「妖精の夜を知っていますか?」 「それは年に一度の奇跡の夜」 「冬の寒空に妖精さんが魔法をかける、年に一度の不思議な夜」 「妖精の夜を知っていますか?」 「それは年に一度の奇跡の夜」 「年にたった一度だけ」 「ステキな魔法に包まれた夜」 「わあああ……」 「ふわあ……」 「……」 「……」 「ダイヤモンドダストですね」 「『妖精の夜』だね」 「『妖精の夜』おめでとうオリちゃん」 「おめでとうございます、めるさん」 「……今日は、おめでとうでいいのでしょうか?新年とか誕生日とはちがうのに」 「いいんじゃないかな。よく知らないけど」 「う~っ、にしても寒いね~やっぱり」 「妖精の夜は、いつでもそうですよ」 「はーっ……、わ、息まっしろ」 「もっとずっと見てたいけど、帰ろっか。風邪ひいちゃいそう」 「そうですね。帰って温かいミルクティでも」 「お砂糖たぁ~っぷりね」 「ミルクもたぁーっぷりで」 「ふふふ~」 「ふふ」 「「妖精の日おめでとう」」 「すっかり遅くなっちゃったねえ」 「ですね。こんな時間に外を歩くの、初めてです」 「いつもだったらおじいちゃんが絶対ダメーって言うだろうね」 「ぬふふふふ、ちょっとワルくなっちゃった」 「そうですね」 「ああ、ちょっと罪悪感です。おじいさんがいない間、めるさんを見張るはずの私が共犯で夜遊びなんて」 「もーっ。逆でしょ逆。ボクがオリちゃんを見てるよう言われたの」 「私ですよ」 「ボクだよ」 「むー」 「うーっ」 「……」 「……」 「おたがいさまで」 「そうだね」 「でも今日に限っては、ボクがオリちゃんを誘ったんだよ。妖精の夜。外で夜空を見ようって誘ったのはボクだもん」 「見てよかったでしょ?」 「……」 「はい」 「外に出てよかったです」 「こんなに綺麗な夜空が見られるなんて」 「えへへー」 「……とても素敵な夜」 「なんだか――」 「本当に妖精さんが奇跡を起こしてくれそうな」  ――ドバサーッッ! 「わ。びっくりした」 「ゆ、雪が落ちたんですね」 「んと……あ、うちだ。うちの屋根から落ちたみたい」 「暖炉の火は落としたはずですけど、余熱が残っていたんでしょうかね」 「あはは、雪かきしなくてよくなったね」 「ですね。といっても、元々2人じゃできませんけど」 「あ……でも大変。雨どいが」 「うえ。折れちゃった?」 「みたいです」 「ああ~……修理屋さんに来てもらわなくちゃ」 「雪のくせに横着するなあ。雨どいを引っかけるなんて」 「そうですね。雪は困ります」 「雪のくせに」 「雪の……」 「……」 「……」 「中に、人が倒れているように見えますが気のせいでしょうか」 「奇遇だね。ボクも雨どいを持った人に見える」 「……」 「屋根の上から落ちた……んでしょうか」 「たいへんたいへん!」 「生きてる? 死んでない?」 「だ、大丈夫だと思います」 「……なんで屋根の上に?」 「わ、分かりません、けど」 「とにかく運びましょう。このままじゃ風邪をひいちゃいます」 「う、うん」 「……」 「う……?」 「あ、起きた」 「~……」  鼻腔をくすぐる甘ったるい香り……。  これは……小麦。  小麦粉、はちみつ、それとバター?  お菓子のにおい……。 「……」 「……」 「おはよう」 「おはよう……ございます」 「おはようございます」 「ちょうど朝ですね、夜が明けたところです」 「ふぁあ、眠いよ」 「はあ……」 「あの」 「もー、全然目ぇ覚まさないから一晩中見てたんだよ。ううう目がしょぼしょぼするよー」 「めるさん、ほとんど寝てたじゃないですか」 「ま、まあ途中で3、4回うとうとっとはしたけど」 「うとうとっ、1回につき2時間は寝てました」 「あう」 「まあ私も何度かうとうとしたので何も言えませんが」 「はあ……どうも、お世話おかけしたようで」 「痛いところありませんか。お医者さんへ行くべきかとも思ったんですが、昨夜は大雪でとても運べそうにはなくて」 「大丈夫です」  身体を起こす。  身体に不調らしき不調はない。  寒さも感じないのは、このたくさんかけてくれた毛布のおかげだろう。とても温かい。  ただあえて一点、不調をあげるとすれば、 「それでどうしてうちの屋根から落ちてきたの?」  身体を強く打ったらしい。とくにお尻が痛いことか。 「あぶないよ」 「危ないというのもそうですが」 「念のため聞きますけど、泥棒さんではないですよね」 「えと、ないと思います」 「だって」 「ほらちがうでしょオリちゃん。泥棒さんならわざわざ屋根の上にはあがらないって」 「ですね。窓を割って入ればいいだけです」 「ただそれ以外に、真冬の深夜に2階建ての家の屋根にあがる理由というのが思いつかなかったのですが……」 「あらためて、どうしてあんなところに?」 「はあ、自分が屋根の上にいた理由ですか」 「申し訳ありません。申し上げられません」 「なんで? やっぱ悪い事してたの?」 「申し上げられません」 「というか、分かりません」 「はい?」 「どうして屋根の上にいたのか。という以前に、自分は屋根の上にいたのですか?」 「うん。うちの屋根の上。それで落ちて来たの」 「そうですか……では何か理由があるのでしょうが」 「やはり分かりかねますね。状況から自分はこの家とは関係ない人間のようですが、なぜそんな行動に走ったのか」 「え……」 「と、それってまさか」 「行動の意図も分かりかねますし」 「まず自分が誰なのか分かりません」 「自分は一体何者なのでしょう?」 「つまり」 「記憶喪失?」 「おそらくは」 「……」 「……」 「「ええーーーーーーーーーっ!」」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ――ざっ、ざっ。 「ふう、雪がいっぱい」 「んしょ、んしょ」(ザッ、ザッ) 「おはよう」 「あ、おはようございます」 「雪かき? こんな時間から大変ね」 「はい。でもやっておかないと、雪は積もる一方ですし」 「身体を動かしたほうがこのあと食べるケーキが美味しいんです!」 「それは何より」 「ほう……」 「ここは、お店なのですね」 「はい。ケーキ屋さんです」 「笛矢町名物、洋菓子の『フォルクロール』だよ」 「良い香りが家に染みついていると思いました」 「焼く時使う窯が暖炉兼用なので、家じゅうに行きわたりますからね」 「素敵な家です」  お菓子の家が本当にあったとして、香りだけならここも負けてはいまい。 「……」 「ですが今日は……」 「これです、あなたが着ていた上着」 「ああ、どうも」 「いま着てる中の服は大丈夫だったけど、こっちは雪でぐっちょんぐっちょんだったから暖炉にかけておいたの」 「うんうん、もう乾いてるね」 「何から何まで、ありがとうございます」 「これを見て何か思い出すことは?」 「……」 「すいません」 「派手なデザインだからどっかのお店のかな」 「少なくとも外出用の服であることは間違いないです。準備をして外に出た。つまり何か目的があって外出しているはずですけど……」 「……うーん」 「思い出せませんか」 「すいません」 「まあまあ暗い顔しないで」 「こういうのって逆にすごいと思うよ、記憶喪失。人生で1回は体験したいことランキングでも結構上位だよ」 「ここはどこだ! 誰だボクは! みたいな」 「めるさん。困ってらっしゃるんですから」 「今日は何年何月!? みたいな」 「それはタイムトラベルです」  仲良くやりとりしている2人。  自分が誰なのかは分からないが、  少なくともこの2人に、害のある人間ではあってほしくないものだ。 「でも不便は不便だよね、えーっと」 「あ、名前。名前分かる?」 「ん……申し訳ありません」  見当もつかない。 「そっかあ、ドラマなんかだと名前はギリ覚えてるパターンが多いのに……」 「あ、ボク、古倉めるです。よろしくね」 「っと、遅れました。聖代橋氷織です」 「あ、はい」  唐突に自己紹介された。  古倉さんに聖代橋さん。空いた記憶にしっかり留める。 「昨晩はご迷惑をお掛けしました、古倉さん、聖代橋さん」 「めるでいいよぅ。古倉って言いにくいでしょ」 「私も、氷織で結構です」 「そうですか。めるさん、氷織さん」 「自分は……どうしましょうか」 「思い出せないのはともかく、呼び名がないのは不便かもしれないですね」 「じゃあじゃあ! ボクがつけていい?」 「お願いできますか?」 「おっけー君の名前は……うーん」 「フォルク! 君は今日からフォルクだー!」 「分かりました」 「め、めるさん。フォルクって」 「いいでしょ。うちはフォルクロールだし、フォルクくん」 「はい、気に入りました」 「……あの、フォルクって、もういます。うちで飼ってる亀のフォルク。相方にロールちゃんも」 「……」 「いいじゃん、フォルクもロールも冬眠の時期だから出てこないんだもん」 「だからってそのままなんて」 「い、いえ、せっかくいただいたものですから」 「めるさんを甘やかしてはいけません」 「すいません」  せっかくの好意だが、氷織さんに止められてしまう。  なにか別の名は……。  と……。  ――パサ。 「んえ? 何か落ちたよ」 「ん……あ、ポケット」  受け取った、自分が着ていたという上着のポケットから何かが落ちた。  調べてみる。  触った感じでなにもないので、出てくるものは小さなものだが。 「……?」  小さな紙切れが1枚。  これは……、 「名刺?」 「ですね……でも」 「……読めませんね」  濡れてくしゃくしゃになって、文字が消えてしまっている。 「うっすらとは見えるけど……」 「文字なのかすらよく分かりません」 「……申し訳ない」 「んー……」 「あっ、これ『田』じゃない?こっちは『九』」 「言われるとそう見えるかも」 「田九さん?」 「自分、変わった名前ですね」 「『田』も『九』も部首によく使われる字なのでこれがどんな文字なのかは分かりませんよ」 「……あ、でも」  ふと氷織さんが、脇に避けておいた自分が着ていたというコートに手を伸ばす。  内側のタグを探し、 「やっぱり、『田』と『九』で間違いないようです」 「山田九郎、さん」 「あ……」  引っ張り出したタグには、金の刺繍で『山田九郎』と書かれていた。 「おお、小学生以外でコートに名前書いてる人って初めて見た」 「めるさん。失礼です」 「やまだ……クロウ」  見れば名刺のほうも、『山』と『郎』らしき文字が見える。  ヤマダクロウ。  これが自分の名前だろうか?  少なくともその人物のコートを自分が使っていたのは確かだが。  自分がこの山田なら、名刺を一枚で持ち歩くだろうか……? 「クロウ君!」 「はいっ?」  手を引っ掴まれた。 「すごい、本名がフォルクロールにちなんでるよクロウ君」 「は、はあ」  フォル クロウ ルですか。なるほど。 「フォルクさんじゃなかったんですか」 「亀の名前を人につけるのはどうかと思うよオリちゃん」 「……」 「こっちのほうがカッコいいよ。ねっ、クロウ君」 「は、はあ」  クロウ。  これが自分の名前であるかは分からないが――。 「よかったねクロウ君」 「ひとまず、フォルクさんよりは混乱しないですね」  氷織さんも前向きな様子。 「分かりました」 「自分の名前はクロウ。少なくとも、クロウ、とお呼びください」 「うんっ、よろしくクロウ君」 「よろしくお願いします」  彼女たちが進めてくれるのだ。  こうして自分は、クロウという名になった。  フォルクロールのクロウに。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「っしょ……っと」 「あの、危なくないですか」 「いえ、これくらいはやらせてください」  結局持ち物からは、それ以上自分のルーツに関わるものは見つからず。  ひとまず、自分が壊したらしい家の雨どいを修理させてもらった。  めるさんのおじい様のものだという防寒具を貸していただき、  はしごをかけて屋根の上へ。  ふむ。 「……」  たっぷり雪のつもった屋根の上。  昨夜、自分はココにいたとのことだが、  やはり何も心当たりがない。  困ったものだ。 「よいしょ」 「おっと、どうぞ」  手伝ってくれるという氷織さんも上がってくる。 「……」 「た、高いですね」 「はは、確かに」 「怖いなら下で待っていてください。分からないことがあったらお聞きしますから」 「はい……そうします」 「あ……でも」 「はい?」  下を見るのは怖いのか上空に目を向ける彼女。 「む……」  よく晴れた空の合間に、キラキラと何かの煌めきが見える。 「……?」 「妖精さんの夜の名残ですね」 「妖精さん?」 「……ふふ」  クスッとイタズラっぽく笑う氷織さん。  ……彼女の笑顔は初めて見るな。 「妖精さんの夜。街には妖精さんがダイヤを落とす」 「空からのダイヤを拾った人には、妖精さんがなんでもお願いを叶えてくれる。なんて言われてるんです」  空からのダイヤ……。 「現実的に言うと細氷、ダイヤモンドダストです」 「ああ」  一気にロマンのない話に。 「ダイヤモンドダストというと、極低温下でまれに起こる」  空気中の水分が凍って光を乱反射するというあれか。 「はい」 「本来はえっと、マイナス何十度でないと起きないって言いますけど」 「この笛矢町は、気流の関係で、上空数十メートルにそれくらい冷たい風が流れてるそうで。上空にだけダイヤモンドダストが起こる夜があるんです」 「この街の人は『妖精の夜』なんて呼んでます」 「へえ……」 「素敵ですね。ちなみに」 「ちょうど昨日の晩でした」 「……残念」 「ふふ。でもあくまでその夜の近辺で起きるものですから。今日か明日も期待できるかもですよ」 「そうですか」  少し見たくなる。 「……」 「確率は低いですけどね。昨日以外は」 「はい?」 「いえ」 「怖くなってきたので下ります」 「ああどうぞ下へ」  限界が来たようなので、降りてもらう。  妖精の夜か。見てみたい気もするが、  とりあえず今は、まず雨どいを直すことから考えねば。調べていく。  雨どい……幸い、大きくは壊れていないようだ。  この街は雪の多い地方らしく、雨だれも頑丈そうに出来ている。  引きはがした分は壊れていない。これなら付け直せば問題あるまい。  ――カーン、カーン、カーン。  古い釘を新しいものに変えて、打ちつけていく。 「お、落ちないでくださいね」 「はい」 「あと落とさないように気をつけて」 「はい?」  ――どばさー! 「!」  屋根の上の雪が落ちてきて直撃する。 「あっ、あぶな」  ――どしーん!  はしごから落ちる。 「だ、大丈夫ですか」 「はい。もう慣れたものです」 「頑丈ですね」  落ちたといっても、はしごの半ば程度の高さなので尻餅をついて痛いだけだ。 「しかし驚きました」 「ってよく考えたら、かなづちで衝撃を与えているのだからいつ上の雪が滑り落ちるか分からないのは当然ですね」  我ながらうかつだ。 「あ、いえ、この時間はちがうと思います」 「はい?」 「すいません、この時間は屋根の上が温かくなるので雪が落ちやすくなるのを忘れてました」 「?」  上を指さす。  煙突から湯気が出ているのが見えた。 「めるさん、窯を使うなら言ってください」  中に入る。  ……ん、甘い香りが先ほどより強く。  更に奥に通された。  想像したより立派な厨房が出迎える。 「んえ? なにかあった?」 「窯を使うと雪が落ちやすくなるんですよ」 「??」  なるほど、これが遠因か。  あの煙突につながっているのだろう。立派な石窯に火を入れている。 「へへへー、でもちょうどいいとこで戻ったよお2人さん。今日はクロウ君の歓迎会ってことで、パティシエめるさんが腕を振るっちゃうから」 「もう」  肩を落とす氷織さん。  それより、 「この香り、クッキーですね」 「おっ、よく分かるねークロウ君」 「ご期待ください。今日のおやつはめるさんの一番の得意料理。クッキーです」 「得意と言うか、それしか作れないというか」 「オリちゃんはそのクッキーすら作れないくせに」 「すいません」 「今日は雨どいの修理はあきらめましょう。お茶を淹れますね、クロウさん」 「は、はあ」  待つこと数分。 「はい。バターの味をそのままお届け、プレーンのクッキーと」 「ダージリンです」 「どうも」 「すいませんコーヒーかなと思ったんですけど、焙煎機から使うと時間がかかるので」 「いえ」  言われてみると、奥にコーヒーの焙煎機が見える。  3つ配られた紅茶も綺麗な色で、年季の入ったカップが使われていた。 「コーヒーなんていいよあんな苦いの」(ばさーっ)  紅茶に砂糖を入れるめるさん。 「苦いのが美味しいんですよ」 「えー分かんないなー」(ばさーっ) 「それにうちは浅炒りだから、苦みは最小限じゃないですか」 「でも苦いからヤだよコーヒーは」(ばさーっ) 「……少なくともめるさんの飲み方に苦味は関係ないと思います」 「ふぇ?」(くるくる)  下の方に砂糖が積もった紅茶をかき混ぜるめるさん。 「まあ飲み物は個人の好き好きですけど」  氷織さんもカカオフレーバーを混ぜている。  自分はそのままでいただくことにした。 「それよりそれより、どうぞクロウ君、クッキー美味しいよ」 「は、はい」  勧められるまま手を伸ばす。  焼きたてのクッキーは、顔の近くに運んだだけで口いっぱい頬張っているような幸せなバターの香りが漂う。 「あ、これ焼いただけ。プレーンだから味は自分でね」  ばさーっ。  そのクッキーにも砂糖をどっさりかけるめるさん。  練りこんではいないらしい。  でも焼き立てで、この香ばしさ。たぶん味付けなどなしでも、  ――サク。 「……」 「ど?」 「素晴らしい」 「わはーいっ、でしょー?」  だらしない顔をしていないか心配なくらい美味しい。  焼きたての小麦とバターの香りが全身を包み込むようだ。  紅茶に手を伸ばした。 「……」  ん……。  口をつける。 「……」 「こちらも大変美味しいです」 「そ、そうですか」  めるさんとは態度が違うが、こちらも嬉しそうだった。  お世辞のつもりはない。バターたっぷりなクッキーに比べて、こちらはすっきり渋みがあって、よく合う。  お茶もお菓子も申し分ない。 「このお店、お2人だけでも大丈夫なのでは」 「ふぇ?」 「ん、ああ失敬」  つい口がすべった。 「ケーキ屋なのはさっき言いましたけど」 「よくいま開けていないと分かりましたね」 「だよね。今日やってないって点はともかく」 「やっぱこう、分かっちゃう?潰れかけてるって」 「潰れ……とは言いませんが」 「何となく厨房や、あのコーヒー焙煎機が、やる気を落としている気がします」 「しばらく仕事が出来ていない。という顔をしているような」 「焙煎機がやる気、ですか」 「ロマンチックだねクロウ君」 「言葉のあやです」 「ひとつ訂正するならば、潰れかけているとは思えませんね。そこのショーケースもこのテーブルも、ほこり一つない」 「いつでも再開するつもりだけど、いまは長く休んでいる。というところでしょうか」 「すごい」 「クロウ君の正体ってアレでしょ。名探偵」 「なんとなくの話ですよ」  根拠は薄い。 「ケーキを作れる方がお留守のようで」 「はい」  2人、表情を落とす。  ふむ……。  ・・・・・ 「おじい様がご病気なのですか」 「そうなの。入院中してて、困っちゃう」  お茶の流れで話を聞くに、  この店はめるさんのおじい様が、50年も前からケーキを焼いて経営されていたそうだ。  だがその経営者兼パティシエが厨房に立てなくなり、店は商品を作れなくなる。 「一応お店、今もやってることはやってるんだよ」 「ケーキは難しいですが、店内で寛いでいただく喫茶店のようなことはしています。コーヒー、紅茶にクッキーは用意できますから」 「ですが……」 「順調とは呼べませんね」  よく見ると店の入り口に『OPEN』の札が下げてある。  オープンしていて、いるのは自分と彼女ら3人だけ。  いまいちな客入りである。 「あーあー、このまま潰れちゃうのかなーうち」 「困りましたね」 「もし潰れたら、ケーキ屋の体験ということで置いていただいている私はどうしましょうか。他で暮らす家を探さないと」 「うえ!? オリちゃん出てくの!?」 「やだよーここにいようよー!店が潰れても食いブチはボクが稼ぐからー!」(ぎゅー) 「は、はあ。めるさんがそうおっしゃるなら」 「……」  ふむ。 「お2人は姉妹ではないのですね」  苗字がちがうので気になってはいたが。 「はい。学校に通うのに便利だから、居候です」 「血はつながってなくても、ボクはオリちゃんのお姉ちゃんだけどね」 「え……っ?」 「なに?」 「お姉さん……ということは」 「年上です」 「……」 「……ボクのほうが年下っぽいって?」 「そ、そういうわけでは」 「どう見ても年上でしょ! 見てこの背! ほらこの身長!」 「そ、そうですね」  身体つきは確かに。 「知られてしまったようですね。めるさんに77ある弱点の1つ。言動行動が実年齢マイナス3歳くらいということを」  残り76が気になる。 「うぐう」 「いえ、失言でした」 「話を戻しましょう。ケーキ屋をするにはケーキ職人がいない」 「うん」 「こうなると洋菓子店という店名が困りものですね。喫茶店としてなら充分やっていけるとおもうのですが」 「そうですか?」 「お茶もクッキーも大変おいしいので」 「あ、う」 「そ、そう」 「おじい様はいつごろ戻られるので?」 「どうかなー、もう入院して長いよね」 「2か月になりますね」  軽いご病気ではない日数だ。  自分はおそらく医者ではないようで、病気のことはピンと来ないが――、 「前にお見舞いに行ったのは――先週?」 「そろそろまた行かないと文句言われるね。孫が来ないから治りが遅れるーって」 「そうだ、お見舞い、もうこのあと行こうか」 「私もそう言おうと思ってました」 「クロウさん、まずは病院へ行くべきかと」 「む……ああ」  そうだ忘れていた。重病というなら、記憶喪失の自分だ。 「いいお医者さん知ってるんだ。町一番の名医」 「ほう」 「この町唯一のお医者さんですから、町一番であることは間違いありません」  そういう意味か。 「でも本当にいいお医者さんですよ。隣町に国営の大病院がありますけど、そこを嫌って看ていただきに来る方も多いくらい」  記憶喪失に名医が関係あるかはともかく――。  お2人がここまで信頼されているなら良いお医者様なのだろう。少し希望を持ってしまう。 「おっしそうと決まれば――」 「こんにちはー」 「あ」 「小町さん、どうもです」 「こんにちは。今日は寒いですねえ」 「朝から雪かきしてたからもう指がジンジン……あら?」  こちらに気付く。 「カップが3つ……あらあら、めるちゃん氷織ちゃん、お友達?」 「あ、はい。ご紹介しますね」 「クロウ君。屋根から降ってきた人」 「どうも。この屋根から降って来ました、クロウです」 「降って?」  混乱させてしまったようだ。  詳しく説明する。  結果。 「降って?」  さらに混乱させてしまった。 「なぜか屋根の上から落ちてきて記憶を失くした」 「名前も分からないので、ひとまずクロウさんです」 「ボクがつけたんだよ。オシャレでしょ」 「……」  目をぱちくりさせて、 「あの」 「そうそうまずは、村崎小町です。お隣に住んでいます」 「よろしくお願いします」 「はい、よろしくおねがいしますね」  にっこりと笑ってくれる。 「それにしても記憶喪失ですか。大変ですね」 「自分がそんなことになったら……とても困ってしまうと小町は思います」 「あ、でもお医者さんに看てもらえばいいお薬があるかもしれないですね」 「はあ」 「小町さんはめるさんと同等もしくはそれ以上の呑気さですので、緊張しなくていいですよ」 「ですか」  いまは助かる。 「そうそうそのお医者さん」 「村崎医院、いまから連れてっていいかな」 「ああごめんなさいめるちゃん。病院、昼からは外で看てるから、朝じゃないと」 「そっか、お見舞いはいつでもいいけど看てもらうなら午前だけだっけ」 「看てもらったこと一度もないから忘れてた」 「めるさんは一度も風邪を引いたことがないんです」 「すばらしい」 「ところで、そのお医者さんとは、もしかして」 「小町の母です」  なるほど。村崎さんちの村崎医院さんか。 「この街一番の名医さんだよ」 「怒らせると注射片手に追いかけてくる大魔王でもある」 「街一番の恐怖です」 「注射くらいまだいいです。ホントに怒ったときのお母さんはお夕飯まで……」 「そうそう、お腹が空いてるの忘れてたわ。めるちゃん、お願いします」 「はーい」 「クロウ君ごめん。今日は」 「はい」 「明日お願いしましょう。小町さん、先生によろしくお願いします」 「はい。ご予約承りました」  もう病院に行くのは決定事項のようで、話が進む。  2人は好意でしてくれているのだ。黙って従おう。  小町さんは3人で使っていた席に椅子を持って参加し、  すぐに紅茶と新しいクッキーを持ったお2人が来る。 「いただきまあす」 「はふう。雪かきした日はここに来るに限りますねえ」 「お茶は少し温度高めに淹れました。シブかったらすいません」 「いつも通り美味しいわ」  慣れ親しんだ様子だった。  友人で、常連というところだろう。 「あむあむあむあむ」(さくさくさくさく) 「相変わらずリス食いだね小町ちゃん」 「あわ、ま、またなってたかしら」 「小っちゃく小っちゃく食べるんだよね」 「言わないで」  とくに初対面の自分には、恥ずかしそうにえへへと苦笑する。 「雪、どうでした? 道が隠れるほどならうちもこのあと雪かきしなきゃですけど」 「もう溶け始めてるから大丈夫よ。小町はいつもの習慣でお掃除がてら、というだけだから」 「そうですか、じゃあ今日はやめときます」 「ん~、でもお掃除より雪かきの方がカロリー使うから、そのぶんお茶が美味しい~」  幸せそうだ。  友人で、常連、なおかつこの店のファン。  大切にしたい人である。 「~♪」(サクサク) 「そうそう、病院に行くのは明日として」 「今日はクロウさんどうするの?どこか泊まるところあるかしら」 「はい、あてはあります」 「え、どこですか?」 「先ほど屋根の上から公園が見えましたので、今日はあそこで過ごそうかと」 「公園て……」 「それ軽めの自殺だよクロウ君」 「多少は風よけもありますけど、外に一晩なんてよくて風邪、悪くて命に関わりますよ」 「そうですか?」  たしかに外は、いかにも寒そうな雪景色。  晴れているから今は温かいが、夜は放射冷却でグッと冷えるだろう。 「しかし宿を取ろうにも、先立つものがありませんし」  現金と呼べるものは持っていないし、 「うちがあるじゃない。ベッドもあるよ、ボクの部屋の貸すから」 「……それはさすがに」 「め、めるさんのベッドはともかく」 「うちでどうぞ。昨日と同じことですから」 「む……まあ」  確かにすでに1度迷惑をかけているのなら、何度でも同じと言う気はする。  ただ話を聞いている限り、この家はいまめるさんと氷織さんのお2人しかいないとのこと。  自分のような大の男が上がりこむのは問題なのでは。  思うのだが、 「いいじゃん泊まってきなよ。記憶喪失なら予定もないでしょ?」 「……」 「公園に泊まるというのはさすがに放っておけません。今日はうちにいてください」  さっきの余計なひと言で、気を使わせてしまったらしい。  どうしたものか。 「あらあら」 「クロウさん、予定がないなら、泊まっちゃえばいいと小町も思います」 「とくにめるちゃんは言い出したら聞かないので」 「はあ……」  自分の気持ちひとつのようだ。 「……」 「……では」 「1階が店舗、2階は居住で分けているのですね」 「はい」  村崎さんが帰ったあと、改めて案内してもらう。  最初目が覚めたときはここだったな。2階にあがってすぐのテラスへ。  大きなソファがあって、寝るのにちょうどいい。 「ほんとにここでいいの? 寒いよ?」 「昨晩の寝心地は充分でしたので」 「もうひとつ、おじい様の部屋があるにはあるのですが……」 「おじいちゃんの部屋いま入れないんだよね。鍵持って入院しちゃったから」 「自室に鍵を?」 「事情があるんです」  あまり聞かない状況だ。 「まあここで充分です。屋根があるだけで助かります」 「ボクの部屋のベッド貸してあげるのに」 「それはさすがに」 「めるさんや私のベッドですと……、クロウさんの体格では足がはみ出しそうなので、その点ではこのソファのほうが寝心地がいいかもです」 「ではなにか困ったことがあったら呼んでください」 「はい。なにからなにまでどうも」 「夜中にやっぱベッドが欲しくなったらボクの部屋。突き当りの奥ね」  奥へ去っていく2人。  ここまで親切にしていただくと、ちょっと恐縮だ。  なにかお返しをしたいものだが……まいったな。自分には何が出来るかすら、いまの自分には分からない。知らない。  とりあえず、  雨どいの修理だけはやりきろう。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「さてと、明日は早めに起きなくては……」  ――コツコツ。 「はい?」 「おいっすー」 「めるさん。どうかされましたか」 「うん。ほら、さっきも言った通りボクのベッドはクロウ君に譲ったでしょ」 「拒否されてましたけど」 「それはそうだけど、夜中に気が変わったりしてまあとにかく今日はボクのベッドを空ける必要がある」 「……」 「妙にしつこくクロウさんに勧めてるから何かと思えば、それが目的でしたか」 「えへへへ~」 「どーんっ」 「もう」 「いやー仕方ない仕方ない。クロウ君のためにもボクたちは一緒に寝なきゃ仕方ない」 「これだから私より年下っぽいと言われるんです」 「今日はいいですけど。夜、蹴らないでくださいね」 「蹴ったことなんてないよぅ」 「一緒に寝たことは50回もないと思いますが100回は蹴られてる覚えがあります」 「今日は気をつける」 「でも寝相のことを言うならオリちゃんだって気をつけてよ」 「え……私、なにか?」 「……」 「ふふ」 「い、言ってください」 「にしても久しぶりだね一緒に寝るの。最近オリちゃん全然一緒してくれないんだもん」 「それが普通じゃないですか」 「私だっていつまでも子供じゃないです」 「居候に来たばっかりのころは、毎晩心細そーにしてたのに」 「い、いつまでも子供じゃないんですっ」 「ふふ~」 「電気消しますよ」 「うんっ」  ――カチ。 「……」 「……」 「んふふふふ」 「……」 「全然ダメ、眠くない。おしゃべりしよおしゃべり」 「たぶんこうなると思いましたけど……」 「しゃべるのはいいですが、寝ころんだままですよ。そうすればそのうち眠くなりますから」 「はあい。お母さんみたいなこと言うねオリちゃんは」 「ね、ね、ぶっちゃけたとこ聞かせて」 「クロウ君って何者だと思う?」 「……」 「分かりません」 「悪い人ではないと思います。少なくとも、今日お話しした感じでは」 「でなきゃ人見知りのオリちゃんがうちには泊めないよね」 「まあ、悪い人でないと言うだけで泊めてしまうのは警戒心が薄いかもしれませんが」 「ふふ、ぬふふふ」 「実はねボク、予想はついてるのだよ、クロウ君の正体」 「はい?」 「分かんないかなーオリちゃんには。推理力を働かせなきゃ推理力を」 「ヒントはクロウ君が現れた昨日はどんな日だったか。そしてクロウ君はどこから来たか」 「はあ」 「分かんない?」 「クロウさんが現れたのは、街が静まる雪の夜。クロウさんは普通に人が登れる高さでない屋根にはしごもなく上がっており、そこから落ちたようでした」 「以上から推理すると……、失礼ながら泥棒さんと考えるのが妥当です」 「ちがうでしょ、泥棒さんにしちゃ手ぶらすぎるよ」 「確かに、泥棒さんならそれっぽい道具がないのは不自然ですね」 「オリちゃんはまだ子供だねえ、推理力が足りないよ」 「昨日は妖精の夜。そしてクロウ君は空から降ってきた」 「妖精さんだよ妖精さん!この街に奇跡の夜を運びに来た妖精さんがクロウ君なんだよ!」 「……」 「どうこの推理?」 「ロマンチストなめるさんは好きです。でもそれで推理力が足りないと言われるのは微妙です」 「いやー妖精さんも空から落ちたりするんだねえ。それで記憶失っちゃうなんて、ドジだよね~」 「……」 「オリちゃん?」 「めるさんはそれでいいと思います」 「ねえねえ、妖精さんって町に幸せを運んでくれるんだよね。だったらうちに来てくれたんだし、ご利益あるかな」 「あるといいですね」 「……本当に『妖精さん』が幸せを運ぶなら」 「ふぇ?」 「なんでもないです」 「クロウさんの正体については、今は分かりませんがひとつ心当たりが」 「え、なになに」 「明日のお楽しみです」 「ぶー」 「まあ一番は、明日までにクロウさんが記憶を取り戻すことですけどね」 「だね」  ・・・・・ 「んぅ……」 「くぁああ……ふぁう」 「あれ? ここって」 「おはようございます、めるさん」 「ああ……オリちゃん、おあよー」 「そっか。昨日はオリちゃんの部屋で寝たんだっけ」 「はい」 「やっぱ2人で寝ると温かいから、ぐーっすりだね」 「そうですね。夜中に2度お腹にすごい衝撃が来て起こされた以外は」 「んっ、よしっ」 「おはようクロウ君!」  ・・・・・ 「あれ? もぬけのから……」 「あ……」 「クロウ君?」 「クロウ君!」 「いない……」 「めるさん……」 「……」 「そっか」 「記憶が戻ったのかな。それで、もう」 「戻ったなら良かったけど、一言くらいボクたちに言ってくれてもいいのにね」 「……」 「それともクロウ君、ほんとに妖精さんだったのかな」 「ふふっ、なんてね」 「ばいばいクロウ君」 「楽しかったよ!」 「なにか?」 「わあいたあ!」 「めるさんがお寝坊さんなだけで、1時間前に起きた私より早く起きてましたよ」 「倉庫から紅茶の葉っぱを出してくれるよう頼んだんです」 「これで良かったでしょうか」 「ありがとうございます。私やめるさんじゃ重くて運べなくて」 「自分でお力になれることならなんでも」 「記憶は?」 「一向に」 「そっか。良かった」 「よくはないですけど」 「じゃーん」 「じゃ、じゃあん」 「……」 「学校の制服、ですね」 「似合う?」 「はい」 「……」 「あのね、ボクたち学校の魚やニワトリのお世話してるの」 「いまは冬期休暇なので授業はないですが、2日に1回登校して餌やりや掃除をしてるんです」 「朝のうちにすませちゃいたいから行ってくるね」 「10時までには帰ります。病院はそのあと行きましょう」 「というわけで、ちょっと待っててねクロウ君」 「はい」  2人を見送る。  さて、少し時間が出来たか。 「……」 「~♪」 「あらあら? クロウさん、おはようございます」 「ああ、どうも」  隣家から村崎さんが。 「屋根の上……どうされました?」 「昨日できなかった雨どいの補修をと思いまして」  はしごを立てる。 「村崎さんは、お掃除ですか?」 「はい。朝は毎日です」  元気にほうきをかかげて見せる。  昨夜は雪は降らなかったようだが、道路に霜が降りている。凍結防止だろう。 「では、がんばってください」 「はい」  にこっと手を振られる。  自分は自分の仕事をしよう。はしごを上っていく。  修理の続きをする。  昨日も確認した通り、雨どい自体は壊れていないので、もとの位置に戻すだけで修理は完了だ。  ただ雪国であるため、雨水を受け止めつつ、屋根からすべりおちた雪は避けられる位置にしなくては。  微調整……この辺りか。  ん? 「……」 「なにか?」 「い、いえ」 「……」 「……」 「登ります?」  昨日の氷織さんと同じ顔をしている気がする。 「そ、そんな、はしたないです」 「でも好意を無駄には出来ませんねとりゃー!」  だだだーっとすごい勢いであがってくる。 「わああ、高ぁい」  目を輝かせている村崎さん。  めるさんたちの前だとお姉さんっぽい印象だったが、精神年齢はあまり変わらないのかもしれない。 「やっぱり高いところから見る景色ってステキですね」 「とくにこの街は、空が開けてるから」 「ん……そういえばこの街」  2階以上の建物があまりない。 「田舎ですから、あまり背の高い建物はないんです」 「なるほど」 「あら? そういえばクロウさんは、なんだか慣れているみたいですね。この高さ」 「そうですか?」  そういえば、確かに2階立ての屋根。つまり3階くらいの高さなら慣れている気がする。 「……」  なぜだろう。  記憶を失くす前はよく見ていたのだろうか……。 「……」 「まあ小町だって、別に初めてというわけではないですけど」 「そうですか?」 「小町もそこの卒業生ですから」  後ろを指さす。 「あ……」  玄関側の風景ばかり見ていて気付かなかった。  家の裏手からすぐのところに、背の高い建物。学校が見える。 「めるさんたちが通ってらっしゃるのは」 「はい、あそこです」 「2人は今日、ペットたちに餌やりの日ですか?」 「はい。先ほど出かけられました」 「家が近いからこの辺りの子がよく言われるんですよ。小町も昔は当番でした」 「なるほど」 「……ニワトリのガーさんが毎度襲ってくるんです。ううう、もうやりたくないと小町は思います」 「あ、でもウサギのピョン吉さんにはまた会いたいですね。お元気にしているでしょうか」 「お友達ですか」 「はい。ウサギのピョン吉さん。仲良しだったんですよ」  ――ぎゅっ、ぎゅっ。  手近な雪を丸める村崎さん。 「このくらいの大きさで、真ん丸で。歩くときは毛玉から足がにゅるっと出る感じでちょっと不気味ですけど」  雪兎と言うやつだろうか。  そこで改めて街の全景に目を向けた。 「……」  村崎さんのおっしゃる通り、適度に田舎で、落ち着いた街だった。  一番大きな建物が学校なくらい。  中央を大きな川が流れており、大きな公園につながっている。  湖が見えるな。整備された公園のようだ。  人も決して少なくない。まだ朝もそこそこに早いこの時間ながら、賑わっている商店街が見える。 「……」 「いい街でしょう?」 「ですね」  昨日は自分のことで手いっぱいだったが、  心にゆとりが出来ると、自分がいまどんな場所にいるのか興味が沸いてきた。  この街のことがもっと知りたい。 「……」  それに……。  この街の、この光景を見ていると、  なにか思い出しそうな……。 「……む?」  そこでふと気付いた。  街の……外だな。ずいぶん離れている。  山にさしかかった、ふもとの辺り。森に飲みこまれている一角に、  なにかある。  建物だ。木々に囲まれて見逃すところだったが、ビルがひとつ。  この距離だと目立たないが――、木々に囲まれてなお頭一つ飛び出しているあたり、5、6階建てと言ったところだろう。  この街の一部にしては妙に大きい……。 「小町ー?」  ふと下から声をかけてきたご婦人が。  妙齢のご婦人だ。……やや丸い体格が特徴的。 「なにやってんだいアンタ、人様んちの屋根の上で」 「あ、お母さん」 「お母さん……ということは」 「ん……ああ、アンタがクロウ君かい?」  あちらも自分に気付く。 「めるちゃんから聞いてるよ。あとで病院においで」  彼女が町一番の名医、村崎女医らしい。  いま出勤の時間のようだ。 「よっ!」  高いところから見送るわけにはいかない。飛び降りた。 「ちょっ!?」  ――ずしん!  飛び降りた。 「今日はよろしくお願いします」 「お、おぉお。平気かいあんな高くから飛び降りて」 「慣れました」  二度ほど落ちているので、身体が高さを覚えている。 「いいガタイしてるし、健康そのものって感じだね」 「でも体を大事にしない子は嫌いだよ。怪我したら大変だ、二度としなさんな」 「あ、はい」  叱られてしまった。  確かに考えなしだったかもしれない。反省しよう。  そして少し期待した。この方は紛れもなく『名医』のようだ。 「じゃ、10時過ぎだったね、待ってるから」 「はい」  先生を見送る。 「く、クロウさ~ん」 「はい?ああ、村崎さんははしごで下りてくださいね」 「は、はい、ですがその」 「なにか?」 「~」 「く、クロウさん、先に中に入っていて下さいませんか」 「?」 「その」 「スカートが短いので、いま下りると大変なことになると小町は思います」 「あ、ああ。すいません」  こちらの意味でも考えなしだったようだ。  ・・・・・  そして、2人の帰宅を待つこと1時間ほど。 「ただいまー」 「ただいまです」 「ういー寒かったよー」 「おかえりなさいお2人とも」 「どうぞ。温かいミルクティです」 「わあ」 「ありがとうございます」 「わ……いい香り」 「昨日の氷織さんと同じブレンドです。ミルクを入れても合うと思いまして」 「そうですね……ああ、でもちょっと濃い目。ミルクに合うようになってます」 「お砂糖取って」 「はい」  3人、一息つく。  さて、それで。  病院へ。  裏道に入ってすぐのところにある学校を横切る。 「ここがお2人の通っておられる?」 「はい。私が1年、めるさんが2年生です」  さっき行っていた学校。確かに店からはものすごく近かった。 「もう溶けはじめちゃってるけど、これだけ広いとでっかい雪だるま作りたいよね」 「面白そうですね」 「今度一緒に作ろうか。クロウ君身体でっかいから頼りになりそう」 「いいですね。一緒に作ってあげてください」 「……でないと私にやろうやろううるさいんです」 「オリちゃん全然手伝ってくれないの。ちっちゃい球ひとつ作ってはいがんばりましたーって」 「出来る限りは手伝いましたよ。あのサイズが私の限界なんです」  仲のいいことだ。 「病院、この公園を抜けてすぐだから」 「意外と遠いですね」  歩いてずいぶんかかった。 「古くからある病院なので、街から少し離れてるんです」 「感染症とかを隔離しなきゃいけない時代からあるんだって」 「すごいですね」  街とはスペースを空けて建てられて、その後、そのスペースに公園が作られた。というところか。 「うう、寒い。着替えて来ればよかったね」 「学校からそのままで来たのは失敗でしたね」 「すいません、自分が急かしたようで」 「いえそんなことは」 「はー」 「ふぁっ!」 「あ……あ、あ、くしゃみでそう」 「出せばよいのでは」 「いや、右だけなんだよ。鼻の右っ側だけがボクを裏切ってむずむず……」 「ふぁっ、は、ふぁ――」 「……」 「止まった!」 「ああ~……」 「辛いですね」 「あ、でもやっぱり出そう。うぁあああ~」  悶えるめるさんを待っていると、  ――キャンキャンっ。 「む」 「あはっ、こらきなこ、そんなに走らないの」 「……」  犬の散歩をしている人が。  というか……。 「きゃらめる、ばなな、ちゃんと付いてきなさい。わは、どこに行くのどーなつ、わわっ、すこんぶ私の足に巻きつかないで」 「すごくたくさん飼ってますね」 「ですね」  ひのふの……7匹も犬を連れている。  犬がお好きなんだろう……。 「ふふふ、きなこはいつも可愛いわね……」 「――?」 「ッ!」 「……?」  なんだ? 「……」 「……こっちを見てますね」 「ですね」  見ているのは……、  自分か? 「ふぁっぷしん!」 「出た」 「ひーすっきりしたぁ」 「……」 「ん……あの人」 「行ってしまいましたね」  一瞬めるさんに気を取られると、もう彼女の姿はなかった。 「どうかした?」 「いえ」  なんだったんだろう。  気のせいだろうか。  ・・・・・ 「……」 「なにしてるのかしら」  病院。といっても簡素なもので、街の診療所と言った様子だった。  入ってすぐの待合室には、年を召された来院が数名。ほぼ同い年くらいの看護師さんが相手をしており、 「古倉です、予約していたことと、面会をお願いします」  氷織さんが手続きする。  と、先ほどの村崎先生が出てきて、 「おー来たねいらっしゃい」 「でっかいの。面倒な検査だけ先にするから奥の処置室にいきな」 「おチビちゃんたちはジジイに面会してきな。朝から孫が来ない孫が来ないうるさいんだよ」 「はーい」 「では、クロウさん」 「はい。追ってご挨拶に向かいますとお伝えください」  一度二手に分かれる。  ・・・・・ 「じいちゃーん」 「めるちゃんやっと来たぁあああんっ」 「びっくりした」 「もおおお遅いよおおおおめるちゃん!最近全然来てくれないからワシ寂しいじゃん!」 「は、はい、すいません中々来られなくて」 「はわ! オリちゃんもおったんかい」 「コホン。あ、ありがとうねえ忙しいだろうに」 「いまさらカッコつけても遅いよ」 「え。わし、オリちゃんにはナイスミドルで通ってるはずなのに」 「会って14秒後にその皮は剥がれてましたよ」 「はあ……まあいいけど。それより2人とも、もっとお見舞い来ておくれよ、おじいちゃん寂しい」 「ボクたちも色々あるんだもん」 「それはやだあああああんっ。めるちゃんにワシより優先することがあるなんてやああああだあああ!」 「おじいちゃん、絶対もう元気だよね」 「そうでもないよ?ワシもう老い先短いよ?」 「食欲は落ちてるし、身体は痛むし、お肌もカッサカサ」 「そりゃ70歳すぎてお肌ツルツルだったらそっちのほうがすごいよ」 「食欲、落ちてますか?看護師さんがつけてる患者所感には、毎日おかわりするって書いてありますけど」 「だってここのご飯ってすんごい少ないんじゃもん」 「身体が痛むってのは……まだ?」 「うむ……治る気配がないわい」 「そっか……はあ」 「……すまんのう」 「……」 「もはやこれは不治の病かもしれん」 「そんな……」 「いや良いのじゃ。これもまた天命よ」 「わしもずいぶんと長く生きた。残る人生は、天が定めるままに任せることにしよう」 「おじいちゃん……」 「すまんの、めるちゃん」 「……うん」 「そりゃ大抵の人にとってぎっくり腰は不治の病だよ。あたしだって患ってんだから」 「分かっとるけど……」 「むしろ毎日力仕事してて、70過ぎまで発症しなかった方が幸運だよ。感謝しな」 「せんせー、おじいちゃんの病気、治らないの?」 「治らないね。なるべく再発しないように生きていくしかないよ」 「それでも安静にしてれば、いつまでも入院することはないんだが、このジジイはリハビリで外に出すとすーぐどっか遊びに行っちまうからね」 「そのたびに悪化させて入院延期。ったく、邪魔くさいったらないよ」 「仕方ないじゃん、病院食って全部不味いんだもん。甘いもの食べに行きたいんだもん」 「クソジジイが。いつまで腰痛で病院のベッド一つ埋めてるつもりだい」 「ま、いつもペラペラうるさいから他の患者の話し相手にはちょうどいいけどね」 「うー」 「この際おじいちゃんが腰の痛みにもがき苦しむのはいいとして」 「ひどい」 「いつまでもお店が開けないのは困るなあ」 「洋菓子作りは体力勝負なんだ。あたしがOK出すまではやらせないよ。こっちも医者だからね」 「あうう」 「……こちらも困りますが」 「先生。クロウさんは?」 「ん、ああそろそろ検査が終わるころだね。ちょっと見て来るよ」 「はあ……」 「すまんのう孫よ。おじいちゃんまだケーキ作りは再開できそうにないわい」 「悪いと思うなら安静にして早く治そうよ」 「いや治す気はあるんじゃよ?でもちょっと治るとどうもはしゃぎたくなっちゃって、そのまま悪化するというか」 「腰よりも、この性格の方が不治の病ですね」 「このままじゃうちのお店潰れちゃうよ」 「あっはっは、大丈夫大丈夫。なんとかなるなる」 「もう……」 「ふむ」 「ところで、電話で言っておったクロウ君というのは」 「あ、はい」 「記憶喪失だっていう男の人。いまうちに泊まってる」 「むううう……若い男じゃろ?」 「はい」 「ちょっとぼーっとしてるけど、いい人そうだよ」 「ふむう」 「心配じゃのう、2人みたいな可愛い子のいる家に、若い男が……なんて」 「なにが心配なの?」 「いや、だから、ね? 若い2人がほら」 「??」 「孫が純粋すぎる」 「こほん」 「結果論ですが、今日までの2日でなにもなかったので信用していいと思いますよ」 「んーむ……」  ・・・・・  ――コツコツ。  ノックする。 「あ、クロウ君」 「お邪魔いたします」  先生の診察が終わったので、あらためてめるさんのおじい様に挨拶に伺う。  いささか緊張した。なんでもおじい様は『治る見込みのない事』でご入院されていると聞く。  いったいどんなご病気なのか。 「……」 「初めまして」 「は、初めまして」  思っていたよりずっと顔色のよい、〈矍鑠〉《かくしゃく》とした御仁だった。  すっと細めた目つきに深い鋭さと威厳を感じる。思わず萎縮しそうになる。 「君がクロウ君だね。孫に聞いておるよ」 「ごほっ、ごほっ、こほっこほっ」 「……はい」  ただ健康状態はやはりよろしくないらしい。しゃべることにも苦労されている様子だった。 「なぜせきが?」 「低い声だそうとがんばってるんだよ。おじいちゃん初対面の相手にはカッコつけるから」 「ああ、私のときと同じ」 「すまんね、起き上がるのも一苦労な身体ゆえ、こんなところから失礼させてもらう」 「いえ、はい」  頭を下げる。 「さて……食欲は落ち、不治の病魔に侵され、すっかり老いさらばえたワシじゃが……」 「……」  そんなにも良くないのか。 「年の功というやつでね。人を見る目には自信がある」 「は……」 「……」  ジッと自分の目を見つめてくる。  う……。  ここでそらすわけには行かない。  世話になっている身なのだ。正直な自分で向き合う事こそ誠意。まっすぐに見つめ返す。 「……」(ジッ) 「……」 「ふむ」  何事か納得したらしい。目を背ける。  自分の誠意は伝わっただろうか。 「……」 (カッコつけてたらものすごい見つめ返された) (この若造……ゲイか?) (ならめるちゃんたちと一緒におっても平気か) 「っ」  つい目をそらしてしまった。  いかん……つい。  やましいことがあると思われただろうか。 「……フッ」 (おっしゃあガンつけで勝ったわい) (これでワシの怖さが分かるじゃろ。めるちゃんたちに手も出せんようになる) 「さて、それで」 「記憶がない。過去のことを何も覚えておらんと聞いた。それは本当かね」 「はい」 「どうしてこの街にいるのか。厳密にいって、自分はこの街の外から来たのか、元々中にいたのかすら分からない状態です」 「ふむ」 「この街には50年おるが、君のことは見たことがない。まあ外の人間と考えてよかろう」 「はあ……」  初対面であいさつしなければならないのに、自分自身よりあちらのほうが自分のことを分かっている。  今さらながら厄介だな、記憶喪失というのは。 「残酷なようだがワシは君には興味がない。記憶が戻ればとは思うが、何かしてやれる気にはならん」 「はい。それはもちろん」 「が――困ったことにじゃ」 「ワシの可愛い可愛い可愛い孫たちは、そうは思っておらんようじゃ」 「君のことは、記憶が戻るまでなんとかサポートしてあげたいという目をしておる」 「……めるさん、氷織さん」 「だって可哀想じゃない。行くところもない、自分が誰かも分からないって」 「サポートできるかはともかく、放っておくとまた氷点下の公園で一晩過ごすとか言い出しそうで怖いです」 「するとめるちゃんの次の一声はこうじゃろう。君の記憶が戻るまで、君を家に置いても良いか」 「さっすがおじいちゃん分かってるぅ~」 「じゃろ~?」 「はい?」 「あ、いや。コホン」  御仁の漂わせる威厳が一瞬消えたような。 「孫は一度言い出したら聞かん性分じゃし。仕方あるまい、記憶が戻るまでゆっくりしていきなさい」 「それは――」 「君の意見は聞いておらん」 「君が記憶喪失で、困っておる。行く場所もない。そしてうちに置くのが一番良い」 「これだけの条件が揃ったうえで、君を追い出すことは、孫たちの心と人生に後味の良くないものを残す」 「君に誠意があるのなら、一宿一飯の恩を返す意味でも別の宿を探すよりまず自分の記憶を戻すことを第一に考えなさい」 「……はあ」  筋が通っているかは分からないが、迫力負けと言うやつだ。自分は何も言い返せない。 「またすでに知っての通り、うちはいま孫たちが2人だけ。か弱い女の子2人しかおらん不用心じゃ。男が1人いてくれると防犯の意味でもありがたい」 「さてそうなると、問題は君が信頼に足る。うちに置いて良い者かという一点に尽きるわけじゃが」 「……」  この点は……自分には何も言えない。  自分が自身を潔白ですと唱えることには何の意味もないし、  そもそも自分自身、潔白なのかどうか分からないのだから。 「ふむ……」  そんな自分を、御仁はまっすぐに見据えてくる。 「……」 「……」  何分くらい見合っていただろうか。 「……」 「ケーキを1つ頼めるかの」 「は……?」 「ケーキ、シンプルなショートケーキで良い。君が作って、明日ここに持って来なさい」 「それで君を判断しよう」 「し、しかし自分はケーキなど……」 「君に拒否権はない。よいね」 「……」 「……はい」 「よろしい」  とそこで、 「でっかいの、検査結果が出たよ、おいで」 「あ、はい」  先生に呼ばれる。  一礼して入院室をあとにした。  ・・・・・ 「それで、記憶は?」 「理由は一切不明。だそうです」  頭を検査されたが、深刻な内部症状どころかたんこぶひとつ出来ていない。 「頭を打ってのことよりも、極端に身体が冷えると生命の危機を感じた肉体が脳への血液を一時的に絞って、記憶に混乱が出ることがあるそうで、それではないかと」 「あー、落ちたのより寒いのがマズかったと」 「では、治る時期は」 「分かりません。急に思い出すこともあるそうですが――、そのまま忘れてしまう事例も多いと」 「なんでも忘れるのは深層記憶だけで、一般生活に必要なことは覚えておけるそうです」 「自分の名前も分からないのに雨どいの直し方は知ってたもんね」 「深刻な記憶障害ではない分、身体が直す必要を感じず、そのままになってしまうそうで」 「望み薄ですか」 「ん~……」 「まあでも治る可能性もあるんでしょ」 「ならゆっくり治していけばいいよ」 「はあ……」  そう言ってもらえるのは助かる。 「……」 「ですがやはり、記憶の鍵のようなものを早く見つけたいですね」 「戻らないよりは、早く戻ったほうがいいです」 「はい」 「それは……そうだけど」 「ところでクロウ君、おじいちゃんに言われたケーキ、どうするの?」  話が変わる。  そうだ。これを忘れていた。 「ケーキ作り……困りましたね。経験がありません」 「おじい様、どうして急にあんなことを」 「おじいちゃんってたまに変なノリになるから」 「別にやらなくてもいいと思うよ」 「そうはいきません。御仁はおそらくこのケーキ作りで自分を試すおつもりです」 「不治の病に侵されていながら、あれほどの生気に満ちた態度と眼光。あの御仁只者ではない」 「ふじ?」 「やまい?」 「この試験も何か深い意義と思慮からなるものでしょう。応えないわけには行きません」 「うーん……」 「この山田クロウ、全力でかの御仁にご満足いただけるケーキを――」 「仕上げてみせます!」 「なんでケーキ作って来いなんて言ったんだい?」 「今日久しぶりに甘いもんが食べれると思ったのに、めるちゃんたちお土産持ってきてくれないんだもん」 「それに明日持ってくるように言っとけば、めるちゃんたちが明日も来てくれるじゃろ」 「このジジイは……」 「ケーキ作りそのものは自信ありませんが」 「必要な材料と、そのうちいまうちにないものは分かります。商店街に寄っていきましょう」 「恐縮です」 「ボクは作り方は知ってるから教えてあげる」 「うちにはそれ用の本もいくつかあるしね」 「はい」  2人のあとに続く。  2人とも自分がなにか言う前にすでに手伝ってくれるつもりのようだ。 「……」  明日の試験に合格したいという気持ちが、より強くなる。  このお2人の側にいたいという気持ちが。  ――ドンッ! 「っと」 「ットォ、失礼した。不注意でした」 「いえ、自分もボーっとしていまして」  燕尾服の似合う紳士と肩をぶつけてしまった。 「そうだちょうどよろしい。ジェントルメン、道を聞いてもよろしいかな」 「は……あの」 「市役所はどこにあるだろうか。街の管轄には必ず挨拶するのが我々の世界の礼儀なのだが、なにぶんこの街は初めてでね、迷ってしまったようだ」 「市役所……ですか、あの」 「いやあ昔からどうにも方向音痴が過ぎる体質で。初めての街ではトイレの場所にも困る始末だよ。はっはっは」  自分にとっても初めての街なのだが……。 「……」  ……?  そういえば、おかしいな。  自分にとってもこの街は初めてのはずなのだが、  不思議と公園や病院の位置は、めるさんたちに教えられるまでもなく分かったような……。 「クロウ君、どったの」  助かった。先に行ってしまったお2人が戻ってくる。  事情を話すと。 「市役所でしたらこの道を真っ直ぐです」 「あそこ、のっぽの時計台が見えるでしょ。あの下だよ」 「オオありがたい! お嬢さんたち、ありがとう」  恭しくハットを取って一礼する紳士。  そのまま行ってしまった。 「なんかまた見たことない人だったね」 「この街にこう続々と人が来るのは珍しいです」 「クロウさん、あの人、お知り合いでは?」 「いえ……少なくとも向こうは存じておらぬようでした」 「そっか」 「記憶を知る手がかりで一番簡単確実なのは昔の知り合いを探すことなのですが」 「お手間をお掛けします」 「……おお」 「クロウさんはこっちに来るのは初めてですよね」 「はい」  屋根の上から見えてはいたが、  商店街の活気は、実際に入ってみると予想以上だった。  雑にかき集められた雪を踏み台に、いくつもの店が軒を連ねている。  それぞれれっきとした家を構えているだろう店舗あり、来たままに商売を始めたのだろう露店あり。  見て回るのに楽しい珍しいもの、生活するうえでちょうどよい雑貨がちょうど半々くらい並んでいる。 「どうクロウ君」 「笛矢町名物、類奈区商店街です」 「素晴らしい」  我ながら目を輝かせているのだろう。めるさんと氷織さんがクスクス笑っている。  ケーキのことを忘れて、1日見て回りたいくらいだ。 「平日の、昼間だと言うのにこの賑わいと言うのもすごいですね」 「うーんでも一番混んでいるときでこれくらいですよ。夜はほとんどのお店が閉まっていますし」 「いまは歳末だから平日週末関係ないしね」 「なるほど」  この賑わいが、といったところか。  商店街は街の心臓。その賑わいは街の今を反映するというが、  良い賑わいだ。人が多すぎず、寂しすぎず。 「どこから回る?いきなり材料買うのもいいけど、まず何か食べよっか」 「あーでもショートケーキの材料なら果物屋さんが必須……そこで食べるのもいいなあ」 「どっちがいいクロウ君?」 「は、はあ、そうですね……」 「決められないよね」 「よーしどっちも行こう! どっちも食べちゃおー!」  テンションがすごい。 「あの」 「なにオリちゃん、なにか食べたいもの?」 「そうではなくて」 「まずはおそのさんのお店に行きませんか?」 「おそのさん……呉服屋さんの?」 「美味しくないよ?」 「食べません」  氷織さんが仰るなら、と、まずはそのお店へ。  呉服屋さん、というか、布を専門で売っているお店と言う印象だった。おそらくはオーダーメイドを受け付けているタイプだろう。  並行してクリーニングなんかも受け付けており、 「はいいらっしゃい」 「あらおチビちゃんたち。どうしたね」  ルーズな羽織りの女主人が出迎える。  一瞬かなり恰幅が良いのかと思ったが、よく見ると体自体は非常に絞り込まれてスレンダーだ。  妊娠……それも後期だな。お腹だけがぽっこり出ている。 「ひさしぶりーおそのさん。赤ちゃんおっきくなったねえ」 「あっはっは、もうじきポーンと出てくるよ。仲良くしてやってよお姉ちゃんたち」 「うん」  当たり前のようにそのお腹に耳をくっつけに行くめるさん。  店主も甘んじて受けている。  親しい間柄のようだ。 「んで? どうしたんだい。まためるが制服引っかけてお尻でも破いたのかい」 「ち、ちがうちがう」 「じゃあ座った拍子にお尻でもやぶいたのかい」 「ちがうちがう」 「ああ踊った拍子にお尻をやぶいたんだね」 「ボクそんなにお尻ばっか破いてないよ!」 「多いよね?」 「あ、あんまりないよ」 「私が知るだけでも8回ほど」 「7回!夏のあれはボタンが気になっていじくってたらちょっとバリって言っただけ!」  かなり親しい間柄のようだ。 「そんで用事は?」 「あの、おそのさんは炭アイロンを持ってましたよね」 「愛用してるけど」 「貸していただけないでしょうか」 「???」 「アイロンって、うちにもあるのに」  何事か話しあい、仕立て台を使わせてもらう。  台に置いたのは、 「なぁにこれ、名刺?」 「あ……」  自分の持っていた名刺だ。  昨晩のうちに、氷織さんが乾かしておいてくれたらしい。  それでも水に濡れたインクはぼやけてもう読めないが……、 「クロウさん、これ、焼いちゃっていいですよね」 「は、はあ」 「ああインクをあぶりだすのね」  店主が早速、アイロンを用意する。 「え? え? どういうこと?」 「今は水気で散っているので読めませんが、もともと文字のあった部分はインクが深く染みています」 「アイロンで焼けば、その部分だけ焦げて読めない部分があぶりだせるかと思いまして」 「ああ~、怪盗がよく犯行予告に使うアレ」 「うちのアイロンはスチーム式なので」 「うちのアイロンがいるってぇわけさね」  店主が持ってきたのは、底が平らなだけで受け皿のある鍋のような形状。あそこに炭を入れて使う、炭アイロンである。  あぶり出しが相手でも、火を使うと燃えてしまう。スチームでは水気が増えてしまうので、炭アイロンというのは良い選択だ。 「おーらいおーらい。炭をおこすのに時間がいるから、1時間くらい潰してきなさい」 「はい」  3人、店を出る。 「これがオリちゃんが昨日言ってた秘策かあ」 「名刺ということは、運がよければ電話番号くらいは出てくると思うんです」 「……自分では思い付きませんでした」  名前が知れた時点であの名刺のことは頭から消えていた。 「1時間できましたし、見て回りましょうか」 「はい」  自分の記憶喪失。取り戻す手がかりは1つもないと思ったが、  少なくとも、取り戻すだけの協力者には恵まれているようだ。 「むむむ……なんか悔しい」 「はいはいはいはーい!ボクも! ボクもクロウ君の役に立つことしまーす!」 「はい?」 「このままじゃオリちゃんだけクロウ君を助けた感じでなんか悔しい!」 「自分は、明るいめるさんを見ているだけでずいぶんと助けられていますよ」 「あう」 「そ、そういういい話風のやつはいいの」 「んっとねー、それじゃ」 「この商店街のおすすめのお店を教えるよ。さあゴーゴー!」  手を引かれる。 「まずはここ!ベーグルのことなら任せとけ、街一のパン屋PanpoPan!」 「ムギさーん、ベーグルくださーい」 「あいあい、およよめるちゃん今日は彼氏連れかい」 「ミヨちゃんも込みでベーグル3つでいいかねえ、あいあい」 「続いてうちもバターの仕入れでお世話になってる。乳製品全般任せとけ、フォルマッジョのマダム牛尾!」 「モォ~、いい男連れてるじゃないの~」 「今日は……んっと、チーズ、スライスの」 「はぁーい、ちょっと待ってねェ~」 「んでんで次はこっちはそんなマダムと数10年来の親友のお肉屋さんでMaialeの満素さん!」 「オォー食べてミィーヨー、美味しイーヨー」 「今日は……コロッケ。アツアツの」 「あいヨー、食べてミィーヨー」 「こうして全ての店から受け取ったパワーを合わせることでぇー」 「ばぁーん! どうだ、チーコロサンド完成!」 「さ、食べて食べて」 「いただきます」 「……美味しい」 「でしょー」 「めるさんはこの街の美味しいお店すべてに顔が利くんです」 「素晴らしい」 「ですがサンドイッチ……大変美味しいのですが、ちょっと重いですね」 「パンにコロッケとチーズだけですからね。野菜もあったほうがいいんですが……」 「お野菜のお店は苦手なんだ……」 「なにか問題が?」 「実は」 「こーら」(ぎゅっ) 「ひゃあ!」 「村崎さん」  知った顔が。 「さっきから見てたわよ~めるちゃん。どうしてうちのお店には寄ってくれないの?」 「もしかして、避けてるうちの八百屋ムラサキを」 「い、いや小町ちゃん、別に避けたわけでは」 「おばあちゃーん」 「バカモォオーーーーーーーーン!」 「ひい!」 「野菜を食べんとはなにごとぢゃい!若いうちは野菜を食べる!でなきゃ大きくなれんぢゃろうがい!」 「ふぇええ、ごめんなさぁい」 「……?」  見覚えのない、どこかで見たご老人が。 「あ、どうもクロウさん」 「クロウ?」 「アンタかね小町が言うとった記憶のないっちゅー男は」 「は、はあ」 「物忘れには紫蘇の葉と大根だよ。ほら持っていきな」 「オリ子は相変わらず小っちゃいねえ野菜が足りないからよ。大きくなるにはほうれん草とひじき。ほら持っていきな」 「ど、どうも」 「そしてめる子。アンタは相変わらず野菜食べないねえ。いっぱい食べなきゃダメだよ」 「ほらトマト、ニンジン、ピーマン、キャベツ、ニンニク。ここのヘタがつやつやしてるだろういい野菜の証拠だよ。全部持ってきな」 「ふぇえええ許しておばあちゃあん」 「あのぅ……」 「あ、ご紹介しますクロウさん。こちら代々続く八百屋ムラサキを営んでおります。小町のおばあちゃんです」 「ご実家は八百屋さんだったので」 「うちは先祖代々農家なんだよ。でっかくていい野菜をいっぱい作って、街の人たちに健やかな毎日をお届けする家系なんだ」 「娘はさらに健康を追い求めて医者になったけどね。ハン、医者にかかるようなのは野菜が足りないバカモノだけさ」  なんだかすごい一家だ。 「果物の搬入もしてくださっている。うちことフォルクロールにはなくてはならないお店です」 「ただ……」 「ほらめる子、はんばぁがはいいけど、そんなお肉ばっかりで食べてないでトマトくらい挟みな」 「きょ、今日のはコロッケサンドで」 「あ?」 「なんでもないです。野菜食べます」 「ほら貸してみな挟んでやるから……あれ。閉じないね」 「トマトまるまる1個は無理だよ!せめてスライスしてよ!」 「めるちゃんにとっては天敵なのよねえおばあちゃん」 「これがめるさん77の弱点のひとつ。野菜が苦手。です」  苦手とかいう以前の問題のような。 「村崎さんとフォルクロールは、本当に深いご縁で結ばれているのですね」 「ですね」 「ハン、ケーキなんて甘ったるいものしか作れないジジイと一緒にして欲しくないよ」 「そうだオリ子。ジジイはどうしてるんだい。もう治ったのかい」 「えと、まだです。まだ入院長引いてます」 「かあ~情けないジジイだよ」 「うちの新鮮な大根でひっぱたいてやりゃすぐ治るだろうに、娘がさせてくれないしね。まったく」 「ふふ、おばあちゃん、めるちゃんのおじいちゃんが入院してるとケンカ相手がいなくってちょっとご機嫌ななめなんです」  お隣同士、古くからよい付き合いをされているようだ。 「ほらめる子、オリ子こっちにおいで。はんばぁがなんて下らないものより、新鮮野菜でサラダを作ってあげるから」 「ありがとうございます」 「ま、まだ食べるの~?」  氷織さんもめるさんも懐いてらっしゃるようだし。 「クロウさん、それで、お加減は?」 「あ、はい。結局記憶喪失の原因は分からないとのことで、時間をかけて治すことになりました」 「そうですか……」 「まあでも、悪くならないなら一安心です」 「はい。村崎さんにはご迷惑を……」 「なんだい?」 「あ、と」 「ああ小町のことかい。紛らわしいね」 「申し訳ない」  よくよく考えると、これで『村崎さん』は3人目だ。 「くすっ」 「ではクロウさん、小町のことは、めるちゃんたちみたく小町とお呼びください」 「では、小町さん」 「はい」  こちらの方がしっくり来るかもしれない。 「クロウさんは、うちに住むことになると思います。まだおじい様と協議中ですが」 「そうですか。ではお隣さんですね。よろしくお願いします」 「お願いします」  母子三代、快活な一家なので、お隣になるのは嬉しい。 「あ、そうそうクロウさん。朝のことなんですけど」 「はい?」 「はしご、どうなりました?」 「ん……」  はしご……。  朝、使ったはしごか。そういえば片付けた覚えがない。 「あの、小町の都合で先に中に入ってもらっておいて恐縮なんですが、すぐまた使うものと思ってそのままにしてしまったんです」 「でもよくよく考えたらクロウさんそのあと病院なので、片付けたほうがよかったですよね」 「ああ、いえ、夕方にも使うつもりですので」  そのままでも問題はない。 「あ~……はしご、そのままですか」 「なにか?」 「いえ、万が一の話なんですが」 「日が高くなってきたので屋根の雪が落ちるころです。それでその雪にはしごも巻き込まれると」 「……万一に万一ということがありますね」  それで倒れたはしごが通行人に当たったり……。 「た、大変」  慌てる小町さん。  雪にはしごが巻き込まれる危険も、そこに通行人が偶然来る可能性も極めて低い。そんなに言うほどではないのだが、 「こ、小町見て来ます」 「いえいえ、自分が行きますので」  小町さんに気を使わせてしまう。あわてて止めた。 「氷織さん、先に帰ります」 「はい。名刺もそろそろ出来るでしょうから、そっちはこちらで」 「お願いします」  別行動となる。  ・・・・・ 「お、オリちゃんクロウ君、なんかサラダの山が来ててボクたちで食べなきゃいけないムードだよ助けて~」 「あれ。クロウ君は?」 「一足先に帰りました」 「さああこれ全部食べるまで返さないよ」 「ぴええええ」  店までの道は覚えているので1人でも問題あるまい。  こっちだ。  はしごは……む?  そうだ。忘れていた。はしごを立てたのは塀との間だった。  雪の直撃は受けたらしい。はしごは逆向きに倒されてはいたものの、塀にぶつかり止まっていた。  杞憂だったか。いや、出しっぱなしにした点は反省せねば。  改めて片付ける……。 「~」 「?」 「~~」  む?  どこからか女の子の声が。 「へるぷみー」 「……?」  上? 「誰か~、助けてくだサ~イ」 「……」 「ううう、高いよぅ、降りられないデス」 「お兄ちゃーん、へるぷみー」  誰かは知らないが、  女の子が1人、何が起こったかは想像に難くない状況になっていた。 「あのぅ」  はしごをかけ直す。 「はうあ!? は、はしごが戻ったデス。ワタシが蹴った拍子に向こう側に倒れちゃったのに」  雪で倒れたわけではなかったようだ。  迎えに行こう。はしごを登る――、 「これは奇跡? ミラクル?いい子にしてると年に1度起きると噂のやつデスか?」 「とにかくこれは千載一遇! 九死に一生窮すれば通ず!ありがたく下りさせていただきマース……」 「とりゃー!」 「む?」  なんだかかしましい上を見ると。  お尻が落ちてきた。  ――むぎゅ。 「わひっ」 「もが」  顔面に直撃する。  それ自体は柔らかいものなので良いのだが、 「ひあ、ひゃ」 「あわわわっ」 「あぶない!」  自分が邪魔になったせいで、降りようとした彼女がはしごを踏み外した。  バランスが崩れる――。 「はわ、はわ」 「オーノー!」  そのまま落ちそうになり。  ――ガシッ!  ――ずんっっ!  なんとか空中でキャッチして、そのまま飛び降りた。 「あわあああああ」 「……あ……、ahan?」 「お怪我はありませんか」  なんとか彼女にはダメージなく下りられたようだ。 「い、Yes。アリガトーゴザイマシタ」 「なによりです」 「とゆーかそちらコソ、だ、大丈夫デス?こんな高さから」 「問題ありません」  この高さから下りるのは朝の時点でやっている。  何事も慣れておくものだな。  お姫様抱っこの形で抱えていた彼女をおろした。 「はああ……もうダメかと思いマシタ」 「通りかかったら屋根の上にネコさんが見えて、ちっとも動かないので降りられないのかと思い、ちょうどはしごがあったので助けにいったのデス」 「したら登ったところではしごを蹴っちゃって、向こう側に倒れちゃって。もうどうしようかと」 「大変でしたね」 「はしごを置きっぱなしにしたのは自分です。ご迷惑をおかけしました」 「イエイエ」 「ところで、ネコというのは」 「あ~……ん~……」  ちらっと屋根の上を仰ぎ見る彼女。  先ほど小町さんの作っていた、雪兎があった。  ……なるほど。 「何度か飛び降りようかと思ったけど、怖くてやめてよかったデス。待てばカイロの日和ありデスねー」 「まあちょっと寒かったデスけど」 「どのくらい上にいたので?」 「あん……」 「2時間くらい?」 「……」 「ふぇぶちんっ!」 「はあ~、温かいデース」 「暖炉がもうじき効いてきますので、しばらくそれでお待ちください」 「コートもアリガトーゴザイマス」 「なんだかとっても派手デスネ?」 「はは」  部屋が暖かくなるまで、自分が最初に着ていたコートを羽織ってもらった。  めるさんたちに無断で中へ迎えるのはどうかと思ったが、いまはそんなこと言っていられまい。 「ヌクヌクデース」 「いま温かい物をいれます。紅茶でよろしいでしょうか」 「アリガトゴザイマース、イタレリツクセリネ」  よっぽど寒かったのだろう。暖が取れて、幸せそうにしている。 「あん……」 「は! イケナイ寝てしまいマス」  コートを脱いだ。 「えと、そうだ自己紹介がまだデシタ」 「ショコラと申します。ハジメマシテ」  ショコラさん。 「よろしくお願いします。自分は……えと、クロウ、です」 「クローサン。よろしくお願いしマース」 「はい」  記憶のことは言わなくても良いだろう。  冷えているので、砂糖を多めにして、 「どうぞ」 「アリガトゴザイマス……あちち」  ん。 「ふーっ、ふーっ」  かなり熱めで持ってきたが、苦手なようだ。 「失敬。こちらをどうぞ」 「はい……わあ」  勝手ながら朝めるさんの飲んでいた牛乳をお借りする。  ミルクティにして、 「……」 「いただきますデス。……あは、いい香り」  温度もちょうどよくなったのだろう。顔がほころぶ。 「……」  カップを運ぶ所作は手慣れたもので、優雅そのものだった。  そうした教育を受けている、紅茶に慣れているようだ。  やや緊張するが……、 「おいしいデス」  味の方もご満足いただけたようだ。 「それにとてもいい香りデスネ。これは……ブレンド?」 「うちのティーインストラクターのものです。お気に召していただき何より」  氷織さんのブレンドは好評なようだ。 「ん~~♪ 甘くておいしいデス」  幸せそうににへーっと頬をとろかしている。 「それで……ショコラさん」 「はい」 「店に何か御用でしたでしょうか」  あの屋根の上の雪兎は、外からは見えない角度にある。あれに気付いたということは、彼女はこの店の、少なくとも塀の中にいたということだ。 「ハイ、フォルクロール、この街一番のケーキ屋さんと聞いてやってきたのですが」 「今日は……」 「しばらく休業中、とのことです」  ケーキ屋としては機能していない。 「Oh……残念デス」 「『妖精のダイヤ』も見つかりそうにナイし……」  ??? 「まあステキなMilk teaはいただけたから良かったデス」  にぱっと笑う。  こうもいい反応をされると、ケーキも楽しんでいただきたかったな。 「ところで、シバラク?お休みは長くとるのデスカ?」 「はい。パティシエの方が体調を崩されておりまして」 「Oh……」 「お兄ちゃんの言う通り……やっぱりもう仕方ないのでショーか」 「はい?」 「いえコチラの話デス」 「残念デスネ。とても美味しいお店と聞いてマシタのに」 「……」  フォルクロールの評判は上々だったらしい。  こうなると自分も食べたくなってくるな。 「このお茶にも合ったでしょうし。mn……」 「……」 「そうだ、なにかお菓子が合った方がいいですね」 「あわっ。イエそう言うわけでは」 「なにか探してきます」  厨房へ。  めるさんから何でも食べていいと言われているので何かないか探す。  ただやはりというか、厨房に『お菓子』はなかった。  お菓子の原料。チョコチップや金平糖ならあるが……。 「ヨロシイデスカ?」 「あ……はい」  来てしまった。  厨房に部外者を入れるのはマズいだろうか?だが本来部外者の自分が追い出すのもちがう気がする。 「わあ……ケーキ屋サンの舞台裏。久しぶりデス」 「いいニオイ、バターの甘いニオイがシマス」 「……うちと同じ」 「あの」 「あぅ、スイマセン」 「すいません特にいいものが見つかりませんで」 「チョコチップくらいならありますが……」 「あん、お気をツカワズ」 「……あ」  ふと何かを見つけたようで、厨房の奥へ、  見ると、 「使ったママデスネ。これは……クッキー?」 「ああ、はい」  昨日めるさんが使っていたものだろう。バターや小麦粉、卵の殻がそのままになっている。 「クッキー☆ いいデスネ、まだありマスカ?」 「申し訳ない。全て食べてしまいまして」 「Oh……」  残念そうにする。  ふむ。 「ちょっとお待ちいただければ、作ってみましょうか」 「え、いまカラデスカ?」 「はい」  せっかく『フォルクロール』に来ていただいたのだ。せめてお菓子をふるまいたい。  片づけをしてないめるさんは褒められないが、ちょうど材料はここにあることだし……、 「……」 「じゃあ……お願いしてイイデスカ?」 「はい」  ボウルを手に取った。  やり方は……、 「……」  ……む?  ボウルにバターを入れる。  寒さで固まりきっているのでお湯でボウルを洗いつつ、粉糖と卵、小麦粉を混ぜていった。 「おお」 「……」  不思議だ。  分かるぞ。クッキーの作り方が分かる。  めるさんがそうしたであろう軌跡が分かる。 「すごいデス。ウィートやエッグの量、目分量で分かるのデスネ」 「……」  なぜ分かるのだ自分は?  とにかく、塊になったらヘラで台に引き伸ばして行く。 「め、綿棒は使わないのデスカ?」 「あ……でも薄くできてマス」  引き延ばしたそれに、ザックリと切り筋を入れた。 「ソレはなんデスか?」 「ピケと言って、焼いた時に生地が爆ぜないようあらかじめ破れる箇所を入れているのです」 「へえ~」 「……」  なぜこんなことを知っているのだろう自分は。  窯を開けた。  この家は、表の暖炉とこちら側の窯がつながっている。暖房を入れた時点で厨房の窯にも火が入るようだ。  すでに窯の中は充分に温まっていた。  めるさんの残したプレートに乗せて、中へ。 「これ、どのくらい焼くのデスカ?」 「はい。えっと」 「……?」  どのくらいだろう。  180度で10分強。とは聞いたことがあるが、薪で火を入れるこの窯に温度計などついていない。 「……すいません。分からないので、焦げてしまうかもしれません」 「はい?」  ここまで手際よく来て、急に頼りないので、目をぱちくりさせるショコラさん。  まいったな。自分でも頼りなくなってきた。  焦げ付かないよう気をつけたいが、といって生のままだすのは避けたいし。  窯と言うのは基本的に、その時の火加減や通風孔からの風の入りで温度が全くと言っていいほど安定しない。  初めて使ってベストな時期を見つけるのは不可能だが……。 「ん……」 「ドシマシタ?」 「この香り……」  窯の方から甘い、よい香りが漂ってくる。  昨日も嗅いだ香りだ。つまり……。 「あと5分ほどです」 「……ワォ♪」  表情に明るい物が戻った。  昨日のめるさんは、こんな香りがしだして5分後くらいに窯から上げていた。  それに習おう。  5分して戻ってくる。 「わああああ」 「上手くいったと思います」  めるさんの作ってくださったものと同じ、良い色に焼けていた。  お茶を淹れなおす。 「せっかくだしティータイムにしまショー。ねっ、クローさんも」 「はい」  今度は『温まるため』でなく純粋に『お茶を楽しむため』。紅茶を――。 「ただいまー」 「ただいまです……あら?」  ちょうどいい。4人分用意した。 「あの」 「このお店の方デスカ?初めマシテ、ショコラ・ネージュデス」 「は、はい初めまして」  挨拶を済ませる。  こうなった経緯を説明した。ショコラさんがお客として来て事故にあったこと。温まるため入ってもらったこと。  めるさんたちは、突然のお客は意外そうだったものの、もともとお客を入れる店なので嫌な顔はせず、 「ショコラだね。よろしく……外人さん?」 「ハイ、こっちにはまだ2ヶ月デス」 「よろしくですショコラさん」 「めるにコーリ。よろしくお願いシマス」  すぐ仲良くなったようだ。  それで、 「それよりそれより、このクッキークロウ君が焼いたの?」 「いい色です」  めるさんたちもクッキーに食いついた。 「ぼ、ボクより上手かも」 「昨日のめるさんを参考にしたのですが」 「ボクが昨日くらい上手くいくのは5回に1回だから……」 「早く食べまショー。さっきからヨダレ出そうデス」  ショコラさんは待ちきれなくなっている模様。  めるさんも目を輝かせていた。 「そうですね。せっかくなので熱いうちに」  4人、テーブルに腰を落ち着ける。 「いただきます」 「いただきまーっす」  ティータイムに。 「わあああ、なにこれ美味しい」 「はむはむはむ」 「んんん~~~~~っ♪おクチがとろけマぁぁあス」 「あま~」  お気に召していただけたようだ。 「ミルクティにしたんですね」 「氷織さんのブレンドならアレンジも効くと思いまして」 「いえ、このブレンド、ミルクの量をまちがえると味がもたついてイマイチなんです」 「でもこれは香りが閉じ込められて美味しい」 「クロウさんすごいです」 「偶然です」 「クッキーも美味しいよー」 「今度から食べたいときはクロウ君に作ってもらおかな。絶対ボクより上手だよこれ」 「そんなことは……めるさんの真似をしただけですから」 「理由はなんでもいいの。ここに美味しいクッキーがある。それが全てだよ」 「うん。決めた。今度からクッキーはクロウ君に……」 「あの……めるさん、でも」 「うん?……あそっか」 「なにか?」 「いや、うん。まあやっぱりボクが作るとして。今度からたまには、ね」 「は、はい」 「あはは」  ?  何か濁されたな。  言わないということは聞かないほうがいいのだろうが、少々気になる。 「……」 「コーリ、さっきからクッキー全然食べてなくナイデスか?」  ? そういえば、 「い、いえ食べてますよ」  一枚とって、はむっと咥える氷織さん。 「たださっきサンドイッチを食べたので、お茶のほうがありがたいというのはあります」  ただその一口だけで、すぐにお皿に置いてしまった。  そうか。氷織さんくらいの体格では、さっき市場でいただいたパンも大きいか。  自分とは胃袋の容量がちがうのを忘れていた。 「あむあむあむあむ」(ザクザク) 「ホントに美味しいデス、クローさんはリョーリジョーズネ」 「あっ、もしかしてクローさん、ケガをしたというおじいさんの代わりのパティシエさん?」 「い、いえまさか、そんなことは」 「この腕なら今すぐお店だせマス」 「ん……」 「今回はたまたまうまく行っただけですよ」 「そうデスか、残念」 「……」 「まあパティシエはともかくとして」 「クロウ君、この分ならおじいちゃんに言われたケーキも案外サラッと作れちゃうんじゃない?」 「まさか。クッキーとケーキではものがちがいますよ」 「ふふ、だよね。ボクもクッキーは出来てもケーキは自信ない」 「けれどおじい様、楽しみにしてらっしゃいます」 「そうですね。簡単ではないと思いますが、なんとかやってみます」 「なんの話しデス?」 「クロウ君、明日までにケーキ作らなきゃいけないの。まだ作ったこともないのに」 「ナゼユエそんなことに」 「いろいろあるんです」 「ナルホド、諸行無常デスネ」  よく分からないが納得したらしい。  しかし、  クッキーは我ながら良い出来だと思う。少なからず自信もつく。  これならケーキも……という気にもなる。  ・・・・・ 「ごちそうさまデシタ」 「お粗末様です」 「フォルクロールのケーキが食べられないのは残念デスが、代わりにトテモ楽しい時間をいただけマシタ」 「いやいや、こっちこそ楽しかったよ」 「また来てください」 「そうそう。またクロウ君がクッキー作ってくれるから」 「ハイ」 「では、店長のおじいさまにヨロシクデス」 「うーい」  お客人を見送る。 「楽しい方でしたね」 「それにすんごい美人。やっぱ外人さんは足の長さがちがうよね」 「ですね」 「……」 (ところで……) 「さて……それでめるさん、引き続き厨房は自分に使わせてもらってよろしいでしょうか」 「お、ケーキ?」 「はい。若干、自信がつきまして」 「いーねいーねー」 「好きに使っていいよ。ただし、このクッキーみたいにおいっっしいのを作ってボクたちをしっかり満足させること」 「がんばります」  さらっとものすごく高い条件がついたが、まあ方便というものだろう。 「……」 (ショコラさん……うちの店長兼パティシエがめるさんのおじい様と言うことを知ってた) (クロウさんが教えた?パティシエという点はともかく、店長でもあることは話にしたことないような) (うちの内情を知っていた……?) 「? 氷織さんなにか」 「ん、いえ」 「そうですか。では」  厨房へ向かった。 「……」 「あっ、クロウさん名刺は――」 「もう行ってしまいましたか。名刺……」 「せっかく電話番号まで分かりましたのに」 「~♪」 「はああ、美味しかったぁ、幸せデス」 「あっ」 「お兄ちゃーん」 「ショコラ、どこに行っていたんだ」 「愚問か。どうせまた美味しそうな匂いに誘われて。といったところだろう」 「えへへ~」 「昨夜の話で『フォルクロール』の名前が出た時、目を光らせていたのを兄は見逃してないぞ」 「フォルクロールに行ったんだな?」 「だ、だってミナサン好評サクサク。あんな美味しい美味しい言われたら気になっちゃいマス」 「まったく。どうせ店主が入院中ではケーキなんて出ていないだろう」 「Yes。ケーキは食べられませんデシタ。残念デス」 (クローさんのクッキーだけで大満足デスけど) 「お前の好奇心は美徳だと思っているが、あまり考えなしに動かないようにな」 「あの店と我々は、あまり仲良くできる間柄ではないのだから」 「Mn……」 「とくに――今はまだ遅れているが」 「ミスターヤマダが到着すれば、すぐにも」  ――ピ、ポ、パ、ピ。  prrrrrrrrrr。prrrrrrrrrr。  ――ガチャ。 「はいお電話ありがとうございます。こちらお助け事務所『大雪山』。サポートセンターの赤井ですが」 「あ、あの、もしもし」 「御社の山田さんのことでお話があるのですが」 「ヤマダ?」 「あの、名刺にある」 「えと、なにかの間違いかしら。当社に山田という者はおりませんが」 「へっ?」 「変ねえ。中井さーん、うちに山田さんなんていたかしら」 「いないわよね。あのぅすいません、どなたかとお間違いでは?」 「そ、そんなはずは」 「加山ならいます。変わりましょうか」 「い、いえ」 「山田さんと御社は、関係ない?」 「少なくとも当社の人間ではありません」 「そうですか……分かりました。もう結構です」 「あ、あともう1つ」 「御社は、なにをするところなんですか?」 「そうですねえ、分かりやすく言うと、何でも屋です」 「みんなの幸せをほんのちょっとだけお手伝いする、そんなお仕事」 「……ありがとうございました」  ――カチャ。 「オリちゃん? どっかに電話?」 「クロウさんの名刺、炙りだしたら電話番号が出て来たので、かけてみたんです」 「おおお急展開。そんなに上手く言ったんだ」 「ですね、アイロンを使ったのは上手くいったんですけど」 「電話番号以外はほとんど読めないし、その番号も……いまかけてみたら山田クロウという方はいないとかで」 「どれどれ」 「お助け事務所……?」 「はい、なんでも屋さんだそうです。そこの名刺であるのは確かなんですけど」 「うーん……」 「手がかりにはならず、と」 「名刺が一枚しかないということはクロウさんのものではないのかも。いえコートの名前と一致するなら……うーん」 「加山さん……加山田九郎さん……?さすがにうがち過ぎでしょうか」 「とりあえず会社のことはクロウさんに伝えます。どんな会社なのかも調べて――」 「オリちゃんはホントにクロウ君の正体を気にするねえ」 「それはそうですよ」 「逆にめるさん、ちょっと飽きてます?」 「いやあ、記憶が戻ればとは思うけど、正体を追うのはもういいかなーと」 「めるさん……」 「だって正体がわかったらクロウ君、結構な確率でこの街から出て行っちゃうでしょ」 「クロウ君優しいし大きいし、出てっちゃったら寂しいよ」 「……」 「クロウさんにも待っている人がいるんですから、記憶は戻ったほうがいいですよ」 「それは……うん」 「ところでケーキはどうなりました?」 「あっ、忘れてたそれで呼びに来たんだ」 「来て来てオリちゃん。すっごいから」 「ふぇ?」 「スポンジ部分の硬さが安定しませんね……」 「スポンジ、ビスキュイって言うんだけど、水分が飛びやすいから焼く時の窯の火加減とかがすごい難しいんだよ」 「でも試しに3つ作ったこれ、どれもフワフワ。うまく行ってるじゃないクロウ君」 「卵を泡立てるとき空気を含ませるとよいようですね」 「だが生クリームのほうは泡立てるのに失敗しました。酸化しているのでしょうか、ふくらみが緩い」 「もっと細かくかき混ぜてみます」 「わあ……」 「ま、まだ初めて1時間くらいですよね?」 「氷織さん。はい、ご迷惑をお掛けしています」 「ケーキ作り、何とか形になりそうです」  ケーキ作りの手順は、本があったのでそれで覚えた。  単純なショートケーキなので、基本的にはスポンジとクリームを作れればそれで問題ない。  とくに問題なのは、スポンジの焼き加減に尽きるのだが、  その部分で自分はカンニングできるのが大きい。  使いこまれた窯には、いつも焼いているだろう部分に丸いあとが残っている。そこに大きさを揃えて置けば、あとは焼く時間だけ。  火加減はめるさんに見てもらい、だいたいの目分量。試しに3つ焼いて時間を分けて窯からだして比較したところ、1つが良さそうな塩梅に出来ていた。  明日はこれを真似て改めて焼くとしよう。  それで次はクリームだが……。 「こんなもので如何でしょう」  これは参考がないので、自分の感覚で塗ってみる。  なかなか綺麗に塗れたという自負はあるが……。 「……」 「……」 「お2人とも?」 「失敬」 「私もめるさんも、こんなに綺麗に塗れたことないです」 「え……まさか」 「ほんとだよ」 「これはナッペっていう作業なんだけど、地味にすんごーく経験が必要なの」 「力をかけすぎるとスポンジを押し詰めちゃう。かけなさすぎるとクリームがむらになる。時間をかけすぎると今度はクリームの質感が揃わない」 「……ボク、人生で1回もこんなに上手くできたことない」 「同じくです。ちょっと悔しいくらいですね」 「はあ……ぐ、偶然でしょうか?」 「ううん、おじいちゃんが言ってた。世の中には生まれつきちょうどいい力加減を知ってる天才もいるって」 「ケーキを作るための腕の持ち主がいるって」 「……」  反応に困る。 「……」 (本当に天才なのか、もしくは) (そんな腕になるだけの『経験』があるのか) 「とにかく、あとは仕上げです。イチゴは買ってきてありますので」 「クリームのデコだけだね。はいこれ搾りと、ショートケーキなら丸口でいいね」 「はい……。……色々な種類があるのですね」  透明な搾り用の袋に、泡立てた生クリームを入れる。  出し口の口金。そのままの丸いものだけでなく、ぎざぎざだったり長細かったり、様々な種類がある。 「この形で色んな搾り方が出来るの。丸口、星口、平口、紐口、この切れ込みが入ったのがサントノーレ」 「ほう……」  面白いかもしれない。 「丸口ならビスキュイやナッペよりよっぽど簡単だから、やってみて」 「はい」  シンプルな丸い口金を受けとり、先端にはめる。  丸く飛び出すクリームをケーキのふちに乗っけた。口を引けば、クリームはわずかに引っ張られて、水滴上に固まる。  なるほど、確かに簡単だ。 「……」  ――ちゅぼ、ちゅぽ、ちゅぽ。  ひとつひとつ、丸い外周をなぞって作っていき、 「できました」 「ああ~、やっぱり引っかかんないか~」 「めるさん、失敗させようとするのはどうかと」 「はい?」 「これが一番難しいんだよ。ひとつの玉のサイズを、ケーキの円周の大きさを均等に割った大きさにしなきゃいけないんだから」 「ああ……なるほど」  言われてみれば。  ただそんなこと全く考えず、感覚だけで搾っても、水滴型のクリームはさほどサイズに違いなくスポンジの外周に肩を並べている。 「ケーキそのものはこれで完成ですね。あ、イチゴ洗います」  先ほどの八百屋のものだろう。持って帰ったたくさんの野菜が入った袋から、イチゴのパックを取り出す氷織さん。  あとはアレを乗せれば完成だ。ここは失敗のしようがない。  初めて作ったケーキ。おおむね成功と見ていいだろう。 「もー、ウソでしょクロウ君これが初めてなんて」 「ボクおじいちゃんを手伝って10年はやってきたけど、1回もこんなきれいに出来たことないよ」 「そ、そうでしょうか」 「ケーキ屋の子のプライドが~」  拗ねたみたいに口を尖らせるめるさん。  不快にさせてしまったか……、  焦ったが。 「わいっ」 「おっと」  抱きついてきた。 「んふふふ、やっぱり思った通りだよ」 「クロウ君は、いつも良い子にしてきたボクたちに幸せを持ってきてくれた妖精さんなんだよ」 「は、はい?」 「えへへ~」  よく分からないが、  不機嫌になったわけではないようだ。 「……」 (めるさんの考えてることが手に取るように分かります) 「……」 (でも……それは困るんですよね)  ・・・・・ 「一応完成と言えば完成ではあるけど」 「このビスキュイは高さが13センチ。そこそこ分厚いから、この作り方だとビスキュイの味が勝ち過ぎちゃうんだよね」 「だからおじいちゃんに持っていくやつは横向きに半分に切って、そこにクリームとイチゴのスライスを挟むやつにすると喜ばれるよ」 「なるほど」 「これはもう技術関係ないから大丈夫だけどね」 「というわけで作ったやつはこの場で食べちゃおー!」 「さっきから食べてばっかり……。お夕飯食べられなくなりますよめるさん」 「今日はもう夕ご飯なしでよくない?」 「めるさんがいいならいいですけど」 「じゃあいたーきまーす!」  二度目のティータイム。紅茶を入れる。 「はむはむあむあむ。ん~、綺麗なだけじゃなくて味も最高~」 「喜んでいただいてなによりです」 「このストロベリー、とても良いものですね。甘すぎず適度に酸味があって」 「ムラサキさんがうちのケーキに使うためだけに遠くの街から仕入れてくださる品種だそうです」  周囲との連携が出来ているようだ。 「このケーキ、あとで半分お隣に持っていきますね。とてもきれいなので小町さんも喜びます」 「えー、全部食べたーい」 「1ホール丸ごとは無理ですよ」 「……いや無理じゃないですねめるさんには。でもダメです。半分持っていきます」 「ちぇ」 「それで、残ったさらに半分をめるさんが食べるとして」 「4分の1ホールなら楽勝♪」 「クロウさん、これだけ食べられますか」 「あ、はい」  残る4分の1の、かなりの大きさを渡された。  氷織さんに残った分はかなり薄っぺらい。 「すいません、せっかく作っていただいたのに。でもいまお腹があまり」 「いえ、ご無理をなさらず。お好きな分だけどうぞ」 「すいません……」  申し訳なさそうな氷織さん。  気にすることはないのに。 「氷織さん、甘いものが苦手なようですから、お気になさらないでください」 「ふぇっ?」 「あれ。バレた」  驚き顔の2人。 「め、めるさん、言いました?」 「言ってない言ってない」 「会ってから紅茶やコーヒーに一度も砂糖をお使いになりませんし、昼のクッキーもあまり食べたがっていませんでしたし」 「なにより先日めるさんの作ったクッキーが無糖でした。めるさんはその上から砂糖をかけて食べるくらい甘党ですのに」 「となると……と思いまして」 「ふぇええ、鋭いねえ」 「よく見てるんですね」 「すいません、ケーキ屋さんで居候してるのに甘いものが……その、苦手で」 「味覚の趣向は仕方のないことですよ」 「それに苦手なわけじゃないでしょ。ただ……」 「めるさんっ」 「おっと」  ?  何事か誤魔化されたが。 「自分も次にクッキーを焼く時は、無糖にします」 「う……」 「じゃ、じゃあお願いします」 「私もクロウさんの作ってくれるクッキー、お腹いっぱい食べたいので」 「はい」  ・・・・・ 「ばーんっ」 「ここは……」 「おじい様のお部屋です。クロウさんにはここを使ってもらうようにと」 「好きに使っていいよ。一応引き出しの中身とかはあんまり動かさないようにって」 「それはもちろん」 「こんな、部屋まで与えていただいてよろしいのでしょうか。自分のようなものに」 「いーのいーの、困った時はお互い様」 「……そう。お互い様なんだよね、ぬふふふ」 「?」 「はあ……」  なぜかため息をつく氷織さん。  なんだろう? 「ていうかゴメンね昨日は狭いソファで。ホントはもう昨日からこの部屋使ってもらおうとは思ってたんだけど」 「いえ。主の許可なく入るわけには行きませんので」 「まあそれもありますけど」 「この部屋、めるさんは立ち入り禁止なんです」 「はい?」 「おじいちゃんに入るなって言われてるの。もー、可愛い孫にひどいよね」 「……?」  意外だ。昼の感じでは大変仲が良さそうだったのに。 「クロウさん、めるさんがこの部屋に来た時はすぐに私に知らせてください」 「は、はあ」 「ではめるさん。クロウさんにもプライベードが必要ですので、出ましょう。部屋に慣れていただくために」 「えっ。でももうちょっと……」 「ダメです。行きますよ」 「わーん」  行ってしまった。  1人残される。 「……」  記憶を失い目が覚めて、  その瞬間からめるさんと氷織さんに親切にしていただき、あれよあれよという間にプライベートルームまでいただけてしまった。  良いのだろうか、自分のような誰とも知れぬ者を。  せめて何か、  お2人にお返し出来ることでもあれば良いのだが……。 「クロウさん」 「はい」  氷織さんが1人で戻る。 「なにか」 「はい。言うのを忘れてました」 「名刺、ここまでは戻せました、どうぞ」 「あ、どうも」  すっかり忘れていた。アイロンをかけてもらった名刺をもらう。 「お助け会社……のものだそうです。電話番号も分かりましたけど……」 「かけてみたところ、山田という方はいないと言われました」 「そう……ですか」  自分がケーキ作りに夢中になっているうちにだいぶ動いていてくれたようだ。 「妙ですね。この名刺が自分のものなのかはまだ分からないとして。はっきり山田と書かれているのにいない……とは」 「はい」 「それにその会社も気になるんです。何でも屋さん、だそうですけど、どんなところなのか具体的には教えてくれなくて」 「……」 「私、ちょっと調べてみようと思います」 「はあ」 「クロウさんも何か思い出したことがあったら言ってくださいね」 「記憶、早く取り戻した方がいいですから」 「はい」  自分でも忘れがちだった記憶喪失の解決について、氷織さんのほうが深く考えてくれていた。  申し訳なくなるな。  自分のこともちゃんと考えて行かないと。 「あとクロウさん」 「はい?」 「たぶんですけど明日、めるさんが無茶なことを言いだすと思います」 「今日のクロウさんを見ていると、押し切られるままに受けちゃいそうですけど」 「大変だと思ったら首を横に振って下さいね」 「は……」 「クロウさんはあくまでこのお店とは無関係ですから」 「っ……」  行ってしまった。  無関係……か。 「……」  確かにその通りだ。  翌日。  ――ザッ!  ――ザッ、ザッ、ザッ。 「クロウさん、おはようございます」 「おはようございます」 「今日も雪かきしてらっしゃるんですね」 「はい。昨晩気付いたのですが、この店は玄関前が凍りやすい作りになっているようでして」  煙突からの熱で屋根の上の雪が溶けるわけだが、その水気が玄関前に溜まる構造になっている。  日が出れば溶ける程度だが、それまでの間にめるさんや氷織さんが足を取られたら大変だ。 「あ、昨日はケーキありがとうございました」 「いえ。こちらこそ多すぎて困っていたところで」 「ああ、味の方は」 「はいもちろん。とても美味しかったと小町は思います」 「よかった」  この後本番を作る予定なので、我ながら人の評価が気になってしまっている。 「本当にすごく良かったですよ。うふふ」 「ほんとに……もう……」 「じゅるり」 「小町さん?」 「っ、いえ、すいません何でもありません」  ? 「おはようさん」 「おはようございます」  今日もご出勤の時間と重なった。 「今日もジジイの見舞いに来るんだったね」 「はい。よろしくお願いします」 「見舞いにケーキを持って……あんまりデカいのは持ってくるんじゃないよ。あのジジイ甘い物ばっか食べて病院食食わないんだから」 「は……すいません、心得ました」 「ああでも小さいのじゃダメだよ。あたしも食べるからね。めるたちも含め、みんなに行きわたるように」 「昨日ももらったそうだけど、結局食べられなかったからねえ」 「はい? ですが確かハーフホール……」 「あたしが帰る前に全部食われちまった」 「ご、ごめんなさーい」 「……」  1ホールの半分を? 「あうう」  恥ずかしそうに頬を赤くする小町さん。  めるさんも昨日は4分の1をぺろっと食べていたが、  更に大物がここにいたか。  村崎先生は出勤し、小町さんは赤い顔で引っ込んでしまったので、玄関前掃除の続きに戻る。  ケーキはすでにスポンジを窯に入れてある。  あと30分……といったところか。ちょうど作業の終わるころだな。  この街は夜はよっぽど寒くなるらしく、地面は毎朝ガチガチに凍り付いている。  ……考えなしに公園で一晩過ごしていたら本当に凍死したかもしれないな。  お2人に感謝だ。 「わんっ!」 「?」 「待ってきゃらめる、そんなに走らないで」 「あら」 「……どうも」  通りかかった人と目があった。  なんとなく頭を下げたが……。 「……」 「なにか?」 「……」  じーっと見てくる彼女。  なんだろう? 「……」 「……クス」 「そう。まああなたならここを選ぶでしょうね」 「は……」 「予想通り。だけど残念ね、このお店はもう立ち直れないわ」 「『次』ももう決まってる」  連れた飼い犬と共に行ってしまう。  どういうことだ?  っ!もしかして、 「あのっ、もしや自分のことを存じて――」 「は?」  振り返る彼女――。 「わんわんっ」 「ひゃっ!」  でも連れていた犬がまっすぐだった。  引っ張られた彼女は振り返る格好でつんのめり、  ――すてーんっ! 「あ……」 「んご……ごぉ、股間が、股間が」  よろしくない角度で尻餅をついたようだ。 「ぐぐぐ」 「なにすんじゃいコラァ!」 「えと、すいません」  自分のせいかな? 「ったく……ホント邪魔しかしないわね」  行ってしまった。  行かせるしかあるまい。また呼び止めるとさらに怒らせそうだ。  しかし、  記憶を取り戻す一端が見えてきた。  ちょうどスポンジの焼きあがる時間だ。 「ふわあ~、いい匂い」 「昨日の出来は偶然じゃないと証明されましたね」 「これを半分に切って、間にスライスしたイチゴを敷くんでしたね」 「うん。ぶあつめに切って、クリームと半々くらいに置くのがコツだよ」  半分に切って、言われた通りに敷いていき、最後にクリームで装飾。 「出来た」 「うわあああ美味しそ~~~」 「いただきます!」 「ダメです!」 「は!い、一瞬なにがなんだか分からなくなった」 「びっくりしました」 「見られてしまいましたね。めるさん77の弱点のひとつ、甘いものを見ると理性が吹っ飛ぶ、を」 「こちらは持っていく分ですので遠慮していただきたいですが」 「お2人とも、こんなのはいかがでしょう」 「んえ……なにこれ、パウンドケーキ?」 「と、言うのですか?スポンジの余った生地を固めに焼いて、ナッツをまぶしてみました」 「あまり甘くしていないので、氷織さん、いかがでしょう」 「あ……は、はい」  端っこを切って味を見てもらう。 「はむ。あむ」 「美味しいです」 「よかった」  甘い物の苦手な氷織さんにも気に入っていただけたようだ。 「ボクはもっと甘いのがいいから生クリームつけて食べよ」 「はい。イチゴがだいぶ余りましたので、デザートにでも」 「あは~♪ 朝からごちそうになっちゃったねえ」 「お茶を淹れますね」  病院に行く前に、一度ゆったりすることに。 「……」(はむ) 「あは、こっちも美味しい」  ナッツをふんだんに使ったパウンドケーキは、あまり甘くしなくても甘党のめるさんにも好評なようだった。 「すごいねえクロウ君、ケーキ作りはじめて2日目で魔改造まで」 「いえ、いただいた本にありましたので」  余った材料の使い方も載っていたのだ。 「にしてもやって出来ちゃうのがすごいよ」 「こりゃ本格的におじいちゃんに相談ですな」 「はい?」  めるさんや氷織さん、小町さんには絶賛していただいたケーキの出来は……。 「ふむ、うむ」 「……」 「あてが外れたのう」 「は……?」 「え?」 「君、お菓子作りの経験があるのかね?」 「いえ。……ああいえ、あるかどうか思いません」 「そうかね。まあわしは経験がないという前提で今日ケーキを作ってくるよう命じたのじゃが」 「あてが外れたわい」 「素人の君に無茶な願いをすれば、きっと失敗して最後にはめるちゃんが作ったケーキを持ってくると思ったのじゃ」 「だがこのケーキの出来、どう考えてもめるちゃんに出来るクオリティではない」 「あてが外れたのう。食べたいのは孫の手作りじゃったのに」 「でもこれのお味は?」 「100点。120点じゃ」 「やったあ♪」 「ほ……」 「ケーキには作ったものの人間性が出る。クリームひとつ見るだけで、君が悪人でないことは分かる」 「約束通り君をうちにおこう。記憶が戻るまでじゃろうがなんだろうが、好きにするがよろしい」 「ありがとうございます」  最大級の評価をいただけた。 「それでぇおじいちゃん。ねっ? 昨日言ったこと」 「ふぅむ」 「いいでしょ~クロウ君なら。こんなに上手に作れちゃえるんだから」 「……」 「あの、なにか?」 「ま、よかろう」 「フォルクロールのパティシエを名乗ること。許可しよう」 「は?」 「やったぁあっ」  御仁に抱きつくめるさん。  ? ? ? 「めるさん。肝心のクロウさんがポカーンですよ」 「あの、いったい」 「えっとですね、私の口から言うのもなんなんですけど」 「めるさんはクロウさんの作ったケーキでもう一度お店を開こうと思ってるんです」 「はい!?」 「なんじゃい? 聞いておらんかったのかい」 「は、初耳ですが……」 「いいじゃんクロウ君、一緒にやろうよぅ」 「クロウ君ならきっとおじいちゃんより人気のパティシエになれるよ!」 「えーーーっ!?」 「し、しかし自分のような、どこの誰とも分からぬ者が」 「どこの誰とも知れないわけではないと思います」 「もうクロウ君はフォルクロールのクロウ君だよ」 「む……」 「まあでもいきなりこんなこと言いだすめるさんはどうかと思いますけどね」 「お願いだよ~、このままじゃうちのお店潰れちゃうんだよ~」 「え、めるちゃん、うちそんなにヤバい?」 「ヤバい」 「あちゃ~。味のために材料費には糸目をつけんかったから、こういうとき体力がないのううちは」 「おじいちゃんは作るケーキが美味しいだけで経営者としてはおよそ失格だからね」 「えーー……っ」 「ボクはそれでいいと思うよ。いまさら味に妥協するおじいちゃんは見たくないし、味を下げるくらいならもう潰れていいと思う」 「でもクロウ君がいれば!クロウ君なら何とかできそうなんだようちを!」 「はあ……」 「えと、クロウさん。いきなりで驚くでしょうけど」 「……」  まいったな。  結論は出せず、宙ぶらりんな形での帰宅となる。 「急すぎだったし、オリちゃんの言う通りすぐにきめてってわけじゃないよ」 「ん~、今年中に返事聞かせて欲しいかな」 「はい」 「ちなみに今日は12月27日。今年は今日を入れてあと5日です」 「……」  時間がない。 「すいません。でも、大事なことなんです」 「今年中にお店を再開できないと、『年をまたいで』お店を休んでることになるので、お店のイメージがよくないんです」 「イメージ……ですか?」 「うちのお店、ほら、窯があるでしょ? 煙突付きの」 「はい」 「詳しくは知らないんだけど、この街って上空は風が強いから煙突のある家って珍しいんだよ。それ用に設計しないと倒れちゃうそうで」 「確かに煙突というのは、設計上非常に難しいものらしいですね」 「一軒家につけることはもうほとんどないです」 「けれど同時に、上空だけ非常に寒くなる街の気象条件から大きな窯を置くには背の高い煙突が不可欠。でないと窯の中に、冷気が入り込んでしまうので」 「大きな窯のおいてあるフォルクロールの作りは、あらゆる料理人の方たちにはすごく魅力的なんです」 「使わないなら譲ってくれーってお願いが市役所に殺到してるそうなの」 「なるほど」 「確かに、使わないのならお役所としても譲渡する旨を推奨するでしょうね」 「そ。たまに市役所の人が来るよ、他に移りませんかーって」 「ボクはヤなんだよ。おじいちゃんのフォルクロール、こんな簡単になくなっちゃうなんて」 「でもうち、貯金もほとんどないから粘りにくいんだよねえ。市役所の人も好意で移りませんかって言ってくれるんだし」 「みんなに疎まれながら続ける……ってのも、いやだし」 「……」  法的には居残ることはできる。  だが再開の目途も立たずに店を残すことは、周囲にはただのワガママに映るだろう。それはそれでフォルクロールの名に傷をつける。 「今年中に再開できれば、ああまたフォルクロールは戻ってきたんだなってことで、今後も円満に続けられるんだけど……」 「な」(ちらっ) 「う……」 「めるさん。強要しちゃダメ。こればっかりはクロウさんの気持ちが大事です」 「はあい」 「申し訳ありません」  参った。  めるさんが困っているなら、助けることはやぶさかではない。いや、ぜひとも助けたい。  だが店を背負って立つ。というのは、さすがに緊張が勝る。  昨日今日は美味くできたものの、ケーキの質を大いに落としフォルクロールの名に傷をつけてしまうのではないか。  自分のような素人よりもっと適任がいるのではないか。  そもそも自分のような、何者なのか自分自身ですら分からない男が、あのお店を背負ってしまってよいのか。 「……」 「今月中、あと5日あるのですね?」 「はい」 「ではもうしばらく返事は待ってください」  それまでの間に、ケーキ作りに自信を持てるか。もしくは自分以外の適任が見つかるか。  もしくは、せめて記憶の断片でも見つけられるか。  あと5日のうちに見つけ出すとしよう――。  ・・・・・  ――だが。  事態はそんなに悠長ではなかった。 「変だな。誰もいないということはないはず」 「もしもーし、誰かいませんかー?」  帰ってくると、店の戸を叩いている少年が。  ……どこかで見た顔のような。 「うーん……」 「中……覗いてみるか」 「なんかエロいことをしてる人がいる」 「うちに用事でしょうか」  様子を見ることに。 「よく見えないな……うーん」 『Closed』のプレートが出ているのには気付いているだろうが、構わず窓から中を覗き込んでいる少年。  店に用ではないらしい。  そのまま庭のほうへ回り込んでいく――。 「あ、あっちには」 「なにか?」 「洗濯物が干したままだよ」  後を追う。 「えっと、たぶん裏口がこっちに……」 「わぷっ! ぷあっ、な、なんだこれは」 「白い……布? なんなんだ一体」 「わ、わ。案の定干した下着に顔を埋めているよ」 「反応に困る状況ですね」 「えっ? あれっ? お店の人?」 「わわわっ、も、もうしわけない、いないかと思って」 「わぷっ、けふっ、わわっ」 「落ち着いてください」  干してあった洗濯物に頭を引っかけていたのだが、慌てたせいでさらに巻かれてしまっている。  とってあげた。 「えほっ??? えほっ、し、失敬」 「にしてもこれ、なんですか? 長くて白くて」 「え、なにか知らずに盗ろうとしたの?」 「下着泥棒さんではないのでしょうか」 「ま、待って別に盗もうとしたわけじゃ……」 「……下着?」 「はい、下着」 「パンツだよ。ソレが目的じゃないの?」 「え……」 「いやいやいやまさか!だってこれ、布じゃないか!」 「巻いて使うんです」 「さらしにも使えて一石二鳥なんだよね~」 「ええええ……」 「それは……じゃあ、ほんと失礼しました。その、わざとと言うわけでは」 「誤解して欲しくないのは別に君たちの下着目当てに入り込んだわけではなくて」 「はい、大丈夫分かってます」 「君がおじいちゃんのふんどし目当てに入り込んだんじゃないってことはね」 「ほ……良かった」 「ふんどし!? おじいちゃん!?」 「この長いサラシを下着にするなら、ふんどし以外は考えられないかと」 「かっ、顔を埋めちゃったじゃないか!」 「それはボクたちに言われても」 「おじい様は清潔な方ですから」 「そういう問題じゃなくて……ウウウ、な、なんか顔全体が生温かい感じがする」 「どうしてしばらく入院してらっしゃる御仁の下着が干してあるので?」 「床にお水ぶちまけたとき拭くのに使っちゃってさ。あ、おじいちゃんには内緒でお願いね」 「雑巾かよ!」 「ぐく……でも雑巾、ふんどしよりはマシか?いやでも……」 「それはそれとして」 「どちら様でしょう。今日はお店はお休みですけど」 「え……あ、そうだ」 「……コホン」  小さく咳払いして空気を切り替える少年。 「初めまして」 「ホテル『ラフィ・ヌーン』の使いで参りましたガトー・ネージュと申します。以後お見知りおきを」 「はあ、どうも」 「突然ですが――」 「このお店を譲っていただきたく思いまして」 「……」 「……」 「はい?」 「ラフィ・ヌーンはうちの父が経営しているホテルで、全国13都市に20の構えを持ちます」 「しかしホテルは総合職。一流のホテルで働く人間は、100の職種に通じ100の一流をこなします」 「現代は多角経営が当然とされる時代。当ラフィ・ヌーンも100の職種に経営を移し、すべからく100の成功を収めました」 「そして次に目を向けたのが、洋菓子業界です」 「我がラフィ・ヌーンの誇る一流パティシエの腕をもって洋菓子専門店を立ち上げる」 「その第一号として選ばれたのがこの街であり、この店なのです」 「なんでうちなのっっっ!」  噛みつくめるさん。  つい先ほど、運営実績云々の話をしていたところだが。『運営している』だけでは済まない話が転がり込んできた。 「ラフィ・ヌーンですか……」 「う~、名前知ってる。色んなところで宣伝してるよね」 「宣伝規模については存じませんが」 「世界の優等ホテル100選に10年連続で選ばれてはいます」  分かりやすいくらいすごいホテルのようだ。 「なんでそんなすごいとこが今さら洋菓子屋なの!普通逆でしょ!?まず街の洋菓子屋で、腕がよければホテルでしょ!?」 「一流を集めただけでは一流のホテルにしかなりません。専門店を自ずから持ち、特に向上心のある職人を募ることでラフィ・ヌーンは超一流を目指すのです」 「確かに赤字を生みやすい戦術ですが……、大事なことは職人。そこから生まれる技術。即ち、未来なのです」 「理想的な複合型企業ですね」  文句のつけようがないくらい理想的な経営方針だと思う。 「なんなのこの人!」 「まあまあ」  めるさんは最初から敵と決めてかかっているが、彼の言うことは決して悪い話ではない。 「我々の調べから、洋菓子屋をテストするにはこの街が最適であると判断しました」 「なんで!」 「この街の、とくにこの店フォルクロールは評判がよく、ようするに町の人たちは舌が肥えています。この街を満足させられる洋菓子屋なら一流の証明になる」 「僕自身も以前この店には来たことがあります。素晴らしい手並みは、僕自身の舌で体験しています」 「ただ現在、店長でありパティシエでもある古倉様が入院中とお聞きしました」 「復帰は難しいとのことで、このまま長期間にわたり街唯一の洋菓子店が閉まってしまうことは、この街のためにもよくない」 「当方のためにも、この街の皆様のためにもこの街で始めることが最善と判断しました」 「うぐぅ」  正論で返され、黙るしかなかった。 「あの、この街で開くことは分かりました」 「けどわざわざこの店でなくても。他に空き家を探して開けばいいのでは?」 「当方のパティシエは凝り性で、店を開くならどうしても本格的な窯を使いたいと言っております」 「それなりの大きさの窯を持つには排気装置が不可欠ですが、この街の気象条件では大きな排気には高い煙突が不可欠。けれど……」 「高い煙突の家は最近では建てられない……と」 「不可能ではありませんが、街の景観を壊すのは避けたいですからね」 「この店しかないのです。どうか、よろしくお願いします」  ばさっと数枚の書類を取り出す。 「この街の隣の区画に空き家があります。この店を売って下さるなら代金とは別にそこも差し上げます」 「他にうちのホテルが経営するリゾートの優待券なども……」 「やだっ!」  書類を付き返すめるさん。 「この店はずっとずっとフォルクロールだもん。おじいちゃんのフォルクロールだもん。誰かの店になるなんて絶対やだっ!」 「……」  ばっさりと拒絶され、向こうもわずかに気色ばむ。 「これは当方にも、そちらにも悪い話ではなく」 「同時にこの街の方にも良い話であることはご理解いただけたと思いますが」 「う……」 「街にケーキ屋がない。私見ながらとても味気なく、寂しいことだと思います」 「フォルクロール再開の目処は立っておられますか?」 「~……」  ただめるさんにも向こうが正論なのは分かるのだろう。冷静に言われるとうつむくしかない。 「……」 「……」 「あの、折衷案は取れないのでしょうか」 「例えばフォルクロールはあくまで残すことにして、そちらのパティシエのみ迎え入れるとか。人材確保という意味では――」 「申し訳ないのですが、ラフィ・ヌーンの名を削ることは他に100ある手を伸ばした職種に混乱を呼びます」 「古倉様ご本人を当ホテルパティシエに招く。であればぜひともお願いしたいですが、フォルクロールの名を残すことは難しいですね」 「じゃあおじいちゃんが納得しないよ」 「……残念です」  折衷も難しい。  少年は眉をひそめたまま、書類をまとめだした。 「今日のところはこれで失礼します。焦ってはおりませんので、こんな話もある、程度に」 「しかしすでにこの話は、市役所には通しております」 「少なくとも市長さんは、街に洋菓子屋のない現状より当方を支持してくださいました」 「う……」  洋菓子屋がない――、フォルクロールが開けていないことを言われると弱い。 「フォルクロールは良い店だと聞きます。どうかこの話が、街にひろがることのないよう願います」 「フォルクロールが皆さまに疎まれることなどないように」 「……」 「失礼します」  出て行こうとする。  こちらは黙って見送るしかなく……。 「……」 「……~っ」 「再開するよ!」 「は?」 「うち、フォルクロール、再開するから」 「明日から再開するから!」 「……」 「……」 「あの古倉様の代わりが務まるような、そんなパティシエが見つかったので?」 「それは……その」  ちらっとこちらを見るめるさん。 「……」  こうなった以上、仕方あるまい。 「自分です」 「む……」 「クロウ君……」 「……もう」 「自分が新しいパティシエ」 「明日よりこのフォルクロールを再開する者です」  ・・・・・ 「ふぅ」 「お兄ちゃーん」 「ああ、ショコラ、来ていたのか」 「ハイ。フォルクロール、もう行ってしまいマシタカ?」 「ちょうど今、終わったところだよ」 「Oh……残念デス、わたしも行きたかったのニ」 「また今度にしなさい」 「それにしても頑なだったな。説得は骨が折れそうだ」 「そうだ、シェフは見つかったか?」 「No、どこにもいないデス」 「マダこの街についてナイのでショーか?」 「うーん……店を任せるパティシエが来ないことには、店長が入院中のあちらに強くは言えないな」 「まだまだ問題山積みだ」 「……」 「クローさん……会いたかったにゃー」 「今日は仕方ないデスネ」 「ごめんねクロウ君、待つって言っといてすぐに」 「あの状況では致し方ありません。自分がいたことでこの店の存続が長引いたなら幸いです」 「うん……」 「えへ。でも成行きとはいえ、これで正式にパティシエ、クロウ君が見られるんだね」 「このお店がクロウ君の作ったケーキで満たされるんだ。楽しみ~」 「……」  期待値がずいぶんと高いところにあるようだ。参ったな。 「コホン」  と、改めてお茶を持ってきてくれた氷織さんが、 「クロウさんの厚意にどれくらい甘えるかは別の問題として」 「いまある問題は、あの人を追い払っても解決しませんよ」 「なんで?」 「ホテルの勧誘は最後はおじい様の胸先三寸です。お店を続けるも、売り渡すも」 「問題は、あちらがすでに市役所にこの店のことを陳情してしまった点です」 「あ……そっか」 「ホテルの勧誘ならその場その場で応対すれば結構。けれど市役所は、常にうちを見張っているようなものです」 「それこそホテルを追い払うための、形だけの再開では意味がありません」 「本来のフォルクロール。街で唯一、街で一番のケーキ屋であるフォルクロールを取り戻さねばならない」 「そういうことですか」 「はい」 「……」  気まずそうにするめるさん。  形ばかりの再開では意味がない。  入院中の御仁。めるさんのおじいさんに追いつき、追い抜くくらいでなければ。 「……」  多少の才能らしきものはあるようだが、  ずぶの素人である自分が……。 「……」 「クロウくん……」 「……」 「……」  否、 「やるしかありません」 「お2人とも、至らぬところはご指導お願いします」 「うんっ」 「ふむ、うむ」(もくもく) 「なかなか美味しく出来てるじゃないの、このケーキ」(むぐむぐ) 「ああこら、そのイチゴ残しておいたんだから勝手に食べるんじゃない」 「うっさいねえ、ケチなこと言うと院長権限で没収するよ」 「しかしアンタが『次』を任せるなんて驚いたよ」 「ラフィ・ヌーンのお誘いを何度も断ってるんだろう。あんな破格の条件を蹴ってるなんて、もう自分の代で閉めようとしてるとばっかり」 「自分の息子にも渡さなかったんだから、ね」 「ふむ」 「そのつもりだったんじゃが……、今はのぅ。めるちゃんがまだフォルクロールにこだわっておるし、潰すわけにはいかん」 「寄る年波というやつがこうも急激に来たのは計算外じゃったが……」 「不思議じゃのう。こんなときに限って都合よくこれだけの味を出せるパティシエが現れるなんて」 「山田クロウ君」 「何者なのかねえ」 「ふむ……」 「……」 「クス」  ・・・・・ 「うおおおお」 「……すごいです」 「ショートケーキの他に……、チーズケーキ、チョコムース、ロールケーキ、モンブランそしてミルフィーユ」 「本を読み解く限り、自分に出来そうなケーキ計6種です」 「いかがでしょうか」 「すごすぎるよ!」 「見た目は完璧です」 「味も……うん、おじいちゃんのに近い」 「何よりです」 「では、明日からこれをお店に出すと言うことで」 「頼んだボクが言うのもなんだけど……、クロウ君一体何者?」 「まだ思い出せませんね」 「記憶を失う前のクロウさんを探すなら全国のパティシエを当たるのが良いかもしれません」 「なるほど、その線は考えられますね」 「もういいや、クロウ君が何者でも」 「うちにとっては救世主様だよ」 「おじい様は表立っては17種類を回していましたが、このカウンターは小さいので6種類あるだけでずいぶんと見栄えがすると思います」 「お店を開けるのは朝の11時。売るのはボクたちがやるから、クロウ君はそれまでにこの6種類をそろえて」 「分かりました」 「いま計ってみて、だいたい6つ作るのに3時間半かかりました」 「逆算すると朝の7時くらいから取りかかってもらうことになります。よろしいですか」 「はい」 「だ、大丈夫かなあ、朝7時から作業って、起きるの6時くらいになるよね」 「今朝も6時には目が覚めましたので」 「すごい」 「めるさんも見習ってくださいね」 「はぁい」 「……」  やはりこのお2人は、氷織さんのほうがお姉さんに見える。 「私も手伝えることがあればおっしゃってください。なんでも手伝います」 「学校があるので毎日決まって、とはいきませんが、しばらくは冬休みなのでかなり時間を割けるはずです」 「ありがとうございます」  と……、 「オリちゃんは何もしない方がいいんじゃない?」 「はい?」 「うぐ」  苦い顔をする氷織さん。 「?」 「まあ甘い物の苦手な氷織さんでは味見役にはむかないやもしれませんが……」 「そうじゃなくてね」  逆にめるさんはにへーっと笑って。 「あ、そうだ、ホールケーキのほうは予約が入った時くらいしか売れないから、最近はピースケーキにするんだっけ」  ホールとピース……。ホールケーキが現在の丸いのでそれをカットしたのがピースケーキだったか。 「うちは1ピースの大きさは6分の1だよ」 「オリちゃん、これ6等分してみて」 「……はい」  包丁をとる氷織さん。 「だーいじょーぶー? 怪我しないでよ」 「だ、大丈夫ですよ。めるさんよりは上手にできます」 「おやおや、大きく出ましたな」 「確かに、3当分にするとき全体の半分以上の大きさになるよう切って持っていくめるさんより下手なのは困りますね」 「あ、あれは自分で食べる時だけ!普通にやれば普通に切れるって」 「いきます」  ――サクッ。  包丁を落とす氷織さん。  綺麗にケーキを切る。 「……」 「……」  はしっこだけ。 「あの」 「黙って下さい。ここからが難しいんです」  ――サクッ、サクッ。  その切りこみ口に沿って、ちょっとずつちょっとずつ切り口を進めて行った。 「氷織さん……」 「こ、こうするとまっすぐ切りやすいんです」  確かにまっすぐは切れるが……、 「真ん中が切れました。これをあと2回やればちょうど6等分です」 「6等分。つまり中心を60度の角度で切ります」 「……60度?」 「めるさん、分度器ってどこにありましたっけ」 「厨房に分度器はないけど、これ、カンニング用のまな板」  透明なプラスチック板を取り出すめるさん。  ケーキの大きさに円が描かれ、そこに6、8、10等分で分けた直線が入っているやつだ。 「わあ。助かります」 「ではこれに沿って――」(サクッ、サクッ) 「出来ました!」 「……見事に切り口がでこぼこですね」  一応6等分は出来ているが、何度も包丁を入れるからその回数分切り口に波が出来てしまっている。 「まあ本当はビスキュイの状態で切ってその上からナッペするから、切り口の悪さも多少は隠せるけど……」 「氷織さんは、器用ではないのですね」 「超絶不器用なうえに神経質だから、ケーキ作りみたいなふわっとした作業はすごい苦手なんだよ」 「うぐうう」  意外な弱点だ。 「それにあんまり厨房にいると……ね?」 「う……確かに甘い香りが」  ? 「すいませんクロウさん、私、ケーキ作りではお役に立てません」 「いえ、お気になさらず」 「店内で召し上がるお客様向けに、紅茶を提供する場合、氷織さんが第一人者ではないでしょうか」 「ですね!」  機嫌が直ってくれてよかった。  にしてもしっかりしていると思った氷織さんに意外な弱点が。 「手伝いはボクがやるよ。大事な作業はクロウ君に負けるけど、生クリームを混ぜたりフルーツを切ったりはちゃんと出来るから」 「……」 「んんー? ちがうねークロウ君、そこは心配そうにするところじゃないねー」 「いえ、あの」  ちらっと氷織さんを見る。 「めるさんは私より上手です」 「そうですか。ではお願いします」 「なんか失礼だなこの2人は」  もちろんめるさんのクッキー作りの腕の良さは知っている。心配はしていない。  明日からの予定を決めるころには、もう日はとっぷり暮れていた。 「今日はなんか色々あって、くぁ、もう眠いよ」 「ですね……あふ」  朝、ケーキを食べていただくテストから始まり、昼からはそのケーキを商品に出来るかのテスト。  確かに大変な一日だった。 「ですが明日からはもっと大変です」 「ですね」 「ちょっと早いけどもう寝ましょうか。お風呂沸かしてきますね」 「お願いしまーす」  お2人と別れて自分の部屋へ。  ふぅ……。  そうだ、ケーキの作り方本を再考しておこう。6種類では足りないやもしれない。  お借りしている部屋は、とにかく洋菓子関連の書籍が多い。  ケーキに限らずクッキー、ビスケット、マカロン。さらにはジャムや粉糖といった材料にまで専門書を持ちこんでいる。  大型ホテルにも目をつけられる洋菓子店フォルクロールを、一代で築いた御仁の、執念とも言うべき研さんの歴史がそこにあった。 「……」  めるさんの力にはなりたいが、  この店が自分の双肩にゆだねられる。という状況は、正直重すぎるほどのプレッシャーだ。  まあここまで来てはやるしかない。  自分に出来る最高の仕事をするまでだ。 「もっしもーし」 「めるさん。どうかされましたか」 「うん、改めてお礼言っときたく……うわあおこただ~」  もそっ。  嬉しそうにこたつに飛び込むめるさん。 「あはあ~、あったか~」 「ですね」 「ぬくぬく~」  そのまま突っ伏してしまった。  ……なにしに来たのだろう?  まあ幸せそうだからいいか。自分は勉強に戻る。 「……」 「ぬはー」 「……」  なるほど、メレンゲというものはこんな風に……、 「あれ? ボク、何しに来たんだっけ」 「さあ?」 「んー」 「思い出せないや。ぬくー」  幸せそうで何よりだ。  ……ん? そういえばめるさん、この部屋には立ち入り禁止にされていたとかなんとか……。 「あ! めるさん入ってる!」 「おえー? ああオリちゃん」 「ダメじゃないですかめるさんここには立ち入り禁止と……。クロウさんもめるさんが来たら教えて下さい」 「あ……そうでしたね、忘れていました」 「まあまあそんなに怒らないで」 「おはようそしておやすみなさい」 「なにか問題が?」 「いま目の前で問題が発生してるじゃないですか」 「ほらめるさん出てください。お風呂が沸きましたよ」 「んー? わぁいお風呂好きー」  言われると若干めるさんの言動がとろけているような。 「入るよ。お風呂ここに持ってきて」  いや、かなり溶けてる。 「無理に決まってるでしょう。ほら、まずこたつから出て」 「こたつから出る?」 「あはははははは御冗談を」 「お風呂に入らないんですか」 「入るって。だからここに持ってきてよ」 「そういう一休さんみたいな禅問答はいいですから」 「めるさんはこたつがお好きなんですね」 「すきー」 「好きとかそういう次元ではないんです」 「これぞめるさん77の弱点の1つ、こたつに入るとなかなか出ない。です」 「はあ」 「ほら出てください」  力技に出て、腕をひっぱる氷織さん。 「いやだー!」  こちらも負けじとこたつに食らいついて抵抗した。 「ん~~~っ」 「ぬおおおおお!」 「はあ、はあ、筋力ではめるさんには勝てません」 「そんなにですか」 「ただでさえ運動と勉強で9:1くらいのめるさんですが、その身体能力が120%発揮されるのがこのこたつ持久戦なのです」  なんて無駄な全力なんだ。 「最長で31時間入り続けたことがあります。あのときは眠った隙に引きずり出しましたが……」 「あれ以来おじいちゃんにこの部屋を出禁にされ、辛く苦しい日々を送ったよ」 「くそーおじいちゃんめ~」 「正しい判断です」 「だが今日、おじいちゃんはいない。つまりボクを追い出すものはもうない!」 「ボクは一生こうしておこたくんと共に暮らすのさ~」  もぞっ。 「ああ、頭までひっかぶって……これはめるさんの最終形態、こたつむりめるさん」  完全に一体化してしまった。足が自分のところまで来ている。 「ククク、これぞボクの完全防御形態。あらゆる属性攻撃を無効化するよ」 「水属性魔法、顔に水どばーでも使いますか」 「や、やめて」 「はあ……クロウさん。今日のところは仕方ないですけど、今度からめるさんが来たらこたつには入れないでくださいね」 「気をつけます」 「ククク、クロウ君は優しそうだから、いまはそう言っていてもゴリ押しで入っちゃうよ」  確かに、追い出せる自信がない。 「それに『今度から』なんてないもーん。ボクはもう一生ここから出ない。出ないってことは入りなおすなんてことはない」 「まったくもう」 「しかし……」 「意外ですね。めるさん、お寒いのは苦手なので」  スカートが短めだから、寒いのは大丈夫だと思っていた。  むしろ氷織さんのほうが厚着なのに。 「寒いのは平気だけど……おこたは別問題なのだ」 「んふふふ~……おこたっていいよね~」 「あ、眠くなり始めてる」 「めるさん。ここで寝るのは本当にダメです。クロウさんにお邪魔だし、風邪をひきますよ」 「邪魔はともかく、風邪は困りますね」  出てもらったほうがいいか。 「よいせ」 「ふぇ?」  目の前に来ているめるさんの足を掴んだ。 「よっ」 「のわっ」(にょき) 「おお、ところてん戦法ですね」 「ば、バカな。ボクの完全防御形態が」 「お風邪を召しては大変ですから」 「おのれーやられるものか。ボクは絶対出ないぞー!」  ――がしっ。 「あれ」 「暴れないように押さえておきます。お願いします」 「よっ」 「わーっ、2人がかりは卑怯だよ」 「なんとでも言ってください」 「お風邪を召しては大変です」 「多少手荒な方法を用いますが、よろしいでしょうか」 「うお!? まさかの荒ぶるクロウ君が」 「よろしいです。力ずくで引きずり出してください」 「……オリちゃんて意外と容赦ないよね」 「では」 「な、なんだあ? ぼかあ暴力にゃ屈しないぞ!」 「こちょこちょこちょこちょ」 「おわっはあああうっ! そっちか! そっちかー!」  目の前に足の裏があるので、攻撃しやすい。  こちょこちょこちょ~。 「だゃっひゃ! あひゃっ、ひゃああっ。こら、ちょ、んふぁ」 「んくくっ、くうう屈しないぞー。ボクはこれくらいのこ……おおおおうっ、おほっ、ほおおおおお」 「んやああああんそこだめええええ」 「ずや!」  出た。 「お見事です」 「さあめるさん、お風呂行きますよ」 「はぁい」  一度出ればいつものめるさんで、ワガママも言わず出て行った。 「ありがとうございましたクロウさん」 「いえ」 「……」 「はふう」  今度は氷織さんが入ってきた。 「はあ……ぬくぬくです」 「氷織さんもこたつはお好きなんですね」 「嫌いな人なんていません」 「めるさんの前では見せられませんけどね……あふぅ」  くつろぎだした。 「めるさんがアレなので、私も入れないのが残念です」 「まったくもう、私はちゃんと節度を持って利用してるのに」  めるさんに付き合って、氷織さんも普段は自重しているのか。  不服そうに言ってはいるが、つまり彼女に付き合っているということで。やはりこのお2人は仲がいい。 「……」 「ならもう立ち入り禁止は廃止してもよろしいのでは?」 「え、でもめるさんが」 「力ずくで追い出せることはいま証明されました」 「なるほど」 「おじい様も、ちゃんと出られるというのであればどうしても禁止とは言わないでしょう」  というか出入りを禁止するより、自分の意志で出られるよう言いつけるべきだと思う。 「いかがでしょう」 「賛成です」 「私も利用できますし。あふぅ」  氷織さんにもいい話のようで――、 「賛成!」 「お風呂は」 「もう入った! そしておこたに戻った!」 「とりゃー!」  ずざーっとさっきの位置に入りなおすめるさん。 「ああ~、おこただよねえやっぱり」 「お風呂で温まるのを放棄しておこたというのもおかしな話ですが……」 「次は私も入って来ますね。クロウさん、お先に」 「はい」  お風呂の順番は、自分が一番最後にしていただいている。居候なのだから当然だ。  それまでは勉強して待つことに……。 「ふ~」 「あそうだ。そもそもボク、クロウ君にお礼が言いたくて来たんだった」 「お礼はいいですよ。せっかくこたつがあって入れないというのも酷な話ですからね」 「そっちじゃなくて。いやそっちもありがとうだけど」 「えと、色々とね、えと」 「?」 「……」 「あは、な、なんか改まってだと恥ずかしいね」 「なにが?」 「だからぁ、んと……ね?」 「……」 「えいっ」(ずぼっ)  またこたつに潜るめるさん。  また完全防御形態か? 思ったが、 「トージョー!」(ずぼっ) 「おっと」  こっち側に出てきた。 「えへ~」  そのまま体をくっつけてくる。 「こたつも温かいけど、クロウ君も温かいね」 「はあ」  ひざを枕にされてしまった。  動けない。弱ったな。 「……」 「ねーくろー君」 「はい?」 「ありがとーね」 「ですからこたつは」 「だからぁ」  ぐりぐりっと頭をこすりつけられる。 「うちのお店を助けてくれてありがとう」 「ボクのワガママを聞いてくれてありがとう」 「ん……」 「……」 「このフォルクロールはね、おじいちゃんの意地なんだ」 「意地……ですか?」 「うん」  夢、でなく、意地。  珍しい言い方だ。 「スウィートイエって知ってる?」 「えと……申し訳ない」 「おっきなお菓子会社の名前。駄菓子からケーキまで」 「ボクのお父さんとお母さん、そこの商品開発部で働いてるんだ」  めるさんのお父様お母様。  そういえばおじい様だけ紹介されて、ぽっかり空いていた穴の部分がいきなり明らかになった。 「おじいちゃんはこのお店、お父さんに継がせる気だったんだけど、お父さんはそれ以上になりたかったみたい」 「それ以来お父さんとおじいちゃん、仲が悪いの。どっちもムキになってるみたいで」 「お会いにならないとか?」 「ん……そうだね」 「会うのは年に5回くらい。お正月と春夏と、それくらい」 「……普通ですよね?」 「うん、仲が悪いわけじゃないよ」  よかった。  よくよく考えれば、めるさんのこの朗らかな性格で家庭に問題があるわけがないか。 「仲は良いけど、お父さんもおじいちゃんも頑固だから。どこか競争意識があるんだよね。自分のほうが美味しくていい物を作ってるって」 「それはたぶん、職人の間ではとても良い関係だと思います」 「うん。お母さんもそう言って笑ってる」  まだご両親にはお会いしたことがないが、とても幸せな家庭であると分かる。 「だからこのお店を閉めるなんてことになったらどっちもショックだと思うんだ」 「おじいちゃんはもちろん、お父さんも」 「ヘタしたらお父さん、スウィートイエを辞めてこの店に戻る。とか言い出すかも」 「だからボクはこのお店を守りたいんだ」 「……」 「めるさんは本当にお優しいんですね」  お父さまとおじい様。2人の職人のプライドをとても大切にしてらっしゃる。  ケーキ作りというシンプルな。けれど古倉家が代々生涯を注いでいる事柄を心から愛している。 「……」  ――なで。 「んへ」 「なぁに?」 「なんとなく」  髪を撫でてみる。  ふわふわの綿毛は、撫で心地がよかった。 「んふ、もう」 「なに……もう」  撫でられるめるさんも気持ちよさそうで、こたつで寛ぐこと以上にふにゃーっと目を細めた。  その表情が『もっと』の催促であることは分かる。  改めて撫で続けた。 「……」 「ねえクロウ君」 「はい」 「クロウ君が来てくれてよかった」 「ボク、クロウ君のこと大好きだよ」 「……」 「きっとクロウ君は、ボクにとって願いを叶えてくれる妖精さんなんだと思う」 「だから……クロウ君が何者でも」 「……」 「ボクはクロウ君が大好き」 「……」 「……」  自分が何者でも……か。  とてもありがたい言葉であると同時に、  自分が何者なのか、もっと気になるようにもなった。  ・・・・・  ――翌日。 「~♪」 「……」 「あ、この香り」 「おはようございます小町さん」 「ケーキですね!?」  びっくりした。 「失礼。でもこの香り。めるちゃんのおじい様が入院する前は毎日この時間に嗅いでいたので分かります」 「ケーキを焼いてますね!?」 「は、はい」  営業再開のため朝からケーキを焼いている。  いまは窯に入れている時間なので、浮いた時間を使って日課の玄関前掃除を済ませるところだ。 「ああ……いいなあケーキ。食べたいなあケーキ」 「はい。えと、本日11時から店を開けますので、よろしければ」 「もちろんです。一番に行かせてもらいます一番大きいケーキを予約しますので取っておいて――」 「あうっ、でも」 「なにか?」 「いえ、あの」 「相談してから行くことにします……」  急に静かになる。 「相談……どちらに?」  ケーキを食べるくらい、1人で決めればいいと思うが。 「はい、あの、……えと」 「……体重計と」  現在午前10時。開店まであと1時間。  昨日すでにやってあることだが、改めて店内を清掃した。  ……水拭きは少々冷たいな。 「ただいまー」 「あ、クロウさん掃除なら私たちが」 「手持無沙汰でして」  学校でペットの世話を済ませたお2人が戻る。 「友達にあったから、開店記念ってことで誘ってきたよ」 「ひとまずのお客さんはゲットです」 「了解です」 「なにか記念品をということで、クッキーも焼いておきました。こちらは今日のサービスということで」  窯の余熱で焼いたチップクッキー。とりあえず30個を袋詰めにする。 「おお~」 「ひとつだけ……」 「おっしゃると思ってめるさん氷織さんの分はこちらに」 「わいっ」  2人の分は袋詰めにはせず横においてある。 「めるさん、先に手を洗わないと」 「あ……そうだね。それに」 「はい」  一度奥へ引っ込んでいく2人。  しばらく待っていると――。 「じゃじゃーん」 「……あ、改めて着替えると、ちょっと恥ずかしい」 「……」 「クロウさん?」 「あ、いえ、すいません」 「可愛らしさで、少々あっけにとられました」 「あう」 「クロウ君は褒め方がまっすぐ過ぎてキザだね」 「でもえへへー、そうでしょ可愛いでしょ。このお店用の制服なんだよ」 「エプロンがそのままくっついている。エプロンドレスと言うやつですね」 「うちのお母さんがこういうの趣味でね、手縫いなの」 「私はいいですって言ったのに、おばさまどんどん送ってくるから……ぶつぶつ」  氷織さんは少々慣れないようだ。  だがどちらも大変可愛らしい。  めるさんのご両親が務めてらっしゃるというお菓子会社、気になってきたな。開発部にこんなセンスの良い方がおられるのなら。 「こほん。とにかく」 「接客は私たちでやります。クロウさん、お疲れさまでした」 「追加が必要になったらお願いするね」 「はい」  ひとまず自分の作業は終わりのようだ。  あとは売れ行きを見守るだけ。 「そうだ追加と言えば――」 「ってあるわけないか」 「今日開店ですからね」  2人、ドアについている郵便受けを覗きこんだ。 「それは?」 「注文を受けるときは、電話もありますけど、ここに注文票を入れてもらうことになっているんです」 「夜寝る前と朝一番、開店直前にチェックするの。ボクたちがやるけど、クロウ君もちょくちょく見てね」 「分かりました」 「さあ……10時58分」  時計を見るめるさん。  いよいよフォルクロール、新装開店である。  カーテンを開け、OPENの看板を運び出す。 「あと1分」 「……」 「……」 「5」 「4、3」 「2……1……」  11時。 「「いらっしゃいませ、ようこそフォルクロールへ!」」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「いま何時?」 「2時を過ぎました」 「もう3時間ですね」 「はあ」 「まさか1人もお客さんが来ないとは」  予想外の状況だった。  開店して3時間。  ケーキは1つも売れていない。 「おっかしいなあ」 「一応、お客さんが0とは言いませんが」  ――ガチャっ。 「いらっしゃいませ」 「はい! いらっしゃいました!」 「でも帰ります! 相談した体重計に今日は食べるなと小町は言われたんです!」 「でもでも美味しいそう……」 「いえ! ダメです!」  ――バタン! 「30分に1回ああして小町ちゃんが冷やかしに来る」 「冷やかしではないと思いますが――、買ってはくださいませんね」  最初、知り合いなのでタダでどうぞと勧めたのだが、それでも食べてくれなかった。 「小町さん劇場以外、お客さんは0です」 「あれえええ……ついさっきみんな呼んだよね」 「みなさん行けたら行く、とおっしゃってましたね」 「町内会の連絡板に今日再開しますって書いたよね」 「あの掲示板、毎日見る人は少ないですから」 「ぬああああああああんまさかの事態だよーーー!」 「再開さえすればすぐ前みたいにお客さんいっぱいになると思ってたけど、世の中そう上手くはいかないのね」 「まだ再開が周知されていないので今が底だとは思いますが」 「再開初日にこれは……ちょっと自信を無くしますね」 「自分の力が足りなかったでしょうか」 「いや……クロウ君はがんばってくれたよ」 「これはクロウさんの力以前の問題ですので」 「気を落とすのはまだ早いです。ケーキ、ひいてはおやつのゴールデンタイムは午後3時。ここからですから」 「そうだね!」 「はい」  ここまでは運が悪かったとでも思おう。  大事なのはここから――。  と、  ――ガチャっ。  ちょうどそこで入口が開いた。 「いらっしゃいませ――!」  入ってきたのは……。 「いらっしゃいました!」 「でもごめんなさいやっぱり無理ー!」 「……」(ピキピキ) 「め、めるさん、小町さんに悪気はないですから」 「クロウ君、会ってから初めて見せると思うけど、これがボクが本気でイラッとしたときの顔だよ」 「なるべく見たくないものです」  と……、  ――ガチャっ。  また入口が。 「小町ちゃんそろそろ店中の砂糖を口から流し込むよ!」 「What?」 「あわ!? す、すいません間違えました」 「って……ショコラ、いらっしゃい」 「ショコラさん」 「コンニチハ、OPENの看板があったのでいただきにきマシタ」 「砂糖?」 「な、なんでもないです。いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」 「ハイ」  にこっと笑うお客様。  最初のお客様が、そこまでの暗い空気を吹き飛ばしてくれるくらい、最高の笑顔を届けてくれた。 「あの、OPENとありマシタが今日は誰ガ?テンチョーさん、まだ入院してマスよネ」 「うん、おじいちゃんはまだ」 (……? なぜそんなことを) 「今日のパティシエはうちの二代目。クロウ君が担当してくれましたー、じゃーん」 「ワオ、クローさんが?」 「はあ……とりあえず、形だけは」 「わああ……」  ショーケースにかぶりつくショコラさん。 「どれも美味しそうデス」 「イエースどれも美味しいよ~」 「えっと」 「こちらで食べて行かれますか?お持ち帰りでしょうか」 「あん……じゃあ、コチラで」 「ありがとうございます。ではお茶を淹れますね」  やや業務的ながら氷織さんも接客する。  その間にショコラさんは6種を見て回り、 「……」 「クローさん、おすすめなんてありマスか?」 「ん……そうですね」  おすすめか。  全部といえば全部だが、あえて言えば、 「ショートケーキでしょうか」  めるさんのおじい様に評価をいただいたこれだけははっきり自信を持てる。 「OK。じゃあショートケーキ、2つお願いしマス」 「2つ?いいけど、2つなら別々の1つずつにしたら?」 「いえ、ショートを2つで」 「クローさん、一緒に食べまショー」 「む……」 「ああ、なるほど」  クスッと笑うめるさん。 「しかし、あの」 「どうぞ。クロウさんは朝から働き過ぎです」  氷織さんもすぐに紅茶を2つにして運んでくれる。  まいったな。  まあでも誘われたのを断るのも悪い。 「では、失礼して」 「ハイ」  前回と同じ席に向かい合って座る。  売る側から急に客側に。おかしな気分だが、まあいいだろう。 「? メルとコーリは?」 「私たちはいま仕事中ですので」 「Oh……残念」 「でもクローさんヒトリジメデスネ。これはこれで漁夫の利デス」  相変わらず表情がころころ変わって可愛らしい。  厚意に甘えて自分も彼女を独り占めさせてもらおう。 「イタダキマース」 「はい」  最初のお客様の反応を、目の前で見られるのは嬉しい。 「あむ」 「ん~~~~☆ TastesGood☆」 「なによりです」 「五臓六腑にしみわたりマース」  それはちがうような。 「ササ、クローさんもぐいっと」 「はい」  せっかくなので自分も楽しむとしよう。  フォークで切り崩したケーキは、昨日の通り自分でも満足な味だった。 「……」 「?なにか」  じーっと見られているのに気付く。 「オイシーデスか?」 「え……はい、手前味噌ですが」 「よかった」  にぱーっと笑う。  ? 「そうだ。今日はただ食べにキタのではなくデスネ」 「コレ、ドーゾ」 「む」 「おお」 「ビスケットですね」 「ハイ。ビスキュイ、この前のお礼に焼いテきマシタ」  薄っぺらくていかにもつまみやすそうなビスケット。 「チョトお待ちクダサイ……あ、持ち込みOKデスカ?」 「う、うん」 「では失礼シテ……どーんっ」  こちらも持ってきたらしい。ジャムの瓶を開けてケーキの取り皿にあける。 「これにつけてドーゾ」 「はあ……」  言われるままビスケットを一枚。ブラックベリーだろうか? 黒いジャムをつけて食べる。 「……」 「ドーデス?」 「美味しい」 「やったぁ♪」  クッキーのようなバターや砂糖が主張するでない、小麦そのままの味が軽やかなビスケット。  ケーキの付け合せにちょうどいい軽さだった。 「この前はトテモ美味しかったノデ、今日はクローさんに美味しいと思って欲しかっタのデス」 「あ、メル、コーリ、かむかむ」 「おほー、うまそー」 「……」  2人も呼ばれる。  仕事中なのでティータイムはさすがに……だがビスケットをつまむくらいいいだろう。  めるさんはたっぷり。氷織さんはちょこんとジャムをつけて口へ。 「おいしっ。なにこのジャム」 「ステキなベリーの香りですね」 「イエース、わたしのうちで作ってるジャムデス」 「ビスキュイによく合うでショ?」 「ビスケットのほうもいいかも。なんか香ばしい感じ」 「は~、クッキーとビスケットって似てるけどちがうよね~。不思議」 「私、クッキーより好きかもです」  もともとジャムと合わせるため作ったのだろう。ほぼ無糖のビスケットは、氷織さんにも好評な模様。 「ジャムも甘すぎなくて……これがお手製なんですが」  よっぽど気に入ったようで、瓶の銘柄を見ている。 「……」 「うん?」 「これショコラが作ったってホント?」 「ハイ。今朝焼いてきマシタ」 「お菓子作り、お上手なんですね」 「……ボクたちよりね」 「What?」  若干『本業』のめるさんが落ち込んでいるが、  ショコラさんはお菓子作りに慣れているようだ。 「将来パティシエになりたくて勉強中デス。ケーキはちょっと……デスケド、これくらいは」 「ソーデス。今日はコレ聞きに来たのデスガ、テンチョーさんはいつごろお戻りデスカ?」 「ん……おじいちゃん?」 「イエス」 「フォルクロールのケーキ、有名デス。ミンナミンナ美味しい美味しいって」 「わたしも一度食べて見たいのデスガ……」 「ん~、悪いけどおじいちゃんは、その」 「……不治の病なのです」 「ハイ?」 「病と言うか……まあ、治る見込みがない状況で」 (ぎっくり腰はいつ再発するか分からないことも考えると) 「いつ戻るかはまだ不明な状態です」 「……mn、残念」 「まあでもコレ。クロウ君の作ったケーキもおじいちゃんのに近いよ」 「ソレはソーデスネ。とってもデリシャスデス」 「恐縮です」  御仁のケーキを食べてみたいのは、自分も同じだ。  もう一度厨房に立てるときまでに、こちらも少しでも近い味を出せればとは思っているが。 「……」 「ところデお客さんは今日わたしだけデス?」 「うっ」  痛いところを。と顔をしかめる。 「さ、再オープン初日だから、ちょっと客足が鈍くてね。そのうち戻るよ、あはは」 「そうデスカ」 「ただあまりお客さんがイナイと、エイギョウモンダイ?だかなんだかと市長サンが言ってマシタ」 「やっぱりラフィ・ヌーンの協力したほうが良いのではないでショーカ」 「はい?」 「……」 「……なぜラフィ・ヌーンのことを?」 「はい?」  小首をかしげる彼女。  彼女に、この店がホテル、ラフィ・ヌーンに経営統合を打診されていることは言っていない。  3人、一瞬ぽかんとなり、 「あの、ところで」  氷織さんが手をあげた。 「このジャムですけど、さっき『うちで作ってる』とおっしゃいましたよね」  ブラックベリーのジャム瓶を指さす。  裏のラベルを。 『非売品 ホテル ラフィ・ヌーン』  とあった。 「ハイ、うちで作ってます」 「……」 「というと『うち』というのは当然――」 「ラフィ・ヌーンです」 「帰れーーーーーーーーーーー!」 「ぴい!」 「きゅ、急にどうしマシタ?」 「なにショコラ、ホテルの人? スパイ、スパイなの?」 「スパイスパイ? 辛そーなパイですネ」 「たいていのパイは普通に香辛料を使っていますよ」 「それもソッカ。アハハハ」 「ははははは」 「和まない!」 「はい」 「めるさん、落ち着いてください」 「うううう」 「わんっ、わんわんっ」  威嚇するめるさん。  ショコラさんは戸惑った様子で。 「えと、あの、お兄ちゃんから聞いてマセンか?昨日ここに来たハズデス」 「昨日ここに来た男性は1人ですが、その方がお兄様?」 「ガトー・ネージュ」  誰かに似ていると思った理由が分かった。 「はああ……もう、当たり前のように来るからすっかり油断しちゃったよ」 「ショコラ! 何しに来たこのスパイ!」 「ですからケーキを食べに」 「それはそっか。まいどあり」 「あとクローさんに恩返しがしたかったのデス」 「恩だなんて。こちらこそケーキを喜んでいただき光栄です」 「ビスケットも美味しいです」 「ぬおおお味方がいないいいい」 「だから落ち着いてください。買収話は昨日でけりがついているんですから、ショコラさんを敵視しても意味がないですよ」 「それは……」 「なるほど」  めるさんも落ち着いたようだ。 「mn……なにか問題がアッタのデスカ?」 「お兄ちゃんはこのお店の買収は失敗したと言ってマシタ。つまりフォルクロールは再建シマスと」 「ホテルのお店が出せないのは残念デスケド、フォルクロールが続くならわたしは嬉しいデス」 「デモ……なにか問題ガ?」 「私たちが文句をつけることは何もないですね」 「だね」 「無闇に人を責めようとしないのはめるさんの美徳です」 「それにしても、驚きました。ガトーさんとご兄妹だったとは」 「失礼しマシタ。てっきりお兄ちゃんが言ってるとバカリ」 「フォルクロールの噂は以前から気になってマシタ。北の小さな妖精の町、笛矢町に、とっても素敵な洋菓子店があるって」 「ナカナカ機会が持てませんデシタけど、今回お兄ちゃんが行くと聞いて無理やり付いてきマシタ」 「マスターことテンチョーさんがちょうど入院中なのは残念だけど……、代わりにクローさんやメルやコーリと知り合えてよかったデス」 「はい」  一瞬緊張はしたが、こじれる気配ではなかった。よかった。 「むむむ」  あとはこっちだけか。 「えと、まあ色々言いたいことはあるけど。ケーキが好きなお客様を拒む理由はないよ」 「でもこれだけは言っとくよ。ラフィ・ヌーンがどんな条件を出してきてもうちを渡す気はないから」 「ハイ。それでいいと思いマス」 「……」 「歯ごたえがなくてめるさん困ってますね」 「めるさんは悪態をつくのが苦手なようで」 「よく分かりましたね。77の弱点の1つです」  めるさんはラフィ・ヌーンを、ドラマなんかで見る悪質な地上げ屋みたく捉えているようだが、  ようするにホテルサイドとしては、第一候補としてこの店を欲してはいるが、ここ以外の候補がないというわけではないのだろう。  なので断られたなら断られたでショコラさんは空気が軽い。むしろ彼女は、この店がこのまま続くのに前向き、と。  ショコラさんとケンカをする理由はない。  と、 「決めたわめるちゃん、小町はやっぱり今日は買わないことに――」 「あら、2つ売れてる」 「お客さんは1人だけどね」 「あああああ誰かが食べてると思うと惜しくなるうううう!」 「全種類とも1つずつお願い!」 「まいどありです」 「めるちゃーん、来たよー」 「チーズケーキおねがーい」 「こっちはモンブランー」 「あは、ありがとうございます」  時計の針が3時を回るのに合わせてちらほらとお客さんの顔が増えてきた。 「ショコラさん、私たちは仕事してきますので」 「ゆっくりしてって。クロウ君、お相手お願い」 「自分もなにか」 「クロウ君は接客に向いてないよ」 「はあ」  はっきり言われてしまった。  まあいい。 「残り、いただきまショー」 「はい」  その後もショコラさんとご一緒することに。  ・・・・・ 「ごちそー様デシタ」 「またいらしてください」 「はぁい♪」  長くお話したショコラさんを見送る。  ・・・・・ 「~~♪」 「美味しかったぁ、フォルクロール、噂どーりデス」 「……それに」 「クローさん、メル、コーリ」 「ふふふふふ」 「ショコラ・ネージュ、油断ならないね」 「そうですか?」 「ラフィ・ヌーンの人だよ? うちを狙ってるかもしれない」 「ご本人が別にいいと仰ってましたよ」 「しかもあのあと1時間くらいおしゃべりしてましたよね」 「仲良くなられてましたよね」 「いやー可愛いくて良い子なんだもん」 「私たちよりお菓子の知識に詳しかったですね。勉強になりました」  素直で話しやすい子なので、めるさんとも氷織さんともすぐに仲良くなっていた。 「それに当面の問題はラフィ・ヌーンではなさそうです」 「う……」  ショーケースを見る。  今日並べたのは6種類×6切れの計36個。  全部売り切れても赤字になるくらいの少数であくまで小手調べ程度のつもりだったが……。  まだ19個が売れ残っていた。 「ケーキの寿命は8時間なので、うちは6時には閉店です」 「現在午後5時半」 「お客様はもういらっしゃりそうにありませんね」  4時を過ぎた辺りで客足はぱったり途絶えた。  もともと6時閉店の洋菓子屋に5時以降に入る人は多くないだろう。  ふむ……。 「……」  さすがに落ち込む。 「お、落ち込まないでください。クロウさんの仕事は充分でした」 「ちらし配りとかするべきでした。私たちの怠慢です」 「そんなことは」 「……」 「めるさん……」 「……あ、うん。ごめん」 「……閑古鳥のお店って、たぶん長期休業中より市役所の目は厳しいかなって」 「う……」  ホテルがあきらめたからそれで終わり、ではないのか。 「……」 「まっ、でもひとまず、お店が開けたのはよかったよ」 「このままフェードアウトじゃ寂しいもんね。うんっ、一番の目的は果たせました」 「オリちゃん、クロウ君、明日もがんばろっ」 「……」 「めるさん……」  店じまいを考えだした、そのとき。 「まだ開いてるかしら」 「っと、いらっしゃいませ」  おそらく本日最後のお客様が。  あ……。 「……」 「クス」  自分を見て笑う女性。 「どうも」 「?クロウ君、知り合い?」 「はい」 「っ、え?!」 「ああいえ、先日公園でお会いしただけです」  記憶喪失前の、ではない。 「へえ~、初めまして」 「どうも」 「あはっ、ショコラといい、クロウ君ってなんか美人さんと縁があるよね」 「ですね」  めるさんや氷織さんも含めて。 「あ、初めまして。古倉めるです」 「ん……どうも」 「森都あいらよ。よろしく」 「森都さん」  そういえば名前は初めてだ。 「それにしても」 「話を聞いて見に来たけど、売れ行きはいま一つのようねえ」 「う……はい」 「ふふっ」 「……」  挑発的にこっちを見た。 「残念ね、あなたの……」 「でもその分お姉さんの分は全種類残ってるよ!」 「んえ」 「どれにする? どれも美味しいよ、あっ、この時間はクリームの少ないこのチーズケーキがね」  もう来ないと思ったところで来たお客様に、めるさんのテンションが高い。 「え、ええありがとう。じっくり選ばせてもらうわ」 「それよりあなた」 「はい」 「このざまでよくもまあ人の領分に……」 「どれどれ!? どれ食べる?」 「……」 「めるさん、大事な話をしてるみたいですから」 「ねえもうお客さん来そうにないから全部出しちゃっていいんじゃないかな。全種類味見してもらおうよ」 「お茶があるほうがいいかな。オリちゃんお茶おねがい」 「……」 「落ち着くには日が悪いみたいね。話はまた今度にしましょうか」 「は、はあ」 「もう帰るから。お茶と味見は結構よ、持ち帰りで」 「えー?」 「気持ちだけ受け取っておくわね。んー、どれにしようかな」  改めてショーケースに向かう。 「どれも美味しいよっ」 「そう」 「ショートケーキとモンブランを代わりばんこに食べると甘いとすっぱいがいい感じだよ。でもチーズケーキであまあまってのも」 「え、ええ」 「どれどれ? どれにする?」 「あ、あのめるさん、ご迷惑になりますから」  浮かれているめるさん。 「……」  たしかにこれでは選びにくいかも……。  思ったが、 「にへ」 「?」 「っと、コホン」  一瞬すごい顔をしたような。 「け、ケーキ、その、こほん」 「どれどれ?」 「……」 「全部いただくわ!」 「はい?!」 「わ、私は全然その、ケーキとか、いいんだけど。差し入れにね。忙しい大人には差し入れって大事だから」 「全部もらうわ。包んでちょうだい」 「おお~」 「ありがとーお姉さん」 「……」 「にへ」 「つ、付き合いがあるのよ。それだけよ」  支払いを済ませると、足早に帰って行った。 「ふわ~、最後の最後で売り切れちゃった」 「あまり良い売れ方ではありませんが、格好は付きましたね」 『OPEN』の看板を外す。 「いい人だったね」 「はい」 「……」 「~♪完売完売♪」  気分よさそうに引っ込んでいくめるさん。  最後の彼女以外は19個売れ残っていたわけだし、もっと言えば小町さんには6つも引き受けていただいた。  実質20以上の売れ残りが出たと考えるべきだろう。  明日からは売り方を考えなくては……。 「……」  思っていると、 「クロウさん、いまの……森都さんですけど」 「はい?」 「公園で会った――以外に覚えはありませんか」 「覚え……ですか?」 「彼女、クロウさんのことを知っている気がします」 「ん……」  言われてみれば、公園でお会いしたときから向こうは自分に反応していた気が。 「記憶を取り戻す手がかりになるんじゃないでしょうか」 「……ですね」  外を見る。  彼女の姿はもうなかった。 「今度来たら聞いてみましょう。クロウさんの、本当のクロウさんをご存じなのか」 「あ、その前にクロウさん、この前の名刺どうなりました?」 「は……ああ、そのままです」 「そのままって……名刺もとに電話とかは?」 「すいません忘れていました」  あれからケーキ作成や店の再開など、色々あって忘れていた。 「んぅ……まあお店を手伝ってもらっているこちらがいうのもどうかと思いますが」 「森都さんも含めて、記憶をたどる材料はちらほら見えてきました」 「クロウさんにとっては、フォルクロールよりもそちらのほうが大事なはずです」 「……」 「はい」  そうだった。記憶のない自分に安穏としていた。  早く本来の自分を思い出さなくては。 「森都さんは、あの感じならまた来ると思います。そのときに改めてお話を聞きましょう」 「名刺の番号には今からかけてみます」 「はい」  電話のある2階へ。  ・・・・・ 「……」(もくもく) 「あら、チーズケーキほんとに美味しい」 「……」 「あいつが作ったんでしょうね。ったく」 「アイリッシュ、ハイランド」 「はい」 「どないしたん~?」 「これ、ケーキ、たくさん買っちゃったから食べていいわよ。アイリスはミルフィーユ好きだったでしょう」 「わあ~、ありがとお」 「フォルクロールのものですね」 「ええ。様子を見て来たわ」 「そうですか」 「また仕事から逃げたかと思い帰ってきたら叩きのめそうと思いましたが、では仕方ありませんね」 「こ、怖いわね」 「それに別にいつも逃げてるわけじゃないわよ」 「せやな~、わんちゃんたちには散歩も大事な仕事やわ」 「そうそう」 「……」 「……こ、今度から気をつけるわよ」 「では、チョコレートムースをいただきます」 「にしてもどないしたん?森やんが差し入れやなんて、珍しい」 「いやあ、うん、場の流れで、ね」 「ふーん」 「また可愛い子ぉでもおったん?」 「う……」 「べ、別に」 「おやおやあ? 怪しいなあ」 「森やんは犬っぽい子ぉ見ると、性格変わるさかい」 「うっさいわねえ」 「それはそれとして」 「お客様です」 「ン……」 「……」 「くろーくーんっ」 「はい」 「夕飯できたよっ。一緒に食べよっ、ねっ」 「はい」 「今日はね、寒いからポトフにしたの。でも途中で失敗して水いれすぎちゃった。だからシチュー」 「えへへー、クロウ君が作っといてくれたバゲットもちゃんと温めなおしたよ」 「はい」 「それでねそれでね」 「……? なんか暗い?」 「……いえ」 「そうですか」 「すいません。こちらの番号からは特に何も」 「いえ、私たちでもそうでしたから」  一応電話はしてみたのだが、そもそも何を聞けばいいか分からず。  まずこの名刺が、どこの誰のモノなのかから考えなければならないようだ。  やはりあの、森都あいらさん? が最大のヒントか。  思っていると、 「……?ところで、それは?」 「あ、はい。ちょっと思い立ちまして」  なにか絵を描いていたようだ。 「ルーベンスですね。『我が子を喰らうサトゥルヌス』の模写ですか?」 「絵画にお詳しいんですか?」 「ん……分かりませんが、そうなのでしょうか」 「どっちにしろちがいます」 「ケーキを食べてるめるさんの絵です」 「……」 「お店のちらしを作ろうと思いまして」 「な、なるほど!道理で上にSALEと書いてあるわけで」 「『我が子を喰らうサトゥルヌス』という題材ではルーベンスよりゴヤの絵が有名ですね。子供のころの私は一目見て大泣きしました」 「……すいません」 「シチュー持ってきたよー」 「こわあ! なにこの怖い絵」 「……」 「あの、宣伝用のちらしだそうです」 「ああなるほど」 「でもいいよボクが描くから。オリちゃんぶきっちょなんだから、無理しないで」 「この怪物は誰を描いたの?」 「誰でしょう。分かりません」 「それよりごはんごはん」  夕飯になる。 「売れ行きはちょっと問題が残ったけど」 「やっぱりお店を開けた日はいいね。まだ甘い香りが残ってるよ」 「ですね」  昨日までも、テーブル等で都合が良いからと昼、夕飯はここで食べていたのだが。  今日はなんとなく空気がちがう。  甘い香り……麦やクリームの温かい香りが部屋を満たしている。  香りは空気を温かく染めて、居心地のようなものがちがう。 「お2人はこんな空気のなかで過ごされていたのですね」 「うん」 「はい」  緊張の1日だったが、  この空気を共有できただけでも、店を開けてよかった。  パティシエの仕事、引き受けてよかった。 「ほら、食べて食べて。めるさん特製ポトフ風シチュー」 「昨日もこれでしたよね」 「ポトフってどうやって作るんだろうね」 「まあ美味しいのでいいですけど」 「あははー。オリちゃん特製のこのサラダも美味しいよ」 「ちぎってドレッシングをかけただけです」 「いやいやあ、ちぎり加減とドレッシング加減が抜群なんだよ。ねっ、クロウ君」 「はい」 「ねーっ。ほらほらクロウ君ばんばん食べて」 「はい」 「こらめるさん。アスパラをクロウさんの方に送ってるの、気づいてますよ」 「あうう」 「……」  もちろん、この空気を愛しく感じるのは、  このお2人と一緒できているからだろう。 「突然ですがクロウさんにお別れを言いたいんです」 「はい?」 「悲しいですけど、小町はしばらくフォルクロールさんに行けなくなってしまいました」 「それは……唐突ですね」 「だってクロウさんのケーキが美味しすぎるんですもん!」 「昨日は結局6つも買ってしまいました。6つ切りを6つつまりケーキまるまる1ホール食べたのと同じですよ!?」 「小町は、小町は怖いです自分のなかに住む獣が。あと体重計が」 「なのでしばらく行きませんフォルクロールには。体重計の上にも行きません」 「そ、そうですか」 「ちなみに今日は昨日からさらに一種類。抹茶のトルテを増やしてみたのですが」 「!」 「小町さんが和のイメージといいますか、抹茶が似合いそうでぜひ小町さんに試していただきたかったのですが……。それなら仕方ないですね。残念です」 「……」 「抹茶はカロリーが低いんですよね」 「クリームと砂糖を使った量は同じですが……」 「低いんですよ」 「……お待ちしております」 「描けた!」 「出来ましたか」 「はい。宣伝用のちらしのデザイン、出来ました」  今度は普通に、デフォルメされた犬っぽいキャラクターがケーキを食べている絵になっている。 「名付けてケーキを喰らうサトゥルヌス」 「素晴らしい」 「……その話、引っ張るんですね」 「この可愛らしいサトゥルヌス氏にはモチーフでも?」 「んーん、いま適当に」 「でも名前決めた。佐藤るぬすにしよう。砂糖と佐藤がかかっててうちっぽい」  ちらしの出来に満足な様子のめるさん。 「それで……うちじゃコピーできないんだけど」 「連絡しておきました。いけば印刷してもらえるはずです」 「では、自分が受け持ちます。お2人は販売をお願いします」 「うんっ」 「お願いします」  自分の仕事であるケーキ作りは朝の内に終わっている。午後からは外で作業するとしよう。 「では、こちらでお願いします」 「あいや、ただちに済ませますぞ」 「50部無装丁なら30分ほどで済みますぞ。しばしお待ちなされよ」  というわけで、また市場で時間を使う。 「……」  そういえば自分1人で出歩くのは初めてだな。いつもめるさんか氷織さんについていてもらったから。  1人であることに緊張や違和感はなかった。  この街にもすっかり馴染んでいるようだ。 「ちょいと、ちょいとお兄ちゃん」 「む……ああ」  以前アイロンをお借りした呉服屋の主人だ。 「裾野だよ。みんなはおそのさんっていうから、そう呼んでおくれ」 「よろしくお願いします。この前はありがとうございました、用は果たせました」 「そうかい、よかったよ」 「それであの名刺……どうなったね」 「……えと」 「芳しい成果は出なかった、と」 「申し訳ない」  表情を読まれる。  裾野さんは、肩を竦めつつ苦笑して、 「まあまあ、アンタのせいじゃあないさね」 「でも困ったねえ。記憶は戻りそうなのかい」 「……」 「うーん、まあアンタの記憶がどうなろうがアタシの知ったこっちゃあないけどねえ」 「聖代橋のおチビちゃんが心配してたからさ」 「氷織さんが……」 「なにをどうしろってんじゃないけどさ」 「思い出せるんなら早く思い出したほうがいいよ」  肩をぽんとされる。 「はあ……」  自分でも思い出したいとは思っているのだが……。 「ま、無責任なこと言ってるけどさ」 「そうそう。これ持ってきな」 「は……これは?」 「エプロンだよ。いまジジイのお古を使ってるんだろう?」 「クロウ君のためのエプロンが欲しいっておチビちゃんたちが言ってたからね。サービスさね」  見れば太字で『山田九郎』と縫い付けてある。 「す、すいません。お代は――」 「いらないよ。今度食べに行くから、でっかいのごちそうしてくんな」 「……はい」  別れる。  自分用のエプロン……。 「……」  いまここで身につけたくてたまらなかった。  ・・・・・ 「あいや、出来ましたぞ」 「ありがとうございます」 「50刷ったので、35持っていかれよ。15枚はこの店で配ることにしよう」 「ありがとうございます、なにからなにまで」 「今度食べに行きますゆえ」  ちらし35部を受けとる。  配っていくか。まずはこの商店街から――。 「あいあい、およよめるちゃんちのアンちゃんじゃないの。今日はお一人かい」 「はい。ああ先日はバゲットの焼き方をご教授いただきどうも」 「いいってことよ。今日はベーグルの焼き方でも習ってくかい」 「うん?なんだいそのちらし」 「あ……はい」 「モォ~、フォルクロールがまた開いたのぉ~?」 「オォー行きたいィーヨー」 「いいねえ、5部ずつ置いてってくんな。うちらでも配るからよ」 「ど、どうも」 「ケッ、ケーキだなんて軟弱なもの食べてちゃ不健康になるだけだよ」 「アンタが新しくパティシエになるって?いけないねえあんな砂糖漬けの厨房にいたらすぐ病気になるよ」 「ほらっ、砂糖気が欲しくなったらトマトだよ。これに舌を慣らせば甘い物なんていらなくなるから」 「は、はあ」 「あとはめる子と織子用に青菜に大根、それから……」 「おばあちゃん、さっきから何してるの」 「あ、どうも」 「は!?く、クロウさんの幻が見える」 「くっ、抹茶の誘惑を断つために今日はおばあちゃんを手伝いにきたのに、幻を見るなんて。小町はここまで心の弱い女だったのでしょうか」 「あの」 「こっちに来る!」 「いやーカロリーが迫ってくるー!」 「……」 「うちの孫は時々おかしくなるねえ。誰に似たんだか」 「自分は帰った方がよさそうで」 「そうだね。野菜はちゃんと食べるんだよ」 「ああそれとそのチラシは置いてきな。うちでも配っておくから」 「よろしいのですか」 「孫で遊ぶのに面白そうだよ。ひっひっひ」 「……お願いします」  あっという間にちらしはあと10枚ほどに。  商店街ばかりの狭いサイクルで回していてもよくない。色んな人がいそうな場所を探し公園へ。  と――、 「あははっ、こらきゃらめる、そんなに引っ張らないの。どーなつ、すこんぶ、置いてかれちゃうわよ。ついとろーねんしゅにってん、足にくっつかないの」 「あら? ばななときなこはどこ行ったのかしら。しらたま、知ってる?」 「わんわんっ」 「きゃんきゃんっ」 「わぶっ!」  何者かにタックルされた。 「ハッハッハッハッ」 「ぐあ、んぶ」  犬だ。2匹に襲われた。  顔を舐め回してくるのをなんとか引きはがす。 「あら、そんなところで遊んで――」 「あ」 「どうも」 「きゃいんきゃいんっ」 「はふっ、ばふうっ、はっはっ、ぶるるる」  引きはがしたあとも、自分の持っていたものに噛みついてきた。 「楽しんでいただけで恐縮ですが、大事なちらしですので土だらけにされますと……」 「わんわんわんっ」 「まいったな」 「何やってんのよアンタ」 「昨日はどうも」  またも森都さんにお会いした。 「なにか用かしら。ないならこっちに関わらないでくれると嬉しいんだけど」 「用というほどではないのですが」 「きゃんきゃんっ」 「う、うちのばななときなこに何してるのよっ」 「おそらくは見て分かるだろう通り、しがみ付かれております」  いただいたエプロン、着けなくてよかった。店に帰る前に泥だらけになるところだ。  持っていたちらしは奪われてしまった。 「ああもう、こらきなこ、ばなな、離れなさい。変なもの食べるとお腹壊すわよ」 「ですね。とりあえずちらしは返していただきたい」  大事なものなので奪い返した。  だがすでに泥だらけだ。まいったな。 「あーあ……」 「こ、この子たちの粗相は私の責任だけど。一応言っとくとこの公園は勧誘活動禁止だから、ちらし配りはNGよ」 「はい。入口に書いてあったので配ってはおりません」 「う……チッ、いつもながら目ざとい」  ムッとした様子で眉をひそめている。  ふむ。 『いつもながら』か。 「それ、こっちで引き取るわ。たくさんの人に配ればいいのよね。うちの職場は人が多いから配っておく」 「よろしいのですか」 「そんな泥まみれじゃ知らない人に配っても逆効果でしょ。事情説明しながら配るから、少なくともこっちのほうが効果的よ」 「たしかに。ではお願いします」  残った10枚とも渡す。  あっという間に仕事が終わってしまったな。 「ったく、なんで私がアンタの手伝いなんて」 「ってあら、可愛いわねこの絵」 「アンタにこんな絵心があったなんて」 「それを描いたのはめるさんです。ほら、昨日の」 「め……っ、あの髪がふわふわってした子?」 「はい」 「そ、そう」 「ならもったいないし、私ももらっておいてあげるわ。いえ全部配っちゃってもいいんだけど、記念にね」  ?  そうだ、 「昨日のケーキ、いかがでした?」 「ん……」 「フツーよ。マズいとは言わないけど、フツーのケーキ」 「前までのフォルクロールには遠く及ばなかったわね。意外だわ、あなたなら同等以上の味が出せると思ったのに」 「そうですか」  普通。よい評価ではないが、ひとまず及第点だろう。 「わんわんっ」 「っと、はぁいきゃらめる、どうしたの~、お腹空いた~?」  連れた犬たちを相手している彼女。  ひのふの……7匹もいる。 「犬がお好きなのですね」 「別に。仕事で捨て犬の問題にかかわってたときに流れで飼わなきゃいけなくなっただけよ」 「くーん」 「ああちがうちがう。嫌いってわけじゃないったらどーなつ、拗ねないで」  絶対好きだと思う。 「少なくとも彼らには好かれているようです。たいへん懐かれてらっしゃる」 「分かる?!そうなのそうなの、この子たち私がいなきゃすーぐ寂しがっちゃうんだから」 「ねーきゃらめる、私のこと好きよねー」 「わんわんっ」 「好きよねしらたま」 「きゃんきゃん」 「ねーすこんぶ」 「……」 「ついとろーねんしゅにってん」 「ウウウウウ」 「ま、まだ慣れてない子もいるわ」  種類も性格もバラバラだが、みな大事にしているようだ。 「よろしく、すこんぶに、ついとろーねんしゅにってん」 「……」 「……」(すんすん)  差し出した自分の手に、興味ありそうに鼻を近づけてくる2匹。  すんすん嗅いで。 「くーん」(すりすり) 「よろしくお願いします」(なでなで) 「うう~」(ごろごろ)  甘えてくるので、撫でて返した。 「うぐ……一瞬で懐いた」 「わんわん」 「はっはっはっ」 「みなさんもよろしくお願いします」(なでなで)  7匹とも自分を歓迎してくれたようだ。 「がーっ! 元野良の子たちをそんな簡単に手懐けるなっ!私は何週間もかけてやっと慣れたのにーっ!」 「す、すいません」 「ったく。昔っから子供や動物には好かれるわねアンタ」 「……」  全員元野良、ということは、捨て犬を引き取ったという話は本当らしい。  犬に好かれるのは悪人でない証拠。その意味で彼女を悪人と思ってはいなかったが、  捨て犬を引き取るのは、悪でないどころか、れっきとした善。  彼女はちょっと怒りっぽいが、良い人のはずだ。  そしてもう1つ。 「自分のことを『昔から』ご存じなのですね」 「は?」  氷織さんのおっしゃったとおり、  彼女は自分の過去を知っている。 「森都さん、お願いがあります」 「なに」 「実は……」  ・・・・・ 「記憶喪失?」 「はい」 「……なんの冗談?」 「冗談では」 「……」  さすがに唖然としている彼女。  ただ信じてはくれたらしい。 「あはっ、はっ、あははっ、うそホントに?記憶がないわけ。昔の?」 「……」 「いつから」 「5日前……『妖精の夜』のあった日からです」 「……あはっ」  ケラケラと笑う彼女。  こちらとしては笑い事ではないのだがな。 「あー……なんか色々謎が解けたわ。アンタみたいな男があんな場末の洋菓子店で、せこせこケーキ作ってる理由が」 「ま、あれはあれで似合ってると思ったけど」 「……」 「クロウ君、って呼ばれてたわね」 「あ……はい。ヤマダクロウ。自分に残された名前です」  ポケットを探り、例の名刺を取り出した。  山田九郎の名刺を。 「この名刺に心当たりはありませんでしょうか」 「……」 「ふふっ、山田九郎……ね」 「心当たりはあるわ」 「っていうか、持ってるわこれと同じものを。いまも私のデスクの引きだしに入ってる」 「え……」 「あなたに渡されたことがある」 「……」  やはり知っている。  否、会ったことがある。自分と。 「教えていただけませんか。自分はどんな人間だったか」 「ん~、どうしよっかなあ」  ニヤニヤと意地悪く笑う彼女。  まいったな。自分は好かれていないようなので、素直に教えてくれない。  ただ今のところ手がかりは彼女だけだ。 「お願いします」  深々と頭を下げた。 「ん……」 「お願いします森都さん」 「……」 「あいっかわらず面白みのない」  幸いというべきか、彼女は根が真っ直ぐな性格なのだろう。他人に意地悪するのには慣れていないようだった。 「詳しくは知らないわよ。名刺を渡されたのもつい最近。アンタがこの街に来た時に挨拶に来たってだけ」 「アンタと私は……そうね。同業者ってところかしら」 「ん……」 「私は、なんて言うかな。この街をちょっとだけ幸せにする。そんな仕事についてるんだけど」 「アンタも同じようなことしてるって紹介されたわ」 「……」  漠然とした仕事だ。良く分からない。 「知ってるのは以上。あとは知らないわ」 「私にとってのアンタは、私のシマを荒らしにきた余所者。それだけよ」 「……」  あたりがキツい理由はそれか。 「この、山田九郎というのは、本当に自分の名前でよいのでしょうか」 「この名刺の番号に電話をかけても、山田という人物はいないと言われてしまいましたが」 「んー、まあそうでしょうねえ」 「ふふっ」  おかしそうに笑う。 「まあ細かいことは私に聞かれても困るわ。守秘義務ってものがあるし、そもそもあなたの人となりなんて知らないしね」 「そうですか……」 「……」 「まあでも保証してあげる」 「あなたは悪人じゃない」 「記憶が戻ったところで、あのおチビちゃんたちの迷惑にならないことは保証する」 「……ですか?」 「私にとっては邪魔だけどね。邪魔なだけ」 「そしてあなたは私と同じ、ちょっとした幸せのために働いてるってことも」 「……」 「パティシエ。ステキな仕事じゃない。誰かの幸せに従事する仕事だわ」 「上手に出来るなら、続けてみたら?」 「……」 「じゃあね。みんな、行くわよ」 「わんわんっ」  7匹を連れて去っていく森都さん。  自分は静かに頭をたれるくらいの見送りしかできない。 「……」  有益、とは言えなかったが。 「記憶が戻ったところで、あのおチビちゃんたちの迷惑にならないことは保証する」 「……」  一番聞きたかった情報だけは聞けたか。  ――ドドドドドドド!  む?  ――どだだーーー! 「失敬。ここに犬を連れた女性が来なかったでしょうか」 「7匹くらい連れとって、いい年して片髪ポニテにした子ぉやねんけど」 「は……」  誰のことかは一瞬で分かったが、返答に詰まる。 「げっ!」 「おった! 待てーー!」 「今日の仕事は終わっておりません」 「こ、この子たちが散歩したがったのよ!」  ダッシュで去る3人。と付き合わされる犬7匹。 「……」  平和そうだ。 「はー」 「今日もお客さん来ないね」 「3時間で4人。昨日よりはちょっとだけ快調ですけど」 「おじいちゃんがいた時みたいにはいかないのかなあ。クロウ君のだって美味しいのに」 「一見さんすら来ないのは知名度の問題ですよ」 「はーあ」 「クロウ君まだかな」 「ちらしを配って下さっているのですし、終わってもたまにはお1人になりたいのではないでしょうか」 「かあ」  ――ガチャ。 「あっ、いらっしゃーせー」 「コンニチハ」 「ショコラさん。と……」 「だ、だから僕はいいって」 「敵だ!」 「うぐ」 「敵? WHYえねみー?」 「あそっか、ショコラのお兄ちゃんだっけ」 「なにしに来たの。また字がいっぱいの書類でボクたちのほっぺをぺしぺししながら貧乏人は麦を食えって言いにきたの」 「お兄ちゃん……?」 「誤解すぎる」 「今日は2人でケーキ食べに来マシタ」 「お客さんか。ならOK」 「いらっしゃいませ。お好きなものをお選びください」 「変わり身が早い……」 「……」(きょろきょろ) 「ああ、えと、クロウさんはいま出てます」 「mn……そうデスカ」 「えっと? どんなものがあるんだ?」 「……種類はあまりないな」 「エネミー! エネミー!」 「わわっ! も、文句を言ってるわけじゃないって」 「昨日なかったトルテがありマスね」 「抹茶のトルテです。如何ですか」 「ん~、今日はミルフィーユのつもりで来たのデスが、これも食べタイ……」 「じゃあ僕がミルフィーユを頼もう。分けっこだ」 「いいの? わぁい」 「……」 「……」 「な、なんだ?」 「いえ。ただ」 「ショコラにはいいお兄ちゃんなんだね」 「ハイ。お兄ちゃんは優しくて、大好きデスよ」 「べ、べつに僕は善人でも悪人でもない。普通だ」 「てっきり家でも妹の顔面を札束でひっぱたいて鼻血が出たらほらこのお札でも詰めとけよってタイプだと思ってた」 「なあ、君と会話したのは先日ほんの15分だったと思うが、僕はそこまで異常に思われることをしたか?」 「めるさんの言うことは半分冗談なのであしからず」 「お茶を入れます。なにがいいですか?」 「抹茶だから……コーヒーがいいデスかね」 「いちごミルク」 「……」 「じゃなくて。えと、こ、コーヒー」 「えと、いちごミルクも出来ますよ?」 「気を使わなくて結構。コーヒーで」 「はい」 「メルやコーリの分も淹れて、4人でお茶にしマショー」  ・・・・・ 「どうぞ」 「アリガトーゴザイマス」 「お2人がコーヒーで、私は紅茶にしました」 「で、めるさんがいちごミルク」 「わーい」 「!」 「聞いたら飲みたくなっちゃってさ」 「今からでも変更OKだよーお客様」 「い、いらない」 「わぁ……このお店のいちごミルク、なんだかちがいマスね」 「でしょー。いちごの粒が大きいでしょ」 「こいつをこの大きめのストローでぶちぶち潰しながらかき混ぜて」  ――じゅるるる。 「うまい!」 「わああ」 「ショコラも一口どーぞ」 「わはぁいセンキュー」  ――ちゅー。 「わぁあおエクセレント!」 「でしょー」 「……」 「いちごミルク。イチゴのジャムやシロップ漬け1にミルク3くらいを混ぜた飲み物ですが」 「うちのものはシロップ漬けそのものを余ったイチゴで作っているので、市販のものより粒が大きいんです」 「まあその分飲みにくいけど、イチゴの風味が普通のものより強くなるそうです」 「じゅるり」 「こうなると思ってすでにもう1杯作ってあります」 「……た、試しにお願いします」 「コーヒーもそのままどうぞ」 「ケーキもいただきマスね……」 「ん~♪抹茶のトルテ、美味しいデス」 「えと、僕もいただきます」 「……おお」 「ミルフィーユ、いかがかな」 「ん……えと、こほん」 「臨時に雇ったパティシエとはいえ、いい加減な判断でなかったことは認めよう」 「なんっかえらそう」 「まあまあ」 「お兄ちゃんお兄ちゃん、ミルフィーユ一口」 「はいはい。タルト、僕ももらうぞ」 「あむ」 「ん~~~~っっ」 「……」 「こっちも大したものだ」 「ご好評いただいてなによりです」 「……」 「オリちゃん、ボクも食べたい」 「仕事中です。我慢してください」 「あうう」 「はむはむ」 「……じとー」 「こうなると、このパティシエを招きたくなるな、うちのホテルに」 「美味しいデスねお兄ちゃん」 「ああ、本当に」 「じとじとー」 「すごく美味しい」 「エネミー!」 「なんで?!」 「……」 「mn、トテモ美味しいデスケド」 「美味しいからこそ、メルやコーリに食べて欲しいデスネ」 「ショコラは良い子だなぁ」 「やめなさいショコラ。接客業をしているんだから、仕事中にお茶に誘うのもよろしくない」 「敵め!」 「……もう何もしゃべらない」 「じゃあヒトクチだけ。ヒトクチどーぞ」 「わはいっ。大きめにね大きめに」 「はあ。一口だけですよ」 「あーん」 「あ~~~~~~~~」  ――ぽろっ。 「わっ」 「あ!」  ――ぽと。 「Oh、服のうえに」 「はむっ」 「構わず食べた!?」 「めるさん77の弱点の1つ。届く範囲の甘いものは何をしてでも食べるが出ましたね」 「ん~おいし~」 「ってしまった!」 「オウ……」 「うあ……ただでさえ抹茶色をこぼしたのに、めるさんがかぶりついたりするから」 「ショコラの服に抹茶の色が染み込んでしまったな」 「わわわっ、ご、ごめんショコラ」 「気にしないで下さい。大した染みじゃないデス」 「そうはいかないよ。脱いで脱いで」 「ハ、ハイ?」 「オリちゃん、あの洗剤、すごいシミが抜けるのあったよね」 「えっと、待ってくださいまずは生地の種類がですね」 「あ、あの、これくらいなら平気デスから」 「いいから任せて」(ぐいぐい) 「……」 (コーヒー、ブラックで出てきた) (いちごミルクだけ飲んでてこっちは残すんじゃ妹の前でカッコつかないな) (飲んでみよう……ちびちび) (にがっ。やっぱりブラックじゃ無理)  ――コト。 「あの、あの」 「いいからぁ」(ぐいっ) 「め、めるさんそんなに引っ張ったら――」 「ひゃあっ」  ――ガターン! 「あ」  ――びしゃーん! 「んぶあ」 「あう」 「ありゃ」 「……」 「コーヒー、もう熱くはなかったけど、大丈夫か?」 「助かりました」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ハイ、バンザイしてください」 「じ、自分で洗えますから」 「ノンノン、こういう時は呉越同舟、助け合いデース」 「……もう」 「本当にすいません。うちのめるさんはどうも粗忽で」 「いえいえ」 「コーヒー、熱くなかったですか?」 「わたしは全然。コーリも頭からかぶったけど、大丈夫デシタ?」 「はい」 「あ、服の染み、たぶんめるさんならどうにかしてくれますので」 「mn、結構べったりイキましたガ」 「めるさんは77の弱点の1つ、やたらと物をこぼす。を克服するべく、しみ抜きはおそのさんにミッチリ仕込まれているのです」 「そうデスカ」 「まあ抜けたら抜けたでオーキードーキー。ダメでもうちに帰れば同じようなのがいくつかありマスから」 「そう」 「それより今はコーリデス。綺麗な髪にコーヒーの匂いがついたら大変ネ」 「……どうも」 「ステキな髪ですね……つやつやですべすべ」 「頬ずりしたいデス。していいデスカ?」 「えと」 「すりすり」 「すでにしてますね。お好きにどうぞ」 「~♪」 「……」 (クロウさんの前では大人しい感じだったけど、根っこはめるさんっぽい人なのかな) 「ふふ」 「このお店は不思議デスネ。来るたびに美味しいものが待ってテ。今日みたいに楽しいこともあっテ」 「……コーヒーをかぶるのは楽しいのでしょうか」 「楽しいデース」 「お兄ちゃんと一緒にお出かけするのも楽しいシ。メルやコーリとおしゃべりするのも楽しいシ」 「誰かと一緒にバスタイム、初めてデス」 「ん……」 「国ではズット1人デシタから」 「……」 「気になっていたのですが――ショコラさんに比べてお兄さんはずいぶんと流ちょうにおしゃべり出来ますよね」 「そうデスネ、お兄ちゃんはもう5年も前からこっちに来てマスから」 「……あ、お兄ちゃんのこと、悪く思わないでくだサイね」 「ん……」 「お兄ちゃん、フォルクロールの味はトテモ好きなのデス。わたし小さいころから聞いてマシタ。笛矢町にはトッテモステキなケーキ屋さんがあるッテ」 「ただお兄ちゃんにとって一番はパパのホテルで。ステキなお店だからこそ一緒にしタイのデス」 「……」 「分かっています。私も、めるさんも。立場がちがうだけなことは」 (まあめるさんは分かったうえで邪険にしているのですが) 「ヨカッタ♪」 「……」 「ショコラさんは、誰かとお風呂に入るの初めてなんですか?」 「ハイ。あらいっこ、ずっとしてみたかったデス」 「そうですか」 「じゃあ今度うちに泊まりに来てください。たぶんめるさんが一緒してくれますよ」 「イイデスね。メルとも一緒に入りたいデス」 「……言ってしまいましたね」 「ハイ?」 「めるさんとのお風呂を、こんな落ち着いたものだとは思わないことです」 「……1日の終わり。疲れをとるべきバスタイムが、最も気力体力を搾り取られる。そんなめるさんとのお風呂タイム」 「予約入れておきます。……もう逃げられませんよ」 「な、なんか怖いデス」 「まあ、というのは半分冗談として」 「半分は本当なのデスネ」 「いつでもどうぞ。歓迎しますよ、めるさんも」 「クロウさんもきっと」 「あ……」 「……」 「ハイ」  ・・・・・ 「遅くなってしまった」  ちらし配りはとっくに終わったのに、街を見ていたら日が暮れてしまった。  風の温度が急激に落ち始めたのを感じながら店への道を急ぐ。 「……」  結局自分が何者なのかは分からなかったが、  少なくともめるさんらに迷惑をかける存在ではない。  これで心置きなく仕事に集中できる。  あとはこのフォルクロールを、どうやって盛り立てていくかだけだ。  ――ガチャ。 「ただいま戻りました」 「イラシャイマセー」 「……」 「あ、クローさん、おかえりデス」 「はい」 「おかえりークロウ君」 「どう? どうこれ、可愛いっしょ」 「えへへ、制服お借りしてしまいマシタ」  めるさん、氷織さんの着ているフォルクロールの制服を身にまとっているショコラさん。 「服を着れなくしたのはこっちなので当たり前ですけどね」 「はあ」 「似合いマスカ?」  くるっとターンしてみせる。  足が長いので、動作がひとつひとつ様になる。 「大変よくお似合いです」 「えへへ~」 「どうせだから接客もヤリたいデス。イラシャイマセーお客様、メニューをドーゾ」 「うちはメニューはないですけどね」 「せっかくです。温かいお茶を淹れて差し上げて下さい」 「ハイセンパイ!」 「……」 「……せんぱい」 「??」  事情はさっぱり分からないが、 「ドーゾクローさん」 「は、はい」  楽しそうにレモンティを運んでくるショコラさん。  甘えよう。席につく。  幸い……というかはともかく、他にお客様はいないため、迷惑にはならない。  一服していると、 「ショコラ、お迎えが来た。そろそろ帰るぞ」 「アウ。もうデスカ」  外の通りに、大きな黒塗りの車が停まる。 「仕方ないよ。またおいでショコラ」 「はぁい」 「あ、服」 「あっちはシミは抜けたけど乾かなかったので、今日はその服でお願いします」 「ハイ」  ビニール袋に入った……服だろうか?濡れたなにかを手渡され、ショコラさんは席を立つ。 「あんまりお話しできなくてザンネンデス」 「はい。またお越しください」 「SeeYouクローさん、メル、コーリ」  手を振るショコラさんに、めるさんと氷織さんも笑顔で見送る。  知らないうちにずいぶんと仲良くなったようだ。良いことだ。 「……」 「僕も、これにて失礼する」 「うーい、そっちもまたおいで」 「お待ちしてます」  お兄さんのほうもずいぶんと打ち解けた空気で、 「……」  だがこちらに笑顔はなかった。 「君がパティシエだったな」  自分に話しかけてくる。 「はい」 「ミルフィーユ、試させてもらった」 「味がいいのは認めざるを得ない。フォルクロールを名乗るに充分な腕だ」 「ありがとうございます」 「……」 「ただこの客入りの少なさが問題であることは、そちらも自覚していると思う」 「うぐ」  気にしているところをズバッと言われた。 「これでは『再開できている』とは言いにくい」 「……」 「こういう言い方はどうかと思うが――」 「役所から『営業実態×』の烙印を押されるより先にうちのホテルと協力した方が、この店のためになるんじゃないかな」 「晩節を汚すことはない」 「……うっさいなあ」 「まあまあ、めるさん」  厳しい言葉だが、事実だ。これも彼なりの厚意だろう。 「……」 「まあしばらくは何もできないけど。……うちが用意したパティシエも見つからないし」 「? なにかあったのですか?」 「お兄ちゃん、フォルクロールを手伝うためにうちのホテルのひとつにいた、トテモ腕のいいパティシエさんに来てもらったデス」 「デモ何日か前に来るハズでしたのに、ちっとも連絡がアリマセン」 「この街に入ったと役所には届いているからどこかにいるはずだが……どこにいるのやら」 「……」 「それって」 「っと、遅くなりそうだ。行こうショコラ」 「はぁい。メル、コーリ、また明日きマス」 「うーい」 「ふふっ、まさか敵のホテルの子が新装開店後の常連さん第一号になるなんてね」 「……」 「オリちゃん?」 「っ、なんでもないです」 「……」 (ラフィ・ヌーンが認めるほどの一流パティシエ) 「……」 「……それって」 「ところで、そろそろ閉店時間ですが」 「今日はなんと!」 「……25個余ってる」 「昨日より増えましたか」  森都さんによる買い占め前は、昨日は24個だったはず。 「スタートの個数が7種類×6つ切りで42個だったから売れゆきはよくなってるんだけど」 「好調ではないですね」 「はあ……」 「ふむ」  現在5時45分。  つまりタイムアップまであと15分。1つでも多く売っておきたいところだ。 「小町さん、いかがですか」 「ひえっ! 気付かれてた!」 「小町ちゃん、いつからそこに」 「自分が帰ったときにはすでに窓の外から食い入るように中を覗いていました」 「風邪ひきますよ」 「うう……抹茶が。抹茶タルトが頭を離れなかったの。一日おばあちゃんのところで野菜と向き合って過ごしても心が抹茶タルトに囚われていたの」 「でも、でも買わないわ。あと15分耐えればお店は終わり。小町が今日タルトを手に入れることはなくなるんだもの」 「お店が終わっても小町ちゃんなら来ていいよ」 「いつもお野菜をいただいてますし、お客さんで来ていただく必要はないです」 「ありがとうでもあーあー聞こえなーい」  相変わらず悶々とされているようだ。 「抹茶タルトはあと……2つですね」 「あっ、ねえねえどうせ余るんだし、ボク食べていいかな。これ味見してない」 「今朝は時間がありませんでしたからね」 「本当はよくないですけど、もう小町さん以外来ないでしょうしまあいいでしょう」 「お茶を淹れますね。4人分」 「さ、3人分でいいと小町は思います」 「ですね。自分にはショコラさんの淹れてくれたレモンティがありますので、3人分で」 「小町の分がいらないのぉ……」 「おやおやぁ?そんなこと言っちゃっていいのかねえ小町ちゃんや」 「おばあちゃんのところで野菜と向き合ってきた。ってことは、1日お手伝いしてきたんだよね」 「う」 「疲れた身体には甘い物がいいと思うけどなあ」 「さっぱり抹茶タルトなんて最高だと思うけどなあ」 「いやーやめてー!」 「こ、小町はもう帰ります。これ以上ここにいては体重計が危険です」 「はい」 「帰ります!」 「はい」 「帰らせてください!」 「引きとめても道をふさいでもいませんが」 「足が動かないので誰か引っ張って下さい」 「小町さん冷静に」  楽しいお隣さんだ。  ・・・・・ 「結局、今日の売り上げは」 「最後に小町さんが1つ食べて4つ持ち帰り。1つ分はサービスにしましたので、実質21です」 「42分の21。つまり半分か」 「昨日に続いての完売は高望みにしても――、ちょっと苦しい数ですね」 「伸びてるといえば伸びてるけど」 「お役所に状態を聞かれたら、いいですとは答えにくい数字かなあ」 「申し訳ありません、自分の力が足らず」 「クロウ君の仕事は満点だよ。今日のタルトも美味しかった」 「ちらしの効果もあったみたいです。何人かそれを見て来てくれたお客さんがいました」 「ただその効果が最大限に現れてくるには時間が足りない」 「ですね。はあ」 「……」 「まあいいや。なんとかなるなる」  気にした様子なく朗らかに笑うめるさん。  何か売り上げが伸びる秘策があるとも思えないが……。  どうしたものか。 「……」  ――きゅるるるるる。 「?」 「あはは、オリちゃんお腹鳴った」 「あう」  可愛い音が。 「かーわいーい」 「わ、私は11時前の昼食以降食べてないからこの時間は仕方ないんです。めるさんは仕事中もクッキーとかつまんでるから」 「はいはい言い訳はよろしい」 「いまごはん作るよ。今日はみんな大好き、ポトフになりまーす」  行ってしまった。 「まったくもう」 「……ポトフ。これから作るとなるとあと1時間はかかりますよね」 「ですね」 「……」 「クロウさん、ちょっと来てください」 「はい?」  部屋に呼ばれた。  入るのは初めてだが氷織さんの部屋……。シンプルかつ可愛らしい作りだ。  本が多いな。勉強家らしい。  ……妊娠、出産マニュアル?  ああ。  優しい氷織さんらしい。 「クロウさんに食べていただきたいものがあります」 「はい」  机の引き出しから、大きな辞書を取り出す――。  辞書の下に、お菓子が隠してあった。 「これ、食べてみてください」  塩せんべいを一枚渡された。  ?よく分からないが……。――ぱりぱり。 「どうですか」 「美味しいです」  いたって普通の塩せんべいである。 「よし」 「これでクロウさんもつまみ食い仲間です。めるさんには内緒にしてくださいね」 「……ああ、そういうこと」  知らないうちに共犯にされたらしい。 「しおせんべにはお番茶ですね。いま淹れます」 「は、はい」  部屋には簡単なティーセットもある。葉っぱがいくつか並んでおり、その中には番茶もあった。  可愛らしいティーカップに、番茶を注ぐ。 「カップの種類は我慢してください。どうぞ」 「どうも」 「こう言ってはなんですが、なんだか意外ですね。氷織さんがこんな」 「そうでしょうか」 「引き出しにお菓子を隠しているというのがすでに」 「うちの共有お菓子箱はめるさんの胃袋と同義ですので自分のものは自分で確保しておきませんと」 「おせんべい、お好きなのですね」 「しおせんべが一番です。ちょっと厚めで、固めのをばりんと行きたいですね」  ――ばりんっ。  自分も食べている氷織さん。 「ほー」  せんべいと番茶の組み合わせがお好きなようだ。 「……」 「好きな時間にこんなことが出来るだけでも、フォルクロールに感謝です」 「はい?」 「いえ、なんでも」  これもティータイムか。2人静かに過ごす。  そうだ。 「先ほど森都さんにお会いしました。で、自分の過去のことを聞いてきました」 「えぅ、早いですね」 「それで……どうでした? なにか思い出せる手がかりとか」 「いえ、それらしきものは」 「ただやはり彼女は自分のことを知っているようでした。以前から面識があるとかで」 「ふむ」 「ということはめるさんの言ってた、正体は妖精さん説は否定されましたね」 「はい?」 「何でもないです。それ以外はなにも?」 「はい」 「ただ……、自分はあなたたちに危害を加える人間ではないと言ってくれました」 「ん……」 「そこが一番の懸念材料だったのでほっとしました」 「……」 「そんなこと、私もめるさんも心配してませんのに」 「懸念は晴れたとはいえ、手がかりもまだない状態ですので今後とも過去のことは追って行こうと思います」 「はい」 「早く思い出した方がいいと思います。クロウさんのためにも。あと……」 「……早く思い出したほうがいいです」  何か言いかけてやめる。 「……」 「……そうだ、クロウさん」 「はい?」 「クロウさんって、お菓子作りをしてるときに何か思い出すこととか……」 「2人ともー、ごはん出来たよー」 「あ、はーい」  そこで話は打ち切られる。  2人で下へ。 「ポトフにしようと思ったんだけど、失敗したから今日はリゾットにした」 「美味しそうです」 「お皿用意しますね」  そこで話は終わりとなり、  氷織さんが何を言おうとしたかは分からなかった。  ――シャッシャッシャッシャッシャッシャッ。 「おはようございます」 「おや。おはようございます、早いですね」  まだ7時前なのに氷織さんが起きてきた。 「ちょっと早く目が覚めまして……ふぁ」 「えと、生クリーム作ってるんですね。手伝えますか」 「でしたらお願いします。角が出来るまで」 「はい」  2人、並んでボウルをかき混ぜる。  ――シャッシャッシャッシャッシャッシャッ。 「これ、結構腕にキますよね」 「女性には辛い作業かもしれません。痛くなったら休んでいてください。自分がやりますので」 「いえ平気です」 「私、不器用なので、不器用でも出来る作業は好きなんです」 「そうですか」  氷織さんの手つきは、確かにリズムが悪く不器用なものだ。  けれどそれを補って余りあるくらい熱心なので、手伝ってくれるのは非常に助かる。 「……」 「そうだ。氷織さん、これ味を見てもらえませんか」 「はい?……チョコレート、ですか?」 「はい」  別のボウルに置いておいた、とかしたチョコレート。 「えと、私チョコレートはあまり」 「お願いします」 「……では」  熱くないのを確認して、へらを使って指先にちょこんとつける。 「ぺろ」 「わ」 「いかがでしょう」 「ちょ、チョコレート、ですか? ですよね」 「かなりビターですけど、苦みもあまり」  甘いのが苦手な氷織さんでも食べられるようだ。 「かなりクリームで誤魔化してありますが、風味は残せていると思います」 「カカオ豆があったので、それから作りました」 「チョコレートを作ったんですか? 自分で?」 「もともとおじい様は作ってらしたようです。ムースに使うとき、ご自分が配合したものでないと気に入らなかったようで」 「で、レシピを見せてもらい、砂糖を控えつつ調整しながら作ってみました」 「……すごい」 「これなら氷織さんでも食べられるでしょうか」 「え、これ私のために?」 「お店で使うにはビターすぎますから」 「焼くと苦みが強まるのでケーキにも使いにくいですが、このまま固めて一口チョコにでも」 「お店の最中、お腹が空いたらつまんでください」 「そ、それだけのためにこんな……」 「というかつまむだけならビスケットなりなんなりありますし」 「ですね。けれど」 「氷織さん、チョコレートがお好きですよね」 「え……」  目を丸くする彼女。  首は横に振らない。予想通りのようだ。  彼女は甘いものは苦手だが、チョコレートは好きだ。 「良く分かりましたね……めるさんですら気づいてないと思います」 「でしょうか」 「紅茶にはカカオフレーバーを使うことが多いですし。昨夜、せんべいを隠していた棚にもチョコがたくさん」 「甘いものが苦手なのに持っているなら、よっぽどチョコレートがお好きなのだろうなと思いまして」 「……」 「クロウさんの正体が分かりました。名探偵です」 「まさか」  くすっと笑う氷織さん。 「そうですね。チョコレートの香りは好きです」 「ただ市販の品はやっぱり甘いのがほとんどですし。砂糖不使用のものだと今度は苦いしでどうも……。あまり食べられないんです」 「甘いものが苦手だと大変ですね」 「ですからこれなら如何でしょう。これなら甘いものが苦手でも――」  かなり甘味は抑えてあるはずだが……。 「えと」 「はい。少しなら大丈夫だと思います。ありがとうございます」 「?」  少しなら。  つまり少ししか食べられない。  自分が怪訝な顔をしているのに気付いたのだろう。氷織さんはちょっと困った顔で、 「……えと、ですね」 「実は私、甘いものが苦手なわけじゃなく……」 「おあよーん」 「あ! チョコレート作ってる!ずるいずるいオリちゃんボクも食べる!」  そこでめるさんが下りてきて、話は終了になる。  氷織さん、なにを言いかけたのだろう。 「いたーきまーす」 「にが!なにこのチョコレート」 「あ、苦くはないか……でも全然甘くない」 「もーなにこれ~」 「む……?」  外に出てみて気付く。 「おはようございますクロウさん。今日は雪かき必須みたいですよ」 「の、ようですね」  夜のうちに降ったのだろう。道端の雪が厚みを増していた。  道の邪魔になりそうなところにも雪が積もっている。ここは避けておかないと。 「んせっ、せっ」 「いいですねえ雪かきって、重労働で」 「重労働が?」 「寒い中で力仕事。カロリー使ってるなーって思うだけで小町は張り切ってしまいます」 「えりゃー!」  ――がりがりがり。  重い鉄製のスコップで道の雪をどけていく小町さん。  だんだん彼女のキャラクターが分かってきた気がする。 「ふー。小町、汗をかくのは大好きです」 「これで今日は心置きなくフォルクロールへお邪魔できます」 「今日もお越しいただけるので?」 「いけませんか?」 「もちろん歓迎ですが……昨日4つほど持ち帰りませんでしたか」 「はい。どれも美味しかったです」 「……」  何も言わないでおこう。 「さすがに昨日はあまり運動していないのにいっぱい食べちゃってわだかまりがありました……」 「でも今日はこんなに運動してるんですもの。いっぱい食べちゃっていいですよね。ね」 「……小町さんが幸せならその気持ちが一番です」 「今日はいっぱい食べちゃうぞ~」 「ふぅ、でも疲れたのでちょっと休憩……」  近くの塀にもたれかかる。  ――バキィッッ! 「……」 「……」  その塀がすごい音を立てた。 「……え?」 「と……」 「……」 「そんなに重い?」 「も、木材が水分を吸って、歪んでいただけですよ」 「そ、そうですよねー、あははー」 「……やっぱり今日は1つにします」 「お待ちしております」 「くろーくーん」 「学校に行ってきます。お留守番、お願いします」 「はい」 「あら? 2人とも、今日も鳥小屋清掃?」 「うんっ」 「変ねえ、今日はもう30日だから、年の暮は鳥小屋清掃も用務員さんがやって下さるんじゃなかったかしら」 「それを確かめに行くところです。年始は5日まで用務員さんとは聞いてますけど、年末が何日まで私たちだったか覚えてないので」 「そう。ふふ、マジメね」 「てことでクロウ君、今日が用務員さんの日だったらすぐ帰ってくるから」 「はい」 「今日はこのあとも雪が降るかもだから、気をつけてね」  2人を見送り、中へ。 「……」  30日、か。  役所に言い訳が立つと言う年末が、あっという間に迫って来てしまった。  別にこの期限をすぎたから、イコール店がなくなるわけではない。ほんの少し町での体裁が悪くなるだけのことだ。  だが現状で売り上げが好転するきっかけも掴めていない。  ドアについている郵便受を覗いた。  ここ3日間と同じ。空だ。  どうしたものか。 「……」  思いながらケーキを作り終えると、もう10時過ぎ。  めるさんたちはまだ帰ってこない。『用務員さんの日』ではなかったらしい。 「……」  それにしても遅いな。  いつも帰ってくる時間より遅い。  窓の外はまだ日が明るく、雪は降りそうにないが……。  少々心配になってきた。  様子を見に行くか。  学校へ行くと――。 「あはははははっ」  ――べしゃっ!  視界が真っ白になった。 「わわ、他の人にあたっちゃった、すいませーん……」 「あ、クロウ君。ならいいや」 「でりゃー!」  ――べしゃっ!  さらに雪玉が飛んでくる。  冷たい。 「めるちゃーん、どうしたのー?」 「油断してるぞー、てりゃー!」 「わぷっ、コラまてー!」  そのまま行ってしまった。  うーん、遊んでることは分かるが。 「クロウさん、どうかしました」 「あ、もう10時過ぎてるじゃないですか」 「はい、それで様子を見に」 「あのう、これは一体」 「えっとですね、今日はやっぱり用務員さんの日で、私たちにする仕事はなかったんです」 「ただそれで時間が出来た分、めるさんが一面銀世界の校庭にテンションアップアップしてしまって」 「しかも偶然お友達が来てしまい、もう」 「なるほど」  だいたい分かった。 「でりゃー!」 「逃がすかー!」 「めるちゃんこっちこっち、要塞作った要塞!」 「よーし隠れろー!」  楽しそうに遊んでいるめるさん。 「あんなめるさんは初めて見ました」 「そうですね。学校でのめるさんはだいたいあんな感じみたいです」  店にいるときとまた感じがちがう。  年相応、という言葉がしっくり来た。 「氷織さんは参加なさらないので?」 「私の運動神経で雪合戦をやるのは、自分から雪だるまになりに行くに等しいのでこうして大人しく雪兎を作っています」 「そ、そうですか」 「クロウ君が油断してる」 「でりゃー!」  む。  大きく振りかぶっているめるさん。  ――ひゅんっ。 「わぶっ」 「おおー、この距離で交わすとな」 「ならば――ガトリーングどりゃどりゃどりゃー!」 「おっと」  ――ひょいひょいひょいひょいひょいっ。 「あばばばば」 「全部避けたー!?」 「こ、これは強敵だよめる介」 「みんなで攻めろー!」  ――ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンッ!  ――ひょいひょいひょいひょいひょいっ! 「ひー、ひー、なぜ当たらない」 「め、める介、このおじさん何者?」 「プロの軍人的な?」 「うちのパティシエさん……だけど、前職は伝説の傭兵かも」 「我ながら驚きです」 「すごい……のは、すごいですけど。げほっ」 「はっ!」 「流れ弾が9割がた後ろにいたオリちゃんに直撃してた」 「結局雪だるまにされました」 「す、すいません」  避けてもいいが、そうすると後ろにいる氷織さんに当たってしまう。  ――べしゃっ!  甘んじて受けた。 「あれ」 「クロウさん……」 「もーなにしてるのクロウ君。いままったく避ける気なかったでしょ」 「はい」 「ダメだよちゃんと避けないと。本気で避ける。だからこそ本気で当てる。この美しい方程式こそ雪合戦なんだから」 「なるほど。避けないのは失礼にあたると」 「うん」 「あくまでめるさんの持論ですよ」 「ちょっとそっちから投げてみて。ボクが華麗な回避をお見せするから」 「了解しました」 「ふふーん、といってもボクはこう見えて雪の精とも言われた雪合戦の達人だからね~」  ――ボッッ! 「びゃん!」 「は、速い」 「いかがでしょう」 「ぺふっ、ぺふっ、なに今の! 死ぬかと思ったよ!」 「クロウさんの手だと、すくえる雪も大きいですね」 「ところで、そろそろ戻った方がいいですね」 「そうですね。というかお2人ともその格好では風邪を引くかと」  ざっと行ってすぐ帰るつもりだったので、防水はおろか防寒すら出来ていない格好だ。 「あーそっかー、もうお店の時間かあ」  めるさんも戻ってくる。 「うー」 「める介~? どったの?」 「次はかまくら作ろかまくら~」 「ご、ごめん、今日はもう……」  名残惜しそうなめるさん。 「……」 「午前のうちはいいですよ遊んでても。私1人でやっておきますから」  む。 「……いいの?」 「今日だけですよ」  お母さんみたいなことを言う。  めるさんは嬉しそうにしつつも迷い気味で、 「でもでも、1人じゃ大変じゃない」 「クロウさんがいます」 「はい」 「オリちゃんも遊びたいんじゃない?」 「私はむしろこの氷塊飛び交う修羅の庭からは早めに退散したいですね」  淡々と言う氷織さんに、めるさんの表情からも迷いがほぐれていく。 「う~」 「める介~」 「じゃ、じゃあもうちょっとだけ」 「はい」 「風邪にはお気をつけて」  2人で戻ってきた。 「よかったのですか」 「ああなっためるさんを無理に働かせると、お皿をひっくり返す等のドジが起こる可能性が高いです」 「これがめるさん77の弱点の1つ。遊びたさが何者にも優先される。です」  集中力がないらしい。 「しかしめるさんはそれで良いとして、お店は?」 「そこは少し問題ですね……お客さんは多くないので1人でも回せなくはないですけど」 「自分は手伝えるでしょうか」 「うーん……」 「クロウさん、ちょっとにこってしてみてください」 「は?」 「お店に大切なのは、美味しいケーキと素敵な笑顔。というのが、古倉家の家訓だそうです」 「というわけでクロウさん。にこっ」 「に、にこっ」 「……」 「……すいません」 「いえあの、お気持ちは伝わりました」  我ながらだいぶ強張った笑顔だったと思う。 「実は私も苦手なんです。笑顔」 「そうなのですか?」 「昔からよく表情が硬いって言われます」  自分の頬をむにむにする氷織さん。 「……」 「にへ」 「……だめです」  笑顔、作ったはいいがイマイチ硬い。小さくため息をつく。  ふむ。  たしかに今の笑顔はイマイチだったが、 「ですがめるさんと話しているときなど、よく笑ってらっしゃいますよ」 「ん……それは」 「とても素敵な笑顔だと思います」 「え」 「素直で、可愛らしくて、見ているだけで自分やめるさんも笑顔を移されてしまうような」 「硬い。というか、慣れていないだけではないでしょうか。笑顔そのものはとても可愛らしいですので……」 「や、やめてください」  ふいっとそっぽを向く。  ?気に障っただろうか。 「こほん、とにかく」 「慣れないお客さんには今以上に表情が作れません」 「いつもはめるさんがニコニコしてるので……、今日来たお客さんに愛想がないって思われたらどうしましょう」 「そ、そんなことは」  ない。と思いたいが……、 「うーん……」 「誰か応援を呼びましょうか。自然と笑えて接客の得意そうな方……」 「クロウさん、心当たりないですか」 「すいません記憶がないもので」 「ですよね。……あ、小町さんとか」 「小町さんなら……確かにお願いすれば、ですが」 「応援を呼ぶと、それはそれでめるさんが帰ったとき気を使わせてしまうのではないでしょうか」 「う……そうですね」  なにか良い方法はないものか。自分たちだけで接客するか、  もしくは、  自然に応援に来てくれるような……。 「……」 「む」 「なにか?」 「なんだか……声がしませんか?」 「?」 「あ、そういえば……なんでしょう」 「猫の鳴き声?」 「失敬」  外に出る。 「……」 「おはようございます」 「へるぷみ~~」 「30分くらい前に来たのデスガ、お店に誰もイナイノデ探してたのデス」 「それでクローさんなら屋根の上にいるかと思いマシテ。登って見たら」 「またもはしごが倒れてしまったと」 「怖かったデス」 「誤解があるようですが、自分はそう頻繁に屋根の上にはいません」 「今日はずいぶんと早いんですね」  今日も来そうな気はしていたが、いつも昼からなのにこんな開店前に。 「ハイ。コレをお返ししなきゃと思いマシテ。お返しするならOpen前デス」  紙袋を差し出す。 「これは……」  昨日預けたものだった。クリーニングして持ってきてくれたらしい。  この店の制服。 「……」 「……」 「What?」  ・・・・・ 「ふぅ、ふぅ」 「自分の家の前はおろか、この近辺の道全ての雪かきをしてしまいました。雪かきの女王小町、我ながら自分の才能が怖いです」 「今夜も雪って予報だから意味ないんじゃないかい」 「いいのお母さん。だってこれで」 「心置きなくケーキが食べられるんだもの!」 「貯金が出来ないタイプだねえあの子は。将来はいい旦那を見つけないと」 「おじゃましまーす!」 「イラシャイマセー」 「あら?」 「今日のオススメは、ビターチョコケーキデス」 「でもショートケーキもおすすめです。こっちのタルトも、あ、やっぱりムースもいいデスネ。ううん今日は寒いし温か焼き立てチーズケーキが……」 「ドレニなさいマス?」 「な、なぁにこの天使の笑顔でお腹にカロリーを流し込もうとして来る悪魔は」 「小町さん、いらっしゃいませ」 「オリちゃん、こちらは?」 「色々と事情があって、手伝ってもらってます。ショコラさんです」 「ショコラ・ネージュデス。以後オミシリオキヲ」 「そう。村崎小町です、よろしくね」 「ハイ」  にぱっと笑うショコラさん。  それだけで店が華やいだように思える。 「それで? なにになさいマス?」 「そうねえ、えっと、このビターチョコってのは昨日までなかったわね」 「ハイ。あまり甘くないやつデスネ」 「うーん、気になるけど、せっかくのケーキならやっぱり……」 「こっちのモンブランはスゴク甘いデス」 「2つ並べて食べると幸せデスヨ」 「なうっ!?こ、この子、無邪気な笑顔でいきなり悪魔の選択を」 「とくにあまーくしたティーと合う気がシマス」 「コーリ、今日のティーは?」 「チョコケーキに合うようにダージリンをあっさり目にしようと思っています」 「シブくなるので砂糖とミルクどっぷりなのがいいかもしれませんね」 「だ、ソーデス」 「ドーデスカお客さま?」 「ひいいいカロリーが迫ってくるうう」  笑顔担当。ということで手伝ってもらうことになったが、ばっちりだったようだ。 「クローさんクローさん、わたしどうデスカ?」 「はい、大変助かります」 「mn、ハイ。もちろんデス」 「それで……その」 「?」 「あん……昨日はすぐ帰らなきゃだったノデ、今日は改めて……なのデスガ」 「この服……デスネ。あの」  言いにくそうにモジモジしている。  なんだろう?  よく分からない。 「?」 「……」 「な、なんでもないデス。えへへ」  下がってしまう。  なんだったのだろう。 「……」 (鈍感だと小町は思います) 「ショコラちゃん、だったわね。その服はめるちゃんが?」 「は、ハイ。昨日服が汚れてしまって、そのときに。サイズも合わせてもらいマシタ」 「今日も着てもらうことになるとは思いませんでした。連日すいません」 「イエイエ。これ可愛いし着心地イイデス」 「そうね。とても可愛いわ」 「ショコラちゃんに似合ってますよねクロウさん」 「そうですね」 「あ……」 「ですよねー」 「もうクロウさんたら、そう思うならちゃんと口に出して言わないと」 「そ、そんな」 「む? ああそう言えば、口に出して言うのは初めてかもしませんね」 「昨日見たときすでにそう思っていたので改めて言うまでもないかと」 「昨日……もう……」 「たいへんよくお似合いですよショコラさん」 「……あは、は、はい」 「~~♪」 「……」 「クロウさんは若干厄介な性格をしてますね」 「小町もそう思います」 「あ、とてもよくお似合いですよ」 「ふぇっ、そ、そんな」 「昨日からのことなので改めて言うのもおかしな感じですが……」 「あう、そ、そうですか」 「あは、あ、アリガトゴザイマス」 「……」 「わ、わ、なんだか顔が熱いデス」 「どうかされましたか」 「いえっ。あの、大丈夫デス」 「お客シャマ! お茶のお代わりはイカガデス!?」 「はいっ?ですがまだ1杯目も……」 「あらよっとぉ、あがり一丁ネ!」 「かわりが欲しけりゃいつでも頼んでクンナァ!」 「ショコラさん、落ち着いてください」 「す、スイマセン。なんだかよく分からなくなりマシタ」 「???」  初めての仕事で緊張しているのだろうか。  まあ自分の感想はともかく――、  ショコラさんの働きぶりは、充分なものだった。  笑顔担当。という言葉は、大げさでも過小評価でもなく。  ただ彼女がいるだけで。一挙一動に店が華やぐ。  めるさんや氷織さんもお店の看板と呼ぶに充分な華はあるが、  ショコラさんのそれはもう、女優やアイドルの域だ。  いるだけでこの場の空気を変える。  一流のホテルはフロントからちがうというが、おそらくそれに近いオーラがある。 「ショコラさん、とても働き者ですね」 「はい」 「お客さんも注文しやすいみたい。いてくれるだけで助かります」 「ですね」 「……」 「ククク、優秀ですね私の後輩は」 「氷織さん?」 「失敬」 「でも……私に初めて出来た後輩」 「……ぬふふふふ」  氷織さんの空気がおかしい。  氷織さんさえ虜にするカリスマ。といったところか。  と――。 「ただいまー、ふぃー寒かった」 「イラシャイマセー」 「あれ? ショコラ」 「おかえりなさい。お昼ご飯食べて来てください」 「う、うん。センキュ」 「ショコラ、なにしてるの? 働いてる?」 「ああ紹介が遅れました」 「私の後輩でショコラさん。今日からこの店の一員です」 「一員デース」 「て、店長代理のボクが知らないのに?」 「遊んでばかりのめるさんに代わって今度から彼女がお店の顔です」 「顔デース」 「店長代理の以下略で!?」 「冗談です」 「デース」 「向いてそうなので手伝ってもらったら、予想以上にハマっていまして」 「ハマリマシタ」 「お店のお手伝いさせてモラテマス。フォルクロールで働ける、お兄ちゃんに自慢できマス」 「メーワク……デスカ?」 「いやいやとんでもない。ちょっと驚いただけで」 「大歓迎だよ。ありがとショコラ」 「ハイ」 「あ~、お窯ってこういうとき暖炉みたいになるからありがたいよね~」 「気をつけてくださいね」  窯の余熱に寄り添って暖をとるめるさん。  昼食のスープとバゲットも食べ終わり、 「雪合戦はいかがでしたか」 「楽しかった~。この街、雪は多いけど今日くらい綺麗に積もったのは久しぶりだよ」 「もうちょっと遊びたかったな~、寒くなってきてやめにしたけど」 「ん……そういえば」  外を見る。  また雪が、それも横向きに降りだしていた。 「風が出てきていますね」 「こりゃー夜にかけて大雪かなあ」 「……」  ショコラさんは……迎えを呼んだほうがよさそうだ。 「せっかくでっかい雪だるま作ろうと思ったのに」 「雪だるま、ですか」 「そ」 「なにげに今しか出来ないんだよね。学校のグラウンドくらい広いところってあんまりないし。学校が休みのうちしか出来ないし」 「寒い地域の雪だるまはなかなか溶けませんからね」  後片付けのことも考えると、確かに長期休暇の今しかない。 「今年こそみんなで作ろうって計画してたんだけど。雪があんまり来なかったし。おじいちゃんがぎっくり腰でお店大変になっちゃったし」 「やっと雪がどさーっと来たと思ったのに、これじゃ積もるのは明後日かその先。みんなが集まれないんだもん」 「あーあ」 「……」 「クロウ君?」 「いえ」  その後、めるさんも着替えて改めて店に出たのだが。 「……」 「……」 「……お客さん、ぷっつり途絶えましたね」 「この吹雪じゃ仕方ないよ」  空模様は悪くなる一方。  窓の外は一面純白に見えるほどの白い塵と光の乱反射に覆われていた。  とてもじゃないがケーキを買いに行こうと思うような天気ではない。 「お客さん、来てくれないデス」 「最終兵器小町ちゃんに食べてもらうのは?」 「先ほどすでにおかえりになりました」 「ちぇ」  この店での小町さんの扱いはやや失礼な気がする。 「セッカクお手伝いしてるのニ」 「まあまあショコラさんや、こんな日もあるさ」 「もともとうちの客入りはこんなものですしね」 「だねー」 「悲しいデス」 「デモ……ホントに残念」 「せっかくのクローさんのケーキ。無駄になっちゃいマス」  恨めしそうに、まだ大量に残ったショーケースを見る。  その点は自分も同感。 「……」 「あ、ショコラさん、これじゃ帰れないですね。お迎えは呼べますか」 「ハイ、お兄ちゃんにお願いシマス。あとで電話お借りデキマスカ?」 「あいよ」  カウンター裏の予約用電話を差し出す。  ショコラさんは礼を言いながらダイヤルを回し、  ・・・・・ 「What?」 「あ……ハイ、ソーデスカ」 「いえ何でも。ハイ、じゃあ、ハイ」  ――カチャン。  浮かない顔で切った。 「どうしました」 「あ……アハハハ」 「お兄ちゃん、大事な人のお迎えに行ってるトカで、お迎え遅くなるかもデス」 「あの……閉店時間すぎちゃうかもデスケド、それまでOKデスカ?」 「あーそうなんだあ」  安易に迎えを頼めると思ったのは間違いだったか?  思ったが、 「じゃ、今日はお泊りコースだね」 「ふぇ?」 「それがいいですね。この視界で車を呼ぶのも、事故が起こらないか怖いです」 「どうですか?」 「どうもなにも……いいんデスカ?」 「はい」 「てか泊まってこうよ。お泊り。夜更かし。ねっ」 「あは」  すぐ解決したようだ。  その後、  空模様は悪化するばかり。  迎えを呼ばないのは正解だった。  結果。 「今日はもう……10個も売れなかったね」 「仕方ありません」  午後からの客足はぱったり途絶えていた。 「クローさんのケーキ……おいしいのに、もったいナイデス」 「そのぶんボクらが食べる分は増えるけどね。よみよみ」 「ハイ」  賞味期限である18時が迫ってきて、店内はもう店じまいムードだった。  これまでで一番残ったケーキは、めるさんとショコラさんが美味しそうに食べている。 「2人とも、あまり食べるとお夕飯食べられなくなりますよ」 「あむ」  氷織さんも自分の作ったチョコレートで何度か口を慰めている。 「……」 「あう」  ? 「……そうか。砂糖が入ってなくはないんですね」 「なにか?」 「いえ。ちょっと食べ過ぎてしまったみたいです」  包んだそれを、ショーケースの中に入れた。 「もう6時だし、今日はおしまいにしよっか。クロウ君お店閉めて」 「はい」 「あっ、わたしソレやりたいデス」  入口にかけた『OPEN』のプレートに手をかけると、横からショコラさんが。 「えへへ、一度やってみたかったのデス」  くるんとプレートを、裏の『CLOSED』に返した。 「……」 「んふふふふ、閉店後のお店、んふふふ」 「そっか、閉店後のお店に入るの、初めてなんだ」 「ハイ。なんか楽しいデス」 「ちょっと気持ち分かります。私も初めてのときはドキドキしてたっけ」 「んー、ボクは小さいころからこれが普通だからなあ」  各々で感じるものがあるようだ。 「クローさんはどうデシタ?閉店後のお店」 「ん……そうですね」 「特別にこれといった思いはないです」 「へー」 「ってことはクロウ君、記憶失くす前もどこかのお店で働いてたのかもね」 「デスネ。閉店後のお店に慣れてマス」 「なるほど」  そういう考え方もあるのか。  言われてみれば、『閉店後のお店』。  明かりを落として誰もいない、普通の客では入れない空間に妙に馴染みがあるような……。 「……」 「まあいいや、ごはんにしよっ」 「はい……あ、ショコラさん、今さらですけどなにか食べたいものはありますか」 「ポトフにするつもりだけど、ご要望があればなんでも作るよん」 「あん……ソーデスネ」 「……」 「あの、ソレより、ひとついいデスカ?」  ?  ・・・・・ 「お待たせしマシタ」 「うおおおお」 「……」 「素晴らしい」  運ばれてきたのは、バゲット、クリームシチュー。菜の花とビーンズソテーのキッシュ。 「バゲットはあったものを」 「シチューとキッシュはわたしが作りました。……ドーでショウ?」 「食べてみなきゃ分からないけど少なくとも今見た限り」 「ショコラさんは私サイドの人間ではないようです」  ここまで伝わる香ばしさが味を保証している点を差し引いても。  見た目に美しい盛り付けだった。  ……味はキープしていても、ケーキの形はいまいち安定しない自分はまだまだだな。 「ショコラ、料理出来たんだね」 「ハイ」 「昔から、ホテルのお手伝いしたかったのデスガ、接客のお手伝いは他のミナサンが困ってしまうみたいデ」 「オーナーの娘さんが接客業は、他のホテルマンが気を使うでしょうね」 「それで他に出来ることはないかと思って、お料理ならみんなニコニコして教えてくれマシタ。それで」 「なるほどねえ」  オーナーの娘が『ホテルの仕事』を覚えるのは周りが気を使うが。『料理』を覚える分には問題ない、といったところか。 「それより食べよ食べよ。見てるだけでさっきのケーキが全部消化されちゃったよ」 「いただきましょう」  今日は4人でテーブルを囲む。  味の方は……。 「んまっ、んまー!」 「……」 (ほんと美味しい。どうしよう。料理が出来ないのが完全に私だけです) 「クローさんどうデス?」 「素晴らしいです」 「えへへへへ」 「このバゲットも美味しいですね。これはどこのお店で?」 「自分が焼いておいたものです。昼に新しく作ったので、まだ香ばしいですね」 「わお」 「えへへ、合作デスネ」 「ですね」  そんなわけで、思った以上に気持ちの良い夕食となり、 「わあ、2階はこんなになってるんデスネ」 「可愛いでしょー」 「ハイ」 「客室はないのでショコラさんは今日私かめるさんと一緒に寝てもらうことになりますが」 「どっちにします?ちなみにめるさんと一緒だと痛い思いをすることを断っておきます」 「失礼だな」 「でもオリちゃんと一緒だと面白いものが見れるかもね。ふふふふぅ」 「うう……」 「もしくは3人一緒とか」 「イイデスネ」 「3人はさすがに狭いのではないでしょうか……」 「そっか。ベッドから落ちると危ないよね」 「あの。でしたら――」  先ほどから思っていたのだが、 「自分がお借りしている部屋ではどうでしょう」 「!?」 「ふぇ?!」 「あ、いいかも。おじいちゃんの部屋って布団いっぱいあるし」 「はい。調べたところ3セット。シーツも綺麗なものでした」 「え……あ、う」 「く、クロウさんと……デスカ」 「あの、さすがにそれは――」 「ですがショコラさんも布団が使えたほうがよいかと。今夜は寒くなりそうですし」  窓の外はまだ轟々と吹雪いている。 「……えと」 「……」 「ではその、えと」 「しょ、ショコラさん」 「クローさんのこと……信じてマスから」 「でもおじいちゃんの部屋でボクたち3人が寝るとして」 「クロウ君はどうするの?」 「またこのテラスでよいのでは」 「ダメだよ寒いでしょ」 「って言ってもなあ、あれから計ってみたけど、クロウ君ってでっかいから、ボクやオリちゃんのベッドだと足がはみ出すよね」 「……」 「……ああ、そういう意味なんですね」 「とりあえず布団見てみよっか」 「でもその前におこただーっ!」  ずるーん!  スライディングしてこたつに飛び込むめるさん。 「ああもう、それは禁止だと言ってますのに」 「そうですね」 「ですがめるさんは最近、2時間ほどでこたつから出られるようになりましたのでもう禁止するほどではないと思いますよ」 「はい?」 「あ……まさかめるさん、あれからもちょくちょくこの部屋に来てます?」 「毎日」 「オリちゃんが寝たころに来て毎日ぬくぬくしてるよ」 「……まあクロウ君意外とスパルタで、しばらくするとスイッチ切っちゃうからあんまり長居はさせてくれないけどね」 「私の知らない間にそんなことが」 「オリちゃんは寝てるからねえ」 「ああ~、ぬくぬく~」 「……」 「どしたのショコラ。おいでおいで、ここ温かいよ」 「こ、コレは……ナンデスカ?」 「おこた知らないんだ」 「暖房道具です。どうぞ」 「はい……」  おっかなびっくり、めるさんの隣に入り込む。 (おずおず) 「……」 「ふにゃー」  溶けた。 「あったかいデース」 「また1人この逃れ得ぬ魔窟に迷い込んでしまったか」 「めるさんにならないのを祈るばかりです」 「ふにゃー」  逆隣りには氷織さんも。  自分も上がらせてもらおう。4人でこたつを囲む。 「はあ~」 「やっぱいいねえおこた。温かいねえ」 「いえーす……わんだふぉーたーぃむ……」 「まったくもう」  ――むぎゅ。 「つめた!」 「あ、すいません」  中で足に触ってしまったらしい。 「mn、オコタ、いい気持ちだけど、ちょと狭いデスネ」 「4人だとさすがにね~」  おおよそ1人用。入るとして2人用なので、4人は窮屈だった。  自分は足にかけている程度で入っていないのだが、めるさん、ショコラさん、氷織さんの小柄な3人でも狭いようだ。 「とくにめるさんが思い切り足を伸ばしているのが致命的ですね」 「ぬへへ、申し訳ない」 「足を伸ばす……デスカ」 「よいせ」  半分正座の女の子座りだったショコラさんも形を崩す。 「ああ……これイイデスネ、温かいし、足がじわーってなりマス」  足を崩す方が気に入ったらしい。 「でもさらに狭くなった」 「あの、2人とも、それははしたないということをお忘れなく」 「ん~」 「よしっ、こうしよう」 「?」  1度こたつから出るめるさん。 「め、めるさんが自発的におこたから出た!?」 「そこまで驚くことでは」 「おっと」 「どーん」 「へへへ~、おこたクロウ君椅子モード~」  ひざのうえに乗っかってきた。 「1つのスペースで2人が使えば、場所はとらないし省エネでしかも」 「あ~、おこた様の作りだしたミラクル空間にクロウ君という背もたれがついて、背中まで温かいよ~」 「めるさん。はしたない上に失礼ですそれ」 「す、すいませんクロウさん」 「自分は構いません」  めるさんは軽いので問題ない。 「だよね~、うりうりうり」  ただ後頭部をぐりぐりしてくると、ちょっと髪がくすぐったいか。 「……」 「どうかされましたか?」 「い、イエ」  ショコラさんがこちらを見ているような。 「んん~? なにかなショコラ、その顔は」 「別に、その」 「わかってるって。やってみたいんでしょ、変わってあげるから」 「ささ、どうぞどうぞ」 「え、えぅ」 「いいよねクロウ君」 「そちらがよろしければ」 「あいえええ……」 「めるさん、何度も言いますけどこれはしたないことですから、人に勧めるのは……」 「う~……」 「……」 「おっ、オジャマシマス」 「はい」  おずおずとこっちに移ってくるショコラさん。  ひざの上に来る。 「……」 「~……」 「……はう」(とすん)  お尻を乗せた。 「ど? ど? 温かいでしょ」 「んと、あう、そー……デスネ」 「ズボンの金具など、大丈夫でしょうか」 「は、はい」 「……~あうう」  座ってはみたが、めるさんのようにリラックスはしておらずむしろガチガチになっている。  まあ個人差は当然あるものだろう。 「……」 「あ、アリガトーゴザイマシタ」  30秒くらいして、こらえきれないよう腰を上げる。 「ねー、ショコラも気にいったみたい」 「あ、オリちゃんもやる?」 「やりません」  こっちは明確に首を横に振った。 「なんだ。じゃあまたボクが」 「だからめるさん。クロウさんにご迷惑です」 「んぁ、それもそっか」  めるさんも元の位置に戻った。  迷惑とは思わないが、別に催促することでもない。黙っておこう。  3人とも自分の位置に落ち着いた。 「……~」  ショコラさんだけはまだなぜか顔が赤いが……。 「……」 「閃いた!」 「今度は誰に迷惑をかけるので?」 「かけないって。むしろみんなハッピーハッピーなアイデア」 「このおこた下に運んでさ、お店のテーブル席をこれにするなんてどうかな」 「あったかぬくぬくケーキ屋さんデスカ」 「ナイスアイデアでしょ」 「スペース的に可能かという点を考慮しないにしても、めるさんが自分で入って働かなくなるから却下です」 「まあ言い知れぬ魅力を感じるアイデアではありますが」  今日は気温が低い分、こたつの魔力も強まっている。氷織さんもまったりしてきた。 「ちぇー、おこた付きケーキ屋さんなんてボクなら丸1日いるのに」 「せっかくの起死回生レベルのアイデアなのになー」  めるさんもまったりしながらブツブツつぶやき、 「……」 「でも、もう遅いか」 「ん……」 「……」  不意に声のトーンが変わる。 「明日が最後の1日。でも、今日がもうこんなありさまだったし」 「……」 「お店ももう、おしまいにする準備はじめるころだし」 「……」 「めるさん……」  初めて出た弱気な言葉。  けれど自分も氷織さんも、フォローの言葉はかけられなかった。  自分も彼女も、そしてやはり、めるさんも分かっていた。  ここ数日の店の様子では、来月以降の店は続けられない。  無理に続ければ、50年続いたという『フォルクロール』そのものを台無しにしてしまう。  一言で言えば、潮時であることが。 「……」  めるさんにも……いや、めるさんこそ誰よりも分かっていたようだ。 「あの……」 「いいの」 「実はね、もう、閉めることは分かってたの。ボクも……ボク以上におじいちゃんが」 「もともとおじいちゃん、腰をやっちゃう前から毎朝の作業が辛くなってきてたみたいで」 「それでも続けてたのは……意地もあったと思うけど、それ以上にボクが続けたがってたからで」 「つまりずっとボクのわがままを聞いてくれてただけなの」 「……」 「……」 「でもやっぱり心残りだった。おじいちゃんがいきなり腰を痛めて、それで終わりって。ボクのわがままが急に止められちゃうってのが」 「クロウ君が来てくれてよかった。延長の時間をくれて」 「ボクがわがままをやめて。ボクが納得してこの店を終われる時間がもらえてよかった」 「めるさん……」 「ありがとうねクロウ君」 「クロウ君はボクにとっての妖精さんだよ」 「……」  妖精さん……? 「……」 「あとこの延長時間中でショコラとも仲良くなれた」 「ショコラたちになら、心配なくこのお店のことを任せられるよ」 「そんな……」 「このお店のこと、ホテルの人によろしくねショコラ」 「あ、おじいちゃんの腰が直ったらまた遊ぼうよ。もう売り物じゃないけど、ケーキくらいおやつに焼いてくれると思うよ」 「それは……ハイ」 「フォルクロールのケーキ……嬉しいです。けど」  申し訳なさそうにしてるショコラさん。  ある意味、彼女だけが分かっていなかったか。  この店はもう閉めるしかないことを。 「……」 「明日が最後の1日」 「せめて晴れるといいね。あ、でもちょっとは雪があるのもいいかなあ。こんな猛吹雪は困るけど」 「ショコラ、明日はどうする?また店員さんしてくれる?」 「は、はいモチロン」 「ありがと。でも最初の1時間か2時間だけね」 「そのあとはお客さんとして来てほしいんだ」 「……ハイ」 「ボクはオリちゃんと一緒にお待ちしてるから。クロウ君の作ったケーキで」 「はい」 「……」 「……」 「明日も。最後の1日も」 「フォルクロールらしく、なんでもない」 「素敵な1日になりますように」 「……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  幸いにも、というべきか、  吹雪は夜半までに吹きやみ、夜が更けるころには星空も覗くようになっていた。 「では、今日はクロウさん、ここでお願いします」 「はい」  部屋割りは、3人は自分がお借りしている部屋で。自分はこの氷織さんの部屋をお借りすることになった。  ベッドは使えないが、布団が3つあるので1つを自分が。3人は残る2つを分け合うそうだ。3人とも小柄なので不自由はしないとのこと。 「どこを触ってもいいですけど、引き出しのなかは勘弁してください。あとそこのタンスの上から三段目」 「触りませんよ」 「……三段目と限定されると少々気になりますが」 「お気になさらず」 「では」 「はい」  背を向ける氷織さん。  出て行こうとして、 「……」  ふと立ち止まる。 「クロウさん」 「はい?」 「めるさんが言ったこと、だいたい同じ気持ちです」 「私たちに時間をくれて、ありがとうございました」 「……」  時間……か。  記憶のない自分を厚く迎えてくださって、  自分に出来たのは時間を作ることだけ?  なにかもっと出来ないものか。  ほんの少しでもいい。  なにか……。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「さて」 「はーっ」 「わあ、息まっしろ」 「寒いわけね、まだ雪が降ってるんだもの」 「……夜にはやみそうだけれど」 「……」 「雪の年末」 「……これがほんとのユキ年来る年」 「おはようございます」 「わあ!」 「い、いまの聞きました?」 「なにか?」 「な、なんでもないです。何も言ってないです」 「……」 「? 浮かないお顔ですね」 「いえ」 「小町さん、今日はお店にいらっしゃいますか」 「……」 「行くつもりはないけど、行かないという選択肢がいつの間にか消えている。まるで哲学のような問いかけですね」 「?」 「どうして急に?」 「いえ、はい」 「ひょっとしたら、今日が最後になるやもしれない、と」 「あ……」 「……」 「まだ分かりませんが」  自分に出来ることは限られていた。  いつもより気持ちを込めてケーキを作る?  これまでだってこれ以上ないくらい気持ちは込めてきた。 「雪も小降りになってるし、いい天気だね」 「今日も張り切っていくぞー!」 「お、おー」 「おーデス」  めるさんにどんな言葉をかけられるでもない。  今日も郵便受けは空っぽのまま。  午前11時。 「いらっしゃいませー」 「「いらっしゃいませ」」  店はあくまでいつも通りに始まった。  閉店だなんて言葉や態度は出さない。あくまでいつもと同じ。  それがめるさんの意地なのだろう。なら自分らも付き合うまでだ。  お客さんのいりは、昨日ほどではないまでもやはりまばら。とてもじゃないが流行っているとは言いかねる。  それでもめるさんは笑顔で接客し。氷織さんは丁寧にお茶を配り。 「ショコラ、来たぞ」 「お兄ちゃん」  昼過ぎ、お迎えが来る。  ・・・・・  ・・・・  ・・・  これにて3人目の店員さんは本来の姿に戻り、 「ショートケーキとチーズケーキお願いシマス」 「ミルフィーユ」 「はーい」 「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか」  お客さんが2人増える。  時間は刻々と過ぎて行った。  3時が近づいても、あまり客足に変化はない。 「年越しにケーキってのもどうかと思うけど、久しぶりに食いたくなっちまってねえ」 「ありがとうございます」  以前配ったちらしの効果もなくはない。  ただ劇的にあるわけではなく、 「……」 (客の入りは変わらず、か) 「……」  さすがに重たげな空気が隠せなくなる。 「……」 「そだ、クローさん、昨日言ってたことデスけど」 「む……あ、そうですね」 「なにか?」 「昨日、お夕飯にクリームシチュー作りマシタよね」 「あれでミルクをかなり使ってしまいマシタ。今日の分、大丈夫かなと思ってたのデスガ」 「クリームに使った分で全部使い切りました」 「あ……じゃあ買い足さないとですね。明日からはお正月でしばらくお店が開きませんし」 「ですね。いまから行ってきます」 「うんっ。ケーキ作りには欠かせないものだからね」 「はい」 「ついでだ、ショコラ、僕たちもお暇するか」 「あ……ハイ」  3人で外へ。 「車があるから、市場へなら送ってやるぞ」 「ありがとうございます。でもすぐそこですので」 「そうか」 「本当に近いんだな」 「……付いて来られなくてもよかったのでは?」 「う、うるさいな」 「わは♪ この街はどこもすてきデスけど、市場はとくに活気があってイイデスネ」 「今日は一際賑わっています」 「年の瀬だからな。明日からは休みなんだろう」  自然と3人で回ることに。 「こりゃーーーーーーーーーー!」 「ひい!」 「あ、どうも」 「ドチラサマデス?」 「おん? でっかい背丈が見えたから久しぶりに来たと思ったら……める子たちは一緒じゃないのかい」 「すいません、いまお店の最中でして」 「そうかい……寂しいじゃないかい」 「こ、今度一緒にお邪魔しますので」 「フン。ところで今日の連れは――」 「あ、は、ハジメマシテ」 「異人さんだね」 「異人さんはあんまり野菜食べないって聞くよ。ほらこれ白菜きゃべつトマトにジャガイモ、持ってきな」 「ほ、What?」 「ご厚意です。どうぞ」  お土産をちょうだいしつつ、 「あは♪ 美味しそうなトマト。パスタにちょうどよさそうデス」 「うう……このかぼちゃ重い」 「まあまあ」  いつも牛乳を卸してくださる店へ。 「はいはぁ~い、2リットルでいいかしら」 「はい」 「来月からの予約は入ってないけれど、直接店に来てくれれば2日からはお渡しできるわぁ~」 「ありがとうございます」 「……がんばってね」 「……はい」  やはり材料を買い求めている先には分かるか。 「……」 「……」 「この後は、帰るだけ?」 「ん……そうですね」  帰るだけではある。  ただ店に帰っても自分がすることはない。急がないのも事実。 「……」 「クローさん?」 「いえ、はい」 「少々、やり残したことが」 「?」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「クロウ君遅いねえ」 「ショコラさんたちが商店街について行ったようなので、案内しているのでは」 「あー、そう言われると一緒に行きたかった気が」 「最近行ってませんからね。お野菜のストックも少なくなってきました」 「……まだしばらく行かなくていいや」 「……」 「5時半。閉店まであと30分」 「……閉店の瞬間にはいて欲しかったかな」 「やっぱりお客さんは来ないね」 「仕方ないですよ」 「だね。こうしてケーキが並べられてるだけでも感謝しなきゃね」 「……」 「ボクとオリちゃんがお店で働けた。この数日間だけでも、奇跡みたいなことだもんね」 「……はい」 「ね、ね、やっぱりクロウ君って妖精さんだよね。ボクの願いをかなえるために来てくれた」 「……」 「それですけど、1つ思い当たることが」 「うん?」 「クロウさんのあのケーキ作り、どう見ても素人とは思えません」 「つまり記憶を失う前はプロのパティシエ」 「そして以前ガトーさんが、1人いなくなったパティシエの話を――」 「こんにちはー」 「小町ちゃん。いらっさーい」 「こんにちは。あら? クロウさんは?」 「いまお使いに行ってもらっています」 「そう。残念」 「今日は新作ないのかしら」 「すいません、種類は昨日までと同じです」 「そうなんだ。じゃあとりあえず」 「全種類いっとく?」 「いきません」 「……」 「い、いきません」 「……」 「…………」 「いきませんってば!」 (冗談だったのにな) 「と、とにかくどれを頼むにしろ」 「今日はここで食べていくわ。お茶お願いします」 「あ……」 「はい」 「……」 「……」 「今日はこのまま夜までお邪魔したいんだけどいいかしら」 「小町ちゃん……」 「年越しも一緒にしましょうか。めるちゃん、12時まで起きていられるようになった?」 「こ、子供扱いしないでよ」 「……いいよそんな、気を使わなくても」 「本当に?」 「大丈夫」 「今日、いま、こうしてお店が出来てることが、もうボーナスタイムなんだもん」 「奇跡みたいなものだもん」 「……そう」 「……」 「ありがとうって言いたいな」 「クロウ君が帰ってきたら」 「ありがとうって」 「めるさん……」 「……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「そういえば」 「うん?」 「じいさんが店を任せるって、結構とんでもないことだねえ。自分の子にも継がせなかったのに」 「ふむ」 「そのせいでめるちゃんには苦労かけたから、あまり意固地になるのもどうかと思っての」 「そんだけ?」 「もちろんそれが一番じゃよ」 「町一番の頑固ジジイも孫には甘いね」 「そりゃしゃーない。うちの孫がもう、世界一可愛いから仕方ない」 「はいはい」 「……」 「それに」 「うん?」 「ふふ」 「ショートケーキの作り方を知っておるかね」  ――ガチャ。  ・・・・・ 「びっくりした」 「ふぅ、ふぅ」 「すいません、帰りが遅くました」  入口のドアを開けたら、ちょうどかけたプレートを、OPENからCLOSEDにひっくり返そうとしたところでめるさんが驚いている。  持ってきた牛乳を置く。 「走ってきたんですか」 「やだ、クロウさん身体から湯気が出てます」 「少々汗をかきまして」 「この寒い日になにしてるの。風邪ひいちゃうよ」 「問題ありません。それよりめるさん、氷織さんに、小町さんも」  OPENからCLOSEDに。それに時間も夜の6時。  いま閉店したところだ。 「少々お時間よろしいでしょうか」 「はい?」 「な、なんですか急に」 「んぁ、どこ行くの?」 「この道……学校?」 「あれ、雪やんでる」 「はい」 「やむまでに間に合いました」 「あっ、来た」 「おーいっ」 「え、え?」 「あれ……って、ショコラさんですか?」 「ン……みたい、だけど、ショコラ以上に」 「なにあれえええええええええええ!」 「ゆ、雪だるま……ですか?」 「はい。中々の大きさに出来たかと」 「あーっ、める介やっと来た」 「おーそーいーよー」 「まあまあ、家のことしてたんだからしょうがないよ」 「ふぅ、大変だった」 「……」 「うおおおお……」 「いかがでしょうか」 「以前おっしゃっていた巨大雪だるまです。こちらも今日あたりが期限とのことでしたので」 「お気に召していただけたでしょうか」 「んと……うん、すごい」 「すごいっていうか、よく分かんない」 「……」  2人ともきょとんという顔だった。  悪くない反応だろう。 「ふわああ」 「クロウさん、午後からいなかったのって」 「はい。思いついたら止まらなくなりまして」  せめてめるさんが暗い気分を忘れることはないかと苦肉の策で始めたのだが、  やってみたらみたで、かなりの大ごとになってしまった。 「最初は自分とショコラさんたち3人だったのですが、やっているうちに子供たちが集まって来まして。いつの間にかこんな大きさに」 「あら? でも……片目取れちゃってません?」 「ああはい。まだつけていないのです」 「画竜点睛デス」 「メル、コーリ、早く来てくだサーイ」 「え、えっと」 「どうぞ。後ろ側が階段になっています」 「あと、これだ」 「わっと」  渡された巨大なかぼちゃに、よろめきかけるめるさん。 「なにこれ……ってこのサイズは」 「おばあちゃんのね」 「あとでパンプキンスープにでもさせてもらいましょう」 「いまのそれは、目です」 「んせっ」  人の頭くらいある巨大なそれを、適当な位置にはめ込む。 「……」 「……」 「……」 「あは」 「「「 おおお~~~~~~ 」」」  会場は自然とどよめき、また拍手が起こった。  完成だ。 「……」 「クロウさん、これ、いつくらいから計画してたんです?」 「ついさっきです」 「ついさっき思いついて、雪や空の具合もちょうどよかったもので」 「ですか」  空を見上げる小町さん。 「……」 「ふふ、完成ぴったりで雪もやんじゃいました」 「本当だ」  雪がやむと同時に、一気に雪雲が晴れて行き、わずかに星が見えだしている。 「まるでクロウさんが雪を呼んでいたみたい」 「まさか」 「そう考えた方がステキですよ」 「クロウさんの正体って、めるちゃんの言う通りかもしれませんね」 「はい?」 「クロウくーんっっ!」 「っと」 「どーんっっ!」  抱きついてきた。  驚いたが、めるさんは軽いので何とか受けとめられる。 「えへ、えへへへへ」  顔がほころんでいる。  驚きが薄れて、そのぶん喜んでくれているようだ。 「もーっ、なにこれもー」 「も~……」 「わーっっ!」  しがみついてきた。 「うー、うー」 「うわーっ」 「出ました。めるさん77の弱点の1つ。喜びすぎると言葉にならない、です」 「なによりです」 「……」 「えへ」  そんなめるさんを見て、氷織さんも嬉しそうだった。  朝、どうしても振りほどけなかった暗鬱な空気はなんとか忘れてくれたようだ。  もちろんこれで店の問題が片付いたわけではないが――。 「ふぃー、それにしても」 「お腹空いたぁ」 「昼からずっとだったもんねー」 「あう……そういえばわたしも」  と、雪だるま完成で糸が切れたのか、続々と疲れを訴える声が。  お腹が空いたか。自分が手伝わせたのだからどうにかしたいが――。 「めるさん」 「そだね」 「ふふっ、売れ行き悪いのが役に立つなんてね」 「それは言いっこなしです」 「はい?」 「残ったケーキ、みんなに配ろう。持ってくるの手伝ってクロウ君」 「熱いお茶も淹れます。外用の湯沸し機が重いのでお願いします」 「ああ、はい」 「じゃ、適当にテーブルを用意しておくわ」 「よーし、みんなちょっと待っててね」 「洋菓子店フォルクロール、最後の大盤振る舞いだよ」 「ショートケーキの作り方を知っておるかね」 「全てのケーキに言えることだが、ケーキというのは奇跡のような確率で成り立つ代物よ」 「ケーキ屋の店主がそれを言うかね」 「ビスキュイの焼き加減、ナッペの軽さ、丁寧さ。作業それぞれは単純でも、ひとつひとつに手を抜けばたちまちただの砂糖の塊と化す」 「優れたケーキを作り出すことは、それそのものが奇跡に等しいのじゃ」 「……ま、あんたにとっちゃそうかもね」 「おチビちゃんたちにとっても」 「卵ひとつかき混ぜる。小麦ひとさじ器に移す。そんななんでもない動作のひとつひとつが、終着点のケーキには残る」 「あの日持ってきたケーキは上出来じゃった。久々によい作り手に出会った」 「全ての動作に感じたぞ」 「奇跡を紡ぐ心というものを」 「なあ、どうしてまた新しく作らなきゃいけないんだ」 「仕方ありませんよ。……あ、クリーム、そのくらいで」 「やれやれ」 「めるさんも氷織さんも、ケーキ屋ですから」 「ケーキを求められれば出さないと言う選択肢はありません」 「なんだか大変なことになってしまったな。初めは雪だるまを作ろうとしただけなのに」 「大変なことが起きる時はそんなものです。ひとつひとつは何でもない作業だけれど」 「いつしか奇跡が起きている」 「はいはーい、新しいのどんどん焼いてくるから慌てないでねー」 「あーん」 「こらショコラ、つまみぐいはダメ」 「ゴメンナサーイ」 「これだけ寒いとティーポットがすぐに冷えちゃう」 「どうぞ、お茶です」 「あいや、かたじけない」 「モォ~、ホットミルクも用意してるからミルクティにすると冷めにくいわぁ~」 「そうなんですか?ミルクティってあまりやったことなくて」 「オォーやってみィーよー、美味しいィーよー」 「お父さんお父さん、もう今日の夕飯ここでいいよね」 「あいあい、迷惑にならないようにな」 「どうなってんだいこれは」 「ああ、どうも」 「みんな集まってるって聞いてきたけど、ほんとに町中の人が押しかけてない?」 「めるちゃんがケーキを持ってきたあたりからジワジワと大ごとになっちゃって」 「小町ちゃーん、テーブルが足りなくなりそ……あ、おそのさん」 「おう。テーブルが更に足りなくなるよ。妊婦用の椅子も用意してくんな」 「はーい。お茶は?」 「カフェインが取れないから、デカフェってできるかい。でなきゃお湯でいいよ」 「あとおチビちゃん、この前配ってたちらしだけど」 「ふぇ? ……あ、それ」 「アンタ店の名前だけ書いて、場所も電話番号も載せてないだろう」 「……」 「あ!」 「まったく商売が下手だねえ。あのじいさんの孫らしいよ」 「ほら、地図と電話番号入りにデザインし直してあたらしく100枚刷ってきてあげたよ。せっかくだし来た人に配っていきな」 「デザインまで直したんですか」 「半端なもんを見ると着付け直さずにいられない。呉服屋の習性さね」 「……」 「うん、ありがとうおそのさん」 「もうちょっとがんばりな。少なくとも」 「める介ー」 「ケーキのお代わりいいかしら~」 「あいや、新しいのが来ましたぞ」 「ほら、新しく持ってきたぞ」 「牛乳が切れましたので、これにて終了となります」  作れるだけ作ったケーキを運んでくると、拍手で迎えられた。  さっきよりさらに人が増えているな。小さく切り分ければ全員に届くと思うが……。 「おーしそれじゃもう一働き行きますか!」 「YES!」 「クロウさん今度はこっちを手伝ってください。お湯が追いつきません」 「はい」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「そんなことに?」 「大変なことになってたみたいだよ」 「あたしもギリギリで間に合ってもらってきたよ。はむ」 「んぐんぐ……あのでっかいの、なかなかやるじゃないのさ」 「……」 「さて、どんな奇跡を起こしたのやら」 「なんだって?」 「なんでもない」 「それよりそれ、わしにも一口」 「9時以降は飲食禁止だよ」 「はー疲れたぁ」 「寒くはありませんでしたか」 「今夜は風がないので大丈夫です」 「ずっと動いてたから暑いくらいデス」 「結局こんな時間まで手伝うことに」 「悪いね。コーヒーでも飲んでってよ」 「ハイ」  手伝ってくれたショコラさんたちを、一度家へ。 「いい天気だねー」  さっきまでの雪が嘘のように、空は晴れていた。 「ダイヤモンドダストは来ていませんね」 「妖精の夜じゃないんだ。残念」 「やっぱり妖精さんが今はお空にいないからかな」 「はい?」  肘で自分をつんつんしてくる。  ? 「めるさんは本当にその説を推しますね」 「クロウさんは……たぶん……」 「……」 「? どうかしたか」 「……いえ」 「……」 「ねえ、ラフィ・ヌーンて」 「うん?」 「どうしてもうちのお店じゃないとダメ?」 「……」 「さっきまではね、譲ってもいいかなーって思ってた。ショコラのところになら、うちをあげても」 「でもやっぱヤだ。フォルクロール、続けたい」 「……メル」 「めるさん……」 「……」 「うちの要望は変わらない。お互いの同意が得られるなら、あの場所が欲しいと」 「うんっ。だからまだしばらく同意できない」 「分かっている」 「それにこっちも、合意したからってすぐに店を出せるわけじゃないしな」 「あの人がまだ見つからない。まったく、どこへ行ってしまったのやら」 「っ」 「誰のこと?」 「うちのホテルでも一番のウデマエなシェフさんデース。フォルクロールの後のお店で、料理を見てもらう予定デシタ」 「ただものすごく方向音痴らしくて、どこかへ行ってしまったんだ。市役所に顔を出したのは確かなんだが」 「……」  市役所……? 「ヤマダさんと言いマス」 「ヤマダ!?」 「!」 「~……やっぱり」 「?」 「知っているのか?」 「ヤマダって……えと」 「……」 「隠しておくべきではありませんね」 「お2人には言ってませんでしたが、クロウさんの苗字は」 「え……」 「……」 「クロウさんは――」 「ショコラさん」 「?」 「あっ、センセー、ドモデス」 「へ?」 「はい?」 「……あなたは」  以前お会いした、壮年の紳士が。 「いやー町中の人が学校に向かっていたので、流れに沿ってなんとか辿り着けたよ」 「はっはっは、我ながら方向音痴が過ぎるものでね。ショコラさんを見つけられてよかった」 「来てたのデスか。声をかけてくだサイ」 「とても忙しそうにしていたので。それに私自身も、ケーキとお茶を味わいたくてね」 「お嬢さん、とても美味しいミルクティでしたよ」 「ど、どうも」 「ショコラさん……こちらは?」 「あ、紹介しマスネ」 「ジュペール・ヤマダ先生。いま話してタ、うちのホテルで一番のパティシエさんデス」 「はい!?」 「どしたのオリちゃん」 「あなたがヤマダさんですか。初めまして、ショコラの兄です」 「初めまして」 「お会いするのがずいぶん遅れたが、私に任せたいというフォルクロールというお店はこちらかな」 「はい……あ、ですがまだ」 「ふむ」 「本日のケーキは、そのフォルクロールが振る舞ったと聞きました」 「オーナーがお怪我をしたとのことでしたが、代役はすでに見つかっているようで」  察しのよい紳士だ。 「……」  代役が誰なのかも分かっているようで。じっと自分を見てくる。 「ふふ」  やがて小さく笑うと、 「最初から危惧していたが、やはりフォルクロールに自分が手を出す余地はなさそうです」 「40年前に一度だけ伺ったことがあるが、まだ私があの味に追いつけているとは思えないし――」 「先代が体を壊したというなら、せめてその味を伝えようと思ってやって来たが――」 「今日食べたケーキを見るに、その必要もなさそうだ」 「……ありがとうございます」 「ネージュさん、申し訳ないがこの話、私は下ります」 「そうですか……仕方ありません。最初からそういう話でしたからね」 「……また一から探さなくては。まいったな」 「いまのフォルクロール以上のパティシエとなると、探すのに骨が折れる」 「……」 「探さなくていいって」 「クロウ君以上のパティシエなんて、うちのおじいちゃんくらいしかいないもんねー」  少々照れくさい。 「さて、では私はホテルに戻るよ」 「ハイ先生」 「ごきげんようみなさん」  背を向けるヤマダ氏。 「ちょっ、ヤマダさんホテルはそっちじゃありません」 「おや? では……こっち?」 「はあ……ホントにすごい方向音痴なんだな」 「ショコラ、僕は彼を送っていく。ひとりで帰れるかい?」 「んー、でももう遅いデスよね」 「淑女がこの時間に一人歩きは褒められませんね」 「じゃっ、ショコラは今日もうちにお泊りだね」 「やったぁ♪」 「歓迎します」  とんとん拍子に話は進み、 「にしてもショコラと同じ外国人なのにヤマダさんかあ」 「もともとはこっちの人だソーデスヨ」 「へえ……だからうちのことも知ってたのかな」 「クロウ君といい、多いんだねこの名前。ねっ、オリちゃん」 「……」 「顔見知りらしいショコラさんが反応してないんだからクロウさんなわけないですよね」 「オリちゃん? 顔が赤いよ」 「ていうかさっき何を言おうとしたの?」 「こほん。な、なんでもないです」 「?」 「なんでもないです。ただ」 「クロウさんの正体がまた分からなくなりました」 「だから妖精さんだって」 「……」 「まだ残られていたので」 「今日は何かが起こりそうなのよね」 「私らのシマを荒らす何かが」 「んなやんや言わんでも。年の瀬やで」 「フン」 「あ、それと、華ちゃんからまた電話来てたで。あとでかけ直す言うてたわ」 「……そう」 「業務上、連絡と挨拶は必須ですからね」 「フォルクロールはまだ潰れそうにないとお伝えすべきでは」 「……」 「どうします市長」 「……さてね」  ――ガチャ。 「あれ?」  ――ガチャ、ガチャ。 「どうしました?」 「なんだろ、なんか重い」 「よいせっ!」  何か引っかかっていたらしい。重くなったドアを力づくで開けると。 「……」 「なんデスこの紙?」 「これは……」  奇しくも、ショコラさんはおろか自分さえ見るのは初めてだが。  郵便受けがいっぱいになり、ドアが開け辛いほど床にあふれた紙の束は、 「注文票――です。全部」 「ひわっ」  あっけにとられていると、けたたましく電話が鳴る。 「はいフォルクロールです」 「はい、はい時間は大丈夫です。あの」 「来年のいつですか?3日までは休むことになってますけど」 「はい、じゃあ4日に、Maiale様に抹茶のタルトとミルフィーユですね」  ――カチャ。  受話器を置く。 「わわっ!」  またすぐに鳴った。 「氷織さん、これって」 「……」 「ショコラさん、この紙、まとめるのを手伝ってください」 「あ、ハイ」 「自分がやりましょうか」 「いえ、クロウさんは休んでください」 「4日はたぶん地獄ですから」 「……はは」  どうやら、  閉店の心配はなくなったようだ。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ひぃー」 「注文をさばくだけで大変でしたね」 「もう夜の……11時? 日付変わっちゃうよ」 「こんな年の瀬は初めてです」 「ふふっ、でも見てこの来年のカレンダー。来年なのにもう真っ黒」 「とくに1月前半は注文がびっしりですね」 「クロウ君、大丈夫?」 「ひとまず、がんばりますとだけ」  嬉しい悲鳴というやつだ。 「ま、来年のことは来年考えよ」 「来年まであと1時間ですよ」 「ならその1時間は休もう。もう疲れた」 「お疲れさまでした」 「ケーキ、1ホールだけ残しておきましたので、どうぞ」 「わーいっ」 「切り分けますね。えと、4等分かな」 「あれ、オリちゃんも食べるの?」 「今日はいただくことにします。ちょっとだけだけど」 「ありがとうございます」  甘い物の苦手な氷織さんまで手が出るくらい、特別な夜になったようだ。  ナイフで2回。ざっざっと切り分けて、4つのお皿へ。  ちょうどそこで、 「お待たせしマシタ。デカフェデス」 「おおー、これが噂の」 「カフェインレスのコーヒーというやつですね。私、淹れ方を知りません」 「ちょっとしたコツでできマスよ。今度教えマス」 「Wao、ケーキ美味しそう♪」  こちらも4つ、4人に配った。  こたつを囲み、ケーキとコーヒーに向かう。 「それじゃあ、ささやかな晩餐だけど」 「お疲れさまでした!」 「いただきます」 「イタダキマース」  4人、手を合わせた。 「まずはイチゴから……あーん」 「はしっこのクリームからデス、あーん」  めるさんとショコラさんは真っ先にケーキへ。 「……あ、いい香り」 「ですね」  自分と氷織さんは、コーヒーに手を伸ばす。  どちらもブラックのまま……。 「……」 「……」(んく) 「……?」  む? 「っ!?」  あれ? 「けほっ、しょ、ショコラさんこれって」 「ドシマシタ?」 「……ハチミツが入っていますね」 「ハイ。疲れた日はコレです」  そう言えば……外国では紅茶はともかく、コーヒーは出す時から味をつけておく習慣があるとか。  ショコラさんはそういう文化で育ったらしい。  にしてもこれは……すごく甘いぞ。コーヒーというよりコーヒーフレーバーの薄めたハチミツに近い。 「はう……」  カップを置く氷織さん。  ケーキより甘い。甘いものが苦手な人には酷だろう。 「コーリ? えと、口に合わないデスカ?」 「いえ、あの」 「……」  参ったな。紅茶でも淹れなおすか。  思ったが――。 「……ひっく」  ――事態は直後、思いもよらぬ方へ。 「大丈夫ですよ」  にこっと笑う氷織さん。 「んくっ、んくっ」 「ぷはー」  残ったコーヒーを一気に飲み干してしまった。 「え……氷織さん?」  味は我慢するにしても、その飲み方はおかしいのでは。 「あ~……オリちゃん、甘い物食べちゃった?」 「うふふふふふふ」 「ぶすっ!」  言う通りぶすっとケーキにフォークを付きたてる。 「がぶがぶがぶがぶ」 「美味しいです」  そのままかぶりついて食べてしまった。  口の周りをクリームだらけにして……、こう言ってはなんだが、はしたない。 「はあ~、美味しいですねクロウさんのケーキ。今日まで食べなかったのがバカみたい」 「は、はあ、どうも」 「オリちゃん、もうそれくらいにした方が……」 「なんでですか!? めるさんは毎日食べてるくせに、私にはケーキを食べるなと?」 「いやそんなことは」 「いじわるなこと言うめるさんは……」 「こうですっ!」(がぶっ) 「にゃー! こら、ボクのケーキー!」  人のまで食べ始めた。 「こ、コーリ?」 「えへへへえへへ」 「オリちゃんの秘めた野獣が解き放たれてしまった」 「あの、めるさん」 「コーリってまさか」 「そう。甘いものが苦手なのは、味が苦手なんじゃなく」 「えへええええへへへひひひひ」 「甘いので酔っぱらう体質なの」 「クロウさーん」 「わっぷ」  しがみ付いてきた。 「最近慣れてきたと思ったけどやっぱりまだダメかあ」 「昔はもう、厨房にいるだけで甘い香りに酔っぱらうくらいだったんだ」 「甘いもの食べてハイになる人はよくいマスけどここまで弱いのは珍しいデスネ」 「では甘いものが嫌いというわけでは――」 「甘い物大好きですよー」 「クロウさんが作るケーキも大好きです。えへえ~」 「そ、それはどうも」  可愛い。 「ケーキもっと食べたいです」 「自分のでしたら」 「わーいっ」  すぽんと自分のひざの上に腰かけ、そのままケーキにかぶりつく。 「あむあむ」 「いかがですか」 「あああ~、いいですねこれ」 「クロウさんのひざの上、いいですね」 「お気に召したなら何より」 「今夜はもうここで寝ます」 「さ、さすがにそれは」 「おやすみなさぁい、すぴー」  早い。 「ついに知られてしまったね。オリちゃん88の弱点の1つ、意外と甘えん坊」 「驚きです」  弱点の数がめるさんより多いのも含めて驚きだ。 「んふ~、くろーさーん」(すりすり) 「むむ」 「こ、コーリ。そんなにしたらクローさんに迷惑デス」 「なんで?」 「なんでもなにも。ほら、離れてくだサイ」  ――ぐいっ。  手を引っ張るショコラさん。 「やあ!」  氷織さんは嫌がってそれを振りほどき――、 「ひゃっ」  ――トスン。 「お」 「あう……す、すいませんクローさん」  ショコラさんまで自分の腕の中に飛び込む形に。  まあ2人とも軽いから……。 「……」 「とりゃー!」 「来ると思いました!」  どしーん!  3人目はさすがに重い。押し倒される自分。  3人は構わず自分の上で暴れまわる。 「コーリ、くっつき過ぎです、離れるデス」 「やですぅー。ん~、クロウさん温かぁい」(すりすり) 「あうううう」 「ショコラさんもやったらいいじゃないですか。温かいですよ」 「……」 「じゃあちょっとだけ」(すりすり) 「ボクも理由はないけどすりすり」 「ちょ、あわ、3人とも、コーヒーがこぼれます」 「ああ、ちょっと危ないかも」 「じゃあ危なくないよう、クロウさんは動かないでください」 「はにゃああぁ」(すりすり) 「大人しくしててねークロウ君」 「ですから、あの」  下半身はこたつに突っ込んだままだし、上半身はくっついてくる3人から逃げ場がない。  これは……さすがに男女としてマズいのでは?  もちろん自分が何もしなければ良い話だが。 「……」  自分がどんな人間なのか、まだ自分自身ですら分かっていないのに。 「クロウさーん」 「クロウくーん」 「クローさん」 「はあ……」 「これからもよろしくです」 「これからもよろしくね」 「これからもよろしくデス」  ・・・・・ 「雪だるまもすっかり溶けちゃたねえ」 「残ってたら残ってたで邪魔になるし、仕方ないですよ」 「う~、こうなるともう1回作りたくなる」 「でも仕方ないか。もう学校始まっちゃったんだもんね」 「ですね」 「あーあ、勉強したくない」 「まあまあ、冬休みの後半はあんなにがんばったじゃないですか」 「あんなにがんばったからしたくないんだよー。もうしばらく休みたい」 「宿題を貯め込んだから短期に詰め込むことになったのに、それで疲れて休みを伸ばすというのも本末転倒です」 「それに、私たち以上にクロウさんはがんばってくれてますし」 「それを言われると……」 「早く帰りましょう。あまりクロウさんだけにお店を任せるのも悪いです」 「うん」 「にしても先週は死ぬかと思ったけど、意外と何とかなるもんだね~」 「成せば成るとはよく言ったものです」 「あんなに注文が来たの、うちの50年の歴史のなかでも初めてだったんじゃないかな」 「同感です」 「かなりの方がリピーターについてくれそうなのが幸いです」 「もうラフィ・ヌーンに怯える心配はないね。資本主義よ来るなら来い!」 「別にもともと怯えることはなかったじゃないですか」 「第一そのラフィ・ヌーンの方にいま現在手伝ってもらってるんですし」 「それもそうだね。にはは」 「ただいまー小町ちゃん」 「ただいまです」 「おかえりめるちゃん、氷織ちゃん」 「……」 「……」 「なぁに?」 「や、うん」 「小町ちゃん、最近のうちのおすすめ、ラズベリーソースのクリームケーキ、美味しかった?」 「ええ美味しかった」 「でもどうして今日はそれにしたって分かるの?」 「ほっぺにピンクのクリームがついてます」 「やだ!」 「常連さんがついてくれるってありがたいよね」 「ただいまクロウ君」 「ただいまです」 「おかえりなさい」 「こちら、ご予約いただきました、チョコクリームタルトになります」 「あいや、かたじけない」 「またお越しください」 「ありがとやっしたー」 「ありがとうございました」  ちょうど接客の波が途切れたところで2人が帰ってくる。 「今日も寒かったのでは」 「寒かったー、お日様があるだけましだけど」 「お茶を淹れますね」 「ありがとうございます」 「えっと、クロウさんとめるさんと……」 「む」 「ちょっとお待ちください」 「はい?」  一度外へ。  ・・・・・ 「あうううう。凍えるかと思ったデス」 「気付いて良かった」 「ショコラさん含め4人ですね。いま淹れます」 「まーた屋根の上にいたの?」 「はい。鳴き声がするからもしやと思い見てみたら」 「なんでそう屋根の上が好きなのさ」 「す、すぐ降りる気でいたデス。でもあのはしごがどうしてもわたしを嫌うのデス」  降りられない理由はともかく登る理由は……まあ単純に高いところが好きなんだろう。 「さささ、寒いデス。今日はちょっと長かったデス」  ぶるぶる震えている。 「自分のコートを羽織っていて下さい。多少はましになるかと」 「こっちおいで。暖炉に近いしお日様が当たって暖かいよ」 「ててて、てんきゅーデス」 「お茶が入りました」  4人でのんびりすることに。 「今日はお客さんどんな感じ?」 「そこそこかと」  ショーウインドーの中を見る。  並べられたケーキは、再開したばかりの去年より明らかに減りが早かった。  これに加えて、1日だいたい10程度の予約も入っている。  もともと雪国のこの店では、店頭販売よりも予約がどれだけ入るかが肝心らしいし……。  もう充分に『洋菓子店』として機能していると言ってよいだろう。  フォルクロールは安泰だ。 「……」 「これも全部クロウ君のおかげだよ」 「そんなことは」 「謙遜しないの。ボクたちが学校始まってからなんて、もうほとんどクロウ君1人で回してるじゃない」 「作る方もほぼお任せしてますし……なにもかも申し訳ないです」  まあ……ケーキを作るのも、平日お2人が学校に行っている11時から15時過ぎまでの間店番をするのも自分だから、ほとんどの作業かもしれない。 「ほんとゴメン。おじいちゃんもうちょっとしたら退院できるから」 「退院っていつの予定だっけ。来週?」 「あ、なんでも昨日、ちょっと治ったので試しにラジオ体操してたらまたぎっくりしちゃったとかで、来月以降に伸びたそうです」 「……申し訳ない」 「お気になさらず」 「それまでの間に、自分も何かしら記憶の手がかりを探しておきます」 「ん……」 「……」 「ですね。早く記憶を取り戻すべきだと思います」  自分がこの店に来て、もうじき一ヶ月。  まだ記憶は一向に戻る気配がない。  手がかりもあるにはあるが、宙ぶらりんだ。  そろそろ本腰入れて考えなければ。 「ちぇー、ずっとここにいればいいのにー」 「めるさん。クロウさんにはクロウさんの事情があります」 「ええ」  どんな事情か自分自身が分からないから困りものだ。 「ぶー」 「まあいいや、ところでクロウ君、明日どうする?」 「あ、お店、お休みですね」  明日は土曜。この店は、土曜日が定休になっているとのこと。 「そうですね、新しいケーキの作り方でも覚えようかと思っていますが」 「わは、いいデスネ、お手伝いしたいデス」  ショコラさんが復活してくる。 「えー、せっかくのお休みなんだよ。遊ぼうよー」  めるさんは頬を膨らませ、 「クロウさん、それよりも」 「あ……ですね」  氷織さんはちょっと口を尖らせた。  そうか。休日にこそ記憶を追うべきではあるか。  さて、  どうしたものか。  意外なことなのだが――。  あらゆるケーキの中で一番難しいのは、チョコレートケーキかもしれない。  カカオの性質は、小麦やバターとはずいぶんちがう。  なかなか他と混ざり合わず、合わせたと思えば今度は苦味をだして反発する。  困ったものだ。 「いかがでしょう」 「ちょっと苦すぎるかなぁ」 「ですね。……ふむ」  休日。  試しに作っては見ているのだが、上手く行かない。 「やっぱチョコケーキは甘いままの方がよくない?」 「ビターが作れるようになればずいぶんと可能性が広がる気がするのですが」 「氷織さんともお茶の時間を彩りたい。というのも大きいです」 「すいません気を使わせて」 「でも私はもう二度と甘いものは口にしないと誓いました」 「そんな気にしなくてもいいのに」 「絶対イヤです。もう二度と」 「……」(ちらっ) 「あうう」  こっちを見て顔を赤くしている。 「この前のことはお気になさらず」 「醜態です。思い出させないでください」  ダメージが残っているようだ。 「そんなに気にすることかなあ」 「気にすることです。もう……、もう……」 「……」 「コホン。とにかく、この話はこれで終わりです」 「何もなかった。何もなかったんです」 「は、はい」  氷織さんのことはともかく。 「ビターチョコレートケーキはなんとか完成させたいと思います」 「こちらのメニュー、おじい様のレシピノートにはありませんでしたので、出来れば自分のオリジナルとなります」 「おっ、クロウ君、おじいちゃんに挑戦する気だね」 「挑戦などと……」 「しかし御仁がこの店に戻ったとき、自分のケーキでアッと言わせたいという欲は出てきたやもしれません」 「うんうんいいねえ、料理人に必要なのは貪欲さだっておじいちゃんが前に言ってたよ」 「厨房なら好きに使って。いまのここの主はクロウ君なんだから」 「手伝いが欲しいなら手伝うし」 「とくに味見は任せて」 「頼もしいです」 「……」 「氷織さんも……お願いできますか?」 「あ、甘くないのでしたら」 「ありがとうございます」  再度作業に戻る。  カカオで風味をつけたスポンジの、焼き加減が問題である。焼くと苦みが強くなってしまう。  本来は甘さで誤魔化せばいいのだが、ここでギリギリ苦みを殺せる量を計りたい。  さて……。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「~♪」 「よしっ。今日もお掃除完了」 「ああ~お腹が空きました。お腹と背中がくっつくとはこんな感じだと小町は思います」 「……」 「ですがここで我慢することで、今日は脂肪を消費するだけで終えることが理想です」 「つまりダイエットです。小町は今日、また一歩痩せてみせるのです」 「つまり今日、フォルクロールには行きません」 「ふふふぅ、小町は乙女なのです。それくらいの自制心はあります」 「……」 「たとえ朝から……ビターなチョコレートと、ミルクたっぷりなクリームの甘い香りが漂っていても。小町は我慢します」 「我慢……します……」 「行かない……フォルクロールには……今日こそ……」 「……」 「それはそうとして、可愛い妹たちの顔を見に行くのは悪いことではないですよね」 「めるちゃーん、おはよー」  ――ガッ! 「あら?」 「閉まってる……? あ、定休日か」 「……」 「ぎょ、僥倖です。これで今日は食べたくなっても食べられないんだから。小町は運がいいです」 「運が……いいです」 「運が……もう……」 「……ぐす」 「ふぃー、胸やけしそうだから新鮮な空気をば」 「あれ、小町ちゃん」 「おはようめるちゃん」  ――べろぉ。 「わあ!」 「なになに!? なんでほっぺ舐めた今!?」 「あ、ごめんなさい。ほっぺにチョコが付いていたから」 「ああなんだ。びっくりした」 「いやいや納得するところじゃないよ。ついてたとして、なんで舐めたの」 「なぜかしら。小町にも分からないわ」 「ところで今日、お休みよね。どうしてさっきからお菓子を焼いてるの?」 「ん、分かる?」 「あれだけ煙突をもくもくさせてればね」 「ほとんどがチョコレートケーキねこれは。最初の1回は5個、ついで3個、3個と計11個は焼いたでしょうどれも砂糖のブレンドは変えて」 「煙から分かる情報量じゃないよ」 「仰る通りたくさん焼いてるんだけど……、そうだ、小町ちゃんも食べてかない?ボクたちだけじゃ食べきれないんだよ」 「……」 「な、なにその無の表情」 「いやならいいけど」 「いやなんて言ってないわ」 「近い」 「コンニチハー、メル、遊びにきマシタ」 「おーよくぞ参った。これでケーキ処理班2人目だね」 「What?」 「胃袋を2人連れてきたよ」 「いらっしゃいませ」 「め、めるちゃん? なんだか怖いんだけど……、小町あまりたくさんは食べないわよ?」 「食べないの?」 「……」 「あまり、食べないわ」 「わたし、さっきお昼食べたバカリデス」 「まあまあ。はいオリちゃんお茶をご用意して」 「どうぞです」 「わあ、いい香り」 「そしてこちらがケーキになります」  ――どさっ! 「け、ケーキを出す音じゃないわね」 「作りすぎてしまいまして」  大皿にいっぱい乗せて持ってくる。 「あと、苦みが強く出ていますので、お好みでこちらの粉糖をまぶしてお召し上がりください」 「もう、また太っちゃいます」  ――どばーっ! 「小町ちゃん、砂糖をかける音じゃないよそれ」 「イタダキマース」  めるさんに続いてショコラさんたちにも手伝ってもらう。  出来れば味の感想も欲しいところだが。 「あむあむ」 「うん♪ オイシーデス」 「なによりです」 「ただちょっとカカオが強すぎるヨーナ。ビター路線デスカ?」 「はい、そのつもりで」 「でしたらラフィ・ヌーンで出しているビターのやり方でクリームを混ぜるといいと思いマス」 「む……チョコレートケーキ、お詳しいので?」 「もちろん。チョコケーキは別名ガトーショコラ。わたしにピッタリデス」  意外なところに先生がいた。 「ご教授いただけますか」 「OK」 「まずデスネ、このケーキ食べると分かりマスケド……」 「……ここにあったケーキの山は?」 「もくもくもくもく、苦いけど美味しいわこれ」 「Oh……」 「クロウさん、また新しく作るみたいです」 「だね。小町ちゃんがいれば大丈夫そうだけど――」 「もうちょっと胃袋が欲しいか。探して来よう」 「その言い方はどうかと思いますが、はい」 「でももう頼めそうな人っていうと……」 「うーん」 「あっ、おそのさんは?」 「おそのさんはこの時間仕事です」 「あと赤ちゃんがいるので、チョコのようなカフェイン多めのものは避けているとか」 「そっかぁ、残念」 「クス、赤ちゃん、もうすぐだったね」 「予定ではあと50日くらいです」 「あとひと月半……そのあともおっぱいに影響があるからしばらくは無理」 「可哀想だねチョコが食べられないなんて。人生の楽しみが半分になるよ」 「まったくです」 「んー、他には……」 「あら」 「あ」 「森都さん」 「犬のお姉さん」 「あいつをかくまってるうちの子だっけ……。そっか、フォルクロール、ここだったわね」 「うちのこと知ってくれてるんですね」 「名前だけはね。街唯一の洋菓子店だもの」 「今日はわんちゃんたち連れてないの?」 「いつも連れてるわけじゃないわよ」 「今日は朝にもうみんなお散歩したから、あんまり雪で遊ばせると風邪ひかないか心配だわ」 「きゃらめるとすこんぶは元気が有り余ってるから夕方もう一度出るつもりだけどね」 「今日は大回りにしようかな。でもついとろーねんしゅにってんも来たそうにしてたから、あの子は中周りコースじゃないと疲れちゃうし」 「……」 「な、なによ」 「動物を愛する気持ちはとても素敵だと思います」 「ほんとわんちゃん好きだよねー」 「べ、別に普通よ」 「またまたぁ、分かるよ気持ちは」 「ボクもうちがお店でなければ飼うんだけどなわんちゃん」 「この街では犬を飼うなら室内に限られるので、飲食をやってる店だとしつけが難しいですからね」 「こうも雪ばかりだとね」 「ちなみに私はどちらかというと猫が飼いたいです」 「あれ、オリちゃん猫派?」 「どっち派とかはないですけど」 「えー、絶対犬の方が可愛いよー」 「ねえお姉さん」 「そうね。断然犬だわ」 「可愛くて大人しくて従順でちょっと甘えん坊で。猫のいいところを全部持ってるのが犬よ」 「うんうん、いいねえお姉さん」 「よし気に入った。今日は店長代理の特権でお姉さんをチョコレート天国にご案内しちゃおう」 「は?」 「うちでチョコケーキの試食をしてまして。ご一緒しませんか、と」 「チョコケーキ……」 「お、よさげな反応」 「い、いらないわよ」 「甘い物ならまあ……だけど、あいつが作ってるんでしょ」 「クロウさんのこと、御存じなので?」 「さてね」 「……」 「いいじゃんお姉さーん。一緒に食べよ? ねっ」 「う……」 「ご一緒しようよ。ねっ、ねっ、お姉さん」 「だ、だからぁ」 「お姉さーん」 「~」  ・・・・・ 「お待たせしました」 「フン」 「……なぜあなたが?」 「うっさいわね、押し切られたのよ」 「分かるでしょあの子、ほら」 「……分かります」 「よーしいっぱい食べよう、いっぱい持ってきてクロウ君」 「クロウ君、クロウ君」 「くろーくーん」  本気になっためるさんのお誘いを断るのは難しい。 「それはともかく」 「さっきまでともまた少し焼き加減がちがいますね」 「レアにしてみマシタ。低温でじっくり蒸す感じで」 「スポンジの焼き加減は正解がひとつだけと思っていましたがまったくちがう攻め方をご教授いただきました。参考になりました」  これまで作ってきた他のケーキも、また改良できるかもしれない。 「そんな片鱗は見せてましたが、ショコラさんはお料理が上手なんですね」 「ソレホドデモ」 「大変お上手ですよ」  知識は確実に自分より深い。 「むう」 「オリちゃんには苦手な分野だもんねえ」 「下手なの?」 「へ、ヘタではないです」 「ただ人生で30人強の大人から今後包丁は使わない方がいいと言われただけで」 「思ったより致命的ね」 「不器用さんなんだよね~」 「あうう」 「コーリはお茶を淹れるのがとてもジョーズデス」 「はい」 「フォローどうもです。でも私のことはいいです」 「ケーキ、試してみましょう」 「そうね。ところで」 「ぱくぱくぱく」 「私に出されたと思しき分がもう食べられちゃったんだけど」 「すぐに新しいものを」  その後も試食会は続き――。 「ではまた今度デス」 「また来てください」 「今日は助かりました」  さすがに日が落ちだすころにはお開きとなる。 「行くぞショコラ」 「ハイ」 (……僕も誘ってほしかったな) 「いくつか苦すぎるのもあったけど、まあまあだったわ」 「ありがとうございます」 「次はお客様としてお越しください」 「フン、悪いけど暇じゃないのよ」 「おいでよー」 「か、考えとくわ」 「小町はたぶん二度と来ないと思います……」 「胸焼けしそうなくらい食べてたけど大丈夫ですか」 「ううう、途中で止めてください」 「す、すいません。あんまり幸せそうに食べてるから」 「ぐすぐす。朝のうちに使ったカロリーの10倍くらい食べちゃった気がします」 「10倍で済む?」 「朝のうちに一流アスリート並みに運動してたならその10倍ってところかもね」 「あうう」 「で、でも今日のケーキは甘さ控えめ。お砂糖ほぼ0ですもの。大丈夫ですよねっ、ねっクロウさん」 「ケーキのほうは砂糖控えめです」 「ただ小町さんはそれに生クリームをべったり塗って食べてらしたので……」 「帰りますっ」 「ま、またお越しください」 「うううう」 「あ、うちからイイ匂い。今日はカレーかしら」 「お隣にブラックホールな胃袋がいると助かるよ」  森都さんもしれっと帰っていき、 「ふぃー、お休みなのににぎやかだったねー」 「はい」 「夕飯、どうする?みんな結構お腹いっぱい気味でしょ?」 「ですね」 「でもしょっぱいものはちょっと欲しいかもです」 「ふふー、そう言うと思いまして」 「あらかじめ作っておいたポトフがこちらになりまーす」 「じゃん!」 「……」 「……」 「ポトフにはならなかったけど、焦げた部分を取り除いて水を足せば美味しいシチューになるよ」 「はい」  夕飯も終わり、くつろぐ。 「今日は結局1日、自分が付き合わせたようで。申し訳ありません」 「いやいや、いい休日だったよ」 「ごちそうさまでした」 「むしろこんな楽しいお休み、久しぶりだよね」 「ですね。年が明けてからはお休み返上で働いてましたし」 「その前は……」 「ね」 「?」  ふと、自分が知らないゾーンの話になる。  自分が来たのは年末。その後はずっと仕事のある日だった。  自分が来る前の休日はどう過ごしていたのだろう。  気にしているのを、表情で気づかれたのか。 「オリちゃんと2人だから、何もすることがないんだよ」 「学校の友達は家が遠いから、雪の季節だと一緒に遊ぶのも一苦労だし。この辺で年が近いのはオリちゃんと小町ちゃんくらい」 「でも小町ちゃんはお掃除してばっかりだし、オリちゃんは……」 「すいません」 「いや謝ることではないんだけど」 「オリちゃんとボクって遊びの趣味が全然合わないんだ。オリちゃん、パズルとか、紅茶のフレーバー作りとか家の中の遊びばっかりだから」 「外で遊ぼうって言っても全然来てくれないの。外の方が絶対楽しいのに」 「出ると確実にめるさんが雪玉をぶつけてくるから身を守るためです」 「ちぇー」 「……」 「どうかした?」 「あ、いえ」  そういえば前も遊びの趣味が合ってない現場は見ているが、  にしても少々意外だった。  この2人、タイプが合っていなかったのか。 「クロウ君が来てくれたおかげで家の中でもにぎやかで楽しくなったよ」 「それはありがたいです」 「めるさんの相手をするのが私から分散された点も含めて」 「ちぇ」 「あ、お風呂入ってくる」 「はい」  去っていくめるさん。  後姿を見送っていると。 「……」 「クロウさんが来てくれたことは、今日の過ごし方も含めて本当に感謝しています」 「そんなことは」 「でも」 「記憶は……まだ?」  う……。  めるさんが行くのを待っていたのだろう。気まずい話題に。 