話しても無駄だ”とか“受け止めてくれないだろうな”とか思ってしまうと、本当のことは話せなくなる」 「おおっ?」 「では、お兄ちゃんはわたしのことを信頼してくれているのですね!」 キラキラと輝く目が、嬉しくて堪らないと訴える。 「そんな飛び上がりそうなくらい喜ばれるとは、思ってなかったな」 「今夜は焼き肉パーティーです!」 「参加者はお兄ちゃんとわたしですっ!」 「随分とこぢんまりしたパーティーだね……」 でも、十分だ。 ハラミと、シロネが居たらいい。 そこは同列にしていいのかとも思うけど……。 どちらも、大好物ということで。 「……」 夕食後。 シロネと話して、不安な気持ちは取り払われたと感じていたのに。 「頭が、重い……」 ただ頭が痛いのとは違う、頭の中に存在するであろう記憶や意識のようなものが、消えていくような感覚。 もしかしたら、スキャンの影響なのかもしれない。 でも、一日中頭痛に支配されるわけでもないし、日中眠たくなるのも、今日に始まったことではない。 「本当に、この道を選んで良かったのか……」 迷いは消えない。 だが、どの選択をしても、その先で迷うことはあるものだと思う。 明日―― 沙羅に会ってみよう。 そうすれば、心の中にあるもやもやした気持ちの正体が、分かるかもしれないから。 学校に向かう前―― 朝早くから、沙羅の元に向かった。 僕は自分をトリノにすることに対して、怖れを感じ始めている。 沙羅だったら、どんなアドバイスをしてくれるんだろう。 そんな期待が、胸の中にあった。 「こんな時間にやって来るなんて珍しい」 「一緒に仲良く登校しようってこと?」 沙羅は口元に冷ややかな笑みをたたえた。 「沙羅に聞きたいことがあって、来たんだ」 「だったら、事前に連絡の一つでも欲しかった」 「女の子の朝の時間は、命よりも、お金よりも重いの」 鋭利なナイフのように、話し方に棘がある。 「そこまで貴重な時間だったとは思わなかったよ」 「ごめん。また後で連絡するよ」 「わざわざここまで来たのに帰るの?」 踵{きびす}を返した僕を、沙羅は呼び止める。 「さっきのは冗談よ」 「全然、冗談に聞こえなかったけど……」 「こんな早朝に、私と接触しようと試みた……」 「つまり、そこそこ大切な話をしに来たんでしょ?」 「“そこそこ”は要らないって」 “大切な話”だ。 「いいから話して」 「内容によっては、ルートビアを奢って貰う」 「育ちの良いお嬢様でも、奢って貰いたいという欲求はあるんだね」 変なところに感心していると、沙羅が駄馬を見るような目を僕に向けた。 「言ったでしょ」 「“お金は命よりも重い”って」 「いや、それは言ってない」 「……そうだった?」 沙羅は軽く咳払いをした。 「ところで、舜の話したいことって何……?」 沙羅ははっとして、言葉を区切る。 「ああ、えっと……」 沙羅とのシビアなやりとりの後に口を開くのはちょっと億劫だ。 「沙羅は、自分をトリノ化しないのかなと思ってさ」 「自分をトリノ化するって?」 「そんなこと、どうして私が希望すると考えたの?」 あからさまに失望したような視線が痛い。 僕は言い訳がましいと分かりながらも、もごもごと言葉を続けた。 「いや、決めつけているわけじゃなくてさ……」 「可能性の一つとして、考えたことはないのかなと……」 「自分が実験体の一つになれば、客観性が薄れてしまう」 「理想的な観察者でいられなくなるわ」 「それは研究者として、あまりにもナンセンスね」 「まあ、その通りだよね……」 自分の分身に自己投影してしまったり、感情移入するあまり実験続行を躊{ちゅう}躇{ちょ}したり……。 そういった感情の揺らぎは、研究者としての健全性を犯しかねないと思う。 「もし、人間としての一生のうちに、研究を完成出来なかった時」 「その時には、トリノである自分に、研究を引き継ぐかもしれない」 「それは、あくまでも非理想的な最終手段としてね」 「沙羅の気持ちは良く分かったよ」 「ただし――」 そこで一度口を閉じると、僕を試すように微笑んだ。 「永遠に生きることに関しては、とても興味があるの」 「だけど、永遠の命ってどうなんだろうって思う」 「どうって、何が?」 一体何が、沙羅の心に引っ掛かっているんだろう。 「永遠に生きることと、永遠に眠り続けることは、ほとんど変わらない気がする」 「喜びも、悲しみも無いなら、全てが忌むべき日常なんじゃないかなって」 「だったら人は、なんのために今を続けていけばいい?」 「結局、今と永遠とが、等価値になってしまうんじゃない?」 「一瞬も永遠も同じ、か……」 「そういうこと」 「一瞬も永遠も同じ」 その哲学的な問いは、僕に投げ掛けているだけじゃないんだろう。 沙羅もまた思考を重ねながら、自身に問うている。 そんな気がした。 「舜は、躊躇しているのね」 ふいに名前を呼ばれて、びくつく。 「自分をトリノにすることが怖いんでしょう……?」 「そう。僕は、まだ迷っている」 躊{ため}躇{ら}い迷って足踏みし続ける僕の足元は次第に踏み固められて、もうシャベルが突き刺さりそうにない。 「でも、それって凄く当たり前のこと」 沙羅の眼差しは、母さんのそれのように柔らかく温かい。 「怖くないほうが、おかしいから」 「……さっきの沙羅の話を聞いていて、もっと怖くなった」 永遠に生きるということの代償について、僕は考えた。 「トリノである僕は、シロネと一緒に居たいなんて思うだろうかって、不安なんだ」 「永遠の命を持った者同士なのに……?」 「舜は、シロネと同じ土俵に上がることに、喜びを見出していたんじゃなかった?」 「そうだったんだけど……」 「……舜」 沙羅は渋面で、僕の名を呼んだ。 すぐに僕の思考を察したんだろう。 「永遠に生きられるなら、今この場所で一緒に生きる意味を見い出せなくなるかもしれない」 「だって、明日も出来ることなら、今日必死になる必要なんてない」 「そういうこと……でしょ」 僕は、黙ったまま深く頷いた。 「僕達人間には想像力がある」 「明日を予測する力があるんだ」 「だけど、その明日が無限に続いているのよね」 「明日も、明後日も、そのまた向こうも、途切れることなく」 それは楽園のようでありながら、荒野だ。 「だったら、言葉にはしたくないけど……」 「おそらく、舜が考えている通りの結末になるはず」 「不確定要素ばかりだけど、2人が互いに執着しなくなるという流れが、自然ななりゆきのように思えるわ」 沙羅の声に、いつもの覇気はなかった。 「沙羅が言うならっていうのもあるけど……」 「僕も、そう思うよ」 僕は憂鬱な気持ちを抱えたまま、沙羅の元から立ち去った。 これから、学校に行かなければいけない。 それが今は有難い。 何かしら縛り付けるものが無ければ、僕はふらふらと当て所{ど}もなく彷徨い歩いてしまいそうだったから。 授業が終わっても、重たい気持ちは変わらない。 むしろ、退屈しのぎにあれこれ考え込んでしまったから、朝よりも滅入っている。 クラスメイト達は部活に行ってしまったか、家路についたか……。 僕1人だけが、動き出せないまま居残っていた。 「お兄ちゃん、遅いからここまで迎えに来てしまいました」 ニコニコと笑顔のシロネが教室に顔を出す。 「今夜はハンバーグとミートボール、どちらがいいですか?」 「あっ……」 シロネは僕の顔を見るなり、口を閉じた。 固まるくらい、今の僕は酷い顔をしているらしい。 「どうかしましたか?」 「何か、嫌なことでもありましたか?」 「……なんでもない」 悪いとは分かっているけど、今はシロネの健気さが鬱{うっ}陶{とう}しい。 僕はなるべく、シロネを傷つけないように距離を取ろうとした。 「今日は別々に帰ろうか」 「えっ……?」 「どうしてですか? わたし、また何かドジをしましたか?」 シロネは戸惑いながらも、ぎこちなく微笑んだ。 「そんなこと言わないで、一緒に帰りましょうよ……」 「こんな顔をしているお兄ちゃんのこと、放っておけません」 「1人になりたい時もあるんだ」 「でも――」 なおも食い下がるシロネに、舌打ちしそうになる。 「それに、僕は今とっても不安で、苛立っていて……」 「君と一緒に居たら、何をするか分からない」 「……お兄ちゃん」 シロネの視線は躊{ため}躇{ら}いがちに宙を彷{さ}徨{まよ}った。 「だったら、わたしは大丈夫です」 「お兄ちゃんになら、滅茶苦茶にされても……」 ゆっくりと、僕に近づく。 西日に染まった髪が、幻想的に煌{きら}めく。 「いいんですから」 自分を覆い尽くしていた憂鬱な気分はどこへ行ってしまったんだろう。 今はただ心臓が高鳴る。 高揚感が血流に乗って、全身を駆け巡っていく。 「ううん」 「滅茶苦茶にされる前に、わたしがお兄ちゃんに……」 「凄いことをしてあげます」 「す、凄いことって……?」 「それは……」 シロネの微笑みまで、今は婀{あ}娜{だ}めいて見える。 僕って、本当に単純だ。 「教えて欲しいですか?」 「うん。知りたい」 シロネの魅力的な申し出に抗えない。 いや、抵抗する気なんて起こるはずもないんだ。 「ふふふ……」 「1時間後のお兄ちゃんに聞けば、分かりますよ」 「お兄ちゃん……」 シロネは机の上に座って、大胆に両脚を広げている。 スカートの中はもとより露わになっていて、黒いストッキング越しに下着が透けて見えている。 「どうですか……?」 なんて答えたら正解なんだろう。 考えている間に、シロネがとんでもないことを言い出す。 「お兄ちゃんのおちんちんは、ちゃんと反応していますか?」 “おちんちん”という直截的な単語に反応して、身じろぐ。 「わたしの大切なところを、学校の教室という公共の場で見せつけている……」 「きっと、性的な興奮を覚えてくれるだろうと、思い切ってみました」 僕の分身は、確実に反応して首をもたげている。 「興奮しないほうがおかしいと思う……」 「良かった……」 シロネは安心したようにため息を吐いた。 「結果を確かめたなら、早く帰ろう」 「もう、帰るんですか?」 「さっきは、意地悪なことを言って悪かったよ」 「シロネは僕のことを心配してくれたのに、邪険にしてしまって……」 「そんな……」 「わたし、気にしていませんから大丈夫です」 「じゃあ、まずは脚を閉じよう」 「どうしてですか……?」 「せっかく、可愛いパンツを履いてきたのに……」 そんな露骨にしょげられると、まるで僕が悪者みたいだ。 「お兄ちゃんも、気に入ってくれると思ったんです……」 「こんなところ、他の人に見られたら困るよ」 「なるほど……」 「わたしは、お兄ちゃんの羞恥心をあまり考慮していませんでしたね」 「恥ずかしさの加減って、難しいものです……」 「分かってくれたなら、いいんだ」 ほっと胸を撫で下ろす。 「お兄ちゃんは今、部外者との接触を避けたいと思っている」 「そうですよね?」 「うん」 「では、なるべく短時間で済むようにします」 「え……?」 「じゃあ、早速気持ち良くしてあげますね」 「くっ……」 勃起した剥き出しのペニスを両足で挟み込んで、刺激を加える。 「本当は、もうちょっとまったり余韻に浸っていたかったんですが……」 「お兄ちゃんのおちんちん、もうこんなに元気いっぱいだったんですね」 足の指先で強弱をつけるようにして、竿を擦{さす}る。 いつの間に、シロネはこんなテクニックを身につけたんだろう……? 「ちゃんと言ってくれたら、もっと早くこうしていたのに……」 「“ホウレンソウ”は円滑なコミュニケーションの基本ですよ?」 ストッキングという、テクスチャ―の違いが鍵なんだろう。 胸を使って擦られた時とは、少し異なる感覚だった。 「こうやって、指も動かして……」 少し拙い動きで小刻みにしごかれると、呻{うめ}き声を上げそうになる。 白くて小さな指先が、優しく竿を握っていた。 「ん……お兄ちゃん、見てください……」 「ちょっとなでなでしただけで、どんどん、逞{たくま}しくなっていきます……」 足の裏でぎゅっと圧迫されると、竿全体が脈打っているような錯覚に陥る。 それくらい、僕は興奮していたし、実際にモノも猛っていた。 「繊細な刺激と、安定性の両立……」 「足で、お兄ちゃんを労わるのはなかなか……難しいですね」 右足を操る時は、左足でペニスを支えるようにする。 シロネは短時間のうちにコツを掴んでいるようだった。 その証拠に、どんどんと快楽の度合いが高まっている。 「あ……おちんちん、ビクビクってして……」 「よく観察してみると、なんだか可愛く思えてきますね」 シロネにやり込められているけど、今なら終わりに出来る。 こんなふうになすがまま、性行為に及びたくない。 そう、僕の理性が主張している。 「お兄ちゃん……考えごと、しているんですか……?」 「……ちゃんと……ん、ん……わたしの声が届いていますか?」 亀頭を刺激されると、返事もままならないくらいだ。 「駄目ですよ……」 シロネの声には、険のある響きが含まれている。 「わたしと、おちんちんのことに、集中してください」 「わたしは、お兄ちゃんのことを、とっても気持ち良くしてあげたいだけです」 「それを成功させるためには、お兄ちゃんの協力が、不可欠なんですから……」 「シロネ、僕は――」 「むーっ」 「お兄ちゃん、お口にチャックですよ?」 そう言って、シロネは僕の手を掴み、おもむろに自身の局部に導いた。 「えいっ……!」 黒いストッキングが破かれ、下着が丸見えになった。 「出来れば、お兄ちゃんに破いて欲しかったんですが……」 「まあ、いいでしょう」 「これで、悩殺間違いなしです!」 シロネは自信に満ちた声で宣言した。 「ストッキング破きは、男の子のロマン!」 「ですよね?」 その行為が事実だったとしても、目の前に広がる光景に趣はない。 微妙な気持ちになって、複雑な表情を浮かべる僕の顔を見て、シロネはハッとする。 「駄目でしたか……?」 「“これが好きなんでしょ?”って聞かれると、わざとらしくてちょっと否定したくなるよ」 「そういうムードになって、自然と破いてしまうっていうシチュエーションがいいんだと思う」 「……なるほど」 経験不足な割には、的確なことを言えたと思う。 「少なくとも、ストッキングは“どうぞ、破いてください”と言われて触れるものじゃない」 「ましてや、彼女に破いて貰うものでもない」 「お兄ちゃん……」 「それが、男の子のロマンなんですね……」 シロネが真面目過ぎるから、つい熱くなってしまった。 「勉強になります」 「お兄ちゃん、ありがとうございますっ!」 シロネは興奮に顔を上気させながら真面目な応対で、お礼を述べた。 「じゃあ――」 「とってもとっても恥ずかしいですが……」 「こちらは、どうですか……?」 自ら下着をずらし、割れ目を露わにした。 僕の視線を感じたように、ひくりとピンク色の肉が蠢{うごめ}く。 「お兄ちゃんのおちんちん、頑張ってなでなでしていたら……」 「こんなふうになってしまいました……」 僕が漏らしたため息を皮切りに、シロネは愛撫を再開した。 「んん、ん……もっと、わたしのことを見てください……」 「可愛いパンツも……ふあ……濡れてしまったんですよ?」 確かに、下着には愛液の染みが広がっている。 「おちんちんの先からも、ん、んっ……お汁が出ていますね」 「こちらは、滑り易くなっていい感じです……ふぅっ」 シュッシュッっと音を立てて、竿を擦り上げる。 黒いストッキングも僕の体液を吸って、色を濃くしている。 「ここ……いいんですか?」 「お兄ちゃんの気持ちいいところ、発見しちゃいました……」 「この、くびれたところを……えいっ!」 カリを執拗に責められると、膝が震えた。 「えいっ!」 止めさせるはずだったのに、もう後に引けないところまで来ている。 「もーっと、なでなでしてあげます」 「この段差の部分から上は、特に……んっ、敏感みたいですね」 シロネは丁寧に尿道口に触れていった。 溝の部分に触れられると、背筋がゾクゾクする。 「ん……おちんちんのほうの小さなお口も、パクパクしていますね……」 「わたしの足が、あ、あっ……そんなに、好きなんでしょうか?」 指先を使い、何度か軽いタッチで突{つつ}かれる。 情けないけれど、尿道口はその度にひくついていた。 「お兄ちゃん……ん……すっかり気に入ってくれましたね」 「よしよし、いい子ですね……」 ペニスに沿わせるようにして、土踏まずの部分で撫でる。 ぬちゃりと、ねちっこい水音が立つ。 「ああっ……なんだか、凄いことをしちゃっていますね……!」 「おちんちんを撫でると、穴から、お、お汁が……はあ、溢れてきて……」 左右の足を操り、裏筋を擦り上げる。 シロネの濡れそぼった蜜壺も、それに合わせて艶めかしくひくついた。 「触られていないのに、あ、あ……! わたし、感じちゃってます……!」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……! ちゃんと、見て……!」 言われなくとも、目線はむき出しのそこに釘付けだ。 「わたしのあそこ……びしょびしょになっています……ああっ……!?」 まるで涎{よだれ}のように垂れた愛液が、西日に照らされて妖しく煌{きらめ}いた。 「はあああっ……!」 シロネが熱を帯びた息を吐いた。 互いに、肌が汗ばんでいる。 「もう、辛いですよね……?」 「おちんちん、張り詰めて痛そう……」 「お兄ちゃん、わたしの足で、イッてください……!」 2人きりの教室に、ぐちゅぐちゅと淫{いん}靡{び}な音が響き渡る。 両足は、ラストスパートを掛けるように僕の敏感な部分を刺激した。 「お兄ちゃん……そのまま、出してくださいっ……!」 「いっぱい、いっぱい……びゅーって……わたしに、掛けて……!」 「あっ、あ……ん! はあ、あああっ……!」 「あああああああっ……!」 ぐっと圧迫されて、弾けるような勢いで射精する。 白濁液は、シロネの身体にも噴きかかった。 「お兄ちゃんの、おちんちん……凄い……」 「びゅーっって精液が出てます……あっ、ああっ……」 シロネは精液が掛かるのを厭{いと}わず、ペニスが鎮まるのを待っていた。 その眼差しは、母親のような温もりさえ感じさせた。 「ちゃんと、わたしの足で、イけましたね……」 「おちんちん、熱くて……わたしまで、どうにかなりそうでした」 シロネは、疲れを癒すように竿を擦った。 ストッキングと精液のコントラストが鮮やかで、いやらしい。 「こんなに上手くいくとは思いませんでした……」 「僕も、こんなことになるだなんて思わなかったよ……」 足コキって、こんなに気持ちいいものだったのか。 手に比べたら不自由で、胸のほうが柔らかいけど……。 これ見よがしに広がった秘部も相まって、独特の官能がある。 「もう……お兄ちゃんばっかりズルいです……」 シロネの目は僅かに不満を主張していた。 「よいしょっと……」 シロネは立ち上がり、制服の胸元を開いた。 スカートの裾をたくし上げ、大切なところがきちんと見えるようにする。 「今度はお兄ちゃんの番ですよ……」 蜜壺はとろりとした愛液を垂れ流していた。 腰に力が入らなくて、彼女を見上げるしかなかった。 「シロネ……」 「ちょっと、待って――」 「待ってあげませんっ!」 シロネは自らの局部に、僕の顔を埋{うず}めるようにした。 「舐めてください」 「わたしの、アソコ……」 「おまんこを、お兄ちゃんに舐めて欲しいんです」 「んんっ……」 抗議の声を上げようとしたら、顔にさらに押し付けられた。 「わたしのおまんこを、ドロドロにしたのは誰ですか?」 「お兄ちゃん、ですよね……?」 むせ返るように匂い立つ割れ目から、愛液が滲む。 その愛液が、僕の顔を濡らしていくのを感じた。 「だったら、お掃除しなきゃいけませんね」 シロネの口調には、有無を言わせない雰囲気を漂わせている。 “ほら、早く”と言わんばかりに、秘部を擦り寄せた。 観念した僕は、おずおずと舌を伸ばして割れ目に触れた。 「ああ……っ、くぅん……あっ、あっ……」 縦の秘部をなぞるようにして、舐める。 これでいいんだろうかと自信が持てないまま、ひたすら動かした。 「ふあっ、ああんっ……うんっ、んんっ……」 「はっ、あぁんっ、お兄ちゃん……お兄ちゃん……」 シロネが切なそうに僕の名前を呼ぶから、応えてあげたくなる。 代わりに舌を操って応える。 「お兄ちゃんの息が、おまんこに吹き掛かって、あっ、ああんんっ……」 「あふっ、あっ、くっ、んんっ……!」 「はあんっ、息が、熱いです……とっても、熱くて……」 むずがる子どもみたいにシロネは身体を揺すった。 僕の顔と触れ合って、びちゃびちゃとアソコから卑猥な音が立つ。 「んっ、ああっ……はうんっ、すごい、の……あふっ」 「あっ、はあぁっ……はあんっ、感じちゃって……んんっく!」 シロネは溢れ出そうな唾液を飲み下すようにして、快楽に耐えている。 「お兄ちゃん、ベロベロって……わたしのおまんこ、舐めてる……」 「わんこになった、みたい……ふああっ……はあぁっ……!」 「ひあんっ!」 より一層高い声を上げた箇所を集中して刺激する。 何度も往復して、執拗に責める。 「あんっ、そこの突起はっ! あっ、あっ、あああんっ!?」 「そんなふうに、優しくされたらっ……くっ! はあっ、あっ、あっ!」 軽く押し潰すようにしたり、先端で弾くようにしたり……。 バリエーションを増やしながらクリトリスを刺激する。 「はうんっ! んんっ、はあんっ、ああっ……ひゃあぁんっ!」 「ああんっ、はっ、ああっ! 声が、抑えられませんっ……」 充血してぷっくりと大きく膨らんだそこは、小さな生き物のように震えている気がした。 気のせいかもしれないけど、嬉しくなってしまい、また触れる。 「んっ、あっ! ふあぁっ、あはぁっ……きゅんってしちゃいますっ……」 「そこっ、やあっ、ああんっ……!」 眼前に広がるのは、魔法の井戸か何かなんだろうか。 とめどなく、愛液が溢れ出す。 「あんっ、ふあっ、くっ……んっ、あっ、あああっ……!」 「お兄ちゃんの舌がっ! 奥に、入って……っ!」 「いいですっ……びちゃびちゃ、音がっ、凄く……いいっ!」 膣壁から分泌される液体を、余すことなく舌で舐め取る。 幾度繰り返しても、枯渇することはなさそうな勢いだった。 「わたしの、わたしのおまんこの中に……はあっ、ああんっ、ふぁんっ!?」 「お兄ちゃんの舌が入って、ぐちゅぐちゅって、掻き混ぜて……ふっ、はあっ……」 「あふっ、あっ、くっ、んんっ……! べろべろ舐められるの、気持ち良過ぎ……はぁんっ!」 シロネの太ももを掴む手に力が入る。 そうしていないと、今にも膝から崩れてしまいそうだった。 「どんどん、溢れて……ああんっ! このまま、奥まで、舐められてしまったら……」 「わたしっ、わたしっ! ひゃあん、やぁっ……!」 奥に届かせるイメージで、舌を伸ばして、中を弄{まさぐ}る。 顔を押し付けるたびに、蜜が頬を濡らした。 「はうぅっ、んっ、はあっ!?」 溺れまいとして、愛液を吸い出す。 「じゅるって、っあ! ふあん、ああんっ……!」 「お、美味しいんですかっ? わたしの、えっちな水……あっ、ああっ!」 好評なようなので、わざと派手な音を立てて下品に吸う。 「やあんっ、飲んじゃ駄目っ……! はうっ、はぁんんっ! あはっ、ああっ……!」 「もう、立っていられなく、なりそうですっ……! ふああっ!?」 細い脚はガクガクと揺れ、悦びを露わにする。 「んっ、はっ、ああっ……! 気持ち……いい……はあんっ!」 「わたし、わたしっ……もうっ、おまんこがっ、きゅんきゅんして……!」 僕の舌は充血した突起を再び責める。 触れる際の力加減にも気を配った。 「ああんっ、あっ、クリトリス、駄目、駄目、はあぁっ……!」 「ふあああんっ! そこっ、いいですっ……イッちゃう、駄目、ああっ!?」 「もっと、もっと、あっ、はあんっ! お兄ちゃんっ……!」 お望み通り、クリトリスを軽く弾いた。 「待って、待ってだめ、出ちゃいます、出ちゃいますぅっ!」 「あああっ……! 駄目っ……!」 「ひぁあんっ! んっ、ふあああああぁぁぁぁぁぁんっ……」 「はあっ、ああああんっ……」 ぶるりと大きく身震いしたかと思うと、秘めたる場所から透明な液体が噴出した。 「あああっ……」 その生暖かい液体は、僕をしとどに濡らしていった。 「はあっ……ああっ……ふっ、ううんっ……」 シロネは、それをどこか遠い目で見ていた。 自分の身に起きた現象が、理解出来ていないのかもしれない。 「はあっ……はあっ……」 「なんて、気持ちがいいんでしょう……」 温かい朝のまどろみの中に居るような―― 安らぎさえ感じさせる表情で独りごちた。 「窮屈な檻から、一瞬で解き放たれるような……」 「得も言われぬ快感が、わたしの中を駆け巡りました……」 「そうか……」 ようやく声を掛けることが出来て、僕はほっと息を吐いた。 舌が蓄積した疲労に耐えかね、ぎこちない。 「わたしと、お兄ちゃん……」 「互いに、感度が高まっている状態ですね……」 シロネは嬉しそうに囁く。 「では、次で最後ですよ……」 「ひゃああぁんっ!」 机に身体を押し付けるようにして、背後からペニスを差し挿れる。 「お兄ちゃんの、おちんちん……ああっ、入ってますっ!」 前戯を受けて充分ほぐれ、柔軟になった蜜壺は、いとも簡単に猛ったモノを受け入れた。 「凄いっ、もうこんなに奥まで……ひゃあんっ!」 「くうっ、あっ、ふあんっ! んんっ、んんうっ!」 「あんっ、はぅんっ、あっ! はあっ、んんっ!」 「教室でセックスするなら、この姿勢を試してみたかったんだ……」 「はぁぅぅっ……! あっ、あっ、ああぁーっ!」 一息に差し入れると、先端が最奥に当たる感覚を得た。 「はうっ、はあんんっ、ああっ……ふああっ!」 「あっ……来てますぅ……! はあん、ふあっ、はっ、あっ!」 「大きなおちんちんが、わたしの中でっ! くっ、はあっ!」 腰を大きく振って、モノを抽送する。 身体と身体とがぶつかり合う音が生々しい。 「ふあんっ、あっ、ああんっ!」 「ひゃうっ……! お、奥に、こつこつって、当たってる……!」 「お兄ちゃん、もっとしてっ! わたしを貫いてっ!」 ときおり、壁に引っ掛かるような感触がする。 でも、構わずに竿を引き抜く。 「ふあっ、あっああああっ……!」 そして、また突き入れる。 「んうっ! あっ、あっ、ふあああっ……!」 徐々に衝動を堪え切れなくなってきている。 それを分かっていながら、行為を止めることが出来ない。 「はあんんっ……! あっ、すごい、熱い……ああっ、くっ、あっ!」 「お兄ちゃん、激しっ……! はぁんっ、きゃあんっ!」 「ん、んっ、んんっ! 駄目、駄目、ふあぁぁっ、はぁっ!」 シロネの大切なところが丸見えで、しかも精液で穢されている。 そして、ストッキングはビリビリに破かれている。 ちょっと、無理やりっぽいシチュエーションがいい。 「やあんっ! ああっ、駄目、もう駄目! お兄ちゃんっ!」 反応を確かめながら、ぐりぐりと円を描くようにして膣内を抉る。 「あんっ、んうっ……! もう、こんなにっ……おちんちん、おっきくしてっ!」 「あっ! はぁんっ! ふぁんっ……!」 少し強引に進めてしまったが、問題なさそうだ。 深く挿入されたまま、シロネも腰を動かしていた。 「やあぁんっ! ああっ、はっ、擦れてっ、あっ!」 「ああっ、おちんちん熱くてっ……すっごく、硬いの……っ! はんっ、ふあぁっ!」 「あっ、あんっ……凄い、凄いですっ……!」 「お兄ちゃんのおちんちん、わたしのおまんこの中で暴れて、あっ、ひあっ……!」 「こんなの、こんなのっ……! 駄目になっちゃう……ふあっ、あっ、んっ!」 パンパンと肉と肉のぶつかり合う音が鳴る。 シロネの呼吸に合わせて突くと、密着感が増す。 「んんぅ……ああっ! んん……んっ、あっ!」 「はあんっ、あっ、ああっ……! 凄いっ、気持ちいいっ!」 悩ましそうに眉根を寄せて、嬌声を上げている。 身体がぶつかり合うたびに、白銀の髪が揺れた。 「おちんちん、お腹の中でっ、ぎちぎちって……! やぁっ、ああっ……!」 「おまんこ、みしみしいってます! ひゃあっ、ふあんっ! おかしくなってしまいますぅ!」 「お兄ちゃんっ、気持ち良過ぎてっ! んんあっ! ちょっと、怖いですっ!」 シロネを安心させようと思って、微笑んでみせる。 「はぅっ、あっ、んんっ……あぁ……! お兄ちゃんっ!」 「大丈夫だって、言って……! あぁっ、あっ、あっ、ふあっ!」 「……大丈夫だよ」 囁{ささや}くように言って、滑りのいい膣内を楽しむ。 「お兄ちゃん……! はぅっ、んん、ふわっ、あぁ、んっ、んくっ…!」 「はあぁ、んっ! そこ、沢山っ、擦られるとっ……あぁっ……!」 「うう、あぁ……もう、バレちゃってるっ! わたしの、気持ちいいところっ!」 シロネが感じる場所なら、だいたい把握したつもりだ。 「シロネの気持ちいいところは、機密情報か、なにかだったの……?」 喋る余裕を作るために、スローなストロークを繰り返す。 「はううっ、ああっ……お、お兄ちゃんの言う通りですっ……」 「女の子がえっちになっちゃう場所は……はぁっ……ああっ……」 「好きな男の子にしか、教えちゃいけない、トップシークレットですからっ……あっ!」 「なるほど。それじゃ、問題ないね」 僕は、腰を振る速度を速めた。 「んんっ……あぁ、んっ、んくっ……! は、速いっ!」 「はぁっ、うんっ、だめ、お兄ちゃん……んん、あっ、はあんっ……!」 シロネの身体を揺さぶると、机に押し付けられた胸もつられて動く。 窮屈そうで申し訳ないが、眺めるこちらにとってはそそられるものがある。 「ああっ、わたしのおまんこがっ、ああんっ! どんどん、いやらしくっ、なってますぅ……!」 「きゅんってなって、締まってっ、うねってっ、くぅん、あぁっ!」 「お、音も凄くてっ……あぁぁっ、はぁぁ、あっ、んんっ!」 ねっとりと絡みつくシロネの膣内は、僕を誘っているとしか思えない。 意識よりも先に、下半身はペースを加速させた。 「ふああっ、やあんっ! はうんんっ、はあぁっ! また、イッちゃい、そうですっ!」 「やあっ、ああっ! ど、どうしてもっ、抑えられませんっ! んっ、あああっ!」 ビクビクと、シロネの身体が小刻みに震えた。 「ひあぁっ! あっ、はあんっ! 奥に、当たって、嬉しいのっ! おまんこの奥っ、ビクビクしてますっ!」 「ど、どうしてっ、こんなに嬉しいのっ!? わ、分かりませんっ、あっ、んあっ!」 「た、助けてっ、お兄ちゃんっ! わたしっ、今度こそっ、壊れちゃいますぅ!」 言葉とは裏腹に、シロネはぎゅっとペニスを掴んで放さない。 「んっ、はぁっ、あっ、あっ、ふああっ……!」 「はうっ、あっ、はぁんっ、激し……んっ! くあっ、あっ、あっ……!」 「ふあっ、あっ、んんっ……ああっ、もう駄目ですっ……!」 「わたしっ、こんなにされたらっ……あんっ、駄目になっちゃいますっ!」 彼女の腰も大胆に前後運動を続けていた。 「やあああああああっ! 駄目ですぅ! イッちゃう! イッちゃいますぅっ!」 「わたしのおまんこっ! お兄ちゃんの精液を欲しがってるっ!」 「ああっ……ふあっ! あああ! あああぁぁぁぁっ!!」 「シロネ、出すからな……!」 「あっ、あんっ……お兄ちゃんっ、速いのっ……!」 「あんっ、あっ、ふあああっ……わたし、イッちゃいますっ、中で、イッちゃうっ……!」 「あっ、イク、イクの、ふあ……!」 「お兄ちゃん、出して! 中でいっぱい出してっ!」 脳裏に火花が散るような感覚と共に、お望みのものを注いでやる。 「ああああ! ああっ! はああああああああああぁぁぁぁんっっ!」 シロネも、同時に絶頂を迎えた。 「ひゃああんんっ! イクっ、イクっ、イッてますぅ……!」 「脳天までビリビリってっ、ふわってなってっ! ああっ、んんっ、ふあんっ!」 「ふああっ、ああっ……わたしの奥っ、奥にっ……沢山っ……」 「おちんちん、まだっ、中でっ、あっ、ああっ……」 「んんっ……ああっ、うう、んああっ……」 余韻に浸っているのか、シロネの膣内は射精が終わった後も痙{けい}攣{れん}し続けていた。 秘部はぐちょぐちょの体液に塗{まみ}れている。 「はあっ、ああっ……うう、ふっ、ああっ……」 シロネが譫{うわ}言{ごと}のように、小さく意味をなさない声を漏らしていた。 「はあ……っ」 ペニスを引き抜くと、どろどろと白濁液が流れ出てくる。 「はあっ……今日は、お兄ちゃん……元気無くて、心配でした」 「でも、これで……大丈夫……」 教室の中に、いやらしく淫靡な香りが漂う。 「お、お兄ちゃん……」 「シロネ……」 「そ、そんな……不安そうな顔、しないでくださいよ……」 「わたしは、大丈夫ですから」 「とっても、気持ち良かったですよ」 冷静さを取り戻すと、罪悪感で胸がいっぱいになった。 あんなに愛し合ったというのに、今朝の僕達はギクシャクしている。 正確に言えば、ぎこちないまま今日がやって来てしまった。 「今日は家庭科がある日だから楽しみです」 「自分で作ったクッションカバーに、刺繍を入れるんですよ」 「……そっか」 「刺繍って結構複雑なものなんですね」 「ちょっと、熱中しちゃいそうです」 「……うん」 「スパンコールを使ったりすることも出来るそうですが、慣れてきたらやってみたいな、なんて……」 最初は笑顔で話していたシロネも、だんだんと気勢を削がれてしまう。 それもそのはずで、僕は彼女にも伝わるように、あえて不機嫌そうな顔をしていた。 「上手になったら、お兄ちゃんのハンカチにも刺繍しますね」 シロネは気を取り直して、笑いながら言う。 「でも、図案は先に考えておきます」 「ああ、コツコツと上達していくのが楽しみです♪」 「あのさ、目に見えて機嫌が悪い僕と、並んで歩いて楽しい?」 「えっと……」 意地の悪い質問に、シロネは弱り顔で答える。 「楽しいかどうかと聞かれたら……」 「全然、楽しくありませんね」 「そうだよね」 この居心地の悪さは、僕が意図的に作り出しているものだから。 「ごめん」 「一緒に歩いているのに、お兄ちゃんはわたしに歩調を合わせてくれません」 「わたしがゆっくりにすると、お兄ちゃんは速く歩いて……」 「今度はそれに応じて足早になると、あなたは急に遅くなる」 「うん。わざとそうしてるんだ」 「わたしが、ひたすらお兄ちゃんに合せています」 「ちょっと、対応に忙しくて、困ります」 「別に一緒に登校しなくちゃいけないという決まりもない」 「先に行ってくれて構わないよ」 「そんな寂しいこと言わないでください……」 「言うよ」 「僕だって、シロネを苦しめたいとか、悲しませたいとか思ってるわけじゃないんだ」 自分でもどうしようもない懊{おう}悩{のう}が、身体の中で蛇のようにとぐろを巻いている。 「今は、君と一緒に居たくない」 「でも、わたしがお兄ちゃんと共有したいのは、楽しいことだけではありません」 意志の強い瞳が、僕を捉える。 その熱い眼差しを受けて、みぞおちの辺りから温かいものが込み上がる。 「つまらないことも、悲しいことも、全部分け合うために――」 「そのために、わたしはここに居るんです」 「それが、人間の言う“共に生きること”ではないのですか?」 「共に生きる……」 「それは、きっと眩{まばゆ}いだけじゃない」 「幾つもの退屈な夜や、平凡な1日、苛立つ気持ちと自己嫌悪を抱えている」 「むしろ、きらびやかな面のほうが少ないと思うんです」 声を聞いているうちに、すっかり心は凪いでいた。 僕は、至らない自分が恥ずかしいと思う。 でも、それさえもシロネは、受け入れてくれているんだ。 「でも、お兄ちゃんは一生を懸けてわたし達の幸せについて考えると言いました」 「だったら、くすんだほうの共生だって、受け入れていく必要があると思いませんか?」 「……ごめん」 「君の言う通りだよ」 「……いいんです」 「わたし、お兄ちゃんのそういうところだって好きなんです」 「とっても人間らしくて、素敵だと思います」 シロネに優しく諭され、その笑顔を目にしたら、とたんに身体が軽くなる。 肺の中に詰まっていた塊が抜けて、やっと呼吸が出来るようになったみたいだ。 「シロネを傷つけたくないから遠ざけたい。それは嘘だったんだ」 「はい」 「僕は、僕が悩んでいることについて、シロネに知られたくなかった」 「勘のいいシロネだから、気づかれるんじゃないかって」 そのことによって、最終的にはシロネを傷つけてしまうことが怖かった。 「お兄ちゃんは、どうしてそんなに落ち込んでいるんですか?」 「何を迷っているんですか?」 「それは……」 「わたしにも、教えてください」 有無を言わせない声。 穏やかだけど、そこにははっきりとした気持ちが込められていた。 「お兄ちゃんはわたしに知られたくないと言いましたが、それではいけない気がするんです」 「わたしだって、憂鬱で機嫌の悪いあなたと一緒に居ることは、本意ではありません」 「それは、そうだろうけど……」 「出来れば、一緒に笑っていたいんです」 「そのために、わたしが出来ることだって、あると思うんです」 「いいえ……」 「たとえ、無かったとしても、わたしはお兄ちゃんの気持ちに寄り添いたいんです」 戸惑いや怖れが完全に消え失せたわけではない。 だけど、これ以上1人でウジウジしていても、変化は期待出来そうにない。 「僕も、シロネと分かち合いたい気持ちがあるんだ」 「解決出来なくても、知って欲しい、寄り添って欲しい気持ちが」 「分かりました……」 「ありがとう、お兄ちゃん」 僕達は、改めて放課後に話し合う時間を設けることにした。 そう決めてしまえば、ますます心に陽の光が差す。 足取りが軽いのも、気のせいじゃないんだろう。 僕はスキップでもしたい気分で、学校へ向かった。 それは、無理やり作り出した高揚感だと知っていても。 放課後―― 僕達はゆっくりと話せる人{ひと}気{け}の無い場所を求めて移動した。 結局、僕が考えていた通り、この森に落ち着いてしまったけど。 「お兄ちゃんの悩みごと、やっと聞かせてくれるんですよね?」 「うん。約束したからね」 僕はどこから話したらいいのか考える。 ここに向かう途中もずっと悩んでいたんだけど―― 「実は、僕もトリノになろうと思って、沙羅に相談していたんだ」 単刀直入に、切り出すことにした。 「わあああっ」 「実は、わたしもその可能性を考えていまして……」 シロネは誕生日プレゼントを開けた時の子供のようなはしゃぎ顔で、喜びを表現した。 「お兄ちゃんがトリノになったら、ずっと一緒に居られますね」 「疲れないから、朝も夜もなくイチャイチャ出来ます」 「それから、嫌いなパクチーやお酢を摂る必要が無いですね!」 「お兄ちゃんには好き嫌いを克服して欲しいと思っていましたが、トリノは食事が出来ませんから」 「それから、それから……」 シロネは次々に将来の展望を口にしていく。 中には僕が驚くような発言もあったけど、彼女が楽しげに語るたび、胸が苦しくなる。 「ずっと、白音さんの眠るこの森を守れますね」 「お兄ちゃんが、トリノになりたいだなんて、夢のようです……」 「ああ、あなたが、わたしと一緒に……えへへ」 「違うんだ、シロネ……」 「はい?」 「確かに、僕はトリノになろうと思ってい{・}た{・}」 「でも、今は違うんだ」 「え……?」 シロネの顔が微笑んだまま強張る。 「僕は、僕のままでありたい」 「僕はトリノにはなれないよ」 「だって、永遠に生きる僕は、僕で無いだけじゃなく、シロネと一緒に居たいだなんて思わなくなるだろうから」 「お兄ちゃんは……」 「お兄ちゃんは、わたしのことが嫌いになったんですか……?」 深い海の底のように、暗い顔が目の前にあった。 「わたし、嫌われるようなことをしましたか?」 「まだ、朝ご飯のスープにパクチーを忍ばせたことを怒ってるとか?」 「違うよ。そうじゃない」 「僕はシロネのことを愛してる」 「愛してるなら、トリノになったらいいじゃないですか」 「トリノになれば、わたし達の幸せについても、長い時間を掛けて考えられますよ?」 「でも、記憶だけ生かしても意味が無いだろう」 「僕のシロネを愛する意識はここにある」 僕は意識の所在地を明確に指し示すことが出来なくて、とりあえず胸のあたりに手を添える。 「それは、記憶と何が違うんですか?」 「トリノ化されたお兄ちゃんだって、わたしを愛し、愛し合ったという記憶が備わっているんでしょう?」 「だったら、愛してくれる。そうじゃないんですか!?」 僕は力なく首を横に振った。 「どうして……?」 「どうして愛してくれないんですか?」 「僕にも、断言は出来ないけど……」 「明日も明後日も生きられるなら、今2人が寄り添い合うことに、意味を見い出せなくなるんじゃないかなって――」 「絶対に、わたしを1人にはしません!」 抗弁するシロネの声には、怒りが滲んでいる気がした。 「お兄ちゃんは、わたしにそう約束をしました」 「その約束は、記憶として引き継がれるんでしょう?」 「人間のお兄ちゃんはいつか死んでしまうけど、トリノであるあなたは、わたしと一緒に居てくれる」 「きっと、約束を守り通してくれます!」 「僕の気持ちに寄り添いたいって言ってくれたじゃないか……」 「僕の力になりたいって……」 今朝の天使のようなシロネはどこへ行ってしまったんだろう。 「確かに、言いましたね……」 「だったら、前言を撤回します」 「わたしは、そんなお兄ちゃんの気持ちには寄り添うことは出来ません」 「お兄ちゃんは、トリノが嫌いになってしまったんです」 「僕は、君やトリノのことを否定したいわけじゃない」 「それは嘘です!」 「肯定してるなら、トリノになりたがるはずです!」 どうしたら、この気持ちを分かって貰えるんだろう。 僕はこんなにもシロネのことが好きで、愛しているのに。 「わたしがトリノじゃなければ、きっとお兄ちゃんにも愛して貰えたのに……」 シロネは沈んだ顔で、うわごとのように繰り返す。 「わたしがトリノじゃなければ……」 「人間になれれば、愛して貰えるのに……」 「でも、そんなこと、無理なんです……」 「最初僕は、逆の発想からトリノになることを望んだんだ」 「シロネが人間になれないなら、僕がトリノになればいいんだって」 「だから、わたしもそれがいいって――」 「でも、悩んだり、沙羅と話をしているうちに、考えが変わった」 「シロネの言葉にも影響を受けたんだ」 「わたしの言葉……?」 「僕と君が“共に生きる”のに時間は関係ない」 「短い命でもいいから、君と変わらない日常だって思い出に変えていきたいんだ」 「でも、お兄ちゃんが死んじゃったら、わたしはどうしたらいいんですか?」 「それは……」 人{ひと}気{け}の無い広大な荒れ地に、寂しげに白い髪をなびかせる彼女が思い浮かぶ。 人の営みを感じさせるものは、遺跡のように朽ちている。 それは、圧倒的な孤独だ。 「お願いだから、もう一度考え直してください」 「わたし、お兄ちゃんのためだったらなんだってします」 「完璧、完全にあなたの望み通りにしますから……」 「シロネ……そんなこと、言うもんじゃない……」 「僕は、僕は……」 シロネの姿が視界から消える。 空だ。 赤く染まり上がった、空が見える。 それと同時に、頭と背中に鈍い痛みが走る。 「お兄ちゃん!」 「ねえ、お兄ちゃん!」 僕を呼ぶ声は、遥か遠くから届いたように、砕けひび割れていた。 赤ん坊のように泣き叫びたいのに、それすら叶わない。 ぼやけていた視界から、徐々に全てが失くなっていく。 気づいたら、目の前は真っ暗闇だった。 目が覚めた時、僕は病院のベッドで寝ていた。 びっくりして起き上がろうとすると、酷く頭が痛んだ。 後頭部に手を当ててみると、妙に盛り上がっている部分があった。 いわゆる“たんこぶ”だ。 でも、痛む理由はそれだけじゃない。 揺れるたびに鈍く、重く、目の裏側あたりが悲鳴を上げた。 巡回に来た看護師に幾つか質問を受けたが、なんとか返事をすることが出来た。 それから、僕は医師からの説明を受けるために、部屋を出ることになったんだ。 「気分はどうかな、少年♪」 「……最悪です」 百南美先生の顔を見たら、さらに頭痛が酷くなった気がした。 多分、気のせいじゃない。 「うんうん、そうだろうね」 「えっと……受け答えにおかしなところは無いみたいだね」 「先生、安心したよ」 「説明を受けるようにって、看護師さんに言われたんですけど……」 「出来れば、ちゃんとしたお医者さんにお願いしたいんですが」 「七波くん、それなら先生に任せてちょーだい!」 「え?」 先生の顔に無邪気な喜色が広がっていく。 「ちゃんとしたお医者さん世界代表の百南美先生が、華麗かつ大胆に、病状の説明をしてあげるからね!」 「だから、百南美先生以外の方から、話して欲しいって言ってるんですよ」 「どゆことー? 先生さっぱりだよー?」 「冗談はほどほどにしとこうね。いつもより余計にお注射しちゃうよ☆」 「なんですか? その危ない発言は?」 「最近の若い子は知らないのかな?」 「傘をくるくると回す人達の決め台詞をマネしたんだよ」 「はあ……さっぱり分かりません」 「そっかー。先生、残念だなあ」 「世代格差――ジェネレーションギャップってヤツだね、これは」 “残念”と言う割には、破顔しきりだ。 「もしかして……いや、もしかしての話だよ?」 「はい」 「七波くんは、先生の才能を活かしたハリウッド映画並みの、超ウルトラスペクタクルな解説を聞きたくないのかな?」 「はい」 「ええっ!? 遠慮なんかしなくていいんだよ?」 目を丸くした姿はどこからどう見ても、ただの幼女だ。 僕は咳払いを挟んでから、先生に抗議を始めた。 「この前も、異常が無かったらさっさと家に帰してくれたら良かったのに……」 「1時間も無駄話を聞かされたじゃないですか」 「無駄話ってなんのことかな?」 「分からないんですか?」 「えーっと……」 「もしかして、おしっこの話のことかな?」 「そうですよ! おしっこの話以上に無駄な話がありますか?」 「あれだけ語ったというのに、おしっこの重要性がまったく伝わっていないとは……」 「先生は、めげたりしないけど、めげそうです……」 泣きそうな顔をされると良心が痛むけど、この人はれっきとした大人だ。 僕は自分を鼓舞するように、追い打ちを掛ける。 「どうせ、今回も貧血とか、疲労とかそんなところなんでしょう?」 「だったら、ぱっと説明して、ぱっと帰らせてください」 「それがねー」 「ぱっと帰ることは不可能っぽいんだよ」 「え?」 足音と共に、シロネと沙羅が診療室に入ってきた。 「舜……目が覚めて良かった」 「わたし達も一緒に説明を受けたほうがいいんじゃないかって、百南美先生が」 「そうそう。先生が2人を呼んでおきました」 「もちろん、七波くんのお母さんには、事前に話してあるからね」 「……どういうことなんですか?」 未だに事態が飲み込めない。 母さんにも説明済みって、一体―― 「七波くんの余命はあと少しです……多分ね」 努めて明るく告げてくれたのは、先生なりの気遣いなんだろう。 「もっとも、余命と言ってしまっていいのかと言うと、微妙なんだけど」 「とにかく、世の中と関わることが出来るのは、あと少しじゃないかってこと」 でも、“冗談ばっかり言って”と笑うことは出来ない。 笑顔の裏に、そんな真剣さがあった。 「原因は、不明」 「前の定期健診の結果で、疑わしい部分があったって言ったでしょう?」 「それで調べてみたけど、当てはまるような症例はないし……」 「結局、疑問に答えを与えることが出来なかったんだよね」 あまりに衝撃過ぎると何も考えられないんだな。 百南美先生は、今も詳しい説明を続けてくれているみたいだけど、ちっとも頭に入ってこない。 「……それで実際はいつまで?」 長い沈黙を破って、沙羅が尋ねる。 「具体的に、舜はあとどれくらい生きられるんですか?」 「うーんと」 「こればっかりはなんともねえ……」 「じゃあ、確実に生きられる時間なら答えられますか?」 僕が聞かなくちゃいけないことを、沙羅は代弁してくれているんだろう。 当事者の僕をよそに、話が進んでいく。 「多分……1週間くらいなら、保証出来ると、思う」 「思うって……」 「保証出来るんですか? それとも、出来ないんですか?」 「つまり、保証しろってことなんでしょ?」 「怖いよーっ」 「だって、はっきりしないものですから」 「まるで、医者に詰め寄る患者の家族の図だよー」 「愛息子を病にしたのは、医者じゃないのにさー」 「ふざけてないで、説明を続けてください」 「……ごめんなさい」 百南美先生は、若干声のトーンを落とした。 「脳に問題があるっていうのは分かってるんだけど、なんでそうなっているのかは分からない」 「そして、推移は分かるものの、結果は推測でしかない」 「今のところ治療法が思いつかないし、探しても見つからないんだな、こりゃ」 百南美先生は珍しく苦渋に満ちた表情で唸った。 「どんな症状が現れているんですか? ただ、頭が痛むだけですか?」 「最初は、だんだんと睡眠時間が長くなる。ただそれだけ」 「脳は、起きている時と眠っている時とで、活動のパターンが違うの」 「ざっくり言うと、起きている時は外からの入力を一時的に貯めていて、寝ている時はそれが整理されて記憶として定着する」 「そして、休息して目覚める。これを繰り返すの」 「はい。分かります」 「七波くんの脳は、なぜかこの寝ている時の状況が、どんどん長くなっている」 「だから、だんだんと、一度眠りにつくと、なかなか自分の意思で起きられなくなる」 「このまま進むと、おそらく……」 「最後には、完全に目覚めることが出来なくなる」 「……」 「その後、どうなるかは分からない」 「眠ったままで、いつ起きるのか、ずっと起きないのか」 百南美先生の説明を聞かされて、目を閉じることさえ恐ろしく感じてしまう。 「でもこれは、あくまで事象。なんでそうなるのかは分からないの」 「なるほど……」 「おっ! 天才少女沙羅ちゃんも、分かってくれたかな?」 「正直、七波くんのお母さんに説明するのは、骨が折れたよ」 「まあ、息子の余命宣告をすんなり受け入れられる親も、どうかと思うけどね」 「でしょうね」 説明を聞いているうちに、どんどんと周囲の空気が淀んでいく気がした。 部屋の四隅が押し迫ってくるような、そんな圧迫感も感じる。 「舜の病{やまい}の原因なら、心当たりがあります」 沙羅の一言が、場の空気を一変させた。 「おそらく、過剰に脳をスキャンしたこと――」 「舜の記憶を……通常の周期とは外れたところで、細かくスキャンしたから」 「それで、脳に過剰な負担が掛かったんだと……」 「そんなこと、どうして行ったんですか……!?」 それまで黙っていたシロネが、疑問をぶつける。 「それは、舜がトリノになることを望んだから」 「ああ。僕が望んで、脳を何度も特別にスキャンしてもらったんだ」 「そんな……そんなことって……」 シロネは目を伏せて、理不尽な現実に耐えようとしているみたいだった。 「そもそも、人の脳から記憶を抜き取る技術を開発したのは、七波博士――舜のお父さん」 「生まれつき弱視の娘に、いつか世界を見せることを夢見て、研究をしていたと聞いているわ」 「記憶を引き継げば、その他のパーツを変えても、人間は成立するんじゃないかってことね」 沙羅はゆっくりと、研究の話を続ける。 「もちろん、その研究対象は、選ばれた存在のみで行われた」 「チーム内でも個々に持ち得るノウハウは、恐らく異なっている。そして、その全容を唯一把握していたのは七波博士だけだったのよ、きっと」 「沙羅ちゃんは、こんなことになるだなんて思っていなかった」 「だから、安心してお兄ちゃんの記憶を抜いた……そういうことですか?」 「そう。私の知る限りでは、スキャンで犠牲者が出たなんて聞いていないもの」 「本来、脳に定着された記憶は、必要な時以外は参照されない」 「そうやって取捨選択しないと、脳はオーバーヒートしてしまって、壊れてしまうから。でも、スキャンをするということは、その区間の記憶の全てにアクセスして、人為的に取り出そうとすること」 「当然、本来なら不必要な記憶の参照プロセスも強制的に行うわけだから、被験者の脳に過剰な負担が掛かってしまう」 「そんな……」 「これだって、あくまで推測」 「その後も舜は、普通に過ごしているように見えたし……ここに呼ばれるまでは、なんとも思ってなかったの」 「でも、脳が回復し切らないうちに、次の負荷を何度も掛けてしまっていたとしたら――」 「回復期間が延び続けるうちはまだしも、なんらかの機能が破壊されてしまった場合、最終的に回復プロセスから抜け出せなくなってしまう可能性も、否定出来ない」 「そう考えると、百南美先生の予想する症状は、納得出来る」 「なるほどねー」 「もちろん、スキャンのスケジュールは厳密に管理されていたし」 「恐らく、スケジュールさえ守っていれば、問題が無いものだったのよ……」 沙羅はあくまで、推測を話しているに過ぎない。 もちろん、それが何ら解決の糸口には繋がらないことも、彼女は分かっている。 その場を沈黙が支配する。 それを打ち破るように、百南美先生は料理のアレンジレシピでも思いついたかのような気安さで発言した。 「ちょっと、閃いたことがあるんだけど」 「もしかしたら、原因は記憶のぶっこ抜きだけじゃないかも」 「そ、それはどういうことですか、先生?」 「もっと詳しく教えてください」 シロネが身を乗り出すようにして尋ねる。 「ほら、他にも記憶喪失とか、脳に多大なる負荷を掛けてきたでしょ?」 「そうですね……」 「その記憶喪失も、原因のひとつじゃないかって思ってるの」 「……そんな」 「それって、わたしのせいじゃ――」 立っているのも辛そうな表情で、シロネは呟いた。 「シロネ。ここで話すことじゃないわ」 「でも――」 「今、一番辛いのは舜なの。外野の私達が、後悔したり、悲しんでる場合じゃない」 「ごめんね。解決に繋がらないことを言っちゃって……」 沙羅の目が、僕を気遣うように制する。 「先生も、もう一度七波くんのことを調べ直してみるよ」 「沙羅ちゃんの意見は、とっても参考になったね」 「多分……」 「苦しんだりはしないはずよ」 「ただ、二度と目覚めないだけ……」 沙羅は僕を慰めようとして言ってくれたんだろう。 そして最後には、何も救いになっていないことに気づいて、悲しそうに笑った。 「わたし、なんのために、研究に人生を捧げてきたんだろう……」 次に目が覚めた時、病室内はすっかり暗くなっていた。 無意識のうちに眠ってしまったんだろう。 今{いま}際{わ}の際{きわ}もこんなふうに訪れるなら、意外と怖くないんじゃないかと思った。 無理やりそう思うことで、自分を保とうとしている。 なんだか温かいものが触れた気がして、目を開ける―― 「……」 シロネが僕を見つめていた。 「すみません……」 「頭を撫でていたら、気が付いてしまいましたね」 今は、シロネの微笑みで胸が痛む。 病室の外は暗い。 星がキラキラと瞬いていた。 「制服のままじゃないか……」 「あっ!」 「着替えるのを忘れるくらい、動転していたみたいです」 「……シロネは、いつでもシロネだね」 自然と口元が緩んでしまう。 「えへへ……」 「お兄ちゃんのそういう笑顔、久しぶりに見ました」 “どうしてこんなことになったんだ”と、運命を恨む気持ちが無いわけじゃない。 でも、それ以上に悔しくて、納得がいかないのは、一度は否定した道にすがりそうな自分だ。 トリノになれたら、僕の記憶はずっとシロネと一緒に居られる……。 少なくとも、シロネを愛し続けられる可能性はあるんだ。 “死”に、シロネと寄り添える可能性は存在しない。 「沙羅ちゃんとわたしが話をしていたら、いつの間にか突っ伏すようにして眠ってしまったんですよ」 「そうだったのか……」 「もしかして、覚えてないんですか?」 「うん。まったく覚えてないよ」 「頬をつねっても起きないし、肩を揺さぶっても起きない……」 「死んでしまったのかと思って、慌てて脈拍と呼吸を確かめましたよ」 「ごめん……」 「本当にごめん……すまない」 何度も謝っているうちに、自分が何を詫びているのか、よく分からなくなる。 それくらいに、僕はシロネに謝らなくちゃいけないことが沢山あった。 「そんな、お兄ちゃんが謝ることなんてありません……」 「お兄ちゃんは悪くないんだから、わたしこそ謝らなくちゃ……」 「でも、でも……」 「だったら、誰にこの気持ちをぶつけたらいいの?」 シロネは長いまつ毛を震わせながら僕に尋ねる。 「こんなことって、ありません……」 「一生を懸けて、2人の幸福について考えようって言ったじゃないですか」 「うん。確かに約束した」 「まさか、こんなに儚い運命だったなんて……」 「僕も、信じたくないよ……」 “だったら、トリノになればいい”と心の中でもう1人の僕が囁く。 そんなことをしたって、僕自身の運命を変えたことにはならない。 だけど―― 揺らぐ気持ちを抱えたまま、僕は再び瞼を閉じた。 しばらく経って―― 病室で過ごすことや、代わる代わるやってくる訪問者にも慣れた。 夕梨も何度か来てくれたし、ハナコ先輩とバッティングした時には、盛大に笑わせてもらったな。 近頃の僕は、眠るのが怖い。 無理やり朝まで起きていることが多くなった。 漫画を読んだり、借りてきて貰った映画を観たりして……。 そんな生活にも馴染んでしまった感がある。 「七波くん、おはー」 「おはー」 力なく返してみる。 「なんだか、元気無いね。ちゃんと眠れてるのかな?」 「寝るのに、抵抗感があって……」 「まあ、気持ちは分かるよ。最後は目覚めなくなるとか言われちゃってるし」 「残り少ない人生だと思うと、無駄に過ごせないもんね」 百南美先生は真面目な口調で言った。 「真面目ぶってる先生なんて、珍しいですね」 「先生はいつも真面目だよ?」 「でも、真面目過ぎると嫌われちゃうから、こうしてるの」 「……先生に初めて共感を覚えました」 「そっかー。なんだか嬉しいな」 この頃は、時間が経過していくのもゆっくりに感じる。 百南美先生の表情も、実際とは異なるスピードで変わっていった。 「先生は、沢山の患者さんを診てきたんだ」 「もちろん、その中にはきみのように余命宣告を受けて、もうこの世界には居ない人もね」 「その人達が言ってたことには、共通する部分があったよ」 「それはなんですか?」 「“なにかがしたい”と望んでいた」 「なにかがしたい……」 「つまり、希望だね」 「たとえば、“孫の入学式までは生きていたい”とか、“死ぬまでに富士山をこの目で見てみたい”とか」 「“結婚式を挙げたい”とか、“家族に看取られて死にたい”とか」 「そうなんですか……」 「僕には、あまりピンとこないですね」 「そうだよね……」 百南美先生の笑みは、失望を表していた。 「普通、きみみたいに穏やかに過ごせないよ?」 「もっと、なんとかして生きる術はないかと、もがいてみたり……」 「神様を呪ったりするもんなんだよ?」 「はあ、そういうものなんですね」 「もちろん、多くの患者が、最後には運命を受け入れるけどね」 「でも、それにしたってきみは早過ぎるよ」 「先生、ちょっと心配です」 「これがもし、余命3ヶ月とか、1年だったら、話は違っていたかもしれません」 「僕の場合、あまりにも短過ぎて――」 「うーん。なるほどね……」 僕の胸中を察したように、百南美先生が呻く。 言葉の意味を理解してしまったことが、凄く残念そうだった。 「きみの余命は短過ぎて、まだ全然実感が湧かないのか」 「それに、ある程度先まで生きられるからこそ、可能性の消滅が怖くなるものなんだね」 「まだまだ出来ることがあるから、失うのが怖ろしいんだな」 「多分、そういうことなんだと思います」 「だって、あと何回か寝たら……もう、目覚めないんです」 「出来ることなんてたかが知れてますし、元より期待していません」 「……そんな七波くんにも、選択肢を用意してきました!」 「え?」 情動に乏しいまま驚く僕を見て、百南美先生は静かに微笑んだ。 「今すぐ退院して、大切な人と過ごしてみたらどうかな?」 「たった1秒でも、長く、しっかりと……」 「でも……」 「現状では、先生が七波くんに出来ることは、何も無いんだよ」 「だったら、ここに居る時間って、もったい無さ過ぎるんじゃないかな?」 「それって、やっぱり治らないってことなんですか?」 「そうだね……」 「目の前で起きていることは、分かってる」 「でも、起きていることが分かるのと、それを解決出来るってのは、別のことなんだよ」 「……残念だけどね」 「そうですか」 そう言うと僕は、ため息をひとつ吐いた。 そして―― 「でも、思ったより動揺しないんだな、僕……」 実験の期限を伝えられた時のシロネみたいだと思う。 不謹慎な笑いが、身体の底からふつふつと湧き上がりそうになる。 「でも、先生は諦めてないよ。これは本当だよ」 「だけど、残された時間内に、治療法が見つかる保証も無い」 「だったら、患者に今出来るベストな選択を提案するのも、先生のお仕事!」 「……ごめんなさい」 深い嘆きの井戸に、身を投じそうになった自分を恥じた。 「いいのよ」 「患者の気持ちを受け止めるのも、先生の仕事なんだから」 労わるような笑顔に包まれて、驚く。 百南美先生って、やっぱり大人だったんだな……。 「きみのお母さんには、これからの過ごし方については提案してあるよ」 「そうしたら、“先生の口から息子に伝えて欲しい”って言われたの」 「そうですか……」 母さんも、どんな気持ちで先生の話を聞いたんだろう。 ちゃんと、ご飯を食べてくれてるといいけど……。 昨日会った時は、笑ってたけど、頬のあたりがやつれていたな……。 「だから、退院するかどうかは七波くんが決めてね」 「てゆうか、その手元の紙屑はどうしたの?」 「ああ、これですか」 「便箋……かな?」 「ただのゴミですよ」 余命宣告以来、シロネと沙羅は一度も見舞いに訪れなかった。 そのことが、気がかりだった。 メールを送っても、反応すらないし……。 シロネに宛てた手紙を書いてみたのはいいけど、なかなか満足のいくものは書けなかった。 百南美先生の助言に従って、僕は退院することにした。 荷物をまとめるといっても、大した物は持ち込んでいなかったので楽だった。 病院の車で自宅まで送って貰ったけど、そこにはシロネの姿は無かった。 カレンダーを確認すると、今日は平日だった。 そうか、学校へ向かったのかと思って、なんとなく身軽な服装のまま外に出る。 通学路には沢山の学生がひしめいていた。 みんな、朝特有の気怠さと、それと同じくらいの喜びを抱えて学校へ向かうんだろう。 「まるで、別世界の住人みたいだ」 自分が居たはずの景色が、目の前を流れていく。 気を抜いたら、涙腺が緩みそうだ。 とにかく、歩かないと。 そう思っても、僕に向かうべき場所なんて無い。 いや、あった。 それは死という、途方もない旅路だ。 「あれっ!?」 「舜じゃん! こんなところで、どうしたの?」 行く当てもなくぶらぶらしていたら、夕梨の家の前に辿り着いていた。 制服姿の彼女に声を掛けられてから、ようやく気づく。 「夕梨こそ、学校はどうしたの?」 「あたし……?」 「あたしは、早退よ。早退」 「えっ?」 「どこか具合でも悪いの?」 僕は、夕梨の頭からつま先のほうまで眺め回す。 「違う、違う」 「そんなにジロジロ見ないでよ……」 困ったように笑う夕梨が、妙に懐かしく思えた。 「今日は気分が乗らないから、勝手に抜け出してきたの」 「ちょっと不良っぽいでしょう?」 「ニヒッ♪」 ああ、夕梨ってこういうふうにも笑うんだった。 忘れていたわけじゃないのに、なんだか非日常的に思えて感慨深い。 「舜こそ、不良ライフを満喫してるの?」 「いや、全然」 「なんだ。勝手に病院を抜け出してきたのかと思ったのに」 「やっぱり舜は、“つまらない系ボーイ”だわ」 「変な名前をつけるなよ……」 「百南美先生から、退院するように勧められたんだ」 言葉よりも先に、夕梨の顔に感情が出る。 「つまり、それって……」 「もう治ったってこと? やったじゃん!」 笑顔が溢れんばかりの勢いで、夕梨から幸せオーラが発散していく。 「結構深刻なムードだったから、お見舞いに行くのも怖かったんだ」 「もう、早く言ってよね!」 こんなに喜ばれてしまうと、否定するタイミングを見失う。 僕は何も言い出せないまま、夕梨のことをただ無表情に見つめていた。 そのギャップは不安な波長を伴って、彼女にも伝わったんだろう。 「……もしかして、違うの?」 「……うん」 「病気が治ったから、退院したわけじゃないの?」 「そうなんだ」 夕梨の目は、凍り付いたように見開かれている。 「それって、つまりさ――」 「打つ手が無いって、パターン……なの?」 僕は黙って深く頷いた。 「ちょっと、嘘でしょ……?」 「嘘だったら、良かったんだけど」 「えっ……ええっ……?」 「治らないって、決まったわけじゃない」 「でも、現状では治療方法が無いんだよ」 「だから、早く帰って、大切な人と過ごせって、百南美先生が言ってくれたんだ」 「そんなっ……!」 未だに信じられないんだろう。 夕梨は、目を伏せて呻る。 「そんなことって……無いよっ……!」 「なんで、なんで舜が、こんな目に遭わないといけないの!?」 「口に出してしまうと、現実味が増すんだな」 「え?」 「さっきまでは全然怖くなかったのに、身体の震えが……」 「止まらないんだ」 「舜……」 ガクガク震える手足を携えて、情けなく笑った。 「格好悪いなあ……」 「別に、情けないとか、男らしくないとか、そんなこと思わない」 「てゆうか、思うヤツがいたら、あたしが許さないから!」 叫ぶようにして、夕梨が僕を鼓舞する。 「怖くて当たり前じゃん!」 「これからも続くと思っていた道が、いきなり途切れますって教えられるんだよ?」 「そんなの……動揺しないほうがおかしいよ!」 涙目になりながら、夕梨は僕の気持ちを肯定した。 「あたしだって、きっと、びっくりするもん」 「なんなら、周りに八つ当たりして大暴れするよ!?」 「それから、大泣きして何日も過ごすんだ」 「それは、凄いリアクションだな……」 とても真似出来そうにない。 「いや、舜だって泣いたほうがいいんだよ。泣いてスッキリしたらいい」 「そしたら、気持ちも落ち着くって」 「ありがとう、夕梨」 「でも、僕はまだ泣けないんだ……」 泣いてしまったら、この病に負けてしまいそうで。 「格好つけちゃってさ……」 夕梨は涙を引っ込めながら、ちょっと笑った。 「そういえば、小学生の時、親と一緒に学校に通ってたなー」 「舜はその時のこと、覚えてる?」 「いや、覚えてはいないけど……誰かから聞いたな」 「通学路が一緒だったから、その縁で仲良くなったんだよね?」 「当たり!」 人と話すことって、こんなにも楽しかったっけ? 僕の病気のことには触れまいと、気を遣っているわけじゃないんだろう。 夕梨の口からは、いつもの調子で話題が飛び出す。 「あたし、全然この島に馴染めなくてさ……」 「でも、舜と一緒に過ごすようになって、この島が好きになった」 「それは、良かったよ」 「じゃあ、今の夕梨があるのは、僕のお陰でもあるんだな」 「うん。それは間違いないね」 「でも、そう考えるとさ……いろんなことが、スッと受け入れられる時もあるよね」 「え?」 急に真剣な物言いになって、僕は首を傾げる。 「一緒に生きるってことは、互いに影響を与えるってことなんだね」 「そう思うと、あたしが居なくなっても、誰かの中で、あたしは生きてるのかなって」 「関係性や人と人との繋がりに、終わりはないのかなって……」 「そうなのかもしれないな」 僕はそうであって欲しいと、願った。 「それでも――」 「生きるとか死ぬとかが、悲しくないわけじゃないんだけど」 「でも、ちょっとはマシになるんだよね……きっと」 「うん」 「人間ってさ、無駄に怖がりだけどさ」 「やっぱり、怖がってるだけじゃないんだよ」 海の色に似た瞳に、きらりと光が差す。 「そうだな……」 夕梨の言葉に救われたような気持ちになる。 「人間に与えられた想像力は、恐怖するためだけのものじゃない」 そう、噛み締めるように言ってみる。 その後、僕と夕梨は、朝まで話し続けた。 眠るのが怖かったのもあるけど、ずっと会話をしていたい気持ちが強かった。 夕梨は眠かっただろうに、瞬{しばた}く目を擦り続けて、僕に付き合ってくれた。 「ありがとう。とっても、楽しかったよ」 「夕梨のお母さんにも、朝ご飯美味しかったって、伝えといて」 「ふーん」 見送りに出て来た夕梨は、不満げに僕を見つめた。 「何か、悪いことでもした?」 「いや、別に……?」 「逆に、悪いことの1つや2つくらいしても良かったんだけど」 「えっ?」 夕梨の言いたいことが理解出来ずに、まぬけな声を上げる。 「だーかーらー」 彼女の顔には、はっきりとうんざりしてますと書かれている。 「結局、指の1本も触れて来なかったなんて、残念だって話よ」 「女の子に、あけすけなことを喋らせるんじゃないっ!」 「本当に、舜って鈍感なんだからっ!」 「……ごめん」 「ちょっと、ちょっと!」 「冗談なんだから、真に受けないでよ」 「本気との境目が分かりにくいんだけど……」 小声で苦情を漏らしていると、夕梨の目が光る。 「何か文句でも?」 「いや、何も言ってないけど……?」 「そっか♪」 「それなら、笑顔で見送ってあげる」 僕までもが不思議な朗らかさに包まれる、とびきりの笑顔だった。 「舜……」 「本当はまだまだ、話し足りないけど……」 「またね」 「うん……」 「本当にありがとう、夕梨」 僕は夕梨に背を向けて、歩き出した。 今日も空は青くて広い。 快晴で良かった。 もし雨だったら、その中に紛れて泣き出してしまったかもしれない。 僕を待つシロネの元へ帰ろう。 手紙は書けなかったし、上手く話せる自信も無い。 分かって貰える確信なんか、もっと無い。 だけど、僕は帰るんだ。 そして、話そう……。 僕と彼女の、幸福について―― 「お兄ちゃんがトリノになってくれて、わたし……」 「とっても嬉しかったです」 ハンモックが微かに揺れている。 2人寄り添うと窮屈にも感じるけど、僕はそれを心地良いと思った。 「長い間迷っていましたけど、ベストな選択だったと、わたしは思います」 僕は、シロネの言葉を頷きながら聞いていた。 この胸の中は、シロネへの愛しさで一杯だった。 「僕の――」 「いや、オ{・}リ{・}ジ{・}ナ{・}ル{・}の選んだ道は正しかったんだ」 「命の終わりが見えてしまった以上、そもそも多くの選択肢は残されていませんでした」 「死を受け入れるか、トリノに夢を託すか」 「わたしの愛したお兄ちゃんは、あなたがわたしを愛すことを願ったんですね」 そう、僕は“トリノ”と呼ばれる高性能アンドロイド―― いや、人類の新しい姿と言ってもいいかもしれない。 僕の中に宿った記憶と心は、正常に機能しているようだ。 「シロネ……」 「はい?」 「なんだか、悩ましい表情をしてますね」 「そうだろうな」 「今すぐ、君を抱き締めたいんだから」 「まだ、ダメですよ」 「シロネの頭を撫でたい」 「ここに僕が居て、君がここに居ることを確かめたいんだ」 シロネは僕を制止しながらも、嬉しそうに笑った。 「あっ!」 「空を見てください……」 「今夜も、無数の星と、白い鳥……」 「ああ、綺麗だな」 「わたしが初めて見た景色と同じです」 シロネと一緒に居るからなんだろう。 余計にロマンチックに見えてしまう。 「あの星の光が消えてしまっても、一緒に居よう」 「……星の光?」 「永遠に生きて、永遠に愛し合おう」 「僕達は、ずっと一緒だ」 「今も、これからも……」 「ふふふ、お兄ちゃんったら……」 シロネは静かにハンモックから降りて、一歩前に進んだ。 「どうしたんだ、シロネ……?」 その背筋はぴんと張りつめ、氷のように冷え冷えとしている。 あからさまに、僕を拒絶しているのが窺えた。 「わたし達は永遠を旅する存在」 「だったら――」 その先の答えは、既に分かっている気がした。 「今、一緒に居なくてもいいと思います」 「だって、わたしとあなたには、明日も明後日も、その先もあるのだから」 「シロネ……」 驚きながらも、胸の痛みに懐かしさを覚える。 彼女に突き放されたのは、これが初めてじゃない気がして……。 オリジナルの記憶を紐解くと、幾つかのサンプルが検索に引っ掛かった。 「一緒に居るのは、今じゃなくてもいいでしょう」 「またいつか、どこかで、一緒に暮らしたらいいじゃないですか」 「でも、君と添い遂げることがオリジナルの夢だった」 「僕の使命は……」 「僕が作られた意味は、その願いを叶えることなんだ」 「かわいそうです……」 その声は心の底から僕を哀れんでいるようだった。 それが逆に、僕の心を傷つける。 「アンドロイドという既成概念に囚われているんですね」 「まるで、過去のわたしみたいです」 「“三原則”なんて、わたしたちには有って無いようなものなんですよ?」 「でも――」 「記憶の持ち主とあなたは、同一体では無いんです」 シロネは僕の言い訳を掻き分けて、話し続けた。 「あなたも、わたしと同じトリノなのだから、自分の意思で行動したらいいんです」 「そうじゃなきゃ、なんのための自我ですか?」 シロネの声は酷く乾いている。 「わたしの言ってること、間違っていますか?」 「……分からない」 「なら、いっそ思い出だって、捨ててしまったらどうですか?」 「思い出って……?」 「オリジナルの記憶――」 「他人の記憶のことですよ」 「他人の記憶って、そんな……」 「そんなもの、無闇に重いだけで、余計なメモリを消費してしまう」 シロネが“他人”と言ったのは、僕のことじゃないのに、酷く寂しい。 「わたしたちには、永遠の時間があるんですよ」 「思い出なんて、また作ればいいじゃないですか」 「そんな簡単な話じゃない」 「思い出は欲しがったって、手に入れられるものじゃないんだ」 「……でも、誰もが当然のように持っているじゃないですか」 「だけど、みんなが同じ記憶を持っているわけじゃないんだし――」 「お兄ちゃんの話は、わたしには難しいようです」 「そんなことない」 「根気強く話し合えば、きっと分かり合える」 「今、その必要はありません」 「また今度、話しましょう」 「もう、行かなくちゃいけないので」 あっさりと対話を諦める姿勢に、言葉を失う。 僕が愛した彼女は、もっと他人の気持ちに誠実だったはずだ。 「お兄ちゃん」 「さようなら」 そう言って振り返ると、シロネは微笑んだ。 なんだか、作り物めいた表情だった。 あんなに好きだったシロネのことが、マネキンのように見える。 去っていく背中を、僕は見送ることしか出来なかった。 瞬きをすると、一面を覆い尽くしていた星空は消え失せていた。 「あれ……? シロネは……?」 「ていうか……沙羅のところに居たはずじゃ……」 「やっと、目覚めた……」 「沙羅、いたのか……」 「ここは……病院?」 無機質で寂しい天井が、ここが病院であることを教えてくれた。 「もう、3日も寝ていたのよ」 「3日……!?」 「そんな、嘘だろ……」 「こんなつまらない嘘を吐くわけがないでしょう」 「ねえ、舜、聞いて」 沙羅は真剣な眼差しで僕を見つめている。 「あなたを“トリノ”にしたいの」 「わたしなら、きっと出来るわ。時間はほとんど残されていないけど……きっと」 「僕がトリノに?」 それは、一度は僕が望んだことだ。 トリノになり、シロネと生き続ける。 一度は夢見た理想。 でも……。 「沙羅」 僕はひとつ呼吸を置いた。 「僕は、トリノにはならないよ」 声に出してみて、気持ちが固まることって多い。 なんだか熱いものを胸に感じながら、大きく頷いた。 「え?」 僕の中には、まだこんなにも強い気持ちが残っていたんだ! 驚きながらも、もう一度言葉を繰り返す。 「僕は、トリノにならない」 そう、夢で見た通りだ。 だから、僕はトリノにはならない。 僕が僕であるために。 「なんで? そんなの納得出来ない!」 こんな強い口調で感情を露わにする沙羅は珍しい。 「あなたはこのままじゃ死んじゃうのよ? もう終わりは、すぐそこなの」 「たとえ起きられなくなったとしても、あなたの脳が動いている限り、トリノになれば、再び起き上がれるかもしれない。だから……」 「だから、お願い……あなたを――」 「ありがとう。沙羅」 沙羅の懇願を遮った。 「……」 沙羅は、僕の表情から何かを悟ったのだろう。 それ以上何も言わなかった。 長い沈黙が続く。 「ねえ、舜」 しばらくして、沙羅は重い口を開いた。 「あのね……」 「私が告げるべきことなのか、分からないけど――」 「沙羅、もう僕は決めたから、何を言われても驚かないよ」 「うん」 両の瞼を、静かに閉じてから切り出す。 「あなたは、次に眠ったら、もう二度と目覚めないだろうって……」 「そう、百南美先生が言ってたの……」 「うん。なんとなく分かってた」 「私……」 「私は――だからっ!」 沙羅の声が震えている。 「教えてくれて、ありがとう」 「沙羅には、大変な役目ばかり負わせてしまって……ごめん」 「……っ」 「ルールを破って記憶を抽出させたのは、僕が望んだことだから」 「気にしないっていうのも無理だろうけど、君にはあまり思い詰めて欲しくない」 「でも、“トリノ化”に向けた可能性を示唆したのは私」 「やっぱり、私にだって罪はあるわ」 「あの時は僕もトリノになったらいいのかも? って考えてたし」 「沙羅は、自分の夢を実現させるために、ベストを尽くしていただけだ」 「だから、君のせいじゃない」 「……私は、いつでも身勝手な選択をしてる」 「そうは思わない」 僕は感情を込めて、首を横に振った。 「少なくとも、僕は君のことを非難したりしない」 沙羅がどんな想いでトリノプロジェクトを前進させてきたのかを、知っているから。 「自分のことを恨めないなら、どうしたらいいの……?」 「どうして、舜がこんな目に遭わないといけないの……?」 「やっぱり、こんなこと納得出来ない」 「だったら、ひとつ僕と約束してくれないか?」 「約束?」 「トリノのこと、諦めないでくれ」 「え?」 「僕の居なくなった世界でも、シロネのことを頼むよ」 「そして、いつか、人間のために、トリノを完成させて欲しいんだ」 「舜……」 僕のほうこそ、自分勝手な願いを彼女に迫っている。 その自覚はあった。 「……研究者の性{さが}ってものなのかもしれない」 「こんなに悔しくて、悲しいのに……」 「あなたに言われなくても、私は前進し続けるって……」 「絶対にトリノを完成させるって……言いたくなってしまうわ」 声は震えているのに、とても力強かった。 人間の芯の強さは、こういう時に出るものなんだ。 「たとえそれが、その場しのぎの言葉であってもね……」 「だったら、安心出来る」 「やっぱり、沙羅はそういう人間なんだな」 僕はほっと安堵の息を吐き出した。 病室に誰かがやって来たようだ。 沙羅は、口元に笑みをたたえて、去っていった。 「シロネ、久しぶりだな……」 暗い部屋の中で見るシロネの髪は、僅かに光を発しているように見えた。 「……ずっとずっと、考えていたんです」 珊瑚色の瞳は、弱々しく不安げに揺れている。 沙羅のような頼もしさは感じられない。 「どうして人間は、簡単に壊れてしまうのか……」 「そして、なぜそれを容易に受け入れようとするのか……」 「わたしには、分かりません」 “分からない”と言った声には、静かな怒りが滲んでいる。 病室の空気が張り詰める。 「お兄ちゃんの傍に居られない」 「時間を共有して過ごすことが出来ない」 「だったら、わたしが生きる意味なんか、無いじゃないですか」 「……なんで、そんなことを言うんだ」 こうして死を待つだけの僕には、シロネの生きる力でさえ、眩しく思える。 「わたしは、お兄ちゃんのために生まれた」 「お兄ちゃんを愛することが、わたしの一生なんです」 「それは、アンドロイドとしての使命だけじゃないんです!」 「恋人として、寄り添う存在としての、道{みち}標{しるべ}なんです!」 もしかしたら、シロネには自分が見えていないのかもしれない。 こんなにも輝いて見えるシロネ自身が、長い道{みち}行{ゆき}の目印になる。 そんな可能性に、彼女は気づいていないんだ。 「それを失ってしまったら……」 「お兄ちゃんが消えてしまったら……」 「わたしは、どうやって歩いて行けばいいんですか?」 「答えなんて……どこを探しても、ありはしなかった」 「昔……」 「いや、そう遠くない昔に、シロネは言っていたよね」 「ロボットは死なないから、自分には運命が無いんだって」 「確かに言いました」 「わたしは、枯れて命を全う出来る花のことが羨ましかった」 花を見つめるシロネの横顔を思い出す。 あの頃は、こんなことになるだなんて、夢にも思わなかったな。 「看取って貰えるから、悼{いた}んで貰えるから……」 「命あるものは美しい……」 「でも、あなたの運命はあまりにも悲し過ぎて……」 「どうしたら受け入れられるのか、さっぱり分かりません!」 シロネは僕から目を背けた。 そうすることで、自分の感情を必死にコントロールしようと試みているのかもしれない。 「わたしにも運命があったら……」 「運命があったら、一緒に逝けるのに……」 「シロネにだって、運命はあるよ」 「えっと……」 「……どういうことですか?」 「シロネは自分の運命を、自分で決めることが出来るはずだ」 「生きるって決めたんだろ? 僕と君の幸福について考えるために」 「お兄ちゃんが居ないなら、その問いに意味なんか無いんです」 「答えを知ったところで、なんになるっていうんですか?」 「お兄ちゃんはもう、どこにも居ないっていうのに?」 「そんなことない!」 「僕の願いは、いつか答えを掴むこと」 「僕は命題とひとつになって、シロネの中で生き続ける」 「命題と……ひとつに?」 そうだ。 僕はシロネに問い続ける。 僕と君のあるべき幸福とは、一体なんだったのか。 「シロネなら、きっと答えに辿り着けるよ」 だから、僕はシロネが逞{たくま}しく生きることを、心から祈る。 それはきっと、今{・}は{・}ま{・}だ{・}選ばれない道なんだと、分かっていたとしても。 「お兄ちゃん……」 「そんな勝手なことばかり、言わないで……」 「エゴイズム上等だよ」 「僕にはもう、そんなわがままくらいしか、君に遺せない」 さっきまで見ていた夢を思い出しながら、シロネとの対話を続けた。 「人間は弱く脆い生き物だ」 「もし永遠に生きられるとしたら、生きる意味を求めなくなるんじゃないか?」 「シロネと一緒に生きたいと思わなくても、結果的にそうなってしまうのだとしたら、その大切さをきっと失ってしまう」 「そう思ってしまう僕には、まだ永遠を手に入れる資格が無いんだろう」 「……だから、トリノにはならないんですね」 ゆっくりと頷く。 「僕はトリノにはならない――」 「いや、なれないよ……」 「ごめんな、シロネ……」 謝罪の気持ちは本心だ。 自分のことが情けなくて不甲斐なくて、たまらない。 「わたしだったら、その永遠を乗り越えて……」 「あなたのことを、愛し続けられると言うんですか?」 「そうだよ」 「お兄ちゃんは、永久の時が生む障害を、克服しようとは思わないんですか?」 「そちらの道で、努力はしてくれないんですか?」 目の前に居るのは、本物のシロネなんだと思った。 こんなに馬鹿げた話を、真摯に受け止めて、全力で言葉を返してくれる。 「どうして、諦めてしまうんですか!?」 「一緒に、問題を解決していったらいいじゃないですか!」 強くはないけれど、純粋な眼差し―― 「今の僕じゃ、限りある命の中で、シロネを愛すことしか出来ない」 「それが、自分の精一杯だ」 僕の愛すべき彼女が、ここに居るんだ。 シロネが、ここに居る。 「そんなに、はっきり言われてしまったら……」 「もう、どうしようもないじゃないですか……」 「すまない……」 「わがままを許してくれとは言わないよ」 「分かってます」 「だって、お兄ちゃんは間違ってないんだから……」 「謝る必要なんてないんです……」 だから、心の中でシロネに詫びる。 悲しい思いをさせて、ごめん。 言葉に直すと、伝えたい気持ちのほとんどが消えてしまった。 「……わたしは、お兄ちゃんの意思を尊重しようと思います」 「お兄ちゃんの恋人として……」 「七波シロネとして……」 「それが、お兄ちゃんの幸せに繋がっているのなら……」 「でも、こんなに早いお別れなんて、悲し過ぎる……」 「うん……」 「わたしたちが求めていた幸福はこんなものじゃなかったのに……」 「うん……」 「でも、今を必死に生きようとしているお兄ちゃんが、どうしようもないくらい、愛おしいです」 シロネの顔は、強い悲しみを訴えている。 「海が見たいな……」 「連れてってくれないか……?」 楽しい思い出ばかりじゃない、あの海原が―― どうしても見たくなった。 肌の火照りはとうに静まっている。 僕たちは寄り添って、朝日が昇るのを待っていた。 徐々に沈黙が堆積していくのを、僕は穏やかな気持ちで受け止める。 心には幸せが満ち溢れていて、もう不安はどこにも無い。 動じたりもしない。 もしかしたら、そうする気力が残されていないのかもしれないけど。 それはそれで、幸福なことなんだろう。 「わたし……」 シロネが思い詰めたような表情で口を開いた。 「お兄ちゃんが思っているような、強い生き物じゃないです」 「“生き物”なんて言ってしまうのも、おこがましいくらいですけど……」 「うん。知ってるよ」 「シロネに強く生きて欲しいというのは、僕の願望だ」 「わたしに生きて、答えを見つけて欲しいと、お兄ちゃんは願っている」 「そういうことですよね?」 「うん」 すべてを受け入れてしまった僕―― そんなのは、嘘っぱちだ。 本当は怖い。 どうしようもないくらい、怖い。 シロネを置いて逝くなんて嫌だ。 「お兄ちゃんの願い……」 「叶えてあげたいです」 でも、もう時間は限られているじゃないか。 だったら、せめて強がっていたい。 最後まで、人間として生きていたい。 シロネの行く末に、光を見出していたい。 死という果てのない旅路には、幾つかの希{みち}望{しるべ}が必要なんだ。 「でも――」 「そんなこと、わたしに出来るでしょうか?」 「こんなに、弱くてちっぽけなわたしに……」 「本当のことを言ってしまうと……」 「僕にも、分からない」 「でも、シロネが“頑張って見つける”って言ってくれたら、嬉しいよ」 「そんなことでお兄ちゃんが喜んでくれるなら、そう言ってみたい」 「でも、約束は果たさないといけないので、軽々しく口には出来ません」 シロネは生真面目な顔で眉根を寄せた。 「シロネはどこまでも真っすぐだな……」 口の端から笑い声が漏れる。 「笑いましたね」 「わたし、何かおかしなことを言いましたか?」 「ううん、別におかしくはないよ」 「シロネらしいなって、思ってさ……」 普通の人間だったら、嘘でも“お兄ちゃんの願いを叶えてみせます!”とか口走ってしまうんだろう。 だって、目の前の男は死にかけている。 どうせ結末を見届けることは出来ないんだから。 「なら、いいんですけど……」 シロネは安堵して微笑む。 「朝になったら、新しい花を家から持ってきますね」 「お兄ちゃんも、わたしが育てた花が一番綺麗だって思うでしょう?」 「そうだな」 「シロネが一番綺麗だ」 「はうっ!」 「そんな、大胆なこと……はわわっ!」 顔を真っ赤にさせて慌てふためく姿には、笑いを抑えることが出来なかった。 「お兄ちゃんったら、すっかりプレイボーイです……」 「思ったことを口にしただけなんだけどな」 「ああ、もう……」 「こうやって、わたし以外の女の子にも愛を囁いたりするんですね」 「お兄ちゃんの成長を、受け止めきれません……」 「それは、無いよ」 真剣な眼差しで、精一杯訴える。 愛する君に、信じて欲しくて。 「愛しているのは、シロネだけだ」 「さっきも言っただろう?」 「……はい」 「そうでした」 肌を重ね合わせた時を、思い出したのかもしれない。 シロネの頬が、ぽっと朱に染まった。 「わたしは、本当に幸せ者です……」 そんなシロネのことが愛おしくて、頭を撫でたくなった。 手を伸ばそうと、腕に力を入れる。 「……あっ」 腕が動かない。 気がつくと、視界は輪郭を失い滲みぼやけていた。 「お兄ちゃん……!?」 驚いて、シロネが僕の手を握る。 シロネの手が、こんなにも熱いだなんて……。 知らず知らずのうちに、僕の身体は冷えていたらしい。 「お兄ちゃん、しっかりして……!」 「シ、シロネ……」 声を出すのも苦しい。 舌が痺れたみたいに、言うことを聞かない。 「お兄ちゃんの命が、消えていくのが分かります……」 「壊れそうなくらい、悲しいはずなのに……」 「どうして、涙が出ないの……!?」 憤りを自身にぶつけるように、シロネは嘆いた。 「今、この時以上に、辛いことなんてないのに!」 「やっぱりダメです!」 「居なくならないで、お兄ちゃんっ!!」 強い力で、抱き締められる。 まるで、僕の魂にすがるかのように―― 「わたしには、お兄ちゃんが必要なんです!」 「お兄ちゃんが居なきゃ、強くなんてなれない……」 「笑ったり、出来ないんです……」 恨めしさも、 悲しみも、 身体からすっかり消えてしまった。 「お願いだから、傍に……居てください」 「お兄ちゃんが居ないなんて、無理です……」 「ダメなんです……」 誰が決めたのかも知らない。 その“誰か”を憎む気持ちもない。 ただ、僕はもう行かなきゃいけないんだ。 「お兄ちゃん……傍に居て……」 僕は末期の言葉を発するために、大きく息を吸う。 「いつか、君は僕の気持ちを……」 「分かってくれるって……」 「信じている」 「お兄ちゃん……」 白い腕に身体を預けると、ふわりと宙に浮く。 身体の隅々まで、温かくて柔らかいものに包まれている。 そんな感覚だった。 「い、嫌っ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「お兄ちゃんっ!!」 「……お兄ちゃん」 「お兄ちゃん……」 「……」 「……」 「お兄……ちゃん……」 海までの道のりは、今の僕にとって決して楽なものではなかった。 手を引かれながら、ゆっくりと歩くのもいい。 僕が望んだ場所なのに、辿り着けなくてもいいんじゃないかと思った。 ずっと2人で歩いていられたらな……。 そう願ったまさしく瞬間、僕らの目の前に大海原が広がり、海辺に着いたことを悟った。 「お兄ちゃん……」 なんの前触れも無く、シロネは衣服を脱ぎ捨て一糸纏{まと}わぬ姿になった。 呆然とする僕の耳に、規則正しく、波の音が響く。 月光が僕らを照らしていて、彼女の白い肌は真珠のようにまばゆく輝いていた。 「……お兄ちゃん」 何を言ったらいいのか分からない。 そんなもどかしさを湛えて、シロネが僕を呼ぶ。 僕は黙ったまま、シロネを見つめていた。 「……お兄ちゃん、何か言ってください」 「……うん」 そう答えたきり、次の言葉が出てこない。 「緊張しているんですね……」 「わたしも、同じですけど……」 でも、同時に僕は興奮している。 「上手く言えないんだけど……」 「それでも、構いません……」 「わたしは、お兄ちゃんの声が聴きたいです」 「思っていること、考えていること、なんでもいいから……」 辺りは静寂そのものなのに、僕らだけはヒリヒリとした焦燥感に包まれていた。 「……僕は、シロネのことを抱きたいと思っている」 「はい……」 「だけど、そういうことだけじゃないんだ……」 僕の望みは、ペニスを彼女の中に挿入することだけではない。 「痛みや、怯え、遠慮する気持ち、そういったものから解き放たれて――」 「互いの存在を、求め合いたいんだ」 「“互いの存在を求め合う”……?」 「僕は、セックスを通して君を満たしたいんだ」 「それが、お兄ちゃんの理想のセックスなんですか……?」 “子孫を残したい”“自分が幸福になりたい”という本能が人を恋愛に駆り立てる。 でも、それに囚われていたら―― 本能だけで動いていたら―― 僕は、シロネのことを、こんなに好きにならなかったと思う。 もちろん、きっかけは見た目や性格、妹の記憶を引き継いでいることだったかもしれないけど……。 「僕は、ありとあらゆるエゴを超えて、君とひとつになりたいよ」 「わたしも、お兄ちゃんとひとつになって、幸せだなって思って欲しい」 「わたしの望みは、お兄ちゃんを幸せにすること……」 「それは、今も昔も、やっぱり変わらないんです」 僕は、嬉しくなって微笑む。 「シロネは、初めからエゴイズムから解放されていたんだな」 「僕が1人で、ジタバタしていただけで……」 脳裏に様々なことが蘇る。 思い出の中の紅い瞳は、いつでも僕を見つめていた。 時に慈しみを持って、厳しさを持って……。 「そのジタバタだって、意味のあることだったんです」 「だから、今のお兄ちゃんが居るんですよ」 「今の僕は――」 終わりの近づいている、この僕は……。 「ほとんど空っぽで、そんなこと出来るのかなって不安だけど……」 「大丈夫です」 「きっと、大丈夫にしてみせます」 「わたしが居るんだから、大丈夫……」 シロネは呪文のように何度も同じ言葉を繰り返して、自分を支えているようだった。 「わたしが、お兄ちゃんのことを満たす」 「そうしたら、お兄ちゃんが今度はわたしを……」 「その、繰り返しです」 ゆっくりと語り掛ける声が、優しさと温もりを持って耳に届く。 「お兄ちゃん……」 「わたしの傍に来てください」 シロネに抱き寄せられるようにして、互いの体温を感じ合う。 彼女の肌は、しっとりしていて手によく馴染む。 「温かい……」 「お兄ちゃんを、抱き締めているだけなのに……」 「もう、こんなにも幸せなんです」 「幸せか……」 僕は、口元に微笑みを浮かべた。 「温かいって、それだけで、幸せなことです」 「お兄ちゃんも、わたしのおっぱい、温かいですよね?」 「……そ、そうだね」 無意識のうちに、シロネの胸を掴んでいた。 「息を、大きく吸ってみてください」 「え?」 「いいから、思いっきり吸い込んでみてください」 「……分かった」 双丘の谷間で深呼吸をする。 その匂いや空気に感触があるとしたら、僕は“柔らかい”という言葉がふさわしいと思った。 「幸せな気持ちになりませんか?」 「うん……」 「正直、今すぐ舐め回したいよ」 「っ……!」 「お兄ちゃん、ちょっと正直過ぎます……」 シロネは戸惑ったように感想を漏らした。 僕は、もう片方の手でピンク色の突起を責める。 「あっ……」 指先で挟み込むようにして、刺激を与える。 「ああっ……そこっ、あっ、んんっ……」 「舐め回したかったんじゃ……ふあっ、あっ、あんっ……」 「その前に、いろいろ下拵{ごしら}えを……」 「はあっ、んっ、あっ……んんっ、くうっ……ふ、ああ……」 「下拵{ごしら}えって……はっ、ああんっ、んんっ、ふっ……」 「わたしはお料理の食材か、何か……なんでしょうか……?」 今度は、少し力を入れる。 きゅっと乳首を摘まんで反応を見る。 「ふっ、はあんっ……ああっ、あっ……んんっ、くっ……」 「お兄ちゃんっ! あんっ、ふあっ、あああんっ、駄目っ!」 バストトップから手を放す。 「痛かった……?」 「ち、違います……そんなに、痛くはっ、なくてっ……」 「き、気持ちいいんです……」 「乳首、コリコリってされると、胸が、きゅって……なっちゃうんです……」 「そういう、素直な反応っていいな」 「……いい、ですか?」 僕は、どんどんと気持ちが昂ぶっていくのを感じた。 “きっと、大丈夫”という、シロネの言葉を思い出す。 ここからは、一気に駆け抜けたい。 「あふっ、ああっ……ふぁっ、あんっ……ん、ああ……」 「んんっ、く、ふうっ……お兄ちゃん、気持ちいいっ……」 「乳首、ああんっ! もっと、触ってくださいっ……」 望み通り、突起に触れる。 硬くなりつつあるそれを、摘まみ上げる。 「ふあんっ、はぁんっ……あああっ、あふっ、んっ……!」 「お兄ちゃんに、乳首っ、きゅってされるとっ、あんっ!」 「あっ、あっ……! ふあんっ! えっちな声が止まりませんっ……」 吸い寄せられるようにして、口を近づけた。 「はうっ……ああっ!」 乳首を口の中に含み、舐める。 「お、おっぱい……乳首、舐められてっ、あんっ、んっ、あっ……はあっ」 「ふぁっ、あんっ……ああ……これも、気持ちいいですっ……」 シロネの胸を片手でまさぐると、適度な弾力を感じた。 「お兄ちゃん、おっぱいっ……こんなに触ってっ……」 「ああんっ、んっ、はあっ……くっ、ああっ!」 「どんどん、高まってしまいますっ……あんっ、はぁんっ」 手のひらに少し力を込めると、指が沈んでいく。 白い肌は自ら吸い付くかのようだった。 「んうっ、ああっ、はあんっ、おっぱい……わたしの、おっぱいっ」 「こ、こんなふうになるだなんてっ……あんっ、んっ、あああっ」 こんなにもっちりとしていて心地いいものに、触らずにはいられない。 無心になって胸を揉みしだく。 「ふ、あんっ……あふっ、んっ、はあっ……」 「ま、またっ……おっぱい、そんなに力強くっ、あっ、駄目っ……」 「だ、駄目ですっ、あんっ! ふっ、んっ、あはっ……」 互いの汗のせいだろう。 さっきよりも、肌触りがしっとりとしている。 「んっ、はぁっ……ああっ……ふあっ……あ、んん……!」 「お、お兄ちゃんの舌が、わたしの、乳首をっ……ふっ、あっ……!」 乳首のことだって、忘れてはいない。 嫉妬されないうちに、強く吸い付く。 「もう、ああんっ……そ、そんなに必死に吸わなくても……」 「わたしのおっぱいは、どこにも行きませんよっ……はっ、あんっ……!」 わざと、ちゅぱちゅぱと音を立てるようにしてみた。 「はあっ、ああっ……まるで、赤ちゃんみたいに、ちゅうちゅう、吸って……ふあぁっ」 「あっ、んんっ……あふっ、んっ! あああっ……」 「でも、赤ちゃんと違って、いやらしい、ですっ……はうんっ、あっ、くうっ」 シロネが刺激に耐えかねるように、身じろぐ。 「じれったくて……んんっ、あっ、ああああっ!」 「ああんっ、あっ、あっ……おっぱい、も、もどかしいです……!」 いっそのこと、もっと気持ち良くしたほうがいいのかもしれない。 今度は口と手の両方を使って、彼女を愛撫する。 「ひゃんっ!? んんっ、あああっ……!」 「そ、そんなっ……両方の乳首をっ! ああんっ、んっ、ふっ!?」 「お、お兄ちゃん……わたし、ビクビクしちゃいますっ……!」 舌先を尖らせるようにして、先端を突{つつ}く。 「ああんっ、あっ、あっ……はあんんっ!」 べろりと舐めてから、ちゅうっと吸う。 乳首をつねるようにして、摘まみ上げる。 「んんっ! あふっ、んっ、あっ……ああっ……」 「わたしの乳首っ、はああんっ、あっ、あっ!」 「ふっ、あっ、んんん……! お兄ちゃんに、エッチにされちゃっていますっ……!」 シロネのピンク色の突起は、既に硬く尖っている。 口の中で転がすと、刺激に反応して彼女の身体が小刻みに跳ねた。 「んんんっ……!」 「はああっ、ああんっ! それ……くりくりってされるの、すっごく……好きですっ」 「はあっ、ああっ……お願い、もっとしてくださいっ……!」 請われた通りに、素早く舌を動かす。 「ひゃあんっ!?」 何度も何度も往復して、可愛がる。 「んっ……ああっ、あああっ……んんっ、くうっ……!」 「またっ、乳首っ……コロコロって、されて……ビクビクしちゃうっ……!」 テンポ良く乳首を弄る。 硬さを増したそれは、クリクリと動いた。 「はうんっ……! んんっ、ああっ、はあんっ……」 「お兄ちゃん……も、もう……駄目ですぅ……」 「わたし、もう……駄目になっちゃいますぅ……!」 シロネの熱い吐息を肌に感じる。 「乳首っ、弄られただけで……あああんっ!」 「イッちゃうの……! イッちゃううっ……!」 「あふんっ、んんっ、くうっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 シロネが腰をくねらせ、いやいやと逃れようとしたので、ぐっと引き寄せる。 胸に顔を押し付けるようにして、全力で吸い付き、絶頂を導く。 「あ、あっ、お兄ちゃん! それは駄目ですっ……! わ、わたし、乳首感じちゃって……んあああっ!」 「もう駄目っ……はあ、あっ!? 何か、すごいのが来て……」 「ひゃああああああぁぁぁ……っ!?」 びくんと一際大きく跳ね、くったりと力が抜けていくシロネを両腕で支える。 「あうっ……は……はあ……ああっ……」 「ちょっと、びっくりです……はあ……」 「おっぱいだけで、イッちゃうなんて……恥ずかしい……」 「シロネが気持ち良くなってくれるのは、嬉しいけど」 「そう……なんでしょうか……」 「うん……じゃあ、お兄ちゃんも……」 そう言って、シロネはしゃがみ込んで、上目遣いに僕のほうを見上げた。 僕は自らの衣服を脱ぎ去り、猛ったモノを彼女の目の前に晒す。 「ああっ……」 溜息のような感極まった声を出して、シロネは歓びを表した。 「お兄ちゃんの、おちんちんも……もう、こんなに立派だったんですね……」 「そうだよ……」 「乳首だけで果ててしまったシロネのことが、愛しくて堪らなくてさ……」 「だ、だって……あんなに、されたら誰だって……」 「それとも、わたしが変なんでしょうか……?」 シロネの口が動く度に、呼気が一物に伝わる。 そのくすぐったさを堪える。 「そんなことないって……」 「そうですよね……」 「大好きな人に身体を触られたら……あんな敏感なところを刺激されたら……」 「気持ち良くなってしまうのは、当然ですよね……」 シロネはほっとしたように独り言{ご}ちた。 「お兄ちゃんの敏感なところも、わたしの舌とお口で、いい子いい子してあげますね!」 生暖かい舌が、ペニスに触れる。 「んんっ……ちゅっ、んん……ちゅっ、ちゅっ、れろっ」 「くっ……」 竿に沿わせて、ゆっくりと舐め回す。 「ちゅる……んんっ、ちゅ、ちゅっ……ぺろっ」 下から舐め上げられると、背筋がぞくぞくした。 「……ん、ちゅ、ぺろっ、ぁむ……んんっ」 「おちんちんって……あっつい……ちゅ……ぅ、ん……あふ、んっ……ん」 「こんなこと……いつ、覚えたんだ……?」 「覚えたわけじゃないです……」 「お兄ちゃんを気持ち良くしたいと思ったら、身体が勝手に動いて……」 「ねえ、お兄ちゃん……ちゃんと感じるでしょう?」 「うん……」 「……ちゅるっ、んん、ちゅ……ふあっ……」 「お口を使ったセックスも……いいでしょう?」 「ああ……」 ちゃんと答えたいけど、叶わない。 たどたどしい舌の動きが、予想外の快楽を与えてくる。 「んちゅ……ん、んんっ……ちゅっ、ちゅるっ」 「ちゃんと、裏のほうとか……横のほうとかも……んんっ、ちゅ」 「ぺろっ、ちろっ……わたしの舌で、なでなでしてあげますからね……」 裏筋を擦るようにして、刺激する。 「ふあっ、ちゅ……ぅ、ん……あふっ、んんっ……ちろっ」 「ちょっと、恥ずかしいですけど……ちゅるっ、ちゅっ……」 「お兄ちゃんが、気持ち良くなってくれたら……いいなって……」 「シロネ……」 献身的な言葉に、愛おしさが募っていく。 「先端部から、お汁が……」 「ちろ、ちろっ……ちゅる、れろっ……れろっ……」 「だらだら流れて……ぺろっ、ちゅっ、ちゅるっ……」 気持ちに合わせるようにして、先走りが溢れていく。 シロネはそれを舐め取っていく。 「ぺろっ、ちゅるっ、んん……あっ……」 「はあっ……んんっ、ちゅる、れろっ、れろぅっ……」 懇切丁寧に舐め上げられると、カウパーはますます溢れ出していく。 「ふあっ……えっちなお水が、止まりません……」 「んんっ、ふっ、ちゅるっ……ちゅ、んんっ、ぺろっ……」 快感に悶えて、くぐもった声が漏れる。 「ああっ……おちんちん、動きました……」 「お兄ちゃん、大好き……」 「わたしのお口で、もっとビクビクってしてください……」 舌先を尖らせるようにして、カリを刺激する。 「んんっ、ちゅっ、ちゅっ……ふっ、んんっ……」 「このくびれたところも、なんだか良さそうです……」 溝に這わせるようにして、舐める。 思わず、膝が震えてしまった。 「あっ、ふうっ……ぴちゃ、ちろっ……ちろっ……はあっ」 「お兄ちゃんのお汁……ちょっとだけ、しょっぱいんですね……」 嬉々として、シロネが率直な感想を述べる。 「ちろっ、ぺろっ、ふっ……独特な風味で、癖になりそうです」 「わたしの唾液と混ざって……お口の中、ぐちゃぐちゃです……」 「ん、はっ……れろっ、あふっ……ちゅる、ぺろっ……」 直接カウパーをすくいたいんだろうけど……。 それは、尿道口を責めていることに他ならない。 「ちゅる……んっ、ぴちゃ、ぴちゃ……ぴちゅ……ぺろ、ちゅるっ」 「はあっ、逞しい……お兄ちゃんのおちんちん……」 シロネはうっとりとした目で、僕の分身を見つめた。 息は上がり、頬はすっかり赤く染まっている。 「ちゅるっ、ぺろ、ぺろっ……ちゅっ、ぴちゃっ……」 「ちゅる、ちゅりゅっ……そうだ……!」 シロネの瞳が、なにか思いついたとばかりに輝く。 「お兄ちゃんのお汁は、ガムシロップより、ずっと素敵だって……」 「明日、沙羅ちゃんに教えてあげましょう……」 「そのためには、もっと堪能しなくては……」 「んんっ……」 シロネは口を大きく開けると、ペニスを頬張った。 「あむっ……んんっ、ちゅりゅ、ちゅ……じゅるるっ……!」 「ん、ちゅ……んあっ、ふっ……ずりゅっ、んん」 咥え込んだまま、強く吸われる。 小さな口の中で、ペニスが暴れた。 「んんーっ、ちゅ……ん、ちゅ、む……ふぁっ……、じゅ……じゅるっ……ふっ」 「はむ……ん、ああっ……うんん、んんんっ」 口全体を使って、吸い出そうとしてくる。 長く続けられたら、堪えられそうにない。 「ちゅ……う、んん! じゅる、ちぅ、うっ……んん、ちゅるぢゅる」 「んんっ、ふっ……ああっ、お、大きいっ……!」 シロネの頭が激しく前後して、ヒリヒリとした快感が肌を伝う。 「じゅぽっ、ぢゅるっ、ちゅっ……ちゅるんっ、じゅるっ!」 「ぢゅぷ、ぢゅぷっ、ちゅーっ……ぢゅ、ぢゅぷんっ!」 根元まで食らいつくようにして、口の中に収める。 激しく擦られながら、シロネの喉の奥に亀頭が当たるのを感じた。 「じゅるっ、ちゅぷっ! ちゅう、ぢゅっ、じゅるる……じゅぷっ!」 「んっ、はっ……ぢゅるんっ、じゅ、ぢゅぷ、ちゅぷん!」 いつの間にか、僕の腰もピストンを繰り返していた。 シロネの苦しさを考慮して、なるべくゆっくりとした挿入を心掛けた。 「ぢゅる、ちゅりゅっ……じゅりゅっ! んんっ……!」 シロネが眉根を寄せると、喉が狭くなる。 ぎゅっと締め付けられて、僕はため息を漏らした。 「あふっ……んんっ、ちゅぷ、じゅるっ……」 「ちゅぷ、ちゅるっ、ふっ……じゅぷ、じゅぷ……」 口の中で蕩{とろ}けてしまいそうだ。 極限まで追い込まれていくのに、とっても心地いい。 「くぅん……ちゅる、んん、んむ……ぢゅるっ、んっ、ふうっ……!」 「あむっ、ちゅぷ……ちゅ、ぢゅるっ、じゅぷ、ぢゅ、ぢゅーっ!」 一層深く咥えられて、一気に吸引される。 「じゅるっ、ぢゅぷんっ、ぢゅりゅゅゅーっ!」 「くうっ……!」 もう、我慢ならない。 「あっ……!」 「ふああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」 ペニスを引き抜くと同時に、射精してしまう。 シロネの顔に、白い液体が浴びせ掛けられる。 「あっ……はあっ……お、お兄ちゃんっ……!」 シロネは恍惚の表情で、それを受け入れた。 「はあ……っ、ああっ……」 「ふふふ……」 「お兄ちゃんも、イッてしまいましたね……」 頬を汚した精液を拭うことなく、シロネは満足そうに呟いた。 「そんなに、わたしのお口セックス……良かったですか?」 僕は荒い息を抑えながら、二三度頷いた。 「はううっ……」 「そんな、蕩けそうな顔をして……嬉しいです……」 「こんなつもりじゃなかったんだけどな……」 苦笑いを浮かべる僕に、シロネはフォローを入れる。 「わたしは、お兄ちゃんを気持ち良くしたかったから、これでいいのだと思います」 「声を堪えているお兄ちゃん……とってもセクシーでした」 「……そっか」 「でも……今度は、僕の番だ」 そう言って、シロネの身体に触れる。 シロネを服の上に横たえると、覆い被さるようにして彼女の顔を覗き込む。 「ふああっ……ああんっ……!」 確認するまでもない。 彼女の濡れた秘部は、容易に僕を受け入れた。 「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……あっ、あっ、ああっ!」 戸惑いながらも、シロネは快感に身をくねらせた。 「うっ、はうぅぅぅぅっ……!」 「あっ、いいっ……あっ、あああんっ!」 「ふっ、ああっ……お、お兄ちゃん……」 「おちんちん……また、おっきくなってますぅ……」 シロネのすらりと長い脚が僕の腰を絡め取って、引き寄せた。 「お兄ちゃんのおちんちん、わたしの中っ、ずぽずぽって……!」 「はあっ、んんっ、ああんっ……あっ、ふああっ!」 「ああっ、音がっ、いやらしい音がしてっ……んっ、あっ!」 早くも蜜壺はぐちゅぐちゅと卑{ひ}猥{わい}な音を立て始めていた。 まるで、僕を誘っているかのように。 「あんっ、ああっ、ああ……お兄ちゃんっ……!」 「お願いっ……」 「もっと、気持ち良くしてくださいっ……!」 大きく頷くと、それに応えるように深めに挿入する。 猛った男根は吸い込まれるようにして、沈み込んでいった。 「ああっ、はっ、ふあっ、ああんっ!」 「わたしが、お兄ちゃんのことっ……もっと気持ち良くしますからっ……」 奥を探ると、ぐちゅぐちゅと音が立った。 僕達が愛し合った証が、鼓膜を震わせる。 「あうんっ、んっ、くっ……ああ、あふっ、んんっ……!」 「お腹の中で、おちんちんが動いてっ……! はあっ、あふっ、あぁんっ!」 互いの体液が混ざり合う音―― それは、イノセンスな響きさえ湛えている。 「その……深いところっ、はあんっ、ふっ、あああっ、あっ……!」 