「すいません」 「ですよね」 「森都さんに私からも聞いてみましょうか」 「彼女は知らないと」 「ですか……でも唯一の手がかりだし、もう少し押す分には……うーん」  真剣に悩んでいる氷織さん。  ケーキ屋としての忙しさもあり、記憶を戻すことを忘れつつある自分が恥ずかしい。 「……」  と、同時に。  氷織さんにとっての『この店』に、自分はまだ入りきれていないことも、痛感させられた。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ピーッとなったらメッセージをどうぞ」 「もしもし森都さん? 赤井です」 「ええ、例の彼ですが、まだ戻ってこないんです」 「いえ彼のことだから大丈夫でしょうし、納得ずくで出かけてるならいいんですけど」 「なにか知ってたら、連絡待ってます」  ・・・・・ 「あふ」 (そろそろ寝ましょう) (今日の分の日記……うーん、色々あったようでチョコケーキしか食べてないから言葉にしにくい) 「おはようございまーす」 「めるさん。お休みの時間ですけど」 「うん」 「どーんっ」 「もう。また」 「いいじゃんいいじゃん。今日はお休みなんだし、特別、ね」 「お休みで特別というなら、一緒に寝るのは昨日の夜にすべきだったのでは」 「それはお休みの前日なら来てもいいという意味かい?」 「休日をめるさんに蹴られながら迎えるのはいやです」 「じゃあ今日しかない。ほれおいでおいで」 「にぎやかなお休みもいいけど、オリちゃん独り占めタイムもちゃんと作らないとね」 「はいはい。電気消しますよ」 「うんっ」 「……」 「……」 「今日も楽しかったね」 「はい」 「クロウ君が来てから毎日楽しいよ」 「めるさんはクロウさんが来る前から毎日楽しそうでした」 「それは確かに」 「でももっと楽しくなったの。ふふ」 「……ずっとこのままだといいね。ふぁあ」 「……」 「……このままずっと」 「ボクと、オリちゃんと、クロウ君に……おじいちゃんも帰ってきて」 「ずっと楽しいといいね……」 「……」 「すぴー」 「……」 「ずっと……」 (……なんて、ダメですよ) (少なくともクロウさんは早く記憶をとり戻して、ここを出ていってもらわないと) (でないと) (でないと…………) 「……」 「……すー……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ――シャッシャッシャッシャッ。 「おはようございます」 「おはようございます。朝食、出来ていますよ」 「ふぁああい」  翌日の今日は日曜日。  お2人は学校こそ休みなものの店に出ねばならず、  そして自分にはどの平日より忙しい日となる。  ――シャッシャッシャッシャッ。  手早くスポンジを仕上げるため沢山型に入れて窯へ。あくまでひとつひとつ、形は崩れないように。  同時作業でフルーツの皮むき。やる順番を間違えればケーキの寿命に関わる。気をつけなければ。  並行してナッペ用のクリームも……。 「大変そうです」 「みんなケーキを食べるなら日曜日だからね~」  その通り、今日は日曜日。  一番売れ行きがいい。かつ個別の注文もたくさん入っている。  朝、始める時間も30分繰り上げるほど忙しい日だ。 「手伝うよ。クリーム作るね」 「ありがとうございます。ですがまずは朝食をどうぞ」 「はぁい。ふふっ、すっかりパティシエの顔だね」 「パンが温かいうちにいただきましょう」  お2人には寛いでもらうことに。  忙しくても日曜日だからな。  さて、自分は仕事仕事……。 「いただきまーす」 「いただきます」 「すっかりこのお店の主役、ボクたちからクロウ君になっちゃってるね」 「おじい様が帰ってきたらどうしましょうか」 「戦争になったりして。それはそれで面白そうだけど」 「甘えてばかりで申し訳ないです。……でも下手に手伝ってお皿をひっくり返したら立ち直れる自信がありません」 「……クロウさんがいなくなった時のこと、ちゃんと考えておかなきゃいけないのに」 「んー?」 「……」 「そのときはそのとき。どうにかなるよ」 「でも」 「オリちゃんは何でも心配しすぎなんだよ」 「最悪でお店を休むだけなんだから」 「めるさんは大物すぎます」 「……」 「私には……そんな風に考えられません」  ・・・・・ 「ふう」 「お疲れさまー」 「お疲れ様です」 「お2人こそ」  午前10時50分。  開店10分前に、必要なケーキが揃った。  自分と、朝食後はめるさんが手伝ってくれてフル回転してぎりぎりの時間だ。  ちなみに、不器用で料理に自信のない氷織さんは開店前の掃除係。  どこもかしこもピカピカに仕上げてくれている。  今日も気持ちよく店が開けそうだった。 「さて、それでお店はボクたちがやるわけだけど」 「はい。自分はいつも通り、注文の品をお届けに」  注文を受けたケーキは、基本的にお客様にとりに来ていただくことになっているが。  なにせ50年目の老舗。常連様には雪道を外出するのは辛いご年配の方も多い。  なので要望がある場合、注文のケーキは自分が回って届けることになっていた。  平日はお2人が下校したあとだが、今日は店番の心配がないので開店後すぐに。  まだあまり知らないこの町の地理を探るにもちょうどいい。  のだが、 「今日はちょっと多いですよね」 「……ですね」  今日は特別注文が多い。  9軒も回らなければならなかった。  重さはともかく、運ぶには慎重に水平を保たねばらないケーキを1度に9つというのは、さすがに無謀だ。 「一度に運べたとして3つ。3往復すればいけますね」 「大変じゃない」  多少労ではある。 「荷車を出してはどうでしょう。おじい様の使ってらした」 「いいけど……あれガタつくよ」  玄関にある掃除道具入れを開けるめるさん。  手押しの荷車が出てきた。  小さいが、ケーキを9つ運ぶには充分な大きさだ。 「これなら……ふむ」  箱詰めにしたケーキを乗せる。  だが押してみると……確かにガタつく。 「支える人がいないと不安だね。外は道もでこぼこだし」 「押さえておけば大丈夫だと思いますよ。こうやって……クロウさん」 「はい」  彼女が乗せた荷を抑え、自分が荷車を押す。  振動は極力抑えられるようで、ケーキが崩れる心配はなさそうだった。 「ただこれだと2人必要なので……」 「ボクはお留守番だね、んっ、任せて」 「1人で大丈夫ですか?」 「失礼だな。ボク今このお店の店長なのに」 「……」 「……」 「2人して本気で心配そうにしてる!?」 「もー失礼だよ2人とも。たった数時間のお留守番が出来ないと思った?」 「いえ、ただ」 「私たちがいないからとはしゃいで商品を倒さないようにしてくださいね。あとつまみ食いはほどほどに」 「生水にはお気をつけて。あと冷たい物を食べすぎてお腹を壊さないように」 「それから……」 「さっさと行け失礼ブラザーズ!」  追い出された。 「行きましょうか」 「はい」  珍しく氷織さんと2人での外出となる。 「ちょっとガタガタ来ますね」 「ですね」 「この街は石畳が多いですから。ゆっくり行きましょう」 「あと段差があるところも避けて……だから……」  ちょっと遠回りすることにも。 「この橋を使うのは久しぶりです」 「こっちのほうはあまり来ないですもんね」  街の中央を流れる川、『有升川』は、渡しをする橋が大きいものが一つあるだけなので、町全体を大きく分断している。 「もう少し橋が多ければ通りやすいのですが」 「歴史的に、この川は街が出来たときから運河として使われていたとかで、橋をかける工事はなるべく省かれていたそうです」 「運河……ですか」  自然と足を止める。 「確かに、街の中心になっていますね」 「はい」  2人、並んで川の果てを見た。  山から伸びてきた川が、一直線に街を貫いている形だ。  端々で川は細分化されやがて用水路に変わっているが、  基本的にこの街は、この川に沿って発展してきたのが見ていて分かる。  ここは上流にあたり、下流は染物や物流の工場、倉庫が利用していて、  その先は広大に森が広がっていた。この街は山間にあるらしい、こんもりと高い木々の山が。  そのさらに先に海があったとしてもここからでは見えない。  用水路の一部はフォルクロールの近くにも来ているな。我々も世話になっているらしく、  他に公園の奥にある湖もこの川から派生したもの。  この街の構造は全て、この川を基盤に作られていた。  と……。 「……」 「?」  ふと氷織さんがボーっとしているのに気付く。 「どうかされましたか?」 「いえ」  なんだか、何事か考えながら目を細めて川の果てを見ていた。  森の中の……。 「……」 「あの……ビル? がなにか」 「……」  わずかに小高い森の中腹辺りにぽつんとある人工物を見つめていた。  以前屋根の上から街を見たとき自分も見ている。この街のものには珍しく背の高いビルだ。  いや『街のもの』かは分からない。それくらい離れているが……。 「……」  どこかさびしそうにそれを眺めている氷織さん。  なにかあるのだろうか? 「……」 「すいませんボーっとして。早く行きましょう」 「あ、はい」  聞けそうにないので聞けなかったが、  少々気になった。  ・・・・・ 「ご注文いただいたイチゴスフレです」 「あいあい、今日もありがとうねえ~。娘がどうしても食べたいって聞かなくて」 「いえ。毎度ありがとうございます」 「あとこちら、試供のためにお配りしているのですが、ビターチョコレートケーキ、いかがでしょうか」 「おや、タダでくれるのかい」 「はい。お試しください」 「ありがとうよ」 「……」  最後の一件に配達を終えたのは、もう3時が近かった。 「これで終わりですね。お疲れさまでした」 「はい」 「……」 「なにか?」 「いえ、ただ」 「クロウさん、もう当たり前のように配達できてますね」 「もう3週間ですから」  毎日というわけではないが、今年に入ってもう何度かこなした作業だ。慣れもある。  そもそも配達に来たものを渡すだけだから大したことではないはずだが。 「……すごいです」  ちょっと拗ねたようにつぶやく氷織さん。 「そうでしょうか?」 「少なくとも私には出来ないので」 「……ああ」  なるほど。  すごいかどうかはともかく、彼女が感心する理由は分かった。 「氷織さんも……苦手意識はともかく、出来てないわけはないでしょう」 「そうですか? でもやっぱり苦手です」 「まあ個人の価値観と言うものはありますからね」 「ですが氷織さんの接客は、それはそれで良いものだと思いますよ。落ち着いていて」 「私は……めるさんみたいに出来るのが理想です」  この1ヶ月ほどで何となく思ったことは、  誰とでも仲良くなれるめるさんに対して、  氷織さんはややそうした資質に欠ける。  無愛想やぶっきらぼうではない。丁寧ではある。  ただ初めての人にはやや人見知り。という程度か。  それは『店員』としてそぐわない特徴なのは確か。  接客態度がやや固さを感じさせてしまっていた。  特に初めてのお客様には、かなり緊張しているのが分かる。  まあどちらかというとめるさんの方が出来過ぎるのだが。 「今日もめるさんをイジっておいてなんですけど、お留守番するのが私だったら困ってました」 「私たちが学校にいるあいだはクロウさん、お1人で店番してくれてますよね」 「はい」 「すごいです」  嘆息気味に言う。  1ヶ月も経つと、店の回し方も自然と役割のようなものが出てくるもので、  自分は『調理』と『配達』。  めるさんが『接客』を担当するのが主。  そして残った氷織さんは、どちらかの補佐に当たることが多い。  自分に確固たる役目がないのを気にしているのだろう。  責任感の強い子だと思う。 「あまり気にしすぎないほうがよろしいかと」 「お茶を淹れるのは氷織さんが一番ですし」 「それは……」 「そうですね。気にするのはやめましょうか」  わりとあっさり話を切り上げた。 「……」  気にしない。というのはウソのようだが。  だがこれ以上話していても、愚痴っぽくなるだけで発展性がないのに気付いたのだろう。  責任感が強くて、かつ話している相手の空気をしっかり見極める。  大人だ。こう言うと失礼だが、歳不相応なくらい。  そう言えば自分は、氷織さんのことはまるで知らない。  学校に通うため、近場のフォルクロールに居候しているとのことだが、それ以前のことなどは、まったく。  気になるな。  だがプライベードに踏み込むのも失礼か。  思っていると、 「おいっすーお2人さん。あれ、今日はチビ助が1人足りないねえ」 「おそのさん」 「どうも」  いつの間にか店の近くに来ていたようだ。以前お世話になった方が声をかけてきた。 「どしたんだい2人で。デートかい」 「宅配です」 「ああ」  ケラケラと笑う……と、 「っと」 「あ……っ」  一瞬怪訝そうな顔をした。  その時にはもう、さっと動いた氷織さんが家の中にあった椅子を引っ張ってきている。 「ありがとうよ」  どっしりとそこに腰かけ、お腹をさすった。  赤ん坊が動いたらしい。  いまのは自分が気づかうべきだったな。 「大きくなりましたね」 「そうさねえ、あとふた月もないから」  愛しそうにお腹をさする。  初産だと聞いたが、さほど不安はなさそうだ。 「……あの」 「うん?」 「あ、いえ」 「……」 「触りたいならちゃんとそう言いな」 「わ」  ぐいっと抱き寄せられる氷織さん。  大きなお腹に顔がくっついた。 「あう」 「昔っから素直に言えないねこの子は」 「す、すいません」 「……」  お腹に耳をあてて、中を聞きとる。 「心臓の音がします」 「それは……どっちかね、あたしかね」 「……」 「っ、動いた」 「うん。最近はしょっちゅうだよ」 「早く出たい出たーいって言ってんだろうね」 「……元気でよかった」 「ふふ、お姉ちゃんになる準備はできてるかい」 「はい」  ――なでなで。 「んふ」 「ふふっ、にしちゃあ甘えん坊だねえ」  お腹の代わり、とばかり頭を撫でられる氷織さん。  気持ちよさそうに目を細めていた。  店にいるときとはずいぶんと空気がちがう。 「……」 「……」 「はっ、し、失礼しました」  はなれた。 「おや? 今日は早いね」 「い、いつもそんな長々とは」 「……今日よりちょっと長いくらいですよ」  赤くなってブツブツいう。  裾野さんは小さく苦笑し、 「誰かさんの前だからってカッコつけてんのかい」 「そんなこと……あう」  恥ずかしそうだ。  自分の視線を気にしたのか。自分はこの場にいないほうが良かったかもしれない。 「も、もう帰ります」 「あいよ」 「ああそうだ、どうせだから明日あたり1つ注文していいかね」 「もちろんです。なにになさいますか」 「んー、どんなのがある?」 「店に出しているのは9種。ですが言っていただければ大抵は」 「んじゃあ……んー」  迷っているようだ。 「シンプルなパウンドケーキで如何でしょう」 「んー」 「そうさね。じゃあそいつで頼むよ」  任せたよ。とこちらの肘を突き、中に入っていく。氷織さんも合わせて椅子を片付けた。  2人、改めて帰ることに。 「パウンドケーキってあの、スポンジだけの一番簡単なやつですよね」 「はい」 「良かったんでしょうか」  ケーキ屋に頼むには簡単すぎるものだ。気にしている。 「妊娠後期は味覚が極端になるというので、甘さ一辺倒な普通のケーキより良いと思いますよ」  スポンジは甘さを控えめにして、クリームと果物は別に添えて持っていくとしよう。ケーキと言うより、つまめるデザートといった感じに。  そのとき食欲が出ているか分からないし、保存しやすいのもいい。 「確かにケーキ屋に頼むものではありませんが、それを言うなら妊娠後期の、食欲の偏る時期に大きなケーキを注文するというのもおかしな話」 「あそっか、そんなこと、本に書いてありました」 「妊娠について勉強しておられるのですね」  前も部屋に本がたくさんあったのを見た。 「楽しみですから」 「はい、分かります」 「そしてそれは、裾野さんにとっても同じ」 「たぶん氷織さんと一緒に食べたいのでしょう。よく勉強して補佐してくれる介護士さんと、ケーキを一緒に」 「あ……」 「明日も配達、ご一緒してくださいますか?」 「……」 「えへ。はい」 「裾野さんとはだいぶ親しいのですね」  空気が良さそうなので、もう聞いてしまうことにした。 「そうですね。小さいころからの知り合いです」 「一応親戚。遠いですけど」 「あの呉服屋は父が古くから懇意にしていまして。小さいころはよく遊んでもらいました」 「……よく遊ばれました。着せ替え人形にされたり、色々」  深くは聞かないでおこう。 「本当は9か月前、学校に行くため居候するのもあのお店のはずだったんです」 「へえ」  それは知らなかった。 「ですが直前に赤ちゃんがいると分かって。そのころはまだお腹も全然だったんですけど、いずれ厄介になるからと」 「で、困っていたんですが、そのときフォルクロールさんが受け入れてくれたんです」 「では……めるさんとは?」 「その時初めて会いました」 「え……」  意外だ。  ずっと古くからの友達のように見えたが、まだ9か月の仲だったとは。 「いえ正確には、会ったことはあるのかな?少なくとも話したのは初めてかと」 「父はおじい様とは懇意でしたから」 「お父さまはこの街の方なので?」 「っ」  む?  話の流れから当然思うことなのに、改めて言うと、顔を強張らせる。  知られたくなかった、という顔だ。 「……住んでいたことがあるそうです。昔」 「……」  口を閉ざした。 「そうですか」  なぜかこの話題は嫌なのが表情に出ている。  父親と何かあるのだろうか?  聞けないか。  店に戻った。 「ただいまです」 「あわっ」  ドアを開いた途端、ショーケースから飛び退った人が。 「おおお、おかえり2人とも。遅かったね」 「遠回りになってしまいまして」 「すいません」 「謝ることじゃないよぅ、お疲れさまー2人とも」 「いえ、謝ることかと」 「あと5分早く帰れば、めるさんが我慢の糸がきれてつまみ食いを始めるまえに帰って来れたのに」 「うぐっ」 「なな、なんのことかなつまみ食いって。ボク全然分からないなあねえクロウ君」 「ですね。あ、めるさん、動かないで」(ふきふき)  口元についたクリームを拭う。 「ぬぐう」 「お、お皿に。お皿の部分に残ったクリームを舐めてただけだよ。それだけだよ」 「何皿?」 「9皿」 「充分つまみ食いです」 「お腹が空いたときつまめるようマカロンも用意しておいたのですが」 「全部食べちゃった」  早い。 「帰ったらお茶にしようと思ってたのですが、お菓子がなくなってしまいましたね」 「あうあ、ご、ごめん」 「ご心配なく。めるさんが全部食べてしまうことは想定内で、初めから3人で食べる用のお菓子は別に分けてあります」 「おお」  厨房からクッキーを取ってくる。 「わはあ、さすがクロウ君」 「めるさんは喜ぶポイントじゃないと思いますよ」 「お店、どうでしたか」 「ふつー、かな。お客さんも多くなく少なくなく」 「なによりです」 「……」 「つまみ食いしてるとこ見られませんでしたよね」 「大丈夫だって。失礼だな」 「てかつまみ食い自体、いまちょっとしただけだよ。もう3時でお腹がぐーぐーだからちょっと手が伸びただけ」 「それまではつまみ食いしてない?」 「ない」 「真面目にお店番してたよ。途中来たから小町ちゃんに聞いてもいい」 「なら安心です」 「お店の顔といえば、やはりめるさんですからね」 「そりゃもう。どーんと任せてよ」  自分の胸を叩くめるさん。  ――べちゃ。 「……あ」 「いまの音は……」 「……」 「クロウさんには言ってませんでしたが、実はこのお店の制服、胸元に隠しポケットがあります」 「ほう。初耳です」 「そしてめるさんには、甘いものを見つけると後で食べるためにそこに溜め込むと言う習性があるのです」 「リスかな?」 「以上を総合するに」 「ふぇええ、マカロンが中でつぶれてクリームがあああ」 「は、早く脱いでください。洗いますから」  ばたばたと大慌てで奥へ引っ込んでいく2人。  ふむ。  やはりいいコンビだと思う。  めるさんの良いところと、氷織さんの良いところがちょうど互いに補い合っている感じ。  あれで9か月の仲……か。  やはり意外だ。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「氷織さん」 「氷織さん」 「……」 「はい」 「どうして笛矢町に行きたいのですか」 「古倉さんが迎えてくれるそうですけど、わざわざあんな遠くの町をお受験しなくても」 「いけないでしょうか」 「そんなことは言わない。氷織さんは自由に生きてください」 「聖代橋のことはお兄様たちが全てやってくれます。氷織さんは好きなことをしてくれていいのですよ」 「でもあんな遠くの町。なかなか顔も見に行けません」 「私たちは心配です。分かってくれますね」 「……はい」 「……」 「『妖精の夜』が見たいのです」 「む……」 「妖精の夜……ですか」 「奇跡の夜が見たいのです」 「奇跡をこの目で見てみたいのです」 「……そう、ですか」 「困りましたね」 「それはとても素晴らしいことだと思います。あの光景、あなた達にも一度は見ておいて欲しいとは思っていました」 「本当の妖精の夜を、一度は」 「ですがそのためだけに進学先を決めるだなんて。氷織さんの成績ならもっと良いところにいけますのに」 「……ごめんなさい」 「でもあの街を知りたいのです」 「奇跡の夜があるあの街を、肌で感じたいのです」 「……」 「そこまで言うなら仕方ありませんが……」 「あれが奇跡などでないことは知っていますね?」 「……」 「はい」 「けれど決して誰かに知られてはいけません。分かっていますね」 「はい」 「聖代橋に生まれたからには――世界から奇跡を奪ってはいけない」 「聖代橋は、二度と誰かから幸せを奪わない」 「分かっていますね?」 「……」 「はい」 「っ」 「……」 「ゆめ……か」 「はあ……」 「……」 「……分かっています、お父さま、お母さま」 「この街から奇跡を奪うようなことはしません」 「この街から、妖精さんを奪うようなことはしません」 「それが聖代橋氷織の……義務ですから」 「分かっていますから」 「……」 「…………」 「分かっていますから……」  ――げし。 「……」 「むにゃー」 「……」 「はあ」 「おはようございます。お早いですね」 「おはようございます」 「はあ」 「なにかありましたか?」  ため息をついている。 「悪い夢でも?」 「いえ。夢のあと、起きた瞬間に顔面を足の裏でむぎゅーされたのでブルーなだけです」 「ああ、めるさんとご一緒でしたね」 「2日連続で一緒に寝たのは失敗でした。今日からはまたしばらく追い出すようにしないと」 「……」 「夢のほうは……別に悪くはありません」 「はい?」 「なんでも」 「お腹が空きました」 「もう少しお待ちください。今朝は、昨夜めるさんが作ろうとして失敗したポトフを元に、リゾットにしようと思います」 「美味しそう」 「それと……氷織さん。今日は学校、何時ごろに帰れますでしょうか」 「はい?」 「裾野さんにケーキを届けるの、何時ごろにしましょうか」 「あ……そうですね」 「朝からおかゆは温まっていいねえ」 「はい」 「ではクロウさん、3時くらいに帰りますので」 「はい」  裾野さんへのお届け。氷織さんも一緒する必要があるので、行くのは学校が終わる3時過ぎになった。  パウンドケーキはそのあたりに合わせて焼いておこう。  お2人を見送って……さて。 「おはようございます、クロウさん」 「おはようございます」  店を開けるまではまだ時間がある。  焼き加減に注意しつつ、外の掃除でも。 「昨晩、また少し降ったみたいですね」 「ですね」  何層にも積もった雪が、またうっすらと厚みを増している。 「この時期は永久に溶けそうにないのですね」 「そうですね。毎年こうです」 「というかこれからですよ。一番寒くなるのは」 「そうなのですか?」 「この街は、山が近くて、大きな川がそこからの風を通して。気象条件があまり変わらないので、毎年天気の感覚があまり変わらないんです」 「ほら、『妖精の夜』も、毎年決まった時期にくるでしょう?」 「そう聞きますね、めるさんによれば」 「あの日は晴れの特異日で、しかもダイヤモンドダストができやすいんですよね。不思議と」 「今年も例年通り妖精さんの夜が来てましたから、このあとも例年通りだと思います。ここから寒くなりますよ」 「毎年びっくりするくらいの吹雪の日が来るのももうじきかな。注意しなくちゃ」 「へえ」 「その日は絶対に外に出ちゃダメですよ。最近はなくなりましたけど、昔は当たり前に亡くなる方が出たくらい寒いですから」 「気をつけます」  吹雪の日、か。  空を見る。  これだけ晴れているのにあまり気温が上がらない。  確かに寒くなりそうだが、まあ雪が大人しくしてくれているだけマシだろう。  吹雪が来そうな日は気をつけよう。  さて、10時過ぎ。  ケーキの準備も整い、あとは店を開くだけ。  気を引き締めないと。  ――ガチャ。  む。 「いらっしゃいませ」  ってまだ開店前――。 「い、いらっしゃいマシタ」 「あ、どうも」  気合いの入った声が来て驚いたのだろう。苦笑しているショコラさん。  お客でなく友人が来た。 「今日もお手伝いできないかと思いマシテ」 「ありがとうございます」  ショコラさんは、週に数回、不定期の料理学校に通っているため、昼もヒマしていることが多い。  この店の制服を預けて以降は、ちょくちょく手伝いに来てくれることがあった。 「えへへ」  なぜかは分からないが、厚意は嬉しく受けよう。 「こんにちはー」 「あ、いらっしゃいマセ」  11時。今日も開店時間となる。  さあ、  張り切っていこう。  ・・・・・ 「スソノさん、デスカ?」  店番の合間に話してみる。 「氷織さんたちは、おそのさんと呼びますね」 「ああ、あのサイケデリックな」  サイケデリック……、  わりとしっくり来る表現である。 「コーリはとても慕ってマスネ」 「はい」 「メルとは別の意味で、姉妹っぽいと言うか、家族みたいデス」  ショコラさんの目からもそんな印象のようだ。  めるさんとの仲の良さは言うまでもないとして、裾野さんとはほぼ面識のないショコラさんにも伝わるくらい氷織さんは彼女に懐いている。  そうそう、めるさんといえば、 「えっ、メルとコーリ、まだ会って9か月?」 「はい」  先日自分が驚いた件を言うと、ショコラさんも驚いていた。 「へー……スゴク仲良しなので、もっと昔からとバカリ」 「あ、でもコレはそんなに驚くことないかもデスネ」 「はい?」 「だって私が知り合ったときは、クロウさんとメルたちは会ってまだ数日だったのでショー?」 「は、はい」  2、3日目だったはず。 「聞いたとき驚きマシタ。もっとズット前から仲良しだと思って」 「……」 「そう……ですか」 「クス」 「ソーユー2人だと思いマス。誰とでもすぐ仲良くなれる。メルも」 「コーリも」 「ですね」  考えてみれば、自分こそ最大の証人だった。  めるさんはもちろん、氷織さんも、無闇に人を拒むことはない。  人が好きな人。  そう考えれば、9か月であんなにも仲良しになっているのも当然か。 「……」  そんな氷織さんなら、  父親との仲も、上手くいっていると思うのだが。  ・・・・・ 「ただいまー」 「イラッシャイマセ」  夕方少し前、2人が帰ってくる。 「ショコラさん、今日も手伝ってくださってたんですか」 「ハイ」 「なーんかたびたび悪いねえ」  ショコラさんが店を見て下さるのは初めてではないので、2人の反応も慣れたものだった。 「バイト代とか出した方がいいかな」 「いらナイデス、わたしが好きでしてることデスから」 「それにバイト代はよくいただいてマス」  ちょいちょいと洗ったあとのカップ2つ、お皿2枚を指さしウインクしてみせるショコラさん。  先ほど自分とティータイムにしたあとだ。 「なるほどね」 「じゃ、バイト代倍プッシュしましょ。ボクたちの分も出して」 「はーい♪」  帰った時間はちょうど3時。  またお茶にするようで、用意していく。前は1時前だったのでいいだろう。 「ショコラさんは本当、毎日のように手伝ってくれますね」 「ですね。少々申し訳ないです」 「……」 「まあ本人は望んでクロウさんのところに来てるみたいですけど」 「はい?」 「いえ」 「めるさん、ショコラさん。私はこのまま出ますので、お茶は結構です」 「んえ?あそっか、おそのさんか」 「あん……ご一緒できマセンカ?」 「すいません。多分向こうで……ですので」 「でしたね」  向こうで裾野さんと一緒に食べることになるだろう。いまここで食べたらお腹が膨れてしまう。  2人に店を任せて外へ。 「あの、すいませんでした」 「いえ」 「というか、自然と自分も続いてしまいましたが、よかったのでしょうか」 「おそのさんも言ってましたし、いいんじゃないでしょうか」  2人、ケーキを崩さないように商店街へ。 「~♪」  氷織さんはずっと楽しそうだった。  やはり彼女にとって、裾野さんは特別な人なのだろう。  めるさんとはちがう仲の良さ。  めるさんを相手するときとちがって、子供っぽい表情を見せることが多い気がする。  そんな氷織さんを見るのは、なんとなく楽しかった。  ――だが。 「こんにちはー」  ・・・・・  今日は残念ながら、そんな氷織さんの珍しい表情は長続きせず、 「?こんにちはー」 「裾野さん、いらっしゃいますか」  ・・・・・  返事がなかった。  店は開いているのに……。 「ウウ……」 「!?」 「失礼します」  奥から聞こえた声に、すぐさま店の中へ飛び込んだ。  ケーキの箱をぞんざいに扱ったのは反省点だ、が――。  犠牲の価値はあった。 「いつ……うく、ぐ」 「おっ、おそのさん!」  壁にもたれて、しゃがむことも出来ないと言った感じでお腹をおさえて呻いている裾野さんを見つけた。 「病院へ運びます。村崎医院でよろしいでしょうか」 「た、頼むよ。急に……ね」  車が欲しいが、ないし、この街では役に立たない。 「お腹ですか」 「いやこの子は。でも腰がね……つつつ」  歩けそうにない。 「失礼します」 「おっと」  抱き上げた。 「お、重くないかい」 「多少は」 「この重さなら赤ちゃんも元気でしょう」  病院へ連れてきた。 「先生っ、こっち」 「あいあい、ったく、今日は回診が少なくてよかったよ」  午後からは回診にあてている先生だが、氷織さんが街中を走り回って連れてきてくれた。  裾野さんを運び込んだ診察室へ、先生も入っていく。  ひとまず自分たちに出来ることは完了だ。 「ふぅ」 「……」 「……ぐすっ」 「え……氷織さん?」 「……な、なんでもないです」  目元を抑えている氷織さん。  ……泣いてる? 「し、心配ありません。妊娠が後期に入ると、骨盤の位置の関係で足に痛みが来る人は多いそうです」  お腹には痛みはなかったそうなので、赤ん坊は大丈夫なはずだ。  母体には苦労があるが、それはもう、産みの苦しみとしか言いようがない。 「分かってます……たぶん大丈夫、大丈夫です」 「あんなこと……もう」 「はい?」 「……」  それきり黙ってしまう氷織さん。  あんなこと?  というと……、 「終わったよ」  2人が出てくる。 「ったくこぉーのポンコツがあ。妊娠後期は衣食住きちっとしろって言ったじゃないのさ」 「へへ、すんません」 「お、おそのさん、もう平気なんですか」 「うん、心配かけたね。横になったら痛みもだんだん引いてきたよ」 「状態は」 「ただの貧血。なーんかケーキがどうたらで昼飯の量を減らしたら、それでガクンと来ちまったみたいだね」 「貧血? でも痛いって」 「この時期は恥骨付近の痛みは常にあるんだよ。普段は気にならないけど、体調を崩しゃすぐに来るのさ」 「そ、そうなんですか……じゃあ」 「赤ん坊は全然平気だとさ。ほらっ、聞いてみな」 「あ……」  ぐいっと抱き寄せられる氷織さん。  お腹に耳をあてる。 「……」 「赤ちゃんの音、してます」 「生命力の強い子だから、よく暴れて母親の腰に負担が大きいんだろうね」 「そのぶんちゃんと生まれてくるから安心しな。母親に似てふてぶてしい子に育ちそうで心配だけど」 「はい……」  ぐりっと改めて目元をぬぐう。  そんな彼女を見て、裾野さんは改めて頭を撫でると、 「もうあんなことはないから、ね」 「……はい」  ・・・・・ 「え、わしのお見舞いじゃないの?」 「すみません、危急のことでしたので」 「ちえー、みやげくらい持ってこんかい」  裾野さんは今日病院に泊まることになり、  報せを受けて駆けつけた旦那さん(初対面だった)と氷織さんがその準備をしている間、せっかくなので面会を済ます。 「ふむ。おそのさんがの」 「お知り合いで?」 「この街のモンでわしが知らん者はおらん。みぃんなわしのケーキを食べて育ったんじゃから」  サラッとすごい人である。 「……」 「オリちゃんが焦るのも仕方なかろうの。あんなことがあったのでは」 「む……」  気になる話題が。 「裾野さんですが……もしかして」 「む?」 「もしかして以前に……その」 「……」 「ご想像の通り。あまり本人たちには言うでないぞ」 「はい」  やっぱりか。  つまり……、  流産の経験があるらしい。  流産と言うのは、実は決して珍しくない事態である。  どれだけ医療が発達しても、最新鋭の技術を揃えても、打開できるのは流産しかけ、つまり切迫流産の状態がせいぜい。  人間は、生まれたあとする成長の数百倍、母体の中で成長をする。  その過程で、生ききれない種はどうしても一定数存在する。天寿の年齢がどこに定められているかなど神のみぞ知るところなのだから。  自然淘汰。という表現が近いか。  科学の世界では100万の商品を狂いなく作り出せる工場も作れるだろうが、  母体は工場ではない。どうしても狂いは生じてしまう。  流産は、人間が生き物である証のようなものだ。 「……」  とはいえ、感情としてそれを『仕方ない』ですませられる人間は少ない。 「氷織さんは……」 「気にしとるじゃろうなあ。もう10年も前じゃが」 「当時まだ小学校にも行かない年の子にはショックだったじゃろう」 「……」  ・・・・・  やがて店に戻る。 「遅くなってしまいましたね」 「仕方ないですよ」 「赤ちゃんが無事で良かったです」 「はい」  ずっと心配そうだったのが、嬉しそうにしている氷織さん。  幸い、さっきまでの空気は引きずっていなかった。 「いま何か月でしたか」 「8……いえもう9か月です」 「つまり、30週強」  ここからの流産は、まずないと言ってよい。母体が安静にしている限り。  むしろもう、いつおしるしが来てもおかしくない時期である。 「楽しみですね、赤ちゃん」 「はい」 「私に妹が出来ます」  笑顔の氷織さん。  そうか。  裾野さん相手にだけ反応が変わるのは、こういうこともあったのか。 「……」 「あの、クロウさん、今日はありがとうございました」 「はい?」 「おそのさんが倒れてるのを見て、わたし動揺しちゃって、なにも出来なくて」 「クロウさんがいてくれて良かったです」 「そんなことは」 「……」 「クロウさんがいてくれて良かった。めるさんがよく言ってるけど、本当にそう思います」 「ダメですね私。普段はめるさんにくどくど言ってるのにいざってときはこんな」 「いつかいなくなるクロウさんに頼りきりなんていけないとは思ってるんですけど」 「……」 「ただいま戻りました」 「おかえりー」 「ナサーイ」 「ショコラさん」  すでに閉店時間は回っているが、ショコラさんが来ていた。 「今日もショコラ泊まってくよん」 「ヨロシクお願いシマス」  最近のショコラさんは、泊まる頻度が上がっている気がする。  まあにぎやかになって良い。それより、 「なにを見てるんです?……この街の地図?」  2人、床に大きな地図を広げていた。  ? 「あのデスネ」  自分と氷織さんが怪訝そうにしていると、ショコラさんはいたずらっぽく笑い、 「お2人は、この街に住む妖精さんをご存じデスか?」 「妖精の夜の?」 「もちろん知ってるよ~」 「もしかしたら今の居場所も……ぬっふふふねえクロウ君」 「?」  なぜニマついているのだろう。 「願いを叶えてくれる妖精さんと、それのもたらす『妖精の夜』は有名ですけど、それがなにか」 「ハイ。街にダイヤモンドを降らせる妖精さんの伝説。そしてそれが年に1度起こる夜」 「わたし、実はその妖精さんの話を調べるためにこの街に来たのデス」  初耳だ。 「うちを乗っ取るためじゃなかったっけ」 「それはお兄ちゃんデス」 「やっぱり乗っ取る気だったのかこんにゃらー!」 「にゃー! 言葉のアヤー!」 「……」 「調べに……」  む? 「それで、具体的には?」 「あ、は、はい。えとデスネ」  こほん、と空気を区切る。 「わたし、学校はお料理の道へ進んだのデスが、歴史のお勉強とかも好きなのデス」 「勉強が好き……恐ろしい子!」 「オリちゃんみたいだね」 「私が勉強を好きなのではなく、めるさんが人並み以上に嫌いなだけですよ」 「それで、この街の歴史も面白そうだって思ってたので、ちょうどお兄ちゃんが来るのを知ってついてきたのデス」 「妖精についての歴史が」 「ハイ。まあ趣味のようなものデスガ」 「えへへ、おかげでこの店に来られマシタ。趣味に感謝デス」  なるほど、どこの街にもある神様や幽霊的な伝承を調べると面白い事実に行きつくとはよく聞くが、  妖精の起源というと、調べたら面白いかもしれない。  好奇心と行動力がセットなショコラさんらしい。 「……それで、その妖精さんの伝承と地図にどんな関係が?」 「それが面白いんだよ」 「ショコラによるとズバリ、『妖精の夜』には秘められた逸話がある」 「……」 「その逸話とは、なんと!」 「ヘイヘイメル! わたしが言いたいデス!」 「おっと失敬」 「では改めて」 「……」  ?  一連の無駄なやりとりに、氷織さんのツッコみがない。  氷織さん……心なしか表情が硬いような? 「この妖精の言い伝えと、この笛矢町の公園や川の位置を調べるに――」 「……」 「妖精伝説にはズバリ」 「財宝伝説が隠されてマース!」 「……」  あ、ほっとした。 「この街の伝説の妖精さんは、金貨を降らせるものと宝石を降らせるものがありマス」 「そして心聖き者だけが見つけられるという願いを叶えるダイヤの伝説も」 「難しいことはともかく、『ダイヤモンドが降る』ってのはこの街におっきなダイヤが隠されてるってことらしいの」 「ほう」  根拠はともかく、話としては面白い。 「古い文献を調べるとデスネ、妖精さんは昔この街の人になんでも願いを叶えるものをプレゼントしたとありマス」 「それが転じて今の、ダイヤの降る夜にお願いをすると妖精さんがそれを叶えてくれるお話になった」 「ふたつを合わせれば、願いを叶えるダイヤモンドをプレゼントした妖精さんがいると思いまセンカ?」 「まあ……確かに」 「願いを叶えるダイヤ……見てみたいデス」  現実味を考えるとややロマンティックすぎるが、興味を惹かれる話ではあった。  ただ自分の興味は、ショコラさんのお話より、 「では……地図は関係ないので?」 「関係ありマス。建物なんかの位置関係がトテモ大事デス」 「そ、そうですか」  露骨にホッとしている氷織さん。  彼女の反応のほうが気になる。 「ねえねえ、私たちも探さない? このダイヤ。面白そう」 「ん……」 「それで、その財宝が見つかったとして、どうするつもりなんですか?」 「え。うーん」 「願いを叶えてくれるダイヤ」 「ショコラさん、なにか叶えたい願いでもあるんですか?」 「ソーデスネ、叶えたいお願い……」 「マズわたしの大好きなみんなが、ちょっとでも幸せになれるようお願いしマス」 「素晴らしい」 「控えめに言って天使ですね」 「ぬふふふそれよりお宝だよ。おっきなダイヤだよ?見つけたらもう大金持ちだよ」 「……」 「ショコラさんが純白すぎるだけで、めるさんくらいが人として普通だと思いますよ」 「ですね」  何も言わないでおこう。 「そして大金持ちになったあかつきには、クックック、ラフィ・ヌーンを逆に乗っ取っちゃおう」 「の、ノーそれは困ります!」 「こうなったら……ダイヤにお願いしてやはりフォルクロールを買収セネバ」 「なんだとこいつー!」 「くっふっふ、新生フォルクロールはわたしとクローさんがパティシエで、メルとコーリは従業員で下働きさせるデス」 「天使の心が一瞬で汚れました」 「諸行無常です」  しかし……お宝はともかく。 「……」  ぼんやりと地図を見ている氷織さん。 「街の地図がなにか?」 「……いえ」  話してはくれなかったが、  少々気になる態度だった。  ・・・・・ 「ふう」  午後3時過ぎ。  そろそろ……。 「ただいまー」 「おかえりなさい」  お2人が帰る時間だ、が。 「氷織さんは?」  いつも一緒に下校するのに、いない。 「おそのさんのところに寄るって」 「昨日倒れたってほんと?」 「倒れたわけでは」 「妊娠後期にはよくある貧血です。先ほどすでに旦那様から、退院したと連絡いただいたのでとくに問題はなかったかと」 「オリちゃん、だいぶ気にしてたけど」 「骨盤由来の痛みがあったので、必要以上に心配してしまったようですね」 「ふんむ……心配ないならよかったけど」 「そういうことはちゃんと言ってよ。全然知らなかった」 「すいません」  昨夜は財宝の話で盛り上がっていたので、あの空気を壊すこともないと思い。 「はーあー」 「なにか?」 「オリちゃんって本当におそのさんが好きだよね」 「ですね」 「んー……」 「……」 「もちろんめるさんのことも好いていると思いますが」 「分かってるけどぉ」 「もっと特別感が欲しい。お姉ちゃんとして」 「それは……さすがに贅沢かと」 「だよね」  着替えてくるめるさん。  裾野さんの体調は問題ないとして、  氷織さんの心には、良くないモノが残ったようだ。  夜――。 「おそのさん、どうだった?」 「今日は調子よさそうでした」 「裾野のおじ様も今後は仕事を減らして目を放さないと仰ってたので、もう大丈夫かと」 「ただ気になってしまうので、私もこれからちょくちょく見に行くかも……いいですか」 「もちろん」 「オリちゃん、ちょっと心配性だね」 「……かもです」 「あまり気を詰めませんように」 「分かってはいるのですが」  流産のことを知っていると、どうしても、か。 「だーいじょぶだってそんな心配しなくても」 「信じていれば妖精さんのご加護的な、そういうのでさ。元気な赤ちゃんが生まれてくるよ」 「ん……」  それは……、  めるさんなりのこジャレた、少なくとも悪意は感じられない言葉だった。  氷織さんなら笑顔で流すか、皮肉るか。  だが、 「信じてたって、実際に危険があったら意味ないですよ」 「信じてれば奇跡が起こるなんて、子供じゃないんですから」 「……」  ややキツい言い方。  だがこの時点で空気を察しろというのは、心配しすぎだと思う。 「でもさ」  食い下がるめるさん。 「やめてください」  たとえそれが正解の直観であっても。 「信じてれば奇跡が……とか、やめてください」 「そんなの意味ないです」 「意味ないんですよ」 「え……と」 「ご、ゴメン?」 「っ」 「いえ、こっちこそ」  そこでようやく氷織さんも、自分が空気がおかしくしたことに気付く。 「……」 「お、お風呂沸かしてきます」  重くなった空気から逃げるよういなくなる氷織さん。  いまの語調は……、静かではあったが、  彼女のいつもの寡黙さからすれば、『怒鳴った』に分類すべきものだ。 「……」 「……あの」 「……」  ショックなのか何も言えなくなっているめるさん。  どうしたものか……。自分も黙るしかできない。  氷織さん、  なにか気に障ることでもあったのか? 「……」 (ど、怒鳴ってしまいました。どうしよう) 「……」 「でも……仕方ない」 「めるさんにも、クロウさんにも、話せないことはあります」 「誰にも話せないことは――」 「!」 「は、はいもしもし、こちらフォルクロール、本日の営業は終了しておりま――」 「はい?あ、はい」 「……はい」  朝、  昨夜のことがどれくらい尾を引くか恐れたが、 「めるさん、許せません!」 「はあ……」 「まったくもう」 「……そんなにですか?」 「む~」 「ふぇええ、オリちゃん怒らないで~」 「怒りました。今日こそは許しません」 「えっと」 「昨夜、ちょっと悪い空気になったじゃないですか」 「はい」 「それでめるさんが気にしちゃったのか、昨夜のうちに謝りに来たんです」 「私も言い方がキツかったので謝って」 「まあすぐに仲直りはすませまして」 「で、また流れで一緒に寝ることになったんですが」 「今日は顔面をお尻に踏まれて目が覚めました」 「いやー起きたらいつの間にか反対向いちゃってて、身体を起こした拍子にそのままむぎゅっと」 「許せません!」 「お、怒らないで~」 「もうめるさんとなんか一緒に寝てあげません」 「うえーん」 「行ってらっしゃい」  尾を引く気配は微塵もなかった。  仲のいいことだ。  さて、今日も2人は学校。自分はケーキを焼いて……。 「コンニチハー」 「おや」  ・・・・・ 「いつも手伝ってもらってすいません」 「イエイエ、わたしも好きで来てマス」  今日も有能なお手伝いさんが来てくれたので準備がスムーズだった。  10時半には開店準備が済んでしまい……、  やや手持無沙汰だ。 「そういえば、財宝伝説はなにか進展が?」  適当に話をふって見る。 「ん~、難しいデス、最近したいコト一番はお料理の練習、二番はクローさんのお手伝いで、宝探しは三番目デスので」 「自分のことは順位を下げていただいても」 「わたしが好きで手伝ってマスから」 「恐縮です」 「メルには話しマシタけど、財宝の隠し場所として☆マークつけてるトコありマス」 「ほう」  開店までのヒマな時間を潰す、よい話題を引いたようだ。  持ってきていたらしい。この前と同じ地図を取り出すショコラさん。 「この街、笛矢町は、その名の通り古くは『笛吹きの谷』と呼ばれた場所にあるソーデス」 「ほう」 「つまり山風がビュンビュン吹いて、その風の音がイッパイな谷間、という意味デスね」 「その後、街が出来て現在に至りマスが、今でも山からの風は強いママ」 「この強い風が、夜間は空高くの気温をグッと下げてこれがDiamond dust。つまり『妖精の夜』を生むソーデス」 「そこまでは聞いたことがありますね」 「デハ、この山風を呼ぶこむ最大の理由は知ってマス?」 「川でしょうか。街の真ん中には大きな川が流れているので、遮蔽物がない山風が強く吹きこむとかなんとか」 「Yes。この街の中央を流れる有升川が一番の理由です」 「と言っても、風だけでdustは起きないので、他に色々と理由があるかもデスガ……」 「ここでポイントは、ダイヤを呼び込むのが川であるという事実」 「そしてもともとこの街の伝承では、『妖精さん』が運んでくるのはダイヤでなく金貨だったという話がデスね」 「ふむ……」 「こんにちはー」 「っと、ああ、いらっしゃいませ」  気が付くともう11時を回っていた。 「なんの話ですか?」 「は、はい」 「あのデスネ」  結構教えたがりらしい。ショコラさんがまた話し始める。 「ふん、ふん」  小町さんも興味深そうに聞いていた。 「なるほど、妖精さんの贈り物が金貨から宝石になったのは天候の都合に引っかけたと思ってたけど」 「この街にお宝が隠されてるだなんて、とてもステキだと小町は思うわ」 「ワーイ」  素直に面白い話ではあり、小町さんにも受けが良かった。 「ドーデス?幻の、願いを叶えてくれるダイヤモンド。コマチも一緒に探しませんカ?」 「そうねえ、お願いはともかく」 「実は昔から疑問ではあったの。どうしてもう何十年も『妖精の夜』が続いているか」 「……何十年も?」  不思議と引っかかる言い方だった。  めるさんの話では『妖精の夜は毎年必ず来る』とのことで、それで納得していたが、 「ということは、何十年か前は来なかった年もあるので?」 「それはそうですよ。天気の都合ですから」 「……ですよね」 「記録に残っているだけでも、30年前くらい?あったそうですよ、何年も来なかったことが」 「……」  言われてみれば当たり前だ。  が……なぜだろう。妙に気になる。  毎年確実に来るものなら、それこそ『妖精』とやらの仕業と片付けてしまいたいが、  現実的には、妖精の夜はあくまで『特殊な天候』である。  天候には『特異日』というものが存在する。1年の内で、8割近くの確率で雨の降る日、晴れになる日。そういう日は確かにある。  妖精の日が、その天候の特異日らしいのは分かるが――、  8割のものが、もう何十年も続いている?  偶然にしては、確率が偏りすぎではないか? 「ネーネーそっちはいいデスから、それよりダイヤの隠し場所について、わたしの推理を聞いてくだサイ」 「ああはいはい」 「そうね、願いを叶えるダイヤを……」 「……」 「そのダイヤって脂肪燃焼的なお願いは聞いてくれるかしら。ショコラちゃん、詳しくお願い」  そのまま店の邪魔にならない程度に話を続けた。  ショコラさんの推理と町を調べる能力は大したものだったが、  やはり『妖精の夜』に関することが最も記憶に残った。  ・・・・・ 「ただいまぁ」 「おかえりなさい。遅かったですね」 「もう外が暗くなりだしてるじゃない」 「……」 「あら? わたし、1日中いた?」 「ショコラさんが帰ったあともずっとですね。ちなみにいま食べてらっしゃるケーキが9つ目です」 「い、いやー!」 「それで、どうして遅く?」 「うん、ほら、オリちゃん今日もおそのさんのとこに行くみたいで」 「しばらくは毎日なのでしょうか」 「でね、1人で帰るのつまんないから、今日はボクもおそのさんのとこに行こうとしたの」 「オリちゃんには隠れて行って、脅かそうとして」 「そしたら……」 「……」  なぜか顔色が悪いめるさん。 「なにかあったの?」 「んと……その、今日はオリちゃん、おそのさんのとこじゃなく別の人と会ってたみたいで」 「それで……」 「?」  言いにくそうに口をもごもごさせた。  よく分からないが、  氷織さんのことなら本人に聞けば良いか。  だが、 「きょ、今日ですか?」 「おそのさんのところに行って、それだけですけど」 「え」 「なにか?」 「いや……うん」 「……」  別の人と会ってた。という証言が覆される。  めるさんはおそらく『別の人』を見ているし、 「……」  氷織さんはウソをついている。  意外と表情に出やすいのですぐ分かる。  だが追及はできないのが辛いところだった。  めるさんのしたことは、イタズラ心であれ、お行儀のよくない行為だ。  氷織さんが隠したがるものを見た以上、追及するのは気が咎める。  となると、これ以上聞きだすわけにはいかない。  そんなこんなで、話は中途半端に終わり、 「どう思う?」 「どう、とは?」  お風呂のあと、めるさんが1人部屋に来た。 「オリちゃん、どうして隠すんだろ、今日会ってた人のこと」 「それは……まあ」  誰にでもプライベートがあるのだから、詮索することではないと思うが、 「今日だけじゃなく、最近のオリちゃんは秘密が多いよ。この前もなんか変だったし」 「ん……」  先日、少し険悪になったことを言っているのだろう。 「何でも話して欲しいのに。ボクに遠慮なんていらないのに」  ぶつぶつ言っているめるさん。  体操座りでもしているのか、こたつのカバーごともちあげた膝に頬を乗せて、 「やっぱりボク、まだまだ頼りにされてないのかな」 「そんなことは」 「この前も顔をお尻でふんじゃったし」 「それは本気で反省すべきですね」 「今日会っていた方……とは、どんな方だったのです?」  先ほどははぐらかされたので改めて聞く。 「ん……えっと」  めるさんは言いにくそうに、 「なんていうか、あんまりいい人じゃなさそう」 「え……」 「あ、悪人とか、そういうわけじゃないけど」 「ちょっと怖い感じっていうか、んと」 「……」  怖い人と氷織さんが会っていた?  気になる。 「氷織さんは?」 「怯えてた」 「オリちゃんもビクビクしてて。でも逆らえないって感じで、一緒にお茶してた」 「それは……気になりますね」  どんな男かは分からないが、人の外見はあまり気にしないめるさんが一目で怯えるのだから、人相に良くないものを感じたのかもしれない。  なにより、氷織さんが怯えていたというなら、気になる。 「しかし……聞いたところで教えてくれる気がしません」 「うん」  本人は隠したがっていた。  ということは、 「調べるしかないか」 「……」 「隠れてこそこそ、というのはよくないかと」 「オリちゃんのためだよ!あの子、なんでも1人で抱え込んじゃうんだから」 「それは……確かに」  困ったことがあるとして、あまり人には話さない人である。  とすると……、多少のお節介は必要かもしれない。 「よーし、明日はちょうど土曜日。お店のお休みだ」 「なんとか明日中にオリちゃんの秘密を解き明かすよ」 「は、はあ」 「えいえいおー!」 「お、おー」  秘密はともかく、  めるさんを見張る役目は必要そうだ。  ・・・・・  ――ガチャ。 「もしもし」 「はい、氷織です。先ほどはどうも」 「……はい、大丈夫。めるさんたちには気づかれていません」 「……はい」 「明日も……ですか?分かりました、時間は作れますので」 「もちろんあのことも内緒です」 「あのことは……誰にも悟らせませんから」 「~♪」 「あら、おはようございますクロウさん」 「おはようございます」  今日は店の定休日。  なのでいつもよりやや早めに、店の前を掃除することに。  と――。 「お手伝いします」 「よろしいのですか?」 「クロウさんにばかりお任せするのも悪いですので」 「それに玄関前の掃除は、もともと私の担当だったんですよ」 「ええ、クロウさんが来る前は、よく2人でお掃除したわよねー」 「氷織さんの腕では大変だったのでは」 「まあ雪かきはほぼ小町さんに頼ってましたね」 「そのぶん氷織ちゃんにはうちの前まで掃いてもらったり」 「ほう」 「決して小町が怪力とかそういうことではないのですよ?」 「は、はい」 「氷織さんは総じてこの店の衛生部隊長なのですね」 「そうですね。掃除は好きです」 「やりすぎても焦げないところが、特に」  料理が苦手な分、こちらで活躍しているらしい。 「おあよー」  あと相方が、とくに休日は寝ぼすけさんというのも大きそうだった。 「ふぁううう、眠いよー」 「夜更かしでもしたんですか」 「オリちゃんの部屋にどう言い訳して忍び込むか考えてたら」 「実行しなくてなによりです」 「……今日行っちゃダメ?」 「しばらくお尻で踏まれるのはヤです」 「あーんオリちゃんが冷たいー」 「今日はクロウ君と一緒に寝よかな」 「それは問題かと」 「朝ごはんにしましょうか」  氷織さんの態度はいつもと変わらなかった。  淡々としていてつかみどころがない。  ただ冷めているとはちがって、めるさんや自分の一挙一動をしっかり受け止めている。  それが彼女なりの愛情なのだろう。だからこそめるさんも、過剰なくらい懐いている。  ……めるさんが懐いているという表現はめるさんが怒るか。  ともあれ、お2人の仲の良さは見ていて充分に分かる。  だからこそ氷織さんが何かを隠しているのが気になってしまうのだが……。 「そうだ」 「今日はお休みですけど、ちょっと会う人がいるのでお昼ごはんは外で食べますね」 「え」 「む」  いきなり話は本題に入ったようだった。 「会う人って?」 「え……と……」 「おそのさん、です」(目そむけ) 「ウソ」 「う、ウソじゃないです」 「ウソついてる」 「ウソじゃありません。何を証拠にウソだなんて」 「こんちゃーす、定期健診おなしゃーす」 「あいよ、手ぇ洗っといで」 「休みだから健診もうちに来てもらってるけど、時期的に歩きは辛くないかい。あたしが回診に行ったほうがよかったんじゃ」 「旦那に送ってもらったからいいさね。うちからここまでなら病院までとそう距離変わらないし」 「はいウソ」 「うぐう」 「う、ウソはついてないです。おそのさん、3時過ぎには家に戻ってるはずなのでそこで一度会いに行く約束はしています」 「お昼ごはんってのは誰と食べるのよ」 「詮索する気はないのですが、お昼をご一緒する相手、言いたくない相手なので?」 「えと」 「と、友達。学校の友達です」 「ウソ」 「ウソじゃないです何を根拠に」 「オリちゃんに学校の友達なんていないじゃない!」 「失礼すぎます!」 「……氷織さん?」 「ま、待って待って、本気で誤解しないでください。クラスの半分が友達なめるさんほどではないですけど、私もふつうに友達はいますから」 「ゴメン言葉が足りなかった。オリちゃん、甘いもので酔っちゃうことを隠してるから、お昼を外で食べれる友達がいないってことね」 「ああ」  このくらいの歳の子なら、お昼を食べれば自然とデザートも、となるだろうから都合が悪いらしい。 「安心しました」 「……クロウさん、私に友達がいない説を当たり前のように信じましたね」 「そ、そんなことは」  めるさんに比べて少なそうではあるなとは思ったが。 「失礼なクロウさんです。失礼な人にはもう何も話すことはないです」  ぷーっと頬を膨らせて、背を向けてしまった。 「す、すいませんでした」 「無視します」 「帰り、5時くらいになりますので」  出かける準備をしていく。 「友達はいいとして、お昼ごはんは誰と?」 「失礼な人は無視ですつーん」 「ボクは別に変なかんちがいしてないよ」 「めるさんは週10回ペースで失礼ですっ」  行ってしまった。 「あうう」 「ボク、そんなに失礼なことしてないよね?」 「……」 「それはともかく、結局聞けませんでしたね、昨日めるさんが見たという男性のこと」 「たぶん今日会うってのも……その人だよね」 「秘密にしてることが1つでなければ」  隠し事はいくつかありそうではあるが、同居人にまで隠す人脈がそう多いとは思えない。 「ならば――」  ニンマリと笑うめるさん。  ……やめたほうが。 「行くよクロウ君、めるちゃん探偵団」 「はあ」 「大いなる謎を秘めたオリちゃんの神秘に迫るべく結成されためるちゃん探偵団。その行く手には数々の謎と冒険が待ち構えていた」 「我々は幾多の困難を乗り越えオリちゃんの謎に迫る」 「そしてついに辿り着いた秘境オリちゃんに待つものは!」 「ばぁーん! めるちゃん探偵団、乞うご期待!」 「どうクロウ君、盛り上がってきたでしょ」 「探偵団と言うか探検隊ですね」 「とりあえず会う相手があのおじさんかどうかだけ調べようよ」 「もしオリちゃんが怖い人に脅されてるとかだったら、困るでしょ? でしょ?」 「それは……確かに」  しかもそれを氷織さんが1人で抱え込もうとしているなら、こちらから無理やりでも介入したほうがいい。 「ほら行くよ。オリちゃんを見失っちゃう」 「は、はあ」  とりあえず様子を見るか。 「……」  歩幅の小さい氷織さんにはすぐ追いついた。 「いました幻の珍獣オリちゃん。我々探検隊はついに伝説の個体を発見したのです」 「ついに完全に探検隊になりましたね」  あと珍獣呼ばわりって……。週10回の失礼というのは本当のようだ。 「隠れて見守るよ。クロウ君でっかいから見つからないように」 「はい」  物陰に隠れる。 「……」(てくてく) (こそこそ) 「こうして見るとオリちゃんの後ろ姿って小さいねえ」 「ですね」  話していると物腰の柔らかさもあって大人っぽさが際立つが、こうして見ると完全に子供だ。 「……」(てくてく) 「歩くのもだいぶ遅いんだ。いつも学校行く時は私のペースについてくるのに」 「これからは合わせて差し上げて下さい」  動作がどれもハキハキしているめるさんとちがって、氷織さんは歩き方自体がおっとりしている。 「……」(てくてく) 「なんか……なんだろ。お嬢様っぽい」 「ですね」 「……」(てくてく) 「っ」(ずるっ!) 「すべった!?」 「――」(ぴたっ) 「あ、コケるのは回避」 「しっかりした方です」 「……」(きょろきょろ) 「周りめっちゃ気にしてる」 「誰かに見られていないか気にしているようですね」  見つからないようさらに隠れる。 「……」 「~」(きょろきょろ) 「そんなに気にしなくても」 「相当恥ずかしかったようですね」  プライドが高めなところは氷織さんの美徳だ。 「……」 「あれ、公園に来たね」 「昨日はどこで会っていたので?」 「カフェ……商店街の。こっちじゃないのに」 「今日はここで、ということでしょうか」 「……」 「はあ」 「!」 「……」  物憂げなため息。  ここまでやや緊張感のなかった自分たちも改めて事の重大さを痛感する。  この状況、冷静に見れば氷織さんは、これからの会合を物憂く思っている。  盗み見は気分がよくないが――、真剣に当たらねばならないようだ。  彼女にあんなため息をつかせた相手を許すことはできない。 「……」 (めるさんたちのせいで予定より1時間も早く出てきてしまいました) (1時間も潰さなくては。困りました) (クロウさんも常識があるようで、めるさんに言われるとすぐ押し切られてしまうし……。今後もこういうことが増えるかも) (憂鬱です) 「はあ」 「またため息」 「気になりますね」  誰だ。氷織さんにあんなため息をつかせているのは。  と。 「あら?」 「あ、どうも」 「どーも」 「あれ、意外な刺客」 「待ち合わせは彼女……ではないか」  どちらも『偶然』といった顔で、氷織さんのほうはぺこぺこ頭を下げている。 「なにしてるのこんなところで。ボーっとしてると風邪ひくわよ」 「はあ、そうですね」 「そちらは、わんちゃんのお散歩?」 「ええ」 「わんわんっ」 「きゃんきゃんっ」 「朝のうちはきゃらめるとすこんぶと大回りで回ったから、今度はこの子たち」 「この子たちは歩くより遊ぶのが好きだからこうして公園みたいな広い場所が好きなの」 「このあとはきなことついとろーねんしゅにってんの番ね。あの子たちは体力がないから小回りにしなくちゃ」 「しらたまはどうしようかしら。あの子はあまり外に出たがらないんだけど、たまには運動した方がいいって顔してるし」 「ふふっ、でもきなことしらたまは外に連れ出してビクビクしてるとこも逆に可愛いのよね~、Sな私」 (ほんと犬好きです) 「うん? なぁにその顔」 「撫でたいって顔ね?分かるわ~この子たちこんなに可愛いんだもの」 「いいわよ撫でてあげて。わんわんを愛でる時間は古今東西あらゆる生き物に平等に与えられた宝だわ」 「えと、じゃあ」 「わんわんっ」 「ど、どうも。初めまして」 「……」 「わうっ!」 「ひぅ!」 「吠えられた!?」 「気が立っていますね」  さすがに教育されており、噛みつくことはないが、 「う~~~っ!」 「あ、あの」 「あらら、嫌われてる」 「仕方ないわ、どーなつはやんちゃだから。でもこっちのばななは人懐こいわよ」 「……」 「えと、じゃ、じゃあ」 「どうも初めまして……」 「きゃんきゃん!」 「ひぅ」 「また吠えられた」 「怖がられていますね」  こっちは怯えて飼い主の影に隠れる。 「……」 「あらら~、珍しいわね、初対面とはいえばななが人を嫌がるなんて」 「たぶんあなた、わんわんに嫌われる星の下に生まれて来たのね」 「そんな星があるんですか」 「まあ運がなかったとあきらめなさい。わんわんを愛でられないなんて人生の99割損してるけど、別にそれで死ぬわけじゃないし」 「バァイ」 「……」 「向こうから寄ってきた上に勝手に宣告を受けました。もやもやします」 (でもよく考えると、小さいころから会う犬会う犬みんなに吠えられるような) 「……」 (いえ、私は犬っぽいめるさんには懐かれています) 「私にはめるさんがいます。めるさんに愛されてるから大丈夫です」 「えっ、な、なに。急に愛の告白されたよ」 「よかったですね」 「くぅ~、かっ飛んでいって抱きしめたいよ」 「それはそれでいいと思いますが、ここまで隠れてきたのだからこらえて下さい」 「む」  見ると氷織さんが誰かと話している。 「じゃーね氷織ちゃん」 「ご機嫌よう。また月曜日に」 「はい」  年の近い女の子2人。すぐに別れたようだが。 「あれは……?」 「ああ、オリちゃんの友達だよ。たまにうちに来て遊んでる」 「ほう」 「……」 「クロウ君、オリちゃんに友達がいるって知ってホッとしてるでしょ」 「さっきいるって口で聞いただけじゃ信用できなかったんだ」 「そんなことは」 「オリちゃんに言ってやろ~」 「……堪忍してください」  40分ほど潰したところで氷織さんは動きだした。 「なんだかオリちゃんの休日の過ごし方~1人編~みたくなってきたね」 「はっきりインドア派と分かりましたね」  家で潰すときはパズルなんかで普通に遊んでいるが、外に出た途端なにもしていない。 「……」 「でもここまでみたい」  む。 「昨日もこのカフェだったよ」  雪国とあってオープンテラスとはいかないが、一面ガラス張りで陽気をふんだんに取り込む、しゃれたカフェの一角。  ありがたいことに、外からでも様子を伺いやすい店の、しかも一番見やすい窓際の席に、氷織さんの姿があった。  男と2人。  男の方は……もう60を過ぎているだろう高齢。  背が低めで気づきにくいが、かなり歳がいっているのに背筋がピンと伸びているのが印象的だ。  向かいに座るのは氷織さん。  ふむ。 「ね、ね、怪しいでしょう」 「は……しかし」 「絶対悪者だよアレ。オリちゃん、こう、脅迫的な、そう言うの受けてるよ」 「……」  自分の見たところ……。 「お店はどうですか」 「は、はい。順調……です」 「それはよかった」 「経営に問題があるようならいつでも言ってくださいね」 「お金の相談ならいつでも受けられますから。ウッシシシシ」 「な!」 「あ、ありがとうございます」 「聞いたクロウ君! 聞いた今の?!」 「は、はあ」 「これってまさか人身バイバイ?赤い靴なの? ひいじいさんに連れられて行っちゃうの?」 「落ち着いてください」 「だって! 見てよあのオリちゃんの怯えた顔」 「……」  そこは、確かに気になるな。  氷織さんの顔色が優れない。確かに怯えているように見受けられる。  なぜだろう。あの男性は……。 「そろそろ時間ですか?」 「あ……はい、そろそろかと」 「個室をとってあります。行きましょう」 「は、はい」 「なー!」 「ま、マズいよクロウ君なにやらエッチな感じがするよ」 「ですから落ち着いてください」 「追いかけないと止めないと!そりゃフォルクロール、あんまり儲かってないけど、オリちゃんが犠牲になってのお金なんていらないよ」 「その心意気は素晴らしいですが、落ち着いて」 「なにしてるデス?」 「わあ!」 「ショコラさん」  知り合いが急に。 「クローさんのおっきな身体が見えたノデ。ナニ見てるノデスか?」 「え、えっとぉ」  誤魔化すべきかどうするべきか。慌てるめるさんを置いて、ショコラさんは我々の目線を追う。  氷織さんたちは帰り支度をしているところで、 「アレ?」 「なにか」 「コーリ……と、サンクブリッジ株式会社のカイチョーさん」 「2人知り合いだったデス?」 「え……」 「サンクブリッジ?」 「えと、よく知らないけどすごい大きな会社で」 「うちのラフィ・ヌーン本社の、筆頭株主デス」 「……」 「……」 「そ、そんなお金持ちだからってオリちゃんを売るわけにはいかないよ」 「オリちゃ……あれっ!? もういない!」  話している間に、席から2人の姿は消えていた。  慌ててカフェに入っていくめるさん。  だがしばらくして、 「あうう、いない」 「オリちゃーん! かんばーっく!」  見つからなかったらしい。走って行ってしまった。  うーむ。 「ドシタンデスかメル?」 「現時点では何も分かりません」  参ったな。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ただいま戻りました」 「オリちゃーん!」 「ひゃあ!」  帰った瞬間、抱きついていくめるさん。 「大丈夫ひどいことされてない? 怪我は? 痕とか」 「は、はい?」 「服を脱いで! 確かめるから早く!」 「いえ、あの」 「さあ脱いで! えっちなことされてないか見るから!さあさあ!」(ぐいぐい) 「ひゃああクロウさん助けて、えっちな人がいます」  なんとか服を守る氷織さん。 「おかえりなさい」 「今日はなにを?」 「朝に言った通りです。おそのさんとごはん食べて来ました」 「そのあとはもうじき赤ちゃんが生まれるので、おもちゃなんかを見て回ったりですね」 「抱っこの仕方を練習できる赤ちゃん人形があって試しにやらせてもらいました。ふふ、赤ちゃんって意外と重たいみたいでびっくりです」 「楽しい休日でしたね」 「はい」 「うそをつけ!」 「な、なにが?」 「ボクたち見たんだから!オリちゃんが怪しいおじさんとカフェで会ってるところ」 「!?み、見てたんですか!?」 「その後2人でしっぽり過ごすところまで全部見てたんだから!」 「落ち着いてください」  そんなところは見てない。 「しっぽりって……まあその、お迎えに来た車はすごく広くて、しばらくまったりしてましたけど」 「車を?」 「外の通りに用意してくれたんです」  商店街側には出てこなかったわけだ。 「その車でどこに行ったのさ!」 「ここですけど」 「正確にはお隣の村崎さんのお宅へ。診察を終えたおそのさんを迎えに」 「……はえ?」 「目の前を通ったので車に乗ってるのを見られたと思ったのですが……、カフェの方を見られたんですか」 「……ボク『たち』? クロウさんも?」 「あ、いえ」 「2人でお出かけでもしていたので?」 「……まさか、私の後をつけたんじゃ」 「い……あ、う」 「えと」 「……」 「めるさんが失礼なのは知っていましたが、クロウさんもそうでしたか」 「も、申し訳ありません」 「ごめんなさい」 「で、でもオリちゃんがこそこそするからってのもあるよ。あの人誰だったの?」 「え……と」 「あれは……その」  言いよどむ氷織さん。  ふむ。 「お父上、ですか?」 「え」 「はい!?」 「お父上ですよね」 「……分かっちゃいますか」  当たったらしい。 「ウソでしょあの顔で!?」 「めるさん……」 「それはさすがに失礼ですよ」 「どうしてわかったんですか?」 「昼のカフェ、あちらの御仁だけケーキを頼んでいました。氷織さんの甘いモノ嫌いを知っているなら、よほど親しい間柄でしょう」 「お話を聞くに裾野さんとも親しいご様子。お2人と親しいなら御親戚関係のどなたか」 「なにより、顔ですね」 「……」 「よく似ておいでですので」 「似てるとな?」 「クロウさん。私、父のことは嫌いではありませんが」 「60をすぎた男性と似てると言われると、さすがに微妙です」 「失敬」 「瞳の感じと言いますか。理知性を感じさせながらも深い優しさを感じさせる目元が、よく似ておいででした」 「……ですか」 「まあ、父も私もずる賢い性格はよく似ています」  皮肉っぽく笑う。 「ただそれで一つ疑問なのですが」 「なんですか?もう……なんでもこたえますよ」  あきらめた。という感じに言う。 「会っている間、氷織さんの表情が硬かった気がします。あれはなにか?」 「そうだ! オリちゃん怯えた顔してたよね!」  あれだけが気になる。  父親と会うのにあんな表情をするだろうか? 「あれは……その」 「なにか?」 「やっぱりお父さんでも悪い人なの?なんでも言って力になるよ!」 「自分もです。おっしゃってください」  ご家族なら仲良くしてほしいが、自分にとってはやはり氷織さんが第一。  もし彼女を怯えさせるような父親なら――。 「あれは、その」 「言った通りあのあとおそのさんを迎えに村崎さんの、この店の隣にくる予定だったじゃないですか」 「はい」 「お店にクロウさん……、異性がいるのを父に見られたらどう誤魔化そうかなと」 「ましてやその男性は身元も分からないうえ、いま一緒に住んでると聞いたら、父がどう出るか分からないなと思いまして」 「あ……」  なるほど。  自分のせいであの表情だったらしい。 「申し訳ありません」 「い、いえいえ」 「あのあとおもちゃ屋さんで遊んでいるとき、おそのさんがポロッとこぼしてしまいまして、店に男性従業員が入ったことは教えました」 「記憶喪失で身元が分からないことも話しましたが誠実でいい人だとちゃんと伝えましたので。父も納得していました」 「一緒に住んでることはまだですが……おいおい報せます」 「そ、それはどうも」  自分の存在の迷惑さを改めて思い出した。頭が痛くなる。 「にしても……ふぇええ、あれがオリちゃんのお父さん」 「顔怖いね」 「失礼です」 「今週のめるさんは失礼度数がいつもより振りきれてます」 「まあ顔のことはなんとも言いません」 「父、昔は名を知られたあくどい商人だったとかで。それが顔に出てしまった。とよく笑い話にしています」 「あくどい商人顔……確かに」 「あそうだ! ショコラから聞いたんだけど、あの人すごいお金持ちなんだって?!」 「え……ショコラさんまで見てたんですか。もう」 「……」  む。  一瞬、言葉を濁す氷織さん。  これまでも話したくなさそうな顔はしていたが、初めて明確に『迷い』が入った。 「そうですね。結構なお金持ちです」 「自他ともに認めるあくどい商人だったと聞きます。私が生まれる前なのでよく知らないですけど」 「ふーん」 「いちおう今は真っ当に働いてるそうです。儲けは考えず浮いたり沈んだり」 「私が生まれる前……あの日からは、真っ当に」 「あの日?」 「いえ」  口を閉ざす。  すべて話してくれるわけではない、か。 「……」 「ともあれ、心配は全て杞憂のようですよめるさん」 「んぅ……なら、うん」 「ふぅ」  良いところで話を区切れたとばかり小さく息をつく氷織さん。  秘密にしたいことがまだあるから、安心したのだろう。  いまの話を聞く限り、氷織さんに今日お父上と『会った』ことを隠す意図はない。  ではなぜ、出かける前に『会う』ことは隠したがったのか。  彼女主導で話すことは問題なくても、こちら主導で父上について『聞かれる』ことは避けたかったと考えるのが妥当だ。  なら避けるようアシストするべき。 「……」 「は~よかったぁ。もう、オリちゃんがお店のために変なことしてるんじゃって不安になったよ~」 「心配しすぎです」 「あはは」 「ほっとしたらお腹空いちゃったよ。クロウ君、ごはんにしよう」 「はい」  結局話はそこまでとなる。  自分的には気になる部分は残ったが――。 「……」 「お腹ぺこぺこ。オリちゃんが心配で今日はおやつ1回しか食べてないから」 「普通じゃないですか」  氷織さんは知られて欲しくなさそうだし、めるさんは気になっていない模様。  なら、黙るのが一番のはずだ。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ふぅ」 「……」 (知られなかったからよしとしますか) 「……」 (お、お父さんのことを友達に見られるって、なんだかモニュモニュします) 「……」 「クロウさんは……何か気付いたかも」 「危ないかな」 「……」 (いえ、クロウさんなら大丈夫でしょう。私が嫌がってると分かれば詮索はしてこないでしょうし) (万一知られても、秘密は守ってくれそう) 「……」 (いつの間にかクロウさんのこと信頼してますね私) (もともと悪い人だとは思ってませんけど) 「……」 「とにかく今日は疲れました。緊張したり驚いたり」 「あ」  ごそごそ。 (こんな日くらい、リラックスしてもいいですよね) (チョコレート、小さいのを2つまでなら……) 「はむ」 「……りらーっくす……」 「もう1粒。2粒までなら経験上大丈夫」 「あむ」 「まったり」 「……」 「……もう1粒くらい」 「いえ、これ以上は危険な気がします」 「我慢です。我慢」 「……」 「でももう1粒くらい……」  ――コツコツ 「っ!は、はーい」(がさごそ) 「オリちゃーん」 「はい?」 「お風呂わいてるよ。入ったら」 「なんか隠した?」 「いえ、べつに」 「お風呂、いただきますね」 「うんっ」 「なぜ付いてくるんでしょう」 「えへへ~」 「ンもう、今日だけですよ」 「やったぁ」 「でね、でね、その後はぁ」 「……もう」  ・・・・・ 「今日は蹴らないでくださいね」 「気をつけまぁす」 「……」 「今日、尾行したこと、怒ってる?」 「ちょっと怒ってます」 「ごめんなさい」 「心配だったんだよ怪我でもするんじゃって」 「痕をつけられるのが心配で後をつけた――。的な?」 「(無視)話さなかった私も悪いですけど」 「だよねー」 「オリちゃんがボクに隠し事なんてめったにないのに」 「……」 「私は結構隠してることありますよ」 「それもそっか。お父さんのことも今日初めて聞いたしね」 「正確には隠してるというか……、おじい様には言ってあるので、伝わってなかったというか」 「そういえばオリちゃんの昔のこととか聞いてなかったなあ」 「もう仲良しになっちゃったんだから、それでいいよね」 「……」 「めるさんのそう言うところ、さすがです」 「ふぇ?」 「いえ」 「私こそ謝らなくちゃですね。去年、お店の経営が苦しいとき、父に頼れば簡単になんとか出来たはずなんですけど」 「そうなんだ」 「でもいいよそんなの。洋菓子屋さんはお菓子で稼がなくちゃ」 「めるさんやおじい様ならそう仰ると思って黙っていました」 「クロウさんが来てくれて本当に良かったです」 「ふふっ、だね」 「にしてもオリちゃんのお父さんにはびっくりしたなー」 「似てないよね」 「似てると言われるよりはそっちがいいです」 「オリちゃんってお母さん似?」 「と、聞かされます。母は元女優だったので、子供のころから似てると言われて悪い気はしませんでした」 「ただ私が生まれたのは引退から20年後で、母は女優時代より体重が70キロ増えていたので見た感じで似てるかはよくわかりません」 「なんかオリちゃんの家族って面白いね」 「詳しく聞きたいですか?」 「んー?」 「……」 「話したくない?」 「……難しいですね」 「兄が7人姉が4人いるので、話すだけで一晩かかります」 「あはは、そっちの難しいか」 「いいよ、今度ヒマなときにでも話して。そんなに焦って知りたいわけじゃないから」 「ボクにはオリちゃんがいてくれれば充分」 「……はい」 「……」 「……」 「ねーオリちゃん」 「はい?」 「ボク、やっぱり失礼?」 「尾行については問答無用で失礼ですね」 「やっぱりかあ」 「気をつけないとなーボク。あんまり失礼だとオリちゃんに嫌われちゃう」 「ん……」 「せめて週10回ペースを3回に。難しいかな、半分にしないと」 「……」 「気にしなくていいですよ」 「ふぇ?」 「確かにめるさんは、週10回ペースで失礼ですけど」 「私が週9回失礼なことを言う相手は、めるさん以外いません」 「オリちゃん……」 「……」 「……」 「どういう意味?」 「寝てください」  ・・・・・ (隠し事……って、辛いですね) (でも) 「すぴー」 「……」 (隠し事してても、変わらず接してくれる人がいる) (私は運がいいです)  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「はあ……」 「おはようございます。お疲れですね」 「めるさんにやられました」 「またお尻に?」 「いえ、今度はお腹」 「顔の上でぴちっと『亀』の体勢になって、呼吸器を的確に潰されました」 「大変でしたね」 「ぼんやりと川を渡った気がするんですけど……、私、透けてませんか?」 「大丈夫ですよ」 (逃れようと暴れておっぱいに顔がいったのが失敗でした) (めるさんの胸は凶暴です) 「おっはよーぅ!」  本日は日曜日。週で一番忙しい日となる。  準備も大忙しだ。 「さっさ、さっさ」 「完璧です」  掃除等をお2人が手伝ってくれるのが幸いだった。 「んーむ……」 「おはようございますクロウさん」 「なにかお悩み事ですか?」 「おはようございます。実は……ですね」 「新作のチョコレートケーキが、なかなか形にはなってきたのですが、店に置いてよいものか迷ってしまって」 「あら」 「決して悪くはない出来だとは思うのですが……」  現在店に出しているものは、基本的に以前からフォルクロールで出しているものばかり。  めるさんに曰く『おじいちゃんにも負けないよ!』との評価を得たもののみを出している。  だが今回試しているチョコレートケーキは、自分が一から仕上げている。  比較対象がないので、どのくらいのレベルなのか計りかねるのだ。 「やはり病院へ行って御仁に試していただくのが一番か。いや中途半端なものを見せるのは……うーん」 「クス」 「クロウさんもすっかりパティシエの顔ですね」 「ですかね」 「小町はとてもいいことだと思います」 「だからこそ悩みます。どうしたものか」 「味を試すだけならいつでも協力しますよ」 「え、よろしいのですか?」 「どうして?」 「先日、味試しついでに作りすぎた分の処理を頼んだとき、3ホール分食べたところで二度とケーキは食べないと仰っていましたので」 「そんなことありましたっけ」 「体重計が~体重計が~と泣いて帰っていかれました」 「タイ・ジュウケイ? 知らない人ですね」 「オハヨゴザイマス」 「おはようございます」  平日も半分は。日曜はほぼ毎回来る常連さんが。 「おはよう。開店は……まだなのか」  こちらはやや珍しい方と同伴でやって来た。  開店はまだだが、寒い中を待たせるのもなんだ。入ってもらう。 「お手伝いすることありマス?」 「いえ、だいたい終わっているので、寛いでお待ちください」 「……」(びくびく) 「あ、そのテーブルまだ拭いてないので、隣に移って下さい」 「わあ! す、すいません」 「……なにか?」 「お兄ちゃんはお客として来た時は自信満々デスが、それ以外の状況だと大抵ビクビクなのデス」 「一種の内弁慶なんだね」 「う、うるさいな」 「開店前のお店っていいわね。いつもより小麦の香りが強い気がするわ」 「あれ、小町ちゃん来たんだ」 「いけなかったかしら」 「うちはいいんだけど……小町ちゃんはいいの?ついこの前体重計が~ってもう来ない発言してたのに」 「記憶にないわね」 「つい一昨日だよ」 「記憶がないわね」 「みなさん、お湯が沸きました。ケーキはまだですけど、飲み物はリクエストがあれば」 「ティーでお願いしマス」 「僕はコーヒーの気分かな」 「紅茶とコーヒーってどちらがカロリー低いかしら」 「その後入れるミルクと砂糖次第じゃない?」 「あ、ボク紅茶ね」 「分かりました。……めるさん当然のようにお客さんに混ざりましたね」  自分が切り分けたケーキを並べる間、氷織さんがお茶を用意していく。  紅茶の方は慣れた手つきでブレンドし、 「コーヒー、ご希望の銘柄とかは」 「おすすめのもので結構」 「小町もそれでお願いします」 「ではブレンドですね」  数種の缶を開けて、中身の豆を計りだした。  計量が済んだら、種類ごとに分けて焙煎機へ。こちらは自動だが、時間を分けて火をいれていく。 「この店はケーキはもちろんだが、飲み物にもなかなかこだわりがあるんだな」 「昔はブレンドだけ他から買ってたんだけど。オリちゃんがこだわるんだよねー」 「おじい様に許可をいただきました」 「ケーキ作りでは役に立てない分、なにか私にも出来ることはないかと」 「コーリはマジメデス」 「料理人には重要な才能だ。ショコラ、見習いなさい」 「めるちゃんより向いてるかも」 「むむ。でもオリちゃん不器用だよ」 「まあ慣れてくれば大丈夫になるけどね。お茶を淹れるのでポカしたことはあんまないし」 「料理は生真面目さに付随しますからね」 「あ、氷織さん、自分にもコーヒーお願いします」 「とうとう私以外全員そっちに」 「自分も用意終わりましたので」 「はいはい」  自分と、氷織さん用。カップを2つ増やす。  焙煎し終わった豆を一まとめにして、愛用のスライサーへ。彼女の非力でも挽きやすい品だ。  ――がーりがーりがーりがーり。  ゆっくり、時間をかけて挽いていき、出来た粉をフィルターに移すと、  ――とぽぽぽぽぽ。  紅茶の分と合わせて、計6つのカップ分、お湯を落としていく。 「わあ」 「ふむ」 「あは」  コーヒーと紅茶。  両方同時に香りが沸いても、それぞれ反発することはなく。店内を心地良い香りで包んだ。 「いい香り。小町、甘い香りの次にこの香りが好きです」 「う~」 「やっぱ我慢できない。みんなケーキ選んで、一緒に食べよ」 「いいのか、開店までまだ時間があるが」 「いいの店長権限。いいよねクロウ君」 「よくはないと思いますが」 「この香りに抗うのは難しいですね」  良いお茶は良いお菓子と。洋菓子屋にとっては摂理である。 「用意してまいります」  それぞれから注文を受けて、ケーキを用意しに向かった。 「もう。めるさんったら」 「まあ良いのではないでしょうか。せっかくの日曜です」 「ですね。開店時間までにパパッと済ませましょう」  氷織さんがお茶の用意を終えるまでに、全員分のケーキを用意した。  ショート、チーズ、ミルフィーユ。それぞれに注文のものを回し、 「どうぞ」 「あ……」 「どうも」  自分の分の紅茶を置いた氷織さんの席には、ビターチョコレートケーキ。  このケーキ、彼女の味覚に合わせて作られている。  甘い物の苦手な彼女がぎりぎり食べられる甘さに。 「……クス」 「ふふふ」 「なにか?」 「イエ」 「いただこうか」 「いただきまーっす」  開店まであと20分強。  せっかく大人数で集まったことだし、ちょっと早いお茶会に。 「いただきます」 「はむ」 「今日のはいかがです?」 「……」 「ちょっと苦みが強いかもしれません」 「調整が難しいですね」 「売る時は粉糖をかけるのでちょうどいいかも……、いえ、それでもやはり苦味は抑えたほうがよさそうです」 「このままじゃ私好みすぎます」 「ですか」 「ふふっ」 「毎回オリちゃんの好みに寄せちゃって失敗するね、クロウ君」 「む……言われてみれば」 「気をつけたほうがいいかもです」 「私にはありがたいですけどね」  嬉しそうにケーキを口に運ぶ彼女。  パティシエとしてはまだまだか。 「……~」 「……」  彼女の笑顔第一で作ってしまうの、直さないとな。 「……」 「クス」  時間は限られているので、のんびりした時間は早めに切り上げ。  小町さんやショコラさんを残して自分たちは準備にかかる。  さて、10時59分。 「クロウさん」 「はい?」 「……」 「ケーキありがとうございました」 「朝から素敵な時間でした」 「……いえ」  時計の針が11時を指す。  同時に店のドアが開いた。 「いらっしゃいませ」 「「ようこそフォルクロールへ」」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「感染症の心配はなし……」 「どっか痛いとこあるかい」 「いつものとこがジンジンするくらい。大丈夫そう」 「ならばよし」 「順調だね」 「ほ……」 「だからって無茶すんじゃないよ。アンタいっつも物事が上手く行きかけたときに限って横着するんだから」 「熱い風呂は避けること。酒、たばこは禁止。カフェインも避けること」 「全部守ってます」 「全部好きなのが辛いところだよ」 「酒とたばこのやりすぎは赤子関係なく注意した方がいいけどね」 「あとまだ逆子が続いてるから、前に言っておいた体操も続けること」 「ん……あの体操、腹が痛くなるんだけど」 「そうかい?骨盤の位置が悪いのかね、なら無理しない方がいいけど」 「……」 「だ、大丈夫かね」 「うん?」 「ちゃんと生まれてくるかね……」 「ま、前の子みたいに、その」 「ああ、逆子じゃ流産の心配はないよ。安心しな」 「……本当に?」 「大丈夫だって。まだ時間はあるんだし、ゆっくり直せばいい」 「この後に及んで流産はほぼないから安心しな。ママが大事にしてあげてればね」 「逆に前回みたいな早期流産は、ママがどんなに大事にしてもどうしようもないことなんだ。いつまでも気にやむこたないよ」 「……」 「だから赤ん坊自体は問題なし」 「残る心配は……そうさね」 「ん……」 「……」 「可愛い赤ん坊に母親のナマイキが遺伝しないかってことと」 「言ってろ」 「あとは……」 「元気がよすぎる、ってことかな」 「ん……? どういうこと?」 「あたしもせいぜい200くらいしかとりあげてないからはっきりしたことは言えないけど」 「9か月とは思えない元気の良さなんだよねえ」 「もう明日にでも飛び出て来ちまいそうだ」 「それって……、つまり、早産?」 「ああ。もちろんもう育ちきってるから赤ん坊には心配ないけど」 「あちゃあ……」 「旦那の出張、ずらせないのかい」 「今からじゃ難しいねえ。もともと出産予定にどっかぶりだったのを、無理言って前倒ししてもらっての今週来週だから」 「はあ、ま、パパにゃ産声はあきらめてもらうかな」 「そうなるかもさね。なに気にすんな、男なんざ産みの苦しみが分かってないから誕生の瞬間にゃこだわらないよ」 「経験あり?」 「うちの宿六は小町が生まれた瞬間、うとうと船こいでたよ」 「ふふっ、そうかい」 「……」 「いつでもいいから産まれておいで。元気に生まれて来てさえくれりゃ、パパもママも文句言わないし」 「可愛らしいお義姉ちゃんも待ってるよ」  っ。 「お、蹴った」 「ふふ」 「っ」 「どうかされましたか」 「いま、誰かに呼ばれたような」 「?」 「……」 「なんでもないです」 「店員サーン、ケーキおかわりお願いしマース」 「こっちもお願いできるかしら」 「こちらはお茶だけ」 「はい」 「ついでにマカロンおねがーい」 「仕事してください」  ・・・・・ 「……寒いですね」 「今日はやけに冷えますね」 「んぅ」 「天気は……だいぶよさそうなのに」 「この分だと放射冷却も心配です。夜は目いっぱい温かくして寝てくださいね」 「はい。クロウさんも」 「~♪」  玄関の札を『Closed』に架け替えて、店の前の照明を落とすめるさん。 「つめたっ」 「ドーシマシタ?」 「ドアの枠がキンキンに冷えてた。う~なにこれ」 「外めっちゃ寒いよ」 「Wao……ほんとに、息吸うと歯がひやってしマス」 「ショコラさん、今夜も泊まっていかれては?」 「お願いしてイーデス?」  この寒さのなか帰らせるのは酷だ。 「にしてもすごい寒さ」 「雪は降ってないのに、不思議デス」 「ああこの街はよくあるよこういうの」 「山からの風、フェーン現象でしょうか。この街は、この地方にしては比較的暖かいことが多いのですが」 「正確には、比較的暖かい場所に街を作ったのでしょうね」 「たまに暖気の隙間をぬって、本来の寒気が一気に来るんです」 「Oh……」 「……どゆこと?」 「ようするに、すごーく寒い日がたまにあるってこと」 「ナルホド」  解説の意味があったかはともかく納得した様子。 「……」 「妖精さんの夜もこんな日に起きるんだよね」 「ん……」 「ね、ね、ちょっと公園まで行ってみよっか。今日も妖精さんが来てるかも」 「この寒さではやめたほうが……」  言ったが聞かず、1人飛び出してしまうめるさんに他3人も続いた。 「~♪」 「ないね」 「そうそう都合よくは無理ですよ」 「mn……残念デス、見たかったのに」  この辺りでは一番見やすいらしい。公園に来ては見たものの、  目当ての現象は、今日は不発のようだった。  まあこんな日もあるだろう。 「一度見てみたいデス。私、見たことがナイので」 「んえ、ショコラ、そうなん?」 「メルは見たことありマス?」 「もちろん、この街に住んでるんだもん。毎年『妖精さんの日』が来るたびに見てるよ」 「といっても夜中に外で遊んでると叱られるからこの公園まで来て、満天の空に、ってのは今年あらため去年が初めてだったけど」 「でも家の窓からちらっと、くらいなら毎年」 「ふええ」 「そっか、ショコラさんが来たの、妖精の日の後ですね」 「チョード見られなかったデス。残念」 「気象条件がよければ妖精の日以外にも起きるはずなんだけどなあ」 「やっぱ降らせてる妖精さんが空から落っこちたからいま人手不足なのかな?」 「?」  なぜかこちらを見てニヤニヤするめるさん。 「あーあ……」 「自分も、記憶にある限りはないので一度は見てみたいですね」 「……」 「そう、ですか」  ?  なぜか苦々しい顔を見せる氷織さん。  だがすぐにいつもの淡々とした表情に戻り、 「この天気、しばらく続きそうなので明日か明後日にはまたチャンスありますよ」 「ソーデスカ?」 「そだね。ほとんど偶然な産物なんだから、見る回数を上げれば見られる確率もそのままあがるよ」 「じゃあいつかは見られるわけデスネ」 「そゆこと」 「わはっ、楽しみデス」 「お空には帰らないままで頼むよークロウ君」  肘でつんつんしてくる。  めるさんの言うことはよく分からないが……。  妖精の夜――ダイヤモンドダスト現象。  見られるなら、自分も楽しみではある。  明日か明後日。期待しておくか。 「……」  ・・・・・ 「む……」  目が覚める。  いつもとちがう寝起き。  そうか。昨夜はショコラさんが泊まって……か。  ちょうど朝日の出始めた時間で外がまぶしい。  ……眩しすぎるな。  昨日はよっぽど寒かったようで、窓ガラスがガチガチに凍り付いていた。  氷が朝日を乱反射して眩い。  この天気で気温があがらないのだから、つくづく不思議な土地にあるものだ。 「……」 「あ」  しまった。  そのままいつも通り厨房で準備を始めようとして、気付く。  着替えがない。  そうだ、厨房用のエプロン服は自室だ。  いつもショコラさんが来る日は外に出していたのだが。油断してしまった。  うーむ。  まあこの場合、仕方あるまい。3人には迷惑をかけるが、店のことが最優先だ。  起こすのを覚悟で取りに行こう。 「おはようございます」 「すぴー」 「くぴー」 「すー」  3人ともぐっすりだった。  ショコラさんが来られた日は、3人がこの部屋で集まって雑魚寝というのが習慣になっているが。  そう言う日は3人とも、やはり夜更かししているらしい。いつも寝が深い気がする。  起こさないなら起こさないまま……。よっと、  着替えを取る。  さて、では邪魔しない内に……、 「すー」  ――がしっ。 「……」 「ぴー」 「めるさん?」  足首にずっしり重みが。  見るとまん丸く縮こまっためるさんが、自分の足を巻きこむように抱きついていた。  ふむ。 「めるさん、放していただけると助かります」 「すややー」 「……」  参ったな。  抜けられそうにないし、起こすしかないのだが、こうまでぐっすりだと悪い気がする。  どうしたものか……。 「すぴー……」 「がぶっ!」 「!?」  そういえば以前氷織さんが言っていた。 「めるさんの寝相の悪さはもはや凶器です」 「今日もお尻に歯型をつけられました」  なるほどなるほどこういうことか。  落ち着けクロウ、落ち着くのだ。こういうときは平静さを欠くことそのものが失態と知れ。 「んぅ~」(ごじごじ)  痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。  スネに。人体急所に的確に牙を突きたててくる。  めるさんは犬っぽいとは思っていたが、まさかこんな攻撃力までケダモノのそれを宿していたとは。  だが落ち着け自分。めるさんは記憶のない自分を助けてくれた恩人ではないか。足の一本持って行かれるくらいなんだ。  ここで騒げば氷織さんやショコラさんにも迷惑がかかる。冷静に、冷静に。  冷静に――。 「う~」(ごりごり) 「硬くてまじゅい」(ぺっ) 「ふぇ? クロウ君?」 「お、おはようございます――」  起きた。助かった。  同時に噛まれていた足も解放され――。  ――カクン。 「!」  しまった。力が抜けた。  あ、足が……立ってられない。 「ひゃあ」 「アウチ!」  ・・・・・ 「コホン」 「……」 「も、申し訳ないです」 「部屋に入ってきた理由は分かりましたし、倒れ込んできた理由も足に同じ傷跡を持つもの同士、お察しします」 「今後ああいうときは、ノックで起こすようにしてください」 「は、はい」  朝から大失態だった。 「……」 「ショコラさんもすいませんでした」 「い、イエ私は、別に何もなかったので」 「そうそう、ショコラは別にぶつかってなかったよね」 「オリちゃんはおもっきし乗られてたけど。重くなかった?」 「重いと言うか、何事かと思いました」 「本当にもう、なんと申し開きしたら良いか」 「……///」 (んでなんでショコラのが顔赤いんだろ) (寝顔見られちゃいマシタ。よだれとか出てないカナ) 「コホン。と、とにかく」 「学校の準備しましょう。いつもより遅めです」 「そうですね。自分もケーキを作り始めなくては」  遅れ気味だ。  3人、それぞれの作業にかかり。 「……」 「わ、わたし、一度帰りマスね」  いつもならショコラさんは自分を手伝ってくれるのだが、今朝は気まずいせいか逃げるようにいなくなってしまった。  仕方あるまい。今度また謝ろう。  あっという間に2人の登校時間になる。 「じゃ、行ってきます」 「行ってらっしゃいませ」 「行ってきます」 「あ、そうだクロウさん、めるさんも。私今日はまた帰りが遅くなります」 「またおそのさん?」 「はい」 「あと……」 「?」 「なんでも。じゃあ行ってきます」 「行ってきまーす」  2人を見送り、  ケーキ作りもひと段落のところで朝の掃除を。 「……」  寒い。  晴れてはいるのだが、風もあってとくに寒い。  やれやれ……。 「おはようございまー」 「せん」 「小町さん?」 「す、すいません、あまりの寒さに心が折れました」 「今日はとくに、ですからね」  日は出ているのだが、暖かくなるにはまだ時間がかかりそうだ。 「ううう、寒いです」  寒そうな服着てるから。 「自分が村崎さんの家の前まで掃除しておきましょうか」 「いいんですか!?」 「い、いえダメ。ダメですクロウさん甘やかしては。小町は一度甘やかすとダメになる女と言われています」 「誰が言ってるんですか」 「わりと町中で有名です……めるちゃんたちには内緒にしてくださいねステキなお姉さんで通ってるので」 「とにかく、お掃除がんばりましょう」 「はい」  やや気温にこそ難はあれ、  とくになにか起こりそうにない一日だった。  騒動と呼べるなら、朝のひと悶着が一番なくらい。  ただ……ふむ。  地味にショコラさんを帰してしまったのが痛いな。  今日は注文のなかでも、『宅配』の依頼が入ってしまった。  平日は基本的に受けないことにしているのだが、時間は何時でもいいのでとのことなので受けた。  ひとりでは店を空けられない。ショコラさんに留守番を頼めればよかったのだが……。  届けに出れるのはめるさんが戻ってからになる。  ……出来れば昼の3時には届けたかったと思うのは、こちらのわがままだろうか。  まあお客人であるショコラさんを目当てにするのもおかしい。  夕方、めるさんが戻ってから走ろう。  ・・・・・ 「ただいまー。あーあオリちゃんがいないと帰り道って退屈」 「おかえりなさい。さっそくですがお店を任せられますでしょうか」 「ふぇ?」 「配達がありますので」 「う、うん分かった」  店番を交代する。  こちらはすでに作っておいた宅配分を抱えて、 「行ってまいります」 「はーい」 「また1人かあ。はーあ」 「あ、それとめるさん」 「うん?」 「はい、お茶です。おやつのケーキはお好きなものを」 「だからクロウ君すきー」  名残惜しがるめるさんを残して外へ。  めるさんは本当に1人を嫌うというか。退屈が苦手だ。  氷織さんが裾野さんで手いっぱいな最近はとくにその傾向が強い。  早めに帰ろうか。急ぎ気味に届け先へ。 「では、失礼します」 「モォ~、ありがとうねわざわざ届けてもらって。今日はどうしても外せなくて~」 「いえ。ご注文いただきありがとうございます」  用事はすぐに済む。  さて、帰ろう――。  と、 「じゃあ、無理しないでくださいね」 「はいはいはいはい。ったく、心配しすぎだよお母ちゃん」 「ですかね」  氷織さんの姿が。  ちょうど様子を見て、いま終わったところらしい。1人で裾野さんのお店から出るところだった。  一緒に帰るか。思い――。 「……」 「さてと」  む?  なぜか氷織さんは、店とは真逆の方向へ。  なんだ?  自然とあとをつけてしまう。  氷織さんはなぜか川端の道に入り、  そのまま町のはずれへ。 「……?」  この街は外れでも治安が悪いとかはないが――。  いつまでも追いかけていてもなんだ。声をかけるか。  思うのだが――。  あれ。氷織さん、妙に速足だぞ。  急いでいるのだろうか? 「む……」  見失った。  雑踏に紛れてしまう。  えっと……。  ・・・・・  探しているうちに、ついに工場街まで抜けてしまった。  街を貫く有升川。その下流にある工場街は、思えば初めて入ったが、  意外と建物だけで、稼働もしていないものが多い。  まあ豊かでなく貧しくなくなこの街らしい光景ではある。  朽ちた工場街というとやはり治安が心配になるが、この時間と言うこともあってか訝しい気配はないし、  その向こう側は、完全に森に入る。  上流から見た限り、3キロ近く何もない森である。  大きなビルはひとつ建っているか。それ以外はなにもない。  そこまで行くとは思えないのだが……。 「……」  見失ってしまった。  いかん。完全に分からなくなった。 「うーん……」  まあ森の方へ行ったとも思えないし、  工場街を一通り探したら、一度店に戻るか。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「はふぅ」 「ちょっと遅れ気味ですね」 「遅くなるとめるさんたちが心配しますし、急がないと」  ・・・・・  まあ何か裾野さんに言われたとかで用事があるのだろう。  あまり詮索してほしくないだろうし、それよりめるさんが1人で退屈していそうだ。  帰ろう。 「ただいま戻りました」 「もぎゅもぎゅ~」  ほっぺをパンパンにしためるさんが出迎える。 「もぎゅもぎゅもぎゅーん」  もう1人。  見ればショーケースの中。今日は決して売れ行きがよかったわけではないのだが、空になっている。 「あの、お茶のお菓子に……くらいは良いのですが。全部食べきってしまうのは」 「もぐもぐふんふん……ごっくん」 「もう閉店の時間だし、いいじゃない」 「んくん……ぷはあ。すいませんクロウさん、今日寒かったせいかお腹が空いて」 「まあもうお客様が来なければよいのですが」  閉店まであと5分。  大丈夫だと思いたいが――。  ――バタン。 「はあ、はあ、お母さんの誕生日にケーキをあげたいけどおこづかいを集めてたら遅くなっちゃったのだわ」 「すいません、ケーキ下さい」 「……」 「はうあ」 「あえ……? ケースのなかにもう……」 「ふ……ふぇ……」 「あ~……」 「えと……」 「……」 「こんなこともあろうかと、氷織さん用に1つだけ別に隠しておいて正解でした」 「あるの!?」 「はい」 「く、クロウ君の万能さには助けられるよ」  日も暮れたころ、  店を閉めて、しばらく待っていると、 「こ、コンニチハ」  改めてショコラさんがやってきた。  今朝のことをまだ引きずっているらしく、微妙に自分から距離を取っている。  まあそれはいいとして、 「コーリは?」 「そういえば遅いね」 「……」  おかしい。  本来の用事である裾野さんの家を出たところを見て、すでに2時間近くたっている。  裾野さんから用事を言われたにしても、遅すぎる気が……。  と、 「はいもしもしフォルクロールです。本日の営業は終了しました」 「もしもし、その声は、デカい兄ちゃんかい」 「裾野さん」  いま考えていた方からだった。 「ちょっとチビ助に変わってくれるかい。あの子、髪留めを1つ忘れていってねえ」 「ん……」 「ああチビ助は2人いるか、氷織のほう」 「はあ」  それは分かる。  が、 「あの、氷織さんはまだ帰られていないのですが」 「はれ?おかしいね、ずいぶん前に帰したんだけど」 「どっかで道草でも食ってるのかね。そんなタイプじゃないんだが……」 「……裾野さんが何か用事を頼んだとかでは?」 「ないよ」  血の気が引いた――。  ――その瞬間杞憂に終わったが。 「はふぅ、はふぅ、遅れました、ただいまです」 「おかえりーオリちゃん、遅かったね」 「オカエリデス」  ほ……。 「ちょうどいま帰ってきました。代わります」 「氷織さん。裾野さんからです」 「あ、はい」 「はあ、ふぅ」  やや息切れしながら氷織さんは、コートもそのままに電話を替わる。 「……」  コートにはいくらか雪がつき、ブーツには泥汚れが。  これは……、  公園や学校のグラウンドでよっぽど遊びまわった印象。  だが氷織さんはそういうタイプではないし、そんな時間もなかったはず。  ということは……。 「あ、その髪留めですか」 「はい、いくつもあるので明日はいいです。次行く時まで預かっておいてください」 「はい。おやすみなさい」  電話の要件は簡単なことだったようですぐに切る。 「ふう」 「いらっしゃいショコラさん。今日も?」 「ハイ、約束したノデ」 「そう。よかったです」 「今夜は……見られるかもしれません。妖精の夜が」 「What?」 「り、理由はありませんけどね。気象条件は合いますから」 「妖精さんの夜?」  昨日はいなかった人が話題に入ってくる。 「あらあら、もう時期は過ぎてなかったかしら」 「うん、先月終わっちゃった」 「でもねでもね。昨日はすっごい出そうな夜だったんだ。ほらあんなに寒かったのに晴れてたから」 「今日も来る気がしない? いい天気だよ」  空は雲一つない星空。  だが風が強く、上空はかなり空気が流れている。  上空で起きたダイヤモンドダスト。細かな結晶が降り注ぐ『妖精の夜』。  起こるなら、条件は今日も整っている。 「うーん、といってもそうそうあるものじゃないわ」 「え、でも、ある年は毎日のように来るんでしょ?おじいちゃんが言ってたよ」 「そうなの?」 「少なくとも小町は、生まれてから一度も見たことないわ。『妖精さんの日』以外に起きる『夜』は」 「え~……」 「も、もちろん絶対ないってわけじゃないのよ。起きそうな寒い日は外になんて出ないから、見逃してるだけかもしれないし」 「だよねだよね」  確率の低い虹かオーロラのような感覚だろう。 「とにかく待ちましょう。来るとしてもまだまだです」  まだ日の入りからほとんど経っていないので時間的には浅すぎる。  夕飯にしつつ、しばらく時間を置くことにした。 「わあ~、おこただあ~」 「そういえば小町さんがこちらに来られるのは」 「クロウさんが来てから2階までお邪魔するのは初ですね。たまに来るんですけど」 「学校で大事なテストがある前日なんかはよく泊まってもらいますね。主にめるさんの先生として」 「うぐう」 「私も分からないところがあると教えてもらえて助かります」 「うふふ、オリちゃんが勉強で分からなかったところって、この1年で何問あったかしら」 「その教えてもらった2問のおかげで前回のテストは100点がとれました」 「感謝です」 「いえいえ」  予想は出来ていたが、氷織さんは優等生さんのようだ。 「……」  そしてめるさんがすごく居心地悪そう。  何も聞かないでおこう。 「このおじい様のお部屋に入ったのは何年かぶりですねえ」 「おっこたっ♪ おっこたっ♪」 「おっこたっ♪ おっこたっ♪」  子供がいる。2人。  せっかくなのでそのまま5人、こたつで夕飯にする。 「ふはー」 「ゴチソーサマデシタ」 「ごちそうさまです」 「小町さん、料理が上手なのですね」 「ポトフ、美味しいです」 「小町はこれでもめるちゃんの先生ですよ」  珍しい人が用意してくれた夕飯は美味しく、 「そういえば、クロウさんてケーキはお得意ですけどお料理全般では」 「そうですね。できなくはないですが」 「朝やお昼はだいたい作ってくれるよ、サンドイッチとか、軽いものだけど」 「夕飯はだいたいボク。小町ちゃん直伝のポトフが火を噴くぜ」 「めるさんのポトフ……」 「食べたことないと思ったあなた、正解です」 「やーあれ、なんか失敗するんだよね、なんでだろ」 「でもそこから発展させてシチューにしたりリゾットにしたりいっそスープスパにしたり。どれも美味しいでしょ」 「はい」 「美味しいから文句も言いにくくて困ります」 「めるさんは夕飯の準備を。その間クロウさんが明日の仕込みを。というのがうちの閉店後のサイクルになっていますね」 「私には入れない空間なので良く知りませんが」 「氷織ちゃんは相変わらず不器用なんだ」 「……ノーコメント」 「ふふふ、ポトフくらい簡単よ、包丁もあまり使わないし」 「作りたくなったらいつでもいらっしゃい。教えてあげるから」 「はい」 「……あ、食器、片付けます」  ちょうどみんな食べ終わったところだった。  誰、という話もなかったが氷織さんが立候補し、自分も付き合って皿洗い当番に。  上では3人がまだ談笑している。 「クロウさんも上で休んでいていいですよ」 「いえ」  2人になりたかったところだ。ちょうどいい。  2人、並んで5人分の食器を洗っていく。 「……」 「……」  氷織さんは相変わらず口数少なで、厨房には皿を動かすかちゃかちゃという音だけが響く。  だが沈黙は決して寒々しいそれではなく、  不思議と温かさを感じるものだ。 「そういえば」  だから当たり前のように口を開いていた。  深く考えることもなく。 「先ほどはどこへ?」 「はい?」 「裾野さんのお宅を出てうちに帰るまでです2時間……ほどでしょうか」 「っ」 「お見かけしたのですが声をかける前に見失いまして」 「街はずれの方へ行った気がしましたが、あちらに何か?というか……」 「ブーツの汚れから行って、森へ入ったようでもありました」 「……」 「下流の森になにか――」 「やめてください!」 「っ」  驚いた。  こっちは完全にカップの油をぬぐうのに注力して、世間話の感覚で話していただけに、なおさら。 「……」 「えと……」 「す、すいません大きな声を出して」 「いえ」 「……」 「も、森へ行ったのは、ですね」 「……」  行ったのは確からしい。 『ブーツが汚れていたんだから行ったんじゃ』。程度の根拠なのだから、首を横にふればいいのに。  大人びているのに、嘘がつけない子供さが氷織さんらしかった。 「事情があるなら結構です」 「ただこの時期にあんな寒そうな所へ……。注意だけしていただければ」 「そう……ですか」  嘘が下手な子に話すよう迫るのは尋問だ。氷織さん相手にそんなことはしたくない。 「……」  こちらの意図が伝わったのか、氷織さんは止めかけた手をまた皿洗いに戻し、 「クロウさんが作って下さる、甘くないチョコレート。美味しいけど、食べるたびに思ってました」 「いつの間にか甘いものが苦手だと気付かれてて、いつの間にかチョコが好きだって知られてて、いつの間にか味の調整まで私にあってきて」 「いつか私のこと丸裸にされちゃうんじゃないかって」 「そんなことは」 「クロウさん、鋭いから」 「一緒に暮らしてるとどうしても……ですね」  気付いてしまうことはある。 「……」 「何度か言いましたよね。早く記憶を取り戻して元の生活に戻ってほしいって」 「いま、またそう思いました」 「すいません」  言うべきじゃなかったか。  見かけたことは偶然にしろ、最近の彼女は何か秘密を抱えているのは分かっていたのだ。  ならそれを尊重すべきだった。  厨房の静けさが聊か重たげなそれになる――。 「~♪」 「はふぅ、食後におこたで一息ってのもいいわね」 「デスネー」 「あ、ていうか小町、片付け手伝わなくていいのかしら。のんびり座ってて」 「いっていって、オリちゃんとクロウ君がやってくれるよ」 「わたしもお手伝いしたことナイデス」 「ならいいけど」 「あの2人も気になるわ。クロウさんとオリちゃん、2人で大丈夫?」 「どっちも物静かだから、仲良くやれてるかしら」 「んー?」 「……」 「ダイジョブデスヨ」 「あの2人、はたから見るよりはずっと仲良しだよ」 「……」 「……」  気まずい沈黙は――。 「氷織さんが自分をうとましく感じる気持ちは分かります。自分も出来れば記憶は早く戻って欲しいと思いますが――」 「え?」 「?」 「あ、ちがいますちがいます」 「はい?」  ――幸いにも一瞬のこと。 「うとましいとかそういう事じゃなくてですね、あの」 「……」 「か、家族のこと、なんです。今日森に行ったのは」 「あ……そうなのですか」  あちらの絡みらしい。 「クロウさんにもきっとご家族がいると思うんです。それで」 「ここでこうしてる間、そのご家族のかたは寂しがってるんじゃないかって」 「ん……」  言われてみれば。  考えてもみなかった。 「でも困ったことに、こうして一緒に暮らしてるからか、クロウさん、もう私のこと、家族みたいに鋭く見抜くようになってて」 「これで記憶が戻って、いなくなってしまったら――。それは良いことのはずなのに、私にはすごく寂しいかも」 「いま、そう思いました」 「そう……ですか」  家族か。  自分にもいるんだろうかそんなものが?それすら分からない。  ただ、 「昔の自分がどんな人間だったかは分かりません」 「ただ記憶が戻っても、自分は今ここにいる恩を決して忘れません」 「お2人の前からいなくなりはしませんよ」 「……はい」  小さく笑う氷織さん。 「今日何をしてきたか、言えなくてごめんなさい」 「いえ」 「ただ危険にだけは気をつけてくださいね。何をするにしても」 「ん……」 「めるさんはもちろん、自分も心配します」 「家族ですから」 「……」 「はい」  一瞬、気まずくなるかと思ったが、  自分と氷織さんはすでに、そうした気まずくなりそうな空気を飛び越えられるくらい仲が出来ているようだった。  素直に嬉しい。 「オリちゃんクロウ君!」  びっくりした。 「どうしました急に」 「そっ、外! 外すごい!」 「はい?」 「うわあああ」  いつの間にか始まっていたらしい。  今日はやってきた『妖精の夜』が、空を満たしていた。 「きれい……」 「……デス」 「……」  特に初めて見るショコラさんの感動が大きそうだが、  圧巻の星空だった。  ダイヤモンドダスト自体は前に昼、起こっているのが見えたが、  夜空だとまるで意味合いがちがう。  真っ暗なスクリーンに、きらめきが無限大に映されている。  雪とはちがう。ここまで落ちてくることもなく消えてしまう、幻のように星空でまたたく煌めき。  昼に見たのも充分綺麗ではあったけれど、  こちらはもう……吸いこまれそうだった。 「あはっ、やっぱりねー、今日は来そうな気がしてたんだー」 「昨日もそんなこと言ってませんでしたか」 「はーっ」  ん、  ふと、上空にばかり目を奪われるメンバーの中、ひとりだけ俯いている氷織さんに気付いた。  両手をさすさすと擦り合わせている。 「寒いですか」 「寒いっていうか……冷たいです。水仕事のあとそのまま来たので。手袋も忘れたし」 「クロウさんは大丈夫ですか?」 「自分は体温が高いようです」 「そうですか。羨ましい」  しきりに両手をさすっている彼女――。  ――ぎゅっ。  その小さな手は、自分なら丸ごと包み込んでしまえる。 「あわ……」 「少しはましでしょうか」 「ん……」 「はい。温かいです」  よかった。  そのまましばらく握りしめて、温かくなるのを待つ。 「……」 「……」  両手はそのまま上空に目を戻した。 「今日……来てよかったですね」 「ん……」 「はい、そうですね」 「……」 「走ったかいがありました」 「……」 「……」 「……」 「……あは」  どれくらいの間そうしていただろうか。  細氷を呼ぶ天候とあって、上空はマイナス50°近く。それだけにこの公園も相当冷え込んでいるが――。  それでも眺め続けた。  妖精さんだったか。人の及ばぬ何かが呼んだ不思議な現象、不思議な夜。  それが――、  なぜ起こったかなんて、誰も気にとめないような。  それくらい幻想的な光景だった。 「……」  誰も。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ふぇくちっ」 「ふぇーたらいまー」 「寒かったデース」 「いま温かいミルクを」 「お願いします。私はお風呂をいれてきますね」  小町さんはそのまま家に戻り、いつもの3人で店へ。 「今日もヨロシクお願いシマス」 「はい」  ショコラさんは泊まることとなり、  4人、適度に暖をとっていると、 「……」 (うと……うと……) 「あ、オリちゃん眠そう」 「めずらしいデス」 「いつもはショコラが一番に眠そうにするのにね」 「い、言わないでくだサイ」 「すいません……なぜか今日はすごく……くあああ」  あくびを隠そうともしない。  氷織さんには珍しい横着さ。相当眠いのだろう。  ……2時間強も歩きまわっていたのだから当然か。 「少々早めですが寝ましょうか。明日も平日です、疲れを残さぬように」 「ハイ」  昨夜と同じく部屋を分ける。 「オリちゃん布団用意してー」 「はぁい」 「……」 「もう半分寝てマス」 「もうちょっと耐えてオリちゃん」 「むにゃむにゃ」 「……くすっ」 「カワイーデス」 「たまにこうして隙だらけだから可愛いんだよね、オリちゃんは」 「布団はボクたちが出そう。行くよショコラ」 「ハイ」 「……うに」 「……」 (今日は色んなことがありすぎて……もう、眠いです) (本当にいろんなことがあって……) 「……」 (知られちゃいましたね、あのこと) 「……」 「…………」 (まいっか) (クロウさんなら知られても、大丈夫ですよね) (クロウさんになら……)  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」  ぅ……。  目が覚める。 「……」 「うお」  瞬間、すさまじい冷気が肌を撫でて、慌てて布団に包まりなおした。  寒い。  昨夜から予想はしていたが、昨日よりさらに気温が落ちた気がする。  まさに布団から出るのが億劫な寒さだった。 「……」  いや?  気温は確かに低い。相当寒い。  だがそれ以上に、  布団のなかが温かいような……。 「んに?」 「……」  温かいはずだ。  温かいものが布団のなかに入っていた。 「……」 「おはようございます」 「……」 「クロウさん……またですか」 「ご、誤解です」 「あえ? でもここ、私の……」 「あ」  そこで頭が晴れて来たらしい。自分に渡した部屋で寝ていることに気付いた。 「す、すいません、あの、あれ? あの……」 「あ……そうださっき。といっても夜中ですけど。おトイレに行きたくなって。そのあと部屋が、その」 「いえ、はい。落ち着いてください」  寝ぼけた状態で、部屋を交換したことを忘れて戻ってしまったのだろう。  ただ。 「自分は床で寝ていますのに……」 「あう」  彼女用のベッドは小さくて使えないので自分は床に敷いた布団で寝ている。  いつもの習慣で戻ったなら、普通そのままベッドに入ると思うのだが……。 「……」 「……」 「よほど寝ぼけていたのですね」 「そ、そうですね」 「すいません……」  ・・・・・  ・・・・・ 「むにゃ」 「あう……さむい」 「……むに」 「んえ?」 「すー」 「くろうさん……」 「あそっか、部屋をまちがえて」 「……」 「くろうさん、あったかそう」 「……」 「……」 「ちょっとだけ……」(もぞ) 「あ……あったかい」 「あったかい……」  ・・・・・ 「おはよー諸君」 「おはようございます」 「……」 「オリちゃん、おはよっ」 「おはようございます」 「? 顔赤くない?」 「そんなことないです」 「ふーん……まいいけど」 「ショコラ起こしてくるね」 「お願いします」 「うんっ」 「っ、けほっ、けほっ」 「? 風邪ですか」 「いやいや、なんか喉が乾いてるみたいで」  いつもと変わらない様子で元気なめるさんに対し、 「……」(ちらちら) 「……」 「!」(ボッ!)  先ほどのことが響いている氷織さん。  まいったな。  前にショコラさんが同じようなことになったときは、こちらはあまり気にしていなかった。  一緒に暮らしているのだ。寝ぼけた顔を見てしまうくらいはそこそこ慣れっこであり、ショコラさんほど意識はしないはず。  だが今日は妙に反応が大きい。  なぜだ? 「……」 (ううう、私はなぜあんな寝ぼけ方を) 「……」 (思った通り温かかったけど) (すごく温かかったけど) 「おふぁよーゴザマスデス……」 「おはようございます」 「ふぁううう」  昨日の今日で眠そうな顔はありになったらしい。隙だらけなショコラさんが起きてきて、  そのままいつもの朝となった。  ・・・・・ 「今日、1日お休みデス」 「だから1日お手伝いできマス」 「さすがに悪いのですが」 「やりたいカラやらせてくだサイ」  お2人が学校へ行ったあとはショコラさんと2人になる。  日によって午前午後のまちまちな学校。今日は1日まるっと休みらしい。 「ではせめて好きなケーキでも……なにか食べたいものは?」 「mn……ソーデスネ」 「あ、ミルクレープ。わたしクローさんのミルクレープ食べてみたいデス」 「む……」  結構な難題が出た。  ミルクレープは、作業自体は単純ながら、単純ゆえに手間のかかる代物である。  クレープを焼いて、クリームを挟んで、オイルでふたして、焼いて、はさんで、焼いて、挟んでと繰り返さなければならない。  もともとフォルクロールでも出していなかったので避けていたが、 「あん……ムズカシーデスか?」 「いえ、良い機会です挑戦してみましょう」 「ただサポートはお願いしたいですね」 「ハイ♪」  そんなわけで2人で挑戦――。  結果は……。 「クローさんって絶対天才デス」 「正直、我ながら自信がつきました」  やれば出来るものだ。  これが『完成』と言いきれるかはともかくとして、ちゃんとそれなりの形に出来ている。 「さすがに今日商品にする自信はないですが」 「めるさんたちが帰ったら試してもらいましょう。ぜひ食べていただきたい」 「ハイ」  自分とショコラさんでいま4分の1食べたので、残る4分の3を冷蔵庫に入れておく。  帰ったら4人で食べよう。自分と氷織さんの分を少なめにすれば切り分けも容易い。 「ふふ、クローさん、会った頃はメルたちにずっと受け身デシタけど、だんだん変わってきた気がしマス」 「お恥ずかしながら、欲が出てきていますね」  もっと良いものを。良いケーキを作りたい。そんな欲が。  どんどんこの店のパティシエになってきている。 「ガトーショコラもオリジナルで作ってマスよね、そうだ、あっちドーなりマシタ?」 「ああ、チョコレートケーキですか」 「あちらはやはり、商品にするのは難しいようで。甘さが足りな過ぎるようです」 「えー、美味しくできてマシタのに」 「はい。ショコラさんにもご協力いただいておいて恐縮なのですが……」  色々と試行錯誤した結果、 「納得のいく味を得るためには普通より高価なカカオや粉糖を大量に使うため、原価だけでかなりしてしまうのです」 「ああ……」  作ったものを商品にしようとすると、他のケーキより2倍近い価格になる。 「ただ美味しいから作る。でなく、原価のことも考えねばパティシエとしてはまだまだなのでしょうね」 「……ベンキョーになりマス」 「時間をかけて長い目で、色々な材料を試していこうと思っています」 「もともと氷織さんのお口に合うよう作ったものですから、その目的は果たせたようですので」 「ん……」  味自体は上々なはずだ。  店の商品にはならなかったが、少なくとも氷織さんに、みんなでのティータイムを楽しんでいただける程度には。  この時点で最大の目的は果たせた。  と……。 「……」  ふと、なにかに気付いたよう言葉を区切るショコラさん。 「どうかしました?」 「いえ」  ふるふるっと首を横にふり、 「……」  一瞬、微笑んだままのその瞳に、寂しげなものが浮かんだ気がした。 「コーリも一緒にティータイムできマスね。わたしも嬉しいデス」 「はい」  気のせいか。  すぐにいつもの、太陽のような笑顔に戻る。  食べ終えたミルクレープの4分の3を冷蔵庫にいれ、 「こんにちはー」  ちょうどそこで開店時間になった。  ・・・・・ 「それでデスネ、昨日の『妖精の夜』は、金貨とダイヤの2つのお話があって」  ショコラさんと一緒に店をやると、助かる理由は2つある。  1つは可愛い店員さんがいるおかけで、お客様がぐっとリラックスできること。  自分1人でやっているときより、明らかに店内で食べて行かれるお客様が多い。  そしてもう1つは、そんな可愛い店員さんのおかげで、自分もリラックスできること。  ショコラさんはめるさんほどではないがおしゃべり好きだ。  お客のいないヒマな時間は、ずっとおしゃべりしていて、自分も退屈せずに済む。 「もともとは金貨の説が一般的だったのデス。妖精さんが空から金貨を降らせる夜だと」 「ところがいつからかダイヤを降らせる夜に変わった。なぜか」 「ダイヤモンドダストにかけたのでは?」 「にゅふふふふそう思いマスよね」 「でもわたしはここに『願いを叶えるダイヤの伝説』が絡んでくると思うのデス」 「ああ、以前もおっしゃっていた」 「YES。こちらはこちらで妖精の夜とは関係なしにあるお話デス」 「そして面白いことに、この2つのお話が混ざり合ったのは約25年前らしいのデス」 「この25年前というのがデスネ」 「ただいまー」 「た、ただいま戻りました」 「ああ、おかえりなさい」  ちょうどそこでお2人が帰る。 「っ」 「?」 「えと」 「しゅ、宿題がありますので」  2階へあがってしまった。  まだ店を開けている時間なのに宿題。  そんなにたくさん出たのだろうか。  まあ接客は困っていないし、なにも言わずにおこう。それより、 「……」 「おかえりなさいめるさん」 「本日のおやつ、お茶はどうなさいますか。紅茶か、コーヒーか」 「シナモンローストのブラックがおすすめデス。軽めの香りが甘さによく合いマスネ」  2人、早くミルクレープを紹介したくてウキウキだった。 「えっと……」 「……」  が。 「うん、今日はいいや」  おや? 「お昼ごはん食べすぎたみたい。えと、ごめんね」  その日に限ってめるさんは乗ってこなかった。  その時点で、  めるさんがおやつを食べない。という異常さに気付くべきだったのだが――。  閉店時間になり店じまいすることに。 「……」 「今日は曇っちゃってるね」 「残念デス」  今晩は『妖精の夜』には適さないようだ。 「ショコラ、今日は泊まってく?」 「えと、お兄ちゃんが今日は帰るようにト」  ショコラさんのお泊りもなく、 「あ、でもお夕飯だけお邪魔していーデス?」 「その後のデザートタイムまで」  ニンマリ笑って食い下がる。  何とかミルクレープの感想は見たいらしい。  同感だ。 「いいよー、いま用意するね」  今日の夕飯もめるさんの手作りとなる。  のだが。 「……」 「めるさん、先ほどからずっと煙が……」 「めるさん?」 「ふぇっ?」 「ごめんなさいです」 「めるさんがお料理でミスするなんて……」 「それ自体は全然珍しくないですけど、食べられなくなるまで焦がすなんて珍しいですね」 「あはは、ちょっとぼーっとしちゃって」 「簡単なもので申し訳ないですが、サンドイッチにしました」 「あとはシンプルにコンソメ味のクリームシチュー。味は悪くないハズデス」  手っ取り早く、無難なものが並ぶ。 「ごめんみんな」 「たまにはコユコトもありマス」 「それに……にゅふふ、夕飯が軽めに済むのは逆にいいかもデス」 「なにが?」 「イエイエなんでも」  にんまりしているショコラさんも並んで、昨日より1人減った4人、夕飯にする。 「はむはむ」 「うん、美味しいね」  その時点でもまだ自分たちは気付かなかった。  こちらの注意力にも問題はあるだろうが、それ以上にめるさんが、擬態が上手すぎる。  いつでも元気が板につきすぎていた。 「……はむ、ぁむ」 「あむ……」 「……」 「めるさん?」  サンドイッチを食べる手が止まる。 「ごめん、なんか、食欲ない」 「というか……あう」 「……うう」  パンを置いて、そのまま小さく丸まってしまう。  それでようやく自分も、彼女の額に手をやった。  ・・・・・ 「……」 「ショコラ、迎えに来たぞ」 「お兄ちゃん、アリガトデス」 「はあ……」 「古倉さんのほうが風邪だって?」 「全然気づきませんデシタ」 「仕方ないさ。いつも元気が板についてる子だろう」 「本人もソー言ってマス」 「風邪ひいたの……何年ぶりかな」 「申し訳ありません、もっと早く気づいていれば」 「……」  移すといけなのでショコラさんには帰ってもらい、めるさんを寝かす準備をする。 「はう……」 「布団を戻すのにほこりが散りそうなので、このままこの部屋でお休みください」 「どうぞ」 「んぅ~」  防寒にかぶせておいたコートを脱ぎ、布団のなかに潜り込む彼女。 「解熱剤のようなものは」 「ありません。明日の朝買ってきます」 「困りましたね」  これから熱が出てくる時間だ。出来れば和らげてあげたいのだが。 「とりあえずショウガがあったのでジンジャーシロップでも。あとは何か食べたほうがいいか、果物を甘く漬ければめるさんなら食べるかな」  用意しよう。厨房に向かう――。  ――ぎゅっ。  ん。 「……」 「どうしました?」 「あの、めるさんは、あの」 「……」 「そんなに心配せずとも、見た限りただの風邪です」 「明日村崎先生にお願いしましょう。大丈夫ですから」 「は、はい」 「……すいません。めるさんが風邪なんて初めてで。私、どうしたらいいか」 「いつもの元気さを見ていると、風邪をひくイメージがわきませんからね」  動揺もあって、必要以上に心配している。 「とにかく落ち着きましょう。いまめるさんにとって一番よくないのは、我々が焦ることです」 「……はい」  めるさんが体調不良。  地味に……フォルクロールにやってきてから、最もこたえる状況かもしれない。  自分がしっかりしなくては。 「今日は学校はお休みしてもらいます」 「小学校から皆勤賞だったのになー」 「仕方ありません」 「それで本日は、店も休みにして1日自分が看病をする――」 「わあ」 「つもりだったのですが」 「代わりに看病してくださる方がお越しくださいました」 「ばっかもーーーん!」 「わあー!」 「小町もいるわ。なんでも言ってねめるちゃん」 「村崎先生に診ていただくよう連絡したら飛んできてくださいました」 「こここ小町ちゃんはいいけど、どうしてばあちゃんまで」 「めるちゃんのこと聞いたらついてくるって聞かなくて」 「おばあちゃん、めるちゃんが可愛くて仕方ないのよ」 「風邪をひくなんて野菜が足りてないんだよ。今日はぎょーさん持ってきたからね」 「ひえええ」 「というわけでまずは!」 「な、なに」 「すりおろしたリンゴを温めつつハチミツと混ぜてとろとろにしたのだよ。風邪ひいた喉にはこれが一番」 「あ、美味しそう」  さて、自分は店の準備にかかろう。  と――、 「……」  氷織さんが心配そうに見ていた。 「め、めるさん、どうなってますか」 「熱は下がりませんが、お元気そうです。たぶん大丈夫でしょう」  本格的な診察は昼からだが、見た感じすぐ治りそうだ。 「……」 「いまは起きてらっしゃいますから顔がみたいならどうぞ。ただ、あまり長居は」 「は、はい」 「いやああああおばあちゃん! おばあちゃんなにこの汁!」 「ニンニクとショウガを煎じた塗り薬だよ。これを鼻の下に塗れば風邪なんてすーぐ治っちまう」 「くさいよ!いやくさいっていうか、いたたたピリピリする!ピリピリ痛い!」 「これから2時間置きに塗りに来るからね。イ~~ッヒッヒッヒ風邪なんて3秒で消し飛ばしてやるよ」 「こ、小町ちゃん怖い」 「うふふ、おばあちゃんは昔話の魔女みたいなところあるから」 「オリ子はどこだい。あの子も風邪ひいたら大変だ、予防のためにたぁっぷり塗ってあげないと」 「……」 「あとにします」 「賢明です」 「それより氷織さん。氷織さんは」 「はい」  彼女は学校がある。 「行ってきます」 「いってらっしゃい」 「……」 「1人で登校、なんだか落ち着かないです」 「でしょうね。まあ、今日は我慢です」 「はい」  苦笑する彼女を見送り、  ・・・・・  その後、  おばあ様は八百屋があるので一時帰宅。  めるさんのことは、小町さんが見てくれることに。  途中お見舞いも来たり、  昼からは回診にも来てもらった。 「ただの風邪だね。安静にしてりゃ治るよ」 「しばらくは安静に」 「ありがとうございました」  大まかには思った通りの診断をいただける。 「おかげんいかがですか」 「はふはふ」 「あ、クロウ君、おはよ」 「おはようございます」  熱を計る。 「まだだいぶ熱いですね」 「これのせいだよ。おばあちゃんの置いてった色んなお野菜の土瓶蒸し。美味しいんだけど、熱くて」  加湿器代わりのやかんを置いていたストーブの上に、土瓶が置かれていた。  スープのようでちょうどいいのだろう。美味しそうに飲んでいるめるさん。 「でも、色んな味で栄養いっぱいって感じ。これならすぐ治りそう」 「なによりです」  食べ終わったタイミングにあわせて、村崎先生からいただいた薬を飲ませ、布団へ。 「朝からずっと寝てたから眠くないなあ」 「目を閉じていればいずれ眠くなります」 「お母さんみたいなこと言うねクロウ君は」 「えへ、でもみんな甘やかしてくれる。たまにはいいね風邪も」 「言って下されば自分が今日の分くらいなら甘やかせます」 「なので体調不良は……勘弁してください。めるさんが不調だとみなさん調子が崩れます」 「そかな」 「そだね……オリちゃんにも心配かけてる」  目を伏せるめるさん。 「……早く……治さなくちゃ」 「はい」 「……」 「……すー」 「……」  寝たか。  加湿用のやかんに水を足しつつ、外へ。 「めるちゃんは?」 「寝てと言ったら素直に眠ってしまいました」 「まだ体調悪そうですね」 「ですね」  基本的に寝ているより起きてはしゃぎたい人だからな。  どれくらい長引くかは分からないが、  早くよくなってくれるのを祈るほかない。  ・・・・・ 「ただいま帰りましたっ」 「おかえりなさい」 「あむあむ。おかえりなさい」  駆け足で帰ったのだろう。息をきらせた氷織さんに、自分と小町さんは同時に人差し指を鼻の前にやる。 「……まだ、ですか」 「はい。つい先ほど眠ったところです」  早く様子が知りたいと走って帰った氷織さんには残念だが、  2時間ほどの周期で起きるので、あと1時間は見に行かない方がいい。 「~」  苦々しい顔だった。 「そんなに心配しないの。大丈夫だったら」 「これ食べる? 美味しいわよ」 「え……と」 「新作を試してもらっていました」  昨日作って、結局そのままになっていたミルクレープ。最後には小町さんにお任せした。  ただ少々量が多い。 「……」 「じゃあ、いただきます」 「お茶を淹れますね」  気のせいている氷織さんも落ち着いてくれた様子。 「はむ」 「ん……美味しいですね」 「なによりです」 「……」 「めるさんも食べられたら、すごく喜んだと思います」 「……でしょうね」  苦笑し合う2人。  めるさんのいないフォルクロール。思えば初めての状況だが、  火が消えたよう。とは、こういう状況を言うのだろう。  ・・・・・ 「それで――」 「はい」 「自分も……油断していました」 「ミルクレープを食べ過ぎてしまったようで」 「ふにゃああ」 「こんな時に限ってオリちゃん可愛いモード発動したんだ」  食べ過ぎたらしい。完全に酔っていた。  1ホールの4分の3が残っていたケーキ。3等分して、うち1つをまるまる食べたからな。  1ホールの4分の1は、氷織さんには食べすぎだ。 「す、すいません、お昼ごはんが喉を通らなかったのでそのぶん、つい」 「ううう、世界が回ってます」  この前みたく理性が飛んでいるわけではないが、ふらふらしている。 「も、もう寝なよ。ボクよりオリちゃんのほうが心配だよ」 「いえっ。大丈夫です、めるさんを看病します」 「看病いらない。もうほとんど治ってるから」  ただの風邪だし、もともと元気なめるさんのこと。1日たっぷり休めば、だいぶ体調は戻していた。 「それよりそのミルクレープってのが気になるよ」 「まだちょっと残ってますよね」 「はい……ですがもう期限切れかと」  そろそろクリームの泡が潰れてくる時間帯だ。食べられたものじゃないだろう。 「食べたいな」 「ダメです」 「治ったらお祝いに大きなものを作りますので。いまは治すことに注力してください」 「ちぇ」 「美味しかったですよ。私にもまた作って下さい」 「では小さなものを」  味は好評なようでなによりだ。 「はーあ、ケーキも食べられない。風邪っていいこと全然ないね」 「ですね」 「早く治してください」 「……」  退屈そうに、夕食のすりりんごを舐める。 「でも昨日みたいなぐわーって気持悪さはないけど、なんか治りが遅くなった感じ」 「いくら寝てもなーんか重いのが残ってる、みたいな」 「風邪とはそういうものです」 「はあ……」  ずりずりと体を引きずって窓際へ。  外に目を向けた。 「……」 「今日は妖精さんの夜じゃないね」 「ん……」 「ですね」  ダイヤモンドダストは一昨日の1回きり。今日はちがう。 「あーあ、妖精さんの夜だったら、妖精さんにお願いして風邪治してもらうのに」 「さすがにそう都合よくは……」 「クロウ君が妖精ならいまここでお願いできるのに」 「はい?」 「……」 「妖精さん来ないかなー」  恨めしそうに窓に額をくっつけて、空を見上げた。 「……」 「めるさん、窓の側、寒くないですか」 「んー? ちょっと、かな」 「ああ、でも窓冷たい。気持ちイイ」  火照った額に、冷たさが心地良いらしい。ごろごろしだすめるさん。  あまりしないほうがいいのだが……気持ちいいなら止めるのも可哀想な気がするな。  どうしたものか。 「……」 「妖精さんよりも、なるべくちゃんと寝て身体を休めるほうがいいと思います」 「えー、大丈夫だよー」  ちょっと心配過剰な氷織さんに、めるさんはケラケラ笑う。 「信じてれば奇跡は起こる! 的な。こうして待ってればまた妖精さんが来るかもだし」  単純にまたダイヤモンドダストが見たいらしい。外を覗き続けている。 「……」 「信じた程度じゃ奇跡は起きないです」 「……?」 「妖精さんなんていませんよ」 「……オリちゃん?」  声音にいつもと違う色があると、めるさんも気付いた。 「妖精さんなんかに頼るより、今は休息ですめるさん」 「え……と」 「……」 「すいません、なんだか、酔ってます」  むしろこっちが体調悪そうに頭を押さえた。  めるさんも妙な迫力に押されたのか、いつもみたく笑って返せず、  室内がやや後味のわるい沈黙に包まれる。 「よ、妖精はともかく」 「めるさん、休息は大切です」 「んぅ、う、うん」  コートを脱いで、改めて寝所に入るめるさん。  自分たちは外へ。 「はあ……」 「私、今日はおかしいですね」 「ケーキを食べすぎましたね。すいません自分が早く止めていれば」 「いえ、私が変なんです」 「我ながらこんなに心配性だとは思いませんでした」  何度となくため息をついている。 「……」  落ち込んでいるのだろうか。窓の外をぼんやりと眺めていた。 「……」  その姿に、なんとなく口を開く。 「氷織さんは……妖精の伝承がお好きではないのですね」 「ん……」  先ほどの、あとこれまでの態度を見ていて何となく思う。  彼女は小さく眉をたわめると、 「……」 「どうして?」 「なんとなくです」 「ですか」  肯定も否定もしない。  本人もそんなこと、考えたことないのかもしれない。子供に聞かせるおとぎ話をわざわざ嫌うなんて。  だが深く考えると、 「かも、しれないです」  最後には首を縦にふった。 「めるさんたちには言わないでくださいね。ショコラさんにも」 「はい」  あのお2人はロマンチストだし、ショコラさんにいたっては趣味で調べているらしい。わざわざ言う必要はないだろう。 「妖精さんのお話が嫌いなわけではないです。そういうのではないんですけど」 「信じてれば奇跡は起こる……とか、そういうのは、引っかかるかもしれないです」 「どうして?」 「……」 「いえ、失敬」  言いたくないならそれでいい。  と、自分は引いたのだが、 「……」 「昔……」 「はい?」 「昔、おそのさんが風邪を引いたんです」 「10年まえです」 「ん……」  裾野さんの10年前の話。  同じ年、あったことの話は聞いている。風邪なんかよりよっぽど大きなことがあったと。 「……」 「知ってますよね、それです」 「……風邪、だったのですか、原因は」 「風邪は万病の元って本当なんでしょうね」 「お腹の赤ちゃんには、特に」 「……」  早期流産の原因は、風邪か。  シンプルで、だからこそ防ぎにくい。 「そのとき私……」 「……」 「いえ、なんでもないです」  さらに続けるかと思ったところで氷織さんは話を打ち切ってしまった。  なんだ? 「……」  けれどそのあと氷織さんは何も話してくれなかった。  酔った勢い。というのが大きいだろう、彼女について大きな部分を知れそうだったが、  それでもまだ、踏み込みきれないようだった。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ん……」 「……まだ暗い」 「そっか、昨日は甘い物でふらふらするから早めに寝たんでした」 「……」  ――ガチャ。 「……うう、寒い」 「……?」 「お邪魔します」 「おや?」 「オリちゃん」 「氷織さん、まだ2時ですよ」 「ちょっと目が覚めてしまって」 「お2人こそ……めるさん、もう?」 「うん、すっかり元気」 「だからお昼ずっと寝てたぶん目が冴えちゃってさ」 「そう……よかったです」 「お腹もすいたー。クロウ君、あーん」 「はい、あーん」  復調したとのことなので、ちょっと甘いものを。みかんの缶詰をお湯で洗った物を持ってきた。 「あむあむ。ん~、温かいみかんって美味しいよね」 「でも全然足りない」 「これ以上はやめておきましょう。明日になれば、改めてフルーツを用意しますので」 「ちぇー」 「さ、めるさん、食べ終わったらまた寝てください。いまが治し時です」 「全然眠くないよぅ」 「ダメです」  無理やり布団に誘導する。 「眠くなーい」 「目を閉じてれば眠くなりますから」 「寝る努力をしてください」 「はいはい。2人してお母さんみたいなこと言うね」  めるさんの邪魔にならないよう外へ。 「氷織さんも寝てください。明日はまだ学校です」 「はい」  涼しげな笑顔を見せる彼女。  つい数時間前、ここで話したときとは表情から空気からまるでちがっていた。  めるさんの復調で一気に気が軽くなったのだろう。  自分もほっとした――。  ・・・・・  ――が。  朝。 「ふぁあ、おはようございます」 「おはようございます。眠そうですね」 「夜中に起きちゃうとやっぱり……です」  2人、深夜と同じ軽い空気のまま部屋へ。 「めるさん、今日は学校――」 「……うう」 「……めるさん?」 「っ……すごい汗」 「失敬」  額に手をあてる。 「……」 「熱は……下がっているようですが」 「う、うん、大丈夫」  熱は引いたが、  どう見ても体調不良は治っていなそうだった。  ぐったりと体を横たえて、お腹を押さえている。 「熱はないし、学校行くよ。あの、オリちゃん、制服お願い」 「いけません動いては。ぶり返したら大変です」 「あわわ」  起き上がろうとするのを、布団に戻した。 「あう」  明らかに起きるより寝ていた方が楽なのが表情に出ている。 「残念ながらもう1日、ですね」 「食欲はありますか?パン粥を作って来ましたが」 「うー」 「た、食べる、けど、いまはいいや。そこに置いといて」  顔を伏せたまま言う。  ……食欲がないらしい。 「おかゆは置いておけません。フルーツか、またすりりんごならいかがです?」 「じゃあえと、りんご」 「作ってきます」  氷織さんと2人、外へ。  ・・・・・ 「あー……」 「まいったな」 「ど、どうしましょう。昨日の夜はもう全然だったのに」 「風邪のことですから、こういうこともあります」  動揺している氷織さんをなんとか落ち着かせる。  自分も動揺は少なからずしていた。  熱はないのに食欲がない。  よくない兆候である。  すったりんごをペースト状に甘く煮て持ってくる。 「どうぞ」 「あは、はは、ありがと」 「めるさん……」 「そ、そんな暗い顔しないで。ちょっと食欲が……なだけで、もう気分はいいから」 「……」  そんなはずない。明らかに顔色が悪い。  心配で氷織さんまで顔色が悪くなるほどだ。 「えと、その」 「あはは、昨日の夜、妖精さんによくお願いしなかったから、それで治るのが遅れたのかなー」 「っ」 「そのくらいのことだよ。大したことないから」 「……そう、ですか」  冗談めかして言うめるさんだが、余裕がない氷織さんは面持を暗くして、 「……」 「……おだいじに」  出て行ってしまった。  登校の準備を済ませる間も、ずっと心ここにあらずだ。 「じゃあ、行ってきます」 「はい。あの、あまり気を詰めませんように」 「……」  そうは言っても、氷織さんの表情は硬いまま。  単純に、いつも元気なめるさんが体調を崩したというだけで充分心配になるし、  ましてや昨日聞いたかぎり、氷織さんは他人の『風邪』に敏感になるだけの過去がある。  自分がどう言っても慰めようがあるまい。いまはめるさんの回復を待つしかない。 「……」 「クロウさん、今日ですけど」 「はい?」 「帰る時間、ちょっと遅くなるかもです」 「……はい?」  行ってしまった。  帰りが遅くなる?  昨日は慌てて帰ってきたのに。  何かあるのだろうか。この街唯一のお医者様にはすでに見てもらったとして、なにか良い薬のあてがあるとか、  もしくは、  なにか良いおまじないでもあるのか。  氷織さんが出た後は、ふわふわした気分でいつもの作業に移った。  ……今日こそ仕事は休むべきだろうか?  思いながら冷蔵庫を開ける。 「……」 「……?」  む?  ・・・・・ 「……」 「氷織ちゃんおはよー」 「おはようございます」 「おはようございます聖代橋さん。本日も古倉先輩はお休みで?」 「……はい」 (めるさん……) (待っててください)  ・・・・・  ・・・・  ・・・  その日の夕方。  氷織さんはおっしゃっていた通り、帰りが遅かった。  事情があるなら仕方ないが、早く帰って欲しかったな。今日は妙に注文がかさんで忙しいし、  伝えたいこともある。 「クローさん、ソロソロ行った方がいいデス」 「そうですね」 「では、申し訳ないですが留守番を」 「ハイ」  今日も手伝いに来てくれたショコラさんに甘えて、夕方、今日入った分の注文品を配達に出かけた。  4件……少々多めだ。  だがある種楽しみでもあった。 「あやや?頼んだのはショートケーキのはずだけど?」 「こちらサービスのミルクレープとなっております。お試し下さり、気に入ったら伝えて下さると嬉しいです」 「おーラッキー」  ショコラさん達みんなから好評をいただいたミルクレープ。改めて店の商品にすべく、テストを開始した。  味には自信がある。反響が楽しみだ。  さて……。  要件はすぐにすみ、軽い気分で家路につく。  途中。 「氷織さ――」  以前も見た、川沿いの道で氷織さんを見つけた。  声をかけたのだが、氷織さんは気付かず行ってしまう。  川下――工場街の方へ。 「……?」  後をつけた。  今日はれっきとした理由があってのことだ。  だが、 「……?」  氷織さんの向かうのは、街外れを抜けたさらに先だった。  街から出て、山のふもとの森に入る。  川は続いているし、川の堤防を兼ねた道も続いている。迷うことはないだろうが――。 「……」  速足――もはや駆け足に近い速さで奥へ奥へ向かっていく氷織さん。  こんなところに何が? 「……」  朝の話からして、氷織さんはめるさんの体調不良のことをずいぶんと気にしていた。  そして帰りは遅くなると言い、遅くなっている今、この森に向かっている。  この森になにか薬になるものが?  もしくは森に住む、大きな窯をぐつぐつ言わせていーっひっひと笑う老婆的なお知り合いがおり、その方に薬を煎じてもらうのか。  バカバカしいくらい色々な想像がめぐってしまい、つい声をかけるのが遅れた。  声をかけられたのは、森を1キロも下ったころ。  彼女の行く先が、  森の中に立つ例の、背の高いビルだと気付いたころ。 「っ、氷織さん」 「!?」  ようやく声が届く。  後をつけられたことに気付き、彼女は顔面を蒼白にして振り返った。 「クロウさん……どうして」 「えと」  魔女のお知り合いに会いに行くので?  と聞いて、イエスだったらここでもう何も言わず引き返すべきだろう。  それ以外なら、ここに来た理由は知りたいところだ。 「……」  氷織さんはしばらくショックで固まったあと、 「……はあ」  観念したように大きくため息をついた。 「来てくださいクロウさん。ここまで来たんだから、手伝ってください」 「はい?」 「ひとりじゃ大変なんです」  そのままビルへと向かいだした。  ビルは完全に打ち捨てられたもので、人っ子ひとりいないようだった。  というか建設途中で捨てられたらしい。窓がいくつか付いておらず、中は山風が吹きさらし。人が使うには寒すぎる作りである。  つまり、ビルの形状はしているものの、中は――。 「入って下さい」 「は、はい」  当たり前のように胸ポケットから鍵を取り出して玄関横にある通用口のドアを開けた。  なぜここの鍵を?  それは分からないが、  ビルの中身はある種予想通り。 「倉庫……ですね、これは」 「はい」 「……薪置き場?」  中は大量の薪が、雑に置き捨てられていた。  確かに電気は繋がっていなそうな環境なので、暖房のためにも薪が置いてあるのは必然と言えるが、  薪以外なにもないのが不思議だった。  建設途中で捨てられたビルに、とりあえず薪だけ詰め込んだ感じ。  なんなんだこのビルは? 「薪を運ぶの、手伝ってください。私じゃ重くて」 「はい」  言われた量の薪を持つ。自分は大きいのを、彼女は着火用の細かいものを。  2人、重い薪を抱えて階段をのぼった。  ビルは6階建て。  1階はある程度形を成していたものの、2階より上は建設途中どころかほとんど手つかず。鉄筋やコンクリがむき出しだった。  それでも階段だけは不思議としっかりしており、  屋上も不思議としっかりしていた。 「これは……?」 「薪、下に詰めてください」 「はい」  屋上には……なんだこれは?鉄の大釜が置いてある。  湯船にでも使えそうな巨大な釜。  ……本当に魔女の知り合いが?  思っている間に氷織さんは、薪を下にセットして火をつける。  火はゆっくりと広がっていき、 「さて。ここからが大変です」 「は、はあ」 「力仕事です。クロウさんが来てくれて本当に良かった」  その間は本当に大変だった。  彼女からスコップを渡されて、 「この前やったばかりなので、屋上に雪がありません」  そう言えば確かに屋上は、この万年雪な森の中なのに降り積もったはずの雪が少ない。  少ないだけであるにはあるが――。  数日前に雪かきでもしたように除けられている。 「下の階から運んでくる必要があります。がんばりましょう」 「はあ……」 「ぜーっ、ぜーっ」 「大変でしたら休んでいて結構ですよ」 「た、助かります。でもがんばります」  窓のない5階までは、室内にも雪が注いでいる。  それをかき集めて屋上へ。釜の中へ放り込んだ。 「く、クロウさんが来てくれて助かりました。私1人じゃ……倒れてました」 「お気になさらず。それよりも――」 「これは一体?」  作業を終えるころには、先ほどつけた火が釜を熱しだしていた。  ため込んだ雪がどんどん溶けていく。  溶けて、蒸発していく。 「……」 「なんだと思います?」 「さっぱりです」  氷織さんとこのビルの関係からして分からないが、  その屋上で火を焚いて、お釜にお湯を作る。  理由がさっぱり分からない。 「予想でいいです。言ってみてください」  氷織さんは苦笑がてら、なんだか疲れたように冗談めかして言った。  ……少なくともこれを隠しておきたかったのは分かるが。 「……」 「氷織さんはこの森に住まう魔女だった」 「はい?」 「この街の妖精伝説とはその魔女が起こす魔法のことで現代では魔女と妖精が混同されたものだった」 「そして氷織さんはいまめるさんの風邪を治す秘薬を作るべく――」 「……」 「渾身のジョークなのですが」 「あ、すいません。笑うべきでした」 「生まれたときからたぶん人間ですよ。魔法の類も習ったり使ったりしたことはありません」 「……」 「むかし、誰かを憎むことで、その人を不幸にしてしまったことはあるかもですけど」 「はい?」 「いえ」 「ここはもう大丈夫です。めるさんが心配なので早く帰りましょう」 「え……ですが」 「火はもうほとんど消えてます」 「ん、確かに」  雪を集める作業の間に、たくさんあった薪はほとんどがくすぶっていた。  あとは炭のもつ熱だけで釜は熱し続けるだろうし、この屋上の構造なら火事の心配もない。 「ここに来た理由は……言葉で説明するより夜を待ってもらったほうが早いと思います」 「は、はあ」 「帰りましょう。めるさんが心配です」  急ぎ足でビルから出る氷織さん。  あ、そうだ。 「めるさんどうなりました? 悪化してませんか」 「そうでした。それが言いたくて後をつけたんです」 「はい?」 「めるさんなのですが――」 「え――」  ・・・・・ 「わあショコラちゃん、そのミルクレープ美味しそう」 「ベリベリデリシャスデスよ。はい、あーん」 「わぁい、あー……はむ」 「うん、美味しい」 「コマチのモンブランもおいしそーデス」 「美味しいわよ。あーん」 「あ~……むふ~」 「ボクもボクも。あーん」 「ダメよ」 「ドント」 「なんでー!」 「ナンデって、病み上がりデスし」 「クローさんが絶対食べさせないようにと言ってマシタ」 「みんなに心配かけた罰だって」  ――だだだだだだだ! 「めるさん!」 「わ!お、おー、おかえりオリちゃん」 「はあ、はあ」 「遅かったけど、息切れてるね。走ってきたの」 「はい……ふぅ、ふぅ」 「……」  ――ぺたぺたぺたぺた。 「わ、わ、なにオリちゃん」 「どこも異常なし。熱もなし」 「うん……もう治った」 「ていうか朝、昨日の夜? にはもう治ってたって」 「はあ……」 「朝、気分が悪そうだったのは、食べすぎだったそうですね」 「う……」 「夜中のうちにこっそり起きて。胃が小さくなってるのに冷蔵庫に置いてあったミルクレープを全部食べて、それで気持ち悪かっただけだそうですね」 「だ、だって、あのミルクレープ美味しかったんだもん」 「熱だしてる間ずっと食べたくて、ちょっと一口って。そしたら止まらなくなっちゃって」 「2日前のなのに、大丈夫デシタ?」 「それが気分悪くなった理由みたい。食べてる間は大丈夫だったけど、生クリームがもう油の塊みたいになってて」 「それで朝はお腹がむわーって。あははは」 「めるさん!」 「ひええごめんなさーい!」 「ただいま戻りました」  外まで聞こえた氷織さんの怒鳴り声を聞きながら帰宅する。  氷織さんが怒鳴るなんて珍しいが……、  今日に限っては、めるさんは叱られるべきである。 「自分は今日はおやつのケーキを禁止するくらいしかお叱りできませんでした」 「あげておりませんよね?」 「ハイ」 「79回隠れて摘まもうとしたけど、すべて小町が防ぎました」 「ひーん」  朝の不調は胃がビックリした程度だったので、寝たら治ったらしい、昼過ぎにはもう元気そのものだった。  午後からは見ての通り、店員として働いていたくらいだ。  氷織さんにも早く伝えるべきだったな。 「もう……本気で心配したんですよ」 「ごめんってば。でもほら、体調が悪かったのは事実だし」 「誰のせいで」 「ボクのせいです。ごめんなさい」 「ううう」 「泣かないでってば、ごめん」 「知りません」  心配したぶん怒りも強い。氷織さんは珍しく本気で怒っていた。  怒り慣れていない顔には、  うっすら涙が浮かぶくらい。  ・・・・・ 「わあああ、クロウ君のパン粥美味しい」 「なによりです」 「こんなことなら朝も食べとけばよかったよ~」 「……」 「……」 「ど、どうしよう、2人ともまだ怒ってる。これはあとを引きそう」 「今後しばらくめるさんには冷たくあたります」 「ひーん」  氷織さんの怒りは収まらないが――。  ともあれ、めるさんはすっかり完治した様子だった。  パン粥。用意した分はぺろっと平らげて、さらにお代わりまで欲しがる始末。 「今日は最後の一勝負ですから食べ過ぎはいけません」 「この後も暖かくしてしっかり寝てくださいね」 「はーい」 「あーん」 「はい。あーん」  おかわりはともかく、食後のデザートはいいだろう。  治った記念ということで、桃をむいておいた。  食べさせてあげる。 「ん~♪ やっぱ病み上がりはピーチですなあ」 「村崎さんから、治ったら食べさせるようにと昨日のうちにいただきまして」 「ありがとーおばあちゃん」  幸せそうにしているめるさん。 「みんなして優しすぎます。だからめるさんがつけあがるんです」 「もっと厳しく接するべきです。めるさんには特に」 「もう、オリちゃん厳しすぎ」 「私は普通です。だいたいめるさんは……」 「それより、あーん」 「……もう」  氷織さんからはアイスクリーム。  昨日のうちに氷織さんも、治った時ようにと用意していた。 「ん~、冷たくておいし~」 「もう1口いい?」 「食べすぎるといけないから、これで最後ですよ」 「はあい」 「はい、あーん」 「あーん」  なんだかんだでめるさんが治って一番喜んでいるのは氷織さんだった。 「ごちそうさま。じゃあ寝ようかな」 「はい」 「今日は自分の部屋で寝るね。おやすみー2人とも」 「おやすみなさい」 「おやすみなさい」  見送る。  あとでちゃんと布団をかぶって寝れているか見に行くとしよう。 「……ほっとしました」 「ですね」  自分は昼の内に知ったことだが、ついさっき知った彼女は、やっと一息つけた様子。 「はあ……もう、今日1日損した気分です」 「……はむ」  やけ食い気味に残ったアイスを食べる。  こちらの桃はどうするかな。明日タルトにでも……。 「そっちももらっていいですか」 「ああ、はい」  氷織さんに食べてもらうか。 「はいどうぞ」  フォークで刺して、差し出す。 「ふぇっ?」 「はい?」 「え……あ、いえ」 「ど、どうも」  なぜだか一瞬躊躇してから、 「はむ」  食べた。  ……やったあとで気づいたが、甘えてくるめるさんとちがってこちらにまで『あーん』をする必要はなかったな。  まあ気にすることはあるまい。 「いかがですか」 「美味しいです」 「ですね。よい桃です」  自分もひとついただこう。  自然と残った桃とアイスを食べてしまうことに。 「……」(サクサク) 「あ、クロウさんは、アイスどうですか」 「ああ、いただけますか」 「はい……」 「どうぞです」 「……」  ピーチのお返しだろう。スプーンを差し出してきた。  ……意識するのは、おかしいな。 「あーん」 「あーん」  食べさせてもらう。  甘い。のには、あまり集中できなかった。 「……」 「す、スプーン、変えるべきでしたね」 「っ」  しかも、そうだ。  きせずして、間接キスというやつだ。めるさんと氷織さんならともかく、自分は遠慮すべきだった。 「す、すいません。いま新しいスプーンを……」 「いえあの、お気になさらず」  サクサクとさらにアイスを崩す彼女。 「はむ」  彼女もひとくち食べた。  ああ……『スプーンを変えましょう』的なことを言ったら、逆に汚いとは思ってないという意思表示にこうせざるをえないじゃないか。自分としたことが。 「……」 「ではあの、はい」  これは自分も応じるしかない。彼女が使ったばかりのフォークで桃を口に運ぶ。 「……」 「……」  変な空気になってしまった。 「アイス……どうぞ」 「は、はい、こちらこそ」  お互いに食べさせっこも続く。  うーん……。  めるさんのことが片付いたからか、気が抜けているかもしれない。 「大変!」 「びっくりした」  だから2人の空気が急に破られたときは心臓が止まるかと思った。 「どうしました」 「どうしたもこうしたも、外見て外」 「え……あ」  窓の外。  つい数日前見たばかりの現晶が起こっていた。  ややありがたみが薄いくらい、あっさりとやってきたこの冬3度目の『奇跡の夜』。 「わっはぁ、すごいすごい」 「もしかして妖精さんも、ボクが治ったのを祝福してくれてる~的な?」 「……」 「かもしれませんね」 「……」  その理由が、  そこでようやく分かった。  ・・・・・  興奮するめるさんを寝かしつけて、 「……」 「……」 「ちょっと、外に出ましょうか」 「はい」  2人で外に出た。  窓越しに見ても良いものだが、やはり直に見るのが最高だ。  降り注ぐダイヤモンドダスト。  幻想的な光景だった。  たとえどんな理由があるとしても。  なんとなく景色を一番見やすい場所へやってくる。  満点の星空と、降り注ぐダイヤモンドダストはいやおうなく美しかった。 「素敵な空ですね」 「はい」 「私、5歳くらいのころこの街に来たことがあって。まあ子供だったから雪が多いなーくらいの印象しかないんですけど」 「この空を見たのは、覚えてます」 「それくらい綺麗だと思います。『妖精の夜』」 「はい」 「……」 「……」 「私が作ったと思うと、ちょっと誇らしいくらい」 「……」  ……か。  確証のあることではないので、このまま触れずにおくというのも考えたが、彼女から切りだしてくれた。  先ほど、あのビルでしていたことは、  この『奇跡』を呼ぶ儀式らしい。 「氷織さんが本当に魔女か、もしくはこの街に幸せを運ぶ妖精さんでなければ――」 「よく見つかりましたね、あんな方法」  高いビルの上で起こす水蒸気が、気流に運ばれてこの街の上空に来た時ダイヤモンドダストになる。  理屈は分かるが、よっぽど条件が揃わなければ不可能なはずである。  その条件を意識しなければ、そもそもビルの屋上であんな大きな窯を火にかけるという発想には至るまい。 「私は魔女じゃないですよ。妖精でもないです」 「妖精と言うなら、うちの父です」 「お父さま……あの?」 「はい。めるさんから見た目で悪人だと思われた」 「あれが、少なくとも20年とすこし前からのこの街の妖精さんです」 「……」  よく分からない。  きょとんとしてしまう自分に、氷織さんは小さく苦笑し。 「以前もお話しした通り――」 「昔の父はあくどい商人でした」 「どのくらいかは知らないけれど、少なくとも本人がいまだに後悔していて、娘の私に詳しく教えたがらないくらいには」 「そんな父の人生を変えたのが、この街だそうです」 「父がこの街に初めて来たのは、30年と少し前だそうです」 「繊維産業で一儲けしようと思ったそうです。上手くいく根拠があったかは知りませんが、父のことだから綿密に考えていたとは思います」 「現在も町の川下には大きな工場がありますよね。あれ、いまでも全部父の名義なんですよ」 「あのビルも、繊維産業では大事な川の水質を見張るためにわざわざ建てたんだそうです」 「それは……すごいですね」  あの広さ。お金持ちとは聞いていたが、スケールが想像より上らしい。 「で、まあ事業は上手く運びかけていたそうです。街一番の呉服屋、裾野さんに血縁者を潜り込ませたりして」 「ですがそうして事が運び、ちょうどおそのさんがいい年になったころ」 「この街から『妖精の夜』が消えてしまったそうです」 「消えた?」 「数年間にわたって1日もダイヤモンドダストが来なくなったんだそうです」 「あ……以前小町さんがそんなことを」 「はい、たぶんそれです」 「理由は分かりません。もともと『妖精の夜』自体、偶発的な現象だったのでそれこそ妖精さんの気まぐれかもしれませんけど」 「ダイヤモンドダストを運ぶ風は川下、つまり父の作ったビルと工場街を抜けて街に届きます」 「父にはとても無関係とは思えなかったようですね」 「……」  まあ、普通に考えればそうなるだろう。もともと発生条件の分からない事柄なのでは立証のしようはないが。 「そのとき父がどんな気持ちだったかは分かりません」 「ただその事態を受け、即刻工場の配備を取りやめにした父の判断を、私は支持します」 「あくどい商人をやめたのがいつかは知りませんが、きっとそこだったのでしょう」  用意した工場を動かさずに停止。  相当な負債を覚悟しなければ不可能な決断である。  それが『気象条件』ひとつのためならば、少なくともあくどい商人のする選択ではあるまい。 「けれど――そもそも工場はまだ操業前だったのに妖精の夜は来なくなった」 「工場を止めたところで、都合よく戻ってきてはくれませんでした」 「焦った父は、この街の気象条件を調べ上げ」 「あの儀式を編み出した、と」 「どうやって計算したかは知りませんけどね。あくどい商人ですから、計算は得意だったんでしょう」  風上で人為的に起こした水蒸気が、この土地特有の気流に飲みこまれると、ダイヤモンドダストとなって街に降り注ぐ。  それが妖精の夜を呼ぶ『儀式』となるらしい。  なるほど、妖精さんの正体は、彼女の父親だ。 「こうしてこの街には、もう20年以上に渡って『妖精の日』に『妖精の夜』がやってくるようになりました」 「よくよく考えると20年も連続するのは不自然なのですが、父も毎年、その年だけやめる勇気がないんでしょうね」  妖精の夜が毎年になったのはつい最近……とも、どこかで聞いた気がする。 「妖精の日は、毎年ああして?」 「はい、分かってる限り毎年」 「今年は私の2番目の兄が用意しました。クロウさんがくる直前のことです」 「……もう何年も、あれを行わなければ『妖精の夜』は起きなくなってしまったので」  逆に言うと起きている年は常に、か。 「……」 「クロウさんなら、たぶん確認するまでもないですけど」 「黙っておいてもらえますか。このことは、聖代橋以外の人間にはトップシークレットなんです」 「は、はあ、えと」 「……」 「私のミスで知られてしまったので、最悪誰かに話しても私が父に叱られるだけの問題ですけど」 「……めるさんにだけは知られたくないですから」 「分かりました」 『奇跡の夜』には、そうさせるだけのトリックがある。  あえて教える必要はあるまい。手品を一番楽しむコツは、種などないと信じることだ。 「ほ……」  わざわざ外に呼んだのはそれが理由なのだろう。心底ほっとした様子の氷織さん。  そこまで緊張しなくても、言いたくなければ黙っておいてくれてよかったのだがな。  いや……。 「よかったです」 「クロウさんのことだから、ひょっとして最初から全部知ってたんじゃないかってしばらく不安でした」 「さすがにそれはないですよ」 「ですね」  2人、空を見上げる。 「今日は……一際多い気がしますね」 「使った雪の量が多かったかもしれません。クロウさん、いっぱい運んでくれたので」  上空で冷やされながら飛んできた氷の粒、細氷は、降り注ぐ過程で溶けて消える。  雪やみぞれとはちがう。純氷のきらめきだけを残してどこへともなく消えてしまうダイヤモンドダスト。  こんなものを人の手で作れるというのが、今日一番の驚きだった。  あのビルの屋上で蒸発した空気がこの街まで飛んできて細氷となって降ってくる。  理屈としては分かるのだが、  それでも驚きだ。 「……」 「奇跡って――」 「はい?」 「奇跡ってなんだか儚いですね」 「みんなが信じてる妖精さんの奇跡も、種を知ってしまうと、なんだか」 「……」 「あ、勘違いしないでください。それがショックだとか、そういうことではないんです」 「むしろ初めて知ったときは、安心したのを覚えてます」 「安心……ですか?」  この状況で使うにはそぐわない表現のような。  思っていると、氷織さんはクスッと笑い、 「安心しました。妖精さんなんてこの世にはいないとわかって」 「人の思いが奇跡を起こすとか、信じてれば願いは叶うとか。そんなことはないんだって分かって」 「……」  ずいぶんと、こう言ってはなんだが可愛くない言い方をするものだ。  こちらがあっけにとられていると、そんな表情も分かるとばかり彼女は苦笑したまま、 「でもそれで私は助かったんです」 「祈ったり、信じたり、そんなことで奇跡は起こらないって分かって、本当に助かったんです」 「どういう……意味で?」 「……」  妖精の夜の原理を打ち明けられて、口が軽くなっている自分に気付いたのだろう。そこでいらないことを言ったとばかり一度黙る彼女。  けれど助かることに、今日は本当に口が軽い。 「昔、私が願ったことが、奇跡的な確率で叶ってしまったことがあるんです」 「ん……」 「私の大好きな人が、私のことをほっぽり出してちやほやしている相手が出来たときのことです」 「まだ小さかった私は、あんな子いなくなっちゃえってお願いして」 「その数日後、おそのさんは風邪をひいて――、そのままその子は亡くなってしまったんです」 「……」  例の早期流産か。 「……」 「いまでも時々不安になります。あの子……おそのさんの1人目の赤ちゃんを死なせたの、私じゃないですよね?」 「そんなわけありませんよ」 「ですよね」 「……そう願いたいです」 「この夜空だって、私とクロウさんがいなければ起こらなかったんですから」 「この世に人の手がかかってない奇跡なんてないですよね」 「……」  同意を求めるように言う。  今日で氷織さんと出会って何日になるか忘れたが、  ようやく彼女のことが分かった気がした。  とくにこういうときどう応えて欲しいか。 「自分は――」 「……」 「自分はこれは、奇跡だと思いますよ」 「え……?」 「あのビルの上でお湯を炊くと、この街にダイヤモンドダストが起こる」 「それが20年以上連続で、ですか?偶然ではありえない確率で起きているのに、原理はさっぱりわかりません」 「この夜は、奇跡だと思います」 「あなたのお父さまが生んだ奇跡だと」 「あ……」  目を丸くしている氷織さん。  彼女も、原理は分かっていないのだから彼女にとってもこれは奇跡だ。 「奇跡というのは、往々にしてそういうものです」 「おっしゃる通りおそらく誰かの手で起こったものでしょう。しかし、ではどうして起きたかは分からない。それが奇跡です」 「裾野さんがお風邪を召したのも同じ。どこかからやってきた病に感染した結果の不幸ですが、その原因は誰にも分かりません」 「……」 「氷織さんは正解を焦りすぎているのではないでしょうか」  大人びている彼女だが、  やはり子供は子供だ。目の前にあらわれた疑問符に、中途半端な結論を出せない。  世界は往々にしてあやふやに出来ていることが納得できないお年頃なのだろう。  なら大人として、一歩進めてあげよう。  世界は意外とあやふやなもので、  世界は意外と奇跡にあふれていると。 「もし目の前に奇跡が起きたとしてそれに理由を求める必要はありません」 「大切なのはそれをそのまま受け止めることだと思います」 「……」 「めるさんみたいに?」 「はい」  氷織さんの悩みは、悩みというほどでもないかもしれないが。  自分では手の届かないようなことに対してなにか理由を求めてしまうところだ。  それが幼いころの、慕った相手の流産と言う現実から身を守るための手段だったのだろう。仕方のないことだが、 「めるさんの風邪に理由を求めることはありませんよ」 「確かに前回の『妖精の夜』のとき、夜中に散歩をして身体が冷えたから、というのはあるかもしれませんが」 「……」 「では『妖精の夜』を起こした氷織さんに責があるか。といえば」 「否と断言できます」 「……ですか?」  心配そうに上目づかいを向けてくる。  昔は『お願いをした奇跡』で大切な人が病に倒れ、先日は『自分の手で起こした奇跡』でやはり大切な人が風邪をひいた。  氷織さんは頭がいいので、気をもんでいるようだが、  大人の目線で言わせてもらおう。  考え過ぎだ。 「裾野さんとめるさんに病魔を運んだのがどんな理由かは分かりません」 「ただ1つだけ言えることは、氷織さんが考えているほどこの世界の因果関係は単純なものではないということ」  釜で湯を炊けばダイヤモンドダストが起こせる。  原因と結果は分かっていても、ではその間にどんな条件があるかは分からない。  そうした分からない部分は『奇跡』ですませておけばいい。 「『奇跡』がわりと都合のいい解釈であることは同感です」 「けれどそれは、幸せを作るためのもの」 「『妖精さん』というお話自体、それを例えたものではないでしょうか」 「……」  こちらの言い分が、納得したいのか、しかねるのか。どっちつかずという顔の彼女。  なら、 「あともう1つ言えるのは。少なくとも――」 「ん……」 「裾野さんもめるさんも、あなたが責任を感じて暗い顔をなさっているより」 「病の癒えたいまこの時を笑って迎えて欲しい。と思ってらっしゃることです」 「……」 「ほんと……ですか?」 「はい」 「……」  ぐっと込みあげるものをこらえるよう口をへの字にする氷織さん。 「……」 「んぅ」 「……」  自然と手が伸びていた。  くしくしと小さな頭を撫でる。 「あ……の」 「な、なんです?」 「いえ」  なんとなく手が伸びて、なんとなく撫でてしまう。  理由はなかったが……。 「……」 「……」 「もう、なんなんですか」  顔をほころばせる氷織さん。  こんなに素直に笑ったところは初めて見たかもしれない。  思っていた通り、可愛らしい笑顔だった。 「……」 「……」 「……」 「ありがとうございます。クロウさん」 「いえ」 「……」  氷織さんは頭を撫でられたまま、やがて気持ちよさそうに目を細めると、 「信じれば願いは叶うとかの……めるさんが言ってたこと。全部はまだ信じられないですけど」 「1つだけ信じてもいいかなって思います」 「はい?」 「……」 「クロウさんが、空から落ちてきた妖精さんかもしれないって話」 「少なくともあなたが、私たちを幸せにしてくれに来た、人だか妖精さんだか魔法使いだかなのはめるさんの推理通りだと思います」 「自分が……妖精さんですか」 「はい」  ちょっと斜め上すぎる話である。こちらは苦笑するしかない。  けれど氷織さんは、あちらも小さく笑いながらも冗談めかしてはいない口ぶりで、 「この街に幸せを降らせてくれる妖精さん。たぶん、それがクロウさんの正体です」 「……」 「……」 「だって」 「いま私に幸せが降ってますから」 「う~っ、久しぶりの学校だーっ」 「はい」 「でも金曜だから明日はもうお休みだ」 「あーんつまんないよー」 「私は休めて嬉しいです」 「じゃ、めるさん、また帰りに」 「うん」 「あ、今日は一緒に帰れる?おそのさんのとこには――」 「おそのさんの家には明日行くので、今日はないです」 「おけ、一緒に帰ろうね」 「はい」 「というわけで、めるさんも完治しまして」 「やっと心置きなくケーキが楽しめます」 「何日も大変お世話になりました」  めるさんが寝込んでいる間、男の自分には出来ないお世話は全て小町さんにしてもらった。 「お礼の意味でも本日は店をあげてご招待しますね」 「好きなケーキをおっしゃってください。どれでも、いくつでも結構です」 「あらあらあらあら~逆に悪いです~。小町そんなつもりじゃありませんのに~」 「どれになさいますか?」 「それじゃあ~」 「あら?」 「なにか?」 「なんだかこのやりとり、何度かした気がします。なんでしょうこれヒデブというやつでしょうか」 「デジャヴです」 「あとデジャヴでなく今週何度も同じやりとりをしています。めるさんのお見舞いに来ていただいた昨日一昨日とこのように好きなだけ食べていただきましたので」  めるさんのお世話を頼んだのだから、当然の歓待だ。 「……」  真っ青になる小町さん。 「こ、小町、昨日一昨日といくつ食べましたっけ」 「昨日は8つ、一昨日が11」 「いやーーーー!」  行ってしまった。  お腹いっぱいなのかな? 「コンニチワゴザイマス」 「いらっしゃいませ」 「えへへ、めるが治ったので遊びに来マシタ」  今日も手伝ってくださるようだ。  ちょうどいい――。 「件のミルクレープ、改良を図っておりまして」 「hm……これ以上ナニカ?」 「クレープとクリームの食感が微妙に合わない気がしまして」  新作のミルクレープ。一緒になって改良案を練ることに。  ショコラさんは、やはりお菓子『作り』が趣味と合って、こうした新作を作るうえでは他の誰よりも頼りになる。  めるさんの憂いも消えたことだし、今日からは精を上げるとしよう。  ・・・・・ 「オリちゃーん」 「めるさん、やっと来た」 「ごめんごめん、クラスでちょっと話してて」 「帰りましょうか」 「うん」 「あ、そのまえにおトイレ」 「うう……」 「?オリちゃん、なんか急いでる?」 「え、べ、別に」 「用事があるなら1人で帰ってくれていいけど」 「えと」 「用事はないです。早くお花を摘んできてください」 「うん」 「ねえねえ、なんでおしっこのことお花を摘むっていうのかな」 「おしゃべりはあとで」 「~♪」 (なんか機嫌よさそう) 「オリちゃん、なにかいい事あった?」 「べつになにも?」 「ふーん……」 「~ふふっ」 「……?」 「まいっか。にしてもお腹空いたー。夕飯前におやつ欲しいかも」 「ん……」 「クロウ君、ケーキ用意しててくれるかな」 「……」 「してるんじゃないでしょうか」 「クロウさん、なにをするにも私たちのこと気にかけてくれてますから」 (あれ、もっと機嫌よくなった) (なんで?) 「うーん、あまり変わらナイデス」 「ですね……ミルクレープ、奥が深い」  1日、ヒマを見つけては研究を続けたが、  改『良』と呼べる成果は得られなかった。よくなりそうな案をいくつか注ぎ込んでは見たのだが、出来た物は以前までと変わらないものばかり。  悪くならない分、自信を失うわけではないが……。  こうも成果が出ないと肩すかしでも食った気分だった。  ケーキの世界。知れば知るほど奥が深く、難しい。 「ただーいまー」 「美味しそう!」  改良は出来なかったが、めるさんには満足いただけそうでよかった。 「ただいま帰りました」 「おかえりなさい」  閉店後、4人で作ったミルクレープを分ける。 「ん~~~っ♪盗み食いしたときより美味し~」 「鮮度がありますからね。クレープは特に」 「あむあむあむあむ、はっはっはっはっ」 「あまり急いで食べるとまた気持ち悪くなりますよ」  めるさんはたっぷり。氷織さんは、前回の反省も踏まえて少なめに。 「いかがでしょうか。どこかここをこうしたら良いという点など」 「全っっ然おいしーよ」 「充分商品になると思います」  評判は上々。  だがどうも、あと一歩足りない気がしてならなかった。  何がとは言えない。何かが。 「クローさんは凝り性デス」 「でしょうか」 「昼からずっと難しい顔してマス。おデコに皺ができちゃいマスよ」 「ん……」 「うりうり」  ふざけて額を突いてくるショコラさん。 「うりうり」  ふざけ仲間も加わった。  と……。 「……」 「氷織さん、なにか?」  いつもこの2人のおふざけは笑って流している氷織さんがじっとこちらを見てるのに気付く。 「いえ、別に」 「……」 「ショコラさん、1日ここで?」 「ハイ、学校がない日なので、朝カラ」 「長々とお時間をいただきすいません」 「イエイエ」 「……」 「1日中2人で」 「はい?」 「なんでもないです」 「あむあむ」 「なくなっちった。もっとない?」 「全部分け終ってしまいましたので」 「ちぇー」 「ショコラ、ちょっとちょうだい」 「えー。ノーデス」 「けちー」 「絶対ノーデス。わたしミルクレープ大好きなので」 「はむ」  小さく小さく切り取って、大切に口に運んでいるショコラさん。 「へえ、ショコラ、ミルクレープが好きなんだ」 「言ってませんデシタ?」 「ケーキなら全部好きっぽいとは思ってたけど、特別コレってのは初めて聞いた」 「もちろん全部好きデスよ。でも一番を1つ選ぶなら、コレデスネ」 「もともとミルクレープを試そうと思ったのもそんなショコラさんの推薦を受けてのことです」 「へえ……」 「そうなんだ。じゃあボクが推薦したらそれも作ってくれるの?」 「なにか推薦したい品でも?」 「この世にあるあらゆるケーキ」 「……気長にお待ちください」 「……」 「オリちゃんもなにか推薦したら?」 「え、あ、でも私は……」 「ああ、氷織さんからの推薦は……その」  推薦というほどではないが、すでに一度試した。 「そういえば……どうなりました? チョコレートケーキ」 「えと……現在少々問題がありまして」  ビターチョコレートケーキ。ショコラさんには前話した通り、原価率の関係で挫折中である。 「そう……ですか」  あ。 「す、すいません。あきらめたわけではないのですが」 「いえ、別に、気にしてないですから」 「……」  気にしてる。  まいったな。氷織さんは大人なので怒りはしないが、  彼女のために作ったケーキが挫折したので他のを……って、感じ悪かったかもしれない。 「めるさん、ミルクレープ、私のを上げます」 「やりぃ!」 「私、ちょっと部屋に下がりますね」 「は、はい」  行ってしまった。  えと……。  怒った……わけではないよな? 「……」 「そっか、あのチョコレートケーキ、私のためでしたっけ」 「……」 (クロウさんが……私のために) (あれ? あれ? 顔が熱いです) (どうして……)  ・・・・・  翌日は土曜で休日。  珍しく3人がバラバラに行動することになった。  めるさんはお友達と遊びに。氷織さんは裾野さんのお宅へ。  自分は――。 「……めるちゃんは?」 「今日はご友人と遊ぶとかで」 「はあ」  病院に来ていた。  理由は御仁のお見舞い、兼、 「新しいケーキをのう」 「試していただきたいと」 「ほっほ、生意気な。言っとくけどめるちゃんが持ってこなかった時点で、90点の出来でも0点しかやらんからの」 「望むところです。むしろご助言をいただきたく参りました」  良い休日になりそうだ。 「う~っ、いい休日だねえ」 「死ぬほど寒いけど」 「少し前から昼も気温が上がらなくなってきましたね」 「こりゃ雨雲が来ると一気に吹雪になるね。いやな季節だよまったく」 「……」 「しばらく旦那は出張」 「あたしはこの腹だから、吹雪が来たら迷惑かけることになるねえ」 「大丈夫。そのために毎日来てるんです」 「このお店のことはなんでも分かってます」 「本当かい?にしちゃあさっきから、のぼりが出てないよ」 「あうあ、忘れてた」 「頼むよ。そいつは伝統的に、うちで一番若いのがやるって決まってんだから」 「……」 「この子がいっぱしに大きくなるまではお前さんがやることになるんだからね」(さすさす) 「はい」  ・・・・・ 「言っちまったのかい? あのビルのこと」 「……すいません」 「あちゃ~……なにやってんだ。聖代橋一族だけの秘密ってふれこみだろうが」 「あたしなんかもう20年も隠し通してんだよ。まあそんなこと話す機会がないってだけだけど」 「クロウさん、内緒にしてくれるとは思いますけど」 「どうしましょう?」 「ふむ」 「まあ口が軽いようにも見えないし、いいんじゃないかい。誰も聞きゃしないだろう」 「だと思いますけど」 「父には……何と言いましょうか」 「あー、おじさんはめんどくさいねえ。アホ犬みたいな顔してるくせに何かと目ざといし神経質だし」 「必要ないところで父の顔をけなさないでください」 「おじさんには黙っときゃいいと思うけどね。そもそも妙な秘密をこさえたのはおじさんなんだし。バレたって文句言わしゃあしないよ」 「でしょうか……」 「んー、でも氷織、親に隠し事は苦手かね」 「……はい」 「じゃあ……あ、もう1ついい方法がある」 「?」 「妖精の夜の秘密は、聖代橋家に連なる人間だけの秘密」 「つまりあっちを聖代橋の関係者にしちゃあいいわけさね」 「えと、どういう……?」 「そりゃ婿入りが一番早い」 「なっ!」 「なっ、なに、なにを言ってるんですかそんな、そんな」 「わ、私とクロウさんはそういう、その、そういうのじゃありませんから、その」 「……」 (聖代橋のたっくさんいる親戚の誰かに婿入りって話だったんだけど、真っ先に自分を連想したねこの子は) (つまり……そういうこと?) (歳が離れすぎてんじゃないかねえ) 「お、おそのさんはいつも、いじわるです、思いつきで人をからかったりして」 「……」 「まいっか。うんうん面白そうだからお姉さんはいつでも応援するよ」 「男の落とし方が知りたきゃいつでも来なさい。旦那を30分で籠絡したあたしのヤリ口も教えたげっから」 「だ、だからぁ」 「なっはっは、あのチビ助が大人になったもんだ」 「ううう」 「……」 「お、おそのさん! はっきり言っておきますが」 「あ、そろそろ病院行くから、付き添っとくれ」 「マイペースすぎる……」 「早くー」 「はぁーい」 「ふむぅ」 「いかがでしょうか」  ミルクレープの味を見てもらう。  採点は――。 「うむ」 「99点」 「……」  良い点数だ。  が、ここまで良いと逆に残る1点が気になる。 「残る1点は」 「口に出して言えるような欠点はないわい。安心しなさい」 「だがこれは、店で出したいと言っておったな」 「は、はい。お許しいただければ」 「じゃあいかん。99点じゃ、わしの店に置いていいのは100点のものだけ」 「う……」  なるほど。その意味の1点か。 「では、その1点を埋められるものを探してきます」 「ほほ、そう思っとるうちは素人じゃの」 「はい?」 「このケーキに欠けた1点なぞないわい。探しても無駄足じゃぞ」 「では――」 「だから次は、100点になるようあと1つ、付け足して持って来なさい」 「いまあるこのケーキの味を覚えておこう。だから、次はあと1点上回るものを作りなさい」 「……なるほど」  そういう発想か。 (まあそれが中々出来ないから難しいんじゃがの) 「ありがとうございます。勉強させてもらいます」 「うむ」  やはりこの御仁、只者ではない。 「……ふふ」 「ちなみに、めるちゃんがOKって言えばいつでも店に出していいよ」 「はあ……」  どこまで本気なのかは分からないが。 「そういや産まれた子用のちゃんちゃんこっておじさんが用意してくれるんだよね」 「はい。出産祝いの贈り物はそれにするとか」 「刺繍用に赤ちゃんの名前が知りたいと言ってましたが、決めました?」 「まだ迷ってんだよねえ。んー、どうしたもんか」 「女の子だから、いまんとこ第一候補は『お雪』かな」 「この街らしい名前ですね」 「アンタとクロウ君の子供が出来たらあたしに言いな。いい名前考えてあげっから」 「……その話まだ終わってないんですか」 「なっはっは、あの引っ込み思案が甘酸っぱい話題を提供してくれたんだ。しばらくはつまみに出来そうだよ」 「だから、誤解ですっ。クロウさんは……」 「なにか?」 「ふぇっ?」 「おっと、噂をすれば」  見舞いを済ませ、帰ろうとしたところで氷織さんとばったり会った。  裾野さんの診察に同行したらしい。相変わらず仲のいいことだ。 「~」 「?氷織さん、自分の顔になにか?」 「な、なんでもないです」 「?」  なぜか顔を赤くしてそっぽを向く。  ??  分からないでいると、裾野さんがクククと笑い、 「んじゃ、看てもらってくっから。2人はちっと待ってておくれ」 「?はい」  自分も?  思ったのだが、聞くより先に行ってしまった。  まあいい。待つとしよう。  氷織さんと2人、待ち合い用のベンチに腰かける。 「……」 「……」 「あの、帰らないんですか」 「裾野さんが2人で待つよう仰ったので、なにかあるのでしょうか」 「ないと思いますけど……」 「ですかね」 「まあこの後は予定もありませんし」  ちょっと時間を潰すくらいいいだろう。氷織さんがいればヒマもしない。  まさか氷織さんが自分を邪険にすることもないだろうし。 「……」 「相変わらず裾野さんとは仲がおよろしいのですね」 「ま、まあまあです」 「そうですか」 「……」 「?氷織さん、なんだか緊張してらっしゃいませんか」 「そ、そんなことはないです。どうして私が緊張するんですか」 「ですよね」  気のせいか。 「……」 (そ、そうです。どうして私が緊張することなんか) 「……」(そ~) 「?」  ちらちらとこっちを見ている氷織さん。 「なにか?」(にこっ)  ――ばっ!  顔をそむけられた。  ??? 「おまちどー」  あ、戻った。 「早かったですね」 「遅いです」 「もうほとんど状態検査しかしないからね。早いもんさ」 「さて……そんで」 「……」 「?」  ニヤニヤしながら自分と氷織さんを見比べてくる裾野さん。  なんだ? 「あう」 「ほ、ほら、終わったならさっさと帰りますよおそのさん。クロウさんにも迷惑です」 「はいはい」  ぐいぐいと引っ張って、2人して出て行ってしまう。  ……裾野さん、自分になにか用だったのでは?  まあいいか。自分は帰るとしよう。  それから……。 「まったくもう」 「なっはっは、こりゃ本当に本当のやつみたいさね」 「だ、だからやめてください、変なこと言うのは」 「そんな照れなくてもいいじゃないのさ。お似合い……っていうには年が離れてるけど、いいと思うよあたしゃ」 「う……」 「女ってのはなんだかんだ甘やかしてくれる男に弱いからね。まあ男も往々にしてそんなもんだけど」 「アンタは結構めんどくさい性格してるから。気持ちよく甘えられる男なんて貴重だろう」 「せっかく見つけたんだ。上手くキープしときなよ」 「甘えられる……」 「……」 「その気になってるその気になってる♪」 「もう!」  ・・・・・ (おそのさんに1日中からかわれました) (私がクロウさんを……なんて、あるわけないのに) (あるわけ……) 「……」 (そ、それにあれです。クロウさんにはショコラさんがいます) (ショコラさんはお綺麗ですし、お菓子の趣味も合います。なにより見てて分かりやすいくらいクロウさんに……) (クロウさんだってそっちの方がいいはずです。ショコラさんみたいにお綺麗な方なら、その) (クロウさんも……私よりショコラさんのほうが) 「……」 「!」 (ど、どうして落ち込んでるんですか私は) 「ただいま戻りました」 「おかえりなさい」 「う」 「なにか?」 「い、いえ」  なぜか今日の氷織さんは顔が赤い気がするな。  風邪だろうか。めるさんのことがあった直後だけに心配だ。 (なにを意識してるんですか私は) (く、クロウさんに変に思われます。なにか話題、話題……) 「……」 「?この香りは」 「あ、気づかれましたか」  今日は休ませている釜からの香りに彼女が気付く。  独特の香りだから仕方あるまい。チョコレートの焦げた香りは。  ちょうどいい時間だ。窯から出したそれは、 「チョコレートケーキのスポンジ……、作ってたんですか」 「はい」 「こ、これ、封印したのでは?」 「商品化するのは難しいというだけで、封印したわけでは」 「あそっか」 「今日のような休日にしか焼く時間が取りにくいのが難点ですがね」 「いまのところ氷織さんに喜んでいただけるケーキはこれくらいしかありませんので」 「ん……」 「クロウさんの作るケーキなら、どれでも嬉しいですよ」 「はい?」 「なんでもないです。ありがとうございます」  めるさんはまだまだ帰りそうにないので2人でお茶にする。 「はむ」 「んふ」  美味しそうにしている氷織さん。 「……」 「あむあむ」 「……ふふ」 「……」 「っ、な、なんですか」  じっと見てしまった。 「私の顔、なにかついてます」 「いえ、すいません」 「ただ氷織さんと2人でお茶にするのも、なんだか久しぶりだなと」 「あ……」  ショコラさんとはお2人が学校にいるとき良くするし、めるさんはヒマがあればケーキタイムにするので自然と付き合うことも多いが、  氷織さんはだいたいいつもめるさんに付き合って。という形になるので、2人きりと言うのは貴重だ。 「……」 「?なにか」 「いえ。……はむ」 「すごく美味しいです。このケーキ」 「そうですか」 「……」 「……?」  なぜか一口食べるごとにジッとこっちを見てくる彼女。  裾野さんもそうだったが、今日は妙に見られることが多い。  なぜだ?  と――。 「ただいまー。わっ、美味しそう」 「おかえりなさい。いまお茶を淹れます」 「わーい」  めるさんが戻ったことで空気が変わった。  自分がお茶を淹れに向かい、めるさんは手を洗いに。 「おじいちゃんどうだった?」 「お見舞いに来てほしそうでした」 「やっぱり?んー、来週あたりいってあげるかな~」  いつものことながら自分はめるさんにかかりきりになり、 「……」  その間氷織さんは、幸せそうにケーキをつついていた。  ・・・・・ 「……ふぅ」 「……」 (やっぱりおかしいです、今日の私は) 「……」 (でも、素敵な気分) (とても不思議、とてもおかしな感じなのに) (クロウさんのことを思うと……素敵な気持ちです) (なんなんでしょうか、これ) 「……」 (よく分かりません)  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「おはようございます、クロウさん」 「おはようございます」  今日は日曜。  一週間で一番忙しい日だ。  とはいえさすがにそろそろ慣れた。  準備も手早く済ませていった。今日出す予定のケーキが簡単なの揃いということもある。  さっと仕込みを済ませ、 「~♪」  こちら側へやってくる。  と、 「んせっ、んせっ」 「ん……氷織さんなにを?」 「あ、クロウさん」  日曜日は基本的に分業。主に店の掃除を任されている氷織さんが、店の端っこでぴょいぴょい跳ねていた。 「最近高いところが掃除できていないので、念入りにやっておこうかなと」 「私の背じゃ無理ですね。んしょ」  台に使うのだろう。ずりずりと椅子を持ってくる。 「自分の背なら届きますが」 「ありがとうございます。でも私の仕事ですから」  代わりましょうか。言う前に断られた。  氷織さんは責任感が強いので、仕事を『手伝う』はよくても『代わる』は嫌う傾向がある。  代わったところで彼女は厨房の仕事が出来ないからな。好きにやってもらおう。  椅子に乗るのを見守る――。 「わと」 「あ、あの、椅子抑えててもらっていいですか」 「ああはいはい」  椅子が揺れるのが怖いらしい。抑えることに。これは『手伝う』なので良い。 「んしょ」  手を伸ばす氷織さん――。 「あえ?」 「オリちゃんパンツ見えてる!」 「はい!?」 「はい?」 「あっ、わ、ふわ」  一応言っておくと、椅子に乗った彼女のスカートの位置は自分の身長では首くらいの高さ。パンツが見えたのは自分より背の低いめるさんだけである。  ただいま問題はそこではなく、 「ひゃっ」 「あぶないっ」  慌てた拍子に椅子から落ちてしまった。  ――とすっ。  危ないところだ。抱きとめた。 「大丈夫でしたか」 「は、はい、ありがとうございます……」 「わあ!」  真っ赤になった。 (ちちちちかちか近いです。私だきしめられて……) 「はわ、はわわ」 「えっと」  顔が赤い理由は……もちろんあれだろう。 「あの、誤解は解いておきたいのですが、自分は決してスカートの中をですね」 「あわわわわ」 「氷織さん?」  誤解を解きたいのだが、全然聞いてくれてない。  まいったな。  ・・・・・  その後もその日の氷織さんは、どこか変だった。 「……」 「氷織さん?」 「なっ、なんでもないです」  昨日と同じようぼーっとこちらを見ていたり、 「氷織さん、コーヒーをお願いします」 「はっ、はい」 「はいどうぞ!」 「いえ……自分にでなくお客様に」  他のことが気もそぞろだったり。 「……」 「オリちゃんどうしたの?」 「分かりマセン」 「ア……デモ」 「氷織さん、今日はお疲れなのでは?」 「いえそんなことは、ない、と、思います。たぶん」 「風邪が心配ですね……失礼」  額に手をやる。  熱はない。 「……」 「……」(ぷしゅー)  いや、上がってきた? 「……」 「クス」 「なにか分かった?」 「さあ?」  ・・・・・  様子は夜までおかしなまま。  夕飯を食べると、すぐに部屋に引っ込んでしまった。 「今日のオリちゃんどうしたんだろ?」 「分かりません」  正確には昨日から様子がおかしい。  気になるな。  とはいえしっかりしている方なので、 無闇に詮索するのもどうかと思う。  しばらくは様子見しかないか。 「ふぁーああ、なんか眠くなってきちゃった。ボクもうお風呂入って寝るね」 「はい」 「さてと」 「こんちはっ」 「ノックしてください。あと入っていいかも聞いてください」 「まあまあ硬いことは言いっこなし」 「ねえねえ、お風呂一緒しない? 久しぶりに」 「ん……」 (んふふふふ、オリちゃんが何か隠し事をしてるのは明白。でも素直に言うような性格でもないのは知ってる) (ここはクロウ君には取れない作戦。身も心もすっぽんぽん作戦で行くのが吉と見たよ) (お風呂でならお腹を割って話せるはず) (……とか考えてそうですね) (お風呂、入りたいけど、ついていくと根掘り葉掘り聞かれそうです) 「……」 (自分でもよく分からないのにいまわーわー聞かれるのは困ります) 「結構です」 「えー、なんで」 「えっと、お風呂もう入りました。さっき」 「ありゃ。そうなんだ」 (嘘ですけど、ここを切り抜けられればなんでもいいです) 「ちぇー」 「ほ……」 「……」 (めるさんにも変に思われてる。……ということは、たぶんクロウさんにも) 「あうう」  ・・・・・ 「いいお湯だったー」 「ふぁあ」 「ああ……お風呂のあとオリちゃんに聞く予定だったけど、急激に眠くなってきたよ」 「もういいや……今日は寝よう」 「氷織さん、もう入ったのですか?」 「そう言ってたから、次クロウ君どーぞ」 「ボクは寝るよ……ふぁあ」  氷織さん、お風呂は済んでいたのか、気づかなかった。  湯を無駄にしないよう自分も早く入るか。 「ふぅ……」  湯船に肩までつかる。  今日の氷織さんの様子……本当になにがあったのだろう。  氷織さんはまだまだ子供なのだが、非常に大人びているから、どうも踏み込み方が分からない。  もう少し気にかけるべきか、本人に任せるべきか。  困ったものだ。 「はあ」 (今日の私はおかしいです) (どうしてクロウさんのことばかり……) 「……」 (忘れましょう。明日からはいつも通りの私です) 「……」 「なにか食べよう。気分が変わるかも」 「えっと……チョコレート、小さいのを2粒までなら」 「はむ」 「……りらっくす」 「もう1粒」 「ほー」 「……」 (もう1粒くらい) (いえ、いけません、あまり食べると酔っぱらいます) (ここでやめるのが最善です。これ以上はよくない。経験上分かります) 「……」 (でも経験上、3粒くらいは全然平気ですよね) 「……」 (今日の私はおかしいので、いつもよりもっとりらっくすしたほうがいいかもです) 「……」 「あむ」 「りらーっくす」 「……」 「はむ」  ・・・・・ 「ふぅ」  そろそろ出るか。  身体を洗い、充分温まった。  湯船を出る。  軽く体を拭いて脱衣所へ――。 「!?」 「……」 「す、すいませんいるとは思わず」  慌てて中に戻る。  居候することになって、こうしたバッティングには極力気をつけてきたが、ついにやってしまった。  まあいまのはお互い様だとは思うが――。  は? 「……」  せっかくこっちが中に隠れたのに、なぜか氷織さんは服を着るでもなくそのまま入って来てしまった。  え? え? 「……あの、氷織さん?」 「……んあ?」 「ああクロウさん、こんなところで会うなんて奇遇ですね」 「は、はい」  なにが奇遇かは知らないが、滅多に会う場所でないことは確かである。 「クロウさんもお風呂ですか?」 「はい」 「私もです」 「分かります」  お互い裸だ。 「ちょうどいいので一緒に入りましょうか。ショコラさんやめるさんとはもう一緒しました」 「は、はい?」 「背中、お願いします」  とすんとバスチェアに腰かける氷織さん。 「……あの」 「早く、寒いです」 「ふぁあ。それになんだ眠くて。もうこのままここで寝てしまいそう」  ふにゃふにゃした顔で大あくびする氷織さん。  細かいところだがこれも珍しいリアクションである。氷織さんはあくびみたく隙のある姿は見せたがらない。  つまり、 「酔ってますね……甘いものを食べましたか?」 「ふにゃ?別にそんなに食べてませんよ」 「チョコレートをひと箱くらいです」 「食べすぎです」  完全に酔っている。 「ふぁああ、眠いです」 「もうここで寝ちゃおうかな」 「風邪をひきますよ」 「ですね……寒いでふ」 「あの、クロウさん、早く流してくれますか」 「……」  参ったな。  酔った氷織さんを口で説得するのは難しいし、このまま放置したら本当に寝てしまいそうだ。風邪をひくか、最悪浴槽で溺れる。 「では、その」  ひとまず風邪をひかないためにも浴槽に入ってもらおう。背中さえ流せば満足してくれるはず。  タオルをソープで泡立たせて。 「いきます」 「おねがいしまぁす」  ――こしこし。  肩口から背中にかけて、洗っていく。  雪のように白くて、筋肉もぜい肉も、無駄なものが一切ない小さな小さな子供の背中。  見るからに壊れ物みたいで、自然と手つきも慎重になった。 「温かいです」 「水気をよく吸うタオルですからね」  泡とお湯が流れ落ちて、小さな背中を覆っていく。 「……」  普段は寒さ対策に厚着なせいか――。  一糸まとわぬ氷織さんの身体は、思っていた以上に細く、繊細そのものだった。  触れれば折れてしまいそうな細さ。  なのに実際に触ってみれば、どこもプニプニ柔らかくて瑞々しい生命力であふれている。 「んぅ」 「……」  ――わしゅわしゅ。 「んふ、んっ」 「……」  ――わしゅわしゅ。 「んく、ふ」 「あの」  なぜ変な声をだすのだろう。 「すいません。なんだかくすぐったくて」 「そうですか」  ではちっともおかしなことはないな。  もっと洗う。わしゅわしゅわしゅわしゅ。 「んぁふ、んん」 「はふぅ」  気持ちよさそうにしている氷織さん。  真っ白な肌はどこもかしこもきめ細かくて、水気を弾く。  背中にちらばった泡たちは、そのままなめらかに落ちて腰へ、お尻へ。 「……」  腰かけたバスチェアで潰れて、むちっと横向きに逃げているお尻の肉に目が行く。  しまった。見ないようにしてたのに。  改めてあちらが全裸であることを意識してしまう。  いやいや、焦るな。氷織さんは酔っているのであって、裸になっていることには何の意味もない。  なので自分がとくに気にすることはない。  無心だ無心。無心で彼女が風邪をひかないよう務めるだけ。  それももう終わった。 「終わりました。流しますね」  小さな背中なので、洗う面積も少ない。あっという間に終わる。  あとはお湯で流して――。 「んぅ?」 「まだ背中だけじゃないですか」 「は……」 「こっちもです」  ――ぐいっ。  タオルが引っ張られる。  自然と自分も手も引っ張られて、  ――むにぅ。  前へ。 「……」 「お願いします」 「は、はあ」  こっちも洗え……と。  ま、まあ無心なので、背中だろうがお腹だろうが関係のない話だが。  ――わしゅわしゅ。 「はふうう」 「ちょっと冷えてたかも。温かいです」 「そ、そうですか」 「クロウさんの手は大きくて、温かくていいです。あふぅ」  背中よりもっとまったりしたようで、心地よさそうに目を細めている。  どんな形であれ、喜んでくれてるならいいことだ。  胸元のラインからほぼ落差のない……、いやほんの少しだけへこんでいるか?  微妙に子供を脱却しつつあるウエストを撫で、 「……」 「首のところ寒くなってきました」 「……そうですか」  手を上へ。  ――むにぅ。 「んぅ」  見た目には盛り上がりはほぼないが――、  それでもピンと張ったお腹の感触とちがって、ちゃんと柔らかいのが不思議だ。  バストのラインにタオルを這わせていく。 「ふぁあ」  冷えていた首のあたりが温かくなったようで気持ちよさそうな吐息が漏れる。  大丈夫。ただ洗っているだけだ、これは。 「腕をあげてください」 「んぁい」  ――もぞ。 「ぁふ……っ」  わきの下もしっかりと。 「んひぅ、ひぅ」 「く、くすぐったいです」 「敏感なのですね」 「ショコラさんにも言われました……あっ、んっ」 「我慢して」  タオル越しにも分かるすべすべの肌を、上へ、下へ、だけでなく、ちゃんと左右にも。  わきから横腹へのラインはくすぐったいようで、ぷるぷる震えていた。  そこから胸へ戻すと、 「はん……っ」 「……」  くすぐったさをさらに煮詰めたような声が出る。 「……」  ここまで洗ったなら。  これはもう……、全て洗うべきか?  タオルの位置を下げていく。 「ん……」  おへそへ。下腹部へ。  その先の……両足の付け根も、気が緩んでいるのだろう氷織さんはガードする気がない。  触ってしまえる。  触ってしまえる――。 「……」 「……」 「……」 「…………」 「すぴー……」 「……」 「すー……」 「……」  のだが、  その前に、寝ていた。 「……」  そうかそうか。  寝ているなら仕方ない。  ――ざばー。  お湯をかけて、泡を流した。 「くー」  よっぽど眠かったようで、氷織さんは起きない。  乾いたタオルを持ってきて全身拭いて行った。 『拭く』は『洗う』とちがって、分厚いタオルでぽんぽんと叩くだけだから気が楽だ。  服を着せて部屋へ運んでも、一向に起きる気配なし。  そのままベッドに寝かせる――。  ――ぽすん。 「ふぁ」  そこで目が覚めた。 「んぅ……? んー」  まだ酔いが残っているようだ。眠気もあってふにゃふにゃしている。 「……あ、くろーさん」 「はい」  さっきのことはどう対処すべきか。戸惑っていると、 「……」 「えへ~」 「おっと」  ぐいっと服の裾を引っ張られた。  ベッドに近づくと、 「くろーさーん」  くっついてくる。  ……今さらだが酔った氷織さんはくっつき癖がある気がするな。実は甘えん坊なのだろうか。 「ん~♪」 「頭撫でてください」 「は? あ、は、はい」  よく分からんが、要望された。  撫でる。 「えへ~」 「クロウさんの手、好きです。触ってもらうと幸せな気持ち」 「魔法の手ですね。やっぱりクロウさんは妖精さんです」 「そ、それはどうも」 「もっといっぱい触って下さい」 「……」 「では、その」  なでなでなでなで。  髪だけでなく肩や頬も撫でてあげる。  ……ここまでなら大丈夫だよな? 「んへへへ」  少なくとも氷織さんは気持ちよさそうだ。  気持ちよさそうで……。 「ふにゃ」  コテン。と電池が切れたようにまた寝た。 「えっと」  ま、まあこれでよしとしよう。  目的は果たせた。自分は外へ――。  ――ぎゅむ。 「……」 「すぴー」 「氷織さん、服を放してくれますか」 「すー」 「……」  まいったな。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「……」 「……」 「何度確認しても」 「すー」 「クロウさんが私のベッドで寝ています」 「いえベッドで寝ているというのは語弊がありますね。床に座って寝てます。で、突っ伏してるので頭がベッドに来てます」 「……」 「私の腿を下敷きにしているのは……この際よしとします」 「で、なぜこんな状況になったかというと」 「……昨夜私が服を放さなかったからですね。覚えているって辛いです」 「……」 「おおおお風呂のあれまで覚えているのが、本当に辛いです。せめて私の記憶から消えていてくれればクロウさんならスルーしてくれたろうものを」 「と、とにかく」 「逃げましょう。幸い今日は学校がある。学校に逃げて、少しでもクロウさんと離れる時間を稼ぎましょう」 「そーっと、そーっと」 「む……ふぁあ」 「もう起きた。そりゃ頭を乗せてる部分が動けば当然ですよね」 「……? ここは」 「ああそうか。おはようございます氷織さん」 「おはようございます」 「っと、すいません眠ってしまったようです。自分としたことが」 「いえあの、こちらこそご迷惑を」 「寒くなかったですか」 「手の届くところにタオルケットがあったので、使わせてもらいました」 「……すいません本当に」 「いえ、お気になさらず」 「それで……」 「はい」 「……お風呂のことですが」 「~~~~~」 「覚えてらっしゃるようですね」 「その、自分も明確に拒むべきだったと思います」 「あれはお互いにどうしようもなかったということで開きにさせていただいてよいでしょうか」 「は、はい……すいません」  朝からなんとも言えない空気になったが――、  幸いというか、今日は平日。  しばらくは時間が置ける。 「じゃあ、行ってきます」 「行ってきまーす」 「行ってらっしゃい」 「はあ……」 「……」 「クロウ君となにかあった?」 「えう」 「……言いたくないです」 「ふーん」 「にしてもオリちゃんまでクロウ君のこと好きになるなんてね」 「ふぇっ!?」 「はい?」 「あ、あぁあああ、あの、なんでそんな、そんな」 「え、だって最初は早く出て行くように~みたいに言ってたのに。最近全然言わないじゃない」 「それはっ、そうですけど。そんな、好きなんて、そんな」 「えー好きってことじゃない」 「ボクは好きだよ。お兄ちゃんが出来たみたいで」 「……」 「あ、オリちゃんはお兄さんもお姉さんもたくさんいるから、そういうのないか」 「……いえ、私も、お兄さんみたいとは、思ってます」 「ねー」 (そういう意味か……ほ) 「……」 (ああでも) (クロウさんの記憶のこと、ちゃんと考えなきゃ……ですね)  ・・・・・ 「ただいまー」 「おかえりなさい」 「ふぃー寒かったー、お茶おねがーい、ミルクたっぷりで」 「はい」 「氷織さんはどうなさいます?」 「……」 「氷織さん?」 「っ、な、なんですか」 「いえ、ですからお茶を」 「あ、は、はい、お願いします」  ?  朝よりさらに様子が変な氷織さん。  どうしたんだろう?  ・・・・・  結局その日は、  まともに話も出来ず、  氷織さんはすぐに部屋にこもってしまった。  なにがあったのだろう?  ・・・・・ 「はあ」 (どうしよう、胸がモヤモヤします) 「……」 (クロウさんに、待ってる人がいたら) (クロウさんには……帰ってもらわないと)  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「じゃっ、また帰りに」 「はい」  翌日になっても、朝のうちはまともに目も合わせてくれず。  どうしたものか。 「今日はなんだか曇ってますねえ」 「珍しい気がします」 「そうですね、この街の上空に雲が滞留するのは……あ」 「もうじきすごい吹雪が来る前触れかも」 「吹雪か……」 「あれ嫌ですよね。定期的に来るとは言え……」 「ってクロウさんはまだ経験してないんですっけ」 「はい」  この街に来て、吹雪らしき吹雪はない。 「そっか、クロウさんてまだここに来て2か月も経ってないんですね」 「おかしいの。なんだか、ずっと昔からクロウさんのことは知っていた気がします」 「そう……ですか」  自分は、  自分自身のことは、まるで知らないのだが。 「コンニチハ」 「どうも」  いつものお客様がやってきた。 「今日は新しいお菓子作りに、いいもの持って来マシタ」  持ち込んだ小袋をテーブルに乗せる。  ……そうだな。  しばらく難しいことは忘れるか。  ・・・・・ 「たまにはボクもおそのさんのところ行こうかな」 「いいですね。おそのさんも喜びます」 「出産に備えてお店を片付けてるので人手はひとりでも多く欲しいと」 「まっすぐ帰るよ。またあとで」 「はい」 「はあ」 「なんだいため息なんてついて」 「いえ、別に」 「恋の病が重症化したかい」 「……はあ」 (あ、ガチで困ってるやつだ) (こんな腹でなきゃ相談にも乗れるんだけどねえ) 「……」 「……クロウさん」 「記憶が戻ったら……どうするんでしょう」 「……」 「……あ」 「チェリーブランデー?」 「イエス。その名のトーリ、チェリーのお酒デス」 「これのアルコールを飛ばすとトテモ良い香りで、お菓子作りにチョードいいのデス」 「あー、そういえば昔おじいちゃんも使ってたっけ」 「いまはないの?」 「いいアイデアが出なかったからやめたって」 「どっちかというと作ってる最中に飲みたくなるからやめたんだ。ってお父さんは言ってた」 「適度に使ってみたのですが、良い材料やもしれません。スポンジの香りづけに広がりがでました」 「どれどれ……はむ」 「うん。おいしい」 「あまり食べないようにしてください。アルコールの飛ばし方が独学なので、残っているやもしれません」 「んぁ、確かにじゅわってくるかも」 「もうちょっと強めに飛ばしたほうがいいかな」 「明日から気をつけます」 「ただいま戻りました」 「おかえりなさい」 「オカエリナサーイ」 「あ、ショコラさんまだいたんですか」 「ハイ?」 「外、雪が降ってますよ」 「うえ」 「あら~、これはちょっと危ない降り方ねえ」  確かに窓から覗く外では、雪が横向きに流れている。  これからさらに強くなるだろうし、もうじき日が落ちる。外に出るのすら危ない天候だ。  お隣の小町さんならいいが、 「これは……お迎えを頼むのも危ないねえ」 「車は避けたいわね」  ショコラさんは帰る口がない。 「今日もお泊りか」 「えへへ、お願いしマス」  悲観する必要がないのが幸いだった。  ・・・・・  だが、問題がひとつ。 「うう……」 「クロウさん、食べ過ぎなのでは」 「そう……ですね、ここまで始末したのですが」  ショコラさんにいただいたブランデーで作ったケーキ。  思ったよりアルコールがきつかったらしい。念のためめるさんたちにはあまり食べさせず、自分1人で処分しようとしたのだが、 「クロウ君、そんな気してたけどお酒弱いね」 「仕方ないデス。ブランデー、すごく強いデスから」 「申し訳ありません……」  身体が大きければアルコールにも強い。というのは迷信らしい。  さっきから頭のなかがぐるぐる言っていた。  まだ3分の1ほど残しているが、食べようにもフォークを握るのすらおぼつかない。 「すいません、今日はもう休みます」 「あ、はい」 「今日は夕飯いりませんので。すいません」  休憩を取った方がいい。このあとは特に用事もないし、床につくことに。  ざっと汚れを落としたら、  そのまま眠ることにした。  今日はショコラさんお泊りパターン。つまり自分の部屋はここだ。  すでに用意してある、自分用の布団を床に敷いてそのまま倒れ込んだ。  ああ……。  だめだ……。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「なんだかクローさんに悪い事しちゃいマシタ」 「いいって。お酒弱すぎなのに自分の限界に気付けなかったのはクロウ君の自己責任」 「これそんなに強いかなあ」(はむ) 「予想はしてましたけど、残り、食べるんですね」 「もったいないもん」 「もう。夕飯のあとなのに」 「酔っぱらっても知りませんよ」 「このくらいへーきだって。そりゃお酒の香りもするにはするけど、アルコールはほとんど飛んでるから」 「デスよね。私もお昼食べててソー思いマシタ」(パク) 「ん~♪ デリシャス」 「もう、ショコラさんまで」 「オリちゃんも食べてみたら。いつものケーキと違って、大人な感じで美味しいよ」 「……大人な?」 「甘さも控えめ」 「ソー言えばクローさん、妙に甘さ控えてマシタ」 「ひょとしてコレ、コーリのために作ったのかも」 「……」 「そ、そう、ですか」 「本当?」 「新作を作るときは、甘さ控えめがフツーなだけデス」 「ちょ、ちょっと食べてみます」 「Yes、ドゾドゾ」 「はむ」 「ぬふふふふ、これでオリちゃんも共犯」 「……」 「お味はドーデス?」 「……あ、ほんとだ、甘くなくて美味しいです」 「はむ」 「ウイスキーボンボンの、強いのみたい。でもスポンジがふわっとして、優しい感じで」 「あむあむ」 「あれ、お、オリちゃん食べるの早い……」 「あんぐ」 「マルっとイった!」 「わーまだボクも食べたいのに!」 「はー」 「美味しいですねこれ」 「Wao……」 「ど、どうやら食べさせてはいけない子に食べさせたみたい」 「んへへへ、美味しいです」 「もっとないんですか? もっと食べたいです」 「も、もーナイです。明日クローさんに言ってください」 「えうう、もっと食べたいです」 「は、はいはーいオリちゃん、一度横になろっか。完全に暴走スイッチ入る前に、ね」 「横にですか?」 「……」 「そうですね。それいいかもです」 「さっきから……世界がまっすぐしてません」 「あら~……」 「ああ……」 「ま、まあこれも一つのキョークンデス。クローさんとコーリには、お酒は一切ダメ」 「チェリーブランデーは持って帰ってもらおっか」 「スイマセンデシタ」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「すぴゅー」 「すぴる~」 「んぅ」 「……」  ・・・・・ 「はふぅ」 「……ふらふらします」 「まだ眠い……あふ」  ――パタン。 「えっと……」  ――ガッ! 「あぷっ」 「うお」  ……う?  何かが降ってきた。  温かくて柔らかいものが、顔の上にかぶさっている。  なんだこれは……。  セーター? 「ふにゃ?」 「……氷織さん」  あれ?  どうして氷織さんがここに。 「……」 「にゃは~、クロウさんだ」 「は、はい」  眠っていたのは2時間ほどか。楽にはなったが、まだ酔いが残っているな。  眠気もあって身体が上手く動かない。 「んふ~、クロウさんに抱っこしてもらうの忘れてました」 「えあ……」 「ん~♪」  すりすりしてくる。 「あ、あの氷織さん」  状況がつかめないが、とにかく体を起こした。  氷織さんは好きな位置なのか、もぞもぞと自分のひざの上に移動して、 「んふ~」  くっついてくる。  また酔っぱらっているのか?2日連続だぞ。  まいったな。  まあ好きなようにさせておくか。  自分は楽になるまでこのまま……。 「……」 「ねえクロウさん」 「はい?」  ふと声のトーンが変わる。 「……わたし」 「私、いやです」 「は……?」 「私、クロウさんがいないのはいやです」 「いなくなっちゃいやです」  ……? 「なぜ自分が」 「んむっ」 「!?」  なぜ?  とかそういう疑問符が、質問どころか頭からも消えるくらい唐突なキスだった。  唇を……奪われている。  それ自体は分かるとして、  なぜ、あの氷織さんにされているのか。  それが分からなくて、頭が停止してしまっている。 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………」 「ぷはっ」 「ふはっ」  どうやらお互い、息するのも忘れていたようで、30秒ほどして離れた。 「ぷは、ふは」 「ど、どうですか、いなくなりませんか」 「は……あの、ですから」  なぜ自分がいなくなる? 「はあ、ふぅ」 「わ、私、いなくなって欲しくないんです、クロウさんに」 「こういうことをしたいから、いなくなってほしくない……んむっ」 「んぉ」  また口を包まれる。  停止しようとする思考に喝を入れた。落ち着いて、状況を把握せねば。  氷織さんは酔っている。原因が甘いものを食べすぎたか、ブランデーかは知らないがそれは間違いない。  つまりこれは酔った勢いというやつだ。  なら何か言っても無駄なのはこれまでで分かっている。  ここは何とかなだめすかして、落ち着いてもらうしかない。  落ち着かせさえすれば何とかなる。話は聞いてくれないだろうが、すぐに眠ってしまうタイプのはずだ。  つまりここは――。 「あん、んむ」 「ん……」 「はむ」 「んふっ?」  無理に逃げたりするのでなく、ソフトに受け止める。  リラックスしていただくよう、優しく受け流そう。 「ん……ちぅ、ちむ」 「くふ……ふぅ……ん」  氷織さんの口づけは、経験がないのだろう。接吻と言うよりは『口元をぶつける』といった感じの、拙い物だった。  これでは歯に挟まれた唇が腫れてしまうので、力のポイントを横にずらす。  そのままお互い、柔らかい部分をぶつけ合って均衡を取った。 「ふ……ゅ、ふぅぅ」 「んん……ンふ、ん」 「あぅん……」  歯が当たるより当然こちらのほうが楽なはず。一瞬驚いた様子の氷織さんだったが、すぐに自分に力をゆだねた。  優しく、優しく、 「んっ、んふ、んん……ぁうむ、ぅうん」 「んあう、んぁ……ふ」 「ふぅん」  意気込んで身体をつがえてきていた氷織さんが、だんだんと脱力していく。  このままこちらのペースに巻き込めば、落ち着かせられるはずだ。  ――さわ。 「んふ」  乱れた髪をかき上げる。  わずかに汗をかいているのが分かる。甘酸っぱい香りがはじけた。  やわ、やわ、シルクのように線の細い髪をかき混ぜるように撫でる。 「は……んっ、んっ、んん、……く、ふぅん」 「んん」 「んむぅん」  唇の主導権もこちらが持てた気がする。  氷織さん、自分から仕掛けて来ておきながら、やはりキスの経験は薄い。  ソフトに舐めとってやると、鼻を鳴らしていた。 「あぅ、んむ、んぅ」 (ああうあ……あれ? あれ?) (わ、私どうしてクロウさんとキスして……) 「んち」 「ふぁふん」 (や、や、だめ) (頭……ぼーっとして、なにも考えられません)  ついばんだ唇を、こちらの口の動きだけでむにゅむにゅとマッサージするように。 「んんふぅうん」  氷織さんはもう、目じりに涙がたまるくらい大きな瞳を潤ませている。  これなら離れられるか。唇をほどく……。 (あ……離れちゃう) (だめ……) 「んか……っ」  いや、改めて押し付けてきた。  ダメか。仕方ないもう少しこうしていよう。  しかし……。 「んちゅ、んっ、んむふ、んん」 「う……く」  マズいな。  氷織さんの唇はどこまでも柔らかく、甘美で、魂が吸われそうなほど気持ちイイ。  こんなものに触れていると、ただでさえ酔いの残った頭では……。 「んち」 「っ!?」  つい『味』を見に行ってしまった。 「くぷ……くふ、んんふ」 (なにこれ……舌? 舌が口の中に)  ――くちっ、ちゅちっ、ちゅぷっ、にちっ。 (あ、あ、すごく……いやらしい音が、頭の中で……響き渡って……) 「んぁ……」  ――れる。 「……」  彼女の口を調べていた舌に、生温かさが巻きついてきた。  彼女からも応じてくる――。 「んち、ちゅぷ、んちる」 「ちゅぷる、くふん、んち、んちぅ」 (な、なに……してるんでしょう、わたし) (なにも考えられません……)  水をやったばかりのパンジーのような、フローラルな香りで満ちた口腔を余すところなくまさぐる。  氷織さんは率先して応じ、くるくると小さな舌を自分のそれにまきつかせた。  ――ぬぞぞ。 「くふぅんっっ」  歯ぐきや、並びのよい歯のラインを舐ると、身体が跳ねるくらい大きく反応する。 「はぁ……はぁ、あはあ」 「んん……熱い、すごく熱いです」 「ん……」  ふとお互い、汗でべったりになっているのに気付く。  暑いのなら――。 「服を緩めたほうがよいやもしれません」 「んえ……?」 「……」 「そうですね」  ――ずる。  服をずらしていく。  雪白の肌は、夜闇のなかだと不思議と輝きを帯びて見えた。  白磁のような肌……光沢が強いのは、 「あう……ちょっと寒い」 「汗をかいていますからね」 「これならどうでしょう」  抱きしめた。  手のひらで華奢な背中を捕まえ、さすって温める。 「あは……は、ん、ぁん」 「はい……温かいです、んっ、んぅ」 「もっと撫でてください……、クロウさんの手、クロウさんに撫でてもらうの、好きです」 「はい……」  ご要望とあらば。優しく、優しく、でも寒くないようまんべんなく撫でる。  背中を、肩を、横腹を、わきを。  前も。  ――ふにぅ。 「あんっ」  ほとんど肉付きのないバストも、寒くないように優しく撫でまわした。 「んっ、んふっ、ぅん」 「ん……ぁん、ん」 「クロウ……さん」 「ん……」  改めて向こうから唇をかぶせてくる。  ……ん? いまキスをやめるチャンスだったような。  まあいいか。やめなければならない理由はもう忘れた。 「んち、くち」 「ふぁふぅん、くふ、くぅううふん、んん」 「あんむ、ンフ、んくぅ……んん」  全身をなぞる手に悶えるように、氷織さんの白い肢体が踊りクネる。  それが美しくて、操るようにこちらの手つきもより激しくなっていった。  背中を、お腹を、胸を、あらゆる箇所を撫でまわす。  腰や足も含めて。  ――にゅるり。 「くふぃんっ」  内太ももに触れたところで、小さな肢体がゾクゾクっと震え上がった。 「あはぅ、あはぁう……は、んん」 「……何か?」 「い、いえ……」 「ん……んん」  なんでもない。とばかりまたキスに戻る彼女。  けれどそれ以降、 「あふ……あん、ん、んぅ」 「……」 「はあぁ……あはぁ」  反応が明確に変化していた。  またがった腰を右へ左へずらしては、小さなお尻を、他所へ逃げる自分の手にこすり付ける。  もっとそこに触って欲しいとばかり。  けれど恥ずかしくて言い出せないのだろう――、  なら、  ――ぶちゅり。  汗と……汁気でべとべとのショーツを脱がせた。  水気で重い下着は、思いのほか大きな音をたてて脱げる。 「ぁん……」  お尻にひんやり空気が当たったのだろう、もじっと腰をゆらす氷織さん。 「は……あ……」 「く、クロウさん……」 「寒くないですか?」 「ちょっと……寒いです」 「では」  こちらも温めよう。  ――なで。 「はぁん……」  濡れた臀丘全体を鷲掴みにして、撫でまわした。 「あ……あ、あぁ……」 (どう……しよ、私、お尻、触られてます) (恥ずかしい……。こんなの、だめ、こんなの。……でも) (すごく……気持ちいい) 「あっ、んん、んぅ……む」  感情を押し付けるように唇をぐいぐいこすり付けてくる。  こちらはあくまでソフトに応じながら、  ――すり、すり。 「んふっ、んっ、う」  小ぶりだが丸く柔らかいヒップを撫でまわした。  華奢な腰のラインを大きくグラインドさせて反応している彼女。 (あっ、あっ、やだ、クロウさんの指、長いから、へんなところまで……) (お、お尻の穴まで触られちゃいます……ふぁ、んん) 「ん……くぷちゅ」  微妙に緊張しているようなので、ほぐすようにもう一度口に舌を差し込む。 「ああむぅう……んん」 (やぅ……ま、また舌が……ふぁ、口のなか、気持ちよく……されちゃいます) (頭……ぼーっとして……んん) (お尻……もっと、恥ずかしいところまで、触ってほしく……) 「っう……」 「……?」  だが今回は、彼女のビクつきが取れなかった。  一度口を離す。 「なにか……?」 「えぅ、あ、あの」 「すいません、恥ずかしくて」 「……ああ」  思えばいつの間にか向こうだけ裸だ。恥ずかしいのは仕方あるまい。 「では自分も脱ぎましょうか」 「えぅ……あ、はい」 「あ、わ、私が脱がせます」 「ん……」  気配り上手な彼女に任せると、チャックを少しずつずらしてくれた。  ――ずるん。 「ひゃっ」 「っと」  ずらすと――必然的にそこにあるものが飛び出す。  冷静にと思っていたが、どうしても冷静でないそこはすっかり大きくなってしまっている。  驚いたのだろう。目を丸くしている氷織さん。 「す、すいません、自分ではどうにもなりませんで」 「い、いえ、お気になさらず」 「その……」 「……」 「こ、こうするん……ですよね」 「え……あの」  気付いたときには小さな体が翻り、腰のうえに腰を定めていた。  つやつやの髪が空を切る――。それくらい迷いのない動き。  暗闇のなか、真っ白に浮かぶ太ももの中央部が、自分のものめがけて下がってきた。 「わ、私、知ってます。男女……というのは」 「こんな……ふぅに」  ――ずむる。 「んくっ」 「ちょあ……氷織さ……」 「んんんっ」  とても無理だろうと思うサイズ差があるのだが、氷織さんは構わず腰を下げてきた。  狭い肉部は、驚くほど柔らかく蕩けて熱いジュースで満ちており、  それでも幼すぎてペニスを飲みこむには至らない。ぬっちりと生柔らかい感触が穂先を包むだけ。 「ん……くふ、く」 「あの……」  だから……たぶん、  その時点で自分には、拒むだけの自由はあったと思うのだが。 「……」  拒もうとしなかったのは、男として責任を感じるべきだろう。  ――にゅろんっ。 「くぅあっ!」 「く……っ」  もう一度力をかけられた亀頭は、滑り込むように粘膜と粘膜のはざまに進む。 「くぃは……ふぃあ、ふい……はあ」  ぎっちりとうっ血しそうな圧迫が穂先を絞る。  氷織さんの苦しげな表情と引き換えに。 「……はあ、はああ、はあ」 「……」 「く、クロウさんと……してる、んですね、私」  彼女はどこか感慨深げにつぶやくと、 「んんんっ」  そのまま腰を落としてきた。  ヌチリ、ヌチリ、粘膜自体の柔軟さに任せて狭い膣道の奥へ、奥へ。 「う……ぅ」  肉ヒダがペニス表面をスライドする……ぞわっと鳥肌の立つような快感だった。  い、いまさらだが、これはいいのか?  彼女が望むならとされるがままだが、倫理的にどうとか、色々と考えることがあるような。 「ぅう……んっ、んんんっ」  けれど彼女の方は迷いがない。  ――ぐちぅう。  無理やりに腰を落としきってしまった。  先ほどたっぷりなぞりまわした白磁のヒップが、こちらの腰にぶつかりぱうんと弾む。 「はああ、はぁあぁあ。は、はいり、ました」  なんだか責任感のような。やらなければならないことをやりきったような達成感に満ちた顔で言う彼女。 「はあ……はぁ」 「クロウさん……や、やりました、あは」 「は、はい」  なぜこんなことを?という疑問符は一向に解けないが、  とりあえず氷織さんは達成感に相好を崩している。  なら何も言えない。 「んは……ふぅ……はあ、は、は」  茎全体にねっとりとラビアがまとわりつき、キツく締めつけてくる。  内部はほぐれるだけほぐれているが――。  やはりほとんど裂け目に過ぎない、幼い秘肉に硬く膨れ上がったものがめり込むさまは、エロティックと言うより痛ましかった。 「んぅ、んぅう」 「痛みは……どうですか」 「ちょ、ちょっと。いえだいぶ」 「でも……えへへ、平気です」  痛みより達成感が勝るのだろうか。笑ってさえ見せる彼女。 「クロウさんは? 痛くないです?」 「とんでもない。こちらは――」 「ひぅ……っ」  どれだけ幼い粘膜でも、その柔らかさは大人のそれと充分にそん色ない。  むしろ子供らしいぷりぷりした弾力が強いやもしれない。ねっとりと全長を舐めてくる粘着感がたまらなかった。  ついペニスを反応させてしまう。 「んぅっ、んっ、う」 「すいません、つい」 「だ、大丈夫、です」 「もっと気持ちよくなってください。クロウさんが喜んでくれるなら……嬉しいです」  にちっ、にちっ。  氷織さんは自分の痛みに構わず、ギチギチの蜜部を必死に収縮させては、 「んっ、んっ」  可愛らしいヒップをくゆくゆ揺らせだした。 「クロウ……さん、クロウさん……」  目を閉じて、身内を暴れる痛みをどこか嬉しそうに受け止めながら、 「んっう、んふ、く……うぅふ」  華奢な腰部を左右へ、上下へ旋回させる。 「っは、ふぁっ、ああ、あっ、あっ、あっ」  こもり気味だった悲鳴が、どこか軽くなると同時にリズミカルにこぼれるように。  彼女のほうも痛みに慣れてきたようだった。 「はぁっ、んっ、はっ、んっ、んっ」  ――にるっ、にるっ、にっ、にっ。 「ンん……っ、くふ……っ」  潤滑油が増してきたのだろうか。動きもだんだんスムーズになっている気がする。 「く、クロウ……さん、硬いです、すごく、大きくて」 「ん……」 「あううう、すごく熱い……ですぅ」  困ったような、嬉しそうな、どちらとも言えない声で言う。  自分のものは、快感に従って雁を広げて一層彼女を追い詰めているのだが、 「んぁんっ、あんっ、あんっ、んっ、んっ、くぅ」  氷織さんは腰を止めない。 「はっ、あぁっ、はぁは、う、うふ、……んんんっ」 「痛みはどうです?」 「慣れました……んっ、んんっ」 「この痛さ……好き、です、わたし。はあっ、く、んんっ、んふう」 「んんんっ、んっ、んっ、んっ、んっ」  慣れたと言うのは本当だろう。腰のリズムがどんどん手馴れたそれになっていく。  ペニスを擦れる粘肉のリズムが、どんどん早まって、 「っ、っ」 「は……ああ、クロウさん、気持ち、いいですか?」 「……~」  さすがに恥ずかしいが、苦笑で肯定を返した。  こちらは最初から快感しかない。それもぞわぞわと迫りくるように大きくなっており、すでにかなりの強さになっている。 「……ンふ」  それが分かるのだろう。氷織さんは満足げに笑い、 「あっ、あっ、あっ、んふぁ……っ」  さらに激しく肢体を揺らす。  またがる身体は未成熟な子供そのもので、わななく姿もイタズラめいた色を思わせる。  なのにそれで生じる快感は、大人そのもので――。 「うあ……く」 「あは……っ、は、はぁ……」 「――っ!」  くぁ……っ! 「ふぅあ……っ!」  しまった。  何か考える間もなく、リズミカルに跳ねる腰に巻き込まれてしまった。  どぷんどぷん息せき切って放たれるエキス。  そのすべてが、腰を逃がすこともしない氷織さんの内部へと流れ込んでいく。  これは……不味いことをしたのでは。  という思いはあるのだが、それ以上に彼女の内部を満たしていく喜びがどうしても抑えきれない。 「ふぁあ、ああうあ、あつ……あったかぃ」 「あは……はは」 「……嬉しいです」  彼女も同じようだからなおさら。  ・・・・・  ――とさっ。  やがて糸が切れたように、氷織さんは力が抜けてそのまま横になった。  布団があってよかった。寝かせてあげる。 「はぁー、はぁー」 「はふ……はぁふ」 「……うふぅ」  意識にも限界が来たのだろう。そのまま眠そうに目を閉じる。 「……クロウさん」  眠りに落ちる直前、問いかけてきた、 「わたし、クロウさんのこと、嬉しくできました?」 「は……」 「私が何度ももらったぶん……あなたのこと幸せに出来ましたか?」 「……」 「もちろんです」 「……えへ、よかった」 「……クロウさん」  最後の方は、いまにも途切れそうな声で――。 「いつも私を……、……てくれて、ありがとう」 「これからも……」 「ずっと……」 「……~」 「……すー」 「……」  眠りに落ちる。  ずっと……か。 「……」 「はい」  ・・・・・ 「雪、強くなる一方だねえ」 「デスネ」 「こりゃあ今日もショコラはお泊りかな?」 「カナカナ?」 「いえーい」 「イエーイデース」  ハイタッチする2人。  仲のよろしいことだ。 「オリちゃんもいえーい」 「イエーイデース」 「……」 「あれ?」 「コーリ?」  氷織さんはまったく反応しないが、それは理由あってのこと。仲がよくないわけではないので念のため。 「あの、氷織さん」 「!」 「めるさん、めるさん学校です」 「え、まだ10分くらい」 「あれー」  逃げてしまった。  まあ仕方あるまい。氷織さん、酔っても寝ぼけても、記憶はしっかり残るようだし。 「どうしたんデス?」 「いまはそっとしておきましょう」  自分も考える時間が欲しい。 「オリちゃん、なにかあったの?最近ずっと変だけど今日は特に変だよ」 「……はい」 「……」 「遠まわしにいうと、私は犯罪者になりました」 「お、穏やかじゃないねえ」 (クロウさんと私の歳と性別が逆だったら確実に警察が動く事態です) 「ですので今後……最悪で私はもうフォルクロールにいられなくなるかもしれませんが、気にしないでください」 「気にするよ!」 「え、どういうこと!? さらっと今年最大級の衝撃の展開なんですけど!」 「はあ……」 「オリちゃんてば~」 「クローさん、ずっとボーっとしてマスね」 「ですね」  なんだかんだで、記憶を失って以降最大級に衝撃の夜だった。  あれは……なんだったのだろう。  氷織さんが酔って寝ぼけていた。それは分かる。  分かるのだが、なら酔って寝ぼけたところで、どうしてああなったのか。  布団にもぐりこんでくるなり、くっついてくるなりまでなら分かるとして、  あそこまでするのは……。 「……」 「コーリとなにかありマシタ?」 「っ、あ、えと」  朝、彼女がまた自分の部屋にいたことは知られている。つっこまれてしまった。  平静に返せない自分に、なにか察したのかショコラさんは小さく苦笑し、 「言いたくないなら聞かないデスけど」 「でも優しくしてあげてださいネ」 「ん……」 「コーリ、人付き合いが苦手というか」 「自分の気持ちを口にするのが苦手デスから」 「じゃね、また帰りに」 「はい」 「クロウ君、今日はどんなおやつ作ってくれてるだろ。う~今から楽しみだよ~」 「っ」 「オリちゃん?朝8時から早いです~的なツッコミは?」 「あ、いえ、すいません」  ・・・・・  結局その日は、 「ただいまー、おやつー」 「はい」 「……」 「えと、氷織さんも――」 「わ、私、部屋で宿題しています」 「……」  一日中気まずいまま。  仕方ないと言えば仕方ないのだが。  どうしたものか。 「……」  それでもめるさん、ショコラさんの手前、食事のときは普通でいなければならない。 「こんだけ雪がやまないと、明日は雪下ろしがいるかも」 「やっておきます」 「ボクたちが帰ってからでいいよ?」 「いえ、1人で充分ですので」 「……ボクもやりたい」 「分かりました、では半分ほどやっておきます」 「うんっ」 「じゃあその半分のほう手伝いマス」 「明日は午後から学校なので、朝のうちに」  空気自体はいつもと変わらないものだった。 「……」  氷織さんは普段から口数が少ないのでなおさら。  ・・・・・ 「んぅ、クローさん、眠そうデス」 「ん……ですね」 「少々早いですがお休みをいただきます」 「んっ、おやすみー」 「めるさん、食後のデザートはヨーグルトミックスを作っておきましたので、その分以上は食べませんように」 「ちぇ」  3人を残して引っ込む。  昨晩はあのあと、氷織さんを見守って一晩中起きていたからな……眠い。  ・・・・・ 「……さて」 「……」 「で、オリちゃん、クロウ君と何があったの?」 「う」 「何があったカは――、クローさんも言いたがらないので聞かないデスけど」 「コーリ、クローさんのこと好きなんデスか?」 「~……そ、そんな、なんで」 「あはは今さらなにショコラ。好きでなきゃ一緒に住まないでしょ」 「~」 「オリちゃん?」 「……あ、そういう意味の『好き』?」 「あう」 「べ、べつに私は、そんな、その」 「……」 「ちなみに、クローさんはコーリのこと好きデスよ」 「はいっ!?」 「あー、オリちゃんのことは特別気にかけてるよね」 「ハイ」 「そ、そんなこと、ないです。あるはず、その」 「いやあ気にかけてるよ。本人は気付いてないかもだけど」 「いつも見てマス」 「ちっ、ちがいますそんな、そんなこと……」 「……」 「あるん……ですか?」 「うん」 「ハイ」 「クロウさん……が」 「……~」 「……」 「だからコーリも、自分の気持ちには正直になってください」 「たぶん、それが一番いいと思いマス。たぶん」 「ショコラさん……」 「いいん……ですか?」 「ん……」 「だって、ショコラさんは、あの」 「……」 「ハイ」 「クローさんとコーリがHAPPYなのが、わたしにも一番HAPPYデス」 「?」  ・・・・・ 「すぴー」 「すやー」 「……」 「自分の気持ちに正直に」 (と言われても……自分の気持ちがまだ分からないです) 「……」 (それに私の気持ちがどうとかではなく) (まずはクロウさんの昔のことから考えないと) 「はあ」 「……」 「クロウさん……」 「はい?」 「わ!」 「あ、すいません、驚かせてしまいましたか」  ふと目が覚めたので外に出たら、氷織さんの姿があった。  驚かせたようで恐縮だが……。 「……」 「……」  今日一日持ちたかった、話し合いの時間が持てる。 「あ、あの」 「はい」 「昨日のことは、その」 「は、はい」  当然その話からになる。 「えと」 「す、すいませんでした。わたし、頭がぐちゃぐちゃで、よく覚えてなくて」 「は、はあ、自分も酒が残っていたのかやや前後不覚でした」 「ですからその、あの」 「け、警察に訴えると言うなら大人しく捕まりますし、その」 「はい?」 「だって、私のしたことは、その、無理やり、その」 「ああ……」  言われてみれば、自分と彼女の立場が逆であんなことになっていたら、それはもう警察が動く事案かもしれない。  マジメな人だ。 「自分と氷織さんの体格差を考えれば無理やりではないです。自分なら、抵抗しようとすればすぐですから」 「それは……そうですね」 「でもあの、やっぱり」 「なにより」 「自分の感情として、あれは同意のうえの。無理やりではないことですから」 「あ……」 「は、はい、ありがとうございます」  ありがとうを言われるのもおかしな感じだ。 「ただ『どうして』とは聞いておきたいですね」 「昨日……なにかあったので?」 「よくは覚えていないのですが、最初のほうで何度か自分がいなくなるとかなんとか」 「う……」  自分はここからいなくなる気はないのだが。  言うと氷織さんは、表情を落として。 「すいません、そこが一番酔ってたところです」 「というかそこ以外はその……クロウさんのキスでふわふわした気分で誘いこまれたというか、その」 「?」 「と、とにかく」  こほん、と咳払いひとつ。 「……すいません、自分でもまだよく分かっていません」 「ただクロウさんの……ことが、不安になって。それで、あんなふうに」 「……」 「すいません」 「あ……」  行ってしまった。  結局一番聞きたいところは聞けず。……というか彼女のほうも分かっていない模様。  うーむ。  この問題、尾を引かねばよいのだが。  翌日は朝から、ショコラさんに手伝ってもらい屋根の雪をおろすことに。  めるさんがやりたがった理由は、上にあがって分かった。  この店は大きな煙突があるので屋根の上の温度が高い。雪が溶けやすく、そのため近くの家々に比べて、つららが多かった。  これをごそっと取って落とすのがやりたいのだろう。  楽しみは取っておくべく、なるべく大きくて、けれど道には落ちそうにない塊を残した。  半分ほどなので、1時間もせず作業は終了。 「おはようございます。雪下ろしですか、せいが出ますね」 「はい」 「あ、村崎さんの家も積もっていますね。ついでにやっておきましょうか」 「いえ、小町がやります。雪下ろしはこの街の大切なダイエット源ですから」 「ただはしごは貸していただいていいですか?うちのは去年お母さんが壊しちゃって」 「はい」  立てておいたのを渡す。 「ありがとうございます」  さて、自分はケーキ作りを……。  む?ショコラさんはどこに? 「にゃー、にゃー」  あ。 「……すいません忘れてました」 「ひ、ひどいデス」 「さって、今日も気合いいれて行きますか」 「はい」 「また帰りにね、オリちゃん」 「はあ……」 「あの、めるさん、今日は別々に帰りませんか」 「なんで? おそのさんちはちがうよね」 「はい、でも」 「ちょっと……会いたい人がいまして」  ・・・・・  雪は強まる一方。  ショコラさんは結局お迎えを頼んで帰って行った。 「何日もすまなかったな」 「いえ」 「あ、これお土産にどうぞ。ミルクレープです」 「おお、ありがたい」 「……」 「なにか?」 「お兄ちゃんはミルフィーユが好きだから、そっちが良かったなーって顔デス」 「いやっ、そんなことは」 「今度作っておきますね」  お2人が去り、 「……」  店の中は静寂に包まれる。  昨日も客足は少なかったが、今日のこの天気ではさらに人は来ないだろう。  静かだ。  こうなると雪下ろしもやれればよかったな。時間を潰すものがなくなってしまった。 「……」  めるさんたちが帰ってくるまで、あと1時間ほど。  雪は強くなる一方だ。  ・・・・・ 「……」 「んじゃオリちゃん、ボク先に帰るから」 「どこに行くのか知らないけど、雪強くなってきてるよ」 「そうですね」 「今日は無理そうだと思ったら、私もすぐ帰るので」 「うん……あんまり危ないことはしないでね」 「はい」 「さて……と」 (と言っても……会える確証なんてないんですが)  ・・・・・ 「おおー、いい感じにつららが出来てる」 「大きなのを残しておきましたが」 「大きすぎるでしょうか。危険やもしれなせん」 「だいじょぶだいじょぶ。ボクもっと大きいの取ったことあるもん」 「無理しないでね」  帰ってきためるさんは、この悪天候にもめげずに雪下ろしを実行するようだ。  まあ言うなら止める気はない。自分も補佐しよう。 「ただいまー……おや、なにやってんだい」 「お母さん、早いね」 「この天気だし、早めにね」 「だってのにこの天気の日に、なに遊んでんだい」 「えへへー」  はしごを使って登っていくめるさん。  彼女はつららをはがしたいだけのようなので、上の雪は自分が落としていく。 「ったく、怪我すんじゃないよ」 「はーい」 「んしょっ」  はしごの途中で止まり、つららを剥ごうとするめるさん。  ――ピシッ、ピシシッ。 「んが……硬……ぁ~」  だが残したものが少々大きすぎたかもしれない。めるさんの腕力では難しいようだった。 「めるさん無理をなさらず、自分がやりますので」 「だいじょーぶだよこれくらい。ンっ、しょ~……」 「おいおいはしごの上でそんな――」  ――べきっ!  ちょうどそこで、つららの剥がれる気持ちイイ音が。  だが良いのは音だけだった。  ――ぐら。 「ふぁ」 「!」 「ひゃああ!」 「めるちゃん!」  ――どしーん!  落ちた。  つららが折れたせいで、力みの勢いがついてしまいはしごが倒れてしまった。  投げ出されためるさん。屋根の上にいる自分にはなにも出来ず――。  ――ざうっ!  飛び降りて見たものは、 「あ……ううう」 「いたたた」 「……お母さん、セーフ」  村崎先生が受け止めて下さったところだ。 「び、びっくりしたぁ」 「びっくりじゃないよこのおバカ。怪我したらどうすんだい」 「あははは、ごめんなさい」  幸いにも怪我はなさそうだった。 「屋根の高さから落ちるって怖いね。記憶を失っちゃうクロウ君の気持ちも分かるよ」 「お気をつけてください。めるさんが記憶を失ったら大変です」 「あはは、そうだね」 「まったく……」 「いてて、年寄りに無理させんじゃないよ。あたしまで腰がぎっくりしそうだよ」 「あわわ、ごめんなさい」 「……」 「…………」 「………………」 「あら?」 「どうも」 「どーも。今日はお1人かしら」 「はい。そちらは――」 「ひゅーん、ひゅーん」 「お2人。珍しいですね」 「そうなの。きなこは臆病な子だから、散歩は1人にしてあげるのよ。出ないと他の子に合わせて逆に疲れちゃうから」 「まあこれも私とマンツーで散歩したいってこの子なりの気持ちあらわれかもしれないわね、ふふふ、愛されてるって辛いわー」 「今日はこの後ついとろーねんしゅにってんとも一緒に遊ぶつもりで」 「……」 「なにそのシケ面」 「シケてるわけでは」 「むしろかなり喜んでいます。淡い期待にすがってここで待っていましたけど」 「本当に会えるとは思いませんでした」 「……わたしに会いに来た、と」 「はい」 「なぁに。またつまんない話でもしたいわけ」 「お宅のつまんない居候の話とか」 「……」 「クロウさんがつまらない人だとは思いません」 「ただそう言うなら、根拠は聞いておきたいところです」 「……」 「クス、そう」 「あいつのことに、本気で踏み込みたいの」 「……」 「……」 「でも残念ね。私は知らないわ」 「……森都さん」 「ほんとに知らないんだったら。会ったのも、あなた達と会うほんの数日前のことよ」 「だったらその数日前を教えてください」 「私たちの知らないクロウさんを、教えてください」 「……」 「あいつは……そうね」 「私の知る限り――」 「詐欺師」 「っ……」 「あれ……」 「どうされました?」 「雪、もっと強くなってる」 「む……」  見ると窓の外では、雪の降る向きが上下から、斜めに変わっている。  これはいずれ左右に変わるだろう。  吹雪くのも近いな……。  ・・・・・ 「……」 「……」 「詐欺師……」 「……」 「って言ったらどうする?」 「はい?」 「ご心配なく。あの、人を騙すのに向いてない朴念仁キャラは元からよ。詐欺師なんて一番苦手な職業でしょうね」 「……脅かさないでください」 「ふふ」 「でも、そう言ったらどうする?」 「……え?」 「あいつが詐欺師、ペテン師、犯罪者。幸せになるに値しない男だったら――どうする?」 「それでも好き?」 「……」 「わ、分かりません、そんなの」 「そう。恋心を自覚してるわけじゃないんだ」 「恋心って……」 「……」 「安心しなさい。あいつはあなたに、そんな残酷な選択肢を迫ったりはしないわ」 「あいつはいつも幸せな選択肢しか与えない。幸せになるか、そのままか。その程度の選択肢しかない」 「つまらない男」 「素敵なことだと思いますけど」 「まあそこら辺の価値観は人それぞれとして」 「でもだからって、考えなくていいことじゃないわねえ」 「……」 「あいつは文句なく善人よ。そこは信用していい」 「でもあなたがそう思いこんでいいわけではないわ」 「だってあなた今、一緒に暮らしてるんだもの」 「あいつのくれる幸せに甘えて、あいつがどんな人間か知らないでいるわけにはいかないわよねえ」 「……」 「はい」 「ふふ、恋は盲目っていうけど、自分のいまはちゃんと見えてるみたいね、えらいわ」 「ご褒美。こんな選択肢を用意してあげる」 「あなたはあいつに、どんな人間でいてほしい?」 「……は?」 「いまあなた、あいつが誰かなんてこと気にしてる?気にしてないでしょう。どんな人間でもいいと思ってるでしょう」 「それに何かしら回答が欲しいから、とりあえず分からない過去を聞くって形に逃げているでしょう」 「そんなこと」 「……」 「そんな……こと」 「……」 「ごめんごめん。言いすぎたわ、子供相手に」 「私はこれがダメなのよね。妙にキツい選択肢しか用意できない」 「安心しなさい。あいつはそんな難しい選択肢を迫ったりしないから」 「幸せを望む子に金貨を降らせる。ただそれだけの男だから」 「……?」 「……クス」 「ちょっとは言い方考えるとして」 「内容は曲げないわよ。あなたが望んでることはなに?あいつの過去を知ること?」 「そ、そうです。クロウさんにも大切な人がいたら――」 「ちがうでしょう」 「っ……」 「あいつに、いまは忘れてる大切な人がいたとして」 「そのひとより私を選んでほしい。でしょう」 「……」 「そんな……」 「本当に?」 「前も同じことが言えなくて、後悔したことがあるんじゃないかしら」 「っ……」 「……」 「そんな泣きそうな顔しないでいいったら。それは決して悪いことじゃないんだから」 「……」 「ま、一応質問には答えておくわ。あいつに帰りを待ってる人なんていないわよ」 「人、なんて」 「え……?」 「あなたたちがいる限り記憶も戻らないでしょうね。あなたたちが、あいつが側にいることを望む限り」 「私が……望む?」 「後は好きにしなさい」 「え」 「大切なのは、あなたの気持ち1つだわ」 「!?」 「も、森都さん? 森都さんどこに」  ・・・・・ 「え? え?いまここにいたのに――」 「消えちゃった……」 「くーん」 「おっとっと、きなこを忘れるとこだった」 「あ、普通に出てきた」 「じゃあねお嬢ちゃん。バァイ」 「きゃんきゃんっ」 「行っちゃった」 「……森都さん、クロウさんも」 「いったい……」 「……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「氷織さん」 「っ」 「く、クロウさん」 「どうされたのですこんなところで。あれは……森都さんですか?」  雪が強くなってきたので探しに出たのだが、思わぬところで見つけた。  吹きさらしの公園の真ん中だ。風も雪ももろにかぶる中、傘も差さずに立っていた。  去っていく犬を連れた人影は見覚えがある。が、雪が強すぎて少し離れただけでよく見えない。  少なくとも、外で立ち話するような天候ではなかった。  頭には雪が積もり始めている。さっさっと手で払った。 「んぅ」  くすぐったそうに受ける氷織さん。 「……」  それから、じっとこちらを見てきた。 「なにか?」 「いえ」 「クロウさんの正体がさらに分からなくなりました」  ?  よく分からない。  氷織さんは小さくため息をつくと。 「でも、私のことは少し分かった気がします」 「森都さん、不思議な人ですね。質問したことには応えてくれなかったのに、一番知りたかったことが分かった気がする」 「……クロウさんに似てるかもしれません。いつも私の欲しい回答をくれるところが」 「だいぶヒネくれてますけど」 「はい?」 「……」 「帰りましょうか」 「はい」  傘でなるべく彼女を守りながら店へ戻る。  その間氷織さんは、どこかすっきりした顔だった。 「前に教えてくれましたよね。奇跡は人が起こすって」 「え……はい」 「思ってみると私、もうずっと前にそれに触れてました」 「この街に来たばかりのときのことです」 「居候が始まったばかりの?」 「はい」 「本当はおそのさんの家に厄介になる予定だったけど、行けなくなって、フォルクロールに入ることになって」 「でもね、実はあの時、フォルクロールに行くのがすごく嫌だったんです私」 「え……」 「めるさんには内緒にしてくださいね。……おじい様にはうすうす感づかれてますけど」 「甘い物が体質的にダメな私に洋菓子店と言う時点でもう相性がいまいちですし」 「めるさんのキャラクターにも戸惑ってばかりでした」 「……」  確かに、どちらも氷織さんと相性がいいとは言えない。 「だから結果的に、フォルクロールがこんなに居心地がいい場所だったのは奇跡だった気がします」  現在は相性を越えて気に入っているようだ。一瞬緊張したが、杞憂に終わった。 「だからあの時、言わなかったのは結果的に良かったです。おそのさんと一緒にいたいって、言わなかったからめるさんや、クロウさんと会えました」 「……」 「……」 「だから今も、言ってしまうべきか迷います」  足を止める彼女。  赤い顔で、下を向いている。  傘を持っている自分にはどんな表情か覗き見ることはできず、 「クロウさんに、これを言うべきなのか迷います」 「……」 「いなくなってほしくない、ですか?」  先日、酔ったときに言われた言葉だ。  だが氷織さんはふるふると首を横に振って、 「それは逃げです。言うべきか迷ったから、いなくなってほしくないって遠回しな言い方に逃げてました」 「本当は、こう言いたかった」  顔をあげた。 「クロウさんに、側にいて欲しい」 「……」 「……って」 「言いたかった。言いたいです」 「言うべきなのか迷ってます」  言ってしまったあとで、恥ずかしくなってきたのだろう。ぶつぶつ続けながら下を向いていく。  可愛い人だ。  そんなこと改めてわざわざ迷わなくてもいいのに。 「……」  けれど『いなくなってほしくない』と『いて欲しい』のちがいが分からないほどこちらも鈍くはない。  ――がしっ。 「っ」  彼女の手を掴んだ。  もうずいぶんと冷たくなっている。このまま外にいては風邪をひく。  早く店に戻ろう。手を引いて帰ることに。  途中――。 「……その問いに」 「はい」 「応えは出来ません。自分には、どちらが正しいかは分かりかねます」 「そうですか」  正直な気持ちだ。自分にはまだ、自分という人間が何者かも分かってない。100%彼女の期待に応えられるかは分からない。  だが、 「でも言うにしろ、言わないにしろ」 「自分はあなたの側にいますよ」 「……」 「氷織さんが望む限り、自分は氷織さんの側にいます」 「氷織さんを幸せに出来うる限り」 「……」 「じゃあずっといてください」 「いまの私には、クロウさんが一番の幸せです」 「……はい」  分厚い雲は、しばしの休みに入ったのか切れ間から星空を覗かせている。  自分も氷織さんも、気恥ずかしさでそれを楽しむだけの心の余裕はなかった。  ただ2人して、逃げ込むように店に戻る。  この晴れ方とこの雪の量なら、今晩も妖精の夜は訪れるだろうか?  それすら考えている余裕もなく。 「あれ?」  戻ると、いつもと違い静寂が迎えたので氷織さんが怪訝そうにする。 「そうだ、言い忘れていました」 「めるさんですが、本日、お隣の村崎さんのうちにお泊りすることになりました」 「ど、どうして?」 「先ほどめるさんが屋根から落ちるという事件がありまして」 「めるさんは傷一つなかったのですが、受け止めてくださった村崎先生が足をくじいてしまわれました」 「今日は一日。あとこれからも何度か、先生のお手伝いのために外出することになりそうです」 「そ、そうなんですか。心配ですね」 「……え?ということは今夜は」 「自分と氷織さんの2人です」 「……」 「……」 「お隣ですので、氷織さんも言えば村崎さんのうちに泊めていただけると思いますが」 「いっ、いえ、大丈夫、大丈夫です」 「……私、よろしくないタイミングで告白したみたいですね」 「そうは思いませんが」 「とにかくもう店は閉めていますので、あとは片づけをするだけです」 「は、はい。あっ、えと、お手伝いします」  汚してもいい服に着替えてきて、掃除にかかる氷織さん。  自分は厨房を片づけに。  ・・・・・ 「……」 (2人……きり)  ・・・・・  いつもと同じ作業のはずだが――。  お互いギクシャクしていたのだろう。時間がかかり、終わるころには夜になっていた。  めるさんの作っておいてくれた夕飯を済ませ、 「……」 「えっと」  次の一歩がもう迷うところだ。  いつもなら自分の部屋で、こたつをはさんで談笑の時間となるところだが、 「……」  真っ直ぐ部屋へ来ることも、といって自室へ行くこともできず、立ち止まってしまう氷織さん。  ここは、  ――ぎゅ。 「っ」  自分が手を引くべきだろう。  どこへ進むべきか。  いつもの談笑の部屋ではない。  といって、彼女を1人にする部屋でもない。  つまり――。  ――とさっ。 「あう」  ベッドに座らせた。  座らせただけだが、自分に預けきっていたらしい。そのまま寝そべってしまう彼女。  前回とは真逆になった。 「提案があるのですが」 「は、はい」 「この前の……あれの、やり直しをしてもよいでしょうか」 「え、えあ、う」 「ずっと気になっていたのです。氷織さんにとって大事な一時だったのに、お互い前後不覚というのがどうも」 「今度こそ良い思い出になるよう尽力したいのですが、いかがでしょうか」 「と、遠回しに大胆ですね」  赤くなっている氷織さん。 「えと」 「やり直しは、いらないです」 「ですか……」 「はい」 「やりなさなくてもいい」 「あれは、確かに酔った勢いでも、私にとって大事な思い出なので」 「……」 「やり直しでなく」 「あ、新しく思い出を作るのは、お願いしたいです」  目を閉じた。  OKなようだ。  この前は……どちらから仕掛けるのが多かったっけ?  今日は改めて、こちらからキスを仕掛ける。 「ぁん……」  ふんにりと柔らかくて、湿った花の香りがする口唇。  触れているだけでゾクゾクするそこに、ゆっくり圧をかけていく。 「ん……く、ん……」 「~」  感じやすい氷織さんは、それだけでピクンピクンと全身を反応させた。  右と左の肩を、交互にベッドにこすり付けるように。長い髪をシーツに散らばらせるように。 「ああふ……ふぁ、ふぁ……うん」 「く、クロウさん……これ、って、キスですよね」 「え……はい」  当たり前のことを聞かれた。  氷織さんは少しためらうように考えて、 「な、なんだかおかしな感じ。キス、するの、クロウさんが初めてで、知らなかったんですけど」 「映画や、お芝居で、女優さんは簡単にしてるから。それを見てもっと簡単にできるものだと思ってました」 「でも実際やってみると……もう、頭の中がぐにゃぐにゃになっちゃうみたいな。女優さんってすごいですね」 「……でしょうか」  どちらかというと氷織さんが特殊だと思うが。 「はあ、はあ」 「ちょ、ちょっと待ってください」 「はい?」  一旦ストップがかかった。 「このまま続けると、私、あっという間にへろへろにされちゃいそう」 「私から……させてください。先に。クロウさんのこと気持ちよくさせたいんです」 「えと、では」  逆に自分がベッドに座らされた。  そのまま寝転ぶよう言われる。この前と同じ、完全受身に回って、 「今日はその……私がいっぱい触ろうと思うのです」 「前回もこんなふうだったのでは?」 「ち、ちがいますよ。とんでもないです」 「この前は……えと、キスのせいで頭がふわふわであまり覚えてないですけど。クロウさんにえっちなところ、いっぱい触られました」  責めるみたく言われる。 「背中とか胸とか、それで私、もっとさわってほしくて、とてもえっちな気持ちになってしまって」 「……~」 「あ、はい。言わなくてもいいです」  意味もなく自供したのに気付いたらしい。真っ赤になっているので、スルーしてあげる。 「だから今日は私がいっぱい触って、クロウさんをえっちの気持ちにするのです」 「もうなってますが」 「あうわ」  ぐいっと取り出したものを猛らせる。  そういえば、こうしてまじまじと見るのは初めてだ。氷織さんは目を丸くしていた。 「大きい……」 「あの、確認なんですけど、この前は本当にこれが私の中に入ったんですか」 「入りましたよ。それも氷織さんが主導で」 「生命は神秘です」 「……ちゅっ」 「っ」  不意打ち気味にキスがきた。 「今日はよろしくお願いします……ちゅむ、んっ」  先ほどのあの、蕩けそうに柔らかな感触がにちり、にちり、足踏みするように亀頭や裏筋にくっついてくる。 「熱いですね……この熱さは覚えてる気がします」 「この硬さも。形とか」 「でもよく見ると変な形です。先の方がつるつるしているのですね」 「ん、ちる、んちゅ」  確認と並行して、唇が踊る。  キスしたとき気持ちいい、わたがしのような柔らかな口唇は、ペニスが相手だと少々感触が弱かった。  それでも氷織さんに舐めさせているという背徳感で、快感以上の感覚にクラクラしてしまうが。 「はむ、はん」  唇はそのまま吸いつくようになり、 「……れろ」 「っ」  あるところで、とんがらせたベロを取り出してくる。  唇の優しい快感とはちがう感触が熱くいきり立った表皮を撫でた。  身震いしてしまいそうだ。 「あは……クロウさん、いま、なんだか」 「お恥ずかしい」  しかも『感じた』のが、的確に氷織さんに見抜かれる。 「ふふ、喜んでくれてよかったです」 「もっとしちゃいますね……んに、れろぉ。んまんま、んちむる」 「く……は」  急激に跳ね上がった刺激が、連続してきた。  差し出した氷織さんの舌は、おずおずとだが着実に自分のものに絡み、弾み、吸いついてくる。  強烈な感覚だ。 「こんな風にするのですね……んる、ちゅむる、んはっ、んちる」 「れろれろ、れるぅう、んち、にちるぅ」 「ちゅぱちゅぱちゅぷちゅぷ」  キスについてすら勘違いしている氷織さんはおそらく『性技』というものは知らないだろう。フェラチオという名前すら知っているかすら微妙だ。  だから技術らしきものはないが……。 「んちゅぷ、ちゅむちゅむ、れろぉお、んんち」  天性のもので、舐め方は分かっているようだった。  おしゃぶり上手。やや下品な表現が頭に浮かぶ。 「先を硬くして舐めるのがいいんでしょうか。んるっ、……んんんん……っ」 「でも柔らかくしていったほうがいい気もします。れろ……れろぉおおおお、れるれる」  あと努力家。どんどんコツを吸収していく。 「この、へこんでるところ、ここが良さそうですね。えむ、んちむ、ちゅぷんむ、んるんる」 「こっちのほうは……? 刺激、薄いでしょうか」  感度の低い根元のほうまでしっかりと。  気持ちいいだけでなく満足感たっぷりの舐り方だった。  さすがに小さな口に咥えるのは無理があるが、それでも小さな舌を目いっぱい活かしている。 「……」 「んっ、んっ、んっ、んっ」 「……」  ところで。  このままされるがまま。というのも、男冥利に尽きる状況ではあるが。 「これ、なんだかニオイがありますね」 「変な感じです……んちっ、ちゅむ、れるぅう」 「……」  されるがままの自分の目の前には、氷織さんのお尻が来ている。  目の前に迎えたペニスの相手で手いっぱいなのだろう。本人は気づいてない模様。  ならこのままそっとしておくのが礼儀だが、 「んっ、んっ、んっ」 「はあ……あはあ、熱いです、クロウさんの、すごく」 「触ってるだけで……変な気分」 「……」  さっきからもじもじと、そんなお尻が揺れていた。  先日と同じ動き方だ。  発情したときのダンス。氷織さんは無意識に出てしまうタイプらしい。  スカートがひらひら揺れて、つい……。  ――ぺら。 「んぅ……?」  めくってみた。  氷織さんは気づいていない。ちょっと熱かった下半身が涼しくなった。という程度。それよりおしゃぶりに熱中している。  ただすぐに気づくだろう。これだけ空気が流れれば、  びしょびしょのショーツが冷たくなってしまうはず。  ――ふに。 「きゅふ……っ」  この前と同じ。明るいせいで目で見ても分かるほど蕩けた果肉に下着越しに触れた。  さすがに気づいて視線を向けてくる氷織さん。 「も、もう、今日は私が……と言ってますのに」 「お互い触りあうのではどうでしょう」 「……激しくしないでくださいね」  自信なさげに眉を垂れながら、 「あむ……んちる、ちゅぷ」  自分はさらに激しく吸いついてくる。  前回の感じやすさから考えれば、あまり激しくはしないでおこう。刺激に慣れていないのでは辛いかもしれない。  そっとそっと、ショーツ越しに盛り上がった肉を押し揉む。 「んっ、くゆぅ……きゅふんっ、んんんっ、ちゅぷる、んちゅぷ、ちゅむぅ」  たちまち舌使いが不自由になった。  本当に感じやすいのだな。まだ土手を上から押しているだけなのに。 「はふん、あぅんン、んっ、んう……くふぅ」  この感度なら、前回みたく急いだりせず、じっくりと準備を整えれば、もしかしたら……。 「……」  ――うにうにうに。 「にゃぅっ、ひ、んんんんっ、優しくって言いましたのにぃ」 「すいません。ただ」  功を焦る気持ちが出来た。  にり、にり、柔らかく濡れたラビアを揉みつぶす感じでマッサージする。 「っふぁ、くひあ、ひ、んんっ、はひぃんん」 「ど、どうしよう……んぁんっ、つんって、つんって来ます……クロウさん。気持ちいいのが、あそこから、つんって」 「不快ですか?」 「いえ、あの、不快では」 「でも……あぅ、気持ち、いいのが、強くて、わ、わたし、なんだか」 「そのまま受け止めてください。悪いようにはしません」 「は……うふ」 「分かって……ます、クロウさんが悪いように、なんて」 「でも……あんっ、でもぉ」  小ぶりながら形よく突き出した臀丘を撫でまわし、内太ももにキスする。  外側からゆっくりと刺激を集めていった。 「あっ、あっ、ふぁあ……」 「あむん、んんちる、んちゅるぅ、ふはぁあん」  刺激ですっかり集中は欠いてしまったようだが、それでも不思議と舌は止めようとしない彼女。  変に律儀というか、 「んん……っ、んぅー……んるうぅう」  ふと気づいたのだが、こちらの指の動きにぬるーっ、ぬるーっと上下する舌が連動していた。  ――ちゅむ。 「ひゃぁあああん」  太ももの付け根ギリギリ、ショーツの食い込むラインにキスすれば、びんっと一度大きく体をそらして、 「あむ……ンっんんんん」  向こうもペニスに頬ずりしながら顔の位置を下げ、こちらの腿にキスしてくる。 「氷織さん……」 「あんふ、だって、すごく気持ちいいから」 「同じことすればクロウさんも……かなって。ダメですか?」 「とんでもない」  ちょっと苦笑しそうな気持ちはあるが、気持ちいいのには変わりない。 「はンむ、んち、にちぷ、にろにろ、ちゅぷる」 「っふん、くふん、くふぅ……」  下腹部からの刺激に慣れてきたのだろう。少しずつ落ち着いて、口唇奉仕に意識を戻しだしている。 「はんむ、んじゅっ、ぬろっ、ぬろろろ」 「ぷはう、はあう、はぁ、はぁ、んんむ、んちるぶ」  加えて――腰からの感覚で落ち着かないのだろう。舌使いが少々雑だ。  裏筋や雁首を這う舌使いが、大きく根元へ、大きく穂先へ。  これまでの繊細な、こう言ってはなんだが丁寧過ぎて物足りない舌使いに比べて、ずっと……。 「んん……んふぅう」 「なんだか、さっきまでよりもっと大きくなった気がします」 「はんむろ、んるんるんるんる、にちちゅ、るちっ、るちっ、んちむうう」  自分の興奮が分かるのか、氷織さんの奉仕は勢いをつけて激しくなってきている。  こちらもつい――、  ――ぬちちゅ。 「きゅひあっ」  微妙にクネつく腰をいじる手に勢いがついた。  とろとろになった内部がめくれているのが分かる。ショーツ越しに、肉が左右に分かれているのが。  ひし型に口を広げる内側の肉をくゆくゆいじくった。 「んんっ、くっ、くふうう、うふううう」  この前もここは弄ったっけ。同じような可愛らしい反応だった。  ――くに、くに、 「んっ、ふにっ、ふいいうううう」  第一関節ほど指をめり込ませて動かせば、それだけで細い総身はビクンビクン大きく飛び跳ねる。  指先には、ふやけきった肉の中に微妙に硬いポイントがあるのを感じた。  穴がぎちぎちに窄まっている。狭さを見せつけるようだ。  同時にそれだけの感度も感じさせて――、 「あっ、うぁ……んはっ」 「ん……」 「ああっ、うん……ンあっ。クロウ……さん、クロウさん、や、なにか変……変です」 「な、なにか……くるっ、ううううっ」  愛撫が本格的になった途端に氷織さんは音を上げた。  どうやら『快感』というものの行きつく先は知らないでいるらしい。  なら、なるべく優しく。 「いいですよ、ゆだねてみてください」 「自分を信じて」 「あう……」 「は、はい……あっ、あっ……!」  最初怯えた様子だったが、その肢体はすぐに自分への信頼で力を抜く。  股間から襲いくる未知の衝動に、迷わず身を預けて、 「っく……うっ、うううっ」 「うふ……ぅ」 「うぁあああああああああああああんっっ!」  ――びゅちっ、びゅるちっ!  白い太ももから細い肩口にかけて、電気でも流されているよう鋭く大きな痙攣が伝う。  同時にショーツの中で、それまでとろとろ流れるだけだったエキスが噴き出したのが見えた。 「……っ!」  感覚に追い詰められたわけではないが――。  ――びゅるるるるるるるるるっ!  それに合わせて自分も堰を切る。 「きゃはっ、ふぁっ、きゃああ……はっ」  びゅーびゅーと吹き上がるものは、目の前にある氷織さんの顔を直撃する。  しまった……彼女の絶頂に巻き込まれた形だが、ここら辺の気遣いを忘れた。 「くふぁ、くはう、な、なんです?」  絶頂感にうたれていると、急に顔にきた生暖かい感触に驚いたのだろう。目を白黒させている氷織さん。  もう少し気を使えるようにならねばな……。  一度体を離す2人。 「はあ」  氷織さんは力が抜けているのか、ごろんとそのままベッドに寝そべりなおした。 「大丈夫ですか」 「はい……でも、あう」 「まだぴりぴり……残ってます。さっきのが」  絶頂の残滓がずいぶんと長続きするようで、身体に力が入っていなかった。  ティッシュで顔についた分をぬぐいつつ、 「では……休憩しますか?」 「ん……」  改めて聞いておく。無理をさせるわけにはいかないからな。  彼女はすぐに意図をくみ取り、 「……」 「いいえ」  ここまではあくまでお遊びだと確認した。  ここからが本番だと。 「お願いします」 「はい」  足を広げる彼女の腰に手をやる。 「ん……っ」  まだ絶頂の名残があるのだろう。皮膚に触れるだけで小さくピクつくのが可愛い。  ――くるくるくる。  びちょびちょになっているショーツは脱がしにくく、肌を這うように丸めて取っていった。さらに一緒に服を捲りあげた。  そう言えば前回はよく見ていなかったか。産毛すら生えそろっていない、幼い恥宮があらわになる。 「……」 「あ、あまりじっと見ないで下さい」 「失敬」  つい見惚れてしまった。  こんな、異物どころか広げるのすら躊躇われる幼い作りに、自分のものをいれてよいのか。  というか一度は入ったのは事実だったのか。色々考えてしまう。 「いきます」 「は、はい」  だが時間をかけると彼女を不安にさせる。そのまま覆いかぶさるようにして、 「あ、あの」 「なんでしょう?」 「ぎゅって……抱っこする感じで、お願いできますか?」 「……前からクロウさんに、ぎゅってしてほしくて」 「……はい」  キスより抱っこのほうが好みなのか。  小さい身体を、痛くしない程度に抱きしめながら、  ――ぬり。 「ッんふ……っ!」  穂先を充血した肉部にあてた。  裂け目はもう果汁たっぷりに濡れているので、すべりは良いし、柔らかくほぐれている。  力を込めて行けば――。  ――ぐむ、ぐぬぅう……! 「んっ、んんんっ」  ヒダの断層がスライドする感じで、ペニスを迎え止めて行った。 「痛みはありませんか」 「少し……でも続けてください」 「この痛いの……私、好きです」  そういえば前回も同じことを言っていたな。  結合の圧迫感。それは言い換えれば痛みなのだが、  愛情と言うオブラートが、彼女の場合人より厚いようだ。 「く、クロウさんは……どうですか?」 「ん……そうですね」  舐めてもらうより、ぎゅっと握られるに近い、キツめの快感。  ただその快感を、氷織さんががんばって与えてくれるのは少々悪い気もする。 「総じて満足感、という気持ちでしょうか」 「そう……ふふ」 「あの、こ、この前みたいに私、腰を動かした方がいいでしょうか」 「ん……いえ、別に」 「じゃああの、クロウさんに任せていいですか」 「私もう、お腹から下が、幸せな感じでいっぱいで。麻痺しちゃってます」 「……了解しました」  彼女のほうも同じく満足感で満たされている。  それが分かれば充分だった。 「では……痛かったら言ってください」  ――くんっ。 「んひうっ」  雁首にまとわりつくヒダを、ほぐす感じで腰を前後させる。  氷織さんの小さな身体には、それだけでもお腹全体が跳ねるくらいの衝撃だった。  びっくりした粘膜が収縮する。全長にくっつくよう、絞るようぐいぐい寄り添ってくる。 「痛くはないですか」 「だい……じょぶです、はんっ」  幸い粘膜の方は、一度経験があるせいか柔軟だった。  ――ぐっ、ぐっ、ぐっ、ぐっ。  腰を動かせば、  ――キシ、キシ、キシ、キシ。 「んっ、んっ、んっ、んっ」  ベッドのきしみに連動して、氷織さんの声が舞う。  痛がっている感はない。  試しに――、  ――ニュルリ。 「っふぃっ」  ――ずむぅ。 「んんん……っんぅっ」  震動だけでなく、わずかに引いて、突きなおしてみた。  粘膜が強く摩擦される感触――けれど。 「っふぁ、くふぁ、くふう」 「んんふ、ふ、ふうう、んふっ、くふぅん」  氷織さんの声音に不安そうな色は、小さな当惑しか感じない。 「痛みは大丈夫そうですね」 「は、はい。この前のより……ずっと」 「はぅ……んっ、んんんふ、んぅん」  ずいぶんと慣れが早かった。  とはいっても繊細そのものな粘膜は幼く、小さい。自分のものとはサイズがちがいすぎる。  乱暴にはできないが――。  ――ぐいっ、ぐいっ。  乱暴でない程度に、大胆に突きこんでやった。 「くふっ、ふぅうう、ぅんんは、あああ」 「あっ、ああああっ、んぅく、クロウさん……あは、なんだか、なんだか変な気持ちです」 「先ほどと同じです。素直に受けてとめてみて」 「は、はい……あは、はぁあ」 「ぁ……んんっ、はんん、んぅ、う、ううう」  幸いにも氷織さんも素直なもので、全身を開いて感触を受け止めていた。  広げた足の付け根では、まだ発達前なのだろう。突起にも見えない小さなクリトリスが見える。  それが内部から硬い物に押し出されるよう膨らんで、ぴんぴん跳ねているのがエロティックだった。  ――ぬにっ、ぬにっ、ぬにっ。 「くあふぁああ、はぁああっ、あああんっ。はんっ、ぁんっ、はぁんっ」  いわゆる『濡れやすい』体質なのか、潤滑油が多めなのも味方する。  ぬるつく隙間には、サイズ違いのペニスでもスムーズに抜き差しできた。 「んくんっ、うんっ、ぅうんっ、うあん」 「あっ、ああう、クロウさん、クロウさん……、やんっ、なんだか、私、なんだかぁ」 「楽になさってください。感覚に身をゆだねて」  ぐいぐいと奥を絞るこちらの雁の衝撃に、氷織さんの声音が変わっていく。  いつもの子供らしからぬ知性的なそれが、とろけて、赤ん坊みたいな甘え声に。 「あぁあああんンクロウさぁんっ」  それに合わせてぎゅーっとしがみ付いてくるのが可愛かった。  この甘え上手といつもの彼女。どちらが本物の氷織さんなのだろう。  ――ぐにっ、ぐにっ、ぐにんっ。 「きゃふううう、うううんっ、うぁあああん。奥、ふぁ、刺さる、みたいに、あぁあああ深いですうう」 「ああはっ、はあんっ、あんっ、あんっ、ああああ」 「ん……氷織さん?」  いつしか重ね合わせた腰部に違和感が。 「はぁっ、ふぁ、くふぁ、ふぁああん、ああんんん」 「……」  下敷きになった彼女のほうも、腰をくねくねと揺らしているようだった。  もちろん体重差が全然ちがうので衝撃は弱い。けれど、確実に。 「やう、や、あんんん、私、はしたないです」 「でも止まらないぃい」 「それでいいんです。存分に楽しんでください」  リズミカルに使っていた腰を少し抑え目にした。 「あんっ、あんっ、あんっ」  彼女の腰づかいを邪魔しないように。 「はああ、ふぁああ、ああああ」  氷織さんの腰づかいは、リズムとは無縁のものだ。ただただ快感に変わる衝撃を自分の内部にぶつけるもの。  時おりイイところが見つかるのだろう。ぐりぐりっとブリッジするよう腰を反り返らせるのが氷織さんのイメージから意外なほどいやらしい。  理性が限界にきている証拠だった。 「もっ、やん、クロウさん、もう私、私……」 「いつでもどうぞ、自分も同時に……ですね」 「は、はい……んあっっ、ひぁああん」  反り返りが強くなってきた。  ベッドをぎしりと大きく慣らして、小さな身体は伸し掛かる自分を押しのけたがるよう大きくバウンドし、 「あああふ、ふぁああああふ、ふぁあああ、ああああぁぁあ……っ」 「あっ、はっ、ひゃっ、くぁああん、あああん」 「んあ――!」  最後に、癖なのだろうわなわなっと全身を痙攣させた。 「ぁぁあああああーーーーーーーーーーーーーーーっっ!」 「はぁあ、ひゃああああ、あぅうううあああ」 「あぁあぁああーーーーーーーーーーーーーーっっ!」  ビクッ、ビククッと悶えるように強烈な振幅が自分まで伝わってきた。  く――。  ――びゅるるるるるるるっ! びゅくるるるる! 「わわっぷ」  すんでのところで腰を引いた。  二度目とはいえ大量のものが、腰部一帯を汚していく。  それこそ先ほど汚した顔まで届きそうな勢いだった。 「んふぁ、くふぁ、ふぁああ」 「……」 「はあ、はああ」 「……こ、これで終わり、ですか?」 「はい、お疲れさまでした」 「……あは」 「え、えっちなこと、って、まだ早いと思ってたけど」 「すごく幸せな感じ……癖になっちゃいそう」  いま更になって満足感が来たのか、幸せそうに顔をとろかす氷織さん。  ……いかん。 「んぅ?」  出したばかりで萎えかけたものが、そんな表情にまたむくりと反応してしまった。 「クロウさん?」 「いえ……すいません」 「……」  氷織さんはちょっと驚いたあと、小さく苦笑し、 「じゃあ今度は、この前みたいに私が上のをしてもいいですか?」 「え」 「ほらほら、寝てください」  ベッドに引き倒される。 「ちょっと腰がフラフラですけど何とかなると思います」 「倒れそうなら支えてくださいね」 「は、はい」  楽しそうにまたがってくる氷織さん。  氷織さん……大人しいと思ってたけど、  こういうことにはアグレッシブなのかな? 「でねー、おばさんの足、結構悪くしたみたい」 「知らないところで大事件だったのですね」 「しかも両足だからもう」  氷織さんのことで手いっぱいで忘れていたが、  めるさんを助けてくれた村崎先生が大変なことになっているそうだ。 「で、さすがにボクも責任を感じまして。足が治るまではおばさんのこと補佐しようと思うの」 「必然的にうちの仕事をする時間が減っちゃうんだけど……」 「いいかな」 「自分は構いません。先生が必要なようになさってください」 「お店のことなら私がいますし、たぶんショコラさんも手伝ってくれますので」 「うんっ。よろしくね」 「ボクがいないときはオリちゃんとクロウくんが2人きりになるけど――」 「っ」 「……」 「平気だよね、2人とも仲良しだもん」 「は、はい」 「……ええ」  正味のところ、『平気』ではない事情もあるのだが……。  仲良しなのは確か。なんとかなるだろう。  めるさんはその日の学校帰りから、さっそく村崎先生を手伝うことになった。  村崎先生は、足以外はどこも問題はないとのこと。やや不便になった程度だとか。  なのでその分、めるさんの補佐が大きく、忙しかった。  ちなみに、 「おしゃめるちゃんキターーーーーー!」 「おじいちゃんうるさい」 「しばらくカルテ整理するから、そのうるさいジジイを黙らせとくのがあんたの仕事だよ」 「やったーーーー!」 「もう」  副産物的に大喜びな人がいたのはいいとして。 「……」 「……」  問題はむしろ、こちらのほうだった。 「……」 「……」 「……」 「……」 「あ、営業時間終わりましたね」 「で、ですね。看板を下げます」 「はい」  めるさんのいないフォルクロールは、それだけでミュートボタンが押されたようなものだ。  ましてや今日はもう、タイミング的に最悪である。 「めるさん、遅くなるそうです」 「そ、そうですか」 「……」 「……」  昨日は2人ということで盛り上がったが――。  盛りあがれた分、今日の気恥ずかしさがすごかった。 「わ、私、部屋に行きますね」 「はい」 「……」 「きますか?」 「え……」 「……」 「と……」 「ど、どうしたらいいでしょう」 「私は、来てほしい気がします」 「でも来たら来たでどうしようという気持ちもあります」 「そ、そうですか」  一度間を置くことに。  どうしたものか。  お互い気持ちはもう決まった。決まっただけの行動もとった。  が、そのぶん身動きが取れない。  今日も……と誘えばガツガツしているようだし。では何もしなければ冷めているようだし。  どうしたものか。 「……」 「失礼します」 「は、はい」  冷めているとみられるよりはガツガツしていると見られたほうがマシだ。会いに行った。 「その」 「は、はい」 「……」 「……」  話題が続かない。  めるさんの偉大さがこの状況になって浮き彫りになった。  とにかく、会うことは大事だとして。  あとなにかしていないことはないか?  何か足りていないことは……。 「あ」 「はい?」  ふと気づいたのだが、  テーブルの上に見慣れた缶の箱が出ていた。  氷織さんの秘蔵品。チョコレートだ。 「こんな時間にデザートですか?」 「い、いえ、そういうわけでは」 「ただその、クロウさんに会いに行くのに勇気がなかったので、勢いを、というか」 「……ああ」  酔っぱらった勢いで。か。酒の力に頼る中年みたいだな。 「こういうの、良くなかったでしょうか」 「そうは申しませんが、この時間に大量に甘いものを食べるのはよくないやもしれません」 「……ですね」 「……」 「自分から会いに来ますから」 「そ、そうですか」  真っ赤になる彼女。  うーん。  自分も含めて、どうも関係性がちぐはぐだった。  彼女が自分を必要としてくれるのは分かるし、自分も必要とされて嬉しい。  それで肉体的に、そういう理由付けも行って……けれど。 「……」 「そうだクロウさん、これですけど」 「はい?」  ふと、チョコレートの箱を片付けようとした氷織さんが、逆に箱を開けて見せた。 「少し、食べてみます?」 「ん……よろしいので?」 「はい。私も、酔おうとするわけでなく食べたいので」  広げた箱を差し出してきた。  5×7で35個。1つ5センチほどのスペースが取られ、そのなかに3センチほどの大きさのチョコレートが並んでいる。  いかにもな高級品だった。 「これは、味がちがうのですか?」 「はい。これがブラック、こちらがハイミルクで、こっちはガナッシュ、アーモンドが入ってるのがこっちです」 「……見て分かるのですね」 「毎回このシリーズを買っているもので」  意外とヘビーユーザーらしい。  王冠やハートなど、見た目のちがいはあっても味の予想はつけにくい形状なのに。 「本当にチョコレートがお好きなのですね」 「ですね。出来れば毎日ばくばく食べたいくらい」 「クロウさんが仰ってた私にも食べられるビターチョコレートケーキ制作」 「あれ、クロウさんを好きになった理由の比重で結構大きいかもです」 「ですか」  もので釣ったみたいでナンだな。 「~」 「どうされました?」 「い、いえ、なんでも」  ?なぜか不思議なタイミングで顔を赤くしていた。 「えと、これ、これがおすすめなんです。見た感じは普通なんですけど、中がホワイトチョコで」  誤魔化すみたいに箱を押しつけてくる。 「それでは」  せっかくなのでそのお勧めをいただいてみた。  ふむ。ふむ。 「おお、なるほど」  通常のチョコレートとホワイトの香りの差が心地良く連続してくる。  こんな仕立て方もあるのか。チョコレートと一口に言っても奥が深い。 「たいへん優美で、素晴らしいですね」 「でしょう」  勧めた氷織さんも得意げだった。 「私はこっちを」 「~♪」  舌に乗せて、トロけていく感触に頬をとかしている氷織さん。 「これはちょっと堅めに作ってあるので、溶けるのに時間がかかって美味しいんです」 「なるほど」 「途中で噛んじゃう誘惑にあらがうのが大変ですけど」 「あ、これも堅めのなんです。クロウさんもやってみてください、噛まずに、舐めるだけで」 「ん……はい」 「はい」 「っと……」  差し出してくる。  これは……。 「では」  はむ。  いただいた。 「あ……」 「わ、わたす、だけの、つもりだったんですけど」 「あ、すいません」  手ずから食べてしまった。  いわゆる『あーん』の形だ。氷織さんが顔を赤くする。  前も同じことをしているのにな。純情なのは変えられないか。 「いえあの、いいんですけど」 「あ、も、もう1ついかがですか」 「んぅ、それでは」  まださっきのを口で溶かしてる途中なのだが、ゆっくり食べるよう言ったのを忘れたらしい。もう1つ差し出してくる氷織さん。 「あ、あーん、です」 「……はむ」  いただく。  味はもう分からない。 「えへへへ」  嬉しそうな氷織さんで頭がいっぱいだった。  意外だ。こういうノリ、好きらしい。  ならもっと。 「お返しをしなくては。これ、美味しそうですね」 「あ、はい。それはクルミのペーストを……」 「あーん」 「んぅ」  仕返しが来るとは思わなかったのだろう。目を丸くしている。 「えと、あの」 「あ、あーん」  でも応じてくれた。 「いかがです?」 「よく分からないです」  真っ赤になって、半分だけ食べた。 「はう……酔っぱらう前にのぼせそうです」 「……」  あれ? 楽しいぞコレ。 「チョコレートのお味はいかがでしたか」 「だ、だから、恥ずかしくてよく分からないです」 「それはいけませんね」 「ひゃっ」  小さな体を抱き寄せた。  ひざの上に乗っける。自分と彼女の体格差なら軽いものだ。  まだ半分残っているチョコレートを、改めて取って。 「はい。改めて」 「あ……うう」  恥ずかしがる氷織さんだが、膝に乗っけられていては逃げ道がない。  なにより氷織さんは、たぶんこういう『恥ずかしいの』が好きだ。 「あ、あー……ん」  はむ。と改めて全部食べた。  その時ちょっと多めに加えこんで、自分の指も食べる。  抗議のつもりなのだろう。もにゅもにゅと桜色の唇で甘噛みしてきた。  可愛い。 「んぅ」 「く、クロウさんもどうぞ。あーんです」  やり返したいらしく続けざまに来る。  ならここはポイントを外して、 「いただきます」 「あ」  差し出されたチョコを指でつまんだ。  驚く彼女に、逆にそれを差し出す。 「あ、あーん……」  観念したよう口を開いたら、唇に乗せて、  ――かぷ。 「んぅ」  そこで食べた。  チョコレート一粒を、2人で口に咥えあう。  キス寸前の顔の距離に、氷織さんは目を白黒させた。 「あう、うう」 「……」  寸前。ではあるがそれ以上はしない。  あくまでチョコレートを挟んでいる……。 「……」 「んむ」  彼女からしてくるのを待った。 「……」 「ふは」  ほぼ口移しでチョコを渡して、ため息をつく氷織さん。 「く、クロウさん、なんだかこういうこと慣れてませんか」 「そうでしょうか」 「記憶を失くす前はすごい女の敵だったのかと不安になります」 「それはないと思いたいですが……」 「こういうのはお嫌いですか?」  ひざに乗せたままなので、そのまま頭を撫でてみた。 「あふ」 「こ、子供扱いされてるみたいで、微妙です」 「ではやめましょうか」 「えっ、もう?」 「……もうしばらくしたら」  ――なでなで。 「んふぅ」  幸せそうに頬をとろかす氷織さん。  大人っぽいけれど、こういう子供扱いも好き。  長い髪を撫でられていると、やがてうっとり目を細めていく。 「……」 「クロウさん」 「はい?」 「私、クロウさんの恋人さんになりたいです」 「……」  なりたいも何も……。もうそのつもりだが。 「でも私じゃまだ足りないかも」 「足りない?」 「私、まだまだ子供です。クロウさんに甘えてばかりで」 「だから恋人さんに、対等な男女になるには私じゃまだ足りないと思います」 「そんなことは」 「でも」  自分の言葉を遮る彼女。 「いつかクロウさんの、恋人に相応しい大人になりますから」 「それまではこうして、いっぱい甘えていいですか?」 「……」  そんなことが言える時点で、『まだまだ子供』とは思えないが――。  ともあれ、 「お好きなように」 「自分は氷織さんが子供でも大人でも、氷織さんに必要とされる存在であるだけです」 「はい」  ……このくらいの距離感が妥当だろう。  胸を張って恋人だと名乗るような仲ではない。  けれど世の恋人たちよりずっと、お互いに大切な存在でいつづける。そんな距離感。  まだ恋なんてものに疎そうな氷織さんにはそれが一番いいはずだ。 「えへへ」 「えと」 「あ、きょ、今日はえっちなことします?」 「その言い方はどうかと……」 「氷織さんのお身体はよろしいのですか?朝は足を引きずっていました」 「実はまだちょっと股関節が痛いです」 「では今日は休みということで」 「いえっ、でもあの、ですね」 「……痛いけど、このままでも、ちょっとしてみたいというか……」 「……」 「えへ」 「では――」 「あ……っ」  もちろん、  進めるべき部分は、しっかり進めた上で。  ・・・・・ 「ただいまー!」 「!!!」(がばっ!)  あと時と場合は考えよう。 「ふんふんつまり」 「チョコレートの、食べさせっこをしました」 「最初はあーんって感じで。でもクロウさんが意外とお調子者で、口で取り合うことになって」 「最後は……いえ、ここで言う事ではないんですけど」 「ふむふむ」 「つまりあれだね。そいつは、いまのあたしと旦那の状態をレベル10として」 「レベル6は行ってるね」 「け、結構高いのですね」 「ちなみに、レベルどれくらいからが恋人さんなのでしょうか」 「いや恋人のレベルの話。