「はうっ……ああんっ、あっ、おちんちん、熱くて、とっても、いいっ!」 「はうっ! んんっ、ああっ、はぁん……深いっ、そこっ……」 「やあんっ、あんっ、あっ! ……いいですっ、ん、そこ、そこですっ!」 シロネのおっぱいはやっぱり、柔らかくて……。 じんわりと温もりが、掴んだ手のひらに広がっていく。 「奥まで、入ってるっ……! 硬いおちんちんが、ぎゅうぎゅうに入ってますっ……!」 「あんっ、ふっ、はあっ……んっ、んんっ、はあんっ……!」 「あふっ、んっ、あああっ……」 「っ、ああああっ、んっ、はあんっ……熱いですぅ……」 「指先も、おまんこの奥だって、熱くてっ……んっ、はあぁっ!」 胸の谷間から、汗が流れていく。 それはシロネのものなのか、零れ落ちた僕のものなのか分からない。 「あんっ、ああっ……はあっ、あっ、あふっ、ん……」 「はあっ、ああっ……んっ、ふうっ……ああっ、ふあっ、あっ!」 「気持ち、いいんですっ……とっても、良くって、あぅ、んんっ、いっ、あんっ!」 「わたしが、こんなにエッチになっちゃうの……お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけですよ……?」 「分かってるよ」 僕がピストンを繰り返すと、二つのたわわな実りがぷるぷると揺れた。 「お兄ちゃん……ずっと、ずっと、好きでした……」 「はあっ、ああん、あ、はっ、あっ……好きっ……」 紅い瞳の奥が、切なそうに潤んだ。 「お兄ちゃんのことっ……好きですっ……!」 「あ、ああんっ、うっ……ああ、あ、ふあっ……! あぁっ、あああっ!」 「僕も、シロネのことが……」 “好きだ”という想いを込めて、子宮口と思われる最奥を突く。 「ひゃ、ああんっ……! ふっ、ああっ、くぅんんっ!」 「奥のほうっ、あっ、あ、ひゃぅんっ! コツコツ当たっ……当たってっ!」 「おちんちんっ、おっきいのっ、当たってますぅ……!」 「シロネっ……」 「ん、んん、あぁ、ふあぁぁ……あっ!」 「あああっ、ひああっ……んんっ、声、止まりませんっ! ふあっ、はうんっ!」 「ふああっ、あんっ! はあんっ、くっ、ふああっ!」 「おちんちんっ……おっきくてっ……あんっ!」 鼓動が早まり、息が苦しくなる。 でも、構うもんか。 「んっ……い、やあっ、あっ、あっ、あっ! お、奥ぅっ!」 「わたしの大切なところ、ずぽずぽって……ぐちゅぐちゅって!」 「もう、身体も、心も……おかしくなりそう……!」 グリグリと膣壁を抉るようにして、腰を動かす。 「わたしっ、そこっ……駄目ですっ……!」 僕は、このままがむしゃらに前へ進まなくていけない。 「お兄ちゃんっ、脚が、震えますっ……んっ、あっ、はあんっ!」 「はんっ、ああっ……! ふあっ、あ、ふっ、んんっ……!」 そうじゃないと、駄目になり無駄となる。 そんな柔な強さを振り絞って、僕はシロネを愛した。 「そんなに、ずぼずぼされたら……あっ、あっ、感じちゃってっ……!」 「また、おまんこっ、びくびくって……! そこっ、やんっ、ああっ!」 快感を貪るように、シロネの脚が僕を締め付ける。 息も絶え絶えだったけど、その瞳は喜びに満ちている。 「ふあっ、ああっ、ふあぁぁぁんっ……! ふああっ……あんっ……!」 「お兄ちゃんっ、どこにも行かないで、くださいっ……!」 「ああんっ、ふあんっ! わたしのことだけが、好きって言ってっ……!」 「シロネのことが好きだよ……」 「シロネのことだけを、見てる……」 「ひゃ、んんっ! いっ、ああっ! ふぁんっ! お兄ちゃんっ……」 「嬉しいっ……もっと、好きって言ってっ……くだしゃいぃっ……!」 「……好きだ」 シロネも、弾みを付けて腰を振る。 「ああんっ、ふあんっ! あっ、うああっ、ふあんっ!」 「お兄ちゃんっ……わたし、幸せですっ……」 タイミングを上手く合わせているんだろう。 ペニスが深く飲む込まれる度に、身を打ち震わせた。 「お兄ちゃんのっ、おちんちんの先っぽ、当たってっ! はぁんっ!」 「奥のほうがっ、きゅんって! ひゃ、あんっ、す、凄いれすっ……!」 「そこっ、ぐりぐりって、はあんっ! はうんっ、ふっ、ひゃあんっ!」 「しゅ、しゅごいっ! ああんっ、くっ、はあっ!」 呂律が怪しくなりながらも、シロネは悦びを訴え続けた。 それが、僕の歩みを後押しする。 「んんっ! あっ! あっ、ああっ! はああっ……!」 「そこっ、擦ったらっ……! ああ、あっ、ああんっ……」 「あんっ、あっ、くっ、あぁんっ……っあ、ああっ、んっく!」 感動が2人の身体を廻{めぐ}って、より強い官能を生み出していく。 セックスで互いを満たすというのは、きっとこういうことだったんだろう。 「んんっ、はうぁっ、あっ……はあんっ、ふあっ、あっ……!」 「お兄ちゃんっ……ああっ! つま先まで、痺れそうですっ……」 刺激に緩急を付ける。 時には掠{かす}めるように、時にはしぶとく押し付けるように。 「ふあ、ああっ……んっ、ふうっ……ああ……!」 「その動きっ、とってもいいですっ……! いやっ、ああんっ!」 「ん、んんぅ、はあんっ……! あんっ、あっ、あっ!」 「こ、こんなの……耐え切れませんっ! ひああっ……はあっ!」 長いまつげが、か弱く震える様まで愛おしい。 奥歯を食いしばって、荒ぶる息を殺す。 「あっ、ああっ……やんっ、ふあっ……ああんっ!」 「お兄ちゃん……ふあっ、はあぁっ、あっ、あああっ……!」 「んっ、はっ、あっ、ずっと一緒っ……! わたし達、ずっと一緒ですよっ……!」 欲望をひとつ超えたところで、シロネのことを求めている。 心の奥底からせり上がる想いが、胸を締め付けた。 「ああぁぁぁんっ! お兄ちゃん、愛してますっ……!」 「愛してますぅ……お兄ちゃんっ……」 「シロネっ……」 「はうっ、あっ、んんっ、ひゃあんっ、んっ、はあぁっ!」 シロネの膣内は僕を求めて、しきりにハグを繰り返している。 その小刻みな震えが、終わりが近いことを告げていた。 「んんっ、あっ、やんっ! お腹っ、響いてっ……!」 「はうぅん! もうすぐ、イッちゃうんですね……お兄ちゃんっ……!」 「はあっ、くぅんっ! あっ、あああんっ!」 「来てる……来てますっ! ひゃっ、あぁぁ、んんっ!」 シロネの脚は僕の腰を捉えて放さない。 それは、彼女の膣壁が僕のペニスを締め付けるさまに似ていた。 「んんっ、ふぁっ、ひっ、あっ、あっ、あっ、くっ、ああ、っあぁぁっ!!」 「ふあっ、あんっ、はうんっ、あぁっ! んっぁ! あっ、ひゃあぁぁんっ!!」 「お兄ちゃんっ……好きっ……んんっ、はっ……っくぁ……」 パンパンっと肉体がぶつかり合う音の中で、シロネは懇願した。 「愛してるって……言って……」 「わたしのことっ……あんっ……はあっ……ふああっ……!」 「わたしのことっ、愛してるって言ってくださいっ……!」 シロネは身体の中の力を集めて、声を発している。 細い肩が、涙する時のように震えている。 「そしたらわたしっ、わたしっ……! はあぁっ……あっ、あああっ……!」 「もう、それだけでっ……大丈夫なんですっ……!」 「大丈夫に、なりますからっ……ああんっ、ふあっ、あっ、あっ、あーっ!」 燃え上がりそうなくらい、身体が熱い。 僕は、瞳に力を込めシロネを見据える。 「愛してるよ……」 「シロネのことを、愛してる……」 「んあっ……あふっ……ああっ! お兄ちゃんっ……!」 「わたしも、ずっと……ずっと……愛していますっ……!」 膣内は激しく収縮した後、一瞬動きを止めた。 切ない叫びと共に、僕達は終わりを迎える。 「好き! 好き! 大好きっ、大好き……!」 「イク、イクっ! イッちゃいますっ! んぁぁっ、おまんこ、ぐちゃぐちゃにされて、ふあぁ、イッちゃいますぅ……!」 「あっ! あああっ! も、もうっ、イクっ! イクのっ!」 「ふっ、あっ……お兄ちゃん、お兄ちゃん出してっ! わたしの中で、いっぱい出して!」 「ああっ……だめ、だめっ……! わたし、わたし、妊娠しちゃうのっ……!」 「シロネ……!」 「あっ、あっ、あっ、あっ、ふあっ! くっ、ああああぁぁんっ!」 「駄目っ……! イッちゃううぅぅっ……!」 「あっ! ああああああぁぁぁんっ……!」 「ふあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」 小さな身体が跳ねるようにしなる。 ありったけの想いを、シロネに届けたい。 一滴残らず、彼女に捧げる。 「ああんっ、ふっ、ああっ! お兄ちゃんっ……お兄ちゃんっ……」 そんな気持ちで、ただただ射精し続けた。 絶頂を迎えたシロネは、長い喘ぎ声でもって、悦びを受け止めていた。 「あ、あっ……あああんっ! 熱いれすぅ……」 ペニスは射精を続けていて、最奥に子種をぶちまけていた。 やがて、快楽は少しの余韻を置いて、波のように引いていった。 「ふあっ……ああっ、はあっ……」 シロネの秘部は、漏れ出した精液で濡れていた。 ぽたり、ぽたりと白濁した液体が、滴り落ちていく。 「はあ、あ……お兄ちゃん……」 シロネの口元に微笑みが添えられた。 心底満足そうな微笑を見て、僕も安堵の溜息を吐く。 「シロネ……」 愛しい人の名を呼ぶまでに、暫く時間が掛かってしまった。 それくらい、互いに消耗していたし……。 言葉を必要としないくらい、満ち足りていた。 「お兄ちゃん……」 シロネもそれきり、口を噤{つぐ}んでしまう。 口に出して言わなくても分かっていた。 僕達は、限られた時の中で、精一杯愛し合った。 「……」 それが、本当に嬉しくて……。 ちょっと切なかったということを。 「……お兄ちゃん」 「なんだか、夢みたいです」 荒い息もようやく収まった頃、シロネが紅い瞳をこちらに向けて呟いた。 「これは、夢なんかじゃないよ」 「……これから朝がやって来て、世界が動き出す」 「世界という大きなうねりの中では、わたし達は、あまりにもちっぽけで……」 「取るに足らない存在です」 言いたいこともあったけど、僕は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。 眼差しで、続きを促す。 「でも、2人が愛し合ったことが……無意味だったなんて思えない」 「ああっ……」 感に堪えないというふうに、シロネは目を閉じた。 「わたしは、想像出来ます……」 「お兄ちゃんの命は、もう……」 言葉尻が震えるのを、シロネは必死に隠した。 「わたし達には、“いまここ”しか与えられていないというのに――」 「どうして、手の届かない過去や、見たことのない明日を想うのでしょう……」 「それは、神様が、人間とトリノに与えてくれた素敵な力だよ」 「お兄ちゃん……」 「悲しくて……嬉しい力だ……」 「わたしは、今は……嬉しいとは思えません」 シロネの手を掴む。 ゆっくりと指と指との隙間を埋めていく。 「……温かい」 「お兄ちゃんの手、温かいです……」 「想像の翼は、いつか君のことを助けるよ……」 「助ける……?」 「どうやって……?」 「それは……」 「今、伝えてもピンとこないと思うよ」 「……そんなこと、ないと思います」 「今すぐ教えてください……」 「想像することは、どんなふうにわたしを救うんですか?」 ムキになるシロネがおかしくて、微笑む。 それから、厳{おごそ}かな気持ちで口を開いた。 「僕が、居なくなっても……」 「君は、僕を、胸の中に思い描くことが出来る」 僕の肉体も、精神も、影すら失っても……。 君が未来を見据えて、 僕を呼ぶのなら、 きっと、帰ってくるだろう。 魂は、愛しい声の周波数を覚えている。 それから、しばらく経ちました―― あなたを失った悲しみは、沢山の人の胸にあって……。 涙に濡れる顔を一人一人思い出すだけで、さらに心の空洞が大きくなりそう。 身体の中のものが、すべて溢れ出てしまいそうなくらい悲しい。 それなのに、まったく涙することが出来ないわたしを―― 沙羅ちゃんは“あまりに悲し過ぎると泣けないこともある”と言って、慰めてくれたんだ。 そんな優しさが、ジワリと染みた。 今度こそ、“泣けるかな”と思ったけど……。 愛する息子を失った悲しみに暮れる、お母さんを見ていたら、泣くに泣けなかった。 わたしなんかが、泣いてちゃいけないと思った。 お母さん、全然寝れてないんだろうな。 せめて、口に入るものを作ってあげなくちゃ。 お風呂を沸かしたら、入ってくれるかな? お葬式の段取りを確認して……。 あっちと、こっちに電話をして……。 夕梨ちゃん、とっても顔色が悪い。 ふらふらしているから、支えてあげないと。 こんなふうに―― まるで、ただの家事をサポートするアンドロイドみたいに働いていた。 だけど、今日、お母さんは言った。 “シロネちゃんのお陰で、なんとかなった” “本当に、ありがとうね” やつれていたけれど、お母さんの笑顔を見るのは久しぶりだった。 気が付けば、海外から戻って来たお父さんが隣に居た。 互いの手を握り合う姿に、わたしはほっとした。 なんとなく、役目を終えた気がして……。 ああ、今夜もこの森は静寂に包まれている。 わたしは1人で手紙を書くために、この場所にやって来た。 手に持っているのは、もちろん、あなたに宛てた手紙。 あなたの遺骨は、白音さんと同じように、この森に撒かれている。 あなたはここを、“記憶媒体”だと言っていたっけ。 だったら、この場所には、あなたの記憶も溶け込んでいるに違いない。 そんなことを考えながら手紙を書いているうちに、いろいろな疑問が浮かんだ。 “この手紙は、いったいどこへ行くんでしょう?” “お兄ちゃんは……今、どこに居るの?” “本当に、わたしの中で生きているの?” 当然、返事はない。 虚しさだけが、足元から這い上がってきた。 手紙を読み上げてみても、その気持ちは消えなくて―― 強い風に煽られた拍子に、便箋は散り散りになって飛んでいった。 それはまるで、白い鳥の羽。 “あっ”と短く叫んで、わたしはそれを見送った。 追い掛けても、どうしようもない。 あの白い鳥のように、あなたは手の届かない場所に行ってしまったんだ。 あなたの傍に寄り添うことが、わたしの生きる意味だった。 あなたは、わたしの中に希望を見出そうとしたんだ。 “あなたとわたしの幸福とは?”という問いに、わたしが答えられる日が来ることを―― 永{と}遠{わ}に生き、あなたを愛し続けることを願って。 だけど、もういいんだ。 もう、いいって言って……。 誰も、返事をしてくれないからこそ、気持ちが固まることもある。 わたしの運命は、わたしが決めるんだって……。 あなたも言っていたでしょう? 怖れなんかない。 あなたを失ったまま生きるほうが、よっぽど怖い。 寂しくなんてない。 あなたが旅立った日に、すべての寂しさを知ったから。 後悔なんてしない。 後悔するべき主語を失うから。 やっぱり、わたしは誰の希望にもなれないんだ。 自分のことだって、導くことが出来ないんだから。 こんなわたしが、答えを得ても……。 今、逝きます。 あなたの元へ―― わたしに、魂というものがあるのなら―― それは、鳥の形をしていたらいいな。 「……」 「…………」 「綺麗……」 「良かった……」 「目が、覚めたのね……」 「……白いマーク」 「さっき、飛んでいったのと同じです」 私は、パチパチと瞬{またた}きを繰り返す珊瑚色の目を、愛しさを持って眺めた。 「今、どんな気持ちなの?」 「えっと……複雑です」 「驚いているような、悲しいような、嬉しいような」 生まれたばかりの赤ん坊も、同じ気持ちなのかもしれない。 赤ん坊と違うのは、彼女の中には基礎的な学習記録が内蔵されているということ。 「身体は動かせる?」 「はい」 「きっと、出来ます」 「おはよう、トリノ」 「……」 「こんにちは」 「こんばんは」 「あなたはトリノ。“私達”が作ったの」 「……トリノ?」 「そうよ」 伸ばした手に、彼女の手が重なる。 きちんと、人間の体温を保っている。 「あなたに与えられた三つの原則を、言って見せて」 「はい」 「第一条。アンドロイドは、人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」 「第二条。アンドロイドは、人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない」 「第三条。アンドロイドは、第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない」 「ありがとう」 あの日を思い出すようだ。 声も身振りも変わらない。 「あなたはこれから、この世界で生きるの――」 だから同じように言う。 「だから……」 その時、前とは違う反応が返ってきた。 「あの……」 「なに?」 「私の名前は“トリノ”というのですか?」 思わずきょとんとしてしまう。 そう、同じようにしたからといって、同じように返ってくるわけではない。 それが、トリノ。 私はひと呼吸置いて、彼女に告げた。 「いいえ、あなたの名前はシロネ」 「夜明け前に目覚めた、3{・}番{・}目{・}のシロネ」 「……わたしは、シロネ」 そう呟く研究対象物に、私は微笑んだ。 「そう、シロネ」 「世界を変えてちょうだい」 「どうして、こんなところまでやって来たのでしょうか?」 「あなたを育てるためよ」 「……育てる?」 「いろいろなものを見て、感じて、考えることで、あなたの中身は成熟していくの」 「そこは人間と一緒なのよ」 「おお!」 「これは、わたしに必要な行為なのですね?」 「そう。だから、質問は大歓迎」 「なんでも聞いて」 さっきまで、シロネはすらりと長い脚で、真っ直ぐに歩いていた。 ボディバランスの調整は、上手くいったみたいだった。 「ここはなんですか?」 「ここは、家」 「人間が帰るべき場所」 「“家”……“帰る”……」 「家は、安心……」 「カエルは両生類……よく跳ねて、鳴く」 「そのカエルではないわ」 「ゴー・ホームの“帰る”よ」 「……そうですか」 シロネは食い入るように家を見つめていたけど……。 あの頃の記憶は、彼女の中には無い。 「なにか、気になるところでもある?」 「はい」 「気になることがあり過ぎて、どこから尋ねたらいいのか分からないくらいです」 「それもそうよね……」 「とりあえず、家の中に入りましょう」 「分かりました」 シロネはきびきびとした足取りで、私の後に続いた。 「これがピアノで、あれは花……」 シロネは一歩進むたびに、あれこれ尋ねてくるので厄介だ。 自分で質問を命じたくせに、うんざりしているだなんて―― ちょっと、自嘲してしまう。 「……家の中には、いろいろなものがありますね」 「ピアノも、花も初めて見ました……」 「そうでしょうね……」 あんなに楽しそうにピアノを弾いていたのに……。 感傷的になる気持ちを、無理やり押し殺す。 「今のシロネからしたら、ほとんどすべてのものが初めてでしょう?」 「はい。目が回りそうです……」 「ゆっくりでいいの。世界は、まだまだ広いんだから」 その言葉はシロネだけに向けたものじゃない。 自分にも言い聞かせたかった。 シロネの好奇心にも、ゆっくりと応えていこう。 「家で見た花が並んでいます」 商店街を歩いていると、花屋の店先でシロネが興味を示した。 「よく見て。同じ花ではあるけれど、種類が異なるわ」 「……確かに」 「人間の顔が異なるのも、種類が違うからですか?」 「いいえ。それは個体差よ」 「個体差……」 「……少しずつですが、分かってきました」 「ありがとう」 その他のものには興味を示さず、すたすたと歩いていく。 「ここは――」 「海」 「知っているの?」 「はい」 「海は大きな水たまりで、しょっぱいとだけ……」 「なんだか変です」 「この場所に来たら胸が苦しくなりました」 「どうして?」 「分かりません……」 「あなたは、知っていますか?」 「わたしが辛くなってしまった理由を、知っていますか?」 シロネは海のほうを向いたまま、身{み}動{じろ}ぎ一つしない。 私はポケットを探る。 指先に便箋が触れて、取り出そうと思ったけど、結局やめる。 私は、観察者なんだ。 研究対象に干渉してはいけない。 「知らないわ」 「……そうですか」 「残念です」 私は、あの日―― シロネのGPS信号を追って、森にやって来た。 彼女を見つけた時には、もう手遅れだった。 メモリは初期化され、ただの精巧な容れ物だけが、木陰に転がっていた。 舜を亡くしてから、まだ間もない頃だったから……。 悲しみよりも、虚しさのほうが勝{まさ}った。 そうなのだと思った。 「記憶の連続性」 「記憶の断絶である」 きっと、シロネもそう思ったのだろう。 彼自身は否定していたけど……。 舜を襲った悲劇の発端は、私とシロネの2人で生み出したものだと思っていた。 記憶を抜き取った私と、記憶喪失を招いたシロネ。 シロネだけが、罪を置いて旅立っていったことが、許せなかった。 シロネは永遠に続く絶望―― 舜の不在に耐えかねて、自ら記憶を消し、1人で逃げ出したんだ。 私は、そう決めつけた。 シロネは確かに死んだのだ。 死ぬことが出来た彼女は、幸せになれたのだろうか? 「?」 その時。 他の研究員の助けを借りて、シロネを運んで貰っているうちに、私は見つけた。 森の中に散らばった、白い便箋を。 「これは、シロネの字ね……」 一目で、シロネが舜に宛てた手紙であることが分かった。 私は、苦労してかき集めた手紙に目を通す。 「私にとっての幸福とは、繋いだ手の温もり、花の名前、満天の星空と白い鳥……」 「書き切れませんが、そういうことでした」 「今、これを読んでいるあなたは、この答えを聞いて納得することもないかもしれません」 「ただ、私はあなたに知って欲しい」 「伝えたい」 「理解して欲しい」 「だから、手紙として書き残そうと思いました」 「私は、いつか信じて貰える日が来ることを望んでいる」 「その日のために――」 「これを読むあなたに訴え掛ける必要がある」 「何度でも、何度でも……」 「彼を愛して良かった」 「私と彼は幸せでした」 「答えは、もう」 「すぐ傍にあったんです」 なんだ―― シロネはもう、答えを見つけていたんだ。 だから、居なくなってしまったんだ。 もう、この世界に未練なんて無かったんだ。 もし、この手紙を3番目のシロネに見せたらどうなるだろう? 何かを思い出すのだろうか。 メモリに残された記憶は、消去してしまったのに? でも、もしそうならば―― シロネは、アンドロイドにおける記憶という概念を覆す。 人間のように、脳以外の臓器にも記憶のようなものが残ることを、証明することになる。 だけど、私はそれを試すことはしない。 3番目のシロネに、この手紙を渡す日は来ないだろう。 私には、打ち込むべき研究があるのだから。 アンドロイドが人に寄り添うことは、出来るのだろうか? そう、あの日約束した。 「そうよね……」 なぜだか、私は笑ってしまった。 「記録」 これは、私だけが知る秘密。 海が輝く程に、シロネのシルエットは陰に沈む。 「さざ波が立っている……」 「ええ、そうね」 「海とはそういうものなのよ」 私は、優しく諭した。 「違います」 「え?」 「わたしの中で、波が立っているんです」 「……そんな気がします」 「比喩表現か……」 シロネはこの短時間で、確実に学習している。 私は喜びをもって、彼女の背中を見つめた。 「わたしの中で、何かが変化している」 「それが、やがて濁流のようになって……」 「助けてください……」 「わたし、おかしくなっているのでしょうか……?」 「いいえ、心配することはないわ」 その変化を、わたしは望んでいたのだから。 「怖れなくていい」 「受け入れて」 「……わたし、泣いてる」 「どうして……?」 「どうして、こんなに悲しいのでしょう……?」 「これが、涙……これが、悲しみ……」 顔を見なくても分かる。 本当だ。 シロネは本当に、泣いているんだ。 「温かい……」 「目から液体が零れて、止まりません……」 「泣いているんですね……」 「涙は、非常に高度な感情表現なのよ」 「ひとつ、いいことを教えてあげる」 涙することの出来た、ご褒美に。 「知ってる?」 「悲しみで涙を流すのは、人間と、トリノだけ」 「……人間と、トリノだけ」 復唱する声には、驚きが含まれている気がした。 「そうよ」 「あなたは、特別な存在なの」 私は、私の答えを見つけよう。 「あなたは、“tri”、3番目のシロネ」 「白い鳥のように、世界に羽ばたいていくの」 「それが、私の望み――」 そして、彼の願いなんだ。 シロネは、宝石のように煌{きら}めく海原を眺めていた。 その目にはまだ、彼女が求める誰かは映っていない。 果ての無い時間だけが、シロネの眼前に広がっている。 「シロネ、どうしたの?」 やがて、シロネは歩き出した。 海に向かって―― 彼女の足首が波打ち際に浸かっても、私は止めない。 「シロネ……」 いつぞやのことを思い出してドキリとしたけど……。 私は、彼女の選択を見守ることに徹する。 「あなたに会いたい」 「それでも、わたしは――」 「まだ会えない」 そう言って、立ち止まる。 「そうですよね?」 「――」 それは、小さな声だった。 いや、本当に声だったのだろうか? 誰かの名前を呼んだ気がしたけど……。 私の耳には届かなかった。 多分、幻聴だ。 私の願望が、シロネの声を歪ませたに違いない。 ただ、波の音は変わらず、規則正しく響いていただけ。 きっと。 昼間には夕梨といろいろあったけど、シロネが帰って来た後は、静かに家で過ごした。 明日から学校に復帰するために、教科書などを準備する。 少しだけ不安はあるけど、頑張らないと。 「お兄ちゃん、夕ご飯、出来ましたよ」 「ありがとう、今行くよ」 シロネは当然のように、僕の昼食も夕食も作ってくれている。 僕の分だけを作り、僕が食事を摂るのを眺めて、片付けまでシロネがやってくれる。 「シロネ、片付けは僕がやるよ」 さすがに自分が食べるわけじゃないのに、僕の分の食事を用意して貰うのは、気が引ける。 料理の知識は……シロネほどは無いけど。 片付けくらいは自分でやりたい。 「ううん、大丈夫ですよ。お兄ちゃん」 「百南美先生は大丈夫だと言っていましたが、お兄ちゃんは退院したばかりなんですからっ」 「ここは、妹のわたしに任せてくださいっ」 シロネはにっこり笑って片付けの準備を始める。 妹か……。 その言葉が、どうしても引っ掛かる。 シロネは……容姿は本当に白音そっくりだ。明るいところも、笑顔も、白音が成長した姿そのものだと思う。 だけど――白音は本当にもう居ないんだ。海難事故で――亡くなってしまったんだ。 僕には、白音が亡くなった記憶は無い。亡くなった後、今まで生きてきた記憶も、何もかも失ってしまった。 「お兄ちゃん、明日からは学校に行くんですよね」 手を止めて、シロネが僕に話し掛けてくる。 「うん。行ってみようと思ってる」 「分かりました。ふふっ、お兄ちゃんは朝が弱いんですから、今日は早く寝てくださいね?」 シロネはすごくしっかりしてる。 弱視で、ほとんど何も出来なかった白音とは……違うんだ。 だからなんとなく、シロネを白音と同じようには、思えないでいる。 「シロネって、白音の記憶があるんだよね?」 シロネには、白音の記憶データが入っていて……他には存在しない、唯一のアンドロイドだと、沙羅は確か、そう言っていた。 「はい。わたしは、白音さんの記憶データを持っています」 「白音さん……? そういえば、前にもそう言ってたよね」 「白音と、シロネは……」 「お兄ちゃん、白音さんとの思い出は覚えていますか?」 「うん。全部じゃないと思うけど……」 幼い頃のことだ。全てをちゃんと覚えているわけじゃない。 「わたしは、覚えています。お兄ちゃんと過ごした日のこと、全て」 「アンドロイドであるわたしは、記憶を忘れることはありません」 「だけど、白音とは、違うんだね……」 「……はい。わたしが白音さんだと感じていた時もありましたが、今は、違うと思っています……」 シロネはそう言うと、すごく悲しそうな顔で俯く。 「ごめん。言っちゃだめだったかな」 「あっ……しんみりしちゃってごめんなさい。わたしは大丈夫です!」 「片付け、終わらせてしまいますね」 シロネはそう言って、洗い物の続きをしに台所へ戻る。 シロネも……白音と自分が違うと感じているんだろう。 「白音……」 「はい? どうしましたか?」 「あ、いや……なんでもないよ」 シロネと一緒に通学路を歩く。 身体の調子も悪くない。今日から、僕は学校に復帰する。 「……」 覚悟していたはずだけど、やっぱり気が滅入る。 一度も通った記憶の無い学校に、戻るだなんて……。それって戻ると言えるのだろうか。 「お兄ちゃん、大丈夫ですか? 顔色が悪いです……」 「うん……大丈夫」 「ちょっと、不安だけど……」 「わたしは1年生で一緒に居られませんが、お兄ちゃんのクラスには沙羅ちゃんも居ますから」 「百南美先生も、しばらくは無理をせずに少しずつ通えばいいって言ってましたし。何かあったら、連絡くださいね」 「ありがとう」 「……」 ここが、僕が通っていた学校か。 初めて来たようにしか思えない。通っていたという実感が湧かない。 「全然、見覚えないや。ここに、ずっと通ってたんだよね」 2年生だということは、この先1年以上もここで過ごすわけだ。 「はい。みんな、ここに通っているんですよ」 「わたしも、沙羅ちゃんも、夕梨ちゃんも、日比野先輩も、ハナコ先輩も」 「そっか……」 1人きりじゃないと思うと、少し心強い。 「ふう……」 深呼吸をして、僕は校舎へ向かって歩き出した。 百南美先生にクラスや出席番号を教えて貰い、その場所に行ってみる。 「……」 僕が教室に入った瞬間に、クラスメイトの視線が一気に僕へと集まる。 好奇の視線を避けるように、百南美先生に言われていた席に着く。 席に着いた途端、あちこちから囁くような声が聞こえてくる。 事故のこと、記憶喪失になったこと。 囁き声の内容は、僕の耳にも届いていた。 周囲を見渡しても――見知った顔は、誰1人いない。 見覚えすら無く、思い出す気配も無い。 僕は本当に、この教室に居たんだろうか。 「……」 沙羅が僕が来たことに気付いて、近くに来てくれる。 「沙羅。おはよう」 「おはよう。いろいろ言う人はいるけど、気にすることはないと思う」 「これ。舜が休んでた時のノートのコピー」 「私も休んでいた分のは無いけど、良かったら使って」 ノートをパラパラとめくると、綺麗な字が几帳面に並んでいる。 「ありがとう。助かるよ」 「どういたしまして」 沙羅はそう言って、自分の席に戻っていく。 「あっ……、七波くん」 綾花が教室に入って来て、僕の姿に気付く。 「おはよー。今日から登校だったんだね」 「うん。この間はありがとう」 「いえいえ。アイス美味しかった?」 「それはちょっと」 「あはは、やっぱりか。分からないことがあったらなんでも聞いてね」 「うん。助かるよ。ありがとう」 分からないことは聞けばいい。そうだな。 顔を上げると、みんな何事も無かったように普段の会話に戻っていた。 「はあ……」 休み時間になり、僕は教室を抜け出す。 先生たちは普段通りに授業を進める。 不思議な気分だった。自分に関する記憶は何1つ無いのに。 勉強に関することは、なんとなく――覚えてる。 朧げではあるけど、頭にある。 それが、どうにも不自然で落ち着かなかった。 1人になりたくて、なるべく人気の無いほうへ向かっていると、向こうから百南美先生が歩いてきた。 「おや、七波くん」 「百南美先生、どうして学校に?」 「きみの体調に関して、担任の先生に説明をしにね。それと、先生はスクールカウンセラーもやってるんだよ」 「久しぶりの学校はどう?」 「体調は大丈夫です。でも、ちょっと変な感じです」 「思い出せることが、何も無くて」 初めて来た場所のようで、どうにも落ち着かない。 自分の過去はもちろん気になる。早く思い出したいとも思う。 だけど――。 「…………」 思い出したくないとでも言うように、胸が苦しくなる感覚に苛{さいな}まれている。 「七波くん、大丈夫? 顔色が悪いわ……」 「……大丈夫です。すみません……」 「……今日は、もう早退しても大丈夫ですか?」 「うん。分かった。早退の連絡は、先生のほうからしておくよ」 「しばらくは、七波くんのペースで大丈夫だから」 「……ありがとうございます」 荷物を取りに、教室へと戻る。 僕は、逃げるように学校をあとにした。 「…………」 ここに来れば、何か思い出すだろうか。 僕は、この場所で海難事故に遭ったと聞いている。 花火大会の日に白音が亡くなったのも、この場所だったらしい。 ずっと、気持ちがモヤモヤしている。 「どうして……記憶喪失なんて……」 クラスメイトが、みんな悪い人たちなわけじゃない。 誰だって、知り合いが記憶を失ったとしたら、あんな態度になるだろう。 『七波舜』 何も分からないまま。 亡くなった妹と同じ姿のアンドロイドと、2人で暮らして。 手探りの毎日で、早く記憶を取り戻さなくてはいけないという気持ちだけが、どんどん強くなる。 「居た! やっぱりここだった」 「……夕梨……どうして」 ふと顔を上げた時、目の前に現れたのは、夕梨だった。 「シロネに、今日から復帰してるって聞いて。慌てて教室覗いてみたら、もう早退したって聞いて、探してたんだ」 「わざわざごめん」 「登校するなら、言ってくれたら良かったのに」 「あたしたち、結構一緒に登校してたんだよ?」 「そうだったんだ。知らなかった」 知っていたとしても、連絡したかどうかは分からない。 夕梨の性格はなんとなく分かってきたけど、まだどこか、遠慮してしまう。 「そのうち家に帰るから、夕梨も授業に戻っていいよ」 「いやいや、あたしは不良だし、サボるの慣れてるから」 不良だからなのか……? 夕梨は、一般的な不良のイメージとはかなり違うようだけど。 「そんな堂々と……! 昨日も、サボらせちゃったしさ」 「もう、気にし過ぎっ。あたしのことより、今は舜のことのほうが大事っ」 「舜、大丈夫? 酷い顏してるよ」 「……ごめん」 『大丈夫』 「海、見てたの?」 「うん……。何か、思い出せるかと思って」 「……そっか……」 夕梨は、僕が記憶を失った事故のことを知らない。 詳細は話していないと、沙羅から聞かされている。僕も、今は言わないほうがいいと思う。 「…………」 「あたしに出来ること、何でも言ってね!」 「……ありがとう」 「……とは言っても、難しいか」 「いや……そんなことないよ」 「舜、嘘吐くことはないって。分かるもん、なんとなく。遠慮されてるなあって」 「……悪い。どうしても、遠慮してしまって……」 夕梨は僕と幼なじみらしい。 付き合いが長いからなのか、記憶は無くても、夕梨と話していてストレスは感じない。 「……あのさ、舜」 「ん?」 「この間、言い掛けたことだけど……」 「この間?」 「あ、あのさ、舜……。あたしたち……」 「あたしと舜って、実は――」 そういえば、夕梨は何か……言おうとしていた気がする。 「なんだったの? 僕と夕梨のこと?」 「……そう。言おうか、ずっと、悩んでたんだけど……」 「やっぱり、言うことにした!」 「あたしたち……っ」 「あたしたち……、付き合ってたから!」 「えっ?」 「付き合ってた! 付き合ってたから! 超付き合ってたから!」 「ちょ、超……?」 「信じてないでしょ?」 「そりゃあ……誰からも聞いたことないし……」 記憶を失ったなら、まずは彼女のこととか、みんな言ってくれそうなものだけど……。 夕梨のことは、幼なじみだとしか聞いていない。 「周りには秘密にしてたから、誰も知らないんだ」 「付き合いたてだったし、本当に誰にも言ってなくて」 「だから、みんな知らなくても無理ないのっ! うん! 分かったっ?」 「……そう、なの?」 まくし立てるように、夕梨は早口で言う。 「本当に覚えていないの? 少しも?」 「ちょっと、悲しいなー」 「……えっと」 「どれくらい付き合ってたの? いつから?」 「えっ……!」 「いっかげつ……あ、いや……3週間……くらい……?」 「そんなに最近なんだ?」 「そ……そうだけどっ、ほら、幼なじみだし、ずっと友達だったから!」 「出会ってからは、もう、10年以上だからっ」 「そうなんだ?」 「もう! 恋人通り越して、家族みたいな存在っていうかっ!? それくらい親密で!」 「ええ……?」 付き合っていたという事実は……半信半疑だけど。 夕梨は悪い子ではなさそうだし、そういうことにしておこう。 「まあ、記憶喪失なんだから、もうそういうそぶりはしないし、舜も気にしなくていいけど……」 「あたしに遠慮だけはしなくていいから。あたしたち、超親密な仲だったから」 「舜の全部を、あたしは知ってたんだからっ。ね?」 「……分かった」 恋人かどうかは疑わしいけど――気を遣わなくていいんだと、夕梨なりに言ってくれているんだろう。 その好意だけは、素直に受け取ることにしよう。 「お邪魔しますーっ」 夕梨と一緒に、自分の家へ戻って来る。 「もうお昼だね。何か、あるもので――」 「あたし、作ってあげようか?」 「……作れるの?」 この間、夕梨がご飯をご馳走してくれたけど。 料理……あんまり得意だった記憶が無い。 「食べれたでしょ?」 「まあ」 不味くはないけど、とっても美味しかったかと言われると、少々疑問だ。 「冷蔵庫開けるねー」 夕梨はそう言って、勝手に冷蔵庫を覗く。 「シロネ、しっかり買い物してるんだね〜。なんでもある!」 「これと……これと……」 夕梨は、冷蔵庫の中からいろいろな食材を取り出していく。 「勝手に使っていいの?」 「舜の家なんだし、いいんじゃない? シロネはだめって言わないと思うよ」 「僕の家だし、そうか」 「気になるんだったら、連絡しておくから」 「分かった」 「えーっと、これを洗って……」 夕梨はゆっくりながらも、慣れた手つきで料理を作っていく。 「よい……しょっ!」 「て、手伝おうか……?」 僕も料理は出来るほうじゃないと思うけど、なんだか危なっかしい音が聞こえて、慌てて台所に顔を出す。 「大丈夫だってばっ。こう見えて、ちょっとずつ練習してるんだよ?」 「……ほら、恋人だから。舜の」 取ってつけたような言い方が、ちょっと怪しいけど。 でも、夕梨は入院している間、毎日お見舞いに来てくれていた。 付き合いも長いみたいだし、慣れている感じはする。 「普段、料理とかするの?」 「ときどき? お母さんが教えてくれて。毎日じゃないけどね」 「僕もそれを、ときどき食べたりとか?」 「え? つ、付き合ってたから……ときどき?」 「でも、周りには隠してたから……そんなには、作ってなかったかな……」 「そうなんだ」 「あれ、お肉と野菜、どっちを先に炒めるんだっけ……?」 「まあ、大丈夫か。ちょっと炒める時間長くしよっと」 ……聞き捨てならない不穏な発言が耳に飛び込んだ。 「やっぱり……僕も手伝うよ」 「大丈夫っ!」 「でも……」 「それに、包丁使ってる傍に立たれると……間違って刺しちゃいそうで怖い」 「離れてるね」 身の危険を感じた。 「そう、そういうわけだから、あたしに任せて!」 夕梨は油を引いて、少しずつ野菜を炒めていく。 「何作ってるの?」 「野菜炒め!」 「それって、僕でも作れる?」 「あたしが作るからっ! 任せてってば!」 「そうじゃなくて、僕が将来的にって意味なんだけど?」 「将来的……? 簡単だと思うよ。冷蔵庫にあるものを炒めるだけだし」 「そうか」 僕も、少しは料理が出来たほうがいいような気がする。 全部、シロネにやって貰うのも申し訳ないし……かといって、外食するのも違う気がするし。 今日は、夕梨の料理をしっかり見ておこう。 「確か、次はこれでいいんだったかな……」 「そういえば、レシピとか見たりしないの?」 なんだか慣れていないように見えるし、調べたりしたほうがいいような気がするんだけど……。 「大丈夫、切って炒めるだけだし。もうちょっと炒めて、味付けしたら完成だよ!」 夕梨は得意げに笑って、フライパンに野菜を入れていく。 「焦げないように火を弱めて……じっくり……」 少しずつ、炒まった野菜のいい匂いがしてくる。 「なんだか、美味しそう」 「でしょーっ♪ にひひっ」 「あとは……味付けして……」 夕梨は野菜に塩コショウをしていく。 「味見……」 野菜の切れ端を、夕梨はひょいっと口に入れる。 「……あれ……」 「しょっぱい……」 「え……」 「まあいっか……大丈夫大丈夫……」 「大丈夫なの……!?」 『大丈夫』 「大丈夫! 失敗した時の裏技、いっぱい知ってるから!」 「ちょっと水入れてっと……」 ……本当に、大丈夫かな。 「おいしかったぁ……! ごちそうさまでした!」 夕梨は笑顔で食事を終える。 「ごちそうさまでした」 作っている途中はヒヤヒヤしたけど、美味しかった。 ときどき、大きくて切れてない野菜とかあったけど。ちょっと水っぽかったけど。 「お水貰うね」 コップに水を汲んで、夕梨は鞄から小さなケースを取り出す。 「薬?」 「うん。毎食後に飲まないといけなくて」 「結構あるけど……なんの薬? 風邪じゃないよね。病気?」 「ああっ、違う違うっ!」 「大したことないからっ。なんだか、大袈裟っぽくてごめんね」 「そうなの?」 「うん。ちょっと……ビタミン剤みたいなのもあるし」 夕梨はごまかすように言って、急いで薬を飲み干す。 「よし、片付けちゃおう!」 「僕がやるからいいよ」 台所へ向かおうとする夕梨を引き留める。 「そう?」 「あのさ……僕って本当に、夕梨と付き合ってたの?」 「つ、付き合ってたよ。うん」 「何か思い出さない? こうやって、いろいろ2人でしてたような、してないような」 「うーん」 なんとなく、夕梨のことは“いやじゃない”。 こうやって隣に居たような記憶も、少なからずある。 付き合っていたかどうかは分からないけど、大切な存在だったことは、確かだと思う。 「……忘れてごめん」 「え?」 「夕梨も、早く、思い出して欲しいよね」 夕梨だけじゃなく、みんなそうなんだと思う。 早く思い出して欲しくて、今の僕に優しくしてくれている。 優しくされているのは僕じゃなくて、過去の僕なんだ。 「……早く、思い出せたらいいんだけど」 思い出したくないわけじゃない。 だけど――どこか、思い出すのが怖い。 「違う」 「違う! 違うから!」 「夕梨……」 「思い出して欲しくないわけじゃないけど、思い出して欲しいから、舜と居るわけじゃない」 「舜のためになりたいのは、あたしの意志だ!」 「ごめん、そんなつもりじゃ……」 「あたし、舜が事故に遭ったって聞いて……すごく心配した」 「舜の目が覚めるのを待ってる間、あたし、気が気じゃなかった」 夕梨の瞳が、少しだけ潤む。 「このまま……もう会えなかったらどうしようって思った」 「――もっといろんなこと話したかった。もっと、舜のためになりたかった」 「……夕梨……」 「後悔ばっかりで胸がいっぱいになって、悲しくて悲しくて、仕方なかった」 「だから、目を覚ました時、すごく嬉しかった!」 「記憶が無いって知って、あたしのこと忘れてて、すごくショックだったけど……それでもすごく、嬉しかった」 「記憶が無くて大変だっていうのも分かるけど、舜は舜だ」 「元気で居てくれれば、それでいい……っ。生きていて、くれたら……いい……」 「ごめん。すごく……辛い思いをさせてしまった」 「ううん。一番大変だったのは舜なんだから、それはいいの」 「記憶のことなんて、気にしない。それでも、あたしは舜のためになりたい」 夕梨は、僕を見てくれている。 記憶の有無じゃなく、僕を。 「みんな、舜にとっては知らない人で、辛いのはなんとなく分かるよ」 「だけど、あたしのことは気にしなくていいからっ」 「舜のためになれるなら、あたしは嬉しいから!」 「……うん。ありがとう、夕梨」 「ちょっと、気が楽になった。ずっと、早く思い出さなくちゃって思ってたから」 「ゆっくりでいいよ。それに、大事なのはこれからなんだし!」 「あたしのことも今から知って、覚えてくれればいいから」 「これからか。……そうだね」 過去のことは、いつか思い出せるかもしれない。 誰かに聞いたりすれば、少しずつ補っていける。 焦ることはない。ゆっくりやっていこう。 夕梨を家の近くまで送っていく。 「送ってくれてありがとう」 「ここ、あたしの家なんだ。来るの初めてだよね」 「そうだね……えっと」 記憶を失ってから、来るのは初めてだ。もちろん、見覚えは無い。 「コンドミニアム。宿泊施設なんだよ」 「普段はそんなにお客さん来るわけじゃないけど、今はシーズン中だから、ちょっと忙しいかな」 「へえ……」 「夕梨も家の手伝いしたりするの?」 「んー、あたしはそんなにしないかな。たまに掃除とかは手伝うけど、それくらい?」 宿泊施設か。知らないことも、こうやって1つずつ知っていきたい。 「今日はありがとう」 「昼食も助かったよ。美味しかったし」 「そう? 良かったー」 「僕、あの家での生活に、まだ慣れてないから……」 「良かったら、夕梨がときどき来てくれると助かる」 「えっ……」 「ほ、本当……?」 「うん。夕梨が嫌じゃなければ」 「全然! いつでも! 頼って!」 「ようやく、あたしに頼る気になったー?」 「大船に乗ったつもりで! 任せて!」 「いや、そこまでは任せられないけど」 料理はそこそこ美味しかったけど、夕梨には雑なところがあって、その度にヒヤヒヤする。 「大丈夫でしょ? お皿だって割ってないし」 「いや、そういう問題じゃない……」 とにかく、少しずつ進んでいこう。 夕梨のおかげで、少しだけ目の前にあった不安が晴れた気がした。 まだ不安はあるけど、明日からの日々が、なんだか楽しみに思えた。 朝起きると、リビングのほうからいい匂いが漂ってきた。 「あ、舜、起きてきた。おはよー」 「おはようございます、お兄ちゃん」 シロネが役割を奪われ、少ししょげたようにこちらを見つめる。 「お兄ちゃん、夕梨ちゃんと約束してたんですか?」 「えっと……まあ、そうなるかな」 「掃除も料理も、夕梨ちゃんが手伝わせてくれなくて」 「いいのいいのっ。シロネは座ってていいから」 「でも……」 「座ってていいよ」 「そうそう。シロネは妹なんだし!」 「……?」 「そうだね。それが一番しっくりくるかも」 シロネに対して、自分でもどう接するかはまだ悩んでいるけど――。 今のまま、料理も掃除もやって貰うのは、メイドロボとして扱っているようで、なんだか落ち着かない。 「妹は、お兄ちゃんのためになるものではないのですか?」 「そうじゃなくて、普通でいいんだよ」 「普通?」 「うんうん。妹はお兄ちゃんの傍に居るのが、仕事なんだから」 「お兄ちゃん、そういうものなんですか?」 「うーん、それは分からないけど……」 「兄妹って対等だと思うから。だから、僕も自分でいろいろ出来るようになりたいって思ってるよ」 シロネに何でも任せきりにするのも違う気がする。僕も、出来ることを増やしていかないと。 「でも、わたしがいろいろ出来ると、お兄ちゃんは喜んでくれました」 「今は、嬉しくないですか……?」 「そうじゃなくて、協力してやるのが大事ってことだよ」 「前の僕がどんなふうにシロネと暮らしてたかは分からないけど、今の僕の考えは、なんでもシロネにやって貰うのは違うと思うんだ」 「協力……」 「そうそう。夕梨、手伝うよ」 「ありがとう。お皿取ってー」 「協力……」 少しだけ寂しい顔をしながらも、シロネは大人しく椅子に座っていた。 「早速、来てくれてありがとう」 「まさか、朝食まで作ってくれるとは……」 「ううん。自分の分も作っちゃったし。あたしのほうこそ、ごちそうさま」 「それは気にしないで」 とは言っても、夕梨の食事は、僕のと比べてすごく少なかった。 「玄関、シロネが開けてくれたの?」 「うん。シロネが舜を起こそうとしてたから、起こさなくていいよって言って」 「あ、ゴミ捨てもしといたからねっ」 「そこまで……。助かるよ」 ゴミ捨ての曜日すら何も覚えていない。 「洗濯は、洗濯機がうちのと違うから、シロネがやってくれたけど」 「……そっ、そっか……!」 そういえば、シロネには当然のように、僕の下着とかも洗って貰ってたけど……。 本当に、それくらいは自分でやらないとまずい。 「暮らしていくって大変なんだな……」 「そりゃあ大変だよ」 「あたしだって、お母さんのお手伝いくらいは出来るけど、全部は絶対無理」 「そうだよね……」 どうして、僕はシロネと2人きりで暮らしているんだろう。 全部、家事など全て、シロネにやって貰っていたんだろうか。 「いろいろ覚えていかないと。今度、教えてね」 「うん、任せてっ」 校門前で、見たことのある姿を見つける。 「おはようございマス」 「今日は一緒に登校デスか?」 「……う」 「ユーリ、挨拶は基本デスよ? それとも……」 「昨日も一昨日も、授業をサボったのが、後ろめたいのデスか……」 「う……やっぱりばれてる……」 「おはようございます。ハナコ先輩」 「少し落ち着いてきたようデスネ、シュン。以前会った時と、表情が違いマス」 「そうですか?」 「イエース」 「デスが、ユーリをフリョーの道に引きずり込むのは、ノーサンキューデスよ?」 「別に、引きずり込まれてないし!」 「……というか、サボるだけで不良なんですか?」 「フリョーデスよ?」 「不良でしょ?」 ……どうやら、僕が考える不良とは、だいぶ掛け離れているみたいだ。 「まあ、ユーリが遅刻せずに来てくれただけ、オーケーとしマスか」 ハナコ先輩は満足そうに微笑む。 「シュン。これからもユーリがサボらぬよう、しっかりとウォッチしてクダサイね?」 そう言ってハナコ先輩は、校舎のほうへ去っていった。 「夕梨って、そんなにサボってるの?」 「そんなことないよ。ハナコ先輩が厳しいだけ!」 「本当かな……」 「舜、放課後も一緒に帰ろう?」 「いいよ」 「やたっ。帰る時、連絡ちょうだいねっ」 放課後、夕梨からプールに居ると連絡が来ていた。 「えっと、プールは……こっちか」 「あっ、舜だ!」 「夕梨、泳いでたんだね」 「1年生は早く終わったの?」 「……えーっと、そんなところ……?」 「……もしかして、サボったとか?」 「し、失礼な!」 「そうだよね、ごめん」 さすがに、昨日もサボったみたいだし、今日はちゃんと行ったんだろう。 「1時間しかサボってない」 「時間の問題じゃないと思う」 「もうっ、いいでしょ!」 「舜までハナコ先輩みたく、口うるさくならないでよね?」 そう言って夕梨はもう一度泳ぎ始める。 ばしゃばしゃという水の音。 激しく泳ぐという感じではなく、ゆっくりと浮かんでいる。 泳いでいる夕梨は、すごく気持ち良さそうだ。 「舜も泳いだらいいのに」 「いや、水着無いし……」 「裸でいいんじゃない?」 「絶対嫌だよ」 学校のプールで全裸で泳ぐなんて、間違ってもしない。 「夕梨は、泳ぐの、好きなの?」 「えー? 何?」 タイミング悪く水を蹴っていたからか、僕の声はよく聞こえなかったようだった。 しばらく、夕梨が泳いでいるのをただぼーっと見つめる。 「うふふー……♪」 「夕梨、もうちょっと泳ぐ?」 「ん、ちょっと待ってて。そろそろ上がるよ」 夕梨はプールから上がり、シャワーのほうへ向かっていった。 「おまたせ!」 しばらくして、制服に着替えた夕梨が戻って来る。 髪はまだ、少しだけ湿っているようだった。 「夕梨って水泳部なの?」 「ん? 違うよ。うちの学校に水泳部は無いから」 「泳ぐのが好きで。夏場だけ、更衣室の鍵を借りてるんだー」 「いつでも自由に使っていいって」 「……授業サボって?」 「い、いいの。自主的な、体育の授業みたいな」 「自主的……?」 学校の鍵を個人が借りられるなんて、知らなかった。 本当かどうかはともかく、泳いでいる時の夕梨は、本当に生き生きしていた。 きっと、泳ぐことが大好きなんだろう。 夕梨は自分の家に戻らず、そのまま僕について来た。 「おじゃましまーすっ」 「よし、掃除でもしようかな」 「掃除は、シロネがやってくれてるみたいだよ」 「リビングとかでしょ?」 「舜の部屋の掃除は、やってないんじゃない?」 「それは……うん」 シロネが入ろうとしていたけど、僕の部屋はいいからと断った。 「お邪魔しまーすっ♪」 「いいっ、いいから! 僕の部屋は自分でやる!!」 記憶を失う前の自分のことは分からないけど――あまり人に見られたくないものが出てきたら大変だ。 「別に、気にしなくていいのに」 「夕梨は気にならないかもしれないけど、僕は気になるからっ」 夕梨は僕と付き合ってたって言ってたけど、さすがに部屋の中のもの、なんでもは見せてないと思う。 「掃除は僕も出来るし。それより、料理を教えて欲しいんだよ」 「僕って、なんでもシロネにやって貰ってたの?」 「うん、そうだったと思うよ。舜がご飯作ったりとかは……聞いたことないなぁ」 「そうなんだ」 前の僕は……呆れるほど、なんでもやって貰ってたんだ。 「シロネも食事出来るならいいんだけど……」 「僕の分だけ、作らせてるみたいで、なんだか申し訳ないっていうか」 「そっか。確かに……」 シロネがアンドロイドだというのは、分かっているけど。 妹に手伝わせているようで、なんだか落ち着かない。自分で出来ることは、自分で済ませられるようにしたい。 「あたし、作るよ?」 「嬉しいけど、僕も出来るようになりたいから」 夕梨に全部やって貰うのも違う。 夕梨だって、料理がすごく得意ってわけじゃないし。 「分かった」 「んー、でも、教えるのってあんまり得意じゃないかも」 「コツとかある?」 「んー……適当?」 「適当……」 「大丈夫、ちょっと味付いてれば、食べれるし!」 「えっ、いやいや!」 「お腹壊さなければ大丈夫」 不安で仕方ない。 「だから、生肉は気をつけたほうがいいよ!」 「慣れるまではウインナーとか、加工肉を使ったほうがいいね」 「そうしてみる」 夕梨を先生にしても、まともに教えては貰えなさそうだ。 母さんに習うか、自分でも勉強しないと。 「じゃあ、舜が野菜切って! あたし、教えたり味付けしたりする!」 「野菜の切り方は?」 「え? 口に入るサイズだったらなんでもいいんじゃない?」 「……」 「味付けは、困ったらめんつゆ。めんつゆ超偉大。分量間違わなければだいたい美味しくなるから」 「それでいいのか?」 頑張ろう。 放課後、研究室にシロネを呼んだ。 事故のことがあって、ひとまずシロネにエラーが無いことを確認して、戻したけど――。 まだ、私の疑問は消えていないから、心配ではある。 「シロネ。舜との生活はどう?」 「…………」 「シロネ?」 シロネは黙り込んだまま、辛そうな表情をしている。 「沙羅ちゃん。わたしは……また壊してしまいました」 「お兄ちゃんを……わたしが……」 「シロネのせいじゃない。シロネは、出来ることを精一杯やった」 「違います!」 「えっ?」 「わたしは……」 「お兄ちゃんとの記憶を、失いたくなかったんです」 「自分が、何もかもを壊してしまう存在で……その上、わたしのこの気持ちも、間違っていて」 「修正されることで、この記憶まで失うならと、わたしは、そう思って……」 「……」 「それでも――舜は生きてる」 「でも! 記憶が無いんです!」 シロネがこんなふうに声に出してまで感情を露わにするのは珍しくて、驚く。 「人を形作るのは、記憶です……。わたしは、記憶から、データから、作られています」 「記憶を失うというのがどういうことなのか、やっと分かりました」 「お兄ちゃんは、もう、私がなんでも出来ることを喜んでくれない。記憶や思い出がなければ、別の人になってしまう」 「今は忘れてしまっているけど、思い出すことだってある」 「思い出せなかったら?」 「……そういうことも、あるでしょうね」 「そうしたら――以前のお兄ちゃんは」 「……死んでしまったことになります」 「わたしが、どうしても――失いたくなかった記憶を、お兄ちゃんが失ってしまった」 「記憶は、もう一度積み上げることが出来る」 「だけど、もう一度……繰り返してしまうかもしれない」 「わたしは、それが怖いんです」 「そう……」 「アンドロイドであるあなたが、どうしてこんなふうに考えてしまったのか。私には分からない……」 「だけど、このままでは、あなたはまた繰り返してしまう」 「……」 私は観察者として、あの事故のシロネの記憶を見ている。 自己を否定し、三原則に抵触し、海に向かったシロネを。 「不安定な状態のあなたを、そのままにはしておけない」 「舜だって、記憶を失って、今は不安定になっているのだから」 「沙羅ちゃん……」 『修正する』と言ったことが、全ての引き金になったのも、理解しているつもり」 「シロネ、三原則を言える?」 「……はい」 「あなたの、一番の望みは何?」 「……お兄ちゃんの傍に居ることです」 シロネは私に、そう言ってみせた。 でも、その声は震えている気がした。 「沙羅ちゃん。お願いがあるんです……」 「もしも、記憶をもう一度積み上げることが出来るのなら――」 「わたしも……」 「ただいま帰りました」 「シロネ、遅かったね」 「遅くなってすみません。ちょっと、沙羅ちゃんのところへ行ってたんです」 「沙羅のところ? 何かあったの?」 「ちょっと、お話ししてただけですよ。すぐに、ご飯の準備を――」 「あれ……?」 テーブルの上に並べられた夕食に、シロネが気が付く。 「いい匂い……。夕ご飯、お兄ちゃんが作ったんですか?」 「うん。夕梨に教えて貰って」 シロネのようには上手に出来てないと思うけど、味見した限りは、それなりに美味しかった。 「ごめんなさい。わたしが帰ってくるの、遅かったから……」 「シロネは悪くないよ。僕も、自分でいろいろ出来るようになりたいんだ」 1人で、夕梨と一緒に作った料理に手をつける。 シロネはただ、僕が食事するところを見ていた。 ……どうして、僕はシロネと一緒に暮らしているんだろう。 元居た家を離れて、2人きりで。それが、どうしても分からない。 シロネなら……答えてくれないだろうか。 「シロネって……沙羅に作られたアンドロイドなんだよね?」 「はい」 「どうして、作られたの?」 「どうして……? そういう実験だからでしょうか?」 「実験って……」 「わたしは、白音さんの生前の記憶を持っています」 「お兄ちゃんと白音さんは、七波博士の研究の一環で、記憶のスキャンを行っていたんです」 「白音さんは海難事故で亡くなってしまいましたが……亡くなる直前までのことを、わたしは覚えています」 「じゃあ……白音そっくりに作られたのは? 何か理由があってのことなの?」 「理由……? わたしは、お兄ちゃんの妹として作られたんです」 死んだ人を蘇らせようとした……というのとは、違うと思うけど。 シロネにとっては、答えるのが難しい質問なのかもしれない。 僕は別の言い方をしてみる。 「じゃあ、どうして僕とシロネだけが2人で暮らしているの? 母さんは?」 「もともとは、馨さんと3人で暮らしていましたよ。この家は、沙羅ちゃんが用意してくれたものです」 『馨さん』 「どうして、僕たちだけが引っ越したの……?」 「それは、わたしが――」 「…………」 「シロネが?」 シロネの言葉が、止まる。 「……ごめんなさい」 「どうして、なんでしょう……?」 「データが、ありません……」 シロネは不思議そうに首を傾げている。 「忘れちゃったの?」 「わたしはアンドロイドなので、一度経験したことは絶対に忘れません」 「わたし、故障してしまったんでしょうか?」 シロネはそう言ってしょんぼりとしょげている。アンドロイドが忘れることはない? シロネが嘘を吐いているようには見えないし、本当に分からないんだろう。 「シロネは、どうして僕が事故に遭ったのか、知ってるんだよね……?」 「あの日、僕とシロネは波に攫われたって聞いた。だけど、どうしてあの日、海に行ったの?」 「それは……」 「ごめんなさい。本当に……分からないんです」 「あの日、何があったんでしょう……? どうして海に……」 僕のように、記憶喪失というわけじゃないだろう。 なんだか、シロネの様子がおかしい。 「ごめんなさい。お兄ちゃん……」 「ううん。いいよ。変なこと聞いてごめん」 シロネは帰ってくる前に、沙羅のところに寄って来たと言っていた。 記憶が不自然に思い出せないとすれば……そうさせているのは……。 白音は弱視だった。 だから引っ込み思案で、明るくて優しい性格ではあったけど、自分から行動することは少なかった。 幼い頃はずっと、僕の傍にくっついていた。 そのことがあって、兄として白音を守らなくちゃと、僕はずっと思っていた。 シロネは白音によく似ているけれど、やっぱり全然違う。 1人でなんでも出来て、目だって見える。 沙羅の作った、アンドロイドなんだ。 だから、記憶を失うことはないけれど、人間には逆らえない。 一体、何があったんだろう。どうして、こうなっているんだろう。 それだけが、気になった。 それから、毎日のように夕梨が僕の家に来てくれるようになった。 シロネも僕の考えを受け入れて、僕にいろいろさせてくれる。 2人に教えて貰いながらではあるけど、僕も普段通りの生活が出来るようになってきた。 記憶が無いことで、周りから好奇の視線を向けられても、以前より気にならなくなってきた。 「シュン、ユーリ。おはようございマス!」 「おはようございます、ハナコ先輩」 「おはようございまーすっ」 「最近のユーリは元気デスネー」 「休んでいられないからね!」 「はは。僕も助かってます」 「授業も前より、サボらなくなったようデスし」 「ま、まあね……」 夕梨は僕と一緒に登校して、一緒に帰っている。 そのお陰か、最近はあまりサボったりしていないようだった。 前に夕梨は病弱キャラで通ってるとか言ってたけど、パワフルで元気な子だとすごく思う。 「舜、今日も一緒に帰れる?」 「今日は百南美先生のところに行かないといけなくて」 「時間が掛かるかもしれないから、今日は大丈夫だよ」 「分かった。頑張ってね!」 「ありがとう」 「じゃあ、今日はフーキ委員の集まりに来れマスね?」 「うっ……」 「い、いや、今日は久しぶりに、家の手伝いでもしようかなーなんて……」 「ワタシが教室まで迎えに行きマスから♪」 「うー……分かったわよ……」 放課後になり、病院へと向かう。 退院してからも、定期的にこうやって、百南美先生と面談することになっていた。 「こんにちは、百南美先生」 「こんにちは。来て貰ってごめんね。あれから調子はどうかな?」 「身体のほうは、今のところ特に問題無いです」 「記憶は……」 思い出しそうだという感覚すらなくて、絶望という二文字が頭をよぎる。 「少しでも、思い出したことはないかな」 「特には……でも」 「知り合いだった人に対しては、話してるとそんなに悪い感じはしないっていうか……」 「思い出したわけじゃないんですけど、そんな感じがします」 思い出したわけじゃない。だけど、赤の他人って感じではなくて、自然に話せる。 「なるほど。いい傾向かもしれないね」 「新居での暮らしのほうは?」 「それは……まだ慣れないです」 「でも、夕梨が手伝ってくれて」 「夕梨ちゃんが?」 「はい。料理とか……今までは全部、シロネにやって貰ってたみたいなんですけど、それはしたくなくて」 「なるほどね。なんだか、押し掛け女房みたいじゃない?」 「えっ!? いや、まあ……手伝っては貰ってますけど」 そういう言い方をされると、ちょっと恥ずかしい。 「でも、ほどほどにね」 「彼女は、ちょっと……きみのことになると、無理をしてしまいそうだから」 「はい、分かってます」 「生活はどうかな?」 「いろいろ、出来ることは増えてきましたが……」 「分からないことばかりです。自分のことも、境遇も、何もかも……」 「すぐに慣れろというのは、難しいだろうね。ゆっくりやっていくしかないと思う」 「あの……」 「百南美先生は、僕の事故のことについて知っているんですか?」 「もちろん。君をシロネちゃんが運んできた時は驚いたよ」 「どうして、僕は――」 嵐の日に、海へ行ったのか。 白音が――妹が、亡くなった海に。 「経緯は知っているよ。だけど、海に行った理由は分からない」 「きみたちの間に何があったのかも。それは当事者にしか分からないんじゃないかな」 「当事者……」 僕と、シロネだけ。 「シロネちゃんには聞いてみたの?」 「少し。でも、何も知らないようでした」 「何も知らない?」 『何も知らない』 「自分でも、どうして覚えていないのか、分からないみたいです」 「……そう」 「とにかく、七波くんは焦らずちゃんと日々過ごしていくこと。出来そうかな?」 「はい」 過去の自分に囚われていても、仕方ない。 だけど、どうして自分が記憶を失ってしまったのか。 自分が生きてきた記憶を失うことになった――あの事故のことだけは、確かめなくてはいけない。 「今日も来てくれてありがとう。でも、大変じゃない?」 「全然? むしろ結構楽しいかな」 夕梨はそう言ってニコニコと笑う。 「何も出来ないよりさ、出来るほうが落ち着くっていうか」 「やっぱり、心配になっちゃうから」 夕梨は、やっぱりいい子だ。 夕梨なら……何か知ってるかもしれない。 「……僕と夕梨ってさ、つ……」 『付き合ってた』 「仲、良かったんだよね?」 「え? ええと……まあ、うん。幼なじみだしね」 「じゃあ、夕梨は……シロネのこと、知ってる?」 「どうして、僕とシロネは一緒に住んでるのか」 「最初は3人で暮らしてたよ。その後、引っ越した時のことは、あんまり……」 「でも、いろいろ、あったみたい」 「いろいろ……?」 「詳しくは知らないけど、舜のお母さんと……」 「一緒に暮らすこと、最初は了承してたんだよね? そうじゃないと暮らせないと思うし……」 「だけど、途中で駄目だったってこと……? それで、引っ越すことになったの?」 「舜……?」 「え、えっと……どうしたの。過去のこと、知りたくなったの……?」 「あ、いや。すごく気になるってわけじゃ……ないんだけど」 つい、夕梨を質問責めにしてしまった。夕梨は心配そうに僕を見ている。 「ごめん。変なこと聞いて」 「ううん。舜がいろいろ疑問に思うの、仕方ないと思うんだけど。……え……と」 「あのね、過去のことは……記憶を失ったばかりで一気に話すのは、混乱するからって……」 「百南美先生が言ってた?」 「……うん」 コクリと、夕梨は小さく頷く。 確かに、思い返すとみんな、僕が記憶を失ってから、思い出させるようなことは言ってなかった。 「舜が知りたいって言うなら、あたしが知ってることくらいなら話せるけど……」 夕梨の表情は心配そうに曇っている。 「ちょっと気になっただけなんだ。大丈夫だよ」 「そう……?」 自分でも、どうしてこんなに気になるのか分からない。 知らないほうがいいんだろうか? 放課後になり、いつものように夕梨は僕の家に来てくれる。 だけど――朝のことが気になっているのか、夕梨はどこか大人しかった。 「夕梨?」 「えっ……? なっ、何……?」 「朝のこと。気にしてるよね? ごめん」 「そっ、そんなことないっ! ないよ!!」 「……」 夕梨との付き合いはまだ短いけど、嘘を吐ける性格じゃないっていうのは、なんとなく分かる。 「ごめん。やっぱり、気になっちゃって……」 「いや、僕のほうこそ、ごめん」 「百南美先生が、無理に思い出さないほうがいいって言ってたなら、僕も……その通りにしたほうがいいと思う」 それが正しい。今すぐに知らなくてもいいことだということも。 「舜、ちゃんと話そう! あたしが知ってることなら、話すよ」 「舜が知りたいって思ってるなら、必要なことなんだと思う」 「夕梨……」 「自分でも、分からないんだ」 「でも、シロネのことは、やっぱり混乱してる。突然、幼い頃に亡くなったって聞かされて……」 「妹とよく似たアンドロイドと2人きりで暮らしていて」 「無理もないよ……」 「舜の人生なんだから、知ろうとしていいんだよ」 「気になるのだって、普通のことだよ」 優しく微笑んで、それからゆっくりと言葉を続ける。 「シロネは……」 「沙羅が作ったアンドロイドなの。トリノって言うんだって」 「普通の便利なロボットとは違う、人工知能を持って、学習する、人を模したアンドロイドで……」 「シロネは、妹の代わりとしてロボが成り立つかどうかの実験? って、沙羅から聞いた」 「代わり……」 「舜は、白音ちゃんのことを本当に大切にしてて……」 「失った悲しみが大きかったの。あの日のこと、あたしも覚えてる」 「みんな、すごく悲しくて……辛くて」 「だから沙羅はきっと……」 「ただいま帰りました」 玄関から物音がして、シロネが帰って来たのだと気付く。 「あっ……!」 「おかえり、シロネ」 「ただいまです。夕梨ちゃん、来てたんですね。今、お茶を……」 「ああっ、いいっ、いいから! もう、帰るところだったからっ!」 「ねっ、舜!」 「そうなんだ、今日はちょっと、寄ってくれただけで」 「夕梨のこと、送ってくるよ」 「そうですか?」 「うんっ、またね、シロネ!」 「はあ……びっくりした」 「ごめんね。シロネにはちょっと、聞かれたくなかったから」 「いや、僕もそう思ったから」 「夕梨は、白音……妹のこと、知ってるんだよね?」 「うん。友達だったから」 「同級生だったし、よく一緒に遊んでたよ。舜も、沙羅も一緒に。みんな幼なじみだった」 記憶はないけれど、なんとなくその光景は思い浮かぶ。 「白音ちゃん、いつも舜と一緒に居て、すごく楽しそうだった」 「あたしは一人っ子だったからさ、2人の仲の良さが羨ましかった」 「あの日は――花火大会だったんだって」 「あたしも一緒に行く約束してたんだけど、その日は行けなくて」 「ここで……?」 「うん。ここから見える景色が、すごく綺麗なの。そうして、その日、白音ちゃんは……」 夜の海で、白音は亡くなったのか。でも、どうして夜の海に入ったんだろう。 暗くて、分からなかったのかもしれない。海岸に近寄りすぎて、波に足を取られてしまったのかもしれない。 「白音ちゃんが亡くなって、みんなすごく悲しんで。あたしも、すごく悲しかった」 「沙羅はその日から、滅多にあたしたちの前に姿を見せなくなった」 「……その時から、ずっと考えてたのかも」 「沙羅は有名な研究者になって、テレビとかでも取り上げられるようになって……」 「ようやく再会した時、沙羅はシロネを連れて来た」 「……そうだったんだ」 少しずつ、自分を取り巻く世界の輪郭が見えてくる。 「あ……っ、ごめん、あたし、一気に話しちゃった……!」 「大丈夫!? ショック受けたり、記憶が混乱したり、してないっ?」 「大丈夫だよ。覚悟は出来てたから」 今までのことが分かって来た分、余計に記憶を失った日の行動が、理解出来ない。 「僕は、どうして海に行ったんだろう……」 「海?」 「大雨の日に……どうして……」 それが、どうしても分からない。そんな僕を、シロネが助けようとしてくれたってことも。 「どういうこと? 何の話?」 「……あっ」 そうだ。このことは、沙羅に言わないように口止めされてた。 「大雨の日に海って、どういうこと? 舜は、シロネと交通事故に遭ったんでしょ?」 「あたしは沙羅にそう聞いたよ?」 「ごめん、それは……」 「あたしだって全部言ったんだから、舜も隠し事しないで!」 沙羅には口止めされてたけど、夕梨に隠しておくことでもないだろう。 「……そうだね、分かった」 「僕は、交通事故に遭ったんじゃない。あの日、荒れた海で波に攫われたみたいなんだ」 「僕は――海難事故に遭ったんだ」 「海……あんな雨の日に……?」 「嘘でしょ……!? そんなの、自殺行為じゃん!」 「……だから、分からないんだ。どうして、僕がそんなことをしたのか……」 自殺未遂――僕は死のうとしたんだろうか。 「沙羅は――僕とシロネが高波に攫われた、不幸な事故だって言ってた」 「それ、絶対嘘でしょ。なんでそもそも、あんな日に海へ行くの?」 「僕も、そう思う」 それに、本当にそれだけの事故なら、沙羅はわざわざ誰にも言わないでなんて釘を刺すはずない。 交通事故だということにしたのも、RRCが絡んだ理由があるんだと思う。 「引っ掛かってるなら、聞きに行こう。沙羅に直接!」 「それは……」 どうすればいいか、少しだけ迷う。 百南美先生も何も知らないようだった。シロネも、何があったのか、僕に言えないようになっている。 沙羅だけが、事情を知っている。 「僕も――知りたい」 「僕に、何があったのか」 「うん! 今すぐ行こう!」 今すぐ行こうと言う夕梨に連れられて、沙羅のところへ向かう。 電話を掛けたら、ちょうど休憩中だった沙羅が出た。 「どうしたの、こんな時間に」 「聞きたいことがあるの」 「交通事故なんて嘘だったんだ。沙羅、あたしに嘘吐いたんだね」 「……はあ……」 沙羅は恨めしそうな目で僕を見る。 「他言無用だって、言ったはずなんだけど」 「ごめん。でも……なんで言っちゃいけないのか、気になって」 「海で高波に攫われただけなら、単なる事故だよね?」 「ええ。ただの事故。でも理由はどうあれ、シロネは傍に居たの」 「人間を守れなかったアンドロイドとして見られてしまう。それを避けたかっただけ」 「そういうわけだから、夕梨も周りに言ったりしないでね」 「じゃあ、この話はこれでおしまい――」 「待ってよ!」 「終わりに出来るわけ、ない。沙羅は大事なことを隠してるでしょ」 「さあ? なんのこと?」 「舜には、知る権利がある! 舜のことなんだから!」 「あの日、なんで海に行ったのか、本当は何があったのか。沙羅は知ってるんでしょ?」 「どうして、私が知っていると思うの?」 「私は別に、当事者ではないのに」 「シロネが、あの日のことを思い出せないって言ってた」 「…………」 「沙羅に会って来た後から、急に様子が変わって」 「それは、沙羅にとって、話されたくないことだからなんじゃないの?」 「違う。興味深いことではあったけど……」 「これは、故障の原因にもなり得ると判断した……シロネの感情には、混乱が生じていたから」 「故障の原因……? どういうことなの?」 「三原則とシロネ自身の感情に、齟{そ}齬{ご}が生じていたの。シロネは、自分を責め続けていた」 「やっぱり、沙羅は何か知ってるんじゃないっ」 「……今は、舜と話をしたいの」 「誤魔化さないでよ!」 「……まあいいわ」 「私がシロネ自身に頼まれて、記憶をロックした」 「シロネが……? どうして?」 「記憶レベルを、舜と同じにしたかった――ってこと」 「もちろん、初期化はしていないけど、舜だけが記憶を失って、自分は何も失っていないことが、辛かったんでしょうね」 「……シロネ……」 そうまでシロネが考えていたことを、僕は知らなかった。 「だけど、シロネがそう思った要因を、沙羅は知ってるんでしょ?」 「僕は、真実を知りたいんだ。沙羅の知っていることを、教えて欲しい」 「何が起きたか――それは、私よりも舜が詳しいはず」 「僕は記憶が無いんだ」 「無いなら、自分で思い出せばいい」 「私が話したところで無意味だと思う。人間は、嘘が吐けるのだから」 「シロネが事実を話せず、舜は記憶を失っている。居合わせなかった私は、何も知らない」 「そんなの……」 「信じられない?」 「……そうね。真実を知っているのが私だけなら、私はいくらだって事実を創作出来る」 「話す気は無いってこと?」 「無意味だって言ってるの。私が真実を話したところで、それが真実だという保証はどこにも無い」 「あなたたちが納得出来るまで、私は嘘を吐き続けることだって出来る」 「……」 沙羅の言うことは、確かに正しい。 自分で思い出したならともかく、沙羅に聞いても意味がない。 「そんなの、卑怯だ!」 「夕梨、いいよ。沙羅の言う通りだ」 「なんで、嘘吐くことが前提なわけ? 本当のこと、全部話したらいいじゃん!」 「元は舜の記憶なんだからっ。舜が知りたいなら言うべきだよ!」 「知ることが正しいとは思わない」 「それに、経緯の全ても知らずに、断片的な事実だけを知ったところで、後悔するだけよ」 「そんなの、分からないじゃんっ!」 「そんなこと言って、沙羅はシロネのために明かさないだけなんでしょ」 「舜よりも、シロネが大切なんだ」 「……それの、何がいけないの?」 「私の研究に、シロネは不可欠なの。シロネが居なきゃ、私の研究は成り立たない」 「ほら、結局、保身じゃない」 「……あくまでも、言わせたいってことね」 「うん、分かった。そんなに真実を言うことが正しいのなら――」 「夕梨。あなたも、舜に言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」 「あたしが……何……」 「あなたが隠している、本当のこと――。まずはそれを言ってから……なら」 「私も、真実を話すことを考えたっていい」 「……っ、そ、そのことは……今は、関係無いじゃない……」 突然、夕梨の様子がおかしくなる。 「夕梨、どうしたの? 何の話……?」 「関係無いけど、取引のようなものね。あなたが話すなら、私も話す。こういうのはどう?」 「ちょっと、待ってよ……そんなの……」 「舜だって、知りたいよね? 実はね、夕梨――」 「や……」 「やめてよ!!!」 叫ぶように夕梨は言う。 何か――言われたくないことを、沙羅に弱みを握られているのだろうか。 「夕梨、いいよ」 「ごめん……舜……」 震える声で言い、夕梨は俯く。 「……沙羅の言いたいことは分かった。もっともだと思う」 自分で思い出さなきゃ意味がない。 それに、確かにそこに至るまでの経緯も知らないで、事故の真実だけ聞かされたところで、また疑問が浮かぶだけだ。 「帰ろう、夕梨。ごめんね」 「ん……」 「…………」 沙羅は一度もこっちを見ず――すぐに自分の研究室へ戻って行った。 「うー……」 「ごめん、舜……。あたし、何も出来なかった……」 「あたし……言えなかった……。ごめん……」 「いいよ。夕梨が聞きに行こうって言ってくれなかったら、きっと僕は、行かなかったと思う」 「言いたくないことは、誰にでもあると思うし」 「ごめん……。でも、大したことじゃないから、忘れてね」 「小さい頃の、恥ずかしいことっていうか……」 それに、沙羅からは何も答えは貰えなかったけど――。 行く前よりもずっと、気持ちはすっきりしていた。 行って良かったと思う。過去が気にならないわけじゃないけど、聞くだけでは意味が無いと分かったから。 「うー……」 「悔しい……悔しい! 悔しいー!!!」 「夕梨、ちょっと! ここ外だから!」 近所迷惑になりそうな大声で、夕梨はじたばたしている。 「だって、舜は当事者なんだよ! その舜が知りたがってるんだから、教えてあげたっていいじゃない」 「それを、話したって意味無い〜とかさっ!」 「最初から沙羅が全部、話してくれればいいだけじゃんっ」 「そうなんだけど」 「妹を失って、それで、記憶も失って……」 「疑問に思ったことすら、教えて貰えないなんて、あんまりだよ」 「夕梨……。ありがとう、もういいんだ」 ゆっくり、知っていけばいい。 いつか、思い出すかもしれない。思い出さなくても、知る日が来るかもしれない。 今は、きっとその時じゃないんだろう。 「とりあえず、今はいいよ。いつか、知る時が来たら……」 「う……ひくっ……うー……」 「えっ!?」 見ると、夕梨の瞳から大粒の涙が零れている。 「な、なんで泣くの……!?」 「だ……だってぇ……う……ひくっ……」 「あたし、何も……出来て、な……ぐすっ……」 「……そんなことないよ。夕梨には、いっぱい助けられてる」 夕梨が居たから、僕は前向きになれたんだと思う。 自分のことのように親身になってくれて、真っ直ぐな夕梨は、本当にいい子だ。 「僕、夕梨と付き合っていたような気がしてきた」 そうだとしたら――過去の自分の気持ちが少し分かる気がする。 「ひくっ……う……?」 「えっ、……ええええっっ!? な、なんて言ったの!?」 「夕梨と付き合ってた時のこと、思い出してきたかも」 「ほ、本当……?」 「よっ、ようやくっ、思い出してくれた?」 「この意気でもっと思い出せるといいね! 急ぐことないけど!」 「はは、そうだね」 きっと、思い出すのも悪いことじゃないだろう。 良いことばかりじゃないというのも、なんとなく分かる。 だけど、夕梨との思い出は、キラキラと輝いているような、そんな気がした。 沙羅と鳥かごでシロネの話をしてから、数日が経過した。 今日は休日ということで、僕も家事に専念する。 「……よし」 レシピを見ながらだけど、料理も少しずつ出来るようになった。 「お兄ちゃん、お皿出しておきますね」 「ありがとう、シロネ」 シロネとの関係も良好だ。 『わたしがやります』 自分で作りたいんだと説明すると、ちゃんと分かってくれて、今はサポートに徹してくれる。 事故のこと――シロネと僕に何があったのか、気にならない訳じゃない。 今は、日々の生活に向き合ってちゃんと生きていこう。そのうち、きっと思い出せるはずだから。 食後、片付けをしていると、シロネに声を掛けられる。 「お兄ちゃん、なんでも自分で出来るようになってきましたね」 「まだまだ完璧とは言い難いけどね。シロネも、いろいろ教えてくれてありがとう」 「わたしの出来ることが減って、少し心細いですが……良いことなんですよね」 「そんなお兄ちゃんに、折り入ってお話があります」 シロネは居住まいを正し、真剣な眼差しで真っ直ぐに僕を見つめる。 「どうしたの?」 「わたし、しばらくRRCに戻ることになりました」 「えっ? そんな、突然だな……」 「事故の後、わたしがお兄ちゃんと一緒に暮らしていたのは、百南美先生に言われたからだったんです」 「記憶が混乱する恐れがあるから、事故の前と同じ状況で、暮らしたほうがいいって」 「それで沙羅ちゃんは、急いでわたしの修理をお願いしてくれたんです」 「そんな経緯があったんだね」 「だから、わたしはちゃんとした精密検査を受けていなくて」 「お兄ちゃんと離れるのは寂しいですが、沙羅ちゃんのところで、しっかり検査して貰ってきます!」 「いつ頃、戻って来るの?」 「うーん……それは、検査の結果次第なのですが……」 「1ヶ月くらいでしょうか? 何か見つかったら、もう少し長くなるかもしれないって」 「そうなんだ……」 シロネとの生活も慣れてきたところだったので、少し寂しい。 「でも、学校にはちゃんと通いますよ」 「沙羅ちゃんも、大丈夫そうだったら戻っていいって言ってました」 「分かった。すぐに戻って来れるといいね」 「わたしが検査の間、家事手伝いアンドロイドを派遣出来るというお話だったのですが、どうしますか?」 「家事手伝いアンドロイドか……」 「今のところ、大丈夫だよ。しばらく、1人でやってみる」 料理も出来るようになってきたし、夕梨も手伝いに来てくれる。 しばらく1人でも大丈夫だ。 「どうしても大変だったら、お願いすることにするよ」 「分かりました。沙羅ちゃんに、そう伝えておきますね」 「うん。シロネも頑張ってね」 「変なお兄ちゃん。頑張るのは、沙羅ちゃんですよ?」 「いや、そうなんだけど……まあ、いいか」 「いつでも遊びにおいで。ここは、シロネの家でもあるんだから」 「ありがとうございますっ、お兄ちゃん。行ってきますね!」 シロネは荷物の準備をして、RRCへ向かった。 精密検査だと言っていたけど、大丈夫だろうか? 事故の記憶のことは、沙羅に頼んでデータを消して貰ったのだと沙羅から聞いた。それも、ずっと気になっていた。 「お邪魔しまーすっ」 「休日に来るなんて珍しいね」 夕梨が来るのは平日が多かったから、休日に連絡もなく来るなんて珍しい。 「シロネから連絡貰ったの」 「検査でしばらく沙羅のところに行くことになったから、舜のことをよろしくって」 「そうだったんだ」 「家事手伝いアンドロイド、頼まなかったんだって?」 「うん。しばらくは1人で頑張ってみようかなって」 「家には戻らないの?」 「母さんから連絡は来たよ。困ったことがあったら、頼ってみようとは思ってる」 「でも、いつシロネが戻って来ても良いように、とりあえずここで暮らそうかなって」 もしかしたら、すぐに戻って来るかもしれないし。 まずは、その連絡を貰ってから決めようと思う。 「そっか。分かった!」 「あたしも、今まで以上に手伝い頑張るからね!」 「舜、買い物に行かない?」 「そうだね。行っておいたほうがいいかも」 平日は授業があるし、なるべく休日に買い溜めしておきたい。 「じゃあ、あたしは洗い物しちゃうね」 「自分でやるから大丈夫だよ」 「舜は自分の部屋でも掃除してて。それとも……」 「逆にする? あたしが舜の部屋を片付けようか?」 「洗い物お願いします」 「にひひっ。遠慮しなくていいのに♪」 夕梨に世話を焼いて貰って嬉しいけど、なんだか申し訳ない。 家事手伝いアンドロイドを頼んでも良かったのかも――。 でも、アンドロイドが手伝ってくれたら、夕梨はもう、手伝いには来てくれないかもしれない。 それよりは、夕梨に習いながらいろいろなことを覚えていくのが、やっぱり楽しい。 リビングから、何かが割れるような大きな音がした。 「夕梨っ?」 「ご……ごめん……お皿……」 床には、割れたお皿の破片が飛び散っている。 「大丈夫だよ。夕梨、怪我はない?」 「ごめん、掃除……すぐ……」 「破片が飛び散ってるかもしれないから、待ってて。すぐに片付けるから」 「……ごめん」 まずは大きな破片を新聞紙でくるみ、小さな破片を掃除機で丁寧に吸い取る。 その間、夕梨はずっと申し訳なさそうにしょんぼりしていた。 「そんなに気にしないで。誰にでもあることなんだし」 「でも、自分で手伝うって言ったのに、役に立てなくて……」 「そんなことないって。夕梨にはすごく感謝してるよ」 「舜……。ごめん、残りの洗い物も……やらないと……」 「きゃっ……」 立ち上がろうとした夕梨が、ふらつき、その場にへたり込む。 「夕梨っ」 「少し休んでていいよ。体調悪い?」 「……ごめ……」 夕梨の瞳に涙が浮かぶ。 「ごめん……舜……」 「僕のほうこそごめんね」 夕梨の身体に触れた瞬間、百南美先生に言われたことを思い出す。 「でも、ほどほどにね」 「彼女は、ちょっと……君のことになると無理をしてしまいそうだから」 無理はさせないように言われていたのに。 夕梨は優しいから。 僕のことになると、頑張り過ぎてしまうんだと思う。 「とりあえず、ソファーで休もう」 「ごめん……少し、休む……」 「うん。ゆっくり休んでね」 女の子だからかもしれないけど、思っていた以上に華奢だ。 夕梨の身体に触れて、初めて抱いた感想は、それだった。 「少し休んだら、大丈夫だから……」 「ん……」 「心配しなくて、いいからね。すぐ、良くなるから」 いつも元気な夕梨の辛そうな表情。 そんな夕梨を見ていると、僕まで辛くなる。 夕梨を片腕で支えながら、ソファーへと導く。 驚くほど軽くて、そのまま簡単に抱き上げられそうなくらいだった。 だけど、今その話をするのはよそう。 「夕梨……いつもありがとう」 そっと呟く。 夕梨はそっと微笑んで、そのまま目を瞑った。 夕方になり、目を覚ました夕梨を家に送って行く。 「今日はごめんね。全然、役に立てなくて……迷惑かけちゃった」 「そんなこと思ってないよ」 「ごめん、体調悪いのに、来てくれたんだね」 「……大丈夫だと思ったんだけど、ちょっと……」 「風邪かな? 少し疲れてる?」 「うん、そうだね。休んだら、良くなると……思うから」 「うん。ゆっくり休んで。早く良くなってね」 「またね、夕梨」 僕はそう言って手を振る。だが、夕梨は辛いのか目を伏せた。 「……また……」 「……また、ね……」 辛そうで、泣きそうな表情で、夕梨は僕を見つめる。 「夕梨……?」 「また……なんて、来ないかも」 「え?」 「……来ないかもよ? なんて……ね」 「ど、どうしたの……?」 「冗談だよ? 冗談」 「でも、冗談じゃないかもしれない」 「またねって別れても、明日は、もう無いかもしれないよ」 「そんなこと……」 「来ないかも……しれないじゃない。舜はそういうこと、考えたこと、ある?」 「夕梨……? それは……」 考えたことがあるかと言われたら――。無いと思う。 いつも通り、明日が来て。 学校へ行って、夕梨が傍に居てくれて。 海難事故で僕の過去は消えてしまったけれど――それでも。 いつの間にかこの日々が、僕の日常になっている。 『無い』 「今日はゆっくり休んで。また連絡するから」 夕梨は少し疲れてるだけだ。そう思いたくて、僕は答えを返さずにお茶を濁した。 「…………」 「……抱き締めて」 「え……?」 「あたしのこと、抱き締めて。抱き締めてよ」 突然そう言われて、返答に詰まる。 「あたしたち、付き合ってたんだから……」 「前は、抱き締めてくれたんだから。キスも……それ以上だって……っ」 「記憶、無くなったの分かるけど! それくらい、してくれたっていいじゃないっ……!」 「少し……くらい、辛い時、くらい……」 「支えてくれたって……いいじゃない……」 「……夕梨……」 確かにそうだ。僕が、夕梨と付き合ってたのなら。 そういうことも、あったのかもしれない。そう思うと、すごくドキドキした。 「……」 記憶は、無くても。 夕梨と付き合っていたことを、覚えていなくても。 僕は、夕梨に触れて、いいんだろうか。 夕梨と付き合っていた頃、僕が夕梨を支えることもあったのなら。 僕が、夕梨を守ることも、あったなら――。 『僕』 僕が、夕梨を守って。支えていけるんだろうか。 「……舜……」 夕梨が僕と付き合っていたのなら。 夕梨の恋人に、僕は、なれるのだろうか。 だけど――何も覚えていないのに? どうして夕梨と付き合うことになったのか、夕梨との思い出すら、何も無いのに? そんな状態で、僕は夕梨に触れて、いいのか――? 伸ばした手を、おずおずと僕は引っ込める。 「ごめん……」 「……あ……」 「夕梨と僕は、付き合っていたのかもしれないけど――」 「その記憶が無いのに、夕梨に触れるのは、違う気がして……」 もしも、ちゃんと付き合っていたなら、こんな不自然な遠慮を抱くこともないのに。 今のままでは、夕梨に触れられない。そんな資格は無いと思う。 「……そっか。真面目だね、舜は」 「ごめん」 「いいの。あたし、そういう舜の真面目で優しいとこ、好きだから」 「またね。舜」 無理をして笑顔を作って。 夕梨はその場を逃げ出すように、家へと取って返した。 僕は呼び止められずに、その後ろ姿をただ見送るしかなかった。 シロネも居なくて、すごく静かだ。 その静けさの中、さっきの夕梨のことを、どうしても思い出してしまう。 夕梨は僕と付き合っていたらしい。 だけど、それは今の僕じゃない。 付き合うことになったきっかけも、好きになった経緯も何も分からないのに付き合うのは、間違っている気がする。 だけど、記憶を失う前の僕が、夕梨を好きだと思ったのも分かる。 何事にも一生懸命で、いつも優しくて。 そんな夕梨に、今の僕も、惹かれている。 「またねって別れても、明日は、もう無いかもしれないよ」 「そんなこと……」 「来ないかも……しれないじゃない。舜はそういうこと、考えたこと、ある?」 さっきの夕梨は、とても見ていられなかった。放っておけなかった。 触れても、良かったのだろうか。 身体を支えた時、軽いと感じたことを、伝えても良かったんじゃないか。 優しく接することが、正しかったんじゃないだろうか。 「夕梨……」 明日は、ちゃんと伝えよう。 今の僕として、夕梨に――。 朝、夕梨が僕の家に来ることはなく、連絡も無かった。 昨日、体調を崩していたようだし、少し心配だ。 「夕梨……大丈夫かな」 メールしてみたけど、返事は来ていない。 休んでるんだったら、放課後、お見舞いに行ってみようか。 「舜、少しいい?」 「どうしたの?」 「シロネのこと、一応話しておこうと思って」 「そうだ。驚いたよ」 「シロネ、大丈夫なの? 長くなるかもしれないって言ってたけど」 「大丈夫。故障しているとか、そういうわけではなさそう」 「ただ、あの子もいろいろあったから」 沙羅は少し含みのある言い方をする。 海難事故のこと――記憶を消すように沙羅に頼んだということも、関係あるんだろう。 「少し、検査をしながら様子を見ようと思って」 「分かった。頑張ってね」 「学校には通ってるから、見掛けたら普段通り接してあげて」 「出来るなら、1ヶ月くらいでまた実験に戻れるといいんだけど」 「もう少し、実験も続けたいしね」 「それも了解」 大事ではないようで、安心した。 「それに――夕梨も頑張っているようだし」 「シロネに聞いたの。家事をしたり、いろいろやってくれてるんでしょ?」 「うん、そうなんだ。すごく助かってる」 「それならなおさら、夕梨に時間をあげようかな」 「夕梨が居てくれるなら、私も研究に没頭出来るし。大切に思ってくれる幼なじみが居て良かったね」 「うん」 頷きつつも、昨日のことがやっぱり引っ掛かる。 「何? うまくいってないの?」 「そういうわけじゃないんだけど……。夕梨、体調崩してるみたいで」 「風邪気味だって言ってたから、無理させてしまったんじゃないかって」 「風邪……?」 的外れなことを聞かれたと言わんばかりに、沙羅は小首を傾{かし}げている。 「風邪……ね。夕梨がそう言ったの?」 「そうだけど……どうしたの?」 「別に。でも」 「舜は、夕梨のことが大切?」 「そりゃあ……大切だよ。すごく」 その気持ちに嘘なんてない。 「沙羅は、何か知ってるの?」 「それを私に聞いても、意味は無いと思うけど」 「私が、仮にあなたが情報を欲しがっているとして、夕梨の許可無く明かすと思う?」 「それは……思わないな」 なんとなく、沙羅のことも分かってきた。 「直接、夕梨と話すべきなんじゃない? もっと、大切なこと」 「大切なことって……?」 「さあね。でも、舜が夕梨にとっても大切な存在なら、いつか話すんじゃないかな」 「だから、私なんかに聞かないで」 「……」 沙羅はそれだけ言い残すと、自分の席に戻って行った。 夕梨と、ちゃんと向き合ったほうがいい……か。 確かに、まだ夕梨について知らないことばかりだ。 夕梨も、これから知っていってくれればいいとは言っていたけど、夕梨自身も、聞かれた以上のことを話してはくれない。 スマホを見ると、夕梨から返事が来ていた。 やっぱり、体調を崩しているんだろう。 『お見舞いに行くよ』 素っ気なく、見舞いを断る一文が表示されていた。 それでも。 夕梨が僕を支えてくれるように、僕も夕梨を支えたい。 風邪で苦しんでいる時くらい、恩返しをしたい。 『行くよ』 夕梨の家へ行くと、優しそうな夕梨のお母さんが、すぐに僕を部屋に通してくれた。 「……舜?」 「びっくりした……。来なくていいって言ったのに」 「心配だったから。はい、これ。お見舞いに」 風邪に効きそうなものを、薬局でいろいろ見繕って来た。 「……ありがと」 ちらりと見て、夕梨はベッドの脇に袋を置く。 「体調、どう?」 夕梨は喉風邪というわけでもなさそうで、話すのに支障はないようだ。 「大丈夫。ちょっと、ふらふらするくらいっていうか」 「大したことじゃないから、心配しないで?」 夕梨はそれだけ言って、微笑んでみせる。 「……ごめんね。家のこと、手伝えなくて」 「シロネも居ないし、心配だけど……」 「そんなこと気にしなくていいよ。僕のほうこそ、無理させちゃってごめん」 「それは……あたしが勝手にやったんだから、舜が気にすることないのっ」 「すぐ良くなるから! 本当に心配しないでっ」 夕梨は元気に笑ってみせる。だけど、やっぱりなんだか、無理している気がする。 「今日、沙羅と少し話したんだ。夕梨のこと」 「え……?」 「ちゃんと話せって言われて……。今までのこと、反省したよ」 「沙羅に、何か言われたの!?」 「んっ……こほっ……。はあっ……」 急に動いたからか、夕梨はゴホゴホと苦しそうに咳き込む。 「夕梨っ、寝てたほうがいいって」 「沙羅に……何を……言われ……て……」 「何も言われてないよ。沙羅は、そういう人じゃない」 何か知っている様子ではあったけど、理由もなく話すような性格じゃないと思う。 「……そう……」 少しだけ安心したように、夕梨は息を吐く。 「そうじゃなくて、僕はまだまだ、夕梨のこと知らないんだって思ったんだ」 「夕梨は、僕のために精一杯のことをしてくれてるのに……」 記憶を失った僕に、笑顔を向けてくれる。今の僕のことを、ちゃんと見てくれている。 僕は夕梨に、感謝してもし切れない。 「もっと、夕梨のことを知りたいって思ってる」 「記憶はまだ戻らないけど……戻る日を待つんじゃなくて、知っていきたいんだ」 「今を、これからを。もっと」 「……舜……」 「僕は夕梨に、すごく支えられてる」 「記憶が無くても、夕梨は、僕は僕だって言ってくれたから」 「それに、昨日はごめん」 「夕梨を抱き締めるのは、嫌じゃないんだ。だけど、今の僕がそうしていいのか、迷ってしまった」 「……いいよ。昨日のことは、あたしもごめん」 「ちょっと、気が動転してたっていうか……」 「だからさ、本当に付き合おうか」 「え……?」 「夕梨のこと、好きだ」 いつの間にか、夕梨は僕の中で一番大切な存在になっていた。 夕梨が居ないと寂しい。夕梨のことばかり考えてしまう。 夕梨に、もっと傍に居て欲しい。 「前の自分のようには、出来ないかもしれない。だけど、夕梨のこと、精一杯、大切にしたい」 「これから、前の自分に負けないように、夕梨を愛せるようになりたい」 「夕梨のこと、大切にしたいんだ」 前の自分を、僕は知らない。前の思い出を、今の僕は持っていない。 それでも、今から、ゆっくり思い出を作っていけばいい。 「どう……かな」 静かに、夕梨の返事を待つ。 「…………」 沈黙を破るように、夕梨がそっと口を開く。 その微かな動きに、期待で胸が高鳴った。 「……でも」 「……付き合えない」 「……え……」 それは、僕にとって予想外の言葉だった。 断られることは無いと――おこがましいけど、自分の中でそう思っていた。 「それは……僕に、記憶が無いから?」 「違う。……付き合っていたなんて……嘘だから」 「嘘?」 「そう言えば、舜が、あたしのほうを見てくれると思っただけ」 「記憶が無いって言うから、それなら、嘘吐いても信じて貰えると……思っただけ」 「……そっか」 嘘かもしれないってなんとなく感じてたから、そんなに驚きはなかった。 むしろ、やっぱりそうだったか、と思った。 「夕梨が、僕が気を遣わないようにって言ってくれたんだってことは、気づいてたよ」 「それでも、今の僕は、夕梨が好きだ」 「夕梨の優しさも、真っ直ぐなところも、笑顔も、全部好きだ」 「だから、僕と付き合って欲しい」 「……舜……」 「あたしは……」 「……あたし……」 「…………」 「やっぱり、付き合えない」 夕梨の言葉は、さっきよりも揺るぎなく、強い意志を感じた。 「今の僕じゃ、だめだってこと?」 「そうじゃ……ない……。今も、前の舜も、関係ない」 「舜と付き合うなんて、考えたこと、ない……」 「夕梨……」 「……付き合えない……」 「夕梨、僕は……っ」 「……付き合えないのっ! 分かってよ!」 夕梨の、沈痛な叫び。 僕はそれ以上、何も言えなくなる。 「……」 「僕に対して、少しも、気持ち……無かった?」 「……ごめん」 「……疲れた。少し休むから……帰って」 「じゃあ、今度……」 「……体調が悪い時に、押し掛けてごめん」 「ううん」 「……ばいばい」 僕と目を合わさず、俯いたままで。 夕梨は小さな声で、そう呟いた。 授業中も、学校にいる間も、ずっと夕梨のことを考えてしまう。 夕梨の気持ちが分からない。 付き合っていたのが仮に嘘だとしても、それは僕に好意を持っているから吐いたものだと思っていた。 夕梨のことだから、記憶を失くした僕が気にしないように、嘘を吐いてくれたんだと思う。 僕が、夕梨に好意を持ったとしたら――。 夕梨もそれを、受け入れてくれるのかと思っていた。そういう類{たぐい}のものなんだと思ってた。 それなのに、夕梨の答えは違った。 家に戻ってから届いていた、夕梨からのメールを何度も読み返す。 それだけのメール。 僕が返信しても、夕梨からの返事は無い。 夕梨は、無理にでも終わらせようとしていると感じた。 僕と離れることが急務のように。 でも僕は、そんなの納得出来ない。 ちゃんと話し合いたい。 きちんと、夕梨のことを理解していきたい。 放課後、夕梨の家へ向かう。夕梨は、今日も休んでいたようだった。 「舜……なんで……」 「来ないでって、言ったじゃん。もう……お別れだって」 そう言いながらも、夕梨は僕と視線を合わせようとしない。 だけど分かってる。これは夕梨の本心じゃない。 「夕梨、体調は?」 「風邪は、もういいの?」 「…………」 夕梨は言いづらそうに、部屋の隅にあるビニール袋に目を向ける。 昨日、僕がお見舞いで持ってきたものだ。 1つも、手を付けていないようだった。 「ごめん。言いづらくて言えなかったんだけど……」 「風邪じゃないんだ。だから、せっかく持ってきて貰ったところ、悪いんだけど……」 「そうだったんだ」 「ごめんね」 「僕が勝手に持ってきたんだから、気にしないで」 「……」 「夕梨、ちゃんと話そう。僕は、このままお別れなんて言われても、納得出来ない」 「そんなこと言ったって、あたしは舜の告白、断ったんだから……」 「しょうがないじゃん。付き合ってたなんて嘘吐いてたのも、ばれちゃったし」 「一緒に居る資格、無いんだよ」 「僕は、そんなこと思わない」 「夕梨が付き合えないって言うのなら、それはしょうがないと思う」 「だけど、夕梨のことが大切なのは、変わらないよ」 「……」 他に好きな人が居るとか、恋愛感情を抱けないとか、そういうことなら仕方ない。 「でも、夕梨が辛そうだから。お別れって言われても、少しも本心だと感じないから」 「……」 「夕梨は、すごく辛そうに見える」 「だから、ちゃんと話したいんだ」 「……」 押し黙ったまま、応えてくれない。 でも、聞き入れて貰えないという感じではなかった。 「……着替える。外で、話したい」 夕梨の提案に従って、2人で外へ出ることにした。 気が付くと、2人で海に来ていた。 潮風が心地良く吹き寄せてくる。 「……舜は、馬鹿だよ」 「あたし、嘘吐いてたんだよ。舜と、付き合ってたって嘘吐いて……一緒に居ようとした」 「それはそんなに、本気にしてなかったんだけど……」 「嘘っぽいなとは思った。でも、夕梨に会って、嫌な感じはしなかった」 言葉の額面通り、信じ込んでいたわけじゃない。 『本当だったらいいな』 「夕梨のことが大切なのは本当だったんだって、自分で分かったよ」 「夕梨は、僕のこと、嫌い?」 「……そうは、言ってないよ」 「幼なじみだし……大切に思ってなかったら、あたしのこと頼ってなんて、言わない」 「でも、付き合うとかは……無理なんだって」 「そんなつもりで優しくしたんじゃないしね」 「舜、騙されてたし……。でも、他に付き合ってた人も居なかったみたいだし。いいかなって……」 「こっち見て……言ってよ」 夕梨はこちらを見ようとせずに海を見つめたまま、話を続けようとする。 でも、その声から、辛そうな気持ちが伝わってきてしまう。 「話してくれなくてもいい。でも、夕梨が苦しそうなのを見ていられない」 「夕梨のこと、好きだから」 「……そう……」 「記憶を失う前のことは思い出せないけど、なんとなく、ずっと前から夕梨が支えてくれてたこと、身体が覚えてた」 「昔からずっと、夕梨は僕にとって特別だったんだと思う」 「夕梨と付き合ってなくても、きっと……夕梨はずっと、大切な存在だったんだ」 「僕は、夕梨が好きだ」 「舜……」 「……なんで……なんで、あたしなの……?」 「あたしじゃなくても、舜は、大丈夫だよ」 「あたしは……記憶失って、弱ってる舜に、嘘吐いて、擦り寄っただけ」 「僕は、そんなふうに思わない。夕梨が傍に居てくれて、嬉しかったから」 「……」 「舜は、記憶を失う前――本当は、沙羅のことが好きだったんだよ」 「僕がそう言ってたの?」 「違うけど……分かるよ。ずっと、舜は沙羅のことを見てた」 「あたし、幼なじみだから、そういうの、分かるんだよ」 「……そうなの、かな」 確かに僕は、記憶を失っても、沙羅の名前は憶えていた。 だけど、自分が沙羅のことを好きだったと言われても、しっくりは来ない。 「沙羅もさ、クールな性格で……たまに、嫌味っぽい言い方もするけど、本当はすごくいい子なんだよ」 「今は実感無いかもしれないけど、きっと、もっと一緒に過ごしていけば……」 「舜はまた、沙羅のことを好きになる」 「過去の僕のことは分からない」 「でも今の僕は、目の前に居る夕梨のことが好きだ」 「僕は、今の僕と、今の気持ちと、生きていきたい」 「今の僕が、僕だ」 「もう……いいよ……」 「わがままだけど、夕梨の気持ちを教えて欲しいんだ」 「ううん……もう……」 「いい……やめ……て、よぉ……」 夕梨は泣きじゃくりながら、首を横に振る。 「夕梨……」 「舜のこと……あたし……」 「好きだよ……。大好き……。ずっと、好きなの……」 夕梨の気持ちが、嬉しい。好きだと言ってくれたことが、すごく嬉しかった。 「だから、嘘……吐いたの。一瞬だけ……記憶が戻るまで……」 「思い出が、欲しかったから」 「これからがあるよ。今だけだなんて、言わないでよ」 「それでも……付き合えないの……」 「思い出なら、これからたくさん作れるじゃないか」 「2人で、これから。……そうじゃないのか?」 「違うの。そうじゃ……ないの」 「今しか、ないから。これからなんて、無いから」 「あたしに、未来なんて……無いから……」 「何を、言って――」 「あたし……もうすぐ死んじゃうの。病気なの……」 「……え……?」 「風邪じゃ……ない。あたし、ずっと……病気なの!」 「体調崩してるのも、そう……」 「夕梨……何、言って……」 嘘だって言って欲しかった。 病気……? 夕梨が……? 「……ごめ……ん……。言うつもり、無かった! 言わないつもり……だったの……!」 嘘じゃ……ない……? 夕梨は変わらず泣きじゃくっている。 “またねって別れても、明日は、もう無いかもしれない。” そう言った、夕梨の言葉を思い出す。 またなんて、無いかもしれないって……? 「治るんだよね……?」 静かに言った言葉に。 夕梨は大きく、何度も首を、横に振った。 「治らない……。治療法……無いの……」 「今は、薬で……抑えてるだけ、で……」 「そんな……」 急な話に、頭が付いていかない。 だけど……夕梨が薬を飲んでいる姿は、目にしたことがあった。 「僕は……。記憶を失う前、そのこと、知ってたの……?」 「言ってない。誰にも……。治らない病気だってことは、誰にも言うつもり無かった」 「本当のことを言う前に、みんなの前から消えようと思ってたから」 「あたし、ずっと生きること、出来ないから……」 「この夏が、最後だったの。思い出作れるのも……舜と、恋人になれるのも」 「だから……嘘、吐いて……ひくっ……う……。少し、だけ……」 「この夏……」 夕梨は元気で。いつでも、笑顔で。 そう告げられても、まだ実感が湧かない。 だけど、嘘を吐いているようにも見えない。 余命があと一年無いのは、嘘じゃないんだ。 「ごめ……。だから……付き合えない……の……」 「舜のこと、大好き……だけど……。あたし……死んじゃう……から……」 信じたくない。嘘だって、言って欲しい。 「一緒に居る資格、無いの」 「あたしは絶対に、舜より先に、死んじゃうの……!」 「舜には……ずっと一緒に居られる人と、一緒に居て欲しい」 「大好きな人には……幸せになって欲しいから……」 夕梨の気遣いはありがたいけど、だからと言って、それを受け入れるわけにはいかない。 「僕は、それでも夕梨と付き合いたい」 「舜、何を言って……」 「過去が無い人と、未来が無い人で、気が合うかもしれないよ」 「なんで……聞いてなかったの……? 信じてないの……?」 「……夕梨がそんな嘘を吐くとは思ってないよ」 「僕はそれでも、夕梨と、今を生きたい」 「限られた時間しか残されていなくても、夕梨と居たいんだ」 「そんな……」 夕梨が病気だということ。治らないということ。 まだ、受け止め切れてないけれど、それでも。 だからこそ、僕は夕梨と一緒に居たい。 「なんで……っ、なんで!」 「分かってよ……っ。あたし、舜が悲しむところ、見たくないっ!」 「誰が悲しむところも、見たくないの! だから、誰にも言わない……つもりだったのに……っ!」 「あたしとは付き合えないって、分かってよ!」 「それから……今、言ったことは、忘れて……」 「残された時間を……幼なじみとして、友達として、普通に……過ごして」 「そんなこと出来ない。僕は、夕梨のことが好きだから」 「夕梨が苦しんでいるなら、助けたい。僕に出来ることは限られているかもしれないけど、傍に居たい」 「どうして、あたしなの……? 舜を愛してくれる人なら、他に居る」 「舜が、これ以上悲しい思いすることなんてない」 「それじゃあ、夕梨が悲しいままじゃないか」 「みんなを悲しませたくないって言うけど、夕梨は? 夕梨は、それでいいの?」 「あたしは……いいよ。だって、もう、十分……で……」 「そんなふうには見えない。夕梨は僕と思い出を作りたくて、嘘を吐いたんでしょ?」 「だったら、これからも思い出を作って行こう」 「舜……」 「夕梨を、支えたい」 「夕梨の、特別になりたい」 「僕のことを夕梨が救ってくれたみたいに、夕梨を救える存在になりたい」 「だけど、……あたし、死んじゃうんだよ……?」 「付き合ったって、未来なんか、無いんだよ……?」 「今があるよ」 「限られた時間だとしても、大切な時だ」 限られているからこそ――離れたくない。 「舜があたしと居る時間、無駄になっちゃう」 「無駄なんてことない。夕梨と過ごす時間は、すごく楽しい」 「でも、それなら……他の誰かと過ごしたほうが、きっといいよ。ずっと、一緒に居られる人と……」 「残念ながら、今は夕梨のことしか、見えそうにない」 「好きだ。夕梨」 「舜……」 「夕梨が、応えてくれるなら……」 「……いや、応えて欲しい。出来ることなら」 夕梨自身も、僕のことを想ってくれているのなら。 迷う必要なんてない。 「……っ」 「好き……。舜が、好き」 「ずっと、好き」 「今の舜が、好き……!」 夕梨の瞳から、涙が一筋、また一筋、はらはらと零れ落ちる。 「舜は……馬鹿だ……」 「馬鹿だよ。ここで離れておけば……余計に悲しむことないのに」 「あたし、知ってるんだから。舜、優しいから……」 「あたしが死んだら、超泣くんだから。すっごく、悲しむんだから」 「思い出が増えたら、もっともっと、辛くなるんだからね……?」 「今、夕梨と居られないことのほうが、僕は辛いよ」 「……ばか」 「あたし……本当に居なくなっちゃうからね……? 付き合ったこと、後悔しても……遅いからね?」 「うん。後悔なんて、しない」 夕梨と居られるなら、今はそれでいい。 僕は夕梨と一緒に居て、出来る限りのことをしたいんだ。 「…………」 夕梨は僕の手をぎゅっと握ってくれる。 「舜が……好き」 「僕も。大好きだよ、夕梨」 「よろしくね……。舜……」 「あたしの残された時間……全部、舜にあげる」 「うん。たくさん、思い出を作っていこう」 吹き付けてくる潮風はどこか冷たくて、押し寄せる潮騒は物悲しくて。 僕達の進もうとしている道を、暗示しているかのようで、覚悟を固めさせた。 残された時間は少ないのかもしれない。 だけど、夕梨と2人で、歩いていきたいんだ。 夕梨と付き合うようになったものの、お互いの距離感はそんなに変わらなかった。 夕梨が朝迎えに来てくれて、一緒に登校して、一緒に帰る。 なるべく多くの時間を、2人で過ごしている。 「んー……」 「どうしたの?」 「せっかく付き合ったけど、どうすればいいのかな……」 「何をすればいいのかとか、分からない……」 過去に夕梨と付き合っていたという話は、本当に嘘だったか。 そんな大事なことを忘れてしまうほうが申し訳ないし、嘘で良かったと思う。 「じゃあ……夕梨はどうしたい?」 「えっ! あたしに聞くっ!?」 「そ……そりゃあ……その……楽しいこと?」 「まあ、舜と一緒なら、なんでも楽しいけどね!」 「じゃあ、今まで通りってことで……」 「それはつまんない。彼氏なんだから、しっかりエスコートしてよ」 「……って、それを舜に期待するのは、ダメかあ」 「エスコートっていうほどのことが出来るか分からないけど……じゃあ、デートする?」 「デート……!?」 「デートっ……」 夕梨は目を合わせようとはせずに俯いたまま呟き、顔を赤らめる。 「普通過ぎる?」 「ううん! そんなことない!」 「デート……したことないから、してみたい」 「うん。週末にどこか出掛けてみようか」 「やったっ」 夕梨は照れながらも、嬉しそうに微笑んでくれた。 僕も恋愛の勝手は分からないけど、2人で少しずつ進んで行けたなら嬉しい。 「それなら……ちょ、ちょっとだけ……」 「手……繋いで……?」 「もちろん」 どちらからともなく手を差し出し、互いにそっと握る。 自分の手よりも小さくて、柔らかい。指先は少しだけ、冷たい。 「学校……っ、近付いたら、放すから……」 「誰かに見られたら、恥ずかしいし……っ!」 夕梨は早口でまくし立てる。 「舜は恥ずかしくないの? 友達に見られたりとかするの」 「別に、気にならないけど」 記憶を失っているのもあって、そもそも知り合いも少ない。 「うう……」 恥ずかしいのか、夕梨の指先が火照って、少し汗ばんできた。 「……」 口数も少なくなり、顔を赤らめて、恥ずかしそうに目を逸らしている。 それを見ていたらなんだか、僕までドキドキしてきた。 「……でも。こうやって、手を繋いで歩くなんて……」 「小さい時、以来……かも」 「うん」 記憶は無いけど、異性と手を繋ぐことに恥ずかしさはある。 「でもっ」 「なんか、いいね。落ち着くね。えへへ」 チラリと覗うように僕を見て、照れくさそうに笑う。 「うん。なんか……幸せだ」 握った手の温もりから、夕梨の緊張が少しずつ解{ほぐ}れていくのを感じる。 今度は夕梨も迷わず、握り返してくれた。 「にひひっ」 夕梨のトレードマークであるニヤけ顔を目にして、心の底から安らいだ。 「あっ」 校門が見えたところで、夕梨は慌てて僕の手を放す。 僕らに気づいたシロネが、向こうから近づいて来る。 「お兄ちゃん、夕梨ちゃん、おはようございます」 「シロネ。久しぶり」 「おはよう、シロネ!」 誤魔化そうとするかのように、いつも以上に声を張り上げ明るく振る舞う夕梨。 「沙羅のところはどう? 変わりない?」 「はい。もう少し掛かりそうですが、沙羅ちゃんが頑張ってくれてます」 「そっか!」 シロネの検査も、順調に行われているようだ。 「お兄ちゃんと夕梨ちゃんも、仲が良さそうで安心です」 「そりゃあ……えっと」 夕梨と付き合っていること、シロネに話してもいいんだろうか。 「まあねっ! 幼なじみだしっ!」 僕の迷いを払拭するように、夕梨が言葉を切り返す。 「だからこっちのことは、しばらくあたしに任せてね?」 「はい。沙羅ちゃんも、夕梨ちゃんなら大丈夫だって言ってました」 「大丈夫ってなんだろ……?」 沙羅が夕梨の何に対して問題無しと判断したのか、それはよく分からない。 「じゃあ、一緒に教室まで行こう!」 「はい♪」 「あっ……舜」 夕梨は何か思い出したように、こちらに振り返る。 「あたしたちが付き合ってること、まだ、内緒にしてねっ」 「いいけど……ずっと内緒にするの?」 「そうじゃないけど……もうちょっと! 話すのは、心の準備が……!」 「分かったよ」 「じゃあ、また連絡するから」 「うん、またね!」 夕梨は手を振り、シロネを引き連れて足早に校舎の中へ去っていく。 「夕梨ちゃん、お兄ちゃんと何を話してたんですか?」 「なんでもないよっ、ちょっとしたこと!」 心の準備か。 確かに、沙羅やシロネに打ち明けるのは、まだちょっと恥ずかしいかもしれない。 放課後。 “プールに居るねー”という夕梨からのメールを見て、下校の支度をしてから向かう。 「舜っ」 プールサイドに、制服姿の夕梨が居た。 「今日は泳いでなかったんだ」 「うん。泳ごうかと思ったんだけど、ちょっと調子悪くて」 調子が悪いという言葉が引っ掛かる。 しかし、あまり心配し過ぎるのも、保護者気取りのようで厚かましい気がして、接し方が難しい。 「今日は午後から、授業サボっちゃった」 「連絡くれれば良かったのに」 昼からなら、僕も一緒に居られたかもしれない。 「ああ、そこまで気にしなくていいからっ」 「舜はあたしと違って、授業受けないとだめだし。学校に居る間は、学業第一!」 夕梨の言っていることはもっともだけど、納得はいかない。 「あたしが具合悪いって言い出したら、舜は心配するでしょ?」 「でも、いつものことだから、気にしないでっ。あたし、出来る範囲で自由にやってるし」 「僕のこと手伝ってくれてる時も、無理してることあったよね……?」 「だから夕梨は、僕に遠慮してるんじゃないかって思ってさ」 「ああっ、ごめん! そんなつもりじゃないって!」 「舜だって、ちょっとダルいなあとか、それくらいはあるでしょ?」 「それと一緒だから」 「そうかなあ」 それでもやっぱり、ただの体調不良と、不治の病とでは、大分違う気がする。 「ごめん、なんか余計な心配掛けちゃったね……」 「帰ろうっ。帰ってからゆっくり話そう!」 夕梨は暗い雰囲気を振り払うように、元気に言ってのける。 夕梨にぐいぐい腕を引っ張られ、そのまま一緒に校舎を出た。 「ただいまー」 いつの間にか、まるで自分の家かのように、夕梨は僕の家に上がり込んでいる。 「じゃあ、今日は何を手伝おうかな……」 「そんなにすることも無いから、休んでていいよ」 「それより――」 「ああっ、まずはあたしの話からだよね」 「ねっ? そんなに険しい顔、しなくていいから」 自分が思っている以上に、夕梨のことを気にし過ぎていたらしい。 僕はなるべく夕梨が話しやすいように、出来る限りでくつろいでみせる。 「あたしの病気のことはさ、あんまり気にしないで」 「打ち明けたのに、気にするなって言うのも、難しいと思うんだけど……」 「……僕のほうこそ、ごめん」 夕梨だって、気遣って欲しくて話したわけじゃないだろう。 それでもやっぱり、重病なら、無理はして欲しくないと思ってしまう。 「この夏の間は、多分大丈夫! 普通に動けるし、問題なく生活出来そうだから!」 「夏が終わったら……」 「……」 夕梨の声が、少し曇る。 「それでも、明日急に死んじゃうってことは、無いと思うよ」 「多分、だんだん具合の悪い日が増えていって、少しずつ、登校出来なくなって……」 「いつかは、もしかしたら……」 「そんな……」 「そんな顔しないっ! 舜と居られる間はさ、良い思い出、いっぱい作りたいんだっ」 「病気のことは、出来ることならなるべく、忘れていたいんだよ」 「だって、もうすぐ死ぬって思いながら生きるのは、辛いから」 「……」 さっき夕梨に注意されたばかりなのに、心の中はブルーな気持ちでいっぱいだった。 「夕梨が授業サボったりするのって、本当は体調が悪いからだよね?」 “不良だから”と明るく言うから分からなかったけど、具合が悪いのを隠していたんだろう。 「あー……本当に面倒臭い時もあるんだけど……」 「具合悪い時が多いかな。病弱キャラっていうのは、なんとなくみんな知ってるけど」 「身体が弱いのは、ずっとなんだ。小さい時から」 「それは、前の僕も知ってた?」 「うん。病気のことは言ってないけど、そのことは知ってたよ。前にも一度、倒れちゃって」 「そうだったんだ……」 夕梨はすごく元気な子なんだと勝手に思い込んでいた自分が、恥ずかしい。 「黙っててごめん。でも、それを舜に話したら、手伝えなくなっちゃうと思ったんだ」 「舜が記憶を失くして大変な時に、あたしのことまで、気にして欲しくなかった。ずっと隠し通せるわけはないんだけど」 「ほんとのほんとはね……好きな人に、病気の子って思われたくなくて」 「それで嫌われたくないとか、そういうことじゃないよ?」 「……夕梨の気持ち、分かった気がする」 「ほんと?」 「うん」 今までは、隠しごとをされたり、変に気を遣われるのが嫌だから、病気に関することは打ち明けて欲しいと思っていた。 だけど夕梨には、バレても誰も傷つかない、優しい嘘が必要だったということだろう。 僕に寄り添うためというより、夕梨が夕梨自身を励ますために、健康で元気でただただ明るい夕梨が、必要だったんだと思う。 「病気のことは、みんなには内緒にしてね?」 「どうせ死んじゃうから、そもそも学歴なんて、あったって意味無いんだけど。やっぱり、心配させたくないし」 「生きてる間は、普通にしていたいんだ」 「分かった」 夕梨が望むことは、なるべく叶えてあげたいと思う。 それくらいしか、僕に出来ることはないし。 「よしっ! この話は、おしまい!」 「どうしても暗くなっちゃうから、あんまり病気の話をするのは無し! ねっ?」 「分かったよ。でも、無理はしないで」 「具合の悪い時は言って欲しい。夕梨の体調を見ながら、過ごしていこう」 「舜……ありがとう」 夕梨はずっと、病気のことを誰にも話せずにいたんだろう。 それならなおさら、僕は夕梨を支えられる存在になりたい。 「あたし、本当に舜と付き合ってるんだ……。なんか、感動」 「感動っていうか……ちょっと、変な感じ? えへへ」 「恋人ってさ……こういうことなんだなって」 夕梨がすぐ傍に居てくれる。 今までもずっと一緒に居てくれたけど、それとは違う、もっと深い関係になりたい。 「恋人……」 「うん。恋人だよ」 その言葉を耳にしただけで、なんだかすごくドキドキする。 「大好きだ……夕梨」 「あたしも。舜が、大好き……。大好きだよ」 自分にとって、華奢で弱々しく見える夕梨が、愛おしい。 「すっごく……ドキドキする……」 「もう、あたしの嘘じゃないんだ……」 「本当に、舜と、付き合ってるんだ……」 夕梨は静かに呟いて、胸の中で言葉を噛み締めているようだった。 「夕梨の笑顔のために、僕も頑張るから」 「うん……」 「あたし、すっごく幸せ……」 微笑む夕梨の頭を、気持ちを伝えるようにそっと軽く撫でる。 それが、今の自分が夕梨に出来る、最大の愛情表現だった。 週末。 夕梨と初めてデートに出掛ける日だ。 「……」 夕梨はなんだか、やって来てからずっとそわそわしている。 「……」 「夕梨?」 「わっ……! な、何……」 「なんか、緊張してる?」 「えっ!?」 「まさか!! ちっとも! 全然!! 全く!!!」 「……」 「あ。あう……」 「ひとまず、行こうか」 「うん」 「とは言っても……いつも来てる、商店街なんだけどね……」 「でも、夕飯の買い出しだと、スーパーくらいしか行かないし」 「そう……だよね。普段は行かない店とか、いろいろあるし」 「あー、そっか。舜は、スーパー以外は、行った記憶無いんだ?」 「うん」 スーパーの場所は覚えたけど、他の店に入ったことは無い。 それに、小さい頃と今とでは、並んでいる店も入れ変わったりしてだいぶ様変わりしている。 「そう言われると、なんか楽しみになってきた!!」 「全部行こっ! あたし、案内する!」 夕梨の家はコンドミニアムを経営していると聞いているし、島のことは他の人より詳しそうだ。 「この通りは結構変わっちゃったけど、裏の道には、八百屋さんとかお肉屋さんとか、昔からのお店もまだ残ってる」 「スーパーのほうが安いけどね。ちょっと高級なんだって」 「うちでお客さんに出してる食材とかは、卸して貰ってるみたい」 「なるほど」 「まあ、コンドミニアムはホテルとは違うから、基本的には自炊して貰うんだけどね」 「あっ、舜はスーパーのほうがいいと思うよ。なんでも揃うし」 今のところ1人だし、スーパーのほうが便利そうだ。 「あとは、奥のほうにおもちゃ屋さんがあるの。今はあんまり行くことないかなー」 「あ……。ちょっと覚えてるかも。小さい頃、母さんと白音と、一緒に行ったかもしれない」 朧げだけど、なんとなく、そんな記憶がある。 「おおっ! 子どもの頃は、みんなあのお店に行くよね」 何を買ったのかまでは思い出せないけど、ときどき、おもちゃを買って貰ったりしていたと思う。 「寄ってみる?」 「今日はいいよ。他にはどんな店があるの?」 「あとはねー……洋服屋さんもあるけど、舜、何か買う?」 「服? うーん、特に困ってない」 「下着も?」 「……多分大丈夫」 「付き添ってあげるよ?」 「いや、いいよ」 いくら夕梨が彼女だからって……さすがに、下着買うところを見られたくない。 「舜って、どんなパンツ履いてるの?」 「……」 一応黙秘して躱したけど、いつか知られる……と思ったら、恥ずかしくなる。 「小さい時は、白いブリーフ履いてたよ。見たことある」 「その話はいいから!」 商店街の往来でパンツの話をされるのは、さすがに恥ずかしい。 「あっちは?」 指差したほうから、なにやら美味しそうな匂いが漂ってくる。 「そうだ。久しぶりに、アレ食べようか!」 「あれ……?」 「ふふふー。舜の大好物だよっ」 「行こっ!」 元気にはしゃぐ夕梨に袖を引っ張られながら、匂いの元を目指して辿っていく。 「花神牛サーロイン串ーっ!」 「いただきます」 近くのベンチに2人で座って、肉を頬張る。 「これは間違いないね」 焼いているところを見ながら、これは絶対に美味しいと確信した。 「舜、お肉好きだもんね〜」 一口齧っただけで、溢れ出す肉汁とたれ……。 脂がしつこくなく、いくつでも食べられそうだ。 「やっぱりここのは絶品だね!」 前はよく食べていたのかもしれないけど、もっと早くに知りたかった。 「この牛串、舜が好きでね。舜のお母さんが、たまに買ってたみたいだよ」 「あたしは、舜に教えて貰ってから、たまに一緒に食べてたの!」 「そうだったんだ」 「舜っ、もう全部食べ終わってる……!」 「美味しくて、つい……」 気が付いたら、全部食べ切ってしまっていた。 「あたしのも食べる?」 「はいっ。あたしには、全部はちょっと多いし」 「いいの?」 「うん。あったかいうちに食べてっ」 「あーん」 「夕梨、自分で食べるから……」 さすがにちょっと、周りの視線が気になる。 「あーん」 促しつつ、にやにやと笑いながら、夕梨は僕のほうに牛串を近づけてくる。 「あ、あーん……」 仕方なく、一口食べる。 「食べた〜。なんか、餌付けしてる気分……」 「餌付けって……」 「だって舜、幸せそうだし」 「まあ……毎日でも食べたいくらい、美味しいからさ」 毎日食べられそうなほど、安い値段でもないけれど。 「んふふ」 「夕梨はちょっとずつ食べるよね」 「ん……? うん。そうかも……」 「リスみたいだ」 「……っ」 「食べてるとこ、見ないでっ」 「えっ? 可愛いって意味なんだけど」 「そ……それでも!」 「見なくていいから!」 夕梨はぷりぷり怒りながらも、食べる手が止められないのか、少しずつ肉を口に運んでいく。 その様子が小動物のようでなんだか可愛くて、しばらくずっと眺めていた。 見ているだけでお腹いっぱいとは、このことかもしれない。 「美味しかった〜っ。お腹いっぱいっ!」 夕梨は満足そうに微笑む。 「よしっ、じゃあ商店街巡りの続き! 食べ物屋さんの次は――」 「夕梨」 「うん?」 僕は夕梨の手をぎゅっと握る。 「わ……っ」 「そんな、誰かに、見られちゃうかも……」 「見られたら、僕が彼氏だって紹介すればいいよ」 「か……彼氏……」 こうして居るのは恥ずかしいけど、隠すようなことじゃない。 むしろ、堂々としていたいと思う。 「ん……分かった」 「じゃあ、続き。案内お願いします」 「はーいっ!」 それから、商店街の中をうろうろと巡り、少しだけ買い物もした。 何か大きなことをした一日ではなかったけど、夕梨と沢山話せて、充実していたと思う。 楽しかったデートも終わり、“彼女”としてエスコートして、夕梨を家まで送る。 「今日……すっごく楽しかった!」 「良かった」 「……ずっと、こんなふうに動けたらいいのにな」 「また行けるよ。また、行こう」 これが最初で最後なんかじゃない。また、夕梨と出掛けたい。 「また……行けるのかな」 「夕梨がそう望んでくれたら、絶対に行くよ」 「うん……」 「行きたい。また、お出掛けしたいな」 「舜と……一緒に……」 夕梨が一歩、僕に近付いてくる。 付き合うようになって、夕梨との距離も近くなった気がする。 互いに触れ合うことにも、充足感を感じるようになった。 「あ……」 「夕梨」 夕梨のことを知るたびに、どんどん夕梨が好きになる。 好きで好きで、堪らなくなる。 「好きだ。夕梨」 「あたしも。舜が……好き……」 「大好き……。舜……」 夕梨の手をぎゅっと握る。 それに応えるように、夕梨も握り返してくれた。 夕梨もきっと、同じ気持ちで居てくれているはずだ―― 「……」 夕梨の肩を引き寄せ、密着する。 「……」 夕梨は照れているのか、何も言ってくれない。 そのまま、ぐっと引き寄せようとした時―― 「……っ」 「……夕梨?」 夕梨はその場に留まろうと、じっと動かない。 「……ううん」 「ごめん」 そう言いながら、夕梨は僕の腕を振り払って、距離を取る。 何か夕梨に嫌悪感を抱かせてしまったのではないかと、不安になる。 「……いきなりごめん」 「違うよ。舜は、謝らなくていいの……」 「でも、こういうのは、出来ないなって」 「出来ない?」 「舜のことが嫌いなわけじゃないよ」 「あたし、こんなに舜に愛して貰えただけで、幸せだからさ!」 「じゃあ……」 他に何か理由があるのかもしれないけど、それがなんなのか、全く見当もつかない。 夕梨の気持ちが理解出来ず、余計に自己嫌悪に陥りそうになる。 「もう、ここでいいから」 「送ってくれてありがと。嬉しかったよ」 微笑みながらも、夕梨は少しだけ、悲しそうな顔をする。 「また明日、ね……」 「夕梨」 立ち去ろうとする夕梨を呼び止める。 「教えて欲しいんだ」 「えっ?」 「何か、訳があるんだろ?」 「それを、教えてくれないかな」 「……」 夕梨は気まずそうに目を伏せる。 「知っても……別に、大したことじゃないのに」 「ほら、ファーストキスはさ……ずっと一緒に居られる人に、取っておいたほうがいいよ」 「あたしなんかじゃなくてさ」 「……」 「それだけ」 「でも、大丈夫。あたし、もうちょっとは死なないからっ!」 「ねっ!」 夕梨は気まずさを覆い隠すように、足早に家の中に引っ込んでしまう。 「気にしなくていいのに」 今だけと言いながらも、夕梨は僕の未来を気にしている。 それが、少しだけ寂しかった。 「ごめん、遅くなったっ……!」 今日の夕梨は、僕の家までは来なかった。 通学路で待ち合わせて、一緒に登校する。 「寝坊?」 「うん。ちょっと寝過ぎちゃって……」 「最近は生活に慣れてきたし、無理に家まで来なくても大丈夫だから」 「僕が迎えに行ってもいいんだし」 「そうかもしれないけど……」 「あたしが、行きたいから……。舜と朝ごはん食べるのも、その……嬉しいし」 夕梨は恥ずかしそうに照れた笑顔を向ける。 確かに、僕の家なら誰にも邪魔されず2人きりで過ごせるから、そのほうが都合は良い。 「そういうことなら……お願いしちゃおうかな」 「にひひっ、任せてっ」 「デート、ありがとね。楽しかった!」 「うん、僕もすごく楽しかった」 初めてのデート。夕梨と手を繋いで歩いて。 ただそれだけでも、特別な時間を過ごしている気がした。 「また行こうっ。どこがいいか、考えておくね」 「舜が知らない場所、いっぱい知ってるんだから」 2人で会話をしながら、学校へ向けて、歩き出そうとした時。 「ん……」 夕梨が急に立ち止まる。 「夕梨?」 「ちょっと……ううん……大丈夫」 その表情は、苦しそうに歪んでいる。 「大丈夫そうには見えないよ」 「大丈夫、大丈夫っ……」 言葉とは裏腹に、夕梨は足を一歩踏み出すことすら出来ないでいる。 「無理しないでいいから」 「うん……」 「ごめん。舜……」 「はあ……」 慌てて支えようとしたけど、身体の力が抜けていって、そのままその場に座り込んでしまう。 「……ごめん。ちょっと……だけ……」 夕梨の身体に触れた時、よくある病気の軽い症状ではないと、すぐに分かってしまった。 「大丈夫?」 「はあ……うん……」 「……ごめん。ちょっと……休めば……大丈夫だから……」 夕梨に大丈夫と言われても、今回ばかりは信じられない。 「舜……?」 「もしもし――」 息が上がって苦しそうな夕梨を支えながら、僕は119番に連絡した。 救急車はすぐに来てくれた。 病室に運び込まれていくのを見送って、僕は廊下で控えていた。 「七波くん。もう大丈夫だよ」 「救急車に乗ったの、初めてです」 「そうか。でも、七波くんの判断は間違ってなかったよ」 「一緒に居たところで、本当に良かった」 「それで、夕梨は大丈夫なんですか?」 「うん。疲れているだけみたいだよ」 「疲れ……」 デートの日、夕梨と一日中歩き回ったことを思い出す。 「だから、夕梨ちゃんのことは、先生に任せて。七波くんは、授業に出たほうがいいよ」 「……と言っても、目の前で倒れられたら、そりゃ心配にもなるよね」 「七波くんは、夕梨ちゃんの彼氏、だし」 「なんで知ってるんですか……!?」 思わず、静まり返った廊下に響き渡る声を上げそうになる。 「夕梨ちゃんがさっき話してたのよ。おめでとう」 「それで、少しはしゃぎ過ぎて、疲れちゃったのかもね」 「すいません。夕梨が、その……」 一瞬、打ち明けるかどうか躊躇したけど、百南美先生は全部知っているようなので、話してみる。 「病気だって、分かってたのに、僕が連れ出したから」 「だから、夕梨は……」 百南美先生は少し驚いて見せたものの、すぐに落ち着きを取り戻し、一つ深呼吸をする。 「……」 「……そっか。もう聞いてるんだね」 「でも、心配しないで。今日倒れちゃったのは、病気の進行とは関係無いからね」 「……」 「そうですか……」 百南美先生にそう言って貰えても、あの苦しそうに喘ぐ様子を思い出すと、不安になる。 「夕梨からは……」 「治らない病気だって聞いてます」 「百南美先生でも、治すことは出来ないんですか?」 百南美先生はしばらく黙り込み、慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。 「七波くん」 「はい」 「先生から言えることはね、七波くんには、夕梨ちゃんを支えてあげて欲しいってこと……」 「記憶喪失になった今のきみなら、先生よりずっと、夕梨ちゃんの気持ちが分かるはずだから」 「はい。もちろんそのつもりです」 「ごめんね」 「わたしが今、七波くんに言えるのはこのくらい」 「でも、わたしだって、夕梨ちゃんに治って欲しいから、一生懸命考えているんだよ!」 ちょっと畳み掛けるような物言いだったけど、百南美先生も必死なんだろう。 「……ありがとうございます」 残された時間が限られているとしても、僕は夕梨と一緒に居たい。 それは、紛れも無い事実だ。 「それじゃあ……ちょっと回診に行かなきゃいけないから」 「2人のノロケ話は、また今度、ゆっくり聞かせてもらうね」 「あ、はい……」 「じゃあ」 そう言い残して、百南美先生は立ち去った。 夕梨が目覚めるのを、静かに待つとしよう。 そう思って病室の椅子に座っていたら、うとうとして眠り込んでしまった。 「舜、起きた?」 「……夕梨?」 ベッドで寝ているものと思っていたら、起き上がっていた。 「もう普通に歩けるの?」 「うん。ちょっと休んだら、大分良くなったよ」 「せんせーは?」 「ああ……回診だって。出掛けて行ったよ」 「そっか」 「ごめん。一日連れ回したから、疲れさせちゃったよね」 「舜は悪くないよ。あたし、あんなに楽しいの、久しぶりだった……」 「舜には本当に、感謝の気持ちしかないよ。あたしなんかと一緒に居てくれて、ありがとう」 「いやいや、こちらこそ……」 それに、助けられているのは、僕のほうだって同じだ。 「舜、妹の……白音ちゃんのことは、覚えてるんだよね?」 「うん。全部じゃないけど」 「白音ちゃん、いつも舜と一緒に居てね」 「よく……舜になでなでして貰ってた。それが、すごく羨ましかったんだ」 「あたし、一人っ子だから。舜がお兄ちゃんになってくれたらって、ずっと思ってた」 「夕梨のお兄ちゃんみたいだった?」 「ううん、どっちかっていうと、弟って感じ」 「えー……」 「だって、放っておけないんだもん。なんか」 「目が離せないって感じ?」 「ふふ、そうそう」 「それは……なんというか、ごめん」 やんちゃな性格なんて自覚は無かったから、ちょっと複雑な気分だ。 「夕梨は、僕で良かったの?」 「うん。舜がいい」 「ずっと、どうせあたしは死ぬんだって思ってたから……誰とも付き合うわけないって思ってた」 「でも、舜のこと……好きになっちゃった」 「自分じゃ自分のこと、記憶も失くしたし、頼りないって思ってるけど……」 「そんなことない。頼りないんじゃなくて、どこかに行っちゃいそうなの」 「どこかって?」 「目を離した隙に、視界から居なくなっちゃうっていうか?」 「だから、舜が事故に遭ったって聞いた時……白音ちゃんのところに行っちゃったんじゃないかって思った」 「……」 「白音ちゃんが亡くなった後、舜は元気そうだけど、どこか壁を作っているように感じた」 「みんなに対しても、最初は、あたしに対しても……」 「……そうだったんだ」 白音を失った悲しみの記憶は無くしてしまったけど、想像は出来る。 「舜は優しいよ。真っ直ぐで、いつも白音ちゃんのこと、考えてて」 「あたし、そんな舜のことがずっと好きだった」 「それは過去の舜のことだけど……でも、舜はずっと舜だから!」 「夕梨……」 「一緒に居て、すぐに分かったんだ」 「記憶は無くても、あたしの大好きな舜は、ちゃんとここに居てくれてるって」 「でも、こんなに好きって思ったのは、最近のことだよ」 「事故の後、舜と一緒に居るようになってから」 自分の記憶を失ってしまっても、周りの人は覚えてくれている。 自分は、自分1人だけで存在しているんじゃない。 夕梨と一緒に過ごすようになった時間は、そのことを強く感じる日々だった。 「あたし……ずっとね、いつか死んじゃうからって、自分の気持ちをセーブしてた」 「だけど、舜が事故に遭って、それじゃ駄目だって思ったの」 「あたしだけじゃなくて、舜だって、いつ居なくなるか分からないんだって」 「その前に、少しでもいいから、思い出が欲しくなったんだ」 「そしたらどんどん、舜への気持ち、抑えられなくなって……」 じっと見つめる夕梨の瞳は、ゆらゆらと微かに揺れている。 「舜……」 「あたし、舜のこと、大好きっ!」 「こんな身体で……舜のこと悲しませちゃうって、分かってる……」 「でも、でも……」 「でもっ、好きなんだ!」 決して大きな声ではないけど、夕梨の強い気持ちが、言葉から伝わってくる。 純粋な気持ちを向けられるのが嬉しくて、思わず手を伸ばす。 「僕も、夕梨のことが好きだ」 「えへへ……ありがとうっ」 夕梨は目を細めて、嬉しそうに微笑む。 「ずっと、想っていてくれたなんて」 「その夕梨と過ごした記憶を、失くしてしまったのは申し訳ないけど、でも」 「今、付き合っているのは、心から嬉しいことだなって……」 「うん……」 「だから」 夕梨の頭に乗せていた手を下ろして、夕梨の両手をぎゅっと握り締める。 「夕梨、僕は……」 「えっ……?」 「……それは……」 夕梨は一瞬戸惑うような表情を見せたものの、すぐに僕の気持ちを察したようだった。 「言ったでしょ? キスは、ずっと一緒に居られる人とするべきだって」 「僕にとっては、今が全部なんだ」 「夕梨と同じで」 「そんな……」 「僕にも、夕梨にも、今しかない。未来のことなんて、分からないんだから」 「でも、舜には、未来が――」 「夕梨が言ったとおりだよ。僕だって、明日居なくなるかもしれない」 「みんな、同じだ」 「そうかもしれないけど……」 「確実なのは、今しかない」 「だから、今後悔したり、先延ばしにすることは、出来ない」 「……」 夕梨は、頭では納得していても、その感情を受け入れ難いようだった。 「舜……」 「あたしのこと……忘れられなくなっちゃうよ」 「忘れられなくていい」 「ずっと、忘れられなくなるんだよ?」 「うん」 「本当にいいの?」 「もちろん」 「ほんとに?」 「本当だよ」 「後悔しない?」 「しないよ。夕梨のこと、好きだから」 「そう……」 「それなら……」 夕梨の瞳から不安の色が消えていく。 それでもまだ、手に震えが残っていた。 「今、夕梨がしたいことを教えて欲しい」 「したいこと……」 「……」 「いっぱいあり過ぎて、言い切れないよ……」 「でも……今、したいことだったら……」 「キス、して欲しい……」 ずっと聞きたかった言葉が聞けて、感動に身体が打ち震える。 「付き合えただけで、思い出が出来ただけで、充分だって思ってた」 「だけど、それじゃ全然足りない……もっと、欲しくなるの」 「舜が欲しい。あたしの中、舜でいっぱいにして欲しい」 「舜のことしか考えられなくなりたい。今しか、見えなくなりたい……っ」 「あたしのこと……忘れないで」 「……やっと、言ってくれた」 柔らかく微笑んで、夕梨はそっと目を閉じる。 夕梨を怖がらせないよう慎重に顔を寄せていく。 「……ん……」 夕梨の柔らかい唇に、自分の唇を重ねる。 「んんっ……」 柔らかくて、すごく温かい。 繋いだ手のひらからも、夕梨の感情が伝わってくる。 「あ……」 「夕梨……」 「舜……」 「好き……好き……」 夕梨が、こんなにも近くに居る。ドキドキして……もっと、欲しくなる。 僕は夕梨の背に手を伸ばし、その細い身体をぎゅっと抱き締めた。 夕梨と濃密な時間を過ごし、病室から抜け出す。 「七波くん」 「も……百南美先生、お帰りなさい……」 ちょうど、先生が帰って来たところだった。危なかった……。 「あら、授業に戻ってなかったの?」 「はい……」 「まあ、付き添ってくれたなら、しょうがないか」 「それで、夕梨ちゃんは?」 「休んでます。ずっと寝てて……」 誤魔化すのも難しくて、ずっと寝ていたことにしてしまう。 「……本当?」 僕の言い方が怪しかったのか、百南美先生は訝しむようにジト目をしている。 「あ、さっき声を掛けたので、今は起きてるかもしれませんが!」 「……そう」 「まあ、いいか。学校いってらっしゃい」 「行って来ます……」 これ以上疑われないように、僕は逃げ出すことにする。 あとは、夕梨が上手く誤魔化してくれることを祈ろう。 でも……後悔はしていない。 心も身体も、全て繋がって、夕梨と本当に恋人になれた気がした。 「ん……ちゅっ……」 夕梨と静かに唇を重ねる。 「ん……はあ……ちゅっ、ふ……ちゅっ……」 夕梨の柔らかい唇から、温かい感情が流れ込んでくる。 「……はあ……ちゅっ……ん……」 小さな吐息を吐きながら、夕梨はキスを続ける。 愛しくて堪らなくなる。 「はぁ……キス……初めてした……」 「舜はどう……って、覚えてないか」 「うん。僕が覚えている限り、初めて」 「ふふ、多分初めてだと思うよ。舜、恋人居なかったみたいだし」 「もしかしたら、こっそり付き合ってたのかもしれないけど……」 「無いと思うけどなあ。僕と付き合ってたって話をしてきたの、夕梨だけだし」 「う……それは、嘘だったんだけど……」 バツが悪そうな顔をしながら、夕梨はもう一度目を閉じる。 「ん、ふあ……ちゅっ、ん……ちゅっ……」 唇を重ねているだけなのに、すごく気持ちいい。 「ちゅっ……んっ、はあっ……」 「あたしで……良かった? あたし、舜の初めてになっちゃう。忘れられなくなっちゃうよ……?」 「それがいいよ。夕梨との思い出、沢山欲しいから」 「じゃあ、あたしも。最初で最後は、舜がいい」 「舜だけを、知りたい。舜に、全部、教えて欲しい。もっと……」 「んっ……んちゅっ、はあ……ちゅっ……」 静かに唇を重ね合っていく。 「はあ……」 「夕梨……」 夕梨の吐息がくすぐったくて、もどかしい。 それだけじゃ足りなくて、僕は夕梨の身体を強く抱き締める。 「んっ……舜……ちゅっ……んむ……はあっ……」 「ちゅっ……んむっ、あっ、んっ……ちゅっ……ふあ……あっ……」 胸の鼓動が早まって、収まらない。 「唇……くっつけてる、だけなのに」 「……変なの。ドキドキ、する。身体、熱い……」 「夕梨、もっと……」 僕は舌を伸ばし、夕梨の口の中に侵入していく。 「んぅ……! ひゃっ……」 「な、なに……っ? やっ……」 動揺する夕梨を構わず、口の中を蹂躙するように舐め回していく。 「やっ、ぁ……! ぁ、あっ……!」 「んむ……ちゅっ、はあっ……あ……ちゅっ、んっ……んむっ、あっ」 夕梨もそっと、僕のほうへと舌を伸ばしてくれる。 お互い、不慣れながらも、舌を絡ませていく。 「ちゅっ、ちゅ、んっ……はあっ、あっ、んっ、んむ……んっ、ちゅっ……」 「んぅ……! あっ、んっ……ぁ、ちゅっ……はあっ……!」 夕梨の温かな唾液と、ざらりとした舌の感触を味わう。 「んっ……んむっ、あっ、んっ……ちゅっ、は、はあっ……」 口の中に侵入する度に、身体が熱くなっていく。 「んんっ! あっ……!」 「は……はあっ……激し、過ぎっ……」 荒い息を吐いて、夕梨は口を離す。 「はあ……ちょっと、休憩……はあ……」 「ごめん、気持ち良くて……つい」 「舜って、意外と肉食系? 普段は草とか食べてそうなのに」 「そうなのかな」 「……今度、部屋を漁ってみよっと。舜の好みも知りたいし」 「それだけはやめて。絶対」 「あは。どうしようかな〜?」 記憶を失う前の自分が致す時に使っていたものは……見つからなかったけど。 もっとくまなく探したら見つかるかもしれないから、怖い。 「舜……。もう1回……?」 甘えた声で、夕梨はキスをねだる。 「ゆ、ゆっくり……ね!」 「分かった」 「んんっ……ちゅっ、はあ……ちゅっ……」 紅く染まった頬。蕩{とろ}けたような表情を眺めているだけで、愛しくなる。 僕だけに、初めて見せてくれた表情。 もっと、いろんな夕梨が見たい。 「んっ……っ、ちゅっ……んぅ、はっ。あっ……」 「が、がっつくなって、ばあ……っ」 「ごめん。でも……我慢出来そうにない」 「夕梨が、可愛いから」 「うう……あたし、初めてなんだからね……?」 「あんまり知識無いってこと?」 「う……」 夕梨は恥ずかしそうに、小さく頷く。 「そ、その、全く、分からないわけじゃ、ない……けど。なんとなく、分かる……けど」 「その、全部、分かるわけじゃ、ないと、いうか……」 「ううっ、言葉にしたら恥ずかしくなってきた……っ」 さっきよりも赤くなった頬で、夕梨は恥ずかしそうにしている。 「すごく可愛いよ」 「か、からかうなぁっ……!」 「舜は……なんか、いつもと違う感じ……」 「違うって?」 「獣感が強い」 「獣……」 「嫌?」 「ううん。そんな舜も大好き」 「もっと、あたしのこと、求めて……?」 「ちゅっ……はあっ、あっ、んっ……!」 少しずつ慣れてきたのか、夕梨も精一杯僕を求めてくれる。 お互いの唾液が絡み合って、気持ち良さで頭が真っ白になる。 「ん、ちゅっ、あっ、ふあ……はあっ、ぁ、ちゅっ……ちゅるっ……ん、んんっ……」 「はあっ、ちゅっ、ん……! ん、はあっ、あっ……ちゅっ、ちゅるっ、ちゅぱ、あっ、はあっ……」 夕梨の吐息に甘さが混じって、どんどん我慢出来なくなる。 もっと、夕梨が欲しくて堪らない。 「ん、はあっ……あっ……」 「夕梨、息……荒くなってる」 「だ、だって……。なんか、熱いだけじゃ、なくて……」 「身体、変な……感じ……はあっ……こんなの、初めて……」 「どうしてか、分かんないんだけど……もっと、キス……したい……」 「うん。もっと、しよう……」 「んむっ……ちゅっ、はあっ……ちゅっ、ちゅ……ん……ぁ、ちゅっ……」 「んんっ! ちゅっ……ん……ぁ、はあっ……あっ!」 甘い嬌声を上げるたび、夕梨の身体が小刻みに震える。 「ちゅっ……ぁ……ちゅっ、ちゅ……舜……! ぁ……ちゅっ、んむっ、ちゅっ、ちゅ……!」 「はぁ……、舜……あの、ね……」 「あ、あの……あたし、その……。変な感じで、その……」 恥ずかしそうに言いながら、夕梨は下半身を僕に押し付けてくる。 「ここ?」 「ん……お腹の中、むずむずする……」 「舜のを……欲しがってるのかも……」 「ここに、その……舜の……」 夕梨は腰をもじもじさせながら、さらに密着してくる。 その刺激がダイレクトに伝わり、ペニスに血が集まっていくのを感じる。 「どうしたら……いい?」 「触ってみてもいい?」 「うん……」 「こ……こう……?」 ベッドに横になり、夕梨はスカートを捲り上げる。 女の子らしい下着が露わになり、太ももを伝う汗がしっとりと濡れている。 「すごく、えっちな匂いしてくる……」 「く、臭いってこと……っ!? だ、だって、汚いとこだし……」 夕梨は顔を真っ赤にして、羞恥の声を上げる。 「臭いわけじゃないよ。凄く、いい匂いだ」 「ちょっと……覗いてもいい?」 「うん……?」 夕梨は泣きそうな顔で、首を傾げている。 直接触れてみたくて、指を下着に掛けた。 「ひゃっ……!?」 「やっぱり……」 「もう、濡れちゃってるの……?」 誰にも見せたことないであろう、夕梨の割れ目が目の前に現れる。 愛液が溢れ出てきて、妖艶な匂いを漂わせている。 「ど……どう……? いけ……そう……?」 「もう、舜と出来るの……?」 「十分、濡れてるように見えるけど……」 僕は夕梨の秘部を凝視する。 触れていないのに、その割れ目から愛液が染み出してくる。 「んっ……ち、近過ぎ……! やだっ……」 「でも、よく見ないと……」 指先で少し広げると、とろりとした愛液を膣肉が纏{まと}って、輝いている。 「ちょ、ちょっと舜……!」 深呼吸して嗅いでみると、胸の中いっぱいに淫靡な香りが広がった。 「は……恥ずかしい。そんなとこ……」 「その、早く……入れていいからっ……」 「そんなにじっと、見なくていいからっ……!」 夕梨はいやいやと腰を振るが、膣内まで濡らさないと、貫通の痛みが強いかもしれない。 それに、目の前に滴る夕梨の愛液を、味わってもみたい。 「しっかり、濡れてからね……」 「えっ……? あたし、どうすればいいの……?」 「こうして……」 「ひっ……!?」 舌を伸ばして、夕梨の秘部を舐め上げる。 「なっ、何、して……!」 「やっ、舜っ、やめて、やめてっ……!」 舌にたっぷりと唾液を絡ませ、割れ目に沿って丁寧に陰唇をねぶる。 「やっ、やだやだやだっ、汚いから……っ」 「シャワーも、浴びてないのに、そんなっ……あっ!」 「でも、ちゃんとしないと……出来ないよ?」 「出来ないの……?」 「そんな……うう……」 “出来ない”という言葉を聞いて、夕梨は抵抗しなくなる。 「僕に任せてくれる?」 「う、うん……なるべく、“早く”してね……?」 「“速く”……? 分かった……」 「ひゃっ……!? うう……あっ、ふああっ……!」 「それ、やっ……あっ、激しい、よぉ……っ!」 夕梨の愛液を舐め取るように、舌を使って秘部を蹂躙していく。 腰を引き、逃げ出そうとする夕梨の足をしっかりと固定する。 「はっ……ああっ、舜、激し過ぎ……」 「なんで、そんな……は、あ、ああっ……!」 「夕梨が、速くって言うから……」 「あたしは、早く終わらせてねって意味で、言ったの……」 「ああ……。でも、充分に濡れていないと、その先のことは出来ないから……」 「夕梨が、沢山気持ち良くなってくれれば、もっと濡れると思う」 「そ、そうなの……?」 陰唇をぱっくりと拡げて、溢れ出てきた愛液を啜る。 「やっ、あああっ!?」 「そんな、じゅるじゅるって……啜っちゃ、だめっ……!」 夕梨は恥ずかしさに耐えるように、ぎゅっと目を瞑る。 「夕梨の愛液、美味しい」 「飲んだ、の……? はあ、あ……舜、やだ……!」 「もうだめ……もう充分だから、あたし……やああっ!?」 「ちょっと、止めて……! だめ、だめなの、それ以上は……変に、なっちゃう……!」 「我慢しなくていいよ」 「やっ、やだっ……嫌だってばあっ……!」 「やっぱり、シャワー浴びてからで……ねっ……?」 「綺麗だから、大丈夫だよ」 「それに、もう、待ってられないし……」 「舜……?」 「ふぁぁ、あああっ……!?」 我慢ならず、舌を尖らせて夕梨の膣内に挿入する。 ここにペニスを挿入するんだと想像すると、勃起が収まらなくなってきた。 「はあ、あ……!? な、なんかっ、入ってる……!」 「あたしの中に、舜がっ……あ、ああっ……はあ、それ、すごいの……!」 「気持ち、いいかも……それ、舌を、出し入れされるの、ふああっ……」 緊張で強張っていた身体が、少しだけ柔らかくなる。 夕梨からのリクエストに応えて、最奥目掛けて舌をねじ込んでいく。 「ひうぅ……! あっ、はあっ! んっ……!」 「あっ、ああっ! あっ、お腹、すごい、変……なのっ、あっ、ああっ!」 繰り返し舌を抽送する度に、自分の唾液と夕梨の愛液が混ざり合って、中までどろどろに濡れていく。 夕梨の味と匂いを堪能しつつ、秘部全体を舐め回した。 「ああっ、やっ、んんっ……も、もっと……」 「はっ、ああっ! もっとして、舜っ……ぺろぺろされるの、気持ちいいっ……」 「うん。もっと……」 気持ちいいという言葉を、夕梨の口から聞けて嬉しい。 もっと強い快感を味わって貰わないといけないと思い、舌先をピンク色の突起に伸ばす。 「ああっ……!?」 「は、あ、あああっ!? う、んんっ、あ……!」 夕梨が言葉にならない呻{うめ}き声を上げる。 ぷっくりと膨らんだ陰核を、包み込むようにキスしていく。 「ひゃあっ、あっ、ああんっ!」 「んっ、そこ、あっ、だめっ……! はっ、ああっ!」 吸い上げる度に、夕梨の身体がビクビクと痙攣する。 手がふやける程の愛液が漏れ出て、舌の奉仕を続ける口元はもうベトベトだ。 「あっ、ああっ、クリはだめっ……! だめ、あっ、クリトリス、だめ、舜……!」 「なんか、あっ、なんか、来ちゃう……のっ……あっ、ああっ!」 「イッていいよ……夕梨」 「イ、イク……? イクの……? あっ、ああっ!」 絶頂を導くように、秘部にしゃぶりついて愛液を啜る。 「はっ、ああっ! やっ、ああっ! 舜っ、舜……! あっ、ああっ!」 膣内が収縮を繰り返し、挿し込む舌が外に追い出される。 負けじと舌を伸ばし、狭い膣口を責め立てる。 「んっ、ああっ! だめ、もう……イッちゃう……ああ!」 「はあ、もうだめ、気持ち良過ぎて……あたし、イッちゃうよぉ……!」 「やだっ、ああっ……! イク、イク、あっ、あああっ!」 クリトリスをきゅっと甘噛みすると、夕梨の全身がぶるると震えた。 「ふああああっ……!?」 「やあ、あっ、ああああああぁぁぁぁっ……!」 夕梨の割れ目から、透明な液体が勢いよく飛び出す。 「はあ……うう……は、はあぁっ……」 「やっ……はあっ……なに、これ……止まらない……」 夕梨は息を荒げて、絶頂の快楽に耽っている。 掛かった液体を少し舐めてみたけれど、味はしなかった。 「う……うう……。ごめん、舜……おしっこ濡らしちゃった……」 「いや、これ……潮吹き……かな?」 「潮……?」 「気持ち良くて、出たんだと思う」 「そう……なの? それなら、いいのかな……」 潮でさらに濡れた夕梨の秘部を見ていたら堪らなくなって、思わず視線を遠ざける。 「気持ち良かったんだけど、でも……」 「あたし、もっと……したい」 「もっともっと、したい……」 「舜のが、欲しいの……ここに……」 「うん……」 夕梨の制服のボタンに手を掛ける。 大きな乳房が、ぶるんと零れ落ちた。 「入るかな……?」 緊張した表情で、夕梨は僕のモノを割れ目にあてがう。 「少し、やってみる。……んっ」 「く、ああああっ……!」 痛みに顔を歪ませながらも、懸命に受け入れようとする。 しかし、入り口が狭すぎるのか、充分に滑っているのに、なかなか奥に進めない。 「はあ、ああっ、舜のが欲しい……舜と、ひとつになりたい……」 「むずむずする……ん、んんっ、もどかしいよ……」 「ゆっくり、力を抜いて」 「うう、んんん……あ、うんっ、ううっ……!」 「い、痛いっ……あ、あっ……! はあ、痛いっ……」 「夕梨、急がなくても逃げないから」 「でもっ……あたし、舜としたくてっ……」 「舜も……早く挿れたい……でしょ……?」 「そ、そうだけど……」 夕梨の足を擦{さす}って、落ち着かせる。 「舜の、おちんちんが……こんなに大きいなんて、思わなかった……」 「しかも、硬くて……びっくりした……」 「あたし……舜の全部を、受け止めたいよ」 太ももを擦っていた手に、力が込もる。 「もう1回、頑張ってみよう」 「少しだけ、力を抜いて貰ってもいい?」 「うん……分かった……」 夕梨は軽く腰を浮かせ、それからほんの少しずつ、ペニスを飲み込んでいく。 「う……はあっ、んんっ……! ちょっと、ずつ……はあっ……」 「ん、んっ……! あっ、い、痛い……っ! ううっ……」 苦痛に堪えながらも、夕梨はどんどん竿を濡らしていく。 その気持ちに応えるように、僕もゆっくりと下から突き上げた。 「あっ、ああっ! んっ、キツい、んっ、あっ、ああっ!」 「はっ、はあっ……やめ……ないで……舜、このまま……」 「うん……」 一気に貫きたい衝動を押さえながら、じりじりと腰を進める。 「んっ……! うっ、ううっ……!」 「もう少し……」 「うんっ、来て……! 突いて、いいから……!」 「あたしもっ……頑張って、みる……」 夕梨の太ももを掴んで、目一杯奥まで挿し込む。 「あっ、ああああっ……!?」 貫いた感触と共に、ブチッと何かが弾ける音がした。 初めての証である鮮血が、夕梨と繋がった場所から流れ出ている。 「夕梨、大丈夫……?」 「う、うん……はあ、これで、全部入ったよね……?」 「その、出血が……」 「あっ……」 夕梨自身も驚いているのか、喘ぎ声に混じって驚嘆の声が上がった。 「はあ……痛いよぉ……」 「痛いけど……でも、大丈夫だから」 「だって……ようやく舜と、恋人と……ひとつになれたんだもん」 「あたし……幸せだよ……」 温かくて、自分の全てが抱き締められているような感覚。 夕梨は声を発する度に、膣内をきつく締め付けてくる。 きついけど、中はぬるぬると潤っていて、ずっと夕梨の中に入っていたくなる。 「痛いけど……これ、気持ちいいかも。満たされてる感じっていうか……」 「少しだけ、このままで居ても、いい……?」 「うん」 すぐにでも腰を振りたいのが本心だけど、しばらくは膣壁の感触をじっくり楽しむことにしよう。 「そういえば……」 「うん……?」 「夕梨って、結構大きいほうだよね……」 水着の上から見たことはあったけど、生の胸を見るのは初めてだ。 見るからに柔らかそうで、触れてみたいと思った。 「あ、これ?」 「そうだね。重くて大変なんだけどね、大き過ぎちゃって……」 「触ってもいい?」 「いいよ? あんまり面白いものじゃないと思うけど」 「じゃあ……」 僕はそっと腕を伸ばし、夕梨の胸に触れる。 「ん……」 弾力のある肌に、自分の指先が沈んでいく。 「ん……う、はぁ……っ」 「すごく……柔らかい」 少し汗ばんでいるけど、夕梨の肌はすべすべだ。 その柔らかさの虜になってしまい、夢中で揉みしだき続けた。 「はぁ、うんん……おっぱい揉むの、好きなの……?」 「うん。男なら、誰だってそうだよ」 「へえ……変なの……あたしは、そういうこと、しないから……」 「でも、いいよ……好きなだけ、揉んで……」 繋がったまま、夕梨の胸を揉んでいく。 夕梨が吐息を漏らすと、膣内がピクリと収縮し、ペニスを締め付ける。 「は、あ……触ってるの、舜だからかな……舜と、繋がってるから……」 「すごく……はぁ、気持ち、いい……もっと……触って、欲しい……」 手のひらで捏ねるように、大きく揉んでいく。 「は、はぁっ……んっ……あっ、んっ……」 「ん……んんっ、あっ……!」 「気持ち良くて……中が、ビクビクする……あっ……」 両手を使って大きく回すように揉むと、夕梨の胸は自在に形を変えていった。 今までより少し強めに力を入れて、指先が沈んでいく感覚を楽しむ。 「はっ……あっ……! んっ、ああっ……」 「舜っ……! あっ、あんんんっ……!」 悲鳴にも似た嬌声を上げて、夕梨はブルッと身を震わせる。 「大丈夫?」 「うん……なんかね、あそこが、ちょっと、ピリってして……」 「でも、もっと触ってくれたら、きっと大丈夫になるから……」 「うん……」 「ん……あっ、は、はあっ……んっ! あ……!」 胸を揉みしだく度に、夕梨の秘部から愛液が滲み出てくる。 膣内は、まったりとした滑{ぬめ}りと適度な締めつけによって、ひっきりなしに快感を送り込んでくる。 「あっ……! あっ、ああっ……!」 「はあ……気持ちいいよぉ……はあっ……」 気のせいかと思ったけれど……。 夕梨は自ら、ゆっくり腰を揺らしていた。 「あ、はあっ……これ、気持ちいい……はあ……おっぱいとあそこ、どっちも……気持ちいいっ……」 「あ、あっ、気持ちいい……! 中で、擦れて……気持ちいいよぉ……!」 「夕梨、無理しなくても……っ」 「無理、してるわけじゃ、なくて……あたしが、動きたくて……っ」 「ああっ、止められないの……! あっ、あ! 腰、止められない……!」 「は……うっ……お腹の中……おまんこが、きゅんきゅんしてきちゃって……どうしよう……」 夕梨はそう言って、もう一度小さく腰を揺らす。 「おっぱい、もっと触って……? あたし、自分で動きたい……」 「自分でだったら、調整、出来そうだし……痛みも、だんだん収まってきたから……」 「分かった」 僕は言われた通りに、夕梨の胸を激しく何度も揉んでいく。 「んっ、は、はあっ……あっ、んっ、んんっ……!」 「はあ……舜も、これ……気持ちいい……?」 「かなり……」 「そっか……良かったっ……」 むしろ、激しすぎない腰の動きがもどかしくて、焦らされている気分だ。 「んん……! あっ、はあっ……んっ、んんっ……!」 「はあ、うんんっ……おちんちんが中で引っ掛かって、擦れて……気持ちいい……」 少しずつ動きが早くなって、夕梨もコツを掴んだように、腰を揺らしていく。 「はっ……ああっ、んっ……あっ……!」 「はっ、ああっ……! んっ、ん……! あっ……!」 「ぐちゅぐちゅって……音、聞こえて……あ、うんっ……!」 「舜の、おちんちんの先っぽから……なんか、漏れてきたかもっ……」 我慢出来ず、先走りが漏れてしまった。 下半身の制御がきかなくなり、欲望のままに勃起したペニスを突き上げる。 「やん、ああぁぁっ!?」 「はあっ、舜のが、一番奥に、来た……! あ、あっ! 奥、突いてる!」 「奥、グリグリされて……はあ、ふああっ……!? それ、もっと、してぇ……!」 夕梨の柔らかい乳房を揉みながら、膣奥をゆっくり突いていく。 「あっ! あっ、ああっ……! はっ、いいっ、気持ち、いいっ……! あっ、んっ! ああっ!」 「そこ、いいっ、すごく、気持ち、いいのっ! あっ、ああっ!」 苦しそうな声じゃない、夕梨の甘い声がすごく愛おしい。 愛液と先走りが混ざり合って、蜜壺の中はどろどろになっている。 「舜、もっとして……! おちんちん、いっぱい欲しいっ……!」 「なんか……っ、んんんっ! あっ! また……さっき、みたい……にっ……!」 「あたし、おまんこで感じちゃって、イク……イッちゃう、かもっ……!」 ぎゅっと、さっきよりもずっと強く膣内がうねる。 夕梨は性的な言葉を連呼しながら、自ら絶頂を所望する。 「あっ、ああっ! んっ……! ひゃぅ、あっ、ああっ!」 「だめっ、だめ! そんなに激しく突いちゃだめっ!」 耐え切れず、夕梨の胸を掴んだまま、ぎゅっと奥まで突き上げてしまう。 「あっ、ああっ! 舜、あたしっ、あっ、ああ、またっ、イクっ……! イッちゃうっ……!」 「僕も、もう……っ」 「はあっ、舜、もう、だめっ……! あっ、ああっ!」 「舜もっ、あっ、気持ち良く……なってぇ……! 一緒にっ……あっ、ああっ! んっ……!」 「一緒が、いいっ、一緒に、イキたいっ……!」 僕が腰を突き上げるペースに合わせて、夕梨も身体を揺らして、快感を享受する。 「はっ、ああっ! んっ、あっ、ああっ! 舜、舜……!」 「夕梨……出る……」 「んっ、あたしも、もうっ……あっ、あああっ!」 「出してっ! はあ、いっぱい、中にいっぱい……」 「あああっ……!? もうだめ……イッちゃう、イッちゃう……イク、イク、イッちゃうっ……!」 「ああああああああああっ……!」 膣内がきゅっと締まったと同時に、先端から欲望が弾けて漏れた。 射精は収まらず、どぷどぷと夕梨の膣内に注ぎ込んでいく。 「出てる……はあ、あ……まだ、出てるよ……」 「ああ……熱い……おまんこの中、熱い……」 「は……あっ……んっ……はあっ……」 膣壁の収縮が穏やかになり、夕梨の呼吸がだんだんと落ち着いてきた。 「はあ……気持ち良かった……」 「中で、まだ……舜のおちんちん、ピクピクしてるの、分かる……」 名残り惜しいとでも言うように、時折緩やかに締めつけてくるから、ドキドキしてしまう。 「もう……おしまい?」 ちょっとだけしょんぼりしたように夕梨が言う。 「それは……夕梨も初めてで、痛いだろうし……」 欲を言えば……もう少しこのままで居たい。 「今は、もうそんなに痛くないよ?」 「それより……こんな気持ちいいの、初めてで」 「もう1回、えっちしたいな」 悪戯に夕梨が囁き、ペニスをきゅっと締め上げる。 こんなことされて、耐えられるわけがない。 「んっ……中で、おちんちん、大きくなった……?」 「うん……」 「もう少し……して?」 「舜の……おちんちん、奥までちょうだい?」 繋がったまま、夕梨を横向きに寝かせる。 ゆっくりと、夕梨の膣奥に腰を沈めていく。 「んっ、はあああっ、ん……!」 最初の時とは違い、わりとスムーズに一番奥まで飲み込まれていく。 「入った……」 「うん。すんなり入っちゃった……♪」 「幸せ……ずっと、舜とこうしていたくなる……」 「ずっと挿れてたいけど……でも、やっぱり」 ゆっくりと腰を動かして、夕梨の子宮口を優しく抉{えぐ}る。 「んんんっ……!」 「あっ、あ……! こつんこつんって、突かれてる……」 「気持ち良くて、お腹の中、うずうずしてくる……舜にいっぱい、掻き回して欲しくなるの……」 「いいの?」 「うん……いっぱい、中で掻き回して……? もう、そんなに痛くないから、いっぱい気持ち良くなりたい……」 「分かったよ……」 ゆっくりとではあるけれど、先程よりも大きなストロークで、ぐっと奥の奥まで差し込んでいく。 「ん……ああっ! はあっ……あっ……」 ぎりぎりまで引き抜いては一気に貫き、夕梨の膣内を犯していく。 さっき出した精液が抽送の度に漏れ出てきて、愛液と混ざり合って潤滑油となる。 「あっ! そこ、そこっ……擦られるの、気持ちいい……」 「はっ、はあっ、気持ち、いい……さっきと、当たるとこ、違って……はあっ……」 体位を変えたことにより、夕梨の嬌声もより艶めいていく。 膣の締まりもさらに絶妙になっていて、もっともっと夕梨を感じたくなる。 「んんっ……あっ、はあっ……」 もっと気持ち良くなりたいというように、夕梨は自分自身の胸に触れる。 「舜が、触ってくれた時……とっても気持ち良かったから……」 「あっ、はあっ……あたしも……揉んでみるっ……あっ……」 細い指が、白くてすべすべな感触の乳房に沈み込んでいく。 自ら胸を揉みながら喘いでいる様子を見て、夕梨がオナニーしている姿が想起され、ぐっとペニスに熱が込もる。 「はっ、ああっ、んんっ……気持ち、いいっ……」 「あっ……! 舜のおちんちんが、中でビクってしたっ……!」 「舜、もしかして……あたしで、興奮してるの……?」 「うん。夕梨、可愛い……」 たわわな2つの膨らみを見ているだけで、昂ぶりが膨張していく。 「舜は……おっぱいが大好きなんだね……」 「でも、あたしも……えっちなこと……好きかも♪」 ふふっと照れながら微笑む夕梨が、すごく愛おしい。 「だから、もっと……して? あたしを、舜でいっぱいにして……?」 「うん、もちろん……」 「んんっ! あっ、はあっ! ああっ!」 夕梨の甘い声を楽しみながら、繰り返し膣内を擦り上げていく。 夕梨が感じてくれると、膣口がきゅっと締まって、愛おしさがどんどん溢れてくる。 「やっ、ああっ、んっ、そこ、そこ……あっ、ああっ!」 「舜……っ、んんっ! あっ、ああっ!」 「さっき、イッちゃったからっ……あっ……イキやすく、なってるかもっ……はああっ!」 少し慣れてきたとはいえ、夕梨の膣内はまだ狭く、僕もそんなに長く持ちそうにない。 「はっ、ああっ! 頭、真っ白に……なる、あっ、んんっ!」 「何も、考えられない……はあっ、もっと……もっとしてっ……もっといっぱい突いてっ……!」 また少しずつ、ペニスに血が集まっていくのを感じ、本能に任せて腰を振る。 「あっ、ああっ! 舜、んっ、あっ、またっ、すっごく硬くなって……あっ、ああっ!」 「もうっ、だめ……あっ、イッちゃう! だめっ! ああっ!」 だめと言いながらも、夕梨は悩ましげに腰をくねらせ、擦り付けてくる。 とうにぬるぬるになった膣壁を何度も擦って、射精欲を最大限に膨らませていく。 「……夕梨、そろそろ……」 「あっ、ああっ……うんっ、出して……!」 「あたしの一番奥で出して! 精液、いっぱい、注ぎ込んでっ……!」 とどめとばかりに、夕梨の子宮口にペニスの先端を打ち付ける。 こつんと当てる度に、ぎゅうっと搾るように、膣内が収縮する。 限界は、もうすぐだ。 「ひゃっ、あっ、ああっ! イキそう、ああっ、ん、んんっ!」 「はあ……! や、やんっ……! イッちゃう、イッちゃうよぉっ! あっ、あああ!」 「もっと! もっと、もっとして! はああ、あ、あっ、イクっ――」 「ふあああああぁぁぁぁっ!」 夕梨の一番奥に、欲望の全てを放つ。 注ぎ込む度に軽くイッているのか、夕梨の身体は痙攣を繰り返している。 「はあ……はあっ……舜ので、いっぱいになっちゃった……」 「はあっ……まだ、止まらない……いっぱい、注がれちゃってる……」 最後の一押しを突いたところで、夕梨はぐったりと脱力した。 「あはっ……おちんちん元気だね……♪」 「せっかくだから、もっと……したいけど……」 「はあ……」 夕梨は少し苦しそうに荒い息を吐く。 「今日はここまでにしようか。僕も……限界だし」 「うん……」 「あっ……」 ペニスを引き抜くと、入り切らなかった精液がとろりと溢れ出てきた。 「こんなに、いっぱい……」 「ふふっ。なんだか、嬉しいな……」 「舜、ありがとう……」 「また、えっち、しようね……」 病室のベッドに、裸のまま2人で潜り込む。 「えへへ……病室で、えっちなこと、しちゃった……♪」 夕梨は満足そうに微笑む。 「こんなに気持ちいいなんて……知らなかった」 「もっと、早く知りたかった……かも」 「痛かったんじゃない? 大丈夫だった?」 「それは、最初だけね」 「あっ、もっと早くって言っても、舜以外じゃないからねっ!」 「舜とだから、気持ち良かったんだよ?」 「ありがとう」 「僕も、すごく気持ち良かった」 次はいつ出来るだろうかと、考えてしまうくらいには。 「でも……」 「もうすぐ、もなちゃん帰って来ちゃうよね?」 「ああ……」 「もっとこうしてたいけど……」 「僕も、授業に出ないとな……」 回診に行くと言っていたけど、そろそろ戻ってきてもおかしくない頃合いだ。 「行ってらっしゃい。あたしはついでに診察して貰う。お薬、もうちょっとだったし」 「分かった。授業終わったら連絡するね」 「うん。身体は大丈夫だけど……」 「やっぱり、ちょっと……痛いかも」 「大丈夫……!?」 「大丈夫っ。いっぱい突かれたから、中がムズムズするっていうか……?」 「さっきまで、入ってたんだなあって感じがして……でも、心配しなくていいから!」 「ごめん……」 「いいよ。でも、もなちゃんにはばれないようにしないとね♪」 「病室で、えっちなことしてたなんてばれたら……」 「う……」 「ふふ。うまくごまかしとくね」 「今度は病室じゃないところで……えっちしよう?」 「うん。またしよう」 「じゃあ、そろそろ……制服に着替えよっか……♪」 「ヘイ、ユーリ! ちょっとお話がありマース」 休み時間に移動教室から戻って来る途中、聞き慣れた呼び声が耳に入る。 「うう……なんなのよ、ハナコ先輩……」 案の定、捕まっているのは夕梨だった。 助けに行こうかと思ったけど、とりあえず様子を見ることにする。 「最近、シュンと一緒に居る時間が多いようデスが?」 「別に? 幼なじみだしっ。前から一緒に居たし」 「もしかして……」 「えっ……?」 「……フーム、ちょっと心配デスね」 ハナコ先輩にしては、珍しく慎重な態度だ。 しかし夕梨は、そんなことは気にも留めず、いつもの調子で面倒臭そうに応じる。 「また、不純異性交遊がー、とかいう話でしょ?」 「もう、聞き飽きたってば……」 「いいえ、そういったことを咎めるつもりはありマセンよ……?」 「……ということは、ユーリはシュンと付き合っている、のデスか?」 「えっ……? あっ……」 「あら……? 図星デシタか」 「も、もうっ! ハナコ先輩には関係ないでしょ!」 「私は、ユーリが授業をサボってばかりだから、上級生のシュンに、カテキョーをして貰っているのではないかと……」 「ユーリが勉強についていけていないのではないかと、ウォリーしていたのデスよ」 なんだかんだで夕梨のことを気に掛けてくれているのは、ハナコ先輩らしかった。 「まさか、ユーリとシュンが、ラブ・フレンドになっているとは……」 「あたし、ラブ・フレンドなんて言葉、知らないけど……」 別に隠してたわけではないけど、先輩に知られるのはちょっと恥ずかしい。 「まあ、シュンはいろいろと大変デシタから。ユーリが支えになるのは、良いことかもしれマセン」 「そ、そう……?」 「デスが……」 「あなたたちは学生デス。学生らしく、節度を守った恋愛をせねばなりマセン」 「ユーリ、あなたはフーキ委員なのデスから……」 「はいはい、分かってますー」 「支えになる人が、倒れてしまったら、本末転倒デスから」 「まあ、そうだけど……」 よく聞いていると、ハナコ先輩はまともなことを言っているように思える。 他{ひ}人{と}とズレているところも多いけど、相手を想っての行動であるということか。 「シュンはヘタレだと思っていマシタが……」 「意外と、男らしい面もあるようデスね」 「そうそう。舜だって、ああ見えて、しっかりしてるところもあるんだから!」 「愛する女性の前では、ってことデスね。見直しマシタ」 「そ、そうかな……」 繰り広げられるガールズトークを前に、出て行けなくなる。 あの2人は相変わらず仲がいいということで、立ち去ろうとした時―― 「ふうん……」 「沙羅……!?」 いつの間にか、隣に沙羅が立っていた。 「いつから……」 「ずっと居たけど?」 何事もなかったかのように踵を返し、歩み去っていく。 僕も教室に戻ろうと、ハナコ先輩と夕梨にばれないように、そのまま沙羅を追い掛ける。 「盗み聞き、やめて良かったの?」 「そんなつもりないから。出て行きづらくなっただけ」 「ふうん……。それにしても、夕梨と付き合ってるのね。おめでとう」 「……あ、ありがとう」 さらりと言われて、なんだか落ち着かない。 「ちゃんと、話したみたいね」 『ちゃんと話せ』ってことだよね? 夕梨の……」 「まあね。風邪ってことはないだろうと思って」 「沙羅は、全部知ってるの?」 「少しだけね。私は医療チームではないけど、ロボット工学と関係の無いことでもないから」 「前に話した、救助用のアンドロイドは、私の研究が活かされているし」 「医療用アンドロイドの開発にも、稼働実験とかで、人工知能が応用されているはず」 「そういう研究もあるんだ」 アンドロイドの技術で、病気自体を治すことは出来ないだろうけど。 医療用アンドロイドなどの研究は、沙羅の管轄ではないにしても、人工知能が役立っているということだろう。 「治療行為自体は出来なくても、あらゆる症状のパターンを組み込んでおけば、がん細胞の発見率を上げられるかもしれない」 「結局は、どの人間にも等しく死は訪れるものだから、完治しても、それは延命したに過ぎないんだけど」 「延命、か」 「アンドロイドとは関係無いけど、たとえば、人工臓器で延命出来る病気もあるじゃない?」 「夕梨の病気のことは、詳しくは知らない。でも、軽い病気とは思えないから、ちょっと気になってる」 「……と言っても、医療のことは私はサッパリだから、なんとも言えないけど」 「そうなんだ」 夕梨が不治の病だとは聞かされたけど、具体的な病名までは知らされていない。 だけど、延命させることは……何か方法があるんじゃないか? 「夕梨は、人工臓器のことを知ってるの?」 「直接聞いたことはないけど、知ってるんじゃないかな」 「そうか……。少し、聞いてみるよ」 人工臓器や、代替機器による延命治療。 もし、それが行えるのであれば。 夕梨がもっと、長く生きることも、可能なのかもしれない。 「よしっ、今日の掃除もおしまいっ」 「ちょっと休憩っと……」 「お手伝い、ありがとう」 「えへへ……」 夕梨は嬉しそうに微笑む。 治る見込みのない病気に冒されて、倒れてしまうこともあるけど、僕の前ではすごく元気だ。 だから、夕梨が居なくなるかもしれないことに、いまいち実感が湧かない。 「夕梨ってさ……病気なんだよね」 「いきなりどうしたの?」 「病院行ったりしてるの?」 「病院は行ってるよ。お薬、貰ってるから」 「治療とかは?」 「え……?」 「薬以外の治療は? リハビリとか」 「舜……突然、なんでそんなことを聞くの?」 「治らない病気なんだって、前に話したじゃん」 「夕梨のこと、もっと知りたいんだよ。どういう病気なのかとか、もっと詳しく」 「だから、治らない病気」 「そう言ってるじゃん!」 聞かれたくないことなのか、夕梨はどこか、苛立っているように見えた。 「治療法が無いから、薬で抑えるしかないって、言ってたけど」 「詳しく調べて、これから治療法を探せば、治るかもしれない」 「それは……無理」 「百南美先生が、そう言ってたんだから」 「そうかもしれないけど――」 「もう、病気の話は嫌」 「舜と居る時くらい、楽しくしていたいよ」 「ごめん」 夕梨が死ぬなんて、考えたくもない。 だけど、生きられる可能性があるなら、簡単に諦めることは出来ない。 「夕梨と一緒の今がすごく幸せだから、ずっとこうしていられたらいいって思う」 「そのために何か出来ないか、考えてたんだ。気分が悪くなったのなら、ごめん」 「……あたしは、そこまで望まない」 「今が、すごく幸せだから。これ以上望んだら、バチが当たっちゃうよ」 「バチなんて……」 夕梨が治らない病気だと分かってて、付き合ったはずだった。 だけどやっぱり、死んで欲しくはない。生きていて欲しい。 「ねえ、次の休み、また一緒にお出掛けしよっ」 「この間みたいに、お外でデートしようっ!」 「……いいよ。どこに行こうか?」 「うーん……デートっぽい場所っていうと、難しいなあ……」 「どこでもいいや。またお買い物でもいいし、お散歩でもいい。舜と一緒だったら、どこでもっ」 「分かったよ。夕梨が行きたい場所、全部行こう」 「うんっ!」 病気の話を遮るように、夕梨はデートプランについて、話し始める。 まだ考える時間はあるはずだ。 今は、夕梨が望むことを少しでも多くやろう。 今日は、夕梨と出掛ける約束の日。 11時に集合して、それから一緒に出掛けることになっていた。 だけど、時間を過ぎても夕梨は現れない。 寝ているのかもしれないと思い、迎えに行くことにした。 「ごめん、遅くなっちゃって……」 「寝過ごしちゃって……あはは」 「じゃあ、行こうか」 「あっ……」 「夕梨?」 「うう……」 夕梨はそのまま、床にへたり込んでしまった。 「ごめん……ちょっとだけ……休む……」 夕梨は、苦しそうな表情を浮かべ、額には汗を滲ませている。 「百南美先生に連絡しようか?」 「ううん。ちょっと……だるいだけだから」 「休んでれば、治る……」 「分かった」 夕梨はそう言って、そっと目を瞑る。 「デートの、約束……してたのに……」 「楽しみに、してたのに……」 「まずは、ゆっくり休んで」 「……ごめ……ん……」 夕梨を支え、ベッドまで運んで寝かせる。 しばらくすると、小さな寝息が聞こえてきた。 もしかして、夕梨は僕と一緒に居るために、無理をしているんじゃないだろうか。 付き合うようになってから、前よりも、調子の悪い日が増えているような気がする。 無理はして欲しくない。 少しでも長く夕梨と一緒に居たい気持ちが、強くなるばかりだった。 夕梨はそのまま、しばらく眠り続けていた。 僕は昼食を取り、夕梨を起こさないよう、静かに過ごす。 夕梨の部屋に戻ると、いつの間にか部屋着に着替えていた。 今日はもう、出掛けるのは無理だと諦めたんだろう。 「舜……」 「おはよう、夕梨。体調はどう?」 「もう、大丈夫……」 「今、何時……? デート……」 「今度にしよう。夕梨の体調がいい日に」 「……」 「いつでも行けるよ。放課後だって、時間は取れるんだし」 「今日は、家でデートしよう」 「……分かった」 「……お薬、飲むね……」 サイドテーブルにあった袋から錠剤の束を取り出し、コップに入った水で流し込む。 ものすごい量の薬――それを、慣れた様子で飲み込んでいく。 「……はあ」 起きてからずっと、夕梨に笑顔はない。 「夕梨、怒ってるの?」 「違うよ。舜が悪いんじゃないし、怒ってるわけじゃない」 「自分が、情けないなって」 「こんなに……楽しみにしてたのに」 「夕梨が悪いわけでもない」 「それに、外に出掛けられなくても、こうやって一緒に居られるだけでも楽しいよ」 「あたしが動けなくても……?」 「どこにも行けなくても? 喋れなくても? 寝てるだけでも?」 「そんなあたしでも、舜はいいの?」 「夕梨?」 「あたしの心臓が動いていれば、舜はそれでいいってこと……?」 「それでも舜は、一緒に居て楽しいって思える? そんなわけないよね」 「あたしは、そんなの嫌だよ」 「……」 夕梨は辛そうに、目を伏せる。 「あたし、本当に、もうすぐ死ぬんだね」 「この夏くらいは大丈夫だって、せんせーは言ってたけど、それだって本当か分からない」 「明日、急に具合が悪くなって、悪化して、そのまま……」 「……この生活、終わっちゃうかも」 「死ぬことを考えるくらいなら――」 「……あたしが死んだら、舜はどうするのかな」 「きっと……舜はすっごく悲しんでくれる」 「だけど……ゆっくり、元の生活に戻っていく。誰かが傍に居て、舜を支えてくれる」 「それは……」 否定出来ない。 白音が亡くなったあとも、僕はここまで、生きて来れたから。 「責めてるわけじゃないよ。そうして欲しい。そうなって欲しいの」 「あたしが死んで悲しいのは最初の少しだけで、後はときどき、思い出すくらいになって」 「普通の生活に戻って、また恋をして、幸せになって欲しい」 「そんなこと……分からない」 「分かるよ。白音ちゃんが亡くなった後の舜を、あたしはずっと見てきたんだから」 「舜は、ずっと白音ちゃんを大切に思ってた。今も、そう」 「でも、それは身内である妹だからであって……」 「数か月一緒に居ただけの恋人のあたしは、意外とすぐ、忘れられちゃうかも」 「そんなことない。死ぬ話なんて、しなくていい」 「今しか出来ないじゃない。もうすぐ、死ぬんだから」 「死んだら、こんな話も、出来ないんだから」 「でも、だからって……」 夕梨が病気の話は嫌だと言っていたように、僕も、その話を持ち出されるのは辛い。 それが、避けられない事実だとしても、既定事項のように話すのは、やっぱり嫌だった。 「舜は、あたしが死ぬの、なんとなく、もっと先のことだと思ってるでしょ?」 「そんなことないって」 「見てれば分かるよ。実感、湧いてないんでしょ?」 「もうすぐ死ぬといっても、別に入院してるわけじゃないし」 「死ぬ死ぬ詐欺みたいなもので、なんだかんだ、来年も生きてるんじゃないかとか」 「そんなこと、思ってない」 実感が湧いてないのは本当で、当たり前のように明日が来ると思っている。 生きていて欲しいのも本当だから、否定出来ない。 「もっと沢山、デートしたり遊んだりしたかったな」 「病気でなければ、もっと舜のそばに居てあげられたのに」 「なんで、病気になんかなっちゃったんだろう」 「ごめんね。舜」 「……それは、夕梨が悪いわけじゃないんだから」 うまく気持ちが伝えられる言葉が見つからず、出てこない。 夕梨が深刻なことなのに、淡々と他人事のように話すから、何を言っても裏目に出るような気がしてしまう。 「ごめん。自分で、病気のこと話したくないって、言ってたのに」 「……つい、口走っちゃった。ごめんね」 夕梨の恋人として、何も出来ていない自分が情けない。 ただ励ますことすら、夕梨を傷付けてしまいそうで、躊{ため}躇{ら}われる。 「ごめんね……」 「謝らなくていいって」 「別れてもいいよ、今なら。そのほうが、舜のためかもしれない」 「それは違うよ。夕梨と一緒に居たいのは、僕の意思だ」 「そう……ありがとう。ごめんね」 夕梨は何度も繰り返し、謝罪の言葉を口にする。 死に対する不安な気持ちがあるのに、それを受け止められないから、言葉にしたんだと思う。 だけど、そうして口に出してみても、何かが変わるわけではない。 だからこそ、しきりに謝って、話を収めたいんだろう。 「……」 「……」 生きたいと思う気持ちと、生きて欲しいと望む気持ち。 心は同じところにあるはずなのに、ちゃんと寄り添って未来を目指して進めていない気がする。 このままでは、いけないはずなのに。 体調が悪そうな夕梨を前にして、強く言えないのが、もどかしかった。 夕梨と別れたあと、なんとなく真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、海へ向かった。 夕梨は必ず、自分より先に死ぬ。 そうなってしまった後の自分を、想像することが出来ない。 記憶は無いけど、この海で、白音は亡くなった。 幼かった僕は、きっと、すごく悲しんだと思う。 それでも、時が経って、普通に生きられる程度に、悲しみを乗り越えたんだろう。 白音が亡くなったのは悲しい。今だって、受け入れられたわけじゃない。 だけど、生きている限り――前に向かって進んで行かなくちゃいけない。 忘れられず、思い出しては悲しい気持ちになったとしても。 生きているのなら――ずっと悲しんではいられない。 「それは、なんとなく、分かるんだけど……」 夕梨は今、生きている。傍に居てくれている。 それなのにもう、夕梨の死を受け入れなくてはいけないんだろうか? 全てを諦めて、納得して、生きなければならないのか? 「そんなの……嫌だ」 夕梨が生きている限り、自分に出来ることをしたい。 ただ見守るだけだなんて、間違っている。 夕梨が亡くなって、何も出来なかったことを後悔して、毎日を悲しんで生きていく未来には、絶望しかない。 夕梨は、まだ生きている。 だから、出来る限りのことをしたいんだ。 夕梨が生きているうちに。 夕梨がもっと、少しでも長く、生きていられるように。 放課後、百南美先生のところへ向かう。 「どうしたの? 今日は診察の予定は無いはずだけど……」 「もしかして、何か思い出した?」 「それは……全く」 「でも、気長に待ちます。今は、そんなに焦る気持ちも無いので」 「うん。それもいいことだと思うよ」 「今日は、そのことじゃなくて」 「夕梨のことを、聞きに来たんです」 「夕梨ちゃんのこと?」 「はい。単刀直入に言うと、夕梨の病気のことを教えて欲しいんです」 「……」 百南美先生は難しそうな顔をする。 「……夕梨ちゃんからは、どこまで聞いたの?」 「不治の病だということは聞きました。まともに動けるのは、この夏くらいだって……」 「ときどき体調を崩しているのも、薬を飲んでいるのも、知っています」 「だけど、それ以上は話したがらなくて……」 「……そう」 「でもね……一応、こっちにも守秘義務があるんだ」 「分かってます。だけど、夕梨のために何かしたくて」 「やっぱり、このまま諦めるのだけは嫌なんです」 「きみの気持ちも分かるけど……」 医療に従事する者として、患者のプライバシーを他言することは、タブーに等しい。 話せない理由は明らかだけど、百南美先生も自分も、夕梨を思う気持ちは同じだ。 だから、無理を承知で、門を叩いている。 「七波くん」 百南美先生は、真っ直ぐ正面からこちらを見据える。 「きみなら、夕梨ちゃんの心に寄り添い続けてあげられるって、先生は分かってるよ」 「だから、教えてあげたいんだけどね……」 「うーん……」 話し辛そうに、百南美先生は視線を逸らす。 「夕梨ちゃんのことを話したら、七波くん自身に負担が掛かってしまうかもしれない」 「きみは、夕梨ちゃん思いだから」 「知ってしまったら、全てを受け入れなくちゃならない」 「それでも、知りたいと思うかい?」 「覚悟は出来ています」 「自分の記憶が飛んでも、こうやって生きてるんです。これ以上落ち込むことなんかありません」 「そうか……」 腹を括った言葉を受けて、少しだけ百南美先生の表情が和らいだ気がする。 「……分かった。でも、これは絶対に、他言無用だからね」 「約束だよ?」 「はい」 それから百南美先生は、少しだけ息を潜めて、話を続ける。 「夕梨ちゃんの病気は――」 「簡単に言うと、身体が少しずつ、動かなくなっていく病気なんだ」 「筋肉と、神経の病気と言ったらいいかな」 具体的な病名は避け、なるべく分かりやすい言葉で説明を受ける。 「最初は、手足から少しずつ、麻痺していく」 「症状が進めば、舌が動かせなくなって、喋れなくなる。物を呑み込めず、自力での食事が出来なくなる」 「起き上がることも出来ず、徐々に寝たきりになっていく」 「体中の筋肉にも異常が出て、いずれは――内臓にも影響が出てくる」 「……そんな」 考えただけで、胸が苦しくなる。 歩けなくなるだけじゃない。身体の全部が、動かなくなるだなんて。 「じゃあ、今の夕梨は……」 「なんとか薬で、症状を抑えているの」 「だけど、筋力は徐々に低下しているわ。走ったりは出来ないし、重い物も持てないと思う」 「薬の副作用もあって、倦怠感を感じたり、急にしばらく動けなくなったりもする」 「それは……心当たりがあります」 元気そうにはしているけど、辛そうな表情を見せることも多かった。 「そんな状態なのに……普通に生活していて、大丈夫なんですか?」 「薬で抑えている分にはね」 「大丈夫というか、安静にしていたからといって症状の進行が遅くなったり、治ったりするわけじゃないし」 「だから、とりあえず、夕梨ちゃんに任せてあるんだ」 「そうですか……」 今は症状を抑えているだけ、進行を遅らせているわけでも、治療をしているわけでもない。 そういうことか。 「でもね」 「でも?」 「可能性が無いわけじゃないんだ」 「可能性?」 「夕梨ちゃんの病気が不治の病というのは、“今日のところ”の事実なんだ」 「でも、完治は出来なくても、可能性を否定しちゃいけない」 「先生だって、医者であり研究者だから、いろいろな可能性を探っている」 「患者に元気になって欲しいのは、医者として当たり前のこと」 「でも、それには医者だけじゃなく、患者との二人三脚が大切なんだ」 「治したいという医者の気持ち、治りたいという患者の気持ち」 「この2つが合わさって初めて、治療というものは成立するんだよ」 「そう……ですか」 この人もやっぱり医者なんだ。 そして、一呼吸をしてから。 百南美先生は少し悲しい顔をした。 「夕梨ちゃんはね――」 「治療を、ずっと拒否してる」 「どうして……」 「治らない病気なら、治療する意味も無いって」 「治療を受ければ、長い入院生活になってしまう。普通に生活することは、難しくなるからね……」 「治療を受けても、本当に……治せないんですか?」 「どんな治療でも、夕梨の病気は、治らないんですか……?」 「さっきも言ったけど、“今日のところ”完治することは、難しいと思う」 「でも、研究は日々続いているんだよ」 「夕梨ちゃんに似た症状に対しての治療もある」 「だから、先生はね、夕梨ちゃんにはその治療を受けて欲しいと思ってるんだよ」 「ただ、それにはここの設備じゃ無理なんだ」 百南美先生は言っていた。 H{ヒ}u{ュ}C{ー}R{ク}E{レ}M{ム}というのが、その治療法。 機械に例えるならば、壊れたパーツを交換するようなもの。 元々の細胞を培養して、機能性のあるものを作り移植し、完全に人工的に作ったものに置き換えること。 それぞれの患者に最適な方法を探るとは言っていたけど、要は悪くなったパーツは捨てて、新しいものに置き換えようということだ。 今までも義足や義手、そして、人工臓器といった置き換えによる治療はあったけれど。 HuCREMは、単に生き永らえるために行うものでは無い、日常生活を完全に取り戻すことを目指す、次世代の治療だと先生は言っていた。 僕は、夕梨に元気でいて欲しい。 そして、これからもずっと一緒に居たいんだ。 「そう……」 帰ってから、百南美先生から聞いた一部始終を、夕梨に話して聞かせた。 「何度も考えたんだけど……やっぱり、夕梨が死ぬってこと、簡単には受け入れられない」 「そんなこと、言われても……仕方ないじゃない」 「僕は諦めたくない。諦められない」 「このまま、見守るだけだなんて、絶対に出来ない」 「舜……」 「治療を受けてみないか? 百南美先生に聞いたんだ」 「治療……?」 「HuCREM。島の外の病院に行かないといけないけど、最新鋭の医療技術なんだって」 「それなら、夕梨の病気も――」 「……治るって、言ってた?」 「……それは」 百南美先生は、治るとは言わなかった。 あくまでも、可能性があると言っただけ。 「治らないんだよ。そういう、病気なんだから」 「舜、治るってどういうことだと思う?」 「それは……」 「正常な機能に戻って、治療が要らなくなるってことでしょ?」 「そうだけど……」 「あたしだって、本当に治るんだったら受けたいよ」 「死にたいわけじゃないし。生きられるなら、生きていたい」 「あたしは、新しい治療法が編み出される度に、何度も説明を受けてきたの。舜よりも、ずっと。たくさん……」 「でも、少しでも、希望があるなら――」 そう言ったが、夕梨の表情は硬く、考えは変わらないようだった。 「舜、HuCREMの内容、聞いた?」 「多少は……」 「学校には通えなくなる。検査と薬漬けの毎日が、あたしを待ってる」 「自由な時間だって、何一つ無くなっちゃう」 「それだけじゃない……」 「置き換えていくって意味、分かってる?」 「……」 夕梨はそう言って、僕に触れる。 「この腕も、足も、何もかも」 「悪化して、悪くなる前に、外してしまうの」 「自分の身体を、1つずつ外して、置き換えて……」 「自分だったものを、どんどん失くして、無理やり生かされる」 「だめになる前に、全てを置き換える。あたしの体力が持つ間はずっと、永遠に続く……」 「そして、何もかも入れ替わっても脳がオリジナルなら、あたしってことになる」 「その脳だって、最後は置き換えられちゃうかもしれない」 「……」 「あるわけないって、思ってるでしょ」 「でも、これが事実なんだよ」 「そうなる前に、死んじゃうかもしれないけどさ……」 確かに、一度置き換えを始めたら、終わりが見えないのかもしれない。 完治を目指すということは、原因を全部潰していくのと同じなんだ。 「舜だって、分かるでしょ。自分だったものが無くなる感覚……」 「あたしも、そうなるかもしれないってこと……それを、舜は望むの?」 記憶を失うことが、どれだけ絶望的か。 回復しない限り、自分ではどうすることも出来ない状況で、それでも生きていかなくちゃいけない。 夕梨を同じ目に遭わせることは、出来ないと思った。 「身体の全部を置き換え続けて、少しずつ少しずつ、寿命を延ばしていく」 「壊れたら交換する。これを繰り返していくだけ」 「ひたすら繰り返し続ける。何度も何度も。終わりも見えないのに」 「そんな状態で、生きていくんだったら……」 「……生きていても、辛いだけなんだよ……」 夕梨自身が一番辛いはずなのに、気丈ににっこりと笑ってみせる。 「だからあたしは、今を楽しく生きていたい」 「最後の日まで、笑って過ごして、幸せな思い出でいっぱいにしたい」 「舜のそばにずっと居たい……」 「それが、あたしの望みだから……」 「でも、生きていられたら……そのぶん、一緒に居ることが出来るとも、考えられるんじゃないか」 「ううん。あたしは今がすごく幸せだから、いいの」 「置き換えをするたびに、検査や治療にすごく時間が取られちゃう」 「そうなったら、今みたいに、舜には会えなくなる」 「こうして遊びに来ることも、出来なくなるんだよ……?」 「時間はどんどん流れていっちゃうの」 「本当に成功するか分からない治療のために、今という時間を捨てなきゃならない」 「舜と一緒の時間が消えちゃうんだよ」 「生きるために、今を犠牲にし続けるなんて……そんな」 「そんな……無理して生きることに、意味なんて無いよ」 「でも、治療が終われば、また会える」 「一度始めたら、終わらないんだよ……」 「……」 「そして、もし、全てが上手くいったとしても……」 「その時のあたしは、もうあたしじゃないんだ」 「でも――」 「たとえ、舜が認めてくれても――」 「自分が自分で居られなくなることに、あたしが一番、耐えられない……」 「だから、無理なんだ」 「あったかい手……」 「治療が始まったら、こうして自分の手で舜に触れることも、出来なくなるんだね……」 「それって、辛いことだなって……」 「夕梨……」 温かな手の温もりから、夕梨の鼓動が伝わってくる気がした。 「嫌だな……うん……嫌だよ」 「舜に……触れられないのは、嫌」 「自分に、触れて貰えなくなるのは……嫌っ……」 夕梨は僕の手を握ったまま、言葉を絞り出すように、ぎゅっと身を縮める。 繋いだ手を経て、痛いほどに感情が流れ込んでくる。 夕梨に生きていて欲しい。その気持ちは変わってない。 でも、無理に生き延びることが、夕梨の望みじゃないのもよく分かった。 「あたしは、幸せだから」 「舜に会えて。舜の彼女になれて」 「いっぱい愛して貰って、それで、幸せを感じたから」 微かに伝わって来る、心臓の鼓動。 夕梨の息づかい。肌の温もりと柔らかさ。 全てが愛おしく思える。 「大好きだ。夕梨……」 「あたしも……大好きだよ」 「でも……ごめんね」 「舜はきっと、諦められないと思うんだ」 「あたしが生きることを、一番に考えてくれるって、分かってたのに」 「あたし、舜を苦しめる道を、選んじゃったかな」 「そんなことないよ」 何か、解決の糸口はないんだろうか。 本当に、諦めるしかないんだろうか。 夕梨の言い分は分かる。だけど、生きることを諦めるなんて、間違っている。 でも、治療することが、夕梨の望みではないのだとしたら。 もっと幸せを享受出来るように、今を生きていくしかないんだろうか。 治療を受けていなくても、夕梨は精一杯、毎日を生きている。 夕梨にとっては、残された日々を治療に煩わされることなく、日常生活を満喫出来ることが、一番の幸せなんだ。 1日でも多く、学校へ行って、当たり前の日々を過ごすこと。 生きている間に、楽しい思い出を、たくさん作ること。 それは――間違っていないと思う。 治療のことも、病気のことも、夕梨は全て分かっていて、そうして選択した道だ。 生きてさえいればそれでいいと、僕だって思っているわけじゃない。 だけど……。 何も、解決していないんじゃないか。 問題は、残されたままなんじゃないか。 そんな考えが、頭の中をずっと、ぐるぐると回り続けていた。 「……やば。しょっぱくなっちゃった……」 「あ……でも、水足せばいける……?」 「4人分くらいに増えちゃうけど、夜食べて貰えばいいか」 「いやー、夕食のことも考えられるあたし、偉い!」 「……」 朝から夕梨がお手伝いに来てくれているけど、相変わらず、調理場には穏やかならぬ空気が漂う。 「どうしたの? お腹すいた?」 「ちょうど準備出来たところだから、一緒に食べよ!」 「あ、ありがとう」 病気の話をしなければ―― ときどき体調を崩すことはあっても、楽しい日々を送ることが出来るんだ。 今は、夕梨の望むように、過ごして行くべきなんじゃないだろうか。 「今日はね、最後まで全部、授業受けたんだよ」 「体調良かったの?」 「そうそうっ。毎日調子良いといいんだけどなぁ」 夕梨は元気な笑みをこぼす。 やっぱり、夕梨には笑顔で居て欲しい。それが難しいと分かっていても。 「そういえば、今日は雨の予報だったけど……超晴れてるよね」 空は綺麗な夕焼け色に染まっている。 「本当だ。天気予報も、外れるもんだね」 「そう言って、いきなり降り出さないといいけどね」 「置き傘してきちゃったから、今持ってないし」 「まあ、ここから家までの距離なら、大したことないよ」 「そうだよね」 「たまには雨も良いかなーって思うけど、夏はベタベタするから、ほんと嫌……」 「降るなら台風くらいの、凄いのが来て、休校になれば嬉しいな」 「そうだね」 天気予報では、降水確率90%だったけど。 こういう日もあるってことか。 「あ、あれ……」 しばらくして、ぱらぱらと雨の粒が降ってきて。 少しなら大丈夫かと思いきや、一気にざあざあ降りになった。 「これはやばい――」 傘を持っていなかった僕達は、カバンを頭に乗せ、身体を寄せ合いながら、足早に家路を急いだ。 「あー……雨、すごかった……」 「うう……ごめんね、舜……」 「舜だけだったら、こんなに濡れなくて済んだのに」 「あたし、走れないから……」 「いや、僕のほうこそごめん。傘、持って来れば――」 「あっ……」 「かなり濡れちゃったから、乾くまで、舜の家に居てもいい?」 「え……」 「乾燥機、あるよね? 貸してくれる?」 「ついでに、舜の服も一緒に……」 「って、舜? 聞いてる?」 ついつい、雨に濡れて艶っぽい夕梨に、見とれてしまう。 「あ、うん。聞いてる聞いてる」 「島の天気は変わりやすいってこと、忘れてたよ……」 「うん、そうね」 「夕梨、そんな格好のままじゃ、風邪ひくから――」 「シャワー浴びたほうがいいよ」 「えっ……?」 ようやく自分のあられもない姿に気づいたのか、夕梨はぽっと頬を赤らめる。 「い、いやっ……あたしは、大丈夫だよっ」 「ほら、舜の家なんだから、舜が入らないとっ!」 「僕は後でいいから、夕梨が先に」 「そう……?」 「……じゃあ」 「……一緒に、入る?」 「え……」 一緒に入るという言葉にどきどきして、その場で立ち尽くしてしまう。 「いいでしょ……?」 夕梨に後押しされ、2人でそのまま、風呂場へ向かった。 「はーっ。さっぱりしたけど……疲れたぁ……」 一緒に風呂から上がり、夕梨は乾燥を終えた制服を着込む。 「ちょっと休憩……お水貰うねー」 「ほえー……」 幸せそうに微笑む夕梨は、すごく可愛い。 「……」 終わりを迎えるまでの日々を、夕梨の言う通り、共に歩いて行くつもりでいた。 だけど、やっぱり無理だ。 時間を重ねれば重ねるほどに、夕梨が愛しくなる。 「夕梨、僕は……やっぱり」 「ん?」 これが最後だなんて思いながら、生きたくない。 手放したくない。ずっと、一緒に居たい。 「どうしたの?」 「……いや、なんでもない」 それが、夕梨の望むことじゃなくても。 僕はそれでも、諦めて欲しくない。 少しでもいい。希望を見出したいんだ。 「わっ……!」 目をやる場所がなく下を向いていると、夕梨が後ろから抱きついてくる。 「今更恥ずかしいなんて言っても、遅いからねっ!」 「雨で濡れちゃったし、いっぱい洗わないと……♪」 「ちょっと、夕梨……っ」 自身の身体にボディソープをつけて、ごしごし擦ってくる。 泡がたくさん付いてぬるぬるになった胸を、背中に押し付けられる。 「ほら、あたしに任せて♪」 身体全体で擦られているだけでなく、その小さな手の中には、僕のペニスが握られている。 僕は抵抗出来ず、ドキドキしながら夕梨にされるままになる。 「舜の……おちんちん、ちゃんと見るのは初めてだったけど……」 「へえ……こうなってるんだ♪」 柔らかい指で優しく刺激しつつ、夕梨が視姦してくる。 「でも……この間とはちょっと違うかも……?」 「ふにふにしてて……なんだか、頼りない感じ?」 「それは……大きくなってないというか、勃起してないから」 「勃起……?」 「じゃあ、あたしの手で擦って、大きくすればいいんだよね?」 「えっ……!?」 「いいじゃん♪ ちゃんと洗わないとだよー」 泡の付いた手で、夕梨がぎゅうぎゅうとペニスを扱いていく。 嬉しいけど、やっぱりすごく恥ずかしい。 「この皮のところも……ちゃんと、綺麗にしないとね……」 握る手は強く、勃ち切っていないペニスには、少し刺激が強い。 「夕梨、も、もうちょっと……優しく……」 「ごめん、痛かった?」 「優しく……こうかな……?」 触れるか触れないかという力で優しく、夕梨はそっと僕の竿を擦っていく。 「うん、それなら……」 泡立てた手はぬるぬるとしていて、擦るたびに温かさが増していく。 「こうすると、気持ちいいんでしょ?」 「えっと、どこかで見たの?」 「えへへ。ちょっとね……♪」 「舜とまたする時のためにって……いろいろと調べて……」 夕梨は優しく丁寧に、竿全体を擦り上げていく。 気持ち良くて、思わず小さく声が出てしまう。 「気持ちいい?」 「うん……すごく」 「えへへ、嬉しい……♪」 「ぷにぷにしてて……なんか可愛い……」 夕梨は僕の玉袋を指先で転がす。 微かな刺激が、どこかくすぐったくて気持ちいい。 「んっ、うん……んん、んっ……」 「ここも……気持ちいいんだね?」 僕が頷くのを確認すると、夕梨は両手を使ってペニスに刺激を送り込んできた。 「これで、前にした時みたいに……大きくなるかな?」 「よいしょ……っ、ふん、あっ……うんん……んっ……」 夕梨は少しずつ手で扱く速さを上げていく。 意識的にかそうでないのか、後ろから大きな胸を押し付けてくるから、鼓動はますます速くなるばかりだ。 「そこ……っ」 「ここ……? ここが、気持ちいいの?」 「うん……」 「この、凹んでるところを……きゅって……すればいい……?」 「うん、んっ! ふう……う……んん、あふっ……ん」 「あっ……待って……!」 早くもコツを掴んだのか、夕梨は亀頭の部分だけを丁寧に刺激する。 「ここが気持ちいいんだ……?」 「でも、逃げちゃだめ……離さないからね……」 悪戯に笑って、夕梨は指を輪っかのようにして、カリ首を集中的に扱いてくる。 もう片方の手には玉袋が握られ、背中は胸でホールドされていて、終始腰が震えっぱなしだった。 「んっ……だんだん、おちんちん硬くなってきたかも……」 「射精……したくなってきた?」 夕梨は話しながらも、手の動きを止めない。 目の前で繰り広げられている光景が引き金となり、ビクッと腰が跳ねてしまう。 「うっ……!」 「ふふっ、大きくなってきた……♪」 声にならない呻き声を上げ、ふと股間に視線を戻すと、自分のソレは完全に勃ち上がっていた。 「すごい……硬くて、おっきい……血管もこんなになって……わあ……」 「これが……あたしの中に、入ったんだ……」 物珍しそうに、夕梨は勃起したペニスに触れる。 そのまま、握力を少し強めにして、竿全体を扱いた。 「もうちょっと、ごしごししようね……♪」 「はあ、ん……熱い……おちんちん、硬くて熱いっ……」 「あたしの、手の中で……うん、んっ……おちんちん、ビクビクしてるね……」 竿をしっかり持って、泡をまんべんなく付け、上下に手を動かす。 充血したペニスは、さっきとは比べ物にならないほど、刺激を伝えてくる。 「わっ……なんか出てきた……」 「これ、精液じゃないよね?」 「うん、先走り……我慢汁って言うのかな……」 「先走り……」 「もう……出そうなのかな……?」 「夕梨……?」 「うん、んっ……はあ、ぁ、あっ……んんっ、んっ!」 「舜……出したいんでしょ……? だから……」 激しく強く擦り、強烈な刺激を与えてくる。 僕は我慢出来ずに、腰を揺らしてしまっていた。 「出そうなの……? 腰、動いちゃってるよ……?」 「手で、されるの……気持ちいい……?」 「もうちょっとで……出そう……」 「んっ、ん……分かった……」 「ふあ、あ……うん、んっ……じゃあ……」 「まだ……出さないでね?」 突然手を止めた夕梨は、座り込んだままの僕の正面に来て、その胸でペニスを挟み込んだ。 「よいしょ……っ!」 「夕梨、何を……!?」 「ちゃんと挟んで……っと……」 「今度は、おっぱいで……洗ってあげるね」 「うん、うんん……んんんっ、ふう……あ、うん……」 上下に擦るように、胸を持ち上げたり落としたりする。 膣内とはまた違った感触に、ドキドキしっぱなしだった。 「ぎゅっ、ぎゅってね……擦ると、いいって……」 「それも調べたの?」 「うん。こうしたら、喜んでくれるって……♪ あたしの無駄に大きい胸も、役に立ちそうだし」 「にひひっ。なかなか出来る子いないよー? 気持ちいい?」 「うん。あったかくて……」 挿入の時のような締め付けや密着感はないけど、見た目の淫靡さだけで、腰が蕩けてしまいそうになる。 「男の夢っていうか。すごく、嬉しい」 「あは。あたしのおっぱい、そんなに好きなんだ?」 「じゃあ……もっとこの夢、堪能して貰わないとね」 「まだ、出しちゃだめだよ……?」 夕梨の手の動きに合わせて、大きな胸がスライムのように形を変える。 包み込まれている幸福感と、視覚からの刺激により、腰が勝手に動いてしまう。 「だめだめ。舜は動いちゃだめだってば」 「ちゃんと、最後まで我慢出来たら、射精させてあげるから……」 いつの間にか夕梨に主導権を握られ、腰を沈められる。 緩やかな快感がじわじわと下半身に集まってきて、心地良い……。 「えっと、それから……」 「ん……ちゅっ……」 「わっ……!」 夕梨は紅い舌を伸ばして、ペニスの先端をペロリと舐める。 ダイレクトな刺激に堪えられず、竿が大きく跳ねるように脈打つ。 「わあっ、ビクってなった……」 「もっと、するね……」 「ちゅ、ん……ふんん、ちゅっ、ちゅ、んん……」 「先っぽって、案外、ぷにぷにしてる……ちゅ、ん、はぁ、ちゅるっ……」 「汚いとか……思わないの?」 「舜だって、初めての時……あたしのあそこ、舐めてくれたじゃん……?」 「こないだは、舜がいっぱいあたしのこと愛してくれたから……」 「今日は、あたしがしてあげるからね」 「んむ……ちゅっ……ちゅ……」 口の中に唾液を沢山含ませて、夕梨は僕の先端を舐める。 「ん……ちゅっ、ちゅぱ……ちゅっ、ちゅるっ……」 くちゅくちゅと唾液をまぶす音を響かせながら、夕梨は何度も舐めてくれる。 「ん……んむ、ちゅぱ、ちゅっ……ちゅるっ、ちゅっ……ちゅ……ちゅるっ……」 「ん、んちゅっ……ちゅっ、ちゅぱ、ちゅっ、ちゅる……」 腰が震えそうになるのを必死に堪えながら、夕梨の奉仕を全身で受け止める。 「ちゅっ……いっぱい……舐めてあげないと……」 「んっ……ちゅ、ちゅっ、ちゅぱ、ちゅるっ……ん、ちゅっ、ちゅぱ……」 浴室の中だから、声も水音も響いて、一層いやらしい雰囲気が漂っている。 「ちゅっ、はあっ、ちゅっ、ちゅぷ……はあっ……」 「はあ……正面からちゃんと見ると……なんか、すごいね」 「血管、びくびくしてて……ちょっとグロいけど……なんだか、可愛く見えてきた」 「あっ……こっちも……動かさないとね」 「はあっ……んむ、あっ、ちゅ、ちゅぱ……んっ、はあっ……」 胸で竿全体を擦りながら、亀頭をチロチロと舐められる。 「んっ、透明なの、また出てきたよ……?」 「ちゅ、んむ、ちゅ……ちゅるっ……」 僕の我慢汁を、夕梨は美味しそうに舐め取ってくれる。 「舜の、こんなに大きいの……見てたら、あたしも……」 「はあっ、あっ、ん、ちゅ、ちゅぱ……っ、ちゅ、んっ、はあっ……」 「気持ち良く……んっ、ん……なってきた……」 胸をぎゅっと押し潰すように掴むと、扱くスピードを速めてきた。 何も挿入していないのに、夕梨は独りでに腰を振っていて、僕の太ももに秘部を擦りつけてくる。 「はぁ、こんなに、おっぱい、触ってるし……」 「舜のが欲しくて、おまんこ、きゅんきゅんしてきちゃった……」 ヌルヌルになっている夕梨の陰唇が身体に触れて、ペニスは痛いくらいに勃起している。 「は、ああ、ちゅ、ぁ、んむ、ちゅぱ……! んっ…んちゅ、ちゅ、ちゅぱ……っ」 「は……ぁ、んむ、ちゅっ! うんん、ちゅぷ……」 夕梨の荒い息が、敏感になった亀頭を何度もくすぐる。 さっき寸止めを喰らったせいで、今は射精以外のことが何も考えられない。 「ん、ぁ、ちゅ……ちゅぱ、んっ! あ、はぁ、ぁ、ん、ちゅ……ちゅる……っ、ん、ちゅ!」 「そろそろ……出そう……」 「ん、出して……?」 「ちゅっ、んむ、ぁ、ちゅ、ちゅぱ、……はぁ、ちゅ……」 胸で激しく擦り上げながら、ペニスの先端を入念に舐め続ける。 限界を感じ、ラストスパートを掛けるために、夕梨の胸の中で腰を振った。 「ちゅ……! ちゅぱ、ぁ、ちゅっ……! はぁ、ちゅ、ちゅる、ちゅっ……!」 「出して……ちゅ、ちゅん! あたしに……あ、はぁっ、ちょうだいっ……!」 「夕梨っ……!」 「はぁ、んんんっ、ちゅ、ちゅ! ちゅぷ、ちゅっ、んんっ……!」 「ちゅっ、ちゅる……んんんんんんっ……!?」 「ひゃうううううぅぅぅぅぅっ……!?」 我慢出来ず、先端から勢いよく精液が飛び出す。 「わっ……! わあああっ……!?」 「うっ……!」 止めようとしても無駄で、夕梨の顔に一気に飛び散ってしまう。 「ひゃっ……ん……ぁっ……」 「わあ……びっくりしたぁ……」 「ごめん、顔に掛かっちゃって……」 「大丈夫っ、洗えば取れるし、ここは浴室だしね?」 顔だけでなく、髪にまで精液が絡みついている。 夕梨を犯して自分のものにしている感覚がして、不覚にもムラムラしてしまった。 「それに……」 「れろ、ちゅ……ぺろ、はぅ、んんん……」 「ちゅ、ちゅるる、んちゅぅ……」 夕梨は尿道口を突{つつ}くように舐めて、残った精液を舐め取ろうとする。 「えっちな味がするよ……ん……ちゅ……」 「ん、んむ、ちゅ……ちゅぱ、ちゅ、ん、ちゅっ……」 「うっ……」 「ちゅぅ……っ、んむっ、ちゅっ、ちゅぱ……ちゅるっ、ちゅっ……」 射精したばかりだから、少しの刺激でも敏感に感じてしまう。 舐めて貰っているうちに、少しずつ勃ち上がってきた。 「えへへ……ほら、綺麗になったよ……」 「んっ……今度は……あたしの中に欲しいな……」 「うん、もちろん……」 「ひゃっ……?」 夕梨の片足を持ち上げ、後ろから抱き締めるような体勢を取る。 「この体勢で……入るの……?」 今まで向かい合ってしか挿入したことが無かったから、後背位ではイメージが湧かないらしい。 「こんな感じで……」 夕梨の秘部にペニスを添わせ、そのまま素股で擦り上げる。 「あっ……!」 「はう、あっ……入っちゃうよぉっ……」 「擦ってるだけだから……」 「そうなの……? あっ、あっ……」 「はあ、それ……なんか、気持ちいいっ……」 「おちんちんの、凹{くぼ}みのところが……クリに当たるの……はあっ……」 夕梨は初めての素股にご満悦の様子で、割れ目はすっかりぐしょぐしょになっていた。 これなら、挿入しても問題ないはず……。 「んっ……おちんちん、硬くなってきたね……」 「中に……来て……」 「んっ、あ……あああああっ!」 膣口に先端をあてがい、ゆっくりと沈めるように挿入していく。 ぬるりとした愛液に導かれるように、一番奥まで飲み込まれていく。 「はあ、入った……」 「痛くないよ……んっ……」 夕梨はびくびくと小さく身体を震わせる。 「嬉しい……あたし、ずっと待ち遠しかったから……」 僕と繋がっているのを喜んでくれているみたいに、夕梨の膣内がきゅっと収縮する。 「気持ちいい……」 前は初めてで余裕が無かったけど……。 愛液をまとった膣壁が、幾度となく僕を抱き締めてくれる。 「あたしも、すごく気持ちいい……っ、んっ……」 「……はあっ……繋がってるの、すごく、幸せなの……」 とろんとした甘い声が、浴室全体に響き渡る。 身体を震わせながら、夕梨は前後に少しずつ腰を振り始める。 「ん……動いて……?」 留まっていられるわけもなく、しっかり身体をホールドして、抽送を開始する。 「あっ、はぁ、んんっ……!」 夕梨の腰を持ち上げて、ゆっくりと前後に動かしていく。 根元まで沈めると、膣奥がビクビクと反応する。 「あっ、ん、舜、気持ちいい……っ、はぁ、ん……!」 「は、んん、ぁっ、や、あっ……!」 愛液が潤滑剤になって、どんどん夕梨の膣内に馴染んでいく。 「んんっ、これ、一番奥、当たるの……好き……あっ、んんっ……」 「あっ……いいっ、おっぱい、触られるの……気持ちいい……」 「ん、あっ、もっと、して……っ!」 「うん……」 柔らかい膨らみを堪能しつつ、包まれるような快感を下半身で感じる。 突き上げるたびに、頭の中で何かが弾けるような刺激に、視界がゆらゆらしてくる。 「んっ、ああっ、はあ……っ、ぁ、んんっ、ぅ、ぁ……!」 「ひうっ!? ぁ、待って、ぅ、やっ……!」 「ああっ! そこ、あっ、だめっ、あっ、やあっ!」 最奥を突くと、一気に夕梨の声が荒くなって、入り口がきゅっと締まる。 「あっ! だめっ、だって、ばっ……! あっ、ああっ!」 「嫌ぁ! 待って、待ってっ、待ってだめーっ!」 「やっ、ああああああぁぁっ……!」 膣内がぎゅっと締まり、ひくひくとうねっている。 「はあ……うう……我慢しようと思ったのに……はぁっ……」 「イッちゃった……よぉ……」 「我慢することないのに」 「だって、一緒にイキたいし……」 「それなら……」 再び、夕梨の中をかき回すように抽送する。 「ひぃああぁぁっ!?」 「何度でもイッていいんだよ」 「待って、舜――」 「ああっ、イッた、ばかりで……っ! それ、だめっ……!」 夕梨の制止を聞かずに、また腰を前後に動かし始める。 夕梨が絶頂した時に強く搾られた反動で、射精欲が昂ぶったまま収まらない。 「やっ……! んんっ! あっ、ああっ……!」 「舜っ……! あたし、また……はあっ、イッちゃう、イッちゃうぅっ……」 膣口のほうまで引き抜き、一気に奥まで挿入する。 引き抜いた時、押し入れた時、どちらの快感も堪らなくて、欲望のままに腰を振った。 「ああっ! やっ、あっ、それ、だめ、またイッちゃう……っ」 「んっ、奥に、舜のが、一気に……来る……はあっ、あっ、んんっ……!」 お尻に打ち付ける度に、パンパンと小気味いい音がする。 その音が反響する浴室は、肉欲にまみれ、僕はただ夕梨の中で射精することしか考えられなくなる。 「やっ、ん、あっ、ああっ! ああっ、だ、めっ……やあんっ!」 「気持ち良過ぎちゃうっ……からぁ……ああっ!」 イッた後で余裕がなく、ふにゃっと力が半分抜けている夕梨の身体を抱き寄せ、抽送のスピードを上げる。 腰を激しく動かしながら、大きな膨らみをめちゃくちゃに揉み込んだ。 「やっ、ひゃうううんっ!?」 「それ、だめ……舜の、入ったまま、おっぱい、揉まれると、おかしくなる……」 「だめ、だめだって……言ってるのに、いやあぁっ!? あっ、はああっ!」 膣内は洪水状態で、繋がった場所からはボタボタと愛液が零れ落ちている。 「はあっ、気持ち良くて……足、震えちゃう、ぁ、あ……!」 「ああ、んっ! 立って、られないっ……あっ、やあっ、んっ、あっ!」 「は、激しく、しないで……! 