カップル成立ってだけならレベル1だよ」 「あたしらレベル10は出産。9で妊娠8で結婚。7はチョメチョメだとして、6はもう恋人の中でもだいぶハイレベルだよ」 「そ、そうなんですか」 (じゃあもうレベル7なんですね……言えないけど) 「かぁ~、クロウ君だっけ?意外とやることはやるタイプなんだねえ」 「2人きりだとナンパなタイプ……ちとうちの旦那に似てるかも」 「はい?」 「なんでもない」 「……」 「?」 「朝からずっと満足~って顔してるのはそれが理由かい」 「あう」 「そ、そんなに顔ゆるんでますか」 「緩んでるねえ。ゆるっゆる」 「彼氏の攻め方、意外とツボだったり」 「わ、我ながら、子供扱いが嫌いでないみたいです」 「なっはっは、そこは予想ついてたよ」 「もうじきお姉ちゃんになるのに、困ったもんさね」 「あ……はい」 「あと1ヶ月?」 「予定じゃ3週間。遅刻も前倒しもあるけどね」 「もうちょっとで会えるよ。仲良くしてあげてねお姉ちゃん」 「はい」 「こうして通院に付き添ってもらうのも今日で最後かねえ」 「ん……そっか。来週からは」 「旦那が戻ってくっから、あっちにやらせるよ」 「長い事ありがとうね氷織」 「いえ。またなにかあったら、なんでも言ってください」 「ちわー」 「いらっしゃいませ。村崎医院へようこそ」 「ってオリちゃんにおそのさん」 「なにやってんだいそんなカッコで」 「今日のボクはナースさんなんだ。だから格好から気合い入れようと思って」 「ナースでその服?」 「意外と完璧なんだよ。とくに衛生面では」 「フリルとか多いけど引っかからないような作りになってるし。今度からうちの病院、みんなこの服にするかねえ」 「でも接客にお店のくせがでちゃうんだよね」 「お客様一名、奥の間にご案内でーす」 「めるさん。フォルクロールでもそんな飲み屋みたいな掛け声してないじゃないですか」 「準備できたよ、こっちへ」 「おねがいしまーす」 「足、骨折? 大丈夫かい」 「骨はイッてないし、触診くらいなら出来るから安心しな」 「機材を動かすのは一苦労だけどね……おら助手。エコー機の準備」 「いえっさー!」 「なんだかんだでめるさんも楽しそうです」 「というわけで、おそのさんもめるさんもとくに変わりなしでした」 「おつかれさまデス」 「お母さんも、めるちゃんに手伝ってもらうのは楽しそうよ」 「心配事がいくつかありましたが、万事順調なようですね」  いいことだ。 「ん……」 「なにか?」 「いえ、1つ」 「ようやく治り始めたみたいだね」 「大丈夫かね……」 「いまの時期からならギリギリ間に合うさ。心配せずに待ってな」 「って、おそのさんがちょっと不安そうにしてて」 「でも聞いても何があるのか教えてくれないんです。治り始めた、ってなんなんでしょうか」 「治る……?なにかしら感染症でもあったのでしょうか」 「心配ね」 「元気そーデシタけど」 「何かあるならあるで、私なりに支えたいです」 「ああ、今日は何を?」 「あ、ハイ」 「コーリ用のビターチョコケーキ、さらにさらに改良を重ねて、食べやすくして見マシタ」 「生地にエアを多く含ませる方法を教わりました」 「とっても美味しいわ~」  いま試食していたところだ。  甘党の小町さんでも大満足な出来。今回はかなり自信がある。 「楽しみです。いただきます」  さっそく氷織さんにも試してもらう。 「わあ」 「デショ」  自信満々に笑うショコラさん。  自分も表情はかなり緩んでいたと思う。 「クロウさんは腕はいいデスが、これまでふくらしがメレンゲに偏り過ぎてマシタ」 「そこでベーキングパウダーの配合をいろいろ試してちょーどイイ焼き具合を試してみたのデス」 「ガトーショコラは堅めに作る。という先入観でこちらの可能性は忘れていました」 「ミルクレープを作った経験も生きましたね。あれは膨張が水分頼りなので、発想を変える転機になりました」 「ネー」 「はい。柔らかめにすると苦みやエグみが出てしまうものですが、そのぶんをベーキングでですね……」 「えと……」 「よく分からないわよね」 「美味しい、でいいのよ」 「そうですね」 「すごく美味しいです」  ショコラさんが帰ったあと、一度復習のために作りなおしてみた。  えっと、こうして、こうして……。 「……」  ? 「氷織さん、なにか」 「いえ、あの」 「……私にも手伝えること、とか、あります?」 「はい?」  珍しいな。厨房での仕事に入ってくるなんて。  氷織さんは手先が器用ではないので、普段はこういう作業はやりたがらない。  なにか手伝おうというときは、例えば道具を洗ってくれたり、掃除してくれたりと、自分の得意な分野でがんばる方だ。  よく言えば分をわきまえた。言葉をかえればやや気を配りすぎている子なのだが、 「……」  拗ねたような目で見上げてくる。  ふむ。 「では、ベーキングパウダーをお願いできますか。こうして、ふるいにかけてですね」 「はいっ」  役割が分かると嬉々として手を伸ばしてくる。  やはり珍しいな。  事情は分からないが、こんな顔をしてくれるならそれでいいだろう。  ・・・・・  ――ボンッッ! 「ば、爆発した!?」 「ベーキングパウダーが多すぎましたね」 「あうう……す、すいません」 「いえ。自分もまだ勝手が分からぬことですゆえ」  芳しくない結果が出たのは残念だ。  ・・・・・  夜――。 「今日は少々冷えますね」 「先週より大きな低気圧が来ているそうです。ひょっとしたら先週以上の吹雪になるかもって」 「小町さんのおっしゃっていたやつか……。とうとう来るようですね」 「はい」 「……どんより」 「さっきのことはお気になさらず」  ケーキが破裂した釜の掃除のあたりから、氷織さんのテンションが低い。  気持ちは分かるが、そんなに気にせずともよいのに。 「……」  時おりじーっとこちらを見つめては、 「はあ」  ため息。  どうしたんだろう?落ち込んでいる、とも微妙にちがうような。 「……」 「ショコラさんってすごいですよね」 「ショコラさんですか?」 「クロウさんとはベストマッチと言う気がします」  ベストマッチ?よく意味が分からないが、 「大いに助けられていることは確かですね。お菓子作りはショコラさんが教えて欲しい。と来る形になっていますが、自分の方が教わることも多いです」 「生徒であり先生でもある。そんな方です」 「可愛いですし」 「?まあ、そうですね」  猫みたいで可愛い。 「むすー」 「???」 「なんでもないです」  よく分からないが今日は妙にご機嫌斜めだった。  よく分からないが――。 「氷織さん」 「う……」  ぽんぽんと膝を叩く。  氷織さんはちょっと迷った後、  乗ってきた。  ひざの上で抱っこされるのが好きなのは、最近の感じで分かっている。  ぎゅっと抱きしめた。 「んぅ……も、もう」  なぜ拗ねてしまったかは分からないが、 「……もう」  すぐに力を抜いて甘えてくる氷織さん。  心地良い体重がすべてこちらに預けられる。  よく分からないが、  甘やかせておこう。頬や髪を撫でた。 「んふ」  目を細める氷織さん。 「クロウさんは、ちょっとずるい気がします」 「そうでしょうか」 「そうですよ」 「こうされてると、幸せでいっぱいになって。全部なんでもよくなっちゃう」 「そういうところ好きなんですけど」  うとうとしてきたのだろうか。ちょっと眠そうな声だった。  このまま眠らせるのもいいか。ベッドになって、小さな体を抱っこし続けた。  氷織さんは幸せそうに力を抜いて――。  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ――バシャァアアアンッッ! 「!」 「な、なんでしょういまの音」 「見てきます。お待ちを」  ガラスが割れるような音――しかもかなり大きかった。  軽くは聞き流せない。ありていに言えば、危険を感じる音。  外に飛び出す――。  だが。 「……なんだ」 「クロウさん、いまの音って」  お隣まで聞こえたらしい。飛び出してきた2人に、苦笑しながら軒先を指さす。 「つらら、ですか」 「はい。これが落ちたみたいです」  先日めるさんが処理したところに、また新しく巨大なつららが出来ていて、それが落ちた音だったらしい。  人に落ちれば非常に危険だが、落ちた場所は店の庭側で、基本的に誰も入らない。  心配する必要もないようだった。 「にしてももうこんなに大きなつららが」 「ほんの数日で出来ちゃうんですね」 「まあこの街の気候なら仕方ないです」  3人、上空を見上げる。  上空は今日も風が強く、雪雲がぐねぐねと渦巻いていた。  この巨大なつららが数日で出来るのも納得の気温と雪量。  とくに危険はなかったのだが、  3人、どことなく不安を感じる光景に無口になる。 「……」 「……」 「…………」 「そろそろ吹雪の本番ですね」 「あー」 「ついに休校が出た」 「今日はさすがに……ですね」 「風が強いもんね」  翌日。  また、今度は小町さんとめるさんを入れ替えて空を見上げる事態になる。  昨夜よりさらに雲行きが厳しいことになっていた。 「今日さえ乗り切ればお休みだったのにねー」 「そうか、今日は金曜でしたね」  毎日同じような生活なので曜日感覚が消えていた。 「まあ仕方ない」 「今日はうちもお休みにしますか。この雪じゃお客さんも来ないだろうし」 「む……お休みなので?すでにいくつか焼きはじめているのですが」 「ボクが食べるよ」 「7つありますよ?」 「ボクが食べるよ」 「……あとで小町さんにもおすそ分けします」  というわけで、店長代理の鶴の一声で本日は『CLOSED』の看板をそのままに置くことに。  だが、 「うちは休みじゃないよ。ほれ、準備しな」 「うえええええええ」  めるさんは連れて行かれることに。  奇しくも今日は1日、氷織さんと2人きりになった。 「……」 「……」 「ちょうどいいですね」 「な、なにがですか」 「いえ、いくらめるさんでもケーキ7つは食べ過ぎなので、いまのうちに処理しておこうかと」 「あう、そ、そういう意味」 「どういう意味だと?」 「なんでもないです」  なぜか顔を赤くしている氷織さん。  風邪かな? 「……」 「そうだ、氷織さん、このあとお暇ですか」 「はいっっ!?」 「あ、えと、はい」 「よかった。では付き合ってくださいますか」 「あう」 「ま、まだ朝ですよ?いえイヤというわけではないんですが――」 「昨日のチョコケーキ、リベンジしようと思うのです。また付き合ってくださいますか」 「そういう意味」 「どういう意味だと?」 「なんでもないです」  また顔が赤い。  というわけで一緒にケーキ作り。 「……」 「……」 「これってなんでしたっけ」 「チョコレートケーキ……のつもりでしたが」 「新手の前衛芸術みたいになってますね」  今日は破裂はしなかったが、  ものすごい勢いで膨れ上がった結果黒い風船のようになってしまった。 「なぜ私が関わるとこんなに上手くいかないんでしょう」 「ま、まあまあ」  ちなみに今日は2つ焼いていて、隣にはすべて自分が作ったものもある。  こっちは普通だ。 「私は前世で料理の神様を怒らせることでもしたんでしょうか」 「まだ慣れてないだけですよ」 「はあ……」  しょんぼりしている氷織さん。 「……」 「いえ。負けません」 「今日も上手くはいかなかったけど、昨日とちがって破裂はしませんでした」  おお、前向きだ。 「これは進歩です。次はもっと上手になるはず。だから」 「だから……」 「……」 「とりあえず片付けます」  長持ちはしなかったが。  まあいいか。  窓の外を覗く。  昨日よりもっと吹雪は強くなっている。 「……」  なんとなく……胸がざわつく天気。  それだけに氷織さんが元気なのがありがたい。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ちわーっす」 「すいません今日はお店は――おや?」 「おそのさん」 「ういっす。遊びに来たよ」 「ど、どうしたんです急に。用事があるなら私が行きましたのに」 「いやこの店じゃないとこに野暮用があってね。こっちの方に来たはいいけど、疲れたから一休みさせとくれ」 「なによりめるの情報によれば、今日ここに来ると焼き立てのケーキがタダで食べられるそうな」 「ああ、はい」 「もう」 「でもちょうどいいです。実はいま、私が焼いたチョコレートケーキがありまして」 「氷織があ? キッチン爆発させなかった?」 「してませんよ。……今日は」 「どっちにしろチョコケーキはお断りかな。カフェインは抑えたい時期だから」 「あ、そうでした」 「悪いね。この子が生まれて、母乳の時期がおわったらいただくことにするよ」 「はい」  7つある無駄になったケーキの処理にちょうどいい助っ人だ。歓迎しよう。 (ところであの新手の前衛芸術みたいなものはなんだろう?) 「座ってて下さい。いまノンカフェインのお茶を淹れますから」  予期せぬ来客も、氷織さんは嬉しそうだった。 「なにげに焼き立てってのが初だからねえ。この子に栄養送るためにも、美味しいのを頼むよ」 「食欲はもう?」 「最近急に戻って来てね。たぶんこの子がようやくあたしの胃袋はにぎにぎするオモチャじゃないって気付いたんだね」 「よいせっと」  慣れた様子でソファに腰かける。  膨れたお腹とはすっかり付き合いなれた様子の裾野さん。  貫禄すら感じる落ち着きっぷりだ。  だから自分も、たぶん氷織さんも忘れていた。  あくまでこれは彼女にとって初産であり、  未知の事態だということを。 「っ」  ガタガタと窓が揺れる音に気付く。  時刻は正午を過ぎ、ケーキで満ちたお腹に昼食はいるかなどと考えていたころのことだ。 「もしもしクロウ君?うん、ボク」 「お昼には帰るって言ってたけど、雪が強すぎるからしばらくこっちに残るね」 「分かりました」  それで気付いたのだが、外はもう真っ白になっている。  降り積もった雪が窓の高さまで来ている。普段は踏み固められている石畳も完全に隠れており、2~30センチは積もっているだろう。  そしてそれ以上にこの風。 「やむようならお迎えに上がりますが、でなければ本日は病院から出ませんよう」 「そうなりそうだね」 「泊まっておいでよめるちゃん。ベッドはいくつでも余ってるんだから」 「余ってんじゃないんだよクソジジイが」 「ま、泊まってくのには賛成だね。あたしも帰れそうにないし、召使が必要だよ」 「ふぇええ」  あちらはあちらで大丈夫そうだ。  が――。 「まいったね」 「ん……そうですね」  外に出られないのはこちらも同じ。 「本日は泊まっていってください。そのお体でこの風の中に出るのは危険です」 「はい」 「そうさせてもらおうかね」 「久しぶりに誰かさんを寝かしつけてあげようかね。昔は1時間は子守唄歌ってやらないとぎゃーぎゃー泣きわめいてたもんだけど」 「お、おそのさん」 「ははっ、冗談冗談」  笑いあう2人。  不自由な形ではあるが、2人は喜んでいるようだ。  それならそれでいいだろう。  問題が起こらないうちは。 「ッ」 「どうかしました?」 「いや、うん」 「なんでもないよ」 「なんでも」 「……」 「痛むのですか?」 「いや……」 「おそのさん……?」 「……」 「ちょっとタオル……拭くものくれるかい」 「え……」  ・・・・・ 「破水した?」 「はい。いきなり始まって、それから痛み出したそうです。いわゆる前期破水かと」  折り返し気味に村崎先生に電話する。 「よくあることさね……それより予定より25日も早いね。困ったもんだ」 「いまからそちらへ向かっても良いでしょうか」 「この吹雪じゃ無理だよ。寒さで分娩が早まったら、それこそ命取りだ」 「あたしがそっちに行くのも無理そうだし。困ったね」 「最悪ここでこのまま産むということも……」 「それが一番だろうが……うん、まいったね」 「?」  先生が言葉を濁したのが分かる。 「なにか?」 「……」 「いや」 「とにかく、破水してからでも生まれるのには何時間もかかるんだ。それまでに出来ればあたしがそっちに行くから」 「はい、お願いします」  電話を切った。  なんだろう?気になるが――。 「うう……ああ、ったく」 「だ、大丈夫ですか」 「いやあどんどん痛くなるねこの子は。とんでもない日を選んでくれたもんだよ」  落ちないようソファを重ねて作ったベッドに寝転がるおそのさん。  一端寝転がると、もう起き上がれなくなっている。  どんどん体力を持って行かれているようだ。 「先生は?」 「来てくださると仰っていますが、時間がかかりそうです」 「病院には行けません。ここで産むことになりますので、身体を休めてください」 「……はは、難儀さね」 「……」 「だ、大丈夫です。本で読みました、世の中には自宅出産する人もたくさんいて、予算的なこと以外問題はないって」 「うん」 「……」  確かに問題はない。人類の歴史を見れば、ほんのここ数百年以外はみな病院以外の環境で産んでいるのだから。  問題さえ起こらなければ。 「すいませーんっ、あのっ、すいませーんっ」 「む……」  バンバンと入口を叩く音がする。  氷織さんに頼んで裾野さんに毛布を掛けてもらい、開けた。  !  危ない。入口の戸が持って行かれるかと思った。 「ふわわわ、あ、ありがとうございます」  ずるっと滑り込むように小町さんが入ってくる。 「はーびっくりした。こんなにすごい吹雪は久しぶりです」 「隣から来るだけなのにもう、戸が開かないんですね。風が強すぎるって」 「こんな大きなものがあるから特に」  ――ドサッ。  革製の大きな旅行バッグを置く。 「これは……」 「お母さんが持っていっておけって」 「話は聞きました。出産について、何度かお母さんを手伝ったことはありますので、付き添わせていただきます」 「小町さん……」 「ありがとうございます」 「……助かるよ」 「……」  小町さんの表情は硬い。 『手伝った』というのはかなり婉曲的な表現だろう。少なくとも慣れている表情ではない。  ただ『付き添った経験のある人』がいるだけで妊婦側の安心感はだいぶ違うはずだ。 「こちら、出産道具ですか」 「はい。昔使ってたものだけど充分使えるからって。煮沸して、アルコールと精製水で消毒しておけって」 「分かりました」  バッグを開けようとする。  ――だが。 「待って」 「向こうで」 「ん……」 「……?」 「分かりました」  湯を沸かしながら、別室に移してバッグを開いた。  小町さんがあちらの部屋で。裾野さんには見せないよう注意した理由が分かる。  皮の袋や固定具、銀色に尖れたハサミ。簡易性のパーティションだろう釣りカーテンなど。通常分娩に必要な道具はもちろん、 「なんですかこれ……メス?」 「こちらは麻酔薬です」 「……『切る』、と?」 「……」 「お母さんは、その準備もしておけって」 「……」 「し、自然分娩じゃないんですか。そのまま生まれてくるんじゃ」 「……」  確かに、持ってきた道具は明らかに『出産』のためのものより、『手術』に向けた物が多い。  自然な出産を待つ道具の揃え方じゃない。 「お、お母さんは、万一のためにって言ってただけですから」 「そう……ですか」 「……」 「とにかく消毒をしておきましょう。判断がつくのは先生だけです」 「はあ、はあ」 「な、なにかあったのかい」 「いえ。我々には分からない道具が多くて少々混乱しただけです」 「そうかい……」 「ッぐ――」 「っ、大丈夫ですか」 「だ、だいじょぶ、だけど」 「どんどん、波が……早いよ。困ったもんだ」 「……」 「予定より一ヶ月の早産だそうですね」 「んぁあ、うん、ほんとは来月だったんだけど」 「ったくあのヤブ医者が。昔っから時期が適当なんだよ。ガキのころ骨折したときもすぐ治るっつってなかなか……、うぐ」 「ま……見立ては信頼してるけどさ」 「……ええ。予定より早く、つまり想定より急いでしまったのは間違いないかと」 「出産自体も早まりそうです」 「……困ったねえ」  裾野さんは初産だから、目安としては破水から10時間ほどで出産となる。  だが早産にその目安は当てはまらない。  破水して3時間。  すでに始まっている気配がある。 「……」  そしてこうした場合、母体はとくに産道の準備が間に合わず出産に耐えられないことが多い。  そのため早産は、小児死亡率が高い。  すでに現代においては、これを避ける方法はいくらでも擁立されているわけだが――。 「ひょっとしたらですが出産、取り上げはここでこのまま。自分たちが手伝うやもしれません」 「つまりその……」 「ああ、はは。旦那以外の男に見られるのは初めてだね」 「色っぽいもんでもないけど、我慢しておくれよ」 「そんなことは」 「……」 「最悪で、あんたたちの誰かに切ってもらうことになるかもね」 「っ……」  気付いていたか。 「子供だけは傷つけないように頼むよ」 「あたしの腹はどこをどうやってもいいからさ。この子だけは、ね」 「……」 「う……、ううう」  また波が来たのかもがきだす裾野さん。 「……」  最悪で誰かが『切る』――。  先生が持たせたバッグの中身は、その可能性を物語るものだ。  ――ビュオオオオオオオオオオッッ! 「んっがああああああ」 「くぬ……くく」 「っずあああ、た、体重はあっても嵐にゃ勝てないね」 「先生無理だよ。この雪じゃ道も分からないし、風も強すぎるよ」 「みたいだね。しかもこの足じゃ」 「……ごめんなさい」 「……」 「逆子が直ってればいいけど」 「……」 「うく……っ、う、う……」 「だ、大丈夫ですか」 「いや、はは、今は軽いよ。だいぶ波が大きいんだね陣痛ってのは」 「はあ、はぁ」 「……」 「……」 「さ、逆子、っつってね、赤ちゃんが普通とは逆方向をむいてるんだとさ」 「生まれるとき、大変だから、それまでに治るようにっつってて」 「でもこの時期まで治らないんなら、そろそろ自然分娩は難しいかもとは言われてて、覚悟はしてたんだけどね」 「……」 「あたしはなんで毎回、ちゃんとお母さん出来ないかねえ」 「おそのさん……」 「っ……悪いね、情けないこと」 「……」 「……」 「ねえ、逆子ってそんなに大変なの?」 「大変っちゃ大変だね」 「回転異常っつってね。赤ちゃんは生まれる瞬間まで、どっち側から出てくるのか決まってないもんなんだよ」 「ほとんどの子は頭から生まれてくるんだけど、たまに足を下にしちまう子もいる」 「そんな子は当然足やお尻から出てくるんだけど――、一番デカい頭が最後になるから、出産に時間がかかるのさ」 「へえ……」 「もちろん同じ逆子でもそのまま出てくる子はいる。お尻から出て来れば、時間はかかるけど自然分娩は出来るしね」 「どうしてそんな分かれちゃうの」 「ンなもん赤ん坊の都合だよ。大抵の子は妊娠中期は一度は逆子になってるもんだし」 「大抵はそこから頭が下に戻るんだけど……。ま、やっぱり子供の気分次第としか言えないね」 「人にはどうしようもないところだよ」 「そんなことないです」 「え……?」 「おそのさんは、ずっとお母さんです。私が物心ついたときにはもう」 「氷織……」 「逆子のことは知ってます。私、この1年で妊娠や赤ちゃんのことはいっぱい勉強しましたから」 「そう……なんだ」 「私もずっと楽しみにしてましたから」 「哺乳瓶の洗い方も、おしめも替え方も、お風呂のいれ方も、完璧です。全部暗記しました」 「優しい子だね」 「もちろん出産前のことも勉強しました。おそのさんのことだから、マタニティブルーで暴れるんじゃないかって怯えてたけど、それはなくてよかったです」 「他にもいっぱい。母体が楽な格好や、辛くなりがちな仕事なんかも全部勉強しましたし」 「流産や、病気」 「赤ちゃんには回転異常。逆子と呼ばれる、生まれにくい格好になっている子がいることも。全部覚えました」 「……」 「でもそれはお母さんのせいじゃない。赤ちゃんがそうしたことです」 「この子は望んでいま逆さを向いてます。難しい状況ですが、それはおそのさんのせいじゃないしこの子のせいでもありません」 「だからおそのさんがいますべきことは、落ち込むより、少しでも楽にこの子を出してあげること」 「子供がちょっと迷子になっちゃっただけです。ならお母さんのすることは、落ち込むよりまず迎えてあげることでしょう?」 「……」 「……いまのは3冊目に読んだ本の受け売りです」 「一緒にがんばりましょう」 「私もいっぱい勉強したから、少しでも力になります」 「……」 「くすっ」 「変わったね、氷織」 「え……?」 「昔はそんな子じゃなかった。いつもあたしの後ろに隠れてモジモジしてるだけの、引っ込み思案な子だったのに」 「ちょっとめるに似てきたかい?」 「……」 「影響はされてるかもです」 「それに……」 「うん?」 「本だけじゃなく、全部受け売りです」 「いまこうなってしまったことは素直に受け止めて。けれどそこからでも、幸せを作るのが大切だって」 「うちの妖精さんが教えてくれました」 「そう」  ――ガチャ。 「お待たせしました」  消毒が終わった。こちらへ戻る。 「痛みは」 「ああ、今は大丈夫……」 「いや大丈夫じゃないね。ぐあ……ううううう次が来たっ、次が、次が――」 「おそのさん……っ」  がしっと彼女の手を掴む氷織さん。 「うあ……ぐ、ウウウウウウ」 「はは、ったく。また騒ぎ出したよこの子は」 「妖精さんにでも会いたいのかね……」 「ッぐ――!」 「おそのさん……」 「……」 「逆子――さっきお尻から出てくる子は時間がかかるだけなのは分かったけど」 「足から来た子はどうなっちゃうの?」 「危ないね」 「産道が開ききらない内に細い足から出始めちまうから、狭い産道に長くとどまることになる」 「へその尾の状態にもよるが、酸欠、栄養失調、単純に強烈な圧力と、危険な状態になることが多い」 「危険……」 「それって」 「理論的には、母体の構造上赤ん坊が通常通り頭を下にするか上にして逆子になるかはフィフティだ」 「けど実際には頭を下にする子が非常に多い。なぜかといえば、母親の子宮と胎盤がそう誘導するから」 「どうして?」 「遺伝子が命令してるんだよ。母親の遺伝子が、私はこう生まれたからアンタもこうしなさいって」 「逆子になる遺伝子は、長い歴史の中で少なからず淘汰されてきたってこと」 「無事に生まれる確率が低かったってこと」 「……」 「ど、どうにかならないの?」 「なるとも。この200年で出来た技術だから遺伝子さんは納得してくれてないが――」 「そのための帝王切開だ」  帝王切開――。  カイザー。もしくはセクションCなどとも言われる、分娩手術である。  子宮切開によって胎児を取り出す方法。  現在、危険のある出産の9割がこの方法で解決される。  母体死亡率も極めて低く、赤子に危険のある状況の場合はいずれも強く推奨される術式。  一説には、この方式が行える国と行えない国で出産時小児死亡率が数倍まで変わるとか。  もし問題があればすぐにも推奨される。  ただしそれは術式が完成されている場合。  こんな場所で。医師もいない状況で行えることではない。  たとえ道具がそろっていても。 「はい。消毒はいま済みました」 「じゃあそのまま待機しときな。使う前にもう一回滅菌するから、お湯は切らさないように」 「はい」 「なんとかそっちへ行けるといいんだけどねえ」 「くぁっ、うぐっ、ぃいいつつつつつ」 「お、おそのさん」 「ひーっ、ひーっ、まいったねこの子は、ンが……ぐあ」 「お母さん聞こえる?いま6センチ」 「もう収まらないね。そのまま産むしかないよ」 「小町。手ぇ突っ込んで赤ん坊を確認しな。滅菌は充分に」 「手!?い、いいのそんなことして」 「あんたもいずれ突っ込まれる日がくるよ」 「じゃ、じゃあ、うん」  おそるおそる留め具で固定した脚のあいだへビニルグローブをつけた手をやる小町さん。  氷織さんがぐっと裾野さんの手を掴む。 「……」 「か、確認って、なにを確認すれば」 「どこまで出ているかなどは分かりにくいので先生には伝えられません。それより」 「小町さん、それは足ですか」 「え……あ……う」 「あ、足、に、触ってます」 「頭でもお尻でもなく?」 「は、はい」 「ああ……」 「……」  自分も先生と同じく、思わずため息をつきそうになった。 「失敬」  確認する――。 「先生、全足位です」 「……最悪だね」 「ぜ、ぜんそく? なんですかそれ」 「……」 「問題ありません。大丈夫」  こちら側は、裾野さんに聞かれるからそう応えるしかなかった。 「全足位って?」 「さっき言った足から出てくる子のこと」 「経腟分娩は危険な子さ」 「……」 「うううううっ、ウーッッ!」 「あ、暴れないでおそのさん。ソファから落ちちゃう」 「……えと、このロープですね。これを引っ張るといきみやすいそうです」 「むっ、無理、もう無理ッ」  ジタバタともがく裾野さん。  汗だくになっているので、水分を取るよう言うのだがもうなにか飲める状況じゃない。  破水から5時間強。すでに生まれる状況になっている――だが。 「子宮口は」 「変化ありません。拡張は止まっています」 「早産過ぎたか……」 「……」 「クロウさん……どうしましょう。おそのさん顔色が悪くなって来てて」 「……」  裾野さんはさっきから、条件反射のように暴れるものの、こちらの声に反応しなくなっている。  意識が飛びかかっている。  医学の知識がなくても分かる。母子どちらも危険だ。  なら――。 「……先生」  受話器に向かって言う。 「なんだい」 「こちらに道具はそろっています」 「手順をお願いします」 「……はあ」 「バカを言うんじゃないよ。曲がりなりにも医師が、医者以外の人間に人を切る手順なんて教えるわけないだろう」 「口頭でおっしゃっていただくだけで結構です。それでこちらが何をするかは先生には関係のないことです」 「責任の話じゃないんだよ!」 「お願いします」 「……」 「ああもう……それより状況を報告しな。最悪でも母体をだね」 「……」 「なに……? なんだって……?」 「……」 「おそのさん」 「赤ちゃんのためにも、いまからおそのさんのお腹を切ります」 「う……」 「……」 「自分が行います」 「ちっ……」 「信じてくださいますか」 「……」 「おそのさん、前も言いました」 「私の一番好きな人は、世界一優しい手をしています」 「このままじゃおそのさんか赤ちゃん、どちらかが危険です。だからこれは賭けですけど」 「私はクロウさんなら出来ると思ってます」 「……」 「……」 「……」 「……はは」 「アンタの妖精さんは、わりと大胆さね」 「はい」 「……」 「……」 「信じるも信じないもないよ」 「最初に言ったろう。この子さえ無事なら、あたしはどうなってもいいって」 「分かりました」 「子供もあなたも、必ず助けます」 「はあ……」 「せ、先生、どうしたの?」 「ふむ……」 「あの店でパティシエをする男はバカじゃなきゃいけないって家訓でもあるのかい?」  店用の服は、汚れてしまった時用に常に新品を用意している。  衛生的にもっとも信頼できる服だ。 「先生、麻酔を行います」 「……」 「……」 「……」 「術式の前には必ず確認作業。自分の役割を確かめな」 「セクションCは必ず2人以上で作業する。切開縫合を行う役と、胎児を取り上げる役」 「助産は」 「私がやります」 「もともと一番に抱っこさせてもらう約束でした。ちょっと早くなるだけです」 「お母さん、呼吸器はつけたわ、鼻のほうでいいのよね」 「OK。携帯式だから呼吸は長く持たない。ここからは迅速さが第一だよ」 「はい」 「そっちには腰椎麻酔しか置いてない。暴れる危険があるから、小町、死んでも抑えな」 「うん」 「オリ子、アンタが一番大事だよ」 「ん……」 「産まれたばかりの子供は、母親以外からも助けてもらわなきゃ生きられない」 「そういう世界に出て来ちまうんだから当然だね」 「しっかり助けてやるんだよ」 「……」 「はい」 「それじゃ、まずはお腹の正中線を――」 「クロウ君や」 「はい?」  受話器の向こうで、遠くからの声が。 「ケーキ作りと手術、どちらが難しいと思うかね」 「……」 「共に繊細な作業だが」 「どちらが難しいかね」 「……」 「難しさは問題ではありません」  人の身体にメスを入れることも。小麦をかき混ぜケーキを焼きあげることも。奇跡のように難しいことは同じ。  だが、 「自分の役目は変わらない」 「必ず成功させることだけです」 「よろしい」 「へそから下の正中線に執刀。皮膚を舐めるように」  ――ピッ。  指示された通り、正中線にメスをやる。  へその下へ真っ直ぐに――。 「う……」  当然浮いてくる真っ赤な血に、氷織さんが眉をしかめる。  だがいまの彼女は助産師。  すぐに新品の綿の封を開けて、それを拭い取っていった。 「……」 「……」 「……」 「……」 「ね、ねえ、ほんとに?」 「ほんとにそんなことして大丈夫なの?」 「大丈夫なわけないよ。誰にも言うんじゃないよ、お上にバレたらうちの病院もフォルクロールも一発でおだぶつだ」 「胎盤の位置は分かるかい。色が濃くなってるはず、そこを避けて縦に切開。一気に血が多く出るからビビんじゃないよ」 「はい」 「……にしても、度胸が据わってるねえ。普通の人間が手術なんて、まず皮膚を切るところで手が震えちまうもんなのに」 「彼、もとは外科医かもしれんの」 「あ、その可能性考えてなかった」 「そうなのかな。どう思う先生?」 「さあねえ、あたしなんかは外科医としちゃ名医だけどお菓子はてんで作れないから、才能が重なるとは思えないけど」 「ま、そんなことはどうでもいいことさね」 「そうじゃの」 「ん……だね」 「大切なのは、クロウ君はクロウ君で」 「それで――」 「――みんなの幸せを作ってくれることだよね」 「――村崎先生」 「うん?」 「出ます」 「氷織」 「もうやってます。えっと、タオルはこうやって巻いて、それで」 「……あは」  抱きしめる氷織さん。 「わあ……」 「……」 「ほ……」 「受話器を赤ん坊に向けな、鳴き声が聞こえる位置まで。へその尾の切り方は分かってるね。小町、ガーゼでこよりを作って口と鼻の洗浄」 「ここで気ぃ抜くんじゃないよ!」 「っと」  一瞬気が抜けかけたが、すぐ先生の怒号が飛ぶ。 「難しいのはここからだよ気ぃ抜くな。手術ってのは、切るより縫う方がはるかに難しいんだ」 「はい」 「クロウ君がんばれ」  確かに、まだ大事なのはここからだ。  自分は続いて子宮内の止血と洗浄。縫合に向かい、 「わあ……ちっちゃい」 「髪の毛、もうこんなにふさふさなんですね」 「2人とも遊んでないで!赤ん坊冷やすんじゃないよ!」 「はいっ!」 「すいません!」  楽しいパートは2人に任せる。  心配せずとも、声を聴くだけで分かるくらい生命力に満ち満ちた誕生日だった。 「はあ……はあ……はあ……」 「み、見せて」 「はい」 「あは……はは」 「お猿さんみたいだね」 「可愛いですよ」 「知ってる。生まれたばっかのころの氷織そっくりだよ」 「ん……ふふ」 「まったく、とんだ日に出て来てくれちゃって。いきなり困らせてくれる子だよ」 「仕方ないですよ。おそのさんの娘だもの」 「かもね」 「よっぽど雪が好きなんだろうね。急いで飛び出て来ちゃったのは」 「ゆきって名前に決めてたからかね」 「ふふ、かもです」 「……」 「氷雪」 「ふぇ?」 「氷に、雪で、こゆきにしよう。こんなに寒い日に出てきたんだ、お雪なんて穏やかな名前じゃ足りないし」 「聞き分けのいいお姉ちゃんから一文字もらってね」 「い、いいんですか?」 「旦那にゃ文句言わせないさ。今ここにいないあいつが悪い」 「将来、あんたが生まれたとき勇気をくれた恩人の名前だって教えてやるさ」 「……」 「はい」 「裾野さん、そろそろ」 「はいはい」  やや体をよじって赤ん坊を見ていた彼女を、改めて休ませる。  幸い止血作業は順調だった。縫合に移る。 「……」 「ふふ」  その間氷織さんは、楽しそうに赤ん坊を洗ったり、さっそくおべべの用意をしたり。 「ね、ねえオリちゃん、私にも抱かせて」 「あ、はい。あまりぎゅっとせずに、ベッドを作ってですね」 「こう?」 「はい、そうです」 「……」 「ほんと詳しいね。そんなに勉強してたのかい」 「なにか?」 「いんや」 「……」 「アンタ、これから大変そうだよ」 「はい?」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ――ドッ! 「ふひいい」 「お疲れさまでした」  連れてきた村崎先生をおろす。  夜になって雪と風が弱まったので、村崎先生に来てもらったのだ。  自分が病院まで迎えにいって。 「若い男にお姫様抱っこってのは悪い気分じゃないが、ロケーションとしちゃ最低だね」  それでも雪が強かったので、2人して雪まみれだった。 「んで赤ん坊と母親は」 「氷雪ちゃんはこっちです。おそのさんは……」 「すー」 「寝てるわ」 「そうかい。痛みが引いてるならなによりだ」 「うん、縫い口も綺麗なもんだね。今度改めてチェックするけど、大丈夫そうだよ」 「よかったです」 「いい腕だねお前さん。正式に免許とってうちで働かないかい」 「はは、考えておきます」 「あ、点滴の針忘れた。ちょっと取ってきておくれ」 「はい」  また真っ白な世界に飛び出す。  やや風が強いが……昼までとちがって進めないほどではない。  ぬおおおおおお。 「クロウさん、ブルドーザーみたいね」 「そういう種類の妖精さんなんでしょうか」 「……」 「ま、クロウさんはクロウさんです」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  翌日。  ようやく雪が落ち着いてきたので、裾野さんと氷雪さんを病院に移すことに。  そのタイミングで裾野さんの旦那さんも帰ってきたので、ようやく自分たちはお役御免となった。 「今日が土曜でよかったですね」 「で、なくてもお休みにしてただろうけどね。もうくったくただよ」 「はふぅ……」 「小町のためだけにケーキ焼いてもらってすいません」 「いえ、小町さんには助けられましたので」 「おかわりはいかがです?」 「あ……じゃあもう1きれ」 「小町ちゃん、それ5きれ目だけどいいの?」 「1ホールを6等分したうちの5つめですので、最後の1きれも食べてしまっては?」 「あううう」  うちは平和だ。 「とにかく、ようやく休めるよもう……。おばさん人使い荒いんだから」 「うふふ、お母さんの足はまだ治ってないからまだしばらくこき使われそうね」 「うわーん」 「お母さんもめるちゃんが可愛いのよ。側にいてくれて嬉しいの」 「めるさんは働き者ですからね」 「あふ」 「あ、オリちゃんも眠そう」 「すいません。私もだいぶです」  めるさんも疲れてらっしゃるようだが、氷織さんはそろそろ限界のようだった。 「昨夜はほとんど徹夜でしたからね」 「生まれたばかりなので夜泣きはなかったですけど、赤ちゃんもおそのさんも見てなくちゃでしたから」 「今日は早めに寝ます」  ぶつ切りな仮眠が続いて、うとうとしている。  と――。 「赤ちゃんは!?」 「びっくりしたぁ」  急に飛び込んできた2人が。 「あああ赤ちゃん! 赤ちゃんどこデス?!」 「落ち着けショコラ」 「お2人とも、いらしたんですか」 「あはは、さっき電話で話したらびっくりしてたもんね」  つい先ほど、めるさんと電話していて、赤ちゃんが生まれた旨をお話はしたが、  まさか駆けつけるとは思わなかった。 「コーリ!」 「はいっ?」 「どどどどこデス? どこデス赤ちゃん」 「とゆーかコーリは大丈夫なのデスカ?!そんな小さなバディで」 「は、は?」 「全然お腹目立ちませんデシタけど、いつのまに赤ちゃんなんて」 「……えと」 「めるちゃん、ショコラさんにはなんて?」 「昨日は赤ちゃんが生まれて、オリちゃんが大変だったって」 「間違ってはおりませんね」  誤解の種類も分かった。 「さすがに僕は妙な勘違いはしてないが」 「赤ん坊というのは?急なことだが縁起かつぎに銀のスプーンを持ってきた」 「ありがとうございます」  お祝いに駆けつけてくれたようだ。 「んぇ? ここにはいないのデスカ?」 「いま病院です。しばらくは入院なので、会いに行くのは来週くらいがいいかと」 「オウ……ちょっと残念デスネ」 「でもコーリ元気ソーデス。ボシ共にケンコー、よかったデス」 「えと、はい。母子ともに健康でした」  食い違いはあるのだが、ホッとした様子の2人。  氷織さんは眠気で頭が回ってないな。ショコラさんにはあとで正しく伝えよう。 「みなさん集まりましたので、お茶にしましょうか」 「うんっ」  みんなで一息つくことに。  また平和な日常に戻れることだろう。  みんなして席について、カップにお茶を注いでいく。 「それでコーリ、どうでした赤ちゃんが出来て」 「どう、とは?」 「こう、ママになって、気持ちが新しくなったとか、そーゆーのデス」 「ん……そうですね」  まだ食い違ってる2人。  こちらは全員分のケーキを切り分けて――。 「私も赤ちゃんが欲しくなりました」 「クロウさんとの子供が欲しいです」  ――がしゃーん!  カップを落とした。全員。  あと自分もケーキを落とした。 「?今回はクローさんとの子供でハ?」 「ショコラ、ちょっと黙りなさい」 「えへへへへ」  眠そうにしている氷織さん。 「クロウ君……」 「あらあら」 「……」  このとき自分がどんな顔をしていたかは、  一切記憶にない。 「うすうす気づいてらっしゃるかもですが、私、眠いとぽんこつです」 「否定はしません」  失言に気付いたのは翌日になってからだった。 「なんだ、おそのさんの赤ちゃんだったのデスネ」 「常識で考えればな」 「早く見たいです赤ちゃん。いま病院デス? 見せてくれマスかネ」 「授乳の合間とか、見るくらいOKなはずだよ」 「ボクこのあと病院のお手伝いだから、一緒に行く?」 「YES」 「車が用意できる。送ろう」  そんなわけで、氷織さんと2人になる。  一昨日の吹雪からはだいぶ弱まったが、今日も雪が降っている。  日曜ではあるが来客は少ないだろう。2人でも問題あるまい。 「……」 「……」 「き、昨日言ったことは、あまりお気になさらず」 「いえ、はい」 「その、そういう行為はしているので、欲しいと仰るなら……ですが」 「わ、分かってます。学校もありますから、まだ赤ちゃんと言うのは、その、まあ」  朝からするには生々しくて微妙な会話だった。  ただ空気は微妙になっても、やっぱりというべきか今日は客足が少ない。  2人で過ごすしかない。 「……」 「静かですね」 「ええ」  しんしんと雪が降り積もる今日。  嵐のように過ぎ去った昨日まで2日間とは対照的だった。 「こうしてると、一昨日のことが夢みたい」 「唐突なことでしたからね」 「私たちだけで手術なんて」 「それは……忘れましょう」  緊急事態ゆえ仕方なかったが、結果的に村崎先生にご迷惑のかかる手段だった。  反省しなくては。  うまくいったことすら奇跡のようなものだ。 「……」 「夢みたいで、でも現実なんですよね」 「はい」 「私……最初、気を失いそうになりました。あんなにいっぱいの血を見たのは初めて」  流血などとは無縁の人生だから当然だろう。 「しばらくはホラー映画とか見られません。とくに血がいっぱい出るのは」 「でもその後」 「はじめて抱っこした、氷雪ちゃんの温かさはいまでもはっきり覚えてます」  両手をわきわきさせる。  嬉しそうだった。 「……」 「いかがでしたか、奇跡を起こした感想は」 「え……?」 「奇跡って、私がいつ……」 「一緒に起こしたじゃありませんか。自分や氷織さん、裾野さんも一緒になって」 「非常に際どいタイミングで、危険な目にあった氷雪さんを、メスを使って通常ありえない形で迎えだしました」 「氷雪さんにとって、これ以上の奇跡があるでしょうか」 「奇跡……」  ぽかんとしている氷織さん。 「お父さまのお気持ちがお分かりになったのでは?」 「あ……」  そう。同じことだ。 『妖精の夜』がなくなった折、あわててその代用を探した氷織さんのお父様と同じ。  あちらも、今回も、慌ててしまってその時できる最善を尽くした。  それが結果的に、誰かにとって『奇跡』となる。  幸せなんてものは、いつだって受け手側が決めること。  起こす側が気にすることではない。今回みたいに、気づいてないことすら多い。 「それでも今回は、裾野さんと氷雪さんにとって。お父さまのときは、めるさんはじめこの街の方々にとって幸せな奇跡であることに代わりはない」 「いかがですか? 『妖精さん』になった気分は」 「……」 「えへ」 「えへへへ」  照れたように笑う氷織さん。  納得してくれたようだ。 「……」 「ねえクロウさん」 「はい」 「私、最初クロウさんが仰ったとおり、どんなことも難しく考えすぎてたかもです」 「そうですよね」 「奇跡が起きて。幸せで。ならそれは喜ぶべきなのかとか、考える意味ないですよね」 「ええ」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  夜になるころには、雪雲も綺麗に晴れわたってきた。  明日からはまた良い天気になりそうだ。 「めるさん、ムラサキのおばあさまに捕まったとかで、あちらでお夕飯食べてくるそうです」 「そうですか」  今日は夜遅くまで2人になりそうだ。 「えと、私これからお風呂に入るのですか」 「どうぞ。温かくしています」 「はい。それで――」  ずいっと寄ってくる氷織さん。 「なにか」 「すっかり忘れてました」 「クロウさんの服、今日中に洗っちゃわないと」 「あ……」  そういえば。  調理用の服は何着かあって、毎日ローテで変えているのだが、  1着手術に使い血がついてしまったので捨てることになった。  その分を補完するために1着早めに洗わないと。数日後に着る分がなくなってしまう。 「脱いでください。いまから洗えば間に合います」 「は、はい」  脱がされる。 「……」 「……えと、ついでなので」 「はい?」  ・・・・・ 「かゆいところないですか」 「いえ、大丈夫です」 「あったら言ってください」  ――わしゅわしゅ。  彼女にとっては精一杯だろう。力を込めて背中にスポンジをこすり付けてくる。  かゆいところはないが……、力加減が微妙でくすぐったい。  せっかくなのでお風呂を一緒することになった。  めるさんが返ってくる前に出ないとな。まあまだまだ時間はあるだろう。 「……」 「……」  お風呂なので、もちろんお互い服は脱いでいる。  ちょっとおかしな空気だった。  ただ以前みたく、気まずいものはない。 「……」 「改めて見ても、クロウさんの背中って大きいですね」 「そうでしょうか」 「そうですよ。……比較対象はめるさんとショコラさんくらいだけど」 「その2人より小さかったらそれはもう事件です」 「し、仕方ないです。誰かとお風呂ってそもそも経験が少ないので」 「そうですか」  やはり実家では、こことはちがう生活だったのだろう。  ご両親の愛情が薄かった――とかそういうことではなく、ただ生き方がちがっていた。 「……」 「フォルクロールに来られてよかったです」  しみじみと言う。  本来は裾野さんの家に行くはずだったのが、急遽変わったここでの生活。  楽しんでいる。 「思えば、氷雪ちゃんがいなければ私がフォルクロールに来ることもなかった」 「そう考えるといま、ここでこうしていることも、ちょっと奇跡かもしれないです」 「かもですね」 「あなたが氷雪さんにとっての奇跡だったように。あなたにとっても彼女は奇跡だったのでしょう」 「なんだかおかしい」 「そんなものですよ」 「あとから考えれば笑ってしまうような人と人とが紡ぐ縁」 「人と人にそれは測れないので、あとから考えれば、妖精さんの力。と思うのが楽なのでしょう」 「かもですね」 「クス。でもそうだとしたら、やっぱりめるさんの言っていたクロウさん妖精さん説には信憑性が出てきます」 「はい?」 「だって」  ――ぴと。  背中にスポンジより大きくて、でも泡立てたスポンジくらい柔らかな感触。  氷織さんがくっついてくる。 「私がこんなに素直に幸せを感じられたのは、クロウさんがいるからです」 「……」 「……ありがとうクロウさん」 「自分はなにも」 「……」 「……」  口を閉ざす彼女に従い、自分も何も言わないでおく。  自分が奇跡とやらを紡ぐ『妖精さん』なのかは知らない。興味もないが、  彼女が幸せだと思うなら、何者でも構わない。 「くしっ」 「おっと」  長く外にいたせいで冷えてしまったらしい。  このあとこちらが背中を流す予定だったが、予定変更。 「温まりましょうか」 「あう」  一端湯船へ。 「な、なんだかこれだと、子供みたいです」 「すいません自分の図体がデカいもので」 「ここの湯船は小さいわけではないんですけど……。クロウさんだと狭いんですね」 「ですね」 「その分、氷織さんとくっつけるのが嬉しい限りです」  ひざの上に乗っけた身体を抱きしめる。 「だ、だから、これじゃあ子供みたいです」 「そうでしょうか」 「もう……」 「く、クロウさんは前々から思ってたけど、私を子供扱いしてる気がします」 「そんなことは」 「もう」 「……」 「ま、まあ体の一部はしっかり大人扱いしてますが」 「……失敬」  この格好だと、氷織さんの柔らかいお尻がこちらの腰に乗っかる。  と……どうしても。  ――ぐぐっ。 「あう」 「わ、私の身体を持ち上げてますね」 「まあ……浮力とか、そういうことかと」  お尻に当たったものが天をつくと、上にある氷織さんの身体が本当に持ち上がる気がした。 「その、いつもより……な気がします」 「そう、かも、しれません」  最近ややご無沙汰だったから。 「……」 「ま、まあこれでいいと思います」 「その、このあとは……。……の予定ですし」 「よろしいので?」 「そ、そうでなきゃ、お風呂にまで来ません」 「ああ……」  よくよく考えれば当然か。  ここに来たということそのものが、彼女にとってのOKサイン……というかお誘いだったらしい。 「……」  察しの悪いこちらに、ちょっと口を尖らせている氷織さん。 「申し訳ありません」  ギュッと抱きしめ直し、 「んふ」 「……」  口付けた。  相変わらずサイズがちがいすぎる小さな唇。  優しく、優しく掬い取って、少しずつ力をかけていく。 「あむ……ぁん、んん」  反面、氷織さんから見れば自分の唇は的が大きい。  ぐいぐいと力強くこすり付けてきた。 「ああふ、んふぅ、ん、んぅ」 「はうは……クロウさん……」  ものの数秒で、氷織さんは寒さなど忘れたよう頬を火照らせ、目じりをとろんとたらす。  愛らしい変化を逐一観察しながら、なおも唇を拭った。  くっつける。ぶつける。それから吸う。 「ああ……ふ、ふぅうんン……うぅん」  キスだけでクラクラしてるらしい。身体から力を抜く氷織さん。  軽い体重が、わずかにずっしりと自分の身体にかかる。 「ん……」  こちらが支えるので、自然と自由になった両手がつかみどころを求めて、やがて自分の顔に来た。  抱えたがるよう捕まえた自分の唇へ、 「あむ、ううん、んぅ、んふぅ」 「クロウさん……あは、はぅ」 「大好き……です、クロウさん」 「……」  こちらも目いっぱいキスに応じる。 「んぅ……んぅうん」 「はあ……はふ、はぅ」  まだ数分、というところだが、 「あはぅ……」  もうとろんと酔っぱらったような顔になり、考えがとまってしまっている氷織さん。  相変わらず感じやすい……困ったな。 「そのままでいてください」 「はい?」 「今日はこちらから――」 「はぅんっ」  膝の上にある身体。あちこちに手を這わせだした。  ふに、ふに、ゆったり圧力をかける。 「ぁ……んふ、んゅふ」 「く、くすぐったいです」 「でしょうね」 「はあ……」  氷織さんはやや戸惑うものの、抵抗はしない。  されるがままだった。  まだほとんどふくらみと呼べるもののない部分だが、触ってみると驚くほど柔らかい。  手のひらに心地良い弾力を感じながら、ふに、ふに、ふに、 「んっ、んっ、んっ」  ――キュッ。 「ッツ!」 「っと、す、すいません。つい力が」 「だ、大丈夫……ですが」 「優しくお願いします」  まだまだ青い実りは、こちらが思っていたよりも遥かにデリケートだった。  痛い。というほどではないが、刺激が強かったらしくビクついている氷織さん。  力加減が難しいな。  手のひらをブラジャーのようにして、覆い隠すだけ、くらいの力加減でないと。  ――さわ、さわ。 「はあ、うふ」  このくらいの力加減がいいらしい。  ただ、この難しい力加減が幸いし、 「……先が尖って来ましたね」 「あう、言わないでください」  手のひらにぽっつり当たる、微妙なしこりに気付く。  ――さわ。 「んくぅうん」  あくまで柔らかい触り方のまま、その部分をちょうど上滑りするようにくすぐった。  氷織さんはクンッと全身を弓なりにして反応する。  可愛い。 「痛かったら言ってください」  さわさわ、さわさわ。じれったいくらいソフトなタッチで、けれど連続して揉みこんだ。 「んっ、んふっ、んっ、んっ」  正比例して氷織さんの吐息が弾む。  胸を触られただけでこんなになるのか。  前もずいぶんあっさりと……だったし、  氷織さん、意外と『才能』があるのかも? 「……」  失礼な話なので言わないでおこう。 「氷織さん」 「あう、は、はい」  顔を近づけると、当然のように唇を返してくる。 「はふ、はぅん……んふ」 「な、なんだか不思議……すごく、不思議です」 「ん……なにが?」 「クロウさんの手……って、不思議なんです」 「温かくて、大きくて、触ってもらうと気持ちよくて」 「それが今はすごく強く……あ、ああっ」  だんだんと手の感覚になじんできたのか、向こうからも胸をせり出してきていた。 「魔法の手、ですね」 「あの日も……酔っぱらって、洗ってもらった日もこれでふわふわってなって」 「私あのあと、クロウさんの手を思い出して夜眠れませんでした」 「そ、そうですか」  悪いことをした気がする。 「すごく幸せです……」 「またクロウさん妖精説に1票ですね」 「恐縮です……でしょうか」  褒められてるのだろうか。 「一応……いいことだと思います。みんなを幸せにしてて」 「私が一番幸せになってますけど」 「ですね」 「一番幸せにします。氷織さんのことは、誰よりも」 「はい」  胸に当てていた手を――、  ――つつぅー。 「んん……んふ」  ――むに。  下へ移す。  お湯の中で、けれどお湯よりも熱くなっている可愛らしいおみ足の間へ。  ふに、ふに、バストと同じくらいの柔らかさと弾力の土手肉を、優しく押した。 「ああく……っ、んっ、ぅうん」 「……」 「はあ……う」  もう何度か『入って』はいるが、  こうして触ると、やはりまだまだ『おしっこをする』以外の機能が備わっているとは思えない、幼い肉付きだった。  ただ、  ――ぷにぷにぷに。 「んっく……」  ――にゅるぅ。  子猫を撫でるように優しくタッチしていると、奥部から微妙に肉とはちがう感触が伝わる。  すべりのよい、ねちっこい触り心地。  もちろん湯船のなかなのですぐに湯に溶けてしまうが、 「ああ……ふぅ」 「く、クロウ……さん」  自分を呼ぶ氷織さんの顔は、肢体の幼さとは別にはっきりと女性のそれだ。  セックスを知る女性の反応だった。  ――ぬにゅり。 「んひ……っ、ひうううう」  すべりに甘えて、中指の先を粘膜の狭間へ突き入れた。  氷織さんの鼻にかかった声が強まる。  反射的に反り返った身体がすべらないよう、胸に乗せた手でしっかり抱きしめながら、  ――ぐにぅ。 「くぅ……うっ、うぃうううんっ」  ぬめらかなヒダヒダまで指を届かせた。 「ぁんっ、んっ、や、ひゃあ」  可愛く悶える氷織さん。  作り自体は完全に子供なのに、ひだの収束はすっかり『侵入者』がくる感覚を覚えており、やわく緩まる。  ――ぬちり。 「ん……ふぃう」  お湯と、にじみ出るエキスのすべりを利用して、一気に指を第二関節まで進めた。 「くっ、うぁふぁあああ……んんっ、あんんっ」  デルタの底部全体が跳ね返る。  穴自体の柔軟さと、けれど触れれば硬く強張る性器としての未熟さにずいぶんな格差を感じた。 「あう、あううう、はううう」 「く、クロウさん、やん、なんだか、なんだか」 「どうしました」 「ちょ、ちょっと熱くなってきて、くらくらと」 「ん……ああ」  気付けば顔を寄せたうなじから、いつもの甘酸っぱい香りがより強く感じられるように。  ずいぶんと汗をかいていた。  湯船で温まりながらのコレは、のぼせてしまうか。 「休憩にしますか。続きはまた後にでも……」 「えっ!?」 「はい?」 「……あ、いえ」 「……」  いまの『えっ』のイントネーション。  休憩にする。つまり『一時やめる』ことについて、はっきり嫌がってたな。  つまり、『やめてほしくない』と。 「そうですね、いまやめるのは、自分も困ります」  ――ずり。 「あんぅ」  腰を持ち上げてみせた。  野太く反り返ったものが、身体を持ち上げて目を丸くする氷織さん。 「ですがこの格好だとのぼせてしまうのも事実」 「立ってみてください。それでそこに手を付いて」 「は……で、でも」 「おいやですか?」 「あう……」  意地悪な聞き方だったかもしれない。  続けて欲しくてウズウズしている氷織さんは言われるままに身体を起こす。  言われたことで要求は分かったらしい。お風呂の壁に手をついて、  お尻をこちらへ差し出した。 「……」 「ううう」 「……」 「そ、そんなに見ないでください」 「失敬」  こんなに明るいところで、こんなに近くで見るのは初めてなので、つい見惚れてしまった。  まだ恥毛すら産毛を成育中の、子供そのものな恥肉。  座ったままの自分の、目の前に来ている。 「んぅ……ふぅ」  恥ずかしさとウズウズの残りとで落ち着かないのだろう、氷織さんはしきりに腰をモジつかせている。  約束通り早くお触りを再開するべきなのだが……。 「……」  やはり見る方に集中してしまった。  たったいま指で寛げ、穴をいじったばかりなのに、もうぴっちり閉じてしまった割れ目を。 「あう」 「や、やっぱりこの格好、落ち着きません」 「恥ずかしいですか?」 「は、恥ずかしいです」 「こんな……あう、お尻の穴まで見えちゃってて」  肉烈からまっすぐ上に行けば、真っ白なヒップが。その中央のやや色の濃い部分を見せびらかすよう左右に広がっている。  可愛らしいアヌスもこちらの目と鼻の先だった。 「可愛いですよ、こちらも」  ――ちょん。 「きゃあ!」  触れるだけで悲鳴をあげる氷織さん。  力むと濃い紅色になる皺の窄まりは、触れられた驚きかわずかに口を緩めて甘いピンク色を見せた。 「な、なにするんですか」 「こちらも敏感なのですね」  面白くてちょんちょん触る。 「んぁっ、やっ、あんっ、クロウさんだめ。そっちはダメですっ、本当に」  やや切羽詰った悲鳴。  さすがに手を放すと、氷織さんは泣きそうな声で、 「うう……そっち、本当に恥ずかしいです。やめてください」 「そうでしょうか」 「そ、そうですよ」 「……クロウさんの指、魔法の指だから。触られてると気持ちよくなっちゃって」 「す、好きな人に、お尻の穴を触って欲しくなる……って、いやです、なんだか」 「……失敬」  彼女なりの潔癖さが、いまはまだ許せないらしい。  まあこちらの穴をどうするかは今後のこととして、 「ではもう触られたがっている方に集中しましょうか」 「あ――」  改めて花弁に触れた。  ふんにり、湯温より温かい外側の土手に触れて、左右に広げる。 「は……ぁ」  血の巡りが良いのだろう。鮭肉色に充血した内部の粘膜があらわになった。 「触りますね」 「は、はい……お願いします」 「んひぁ……っ」  粘着質な果肉の底をいきなり貫く。  ぬっぷりと穴の内部に、同じよう第二関節まで忍ばせると、氷織さんはさっそく両足をビクビクさせて反応した。 「痛かったら言ってください」  ――くに、くに。 「んぃっ、はぃあ……っ、ふぁ、はああ」  わずかに指を屈伸させるだけですごい反応だ。  外側のラビアにさらに血の気が回り、ぷっくり膨らんでいくのが見える。  ゆっくり、ゆっくり指先を出し入れした。 「んく、ん、んうぅん、んんんん」 「ああはっ、く、クロウさん……、あう、ちょ、ちょっと早いです」 「辛いですか?」 「そうではないですけど……んくっ、ひぅう」  刺激が強すぎるのだろう。悲鳴がやや甲高い。  もう少しソフトな刺激の方がいいか。  しかしソフトといっても、どうすれば……。 「……」  思って見ている園から、じゅぷぅと絞り出すように透明な蜜がしみだした。  それは指に開かれた粘帯のせいで、伝う場所がなく、  ――とろぉ。  腿のほうへ滴りかける。  ――ぺろ。 「んぃうっ!」  自分でもなぜそうしたか不明だが――、舐めてしまった。  しょっぱい、汗に似た味。だがそれ以上に、 「わ、わ、く、クロウさん?」 「なるほど、そういえばこちらはお返ししていませんでした」  以前、舐めてもらったのにお返しは忘れていたか。  いま返そう。 「はむっ」 「ひぁあああ、ひゃあっ、ひゃぅうううん」 「く、クロウさん……そんな、や、舌が、あああんそんなに舐めちゃあああ」 「や、や、ひゃ、ひゃ、ああわわわ、あううう」  指は中央に差し込んだまま、右へ、左へ、スリットを広げるように舐め回した。  硬く尖らせた舌は、指よりは柔らかく刺激の質はちょうどよさそうだ。 「くふぁ、ふぁっ、ふぁあああん」 「あ、も、あうううう、それ、ダメですぅう」 「あうううす、すごぉ……ひぃうう」  やはり舌の感触が気に入ってくれたようだ。  ならば――穴に入れていた指を抜き、そちらでひしめくピンク色を左右にめくって。  ――ぬぷぅう。 「くあ……ひゃっ!」  穴には舌を突っ込んでみた。  思い切り顎をしゃくらせて、一気に限界までねじ込む。 「くぅあ……っ、ひあっ、うあああ」  柔らかくても、感触の太さは分かるのだろう。つんっと腰全体を跳ね上げる氷織さん。  ぴちぴちした幼尻がぱふんとこちらの顔を叩いた。 「あ……お、ぉお、くに。奥に……来て……ます」 「おおおううクロ……ぉさん、クロウ……さぁん、それ、やう、太すぎ……んぅああ」 「ふくぅうぁあああああああああああんんっっ!」  っと――。  いきなりだった。  舌をねじ込んで、ほんの少し動かした程度。愛撫と呼べることもしてないのに、 「あああんんぅううう、うく、うくうう、はぁっ、っひゃああ」  ビクン、ビクン、子供っぽい腰から下のラインを大きくバウンドさせている彼女。 「……」  イッた……な。  目の前で先ほどわずかに刺激したアヌスが、私も構ってとばかりムチムチ隆起してピンク色の中身を見せつけてくるので分かりやすい。 「氷織さん……弱いですね」 「あううう、クロウさんがすごすぎるんです。魔法の舌です」  足から力が抜けそうなのだろう。ガクガクしている彼女。 「はぁ、はぁ、はぁあ」 「休憩しますか?」 「ん……あぅ、いえ」 「あの、それより、早く……しませんか。最後まで」 「こ、このままじゃ私、休憩中もクロウさんにへなへなにされて、そのまま今日は動けなくなっちゃいそうです」  まあ、以前から彼女、感じすぎて気絶することが多数あるからな。 「その前に……その、クロウさんにして欲しいというか」 「あ、赤ちゃんのおまじない。して欲しいというか」 「……ああ」  忘れるところだった。  彼女にとってこれは、楽しみもあるにしろ、『赤ちゃんのおまじない』の要素が強い。  最後までする前に腰が抜けるのは避けたいのだろう。 「了解です」  ――ざば。  こちらもお湯を弾いて立ち上がる。 「ふぁ……」  湯船のなかでよく見えてなかったのだろう。飛び出てきたものに目を丸くする氷織さん。 「な、何度見ても不思議です、その大きさ」 「自分もです」  彼女の小さい肢体を愛しく思えば思うほど大きくなってしまう。  なんだか矛盾しているくらい、巨大になっていた。 「……」 「でもその方が、おまじないにはいいのかも」 「お、お願いします」  ツン、と両手を両足を伸ばして、獣のように受け入れ態勢を取る。  意外とアグレッシブな子である。 「では……痛かったら言ってください」 「それと氷織さん」 「はい?」 「……」 「こういうことを申し上げるのはどうかと思いますが」 「これは、あなたが欲しがっているから、ではなく」 「自分があなたとの間に、結晶を作りたいから。ということは、今言っておきたいです」 「あ……」  あまり受け身でいるのもちがう気がする。  自分も彼女を求めている。 「……はいっ」  ――グニ。  切っ先をあてがった。 「ん……っ」  スリットは充分ほぐしたはずなのに、わずかに刺激をやめた隙にまた小さく窄まっている。  そこを力ずくでこじ開けていく……。なんだか残酷なようで気が咎める反面、不思議と快感だ。  ――ずぐ。ずぐぐぐぐ……っ。 「うあふ……は、はぁああああ……っっ」  肩甲骨をみちみち張らせてのけぞる彼女。 「はぁく、はうう、あぅうう」 「大丈夫ですか」 「ちょ、ちょっと……太いです。あうう、うううう」  舌よりは指にちかく、そして両方を足したよりも太い拡張感。  さすがに難しいらしい。ミチ、ミチ、柔らかな粘膜が広がるたびに、彼女の身体はこわばりを増す。  だが、一度挿入をやめようとすると、 「や……とめないで。下さい」 「来てください……クロウさんの太いのでお腹のなか広げられるの……好きです」 「……了解です」  やはり『才能』があると思う。  ミリミリとさらに腰を進めていった。 「ああくぅうううう……ウウウウウ、うううう」  快感、ではないと思うが、氷織さんのあげる嗚咽は痛みを訴えるものではなかった。  動物的というか、なんというか、  充足感につくため息のような声。  ――ぬぐるぅうう。 「んん……っ、う、うううううううん」 「く、クロウさん……ああ、クロウさぁんっ」  腹底に走る重い衝撃に、細い伸身をよじらせている。  どう見てもサイズちがいに対する身体反応だが……。 「くぁああん、ああああぅうう、クロウさんの、大きい、太いですぅ」 「……」  下品な言い方をすれば、Mっ気があると思う。  助かる限りだ。  ――ぐに。 「きふぃあっ!」 「……届きましたね」  狭い内部の、一番深くに亀頭が触れた。 「分かりますか氷織さん、ここが子宮口です」 「は、はい……んぅ、うう」 「赤ちゃんのとこ……ですよね、えへ、えへへ」 「っ」  ただでさえ狭い作りが、ぎゅうっと強烈な窄まりを始めた。  とくに亀頭部分。めりこまれた子宮付近のひだが、雪崩のように潰れながら寄り添ってくる。  エラの形状が分かるくらいぴっちりと巻き締められた。 「ふぁああ、はうあああ、クロウさん、来てます。クロウさんの太いの……赤ちゃんのとこに」 「くはああ、ふぁあ、ふぁは、ああうぅあああ」 「く、クロウさん……これ、どうしましょう。わたし、なんだかもう、もう……」 「もうですか?」 「す、すいません、でも……」 「クロウさんの……も、魔法です。お腹のなか、触られてると」 「あうううううお腹から、お腹からぶわーって来ます。気持ちいいのの、一番強いのが、ぶわーって」 「ああぁああ」  たまらない。と言った感じで、ピンクに火照った雪白の肢体が踊りくねった。 「くぁう、うふぁはあああうう、あうううん」  軽いオルガスムスがたえず来ているらしい。まだ『痛み』の強い段階なのだろうが、氷織さんの身体はそれに馴染んでいた。 「あああ、クロウさん、どうしましょう」 「あそこが、こんな、いっぱいなのに。いっぱいなのに……イイ、気持ちいいです」 「やああ私、もっとえっちになっちゃいますぅ」 「なによりです」  遠慮する必要はなさそうだ。  彼女の腰が抜けるまえに、こちらも――。  ――ぐちっ、ぐちっ。 「くっふぃうううううんんんっ、あううん、あううううん奥、突かれてる、暴れてるぅ」 「や、うあうう、どうしましょう……気持ちいいのが、どんどん、どんどん……広がってます」 「ぁあああああこんなのぉおお」  軽く腰をゆするだけでも、体重の軽い氷織さんには全身が揺れるほどの衝撃となる。  その衝撃を一番強く受ける子宮は、せり出すようにしてこちらの穂先へぶつかり返してきた。 「くあぅふ、くふうう、んっ、んっ、んぅ、んふ」 「おくで、膨れて、んんぅう、もっと太くなってます。あうう、クロウさん、広がってます……っ」 「はぁあ、ああぁぁああーーっ、はああーーーっ」  この幼い身体のどこにと思うほどエネルギッシュに氷織さん自身も腰をゆすっている。 「はぁあああーーっ、ああああーっ」  軽めのオルガスムスが連発しているのは膣の動きから分かるが――。  あと一歩、イキ切っていないのは、やはり彼女自身がこらえようとしているからだろう。  腰が砕けるような快感は抑え込みたい。そんな意志を感じる。 「はうんっ、はうんっ、はうんっ、あうううん」 「……」  自分が来るのを待っている。 「そろそろ出ます……氷織さん、こらえてください」 「はえぁ、ほ、ほんと……ぉ、ですか?あっ、あっ」 「きて……来てください。私……やう、限界、です」 「あああクロウさんの、クロウさんの、わたしのお腹にいっぱいかけてくださぁい」  貫かれる快感よりも、そちらの充足感がお好みらしい。ふにゃっと幸せそうに顔をとろかして、 「クロウさんの赤ちゃん……私にくださいぃ」 「っ……」  トリガーに指をかけ、ピストンを荒げた。  ずむ、ずむ、細い身体が浮くくらいの腰づかい。 「くぁうううううううんっ、あううう、あああうううう」  普段物静かな彼女からは想像もつかない嬌声の乱舞に合わせて、性具の擦り合わせを深めた。  自然と彼女の腰使いは大人しくなり、  そのためか結合部は、溶けあって一体化しているような不可思議な熱に包まれる。 「ひく……っ」 「……っ」  ぎゅうぎゅうと絞り上げてくる内部が、限界が来たのかわずかに緩むのが分かった。  それが合図だ。  締め上げられるばかりだったペニスに、ぞろりと甘やかな粘膜がこすれて――、 「ひぅひあ……っ、ひあ、ひ、はぁ、あ」 「っ――」  ――びゅくるるるるっるるるるるるるっっ! 「あぁあっ、あっ、あっ、あっ、ああああーーーーーーーっ」 「ひぅあ、出てる、出てます……んあああああ熱いの、熱い、すごいの、奥に、お腹に」 「ああぁああクロウさんの赤ちゃんきてますぅう」 「はぁああああーーーーーーーーーーーっ!」  絶頂感が深まり、連続しているのだろう。凄まじい絶叫を放つ氷織さん。  まさに普段からは想像もできない声だ。  ……めるさんに聞こえてないかな?  ――ずる……っ。 「くふぁああ……」  引き抜くと、半分意識の飛んでいる氷織さんをよそに、氷織さんの肢体は驚くほど効率的な動きを見せた。  ぎゅるりとこじ開けられたピンク穴が、慌てて筋肉を収縮させる。  まだ自分の穂先から糸を引いている精液を、子宮近くにため込んで見せた。 「……」  これなら……本当に出来たかもしれない。  今さらながら彼女の幼さで、これはよかったのか?思うが、  まあ出来たら出来たで、その幸せを差し上げられるよう考えていくまでだ。  これからも彼女の幸せのために頑張っていこう。  それが自分にとっても幸せなのだから。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ただいまー!」 「はわ!」 「おはようございますクロウさん」 「おはようございます」 「んじゃ行ってきまーす」 「行ってきます」  翌日からは、またもとの生活にもどった。  一番心配された天候はすっかりよくなり、 「んせっ、んしょっ」 「はふぅ、雪かきが大変ですね」 「ですね」  後始末も順調。 「よいせ、よいせ」 「ふぅ、ふぅ、大変です」 「……」 「はふぅ、ふひぃ」 「小町さん、体力が落ちましたね」 「ふぇっ?! う、うそ、そうですか?」 「でもほら、こんなにいっぱい雪を運べてですね」 「確かに腕力は落ちてないようです」 「……?そういえば二の腕が以前より……」 「……」 「ちょ、ちょっと体重計を探してきます。……しばらく前に押し入れにしまったけど、確か捨ててはいないはず……」  中に入っていく小町さん。  雪かきは自分がやっておくか。  ・・・・・  夕方――。 「ただいまー」 「ただいまです」 「おかえりなさい」 「遅れてごめんね。病院寄ってたから」 「いえ」 「病院のほうは?」 「おそのさんは順調です。手術痕もしっかりふさがったって」 「氷雪ちゃんも、さっそくお乳を飲むようになったとか。早産なので心配でしたけど、このままなら1週間くらいで退院できるそうです」 「今日はあんまり仕事ないから手伝いはなしでいいって」 「遅くなった理由の8割はおじいちゃんが帰っちゃヤダヤダうるさかったから」 「なによりです」 「さて、それじゃ」 「久しぶりにお店のことやりたいな。クロウ君オリちゃん、こっちはボクに任せてくれていいよ」 「ありがとうございます」 「じゃあお茶でも淹れますね。それと……」  ちらっとこっちを見る氷織さん。  ……ああ。 「思えば私の不器用さでいきなりケーキ作りは無謀だったのかもしれません」 「ここは身の程をわきまえてもっと簡単なのから行こうかと」 「そう卑下なさることはないでしょうが」 「難度を抑えるのは良いやもしれませんね」  大切なのは自分に作りやすいものを覚えることだ。 「ではまずこんなのから」 「はい」 「~♪」 「コンニチハー」 「およショコラ。今日も来たんだ」 「ハイ。時間があったので、いまから行けばティータイムに間に合うかなと」 「いい判断だね」 「いまクロウ君たちがお菓子作ってくれてるよ」 「クロウ君オリちゃん。ショコラが来たけど……」 「ああ……」 「けほっ、けほっ、いらっしゃい」 「ナゼどちらもススだらけデス?」 「色々ありまして」 「妊娠中は控えたけどさ、授乳期もカフェインは控えたほうがいいんだよね」 「よっぽどいいだろうけど、2年はあきらめるのが無難だね」 「だってさ」 「ではチョコケーキは、2年を目安に上達しておきます」 「今日のところはクロウさんが作ったカスタードスフレで」 「さんきゅー」 「あたしもいただこうかね」 「それで……」 「あっ、あっ」 「……」 「かわいい」 「抱っこしてあげな」 「はい」 「えっと、こう、こうでしょうか」 「うまいうまい。ああ、髪が目とかに入らないよう注意してあげて」 「は、はい」 「あう、だう」 「こ、こう、かな、こうかな」 「お母さんのほうはすーぐ慣れたけど、お姉ちゃんはまだギクシャクしてるね」 「あたしは昔の氷織を抱いてなれてっからねえ」 「だ、だって、泣かせちゃったりしたら」 「いまくらいの時期は抱き方さえよければよっぽど泣かれないらしいよ」 「一度泣きだすと、どれだけあやしても満足するまで聞かないけどね」 「あうう」 「さて、んじゃ私はゆーっくりいただいたスフレでも」 「んあ、んば」 「およ?」 「んばー」 「あ、手を伸ばしてます」 「驚いたこの子、この年でケーキ好きなんだ」 「さすがケーキ屋で生まれた子だねえ」 「ふふ」 「先生、まだケーキは」 「ダメに決まってんだろう。ママを介してお乳にしてあげな」 「それもそうさね。いただきまーす」 「残念ですね」 「あぶぶ」 「ふふ、もうちょっとだけ大きくなったら一緒に食べましょうね」 「……」 「そのときには私も、1種類くらいは作れるようになっておきますから」  ――モクモクモクモク。 「わー! オリちゃんオリちゃん、火ぃふいてる火!」 「けほっ、けほっ」 「まだまだ前途多難ですけど」 「まあまあ、そう悲観なさらずに」 「何度でも教えますから、ゆっくり作り上げていきましょう」 「クロウさん……」 「はい」  そして――。  1週間は、過ごしてみるとあっという間だが、  天気を変えるためには充分な時間だった。 「ユキちゃんが生まれて1週間かあ」 「あの日はあんなに寒かったのに、あっという間に温かくなってきましたね」 「モーすぐ春デス」  今日は裾野さんと氷雪さんの、退院の日。  ちょうど土曜で店は休みなので手伝えることはないかと病院へ向かうことに。  といっても、ほとんど遊びに行くに近い。  運ぶの事態は旦那様が車で迎えにくるそうなので、そこまでの荷物運びがせいぜいだ。 「もうすぐ雪も溶けちゃいそう」 「でりゃっ!」 「わぷっ!」  不意打ちでブン投げた雪玉がショコラさんを直撃する。 「やりましたネー!」 「わはっ、きゃー!」 「マテー!」  両手に雪をすくって追いかけだすショコラさんと逃げるめるさん。 「やれやれ」 「ここにいると巻き込まれそうなので、先に病院に行っています」 「はい」  早く氷雪さんを可愛がりたいのだろう、スキップ気味に病院へかけていく氷織さん。  自分はめるさんたちを待ちながらゆっくりと――。 「……」  おや。 「どうも」 「ふふ」 「今日はわんちゃん方は連れておられないのですね」 「そうね、久しぶりにあの子たち目的でなく外に出たわ」 「あなたに会いに来た」 「……自分に?」 「そろそろ記憶は戻ったかと思って」  ニヤニヤと、意地悪く笑いながら言う。  この口振りは――、分かっていてのことだろうな。 「残念ながら、まだ」 「でしょうね」  やはり分かっていたのだろう。クスクスと笑ったままだ。  そうか、忘れがちだったが、このことはどうするべきかな。  自分の失う前の記憶。  出来れば思い出したいのだが、では思い出したからといって、氷織さんたちを放って元の生活に戻るなど考えたくない。  困っていると――、 「まあ仕方ないわよね」 「私もあなたも、きっと自分で意識してここにいるわけじゃないんだもの」 「は……?」 「理由があっているんじゃない。お腹を痛めて、大騒ぎして産んでくれるママがいるんじゃなく、ただここにいるだけ」 「奇跡に理由なんてないように、ね」 「けれど奇跡のようにここにいる。それが私たち」 「……」 「驚いてるわね。自分の正体、多少は察しがいったかしら」 「妖精の夜の日にこの街に現れた。この街で生まれた自分がどんな存在なのか」 「もう察しがいってるんじゃない?」 「……」  自分の正体――。  自分の正体は――。 「……」 「……」 「……」 「分かりませんね」 「は?」 「奇跡に理由がないのは普通のことですし、お腹を痛めて生まれたこの世のあらゆる人間にもなにか理由があるわけではないかと」 「だって奇跡は、どこにいる誰もがとくに理由もなく起こすもの」 「どこにでもありふれているものですから」 「……」 「そんな奇跡に例えられても――、自分の正体は、どこにでもいる普通の人間です、としか」 「……」 「ちがいますか?」 「ふふっ」  一瞬ぽかんとしていた森都さんだが、すぐにまた不敵な表情を戻した。 「そう思うならそれでいいと思うわ」 「ふふっ、ふふふっ」  おかしそうに相好を崩しながら、 「私は自分を特別なものだと思ってるけど」 「どこにでもありふれてる。そんな考え方も嫌いじゃないわ」 「よく意味が――」 「わぷっ!」  いきなり視界が真っ白になった。 「あっはは、油断しちゃダメだよクロウ君」 「デス」 「うえぷ、いきなりはご勘弁を」  顔面に雪玉を叩きこまれた。  と――。 「?」 「あれ、森都さんは?」 「モリトさん?」 「犬のお姉さん? いたっけ?」  あたりを見渡す。  だが一面真っ白な公園に、あの特徴的な長身はなかった。  おかしいな。 「3人とも、そろそろ行きますよ」 「あっ、はーい」 「行きましょ、クローさん」 「は、はい」  連れられて病院へ向かうことに。 「……」  ま、いいか。 「……」 「ふふ」 「どないしてん市長、楽しそうにして」 「また仕事をさぼって外出されていたようですが」 「はいはい仕事はちゃんとするわよ」 「私はあくまで、幸せな奇跡は特別なときにだけ起こると思うもの」 「はえ?」 「なんでもない。ほら、次へ行きましょ」 「あ、その前に、赤井さんに電話いれて」 「華ちゃんに?」 「ええ」 「ご主人様はもうしばらく戻りそうにないって」 「はー、やっと解放される」 「のはいいけど」 「お迎え遅いね」 「街の外で渋滞に引っかかったそうで。来られるのは夜になるそうです」 「どうしても遅くなるなら、もう1晩泊まっていけばいいんじゃないかの?」 「ほれそのときはめるちゃんも一緒に。ねっ、ねっ」 「ベッドが足りないよ。もう1晩ってなるならジジイ、あんたを叩きだすからね」 「ベッド、そんなに余裕ナイので?」 「ああ」 「次は牛引さんちの奥さんが数日以内に出産の予定でね。今日から泊まりなんだよ」 「へえ」 「この狭い町でも、結構な頻度で赤ちゃんて産まれてるんだ」 「そりゃそうさね」 「つってもアンタらほどバタバタするのは滅多にないけど」 「人が1人生まれる。そんなスペクタクルも、世界にはありふれてるものだよ」 「……」 「……」 「……アハ」  嬉しそうに笑う3人。  世界にはありふれている、か。  確かに。 「っと、旦那来たみたいだ」 「ほら荷物持ちたち、車に荷物を運んでおくれ」 「はーい」 「あっ、私は氷雪ちゃんを」 「ああ、よろしく頼むよお姉ちゃん」 「あぶ」 「はい」  日もとっぷり暮れたころ、公園の向こうに車が来た。  めるさんとショコラさんは裾野さんを連れていき、氷雪さんは氷織さんが。  入院中の荷物は自分が運ぶことにする。 「一番重いところを。すいませんクロウさん」 「いえ。責任の意味では一番軽いところです」  裾野さんたちは先に車へ向かうので、自分と氷織さんがやや遅れた。  氷雪さんを連れて転ぶわけにもいかないし、ゆっくり行こう。 「寒くないでしょうか」 「赤ん坊は体温が高いので、少しくらい大丈夫かと」 「寒かったらいつでも言ってくださいねー」 「あぶぶ」  念入りに毛布とタオルで包んだ体を抱く氷織さん。  1週間で、抱っこはすっかり慣れたようだ。 「うあ」  抱かれる氷雪さんのほうも慣れた様子で、氷織さんの手に身をゆだねながら、 「あー?」  ふと不思議そうに、見慣れた顔から視線を外した。  空を見ている。 「ん……真っ暗なのが気になるんでしょうか」 「夜空を見るのは初めてでしょうからね。泣かないあたり、怖いとかではなさそうですが」 「大丈夫ですよ氷雪ちゃん、お姉ちゃんがいますからね」 「夜空というのは、少し暗くて怖いけれどよく見ると星がとてもきれいなんです」 「この世界にたくさんある、とても綺麗なもののひとつ」  氷織さんもつられるように上空を見上げた。 「これからもたくさん教えてあげます。夜空の他にも綺麗なものも」 「この夜空の」 「もっと綺麗なものも――」 「――え?」 「おや」 「ふやああ」 「わああああ……」 「ふわ……これって」 「……デス」 「……」  ダイヤモンドダストだ。  妖精の夜が、このタイミングで。 「く、クロウさん、『儀式』をしました?」 「いえ」  自分はあれからあのビルには寄ってもいない。  様子からして氷織さんでもなさそうだ。 「じゃ、じゃあ誰が。うちの者は街には来てないのに」 「……」 「でも、だったら」 「だったらこれって、もしかして」 「もしかして――」 「氷織さん」 「あ……」  取り乱す彼女に、静かに人差し指を立てて見せた。  鼻先に持っていく。  すぐに意味に気付き、口を閉じる彼女。  慌てた言葉をなくせば、すぐに残ったものに集中できた。 「……」 「そうですね。理由は――どうでもいいですね」 「はい」  これが誰かの『儀式』によるものなのかは分からない。 『儀式』抜きで戻ってきたのかも。  もしくはこの20年も、氷織さんたちが気づかないだけでありふれたことだったのかも。  いまそれはどうでもいいことだ。 「……」 「氷雪ちゃん、これが、『妖精の夜』です」 「あうあ」 「ちょっと寒いけれど、ステキでしょう?身体が冷えちゃわないうちに見ておきましょうね」 「……」 「……」 「……」 「これが『妖精の夜』。この街にたくさんあるなかで、一番綺麗なもののひとつで」 「……お姉ちゃんに」 「一番の幸せを届けてくれた奇跡です」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「お母さんお母さんお母さん!」 「はいはい、どうしたい」 「テストで100点取った!約束通りおこづかいちょーだい!」 「あらら、ほんとに取れたんだ、すごいね」 「おこづかいおこづかい!フォルクロールでケーキ食べてくる!」 「はいはい」 「やりい!」 「あーちょい待ち。その前にのぼり」 「あうあ、そうだった」 「うちで一番若いやつがやる仕事だからね」 「うんっ」 「ふぅ、あたしに似ておてんばだけど聞き分けのいい子に育ってくれてなによりだよ」 「お姉ちゃんがいいのかね」 「あ、でも甘い物好きか」 「姉妹ってのは、似るもんなのかそうでもないのか」  ――だだだだだだ!  ――だだだだだだだだ! 「こーんにーちはー!」 「おや」 「こんにちはくろー君! ケーキ食べに来た」  ぱっと誇らしげに、今日のおこづかいだろう。小銭を見せてくる。  来てくれればタダでごちそうするのだが――。ちゃんと『自分で買いたい』お年頃なのだろう。 「中へどうぞ。いまはめるさん……はおじい様とお出かけか」 「彼女が1人で見ています」 「ケーキ下さい!」 「あら、いらっしゃい氷雪ちゃん」 「オリ姉が先生してくれたおかげで100点とれてね。だからおこづかいもらった。ケーキ!」 「はいはい、じゃあ、好きなのを選んでください」 「んーっと、今日はどれにしよっかな」 「ふふ」 「迷ってしまうなら、チョコケーキはいかがです?」 「私のお手製なんですよ。……半分くらいはクロウさんに手伝ってもらったけど」 「うーん、でもこれあんまり甘くないからなあ」 「はあ、なんとか商品にできる程度の味にはなったけど、なかなか人気が出ませんね」 「一番のおすすめですのに」 「……そんなに美味しい?」 「ほろ苦くて、大人の味ですよ」 「私はしばらく食べられなくて残念です」  ショートケーキにおけるイチゴの役割とは何か。  それは『意外性』だ。  純白のクリームの海に、ちょこんと乗っかる真っ赤なイチゴ。  甘いスポンジに、爽やかな酸味で蓋をするイチゴ。  パティシエが完璧以上の完璧さを計り彩っていくケーキという造形のなか、唯一自然そのままに任せた形状で降り立つイチゴ。  甘くて、均一的で、まっさらで。  そんなケーキと言う概念のなかに、一点だけ相反した部位を取りおく。 『合わない』ことが『合う』。  不思議なことに、欠かせないものらしい。 「それがショートケーキのイチゴなんだよ」 「勉強になります」 「おじいちゃんの受け売りだけどね。まふまふ~」  幸せそうに用意したショートケーキをパクつくめるさん。  土曜、休日の午後。  ケーキに使う用のイチゴが、数種類にわけて入荷され、使い分けられているのを疑問に思ったところ、有意義な知識をいただけた。 「確かにショートケーキ用のイチゴって生食用に比べてすっぱいものが使われてますよね」 「まふまふ」  イチゴだけそのまま口に運ぶ氷織さん。  糖度の低いイチゴの味は、甘い物の苦手な彼女にはちょうどいいらしい。 「クリーム性の甘味を一緒に食べている状態なので、下手に甘いイチゴを使うとかち合ってしまうのでしょうね」 「相反しているからこそ相性がいい。不思議なものです」 「だね」 「食べ終わっちゃった。クロウ君おかわり」 「今日はここまでです。夕飯に差し障りますので」 「えー。ぶー」 「もっと食べたーい。食べたい食べたい食ーべーたーいー」 「ねえクロウ君、ダメ?」 「う」  可愛い上目使いが来る。  生来の甘え上手というやつで、こうなっためるさんは強敵である。 「ねーねーくろーくーん」 「ですが、夕飯が、その」 「食べるよ。お夕飯もちゃんと食べる」 「でもいまはケーキ。ねっ? いいでしょ?」 「いや、だから」 「ねーってばねーってばねーえー。くろーくーん」  すがりついて額を二の腕にウリウリしてくる。  子犬が鼻先でやってくるアレだ。  まいった。これを振り払うのは難しい――。 「ダメです」 「あう」  助かった。 「これ以上食べると夕飯が食べられなくなって、食べる量減らして、寝る前くらいにお腹が空いての負のスパイラルです」 「なのでここでストップ。これは決定事項です」 「うぐ~」  氷織さんがクールにシャットアウトしてくれる。 「う~……」 「ちぇ。きびしーにゃー」  それでめるさんも引いてくれた。 「クロウ君なら押せ押せでお願い聞いてくれるけど、オリちゃんは難しいからね」 「めるさんの甘えんぼ攻撃にももう慣れました」 「クロウさんも、ダメなときはちゃんとダメと言いましょう」 「す、すいません」  はむ。ともう1つイチゴを口に運ぶ氷織さん。  うーむ……。氷織さん、一番小さいのにしっかりしている。  甘々なめるさんに比べて、酸味が効いているというか。 「あーあ」 「じゃあイチゴだけでいいや。オリちゃんオリちゃん、あーん」 「ン……仕方ないですね」 「こっちもあんまりたくさんはダメですよ。あーん」 「あーん」 「んふ~」  これで2人とも相性抜群なのだから、不思議なものだ。 「お休みの商店街っていいよねえ」 「心なしか、普段より活気がある気がしますね」 「やっふー!」  めるさんと買い出しに出た。 「うおおおおおおおお!」 「クロウ君クロウ君! ポテト売ってるポテト!」 「はいはい」  めるさんは普段よりさらに元気だ。  まあ元気なのはいいことだが……。 「とりゃああああああ!」 「あ! ポテト冷めちゃった」 「でりゃああああああ!」 「あはははは甘い物食べたーい」 「あまり走ると危ないですよ」  ちょっと抑えが利かないレベルだった。 「今日はまたすごいテンションですね」 「そかな?」 「そだね。ふふふふぅ、なんかもう楽しくって」 「ねえ気づいてる?これ、クロウ君が来てから初めてのまともなお休みだよ」 「む……そういえば」  最初の数日はともかく、ケーキ屋を再開してからは忙しすぎて、まともな休みはなかった。  正確には、休み自体はあっても自分が返上してケーキ作りをしていたからだが……。  そろそろ作業にも慣れが来たので、今日は初めて一日休憩にしてみた。 「……」 「えへへ~」 「なにか?」  ずっとニコニコしているめるさん。 「今日はね、クロウ君への感謝も込めて、なんとしても連れ出そうって思ってたんだ」 「感謝……?するのは自分のほうでは」 「そんなわけないよぅ、うちのお店、クロウ君がいなきゃ今ごろなくなってたかもなんだから」 「大げさです」  ショコラさんの実家、ラフィ・ヌーンの買収話は店を取り潰すようなものではなかったはず。 「そうなの?でも買収されたら、なくなっちゃうんじゃない?」 「えっとですね、ああいうのは営業形態等に対する……」 「???」  よく分かっていないようだ。 「いいのっ。とにかくボクは感謝してるの」 「は、はあ」  おじい様の作ったフォルクロールの存続。という意味では、自分が協力したのは確かだ。  めるさんはやや大げさにとらえているようだが、まあそう思うならそれでいい。 「でねでね、今日は感謝の意味も込めてクロウ君をボクのスペシャルスイーツデーにご招待しちゃうの」 「スペシャルスイーツ?」 「オリちゃんが来ないのは残念だけど、オリちゃんは来ても甘いものに興味ないからね」 「はあ」  ちなみに氷織さんは、 「今日は1日勉強です」  とのこと。 「妊娠9か月ごろは足腰への負担が最もかかる時期になり、痛みを感じる人も多いので……」  勉強内容は変わっているが。 「というわけで」 「この街唯一の洋菓子店フォルクロールの店長代理にしてこの街のスイーツは全て食べつくしたと言っても過言でないこのボク古倉めるがお送りする、SPスイーツデー!」 「開幕しまーす」 (パチパチパチ)  とりあえず拍手しておく。 「まずはこっちこっち。そこのパン屋さんのメロンパンがすごくてね」  手を引かれる。  付き合うか。  今日はいい休日になりそうだ。  ・・・・・ 「はー食べた食べた~」 「かなり食べましたが、お腹は大丈夫ですか?」 「だーいじょーぶだよあれくらい」 「うえっぷ」  食べ過ぎたようだ。 「美味しかったでしょ、鹿屋さんちの駄菓子クレープ」 「はい。大変豪勢でしたね」 「ソフトクリームとかジャムとか、うちでは微妙に用意しにくいものをガンガン使ってくるからね。意外なライバルなんだよ」 「そのぶん安くて美味しい。お客としては大好きです」 「ええ」  雑貨屋の鹿屋さんは、うちにお客として来ることも多い。  店同士としてもいい関係だと言える。 「他にも、驚いた?この街でアイスクリーム屋さんが普通に営業してて」 「この寒さで、経営出来ているのでしょうか」 「夏は結構暑くなるからアリなんだよ」 「冬に食べるアイスも美味しいしね~」 「確かに」 「あとあと、チョコレート専門店とか、ジュエリーショップの一部で可愛いお菓子が売ってたり、あとは……」 「ばあちゃんに見つかったときは心臓が止まるかと思った」 「今日もたくさんお土産をいただきましたね」  先ほど――。 「フルーツも食べたいね、果物。さっぱりとグレープフルーツとか――」 「ばっかもーーーーーーーーーん!!!」 「ひい!」 「この時期のグレープフルーツは酸味が強いし実が小さいしで食えたもんじゃないわい」 「ほれわしの作ったオレンジを持っていきんさい。雑に切ってヨーグルトなんかに混ぜると栄養も抜群じゃぞ」 「あ、ありがとうおばあちゃ……」 「あとはいつも通り大根、小松菜、ちんげんさい。ああ忘れるとこじゃったわオクラ1ヶ月分」(どさっ) 「全部食べるんじゃぞ!」 「ふぇええ」 「おばあちゃん、ボクのこと嫌いなのかな」 「むしろ愛情が過剰なのかと」 「まあ一緒にもらったイチゴは美味しかったよね」 「ですね」  生食用のイチゴもいただいた。  先ほど食べていた、ケーキに使う酸っぱいものとちがい、たいへん甘くて香り豊かな品だった。 「不思議だよねー、同じイチゴなのにあんなに甘いのと酸っぱいのでちがうなんて」 「ですね」 「種類がちがうのかな?」 「いえ、いただいたものはうちで使っているのと同じ種類だったと思いますよ」 「そなの?」  名前は知らないが、たぶん。 「ただ摘んだ時期がちがうのかと。うちに卸しているものは、見栄えが崩れないよう小さく熟したものを使っているようです」 「ふーん」 「じゃあ全く同じイチゴなんだ。もっと不思議」 「ですね」  種類がちがう。と言う方が、あの味の差は分かりやすいかもしれない。 「イチゴって面白いよね、時間が経つと味がどんどん変わるって」 「それは……どんな野菜も同じなのでは」 「あそっか」  てへ。と笑うめるさん。 「植物に限らず生き物、人も同じです。時間が経っても変わらないモノのほうが珍しいですから」 「だよね」  日が暮れだすころまでめるさんと外を流した。  そろそろ気温の落ちだす時間だ。帰ることにする。 「あーあー、まだ帰りたくないなあ」 「寒くなってしまいますよ」 「そうだけど……」 「あっ、ねえねえ明日も遊ぶ日にしよっか。日曜日なんだし」 「日曜は……仕事をしませんと」 「あうう」  フォルクロールは週6日営業、休業日は土曜だけだ。  とくに日曜日は、お客さんも『ちょっと甘いものを』な気分になることが多く、書き入れ時となっている。 「あーあー、せっかくの日曜なのになー」 「……」  とはいえ、  店長代理とはいえ、遊びたい盛りのめるさんが強制的にそれを手伝うと言うのも酷かもしれない。 「店は自分が回しますので、めるさんはお休みにしてくださって結構ですよ」  月~金は学校と店を両立させているのだ。休日くらい休んでもバチはあたるまい。  と思ったが、 「クロウ君が来てくれなきゃ意味がないよ」 「……ですか」  ちょっぴり嬉しい理由で却下だった。 「といってオリちゃんに任せるってのも嫌だし。はー……明日はがんばるっきゃないか」  深々とため息をつくめるさん。  弱ったな。  どう返すべきか迷っていると、 「……」 「だからね!」 「はい?」  ずいっと顔を寄せてきた。 「明日は明日でお仕事しなきゃ仕方ない。フォルクロールは大切だもんね。お店のこともしっかりしないと」 「けどけどまだまだ遊び足りない」 「そこで提案!今日はもうちょっと遊ぶと言うのはどうでしょうか!」 「だからもう暗くなりますので……」 「今日はあんまり寒くないよ」 「まあ……。ですがほら、暗いと危険かもしれません」 「クロウ君がいれば大丈夫でしょ?」 「ん……確かに」  この街は治安はすこぶる良いようなので、夜だからと犯罪に巻き込まれることはあるまい。自分が見張っていればなおさら。 「いいでしょクロウ君。夜遊びだよ夜遊び。なんかすっごく楽しくなりそう」 「ん……」  単純にその響きに盛り上がっているらしいめるさん。 「オリちゃんも夜は用事ないだろうし。ほら、せっかくの休日なら、3人で過ごしたくない?」  そう言われると弱い。 「いいでしょーねっ、ねっねっねっねっくろー君。クロウくーん」 「いや、ですが」 「クロウ君クロウ君クロウ君クロウ君!」 「あの……」 「クローーーーーくーーーーーーん!」 「……」  名前を連呼されても困る。 「よしっ、決まり」 「あのぅ……」 「じゃあオリちゃん呼びに行こっか、ねっ」 「……」  押し切られた。  もうひと月が経つが、めるさんのユニークなキャラクターはいまだに掴み切れていない。  子供っぽいのは確かだ。  かなり強引だし、決めたことにはかなりガンコでもある。  ただワガママ。と呼ぶのはちがう気がする。  そもそも今の強引さも、あくまで店の都合を考えて明日は休めないという前提のうえでのことだし。  自分の立場と、周囲の迷惑にはしっかり目が通せる。  しかしそんなに迷惑でないと判断したら途端にワガママになる。  そんな感じ。  大人っぽさと子供っぽさが同居しているというべきか。 「えっへへ~今日はほんと楽しいね~クロウ君」 「はあ……」 「わっはーい」 「……」  単に子犬っぽいと言うべきか。  ひとつ言えることは、  自分では、この少女の無邪気そのものな笑顔には逆らえそうにないということか。 「夜遊び?」 「ダメに決まってるじゃないですか」 「がーん」  氷織さんは逆らえるのが助かる。 「えううう、でもまだ遊び足りないいい」 「我慢してください」 「久しぶりのお休みなんだよ!?」 「1週間後にまたありますよ」 「夜は昼とはまたちがうんだよ!?」 「夜は遊ぶ時間ではないですからね」 「遊びたあああああああい!」 「ダメです」 「あうううう」  大人っぽさと子供っぽさの同居しているめるさんだが、比率で言えば大人っぽさの値で氷織さんには勝てないな。 「ねーねーオリちゃーん」 「なんですか」 「オリちゃんオリちゃん」 「オリちゃんですが」 「オリちゃんオリちゃんオリちゃんオリちゃん!」 「……」 「オリちゃーーーーーーーーーーーん!」 「ダメです」 「おねだり攻撃が効かない」  先ほど自分を落とした名前連呼攻撃も、氷織さんには効果なかった。 「どうしてもダメ?」 「逆にどうして夜に遊びたいんですか」 「それで風邪でもひいたら誰が看病するんですか」 「明日寝坊したら?」 「そもそも遊ぶといってもどこへです?この街は夜7時にはほとんどのお店が締まりますけど公園で雪合戦でもするんですか?」 「うわーんクロウ君オリちゃんがいじめる~」 「は、はいはい」  しがみついてくるめるさんをあやす。  困ったな。言っていることは100%氷織さんが正論なだけに。 「まったくもう」 「なにかのお祝いというならともかく、ただのお休みなのにめるさんはエネルギーを使いすぎです」 「ただのお休みじゃないよ。クロウ君が来て初めてのお休み記念日だよ」 「お休みは何度かありましたよ」 「あった……けど、クロウ君はケーキ作ってたし」 「だから初めてのケーキ作りなしにしてのんびり休めました記念日」 「それは。ただの。お休みです」 「う~……」 「あっ、じゃあ一ヶ月記念日。クロウ君が来て一ヶ月記念」 「ん……」  そこで初めて氷織さんの言葉が止まる。  ちら、と自分の方を向いた。 「お祝い……します?」 「いえ」 「だそうです」 「うぐううう」  自分が屋根から落ちたのから一ヶ月目。祝われたくはない日だ。 「大事だよ記念日は。一ヶ月記念、二ヶ月記念」 「そうだ一週間記念日やってないね。いまからやろうか」 「多すぎます」 「まあやったとして一ヶ月か」 「せめて一年ですよ。年に12回も同じ理由でお祝いは普通ないです」 「かあ……誕生日もそうだもんね」 「あ!」  急に素っ頓狂な声をあげるめるさん。  ? 「一年記念日。そうだ一年記念日!」 「はい?」 「オリちゃんがうちに来てもうじき一年だよ!」 「ん……」 「え……?」 「……」 「まだ10か月も経ってないです」 「あれ」 「そっかまだ1月だもんね。初めて会ったのって3月の終わりくらいだっけ」 「……」 「はい。もうじき10か月記念日ですね」 「はーあー、まだまだ遠いなあ」 「あのう」  気になった情報が。挙手する。 「なにクロウ君?」 「氷織さん、この店にきてまだ10か月なので?」 「あ、いえというか、お2人が出会ってまだ……」 「10か月ですね。正確には9か月と少し」 「オリちゃんがうちの学校に入ってだもんね」 「あ、そうか」  氷織さんは1年生で、通学のために居候している。そう考えれば当たり前の計算だ。  しかし、驚いてしまった。 「お2人がまだ9か月の仲とは」 「ふふ、そうですね」  気持ちは分かるとばかり笑うに氷織さん。 「? なにか変?」  めるさんの方は分からないと言う顔。  自分が途中参加だから。というのが大きいにしろ、  この2人の関係はもう、完成されているというか。姉妹のようだ。  ずっと昔から一緒にいたような。  だから勝手に幼なじみ的な関係だと思っていたが……。 「オリちゃんあのころとはだいぶ変わったよねー。話しやすくなったし」 「ツッコみも厳しくなったよね」 「いま9か月前にタイムスリップ出来るなら、めるさんにはもっとガンガン言うべきだと自分に教えます」 「あううう」  この空気。  やはり9か月というのは驚きだった。 「でも、そんなに変かな?」  小首をかしげるめるさん。  苦笑する氷織さんに比べて、めるさんのほうは驚かれる意味が分かってない顔だった。  彼女にとっては普通のことなのだろう。9か月もあれば、誰かと姉妹のように仲良くなるのは  考えてみれば自分だって、たった1か月でこんなにも迎え入れられているわけだが。 「……」  記憶を失って、まず出会った相手がめるさんだったことは、自分にとって最大の幸運だったかもしれない。 「???」 「ま、いいや。とにかく、オリちゃんのうちに来て一周年記念は――」 「あ!」  また大声。ちょっとびっくりするからやめてほしい。 「今度はなんです?」 「うんあのね、うちに来て1年の前に、オリちゃんにはもっと素敵な――」 「おおっとぉ!言えない言えない言っちゃダメなやつだよ」 「?」 「~♪ふふふふふ、なんでもないよ~、なんでもない」 「……」 「そうですか。じゃあ聞きません」 「とにかく、今日の夜遊びはあきらめてくれたんですね?」 「そだね。なんかお腹空いてきた。おこたでのんびりお夕飯の気分だよ」 「なによりです」 「あ、クロウさん、このあとちょっといいですか」 「はい」 「ボク、お夕飯の準備するね。今日は特製のポトフだよ~」  厨房へ向かうめるさん。 「氷織さん、なにか?」  ちょうどよく2人になった。 「さっきめるさんが言いかけた、私にとって来て一周年より前に来る『もっと素敵な』記念日ってなんだと思います?」 「ん……そうですね」  一瞬悩むが――、  氷織さんにとって。特定個人にとっての、一周年に絡んだ記念日など、ひとつしか考えられない。 「お誕生日でしょうか」 「ご明察です」 「私、来月の14日が誕生日なんです」 「おめでとうございます」 「ありがとうございます」 「で、見ての通りめるさんがウキウキしてまして。何をたくらんでるか分かりますよね」 「あの強引な話題の区切りは……、サプライズパーティを仕掛けようとしているのでしょうか」 「たぶんそうだと思います」 「めるさんの誕生日――去年なんですけど、その日は私と小町さんがサプライズを仕掛けたんですよ」 「ほう……」 「したらめるさん、腰が抜けちゃうくらい驚いて。それから数か月、絶対リベンジすると息巻いてます」 「サプライズを仕掛けると息巻いて?」 「結果、対象である私にバレバレになったけど――、そういう素直さってめるさんの美徳だと思います」  同感。 「で、ですね。めるさん多分、サプライズにはクロウさんのことも味方に引き込もうとすると思うんです」 「協力してあげてくださいますか。さすがに私へのサプライズパーティの準備を私が手伝うわけにはいかないので」  本末転倒だしな。 「もちろんです」 「すいません。仕掛けがいのないサプライズをお願いするなんて」 「私、演技力はないけど、でもいっぱい驚きますから」  氷織さんもわりと素直さが美徳な人だと思う。 「分かりました、めるさんに協力します」 「はい」  9か月という関係には驚いたが――、  やはり『姉妹のよう』と思った自分の見立てに、間違いはなさそうだった。  ……どちらが姉でどちらが妹かはともかく。  ちなみに、夕飯の用意をするめるさんを手伝いに行くと、 「実はね実はね、来月オリちゃんにとってスペシャルな記念日があるんだよ」  予想通りな話が。  説明は中略。 「分かりました。氷織さんを驚かせられるようがんばりましょう」 「うんっ」  自分もあくまで氷織さんは気付いていないというていで話を進める。  2人の関係は完成されている。  自分はせめて、その関係の邪魔にならぬようつとめるばかりだ。 「へへへ~、楽しみだな~誕生日」 「はい」 「ごはんはボクが担当するからケーキはクロウ君ね。あっ、それとも逆にする?ボクだってショートケーキくらいは作れるからあ……」 「いいかもしれませんね。計画しましょう」 「……ところで、さっきから焦げ臭くありませんか?」 「ふぇ?」 「わああポトフが!」 「……」  先行きはやや不安……かな。 「~♪」 「おはようございます小町さん」 「おはようございます」  翌日曜日。  日曜は週で一番忙しい日である。  あえて土曜日に休日を持ってきたのも、この日に向けて英気を養う意味が強いかもしれない。 「今日はなんだかとても甘い物の気分なんです」 「お休みの日ってどうも毎回これで。困っちゃいますね」 「金曜日にも同じことをおっしゃっていた気がしますが、そうですね」 「みなさん気持ちは同じだと思います。日曜は客足が普段の倍はちがいますので」  その分こちらは大変だ。  用意する量は倍必要だが、準備の時間は倍にはならない。  器具も人も倍にはならず、  必然的に自分が急がねばならない。 「おっはよ」 「おはようございます」 「お手伝い、なにができる?クリーム作ろっか」 「お願いできますか」 「ノープラクティス。店長代理に任せなさい」 「ノープロブレムでないのが不安ですが……、お願いします」 「よーし、まずはメレンゲづくり、ぐるぐるぐる~」  ノリは軽いが、手さばきはもっと軽い。  軽快に、そつなくボウルをかき混ぜるめるさん。 「手馴れていますね」 「この10年間誰がおじいちゃんの補佐してると思ってるの」 「ひとつの欠点を除いてボクに出来ないお手伝いはないよ」 「ひとつの欠点とは?」 「なんでもない。今日はやらかさないから大丈夫」 「ほーら美味しそうに出来てきた~」  シャカシャカと混ぜたボウルの中で、クリームが美味しそうにねっとりした光沢を帯びだす。  良い出来だ。  実は店で出すほどの量のクリームとなると、作るだけでも大変なのだが……。  やはり慣れている。  デコレーションなどの難しい作業は苦手なようだが。確かに『手伝い』だけならばめるさんは完璧と言っていいようだった。 「ふふふ~すごいでしょ。ほんと美味しそう」 「美味しそう」 「美味しそう……」 「……めるさん?」 「……」 「ちょっと味見しないとね。ほら、満遍なくいってるかは見ただけじゃ分からないし」  ――べちゃっ!  ボウルの半分くらいの量をお皿に移すめるさん。 「はむはむはぶはぶっ! はーぶはぶはぶぶっ!」 「んはー、おいしー」 「……」 「残った分もちゃんと出来てるか見ないと」(べちゃ) 「全部なくなってしまいますが……」 「だってちゃんと全部見ないと!全部出来てるか分からないよ!」 「なるほど確かに」  ちゃんと出来たか完璧に見定めるには、全て食べてみるしかない。  哲学的な命題かもしれない。 「というわけで味見いっただきまー」 「コラ」(ひょい) 「あうあ」  氷織さんがお皿を取り上げた。 「全部食べたらなんのための味見ですか」 「クロウさんもボーっと見てないで止めてください。ツッコみ役の放棄はめるさんと関わる上で仕事の放棄と同義です」 「す、すいません」 「美味しそうなクリームを見てたらなんかもうよく分からなくなって」 「ひとつの欠点というのがよく分かりました」  クリームが半分に減ってしまった。作りなおさないと。 「私が手伝ったほうが早いでしょうか」 「それはないよ。オリちゃんがやるとところどころ甘くなくなったりべたーって変な感じにになるよ」 「……反論できないのが悔しいところです」  めるさんにはひとつ欠点があるが、氷織さんはそもそも得意でないご様子。  この2人では店が開けられなかった理由がよく分かる。  ・・・・・ 「よし」 「ふぃーっ、今日のぶん出来たーっ」 「10時45分。おみごとです」  開店15分前、準備が整った。  店のほうは氷織さんが掃除してくれており、どこもかしこもピカピカだ。  開店前の準備は完璧――。 「そしてここからが本番だね」 「はい」  作業中は緩めていたエプロンのリボンを腰のところで結び直す2人。  確かにここからが本番。  可愛らしいウエイトレスさんという、ケーキ屋さんには最大級の武器が2人そろう。  フォルクロール。  自分がいうのもなんだが、良い店だ。  11時。 「コンニチハー」 「いらっしゃいませ」  今日もめるさんの笑顔と共に、店が始まった。 「~♪」 「いってきまーす小町ちゃん」 「行ってきます」 「あら2人とも。行ってらっしゃい」 「うー、なんか今日寒いねー」 「先週より気温が落ちた感がありますね」 「とくに足が。足がもう」 「スカートはこの時期つらいですよね」 「ここ、この靴とスカートのあいだは、もう裸に近いもんね」 「まあ……それを言い出したら顔も裸みたいなものですが」 「そういえば、足はこんなに寒いのになんで顔はそんなに寒くないんだろ」 「体温や皮脂の関係でしょうけど……」 「あ、めるさんは髪が綿毛なので、人一倍保温効果があるのかもしれません」 「なるほどぉ」 「こんなに寒いんだし、太ももも毛ぇ伸びないかな。ジャワ原人みたいににょきにょきと」 「急速な進化を待つよりは、毛糸のパンツでも買った方が早いのではないでしょうか」 「いいかも。温かいもんねあれ」  ――ビュオオオオオ。 「たわ!」 「ささささむ、すごい寒い今の」 「これは……本格的な寒波到来ですね。雪がもっとすごくなりそう」 「うううう」 「とりゃ!」(抱きっ) 「なんですか」 「あーオリちゃん温かーい」 「人を暖房具にしないでください」 「やだ。もう今日はこのまま学校行く」 「歩きにくいですよ」 「……あ、でもめるさん、温かいです」 「でしょー、お互い温かい。Win-Winってやつだね」  ――ビュオオオオオ。 「うわわわわでも風は寒い」 「やっぱりスカートのところが寒いよー。オリちゃんボクの下半身を温めてー」 「変な言い方しないでください。ほら行きますよ」 「はーい」  ――カチャカチャカチャカチャ。 「今日は寒いデス」 「ですね。あ、水仕事辛かったら暖炉で温まっていてください」 「イエイエ」  今日はショコラさんが手伝いに来てくれた。  せっかくなので甘えることにして、2人で作業を分担。  ショコラさんは将来パティシエ希望らしく、作業には非常に慣れている。  めるさんのように出来たものが半分に減る現象もないので手伝いとしては理想的だった。  ――カシャカシャカシャカシャ。 「……」 「クローさん、これちょっと多くないデス?」 「む?」  ボウルをかき混ぜる手を止めるショコラさん。  ボウルは、業務用。非常に大きい品なのだが、それにこんもりクリームが出来ている。  言われれば、店で使うにしても多いかもしれない。 「分量を間違えたやもしれません」 「……そうか。めるさんがいないから量のことも考えなくては」 「あはははっ、そんなことガ」  流れでめるさんの欠点をひとつ話すことに。 「メルは甘い物大好きデスからネ」 「ですね」 「ふふ」  よほどおかしかったのか、クスクスと笑いが止まらないショコラさん。 「……」 「メルは不思議デスね。お店のこと、真剣に考えてて、すごく大人ッポイのにときどきすごく子供ッポイデス」 「ん……」  先日自分が抱いたのと同じ感想が出てきた。 「優しくて、温かくて、包容力がすごくて。でも子供みたい」 「わたしのこともいつの間にか受け入れてくれマシタ。このお店を乗っ取りに来たと思ってたのに」 「それは……ショコラさんの才能かと」 「そんなわけないデス」 「メルが優しい子だからデスよ」 「……」  その点は同感だ。  自分のことも当たり前のように店の一員に加えてくれた。  子供っぽいけれど、大人顔負けの包容力。  それがめるさんの一番の魅力だと思う。  めるさんの……。 「大変だクロウ君!」 「たたた、タオルお願いします」 「お2人とも――」 「学校ハ?」 「2人でくっついて歩いてたら盛大に転んじゃって」 「雪が直撃して下着がぐちょぐちょ……、風邪をひきそう。着替えてすぐに行かなきゃなので、タオルお願いします」 「もう。だから石畳のすべりやすいところは離れましょうって言ったのに」 「ごめーん」 「すぐ着替えて来てください」  包容力はともかく、  子供っぽいところは魅力……かな?  朝の7時――。 「よいせ……っと」 「おはようございます」 「おはようございます。お顔をどうぞ」 「あ……ありがとうございます」  ぬるま湯を張った洗面器を持ってきた。  ――ぱしゃぱしゃ。 「はい、タオル」 「ありがとうございます」 「ぷはあ」  さっぱりしたお顔の氷織さん。 「朝からなにからなにまで至れり尽くせりで」 「いえ。他の作業のついでですから」 「クロウさんはいい旦那さんになります」  さて。お湯を張り替えて、 「おあよー」(うつらうつら) 「おはようございます。どうぞ」  ちょうどのところで来ためるさんにも渡した。 「おー、ありがとう」 「ごくごく」 「ご冗談でしょう」 「めるさん飲むんでなく顔です。顔を洗うの」 「ああ、ごめん寝ぼけた」  めるさんはやや朝が弱い。 「おっしゃー、今日も学校行くぞー、うおー!」  けれどそれ以外の時間は絶好調だ。 「レッツゴー!」 「ダメ。くっそ寒い」 「しかーしボクはあきらめない。不屈の闘志。これ大事」 「闘志ーーーー!」 「凍死しそう」 「……」 「めるさんなりに体温を上げているんです。気にしないでください」 「元気でなによりです」 「あ、そうそうめるさん。これ使ってください」 「ふぇ?」  ポケットから何か取り出して渡す氷織さん。  微妙に自分から隠すように持っていくのでよく見えないが――。 「あっ、パンツ、毛糸のパンツだねありがとー」 「……~」  ――めるさんが教えてくれた。 「こほん。ほら、はいてさっさと行きますよ。昨日みたいに遅刻寸前はもういやです」 「はーい」(はきっ) 「あの……はくにしてもちゃんと人目は避けてですね」  自分の前なのに迷わずスカートのまま足を通した。 「おおーあったかーい」 「いいねえ毛糸のパンツ。冬はこれだねえ」 「パ……下着を連呼するのもやめましょう」 「あう。でもちょっとごわごわする」 「下のパンツも分厚いのに変えた方がいいかな。でもそこまでやると暑くなっちゃうかも」 「クロウ君、どう思う?」 「そういう話は氷織さんとどうぞ」 「おっしゃー温かいぞー!」 「今日は転ばないで下さいよ」  めるさんが行ったあとの店内は、落ち着かないくらい静かだ。  静寂は好きなたちなのだが、  ちょっと心細く思ってしまうのは、やはりめるさんという存在が大きいのだろう。  だから昼は、3時をすぎた辺りからわくわくしてくる。  お2人はまだかな。 「……」 「…………」 「お待たせオリちゃん」 「もう。ちょっと遅いです」 「ごめーん」 「ただいまー!」 「おかえりなさい」 「お客様がいらっしゃるんですから、大声出さないでください」  元気よく帰ってくるめるさん。  確かに少々声が大きいが、来てくださる方にそれを耳触りそうに見る方はいなかった。  彼女の騒々しさは知っている人が多いだろうし、初めての方でも不快にさせない空気がめるさんにはある。  むしろ店のアイドルが戻ったとばかりに、みなさん嬉しそうだった。  ・・・・・ 「はーい今日の夕飯はポトフでーす」 「でも失敗してなんかでろんでろんになっちゃった。なんだろうねこれ」 「おかゆ……を煮詰めすぎたノリみたいな」 「うーん、温まると思って片栗粉を使ったんだけど、量を間違えたかな」 「ずぞぞ……あ、でも味はいけますよこれ」 「でしょ」  3人で夕飯。  最近は気温がぐっと落ちたので、集まりやすいテラスや1階でなく、この部屋になることが多い。 「ああ~、おこたいいなあ。おこただなあ」 「同感です」  ぬくぬくしている2人。  お2人が気に入っているならなによりだ。  夕飯のあとも自然と2人とも残っていった。 「オリちゃん今日の宿題ってどう?」 「もう終わってますよ。めるさんが学校で遊んでて、待たされてるときに」 「うぐ、早いね」 「めるさんは?」 「ちょっとある……2ページだけど」 「じゃあ早くやったほうがいいのでは」 「んー」 「でりゃー!」 「あー寒かった」(もそもそ)  宿題らしい。ノートを持ってきて、またすぐこたつに戻るめるさん。 「ここでやっちゃお。2人は適当に遊んでて」 「はあ」  ・・・・・  ――カタン。  ――カタ。  ――カタン。 「チェックメイトです」 「う……一手足りなかった」 「ふう、ぎりぎり勝てました、これで3勝1敗」 「クロウさん、チェス強いですね」 「そうでしょうか」 「自分の実力はよく分かりませんが、氷織さんはそうとうやり慣れていますね」 「4番目の姉とよくやったのです」 「ほう」  お姉さまが4人……大家族だな。 「15も年が離れているので毎回ぼこぼこに負かされて、悔しかったので必死で勉強しました」 「氷織さんは冷静ですが意外と熱いですね」  そして4番目の姉が15も年が離れている……。家庭の事情の方が気になってきた。 「おわったー!」 「あ、お疲れ様です」 「だいぶ時間かかりましたね」 「難しいんだもん」 「さて次の問題は……」 「次?」 「終わったって。1問しか終わってないんですか」  やるべき問題は1ページ4問、計8問ある。 「失礼ですがめるさん、このペースでは今日中に終わりません」  チェス4戦分の時間かけて1問では、8問終わるころには朝になる。 「そんなこと言われても、分かんないんだもん」 「はあ……見せてください」 「あ、この問題はですね」 「ふむふむ」 「ああ! そういうことなんだ!」  教えられるとピンと来たらしいめるさん。  ……えっと。 「失礼ながら、氷織さんはめるさんより」 「1つ下ですよ」 「……」 「い、いいの。オリちゃんはすっごい頭いいから、特別なの」 「まあ自分の成績がなかなかである自負はあります」 「にしてもめるさんはちょっと勉強しなさすぎですよ。冬休み終わりの実力試験、大丈夫でしたか」 「うぐぅ」 「ま、まあまあ」 「自分も手伝います。どの問題ですか」 「んとね……」  ・・・・・ 「終わりー!」 「はあ疲れた」 「意外とあっという間でしたね」 「誤解のないよう言っておきますと、めるさんは地頭は結構いいんですよ。集中力という名の素養に著しく欠けるだけで」 「真っ白なノート見てるとさ、生クリームみたいで美味しそうだなーって集中できないんだよね」  それは致命的だ。  だが2人がかりで勉強するよう促せば集中力も充分発揮できる模様。 「はー疲れた」 「はあああ」  ばたーんと倒れるめるさん。 「ん……」 「……」 「ここまでみたいですね」 「ですね」  倒れたのと同時に、一気に静かになった。  朝からそうだったが――、  めるさんは、とくに眠気が非常に分かりやすい。  静かになったらもう眠たい証拠である。 「私もそろそろ寝ます。お邪魔様でしたクロウさん」 「ほらめるさん、お風呂行きますよお風呂」 「あうー」  めるさんを連れて出て行く2人。  今日も1日、お疲れさまでした。  ・・・・・ 「にこみう」 「ドーン!」 「にこみう」 「ドーン!」 「お祭りデスカ?」 「土曜日だからうるさいのはいいとして」 「なにしてるんですめるさん。お昼ご飯を作るんじゃ?」 「作るよー、今作ってるとこ。ショコラも食べてくよね」 「Yes。お願いしたいデスが……」 「にこみう」 「ドーン!」 「それは料理ですか?」 「白いモニョモニョを叩きつけて……、お祭りにしか見えないデス」 「料理だよ。さっきから言ってるでしょ、煮込みうどん作ってるの」 「ああ、おうどん」 「寒い日は……寒い日は煮込みうどんだよねえ。簡単だし温まるし、余ったお野菜の始末にもいいし」 「なぜお祭りを?」 「こうやって作るとテンションあがるってこのまえ会ったいろんなとこ旅してるってお姉さんに聞いたの」 「ほんと楽しいよこれ。にこみう、ドーン!」 「わたしもやりたいデス」 「いいよいいよ、おいで」 「どーん!」 「2人してなにやってるんだか」 「どーん! アハハハハ、どーん!」 「いいね~ショコラ、筋がいいよ」 「……」(うず) 「やりたいなら混ざっていいよ」 「け、結構です」 「めるさん、スープ出来ました」  昨夜、ポトフを作ろうとして失敗したものに、味付けと野菜の余りを淹れて煮立たせた。 「おっけー、いま作るよ」  ざっと台に小麦粉を挽いて、こねたタネを麺棒で伸ばしていくめるさん。  伸ばし終わったら畳んで、切って、 「あいよういっちょあがりっ」 「おお~」(ぱちぱち)  見事な手並みに、思わずと言った感じに拍手するショコラさん。 「メルはお料理とてもジョーズデス」 「出来るものと出来ないモノの差が激しいんです。こうやってバッとやってざっと作るものはすごく上手だけど」 「時間をかけてくつくつ作るのはどうもねー。クロウ君、ゆでるのお願い」 「はい」 「まあほぼ何もできない私より遥かにすごいんですが」 「ごちそうさまでした」 「どうみんな?」 「美味しいです」 「はふはふ、あちち」 「でもおいしーデス」  お昼ごはんは好評だった。 「麺はもちろん。クロウさんのポトフ改良スープも美味しいですよ」 「なによりです」 「あちちち」 「猫舌だね」 「すわぁてうどんで温まったことだし、遊びにいこうかー!」 「おー!」  今日はお休み。  めるさんが一番輝く日である。 「さらに今日はショコラさんまでいる」 「元気が倍増していますね」  さっきからきゃっきゃはしゃいでいる。 「私はやっぱりついて行かないのが無難だと思います」 「まあまあ」  そのテンションについていけてない氷織さんがやや引き気味だった。 「まあ……今日は外出の予定だったのでいいんですけど」 「ほら2人とも行くよー」  めるさんを先頭に、町を流しだした。 「おーきな橋デスネ」 「あれ、ショコラここは初めて?」 「歩いて渡るのは。いつも車から見てマシタ」 「こんなに大きな川が、街の真ん中を流れているのデスネ」 「ですね」  唯一建物に邪魔されない空間とあって、山からの風がもろに吹きつけている。  この街の寒さの一番の理由は、この川が中央をつんざいているためだろう。  もっとも元々川が流れていたところに街を作ったというのが正しいだろうが。 「……」 「オリちゃん、どうかした?」 「いえ」  ?  なぜか下流のほうをぼーっと見ている氷織さん。 「それより、早く行きましょう。おじい様たぶんお待ちかねですよ」 「うん」  今日、全員で出たのは、ただ遊ぶためではない。  やはり店長には定期的に挨拶しなくては。 「わーいっ、めるちゃんのお見舞いじゃ~」 「はいはい」  いつものことながら、御仁にはねこっ可愛がりされているめるさん。  めるさんはやや面倒くさそうながら、大人しく頭を撫でられている。  仲の良い家族だった。  もともと誰とでも仲の良いめるさんのことなのだ。家族間にも問題などあるわけないか。 「オリちゃんに、クロウ君も、ご足労じゃったの」 「いえ」 「おっ。かわいいのー、ショコラちゃんじゃろ?話には聞いとるよ」 「ど、どもデス。ハジメマシテ」  ここは初対面だったか。ややどぎまぎした様子のショコラさん。  和やかなお見舞いとなった。  ・・・・・ 「新しいケーキ?」 「うん。いま考えてるんだ」 「クロウ君もだいぶ作業に慣れて来たし。おじいちゃんがこれまで出したことのないやつを新しく……って」 「いい……よね?」 「ふむ」  じっとこちらを見てくる御仁。  やや緊張するが、その表情はあくまで柔らかいもので。 「構わんよ。めるちゃんが言うならなんでも並べなさい」 「わしのケーキより売れる自信があるならの」 「う……」  許可は簡単におりたが、挑発も添えられた。 「どうかね。わしより美味しいケーキ、作れるかね」 「……」 「パティシエにも貪欲さは必要というもの。50年やってきたわしも飛び越えるくらいの気概があればまあ一品増やすくらいは応援しようが……」 「どうかね?」  何とも言いようのない目でこちらを見てくる御仁。  ものすごいプレッシャーだった。 『あります』と言え。言葉ではそう言っている。  しかし同時に『出来るのか?』という威圧も含む。 「クロウさん……」 「……」  空気の重さを感じたのだろう。後ろの2人が息を飲み、 「作れるよ」 「うえ」  言葉につまった自分とは対照的に、めるさんがこともなげに答えた。 「クロウ君ならおじいちゃんがこれまで思いもつかなかった新しい美味しいケーキ作れるよ」 「許可してくれるんだよね。ありがとーおじいちゃん」 「う、うん。まあ……いいんだけど」  おそらく御仁の言葉の裏にある、挑発含みの複雑な色は感じられなかったのだろう。しごくあっさりと話をまとめてしまった。 「よーっしがんばろクロウ君。新しいケーキ作っておじいちゃんを驚かせちゃおう」 「は、はい」  一気に空気が弛緩する。  とそこで。 「お客さんがた、そろそろ面談時間おしまいだとさ」 「おそのさん」  知り合いが。 「来てたんですか」 「ああ、こいつの様子を確認しにね」  ぽん。と大きくなったお腹を叩く。 「んで、あたしでさえ時間外検診で、お見舞いの時間は今日はおしまいだとさ。早めに切り上げるよう先生が言ってるよ」 「あっ、そうなんだ。ごめんなさい」 「もう終わりだっておじいちゃん。また今度来るね」 「えー、もっとゆっくりしていきなさいめるちゃん。村崎くんのことなんて無視していいから」 「ワガママ言ってると動脈にゴリラ用の睡眠薬ぶち込むよ」 「ひい!」  あまり長居は出来ない模様。 「あたしももう帰るから……」 「おっと」 「あっ」  きびすを返したとき、バランスを崩す裾野さん。  あわてて氷織さんが支えた。 「腰に疲れが来てるね。今日は迎えを頼んだほうがいいかも」 「う……でもうちの旦那、夕方まで帰らないんだよねえ」 「ん……」 「でしたら」 「あーあ」 「コーリ、あっちに行っちゃいマシタ」 「仕方ありませんよ」  氷織さんは裾野さんが心配だと抜けることに。 「でもま、今日の目的は果たせたからいっか」 「へへへー、やったねクロウ君。クロウ君のケーキを置ける許可、もらえたよ」 「はい」  正確には自分でなく、めるさんがいただいた形だが。 「あはっ、どんなのになるか楽しみデス」 「ですね。といっても、既存の品からになるでしょうが」  レシピの確立されたものではないケーキとあって。細かい分量なんかは自分で計って作る一品。  その開発に取り組むことになった。  純粋に楽しみだった。  パティシエとして雇われて一ヶ月。ケーキに携わる身としての、欲が出始めているかもしれない。 「クロウ君なら出来るよ。いきなりおじいちゃん越えは難しいかもだけど、同じくらい美味しいのを、自分でも」 「なにせ」 「ボクが選んだパティシエさんなんだから」 「はあ」 「どうかしました?」 「いやのう」 「めるちゃん、絶対あいつのこと好きじゃよね?」 「……」 「本人が言っていたわけではないですし。たぶん聞いても、本人に自覚があるかすら微妙ですが」 「99.9999%好きですね」 「はぁ~~~~」 「娘の結婚――的な心境ですか」 「わし、子供は息子が1人じゃったから」 「ねえねえオリちゃん。いまからでも息子の養女になって、わしの孫にならない?」 「父も母も健在ですので」 「……」 「クロウ君、悪い男ではないと思うが」 「大丈夫かのう?」 「いまのところ、理想的な男性だと思いますよ。めるさんのことも大切になさってますし」 「素直にお祝いしてあげる気にはなりませんか」 「なりません」 「けど聞き分けのないガンコジジイになってめるちゃんにウザがられるのは避けたい」 「おじい様のそういう冷静さはいいことだと思います」 「はーああ、ゆっくり慣れていくしかないか。そのあいだあの若造をネチネチいたぶったりして」 「お手柔らかに」 「……あ、でも」 「うん?」 「いえ」 「……」 「あのデスネ。ケーキ、新しくメニューを増やすなら、ひとつ推薦がありマス」 「なに?」 「実はお兄ちゃんの大好きなミルフィーユが出るたびいつか出ないかとワクワクしてた」 「ミルクレープデス」 「ミルクレープ……あのクレープとクリームを交互に重ね合わせていく?」 「あー、うちではやってないね。おじいちゃん基本的にビスキュイを使ったケーキが好きだから」 「イエス。とても残念」 「お好きなのですか」 「一番大好きデス」 「といってもクローさんの作るケーキ、どれもベリベリファンタスティック。なのでフォルクロールに行く楽しさは変わりませんが」 「えへへ、食べてみたいデス」  ちょっと甘える感じで言うショコラさん。  こう言われると、こちらとしてもぜひごちそうしたくなる。 「そうですね。ミルクレープ」 「いいね、美味しそう」 「新メニュー、その方向で模索してみますか」 「やった☆」  まだ作る手順すら分からないので、決定とは言えないが。  こんな笑顔をされると、ぬか喜びにはしたくないという気持ちも沸く。 「でもレシピはどうしよっか。形は分かるから何となくでも出来るけど、やっぱり基本は知りたいよね」 「ですね」 「んー、本かなにか……」 「あっ、デシタらわたし、持ってきマス。うちにソーユー本いっぱいありマス」 「夕方ごろまたお店にいきマぁス」 「あっ、ちょ、ショコラ」  行ってしまった。 「別に今日じゃなくてもいいのに」 「それだけ嬉しかったのかと」 「分かるけどさ。もう」 「オリちゃんはおそのさんのとこ行っちゃったし。せっかくのお休みなのに2人とも抜けちゃうなんて」  ぷーっと頬を膨らせている。  確かに、朝の時点では3人の予定だったのが、立て続けに2人抜けられては不服だろう。 「氷織さんは裾野さんを送ったらすぐに戻るのでは」  そんな風に言っていたが。 「ないよ」 「ん……」 「オリちゃん、おそのさんの家に行くと掃除したり家事手伝ったりでいっつも長くなるもん」 「……そういえば」  これまでも何度か裾野さんの家へ行っているが、他の用事のときより時間を使っている気がする。 「オリちゃんおそのさんのこと好きだからねー」 「……?」  今度は頬は膨らせてないが、  やはり不服そうな口ぶりだった。 「遠い親戚なんだっけ。あんまり似てないけど、昔から面倒見てくれたお姉さん」 「そりゃボクとはちがいますわな」 「……」  妬いてる? 「あーあ」 「……」 「氷織さんはめるさんのこともたいへん大切になさっておられるかと」 「それは分かってるよ」 「分かってるけど……うーん……」  不服さは消えない。  ようするに、氷織さんのお姉さんでありたい彼女にとってすでに姉である裾野さんは羨ましい存在らしかった。  別に姉というのは1人でなくてはならない理由はないが、  氷織さんは確かに、裾野さんをまず気にかけているからな。  といっても裾野さんが妊娠しているから、気を使うのは当然なのだが。 「うにゅにゅにゅにゅ」  理屈では分かっても感情が納得できない。  めるさんの子供な部分が出ていた。 「まあまあ」 「お2人は遅くなるかもですが、そのぶん今日は自分が付き合いますので」 「ん……」 「ほんと?」 「はい」 「ほんとにほんと?」 「もちろんです」 「やったぁ!」  ――べしゃっっ! 「じゃあまずは雪合戦ね! とりゃー!」 「いいですけど……不意打ちはいかがなものかと」  いつのまに雪玉を握っていたのか。顔面にぶつけられた。 「でりゃあ!」 「おっと」(ひょいっ) 「てりゃりゃりゃりゃ!」 「はっ、たっ」(ひょいひょいひょいひょい) 「クロウ君!雪合戦はそんな映画みたいに華麗に避けるんじゃなくて、ぶつかり合いを楽しむものだよ!」 「む……なるほど。失礼しました」 「でりゃー!」  ――べしゃっ!  次投げられたものは甘んじて受ける。  そして同時に、近くから雪をすくいあげて。 「うわクロウ君、手ぇデカいから雪玉もデカい!」 「はっ!」 「ぎゃーん!」(ぼしゃーん)  ぶつかり『合い』だからな。容赦なく行こう。 「ぺふっ、ぺふっ、崩れないギリギリの力加減で握ってある。痛くはないけど範囲が広すぎて……」 「追撃します」 「ぴえ!?」  ――びゅん!――びょん!――びゅおわ! 「にえええええええええええ!」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「OKクロウ君、雪合戦はやめよう」 「了解しました」  攻撃をやめた。 「別の遊び方を考えるからその手にした謎の接合力でまとまってる巨大な雪の塊を捨てて」 「はい」(ぼしゃっ) 「次に埋まったボクを掘り起こして」 「はい」(ぐいっ) 「ふいいい……、危うくめるとは名ばかりの埋めるになるところだったよ」 「もう! クロウ君強すぎ!」 「す、すいません」  体格がちがいすぎるので、どうも体を動かすことではめるさんを楽しませるレベルが測りにくい。 「雪合戦はやめ。他のことしよ他のこと」 「はあ」 「で、なにを」 「えっとねえ、んー」 「雪だるまとかカマクラは」 「場所が必要かと」 「だよね」  この街では、一面雪が珍しくない。  つまりどれだけ雪が積もっていても外出している人は少なくない。当然この公園に来る人も。  あまり後に残るものを作ると迷惑になるだろう。それこそ長期休暇の学校のグラウンドでもなければ。 「でもなあ、他に外で遊び……」 「あっ、スケートしよっかスケート」 「スケート場が近くに?」  もしくはこの街なら、寒さで凍った池か。 「ちがうちがう、ここでするんだよ。それっ」  ――すいー。  公園の石畳の道は、ところどころ擦れてつるつるしている。  その摩擦のなさを利用して滑り出した。 「わはーい」(つるるー) 「めるさん、それは危険です」  スケートは摩擦係数が一定の氷の上だから楽しいのであって。個別差のある石畳では、どこかで急ブレーキが生じる。  幸い転ぶ気配はないが……。 「おっと」 「あわっ、ご、ごめんなさい」  蹴った雪が散った先に人が。 「わんわんわんっ」  そして犬が。 「もう。気をつけてちょうだいびっくりするから」 「ってあら」 「犬のお姉さん」  そこで向こうも自分に気付いた。 「どーも。よく会うわね」 「はい。そちらは……今日も散歩ですか」 「ええ」 「わんわんきゃんきゃん!」 「くひゅるるるる」 「ひゅーんひゅーん」 「……多いね」 「今日はみんなで一緒に散歩する日なの」  計7匹も連れていた。 「わはー、みんな可愛い」 「ね、ね、お姉さん、この子たち撫でてもいい?」 「ん……いいけど、懐かない子もいるわよ」 「こーんにちはー」 「んゆ?」 「わうっ」 「ひゅーん」 「あら」 「よーしよしよし、なでなでなでー」 「あんあんっ」 「懐きましたね」 「やるわね」  恐れず寄っていって撫でると、子犬たちはみんなお腹を見せて迎える。  何匹かまだ警戒しがちなものの、怯えた様子はなかった。 「わーしゃしゃしゃしゃ! わしゃしゃしゃー!」 「あうううん」 「きゅいんっ、きゅいんっ」 「くぅん」  その警戒している子たちも、あっという間に懐かせていく。 「へえ……」 「みんな可愛いねー」 「まあね」  やや驚いた様子ながら、まあいいとばかりに表情を緩める森都さん。 「右からきゃらめる、ばなな、どーなつ、きなこ、すこんぶ、しらたま、ついとろーねんしゅにってんよ」  こちらもわんこたちを愛でながら1匹ずつ紹介していった。 「へえ~」 「つ、つい?」 「ついとろーねんしゅにってん。そのときもらったお菓子の名前なんだけど、そのままつけちゃったのはマズかったわ」 「きゃらめるとどーなつはいつも元気でやんちゃなの。ほらほら2人とも、そんなに引っ張らないで」 「わんわんっ」 「あんっ! あんっ!」 「逆にきなことついとろーねんしゅにってんはちょっと臆病ね。どーなつと一緒だといつも走らされて大変そうだわ」 「くぅー」 「ひゅんひゅん」 「ばななは人懐こくて誰にでも懐くの。すこんぶは元気だけどお姉さんだから大人しいわ。しらたまはあんまり外に出たがらないわね」 「きゃいんきゃいん!」 「わうっ、わうわうっ」 「くーん」 「はいみんなあいさつして。せーの」 「わんわんっ!」 「はいよく出来ました~」 「へえ~」 「よろしくきなこ。あ、ほんとにちょっとビクビクしてる」 「すこんぶさんは確かに落ち着いてらっしゃいますね」  自分も撫でさせてもらう。 「わうわうっ」 「きゃんきゃんっ」  みんなよく教育されており、噛みつくとかはなかった。 「う……私、慣れてもらうのに結構かかったのに、あっという間に馴染むのね2人して」 「可愛いなー、ボクも犬飼いたいなー」 「あら……そっか。この街じゃ外では飼えないものね」 「う~~」(なでなでなでなで) 「ひゅーん」 「わーっ、こやつめこやつめー!」  飛びかかって抱きつくめるさん。  子犬たちも怯えた様子はなく、されるがままになっている。 「うっひゃーーー!」 「かわいいいいいーーーーーー!」 「こんなにハマるとは思わなかったわ」 「同じくです」  めるさん、動物好きなのだろうか。 「はー堪能した」 「ありがとーお姉さん。たまにはいいねわんちゃんセラピー」 「セラピーを受けるほど疲れて見えないのはともかく」 「同感ね。こうしてみんなと散歩する時間が私にとっても日々の活力に」 「わっひゃーーーーい♪」 「あんあんっ」 「聞けっつーに」  ・・・・・ 「ふぅ、ふぅ」 「疲れるほどセラピーにハマらないでください」 「仕方ないわよ。うちの子たちはみんな可愛いから」 「すっかりお時間を使わせてしまいました。ご予定などありませんでしたでしょうか」 「んー」 (あ、次の仕事完全に遅刻だ) 「まあいいわ。些細なことよ」 「ねえねえお姉さん、いつもこの時間はここに来る?」 「どうして?」 「これからもちょくちょくこの子たちと遊びたいなーって」 「ああ」 「そうね。土曜は基本的にみんなで散歩することが多いわ」 「他の日は人数時間まちまちだけど、週に1度くらいはみんなでーってね」 「じゃあこれからも土曜日にここに来ればお姉さんに会えるんだ」 「ん……そうね」  善意100%なめるさんの笑顔に、表情をほころばせる森都さん。  だがそこで、ふと自分に気付く。 「あ……っと」 「で、でも、分からない、かもね。いつも来るってわけではないわ」 「え、でもいま」 「わたしだって暇じゃないのよ。その、ほら、時間とか、使っちゃうとアレだし」 「あうう」  なんだか無理やりな感じの拒絶ではあるが、そう言われてはと眉を垂れ下げるめるさん。 「そっかぁ、残念」 「う……」 「はーあ……」  しょぼーんと肩を落としてしまった。 「え……と」 「ま、まあでも、来るかもしれないから、そのときは遊んでも、いいけど、その」 「ほんとに?!」 「じ、時間があったらね」 「やったー! お姉さん大好き!」  ――抱きっ! 「はば!」 (幅?) 「えへへー、ありがとーお姉さん」 「あ、あわ、う、ああ、うん、そう」  どぎまぎしている森都さんに、畳み掛けるようににこっと笑いかけた。 「……」 「ふ、ふん」  離れた。 「えへへー、また遊ぼうねーみんな」 「わんっ」  子犬たちにも挨拶しているめるさん。 「はあ……」 「あの子、苦手だわ」 「見てて分かります」  森都さんすらタジタジか。  めるさんに勝てるのは今のところ氷織さんくらいだな。 「え、森都さんに?」  帰るのは氷織さんが先になった。 「うんっ、わんちゃんたちといっぱい遊ばせてもらった」 「どおりで服があちこち濡れてると思ったら……。寒くないですか?」 「ちょっと寒い……着替えてくるね」  とてとてと2階へあがっていった。 「まったくもう」 「森都さん、どんな様子でした?」 「どんな、と言いますと?」 「ですから、えっと」 「?」 「……」 (クロウさんの記憶……いまのところ一番それらしい鍵を持っているのは森都さんなんですが) (本人は気にしてないみたいだし、いっか) 「なんでもないです」 「?そうですか」  よく分からない。 「……」 「あ、そうそう一つお知らせが」 「わたし、明日から学校の帰りがちょっと遅いです」 「なにかあるので?」 「おそのさんが、出産の時期が近づいてきたので」 「ん……もうですか」 「まだ1ヶ月以上ある予定だったんですけど、元気な子なので前倒しになるかも。だそうです」 「で、旦那さんが本来の出産予定日に向けて休みを作るため早いうちにたくさん仕事をいれてしまったそうで」 「忙しくしたら、その時期に出産が来るかもしれなくなったと」 「はい」 「でなくても、やっぱり人手は1人でも多いほうがいいそうですから、手伝いに行こうかと」 「分かりました」 「帰りは……何時ごろ?遅くなるようなら自分が迎えに行きましょうか」 「そんなに遅くはならないので大丈夫です」 「すごく遅くなるようなら車で送ってもらうか、向こうに泊まって来ますので」 「分かりました」  向こうに泊まる……か。  さらっとこういう案が出るのは、やはり相当親しいということだろう。  遠縁の親戚だったか。それもあるだろうが、 「仲がおよろしいのですね、裾野さんと」 「はい」  お。 「おそのさんは、私には姉のような人なので。こういうときくらいは役に立ちたいですね」 「そうですか」  笑っていう氷織さん。  意外なタイミングだが……初めて見たかもしれない。彼女のこんなに素直な笑顔。  この店では見せることのなかった笑顔……。 「ふぃー」 「なんで制服なんですか」 「他の服ほとんど洗っちゃってて」 「洗っちゃってて。じゃないです。干して乾いたの、テラスのかごにありますよ。めるさんが畳んでないだけで」 「あう」 「洗濯はわたしがするけど、たたむのは各人でやる。そう約束したじゃないですか」 「そ、そうだ、ったね」 「覚えてましたか。意外です」 「そう約束して9か月。めるさんが自分の分を自分で畳んだのは3回もないので」 「ふぇええ、ごめんなさーい」 「まあまあ」  やはりめるさんの前とは空気がちがう。  どちらがいい。とは言わないが、  いつも淡々としている氷織さんの、意外な一面だった。 「コンニチハー」  とそこでショコラさんがミルクレープの資料をもって登場。  それ以降は、新しいケーキの話になった。  ・・・・・ 「おはようございますクロウさん」 「おはようございます。今日も早いですね」 「はい」 「唐突ですけど、新しいケーキを作ってらっしゃるんですか?」 「はい」 「ミルクレープ、ですよね」 「ご存知でしたか。めるさんから?」 「いえ匂いで」  ……匂い? 「いいですねえ。小町、ミルクレープ大好きです」 「好きなのは、モンブランでは?」 「モンブランもです」 「その前はレモンタルトとか……」 「ケーキはだいたい好きです」 「その前は黒蜜ジュレだと」 「認めます。甘ければなんでもいいです」 「でも新しいミルクレープ、とっても食べてみたいと小町は思います」 「はい。うまくいったらぜひお試しください」 「うまく行かなくても食べますよ」 「……」 「小町さん、なにかいい事がありましたか?」 「よくぞ聞いてくれました。じつは小町……」 「昨日なんと、1キロも体重が減ったんです!」 「……」 「うふふふふふ日頃のダイエットがようやく実を結びました~」 「だから今日は1キロ分なら食べちゃってもいいと小町は思うんです」  それはダイエットという理念からもっともかけ離れた考え方なのでは。 「じゃ、あとでお伺いしますね」 「……お待ちしております」  新作ケーキ作りはいたって順調だった。 「クレープを広げ、クリームは同じ厚さに」 「クレープにはオイルを塗るとキレが良くなるソーデス」 「香り的にはオリーブオイル……かな。ごま油とかやってみたいけど」  3人寄ればなんとやら。ショコラさんの持ち寄った資料を基に、試行錯誤を重ねる。 「ふむ……」 「わお♪ 完成デスネ」 「おいしそー、食べよ食べよ」  切り分けて、食べて。 「「おいし~~~」」  好評をいただける。  が……。 「……」 「あれあれ。クロウ君が納得いってない顔だ」 「いえ、なんというか……」 「すごく美味しいデスよ?」 「ありがとうございます」 「ただ……うーん」  なにか足りない。  なんだろう。なにか。  これ。という点は分からないのだが、今日まで作ってきた、御仁のレシピにはなかった『穴』を感じる。 「……」 「クローさん……」 「……ふふ」 「最初の1日から完璧に出来るわけないよ。これを基本に、これから美味しくなるよう改良していこう」 「むしろ店長代理として命令。クロウ君が納得できるものが出来るまでがんばって改良を続けなさい」 「時間や材料は全部任せてくれていいからさ。ねっ」 「めるさん……」 「そうですね、ありがとうございます」 「よろしい」 「完成するまで、失敗作の処理はボクがちゃんと務めます。まぐまぐまー」  そっちが理由か。  だがめるさんの言葉はありがたい。  