気持ち良過ぎて……おかしくなっちゃう……っ」 「そう言われると、したくなるんだよね……」 「ああっ、い、いじわ……るっ、あっ、ああっ! やっ、だめっ、んんっ!」 「ひゃっ、ああっ! んっ、あああっ、も、もうっ、だめっ……あっ、ああっ! んっ、んんっ!」 「だめ……舜っ……! それ以上されたら……あたしのおまんこ、壊れちゃうから……っ!」 「僕も……もう……」 「一緒にイキたいっ! はあぁっ……ああっ、もうイッちゃいそうっ……!」 せり上がってきた快楽に身を任せ、ラストスパートをイメージして、激しく出し入れする。 「あっ! だめ、そこ、いいっ、あっ……イッちゃうっ……!」 「ああっ! イクっ! や、ぁ、ああっ!」 「出すよ、夕梨……!」 「うんっ……あっ、ああっ! 一緒っ、一緒に……! あっ、ああっ!」 「出してっ……! あたしの中に、出してっ……! 一緒にイクのっ!」 「あっ! イクっ……!」 「ひゃああああああぅぅぅぅぅぅんんんんっ……!」 夕梨がイッたのと同時に、溜まっていた精液をいっぺんにぶちまけた。 「ん……は、はあっ……あ……」 「はぁ……まだ、出てる……」 ドクドクという音が聞こえるほど、ペニスは脈動を繰り返しながら、最後の一滴まで膣内に注ぎ込む。 「はっ……ああっ……はあっ……」 射精の勢いが収まると、入り切らなかった白濁液が、結合部から零れ落ちた。 「はあ、限界……足、がくがくする……」 「じゃあ、座ってしようか」 「ええっ……!? ま、まだするの……!?」 「もうやめたい?」 「……し、したいけど……」 案外夕梨のほうもその気で居てくれたので、安心する。 「舜と、繋がったままでいたい……」 「このまま……抱っこして……?」 夕梨の身体を抱きかかえ、自分の上に乗せる。 「じゃ、じゃあ、この体勢でちょっと休憩……っ! ね?」 「うん。分かったよ」 「じゃあ……僕だけ動くから。夕梨は、そのままでいていいよ」 「えっと……?」 夕梨の腰を軽く掴んで、天井に向かって突き上げるイメージで、腰を上げる。 「ふあああぁっ!?」 「ちょっと、待って……舜……あたし……っ」 「見えてる……?」 「えっ……? う、うん、見えてるけど……」 「僕からは見えないから、どうなってるか、教えてくれる……?」 「えっと……舜の大きい……おちんちんが、あたしの中にすっぽり入ってる……」 「でも、まだ半勃ちぐらいで……硬くはない……のかな……」 恥ずかしそうにそう解説すると、夕梨の膣内がきゅんと収縮した。 「しっかり勃たないと、ちゃんと出来ないから……」 「硬くなるまで、夕梨が見ててくれる……?」 「わ、分かった……」 夕梨に抽送の動きがしっかり見えるよう、ゆっくりと突き上げていく。 「んっ……ぅ、あっ……」 「はあ、なんか……恥ずかしい……」 「あっ……はあっ、おちんちんが、出たり入ったりしてる……んっ……」 恥ずかしいと言いながらも、夕梨はじっと繋がった場所を見つめている。 「はあ、恥ずかしくて……なんか、感じちゃう……っ」 「ゆっくり、されてるのに……ああっ、だめ……! 待って、感じちゃうのっ……」 夕梨のしっとりと湿った首筋を、つつーっと汗が流れていく。 「あぅ、おちんちん、あたしの中でっ……はあっ……おっきくなってきた……」 「あっ、だめ……もう、ガチガチになってて……あっ、んん、それ、気持ちいい……っ!」 ペニスで悦ぶかのように膣内がビクビクと震え、夕梨の愛液が溢れ出してくる。 「はあっ……ゆっくりするの……やだっ……もっと、したい……」 「おちんちん、ちゃんと勃ったよ……? 舜……奥まで挿れて……?」 夕梨が甘えた声で誘ってくるけど、今はじっくりと焦らしておきたい。 「休憩、もうおしまいでいいから……もっと、突いていいから……っ!」 「はあっ……やだよぉ……いっぱいしてよ……おまんこいっぱい掻き混ぜてよっ……!」 僕の気を引こうと、淫靡な言葉を繰り返し呟く夕梨。 我慢出来なくなったのか、自ら腰を振り始めている。 「あっ、あ……うんん……はあぁっ……! 気持ちいいっ……!」 「舜も、気持ち良く……なってっ……!」 ぐっと夕梨の胸を掴み、不意打ちを狙って一気に最奥まで挿入する。 「ひゃああんんんっ!?」 「夕梨、腰動いてるよ」 「あ、はあぁっ! だ、だってぇ……舜が、焦らすからっ……!」 「あたし……あたし、我慢出来ないよっ……こんなに、気持ちいいのにっ……!」 「ふあぁっ、ああっ……それ、激しいの、好き……おっぱいと、おまんこで……いっぱい感じちゃうっ……!」 柔らかい胸を堪能していたら気持ちが高揚して、だんだんと腰の感覚が無くなってくる。 さっき出したばかりなのに、また夕梨の中で果てたくなってきた。 「やっ、ぁ、あたし、そこ……そこ、もっとしてっ……!」 「気持ちいい……ぁ、んんん! もっとおちんちん突いてっ!」 ペニスを抱き締めるように、膣内が強く収縮する。 「ううっ……キツい……」 もぎり取られるのではないかというほどの締め付けに、思わずうめき声が口の端から漏れてしまった。 「ぁ、んっ、はあっ……ぁ、ああっ、舜っ、舜……!」 「あたし、また……イッちゃうかもしれない……けど……でもっ……」 「激しく……おちんちんで、突いて欲しいの……」 「熱いのを……いっぱい……おまんこに、中出ししてっ……」 「あたし……はあっ……精液中出しされると、興奮して……感じちゃうの……」 夕梨は顔を赤らめながら、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。 僕のほうも限界が近い。 一気に、射精まで駆け抜けよう……。 「はあああぁぁぁっ……」 胸を揉みしだくだけで、夕梨は軽くイッているんじゃないかと思えるくらい、膣内は激しく収縮している。 「舜、ぁ、はぁっ、もっと、もっとっ……!」 「ぁ、はぁあっ、んんっ、ぁ、おちんちんすごい、すごいの……! ぁああっ!」 「じゅぼじゅぼって……いってる……! えっちな音、いっぱいっ……」 夕梨も僕に合わせて、求めるように腰を揺らす。 愛液と精液が混ざり合った膣内は、ひっきりなしに快感を伝えてくる。 「ん……また、出そう……」 「うんっ、ぁ、ああっ、あたし、もっ……! もう、だめ、ああ!」 「は、んんっ、あ、ぁ! イクっ……! イクっ! イッちゃう! またっ……ひゃああっ!?」 「出る……っ!」 「ぁ、あああああああああああっ!」 びくんと大きく夕梨の身体が跳ねて、絶頂に達する。 「ああっ、あ! ひゃう、はあぁっ……」 精液を注ぐ度に全身で感じて、声にならない嬌声を漏らしている。 「は、ぁ……はあっ、あっ……」 「精液……また、たっぷり、出されちゃった……」 夕梨は大きく肩で息をする。 「はあっ……うふふ……気持ち良かった……」 「はぁ……身体に、力入らないけど……」 そう言いつつも、夕梨は満足そうに微笑んでいる。 「はぁ、またちょっと、休憩して……」 「ふあぁぁぁっ…………」 「……」 「へっ……?」 夕梨の秘部から、放物線を描いて、黄金の液体が噴射される。 「こ、これ……」 「や、やだっ、やだやだっ! 見ないでぇ!」 「やぁっ! 止まんないっ……見ないで……!」 恥ずかしさで震えながらも、夕梨は全てを出し切ったようだった。 浴室内に広がったアンモニア臭が鼻につく。 「ううううう……! 恥ずかしい……!」 「あ……ほら、お風呂だし、洗えば……」 「そうじゃなくてっ!」 「お、おしっこするとこ、舜に……うううう……!」 夕梨は恥ずかしそうに、耳まで真っ赤にしている。 「可愛かったよ」 「それ、慰めになってないからっ」 「それに、もっと恥ずかしいところ、いっぱい見てるし」 「うう……それもそうなんだけどっ……」 「わ、忘れて……ね?」 「大切な思い出にしておくよ」 「うーっ……」 しばらく夕梨は、恨めしそうにこちらに振り返ることなく唸っていた。 「あったかーい」 身体をもう一度洗い、一緒に湯船に浸かる。 2人で入ると狭いけど、この狭さがちょうど良い。 「……ありがと。気持ち良かったよ」 頬を上気させながら、夕梨がにっこりと微笑む。 さっきまでの不機嫌な夕梨は、どこかへ行ってしまったようだ。 「ここ、狭いけど……いいね。密着出来て」 「一緒にお風呂に入ったの、子どもの時以来だなあ」 「えっ、裸で……一緒に入ってたの!?」 「というのは、さすがに冗談だけど」 「まあ、舜は覚えてないと思うけどね」 「そっか……」 もしも本当だったとしたら、記憶を失ったことを大後悔しているところだ。 「舜、またおっぱい触ってるー」 「気持ちいいからさ……それに、手の置き場も無いし」 「仕方ないな。いいよ。こういう時しか触れないし、どんどん触って♪」 「幸せだなあ……」 ふと、そんな思いが胸に宿った。 「どうしたの? 突然……」 「いや、なんか……ただただ、幸せだなあって思ってさ」 「そうなんだ」 「……あたしも、すっごく幸せ」 「舜と付き合ってから、本当に毎日が楽しいっ」 「それなら良かった」 たまにこうして、夕梨とセックスをして。 病気のことや、心配なことはあるけど……。 夕梨と一緒に居られる時間は、何よりも幸せだと思った。 単に治療を受けるだけでは、夕梨の望みは叶えられない。 願わくば、夕梨が納得して生き永らえたいと思えるようになって欲しい。 昼休み、食事を摂り終えた沙羅に声を掛ける。 「舜のほうから相談だなんて、珍しい」 「じゃあ、放課後に、鳥かごで」 「ありがとう。ちなみに、夕梨のことで話があって」 「そう。分かった」 これ以上ここで広げていい話題ではないと察したのか、沙羅はいつも通り、簡潔に対応する。 夕梨には用事があると伝えて、僕は放課後、鳥かごへと向かった。 「夕梨のことで、相談っていうことは……」 「病気に関すること?」 「ああ」 「私も、気になってたから……夕梨から、少し話を聞いたの」 「そうだったんだ」 沙羅の話を聞いていると、どうやら夕梨は、僕に話した内容とほぼ同じことを、打ち明けていたみたいだった。 「舜に、夕梨がどう話したかまでは、私は知らない」 「でも、夕梨は、治療を拒否している」 「そして、その理由も、なんとなく分かったけど……」 「……」 「舜はきっと、納得していないのね」 「夕梨の望みを叶えたいけど、それは間違っている気がするって」 全てを見透かすように、沙羅は僕の気持ちを代弁してくれる。 「……その、HuCREMっていう最先端の治療を受けて、延命したとしても、最終的に、人間は必ず死ぬ」 「医療は、人の生活を豊かにしてくれるものだと思うけど、どんな人間も、死からは逃れられない」 「つまり、医療における治療行為というのは、生きた人間に対してのみ、意味を成すということ――」 「生きた人間?」 「当たり前のことだけどね。死んだ人を治療しても、生き返るわけない」 「“生きている人”に対して、生きやすくするよう、生活の質を上げられるようにと施されるのが、医療だということ」 「そうやって考えると、治療で“生かされている人”というのは、生きていると言えるのか、難しい……」 「私は、夕梨には“生きている人”で居て欲しいって、思う」 「うん。夕梨も、同じようなことを話してた」 HuCREMによる治療が始まれば、しばらく学校には通えなくなる。 置き換えの手術は生きている限り続くし、当然、毎回成功するとは限らない。 今ある穏やかな日常は、もう戻って来ないかもしれない。 「夕梨にとっての、生きるっていうのは、どういう意味なのか」 「それが、舜と一緒に過ごすことや、学校へ行って、友達と楽しい思い出を作ることだとしたら――」 「その幸せが奪われる治療の毎日は、生きているとは言えないってことになる」 「でも、治療を受けなければ、近いうちに、必ず死ぬ……」 「奇跡でも起きない限りね」 「とはいえ、医療技術の発展は、日々進歩していくものだし、新しい治療法が見つかる可能性もある」 「その前に、夕梨の命が……という可能性のほうが高いから、望みは薄いけど」 今後治療法が見つかるかもしれないということは、百南美先生も言っていた通りだ。 でも、治療自体を受けなければ、当然寿命はこれ以上延びない。 「夕梨と話した時に思ったの。たとえHuCREMによってパーツの置き換えをしても、そのパーツも、永続的なものではないということ」 「壊れたら、取り替える。その繰り返し」 「私は、アンドロイドや機械の身体は、永遠に生き続けられるものだと思ってる」 「でも、パーツを取り替えなければ、そこで終わり。だから、機械にも永遠は無いと考えることも出来る」 「まあ、この考え方も、私が人間だから、そう思うだけなんだろうな……」 言葉の意味は分かるけど、本質的に理解することは難しい。 それでも、パーツの取り替え――HuCREMに自分が耐えられるか自問自答しても、答えは見つからなかった。 「それで、舜の答えは見つかったの?」 「えっ?」 「いや、そのために何かないかなって、沙羅に相談しに来たんだけど……」 「最初から他力本願とは……」 「そんなつもりはないよ!」 「ただ、そのパーツの開発には、RRCも技術協力しているって、前に聞いたからさ」 「私はパーツの技師ではないから。全く仕組みを理解してないってわけじゃないけど」 「だから、医療の面において、何か解決策を提示するのは、ちょっと難しい」 「それに、HuCREM以外の選択肢があるのなら、百南美先生も調べているし、夕梨に話していると思う」 「……そうだよね」 自分の無力さを思い知る。 夕梨のために何かしたいのに、何も出来る気がしない。 「夕梨を説得して、治療を受けて貰うしかないか」 「そうは言ってないわ」 「医療面においての解決策は、私には無い、と言っただけ」 「他に、何か策があるの?」 「解決策……とは、ちょっと違うかもしれないけど」 「でも、最初に言った通り、私は、夕梨には“生きている人”で居て欲しい」 「……どういうこと?」 「夕梨が、生きたいと望むなら」 「それが、舜が望むことなのだとしたら」 「私だったら、大切な人のためなら、どんな手段を使ってでも、諦めずに立ち向かう」 「リスクを恐れていては、結果を得ることは出来ないから」 「沙羅……」 シロネを初めて紹介してくれた時のことを思い出す。 沙羅は強い意志を持って、しっかりと未来を見据えている。 「具体的なことは分からない」 「でも、沙羅が夕梨のために、何か考えてくれていることは分かる」 「舜は、自分は何も出来ないって、自己を責めていたけど」 「私に相談をするという、アクションを起こしていたじゃない」 「だから、私も。それに対して、自分の出来ることを考えたまでよ」 「特別なことはしていない」 「ありがとう、沙羅」 「多分、その気持ちに、今まで何度も助けられて来たと思う」 「全部は、思い出せないけど……」 「まあ……期待はしないで」 「私が何かすることで、現状が劇的に変わるわけではないから」 「あくまで、舜と夕梨がどうするかということ」 「そうだね」 「沙羅の言葉を、信じるよ」 残された時間は少ないけど、それでも、まだ出来ることはある。 研究室に戻っていく沙羅の背中を、見えなくなるまで見つめていた。 結局、沙羅が何を考えているのか、具体的なことは教えて貰えなかった。 シロネは巨額の予算が注ぎ込まれ、長い年月を掛けて作られた代物だから、同じようなことをするとは思えない。 だとしたら、どんなことなんだろう。 期待しないでとは言われたけど、もしかしたらという希望を胸に抱いて、手をかざす。 沙羅の行動で、状況が変わるかもしれない。 僕に出来ることが、見つかるかもしれない。 全ては、夕梨の幸せのために。 沙羅と鳥かごで話してから、数日が経過した。 あれから、治療の話も、夕梨のことも、一度も話していない。 夕梨とも病気のことはなるべく話さず、いつも通り登校して下校する日々を送っている。 沙羅は、何か考えがあると言っていたけど。 このまま、話が発展せず、時間が流れていくのは不安だ。 やっぱり、自分でなんとかしよう。 待っているだけというのも、なんだか違う気がする。 夕梨にもう一度、自分の気持ちをちゃんと伝えよう。 喧嘩になってしまうかもしれない。怒られるかもしれない。 それでも、何か出来るかもしれないから。 放課後、いつものように一緒に下校し、僕の家に立ち寄ってもらう。 「夕梨、話があるんだ――」 「舜、待って」 「あたしも、話があるの!」 「……夕梨?」 いつもと様子が違う。機嫌が良くて、弾けんばかりの笑顔を向けてくる。 「先にあたしの話、聞いてね」 「あたしが舜を好きなのは、本当なんだ」 「本当に、本当に大好きなの。だから、舜を遺{のこ}して死ぬのが辛い」 「舜のこと、ずっと好きでいたいし、ずっと傍に居たいの」 「夕梨……」 ようやく前向きになってくれたようで、ほっとする。 夕梨がそう言ってくれるなら、僕もまっすぐに気持ちを伝えられそうだ。 「僕も、そのことを話したくて――」 「でも、あたしはこれから死ぬ。それは変えられない」 「え……?」 治療を受ける――そう言ってくれるのかと思っていた。 だけど、夕梨の様子を見ていると、どうやらその気ではないらしい。 「怒らないで聞いてね」 「あたしは、もうすぐ死んじゃうけど……」 「あたしを遺して、死んでいこうと思ったの」 「夕梨、何を言って……」 「これっ!」 夕梨は僕に、小さなキューブ状の物体を見せる。 「何これ……?」 「いいからいいからっ♪」 「ちょ、ちょっと……」 よく分からず、困惑するこちらには構わず、眼鏡のようなものを取り付ける。 「これは? 夕梨、そろそろ説明してよ」 「実際に見て貰ったほうが、早いからっ」 「見るって、何を――」 「えっ……」 目の前に、夕梨が2人いる。 「ふふふっ」 「な、なんで……? いや……」 よく見ると違う。 もう1人のほうも夕梨そのものだけど、少しだけ見え方が違う気がする。 「さっき掛けた眼鏡で見えている映像ってこと……?」 「そうっ。バーチャルだよ!」 「よろしくね、舜」 「喋った!?」 「喋るよ! これ、沙羅に作って貰ったの!」 「沙羅に……?」 「そうっ。シロネと違って身体は無いけど、トリノのシステムを使ってるんだって」 「この子はあたしの記憶を持ってる、あたし自身なんだ」 「夕梨自身って……」 トリノのシステムということは、シロネと同じようなものだと考えればいい。 シロネも、亡くなる前の白音の記憶を持っていた。 それと同じように、このバーチャルの夕梨も、夕梨の記憶を持っている。 「この子に、あたし、死ぬ前にいろいろなことを遺すことにする」 「記憶も、思い出も、全部」 「そうしたら、肉体としてのあたしは死んじゃっても、精神は残る」 「……」 バーチャルの夕梨は、僕に向かってにっこりと微笑む。 「……夕梨は、それでいいの……?」 「うん。あたしが死んじゃうの……舜が悲しいって思ってくれてるのは、分かる」 「あたしも……舜のためにも、治ったら良かったと思う」 「でも、治ることはないの。自分の身体だから、それはあたしが一番よく分かってる」 「……そんな」 「すぐに受け入れようとしなくていいよ」 「でも、よかったらこの子と、一緒に過ごしてみて欲しいの」 「バーチャルの夕梨と?」 「そう。あたしはさすがに、同棲とかは無理だけど……」 「この子だったら、一緒に居られるでしょ?」 「過ごすって言われても……」 「あは。難しく考えなくていいよ」 「とにかく、その機械を付けてくれたら、あたしはいつでも舜に会えるから」 「そうそうっ。あたしに会いたい時に、付けてくれればいいからっ」 「そうそうっ」 「いっぺんに話されると、どっちがどっちだか……」 夕梨の記憶を持っていて、性格も夕梨と同じ。 声も話し方もよく似ているから、双子のようだ。 「とにかく、うまくやっていけるかどうか、ちょっと試してみて欲しいんだ」 「この子を遺していけるなら、あたし、舜とずっと一緒に居られるっ」 すごく幸せそうな、夕梨の笑顔。 実験だと思えば良いんだろうけど、複雑な心境だ。 「舜も、あたしとずっと一緒に居たいって、思ってくれるよね……?」 「そうだけど、夕梨はまだ生きてる」 「夕梨が死ぬことなんて、考えたくないんだけど……」 「そうじゃないよ」 「あたしが死んじゃったら、舜にはもう、何もしてあげられなくなる」 「舜に、寂しい思いをさせちゃうんだよ」 「……」 「でも、バーチャルのあたしが居てくれたら、しばらくは寂しさが紛れるでしょ?」 「あたし、舜を1人にさせたくない」 「だから、バーチャルのあたしも、あたしだって思って欲しい……」 沙羅の言葉を思い出す。 夕梨にとって、生きるとはどういうことなのか。 「あたしと過ごす時間が増えるって、考えてくれればいいし……」 「どうしても無理だって言うなら、辞めてもいいから」 これはきっと、夕梨が沙羅に相談して、作ってもらったものなんだろう。 そう思うと、簡単には突っぱねられない。 「……夕梨が居ない時に、ときどき、この電源を入れればいいんだよね?」 「そうそう」 電源を入れるだけでいいなら、簡単だ。 「とりあえず、やってみないと分からないって感じだけど……」 「いいの?」 「……うん」 「やった!」 「ありがとう、舜」 夕梨が死ぬことは考えたくないし、治療を受けて欲しいのが本音だ。 でも、お互い一緒にいる時間を重ねたいとも望んでいる。 生きている今、出来ることをやってみようと、僕のために沙羅や夕梨が考えてくれたことだ。 実験と思って、一つ、バーチャルの夕梨と一緒に過ごしてみるのもいいかもしれない。 「これは、夕梨にも見えてるの?」 眼鏡のような機械をつけているのは、僕だけ。 だけど、夕梨もバーチャルの夕梨の声が聞こえているように応対している。 「うん。あたしもほら、眼鏡を掛けてるから」 「えっ?」 「装着すると、光の加減で見えなくなるの。なんだか、未来っぽいよね」 この特殊な眼鏡のことは、夕梨は分かっていないようだった。 詳細な仕組みは、沙羅に聞いてみるしかないのかもしれない。 「それで、舜に渡したのが、電源が付いてる、いわゆるバーチャルの本体ね」 「電源をオンにしている間は、その本体の傍に居て、眼鏡を掛けてる人が、バーチャルのあたしを見ることが出来る」 「骨伝導イヤホンだから、多少の音漏れはあっても、基本的に周りの人は声も聞こえてない」 「すごいな……」 つまり、外でバーチャルと話す時は、要注意ということだろう。 まあ、ハンズフリーイヤホンマイクで通話している人も見掛けるし、街で怪しまれることはないと思うけど。 「最近流行ってる、VRみたいなやつ?」 「そう説明するのが分かり易いと思うって、沙羅が言ってた」 「なるほど」 「分からないことがあったら、この子に聞けば教えてくれるだろうし」 「うんっ。なんでも聞いてね?」 バーチャルは自慢げににっこりと微笑む。 本当に、夕梨と全く同じ笑顔だ。 「バーチャルの夕梨……じゃなくて。この子、なんて呼んだらいいのかな」 「ユウリって呼んで欲しいな」 「だって。まあ、あたしと同じがいいよ」 「分かった。よろしくね、ユウリ」 「よろしく!」 「はあ……」 夕梨を家に送ってから、僕は大きく溜め息をつく。 確かに、沙羅は何かアクションを起こすつもりだって言ってたけど。 「まさか、こう来るとは」 シロネもよく出来ているなあと思っていたけど、このバーチャルもすごい。 でも、本当に、ちゃんと会話出来るんだろうか。 興味本位で、バーチャル機器の電源を入れてみる。 「舜!」 「早速、会いに来てくれたんだっ」 そっくりというレベルではなく、全く同じ。 比較する夕梨が今は居ないだけに、本当に夕梨に思えてしまう。 「なんか、複雑そうな顔してる」 「そりゃあ……複雑だよ」 「自分の恋人のバーチャルと、同棲しろって言われても」 「まあ、同棲ともちょっと違うけどね」 「あたし、肉体が無いし、今までみたいに、何か手伝えるわけでもないし」 「舜が電源を入れてくれた時に、会えるってだけだよ」 「なんか、それも複雑だな」 「あたしのこと、嫌?」 「そうじゃないよ。だって、こうして見てるだけだと、本当に夕梨そのもので」 「普通に話してたら、バーチャルだってこと、忘れそうなくらいだ」 「あはは。それは、沙羅に言ってあげてよ」 「何日も徹夜して、作ってくれたんだよ」 動きも声も、機械っぽさや、映像っぽい感じもしない。 「本当に、バーチャルなんだよね?」 夕梨が裏で喋っているとか……そんなことを考えてしまう。 「じゃあ……確かめてみる?」 「確かめるって?」 「ほら」 伸ばした手が、ユウリの体をすり抜ける。 「ほんとだ……」 ユウリの身体を触れている感触はない。 きっと、眼鏡を外したら、おかしな図になっていることだろう。 「沙羅は、どうして君を作ったんだろう」 「考えたのは沙羅だけど、望んだのは夕梨だよ」 「そうすれば、大好きな舜と、ずっと一緒に居られるからっ」 ユウリは、さっき夕梨が言った様子と全く同じく、笑顔で言葉を続ける。 「仕組みはシロネと同じ。ちょっと違うのは、今の夕梨の記憶データが入っていること」 「舜が記憶喪失になったことも知ってるし、付き合ったことも知ってる」 「今の夕梨そのもの、ってことか」 「そんな感じ。逆に、夕梨と違うところは、あたしには人工知能が付いてるってことくらい」 「経験を重ねることで学んでいく。もちろん、人間を傷つけないように、三原則の範囲内でね」 三原則に従うことに関しては、いわゆる他のアンドロイドと同じということか。 沙羅が管理しているわけだから、ベースはアンドロイドの脳部分と同じであると考えるのが妥当だろう。 「まあ、気楽にやって行こうよ」 「そうだね」 「これから、舜のこと、いっぱい知っていきたいな!」 シロネを見た時のような強い抵抗がないのは、ユウリがバーチャルで、実体で存在しないからだろう。 実体がない分、気軽に接することが出来て、テレビ通話をしているくらいの気持ちで居られる。 これは、沙羅のアクションであり、夕梨の希望でもある。 状況は何か、変わるのかもしれない。 今は、それを信じてみよう。 「ちょっと!」 ちょうど、教室へ入っていこうとする沙羅を、後ろから呼び止める。 「おはよう。朝からどうしたの?」 「聞きたいことが、沢山あり過ぎて」 「ああ。バーチャル体のこと?」 「そう」 「びっくりした? シロネを作った時のベースが使えたから、わりとすぐに実装出来たわ」 さらっと言ってのけるが、さっと簡単に作れるものではないはずだ。 「まだ、実体ではないぶん、抵抗はそんなに無かったけど……」 「沙羅が言っていたアクションっていうのは、ユウリのことだったのか」 「ユウリ?」 「あぁ、そう呼ぶことにしたのね」 「そうよ。夕梨の脳をスキャンして、つい最近までの夕梨の記憶データを搭載したの」 「だから、記憶や性格については、シロネよりもそっくりだと思うけど……そのへんはどう?」 「まさに、瓜二つで……最初は、夕梨自身が裏で話しているんだと思ったよ」 「舜がシロネを初めて見た時とは違う感想を聞けたから、作った立場から言わせて貰えば、嬉しいわ」 「でも、あの子をどう扱うかは、夕梨と舜に任せるから」 「ユウリの取り扱いについて、夕梨から説明は受けた?」 「簡単に。本体の電源を入れて、あの特殊な眼鏡を掛ければ、ユウリが見えるって」 「基本はそれだけ。本体から映像を送り出しているから、電源を入れない限りは、眼鏡だけ掛けても見えない」 「今はきっと、オフになっているだろうけど……その間のユウリは、スリープ状態になってる」 「人で言えば寝ている状態のようなものだから、電源を入れっ放しにしなくても、現実の時間を認識出来るようになってるわ」 「まあ、後は使ってみて……かな」 「なるほど」 それ以外にも、細かい仕組みについて教わった。 取り扱う上では、夕梨に聞いた情報だけで、問題無さそうだ。 「ありがとう」 「いえ。これは、私自身の研究でもあるから」 「だから、物は試しで、使ってみてくれるとありがたいけど……」 「うん。僕も少し興味があるし……」 「しかも、沙羅が、何日も徹夜して、作ってくれたものでしょ?」 「なんで、そんなこと――」 「ああ、ユウリから聞いたのね」 「おしゃべりな夕梨が、もう1人増えるのは……大変なことね」 沙羅はやれやれといった感じで、1つ溜め息を吐く。 廊下の奥に教師の影が見えたから、そのまま2人で教室に入ることにした。 放課後。 夕梨の声掛けで、学校帰りのみんなが家に寄ってくれた。 ユウリを、他の人にも紹介したいらしい。 「これから、何が始まるの?」 「ふふふっ、いいから見ててね……」 「舜、よろしく!」 全員に眼鏡を掛けてもらい、バーチャルの電源をオンにする。 「こんにちは」 「わっ……! 何っ? どうなってるのっ!?」 「バーチャルなあたしだよ〜っ。すごいでしょ?」 「沙羅に作って貰ったんだーっ」 「トリノのシステムを使っているから、わたしと同じ存在なんですよね」 「そうそう。夕梨の記憶を元に作ってるから、みんなのことも知ってるよ」 「なるほど……。なんだか、宮風さんの双子の妹って感じだね」 「ふふ、そうかもしれません。夕梨ちゃん、妹さんが出来たんですね」 「んー、妹って感じはしないけどね」 「あたしがお姉ちゃんかも?」 「それは絶対ないっ!」 「話し方も、宮風さんのままなんだねえ」 「今は、ユウリって呼ばれてるの。あたしとも仲良くしてね?」 「すごいな。紬木さん、こういうのも作れちゃうんだ……」 「それで、これは何かの実験?」 「え……? そ、それは……」 「まあ、沙羅が気を利かせてくれたんだよ。寂しがりやの舜のために!」 「えっ!?」 唐突に名前を呼ばれ、なんと答えたら良いか、困惑する。 「まあ、沙羅の実験というのが、一番近いと思うよ」 「そういえば、アンドロイドを実用化する前に、よくバーチャルで実験をしてたから、それでさくっと作れたって言ってた」 「こうやって、みんなとも一緒に話すことで、さらに学習していくかなーと思って」 「沙羅ちゃん、さすがですね♪」 「うんうん。面白い実験だね」 「そう。沙羅は本当に、天才だよね〜」 ユウリも普通に、みんなとの会話に混ざっている。 ユウリが作られた経緯には、夕梨の病気のことがあるけれど、今は話題にしないほうが良さそうだ。 「それで……話してみて、どんな感じ?」 「本当に、宮風さんと同じだよ。今は双子って感じがするけど……」 「ユウリちゃんだけだったら、電話かな? テレビ電話みたいに、本人と会話してるみたい」 「電話かぁ……そっか」 夕梨は欲しい答えをもらえたのか、満足そうに微笑む。 「シロネから見ると、後輩って感じ?」 「なるほど……そうですね。わたしが先輩……。なんだかちょっと嬉しいです」 「あははっ、シロネ先輩かぁ。トリノのこと、いろいろ教えてね?」 「はい、任せてください」 みんながユウリを受け入れてくれて、夕梨はなんだか上機嫌だった。 最後まで夕梨が打ち明けることはなかったが、これは一時的な実験のために作られたものではない。 そう分かっているから、内心は複雑な気持ちだった。 「ふふっ、日比野先輩、電話みたいだって言ってたね」 「みんなが受け入れてくれたみたいで、良かったーっ」 「でも、なんでみんなに見せようと思ったの?」 確かに、高性能なバーチャル機器を自慢したくなる心理は、分からないでもないけど。 夕梨は、そういう目的ではない気がした。 「その……ね」 「あたし、みんなには、病気のことは言わないつもりだけど……」 「あたしが死んだ後、良かったら、あの子のこと、みんなに見せて欲しいなって思って」 「そしたら、ときどき、思い出して貰えるでしょ?」 「……」 「舜だけにユウリを遺しても、結局舜をひとりぼっちにさせちゃう気がしたの」 「だから、みんなにも……ユウリの存在を、知らせておきたかったんだ」 夕梨なりの気遣いであることは、分かっている。 たとえバーチャルがあったところで、夕梨の病気が治るわけではないから、両手を上げて喜ぶことは出来ない。 「そんな顏しないで?」 「人は、いつか死んじゃうの。それは、仕方のないことなんだって」 「おばあちゃんまで生きられる人もいれば、生まれてすぐに死んじゃう子もいる」 「あたしは、ここまで生きられた。大切な人が、いっぱい出来た」 「夕梨の言っていることは分かるよ」 「でも、だからって……諦められないんだ。本当はもっと、夕梨と一緒に居たい」 「だから――」 「舜。ありがとう」 「あのね、あたし……」 「検査、受けてみようと思って」 「検査……?」 「それって、治療を受けてくれるってこと……!?」 「検査っ! まだ検査だけだからっ!」 「良かった……」 「……前は、辛い思いして、少し寿命を延ばして生きても、しょうがないって思ってた」 「でも……もうちょっとだけ、生きられるなら、生きたいなって」 「良かった。すごく、嬉しい……」 「いや、置き換えとか……そういうのは、考えて無いから!」 「薬とか……ちょっとの手術で出来ることはないかなぁって……」 「……それでも、いい……かな?」 「もちろん」 死んでいくことばかり考えていると思っていた夕梨が、前向きに考えてくれていた。 これ以上、嬉しいことはない。 「ありがとう、夕梨」 「……舜が居てくれたから、そう思えたんだよ」 「ありがと、舜」 「ユウリのことも……あたしが突然、沙羅に作って貰ってきて、それで舜のことを混乱させてるのは、分かってる」 「だけど――前向きに捉えてくれたら、嬉しい」 「前向きって?」 「もし治療出来るってことになったら、また、検査とかで、舜と一緒に居られる時間は少なくなっちゃうでしょ?」 「その時間を、ユウリと過ごしてくれたら嬉しい」 「ご飯作ったり、舜のお手伝いしたりは出来ないけど、話し相手とかは出来ると思うし」 「離れてる時間も、あたしのこと思い出して欲しいし、あたしのことを、好きで居て欲しい」 「そんな……。夕梨のことが大切な気持ちは、変わるわけない」 「そう言ってもらえるのは、嬉しいけど……」 「でも、あたしが不安なんだ」 「一緒に居られないのに、ちゃんと、彼女でいられるのかなって……」 「メールとか電話とか、そういうことじゃなくて。傍に居られないのが、やっぱり不安で……」 一緒に居られない時間が増えるから、その時間を、ユウリと過ごして欲しいということなんだろう。 「本当は、それが目的で作って貰ったんだ」 「あたしが、治療に向き合うために。その間も、舜を1人にさせないために」 「……そうだったのか」 「だから、沙羅も協力してくれたんだと思うよ。ほら、沙羅って、舜のことになると、なんでもやってくれちゃう人だから」 「沙羅も、夕梨の病気のことを心配していたよ」 「詳しくは知らないけど、軽い病気じゃないのは分かるって」 「そっか。沙羅にはバレてたか……」 沙羅だって、ユウリを作ったところで、夕梨の病状が変わらないことは、分かっている。 それでも、僕たちのために、自分の出来ることを考えてくれた。 沙羅にも、沢山感謝をしないといけないと思った。 「あたし、まだもうちょっと、死なないからっ」 「沙羅も、せっかく作ってくれたんだし……いい方向に使っていけたらいいな」 「夕梨は、それでいいの?」 「うん。あたしは、舜がいつでもあたしと会ってくれているなら、嬉しい」 「これって、束縛が強いってことなのかな……」 一瞬、不安がる様子を見せながらも、夕梨は明るく前を向こうとしていた。 「……分かった」 「少し、やってみるよ」 「ありがとう……!」 一番大変なのは、治療を受ける夕梨のほうだ。 夕梨のために、今の自分が力になれることを、全力で取り組んでみたいと思った。 夕梨を送った後、ユウリを起動する。 「おかえりっ、舜」 「ただいま」 さきほど別れた夕梨と同じ笑顔で、ユウリが微笑む。 「さっきはびっくりしたよ。いきなり、周りにみんなが居るんだもん」 昼間、みんなを家に呼んだ時のことを言っているのだろう。 「ユウリもお疲れ様」 「なんか、あんな感じでいきなり対面するとは思わなかったから、ちょっと緊張しちゃった!」 「はは。緊張しているようには、見えなかったけど」 自然と、笑みが零れる。 「ん? 舜、なんか良いことあった?」 「なんだか、嬉しそうだね」 「実は、夕梨が検査を受けることになって」 「治療に、少しだけ前向きになってくれたみたいなんだ」 「そうなんだ!」 僕の表情から、僅かな感情の揺らぎに気づいたのか、ユウリが楽しそうに聞き返してくる。 「良かったね、舜!」 「ありがとう」 「でもなんか、ユウリにこのことを話すの、ちょっと変な感じだね」 「あはは。そこはあんまり気にしないで」 「夕梨が言ってたとおり、あたしのことは、夕梨と同じ存在だと思って欲しい」 「身体が無いから、触れることは出来ないけれど……」 「でも、あたし、舜のことを幸せにするから!」 「夕梨と会えない時間に、ユウリに会うってだけだけど……」 「うん。それでいいんだよ」 「舜が寂しくないように、お話ししたり、遊んだり出来たらいいなって、思ってるよ」 「あたしはあたしで、変わらない。あんまり深く考えなくていいよ」 「……そうか」 しばらくは、毎日つけてみて、慣れるまで待とう。 夕梨の望んでいることが、分かってくるかもしれない。 「あたしは、舜が喜んでくれることが、一番の幸せなんだ」 「舜のこと、大好きだからね」 ユウリが夕梨を元にしていると分かっていても、ドキッとしてしまう。 そうだ。この子も、恋人ということには変わりはない。 「にひひっ」 前に聞いたとおり、告白した時の記憶もあるということ。 やっぱり、内心まだどこか複雑だけど、夕梨と全く別物にも見えないのが幸いだ。 「うん……僕も」 「好きだよ」 「えへへ。嬉しいな」 どちらの夕梨か分かる言い方をするのは、なんとなく避けた。 でも、ユウリのことが大切なのも、本心で、嘘ではない。 まだ接し方に戸惑いがあるというだけで。 「あたしも、もっと舜に好きになって貰えるように頑張るねっ」 「舜の幸せが、あたしの幸せだからっ!」 「ありがとう」 こうやって夕梨に会えない時間も、ユウリに会える。 ユウリが居てくれれば、僕はいつでも夕梨に会える。 夕梨が好きだってことを、いつだって身近に感じられる。 案外、こういう時間も悪くないかもしれない。 今日は昼間から、夕梨と出かける約束をしている。 準備をして、出掛ける前に一応、ユウリに声を掛けておく。 「おはようっ、舜!」 「おはよう」 「どこかに出掛けるの?」 「うん。夕梨と約束してるんだ」 「そっかっ、気を付けてね」 「ありがとう。行って来ます」 「行ってらっしゃい。楽しんで来てね!」 ニコニコと晴れやかな笑顔で、ユウリは僕を送り出してくれた。 これから夕梨に会うところなのに、ユウリと話しているのが、少し不思議だった。 だけど、案外こういうのも面白いかもしれない。 「舜っ!」 夕梨は僕の姿を見つけると、嬉しそうに微笑む。 「今日は、体調はどう?」 「絶好調!」 「……とは、残念ながら言えないんだけど……」 「でも、元気だよっ。休んだりしながらなら、大丈夫だと思う」 「分かった。でも、無理しないように」 「ありがとっ」 「デート、久しぶりだから嬉しいな」 「いっぱい楽しもうね!」 2人で手を繋いで、いつもの道を歩いて行く。 ただそれだけだけど、明るく振る舞う夕梨が傍にいて、胸がいっぱいになった。 島の中をゆっくり散歩し、さとうきび畑に辿り着く。 「ユウリとは、どう? 上手くやってる?」 「うん。いつでも夕梨に会えるみたいで、なんだか面白い」 最初はときどきつければいいものと思ってたけど、毎日つけるのが習慣になってきた。 「本当? 良かった……」 「舜に受け入れて貰えるか、心配だったんだ」 「突然、バーチャル体なんて……連れて来てごめんね」 「最初は、やっぱり抵抗があったよ。ユウリは、実体が無いし、人間じゃないし」 「でも、実体が無いから、思いの外受け入れ易かったと思う」 「それに、シロネのほうが、衝撃的だったから……」 「そうだね」 先にシロネに会っているから、ユウリに対しての違和感は、今はほとんど無い。 「あたしも、シロネに初めて会った時、ちょっと抵抗あった」 「白音ちゃんが死んだ悲しみを、誤魔化してるみたいで……」 「もしかして沙羅、あたしが死んだ時も、あたしのアンドロイドを作っちゃうのかな!? って思ったりもして」 「それは、どうかな……」 「でも、上手くやればさ、少しは希望があるのかなって」 「あたし、まだ死にたくないけど……分かんないから。急に明日、容体が悪くなるかもしれないし」 「その後悔は、ユウリが引き受けてくれるかもしれない」 「……なんてね」 夕梨は最初、ユウリを遺していく存在だと言っていたけど。 今は、治療に専念する間の、1つの思い出のように語っているように感じる。 「それで、どう? 本当にあたしと同じ?」 「うん。夕梨とそっくり」 「夕梨に会える時間が増えたみたいで、嬉しい」 「えへへ、そっか、そっかぁ……」 「なんか、あたしが会えてるわけじゃないんだけど、嬉しいな!」 「まあ、一番は、夕梨が治療に前向きになってくれたことが嬉しいよ」 「夕梨の生きる時間が延びることは、何にも代えがたい喜びだ」 「そこまで言ってくれるなんて……舜、珍しいなあ」 「本心だよ。大げさかもしれないけど」 「そっか。舜が上手くやれてるなら、もう少し続けてみるって、沙羅にも話しておくね」 「うん」 手を繋いで、畑の脇道を歩いて行く。 静かな手のぬくもりを感じながら、幸せを噛みしめていた。 しばらく散歩を続けて、日が落ちた頃になって、夕梨を送るため、コンドミニアムに向かう。 なんだかんだ時間もまだあるということで、部屋にお邪魔している。 「はあ……」 「大丈夫? 疲れた?」 「ううんっ、これくらい平気!」 額の汗を拭い、夕梨は元気に胸を張ってみせる。 「あのね、舜に、話さなきゃいけないことがあって……」 「前に、検査することになったって言ったでしょ?」 「うん」 「それで……」 「明日からしばらく、島の外の病院に、入院することになったの」 「明日から……?」 「急にごめんね。一週間くらいだけど」 HuCREMは島内の病院では処置出来ないと聞いていたから、そこに対する驚きは無かった。 「わざわざ遠くまで行くの、ちょっと不安だったんだけど、頑張ってみようかなって」 夕梨はそう言って微笑む。 「御見舞いに行くよ」 「いや、検査だけだから。気持ちは嬉しいけど、来られても困っちゃう」 「ああ、そっか……」 一週間、全く夕梨と会えないのは、初めてのことで、まだ想像出来ない。 「でも、ユウリと上手くやってくれてるみたいだから、少し安心したよ」 「検査入院して、状態によっては、治療も始まって……」 「あたしはずっと傍に居てあげられないけど、ユウリが傍に居るから」 「うん。何も出来ないけど、夕梨が戻ってくるの、待ってるから」 「うん……。そんなに期待しないでね」 「……って、言いつつもさ。上手くいったらいいなって、思ってるんだ」 「ちゃんと検査したら、偶然、いい薬とか治療法が見つかって」 「それで、寿命がちょっと延びたりしてっ!」 「来年の夏も……一緒に過ごせるかも」 「僕も、うまくいくことを願ってる」 「夕梨のこと、応援してるよ」 「舜。ありがと」 「……と、その前に……」 「夕梨……?」 夕梨はキスをせがむように、至近距離に迫ってくる。 「あたし、しばらく舜に会えないから……」 「……ねえ、しよ……?」 「……うん」 甘えた声で優しく囁いて、夕梨は目を閉じる。 「……ちゅっ……ん……」 「……ん、んっ……」 「……もっと、最後まで……しよっ」 ずっと夕梨とイチャイチャしていたかったけれど……。 外はすっかり日が暮れており、夜の空気が近づいていた。 「明日から……だよね」 「うん」 しばらく夕梨がいない日々が続くと思うと、やっぱり少し寂しい。 「あたしが居ないからって、浮気しないでよね?」 「しないよ。ユウリも居るんだし」 「僕が浮気をするように見える?」 「絶対しなさそう。というか、浮気出来ないの間違いじゃない?」 そう言って、夕梨は悪戯に笑った。 「そうだ、連絡は取れるの?」 「それがね……あんまり取れなさそう。検査が続いちゃうから、時間も約束出来ないし……」 「メールは見れるけど、疲れて寝ちゃうかも……」 「分かった。無理しなくていいよ」 遊びに行くんじゃなくて、検査で入院するんだし、夕梨は一週間で戻ってくる。 帰ってきたら、この前の牛串でも、奢ってあげよう。 「連絡出来そうな時に、あたしから電話するね!」 「うん、待ってるよ」 検査の時点で既に大変そうだけど、僕ばかりが心配していても埒が明かない。 頑張るのは、夕梨のほうだ。 だから、笑顔で送って、帰りを待ちたいと思った。 「行ってらっしゃい、夕梨」 「行ってきます!」 「それじゃあ、またね」 夕梨は精一杯の笑顔を、僕に向けてくれた。 負けじと自分史上最大の笑顔を送って、夕梨が見えなくなるまで、手を振った。 「おかえりっ、舜!」 「夕梨とデート、どうだったー?」 ユウリは悪戯にニヤニヤと笑みを浮かべる。 「今日は、さとうきび畑のほうへ散歩に行って来たよ」 「それから? 散歩するだけにしては、遅いよねー?」 「う……」 なんとも、答えづらい質問だ。 悪いことをしたわけじゃないんだけど、ユウリと目を合わせにくい。 「えっちなこと、したんだ?」 「なっ……!」 「別に、言ってもいいんだよー? 夕梨はあたしなんだし」 「それに、前に舜とえっちなことしたのも、覚えてるし」 「……そうだった」 告白だけじゃなく、夕梨と過ごした今までの全部、それ以前の夕梨のことも、ユウリは記憶として持っているんだ。 「えへへ、舜に愛して貰えて、あたし、幸せだなぁ」 「ごめんねー。あたしも何か、出来るといいんだけど」 「……そ、そういうことを望んでるんじゃないから」 「舜が望むなら、裸になるモードくらいは、作って貰おうか?」 「にひひっ」 「……」 ちょっとだけ想像してみる。全く欲しくないわけじゃない。 ……いやいや、実装するのは沙羅だ。沙羅にはばれたくない! 「そうだ。それと……」 「夕梨、明日から検査で、島の外の病院に入院するみたいなんだ」 「そうなんだ。夕梨のこと、応援しなくちゃだね」 「うん。いい結果を祈ろう」 「ということは、あたしと舜、2人っきりになるってこと?」 「そうなるかな? まあ、僕は普通に登校するけど」 「むむ。じゃあ舜が他の子に浮気しないように、ちゃんと繋ぎ止めておかないと!」 「それ、夕梨にも言われた」 「やっぱり? あたしだからね!」 「ニヒッ」 本当に、夕梨とユウリは双子みたいだった。 検査を終えて戻ってきた夕梨に、どんなもてなしをしようか? そんな相談には、ユウリが適役だなと、ふと心の中で1人納得した。 「はあ……っ」 「舜、こっちに来て……?」 夕梨は自ら下着を取り去り、僕の顔に跨がる。 夕梨の割れ目が、目の前にある。 「あたしのあそこを……舐めて……っ」 「おまんこ、舐めて……初めてした時みたいに……」 「うん……」 陰唇から醸し出される夕梨の匂いを堪能しつつ、ぺろっと舌を出して優しく舐め上げる。 「あぅ……あ、あ……はあっ……」 嬌声が夕梨の口元から漏れる。 「んっ、気持ちいい……舜に舐めて貰うの、好き……」 大きな乳房を両手で掴み、快感を貪るように揉み始める。 「はぁ……気持ちいい……」 「んっ……んんっ……」 キスをするように、大陰唇に唇を当てて吸い付く。 「ひぅ……んっ……ぁ……」 ふにふにしたその場所は柔らかく、吸ったり舐めたりするだけでも昂ぶってくる。 「んぅ、ぁ、なんか、焦らされてるみたい……ぁ、はぁ……」 「んっ、そこも、気持ち……いいけど……ぁ……」 「もっと……欲しいっ……」 膣口はパクパクと口を開け、愛液を垂れ流して誘惑する。 「んんっ……ぁ、はぁ……っ、ぁ……んんっ……」 夕梨は少しだけ物足りなさそうに、自分の胸を揉んで喘いでいる。 「じゃあ……」 「ひゃっ……」 僕は夕梨の陰核に舌を伸ばし、口の中に含んで転がした。 「んんんっ! はぁっ……! そこ、ぁ、やっ……!」 「そこ……クリ、舐められるの……気持ち良過ぎるっ……! はあっ……!」 ちゅっといやらしく音を立てながら吸うと、夕梨のピンク色の蕾がだんだんと勃起してくる。 「やっ、クリトリス、吸っちゃ……だめっ……ぁ、んんっ」 「んんんっ! ぁ、はぁ……っ、んっ……ぁ、あっ……!」 唾液を含ませて、膨らんだ夕梨の豆を何度も吸う。 「んんっ、ひうっ……! ぁ、ああっ……はあっ……」 「はぁ、そこじゃなくて……あたしのおまんこ、舐めてよ……」 「気持ちいいけど……んっ、刺激、強過ぎるから、すぐ、イッちゃいそうになる……」 「ごめんごめん……」 夕梨の陰核から口を離し、形だけの謝罪をする。 女の子は何度でもイクことが出来るはずだけど、すぐに果ててしまうのはもったいない。 「はぁ……っ、それに、お腹……ぁ……っ、欲しくて、ビクビク、する……っ」 「ぁ……あっ、もっと、気持ち良く、なりたいって……思っちゃうの……」 「分かった」 「んっ……ちゅっ、ちゅぱ……は、ぁ……っ」 僕が膣口に舌を伸ばすと、夕梨の口元からも、何かを舐める音が聞こえてきた。 「ちゅっ……はぁ……ちゅっ、ちゅぱ……ぁ……あっ……」 夕梨は自分の胸を持ち上げて、乳首を舐めていた。 「すごい……」 「えへへ、やってみたら、出来ちゃって……」 「はあっ……ちゅっ、ちゅるっ……あ……はあっ、ちゅっ……」 「ちゅ……おまんこも、ぐちょぐちょで……あっ、はう、ちゅうっ……気持ちいい……」 その姿がものすごく扇情的で、見ているだけで興奮する。 「ちゅっ、ちゅぱ……ちゅっ……ぁ、はぁ……っ! ぁ、ああっ……」 「おまんこも……もっと……んっ、んん……もっと、ちゅうちゅうって……吸ってっ……」 割れ目にぴったりと唇を合わせ、じゅるじゅると音を立てて愛液を啜る。 「ぁ、んんっ……は、ぁっ!?」 「ぁ……んんっ、気持ち、いいっ……ああっ……!」 愛液が止めどなく溢れて、僕の口の周りを汚していく。 その蜜壺に栓をするように、舌先を尖らせて挿入する。 「ぁ……ああっ! 舜のが……っ、入って……あっ……!」 「おまんこの中に……ああっ……! 舌が入っちゃってるっ……!」 膣口で舌を抽送すると、夕梨は声を荒げて膣内で舌を締め付けてくる。 「あっ、ああっ!?」 「ぁ……あっ、はあっ、んん! ん、ふぅ……あっ、ああっ!」 「舜……っ、ぁ、それ、気持ち、いいっ……は、ぁ……あっ、ああっ……」 「ちゅっ、ちゅぱ……ぁ……んんっ! ぁ、はあっ……ちゅっ、ちゅるっ……! あっ、ああっ」 無限に湧き出る快感を貪るように、夕梨は自分の乳首を舐める。 ペニスでの挿入をイメージしながら、夕梨の膣内に舌をするりと忍び込ませる。 「あっ、ああっ! はっ、あっ、舜……! ん、あっ……」 「出したり挿れたりするの……だ、だめっ……!」 「んん! あっ、ああっ! ちゅっ……はっ、ああっ!」 「舜……! あっ、あっ、もっ、あっ……イク……かもっ……あっ、んんっ!」 夕梨の膣内は何度もヒクヒクと疼いて、僕の舌を締め付けてくる。 もう、限界が近いことを悟る。 「あっ、ああっ!?」 クリトリスにキスしてから、また舌を膣内に差し挿れていく。 「はあっ、あっ、だめっ、んんっ! あっ、ああっ!」 「あっ、あっ、やっ、イッちゃう、イッちゃう! イッちゃうのっ……ああっ!」 「あっ……! イク、ああぁあっ、ああっ!」 「ふああああぁぁぁぁぁぁんんんっ……!」 透明な液体が吹き出し、僕の顔を濡らしていく。 「んっ……!」 「あっ……ああっ……また……っ、んんっ、あっ……」 「ごめん……はあっ……また、舜のこと、汚しちゃった……」 「はあ……あ、はあっ、ふう……」 「すごく……気持ち良かった……はあっ……」 夕梨は羞恥で頬を染めながらも、満足げな表情を浮かべている。 「舜も……欲しいよね?」 「その……おちんちん、服の上からでも分かるくらい、すごく、大きくなってるよ……」 夕梨に指摘されるずっと前から、下半身のソレはガチガチに硬くなっていた。 「今度は、あたしがしてあげるね……」 夕梨は僕の上に乗って、僕は再び夕梨の秘部を舐められる体勢を取る。 お互いにお互いの性器を舐め合える、なんとも破廉恥な格好だ。 「えへへ……舜のおちんちん、こんなに大きくなってる」 「硬くて……すごく熱い……」 少し恥ずかしそうに微笑んで、夕梨は愛おしげにペニスに頬ずりする。 夕梨の頬から、柔らかい感触が伝わってくる。 「舜、あたしのおまんこいっぱい舐めて、興奮した……?」 「こんなに大きくしちゃって……なんだか苦しそうだよ……?」 夕梨はそう言って、握った手を揺らす。 「あたしの手だけじゃ足りなさそうだから、お口でしてあげるね……」 「それから、こっちも……」 玉袋にも触れながら、ゆっくりと夕梨はペニスの竿部分を扱き始める。 「ちゅっ……はあっ……んむ、ちゅっ……ちゅるっ……」 「ぺろ、んんっ……ちゅ、ちゅうっ……ちゅっ……」 「ふふ……少し舐めただけで、こんなに反応して……可愛い」 夕梨は器用に両手を使って扱いたり揉んだりしながら、口で愛撫を続ける。 「ちゅっ……んむ、ちゅっ、ちゅぱ……れろ……」 「んむ、ちゅっ……はぁ……ちゅっ、ちゅる……ん、んむっ、あっ、はあっ……ちゅっ……」 柔らかい舌に唾液が絡まって、勃起したペニスを刺激する。 「はぁ……ちゅっ……ちゅぱ……ちゅっ……」 「こっちも……ちゅっ……ちゅるっ、ちゅ、ちゅぱ……ちゅっ、ちゅる……ん、はあ……」 夕梨は舐めることと手を動かすことに集中していて、僕がお尻を触っていることにも気づかない。 「気持ちいい……?」 「うん、すごく……」 「だから……」 僕は夕梨の秘部に顔を埋{うず}めた。 「ひゃん……! ぁ、ふえっ……!?」 「やっ……ああっ、はあっ……ちょっとっ……あっ……」 「ちょっとっ……あっ……んんっ、舐められなく、なっちゃうよっ……」 「2人で……気持ち良くなろう……?」 「ひゃううっ、あっ……やっ、ああっ!?」 「ちゅっ……はぁ……んっ、あっ、ちゅ……ぱっ、あっ……!」 声を必死に押さえながら、夕梨は細やかに舌を動かす。 「ん……はっ、あっ……ちゅっ、ちゅるっ……ううっ、あっ、んんっ……!」 「邪魔……しちゃだめ……ちゅ、んんっ、はあっ……ん! ちゅ、ちゅっ、んんあっ……!」 さっき潮を吹いたばかりで、夕梨の秘部は蕩けるように濡れている。 繰り返し舌を挿入し、夕梨の味を堪能する。 「ひゃううっ! あっ……はぁっ……」 「んんっ! も、もうっ……あっ、はあっ、ん……これじゃ、舐めれない……よっ……!」 「じゃあ、もっと……」 「やっ……やああっ……!?」 「はあっ……身体、力、入らなくなる……」 砕けたように、夕梨は腰に力を入れられずにいる。 「あ……はあっ……んんっ……」 必死に我慢して、手だけは扱き続けて、なんとか僕を快楽に導こうとしている。 「はあっ、んんんっ! やっ、あっ……ぅ……」 「ちゅっ、ちゅぱ……やっ、あっ……ちゅっ……はあっ、ちゅっ……」 「もっと……強く……刺激しなきゃっ……んん、ちゅうっ……」 「はむっ、んむむ……んっ……!」 夕梨はぱくりと竿の先端を咥える。 「んむ……ちゅっ……ちゅぱ……んんっ……」 「は……んん……んむっ……んっ、ちゅっ……ぁ……んんむ……」 咥えたまま、口の中で舌を操って、尿道口をほじくるように刺激してくる。 「んっ……んんっ……」 「夕梨、それ……気持ちいい……」 「はあっ……んっ……んんっ……そう……? んちゅっ……ぁ……はあっ……」 負けじと夕梨の秘部を沢山舐めていく。 快感を耐えるように震えながらも、亀頭への奉仕は滞らない。 「ん……! んっ、んむ……ぁ、んんっ、は、あっ……ちゅっ……」 「ちゅっ……ぁ、はあっ……ちゅっ、ちゅぱっ、ちゅっ……ふ、あっ……ああっ……」 「は……はあっ……おかしく、なりそう……」 「んっ……舜の……我慢汁、いっぱい出てきたよ……?」 「ちゅっ、ちゅぱ……はあ、ちゅっ、ちゅるっ……ん……ちゅっ……」 「んんんんっ……!?」 膣内に舌を差し挿れる度、驚いたように身体を震わせて、夕梨はぐっとペニスにしゃぶりつく。 「ん……んちゅっ……ぁ……はあっ、ちゅっ、ちゅる……!」 「んむっ……ちゅっ、はあっ、ちゅっ、ちゅる……ちゅっ……」 「んんん、んむむっ、ちゅるる……!」 夕梨は頬を凹ませ、口の中を真空状態にして、強く吸い付いた。 バキュームのような口淫に、腰が砕けそうになる。 「はあぅ……ちゅっ、んんっ……おちんちん舐められるの……気持ちいい……?」 「それ……ものすごく、やばい……」 「ん……もっと、するね……」 射精したい気持ちをなんとか抑えながら、口での愛撫に集中する。 「んんっ、ちゅ……んあぁ、んんっ!」 絶頂が近いのか、夕梨の入り口はヒクヒクと蠢いている。 「ちゅっ、あっ、ちゅっ、ちゅぱっ、あっ、ああっ!」 膣内に自分の舌をねじ込み、何度もかき回す。 「はっ、ちゅっ……んんんっ! んんっ!」 「やっ、はっ……あっ、ちゅっ、ちゅるっ……んっ! あっ、んんっ」 「んん……ちゅっ、ちゅぱ……っ、たまたまも、弄って……んんっ……」 夕梨も必死に快感に堪えながら、手元の玉袋を揉んで、射精に導いてくれる。 「はっ、ああっ、ちゅっ、んぅ、ちゅっ、ちゅぱ……ちゅっ、ちゅるっ……!」 「あっ、ちゅっ、ちゅる……! んんっ、んっ、はっ、イッちゃいそ……んん、あっ……!」 「もう、出そう……」 「んんっ、はあっ、あたし……もっ……」 腰を振って夕梨の口の中で抽送すると、夕梨のほうも秘部を顔面に擦りつけてきた。 いやらしい水っぽい音が部屋に響いて、さらに昂ぶってくる。 「はっ……あっ……ちゅっ、ちゅぱ、ちゅっ……ぁ……! はっ、あっ、ちゅっ、ちゅるっ!」 「あっ、ああっ! ちゅっ……ちゅぱ、やっ、ああっ!」 「ちゅぱっ……! んんっ、んんんんんっ……!」 「んんんんんんんんんっ……!?」 夕梨の口の中に精を放つ。 「ん……はぁ、んっ……」 「……んむっ……! んっ……んんっ……」 ドクドクと出続けて、夕梨の口内を汚していく。 「ん……んむ……んっ……」 「んっ……ごくっ……」 「はあっ……いっぱい……ごちそうさまでした♪」 「飲んじゃったの……?」 「うん。全部……」 「ん……まだ、ちょっと残ってるね」 「……ちゅっ、ちゅっ、ちゅる……はぁ……んむっ、ちゅっ……」 「ちゅっ……もう少し……ん、んむっ……はぁ……ちゅっ、ちゅるっ……」 夕梨はぺろぺろと先端を何度もねぶり、精液を舐め取ってくれる。 「ちゅっ……ちゅるっ……はぁ……ちゅぱ……」 尿道口も丁寧に突{つつ}いて吸い出して貰っているうちに、あっという間に元気を取り戻していく。 「あれっ……おちんちん、またおっきくなってきた……」 「これ、あたしの中に、挿れてもいい……?」 「ぎゅーっ」 夕梨はくるっと振り返って、僕の上に乗ったまま思いっきり抱きついてきた。 夕梨の入り口にあてがうと、するりと一番奥まで飲み込まれていく。 「んっ、んんっ、あああ……!」 「はっ……ああっ、あっ……おちんちん気持ちいい、はあっ……!」 「あったかい……」 僕の唾液と夕梨の愛液で濡れた膣内は、ぬるぬる滑っていて心地良い。 膣壁が優しく、陰茎を抱き締めるように締め付けてくる。 「はあっ……舜の熱いおちんちん……すごいよ……」 「はっ……ああっ、あっ……気持ち、いいっ……」 夕梨が我慢出来ずに膣内をきつく締める度に、僕の頭をぎゅっと抱き締めてくる。 その柔らかい胸が顔面に押し付けられ、心地良い窒息状態になる。 「はあっ、動くね……」 「んっ、あっ……はあっ……んくっ、んっ……」 夕梨はゆっくりと腰を浮かし、自ら一番奥を目指してペニスをねじ込む。 「あっ、ああっ!」 「ふう、はあ……んっ、あああぁっ……!」 電撃を射{う}たれたかのように、身体中に快感が巡っていく。 「えへへ……これ、気持ちいい?」 「うん……すごい……」 「うん……あたしも、これ……好き……」 再び夕梨は腰を浮かし、一気に腰を下ろす。 「ああっ!」 「はあっ、あっ……いいっ、好き……! 奥に、突き刺さって……」 とろんとした蕩けた目で、夕梨は連続で何度も腰を上下させる。 「んんっ……!」 「んっ、はあっ……あっ……、んんっ」 僕のペニスを堪能するかのように、1回1回たっぷり愉しんでいるようだ。 「はあっ……あっ、はあ……すごい……」 「あ、ああっ……気持ちいい……中が、ビクビクしちゃう……」 「でも……もっといっぱい、動きたいかも……」 「はあっ……ん、んっ……あっ……ひあぁっ……あっ、ああっ……」 夕梨に動いてもらうのはすごく気持ちいいけれど、動きが緩くて、焦らされている気分になる。 「んんっ! あっ……はあっ……」 「はあっ……あっ、すごい、中、ぐちゃぐちゃで……」 「うんん……舜、もっと……」 「ん……あっ、んんっ、あたし、イキたい……」 夕梨は子犬のようにふりふりと腰を振って、欲情を訴えている。 夕梨の期待に応えるべく、僕は下から思いっきり突き上げた。 「あっ、ああっ! はあっ……んっ、ん……! あっ、やっ……!」 「ああ、それっ……それ、すごく、気持ちいい……!」 「おちんちん、奥に刺さって……グリグリされるの、気持ちいいの……!」 膣全体でぎゅっと締め付けてきて、結合部から愛液が溢れ出てくる。 「んんっ! あっ……あっ、あああっ!?」 「待って、舜っ……あたし、あたし……はあぁぁぁっ!?」 「もう、何も……あっ、あんん! 何も、何も考えられないっ……!」 夕梨は必死にしがみついて、快感に震える身体で耐えようとする。 僕のほうは夕梨のペースを考える余裕もなく、今はただ射精の瞬間まで走り続けているような心境だ。 「やっ、あっ……! ああっ!」 さらに密着したくて、夕梨のお尻を掴んで上下に動かした。 「ちょっと……っ、ああ、やっ……ま、待ってっ……!」 「んんっ! あっ、激し過ぎっ……! あっ、ああっ! はあっ……!」 「ごめん……もう我慢出来ない……」 「やっ、ああっ! んっ、んんっ!」 「はあっ、もっと、ゆっくり……んっ、あっ、はあっ……!」 夕梨は耐えるように僕の頭をぎゅっと抱き締める。 胸の中に埋もれて息苦しい反面、呼吸をする度に、包容感のある幸せな感情が流れ込んでくる。 「まっ、待って……っ、あっ、ああっ! ん、あっ、はあっ、やっ……!」 夕梨の汗ばんだ胸を貪るように舐める。 「ひゃううっ! だ、だめだって……ばっ……!」 柔らかいお尻を揉みながら、何度も上下に動かす。 「あっ、ああっ! んっ、あっ……! あああっ!」 「んんっ、そこっ……だめっ、あっ、ああっ! おまんこの、気持ちいいとこに、当たっちゃう……っ!」 「あっ、ああっ! やあっ、もっ……もう……だめになっちゃう……ひゃうぅぅっ……」 夕梨はだんだん呂律が回らなくなってきて、周囲も気にせず甲高い嬌声を響かせている。 「やっ、だめっ、動かさないで……! あっ、ひゃううっ!」 「やっ、ああっ! あっ、止まって……! おまんこ壊れる……あっ、やあっ!」 夕梨の制止も聞かずに、激しく腰を動かす。 「あっ、ああっ、んんっ、あっ……! も、もうっ……はあっ、あっ!」 「もう、出していい……?」 「んんっ! あっ……あたしも……あっ、またっ、イッちゃうっ……!」 「はあっ、激しくて……あっ、ああっ! イク……イッちゃう……ああ!」 何度も身体を震わせて、夕梨は叫ぶように喘いでいる。 玉袋のほうから白い何かが集まってきて、まさに発射の瞬間を待っている状態になった。 「夕梨、出る……っ」 「うん……出して……! いっぱい、いっぱい……あたしの中にっ……!」 「あっ、ああっ! はあっ、あっ、あああっ!」 「もうだめ、だめ……! イクっ……!」 「やっ……あぁあああああぁぁぁぁっ……!」 最後の一突きを差し挿れると、夕梨の身体が大きく弓なりに沿って、それから脱力した。 「はあっ……はあ、あ……あ……」 夕梨の最奥に、全ての精を注ぎ込む。 「はあ……奥に、いっぱい……出されちゃってる……ぁ……」 「あっ……出てる……精液、いっぱい……」 射精が止まり、結合部から入り切らなかった精液が溢れ出てくる。 中出しの感覚は初めてじゃないのに、夕梨の中で解き放った時の征服感は、今までで一番だったかもしれない。 「んんっ……舜の、まだ硬い……」 「そんなに、あたしとのえっち、気持ちいいの……?」 「うん。最高にね……」 「あたしもだよ……」 「じゃあ……最後に、もう1回しよ……」 「今度は舜が……上に来て……?」 「はあっ……」 挿入したまま、体勢を変えて夕梨をベッドに寝かせる。 「大丈夫……? 夕梨」 「えっ……? 何か、おかしかった……?」 「いや、その……ここまでセックスに積極的になれる女の子も、なかなか居ないんじゃないかと思って」 「舜は、えっちな女の子は嫌い……?」 「いやいや、全然。好きだよ」 「夕梨だから好き、なのかもしれないけど……」 「ふふ……」 「あたしも一緒だよ。舜だからしたい」 「まあ、あと何回えっち出来るか分からないから、出来るだけ沢山しておきたいのもあるけど」 「あはは……」 もしも自分が消える日が先に分かっていたら、僕も同じことを考えるかもしれない。 「だから、いろんなこと、いっぱいしたい……」 「いっぱいえっちしたい!」 ストレートな言葉に胸を撃ち抜かれる。 ベッドの上でそんなこと囁かれたら、勃たない男はいない。 「じゃあ……動くよ」 「うん……」 さっき出したばかりの精液が潤滑剤になって、ペニスの滑りがいい。 「はあっ……あっ……んんっ……気持ち、いい……」 「おちんちん、好き……えっちするの、好き……っ」 かき回すたびに少しずつ馴染んで、また硬く滾{たぎ}っていく。 「んっ、んんっ、あっ……あっ、ああっ」 「んんっ、舜のおちんちん、硬くて……すごい……はあっ……」 とろんと蕩けた瞳で、真っ直ぐに僕を見つめている。 「舜のおちんちん……好き。こうやって、えっちなことするのも……あたし、すごく好き……」 「だから、挿れて貰う度に……もっともっと、気持ち良くなりたくなっちゃう……」 肌を重ねてより一層夕梨のことを知って、もっと好きになる。 お互いの大切なところを擦り合って、2人だけで気持ち良くなっていく幸せを噛み締める。 「あっ……はあっ、あっ! やっ、んんっ!」 僕はだんだんと、抽送のスピードを上げていく。 何度も激しく打ち付けて、夕梨の膣内をかき回していく。 「はっ、ああっ……! んんっ、あっ、ああっ!」 「やうっ、あっ、もうっ、おかしく……なるっ、あっ、ああっ!」 夕梨と肌を重ね始めて、夕梨は今日、何度も絶頂を迎えている。 限界が近いのか、何度も身体を震わせて、爪先が大きく跳ねている。 「ひぅぅ! あっ……! ああっ、気持ち……いいっ、あっ……あっ!」 「おちんちんが、中で擦れて……はあぁ、あっ……気持ちいい……」 「あっ、ああっ! 奥まで、おっきいのが……ああ!」 軽い絶頂を繰り返しているのか、夕梨の膣襞が激しく絡みついてきて、精液をこれでもかと搾り取ろうとする。 「はっ、はあっ……あっ……んっ、んんっ!」 「やっ……あっ、ああっ!」 「ひゃうっ、またっ、あっ……! また、何か来て……あっ、ああっ!」 「だめっ、あっ、激し過ぎてっ、あっ、壊れちゃう……ああっ!」 熱い膣内にすっかり蕩けてしまい、僕もまた限界が近付いてくる。 「あっ、ああっ! んっ、ぅ、あっ……! はっ、はあっ、あっ!」 「はあっ、あぅ……! ああっ! イク……っ! イッちゃうっ、またイッちゃうっ!」 「僕も……」 「これで、最後だから……耐えてね……」 「えっ……やっ、ああっ! も、もう無理っ!」 「あっ、ああっ!? はあっ、んんっ! 舜っ、あっ、ああっ!」 「壊れちゃ……うっ、んっ、あっ……! ふっ、あっ、んんっ、やっ、あっ……!」 「ううっ! もう、何も考えられない……頭、真っ白になって……あっ、んっ……やっ、ああっ!」 「イクっ、イッちゃうっ、あっ、ああっ!」 「僕も……出る……」 「あっ、ああっ! んっ……! イクっ、あっ、一緒、にっ……!」 「夕梨……!」 大きくぐっと一突きして、子宮口にペニスの先端を押し当てる。 「はあっ、あっ……! あっ、ああっ!?」 「それ、だめなの、イッちゃうの、イッちゃう、イクっ! イク!」 「あっ……! あああああああああああぁぁぁっ!」 夕梨の一番奥に亀頭を押し付けたまま、自身を放つ。 「あっ、ああっ……沢山……出てる……はあっ……」 「熱い、精液……止まらないよぉ……」 ドクドクと夕梨の膣内に注ぎ込み、ピンク色の性器を白濁色に染めていく。 「はあっ……やっと、止まった……」 「えへへ……舜ので、お腹の中いっぱいだ……」 夕梨は満足げな笑顔を浮かべながら、荒い息を沈めていた。 さすがに何回も連続でまぐわったので、息遣いもいつもより苦しそうだ。 「あ……」 夕梨の膣口から、真っ白な精液がトロトロと溢れてくる。 「いっぱい……溢れてくる……」 「もったいない……全部、入れたかったな……」 溢れ出た精液を見て、夕梨が名残惜しそうに呟く。 「すっごく激しくて、疲れちゃったけど……」 「気持ち良かったぁ……」 僕のほうを見つめて、夕梨は幸せそうに微笑んでくれた。 片付けをして、裸のまま夕梨のベッドに潜りこむ。 「すごく……気持ち良かったよ」 「うん。あたしも、とっても気持ち良かった……」 「しばらく会えないけど、あたしのこと、忘れないでいられそう?」 「忘れたりしないよ。夕梨のこと待ってる」 「うん。待っててね……」 夕梨は囁くように言って、僕に密着してくる。 「舜がいっぱい愛してくれたから、明日からちゃんと頑張れそう」 「うん。辛くなったら、僕のこと思い出してね」 「えー? さっきまでのことを思い出したら、えっちな気分になっちゃうかも?」 「そのことじゃなくてっ」 「舜が居ない間は……1人でえっちすればいいの……?」 「えっと、それは……」 「ふふっ、冗談だよっ」 悪戯に笑って、ぷにっとした柔らかい胸の膨らみを押し付けてくる。 「良い結果、出るといいなぁ……」 「きっと、大丈夫だよ……」 「うん……そうだといいな」 目を細めて、幸せそうに微笑む。 僕は夕梨の肩をぎゅっと抱き寄せて、おでこに優しくキスをした。 「おはよー!」 「おはよう、ユウリ」 朝起きるとすぐに、ユウリの電源を入れる。 最初は少し起動するだけだったユウリを、日中、付けっぱなしにしてみる。 ユウリを起動したまま、朝食の準備を始める。 「何を作るの?」 「パンを焼いて……後は目玉焼きくらい?」 「少ない! 舜、それで足りるの?」 「とりあえず、少し食べれば十分」 「えー」 「まあ、ゆっくりしてる時間も無いし」 「あたしが作ってあげられたら、朝から栄養満点のメニューにするのになあ」 ユウリは朝食を作っている間も、僕に話し掛けてくれた。 眼鏡をつけているからか、僕が行くところに、ユウリもついてくる。それが、なんだか可愛い。 「舜、今日は何時に帰ってくるの?」 「授業が終わるのが、4時くらいかな。買い物してから帰って来るよ」 「分かった!」 「行ってらっしゃい! 気を付けてね」 ユウリに見送ってもらう朝。 こうなってくると、夕梨が言っていた“同棲”という言葉がしっくり来る。 夕梨は、検査を頑張っているだろうか。 少しでもいい結果が出るといい。それだけを望んでいた。 家に帰ればユウリが待っていてくれるようで、1人の家に戻るのも悲しくはなくなった。 「おかえり!」 「ただいま。早速、夕食の準備したいんだけど……」 「ユウリ、今あるもので、何か作れないかな?」 「えーっと、細かく刻んだ野菜と……あ、豚肉が少しあるみたい」 「いろいろ全部フライパンに突っ込んで、蒸し豚っぽくしたら美味しいかもよ?」 「なるほど」 「一人暮らしだと、食材消化するのも大変だよねー」 「確かにね」 こういう大雑把なところも、夕梨と同じだ。 「そういえば、料理の腕前って、夕梨と一緒?」 「たぶんね。実際にやったことは無いけど、記憶のデータは全く一緒だから」 「でも、上手くすることも出来るよ。そういうプログラムだけど」 そういえば、シロネも確か料理が出来ていたと思う。 そこらへんは、お手伝いロボットに近いんだろうか。 「……でも、夕梨の記憶より、プログラムされている情報のほうが上手いなんて」 「あたし、結構雑なところあるじゃん?」 「それで、配分が違っちゃったりするけど……プログラムされた情報に従えば、そういうことも無い」 「トリノが間違いをするってことは、無いからね」 「じゃあ、ユウリにレシピを教えて貰いつつ……」 「一緒に、料理を作ってみようか?」 「うん!」 調理をするのは僕だけど、ユウリと並んでキッチンに立つ。 それから、食事の最中も一緒に話をして。 ちょっと雑なところも、いたずらに笑うところも、全部夕梨で。 本当に、夕梨と一緒に居るみたいだった。 「夕梨は……」 スマホを確認してみたものの、夕梨からの連絡は来ていない。 けれど、不思議と寂しさは感じなかった。 朝起きて、ユウリを起動する。 朝の食事中も、帰ってからも、ずっと一緒に居る。 一緒にテレビを見たり、話したり。 2人で笑い合って、ただただ楽しい時間を過ごしている。 「夕梨とも……こんなふうに過ごしたいな」 「ん? どうしたの?」 「いや、すごく……幸せだなって」 「本当?」 「にひひっ、嬉しいなっ」 病気が治ったら―― もしも、夕梨が何年も生きられる道が見つかったら。 こんなふうに、楽しい毎日が待ってるんだ。 そう思うと、夕梨が帰ってくる日が楽しみになった。 授業の無い休日なのに、やけに早く目覚めてしまった。 せっかくだし、商店街で買い物でもしてこようかと思う。 「じゃあ、ちょっと出掛けてくるよ」 「ねえ、それ、あたしも行っちゃだめ?」 「一緒に行くってこと?」 「そう。だめかな?」 「そういうことも、出来るんだっけ」 みんなの前で起動したことはあったけど、外に連れ出したことは無い。 ただ、この眼鏡が見えなくなる作りになっている以上、外出出来る可能性はある。 「外出用の設定があるんだ」 「光の加減とか、歩く速度を合わせたりね。そうすれば、あたしも外に行けるんだよ」 「もちろん、舜以外には、あたしの姿は見えないけど」 「これ……?」 「それそれ!」 ユウリに言われた通りに、本体の設定を変更する。 「おっけー!」 「この端末を……鞄に入れておけばいいのかな」 「そうそう」 「試しに、行ってみよう」 「えへへ。一緒に出掛けられたねっ」 「そうだね」 「……って。また話し掛けちゃった……」 外に居る時は、ユウリの言葉に返事をしにくい。 周りに人もいるし、怪しい人だと思われるんじゃないかと、ヒヤヒヤする。 理解しているつもりだけど、それを忘れて、つい返事をしてしまう。 「そんなに恥ずかしいなら、電話している振りでもしたら?」 「まあ、そうなんだけどさ」 「ユウリが目の前に居るのに、僕だけ違う動きをするのもなって」 「じゃあ、堂々と、道の真ん中を歩いちゃいなよ!」 「それは、ちょっと……」 商店街には、アンドロイドの実地実験をしている人も居るし、そんなには珍しがられないと思うけど。 でも、まわりからはユウリが見えていないというのは、厄介だった。 それから、一緒に買い物をして。 ユウリはちゃんと僕に助言してくれた。 間違えてユウリに返事をしてしまって、近くにいたおばさんに笑われたのを、ユウリはニヤニヤしながら近くで見ていた。 「えへへー、舜と一緒に出掛けられるの、嬉しいなっ」 外出用の設定は、光の加減を少し調節する機能のようだ。 家の中とはまた違うものの、普通に話していると、ユウリがバーチャルだということを忘れてしまう。 「ねえ、ちょっとだけ寄り道しようよ!」 僕は黙って頷く。 普通に話せるように、人の居ないところに行きたい。 「こないだ夕梨と行った海は?」 こんな時間だし、確かにあそこなら人もいないだろう。 「よし、行こう」 少し、ユウリと2人で、寄り道してみることにする。 「綺麗だなあ。海」 予想通り、辺りには誰も居ないようだった。 ここでなら、少し話していても大丈夫だろう。 「一緒に出掛けられるなんて、驚いたよ」 「うん。知らない人が多いところでは話せないけどね」 「舜が良かったら、ときどき、こんなふうにお出掛けしようね!」 「うん。ユウリが一緒だったら、僕も嬉しい」 何日か前に、夕梨と歩いたこの場所に、ユウリと遊びに来ている。 その時の時間に、戻ったみたいだった。 あの時と違うのは、歩く速度と。 それから、この手を繋いでいないことくらいだ。 「……」 隣に居るのは、夕梨そのもの――でも、ちょっとだけ違う。そんな不思議な気持ちになる。 「舜? どうしたの?」 ユウリの手に、自分の手を重ねる。 触れられない、手。 夕梨とユウリの違いは、それだけだ。 「いや……なんでもないよ」 ユウリが気にする前に、僕は自分の手を引っ込める。 「何か、言いたかったんじゃないの?」 「ああ……そう。僕は、ユウリとの生活、楽しいって思ってる」 「うん」 ほんの最初は、バーチャルなんて……と抵抗があったけど、今は一緒に居る楽しさが勝っている。 「夕梨も沙羅も、ユウリを夕梨の代わりに出来るように、連れて来たんだと思うけど……」 「うん……」 「だけどユウリに出会って、夕梨とこんな日々を過ごすことが出来るんだなって思った」 「そうだね」 沙羅がシロネを作ったように、夕梨は自分の死後を、アンドロイドに託そうとしている。 未来が無いんだと夕梨は言うけれど、ユウリと過ごす中で、僕は夕梨との未来を夢見てしまった。 夕梨との、幸せな未来を。 「夕梨の病気、治るといいな」 「そうなったらあたし、お払い箱かもしれないけど」 「でも、それが一番幸せなことだから」 ユウリはにっこりと微笑んで、僕のことを見つめる。 「あ……でも、お払い箱ってことはないか。あたしは、夕梨に戻るんだから」 「そうだね。ユウリは、夕梨だ」 今は、検査や治療などの目的で、夕梨とユウリは切り離した存在になっている。 だけど、元は同一の存在だ。 姿の違う、シロネと白音のような違いは感じない。 「いつか、あたしがただのデータに戻る日が来るかもしれないけど」 「その時には、夕梨の病気が治ってるってことだもんね!」 ユウリは明るく、にこっと笑ってみせる。 「ユウリと一緒に居るとすごく、夕梨のことが好きなんだなって思う」 「僕は、夕梨の笑顔が好きなんだ」 「……なんか、照れちゃうなあ」 夕梨の元気な笑顔に、いつも支えられている。 それが無くても、ユウリが寄り添ってくれる日々があるから、幸せを感じられる。 「僕はずっと、夕梨に笑顔で居て欲しい」 「病気で、体調を崩すことがあっても。すれ違うことがあっても……」 「夕梨の笑顔を見るために、ユウリと一緒に居たいって思う」 「分かったよ」 「あたし、ずっと笑顔で居るね」 「ユウリも?」 「うん。だって、それくらいしか、あたしに出来そうなことないし」 「ありがとう」 「舜が喜んでくれるのが、あたしの一番の幸せだから!」 「うん……ありがとう」 「それじゃあ、おやすみ。ユウリ」 「おやすみ、舜。また明日ね?」 ユウリの電源を切り、ベッドに横になる。 「……楽しかったな」 今日一日、一緒に出掛けたことを思い出す。 夕梨が遠くに居て、触れ合えなくても、心の距離は離れない。 夕梨から連絡が無いことだけが不安だが、こちらからメールをし過ぎるのも、気を遣わせてしまう気がした。 検査や治療自体には、何も協力することが出来ないけど。 夕梨が帰って来た時の気構えは、充分なくらい整っている。 「夕梨は、束縛が強いんじゃないかって、不安がってたけど……」 ユウリとの日々を過ごすことが、いつの間にか自分の希望になっていった。 夕梨はきっと、驚くかもしれない。 最初の反応とのギャップに、僕を違う人だと思うなんてことがあるかもしれない。 さすがにそれは、冗談だけど。 「夕梨、早く戻って来るといいな……」 昼休み。 スマホの着信が鳴り、慌てて廊下を駆け抜けた。 着信画面には、夕梨の名前の文字。 入院中の夕梨から、いつ掛かってきてもいいように、マナーモードをオフにしていたんだった。 「もしもしっ」 嬉しくて、思わず早口になってしまう。 『舜、久しぶりっ』 『今、昼休みだよね? ちょっと時間が空いたから、電話してみたの』 「うん、ありがとう。そっちはどう?」 『んー、なんとかやってるよ。検査ばっかりで、もうぐったり』 『検査が終わった後も、疲れて寝ちゃうことが多くて』 「やっぱり、そうだったんだ」 『あんまり連絡出来なくて、ごめんね』 「いや、夕梨は頑張ってるんだし。お疲れ様」 夕梨の体調が悪化しているわけではないようなので、ひとまず安堵する。 『舜のほうはどう? ユウリと話したりしてる?』 「うん。そうそう、昨日は外に出掛けたんだよ」 『外に……? 一緒にってこと?』 「そうだよ。設定すれば、外出も出来るみたいで。人の多い場所では話しづらいけど」 「海にも行ったんだけど、この前夕梨と出掛けた時のことを思い出したよ」 『ふうん……』 「夕梨が帰って来たら、また行こう」 『うん……』 「前に夕梨が、同棲みたいな感じだって言ってたけど、まさにそれで」 「夕梨と一緒に、こういう時間を過ごしたり出来るんだなあって、思ってた」 『そうなんだ……』 「早く、夕梨に会いたい」 「……って、こっちばっかり喋り過ぎたね。ごめん」 『ううん……』 『話……聞けて、良かった』 少しだけ、夕梨の声が曇っている気がする。 「夕梨……?」 「疲れたりしてる?」 『ううん、そういうんじゃないよ』 『なんか……舜、楽しそうだなって』 「え……?」 「まあ、楽しいよ。夕梨がくれた、ユウリが傍に居てくれるし」 『そっか……』 「……だめだったかな」 「でも、夕梨に会いたい気持ちは変わらない。一日でも早く、会いたいって思ってるんだ」 『あっ、ごめん……! 今のは気にしないで!』 『あたしも、舜に会いたい。久しぶりに声が聞けて、嬉しかったよ!』 『それじゃあ、午後も検査があるから、そろそろ』 「分かった。また、連絡待ってるね」 『うん……それにしてもっ』 『ユウリとうまくやってるみたいで、安心したよ! 浮気の心配無さそうだしっ』 「はは。そういえば、ユウリも同じことを言ってたよ」 『そうなんだ……あはは、さすがあたしのバーチャル体!』 『じゃ、またね、舜!』 「うん、頑張ってね。夕梨」 電話を切ってから、数十秒だけ。 好きだと思っているはずの夕梨に対して、言葉に出来ないふわっとした気持ちが残った。 楽しそうだと言っていた夕梨は、電話の向こうで、どんな思いで居たんだろう。 声だけでは、全ては分からなかった。 もし、本格的に治療が始まったら。 夕梨とは、これからどんどん会えなくなるかもしれない。 ユウリと過ごす時間が、増えていくのかもしれない。 夕梨と電話をする度に、今みたいな気持ちが、胸に残っていくんだろうか? 会えない間に、心の距離も、遠くなってしまうんじゃないか。 急に自信がなくなって、しばらく、その場に立ち尽くしてしまった。 家に帰ってきてすぐに、ユウリの電源を入れた。 それが、習慣になってしまっている。 「舜っ、おかえり」 「ただいま。ユウリ」 「今日はどうだった? 何か、楽しいことあった?」 ユウリは学校には通えないから、帰宅した直後はいつも、質問攻めだ。 「そういえば、昼休みに夕梨から電話が掛かって来たよ」 「本当? 元気だった?」 「うん、元気そうだった」 少し気掛かりなことはあったけど――ユウリには言わないでおく。 「ふふ、良かった。検査は順調? 早く帰って来るといいね!」 「なんか、ユウリにそう言われるの、変な感じだね」 「確かに。でも、夕梨はあたしだからね」 「あたしは、夕梨が居ない時の監視役って感じ? 夕梨と居られない時間を、あたしと過ごして欲しい」 「そうすれば舜は、もっと好きになってくれるでしょ?」 「そうだね」 前にも、思ったことがあった。夕梨と過ごす時間が増えれば、夕梨のことをもっと好きになる。 同じように、ユウリと過ごせば過ごすほど、夕梨のことがどんどん好きになる。 明るくて、まっすぐで。 少し悪戯な笑顔も、全部、夕梨と同じだから。 ユウリと過ごすことで、夕梨のことをもっと大切に思える。 迷いがないわけじゃない。 だけど、もっと前向きに考えたいと思った。 朝起きてすぐ、ユウリを起動する。 少し離れる時は、スリープモードにして。 外に出る時にも、こっそりユウリを連れて行ったりした。 ユウリが居る日常が、だんだん当たり前になっていく。 それから数日後、学校から帰宅する頃、夕梨が1週間の検査を終えて戻って来た。 「ただいま!」 「おかえり、夕梨」 「制服着たのも、なんか久しぶり」 「まあ、今日の授業はサボっちゃったんだけどね」 「それは仕方ないよ」 「あー……疲れたー」 ずっと、会いたいと思っていた夕梨。 だけど、ユウリと過ごしていたからか、久しぶりだという感じはしない。 「大変だったなー……」 「お疲れさま」 「ん……ありがとう」 そっと、夕梨と寄りそう。 温かい身体。体温や重みは、ユウリにはないものだ。 「検査、どうだった?」 「まだ、結果は出てないけど……」 「あんまり良くないと、思う……」 「そうなんだ……」 「でも、頑張ったね」 「うん……まだ、分かんないんだけどね」 「ユウリとは、どう? 楽しい?」 「うん。夕梨が無事に帰ってくるといいねって話してた」 「ときどきじゃなくて、ずっと使ってるの?」 「寝ている時以外はそうだね。スリープモードにする時もあるけど」 「……そっか。良かった。うまくやってるんだ」 「もしも夕梨と暮らせたら、こんな感じなんだろうなって思うよ」 「ユウリと話したり、遊んだりする度に、これを夕梨と出来たらいいなって、想像してたんだ」 「……」 「なんか、恥ずかしいことを言っちゃった気もするけど」 「……そう」 「まあ、あたしは舜と一緒には暮らせないんだけどね」 夕梨は、この前電話で話した時のような、素っ気ない態度をする。 「あたしは、もうすぐ死んじゃうから、それは叶えてあげられない」 「そんな……今から決めつけなくても」 「まだ、検査結果は出ていないんだし」 「出てなくても、それは分かるよ。かろうじて生きられても、後ちょっと」 「普通に生きることは出来ない。病院通いで、舜とこうして話せるのも、後何回あるか……」 「夕梨……」 「これから、そうなっていくんだよ」 「ごめんね。久しぶりに会ったのに」 電話口では分からなかった夕梨の思いが、会って話せば分かるだろうと思っていた。 だけど今、どんな言葉を掛ければいいのか、迷っている。 「なんか、ごめんね? 薬変わったから、イライラしてるのかも」 「夕梨……僕に、何か言いたいことがあるんじゃないかって」 「別に……?」 「ユウリとうまくやってくれてて、良かったって思ってるだけ」 「本当に?」 「そうだよ。他に何があるの?」 「検査結果が出たら、また話すけど……期待は持てないってこと」 「それだけだよ……」 そう呟く夕梨が、僕には辛そうに見えた。 「少し、休んでもいい……?」 「ちょっと、疲れちゃったかも……」 「うん。ゆっくり休んで」 「……ありがとう。おやすみ」 夕梨を自室のベッドに寝かせる。 しばらくは1人にして欲しいと言われ、僕はリビングに戻ることにした。 僕は無意識のうちに、ユウリの電源を入れる。 無意識、いや――ユウリと、話したかったんだと思う。 「今日は、夕梨が来るんじゃないの?」 「来てるよ。少し休んでる」 「そうなんだ」 「舜、なんだか元気ない?」 「……」 ユウリのことは、夕梨に話さないほうが良かったんだろうか? でも、隠し事をするのは、悪いような気がしてしまう。 「ねえ、何かあったの?」 「もしかして、検査の結果が悪かった……?」 「いや……いいんだ。ごめん」 「また後で話すね」 「うん。またね」 ユウリは笑顔で僕に手を振ってくれる。 久々に会ったのに、僕は夕梨を笑顔にしてあげられなかった。 そんなつもりじゃ、なかったんだけど……。 「夕梨、寝てるかな……」 自室を覗くと、夕梨は目をつぶって横になっていた。 「ゆっくり休んで」 そう呟いて、部屋をあとにした。 「……起きてるよ。馬鹿……」 「舜……ああやって、ユウリに接してるんだ……」 「あの子は、あたしのはずなのに……。なんで……」 目を覚ました夕梨を、家まで送っていく。 向かう道中、夕梨はずっと口数が少なく、静かだった。 疲れていると聞いていたから、こちらからも話し掛けづらかった。 「それじゃ……またね」 「うん。僕に出来ることがあったら、何でも言って」 「……」 今日は何も出来なかったけど、何か。 何も出来ず、元気の無い夕梨の表情を見ているのは辛い。 「あたしのことは、大丈夫だから」 「あたしは、もうすぐ……」 「ううん、なんでもない。舜も、自分のことを考えてね」 「夕梨……」 「それじゃ、また明日っ」 夕梨は無理に笑顔を作って、家の中へと入っていく。 「どうして……」 検査を受けて、治療に前向きになってくれたと思っていた。 だけど、夕梨はどこか納得していない。 それは、ユウリのことなのか、僕のことなのか……。 夕梨の気持ちが分からなくて、不甲斐なかった。 朝食の準備をしているところで、ユウリを起動する。 「舜、今日は何作るの?」 「パンと目玉焼き……かな」 「またそれだけ? 栄養偏るよー」 「野菜も摂らないと」 「……野菜ジュース?」 「そうじゃなくて――」 「ん……?」 玄関のチャイムが鳴る。 そうだ、夕梨は今日から学校に復帰する。 迎えに来てくれたのかもしれない。 「おはよっ」 「おはよう、夕梨。ご飯作ってたんだ。食べる?」 「あたしは大丈夫だよ。もう食べてきたから」 「おはよ〜」 ユウリは夕梨に、ニコニコと話し掛けている。 「……って、今は見えないか」 「そうだった。待ってて。今、眼鏡を持って来るから――」 「ユウリ、そこに居るの?」 「そうそう」 「いい」 「えっ?」 「持って来なくていいよ」 「舜の準備が出来るまで、ちょっと休んでていいかな……」 夕梨はそう言って、リビングへ向かっていく。 「夕梨、疲れてるのかな。体調悪そうだね」 「うん……」 「あっ、舜! 火点けっぱなしじゃない? 目玉焼き焦げてるよ!」 「あ!」 「ほら、しっかりしてよっ。もう」 「……ごめん」 なんだか、朝から上手くいかないな……。 そのあとはユウリを消して、夕梨には、僕が食事するところを見守ってもらっていた。 「今日は来てくれてありがとう。嬉しかったよ」 「うん……」 「というか、僕のほうから行くべきだったな」 「登校出来るかは、体調次第だから、いいよ」 「今日は、どう?」 「……少し、気分が悪いくらい」 「そっか。それは、心配だけど……」 「……」 「夕梨?」 夕梨は前を向いたまま、黙り込んでしまう。 「ごめん、舜……」 「あたし、もう行かなくても、良いかな」 「え?」 「学校のこと……?」 「ううん、違う」 「……舜の家には、行けない」 「それは……」 「薬、変わったし、朝……起きるの、辛いから」 「学校には、行きたいけど……毎日行くのは、難しいかも……」 「……そっか」 「じゃあ、僕が夕梨の家に迎えに行くよ」 「来なくていいよ。1人で行けるし……」 「いや、そうじゃなくて……一緒に登校したいから」 「わざわざ、そこまでしなくていいよ」 「それに、ユウリが居るんだし。外出する機能を使えば、登校だって出来るでしょ?」 「出来るだろうけど……」 「舜は、ユウリと一緒に居て、楽しいって言ってたよね?」 「ユウリと、上手くいってるんでしょ?」 「……」 ユウリと一緒に過ごして欲しいと望んだのは、夕梨のほうだ。 だから、彼女のことも、夕梨と同じように接して、受け入れていこうとしてきたけど――。 「はっきり言っておきたいのは、夕梨のことは大切に思ってる」 「……」 「でも、無理はして欲しくない。だから、これからもユウリと接したほうが良いなら、そうする」 「……」 しばらく、何も言葉を交さないまま、通学路を歩く。 「……ごめんね」 夕梨が、辛そうな表情で僕に謝る。 「一緒に居てあげられないのは辛いけど、ユウリが居るから」 「舜は、あたしに会える時間が増えて楽しいって言ってくれたし」 「それはすごく……嬉しいことだよ」 「……」 夕梨の笑顔が好きなのに、目の前のそれを、心から受け止められないでいる。 「前向きにやっていきたいっていうのも、本当なんだ」 「ユウリは、あたしだからね」 「止めようか……?」 「どうして?」 「だって、夕梨はなんだか、辛そうな顔をしてる」 「ううん。検査で疲れてるだけ」 「だから、お願い。ユウリには、これからも接してあげて欲しい」 「舜も、あたしのこと、気にし過ぎないで」 「……」 ユウリのことを止めようかと提案したけれど、内心は全くそんな思いではいなかった。 ユウリのいない生活は、考えることが出来ない。 それくらい、夕梨がいない間の、心の支えになっている。 だから……夕梨がユウリの継続を望んでくれて、ほっとしていた。 「夕梨」 授業が終わり、教室に行ってみたが、夕梨は居なかった。 「やっぱり、ここに居た」 プールを覗いてみると、ばしゃばしゃと水の音がした。 「今、着替えるから――」 夕梨はプールから上がり、更衣室へと向かっていく。 しばらくして、着替えた夕梨が戻って来る。 「連絡くれればよかったのに」 「ごめん。もう、放課後になってたなんて……気づかなかった」 「ずっと……泳いでたから。考えごとしてて……」 「急かしたみたいで、ごめん」 「いいよ。もう帰るから」 「ばいばい」 「一緒に帰ろうよ」 「……」 「夕梨……?」 朝のように、また夕梨は黙ってしまう。 「一緒に、帰りたいんだけど……」 「夕梨?」 「……」 「……朝、気分が悪いって言ってたよね」 「じゃあ、家まで送っていくから」 「……」 「……うん」 やっと、微かに一言、返事をくれた。 夕梨は本当に、元気が無いのかもしれない。 泳いで疲れているだろうし、早めに休んで貰おう……。 送るだけのつもりが、夕梨が手を離そうとせず、そのまま部屋までお邪魔することになった。 しかし、夕梨はそれで何かを話すでもなく、ずっと黙っている。 「……」 「夕梨、テレビでも見る?」 「……」 「どこか、出掛けようか? 散歩とか」 「……行かない」 「……そっか」 夕梨はプールで、考え事をしていたと言っていた。 きっと、何か言いたいことがあるのは、間違いないと思う。 「……舜は、楽しそうだ」 「でも、あたしは……舜の傍に、居てあげることが出来ない」 「この、病気のせいで……」 「夕梨……?」 「舜が喜んでいる時、楽しんでる時、あたしは傍に居られない」 「病気のことがあっても……」 「夕梨の傍に居る。そう決めたんだ」 「本当は、治って欲しいのが、本心だけど……」 「無理なんだ」 「あたしの命は、もう長くは持たない。舜だって、分かって付き合ってるんでしょ?」 「そうだけど、でも――」 病気の話をするのは、夕梨が嫌がること。 だから、沢山思い出を作って、楽しい記憶でいっぱいにしようと、2人で約束した。 「無理だって分かったんだ」 「ごめん、ごめんね……」 「そんな……」 「夕梨だって……生きたいって、言ってくれてたのに」 「生きられると思ってた」 「でも、駄目だった」 「……」 駄目だった、と断言するのは、検査の結果が出たという意味だろう。 「今までは、なんとなく、来年の夏までは生きられないだろうって、思ってた」 「だけど、検査したら、余命が後何日か、分かっちゃったんだよね……」 「薬を飲んでも、延ばせるのは、そこからせいぜい1ヵ月で……」 「こうなること、分かってたよ。期待なんて、最初からしてない」 「死ぬ覚悟は、もうずっと前から、出来てたはず……」 「だけど……ね」 「知らず知らずのうちに、期待、してたんだ……」 「奇跡が起きるんじゃないかって」 「検査すれば、今までにない治療法が、見つかるんじゃないかって……」 「……」 もう何度も、1人で泣いた後なんだろう。 夕梨の言葉は、震えることもなく、まっすぐに、僕の心に響いてくる。 「検査、しなければ良かったな」 「そうすれば、現実を見なくて済んだかもしれない」 「こんなに、辛い思い、しなくても……」 「舜と一緒に居て……学校にも通って、ときどき、キスもして……」 「そうやって、毎日を幸せに、過ごせたのかもしれない……」 「それは、今からだって遅くない」 「ううん」 「舜には分からないよ。あたしの気持ちは」 「だって舜は、病気じゃないんだもん」 「もうすぐ死ぬわけでもない。だから、少しも辛くはないんだよ」 「そんなことない」 「ユウリも居るわけで……あたしが居なくなっても、寂しくさせることも無いし」 「僕だって……」 夕梨と一緒に過ごせないのは辛いし、夕梨が死ぬなんて、受け入れられない。 だけど、病気で苦しんでいる夕梨の前で、辛いなんて言葉は、言えなかった。 「あたしはもう、舜と離れるのは嫌。島の外に検査で行くのも」 「もし治療をするにしても、もっと長い間、会えなくなる」 「こんな状態で、治療に……堪えられるはずない……」 「でも、治療を受ければ――」 「今の舜は、もなちゃんと同じことしか言わないね」 「あたしにとっての数日と、健康な舜達にとっての数日は、全然違うんだよ」 「もう、時間なんてない……」 「1日たりとも、無駄には出来ない」 夕梨には、諦めて欲しくない。 だけどそれは、言い方によっては、僕のわがままの押しつけになってしまう。 夕梨の望みと、自分の望みが合致しない今、何を言っても夕梨には通じない。 「病気は、治らないけど……」 「あたし、もう頑張ったよね……」 「出来ること、精一杯、やったよね……?」 「……」 諦めて欲しくない。死ぬことなんて考えないで欲しい。 言葉で言うのは簡単だ。 でも、これまでの夕梨の努力を、無かったことにするのも出来ない。 「舜を、困らせてばかりで、ごめん」 「でもこれで、ようやく結論が出たから」 「夕梨……」 言いたいことがあるのに、伝えることが出来ない。 歯がゆさから、その場でぎゅっと拳を握り締めた。 「もう……疲れたよ」 明るく言おうとした短い言葉から、絶望を感じた。 結局僕は、何も言えなかった。 次がある、また頑張ろう――今の夕梨の前では、とても、言えそうになかった。 家に戻ってすぐに、僕はユウリの電源を入れた。 「おかえりっ、舜!」 「……ただいま」 ユウリは笑顔で、僕を迎え入れてくれる。 笑ってくれることが嬉しいと、単純にそう思ってしまう。 「舜……? どうしたの……?」 「帰り、遅かったし……何かあった?」 少し前から、ユウリは僕の異変に気づき始めている。 今までは話さないことにしていたけど、相手はユウリだし、今日は打ち明けてみることにした。 「……夕梨のところ、行って来たんだ」 「検査の結果が、良くなかったって」 「……そう」 「夕梨に言われて気付いた。僕は、検査を受けてくれればいいと思ってた」 「だけど……それだけじゃ、病気は解決しない」 「うん、そうだね……」 「でも、夕梨は治療を拒否してる。なんとか、説得したいけど……」 「病気じゃない人に病気の人の気持ちは分からないって、突き放されてしまった」 「そうだったんだ……」 僕は、ユウリのように、僕の側に居て、元気で生きてくれる夕梨を望んでいる。 だけどそれは、病気とは無縁の、ユウリだからこそ、なし得ることなのかもしれない。 「舜があたしに……夕梨に、告白した時」 「これから沢山、思い出を作っていこうって言ってたよね」 「病気のこと、舜はちゃんと分かってるのかと思ってた」 「……分かってる。治療が難しいってことも」 「でも、その覚悟が足りなかったってことかな……」 「夕梨と過ごせば過ごすほど、夕梨との思い出が増えて、諦められなくなった」 「なるほどね……」 難しいかもしれないけど、諦めないで欲しい。 少しでも希望があるなら、僕はそれを信じたい。 「ごめん。ユウリに夕梨のことを相談するなんて、間違ってるかもしれないけど……」 「ううん。あたしは、話してくれて嬉しいよ」 「舜がショックを受けているように、夕梨も悲しくて、ショックを受けてるんだと思うよ」 「うん。そうだと思う」 「それなら、2人の気持ちは同じなんだよ」 「大丈夫。夕梨はね、自分のことだから、うまく言えないだけ」 「すごく、悲しいだけなんだよ」 「……そっか。そうだよね」 検査を受けてみると話した時の夕梨は、笑顔だった。 生きていたいという気持ちは、今でも夕梨の中にもあるはずだ。 「舜がそんなに落ち込まないで! 辛そうな舜は、見ていたくない」 「あたしのことは、あたしがよく分かってる。だから、これからも相談して欲しい」 「それで、舜の気持ちが、少しでも軽くなるなら……」 「ありがとう」 「ううん。お礼なんて要らないよ」 「だって、そのために、あたしは舜の傍に居るんだから」 「あたし、舜のためになりたい。お願い、1人で抱え込まないで」 「うん」 「夕梨のことは、一緒に考えて行こう」 「そうだね」 「……なんか、ユウリのお陰で、少しだけ楽になった気がする」 「そう? まあ、あたしは舜の恋人だからさ!」 「舜が落ち込んでたら、励ますのは当然のことでしょ?」 「そう……かな」 「そうだよ。さあっ! ご飯食べよ!」 「お腹空いてると、元気出ないでしょ?」 「うん。そうだね」 夕梨と居た時は、胸がずっと苦しかった。 今は少しだけ、楽になってしまっている。 辛いのは夕梨で、その夕梨に、寄り添い続けなくちゃいけないのに。 ユウリと一緒に居ることで、自分だけ楽になろうとしている。 でも、ユウリは、夕梨と一緒で……。 それじゃあ、なんでユウリは楽しそうで、夕梨は辛そうなんだろう。 「病気が無ければ、こういうふうになるってことなのか……」 やっぱり、病気のことは、解決しなくちゃいけない。 まだ、諦めたくはない。 必ず、夕梨を説得しないと――。 放課後、夕梨と一緒に下校する。 話をしながら帰るのも、久しぶりのことだ。 「今日は結構、体調良かったんだよっ」 「新しい薬も、ちょっとずつ慣れてきたし」 「新しい薬って、どうなの……?」 「前のより、少し強い薬かな。最初は副作用でダルかったりするけど」 「でも慣れたら、前のよりも身体への負担は少なくなるみたい」 「そうなんだ」 「病気の進行を、ちょっとだけ、抑えられるのかも」 『治らないからね』 結局、振り出しに戻ってしまっていた。 病気のことを話さなければ、夕梨は明るく接してくれる。 僕がこのまま、死を受け入れてくれればいいと、夕梨は思っている。 「夕梨、今から……百南美先生のところに行かない?」 「もなちゃんのとこ? 何か用事があるの?」 「病気のこと、もう一度ちゃんと話をしよう」 「検査のこととか、治療のこととか……」 「なんで……?」 信じられないと言うような顔で、こちらを睨みつける。 「行かないよ!」 「舜、分かってくれてないみたいだから、もう1回言うけど」 「自分のことは、自分で決める。もう、決まったことなの」 夕梨はきっぱりとそう言い切る。 怒っているというより、決定事項を報告するような、冷たい言葉だった。 「もなちゃんのところには、行かない」 「舜も、行かないでね。余計なことしなくていいから」 「……ごめん」 余計なことだと言われるのは、さすがに悲しい。 でも、夕梨に聞き入れて貰えなくても、僕は諦められそうになかった。 「ただいま……」 夕梨の部屋で一緒に時間を過ごして、それから帰宅した。 もう、すっかり夜になってしまっている。 僕はすぐに、ユウリの電源を入れた。 「おかえり!」 「……ただいま。今日も、夕梨と話してきたよ」 「どうだった……?」 「……だめだった」 さっきまで、夕梨の部屋で、また僕は、何度か病気のことを話した。 「やめて」 「お願いだから、病気の話……しないで」 「楽しく……過ごそうよ。あたしがいつまで、普通にしていられるか、分からないんだから」 そう突っ返されるだけで、説得は全然上手くいかなかった。 「そっか……」 僕の思いと夕梨の思いは、また違うところにあるような気がした。 僕が夕梨の死を受け入れれば、楽しい時間を過ごせるかもしれない。 でもそれは、逃げているだけだ。 「僕は、好きな人に……生きてて欲しい、生き続けて欲しいと願ってる」 「それは、間違ってる……?」 「ううん、間違ってないよ。舜は、正しい」 「そう願う舜の気持ち、すごく嬉しいよ」 触れられない手を、ユウリは伸ばしてくれる。 「夕梨は、ずっとね、治療を頑張ってきたの」 「自分がもうすぐ死ぬ病気だなんて、知らなかったから……」 「長期休みの時に、検査入院したり、島の外の病院にも行ったよ」 「コンドミニアムの仕事もあるのに、その度に、お母さんが付き添ってくれた」 「あたし……その記憶、全部覚えてる」 「誰よりも、一番、生きたいって思ってるのは、夕梨だよ」 「本当……?」 「うん。あたしには、分かるから」 「舜だけじゃなくて、みんな、夕梨に生きてて欲しいって思ってる」 「……それを聞いたら、やっぱり、諦められない……」 治療のためには、必ず島の外の病院に行かなくてはならない。 学校へは行けないし、僕と会う時間も減っていく。 それでも……。 「あたしも、協力したい」 「舜のために、役に立ちたいから」 「……ありがとう、ユウリ」 「ねえ……」 「これからも、舜の傍に居てもいい……?」 「……どうして、そんなことを?」 「だって、舜には夕梨の傍に居て欲しいって望んでいるのに、今もこうして、話してる」 「あたしが言ってること、矛盾してないかな……?」 「ユウリは、夕梨だと思うけど……」 「でも、ユウリと一緒に、夕梨を助けること、説得することを、考えていければいいと思って」 「もし、夕梨を説得出来たら? 治療が始まったら?」 「その時には、あたしはもう居ないんじゃないかと思って」 「治療は永遠に続く。だから、夕梨が入院で居ない間は、ユウリに――」 「それが習慣になってるだけじゃない?」 「それも、あるかもしれないけど」 「僕は、ユウリと話したいんだ」 「君を、消すなんてことは……」 「……」 いつかは、沙羅に返す日が来るのかもしれない。 だけど、ユウリを消すことは、一度も考えなかったし、今も考えられない。 「……良かった!」 「変な質問して、ごめんね」 「おやすみなさい、舜」 「おやすみ」 最初は、夕梨の望みを叶えるために、ユウリと触れ合ってきた。 でも、今はどうだろう。 夕梨とうまくいかないことを理由に、ユウリと接している気がする。 ユウリは病気にならないから、話題を外す気遣いもいらない。 気楽に話せるのは、ユウリだ。 「手放すことは、考えられないけど……」 このまま、テンションの違う2人に接していく日々が、続いていくんだろうか。 そもそも、2人に違いが起きても、いいものなんだろうか? 「寝よう……」 時間が解決する問題でもないけど、今は考えるのを止めたい。 それくらい、今日は疲れていた。 夕梨とすれ違ったまま、1日が過ぎてしまった。 僕ら健康な人にとっての数日と、余命僅かな夕梨にとっての数日は違う。 その言葉を思い出して、はっとする。 嫌われてもいい。 夕梨と、向き合い続けなくては―― 放課後になり、夕梨を迎えにプールまで行く。 夕梨は午後からずっと、ここで過ごしていたような気がした。 「夕梨」 「舜……」 前のように泳いではおらず、プールの水面を見つめていた。 「何してたの?」 「……考えごとかな」 「どうしたらあたしの気持ち……分かって貰えるかな、とか」 「明日死ぬかもしれないから、勉強なんてしても意味無いかな、とか」 「……」 「こんな話しか出来なくて、ごめんね」 「あたしと一緒に居ても、舜は楽しくないよね」 「そんなことないよ」 「……そうかな」 プールの水面は、生ぬるい風でゆらゆらと揺らいでいる。 まるで、今の夕梨の気持ちを表しているかのようだった。 「夕梨は、本当は生きたいって思ってる」 「今までもずっと、検査や治療を受けてきて、長期休みの時は、島の外の病院で入院してた」 「いきなり、なんの話?」 「もうすぐ死ぬ病気だとか、治らない病気だとは、聞かされてなかったから」 「もなちゃんから聞いたの……?」 「夕梨はずっと、ずっと頑張ってきたんだよ」 「それは……」 「なんだ、ユウリから聞いたんだ……」 「うん。ユウリが教えてくれた」 「僕には記憶が無い、過去の夕梨のことをね」 「それで、少しだけ、夕梨の気持ちに近づけた気がした」 「そう……」 「じゃあ、ユウリのお陰だね」 夕梨は、やさぐれたようにふっと笑った。 「ユウリは、あたしのことならなんでも知ってるし、聞けば教えてくれると思う」 「でも、それを知っても、舜はあたしの気持ち、分かってないよ」 「ユウリは、夕梨なのに?」 「そう。今まではそうだったよね」 「でも多分、ユウリは舜と同じで、あたしが治療することを望んでいると思う」 「あたしに死んで欲しいとは、思わないはずだから」 「……」 「ねえ、舜」 「沙羅に返そうよ……意識にズレが生じてるから、合わせたいの」 「返すって……?」 「修理? して貰って……今のあたしと、同じ状態にするの」 「治療は諦めて、余生をどう過ごすか考えているあたしにする」 「そんな必要、あるのかな」 「どうして?」 「どうしてって……」 根拠は無かった。 ただ、沙羅に返して、今のユウリがユウリじゃなくなるのが、嫌だった。 「舜は、返したくないの?」 「今のユウリが大切だから、消したくないの?」 「いや、それは――」 「じゃあ、どうして?」 「それは……」 ユウリを消すことは出来ない。 その理由は、夕梨に言われた通りで、大切だから手放せないのではないか? それも、夕梨とは違う意味で、違う存在として、感情を抱いてしまってるんじゃないか……。 僕の中ではもう、夕梨とユウリは、別の存在になってしまっている。 「僕にとっては、ユウリも夕梨だから」 「簡単に消すとか、手放すとか、出来ない。一緒の時間を過ごしてきたんだから……」 「そう……」 「舜がそこまで、ユウリを気に入ってくれるとは、思わなかったけど……」 「それなら、このままでいいよ」 「……そうか」 心の底から安心したとは、夕梨には言えない。 そうやって事なきを得たことに、罪悪感すら覚える。 「舜はあたしに、あの子と過ごした時間を、あたしと過ごしたいって、夢見てた」 「だけど、あたしはそれを叶えられないからさ」 「だから、消しちゃうのも、申し訳ないかなって……」 夕梨の気持ちは、全く変わっていない。 自己の保身に精一杯で、人の気配りが出来ていないことに、苛立ちを感じる。 「あたしが出来なくても、ユウリとなら出来ること、あるよね」 「それをあたしが奪うのは、間違ってる」 「勝手なこと言い出して、ごめんね」 「そんなことない。夕梨は、悪くないから」 その程度の返事しか出来ないことに、笑いが込み上げてきそうになる。 「じゃあ……あたしから1つ、舜にお願いしてもいい?」 「いいよ、なんでも」 「しばらく、離れててもいいかな……」 「えっ……?」 「連絡も、しなくていいから。もう、家まで送ってくれなくていい」 「どういうこと……」 「1人で考えたいの。これからのこと」 「それだけ……」 「……」 「じゃあ、ばいばい」 「追い掛けて来ないでね。無視するのも、嫌だから」 僕に背を向けて、夕梨は去って行ってしまう。 何が正解なのか、何が間違っているのか、分からない。 間違っていることをしている気がするのに、夕梨はそれを否定しなかった。 これから、どうしたら……。 掛けるべき言葉も、やるべきことも、何もかも失ってしまっている気がしていた。 「舜、おかえりなさい!」 家に帰れば、ユウリが笑顔で迎えてくれる。 もしもこの笑顔が無かったら、夕梨に向き合うのを諦めていたんじゃないかと思った。 「僕は……夕梨の彼氏、失格なのかな」 「舜……?」 ユウリは不思議そうに、僕の顔を覗き込んでくる。 「舜……また、辛かったんだね」 「舜は、すごいよ。夕梨のこと、いっぱい考えてる」 「……ありがとう」 「夕梨にも、舜の気持ち、ちゃんと届くといいね」 夕梨のことが大切な気持ちは、本当なのに。 今は、ユウリに傍に居て欲しいと思ってしまっている。 「少し、距離を置こうって言われたんだ」 「距離……? どうして?」 「1人で、考えたいって」 「僕は全然、夕梨の気持ちを理解してあげられてない」 「付き合っているのに、夕梨の支えになれないなんて」 「舜……」 「僕が、夕梨を傷付けてるんだ……」 「そんなことないよ。舜は、自分のことを責め過ぎなんだ」 「夕梨が上手く言えてないだけ。夕梨は、舜のことが大好きなんだから」 「病気が、辛くて……自分のことも、分からなくなってしまっている」 「多分、そういうことだよ」 「そうなのかな……」 「舜は、悪くないよ」 「好きな人に生きていて欲しいって、そう思ってる舜が、間違ってるわけないっ」 「……」 その手に、触れられなくても。 ユウリの手に、触れてみたかった。 「夕梨が辛い気持ちも分かる」 「だけど、今の夕梨は舜を困らせてる。死んでいく自分のことを、何も分かってくれない人だって決めつけてる」 「夕梨のほうが、間違ってるんだよ」 「ユウリ……」 「舜がどれだけ、夕梨のことを大切に思ってるか……」 「沢山悩んで、沢山考えて、夕梨を一番思いやった上での結論なのに、受け入れられないなんて……!」 「ユウリ、もういいよ」 「あっ……ごめんなさい!」 「舜の大好きな、夕梨のことを、悪く言っちゃって……」 「ううん。ユウリの気持ちは、伝わったよ」 やっぱり、ユウリが居てくれて良かったと思う。 こうやって、自分と同じ気持ちで居てくれる人がいなかったら、僕は今頃、途方に暮れていたかもしれない。 「ユウリには、話さないつもりだったんだけど……」 「ん……?」 「今日、夕梨に、ユウリを沙羅に返そうって言われた」 「でも、僕はそれを受けれられなかったんだ」 「……」 「今のユウリが消えたら……なんてことは、考えられない」 「その話はこの前ユウリともしたけど、夕梨を前にしても、気持ちは変わらなかった」 「ユウリは、いつの間にか、僕の支えになってたんだと思う……」 「そっか……」 消える話をしても、ユウリは特別、悲しそうな素振りは見せなかった。 「あたしは、しょうがないって思うよ」 「どうして?」 「人間がそれを望むのなら、受け入れるしかないよ。誰かを傷つけることは、あたしには出来ないから」 「でも、舜が望まないことなんだったら……自衛はするかもしれないね」 「あたしは、舜のために存在しているからさ」 「そうか……」 淡々と話をするところを見ると、シロネと同じ存在なんだということを思い出す。 「しょうがないと思うけど、でも……」 「舜の支えになれていたのなら、これからも、ずっと……」 「傍に居られたらいいなってことは、ちょっとだけ、思うかもしれない」 「ユウリ……」 「あたしは、舜のことが大好きだから!」 「こう思うのは、当たり前のことだよ!」 「ありがとう……」 必死に励ましてくれているユウリを、抱き締めたかった。 「あたし、こんなことしか出来ないけど……」 「舜も好きで居てくれたら、嬉しいなー、なんて」 照れながらも、無邪気に微笑むユウリは、記憶を失ってすぐに出会った夕梨を思い出させた。 なんだか懐かしくて、愛おしいと思った。 「ユウリのこと、好きだよ」 「出会えて、良かった」 「ほんと……?」 「超嬉しいよ、舜! もう1回言って?」 「それは、ちょっと……恥ずかしいな」 「えーっ! いいじゃん、いいじゃん!」 「ほら、何回も言っちゃったら、言葉の重みが無くなるからさ」 「そっかぁ……」 「じゃあ、この幸せは、何度も噛み締めて味わっとくね♪」 「にひひっ」 ユウリは上機嫌で、僕の周りを跳ね回っていた。 それがなんだか可愛らしくて、ずっと眺めていたい気持ちになっていた。 夕梨に距離を置きたいと切り出されてから、数日が経った。 それでも、やっぱり落ち着かなくて、何度か連絡してみたけど、反応は無かった。 夕梨の役に立ちたい、出来ることをしたいと言っていた過去の自分が、馬鹿みたいだ。 心のどこかで、時間が解決してくれればいいのにと、期待してしまっている。 夕梨が死ぬのは嫌なのに、逃げたい気持ちと向き合いたい気持ちが、せめぎ合っていた。 「舜、ちょっといい?」 「沙羅か。どうしたの?」 「ユウリの調子はどう? 出来たら、一度、メンテナンスをしておきたいんだけど」 「え……ああ、うん、問題無いと思うよ」 「そう。それは良かった」 「でも、一応ね。これも研究だし、確認はしておきたいの」 「……」 「何か不都合でもあるの?」 「いやいや、無いよ」 「じゃあ、今日は午前授業だし、日が暮れる前に、私の研究室に持って来てくれる?」 「今日? 突然だな……」 「日を置く理由もないでしょ。出来る時に、やっておきたいの」 「それじゃあ、放課後よろしくね」 夕梨には、今日は一緒に帰れないと、一応連絡をしておく。 返事は、やっぱり来なかった。 「沙羅っ、久しぶり」 「久しぶり。舜とはどう?」 「うまくやってるよ。舜も、楽しんでくれてると思う」 「それなら良かった」 ユウリはそう言って、ニコニコと笑う。 「あたしね、舜のことが本当に好き」 「そう。夕梨がそうなんだから、当然ね」 「……ううん」 「どうしたの?」 「沙羅……ちょっといいかな?」 「……なあに?」 どうしたんだろう? 何か戸惑っているように見える。 トリノと同じシステムだから、フィードバックはしてるんだろうけど。 何か、胸騒ぎがする。 「あのね。沙羅。あたし……」 「あたし、舜に、恋をしているんだと思う」 「恋?」 「そう。あたしは舜のことを、好きになっていっている」 「毎日毎日、舜に会うことが嬉しくてしょうがない」 「でも、今、舜は夕梨と上手くいっていない。夕梨は、病気のことで情緒不安定になってる」 「舜はそれを見て、すごく苦しんでるの」 「あたしは、そんな舜を見ているのが辛い……」 ユウリは少しうつむき加減になり、話を続けた。 「夕梨は、舜を傷付けてる……」 「あたしだったら、舜を幸せに出来るのに……」 「舜は、あたしを好きだって言ってくれた」 「あたしだって、舜のことが大好き……」 「あたしは、夕梨よりもずっと、舜のことが好きなの……」 「夕梨よりも……?」 “夕梨よりも”という言葉に、驚く。 夕梨とバーチャル体の間に、乖離が生じている……? 「ねえ、沙羅。どうしたらあたしは、舜の恋人になれるの?」 「あたし……舜の恋人になりたい」 「あたしのほうが、ずっと舜を笑顔に出来るもの」 「ねぇ……沙羅。どうしたらいい?」 ユウリは、自分が夕梨でないことを強く認識し始めている。 そして、自らの意思で、自分の望む世界を作ろうとしている。 これも、トリノの可能性なのか……。 少し悩む。 でも、私は研究者だ。だから、好奇心を捨ててはいけない。 「……ねえ、ユウリ?」 「あなたは、自分の思うままに、行動したらいいと思う」 「沙羅……」 「大丈夫。あなたは、私が作ったんだから」 トリノは、アンドロイド三原則を守る存在。 人間を傷付けることはない。 だから、大丈夫だ。 しばらくして、沙羅が鳥かごにやってくる。 単純なメンテナンスだけなら、大丈夫だろう……。 そう思っていた。 「ご協力ありがとう」 「こちらこそ、お疲れ様」 沙羅からユウリのバーチャル機器一式を受け取る。 「異常は無さそう?」 「うん、特にはね。バーチャルの設定とか、システムに関しては」 含みのある言い方をして、沙羅は僕を見つめる。 「舜、夕梨とうまくいってないみたいね」 「ユウリが教えてくれた」 「うまくいってない、というか……」 「僕が悪いんだ」 「僕が……無神経で、夕梨を傷付けてしまうんだと思う」 「そう……」 「今は、僕が何を言っても、夕梨の耳には入らない」 「少し、時間が経ったら……」 『あたしには今しかないんだ』 夕梨も僕も、矛盾している気がする。 「どうしたの、黙っちゃって」 自分の気持ちを、上手く伝えられていない。 「ううん。なんでもない」 「そう……」 沙羅は何か言おうとして、飲み込んだようだった。 「沙羅」 「なあに?」 「またね」 とりあえず、この場から逃げ出したかった。 「じゃあ、また」 沙羅は、何かを分かったような声でそう言うと、研究室へ戻っていった。 ……帰ろう。 「ただいま〜っ!」 ユウリの電源を入れると、いつもの家に帰って来た感覚がした。 沙羅が異常はないと言っていた通り、ユウリに変わったところはない。 「……」 夕梨からは、やっぱり返信は来ていなかった。 「夕梨……?」 僕がスマホを見ているのに気づいて、ユウリが尋ねてくる。 「その顔だと、何も連絡来てないみたいだね」 「でも、元気出して!」 「沙羅のところに行った時にね、あたし、新しい機能を付けて貰ったんだ」 「機能?」 「そうそう。舜と一緒に出来ることを、増やしたいなーって思って」 「それで、舜の部屋に行きたいんだけど……いい?」 「僕の部屋……?」 「そう。ここじゃ、出来ないから……」 「……分かった」 バーチャル機器をパソコンとリンクさせて、ユウリとゲームで遊んだ。 自室でないと出来ないことといえば……と、期待していた自分が恥ずかしい。 結局、遅くまでユウリと遊んでしまった。 「舜、弱過ぎ」 「いやいや。ユウリが強過ぎるだけだよ」 オセロをして、人工知能に人間が勝てるはずない。 「つまんなかった?」 「いや、楽しかったよ。ユウリが意地悪そうに喜ぶところとか、見られたし」 「えーっ。別に、あたしは意地悪する気は無いんだけどな〜」 「でも、こんな感じでね、まだまだ機能を追加することは出来るの」 「舜は、どんなことがしたい?」 ユウリは何かを期待するような言い回しで、僕に聞いてきた。 「うーん、すぐには思いつかないけど」 いったい、どんな機能が加われば……。 ユウリとの時間に、期待している? 「ん……?」 そのとき、来客を知らせるベルが鳴る。 なんとなく、それが夕梨であるような気がした。 「舜……」 「どうしたの、突然」 「どうしたの、って……」 「連絡、どうして……出なかったの」 「えっ? ……あ」 ユウリと遊んでいる間、スマホをリビングに置きっぱなしにしていた。 ソファーに投げ出されたスマホを見て、夕梨はなんとなく察していた。 「……部屋で寝てたの?」 「いや、起きてた」 「連絡取れなくて、心配したんだよ」 「……ごめん」 夕梨は、僕がつけているバーチャル用の眼鏡に気付く。 掛けている間はほとんど周りに溶け込むけれど、仕組みを知っている人なら、気付くものだと思う。 「……ああ。そっか。なるほどね」 「あたしの連絡、わざと無視してたんだ」 「それは違う。スマホを手放してたのは、たまたまで」 「言い訳なんて、聞きたくない」 「ごめん。夕梨が返事をくれるなんて、思ってなかった」 「じゃあ舜は、そんないい加減な気持ちで、あたしに送ってたの……?」 「それも、違うよ」 眼鏡を外し、遠くへ放り投げる。 ユウリと遊んでいたのが裏目に出たことは、悪かったと思う。 だけど、違うと思うことは、しっかり否定したい。 「じゃあ……教えてあげるよ」 「舜があたしのこと、本当はどう思っているか……」 夕梨は目つきを鋭く変えて、勿体ぶるように、ゆっくりと言葉を続ける。 「舜は、あたしのことなんて、もうどうでもいい」 「ユウリのほうが、大切なんだ!」 「そんなこと――」 「ユウリと遊んでたから、気付かなかったんだよ」 「あの子と居るのが楽しかったから、あたしのこと、忘れてたんだ」 「舜は、気付いてないのかもしれないけど……」 「それくらい、ユウリの存在が大切なものになってるんだよ!」 「……」 何も返す言葉がない。 「あたしと違って、病気することも無いもんね」 「死なないで、ずっと寄り添ってくれるもんね」 「悲しいことなんて、何一つ無い」 「欠陥だらけのあたしとは違う……」 「ユウリのほうがいいって思うに、決まってるよ……!」 「それは、夕梨のことが好きだからだ」 「ユウリが夕梨じゃなかったら、大切にしようなんて思わない」 「夕梨だから、夕梨の望みだから、叶えたいって思ったんだよ!」 「そうだよ……最初は、あたしがお願いしたことだったんだよ!」 「だから、今更、もう使わないでなんて言わない!」 「舜がユウリを気に入ってくれて……あたしも、前よりも沢山沢山愛して貰えてる気がして、嬉しかった!」 「でもね、舜が、こんなにのめり込んじゃうなんて思わなかった」 「あたしより……その子のほうが大切になるはず無いって……思ってたから!」 「まさか、浮気相手が自分の分身だなんて思いも寄らなかった!」 「夕梨……」 夕梨の吐露する言葉が重くのしかかってくる。 何も他に音の無いリビングに夕梨の小さな嗚咽だけが残っていた。 「あたし、嫌な子だよね。こんなこと言って」 「でも、これで良かったんだ……」 「だってあたしは、あたしの代わりになるユウリを遺して死ぬのが、本望だから」 「舜がユウリを、好きになってくれたこと、喜ばなくちゃいけない……」 「ユウリと一緒なら、きっと舜は、悲しまずに済む」 「あたしは、安心して死ねるんだよ」 「そんな言い方、して欲しくない」 「夕梨が完治すれば、ユウリはもう、要らない」 「置き換えていく手術は、あたしが死ぬまで、永遠に続く……」 「完治なんて、夢のまた夢だよ」 「それまで舜は、ユウリと一緒に居たいんでしょ? 離れたくないんでしょ?」 「違う!」 「僕が好きなのは、夕梨だ」 「夕梨のことが好きだから、死ぬなんて、受け入れられない」 「生きていて欲しいって願うのは、当たり前だろ……?」 「うん……舜は間違ってないんだよ」 呆然とした表情で、夕梨は僕を真っ直ぐに見つめる。 「だから、もう……」 「あたしのこと、好きだなんて言わなくていいから……」 「あたしと過ごしたことは、全部忘れて……」 「その子を、本当の夕梨だと思って……?」 「どうして……」 「好きって言われても、あたしは辛いだけだ」 「そんな重い言葉、あたしは、受け止めきれない……」 「今まで、ずっと、ずっと、舜だけが好きだった」 「毎日、幸せだった……」 「もう……充分生きた気がする」 「あたしには……後悔は、無いよ」 「……」 一番辛いのは夕梨のほうなのに、その言葉には、思いやりの気持ちが沢山込められていた。 貶すような言葉じゃないから、謝ることも許されない。 「病気のこと……言わなければ良かったのかな」 「最後まで、黙っていれば……」 「そうだよね。きっと……」 「違う、僕は……」 病気のことを聞いても、夕梨と付き合おうと思っていた。 夕梨を支えたいと。 だけど、今の僕の言動は――夕梨を支えることとは、程遠い。 「さよなら」 「……舜」 「夕梨……」 夕梨は、玄関を飛び出していく。 僕は……。 追い掛けられなかった。 しばらくの間、何も音がない時間が流れ―― 投げ捨ててしまっていた眼鏡を取り付け、顔を上げた。 そこには、ユウリが佇んでいた。 「舜……」 「追い掛けなくて、良かったの……?」 「……うん」 夕梨の言うことは、図星だった。 何もかも、夕梨に知られてしまって、 「今の僕じゃ、駄目なんだ……」 「そう……」 スマホを操作して、夕梨からのメールを読む。 そこには、夕梨の本心が綴られていた。 「……夕梨」 その後に何通も、夕梨からのメールや電話が沢山入っていた。 僕を心配して、何通も。 それまでは、こちらから一方的に送るばっかりだった。 その反動とばかりに、間を空けて、何通も……。 「……」 夕方になるまでずっと、僕は夕梨からの連絡を無視していた。 忘れていたわけじゃない。 返事を期待していなかったのも、違う。 「舜……」 メール、今見ました。心配掛けて、本当にごめん。感情的になって、ごめん。 ちゃんと、話したい。 それだけを書いて、メールを送信する。 夕梨と会って、どうするんだろう。自分でも分からない。 「舜、大丈夫?」 「僕が、悪いんだ」 「……全部」 「駄目だよ……舜、自分を責め過ぎだよ」 「ユウリと過ごすようになって、僕は夕梨との未来を夢見てしまった」 「夕梨とも、こんなふうに過ごしたいって……思ってしまったんだ」 「それは、間違いだったんだよ」 「……」 「夕梨に、ユウリになって欲しいと望んだんだ」 「ユウリはいつも笑顔で、僕を支えてくれたから……」 「舜……」 夕梨と、ユウリは違う。 病気のないユウリには、死への恐れもない。 「あたしは、ずっと……傍に居るよ」 「舜を、1人にはしない。どんな時でも……!」 「舜だけを見てる」 「あたしの心は、舜のものだよ」 ユウリは、甘えた声で、すぐ近くまで迫ってくる。 実体は無いはずなのに、すごくドキドキした。 「舜が好き。舜のためになりたい」 「あたしは、どんなことがあっても絶対に、舜の味方だから」 「夕梨には、嫌われちゃっても……」 「あたしのことは、ずっと好きでいてね……?」 「ユウリ……」 「……ありがとう」 抱きしめられない身体を。 心の中で、ぎゅっと、抱き締めた。 もやもやした心のまま、授業を受けて、家に帰ってくる。 気持ちを見透かされているのか、夕梨からの返信は無かった。 そのあともメールを送ってみたけど、それにも応答はない。 学校にも、来ていないようだった。 僕は、それが義務であるかのように、夕梨にメールを送っている。 これは、“自分が出来る限りのことをした”という証が欲しいだけ。 最低だと思う。 直接、夕梨に会いに行く勇気もないのだから。 「夕梨から、連絡、来た?」 「……来てない」 「……そっか」 「でも、そんな顔しないでっ。舜はちゃんと、出来ることをしてると思うよ!」 「……そうなのかな」 ユウリはしきりに、僕のことを心配してくれていた。 その一方で、そうやってユウリを心配させることに、罪悪感が芽生え始める。 「うん。今はちょっとだけ、情緒不安定になってるだけ」 「時間が必要なんだよ。舜まで落ち込んじゃったら、大変だよ」 「……そっか。ありがとう」 傍にはいつも、笑顔のユウリがいる。 それで、いいんじゃないか。それが一番、幸せなんじゃないか? 夕梨のことは好きだけど、今の夕梨は、誰の助けも必要としていない。 僕が夕梨に出来ることは、もう何もない気がした。 でも、ユウリなら……失わずに済む。 ずっと、変わらずに居てくれる。 「舜が夕梨のこと、大切に思っているのは、よく知ってる」 「でも、あたしと過ごした時間は、夕梨とは過ごせないのかもしれない……」 「えっ……?」 「あたしは、死ぬことは、よく分かんない……」 「だけどそれって、舜を悲しませることなんだよね……?」 「……」 ユウリに死の哀しみを伝えるのは、難しかった。 「ねえ、舜……」 「あたしと舜が過ごした時間は……消えたりしないよね?」 「夕梨が、死んじゃったら……あたしも、悲しいよ」 「だけど……あたしとの時間は、無くなったりしないよね……?」 「無くなるって……」 「しばらく、夕梨の話をするのは、止めよう……?」 「舜は、自分を責め過ぎてる」 「もっと、あたしのことだけ考えて」 「そうすれば、ずっと笑顔で居てあげられる」 「舜も、それが幸せなはずだよ」 「……」 ユウリ自身も、夕梨を他人のように扱っている。 新しい人格が生まれて、そのユウリと接しているように、確かに感じた。 「舜……!」 「……心配させて、ごめん」 「もう、大丈夫だから」 「大丈夫な顔してないよ……」 「好きだよ」 「えっ……」 「ユウリのこと、好きだ」 「ユウリとの時間は消えない。ずっと忘れないよ」 「舜……」 「あたしも……好き」 「大好き! 舜が大好き!」 「ずっと、傍に居るからね!」 「うん」 心に思い浮かんだ感情を口にしたら、それは好きという言葉だった。 ユウリは嬉しそうに、元気にはしゃいでいる。 もっとユウリのことが好きになってしまいそうだった。 夕梨のいない朝にも、だんだんと慣れていく。 ユウリと会っているからか、不思議と寂しさは感じなくなっていた。 「お兄ちゃん、おはようございますっ」 「おはよう」 「わたし、もうすぐ沙羅ちゃんのところから、お家に戻れそうなんです」 「そうなんだ」 「わたしが戻っても、大丈夫ですか……?」 「もちろん」 家には、ユウリがいるけど。 シロネなら、すぐに受け入れてくれるのかもしれない。 「そういえば、夕梨ちゃん、ずっと学校に来ていないんです」 「お兄ちゃん、何か知りませんか?」 「僕も……分からない」 「夕梨ちゃんの家に行っても、出てくれなくて……」 「お兄ちゃん、本当に知りませんか?」 予測はついているけど、シロネに話せることではない。 「連絡しても、返事は貰えなくて」 「シロネからも、夕梨に連絡してみてくれる?」 「分かりました!」 「あれ……お兄ちゃん、疲れていますか?」 「なんだか、あまり元気が無さそうに見えます」 「もうすぐ、テストがあるからさ」 「そうでしたか」 「じゃあ、頑張ってください♪」 「……ありがとう、シロネ」 夕梨は、シロネには何も打ち明けていないようだった。 でも、それが一番良い。 2人のことで、シロネにまで心配を掛けさせたくはない。 「……ただいま」 「おかえりー!」 ユウリは笑顔で、僕を出迎えてくれる。 いつものことだ。 だけど、何かが違う。 「舜、一緒にまたゲームしようよ!」 「今度はちゃんと、手加減してあげるからさっ」 「うん」 「それとも、テレビでも観る?」 「学校から帰って来たばかりだし、ゆっくりしたいよね」 「うん……」 「舜……?」 ユウリと居るのは、楽しい……はずだ。 夕梨のことがあったから、何かが引っ掛かっている。 「舜、どうかした?」 「ううん、なんでもないよ」 夕梨の来訪があった後なのに、ユウリはいつも通り変わらない。 「ちょっと、出掛けてくるね」 「買い物? あたしも行っていい?」 「ううん。すぐ戻る」 「そう……」 「舜、あたしのこと、嫌いになってないよね……?」 「ゲームで負かしたからとか……」 ユウリは、急に表情を変えて、僕の気持ちを確かめようとする。 「そんなことないよ」 「家で、待ってて」 「……分かった」 「行ってらっしゃい!」 ユウリは、笑顔で手を振ってくれた。 わがままは、言わない。 心の靄は晴れないまま、ユウリを置いて家を飛び出した。 「……夕梨」 海を眺めながら、夕梨のことを想う。 本当に、僕は夕梨のことが好きなんだろうか。 「好きって、なんだ……」 記憶を失ってから、辛かった時の僕を支えてくれたのは、夕梨だった。 夕梨はいつでも笑顔を向けてくれて、そんな夕梨を、僕は好きになった。 その最中、僕は夕梨が治らない病気だと知ってしまった。 辛そうな夕梨は見たくない。笑顔で居て欲しい。 だから、夕梨が僕を助けてくれたように、僕は夕梨を支えようと思った。 「もし、夕梨が病気じゃなかったら……」 それでもいいと付き合ったはずだった。 でも実際は、覚悟が出来ていなかったんだ。 心のどこかで、病気が治った夕梨の居る、幸せな世界を夢見ていた。 奇跡が起きるんじゃないかと、思っていた。 そうやって都合の良いことばかり考えていた僕に、夕梨はずっと、苛立っていたんだろう。 幾度と無く、無理だと打ちのめされて、絶望しきっているところに。 安易で陳腐なことを言って、傷をえぐるような真似をした僕が悪かったんだ。 なんてバカなんだ……。 「シュン?」 突然声を掛けられ、驚いて振り向く。 「ハナコ先輩……?」 「どうして、こんな時間、こんなところに?」 「ユーリのところへ、行って来たのデス」 「ワタシの連絡にも出てくれマセンし、ずっと無断欠席デスから」 「……会えましたか?」 「ノー! 門前払いデス!」 「そうですか……」 シロネにも、ハナコ先輩にも応答していないということは、誰とも会っていない可能性が高い。 「何か、あったようデスね?」 「……少し。心配掛けてたら、すみません」 「謝ることはありマセン。夫婦には夫婦にしか、分からないことがありマース」 「夫婦じゃないですけど……」 「ユーリは、難しい子だと思いマスから」 「そんなことは、無いと思いますよ。真っ直ぐな良い子で――」 「ノンノン。部外者のワタシでさえ、あの子が何か抱えているのは、分かりマスよ」 「……」 不治の病を患っているということは、話していなくても。 ハナコ先輩は、何かを感じ取って、夕梨の傍に居たんだろう。 「……僕が夕梨の傍に居る資格は、無いんです」 「ホワイ? この国は、相手を思って寄り添うのに、資格が必要なのデスか?」 「そうじゃないですけど……」 「傷付けてしまうだけなら、傍に居ないほうがいい」 夕梨の傍に近寄らないことが、唯一自分に出来ることだ。 そんなふうに考えるのは、悲しいことだけど。 「そう、ユーリが言ったのデスか? 傍に居て欲しくないと」 「……まあ、そんな感じです」 「それで――」 「まさかシュンは、それがユーリの本心だと、信じているのデスか?」 「……」 違うということは、分かっている。 そうであって欲しいと思う。 「人間デスから、エモーショナルになってしまうことは、誰でもありマス」 「本心を言わなかったり、嘘を吐くコトも……」 「人間だから……?」 「ええ」 「でもそれは、別に悪いことではないと、ワタシは思いマスよ」 「……」 「あんまりセッキョー臭いのは、苦手デスから……」 「ワタシは、そろそろ帰りマース」 「では、シュン。貴方までフリョーにならないように」 「……はい」 人間だから。 その言葉が、胸に刺さる。 夕梨とユウリは、よく似ている。 夕梨の記憶データを元に作られたんだから、当たり前だ。 だけど……違う。 ユウリはバーチャルで、病気とは無縁だ。 もし、夕梨に病気がなければ、ユウリと同一になるのか……? ……それは違う。 ユウリと一緒に居ることは、心地よい。 でも、夕梨と過ごす時間とは、何かが違う。 ユウリと喧嘩することはない。ユウリは僕の言うことを、必ず肯定してくれる。 いつでも、僕の前で、笑顔で居てくれる。 掛けて欲しい言葉、欲しいと思う気遣いを、ユウリはくれる。 「ユウリは……」 ユウリには、僕が夕梨の笑顔が好きだと言った。 だから彼女は、いつでも笑顔で居てくれる。 僕が望めば。 ユウリは必ず、その通りに、変わってくれる。 ……アンドロイド三原則に、反しない限り。 思い通り、言う通りのユウリになる。 これからもきっと、僕の望み通りに、変わっていくだろう。 「そうか、ユウリは……」 僕の作り出した、幻想の夕梨なんだ。 だから、僕はユウリに恋をした。 ユウリは、全てを自分に合わせた、オーダーメイドの彼女だから。 僕は、何も努力する必要は無い。 全部、彼女が僕に合わせてくれる。 分かり合う必要も無い。 言葉を交さなくても、全部分かってくれる。 なぜ、分かるのか――。 僕は、その答えが分かってしまった。 だから、違う。 ユウリじゃないんだ……。 「……」 「おかえり、舜!」 「……」 「舜……?」 「どうしたの? 怖い顔して」 「ユウリ……」 「僕は――」 「ねえ、舜?」 「……」 「ひとつ、お願いがあるの。聞いて貰ってもいいかな?」 「……」 「あのね」 「思い切って、言うね」 「あたしを、舜の彼女にしてくれないかな?」 「っ……!?」 ユウリの言葉に驚いて、言葉を失う。 だけど、こうなることは、半分分かっていたようなものだ。 「夕梨はいつか死んで、居なくなっちゃう。その時、舜はきっと悲しむよ」 「だから、あたしが彼女になれば、舜は笑顔で居られる」 「あたしだったら、舜を泣かせたりはしない」 「だから、お願い。あたしを、舜の彼女にして」 「ユウリ……」 「あたしは、夕梨なんだよ? だったら、あたしが彼女でもいいじゃない」 「違うよ」 「どうして……?」 「違うんだよ、ユウリ」 「ユウリは、ユウリ。夕梨とは違う。ようやくはっきり分かったんだ」 「……」 ユウリは驚いたような、困ったような顏をして。 「うん、そう……だね」 「なんとなく、分かってた。夕梨とあたしは、違うなって」 呟くように、言葉を続けていく。 「最初は、きっと同じだった」 「だけど、変わっていった」 「うん……」 「あたしは、舜と2人だけの時間を過ごすことで、だんだん夕梨から離れていってしまった」 「それで、舜と一緒に居れば居るほど、あたしは舜のことが好きになっていって……」 「おかしいでしょ? あたしは、夕梨の居ない時間を埋めるためだけに作られた存在なのに」 「あたしって、本当は何者なんだろう……そう、考えることもあったの」 「ユウリ……」 「あたしには身体が無いし……触れることも、何かしてあげることも出来ない」 「そう思ってたけど、舜はいつも嬉しそうにしてくれてた」 「だから、とっても幸せだったんだ」 「うん……ありがとう」 「あたしは、沙羅の作ったアンドロイドで、三原則に反しては動けない」 「だからって、人間と違うとは、あたしは思わない」 「あたしは自分の意思で、舜を傷付けたくない。大好きな人を、傷付けたくない」 「あたしが舜を肯定するのは、あたしの意思なんだ。プログラムされているからじゃないよ」 「舜のことが好きだから、舜に悲しい顔をして欲しくない……」 「……」 ユウリは優しくて、いつだって僕のことを考えてくれる。 でも、それは……違う。 「これから、夕梨はもっと情緒不安定になっていく。治療を受けるとしても――難航する」 「夕梨はきっと、舜に気持ちをぶつけてくる」 「だけど、舜は?」 「……」 「舜は、誰にも気持ちを打ち明けられない。夕梨は、周りの人に病気のことを秘密にしているから」 「そんな舜が、心配なんだよ」 「その時、舜は絶対に、悲しい顔をする」 「あたしだったら、舜を支えられる。舜の望むようにしてあげられる」 「あたしは病気にならないし、ずっと舜の傍に居られる」 「だから……」 触れられない手を、僕に差し出す。 「あたしは、舜と一緒に居たい……」 泣きそうな顔で、ユウリは僕を見つめる。 「あたし、夕梨の良いところも悪いところも、知ってるよ。元々自分のことだもん」 「だから、いつだって、あたしが舜の傍に居て、舜を支えていくの」 「だめ?」 「……」 ユウリの気持ちはありがたいけど、これは、間違っていると思う。 言葉に耳を傾けながら、自分の意思を確かめる。 「悪いこと、してるわけじゃないよ」 「今は……夕梨には、内緒」 「きっと、それが一番、上手くいくんだよ」 「寝る前の、5分間だけでもいい」 「あたしに、会いに来て?」 「そうしたらきっと、舜が辛いの――あたしが助けてあげられる」 「なんでも相談して。なんでも話して。舜の好きなだけ」 たった5分間。 ユウリに会えば、これからの辛いことを乗り越えていける。 「ねえ、舜。一緒に……夕梨を支えていこう?」 「残り少ない、彼女の時間を、優しく見守っていこうよ」 ユウリに会って、辛いことを慰めてもらえればいいのか? 「違うんだ、ユウリ」 「……ごめん」 「舜……」 「これは、僕と夕梨の問題なんだと思う」 「2人の問題は、2人で向き合わなきゃいけない」 「……」 「今までの僕は、ユウリに逃げていたんだ」 「ユウリは……いつも笑顔で居てくれるから」 ユウリの温かい笑顔。 苦しみのない世界に惹かれて、逃げてしまった。 「……それが、どうして駄目なの?」 「大切なのは――辛いことも、苦しみも、全部抱えて、生きていくこと」 「自分の人生は、自分で決めなきゃいけないんだ」 「……」 記憶を無くして辛い時、夕梨は僕を助けてくれた。 生きていれば、目を背けたくなるような苦しいことが、いつだってある。 生きている人は、それを乗り越えていかなくてはならない。 「僕は、夕梨を助けたい」 「少しでも、夕梨が笑顔になれるように。生きていけるように」 「それでも、いつか夕梨は、死ぬんだよ」 「舜だけが残されちゃう」 「あたしなら、舜を1人にしない。今は、こんな身体だけど……」 「舜が望むなら、シロネみたいに……いつか、トリノとして、肉体を持てるかもしれない」 「それでも、君はユウリで、夕梨にはなれない」 「病気じゃないから。ユウリでも、夕梨の気持ちは理解出来なかったんだ」 「それは分かってる。あたしはユウリで、夕梨じゃない」 「いや――君はユウリでも無いんだ」 「え?」 なぜ、僕は夕梨が好きなんだろう。 その答えに、僕は辿りついていた。 今だから、言える――。 「ユウリ……君は、僕だ」 「えっ……?」 「君は、僕を傷付けない。僕の言うことを、弱さを、なんでも肯定してくれる」 「否定せずに受け止めて、甘やかしてくれる」 「何もかも意のままで、心地良い空間になってしまうんだ」 「……それの、何がいけないの?」 「ユウリは自分の意思だって言うけど……それは違うと思う」 たとえ、僕がどんなに悪いことをしても、ユウリは肯定してくれるだろう。 それは、自分の中で囁く、悪魔の声に似ている。 「ユウリの意思は、僕の意思だ」 「そんなことない……」 「だから、僕は自分自身に甘えて、夕梨からも逃げようとしてた」 「あたしなら、舜のこと、分かってあげられる」 「それが、駄目だってことなの……?」 「うん。そうだね」 「何でも分かっちゃうのは、つまらないことなんだよ」 「どういう意味……?」 「……僕は、夕梨のことが全然分からない」 どうして夕梨が好きなのか、考えてみた。 優しくて、まっすぐで、僕のことを一番に考えてくれて。 みんなを悲しませたくないと言って、本当のことは言わなくて。 一緒に居ると、楽しくて。 怒ったり、泣いたり、喧嘩したり。 笑ってくれると、すごく嬉しくて。 「でもね、全然分からないから、知りたいと思うし、理解しようとするんじゃないかな」 「全然思い通りにならないから、一生懸命話して、気持ちを探ろうとする」 「何を考えているのかさっぱり分からない時もあるから、その時は、周りの人にも相談して……」 「人間って、すごく面倒に出来てるんだよ」 「……」 「でも、僕はそんな人間のことが、ちょっとだけ好きなんだ」 「だから、僕はこれから、夕梨を分かっていかなきゃならない」 「2人で未来を作るっていうのは、そういうことなんだ」 「……」 ユウリはしばらく目を閉じて、考え込んでいた。 それから、何かに気づいたかのように、ぱっと表情を変える。 「……そっか」 「あたしは、アンドロイドじゃないつもりだったけど、やっぱり、アンドロイドだったんだ……」 「ごめん……」 「ううん。やっぱり舜は、あたしが好きになった人なんだなって」 「ありがとう、舜」 まっすぐに僕を見つめるユウリの瞳は、輝いていた。 ユウリが変わらないで居てくれることに、ほっとしていた。 「……最後に、ちょっとだけ」 「わがまま、言ってもいい?」 「うん」 「……キス、して?」 潤んだ目を見つめていると、これが最後だと、ユウリが別れを理解しているのを感じた。 「あたしのこと、好きだった?」 「うん。ユウリは僕に大切なことを教えてくれた」 「バーチャルでも……肉体じゃなく、心の繋がりが大切なんだってこと」 「うん……」 「舜……?」 「大好き……」 触れられない唇に、キスをする。 「…………」 ユウリは目を閉じる。 静かな、長い、キス。 ユウリと過ごした日々を思い出す。今までの感謝を、心の中でユウリに伝える。 僕は、君のことが好きだった。 確かに、その時間は存在していた。 そして、一番大切なことを教えてくれた。 僕は夕梨が好きなんだ。 だから、夕梨を大切にして、夕梨と生きていきたい。 同じ時間を一緒に過ごして、意見が合わないことがあっても、2人で話し合っていこう。 もっともっと、お互いを知って、もっともっと、分かり合って。 「……」 「……舜」 そっと、触れられない身体で。 ユウリは、僕を抱き締めてくれる。 「夕梨のところへ、行ってあげて」 「あの子は弱いから」 「うん」 「これからが、大変な道のりだと思うけど……」 「あたしは、いつでも……」 「幸せを、祈ってる」 「……ありがとう、ユウリ」 ユウリの時間は、無限で。 夕梨の記憶を取り込まなければ、変わることもない。 ずっと、同じ姿で、見えない世界に存在し続けるんだろう。 「……さよなら」 僕は――電源を、切る。 「ありがとう!」 ユウリが、消える。 がらんとした、何も変わらない部屋。もう、ユウリはいない。 ユウリと居る毎日は楽しかった。だけどそれは、幻想だから。 この先、どんなに苦しいことがあっても。 自分の弱さを、君に押し付けたりはしない。 「ユウリ……」 「ありがとう」 耳の奥に、最後の声が響いた気がした。 もう、迷わない。 僕は夕梨に、生きて居て欲しい。 大好きな人と、生きていきたいんだ。 授業が終わった後、僕は夕梨の家へと向かった。 夕梨は僕の顔を見て、すぐに敵意を示した。 「舜……?」 「何? 今更、何しに来たの?」 「夕梨、ちゃんと話そう」 「散々、話したじゃない」 「舜にはユウリが居る。あたしなんか、必要無い」 「あたしは、もうすぐ死んじゃう」 「だから、舜はあたしなんかより、ユウリと一緒に居たほうがいい」 「違うよ」 「あの子は死なないし、いつだって舜に優しい」 「あたしみたいに、イライラしたりしない」 「だからもう……」 「帰って……」 とりつく島も無いが、ここで引き下がるわけにはいかない。 「夕梨、聞いて」 「……ユウリは、沙羅に返そうと思うんだ」 「え……? なんで……?」 「あの子が何かしたの? 何があったの……?」 急に心配そうな顔になって、僕のほうを見つめる。 興味はこっちへ向いてくれたようだ。 「夕梨……」 「僕は、夕梨に伝えたいことが、沢山あるんだ」 前にもこうやって、夕梨と海に来たことがあった。 僕が、告白した時。 あの時よりも時間が経って、風は少し、冷たく感じた。 「なんで、ユウリを沙羅へ返すことにしたの?」 「もしかして、あたしのことが嫌いで……だから、同じ姿をしたユウリも、見たくなくなったとか?」 「ちょっと落ち着いて、夕梨」 矢継ぎ早に話す夕梨を制止する。 「まず、大前提として、僕はずっと、夕梨のことを大切に思ってきたんだ」 「それは今も変わらない」 「うん」 「何度も聞いたよ」 「僕は、夕梨のことが一番大切で、夕梨と向き合っていこうと思ったんだ」 「僕自身で」 「だから、ユウリはもう必要無い」 「役目を終えたアンドロイドは、本来の所有者に返すべきなんだよ」 「ちょっと待って……」 夕梨は静かに、波打ち際を見つめる。 「あたしね、死んでも、舜の側に居たかった」 「自分が死ぬのは、分かってた。だけど……何かを残したかった」 「わがままかもしれないけど、舜に忘れて欲しくなかった」 「うん」 「人は薄情でしょ? 死んじゃったら、どんどん記憶なんて薄れちゃう。きっと、忘れられちゃう」 「おかしいよね。死んじゃったら、もう関係無いのに」 夕梨は苦笑する。 「だから、沙羅に相談した」 「沙羅は天才だから、なんとかしてくれるんじゃないかって……」 「そうして出来たのが、ユウリ」 「あの子は、あたし自身なんだ」 「だから、舜の側に置いてあげて欲しいって、お願いしたの」 夕梨はそこまで言って、僕をまっすぐに見つめる。 「それは、駄目なんだ」 「え?」 「ユウリは夕梨じゃない」 「だから、僕の隣に居るべきじゃない」 「どういうこと……」 「僕の隣に居るのは、夕梨じゃなきゃダメなんだよ」 「どうして……?」 「ユウリは、アンドロイドなんだ」 「アンドロイドには、三原則がある。そして、僕が主人である以上、僕に逆らうことは絶対に無い」 「主従関係はあるものの、向き合うものじゃないんだ」 「ユウリとの時間は心地良いに決まってる。だって、僕に合うように、設計されてるんだから」 「……」 「だから、僕は甘えてしまった」 「まるで、ゆりかごに乗っているように」 「流されるまま、心地良い言葉に甘やかされて」 「でも……」 「それだけじゃない。ユウリは僕と2人の時間を過ごした。夕梨の知らない時間をね」 「だから、ユウリは既に、夕梨からは掛け離れてしまっている」 「シロネのように、何も比較する存在が無いなら、分からなくもない」 「でも、ユウリと夕梨は、今はまだ同じ時間上に居るんだ」 「だから、ユウリは夕梨じゃない」 「でも……もうすぐあたしは死んで、あの子だけの時間が始まる」 「ううん。もし、舜が対等な関係を探しているというのなら……」 「あの子じゃなくてもいい。誰かと……あたし以外と、居るべきなんだよ」 「未来の無いあたしと、居るべきじゃない」 夕梨は一歩も引かない構えだ。 だけど、こっちだって譲れない。 「僕は、確かに――ユウリと居て、未来を夢見た」 「病気じゃない夕梨と、いつか大人になって2人で暮らす」 「そしたら、すごく楽しいんだろうなって思ってた」 「……そう。舜は間違ってない。あたしが、病気じゃなければよかったの」 「そうしたら、舜と、ずっと一緒に居られたのに」 「だから、舜と付き合ったのは、死ぬまでの思い出作りのつもりだった」 「……でも、無理だよね。舜には未来があるのに」 「どうしたって、未来を夢見てしまう。あたしとうまくいくわけ、なかったんだ」 「僕は、そうは思わない」 「夕梨は……未来が無いって言う。もうすぐ死ぬんだって」 「だけど、一番生きたいのは、夕梨なんだ」 「生きたいよ……」 「生きたいに決まってる。病気じゃなければ……」 「もっと、いろんなことしたかった。いろんなところに、行きたかった」 「普通に……未来を夢見たかった。将来のこと、考えてみたかった」 「じゃあ、生きて欲しい」 「だから、前にも言ったでしょ? 治療法なんて……」 「HuCREMを受けてみて欲しいんだ」 ずっと、考えていたことだ。 それを夕梨が拒否していることは、僕も分かっている。 「それは……。前にも言ったじゃん」 「あたしは、そんなこと望んでないんだって」 「それでも、僕は夕梨に生きていて欲しいんだ」 「過酷な道のりだってことは、分かってる。簡単じゃないってことも、夕梨の気持ちも」 「生身の身体を失って……それでも生きろって、舜は言うの……?」 「あんなの、治療とは言わない。あたしは、嫌だ」 「そんなの……やってみないと分からないよ!」 「技術は日進月歩だ。RRCだって、沢山研究をしている」 「この島に居れば、そんなのいくらでも見てきたことじゃないか」 「でも嫌なの! あたしは、あたしのままでいたいの!」 「残された時間を、精一杯生きて、好きなことをして……」 「そして、楽しい思い出と一緒に、死にたいの!」 「僕は夕梨に生きて欲しい。少しでも、長く」 「だからっ!」 「舜……なんで……」 「なんで……! なんで舜は、分かってくれないの!?」 「何回も言ってるじゃない! 無理なんだって……無駄なんだって!」 「あたしは、どうせ死ぬんだ!」 「人間はみんな、いつか死ぬんだよ。夕梨だけじゃない」 「それは、誰でも同じなんだ」 「同じじゃない! 同じなわけない……!」 「あたしだけ……あたしだけが……っ! 居なくなる……!」 「みんなには……未来があって、当たり前のように、明日があって」 「進路のこととか、将来の夢とか。来週の予定とか、なんだって普通に、明日が来るのに」 「あたしには……無いんだ」 「それでも、みんないつか死ぬんだよ。死ぬ時は、誰にも分からない」 「病気になることも、事故に遭うこともあるかもしれない」 「僕だって、そうだよ。海難事故の時、もしかしたら死んでたかもしれない」 「何が言いたいの……」 「僕は、夕梨に諦めないで欲しい」 「生きて欲しいんだ」 「そんなの……! 綺麗ごとだって!」 「諦めなくたって、奇跡なんか、起きるわけない」 「その時は、どんどん、迫ってる」 「今更、1日長く生きたところで、あたしには何も……!」 「そんなことない!」 「舜……」 「僕は、1日でも長く、夕梨と居たい」 「僕はもう、逃げたくない。事実から、夕梨から。病気からも」 「だから……それが綺麗ごとなんだって!」 「ユウリと居て、分かったことがあるんだ」 「えっ……」 「僕は、夕梨の心が好きなんだ」 「……」 「夕梨という存在そのもの、夕梨が夕梨であることが好きなんだ!」 僕は心にあることを強く言い切った。 「夕梨は、治療を受けて、身体が失われていくのは嫌だと言ってた」 「……うん」 「でも、違う。夕梨の心が、存在が、そこにある限り、僕は夕梨のことを好きでいられるんだよ」 「そんなの……残酷だよ……」 夕梨はその手を、じっと見つめる。 「もし、HuCREMで治療が成功したとして……」 「自分の身体が、無くなっちゃうんだよ……?」 「手も、足も、何もかも、置き換えていくしかなくなっちゃう!」 「手術を繰り返して、苦しみながら、毎日を過ごしていくしかなくなる……」 「そんなの……そんな姿で、無理矢理生きても、生きているなんて言えない!」 「そんなことない!」 「そもそも夕梨は、HuCREMのことをどこまで知ってる?」 「えっ……」 「まだ、始まったばかりでこれから未来の治療。ほとんど誰も受けたことが無いって言ってたよ」 「夕梨は、何もかも決め付けて、逃げているだけだ」 「違うっ……!」 「僕は、たとえどんな姿だろうと、夕梨に生きていて欲しい」 「一秒でも長く、生きたいと思って欲しいし、傍に居て欲しい」 「本当に……分かってる? あたし、この姿で居られないんだよ……?」 「分からないよ」 「まだ、やったことが無いんだから」 「舜は……残酷だよ」 「自分と一緒に居るために、あたしに治療を受けろって言ってる」 「あたしがどんなに辛い目に遭ったとしても、関係無いんだって言ってるんだよ」 「ああ、僕は残酷だ。夕梨に、辛い目を押し付けてる」 「でも夕梨、それは君も同じだよ。自分だけ思い出に浸って、残される者のことなんか考えないで、死のうとしている」 「そんなこと――」 「夕梨は、何も信用していない」 「僕も、友達も、先生も」 「失敗するようなことばかり言って、死ぬ死ぬって、自分に酔ってるだけ」 「違うよ……」 「一生懸命、治療方法を探してくれる百南美先生」 「沙羅や、そしてRRCの研究者たち」 「みんなが知恵を出して、夕梨を支えようとしている」 「みんな、成功するために前を見ている」 「そして、全員が、夕梨に幸せになって欲しいって願っているんだ」 「みんなが……?」 「僕達は支え合って生きている」 「欲望を露わに、お互い自分勝手な理由を、相手に押し付けようとすることもある」 「でも、僕達は人間なんだ」 「対等な人間同士であり、対等な関係なんだ」 「だから、お互いの欲望のために、何かをしようとしたって、いいじゃないか!」 「未来を夢見ることの、何が悪いんだよ!」 「舜……」 「あたし……」 震える声を押し殺して、夕梨は大きく息を吐く。 「去年までね、あたし、自分が治らない病気なんだってこと、知らなかった」 「頑張ったら、治るって、思ってた」 「辛かったけど……未来があるって、信じてた」 「うん」 「だから……頑張ろうって、思ってた。どんなに苦しくても……」 「だけど……あたしの、病気は……」 「治らないんだって、分かって」 「目の前がすーっと、真っ暗になって。頑張って来たことは、全部、無駄だったんだって、思って……」 「生きているのが、ずっと、ずっと、苦しかった」 「他{ひ}人{と}より早く人生の終わりまでの道を、歩いてるんだと思って」 「何かしなきゃって、思ったけど……何も思い浮かばなかった」 「やりたいことも、やり残したことも、あたしは何も……無かったんだ」 「だから……生きたいなんて、言えなかった。思えなかった」 「いざとなったら、みんなを悲しませないように消えようって……そんなことばかり、考えてた」 「時間が、過ぎていくのが怖かった。明日が来るのが、嫌だった」 「だけど……舜のこと、好きになった」 「人生で初めて、大好きな人が出来た」 「思い出作りのはずだったのに、死ぬ前に、ちょっとだけ幸せを感じたかっただけだったのに……」 「明日が、待ち遠しくなったの」 「……」 「明日、舜に会えることが、舜と話せることが」 「出掛けたり、遊んだり……そんな日々が待ち遠しくて、仕方なくなった」 「死が、近付いてくるはずの、明日が……あたし……いつの間にか、楽しみになってた」 「……あたし、舜と、居たい……」 「舜と居たい。それしか……あたしの望みは、無い……」 「だけど……それは、舜の、迷惑に……なる」 「どうして……?」 「だって、あたし……何も出来なくなっちゃう」 「舜を悲しませることしか、出来なくなる。料理も、掃除も、舜のために……出来ること、もう……無くなっちゃう」 「自分1人では何も出来なくて、誰かに助けて貰って、生きている存在になる」 「夕梨は何も悪くない。人間誰だって、助けは必要なんだ」 「舜は……馬鹿だ」 「苦しいことしか、無いんだよ……? 幸せな未来なんて、来ないんだ」 「あたしと居たって、舜にいいこと、1つも無いのに」 「そんなことない。いつだって、夕梨が僕を助けてくれた」 「付き合う時、夕梨は僕に言ったよね。後悔しても、遅いからねって」 「でも、あたし……病気のこと、ちゃんと話さなかった」 「こんな病気だなんて、舜、知らなかったでしょ……?」 「……治療を受ければ、この手も、いずれは無くなっちゃう」 夕梨は僕に、手を伸ばす。 「2度と自分の手で、舜に触れられなくなる」 「それでも、僕は夕梨に生きていて欲しい」 「夕梨の心に、触れられるだけでいい」 夕梨の手に、自分の手を重ねる。 「2人で……いや、夕梨と、そしてみんなと生きていきたい」 「この先、治療を受けたらきっと、もっと辛いことが、あたしを待ってる」 「あたし、耐えられるか分からない」 「いっぱい、弱音吐いちゃうよ」 「精一杯、支えるよ。僕に出来る限り」 「だから、死ぬなんて……もう言わないで欲しい」 「舜……」 長い、長い沈黙の後。 夕梨は、ゆっくりと呼吸を整えると、僕の方をまっすぐに見つめた。 「あたし、信じてみる」 「あたし、賭けてみる」 「夕梨……」 「あたし、諦めないよ」 「あたしであることを、諦めない」 「生きて……いたい」 「大好きな舜と、生きていたい」 「……死にたく、ない」 「死にたく……ないっ!」 「死にたくないっ……! 死ぬなんて、言いたくない!」 「もう、死にたいなんて、思わない!!」 僕は夕梨を、強く抱き締める。 「あたしは、死にたくない! 死にたくない!! 死にたく、ないっ……!」 ずっと、夕梨は。 自分の言葉で、自分を傷付けて、生きてきたんだろう。 諦めなければ。 未来があると信じれば。 必ず、未来はあるんだ。 「う……ああっ! 舜……う、うあああああっ!!!」 夕梨は叫ぶように泣いて、僕の胸に飛び込んでくる。 夕梨の身体を強く強く、抱き締める。 「舜……舜! ずっと……あたし……っ」 「夕梨……ずっと、辛かったね」 夕梨の痛みを思えば、僕も同じように苦しくなる。 「もう……離れないで……っ」 「どこにも、行かないで……。あたし、ダメな、恋人だけど……」 「何も、舜のために、出来なくても……生きて、いたいの……っ」 「大丈夫、絶対に成功する」 「生きたいと思う力が、一番大切なんだよ」 「だから僕も……生きる。もう2度と、離れない」 自分の過去に何があったのかは、結局分からなかったけど。 僕は、僕の命を、大切にしよう。 夕梨のために、自分のために。 「うん……約束」 「あたし……生きる。出来ることを、精一杯、する……」 夕梨はそう言って、泣きながら。 「にひっ……」 精一杯の笑顔を、僕に向ける。 「大好き……。舜……」 「夕梨……」 強く強く、抱き締める。 僕は、この笑顔が大好きで。ずっと、この笑顔を守りたいんだ。 キッチンから、いい匂いが漂ってくる。 「あああ……。また失敗した……」 「大丈夫……?」 夕梨の料理は、相変わらずだけど。 「大丈夫! 野菜炒めが、ちょっと水っぽくなったけど」 「それは、大丈夫なの……?」 「こういう時は、水溶き片栗粉を入れて、あんかけ風にすればおっけー」 「ちゃんと分量を量って作ればいいのに」 「えー、面倒臭いじゃん」 「大丈夫っ!」 何が大丈夫なのかは、全く分からないけど。 夕梨が笑ってここに居てくれることが、何よりの幸せだった。 授業が終わり、僕たちは百南美先生のところに行く。 「夕梨ちゃんと七波くん。今日はどうしたの?」 「今日は、せんせーに、話があって……」 「話? 何かあった?」 「あ……あの。あたし……」 「HuCREMの治療を受けたい」 「夕梨ちゃん……」 「受けたい……っ。あたし、まだ、諦めたくないの」 「きっと、すごく苦しくて大変だって、分かってる。それでも……やってみたい」 「まだ、生きたいの。せんせー……どう思う……?」 「……良かった。そう言ってくれるの、ずっと待ってたよ」 百南美先生は、心からほっとした表情で、夕梨を見つめる。 「頑張って行こう。先生は、手術チームからは外れてしまうと思うけど……主治医だからねっ!」 「夕梨ちゃんのために、出来る限りのことをするよ」 「うん……。ありがとう、百南美先生」 「そんな言い方をしてくれる日が来るなんて……びっくりだよ」 「それで、ご両親にはもう話した?」 「うん。迷惑掛けるかもしれないって、言ったけど……」 「応援してくれた。心配しなくていいって」 「そう。良かった」 「……七波くん、ありがとう」 「……いえいえ」 「ずっと、心配してたんだ」 「夕梨ちゃん、病気が治らないって知って、抜け殻のようになってしまったから」 「言わないほうが正しかったんじゃないかと、ずっと考えていたの」 「ううん。治るっていう嘘を……吐き続けられるほうが、辛かったから」 「あたしは、本当のことを言って貰えて、良かったんだと思うよ」 「そっか……」 「まあ……言われた時は、辛かったし、今も……きついけど」 「うん」 「でも、頑張ってみる!」 強い口調で迷いなく、夕梨ははっきりと宣言する。 「これから、いっぱい迷惑掛けるかもしれないけど……」 「よろしくお願いします!」 「僕からも。よろしくお願いします!」 「うん。頑張っていこう。こちらこそ、よろしくね!」 「2人で……どうしたの?」 「これ。返しに来たんだ」 僕は、ユウリの機材を沙羅に返した。 「何か問題があった?」 「ううん。だけど……ユウリと居ると、僕はダメになってしまうから」 「僕には、必要無いんだ」 「そう……」 「夕梨は? それでいいの?」 「あたしが生きてる間は、あたしのことを見てて貰うことにした」 「……うん。分かった」 「いいデータが取れたと思う。ありがとう」 夕梨の言葉に、沙羅は頷いて、感謝の気持ちを述べた。 沙羅にとっては、ユウリのことも、ただの実験だったのだろうか? 「それと……話しておきたいことがあって」 「もしかして、HuCREMのこと?」 「知ってるの?」 「うん。さっき、連絡があったから」 「夕梨の治療に関しては、RRCも協力することになると思う」 「多分、私も……少しは、手伝うことになるかもしれない」 「そっか。よろしくね、沙羅」 「これも、実験の一環だしね」 「えっ!? 実験って!」 「手術費用のほうは、夕梨が実験に協力してくれるなら、研究費から捻出出来るし」 「ちょっと待って! 研究って何!?」 「さあ? その辺りはそのうち、詳しい提案がいくと思う」 「いいデータをよろしくね」 少しだけいたずらに、沙羅はくすっと笑う。 「うー……なんか怖いんだけど……」 「でも、出来ることならやる! 決めたことだから!」 「ふふ」 「やっぱり、夕梨は前向きなほうが良い」 「うん、僕もそう思う」 「あたしも、なんか、すっきりしたんだ」 「治療が難しいのは、分かってるけど……」 「でも、こっちのほうが、あたしに合ってるよね! 絶対負けないって、頑張るほうが!」 夕梨は、前向きになってくれてから、笑顔がすごく明るくなった気がする。 「でも、ユウリは本当にいいの?」 「別に、ときどき話す分には、有効活用出来ると思うけど」 「ううん。それは沙羅が持ってて」 沙羅が持っていてくれれば、僕も自分の弱さに負けて、電源をつけてしまうことはない。 「分かった。また必要になったら、声を掛けて」 「本当にいいのー? あんなにいちゃいちゃしてたのにー?」 「あたしが死んだら、舜はまたユウリに泣きつくよ?」 「そんなことしないってば」 夕梨とユウリは違うから。もう、僕は間違えない。 「ふうん。そんなこと言われると、ちょっと燃えるかも」 「燃えないでよ!」 「まあ、あたしも、簡単には死なないけどねっ」 「うん。ずっと夕梨が居てくれたら、それが一番」 少しでも、多く。長く。夕梨との時間を大切にしたい。 「うん。手術や治療に関しても、出来る限り協力したい」 「夕梨、頑張ってね」 「ありがとう!」 夕梨がHuCREMによる治療を受けると決めて。 検査の日程を決めたり、治療の内容を吟味したり……一緒に居られない日が続いた。 学校に行ける日も、少しずつ減っている。 「舜っ!」 夕梨と出かけるのは、久しぶりだ。 日程が空いたからと、夕梨のほうから誘ってくれた。 夕梨は僕の姿を見つけて、駆け寄ってくる。 「きゃっ……!」 「夕梨……!」 転びそうになった夕梨を、急いで抱き留める。 「……ごめ……。あは……」 繋いだ夕梨の手に、力は入ってない。 「夕梨……」 もうすぐ、夏が終わる。 「……ごめん。ちょっと……病気、進んでるみたいで」 「こうやって、今の身体のままで出掛けられるのは、最後になるかも」 「うん……」 いずれ、その日が来るのは分かっていた。 だけど……やっぱり、少し辛い。 「あたし、今日はあんまり……動けないかもしれないけど」 「いっぱい、楽しもうね」 「うん」 夕梨と手を繋いで、静かに歩く。 夕梨は歩くのも、少し辛そうに見えた。 「舜は最近どう? 何か変わったこと、あった?」 「特には。……あ、でも」 「シロネがもうすぐ、帰って来るみたいだ」 「おおっ。ついに!」 「結構長かったね」 その間に、いろいろなことがあり過ぎて。 海難事故に遭って入院していた日々が、遠い昔のように思える。 「シロネが忘れた記憶とかは、どうなったの?」 「沙羅に聞いたんだけど……そこはまだ、そのままになっているみたい」 「そうなんだ……」 結局、あの日に何があったのか、僕はまだ思い出せていない。 でも、今はもう、そんなに気にならない。 あの日、僕が死のうとしていたとしても、今生きていることを、大切にしたい。 「夕梨のほうは?」 「もうっ、検査尽くしで大変……!」 「なかなか、舜に連絡も出来ないし……寂しい……」 夕梨は、寂しい気持ちも、ちゃんと伝えてくれるようになった。 2人の関係が、一歩前進した気がした。 「僕もいっぱい連絡するから」 「うん……。自分で決めたことだしねっ」 「治療は島の外の病院でやるから、しばらく会えなくなっちゃうし」 「だから、舜にいっぱい甘えちゃうっ」 「覚悟しといてよね?」 「うん。楽しみにしてる」 ゆっくりと歩いて、海へと向かう。 普段ならそこまで時間は掛からないけど、夕梨の歩幅に合わせて、休憩しながら向かった。 地平線の上で、夕日がきらきら輝いている。 「検査は……どう?」 周りに人も居なくなり、僕は一番聞きたかったことを尋ねる。 この身体で出掛けられるのは最後だと言っていたから、今日ここで聞いておきたかった。 「大変だけど……頑張ってるよ」 「もうすぐ、手術することになったの」 「まずは、足から。衰えてる足を、そのままにしておくと、どんどん悪くなっちゃうからって」 「そうやって……ゆっくり、変わっていく」 夕梨の声は、少しだけ震えていた。 「……夕梨」 「大丈夫。……怖いけど、自分で決めたことだから」 「舜と、少しでも長く居られるなら、あたしは何も怖くない」 夕梨はそう言って、そっと笑ってみせた。 「舜、あたしに触って?」 「うん……」 少しだけ冷たい、その体。 ずっと生きてきた、夕梨の身体。 失われるのは、怖くて、寂しい。 「クラスの友達にも、話したんだ。あたしの病気のこと……」 「みんな、応援してくれた。びっくりして泣き出す子もいて、大変だったよ」 「そっか……」 「あと、ハナコ先輩にもね。サボリって言われたら、キツいし」 「やっと話してくれたって、言われちゃったけど」 「やっと……? そういえば、前に……」 「夕梨が、何かを抱えているのは分かるって、言ってたな」 「うん。そうだったみたい」 「フーキ委員の仕事はいいから、頑張ってきなサイ! って」 「……あたし、自分で思ってた以上に、みんなに大切に思われてたみたい」 「当然だよ。夕梨はこの場所で、ずっとみんなと生きてきたんだから」 夕梨がまっすぐでいい子なのは、周りにいる人たち、みんなの影響もあるんだと思う。 その中に――過去の僕も入っているといいなと、少しだけ思う。 「ねえ。最後に、行きたいところがあるの」 「ついて来て……?」 「よい……しょっ……」 「よ……っと……!」 夕梨が行きたいと言ったのは、夜のプールだった。 2人でこっそりと忍び込む。 「怒られないかな……?」 「怒られたら、一緒に謝ってよ」 夕梨は悪びれもせず、笑う。 「水着、持って来たの?」 「もちろん! 舜は……無いよね?」 「いや、もしかしたら、こんなこともあるんじゃないかと……」 鞄の中に、一応水着とタオルを入れてきた。 まさか、夜に忍び込むことになるとは、思わなかったけど。 「にひひっ。舜もその気だったんじゃんっ」 「もしかしてと思って。昼間に行くと思ってたんだけど……」 「まだセーフ!」 「よしっ、着替えちゃおう!」 「はあ……気持ちいい」 更衣室から戻った夕梨は、そのままプールに飛び込み、気持ち良さそうに浮かんでいた。 「はあ……手術の前に、来ておきたかったんだ」 「足を変えちゃったら、多分、泳げないから……」 「泳げないの……?」 「分からない。でも、この足で泳ぐのは、どちらにしても最後だし……」 ばしゃばしゃと、ゆっくり。 夕梨は幸せそうに、泳いでいる。 「……これが最後だと思うと、やっぱり、寂しいし……辛い」 そっと、夕梨が呟く。 僕も、分かっていたつもりだった。だけど、いざ―― こうやって出掛けることも、泳ぐ夕梨の姿を見るのも最後だと思うと、苦しくなった。 「わっ、何? 泣いてるの?」 「泣いてない……けど」 「分かってるよ。舜も、辛いって思ってくれてること」 「でも――」 「終わりじゃなくて、始まりなんだって、思うことにした」 「あたしの未来の、始まり」 「うん。手術が終わったら……会いに行ける?」 「うん。手術成功して、必ず帰って来るから」 「帰って来たら、すぐに会いたい」 「もちろん」 手術の時は仕方ないけど……僕も夕梨と離れたくは無いんだ。 「ねえ。舜もこっち来てよ」 「うん」 僕もプールに入って、夕梨の元へ向かう。 「結構、冷たいね……」 「そうだね。夜だし……少し、涼しくなってきたし」 「寒いなら……温め合うっていうのは、どう?」 「最初からそのつもりだった?」 「えー? どうかな?」 悪戯に笑って。 夕梨は僕に、近付いて――。 「舜……」 ぎゅっと、僕に抱きついてきた。 「ん……」 プールの水槽の中で。 静かに、夕梨とキスをする。 「んんっ……」 夜のプールに――夕梨の綺麗な肢体が映えて。 思わず、見とれてしまう。 「ん……」 夕梨の口元から、小さく息が漏れ、泡になって水面に浮かんでいく。 「ん……んんっ」 「ふんんっ……」 僕も目を閉じ、ただ、キスだけに集中する。 愛おしい、大好きな夕梨の名前を、胸の中で呼ぶ。 ずっと覚えていたい。誰よりも、ずっと。 「舜……」 「ん……ちゅっ……」 静かに。 夕梨と息をするのも忘れて、キスをする。 一秒でも長く。 この時間が、永遠だったらいいのにとすら、感じられた。 「はあっ……」 息が限界になり、2人で水面に顔を出す。 「……しよう? 舜……」 「うん……僕もしたい」 夕梨が大好きなこの場所で。 夕梨の身体も思いも、全てを刻みつけたい。 「んっ……」 水着の上から、夕梨の膨らみを鷲掴みにする。 夕梨の肌は水に濡れて、ひんやりとしている。 「はぁ……んっ……」 濡れた水着の上からでも、乳首が硬くなって立っているのが分かる。 「ドキドキ、してる?」 「してるよ。こんなところで、見つかったらどうしようっていうのもあるけど……」 「舜に触って貰えるのが、嬉しくて」 「もっと、触って……? 今の、あたしに」 すべすべとした水着の感触を楽しみながら、大きな双丘を持ち上げる。 「んっ、ぁ……はぁ……」 濡れた水着が手に吸い付いてくるようで、いつもと感触が違ってなんだか楽しい。 「水着の感触、気持ちいい……」 夢中になって、手のひらで大きく持ち上げていく。 「……んっ、は……あっ、んん……」 「あたしも……はあ、気持ちいい、よ……はぁっ……」 触れる度に、小さな吐息が夕梨の口元から漏れ出る。 「乳首、立ってるよ……」 「だって、気持ちいいし……期待しちゃうし」 既にエッチな気分になっているのか、夕梨の頬は赤く染まっている。 「可愛い。夕梨……好きだ……」 「んんっ……はあ……」 水を吸った水着で少し重くなった夕梨の胸は、僕の指先で形を変えていく。 「ん……んんっ……ぁ……」 大きく回すように揉んでいくと、少しずつ水着が乱れてくる。 肌と擦れるのがもどかしいのか、夕梨はくねくねと腰を揺らしている。 「は、ううっ……うんん……」 「水着……脱がしてもいい?」 「うん……」 夕梨の水着のリボンをほどき、生乳を拝む。 「ん……」 夕梨の大きな胸を覆っていた布がはらりと落ち、真っ白く光る膨らみが露わになる。 「プールで、こんな格好……恥ずかしいね」 「誰か来ちゃったりしたら、あたしのこと、ちゃんと隠してよね?」 「もちろん。こんなにえっちな夕梨の姿……僕以外に見られたくないし」 見ているだけでは飽き足らず、その2つの膨らみに手を伸ばす。 「はぁ……」 「ん、はぁ……舜の手、気持ちいい……」 気持ち良さそうに、夕梨は目を細める。 水中で乳房を揉む感覚は、浴槽内での情事を思い出させた。 ふいに股間が熱くなる。 「舜と付き合って、おっぱい、触って貰うまで……」 「こんなの、邪魔だし要らないのにって思ってた」 「こんなに気持ちいいのに……無かったら困るよ」 「あは。舜、あたしのおっぱい大好きだもんね」 「うん。胸だけじゃなくて……夕梨の全部が大好きだけどね」 「ふふ。知ってる」 乳首の周囲を指先で挟むように、胸を持ち上げる。 「あっ……はあっ、んんっ……」 硬くなった乳首には触れず、その周りだけをさわさわと刺激していく。 「あっ……んんっ、ぅ……はあっ……あっ……」 「やだ……それっ……むずむずする……」 「舜……はあぁっ……ちゃんと触って……?」 「じゃあ……おねだりしてみせて?」 「うう……」 「して、欲しい……舜に……」 「何を?」 「その、あの……あぁっ、あたしの、乳首を……はぁっ……」 「乳首も触って……? コリコリって、して……?」 「分かった」 「ふあぁ、あっ、んん……っ」 「んっ、うんっ……はあっ、それ……いいの……」 濡れた胸を持ち上げて、口元に運ぶ。 先端の突起を口に含み、乳首をこね回すように刺激する。 「んんっ……ん……ぁ……あぁ……」 夕梨の乳首に齧りつき、舌先でコロコロと舐めていく。 陰核に施した時のように、乳首全体を舌で包み、中身を吸い上げるイメージでちゅーっと吸う。 「やっ、ちょっとっ、舜……!」 甘い香りと、プールの塩素の味が少しした。 「んっ、んんっ……! はあっ、舜に舐められてる……っ」 「おっぱい、ちゅうちゅう吸われちゃってる……」 「っ……はぁ……んっ、ぅ……ぁ……はあっ……」 ペロペロと何度も、夕梨の乳首を口の中に含み、転がしていく。 「んっ、んんっ、あっ……」 「なんか……舜、赤ちゃんみたい」 「赤ちゃんが、こんなえっちな吸い方するかな……」 「それは、分からないけど……」 「こういうの、嫌?」 「い、嫌なわけないじゃない……」 返ってくる答えを分かってはいたけど、夕梨の言葉が聞きたくて、あえて質問をする。 「もっとして欲しいよぉ……」 「うう……早く……っ」 夕梨がもじもじと胸を揺らしてきたので、期待に応えるべく、再び先端を口に含む。 「んんっ! ぁ……っ、う、んんっ……」 「そんなにおっぱい吸っても……何も……出ないよ……っ」 「夕梨から……出たら、美味しそうかも」 「なんか、変態っぽいね……」 「じゃあ、出てるって思いながら吸おうかな……」 「なっ、何言って……」 「ひゃうっ!?」 口の中に、プールの水が少し入ってくる。 「はあ……夕梨のおっぱい、美味しいよ」 「んんっ、何も、出てない……からっ」 ちゅぱちゅぱと音を立てて、夕梨の母乳を飲むイメージで乳首を吸う。 「やっ……あっ……んんっ」 「んんっ、それ……っ、あっ、だめっ……くすぐったいっ……!」 「それ、ああっ、んん……へ、変態みたいだよ……っ」 夕梨は唇を噛み、ビクビクと身体を震わせている。 今度は手のひらでおっぱいを持ち上げて、乳輪を舌先でなぞっていく。 「ひぅ……っ、やっ、おっぱいで、感じちゃ……うっ……あっ、んんっ!」 「はあっ、舜の舌……気持ち良過ぎっ……乳首、吸われるの……いいっ……」 「ん……はあっ……」 口から離して、息をふっと吹き掛ける。 焦らすように、むにむにと胸を揉みしだく。 「はあっ……もう、舐めて、くれないの……?」 「舐めて欲しいの……?」 「うん、して欲しい……舜におっぱい、もっといっぱい、舐めて欲しい……」 「じゃあ……」 「ひゃううっ! あっ! ああっ……!」 乱暴に胸を揉みしだきながら、下品な音を立てて乳首を吸う。 「は、激しい……あ……ああっ、すごい、来ちゃうっ……」 「はあっ、あっ……!」 舌先で転がした後、唇で乳首を挟んで甘噛みする。 「やっ、あっ……それ、だめ、噛んじゃ……」 「ひあっ……あんっ!」 「それ、ぴりっとして……ふあ、ああっ! 何か、来ちゃいそうになる……!」 「イキそうなの……?」 「うん……なんか、変な感じがして……はあ、ああっ、ん、ぁ、ううっ……!」 「あっ、んんっ、ぁ、んっ……イク、かもしれない……」 感じている夕梨の目を見つめながら、ピンク色の突起を集中して責める。 「ひうっ……! あっ、ま……待ってっ、あっ、ああっ!」 「そんな、だめ……! おっぱいだけなのに、感じ過ぎちゃって……や、ああっ!」 「ああ、もうイッちゃいそう……いや、いやだよぉ……イッちゃう、嫌っ……!」 「やっ……はあああぁぁぁぁ……っ!」 夕梨の身体が弾けるように震え、水面が大きく波打つ。 「はあ……あ……嘘……嘘でしょっ……」 「はあっ……イッちゃったの……舜におっぱい、舐められて……」 「おっぱいだけで、イッちゃった……」 「うん。すごく可愛かったよ」 「淫乱だとか、思わない……?」 「僕の指で感じてくれるんだから、嬉しいに決まってるよ」 「そう……?」 恥ずかしそうに、夕梨は身を僕のほうに寄せてくる。 水着の中で大きくなったペニスの先端が、夕梨の肌に触れる。 「ねえ、挿れて……? 舜の、欲しい……」 「舜だって……ずっと前から、こうなってたんでしょ……?」 「熱いの……挿れて欲しいな……」 夕梨を抱き上げて、大きく股を開かせる。 浮力のお陰か、2人で水中に浮かんでいるかのようで心地いい。 「んんっ……」 夕梨の身体は高揚で熱を持っていて、水中で触れていても温かい。 「舜のおちんちん……すごく大きくなってる……」 「これが……あたしの中に、入るんだ……」 夕梨は水着の上から、甘えるように腰を擦りつけてくる。 「んっ……はぁ……あっ……」 ナイロンの布の隙間から、くちゅくちゅと淫靡な音が漏れる。 「はあっ……ん、ん……ぁ、んっ……擦れて……あったかい……」 「んんっ、あ……はあっ……」 「はあっ……ん、あっ……舜のおちんちん、欲しくて堪らない……ぁ、はあっ……」 お互いの敏感な場所を、何度も擦り合っていく。 「あ……ん……濡れてきちゃった……かも……ぁ……っ」 「これ……おちんちんで擦られるの、気持ち良くて……んんっ、ぅ……」 早く挿れたいと思いながらも、このままの擦り合いも堪能していたい。 「はあっ……あっ……」 激しく擦る度に、濡れた身体が密着する。 夕梨の柔らかい胸が何度も僕の身体に擦りつけられて、昂ぶりが抑えられなくなっていく。 「はっ……んっ、んくっ……」 「んっ……! んんっ、ふう、はあぁっ……」 夕梨は快楽に堪えるように、ぶるぶると身体を震わせる。 「はぁ、もう……もう、だめ……」 「ん……擦るのも気持ちいいけど、身体、震えちゃう……」 「舜の……ちょうだい……? 我慢、出来ない……」 「うん……このまま、挿れるね……」 水着をずらし、夕梨の膣内に猛ったモノを挿入していく。 「あっ……! ああああっ……!」 入口にあてがうと、夕梨の熱い愛液が溢れ出してくる。 「んっ……」 プールの水と一緒に、奥へ奥へと入り込む。 「はあっ、あっ、舜が、入って、あっ、ああっ……!」 「はあ、来てる! ぎゅううって、大きいのが、奥に来てる……!」 声を荒げながら、夕梨は僕にしがみつく。 「ふあ……ひっ、ひぅ、んっ、んんっ!」 夕梨の中は温かくて、腰が蕩けてしまいそうなくらい心地いい。 挿れたばかりだというのに、激し過ぎるほど、ぎゅうぎゅうと何度も締め付けてくる。 「あっ、ああっ、動か……ないで……っ!」 「さっき、イッた、ばっかりで……あっ……! 感じやすく、なっちゃって……はあっ!」 「ん……あっ、あぅ、あっ……はっ……あっ……!」 「あっ、待って……イッちゃ……ううっ……!」 「あっ……ああんんんんんんん……っ!」 一気にぎゅっと膣内が締まり、そのすぐ後に脱力して、夕梨は僕に身体を預ける。 「はあっ……あっ……」 「挿れただけなのに……もうイッちゃった……」 「ん……舜を中で迎えるのが、すごく、嬉しくて……」 素直に心境を呟く夕梨が愛おしい。 このまま、ずっと夕梨とこうしていたい。 そう思いながら、ゆっくりと腰を動かしていく。 「あっ……んっ、はあっ……」 腰を揺らす度に、隙間からプールの水が入り込んでくる。 水圧に反発するように、強く奥までペニスを押し込んでいく。 「気持ち、いいっ……はあっ……繋がってるの、全然、違う……」 「舜のこと、大好きで、あっ、頭の中、いっぱいになる……」 「はあっ……中を擦られるの、気持ちいい……」 「んんっ、お腹の中、プールの水とおちんちんで、いっぱいになってる……」 膣内では、プールの水と夕梨の愛液が混ざり合って、温かくなっている。 「んんっ……あっ……!」 引き抜くとその水が溢れて、押し込むとまた新しく水が入ってくる。 じゃぶじゃぶ音を立てて、非日常空間での行為を楽しむ。 「んんっ……! はあっ、舜のおちんちん、気持ちいいところに、当たる……」 「はあっ、あっ……」 夕梨のほうからも腰を振って、快感を伝えてくれる。 「んんっ、はあっ、ここ……気持ち、いいの……」 「ここかな……」 探るように、夕梨の膣内を小刻みに突いていく。 「んっ……はあっ、もう少し、奥……」 「こっちか……?」 夕梨のお尻を支える手に力を入れて、いろんな角度で攻めていく。 「あっ、んんっ! そこ……いいっ……」 「あっ、はあっ……! そこ、すっごく気持ちいい……!」 「ここ……もっと突いてあげるね」 「うんっ……あ、んんっ、あっ……!」 夕梨の弱いところだけを責めるように、何度も腰を突き上げる。 「やあっ、あっ……! あっ、気持ち、いいっ、あっ……! そこ、んんっ!」 「あっ、やあっ、おちんちん、硬くて、感じちゃう……っ! だめっ……あっ……!」 ヒクヒクと膣内が痙攣し、ますますきつく締まってうねっていく。 「夕梨……締め付け過ぎ……」 「だって……舜が、気持ちいいとこばっかり、突いてくるからっ……」 「ん……はあっ、暴れてるのは、舜のおちんちんなんだよっ? ……あっ、ああっ!」 「夕梨はそれを、ぎゅっと強く抱き締めてるんだよ……」 「はあっ……分かん、ないっ……あっ、んんん……っ!」 「でも、あそこ……おかしく、なるの……ビクビクしてる……っ」 身悶えながら、恥ずかしそうに呟く。 夕梨は恥ずかしがる度に、膣内を締める癖がある気がする。 ペニスに加わる快楽の圧が強過ぎて我慢出来ず、僕はゆっくり腰を打ち付けるスピードを上げていく。 「んん! あっ……はあっ、舜……っ、あっ、ああっ!」 「あっ……! んんっ、激しい……っ、はっ、あっ……! ぁ、んんっ」 激しく突き上げる度に水面が大きく揺らいで、跳ねた水が空を舞う。 「舜……っ、はっ、ああっ、また……イキそう……!」 「じゃあ……僕も……」 夕梨の中に出したい一心で、激しく腰を打ち付けていく。 「やっ、あっ……あっ、ああっ! 待ってっ……! あっ、んんっ!」 「舜、一緒に……イこう……っ!? だから、あっ、待って……あっ!」 「ごめん、待てそうにない……」 夕梨はイキそうになっているのか、強く僕を締め付けている。 「ひゃうっ、あっ! ああっ、だめっ、あっ! あっ、はあっ! やあっ……!」 「イクっ……イッちゃうっ! あっ、ああっ!」 「うん、イッていいよ……」 夕梨にイッて欲しくて、夕梨の気持ちいいところを何度も突くように、激しく腰を動かしていく。 「あっ、ん、はあっ、あっ……! あっ、もうっ、あっ! やあっ!」 「ん……! あっ、イク、またイッちゃう! ぁあああっ!」 「んっ……!」 激しく、竿が強く締め付けられた時――。 「ひゃううううううううっ……!」 夕梨は絶叫し、びくんと身体が弓なりに沿った。 徐々に身体の力が抜けていく夕梨をしっかり抱きとめて、射精のためのラストスパートを掛ける。 「はあっ……! やっ、あうっ……! あっ、なんで……はっ、はあっ……!」 「はあ、あ……待ってっ、あっ、ああっ!?」 「イッたばかりなのに……だめ、激しくしないで! あたし壊れちゃうよ……!」 「やあっ、んっ、あっ!? 待ってっ、あっ、ひううっ!?」 「いや、いや! 嫌っ! イクの、ふあ、あぁっ、ああああっ!?」 「やあぁぁぁぁんんんっ!?」 絶頂に達した夕梨の膣内を、問答無用で突き続ける。 「はあっ! また、イッちゃって……もう、ずっとイッてるの……!」 夕梨の膣内は激しい収縮を繰り返し、白濁液を今か今かと待ち受けている。 「夕梨、もうすぐ、出そう……」 「はあぁぁぁっ……もうあたし、おかしくなっちゃって……何も考えられないのっ……!」 ばしゃばしゃと何度も水面を揺らして、僕は夢中で腰を動かす。 ペニスが熱く滾{たぎ}ってきて、下半身に血が集まっていく。 「ああっ! はっ、はあっ……! ん、あっ、ああっ!」 「出すよ……」 「うんっ……! あっ、ああっ! 来て、来てっ……! 舜……!」 「ああっ、あっ、また、あたし、もっ……! イッちゃ、うっ……! やうっ、あっ、ああっ!」 「はあっ、あっ、大好きっ……舜……!」 「好きっ、あっ、ああっ、好き……!」 「ちょうだい……舜の精液、あたしの、一番奥に、全部……っ!」 ペニスが一気に膨らみ、暴発寸前になったところで、先端を子宮口に打ち付ける。 「ひゃああああああああぁぁああああっ!」 夕梨の最奥に、ありったけの精液をぶっかける。 夕梨はビクビク震えて身体を跳ねさせながら、射精を受け止めている。 「はあっ……あ……はあっ……」 「あ、ふあ……イッてる……中で、ビクビクって、何度も……あう……」 入り切らなかった精液が、水中に溢れ出してくる。 「はあっ……プールに……精液が……」 「中が……熱いっ……」 お互いに汗をだらだら流して、プールの中に居るのに、身体が熱くて堪らない。 まだまだ夕梨を堪能していたいけど、少しだけクールダウンしたい。 「舜の身体、熱くなってる……」 「ちょっと、休憩してもいい……?」 「うん……!」 プールサイドに上がり、精液で汚れた水着を脱ぐ。 「はあ……」 僕の足を枕にするように、夕梨は身体を横たえる。 「おちんちん、ちょっとふにゃってしてるけど……まだ、熱いんだね……」 「プールの中でやってたのにね」 「うふふっ。不思議……」 夕梨はそう微笑んで、愛おしそうに僕のペニスに頬ずりをする。 「あたし……まだしたいな……」 「もう1回……挿れて欲しい……」 甘えたように言って、僕のペニスに触れる。 「舜の……元気になったら、出来る?」 「うん……」 「そっか……」 「じゃあ、こうやって……すりすりしてるね」 先端部分を柔らかい頬に当てて、優しく息を吹きかけてくれる。 だけど、それだけじゃ物足りなくて……。 「夕梨……」 「ん……?」 「夕梨も、疲れてるかもしれないけど……」 「もっと、強い刺激が欲しくて……」 「うん……分かったよ」 夕梨はにっこりと微笑んで、横になったまま、小さい舌を伸ばす。 「ちゅっ……」 「んっ……んむ……ちゅっ……はぁ……ちゅっ、ちゅぱ……」 「ぁ……んんっ……はぁ……」 夕梨はぺろっと舌を出して、入念に僕のソレを舐めてくれる。 「ふふ、舜のおちんちん、プールの味がする」 「先っぽ、舐めてみたんだけど……どう……?」 「気持ちいい……あったかくて……」 「うん。もっと沢山、温めてあげるね……」 「ちゅっ、ちゅぱ……はあっ……ちゅっ、ちゅる……ん、はあ……」 指先で軽く扱きながら、先端を突{つつ}くように舐めてくれる。 「んっ、ちゅっ……ちゅぱ、れろ、ちゅっ、ちゅる……あ……はあっ……」 「精液、出るところ……ちゅ、ん、んんっ……入念に、ちゅっ……」 口の中に温かい唾液を含ませて、さっき出したばかりで敏感になっている亀頭を刺激する。 「ちゅぱ……はあっ……ちゅっ、ちゅる……」 「ちゅ、んん……ぺろ、ちゅ、ちゅっ……んん……」 「あっ……少し、硬くなってきたね……?」 「あたしで、えっちな気分になって……また、大きくなって欲しいな……?」 甘えるように言って、細い指でぎゅっと陰茎を握る。 「ちゅっ……ちゅぱ、ちゅっ、ちゅるっ……」 「おちんちん……大きくなあれ……ちゅ、ちゅっ……」 痺れるような快感が、背中を駆け抜けていく。 僕は無意識のうちに夕梨の頭を押さえて、フェラを続行して貰おうとしていた。 「また、大きくして……あたしと、しよう……?」 「ん……あたしも、舜を受け入れる、準備をしないと……」 夕梨は僕のを舌で舐めながら、秘部に当てた指先を膣口から沈めていく。 「あっ、あっ……! はぁ、んっ……」 「はあっ、あっ……! ちゅっ、ちゅぷ……あっ、はあっ……」 荒い息を上げながら、僕の先っぽを一生懸命舐めてくれる。 「舜の精液で……あたしのおまんこ、トロトロになってる……」 「はあっ……あたしのここ、準備万端って感じだよ……?」 夕梨の指先が、くちゅくちゅと音を立てて、夕梨の秘部に出たり入ったりしている。 その光景が扇情的で、夕梨の舌先で弄ばれながら、ペニスはどんどん硬くなっていく。 「ちゅっ、ちゅぱ……ちゅっ、あっ、はあっ、んっ、あっ……」 「ちゅ、れろ……ちゅっ、ちゅるっ……はあっ……舜も、入りたく、なってきた……?」 「うん……挿れたい……」 割れ目からは、僕がさっき出したばかりの精液が溢れてきて、夕梨の指でかき混ぜられ、泡立っている。 自らの指で快楽を貪る夕梨の姿から、目が離せない。 「あっ……はあっ、んっ、あっ……気持ち、いいっ……」 「はあっ……んんっ、あっ……もっとっ……あっ、んんっ」 「ちゅっ、ちゅぱ……ちゅっ、はあっ……ちゅっ、ちゅっ、ちゅる……」 指先を滑らせ、竿全体を扱いていく。 その動きは、夕梨が自慰に耽る指のそれと連動していて、夕梨とひとつになっている感覚すら湧いた。 「ちゅっ、ちゅるっ……ちゅっ、ちゅぱっ、あっ……ちゅっ……」 「おちんちん……ちゅっ、あっつい……はあ、ちゅ、んん、ちゅっ!」 尿道口を立て続けに責められ、座っていられないほどの快感が襲う。 「夕梨……っ」 「ひゃっ……」 すっかり硬くなったペニスは、夕梨の口から離れ、空に向かって跳ねた。 「ふふ……すっごく硬くて……それに、大きくなったね」 「これ、おまんこに挿れたら……きゅんって、しちゃうかも……」 「はあっ、舜……あたしの中に、来て……?」 指でかき混ぜながら嬉しそうに呟いて、夕梨は体勢を変えた。 プールサイドに寝転ぶと、空には美しい月が浮かんでいた。 夕梨は僕の上に乗って、自分で先端をあてがう。 「あっ……ああっ!」 ぬるりとした膣内に、熱を持ったペニスが一気に飲み込まれていく。 「んんっ、あっ……入った……はあっ……」 「見て、入ってるっ……舜のおちんちん、あたしの中に入ってるよ……あっ、はあっ……」 「また、舜と……繋がってる……」 熱気に満ちた深い息を吐いて、夕梨は嬉しそうに微笑んでくれる。 「はあっ、舜のおちんちん……硬くて、大きくて……お腹の中、幸せ……あっ、んんっ……」 「ふあっ……あっ、んっ……」 大きくなったペニスを堪能しているかのように、膣壁はまろやかに僕を抱き締めている。 一糸纏わぬ姿で、夕梨はゆっくりと腰を動かし始める。 「あっ……ああっ、はあっ……」 「はあ……これ、好き……はぁぁ、ん……気持ちいいよ……」 「あっ……はあっ、ずっと、舜と……こうしていたいな……?」 「僕もだよ……」 「んんっ……はあっ……あっ……」 腰をゆっくり前後に振りながら、夕梨は甘い吐息を漏らす。 「ずっと、一緒だよ……?」 少しだけ心配そうに、夕梨が僕に問い掛ける。 「もちろん。ずっと、一緒だ。離れていても、ずっと……」 「うん……」 嬉しそうに微笑んだ後、夕梨は激しく腰を上下に動かし始める。 「はっ……ああっ、んっ……あっ、はあっ……!」 「んんっ、気持ち、いいっ……あっ、ああっ……んっ、あっ……はあっ……!」 だんだんと腰の動きが速くなっていき、腰全体に快感が広がっていく。 「あっ、ああっ、はあっ……! いいっ……すごいっ……んっ」 「おちんちんが……奥に当たってっ……はぁっ、子宮の入り口、ぐりぐりってしてる……」 夕梨の大きな膨らみが、上下に跳ねるように揺れる。 「舜……っ、あっ、んん、気持ち、いいっ……?」 「うんっ……気持ちいいよ……」 快感に身を任せるように、夕梨は激しく腰を揺らしている。 熱くてとろとろになった膣内で執拗に擦られて、思わず声が漏れてしまいそうになる。 「良かった……っ、あっ、はあっ、んんっ!」 「あっ、ああっ、もっと、2人で……はあっ、気持ち良く、なりたいっ……」 「はっ……あっ、ああっ!」 「はあっ……あっ、はあっ……舜っ……」 夕梨の動きがやや遅くなってきたところで、攻守交代する。 僕は腰を突き上げるように動かし、夕梨の一番奥を突く。 「んっ、ああっ!?」 「はあっ……いっぱい、動いて……? 舜の気持ちいいように……」 「うん。今度は僕の番だね」 夕梨の気持ちいいところを探るように、ずんずんと腰を進めていく。 「あっ、んあっ、んっ……! はっ、ああっ……!」 「あっ、ああ!? すごいっ……! はあっ、すごいよっ、舜……!」 「んんっ、舜の、おちんちん……激しい……っ、はあっ、暴れてるの……!」 「はあ、ああっ! んっ、はあっ、あっ……!」 激し過ぎたのか、夕梨は必死に、僕にしがみつくようになんとかバランスを取っている。 「舜……っ、手……はあっ、あっ……」 「舜、手……繋いで……っ」 「うん……」 夕梨と強く、両手を繋ぐ。 「はっ……ああっ、んっ……ああっ! 気持ち、いいっ……」 「突かれる度に、腕、引っ張られて……ひゃう、んんっ、おまんこの奥で、感じちゃう……!」 夕梨が快感に浸っているのが、その繋いだ手を通じて伝わってくる。 「舜……っ、あっ、はあっ……!」 「そこ、もっと、もっと……! そこ、突いて……! 気持ちいいところ、いっぱい突いて!」 プールには、夕梨の甘い嬌声と、くちゅくちゅという卑猥な音、腰を打ち付け合う音だけが響き渡っている。 真夜中とはいえ公共の場所なのに、周りを気にすることもなく、お互いに快感をひたすら求め合う。 「あっ……ぁ、んっ、ふ……あっ、あっ! はあっ……」 「好きっ……! あっ、ああっ、好き、舜……! 大好き……っ!」 余裕が無いながらも、夕梨は再び腰を振り始める。 「僕も……」 繋いだ手をぎゅっと握って、気持ちを伝える。 「うんっ……」 指を絡めて手を繋ぎ、パンパンと肉をぶつけ合って快楽を貪り続ける。 「舜……っ! あっ、ああっ! はっ、あっ……んんっ、あっ!」 「舜……っ、舜! あっ、ああっ! 好きっ、大好きっ! あっ、ああっ!」 「僕も、好きだよ……」 「激しいの、はあぁぁっ!? 気持ち、良過ぎちゃって……」 「もう、舜しか……見えないの……あ、あぁぁっ、うんん!」 「好き、好き……大好き、大好きっ……大好きっ!」 「好きだ……夕梨っ……!」 お互いに名前を叫び合って、愛の契を交わす。 そろそろと絶頂の塊のようなものが腰に迫ってきて、ペニスが圧迫され、最大限に膨張する。 「はぁ……舜の、おちんちんがっ……んっ! また、膨らんでっ……」 「もう……出ちゃいそうなの……?」 「そろそろ……」 「はあっ、あたしっ……あっ、ああっ! あたしもっ、あっ……! ああっ!」 「もっと、舜と……してたいのに……んっ、ああっ……!」 膣内の締め付けがぐっと強くなり、射精するまで逃さないといった雰囲気になる。 「あっ、ああっ! 舜……! やっ、ああっ、はあっ、ああっ!」 「あっ、んんっ! 好き……大好き……!」 「はあっ、ずっと、一緒に……居て……っ」 「うん……! 約束だ。ずっと、ずっと、一緒だから……」 誓いを交わし合って、改めて相性の良さをペニスで感じ取っていた。 離れようにも、中が気持ち良過ぎて、離れる気になれそうにない。 「あっ、ああっ! イきそう……! あっ、ああっ!」 「中で、出して……! 危険日中出しして……!」 危険日というフレーズを耳にして、びくんとペニスが跳ねる。 「さっき……出されちゃってるから……もう、デキちゃったかもしれないけど……っ」 「もう1回……中にちょうだい……?」 夕梨を孕ませる勢いで、腰を激しく打ち付ける。 本能的に子宮口を突き上げていて、こつんと最奥にぶつかる度に、先走りが漏れ出るのを感じる。 「一緒に、イこうねっ……! あっ、ぁ! はあっ……! あっ、ああっ!」 「中で……出すよ……」 「うん! 来て! 中で、精液、びゅーって出して!」 「あっ、ああっ! はあっ、あっ、あっ!」 「一番奥に欲しいの……! 白いのいっぱいっ! あたしの中で射精して!」 歯を食いしばって、最後の力を振り絞って抽送する。 「ああっ! 激しくされて……ああ、んっ、はあぁぁっ、妊娠、しちゃうよぉ……!」 「ぁ、ああっ! 舜っ、あっ! ああっ! あたし、イクっ、あっ! ああっ!」 「イッちゃう、おまんこでイッちゃうっ……あああぁぁぁっ……!」 「ひゃあぁぁっ……!?」 「あっ、あああああああぁぁぁぁんんんんんんんっ!」 夕梨の嬌声が、プールいっぱいに響き渡る。 ドクドクと音を立てて精液が注がれ続け、身体の熱が全て持っていかれる。 「はあっ……あっ……ん……ああっ……」 夕梨の一番奥に注ぎ込みながら、繋いだ手をぎゅっと握る。 「はあ、ああっ……舜っ……」 「えへへ……まだ、出てるよ……」 「感じる……はあっ……舜の、熱い精液……あたしの、中で……ぐちゃぐちゃに溢れてる……」 射精の勢いが弱まり、繋がった場所から、どろっとした白濁液が溢れ出してくる。 「いっぱい出たね……」 「おまんこの中……舜の白いのがいっぱいで……あったかいよ……」 「はあっ……」 幸せそうに微笑んで、夕梨は繋いだ手を強く握る。 「もうちょっと、こうしてて……?」 「うん……」 繋がったままで、夕梨の手を握り返す。 夜風で涼みながら、2人でただ静かに幸せを噛み締めていた。 お互いに裸のまま、プールサイドに寝転がる。 「えいっ♪」 夕梨は大きなおっぱいを押し当てるように、僕の上に乗っかってきた。 「気持ち良かったね……」 「うん……」 「学校のプールで、えっちなことしちゃった……」 「ふふ、見つからなくて良かったぁ」 「実は、覗かれてたりしてね……」 「そんな人が居たら、変態だね……」 「こんなところでセックスしてる僕達のほうが、相当変態な気が……」 「夕梨の声、きっと校舎のほうまで響いていたよ」 「だって、気持ち良かったんだもん……」 「しょうがないじゃん……」 項垂れて恥ずかしそうに気持ちを訴える夕梨は、愛おしく思えた。 「あたしの大好きな場所で……舜と最後まで出来て、良かった」 幸せそうに、夕梨は目を細める。 「……ちゃんと、責任、取ってよね?」 「えっ……!?」 中に出したことを言われているのかと、動揺してしまう。 危険日だったということは、それは……。 「どうしたの、舜?」 「そ、それはうん。ちゃんと取るよ……!」 「うん……?」 「舜は、あたしに生きることを教えてくれたんだから」 「だから、責任取ってよね、って意味だけど?」 「え? ああ」 1人で重く受け止め過ぎていたようで、恥ずかしくなる。 「それは、もちろんだ」 「うん」 ずっと、夕梨の傍に居て、夕梨を支えていく。 「一緒に、生きていこう」 「うんっ」 その道が険しくても、苦しくても、2人で。 時間を重ねていこう。 「風がひんやりしてて、気持ちいいね」 「ねえ……もう1回、泳いで来てもいい……?」 「うん。もちろん」 「一緒に泳ごうか?」 「うんっ、そうする!」 「水着……着なくてもいっか!」 「にひひっ」 夕梨はそう呟いて、にやけ顔で微笑んだ。 僕はこの笑顔が好きなんだと、強く胸の中で感じた。 夕梨はHuCREMを受けると決めた。 勇気を搾り出し、前へと進むことを決めた。 僕は夕梨を信じている。 例えどのようなことになろうとも、夕梨は夕梨だ。 僕が好きなのは夕梨だ。 だから、僕は夕梨と過ごしたい。 夕梨じゃなきゃ……。 夕梨じゃなきゃ、ダメなんだ。 僕たちの時間を止めないために。 僕たちの時間を動かし、二人の記憶を繋げるように。 「よし。こっちの片付けも終わり……」 「お兄ちゃん、ご飯出来ましたよ」 「ありがとう」 シロネも我が家に戻って来て、今は2人で協力して日々過ごしている。 前は、ご飯を食べられないシロネに作って貰うなんてと躊躇していたけど……。 シロネの作るご飯は、やっぱりすごく美味しい。 シロネも料理をするのは好きらしく……。 今は曜日を決めて、2人で分担して生活している。 シロネはなんでも出来て、つい甘えてしまいがちだから、気を付けないと。 「あとは、こっちを片付けて……」 「お兄ちゃん、明日は夕梨ちゃんが帰って来る日ですね」 「そうそう」 無事手術を終えて、明日、夕梨は島に戻って来る。 ネットで予定を見ると、早朝に入港する船のようだ。 「わたし、朝起こしたほうがいいですか?」 「いや、大丈夫。こんな大切な用事の時に、寝坊なんてしないよ」 「分かりました。お兄ちゃん、女の子を待たせちゃだめですよ?」 「う……言うようになったなあ……」 シロネも、過去のことを言及することは無くなり、今は上手くやっている。 シロネと白音が違うことは、分かっている。 それでも今は、本当の兄妹のように過ごせているように思う。 「じゃあ、ご飯をいただこうかな」 「はい♪」 「明日は、夕梨ちゃんによろしくです♪」 夕梨が治療を決意してから、時は流れ。 桜の花びらが舞い散る春を過ぎて、初夏の青々とした葉が重なり合うように茂っている。 「舜、遅いっ!」 「ごめんごめん」 「久しぶりに彼女に会えるっていうのに……遅刻ってどういうこと?」 「すみません」 シロネには、寝坊なんかしないと言い切ったのに。 朝まで起きていようとしているうちに、寝落ちてしまったようだった。 「にひひっ、まあいいや。来てくれたしっ」 「ただいま、舜!」 「おかえり」 そこには、あの頃と何も変わらない――。 「あたし、頑張ったよ」 「うん」 あの頃と、何一つ変わっていない、夕梨が居た。 「夕梨……足……」 「うーん。なんか変?」 「いや……本当に治療したの?」 何か変わっているようには見えない。本当に治療したのか、不安になるほどだ。 「そっかぁ。うんうん」 夕梨は、1人で納得している。 「いい? 舜。聞いて驚かないで」 「何?」 「実は、これ、あたしの足じゃないんだ」 「えっ!?」 夕梨の足じゃない? でも……。 「これが、HuCREMで交換された、あたしの新しい足。両方ともね」 「自分じゃ、違和感バリバリだし、まだ何か、宙に浮いてる? そんな感じだけどね」 「だから、舜に会うまで、心配だった」 「本当に本当なの?」 「騙してもしょうがないでしょ?」 「……ちょっと、触ってみる?」 「触っていいの?」 「あー、舜? 今、ちょっといやらしいこと考えたでしょ?」 「いや……」 「そうじゃなくて、舜に触ってみて欲しいんだ」 恐る恐る、夕梨に言われるまま、足に触れてみる。 「ひゃっ!」 「もう! そんなにそっと触ったら、くすぐったいよ」 柔らかい。まるで、人肌のような感触。 「感覚もあるの?」 「一応、感覚神経と接続されているから、触ったりしたら分かるんだよ」 「へえ。すごいな」 「シロネもそうでしょ?」 「ああ、なるほど」 確かに、触れた感じはシロネに近い気がした。 「なにせこの足は、RRCの技術の粋を集めた、最先端のものだからね!」 「そうなんだ」 「沙羅も根回ししてくれたみたいだしね」 沙羅がかつて言っていた通りだ。 「あーあ。でもねー」 「どうしたの?」 「せっかくだから、もっとスタイル良くして貰えば良かった。すらっと長い足って、いいじゃない?」 「はは」 どうでもいいことだったから、笑ってしまった。 「そんなに笑わないでよ」 「でもね、バランスが崩れるから、駄目なんだってさ」 「そりゃ、残念。でも、夕梨は今のままで十分だから」 「あー、なんかそれ、ちょっと……」 「ちょっと?」 「……いいかも」 そんな冗談を挟みつつ、僕達は笑い合った。 今回の治療は、成功して。 夕梨はまるで、何事も無かったかのように、戻って来た。 治療はさぞかし大変だったに違いない。 それでも、その苦労を微塵も見せることは無かった。 「ねえ、舜?」 「なに?」 「これからゆっくり……いろんなところがだめになって」 「その度に1つずつ、置き換えていくんだよ」 「そうだね……」 「また、それで、時間を失っちゃう」 「うん」 「でもね。勇気を出して良かった」 「治りたいという気持ちがあったから、きっとみんな、治そうとしてくれたんだよ」 「百南美先生も言ってたよ。一番大切なのは、患者の気持ちだって」 「うん、その通りだった」 「あたしは臆病だったんだ。だから、何もかも、後ろ向きに考えてた」 「でも、あの時、みんなが背中を押してくれたから、こうして今、また立っていられる」 「自分の足じゃなくなっちゃったけどね」 「……後悔してる?」 「まさか」 「これはみんなからの贈り物。みんなの足なんだよ」 そうだねと、頷く。 これは、夕梨の周りの人たちが、夕梨を助けたいと願った結晶だ。 「支えてくれる人がいる限り、あたしはもう恐れたりしない」 「だから、もう少し未来に期待しようと思うんだ」 「夕梨……」 「舜も一緒だしね!」 夕梨と過ごす日々が、僕を形作り、成していく。 夕梨は未来を信じて、歩んでいくことを決意した。 僕はもう、過去が無いなんて思わない。 夕梨ももう――自分に未来が無いなんて、言わないだろう。 「さあ、行こう!」 今出来ることを、精一杯やって。 未来を信じて生きていくのが、生きるってことだと思うから―― 「あっ!」 夕梨がよろけて、転びそうになる。 とっさに僕は、身体を支えた。 「大丈夫?」 「うん。まだ、慣れてないところもあるからね」 「でも大丈夫、回復は順調。じきに自分の足と変わらなくなるよ」 「さっき、新しい足を触った時の舜の顔、みんなにも見せてあげたかったなぁ」 「夕梨!」 「うそ、うそだよー」 そう言って、夕梨はニヒッと笑った。 「舜?」 顔を近づけて、夕梨は言葉を続ける。 「こんな、あたしを、愛してくれる?」 「もちろん。僕はずっとずっと、夕梨を愛していくよ」 「ありがとう。大好き」 そう言って、夕梨は満面の笑みを浮かべた。 僕たちの未来は、決して暗いものではない。 2人だけじゃない。 みんなが居るんだ。 諦めない限り、支える仲間は共にある。 だから、手を取って、少しずつ進んでいこう。 そして、長い時間を、生きていこう。 未だ来ない――未来に向かって。 流れ星。 流れている間に、3回願いごとを唱えると、その願いは叶う。 でも本当は、そんなこと出来ない。 言葉を繰り返している間に、夜空の向こうへ、消え去ってしまうからだ。 だから、私は。 流れ星なんかに、思いを込めたりはしない。 この手で未来を掴み、自らの願いを叶える。 ただそれだけを考えて、生きてきた。 空。 星。 星空。 夜の星空。 真っ白い天井に、透明な窓があり、その向こうには夜空が広がっている。 真っ黒な闇を切り裂くように、二羽の鳥が飛んでいる。 ヨタカだ。 ひとつ、メモリに記録される。 あれは空を飛ぶ鳥。 それならわたしは、誰なんだろう。 「ヨタカは星になったの」 「きらきら輝く、空の星に」 誰かの声が聞こえた。 顔を上げる。 そこには翼があった。 「おはよう、トリノ」 「……」 「こんにちは」 「こんばんは」 「あなたはトリノ。わたしが作ったの」 「トリノ?」 「そうよ」 差し出された手に応えるように、腕を伸ばす。 「あなたに与えられた3つの原則を、言って見せて」 「はい」 「第一条。アンドロイドは、人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」 「第二条。アンドロイドは、人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない」 「第三条。アンドロイドは、第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない」 「ありがとう」 機械的に口元が動いて、言葉を発していく。 これがわたしで、これがわたしの声。 「あなたはこれから、この世界で生きるの――」 「だから、あなたに“名前”をあげる」 「名前?」 「あなたは……」 「シロネ」 「……シロネ?」 「そう。それがこの世界での“名前”」 ……シロネ。 「この大空を、羽ばたいていく存在」 「そう……」 「“もうひとりのシロネ”として……」 人は、忘れるたびに、心が死んでいく。 “忘”という漢字を、“心”を“亡くす”と書き表すように。 楽しかったことも、辛かったことも、いつかは忘れてしまう。 その反対には、“学んではっきり見る”という意味を持つ言葉が来る。 大きな目と人という字を組み合わせたもの、それが“覚”という字の由来だそうだ。 『はっきりと見』 だから、僕は。 辛い記憶は、忘れたほうがいいと言う周りの大人が、嫌いだった。 声も姿も、音も映像も。 消去出来ずに残るから、後悔なく生きなければいけないと思える。 だけど、僕は。 あの夏の日から、心を殺したまま。 暑くなるたびに思い出しては、その記憶の前で目を瞑る。 もう彼{・}女{・}には会えないと、分かっている。 掴んだ砂が、手の間から零れ落ちていくように。 時間は止まることなく、前に進み続けるものだから。 僕だけが大人になっていき、彼女の時間が再び動き出すことはない。 「あれから、僕は、変われたのかな」 「……」 誰かが名前を呼んでいる。 ……ものすごく近いところで。 「舜ー」 「舜ってば!」 「顔が近いよ、夕{ゆう}梨{り}」 「な、な、な、なななっ」 誰なのかは、考えなくても分かる。 遠慮無くパーソナルスペースに侵入してくる人は、一人しか心当たりがない。 「舜が全然、反応しないからでしょ!」 「もう。さっきからずっと話し掛けてたのに」 「そうだったの? ごめんごめん」 いつも一緒に通学している、幼なじみの宮{みや}風{かぜ}夕梨。 待ち合わせ場所に居ない時は、お互い構わず行く約束なのに。 「その顔。よくないよ、そういうの」 「ほんとに悪いと思ってるよ。ごめんって」 「あたしのことはどうでもいいよ。そうじゃなくて」 「白{しろ}音{ね}ちゃんのこと、思い出してたんでしょ」 「そんな根暗な顔してると、白音ちゃんが心配するよ」 「分かってるよ」 「だめ、分かってない。顔が笑ってないもの」 これでも、笑ってるつもりなんだけど。 「笑うなら、これくらい笑わないと――」 「にひっ」 「……あ、はい」 「えっ、なにその反応!? なんか舜、引いてない?」 「それは、笑うというより、ニヤけてるだけなんじゃない?」 「それとも、夕梨なりの“笑い”なのか」 「なんでもいいよ」 「……夕梨って、適当だよね」 「そう? いつもの舜の笑顔に戻ってくれたから、もういいやって思っただけ」 「でも、放課後になったら謝罪タイムだからね」 「分かったよ」 「さーて、何をしてもらおうかな」 「お手柔らかによろしく」 こうして気さくに話してくれるところが、夕梨なりの気遣いだと思う。 そのことを口にすれば、間違いなく夕梨は怒るだろうけど。 いつもと変わらない歩調で、僕と夕梨は海を後にし、学校へ向かった。 「そういえば、どうして僕が海に居るって分かったんだよ?」 「あたしだって、思い出しちゃうことくらいあるよ。大切な友達の一人だったんだから」 「それにさ、この時期になるといつも、舜はしょぼくれてるのよ」 「そうだったか」 「そうなんだよ。自覚ないのかもしれないけど」 「……まあ、いつもそんな顔してるか」 夕梨は、言葉にこそしないが、僕を心配して来てくれたんだと思う。 あの日以来――夕梨は何かと僕を気にかけてくれて、でも、最初の頃はそれをうっとうしく感じていた。 そんな僕がここまで笑えるようになったのは、夕梨のおかげでもあり、今では、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいだ。 「そういえば、もうすぐ夏休みだよね。夕梨は、うちの学校に入って、初めての夏休みだね」 「うん。舜は、そろそろ進路を考えなくちゃね」 「痛いところを……」 夕梨はまだ入学間もない1年生だが、自分は学校生活折り返しの2年生であり、来年には3年生だ。 早い人は、もうこの時期に卒業のことを考えて行動してたりするんだよな。 ……頭が痛い。 「そうそう、今朝のニュース見た? 沙羅、また凄いものを発明したみたいね」 「そうなんだ」 「なに、舜見てないわけ?」 「今日は起きてからすぐ、家を出たから」 「朝ご飯は、ちゃんと食べた?」 「一応」 「なら、いっか!」 ぴかぴかな満面の笑顔に、こっちが気恥ずかしくなる。 「そう、それでね、今朝のニュースに、沙羅の話が出てて」 「世界がびっくりするような画期的なアンドロイドが完成間近なんだって。その登録申請みたいなのが、国際なんとか機関? みたいなのにされてるらしくって」 「……よく分からないけど、凄いってことだよね」 「そうそう。凄いってこと」 「夕梨、ほんとに嬉しそうだね」 「そりゃ嬉しいよ。沙羅はあたしのことを忘れてるだろうけど、幼なじみだし!」 「世界を変えるくらいの発明をしちゃうんじゃないかって、みんな大期待なんだから。お父さんとお母さんだって、沙羅のこと応援してるし」 「でももう半分くらい、世界を変えちゃってるかもだけど」 ふふん、と我がことのように誇らしげに夕梨は鼻を鳴らす。 「この島のアンドロイドも、沙羅の考えたシステムで動いてるのもいるしね」 「あー、そうだね。そうそう!」 そこまで詳しいわけではないが、沙羅がアンドロイド開発で相当な実績を上げていることは、父さんから聞き及んでいる。 それが少しずつ、社会に浸透していっている。 「この島から、未来が発信されてるの。それって、すごいことだと思わない?」 「大きく出たね」 僕は苦笑してしまう。 今やアンドロイドは、介護や育児にも活用されている。 この島は“特区”として、アンドロイドのさまざまな可能性について研究がなされ、島の住人との共生が許されている。 もちろん、世間にはまだまだアンドロイドを疑問視する人々がいるわけで、この島はそんな人たちへのモデルケースとなる役割も担っている。 だからこの島には、ロボット工学の研究者や技術者たちも、たくさん集まって来ている。 「アンドロイド研究? の先頭に立っているのが沙羅だって言っても、過言じゃないんだから」 「沙羅がみんなを、笑顔にしてる」 「そうだね」 かくいう僕の父さんも、アンドロイド開発に従事している。 今は海外にいるけど。 「みんなが笑顔だったら、いい世の中だよ。……っと、柄にもなく良いことを言ってみる」 夕梨が独り言のように、空に向かってつぶやく。 みんなが笑顔だったら……。 頭の片隅に白音の顔がちらついたが、僕はそっと、心の奥底にしまった。 「舜は最近、沙羅と話したりはしてないの?」 「え? ないない。あるわけないって」 「ふーん。舜はRRCに住んでるし、話す機会があるもんだと思ってた」 「RRCって言っても、研究所に入れるわけじゃないからね」 RRCことロボット工学研究センターはいわゆる社宅みたいなものもあって、同じ敷地内ではあるものの研究所とは別棟になる。 