焦って出来なくても、やり直せばいい。  いつも子供っぽいめるさんだが、  こうした器は大人顔負けだった。 「……」 「ショコラ?」 「なんでもないデス」 「あンもう、全部食べないでくだサイ。わたしもわたしも」 「はいはい、あーん」 「むぐむぐむー」  失敗作でも、味は充分だとはしゃぐ2人。  軽い気分で行えるのがありがたかった。  ・・・・・ 「で――」 「そうして1日中作りに作ったミルクレープ計11ホールがこちらになります」 「縦に詰むとだるま落としみたいですね」 「やはり作りすぎでしょうか」 「過ぎです」 「うえっぷ……ウウウウ。好物だからって食べ過ぎマシタ」 「味見の人がこうなったところでその日はやめましょう」 「すいません。新作作りは初めてなので、気が焦ったと言いますか」 「ボクももう食べられない」 「あううう」 「……」 「ショコラ、お腹出てるよ」 「ふぇ? どこデス、出てないデスよ」 「ほらこれ。ぽっこり」 「What!?」 「あ、本当だ」 「食べすぎるとお腹に出てしまうタイプなんですね」 「のおおおおおおおどんるーーーーーーーっく!」 「まったくもう」 「小町さんがいなければどうなっていたか」 「ずもももも」 「ごちそうさま」 「口で食べてるというか空間が飲みこんでる感じの音と共に全部片付けて下さりありがとうございます」 「ふぅ」 「めるさんはもちろん、クロウさんもたまに暴走しますね」 「すいません」 「わたしが止めるべきなんですが……」 「明日からも今日みたく帰りは遅くなります。大丈夫でしょうか」  けんけんしてブーツの雪を落としている氷織さん。  すでに夜の8時をすぎたこの時間だが、氷織さんが帰ったのはつい先ほどのことだった。  裾野さんの世話は、こちらが思っていた以上に大変らしい。 「明日からは気をつけます。二度と同じへまはしません」 「氷織さんは……大丈夫ですか?」  こちらはいいのだが、彼女が心配だった。  初日の今日ですら顔には幾分の疲れが見える。  これで連日となると、裾野さんの前に氷織さんの身が心配になる。  だが、 「大丈夫ですよ。これくらい慣れてます」 「クロウさんが来る前、おじい様が入院されたあとは、1人で毎晩めるさんの相手をしてきました」 「あれで体力は鍛えられています」  冗談まじりににこっと笑ってみせる。 「それに――」 「どうしてもだめなら、向こうに泊まるだけのことです」 「昨日ちょっと夜更かししたからまだ眠いよ」 「めるさんはお休みだと盛り上がってしまうのでだいたい月曜日がつらそうですね」 「はうう」 「でも今日もたぶん帰ったらミルクレープが待ってる」 「そう思うといまからわくわくもんだー!」 「わくわくはいいけど、いま朝の8時。学校はこれからですよ」 「だよねー」 「まあ今日は今日でいいんだよ。給食にキウイのゼリーが出る予定だから」 「そうでしたっけ」 「1ヶ月の給食予定表はもらってるでしょ。そこのデザート欄、チェックしてないの」 「ないですよ。したとして、普通はすぐに忘れますよ」 「ダメだなあオリちゃん。若いんだから、記憶力大事だよ記憶力」 「はいはい」 「めるちゃんおはよー」 「ういっすー」 「今日数学の小テストだよね。勉強してきた?」 「……」 「あ!?」 「先に行きますね。あ、めるさん」 「今日も帰りは遅くなるので、クロウさんによろしくです」 「ふぅむ」 「美味しいと思うんデスけど」 「やはり何かが足りない気がして」  新作作りは苦戦していた。  ミルクレープ。いい塩梅には出来ているのだが、  順調すぎて苦戦するところがない分、欠点がどこにあるのかぼやけてしまい分からない。  苦しみは人を成長させるというが、苦しまなければ成長するのは難しいというのが皮肉だな。 「あ、11時デス」 「イラッシャイマセー♪」 「注文しておいた詰め合わせお願~~い」  店はしっかりやらなくては。  ただそうして売り子をする間も、ずっと気もそぞろだった。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「オリちゃん遅いなあ」 「ボクが遅いからって、もう帰っちゃった?」 「まさかね。オリちゃんに限って」 「……」 「って、そうだ今日はおそのさんとこだっけ」 「失敗失敗」 「……」 「1人で帰るってつまんないなー。友達誘えばよかった」 「ただいまー」 「おかえりなさい」  言っていた通り氷織さんなし。めるさんが1人で帰ってきた。 「おやつは!?」 「ミルクレープです」 「わーいっ」  試作品の処分に協力してもらう。  ・・・・・  店を閉めたあと、新作の開発を再開。  だがやはり時間が時間なのであまり多くは作れない。  クレープの焼き加減などを見る程度だった。 「ん~。重ねちゃってミルフィーユにしても美味しいけど、クレープだからそのままでも美味しいねえ」 「なによりです」 「なにか進展あった?」 「なにも。手を加えれば加えるほど、最初のものよりイマイチになっていく状況で」 「ふふっ、ご苦労様だね」 「焦らず、ゆっくりがんばって。どうしてもって話じゃないんだから」 「はい」  失敗が続くため正直気分が重いが、そんなときめるさんの言葉はありがたかった。 「……」 「にしてもオリちゃん遅いなあ」 「ですね」  昨日も遅かったが、今日はとくに遅い。  先ほど夕飯はいらないとの連絡があり、2人で食べたが、それでも8時には帰ると仰っていたのに。 「……」 「んぁ、眠くなってきた」  10時が過ぎたあたりで、めるさんがウトウトしだす。  氷織さんがいなくてヒマになるので入浴を早めたら、そのぶん眠気も早く来たらしい。 「もうお休みになっては?」 「んぅー……だいじょぶ」 「オリちゃんが帰るまで待つよ……くぁ」  あくびを噛み殺しているめるさん。  我慢しないほうが良いと思うのだが……。  ・・・・・ 「ただいま戻りました」 「む。めるさん、戻ったようです」  10時半が近づいたころ、下から声が。 「すやー」  だがそのころにはめるさんの限界が来ていた。  部屋に運ぶか。冷えないよう毛布を掛けて抱え上げる。 「ん」 「おかえりなさい」  起こさないように。目で合図する。 「遅くなりました。車で送ってもらったんですけど、道に雪が積もってて帰るだけで時間がかかってしまって」 「そうですか。危険がなかったなら何よりです」 「はい」 「……あふ。私もちょっと眠いです。お風呂いただいていいですか」 「はい。湯温が下がっているかも、火をいれてください」 「はい」  さて。自分はめるさんを――。 「んぅ」 「オリちゃんは?」 「帰ってきました。いまお風呂です」 「ああ……じゃあ……おかえりなさい言う」 「……」 「んぁっ」  眠そうにウトウトしながら、なんとか目を開けていようとがんばるめるさん。 「今日はもうよろしいのでは?」  氷織さんは結構長湯をするタイプだし、この状態であと何分もというのはつらそうだ。 「でも……今日、オリちゃんと全然……んぅ」 「……んぅうう」  眠気には勝てそうにない。  めるさんには悪いが、待っているほうが大変そうだ。部屋に運んでしまった。 「すやー」  ベッドに入れれば、そのまま深い眠りに落ちていく。 「オリちゃん……おつかれひゃまぁ……」 「……」  おかえりは夢の中で……ということに。  眠りについてすぐにこれか。  めるさんにとって氷織さんは、本当に大切な妹なのだな。 「昨日早く寝すぎてまだ眠いよ」 「どっちにしろダメじゃないですか」 「あふ……私も今日はちょっと眠いです」 「昨日遅かったもんね」 「はい」 「今日からは昨日くらい遅くなったら……、考えなきゃですね」 「っと。じゃあオリちゃん、また放課後」 「はい」 「……」  今日はショコラさんはご用事があるとのことで、1人で研究を重ねることに。  だがやはり上手くいかない。  うーむ。  そうこうするうちに11時になった。  ・・・・・ 「ぴえええええ、おじちゃんの顔怖いよおおお」 「す、すいませんすいません。こら、変なこと言うんじゃないの」 「いえ、あの」 「はいはい泣かないでボク。飴ちゃんあげるわ」 「ううう」 「……すいませんどうも」 「いえこちらこそ」 「またどうぞ」 「……ふぅ」 「クロウさん、ちょっと顔がこわばってますね」 「すいません。考え事が顔に出たようです」  お隣の小町さんが助けてくれて事なきを得たが、まさかお客様を泣かせるとは。 「自分の顔はそんなに怖いでしょうか」 「えと……、あまり表情がないので子供にはちょっとかもです」 「ふむ」  そういえば初対面のとき、氷織さんもあまり表情がよくなかった気がする。  めるさんはずっとニコニコしていたが……。 「……」  記憶のない顔の怖い男。それをああもあっさり受け入れてくれた。  めるさんにはもっと感謝すべきかもしれない。  ・・・・・ 「今日もオリちゃん遅いねえ」 「ですね」  今日も夕飯がいらないとの連絡が来て、いま2人ですませたところだった。 「はーああ、オリちゃんがいないとつまんない」 「申し訳ありません」 「ああいや、クロウ君がつまんないとかじゃなくてね。えっと、ほら」 「はい」  言いたいことは分かるが、  やはり自分では、年の近い女の子である氷織さんの代わりになることは不可能だ。  なにか余興でもないか。思っていると、 「んー」 「まあいないものは仕方ない。クロウ君、トランプでもしよ」 「はい」  探すまでもなく、めるさんから提案してくれた。  彼女の明るさにはいつも助けられるものだ。  と――。 「電話だ。ちょっと待って」  とりに行くめるさん。  自分はトランプを用意しよう……。  と、 「……」  戻ってきためるさんが、がっくり肩を落としていた。 「どうかされました?」 「あー、うん、あのね」 「オリちゃん、今日ももっと遅くなるから」 「今日はおそのさんのうちに泊まるって」 「ああ」 「あーあ、2日続けてまともにお話し出来てない」 「まあまあ。仕方のないことです」  あちらはいま、出産という一大事を控えているのだ。これに文句を言うのはよくない。  だがめるさんは退屈そうな顔。  困ったな。 「……」 「ねーねークロウ君」 「なんでしょう」 「例えばさ、たったいま、クロウ君の記憶が戻って」 「はい」  記憶喪失なこと、覚えていたのか。全然話題に出さないから忘れてるとばかり。 「記憶が戻ったら――出て行っちゃうんだよね」 「は……」 「いなくなっちゃうんだよね」 「……」 「……」 「したらいまボク、1人ぼっちになっちゃう」 「……めるさん」 「いや記憶が戻って欲しくないってわけじゃないんだけどさ」  むーっと拗ねたように口をへの字にした。 「このお店、狭いようで広いから」 「1人はいやだなーって」 「……」  そんなことを考えていたのか。  やはりめるさんは、子供っぽいようで大人っぽく、  大人っぽいようで子供っぽい。 「いなくはなりません」 「ん……」  きゅ。とテーブルの上の手を掴む。 「自分が何者であろうと、いまここでこうしている恩を、自分は忘れません」 「自分はすでに、めるさんなしの自分など想像もつきませんから」 「……」 「めるさんが望む限り、自分がいなくなることはありません」  もちろん戻った記憶の内容によっては、自分が危険な人物だったらいなくなることを望むが。  そうでなければ。 「自分はいつもめるさんのおそばに」 「クロウ君……」 「むしろいま追い出されるのは困りますね。せめて新作が完成するまでは」 「そだね。せっかく作り始めたミルクレープ、一番いいのを食べさせてもらわないとね」  そこでようやく笑顔が戻る。 「えへへ」  いつもよりちょっとはにかみの強い笑い方。  少なくとも暗い気分は飛んだだろう。手を放す。 「トランプしよっかトランプ。なにする? ポーカー?」 「いきなりですか。もっとババ抜きとか大人しいのにしては」  持ってきたトランプをシャッフルする。  配り方はどうするか。考えていると、 「……」 「へへ」 「クロウ君」 「はい?」 「ボク、クロウ君のこと大好きだよ」 「ん……」 「えへへー」  急な告白。  ちょっとドキッとする。  だが返事はもちろん。 「はい」 「自分もめるさんのことが大好きです」 「うんっ」 「昨日はいつも通りの時間に寝たから眠いよ」 「たぶんそう言うと思ってました」 「オリちゃん、おっはよー」 「おはようございます。昨日はすいません帰れなくて」 「いいよ」 「クロウ君がいてくれたからね。寂しくなかった」 「ん……」 「そうですか。よかったです」 「あ、それとオリちゃん。一応着替え持ってきたけど」 「はい?」 「その服、昨日のままでしょ。まあ制服くらいならいいけど」 「下着はさすがに毎日変えた方がいいよね。はいパンツ。持ってきたよ」 「なうっ」 「ほら、早く変えなよパンツ。ねっ」 「い、いりません」 「ええっ!? でもさすがにパンツは毎日」 「おそのさんのうちは呉服屋ですっ。パンツの代えくらいあります」 「あっ、ごめん」 「でもそんなことを大きな声で」  ひそひそ。 「ううううう」 「ピン!」 「ドーシマシタ?」 「ピンときました」 「クローさん、ピンと来たらピンと言うのデ?」 「若干テンションが高くなっているようです」 「ミルクレープですが、クレープの作り自体はこのままとして、なにか付け加える方向に向かうのはいかがでしょう」 「付け加える――」 「イーデスネ、ジャムを塗ったり抹茶をまぶしたり、色々見たことありマス」 「でもこれといったメジャーはない気が」 「だから我々で探そうと思います」 「ショコラさん、お付き合いいただけますか?」 「はいっ」  そんなわけで、新作作りのアプローチをこれまでとは代えて進めることに。  我ながら良いアイデアだという自信はある。  あとはこれがよい結果につながってくれれば……。  ・・・・・  しかし問題発覚。 「これは……採点が難しいですね」 「基本、ぜんぶ美味しいデス」  ジャムや裏ごしたジュレなど、店の余りものをかき集めて作ったミルクレープに合うものを探すのだが。  どれも適度に美味しい。  だがはっきりと、これが加わったことで『プラス』だと言えるものはない。  加えて連続して食べていると舌が混乱してきて、どれがどれより良かった。という採点が出来なくなる。  演劇のオーディションでは3番目に受ける人間が有利だという統計があると聞くが……。ケーキでも同じことが言えるようだ。 「これは今日はもうやめた方がよさそうですね」 「デスネ。日にちを開けて、ユックリやって行きましょー」  8つほど試したところで、今日はやめにした。  お茶は淹れてある。2人、一服して落ち着くことに。 「えと、豆乳のプリンのが比較的良かった気が。あとはチーズと……」 「なにしてるんデス?」 「今日の分で良かったものをまとめておこうかと」 「あとでめるさんに試してもらいます」 「ああ。ふふ、メル、よろこびマス」  そう思う。 「そのなかでめるさんの気に入ったものが今日のチャンプ。といったところですね」 「それでイーと思いマス」 「クスッ、でもメルのことだカラ」 「同感です」  全部『おいしい!』でまとめられてしまうだろうな。 「それはそれで利害が一致します。本日の成果を美味しいと言っていただけるなら」 「ふふ、クローさん、ちょっと甘えんぼデス」 「かもしれません」  だんだんめるさんの器に甘えることに躊躇がなくなって来たかも。 「……」 「なにか?」 「イエ」 「クローさんとメル、お似合いかもデス」  お似合い? 「なんでもありまセン」 「あっ、そろそろ11時」 「ですね」  食器を片づけて、開店の準備にかかる。 「……」 (ニカッ!) (びくっ) 「く、クローさん? ドシマシタ?」 「いえ、昨日、笑顔が上手くできずお客様を怯えさせてしまったので、練習です」 「いかがでしょうか」(ニカッ!) (びくっ) 「い、イイト……思イマス……ヨ」 「よかった」  さあ、11時。  開店の時間だ!  ・・・・・ 「たっだいまー」 「……」 「クロウ君? どったの?」 「小さな子供を泣かすというのは胸が痛みますね。それも7人きて7人ともとなると」 「???」 「おかえりなさいめるさん。学校はいかがでしたか」 「いつも通りだよ」 「あーお腹すいたー」 「お茶の用意をしますので、着替えて来てください」 「あーい」 「それでそれで? 今日のおやつは」 「今日もミルクレープ。を、今日は豆乳プリンで彩って見ました」 「おお新しいアプローチ」 「いっただっきまーす」 「ん~、おいし~」 「それでこちらはレアチーズケーキをトッピングしたもの」 「これもおいし~~」 「……」 「なにクロウ君、ニコニコして」 「いえ」  予想通りの反応。  それがこんなに嬉しいのだから、不思議なものだ。  今日もやはり氷織さんの帰りは遅い。  だが今日はめるさんの目が輝いていた。 「あのねあのね、時間を有効利用しようと思うの」 「はい?」 「オリちゃんがいないのは残念。でもだったら、オリちゃんがいない時にしか出来ないことをやっちゃおうと思うの」 「というわけでどばーん。折り紙~」  色とりどりの折り紙が出てくる。 「オリちゃんがいるときは出来ないからねー」 「氷織さんは折り紙恐怖症かなにかで?」 「ちがうちがう。ほらクロウ君も手伝って。まずはこれを縦長に4分の1に切るの」 「で、それを交差させつつ丸にする」 「すると出来るのは?」  細長く切った色とりどりの紙を交差させつつ丸くしたもの。 「パーティのとき窓なんかにたらすアレですね」 「イエス!パーティのとき窓なんかにたらすアレ!」  お互い正式名称は知らない。  だがアレを作るとなれば、狙いは分かる。 「氷織さんの誕生日――2月14日でしたか。もうサプライズパーティの準備をはじめるので?」 「早い方がいいよこういうのは。オリちゃんがいないタイミングってのもいつ取れるか分かんないし」  それは確かに。 「というわけで今日からやっていくよー。クロウ君も手伝ってね」 「はい」  そんなわけで、その日からは氷織さんがいないのに乗じて彼女用のサプライズパーティ準備をすることになった。  めるさんが自分の部屋に入り浸っているのは――。  すでに気にならなくなっていた。 「会場は下のお店にするから、窓と壁と、あとショーケースなんかもつけたいよね」 「相当な量が必要ですね」 「折り紙はたっぷりあるから大丈夫だよ」 「基本は青赤黄の準備で繋げていくんだよ。暗い、普通、明るいの順番ね」 「はい」 「黒は暗すぎるから黄色ではさもっかな。あ、白はどうしようか」 「金と銀がありますが、こちらは?」 「ああ~それも悩むなあ。キラキラなのはキメってとこで使いたいよね」  準備だけでもめるさんは楽しそうだった。  どんなことでも楽しめるというのは人間で一番すばらしい才能だと思う。  手伝っている自分まで楽しくなるくらいに。 「リングにするのは簡単だけど、切るのが面倒だなあ」 「カッターなら一遍に切れないかな。よっと……」  何枚も重ねた分厚い折り紙にカッターを立てるめるさん。 「めるさんあまり横着はしないほうが……」 「だーいじょぶだいじょぶ。えいっ」 「ん、く……」 「でりゃっ!」  ――シャッ!  少々苦戦しながら切る。  折れ目をきっちりつけていたので、ちゃんとまっすぐに切れた。 「んぁ」 「どうかしまし……、――っ!?」  が、失敗だった。  めるさんが指先を気にするので目を向けると、ぷくっと赤いしずくが浮かび上がってくる。 「あー切っちゃった」 「だ、大丈夫ですか」 「これくらいへーきへーき」 「見せてください」  血はそんなに出ていないようだが、範囲が分からず自分は慌ててしまう。  確かに傷は浅いが、広く切っているようだ。どこかから血が出てこないか、ドキドキしてしまった。  逆にめるさんは気にした様子なく、 「舐めとけば治るよ。ばんそこも確か――」 「はむ」 「んぁ」  言われた通り、舐めた。  しょっぱい血の味が口にひろがる。 「お、おおお……」 「……」 「収まったでしょうか」  血を拭って放す。 「……」 「めるさん?」 「っ、な、なんでもないない」 「うん、血ぃ止まった。ばんそこ貼っとくね」  部屋のタンスをさぐり、絆創膏を用意するめるさん。 「……」  やったあとで気づいたが、舐めるよりもちゃんと水で洗うべきだったか?  だが本人は、 「……」 「えへへ」  あれで満足している模様。  なら何も言わないでおくか。 「さっ、続き続き。ばんばん行くよークロウ君」 「はい」 「ああ、ですがめるさん、もう8時です」 「?あそっか、オリちゃん、今日は8時の予定だっけ」  以前みたく遅れるかもしれないが、あまり続けて準備の光景を見られるリスクは避けたい。  ……まあリスクもなにも、氷織さんはサプライズが計画されていると知っているので気づかれても見ないふりをしてくれるだろうが。 「今日はここまでにしよっか。時間はまだ全然あるしね」 「作った分……えと、オリちゃんの目につかない……」 「厨房に段ボールがいくつか余っています」 「あれは見られる危険があるよ。オリちゃん砂糖の残量とかこまめにチェックしてるから」 「こっちにしよう。おじいちゃんの旅行バッグ。これなら見ないでしょ」  先ほどあけたタンスの下の段から、茶色いバッグを引っ張り出してきた。 「これならここに置いたままでいいしね」 「ん……」 「はい」  後日も、準備はこの部屋でやることが決まっているようだ。  あまり2人きりの家で、2人で部屋にこもるのはどうかと思う部分もあるのだが……。  まあ気にすることもないか。  めるさんと自分なら、問題がある関係でもあるまい。 「ただいま戻りました」  バッグをタンスに戻したところで、ちょうど準備終了の合図が来た。 「裾野さんのうちでは、何をしてらっしゃるので?」 「いろいろです。呉服屋さんって意外と体力勝負で」 「お腹に赤ちゃんがいると辛いと」 「そうではないんですけど、やっぱり心配なので」  氷織さんが自発的に動いているらしい。  ちょっと心配しすぎでは?思う気もする。 「というわけで、今日も行ってきます」 「あうううう、せっかくの土曜日なのにー」 「まあまあめるさん」  氷織さんの不在は、土曜、休日でもお構いなしだった。  強制されているわけではない。自分が好きで行っているのだから仕方あるまい。 「そのかわり、明日は私なしのほうがいいそうですから。明日はこっちにいます」 「んー」 「ならよし。行ってらっしゃい」 「行ってきます」 「あーあ……しょんぼり」  当てが外れたというところか。拗ねているめるさん。 「まあまあ」 「そのぶん、サプライズの準備に時間が取れると考えれば」 「あれはお休みの日にはやりたくないよ」 「まあ……単調ですからね」  折り紙を切って、丸めて、くっつけて。  休みを返上してやりたいことではない。 「うー」 「クロウ君、今日の予定は?」 「ミルクレープの改造に時間を取ろうかと」 「……」 「あ……でも、めるさんが仰るならそちらに時間をとるのでも……その」 「いいよ別に。クロウ君にはクロウ君の事情があるもん。その邪魔はしたくないよ」 「はあ……」  子供っぽいけど、子供ではないから困る。 「どっか友達のとこ行こうかなあ」 「でも昼過ぎに公園で、犬のお姉さんと会う約束もあるんだよね」 「いきなり別の子連れてってわんちゃんたちがびっくりしたら悪いし……うーん」 「森都さん。土曜に約束していましたね」  先週のこと、しっかり覚えていたらしい。 「お姉さんが来そうな時間に合わせて外に出れて、かつちょうどいい時間つぶし――」 「となると1つしかない」 「クロウ君の新作作りにちょっかい出しつつ味見役でもしてよ」 「歓迎します」  そんなわけで、休日も変わらず2人で過ごすことになった。 「最近ずーっとクロウ君と2人な気がする」 「この1週間は、学校以外の時間はほぼそうですね」 「クロウ君ってふわふわーってしてるけど意外と飽きないから不思議だよね」 「はあ」  ふわふわ? 「よく分かりませんが……出来ました」 「今日はこちら、小倉ホイップをつけてお楽しみ下さい」 「わーおいしーい」 「逆にこちら、ママレードを練りこんだものです」 「おいしーい」 「中段のクリームをいくつかヨーグルトに変えました」 「おいしーい」 「……」 「どしたのクロウ君?」 「いえ」  酷評されないだけよしとしよう。 「……」 「?なにか」 「ん……ううん、なんでもない」 「えへ、なんか、何もすることないって文句言って始まったお休みだけど」 「クロウ君がいるだけで、充分楽しいなーって」 「……」 「恐縮です」  少々照れる。 「さっ、ばんばん次を持ってきて。ばんばん食べるよ」 「あまり無茶はなさらぬように」  参ったな。  めるさんの笑顔を見るのが嬉しくて、ばんばん出してしまいそうだ。 「~♪」 「クロウ君早く早くっ」 「はいはい」  昼からは約束通り公園へ向かった。  それと言われたわけではないのに自然と自分も付いていくことになったのはなぜだろう。 「お姉さん来てないねえ」 「ですね」  ここまで来ておいてなんだが、森都さんに会うなら自分は邪魔かもしれない。 「ついでだしおじいちゃんのお見舞いでも行こうかな」 「いいことだと思います。ご本人の前では『ついでだし』は伏せてくださいね」 「でもそれまでにお姉さんがいっちゃうとヤだしな~♪」  楽しみでならないのだろう。前みたく小躍りするようにぴょんぴょん跳ねる彼女。  自分はそれについていくばかりで――。 「ねえねえクロウ君」 「はい?」 「そういえば昨日のカッターの傷ね……」 「わっ!」 「めるさん!」  ――どしーんっっ!  転んだ。  最近いい天気で、石畳から雪が薄れて逆にすべりやすくなっていたのだろう。盛大にすっ転んでしまった。 「っ、たぁ~」 「だ、大丈夫ですか……」 「うぁ」 「つつ……わっ、スっちゃった」  全体的に痛めたようでひじや腿をさすっているが、  とくにヒザ。ひざこぞうのちょっと横部分に、赤い筋が。  すり傷がついてしまっていた。 「あううう、これお風呂で一番痛いやつだ」 「だ、大丈夫ですか」 「大丈夫だけど……痛いよ~」  苦笑しながら、冗談めかして泣いたふりをする。  余裕はあるようだが、かなり痛そうだった。 「傷の手当てをしませんと。えっと、村崎先生の病院、開いているでしょうか」  すぐ近くに病院がある。怪我人にはちょうどいい。 「や、やだよこんな怪我で病院なんて。先生にみせるとすっごい染みる薬使ってくるんだから」 「しかし、骨に異常があったりしたら」 「ないよ。そういう痛さはないから」  病院はイヤ、か。  なら家に戻るしか……。 「……」 「あ、あのさクロウ君」 「はい?」 「えと、手当の方法、リクエストしてもいい?」 「リクエスト?」  消毒の銘柄とか?  思っているとめるさんは、おずおずと怪我したほうの足を伸ばしてきて。 「か、カッターの傷、もう治っちゃってさ」 「ん……」 「クロウ君のつばってなにか、こう、治療促進みたいな謎の効果があるのかも」 「だから……ね? こっちも」 「ああ」  舐めろと。 「それくらいならいくらでも」  治療に含めるかは微妙だが。  ただ確かに、水道もないこの公園でまず傷口を綺麗にするにはちょうどいいかもしれない。 「では」 「う、うん」 「お願いします……」  足を伸ばしてくる彼女。  自分はその可愛らしいひざこぞうに顔を近づけていき――、 「……」 「……」  唇が……、 「ん……」  くっつく…………。 「~……」 「なにしてるの?」 「わあ!」 「ぎゃバ!?」  突然そのひざが跳ね上がった。  直撃する。 「わわわ! く、クロウ君ゴメン!」 「い、いえ……つつつ」  顔面にニーキックを受けた形だ。痛い。 「なに。とうとう記憶喪失の男を養うなんて危ないと思って物理的に排除することに決めたわけ」 「ちがうちがう」 「ヒザ、どうしたの」 「転んでしまいまして。森都さん、厚かましいようですが、絆創膏かなにか持っていないでしょうか」 「んー絆創膏は……」 「……たた。蹴っといて悪いけど、クロウ君の頭蓋骨むっちゃ硬い」  さらに痛くしてしまったらしい。傷口を避けてさすっている。 「……」 「仕方ないわね。ちょっといらっしゃい」 「ふぇ?」 「あんあんっ」 「はいはいどーなつ、散歩はあとで改めて、ね」  呼ばれるまま公園から外れ、街へ戻る。  向かったのは……街の中心部。  決して悪い立地でないフォルクロールよりもずっといい立地で、 「え、市役所?」 「入りなさい」 「え? え?」 「市長室……」  と、書いてある部屋に通される。  なお部屋の入り口には、親切にも顔写真付きで市長のことが説明してあった。  森都あいら。 「お姉さん市長さんなの!?」 「言ってなかったかしら」 「初耳です」 「というか市長についてはこれまで気にしたこともなかったのですが……」 「一応、この街に住む人間出る人間のことを見張る立場にある者よ」 「届け出もなく居候なんてしてる誰かさんのことを、『記憶喪失だから』なんてフザけた理由なのに追及もせず黙認してる、広々とした心と器が売りの市長様」 「ふぇえええ……」 「まあ転居でなく居候程度ならうちに届ける必要はないんだけど」 「ハイランド。救急箱をお願い」 「どうぞ」 「あ、ありがとうございます」 「……毎週おなじみ仕事を抜け出しての犬の散歩ですが本日はずいぶんと早いおかえりで」 「は、はいはい仕事はするってば」 「手当するわ。座りなさい」  めるさんを椅子につかせ、ガーゼを用意。  決して安くはなさそうな精製水の封を開いて傷口を流しだした。 「ひぅ、ひぅ」 「ってあれ。ぜんぜん染みない」 「温度にね。コツがあるのよ」  さっさっと清潔なガーゼで拭って行き、 「あとは」  新しいガーゼを傷のサイズに切って、テープで張り付けた。 「これでよし」 「……」 「サービスよ」  ――ちゅっ。 「んえ」  そのガーゼの上からキスしてみせた。 「な、なにお姉さん」 「だからサービス」 「うちの一族……家族に伝わる、怪我が早く治るおまじないね」 「そ、そうなんだ。ありがとーお姉さん」  急にキスが来てどぎまぎしてしまっているめるさん。 「……?」 「わは、不思議、もう全然痛くないよ」 「もうですか?」 「私みたいな一流は、手当の腕も一流ってこと。気にしないでいいわ」  にしても早すぎるような……。ガーゼに痛み止めでも塗っていたのだろうか?  ともあれ、普通に動けるようになっためるさんはそのまま興味津々に普段入る機会などないだろう室内を見て回りだす。  自分は――、 「ありがとうございました森都さん」 「アンタのためにしたわけじゃないわよ。あの子が泣いてるとこっちも……あ、いや、気まぐれよただの」  返答はいつも通り素直じゃない。  森都さん。自分のことは気に入らないようだが、めるさんのことは可愛く思ってくれているようだな。  言うと怒りそうだから黙っておくか。  それより今は。 「……」  室内を見渡す。 「なに」 「いえ」 「自分は……もしかしてこの部屋に来たことが?」 「ん……」  以前、彼女は自分を『同業者』と呼んだ。  当時は彼女が何者かすら分からないので同業の意味など分かる由もなかったが――。  いまこの部屋にいる意味をそのまま考えるなら……。 「……」 「一応歴代の市長については、資料として顔写真込みで情報がファイリングされてるけど」 「残念ながらあなたの顔はそこにはないわよ」 「そうですか」  元市長。ではないらしい。当然か。 「同業の意味をかんちがいしているわ。そういう、役職とかじゃないから」 「では……なんでしょう?」 「……」 「何でもいいのよ」 「私もあなたも、なんでもイイのよ。どんなものでも」 「ただ私は市長としてこの街に住む人を少しでも幸せにできればいいし」 「あなたはパティシエとして少しでも美味しいケーキを振る舞えばいい」 「そういう意味で、同業者ってこと」 「おまじないみたいなものね。私も、あなたも」 「……」 「そう……ですか」  やはりまともに答えてくれるつもりはないらしい。  もしくは、彼女なりにまともに答えているのだろうか。  はっきりとした説明がないのは、彼女がふざけているとかではなく、  自分も彼女も、はっきりと説明するようなものではないということだろうか。 「……」 「いツ……っ」 「どうかした?」 「いえ、額がちょっと」  先ほどめるさんに蹴られたところ。眉をひそめたら痛みが来た。 「……」 「ちょっと見せて」 「はい?」  ずいっと顔を寄せてくる森都さん。  ――ぴんっ。 「くが!」  デコピンされた。  いまはすごく痛い。 「な、なんでしょう急に」 「おまじないよ。早く治りますようにって」 「そうですか……いたた」 「まあ9割ただの嫌がらせだけど」 「……ひどいですね」 「まあ、ありがとうございます。森都さんのおまじないなら良い効果があるやもしれません」  いま受けたばかりのめるさんがピンピンしている。 「痛みはともかく、記憶喪失に良い効果があるかも」 「それはないわよ」 「……」  気を使ってジョークにしているのだから、痛めつけた本人が否定しないでくれ。 「あなた、記憶が戻ることは二度とないわよ」 「はい?」  なぜそんなこと……。 「だって今のあなたが必要とされてるんだもの。仕方ないじゃない」 「そういうおまじないをされたようなものだわ」 「……?」 「ふふ」  話をはぐらかすように打ち切り、背を向ける彼女。  結局その言葉の意味は聞けなかった。  帰るのはもう日も傾きだしたころになる。 「わんちゃんたちとは遊べなかったけど」 「でも楽しかったねー市長さんの部屋。犬のお姉さんってほんと面白い」 「……」 「クロウ君?」 「っ、あ、す、すいません」  ついボーっとしてしまった。 「帰ってるときずっと元気ないね。どうかした?」 「お姉さんに変なこと言われた?おでこ蹴られたとか」 「額にキックはめるさんだけです」 「ごめんなさい」 「でもほんと、どうしたの?」  怪訝そうな顔のめるさん。  隠すと彼女が、森都さんにヘイトを向けてしまうか。 「いえ、ただ」 「自分はもう記憶が戻らない。と言われてしまいまして、気になっておりました」 「え、なんで?」 「よく分かりません。今の自分が必要とされているので……とか」 「……?」  根拠などない理由だが、  ああもきっぱり言われると、やはり気がかりだった。  妙な真実味を感じてしまう。  めるさんは、どうしてそんなこと気にするの。という顔ながら、そんな自分の悩みを感じ取ったのか、 「クロウ君が必要だから、クロウ君の記憶が戻らない」  話を合わせてくれる。 「そういうおまじないだと言われました」 「おまじないかあ。それは信ぴょう性あるかも。お姉さんのおまじない、効果抜群だし」  もう痛みはないらしい。ケガした膝を折り曲げて見せる。 「でもだとしたら、そのおまじないをかけてるのはボクだね」 「ん……」 「ボクが一番クロウ君のことを必要としてるから」 「……」 「えへへ、ごめんね。でもこのおまじないは解けそうにないよ」 「ボクはこれからもクロウ君が必要だから」 「……そうですか」  こちらも笑ってしまった。  そう考えれば、記憶が戻らないのも悪いことではないか。  戻らない間、めるさんに必要とされることは。  と――。 「っ、いてて」  元気に屈伸していためるさんが身を揉む。 「大丈夫ですか。傷が開いたとか」 「いやいや、ここは大丈夫」 「ヒザは痛くないんだけどね。ひじとか腰とか、他にも打ってるとこあるから、そっちが痛くて」 「ああ」  傷のある膝は治療したが、  他の部分は傷もなく打ち身だけ。痛いだけなので、治療らしい治療はしていない。 「うー、むずむずするよー」  痛みもすでにひいてはいるようだが、不快感は残っているようだった。 「見せてください」  ひじと腿を見せてもらう。  赤くはなっていない。外傷と呼べる外傷もないが、 「痛みますか」(さすさす) 「うん……あー、でもそれ気持ちイイ」  さすると痛みが引くようだ。  ならもっと。優しく、丁寧にさすっていく。 「んふ……ふふ」 「クロウ君の手、好きだなぁ、温かくて」 「なによりです」  めるさんに喜んでもらえるのは単純に嬉しい。 「クロウ君に触られるの好きだよ。温かい。ぽかぽかする」 「……」 「えへ」  幸せそうに眼を細める。  そんなに言うなら、自分は静かに撫で続ける。 「……」 「ねえクロウ君」 「なんでしょう?」 「ここのさ。痛いところ」 「ここにおまじない、してもらっていい?」 「おまじない……?」  というと、先ほどの? 「いいでしょ。ねっ。お姉さんのがあんなに効果抜群なんだから、クロウ君のもきっと効くよ」 「この前カッターで切ったところも効果抜群だったし」 「……は、はあ」  そう言うなら。  顔を近づける。 「……」 「では」  痛いという肘に、  ――っ。  口をつける。 「……~」 「いかがですか?」 「えへ、よく効きそう」  他にも、腿や腰など、  色んな場所に唇を当てていった。  その日も氷織さんは帰りが遅かったので、彼女のためのサプライズ準備をすることに。  ただ……。 「……」 「……」 「めるさん」 「っ? えっ、な、なに?」 「あ、いえ」  慌てているめるさん。  なんだかめるさんの反応が変だった。  変と言うか。 「……」  静かだ。  無口になっている。  といって気まずいかといえばそうではなく、 「……~」  ちらちらとこちらを見てくる。  だが目線を上げれば、 「っ」 「あ、青い紙とって。あ、こっちは赤いの」 「はい」  慌ててそらされる。  どうしたんだろう?  よく分からなかった。  ・・・・・ 「……」 「ん……」  視線が気にならなくなったのは1時間ほど経ってのこと。 「……」  めるさんは静かなまま、 「すぴー」  寝ていた。  静かなのに慣れないのは、自分よりめるさんだからな。しゃべらないぶん眠気にやられてしまったらしい。  まあしばらくはいいだろう。風邪をひかないよう気をつけておく程度で。  自分は作業を進める。 「……」  作業を……。 「……」  う……。  どうやら知らず知らず、めるさんに慣らされていたらしい。  静かなのが急に効いてくる。  こちらも……眠気が……。 「……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「んお」 「……」 「……あー、寝ちゃった」 「おこたはねえ、ほんとに、眠いよねえほんとに」 「てかいつもならクロウ君起こしてくれるのに」 「……」 「ああクロウ君も寝てるのか」 「……」 「なにげに初なイベント」 「すー……」 「ふふ、ほんとに寝てる」 「クロウ君が隙を見せるなんて珍しいですな。やっぱ妖精界でもおこたって強いのかな」 「……」 「くろーくーん」 「……」 「クス、クロウ君の寝顔って初めて」 「……」 「かわいい」 「すー……」 「ふふ」 「……」 「ほんとに妖精さんなのかなあクロウ君」 「おまじないの効果は妖精さん級だね。痛かったとこ、もう全然痛くなくなっちゃった」 「……」 「キスしてもらったとこ」 「えへへへへ」 「……」 「でも、だったら、いつか記憶が戻ったら妖精界に帰っちゃうんだよね」 「それはやだなあ。やっぱり人間で、記憶が戻ってもここにいて欲しいなあ」 「……」 「クロウ君がいなくなるのは……いやだなあ」 「……」 「……」 「はあ」  ――もぞ。 「んぅっ?!」 「ちょ、ちょっとクロウ君、変なトコに足……」 「くー……」 「いや、まあ、寝てるのか。仕方ないか」 「……」 「足、のばすとボクのとこまで届くんだ。知らなかった」 「意外と足長い?……おこたが小さいだけか」 「いつもは足ぶつけないように、小っちゃく入ってたんだね」 「ふふ、気配り上手。クロウ君らしい」 「……」 「……クロウ君っていつもそうだよね」 「そんなに気ぃばっか遣わなくても、もっと好き放題してくれればいいのに」 「そういうとこ好きだけどさ」 「たとえばいつもこのくらい足伸ばしてても……」 「……」 「そ、それは困るか」 「足……当たっちゃうもんね。ボクの、変なところに」 「……その」 「変な……ところに……」 「……」 「ん……っ」 「……」 (か、完全に、当たってるなあ、クロウ君のエッチ) (まあクロウ君ならいいけど) 「……」 「ん……ふ、ん」 「ふ……ふぅ、んんふ」 (なんでボク……自分から押し付けてるんだろ) (ま、まあクロウ君がその、触ってきたから、なんだけど……) 「……」 (うん、そうだつまりクロウ君が悪い) (こ、こんな風に、強くあてちゃうのも、クロウ君が……) 「んふぁあんっ」 「……は……あ」 「……」 (く、クロウ君が悪いんだから) 「んっ、んっ、んっ」  ――ぐに、ぐに。 「はぁ……うは、ふ、ふぁう」 (も、もっと強くできないかな) 「んっ、んっ、んっ」  ――ぐに、ぐに。 (ちょっともどかしい感じ……、あうう) (でも……あっ、はうあ。すごくえっちぃことしてる) (ボク……どうしちゃったんだろ。なんでこんな) (なんか……) (クロウ君に触られてる……って思ったら……) 「あ……」 「……」 「あ……あ……」 「くぁ――」 「っ……」  む……? 「ひあ、ふ、う、う――」 「ん……」 「いえっ!?」 「はい?」  めるさんの素っ頓狂な声で目が覚めた。  あれ……。 「すいません、寝ていましたね」 「そ、そぉ……だね」 「?」  なぜか顔の赤いめるさん。 「なにか?」 「いやっ、べつに」 (へ、変なタイミングで起きないでよぉ) 「……くああ」  あくびが出る。 「く、クロウ君がうたたねなんて、珍しいね」 「すいません、油断してしまって」 「すいませんってことはないけどさ、あは、あはは」 「む……?」 「な、なに?」 「いえ」  いつの間にか足を伸ばしていたようだ。  なにかを蹴っているな。これは――?  ――ぎゅに。 「!?」  なんだろう。つま先で探る。  このふにふにして柔らかいものは。  ――ぐに、ぐに、 「っう! っんぅ!」 「……」 「ひあ……、あ……はぁっ」 「あ、め、めるさんでしたか」 「んぅ……」 「すいません、足蹴にしてしまいまして」 「や……まあ、うん」 「……」 「もうちょっと強くしても」 「はい?」 「なんでもないっ」 「……」 「…………」 「……あうううう」 「めるさん?どうしたんですさっきからため息ばかり」 「オリちゃん……うん……えっとね」 「……」 「なんでもにゃい」 「?」 (言えるわけないよね) 「……」 「にへへへ」 「な、なんですか急ににへーっと」 「あう。ごめん」 (なんかもう、頭から離れないよ。昨日のあれ……あの感じ) (すごく気持ちよかったなあ) (もう1回やってみたい) (でもでもこれから仕事だし、せめて夜までは、ね) 「……」 (でもムズムズするよおお)(もじもじもじ) 「??」 「ケーキ、用意できました」 「ひゃあ!」 「どうされました?」 「んにゃ、うん、なんでもない」  ショーケースに今日の分のケーキを運ぶ。 「~……」 「めるさん、なにか?」 「べ、べつに」 「そろそろ開店しますね」 「はい」  日曜。11時。  すでに表にはお客様の姿がいくらか見える。  今日も忙しくなりそうだ。 「はうう」 (しゅ、集中しなくちゃ。集中) (大丈夫ボクは平静だよ。お店は大事だし、それに) (オリちゃんもいるしね) 「あ、それと2人とも、明日からしばらく私、おそのさんのところに泊まろうと思うんですがいいですか」 「ふぁいっ!?」 「前駆陣痛というのが始まったそうで、もうお産間近らしいんです。でもこんなときに限って1人になっているらしくて」 「夜は向こうに泊まります。お店が大変ならお店の時間はこちらに来ますが――」 「いえ、裾野さんのサポートに徹してください。店のほうは日曜以外は問題ありませんので」 「ねっ、めるさん」 「うあ……う、うう」 「そ、そうだ、ね」 「そうですか、よかった」 「クロウさんとめるさんなら、2人でも大丈夫ですよね」  ・・・・・  その日の夜には、氷織さんはもう荷物をまとめてしまった。 「では、行ってきます」 「がんばってください。裾野さんにも、お大事にと」 「はい」  張り切っている様子の氷織さん。 「ちょっと浮かれてますね」 「いよいよ妹が出来ると思うと、もう」  嬉しくて仕方ないと言った様子だ。  良いことだと思う。自分もできる限り協力したい。  めるさんも同じ気持ちだと思う。 「……」 「行ってきますね、めるさん」 「う、うん。おそのさんにがんばってって」 「はい」 「……」 「元気な赤ちゃんが生まれてほしいですね」 「う、うん」 「それまで家には2人となりますが――」 「っ――」 「そう、だね。まあその、だからどうってこともないんだけど」 「はい。だからどうということはないですが」 「都合はいいですね」 「ふぇ!?ななななに!? ナニするのに都合がいいって!?」 「え、ですから、サプライズの準備をするのに」 「ああ……」  今日も2人、パーティの準備。  だが、 「……」 「?」 「……」  今日もめるさんは静かだった。  眠いのだろうか?だが手は止めていないし、 「……」  ちらっ。 「~……」  時おり視線をこちらに向けるのが分かる。 「めるさん、どうかされましたか?」 「な、なんでもないよ、うん」 「そうですか」  そう言うなら詮索はしないが。  気になるな。 「……」 「……」 「あ、風呂を沸かしてきます」 「う、うん、おねがい」  席を立つ。  ・・・・・ 「……」 「はああ」 「どうしよ。なんか、もう、あの感覚が収まんなくなってきてるよ」 「……ん」  ――くち。 「わうあ……」 (濡れちゃってる) (どうしよう、こんなのクロウ君に知られたら、絶対変な子だって思われちゃう) (……ボク、どうしちゃったんだろ) (変な感じ) (ずっと……変な感じ……)  ――くち。 「んっ」  ――くち、くち、 「んふっ、くふんっ」 「んっ、んっ、んっ、んっ」 「ふぁ――……っ」 「ふう、今夜は寒いですね」 「あわっ!?」(がばっ) 「どうされました?」  戻ってくると、めるさんが驚いたようにこたつの毛布を抱きしめた。  なにか隠しているのだろうか?見せたくないモノでもあるみたいに。 「風呂、あと15分くらいです」 「う、うん。ありがとー」 「……」 「ご、ごめんクロウ君、ボクちょっと、部屋に戻ってるよ。今日はここまでで」 「む……体調が悪いので?」 「体調は大丈夫、平気。うん、全然平気だから」  ???  行ってしまった。  まあいいか。めるさんが仰るなら、今日はここまでだ。  準備したものを片付けていく。 「はぁ、はぁ」 「……」 「あうううう」  翌日になってもめるさんの様子はおかしいままだった。 「おはよー」 「はい。おはようございま」 「行ってきます!」 「……」  うーん……。 「ううう……どうしよう。どんどんクロウ君の前にいられなくなってる」 「オリちゃんはいつ戻ってくるか分かんないし」 「……」 「どうしよぉ~」  ・・・・・  めるさんの変調は露骨に店の空気に響いた。 「ただいま」 「おかえりなさい。今日は――」 「じゃあうん、またあとで」 「は、はい」  話は通じないし、 「……」 「…………」 「……ふむ」  いつも集まる部屋にも来ない。 「……」 「……」 「店員さん、どうかなさったの?」 「い、いえ」  第一めるさんから笑顔が消えることそのものがこの店にとっては凄まじい変化だ。  どうしたものか。 「どうしよおおおお」 「なんかもうだんだん、クロウ君と顔合わせるのも変な感じするようになってきた」 「クロウ君も明らかに遠慮してるし」 「うううううどうすればああ」 「おはようございます」 「オリちゃん」 「今日は雪ですね。寒くなってきたし、このまま吹雪きそうです」 「珍しいですねめるさんがこんなに早く。私がいないから登校は遅刻ギリギリになるんじゃと心配してました」 「あ……それは、クロウ君が毎日起こしてくれるから」 「そうですか」 「ですね。クロウさんに任せておけば安心ですよね」 「……うん」 「……?どうかしましたか?」 「や、うん」 「お、オリちゃん、いつごろまでおそのさんちに泊まることになりそう?」 「いつごろって……、それはお腹の赤ちゃんに聞きませんと」 「もうじきだって言ってますけどね。ふふふ、楽しみです」 「はあ……」 「めるさん?」 「んにゃ。なんでもない。生まれたらすぐ教えてよ」 「はい」  ・・・・・ 「……」 「いらっしゃいませ」 「こんにちは。今日は雪が――」 「あら?」 「なにか」 「また難しい顔なさってますよ。なにかありました?」 「……いえ」  表情に出ていたか。  マズいな。またお客様を怖がらせてしまう。 「……」  めるさんがいつも通り接してくれないと、どうしてもストレスになるようだ。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「はあ、困ったなあ」 「このまま帰ったら……またクロウ君を見てえっちなこと考えちゃいそう」 「……」 「たっ、ただいまー」 「おかえりなさいめるさん」 「あのっ、クロウ君悪いんだけど、お店見ててくれる?ボクおじいちゃんのお見舞いに行ってくるから」 「ああ、はい。行って差し上げて下さい」 「ただあまり遅くはなりませんよう。今日は雪が強く降るようですので」 「うんっ」 「……」 「とうとう逃げちゃった。自己嫌悪」 「でもこの方がいいんだろうな」 「……」 「ボク……もう前みたいにクロウ君のこと見れないのかな」 「あーあ……」 「元気がないのう」 「ちょっとねー」 「めるちゃんに元気がないと、じいちゃんまで寿命が減ってしまうわい」 「そいつぁいい。める子、もっと元気失くしてガンガン削ってやんな」 「くぉら」 「……」 「ねー先生、おそのさんの赤ちゃんっていつぐらいに生まれる?」 「あん?分かんないよそんなこと、予定じゃ一ヶ月後なのがだいぶ早まった形だからね」 「かぁ」 「なんかあるのかい出産が遅れると」 「遅れると……オリちゃんが帰ってくるのが遅くなるのう」 「は!もしや元気がないのは、いま家でクロウ君と2人なのが原因かね!?」 「えう」 「ジジイと2人よりは楽しく暮らしてるだろうから安心しな」 「う、うん」 「うんってひどい」 「クロウ君は問題ないんだよ」 「クロウ君には」 「あーあ」 「今日はちゃんとお話しできるかな」 「出来なかったら――」 「……はあ」 「あう」 「ぶわっぷ」 「ちょ、ちょっと吹雪いてきた?」 「早く帰らないと――」 「めるさん」 「んあ」 「く、クロウ君? なんでここに」 「お迎えに上がりました。雪が強くなってきたので」 「迎えって……わざわざ?」 「学校の服でそのままでしたので、最初は傘を届けようと思ったのですが……」 「あはは、この横殴りじゃあんまり意味ないかも」 「ですね」 「とにかく、早く帰りましょう。風邪をひきます」 「うん」  風向きがちょうど向かい風で面倒だ。  めるさんの前に立ち、道をかき分けるように進む。 「……」 「ねえクロウ君」 「はい?」 「クロウ君は優しいね、いっつも」 「……?」  向かい風の音が大きすぎてよく聞こえない声量だった。 「そういうとこ、大好きだよ」 「はい?」 「えへへへ」  ??  よく分からないが、最近様子のおかしかっためるさんがまたいつもの彼女に復調している。  こちらも自然と笑顔があふれた。 「えへへ」 「……ねえクロウ君」 「はい」 「ボク、クロウ君のこと好きみたい」 「ん……はあ、ありがとうございます」  なぜこのタイミングなのか分からないが、言われたこと自体は嬉しい。  凡庸に返事すると、 「えとね、そういう好きじゃなくて」 「んっと」 「?」 「……」  ちょっと迷った様子のめるさん。  やがてクスッと笑うと、 「ねえねえ、ちょっとこっち来て」 「はい?」  くいくいと手招きしてきた。  なんだろう。顔を寄せると、  ――ちゅむ。 「……」 「ん~……っ♪」 「……」  なぜ?  唇に柔らかいものがぶつかってきた。  嬉しそうにぐりぐりこすり付けてくるめるさん。  歯が当たると危ない。力のポイントをずらして受け止めつつ、 「ぷは……、えと、めるさん?」 「えへ~。身体にキスしてもらうのもいいけど、口でするのは全然ちがうね」  赤くなった顔で、でも嬉しそうに言う。  えと、つまり、 「好きというのは……こういう?」 「うんっ」 「ん~っ」  うりうりとこすり付けるようなキス。  相変わらず子供っぽい。子供がするようなやり方だが――。 「ん……ぅ」 「っふ、んふ、んぅ、ぅん」 「……」  気持ちのほうは、大人っぽい理由だろうことは分かる。 「ぷはぁ」 「最近ずっと変だったけど、やっと理由がわかったよ。ずっとクロウ君にこうしたかったみたい」 「あの、めるさん」 「んぅ、あ、そうだあとはクロウ君の気持ちだよね」 「どう、かなクロウ君。ボクいまこんな感じなんだけど」 「は、はあ」  どうかなと言われても。急なこと過ぎて困る。 「クロウ君は……どう? ボクにこういう、こと、したいと思う?」 「えと」  したいと思う?非常に困る問いかけだ。  思ったことはない。だがしたくない。とも思わない。  自分は混乱するばかりで、何も答えられなくなる。 「えっと、えっと」  逆にめるさんのほうは、気分が高まっているのだろう。焦って見えるくらい答えを急いでいて、 「じゃあね、ちょっと、ここ座って」 「は、はあ」  壁際のソファに座らされた。  何をされるのか。待っていると、 「あむ」 「う……」  手の甲にキスが来る。 「めるさん……?」 「これね、おまじない。ほらこのあいだボクがしてもらったでしょ」 「ああ、はい」  痛めたところを、早く治るように。という名目でやっていたおまじないか。 「んっ、んっ」  手だけでなく、お腹や首など、色々なところにキスしてくる。 「どう?なんか……ドキドキしてこない?」 「ボクはすごかったよ。もう、何日も何日もドキドキが残っちゃって」 「は、はあ」  ドキドキというよりはくすぐったさが強い。  だがされていること自体の背徳感が強く、ドキドキもいくらかあった。  されるがまま受けていると、 「ふはう、……ん」  ――ぐに。 「う……」  めるさんの手が不意に、こちらの股間を押した。 「……」 「そーだ♪」 「っ、め、めるさん?」 「にへ、ここにもしちゃおーっと」 「あのっ、これはもう、色々と前提がちがうのでは」 「実は前にエッチな本で見てから1回やってみたいと思ってたんだ」  エッチな本読んでるのか……。ちょっと驚き。 「どんな味がするんだろ……ん」 「あの、めるさん、決して綺麗なものではありませんので、その……」 「ちゅっ」 「ッ~」  もう少し強く抵抗すべきだったのかもしれないが、それよりめるさんの大胆さが勝った。  やわっと小さな手のひらに包まれて、ペニスに甘痒い感覚のパルスが走る。  加えて穂先には、手のひらとはちがう。粘膜性の柔味もくっついていて、 「しょっぱい。それに変なニオイ」 「でもなんか……好きかも、このニオイ」 「あのっ、あのっ」  せめて洗ってから――言いたいのだが。 「これガッチガチって言うけど、なんかくにゅくにゅだね。クロウ君そういう体質なの?」  ――ぐぐっ、ぐぐぐ……っ! 「のわ」 「あ、あははは、前言撤回」  いかん。  めるさんの愛らしい手指が巻きつく――。贅沢な感触に絡まれて、勃起を抑えることができない。  握られたまま、流れ込む血流によって急角度をむける勃起。  その膨張速度と度合を手で感じ、苦笑していた。 「びっくりした、こんなに大きくなるものなんだ」 「こ、これって、戻るの?こんなに大きいと不便だよね、こんなのが、ねえ?」 「えと、はい。役目が終われば戻ります」 「はあ……よかった、びっくりした」  こういうことへの知識はえっちな本程度にしかないらしい。 「じゃあ続き……あ、痛かったら言ってね」 「は、はあ」  あれよあれよという間に、めるさんのペースで事が進んでしまう。  心地良い圧迫感で囚われたペニスが、どうにも抵抗の気概を削いでしまう。  ――にっ、にっ、にっ。 「っ」  ウォーミングアップとばかり、小さな手の平が、指先が、すっかり膨らんでしまった肉茎をしごく。 「うはあ、血管浮いてきた。すごいね」 「……でしょうか」  包皮を弾いた裏側の青筋が、膨れ上がってミチミチとおうとつを刻んだ。  同時に穂先の膨張もさらに進む。 「先っちょ……つるつる。ふふ、なんか可愛いかも」 「いきまーす♪」  ――ちろ。 「っ~」  そりかえったペニスを挽きながら、真っ赤に腫れた亀頭に改めて薄桃色のリップが触れてきた。  それだけでゾクッと妖しい快感に腰を撃たれる。  けれど慣れているヒマもなく、 「あむっ、んちっ、ちろっ、ちろっ」 「ぅあ、は、うあ……っ」  唇よりもう一段色素のうすい舌が、ぬらりと唾液の光沢を交えながら伸びてきた。  ねろぉ……。  唇とは比べ物にならない。形容しがたいへばりつくような感触となって、自分のものを舐りあげる。 「んぅ……うん」  味を見て、これなら平気と思ったのか、めるさんは少し笑った。  ……小悪魔めいたイタズラな、ちょっと怖さのある笑み。 「んちっ、ちろっ、れろっれろっ、れちっ、んち」 「っ、ぅっ」  さらに大胆に舌が舞い降りる。 『舐める』というより『くすぐる』にちかい舌使い。控えめな接触だが――。 「あむんっ、んちっ、んる、んるっ、んふん、んん」 「はむっ、んちっ、んちっ、んちっ、んちっ」 「ちゅるぷ、ちゅぷぅ、んん、んふん」  舐め方が控えめなだけで、めるさん本人は本気だ。  連続して降り注ぐぬめらかな感触の嵐に、自分のペニスは情けないくらいビクついて応えるしかない。 「んふぅ、ふふふ、どうクロウ君?分かるよ、気持ちイイんでしょ」 「……」  肯定はできないが否定もできない。 「えへ~、喜んでくれてよかった」 「……」 「あはは、でもなんか、ちょっと恥ずかしいね」  めるさんらしい基準の羞恥心に、苦笑するのが可愛い。  それでも恥ずかしいからと行為自体は止まらず、  ――んちゅ。 「っ」 「れるっ、れるっ、んちるっ、れるぅ」 「ここ……なんだろこれ?膜みたいのが張ってるね」 「んんる、んるぅうう、るろっ、るろっ」  今度は先っちょだけでなく、裏筋、その先の茎胴部まで舌を下げてきた。  とくに裏筋は、形を探りたいのかえぐれた形状にいちいち舌をめりこませてくる。  刺激が強い……うあ、う。 「はむっ」 「っく」  だからそのまま流れるように、先端部全体をまるごと咥えられたときは、おもわず声がでてしまった。  舌だけというのも強烈だったが、今回は口腔の粘膜全てがみっちりとくっついてくる感触。  それだけでも腰が抜けそうだった。 「んー……」 「んぅ?」 「んくっ、んくっ」 「っつあ……」  おそらく『えっちな本』の知識では、舐める、咥える。という言葉しかなかったのだろう。咥えたあと一瞬次どうすべきか戸惑っためるさんだが、  すぐに直感して、次の正解を掴んだ。  丸のみにしたまま、軽く鼻をならして吸い上げつつ、うねうねと舌を躍らせてくる。 「っ、っ」  吸引自体はそんなに激しくないが、亀頭の神経が逆立つ程度には連続してやってくる。  そうして敏感になった肉がまたれるれるとねぶりつくされる感触。  腰が抜けそうだった。 「んきゅ、んくむ」  こうなるとめるさんのすること全てが強烈だ。  ペニスの円周に添うように、淡いピンクのリップが窄まる。  ちょうどみちっと雁首にめり込むようで狙い打たれた亀頭の逃げ場が封じられた。 「あんむ、んんむ、んぅ」  食いついてくる唇の質感そのものも気持ちイイ。ちょうどあの柔らかな指にしごかれた感覚に似ている。  そのまま、 「んるぅ、んろっ、んろっ、んろっ」 「れるちゅ、はぷむ、んんち、んちっ、んるっ。ちゅぷちゅぷちゅぷ、にゅるぷるぅ、んじゅぷぅ」 「にじゅる、にちゅぷ、ちゅぷちゅぱ、んんふ、ぢゅっ、ぢゅぷるぅう、あむぅんむ」 「ぱはううう」 「ぷはっ」  一度口から出した。  余すところなく舐められた証拠とばかり、てらてらと唾液にヌメ光る亀頭幹肉があらわになる。 「ふふふふ、なんか、変な形してるけど、こうなると可愛いよね」 「クロウ君のここ……ボクのものになったみたい」  マーキングの感覚だろうか。唾液にまみれているのがお気に召したらしい。 「あんち、んちっ、れろっ、れる、んるんるんる」 「れるちゅ、ちゅぷるぅ、んちんち、んんじる、じゅぷっ、じゅぷっ、にりにり」 「はむっ」  さらにマーキングを重ねるよう舌をくっつけてきて、またさっきまでのように口の中に埋め込んでいった。  ――ぬむ、ぬむ、ぬむむむ。 「んんくぅうう、んぐうう」 「め、めるさん、苦しくないですか」  さっきまでより無理な咥え方だ。どう見てもサイズのあってないものを、先だけでなく根元まで咥えようとしている。  もちろん収まりきらないが、喉を突きそうな勢いで口の中へ埋没させていき、 「はぅむっ、じゅぷぅ、じゅぷぅ、じゅぶじゅぶ」 「うあ……」  そのまま顔全体を前後させだした。  とにかく唾液を塗りつける、マーキングを強めたいらしい。かぷりと咥えたものにそって、顔全体を揺らす。  どこまで本で得た知識か知らないが、知らず知らず本格的な奉仕の形を会得していっていた。 「んむぅ、んんぐ、んく」  膨れ上がった切っ先が、気分が悪くなるギリギリまで喉奥へ迎えて、 「はんむ、んむっ、んむっ、んむっ」  すぼめた唇の輪に雁首があたる位置までおろす。  小さなストロークを、リズムに乗ってゆったりゆったり刻みだした。  ときおり口内の収縮力を活かしてきゅーっと柔らかな粘膜を密着させてくるのがたまらない。 「んちっ、じゅぷちっ、じゅるっ、じゅるぷっ」  ――にゅむっ、にゅむっ、にゅむっ、にゅむっ。  さらにはやり場のなかった舌が踊りだし、裏筋を中心に亀頭肉を舐めつくす。 「~」  自分はもう声もだせず、されるがままだ。  改めて、あのめるさんに、とんでもないことをされているという実感がある。  強烈な背徳感が、やや快感を際立たせているのが罪悪感だ。  キスの経験はどれくらいあるのだろうか?もしかしてさっきが初めてだったかもしれない子供っぽい唇が、グロテスクなものを包む。 「じゅるぷぅ」 「んっ、んっ、んっ、んんる」 「……~」  それでも接触面がこすれるとき、生々しい快感が沸くから不思議だった。  ときおり行きすぎて、勃起の先が苦しいところまで届くのだろう、えづきそうになっている。  それでも決して口は離そうとしなかった。 「かうふっ、くふっ、くふん、くふん」  ――じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ。 「あの……めるさん、そろそろ」  冷静になれたからこそ、冷静に警告したい。  あまり軽率にやるべきでない行為なのはもちろん、  このまま続けると――最後に大変なことが。  だが、 「あんむっ、じゅぶっ、じゅぶっ、じゅぷるっ」 「っ、くふ、うう」  だがめるさんは、なんだかぽーっとした目でもう言葉が届いていないようだった。  ただただ目の前の獲物をしとめることに夢中で、 「っ、う」  その獲物はもうしとめられる直前だ。  つるんとした亀頭の曲面はもう完全に囚われていて――。  ――だがこのままと言うわけにもいかない。  多少無理やりにでも――。 「める……」 「んぅ?」 「すいませんっ」 「ぶあぶっ!」  ――じゅぼっ。  音をさせるほど無理やりに腰を引いた。  ちょっと乱暴だったか。だが――。 「っ」  うあ――。  それくらい猶予がなかった。  抜いた瞬間には我慢の堰がきれてしまい、自分のものはうなりをあげて限界の証を吐きだす。 「ふぁうっ、わあうっ、わあああ」 「あぷっ、ひゃんっ、目に入る目に入る」 「あう……もう、クロウ君」 「もおお」  かなりひどいことをしている自覚があるのだが、めるさんはなぜか嬉しそうに眼を細めてそれを受けていた。  その間もこちらは、痺れるような快感に捕らわれたままで。 「……ぅ」 「はあ……」  脱力するまで、なにも言えなかった。 「うあ――」  だが思ったときにはもう遅かった。  限界の点はとっくに通過していたらしい。身体に鋭い震えが走り――。  ――びゅるるるるるるるっ! びゅっ、びゅくっ! 「きゃふふぁんっ」  そのときになってめるさんも異変が分かったらしい。悲鳴を上げた。  こちらはもう、強烈な射精感で跳ねそうになる腰をおさえるので精一杯だ。  吹きだしたものが彼女の小さな口腔に流れ込むのは止めることもできない。 「んあうぐっ、ううぐっ、くふぅん、くふっ」  幸いなのは、ちょうど口の中で踊る舌が、鈴口をフタした瞬間だったらしいことか。  はじけたものは、喉を直撃するのはぎりぎり回避できた。  その後もビクンビクン暴れながら熱いスペルマを放ち続けるが、 「くぅはう、はああう、あふっ、ふぁふん」 「んんふ、んふ、んふ」 「んん……」  めるさんはあくまで落ちついて、それを受け止めて行った。 「ぷはああ、びっくりしたぁ」 「す、すいません。はぁ、はぁ」 「これが……セーエキ、学校で習ったよ。赤ちゃんのもとだよね」 「ぷるぷるして変なの」 「……」  感想を言われると妙に恥ずかしいのはなぜだろう。 「……」 「ちろ」 「うえ、変な味」 「な、舐めない方が」 「そだね……ボクにはまだ早そう」  ハンカチでぬぐった。  ちょうどお店用のキッチンペーパーは大量にある。顔と口を綺麗にして、 「ふはあ」 「もー、びっくりしたよクロウ君。あんなの出るなら先に言ってよ」 「すいません」  出る状況にさせるなら先に言ってほしかった。 「で? で? どうクロウ君、ボクのこと好きになった?」 「いえ、あの、ですから」  もともと好きは好きなのだが……。 「うーんこれだけじゃ変化なしかな」 「なら次はもっと――ふぇっ」  ――カクン。  突然、腰がくだけたようになるめるさん。  危ういところで受け止めて、ソファに座らせた。 「どうしました」 「う、うん、なんかちょっと、あはは」 「お腹のね、熱いのが、思った以上に……強くて」 「ふぁう」  力が入らない。という感じで、無防備に足を広げてみせる。 「……」  スカートの中味は、ショーツで蓋をしておけないくらいびしょびしょになっていた。 「これでは……仕方ありませんね」  力が抜けた理由も分かるくらいの発情っぷりだ。 「ぁん……っ」  両足を捕まえると、これからどうなるか分かったのだろう。めるさんはちょっと不安そうに眉をひそめた。  けれどおとなしく従う。  誘い込んだのは彼女なのだから。 「え、えへ、えへへへ」 「クロウ君、ボクのこと好き?」 「好きですよ」  こうなるとは思っていなかったが。  ――ふに。 「んにんっ」  下着のクロッチ部分に指をやる。  それだけでめるさんは、腰をそらせんばかりに強く反応した。 「いいですか?」  怯えているといけない。一応許可をとる。  めるさんは少し戸惑いつつも、 「うん……おねがい」 「そこ、最近クロウ君を思ってずっとむずむずするの」 「抑えるためにおまじない……して」 「はい」  ――くちぅ。 「ふぁ……っ」  割れ目をこじ開けるよう強く押す。  幼いそこはぴっちり閉じたままで、適度な反発を返した。  だが確実に『穴』があるのが、にゅるりと指を吸い込むような沈み方で分かる。  そこが自分を迎えようとしているのが分かる。  ふに、ふに、揉むように押すと、細い肢体は電気でも通されたようにビンビン跳ねる。 「あうは、はうう、やっぱり……なんか、ちがうなあ。自分で触るのと。あっ、んんっ」 「どんな風に?」 「んぅ……? えと」 「クロウ君に触ってもらうほうが……気持ちよくて、幸せて」 「も、もう。言わせないでよ」 「失敬」  たしかに聞くことではなかった。  自分の手で、探りぬくものだった。  ――さわー……っ。 「は、は、は……ひゃああう」  内ふとももを這うようになぞりあげて、最後にまたクロッチへ戻る。 「も……はう、く、クロウ君、くすぐったいよ」 「ええ、知ってます」  くすぐっているに近い。もう一度、もう一度、何度も繰り返した。 「ぁんぅ、はんん……うふっ」 「んんっ、んく……っ」 「あぁん」  めるさんの声音が変わるまで、何度も何度も。  そうして刺激への違和感をたっぷり減らしてから、 「おまじない……でしたね」  指で触れるだけでも目を白黒させている彼女のそこへ、顔を寄せていった。  ――ちゅっ。 「ふんっ」  汗のニオイが強い。両太ももの間にキスする。 「あは……わは」 「いかがです?」 「あ……う、ううう、う~」 「こ、効果薄い、かも。むずむずするの、止まると思ったら……むしろもっと、あの……」 「そうですか」 「ならもっと……集中的に」 「あう」  ショーツの端に指をかけると、さすがに恥ずかしいのかぴくんと肩が震えた。  けれどやがて自分から腰をもちあげ、 「お、おねがい……します」 「はい」  ショーツを脱がせた。  くるくると肌の上でくるめないと脱げないくらい汗を吸っていた。 「……」 「えと」 「ど、どうかな」 「どう、とは?」 「へ、変じゃない? ボクの……えと」 「変ではないと思います。といっても、前に誰かのを見たか記憶はありませんが」 「とてもおきれいです……」 「はう……っ」  おまじない。なんて忘れても、顔を寄せていた。  肉に切れ目が入っただけ。という感じの、幼すぎるくらいのスリット。  丸みに沿って、  ――ねと。 「あ……あ……っ」  ――ねろ、ねろ。  舌を這わせていった。  キスを一段階深めた行為に、めるさんは慌てたよう腰をよじれさせる。  腰のうねりで、重なり合ったスリットが左右にめくれあがるのがゾクゾクした。 「あぅっ、んぁん、やん、やんん……、あああ」  表側も色素は薄いが、内部はもう血の要素を感じないくらい白に近い粘膜色だった。  つるつるしてまっさらなのは、まだ触れたことすらほとんどない証拠だろう。  おしっこの時は紙に吸わせる程度。お風呂では、ソープで滑らせる程度。刺激と呼べる刺激は慣れないそこを、  ――ぬろん。 「っああううううううんっ」  舐りえぐる。  舌先がめりこむくらい強く。 「ひゃう、やうん、やん、やあん」 「く、クロウ……くんっ、んは、なんか、どうしよう変な、変な感じ」 「いやな気分ですか? それとも」 「もっと奥までしてほしい感じ?」 「ん……」  ぺろん、と外膜を横に広げる。  ぴらっとまだ発達の薄いフリルが、充血しているため勝手に広がり、性器を広げている。 「……もっと、してほしい感じ」 「んっ」  その内部まで舌を届かせる。 「んっ、くううぅうううっ、ううう、っ、うううう、ううんっ、うううんっ」 「くろ……くんっ、やんっ、深い、深いよぉ」  腰が飛び上がりそうな反応だった。  内部にはとろっと熱いエキスが充満しており、わけ道を作るとじくじくしみだしてくる  それをこぼさないためにも吸いつき、やわやわキスしながらねじ込んだ舌をうごかした。 「ふぁ、あ、あううううああああ」  びくんびくんと子供な肉付きの両足をひろげてしまう彼女。  子供な体の起こすしぐさがいちいち大人びて色っぽい。 「ん……もうひとりでに開いてしまっていますね」 「ん……そ、そうなの? そういうもの?」 「あはは、こんなえっちなの初めてだから、新鮮」  恥ずかしさを苦笑でごまかすのがめるさんらしかった。  花弁――なんて形容されるその部分は、まさに満開に近いほど口を広げている。  花弁の名の通り、こじ開けられてではない。  自分の意志で咲き誇っている。 「っ、っ」  なおも内部を舌でかき回す。 「ひゆあっ、へあ、へぁはん」  体内で異物が暴れる。そんな感覚も、次第に慣れだしているようだった。 「ゃんっ、にゅ……うゅ、く、ううう、うう」 「はああぁ……っ、はん、あっ、ぁ」  さえずる吐息がどんどん高まっていった。 「ああは、あは、な、なんかだんだん、感じてきた」 「えへ、クロウ君のキス、こんな感じなんだ、えへ、えへへ」 「ん……」  ――ニュクニュクニュク……くちゅくちゅくちゅ。 「あはぁ、ぁあん、あーん……んっ、ふ」 「こまったな……、自分でするのと全然……あっ、あっ」 「くぅううんん、んっ、んううううん」  シロップはどんどん多く、濃くなり、吹きあがる。  濡れそぼった肉びらをかきまわす動きは、どんどん激しく、大胆になるが、 「くはん、はああううんっ、はぁん、はぁん」 「あっ、あっ、あっ、うふ、ゃううううん、あああ、クロウ君、クロウく……んんっ、んんぅ」  もう恥ずかしがることもなく、快感に声をしぼり出させるめるさん。  純粋に楽しんでくれたほうがこちらもうれしい。  ――にち。 「ッうん……っ」 「く、クロウ君……ふぁ、そこ」 「痛いですか?」  わずかにぷっくり持ち上がった姫核に舌をやった。  刺激が強すぎて少し怖がっているようだが、 「痛かったらおっしゃってください。んむ」  そのまま舐りあげる。 「ひぅっ」 「んっ、うっ、うにいいいんんん、クロウくん……やんっ、やああんっ」  クリトリスもまとめて舐められて、めるさんの反応がさらに跳ね上がる。  けれど痛がる様子はない。  身体の反応はすでに出来上がっていた。 「あわっ、はう、ふわわわ」  軽く舌先で転がすだけで、わなわなと震える彼女。  さっきまでヒダの海に溺れてた淫核は、いまでは顔を見せるほど充血している。  いじってくださいとばかりの形状だ。 「あう……あっ、ああっクロウ君、やん、ちょっと、ああああん待って待ってぇ」  だがそこで、はじめてめるさんの手が自分の頭に。『待った』がかかった。 「痛かったですか」 「いたい……じゃ、ないんだけど」 「その、なんか、このままじゃ、これだけでその、一番すごいの、来ちゃいそうで」 「ん……」  イキそうらしい。  それならそれでいいと思うのだが、 「あの、できれば、ね? 最初は」 「……ああ」  ロマンティックな事情がある、か。  なら合わせよう。 「失礼しました」  体を起こした。  意図が伝わり、めるさんはにへへと笑うと、 「こっち、来て。ちゅーしたい。ちゅーしよ」 「はい」  力が入らないのだろう。体を持ち上げられないまま、手をぱたぱたさせるめるさん。  顔をよせる。 「んーっ」 「えへ~、クロウ君大好き」 「……」 「あ、照れてる」 「いえ……」  こうやってストレートにこられると照れる。 「んふふー、だめだよ逃げちゃ」 「それそれ」  ちゅっちゅっと子犬が舐めつくみたいに唇をくっつけてくるめるさん。  この状況で遊びだしたか。めるさんらしい。  なら――、  ――ぐいっ。 「ふぃうっ」  力の抜けた足の間に腰をやった。  キスで築いた優位があっという間に飛び、彼女が苦笑する。 「いきますよ」 「う、うん」  ――ちゅむ。  最後に、今度はこちらからキス。  そうして唇をふさいだまま、  ――ぐいっ。 「ん……っ」  すでに舌でしっかり拡張したそこに、それでも足りないだろう、一度のガス抜きを忘れたよう巨大に硬直したものを当てる。 「怖くはありませんか?」 「んぅ? え、えーと」 「……」 「えへ、怖いわけないよ」 「クロウ君だよ?」 「……なによりです」  小さな体におおいかぶさって行った。  キスは続けたままなので、めるさんの顔に恐れはない。ちょっと緊張しているくらいか。  頬をなでながら、  ――くに。 「ひゃっ」  くぼみに先端を当てた。  温かい。とても優しい体温。  ――にゅ、ぐぐ。 「ぅ……んっ、んんんっ」 「痛みは?」 「ちょっとだけ……でも、だいじょぶ」  思った以上に穴は狭く、抵抗も強い。  だがめるさんはかまわず、 「それより、もっと、ね? ちゅーしよ」 「これしてると……痛いのも幸せなの」  はぷ。と口元にかみついてきた。  落ち着いている。こういうところ、大人だ。  なら……キツく抱きしめながら、  ――にち、にち、にち……。 「一番太いところは超えました」 「う、うん」 「こっから硬いところだよね……あふぁ」  ぐーっと強く腰を押していく。 「ぁ……、あ、くる」 「は……ぁ、ん、んぅ、あ、あ……」 「っは……」 「あぁ、えっと、クロウ君、きもちいい?」 「……はい」  汗を浮かせながら聞いてくる。気配り上手なめるさん。  実際、こちらの気配りが難しいくらいだった。  熱した杭肉に、柔らかな肉が巻きついてくる感触。  記憶のない自分だが、前に何人の女性を体験していてもおそらくここまで素晴らしい感触は初めてだと思う。 「ここで……マックスですね」 「ん……みたい、だね」 「あうう、クロウ君の大きすぎるから、お腹の奥に当たっちゃってるよぉ」 「そうでしょうか」 「イイ気持ちだけどね。お腹の奥まで、クロウ君のものになったみたいで」  痛みは強いらしく、ハァハァ目を細めながら、 「えへ……クロウ君とひとつになれた」 「クロウ君と……えへへへ」  嬉しそうに笑う。 「んんくっ」  時おり眉間にしわを刻むのは、やはりサイズのちがいからだろう。  だがそれでもめるさんは、 「ね、動いてクロウ君」 「このまま……ね。最後までしたいの」 「全部して、ボクのこと、全部クロウ君のものにしてほしいの」 「……めるさん」 「大好きだよ、クロウ君」  キスを続けながら、自分から腰をゆらすめるさん。  彼女の気持ちにこたえられるほど、自分は彼女を愛せているだろうか?  少々の不安はあったが。  少なくとも彼女を幸せにはしたい。 「分かりました」 「……えへ」  まだまだ幼い処女膜の破れ目をシャフトでこすれば、それなりの痛みはあるだろう。  だが自分も彼女も、動くことを優先した。  ――ぬりっ、ぬりっ、ぬりっ。  優しく、だが着実に腰をスライドさせる。 「くぁんくっ、あぅんっ、あんっ、ぁんんっ」  ピストンといえるほど派手ではなくても、 「はああっ、あうっ、ああう、はあ、はぁ」 「痛みは」 「だい……じょぶっ」 「ていうか結構……これ、好きかも。あんっ、ああん」  受容はできているらしいめるさん。  ならばとそのまま、何分もかけてゆっくりゆっくり挿入口を広げていった。  何分も、何十分もかけて。  先ほど一度搾り取られているのが幸いして、こちらには余裕があるし、 「ふあう、くううん、んっ、んぅ。あは」 「なんか……うう、変な気分……あんっ、はんっ」  性感が寸止めをくっている形のめるさんは逆に痛みが転嫁するのが早い。 「あっ、あっ、あああ、クロウ君……や、なんか、……えへ、なんかぁ」 「気持ちいい?」 「みたい……どうしよ。あああああ」 「んっ、うううう、こすれてる。あはっ、クロウ君のおっきすぎて、ボクのなか、全部こすれてるよ」 「あっ、あっ、はっ、あああはぅう、クロウ君、クロウくぅん」  ――ずにっ、ずにっ、ずにっ、ずにっ。 「あくぅううんんっ」  声からも硬さが取れていく。 「っく」  内壁にも慣れが生じだしている。  ペニスに絡みつく粘膜感が、固体であることをやめたようねっとり蕩けていく。  口や舌より様々な角度から絡みついてくるのが強烈だった。 「めるさん……」 「クロウ……くん」  とろんとした顔のめるさんとキスする。  こちらも次第に快感で、頭の中が白くなってきている。 「っん」 「っと」  ふとめるさんが、両手を伸ばして抱きついてきた。  もちろん応じる。優しく抱きとめて、  ――ずぐぅ。 「っ」 「くふぅうううっ、ううう、んんんぅ」  密着はそのまま、結合部をさらにキツくぶつからせた。 「クロウ君、クロウ君っ」  ――ゆさっ、ゆさっ。  密着したまま。動きは止まらない。  ピストンというより身体を揺らしている形。  それでも振動がお互いの内部を、とくに密着した接合部を熱く揺らしている。 「ああああ、クロウ君、おっきい、クロウ君の、さっきよりもっと、もっと大きくなってるぅ」 「すごく、すごく……んぁ、幸せな感じ、どんどん大きくなってくよぉ」  最奥をノックする動きが、最奥を揺する動きに。 「くろぉ……くんっ、ああああ気持ちいいいい」  ――ぎううっ。  自然といつもの甘え癖が出たのか、首に腕を巻きつけてきた。  っと。  同時にシャフトに巻きつく粘膜が窄まる。  重なり合う腰から快感がふくれあがって――。 「やっ、クロウ君、来る、来ちゃうよ……ああっ、んん」 「それに任せてください。自分もそろそろ……」 「うんっ、うんっ」  細い太ももが持ち上がって腰に巻きついてきた。  こちらからも抱きしめ返せば――。 「……」 「えへ、クロウ君」 「大好きだよ」 「……っ」  ――びゅくるるるるるるるるっ! びゅるるるるーーっ!  そのまま感覚の波にのまれおびただしい量のエキスを内部で放ってしまった。 「いう、ひう……あうあああ、熱い、熱いのが来る、来てるぅう」 「んあう、あああふ、ああああああああ」  感覚として分かるのか、めるさんは目を真ん丸にして受け止めながら、 「ひ……うう」 「んぅ」 「ひぁあああああああ~~~~~~~~~~~~~っっ」  っ……。  杭に貫かれたままの下腹部を中心として、細い肢体をビクビクのたうたせた。 「ふぁにゃっ、はぁあ……っ、はあ……っ」 「あはぅ……んく、ふう」 「あううう……」 「……ん」 「は……は」  しばらく意識が返ってこない感じで焦点の合わない目を泳がせている。  可愛い。 「……は」  それから、やっと意識が戻ってくると。 「はあ、はあ……あは」 「イッちゃった」  てへ。とばかりイタズラっぽく微笑んだ。  自分が引き抜くと、もう全身力が入らないのだろう。そのままぐったりになる。  ソファからすらすべりおちそうだ。抱きしめて支えてあげた。 「あー……もー……」 「こ、ここまで、なるとは、思わなかった」 「同感です」  なんのきっかけで最後までしてしまったのか。成り行きが思い出せなかった。 「はあうう……」 「……」 「でもボク、後悔はしてないよ」 「は……」 「クロウ君とこうなってよかった」 「クロウ君のことが大好きって、いま確認できて」 「……」  まいったな。  こんなに真っ直ぐな言葉をかけられると、どう返せばいいか分からない。  とりあえず、自分の気持ちは、 「んぅ」  ぽふ。と頭を撫でて返した。 「えへ~」  言葉はなくても、幸せそうにしてくれるめるさんがいまはありがたい――。  ――っと。 「あ、電話」 「出ますね」  まだ腰の抜け気味なめるさんを置いて受話器を取りに向かった。 「もしもし」 「あ、氷織さん」 「オリちゃん?」 「はい。え、ほんとうですか?はい、はい分かりました、はい」  ――ガチャ。 「……」 「オリちゃん、なんだって?」 「いえ、はい」 「裾野さんのお子さんが生まれたとかで」 「んえ?」 「つい数分前。元気な女の子だそうです」 「ああ……そう」 「はい」 「……」 「……」 「生まれたときボクたちが何してたかは……、一生言えないね」 「ですね」 「ただいまです」 「おかえりなさい。お疲れさまでした」 「赤ちゃんどうだった?」 「可愛かったですよ。指をぎゅってする力が結構強いんです」 「わあ」  出産前は大変だったものの――。  終えてしまえば、裾野さんのサポートは旦那さんがメインとなる。自動的に氷織さんは仕事が減り、一度帰ることになった。 「いいなー、ボクも見に行きたーい」 「病院にいるうちは他の人の迷惑になったりするかもなので避けた方がいいかもです」 「何日かしたら退院なのでそこが狙い目ですね」 「んっ、じゃあそこで行く」 「はい」 「……手伝いも欲しい日ですし」(ぼそっ)  氷織さんはお変わりないようだ。 「ところで、私がいないあいだにこちらではなにかありましたか?」 「う……え、えっと」 「ん……そうですね」  なにかあったか。と言われれば、非常に大きな変化があった。  けれどどう説明したものか。迷っていると、 「……」 「ひょっとしてお2人、そういうことですか?」  あ。 「う、うん。こんな感じ」  ぴとっとくっついてくるめるさん。  氷織さんはさほど驚いた様子なく、 「そうですか。結構時間かかりましたね」 「はい?」 「いえ、めるさんだいぶ前からクロウさんのこと好きだったので、いつこうなるかなと」 「お、オリちゃん」 「……」  さらっと衝撃的な告白が。 「では行ってきます」 「あ、はい。お気をつけて」  とくに話を広げることもなく出て行く氷織さん。 「なんか……あっさりだったね」 「ですね」  派手に驚かれるよりよかったかな。  ・・・・・ 「え、あの2人が?」 「はい」 「なんだか当たり前のように言われたので流しましたが、びっくりしました」 「なはは、ちょぉっと歳の差がアレだけど、お似合いっちゃお似合いさねえ」 「ですね」 「ただこうなると、私ちょっと居場所がないと言いますか」 「ん……なるほど」 「ンな気にすることぁないと思うけど……、気になっちまうのは仕方ないねえ」 「はい」 「ま、こっちに逃げてくりゃいいじゃないの。あたしもベビーシッターは嬉しいし」 「そうします。どっちにしろ、時間は多くとるつもりでした」 「……」 「それとも……」 「はい?」 「……」 「……」  ・・・・・ 「ねーねークロウ君」 「はい」 「2人だとまたエッチなことしたくなるね」 「……ノーコメントです」 「いまはこちらに集中しましょう」 「うん」  氷織さんの誕生日サプライズのための仕込み。だいぶ出来てきた。 「誕生日まであと5日。間に合いそうだね」 「はい」  窓に飾る用のわっかのやつを始め、クラッカーや、氷織さんようの甘くないディナーのめどもたった。  準備は万端だ。 「とくに5日後というのが大きいですね」 「なんで?」 「出産のタイミングが抜群でした」 「2月14日、ちょうど裾野さんが退院なさる日です」 「あ!」 「ごく自然な流れでこの店から遠ざけられますし、誕生日のことも話題からそらせます」 「おお~、いいねえ、ますますサプライズだねえ」 「はい」  氷織さんはサプライズに気付いてる。という前提のサプライズパーティだが。  もしかしたら忙しさにかまけて、本当に驚かせる、『サプライズ』になるかもしれない。 「ふふふふふ、楽しみ~。オリちゃん絶対びっくりするよ~」 「はい」 「ただいまです」 「わっ! 帰って来ちゃった」  思ったより早く氷織さんの声が。 「片付けます。めるさん、下でしばらく時間を稼いでください」 「うん!」 「あ、その前に」 「そのにんまり顔を落ち着けてください。サプライズの準備をしていたのが知られます」 「うー、難しいな」 「がんばる!」  氷織さんの誕生日まであと5日。  めるさんの浮かれっぷり以外に、問題はなさそうだった。 「オリちゃーん」 「はい?」 「いたいた。今日の夕飯だけどさ、またポトフで……」 「んえ? なにこれ」 「あ、はい。父と母が、おそのさんに渡して欲しいという赤ちゃんのためのグッズ。私に送って来まして」 「あー、さっきすごい荷物来てたね」 「運ぶの大変そう。どうする? クロウ君に頼む?」 「ナチュラルに荷物持ちにするのはどうかと……。向こうに車を出してもらいますよ。ほとんどおむつばっかりで軽いですし」 「だね。うわーおむついっぱい。こんだけあるとベッドに出来そう」 「赤ちゃんようのおむつってふわふわしててベッドにしてもいいかもですね」 「おねしょしても安心だもんね」 「それはすることそのものに問題があります」 「んえ。これなに?」 「それは……体温計かと」 「デカくない?」 「耳ではかるんですよ。ここを耳に当ててピッてやると、1秒で測れるそうです」 「あー、きいたことあるある」 「赤ちゃんは大人しくわきに挟んでくれないので、こうやってすぐ測れるのがあると便利らしいですね」 「ただこれあまり正確じゃないって噂も。本当でしょうか」 「んー」 「試してみれば分かるよ。使ってみよう」 「ですね」  ――ガサガサ。 「んふふ、実はこれちょっとやってみたかったんだ」 「もう」 「同感です。あとで私もやらせてください」 「えっと、ここを耳にあてて、このボタンか」 「オリちゃん」 「はい?」  ――ぴと。 「ひんっ」 「こら逃げちゃダメだよ」 「つ、冷たくて、ぞわってしました」 「分かるけど、我慢我慢。温めちゃったら温度かわっちゃうかもだし」 「は、はい」  ――ぴと。 「う」 「……」 「う……う……」(ぞくぞく) 「……」 「は、早く測ってください」 「にはは、オリちゃん可愛い」 「み、耳、くすぐったがりなんです。早くしてください」 「もうちょっとこうしてたら面白そう」 「もう!おもちゃじゃないんですから」 「ごめんごめん、ちゃんと測るって」 「お願いしますよ」(ぴと) 「えっと、こうやって押し込むようにあてて」 「あうう」(ぞわぞわ)  ――ピッ。 「は、はかれました?」 「うん、いま数字出てるとこ……」 「……」  ――こちょこちょ。 「にゃあ!」 「にゃははは、逃げた」 「だ、だからくすぐったいって言ったのに……もう」 「熱は?」 「6度4分。ちゃんと測れるみたいだね」 「そう。よかったです」 「……」 「では今度は私が測る番ですね」 「え、でもテストはいま終わ――」 「ダメです」 「ひゃああああああああ!」  2階からは楽しそうな声。  今日もいい日になりそうだ。 「おはようございます、クロウさん」 「おはようございます」 「突然ですが、めるちゃんの彼氏さんになったというのは本当ですか?」 「ん……と、ですね。カレシという表現が適切かは分かりませんが」  めるさんはそう呼んでいるらしいので、それに合わせるだけだ。 「そうですか」  ――ガクッッ! 「こ、小町さん!?」  崩れ落ちたぞ。 「す、すいません。ちょっとショックが大きくて」 「めるちゃんに彼氏さん……妹分に先に彼氏が」 「クロウさん。ふと気づいたのですが小町、殿方との出会いがメチャメチャ少ない気がします」 「言われてみると、異性とお話しされる小町さんは見かけた覚えがないですね 「小町はこのまま一生独身なのでしょうか」 「い、いまの歳からそんな周りが結婚していく三十代みたいな悩み方しなくても」 「はあ……もういいです。小町は街のお掃除おばさんとして生きていきます」 「あ、クロウさんとめるちゃんのことは本気でお祝いしてしますよ」 「ど、どうも」  そんな気がしないのが困りものだが……。 「はよーっすクロウ君」 「おはようございま……おや?」  平日なのに店の服を。 「今日は学校は?」 「お休みだよ。祝日でしょ」 「ああ」  カレンダーの今日の日付。赤くなっていた。 「まあ学校がお休みなだけで店には関係ないけどね」 「了解です」  確かに、祝日といっても店は通常営業。むしろお客様が増えて大変になる。  接客で楽が出来る日。程度の認識でよさそうだ。 「今日、午前中ちょっと抜けます」 「また裾野さん?」 「はい。さっきの荷物を運びに」 「ふふふ、裾野呉服店、服の店なのにおむつだらけになっちゃいそう」 「分かりました。お気をつけて」 「はい」  楽しそうに出て行く氷織さん。 「……」 「最近のオリちゃん、ずーっとおそのさんだなあ。赤ちゃんが生まれれば落ち着くと思ったのに」 「無事生まれたことで、さらに火がついた感じですね。赤ん坊も可愛くて仕方ないのでしょう」 「むー」 「ヤキモチですか?」 「かも」  構われたがりなめるさんが拗ねていた。 「まあ今は見守りましょう。氷織さんが喜んでいるならそれが一番です」 「そうだけどさー」  こちらは店の準備。  いつもよりケーキの仕込みを増やす。  といっても、よくよく考えると祝日は初めてだ。  お客は日曜と同じくらい来るのか。もしくはいつもと変わらないのか。掴めないので量が計算できない。  まあ来るのに合わせていけばいいか。  朝9時。仕込みを終える。 「今日なんか早いね」 「急いでいるかもしれませんね。あとは仕上げるだけです」  まあここからが長いのだが。  と、 「んー」 「えいっ」  とふっとくっついてくるめるさん。 「……」 「んふふふふふ」  にへーっと笑う。  この前のアレ以降、妙にこういう笑い方をするようになった。  ねっとりしてるというか。色々と含んだ笑い方を。 「えいっ」 「おっと」  さらにしがみついてくるので受け止める。 「くろーくーん」 「は、はい」  マズイな。何を言いたいかはすぐに分かるが……。 「ね、ね、どうせだから明るいうちからえっちなことしてみたい」 「『どうせだから』の意味が分かりません」 「おりゃー!」  しがみついたまま、こちらの身体をよじ登ってくる。 「えへへー」 「んーっ」 「わっぷ」  キスされた。  まあ……これは……いいのだが。 「し、しかしめるさん、店がありますので」 「開店まであと2時間もあるじゃない」 「あ、クロウ君2時間じゃ終わらない?」 「……まあ、大丈夫かと」 「しかしまだケーキ作りの途中ですので」 「あそっか。そこは気を抜いちゃいけないよね」 「湯煎など、危ない作業もありますので、他所事をしながらとはいきません。ましてやめるさんが怪我する可能性があるならなおさら」 「んー」 「ちぇー、分かりました。待ちます」 「じゃあなるべく早く用意して、それから開店の時間までイチャイチャしよう。手伝うね」 「……はあ」  どうも『明るいうちにする』のはもう確定らしい。  ……自分も興味がないとは言わないが。 「メレンゲ作っとく。いるものがあったら言って」 「はい」  こうして、めるさんの協力もあり、 「できたー」  いつもより少しだけ早めにケーキは完成した。 「10時20分。最短記録?」 「やもしれません」  少なくとも味に妥協はしていないはずだ。 「開店まであと40分」 「40分あれば充分だねっ」  わぷっ。  改めて抱きついてくる。  40分……充分ではあるかもしれない。 「んちゅー」 「っふ……」  またキスされた。  本来はここで拒むべきなのだろうが……。 「んむ……」 「ん……」  我ながら未熟で、ケーキが完成したという満足感に気が抜けたのだろう。キスに応じてしまう。  小さくて柔らかな唇を、こちらからもこすり付けるように吸い、やわやわと前歯に揉みあてた。 「あにゃ……ふ、ん、ん」  くすぐったいのだろう。たちまち甘えた吐息をこぼすめるさん。 「あああふ」 「えへへへ」  気持ちよさそうだ。 「お昼からってのもなんかいいね。お日様が……こう、ね」 「趣はちがうやもしれませんね」  目の前で可愛い顔で笑うので、だんだん乗って来てしまう。  ――さわ。 「んひ」  小っちゃくて可愛い耳たぶをくすぐった。  そのままキスを再開する。 「まう、んま……んんぃ」  耳がくすぐったいのだろう。めるさんはさっきほどキスに乗って来ない。  けれど敏感さは同じまま。なので、 「あううう」  あっという間にふにゃーっと蕩けた顔になっていった。  耳から首へ、首から背中へ。  ――つーっ。 「んんふぅう……んっ」  くすぐったいのがそのまま気持ちイイのだろう。可愛い声で鳴くめるさん。 「ね、ね、クロウ君」  もじもじと膝こぞうを擦り合わせながら、スカートのフリルを掴む。 「はい」  求められていることはすぐに分かる。  ――しゅるん。  腰のあたりの、エプロンを止めておく紐をほどいて、めくりやすくして……、  ――さわ。 「っふ」  スカートに手をやった。  まずは太ももに触れる。 「ふぁは……クロウ君の手、冷たい」 「調理具を洗ったばかりなので」 「にふふ、ちょうどいいね。ボクの……とこは、温かいよ」 「温めてみて」 「……」  ――もぞ。 「はうん」  スカートの中に手をやった。  確かに、単純に温かい。  ――もそ、もそ、もそ。 「ひゃ……は、はふ」 「指が温まります」 「こっちは冷たいかも、あひゃ、ひゃわ、はあ」  楽しそうに腰をぴくぴくさせているのは、単純に冷たいからか、それとも他に理由があるのか。  確かめるべく、  ――する。 「にふ」  ショーツをつまんだ。  どうぞ、とばかり両足を広げてみせるめるさん。  ……ここまでやったら、もう『めるさんが誘うから』とかの言い訳は通用しないな。  開店時間の11時まであと30分。  急ぎめにすませよう。 「足をあげて」 「うん……」  やや内股気味になっているシューズ越しの足を片方ずつ引き抜く。  まずは右、  続いて左――。 「コニチハー」 「わあっ!」  ――すてーんっ! 「め、メル?! だいじょぶデスカ?!」 「いてててておーけーおーけー、アイムファイン」 「ナゼニ外国語」  そういえば氷織さんが出て行ったあと、鍵を閉めた覚えがない。  そうか、明るいうちにするとこういうリスクがあるのだな。  うんうん、勉強になった。 「冷静になってるクロウ君。ボカぁお尻がとても冷たい気がするよ」(小声) 「それはそうでしょうね」(小声) 「パンツ、パンツどこ行った」 「……」  見渡す。  脱ぐ直前に、慌てためるさんがズッコケたせいか、下着は盛大に飛んで行ったようだ。  角度的に考えれば、 「食器棚の上です」 「そいつぁ大変だ」  この店の食器棚はショーウィンドーも兼ねているため、大柄な自分より更に背が高い。 「ドーカシマシタ?」 「いやいやぁ、なんでもないよ」 「えと、ちょっと早かったデスカネ」 「べ、別にいいよ、うん」 「ソウデスカ。では遠慮なく」  さっそく今日のケーキを覗きこむショコラさん。 「……」  いまのところは『ちょうど今掃除中』とか言ってせめて1分だけでも外に出てもらうべきだったのでは。  だがパンツを履いてないくらいならいくらでも誤魔化しが効くはず。  棚の上にいったショーツのサルベージは自然に行うのは難しいゆえ今はあきらめる。  とにかく今は、ショコラさんが落ち着くのを待ってから、何か用事を見つけて2階の自室に行けば、いくらでも替えが用意できる。 「了解」  いつのまにテレパシーが出来るようになったか我ながら謎だが、伝わったようだ。 「~♪ 今日もどれも美味しそうデスネ」 「な、なによりです」  ショコラさんが選ぶのを待つ。 「モンブラン、ザッハトルテ、……あん、今日はベリー系でさっぱりな気分かな」 「……あれ?」 「びくっ」 「める、ソレどーしたんデス?」 「な、なんだいショコラ。僕のスカート及びその中になにかおかしなことでも?」 「えと、いえ、スカート……も、そうなんですが」 「スカートが!?」  がばっと裾を抑えるめるさん。  ……そのリアクションはマズいです。 「いえスカートではなく、エプロン」  幸い、純真なショコラさんに人の裏を読むような趣味はなく、気づかれなかった。 「エプロンのひもがほどけてマス。びろーんてなっちゃってマスよ」 「えっ、あ、ああ」  あ、さっき自分がほどいたところか。 「やーははは、そうだね油断してたかも。ちゃんと締めなきゃね~」  ――ぎゅっ。 「これでよし」 「ハイ」 「~……」  よし。ではないです。  とんでもないことになっていますめるさん。  リボンを結んだときにスカートのすそが巻き込まれている。 「さーそれよりショコラ、どれにする?」 「んっと、どーしようかナー」  幸いというか奇跡的にというか。ショコラさんの角度からは見えていないようだった。 「めるさん?」 「うん?」  ――つん。 「ひゃっ」 「What?」 「や、なんでもないよ」  丸出しになったツルツルお尻をつついた。  めるさんは一瞬『イタズラしないで』とばかり困った顔をして、 「!!!」  直後、自分の状況に気付いたようだった。 「んぎっ、んきっ」  慌てて裾を引っ張るのだが、  それくらいで戻るなら自分がすぐにやっている。裾はガッチリとリボンに縛られており、引っ張ったくらいでは抜けそうにない。  そしてそのリボンも、噛んだスカートの生地がうまい具合に絡んだのだろう、引っ張っただけでは解けそうになかった。  あまり大きなアクションをするとショコラさんに見られる。どうしたものか。 「今日は頭が冴えるように、このレモンムースにしマス」 「ま、まいどあり」 「今日はここで食べてく?」 「ハイ、いつもドーリ」 「ですよねー」 「クローさんお茶はハーブティでお願いしマス。今日は」 「コレを解くために頭タクサン使うのデス」  ばさっと何かの紙をとりだす。  雑誌の切り抜きだな。 「クロスワードですか」 「イエス。昨日からやってるのにナカナカ解けないのデス」 「でも今日こそ。今日こそ解いてみせマス」 「今日は私、これが終わるまで帰らない覚悟で来マシタ」 「……」 「いいデスカ?あ、モチロン満席になりそうならすぐ出マス」 「は、はい。もちろんお気のすむまで」 「では。ハーブティーお願いしマス」 「い、いま持っていきます」  トテトテとお気に入りにしている窓際の席に向かうショコラさん。  あの位置からは……ショーウインドーのこちら側は見えないが、  2階への階段を使うと、丸出しのお尻をモロに見られるな。  さて。 「どどどどどうしようクロウ君。ボク、ショコラとはだいぶ仲良しになったけど、お尻丸出しを見られてもメルはドジデースアハハですむ自信はない」 「落ち着いてください。けしてよくない状況ですが、ショコラさんがクロスワードを始めたことは僥倖です」  1人であちらへ行ってくれたのだから。 「自分がこれからお茶を運ぶがてら、彼女の気を逸らします。その隙にリボンを解いてください」 「そ、そうだね。おけ、よろしく頼むよ」 「はい」  ハーブティを用意する。  ショコラさんのもとへ。 (で、この隙に) 「ん……しょ、ぉ……っ」 「しょっ、しょぉっ」 「……あれ? んえ?」 「お、おかしいな」 「んんん~っ」 「あれえええ……?」 「こちらハーブティになります」 「アリガトゴジャイマス。そこに置いてくだサイ」 「~♪」 「クロスワード、順調ですか」 「全然デス。んー、どれも難しい」 「ラで終わる5文字の言葉。漢字で『冬を忍ぶ』と書く花の名前……」 「うーん、ラで終わる5文字。こういう終わりの言葉から考えるの苦手デス」 「忍ぶ冬、ならば、すいかずらではないでしょうか」 「あ、ソレデス」 「よしよし上手く気はそらしてくれてるね。いまがチャンスだよ」 「んしょっ、んく、んぐぐぐ」 「……」 「……逆に締まってる気がする」 「そこはハリセンボンですね。そちらは、グローバル、ではないかと」 「う~……」 「それでこちらが」 「クローさん! あまり言わないでくだサイ!」 「あ……すいません」 「うく……うく」 「くうう……1人でリボンも解けない。ダメな子だよボクは」 「めるさん」 「あえ、もう戻って来ちゃった?」 「すいません作戦失敗です」  ショコラさんに近づけなくなってしまった。 「ううううう」 「ま、まあいいや。それよりこれ、自分じゃほどけないの。クロウ君ほどいて」 「は、はい」  やはり素直に力技でいったほうがよさそうだ。  ショコラさんがクロスワードに夢中な内に自分がほどこう。  しゃがみ込む――。 「こんにちはー」 「ひゃあ!」  ――ぽいーんっ。 「……」  眼前に来たお尻に、顔面を思いっきり引っ叩かれた。 「どうかしためるちゃん」 「うっ、ううんなんでも」 「そう」  知らないうちに11時になっていたらしい。最初のお客さんが来てしまった。 「あら? そういえば今日は1人なのね」 「ん……や、ひ、1人? オリちゃんはいないけど」 「クロウさんもいないみたい」 「……」 「……」  小町さんからだと、しゃがんでいる自分はちょうどめるさんやウインドーの中板に隠れて見えないらしい。 「このままでいきましょう。どうしてしゃがんでいたか、中を覗かれたらアウトです」 「っ、っ」 「どうしたの首をこくこくさせて」 「く、首の運動」 「クロウ君は奥の厨房かなあ。うん、そんなに気にしないで。それより小町ちゃんどれにする?」 「そうねえ~」  選び出す小町さん。  さっさとリボンをほどきたいが……、いま動くとマズそうだ。そのまま待機する。 「……」 「……」 (うう、お尻に息がかかる……) 「……」  今さらだが。  明るいうちにするのは初めて。つまりこれまでは暗い中でするのが主だった。  ましてや女性のここをジロジロ見るわけにはいかないので自然と『入れるだけ』だったが。 「……」  こう、なっているのか。女性というものは。 「……?」 (あれ? 息、荒くなってきてる?) 「……」  記憶を失う前の自分の異性知識がどうかは知らないが、  プルンと丸いお尻からすらっとした脚へのラインは美しく、それでいて足自体はこじんまりして子供っぽい。  そんな綺麗なヒップの裂け目が、この距離だと丸見えになっている。  意外と生々しい形状をしているのだな、  柔らかそうな肉がぷくっと肉厚に張りつめて浮きだす、小さいながらしっかりした形の土手に、筋が一本。  わずかに開いて奥の淡い鮭肉色が覗いている。  この位置からだとお尻の穴も見えてしまう。白い尻タブが、ドピンクの皺肉にかわっていく境目まで、ばっちりと。 「ちょ、ちょぉ……っと、クロウ君」 「そんな……ジロジロ」 「……」  めるさんが何か言っているが耳に入らない。  目の前に来た美味しそうな肉に、見入ってしまっていた。 「あう……ううう」 「……んふ」  もじっと太ももをこすり合わせるめるさん。  肛門と秘肉が一瞬隠れて、けれど肉がよじれるとすぐまたピンク色を見せるのがヒワイだった。  まるで誘い込まれているような……。 「どれにしましょうか~……えっと~」 「あ……う」 「も、もおお」 「あら? 小町は決めるの遅いかしら」 「っえ、いやそういうわけじゃ」 「ごめんね、すぐにきめるから」 「いや……うん」 「……」  ん……。  太ももをモジつかせるたびに、さっきからピンク色の見える大きさが増してるような。  白い盛り肉がとろーっとふやけて、  中のピンク色をより大きく広げているような。 「……」  濡れてる……な。うん。  内側が充血して外肉を開いているうえに、粘膜性のエキスがにじみ出てきている。  濡れる。というのはこんな風に、汗のようにいつのまにか沸いてくるものなのか。  興味深い……。  ――にゅに。 「!」  あ、触ってしまった。  慌てて指を離す。  めるさんが怒り半分泣きそう半分な顔でこちらを見ていた。 「じゃあ……今日はこっちのモンブラン」 「りょ、了解」 「持って帰るわ。よろしく」 「は、はーい」  チャンス!  小町さんが後ろを向いたので、その隙を見て立ち上がる。 「はあああ」 「……すいません」 「……ほんとだよ」 「あらクロウさん。おはようございます」 「おはようございます。モンブランですね、いまお詰めします」 「ありがとう」  ばいばいと去っていく小町さん。 「はふぅ」  最大の危機が去った。2人、嘆息する。 「もうクロウ君、変なことしないでよ」 「……まあ最悪するのはいいんだけど、タイミングだけは、ね」 「すいません」 「ただめるさんの……その、そこが濡れてきたので、ついといいますか」 「うぐ……う」  自覚はあるのか、困った顔だった。 「すいません。自分としたことが、不覚なことにめるさんのそこにすっかり魅了されたようで」 「あう……」 「ま、まあ魅了、は、うん、ねえ」  困る、兼、嬉しそうだった。 「……~」 「も、もっと触る?」 「いいのですか」 「優しく……ね、優しく」 「はい」  ――にゅに。 「っ」  改めて指をあてがい、今度は一気に中へ差し込む。  感触そのものはよく知っている、ふにふにして食いつきのいい粘膜のそれだった。  奥は狭いのだが、入口のあたりは自分から広がるように指にくっついてくる。  その浅い花弁をそっとなぞるだけで、 「ふっ、く……ふぅ、う……う」 「あは、はは、むずむずする。立ったままだからかな、いつも寝転んでるときとはだいぶ……うあ、んっ、は」 「っはん……んん」  めるさんは腰をガクガクさせて応えた。  お日様の香りがする柔らか髪から、生々しい汗の匂いをふるまいてぱらつかせ、肢体が細かく揺れる。 「指を入れますね」 「う、うん。ゆっくりね」  中指を立てて、力を込める。  ――ぬむ、ぬむ、柔らかな花弁は広がって、ぬめつく内膜が顔を出す。 「っふ、ふううう」  先っぽをめり込ませた中指は、すぐにも柔らかさが反転、ぬっちり堅いくらい新鮮な筋肉のうねりに絡まれる。  交合のときはもちろん、指を入れてるだけで癖になりそうな感触だった。 「はふ、はん、は、は」 「奥のほう、こんなにヌルヌルになるのですね」 「そ、かな? よく知らない」 「クロウ君にされてるといつもびしょびしょだから、奥もいっぱい濡れるのかもね」  自分でしていることは言っていたが、このゾーンまで指を入れたことはないらしい。  ペニスとはちがう、器用に動く指。  どんな反応をするか確かめたくなり、そっとかき回してみる。 「ふぃっ、くひ……うっ、ぅうん、ううううん」  めるさんの反応は次々大きくなる。  疼きに任せて腰を右へ、左へ。短いスカートがワンテンポ遅れて揺れる。 「はあ……あ、あ……ああ」 「うあふ……っ、は、はあああっ」 「あああああ……っ!」  やがて限界が来たのだろう。足をぎゅっと閉じた。  しなやかな太ももで自分の手をがっちり掴み、  そのまま背筋を大きく反らせて――。 「できマシタ!」 「!」 「やったぁ、できマシタクロスワード。これで商品のカラーペンセットゲットデス」 「……」 「あれ? 2人ともドーシタデス?」 「い、いえ。おめでとうございます」 「……」 「メル?」 「なんでも……ないよ。オメデトショコラ」 「なんだか、プルプル震えてるような」 「べつに、なんでもない」  まだ入ったままの指を食い締めながら、必死に声を殺しているめるさん。  だが抜こうにも、自分も足でがっちり手を固定されていて手が動かせない。 「う……ぅ」  それどころか、めるさんは震えが止められず、  振動が入ったままの指に届くのだろう。 「くぁ……う」 「ふうううううう…………っっ!」  ――ビクッ、ビクッ、 「っ……」  指に強烈な食いつきが来た。  この感覚は……。 「メル? 体調でも悪いデス?」 「ね、寝不足だそうです」 「ああ」 「っ、っ」  顔を伏せて悶えるめるさんは、何とか悲鳴を噛み殺し、  ぽたぽたと床に滴る水気以外は、表に出さず乗り切った。  ・・・・・ 「ふはううう」  ずるずると崩れるめるさん。  自分はショコラさんをお見送りして、店の入り口を閉めた。 「き、気づかれてない?」 「ショコラさんですから。そもそもそういう発想がないかと」 「だよね、だよね、はうう」 「……」 「ただボクの人生に、友達に見られながらイッちゃったって経歴が加わっただけだね」 「……ご愁傷様です」  としか言いようがない。 「ううう」 「うーっ。クロウ君鍵閉めて」 「はい?」  ――ガチャっ。  入口の鍵を閉めるめるさん。  カーテンも閉めて、玄関の窓には、 『準備が長引いてます』  と適当な張り紙をくっつけた。 「めるさん……」 「いいのっ、店長権限」 「むずむずしてしょうがないから、最後までしちゃうよっ」 「は、はあ」  いくらなんでも店を閉めるのは……とは思うが、めるさんはすっかり火がついてしまっている。  突きだした腰は、結局スカートが外れてないせいでツルンと丸い臀丘が丸見えで、  その奥で真っ赤に充血している、たしかにムズムズしてそうな部分もよく見えた。  ……こっちも我慢できそうにない。 「では遠慮なく」  こちらもズボンの前を開けつつ寄って行った。 「よろしくお願いです。んしょっ」  めいっぱいお尻を突きだしてくるめるさん。  身長差に気を使ってのことだろう。自分も膝をまげて腰の位置を調整する。  肉刀はすでに真上を向いてしまっており、位置をあわせるだけで大変だった。  ――にち。 「っふん」  膨れ上がった雁首が、指一本にもキュンキュン狭く感じた穴の中央部へあたる。  明るい中で見直すと、このサイズが小さなスリットに入ったのだから不思議なものだ。  ――にり、にり。  押し込んでいくと、花弁は柔らかくほぐれていく。 「あ……くあは、おっき……、んんっ」 「あ……あっ……!」 「痛みはありませんか」 「だい……じょぶ、だから、もっとグッて来て」 「この、ちょっと痛い感じ……好き。えへへへ」  こちらは慎重にいれていくのだが――。 「んんっ、んふ」  ――ぐに、にぅ。  めるさんはむしろ可愛らしいヒップをゆすって自分から挿入を進めようとしてくる。  大丈夫かな。毎度のことながら少し心配だった。  ――ぬむ……ぬむむ。  閉じた粘膜を通り抜けていく。 「んぁ……っ、は、うううう」 「うは、……あはう、や、んん、おっき……ぃ」 「お昼でも夜でも……くろー君の、すごいのは一緒だね」 「めるさんのが熱いのも変わりません」  複雑に折りたたまれた肉のヒダヒダは、一枚一枚が強烈な熱を帯びながら竿に絡んでくる。 「や、やっぱり……これ、夜の方がいいね」 「そうですか?」 「そうだよ」 「1回つながったら……その日は寝るまでずーっとクロウ君とくっついてたくなっちゃう」 「……同感です」  正直このあと仕事がおっくうになりそうだ。  めるさんを。この愛くるしい少女を愛でる以外のことをするのが。  気持ちのせいでか身体が先走る。  ――ミチチっ。 「んんんっ」 「っ、痛かったですか」 「だい……じょぶ。不意打ちだから、びっくりしただけ」  焦りすぎたか。乱暴に挿入してしまったようだ。  秘口はすでにぱっくりと口を広げて、自分のものを半分以上咥えこんでいる。 「んく……ぅ、ふううう」  きつく窄まった粘膜は、そのまま強烈な吸着感で入ったものに迫ってくる。  その窄まる力が、こちらの硬さに反発されるのだろう。締め付けているめるさん本人が唸りをあげていた。 「はああ、あはああ、やう、くろー、君。どうしよ、なんか、これ、なんか」 「辛いですか?」 「そうじゃなくて……んんっ、でも、腰、ぬけちゃいそぉ」 「き、気持ちイイのが、足に来ててぇ」  しなやかながら、子供子供した脚がわなわなと力なく震えているのに気付く。  体勢を変えた方がいいだろうか……。  ……いや、 「崩れそうなときは支えますので、ご安心を」  腰を掴むだけにしておいた。  めるさんの体重なら支えるのはたやすい。 「この角度ですとめるさんの色々なところが見られて眼福です」 「あう」 「も、もークロウ君、ちょっと変態っぽい」 「自覚はあります」  こちょこちょとお尻の穴をくすぐる。  めるさんは恥ずかしそうながら、少し嬉しそうに。 「んんっ」  こちらに体重を預けてきた。  改めて腰が下がり、  ――ぐぐぐぐっ。 「くふうううっ、あ、あ、奥まで、奥まできたああ」 「ふぁは、ああああは、ん、んうぅ、おっき……うあうう」 「根元まで入りました……痛みは?」 「ない……けど、あうううおっき、おっきい、よお」  衝撃は激しいらしい。目を白黒させている。  慣れるまでしばし待とうと思ったが、 「んふっ、んんっ、んっ」  ――くいっ、くいっ。 「めるさん……」 「えへ、クロウ君も動いて……んん、好きな風に」 「クロウ君が一番……気持ちイイやりかた、あっ、はあ、あああ」  むしろめるさんのほうが好んで腰をゆすってくる。  ぴっちり吸着した肉層は、潤滑油をじっとりにじませて自分のものを挑発してきた。  こちらもつい力が入ってしまい、  ――ぐんっ。 「んっ、あああああんっ」  海綿体に血液が流れ込む。その蠢動だけでめるさんは白い喉をそらした。 「だいぶ敏感になっていますね」 「そぉ……かも、あは、や、これ……もう、すぐに……あっ、あっ」 「うあぁ、はあぁあっ、あっ、あっ、ああ」 「また……くる、きちゃう、あああさっきより、さっきより……強いの、んぁああっ」  差し込まれた杭の直線に、困惑しながらも肢体すべてを回して粘膜をこすり付けるめるさん。  初めてのあの日よりずっと慣れて、ずっと貪欲になった腰づかいだった。 「はあ、ひゃああ、あああんっ、ああああん」  淫猥にぬかるんだ膣肉も、あっという間に柔軟さを覚えてこちらにおねだりしてくる。  ――ぐむっ。 「んひあっ、ああああ、来た、太いのきたぁ」  懇願に応じて、ピストンを送り込んだ。  最初はゆっくり、だんだん早く――。  ――ぬむっ、ぬむっ、ぬっ、ぬっ、ぬっ。 「はぁっ、ああっ、あぁっはっ、ひゃああん」  ねっとり甘く収縮する粘膜が、痛がってはいないと伝える。  ならもっと。 「んあんっ、あああん、ああああっ、ふぁく、クロウ君、くろぉっ、くん、ああああや、すご、すごぉい」 「ゃん、ひゃん、ああああは、はぁあああん、んくぅっ、くふうう」 「んんっんっ、あうううううんっ、もおお」  めるさんの反応はどんどん強くなっていく。  申告はなくても見ているだけで分かる。 「いつでも結構ですよ。お好きなように」 「う、うん、うんっ……。あああうでもだめえ」 「どうして?」 「らって、ひゃんっ、くろぉ君まだ。クロウ君が……まだだもん」 「一緒にヨくならなきゃやだもん」 「……大丈夫、自分も充分、満足しています」  実際、先ほどから興奮はずっと上り調子なのだ。  あとはめるさんのクライマックスに合わせるだけ。それを伝えるよう、子宮をぐいっと持ち上げる。 「ふぁ……あああっ」 「あ、あは、……そっか、そうなんだ」 「えへ……」  めくれ返った亀頭のエラから、こちらも限界が近いのがわかったのだろう。めるさんは嬉しそうに笑い、 「っふ、うううううん、はぁうううんんんっっ」 「あっ、あああ、くろうく……すごぃいい、奥、奥で、ひろがってるぅう」 「うぁああん、ああああ、これ、ふくれて、あっ、あああああ、んはぁあああーーーーーーっ」  ショーケースが揺れるくらいギシつかせて、腰を持ち上げてくるめるさん。  これ以上は入らないのに、もっと深い結合を求めている。  だからこちらも、ピストンは切りあげてぐいぐいっと強く中へ押し込む動きに変えた。 「あっ、は、あああ、あああああっ、も、やああ」 「もう、くろ……、ううううんクロウくぅううん」 「ああああもうだめぇえええっ」  それがトドメになったのか、めるさんの声音は一気に跳ね上がり、 「あっ、あっ、あああああああ」 「もうイクぅうううううううっっ」 「っ――」  ――びゅっ、びゅぶるるるるるるっっ!  奥にあてたそのままの距離で、引き金を引く。  精弾はゼロ距離で最奥にぶつかり、 「っくっふ、ふぅ、ふぁあああああああんっっ」 「うぁっは、ああああ、あはぁあああ」 「ひゃああ、あぁあぁああ」 「あぁぁあぁあーーーーーーーーーーーーっっ!」  めるさんも同時に全身を突っ張らせて身悶える。 「あぁあー……、はぁあ……」 「っ、っ」  ちょ、ちょっと無理しすぎたか。クラクラくるが、 「あぅん」 「っと」  ――びゅちゅるるるるるるるるっっ!  ぎりぎりのところで腰を引く。  少々間に合わなかったか。エキスは白い糸を引きながら飛び、 「んんっくっ、んふううううう」  びちゃびちゃとめるさんの、お尻を中心に背中全体へと降りかかった。 「くふああああああん、あああ、熱ぃ、あつ……」 「んん」 「んんぅうううううううううううん……っっ!」  それで限界の来ていためるさんも、引きずられたように静かに絶頂した。 「くふぁ、ふぁあ、はあぁああ」 「あ……」  ちょ、ちょっと無理しすぎたか。クラクラくるが、 「あぅん」 「っと」  かくんと膝の砕けためるさんを、抱き止めた。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ただいまです」 「あれ? めるさんは?」 「腰が抜けてしまって。上で休憩を」 「?」 「まあいいです。じゃあここからは私が」 「はい」  2人で店番することに。 「……」 「……」 「そういえば、久しぶりです。クロウさんと2人になるの」 「ですね」  めるさんとは対称的に、非常に静かだ。 「えと、めるさんはどうですか?」 「どう、とは?」 「私にくっついてくることが減ったので、そのぶんクロウさんに行ってないかと」 「大丈夫ですか?私、これまで4回それで階段から突き落とされそうになったことがあります」 「1度ありますが、大丈夫です」 「体重差があるといいですね……私は死を覚悟しました」 「めるさんのこと、よろしくお願いしますねクロウさん」 「は、はい」  ……?  改まって、どうしたんだろう。  思えば最近、めるさんにばかり気をかけていてあまり氷織さんとは話せていない。  なにか変化があっても、  見落としているかも。  ・・・・・ 「んふふふふ」  2月14日。  氷織さんの誕生日――作戦決行の日だった。 「じゃあ準備お願いねクロウ君。ボクがオリちゃんをひきつけとくから」 「はい」 「めるさん、そろそろ」 「ほーい」  パチッとこちらにウインクを残して、氷織さんと2人、出て行った。  今日は裾野さんの退院の日。  荷物がたくさんあるのでめるさんも手伝うという名目で、病院へ。ちょうど赤ん坊との初顔合わせもすることになっている。  自分は店のことがあると言う名目で時間をずらし、 「いってきまーす」  ・・・・・ 「さて」 「こんなものか」  飾り付けにかかるのはほんの数分だった。  準備はもう何週もかけて、万端にしてあったからな。  もちろん店を空けるわけにはいかないが、お客さんもたまの飾り付けくらいは『ああ何かあるのか』くらいで流してくれる。  そうこうするうちにケーキは売り切れ、閉店時間。  店の札をClosedに変えて、急ぎ病院へ向かった。  ・・・・・ 「うわあああああああ……」 「あぶぶぶ」 「……」 「小さい!」 「とても素直な感想だと思います」 「抱っこしてあげないんですか?」 「し、したいけど……いいのかな。出来るかなボクに」 「とって食やしないよ。落としたりぶつけたりしなきゃいいからさ」 「そ、それじゃあ……」 「ども。初めまして、古倉めるです」 「うー」 「うおおおお」 「か、軽いよオリちゃん。これほんとに人間?」 「もう3キロいってるけど、まだそこらの猫より軽いからね」 「ね、可愛いでしょう」 「こうやって手を伸ばしてきたときに、指で手のひらにイタズラするのがおすすめです。ぎゅってしてくれます」 「や、やってみる……」(そ~)  ――ぎゅっ。 「わあ!」 「つ、掴んだ。あはっ、つかんだよオリちゃん」 「あはっ、あははっ、結構力強い。あは、可愛いこの子」 「ふふ、慣れて来たね」 「向こうからのアクションがあると一気に緊張が解けますよね。気持ちわかります」  ・・・・・ 「遅れました」 「あ、クロウさん」 「おっと、荷物持ち軍の主力が来たね」 「もうおそのさん、失礼です」 「いえ」 「クロウ君クロウ君!見てコレ、めっちゃかわいい」 「はい。初めまして」 「あぶ」  めるさんに抱かれ、こちらへ手を伸ばす赤ん坊。 「初めまして」  手を洗ってきて、握手させてもらった。  荷物を持って病院を出る。  車の迎えが来ているのだが、緊急患者以外は病院前まで車で来るのが禁止なので、停めてある公園の向こうまで荷物を運ぶのが自分の仕事だ。 「悪いねえ面倒なとこやらせちゃって」 「お気になさらず」 「オリちゃんオリちゃん、もっかい抱っこ、抱っこしたい」 「外で受け渡すのは危ないから後にしてください」 「しばらくは私が楽しむ時間です」 「ぶー」  氷織さんたちは楽しそうにしている。  その光景は、今日まで店と言わず何度も見てきたもので、  とくに自分が記憶する限り常にありふれていたものだった。  だからだろうか、このとき、  裾野さんの、いたってありふれた提案が、ひどくおかしなものに聞こえたのは。 「ほんとに仲良くなったねえアンタらは」 「ん……」 「1年前からは想像もできないよ」 「……」 「ですね」 「ガキ作る時期、ずらすべきかと思ってたけどいまとなっちゃ正解だったね」 「これならうちに移っても、仲良く友達やっていけるだろう」 「え……」 「お、おそのさん」 「……」  困ったような氷織さんの声。  移る……? 「ど、どゆこと?」 「ん?だから、あたしも出産で一番キツいとこが済んだから、来年から氷織はうちに移れるってこと」 「ここからはこっちも一緒にいてくれたほうが助かるしね」 「ああ……なるほど」  合理的ではある。 「あれ。聞いてなかったんかい」 「ま、まだ言ってないですってば」  めるさんの反応に慌てている氷織さん。 「……」  一方のめるさんは、凍り付いてしまっていた。  合理的ではあるが、めるさんにはまったくの予想外な話らしかった。  氷織さんが裾野さんの家に移る。  フォルクロールから出て行く、などと。 「お、オリちゃん?」 「いえ、あの、そういう話が出ているというだけで」 「引っ越しちゃうの?」 「え……と」  目を泳がせる氷織さん。  ちらっと自分の方を見て。 「そうしたほうがいいなら、そうするべきかなと」 「っ……」 「えと」 「ふぇ……ふぇ」 「あ、と」  そこでちょうど抱えていた赤ん坊がぐずりだした。  この寒いなか外にい過ぎたか。早く温かいところへ移したほうがいい。 「こ、この話はまた今度しますから」 「あー……なんか変な空気にしちまったね」 「あくまでまだ提案ってだけだからさ。あとは氷織と話し合っとくれ」 「……」 「じゃあね」  ちょうどそこで車につく。  お2人は後部席へ。助手席は自分の持ってきた荷物が乗るので、自分とめるさんはここでお別れだ。 「……」  すぐ戻ります。という氷織さんに返事も返せず、一度別れる。  めるさんはその間、一言も発さなかった。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「この可能性は考えてなかった」 「自分もです」  氷織さんが裾野家に移る。  裾野さんの提案は青天の霹靂だったが、  考えてみれば、極めて合理的だ。  ここ最近の氷織さんはずっと向こうに通い詰めで、半分向こうに住んでいるような状況だった。  これからもその傾向は続くだろう。  必要性云々ではない。氷織さん自身が、赤ん坊の世話を楽しんでいる。  氷織さんにとって、フォルクロールに住んでいることが重荷になっていた。  向こうに住んだ方が手っ取り早いのは言うまでもない。  夜にいちいちこちらへ帰る、手間と危険を省ける。 「オリちゃんのためではあるんだよね」 「ですね」  この雪の多い街で、夜の外出の機会を増やすことはあまり賢いことではない。  家同士を『行ったり来たり』するよりは、どちらかに決めて住んだほうが絶対にいい。  だがそれはつまり、 「でもオリちゃんがいなくなるなんてイヤだよ~」 「気持ちは……分かりますが」  やはり氷織さんの気持ちが大事だ。  それに先ほどの様子を見る限り、 「そうしたほうがいいなら、そうするべきかなと」  めるさんには気を使っていたが、  氷織さんがどちらに乗り気かと言えば――。 「……」 「ま、まあ、それがオリちゃんのためではあるよね」 「……」 「なら止める理由はないけど」 「めるさん……」 「だよね、クロウ君」 「……」  返答しにくい。  止める理由はない。むしろ背中を押してあげるべきだと思う。  めるさんが背中を押せば、氷織さんも気持ちよく向こうに移れるだろう。 「……」  出来るのなら。  ――ガチャ。  店に戻る。 「あ……」  そうだった。飾りつけしたのを忘れていた。 「そっか。パーティの……そっか」 「……」 「ありがとークロウ君、可愛く飾ってくれて」 「でも、ごめん。これやっぱり取ろう」 「え……」 「あんまり、ね、こういうのは」 「オリちゃん、気ぃ使っちゃうかもだから、ね」  ぱっぱっと飾りつけを外していくめるさん。  パーティをしようという痕跡を消してしまった。  代わりに隠しておいたプレゼントの箱はテーブルの上に持ってくる。 「これだけは渡すよ。うん」 「でも他は……やめとこう。プレッシャーになっちゃうかもだから」 「めるさん……」  ・・・・・  その後、  戻ってきた氷織さんに、静かにプレゼントだけ渡して彼女の誕生パーティはお開きとなった。 「ありがとうございます」 「うんっ」  引っ越しのことを詳しく話すでもなく、すぐに散会。  めるさんも氷織さんも部屋にこもってしまった。  フォルクロールに来て、一番静かな夜だったかもしれない。 「……」  一番しゃべらない自分が言うのもなんだが、  こうも静かだと落ち着かないな。  めるさんに元気がないというのが。  ・・・・・ 「あの、クロウさん」 「はい?」  こちらも部屋に戻っていると、氷織さんが来た。 「えっと、あ、おそのさんからです。今日は荷物持ちありがとうございましたって」 「ああ、いえ」  微妙に話を濁しつつ、中に入ってくる。 「誕生日も、ありがとうございますこのクッキー。あんまり甘くなくて美味しいです」 「お口にあったなら何よりです」  なにげにここ数日、どれくらい甘くして良いか苦心しての出来だったので、嬉しい言葉だ。  たとえ本題に移る前のつなぎだったとしても。 「んと」 「私からこうやっていうのもなんですけど。これで終わりですか?」 「はい?」 「いえ、めるさんのことだから誕生日なんて都合のいい理由があったら、もっとはしゃぎたがるかと」 「ああ、それは……」 「……ひょっとして、予定はありました?やっぱりサプライズで」 「はは」  肯定も否定も出来ず、苦笑しかできない。  氷織さんは小さくため息をつき、 「あの話でショックを受けてしまったみたいですね。おそのさんの言うタイミングも悪いけど、私も言いだせなかったのがマズかったです」 「すいませんでしたクロウさん。クロウさんも、用意してくれたんですよね」 「お気になさらず」  思いがけない形から、避けたがっていた本題に入った。 「やはり、移るのですか?」 「……」 「そうすべきだとは思います」 「……」  ……か。  分かっていたとはいえさすがに寂しい。  お互いに言葉を失くしてしまった。 「……」 「……」 「あの」 「はい?」 「私は――移るべきだと思うんですけど」 「1つ聞いてもいいですか」 「ん……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「それじゃあ1か月後に――」 「ただいま」 「あら、おかえりめるちゃん」 「小町ちゃんにショコラ、2人とも来てたんだ」 「1か月後に、なに?」 「え……あ、と」 「えと……」 「……」 「いま聞いたの」 「氷織ちゃん、1か月後に引っ越すんですって?」 「っ」 「こ、小町さん」 「寂しくなるわね」 「まあでも、すぐに会える距離じゃない。そんなに落ち込まないでめるちゃん」 「ん……」 「う、うん。そうだね」 「てかボクもいま聞いたんだけど、1か月後なの?」 「わ、わたしはそう聞きマシタけど」 「そうなんだ」 「……すいません。昨日、そんな話に」 「……」 「まだ1ヶ月あるんだ。よかった」 「……めるちゃん」  氷織さんが向こうに移る。  めるさんの受け止め方は、ある程度肯定的なようだった。  見ていて分かるよう受けいれ切れてはいない。  けれどなんとか悲観的にはならないように。 「オリちゃん、荷物とかどうするの?」 「え……と」 「1か月後だよね」 「まとめるとき、手伝うから、言ってね」 「は、はい」  少なくとも氷織さんの前では明るく接する。 「あーあ」  いないと一気に落ち込んでしまうが。 「オリちゃんがいなくなっちゃうのかあ」 「……」 「やはり、寂しいですか」 「そりゃそうだよ」 「ボク、1人っ子だったからさ。妹が出来てほんとに嬉しくて……」 「……」 「ああ、だからオリちゃんも妹が出来ていま嬉しいんだろうなあ」  自分が移って欲しくないと思う気持ちとおなじ分、氷織さんが向こうに移る喜びが分かる。  大きくため息をつくめるさん。  どんなときでも人の気持ちを考えるのは彼女の美徳だ。 「……」 「ねークロウ君」 「はい」 「ボク、オリちゃんのこと大好きなんだ」 「はい」  知っています。 「だから……」 「オリちゃんが望むことが一番だよね」 「……」 「私は――移るべきだと思うんですけど」 「1つ聞いてもいいですか」 「ん……」 「……」 「なんでしょう?」 「……」 「クロウさんとめるさんって、恋人なんですよね」 「は、はい」 「だから、めるさんはクロウさんがいればもう大丈夫なわけで」 「ですね」  氷織さんの望むことが第一。  自分だけでなく、めるさんにとっても大事なことだ。 「はあ……」 「……」 「おしっ、落ち込んでても仕方ない」 「まだ一ヶ月あるなら、笑ってお見送りできるようにがんばるよボク」 「めるさん……」 「とりあえずクロウ君は、新作ケーキがんばって。オリちゃんが行っちゃう前には完成できるように」 「それは、はい」  氷織さんのパーティ用意も終わったので、今日からはまた新作ケーキ作りに戻っていた。  最近触れていなかったミルクレープ。  まだこれといったプラスアルファは見つけられていないが、 「……」 「がんばって」 「はい」  ひと月後までには見つけたいものだ。 「ふむ、それでようやく持ってきた新作というのが」 「このミルクレープ……」 「を、もう少し改良したものです」 「ひとりじゃ出来そうにないからわしの意見を聞きたい。と」 「お恥ずかしながら」 「素直なのはいいけど、情けないのー。いきなり完成させてわしをびっくりさせる。くらいの気概が欲しいわい」 「申し訳ない」 「ただ一ヶ月という期限がついてしまうと、どうも焦りが出ると言うか」 「ふむ」 「ま、ひとまず味を見ようか」 「お願いします」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「それで――そんな新作を食べていただき、何か足りなものはないかとお聞きしたところ」 「ここを紹介されたのですか」 「うちかい?」 「うち、八百屋さんですよ?」 「足りないものはフルーツ……ということでしょうか」 「まあ来たんならちょうどいいさ。おそのんちに出産祝いを運ぶのを手伝っとくれ」 「はあ」 「おそのさん、お乳が青臭くなるって言って持って行ってくれないんです」 「バカな子だよ。野菜食べて体に悪い事なんてあるわけないのに」 「まあまあ」 「野菜の有用性はともかく、段ボール7箱にぎっしりはさすがに持ちきれません」 「何回に分けてでもいいから」 「なんとしてでも食べさせるんですね。めるさんが恐れる理由の一端が分かりました」 「そのあとで良けりゃ協力してやるさね」 「今日はいいイチゴが入ってるよ」 「ん……」  イチゴ……か。 「……」 「……はあ」 (喉がかわきました) 「っ」 「あ……っ」 「あ……と」 「ど、ども、オリちゃん」 「は、はい、どうも」 「……」 「……」 「じゃあ、その」 「は、はい」 「……」 「……」 「重傷です」 「今日の夕飯は、なんとポトフです!」 「でも失敗しちゃった。なんか卵とじにしたら美味しそうになったから、これでいいよね」 「おいしそうです」 「だんだん失敗作を再利用したなにが出てくるのかが楽しみになってきました」  3人で夕食にする。 「ムラサキさんにいただいた野菜がたっぷり消化できて助かります」  裾野さんの家へ運んだあと、自分も段ボール1箱分いただいてしまった。 「……なんであんなにもらってきたの」 「……自分はフルーツを見たかったのですが。会ったらなんだかんだと持たされてしまいまして」 「気持ちは分かるよ。拒否権がないんだよねばあちゃんのプレゼントは」 「向こうは善意100%ですから、断れないですよね」 「ありがたいことはありがたいです」  一応、フルーツもたっぷり入手できた。  明日、やってみたいことを試してみよう。 「結局ポトフ1回も作れてないけど」 「だんだんポトフの季節じゃなくなってきちゃったねえ」 「そういえば、もう春ですね」 「ですね」  少し前までこの時間は、窓がガタガタいうくらい雪と風に吹かれていたが、今日は大人しいものだ。 「……」 「妖精さんの夜の季節も、もう終わりです」 「……」  ・・・・・ 「くあ」 「そろそろ寝ますね」 「はい。おやすみなさい」 「おやーすみ」  むにゃむにゃしながら部屋を出る氷織さん。  こたつに名残が少ないのも、暖かくなってきた証拠だろう。 「めるさんはどうします?」  もうすることもないので、自分は寝るだけだが。 「んー? まだ眠くはないなあ」  目が覚めているらしい。手近にあったちらしを折り紙にして遊んでいる。  鶴を作ったところで、飽きたのだろう。ぽいっと放り投げて、 「……」  ――くに。  足を伸ばしてきた。  靴下越しの可愛いつま先が、こちらの腿を突く。 「えへへへへ」 「なにか」 「なーんでもない」  ――くに、くに。  イタズラが楽しいらしい。さらにちょいちょい触れてくる。  ふむ。  その足を捕まえて、  ――こちょこちょこちょ。 「わひゃあああああ」 「なにか御用ですかー?」 「あはっ、こらっ、やめっ、わー!」  楽しそうに暴れるめるさん。  こんな無礼が平気で出来る。我ながら変わったものだ。 「えい」 「あえっ!?」  掴んで、こっち側に引っ張った。 「きゃー!」  当然ずるずるっとこっち側へくるめるさん。 「わーん、おこたに食べられるー」 「こたつを甘く見てはならないという教訓です」 「あははははは」  手を放すと改めて出てくる。 「ふふふふふ」  イタズラされるのも楽しいのだろう。めるさんはずっと笑っていた。  ――くに、くに、  また足を伸ばして突っついてきたり、 「……そうだ」 「む?……っと」  逆にぐいっと、こちらの足を掴んで引っ張ってきた。  足を伸ばされてしまう。 「へへー」 「そちらが窮屈では?」 「いいの、窮屈で」 「えへ~、クロウ君の足、おっきいねえ」  よく分からないが嬉しそうだ。 「ふふ」 「あそうだ」 「はい?」 「えい」 「……なぜ」  伸ばした足が、めるさんの腿に挟まれる。  下げようとするのだが許してくれなかった。  際どいところに当たっている。 「ふふー」 「クロウ君覚えてる? 前もこうしたこと」 「え……ありましたかそんなこと」 「クロウ君は寝てたけどね」 「……ふふ、クロウ君、寝ながらボクのことこうして、エッチなところ触ってきたの」 「っ、そ、それは失礼しました」 「ふふー、すごいえっちな気分だったなあれ」  嬉しそうにしてるめるさん。 「んっ、んっ」  向こうから腰をせり出して、自分の足に際どい部分をぶつけてきた。 「……」 「あれからもっとずっとエッチなことしてるけど、これだけでもまだ充分エッチな気分になるね」 「そ、そうですか」  とりあえず足蹴にしているようでなんなので、足は下げた。  めるさんはさらにクスクス笑い、 「起きてるクロウ君は礼儀正しすぎるから、寝てるときのアウトローなのもいい感じなのかも」 「ていっ」(ずぼっ) 「……」 「こんちはー」 「いらっしゃいませ」  一度こたつに潜り、こっち側に出てきた。 「えへへー」  ぽふん、とひざに頭をのせる。 「やっぱいいなあクロウ君のひざまくら。こたつと組み合わせるとなおよし」 「ふぁふぅ……眠くなってきたかも」 「ここで寝るのはさすがに」 「えー? ダメ?」 「ダメです。風邪をひきます」 「ちぇ。クロウ君最近厳しいにゃあ」 「自分が厳しいというよりはめるさんが甘えてくるようになったかと」 「それはあるかも」 「ていっ」  起き上がって、改めて膝の上に座る。 「眠くならないにはこっちの方がいっか」 「は~、これもいいなあ背中が温かくて。クロウ君って温かい」 「めるさんも充分温かいです」 「クロウ君のほうが温かいよ」  リラックスした様子で体重を預けてくる。  小っちゃくて柔らかな、小麦の甘い香りがする肢体。  せっかくなので寛いでもらおう。やわっと抱きしめて安定させる。 「んふ」  めるさんは嬉しそうに鼻を鳴らして。 「……」 「ねーねークロウ君」 「はい?」 「大好き」 「……」 「そうですか」  いきなりすぎる。 「えへへ、大好きだよ」 「は、はあ」  自分の狼狽が面白いのだろう、めるさんはクスクス笑い、 「胸が寒いなあ」 「……はあ」 「はあじゃないよ。胸がさむーい」 「温めて」 「……」  困ったものだ。  もちろん拒む理由はない。  にぎっと服の上から柔らかな感触をつかむ。 「んっふ」 「充分に温まっているようですが」 「そだね」 「でももっと」 「はい」  温める。という名目はさっそく忘れて、  ――にゅに、にゅに、にゅに。 「んくっ、んふ、ふゅう」 「痛くはないですか」 「だいじょーぶ」 「クロウ君絶対ソレ聞くね」 「む……そうでしょうか」  めるさんは氷織さんに比べれば大きいものの、やはりまだまだ子供で、体も小さい。  自分は大柄な方なので、どのくらいの力加減なら乱暴にならないかいつも困りどころなのだ。 「大丈夫だから、クロウ君が好きなように触ってよ」 「クロウ君のおっきな手で身体のいろんなトコ触られるの、ボク、好きだよ」 「……」 「ちょっと言い方がいやらしいですね」 「いやらしいことを言ってるんだよ」  それもそうだ。  ――するん。 「んっ」  もう片方の手をスカートの中にいれる。  ご注文は胸。なのでこちらは、自分の意志だ。  太ももを伝って一気に中心へ。こたつで温まった、コットン素材の下着を掴む。 「んふ、ふふ、ふふふ」  その強引さが嬉しいとばかり笑っているめるさん。  ――もにゅもにゅもにゅ。  もちろん胸も欠かさず揉み続けている。 「ふふ、ふぅ……んふっ、ふふ」 「んっ、んぅ、ん、んん」 「んぅ、うんっ」  ゆっくりと、だが着実に、めるさんの吐息がトーンを上げていくのが分かる。  生で掴みたくなって服の中に手を入れた。  ――つぅーっ。 「ひんっ」  くびれたお腹のラインにイタズラしながら、奥までツッコむ。  ぱふんと儚いくらい柔らかな感触に触れた。 「んふ、ふふふ」  めるさんは、全体的に子供子供した体型だが、ここの肉付きは抜群にいい。  将来は相当大きくなるだろう。  ただやはり体格差は大きくて、自分の手のひらならすっぽり包み込んでしまえた。  根こそぎ揉みしだく。 「ふぁう、んん、んふ、んふ」 「ん、ん……」 「ぅん……っ」  時おり、穂先のこりこり硬い部分が擦れると声のトーンが変わるのが分かる。 「もぉ……クロウ君、触り方がえっちだぞ」 「そう触っていますので」 「それもそっか……んにゃっ、あ、あんっ」 「でもさでもさ、いつもに比べてほら、……んん、あっ、あんんっ、は、ん」 「……もう」  早くも感じ始めてしまったのが恥ずかしいのだろう。誤魔化したいのか、めるさんは軽口を叩こうとする。  それをムニムニまさぐる手で強引に嬌声に変えるのが快感だった。  ちょっとずつ、ちょっとずつ、乳頭にかける圧を強めていく。 「あう、は、はぁんん……んんっ、あは」 「クロウ君……やん、あ、ぁんんんん」  だんだんとめるさんの反応が変わっていく。  一緒に遊びたがる子犬のような無邪気さが消えて、ひとりの女のそれに。  汗ばんだ肌から甘酸っぱい匂いが漂った。 「……」 「あう、クロウ君匂い嗅いだ?」 「つい」  可愛いうなじに鼻を押し当ててしまった。  めるさんはクスクス笑っている。 「はむ」 「やんっ」  そのままうなじ、ひいては首筋に噛みつくと、むしろ嬉しそうに鼻を鳴らす。 「少々汗をかいてきましたね」 「あは、おこた、熱くなってきたかも」 「出ますか?」 「やーだー」  やっぱりこたつが好きらしい。  なら……逆にこたつが邪魔になるくらい熱くしてやりたくなる。  片手では乳房を捕まえたまま、  ――ニュルリ。 「っうん」  もう片方の手を、スカートのさらに奥へ進めた。  太ももとショーツの間を行ったり来たりしていた指を、さらに際どい境目へ。  ちょうどショーツのゴム端が食い込む部分。ぷっくり持ち上がった土手と腿肉の境目に指を押し込んで、  ――もにゅもにゅもにゅ。 「あふっ、はっ、は、はっ、ひゃんっ」 「もう、それくすぐったい」 「んぃふ……ん、くふ、んんんっ」  くすぐったい。というのも確かだろうが、  これから一番敏感な個所に刺激が来る。その予感と期待が大きいのだろう。めるさんは早くも甘えた声で腰をくねらせている。  もちろんその間も、バストを攻める手はとめない。  片手しかないので片方ずつながら、ねっちりねっちり左右平均的に揉みしだいた。 「くん……んん、んぅん、んっ、んっ」  めるさんの声は、すっかり『くすぐったい』のそれではなくなっている。  感じてきているのが隠せなくなってきている。 「ここももう……ですね」 「やん……」  ショーツ越しにもそこの熱気は充分分かったが、  ムチつく花弁を掻い潜って、下着の中に手を入れると、もうぬるぬるに蕩けているのが分かった。  複雑に畳まれたひらひらを挑発するよう撫でながら、  ――つん。 「ッン!」  クリトリスを突く。 「あ、あの、クロウ君、そこは、それは……ね?」 「分かっています」  ここはもう、敏感を通り越して弱点である。触り方を間違えると気持ちイイどころかツラくしてしまう。  なので細心の注意を払いながら、  ――なで、なで。 「やん……んふ、あんふ、あああん」  包皮越しに、蜜分を帯びた指先で転がした。  なるべく摩擦を抑えて、なるべく優しく。 「あああんんん」  それでも内部が充血してくると、自然と核自体がむっちり盛り上がって包皮を弾いてくる。  ショーツは先に脱がせた方がよかったかな。思いながら、  ――むに。 「ひゃあっ!」  包皮をむいて、一番敏感な真珠をつまんだ。  目を白黒させているめるさん。  ついでだ、  ――むに。 「あう……も、もぉお」  乳首も一緒につまんでみた。  とくに意味のない行動だが、上下の敏感部が同時に囚われ、めるさんは苦笑している。 「どちらもコリコリになっていますね」 「言わなくていいよ……あう、んぅ……ふ、クロウ君のえっち」 「足、開いてみてください」 「んぅ……」  もぞもぞ転がされる急所を守る反射行動だろう。太ももがこちらの手を挟んでいる。  少々動かしにくい。言うと、おずおず開いてくれたので、  ――にゅにぃい。 「やぁあんんんんっ」  不意打ち気味に、もう蜜であふれた秘口へ中指を突っ込んだ。 「だから急には……ってぇえ、くふぁ、ふぁあああ」  下肢をビクつかせ、穴自体もキュンキュン締めつけながら文句を言ってくるめるさん。  こちらは気にせず、  ――くに、くに。 「ひっ、ふぃひ、ひいいん、んんんんっ」  みっしりひしめく肉ヒダのるつぼで、指先を小さく屈伸させた。 「ああうううう、なかで、ううう、奥で動いてるぅ」  めるさんの反応は激しい。  おへその下に力がはいるのだろう。上半身が大きく沿って、そのぶん腰部を大きく突きだす。  それでいて後ろに下がった胸元もビクついている。  指で捕えた乳首がぷるぷる震えていた。 「も……クロウ君、それ、やん、それぇええ」  中に入れた指は、特におへそ側。クリトリスの裏側あたりを触ると反応が強い。  けれど重点的には狙わない。 「あううん、うううううん」  ねっとりねっとり、クレバスの内部全体をかき回すように撫でまわして、  すると熱く火照った粘膜が、雪崩のように前後左右でひしめきながら蠢くので、  ――くい。 「やぁはぁああああんっ」  その『おねだり』の瞬間を狙ってつついてやるのだ。 「あんっ、も、触り方、やらしすぎだってぇ」 「はぁう、あああうう、あぅん、ゃううん」 「ああは、ん、あっ、あ、あ、あ……!」  官能に火がついてきたのだろう。めるさんはもうこたつのせいもあり汗だくになっている。 「も……ちょ、熱いかも」 「脱ぎますか?」 「うん」  服を脱ぎ取った。 「……」 「クロウ君、なんで嬉しそうなの?」 「いえ」  こたつに勝った。  我ながら理由の分からない満足感がある。 「はあぅ」  改めて身体を預けてくるめるさん。  ねっとりピンクに染まった頬は、恥ずかしげながら恍惚の色を帯び、  このままならあっという間に頂点まで連れていけるだろう。 「あは……はぁ」 「は……」 「……ぅ」  ? 「もっ、もう」  おっと。  顔を見つめすぎた。目があった瞬間、身体をよじって腕から逃げる。 「ぼ、ボクばっかりこんなの、ダメ。フェアじゃないよ」  脱ぐときに間が空いたので、恥ずかしいのが悔しくなってしまったらしい。 「フェアじゃないと申されましても」 「もー、最近クロウ君に好き勝手されてばっかり」  そんなことは……。  あるか? 「今日は反撃だよ。ちょうどよさそうなえっちぃやつも、本で調べて来たから」 「……あまりそういう本を読むのは勧められません」 「いいの、ていっ」  くるんと体を返して、こたつの中に引っ込む。  なんだ?思っていると、さっきまで椅子にしていた自分の足に上体を乗せてきて、 「えい」 「む……」  自分のものを取り出すと顔を寄せてきた。  また舐めるのか……思ったが、それよりも配置が高い。  胸乳全体をぐんにり押し付けてきた。 「……」 「あれ、挟めないかも」 「めるさんと自分では体格がちがいますので」  めるさんのバストは育ちが良い方だが、それはあくまでめるさんの身体での話。  そもそも勃起した男根を挟むには、もともと大柄な女性の、さらに巨乳でないと無理だ。 「なんか悔しいなあ」 「でもえいっ、ていっ」 「う」 「あ、クロウ君いま気持ちイイでしょ」 「は、はい」  改めて聞かれると恥ずかしいな。  だがこの感触。挟む挟まないに関係なく、かなりいい。  柔らかな乳房と、ややかたいあばらのコリコリが交互に茎根を舐めていく感じ。 「さらにこっちは、もう慣れてるもんね」 「あむ、はむちゅ……んんっ、んち、んっち」  さらには穂先に、唇をかぶせてきた。 「この前とちがって勉強したから、期待してね」  ――ねろ~。 「っく」  いきなり弱い裏筋を舐め上げてくる。  電気が走るような刺激につかれ、思わず声が出た。 「ほーれほれ、どうクロウ君? ど?」  自分の分かりやすい反応が楽しいのだろう。めるさんはさらに勢いづいて、 「はむん、んちぅ、んちっ、ちゅぷちゅぷ、れるれるれるれる、んちぅ、ちぷ」  ――ぐにっ、ぐにっ。  大胆に胸をこすりつけながら、ちろちろと亀頭肉をくすぐりまわしてきた。 「はんふ、はみ、ぁむる、ちろちろ、んちる」 「っ、っ」 「んふふふ、ちゅぷちゅぷちゅぷ、ちろる、れるれるれる」  かなり気持ちイイ。  胸のほうは正直あまり目立たない。亀頭を舐られる強烈な刺激がほとんどだが、  その目立たなさが強烈なアクセントになっていた。  根元から柔らかさとコリコリ感に感覚が高められて、だんだんと穂先へ登りあがって、そこに、 「んちんる、じゅろ、ぬるっぷ、んんちぅうう」 「く……」 「れろれろ、じゅぷりぅ、ちゅるぷ、ちゅぷぅ、んちゃっ、にちゃっ、ちろ」  小さくとも元気のいい、プルプルした舌が待ち受けて、徹底して舐りまわしてくる。  神経的な刺激と、そこにいたる気分の盛り上がりがどちらも強烈だった。 「いつでもいいよ。しゃせー、して、ね」 「この状態では……、めるさんにかかってしまいます」 「かけて欲しいの。エッチな本じゃみんなそうやってるんだから」  よく分からないこだわりがあるようだ。 「んろんろぬるぬる、ちゅちろ、ぬぷ、んるるぷっ」  尿道にかぶせるよう唇をぶつけて、吸い上げてくる。  その間も舌は、かぶさった個所を中心に徹底して舐め続けている。 「えへ、ちょっと汗の味がする」 「申し訳ありません……」 「いいの。クロウ君の味、好きだよ」  汚くはないはずだが、こたつで熱くなったのは自分も同じ。汗をかいてしまっていたらしい。 「んふ、んんる、んちぅるう」 「ふはぅ、あは、クロウ君のほんとにおっきいね。舐めてるだけで疲れちゃう」 「……この大きいのが入るんだから、ボク、すごいよね」 「……」  感慨深げに言うめるさん。こっちは少々申し訳ない気持ちになる。 「ぁんんむ」  彼女のほうも興奮してきたのだろう。吐息が弾んできている。  それに体勢的に、こたつのなかに入っているためさらに暑く、汗もだくだくかいていた。  ――にゅるっ、にゅるっ。 「~」  こすり付けてくるバストに汗が落ちて、それが潤滑油になる。  ぬらついた感触がむっちりとペニスで潰れる。  背徳的なくらいの柔らかさが快感だった。時おりくにゅくにゅ乳首が暴れているのも可愛らしい。 「ぁんむ、あふ、んふっ、ん、んっ」  それにめるさんの反応も変わってきている。  考えてみれば、さすっただけでもトロけてしまう敏感なバストを、あれだけ揉みまさぐられたあとなのだ。こうしてこすり付けていれば当然、 「あっ、あん、はん、んん、んっ」 「ちるむ、んちっ、ちゅぷぷ、はぷ、はん」 「あぁふ、クロウ……君、ボク、ボクなんだか」  あちらにも快感が跳ね返ってしまう。 「あむんっ、ちゅる、ちゅぱ、れろれろ、ちゅぷち、ちろっ、れるれる、ちゅぷっ」 「ちゅぱぷっ、にちぅ、あむむ、んんるう」 「くふぁあ、んぷ、んぷ、んる、んるぅう」 「はんっ、んっ、あんん」  もう口や舌というか、全身をペニスにまとわりつかせて奉仕してくるめるさん。  う……。 「んふっ、んっ、んっ」 「あ……クロウ君、いまビクってなった。ね? ビクってなったでしょ」 「……はい」  ほとんど口のなかなので、ペニスの反応は如実に伝わってしまうらしい。 「出そうでしょ、えへへ、出そうなんだよね、分かるよ」 「いいよ出して。いっぱい。ボクにかけちゃって」  大人っぽく発情して真っ赤な顔を、子供っぽくちょっと得意げにとろかせるめるさん。 「んるち、んちっ、んちっ、んちっ」  舌使いはさらに強くなり、  ――むにぅ、むにるっ。 「んふんっ、ぁん、んん、はんっ」  真っ白なバストをこすり付ける動きも大きくなる。 「く……」  誘いこまれた自分は、もうどうしようもなく限界への階段を上っていくしかない。  亀頭が膨らみ、彼女の口では収まりきれないサイズに変化し、 「くはぁんっ」 「出ます……」 「うんっ、うん出して、あ、あっ、あ――!}  いかん……。  本人はそう言っているが、めるさんに自分のものをぶっかけるのは気が咎める。  せめて最小限に――思うのだが、 「うくっ」 「あは」  ――びゅぷくるるるるるるるるるるっっ! 「ふぁはぁ……っ」 「っ、……っ~」  うあ。  強烈な快感に目の前がちかちかした。  腰を下げるのが遅れた。  なんとか顔にかけるのは避けられたものの、胸やお腹を中心に、むしろかなり広い範囲にぶちまけてしまう。 「あは……はぁ、あはは」 「いっぱい出たね……クロウ君」 「気持ちよかった?」 「っ、っ」  息がはずんで返事がしにくい。  首を縦にふった。 「えへへへ、あったかぁい」  それだけでもめるさんは嬉しそうに笑う。  ・・・・・ 「ふぇええ、のぼせちゃいそう」 「こたつもよしあしですね」  ずるずるとこたつから這い出してくるめるさん。  おしぼりを使って、汚した体を拭き清めた。 「くすぐったい」 「大人しくしてください」  クスクス笑う彼女を、抱きかかえて洗った。  広い範囲にちってしまったし、汗と混ざって全部拭けたかは分からないが……。  どうせこのあとも汚れるのだから同じだ。 「にゃんっ」 「あう、も、もうおっきくなってる」 「めるさんのせいです」 「んふ……そう?」  得意げに頬を緩めていた。  ただ熱気が残っているのだろう。全体的にけだるげで、こちらに体重を預けている状態。  硬くしたものの上に乗せても、軽くピクついただけで緊張の様子はなかった。  ――ぬち。 「ぁン」  唇や舌とはちがう。どちらかというと汗でぬれたバストに近いか。柔らかい粘着質が亀頭にぶつかる。  バストより遥かに熱く熱している感触に、ペニスのほうが引っ張り込まれる気分だった。 「ンく」  ――にゅろ、にゅる、にゅるぅ。 「ふぁんっ、ん、ん……!」  たっぷりな前戯が功を奏したというか。めるさんもすっかりコツをつかんでいるというか。  熱化した自分のものなら、もうさほど抵抗なくぐいぐいと粘膜の隙間に入り込んでいった。 「んぃう、ひぅ、ひいふ、んん」 「痛くないですか?」 「大丈夫……ふふ」 「なにか?」 「ううん、でもクロウ君、やっぱり気にするよねそこ」 「あ……すいません」 『痛いですか?』を聞きすぎだと指摘されたばかりなのに。 「あやまることじゃないよ。ふふ」 「ボク、そういうクロウ君の優しいところが好きになったんだもん」 「エッチしてるとき優しくされると、あー、クロウ君としてるんだーって思って、すっごく幸せな気持ち」 「……」  ぎゅり、ぎゅり、めるさんの中身は相変わらずの狭さで自分のものを握りしめる。  そんな性反応とは別に、めるさんはすっかりリラックスした様子で体重を預けてきた。  まるで自分に全てを。身体とか命とか、それこそ自分と言う存在すべてをゆだねるとばかりに。 「……」  信頼されている。  分かっていたが、ここまで信頼されている。  嬉しかった。  ――ぐぐっ、ぐぐぐぐっ。 「んふぅん……っ、んっ、んんっ、はんんんん」  体重がかかるので、結合はどんどん進んでいく。  いつもかかる時間の半分ほどで、こちらの根元に彼女のぷるぷるしたお尻がくっついた。  最奥まで結合しきった。 「えへ、全部入っちゃった」 「はい」 「……」 「しばらくこうしてよっか。今日ね、ちょっとでも長くクロウ君とつながってたい」 「分かりました」 「動いたほうが気持ちいい?」 「いえ、どちらも同じです」 「自分も長くめるさんとこうしていたいです」 「えへ、えへへ」  そのまま2人、のんびりくつろぐことに。  もちろん結合部の快感は強い。めるさんは圧迫感に腰をピクつかせているし、こちらもその絞りに体が跳ねそうだ。  けれどなるべく落ち着いて。 「好きだよクロウ君」 「ん……」 「えへ、大好き」 「……どうも」  くっつきながら言われた。  いきなりの真っ直ぐな言葉で照れてしまう。 「クロウ君は?」 「はい?」 「クロウ君は、ボクのこと、どう思ってる?」 「それは……、その」 「言ってよ、どう思ってる?」 「……めるさんがご存じのとおりです」 「クロウ君の口から聞きたいの」 「~」  まいったな。 「えと、はい」 「めるさんのことは、その」 「んん~?」 「……」 「ふふっ、照れてる照れてる」 「……すいません」  こういうのは苦手だ。 「いいよ。ペラペラリップサービスするのもクロウ君のキャラじゃないしね」 「クロウ君はクロウ君のまま。ボクの初恋のクロウ君でいてくれれば」 「……」  普段子供っぽいのに、ときどき気配り上手。  めるさんのこういうところは、素直に好きになったポイントだと思う。  ――ぐに。 「んひっ」  自分か、彼女か、両方か。結合部に力が入って接触面がよじれた。  ツンと走る快感に、お互い肩をびくつかせる。 「ん、ふふ、なんか、キちゃったかも」 「同感……です」  ――ぐむ、ぐむむっ。  快感で海綿体への血流が増える。  すると膨れ上がった幹刀がめるさんの内部をあらし、あちらもたまらず体をよじるので、 「あっ、あっ、あっ」 「っ、く」  お互いにスイッチが入ってしまう。  大人しくしよう。という約束だったものの、無理する必要はない。  気持ちよければ気持ちよくなればいいだけだ。  ――ぐにっ、ぐにっ。 「ひんっ、いんっ」  まとわりつくラビアが分かるくらい強烈な一体感を振りきって、雁首を上下させる。 「ひゃうんっ、やぅん、くふ、くふぁん」  めるさんもめるさんで、そんな動きに強烈な反撃を返す。  裂け目全体が盛り上がって、ピンク色の中身を見せながら、ぐいぐいと搾りあげてきた。 「っふ、う」 「あぅん、あは、んっ、あああは、はん、ぁああん」 「クロ……く、んんんんっ、んゅううん、あんっ、ああん、ひゃあう、はゃああああん」  一瞬当惑の色があったものの、すぐに慣れたらしい。聞きなれた官能の甘え声で鳴く彼女。 「ふゅあ、ふぅう、んっ、んっ、あんんっ、ずんずん、くるぅうう」  下からの突き上げに応じるように、小ぶりなお尻を右へ、左へ回転させだした。  ひざの上で暴れる肢体――おっと。  ――むぎゅ。 「あんっ」  支えようとして、つい触れていた乳房を強くつかんでしまう。 「えへ、ふふふ、やっぱりおっぱい好きだね」 「……否定はしません」  掴んじゃったのは事故だが……、  手のひらに来る柔らかな感触。手放すのは惜しい。  むにっ、むにっとリズミカルに揉みしだいた。 「んんふっ、んくぅうん。ぁんもう……、おっぱい、気持ちよくなっちゃう」 「ぁんっ、はんっ、ぁん、んん、ああは、はんっ」  左右へ旋回する腰が、じりじりと上下にうねるような動きも加える。  そのたびにペニスを食い締める粘膜の向きも変わり、こっちも感度が上がっていく。 「はあ、んっ、んぅっ、んっ、ふっ、んんんっ」 「クロウ君、くろー……くんっ、ぅううんっ」  もう本格的に攻め合ったほうがよさそうだ。  沿えていた指を動かして、先ほど薄っぺらい皮から開放したクリトリスをつついた。 「くふぁぅっ、あっ、うううんんんっ」  ――にり、にり、にり……。  優しく揉みこねる。 「あうううん、それ、んぁつ、くふぁはんん、奥、潰れる、やんんきついよぉお」  つるつる滑るばかりだったさっきとちがい、姫核は裏側から押し出されるよう持ち上がっているので刺激はさらに強くなっている。  差し込んだ剛直が裏から押しているのだろう。 「ああんんんんっ、ひゃううう、あううううっ」 「あっくううう、クロウ君、どうしよ、ボク、ボク……もう、こんな、簡単に」 「お好きなときにどうぞ」  こちらは一度出しているが、あちらは先ほど前戯の途中に中断したので感度のぶり返しがすごいらしい。  もうイキかけていて、『同時に』というこだわりが心配になったのだろう。困った顔でこっちを見てくる。 「自分もそのタイミングで……ですので」 「えう、えへへ、よかった……」 「ひゃううう、あううう、きもち、よすぎて。んんんっ、ぼく、ボク……抑えきれなくてええ」  腰のひねりは、もうぐにんぐにんと椅子にした足をこねるような力強い動きになっている。 「へあっ、んんっ、はああああ、あはあああああんっ。はんっ、はんっ、あああ、ひゃあああ」 「クロウ君、クロウ君もうだめ、もうらめええ」  ペニスのでっぱりに打たれる体は自然とリズムを刻み、されるがままになっていく。  ただその愛らしい姿には、やはりめるさんらしい遠慮のこわばりが残っていた。  こちらが出すまでなんとか絶頂をこらえようとしている。  彼女の悪い癖だ。相手のことばかり考えている。 「……」  そんなところが……なのだが。 「めるさん」 「んぅ……?」  耳元に口を近づけた。  こちらも快感でクラクラしている。普段はちょっと言えない言葉だが――、 「……」(ボソ) 「ふぇあ……」  耳元でささやいた。  先ほど催促された言葉を。 「んぁ……あっ、あああっ、は――」  聞いて目を丸くするめるさん……。  同時にまたがる肢体が、ぐぐーっとバレリーナみたく反り返った。 「うぁ……あは、あああ、は」 「あっ、あああっ、も、いま、そんなこと言われたら」 「あっ、あっ、あっ――」 「っ――」 「ああぁああああーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ」  わなわなっと震えあがった体は、ついで電気でも流されたよう痙攣を始める。 「くふぁっ、ふぁあああ、はぁああん、あああん」 「あぁあああーーーーーーーーーーーーーーーっっ」  強烈な絶叫と共に、オルガスムスに悶える彼女。 「っ」  ――どぷん、どぷん。  たぶんタイミングはまったく同じだっただろう。自分もそんな彼女の胎内に放っていた。 「ふぃあは、ふぁはぁああ、あああ、あああ」 「あう……は……」 「はあ……」  カクン。と力の抜けるめるさん。  それを抱きとめ――。 「……」  ――ぼそ。  もう一度、改めて耳元で先ほどの言葉を継げる。 「……」 「えへぇえ……」  意識が飛びかかっているのかめるさんは、半分眠ったような顔で、  それでも幸せそうに聞いていた。 「ねーねークロウ君」 「なんでしょう」 「あのね」 「いなくならないで」 「……はい?」 「だって、ちょっと心配になっちゃって」 「妖精さんの夜の季節も終わりでしょ」  窓の外を見るめるさん。  ダイヤモンドダストが起こる気温はもうないだろう。 「だから心配」 「妖精さんの季節が終わったら、クロウ君もふっといなくなっちゃいそうで」 「……」 「いなくならないで」 「ボク、クロウ君までいなくなったら……、きっと泣いちゃうから」 「めるさん……」 「ずっとボクの側にいてね」 「……」  言われるまでもない。 「以前もお約束した通りです」 「自分はあなたが望む限り、あなたの側にいますよ」 「うん」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「クローさん、なにを作ってるんデス?」 「イチゴをたくさんいただいたので、ジャムにしているところです」 「ワオ、ジャム作り。わたしも大好きデス」 「でもコレ、とろとろ過ぎマセン?」 「混ぜ物なしで作っていますからね」  普通は砂糖や、市販品ならでんぷんなんかも入れて、ゼリーくらいの固さを維持するジャムづくりだが、  今回は100%イチゴのみで作っている。  形のよいものは残すが、悪いものはすりつぶして、とろみ成分はそれだけ。  野菜やフルーツは、火にかけると分かるが想像以上に水分が多い。  寒天や片栗といった凝固成分がないので、イチゴのスープになってしまっていた。  加減が難しいな。水分を飛ばし過ぎると焦げてしまうし。 「砂糖半分くらい入れたほうがいいデス。イチゴだけだと、意外と味薄いデスヨ」 「でしょうね。ただこれは――」 「……ああ」  ちょうど出来たころ11時となる。 「~♪ジャムづくりってニオイが長続きするから好きデス」 「ケーキ屋にしては自然の香りが残っていますね」  鼻に染みついた分も含めて、店中がイチゴの香りたっぷりだ。  開店時間を迎え、お客様が入ってくる。 「今日はちょっとお客さん多いデス?」 「ですね」 「今日はいい天気ですので、みなさん足が外に向いたのかと」 「ああ」  笑顔で接客しながら、窓の外を見るショコラさん。 「今日はあったかそう」 「もー春デスネー」 「ですね」  もうじき3月。  この雪の深い街では、まだあまり実感はないが。  いい季節になってきた。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「…………」 「お、お待たせ」 「はい」 「……」 「……」 「……」 「……ぁの」 「あ、あのさオリちゃん」 「はいっ」 「帰り、ボク、遅いこと多いでしょ」 「は、はい。ですね」 「今度から待たなくていいよ。その、待たせると、悪いし」 「え……でも本当に遅いときはめるさんちゃんと知らせてくれますし」 「そうだけどさ。えっと、10分くらいでも、やっぱ待たせるのは待たせてるわけだし」 「10分ならそんな気にすることは」 「や……でも、ねえ」 「……えと」 「じゃあ、はい」 「……うん」 「……」 「……」 「ただいまー」 「ただいま戻りました」 「おかえりデス」 「おなかすいたー。今日のおやつは」 「あれ。なんかイチゴの匂い」 「1日中残っちゃいマシタネ」 「ですね」  苦笑する。 「ただイチゴのほうはまだ実験中なのでしばしお待ちください」 「あと今日、お客さんイッパイでもうケーキなくなってしまいマシタ」 「だからメルのおやつ、わたしが持ってきたクッキーデス。ドーゾ」 「おおー、いいねえショコラのクッキー好き」 「コーリもドーゾ」 「あ……すいません」 「すぐにおそのさんのところへ行かないと。お茶会はみなさんだけでお願いします」 「っ……」 「あ……」 「今日、用事ありましたか」 「いえ、体温計を持って行ってないのを思い出しまして」  急ぎ気味に用意している氷織さん。 「……」 「あ~……ン」 「ソーデスネ。コーリが向こうに引っ越すまで、あと2週間くらいデス」 「ん……」 「準備、しとかないとデス」 「……」 「……」 「い、行ってきます」  出て行く氷織さん。  昼は暖かかったが、夕暮れ時になり一気に冷えた外気がひやりと室内に流れた。 「……」 「めるさん……」 「もうオリちゃんたら、用事があるなら先に帰ってくれててよかったのに」 「あれで、帰りはボクのこと待ってるんだよ。もう……」 「……」 「……」 「向こうに移ったほうが、絶対オリちゃんのためだよね」  ・・・・・  3月に入り――。 「一番大変な時期になりましたね」 「の、ようですね」  朝。  地面がガッチガチだった。  昼間は雪が解け、夜間にその水分が凍る。  雪解け水で泥はちらばるし、それを処理するにも氷を溶かす労力がいるし。 「毎年この時期、小町はわりと朝の掃除はあきらめます」 「うらやましいです」  こっちは客商売なので、やらなくては。  今日は土曜で休日だった。 「このくらいの時期って、雪がでんでろ溶けてるからちょうど外で遊べなくて嫌なんだよね」 「春先は人気がないのですね」 「春が来さえしてしまえばいいんですけどね」 「わたしはトテモ好きデス。暖かくて」 「……来る途中屋根から落ちてきたしずくが背中に入ってシヌかと思いマシタケド」 「しずく程度ならまだいいよ。ぼたぼたーって来るときもあるんだから」 「ワオ」 「ともあれ、暖かくなるのはよいことかと」 「春は良い季節です」 「ですね」 「うん」 「……」 「出会いと別れの季節、デスし」 「ん……」 「……」 「コーリ……ね」 「……」 「はい」 「……」 「……」 「ま、まあそれに、雪がなくなれば外でも遊びやすくなるしね」 「はい」 「そう考えると、インドア派には関係ないかもですね」 「部屋にいます」 「はい」  集まっていたのがバラけることに。 「クローさん、このあと?」 「はい。新作の研究を続けようかと」 「手伝いマス」 「ありがとうございます。めるさんは本日、どうなさいます?」 「んー、友達誘っても捕まりそうにないしなあ」  春休みの直前ということもあって、大きく遊ぶのは自重の時期らしい。 「……」 「ちょっと、オリちゃんと話してくる」 「……はい」 「オリちゃーん」 「はい」 「なにしてるの……なにそれ」 「コーヒーのプレス機です。欲しかったのがやっと手に入りまして」 「プレス機……ああ、ドリップとはちがってコーヒーオイルがたっぷり出るからどうのってあれ?」 「はい。これまでとは違う淹れ方ができそうで……」 「っ。ま、まあこれはいいじゃないですか」 「?う、うん」 「それで、何の用でした?」 「え、と。別に用ってわけじゃ」 「……?オリちゃん、これなに?」 「はい?」 「旅行カバンみたいな……」 「っ、それだめっ」  ――がばっ! 「ふぇっ?」 「あ……」 「す、すいません。なんでもないんです」 「……」 「そっか。引っ越しの準備とか、休みのうちにやらないとだよね」 「う……」 「……」 「ごめん邪魔して」 「なにか手伝おうか?」 「いえ、別に、準備するわけじゃないですから」 「そう」 「じゃあ……なにかあれば言って」 「はい……」 「……はあ」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「よし……!」  完成だ。  新作のミルクレープ。ようやく満足できるものが出来た。  御仁の許可さえいただければ、いつでも店に出せる自負がある。  さっそく御仁にお見せしたいな。さすがに今日はもう遅いが……。 「……」  予約を入れておくか。  病院へ電話した。 「……」 「……」 「あいもしもし」 「ああ先生ですか。実は――」 「はい。御仁のことで」 「はい……」 「……はい?」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  その日は――。  まさに春の訪れに相応しい、麗らかな陽気とともに訪れた。 「おはようございますクロウさん」 「おはようございます」 「いよいよ今日……ですね」 「はい」 「うまく行くといいですね」 「……」 「はい」 「めるさーん、学校行きますよ」 「はーい」 「春休みまであとちょっとだねー」 「ですね」 「ではクロウさん、行ってきます」 「いってきまぁす」 「行ってらっしゃい」  今日も出かけていく2人。  一瞬、氷織さんがこちらに合図したのが分かる。  分かっています。  今日もあくまでいつもの1日だ。  ケーキを用意し、店を掃除して、 「コンニチハ」 「いらっしゃいませ」  手伝いにも入ってもらい、店を開ける。  午前11時から午後6時までの営業時間はいつもと変わらない。  大切なのはそのあと。 「ただいまー」 「ただいまです」 「おかえりなさい」 「今日は――あれ。今日もほとんど売り切れてる」 「最近、売り上げがさらによくなってますね」 「暖かくなって客足が伸びているので、ショコラさんの接客もあるとだいたい売り切れますね」 「クローさんのケーキが美味しいからデスよ」 「恐縮です」  さて……では。 「店のほうはお願いします。自分はちょっと用があるので」 「はい」  この時間だが、ケーキをもう1つ作ることに。  昼から火をかけておいたイチゴのジャムもちょうどよく水気が飛んだころだった。 「さて……と」 「……」 「? なにショコラ」 「イエ」 「えっと、メル、ちょっと私と出かけマセンか」 「ふぇ? でもお店が」 「私がいるから大丈夫ですよ」 「もう1年です。1人で店番くらいできます」 「ん……そう」 「じゃあ行こっかショコラ」 「ハイ」  ・・・・・ 「行きましたか」 「はい」 「では、はじめましょう」 「……はい」  氷織さんの部屋へ。  置いておいた、大きな旅行バッグを取り出した。 「……」 「いよいよですね」 「はい……」 「楽しい1年でしたけど」 「……」 「~♪」 「ショコラ、どこ行くの?」 「ま、まーまー、何も言わずに」 「?」 「おいっす、来たよ」 「どうも」 (もーちょっとデスかね) 「もー、なんなのショコラ。どこ行くのってば」 「も、もうちょっとデスから」 「?」 「なんか怪しい」 「ぎく」 「ぎくって言った。やっぱりなにか隠してるんだ」 「なに?付き合うのはいいけど、なにかくらい教えてよ」 「あう……えと、デスね」 「うちから遠ざけてるみたいだけど、うちに何かあるの?」 「……」 「……」 「オリちゃんのこと?」 「っ」 「オリちゃんがどうしたの」 「言ってよショコラ」 「……あの」 「ショコラ」 「……」 「実は……デスネ」 「ほら氷織、早くしな」 「はい」 「……めるさん」 「1年間ありがとうございました」 「今日……もう出て行く?」 「……ハイ」 「でもその場にメルがいると……だから、しばらく時間を稼いでって」 「そんな……」 「な、なんでそんな急に。そりゃ一ヶ月後とは聞いてたけど、まだそんな全然」 「春休み、ゆっくりできるようになってからって思ってたのに」 「えと、今日じゃなきゃダメとかで」 「え?」 「い、いえ」 「……」 「っ」 「あっ、ま、待って」 「待っテくださいメル。まだちょっと早いデス」 「だって、早く行かなきゃオリちゃんいっちゃうじゃない」 「だ、だからぁ」 「お別れだから会いたくないなんてイヤだよ」 「そんなお別れイヤだよ!」 「あうう」 「はぁっ、はぁっ、はぁっ」 「メルーっ。あうう、足速いデス」 「オリちゃん……、オリちゃん――」  ――バンッッ! 「オリちゃん!」  ・・・・・ 「……」 「へ?」 「え」 「……」 「……めるさん」 「およ? もう帰ってきたんかい」 「ちょっと早いわ~」 「だってもう、メル、足が速いんです。はふうう」 「足止め役をショコラに任せたのは失敗だったかな」 「あうう」 「まあまあ」 「あと10分ほど稼いで欲しかったですが……。仕方ありません」 「……」 「なに、これ」 「あの」 「お、お別れ会?」 「いえそうじゃなくてですね」 「私が来て一周年記念……だそうです。ほら、去年のちょうど今日に」 「あ……」 「氷織さんのお誕生日用だったサプライズ道具が結局使わなかったので、今日に有効利用させていただきました」 「ついでに、今度はめるさんにサプライズを、と」 「氷織さんのアイデアです」 「……」 「ふふふ、ちょっと最後のタイミングが外れたけど、びっくりさせるのには成功ね」  計画の始まりはあの日、  サプライズパーティが不発に終わった、氷織さんの誕生日。 「やはり、移るのですか?」 「……」 「そうすべきだとは思います」 「……」 「あの」 「はい?」 「私は――移るべきだと思うんですけど」 「1つ聞いてもいいですか」 「ん……」 「……」 「なんでしょう?」 「……」 「クロウさんとめるさんって、恋人なんですよね」 「は、はい」 「だから、めるさんはクロウさんがいればもう大丈夫なわけで」 「……」 「逆に私がいると、やっぱり2人には邪魔になるというか、その」 「は?」 「いえ移るべきだとは思います。おそのさんもそう言ってくれてます。せっかくカップルになったんだから、2人きりにって」 「え……」 「でもあの、やっぱり私がいないとめるさんのことだから歯止めが効かなくなりそうだし。いたほうがいいと思うのです」 「だからここに残る――というのが、いいと思います」 「その、クロウさんたちには邪魔かもしれないですけど」 「……」  あ。  そこでようやく気が付いた。  いまこの店は、自分と、めるさん、氷織さんの3人住まい。  自分とめるさんが『そういうこと』になったら、氷織さんはかなり肩身が狭いのでは。 「す、すいません失念していました」 「氷織さんが邪魔だなんて、ありえません。自分はもちろん、めるさんも氷織さんにはぜひここにいて欲しいと思います」 「ただ氷織さんはその、裾野さんの赤ちゃんをずいぶんと気にかけてらっしゃいますので」 「それは……可愛いので気になりますけど」 「気になるというならめるさんも同じですし」  ……赤ん坊と同列? 「じゃあ私、ここにいてもいいんですか?」 「もちろんです」 「氷織さんのお気持ちひとつですよ」 「……あは」  ようやく相好を崩す彼女。  いつも大人びているのに、笑うと子供っぽいのが氷織さんらしい。  分かりやすいくらい子供っぽいのが。 「めるさんのことをいつもお気にかけてらっしゃるんですね」 「もちろんですよ」 「私がいないとダメなんだから……まったく」 「だいたい聞いてくださいクロウさん。私が言いだせなかったのだってめるさんのせいなんですよ。めるさん最近クロウさんとのおのろけばっかりなんだから」 「それで勝手にショックを受けてパーティ中止しちゃうとは何ごとですかまったくもう。だいたいめるさんは――」  ――おっと。  このあと氷織さんの、にんまり顔をとろかした文句は数10分続くわけだが、ここは割愛しよう。彼女の名誉のために。  ともあれ一連の話で決まったのは、 「1か月後にサプライズパーティ?」 「はい。氷織さんがぜひにと」 「ちょうど1ヶ月後、彼女がここにきて一周年なのだそうで」 「昨夜やるはずだったサプライズ用の道具も残っていますし。めるさんにサプライズ返しをしたいのだとか」 「なるほど」 「というか、なぜ昨夜は小町たちを誘ってくれなかったんです?」 「イエス。誕生日なんて初めて聞きマシタ」 「すいません、サプライズにばかり頭がいっていて」  出演者を考えていなかった。 「まったくもう」 「昨日のが不発に終わったのは感謝すべきね。1ヶ月後、改めて参加させてもらいます」 「お手伝いしマス」 「ありがとうございます」 「ハイ」 「それじゃあ1か月後に――」 「ただいま」 「あら、おかえりめるちゃん」 「小町ちゃんにショコラ、2人とも来てたんだ」 「1か月後に、なに?」 「え……あ、と」 「えと……」 「……」 「いま聞いたの」 「オリちゃん、1か月後に引っ越すんですって?」 「っ」 「それで私の引っ越し話まで引き継ぎになったんですか」 「ふふふ、なんかノリで」 「え、え、ちょっと待って、じゃあ」 「オリちゃん……引っ越すんじゃ」 「なんだ。まだ言ってなかったのかい」 「ひと月も前にフラれてるよあたしゃ」 「……」 「私は言ったほうがいいと思ったんですが」 「話しちゃうと、連鎖的にこのパーティの計画も話さなきゃいけないでしょう?なら一ヶ月くらいいいかなって」  一ヶ月というのはわりとエグい期間な気がするのだが、小町さん的にはいいらしい。  まあ隣のお姉さんの特権だろう。 「わたしも協力しマシタ。大変デシタ」 「ショコラさんは逆にその設定を推し過ぎですよ……。どこで気づかれるかハラハラしました」  確かに、『春は別れの季節』とかやたら引っ越し話にこだわるから、逆に怪しまれるんじゃないかと内心ひやひやものだった。 「私もコーヒーのプレス機を見られたときはしくじったと思いドキドキしましたけど」 「え、なんで?」 「ですから、おそのさんのうちに引っ越す予定なら、コーヒーの道具など仕入れないでしょう。おそのさん授乳期にはカフェインは取れませんから」 「さすがにそれは心配しすぎだと思いますが」  なんだかんだで氷織さんの完璧主義者っぷりが一番の迷彩になったのは間違いないと思う。  おかげでめるさんはまったく気づかなかったようで。 「つまり……え?」 「オリちゃん、これからもここで暮らすの?」 「はい」 「めるさんがよければ」 「やったぁ!」 「わわわっ」  サプライズ返しは大成功なようだった。 「さて。パーティの準備を仕上げましょうか」 「オー!」 「テーブル運ぶぞ。そっち持ってくれ」 「オリちゃんオリちゃんオリちゃーん」(すりすりすり) 「あ、あの、助けて」 「ふふふ、一ヶ月だましてた形だし、甘んじて受けてあげなさいな」 「そうしたのは小町さんですのにいいい」 「……」 「あの無愛想がたった1年でずいぶん表情豊かになったんだ。わざわざ引き裂くほど無粋じゃないよ」 「自分が来る前の時点で、氷織さんにはずいぶんな変化があったんですね」 「そうさねえ。この子は結構甘えんぼだからね」 「クロウ君もたんまり甘やかしてあげれば、すーぐ堕ちると思うよ」 「お、おそのさん」  真っ赤になる氷織さん。 「甘やかす……ですか」 「お、堕ちませんよそんなことされても」  別に堕ちる堕ちないはいいのだが。 「甘やかすかあ。ボクもそれ路線で攻めよっかな」 「めるさんは……向いてないんじゃないかと」 「そうさね。める子には無理だね」 「うぐ」 「でもでも、ボクだって」  食い下がるめるさん。  だが氷織さんは相手をせず、しれっとした様子で、 「めるさんに甘やかす才能なんてないですよ」 「めるさんはめるさんだからいいんです」 「ふぇ?」 「……!」 「おやおや」 「おやおやぁ」 「……」 「オリちゃんオリちゃん、いまなんていった?」 「コホン、な、なんでもないです」 「もっかい言ってよ」 「なんでもないです!」 「……」  さて。  自分たちは準備の続きに行くか――。 「ゴホン。コホン」  あ。 「めるさん、実は今日は、めるさんにプレゼントがあるのです」 「プレゼント? ボクのお祝いじゃないのに」 「はい。メインがサプライズだけでは寂しいかと思い、用意させていただきました」 「なんと――」 「じゃーん! プレゼントは、わっしでーす!」 「じいちゃん」 「やっと退院できたんじゃよ~。長いこと寂しかったろうめるちゃ~ん」 「わあ、そっか退院できたんだ、おめでとーじいちゃん」 「というわけでオリちゃーん」(すりすりすり) 「あああああ」 「……」 「孫がしょっぱい」 「ほぉら、サプライズ対決は小町の勝ちです」 「難しいですね」  ・・・・・ 「さて、ではめるさんも落ち着いたところで」 「オリちゃんがこの店に来て一周年。&誕生日+一ヶ月パーティ、開催しまーす」 「かんぱーい」 「「「かんぱーい」」」  すっかり明るくなっためるさんを中心にパーティを開始する。  といっても、集まって適当に食べ物をつつく程度だが。 「今日の夕飯ですが――」 「なんと氷織が作ったんだよ」 「ほんと!?」 「自分から立候補してね。がんばってたわ」 「なになに? なに作ったの?」 「ポトフです」 「おお!」 「でも失敗しました」 「なので自分がリゾットにしました。どうぞ」 「結局かい」 「うん、でもすっごい美味しいよオリちゃん、クロウ君」 「……~」  初めての料理。半分成功といったところで、ガッツポーズする氷織さん。  さて、それで、 「食後なのですが――」 「みなさんに集まっていただく機会ということで、ちょうど今日は試していただきたいものがあります」 「おっ、噂の新作だね」 「えへへへー。わたしもお手伝いしマシタ」 「噂のミルクレープか」 「評判がよければ商品化も考えています」 「いまわし涙で口がしょっぱいから判定は厳しいぞ」 「はい」 「ミルクレープです。よろしくお願いします」 「わあ、美味しそう」 「といっても何度かいただいてますけど――。なにかちがいが?」 「このかかってるのは、ベリーソースかい?」 「はい、イチゴのジャム。どうもまとまらないので、最後はソースにしました」 「ミルクレープのベリーソース添え……」 「発想としては悪くないの」 「はい。なんでもこういう商品もいくつかあるそうで」  アイデア自体は後追いになってしまったが、  味の加減は間違いなく自分がしたものだ。オリジナルを主張する気はないが、新商品を名乗るくらいは胸を張ってできる。 「いただきまーす」 「ドゾドゾ。コーリもどうぞ、あんまり甘くないデスよ」 「じゃあ……ちょっとだけ」  みなさん揃ってフォークを通した。 「はむ」 「あむ」 「うん……」 「およ」 「ほう」 「これは……かなりすっぱいな、このソース」 「はい」  自作のイチゴのソース。  ムラサキさんには一番酸っぱい種類をいただいたうえ、砂糖などは一切添加しなかった。  あまり味が強くならないよう薄めたり、小麦粉でとろみはつけているが、それだけだ。  単体ではかなり酸っぱい。 「でもそれでミルクレープのほうがすごく引き立ちます」 「ミルクレープがちと甘すぎだから、食後のデザートなんかにゃちょうどいいねこいつは」 「このソース、もしかして」 「これのためだけに作ってマス。スゴイデショ」 「うちみたいなホテルじゃやりにくい発想だな。原価がかなりあがってしまうんじゃないか」 「懇意の八百屋さんが、仕入れやすいとかでかなり勉強してくださいました」 「あそこには50年前からいっぱい発注かけとるからの」 「ふふ」  充分商品として通じる味と価格になっていると思う。 「甘さがマスクされててすごく食べやすいです」 「食べ過ぎちゃいそうで怖いけど、美味しい」 「よかった」  一番注目していた氷織さんの反応も上々。 「すっごい美味しいよクロウ君」 「ありがとうございます」  こちらはもちろんだ。 「いかがでしょう。商品にして構いませんか」 「ふむ。ま、この出来ならケチつける必要はあるまい」  やった。 「やったぁ♪」  とんとん拍子に最高の評価がいただけた。 「本当。前にいただいた時より美味しいわ」 「ソースのアクセントが予想以上に強いな。これ、うちでも真似したいかもしれない」 「これはどこからの発想なんだ?」 「ん……どこ、ということもありませんが」  甘いものと酸っぱいもの。 『合わない』ことが『合う』。  不思議なことに――、  ケーキにはよくある話だ。  ケーキ以外にも。  ・・・・・ 「……」 「ん……もしもし?」 「ああ華さん。なにか御用だったかしら」 「え? 例の彼?」 「……」 「知らないわね」 「……」 「…………」 「オリちゃんお待たせー」 「もう。遅いです」 「ごめんごめん」 「あんまり待つようなら先に帰ってくれていいのに」 「べつに、それでもいいですけど」 「……」 「でもボクと帰りたい、と」 「行きますよ」 「もう4月なのにまだ雪残ってるねえ」 「5月まで残りそうですね。この街には珍しくないそうですけど」 「3年生になったのに、なーんにも変わらない」 「変わりますよ。勉強してください。あと暖かくなってまた朝寝坊が増えてますよ。それから――」 「あう。オリちゃんのお説教は2年生になって増えてる気がする」 「妹に続いて後輩が出来たからかちょっと口うるさくなっている気がします」 「あ、そうだ。このあとおそのさんのところに寄りますので」 「はーい。帰り遅くならないように」 「あ、向こうに泊まる?」 「なるべく戻ります。けど……また赤ちゃんが抱っこしてる最中に寝ちゃったらそのまま泊まるかもです」 「ん、了解」 「ただいまー」 「おかえりなさい」 「お腹空いたー」 「いまお茶を淹れますね」 「あ、いいよいいよ」 「ボクが淹れるから、クロウ君は座ってて」 「はい」 「めるちゃんわしは?」 「おじいちゃんは店番でしょ。今日も寝坊してクロウ君にケーキ任せたんだから」 「うう、入院してからってもの身体より心がなまってしまったわい」 「まあまあ」  遠慮なくお茶させてもらおう。めるさんのところへ。 「……」 「ふふ」 「なんですか?」 「ううん、ほら、この前のサプライズを思い出して」 「……ああ」  あれからもう1ヶ月か。もう懐かしいくらいだが……。 「ふふふ」  いまでも楽しそうにめるさんは笑っていた。 「あのサプライズの、オリちゃんがいなくなるかもって部分」 「あれの主犯、オリちゃんでも小町ちゃんでもなくクロウ君だよね」 「う……」  主犯……というわけでは。  あえて教えなかったのは確かだが。 「ふふっ」 「しばらくの間でもボクのこと独り占めしたかった?」 「ノーコメントです」  ん……。 「う……」  目が覚める。  ここは……?  いつもの均整がとれているのに開放的な部屋でなく、片付いてはいるが、どこか可愛らしい内装に一瞬戸惑った。  すぐに氷織さんの部屋だと思いだす。  そうか。昨夜はこっちで寝たんだった。  自分が氷織さんの部屋で寝る理由は一つ。 「すぴー……」 「すー……」 「でーす……」  ショコラさんが泊まっていく日だけだ。  この3週間でもう何度かあったな。  それだけあの3人は仲が良い。  いいことだ。  さて。もう朝だし自分はいつも通り……。 「……」 「あ」  そうだ。忘れていた。  今日は土曜。定休日だ。  窯に火を入れたあとで気づいた。まいったな。  まあいい。どうせ今日もケーキを焼く予定ではある。  フォルクロールが知名度を取り戻して半月強。だんだんと店頭での販売数も、予約注文も増えて来たが、  そうして忙しくなるにつれて、自分の未熟さを思い知った。  その味について、ラフィ・ヌーンを始め様々な方面から好評を受けているフォルクロールだが。  そのパティシエを務めためるさんのおじい様の、本当のすごさは、味よりむしろそのバリエーションにあるのではと思える。  以前までのフォルクロールを知るお客様からの注文品が、とにかく多種多様なのだ。  注文自体はショートケーキやモンブランなどシンプルなもの。  だが味はどのくらい、スポンジの硬さは。クリームの量は。それら個別の、ちょっとした注文まで聞くのが常態化していたらしい。  簡単に出来そうで、すさまじいサービスである。料理人としてよっぽど勘がよくなければ注文を聞いたことで味を落としかねない。  チョコレートで名前を書いてほしい。洋ナシを使ってほしい。クリームで薔薇を作ってほしい。こうしたサービスは当然のこと。  そのいずれも、以前までのフォルクロールでは引き受けていたと言う。  そのことを御仁に聞いたところ、 「そりゃ町の洋菓子屋さんじゃもん。それくらいやるよ」  おそろしい一言であった。  めるさんから『御仁のそれに近い』とお褒めいただいた自分のケーキの腕は、あくまで御仁のお力のごく一部に肉薄するにすぎない。  となると、我ながら意外と負けず嫌いなようで。入った注文にはどれも完璧に応えたくなる。  張り合っているのだろうか?  かもしれない。  まあとにかく、これまでは入った注文にはなんとか応じて来られた。  これからも失態を見せぬよう、尽力せねばならない。  今日はそのための修練にあてようと思う。  まずはクリームの口金の使い方からだな。これまで丸口ばかり使ってきた。平や波にも手を出してみよう。  ――シャッシャッシャッシャッ。  そのためのクリームを作っていると、 「おあよーごじゃいマース……」  眠たげに眼をこすりながら、ショコラさんが一足先に下りてきた。 「くぁああう」 「おはようございます」 「……」 「ふにゃー」 「朝が弱いようで」  めるさんも朝は粘る方だが、こちらはさらに低血圧らしい。  でも今日は妙にすっぱり布団を出てきて、 「クローさん、ケーキの練習、デスよネ」 「はい」 「お手伝いしマス。したいデス」 「ふぁああ」  まだ寝ぼけている。  手伝ってくれるというなら甘えよう。クリームを泡立てながら待つ。  ショコラさんは5分ほどむにゃむにゃしたあと、顔を洗って。 「サッパリデス」  やっと目が覚めた。 「さっ、手伝うデスヨ、まずは何から?」 「では、スポンジ部を焼きますので」 「ビスキュイデスネ。OK」  ぱぱっと手慣れた様子で卵や小麦、砂糖、バターなんかを用意していくショコラさん。  ……ふむ。 「このお店は、ミキサーアリマス?」 「ありますが、手動式です」  手でハンドルを回すと攪拌機が回るやつだ。 「……大変デスネ」 「でもコレも楽しいデス。とりゃー!」  ボウルに移した材料を、最初丁寧に、だんだん勢いをつけてかきまぜていく。  自分は型金を用意して、 「出来てきマシタ」 「お水、どれくらいデス?」  充分にかきまぜたら、今度は全体をならしながら言う。 「そこの器に半分ほどです」 「OK。あ、バター溶かしておいてくだサイ」 「はい」  バター少々を湯煎にかけて、追い小麦と共に混ぜ合わせ。 「じゃ、焼きまショー」  型に流し込んで、窯へ。  ……ふむ。 「ちゃんと焼けますかネ。楽しみデス」 「ですね」  楽しそうに窯を眺めているショコラさん。  やはり……そうらしい。 「ケーキ作り、慣れてらっしゃるのですね」 「ハイ?」 「かなり作っておられるようで」  自分が手順を一切言ってないのに知っていた点はもちろん、  手動の撹拌機を使う手つきから、混ぜるタイミング。バターなんかは目分量で使っていた。  3週間こればかりこなしてきた自分よりも慣れを感じた。 「あ~……はは」 「将来の夢がお菓子屋さんなのは……、前に言いマシタよね」 「はい。天職かと」  必要だからやっている感じのめるさんとちがって、こちらはお菓子作りそのものを楽しんでいる。  将来の夢。というなら、分かりやすい。 「それでジュペール・ヤマダ氏に弟子入りしたので?」  件のあの壮年紳士、ヤマダ氏を、『先生』と呼んでいたのを思い出す。 「あん……ちょとちがいマス」 「先生は私の育ったホテルの料理長で、とても上手だからよく作ってるトコロを見せてもらいマシタ」 「でもわたしが弟子入りだなんて。わたしが個人的にセンセーと呼んでただけデス」 「先生がやってる定時制のおリョーリ学校に通ってるので、その意味でも先生デスし」 「ただ弟子、というのはちがいマスネ。迷惑になりマス」 「迷惑……とは?」 「夢……なりたいものはお菓子屋さんデスケド」 「パパに言うと、明日にでもそうなってしまうカラ」 「……ああ」  親から、悪い意味で溺愛されているらしい。  たくさんのホテルを経営している親だけに。子供が望めば明日にでもどこかのホテルに彼女の名前を刻んでしまえるのだろう。  そんな弟子が就くのは、正直厳しいだろうな。よっぽど権威のある身でも。 「……」 「あっ、も、もちろんクローさんには迷惑かけマセン。ここにいることもパパには内緒デス」 「その……クローさんのケーキ、教えて欲しい。というのはありマスケド」 「迷惑だなんて」 「ですが教えるとか、師弟という表現はそぐいませんね。自分も人に教えられるような経歴ではないので」 「クローさんのケーキはすごいデスヨ」 「いえいえ」 「ケーキ作りを一緒にする友人。といったところで如何でしょう」 「ん……」 「ハイ。おトモダチデスね」  嬉しそうに笑うショコラさん。  そうそう。 「むしろこちらこそ、ショコラさんに教えていただきたいことがあるのですが」 「ハイ?」 「以前いただいたあのハチミツ入りのコーヒー。あれの淹れ方を教えていただけませんか」 「えと、コーリが酔っぱらったアレデスカ?」 「はい」  あの一件でうちでは禁句になっているが、  あのコーヒー、再現しようとすると意外と難しい。  ハチミツはかなり粘度があって混ざりにくいので、ただ入れただけでは底に沈殿してしまう。といってかき混ぜればコーヒーの香味が飛ぶし……。 「簡単デスよ。あれはデスネ、ドリップのときにあらかじめ……」 「……なるほど」 「あ、そろそろ焼けマセンカ?」 「ですね。出します」 「いいニオイデース」  めるさんや氷織さんもよく手伝ってくれるが、  ショコラさんとの共同作業は、新しい発見があってまた別の意味で楽しかった。  ・・・・・ 「どーなってるの」 「まだ朝の8時ですけど」 「すいません。調子に乗って作りすぎてしまって」 「今日のBreakfastは、アーモンドビスキュイの三段重ねオレンジソースがけになりマース」 「あとサラダです」 「もう1回言う。どーなってるの」 「ちょっと多すぎます」 「作りすぎてしまって」 「いやケーキはこの際いいんだけど。なんでそれにサラダを合わせるの」 「これはムラサキさんのご厚意です」  ジリリリリリリリリリン。 「もしもし、フォルクロールです」 「残したらしょうちしないよ」 「あううう」 「氷織さんの分はこちらのバゲットになります」 「よかった、甘くないのもあった」 「コーリはケーキ食べないのデスカ?」 「わたしは二度と甘いものを食べないと誓いました」 「あれから一口も食べようとしないんだよ。前までは一口二口は食べてたのに」 「多少は大丈夫、自分で抑えられると思っていましたが、やはり原因は100%断ったほうが良いと判断しました」 「mn、おいしーデスのに」 「美味しいのは知ってます。そう言う問題ではないんです」 「可愛いのにねえ酔っぱらったオリちゃん」 「ねえクロウ君」 「ですね」 「ほあが」 「……オゥ」 「甘えたがりな子猫のようで、愛らしかったです」 「ねー」 「や、やめてください」 「……」  朝食が終わると厨房へ。 「さっきの続きデスカ?」 「はい」  せっかくのお休み。今日の内にすこしでも腕を伸ばしたい。 「ベンキョーネッシン」 「ただの好奇心です」  適当にビスキュイを用意して、クリームで柄を描いたり、薄くナッペしたチョコレートをフリルにしたり。 「……」 「クローさんのケーキが美味しい理由が分かりマス」 「はい?」 「ふふ」 「器用とか、ソユコトじゃないデスネ。ソーユーのも大事なことデスけど」 「パティシエとして、お菓子屋さんとしてもっともっと美味しいものを作りたい。ミナサンにお届けしたい」 「そういう気持ちデスネ」 「よく分かりませんが――」 「そうですね。もっと良いパティシエになりたい。そういう欲は出てきているかもしれません」 「……」 「やっぱり記憶を失う前もパティシエだったのデハ?」 「うーん、そんな気はしないのですが」  お菓子道具に手指が慣れているとか、そういう感覚はない。  自分は結局何者だったのだろう。  ひと月がたち、この店の空気に慣れ過ぎたせいか、もう元の自分に対する興味すら薄れてきている。  というか――。  記憶を失う以前、自分なんてものが存在したのかすら。 「まあ以前の自分が何者であったかは関係ありません」 「いまの自分は、いま必要とされる自分で有り続ける。それが最も重要なことだと思っています」 「デスネ」 「……」 「くすっ」 「っと、コホン。聞き耳ははしたないですよめるさん」 「はいはい」 「クロウくーん、ボクとオリちゃん、ちょっとおそのさんのとこ行ってくるから」 「はい。自分も出るかもしれないので、鍵は持っていてください」 「んっ」 「ショコラさんはどうします?」 「えと」 「ショコラはクロウ君のを見てたいんでしょ。分かってる」 「は、ハイ」 「じゃね」  ばいばいと手を振って出て行く2人。 「……」 「ショコラさん? 顔が赤いような」 「イ、イエソンナコトハ」 「?」  しゃべり方もいつもとはちがう方向に固くなったような。  まあいいか。続き続き。 「あ、ショコラさん離れていてください」 「What?」 「フランベをします」  ――ボッ! 「WAO!」  鍋が青白く火をふいた。  ブランデーのアルコールを飛ばす。 「あ、ブランデーの香りつけデスネ。それ好きデス」 「量の調整が難しいので、普段は出来ませんがね」 「……前から思っていたのですがこの店、異常にブランデーのストックが多いような」 「……呑んでたんでショーね」  同感。 「それはともかく、完成です」  ややとろみのついた、アルコールを抑えたブランデー。  これをどう使うか。スポンジに混ぜるか、ソースにするか……。 「ふーむ」 「……」(ぺろ) 「ふいっ!」  イタズラ気味に、ブランデーの残りを舐めたショコラさんが予想以上に舌がビリついたのだろう、びっくりしている。 「ショコラさん、アルコールは勧められません」 「す、スイマセン、味が気になって」 「ブランデー、香りはいいけど、味は全然デス」 「4割がアルコール、残りもほとんど水ですからね」 「……」 「あうあ、でもちょっと酔っぱらうかも」 「ひと舐めではさすがに……あ、いえ」  さっきからアルコールを飛ばした空間にいるので、厨房内はアルコールの匂いが充満していた。  あまり吸うと酔ってしまうやもしれない。換気扇を回す。 「大丈夫ですか。外に出ていらしては」 「イエイエ、ちょっとふわっとしただけデス。どっちかというと寝不足デ」 「ああ」  ショコラさん、昨夜は遅かったのに今朝は早かったからな。朝食を終えたら眠気が来たのだろう。  ちょっとむにゃむにゃしながら。 「……」 「ねークローさん」 「はい?」 「昨夜のコーリ、可愛かったデスよネ」 「は……はい」  本人のいないところでこういう話をするのもなんだが、  酔っぱらってしまった氷織さんは可愛かった。子猫みたいで。 「……」 「にゃ、にゃーん」 「はい?」 「なんでもないデス」  真っ赤になって俯くショコラさん。  ??? 「はあぁ……」 「わたし、酔ってるみたい。ちょっと出てマス」 「ああ、はい」  厨房にいるのが辛くなったのか、出て行くショコラさん。  ふむ……。 「……」 (ナニしてるんデス私は) (でも……なんだか) (昨夜のクローさんとコーリを思い出すと……、なんだか……) 「ショコラさん」 「はいっ!?」  パチリと厨房の明かりを消して出てくる。 「ど、ドシマシタ、もう新しいケーキ出来たのデ?」 「いえ。ただブランデーを活かすのもやや行き詰まりを感じまして」 「新しい食材を探すのに、いまから商店街へ行こうと思います」 「お付き合いいただけますでしょうか」 「あ……」  外は晴天。  真冬でいくらか寒さはあるが、その分空気が澄んで心地良い。  アルコールのくすみを飛ばすにはちょうどいいだろう。 「あはっ、ほらほらクローさん、早く早くっ」 「はいはい」  浮かれた様子のショコラさんと、街を流すことに。  付き合ってもらっておいて、元気のないショコラさんは見たくないからな。 「~♪」  街を流すだけなのに、思った以上に浮かれているのが気になるが。  ともあれ、まずは商店街へ。 「実はこのあたりのことよく知らナイデス」 「こんなに寒いのに外で売ってるデスね」 「活気があるのでしょう」  地面が完全に踏み固められた雪で覆われ、どこからどこまでが沿道なのか分からない。  それを活かして、我先にと飛び出した感じの露店が並んでいた。  といって隣店に迷惑をかけるような配列はしない。ルールはあくまで守っている。  不思議な調和であふれた市場だった。 「わあ、これ美味しそう」 「あいあい、今日はデニッシュ作りすぎちゃったからお安くしとくよ、食べてくかい嬢ちゃん」 「んー、ソーデスネー」  ずらりと並んだ色とりどりのデニッシュに目を輝かせるショコラさん。  いちご、ハチミツ、マロン、シナモン。あずき、メープル、ピザやソーセージ付きなど、味のバリエーションも豊かだ。 「……」 「じゃあコッチ。このクロワッサン、1パックお願いシマス」 「おや。お、おうよ毎度あり」  勧めたデニッシュから狙いを外され、店主がわずかに苦笑した。  7つ入りのクロワッサン。確かに美味しそうだが――。 「お好きなので?」  店から離れたところで聞いてみる。 「mn、ソーユーわけでは」 「ただこのあと、お昼にお店に戻ったらみんなでティータイムにしたいデス。ならコーリは甘くないのがいいかナって」 「……ああ」  シンプルで、かつショコラさんらしい理由だった。 「あらら、まぁた新しい子ひっかけてんのかい色男」 「あ、どうも」  珍しい人が声をかけてきた。 「あ……えと」 「どーも。ショコラ……だっけ? この前ちっと顔合わせたよね」 「は、はい。ドモデス」  年末にちらっと会っているので、紹介の必要はなさそうだ。 「んー前はあいさつできなかったけど」 「この子も可愛いじゃないのさ」(ぐしぐし) 「あうあう」  力強くわしわし頭を撫でられる。  その後はいくつか話して、そのまま帰って言った。 「……」 「驚かれましたか」  裾野さんの強烈なキャラクターに、ちょっとぽーっとしているショコラさん。 「えと、ハイ、ちょっとだけ」 「それに……」  彼女はまだぼんやりしたまま、 「ママ……って、あんな感じかな、って」 「ん……」 「あ、イエ」 「……」  失言だった。とばかり口を閉ざしてしまう。  なら聞けないが、  いまのは……つまり。 「あっ、ついでに公園行きましょう。公園」 「はい」  幸い空気が暗むことはなく、ショコラさんはまた先に歩きだす。 「~♪意外と広いデスネーこの公園」 「自分も見たことはないのですが、夏場は芝生で駆けまわれるため小さなキャンプも出来るそうです」 「へえー」  ぐーっと大きく伸びをするショコラさん。  金色の髪が風に絡まれ、陽光を眩くはじいた。  ハチミツみたいで美味しそう……なんて思う自分は変だろうか。  ついジッと見つめてしまい、 「っ」 (いそいそ)  視線に気づいたショコラさんは、慌てて乱れた髪を直した。 「広い――のはイーけど、今日は誰もいまセンネ」 「街のはずれですからね。この時期はやはり」  外に出るだけでも雪と格闘になる街だ。わざわざ雪の多い公園に来る人間は少ない。 「んー……」  来たはいいが手持無沙汰になってしまい、ちょっと困った顔のショコラさん。 「す、座りまショーカ」 「は……ですが」 「イーカラ、ゆっくりしまショウ。えっとぉ、ベンチは……」 「ベンチは?」 「目の前にある雪のかたまりがそうです」 「オゥ……」  座るには適さないレベルで雪に降られている。  とりあえず雪は落としてみるが、べとべとで座るだけで風邪を引きそうだ。 「え、えーと」  さらにやることがなくなった。困っているショコラさん。  フォローしないと。 「自分はズボンが分厚いので平気かもしれません」 「はい?」 「どっせい!」  ばさーっ!  ベンチの上の雪をどける。  木製のベンチは当然濡れているが、  ――どすっ。  座ってみた。 「……」 「ど、ドーデス?」 「冷たいですね」 「デスヨネ」  苦笑するショコラさん。 「わ、私も座ったほーがいいでショーカ」 「やめたほうが無難かと。ひどいことになります」 「あははは……」 「……」 「えいっ」 「おっと」  自分のひざの上に乗ってきた。 「コレなら濡れないデス」 「なるほど、考えましたね」 「……」 「……で、どうしましょう」 「……ハイ」  2人、すごすごと下りる。 「……」 「な、なんかすいません」 「こ、こちらこそ」 「めるさんならこういう時……」  適当に雪をすくった。 「ていっ」 「わひゃんっ」  あまり握らず、空中でばらける程度に固めて投げた。 「あはっ、もークローさん」  雪の粉にまかれる形になり、目を細めるショコラさん。 「お返しデス。えーいっ!」  向こうも同じく、投げ返してきた――。  ――べしゃっ!  カタマリで。 「あっ、あれ? バラけない」 「あー……雪がちょっと湿っていたようですね」  握り加減を間違えたとかではないのだが、雪質が悪くて大量にぶつかってきたようだ。  そしてそのぶん大ダメージだった。 「えほっ、けほっ」 「すっ、スイマセン、あの、あの」 「い、いえお気になさらず」 「あうう」  しまった。恐縮されてしまった。 「なんかモー……スイマセン」 「はじめたのは自分ですから」 「……」 「……」 「あは」 「はは」  結局、苦笑し合うことに。  ショコラさんといると、だいたいこれくらいの空気が常だった。  まだ少し慣れていない。氷織さんやめるさんとちがってかみ合わない部分はある。  ただそれでギクシャクはしない。  ショコラさんはめるさんとはちがう意味で明るく、氷織さんとはちがう意味でまったりして。2人にはない空気の持ち主だ。  それがいたく心地良いことに、最近の自分は気付きだしていた。  と――、  ――く~。 「お」 「わが!」  慌ててお腹をおさえるショコラさん。  いまのは――。 「ちちちちがうデスちがうデス!全然お腹が鳴ったとか、ソユのじゃないデス!ホントデス!」 「はあ……」 「あう……」 「う~……」 「……」  とりあえず、  変な空気になってしまう一番の理由はショコラさんにあると思う。 「クロワッサンがいい香りをさせていますので、仕方ないかと」 「はうう、恥ずかしいデス」  一度店に戻ることに。 「~♪」 「ご機嫌ですね」 「早くティータイム、クローさんのケーキ食べたいデス」 「あっいえ、そんなお腹が空いてるとか、そこまでではないデスガ」  だんだん支離滅裂になってきているが、女の子のプライドは大切なものだ。黙っておこう。  が――。 「はれ?」 「もどって……きておりませんね」  めるさんも氷織さんも、まだ出かけたままのようだ。 「遅いデス。出るのは朝だけと言ってマシタのに」  確かに、もう日の高い時間なのに。 「まあなにか面白い物でも見つけたのでしょう。めるさんにはよくあることです」 「先になにか食べていますか?」 「あん……でもティータイムはみんなでがいいデス」  良い子だ。 「……」 「ソーダ。クローさん、いい機会だから」  チョイ、チョイ。手招きされる。  なんだろう。裏の庭へ。 「はしごお借りシマス」 「ああ」  2人で屋根の上に登った。 「なんだかんだでここがお気に入りですね」 「景色がトテモ素敵デスから」  2人、落ちないよう気をつけながらしゃがんだ。  少々風が冷たいが――いい天気だ。 「初めて会った時を思い出しマス」 「ですね」 「はじめは迷子の子猫かと」 「えへへへ」  照れたように笑う。  当時はまったく見知らぬ家だったここの、屋根の上にあがるのだから、ショコラさんも意外とわんぱくだな。 「……」  接して見るとお上品というか、お淑やかな感じなのだが。  ……いや?というか、めるさんたちと接するときは元気なのが、自分が相手だと急にお淑やかになる気がする。  なぜだ? 「……」 「えへへ」 「……」  分からん。  まあ男女だし、年もちがうしで、やはりめるさんたちと一緒にはいかないのだろう。仕方あるまい。 「クローさんに助けてもらって、もう結構たちマスね」 「1ヶ月ですね」  つまり自分が記憶を失ってひと月。 「……」 「楽しかったなー」 「こんなに楽しい1ヶ月、初めてデス」 「ん……」  しみじみという彼女の声に、つい目線が行く。 「……」  1か月間を思い出しているのだろう。楽しそうに、空を眺めているショコラさん。 「……」  きれいだ。  素直にそう思った。  風に揺れる金色の髪。幼さを忘れるほど整いきった顔立ち。それでいて子供っぽい笑顔。  美人。  可愛らしい子は、記憶を失いたったひと月でも充分すぎるくらいたくさん見たが。  ショコラさんは、なかでも輪をかけて綺麗だと思う。  自分はつい横顔に目を奪われて――。 「……」 「……」  くー。 「はば!」 「……」  またお腹が鳴った。 「やはり先になにかお腹にいれますか」 「い、イエオカマイナク」  真っ赤になっている。  やっぱりショコラさんはショコラさんか。 「ちょっと待ってください」 「ハイ?」  ――ザゥッ!  一度店に入った。  コーヒーメーカーにお湯が残っているので、それを使って、  けれどお茶を淹れてしまうと、ティータイムに合わせている彼女の心意気に水を差す気もする。  なので。 「わぁお♪」 「どうぞ。熱いので気をつけてください」  中身をなみなみ注いだマグカップを渡す。 「これは……ココア?」 「バターココアです。お腹の足しにちょうどよいかと」 「あは」  チョコレートソースでたっぷり甘くしたココアを持ってきた。  この寒さにはちょうどいいだろう。 「いただきマぁス♪」  幸せそうに両手で抑えながら口をつけるショコラさん。 「……」 「あまぁい」 「なによりです」 「バターが入ってると、だいぶ風味がかわるのデスね」 「正確には、バターと生クリームです。あまり重くなり過ぎないように」 「ナルホド」 「バターと生クリーム。同じものデスけど、生クリームのままなら軽いデスからネ」 「はい?」 「?」 「バターはバター、生クリームは生クリームでは?」 「あん……そうデスけど、バターはほとんど生クリームを固めたものデスよ。塩をちょっと足して」 「そうなのですか?」 「知らないデス?」 「初めて知りました」 「お菓子作りをしてると――だいたいすぐに聞く話デス」 「ふふっ、お料理の腕じゃ勝てないけど、知ってることではわたしのほうがウワテデスネ」 「ですね」  こちらが記憶喪失な分、知識量では向こうに分がある。  一緒にケーキ作りする自分たちには良い公平感だった。 「んふぁ、ココア美味しいデス」  幸せそうにマグに口をつける彼女。 「……」 「いい景色デス」 「ですね」  改めて景色に目をもどす彼女につられる。  屋根の上――大した高さではないが、  ここからの景色は、いつ見てもいい。 「……」 「クローさん、知ってマス?この街の、願いを叶えるダイヤモンド伝説」 「はい。めるさんから何度か」 「ふふ、『妖精の夜』じゃないデスよ」 「へ?」  意表をつかれ目をパチクリさせる。  そんな自分の顔に、ショコラさんは満足そうに、 「願いを叶えてくれる、妖精さんの夜とは別に。この街にはもう1つ、願いを叶えるダイヤの伝説があるのデス」 「願いを叶えるダイヤ……ですか」  初耳だ。  初耳だし、少々うさんくさい。 「というか町の歴史を見るに、まずこちらの伝説があって、それが時代とともに『妖精の夜』のダイヤモンドダストに飲みこまれてしまった気がしマス」 「そう……なのですか」  そういう『ダイヤ』の伝説があるとして、名前が近いので『ダイヤモンドダスト』という自然現象と混同されてしまう。  伝承話にはよくあることである。 「ダイヤはこの街のどこかに隠されているソーデス。それがどこかは分かりませんが――」 「こうして見てるとこの街もそんなに大きくナイので、探したらコロッと見つかっちゃう気がしマスネ」  楽しそうに笑った。  こういうロマンのある話が好きらしい。 「願いを叶えるダイヤ。自然現象に比べて、だいぶリアリティが沸いてきますね」 「デショ」 「いつか見つけるのが夢なのデス」 「なにか叶えたい願いでも?」 「ん……うーん」 「マズはクローさんの記憶が戻るようニ。デスかね」  いい人だ。 「クローさんは叶えたいお願いないデス?」 「そうですね、とくには……」 「いまなら、ショコラさんがそのダイヤを見つけられますように。と願うでしょうが」 「本末転倒デス」  クスクス笑う彼女。  2人、楽しく談笑していると、 「おーい、なにしてるの2人とも」 「危ないですよ」  待っていた2人が戻った。 「休日なのでやや趣向を変えて――」 「本日のお茶菓子はバームクーヘンを用意しました」 「おおー」(パチパチ) 「うちでは商品にしてないので、見るのは珍しいかもです」 「なによりです」 「……」 「――が、本日は氷織さんのためにもう1つ」 「く、クロワッサン、美味しそーなので」  買ってきた分をテーブルに広げる。 「え、私のために?」 「甘くないので、美味しいと思いマぁス」 「……わは」  袋を開くと、広がる小麦の香りに氷織さんの表情が蕩けた。 「ありがとうございますショコラさん。嬉しいです」 「イエ、アノ」  照れて苦笑している。 「わっはぁ、こっちも美味しそうだね」 「悪いねえショコラ、ボクのために」 「ハイ。メルもいっぱい食べてくだサイ」 「……全部取られないようにしなくては」 「お茶が入りました」 「わーい」 「って、あ。このにおい」 「クロワッサンとバームクーヘンなら、これかと」  お茶といいつつ、今日はミルクにした。温めて4つ分を運ぶ。 「あは、ちょうどお腹空いてたんだ」 「温まります」  4人、それぞれの席で準備を整える。  もうこの4人のお茶会は慣れたものだった。  ・・・・・ 「そういえばさ」  お腹が落ち着いたところでめるさんが切りだした。 「2人、さっきは何してたの? 屋根の上で」 「ん……えと」 「何ということも。取りとめのない話です」  あえて言うならめるさんたちを待っていた。  他にバターと生クリームの関係を聞いたり、あとは、 「願いを叶えるダイヤの話?」 「デスネ」  苦笑しあう。  ロマンも含めると、あの話が一番盛り上がったと思う。 「願いを叶えるダイヤ……」 「妖精さんの夜のこと?」 「ノーノー、ソレとは別なのデス」  改めて話せるのが嬉しいらしい。ちょっと得意げにしているショコラさん。 「改めてお話ししまショーカ」  ちょうどティータイムも終わったので、食器を片づけていく。 「えーコホン」  さっきの話を改めて聞くことに。 「メル、コーリ、クローさんは、この笛矢町が昔はなんと呼ばれた場所にあるかご存じデス?」 「昔の呼び名?」 「イエス。街が出来る前の、地名というやつデス」 「んー」 「陸地」 「大きすぎ」 「逆にここ以外が陸地と呼ばれなかったら問題です」 「正解は谷デス。ここ笛矢町は、元は『笛吹きの谷』と呼ばれていたのデス」 「ああー……小学生のころ社会で習ったような」 「入植前の地名。というやつですね。笛吹きの谷だから笛矢町。分かりやすいです」 「もともとこの谷には笛吹きさんが住んでいて、谷で毎日気ままに笛を吹いて暮らしてマシタ。そこから着いた名前だソーデス」 「毎日か~。笛も楽しいとは思うけど、毎日は飽きそうかな~」 「昔話にそう言う感想は野暮かと」 「山風の関係でしょうか」 「デスネ。いまもソーデスが、昔は山風がイッパイ。それで風音もビュンビュンだから笛吹きだったのデショウ」 「あーなるほど」 「川を伝ってくる山からの風は、妖精の夜を引き起こす一番の理由だそうです」 「そしてそんな笛吹きの谷には、もともと幸せの金貨の伝説があるのデス」 「幸せの」 「金貨?」 「ダイヤだったはずでは」 「ノーノーちょっと待ってくだサイ。ここからがイイところなのデス」  こちら3人の反応は計算通りなのだろう。ショコラさんは嬉しそうに、 「幸せの金貨の伝説はコーデス。世界のどこかにいる妖精さんが、心聖き者の住む場所へ年に1度、幸福の金貨を投げ込んでくれる」 「ほぼ『妖精の夜』と同じですね」 「お願いを叶えてくれるか金貨かってだけの違いだよね。金貨って、より即物的にはなってるけど」 「ハイ。いまある妖精さんの夜の伝承は、これを元にしているかと」 「ただこの金貨のお話は世界中にありマス。笛矢町にかぎりマセン」 「ですね。私もこの町に来る前から、そんな話は聞いたことあります」 「ところがこの伝承が、この町では『妖精の夜』のお話と混同された」 「昔話が地域によって変わるのはよくありマス。でもそれには、何かしら理由があったハズ」 「この町で混ざりこんだと思われるのが、『願いを叶えるダイヤ』伝説なのデス」 「混ざりこむ?」 「昔話の混同ですね。よくある話です」 「お話が時代とともに変化するのもよくありますね」  マザーグースなどは、原典を探すのが既に難しいとか。 「ふぇー」 「このダイヤ伝説が混ざりこんだからこそ、金貨のお話は『願いを叶えてくれるダイヤが空から降る』。いまの妖精さんの夜のお話になったと考えられマス」 「おお……なんだろ、わくわくしてきたよ」 「……」 「……」  わりとよくある話なので、氷織さんはちょっと冷め気味だった。 「願いを叶えるダイヤの伝承はコーデス」 「笛吹きの谷が街に生まれ変わるとき、谷で暮らしていた笛吹きさんは、住む場所がなくなると困ってしまっタ」 「え、やっぱいたの?毎日笛吹いてて飽きない人」 「えと……それは分かりマセン。本当にいたのか、それらしき人たちをお話ということで言い換えたのか」 「???」  分からない。という顔のめるさん。 「ようするに、谷に昔から住んでた妖精さんですよ」 「ああ~妖精さんね」  だがすぐに納得した。妖精さん。めるさんを納得させる魔法のことばだ。 「話を戻しマス」 「その笛吹きの妖精さんは、街の人たちに言いマシタ。この谷で一番素敵なお宝をあげるから、かわりに僕も街に住ませてくれないかと」 「その宝物はとてもキラキラと澄み輝いて、ここに住む人のどんな願いも叶えてくれると」 「街の人たちは喜んで妖精さんを迎えたそーデス」 「現金だね」 「お話に込められた教訓次第では妖精さんに騙された町の人たちがひどい目にあいそうです」 「いえハッピーエンドデス。笛吹きの妖精さんはそのまま町で幸せに暮らすようになり、街の人たちはお宝を手に入れたソーデス」 「そしてこの街には、住む人の願いを叶えてくれる魔法の宝石がいまでも残されている」 「コレが、願いを叶えるダイヤの伝説。その後金貨の伝説と混ざって、なんでも願いを叶えてくれる空からダイヤを降らせる妖精さんになったソーデス 「へー」 「魔法の宝石……ですか」 「……」 「それなら、面白いかもしれないですね」  氷織さんが一瞬何かに引っかかったように見えたが、すぐに流した。 「ドーデス? 面白いデショ?」 「ありがちっちゃありがちだけど、うん」 「身近にそんなお話があったなんて知りませんでした」 「面白かったです」 「ネー」  嬉しそうに笑うショコラさん。  楽しくなってしまったのか、目を輝かせたまま、 「わたし、実はこの街に来たの、このお話を調べに来たのデス」 「ふぇ?」 「ショコラさん、たしかこのフォルクロールを買収しに来たのでは?」 「だよねえ、うちを乗っ取る気で来たんじゃなかったっけ」 「イエソレは」 「こんにゃろー思い出したらムカついてきたー!」 「ノー!思い出したらで怒らないデー!」 「で、デスから誤解デス。買収する気で来たのはお兄ちゃんダケ」 「なんだ」 「ほ……」 「乗っ取りに来たやつの妹めー!」 「ノー!」 「話が進みません」 「買収話なんて大きな問題に、ショコラさんみたいな大人でない方が来るなんて変だと思ってたけど、ようするに趣味半分で来ていたんですね」 「ハイ。お兄ちゃんが下調べに行くと聞いて、キョーミがあったのでついてきたのデス」 「一番の目的は、美味しいと評判のフォルクロールのケーキでしたが、こっちのダイヤの伝説もキョーミありマシタ」 「一番はケーキかぁ。うんうん、うちのは美味しいからね」 「ハイ」 「だからいつでも食べられるようにあわよくば乗っ取ってしまおうと」 「ハイ♪」 「やっぱりかー!」 「オーノー!」 「めるさんハウス!」 「きゃいん!」  犬かな? 「コホン」 「ショコラさんはそういう、お話とか、お好きなんですか」 「ハイ」 「昔から夢のあるお話が好きで、色々読んでて。大きくなるにつれてそゆ伝承には元があることも分かって」 「そしたらお話を聞くだけじゃなく、歴史を調べるのも全部好きになってマシタ」 「夢はパティシエって言ってなかった?歴史家になりたいの?」 「んー、歴史家とか、難しいのはちょっと。ただ好きなだけで」 「夢はやっぱりケーキ屋さんデス」 「ファンシーなものがお好きなんですね」 「系統としては似ているやもしれません」  ケーキとか、昔話とか、子供の好きそうなものが好き。  けれどケーキは食べるだけじゃなく作りたい。昔話は知るだけじゃなく調べたい。そんな現実的な側面も持っている。  子供っぽい好奇心と。それをそのまま行動に移す実行力。  ショコラさんらしい。  と――。 「こんにちは……ショコラ。やっぱりここか」 「お兄ちゃん」  ご家族の方が。  今日は店は休みなので、ショコラさんを迎えに来たのだろう。 「最近はもう毎週みたいにこちらにお世話になってるな。迷惑かけていないか?」 「え、と、メーワク……は」 「ないですよ」 「そうそう。ボクたちが言って引き留めてるとこもあるし」 「ならいいが」 「でもご家族の方が迷惑かけてるなーって思ってなにかしらお礼の甘いものでも持ってくるなら喜んで受け取るよん」 「……今度持ってきます」  ショコラさんは今日のところは帰る運びとなった。  急ぐわけではないので、時間がかかる女の子たちの時間。しばらく潰していると、 「はあ……疲れた」 「なにか?」 「ショコラのやつ、待ってるのにちっともおしゃべりをやめる気配がない」 「盛り上がってしまったら仕方ないですよ」 「分かっているが。いつもはちゃんと周りは見てて、僕が待ってればさくっと切り上げるんだがな」 「あんなパワフルな妹は初めてだ」  肩をすくめる。  困った半分。残る半分は、嬉しそうだった。  気持ちは分かる。  聞き分けのいい妹が、聞き分けが悪くなるくらい仲良しの友達ができているのだから。 「……」  ところで、  ガトーさんと2人。  計ったわけではないが、ちょうどいい機会が来たかもしれない。 「失礼かもしれませんが、1つショコラさんについて質問してもよろしいでしょうか」 「うん?」 「ショコラさんのお母様について」 「……ああ」  聞くまでもなく、察しが行ったようだ。  当たり前か。お母さまの現在の状態が、自分の想像するものなら――。 「ショコラの……まあ正確には僕の母上でもあるが」 「ショコラには辛い思いをさせた」 「……」 「あいつが……7つのころかな。まさかあんなことになるなんて」 「そう……ですか」 「ああ」 「……」 「……」 「……」 「……」  お母さまは……。 「まさか」 「中世史の研究で国際的な大発見をして、一躍世界をまたにかける研究者になるだなんて」 「はい?」 「なにぶん歴史と言うのは人類共通の命題だけにどこの国からも講演の依頼が殺到している」 「そういえば今年に入ってまだ一度も会っていないっけ。いつかお体を崩されないか心配だ」 「……」 「どうかしたか?」 「ご存命で?」 「ああ。働きすぎて体に差し障らないか、いつも心配しているがな」 「幸い元気だけはネージュ家一同ありあまっている。体を崩されたという話は聞かない」 「……」  変な想像をした自分がちょっと恥ずかしい。 「あいつ、この街の歴史の話をしていなかったか?」 「は、はい」  ちょうどさっきの話に行き着く。 「母上の影響だ。昔からパティシエになりたがっていたんだが――」 「歴史についてでなにかすごい発見をしたら、母上に褒めてもらえるかもって」 「そうですか」  ただの好奇心だけではなかったらしい。 「そうそう、パティシエの修行とか言ってよくアンタに会いに行ってるよな。迷惑じゃないだろうか」 「とんでもない。自分のほうが勉強させていただくことも多いくらいです」 「そうか。先生してもらってるヤマダシェフが今忙しいから、他で勉強できる場所が欲しいらしくて」 「?そういえば、いつもそういう時は1人で自習してるのに、なんでアンタには……」 「?」 「……まさか」 「めるさんたちがいらっしゃるので、遊びに来たついで。といったところでは?」 「……コホン。そう思っておこうか」 「おにーちゃーん」  ちょうどそこでショコラさんが。 「お待たせデス」 「ああ。おいとましよう」 「ハイ。クローさん、明日も来ていいデス?」 「もちろん。お好きなときに」 「やったぁ♪」  帰っていく2人。  丸1日ショコラさんと一緒していた気がするな。  迷惑ではなかっただろうか。  ともあれ、ショコラさんと一緒というのは楽しい。  またいつでも来てほしいものだ。 「……」 (にへ~) 「ショコラ、明日も遊びに行くのか?」 「ハイ、そのつもりです。メルやコーリにもそう言ったし」 「クローさんも……ドーゾって言ってたし」 「……」 「えへ、えへへへ」 「……」 (あんなデカい弟が出来るのか……困ったものだ) 「明日も楽しみデス」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  翌朝。  今日は店を開ける日なので、用意をしていると、 「オハヨーゴザイマス」 「早いですね」 「えへへ」  めるさんたちが起きてくるより更に早くショコラさんが来てしまった。  これなら昨日は泊まってもらえばよかったかな。 「なにかお手伝いすることアリマス?」 「えと、すいませんちょうどひと段落したところで」 「オゥ……」 「こちらをお手伝いいただけますか」 「ハイ」  店の前の掃除。お客人にやらせることではないが、一人にするのもなんだ。一緒にやることに。 「雪がイッパイ。大変デス」 「ですね」  いつもはホウキで掃く程度だが、昨日休みだったので雪が溜まっている。  汚れごとモップでかき出していく。 「おはようございます……あら」 「オハヨーゴザイマス」 「ふふふ、お手伝い?店長代理はおねぼうさんなのにえらいわね」 「えへへー」  裾野さんとちがい、小町さんとショコラさんはもうすっかり顔なじみだった。  掃除が終わるころ、ケーキが良い焼け具合となり、 「ふぁああ、おあよ」 「すいません、お休みだからって寝すぎました」 「お疲れだったのでしょう。朝食、出来ています」  そのあたりで着替えをすませた2人が下りてくる。 「飲み物なににしマス?」 「ショコラ」 「早いですね」 「コーリ、目やについてマス」 「わわっと」  4人そろって朝食になった。 「本日はシンプルに、トーストとベーコンエッグなのですが」 「いいよいいよ、シンプルなの大好き」 「ジャムとって」  さっそくトーストに手を伸ばすめるさん。  ジャム、も用意はしているが、 「いかがでしょうめるさん、本日はまずバタートーストになさるのは」 「えー? バターって甘くないもん」 「今日はちょっと変わったバターがありまして……」 「ふぇ?」 「あれ。バター……って、これですか?」 「あ……」  卓の中央に置いた、白い塊に小首をかしげる氷織さん。  ショコラさんは一目で察しがついたようだ。 「作って見ました」 「あー、生クリームをブンブンするやつ」 「はい」  昨日、ショコラさんに聞いた方法でバターを自作してみた。  といっても生クリームに塩を入れて分離させるだけだが。 「いいねーこれ美味しいんだよねー」 「高級なホテルとかで出す……あれですよね。これって作れるものなんですか?」 「簡単だよ。それに酸化だっけ、する前だから味も美味しいの」 「まあうちはあえて酸化したのっぺりした市販のバターがケーキ作りにあってて大量に仕入れてるから、普段使うのはそっちなんだけど」 「へえ」  さすが店長のお孫さんは知っていた様子だが、氷織さんは驚いていた。 「……わは」  ショコラさんも別の意味で驚いている。 「お知恵を拝借いたしました」 「えへ、ありがとございマス」  嬉しそうだった。 「じゃあ今日はこれにしよ。これ+ジャムってのも美味しいしね」  まずはバターだけ、トーストに塗っていくめるさん。  氷織さんに、ショコラさんも続く。 「いただきまーっす」 「いただきます」 「い、いただきマス」  3人そろって手を合わせる。 「「「はむ」」」 「ん~っ、とろける~、久しぶりこの感じ」 「ホテルで食べるのよりもっと軽い感じです」 「ほんとに作り立てデスネ」 「15分前ですので」  みんな喜んでくれたようだ。 「……」 「ふふ」  なぜ急にこんなものを出したか。事情を知っているショコラさんだけが嬉しそうに笑っていた。  朝食を終えたら、11時までのあいだ、自分はケーキ作りの仕上げ。めるさんと氷織さんは店の掃除。  今日はショコラさんがいるので楽だった。 「あの新鮮なバターはケーキには使わないデスネ」 「めるさんも先ほどおっしゃっていましたが、ケーキに使うのは酸化した、のっぺりした味のバターの方があうようです」 「ふーむ、新鮮なだけじゃダメなのデスネ」 「勉強になりマス」 「自分も、日々勉強です」  ショコラさんと2人の準備は楽しい。  ケーキ屋に慣れていく自分とパティシエを目指す彼女。  同じ方向を向いているだけに、共に歩んでいる感覚がなんとも励みになる。  ショコラさんがいてくれてよかった。 「……」 「な、ナンデス?」 「っと、失礼」  つい凝視してしまった。 「ショコラさんと一緒だと、ケーキ作りが捗ると思ったら、つい」 「あう」 「はは、まあ人数の問題というのもあるでしょうが」 「やはりそれ以上に捗っている気がしますね。どこが、とは言えませんが」 「いつもたいへん助けられています」 「ありがとう、ショコラさん」 「あうう」  ちょっとクサすぎたか。真っ赤になってしまうショコラさん。  あまり続けても空気がおかしくなりそうだし。作業に戻ろう。  思って、そこで――、 「……」 「…………」 「く、クローさん」 「クローさんが言うなら、わたし毎日でも――」 「クロウ君! 大変大変!」 「ぎゃあ!」 「びっくりした」 「びっくりした」 「ビックリしマシタ」  全員一律腰を抜かしそうになる。 「めるさん、なにか?」 「いま緊急でケーキ注文したいって電話がきてるの」 「いま、今日ですか?」 「今日の、2時」 「……厳しいですね」  向こうの部屋では、受話器を持っている氷織さんが見える。  注文は基本的に前日までで、当日用は受けたとしても届けるのは17時以降が原則である。  現在10時30分。14時までとなると、残り時間が少なすぎる。 「配達は?」 「えっと、ここからだと30分くらい」  つまり13時半までに完成させる必要あり。  3時間か。  時間的にギリギリで――。 「ご注文の内容は?」 「ショートケーキをマウントホールで」 「……」 「無理……だよね?」 「難しいですね」 「マウント……ビッグサイズ?」 「うちで一番大きいサイズ。ウェディングケーキとかに使うサイズです」 「ワオ」 「……」 「残念ですが現実的に不可能です。マウントサイズは、スポンジ部分だけでも巨大すぎて焼くのに3時間かかりますので」 「焦がさないようじっくりジワジワ温めてかなきゃだもんね」  ようするに断るしかないのだが、 「でも……この子たち」  子? 「2丁目にある聖マリア養育院からのご注文なんです」 「今日、長年お世話になったママ先生が退陣なさるとかで。子供たちが感謝の意味でパーティを開く予定だったと。そこで出すケーキなんだそうです」 「本当は向こうの子たちで焼く予定だったんだけど、朝からやってて、失敗しちゃったんだって」 「それで最後の手段ってことでうちに……」 「……」  断りにくい。  よく聞くと受話器の向こうからは、いくらか子供たちの泣き声がしている。  失敗を嘆いている声だろう。  そんな子たちが、最後の希望をこちらに寄せている形だ。  参った。時間的には不可能だが、それを伝えるのが難しい。  となると、 「裏ワザを使えば可能は可能ですが」 「ウラワザ?」 「ビスキュイを、ブロックにしていくつも作るんだよ」 「バームクーヘンに使った型があるでしょ?あれを円形に1周10個並べてあとはクリームで誤魔化しちゃう」 「中まで含めて15個あればビスキュイは出来る」 「パウンドケーキ15個分であれば窯で1度に焼けます。計ったわけではありませんが1時間半もあれば」 「ただ……」 「やったことありマス?」 「ありません」  これはまさに裏ワザ。普通やることではないし、ここに来てひと月の自分には当然経験がない。  はっきり言おう。失敗する公算が高い。 「……」  ――が。 「できるならやりまショー」 「ん……」 「ショコラ」 「きっと出来マス。クローさんなら。それに」 「ママ先生への感謝の気持ちのケーキ」 「わたし、作りたいデス」 「……」 「……」 「クロウ君」 「……」  まいったな。  同感だ。出来る、できないはともかく。  作りたい。 「やりましょう」 「おしっ!受けたよオリちゃん」 「本日14時、マウントホールのショートケーキ。承りました。ご注文ありがとうございます」  受話器を置く氷織さん。  自分は洗う予定だった調理道具を引き上げる。  作業自体は簡単なものだ。  あとは時間との戦争なだけで。  11時。 「窯に火が通りました。これから焼きだしますので、クリームをお願いします」 「OK」 「ボクはイチゴだよね。スライスでいい?」 「大粒なものからスライス。小粒なものは随時つぶしてジャムにしてください。いつもの残りもあるのでそれも全部」 「マウントホールの場合、上の飾りにイチゴ単体は使えません。片栗と混ぜ合わせたペーストが必要ですが――」 「硬さ調節ならできマス。任せてくだサイ」 「助かります」 「自分は火加減を目で見て調節しないといけないので窯の前から動けません」 「味付けは全てよろしくお願いします!」 「「おー!」」 「……」 「こんにちはー」 「あ、いらっしゃいませ」 「……」  イチゴのペーストを作りながら、窯の中に全神経を集中した。  窯は場所によって火の勢い。熱の加減がちがう。  つまり15個並べていても、焼きあげるにはむらが出る。  失敗したときのことも考えて、計20個同時に焼く。窯の中はギチギチで、さらに個体差が出るだろう。  この差をどこまで小さく出来るかが勝負だ。  ショートケーキというのは、ケーキのなかでも最も完璧に近い代物である。  シンプルさと簡単さ、見た目の美しさはもちろん、  何と言っても、味。  クリーム。スポンジ。ストロベリー。  この3要素だけで完成している。他に何も手を加える必要がない。  よって味付けは、ショートケーキであるという前提に甘えてしまって構わない。  大事なのはクリーム、スポンジ。ストロベリーの、3つの要素を完璧にそろえること。  簡単なはず。  ミスさえしなければ、出来るはずだ。 「ふぃいいい、腕が疲れたよぉ」 「クリーム作るだけで大変デス」 「かき混ぜるだけなんだけど、そのかき混ぜるのが大変」 「メル、ちょっと休憩してくだサイ。混ぜ方が荒くなってクリームがふわっとしないデス」 「えぅ、うんそうだね、ちょっと休む」 「ショコラは平気?」 「私はよくやってマスカラ」  ――シャカシャカシャカシャカ。 「おお、軽快な手さばき」 「~♪」 (慣れてるな~。ボクより上手いよ) 「っよし。出します」  窯を開く。  15個並べた円柱の型は、場所によって焼きにむらがある。ちょうどよいものだけ取り出し、残りは余熱に任せた。  型から取りだして、コゲがちの表面を切り取って、 「はむ」 「ん~♪作るの手伝うときはこれが美味しいんだよね~」 「ショコラさんお願いします」 「ハイ」  切った部分はめるさん(のお腹)に処理を頼んで残りはショコラさんへ。  銀色のトレイを用意して、均一に、円形に並べて行った。 「マウントサイズ……この大きさは初めてデスネ」 「自分もです」 「工程はいつもと同じといえ、大きさがちがうだけでだいぶ勝手がちがいますね」 「デスネ」 「それに大きいってだけで――なんだかワクワクしマス」 「同感です」  円形に並べ終る。  ちょうどそこで残りのスポンジも焼きあがった。  出してきて、  ――シャッ!――シャッ!――シャッ!  こちらは全て、バラバラに分解する。  そして円く並べた円柱たちの、中央の空白部分にバラしたものを置いて行った。 「そっか、柱のまま並べるよりそっちのほうが自然だね」 「15個しか出来なければ並べるだけのつもりでしたが、20個すべて成功したので」  マウントホールは直径だと80センチ強。高さ30センチ直径20センチの円柱で囲んでいるため、中央部は40センチ×30センチ。  バラしたスポンジで埋めるには相当な量がいるが――。使えるスポンジに余裕があるのでたっぷり詰め込めた。  10センチの高さまで並べたら、 「クリームを」 「お願いしマス。私はストロベリーを担当しマス」 「はい」  ジャッと雑にクリームを塗り込む。  分解したスポンジを積んでいるため高さがまちまちだ。それを均一になるようならして、  その上からショコラさんがスライスしたイチゴを並べる。  これを3層。10センチごとにクリームとイチゴの層を作り、一番上も同じもので蓋をした。 「おお~……なんか形になってきたよ」 「はい。そして」 「ここからが本番デスネ」 「ナッペを始めます。形が崩れないよう注意してください。めるさん――」 「うん、充分休憩できた」 「クリームの量がどれくらいか目星がつかないのでガンガン新しく作ってください」 「おっけー作りまくるよ。余っちゃったら自分で食べるし」 「ショコラさん、お願いします」 「ハイ」  形の出来たマウントホールをクリームで固めていく。  作業自体は普段と同じ。しかしその難易度は、普段とは比べ物にならなかった。  単純に大きいというのもあるが――、なにより『おうとつがある』というのが、単純な平面に比べてはるかに難易度が高い。  そしてなんといっても、感触。  並べているだけの円柱スポンジは、押さえつけるとそのぶん奥に潰れてしまう。  より軽やかに、より力を込めず、それでいて精密なまま塗り広げなければならない。 「あわっ、ふわ、う」 「難しいですか」 「だ、ダイジョブデス。ちゃんと出来てマス」  そんななか、ショコラさんの存在は本当に助けになった。  凄まじく集中力のいる作業だけに、 「……」 「……」  2人でやっているから、どうしてもお互い意識する。  相手より先に失敗できない。という緊張感と、 「……」  ショコラさんに格好悪いところは見せたくない。なんて気持ちが強くて。  ・・・・・ 「……出来た」 「ふぃいいい……」 「お疲れさまでした」  ナッペが完了した。 「ここからは自分が務めます。お2人は休んでいてください」 「ハイ」  こんもり束ねたスポンジの山から、白く塗りあがったケーキの原野と化したそれに、仕上げの細工を施して行く。  このサイズに使える口金がないため、シンプルにヘラで作った小山を20個ほど周りに。  最後に中央部に、ペースト状にしたイチゴを流し込めば、 「ホイ」  換気扇を回すめるさん。  普段は外気をシャットアウトしている厨房に外の空気が流れ込む。  寒い。雪街の外気が。  ペーストが一気に固まっていった。 「完成です」 「やったー!」 「時間は?」  3人、時計を見る。  13時40分。 「うあ」 「……10分遅れましたか」 「なのでおそのさんに、車を持ってきてもらいました」 「ったく、パシりじゃないんだよあたしゃ」 「お代にとびっきり美味しいケーキ、ごちそうしてくれんだろうね」 「歩いて届けるなら30分だけど、車なら10分です。運びましょう」 「助かります」  トレイに箱のふたをして、そのまま台に乗せた。  すでに前でスタンバイしてくれていた車の荷台に乗せる。 「引き渡しに行ってきます。お店はお願いしますね」 「ああボクも行くよ、オリちゃんとおそのさんじゃ積み下ろしできないでしょ」 「では、クロウさんとショコラさんは休んでて下さい」 「お願いします」  1時45分。無事出荷した。 「……」 「ふぇえええ……」  一気に緊張の糸が切れる。 「疲れマシタ」 「お手伝いいただき助かりました。ショコラさんなしには絶対に間に合いませんでした」 「イエイエ」 「でも不思議デスネ。普通のケーキとは全然作り方がちがうのに、出来上がったものはほとんど同じで」 「まあ見た目は、ですね」  スポンジがバラバラなので、食べる段階ではちがいがでるだろうが、パッと見は文句なくケーキだった。 「しかし問題はないはずです。味も含めて」  スポンジは固められるはずなので、食べやすさは問題ない。 「過程がどんなものであれ、いまはケーキを届けられた。そのことを喜びましょう」 「ハイ」 「その意味でもやはりショコラさんには頭が上がりませんね。あなたが手伝ってくれなければ絶対間に合わなかったでしょう」  もちろんめるさん、車を呼んでくれた氷織さんもだが、  やはりショコラさんの補佐が大きかった。 「ありがとうございました」 「そ、そんな。私はタダ……」 「いえ。あなたがいてくれてよかった」 「クローさん……」 「ショコラさん……」 「……」 「……」 「あのー、今は営業時間中でいいのよね?」 「わあ!」 「っと、失礼しました」  一大事が終わっただけで、まだ営業時間。お昼3時前の書き入れ時だ。 「いらっしゃいませ小町さん。今日のご注文は?」 「うーん、朝は抹茶ブランだったから、お昼は……」 「さらっと二度目のご来店なのですね」  接客に移った。 「……」 「…………」 「はうう」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「養育院の子たち、喜んでくれてよかったね」 「はい」 「運んできた店員が一緒になってケーキを食べだしたときは絶対怒られると思いましたが、喜んでいたのでなんかOKな空気になって助かりました」 「美味しかったー」 「ほんとクロウ君様様だよ。今日みたい無茶な注文、おじいちゃんでも無理だったかも」 「プロの視点に徹すれば、断るべき注文でしたから」 「でもそれじゃあケーキを食べられない子がでる」 「ケーキは1つでも多く作られたほうが、世界が幸せになっていいもんね」 「めるさんのその謎のスケールの大きさ、ステキです」 「ありがたいと言うなら、クロウさんだけじゃなく」 「ショコラもだね」 「ショコラさんには、なにかお返しを考えた方がいいかもしれません。居候のクロウさんにすら無茶なお願いだったんですし」 「ショコラにお返しかぁ。いいかも」 「んー」 「……んふ♪」  ・・・・・  昼は慌ただしかったものの、  その後は閉店まで、店内はまったりしたものだった。  ショコラさんも最後まで手伝ってくれて、 「お疲れ様ー」 「疲れマシタ~……」  結局、夕飯まで。 「ショコラさん、今日は泊まっていけますか?」 「ハイ。ヨロシクお願いシマス」 「んっふっふ、ちょうどいいねえ~」 「?」  なぜかニヤニヤ笑っているめるさん。  氷織さんはちょっと困った顔で、 「えっと、ですね」 「今日泊まるということは、当然明日は朝から……、ですよね」 「? 朝……ナンデス?」 「クロウ君に付き合うんだよね」 「ハイ、ご迷惑でなければ」 「そこで朗報!」  バン! と机を叩くめるさん。 「明日月曜日、ここフォルクロールは臨時休業を取ることにしました~」 「What?」 「はい?」  初耳だ。 「もともと月曜日は週で一番お客さん来ない日だからね」 「たまにこうして臨時休業を取る日はあるんです」 「とくに月に一度、煙突を掃除してもらわないといけないので」 「ああ、それもそうか」  調理に使っている窯は、昔ながらの炭焼き式である。  定期的にメンテナンスしないと、すすが溜まってしまう。  すすが付いたスポンジはケーキには活かしにくい。少しくらいは表面をそぎ落とせばいいが、やはりちゃんと煙突掃除するのが一番だろう。 「私たちにはあんまり関係ないですけど」 「学校ですからね」 「まあ仕方ないよね。本当は日曜日にコレ入れて、お休みにしたいけど、日曜日にお店を休むのもなんだし」  お菓子の店はとくに休日に需要があるからな。 「でもクロウ君は、丸一日オフだよ」 「にしししし、自動的にショコラもだねえ。まあ2人で適当に潰しててよ」 「ん……」 「ふ、2人で……って」  ふむ。  よく分からないが、店長であるめるさんが言うなら逆らうつもりはない。  そもそもケーキ作りをしないなら、ショコラさんには帰るという選択肢もあるが――。 「どうします?」 「あ、あの、クローさんに……お邪魔、とか」 「自分は……ショコラさんがいて下さると嬉しいですね」  ケーキ作り以外では何もやることがなくてヒマだ。 「また商店街でもめぐりますか」 「え……と……、あの……」 「……」 「は、ハイ」 「ぬふふふふ、お返しとしちゃ最高だよねコレ。さっすがボク」 「かなり余計なお世話な気もしますけどね」 「……」 「ショコラさんは嬉しそうだから、よしとしますか」  翌朝はいつもよりスローな始まりとなった。 「これでよし、と」 『店内清掃のため臨時休業』の旨を書いた張り紙を作るめるさん。 「じゃあクロウ君、3時くらいにおじさん来るから、そのくらいには店にいて。それ以外はどこ行っててもいいよ」 「ショコラさんを楽しませてあげてください」 「はい」 「ふふ。別に何もしなくても、ショコラは今日1日ずーっと楽しいはずだけど」 「めるさん、シッ」 「はぁい」 「?」 「じゃあボクたちは学校に――」 「あ、その前に」  ごそごそと、今日は火の入っていない窯の中に入るめるさん。 「あ、熱い~、助けてくれええ」 「……」 「……」 「へへー、いつもはばっちいから人が入るなんてダメだけど、今日だけは特別なの」 「めるさん。いま自分が何を着てるか思い出して」 「わー! 制服に黒いのついちゃったー!」  慌てて着替えに行くめるさん。 「では行ってきます」 「はい。お気をつけて」  氷織さんを。そのあとめるさんを見送る。  さて。 「おはようございます」 「すやー」 「……」  もう9時を過ぎそうなのに、ショコラさんは眠ったままだった。  昨日は朝早そうだったうえに疲労困憊だったから仕方ないだろう。  休みなのだからこのまま寝かせておいてもいいが――、普段の彼女の生活サイクル的にはもう起こすべきかな。  どうしたものか。 「……」 「すー」  思っていると。 「んぅ」 「ん」 「ふぁ……くあう」 「ふぁああ」 「おはようございます」 「ああ……おはよゴザイマスクローさん……」 「……」 「クローサン!?」  あ。  彼女が寝顔を見られるのを嫌うのを、すっかり忘れていた。  ・・・・・ 「すいません、時間的に、起こすべきかと迷いまして」 「い、イエ、寝坊しちゃったのは私デスカラ」 「はうう」  顔を真っ赤にしている。  まいったな。せっかく2人の休日をいただいたのに、初めから空気がおかしいぞ。 「え、えと」 「スイマセンいつまでもぐーぐーと」 「昨日はお疲れだったのでしょう。懸命に手伝っていただいて」 「う……んと」 「ソレヨリどっちかというと……、今日のことを思うと昨夜遅くまで眠れなかったのが、その」 「はい?」 「なんでもないデス」 「コホン」 「トニカク、せっかくメルがくれたお休みデス。今日はメイッパイ楽しみマショー」 「はい」  やや無理やり感があるが、精神的にはリセットしたショコラさん。  よかった。せっかくの日なのに、ギクシャクされても微妙だ。  今日はショコラさんにこそ楽しんでほしい。 「窯のお掃除って大事なのデスネ」 「そうですね。灰の処理は毎日していますが、すすやごみはどうしても」  暖房用の暖炉に使うだけならさほど問題ではないが、店で使うものだからな。 「……」 「ちょっと失敬」(よじよじ) 「あ、熱いデース、出してくだサーイ」 「……」 「子供みたいデスか?」 「否定はしません」 「ふふ、でも楽しいデス。窯の中はこんな風なんデスネ」  楽しそうに中を見ているショコラさん。  同じことをしていためるさんを含めて気持ちは分かる。普段は火の海なのはもちろんとして、衛生の意味でも、中に入れるのは掃除前の今くらいだ。  すすが付かないか心配だが……店用の服だしいいだろう。 「こんな風になってるんデスね、結構広くて、わあ、お空が見えマス」  上はそのまま煙突につながっている。  大雨の対策用に、煙突は曲げて作ってあることも多いが、この店は真っ直ぐらしい。 「なんだか涼しい空気が……ここ穴空いてマス?」 「空気穴です。2か所、外とつながっていますよ」 「あ、頭を上げないよう気をつけてください。天井が意外と低いので」 「へー。お窯って色々考えて作ってあるんデスネ」 「……?」 「どうかなさいましたか?」 「いえ……コレ、なんでショウ?」 「はい?」  呼ばれるので、自分も中に頭を突っ込んでみた。  大きな窯といっても、ショコラさんがいるので中はかなりギチギチだ。  のけぞり気味に頭だけ入れて――。 「ふにゃっ」 「なにか?」 「い、いえ……髪がくすぐったくテ」 「??」  よく聞こえないが、 「なにを見つけたので?」 「えと、コレデス」  天井の高い部分を指さす。  煙突へつながる部分だ。すすで真っ黒になったステンレスの蓋がされているが、いくつか開いた穴から空が見えている。 「コレ……なんでショウ」  ショコラさんが指さすのは、その穴の1つ。  黒くふさがっていた。  それ自体は珍しくない、積もり積もったすすでふさがれたのだろう。このあと掃除のとき取ってくれるはずだ。  が……。 「?」  その穴のすすだけ、色味が微妙にちがう。  ――つん。  突いてみた。  金属の硬さがあって、軽く浮く。 「なにか乗っているようですね。なんでしょう」  取ってみたいが、乗っているものは穴より大きいのでこっち側には落とせない。  ステンレスの蓋も外せないし――。 「よっと」  仕方ないのでピンッと横に弾いた。  ステンレスの蓋は、大雨対策に微妙に傾斜があり、そのさきには先ほど言った空気穴がある。  上手い具合にその穴に落とせた。 「調べましょう」 「ハイ」 「……」 「フニャ?!」 「なにか?」 「い、イエ、ナンデモ」 (パンツにすすが付いちゃいマシタ……真っ黒デス)  店の裏手。厨房の外側を探す。  幸い積もった真っ白な雪に、すすの黒さは良い目印だった。 「これは……」 「……」 「金貨?」  片側は油まじりのすすで真っ黒になっているが、もう片面は無事だ。  金色は、多少の薄汚れなど気にせずキラキラ輝いていた。 「……」 「このエンブレムって――」 「はい?」  金貨には何かのエンブレムが彫ってある。  雪の華のようなありがちなデザインだが……、どこかで見た覚えがあるような。 「……」  何事か真剣な顔で、エンブレムを見つめるショコラさん。  と――、 「あの、クローさん、このあと行きたいところができマシタ」 「一緒に……来てくれマス?」 「え、あ、はい」  金貨のことが調べたくなったらしい。ぐっと握りながら言った。  今日一日、なにをしようか悩んでいたが、  良い暇つぶしが出来たかもしれない。 「その金貨はやはり、例の願いを叶えるというダイヤに関係が?」  金貨。というとやはり、以前ショコラさんの話してくださった昔話が引っかかる。  聞くとズバリらしい。ショコラさんはウキウキしながら、 「まだ分からないデスケド、ソーカモデス」 「この金貨に書かれたエンブレム、そのお話に出てきた挿絵に書かれてた気がするデス」 「ほう」 「ふふっ、ふふふっ、モシカシテこれが鍵になって本当にダイヤが見つかっちゃうカモ」 「面白そうですね」  さすがに話が飛躍しすぎだが、ただでさえ旺盛なショコラさんの好奇心に火をつけるには充分すぎるくらいのものだったようだ。 「ところで、これはどこに向かっているので?」 「図書館デス。私が前に調べた本がありマス」 「え……図書館ですか」  まいったな。 「んえ?」  商店街を抜けた先。この街の中心にある、市役所や税務署、警察署の集まった一角に図書館もあるのだが。 「オヤスミ?」 「今日は月曜ですので」  古くからの公務施設がそうであるとおり、ここの図書館も休日の翌日。つまり月曜は毎週閉められている。  一歩目からつまずいてしまった。憮然としているショコラさん。 「えと、本屋さんなら開いていますが」 「古い本デスからたぶん売っては……、どーしましょー……」  明日改めれば良い話なのだが。手にした金貨を見るショコラさん。  火が付いた好奇心を1日も抑えるのは、彼女には難しい。  と――。 「あら?」 「む」  なぜか休みの図書館の中から、見知った顔が出てきた。 「なにしてるの?図書館なら今日はお休みよ」 「デスヨネ……」 「はい。いま困っていたところです」 「ところで森都さん、ひょっとして図書館で働いてらっしゃるので?」  いま中から出てきたが。 「ん……そういうわけじゃないけど」 「……あー」  ショコラさんの顔色で、なんとなく察したらしい、苦笑する森都さん。 「残念ね、また明日来なさい」 「……ハイ」 「暗いわね。そんなに今日中に読みたい本でもあったわけ」 「ちょうど面白い物を見つけたところでして。一刻も早く調べたいと思ったところです」 「面白いもの?」 「コレデス」  金貨を見せる。 「え」  森都さんは一瞬ぽかんとして。 「……」 「なに。これについて調べたいわけ?」 「ハイ」 「これ……あはっ、あははっ」  なぜか笑い出した。  それから、 「……」  ニヤニヤしながらこちらを見てきた。  なんだろう?いやらしく笑いながら、 「ふふっ」 「一冊だけ選びなさい。ちょっとだけ時間作ってあげるわ」 「What?」  ガチャリと本日休館とプレートのかけられた入口を我が物顔で開いて見せた。  ・・・・・ 「ここは?」 「市長の使う応接室ってところね。市役所も今日は通常業務はやってないから、今日は1日空いてる部屋よ」 「い、いいんデスカ?」  図書館から持ってきた図鑑を抱えながら、ショコラさんは少々戸惑いがちにかしこまっていた。 「長くはダメよ」 「でもちょっとだけね。それに……」  森都さんはちらりと自分を見て、またクククと笑い。 「誰かさんがその金貨を調べるなんて……シュールで笑えるからOKよ」 「?」  よく分からないが、 「アリガトーゴザイマス」  ショコラさんは嬉しそうだからよしとしよう。  持ってきた図鑑を開き、調べ出すショコラさん。 「そちらに、例のお話が?」 「ハイ。一番古いのがたぶんコレデス」  この地方の史跡についての図鑑本のようだ。確かにこれは本屋には置いてないだろう。  かなり字がたくさんの本だが、内容はある程度覚えているらしい。数ページに一度出てくる挿絵を追って行く。 「……」 「アリマシタ」 「む……」  追いついたページの挿絵を指さす。  昔の絵本といった感じの、線の荒い絵。棒立ちの人間に、空を飛ぶ人間(妖精?)がひし形の何かを渡している構図で、  その渡しているひし形に、先ほどの金貨のものと同じエンブレムが。  ひし形に雪の華の模様――。  チープながら、ダイヤモンドにも見える。 「ねっ」 「ですね。これは……」 「……」 「これが願いを叶えるダイヤ……?」 「ぶふっ」 「?」 「……?」 「失敬。くふっ、くふふ」  森都さんが突然、こらえきれない感じで笑い出した。  どうしたんだろう?いつも挙動の掴めない人だが、今日は特に変だ。  と、自分とショコラさんが怪訝な顔をしているのに気付き、 「なんでもないわ。それよりなぁに? 笛吹きの谷について調べてるわけ?」 「は、ハイ。面白そーなので」 「なるほど。ショコラちゃんはこういうの好きだってガトー君に聞いてたわね」 「ん……森都さん、お2人とは?」 「知り合いよ。ラフィ・ヌーンがこの街に支店計画を出したときに真っ先に挨拶されてるわ」 「ソノセツはお世話になりマシタ」 「いえいえ」 「誰かさんに邪魔されたいまとなっては意味なかったけど」 「そんな縁が」  意外だ。  まあショコラさんの態度を見るに、顔見知り以上ではないようで。なら自分が踏み込むことではあるまい。 「ふふ、にしても、願いを叶えるダイヤ……ねえ」 「あ……アイラさん、御存じデス?」 「伝承は知ってるわよ。あなたよりずーっと長くここに住んでるもの」 「笛吹きの民がこの街の人たちに友好のため渡した永遠なる澄んだ輝きの伝承でしょう。よく知ってる」 「あれから何年経っても受け入れられてるんだから悪い取引ではなかったわ」 「ふぇ?」 「なんでもない」 「それで?その……金貨に同じ模様があったからどうなるって?」 「ん、あ、そーデスそーデス」  ぽむと手を叩くショコラさん。空気が変わる。  そうだ忘れていた。似たような話で混同したが、願いのダイヤと金貨の妖精は伝承の種類としては別物だ。 「大事なのはココなのデス。ほら見て、ここのお話」 「はい」  図鑑を読み進めていくショコラさん。 「このダイヤが町の人に渡された場所というのが、古いお話にはいくつか載っているのデス」 「へえ……」 「場所の情報が? 珍しいですね」  昔話というのは、精緻な記述とは無縁なのが普通だが。 「お日様の出る場所や、川の位置、水場。色んなことが描かれてマス」 「ママが言ってマシタ。お話は歴史の生きた証人。その声をじっくり聴くことが大事だって」 「む……」 「伝承が正確な情報を内包していることは珍しくないわ。それに地理的、風土的事実を噛み合わせて逆算するのが現在ある歴史学の基礎よ」 「ほら、トロイア遺跡とか。昔話を追っていて発掘された遺跡だって世界には珍しくないわよ」 「まあ……」  少々頼りない話ではあるが、 「ただその場所の情報が分かっても、起点となる場所が分からなくちゃ意味がないデス」 「でもこの金貨、とても古いものデス。たぶんこのお話が描かれた時代の」  まあ……エンブレム的にはそうなるだろう。 「昔の家って、家内安全のために家を建てるとき私財を埋め込む風習がありマスよね」 「確かに、伝統の資産や家財道具を家の一部にしちゃう風習は世界中にあるわね」 「この金貨、たぶんフォルクロールの家が建てられたとき埋め込まれたものデス。煙突の部分にあって、なにかの拍子に落ちちゃったのかと」 「ちょっと強引じゃないかしら?」 「でなきゃ煙突のなかに落ちてた意味が分かりマセン。窯の中からは入りようがないデスし」 「空気穴から入ったにしてはだいぶ奥まったところにありましたからね」 「んー、まあそれは確かに」 「ほかにも入る口はあると思うけどね。ほら、空飛ぶ妖精さんが上から投げ入れたとか」 「ソレなら……お手上げデスガ」 「ふふ、冗談よ」  今日の森都さんは不思議と妙に上機嫌だった。普段はこんな茶化すようなこと言わないのに。 「金貨の出所はともかく、フォルクロールが相当古い家であることは確かです」 「この街で煙突のある家は珍しいからね。あの店のある区画ではフォルクロール一軒だったかしら」  この街の特殊な気候のため、煙突は作らないのが普通。  逆に言えばそうした気候の特殊さが分からない時代に建てられた家である可能性が高い。  まだ確信を得るには弱いが――、 「フォルクロールが、ひいてはあの区画がこのお話の時代に作られていたと考えると、そこから位置情報が逆算できるのデス」 「う~っ。ワクワクしてきマシタ。なんだか本当に宝物が見つかりそーデス」  ショコラさんを楽しませるには充分な条件だった。 「ふふ。見つかったらぜひ教えてちょうだい」 「その本、貸出にしてあげるわ。今日は持って帰っていいわよ」 「いーんデスカ?」 「昨日借りたものとして手続きしておいてあげる」 「レンタルは2週間だから、次の次の日曜には返すにしろ延長にしろ図書館に持ってくること。再来週の月曜じゃダメよ」 「ハイ、アリガトーゴザイマス」  なぜか協力的な森都さんから、大事な図鑑も譲られる。  何をすべきかも決められなかった休日だが、  実りの多い日になったようだ。 「この金貨が落ちてきた場所。ここがもしフォルクロールの、つまり2丁目の住宅街だとシタラ」  帰ったあともブツブツと推理を続けるショコラさん。  楽しんでくれているようで何より。 「では、お願いします」 「はい」  約束の時間なので煙突掃除を頼む。 「アノ、煙突のなかに何かあったら持ってきてくださいお願いシマス」 「は……なにかとは?」 「……金貨?」 「はい?」  ちょっと情熱が空回り気味なのはご愛嬌。 「何か分かりましたか」 「場所が特定できるかもデス。少なくとも、願いの叶うダイヤに関係ある場所が」 「本当にそこにあったら……ヌフフフ、クローさんも期待しててくだサイ。願いの叶うダイヤで、記憶喪失も治しちゃいマスヨ」 「はは」  まあ願いを叶える云々はともかく、  昔話から歴史を追う。というのは、ワクワクするのは確か。  そこにあるのがダイヤにしろ、妖精的な何かにしろ、もしくは何もないにしろ、  納得が出来るだけの解答まで行きつきたいものだ。 「……」 「そういえば、ショコラさんはなにかありますか」 「What?」 「ですから、願いを叶えるダイヤが見つかったとして」 「なにか叶えて欲しいお願い。自分の記憶がうんぬん以外で」  この話は自分の記憶に絡めたことしか聞いていない。  ただショコラさんが興味を持った当時は、まだ自分に会う前だったはずである。  なにか、それなりの『お願い』でもあったのだろうか? 「ん……」 「えと……、そうデスネ」  作業を止めて考え出す彼女。  ちょっと困った風に眉をひそめて、 「……ひとつだけ」 「えへへ」  照れ笑いで誤魔化した。  言いたくない。と言ったところか。  なら聞かないでおこう。  何なのか少々気になるが――。 「こんにちはー」 「おや」  お客が来て、話しは中断した。 「どうも。あの、今日は」 「はい、お休みですよね。朝からどうしたんだろうって思ってたんです」 「そしたら煙突を掃除してるのが見えて。お店のオーバーホールの日だったんですね」 「はい。……すいませんですので今日はケーキを始めとくに小町さんの好きそうなものがありません」 「だ、だから知ってますって。小町が来たらいつも甘いものをねだってると思うのはやめてください」 「チガイマス?」 「ちがいます!」 「今日は差し入れを。おばあちゃんから、いい葡萄が取れたからって」 「おお」  バスケットにたっぷりのフルーツの盛り合わせが。 「……結局甘いものが出てきマシタ」 「ですね」 「帰りますっ」 「すいませんすいません」 「どれも美味しそーデス」 「もう」  膨れる小町さんと、笑っているショコラさん。  すっかり仲良しだった。  と、 「そうそうショコラちゃん、ショコラちゃんって、確か苗字はネージュよね」  ふと小町さんが、こっちが本題とばかり話を振ってくる。 「ハイ、ショコラ・ネージュデス」 「じゃあパルファンさんって方、ご存じないかしら。パルファン・ネージュさん」 「え……」 「どなたです?」  聞いたことのない名だ。  が……。 「今度、この街で一般向けの講演をするっていう偉い歴史学の先生なんです」  歴史学。  と言うと……。 「あー……はは」 「講演、やる、デスカ?」 「ええ」 「……聞いてなかったデス」  肩を落とした。  この反応。聞きづらいが、やはり……。 「お母さま、ですか」 「……」 「ハイ」 「わあやっぱり。すごい美人で、ショコラちゃんそっくりだと思ったの」 「は、はは」 「あの、ちょっと電話いいデス?」 「は、はい」  さっきまであんなに楽しそうに見ていた図鑑を置いて電話にむかうショコラさんは、明らかに嬉しそうではなかった。  といって街に来ると言う母親をうとんでいる様子でもない。  一言で言うと、困惑。  ただただ驚いているといった印象。 「……」 「モシモシ、お兄ちゃん?」 「ショコラか?どうした、またフォルクロールか?」 「ハイ、あのデスネ、ママのことデスが……」 「ハイ、ハイ」 「ああ……お兄ちゃんも知らないんデスカ」 「この街で講演会なんてやるのか。分かった、いまから本人に聞いてみる」 「ま、いつも通り伝え忘れたんだろうな」 「デスネ」  電話で話しているうちに、だんだん驚きと困惑があきらめの色に薄まっていくのが分かった。  これは……。 「確認しマシタ。確かにうちのママみたいデス」 「あは、講演、友達と一緒に行くつもりだったけど、予約入れて置いてよかったわ」 「もちろんショコラちゃんも行くんでしょう?」 「ん……と」 「まあ、いく、かも、デス」  濁した感じで苦笑していた。  ・・・・・ 「へー、ショコラのお母さんが」 「一ヶ月後ですか」 「ハイ」 「あはっ、どんな人なんだろ、楽しみ」 「パルファン・ネージュ教授なら前に写真かなにかで。とてもお綺麗な方ですよね」 「えと、どうも」  この話はどうもショコラさんの食いつきが悪いが、  それでも1日中持ち上がってしまう話題だった。小町さんが帰ったあとも、めるさんたちが。 「お母さんに会うの、久しぶりじゃないショコラ?いっぱい甘えちゃったら」 「あう、そ、そんなことは」 「あまり……甘えさせてくれる人じゃないノデ」 「……」  様子がおかしいのはここが理由だろうな。母子仲は、悪いわけではないがしっくり来ていない。 「……」  顔色なんかで察したのだろう。氷織さんはすぐに。 「せっかく会うのですから、なにかプレゼントなんかを用意するのはどうでしょう」 「ん……プレゼント?」 「話のとっかかりにもなるし、いいと思います」 「この店からおすすめするのは、やはりケーキでしょうか」 「あーいいねいいねソレ」 「ショコラも得意なんだしさ、ケーキでも作ってもっていったら?お母さんきっと喜ぶよ」 「プレゼント……」 「……」 「いいかも、喜ぶかもデス」  それでようやく顔が華やいだ。  ふむ。プレゼントか。  ショコラさんの手作りケーキ。  いいかもしれない。  だが直後事態は思わぬ方向へ。 「あの、クローさん、お暇なときでいいので、手伝ってほしいことありマス」 「ママへのプレゼントのことで」 「はい。もちろんお手伝いしますよ」  自分はケーキ作りだと思っているので、簡単に首を縦にふった。  が。 「アリガトーゴザイマス。助かります」 「ダイヤを探すの、とっても難しいケド、クローさんがいてくれればママが来る前になんとか……」 「え……?」 「でも街に伝わるダイヤなんて見つけたら、ママ、きっとすごーく喜んでくれるデス」 「ぷ、プレゼントって、そっちですか?」  てっきりケーキだとばかり。 「ハイ。ダイヤか、でなくてもこの街の歴史を紐解いて、ママに教えてあげるデス」 「そう……ですか」 「あの、氷織さんの言うようにケーキでは」 「ケーキは……ママ、あんまり食べることにキョーミないみたいで」 「あ、もちろん美味しいのが嫌いというワケでは。クローさんの美味しいケーキを送ったらきっと喜んでくれるデス」 「でも話をするなら……歴史のことが一番デスかネ」 「……」  予想外だった。 「お母さまは……そんなにも?」  教授がどうのでなく、歴史マニアという言葉が浮かぶ。 「ハイ。人生かけて各地を飛び回ってマス」 「もともとラフィ・ヌーンの経営を継ぐようグランパから言われてたのデスが、歴史の探査ができないからイヤだって家を出たくらいデス」 「いまはパパが経営に入って落ち着いてマスけど、研究以外は全然キョーミないデスネ」 「そ、そういう方なのですか」  意外なほど熱い人だった。 「みんなからは、好奇心のカタマリだと言われマス」  そしてショコラさんの親らしかった。 「昔からほとんどお話し出来たことないデス。私がママの話についていけなくて」 「でもこの街の歴史を、私が独学で解いたら、これトテモスゴイことデス。ママも喜んでくれマス」 「……」 「お母さまはたしか一ヶ月後でしたね」 「ハイ」  まいったな。  金貨が見つかったことで、伝承が町のなにかになぞらえたものである可能性はうすぼんやりと見えてきているが、  まだ伝承は伝承と思うべき段である。探ったところで歴史研究に結びつくかと言えば、シンデレラを読んでガラスの靴を探すくらい難しい。 「ヨーシ、やるぞー」  だがショコラさんは盛り上がってしまっていた。 「クローさんが手伝ってくれれば百人力デス」 「……」  数パーセントほど、自分のせいで。 「おはようございますクロウさん」 「おはようございます」 「お休みも大事ですけど、やっぱり朝はこうしてケーキの焼ける香りが煙突から漂ってくるのがいいですね」 「掃除したばかりだからか、なんだかいつもより香りがもっと美味しそうだと小町は思います」 「心が躍っちゃいますね。るんるん♪」 「……」 「……眠そうですね」 「すいません。朝までかけて図鑑を一冊読破したので」 「図鑑?昨日、ショコラちゃんが読んでいた?」 「はい」  せめて話を合わせられるようにとちょうど読破してきたところだ。 「なんの図鑑でしたっけ。文字がいっぱいでよく分かりませんでした」 「街の史跡と民話の資料集ですね」 「すごいですねー、文字がいっぱいなのに」  ちょっぴりアレな感じの言い方だが聞き流そう。 「それで、なにか調べてるんですか?」 「一言で申し上げれば、願いの叶うダイヤモンドを」 「あは、ステキですね」 「見つかりそうですか?」 「ノーコメントです」 「……」 (そ~) 「わっ!」 「……ん」 「ああどうもめるさん」 「あれ。予想より遥かに面白くない反応が返ってきた」 「お疲れみたいですから、あまりちょっかい出さないでおきましょう」 「ちぇー」 「昨日お休みにしたのに全然リフレッシュできた感ないね」 「すいません。休みだからと予定を詰め込んだら逆に。といった感じです」 「今日も休む?クロウ君が辛いならいいよ」 「いえ。あまり休むと腕が心配になります」 「クロウさんらしいです」 「じゃあボクたちは学校行くね」 「早めに帰ります」 「はい。行ってらっしゃい」  2人を見送り、 「……」 「くああ」  おっと。  つい出てしまったあくびを誤魔化しながら、開店時間を待つ。  待つ時間も再度ぱらぱらと図鑑に目を通した。 「……」  困ったな。  ・・・・・ 「ごちそうさまでした」 「ありがとうございました。またのお越しを」  店を開いてお客様と接しているとさすがに眠気は飛ぶ。  そんなこんなで1日過ごしていると、 「コンニチハ」 「いらっしゃいませ……ショコラさん」  午後の2時を過ぎたころ、ショコラさんが来た。  この時間に来るのは珍しい。普段は朝から来るか、でなければ学校を済ませて4時過ぎになるのに。  今日は学校のあった日なのだろう。制服を着ているながら、来るのが早い。 「早くクローさんに会いたくて急いで来マシタ」 「そうですか」 「あ、手伝いマス」  すぐにいつもの服に着替え、売り子さん側に回る。  ただ昼食後、3時前のこの時間帯はお客さんが少なく、 「ソレデソレデ。どーデスクローさん、この街のお話はどれも面白いデショ」 「は、はい」  この話になる。 「本、どれくらい読みマシタ?」 「一応一通り全部」 「全部!? ひと晩で!?」 「ワオ……クローさんも気合い入ってるデスネ」  一晩で読み切るのは普通じゃなかっただろうか。 「それで……どー思いマシタ?願いを叶えるダイヤ、この街にあると思いマス?」 「うーん」 「あるとないとでイーブンでしょうか」 「フィフティ?」 「お話はかなり明確に『笛吹きの谷』を描写しています。そこから得られた何かがあるかも。とは思いました」 「ですがそれがダイヤモンド。ひいては宝石類のよう、分かりやすい『お宝』であるかは微妙なところです。 「あと『願いを叶える』の一文は、やはり昔話的解釈ではないかと」  この部分だけはファンタジー過ぎる。現実的にあるとは思えない。  のだが、 「うーん……私もそうは思いマス」 「でもやっぱり、出来れば叶えて欲しいデスネ。お願い事」  ショコラさんは無邪気なものだ。  まあ今のところ、お母さまの件もあって何かしらお宝を見つけたいわけでなく『何か見つけた事実』が欲しい状況。  見つけた結果どうなるかより、まずは探すことに集中すべきか。 「イラッシャイマセー」  仕事には手を抜かないショコラさん。  ただのお手伝いなのに、こうまでフォルクロールのため働いてくれるのだ。  たまにはこちらから、彼女の力になろう。 「結論から申し上げます」  夜。改めてその話をする。 「このダイヤが、『笛吹きの谷の妖精』からこの街の人間に渡されたと思しき箇所が絞れました」 「What!?」 「え? え? どゆこと?」 「うちの煙突に金貨が落ちていたので、それを元にお話しの真偽を追う――ということは昨夜聞きましたが」 「たった一晩で?」 「あくまで仮定に仮定を重ねて、ですがね」 「ショコラさんが昨日おっしゃっていた通り、いくつかの話には街の中の場所の情報が含まれています」 「それらが全て正確である。という仮定の上で、ダイヤの受け渡しがされたと思しき場所を特定しました」 「……」 「わ、わたしも昨日1日考えて……でも頭こんがらがってしまうノデ、できなかったデス」 「クロウ君が一晩でやってくれました」 「クロウさんはやると決めたら本当にマジメですね」 「夢中になるタチのようで」 「……記憶を失う前は考古学者とか?」 「妖精さんだよ」 「妖精の秘宝的な、なにかしら呪われたお宝に手を出して記憶をなくしたとか」 「妖精さんだって」 「ソレデソレデ、その場所と言うのハ?」 「公園です」 「病院の近くの?」 「はい」 「あんな街はずれで、ですか?」 「それが面白いところなのですが、どうも町の歴史を紐解くに、あの公園はもともとこの街の集会場にちょうどいい立地にあるのです」 「集会場……」 「これが街の出来た年代から形を逆算したものですが――」  図に描いて説明した。  街の中央を流れる川。それに隣接する公園の位置。  街作りは、道を見るとどんな歴史を通ったか分かりやすい。ほとんどの道が川に至り、そのほとんどが公園を介しているのが分かる。 「あの公園、集会所を起点としてこの街が広がって言った歴史はほぼ間違いありません」 「かつて重要な議会が開かれたとしたら、ここを中心に考えるのがよいかと」 「……」  反応は――。 「ふぇええ」 「すごいですね」  周りの2人のほうが大きかった。 「自分が住んでるところなのに、街の作りなんて考えたこともなかったよ」 「こんな考え方もあるんですね。目からうろこです」  2人して地図に食いつく。 「ふむふむ」 「ああ、あーなるほど、ここに道があるからこの辺は家が集まってるんだ」 「見てくださいめるさん。このお店がある地区ってすごく古くからあるみたいです」 「おおー」  2人のほうが歴史に興味がいってしまったみたいだ。  まあこれはこれでいいこととして、 「いかがですショコラさん」 「は、ハイ、すごいデス」 「……」 「……?」  なぜか微妙な顔をしている彼女。  どうしたんだろう?  話の流れで、今日はショコラさんは泊まっていくことに。  なので今日も自分が寝る部屋はこちらだ。 「すいません毎度」 「いえ、クロウさんはめるさんとちがって部屋のものをあさらないから平気です」 「……」 「……あさってないですよね?」 「え、ないですよ」  急にどうした。 「コホン。まあその、タンスの中を見るくらいならいいですけど」 「あっ、上から2段目はダメですよ」 「見ません。見てもいません」 「あの、2段目の下着の段、奥の方に隠してあるあのふりふりのは、おそのさんが冗談でくれたもので私は一度もはいたことは」 「氷織さん、落ち着いてください」  一度もあさったことないのに秘密の方から漏れてきてしまったじゃないか。 「で、ではおやすみなさい」 「はい」  1人になる。 「……」  あのタンスの2段目は下着の段だったのか。 「……」 「…………」 「あのー」 「はいっ!?」 「ふぇっ? ど、どーしマシタ?」 「い、いえ」  とくに動揺する必要もないのに驚いてしまった。 「ショコラさん、なんです?」 「ハイ、もう少しコレの話がしたくて」  地図を持ってきたようだ。 「あっちの部屋はメルがウトウトしてるのでこっちで……いいデス?」 「はい、もちろんです」  2人で話すことに。  ダイヤの位置に関する話をまとめてみた。  といっても、さっきまでの話の繰り返しだが――、 「……」 「クローさんはすごいデス」  改めて感心しているショコラさん。  ……ちょっと寂しそうに見えるのは、  さっきも同じ顔をしていた。見間違いではないだろう。 「なにかあるのですか?元気を落とされているように感じますが」 「ん……あ、えっと」  聞いてみると、ショコラさんはやや詰まりながら、 「……わたし、には、分からなかったノデ」 「昔ママに言われたのデス。わたし、ロジカルな考え方が出来ないから、歴史の研究には向いてナイって」 「ママについて色々な国へ行きタイって思ったのニ、それで連れて行ってもらえナくて」 「ん……」 「クローさん、一晩で分かっちゃって、それはすごいことで」 「わたしも……同じコトできたら、ママについて行けたかなーって」 「……」  暗い口調。  彼女のためにと頑張ったのだが、  それが逆に、彼女のトラウマに触れたのか。 「……」 「前に聞きマシタよね。願いを叶えてくれるダイヤに、叶えて欲しい事はって」 「頭をよくしてくだサイって言うつもりデシタ。あは、あははは」 「……そう、ですか」  参ったな。  ショコラさんは頭が悪いとは思わない。ケーキの知識は深いし、覚えたら忘れないし。  ただそれを発展させて応用できるかといえば、あくまで子供の域を出ない。  もう少し大人になればおのずと出来ることだが――、 「……」 「お母さまがお好きなのですね」 「……」 「ハイ」  母親に甘えたい子供だからこそ、出来ないことがもどかしいのだろう。  願いの叶うダイヤモンド。  なぜこんなに探すのに夢中なのかが分かった。  ダイヤを見つけて願いを叶えて欲しいのではない。  ダイヤが見つかることそのものが、この街の伝承に隠された歴史を紐解くことそのものが、母親に認めて欲しいという彼女の願いを叶えることなのだ。 「……」 「クローさん?」 「いえ、すいません。そう考えると、ダイヤを見つけるべきかどうか悩んでしまって」 「え、ど、どうして?」 「見つけてしまうと、ショコラさんがお母さまについてこの街を飛び出してしまいます」 「ショコラさんにお会いしにくくなるとなると――、ダイヤは見つけてよいものかと」 「あ……」 「そ、それは、ちがいマス。わたしはもうパティシエになりたいノデ、クローさんのケーキが大好きですノデ」 「この街にはずっと残りマス。その、あの」 「く、くろーさんが……いるから」 「そうですか」  良かった。杞憂に終わったようだ。  もちろん彼女が本当に母親についていきたいなら、それを止める気はないが――。 「お母さまがこの街にいらっしゃるまであとひと月でしたね」 「ハイ。もうちょっと短い、3週間とちょっとデス」 「ではそれまでにダイヤを見つけましょう」 「ショコラさんが、見つけるんです」 「でも……わたし」 「ですから、自分も手伝って」 「2人で探し、2人で見つけましょう」 「あ……」 「いまのショコラさんにロジカルな考え方が出来ないならそれは仕方ありません。そのぶんは自分が補佐いたします」 「見つけたらダイヤにお願いすればいいんです」  大切なのは探すことだ。ロジカルな思考など、考えていればそのうち身につく。 「過程ではなく、その結果を作ること。すれば必要なことは自ずと身につくものです」 「ケーキでもそうだったでしょう」  マウントホールのケーキのときがそうだった。どんな過程であれ、完成品を子供たちに届けられたことが肝心だった。 「あ……」 「……」 「はいっ」  やることが決まった。  本格的にダイヤを探そう。少なくとも、その伝承が作られた経緯を。  それをショコラさんのお母様に見せる。  それが今のショコラさんにとって一番いいことだと思う。 「……」 「ん……」  あ、まずい。 「くああ」 「あ、クローさん、眠いデス?」 「す、すいません」  昨日はほとんど徹夜だったから。ついあくびが出た。 「ふふ、可愛い」 「スイマセン遅くまでお邪魔しちゃって。私、もどりマス」 「はい」  そろそろ時間も遅い。お開きにしよう。 「どぞどぞ」 「あ……はい」  布団に誘導してくれた。  横になると……ああ、ダメだ。眠い。 「電気消しマスネ」 「はい……お願いします」 「……」 「…………」  う……。  閉じた目の向こうで電気が落とされ、  意識が真っ暗な中に落ちていく……。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「……」 「……」 「すー」 「ふふ」 (もう寝ちゃった。よっぽど眠かったデスネ) 「……」 (いつも寝顔見られちゃってるから、お返しデス) 「じー」 「……」 「ふふ」 (クローさん) 「……」 (大好きデスよ) (うわうう、く、口にもしてないのに恥ずかしいデス) (……でも、大好き) (初めて会った時から……) 「……」 「ちゅっ」 (うわわ、わ、わ) (きき、キスしてしまいマシタ。それも口に) (口になんて、お兄ちゃんにもパパにもしたことナイのに) (でも……) 「……」 「はむ」 「ン……ちゅ、ちゅむ」 「んむ……ふ」 「んん」 「クローさん……」 「……」  う……?  口元になにか……。 「……」  ショコラさん?  なぜかショコラさんにキスされている。 「……」 「ん……」 「……」 (あえ? 起きて――) 「……」  ――ぎゅっ。 「ふわっ」  眠気でよく考えられないが、  とりあえずせっかくなのだ。上に乗っかっている体を抱きしめた。  そのままきつく唇を押し付け返す。 「あんふぁ、んふぁ、んはん」 「ん……んん」 「あうううん」  抱きしめた身体からはすぐに力が抜け……。 「……」  ……あ、ダメだ。  やはり眠気には勝てず、そのまま意識は落ちて行った。  ショコラさんを抱きしめたまま。 「あ……んぁ」 「くろー……さん」 「……」 「…………」  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ・・・・・  ・・・・  ・・・  ――げしっ! 「にゃう!」 「いたた……何ごとですか」 「すぴー」 「うう、なるほどめるさんの寝相ですか。フォルクロールの危険地帯ランキング第2位と言われるめるさんの寝ている半径2メートルに入っていたようです」 「ふぁあ、だいぶ早いのに目が覚めちゃった」 「……」 「さむっ。上着を忘れました」 「えっと……」 「部屋のやつを使おう。クロウさんならたぶんもう起きてるでしょう」 「おはようございます……」 「……」 「あ、まだ寝てるんですね。じゃあ静かに……」 「……」 「にしてもなにか忘れているような」 「……」 「あれ?そういえばショコラさんがいない?」 「昨夜は泊まったはずなのに夜は帰ってこなかったし、さっきもいなかったし――」 「んんぅ」 「……」 「クロウさんが寝ているはずの布団から長い金髪が見えます」 「クロウさんの髪ってあんなに長いうえ金色だったっけ」 「すぴー」 「……」 「クロウさんが寝ているはずの布団からショコラさんがはみ出しています」 「クロウさんって体の一部にショコラさんを生やしてたっけ」 「む……」  目が覚める。 「くああ。おはようございます」 「お、おはようございます」  ちょうど氷織さんがいた。あいさつする。 「お早いですね」 「そうですね。めるさんの寝相で起こされてしまって」 「ああ、おっしゃってましたね、めるさんは寝相がだいぶ……だと」 「はい。この街で一番悪いと思います」 「思ってましたけど、今日で一番が入れ替わるかもです」 「はい?」 「部屋を抜け出し別の部屋に突撃する脅威の寝相を見せたショコラさんが、寝相悪いナンバー1かもしれません」 「すぴー」 「むお!?」  なぜかショコラさんが自分の上で寝ていた。 「どういうことです?」 「えっと」  ショコラさんは部屋に寝かせたまま、ひとまず外へ。 「すいません、昨夜は寝る前の記憶がほとんどないのですが」 「昨日は朝から眠そうでしたもんね」 「その前にショコラさんと地図の話をしていました。それで最後に自分が眠気に負けて……」 「そのあと何があったかは分かりませんが、ショコラさんは地図を見続けて、そのままつい、といったところでしょうか」 「どういう『つい』なんですか」 「まあクロウさんとショコラさんのことなので私は口を出しませんけど」 「はあ……」  なんだか微妙な誤解があるようだが。  何もなかったのは確か。気にしないでおこう。 「……」  何もなかった……よな?  よく覚えていないから困りどころだ。  ・・・・・ 「ワワワワタシキョウハダイヤノコトヲシラベマス」 「はい」 「クローサンハオミセガアルノデベツコウドウデス」 「はい」 「スイマセンデシター!」 「はい」  起きた途端にショコラさんは出て行ってしまった。  うーん。  まあ寝顔を見ただけであんなに照れる彼女では、一緒に寝ていたというのはハードルが高すぎるか。  仕方あるまい。自分は仕事に注力しよう。  ・・・・・ (あううう、わたしはなぜあんなことを) (寝ている相手のくちっ、唇を、なんて、もう、謝っても許されないデス) (でもクローさんを見てたら、身体が自然と) (それにぎゅってされて……すごく温かくて、クローさんいい匂いがして) (ぽーっとしてたら……気付いたら朝デシタ) (あうううわたしはなんてコトをおお)  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「ただいまー」 「おかえりなさい」 「はーお腹すいたー。今日のおやつは?」 「今日は紫芋のタルトがあまり売れ行きよくないので――」 「じゃ、なくて」 「お疲れさまでしたクロウさん。お店とめるさんのことは私がやっておくので、しばらく自由にどうぞ」 「助かります」  公園に来た。  仕事の手を抜くわけにはいかないが、ショコラさんと約束したダイヤ探しも進めなくては。  氷織さんが自由な時間をくれたのはありがたかった。 「ふむ……」  とはいえ、  この公園に来たから、なにが見つかるわけでもない。  願いを叶えるダイヤ。ひいてはそれに類するものがでんと置いてあるわけではないし、  もしこのどこかに埋められているなんてことになったら、掘り起こすのはほぼ不可能だ。  欲しいのは情報。この公園が昔どんな形だったかだが――。 「あら」 「あ、どうも」  見知った顔が。 「わんわんっ」  犬の散歩中だったらしい。こっちに寄ってくると、 「今日は可愛い彼女さんは一緒じゃないの?」 「本日は別行動です」 「そう。ふふ」  妙に上機嫌な森都さん。  彼女は自分のことを気に入ってないと思っていたが、この件に関しては妙に協力的だ。  なぜだろう?  思っていると、 「どうして邪魔しないんだろうとか思ってる?」 「え……と」  似たようなことは考えていたが、少々悪意のある言い方だ。  森都さんはイタズラっぽくクスクス笑って。 「前も言ったけど、面白いからよ。あなたが願いの叶うダイヤを探すってシチュがシュールで」 「はあ」  どういう意味だろう。良く分からない。 「……」 「ま。見つかるでしょうねあの子が欲しいものは」 「あの子はもう手にしてるんだもの。あの金貨を」 「は?」  金貨?  あの金貨か?  どういう意味――聞こうとするが、 「……」 「昔話って――」 「はい」  彼女のほうが先に口を開いた。 「昔話ってどうもパターンが決まってるわよね」 「は?」 「この街のお話もそうじゃない。願いを叶えるダイヤに、お願いを聞いてくれる、妖精さんの夜」 「まあ……そうですね」  その2つは同じ起源があるかも。というのが今の考えだが、  確かに、世界中の民話をまとめたら圧倒的に多いパターンだと思う。  妖精さんやダイヤといった不思議な何かが人の思うどだい無理な願いを叶えてくれるというのは。 「昔から疑問だったのよね。すごく」 「もしもこの世に、お願いごとを叶えてくれる妖精さんがいるとして」 「そいつらはどうしてそんなことするのかしら」 「……」 「そんな魔法みたいな力があるなら、自分のためだけに使うわよね普通」 「妖精さんだって別に全能ではないわよね。叶えられないようなお願いもあるわよね。それでも人間のお願いを聞いてあげる意味ってなに?」 「願いを叶えるダイヤ。お願いを聞いてくれる妖精さん」 「どうしてそんなものがあるのかしら」 「……」  夢のないことを言う。としか。 「そうですね。現実的に考えれば、やはり世の中は叶わない願いが多いからでしょうか」 「せめてお話の中でくらい、なんでも願いの叶う世界があってほしい、と」 「つまんない答え」 「……すいません」  しかしそれ以外にどう言えと。  まあただ、もう1つ言うなら――、 「わんわんっ」 「っと。ごめんねきなこ。もう行くわ」  だがそこでワンちゃんから催促が入った。  挨拶もなく背を向ける森都さん。 「本は再来週には返しなさいよ。じゃあね」 「はい」  行ってしまった。 「……」  昔話のパターン……か。  ふむ……。 「……」 「ッ」  ふと目に冷たいものが入る。  雪……さっきからチラついていたが、やや降りが強くなってきていた。 「雨宿りかい?」 「そういうわけでは」 「いいよ、あたしももうじき帰るから、送ってやるさ」 「どうもです」  ここにも来る予定だったのでちょうどよかった。 「そこの公園の歴史?」 「はい。なにかご存じないかと」  公園に隣接する病院の主に聞いてみる。 「なんだい。ケーキ屋の次は社会の先生にでもなるのかい」 「はは、考えておきます」 「あたしは知らないけど、この建物については古くからの資料がいくつかあるよ」  カルテなんかを収めた棚を開けて、旧いボロボロのファイルを渡してくれた。  