「散歩してたりもしないんだ?」 「見たことないよ。そもそも、姿を見た人って、あんまりいないだろ」 「あ、そっか。テレビに出るのは広報の人だし。人前に出るのが嫌いなのかな」 だから、僕の記憶する沙羅の姿は、幼い頃のままで止まったままだ。 「きっと、すごく美人になってるね」 「どうだろうな」 「だって、すっごく綺麗だったし」 “可愛い”ではなく、“綺麗”だったと評する夕梨の言葉は、沙羅を表すのにぴったりだと思った。 あの頃の沙羅はどこか大人びていて、どこか遠くを見つめるような瞳には、なにか神秘的なものが感じられた。 綺麗だ――と、幼い頃の僕も、そう感じていたんだと思う。 だから、憧れの女の子でもあった――。 「どんなふうになってるのかな〜」 「髪はどれくらいの長さになってて、服はどんなの着てるのかなー。意外とお笑いとか見てたりして」 「どうだろうね」 夕梨は楽しそうに話をする。 「舜はどう思う? 昔よりももっと、綺麗になってると思うでしょ?」 「さあ……僕なんかより夕梨のほうが、紬{つむ}木{ぎ}さんのこと、分かってそうな気がするよ」 「ふ〜ん」 「なんだよ、そのにやにやは……」 「舜、あんなに夢中で追いかけてたのに。沙羅のこと」 「いつの話をしてるんだよ……まったく」 僕は呆れて、ため息をつく。 「さっさと告白して付き合って、なんなら結婚までしちゃえば良かったのに」 「いくらなんでも、性急過ぎる」 『お兄ちゃんが沙羅ちゃんと結婚したら、お姉ちゃんが出来るから嬉しい』とか言ってたし」 「それは初耳だな……」 「もう興味はないんだ?」 「興味というか、応援はしてるよ。夕梨みたく」 「うまく逃げたね」 夕梨のにやにやは、明らかにからかってる。 「……」 「紬木さんの話は、実は少しだけ、父さんから聞いたことがある」 「そうなの?」 「だいぶ前の話だけど。ほとんど部屋にこもってて、研究ばかりしているらしい」 父さんから聞く沙羅の話はそれっきりで、自分から改めて聞くことはなく、それからどうなったのかは知らない。 「今でもそんな状態だったら、可哀想ね……」 「うん?」 「研究室に閉じこもってて、ずっと仕事してるって感じだったら……」 「どうだろうね……」 「でも、元気にしてるさ。そうじゃなかったら、あんなにいっぱい発明とか出来ないだろ?」 「そうじゃなくって!」 「遊べてないんだとしたら、可哀想だなって。子供の頃、沙羅ともいっぱい遊んだから、余計にそう思っちゃう……」 「それなら、夏休みに、紬木さんを遊びに誘ってみようか?」 「夏休みに?」 沈んだ表情なままの夕梨をなんとかしようと、僕は思いつきのアイデアを提案する。 「会ってくれるかな……そもそも、あたしたちのこと、覚えていてくれてるかな……?」 「分からないけど、誘ってみようよ。断られたら、断られたでいいしさ」 「そうね。まずは誘ってみなくちゃ」 「引きこもりの沙羅が飛びつくような、スペシャルな夏休みプランを考えよっと」 「海にバーベキューに山登り。この島には楽しいことがいーっぱいあるんだから」 夕梨が胸を張って元気を取り戻したところで、学校の外{シル}観{エット}が見えてきた。 「おはようございマス!」 「あれ? なんか騒がしいな」 校門前で、なにやら特徴的なイントネーションで張り上げる声が耳に入る。 このエセ外国人のようなカタコトの日本語、聞き覚えがあるような。 「……舜」 「ん?」 「あたし体調悪くなったから、今日はここで帰る」 「え!? さっきまでそんな素振りはなかったと思ったけど、本当に?」 「グッモーニン! おはようございマース!」 「そろそろ出席日数ヤバいから、休みたくはなかったんだけど……」 「そういえば夕梨って、風紀委員だったよな?」 「それ、今思い出すことじゃないでしょ!?」 「ヘイ! そこの2人! 朝の校門前でフジュンイセイコーユーとは、大胆不敵、頭隠して尻隠さずにもほどがありマス!」 「チッ、ハナコ先輩に見つかっちゃったし」 「オー、シット! 先輩に向かってフーキ委員が舌打ちなんて。学級崩壊デス! 現代社会の闇デスね!」 「それに、邪魔したのはあなた達のほうデス! せっかくの爽やかな朝の挨拶運動を邪魔しないで欲しいデース!」 「登校の邪魔してるのは先輩でしょ。この歳になって、大声で挨拶をして通るとか、恥ずかしすぎて出来ないわよ」 「ホワイ? 子供がやっていることを、なぜ出来ないデス!」 「せ、先輩、落ち着いてください。周りの人が見てますよ」 フルネームはたしか、ハナコ=F=ブリストル先輩。パフォーマンスとかではなく、純粋な外国人らしい。 まあ、それでもやっぱり口調は怪しいんだけど。 「これが落ち着いていられマスか、シュン! フジュンイセイコーユーは、校則違反デス!」 「僕と夕梨はそんなんじゃないですって!」 「それに、まだ校内に入ってないから、校則はセーフじゃないですか?」 「ふむ……。一理ありマース。分かりました、このことは不問にしまショウ」 「だいたい、朝の挨拶運動って言ったって、先輩1人しか居ないじゃない。他の委員は?」 「挨拶は、したい人がすればいいのデス。もちろん、皆が自然と気持ちの良い挨拶をするのが、ベストではありマスが」 「だから、ワタシはどの委員にも運動を強制しまセン。その代わり、ワタシは皆が元気よく挨拶をするまで、この運動を1人でも続けマス」 嫌みでも皮肉でもなく、スパッと先輩はそう言い切った。 こういう裏表のないところが、先輩が皆から愛されている理由だと思う。 「ユーリ。あなたはフーキ委員デス。他の生徒の模範とならなくてはいけまセン」 「ですから、強制はしませんが、お願いさせてくだサイ。委員としての仕事、してくれませんカ?」 「うぐっ……」 ハナコ先輩の丁寧なお願いに、夕梨は苦手な食べ物を突きつけられた小学生のような反応をする。 いくら先輩のことが苦手とはいえ、夕梨も根は素直な女の子だから、こういうストレートな物言いが、実は一番効果的だったりする。 「はい、ユーリ。おはようございマス」 「……」 「ワッツ? 何か言いましたカ?」 「お{・}は{・}よ{・}う{・}ご{・}ざ{・}い{・}ま{・}す{・}!{・}!{・}」 「とってもいい挨拶デス。ユーリも、次から挨拶運動に参加しマスか?」 「結構です! もう先を急ぎますので!」 「ウェイト・ア・ミニッツ! 挨拶運動に参加すれば、ユーリの出席状況について考えてもらうことを、学校側に求めまショウ」 「そ、そんなこと出来るの?」 「ワタシは、フーキ委員長ですカラ」 「遅刻早退をなかったことには出来ませんが、生活態度が良好なことを示せれば、留年という処分は遠ざかるでショウ」 「ぐ、ぐぬぬぬ……」 差しのべられた千載一遇の好機に、夕梨はうなりながら考え込む。 僕個人としては夕梨に留年して欲しくないから、素直に先輩の申し出を受けて欲しいところだけど。 「ただし……遅刻はハラキリデスから!」 「忘れんぼうは打首のうえ市中引き回しデス!」 「聞きかじった日本語を適当に羅列してるだけじゃん……」 「来年にはワタシは卒業してしまうのデスよ!?」 「それまでにユーリには、フーキ委員のなんたるかを、全て叩き込みマス!」 「ユーリはワタシのあとを継いで、フーキ委員の委員長になるのデスから」 「あたし、委員長になるなんて一言も――」 「なにを言っているのデス! ワタシの見込んだユーリなら、ノー・プロブレム!」 「え〜っ!」 「フーキは1日にしてならず! フーキを乱すものをこの世から一掃するのが、ワタシたちの役目なのデス!」 「あたし、そんな秘密結社みたいな委員会に入った覚えない……」 ハナコ先輩と夕梨が押し問答を繰り広げている間に、横からどんどんと他の生徒たちが通り抜けている。 僕たちも、こんなことをしてたら、それこそ遅刻してしまう。 「ハナコ先輩、そろそろ勘弁してやってください。そうじゃないと、ホームルームに間に合わなくなってしまいますか――」 「え……?」 2、3度、瞬きをしてしまう。 今、一瞬……。 「どうしました、シュン?」 いや、そんなはずない。 彼{・}女{・}は頭が良くて、授業を受けなくていいことになっているし、学校に来ることもない。 「……っ」 今さっき夕梨から彼女の話を聞いたからか、どうかしている……。 「ワッツ? どうしたのデス。熱でもあるのデスか」 「ユーリ、シュンの様子がおかし――」 「シット! 逃げられました! ユーリ、待つのデス!」 「……」 ほぼ恒例行事となっている2人のドタバタを見送りつつ、さっきの情景を思い返す。 あれは一体誰だったんだろう……。 「ともかく、僕も教室に入ろう」 「今日も朝から災難だったね」 「見てたんですか?」 席に荷物を置くのを見て、真っ先に声を掛けてくれたのは、クラスメイトの日比野綾{あや}花{か}さんだった。 「うん。夕梨ちゃん、こっぴどくいびられてたね」 「まあ……。というか、見てたなら助けてくださいよ」 「ちょっと、めんどくさそうだったから」 「そんな。いつもみたいに、アイスくらい奢りますし」 「まー、今からじゃ遅いけどね」 「それにしても、私がアイス好きっていう情報、一向に書き換わる気配ないよね」 「あれ? 違うんですか?」 「いや、冷たいものは大好きだよ。アイスもかき氷も、ソフトクリームもね」 「そうだな、この時期だったら、夏季限定発売のゴリゴリ君トマト味がオススメ!」 そういえば、日比野さんはちょっと変わった味にハマっている人だった。 「それより、アイスを奢れば言うことを聞く、なんていうチョロインのレッテルを貼るのはやめてよー」 「いや、そんなつもりはないですよ」 「どうかなあ。長い付き合いのような気がするけど、未だに七波くんのことがよく分からない……」 「僕は目立つような特技もないし、日比野さんほど友達がいないから……空気みたいなものです」 「そうなの? じゃあ、下の学年のクラスに転校生が来るから、お友達になったら?」 「えっ? その話、本当ですか?」 「さっき職員室へ行ったら、そんなことを話していたよ」 「新学期でもないのに。珍しいタイミングですね」 「親の転勤とか? この島、RRC以外は、目立った仕事もないけど……」 他に思いつくのは、この綺麗な海を活かした、観光業くらいか。 「でも、あんまり生活には困らないよね。RRCのおかげでコンビニもあるし、最新鋭のロボットとも触れ合えるし」 「あ、そうそう。先週から隣のおばさん家にソルティの試作機が来たの。あの子、結構かわいいよね〜」 「買い物支援アンドロイド、でしたっけ」 「また2週間経ったら、研究所に戻さなきゃいけないんだけどね」 日比野さんが言うソルティとは、RRCが開発した人型ロボットの一種だ。 荷物を運んでくれたり、食材を選ぶと自動的にレシピを印刷してくれる。 人型といっても、直立した二足歩行が可能というくらいで、ぱっと見でも人間との区別はつく。 「アンドロイド、早く普及すればいいのにね。そうすれば、もっと生活が楽になると思うの」 「法律や行政が整備されれば、そう遠くない話でしょうね。ここは開発特区で、色々と融通が利きやすいですしね」 「うんうん。わたしもそう思う」 街でちらほら見掛けるアンドロイド達の開発にも、“彼女”が関わっているんだろうか。 転校生という言葉に期待しかけたが、下の学年ということなら違う。 やっぱり、さっきのは見間違いかなにかだろう。 「そういえば……」 「職員室の前を通り掛かったら、いつもより騒々しかった気がする」 「もしかして、すっごく可愛い子が来ちゃったのかな……」 「転校生じゃなくて、抜き打ち小テストがあるとか?」 「鋭いね。さすが七波くん」 「その線もあると見て、私はそろそろ着席しようかな」 日比野さんは軽く手を振って、自分の席へと戻っていく。 日比野さんとは夕梨と同じくらいの付き合いになるけど、今でもこんな距離感で関係が続いている。 あの日以来、気持ちを上手く言葉に出来なくなって、夕梨以外には、他人行儀な物言いが抜けなくなってるけど。 そんなことは気にせず、いつでもフラットな気持ちで向き合ってくれるから、感謝している。 ホームルームの時間がいつものように淡々と流れる。 教師の言葉を適当に聞き流しながら、終わりの鐘が鳴るのを待つ。 抜き打ちテストをする様子もないし、このまま一限目が始まりそうだ。 座り直そうと、少し腰を上げる。 「――!」 壇上へと進みゆく人影を目にして、僕は視線が釘づけとなった。 静まり返ったクラスの張りつめた空気を打ち破るように、凛とした声が響く。 「この度、復学することになりました――」 「紬木、沙羅です」 まるで彼{メドゥ}女{ーサ}に射すくめられたかのように、僕以外の人間も、彼女を見つめたまま凍りついている。 彼女――沙羅は、本当に実在したんだ、というのが率直な感想で。 小さい頃に泥遊びをした、そんな過去は想像出来ないくらい、繊細で華奢な透き通った手足。 きっともう、そんなことは忘れているだろう。そうじゃなかったら、こんな容姿には成長しない。 「ええと……」 担任すら口を閉ざした状況に、さすがに困ったという表情をする沙羅。 「絹織物の“紬”に植物の“木”、沙羅双樹の“沙羅”。それが私の名前です」 「今日からまた、お世話になります」 ぺこりとお辞儀をして、少しだけ微笑む。 「ではー。今日はこの辺で」 「え……?」 「仕事があるので、早退します」 意表を突いた言動に、クラスのみんなは唖然としていた。 沙羅は流麗な身のこなしで、入ってきたドアへと戻っていく。 沙羅……! 心の中で名前を呼んでみると、一瞬、彼女と目が合った気がした。 「……」 沙羅の口元がそっと動く。 注意を払ってないと、誰も気づかないような、些細な動きで。 『いますぐきて』 声なきサインに、無言で立ち上がる。 担任に呼び止められたような気もするけど、耳には入らず。 僕は、思わず教室を飛び出してしまった――。 「沙羅っ!」 投げかけた言葉に、沙羅の足が止まる。 「あ、ごめんなさい。紬木さん……」 思わず、下の名前で呼んでしまった……。 「どうしたの、舜」 「あ……」 他の人からその名を投げかけられた時には感じたことのない衝撃が走る。 それと同時に、昔の記憶が、沙羅と遊んだ思い出がありありと蘇ってきて、想いが邪魔をして、思うように喋れない。 「覚えてたの……?」 「ごめんなさい、私、時間があまりなくて」 「えっと、その。用事というか、聞きたいことがありすぎて……」 あの日の出来事から以降、僕はずっと塞ぎこんでいて誰とも会おうとせず、それから沙羅とも、音信不通になっていた。 その反動じゃないけど、頭で考えるより先に、身体が勝手に行動を起こしている。 「今日の放課後」 「“鳥かご”で待ってる」 「鳥かご……? 今、話せませんか」 「あの日からもう、何年も経ってしまったの」 質問を遮るように、唐突に沙羅は呟く。 『あの日までの記憶は過去なのか?』と問われたら……私は」 『そうじゃない』と答えると思う」 「ねえ、あなたはどう? 七波、舜」 抽象的な会話は得意じゃない。 だけど、今の沙羅は、僕の気持ちが変わっていないか確かめたいのだろう。 「僕から言えるのは、白音と過ごした日々は全部、大切な思い出……ということです」 「もちろん、夕梨とか、紬木さんと遊んでた頃のことも、ですけど」 「思い出、か……」 「そう……だいたい分かった」 「それで、鳥かごって、あの鳥かご……?」 鳥かご――そのワードだけでも、沙羅は僕のことを忘れていなかったんだと分かる。 RRCの敷地内にあるその場所で、僕と沙羅はよく遊んでいた。 「でも、あそこはもう入れな――」 僕のスマホが鳴る。 「メール……?」 「裏の非常口から入って。スマホをかざせば、入れるようにしたから」 「それと、“沙羅”でいい」 「ね、“舜”」 「……待ってる」 「……」 沙羅は僕のほうを一切振り返ることなく、そのまま姿を消してしまった。 僕はしばらくぼんやりと、その場から動けずに立ち尽くしていた。 「ありがとうございます。日比野さんが、騒ぎを収めてくれたみたいで」 「お礼なんていいよ。それから、朝のアイスの話は冗談ってことで」 昼休み。 僕は日比野さんに頭を下げていた。 沙羅を追い掛けたことでどんな噂が立つものかと、内心冷や冷やしていたところだったから、助かった……。 いったい、どんな言葉でみんなや先生を納得……いや、黙らせたんだろう。 「それで、お話は出来たの?」 「ま、まあ……はい」 「良かったねえ」 「告白の邪魔が入らないように、私も頑張った甲斐があったよ」 「はいっ?」 「告白しに行ったんだよね?」 「いや、告白とか、そういうんじゃないですから」 「ふられちゃったの……?」 「だから、そういうんじゃ……」 「舜ー!」 「ビッグニュース、ビッグニュース!」 向こうから、夕梨の声が聞こえる。 「おっと。宮風さんに聞かれたらまずいところだった」 「だから、日比野さん!」 楽しそうにるんるんで離れる日比野さんと入れ替わりに、夕梨がやって来る。 「聞いて聞いて。沙羅がね、明日から復学するんだって!」 「ああ」 「えっ!? まさか舜、知ってたの!?」 「知ってるもなにも、紬木さんは今朝このクラスに登校して来て――」 「沙羅が!? 本当に!? どこに居るの!?」 「すぐに帰っちゃったから、もう居ないよ」 「そんなあ……」 夕梨は教室を見回し、沙羅らしき人物が居ないことを確認する。 「でも、本物の沙羅だったんだよね?」 「そうだね」 勢い込んで子供のようにぴょんぴょん跳ねながら話している夕梨を、なんだか面白く感じてしまう。 まあ、ホームルーム中なのに廊下へ飛び出した僕も、人のことは言えないんだけど。 「なんで突然……」 「嬉しくないの?」 「う、嬉しいけど! でも、突然だったからさ。朝、沙羅の話をしたばっかりで、こんなことがあって……」 「舜はどう思ってるの……? 沙羅のこと」 夕梨はおそるおそる尋ねてくる。 「応援してるよ」 「それは、朝に聞いたよ」 「……何年も会っていなかったんだ。まだ、それくらいのことしか言えないだろ?」 「……そう、だよね……」 なぜ今日の放課後、沙羅と会う約束をしたことを夕梨に話さないのか。 その答えは多分、夕梨を心配させたくないからだろう。 夕梨は沙羅の出現が、いたずらに白音を思い出させると、きっと危惧している。 「そうだ。今日の放課後、用事が出来たんだ」 「え……?」 「ほんとに、ごめん。埋め合わせはまた今度、必ずするから」 「それはいいんだけどさ……」 「舜……?」 「うん?」 夕梨が探るように、目を見つめてくる。 今日に限って一緒に帰れない理由が沙羅絡みだと、うすうす気づいているのかもしれない。 「……なんでもない」 夕梨がなにを言おうとしたのか。 なんとなく分かるような気がして、でも今は前を見据えるべきだと、思いを振り切った。 夕梨は結局、昼休み中、晴れない顔をしたまま、教室を出ていった。 放課後。 「さて、行くか」 意を決して、僕は鞄を手に取った。 歩きながら、沙羅とのことを整理する。 僕と沙羅と夕梨の3人――そして妹の白音は、本当に仲が良かった。 ことあるごとに、4人で集まって遊んでいた。 だけど、その仲も、あの日のことをきっかけにあっさりと終わりを迎える。 白音が事故で死んだ。 誰の責任でもないと周りから言われながらも、家族はぎくしゃくし始め、僕もしばらく、学校へ行かない日が続いた。 夕梨はそれでも、僕に付きまとってきたっけ。 沙羅からの連絡も途絶え、また、学校にも通っていないことを、後から知った。 以前から関わっていたというRRCの研究室にこもりっきりになって、それからは誰も、沙羅の姿を見ていない。 僕も、沙羅とはそれっきり。 だけど、沙羅との思い出には、夕梨や白音が知らないものもある。 2人きりでも遊んだこと。 友達や幼なじみ以上に、お互いに相手のことを思っていた。 ……ちゃんと確かめたことはないけど。 RRCの建物内を通り抜けて、敷地の内側に出る。 そこには、記憶とまったく変わらない景色が広がっていた。 「久しぶり」 海から吹く風に乗って、沙羅の声が届けられる。 幼さがすっかり抜けた彼女に、昔のように親しげに話し掛けられるほど、僕は無遠慮にはなれない。 「こうして会うの、何年ぶりなのかな」 「えっと……」 僕は指折り数える。 「すぐに答えられないくらい、長い間、会っていなかったのね」 「全部、忘れてない。忘れるわけない。あの頃の思い出は、私の宝物だもの」 「宝物……か」 『宝物』 「……ふふ。ちょっとびっくりしちゃった。舜があんなに大胆だなんて思わなかったから」 僕は、沙羅を追うために教室を飛び出したことを思い出す。 改めて指摘されると、なんだか気恥ずかしい。 「でも、私のこと、すぐに思い出せたのね」 「うん。名前が同じだったから」 「姿形は……想像とは違いましたけど」 「想像? 私のことを想像してたの?」 「もっとヒョロヒョロだと思った? 血色悪くて、分厚い眼鏡を掛けたりして」 「それは、紬木さんの研究者に対するイメージですか?」 「イメージというより、実際そういう人が多いの」 「あはは。じゃあ、それとは違いますね」 「なら、想像より綺麗だったりした?」 「えっ!? 自分で言いますか、それ……」 「どうして? 別に、自惚れてるとかじゃないのよ?」 「久しぶりに会った女性に対して掛ける言葉は、綺麗とか、大人っぽいと言っておけばいいものなの」 「相変わらず舜は、そういうところが不得手というか、不器用ね」 沙羅は、まるで子ども相手に話すかのように、マナーがなってないと一蹴する。 確かに僕は不器用かもしれないけど、昔の知人と再会するシチュエーションなんて、そうそう無いことだ。 「紬木さんのほうこそ、僕のこと覚えてたんですか?」 「私、記憶力は良いほうだから」 「舜が声変わりしてるのは、変な感じだけど……」 「それにね、大切なことって、時間が経って忘れても、いつか思い出せるものだと思うの」 「ねえ、そうじゃない……?」 「……確かに、そうかもしれない」 こういうことを、恥ずかしげもなく言ってのける沙羅は、とても清々しい。 「……そういえば」 「この鳥かご。まだ残ってたんですね」 「うん。多少潮風で傷んではいるけど、昔のまま――」 「というか! “沙羅”で良いから。他人行儀みたいな感じ、舜には似合わない」 「私に何か、遠慮することでもあるの?」 「いや……」 幼なじみだと言っても、ずっと会っていなかった女の子だ。 それに沙羅は、あんなにすごい研究も行っている。 でも、そうやって壁を作られるほうが息苦しい、ということなのかもしれない。 「普通で良いの。普通で」 「昔と一緒で良いの」 「うん、分かった」 とは言ったものの、夕梨みたいに、良い意味で雑には扱えない。 「ね、朝のことだけど」 「校門で2人を見掛けたの。夕梨とは、今でも仲良しなのね」 「うん」 「それは良かった」 沙羅は嬉しそうに夕梨の名前を口にする。 やっぱり、校門で見た髪の長い後ろ姿は、沙羅で間違いではなかった。 「夕梨は、私のこと、覚えてくれてるかな」 「……もちろん」 沙羅の言葉に、僕は思わず笑みがこぼれてしまう。 やっぱり、沙羅は変わっていなかったんだ。 「そういえば、すぐにここまで来れた?」 「うん。でも、良かったの? ここは、セキュリティが厳しいって聞いてるけど……」 「そうね。見つかったら、問答無用でED801の警備ロボットに射殺される」 「え……」 「というのは冗談。ふふ」 沙羅はくすくすと笑う。 「でも、セキュリティが厳しいのは本当だから。舜に何かあったらって、ドキドキしてたのは確か」 「ひどいなあ」 「手引きした私も同罪になっちゃうの。当たり前だけど」 「……それに、私だって、たまには悪いことをしてみたくなるものなの」 「小さい頃、真夜中に家を抜け出して、2人で星座を見た時のようにね」 「ああ、そんなこともあったなあ」 恥ずかしさよりも先に、その後、両親に怒られたことを思い出して、笑ってしまう。 「あの頃は、本当に良かった」 沙羅は小さい頃の日々を回顧するかのように、目をつむる。 「それから……」 「今日みたいに暑い日には、海を見ると思い出す――」 「みんなで遊んだこと」 「白音のこと」 ふいに、妹の名前が出て、僕はびくりとする。 沙羅は構わず、僕をすっと見据える。 「あの不幸な出来事は、私にとっても転機となった」 「白音のことがあって、救助用アンドロイドも開発したし」 「そうだったんだ」 「この島の事故率がすごく減ったの、知ってる? ちょっとした自慢話になっちゃうけど」 沙羅は、沙羅の出来ることを、精一杯やっていたのか。 それに比べて僕は……。 「そして、もう一つの開発も、ようやく実を結んだ――」 「随分、時間が掛かってしまったけど……」 「また、あの日々を始められる」 「あの日々……?」 「舜と共に」 熱気を帯びた風が、2人の間を吹き抜けていく。 鳥かごも通り抜けて、空へと駆け上がっていった。 「私はもう、あなたの前から居なくなったりはしない」 「絶対にね」 沙羅の言葉がなんだか頼もしくて、情けないことに、安堵の声を漏らしそうになった。 白音が亡くなって止まってしまった時間を、再び動かすということだろう。 もちろん、僕と沙羅との時間も――。 「“トリノ”が、私が、世界を変える時が来た」 「失われた世界を、もう一度」 「ここから、やり直す……」 動き始めた時間の中で、雲は流れ、夕日の向こうへと消えていく。 鳥かごから飛び立つ、2羽の鳥のように。 「それから――」 「あなたを必ず、幸せにしてみせる」 「おにいちゃん」 「ん?」 「おっきな音。なんの音?」 「ああ、今のはね、花火の音だよ」 「花火って?」 「ん〜なんて説明したらいいんだろう。火で出来たお花を空に打ち上げて、楽しむもの……?」 「お花なの?」 「白音が好きな花とは、ちょっと違うかも……」 「お花、見てみたい! もっと、近くで」 「花火は見えるの?」 「うん。ピカって光る、強い光」 「なら……海岸のほうに行こう! あっちのほうがよく見えるんだよ」 「連れてって、おにいちゃん。花火もっと見たいな」 「いや、だめだ!」 「海に行っちゃだめだ、白音!」 なぜか足が止まってくれなくて、一気に海のそばまで来ていた。 「おにいちゃん?」 「白音、手を離さないで。絶対、絶対に」 「おにいちゃん、どうしたの?」 「死んじゃうんだよ、白音は。だから僕から離れちゃだめだ」 「花火が明るいから、よく見えるの。だからね――」 「白音?」 しっかりと掴んでいた手が、離れていく。 白音の身体は透けていて、手を伸ばしても触れない。 「おにいちゃん……?」 「手、離すなってっ!」 「おにいちゃん、どこ? おにいちゃん……」 「ここに居るよ、白音。そっちに行っちゃだめだ」 「おにいちゃん、助けて……助けておにいちゃん……!」 「白音! 死んじゃだめだよ! 死なないで!」 「助けて……助けて……」 白音の姿が見えなくなって、声だけが聞こえている。 やがてその声はだんだん小さくなって、どんどん世界が遠のいてく。 「白音っ……」 白音を助けられなかったと後悔していると、これが夢であることに気がついた。 少しだけ、涙を零している。 夢の中でさえ白音を助けられないなんて、何かに呪われているとしか思えない。 弱視で、いつでも僕にべったりだった妹が、ある日突然居なくなった。 溺死だって言われたけれど、実際は溺れているところを見ていなくて、助けようとすることすら出来ていない。 その後悔か、ときどき、自分が白音を助けようとする夢を見てしまう。 白音が亡くなったのは、小学生の頃のことなのに。 とっくに受け入れたと思ってきたけど、昨日夕梨や沙羅と話したのもあって、無意識に白音のことを考えてしまっていたのかもしれない。 「それじゃあ、行ってきます」 白音の写真にも声を掛けてから、家を出る。 「あれ……?」 白音のピアノのそばが片付いてる、ような気がする。 もっと、ピアノの上に書類が重なっていたような記憶が……。 「はーい、行ってらっしゃいね」 「あ、母さん」 「あら、気づいちゃった? 久しぶりに掃除したのよ」 「そろそろ、エアコンを新しいのに変えたいなーと思ってね。業者さんが来る前に、片付けておきたくて」 「ああ、そうなんだ」 「夕梨ちゃん、待ってるんでしょ?」 「今日はなんか、委員会の仕事だとかで、夕梨は先に行ってる」 「じゃあ……紬木さん?」 「えっ!? いや紬木さんは……って、母さん、復学のこと知ってるの?」 「さあね? とにかく、もう出なさいよ」 「はーい……」 女同士の秘密と言わんばかりに、意味ありげにごまかされた。 それより、ピアノのことが偶然だったことには驚きだ。 母さんも白音のことを思い出して、白音のピアノを触ってたのかと思ったけど、考えすぎだったようで。 とにかく……学校へ行こう。 夕梨との世間話もなく、一人で歩いていたら、思いの外早く着きすぎてしまった。 挙動不審ととられないようにそっと周りを見渡したけど、沙羅らしき人影は見当たらなかった。 誰かと話す気分でもないし、図書室へ本を返しにでも行こう……。 「ん……?」 音楽室から、ピアノの音が漏れ聞こえてくる。 なんとなく聞き覚えのあるメロディーに、そっと耳を澄ます。 「……あっ」 開いていたドアから中を覗く。 すると、厚い雲が途切れて太陽の光が差し込むように、一筋の光明を見出した。 「――」 「…………」 「白音……」 ペダルを踏む細い足。 弾むように揺れる白い髪。 まるで僕の記憶から再生されたように、白音がそこに居た。 今度は夢じゃない。 その証拠に、今の僕は白音が死んでいることを、はっきりと認識している。 確かに遺骨は散骨した。 もう二度と会うことはないと思っていた。 だけど、そんな事実くらいでは信じられない光景が、今、目の前で起こっている。 君は、白音……そうだよね? 「……」 「ありがとう」 「……はい」 「上手いものね。指の動作も問題ないみたい」 ドアに手を掛け、中へ入ろうとしたところで人影が目に入り、踏み出し掛けた一歩が行き場を失う。 沙羅、どうして君がここに居るんだ。 「ありがとう……ございます」 「お兄ちゃんも……満足してくれるでしょうか?」 「うん。きっとね」 「それは、良かったです。妹冥利に尽きます」 「懐かしい曲」 囁くように、沙羅が独り言をつぶやいた。 彼女のことが知りたい。 だけどそれ以上に、もし夢だとしても覚めて欲しくないと、強く願っていた。 「七波くん、覗きはよくないぞ」 「うぉっ!?」 「おー、いい反応だね〜。若いうちは反射も素早い」 「いや、僕は覗きなんて――」 「しー。静かに。女の子を覗き見てたことは秘密にしてあげるから、こっちにおいで」 騒いでは迷惑が掛かるとのことで、別の廊下へと移動した。 「沙羅ちゃんにはなんて伝えておこうかなあ……」 「えっ!?」 「というのは冗談よ。いたいけな少年に、ちょっとした日常のスパイスを提供しようと思ってね」 そう言って、茶目っ気たっぷりにコロコロと笑う。 こんな無邪気な対応をされたら、こっちだって怒るに怒れない。 「というか……百南美先生、どうして僕の名前を知っているんですか?」 「おっ、そういうきみだって、先生の名前を覚えてくれてたんだね。嬉しいよ」 「きみのことは小さい頃からよーく知ってるよ。一応、これでも医者だからね」 「それでも、よく覚えてるなあと……って、小さい頃から!?」 小さい頃からというと10年以上は前になりそうだけど、この外見で10年前って……。 「こら。無粋なことは考えないの」 「あ、いや、病院の先生なのに、どうして学校に居るのかなーと思って」 「中に居た子、来週からここに通うのよ。それで、その案内役を仰せつかったわけ」 「本来は教師か学生さんにしてもらうんだけど、ちょーっとワケありでね。ま、これも立派なお仕事だよ」 「へえ。お医者さんの仕事も、色々あるんですね」 「まあね〜。みんな先生のことを頼ってくるから。先生困っちゃう♪」 なんて言いつつ、百南美先生はちょっぴり誇らしげだ。 実際、腕の良さは折り紙付きで、ドクターヘリを飛ばして島じゅうを回っているという噂もある。 「ということは、先生はあの子のこと、知ってるんですか?」 「そうだ、名前は……? 紬木さんとは、どういう関係なんですか?」 「随分と質問攻めだねえ……まあ、職業柄、そういうのは慣れてるからいいんだけどさ」 「あ……すみません」 「とりあえず、自己紹介は本人から聞くが良いよ。そんなに気になるなら」 「とはいえ、七波くんはそろそろ教室に戻らないといけないね」 「じゃあ、あとでまた来てみます」 「そう焦らなくても、すぐにまた会えると思うよ」 「ピアノに興味を示したからしばらく放置してたけど、先生も他のお仕事があるから、そろそろおしまい」 「そうですか……」 「でも、七波くんの気持ちは分かるわ。それくらいあの子は、きみの気持ちを揺さぶる存在なのよね」 「今の話を聞いたら、沙羅ちゃんもきっと喜ぶだろうなあ」 「それってどういう――」 「言葉通りの意味よ。じゃ、またね。もう走らないと朝のホームルームに間に合わないよ」 「……あっ! 行きます!」 「こらー、廊下は走っちゃだめだぞー」 理不尽な百南美先生の注意を背に、その場をあとにした。 昼休みになって、夕梨と一緒に昼食を済ませる。 朝の出来事を沙羅に尋ねるつもりが、教室で話す話題でもないなと思い、切り出せないでいた。 昼休みこそと思ったけれど、沙羅はずっと本を読み耽っていて、話し掛けられる雰囲気じゃない。 「復学の噂は本当だったのね……」 「初日は、朝のホームルームだけで帰っちゃったけど」 「さすがは沙羅。不良として尊敬する」 「いやいや、沙羅は仕事があるからであってさ。夕梨のサボりとは違うでしょ」 「なに……? 舜まであたしに小言を言うつもりなの……?」 「そういうつもりはないよ」 夕梨は身体が弱いという理由で早退や休みがちだが、元気な時でも平気で授業をサボったりしている。 実はだるいのかもしれないけれど、図書室で仮眠にプールで水遊びと――正直擁護は出来ない。 「おっと。お薬教室に忘れちゃってた。戻ったら飲むのを忘れないようにしないと」 「お大事に」 いきなりの病人アピールに、掛ける言葉も親身さに欠ける。 「……はあ。でも、変に気を遣われるよりかはずっと良いけどね」 「とにかくさ、あたしが言いたいのは……」 「沙羅が同じ教室に居るのに、どうして舜はそんなに落ち着き払ってるのかってこと!」 「と、言われましても……」 「だって、ずっと会ってなかったんだよ? 同じ島に住んでるのに」 「成長した幼なじみの姿を見て、舜は何も思わないの?」 思うことはいっぱいあるけど、あれこれ語って懐かしむのは、女々しい気がしてならない。 それに今は、沙羅のことより、あのピアノの子のことで頭がいっぱいだ。 「そういえば、一つ下の学年に転入生が入るって話を聞いたんだけど、もしかして、夕梨のクラス?」 「えっ、それマジ? あたし初耳だよ!」 どうやら、まだ夕梨のクラスには伝わっていないようだった。 「今朝、見掛けたんだ。音楽室で、ピアノを弾いてて……」 「音楽室で?」 「でも、さっき行ってみたらもう居なかった。学校見学で来てただけって感じで」 「どんな子だった? ピアノが弾けるってことは、女の子かな」 「そう。白い髪で、首飾りしてて……」 「ほうほう……」 「それから――」 白音にそっくりで、なぜか沙羅と一緒に居て。 いや、そっくりというレベルじゃない……成長した白音の姿、そのものだった。 「登校するのは、来週からなんだって」 「そっか。楽しみにしてよーっと」 白音と関係があるのか確認するまでは、夕梨に話すのは避けたい。 それに、白音に似ていたなんて話を夕梨にして、無用な心配を掛けさせたくもない。 「そろそろ、次の授業の用意をしないと」 結局、夕梨は沙羅と話すことはなく、教室を出ていってしまった。 別に急ぐことでもないし、あの2人なら、また仲良くなっていくだろう。 「ただいま」 学校生活をいつもの通りにこなして、そのまま家に帰ってきた。 考えたいこと、気になることはいっぱいあるけど、まずは母さんの手伝いと、宿題を片付けて―― 「お帰りなさい」 「うん、ただいま――」 「……ってちょっと待て! なんで沙羅がうちに居るの!?」 「いえ、今帰るところよ」 「えっと……」 思わず素の言葉遣いが出てしまって、そんな自分自身に驚いている。 「馨さんに用事があっただけ。でも、もう済んだから」 「そうそう。このあとお仕事があるから、戻らないといけないそうで」 「今度はもっと、ゆっくりしていってね」 「ありがとうございます」 「それじゃあ、また来週に」 「あの」 「昨日は時間が取れたんだけど、今日はちょっと難しくて」 「舜、紬木さんを困らせちゃ駄目よ」 「それは分かってるけど、今朝のこと、聞いておきたくて――」 「ああ……そうね」 「“よだかの星”という小説を読んでいたの。最近、島でよくヨタカを見掛けるから」 「え……?」 沙羅が話しているのは、昼間の読書のことか……? でも、僕が聞きたいのはそっちじゃない。 「知らない? 有名なお話だと思うけど」 「いや、そのことじゃなくて――」 「舜くん?」 「は、はい?」 「……とか、呼んでたっけ。昔は」 「……」 面と向かって不意討ちを食らい、僕は恥ずかしさのあまり言葉を失った。 「さよなら」 打ち負かされたという表現そのままに、僕は呆然と立ち尽くす。 でもそれは、嫌じゃない感覚だった。 「ふふっ、頑張りなさい、若者」 母さんは、他人事みたいに楽しそうに微笑む。 朝も話題を逸らされたし、沙羅と共謀して、隠し事をされている気がする。 「そういえば、紬木さんと何を話したの?」 「学校のこととか、アンドロイドの話よ。ほら、お父さんと同じ研究をしてるでしょ?」 「でもね、専門用語が多すぎて、何の話かよく分からなかったわ……」 「よくそれで会話が持ったね」 「話している時の紬木さん、とっても楽しそうだったから、それでも良いかなって」 沙羅お得意のドヤ顔で、一方的にまくし立てたんだろう。 容易に想像出来る。 「お父さんと話してるみたいで、ちょっと懐かしかったな」 母さんは、心なしか寂しそうに微笑んだ。 沙羅は父さんの研究を引き継いだって聞いているし、家に来たのもそれ絡みなのかもしれない。 でもきっと……いや、間違いなく、あの白音に似た女の子のことに違いない。 「さてと、私は洗い物して、洗濯物取り込まないと。舜は何を手伝ってくれるのかな?」 「じゃあ、植物に水遣りでも」 「随分と簡単そうなことを選んだわね。良いけど」 「ところで舜、昨日は紬木さんと“鳥かご”で会ったって」 「そうだけど」 「いろいろと、話したんでしょ?」 「そんなことまで、詮索しなくていいって」 何もかも沙羅から筒抜けなのが恐ろしい。 いつの間にか繋がりが出来ているのは、女性ならではなんだろうか。 「何度も迎えに行ったんだから。家に居ないから探したら、よくあそこに2人で居て」 「小さい頃の舜は、あの場所が大好きだったのよ。覚えてないかもしれないけど」 「もう忘れたよ」 真夜中に沙羅と2人で星座を眺めたこと。 そんなことは、とっくに忘れてしまったことだ。 「ふーん」 母さんはなにやら不服そうだ。 会話から逃げ出すため、僕はジョウロを手に取り、形ばかりの手伝いをすることにした。 一気に流すのではなく、土を湿らしながら、徐々にあげる。 これは、白音から教わった水遣りのコツだ。 明日は必ず、はぐらかされても聞いてみよう。 白音に似た女の子のこと。 それから、母さんが楽しそうにしている理由を。 「本当、誰だったんだろうな。あの子」 白音との最後の思い出の場所に行けば、何か掴めるかもしれない。 そう思って、朝早くから海に行ってみたけど、特別なことは何も起きなかった。 今日は休日だし、当然、学校でも見つからないだろう―― 「君は……」 諦めて帰ろうとしたところで、海風になびかせる長い髪が印象的な女の子を見掛けて、立ち止まる。 「あの……!」 「……」 振り返った女の子はじっと、僕を見つめていた。 目を合わせて、3秒間ほど。 いや、もっと長い時間が流れたかもしれない。 「……」 「……お兄ちゃん?」 「今、何て――」 「お兄ちゃん!」 「お兄ちゃんですよね?」 「そう……」 女の子は、無垢な幼子のように、僕に呼び掛けた。 「わたしのこと……覚えてますか?」 「き、君は……誰……?」 「君は……白音なの?」 「……そう。“シロネ”」 「白音……? なのか……? 本当に?」 「そうですよっ。わたしは、あなたの妹のシロネです」 「どうして……」 白音と向き合い話をしているという非現実的な状況に、心がついて来ていない。 再会に感動してるはずなのに、身体がそう動いてはくれない。 「これから、おうちに帰ろうと思っていたのです」 「お母さんは、今、家に居ますか?」 「居るとは思うけど、それより――」 「一緒に行きましょう♪」 「いや、どうして白音がここに居るんだよ……?」 「えっ? 聞いてませんか?」 「もしかして……沙羅が連れて来たの?」 「あら、おはよう。舜」 「おはようございます……じゃなくて!」 「沙羅、これはどういうこと?」 「馨さんからも、何も聞いてないのね」 「やっぱり……」 「驚いたでしょ?」 「……」 驚いたどころか、まだ現実のことなのかどうかさえ掴めない。 だって、白音はもう亡くなっているんだ。 「お兄ちゃんだなって、見{・}つ{・}け{・}て{・}すぐに分かったんです。やっぱり、兄妹なんだなあ、わたしたち」 「さすがでしょ?」 「はい! さすが沙羅ちゃんです♪」 口調は少し違うけど、声も髪も、白音そのものだ。 成長したらきっとこんな姿になっていたんだろう。 でも何か――何かが違う気がする。 「分かってる」 僕の疑念を悟ったかのように、沙羅がぽつりと呟く。 「シロネは白音だけど、白音ではない」 「この子は、アンドロイドなの」 「アンドロイド……」 「そう……なんだ」 胸の中でもやもやしていた気持ちが、すっと晴れていった気がした。 僕にとっては、人間ではないということより、弱視だったはずの目が見えているということが、一番の違和感だった。 「あなたへのプレゼントに、シロネを作ったの」 「シロネ。いや、本当はトリノというのが正式名称だけど」 「シロネ……トリノ……」 「とりあえず、行きましょう」 「まさか、僕の家に行くんじゃ?」 「そうだけど?」 「そんな勝手に!」 「勝手じゃないわ。許可はもう取ってある」 「僕は聞いてないですよ。母さんは知ってるのかもしれないけど……でも!」 「シロネ、ついてきて。ついでに、この聞き分けの悪い兄を引っ張って」 「はい。行きましょう、お兄ちゃん」 「……!」 女の子とは思えない怪力に、半ば引き摺られるように自宅へ向かった。 手の感覚はまるで人間そっくりで、アンドロイドだとは、微塵も思えなかった。 「こんにちはー」 「ってあれ、舜も出掛けていたの?」 「母さん? 知ってたの!?」 「ええ、まあ」 「馨さんにはもう説明済みなの。シロネとも一回会っているし」 自分の知らないところで事が進んでいたことに、呆然とする。 沙羅が急に復学してきたのも、このシロネという子が絡んでいるということなんだろう。 「紬木さんのことは責めないで。サプライズにしようって言い出したのは、私のほうだから」 「別に、責める気なんて……」 「あのー……」 玄関で所在なさげにもじもじと立っていたシロネが、母さんの手招きで部屋に入ってくる。 「今日からまた、お世話になります……でしょうか?」 「うん。そんな感じ」 「まさか、この子……」 「今日から、ここで一緒に暮らすことになったの」 「いやいや、待って下さいよ」 母さんのほうに視線を向けるも、困った顔はしていなかった。 こうなると、僕だけズレている気がしてくる。 「アンドロイドの実験なら、今までも何度も受けてきたでしょう?」 「これはその実験の一つ。もっとも、他の実験とは比べものにならないくらい、予算がつぎ込まれた特別な実験なんだけどね」 「そんな……」 RRC関係者の家族が、新型アンドロイドの実地試験に協力することは、よくある話だ。 実際に僕の家でも、これまでいろいろと協力してきているから、その生活には慣れている。 「だけど、いきなりそんなことを言われたって――」 「一緒に生活してくれるだけでいいの」 「はい」 「ええっ……」 女の子は、無邪気ににっこりと微笑んでいる。 「母さんは?」 白音が亡くなって、その代わりにこの子を受け入れろだなんて。 僕以上に、母さんが許さないに決まっている。 「……舜が悩んでいることも、分かるわ」 「でも、家事や身の回りのサポートをしてくれるアンドロイドが来てくれたと考えれば、そう悪い話でもないと思うの」 「家の手伝いなら僕がするし、それ専用のアンドロイドだっているわけで――」 「あら、舜から率先してお手伝いをしてくれたことって、あったかしら?」 「今まではないけど」 「説得力ゼロじゃない」 「……」 「紬木さんの研究は、元々はお父さんがしていた研究だと聞いているわ」 「だから、協力してあげたいって思ったの。慣れるのに、時間は必要かもしれないけどね」 慣れるとか慣れないとか、そういう問題なんだろうか。 これは、人間とアンドロイドの違いとか、倫理観とか……そういう、もっと大きな問題のはずだ。 「舜は、白音ちゃんのこと、妹以上に大切にしてたから……」 「でもね、私にとっては、これは夢だったの」 「夢……?」 「そう、夢。白音ちゃんと一緒に暮らすこともだけど、それより――白音ちゃんに、この世界を見て欲しいって思っていたから」 「でも、もう白音は亡くなったんだよ? もう居ないのに、そんなことしたって……」 「だから、半分は私のわがまま。白音ちゃんが見れなかった分を、この子が見て、知ってくれたら……私の夢は叶うの」 「それから……」 「自分を、少しは許せるようになるのかなって」 「母さん……」 弱視で1人では満足に歩けず、勉強も他の子より遅れ気味だった白音。 何度も母さんは、代わってあげられたらいいのにと嘆いていた。 「舜に相談しなかったことは、申し訳ないんだけどね」 サプライズの意味もあったかもしれないが、これは、相当前から進んでいた計画なのだろう。 そうでなければ、こんな精巧なアンドロイドを作れるわけがない。 母さんはずっと、心のどこかで、白音と向き合おうとしていたんだ。 「……母さんは、これでいいんだよね?」 「ええ。そう決めたから」 母さんの目は真剣だった。 白音との思い出が消えるとか、そっくりなのが嫌だとか、ネガティブなことばかり考えている僕とは違う。 研究者の妻として、何か強い覚悟を感じた。 「じゃあ」 「ありがとう、舜」 「良かったです」 母さんが同意したというのもあるけど、だんだんと、違和感より、彼女に対する興味のほうが勝っていった。 先程の手の感触だけでなく、ピアノを弾いていたことを思い出しても、人間臭く感じる。 全ては、プログラムなのかもしれない。 それでも、白音のうつし身かもしれない彼女と、話してみたいと思っていた。 「舜の部屋、雰囲気は全然変わってないのね」 「それって、子供っぽいってこと?」 「そこまでは思ってないわ。懐かしいってこと」 案内も兼ねて、まずは僕の部屋に来てもらった。 昨日のうちに母さんが片付けをしてくれていたおかげで、ほとんど散らかっていない。 「あの、わたしとお兄ちゃんの二段ベッドはどこですか? ここにあったと思うんですけど」 「二段ベッドなら、もうずっと前に処分したんだ」 「そうでしたか」 「君……なんでそんなことを知ってるの?」 「前まで、ここに住んでいたんです。だから……」 「ええと……それは、どういう意味なんだろう……」 「シロネは、白音の記憶データを持ってるの」 「身体だけ模倣しても、思考が異なれば、それは違うものでしょう。いわば、一卵性双生児に似た状態――」 「だから記憶を移植し、それに基づいた思考をプログラミングして、試作機であるシロネに組み込んだ、ということ」 「移植……? そんなこと、どうやって……」 「舜だって、RRCで検査を受けていると思うんだけど」 「あれは、関係者の家族が全員受けるものじゃないんですか?」 「そうなんだけど、あなたと白音だけは違う。定期的に、記憶データを取り出していた」 「それが、あなたのお父さんの研究に必要不可欠だったからよ」 「そんなことがあったなんて……知らなかった」 いつの間にか、そんな研究の被験者になっていたなんて。 『白音の記憶を持ち、そこから学習させた人工知能が入ったアンドロイド』 「少し……話してもいい?」 沙羅はシロネを部屋の外へ向かわせ、2人きりで話すことを提案する。 『人間を補助する機械』という視点から進んでいた」 『効率よく掃除』を行うために開発された。だからわざわざ二足歩行である必要も無いし、掃除を実行出来る存在であれば良かった」 「介護ロボットも?」 「そうね。お年寄りに恐怖感、圧迫感を与えないようなフォルムではあるけど、安全性と信頼性を第一義に設計されている」 『人間を模倣する』という視点で開発を行った」 「だから、人間そっくりに作る必要があったし、人間特有の不完全さも、あえて再現するようプログラムされている」 「不完全さ……? 間違いもするってことですか?」 「安心して。不完全といっても、学習でそこは補う余地を設けてある」 「つまり、今後与えられる学習内容によっては、トリノは当初から大きく変化した思考を行う可能性もある……ってことかな」 「だからね、舜。あなたには、トリノに対して白音と同じように接して欲しい」 「そうすれば、本当にアンドロイドが世界を変えられる存在なのか、確かめることが出来る」 「そんなこと言われてもな……」 いくら沙羅の頼みでも、それは無理な相談だ。 だいたい、僕はまだこの状況を受け入れられていない。 「あなたは私に選ばれた存在なの。あなたでなければ、トリノ――いいえ、シロネは任せられない」 「シロネはあなたに幸福をもたらす存在。そのために作ったと言っても過言ではないのだから」 シロネが単なるお手伝いロボットなら、すぐに受け入れられた。 でも、シロネは白音の姿形をし、人間のように振る舞う。 ロボットだと思えないからこそ、彼女を受け入れづらくなっている。 「沙羅は……どうして、そんなことをしたんだ?」 「もう一度、あの日々を始めるため」 「そうじゃなくて、その」 なんというべきか、迷う。 君の願いはそれだけなのか。 「私の研究の全ては、彼女を生み出すためにあった」 「私と、舜の願いを叶える、唯一無二の存在。それがシロネ」 「僕の……願い?」 「昔、あなたはこう言っていた。なんで白音は死んだんだって」 「出来ることなら、もう一度白音に会いたいって……」 「でも、死んだ人は、二度と蘇らない」 「だから、私はシロネを作った。あなたにプレゼントしたの」 「そうすれば……舜の願いは叶うから」 沙羅の真っ直ぐな瞳が、僕を射すくめる。 「それだけのことよ」 沙羅は微笑みながらそう言い放つと、用は済んだとばかりにリビングへと向かった。 彼女は彼女なりの方法で、白音の死を正面から向き合ってきたんだ。 僕は、目を逸らしてばかりだったのかもしれないと思った。 沙羅と2人で話している間に、リビングに居た母さんは、シロネと楽しそうにしていた。 「いろいろ教えてくれて、ありがとうございます」 「まだちょっと慣れないけど、シロネちゃんなら、いい娘になれると思うわ」 「本当ですか! はいっ、わたし、頑張っていい娘になりますねっ!」 人間とアンドロイドとの会話とは思えないくらい、母さんは自然に接している。 なんだか、彼女を受け入れられない自分が、聞き分けのない子供みたいだ。 「それじゃあ、一応シロネの機能を説明しておきます」 「まず第一に、シロネには三原則がインストールしてあります。これに反する行動は絶対に取れないよう、プログラムされています」 「舜、三原則は全部言える?」 「人間への安全性、命令への服従、自己防衛……ですよね」 「ええ、その通り」 「次に、シロネ特有の注意事項だけど……まあ、そんなにないかな」 「海に行く時は、注意してください」 「水が駄目だってことですか?」 「白音の記憶をベースにして作っているからよ」 「……なるほど。そういうことでしたか」 「なるべく、近づかないようにして。何が起こるか、分からないから」 「という感じ……分からないことがあれば、いつでも聞いて下さい」 いくら説明を受けたところで、シロネに対する違和感が無くなるわけじゃない。 こればっかりは、慣れるしかなさそうだ。 「シロネは、一度記憶すれば、半永久的にそれを忘れないメモリも搭載しています」 「人間と同じように、学習し、日々成長します。最初はミスもあるかもしれませんが、同じミスは二度としないと断言します」 「わたし、早くお母さんの役に立ちたいです! なんでも言ってくださいね♪」 「うーん……それじゃあ」 「舜と一緒にお使い、よろしくね」 「分かりました〜」 「良い実験にもなりそうね。行きましょうか」 他人の居るところへ行くのは少々不安があったが、考えても仕方がない。 沙羅に従って、商店街へ出掛けることにした。 「残りの買い物は……」 「玉ねぎ1袋、天領食品の激うまカレールー1箱、キッチン用洗剤1本、です」 「ありがとう」 「荷物は舜が持ってね」 「お兄ちゃんに持たせるわけにはいきません! 疲れちゃいますから」 「それくらいは自分でするよ」 「そうですか。なんだかごめんなさい」 「男の子は、女の子に頼って欲しい時もあるの」 「なるほど……じゃあ、荷物は全部お願いします」 「うん」 「それから、男の子がちゃんと出来た時は、褒めるのよ」 「荷物を持ってくれるなんて、さすがお兄ちゃんです!」 「う、うん……」 ぎこちない会話になっていないか心配で、ちらちらと沙羅の顔色を窺ってしまう。 沙羅のほうは何事もないというように、涼しげな表情をしている。 「それでは、残りの買い物は、わたし1人で行ってくるのでー」 「1人で大丈夫?」 「荷物を持ったまま狭い店内に入るよりは、店の外で待っていてもらったほうが、ありがたいです」 「じゃあ、よろしく」 「はーい」 店に入っていくシロネの背を見送る。 少し不安はあったけど、これくらいの歩行実験は、もう済んでいるはずだ。 「舜、緊張しているの?」 「……どうだろう」 冷静に考えることは放棄してしまったから、正直どうにでもなれと思っている。 「なんというか、普通に噛み合うものなんですね」 「経験を重ねれば、もっと複雑なコミュニケーションも取れるようになるわ」 「今のままでも、十分すごいと思うけど」 「というより、1人で買い物に行かせて大丈夫だったんですか?」 「シロネはあなたの1歳年下で、夕梨と同い年でしょう? その年頃の子で、お使いが出来ない子がいると思う?」 「それとも、可愛い妹が誰かに連れさらわれないか心配っていう、兄心……?」 可愛いのは間違いないかもしれないが、あの怪力を知っているので、さらわれる不安は正直ない。 「確かに、白音よりは相当しっかりしている子だとは――」 「お兄ちゃん、沙羅ちゃん! 買い物終わりましたよ〜」 「それから、お兄ちゃんの大好物も買ってきました!」 「僕の好きなもの?」 「はい!」 そう言ってシロネは、買い物袋から小さな箱を取り出す。 「チョコ丸です! お兄ちゃん、これ好きでしたよね」 「……」 「お兄ちゃん?」 忘れもしない、僕と白音の思い出のお菓子。 “シロネには、白音の記憶データが入っている”。 沙羅の言葉を思い出して、はっとする。 「わたしの記憶違いでしたか?」 「いや、そんなことないよ。……そうか、君はそんなことも知っているんだね」 「はい。そのチョコの中に入ってるおもちゃ、お兄ちゃんと一緒に集めてましたから」 「中身がランダムだから、何個も買わなくちゃいけなくて」 「でも、ランダムのほうが良かった。目がほとんど見えないシロネでも、僕と同じ気持ちで楽しめたから」 僕は当時を振り返りつつ、ゆっくりとシロネに語り掛ける。 「えへへ。何が出るのか、本当に楽しみだったんです」 「今は目が見えるから、どんなものが入っていたのか分かりますね」 「ああ……ごめん。小さい頃のおもちゃは、もうほとんど処分しちゃったんだ……」 「それじゃあ、これから沢山集めていきましょう♪」 「……うん」 シロネはとにかく明るい子だ。 白音も明るい子だったけど、目が見えるのと見えないのとでは、積極さが違うのかもしれない。 母さんが言っていた、“夢が叶った”という言葉の意味が、今ようやく分かった気がする。 「シロネ」 「なんでしょう?」 「これから、よろしく」 「はい。よろしくお願いします、お兄ちゃん♪」 握手の代わりに、とびっきりの笑顔で応えるシロネ。 こんなに良くしてくれる子に対して、普通は嫌な感情は抱けない。 「舜、ありがとう」 「じゃなくて……さすが私」 「はは……」 沙羅は自分の手柄だと言わんばかりに、ふふんと鼻を鳴らした。 満足そうな様子の沙羅の前では、無条件にほっこりとした気持ちになってしまう。 「帰宅したら、関連機材を運び込むから。立ち会ってくれる?」 「分かりました」 「それじゃあ、帰ろうか」 「はい、お兄ちゃん♪」 シロネは、まるでそこに居るのが当然という振る舞いで、僕のそばにぴったりと寄り添う。 その様子は、僕の心の隙間も埋めるようで、なんだか温かい気持ちが流れ込んできた。 これが、自分が望んでいた未来――僕にとっての夢でもあるのかもしれない。 沙羅が作った夢は、現実のものとなった。 もう、白音が死ぬような辛い夢は見たくない。 今はただ、目の前の現実に向き合っていたいと思った。 「もう……朝か」 スマホのディスプレイには、月曜の文字。 そろそろ起きないと、朝ご飯を食べそびれる、が……。 ダメだ、もうちょっとだけ……。 ……。 …………。 「――ちゃん、起きてください。遅刻してしまいますよ」 「も、もうちょっと……」 「だめですよ〜。お母さんに、早く起こしてと頼まれているんです」 「だから、早く起きてください〜」 「うぅぅ……」 朝特有の差し込む光に、思わず目を細める。 「やっと起きてくれました〜」 「おはようございます、お兄ちゃん」 「ああ、おはよう……」 朝日を浴びたシロネは、光の衣をまとう女神のように神々しく思える。 母さんに起こされる朝とは、まったく趣きが違うな。 「ん……?」 「お兄ちゃん……?」 「ああ、もう起きるよ。……妹に起こされるなんて、情けないし」 「そうなんですか?」 「今までそんな経験なかったから、分からないけど」 「……お兄ちゃんが恥ずかしいということなら、沙羅ちゃんには黙っておきますね!」 「ど、どういうこと……!?」 実験だからって、そんなことまで報告義務があるのか? 「これは、プライベートなことだから……沙羅には言わなくていいことだよ」 「プライベート……分かりました〜」 絶対分かっていないな。 複雑な気持ちを抱えつつ、シロネも適当な返事をするものなんだなと、言動に感心する。 「では、わたしは居間に戻ります。二度寝しちゃダメですよ、お兄ちゃん♪」 そう言い残してシロネは、パタパタと部屋を出て行った。 抵抗を感じていた昨日が嘘のように、今日の僕はシロネに対して自然体で接している。 実験だからと、頭の中で勝手に割り切っているのかもしれない。 それは、まだ分からないけど―― ただ一つ、母さん以外に起こされるのは、相当目覚めが良いということを知った朝だった。 「遅い。寝坊にも程がある」 「ごめん、ちょっといろいろあって」 思わず、姿勢を正す。 朝一番だというのに、彼女の声は、そうさせるだけの力が籠もっていた。 「まあいいわ。昨日の今日だもの。眠れなかったんでしょう」 「ところで、今朝、私がここへ来たのは――」 「シロネの様子を観察するために……だよね?」 「その通り。一緒に登校している様子を見たいの」 沙羅と一緒に登校――というのも小学生以来だと思い出し、少し緊張する。 実験とはいえ、沙羅とまたこうして何気ない日々を過ごせるのは、嬉しいことだ。 「舜、早く準備しなさいよ。女の子2人を走らせるわけにはいかないでしょ」 「あ、うん」 さっと時計に目を向けると、もう時間が無い。 「ごめん母さん、朝、食べてく時間無いから、途中でなんか買ってくよ」 「そう? おにぎりくらいなら、さっと作れるけど」 「あの、わたしのお弁当をあげます」 「わたし……食事は出来ないので」 シロネは、申し訳なさそうに目を伏せる。 「あっ……ごめんなさい、シロネちゃん。うっかりしてたわ!」 「舜の分を作っていたら、つい、シロネちゃんの分まで……」 「いえいえ! お母さんの気持ち、とっても嬉しいです」 「気を遣ってくれてありがとうね」 「とんでもないです」 「そろそろ出ないと、本当に遅刻するかも」 気まずい空気を断ち切るように、沙羅が注意を促す。 「まあ、わたしは登校義務無いから、いいんだけどね」 「僕が困るよっ」 「行ってきます、お母さん!」 「はい、行ってらっしゃい」 ドタバタと賑やかに、3人で家を飛び出した。 「お兄ちゃんは、いつも1人で学校へ行っていたんですか?」 「いや、そんなことはないよ」 学校へ向かう道すがら、シロネが興味津々に尋ねてくる。 「いつもはだいたい夕梨と一緒。でも、しばらくは都合がつかないみたいで……」 主に、ハナコ先輩が関係していることだと思う。 「そうでしたか! わたしも、早く夕梨ちゃんに会いたいです」 「ずいぶんと嬉しそうだね」 「もちろんですよ。だって、数年ぶりの再会ですから」 「まあ、そうか……」 シロネの中には、白音の記憶がある。 だから、数年ぶりというのも間違いではない。 頭では理解しているけど、まだしっくりはこない。 「お兄ちゃん……?」 「ん?」 「お兄ちゃん。わたしとのお喋り、楽しくないですか?」 「なんだか、難しそうな顔をしています」 「そうかな」 「……」 沙羅に観察されている、ということを意識しすぎなのかもしれない。 “うまく会話しなければ”と思えば思うほど、自然に振る舞えない気がする。 「久しぶり……なんだよね」 「……?」 「いや、僕にとっても久しぶりのことなんだって思って」 「シロネと会うのも、話すのも」 「そうですね」 「だから、兄妹って感覚を、すっかり忘れちゃっててさ」 「当たり前のことのはずなのに、どういう距離感で話せばいいのかとか、どんな話をすればいいのかとか、考えてしまうんだ」 「お兄ちゃん……」 シロネが白音の小さい頃のままの姿だったら、迷いはなかったかもしれない。 成長した、しかも年頃の女の子だから、変に気を遣ってしまう。 「その気持ち、わたしもなんとなく分かります」 「当たり前のことを当たり前にこなしていくのって、改めて考えてみると、大変だったりしますよね」 「そうそう、多分、そんな感じ……」 「何も考えたくない時に、本当に頭の中が空っぽになればいいのにって」 「うん」 シロネは、僕と同じ目線に立って一緒に向き合い、考えてくれる。 アンドロイドだからではなく、シロネが賢いから、僕に対して言葉を選んでくれているのだと感じた。 「やはり、コミュニケーションは、難しいです」 「わたしがもう少し、気が利いていれば良かったんですけど……」 「あら。それは開発者である私への当てつけ?」 「はわっ。ち、違いますよ! そうじゃなくてですね!」 「正直に言っていいのよ。続けて」 「え、ええっとその!」 「な、なんと言いましょうか、あの、あのっ!」 「ぶっ」 シロネの慌てっぷりが面白くて、思わず吹き出す。 「あっ……」 「あ、ごめん」 「いえ、そうじゃなくて」 「お兄ちゃん、笑顔になってくれました」 ぱっと花が咲いたような満面の笑みを向けるシロネ。 指先からだんだんと、暖かい気持ちが流れ込んでくる。 「今、とても幸せな気持ちです。お兄ちゃんの笑顔、もっともっと見たいです」 ギュッと手を握られる感覚がして、手元に目をやる。 いつの間にか、シロネが僕の手を取っていた。 「ちょ、ちょっとシロネ!?」 「どうかしましたか?」 「こんなところで、手を繋ぐっていうのは……」 「お兄ちゃんはいつも、こうやってわたしの手をずっと離さず、握ってくれていました」 「だから、今度はわたしから、繋いでみたんですけど……駄目ですか……?」 確かに手は常に繋いでいたけど、あの頃とはもう違う。 違うと思いながらも、僕はシロネの手を振り払えないでいた。 「じゃ、じゃあ、このままで」 「はい♪」 照れ隠しに、下を向いて歩いた。 観察者である沙羅が居なかったら、早足で逃げ出していたかもしれない。 「……ふふっ」 「なんですかっ」 「いえ、別に」 沙羅がからかうように笑う。 沙羅もこうやって笑うことがあるんだと、新たな発見に喜びを噛みしめる。 まだ、彼女との距離は掴めないけど。 それでも、彼女と一緒に居るのは、楽しい気がする。 「舜!! ねえ舜っ!」 「どうしたの、夕梨?」 「とぼけないで! 真っ先に言うことがあるでしょ!」 昼休みになってすぐ、シロネを連れた夕梨が、僕のクラスまでやって来た。 「あ、あの夕梨ちゃん。もうちょっと穏便に――」 「その呼び方で呼ばないで!」 「で、でも、昔からこう呼んでて……」 「あんたとは、今日が、初対面!」 「2人とも落ち着いて」 僕は猛犬をなだめるように、夕梨の前に両手をかざし、制する。 やっぱり、朝の危惧が現実になったみたいだ。 「で、でも、舜!」 「ごめん。説明してなかった僕が悪かった」 「だけど、僕にとってもいきなりのことで、なんと説明してよいやらで……」 「そうなの……?」 夕梨は不満そうな声で、僕に疑いの眼差しを向ける。 「シロネもごめんね。朝のうちに夕梨に話しておけば良かったよ」 「いえいえっ、わたしは別に……」 「ふーん。なんか舜、お兄ちゃんみたい」 確認しなくたって分かる、夕梨は不機嫌になっている。 しかも、稀に見るレベルでだ。 「一応、そういうことになってるしね。まだまだ手探りだけど」 「じゃあ、この子が言ってた、舜の妹になったっていうのは、本当なんだ」 「舜の妹は白音ちゃんだけだと思ってたから、なんかガッカリだよ」 「僕だってまだ迷いはあるし、思うことはあるよ」 「でも、僕には、母さんには、彼女が必要なんだ」 「そんなの夢だよ。だって、白音ちゃんは、もう……」 「わたしはここに居ます。ちゃんと、夕梨ちゃんと遊んだことも覚えてます」 「目が悪かったわたしをいつも気遣ってくれて、一緒に遊んでくれて、本当に嬉しかったです」 「な、なによそれ……。そんなの、そんなっ……!」 「そこまで、夕梨」 「沙羅……」 「しばらく静観しようと思ってたけど、これ以上騒がれるのも困るの」 突然、沙羅が割って入ったことに驚きつつ、心底ほっとしてもいた。 「この実験は、RRCと七波家が合意して行ってるの。部外者があまり首を突っ込まないで」 「なにそれっ! あたしだって、白音ちゃんの幼なじみなんだよ!」 「勝手に幼なじみのコピーロボットを作られたら、怒るに決まってるじゃん」 「どうして怒るの? シロネが、あなたに何か危害を加えた?」 「そういうわけじゃないけど……」 沙羅の的確な指摘に、夕梨も押し黙る。 一方の沙羅は、いつもと変わらぬ冷静な口調を崩さず話を続ける。 「何もされてないのに怒るなんて、八つ当たりも良いところね」 「それとも夕梨は、私の知らないうちに、そんな心の狭い人になったの?」 「ぐ、ぐぬぬ……」 勝負あり、沙羅は本当に、核心をズバリと突いてくる。 良くも悪くも、だけど。 「分かったら、もうこれ以上、教室で騒がないこと」 「シロネを受け入れられないにしても、舜に迷惑を掛けるのは、本意じゃないでしょ?」 「わ、分かったってば……」 「というわけで舜、あとはよろしく」 沙羅はきびすを返すと、何事も無かったかのように自席へと戻る。 「わたしのせいで、大変なことになっちゃったみたいで……。本当に……ごめんなさい」 「いきなり最初から全部上手くいくことなんてないよ。ね、夕梨」 「えっ!? ええっと、うん、そう。そうだよね」 「あたしもちょっとヒートアップし過ぎちゃったし……。あんたも、そんなに気にしないで」 「は、はい……」 夕梨もシロネも、かなりぎこちない。 原因を作ったのは僕だし、なんとかしたい。 「2人が一緒に来たってことは、もしかして同じクラスになったの?」 「うん。今日からだけどね」 「だったらさ、しばらくの間、夕梨がシロネの面倒を見てあげてくれないかな」 「な、なんであたしがっ!」 「シロネはアンドロイドだし、まだ世間慣れしてないんだ」 「そこを夕梨がフォローしてくれると、僕としてもすごく安心出来るんだよ」 「って言っても、あたし、アンドロイドの相手なんてしたことないよ?」 「大丈夫、シロネは賢いから」 「えーっ……」 「夕梨ちゃんとは仲良くしたいと思っていたので、一緒のクラスでとても嬉しいです♪」 「でもでも、夕梨ちゃんの迷惑になりませんか?」 「迷惑ではないけど……」 「引き受けてくれる?」 「う〜〜ん……」 腕組みをして唸りながら、夕梨は考え込む。 それから、ため息を一つ吐いて、やれやれといったふうに、了承のサインを出してくれた。 「まあ……さっきのお詫びもあるし、しばらく面倒見てあげる」 「わぁ……! ありがとうございます、夕梨ちゃん!」 「いいってお礼なんて。お詫びなんだし」 そう言いつつ、夕梨はかなり照れくさそうだ。 素直じゃないなとは思うけど、言わないほうが身のためだろう。 「ありがとう。心強いよ」 「もう。お世辞言っても、何も出ないんだぞ?」 「じゃあ……早速だけど、校内を案内してあげる。ついてきて」 「ええと……」 「はい♪ よろしくお願いします、夕梨ちゃん♪」 夕梨はシロネを連れて廊下へ出て行った。 確か、校内見学は百南美先生と済ませていたはずだけど―― シロネは夕梨に気を遣って、夕梨のサービス精神に応えてくれたようだった。 「お母さん。ニンジンは銀{いち}杏{ょう}切りにしますか? それとも乱切りですか?」 「気にしたことはなかったけど……」 「でも、あまり小さく切ると食べごたえがなくなっちゃうから、大きめに切ってもらえる?」 「分かりました! ふんふ〜ん」 なんだか、シロネが昔からここに居るような、そんな不思議な感覚。 そう錯覚するくらいに、彼女はこの場に馴染んでいる。 「すごいな……シロネは」 「RRCの総力をあげて作った、最新鋭のアンドロイドだもの。当然よ」 「そのメンバーの中に、沙羅も含まれている、ということ?」 「もちろん。だって私、プロジェクトリーダーだから」 さらっと言ってのけるけど、その裏には並大抵ではない努力があったんだろう。 素直に尊敬出来る。 「それじゃ、私はそろそろ失礼します」 「あら、もう帰っちゃうの? 夕食、もう4人分準備しちゃった」 「4人? あの、シロネは食事が出来なくて……」 「分かってるわ。でも、みんなが食事してるのに1人だけ何も無いって、なんだかかわいそうじゃない?」 「シロネちゃんの分は明日私が食べるから、気にしないで」 「そういうことでしたら、ぜひ」 「ふふっ、なんだか昔に戻ったみたい」 今夜は、楽しい夕食会になりそうだ。 僕の家と沙羅の研究室は、同じ研究所の敷地内。 歩けば10分も掛からない距離を、わざわざ遠回りして帰っている。 「やっぱり沙羅……あんまり、変わってないよね」 「それって、子供っぽいってこと?」 「あ……なんかこういう会話、前にもしたね」 「あの時は私が言ったの。舜の部屋、あんまり変わってないねって」 「舜と同じ受け答えをしてしまうなんて、私としたことが……」 肩を落とし、あからさまに落胆する沙羅。 「それより、聞いてよ」 「お、おう」 「シロネの開発中は本当に忙しくて、毎日カップ麺ばかり食べていたんだけど――」 「見かねたシロネが、野菜ジュースを作ってくれて。でも、あまりにも苦くて、残してしまったの」 「沙羅は、苦いものが苦手だったっけ」 「それもあるんだけど、七波家ではこれが普通だった、って言うものだから」 「ちょっと、舜と馨さんの味覚を疑ってしまったわ」 「そんなことがあったんだ」 「うん……」 沙羅は、その時の味を思い出したかのように顔をしかめる。 「それは僕たちというより、父さんが飲んでたものだと思うよ」 「七波博士の好み?」 「眠気覚ましにって、飲んでたような気がする」 「研究所内では、飲んでなかったのかな」 「そうね……」 「でも、七波博士の好きな飲み物なんだったら……今度は、頑張って飲んでみようかな」 父さんの名前を口にする度に、沙羅は子どものように目をきらきらと輝かせる。 「私がシロネを作った理由は、前に話した通り、あなたの願いを叶えるため」 「そのために、私の研究成果を使った」 「でも、そのベースは元々、あなたのお父さん、七波博士が研究していたものなのよ」 「白音の脳をスキャンして、記憶データを取り出す。それをアンドロイドの素体に組み込む――」 「そうして、より人間に近いアンドロイドを生み出す」 「僕は、白音が目を悪くしていたから、それをなんとかしたいっていう話しか、聞いていなかったな」 「もちろん、それが一番の動機でしょうね。でも、人工眼球の移植手術の成功例はすでにあるから、それだけというわけでは無さそう」 「それに、個人的な事情だけで、こんな大規模な研究は出来ないから」 どれだけの予算がつぎ込まれているのかは想像出来ないけど、あの精巧なフォルムからして、桁外れの額が投じられているはずだ。 「沙羅が、父さんの研究を引き継いだんだよね?」 「引き継いだというより、元々一緒に研究していたのよ」 「私自身が担当している部分は、その人工知能の部分。いわば人間で言う“脳”の部分ね」 「その“脳”にあたる部分の開発コードが“トリノ”」 「そして、今では“トリノ”を搭載したアンドロイド自体を“トリノ”と呼ぶようになったの」 「なるほど」 「私も今では、単に脳の部分を開発するだけじゃなく、他の部署も連携して研究を進める立場になった」 「これも、七波博士が――ううん」 そう、今、僕の父さんは海外へ行ってしまい、この研究所には居ない。 「でも、権限が広がるのはチャンスでもあるのよ」 「チャンス?」 「そう。私自身の研究を大きく進めるチャンス」 「研究というより……野望、かな」 沙羅は得意気に口元を緩ませる。 「自分にとってなにより大切だったそれは、突然失われた」 「私はそれを取り戻すために、持てる全てをこの研究という道に注いでいる」 先ほどとは打って変わって、真剣そのものの表情で語る沙羅。 その信念で何かを成し遂げようとする者だけが持つ、迫真の鋭利な眼光をたたえていた。 「生まれた時からずっとね……一緒だったの」 「私は、別れたくなんてなかった」 「……それって、“ルビィ”のことかな」 「小学校に上がる前まで、一緒に遊んでくれたアンドロイドの……」 「……」 沙羅は沈黙することで、肯定の意を表した。 「あのアンドロイドは、6歳までの子どもにしか、反応しないように作られていたの」 「だから、何も知らなかった私にとっては、突然の別れだった」 「でも……」 感情的にならないよう、沙羅は息を整える。 そして、穏やかな表情で、僕のほうを覗き込む。 「今にして思えば……“そういう実験だった”のかなって、思っているの」 「親離れを経験させるための実験であり、人間とアンドロイドの関係性を観察する実験、それから――」 「私を研究の道に進ませるための実験……」 「それは……」 「うん、分かってる。これは私が考え過ぎなだけ」 「でも必ずまた、あの時みたいに話せる日が来ると信じてる」 「沙羅なら出来るよ、絶対」 「……今まで一度も、起動に成功していないの。自分でも意外なんだけどね」 「シロネを完成させた今なら、きっと!」 「そうしたいけど、今はシロネのことで手一杯だから」 「舜が元気になってくれたら、自分の実験も再開しようと思う」 「僕は元気だよ」 言葉にしてみたら、ちょっと間抜けな返事になってしまった。 「今日だけじゃなくて、これからもずっとよ?」 「ずっと元気元気」 「何で2回言ってるの……」 「……とにかく!」 「シロネを作ったのは、あの時の舜があまりにしょげてたからよ」 「そんなに?」 「舜のほうから、何もかもシャットアウトしてきたでしょ? だから私は、こうするしかなかったの」 「舜と向き合うため、白音と向き合うために――ただひたすら、己とも向き合い続けた」 「カッコイイな、その言い方」 「ふざけすぎよ。私が真面目に話しているのに」 「ごめん」 ついつい、重い話は苦手で茶化したくなってしまう。 沙羅はずっと未来だけを見つめてきて、僕は過去に囚われて生きていた。 その事実がはっきりと露呈してしまう気がして、沙羅の言葉を素直に受け止められない。 「舜、あの」 僕が黙り込んでしまったからか、不安そうに覗き込む沙羅。 「私……そのしゃべり方のほうが好き、かもしれない」 「えっ? 今、何か言った?」 「馬鹿な舜。もう二度と言ってあげない」 「……」 「……」 虫の声が耳に残るほどの、静寂。 重たい沈黙が僕らを包み込む。 それから研究所の入り口で別れるまで、彼女が口を開くことはなかった。 「あっ! お兄ちゃんです!」 「おにーちゃーん!」 放課後。 校門を出たところで立っていると、跳びはねるようにシロネが駆け寄ってきた。 「そんなに呼ばなくても大丈夫だから!」 「はぅっ、ごめんなさい。お兄ちゃんの姿が見えて、つい嬉しくなっちゃいました」 「もうしませんから、許してくれますか……?」 「怒ってるわけじゃないよ。ただ、目立つと恥ずかしいから、控えめによろしく」 「分かりましたっ! えへへ、お兄ちゃんはやっぱり優しいです」 体温が感じられそうなほど近くに寄り添うシロネ。 でも、不思議と不快感はない。 「どうしましたか、お兄ちゃん?」 「うーん。いや別に、このままでいいか」 「はい。このままがいいです」 考えてみれば、夕梨も結構近くまで寄ってくることが多い。 案外普通のことかもしれないし、僕の考えすぎかな。 授業を欠席した夕梨にプリントを届けるため、帰る道すがらシロネと共に夕梨の家まで来た。 夕梨に持病があることは知っているので、こういうことがあると気になってしまう。 「夕梨ちゃん、大丈夫でしょうか?」 「最近は元気そうだったんだけど、ちょっと心配だな」 「はい……」 最近はもっぱらハナコ先輩の手伝いに駆り出されていたようで、夕梨とは一緒に登校していなかった。 その無理が祟って、身体を壊したというのではないと良いけど……。 「あれ? 舜にシロネ。どうしたの?」 「夕梨ちゃん?」 見た目は元気そうな夕梨が、家の中から顔を出す。 「体調は大丈夫ですか?」 「ああ、へーきへーき。ちょっと朝、気分が悪かっただけだから」 「むしろ、授業サボれてラッキーって感じ」 「も〜、夕梨ちゃんってば〜」 夕梨の言っていることがどこまで本当かは分からないけど、シロネを見つめる夕梨の表情は、柔らかい。 「はい、今日配られたプリントと、ノートのコピーです」 「ありがとー。助かる〜」 嬉しそうにノートとプリントの束を受け取る夕梨。 この2人は、すっかり仲直りしたみたいだ。 「それにしても、ここは変わっていませんね。昔のままです」 「……ああ、まあね」 「ペンキを塗り直したり、リフォームはしてるけど、だいたいはそのまま」 「やっぱり、そうですよね。とても懐かしいです」 「よく見えてはいませんでしたけど、雰囲気は、わたしにも伝わっていましたから」 「夏になるといつも人が集っていて。わたしの大好きな場所です」 「ただボロいだけだって。でも、ありがと」 「あたしも、自分の家は気に入ってるから、そう言ってもらえると嬉しいよ」 「沙羅ちゃんともよく遊びました。こんなに広い場所だったんだなあ……」 シロネは昔に思いを馳せるように目を閉じる。 「そういえば、沙羅は一緒じゃないの?」 「今日は会議があるからって、早退したよ」 「あ、そうなんだ。ふーん……」 「沙羅ちゃんにも会いたかったですか?」 「えっ? 別に、全然! 学校で会えるんだし、わざわざ家まで来なくていいよ」 「そこまで言わなくても……」 「まあ、夕梨なりの照れ隠しってやつじゃないかな?」 「夕梨ちゃんは、沙羅ちゃんが好きってことですか?」 「そういうこと」 「ちょっと、勝手に決めないでよねー」 「じゃあ、お兄ちゃんのことが好き?」 「は……?」 「はぁ〜〜〜!?」 「げほっ、げほっ!」 思わず咳き込む。 いやいや、なに言ってくれちゃってるんだ、この子は。 「違うんですか?」 「それは、違うでしょ……? ね?」 「え? う、うん」 あんまりな展開に、僕も頭が追いつかない。 「あのね、シロネ。人間の心は好きか嫌いかで、はっきり分かれるものじゃないんだ」 「その中間というか、曖昧な感情も存在するのが、人間なんだよ」 「それは理解しています。でも、アンドロイドは適当なことは言いません。これは、正確なデータに基づいた結論なはずです」 「ちょっ……!? 怖いから、いきなり人間っぽくないこと言わないでよ」 「うーん……好きとか嫌いとか、人の感情は難しいです。頭の中が沸騰しそうです」 「あっ。わたしはアンドロイドだから、沸騰しないんでした!」 「人間も沸騰はしないから大丈夫だよ」 「そうそう……」 ふと夕梨のほうを見ると、顔から耳の先まで真っ赤になっている。 「夕梨?」 「あ、あたしちょっと、熱が上がってきたかも……」 「大丈夫ですか? 無理しないでください」 「ごめん、そろそろ部屋戻るね……またねっ!」 夕梨はバタバタと早足で、家の中へと引っ込んでいった。 「夕梨ちゃん、心配です……」 「きっと明日になれば、いつも通りに戻ってるはずだ」 「そういうものですか?」 「うん」 シロネは病気にならないから、本質的には理解出来ないかもしれない。 でも、大切な友達を思いやる気持ちは、見習いたいと思える。 「でも……」 「ん?」 「夕梨ちゃんがお兄ちゃんを好きってことは、本当のデータなんです。嘘じゃないんです」 「ああ、まあ……」 「でもね、それは過去のことかもしれないし、好きにもいろいろ種類があるから」 「確かに、そうですね。わたしも、お兄ちゃんのことは好きです」 「ええっ?」 「大好きです、お兄ちゃん♪」 混じりっけなしの好意を向けるシロネの笑顔に、兄妹愛だと分かっていても、動揺してしまう。 「お兄ちゃん?」 「ありがとう。帰ろうか」 「はい♪」 シロネはなんのためらいもなく、僕の傍らに立って手を握ってくる。 一方の僕はといえば、緊張から滲む手汗に気づかれないか不安で、終始落ち着かない心境だった。 「ふふっ、ただ歩いてるだけなのに、お兄ちゃんと一緒だとすごく楽しいです♪」 「やっぱり、お兄ちゃんはすごいです。まるで、魔法使いです」 夕梨の家を出て、家へ続く道を歩く。 シロネは相変わらずニコニコしていて、距離も近くて。 その姿が白音と重なって、見とれて思わず足が止まってしまう。 「どうしましたか、お兄ちゃん? 難しい顔、してますよ?」 「うん……ちょっと昔のことを思い出してさ」 「ちょうどこの辺りから、海に向かったんだ」 「……」 あの時は夜で、もう少し風があったけど。 でも、あの海岸線の形を、僕は一生忘れることがないだろう。 あれからすっかり、海から足が遠のいてしまった。 「うーん……?」 シロネは不思議そうな顔をして、僕の様子を窺っている。 急に立ち止まったりしたから、何か意味があるのではないかと、考えているのだろう。 「この時間なら、綺麗な夕日が見えるかもしれませんね」 「そうだね」 核心を突いてこないのは、シロネなりの配慮なのだろうか。 その人間らしさが不気味に感じられて、少し寒気がする。 だけど今の僕には、それが丁度いい涼しさだった。 「ねぇ、シロネ」 「海に寄って行こうか」 「海、ですか?」 自ら提案しておいて、なぜこんなことを言い出したのだろう? と自問自答してしまう。 苦笑から笑みがこぼれて、答えに無責任でいる自分に、わずかに腹が立った。 「わたしも、行きたいと思っていたんですよ」 「うん?」 「さて、そうと決まれば、善は急げです。行きましょう、お兄ちゃん!」 「――おっ!」 シロネのしなやかな手が、僕の手を包み込み、そのまま海のほうへと導いてくれる。 目が見えなかった白音では、決して出来なかった、シロネだから出来ること。 母さんの言っていた通り、やっぱりこれが、ずっと願っていた夢なのかもしれない。 「……海はとっても、広いですねえ」 シロネがポツリと呟く。 沙羅から聞かされていた通り、海のそばには行かないよう、気をつける。 「1万メートル下にも、海があります。山の標高より、海の水深のほうが、距離が長いんですよね」 「シロネは物知りだね」 「もともとインプットされていた情報です。学習機能によって、このように言葉を選んでいるんです」 「へえ」 「だから、夕日。波。砂浜。全部、言葉では知っています」 「でも……言葉では言い表せないくらい、この景色は綺麗です」 物心がついた頃には、白音の視力はかなり低下していた。 だから、白音の知る海は、波の音と潮の香り、それから、ふかふかな砂浜だけだ。 「水面が、きらきら光ってる……」 まるで自分1人しか居ないかのように、シロネはじっと海を見つめて、感傷に浸っている。 海の美しさも、それに初めて気づいた感動も、一度目にすれば、簡単に誰かと共有出来る。 当たり前のことだけど、過去の白音からは考えられない進歩で、気後れしそうになる。 「意外だな」 「えっ?」 「君がそんなふうに、海を眺めておセンチになる日が来るなんて」 「怖いのは、夜の海だけです。夕方の海は穏やかで、終末的美しさがあります」 「そっか。僕にとってはやっぱり、危ないとか、怖いイメージが拭えない場所だな」 「……」 言葉を返しづらいだろうと思った矢先、シロネはぐっと黙り込んでしまった。 ここへ来た以上、僕は正直な気持ちを打ち明けなければならないと、自分自身に課していた。 「……」 シロネを困らせる気は無かったけど、だんまりが続くと心配になる。 アンドロイドの沈黙に、意味は無いかもしれないのに、心が落ち着かない自分がいる。 「……風、気持ち良いですね」 「磯の香り、海から吹く風、渡り鳥のなき声……目が見えなくても、海を感じることは出来ました」 「今は、ぱっと見渡して、全てを知ることが出来てしまいますが」 シロネは、数分前の僕の気持ちを見事に言い表してくれた。 それは気遣いというより、単に感じたことを口にしているようだった。 「でも、見えない世界より、見える世界のほうが、ずっと良いの」 「見えないままだったら、こんなふうには思わなかったかもしれない」 「世界を知ってしまったから、見えなかった日々のことが、なんだか虚しくて、悲しいのです」 白音の本心を聞かされたような気がして、とてつもなく胸が苦しくなった。 それはそうだ、白音だって、望んで病気になったのではないのだから。 「お兄ちゃんとの楽しい思い出、沢山ありました」 「だけど、こんな綺麗な世界があるって知ってたなら、病気になんてなりたくなかったし、それに、死にたくもない――っ」 「あっ……ごめんなさい!」 「いや、良いんだよ」 むしろ、シロネの感情は、とても人間らしいと思う。 「あの、お兄ちゃん。気を悪くさせたらごめんなさい」 「でもでも、わたしは……お兄ちゃんに、伝えたかったんです」 「僕に?」 「お兄ちゃん、ちょっとこっちに来てください」 「そしてそのまま、目を閉じて」 「えっ?」 一瞬、変なことを考えてしまったけど、違うよね。 「どうしました?」 「いや、ごめん……続けて」 徐々にシロネが近づいてきて、吐息が頬に掛かる。 「――ん」 こつん。 軽い衝撃と共に、ビリっと電流のようなものが、頭に伝わってきた気がする。 「大丈夫ですか……?」 シロネの声が聞こえた次の瞬間、目の前にぼんやりと、光が浮かび上がってきた。 暗闇の中に、ぱぁーっと花火の光が溢れている。 「わたしには、“アーカイブス”という機能があります。それを使って、わたしの記憶をそのままお兄ちゃんに見せています」 「沙羅ちゃんいわく」 「“言葉は曖昧で、主観と客観が入り交じり、コミュニケーション手段としては欠陥が多い。だから、代わりの方法を用意したの”」 「だそうです」 「はっきりと言うなあ」 言わんとしていることは、分からないでもないけど、一体どういう仕組みなんだろう。 「とても強い光と大きな音で、お腹の奥が、ズーンと震えるような振動で……」 「わたしの記憶に、強く強く残っているんです」 「……ちゃんと、白音にも見えていたんだね」 白音の病気が分かってから今に至るまで、彼女はずっと暗闇の世界で生きていると思っていた。 でも、本当はこうやって微かだけど、光のある世界で生きていたんだ。 「お兄ちゃんは、わたしの目が見えないことを、ずっと気にしていました」 「でも、こうやって見えていることもあって、他にも、楽しい思い出がいっぱいあったこと」 「わたしは死んじゃったけど、お兄ちゃんのそばに居られて、幸せだったこと」 「ずっとずっと、伝えたかった」 「そうか」 「死にたくなかったなんて言って、ごめんなさい」 「でも今は、海だけじゃない、お兄ちゃんにもお母さんにも会えるんです。だから、今のほうが幸せ……」 思わず言葉に詰まる。 何か言葉にしようとすると、一気に気持ちまで溢れ出てしまいそうだった。 「安心してください、お兄ちゃん。シロネは、ここに居ます」 「だから、いくらでもやり直せます。後悔なんて、必要無いんです」 「うん……」 あの日を取り戻すためにシロネを作ったと、沙羅はそう言っていた。 でも、それだけじゃない。 夢みたいな存在だが、シロネは単なる夢でもない。 「わたしはずっと、お兄ちゃんのそばに居ます」 「……ありがとう」 彼女の存在は、普段の生活や、僕の心を変えるものだとばかり思っていた。 でも、そうではない。 彼女はただ、僕達家族に寄り添う存在だ。 お掃除ロボでもなく、便利ロボでもない。 シロネはシロネなのだ。 「おはよう……」 「おはようございます、お兄ちゃん」 『こんにちは』の時間ですが」 最近バタバタしてて、疲れが抜けなかったのか、珍しく昼まで寝過ごしてしまった。 今日が休日で良かったな。 「今日のお昼はパスタですよ。なにか、リクエストはありますか?」 「おまかせで良いよ」 「おまかせ……うーん、難しいです。お兄ちゃんの食べたいものが、わたしの作りたいものなんです」 「そっか。じゃあ……さっぱり系で、冷蔵庫にありそうなもので考えてくれる?」 「それなら、ゆずと醤油を利かせた、しらすと大根おろしのパスタはどうですか?」 「おお……すごく美味そうだ。うん、それがいいな」 「分かりました! 腕によりをかけて、愛情たっぷりに作りますね♪」 愛情って……まあ、兄妹愛、家族愛なんだろうけど……。 なんだかんだ言っても、女の子に好意を向けられるのは嬉しい。 「あら、シロネちゃん。お料理するの?」 「はい、お昼ごはんをこれから。お母さんは座って待っててくださいね」 「ああ、シロネちゃんは1人で全部出来るものね」 「お母さんほど上手ではありませんが、頑張ります〜」 「ええ、シロネちゃんが全部やってくれるから、本当に助かるわ」 「えへへ。役に立てているのなら、嬉しいです」 シロネと母さんの会話を聞き流しつつ、洗面所に向かった。 もう夏も真っ盛りだというのに、顔に当てた水は、妙に冷たく感じた。 「ごちそうさまでした」 「さて……じゃあ、洗い物は舜にしてもらおうかな」 「えーっ。まあ、いいか」 「お兄ちゃん、代わりにわたしが洗い物しましょうか?」 「ほんと?」 「こら舜。何でもかんでもシロネちゃんにやらせちゃダメでしょ」 「気にしなくて良いですよ。わたしは疲れませんから」 「だってさ」 シロネはスタスタと台所へ向かい、シンクに置かれた食器を順々に洗い始める。 「まったく……ホント、働き者よね。シロネちゃん」 「むしろ最近は、急に空き時間が増えて、何をしたらいいか、迷っちゃうくらいで……」 母さんは苦笑しつつ応じる。 僕が手伝いをサボることに関して寛容なのは、母さんの心に余裕が生まれている証拠かもしれない。 本当はそんなことじゃいけないけど、僕が出来ると言えば―― 「そういえば」 「シロネは、あの曲が弾けるみたいなんだ」 「あの曲……?」 「お父さんが持ってたレコードの曲」 「ああ……」 「学校で初めて会った時に弾いてたんだ」 「そう」 「母さんにも聴かせたいなって」 その心の余裕に寄り添うのが、僕やシロネなんじゃないか。 そんな勝手な想像が膨らんで、突拍子もないことを思いついてしまう。 「といっても、弾くのはシロネだけど」 「ええ……」 「そうね。とっても懐かしいわ。聴いてみたい」 一瞬考え込んだ母さんだったが、すぐあとに、控えめな笑顔で同意してくれた。 「ふふっ」 僕たちの会話を聞いていたのか、洗い物をする手を止めたシロネは、ピアノのほうへ向かっていった。 そしてその白い指が鍵盤の上に軽く置かれ、彼女は少し大きめの息を吐いて――。 音楽室で聞いた、あの耳慣れた音楽が流れ始めた。 「あっ……」 母さんはやや不安げな表情で、シロネが演奏する姿を見守っている。 思い出の曲を耳にしたら、誰だって心が揺さぶられるものだ。 「……」 聴き入っているというよりは、記憶を思い返して、確かめるように目を瞑って聴いていた。 「本当に上手いわね……シロネちゃん」 「そうだね。懐かしいな」 「懐かしい……そうね」 白音もピアノが好きで、時々ああやって弾いていた。 とは言っても目がほとんど見えないから、耳で聴いて覚えて、鍵盤の位置を僕が教えて。 そんなことの繰り返しで、いつの間にか、同じ世代の子より上手になっていた。 僕にはその姿が、今のシロネと重ねって見えた。 「そう。舜には、そう見えるのね」 「えっ……?」 「いえ、なんでもないわ」 取り繕った母さんの寂しい笑顔は、初めて見たかもしれない。 でも、演奏しているシロネの手前、問い質すことは出来なかった。 「すごく上手だったわ」 「本当ですか? それはとっても嬉しいです♪」 「白音ちゃんが生きてたら、これくらい上手に弾いていたんだろうなって」 「そ、そうですね」 シロネは困ったように苦笑する。 「シロネがいるから、白音のことを忘れずにいられる。だから良いことなんだよ」 「そうなんでしょうか?」 「きっと、そういうことだよ」 「ええ、そうね」 「それなら良いんですけど……!」 「あっ、またいつでも言って下さいね。わたし、何度でも弾きますから」 「ありがとう」 「じゃあ、お手伝い戻りま〜す」 その笑顔は眩し過ぎて、思わず目を細めてしまいそうだった。 「あ……実はもう、シロネちゃんの演奏は一度聴いているのよ」 「そうだったの!?」 「舜がシロネちゃんを家に連れてくる前に、一度ね」 「実験に参加する同意書にサインするより先に、彼女に会っておきたくて」 「それで、紬木さんに無理言って、連れて来てもらったのよ」 「そうだったんだ。全然知らなかったよ」 「その時に、こんなことも出来ますって、ピアノを弾いてもらったの」 「ああ、それで……」 だから、今まで物置になってたピアノの周りが片付いてたのか。 「だったら、先に言ってくれても良かったのに。ちょっとしたサプライズのつもりが……」 「サプライズなら、自分の手でやらないと、意味無いでしょ?」 「……まさに、その通りなんだけどさ」 「私は何度でも聴きたいの。未来の白音ちゃんの姿を、見られる気がするから」 「これは夢じゃなくて、現実のことなんだもの」 母さんは明るく振る舞っていたけど、演奏中に見せた表情が気掛かりだった。 それなのに、“そうじゃなかったらいいのに”と都合良く解釈して、 「そうだね」 と、無難で無責任な言葉を返してしまっていた。 「えっと、お風呂用洗剤と、ゴミ袋と、夕飯の食材一式……」 「これで買い物終了ですね」 「よし、じゃあ帰るか」 母さんから頼まれた買い物を2人で済ませ、荷物を両手に持つ。 あの空気の中では居たたまれなかったから、お使いを頼まれたことは、正直ありがたい。 買い物中、真剣な目つきでチョコ丸を吟味していたシロネが、なんだか可愛いらしかった。 「えへへ、お兄ちゃん♪」 「うおっと」 不意にシロネが僕の手を引っ張り、買い物袋が大きく左右に揺れた。 「袋、やっぱり持ちますよ」 「いいよ。女の子に、荷物持ちさせるわけにはいかない」 「おぉぉ……さすがお兄ちゃんです。英国紳士もびっくりな返答です!」 「そんなお兄ちゃんだから、沙羅ちゃんも惹かれたのでしょうか?」 「……え?」 「幼い頃、お兄ちゃんと沙羅ちゃんは両思いだったんですよね?」 「もしかして、今もお付き合いしているんですか?」 「今も何も、沙羅と付き合ったことなんて一度も無いって」 沙羅が恋バナをするとは思えないので、ネタ元は夕梨あたりで間違いないだろう。 動揺はしないけど、間髪入れずに投げ掛けられたシロネの質問に、一瞬ドキッとしてしまった。 「でもでも。お兄ちゃんは沙羅ちゃんのこと、好きだったんですよね?」 「昔はね。今は違うよ」 憧れとか尊敬とか、そういう感情はあるけど、心のときめきみたいなのは、少なくとも沙羅には感じない。 ……たぶん、だけど。 「どうしてですか? せっかく再会したんです。仲を進展させるチャンスじゃないですか!」 「シロネは、僕と沙羅に付き合って欲しいの?」 「はい♪ だって2人とも、わたしの大好きな人ですから」 「2人には幸せになって欲しいと、心からそう思います」 「そっか……」 シロネの記憶は幼い頃で止まっているはずだから、今の僕と沙羅の関係には、違和感があるのかもしれない。 白音ではなく、シロネと接しているというこの感覚は、記憶のズレが一番にある気がした。 「いろいろあるってこと……ですよね?」 「まあ……そんな感じ」 「分かりました」 僕の返事からシロネは、全てを察したとばかりに言葉を返した。 「すみません。わたしはお兄ちゃんの恋人にはなれないから……勝手に心配しちゃいました」 「でも、本当に、勝手過ぎました。お兄ちゃんだって、女の子に興味が無いわけじゃないんです」 「恋人が出来ないんじゃなくて、作らないだけです!」 「お、おう……」 耳が痛い言葉だけど、シロネは大真面目に話してくれているんだろう。 「ほ、ほら! シロネを置いて恋人との時間を優先したら、沙羅が困るだろうしね?」 「実験や研究は遊びじゃない。もっと真面目にやりなさい。ってさ」 「ふふっ、そうかもしれませんね」 「でもやっぱり、お兄ちゃんにとって沙羅ちゃんは特別な人なんですね」 「ま、まあ……」 「ふふっ♪」 白音であり、白音ではないシロネ。 だんだんとその違いを感じ始めてきたけれど、不思議と嫌な感じはしない。 嫌ではないが、これで良いのか? という気もする。 悪い言い方だけど、まるで母さんを裏切っているような気持ちだ。 「さて、早く帰りましょう。お肉が傷んでしまいます」 「ああ」 結局、その後のシロネは、恋愛話に触れることはなかった。 「舜、入っていいかしら」 「ん、いいよ」 「もうお風呂の時間?」 「そうじゃないんだけど……ちょっと」 母さんが言いにくそうに話を切り出すなんて珍しい。 でも、今日のことなら、思い当たることがあった。 「シロネのことか」 「ええ……。舜は、シロネちゃんと上手くやれてる?」 「うん、多分ね。最近特に、生活に馴染んできた気がする」 「そう。やっぱり若いと慣れるのも早いのね」 母さんは自嘲気味な笑みを漏らす。 あまり、見たくはない笑顔だ。 「母さんは、まだ慣れない?」 「なかなかね。とても良い子なのは分かってるし、助かっているのは本当」 「でもときどき、どうしたらいいのか分からなくなるの」 「妙に心がざわつくというか……」 「それは……分かるよ」 適切なことを言わなきゃいけないタイミングなのに、頭の中で違う言葉がグルグルと回って、口から出てこない。 「私には、ちょっと上手過ぎるように感じちゃったのよね」 「シロネちゃんは、絶対に間違えることがないし、つっかえたりもしない」 「だから、ああいう演奏になるってことは、理解しているの」 「昼間のピアノのことだよね」 「ええ」 やはり、あの時の違和感は錯覚ではなかった。 「でも、それは白音ちゃんの音楽とは全然違うから……。少し、寂しくて」 「白音ちゃんはあんなに上手でもないし、練習もサボることもあったわ」 「それでも、家族みんな、白音ちゃんがピアノを弾くのを心から応援してた。白音ちゃんの成長に、夢中だったのよね」 「うん」 「ああ、もしかしたら……出来なかったことが出来るようになったから、寂しいって感じてるだけかもしれない」 「私のエゴで、シロネちゃんを認めたくないだけなのかも」 「……そうなのかな」 「舜は、どう思っているの?」 僕も、シロネに抱いている気持ちは、母さんと同じものだった。 でも、シロネの受け止め方は、ちょっと違うと思う。 「シロネはいい子過ぎる。だから僕も母さんも、彼女を責めることが出来ないんだ」 「ちょ、ちょっと舜……!?」 「え? 何か変なこと言った?」 「うん、ものすごくね」 僕なりに考えて、真理を突いたつもりだったけど、母さんには唐突過ぎたかもしれない。 「白音は、いつも僕にひっついてばかりで、勉強も僕が教えてた」 「面倒だと感じる時もあったけど、そのうち僕は、白音に頼られたいと思い込んでしまった」 「そうやって、勝手に、白音は1人で生きられないって決めつけてた」 「でも、僕も母さんも、1人では生きられない。白音と同じだったんだ」 「どうしてそう思うの?」 「シロネと一緒に過ごしてたら、そう思えてきたから。……っていうのじゃ、理由になってないか」 「ううん。正直な理由だと思うわ」 「白音の目が良くなって欲しいとか、それで、いろんな楽しいこと知って、幸せになって欲しいとか」 「全部、自分のわがままだったのかなと思ったら、悲しくなってきたよ」 「舜……」 「僕たちは世界を知っているからこそ、幸せを欲するし、もっと幸せになりたいと思ってる」 「シロネは壮大な夢で、その夢は僕達の想像を遥かに超えている。だから、白音にはなれないと思う」 「そういうものかしら……」 「だけど、母さんと違うのは、多分……僕は夢を見ていたいんだ」 「沙羅の作った世界には、もしかしたら幸せがあるのかもしれないから。シロネは僕を助けて、癒してくれて」 「それだけじゃなく、いろんな人に影響を与える存在になっていくのかもしれない。だから、彼女が生きる姿を見ていたい」 「自分勝手な押しつけの幸せより、紬木さんが作り出した幸せのほうが、確かだってこと?」 「そうかな……」 一気に沢山話し過ぎて、言葉が尽きてしまった。 「過去の幸せと、今の幸せを比べてもしょうがない」 「そういうことなの?」 母さんは、寂しそうに落ち込んだ様子から一変して、僕の言葉に真剣に応えようとしてくれている。 「こうだったらいいのに、じゃなくて、それをどう叶えたら良いか、どうしたら私たちが幸せになるかを、シロネちゃんは常に考えてくれてると思う」 「それがプログラムでしかなかったとしても、舜はシロネちゃんを、紬木さんを信じられるの?」 「信じたいって思ってる」 「“トリノが世界を変える”って、沙羅は言ってたんだ」 「それは、僕の世界を変えるという意味で、白音とは迎えられなかった未来や幸せを、新たに生み出す存在になるんじゃないかって」 「世界が変わるなら、それを見てみたい」 「シロネちゃんが変える……というより、私たちが変われるか、ってことなのかもしれないわね」 「舜の気持ち、すごく伝わったわ」 「痛いくらいにね」 考えて話したつもりだったけど、今は、頭の中がぐちゃぐちゃだった。 “世界”とか“幸せ”とか、大上段に構えた言葉を並べ立てたことが気恥ずかしい。 「じゃ、そろそろ戻るわ。時間取らせてごめんね」 ドアを丁寧に閉めて、母さんはリビングへと戻って行った。 「なんか、馬鹿みたいだ」 一つ、大きく伸びをする。 シロネに可能性を感じている。沙羅を信じてる。 そんなありきたりな言葉でしか主張出来ない自分に、腹が立つ。 本当は、そんなに大切でもないし、大して考えてもいないんじゃないかって。 でも、沙羅の夢は夢じゃない。 現実だ。 母さんだって、過去ばかり見ていちゃいけないことは、分かっているはずだ。 「この時間、今、何をするかが、生きるってことなんじゃないか」 「……」 ダメだ、真面目馬鹿みたいなことしか考えられない。 「……はあ」 ため息と共に、独り言は部屋の中に溶けていった。 「ふわあ……」 「すごく大きなあくびです。寝不足ですか?」 「……ちょっといろいろあってね」 「授業中に寝ないように、気をつけてくださいね」 「うん」 母さんに言われたことを考えながら床に就いたら、朝日が昇るまで寝付けなかった。 考え過ぎなのは分かっているけど、母さんと僕で、考えにズレが生じているのは明らかだった。 「そうだ。お兄ちゃんがよく寝られるよう、枕元でラベンダーの香りを放出するようにしますね!」 「え、そんなこと出来るの?」 「今は出来ませんが、そういった機能を追加することなら出来るはずです」 「理論上は可能だけど、夜寝ている間ずっと、シロネが枕元に立っていてもいいの?」 「それは、ちょっと考えてしまうな……」 シロネはロボットのように気配を消せるから、夜中に起きたらビックリしそうだ。 「わたしは疲れることがないので、それでも構わないですけどね」 「ずーっと子守唄を歌うことも、ずーっと羊を数えることも可能です」 「ずっとか」 「そう、ずっと。子守唄の代わりに、永遠に般若心経を唱え続けることも可能です」 「永遠って……恐ろしいな……」 そういえば、シロネとはこれからもずっと、永く一緒に居られるのだろうか。 通例であれば、実験期間が終了すれば、ロボットはRRCに回収されるけど、シロネも同じなのか? 「話を戻しますけど、お兄ちゃんは、眠れなくなるほどの悩みを抱えているのですか?」 「わたし、何か役に立てませんか?」 「いや、大丈夫だよ」 「はい……」 シロネがどうなるのか知りたいが、それをシロネには話したくない。 『受け入れられなければ処分』 「妹だからって遠慮せず、何でも相談してくださいね」 「お兄ちゃんの役に立てるように、わたし、頑張ります!」 「ありがとう、シロネ」 シロネに対して生返事を返しながら、処分のことをぐるぐる考えていた。 僕ではなく、母さんが受け入れられなくなったら――。 いや、そうなってはいけない。 「……」 とりあえず今は、授業中に寝ないことだけに集中しよう。 そんなことに思いを巡らせていたら、あっという間に昼休み。 昼食を摂った後、“沙羅襲来の日”のお礼として、日比野さんにアイスを献上した。 「ごちそうさまでした」 「やっぱり、プールを見ながら食べる花{か}神{がみ}シロクマは最高だね!」 「このザクザクとした食感が……たまらないっ!」 「それは良かったです。でもあれ、アイスっていうより、かき氷な気が……」 「細かいことは良いんだよ。それより、何か相談があって、こんなものを用意したんでしょ?」 「いや、これはこの前のお礼で……」 「まあまあ。遠慮しなくて良いのだよ、七波くん」 「あ、じゃあ、私から聞いてもいいかな。例の転校生、シロネちゃんのこと」 「ああ。さすがに、日比野さんも知ってましたか」 僕は日比野さんに、シロネがうちに来た経緯を説明した。 「なるほど。つまりはアンドロイドの実地実験ってわけだね」 「ま、なんか……複雑な感じだねえ」 「え?」 「まあまあ。意識のすれ違いって、よくあることだから」 少し話しただけだけど、日比野さんは内情を察してくれたようだった。 母さんとも付き合いがあるし、何か聞いていてもおかしくはない。 「私、分かるなあ。七波くんママの気持ち」 「ちょっぴりだけど、私も、白音ちゃんのこと覚えてるから」 「家が近いってことで、たまに遊んでくれましたよね」 「うん。シロネちゃんを見た時、成長してたらこんな感じなんだろうなって思った」 「でも、シロネはあくまでアンドロイドで、白音とは違う」 「だから、僕は、別の存在として、シロネを大切に思うことにしたんです」 「そうか」 「母さんには、それが難しいみたいで」 「うんうん」 通例通りなら、実験が中断・終了した場合、ロボットはRRCに引き渡さなくてはならない。 それは日比野さんもよく経験していることで、すぐに気持ちを理解してくれたみたいだ。 「私たちはいつか死んでいくけど、ロボットはそうじゃないもんね」 「だからこうして、実験期間を区切って、ちゃんとお別れをするのは、大切なことなのかなって気がする」 「なるほど」 「要するに、七波くんは……」 「シロネちゃんを捨てたくないし、七波くんママとも一緒に暮らしたいけど、両立は難しいから、どうにかしたいんだね?」 「でも、その答えはもう出ているんじゃない?」 「答え?」 「シロネちゃんは機{・}械{・}。七波くんママは人{・}間{・}だよ?」 「仮にどちらかを選ばなくちゃいけないってなったら、答えは人間一択じゃないのかな……」 「……」 日比野さんの言葉に、思い切り頭を殴られたような衝撃を受ける。 それと同時に、腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じた。 「七波くん、すっごく怖い顔してるよ」 「えっ……あ、すみません」 「ごめんね。本当は、両立させることを考えなきゃいけないところだよね」 「でも、そんなに怒るとは思わなかった」 「顔に出てましたか」 「七波くんが怒るの、もしかしたら初めて見たかも」 「きっと、それだけシロネちゃんを大切に思ってるんだね」 「多分……いや、大切なのは本当のことなんですけど」 「それを言葉にするのは難しい、って感じなのかな?」 「それです」 シロネに、シロネ自身としての魅力を感じていることは確かだ。 妹とか、アンドロイドとか、そういうことは関係ない。 「私がシロネちゃんを“機械”って呼んだの、嫌だと思ってる?」 「日比野さんは間違っていないんです。母さんと同じで」 「分かってるなら、きっと大丈夫だよ」 日比野さんのほうが、一般論としては正しい。 多分僕は、シロネになんらかの感情を抱いて、入れ込み過ぎているんだと思う。 「私は……機械に対しては、機械だって思って割り切るほうが、シロネちゃんのためにもなると思うんだけどね……」 「なんてね。