紙の資料をビニール包装したものだ。図書館で借りられる『本』でなく、明確な『資料』。 「貸し出しは出来ないから、読むならここですませな。あたしが帰るまでだよ」 「ありがとうございます」  読ませてもらうことに。 「おん?わしのお見舞いじゃないのかね」 「ああ……すいません。おみやげの類は今日は」 「ちぇ」  ・・・・・  しばらく読ませてもらったが、あの病院にはとくにこれといった情報はなかった。  分かったことと言えば、 「あの病院はずいぶん古いものなのですね」 「そうさねえ、街が始まったときからあったそうだよ」  一緒に帰りがてら、先生と話す。 「もともとは街の開拓のための怪我人を連れていく施設。その後、街で天然痘が流行ったころから病人収容所となり、そのまま病院の役割を果たすように」 「この街で一番多く人を看取った場所になるのかね。ちと縁起が悪いねえ」 「一番多くの人を助けた場所とも言えます」 「なるほど」  100%事実を追った資料だったので、昔話との関係は見られず。  あの公園の近くにある唯一の施設なので、ダイヤ、もしくはお宝を隠すには一番怪しい場所だが――。  あの建物の下に埋まっている。とかだと、取り出す方法がなくなるな。そうでないことを祈るばかりだ。  あえて引っかかるところといえば、 「怪我人の収容所にしては、少々人里から遠い気がしますね」 「んー?言われりゃそうだねえ」  感染病からの隔離にはちょうどいいが、怪我人を休ませるには地理的にイマイチである。 「街の開拓――以外になにかあったのでしょうか。この近くで」 「さあ?」  次に調べることが見つかったかもしれない。  ……って、ショコラさんを置いて調査を進めていいのだろうか?  どうしたものか。  ・・・・・ 「……はあ」 「ショコラ? どうした」 「イエ」 「今日はフォルクロールに行かないのか?最近毎日なのに」 「いいいイキマセン! イケマセンそんな!お兄ちゃんのエッチ!」 「エッ!? な、なんで!」 「あううう」 「……行けなくなっちゃいマシタ」 「どうしよう」  ・・・・・ 「ただーいまー」 「おかえりなさい」 「うーさむ。なんかもうどんどん寒くなるよ」 「今日はとくに寒かったです……はーっ」  手に息を吹きかけている。  確かに、週の初めからちらついていた雪は、日が経つにつれ勢いを増している。  週末の今日はもう吹雪にちかいくらいだった。 「でもやーっと金曜日。明日はお休みだー」 「はい」 「今週もお疲れさまでした」 「今日も変わりますね」 「ありがとうございます。ですが、今日はこのまま店番を務めます」 「あれ。いいんですか?」 「今週はずっと走りっぱなしだったのに」 「はい」 「色々調べてたよね。公園と、病院の歴史。そこから街の開拓についてとか、あとここら辺の山や谷の地形について」 「はい」  昨日までは大忙しだった。  それで、 「……ふぅ」  結論から言おう。 『ダイヤ』を見つけた。  調べてみれば簡単に見つかるし、同時になかなか面白い結果には行きついた。  しかし……。 「……」  問題が残る。  この1週間、肝心のショコラさんが一度も来ない  ショコラさんなしで『ダイヤ』を見つけてしまったのだ。  参ったな。一緒に探そうと言っておきながら、自分だけで終わらせてしまったぞ。  この件、『ショコラさんが見つける』ことが大事なのに。  なんとかそうなるよう誘導するか。  しかしショコラさん、突然来なくなったが、  なにかあったのだろうか?  開けて翌日、土曜日。 「はい。お願いします」 「ん……分かった妹に伝えよう」 「だがどうしたんだわざわざ電話をかけてくるなんて?」 「ですね。こちらも不思議なのですが」 「そういえば最近の妹は全然そっちに行かないな。5日連続なんて珍しい」 「まあいい。妹にそっちへ行くよう言おう」 「お願いします」  初めてになるのか。ショコラさんを呼び出すことにした。  今日も天候が思わしくないが――、向こうのとっているホテルよりはこちらの家のほうが都合が良い。  ほどなくしてやってくる。 「あの……あの」 「すいませんお呼び立てして」 「~~」 「最近お忙しそうでしたが、なにかありましたか?」 「えと、イエ、あの」  やはりぎこちないままだ。  うーむ。 「寝顔を見てしまった件は申し訳ありません。ただあれは事故と言うことにしていただければ」 「はっ、ハイ、そうデス。そうデスネ」 「……寝顔くらいならいいデスケド」 「?」 「なんでもないデス」  まだショコラさんの挙動はおかしいままだが、とにかく話を進めることにした。 「えと」 「こ、この1週間、こっちでも調べていたのデス」 「はい。こちらも進めていました」 「結果デスネ、なんとこの街とダイヤモンドの意外な関係が見えてきたのデス」 「ほう」  着眼点が良い。 「この街がある笛吹きの谷はもともと、ダイヤモンドの産地だったことがあるのデス」 「……」 「といっても街を開く前のことデスが」 「ダイヤは意外とどこでも採れますからね。ただ採掘に対する採算が合わないため、事業として長続きしないだけで」 「これは……関係ないかもデス。ダイヤの採掘は街の開拓がはじまったころには終わっていたそうデスので」 「んー、採掘の途中で願いを叶えるダイヤを見つけたからやめちゃったとかでショーか」 「……」  そっちに行っちゃったか。残念。  ショコラさんはロジカルな考えが出来ないと言うより、ロマンティックすぎるのが弱点だと思う。 「クローさんはなにか分かりマシタ?」 「そうですね……」  どう誘導したものか。 「……」 「もしかしてクローさん、もう分かってマス?」 「は……」 「願いの叶うダイヤモンド、見つけてしまいマシタ?」 「……」  表情を読まれたか。  ショコラさんは、望みは叶ったもののどこかふわふわした様子で、 「あ……そ、そうデスカ」 「わたしも1週間、がんばってきたケド……」 「あ、あはは、やっぱりクローさんはすごいデスネ」 「まあ、わたしが遅かったのかも、デスケド」 「いや、その」  マズい。  もともとこの分野には心残りがあったショコラさんの、トラウマとも言うべき部分に触れてしまったらしい。  強張った苦笑いで、こちらの考えを聞こうともしてこない。  聞くのが怖いのだろう。この1週間の自分の頑張りが、無意味に思えそうで。 「……」  仕方あるまい。少々強引だが、  力づくで解答まで導こう。 「ショコラさん」 「は、はい」 「ひとまずお茶にしませんか。ここに来るまで寒かったでしょう」 「え……」 「ケーキを用意しましょう」 「以前おっしゃっていた、ロジカルな思考についてですが」 「ハイ?」 「ショコラさんはロジカルな思考が出来ないから歴史家になる道をあきらめた、でしたか」 「そーゆーわけでは。ただママのお手伝いはできそうにない、と」 「そうですか。良かったです」 「パティシエの道を選んだのは、ロジカルな思考ができなくても出来る。と思っているようでは、困るところでした」 「それはモチロン」 「ケーキ作りはロジカルの塊です」  味のバランスに始まり、形状にも食べやすさと可愛さ、美しさを求められるし、なんなら箱や食器も雑であってはならない。  個人的な見解では、料理というジャンルの中では一番理論武装の必要なジャンルがケーキ作りだと思う。  まあ歴史研究とはベクトルのちがう理屈の組み立て方が必要ではあるが、 「こちら、昨日の余りなのですが」  冷えたスポンジを用意する。 「クリームとストロベリーは別にあります」 「ショートケーキを作ろうと思うのですがお付き合いいただけますか?」 「え……と」 「は、はい」 「ありがとうございます。では」  ――ザクッ! 「ふぇ!?」  そのスポンジを真っ二つにした。  さらに横向きにも真っ二つに。  4片に分けたら、今度は中央をくりぬくようにざくざくと切り刻んでいく。  ショートケーキならスポンジを切るのは輪切りに1回か2回がセオリー。突然のことにぽかんとなるショコラさん。 「……あ、この前の」  だがすぐに気付いたようだった。 「お願いいたします」 「ハイ♪」  意味が分かったショコラさんは、その切り刻んだスポンジを改めて円形に立てていった。  中央のあたりをザックリ落としただけで、外円は残っているので、組み立ては簡単だ。  真ん中はザク切りにしたスポンジの破片を集める。  あとはクリームとイチゴのスライス、ジャムでデコレーションしていけば、  この前、緊急で作ったマウントホールの再現である。 「わは、やっぱり美味しそーデス」 「いただきましょうか」  めるさんと氷織さんの分を残して、2人で食べることに。  まだ朝なのでお茶はコーヒー。砂糖は少なめで、 「いただきマァス」 「~♪おいしーデス」 「なによりです」  幸せそうにもふもふ口に運んでいるショコラさん。 「こうして作ると、ショートケーキとはだいぶ印象がちがいマスね」 「ですね。スポンジの空気の量や崩れやすさがちがうので、ショートケーキ。という印象からは外れます」 「でも美味しい」 「ハイ」  さっきまでの暗い表情はどこへやら、ニコニコしているショコラさん。  もう大丈夫か。 「これが、歴史研究に必要なロジカルです」 「はえ?」 「歴史というものは、タイムマシンの発明されていない現状、厳密に実証することは絶対に不可能です」 「ですので今あるピースを使ってそれらしきものを組み立てていくしかない」 「焼き上がりまでの時間がなくてはケーキはできない。だから出来たもので、ショートケーキらしきものを組み立てたのと同じように」 「ん……」 「ショコラさんは難しく考え過ぎなのです。確実にあるピースだけを集めるのが歴史研究ではない。その隙間を、ロジカルに埋めることが歴史研究です」 「……」 「もちろん出来上がりがケーキの形をしていないようでは困りますが――」 「……」 「……」 「さて。それでは一から考えていきましょうか」 「ハイ」  もともと歴史を調べて発表会という空気は自分たちには似合わない。  こうしてお茶の片手間に、お互いの意見を交換する――。くらいでいいだろう。 「あのデスネ。ダイヤの採掘は川の下流でやってまして、それがちょーどあの公園の辺りなのデス」 「あの公園は、集会所というより採掘のための寄合所だったのではナイでショーカ」 「自分もそう思います」  考えはすでにだいぶいいところに来ている。  あと一歩だ。 「近くに病院がありますよね。あそこはもともと怪我人の収容所だったそうです」 「ダイヤの採掘は怪我との戦いです。あのあたりが拠点だったのは間違いないかと」 「あ、ソレでデスネ、これに戻るんデスが」  店の窓際を指さす。  この前見つけた例の金貨は、そこに置いてあった。出所が分からないので、とりあえず店のインテリアになってもらっている。 「この金貨があった理由は、やっぱりこの区画がとても古いからだと思いマス」 「ええ、それは自分も思います」  金貨のことだけでなく、この店に街の気候に反して煙突があることもそれを物語っている。 「少なくともこの区画のどこかにダイヤは隠されてると思うのデス」 「もっといえばこの区画では昔、ダイヤ採掘が積極的に行われていた」 「ママにはここまで報告しマス。これだけでも、きっと喜んでくれると思うカラ」 「……」  落としどころを選んでしまったらしい。  うーん、ショコラさんが満足ならそれでいいが、  70点だ。 「もう一歩進めてみましょうか。ショコラさん、街の発展はまず何から始まると思います?」 「え……? と、人?」 「人の流入ですね。では人がたくさん来たら、絶対に必要なものは」 「家」 「と?」 「道」 「その通り」 「ですがこの街には、そんな道にとって何よりも大敵があると思いませんか?」 「え……それって」 「……」 「!」  意識が行ったのだろう。目を丸くするショコラさん。 「あー! 2人でケーキ食べてる!」 「美味しそうですね。ちょっと甘そうだけど」 「2人の分はそっちにありマス」 「わたしちょっと出かけマス!残りは2人で食べちゃってOK!」  立ち上がった。  おそらくは自分の考え至ったところまでこれでたどり着けるはず。  それが真実かはともかく。 「街が出来た時代からあって」 「街の出来た時代、みんなの願いを叶えるもの。それは」 「川デス!」  辿り着く。  今日はやはり天気が悪く、川はやや濁っていまいちな様相だった。  しかしその姿は変わらない。  この街が出来る前。それこそ、妖精さんとやらがいた時代から。 「……」 「ダイヤの採掘は、川でするものデスよね」 「はい」 「そして川というのは物流にとってきわめて重要な拠点です」 「街を育てるものは人、ひいては人の流通」 「川と言う物流拠点を抑えることそのものが街を発展させる礎となる」 「この『有桝川』そのものが、この街を開拓に来た人たちの『願いを叶えるダイヤ』だったのでしょう」 「ソレを、もともとこの川でダイヤの採掘をしていた『笛吹きの民』からいただいた」 「彼らにとっては一大決心だったはずです。ダイヤが採れたかもしれない川なのに、物流で、大きな船を通すようになれば採掘はできません」 「けれど一緒に街を開拓するために譲り受けた」 「あの伝説の正体はこんなところかと」 「わぁ……」  ショコラさんの顔が輝く。 「……」 「歴史のお勉強……面白いデスネ」 「ママが夢中になってる理由が分かった気がシマス」 「はい」  自分も調べている間、わくわくしていた。  刺激される好奇心を、証明と、自身の推理で埋めていく。 「これで、ダイヤにお願いしなくてもお母さまにご自慢できますね」 「えへへ」  願いを叶えるダイヤ。というのは結局おとぎ話だったが、  ショコラさんの願いは叶った。 「……」 「ああ、でもそっか、願いを叶えるダイヤ。お願いを叶えてくれるわけではないデスネ」 「?そうですね」  ダイヤが叶えてくれる――くれたのは『この街の開拓、開発』という願いだけ。 「ちょっと残念デス」 「他になにか叶えたい願いがあったのですか?」  お母さまへの手土産。という願いは叶ったはずだが。 「色々デス。もっと背が高くなりたいし、勉強も出来るようになりタイ。髪、コーリみたいにさらつやにもなりたいデス」 「そこらへんは……ご自分の努力かと」 「デスネ」  冗談っぽく笑うショコラさん。  橋の欄干から川を眺めて、 「あと……もう1つ」 「クローさんにして欲しいことも、お願いできマセンでした」 「?」  自分にお願い? 「なんでしょう」  自分に出来ることなら――。思って一歩を近づく。 「っ、な、なんでもないデス」  ショコラさんはいつものように顔を赤くして苦笑し、  ――一歩下がった。  ――ずるんっ。 「ふぃっ!?」  ――どぷんっ! 「……」  え。  雪で濡れた欄干に体重を預けたせいで、ひっくり返ったショコラさんの身体。  何が起こったかも分からないうちに、欄干の向こう側に消えた。  川に落ちた――。 「ッ!」  ――どぷんっっ!  迷わず飛び込む。  ――冷たい。心臓が止まりそうな冷水が一気に服に染み込む。  これは……マズいな。  水は濁りきり視界は0。 「く――」  いくら目立つ金髪といえど、見つけたのは奇跡だ。  ――ガシッ!  水は思ったより勢いが強く、すぐ引き離されそうになる。  とにかく離れないよう小さな体を抱きしめた。  く……。  ――どぷっ。 「ぷあっ!」 「くはっ」 「く、くろーさ……あぶんっ」 「っ……」  流れに必死で逆らっても、なんとか体を浮かせて息継ぎの時間を作るだけで精いっぱい。  岸まで泳ぎ着くのは難しいか。  とにかく、ショコラさんを放さないようにして、  どこかに引っかかるのを祈ろう――。  ・・・・・ 「もっふもっふもーっふ~」 「ハーフホール残してくれてたのに、1時間で食べちゃいましたね」 「んはー美味しかったー」 「ショコラたち、どこ行ったのかな」 「さあ?例の、願いの叶うダイヤでも探してるんじゃないですか」 「ふふ、あれもおかしな話だよね」 「クロウ君と2人で探してること自体がショコラのお願いを叶えちゃってるんだから」 「ですね」 「にしても――」  ――ガタガタッ! 「ふわ、すごい風」 「外、だいぶ吹雪いて来ました」 「ちょっと心配ですね」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「っくは!」 「ぷはうっっ!」 「はあ、はあ、だ、大丈夫ですかショコラさん」 「ハイ……はう……し、死ぬかと」 「自分もさすがに焦りました。どこか打ったりは?」 「ないデス。クローさんが守ってくれたカラ」 「クローさんこそ大丈夫デス?石とか、ガンガン当たっちゃってマシタ」 「自分は丈夫ですので」 「それより――」 「ハイ……」  あたりを見渡す。  街が遥か遠かった。  見えないほどではないが、川のずっと向こうにちらほら見える程度。  舗装されてないこの道では、歩いて帰るのに1時間はかかる。 「困りましたね」 「ふぃくしっ」  歩けないほどではないが、2人とも身体が冷え切っている。1時間も歩けるかと言ったら、少なくともショコラさんは体力的に難しそうだ。  なにより、  ――ビュオオオオオ。 「はう、あううう」 「こちらへ。多少は風も防げます」 「は、ハイ……」  ――パリ、パリ。  なによりも、吹雪。  こうして人工物のない、自然のままの環境に来ると、雪より風が脅威だった。  川からあがって、濡れた身体。  着衣の水分が、寒風に吹かれるだけで凍る。動くたび氷が割れる音がした。 「さ……寒いデス」 「……」  すでに溺れて体力を奪われた体では、発熱が追いつかない。  風邪をひくどころじゃない。凍死の危険がある。  街から1時間のところで遭難してしまった。 「……どこか風をしのげるところは」 「む……?」 「あ」  森の木々が目隠しになってよく見えなかったが、  近くにもう1つ、人工物があるのに気付く。  そうだ。前に街からもちらっと見えたっけ。  川下の森にのっぺりそびえたっている、ビル。  ここまで流されていたのか。やはり街からはだいぶ遠いな。  だがいまは助かる。 「行きましょう。風をしのげるだけで充分です」 「は、ハイ」  ・・・・・  ビルは完全に無人。いや完成前に放棄されたものらしく、内装と呼べるものはなかった。  窓すらつけられておらず吹きさらし。困ったものだが、壁があるだけで風の弱い箇所があるのは助かる。  なにより、 「これ……薪?」 「ですね。マッチも置いてありました」  なぜかは知らないが、吹きさらしながら湿気をしのげる場所を選んで、大量の薪が置いてあった。  屋上には釜? のようなものと、火を起こした痕。夏場にキャンプにでも使っているのだろうか。 「とにかく助かりました。緊急事態です。利用させてもらいましょう」 「ハイ」  持ち主にはあとで断るとしよう。盛大に使わせてもらう。  風の弱い場所に薪を集めて火を起こした。窓がないため、屋内でも煙の心配はしなくていい。  さて、それで、 「ショコラさん」 「ハイ」 「服を脱いでください」 「ハイ……」 「ハイ!?」 「服を早めに乾かした方が良い。そのあいだ自分の服を使えますので」 「え、え」  こちらは服を脱ぐ。  火という強烈な熱源ができたいま、寒さを凌ぐ方法は多い。  水気を切ってから、バサバサと火の上で踊らせた。  乾くには遠いが温める程度はできる。 「さ、お早く」 「ハ、ハイ」  さすがに脱ぐのには抵抗がありそうだが、緊急事態である。ショコラさんも大人しく従う。  おずおずと服を脱いでいき――。 「どうぞ」 「わぷっ」  脱いだところで、温めた自分の服を着せた。 「ショコラさんの服から乾かしてしまいますね。多少焦げたら申し訳ありません」 「あ、ああ、こういうこと」  火はまわりも温めるが、やはり上に熱が行く。  一刻も早く乾かすためにも、天窓に薪をさしてフックにし、そこに引っかけた。 「これですぐ乾きます」 「あは」  上半身を冷やさなければ気分的にだいぶちがう。  あとは待つだけ……だが、 「あれ、でもこれじゃクローさんが」 「自分は問題ありません」  自分はしばらく、上の着るものがなくなる。  まあ仕方ない。少々寒いが、焚き火は出来ているのだ、凍える心配はない。 「さ、しばらく休みましょう。このあと歩いて帰るので、体力を戻さないと」 「は……ハイ」 「……」 「……じゃあ」 「えいっ」 「おっと」 「これなら……どっちも温かいデス」 「そ、そうですか」  自分の服はぶかぶかというほどではないが――、  一緒に入る。という方法があるか。  火を焚いているので裸でも寒いというほどではなかったが、やはりそれよりずっと暖かだった。 「……」 「寒くありませんか」 「だいじょーぶデス」 「んぅ」 「ん……背中が冷えませんか?」 「ちょ、ちょっとだけ」  こうしているとさすがに服がピッチリになって、まだ濡れている生地が肌にくっついてしまう。  隙間に空気を挟まないと、外気で一気に熱が奪われた。  間になにか挟まないと――。  ――ぎゅ。 「はうあ」  背中に両手を回した。  抱きしめる感じ。華奢な背筋に両手のひらをつけて、 「これでだいぶちがうかと」 「は、はい……温かいデス」 「……」 「……」  さすがにショコラさんの顔が赤くなった。  緊急避難。あくまで危機回避のためとはいえ――、やっていることは裸で密着だからな。  こちらもなんだかいかがわしいことをしている気分でどぎまぎしてしまう。  ――むに。 「~」  ショコラさんの肢体は、白人特有のふわふわした餅肌で、全体的にふっくらしている。  だがこうして抱きしめていると、背中の筋の華奢さや、肩甲骨の形が分かる。  普段よりずっと近い位置にいることを意識してしまう。 「……」 「あ、あの。なんだか、汗かいてきマシタ」 「……まあ仕方ないかと」 「で、デスヨネ」 「……」 「……」  お互いに体温が上がっているのが分かる。  落ち着け。大したことじゃない。  ちょっとショコラさんの身体が抱き心地がよすぎるだけで――。  ――ぷにゅん。 「んぅっ」 「っ」 「す、スイマセン」 「いえ、こちらこそ」  つい背中を抱く手に力が入ってしまったか。ショコラさんが身をよじらせ、  ――ニュルゥ。 「……」  密着の角度が変わったことで、バストがこちらの胸板に擦れた。  おたがい体は濡れたままなので、にゅるにゅるしてなんとも言えない感触。  しかも――。  ――くにくに。 「……」 「はう……うう」  自分の身体の変化に気付いたショコラさんが恥ずかしさで泣きそうな顔になる。  気にしないで。言いかけたが、気付かないふりをするのが正解だろう。口を閉ざした。  この寒さだから仕方ないのだが、  乳頭が尖っている。  くにくにと柔らかさのなかに、2個所、しこり尖った部分がしきりに自己主張していた。 「あの、あの」 「な、なんでしょうか」  気付いてないふりだ、気づいてないふり。 「……イエ、なんでも」  こちらの意図に気付いたかは不明だが、これを『なかった』ことにする点には同意し、口をつぐむショコラさん。  そう。なかったことにしよう。おたがいに何も言わず――、 「……んぅ」 「んしょ……っ」  だがショコラさんのほうは、なんとか誤魔化そうと乳首の方向を変えようとした。  身体をよじらせ、  ――にゅるぅう。 「あうんっ」  けれどそれで逆に胸が擦れる。 「~……」 「……」  乳首の感触は隠せてないうえ、変な声まであげて、ショコラさんはもう真っ赤だった。  こ、ここまで来て気付いてないふりをするのも逆に不自然か?  いやだからって『尖ってますね』なんて言ったらセクハラにもほどがある。  やはり無視する以外ない。 「はぁ……」  妙に色っぽいため息をつくショコラさん。  甘酸っぱい香りがこちらの顔に掛かる。  ゾクゾクした。 「……」 「んふ、……ん、ふ……」 「……」  やはり落ち着かないのだろう。しきりに身をよじらせている。  抱きしめた身体は、ずっとドキドキこちらまで伝わるほど鼓動が脈打っていた。  まあある意味寒さはなさそうだが――。 「あと、5分くらいです」 「ふぇっ?」 「5分くらいで乾くかと」  焚き火の上にかけた服を見る。 「あ、ああ。そー……デスネ」  嬉しい……だけではないような、不思議な顔でショコラさんも苦笑した。 「ちょうど吹雪も収まっていますので、服が乾いたらそのまま街へ帰りましょう」 「ショコラさんも大変でしょうが、お付き合いください」 「は、ハイ」  本当は彼女だけここに残し、助けを呼びに行きたいが。このビルまでは道らしい道が雪で埋まっている。車は出せそうにない。  強引だが突っ切ってしまったほうが早いだろう。 「あと5分です」 「ハイ……」 「5分……デスネ」  ――きゅっ。 「ん……」  ふと、向こうからも背中に手を回して抱きついてきたのに気付く。  温かくて心地良い。 「……」 「ねえ、クローさん」 「はい?」 「……」 「願いを叶えるダイヤ、って、ホントにあるかもデス」 「は……ですから、昔話の比喩という意味では」 「そーじゃなくて」 「……」  じっとこちらを見つめてくる彼女。  なんだろう?  願いと言うのは、  なにを――。 「ん……っ」 「っ」 「……」 「ん……ぅ」  唇がくっつく。  え?  キス……されてる。  え? 「……ふは」  10秒ほどの後、離れた。  ショコラさんは白い頬を、いつもよりねっとりしたピンク色に火照らせて、 「最近、わたしのお願いが全部叶いマス」 「クローさんと一緒にいたい。クローさんの近くにいたい。クローさんとくっつきたい」 「全部叶いマぁス」  また口付けてくる。 「……」  自分と……。 「……」 「んふ、んんふ、んぅん」  ぐいぐいと唇を押しつけてくるのに――、 「……」 「んっ」 「あうむ」  こちらからも唇を押し付け返したのは、やはり彼女の願いどおりだろうか?  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「あれ。雪、やんできた?」 「みたいですね。まだまだ寒いけど」 「クロウ君たち遅いねえ」 「ですね。どうしたんでしょう」 「……あれ?」 「オリちゃん、ショコラが見つけた金貨ってどこ行った?」 「?そこに飾っておくことにしたじゃないですか」 「あれ。ない」 「あれ?朝まではあったよね」 「今日はお店開けてないから、誰も入ってないですよね」 「……消えた?」  ――バタン! 「ふはぁ」 「疲れマシタぁ」 「あ、おかえりクロウ君」 「ショコラさんも遅かったで……ずぶ濡れですね」 「すいません。お風呂、お願いして良いでしょうか」 「は、はいはい」  帰ってくるので汗をかいたが、身体は冷え切っている。  まずショコラさん、つづいて自分と体を温めた。  身体を清めた。  このあとのことに備えて。 「ふぁあ」 「今日ショコラ泊まってく?」 「え……とぉ」 「きょ、今日は帰りマス。お邪魔様デシタ」 「そうですか。お気をつけて」  一度去っていくショコラさん。  それからいい時間になって、 「んじゃおやすみークロウ君」 「おやすみなさい」  2人も部屋へ。  ・・・・・ 「……」 「……」 「はふぅ」  厨房に隠れていたショコラさんが戻る。 「な、なんだかスパイ映画みたいでドキドキしマス」 「同感です」  めるさんたちに、言い方を変えればウソをついた。罪悪感と冒険心でドキドキする。 「それで、その」 「さっきの……返事デスけど」 「は、はい」  さっきまでは混乱していたが――。 「えっと、ですね」  なんと言ったものか。 「……」 「やはり願いを叶えるダイヤというのはただの比喩だと思います」 「そう……デスカ」 「はい。ですから」 「これからは自分がショコラさんのお願いを叶える。ということで、いかがでしょう」 「……」 「はいっ」  飛びかかってくるショコラさんを受け止めた。  彼女の願いを叶えるのは、  自分の願いでもあるのだから。 「……んっ、ちゅ、ちゅむ」 「ぅ……」  覚えたばかりの子犬のようにこちらの口元に舐めついてくるショコラさん。  こちらはあくまで余裕をもってキスで返す。 「はふわぁ……」 「えへ、えへへ、えへへへへへ」 「どうしよう……なんだか嬉しいけど不思議デス」 「クローさんとこんなこと出来るナンテ」 「自分も不思議な気持ちです」 「……」 「んふふふ」  幸せそうに頬をとろかしている彼女。  可愛い。  ついさっきまで遭難しかけていたのも忘れておたがいに抱きしめあった。 「ちなみに、聞いてもいいでしょうか」 「ショコラさんのお願いと言うのは、いつから?」 「え、えと、いつからデショー」 「はじめてクローさんに会ったころには、もうこんな気持ちだった気がしマス」 「……」  たぶんこっちも顔がとろけていると思う。 「んふふふ」 「クローさん」 「はい」 「大好きデス」 「……」  さすがに照れる。 「えへ。そーいえば、クローさんの嬉しそうな顔って見るの初めてかも」 「う……まあ」  いつも無愛想なので、表情が崩れてしまうのは初めてだ。  困ったな。 「……」  ――さわ。 「ひゃっ」  誤魔化すためにお尻に触った。 「も、もおお」  嬉しそうに怒る彼女。  そうだ。キスまでは向こうが求めたとして、 「こちらは……どうします?」  もう一度触る。  キス以上は、今日もう進めてしまうべきか判断できない。  もちろんあちらに準備が出来てないなら焦らないが――。 「あ……えと」 「……」  ショコラさんは、さほど迷わず、 「お」 「お願いしマス」  ずるん。と、思い切りよく下を脱いでお尻を突きだした。  もっと撫でて。という意味と、おたがい顔を見なくていいので恥ずかしさが紛れる。いいポージングだ。 「では」  おたがいの願いが一致しているならちょうどいい。  ――ぐにゅ。 「んふゅっ」  真ん丸なヒップのふくらみを鷲掴みにした。  脂のたっぷりなここは、背中で思っていたよりさらにモチモチ小気味よい反動を返してくる。 「はう……はぁう」  ちょっと恥ずかしそうにしながら――、 「あぅん」  それでも自分から腰を持ち上げて、お尻を手にこすり付けてくる。 「ショコラさんは意外と積極的なのですね」 「そ、そーでショーカ」 「なんだかさっきから……クローさんに触ってもらいたくて。たまらなくて」 「光栄です」  そういえば、めるさんたちと遊んでいるときはかなり元気な子という印象だ。  恥ずかしがり屋だけど、それを超えると急にあまえたがりな本性が出る感じ。  乗り越えたいまは、生まれたばかりの子犬みたいにあまえんぼだった。 「では遠慮なく触りますね」  ――むに。 「んぅんっ」  さすさす、お尻の肉を撫でまわしながら、もう片方の手はよりきわどいところへ。  わずかに盛り上がったクロッチに触れた。 「は……はわ、あ……はぁ」  押し込めば、指が飲み込まれそうな沈みがある。  ヒップのそれとはちがう、弾力の低い柔味。  押したぶん指がくいこんで、あるところでむちっと返ってくるお尻の感触も悪くないが、  やはりこっちに気分がとられる。  ――むにゅむにゅ。 「んんっふ、んっ、ふっ、くふぅん」 「痛かったらいつでも言ってください」  デリケートな部分だが、心配した痛そうな声はない。  クロッチを持ち上げる曲線に沿って、さわ、さわ、指を前後させる。 「ふぁく、くっふ、っ、うふぁ、ふぅん」  可愛い声が返るだけだった。  サラサラのブロンドヘアが、たふたふと風にたなびく花のように揺れる。  お風呂に入ったばかりだからか、女の子の甘い香りを感じた。 「今日は寒い思いをしたので大変でしたが」 「もう心配ないようですね」  ――ぬる。 「くふぅんっ」 「こんなに熱くなっています」 「んふ、んふんっ」 「熱いの……そこだけじゃないデス」 「体全部……あと、もっと奥も」 「なによりです」  もちろんそこだけでなく、全体を撫でまわした。  ショコラさんはまだ幼く見えるが、スタイルはほぼ完成されている。  すっと長い手足。健康的に肉の乗った太もも、くびれた腰つき。  どこを触っても楽しい。  ――さわさわ。 「は、あふ、はふぅう」 「くろーさん……ちょっとくすぐっタイ」 「おいやですか?」 「イヤだなんて……くすぐったくて、すごく気持ちよくて、でも」 「あの、もうちょっと、あの」 「分かっています」  自分としては、その肉をひとつひとつ撫でまわすだけで充分なのだが、  先にショコラさんのほうからもっときわどいところへ触ってほしくなったようだ。  ――ぐにゅ。 「きふゅぅうんっ」  改めてクロッチ越しの盛り肉を押す。  今度は触るでなく、押す。  肉の裂け目の、内部へ指をやった。 「あ……あ……あ!」  下着越しに内部に衝撃が来て、それだけでショコラさんはびんっと背筋に肩甲骨を浮かせて悶えた。 「刺激が強いですか?」 「ちょ、ちょっと」 「でもでも、もっと、もっと触ってほしいデス」  甘え上手な本領発揮といった感じで、自分から腰をふりふりする。  ――ちゅぶ。 「ん……」 「んえ、なんデス?」 「いえ」  指の埋まった粘膜帯を、優しくかき混ぜてみる。  ――ちゅく、ちゅぷ、ちゅぶ。 「ふぁ」 「もうだいぶ濡れていますね」 「あ……わ、濡れるって、こんな、濡れるんデスか」 「わたし……初めてデス、エッチなお汁、こんなにいっぱい出ちゃうなんて」 「そういう体質なのですね」  愛液が出る量は、汗と同じでかなり個人差がある。よっぽど出る体質でないとこの程度の刺激で外まであふれてくるのは珍しいが、  刺激が強いのか、少ない体質ではないのか。ショコラさんのそこはもうとろとろに濡れていた。 「びっくりデス。自分でするときはもっと……」 「はい?」 「あうあ、イエなんでも……」 「……」  あわててそっぽを向く彼女。  だがばっちり聞こえた。 「自分では……よくするので?」 「えうう、く、クローさぁん」  からかうのはよくないが、恥ずかしがるショコラさんがかわいすぎる。 「こんな感じ?」  ――くちくちヌチヌチ。 「あっ、うっ、うっ、ふうう、くぅふぅうん」  濡れた内部をかき混ぜながら聞いてみる。  ショコラさんは困った顔ながら、 「は、ハイ……。あの、あの」 「夜、眠れないとき、クローさんのこと考えながら……くちゅくちゅって、してマぁス」 「んひ……ふ。奥の方がじっとりして、お汁が出て、それを……かきだす感じ」 「ああふぁぅうお腹の熱いのが爆発するまでぇ」 「……」  絶頂ももう知っているらしい。  なら下準備はそこそこでいいだろう。快感の受け入れ準備はできている。 「ここを?」 「はう……っ」 「あ、わ、わ、わ、わぁああ」  邪魔なものを脱がせた途端、ショコラさんの反応が変わった。 「なにか?」 「い、イエアノ、あの」 「クロー……さんに、見られてるんだって思って、ちょっとビックリしました」 「?」  なにをいまさら。 「だから、その。そういう覚悟、みたいのはしてたのデスガ」 「触ったり、その、エッチなことするのは覚悟してても、見られるのは、その」 「お兄ちゃんにも、誰にも見せたことないので、ちょっとビックリして……えへへ」 「……」  したいと思ったことに対する迷いのなさと、羞恥心との兼ね合いがとれていないらしい。  ある意味ショコラさんらしいか。 「ええ全部見えていますよ。ショコラさんの恥ずかしいところは全部」 「あうう言わないでくだサぁイ」 「お尻の穴まで丸見えです」 「……うう、わ、わたし、クローさんにお尻まで見せちゃってマス」 「あうううん」  あえて恥ずかしがらせると、次第にショコラさんは緊張を忘れていく。  羞恥心はあっても、躊躇している理由はあくまで驚きによるものだ。  慣れさえすれば、自分に見られるのを嫌がることはないし。 「わ、わたし、すごくエッチなことしてマス」 「はい」 「私……エッチデス、あうう、はううん」  自分からお尻をふりふり、もっとエッチな姿を見せる。  むしろもっと恥ずかしいところを見せたい。という甘えん坊な気持ちに変わるのにそう時間はかからなかった。  ――ぬちる。 「きゃうううんっ」  人差し指の先を、ぬんめりした秘粘膜の内部へめりこませる。 「あ、あ、あ」  さらに力をかけていけば、どんどん進んでいった。 「ふぁわわ、わわ、わはうう」 「ちがうっ、ちがい……マス。自分でする時と……ぜんぜんっ」  ぐーっと華奢な背筋を弓なりにする。  指先には、粘膜のほうから熱いエキスが吹きだしてとぷとぷと潤滑油が吐きかけられた。  それを生かしてもっと、もっと奥へ。 「はううう、ひゃうんっ、はっ、うううん」  クレバスの内部は、クリームみたいに柔らかでどこまでも進んで行けた。 「んんぅっ、くふぅんっ、ううんっ」  時おりびくん、びくん、ヒップ全体が蠢き、連動して内部の粘膜がところどころせりあがる。  そのぶつかりもまた心地よい。 「痛みは?」 「ないっ、デス……くうううんっ、はんう、はふうう、あうんっ、あああうんっ」  少し動きを休めると、むしろもどかしそうに向こうから腰をせり出してくる。  ウニつくクレバスは、新鮮そのものながら、すでに飲み込んだ指を堪能していた。 「はあっ、ひゃあっ、あわわ、はああ」 「あっ、あっ、くろーさん、くろーさぁんっ」 「敏感ですね」 「さっきからこっちまで反応しています」 「ひゃあっ」  ずっとお尻を突き出してくるので、尻たぶがめくれてピンク色の中央部までこちらには強調される。  そっと触られた肛部は、一瞬恥ずかしそうにぎゅっとしわを刻んで窄まり、  それからどこか嬉しそうに、ムニムニと反応した。 「あくぁ、ふぁ、ふぁああ。お尻は、お尻はらめぇ」 「ここはそうは言ってません」  ヒップの肉を捕まえたほうの手で、親指を伸ばしぐりぐりあてこする。 「あんぉっ、のぉおお、らめ、そこ、やん、やぁんっ」  前と比べて恥ずかしさが段違いなのだろう。ショコラさんの反応は否定が強い。  だが嫌がりもしないのは、感度も段違いなのを示している。 「あうあああ、うああああ」  快感の波長が変わったのか、ウットリ蕩けるような嗚咽をあげている彼女。  この様子だと、後ろも開発すればかなりの性感帯になりそうだ。  まあ今日のところはアクセント程度で、  ――ぬちっ、ぬちっ、ぬちっ、ぬちっ。 「きゅあひっ、くひいいんんっ、ひんっ、ひんんっ」 「んああ、くろ……さっ、きゃううううそこっ、んぁっ、そこ、すご……」 「あはぁあああああああああああああぁぁああっ」  リズミカルにラビアへ埋め込んだ指を揺らす。  綺麗な桜色の粘膜は、ミチミチと裏返って指にへばりついてきた。  頂点が近いのが分かる――。 「あうっ、くろーさん、くろーさん待って、待って」 「はい?」 「あうふ、あの、……わたし、このままじゃその、一番、大きいのが来ちゃいそうで」 「ええ。そのつもりです」 「あの、あの」 「最初はできれば、その、くろーさんと、ひとつになってカラがいいなって、その」 「ん……」  ああ、なるほど。  ちょっと男側のわがままが出過ぎていたようだ。 「了解しました」  一度体を返す。 「えと」 「ふ、服、脱ぎマスネ」 「はい……あ、ちょっと待った」 「こちらで脱がせます」 「わ……っ」  抱きしめた。  ひざの上に乗っけて、服を脱がせて行く。 「あう、うう」 「も、もう、クローさん。これじゃ赤ちゃんみたいデス」 「イヤですか?」 「いや……では」 「でもちょっと嬉しくなっちゃうのは、困りマス」 「ですね」  これから大人になるのだから。 「ん……」  改めて顔を向け合うと、恥ずかしそうにする彼女。  可愛い。 「怖くはありませんか」 「ちょ、ちょっとダケ」 「わ……」  こちらがモノを取り出すと、一瞬目を丸くして、そのままそらした。  自分が見られる恥ずかしさは耐えられたが、こちらを見るのはまだ難しいか。  あまり恐怖を与えたくない、そのまま伸し掛かった。  体重はかけずに、布団を真似る感じでふわっと彼女を包む。 「ショコラさん」 「……クローさん」  そうすれば怖くないようだ。嬉しそうに目を細める。  キスしながら、もう一度お尻に手をかけてぐいっと引き上げた。  ぬとーっと溢れた蜜が腿まで伝う個所へ、切っ先をあてる。 「あふあ」 「く、クローさんの……すごく熱いデス」 「そうでしょうか」 「ハイ」 「ショコラさんのここも熱くなっています」 「同じ気持ちなのでしょう」 「……えへへ」  嬉しそうだった。  もう怖くはなさそうだ。  ――にち、にち。 「ん……っ」  体重をかけていく。  ――ぬろっ。 「ひうっ!」 「っと」 「ど、どしました?」 「ショコラさんのが濡れすぎていて滑りました」  亀頭がまっすぐ行かなかった。 「もうこんなにびっしょりですから」 「あうう、恥ずかしい」 「そんなにしたのはクローさんデス」 「光栄ですよ」  もう一度、落ち着いて割れ目に先を合わせた。  濡れているというのもあるが、ショコラさんの穴は初々しいものでだいぶ狭い。  指で充分にほぐしてはあるが――。  ――ぐ。 「んふ……っ」  ――ググ、ぐぐぐ……!  それでも、力ずくでこじ開けなければならない。 「ぃうっ、うっ、く」  やはり相応に痛むのだろう。顔をゆがめているショコラさん。  胸が痛むが、ここは早く済ませたほうがいい。  ほころびを無理やりに貫いて、一気に未踏の領域へと、  ――ずむるっ! 「くふぅんぅっ」  びくんっとショコラさんの肢体が、ブロンドの髪をちらしてのけぞった。 「はぅ、はあ……ぅ」 「はいり……マシタ?」 「はい」 「あは、あはは」 「痛みはありませんか」 「ちょっとだけ……でも、だいじょぶ。この痛さ、好きデス」 「もっと来て……全部入れてくだサイ」 「はい」  こちらもかなり緊張するが、あまり長引かせるより早めに済ませたほうがいい。  膨れ上がった亀頭で窮屈な肉の道を押し開いた。  ――みちっ、みちゅっ。 「んぅっ、んんぅん」  強烈に段差のあるヒダが壁のように阻むので、乗り越えるだけで大変だった。  時おり感触のちがうものが叩くのは処女膜だろうか。よく分からないが、 「きゅい……ひ」  血流を帯びて焼けつくシャフトに内部が開かれるのを、ショコラさんは歯を食いしばって待っている。  やはり痛いのだろう、目には涙が浮かぶが――。 「はぁーっ、はぁーっ」 「あは……あはは、くろーさん」 「またひとつ、お願い、叶いマシタ」 「何よりです」  そのまま、根元まで埋めきるのと同時に小さな体を抱きしめた。  ちょっと股間がムズつくが、いま動かすと痛くしてしまう。彼女が慣れるまでのんびりと。 「はうあ、はああ」  幸い彼女も、痛みはあれど 「えへ、えへへ」 「くろーさんにギュッてしてもらうの、好きデス」  こうして抱擁していると落ち着くようだし。  そのままどれくらい待っただろう。10分や15分はかけたと思う。 「ん……んん、んぅ」 「……」  キスと抱擁で続けていた粘着な行為が、次第に下腹部にも伝わりだしていた。  ねっとりした感触が、自分のものを舐めるように、絞るようにうねりだしている。  ただでさえグイグイ来る狭さのなかでこの動き。さすがにこちらもたまらないものがあり、 「うく……っ」  ビクンとペニスが跳ねた。 「あんっ」  と――可愛い声が帰る。 「慣れてきましたか?」 「み、みたいデス」 「さっきから……おまたが熱いのが、だんだん気持ちよくて、あは」 「あう、うんんんん」  意識したら感度の昂ぶりが増したらしい、可愛く泣きながら、身体をよじるショコラさん。 「では動きますね。……あ、ショコラさん」 「ハイ?」 「このあとは夢中になって、落ち着いてお話できないので言っておきたいのですが」 「愛しています」 「~……」 「あなたの願いを叶えるすべてになりたい。と、切に思います」 「……」 「わ、わたしも、大スキ」 「愛してマス……」  おたがい惹かれあうように唇をくっつけて、  ――にゅぐるっ。 「くふぅううんっっ」  腰に体重を乗せた。  ――ずにっ、ずにっ、じゅにっ、じゅにっ。 「んんふっ、くふぅっ、うんンっ、ううんっ」 「あっ、あっ、くろーさん……やん、はゃんっ。お腹熱い、熱いデス」 「痛みは?」 「ナイ……デス」 「き、気持ちイイのが……どんどん来てマぁス」  ずにり、ずにり、荒くはしないように腰をピストンさせた。  前へ、後ろへ、突くと言うよりは移動させる感じの腰づかい。 「んっふ、んくぅう、くううん」  そうした優しいやり方が、ショコラさんにはちょうど良さそうだった。 「はあっ、ああは、んっ、ふ、はあ、はうう。あんっ、あっ、あっ、あっ、っくうう」 「くろー……さぁんっ。やんっ、はん、どんどん、どんどん大きくなるぅ。気持ちイイの、大きくなってきマス」 「それに身を任せてください。怖がらずに」 「は、ハイ……ふぁ、っはあっ、はああ」 「ああうううく、くふぅんっ、ふぁあ、ふぁああ。あんっ、はあんっ、ああああんっ」 「ああぁああぁあ~~~~っ」  次第に自分が動くのに合わせて、ショコラさん自身も腰をじわじわバウンドさせるようになってきた。  恥骨の浮いた形のいいおへその下がクネつくのは、気持ちイイところにこちらのものをぶつけているのだろう。 「ふぁうう、はああうううんっ、くろーさん、ああああすごぉおいいい」 「すっかり気持ちよくなりましたね」 「はいっ、はいっ、あんんイイ、いいデス。気持ち……ィ、ひんんんん」  動きはどんどん大胆になる。  持ち上げて旋回するようにうねったり、自分のつきこみに合わせてぶつけてきたり。  どんどん荒いのを欲しがってくる。  ――ぐちっ、ぐちっ。 「きふぅ、ふぃふぅっ」  小さな穴の中では、自分のものの全長がハマれば簡単に子宮口をついてしまう。  その衝撃もすでに快感と受け取っているようだった。 「んっ、んんんっ、んんぅううう」 「ああはっ、ひううううんっ、あんっ、あんっ、はやぁん」 「あっ、あっ、あっ、くろーさんの、クローさんの硬いのが、奥……当たってる、持ち上げてマスぅ」 「ふぁうあうあああああああああっ、くうううんっ」  声もどんどん遠慮がなくなっていくのが耳に心地よかった。  結合部では最初からたっぷりだった潤滑油が、さらにとぷとぷと内部から場所を追われてはみ出している。  微妙に光沢のちがう、粘膜帯にある小さなポッチ。クリトリスも勃起しているのか出てきてしまっていた。  そういえばさっきは触れなかったな。  ペニスの根元で触ろうと、ぐりぐり前進させた。 「きゃううううんんんっ」  子宮をもっと持ち上げられ、悲鳴を上げる彼女。  最奥の口はまわりのねっとり柔らかな粘膜と違ってコリコリ強めの弾力がある。  そこで亀頭が押されるくらい密着させると、 「ううううううっ、くううううんっ、んぅううんっ」 「きゃひあっ、ひは、ひ、ひいいん」  ようやくクリトリスに届いた。  これまでも時々は刺激はあっただろうが、狙い打たれるとまたちがうのだろう。ショコラさんが目を真ん丸に見開く。 「あっ、あっ、くろーさん、くろーさんもうだめ。もぉらめデスぅ」 「わたし、わたし来ちゃう。来るのっ、ばーんってすごいの来ちゃうぅ」 「ええ、今度こそそれにゆだねてください」 「自分もそろそろ……ね」 「あは……くろーさんも?」 「くろーさんも……気持ちヨク……なって。~……あっ」  自分自身の感覚より、こちらを気持ちよくさせているという事実がトドメになった。  ふにふになのに贅肉ひとつないボディは、ぐぐーっと弧を描くくらい力み、 「くぁ……ううふふぁああ、ふああああ」 「あああイク、イキ……マスっ、いくっ、いくっ」 「うっ、んんぅうううんっ、くぁああああああんっ」  わなわなっと電気に撃たれたよう震えあがる。 「ああはああああああっ、はあああっ、ひゃあああああああっ」 「くふぁ、くろーさんっ、くろーさん大好き、大すきぃいい」 「あぁああああああーーーーーーーーーーーーーーっ!」  びくびくびくっと大きな痙攣を最後に、喘ぎが頂点をきわめた。 「っ――」  合わせてこちらも――。 「くっ」  ――どぷくっ、どぷっ、どぷぷぷぷぷっ!  そのままトリガーを引く。 「うふぁっ、くは、くひゃあああんっ」 「あああ来てる、来てマス……熱いの、熱いのぉっ」  吐きだした大量のものは、絶頂に震えるショコラさんにも分かるくらいの熱と量で、  ――じゅぶちっ。  小さな子宮には入りきらず、すぐに逆流した。 「ふぁは……はああ、ああああ」 「……これが……クローさんの」 「……あは」  どぷどぷ溢れる白濁を、嬉しそうに目を細めて指でなぞる彼女。  お願いが叶った女の子の嬉しそうな顔は、たぶん世界で一番可愛いものだと思う。 「くっ」  ――びゅぶぷるるるるるっ! びゅるるーーーっ!  ギリギリで腰を引いた。  吐きだしたものは、他所には抑えられず、そのままショコラさんの体中にかかってしまう。  しまった。ティッシュに収めるつもりだったのに。  だが熱いシャワーを受けたショコラさんは、 「ああは……あは」 「クローさんの……あったかいデス」 「……幸せ」  嬉しそうに目を細める。  うーん……失礼なことをした気がしたが、  彼女が満足そうならいいか。 「はー、はー」 「……ふぅ」 「ショコラさん……大丈夫ですか?」 「だいじょぶ……デスケど」 「ちょっと疲れました、あふぅ」  体力の限界なのだろう。そのまま目を細める彼女。  今日は遭難込みの大冒険だったからな。疲れているうえ、最後にこれでは仕方あるまい。 「寝てください。後片付けしますので」 「あう……でも、もっとクローさんとおしゃべりしたい」 「……そう焦らずに」  うとうとしながら嬉しいことを言ってくれるのでちょっとこちらも頬が緩む。 「これからはいつでも一緒なのですから」 「……ハイ」  そのまま意識が落ちる。  眠りについたブロンドのお姫様。自分は、汗だらけのくしゃくしゃなシーツを変えつつ、冷えないように布団をかけてあげて、 「……」  ――ちゅむ。 「ぅん」  無断でキスした。 「……」 「くろーさぁん」  たぶん眠ったままだったろうが、キスの相手は分かりきってるとばかり自分を呼ぶ彼女。 「……」  もっとしたい気持ちを抑えて後片付けするのは大変だった。  ――シャッシャッシャッシャッ。――スタタタタタタ。――とぽぽぽぽ。 「おっはようクロウ君!」 「おはようございます」 「ねえねえ、部屋、ショコラが寝てるみたいだけど昨日泊まってったの?」 「ああ、えと、はい」 「お、おはようございます」 「おはようございます」 「……」 「なにか?」 「こ、声、は、もうちょっと落としたほうがいいかと」 「おはよーゴザイマス」  みんなが集まってくる。 「というわけで」 「ラブラブちゅっちゅになりマシタ♪」  2人には言っておくことなのでご報告。 「ふぇえ」 「……知ってます」 「えへへ~」  くっついてくるショコラさん。 「んー、ショコラはまあ最初からアレだったし、こうなって良かったとも思うけど」 「なんかクロウ君を取られちゃった感が」 「自分にはめるさんも大事な方ですよ」 「わーい」  こっちもくっついてきた。 「……」 「コーリは来ないんデスカ?」 「私はもともとくっつくようなキャラではないです」 「というか、ショコラさんはいいので?」 「どして?」 「ヤキモチとかとは無縁ですか。クロウさん、楽が出来そうですね」 「こんにちはー」  そこで11時になる。  今日も店が忙しそうだ。  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「え……そうなの?」 「ハイ。将来のおムコさんデス」 「つまりお兄ちゃんの弟デスヨ。ヨロシクお願いしマス」 「だ、そうです」 「……」 「君は身長はいくつだ?パッと見た感じ僕より30センチは高そうだけど」 「計ったことはありませんが、そうですね、30センチは高そうです」 「こんな弟ヤダ……」 「す、すいません」 「むー、ヤダじゃないデス」 「だいたい30センチもちがうのはクローさんが大きいってだけじゃなくて、お兄ちゃんが小さいからデス」 「がーん!」 「そういえば、ガトーって背の高さショコラとあんま変わらないもんね」 「ショコラさんも足は長いけど、身長が高いというほどではないですよね」 「う……う……」 「ガトーっていまいくつだっけ。ボクらよりは上として」 「私の学年の男子でも大きい方は結構いますが」 「やめろ!ずっと目をそらしてる現実を突きつけるな!」 「ま、まあまあ。成長期というのは個人差がありますから」 「うぐ……年上感満載で気配りしてくる弟もヤだけど、いまはこの優しさに甘えないと心が折れる」 「まあ僕がとやかく言うことじゃないさ。それならそうと覚えておこう」 「よろしくお願いします」 「ああ」 「あと2週間と少しでこちらに来ることだし、母上にも当然挨拶するんだよな」 「ん……」 「あ……」  自分より、むしろショコラさんの顔がこわばる。  お母さまへの挨拶。  ひいてはお母さまに会いに……か。 「……」 「もちろんです」 「えへへ~」(べた~) 「なんかもうほんとに1日中くっついてたね」 「仕事はマジメにこなしてたけど、それ以外の時間は全部、でしたね」 「だってだって、もっとクローさんとぎゅーってしたいデス」 「同感です」  ひざに乗せたショコラさんを撫でる。 「はいはいごちそうさま」 「ボクたちは退散しよっかオリちゃん。冬なのに暑すぎて汗かきそう」 「明日は学校ですしね」  気を使ったのだろうか。いつもよりやや早めに出て行ってしまう2人。  当然のように自分とショコラさんだけで残された。 「なんか……気を使われマシタ?」 「かもしれません。まあ甘えさせてもらいましょう」  めるさんと氷織さんの態度は、呆れたようだったが100%厚意だ。  なら100%堪能させてもらおう。 「えへへ~」(ぎゅー)  ショコラさんも異論ない模様。 「クローさん」 「はい」 「……」 「スキ」 「はい」  なんか間の抜けた返事になったが、ショコラさんは嬉しそうだった。  キスしてほしそうに口をむにむにさせるので、応じてあげたり、そのままサラサラの髪を撫でたり。 「はうう」  甘え上手な彼女を、たっぷり甘やかせてあげる。 「ショコラさんは照れ屋な方と思ってましたが、意外とぐいぐいなのですね」 「んぅ、そーデスカ?」 「クローさんの前だと猫かぶってたかもデス」 「なるほど」 「わたし……もうちょっと控えたほうがいいデス?」 「いえ。素のままのあなたでどうぞ」 「わぁい」  そのまましばらくくっついている。 「……」 「あそうだ。お母さまのことですが」 「ん、は、ハイ」  この話題だとショコラさんはちょっと緊張する。 「……」 「やはり、ちょっと苦手?」 「苦手……というか、緊張デス」 「ママに会うと、なに話していいか分からなくて」 「で、でも今度は平気デス。クローさんと調べたお話がありマス」 「そうですか」  ならいいが。  昔話から追ったこの街の歴史はなかなか魅力的な題材だ。話のタネにくらいなるだろう。  ただ問題はその場で、どんな空気が作れるか。  こればかりは当日にならないと分からない。 「……」 「ねーねークローさん、それより」 「ん」  すりすりしてくるショコラさん。  胸を当ててくる。柔らかい感触を、すりすりと。 「今日もですか?」 「ダメ?」 「股が痛んでいるのでは?今日、ずっと腰を気にされていました」 「あう、き、気づいてマシタカ」  あの小さな体でがんばったからな。今日は一日筋肉が張っているだろう。 「でもヘーキデス。したいデス」 「ちょっとは痛いケド……またクローさんが入ってくる幸せな感じ、したいデス」 「ふむ」  困ったな。こちらはあまり痛がって欲しくない。  とりあえず、 「では――まずは様子を見る意味で」 「お風呂でも一緒しますか?」 「ハイ♪」  ・・・・・ 「今日は、レアチーズケーキ作ってみたいデス」 「レアチーズ……ゼラチンを使えば簡単ですが、この店は天然材料にこだわっていますから少々手こずりますね」 「あのデスネ、バナナを練りこむとそれっぽいものが作れてデスネ」 「ぴこーんぴこーん、美味しそうなものレーダー作動!」 「キテますキテます。これはかなりキテますよぉ」 「メルも食べマス?」 「めるさん、私たちは学校ですよ」 「あううう。でもレーダーが、レアチーズが」 「今日は試作するだけですので、帰ったら味を見てください」 「帰るまで……7時間から8時間」 「待てよ。お昼休みに1回戻るとか」 「なら私が怒られることはないからいいけど、とにかくいまは遅刻します」(ずるずる) 「残しといてねー」  嵐が去った。  では、めるさんが帰ったとき、せいぜい喜んでくれるようがんばるか。 「そういえばショコラさん、今週のご予定は?」 「ん、ソーデスネ」  料理学校に通う彼女は、毎週月曜は休みらしいので今日はいいとして、それ以外の曜日は休みがまちまちだ。 「明日もお休みです」 「本当に?」 「ほ、ホントデス。そりゃクローさんといたくて予定はずらしたけど、サボるのはしてないデス」 「なら良かった」  ここら辺の分別はしっかりしないとな。 「そして明日も心置きなくご一緒できる。ということは今夜も一緒できるようで」 「えへへへ~」  おっと。ケーキケーキ。  レアチーズ。材料が特殊になるが、やってみれば意外と簡単だ。  というか、ショコラさんが手順を学校から仕入れてきてくれている。  まだチョコレート細工やクリームのオシャレにぎこちない部分はあるが、知識だけなら確実に自分より上。  ショコラさん、パティシエになりたいという夢はどんどん実現に近づいている。  そうだ。 「ショコラさん、ショコラさんのお好きなケーキってなんでしたっけ」 「ふぇ、えと」 「ミルクレープ」 「でしたね」 「今度、お母さまとお会いする日のケーキはそれにしませんか」 「ふぇっ? で、でも、シンプルにショートケーキって」 「はい。ですからそれも合わせて」 「2人で作りませんか。自分はショートケーキを担当しますので、ショコラさんは」 「あ……ナルホド」 「で、でも、私に出来マスかね。そんな、もし失敗しちゃったら」 「ならばしないよう今日から練習しましょう」 「ショコラさんはもう充分にパティシエです。お母さまに、それを見てもらいましょう」  もうひとつの話しの種にもなる。 「……あう」  ちょっと自信なさそうなショコラさん。 「自分も手伝いますゆえ」  だが間違ってるとは思えない。だから改めて推す。 「う~」 「わ、分かりマシタ」 「でもっ。改めて教えてくだサイ作り方。やっぱり自信ないデス」 「もちろんよろこんで」  不安を拭う手伝いはする。  こうしてちょっとずつ、お母さまをお迎えする準備が出来つつあった。  ・・・・・ 「それで今日はミルクレープパーティなんだ」 「はい。よろしくお願いします」 「もちろん処分に協力するよ。まふまふ~」 「コーリもちょっとでいいから食べて欲しいデス。味の感想、欲しいノデ」 「うう、見てるだけで胸焼けが」 「ちょっとだけですよ。はむ」 「せんきゅ」 「うんどれも美味しい」 「やや作りすぎたのはありますが、味はどれも問題ないはずです」 「味付けを変えてる。とかはないんですね。全部一緒で」 「はい。あくまで、味の調整が目的です」 「逆にちょっとレアチーズケーキは……」 「そっちはやっぱり難しかったデス。要研究デスネ」 「私は好きですこのレアチーズ。甘すぎないで」 「はむあむ。ただ売り物になるかは微妙ですね」 「そちらは一時凍結ですね。いずれ売り物になるくらいの出来にはしたいですが」 「っと、失敬」  もう閉めた店の方に電話の音が。  外部電話。お客様用だ。 「はいもしもし」 「はい。ああはい、ご予約ですね」 「え……明日ですか?はい、いえ可能ですが、はい」  やはりというべきか、注文の電話だった。  ひとつ困ったことはあるが、  とくに問題はない。  戻る。 「なんだった?」 「ご注文です。例の養育施設から」 「ああ、この前のマウントホールの」  あれでお気に召していただいたのかまた、今度は普通のケーキの注文が来た。  のだが、 「ショコラさん、明日は少々早くなるのですが、朝どうなさいますか」 「え、注文、明日なの?」 「はい。前回のアレで誤解されてしまったようですね」 「ああ~、ごめん、ボクあそこの子たちに『注文は前の日にして』としか言わなかったかも」  予約注文は、前日『15時まで』というルールがある。  そのあと発注が入っても、基本的には翌日の予約は受けないことになっていた。  ただご予約いただいた養育施設の方たちからは、前回『当日』という特例中の特例を受けたので、そこらへんが伝わっていないらしい。  向こうからすれば『前回とちがって今回は前日までに予約したので大丈夫』という感覚なのだろう。これはもう仕方ない。  またマウントホールならさすがに考えるところだが、今回は普通のケーキ。受けられない依頼ではなかった。  15時までというルールは、明日渡す時に軽く伝えればいいだろう。 「ちょっと慌ただしくなっちゃうけどね。ボク、手伝おうか」 「いえ、大丈夫です」 「ほんとに?」 「朝の早くにめるさんに包丁を持たせるのは不安なので大丈夫です」 「う……冷静だね」 「だいじょーぶメル。メルは明日も学校ネ」 「わたしがいるからヘーキデス」 「ありがとうございます」  補佐はついていただける模様。  これで――。 「私も手伝います」 「はい?」 「手伝いますよ~。私、ケーキ大好きですから~」 「……これは」  聞くまでもないが、 「ちょっと甘いもの食べ過ぎたみたい」 「ミルクレープ、多かったようですね」 「はあ……なんかくるくるしてふわふわします」 「くろ~さん、ちょっと抱っこ」 「は、はあ」 「ぎゅーしてください」 「はい」  ぎゅー。  久々の甘えっ子モードな氷織さんなのでこっちも何となく逆らえない。 「はふぅ。ショコラさんはいつもこんなこと出来るんですか。いいですねえ」 「コーリもいつでもOKデスヨ」 「わぁい」 「えと……ですね」  慣れないことだけに照れる。 「氷織さんが来るのは珍しいと言いますか」 「ん……」 「照れるクローさん……わたしにはない反応デス」  ショコラさんも引っかかってしまった模様。 「えへ~、くろーさーん」 「は、はあ」 「ぐぬぬ、ナゼデショウもやもやシマス」  参ったな……。 「くああ」  翌日は早起きして、ケーキ作りにかかる。 「オハヨーゴザイマス」 「おはようございます」 「つーん」 「ショコラさん?」 「つんつーんデス」  なぜかショコラさんの機嫌が悪い。  なぜだろう。昨日のことは彼女も了承済みのはずなのに。 「それが複雑な乙女心というやつですよ」 「おはようございます」 「おはようございます。甘いものがない国に旅に出たいのですがどこか心当たりないですか」 「ないよそんなこの世の地獄みたいな国」 「知っていたらお教えしたいですが、いかんせん記憶喪失でして」  お2人をお見送りして、 「さて、注文されたケーキです。ショコラさんクリームをお願いします」 「ハイ」  幸いショコラさんは暗い気分を引きずるタイプではなく、すぐこちらにあわせてくれた。 「ケーキ、1つくらいなら増えてもあまり変わりないデスネ」 「そうですね。作る上の労力は前日までに依頼があれば問題ありません」 「ただ問題は」  ほどなくして出来上がる。 「あ……」 「こういうことです」  大量に残ったクリームを見て、察するショコラさん。 「今日の分のミルクは今日届けてもらうのですが、その分量が前日の17時連絡なのです」 「ケーキ1つ増えれば当然そのぶん増やす必要がありますが、その場合市販のパック品を使うので、量が調節できません」  ケーキ屋にとってクリームは命だ。少なすぎるよりは、多すぎるくらい作って適量を使うほうがいい。  なので、 「イッパイ余っちゃうんデスネ、生クリーム」 「仕方ないとはいえ、廃棄するのはいささか気になります」  毎朝のケーキは基本的に分量を逆算して作るので材料があまることはあまりない。というか余らないよう作っていくが、  緊急で1つだけの注文が入ると、その計算が難しくなる。必然、かなり余ってしまうのが困りものだった。 「ソッカ。プロのケーキ屋さんは、こういうことも考えなくちゃなんデスネ」 「パティシエを目指すなら注意ですね」  経費問題は、店としてケーキを作るには、避けては通れない。  自分の場合は、もともと店主の御仁がある程度データをまとめていたので、それを見て逆算するだけだが。  自分の店を持ちたいショコラさんは覚えておくべき点だ。 「勉強になりマシタ」  ショコラさんはしばらく、余ったクリームを眺めて。 「モッタイナイデス」 「デモ夢が叶うカモ。コレ吸ってイイデスカ?」  目を輝かせて、まだ中身の残っているクリームの絞り袋をとった。  難しい話より甘い物か。彼女らしい。 「口金を外してどうぞ」 「わぁい」  袋の部分は使い捨てなので衛生的な問題はない。めるさんもよく吸っているし。  金属の先端部を外す。 「あ~~~~ん」  袋にもついている『☆』型の口を、直接咥えるショコラさん。  ――ぶちゅー。 「ん~~~~~~っっ☆」  生クリームをじかに。  端から見ているとツラくないかと思える光景だが……、女の子は想像以上に甘い物が好きだ。 「ひあわせデス」 「なによりです」 「クロウさんも一口いかが?」 「ん……はあ」  もう1ヶ月クリームに囲まれて生活している自分はそんなにやりたいとも思わないが、  にっこにこで勧めてくるショコラさんを無碍にするのは悪いか。 「では、一口」 「ハイ、あーん」 「あーん」  はむ。  ――ぶちゅーっ。 「くふっ!」 「ひゃん!」 「けほっ、し、失敬」  思ったよりすごい勢いで出された。吹きそうになる。  ギリギリ噴射はしなかったが、顔をそむけたので飛び出たクリームが顔にかかった。 「あやや、ス、スイマセン、強かったデス」 「ですね、けほっ」  もっとゆったり来ると思ったのだが……。  ……ショコラさん、さっきはあんな勢いで吸ってたのだろうか?  女の子は想像以上に甘いものが好きなようだ。 「拭きマス、お顔コッチに」  手近なキッチンペーパーを取るショコラさん。  任せよう。自分は顔を近づけて――、 「……」 「れろぉ」 「……」 「なにゆえ?」 「おいしそーデスカラ」  屈託なく笑う彼女。 「はむ、あむ、ちゅろ」  無邪気100%の笑みのまま、こちらの頬や首、口元にかかったクリームを舐めだした。 「……」  もちろん文句はないので大人しくする。 「えへへへへ、甘いデス」 「そうですか」 「自分も味わいたいですね」  小さく口を開いた。 「はむ」  口をくっつけて、舐めとったばかりの舌をねろりと差し込んでくる。  甘い。  これなら好きになるのも当然な味だった。 「ぷふ、ふふふ、いいですねこんな食べ方も」 「ケーキにするより好きかもデス」  そのままクリームの味がしなくなるまでぺちゃぺちゃと舌を舐めあう。  甘い、良い香りがする口唇。  ただ……。 「そんなに、ですか?」 「はい?」 「試してみましょう」  隙だらけの彼女の手から、クリームの絞り袋を取った。  なにをされるか悟ったのだろう。ショコラさんは、にまーっと笑ってあごを付きだす。  その口元にぺちゃりとクリームを乗せた。 「あふ」 「おひげみたいデス」 「乗せすぎましたね」 「取らなくては……はむ」 「ああんむ」  今度はこちらから舐めにかかった。  まず唇。それから口の周りを。  ほっぺがすべすべなので舌触りが良い。 「くふ、ふふふふ、くすぐったいデス」 「……あ、クローさん」 「ん……」 「あむちゅ……んち」  と、密着しすぎたのだろう。今度はこちらの口についたらしい分を舐めにきた。  あちらにもまだ残っているので、自然と舐めあいになり、 「あふ、んふ、んん」 「ん、ぅ」 「くぅふ……はうん、んちるぷ……」  ――ぼたっ。 「あうっ」 「おっと」  取り損ねたクリームの塊が、重力にひかれ落ちた。  ショコラさんの胸元に。 「あちゃ」 「拭かないと染みになってしまいますね」 「え……でもエプロンデスよ?」 「エプロンでも染みにはなります。拭かないと」 「あ……ハイ」 「ヨロシクお願いシマス」  先ほどのキッチンペーパーでエプロンを拭いた。  ぬぐいやすいように前を外していく。 「~」  恥ずかしそうな、嬉しそうな、微妙な表情のショコラさん。  真珠を散らしたような光沢のある、ミルク色の肌があらわになった。  相変わらず肉質が柔らかそうで美味しそうだ。 「拭けました」 「ハイ」 「では……続きを」 「はぁい」  にちーっとクリームを塗り広げた。  口元とちがって安定感があるので落ちそうにないのがいい。 「いただきます」 「わふっ、ふふ、ふふふふふ」  思い切りかぶりついた。  ホイップクリームも、その下の肉感も同じくらいの柔らかさで驚きだ。  もちろん肉のほうは、ある程度押し込むとニュルリと甘い弾力を返してくるちがいがあるが。  感触を存分に楽しんでから、  ――にろ、にろ。 「はふん……っ、あふ、ふぁ、ふぁう……ふ」 「どぉ……デス?」 「大変美味しいです」 「ドッチが?」 「どちらも」  はむ。 「きゅんっ」  色素の薄い先端部を口に含む。  さすがに食べるわけには行かないが、じっとりと舌で転がしながら吸った。  ……ほんのり甘いミルクの味がするような。気のせいかな。 「ふぁふ……んふ、んんふ。くろーさん、赤ちゃんみたいデス」 「……カワイイ」  嬉しそうに両手をこちらの頭に巻きつけてくる。  抱きしめられた。こちらでするより強く、柔らかな乳丘に顔が埋まる。  気持ちイイ……のだが。 「くふ、ショコラさん」 「あ――すいません忘れてました」  柔らかい感触に行きつくまでに、まだクリームが大量に残っているのだ。  埋めてしまっては。顔にもべったりとクリームが来た。  困ったものだ。自分は一度胸を吸うのを中断して顔を離し、 「ふふ」 「あむちゅ、ちゅぷるる」  べったりになった顔を舐めてもらう。 「はむ、んんち、んちる、れるれる」  先ほどは口元に集中していたが、今度は顔全体。額や目元もナメられるのでおかしな感じだ。  全部終わったら、改めて  ――ぶちゅうう。  またぶちまけた。  今度はさっきより更に多くなっているのは……、こちらの顔にかかること前提だからだろう 「はむ」 「くふぅん」  遠慮なく食べさせてもらう。 「うふぁ、あうふ……ぞ、ゾクゾクします。クローさん、今日は、その、なんだか」 「ちょっと強めにしているかもしれませんね」  ――きゅむ。 「ンむっ」  今度はクリームでなく、そのまま乳頭へ行く。  さっきよりわずかにしこり固くなったてっぺん部をねろねろ舐め回す。 「あっ、ふん……っ、ふく、うふ、うう、んんん……ぅんっ、ううん、んっ」  ――さわ。 「ふあう……く、クスぐったい、デス」 「……」  くすぐっているのだから当然だ。  両手をヒマさせているのもなんなので、脇腹や脚なんかも適度に触る。  ぴくぴくと生まれたての猫みたいに小さな刺激1つ1つに反応しているショコラさん。  ――つぅーっ。 「ひう……っ!」  とくに背中が感じやすい。指を当てるだけでぐーっと反り返って行くのが分かる。  するとこちらに胸が押し付けられるので、 「あむ、んむ」 「くふぅうう、うふ、ふうう」 「あうううう」  もちろんそこだけでなく、胸元から落ちてきたクリームを、  ――つぅーっ。 「んんんぅうう」  こちらは舌でなぞり舐めたり。 「はぅ、はふぅ」 「あふううううんんん」  背中を伝うのと連動させると、くすぐったさに逃げ道がないらしい。とくに反応がすごかった。 「くふぁうう、く、クロー……さぁん。そんな、いっぱい……したら」 「あうううう」  むずむずして仕方ないらしい。両足をそろえて、もじもじ足をこすり合わせる。  少々イタズラが過ぎたかな。 「ぷは」 「はん」  一度口を放す。 「お願いします」 「あ……は、ハイデス」  今度はこちらがされる番だ。顔についた分を拭ってもらう……。 「はむ、んちゅ、あぁむ……ンン」 「んふ……」 「……」  のだが……。 「はふ、はあ」 「んんん」 「んちゅう」 「……」  火がついてしまったショコラさんは、口にばかりキスしてきた。 『クリームを舐めとる』という大義名分はもう頭から飛んでしまったらしい。  ま、仕方あるまい。口の周りについた分は、自分で拭って、自分の舌へ。 「んっ」 「くふんっ」  こちらからもキスを仕掛けた。  おずおずと開いた口の中へ、クリームつきの舌を埋め込み、なすりつける感じでねろねろとかき回す。 「くっ、ふううん、ううんっ、んふぅんっ」 「んち、んちぅうう、くふぁ、くろぉ……さん、んっ、んんっ、んぷぅうん、くうん」  すっかり口のなかも出来上がっているらしい。ショコラさんはしきりに鼻を喘がせている。 「お味はいかがですか?」 「あんふ……あまぃ……デス」 「甘すぎて溺れちゃいそう……んっ、んんっ」  少し離れても、もっともっととばかりに向こうから口をぶつけてくる。 「くふん、ううん、んっ、んぅううんんん」 「はむち、んちるぷ、ちゅる、ちゅくぅ」 「くふぁああんん……」  意識が朦朧としているのだろうか。眠りに落ちる直前の子供みたいな、トロンとした目になっている。  あまりやり過ぎると気をやってしまいそうだ。ちょっと大人しい舌使いに切り替えた。 「くあふぅん」 「き、きすって……すごいんれすね」 「ショコラさんは特別……のようですが」 「そんなことないデス、たぶん」 「クローさんのやり方が特別に……デス。……あんむ」  すっかりクリームのことは忘れて、口腔をまさぐられる感覚の虜になっているショコラさん。  ならそちらを優先しよう。  ――つむ。 「んひぅ……っ、ま、またおっぱい……ぁ」 「おいやですか?」 「あううう……」 「さ、触って欲しい……デス」  乳頭に指をやり、軽くつまんでやる。  さわ、さわ、真っ白な胸乳が薄紅に変わっていく端からなぞるような触り方。 「はっ、うっ、くううう……んんっ」  くすぐるような触り方でも充分刺激が強いらしい。息をのんでいた。  吸うでなく、改めてふれたショコラさんのバストは、大きさこそないながらかなりの触り心地を感じさせる。  肌質そのものがモチモチしているのだろう。柔らかくて、指がどこまでも沈んでいく感じ。  ――むにっ。 「んくんっ!」  すっかり背伸びしてしまっている、尖った乳首をつまんだ。  本人がぷるぷるっと震えるたびに、バスト全体が連動して小刻みに弾むのが印象的だ。  わずかばかりの染みもない肌は、塗りたくったクリームのせいもあり搾りたての生乳のような光沢のある白さに輝いている。  その分、色素は薄くても、つんと重力に逆らう乳頭が目だっていた。 「はぁふ、はうん、はぁ、はぁ」  じっとり舌を絡めて口を塞いでいるせいか、そんな感度の園をいじられていると、ショコラさんの息がきれるのが早かった。  ぷに、ぷに、転がされるたびに甘やかな吐息がこちらの口の中へ吐きかけられる。 「あんぅ……も、くろぉ……さん。へんな、変な気持ちデス」 「変なことはありません。それが正常かと」 「この前と同じ……でしょう?」 「……ハイ」 『クリームの食べさせっこ』が明確にそうではない話しに移った。  嬉しそうに笑うショコラさん。……ちょっと話が遠回りになりがちなのが彼女の弱点だ。  その分は自分がすすめたほうが良い。 「脚を開いて」 「ハイ……お願いしマス」  恥ずかしそうにはにかみながら、短いスカートの中で足を広げてみせる。  そっとそちらに手をやると、もうショーツの上からでも分かる。クロッチに熱い染みが出来ている。 「ちょっとお待たせしすぎましたね」 「そんなこと……お菓子作りの片付けしなきゃなのにスイマセンデス」 「さっきからクローさんと2人だから、えっちなこといっぱい考えちゃいマシタ」  正直な方だ。 「自分もです」  そのまま抱き寄せた。  嬉しそうに首に手を回してくるショコラさん。  体重が軽いので受け止めて、そのまま腰にのっけてしまう。  ここには横になれる場所もないし、仕方ない。  このまま――しかない。  ――ぐに。 「はうんっ」  ショーツを脱がせて、こちらもズボンをおろす。  飛び出したものの上に乗っけると、熱さと熱さがぶつかりあっておかしな感触だった。  トロトロに蕩けた肉だけに、あてがうとそのまま、  ――ぐ、ググ……。 「んふ……ふくあ、ふぁあああ……んんっ」  ゆっくり、ゆっくり、結合が始まる。 「痛みはありませんか」 「だいじょぶ……デス。……んんっ、前と同じで、すごいキツさ、デスケド」  やはりショコラさんの小さな身体と自分とではサイズが合っていない。  けれど彼女は構わず腰をゆすって、自身の体重で結合を深めようとしてきた。  もっともっと、早く早くとばかり。  ――にち……ニチ……ぅ。 「くふぅうう……うう、うふううう」  幸いなのは、前回よりは痛みが薄そうなことか。 「ああは、はああ、くろーさん……感じマス」 「くろーさんの、熱くて、硬くて、いっぱいな感じ。えへへ、この感じ、大好きデス」 「なによりです」 「んっ、んんっ、んふうううん」  ――ずず……ずるぅ。  大好きデス。の言葉にウソがないのは、彼女の身体も示している。  とろとろにふやけた粘膜が、自分のものを感じると柔軟に広がろうとするのが分かるのだ。  ずるり、ずるり、結合がすすんでいく。 「あっ、んっ、んっふ、んくん……」 『キツい』よりは『気持ちイイ』に近い声。  大丈夫そうだ。  ――ぐにっ。 「ふぃっ」  ムチプニのヒップをむにっと鷲掴みにした。  お肉を左右にひらいてやる。  ――ググググ……っ! 「くっ、いっ、ひいいいんんんっ」  腿の肉も連動して引っ張られるため、腰の位置はさらに落ちる。  結合がさらに進んで、一気に穂先が最奥に触れた。 「っふ、くっふ、ふぁあ、くろうさん、くろうさんそれダメです、やんっ、やんっ」 「は……なにか?」  ちょっと急ぎ過ぎただろうか?声の感じは喜んでいそうなのだが、  結合を浅くするべく、掴んだままのお尻を持ち上げる――。 「うっふぁああああああんっっ」  む……。  だが持ち上げる前の段階。お尻を掴む手に力を込めただけで悲鳴が強まった。  これは……。 「相変わらずこちらが感じやすいですね」  掴んだまま、指先を中央に移していった。  ――プニプニ。 「きゃうううんっっ」  可愛らしいお尻の穴を突くと、乳首のときよりありていで分かりやすい反応が返る。  本当にこちらが敏感なようだ。 「はんっ、あんっ、らめぇえ、おしり、おしりやデスぅ」 「失敬」  あまり責めるのも酷だ。指を放す。 「はん、あん」 「んぅ……」 「……」  ショコラさんもなんとか落ち着く。 「……」 「ん……」 「……」 「もっと触ってほしいなら触りますが」 「いえっ!?そそそ、そんなことないデス」  ちがうのか。モジモジしながらお尻を気にしているから勘違いした。 「……」 「では……そちらでなく」 「こちらに集中しましょう」 「え? ……あふっ」  下品な言い方だが、出口から入口へ。  改めてその可愛らしい唇にキスした。  実はさっき、ちょっとし足りなかったのだ。 「やふん、あんぅ、んむ、んふん」  ちょっと間を置いて落ち着いたのだろう。さっきは呆然としていた濃密なベーゼだが、今度は楽しそうに応じてくるショコラさん。 「あうふ、ぅふん、んんっふん」 「えへ、コレいいデスね。くっついたままキスしてると、幸せな感じがいつもより強いデス」 「ですね」  キスが上手く緩衝材になってくれた。挿入の衝撃から意識がそれた。  なので、  ――ぐいっ。 「うふぅんっ」  口をつなげたまま、改めて腰を突き上げる。  いきなり子宮をぐりっと突かれて、驚いたんだろう小さく悲鳴をあげるショコラさん。悲鳴の分甘い吐息がこちらの口の中へ来る。 「痛かったら言ってください」 「は……ハイ。あふっ、ふあんっ、ふくぁあんっ」  この前のことで、ショコラさんの内部構造はだいたい把握している。  奥部を押す動きはなるべく優しく、逆に引く時、浅い部分にはやや強めに圧を加えると、 「ふぃひあっ、ひあっ、ひっ、ひぃんっ、くろーさ……ああっはっ、ああんっ、はあぁ」 「それ……あう、それすごいデス、あうっ、はうん」 「あっ、あっはっ、はんっ、はああんっ、ああんんっ」  くっつけた口端からあふれるショコラさんの声音は、あっという間に甲高いものへと切り替わっていく。 「んぅううんんん、くろーさん、くろぉさぁんっ」  器用に舌は使っていられないが、それでもショコラさんはキスはやめようとしなかった。  気持ちイイためのキスでなく、感情をぶつける感じに、ぐいぐいこすり付けてくる。  ならすべて受けとめるのが礼儀だ。こちらも、歯で唇を痛めないよう優しく受け止めながら、  ――ぬちっ、ぬちっ。 「んふぅっ、くふぅんっ、うううんんっ」  なおも腰をゆすって内部を刺激する。  身長差が大きくあるので、彼女の足は床についていない。完全に自分が抱っこしている形だ。  なので小さく揺するだけでも、接合部には強烈な負荷になっているだろう。 「んんんぅああっ、ああはあああああ、はぁっ、はああっ、あっ、あっ」  ――ぐちぃ。 「きゃはぁああああああんっっ」  わずかに円運動すれば、それはそのまま蜜肉すべてをひっかくことになる。  膨れ上がった雁首がハマるのだろう、ショコラさんの反応は、声だけでなく中身も大きかった。 「ぅんんんぅうううんんっ、奥で、ううう、奥に、硬いのきてマスぅ」 「あくううううう」  カリの返しに絞りだされた膣粘膜のひだひだがせめてもの仕返しにとこちらに噛みついてくる。  それが快感で、こちらもさらに雁首を剥きだすよう亀頭に血の気が行ってしまった。  するとまたとろけた媚肉が反応して、ぎゅうぎゅうとペニスに向かってきて、  堂々巡りだ。 「あううう、うふぅ、うふぅんんんっ」  複雑にぶつかり合うのは秘所だけではない。  もうひとつの結合部。唇もぐりぐりぶつかり合う。 「あっう、んうん、くふ、くふうう」 「も……ね? くろー……さんっ、わたし、わたし……」 「いつでもいいですよ、お好きな時に……」 「っふぁああ、くふぁああんっ、はああ、はんっ、あんっ、あああああ」  感情は直線的に登りつめて、そのまま頂点へ向かっている。  みっしり埋め尽くした膣肉をキュンキュン窄まらせてさらには両手で自分の首を抱きしめる。  一ミリも許したくないくらいくっついて、密着して、 「うううふふうううう、うううううっっ」 「んくっ、くぅああう、あああああああぅっ」 「は――」 「あぁぁああああああああーーーーーーーーッッ」  とうとう唇が離れた一瞬に、ショコラさんは爆発したような嗚咽を放った。  粘度の高いハチミツのような膣肉がペニスにくっつき、強烈に窄まる。 「あぁああっ、はぁああ、あぁあああっ」 「あはぁーーーーーーーーーーっっ」  絶頂――。  前回よりもずっと慣れた様子で、頂点に上り詰めそれを甘受しているショコラさん。  ――なら。 「っ」  ――びゅっぷるるるるるるるるっ!  ――びゅくるるるるっ! びゅるるるるるぅーーーっ! 「くぅひあ……っあああああ!」  一番深くと結合したまま、感覚の堰を切る。  放たれた熱いものは、一気に飛び上がって彼女の内部を突いた。 「ひぁああう、ひぁああああんんん」 「出てる、なかっ、おくっ、熱いのが――ぁ」 「あはぁああーーーーーーーっっ!」 「はぁあああんっ、ああああああんんんっ」  抱きついてきていた身体も、自分の手の中でびぃんと弓なりの反った。  もちろん抱きしめて支えるが、すごい暴れようだ。  鋭い絶頂感に、刺されているようにスレンダーな肢体が揺れ惑う。  それを逃がさないよう抱きしめながら、 「っ、っ」 「ふぁはぁあああ……、はぁああ……」 「……」 「お疲れさまでした」 「はぁうう……」 「……」 「結局……ケーキのこと……、ほとんど覚えてまセン……」  ・・・・・  その日はさすがに、1日乗り切るのが大変だった。  翌日は、めるさんたちだけでなくショコラさんも学校へ。  久しぶりに1人で店をあけることになった。 「……」  情けないことに、ちょっと寂しく感じてしまう。 「~♪」 「ショコラさんは最近、腕がめきめき上達していますね」 「ソーデスカ?」 「ええ」 「フォルクロールに通っているのだったか。よい場所を見つけましたね、ケーキだけならば、私もあの店のマスターには及ばない」 「っと、いまは二代目でしたか」 「二代目というか……」 「まあ私は洋菓子全般を務めるパティシエ。ケーキ以外では負ける気はないが――」 「あ、そーそーガトー君にはさっき話しましたが」 「?」 「そうだショコラ。母上がこっちにくる日にちが決まったぞ」 「え……」 「はあ~」 「どうかされましたか」  店の終わったタイミングでショコラさんが来た。  聞くと、 「月曜日?」 「来週の……頭じゃないですか」 「ソーナンデス」 「ママったらいっつもスケジュールキツキツで。急に言いだしたと思ったらもう1週間もナイデス」 「まあまあ。早くショコラさんたちに会いたかったのでは?」 「かもデスケド」 「もうあまりのんびりしている時間はありませんね」 「ケーキと、歴史のお話?お母さんに見せたいもの両方」 「すぐにも仕上げてしまいませんと」 「ハイ」  ・・・・・ 「~♪」 「どーなつ、そろそろ帰るわよ」 「きゃんきゃんっ」 「ふふ♪」 「こ、これでドーデス?」 「うん、おいしいそうだよ、ミルクレープ」 「クロウさんに負けず劣らず綺麗に出来てます」 「あとはこれをお母さんが来たときに出せれば完璧だね」 「うー、緊張しマス」 「あとあと、この街の歴史のこと、うまく説明できるようにまとめておきたいデス」 「そういえば願いを叶えるダイヤのお話。結局どうなったか聞いてませんでした」 「ちょうどよい機会ですので、まずは氷織さんにスピーチしてみてはいかがでしょう」 「そうですね。分かりやすく解説をお願いします。ちょうどダメなところのチェックにもなりますし」 「は、ハイ。ではえっと」 「この街にはデスネ、お願いごとを叶えてくれる妖精さんのお話があって」 「そうだまずはここが笛吹きの谷って呼ばれることカラ。あれ、でもそれより金貨のお話?んっと、そうそう川がデスネ」 「……」 「本番前に問題点が見つかってよかった」  ショコラさんの、お母さまと会うための準備は進む。  本来母親と会うのに準備がいるというのもおかしな話だが、  会える機会が少ないなら、その機会を大事にしたい。  ショコラさんなりの母親への愛情と言える。 「だからこちらもサポートするのに異論はない」 「助かります」 「母上に喜んでいただきたいのは、僕も同じだからな」 「ショコラはもちろんとして」  仲の良い兄妹でよかった。 「そういえば、ショコラさんだけでなくガトーさんにとっても久しぶりにお母さまにお会いする機会になるのでは」 「ああ、そうなるな」 「お母さんには甘えるの?」 「あっ、甘えるかっ。いくつだと思ってるんだ」 「お兄ちゃんはもう大人だから、独り立ちしてるデス」 「ほう」 「お兄ちゃんはすごいデス。ママがいる時でも、一緒のベッドで寝るのは10歳のときには卒業してマシタ」 「10歳?」 「10歳……」 「ちがっ。それまでも別に1人で大丈夫だったけど、ショコラが言うから、そのっ」 「いや、まあ、10歳ならギリギリ大丈夫だと思いますよ」 「ギリギリゆーな!」  そんなこんなで、今週も終わりかけ、 「明日土曜日だけど、明日も?」 「そうですね。最後の準備に使うと思います」 「せっかくのお休みなのに、大変ですね」 「確かに……」 「ひと段落したあと時間があったら、ショコラを誘ってどっか軽く遊んできたら?」 「そうですね」  リフレッシュは必要かもしれない。  といっても、せいぜい商店街を散歩するくらいだが……。 「……」  と、不意に部屋のわきに置いていたものに気付く。 「あ」  忘れてた。  あけて土曜日。 「おはようございますクロウさん」 「おはようございます」 「今日もショコラちゃん、ケーキの試作をするので?」 「はい、明後日にかけて最後の調整を――」 「ではそれを処理する係りが必要ですね」 「は、はい。よろしくお願いします」 「わぁい」  この一週間、作りすぎてお店にも回せなかったケーキはほとんどめるさんと小町さんにお任せしたが。  ……小町さん、若干頬がふっくらしてきたような? 「オハヨーゴザイマス」 「おはようございます」  学校があったようで、そのまま来るショコラさん。 「本日の予定なのですが」 「このあとお母さまにお聞かせするお話の、スピーチの最終確認です」 「なんだか楽しくなってきたので原稿にしました。もうこれを覚えてしゃべっちゃってください」  氷織さんは凝り性だ。 「それからケーキ作り。こっちはもうほとんど問題ないから、最後のお試しね」 「食べるのはボクに任せて」 「任せて」 「ハイ。私もいっぱい食べマス」 「そしてその後なのですが」 「自分は市役所に行く予定なのですが、ショコラさんはどうしますか?」 「市役所?」 「あ」  そこで彼女も、自分が持っているものに気付いた。  昨夜まで忘れていたが、例の、図書館から貸してもらった資料図鑑。まだ返していない。  危なかった……返却期限は明日。かなりギリギリである。  明日になると店があるので返すのは誰かに頼まなければならない。昨夜思い出せたのはグッドタイミングだった。 「スイマセン私も忘れてマシタ」 「もちろん私も一緒に行きマス」 「了解です」  今日の予定が埋まった。 「どうせならホワイトボードを使ってお話するのがいいと思うんですがどうでしょう」 「さすがにソレは……ハードルあがっちゃいマス」 「残念」  なにげにショコラさんより楽しんでる氷織さんと作戦を練り上げ、 「はらへったー」 「ケーキ♪ ケーキ♪」  間違いなくショコラさんより楽しんでるめるさん小町さんと料理を練り上げ、 「はうう、疲れマシタ」 「休憩の意味でも、ちょうどよかったかもしれませんね」  夕方にさしかかるころ、2人で街に出た。  一直線に図書館へ向かうでなく、気分転換にぶらぶらと。 「おや、今日もデートかい」 「ハイ」 「なっはっは、最近寒いから、風邪ひかないよう気を付けるんだよ」  街の人とも仲良くなったものだ。  自分もショコラさんも、すっかりこの街に溶けこんでいた。  ・・・・・ 「こ、ここを通るの、ちょっと怖いデス」 「足元には気をつけないとですね」  前回、落ちたせいで、ちょっとこの橋にトラウマが出来ているショコラさん。  助かったからいいものの、あれはひとつ間違えれば――というか、命が助かったのが奇跡なほど危なかった。  こう言ってはなんだが、願いを叶えるダイヤというものが本当にあって、それが何かしら不思議な力で助けてくれたと思うくらい。 「あら」 「あ、どうも」 「ドウモ」  なんとなく図書館への返却を一緒することに。  そのまま、またここにお邪魔した。 「今日も午後からは時間外なんだけど、ま、一応歓迎するわ」  チンとデスクに設置されたベルを鳴らす森都さん。 「あいあーい、持ってきたで~」 「どうも」 「粗茶ですけど」  お高そうな番茶が出てきた。 「あ、茶柱」 「……」 「なによそのこの洋風な部屋で番茶かよって顔は」 「い、いえそんなことは」  多少驚いたが、文句があるわけではない。  くつろいでいると、 「せや、もう1つ。こないだ注文してたもん、届いたみたいやで」  小さな段ボール箱を出してきた。 「?なんだったかしら」 「誰かへのプレゼントデスカ?」 「特に注文した覚えなんて……あれ。なにこれ市のクレジットから出してるじゃない」 「げっ!」  箱を開いて、身に覚えがあるのか慌てだす。  出てきたのは、ネックレス? だった。  なかなか大きなカラットの宝石をつなぎ合わせて……、台座の無骨な黒皮が上質感を演出する。  付属にはプラチナのチェーンもついていた。 「わぁ、キラキラデスネ」 「うが……うあああ、しまった。こないだ酔いながら見た通販誌にあったやつだ 「市の予算なら買えるわよねーって遊んでたらそのまま注文しちゃってたんだ。忘れてた」  台座ごととりだす森都さん。  台座ごとというか、台座がくっついてるような? 「これ、ナンデスカ?」 「なんでもないわ。ハイランド、こんなのそっちで弾いといてよ」 「意図の不明なものはまずあなたの判断を仰げと、あなたから命じられましたので」 「ぐぬ……へりくつを」 「こんなもん市費で買ったなんて結構なレベルの横領だわ。すぐ返品するのよ、メーカーの電話番号どこ」 「あなたがよく暇つぶしにみかん食べながらぐだぐだ読んでる通販誌の束ならこちらです」 「みかん食べながら」 「グダグーダ」 「なんでプライベート情報を絡めたハイランドおおおおお!」  出て行く3人。  取り残されたショコラさんと自分の興味は、自然とその宝石の束に向く。  いやこれ、ネックレスでなく。 「皮の部分が本体のようですね。ブラックレザーに宝石があしらってある」  宝石の量が多すぎて勘違いした。付属のプラチナチェーンも、レザー部分にくっついている。 「ジュエルはホンモノデス」 「かなりの値段がしそうですね」  それで、森都さんが買った……ということは。 「超高級なペット首輪。といったところでしょうか」  チェーン付きの首輪。なら答えは一つである。 「コンナのをワンちゃんにつけるんデス?」 「世の中には色んな趣味の方がいますから」  ペットを着飾るのが行きすぎて、金銀宝石をつけだしているセレブはざらにいる。 「ふぇ~」 「……」 「えいっ」 「あ、い、いけませんよ」 「えへへ~、でもキラキラデス」  こんな高そうなものを平然と使ってしまった。  さすがはお嬢様というか……それはともかく、 「ショコラさん、それペット用ですから」 「あ……ソーデシタ」 「じゃあにゃんにゃん」  ふざけるショコラさん。  可愛い。  可愛いのだが、壊したりしたら大変なのでこっちは慌ててしまう。 「しょ、ショコラさん、外しましょう、ね」 「えー、似合ってナイデスカ?」 「似合いますけど。いや似合うってのもおかしいか。宝石はいいと思いますけど」  ペット用の首輪をつけた人間に。どう返せばいいのか。 「ちぇ」  ただ幸い、ショコラさんは良い子なので、言われればすぐに外してくれる。  ――カチャ。 「……」  ――カチャ。 「……アレ?」 「……」 「く、クローさん、後ろよく見えないデス。外してくだサイ」 「は、はい」  慌て気味に寄ってくるショコラさん――。 「ぐえっ!」 「ショコラさん!?」  チェーンがピンと張って、首輪が引っ張られた。 「これは……あ。机に」  チェーンの逆端はカラビナのようになっているのだが、それがデスクの足にハマってしまっていた。  カラビナはこういうことがたまにあるから怖い。 「大丈夫ですか。えと、とにかく首輪を外します」 「お、お願いシマス……けほけほ」  ショコラさんの首が心配だ。外すことに。  ――カチャ。  む?  ――カチャカチャ。 「……」 「ドウシマシタ?」 「……これ、鍵が必要なようです」  超高級品だから、犬につけるにしても自動でロックする防犯措置がしてあるらしい。 「はあ、なんとか明日戻せることに……」 「なにしてんの」 「あ、アハハ」  しかも最悪なタイミングで持ち主に見られた。  苦笑するしかない自分とショコラさんに、すぐ事情は悟ったらしい、森都さんはため息まじりで。 「アンタ若い子ひっかけるだけならともかく、自分の変態趣味に付き合わせるのはどうかと思うわよ」 「ご、誤解です」  自分がさせたんじゃないのに……。 「外すのに鍵が必要なようなのですが」 「鍵ぃ? えっと、ああこれね」  箱を探ると奥から出てきた。  金色の、これまたギラギラした鍵だ。 「ほら、大人しくして」 「お願いシマス」  鍵穴を向ける。  森都さんは肩を竦めつつ、鍵穴に鍵を通し、  ――カチャ。  ――ぶちんっ! 「……」 「……」 「アノ、いまの音ハ」 「な、なんでもないわ」  放れる森都さんの手には、鍵の根っこの部分が。 「金は柔らかいとはいえ、手でねじ切れるものではないはずですが」 「ウッサイわね! これっ、安物なのよたぶん!」 「ショコラさん、見せてください」  鍵穴を見る。  ちょうどのところで千切れたらしい。穴はすっぽり埋まってしまっていた。 「これは……ドーシマショー」 「ま、明日業者が来るから、そのとき取らせるわよ」 「明日までそのまま着けてなさい。あ、壊さないでよ返せなくなっちゃうから」 「壊すだけならいま森都さんが」 「これは壊したんじゃなく壊れたの!」  まあ確かに、回そうとして折れた鍵なら返品対象だろう。 「あの、一晩つけてるダケならOKデスけど」  ――ガッ。  軽く動こうとして、チェーンが突っ張るショコラさん。 「そちらも?」 「ガッチリハマっちゃってマス」  チェーンの端。カラビナの部分を調べた。  カラビナの口径に対し、噛んだ机の脚はギリギリのサイズだった。  これでは口が開けられない。 「このデスク、持ち上げても?」 「床に打ち付けてあるから無理よ」 「……なんとか外せないものか。思い切り引っ張れば……」 「あっ、ちょっと、力ずくはダメだって壊すから」  どうしろと。 「ふむ、こっちも困るわね」 「ま、明日業者に頼めばなんとかなるでしょ」 「そう願いたいですが」 「明日……ということは、今日は」 「……」 「大丈夫、この部屋温かいから」 「Oh……」  ・・・・・ 「へ? ショコラとお泊まり?」 「うん分かった。でももうちょっと早く連絡してね、夕飯のポトフ作っちゃったんだから」 「失敗しましたけどね」 「はい。はい、では」  電話を切った。 「外泊するよう連絡できました」 「コッチもデス、お兄ちゃんに伝えマシタ」 「これ寝巻ね」 「アリガトデス、寝る前に着替えマス」 「アンタはそのままでいいわよね。アンタのサイズの着替えなんてないし」 「ええ」 「仮眠室からお布団2つ持ってきたでー」 「山田様には少々小さいやもしれませんね」 「いつも小さいので寝ていますのであしからず」 「この部屋、絨毯はきれいだしふかふかだから床で寝るのもそんなに悪くないと思うわ」 「言っとくけど首輪、ほんとに壊さないでよ」 「ハぁイ……」  出て行く3人。 「はあ……スイマセンクローさん」 「いえ。それより、この部屋で寝てもよい許可がいただけて幸いでした」  こちらが文句を言えたことではないが、森都さんにもやや良心の呵責があったらしい。 「でも良かったデス? 一緒してもらって」 「ショコラさんお1人にはさせられません」  なにせ彼女は、デスクの足から半径1メートル以内しか移動できなくなっている。  食事や水が飲みたくなったときに困るし、不安だろう。  まあそれらも森都さんたちが用意してくれたが。 「明日、早朝に一度ケーキを作りにフォルクロールへ戻りますが、それ以外の時間はご一緒しますので」 「ナニカラナニマデすいませんデス」 「……」 「えへ。それはソート、2人きりデスネ」 「ですね」 「……」 「にゃーん」  ひざに乗ってくるショコラさん。  改めて遊びを再開したいらしい。 「この首輪、犬用なのでは」  チェーンもあるし。 「そーデスカ? じゃあわんわん」 「んー」 「でもヤッパリ猫がいいデス。にゃんにゃん」  甘えてくる。  やることはどちらでも同じか。頭を撫でた。 「うにー」  それだけでこの状況も忘れたようにへーっと力を抜くショコラさん。  変に暗くなるよりはいい。このままにしておこう。  ・・・・・  が。  完全に見逃していた問題が1つ。 「もう……誰もいないようですね」 「そ、ソデスネ」  庁舎から人気がなくなった。  完全に無人ではないだろうが、この時間にこの部屋に来る人間はもういまい。  そろそろ寝るか。と思ったときのこと。 「……」(もじもじ) 「……」 「……」(もじもじ) 「ショコラさん」 「は、ハイ」 「あの、自分はトイレに行こうと思うのですが」 「ハイ、どうぞ行ってください」 「あのぅ……」 「な、ナンデショーカ」  自分が催して、初めて気付くものだな。 「ショコラさんは……」 「わ、私は平気デス。全然大丈夫デスヨ」 「明日までくらいなら……もう、全然」(もじもじ) 「無理ですよ。というか、今の時点で……」 「あうううう」(もじもじ)  まだ苦痛にまではなっていないまでも、かなりキているようだ。 「困りましたね」 「わ、私は本当、平気デスから」  まあ明日までなのだ。大きい方はいいだろう。  だが小さい方は周期が短いわけで。  普通に考えるなら、 「だいじょーぶデス、だいじょーぶ。だいじょー……」 「すー、はー」 「だいじょーぶ」 「そうは見えません」  すでに呼吸を乱すと膀胱にくる段階に来ている。  あまり我慢すると尿毒症が心配である。  ただトイレをここに持ってくるわけにはいかないし。 「……やはり、これでしょうか」 「うぐう」  バケツを取り出す。  これにビニール袋でもかぶせれば簡易にはちょうどいいし、汚れもしないだろう。 「で、でもそれは」 「ショコラさん、残酷なようですがこれしかありません」 「業者さんとやらが明日何時に来るかは分かりませんが、少なくともあと12時間はかかります」 「あうぐ」 「それまでに寝たらおそらく布団が悲惨なことになりますし、このまま寝ずに我慢しても病気になるだけです」 「ううううう~」 「えと、自分は外に出ていますので」 「……」 「……ハイ」  ――バタン。  一度廊下へ。  誰も来ないよう見張りも兼ねている。  このあと始末するのが自分だと考えるとあの年頃の子にはかなり恥ずかしいことになってしまったが……。  まあ自分とショコラさんはもっと色々なところを見せ合っている仲だ。あまり気にした方が余計に気を使わせるだろう。  ここはせめてさらっと流すようにして、『なんでもない』感を出せるよう頑張ろう。  さて……2分。 「そろそろよろしいですか」 「あ……は、はぁい、あのぅ」  済んだようなので中に戻る。  が……。 「?ショコラさん……」 「あうう」(もじもじ)  バケツの中は空だった。 「あのショコラさん、恥ずかしい気持ちは分かりますが」 「そ、そうじゃなくて。しようとしたデス」 「でもその、やっぱり変な感じで、出ないといいマスか」 「む……なるほど」  排尿は自律神経にかかるものだから、こんな状況では頭で許しても神経が許さないか。 「ううううう」  だがやめてしまえば、今度は膀胱がうるさい。  マズいな。あまり続けると本当に身体に悪い。  だが自律神経は……うーん。 「……」 「ど、どうしまショウ」 「……」  あの手しかないか。 「もう一度チャレンジしてみましょう。大切なことです」 「う、そ、そうデスね、ハイ」 「ショコラさんの身体のためですから」 「ハイ」 「お手伝いします」 「ハイ」 「……ハイ!?」 「こ、コーデス?」 「はい」  このバケツの大きさなら狙いは外れまい。  汚さないために下着と、あとスカートは外してもらった。 「神経のことですから、無理をしても逆に体に障るだけです。ここは」 「マッサージして出せるようにした方が早いかと」  そのままの姿勢でお腹。ヘソのくぼみの、拳一つ分下に手をやる。 「あえあ」  マッサージと言っても動かすようなことはしない。手のひらで温めるだけ。  そして、そうして膀胱をリラックスさせながら、  ――むに。 「んに!?」 「くくくっ、クローさん!?」  逃げた。  まあいきなりお尻を触られれば驚くか。 「大丈夫です、お任せください」  お腹は抑えてあるので、優しく引き戻せばショコラさんは戻って来ざるを得ない。  改めて同じ格好に戻した。 「身体の構造からすれば、こうするのが一番のはずです」 「あう、で、でもぉ」 「もう一度」  小ぶりな丸みに手のひらを当てる。  ――むに。  スレンダーな腹部とちがって、柔らかさと弾力が跳ね返るのが心地良い。 「お腹とお尻を温めていれば、自然と催すはずです」 「そ、そぉ……デスカ」 「……~」  狙いをちゃんと説明すれば、そのまま大人しくなった。  寝ているときは身体の末端。起きているときは中心部を温めると良いと、なにかの本にあった。  しばらくこうしていよう。  ――さすさす。 「んひんっ」 「なにか?」 「い、いぇ……」  お腹とお尻。もっと温まるようにとさするのだが、 「あ……うあふ、あふ」  今度は逃げないながら、想像以上に緊張してしまうようでショコラさんはぷるぷると肩まで震わせている。 「リラックスしてください。力を抜いて」 「は、ハイぃ……ふぃあ!」 「マッサージのようなものとお考えください。こうしていると神経が落ち着いて、出やすくなるはずです」  残念ながら、言っても緊張は解けず、むしろ小尻がぴくぴくとこわばりを増している。 「あの……ま、マッサージなら、ソコじゃないのでハ」 「場所をそのまま直接さすると逆に引っ込んでしまうので。こちらから間接的に、下腹部を温めるようにするのがよいそうです」 「そ、そぉ……デスか」  いささか怪訝そうながら、ショコラさんは基本的に自分を疑うことはない。  堪忍したように大人しく、お腹とお尻を温められて、 「は……ん、……はぁ」  まだ緊張はありながらも、されるがままになった。  こちらも嘘はついていないのだ。これが一番効果的なはず。  じっくりと温める。 「んふ……んん」  もじ、もじ、落ち着かなげなショコラさん。  ふむ。  効果だけを考えてこういう形になったが、よくよく考えるとこんな恥ずかしい状態では羞恥心が上回ってしまうか。  なにか羞恥心を和らげる方法は……。  ――ふに、ふに。 「んっふ」  ゆるゆるとお尻を掴んだ手を揺らしだした。  肛門に圧がいったのだろう。ショコラさんはくんっと腰をそらして反応する。 「く、クローさん……それ、あっ、あんっ」 「マッサージですから」  微妙に刺激を強めた。  マッサージ……より、少しだけ性を匂わせる触り方。  この状況で適切とは言えないが、自分とショコラさんには『いつもの触り方』だ。  あまり淡々と接するより、羞恥心も薄れるかも。 「くふ……んく、んっ、ううんっ」  やや圧を強めた刺激に、ショコラさんの反応も大きくなる。  華奢な身体は、威嚇する猫のように突っ張って小刻みにわなないた。  糸をひくハチミツのような長い金髪が連動して揺らめくのが美しい。  ただリラックスできるのは遠そうだな。  ――にゅぎ。 「んひっ」  もう少し強めに……思ったせいか、力加減を間違えた。  当てていた指がむにんっと弾力をはじいて、谷間に食いこんでしまう。  体熱のこもったお尻の谷間に指がかすめる。 「ひゃあっ、あ、ああぁあわ」 「……」  あ、この方法があったか。  肉を掴んだだけで全身ガチガチのショコラさんは、その部分を刺激されると、もうそれだけで失禁しそうに激しく反応する。  彼女はこちらが敏感なのを忘れていた。  ならこちらを攻めてやれば。  指を改めて折り曲げて、かすめるだけでなく明確に谷間に埋め込んでやった。  ――くぷ。  甘い弾力の狭間に指が飲みこまれ、 「にょわあああっ。く、クローさん!?」 「触りますね」  そのまま進めて行けば、温度はどんどん高くなり、  ――くに。 「ひうううう!」  やがて一番奥の、一番熱い部分に触れる。  そこは周囲の柔らかさとは裏腹に、ぎゅーっと硬く窄まっていた。  筋肉の輪が盛り上がっているのが分かる。  分かりやすい指針だった。ここをほぐせば、きっと前の緊張も解ける。  ――くに、くに、くに。 「うにっ、ひぁっ、く、くろぉさんっ。なんでひゃんっ、なんでお尻……触るんデスかぁっ」 「やうっ、らめ、らめええ、あんっ、あひゃあ」  あてがった指を屈伸させるだけで、ショコラさんはビクンビクン全身をくゆらせて反応する。  相変わらずここが敏感なのだな。  むに、むに、強く押し揉んだ。 「ひぅふっ、く、ふんっ、んふ、ンぅんっ」 「んぁあああああ」  力が抜けているのか入るのか。両手両足をピンと突っ張らせるショコラさん。  首輪のせいもあって、発情期の猫のようだった。  微妙にお尻を一番高い、自分が触りやすい角度へ持って行った気もする。 「マッサージします」  指を一本でなく、人差し指から薬指まで三本に切り替えた。  ムニッと臀肉を左右に開いて、穴の周辺全体に蓋をするように指を置き、  ――もにゅもにゅもにゅもにゅ。 「んぉはっ。ほ、ほむ、んぬ……ぅううっ」  くすぐったさを煮詰めたような低い声で鳴くショコラさん。 「くろ、くろー、さんん、はずかしぃ、恥ずかしいデぇス」 「少しのことですから我慢を。それより……」  力加減はまさしくマッサージで、強く、優しく。高低差をつけて行った。  尾骨を強調した姿勢のままなので、自然とお尻の肉は左右に分かれて、ぱっくりと肛門がこちらを向く。  それだけでなく、濃紅色の谷間全体が喘ぐようにムチムチ隆起してくるのが分かった。  直腸が反応しているのが分かる。  内臓まで刺激が届いているなら、あと少しだ。 「んぅ、んぅ、んぅ、んんんんぅうん」  盛り上がってきた括約筋の輪っかを少しでも柔にしようともみほぐす。 「はあああうううう」  効果は次第に現れ出していた。  火山の火口のように中央部を残して持ち上がった肉は、ヒクヒクと絶え間なく痙攣を続け、ゆっくりとその硬さが抜けつつある。  筋肉なのだから当然だ。いつまでも力んではいられない。  連動して膀胱を締める筋肉も緩みだしているのは、わななく長い脚が示している。  ショコラさん、子供ながら足の長さは大人顔負けで、そのぶん持ち上げたヒップの高さが際立っていた。 「あうう、はうううう」 「力を抜いて。そのままです」 「は、はぁ……ぃい」 「ん、んく、……んぅううんん」  本人も力を抜こうとはしているようだが、やはり自律神経が最後のところで抵抗している。  あと一歩なのだが。どうしたものか。  思っていると、  ――ぬた。  む。  ぬらりと指先の、湿気た感触に気付く。  気付かないうちに、押し揉んでいた肛門粘膜がねっとりと濡れていた。 「ふぁう、ふぁううう」  気付くとあれだけ硬く口をつぐんでいた肉輪が、うっすら口を開いていた。  ピンクの直腸が見えてしまいそうだ。現に腸汁がしみだしてきている。 「……」  なんとなく、その柔らかくなった粘地にぴとっと指を乗せる。  ――ぬぷ。  沈む……というより、穴の方から噛みつくように指先を飲みこんだ。  とすると自然と、  ――ぬぐ、ぐぐぐ。 「ふぃうっ!?」  ――ぐぐぐぐ。 「あっ、ちょ、クローさ……中はっ。ああああん中はダメデス……んんんんっ」  もっと奥まで入れてみたくなる。  たっぷりマッサージしたのが効いて、抵抗もなくずるずると根元まで入っていく。  入口の肉輪は硬く窄まって指を噛むが、余裕は充分あるらしい。ひくん、ひくん、絶妙な柔軟さで蠕動していた。 「あううううう、はいってるぅ、お尻に……くろぉさ……入ってマスぅうう」  ショコラさんの声音から見ても、少なくとも痛みを訴えるそれではない。  それどころか――。 「くふぁ、おしり、おひりぃい、すごい、すごぃ……れすうぅ」 「んぁ……んく」 「う……~」  ぷるぷるっと大きく震えるショコラさん。  こちらも全く予期せぬタイミングだった。 「あはぁああああああああ……っ」  ちょうどいいお風呂にでも入ったみたいな、くつろぎとしかいいようのない歓喜の声と共に、その瞬間は始まった。  じゅぼじゅぼと音を立てて走り、バケツの中に落ちていく金色の線。  反転して湯気になり、ようやく特有の香ばしさが来る。 「ふぁう、くぁああう、おしっこ、でてるぅ、出ちゃってマスぅ」 「んぁああああああ……」  昼寝する子猫のあくびのように、間延びした声で鳴きながら、よっぽど溜まっていたのだろう量を放つショコラさん。  ちょっと……見惚れてしまうのは失礼だろうか。 「ふぁう、ああふ」 「はうう……」  せめて目はそらすべきだったのだろうが、  お尻に入れた指も抜かず、最後まで見続けてしまった。  ・・・・・ 「戻りました」  おしっこを片付けて戻る。 「ふしゃー! しゃー!」 「ま、まあまあ、落ち着いてください」 「ううう、ひどいデス」 「し、しかし必要なことでしたから」 「う~」  冷静になって、改めて羞恥心が込みあげたらしい。涙目になってしまっていた。 「もう……!」 「クローさんも同じコトしてくだサイ。それでおアイコデス」 「は、お、同じこと、ですか?」 「ほらっ、まずは」  カチャカチャとベルトを引っ張ってくる。  言われれば……前を開く。  ――ビンッ。 「ひゃっ」 「あわ、お、大きい、デスね」 「ショコラさんのあんな姿を見てしまえば完全に冷静ではいられません」  そういう意味で触ったのではないが……、やはり生理反応はどうしようもない。 「あうう」 「い、いいデスから、オシッコ、デス」  バケツを向けてくる。  ここにしろと言う事らしい。が……。 「えと、すいません。いましてきたばかりです」 「んえ」 「ショコラさんのを捨ててきたときついでに」 「もー!」  怒った。  うーん、怒らせたなら謝罪したいが、こちらもそうそう何度もは出ない。 「本当にすいません傷つけてしまったようで。こちらもショコラさんのことが心配でつい」 「あうう」 「……もう」  ただやはりショコラさんは根っこの部分が明るい。  怒りは長続きしないようで、復讐できないと分かるとすぐに収まり、 「……」 「それ、そのままじゃ困るデスよね」 「はい?ああ、はい」  しまおうとしていた、こちらのものに目を向ける。  ちょっとイタズラな目を。 「んふふ」 「あーん」 「あまり無理はなさらず……っく」 「んふ☆ クローさんビクってしたデス」  楽しそうにころころ笑いながらショコラさんは、その甘いお菓子を食べるためだけにあるような薄桃色の愛らしい唇を広げる。  真っ赤に熱した肉の穂先に、ちょこんとキスしてきた。  小さな口で飲みこむのはとても無理だが、そっと舌を滑らせてくる。 「っ、っく」 「えへへ、気持ちイイ、デスカ?」 「は、はい」  今度は自分が戸惑う番だ。 「よかった、……ぁむん、んちゅ、んちちゅぷ」 「んちう、ちゅぷる、れるれる、んち、んんちる、ちゅぱ、ちゅぷる」 「ぷはぁん、熱いデス」  キスの雨が降ってきて、敏感な神経全体がやわやわマッサージされているようだった。  時おりつぅーっと伝う舌の滑らかさが強烈だ。ゾクゾクする。 「はむん、んちぅ、ちゅぷ、ちゅる、んちじゅぷ、じゅるぅ、にりにり、くんちゅぷ」 「っ、う」 「んふふふふ☆」  こっちの反応が嬉しいらしい。にへーと笑うショコラさん。 「ちゅっ、ちゅぷ、れろれろれるれる……」 「わぷっ、あは、跳ねマシタ」 「す、すいません」  ビンッと跳ねたものが鼻を叩いてしまった。 「ノープロブレム。もっとシテくだサイ……んちゅ」  嬉しそうに、今度はその鼻もこすり付けてくる。 「前から思ってたケド、コレ、ニオイがありマスよね」 「そう……ですね、特有のものがあります」  さっき小用したとき、きちんと処理したはずだが、それでも匂いは残っているらしい。  残っているというか、 「あは、おつゆ出てきマシタ」  興奮に脈打つものが、先端にぷくっと先走りを丸いしずく状に形作る。 「すんすん」 「えへ、変なニオイ」 「……」  さ、さすがに少々恥ずかしいな。 「もっと出してくだサイ……はむんち、んんちう。んふふ、れろれろ、くふぷ、んんにぃ」  こちらを『恥ずかしがらせる』という、ある意味で復讐は完了しているのだが、  そういった薄暗い感情にうといショコラさんは、気付かずねっとり唇を押しつけてきた。  すべり暴れる口と舌。時おりツンと小高い鼻がぶつかるアクセントがたまらない。 「ちゅるぷ、ちゅぱちゅぱ、れるれるれる……んぷ、ぷはぅ、にろにろにろ」 「はぁ、はん、んんふ、……ちゅるちゅぷ、ちゅぷぷ」 「ふぁううう」  ただテクニック自体の巧みさとは裏腹に、ショコラさん本人は未熟だった。 「な、なんか……舐めてるだけで、変な気分デス」 「このニオイ? のせいかな、なんだか……」 「にろ、にりゅぷ、くふん、んちゅぷる、ちゅぱちゅぱにりにり」 「あ……んふ、はむん、はふ、はふぅ、ああうう。クローさん……んちゅぷ、ちゅむっ、ちゅむむっるろぉ」  子猫に毛づくろいでもするみたく、愛情深く舌を上下させてくるショコラさん。  その動作がどこか機械的なのは……、 「っはん、ああん、ぁぅう」 「んんふ、んふぅん」 「あむ……ちゅぷん」  とろんとした目で舌を巡らせているショコラさん。  金色の髪が、さっきからさらさらと流れていた。 「……」  何も言わないでおこう。いまは彼女の反撃ターンなのだ、さらに恥ずかしがらせることはない。  くゆくゆと腰をひねったり、揺らしたりして、正座した自身のかかとにお尻の肉をこすり付けている。  見た目にかなりいかがわしい姿になっているのは黙っておく。 「ううんんぅう」 「んちう、ちゅるぅん、んふ、んふ」 「あうううん」  自覚はしているようだし。  すらりとした手がひらめいたかと思うと、そっと自身の腰のラインをなぞった。  完璧にくびれた腹部から、小さく引き締まっている臀丘へ向かい、そのまま。  ――にち。 「はう」  自分で自分のお尻をいじり始めた。  ――にち、にち。  こちらにまで音が届くくらい湿ったそこをイジりながら、 「はむちゅ、あむん、んちゅちゅ、ちゅるぷ、ちろちろにるにる」 「あふううう、んっ、んっ、んっ」  より一層熱心にしゃぶりついてきた。  おしゃぶりが心に火をつけて、自然と疼いた部分に手が伸びて。  その刺激がさらにおしゃぶりに火をつけている。好循環というやつだ。  ――ぬち、ぬち、ぬち、ぬち。 「んぅっ、んぅっ、んぅっ、んぅっ」  先ほどおもらしするまでイジってしまった残滓だろう。美肛をいじる刺激にうっとりしているショコラさん。  本当にあちらが弱点なのだな。 「……」  なら……もっと……、 「くろーさん……ンンふ、くふぅん、くろーさん、やんんお尻、お尻ヘンデス。お尻が、むずむずしてぇ」 「あくむっ、んむん、ちゅぷるぷ、ちゅるぷっ」 「れろれるちゅぱちゅぱ、ふぁうううくろーさぁん」 「っ、は、はい」  ついイジってはしまったが、  自分で触る分には物足りないらしい。助けを求めるように吸いつきを強めてきた。  ――にちっ、にりっ、にりっ、にちっ。  聞こえてくる水音が倍加している。ペニスを起点に彼女の唇が鳴らすものと、  トロトロにトロけた柔肛を起点に彼女の指が鳴らすもので。 「うあっ、く、しょ、ショコラさん」 「あん……ぷふぅ、あ、出そう、出るんデスね?」 「は、はい」  助けの求めには応じたいが、いまはこちらも余裕がない。  それに一度出した方が……というのもあって、 「いっぱい出しテ……ンフ。気持ちよくなってくだサイ」 「ちゅるぷっ、ちゅあむ、はぷむ、んろんろ」 「ぷはぅんクローさぁん」  この時だけは自慰も中断して、ショコラさんは自分だけの快楽道具になりきる。  この尽くしっぷりだけで、もうダメだ。 「うあ――」 「っ」  彼女に気を使うだけの余裕もなかった。  何か考える間もなく、トリガーを引き絞ってしまう。  ――びゅっぶくるるるるるるっ! びゅるるーーっ! 「んぁぶぅんっ」  ちょうど穂先に唇を重ねていたショコラさんの、口内めがけて精をしぶかせてしまった。  うぁく、あく――。  とんでもないことをした……分かってはいるのだが、快感で腰が震えてしまい引くこともできない。 「んぷぅううん、くふぅううん」  しかもショコラさんは、逃げてくれていいのに噴出するものを自分から口で受け止めていた。  ああ……無茶をする。  むせないか心配になってしまう。  全て出し尽くしたところで、ようやく腰が離せ、 「くむ……むく」 「けふんっ」  さすがに飲み干すことは出来ず、そのまま吐き出した。 「ああ、大丈夫ですか」 「ら、らいりょーぶ」 「くろーさんのれすから、大丈夫デス」  それでも吐いた分を、手で受け止めている彼女。  自分にとってはただ『出てきたもの』なのだが、彼女にはちがうのだろうか?大切そうにこぼさないよう残して、 「どうぞ」 「ん……あ、ハイ」  自分がティッシュを渡して、ようやく捨てた。 「……」 「ぺろ」  手に残った分を舐めているのには気づかなかった。  このままでは口の中に放ってしまう。  さすがに初めてでそんなことをしたらむせてしまうだろう。慌てて腰を引く。  が――。  ――びゅぶるるるるるっっ! びゅるるーーーっ! 「ぷひゃんっ!」  少し遅かった。  せめて自分の手に出そうと思ったのだが、腰を引いたところが精いっぱい。  そこで一気に放ってしまう。 「わぷっ、わうんっ」  目に入りそうになって驚いているショコラさん。  すいません……謝りたいのだが、射精の快感で声がでない。 「んあふ、あふぅ」  だがショコラさんは、驚いたのは最初だけ。  後半からむしろ、真夏に水遊びでもするよう楽しそうに白濁のシャワーを受けていた。 「はぁ、はぁ」 「あっ、ふ、拭きます」  たっぷり出し終えて、ようやくティッシュに気が回る。  顔や服にかかったぶんを拭って行った。 「はぁ……ぅ……オカマイナク」  ショコラさんは満足そうに息をつきながら、 「……」 「ぺろ」  ひそかに口の周りを舐めていた。 「えへへ、クローさんのこと、気持ちよくできマシタ」  思えば彼女に一方的にしてもらうのは初めてか。満足そうにしているショコラさん。  まあ……ありがたい話ではある。  ただ、これはあくまで準備。 「ありがとうございましたショコラさん」 「ドイタシマシテ」 「お返しです」 「ふぇ……?」  出した精液を集めたティッシュ。  そのまま丸めるのでなく、でろでろが残った部分で、  ――にちゃ。 「ふぇえ!?」  さっきから熱づいているお尻の谷間にくっつけた。  思いがけない感触が来て驚く彼女。  さっきまでの格好に戻す。 「これあけネバついていれば、潤滑油には充分です」 「あ、え、く、クローさん? まさかまた」 「こちらは恥ずかしい思いをさせたのに、ショコラさんには気持ちよくしていただきました」 「ならこちらも気持ちよくお返ししなければ」 「えう、あの、そんな、デモ」 「私もさっきは充分気持ちヨク……」  ――ぬるぅう。 「んぁくううううんっ、い、いきなり太いデぇス」  すっかり柔らかくなっているお尻の穴は、潤滑油もたっぷりなので、指の2本も楽に入っていく。 「痛かったですか?」 「い、痛く……は」 「ですよね」  このヒクつく穴の状態でも分かる。  これだけ柔軟なら指2本くらい楽なもの。  ――ぬぷるうう。 「んぃいいいいっっ」  3本でも、かなりすんなりと迎え入れた。 「もともとかなり柔軟だったようですね」 「あんふ、んんふぅううん、そうなのデスカ?」 「最初に触ったころから柔らかかったですから」 「……は、恥ずかしいデス」  みっちり纏わりついてくる括約筋は、硬く窄まりながらも広がることに違和感がないタイプのようだ。  これなら……。 「ショコラさん」 「ハイ? ……あ」  すでに熱化し直したペニスを、そんな窄まりに当てる。  求めはすぐに察したのだろう。ショコラさんは恥ずかしげにしながらも、 「よろしいですか」 「あう、あの」 「……ハイ」  朗らかなくらい明るい顔で首を縦にふった。 「い、イレテ、下さい」 「わたしの身体……、お尻の穴まで可愛がってくだサイ」  ――ぬぐちっ。 「んくうううんっっ」  充分にイケると踏んでのことだが、  やはり最初入れる時はかなりの狭さだった。 「痛みがあればすぐに言ってくださいね」 「は、ハイ……はぁうん」  一応気は使っておく。  必要あるとは思えないが。 「ん……く、くううふ。んぅううんん」 「お、お尻……重い。ずんって来マぁス」 「あはぁあぁあぁあ……んんん」  穴自体の狭さとは裏腹に、ショコラさん本人はその狭さをこじ開けられることそのものを楽しんでいる。  生まれつき才能があるのだろう。性に対する柔軟性と、  こっちの穴が敏感な才能は、とくに。  ――ぐぷ、ぐぷぷぷ。 「くぅ……うふううう、うううんっ、うぁあんん」 「痛みは?」 「あああ、らいじょぶ、だいじょぉぶデス。あんっ、はあぁんクローさん、お尻、お尻ぃ」  一気に半分以上をねじ込んでいった。  痛みは本当にないよう……もしくは痛みその物も楽しんでいるようだが。括約筋はもうパンパンに引っ張られている。  乱暴にはできないな。このまま慣れるまで大人しくしよう。  思うのだが、 「ううん、うぉおん、おふぅううううんん」  ――ぬるんっ、ぬるぷっ。 「はひぃいいい、お尻、おしりぃ」 「……」  ショコラさんのほうから、お尻をゆすり始めてしまった。  少々計算外だ。まあ大丈夫だと思うが。 「はぃぁ、はひゃぁああ、あっ、あっあっ、クローさん、くろぉさぁんっ」  ショコラさんは腰を止めない。  ぽた、ぽた、水気が滴り落ちているのに気付いた。  前の穴から淡く濁ったエキスが染み出している。 「楽しんでおられるようで」 「あううううんんん、イイ、すご、すごく……、気持ちっ、いいデス、ひぁああんお尻気持ちいいぃい」 「うく」  すごい締まりでこちらもクラクラする。 「あああ~、太いのがぁあ、おしり、太いので広がるうう」 「んひんっ、んひぃんん、お腹、ずんてなる。ああああ~お尻から響いてマスぅう」 「い、痛みが出たら言ってくださいね」  こっちから仕掛けたことだが、順応が早すぎて逆に心配になるほどだ。  ショコラさん、本当にこちらが弱かったんだな。  これまでももっと突いておけばよかった。 「はぁん、はあぅ、はあ、あはぁあ」 「ど、どぉしよ……クローさん、あの、くろーさん」 「はい?」 「わたし……怖いデス。気持ちよく……なりすぎて、あうううう」 「こ、こんなえっちな私、嫌いデスか?」 「……」  そんな中でも、ちゃんと女の子らしいのがいかにもショコラさんだった。 「まさか」 「ショコラさんのことは誰よりも魅力的だと思っています」 「んぅ……」 「え、えへへへ」  こちらからも動いていく。  ぬるーっと腰を下げて、 「んく……っ、ふっ、ふぁああっ、あっ、あっ」 「いかがですか?」 「はううう」 「き、気持ちイイデス……あうう恥ずかしい」  ミルク色の頬を火照らせながら、あちらもあちらでくせになったよう腰を横にゆする。  こちらが前後。あちらが左右。  自然と接合部はよじれるようにウネる。 「あっ、んくぅうううんんん」  ゆるゆると反転し身体を進める。 「へああああ、ぁんん、はんんお尻、お尻ぃいい」  長い脚全体が震えるので、高いところにあるヒップにはかなりの揺れが伝った。 「はくぅん、あううう熱い、ねえくろーさん、お尻、すごく熱い、熱いデス」 「痛い?」 「そぉじゃなくて……んんくっ、んぅん」 「熱いのが、熱いのがジンジン来て。それがすごく気持ちよくて」 「あうううううもぉらめええええ」  ギチギチにペニスを締め付けながら、蕩肛の肉もまた限界を訴えていた。  ヒクンヒクン呼吸でもしたがるようにうねっては、めりこんだ自分のものの上を滑る。  時折空気を含むほどのうねり。  自然と自分も動きが大きくなる。  ――ぬっ、ぬっ、ぬっ、ぬっ。 「んっ、んっ、んっ、んぅうううんっ」  真っ白な尻たぶのへこんだ中央へと連続して勃起をずり込ませた。 「うくうううう、うううんっ、うううううんんん、おしりっ、おしり変になる、変になっちゃいマスぅう」 「くふぁんっ、はああんん、くろーさん、もっと、もっとして、あああお尻もっと突いてぇ」  獣のように四肢をピンと張って打ち震える彼女。  元が貴族的な優美さに満ち満ちているだけに、こんな恰好がことさら卑猥に映る。  ことさら興奮する。 「ひあう、はああうううすごい、すごすぎマスぅう、あぁあん、はあぁああお尻気持ちよすぎてえ」 「あんう、はああうううんんぅ、ひぁあん、はああ」 「あああお尻、んんぅううもうだめええ、お尻、ずぼずぼされ、ずぼずぼされて……ぇっ」  瞬間、張りつめた身体に電流でも通ったような鋭いしびれが走った。  予想はできていたが驚きだ。  初の後ろの性交で――。 「いくぅううう、いくっ、もう、もうイキます。イキマスううううっ」 「ふくぁ、くぁああ、んんんにゃああああああ」  ずんっ、ずんっ、あちらからも形のよい美尻を打ち上げてこちらの腰にこすり付けてくる。 「ふぃはあ、あはあああ、ああああああくぁああああ~~~~~~~~」 「もう、もう……くろぉ……さぁあん」 「あああぁぁあイクイクイクイクぅううーーーーーっっ」  まさに獣のような絶叫とともに、優美な金髪をハネ散らかして悶えるショコラさん。 「あぁああーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」  包み込む肛道全体がぎゅっとすぼまり、 「っ」  自分も引きずり込まれる。  くぁ――っ。  ――びちゅっ、びゅぶるるるるるるるっっ! 「ふぇはああああぁぁぁぁあああっ」 「あああは、んは、あはあああ熱ぅい……デぇス」 「はぁ……」 「あっ」 「んんんん……っ」 「む……」  2人同時の絶頂。  なのでこちらの射精に合わせたかのように、今日はノータッチの前肉からぴゅるるっと熱いしぶきが走った。  これは……。 「ああは……あはぁああ」 「あう、ま、また」 「またおもらし……しちゃいマシタ……」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「おはよ……さむっ!」 「なに、この気温で窓開けてるわけ」 「いえ、はは。空気抜きに」 「匂いがこもっちゃいマスからネー」 「匂い?」 「ナンデモナイデス」 「森都さん、業者の方はいつごろ?」 「昼ごろじゃないかしら。朝のうちは来ないわ」 「では――、失礼ですがしばらくショコラさんをお任せしてよいでしょうか。仕事がありますので」 「え。あたしもこのあとどーなつやきなこの散歩なんだけど」 「ん……そうですか。困りましたね」 「わたしは1人でダイジョーブデス」 「しばらくならいいわよ。散歩ってのも30分くらいだし」 「では……急いで戻りますので」  昨日言っておいた通り、しばしショコラさんと離れる。  心配だな。急ぎ気味に片付けよう。 「あっいた!」 「クロウさん、た、たいへんです」 「はい?」  ・・・・・ 「……ふむ」 「とゆーわけで、この街の開拓を支えた有桝川は、願いを叶えるダイヤとして、昔話のなかで語られるようになったのデス」 「……」 「い、以上デス……」 「ドーデス?」 「そうねえ」 「いいんじゃないかしら。理屈の上ではちゃんと詰められているし、読み物としても面白いわ」 「あは」 「ま、全部が全部正解とは言わないけどね。私たちは別にダイヤの採掘を仕事にしてたわけじゃなく趣味でキラキラしたものを集めてただけだし」 「ハイ?」 「なんでもない」 「……」 「ねえ、いまのお話を聞いてひとつ、たぶんあなたも引っかかってると思うんだけど」 「物流に便利な川をあけわたした。ただそれだけのことを『願いを叶える』なんて言いかえるのは、ちょっと不自然じゃないかしら」 「ん、それは、もともと空から金貨を届ける妖精さんのお話があって、そちらがお願いを叶えてくれるって話があるから」 「混同した、と。まあありがちよね」 「でもどうして混同したのかな」 「ふぇ?」 「……」 「人間たちが伝え語る物語は、どれもどこかにお願い事と、それを叶えるなにかが登場するわ」 「今回のダイヤも、無理やり登場させてる」 「昔から疑問だったのよね。もしもこの世にお願い事を叶えてくれるそんな妖精さんがいるとして」 「そいつらはどうしてそんなことをするのか」 「……」 「あなたはどう思う?あのボンクラより面白い答えをくれる?」 「願いを叶えるダイヤ。お願いを聞いてくれる妖精さん」 「どうして人間たちは、いつの時代もそんなものを求めているのかしら」 「……」 「えと」 「……」 「……」 「それは」 「それは――」  ――バン! 「はぁっ、はぁっ」 「クローさん?」 「なに、準備ってもう終わったの?」 「いえ、あの、緊急事態でして」 「森都さん、ショコラさんの首輪、やや強引に外させてもらってよろしいでしょうか」 「え、ダメよ、壊したら返せなくなるじゃない」 「なるべく壊しませんので」  持ってきたペンチを取り出す。  切るのかと焦る森都さんだが、有無を言わさず首輪の、鍵穴に突っ込んだ。  中にはまだ折れた鍵が残っているので――。  ――ガチンッ。  無理やり回した。 「ふわ、とれマシタ」 「昨日のうちにこうすればよかったですね」 「あー……ったく、ンな無理やりに」  鍵穴が傷ついてしまうのが難点だが、鍵が折れるというトラブルがあったのだ。返品の弊害にはなるまい。 「では失礼します。少々急ぎますので。あとで改めておわびに」 「はいはい。もう来なくていいわ」 「行きましょうショコラさん」 「は、ハイ」  なぜそんなに急ぐのか。戸惑うショコラさんの手を引いた。  急ぎ足で店に戻る。  急がなくては。11時までに店の準備もあるし。  なにより――。  ――バタン。 「戻りました」 「も、もう。なんデスかクローさ……」 「あら、本当だったのね、このお店に厄介になってるって」 「え……」 「会うのが1日繰り上がってしまったわ」 「ママ!?」 「はあ……母上、スケジュールの連絡はもっと密にお願いします」 「こっちも予定外だったのよ」 「第一、ショコラがパティシエになるための修行として、ヤマダ先生だけでなくこのお店にも厄介になっていること、言わなかったのはあなたじゃない」 「それは……はい」 「ふふ。でも不思議なものね」 「ショコラの先生になってもらおうと、この街一番のケーキ屋さんに助力をお願いしに来たら、すでにショコラがお世話になっていただなんて」 「……」  まだ目をまん丸くしているショコラさん。  自分たちも驚いた。  母親というには若々しすぎて、しかも知性の鋭さが色濃く年の離れたお姉さんと言う印象だが。  少なくとも肉親であることはすぐに分かるほど似ている、ブロンド髪の美女。  そしてショコラさんと向かえば、母親特有の慈愛に満ちた温かい表情を浮かべる彼女は。  紹介されるまでもなくショコラさんのお母様である。  来週頭という早くに会う予定だったが、さらに繰り上がるとは。 「へへへー、街一番のケーキ屋を探してうちに来るってのはナイス判断だよお母さん」 「まあというか、この街にはここ以外洋菓子屋がないんですが」  早く知っためるさんたちは、もうずいぶんと慣れている。 「一流のパティシエになるためにうちで修行させよう。ってアイデアもとてもいい。なにせうちは世界一のケーキ屋さんだから」 「今日は心行くまで――」 「口上はよろしくてよ。かんじんのケーキはまだ出てこないのかしら」 「ふぇっ、す、すいません」  伝え聞く通り、当たりは強いタイプのようだ。 「開店は11時からです。ショコラさんのお母様ということで特別に入れましたが、ケーキは11時までは出せません」 「あらそう。困ったわね」  筋道は通すあたりガトーさんのお母様らしい。 「まああと数時間待ってください。いまうちの料理長が最高のケーキを焼いていますし」 「ここからはそのベストパートナーも入ります」 「ええ」  厨房へ向かう。  ショコラさんは……どうするかな。お話したいならそれを優先するが、 「……」 「ママ」 「ちょっと待っててくだサイ」  勢い込んで自分についてきた。 「すぐに作り始めます。準備はよろしいですか?」 「モチロンデス」 「ママにあげたいもの、全部準備はできてマス」 「あとは」 「願いを叶えるだけデスから」  ・・・・・ 「だ・か・ら!こいつは勝手に壊れたのよ!勝手に壊れたんだから返品よ返品! 文句ある!?」 「ひええ」 「ったく」 「相変わらず強引やなあ」 「あの交渉術で、我々一族も川などという誰でも使えるものと引き換えにこの街の市長なんて安泰な椅子を手に入れたのです」 「にゃはは、街の人には悪いことしたわ」 「フン」 「ん……」 「はいもしもし。……ああ」 「もしもし森都さん?赤井です」 「例の彼がいなくなってもう二ヶ月になるんですけど、なにか知りませんか。そちらの笛吹きの谷にふらっと出かけたきりなんですけど」 「ああいまは笛矢町でしたっけ。いまでも市長さんをやってるんですよね」 「ええ」 「なにか知りませんか。せめて彼の持って行った金貨だけでも見かけたとか」 「んー……」 「知らないわね」 「そう……」  ――ガチャ。 「ふふ」 「教えたったらええのに、いけずやなぁ」 「べっつに。私らと似たような連中なんだし、時間はたっぷりあるでしょ」 「それに――」 「失礼します」 「あら」 「あらら~、ニアミス」 「はい?」 「なんでもない。まだなにか用? このあと散歩で忙しいんだけど」 「いえ、例の首輪はちゃんと返品できたか気になりまして」 「出来ましたのでご心配なく」 「出来たと言うか、無理やりしたというか」 「そうですか。よかった」 「あ、こちら、ケーキの差し入れです。みなさんでどうぞ」 「わはー、サンキュー」 「ショコラさんの歴史発表の練習にも付き合ってくださったそうですね。ありがとうございます」 「ん……」 「願いを叶えるダイヤの話。いま、お母さまにお聞かせしているところです」 「すらすらと喋れていました。森都さんを相手にしたリハーサルのおかげかと」 「あっそ」 「願い叶えるダイヤの……ねえ」 「ん……」  やれやれ。と言った感じに肩をすくめる彼女。  そうだ。 「森都さん、以前言い忘れたことなのですが」 「は?」 「それでデスネ。この街の発展には川が大事なので、それをもともと住んでいた人たちに伝えたと考えられマス」 「へええ」 「こうして川を共用することが、この街に住む人たちにはトテモトテモ大事なことになって――」 「……」 「すごいわショコラ。こんな話、本当に自分で調べたの?」 「えと、ほとんどクローさんに聞いたことデスガ」 「とても興味深い。歴史学の題材にもなりそうだわ、今度の調査先にこの街を候補に入れようかしら」 「わはっ」 「ママが喜んでくれると思って、いっぱい調べてよかったデス」 「ふふ」 「願いを叶えるダイヤ。お願いを聞いてくれる妖精さん」 「そんなパターンが昔話に多い理由。でしたね」 「……ええ」 「……」 「やはり、叶わない願いが多いから。というのが一番の理由だと思います。そこは変わりません」 「でしょうね」 「が……もうひとつ」 「うん?」 「もう1つ思いつきました」 「こうなるとこちらの手土産のなさが気になるわね。最高のケーキ屋さんを紹介してびっくりさせたかったのに、まさか先にもうお邪魔していたなんて」 「えへへへ」 「でもそのために1日早く来て、約束をとりつけようとした。そんなママの気持ちが嬉しいデス」 「ふふ」 「叶えたいからではないでしょうか」 「……」 「人は、誰かの思った願い事を、叶えてあげたいと」 「……」 「そのためにがんばる。努力する。時に人生を投げだす。そんな……本能のようなものがある気がします。人には」 「もちろん出来るとは限らない。いえ出来ないことの方が多い」 「ですがだからこそ、なんでも願いを叶えられるようになりたい」 「昔話には、そうした本能が反映されるのではないでしょうか」 「……」 「つまり?人間様は無償の愛があるから、それがお話しって形で出て来ちゃうと」 「まあ、言葉を変えれば」 「バカじゃない」  鼻で笑う森都さん。  やはり少々暴論だろうか。だが、  確証がないわけではない。 「わんわんっ」 「っと、ごめんねきなこ。すぐ行くわ」  外からの催促の声にこたえ、コートを着込む森都さん。  自分も出よう。おいとますることにして、 「森都さん」 「は?」  呼びとめた。 「よく散歩してらっしゃいますね。散歩するのがお好きなので?」 「別に。ただこの子たちが言うから」 「そうですか」 「散歩するのが好きな子たちの願いをいつも叶えてらっしゃるのですね」 「う……」 「……」 「……~」 「うっさい!」 「ママ、ママ、こっちも食べてくだサイ。ミルクレープ、わたしの一番好きなのデス」 「はいはい」 「ふふ、ショコラ楽しそうだね」 「なんだかギクシャクしてるみたいなこと言ってたけど、ごくごく仲のいい母子ですよね」 「ショコラは特別好きな人には照れ屋だからな。毎回会う前はギクシャクしてしまうさ」 「なるほど」 「にしてもあの昔話のお話するなら、例のあの金貨、残ってればよかったのにね」 「もっと信憑性が出ましたよね。歴史学者のお母さまが見れば何か発見があったかもですし」 「どこ行っちゃったんだろうね、あれ」 「さあ」 「クロウさんが来る直前、空から落ちてきた金貨もちょうどあんな模様が描いてありましたよね」 「あっちもいつの間にか消えちゃったっけ。たしかクロウ君を見つけたあたりで、急に」 「なんだったんでしょうか」 「うーん……」 「えへへ」 「あ、そうだママ。もうひとつとても大事なお話ありマス」 「うん?」 「……」 「あの、ところでめるさん」 「なに?」 「わたしたち、ショコラさんがお母さまが来ても大丈夫かばかり心配してましたけど」 「うん」 「さっきの彼とぉーーーーーー!?」 「ハイ、クローさん。わたしの将来を決めた人でデスネ」 「ままま待ちなさいショコラ、年がちがいすぎるじゃない!」 「一番大丈夫じゃないのは、クロウさんなのでは?」 「あはは」  ・・・・・  ・・・・  ・・・ 「おまたせーオリちゃん」 「もう。いつものことながらちょっと遅いです」 「ようやく春だねー」 「だんだん暖かくなってきましたね。まだ雪はいっぱいだけど」 「フォルクとロールもそろそろ起きるかな」 「亀さんが冬眠から覚めるのはもうちょっとでしょうか」 「冬が終わっちゃったかぁ。結局妖精さんの夜、あんまり見れなかったなぁ」 「仕方ないですよ。……あれ大変だし」 「春が来て。あたたかくなって」 「妖精さんの季節も終わりです」 「妖精さんの季節……か」 「そういえばもうずいぶんと経つけど、いつまで経ってもクロウ君の記憶戻らないねえ」 「そうですね」 「やっぱりクロウ君、妖精さん説が有力だよね。だから人間になったせいで元の記憶をなくしちゃったんだよ」 「無茶な推理をするならせめて根拠くらいあげましょうよ」 「まあクロウさんが不思議な、それこそ妖精さんみたいにわたしたちのお願いに応えてくれた人なのは確かですけど」 「おじいちゃんが怪我して、うちが潰れるかもーってときに急に現れたもんね」 「不思議です」 「やっぱり妖精さんだよ」 「否定はできないかも」 「でもそうなると、もうお店が大丈夫になったらクロウ君どうするんだろ」 「ん……そうですね」 「本当に救いに来てくれた妖精さんなら、都合よく記憶が戻るのではないでしょうか」 「そう考えると楽しみだね。なにせ」 「こんにちはー」 「おーめるちゃん、迎えに来てくれたのかい」 「どうしても来いってうるさいんだもん」 「腰はもういいんですか」 「もうばっちりだよ。退院手続きも済んでるから、さっさと連れてってくんな。うるさくて仕方ない」 「はーい」 「退院おめでとうございます」 「おや。ジジイ、出てくのかい」 「おそのさん。はい」 「まいったねえ、これじゃ病院に来たときの」 「キャッキャッ」 「ひい!」 「氷雪の遊び道具がなくなっちまう」 「は、早く行こうめるちゃん。氷雪ちゃん、わしのヒゲをオモチャだと思って会うたびに引っ張ってくるんじゃ」 「あはは」  ・・・・・ 「はいもしもし」 「もしもし森都さん? 赤井です」 「ああ華さん」 「例のことなんですけど、やっぱり情報掴めませんか。もう3ヶ月以上帰ってこないんです」 「彼がいないと、うちのお助け事務所『大雪山』。全然仕事にならないんですよ」 「あいつのことか」 「そうねえ」 「ただいま戻りました」 「おかえりなさい」 「おおー、懐かしき我が家、変わってないのぅ」 「変わってるよ。じいちゃんのころに比べてクロウ君はこまめに掃除するから見栄えが綺麗になった」 「うぬぬ」 「ご退院おめでとうございます」 「うむ。わしのおらん間、ようここを支えてくれた」 「いえ。自分は必要なことをしただけ――」 「……」 「これで自分の仕事も終わりです」 「え……?」 「……」 「あいつなら――」 「ふんふん、確かに店はどこもこざっぱりと……」 「おん? なんじゃこの……名刺?」 「山田九郎……?」 「ああ、クロウさんが持ってた名刺です」 「結局なんの手がかりにもならなかったね」 「お客さんに知っている人がいないかと目にそれとなく入るよう壁に飾ってるんですが」 「クロウさん、誰かこれに反応したお客さんって――」 「クロウさん?」  ・・・・・ 「あれ? クロウ君? どこ」 「クロウさん……」 「いまの今までここにいたよね」 「あいつは――」 「え……」 「……」 「…………」 「~ッ!」 「今――」  ――バタン! 「クロウさんっっ!」 「クロウくんっっ!」 「「ぶわっぷ!」」 「おっと!」 「ど、どうされました2人とも」 「んあ、普通にいた」 「びっくりした」 「――今もどこかの誰かを幸せにしようと」 「人様の迷惑気にせず動き回ってるんじゃない?」 「でしょうね。はあ、いつものことながら困ります」 「なに急にいなくなって」 「いえ、屋根の上から泣き声が聞こえたものでもしやと思って調べてみたら」 「うううう降りられなくて怖かったデスうう」 「ああ、いつもの」 「さささ寒いデスうう」 「すっかり身体が冷えていますね。温めなくては」 「座っていてください」 「はぁい」 「もうクロウ君、驚かせないでよ」 「急だったので、どこかへ行ってしまったかと思いました」 「どこかへとは?自分にはここ以外、行く場所がありませんが」 「んー」 「それもそっか」 「めるさんたちが必要としている限り、自分はいなくなりません」 「うんっ」 「はい」 「あううう」 「ああそれよりショコラさんを温めなくては」 「とりあえず、自分のコートを持ってきましょう。あれなら温かいはずです」 「こっちも温かい飲み物を」 「おおおオネガイシマス」 「まあ誰かの幸せのために100年くらい留守にするのも慣れてますけど」 「困ったなあ、山田さんがいないとうちはなにも出来ないですよ」 「ふふ」 「山田九郎sお助け事務所。しばらくは大変ね」 「ンもう、他人事だと思って」 「どうぞショコラさん」 「ふぁあ、温かいデス」 「なんじゃそのハデハデなコートは」 「クロウ君が初めて会ったとき着てた服だよ。すごいセンスだよね」 「……どこかで見たことがあるような」 「ショコラさん、休んでいてください」 「それよりめるさん、氷織さん」 「こんにちはー」 「お茶を頼む」 「お客様です」 「はーいっ」 「いらっしゃいませ」 「「ようこそ、フォルクロールへ」」