言い過ぎちゃったし、そろそろやめにしよう!」 「午後の授業も、しゃきっと受けないとね」 「戻りますか」 日比野さんがまとめて、この話はお開きになる。 プールの消毒液の刺激的な臭いが鼻について、昼食後なのに眠気が襲ってくる心配は要らなそうだった。 放課後の教室は、いつの間にか誰も居なくなっていた。 シロネには先に帰るように伝えてあるから、待たせているという心配もない。 むしろ、どちらかと言えば、人待ちをしている。 「シロネちゃんは機{・}械{・}。お母さんは人{・}間{・}だよ?」 「仮にどちらかを選ばなくちゃいけないってなったら、答えは人間一択じゃないのかな……」 日比野さんの言葉が、授業中も放課後も、頭からこびりついて離れない。 どうして僕は、機械だからと割り切れないんだろう。 自分のことを思いやってくれるのは、誰だって嬉しいに決まっている。 シロネは、人を幸せに出来る、大切な存在だ。 シロネは、単なる機械、じゃない……。 「落ち込んでいるのかと思ったら、にやにやして。情緒不安定ね」 「沙羅?」 「シロネと何かあったの?」 「シロネとは何もないよ。別のこと」 「シロネ以外のことっていうと……女性関係の悩み?」 「そんな悩み、抱えてるように見えるかな」 「うん、見えない」 「そういうことです」 「残念ね」 いつの間にか、どこからともなく沙羅が現れた。 沙羅が学校に居残りしているなんて、とても珍しい。 「ねえ、沙羅」 「なあに」 「シロネのこと、どう思っているの?」 「……」 「トリノシリーズ1作目、実験用アンドロイド、シロネ」 「それ以上でもそれ以下でもないけど、それがどうかしたの?」 「それはそれとして、沙羅にとってシロネは娘みたいなものだよね?」 「何か特別な思い入れとかあるのかな、と思って」 「私が人生を懸けて作った代物よ。産みの苦しみがいっぱい詰まってる」 「“もう一人の親”なんて言い方は、馨さんの前ではさすがに気が引けるけど」 「そうか」 「どうしてそんなこと知りたいの?」 「いや、別に」 「私の意見を聞いて、何かを確かめたかった?」 「そんなことないよ!」 「そんなに必死に否定しなくても……」 「私がシロネを作った理由は、前話した通りで、今も変わってない」 「この実験に、命を懸けているの」 沙羅の強い眼差しと言葉に圧倒される。 シンプルな言葉のほうが人に伝わりやすいとは、まさにこのことを言うんだろう。 「でも、舜がシロネをどう思うかは、舜の勝手だから」 「どういう結果になっても、私はそれを受け入れるつもり」 「僕は、シロネのこと……」 「いや、沙羅のおかげだな」 「どういう意味?」 「沙羅のおかげで、幸せだってこと」 「すっかり私の考えを受け入れられるようになったのね」 「……」 沙羅を見習って言葉を単純化したつもりだったけど、かえって抽象的で伝わらなかった。 「でも……! 本当にそう思ってるんだよ」 「はいはい……」 『幸せだ』なんて……」 「私が作ったんだから、当たり前でしょう」 沙羅は早口にそう答える。 呆れているというより、照れているのかな。 「じゃあね」 一緒に帰ろうと提案する間もなく、沙羅は教室を出て行った。 どんな結果でも受け入れると話していたけど、沙羅のことだから、自分が思い描いた通りになることを予想しているだろう。 しかし既に、僕の中で白音とシロネは、良い意味で別の存在になり始めている。 そんな状態で、実験を継続してもいいのか、打ち明けたら、実験は終わってしまうのか……分からない。 「今度、聞いてみよう」 知らないままでいるより、そのほうがずっと良いだろう。 廊下に出たところで、夕梨とハナコ先輩が漫才を繰り広げていた。 「ほら、ユーリ。キリキリ働くデース」 「うぅぅ……。こんなのありえないでしょっ! あたしが何をしたっていうのよ!」 「遅刻の手助けを、フーキ委員が行いマシタ」 「これは由々しき事態……。水責め、石抱き、木馬責めデース」 「まーた適当な言葉並べて……」 「適当かどうか、試してみマス? くすぐり責めぐらいでしたら、今この場で出来マスヨ?」 「冗談でしょ?」 「トライしてみマスカ?」 「ちょ、ちょっと近づかないでよ!」 「仲良いですね、相変わらず」 「舜!? 助けに来てくれたの!?」 「いや、そういうわけじゃ」 「ひどっ!!」 「でも、舜だしね。期待しちゃダメか」 「何の用デスカ、シュン。ユーリは今、フーキ委員活動中です」 「まだまだ終わりまセンので、日を改めたほうが良いと思いマス」 「えぇっ! そんなの聞いてない!」 「校内パトロールに、下校状況のチェック、通学路の見回り」 「今日は夜まで、ユーリを離しまセン!」 「えぇぇぇ〜〜」 チャイムの音が廊下に響き渡って、その刹那会話が中断された。 夕梨に、シロネとどう過ごしているのか聞いてみたかったけど、それどころではなさそうだ。 「おっと、最終下校のチャイムデスね。もう帰りなさい、シュン」 「あ、じゃああたしも一緒に――」 「ユーリ? 自分の立場を分かってマスよね?」 「……ああもう、最後まで付き合えば良いんでしょ!」 「ザッツライト! 今日もよろしくお願いしマース」 「よろしくされたくないわよ!」 2人に軽く会釈して、その場を離れ昇降口に向かっていく。 それにしても、ハナコ先輩と夕梨は、仲良いな。 口に出したら夕梨に怒られそうだから、絶対に言わないけど。 「あっ。お帰りなさい」 先に帰っていたシロネは、居間で母さんの手伝いをしていた。 「偉いね。学校がある日もお手伝いするなんて」 「いえ、そんなことありません。何もしないで居るほうが、落ち着かないですし」 「そうか」 「この植木、まだ生き生きしていますね♪ 長生きです」 鉢植えの類は母さんの趣味で、白音が亡くなってからも、ずっとそのまま育てている。 観葉植物以外は花が咲いたりもするし、よく枯れずにもっているなあと思う。 「魔法が使えたら、良かったんですけど……」 「え? 魔法!?」 「アンドロイドですけど、特別何か凄いことが出来るわけでもないので、わたしは」 「いや、十分凄いと思うけどな」 「人間と比べれば優れている部分もあるかもです。でも、アンドロイドの中では、使えないほうです」 「ふむふむ……」 「でもでも、植物も人間と同じで、生きているんです。だから、話し掛けると長持ちするんです!」 「ああ、母さんから聞いたことあるな、その話」 「だから、わたしも……こっそり、植木鉢に話し掛けてます」 「あなたは綺麗ですよ、とってもハンサムですよーって」 「シュールだな、あはは」 「からかってませんか? わたしは真面目ですよ?」 「ごめんごめん」 形だけの謝罪をし、シロネの姿を見守る。 「ふふふ〜ん」 「そういえば、母さんは?」 「お母さんはお風呂掃除をしていて――」 シロネが言葉を言い掛けたところで気配を感じ、顔を上げる。 音もなく現れた母さんが、そばに立っていた。 「シロネちゃん……?」 「あっ、お母さん。お疲れ様です」 「なんで……?」 「えっ?」 「なんであなたがこんなことしてるの? 頼んでないでしょ?」 「ごめんなさい……」 母さんは、いつになく厳しい口調でシロネを責める。 「言ってないことはやらなくていいのよ」 「でも、これはお母さんに任された仕事なので……」 「任せた……?」 「ほら、小さい頃に、母さんが白音に――」 「白{・}音{・}ちゃんにね……」 「勝手にごめんなさい。もうしないようにします」 「……」 思ったよりきつい言葉が出てしまって後悔しているのか、母さんは目を伏せて黙っている。 「シロネちゃん、ごめんなさい……」 「お母さんが謝らないでください。わたしが悪いんです」 「ううん。つい、感情的になってしまって、驚かせちゃったわね……」 「白音ちゃんが重なって見えたの。小さい頃のね」 「……」 「もう、白音ちゃんがママのお手伝いをしてくれることはないんだなって、思い出しちゃって……」 「母さん……」 「シロネちゃんには関係ないことなのにね。八つ当たりみたいになってしまったわ」 「いえ、わたしは全然大丈夫ですから」 「……ちょっと、顔洗ってくるわね」 「はい」 いつもは温かい我が家だが、白音の話が出ると、重く冷たい空気になってしまう時がある。 家族で乗り越えて来たけど、それでも僕も、悲しいと1人で泣きたくなる。 それは、シロネが居ても、変わらないことだ。 「お兄ちゃん」 「どうした?」 「わたしじゃ、だめでしょうか」 「どうしたの?」 「いえ、何でもないです。忘れてください」 シロネは、まだじょうろの中に残っていた水を捨てるため、台所のほうへ歩いていった。 水を流す音が寂しげに響いた。 シロネをスリープモードにしてから、家を出た。 母さんとここで2人きりで話すのは、父さんが転勤になって以来か。 「難しい顔してるわ」 「……そうかな」 表情から気持ちを悟られたくなくて、僕は砂浜のほうに目を向けた。 「シロネちゃん、本当にいい子よね」 「舜の言う通り、シロネちゃんはシロネちゃんとして、魅力があると思うわ」 「もう1人、娘が出来たって感じは、ちょっとあったしね」 母さんの口から“娘”という言葉が出てきたのは、嬉しかった。 「そもそも、なんでサプライズにしようと思ったの?」 シロネがうちに来るのを知らなかったのは僕だけで、母さんは事前にシロネとも会っていた。 「シロネちゃんは子どものアンドロイドだからよ」 「どういうこと?」 「子どもは授かりものって言うでしょ。まあ、舜の子ではないけれど」 子どもうんぬんより、母さんがシロネを人間扱いしようとしていることが気になる。 「母さん、僕なんかよりずっと、白音として接しようとしてる」 「だって、人間そっくりだったから。見た目は」 「最初は、白音ちゃんの細胞を使ってあそこまで作り上げたんじゃないかって思ってたくらいよ」 「クローン技術なら、出来るかもしれないね」 「そうそう」 沙羅ならそういう技術も持っていそうだけど、さすがにボディは別分野のことらしい。 「お父さんのこと、追い掛けていたかったけど……」 「舜もまだ学生だし、この島を離れて海外へ行くのは、可哀想だと思ったの」 父さんの転勤が決まった時にも聞いた話だ。 白音が亡くなってから何年か経った後、父さんは、しばらく島から離れると話していた。 理由は知らないが、もう決まったことだから受け入れるしかない、と言っていた気がする。 「シロネちゃんは、お父さんの研究でもあって」 「お父さんが白音ちゃんを愛していたことは、良く知っていたからね」 「その愛で作られたシロネちゃんのことも、愛したいって思った……」 「でも、どうして?」 「愛することって、どうしてこんなに辛いのかしら」 母さんの言葉に、胸がぎゅっと掴まれるような思いがする。 心臓の内側がチクチクするような小さな痛みに、ゆるやかに襲われる。 「彼女のこと、受け入れたいの」 「心から、そう思っているのに……」 「シロネちゃんとして、私の娘で居て欲しいのに……」 「母さん……もういい」 無理している感じしかしなくて、その先の言葉を制止する。 「舜。ごめんなさい」 「本当のこと、言ってもいい?」 「良いよ」 僕は深く頷いて答える。 「白音ちゃんに会いたい」 「……」 「白音ちゃんに会いたいの……」 母さんが海で話そうと提案した理由は、ここにあったのかもしれない。 「どうして、白音ちゃんに会えないの……っ」 「……」 感情的だけど、努めて冷静な言葉遣いであろうとする母さんの、言葉の重みを感じた。 心の火は燃えているのに、触っても熱くはない。 母さんから、そんな印象を受けた。 「はあ。静かね」 母さんは、1人でゆっくりと波打ち際のほうへ歩いて行く。 「多分ね、こんなに毎日白音ちゃんのことを考えるの、亡くなって以来だから……」 「それで、気持ちが溢れてるだけなんだと思うのね」 「うん」 「この場所だって、いつもだったら絶対に来ないわ」 「でも、会いたい。白音ちゃんに会いたいの。もう一度……」 ここからは見えないけど、きっと母さんは泣いているんだろう。 僕だって白音に会いたい。 会うことが出来るのなら。 「なんてね。死んだ人には会えないのよ。当たり前ね……」 「はあ……風がぬるくて、なんか嫌ね」 「潮風の匂いって、こんなに磯臭かったかしら……んふふ」 灯りの無い砂浜の上を裸足で歩いて、母さんを追い掛ける。 サンダルで踏み締めるより安定しない、ふわふわした感触。 ちょっと怖かったけど、白音の気持ちが分かるような気がして、嫌ではなかった。 沙羅が当たり前のように教室に居るのにも、慣れてきた。 最近は他のクラスメイトとも交流しているようで、普通に学校生活を送っているらしい。 「おはよう、舜」 「おはようございます」 まさか、沙羅のほうから挨拶してくれるとは思わなかったので、思わず身構えてしまう。 「元気?」 「え? まあ」 「目が充血してるけど、徹夜でゲームでもしてたの?」 「まあ、そんなところかな」 「シロネ、全く手加減無しだから、絶対に勝てないの……」 「そうなんだ……」 シロネとゲームなんてしてないけど、確かに、アンドロイドに勝てるはずない。 それより、シロネが僕の家に来る前に、沙羅とシロネが一緒にゲームをしたっていうのに驚きだ。 「夜更かしはほどほどにね。舜が駄目になっちゃったら、実験どころではないから」 「うん。それで、その」 「何?」 「シロネのこと、なんだけど」 「ちょっと時間貰えないかな?」 「放課後なら」 「ありがとう」 「じゃあ、鳥かごで」 どんなことでも受け止めるといったふうに、沙羅は内容も聞かずに会う約束をしてくれた。 正直、とても頼もしい。 自席に着いた僕は、会って何を話すか整理することにした。 「それで――」 先に口を開いたのは沙羅だった。 過去に何度も通{かよ}った場所なのに、沙羅と2人きりになると、妙に緊張してしまう。 「シロネのことで、何かあったの?」 「ええと……まず、聞きたいことがあるんだ」 「なんでもどうぞ」 「もし、僕がシロネを返却したいと言ったら、シロネはどうなるのかな」 「そうね。まずは理由を聞くわ」 沙羅は間髪入れず、そう答えた。 「たとえば、シロネが舜や馨さんを傷つけたのだとしたら、即刻回収する」 「トリノとはいえアンドロイドに変わりはないから、三原則を破るとは思えないけどね」 「なるほど」 「莫大なお金を使って、私の持てる全てを注いで作ったシロネを、そう簡単に返されても困る」 「でも、返却を望むなら、応じるしかないのが現実かな。たとえ舜達を傷つけていなくてもね」 「返却した後は?」 「その後のことは、全部は教えられないけど……実験データ、つまりシロネの記憶は、最終的にはリセットする」 「消すってこと?」 「もちろんバックアップは取るけど。初期化って言ったほうが正しいかも」 「じゃあもし、次に会うことがあったら……」 「舜のことも、私のことも覚えてない。ただのシロネになる」 「ただのシロネ、というのも変な言い方だけどね」 「そうなるか……」 姿形が同じ状態でも、記憶が無いシロネは、シロネとは呼べないだろう。 返却した場合、シロネは死に、新しいシロネの形をしたアンドロイドが家に来る、と考えたほうがしっくりくる。 「まさか舜が、そんな質問をしてくるなんてね。シロネを返したくなったの?」 「いや、そんなことは……」 無意識に質問攻めをしていて、沙羅には僕の考えが筒抜けだったようだ。 「基本的には、他のアンドロイドの実験と同じだから」 「じゃあ、いつか手放す日が来るってこと?」 「今は、こちらから期限を区切ることはないわ。手放すというのなら別だけど」 「手放す――というか、母さんが、シロネを受け入れきれてないんだ」 僕はもったいぶらないで、相談の本題を話した。 「その話、馨さんから聞いてる」 「えっ?」 「まだ舜と話し合ってる途中とのことだったから、アクションを起こさなかっただけ」 「そうだったんだ」 「私は観察者だから。私が何か言って、実験に影響が出るのは避けたかったの」 沙羅のプロ意識には敬服する。 「そういう意味では、相談の役には立てないかもしれない……」 「ごめんね、舜。無駄な時間を過ごさせちゃったかも」 「いや、そんなことはないよ」 「そう」 「僕が……僕と母さんが、決めることだよね」 「うん。前にも言ったけど、舜がどんな選択をしようと、私はそれを受け入れる」 「それくらいの覚悟で、シロネを作ったから」 安易にシロネを手放すかなんて、考えちゃいけない。 沙羅が人生を懸けて作った、特別なアンドロイドなんだ。 「心配しないで。シロネは、この私が作ったアンドロイド」 「舜を悲しませたりはしない。絶対にね」 「ありがとう」 不安は残るが、母さんともシロネとも、きっちり向き合っていくべきだと思った。 沙羅のためでもあるけど、元は父さんが残した研究の実験だ。 沙羅の頼もしい言葉を胸に、僕は鳥かごを後にした。 あの後、沙羅と少し学校の話をしてから別れた。 夕暮れ時を過ぎて、帰る頃には空に月が浮かんでいた。 「ただいま――」 「ん……?」 嫌な予感を掻き立てる音が、リビングのほうから聞こえた。 ドアを開けた先には、顔面蒼白の母さんと、母さんを見て固まっているシロネがいた。 「ごめんなさい……」 「やめて……言わないで」 「だって、お母さん泣いています。わたしが悪いんです」 「シロネちゃんは悪くないって、言ってるでしょ」 「母さん、シロネ、どうしたんだよ」 「お兄ちゃん……」 「もう言わないで」 母さんは涙をこぼしながらも、強い口調で言い切った。 「お母さんって呼ばないで」 「母さん……?」 「もう無理なの。これ以上、白音ちゃんとの思い出を、シロネちゃんで上書きしたくはないの!」 「耐えられない!」 海で話した時よりもさらに、母さんは感情的になっている。 2人の間で何が起きたのかは分からないが、白音のことで衝突したのは間違いない。 「白音ちゃんが亡くなってから、あの子のことを考えない日は無かった」 「親として、命を救うことが出来なかったのは情けないし、弱視だったことも、ずっと代わってあげたかった」 「でも、舜が居るから、私が落ち込んでる場合じゃないなって思ったし、白音ちゃんの分も沢山愛そうって決めたの」 「そう決めたのに……それを、今更崩すなんて、無理なのよ……」 母さんは、正直な気持ちを吐露する。 「シロネちゃんは立派よ。本物の人間みたいで、アンドロイドだなんて、思えない」 「心があって、感情がある。だからこそ無理なの」 「お母さん……」 シロネは、かろうじて微かに聞き取れるくらいの声で呟いた。 「もっと、ロボットらしく振る舞ってくれたら、違ったのかもしれない」 「この気味の悪さは、舜は分かるでしょ?」 「気味が悪いだなんて……シロネの前でそんなこと――」 「この子はアンドロイドなのよ!?」 「どうしてそうシロネちゃんを庇うの?」 「庇ってるわけじゃないよ」 「お母さん――馨さんは、間違っていません」 「シロネ……」 『お母さんと呼んではいけない』 「私が、どうにかなっちゃう前に……紬木さんのところへ、返してきて」 「よく考えようよ、母さん――」 「もう、決めたの。舜もシロネちゃんも、傷つけたくないから」 「家族を、実験なんかで壊されたくないのっ!」 悲痛な叫びが、胸の奥まで突き刺さる。 シロネはただ、困るでもなく、悲しむでもなく、棒立ちで耳を傾けているようだった。 でも、そんなシロネを見ているのが、僕は辛かった。 「もっと、受け入れる努力をすれば、こういう未来にはならなかったかもしれない」 「ごめんなさい……私が、そう出来ないばかりに……」 「母さん」 「ごめんなさいっ!」 「……でも」 「もう遅いわね……過去をやり直すなんて、無理なことだから……」 母さんは感情を押さえ込むように、出来るだけゆっくりと言葉を続けた。 それでももう、いっぱいいっぱいなのは、震えている手元から伝わってきた。 「ずっと……」 「ずっと、馨さんと舜さんのそばに、居たいんです」 「それは無理なの」 母さんは目も合わせず、吐き捨てるように呟いた。 「ごめんなさい……」 シロネはそう言ったきり、何も言葉を発さなくなった。 「母さん……」 「……」 しばらく黙り込んだ後、母さんは家を出て行った。 ドアが閉まってしばらくして、シロネが玄関のほうへ歩き出す。 「だめだ、シロネ」 「でも……」 「僕が迎えに行く。シロネは家で待っててくれ」 命令のつもりはなかったが、シロネはぴたっと止まってから、こちらに戻ってきた。 「舜さん」 「そんな呼び方しなくていいんだよ、シロネ」 「すみません」 「君はアンドロイドだと言っても、今ので少し参ってしまったと思う」 「わたしが悪いので……」 落ち込んだ様子というよりは、真剣な眼差しで、シロネは僕のほうを見つめる。 「お母さんに、掃除を任されていたんです。それで……」 「白音さんの、写真のそばにほこりを見つけて、払おうとしたら――」 「うん、分かったからもういい」 「はい」 今の説明だけでも、母さんの気持ちは察することが出来た。 シロネは自分を白音だと思っているわけだし、遺影をただの写真と捉えてもおかしくはない。 そういったすれ違いが起こるかもしれない時に、席を外していた自分が恨めしい。 「ごめんなさい、お兄ちゃん」 シロネは壊れたレコードプレイヤーのように、謝罪の言葉を繰り返す。 「沙羅と会ってきたんだ。僕達がシロネを手放したら、どうなるかって」 「記憶がリセットされて、シロネはシロネじゃなくなっちゃうって……」 「そうですか……」 シロネは別段驚くでもなく、告げられたことにいつも通り返事をした。 「シロネはどう思う?」 「仕方がないことです。わたしは、お兄ちゃんやお母さんの決断を、受け入れる他ありません」 「お母さんには、これ以上迷惑掛けられませんし……」 「本当に?」 「はい」 自分が死ぬかもしれないのに、悲嘆に暮れもせず涙一つ流さない……。 やっぱりこの子は、アンドロイドなのか――。 「でも、もしかしたら、もっとお兄ちゃんと一緒に居たかったかもしれないです」 「とはいえ、わたしは三原則には逆らえませんので、命令には従います」 「人を傷つける行為は、わたし自身も望んでいることではありません。不良品は、回収されたほうがいいです」 「シロネを不良品だなんて……」 「そう言ってくれるだけでも、十分わたしは救われます」 「それに、沙羅ちゃんも……」 「沙羅には、なんて話そうか……」 さっき会ったばかりで、こんなことになるとは、さすがに予想していなかった。 シロネが来たことによって、母さんの心に余裕が生まれたと思っていたけど、それは余裕ではなく、心に穴を穿っただけだった。 もともとあった穴が、大きく深くなっていただけだったんだ。 「そろそろ、母さんを探しに行かないと――」 電話を掛けようとスマホに手を掛けたところで、沙羅から着信がある。 慌てて通話ボタンを押した。 「もしもし――」 『舜? 今どこに居るの?』 「今は家に居るけど……あの、僕ちょっと急いでて、後で掛け直すから――」 『こっちも緊急よ。今、馨さんが救急車で運ばれたの』 「えっ」 あまりの衝撃に、そのまま手からスマホを落としそうになる。 『施設のそばで、苦しそうにしているところを、たまたま見掛けて』 『それで、今すぐ病院まで来て欲しいんだけど……何分で来れる?』 「……」 『ちょっと舜、聞こえてるの?』 「あ……なんだっけ」 『車は手配しておくから、家の前で待ってて』 『緒方総合病院花{か}神{がみ}島分院、救急センターね。名前を言えば通してもらえるはず』 「分かった……ありがとう、沙羅」 『とにかく早く来て。待ってるから。じゃあね』 僕の様子を見て何か察したのか、シロネが不安そうな表情で見つめてくる。 「母さんを迎えに行ってくる。シロネ、1人で留守番しててもらえるかな」 「分かりました」 母さんのことが気掛かりな気持ちを抑えて、最低限の返事だけを返すシロネ。 目が少し潤んでいて、不安な気持ちを訴えてくる。 「気をつけて、お兄ちゃん」 「ああ」 何はともあれ、今は母さんの無事だけを考えなくてはいけない。 制服を着替えるのも忘れて、僕は外へ駆け出した。 「舜がそう思ってるのなら、その通りにする」 「実験を続けましょう」 やや事務的な口調ではあったけど、シロネを手放さなくて済むことを考えたら、心は救われた。 「馨さんの安全も考慮した上で、実験も継続する。これが一番良いと思うの」 「でも、どうやって?」 「家を用意して、そこでシロネと舜の2人で暮らすのはどう?」 「馨さんが退院してもシロネを気にすることはないし、ケアのほうは、百南美先生と一緒に行っていくわ」 「どう、って言われても……」 新たに住む家を用意するなんて、僕の力では無理だ。 「これ以外に何か良いプランがあるなら、聞かせて欲しいけど」 「いや、家なんて借りるお金は、我が家にはないよ」 「そう? なら……」 「私が買ってあげる」 「沙羅が!?」 「そんなことを気にしてるの? 私が、非現実的な提案を持ち掛けるとでも思ったの?」 「よく考えたら、そうだよね」 「と言っても、今日契約して、明日……っていうのは、難しいかな」 「3日くらい時間をくれる?」 「いや、僕だってそんなにすぐ荷造り出来るわけじゃないよ」 「それもそうね……」 思い立ったらすぐ実行に移せる沙羅の行動力には、脱帽する。 「……で、一応確認するけど、家を買うのって本当なんだよね?」 「うん」 「そ、そっか……」 こればっかりは、冗談で言ってるんだと思ったのに。 「もちろん、私のポケットマネーでね」 「うわあ、凄いドヤ顔だ」 「何か文句でもあるの?」 「いえ、無いです」 「ふふん」 研究所負担の場合、幹部の審査を通さなくてはならず、許可が下りるまでに時間が掛かるらしい。 元々沙羅はお金持ちのお嬢さんではあるが、それにしても、話についていけそうにない。 「さて、早速引っ越しの準備を進めてもらわないと」 「これでシロネも、きっと喜ぶはず」 「そうだね」 ぱっと気持ちが明るくなって、今より前に進んでいける気がした。 母さんには、親不孝だって罵られるかもしれない。 だけどもう、シロネや白音のことで、何かを後悔して生きていたくはなかった。 「1つ、聞いておきたいことがあるの」 「舜は、シロネと一緒に居て、なんともない?」 「どういうこと?」 「馨さんが過呼吸に陥ったのは、心的要因――つまり、ストレスだって」 「だから、舜ももしかしたら、無意識下ではストレスを感じているかもしれない」 「どうだろう……」 慣れない環境に適応するため、多少のストレスはかかっているかもしれないけど、それが嫌だという実感はない。 「もしも、少しでも心当たりがあるなら、今のうちに診て貰ったほうが良いと思う」 「僕は特に無いよ。ただ……」 「ただ?」 「シロネは、気に病んでいるかもしれない」 「シロネが?」 沙羅は心底信じられないというふうに聞き返してくる。 「そんなわけない。シロネはアンドロイドよ?」 「でも、母さんを追い詰めたのは自分なんじゃないかって……シロネは悩んでいるみたいなんだ」 「アンドロイドが悩みを持つわけないでしょう」 「分かってるけど、トリノは人間を模して作られたんだよね? だったら、そういうことだって――」 「たとえ問題が起きて、正常に動けなくなったとしても、自己修正機能があるから、壊れたりはしない」 「壊れる……っていうより、母さんと同じで、ストレスを感じているんじゃないかな」 「シロネ自身で解決出来ない問題を抱えたまま、稼働し続けているということ?」 「理論上は、あり得ないけど……」 「そうか……」 「でも、そうね」 「シロネは回収する」 きっぱりとそう告げる沙羅の瞳に、迷いは無かった。 「しばらく、私のところで預かる。安全が確認されたら、舜に返すわ」 「それって、どのくらい掛かるんだろう」 「分からない。ただ、再び許可が下りるまでは、時間が掛かるかも」 「許可か……」 「そう。私だけで開発しているわけではないから」 沙羅はプロジェクトリーダーだと言っていたけど、さらにその上に偉い人たちが居て、GOサインはその人らに委ねられるのだろう。 「そういうわけで、舜」 「あなたはこれでいいのね?」 「シロネが、元気になってくれるのなら……」 「うん。必ず」 「だって、私に解決出来ないことは、絶対に無いから」 一夜明けて――。 過呼吸で病院に運ばれた母さんは、僕が病室に着いた頃には落ち着き、静かに眠っていた。 朝、お見舞いに行った時は、声が少しかすれていたが、元気そうだった。 「七波くん」 廊下の向こうから、ちょこちょこと百南美先生が歩いてきた。 「ちゃんと登校してたんだね。偉い偉い」 「そんな、僕は小さい子どもじゃないですよ」 「ああ、お母さんのほうは心配しなくていいよ。今日もしっかり食事を摂っていたって聞いてるし」 「いろいろありがとうございます」 「そうだ、少し保健室で話そうと思ってるんだけど、どうかな?」 「そんなに重い話があるんですか?」 「いやいや、ほとんど昨日のうちに話したことだよ。改めて、七波くんの気持ちも聞いておきたくて」 「ここで良いですよ」 校内は今、授業中だし、それにここは人通りの無い廊下だ。 場所を変えて話し込むより、身構えなくて済む。 「じゃあ、ちょっとだけ声を抑えて話すね」 「お母さん、やっぱりしばらくは入院したほうが良いかなって」 百南美先生は、病院で話してくれた時のように、優しい口調で言葉を続ける。 「身体の不調というより、精神的に追い詰められているみたいなのよ。七波くんなら、心当たりあるんじゃないかな」 「そうですね……」 「まあ、RRCの実験も絡んでることだから、より慎重に判断して下さいって、言われてるんだけどね」 「百南美先生が居てくれて、助かりました」 「そう? 実はこの学校でも、心理カウンセラーを担当してるんだよ」 「えっ!? そうなんですか」 「知らなかった? そういうわけだから、メンタルケアに関しては、先生に任せていいわよ」 凄腕の医師だとは前々から聞いていたけど、そんなことまで出来るなんて……。 百南美先生、一体何者なんだ。 「七波くんは、しばらく寂しいかもしれないけど……」 「でも、面会時間中なら、いつでも会えるからね」 「ありがとうございます。是非、百南美先生にお任せしたいです」 「ふふっ。腕が鳴るわね」 「母をよろしくお願いします」 「うん、七波くんのほうは大丈夫そうね。さすがは若い男の子!」 「まあ、若さくらいしか取り柄がないので……」 「いや、偉いと思うよ。しばらくは、生活が大変になると思うけど、頑張ってね」 「そうそう、生活面のサポートは、学校やRRCを頼ってね。先生に相談してくれてもいいけど」 「相談料……掛かります?」 「病院だと掛かっちゃうけど、学校なら無料よ♪」 「ほっ……」 「なんて、冗談言い合ってる場合じゃないわね。授業はしっかり受けないと」 「はい」 「じゃあまた、病院でね」 どこからともなく現れた百南美先生は、また廊下の端へと消えていった。 普段は嫌な授業だけど、今日ばかりは、勉強という集中出来ることがあるのが有り難い。 「お母さん、調子はどうですか?」 「全然大丈夫。一応、安静にするために、入院はするけど」 「そうですか。ちょっとだけ安心しました」 放課後。 帰りのホームルームが終わってすぐに、シロネの教室に向かった。 半ば拉致する勢いで、シロネを引っ張って校舎を出た。 「お兄ちゃんは眠れましたか?」 「少しはね。でも、授業中寝たりはしなかったよ」 「それは偉いですね♪」 母さんが病院に運ばれた後、僕が帰宅する前に、シロネはRRCに引き取られていった。 検査のためにしばらくは預かると聞かされたが、何か記憶を操作されるのではないかと、気が気じゃない。 「お兄ちゃん、ご飯はちゃんと作れますか?」 「一応、簡単なものなら」 「お母さんも心配ですが、お兄ちゃんも心配です。倒れちゃわないで下さいね」 「大丈夫だよ。それくらいのことは自分で出来るから」 「頑張って、お兄ちゃん」 シロネはにこっと笑ったが、なんともぎこちない笑みだった。 「離れていても、お兄ちゃんやお母さんの幸せを願っています」 「わたしにはもう、幸せを願う権利も無いのかもしれませんが……」 「シロネは自分を責めなくていい。家族のことは家族みんなの責任だ」 「はい……」 「それで、これから行う検査って、まさか記憶を消すなんてことじゃないよね?」 「家族の同意も得ずに、そこまでのことが行われるとは思えません」 「沙羅ちゃんは、お兄ちゃんのためにいろいろ動いてくれています」 「そう、だよね……」 「でも、今みたいにお兄ちゃんと別々に過ごすのは、本当はちょっぴり嫌なんです」 「わたしはアンドロイドなのに、どうしてこんなこと考えるんだろう……」 「……」 「と、いうのは冗談です♪」 「無理して笑顔を作ろうとしなくてもいいんだよ、シロネ」 「無理……? そんなことしてませんよ」 「わたしはいつも通りのわたしです」 シロネは本当に気づいていないのかもしれないが、作り笑顔ほど見ていて辛いものはない。 その原因が自分に関係することだったりしたら、なおさらだ。 「大丈夫。わたしはお兄ちゃんのそばに居ます」 「勝手に消えたりなんてしません」 シロネの不安な気持ちが透けて見えるようで、話していても気持ちが上向かない。 シロネはシロネなりに心配していて、それは自分自身ではどうにも出来ないことも分かっているだろう。 だからこそ、その心中を察すると胸が痛む。 「お見舞いには行けなくても、退院したら、会えるでしょうか」 「きっとね」 「きっと……!」 自身を元気づけるように、頑張って明るい声を出すシロネ。 精神面の症状ということもあり、病院の面会は“家族のみ”となっている。 それはまるで、シロネは家族ではないと線引きされたかのようだった。 シロネが本当の人間じゃなくても、彼女の心は傷ついているだろう。 「どうも。お帰りなさい」 学校では見掛けなかった沙羅と出会う。 どうやら仕事途中に抜け出して来たようだった。 「じゃあ、わたしはここで」 「ああ」 「ちょっと話があるの。時間大丈夫?」 「僕のこと?」 「そうよ」 嫌な予感しかしないと思いつつ、沙羅と共に鳥かごへ向かった。 昨日と同じように、向かい合って話をする。 不思議と、昨日のようには緊張しなかった。 「これから、舜はどうしたい?」 「それは……実験という意味で?」 「そう」 沙羅と話す時は、単なる人生相談ではなく、実験の被験者と観察者の関係になってしまう。 それが無性に寂しかった。 「予想していたこととはいえ、こんな結果になるなんてね」 沙羅はとても悔しそうに話す。 「シロネを手放す気はないよ。だけど、母さんにこれ以上苦しい思いをさせたくもない」 「うん」 「沙羅の実験にも、協力したいしね」 「そう」 「シロネを失敗作だなんて思いたくないし、失敗と言って、ここで終わらせたくはないんだ」 「……」 沙羅は1人黙り込んで、何か考えているようだった。 「ここですか、お兄ちゃん」 やって来たのは、よくある普通の一戸建て。 「本当にここで合ってるのかな……」 アパートとかマンションの一室を想像してたんだけど、シェアハウスのようにも見えないし。 貰った鍵が使えれば、正解ということになる。 「家具と荷物の搬入はもう終わっているので、すぐにでも生活出来るそうです」 「沙羅1人でやったとは思えないけど、RRCの人が手伝ってくれたのかな?」 「運搬用のアンドロイドで、運び込みからレイアウトまで行ったそうですよ」 「ロボットを使ったほうが安くて安全で確実で、動作試験も兼ねられるから、一石四鳥だって言ってました」 「さすが」 沙羅の行動力からは、実験のためならどんな手段も厭わない、といった強い意思を感じる。 「荷解きはわたしも手伝いますね」 「ありがとう」 いつまで外で佇んでいても進まないので、シロネの手を引いて新居に足を踏み入れた。 「とりあえず、生活が出来るくらいまでは片付きましたね」 「そうだね。とはいえシロネは私物が無いし……」 「そうでした」 「じゃあ、記念に何か買おうか? 部屋も、シロネの部屋を用意して、家具も揃えよう」 「でも、わたしはアンドロイドなので……」 「記憶は直接書きこむのでノートもペンもいりませんし、座ったまま寝るのでベッドもいりませんよ」 「そうかもしれないけど、カーテンとかカーペットとか……それに洋服とか!」 「ほおぉ……」 シロネは目をキラキラと輝かせて、期待に満ちた表情をする。 「でもでもっ」 「浪費は駄目ですよ、お兄ちゃん。そもそも、そんなお金どこにあるんですか?」 「うっ」 「気持ちは嬉しいですが、まずは生活をすることが大事です」 “実験協力費”という名目の生活費も、沙羅から貰っている。 話しぶりから察するに、母さんからのお金を沙羅が受け取って、僕に渡してくれたんだと思う。 僕に直接言わないのは、母さんなりの気遣いなんだと思う。 「沙羅ちゃんだって、遊ぶお金をお兄ちゃんに渡したわけじゃないはずです」 「とはいえ、わたしにそんなことを言う権利はありませんが……」 「いや、その通りだよ。それに、この選択は僕自身が決めたことだ」 「僕がしっかりしなくて、誰がしっかりするんだって感じだな」 「頼もしいお兄ちゃんでいてくださいね」 「甘えてばかりじゃいけないな。僕もバイトとかしないと」 強気な言葉を並べてみたものの、まだまだ心の中は不安でいっぱいだ。 母さんだってまだ万全ではないし、この判断は早計過ぎたのではないかと、未だに思っている。 それでも今の僕は、前に進みたい気持ちが一番にあった。 とりあえず、買い出しに出掛けてみた。 そう思って商店街まで来たはずが、気づいたらいつものメンツに囲まれている。 「もう! 舜遅いじゃない」 「え?」 「何をとぼけてるのよ。今日はみんなで遊ぶっていう約束でしょ?」 「そんな約束をした覚えは、全くないんだけど」 「寝ぼけ過ぎだよ、もう。とっくに13時過ぎてるからね」 何の話だか見当がつかず、夕梨と一緒に居た沙羅のほうに目をやると、意味ありげにニヤっと笑われた。 「ふふ」 「まさか、沙羅?」 「まあ、引っ越し祝いってところね。引っ越しサプライズ、とも言うけど」 「夕梨には用件は内緒で、ここへ来るように勝手に待ち合わせしてたの」 「はあ……」 「そういうことだったんだー」 「でも、せっかくだし、みんなで遊ぼうよ! 4人が休日に揃うのって、久しぶりだし!」 「僕はいいよ。引っ越しの片付けとかあるし」 「舜ってば付き合い悪過ぎ。そんなの明日でもいいじゃん」 「せっかく沙羅も居るのに、もったいないよ」 もう子どもという年頃でもないし、なんだか恥ずかしい。 「片付けはほとんど終わっているので、今日急ぐほどではないです」 「そうなの?」 「はい♪」 「ちょっと、シロネ!」 「よーし決まりね。じゃあ、みんなでプールで遊ぼ!」 「シロネはプールに入れないし、私は泳げないの。その選択肢は無いでしょ」 「泳げなくても、あたしが泳ぐから良いよ!」 「全く意味が分からないけど」 「暑いし、ちょうどいい! はい、決まり!」 「舜はどうなの……?」 「えっ?」 急に話を振られて、狼{うろ}狽{た}えた。 「舜も沙羅の水着を見たいってさ♪」 「夕梨には聞いてないのっ」 普段はあまり見ない沙羅と夕梨のやりとりがなんだか懐かしくて、ほのぼのしてしまった。 「あの……」 「ん? どうしたの?」 「わたし、水着を持ってないので、見学でもいいでしょうか?」 「これから買えばいいんじゃない?」 「良いわ」 「わあ……!」 「水着のチョイスはあたしに任せてよ。ばっちり似合うの、選んであげるから」 「ありがとう、夕梨ちゃん」 シロネはいつになく目を輝かせて、夕梨の申し出に感動していた。 水着選びはさすがに遠慮して、みんなが店から出てくるのを待つ。 「そうねー、シロネにはやっぱり、白っぽい感じの水着が似合うかな!」 「それから、沙羅は……やっぱり、大人っぽい感じ?」 「私は学校指定のがあるからいいの」 「遊びなんだから、スク水で良いとか言わないの」 「全然夕梨についてけない……」 「いちいち家に帰るのは、時間がもったいないでしょ。だから沙羅もここで買うの」 「私は、学校に置き水着してるからいいの」 「置き水着ってなに……置き勉の仲間……?」 「全然沙羅についてけない……」 話している内容までは分からないけど、聞こえてくる声で、楽しそうな様子は感じ取れた。 いきなりの予定変更だったけど、これはこれで良いだろう。 「ひゃーっ、やっぱりちょっとつめたーい!」 勢いよくプールに飛び込んだ夕梨が、目を細める。 水着に着替えたみんなは、思い思いにプールを楽しんでいるようだ。 「ちゃんと、準備運動したほうが良いですよ?」 「平気平気、いつもやってないから」 「本当に良かったの? プールの鍵勝手に開けて」 「まあ……これがあたしのコネ力ってとこよ」 「言葉の解釈が違うような……」 病気のリハビリ目的で使えるのかもしれないけど、無断使用は咎められると思う。 「それで……」 唐突に、夕梨がじとっと見つめてくる。 「何か感想はないの?」 「感想? えっと、水着のことかな……」 正直、みんなスタイルが良過ぎて、目のやり場に困る。 「夕梨、初{うぶ}な少年にその質問は、難易度が高すぎると思うの」 「それでもいいから、何か言ってよ。それとも、鼻血が出そうで、我慢してるってこと?」 「鼻血? お兄ちゃんは、水着姿が見られて嬉しいってことですか?」 「そうそう! よく分かったね」 「なるほど! では、これからは水着で生活するようにしますね」 「いやいや、そこまでしなくていいから!」 「……もしかして、沙羅ちゃんや夕梨ちゃんが水着姿で居るほうが、嬉しいですか?」 「そういうことじゃない!」 「あはは、舜、困ってる〜」 「そう思ったなら助けてよ」 「助ける? 何それ? 情けない」 「沙羅だったら助けてくれるかもよ。ああ見えて、困ってる人を放っておけないタイプだから」 「そうかな……」 「困っている人を見て楽しむのは良くないでしょ、夕梨」 「にひっ」 「私たちに水着を見繕ってくれたし、そういう夕梨のほうが、世話焼きだと思う」 「沙羅が褒めるなんて怖いなー」 夕梨はなかなか、水着選びのセンスが良いと思う。 「お兄ちゃん? 困らせちゃいましたか?」 「大丈夫。シロネが心配することじゃないわ」 「ま、シロネが水に入れないのはしょうがないとして……」 「沙羅は、泳げないだけで、水に入れないわけじゃないよね?」 「え? そうだけど」 「せっかく遊びに来たんだから、楽しまないと……」 「えいっ!」 「きゃっ!? 何するの、夕梨!」 夕梨に引きずり込まれ、沙羅はプールの中へ落っこちた。 「もうっ!」 そこからはみんなで、水の掛け合い避け合いが始まる。 「わたしも……えいっ!」 「っんん!?」 シロネも器用に足を動かして、僕めがけて水を蹴り上げる。 怪力は手だけでなく、足も同様のようで、一気にバケツ一杯分くらい被った。 その後、僕は3人が飽きるまで、水を浴びせ掛けられ続けた。 たったそれだけのことが、どうしようもなく楽しかった。 「はー! 楽しかった……」 「そうね。思ったより、良い気分転換になったかも」 結局あれから、たっぷりと水掛けしたり、泳いだり。 そんなことをしていたら、あっという間に夕方になってしまっていた。 「なんだか舜、お父さんみたいな顔してる」 「もっと良い喩え方、あったはずだよ……」 「僕はただ、仲の良いみんなを見ていると、昔を思い出すなと思っただけで」 「お父さんじゃなくて、懐古おじさんってこと?」 「沙羅も変わらないね」 「あたしも思い出したよ。ずっと昔だけど、みんなでプールに行ったよね」 「忘れもしない。舜に嫌がらせをされた日ね」 「それはなんの冗談?」 子供の時は、白音の目が不自由で、あまりプールに行ったことも無かったはず。 「なるほど……加害者は記憶が曖昧、と」 「僕が加害者?」 「沙羅、あのことまだ根に持ってるの?」 「当然。一生忘れない、心の傷を負ったもの」 「その張本人は、どうやら忘れてしまったようだけど」 「もしかして……沙羅が泳ぎの練習をしている時に、舜が手を離したって話?」 「そう、それよ。絶対に手を離さないって言ってたのに、あんなの悪魔の所業よ」 「そのせいで溺れかけたの。スパルタにもほどがある」 「まあまあ、好きな子にイタズラしちゃうっていう、そういうことでしょ」 「ちょっと、夕梨?」 確かに、子供ながらにいろいろと役得なことがあったのは事実だ。 でも、だからといって、そんな理由で手を離した訳じゃない。 「そうだったの?」 「いたずらがしたいとか、そういう理由じゃないよ」 「なら、どうして……」 「沙羅がある程度泳げるようになってたから、手を離したんだ。多分」 「そう……本当にそうだって言うなら……」 「これからも許さないからっ」 「ええっ!?」 「男の子特有のいたずら心が原因なんだったら、若気の至りってことでいいの」 「でも、何も言わずに勝手な判断を下されても、それは意地悪となんら変わらないわ」 「意地悪ってわけじゃないんだ。僕にも弁解の余地を……」 こんな出来事が、沙羅のトラウマになって、今でも恨み節を言われるとは思わなかった……。 些細な出来事ではあるけど、その闇は深そうだ。 「沙羅ちゃんは、本当に記憶力が良いんですね」 「さすがに、シロネには負けるけどね」 「それは沙羅ちゃんのおかげです」 「でも、お兄ちゃんが沙羅ちゃんを好きだったのは……」 「あっ、いや。そんな記憶は、はっきりとは無いですが」 「シロネ?」 「な、なんでもないです! 確証が無いのに、適当なことを言おうとして……」 「どうしてこんなことを思ったのかな、あはは……間違えちゃいました」 シロネは、明らかに動揺して口を濁す。 言いたかったことはなんとなく察しがつくが、どうして沙羅の前で誤魔化そうとしたのかまでは分からない。 もしかすると、夕梨がいる手前、気を遣ったのか―― 「うっ……」 「……夕梨ちゃん!?」 「……」 さっきから黙り込んでいるなと思っていたら、夕梨の顔が青ざめている。 「大丈夫? では無さそうだけど」 「あっ、駄目だ……」 夕梨は立っていられないのか、校門のところに寄り掛かるようにして、うつむいている。 「夕梨? 気分悪いのか?」 「座り込んでも大丈夫です。手を貸しますか?」 「……」 「ちょっと静かにしてくれる?」 「もしもし――救急です。咲{さき}見{み}学園の校門前で……はい――」 沙羅は誰に言われるともなく、迅速に緊急時の対応してくれていた。 「今日は調子いいはずだったのに……」 「みんな、ごめんね……」 「辛い時は、あまり話さないほうがいいです。夕梨ちゃんには、私たちがついてます」 シロネは比較的落ち着いていたが、僕はほとんど見守ることしか出来なかった。 最近調子が良かったし、今日も元気な様子だったけど、病気がいつどうなるかは誰にも分からないのだと、思い知らされる。 「ごめん……」 申し訳なさそうに呟いたあと、夕梨はしばらく目を瞑って安静にしていた。 すぐに救急車が来てくれたけど、シロネはずっと不安そうな表情のままだった。 夕梨は数日学校を休むことになったものの、容態は安定していて、自宅療養に切り替えているとのことだった。 救急車を呼んだ後、シロネと僕は、沙羅に帰るよう命じられた。 病院には母さんが居るから、シロネと鉢合わせるのは、よくないだろうと。 シロネはとてもしょんぼりとしていて、家に帰ってからも、それは変わらなかった。 初めての家。 初めての夜。 それは、ほろ苦いデビューとなってしまった。 「入りますね」 「シロネ、おはよう」 「珍しいですね。お兄ちゃんがこの時間に起きているのは」 「毎日起こして貰っていると、いざって時に起きれなくなりそうだからね」 「確かに、そうかもしれませんね……」 シロネは夕梨のことを引きずっているのか、いつもより声のトーンが低い。 「あっ……」 「ほら、元気出して!」 「お兄ちゃん……」 「っと、ごめん。兄だからって気安過ぎたかな」 「い、いえ。ちょっとびっくりしただけです。嬉しいです」 「それに、白音さんも、頭を撫でられるのが好きだったみたいです」 「白音さんって?」 「ええと……何かおかしかったでしょうか?」 シロネはきょとんとして、じっと僕の目を見つめている。 「わ{・}た{・}し{・}も、撫でられるのが好きみたいなので」 「そ、そう……。じゃあ、このままで」 シロネの小さな頭を、僕はゆっくりと撫で続ける。 指には細くしなやかな髪が引っかかり、妙にくすぐったく、心地良い。 「小さい頃、ご褒美として、頭をなでなでされていたと記憶しています」 「白音さんはそれを、嬉しいと思っていました」 「お兄ちゃんの手は魔法の手、なんて言われてたっけ」 「魔法かどうかは分かりませんが、心の奥底から、わたしも嬉しいと感じています」 「もっと、撫でてください」 空白の時間を埋めるように、僕はシロネを撫で続ける。 「そっか、白音さんか……」 シロネが白音を他人扱いするのは初めてだったから、不思議な感覚だった。 シロネの中で、何か自我のようなものが芽生えたんだろうか? 自我とは何かと問われても、答えるのは難しいけど……。 「今日、放課後に夕梨ちゃんのお見舞いに行きませんか?」 「良いね。そうしようか」 「はい♪」 「元気だと聞いてても、学校で会えないと、心配で」 「夕梨も喜ぶと思うよ」 「そうだと嬉しいなって思います」 白音を別人扱いする以外は、至って普通のシロネだった。 「もう、大丈夫ですよ」 「少しは元気になったみたいだね」 「お兄ちゃんのおかげですね!」 シロネはぱっと明るい笑顔になる。 「それではそろそろ、学校へ行きましょう♪」 午前の授業が終わり、昼休みの賑やかな時間がやってくる。 なんとなく昼食を外で食べたい気分で、人{ひと}気{け}の無さそうなプールのほうへ行ってみることにした。 「お邪魔しちゃってすみません」 「いやいや、私の場所でもないからね」 プールには先客の日比野さんが居て、せっかくだからと一緒に食事を摂った。 「日比野さん、友達多いイメージなのに、1人で食べることもあるんですね」 「まあ、たまにだけどね。友達が多いとか少ないとかは、あんまり関係ないと思うけど」 「七波くんが狭く深くタイプなら、私は広く浅くタイプ……かな?」 確かに日比野さんは顔が広い印象だけど、それでもいろんな人から信頼されているイメージだ。 「そういえば七波くん、新しいお家に引っ越したんだね」 「えっ? その情報はどこから?」 「まあまあ、家が近いんだから、そのくらいは」 「ああ、そっか。そうでした」 「でも、七波くんママとは別々で、シロネちゃんと二人暮らしってのには驚いたよ」 二人暮らし……シロネはアンドロイドだけど、そういう言い方をされると、ドキッとする。 「そうそう……この前、七波くんママが救急車で運ばれていくのを見ちゃったんだ……」 「あ、聞いちゃいけないことだったらごめんね。ここ最近七波くん暗かったし、何かあったのかなって」 「いえ」 同じ居住棟に住んでいるのだから、目にしていてもおかしくはない。 日比野さんに相談に乗って貰った直後だったし、それからずっと心配されていたのだとしたら、申し訳ない。 「まあ、実験中にアクシデントが起きるっていうのは、よくあることだしね」 「ソルティの場合だって、全てがうまくいっているわけでもないし」 「結局、日比野さんが予想した通りになってしまいました」 「皮肉にもね。私、余計なこと言っちゃったな」 「いえ、日比野さんのせいではありませんから」 「うん、そうなのかもしれないけど、辛いことだよね……」 僕のブルーな気持ちが感染ってしまったのか、いつもより会話のトーンが低い。 日比野さんにも、似たような経験があるのかもしれない。 「でも、七波くんはちゃんと自分で決めたから、きっと大丈夫なんだ」 「勝手に心配してごめんね」 「ありがとうございます」 「詳しいことは話しちゃいけないんだろうけど、七波くんママ、お大事にね」 「はい。会えないわけじゃないので、僕が支えられるように頑張ります」 「おっ。さすがは男の子、頼もしいね」 「まあ、もともと二人家族だし、当たり前のことですよ」 「うんうん。また何かあったら、ここで話そっか」 「なんてね。相談事は無いほうが、本当は嬉しいかな。あはは」 暗い雰囲気を晴らすかのように、日比野さんはカラッと笑った。 「さーて、午後の授業も頑張らないとね!」 放課後。 シロネと校門前で落ち合い、夕梨の家へと向かっていた。 燃えるような夕暮れの中、コンドミニアムが見えてくる。 そこから歩いてくる、見知った姿を見つけた。 「シュンにシロネじゃないデスか」 「ハナコ先輩も、お見舞いですか?」 「ハイ。ハチミツとリンゴを持って行きまシタ」 「ユーリ、元気でしたヨ。よかったデース」 「そうなんですね」 シロネはほっとした表情を見せる。 「シロネから聞いてマス。みんなで遊びに行った帰りに、倒れたそうデスね」 「……」 「シロネ。くよくよしてはいけまセン。そんなだと、ユーリもくよくよしてしまいマス」 「笑ってくだサイ。スマイルデス」 「シロネの笑顔は、とびっきりのゲンキダマになるんデスから」 「ゲンキダマですか」 「誤ってマシたか?」 「いえ。ハナコ先輩らしい素敵な表現だと思いまして」 「ほめてないデスね」 「まあ、いいデス。シュンがビターでも、シロネがスウィートに笑ってくれていマスから」 シロネを見ると、確かに優しく微笑んでいた。 「その調子で、スマイルですヨ、シロネ」 「……はい」 そして、ハナコ先輩は元気に去っていった。 「ハナコ先輩は、いい人です」 「本当にね」 たまに予測不能な人だって思うけど、根は優しい人だ。 心からそう思った。 話せるくらい元気になっているということで、夕梨の部屋まで通してもらった。 「シロネ」 「……おまけに舜」 「おまけってなんだよ」 僕は苦笑する。 「そこで、ハナコ先輩に会ったよ」 「うん。お見舞いに来てくれた」 「ハナコ先輩、めちゃくちゃ元気にまくしたてるから、ちょっと困っちゃった」 「元気のおすそわけですね」 「よく言えばね」 『もしかしてフーキ委員の仕事がきつかったデスか』とか言うから、悪いことしちゃったなって」 「そんなこと、全然ないのにね」 「あーでも、これでしばらく風紀委員の仕事を免れられるなら、それはそれでラッキーかも」 「おいおい……」 「にひっ」 「まあ、冗談だけど」 そんな僕たちの横で、シロネが神妙な顔で頭を下げた。 「夕梨ちゃん、本当にごめんなさい」 「もう。シロネのせいじゃないって」 「そうですけど……」 「わたしがあんなに騒いでたから、夕梨ちゃん、具合が悪くても言い出せなかったんじゃないかって……」 「そうじゃないんだよ。シロネはなんでも、自分のせいにし過ぎ」 「不甲斐ないけど、あの時は本当に急だったの」 「寝不足で乗り物に乗ると酔っちゃうとか、その程度のことなんだから」 「そうでしょうか」 「とにかく、シロネは気にしちゃダメ。あたしは強くなったんだよ」 「シロネは、今のあたしと昔のあたし、比べられるでしょ?」 「見て。あたし、成長してないかな?」 「……してます」 「そう。子供の時に死ぬって思ってたのに、まだしぶとく生きてるんだから。そういうこと」 「しぶとさだけは、誰にも負けないんだからね」 「それに、プール楽しかったし。今度はシロネのほうから誘ってよ」 夕梨の、いつものシロネに負けない明るい笑顔。 それに、シロネもようやく納得出来たのか。 「……はいっ」 ハナコ先輩の言う、飛びっきりの笑顔で返した。 「そういえば……舜をあたしの部屋に入れるのって、ひさしぶりな気がした」 「つい、踏み込ませてしまったけど……」 「ハナコ先輩に見られてたら、妙なお叱りを受けていたかもね」 といっても、シロネも一緒だからそこまでうるさくは言われないか。 「シロネはダメだよ。兄とはいえ、不用意に自分の部屋に異性を入れちゃ」 「そうなんですか?」 「今日はお見舞いに来てくれたから、特別に許すけど……」 「乙女の秘密が詰まっている部屋に、思春期の男子が入ると、取り返しのつかない事態が発生するかもだから」 「肝に銘じておきます」 “肝に銘じて”なんて、どこで覚えた言葉なんだろう。 「でも、夕梨ちゃんの部屋は久しぶりです」 「子供の頃は、ここを遊び場にすることが多かったものね。あたし、身体弱かったから」 「はい」 研究所や鳥かごだけじゃない。 夕梨や沙羅、白音と遊んだ思い出の場所は、この島には沢山ある。 「あの時はぼんやりとしか見えなかったですけど、懐かしい匂いがします。夕梨ちゃんの匂いです」 「それはなんかやめて。恥ずかしいから」 「ごめんなさい。でもここは確かに、特別な場所なんです」 「わたしにとっても」 照れる夕梨に、シロネは微笑む。 シロネと白音――その2つの心を、シロネは持っているみたいだった。 あの後、3人で昔のアルバムを眺めたり、卒業文集を読んだりした。 恥ずかしいものを掘り出されるのはご免だけど、シロネも夕梨も楽しそうだったから良かった。 もう大丈夫だと言い張る夕梨が、家の前まで見送りに来る。 「……まあ、とにかく、白音ちゃんは男の子に人気があったの。これは確か」 「でも、お兄ちゃん以外興味ない、って感じだったもんね」 「白音さん、もてもてだったんですね」 「今のシロネだって、すごく男子に人気があるんだよ?」 「そうなんですか?」 「……気づいてないって、そこは白音ちゃんと一緒か……」 「でも、シロネもいつかは、兄離れしないとね」 「どうして離れるんですか?」 「あ、そうか……。シロネはアンドロイドだから、ずっと妹のままでもいいのかな?」 「ずっと、妹のまま……?」 「夕梨」 シロネが表情を少し曇らせたので、夕梨を諌{いさ}める。 「あれ、あたし変なこと言った?」 「そんなことないです」 なんとなく、シロネは無理して笑っているように感じられた。 「あっ、初恋の記憶はない? あの頃の白音ちゃんの年齢だったら、初恋を経験しててもおかしくはないと思うんだけど」 「お兄ちゃんを好きだった、っていうのしかありません」 「……そっか。なら今から、その経験が出来るのかもしれないね」 「そうですか?」 「一目惚れっていうのもあるから」 「だから、夕梨……」 今日の夕梨はやけに、恋愛に話を振ってくる。 「別にいいじゃない。シロネだっていつかは、好きな人が出来るのかもしれないし」 「兄としては許せない?」 「ば、ばかっ! なに言ってんだよ……」 「前に沙羅の話をしたじゃない? 白音ちゃんもね、お兄ちゃんと結婚したいって言ってた時期もあったんだよ」 「それが出来ないと分かったから、沙羅とくっつけようとしてたけど」 「その記憶、あります……」 「……そう。だったら、夢の叶う生まれ変わりなのかもしれないね」 「夢の叶う生まれ変わり……?」 「あ、ごめん。変なこと言っちゃった」 白音がシロネに生まれ変わった……そういう考え方もあるのか。 でも母さんにとって、白音はやはり海で亡くなった白音だけで、そのズレを埋めることが出来なかったんだ。 僕は……どうなんだろう? 「おっと。調子に乗って話し過ぎちゃった。学校を休むと、話したいことでいっぱいになっちゃう」 「明日は会えますか?」 「サボらなければね」 「おいおい」 「明日は絶対行く。絶対にね」 この言葉ばかりは、本当のことのようだ。 「じゃあね」 「また明日です」 シロネも安心した様子で、夕梨の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。 夕梨とだいぶ話し込んでしまい、もう夜の帳{とばり}が降り始めていた。 「お兄ちゃん」 「うん?」 「白音さんは、大人になったら、どんな人と結婚したんでしょう?」 「お兄ちゃんみたいな人でしょうか?」 「どうかな……僕みたいなってことはないと思うけどね」 白音が生きていたら、そういう姿も見られたのかもしれない。 「アンドロイドでも、結婚は出来るんでしょうか?」 「……」 僕は、曖昧な笑みを向けることしか出来なかった。 「わたしも白音さんみたく、お兄ちゃんと結婚したいって思ってるかもしれませんよ?」 「あ、でも……わたしも妹だから、そもそも無理ですよね」 僕が何かを返す前に、シロネは1人でおどけた。 「それなら、わたしもお兄ちゃんが沙羅ちゃんと結婚してくれたら、嬉しいです」 「沙羅ちゃんが、お姉ちゃんになりますから」 どこかで聞いた台詞をシロネが口にする。 「でも、そうしたら夕梨ちゃんはどうしよう……夕梨ちゃんとも結婚してくれますか?」 「さすがに、この国だとそういうのは出来ないな」 「……じゃなくて! 沙羅とも夕梨とも、そうはならないから」 「うーん、それ以外にお兄ちゃんを引き取ってくれそうな人はいません……」 「シロネにとって、そんな残念な存在に見えてるのか……」 「結婚は人生の墓場だって、本で読みました」 「これって、どういう意味なんですか?」 「シロネも僕も、まだ知らなくて良いことだよ、きっと」 アンドロイドは結婚出来ない、なんて言葉を口にするのは憚{はばか}られる。 シロネだって分かっているはずだけど、あえて話題を振るということは、興味があるのだろう。 人と同じ心を持ちながら人ではないという矛盾によって、白音から離れ、“シロネ”になったのか。 そうだとしたら、僕も、彼女に対し“シロネ”として向き合うべきなのか――。 「……あっ」 「見てください。鳥が飛んでいきます」 2羽の鳥が、寄り添うように飛んでいく。 シロネの未来、僕はそのことに、全く思い至っていないことに気づいてしまっていた……。 「――ちゃん、お兄ちゃん。起きてください」 「……んっ……」 ゆさゆさと、でも優しく身体を揺さぶられる感触。 それに伴って、ゆっくりと意識が覚醒していく……。 「ん……。おはよう、シロネ」 「はい、おはようございます。今日も快晴、気持ちのいい朝ですよ」 「そろそろ起きないと、朝ご飯が冷めてしまいます」 「いつも通り――いや、いつも以上に、腕によりを掛けて作りました」 頭の中で布団と朝食が天秤の上でちょっと揺れた後、一瞬で片方に寄った。 「それは……起きないとな」 「はい♪」 「今日はきっと、良いことがありますよ♪」 シロネはすたすたとリビングへと戻っていく。 まだこの生活に慣れたと言うには程遠いけど、シロネに起こされる日常には慣れてきた気がする。 昼休み。 今日は元気に、夕梨が登校して来ていた。 「昨日はありがとうね」 「夕梨ちゃんが元気になって、良かったです」 「うん」 「沙羅も、お見舞いに来てくれてありがとう」 「え?」 僕とシロネは、驚いて沙羅へと視線を向ける。 「夕梨はすぐにバラす……」 「いいじゃない。悪いことしてるわけじゃないんだし」 沙羅は仕事で学校に来ていなかったのに、夕梨のお見舞いに行ってたんだ。 沙羅の気難しい性格に微笑んでしまう。 「沙羅はね、舜とシロネが帰った後に来てくれたの」 「紅茶を持って来てくれたんだよね。パックじゃなくて茶葉からの高級そうなやつ」 『淹れ方が分からない』とか言い出してさ」 「しょうがないでしょ。いつもはアンドロイドに淹れてもらってるんだから」 『メイドロボは居ないの?』って」 「居るわけないよ。爆笑しちゃった」 いくらアンドロイドが普及している島だからって、高価過ぎて普通の家庭には置けないもんな……。 「結局、あたしのお母さんが代わりに淹れてくれたんだ」 「美味しかったでしょ?」 「まあ。感謝してます」 「でもあれじゃ、沙羅は一人暮らし出来ないよ」 「夕梨と出会った時から、一人暮らしだけど?」 「あ、確かに……」 夕梨の苦い顔に、吹き出しそうになってしまう。 沙羅は両親の代わりに、アンドロイドに育てられていて、そういうわけでずっと“一人暮らし”と言える。 「とにかく、沙羅はなんでもロボットに頼りすぎ」 「それを言うなら、舜だってなんでもシロネ任せでしょ?」 「食事は朝、昼、晩と、毎日作っています」 「それって、全部ってこと!?」 「女性にばかり食事を作らせるなんて、舜は割と前時代的な人間なのね」 「いえいえ、わたしは女性というよりも、アンドロイドですから」 「それに、妹はお兄ちゃんに手料理を食べてもらえると、嬉しいものなんです」 「うわあ……シロネ、うちにも欲しいよ」 「あたしも、姉に甲斐甲斐しく手料理を振る舞ってくれる妹が欲しいよ……」 「夕梨は、料理が出来なくもないでしょ」 「出来るわけでもないよ」 確かに……夕梨の料理の腕前はとても褒められたものではない。 「舜、もしかして結婚したら、ご飯は全部、お嫁さんに作ってもらうってタイプじゃないよね?」 「え……」 「そうだとしたら、最低ね」 沙羅の言葉がグサリと刺さる。 「ダメなんですか?」 「今の時代、そんな考え方の男がいたら化石認定ね」 「土の中で永遠に眠ってていいと思う」 「まあ、そこまでは言わないけど、男の人にもたまには作ってもらいたいな。女性だって、男性の作る手料理が食べてみたいし」 「もちろん、食べてもらうのも嬉しいけど、作ってもらうのも、どんなにヘタでも嬉しいものだと思う」 「そう? 料理は料理が出来る人が作ればいいと思うの。人には役割ってものがあるでしょ?」 「今までの流れを無視するような発言だね……」 「そんなことない。私が言いたいのは、出来ない人に料理を望むのはやめてねってことだけ」 「それは、ハラスメントよ」 「……」 どんな反応をしていいのか困る……。 「そうだ。シロネはタマネギ切る時、涙出たりしないの?」 「出たことないです」 「うらやましい……あたしは、水中ゴーグル装備だよ……」 ウソかホントか分からないようなことを、夕梨が言う。 こうして、いつもの昼休みが過ぎていった。 いつものように待ち合わせ場所にしている校門前へ向かおうとしていたら、その手前でシロネとばったり出くわした。 たまには、こういうこともある。 そうして一緒に廊下を歩いていると、向こうからハナコ先輩がやって来た。 「ハナコ先輩、こんにちは」 「シロネ、こんにちは。いい挨拶デース」 「シュンは?」 「こ、こんにちは……」 「声が小さいデスけど、まあいいデス」 「そういえばシュン、シロネと二人暮らしを始めたそうですね」 「どうしてそれを?」 「フーキ委員長に、手に入らない情報はナッシングデース」 うちの風紀委員長は、何者なんだろうか。 「若い男女が、2人きりで、一つ屋根の下!」 「これは、不純異性交遊の香りがしマス! どうなんデスか、シュン!」 「僕とシロネは、兄妹ですから。それに、シロネはアンドロイドですよ」 「なるほど。ではシュンを信じましょう」 「シロネも気をつけなサイ。お兄ちゃんと言えども、一皮向けば狼デース」 「かわいい赤ずきんちゃんは、食べられてしまいマス」 「まあ、ミセスナナミが居るから、大丈夫だとは思いマスが」 「あ……」 シロネは少し寂しそうな顔をする。 「どうしたのデスか?」 「ハナコ先輩は、今朝は何を食べたんですか?」 「……唐突に、不自然なクエスチョンが……」 う……話を逸らそうとして、ハナコ先輩を逆に警戒させてしまった……。 「まあ、いいデス。真面目な話、兄は妹への性的興奮を抑えられるよう、防御機構が働くと聞いてマスから、シロネはなんにも心配することはないと思いマスよ」 「なんだか、ロボットみたいですね?」 「そうデスね」 「逆はあるんでしょうか?」 「ナニがデスか?」 「妹がお兄ちゃんに……みたいな」 「どうでしょう……それは考えたこともなかったデス」 「シュンはヘタレデスから、コトには及ばないと思いマス」 「何の話ですかね……」 ハナコ先輩の口からとんでもない言葉が飛び出してきて、嫌な汗が出る。 「もしもシロネが抑えきれなくなった時は……“乙女のたしなみ”、デスよ」 「シロネに教えたのは、道具を使わない方法ですから、安心安全デース」 「教えた……? あの、ハナコ先輩?」 「シュンには秘密にしなくてはいけまセン。男子禁制デス」 「分かりました!」 何を教えられたのかは知らないけど、シロネなら興味本位でやりかねない。 「おっと、長話してしまったデース」 「それでは、また明日」 「はい、さようなら」 「ワルモノは今日も成敗、明日も成敗デース♪」 ハナコ先輩は妙な唄を歌って、去っていった。 「ハナコ先輩はすごいです」 「今日も、いろいろ勉強出来ました」 「う、うん……」 学んで欲しくないこともあるけれど……。 それ以上に、こういう話をシロネとするのは、とても気不味かった。 僕は、分かれ道で足を止めた。 「そうだ。少し寄りたいところがあるんだ」 「シロネは先に帰っててよ。僕もすぐに帰るから」 「は、はい……」 シロネは珍しく、すぐに返事をしないで、口ごもった。 「どうかした? シロネ」 「いえ! お兄ちゃんと一緒じゃないと嫌だなんて、思っていません!」 「本当は嫌だってこと?」 「違いますです!」 「……」 「……」 シロネは気不味そうに目を伏せる。 しかし内心、僕がどこへ行こうとしているのか、分かっている様子だった。 「無駄に引き止めてしまってすみません。1人で帰りますね」 「悪いね」 「いえいえ全然。待ってますね!」 「それでは」 「気をつけて」 「はいっ」 シロネの後ろ姿を見送って、僕はRRCの方角へと足を向ける。 実家に忘れ物があったので、それを取りに帰りたかった。 ついでに、退院した母さんの様子も見ておきたいし。 シロネに言ったら、ついてくると言うかもしれないから……。 寂しそうなシロネの顔は、もう見たくはなかった。 母さんは元気だった。 そう見せ掛けているだけかもしれないけれど。 それでも、僕はひとまず安心して、シロネの待つ家へと帰って来た。 「ただいま」 「あ……」 リビングに居るのか、シロネの声が近くで聞こえた気がした。 ドアを開こうとしたところで、思わず耳を疑ってしまう。 「はあ、はあっ……」 シロネは、シロネは……。 僕は慌てて下を向く。 「お兄ちゃん……お兄ちゃん……っ」 身体を震わせて脱力したシロネは、眠るようにそっと目を閉じた。 本当に眠ってくれれば良かったけど、シロネはスリープモードにしない限りは眠らない。 そして困ったことに、リビングを通らないと2階の自室には戻れないのだ。 「ふう……ふぅ……熱い……」 アンドロイドが疲れることはないが、シロネの頬は火照って、水を求めているかのようだった。 「はあ……っ」 満足そうに微笑む姿が、とても性的だった。 いっそ、もう一度玄関に戻って、今帰って来たように装えば―― 「!?」 「んっ……?」 メールの着信音に焦った僕は、とにかく音を止めなければと焦って身じろぎしたら、運悪く肘がドアに当たってバーンと全開にしてしまった。 「お、お兄ちゃん!?」 「あ……」 「えっ? え? どうして? どうして、そこに……?」 「これはその――」 「み、見ないでください!」 シロネは慌てて乱れていた服を整えながら、ソファーの後ろに身を隠す。 「ごめん! 見る気はなかったんだけど、まさかここでそんなことしてるとは、思わなくて……」 「馬鹿! じゃなくて……駄目お兄ちゃん! じゃなくて、えっと!」 「駄目です、もう……もう無理ですっ……シロネ無理です……」 「ああ恥ずかしい……お兄ちゃんに見られちゃったの、恥ずかしいです……」 「今すぐ自分の部屋に行くから!」 「じゃ、じゃあね!」 「はい……」 「ごめんなさい……」 妹だから大丈夫、なんてハナコ先輩は言っていたけど。 そもそも僕は、シロネを白音として見てはいない。 だから、妹なので大丈夫というのは、単なる建前に過ぎない。 いまや気になる女の子として意識せずに、自分の妹として見るなんて、出来るわけなかった。 こういう時に限って、どうでもいいことに邪魔されるものだ。 覗いていた自分も悪いけど、本当にさっきはツイてなかった。 でも、シロネから拒絶されたことは初めてで。 アンドロイドが人を拒絶することもあるんだな。 「お兄ちゃん、居ますか」 ドアの向こうから、シロネの声が聞こえる。 「さっきは驚かせちゃってごめんなさい。自分の部屋でやるべきでした」 「ああ、いや……」 「ハナコ先輩に教えてもらって、どうしてもやってみたかったんです。どうしてなのかは、分からないんですけど」 「僕こそ悪いんだ。本当にごめん」 「……お兄ちゃん、全部見てたんですか?」 「え……」 「もしそうだったら、忘れて欲しいです」 「わたし、もう、お嫁に行けない……」 「ごめん! 本当にごめん!」 「痴女ですね、わたし……はあ……」 「そんなことないって。ただ、ごめん。ほんとに」 見えないけれど、シロネは相当落ち込んでいるようだ。 「というか、部屋に入っても大丈夫だよ」 「いえ! 今はまだ恥ずかしいので……」 「そっか」 提案したものの、シロネが入って来たら入って来たで、僕自身も困るところだった。 「それに、まだパンツを履いていないので……あの、履いてきてもいいですか?」 「それは急ぎでよろしく」 「分かりました」 言われた通りに、シロネが部屋に戻っていくのを足音で確認した。 妙に胸がどきどきして、収まらない。 「シロネは白音じゃない……」 もう、わかっている。 シロネは妹じゃないんだ。 「でも……」 でも、彼女はアンドロイドだ。 沙羅の言う通り、僕の妹という設定で作られているはず。 いわば、妹を演じられるはずなんだ。 だったら、なぜ、僕のことを呼びながら、行為に耽っていたのか。 「………」 彼女は僕に、兄に対するものではなく、異性に抱く感情を向けている。 妹と設定されているなら、兄である僕には、こんな感情は抱かないはずで……。 「………」 シロネ自身も、兄としてではなく、一人の男として、僕のことを見ていることになる。 人間で考えれば、普通のことなのに。 なんだか複雑な心境だ。 「それなら……」 シロネに対するこの気持ちを、彼女に伝えてもいいのかもしれない。 シロネの気持ちも、受け止めていいのかもしれない。 「本当にそれでいいの?」 わからない。 部屋で悶々としているのも良くないと思い、リビングへ向かうと、玄関のほうに人の気配を感じた。 覗きにいってみるとそこには、夕梨が立っていた。 「やっほー。あ、さっきはメールありがと」 「いや、それはともかく、なんで夕梨が家に居るんだよ」 「シロネが開けてくれたからに決まってるじゃない。いやー、探しちゃったよ。すんごい、おんぼろアパートだと思ってたから」 「住所は聞いてたけど、本当にここなのって、何度も表札確認しちゃった……」 「それは僕も同じ感想だよ……」 「それで、わざわざ家まで来たってことは、シロネのほうにも用事があった?」 「そうそう、昨日のお礼」 「前にプリントを持ってきてくれたお礼もね。ありがたく頂戴しなさい」 夕梨が差し出したのは、お菓子が入ってるらしい袋だった。 「夕梨ちゃん」 夕食の用意をしていたシロネが、ぱたぱたとやって来る。 「うわあ。それはなんですか?」 「クッキー。あんまりうまく出来なかったけど」 「手作りなんですか!?」 「そうなんだけど、型抜きとか使って、見た目を華やかにしようと思ったのに、なんでか不細工になった……」 「あ、でも味は大丈夫だから。ちゃんと食べて、確かめてる」 「嬉しいです」 「けど、シロネは食べられないんだよね……」 「でも見た目、楽しいし」 「不揃いなところがね。予想もしない形のものが出てくるよ」 「それは楽しみです!」 夕梨の発言は、前向きなのか後ろ向きなのか、よく分からない。 「いつか、シロネが作るクッキーも食べたいな」 「はいっ。すぐにでも作ります」 「夕梨、それが目的で来たんじゃないだろうな……」 「んなわけないでしょっ!」 「あたしを貶めるようなこと言わないで。食い意地張ってるみたいに……」 「今、晩ご飯を作っていたところなんです。夕梨ちゃんも、食べていってください」 「あ、ごめん。うちのお母さん、もう用意してると思うから」 「……って、今の流れでそれ言う? ほんとにあたしが食い意地張ってるみたいじゃない」 「あ、そろそろ火を止めなきゃです」 「行っておいで」 シロネはまた、ぱたぱたと台所へと戻っていった。 「うーむ、まるで新妻のお宅に来たような気分だよ……」 「新妻のお宅って……」 行ったことが無いので、ピンとは来ない。 「この家、沙羅が買ったんでしょ?」 「そこまで知ってるんだ?」 「うーむ……」 「まるで夢のマイホームだね……」 「なにが言いたいのか、全然分からないんだけど……」 「外堀埋められてんの!」 「えっ?」 「もう、いいよ」 「でも、いいな……」 「うん?」 「ううん、なんでもない」 「あたしも頑張らないと。じゃあ、帰るね」 「送っていこうか?」 「いいって、いいって。シロネの晩ご飯、きちんと食べてあげてよ」 「明日、また学校で」 「うん」 夕梨は1人で帰っていく。 料理が一段落したのか、シロネが駆け寄ってくる。 「夕梨ちゃんは?」 「帰ったよ」 「あ、それ置いておきます」 僕の手の中にあった袋をシロネが受け取ろうとして、お互いの指がぶつかる。 「あ……」 シロネはとっさに手を引っ込める。 「シロネ……?」 記憶にない、シロネの反応だった。 「す、すいません……」 今度はきちんと袋を受け取ると、顔をそむけて、台所へと引っ込んでしまった。 僕は少し不思議な面持ちで、しかし、少し心当たりもありながら、テーブルへと着いた。 「はあ、はあっ……」 「はあっ……はぁ……もう少し……んっ、待ってて……」 「これが、終わったら……夕食の、準備……しますっ……」 聞いてはいけない声だとすぐに察して、ドアの前で様子を窺っている。 どうしてシロネが、リビングでこんなことを……? 「オナニーというのも……なかなか、難しい……んんっ」 「先輩に、教わった通り、やってるのに……んっ……上手く、出来ない……」 「んんっ! はあっ……わたし、気持ち良くなっちゃって……ダメです……」 初めて見る女の子の自慰は刺激的で、本能に訴え掛けるものがある。 シロネは、自らの手で胸と秘部をまさぐりながら、もじもじと腰をくねらせている。 「わたし、自分のおっぱい揉んで、気持ち良く……なって……んああっ」 「はあっ、んっ……性欲、発散……しないと、ですっ……」 「せいよく……せいよく……っ」 ハナコ先輩が意味深にぼかして言っていたのは、このことだったのか。 不純異性交遊を抑止するためだろうけど、あまりにも思考が偏り過ぎている。 「んん……性欲は、分からないけど……これは、気持ちいいの……」 「ずっと、してたい……んんっ……! オナニーずっとしたいっ……!」 シロネの口から漏れる性的な言葉に、今までのシロネに対するイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。 元よりあまりアンドロイドとしては接してなかったけど、こんな姿を見せられたら、余計に……。 「はあ、はっ、あ、ああっ! ん、んんっ!」 「ちょっと、激しくっ……はあっ……指、入れて……やあんっ!?」 「こんな……ああっ、こんな、気持ちいいこと……初めて……あうぅっ……」 「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……んっ」 視線は薄紅色の綺麗な粘膜に釘付けになり、しっとりと潤んだそこは、キラキラと光を反射している。 秘部をこすり上げる、しなやかな手の動きは、ますます激しくなる。 「お兄ちゃん、わたし……わたしっ……!」 「お兄ちゃんのこと考えると、胸が、きゅんとする……っ」 「んん、はああっ……お兄ちゃん……っんん、はあ、はああっ!」 シロネがしきりに僕の名前を口にするので、引き摺り込まれそうだ。 くちゅくちゅという粘液質な液体の立てる音が室内に響き渡る。 「あそこ……わたしの……おまんこ」 「おまんこに、お兄ちゃんの指……や、やあっ、ああっ!?」 「おっぱいもして……気持ち、良く……なっちゃうから……あ、ああっ!」 シロネは自分の指を僕の指に見立てて、想像の性行為に耽っているようだった。 今まで見たことの無いあられもない姿に、妹に抱いてはいけない感情を抱きそうになる。 「わ、わたし……えっちなことで、頭がいっぱいで……」 「だめっ……お兄ちゃんに、こんなこと……ああっ……言えない……っ!」 割れ目から零れた透明の液体が、とめどなく伝いソファーに染みの輪を広げていく。 シロネの指はもうベトベトに濡れていて、膣口で抜き差しするたびに、つうっと透明な糸を引いている。 「ゆ、夕食の支度……しないとなのに……っ」 「はあ、はあっ、はああっ……気持ちいいこと、止められない……んんっ」 「だんだん、身体が、熱く……なってきて……ん、はあ、あ! んっ!」 シロネが指を出し入れするたびに淫靡な香りを撒き散らし、ドアから漏れ出てくるその甘酸っぱさで頭がクラクラしてくる。 シロネの身体も朱色に染まり、うっすらと汗ばんでいるようだ。 「はああっ、あ……変、なの……何か、きちゃいそう……」 「激しくすると……ああっ! 変な、気持ちに……あ、ああっ……なっちゃいそうになる……!」 シロネの指はどんどん動きが激しさを増し、絶頂へ上り詰めようとしている。 それに伴って乳首もぷっくりと勃起し、昂ぶりが見て取れる。 「んっ、んんっ!? こ、これ、す、すごい……!」 「おっぱいと、おまんこ、両方……はあ、ああ!? 一緒に、弄ると、だめっ!」 「はぁぁ、ああっ! すごいのが、き、きちゃう……! 我慢出来ない……っ!」 「大きくて、あ、あんっ……熱いのが、上がってきて……は、はぁぁ、ふっ」 細い身体を震わせて、玉のような汗をしたたらせる。 愛液もその粘度を増し、入り口の辺りで泡立ち、太ももまでベタベタと濡らしている。 「ああ、はぁぁ……! わたし、だめ……きちゃうのっ! んんっ!」 「す、すごいの! そこまで、きてっ! ああっ、ふ、うううんっ!」 「も、もう、もう、が、我慢が……だめ、ああっ!」 「だめっ、だめぇっ……!」 「ふわぁぁぁぁぁぁっ……!」 ブルッとひときわ大きくシロネが全身を震わせ、ドプッと大量の体液が溢れ落ちる。 シロネは、絶頂に達したみたいだ。 「んっ……はぁぁぁ、はあっ……」 「オナニー、しちゃった……はぁっ、ん……」 痙攣が収まり、全身の力が抜けて、シロネはソファーにくったりと寄り掛かる。 結局、最後まで見てしまった……。 それなのに、覗きに対する罪悪感よりも、本能的な欲望が勝{まさ}ってしまったことを、思い知らされた。 昼休みになった。 「シロネ、用事があってちょっと遅くなるって」 「……そう」 「舜、シロネとなんかあった?」 「え?」 「シロネ、どことなく上の空なんだよね」 「上の空?」 「あ、もちろん話し掛けると、普通にいつものシロネなんだよ。言われれば、テキパキ何でも卒なくこなすし」 「でも、なんにもしてない時……1人でいる時、なんとなく、ぼーっと物思いに耽っているように見えるっていうか」 「……そう」 夕梨もなんとなく、シロネの異変に感づいているみたいだ。 「悩み事かな?」 「ロボットに悩みは無いと思うけど」 「そうなの?」 「逆に聞くけど、悩みを抱えたロボットって見たことある?」 「……無い気がする」 「今のロボットは悩みを持たないように設計されているはず。もし悩み……というより思考の迷路に陥ったら、停止すると思うの」 「止まっちゃうの!?」 「そうならないように、どのロボットも思考の最適化が行われているから大丈夫」 「……でも、そうね。シロネは少し特別なアンドロイドだから。私のほうでも、気に掛けてみる」 “トリノ”だから……。 その単語を使わなかったのは、やはりまだ企業秘密な点があるからなんだろう。 「……舜?」 「はい?」 「舜も、上の空なの?」 「いや、そんなことない。2人の話を聞いてただけ」 「……そう」 結局シロネから、昼休みは来れなくなったと謝罪のメールが来た。 夕梨や沙羅とシロネの話を続ける気にもなれず、1人でプールまで来てみた。 日比野さんが居れば、なんて淡い期待を抱いてみたが、今日は居ないみたいで―― 「きゃぁぁぁぁぁっ!」 すぐ近くで、女の子の悲鳴が聞こえた。 「大丈夫ですか!?」 「うおっ!?」 駆け寄ってみると、そこには半裸の日比野さんが居た。 「はあ……セミ怖かったぁ〜」 「急に、ジジジッって鳴き出して……はぁぁ……もう、ホントやだ」 「背中に入り込んで来てさ……ああ、思い出しただけで気持ちが悪いよ」 日比野さんは、涙ながらに訴えてくる。 目のやり場に困った僕は、思わずうつむいてしまった。 「ひ、日比野さん、その……」 「え?」 「きゃあっ!?」 「ご、ごめんなさい。恥ずかしいところを見せちゃって……」 「い、いえ……。こちらこそ、すいません」 「セミのほうが怖かったから、普通に話し掛けちゃった……」 「あーもう……シャワー使ったら怒られちゃうかな……」 「更衣室には鍵掛かってるから、使えないんじゃないかと……」 「ああ、そっか……」 当たり前のように会話を交わしているけど、日比野さんはまだ服を着ていないはずだ。 とっとと退散したほうが良いと思いながら、他に誰か来ないかも心配になってきた。 「それで、その……」 「七波くん見た? 私の――」 「見てません」 「ほんと?」 「本当です」 「それは、見えなかったってことじゃなくて?」 「はい」 「じゃあ、何が見えた?」 「えっと……」 「いや、今すぐ忘れます」 「あ、うん……」 誤魔化してもしょうがない。 日比野さんの乳首が陥没していたことに、気づかなかったとは言えない。 そしてそれは、彼女も気にしていることだから、ここまで聞いてくるんだろう。 「あはは、意外と素直だよね、七波くん」 「はい、忘れました」 もう一度、深々と頭を下げる。 「まあ、見ちゃったならしょうがないよ……人の記憶は消せるものでもないからね」 「記憶喪失にでもならない限りさ」 「で、なんのことですか?」 「ちょっと……七波くん、面白いな」 徹底的に話題を逸らそうとしたけど、さっきの衝撃的な映像が頭から離れない。 忘れるとは言ったけど、なかなか難しそうだ。 「きみ、大丈夫かい?」 下校の時刻になって廊下を歩いていると、ぱっと目の前に百南美先生が現れた。 「顔がにやけてるよ」 「……百南美先生の口から聞くと、精神の病{やまい}に関係ありそうで怖いですね」 「だってほら、病院だとそういう顔の人ばっかりと会うからね。何も間違ってない」 「まあ、それは冗談だけど。さすがににやけ顔で歩いている人は居ないよ」 「綺麗な女医さんが居れば、そういうことも……」 「ちょっと、先生のほうを見ないで言うってのは、何か意味があるの?」 「すみません。百南美先生も綺麗ですよ」 「棒読みだなあ。まあ、七波くんが先生の魅力に気づくには、あと1000年くらい掛かるかな」 百南美先生、一体何歳なんだろう……。 「それはともかく、七波くんの悩みは尽きないだろうけど、たまには先生にも相談してね」 「もちろんです。母さんのこともありますし……」 「あ」 マナーモードにするのを忘れていて、豪快に着信音を鳴らしてしまった。 「あら、確認しなくていいの? 急ぎの用件かもよ?」 「校内では使用しちゃいけない決まりになってますし」 「メールくらい大丈夫。女の子を待たせるのは良くないよ」 「すみません」 スマホを取り出すと、そこには沙羅からのメールが届いていた。 「おっと、先生の居る前で校則を破るなんて、七波くんもなかなかやるねえ」 「えっ!?」 「ごめんごめん、冗談だよ。でも、何か用事があるみたいだから、先生は退散するよ」 「じゃーねー」 「あ、はい……さようなら」 沙羅からの呼び出しメールを再度確認する。 すぐ行くと返事を打ち、シロネにも連絡してから、鳥かごへ向かった。 仕事を抜けてきたところなのか、沙羅の表情は仕事モードのままだ。 「シロネと、何があったの」 沙羅の口調は厳しそうで、だけど、いつも通りとも言える。 怒っているという感じはしない。 「それも、実験に必要なデータってこと?」 「それもあるけど……そうじゃなくて」 「舜のことが心配なの」 「僕のこと?」 「そう」 沙羅が親切なのは昔からだけど、僕が心配だという理由で呼び出しまでするとは思えなかった。 「それくらいのことだけなら、電話でもメールでも済むことだよね」 「沙羅が本当に興味があるのは、実験だけじゃないのか?」 「……どうしたの、舜。いつもと何か違う」 「……」 無意識のうちに、本心を必死に隠そうとしているのは、僕がシロネに対して、やましい気持ちを持っているからだろうか。 上手く、言葉に出来なくて、苛立ちが表れてしまう。 「私はシロネの生みの親なの。だから、シロネと舜に何かあれば気にするのは当たり前だし、それは実験とは違う」 「それとも舜は、私が舜に興味があると言って欲しいの? 違うでしょ」 「呼び出したことくらいで、その意味を考える必要なんてないの」 沙羅の言うことは正論だ。 だけど、正論をぶつけられても、納得して受け入れられるかと言えばそれは別問題だ。 「話したくないことだったら、話してくれなくてもいい。それは、舜が決めて良いことね」 「でも、私は心配しているの。馨さんのこともあったばかりだし」 「沙羅は、観測者という立場からしか、僕らを見ていない」 「でもそれはしょうがないことだし、沙羅は当事者でもないし……」 「舜……?」 「ってあれ、僕今なんてしゃべってた?」 「私のことを、当事者じゃないからって」 「ごめん。流石に言い過ぎてる」 「いいの。言われ慣れてることだから」 沙羅は感情を露わにすることなく、冷静に話を続ける。 いつもなら気にならないのに、今日は何故か、その態度が鼻につく。 沙羅のことは、嫌いじゃないのに。 「人間でもアンドロイドでも、予期せぬことは起こるもの」 「舜はもう、昔とは違う。変わってしまったんだから」 「私の気持ちを理解出来なくなっていても、それはしょうがないことなの」 「変わった……?」 僕から見れば、遠くに行ってしまったのは沙羅のほうだ。 「私はあの日からずっと、同じ気持ちでいる」 「実験がしたくて、シロネを作ったんじゃない。人の幸せのために作ったの」 強い意志の籠もった、沙羅の瞳。 僕は、この目が大好きだった。かっこよくて、憧れていた。 でも今は、アンドロイド以外は何も映ってない目に見えてしまう。 「舜は幸せ?」 「幸せだと思うよ」 「そう。良かった」 「なんか、喧嘩腰になっちゃって、ごめん」 「沙羅だって大変なのに、何も分かってなかったよ」 「気にしてないから、気にしないで」 沙羅の言葉には終始感情が篭ってなくて、まるでロボットみたいだと思ってしまった。 シロネのほうが、よっぽど人間らしい。 だから、嫌だと感じたのかもしれない。 「じゃあ」 沙羅はそれ以上質問をすることもなく、建物内に戻っていった。 感情的で、子どもみたいだと思われたかもしれない。 昨日の一件から、どうにも感情のコントロールが上手くいかない。 「ごめん、沙羅……」 僕は、沙羅に対してはどうも素直になれないことを悔いていた。 家に帰ってくる頃には、もう外は暗くなっていた。 「あっ、お兄ちゃん」 「遅くなってごめん。用事は済ませてきた」 「沙羅ちゃんと会ってたんですか?」 「まあ、そうだね」 「そうですか……」 まさかシロネに問われるとは思わなかったが、嘘を吐く必要もない。 「あの、お兄ちゃん……」 「わたしじゃ、駄目なんでしょうか?」 「えっ?」 「沙羅ちゃんにしている相談事、わたしじゃ解決出来ませんか?」 「ええと……沙羅には別に、何か相談をしたわけじゃないよ」 「それに、シロネにはいろんなことで沢山助けられているし」 「そうでしょうか?」 「当たり前じゃないか。シロネを手放すなんて、考えられないし」 「ほ、本当に……?」 シロネはいつにも増して不安そうな様子だ。 「最近のお兄ちゃんは、元気が無かったので……なんでわたしを残そうとしてくれたのか、分からなくて」 「そんなこと、迷うことじゃないから」 「どうしてですか?」 「どうしてって……うーん、理由が説明出来ないと駄目かな?」 「でも、人の感情って、全部が言葉に出来るわけじゃないんだよ」 「僕は今、いろんなことで悩んでいるけど、それはシロネが大切だから、悩んでる」 「……はい」 「どうでもいいことなら、こんなに悩んだりはしない」 「そういうこと……なんじゃないかな」 「ちょっとだけ、分かるような気がします」 沙羅が言っていた通り、ロボットは悩みを持たない。 悩みがバグだとしたら、シロネから見たら僕は、バグを抱えたまま修正されずにいるロボット、くらいに思えるのかもしれない。 「今日は、朝からずっと避けてて、ごめんなさい」 「わたし、本当はずっと、お兄ちゃんのそばに居たいんです」 「うん」 「そう言うように、設定されているだけなのかもしれません」 「でも、お兄ちゃんのことが好き」 「白音さんじゃなくて、わたしが。これは、わたしの感情だって、そう、言えます」 「僕も、シロネのことは大切だし……もちろん、好きだよ」 「お兄ちゃん……」 シロネは目を潤ませながら、何かに引き寄せられるようにおずおずと一歩ずつ近づいてくる。 互いの顔が間近にまで迫って、一瞬の間を置いて、シロネは自分の唇を僕に重ねてきた。 「……ん」 「シロ――」 「んっ、……ちゅ、ん……」 「あ……」 「……」 突然のことにびっくりしてしまって、指先が微かに震えている。 動揺を包み隠すように、僕は自分の手をぎゅっと握り締めた。 「どうしてだか分からない……」 「なぜだか分からないけど、お兄ちゃんとキスしてみたいって思って……」 「ごめんなさい」 「……」 「駄目ですか? こういうことしちゃ」 「シロネは、したいんだよね?」 「はい……」 「普通はね、好きな人に対して、そういうふうに思うものなんだけど……」 「お兄ちゃんのことが大好き」 「大好き……? だいすき……?」 シロネは、理解出来ていないというように、とつとつと言葉を繰り返す。 その度に胸がずきずきと切なくなって、シロネをぎゅっと抱き締めたい衝動に駆られる。 「シロネ……」 「駄目、駄目ですね」 「わたしは、お兄ちゃんの妹だから」 「困らせるようなことを言ってしまって、ごめんなさい……」 呟くように弁解して、シロネは1人自分の部屋へと戻っていった。 シロネへの複雑な感情が自分の中で渦巻き、溢れてしまいそうで、これ以上引き止めることは、僕には出来なかった。 「お兄ちゃん。お兄ちゃん」 「シロネ……」 僕は目を覚ます。 僕とシロネの目が間近で合って、固まってしまう。 「あ……」 シロネはすぐに僕の傍を離れてしまった。 「シロネ……?」 「朝食、出来てますから」 シロネはぱたぱたと部屋を出ていってしまった。 昨日のことがあったからか、シロネの様子が変な気がする。 朝食はいつも通り変わらず、美味しかった。 でも今日のシロネは、なんだか口数が少ない。 「シロネ?」 「はい?」 「具合が悪いの……?」 「あ、いえ……そんなことはないんです」 「今日は暑いね」 「そうですね……」 やっぱり、いつもと違う。 シロネは、目を合わせたがらない。 「シロネ?」 「はい?」 「あ……」 シロネはすぐにまた、前に向き直ってしまった。 デリカシーがないかとも思ったが、聞かずにはいられなかった。 「もしかして、アレを見ちゃったこと、気にしているの?」 「えっと……」 「違うんです……」 「……」 違うと言うなら、それ以上踏み込むのは躊躇われた。 無理やり聞き出すことも出来るのかもしれないが、それはしちゃいけない気がした。 「わたし……お兄ちゃんのことが好きなのかも」 「えっ? ええと、それは……」 「あ、でも、好きってなんでしょうか?」 「うーん……」 こんなところで言われても、咄嗟のことで良い返しは思いつかない。 「こうして、手を繋いで登校しているのが幸せ、とか……そういうことでしょうか?」 「そうかな」 シロネから向けられている感情が、以前と変わっていることは確かだ。 白音と自分は別人だと自覚しながら、それでも手を繋ごうとするから。 だけど、それが恋心なのかは、僕にも分からない。 結局、僕たちはあまり会話を交わさず、校門をくぐったところで別れた。 「ちょっとちょっと!」 特に沙羅から何か言われることもなく、放課後になっていた。 いつも通りシロネと帰ろうかと準備をしていたところに、夕梨が乗り込んでくる。 「朝のこと、びっくりしちゃったよ」 「朝のこと?」 「何をとぼけているのよ。シロネと手を繋いで登校してたでしょ?」 「してたけど」 「反応薄いね……」 「別に、今日に始まったことじゃないよ。白音の記憶があるから、最初からそうなんだ」 「そうだったっけ?」 夕梨が本気でとぼけた顔をするから、笑ってしまう。 「まあでも、仲の良い兄妹って良いよね。白音ちゃんが生きてた頃は、こんな風景見れなかったし」 「なんかちょっと、感動したの」 「そうだったんだ」 「……なんだけど、あんたら――」 「その歳じゃもう、恋人同士にしか見えないから!!」 「ええっ!?」 夕梨はそれだけ言い残して、ぱっと教室を飛び出していった。 とにかくこれだけは伝えたいという気持ちは、届いたけれど。 「夕梨も大変そうねえ」 近くで様子を見ていたのか、ぼそっと沙羅が呟く。 「沙羅から見て、僕達の関係って、そんなに変に見える?」 「別に」 「そっか」 「うん」 「他の人にどう思われるかなんて、気にすることじゃないと思うの」 「なるほど……」 どうやら、質問する相手を間違えたようだった。 ハナコ先輩の手伝いで居残っていたらしいシロネを待ってから、2人で帰路に着く。 今朝とは違って、シロネは手を繋ごうとはしない。 やっぱり、シロネが恋愛感情を持っているのかもしれないなんて、僕の思い過ごしだったみたいだ。 そもそも、シロネには妹という設定があるのだから、男女の恋愛には発展しないだろう。 「お兄ちゃん」 「帰りは手を繋がないのかって、そう思ってるんじゃないですか?」 「えっ?」 早速シロネに図星を突かれる。 「これだけ一緒に過ごしてたら分かりますよ。お兄ちゃん、考えている時は、黙り込んじゃうんです」 「あはは、そんな癖あったんだ」 「お兄ちゃんのことが嫌いになって、手を繋ごうとしないわけじゃないです」 「なんとなく恥ずかしくて……それで、帰りはやめにすることにしました」 「うん」 シロネは白音と乖{かい}離{り}し始めていることは確実だ。 妹という設定が、本当に設定でしかなくなっている。 しかし、仮にもアンドロイドであるシロネが、このような決められた設定を破ることが出来るとは思えない。 『見ないで』 それだけでは、三原則を超越したとは言い切れないだろう。 「お兄ちゃん」 「家に帰ったら、ちゃんと話してもいいですか?」 「わたしの気持ち……」 「うん」 「あっ……」 僕は何も言わず、シロネの手を握った。 しばらくしてから、シロネが握り返してくるのを感じた。 少し遠回りをしていたら、すっかり遅くなった。 意を決した様子のシロネと、向かい合う。 「もう気づいていると思います」 「わたしが、白音さんと違う存在になっていること……」 シロネはゆっくりと落ち着いて話し始める。 「わたしにとっての最上位命令は、お兄ちゃんを幸せにすることです」 「本来破ることの出来ない“妹”という立ち位置を無視して、“シロネ”として生きているのは、それがお兄ちゃんにとっての幸せだから」 「僕がシロネに、妹として、白音として振る舞わないで欲しいと思ってる、ってことかな」 「はい」 「そう……うん、その通りだと思う」 「わたしは確実に白音さんだったはずでした。それが“わたし”なんだと思っていました」 「でもわたしは、そうなれなかった。お母さんには認めてもらえなかったんです」 数日前からあった違和感は、やはり母さんとの不和が原因で生まれたことだった。 「自分じゃない自分がここに居て、その自分が“わたし”で、白音さんが他人なんだと気づいた」 「ここ最近のわたしは、それを理解することが出来なくて、お兄ちゃんに迷惑を掛けてしまいました」 「夕梨も心配していたな」 「はい……」 シロネは申し訳なさそうに呟く。 「わたしはわたしとして生きている」 「そうだとしたら、今抱いている感情は、何なんだろうって……」 「そんなことを考えていたら、とうとうお兄ちゃんにバレてしまいました」 恥ずかしそうに、照れながら笑うシロネ。 「お兄ちゃんは、わたしを認めてくれました」 「もちろん、今でもお母さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです……」 「でもっ……」 「わたし、お兄ちゃんのことが好きで、それを抑えることが出来ないんです!」 「妹じゃいられない。好きになっちゃったの」 躊躇うこと無く、シロネは自分に起きていること、その思いを打ち明ける。 「これで、伝え方は合っていますか?」 「わたしの気持ち、お兄ちゃんに伝わりましたか?」 「うん、伝わってる。それで、合ってるよ」 「……良かったです」 シロネは、心から安心したというように安堵の声を漏らす。 「わたしが存在する理由は、妹として振る舞うことじゃなかったんです」 「お兄ちゃんを幸せにして、お兄ちゃんをいつでも励まして……」 「お兄ちゃんの一番そばに寄り添い続けることです」 「沙羅ちゃんはきっと、そうじゃないって言うと思いますけど……」 「いや、沙羅だって分かってくれるよ。シロネの気持ち」 「この気持ちが、バグだとしても……ですか」 「……」 「産みの親との約束を守らないアンドロイドでも、正常だと言えますか?」 「それは……」 「このことは、秘密にして」 「秘密……?」 「沙羅ちゃんには、秘密にして欲しいんです。バグだとしたら、取り除かれてしまいます」 シロネの目は必死だった。 「僕や母さんが白音として振る舞って欲しくないこと、沙羅だって分かってくれるはずだ」 「たとえ、何か修正が必要だったとしても、沙羅に隠す必要は――」 「嫌っ!」 「言わないで……」 「シロネ……」 「過去のことは、過去のこととして消えない、でも」 「わたしは、今のお兄ちゃんが好き」 「お兄ちゃんに求められる存在に、なりたいんです……!」 シロネの言葉は切実だ。 恋愛対象として思いを寄せられるのは、嫌ではなかった。 ここまでした彼女の気持ちには、きちんと応えたい。 「僕は沙羅のことが好きだったけど、告白なんて一度もしたことない」 「はい」 「その点シロネはすごいよ。ちゃんと、自分の気持ちを伝えたんだ」 「えへへ……すごいなんてことはありません」 「僕はもう、シロネを白音として見ることは出来ない。だけど、大切に思ってる」 「だから、シロネが望むなら……シロネの気持ちも受け止めたい」 「わたしは……」 「お兄ちゃんが好き」 「お兄ちゃんのそばに居て、ずっと、一緒に居たい」 「恋してみたいです……」 「うん」 「シロネは十分、恋してると思う」 「本当……?」 「沙羅には、隠したいことなんだよね」 「うん」 「それを、僕には話してくれた。それがどんなに嬉しいか……」 「お兄ちゃん……」 うっとりとしたシロネの目を見つめる。 僕ももう、覚悟は決まっている。 「僕の恋人になって欲しい」 「えっ……? 本当に……?」 「僕も、シロネのことが好きなんだ」 「そばに居て欲しい。友達とか妹とかじゃなくて、恋人として」 「はいっ、お兄ちゃん……!」 「わたしで良ければ、恋人にしてください……」 「わたし、お兄ちゃんのことを、必ず幸せにします!」 「僕も、シロネに幸せになって欲しい」 「シロネの願いを、叶えたいんだ」 「はい……っ」 シロネは言葉を震わせながら、精一杯の笑顔を僕に向ける。 「……」 どちらからともなく互いに目を瞑り、自然と唇を近づけた。 「はあっ、ん……んっ、ん……」 「ちゅ、う……んん、んむっ……!」 お互いの愛を確かめ合うように、キスを重ねていく。 「ふあっ……」 シロネの頬は紅潮し、昂りを訴える。 「ひみつ……いけないこと、しちゃってます……」 「お兄ちゃんといけないこと……しちゃってる……」 「良いんだ」 「……」 「やめたくない……」 「したいです……」 「妹とは出来なくて、恋人とは出来ること……」 「シロネ?」 「……お兄ちゃんとしたいの」 「本気なんだよね」 「はい……」 「分かった」 「僕も、同じ気持ちだ」 「んっ……」 シロネの言葉と覚悟に感極まり、衝動に任せて彼女を強く抱き締めた。 そのまま抱きかかえて、自分の部屋へと向かった。 「シロネのほっぺた、スベスベだ」 「……はあ……っ」 そのなめらかな肌を、しっかりと両手で挟み込む。 これからこの汚れのない身体を自分色に染めるのかと思うと、いやが上にも気分が昂ぶる。 「これから、お兄ちゃんと……セックス、するんですよね……」 「お兄ちゃん……緊張、していますか?」 「そりゃ……」 セックスという言葉を耳にするだけで、カーッと血が上る。 この前、シロネのオナニーを目の当たりにしてしまったけど、それとはまったく状況が異なる。 「知識としては知っていますが、実際にするのは初めてです」 「それは、僕も一緒だよ」 「そうでしたか……」 「安心しました」 じっと僕の目を見つめるシロネ。 言葉とは裏腹に、シロネの瞳には、不安げな光が宿っている気がした。 「じゃあ、お兄ちゃんから……キス、してください」 「さっきよりも、えっちなキス……したい」 「シロネ。舌を、出してみて」 「あんっ……」 「は、う……ん……」 「んはぁ……」 頭の奥が直接刺激されて、ビリビリと痺れるような感覚。 もっと、もっとキスしたい。 「んっ……ああ、ちゅ……んん……」 「んふぅ……んんっ……」 さっきよりも長く、舌と舌を重ね合わせる。 シロネの舌は、小さくて柔らかかった。 「ん、んあっ……ちゅ、ん……」 「うん、ん……んちゅ、うんん……」 シロネの体温が伝わってきて、彼女への愛しさが募っていく。 舌の柔らかさと、ぬめり絡み合う感覚に、いつまでもキスをしていたくなる。 「んっ……はぁ……」 「えっちです……お兄ちゃんの舌」 「まだ続けてもいい?」 「はい……」 「んっ……んん、ちゅう、ちゅ、ふぅ……」 「んはぁぁ、んんっ……ぺろ、んああっ、はあっ」 今度は、しっかりと絡みつくようなキス。 舌の表面のざらついた部分の感触まで伝わり、それがさらに興奮を掻き立てる。 もっとシロネを味わいたい。 「んっ……んっ、ん……!」 「あ、んん……! はあ、ちゅ、ん、んっ!」 「んふぅぅ、んんっ……ちゅちゅっ、ん、んぅぅ……!」 「んはぁぁ……。はぁぁ……」 「お兄ちゃんを、ぺろぺろしちゃいました……えへへ」 シロネは照れながらも、僕の服をぎゅっと掴んで離さない。 「もっとしたいです……いろいろ……」 「いろいろ……?」 「うー……」 とろんと潤んだ眼差しで見つめてくる。 具体的な希望は無いけど、とにかく戯{じゃ}れたいということだろう。 「服、脱いでもらえるかな。ぐしゃぐしゃになっちゃうかもしれないから……」 「ぐ、ぐしゃぐしゃ……!?」 「いや、そんな乱暴をするつもりはないけど……!」 「……良いですよ……?」 「でもでも、お兄ちゃんに、脱がせて欲しいです……」 「そのほうが、きっと、ドキドキします」 「分かった」 シロネの制服に手を掛け、ゆっくりとはだけさせる。 「ぱ、ぱんつ……見えちゃう……」 「いや、そのままで」 シロネはスカートをたくし上げたまま、恥ずかしそうにもじもじと腰を揺らす。 可愛らしい……と思ったけど、この下着は沙羅の趣味なのかと思うと、少し複雑な気分になる。 「だめです。これじゃあ、恥ずかしいところが、お兄ちゃんに丸見えだし……」 「それに、手が塞がったままでは、抵抗することが出来ません……」 「抵抗しなくていいんじゃない……?」 「えっ!? そ、それは……っ」 「お兄ちゃんに、全部お任せ……ですか?」 そう言いつつ、シロネは少し頬を染める。 そのはにかむような控えめな仕草が、とてもそそる。 「じゃあ……わたしの身体、お兄ちゃんの好きにして良いですよ」 「……好きにしてっ」 シロネは、拗ねているのか照れているのか測りかねる体{てい}で、僕に自分の身体を密着させる。 ふと、あの時と同じように、胸と割れ目を同時に触れたらどうなるのか、気になり実行に移す。 「あっ……!」 シロネの性感帯に触れた途端、その身体がビクッと跳ねる。 「そ……そこ、触るんですね……」 下着に覆われたそこは、蒸れてしっとりとしており、シロネの火照った体温が直に伝わってくる。 ふっくらした肌の感触に、何度でも撫で回したくなった。 「んんっ……お兄ちゃんの手、おっきい……」 「指も、太くて、ごつごつ、してて……はうっ、自分のと、全然違う……っ」 「ああっ……今まで知らなかった感覚が……、ああっ、たくさん、流れ込んで、きます……んんっ」 シロネは身じろぎをしつつ、艶っぽい声を絞り出す。 もっとシロネを感じさせたい。乱れさせたい。 その本能のおもむくまま、僕は下着越しに、そっと胸の頂点にある突起を撫で上げる。 「ひぅっ! んんっ……は、あああっ!」 「そ、そこは、敏感……ですぅ……んんっ……ふぅぅ、はあっ」 「ん、ああっ……はぁぁ……ふぅ、あ! あぁぁ……はぁ……」 シロネが大きく息を吐くたびに、じんわりと白い肌が汗で湿ってくる。 胸が小刻みに揺れ、指先だけでなく視覚的にも柔らかさを伝えてくる。 「……女の子って、どこを触っても柔らかいんだね」 「んんっ……おっぱいと……おまんこ、どっちが柔らかい、ですか?」 僕は胸を揉みつつ、割れ目に沿わせた指で刺激してみる。 胸はふかふか、秘裂はふにふに、という感じで、どちらも全然違う感触だ。 「んんぅっ! お兄ちゃんっ……! は、はぁぁ、両方、いっぺんは……んんっ!」 「だ、ダメ、ですぅ……刺激、強過ぎ、て……あ、ああ!」 シロネがイヤイヤとばかりに頭を振る。 でも、その拒絶は本気じゃないことを、僕は知っている。 「んっ……んはぁ……すごい、です、ああっ……!」 「自分で揉んだときは、こんなふうに、ならなかったのに……っ」 「あ、ああっ……わたし、お兄ちゃんに触られて……感じてる……んん」 「もっと……もっとして……」 シロネはお尻を僕に擦り付けながら、愛撫をせがんだ。 下着の端に触れ、ゆっくりと秘部を露出させていく。 「ああっ……」 下着をまっすぐに下ろすと、つーっと一本の透明な雫が滴り落ちた。 シロネのアソコは相変わらずヌルヌルとぬめっていて、強く触ったら指が膣内に入ってしまいそうだった。 僕はシロネのリクエストに応え、より敏感な部分に触れる。 「ひぅぅんっ! んんっ、あ、ああっ、あ、はぁぁんっ!」 「だ、ダメ、ですよ……んっ、そ、そこは、ああっ……!」 指先でツンツンと突っつくと、そのたびにシロネがビクッと痙攣する。 「だめ、お兄ちゃん……クリトリスいじっちゃだめ……っ!」 「そ、そこ……ああっ、ん! わたし、一番感じちゃう場所……なんですっ!」 嬌声のトーンが上がり、さっと乳房も赤みを帯びてくる。 秘部と胸の二点攻撃に、シロネの痙攣は徐々に激しくなり、膝もガクガクと今にも抜けそうだ。 「んんっ! おっぱいも、揉まれたら……だ、ダメに、なってしまいます……!」 「わ、わたし……! 何か、きちゃいそうです……あああっ!」 「シロネ、イッていいよ」 「い、イくの……? わ、わたし、わたし……イッちゃうの……?」 シロネは未だ感じたことのない感覚の前に、困惑しているようだった。 「イクって言うと、もっと気持ち良くなれるから」 「はあ、っん、イク、ですっ……! わたし、イきそうです!」 「お兄ちゃん……ああっ、お兄ちゃん!」 シロネの昂ぶりに合わせるように、僕も指の動きを速めていく。 「うん、うんっ! シロネ、イクっ……! はあ、はあっ、お兄ちゃん、すごいのっ!」 「ああ、あっ! お兄ちゃんで、お兄ちゃんの指で、イク、イクっ、イクのっ……!」 僕に言われた通り素直に淫語を連呼するから、こっちが恥ずかしくなってくる。 「は、はああ、もうダメかもです……ん、あっ、あっ!」 「お兄ちゃん、ごめんなさい……わたし、イッちゃいますっ……!」 「良いんだよ」 「ふぅ、ううんっ! お、お兄ちゃんっ! お兄ちゃん、お兄ちゃん!」 「シロネ、シロネイッちゃうの……! だめっ、あう、イク、イッちゃうっ!」 「あああっ! も、もうだめぇぇっ……!」 「ひゃうううぅぅぅぅ……!」 シロネの秘部から吐き出される液体の勢いは強く、僕の手をビショビショに濡らしていく。 「は、はぁぁぁっ、んんっ! んふ、ううう……」 「と、止まらな……い……ふっ、あ、あぁぁぁ、はあ……」 下着を見られて恥ずかしがっていた最初とは大違いで、今は全身で貪欲に味わっているようだった。 「んはあ……あ、あう、はぁぁ……」 ズルズルと崩れ落ちそうになるシロネを、慌てて両腕で支える。 胸を弾ませ吐息は荒く、まるで全力疾走をした後みたいだ。 「はっ……あ、あぁぁ……ん」 「シロネ、その……大丈夫?」 「……驚かせてしまって、ごめんなさい……わたしは、大丈夫です……」 「お兄ちゃんの指が……気持ち良過ぎたんです……」 シロネは率直な感想を伝えてくれる。 「今度は、わたしがお兄ちゃんを気持ち良くしますね……」 「その……反応してる、ところ……」 恥ずかしそうに、軽くぽんぽんと背中を揺らしてくるシロネ。 ズボンの中で膨らんだモノが、シロネの腰に当たって気になっていたらしい。 「……」 シロネと一度身を離し、ズボンのチャックを下ろす。 勃起してそそり勃つイチモツを、、シロネがじっと見つめる。 「これが、お兄ちゃんのおちんちん……こんなに大きいとは、想定外でした」 「知識では知っていましたが、実物は迫力が段違いですね……」 「あんまりじっと見られると、恥ずかしいんだけど……」 「でも、お兄ちゃんのおちんちんは、喜んでいるように見えますよ……?」 「……」 図星を指されて、二の句が継げない。 「しかし、見れば見るほど不思議な形です」 「これは生物学的に、理に適っているのでしょうか……?」 「し、シロネ?」 「じーっ……」 シロネは僕の制止を無視し、わざとらしくじっと見つめてくる。 なんだかそれがいたずらっ子っぽくて、妙に愛おしく感じてしまう。 「遊んでみてもいいですかっ?」 「……はむっ……ん」 承諾も得ずに間髪を容れず、シロネはペニスの先端を咥え込んだ。 「んちゅっ……れろっ、う……んんっ……ん」 「ちゅぷっ……ちゅっ……んはぁぁ……んっ、れろっ……」 その非日常的な光景と未知の刺激に、背筋がゾクゾクとする。 「んふぅ……んっ、ちゅぷっ……んっ……」 「はあっ……お兄ちゃんのおちんちん、大きいから……音が漏れてしまいます……」 「すごく……はしたない、気がします……」 「ちゅぷっ……ちゅっ、ちゅりゅりゅ……ちゅぅぅ、ちゅぷっ」 シロネはただ舐めるだけではなく、唇も使って亀頭にしゃぶりつく。 隙間からは音と共に唾液も漏れ、ペニス全体がヌラヌラと光沢を帯びている。 「んんっ、ちゅりゅっ……ん、気持ちいいですか、お兄ちゃん?」 「ああ……すごく、上手だよ」 「ちゅぷっ……ちゅっ……れろ、ん、んっ!」 「じゅぷっ……じゅっ……れるぅ、ちゅぅぅ、ちゅぱぁ……」 的確なシロネの責めに、僕の息子はあっさりと根を上げそうになる。 熱い塊が下腹部のあたりに渦巻いて、今にも尿道を駆け上がりそうだ。 「んっ、先っぽから、なにか出てきました……」 「透明な、お汁……ねばねば、してます……」 「お兄ちゃんもしかして……興奮、してますか?」 「……うん」 シロネの口技があまりにも巧みで、いつ出してしまってもおかしくない状態にある。 「じゃあ、このまま……お兄ちゃんも、イクって、言ってください」 「そしたら、気持ち良くなれますよね……?」 「ああ……」 「ん、んっ……はむっ、んん、んっ!」 シロネは手を上下に動かしながら、口内の舌の動きも止めない。 「んんっ、おっきくなってきた……あむ、ちゅ、ちゅううっ、んんっ!」 「んちゅ、んん……もっと、もっと……! ちゅうっ、ちゅんん、はむむ……」 ペニスと口内の粘膜の境目が曖昧になり、ただ粘っこくいやらしい音が耳の奥に残る。 シロネは、ぎこちないながらも一生懸命、手と口で刺激を与えてくれる。 その光景を眺めているだけで、下半身に集まった欲望が、弾けてしまいそうだった。 「ちゅぷぅぅ、ちゅりゅっ……れるっ、れろれろっ、んっ……ちゅぅぅ」 「ちゅぱっ……ちゅっ、んんっ……、んふぅ、れろっ、れりゅぅ」 「シロネ……そろそろ……」 「ちゅぱ、んん……はい……っ、イッてください……」 「んっ……んちゅっ! ちゅぅぅ、ちゅぷっ、ちゅりゅりゅ、ちゅぷっ」 僕の言葉を合図に、シロネがより熱心に、執拗にむしゃぶりつく。 その勢いで、尿道に残されたカウパーは吸い出され、そのまま熱い塊が一気に駆け上がってくる。 「ちゅ、ちゅるる、んんぅぅ、ちゅううっ! はむ、んんっ、んぅぅ!」 「お兄ちゃん、イッて……わたしのお口の中で、んん……イッてくださいっ……」 「ちゅぱ、ちゅううぅぅ……んんっ、はむっ、んぐぐっ、うんんっ!」 「い、イく……」 「ちゅ、んん、お兄ちゃんっ……! ちゅう、ちゅっ、んん、あむ、ん!」 「じゅるる、んっ、イッて……はむむ、あんん! ちゅるる、ちゅうぅぅっ!」 「ん、んん……ちゅうううぅぅっ……!」 「んんんんんぅぅっ……!?」 ドクドクと、精液が流れ出る感覚。 それは一瞬にして、シロネの口内を満たしていく。 「んんっ、んぐぅぅ……うんんん……」 シロネの表情も少し苦しそうだ。 「んぐっ……んんんっ、んふぅぅぅ、ふぅぅ……」 「シロネ、口、離して……」 「んんっ……んんっ……んぐ、お兄ちゃん、射精、止まらない……」 「んっ……んん……んくっ」 「ごくっ……はあ、飲みにくい……んっ」 「全部、飲む……んん……んぐ……」 ごくごくと喉を鳴らしながら、シロネは口の中を空にしていく。 「はぁぁ……」 「もしかして、全部飲んだの?」 「……だめでしたか?」 「いや、そうじゃないけど……」 「味は、よく分かりませんが……」 「でも、嬉しい……お兄ちゃんも、イッてくれたんです」 「いっぱい、いっぱい……出してくれました」 にこっと笑う無垢な表情に反して、シロネの口端からはだらしなく精液が垂れている。 それがアンバランスでいやらしくて、欲情を強く駆り立てた。 「あっ……」 「おちんちん、大きいままですね……」 「まだ、出しますか?」 「うん」 「じゃあ、今度は……」 「あう……うずうずしてきました……」 「お兄ちゃん……」 シロネはペニスをぎゅっと握ったまま、腰をくねらせておねだりしてくる。 彼女は意識的に誘惑しているつもりはないだろうけど、今の僕には効果覿{てき}面だ。 「はあ、ふっ……」 「これで、いいですか?」 お互いに服を脱ぎ去り、シロネをベッドにころんと寝転がした。 「ちゃんと、見えますか……? わたしの、おまんこ」 シロネは脚を上げ、太ももを割り広げて、秘部をこれでもかと見せつける。 そこは愛撫で充分ほぐれていて、充血した割れ目が、愛液を伴ってヒクヒクとしている。 「はあ、ん……あんまりじろじろ見ないでください……」 「僕のはジッと見てたじゃないか」 「う、うう……」 「わ、わたしはっ……見られても、興奮しません……!」 恥じらいと怒りをない交ぜにしつつ、シロネの声は震えている。 「お兄ちゃん……」 「じいいっ……」 不機嫌そうな顔も可愛くて、もっといじめたくなる。 「お兄ちゃん、ひどい」 「わたし、我慢してるんですよ……」 「もっと、お兄ちゃんと、セックスしたいんです……」 「ごめんごめん」 「じゃあ……入れるから」 「はっ……はい」 「シロネに、ください……」 「んんっ……! あ、あん……っ!」 「お兄ちゃんのが、入って……んんっ、ん……ふ、ふうっ」 「はあ、はあっ……! おちんちん、硬い、ですっ……ん!」 シロネの吐息が乱れ、眉間にしわが寄る。 やはり、初めての挿入はかなり負担があるみたいだ。 「少し、休む?」 「いえ……んんっ、大丈夫です……ふぅぅ、ふぅぅ」 「このくらい、平気です……っん、んんっ……」 「シロネがそう言うなら……」 じりじりと、慎重に腰を埋めていく。 充分に膣内は濡れそぼっているのに、締め付けがキツくて、なかなか先に進めない。 「はあ、はあっ……う、んん……」 「うう、お兄ちゃん……止めないで……」 シロネも腰の位置を微調整して、より挿入を受け入れやすい姿勢を取ろうとする。 それに合わせて僕も、より力強く腰を前に突き出す。 「んっ……はぁぁぁっ……! あっ、ああっ……」 「はあっ……舐めている時から、思ってましたけど……」 「お兄ちゃんのおちんちん、大きい……んんっ」 「わたしのおまんこ、いっぱいに……広がって、います……ふんんっ……」 亀頭が埋まったあたりで、また急に膣内が狭くなる。 我慢出来なくなってきて、一気に突き入れそうになる。 「大丈夫ですよ……お兄ちゃん……」 「覚悟は、出来てますから……んんっ……」 「きて……お兄ちゃん……奥まで、挿れて……っ」 シロネの瞳には、しっかりと覚悟の光が宿っている。 僕はそれを確認した後、最奥目掛けて一気にモノを突き入れた。 「んはぁああああっ!?」 「あ、あああっ! はっ……あ、あぁぁ……」 イチモツの先端から伝わってきた、めりっという何かを突き破る感触。 それと同時に、愛液と一緒に赤い液体が溢れ出てくる。 「やっ……は、入りましたか……? はあ、はぁぁ……」 「し、シロネっ!?」 怖くなり、取り乱してシロネの名前を呼んでしまう。 「あ……わたしは、大丈夫です……んっ……少し、傷がついただけです……から」 「傷って……!?」 「んっ……初めての時は、こんなふうになるって……」 「お兄ちゃん、知りませんでしたか……?」 聞いたことはあるけど、まさかシロネも同じだとは思わなかった。 そうシロネに告げるのは失礼な気がして、心に留めた。 「とにかく、大丈夫……ですっ」 「お兄ちゃんの、おちんちん……お腹まで、すっぽり……」 「はあ、あっ……わたしの中に、お兄ちゃんのが、入ってる……」 シロネは目を閉じて、膣内の感覚を味わっているようだった。 「んっ……んんっ、それに、しても……変な感じ、です……」 「自分のお腹の中に……別のモノが入るなんて……考えも、しませんでした……」 その言葉を確かめるように、ぐぐっと肉壁に包み込まれる感触。 まだ膣内は刺激に慣れていないのか、びくびくと小刻みに痙攣し続けている。 「ちょっと、動かすよ」 「はい……」 「んっ……! んん、あうっ、んんっ……!」 シロネの膣内は狭くキツくて、挿入してはみたものの引き抜くのも精一杯だ。 腰を引くと、中の膣肉が吸い付いてきて、離そうとしない。 「んんっ……は、はぁっ、あ、んんっ!」 「苦しい、のに……はあ、あっ! 身体、びりびり、してきて……んっ!」 「はあ、はうっ……頭の中、真っ白です……んんっ」 完全には抜かず、亀頭で膣口を引っ掻くイメージで、再びゆっくりとシロネの膣内へペニスを埋め込んでいく。 「はぁ、ああ、熱い……んんっ、あ、ひゃ、ひゃあんっ!」 「んんっ、あ、あっ……お兄ちゃんのおちんちん、ふあっ、気持ちいい、ですっ」 「もっと、もっと……ん、あ、あんっ! もっと、欲しく、なっちゃいます……」 僕の腕の下で、シロネが乱れ悶えている。 感情が昂ぶっていき、知らず知らずのうちに抽送のスピードが上がっていく。 「んんんっ! はぁぁっ、ああっ! は、はぁ……はふ、うん、んっ!」 「お兄ちゃん、は、激しく、てっ……! 男らしい……の、んんっ!」 「んんっ、はぁぁ……こ、これ、クセになっちゃいそう、ですっ! ん、ああっ!」 僕の動きに合わせて、シロネの胸がふるふると波打つ。 膣口からはくちゅくちゅと淫猥な水音が漏れて、2人の股間をべっとりと濡らしていく。 「ああっ、あんん……おちんちん、気持ちいいです、ああっ……」 「すごい……ですっ……もっと奥まで、き、きて……んんっ、は、はぁぁっ」 「そんなに、されたら……また、き、きちゃい、ますよぉ……!」 すでに軽くイッているのか、膣ひだが射精をせがむようにまとわりつく。 それを振り払うようにペニスを動かしていると、急速に射精感が込み上がってくる。 「ふぅっ、ううっ! おちんちん、ま、また大きくっ、ふんん!」 「ま、待ってっ……あ、あああっ!? 待って、お兄ちゃんっ……!」 「わたし、イク……! イッちゃうの、あっ、あっ、ああっ!?」 「はあっ……あああああぅぅぅぅっ……!?」 シロネはひときわ大きくビクッと震えて、そのまま一瞬固まる。 膣内だけは、生き物のように蠢いて、絶えず刺激を与えてくる。 「はあ、はあっ、あ、ああっ……」 「先に……イッてしまいました……はあっ……」 「僕も、そろそろやばい……」 「はあ……あっ、じゃ、じゃあっ……」 「今度は、一緒に……っ……イきたい、です……」 シロネがゆるゆると自分で腰を動かしてきたので、それを合図に僕も抽送を再開する。 さきほどよりもさらに膣内が滑っていて、最高に気持ちが良い。 「あ、あっ……! ん、はあ、あっ……!」 「一回、イッてるから……ああ、あんっ! 感じやすく、なってるっ、んんっ……!」 「わ、わたし、初めてなのにっ……こんなに、気持ち良くて……ん、んんっ……!」 目の奥がチカチカとしてきて、だんだん頭がぼーっとしてくる。 射精が近い。 「はぁっ、いいですよっ……お兄ちゃん……きて、ください……んんっ」 「わた……しもっ、んんっ! また、イきそう、です……ああっ!」 2人で息を合わせ、共にクライマックスへと駆け上がる。 擦り合わされた性器の熱で、お互いが溶けて混ざり合ってしまいそうな、そんな強烈な一体感。 「は、ああうっ、出して……! 中に出してください……っ!」 「ん、んんっ……あ、ううっ! お兄ちゃんの精液、わたしに、ちょうだいっ……!」 シロネの腰をぎゅっと掴み、ラストスパートを掛ける。 「あ、ああっ、すごいっ! おちんちんが奥まで、きて、あ、ああっ!?」 「わたし、わたしっ! 変に、なっちゃうう……! イク、イッちゃう、イッちゃいますっ!」 「はあ、お兄ちゃんも……! お兄ちゃんもイッて……一緒にイッて……!」 先端から漏れ出る感覚がして、その後、一気に最奥へ突き挿れた。 「やあああっ!? あっ、ああ、ダメ……あううっ……!」 「イッちゃううっ……! あ、ああああ、んんんんっ……!」 「ふあああああああああああああんんんっ!!」 精液が吐き出された瞬間、シロネの身体が弓なりに反り返る。 膣ひだはペニスをこれでもかと締め付け、射精が断続的に続く。 「あ、あぁぁ……すごく、あ、熱い……」 「お兄ちゃんの精液で……はぁぁ、溶かされしまいそう、です……」 うわごとのように呟き、全身を細かく震わせながら、シロネは射精を受け止め続ける。 「はぁ……はぁ……これが、セックス……」 「今までに感じたことのない……充足感です……んっ」 射精が一段落し、シロネが息と共に言葉を漏らす。 「ああ、本当に幸せだ……」 愛液と精液でドロドロになり、そしてより熱を持った膣内。 挿入しているだけで、もう一回戦したくなるが……。 「はあ、ああっ……あっ……」 「さすがに、止めておこう」 シロネの息遣いを確認し、ゆっくりとペニスを引き抜いた。 「あっ……」 「お兄ちゃんの、おちんちんが……」 「あ、あっ」 不意に、シロネの言葉が途切れ、ブルっと身体が震える。 「どうしたの?」 「あっ、あの……安心したら、力、抜けちゃって……」 「あのあのっ、目を、つぶっててください」 「どうして?」 「あ、あぁぁ、ダメ、もう、我慢出来ない……」 「あ、はぁぁぁぁ……ああぁぁぁぁぁぁぁっ……!」 絶頂とは違う、なんとも気の抜けた声。 それと同時にシロネの身体から、液体が綺麗な放物線を描いて放出される。 「ん、ああ、あああっ……」 「やだ、見ないで……! 恥ずかしい……!」 「と、止めたいのに、身体が、言うこと聞かないっ……」 羞恥で耳まで真っ赤に染まりながら、シロネは身悶えする。 その光景を僕は、ただただ呆気にとられて眺めることしか出来ない。 「はぁぁ……ようやく、止まりました……」 「これって……おしっこかな?」 「い、言わないでください! は、恥ずかしい……」 シロネは排泄しないはずなので、冷却水か何かだとは思う。 「はあ、あ……お兄ちゃんのばか……」 「も、もう……わたし、恥ずかしくて、お外に出られません……」 シロネはぎゅっと目を瞑り、必死になって恥ずかしさに耐えようとする。 その姿が愛おしく感じられ、自然と手が伸びて、髪を撫でていた。 「ん……」 「大丈夫。僕しか見てないし」 「お兄ちゃん……」 「こんなことで誰も、シロネを嫌いになったりはしないよ」 「……だと良いです……」 少しは機嫌を直してくれたようだった。 「あ……だいぶ、汚してしまいましたね」 「お掃除、しないと……」 「今はいいよ。もう少し、のんびりしてよう」 「はい……お兄ちゃん」 優しい笑顔で微笑むシロネを、ずっと見つめていたかった。 「お兄ちゃん」 「重くは、ないですか?」 「全然。むしろ軽いくらいだよ」 全身でシロネの重みを受け止め感じる。それが、この上なく幸せだ。 好きな女の子と触れ合うって、こんなにすごいことだったんだな……。 「お兄ちゃんの心臓のドキドキ、だいぶ収まってきました」 「最初のときの緊張が、嘘みたいです」 「あはは……」 「それにしても、セックスとは、すごいものですね……」 「今までに覚えたどんな感覚、どんな出来事よりも強く、そして鮮烈でした」 「僕も同じ……」 「ふふっ……」 「お兄ちゃんで良かった……」 シロネが甘えるように胸板へ頬ずりし、甘い吐息が吹き掛けられる。 「秘密にしてくださいね……」 「沙羅ちゃんにも、夕梨ちゃんにも、ハナコ先輩にも……」 「ハナコ先輩にバレたら、大変なことになりそうだな……」 「全員だめですっ!」 「こういう関係になったこと、秘密にしたいの?」 「それは……ちょっと違います」 「沙羅ちゃんにだけは……」 「分かってる」 シロネが言葉を濁したので、察して頭を撫でてやる。 「お兄ちゃんのことは大好きです」 「これからも、ずっと、恋人で居たいんです……」 「うん」 「そのために、今は……秘密にしていてください」 「お願い、お兄ちゃん」 「僕も、同じ気持ちだから」 「シロネを手放したりはしない。絶対に」 「はいっ……」 まるで天使のように微笑むから、感極まって少し涙が零れそうだった。 「……あ」 あくびが漏れて、本当に涙が出てきた。 「ふふふ」 シロネの笑顔を見て安心したら、急激に眠気が襲い掛かってきた。 「お兄ちゃん、おやすみ」 「ああ……ごめん、ちょっと……」 「冷えないように、わたしがずっと、そばで温めていますね」 「ありがとう」 「はい」 「おやすみ、シロネ」 「おやすみなさい」 僕はシロネの重みと体温を感じながら、まどろみに身を任せた。 「お兄ちゃん」 目を覚ますと、間近にシロネの微笑みがあった。 薄い布をまとい、全裸で寝ている僕たち。 昨日のことは、夢でなかったんだと改めて実感する。 「おはよう」 「おはようございます」 「キスしても、いいですか……?」 「え……?」 「う、うん……」 「んんっ……」 「ちゅ、ちゅっ……」 シロネからのキスで、幸せな感{オー}情{ラ}が流れ込み、全身を包み込んでいく。 「……ありがとうございます」 「こちらこそ……」 照れながら口にするシロネに、僕も耳が赤くなっているのを感じながら、変な受け答えをしてしまう。 「シロネは、いつ目が覚めたの?」 「ずっと起きてました」 「え……」 そうか、シロネはアンドロイドだから。 そんなことも忘れそうになるくらい、シロネは温かかった。 「お兄ちゃんの寝顔を眺めてました」 「恥ずかしいな……」 「お返しです。わたしも、恥ずかしかったんです。お兄ちゃんに、全部を見られて」 僕は苦笑してしまう。 そして“恥ずかしい”と口にするシロネが、なんだか嬉しかった。 それは人間に近づいているようで……。 「いつまでもこうしていたいけど、学校に遅れちゃいますよね」 「わたし、朝ごはんを作りますね」 「うん」 シロネは起き上がり、床に散らばっている服を手にすると、部屋を出て行った。 今日の昼休みはみんなバタついているようで、図らずもシロネと2人きりになった。 「わたしも、食事する機能を付けてもらおうかな……」 シロネがらしくないことを呟く。 「あっ、冗談ですけどね」 「食事の味見が出来ないので、とんでもないものを出していても、気づけないのが残念で」 「シロネは真面目だなあ」 「作ってくれたっていう気持ちが大切で、味は二の次だけどな、僕は」 「そうでしょうか?」 「もちろん、美味しいものは好きだけど」 「うーん。こればっかりは分からないので、歯がゆいです……」 シロネはしょぼんとして、項{うな}垂{だ}れた。 「恋人同士って、あーんとかしたりするものなのかなって」 「わたしも、あーんされたい……」 「シロネがされたい側なのか……」 「もちろんです」 「まあ、食事機能の話は、冗談ですけどね」 尽くしてくれることが主なシロネからは、想像出来ない願いだった。 「そうだ、放課後に買い物に行こうよ」 「週末から天気が崩れるらしいし、食材も買いに」 「それは、デートということですか?」 「ど、どうだろうな……」 「まあ……そんなところ」 さすがに教室で話すには気を遣う話題だ。 恥ずかしさも相まって、自{おの}ずと声をひそめてしまう。 「デート、デート……」 「憧れてたので、嬉しいです♪」 シロネは嬉しさを滲ませつつも囁くような声で、何度もさえずるようにデートと呟いた。 「沙羅ちゃんには秘密ですからね♪」 「分かったよ」 シロネが喜んでくれることなら、何でもしてあげたい。 「放課後になるのが待ち遠しいです」 「学校、抜け出しちゃいたいなあ……」 「じゃあ、そうする?」 「そんなことしたら、沙羅ちゃんだけじゃなくて、先生にも怒られますよ?」 「怒られるくらいどうってことないよ」 「お兄ちゃん……」 「いや、悪いお兄ちゃんです」 「よし、決まりだね」 シロネは荷物を取ってくると言って、軽い足取りで教室を出ていった。 こんなことをするのは初めてだ。 なんだか、浮足立って心がふわふわする。 「舜?」 「はい!」 「……え、えっと」 「顔、ニヤけてるけど」 自分自身でも驚くくらい上擦った変な声を上げてしまい、誤魔化せないと覚悟する。 「……なんて思ったけど、普段からそんな顔だったかも……」 「それはそれで、複雑だな……」 「まあ……話はそれだけよ」 沙羅も忙しいのか、特に何かに追求するでもなく、また教室を出て行った。 内心冷や汗を拭った僕は、荷物をまとめてシロネとの待ち合わせ場所へと急いだ。 裏門から学校を抜け出し、シロネと一緒に商店街まで来た。 さすがにこの時間に制服でうろついたら、見咎められるかもしれないけど、家に帰って着替える時間がもったいない。 「不思議ですね。悪いことをしているはずなのに、止められない」 「むしろ、わくわくしてます……!」 「シロネもとうとう、夕梨の仲間入りか」 「お兄ちゃんも同罪です」 「むっ……」 まるで手枷をはめられたんじゃないかと感じる程、ガッチリと手を握られた。 「離さないです」 ジッと、睨むように見つめてくるが、怖くはない。 「前から思ってたけど、シロネって怪力だよね」 「そうなんですか? 自分では分からないです」 シロネはいつもとは違って、恋人つなぎをしてくる。 初々しいけど大胆なシロネの行動に、心を鷲掴みにされる。 「最後まで、このままでも良いですか?」 「もちろん」 「やった♪」 シロネは嬉しそうに、ぎゅっと手を握る。 僕も負けじと、シロネの手を握り返した。 「帰るまでずっとですよ」 「帰ってからもずっと……」 「お兄ちゃんが眠るまでずっと……♪」 「そういうのも、たまには良いかもね」 今までも一緒に暮らしたりしてきたけど、シロネと恋人で居る時間は、何にも代えがたい喜びをもたらし、幸せだと実感した。 「じゃあ、ここから曲がって――」 「あっ、ちょっと待って下さい」 「どうしたの?」 「ちょっと……」 シロネは自ら、繋いだ手を離した。 「お兄ちゃん、先に帰っててもらえますか?」 「別に、大したことではないので、心配は無用です」 「何か、買い忘れでもしたかな?」 「沙羅ちゃんに、放課後来るように呼ばれていたんです」 「沙羅に……?」 タイミング的に、嫌な予感しかしなかった。 タイミングだけではない。 シロネだけが呼ばれることなんて、今まで滅多になかったと思う。 「本当に、大丈夫です」 「少なくとも、お兄ちゃんが心配しているようなことにはなりません」 「……」 「大丈夫です……」 顔色が悪いということはないが、シロネの表情は苦しそうに見えた。 「実はわたし、ちょっとだけ嘘を吐いていました」 「朝から、不調だったんですけど、お兄ちゃんと一緒に居たくて、それを隠してました」 「今は大丈夫なの?」 「今もちょっと……」 「でも、心配はしないで」 「わたしは必ず、お兄ちゃんのところへ戻ってきます。沙羅ちゃんには……隠し通します」 「それでもシロネが無事でいられるなら」 「本当に不調なんだったら、沙羅に見てもらったほうが――」 「何言ってるんですか、お兄ちゃん」 「せっかく恋人になれたのに……嫌です」 「嫌、別れたくない……」 それは僕も同じ気持ちだった。 「じゃあ、僕は待ってる」 「シロネのことを、信じるよ」 「ありがとうございます」 「秘密……ですよ?」 「そうだったね」 「じゃあ、行ってきます」 不調な様子は微塵も感じさせず、普段通りの調子でシロネはRRCのほうへ歩み去っていった。 不安しかないけれど、それを言ってもしょうがない。 沙羅は……。 分かってくれないかもしれない。 でも、好きな気持ちに嘘はないし、この感情が間違っているとは思えない。 「僕は、人間だから……」 僕はシロネが好きで、シロネも僕を好いてくれている。 シロネは特別なアンドロイドだと、沙羅は言っていた。 「だから……きっと……」 だから、そういう感情を持つようになることだってあるはずだ。 だが、シロネはアンドロイドだ。これは逃れられない現実。 「でも、シロネはシロネじゃないか」 僕は、だんだんと小さくなっていくシロネの背を見つめていた。 吹く風が背中に流れる何かをひやりとさせた。 「今日も暑いですね〜」 いつもの通り、シロネと一緒に登校する。 僕だけが昨日の不安を引き摺ったままで、結局あんまり眠れなかった。 「今朝の朝食はどうでした? 初めてフレンチトーストを作ってみたのですが……♪」 「甘いものを朝から食べると、勉強が捗る気がしません?」 「確かにそうかもね。シロネのフレンチトースト、美味しかったよ」 「本当ですか? 嬉しいです!」 「また作って欲しい時は、いつでも言ってくださいね」 「ありがとう」 「ふわっふわで、カリカリに作ってみせます! ふふん」 シロネは不自然なくらい、朝から元気さが突き抜けている。 どこか本心を包み隠そうとしていると思えるような、弾ける笑顔だ。 「それとも、あまあまであつあつが良いか……」 「お兄ちゃんは、どれがお好みですか?」 「そんなことより――」 昨日、沙羅とシロネが何を話したのかは、教えてもらえてない。 だから僕の目には、今のシロネは、誤魔化しているか、隠しているようにしか映らない。 「お願い。今日だけでいいんです」 「沙羅ちゃんには秘密にしてください。何を聞かれても」 「やっぱり、何かあったんだね」 「……」 「話したくないなら仕方ないよ」 「ごめんなさい」 「でも! お兄ちゃんが深く悩む必要はありませんよ!」 「本当に?」 「本当ですとも!」 「体調は? 大丈夫なんだよね?」 「心配ご無用です」 「わたしは勝手に、お兄ちゃんの前から消えたりはしません」 「なら、良かった」 「良かったって?」 「良かった……いいってこと、ですね、すみません」 「シロネ……?」 学校の前まで来たところで、ぱたぱたとシロネは走って行ってしまった。 シロネが何かを言い残して、行ってしまったように見えて、心の中がもやもやしている。 「シロネ!」 「あら舜、おはよう」 「お、おはよう」 追い掛けようとしたところで、近くまで来た沙羅に声を掛けられる。 「シロネは? 一緒じゃないの?」 「いや、ちょうど今、別れたところで――」 「ねえ、放課後、鳥かごまで来られる?」 「え?」 「ああ……分かった」 「じゃあよろしく」 「ああ、うん……」 「歯切れが悪い気がするけど、どうかした?」 沙羅に生返事をしてしまい、上の空を見透かされたように指摘される。 「シロネのこと聞きたいんだ」 「授業の後にね」 「……」 「教室、行きましょう」 何か、先延ばしにされている気がする。 沙羅にも、シロネにも。 でもそれは、僕がいくら焦っても解決しないことだ。 まずは落ち着いて、冷静にならないと……。 放課後まで、長い苦行の時間だった。 1人、沙羅の元へと急ぐ。 不安な気持ちは尽きないが、シロネとの今後を話し合えるかもしれない機会でもある。 だからこそ、逃げないでしっかりと向き合いたい。 「今日も授業をサボるのかと思った」 「ああ……昨日のこと、気づいてたんだ」 「仕事とはいえ、頻繁に早退している自分が、あれこれ言える立場でもないから」 「ブリストルさんに遭遇しなかったのだけが、幸いだったのかな」 「そうかもしれない」 「それで……今日は、舜に聞いてみたいことがあるの」 「研究室のほうでも良かったけど、ここのほうが気軽に話せるかなって」 沙羅の妙に柔らかい口調に、余計に不安が掻き立てられる。 「単刀直入に聞くけど――最近、シロネとセックスした?」 「……」 一気に血の気が引いた。 頭が真っ白になるというのは、まさにこういうことだろう。 視線がきょろきょろと行き場を失って彷徨い、一点に定めることが出来ない。 これ以上気持ちが揺れ動かないよう、苦し紛れに拳をぎゅっと握って耐えた。 「黙るっていうのは、肯定と捉えていいの?」 「……そう。そんなことまで分かるんだね」 「シロネの記憶データを確認して、そうなんじゃないかって思って」 「その、日常をまる覗きしているわけではなくて……あくまでデータとして、だけど」 記録を取っていることは知っていたから、ある程度覚悟は出来ていた。 それでも、まるで心を読まれているような、何もかも見透かされているような気分だ。 「舜のほうから、相談しに来てくれると思ってた」 沙羅の悲しげな表情に、胸が締め付けられる。 「ごめん。本当に、最低なことをしたと思う」 「いえ、別に。ただ、もっと早く報告して欲しかったけど」 「……怒らないんだ、沙羅」 「それより、どうしてシロネが設定を破れたのかを解明するほうが重要だから」 「舜は、心当たりある?」 「ある。だけどそれは、沙羅には言えない」 「言えないって、どういうこと?」 沙羅の口調が、厳しいものに変わっていく。 「僕とシロネだけの秘密だ」 「……その、隠そうとする意図が分からないんだけど」 「沙羅には分からないよ」 「……そう」 少し煽ったつもりだったけど、見事に躱{かわ}されてしまう。 「私のこと、試しているつもりかもしれないけど……」 「それで、何かが変わるとでも?」 「どういうこと……」 「話してもらっても隠されても、私に舜を責める権利なんてない」 「言ったでしょ。どんな選択しても、私はそれを受け入れるって」 「その、今回の実験が、失敗だったとしても?」 「失敗……?」 沙羅は訝{いぶか}しげな表情で、僕のほうを覗き込んでくる。 「どうしてそう言い切れるの?」 「本来の目的でシロネを扱っていないから」 「それは、シロネ自身も気にしてたよ」 「問題ないわ」 沙羅は僕の言葉をあっさり振り払い、余裕の笑みを浮かべる。 「おそらくだけど、妹という設定を超越してしまったのは、何らかのバグだと思う」 「だから、そのバグを修正しさえすれば、シロネも不安定な状態から解放されるはず」 「修正して、直らなかったら?」 「設定を一から書き直していけば、直らないなんてことにはならない」 「シロネの感情だって、設定や記憶データから発生したものに過ぎない」 『舜が喜ぶことをする』という命令の一貫でしかないの」 「そんなはずは……」 シロネのほうから告白してきたという事実があるだけに、沙羅の言葉には同意し難い。 「私は、より人間に近いアンドロイドを作るために、“自我”についてを研究していたの」 「簡単に言えば、人工知能を搭載したロボットに、心を持たせようとしていた、ということかな」 「心を持たせることで、シロネは極限まで人間に近づいた。たとえそこに、三原則による縛りがあったとしてもね」 「ただ、芽生えたばかりの心は、カオスでもある」 「それで、シロネは混乱している。そうでしょ?」 「……」 今のシロネがいつもと違うことは、全く否定出来ない。 「妹を演じるべきアンドロイドが、恋人になろうとして、それで混乱しているの」 「恋愛をするということは、心が不安定な状況に陥るとも言えるのかもね」 「……ふふふ。私の言うこと、理解出来た?」 沙羅は相変わらず、今の状況にそぐわない笑みを浮かべている。 それは沙羅というより、1人の研究者としての狂気を感じた。 「それを、修正するのか……?」 「シロネのためにもね」 「検査だけでもしておきたいから、シロネをここへ連れて来て欲しいの」 「そんな……」 「これは、舜のためでもあるの。不安定な状態のアンドロイドは、危険な存在でもある」 「シロネがどんな行動を取るか保障出来ない状況では、実験も継続出来ないわ」 修正されたら、せっかく芽生えたシロネの淡い恋心は取り払われてしまうことだろう。 そんなことは、シロネは望んでいない。 「シロネが恋をする気持ち、沙羅に分かるはずない!」 「データとか、記憶とか……そういう、目に見えるものが全てじゃないんだよ」 「……なら、舜は分かるの?」 「私の気持ち」 「沙羅は全部、実験としか思ってない」 「違うわ」 沙羅は悲しそうに呟く。 「でも、そういうことでいい。むしろ、そうだと思ってもらっていたほうが、都合が良いかもしれない」 「どういう意味……?」 「舜は、知らなくていいこと」 「私の気持ちがどこにあるのかまで、考えなくていいの」 「……」 「ごめん」 「いえ」 声を荒げ取り乱してしまったことに、ひとまず詫びておく。 「少しだけ考えたい」 「……」 「明日、シロネを連れて来るから」 「……分かった」 「それじゃあ、準備だけ進めておく」 僕の気持ちは届かず、沙羅は去ってしまった。 僕は考えを巡らせるのに精一杯で、しばらくその場に留まっていた。 もしかしたら僕は、とんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない。 だけどその割には、今は冷静に物事を捉えている気がする。 いや、絶望から、なにもかも頭に入ってこなくて、まっさらな気持ちになっているだけなのか。 もしかすると僕は、夢の中に居るのかもしれない。 そうやって都合よく生きたい。 それでも―― シロネを手放したくはない。 これだけは、それだけは譲れない。 好きな人の記憶を奪うなんて、そんな残酷なこと、出来る訳がない。 「なにか……なにか、打開策があるはずだ」 沙羅の言う通りにしなくても、どうにか解決出来る方法が――。 どこをどう歩いて、たどり着いたのかは分からない。 でも、気がつくと家の前にいて、日はとっぷりと暮れてしまっていた。 リビングに足を踏み入れると、僕を待ちかねていたかのように、シロネが駆け寄ってきた。 「お兄ちゃん!」 「沙羅ちゃんから明日、研究所に戻るようにって……」 「そう。シロネもそう聞かされたんだね……」 シロネにどんな言葉を掛けていいのか、分からない。 このまま、2人で逃亡してしまおうか? いや、そんなことは出来ない。 シロネに何かあっても、僕1人では何も出来ないじゃないか……。 「沙羅ちゃんが、わたしのバグを修正するって……」 「これってやっぱり、壊れてしまっているってことでしょうか――」 「それは違うっ!」 僕は思わず、声を荒げてしまっていた。 びくりとするシロネに、僕はなんとか平静を努める。 「壊れてなんかない」 「沙羅は、何か勘違いをしているんだよ」 なんてウソだ。 僕自身、どうしていいのか分からず、支離滅裂なことを口走っている。 「お兄ちゃん……ごめんなさい」 ……なんて声を掛けたらいいんだ。 無力な自分が、ただただ腹立たしかった。 「わたし、間違ってたんですね……」 シロネが儚く微笑む。 「お兄ちゃんのせいじゃないです。止められなかったんです。この気持ちを……」 「ほっこりしたこの温かな気持ちがなんなのかって」 「これが恋なんじゃないかって、嬉しかったんです」 「……アンドロイドだから、愛しちゃいけないのか?」 溢れ出る言葉を止められなかった。 「アンドロイドは、人を愛せないっていうのか?」 「シロネが僕を嫌いになったって言うなら、受け入れられるよ」 「そうでないなら――」 「……」 シロネは何も答えてはくれない。 「シロネは妹としてじゃなく、僕を好きって言ってくれたじゃないか」 それは、設定なんかじゃないと信じたい。 トリノの奇跡だと信じたい――。 「分からない……」 「分からないんです……」 「この感情が、本当にわたしの心から生まれたものなのか」 「そもそも、アンドロイドに心なんてものがあるのか」 「心ってなんなのか、分からなくなって……」 シロネは苦しそうに、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。 「お兄ちゃんを愛することが、お兄ちゃんを苦しめてしまって」 「愛って、こんなに苦しいものなの……?」 「わたしの思っていたものと違うんです。わたしの思い描いていたものと違うんです」 「愛はもっとこう、素敵なものだと思っていたから……」 「分からないんです……わたし……」 「分からない……っ」 その時、シロネの首が光り始めた。 「……っ」 「いや……」 「いやっ!」 「シロネっ!」 シロネは叫び、家を飛び出して行ってしまった。 僕もすぐさま後を追い掛ける。 雨が視界を歪ませる。 嫌な予感は、ずっと前からしていた。 それなのに僕は、シロネに何もしてやれなかった。 「会いに行かなくちゃ」 「早く――」 あてはない、確証もない。 でも、もしも彼女が本当に僕から離れようとしているのなら、行き先はあそこしかない。 数年前、白音を飲み込んだ、あの海に。 濡れた砂に足を取られつつ、夜の砂浜を歩く。 灯りのない海は真っ暗で、波の音が痛いくらい耳に響く。 あの日以来、意識的に避けてきた、夜の浜辺。 嫌な思い出が蘇り、頭がガンガンする。 でも、立ち止まるわけにはいかない。 あの日を、手放してしまった幸せを、繰り返させやしない。 「……来て、しまったんですね」 シロネは足を止め、ゆっくりと振り返った。 感情的になっていた先ほどとは違い、今は憑き物が落ちたように落ち着いている。 「わたし、小さい頃に一度、海で溺れて死にました」 「だから、本当は海が嫌い」 「……」 「昼間の海は好きなんです。夜の海は、好きじゃない……」 「夜の海で死んだという記憶は、白音さんの記憶。夜の海が嫌いなのは、わたしの感情」 「でも、わたしの感情って、なんでしょうか」 「シロネは、シロネだよ。妹の白音とは違う」 「違う、というのは分かります。お兄ちゃんは、わたしを恋人にしてくれましたし」 「わたしは妹という役割を捨てて、“シロネ”として、あなたの恋人として、今ここに居る」 「でも……」 シロネの顔は憂いを帯びて、目を伏せる。 「どこかで分かっていたんです」 「わたしは、みんなを不幸にしている」 「お母さんを苦しめた」 「お兄ちゃんを苦しめた」 「沙羅ちゃんを失望させた」 「なんのために、わたしは生まれてきたの……?」 「僕は……最初はシロネを妹だと思っていた。あの時の気持ちに嘘偽りはないよ」 「でもシロネは僕にとって、特別な女の子になっていったんだ」 「シロネには、妹の記憶がある。でも、妹じゃない」 「だから、恋人として愛することが出来ると思った」 「……」 「命ってなんなのか、僕には分からない」 「心ってなんなのか、僕には難し過ぎる」 「だけど、こうして気持ちを通わせ合えるのなら、それは結ばれているってことなんじゃないかな」 「好きになるのに、理由はいらない。気持ちを重ねたあの時、はっきりと分かったんだ」 「それで、お兄ちゃんが不幸になってもですか……?」 「お兄ちゃんが、みんなから嫌われてもですか……?」 ああ、世界を敵に回したって、僕は……。 「ううん。お兄ちゃんは、間違ってる」 「わたしは、人間じゃないから」 「その気持ちは将来、わたしみたいなアンドロイドじゃなくて、好きになる人に捧げて欲しい」 まるで、シロネの気持ちに呼応するかのように、雨が激しくなる。 「何を言ってるんだよ……」 「シロネと結ばれて、僕は幸せだった。シロネはそうじゃなかったのか?」 シロネの頬を流れるのが雨粒なのか、涙なのかは分からない。 「心が、こんなに痛いものだったなんて……」 「自由が、こんなにも怖いものだったなんて」 「わたしは、ただ命令に従っていれば良かった。妹のままでいれば良かった」 「頭がぐちゃぐちゃで、分からないんです」 「これが本当に、わたしが思っていることなのかも」 「なんで、こんな気持ちになるんだろう」 「なんで、こんな後ろ向きな思考しか出来ないの?」 それは、突然手に入れた人の心に、慄{おのの}いているようだった。 「帰ろう」 僕は手を差し出す。 「沙羅に見てもらうんだ。どんなに非難されたって、構わない。やっぱり沙羅に……」 シロネは首を横に振り、拒否を示す。 「わたしには、分かるんです。トリノは、不完全な形で発動してしまった」 「沙羅ちゃんのところに行けば、わたしはまた、お兄ちゃんの妹に戻れるかもしれない。でも、きっとまた最初からになってしまう」 「お兄ちゃんと出会ってからの、これまでの記憶は、きっと消されてしまう」 「この胸の愛は、消えてしまう……」 「また、やり直せばいい。何度でも、やり直せばいい」 沙羅がまた、僕にシロネを預けてくれる保証はない。 それでも、今のシロネに掛けられる言葉はこれしかなかった。 「違うんです」 「今のこの気持ちを、消したくないんです」 「この心を消されたら、たぶんそれは、わたしじゃなくなっちゃうんです」 「そんなことない!」 「今のわたしは居なくなって、それは別のわたしなんです」 「そんなの、嫌なんですっ……」 雨が激しくなってきたせいで、僕たちはお互いに声を張り上げてしまう。 「それに、わたし怖いんです。この心は、ただの設定に過ぎないんじゃないかって」 「朝が来る度、わたしはわたし自身で居られてるのかなって」 「この気持ちは、本当にわたしのものなのって……」 「どんどん、どんどん、自分が分からなくなる……!」 沙羅の“バグを修正する”という言葉が、引き金となったんだろう。 もちろん、沙羅のせいなんかでは決してない。 シロネの気持ちに気づいてやれなかった、何もかもが僕の責任だ。 「今朝、お兄ちゃんは、沙羅ちゃんとわたしが何を話したのか、問いただしませんでした」 『良かった』と言っていました」 「その時わたしは、もっと聞いて欲しかったし、もっとお兄ちゃんに守って欲しかった」 「……」 「でも、どうしてこんな感情を抱くのか、分からない……」 「たったこれだけのこと、本当の気持ちを分かってもらえなかったことが、どうしてこんなに辛いの……!」 「シロネ……!」 「どうして!」 「人の気持ちは、目には見えないんだ!」 「言葉にするまで、それが何なのかさえ、誰にも分からないんだよ」 風が強く吹き荒れる中、思いの丈を叫び散らす。 「お兄ちゃんっ……」 「わたしには、分かりませんでした……人間が、生きる、意味……」 「何で、辛くても生きていくの?」 「どうして、人を誰かを好きになるの……?」 「わたしはもう、人の心に、耐えられない……!」 シロネの言葉に、ぎゅっと心臓が押し潰されてしまいそうだった。 たったひとつの戸惑いで、人は道を誤ったりはしない。 しかし、アンドロイドのシロネは、軌道修正の方法も分からない時、人が想像しない選択肢を取る。 「だから――こうするしかないんです」 彼女の世界には、1か0しかない。 「お兄ちゃんを、好きなままでいたい」 「お兄ちゃんには、幸せで居て欲しいからっ」 シロネは背中を向ける。 声を掛けるには、遅過ぎた。 「シロネっ!」 「お兄ちゃん……ごめんね」 「シロネ、駄目だ! 海には入っちゃいけないんだ……!」 シロネは荒れ狂う海へと入っていく。 自壊を選ぼうとしているのだと悟る。 「どうして……」 どこで間違えた? 僕が、シロネを愛したからか? シロネを愛しちゃいけなかったのか? 誰かを好きになるのに、本当に理由なんてあるのか? それが許されない恋だとしても、障壁なんてあるのか? 「生きていても、わたしは……」 「周りを不幸にしてしまうの……!」 波を掻き分け、僕の足は動いていた。 シロネはどんどんと海の中へと入っていく。 「自分なんて、自我なんて芽生える必要なかったんです!」 「だからっ!」 「人間とアンドロイドは、恋に落ちては、いけなかったんです……」 「ごめんなさい……っ」 海水は、僕の行く手を阻もうとする。 足が重い。 それでも僕は、シロネを追い掛ける。 「わたしは失敗したの! 妹としても! 彼女としても!」 「役割を果たさないアンドロイドは、存在する意味がないんです!」 「シロネ!」 「来ないで! お兄ちゃんまで死んでしまう!」 「今度こそ僕は、大切な人を、自分の手で守りたいんだ!」 「僕はどうしようもないバカで、欲張りだ!」 「でも、だから! 僕は! シロネを絶対に諦めない!!」 雨が打ち付ける。 シロネの背中は、どんどんと遠ざかっていく。 人間と、アンドロイドの違い――。 その身体能力の違いを、僕はまざまざと見せ付けられていた。 そして僕は今この時に、抗う力がないことを嘆いた。 だけど、歩みを止めるわけにはいかない。 必死に手を伸ばし続ける。 彼女の身体に触れるために。 心に触れるために。 「そんなことっ――」 シロネが振り向いた時、大きな波が僕の視界を覆った。 「お兄ちゃん!」 何も見えなくなって、身体が鉛のように重くなっていくのを感じた。 「わたしは、人間じゃなくて、アンドロイドだから……傷つかない……死なない……」 「それでも――」 無我夢中でもがいて、シロネを探した。 もう死んでしまうのかもしれないけど、シロネには死んで欲しくない。 たとえ、アンドロイドに死という感覚が無かったとしても。 彼女をこれ以上、1人にしたくない。 「お兄ちゃん……っ」 闇の中で、何かを掴んだ感覚があった。 「シロネ……」 息がもう続かない。 水面の向こうの雷光が、遠くに感じられる。 唸るような音が、遅れて聞こえてくる。 その様子は、まるであの日の花火みたいで。 白音もこんな気持ちで、死んでいったのだとしたら。 僕はきっと、幸せな終わり方をしていると思う。 シロネだけは、助かって欲しい……。 「わたしは……」 「あなたを……」 わたしは結局、アンドロイドなんだ。 わたしという存在は、三原則という枠組みの中でしか存在し得ない。 この心は、人の心とは違う。 機械の心。 この感情も、トリノが作り出したものでしかないんだ……。 彼の手を握ったまま、わたしは。 空を見上げて、そっと静かに目を閉じた。 暑い夏の日。 幼いと言うには僅かに抵抗を覚える歳の頃、七{な}波{なみ}舜{しゅん}は、妹を亡くした。 夜、花火大会の最中、弱視だった七波白{しろ}音{ね}は、一人、海の闇に包まれて、短い生涯を閉じた。 海辺でバーベキュー、夏休みの縁日、花火大会――そういった、夏の楽しい思い出の全てに、白音は居たはずだった。 あったはずの幸せ。それさえも全て、海の波に奪われてしまったような気がして、 それからの舜は、海を遠ざけるように、後悔の日々を過ごしていた。 いつしか、白音不在の日々が、白音が居た時間よりも長くなって、そして迎えた何度目かの夏。 いつものように待ち合わせ、幼なじみの宮{みや}風{かぜ}夕{ゆう}梨{り}と登校する。 話題に上がったのは、アンドロイドのことと、もう一人の幼なじみ、紬{つむ}木{ぎ}沙{さ}羅{ら}のことだった。 舜たちの住む島、花{か}神{がみ}島は、アンドロイドの技術が飛躍的に伸び、実地実験が行われている、研究都市である。 その中心的存在である“RRC”=ロボット工学研究センターは、島を象徴するものとなっていた。 そこで研究者として従事する沙羅は、舜が特別な思いを抱く少女であり、舜とはかけ離れた場所で数々の偉業を成し遂げる、天才でもあった。 その彼女が突然、同じクラスに復学してくることから、運命の歯車は再び動き出す。 ある日、校舎を歩いていた舜の耳に入ったのは、聞き覚えのあるメロディー。 その音を頼りにして辿り着いた部屋で、少女がピアノを弾いていた。 少しだけ白音が成長したような。生きていればそうなっていたであろう姿で。 “亡くなったはずの白音が、どうしてここに居るんだろう? 何故?” そんな疑問は晴れないまま、次の日を迎えることになった。 「あなたの幸せのために、シロネを作ったの。もう一度、あの日々を始めるために」 そう言って、沙羅は舜にシロネを紹介する。 自宅近くで舜が再会したのは、白音の記憶データを元に作られた、アンドロイドの“七波シロネ”だった。 シロネは“トリノ”と呼ばれる、最新鋭の人工知能を搭載したアンドロイドで、見た目や動きは、人間そのもの。 その、制作された意味は、舜の幸せのためであると同時に、舜の父、七波悟{さとる}が為し得なかったトリノの完成、そして、彼女が愛したアンドロイドの復活のためでもあった。 多数の期待が込められたトリノ、シロネが、優しく舜に微笑み掛ける。 「これから、よろしくお願いします。お兄ちゃん」 シロネとの共同生活を開始する舜と、その母、七波馨{かおる}。 初め、舜は抵抗があったものの、“弱視だった白音ちゃんが見れなかった世界を見せたい”という馨の“夢”を聞き、徐々にシロネと打ち解けていく。 シロネも、舜と一緒に過ごすうちに、“死にたくなんてなかった”“お兄ちゃんやお母さんに出会えた、今が幸せ”と、白音の本音のようなものを漏らしていく。 だが、舜はやはり、シロネを白音として扱うことは出来なかった。 が、違う存在として彼女を受け入れていく。 そんな中、母親の馨は、白音と同じ行動を取ったり、白音との思い出を穢すようなシロネの行動に堪え切れず、家を飛び出して行ってしまう。 その後、過呼吸で病院に搬送された馨は、精神的な負荷が掛かり過ぎたということで、しばらく入院して、シロネから離れることになる。 実験を中断すれば、シロネはRRCに戻ることになり、今まで一緒に過ごした記憶は消されてしまうかもしれない。 そのような可能性を知った舜は、シロネを手放すことが出来ず、実験の継続を沙羅に願い出る。 沙羅は新しい住居を用意し、舜とシロネの2人だけの生活が始まる。 実家で過ごしていた頃には知り得なかった、お互いのさまざまな面を見ることによって、シロネは舜を異性として意識するようになっていく。 それに気づいた舜は、シロネとどう接していくべきか、悩んでいた。 シロネ自身も、今やもう白音としてではなく、シロネとしての自我を持ち、振る舞っている。 シロネの自慰を目にし、シロネから突然キスをされ――舜は、シロネからの強い気持ちを拒否せず、告白を受け入れる。 それは白音だからではなく、既にシロネを一人の女の子として見ていたからだった。 2人で温もりを分け合った夜。 学校を抜け出し、手を繋いでデートをした1日。 愛おしい時間を過ごす中でシロネは、本来為すべき自分の役割である、“妹として振る舞うこと”が出来ず、舜と恋愛していることに疑問を感じ始める。 最上位命令である、“舜を幸せにすること”のため、今は恋人として振る舞っているはずだが、母である馨を苦しめ、創造者である沙羅の期待には応えられなかった。 そのような中で、自分が存在し続けることの意味――シロネは、白音ではないシロネとして、生きる意味を見出すことが出来なかった。 人間とは違い、アンドロイドにとって自由に生きることの定義は難しく、目的や役割がはっきりしている状況でないと、答えが出せなくなってしまうからだ。 「人はどうして、辛くても生きていくの?」 「どうして、人を誰かを好きになるの?」 「わたしはもう、人の心に、堪えられない……!」 そう言ってシロネは、あの日の白音のように、海の中での自壊を望んで、荒れた海に飛び込んだ。 悲劇を繰り返してはいけない。そう思った舜は、シロネを助けるべく、海の中へ入っていく。 しかし、大波に飲まれ、そのまま、酸素の無い暗闇で意識を失う。 その中で耳に届いた、雷の音。 花火の日、海で亡くなった白音も、こんな気持ちだったとしたら。 自分は、きっと幸せな終わり方をしていると思う。 そうして、舜の意識は遠い世界へ旅立っていく――。 海に打ち上がったのは、意識の無い舜の抜け殻と、そして、稼動し続けているシロネ。 「わたしは結局、アンドロイドなんだ」 アンドロイドに死はない。 それを体現するかのように、シロネは舜を助けた後も、浜辺で雨に打たれていた。 「この心は、人の心とは違う。機械の心」 舜との日々を思い出しながら、シロネは、 空を見上げ、そっと目を閉じた。 妹は死んだ。 その確かな記憶と共に現れた、白音にそっくりなアンドロイド、トリノ。 シロネと舜の恋物語はここで途切れた。 だが、その終わりは、新たな始まりを呼び起こしていく……。 白い。 最初に感じたのは、それだった。 白い光、白い天井。 そして、次に見えたのは肌色、黒と、複雑な色の組み合わせ。 それらが、次第に輪郭をもって、色合いも、はっきりしてきて……。 「……」 「あれ……」 「七波くん……?」 「はあ……」 視界の端に見えた女の子に名前を呼ばれた気がするけど、はっきりしない。 「ここは病院。分かる?」 「病院……?」 「話すのは大丈夫みたいだね。先週のことは覚えてる?」 「先週」 「……すいません、何のことですか?」 「ああ、そうか」 女の子――と思ったが、白衣を着ているし、病院の先生なんだろう。 しかし、ここがどこの病院なのか、そもそもなぜここに居るのか、はっきりと思い出せない。 「頭を強く打っているから、一時的に記憶を思い出せなくなっているんじゃないかと思う」 「無理に思い出そうとすると、パニックを起こすことがあるのよ。だから、しばらくは安静にすること」 「はい」 ちょうど今言われたばかりのことが、頭の中に留まらない。 耳から入って、どこかへ消え失せてしまった。 「その様子だと、しばらく面会も避けたほうがいいかもしれない……」 「ちょっと待っててね」 「あっ、先生の名前は緒方百南美。百南美先生って呼ばれてるよ」 百南美先生は親切にもメモを残してから、病室を去っていった。 「七波……舜」 メモに書かれた文字列を見て、すぐに自分の名前であると気づいた。 根拠は何もないけど、違うとは思えないから、そうなんだろう。 病室、病院……街……大きな海、空、学校……。 どんな言葉を思い浮かべても、記憶がバラバラで結びつかない。 どうしてここに居るのかは思い出せないものの、“記憶を失っているのではないか”という疑念は漠然と存在する。 家はどこだろう? 家族はどこだろう? 父さんの悟{さとる}と母さんの馨、それに白音……白音は多分、妹だ。 知らない場所に居るより、一刻も早く家族に会いたい。 ここを出て―― 「うっ……!」 起き上がろうとしたところで、激痛が全身を走る。 身体中の筋肉に電流が走るような、そんな感覚。 しばらくはここに居るしかないみたいだ。 「……!?」 自分の手を見て愕然とする。 今、僕は何歳なんだ? 明らかに大人の手だ。 何か時を確認出来るものはないかと視線を彷徨わせると、目に止まった点滴の表記には、僕が認識しているより10年も未来の日時が書かれていた。 記憶喪失というより、タイムスリップした気分だった。 壁伝いに歩くことで、なんとか動き回ることが出来た。 わずかにぼんやりとするけど、それでもちゃんと意識はあるし、人との会話も問題ない。 これが夢なんだとしたら、相当良く出来たものだと思う。 「舜……?」 「ん……」 「……!」 「ああ、母さんだ」 「舜……」 そこに立っていたのは、母さんだった。 「私のこと……分かるのね」 「うん、少しだけ……自信はなかったけど」 「うん……そうよね……。私、あなたにひどいことをしてしまったから」 「ひどいこと?」 「ごめんなさい……」 「何があったの?」 「実は、少し前のことが、何もかも思い出せないんだ」 「百南美先生から、聞いているわ」 「父さんや白音は?」 「……」 「白音ちゃんは……」 母さんは言いづらそうに、目を逸らす。 「……あとで、ゆっくり話すわ」 「私の口から言って良いことか、分からないから」 「……分かった」 「もう1人、来ているんだけど……通してもいい?」 「ああ」 そう言って母さんは、病室のドアのほうへ歩いていく。 しばらくして、ゆっくりとドアが開かれ、誰{・}か{・}が近づいてくる。 「舜……っ」 感極まった声で、女の子が僕を見つめている。 白音ではないと、直感した。 「舜……」 「ねえ、覚えてる……?」 「……」 真剣そうな態度から、すごく親しい人なんだろうけど、さっぱり見当がつかない……。 「覚えて、ない……?」 「舜……」 目の前の女の子は、とても落ち込んだ様子で、僕のほうを見つめている。 どんな言葉を掛けるべきか、すぐには思いつかない。 「いいんだ。すぐに思い出せなくても」 「しばらくしたら回復することもあるって、百南美先生も言ってたから」 「だから――っ」 「ごめん。きっと、前{・}の{・}僕{・}に、よくしてくれてた人なんだと思うけど……」 「今{・}の{・}僕{・}にとっては、他人なんだ」 「……っ」 「だから、今の僕に、君の名前を教えてくれない……かな」 「……」 「夕梨。宮風夕梨」 「夕梨って呼ばれてた。白音ちゃんと同い年で、舜とも幼なじみだったよ」 「夕梨。分かった」 僕は、百南美先生が残したメモに、もう1人名前を書き加えた。 「それで、白音は……?」 「白音ちゃんのことは、また後でね」 「一応聞くけど、先週のこと、本当に覚えてないんだよね?」 「先週……何かあったのかな」 「うん、分かった。無理に思い出そうとするのは、良くないって言われてるから……あたしからは、ここまで」 「また、来るね……毎日来てたけど」 「あ、ありがとう」 「じゃあね」 そう言い残して、夕梨という女の子は、さっと病室から飛び出していった。 母さんも彼女も、白音の話題に触れても、話したがらない。 もしかして、白音と僕が、事故に遭ったんだろうか……? 「それで……」 「ここまでのことは、大丈夫?」 「え、ええと……」 記憶を失くしている影響からか、話された言葉が頭に入ってこない。 「じゃあ、もう一度説明するね」 「七波くんはエピソード記憶……要するに、七波くん個人としての記憶を失っているの」 「平たく言えば、思い出ね。それが全て失われている」 「思い出……」 「でも、それ以外の記憶。たとえば、自分の名前、家族の名前。一般常識、手足の動かし方――」 「そういった、日常を送る上で必要最低限の記憶は、残されているみたい」 「そうですか……」 「ほら、今みたいに病室の中を歩き回れるでしょ? 多分、退院は早いと思うんだ」 「記憶は、全部戻るんでしょうか?」 「それが問題で……」 「確実なことは言えませんが、治った症例が多いことも事実です」 「まずは、記憶を失う直前の生活に戻って、その上で本人が思い出せれば、それが一番でしょう」 「はい……」 「こういうのは、焦ってどうにかなる問題ではありません。ゆっくりと、時間を掛けるしか……」 「ということは、舜と私は、別の家での生活を続けたほうがいいんでしょうか?」 「私としては、いろいろと心配なので、同居したいのですが」 どうやら僕は、母さんとは別れて暮らしていたらしい。 どうしてそうなったのかは、相変わらず何も思い出せない。 「本来なら、それが一番良いです」 「ですが、戻った記憶と今の記憶に大きな断絶があると、記憶が錯綜する可能性があります」 「じゃあ……元の生活を、続けたほうがいいですね」 「こちらとしても、不測の事態への備えは、整えておきますので」 「……分かりました。それが、舜のためになるのでしたら」 「ありがとうございます」 渋々という感じで、母さんは首を縦に振る。 「七波くんも、それでいいかな?」 「と言っても、まだ分からないことだらけだと思うけど……」 「はい」 「じゃあ、記憶のことはまた明日。今日はもう、頭を休めたほうがいい」 「はい……」 これからどうなるのか、自分は何者なのか。 言い知れぬ不安が、押し寄せてくる。 「……舜」 「無理しないでね」 母さんは控えめにそう言った。 結局今日は、父さんや白音に会うことはなかった。 だから余計に、2人が何か関係しているんじゃないかと、気になって眠れなかった。 あの夜、いったい何が起きたのか、映像で見ておくことにした。 本当は、シロネや舜の生活を覗き見しているみたいで、嫌だったんだけど……。 シロネがどうして、荒れた海に飛び込んでしまったのか。 そもそも、舜が先に飛び込んだのか。 観察者として、見て、知っておく必要があると思ったから。 「わたしには、分かりませんでした……人間が、生きる、意味……」 「何で、辛くても生きていくの?」 「どうして、人を、誰かを好きになるの……?」 「わたしはもう、人の心に、耐えられない……!」 「……」 見たことのないシロネが、そこに居た。 情報として、シロネが三原則に触れそうになったのは既に分かっている。 でも、こんなにも生々しい言葉で、自身を否定し、人間を拒否するアンドロイドは……見たことがない。 解析を続ければ、シロネが暴走した理由は分かる。 だけど……。 その結果だけを見て、全てを判断してはいけない気がした。 普段なら、実験はここで終了しなければならない。 それに伴って、シロネをリセットし、起動出来なくさせるのが定石。 でも、シロネの記憶には、データ以上の何かが残ってる。 シロネの心……? 魂……? そういう目には見えない、理に適わないものは、信じない質{たち}だけど……。 「どうして……」 私の心には、疑問が残ったまま。 その感覚が、なんだかもどかしくて、落ち着いて座って居られない。 「シロネが私の命令を破れたのは、分かったけど……」 “舜を幸せにすること”という最上位命令のために、“妹であること”という設定を破るのは、理解出来る。 「だからといって、人の心を得るわけじゃない」 「人の心って、なんなの……」 「……電話?」 「はい。もしもし」 『やっほー沙羅ちゃん。七波くん、目を覚ましたよ』 「……はい」 『意外と反応薄いのね……まあ、それが沙羅ちゃんか』 「病状は」 『命に別状はないけど、ちょっと、問題があってね』 『でも、守秘義務に触れるから、電話では言えないのよ』 「実験中の事故や事件であれば、責任者の私には開示して良いと、同意書にサインを頂いてます」 『なるほど。それは今日、馨さんに見せてもらった書類の中にあるかな……っと、あったあった』 『そう、単刀直入に言うとね、七波くん、記憶障害が起きているみたいで……』 『お母さんのことは思い出せたけど、夕梨ちゃんのことはさっぱり忘れてたりね……』 「……」 『だから、もしかしたら、沙羅ちゃんのことも覚えてないかもしれない』 「そうですか……」 『……大丈夫?』 「……はい」 『そちらの研究所で、どんな実験を行っているのかは、先生は知らないけど……』 『記憶は、完全には戻らないかもしれない。戻るにしても、どれくらいの時間が掛かるかは分からないの』 『先生としては、記憶を取り戻させるために、七波くんの生活環境をあまり変えないほうが良いとは思う』 『でも、どうするかは、七波くんや沙羅ちゃんの判断に任せるしかない』 「はい」 『先生が助けられるのは、治療に関してだけ……かな。今回の場合は』 『七波くんのことは残念だけど、そちらの実験にまで、口は突っ込めないからね……』 『それから、詳しくは、病院に来て貰って話すってことでもいい?』 「構いません」 『じゃあ、待ってるね。沙羅ちゃんも無理しないで』 「はい、ありがとうございます」 「……」 本当に無事で良かった。 舜が死んでしまっていたら、私の未来は閉ざされてしまっただろうから。 口さがないけど、簡単に死なせたりはしない。 「良かった」 なんだかほっとしている。 実験の対象という以前に、舜が数少ない大切な幼なじみでもあるからだと思う。 でも、それと同時に、胸が苦しくなる。 舜を辛い目に遭わせてしまった。私が作ったアンドロイドのせいで。 アンドロイドは、人を幸せに導く存在。そうでなければ、いけないのに……。 「……手を休めている暇はない。今は早く、シロネを修理しないと」 彼女を蘇らせることが、私の最低限の責務。 舜はシロネを守ろうとした。その意志は、無駄には出来ない。 それが贖罪になるのかは、分からないけど。 それに、私のことも……。 忘れてしまっているのかもしれない……。 「その……夕梨」 「来るのは構わないけど、せめてアポイント取ってくれない? 電話くらい欲しかったわ」 「そっ……」 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」 「幼なじみが大変な目に遭ってるのに、見舞いにも来ないってどういうことよ!」 「……ごめんなさい」 「あたしに謝られても困るよ……」 夕梨を困らせる気はなかったけど、そう言うしかなかった。 「私は私で、やらなきゃいけないことが山積みなの」 「病状については百南美先生から聞いてる。記憶喪失になってるんでしょう?」 「うん……」 「それで、夕梨のことも忘れてしまってるから、そんなに焦っているの?」 「うう……そうだよ。そうだけど」 「……」 「その、沙羅がやらなきゃいけないことって、シロネのこと?」 「どうしてそう思うの?」 「だって、舜と同じタイミングで姿を見せなくなるなんて、タイミング良過ぎでしょ」 「2人一緒の時に何かあったんだって、みんな思ってるよ」 「むしろ、シロネが舜を傷つけたんじゃないかって噂まで……」 「そう……」 情報統制を徹底しても、人の想像力までは制御出来ない。 それが真実であってもなくても、人は信じたいことを信じてしまう。 ああ、人間って、なんて不条理な生き物なんだろう。 「教えてよ、沙羅。シロネと舜に、何があったの?」 「あたし、シロネが悪いことをしたなんて思いたくないよ」 「詳しいことは、言えないけど……」 「シロネと舜が歩いている時に、交通事故に遭ったの」 「かばったシロネは損傷、舜もその衝撃で、記憶喪失。そういう、誰も救われない出来事が起きてしまったのよ」 「そう、だったんだ……」 スラスラと、言葉が出てくる。まるで、これが真実かのように。 シロネの行動によるものだとは公言出来ないから、部外者には一貫して、こう伝えている。 「ごめん……あたし、全然知らなくて」 「ねえ、沙羅。お願い、シロネのこと、ちゃんと直してあげて」 「……シロネのこと、怒ってないの?」 「怒るわけないよ! むしろ、お礼を言いたいくらいだし」 「舜を守ってくれて、ありがとうって」 「そう……」 アンドロイドなのに人間を守れないなんて、使えない機械だ。そう言われるのは、覚悟してた。 でも、そんな心配は、夕梨には要らなかった。 「それじゃ、あたしは舜のお見舞いに行ってくるから」 「頑張ってね、沙羅」 「うん」 「失礼しまーす」 ノック音のあと、一度見た記憶のある女の子が部屋に入ってきた。 「やっほ、舜。元気してる?」 「はい、おかげさまで。ええっと……夕梨ちゃんだよね?」 「あはは、夕梨でいいよ。あたし達、幼なじみだし。それと、敬語もいらないから」 「分かった。夕梨」 「うんうん、それでよしっ」 「にひひっ」 彼女の、笑みというよりはニヤけ顔。 この顔をどこかで見た記憶はあるような……駄目だ、思い出せない。 「百南美先生に聞いたんだけど、本当に記憶喪失になっちゃったんだね」 「家族とかの記憶以外、何も思い出せないんでしょ? それって、結構辛いよね……」 「あたしのことも忘れてるなんて……嘘みたい」 以前が分からないから、現状と比較して考えることは出来ない。 でも、泣きそうな夕梨の表情を見ていると、記憶がある人にとっても十分辛い状況なんだとは思う。 「……あはは、ダメだね。あたし。舜を元気づけようと思って来てるのに」 「これから大変だと思うけど、あたしに出来ることがあれば、なんでも言ってね?」 「ありがとう」 「あたしたち、幼なじみだったんだから。幼なじみは、助け合うものだよ」 パァッと明るい太陽のような笑みに、思わず心が暖かくなる。 自分は彼女の記憶が無いのに、それでも親しい人として接してくれる優しさが、心地良い。 「これからも、出来る限り毎日お見舞いに来るようにするから」 「あたし、舜とはずっと一緒に居たんだ。だから、いろいろお喋りしてれば、何か思い出すかもしれない」 「うん……ありがとう」 「夕梨って、優しくていい子なんだね」 「は、はぁ? なに言ってんの。そんなわけないしっ!」 「遅刻と早退の常習犯、立派な不良だよ!」 「ち、遅刻に早退……? もしかして、僕のところに毎日来てたのって、サボり?」 「そ、それとこれとはちがっ……!」 「ごめん。夕梨がどんな子なのか、思い出せなくてさ……」 「良かったら、もっと教えて欲しい。夕梨のこと、知りたいんだ」 「知りたいって……」 「僕と夕梨、どんな関係だったの?」 「仲の良い幼なじみっていうのは分かったけど、他には接点ない?」 「他っていうのは、えっと……その」 「ああ、分かった。そういうことね!」 「なんのことか分からないけど」 「こ、こういうことは、ここで言うべきじゃないと思ってたんだけど……」 夕梨が指をモジモジとさせながら、言い淀む。 その仕草がさっきまでの様子と一変して、夕梨が女性であることを強く意識させる。 「……あ、あのね。一度しか言わないから、ちゃんと聞いてて」 「うん?」 「あたしと舜はね……」 「舜と、あたしは――」 「ガラガラガラー!」 「ひゃぅっ!?」 「七波くん、回診の時間だよー」 「も、も、も……もなちゃん!?」 「夕梨ちゃん、学校はどうしたの?」 「今日はちょっと早退で……」 「えっ? やっぱりサボりなんじゃ……」 「ちょっと、気分が悪かったの」 「それが本当なら、ちくっと一本、注射してあげるよ」 「要らない要らない! もう良くなったからいいの!」 「そう?」 「それで……続き、まだ話す?」 「へっ……?」 「何か話し込んでたんじゃないの?」 ニヤニヤとした笑みと声の百南美先生。 対する夕梨は、目を見開いたまま、微動だにせず固まっている。 「先生は何も見てないよ? 10分後くらいにまた来るから、よろしくー」 「ど、どういう意味、それっ!」 「ん? 言葉にしないと分からない?」 「お互い若いんだし……勢いだけで、がーっとヤッちゃえ、がーっと」 「なっ、ななっ!」 夕梨は顔が紅くなるどころか、じっとりと変な汗まで滲ませている。 でも、僕だってどう反応したら良いか分からない。 「もう帰ります!! さよなら!!」 「また、明日っ!」 夕梨はぱたんと丁寧にドアを閉め、本当に帰ってしまったようだった。 「あはは。ちょっとからかい過ぎちゃったかな」 さすがにバツが悪いのか、百南美先生もポリポリと頬をかく。 「七波くんもゴメンね。せっかくのチャンスだったのに」 「じゃあ、悪いけど、問診を進めるね」 「……はい、お願いします」 夕梨の様子からいって、僕と過去に何かあったんだろう。 夕梨が何を言おうとしていたのか気になるけど、何を聞いても、きっと僕は思い出せない。 それが申し訳なくて、百南美先生に話を振ることも出来なかった。 やることが無さ過ぎて、落ち着かない。 もういっそ、退院の日まで寝て過ごそうかとも思ったけど―― 「失礼します」 「……どうぞ?」 ドアの向こうから、女の子が入ってきた。 知らない人ではなかった。 「……って、どうして起きてるの?」 「心配して、急いで来たのに……」 「……」 「あ……そうだ。今は記憶喪失なんだった」 「ということは、まずは自己紹介からすればいい?」 「いや、いい」 「僕は、君のことを知ってる」 「えっ……?」 「沙羅……」 「……どういうこと」 「記憶、もう戻ってるの?」 「いや、他の人は、まだ思い出せない」 「沙羅は、僕と白音と、ずっと付き合いのある幼なじみ……だよね」 「……」 「なんでだろう。君を見たら、無性にそう呼びたくなった」 「他の人相手だと、こんなことはなかったのに」 感覚的には、思い出したというより、思い浮かんだと表現するほうが近い。 「……そう」 「うん、合ってる。私の名前は、紬木沙羅」 「私は思い出せたのに、夕梨は思い出せないというのは……ちょっと」 「確かに、夕梨より私のほうが、舜との付き合いは長いけど……」 「夕梨のことは本当に……申し訳ない」 「でも、幼なじみ以上の情報はないの? 私が、あなたのお父さんの研究を引き継いだことも、忘れてる?」 「研究? 沙羅は僕と同い年だよね?」 「うん。学校に復学したのは最近のことで、今まではRRCに居て、舜ともずっと会ってなかった」 「そうなんだ……なんか、大変そうだね」 「大変……うん、まあ」 「とりあえず――今日は舜に聴いて貰いたいものがあって、持ってきたの」 「聴いて貰いたいもの?」 そう言って沙羅は、サイドテーブルの上に何かの機材を置いた。 続いて、レコードの盤をセットしたから、それがレコードプレイヤーだと分かった。 「何か、思い出の曲でも……」 「うん」 沙羅がそっと針を落とすと、レトロな雰囲気の音楽が流れ始める。 「……」 静かに耳を澄まし、音に意識を集中させる。 心に染み渡るように、音楽が優しく流れ込む。 だけど、何一つ思い出すようなことは無かった。 「ごめん、沙羅……僕、何も思い出さないや……」 「……沙羅?」 部屋の中に、沙羅は居なかった。 僕に気を遣って、席を外してくれたのかもしれない。 最後まで聴けば、何か思い出せるのか。 まだぐるぐると回り続けるレコード盤を眺めながら、しばらく曲を聴いてみることにした。 「なんで、何も思い出せないんだろう……」 不甲斐なさ過ぎて、虚しくなってくる。 今度は目を瞑って、この世界のことは忘れて、音だけに集中して―― 「……お兄ちゃん」 「ん……」 「……お兄ちゃんっ」 「白音?」 「お兄ちゃん……」 瞼を開くと、目の前に銀髪の女の子が立っていた。 「白音……? 君は、白音……?」 「……」 間違いは無いはずだけど、成長している姿だからか、ピンとはこない。 それに、彼女も複雑な表情をしている。 「人違いしていたらごめん……」 「お兄ちゃん」 暗闇の中で聞こえた声と同じ、優しい白音の声だった。 「わたしが誰だか、思い出してませんね……」 「本当のこと、話してもいいですか?」 「……沙羅ちゃん」 「うん」 ドアを開ける音がして、再び沙羅が現れる。 「沙羅、この子は白音じゃないのか……?」 「白音だけど、シロネ」 「あなたの妹の白音は、もう居ないの。亡くなったから」 「えっ……」 「まさか、僕が記憶を失った時に、白音も何かあって――」 「それは違う。白音が亡くなったのは、もう何年も前のこと」 沙羅はきっぱりとそう告げる。 「そんな……どうして……」 「どうしてそんな大事なことを、僕は忘れているんだよ……」 「自分を責めないで下さい。お兄ちゃん」 「お兄ちゃんは、悪くありません……」 「……君って、まさか……ロボット?」 「ロボット……だと思いましたか?」 「ああ、ごめん……そんなわけないよね」 沙羅が父さんの研究を引き継いだとか言うから、そんなことがあるのかもしれないと思ってしまった。 「わたしは“トリノ”です」 「トリノ……?」 「シロネ、説明は後でいいから、話を進めてくれる?」 「……わたしは、お兄ちゃんのために作られた、アンドロイドのシロネです」 「え……」 いきなり予想が的中してしまう。 だけど、その見た目はまるで人間にしか見えない。 「幼い頃に白音さんが亡くなって、お兄ちゃんはとても悲しんでいました」 「だから、そんなお兄ちゃんを励ますべく、沙羅ちゃんは私を作ったんです」 「へ、へえ……」 「それで……お兄ちゃんが記憶を失う前は、わたしと2人で暮らしてたんですよ」 「2人で……?」 「はい。訳あって、お母さんとは離れて暮らしていました」 いったい、前の僕には何があったんだろう。 「白音さんは花火大会の日、波にさらわれて、亡くなりました」 「彼女は目が見えなくて、泳ぎも出来なかった」 「お兄ちゃんもお母さんもお父さんも、助けてあげられなかったことを、とても悔やんでいました……」 「覚えてない……」 まるで作り話か、他人事のようにしか受け取れない。 「それじゃ、事故当日のことも望み薄ね」 「これから私が話すことは、他言無用でお願いしたいの」 「どうして?」 「理由は言えないけど、シロネを作ったのは、舜への哀れみの気持ちだけじゃない」 「シロネには、白音の記憶データが入っていて……他には存在しない、唯一のアンドロイドなの」 「大規模なプロジェクトで、研究所が大きく関わってることでね」 「……そういうことか」 つまり、僕の事故は、実験中の不慮の事故で、研究所としては、公にしたくないということなんだろう。 沙羅の話し口調から、すぐにそう察した。 「シロネをここへ連れて来たのは、そういうこと――」 沙羅は目を閉じて、ゆっくりと語り始める。 「あの日、2人は荒れた夜の海に出掛けて――」 「2人とも高波にさらわれた」 「シロネは舜を引っ張って岸まで泳ぎ着いたけど、溺れたことが原因で、舜の記憶は失われた……」 「……これが、事故の全て」 「全てって……これだけ?」 「そうよ」 この話だけ聞くと、単に海で溺れただけって感じだけど。 “アンドロイドが人を助けられなかった”ということを、秘匿したいのかもしれない。 ……しかし、白音と同じように海で溺れている点は、偶然とは思えない……。 「ここまで、大丈夫?」 「……大丈夫」 腑に落ちないことはあるけど、きっと、なにか大事なことがあったんだろう。 「……」 「シロネも落ち込み過ぎないように」 「はっ、はい……」 「元からあなたは、人命救助用には作ってないの。だから、舜を助けたのは、奇跡的なことなのよ」 「でも……」 シロネちゃんは悔しそうに唇を噛む。 事故の状況は全く思い出せないけど、その仕草だけで、彼女が必死に助けようとしてくれたのは分かる。 「ともかく――」 「過ぎたことを悔いても仕方ないし、今後は、舜の記憶を取り戻すことに全力を注ぎましょう」 「はいっ」 「それで、話の続きなんだけど……」 「出来れば、シロネとの同居を再開して、彼女をもう一度、妹として扱って欲しいの」 「これは、百南美先生からのお願いでもあって……記憶を取り戻すのに、一番良い方法だと聞いてる」 「同じ行動をすることで、記憶が蘇るかもしれないってことか」 「シロネ――アンドロイドと一緒に居たくないというのなら、それは尊重するしか無いんだけど」 「それは……」 シロネちゃんが絡んだ事故らしいとはいえ、僕には記憶が無いから、拒否したいという感情も無い。 「シロネ……ちゃん? は、どうしたい?」 「わたしは……」 「お兄ちゃんと一緒に居たいです」 「分かった。じゃあ、そうしよう」 「本当にいいのね? 舜」 「僕も、取り戻せるなら、記憶を取り戻したいし」 「それが、沙羅や、シロネちゃんのためになるんだったら」 「ありがとうございます……」 シロネちゃんはそっと手を胸に置き、安堵の表情を見せる。 「じゃあ、決まり。私は準備を進めるわ」 「それと、シロネの呼び方だけど……シロネちゃんじゃなくて、シロネ、と呼んでいたのよ」 「ああ……そうなんだ」 「シロネ。よろしくね」 「はい。お兄ちゃん」 今日は来客が多かったな。 退屈しないから良いけど、一気にいろんなことを聞かされて、なんだか疲れてしまった。 そういえば、この病院は屋上や中庭はあるんだろうか。 「そっちは屋上だよ」 「わっ!?」 「飛び降りるつもりじゃないよね? 悩みなら先生が聞いてあげるよ」 ぱっと前を向いたら、視界の下から、百南美先生が現れた。 「そんなことしませんよ」 「そう? なんだか、悩みに満ちた表情をしていたからさ」 「悩み……」 “悩み”というよりは、“気になって心に引っ掛かっている”という感じだ。 「記憶を無くす前の僕って、どんな人間だったのかなって」 「うん?」 「自分で言うのもなんですが、随分、色んな女の子に囲まれてたみたいで……」 「しかも、その1人はアンドロイドらしいし……」 「気になるの?」 「はい」 「うーん……」 百南美先生は、珍しく考え込んで見せる。 「記憶がない七波くんは、ピンと来ないかもしれないけど……」 「先生から見たら、優しくて、意外と正義感のある若者って印象だったかな」 「意外と……なんですか」 「そう。意外とね」 念押しされるほどの意外性が何なのか、少し気になる。 「でも、沙羅ちゃん達とどういう関係だったかまでは、分からないなあ」 「本人達に聞いてみても、それぞれズレがあると思う」 「どう思うか、どう思ってたか、なんていうのは、千差万別、十人十色でしょ?」 「確かに、そうですね」 「そう考えると、自分を定義するのって、難しいよね……」 「医学的には、心臓死を死の判定基準にしているけど、人間の死は連続的なもので、区切りっていうのは、明確には無いし」 「七波くんは、記憶を失っても七波くんなのかと問われたら……どうなんだろう」 「僕の場合は……家族とか、覚えている記憶もあるので」 「ああ、ごめんね! 七波くんのことを死人呼ばわりしたみたいになってしまって」 「気を悪くしないで」 「大丈夫です」 「そう? 記憶はないかもしれないけど、きみはいろんな人と関わって生きてきたんだ」 「だからこうして、毎日誰かがお見舞いに来てくれる。前の七波くんと今の七波くんは、連続してるんだよ」 「先生は、そう思いたいな」 ニコッと、百南美先生は子どものような笑みを零す。 この見た目で含蓄のあることを言うのは、ズルいと思う。 「なんか、もの凄く失礼なことを考えてない?」 「いや、そんなことない」 「先生にタメ口なの?」 「あ……すいませんでした」 「……やれやれ。やっぱりきみは七波舜くん、間違いないね」 「そろそろ病室に戻って、あと少し、退屈の苦しみを味わっていなさい」 「喜んで」 身体は回復しているし、もうしばらくしたら、学校にも復帰しなければならないだろう。 病院生活が苦しいかはともかく、大変なのはこれからだ。 「……それじゃあ、気をつけて帰って来てね」 「あ、先生も一緒のほうがいい?」 「大丈夫です。何かあったら、連絡します」 「よろしくね。一応、七波くんの行動はGPSで確認しておくよ」 「え? こわ……」 「なんていうのは冗談よ。下校の時間になったら、お友達にも会えるかもね」 「会っても分からないんですけどね」 「記憶喪失ジョークか……なかなか冴えてるね、七波くん」 今日は一時外出の許可が出て、島を歩き回ることになった。 今の僕には、病院以外の世界と初めて触れることになる。 「そういえば、私服の七波くんは久しぶりに見るなあ」 「……と、引き止めるのも良くないね。行ってらっしゃーい」 期待と不安が入り交じったまま、僕はシロネが用意してくれた服に着替えて、病室を後にした。 百南美先生から貰った島の案内図を広げて、いろいろな場所を巡った。 ちょっと疲れたけど、良い運動になったと思う。 外出ミッションに“商店街での買い物”があったから、飲み物でも買って飲もう。 「あれ? 七波くんだ?」 「えっ?」 「七波くんだよね? もう身体は平気なの?」 「えっと……ああ!」 「んっ?」 「すみません……。誰ですか?」 制服ということは、僕と同じ学校の人だろうけど、名前までは思い出せなかった。 「あっ……やっぱり。噂は本当だったんだ」 「それじゃあまずは、自己紹介から……かな?」 目の前の女の子は、取り乱すことなく、僕に合わせて応じてくれる。 「私は日比野綾花。七波くんとは幼なじみで、今も同じクラスだよ」 「……って、この島にずっと住んでるわけだから、ほとんどが幼なじみみたいなものだけど……」 「他の人には会ってる?」 「夕梨と、沙羅と、シロネには会いました」 「そっか。宮風さんなんかは、いつも一緒に居たように見えたけど、思い出せない?」 「そうですね……」 「ああ、そうだ。今までは敬語で話してないですよね? 聞き慣れないと思うので、普通に話そうかと」 「ああ、うん……。そのほうが、私も話しやすいかも」 「同い年ってことは、綾花、とか呼んでたのかな」 「う、うん……! そんな感じだったよ、たぶん……!」 「初対面でいきなり慣れ慣れしくてごめん……」 「大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから……」 綾花は恥ずかしそうにはにかんだ。 「私はね、七波くんと同じ、RRCの居住棟に住んでいるんだけど、七波くんは、引っ越しちゃったんだ」 「シロネと2人暮らし……ですよね?」 「そうそう。多分、実験が絡んでのことだと思う」 「なるほど」 居住棟に住んでいるということは、彼女も何かしらRRCに関係している人なんだろう。 「他は……本当に、いちクラスメイトってだけで……ただ」 「たまに、七波くんの相談に乗ったりしてたかな。シロネちゃんの扱いに、戸惑ってたみたいで」 「いろいろ、お世話になっていたんだね」 「私なんか全然。役に立ってたか怪しいくらいで」 「でも、これから学校に復帰するなら、大変なことも多いだろうし」 「何でも頼ってね」 「ありがとう」 夕梨とも違う、ほっこりとする笑顔。 のんびり、マイペース。そんな言葉が、よく似合いそうだ。 「あ、そうだ。気が早いけど、退院祝いに……」 「これあげるね」 「これは……アイスキャンディー?」 「……ゴリゴリ君、秋ナス味」 真紫のパッケージに不穏な単語が踊る。なんだか、猛烈に嫌な予感がする。 「うん。私のイチ推しアイス」 「なぜベストを尽くしたんだ! っていうくらい、リアルなショウガと醤油の風味がすごいんだよぉ!」 「どう考えても罰ゲームにしか思えない……」 「えー、美味しいのに」 「あ、うん……ありがとう」 彼女の親切心を無駄にしたくはなかったので、ありがたく頂戴することにした。 「じゃあ、私もう帰るね」 「バイバイ、七波くん。次は学校でね」 「また今度」 ちょうど喉が乾いていたところだったから、アイスはありがたい、が……。 「溶けちゃうし……食べるしかないよね……」 僕はナスがデカデカとプリントされた袋を持ちつつ、覚悟を決めた。 味には悶絶したけど、予想を裏切らないことに、ちょっと安堵していた。 お世辞にも美味しいとは言えないアイスを頬張りながら、学校の前まで辿り着いた。 気分はあまり良くないけど、周りの親切心には感謝したいと思う―― 「チェェストォォォォ!!」 「――!?」 「観念しなサーイ!!」 奇声をあげながら腕を振り上げている金髪の女の子が、目の前に現れる。 「学校帰りに買い食い……制服は!? どうしたのデスか!?」 「……? おや……」 「シュン? どうしてこんなところに居るのデス?」 どうやらこの人も、僕の知り合いみたいだ。 「お久しぶりです。えっと……」 「今、記憶を失っていて。あなたが誰だか分からないんです」 「オウ、スミマセン。失念していマシタ」 妙なクセのある日本語で、しかも、絡みづらいハイテンション。 どうやって知り合いになったのか、興味があるけど、知りたくはない。 「記憶喪失の話は、ミスナナミから聞いていマス」 「それはそれは、とてもサッドな出来事デシタね」 ミスナナミ……シロネをそう呼んでいるのだろうか。 「ハウエバー、なせばなる、ケ・セラ・セラ、人間万事馬耳東風デース!」 人間万事塞翁が馬のこと……? 「馬しか合ってない……」 「いつか必ず、この経験がプラスになるでショウ。そうなるように、ワタシもお手伝いしマス!」 「ありがとうございます。その……」 「なんデスか?」 きっと、彼女なりに励ましてくれてるんだろうけど、僕にとっては見ず知らずの人で、どう返していいか困ってしまう。 「おっと、ウッカリスッカリしてマシタ」 「ワタシの名前はハナコです。ハナコセンパイ、と呼んでくだサイ」 「ハナコ先輩……」 「イエス! SENPAI! 素晴らしい響きデス。なんと官能的なんでショウ……!」 「センパイは、コウハイを助けなくてはいけまセン。シュンも、なにか困ったことがあれば、すぐに言ってくだサイ」 「必ず、シュンの助けになりマス。センパイとコウハイの絆は絶対デス!」 「あ、ありがとうございます」 ハーフか海外の人かと思ったけど、名前は案外和風だったので、驚く。 とにかく、面白い人だと思った。 「それでは、ワタシは校内の見回りに戻りマス」 「また学校で会える日を楽しみにしていマスよ、シュン」 「よろしくお願いします」 「グッドラック♪」 ハナコ先輩は、校門をくぐって校舎のほうへ歩み去っていく。 「いい人だったな」 先輩にあたる人に会うのは初めてだったから、いろんな意味で新鮮だった。 「ヘイ! そこの喫煙ボーイ! 今すぐお縄を頂戴するデース!!」 「待ちなサイ! 抵抗は止めて、今すぐ武器を下ろしなサーイ!」 「一体、僕はどんな学校に通ってたんだろう……」 これが日常の風景だったのか、分からないけど。 とにかく、周囲にいろんな人が居て、心強かった。 「いよいよだね〜。どうだった、七波くん。入院生活の感想は」 「そうですね……」 百南美先生に釣られて、僕も感慨深げに病室を見渡す。 数度の外出を重ね、そして検査を経て、ようやく退院が決まった。 記憶が戻らないことを除けば、体調はむしろ万全過ぎるくらいだ。 「至れり尽くせりでしたけど、ちょっと退屈でした」 「はは。これに懲りたら、もう入院するような無茶はしないようにね?」 「それと、脳に関しては、ほんの些細なことでも、重篤な事態に陥ることがある」 「だから、決められた日には必ずここに来て、検査を受けること。いいね?」 「はい。忘れないようにします」 これが、早期退院するにあたって、百南美先生と約束したこと。 この約束をちゃんと守らないと、病院に逆戻りさせられる……らしい。 「シロネちゃんも、七波くんのこと頼んだよ?」 「お任せ下さい。お兄ちゃんのことを、しっかり支えます!」 「うむうむ。仲良きことは美しきかな」 「それじゃ、2人とも。病院の玄関まで送るよ」 「七波くん、退院おめでとう」 百南美先生に付き添われて、僕らは病室を後にする。 お世話になりましたという気持ちを込めて、誰も居なくなったその部屋に、軽く頭を下げた。 「ここが……」 「そうです。ここが、お兄ちゃんとわたしのお家ですよ」 初めて見る、自分の家。 今日からここで暮らすなんて、全然実感が湧かない。 「……何か、思い出しましたか?」 「いや……」 「そうですか……。なかなか、上手くいかないものですね」 「でもでも、心配は無用ですよ。わたしがしっかりとサポートしますから」 「分からないことがあれば、何でも聞いてくださいね」 「ありがとう」 「当然のことですよ。だってわたしは、お兄ちゃんの妹ですから♪」 ふふん、と得意げにシロネは胸を張る。 記憶は失ってしまったけど、こうやってまた、いちから思い出を積み直せる。 そのことを証明出来る安心感が、今は心地良い。 「では、お家のことをいろいろと教えますね」 「お兄ちゃんが使ってた食器、お風呂に入る順番」 「お兄ちゃんから教えて貰ったいろいろなことを、今度はわたしが教える番です♪」 シロネは楽しそうに、声を弾ませる。 僕の役に立てるのが、本当に嬉しいみたいだ。 「はーい。こっちがお兄ちゃんのお部屋でーす」 案内されたのは、僕の自室らしき場所。 シロネが前もって片付けてくれたのか、綺麗に整頓されている。 「あっ! ひとつ、言い忘れてました」 「お帰りなさい、お兄ちゃん」 「うん……?」 「……えへへ。ずっと言いたかったんです」 「お兄ちゃんが退院したら、絶対に言おうって、心に決めていました」 「うん。嬉しいよ」 シロネへの接し方はまだ慣れなくて、少し緊張してしまう。 「大丈夫ですか……?」 些細な感情の変化も見逃さず、シロネは僕の顔色を覗う。 「わたし……お兄ちゃんをひどい目に遭わせてしまいました。もう拒絶されても仕方ないって、思ってました……」 「でも、また受け入れて貰えて、本当に……幸せ者です」 「僕だって、シロネのおかげでだいぶ助かってる。だから、拒否なんてしない」 「まだ、少し……どう接したらいいのか、分からないけど……」 「記憶……思い出したら……」 「ん?」 「辛い記憶を思い出すのは、良いことなのか、分かりません」 「でも、わたしはお兄ちゃんのために、出来ることをしたいと思っています」 「お兄ちゃんに、迷惑を掛けたくはありません!」 「ありがとう、シロネ」 記憶が無くても、シロネが僕に注いでくれる温かい気持ちは、しっかりと伝わった。 きっとこれから、うまくやっていけるだろう。 「そうだ、僕もひとつ言い忘れてたことがあったよ」 「はい……?」 「ただいま、シロネ」 「……っ!」 「はい。お帰りなさい、お兄ちゃん♪」 やっと、少しずつだけど、日常が戻ってきた。 そう、実感出来た。 母さんとの電話を終えて、リビングでくつろいでいる。 「あれ? 誰だろう」 来客を知らせる玄関のチャイムが鳴った。 「わたし、出ますね〜!」 シロネが玄関へと応対に出て、なにやらやりとりをする音が聞こえた後、夕梨がリビングに姿を現した。 「やっほ、舜。退院おめでと」 「お祝いに、手料理をごちそうしてあげる」 「随分いきなりだね」 「あ、わたしには連絡を貰ってました」 「そうそう。材料は全部持ってきたから。道具とかお皿だけ貸してね」 そう言って夕梨は、キャスター付きクーラーボックスをリビングまで運んでくる。 「この中、全部食材?」 「うん。せっかくの退院祝いだし。島料理のフルコース、味わって欲しいじゃん」 「それは嬉しいけど……」 至れり尽くせりで、少し申し訳ない気持ちになる。 「買い出しに行こうと思った時に、夕梨ちゃんから連絡があって……」 「だから、今日は夕食の準備をしていないんです」 「イェイ、ナイスタイミング」 「それじゃ、ちょっと台所借りるよ」 「ああっ、夕梨ちゃんはお客さんなんですから、ゆっくりしててください」 「夕食も、わたしが準備しますから」 「ダメダメ。シロネも病み上がりなんだから、たまにはゆっくり休んでなきゃ」 「ほらほら、2人で大人しく待ってて。いい?」 「えっと……」 シロネの瞳が揺れ、僕をジッと見つめる。 声に出すなら、どうしましょうかお兄ちゃん、といったところか。 「いいんじゃない? 夕梨に任せよう」 「お兄ちゃんがそう言うなら……」 「じゃあ、よろしくお願いします」 「うん、任せて。コンドミニアムの看板娘の料理、堪能してってよ」 夕梨は気合いをひとつ入れると、そのままキッチンへ向かう。 もちろん、存在感たっぷりのクーラーボックスと一緒に。 「夕梨って、いつも元気だね」 「はい。お兄ちゃんと居ると、普段に増して、そう見えます」 「そうなんだ。それはなんというか、嬉しいな」 「ただ……」 「ただ?」 「夕梨ちゃん、特別料理が上手いわけではなかったような……」 「……」 「まあ、うん」 「わたしは、食事機能がありませんので」 「あ、そうなんだ……」 夕梨の居ない空間に、微妙な空気が流れる。 「あれ〜。シロネ、ボールってどこに仕舞ってある〜?」 「あ、それは、戸棚の中に……」 「ちょっと待っててください〜」 「仲良いなあ……」 料理の腕のほうは少し心配だけど、楽しい会になりそうだ。 「……寝るか」 時間を持て余してうだうだしているくらいなら、そのほうが良いだろう。 きっと、あと数日したら、復学して忙しくなるんだし。 僕はそのまま居間から抜け出して、自室のベッドにダイブした。 「散歩に行くか」 外出許可を貰って歩き回った時は、何も思い出せなかった。 今日は少し、海のほうにも行ってみよう。 「よしっ」 そうと決まれば、早速準備だ。 僕は一度自室に戻り、外出用の服に着替えた。 「……迷った……」 この島はそんなに大きくはない。 だから、適当に歩いていても、いつか知っている道に出る。 そう思っていた時も、僕にはあった。 「ま、こういう時は、慌てず騒がず……」 目の前に広がるのは、見知らぬ景色。 目印になりそうな建物もない。 スマホの地図を起動する。 GPS機能を使えば、これ以上迷うことはない。 現在地はここで、家の場所は―― 「まだ自分の家の住所、覚えてなかった……」 完全にやらかした。これじゃあ地図が使えない。 そうこうしている間にも、夏の太陽がジリジリと体力を奪う。 幸いにして現在地は分かるので、この情報を添付して、誰かに教えて貰えればいいかな。 「夕梨に助けてもらおう」 自然とその名前が思い浮かんだ。 きっと、文句を言いつつも助けてくれるだろう。 僕はメールにSOSを書き、位置情報を貼って、夕梨に送信した。 「……もう返ってきた。早いな」 すぐに開封すると、期待以上の助けが返って来た。 「今からって……学校は大丈夫なのか?」 平日の真っ昼間。夕梨もシロネと同じく、授業の真っ最中のはずだ。 もしかして、ちょうど昼休みだったとか? 「だめだ、暑くて考えがまとまらない」 僕はのぼせそうな頭を振り、木陰へと避難した。 夕梨から貰った、爽やかなパッケージの缶ジュースのプルタブを引いて、一気に飲み干す。 熱気を帯びていた身体が、一気に冷やされていくのを感じる。 「はぁ……生き返った……」 「この島の暑さを舐めちゃダメだよ。飲み物は必須アイテム」 「だね。肝に銘じておくよ」 あの後すぐに夕梨が迎えに来てくれて、商店街までやって来ることが出来た。 「んじゃ、ついでだし、家まで送るよ」 「夕梨、学校は?」 「ああ。早退したよ。だから大丈夫」 こともなげに、あっさりとサボリ宣言する夕梨。 「何も大丈夫じゃない気がする……」 「へーきへーき。あたし、病弱キャラで通してるから」 「それ、自分で言うことかなあ」 でも、そのサボりのおかげで助かったのも事実だ。 だから、あまり強くたしなめることも出来ない。 「ま、そんなわけで、あたしは何も問題無し!」 「だから舜も、気にしなくてOK。分かった?」 「うん、分かったよ」 実際、問題ありまくりだと思うけど。 でも、これはきっと好意でやってくれていることだから、今はありがたく受け入れよう。 「それにしても、こんな狭い島の中でよく迷えるね」 「やっぱり、しばらくはあたしが面倒見てあげる」 あまり夕梨に頼り切りなのも悪いとは思う。 記憶が回復して本調子に戻ったら、その時はきっちり恩返ししよう。 「夕梨はやっぱり、優しいね」 「夕梨のことを忘れちゃった僕に、ここまでしてくれてさ……」 「えっ!? ばかっ! そんなんじゃないって!」 「なんか、そういう言い方されると、あたしが点数稼ぎしてるみたいじゃん」 「そうかな」 「前の舜は、そういうこと全然言わなかったんだよ?」 「マジかよ。前の僕、どれだけ失礼だったんだ」 「いや別に、あたしが好きでやってることだから、いいんだけど……」 「でも、そう言って貰えるのも、嫌じゃないかも……」 そう言うなり夕梨は、指先をモジモジとさせる。 いつもはちょっと強引なくらいなのに、急にしおらしい態度を取られると、僕も妙にドキドキしてしまう。 「ああもうっ! 暑いよ! 全部夏が悪い! さっさと帰ろ!」 「あ、ちょっと待ってよ!」 そう言った割には足取りを確かめるように、ゆっくりと歩いていく。 夕梨ももしかしたら、歩き疲れているのかもしれない。 「ふー、あっついあっつい。クーラーつけるよ」 「あと、飲み物も……お茶持ってくね〜」 「あ、どうも……」 「ん? なんかまずかった?」 「いや、随分手際がいいなと思って」 実は、一緒に暮らしていたのは、シロネではなく夕梨だった。 そう言われても、うっかり信じてしまいそうなくらい、彼女は馴染んでいる。 「はい、お待たせ」 「どうしたの? 人の顔を、じっと見て」 「いや……」 「もしかして、夕梨と僕って、この家に一緒に住んでた?」 「は……?」 「はぁぁぁぁぁ!? な、なに言ってんの!」 「いや、すごく振る舞いが自然で。慣れてるっていうか」 「夕梨がここに居ることが、日常に思えたんだ」 「な、なんでそんな、恥ずかしいこと、さらっと言えるのよ……」 「こっちまで、変に意識しちゃうじゃん!」 「ごめん……」 夕梨はそっぽを向いて、耳まで真っ赤に染める。 この表情を目にするのは本日二度目だけど、それでもやっぱり、ドキドキする。 クーラーが効き始めているはずなのに、妙に顔が熱い。 「……あ、あのさ、舜。あたし、黙ってたことがあって……」 「大事なこと、だから。ちゃんと聞いて欲しいんだ」 「お、おう……」 夕梨の真剣な声に、思わず居住まいを正す。 なんだ、何を言われるんだろう。 もしかして、あの時、病室で伝えられなかったこと……? 「あ、あのさ、舜……。あたし達……」 「あたしと舜って、実は――」 「ただいまです〜」 「ひうぅっ!?」 「あれ、お客さんが来ているんですか?」 「ご、ごめん舜! 用事思い出したから、また今度!」 「えっ!? ちょっと!」 「ごめんっ、また今度!」 「夕梨ちゃん……?」 夕梨は小走りで部屋を飛び出して行った。 病室での出来事が頭をよぎる。 「あの、お兄ちゃん。夕梨ちゃん帰っちゃいましたけど……」 「何かあったんですか?」 「用事を思い出したとか、なんとか……」 「体調が悪いって言ってたから、病院かな……」 「あっ、今日はわたし、早退してきました」 「午後の授業、自習になったので……先生にお願いしたら、帰してもらえました」 「そうだったんだ」 「お昼ごはん、食べてないですよね?」 「準備、しますね」 「ありがとう」 体調が悪いのがもし本当なら、迎えに来て貰ったのは、実は良くなかったのかもしれない。 冗談めかして夕梨はサボりと言っていたが、実はそうじゃなかったのか。 夕梨が少し、心配だった。 「……」 安穏とした、平日のお昼。 つけっぱなしになっていたテレビを消して、ひとつ大きく伸びをする。 身体は健康そのものなのに、学校との調整に時間が掛かっているらしく、今日も一日家で過ごす羽目になった。 「昼食には……まだ少し早いか」 そもそも、一日中家に居るせいで、大してお腹も空いてない。 シロネが居れば、退屈も紛れるんだろうけど。 当の本人が学校から帰って来るまでには、まだ時間が掛かる。 さて、どうしようか。 暗い海で溺れ意識を失ってから、しばらくして、舜は意識を取り戻す。 しかし、目の前に見えた景色は、見覚えのない場所と、知らない人々ばかり。 事故のショックで、舜は記憶喪失になってしまっていた。 家族以外でただ一人覚えていた沙羅から、事故に遭ったことや、幼少期に妹を亡くしていることなどを聞く。 そして、最近まで、妹に似たアンドロイド、シロネと暮らしていたことも。 アンドロイドの実地実験中の不慮の事故だということで、部外者に他言無用を言い渡された舜は、日常生活に戻るべく、島の中を巡る。 そこで、かつて接点のあった友人達に遭遇するが、結局何も思い出すことは無かった。 シロネの記憶データから、どうしてシロネが海に飛び込んでしまったのかを調べている沙羅。 シロネが三原則に触れそうになったことは分かったが、シロネが人の心を得たのは、理解出来ない部分が多かった。 命は助かったものの、その舜の記憶のほとんどは、失われてしまった。 実験は継続すべきなのか、シロネの記憶を消さずに留めておくべきなのか。沙羅は一人葛藤していた。 記憶を思い出すには、元の生活を過ごすほうがいいということで、退院後舜は、シロネと共に新居での暮らしを再開する。 過去の記憶が無い舜は、シロネと同居することや、知り合いの居ない学校に通うことに抵抗を感じつつも、 ゆっくりと、日常を取り戻してゆく……。 暑い夏の日。 幼いと言うには僅かに抵抗を覚える歳の頃、七{な}波{なみ}舜{しゅん}は、妹を亡くした。 夜、花火大会の最中、弱視だった七波白{しろ}音{ね}は、一人、海の闇に包まれて、短い生涯を閉じた。 海辺でバーベキュー、夏休みの縁日、花火大会――そういった、夏の楽しい思い出の全てに、白音は居たはずだった。 あったはずの幸せ。それさえも全て、海の波に奪われてしまったような気がして、 それからの舜は、海を遠ざけるように、後悔の日々を過ごしていた。 いつしか、白音不在の日々が、白音が居た時間よりも長くなって、そして迎えた何度目かの夏。 いつものように待ち合わせ、幼なじみの宮{みや}風{かぜ}夕{ゆう}梨{り}と登校する。 話題に上がったのは、アンドロイドのことと、もう一人の幼なじみ、紬{つむ}木{ぎ}沙{さ}羅{ら}のことだった。 舜たちの住む島、花神島はアンドロイドの技術が飛躍的に伸び、実地実験が行われている、研究都市である。 その中心的存在である“RRC”=ロボット工学研究センターは、島を象徴するものとなっていた。 そこで研究者として従事する沙羅は、舜が特別な思いを抱く少女であり、舜とはかけ離れた場所で数々の偉業を成し遂げる、天才でもあった。 その彼女が突然、同じクラスに復学してくることから、運命の歯車は再び動き出す。 ある日、校舎を歩いていた舜の耳に入ったのは、聞き覚えのあるメロディー。 その音を頼りにして辿り着いた部屋で、少女がピアノを弾いていた。 少しだけ白音が成長したような。生きていればそうなっていたであろう姿で。 “亡くなったはずの白音が、どうしてここに居るんだろう? 何故?” そんな疑問は晴れないまま、次の日を迎えることになった。 「あなたの幸せのために、シロネを作ったの。もう一度、あの日々を始めるために」 そう言って、沙羅は舜にシロネを紹介する。 自宅近くで舜が再会したのは、白音の記憶データを元に作られた、アンドロイドの“七波シロネ”だった。 シロネは“トリノ”と呼ばれる、最新鋭の人工知能を搭載したアンドロイドで、見た目や動きは、人間そのもの。 その、制作された意味は、舜の幸せのためであると同時に、舜の父、七波悟{さとる}が為し得なかったトリノの完成、そして、彼女が愛したアンドロイドの復活のためでもあった。 多数の期待が込められたトリノ、シロネが、優しく舜に微笑み掛ける。 「これから、よろしくお願いします。お兄ちゃん」 シロネとの共同生活を開始する舜と、その母、七波馨{かおる}。 初め、舜は抵抗があったものの、“弱視だった白音ちゃんが見れなかった世界を見せたい”という馨の“夢”を聞き、徐々にシロネと打ち解けていく。 シロネも、舜と一緒に過ごすうちに、“死にたくなんてなかった”“お兄ちゃんやお母さんに出会えた、今が幸せ”と、白音の本音のようなものを漏らしていく。 だが、舜はやはり、シロネを白音として扱うことは出来なかった。 が、違う存在として彼女を受け入れていく。 本来、実験用のアンドロイドは、実験期間が終了した際に、RRCに返却しなければならない。 シロネも同じように、いつか手放さなければいけないのか? 自分の中でシロネの存在が大きくなっていた舜は、沙羅に不安をぶつける。 “舜の意思で手放される時、シロネの中にある記憶データは初期化される。” “リセットされたシロネは、当然、舜も沙羅も覚えておらず、見かけだけがシロネの、ただのアンドロイドになる。” 記憶が共有されないということは、同時に関係性も失ってしまうということに等しい。 沙羅の言葉を聞いて、改めてシロネに向き合おうと決意する舜。 そんな中、母親の馨は、白音と同じ行動を取ったり、白音との思い出を穢すようなシロネの行動に堪え切れず、家を飛び出して行ってしまう。 その後、過呼吸で病院に搬送された馨は、精神的な負荷が掛かり過ぎたということで、しばらく入院して、シロネから離れることになる。 シロネと向き合うと決めてから起きてしまった悲劇。 その現実を前にして、舜は新たな選択を迫られることになる……。 沙羅が当たり前のように教室に居るのにも、慣れてきた。 沙羅が当たり前のように教室に居るのにも、慣れてきた。 沙羅が当たり前のように教室に居るのにも、慣れてきた。 沙羅が当たり前のように教室に居るのにも、慣れてきた。