「〜♪ 〜♪ 〜♪ 〜♪」 「じんぐるべーる♪ 半年ぶーり♪ 床を掃く〜♪」 「今日は楽しいお掃除さ〜♪ いぇぃ!」 「じんぐるべー♪ じんぐるべー……」 「あ、ばあちゃん」 「なにって、掃除、掃除! いつ借り手が見つかるかわかんないでしょ?」 「……うん、平気平気。慣れてるから」 「え? わかってる。すぐそっち行くから。 ん、じゃね」 「ふー……」 「確かに、この家借りる物好きはいない、か」 「うー、寒っ!」 「こりゃ今夜も積もりそうね」 星に願いをかけたことがあるだろうか。 あるいは、無数に散らばる星々の瞬きに手を伸ばしたことがあるだろうか。 俺にとってのそれは、親父の肩の上だった。 満天の星に抱かれながら、その光の果てに胸を躍らせ、その光に手を届かせたいと思っていた。 それが何百光年の虚空に浮かんだガスの塊だなんて、あの頃の俺にはどうでもよかった。 月蝕や彗星のニュースに胸をときめかせ、七夕には天の川を探し、イブの夜には導きの星を探していた。 子供のころ、星空はただ見上げるためにあった。 そこにあるのは憧れと、小さな野心をかき立てる無数の〈煌〉《きら》めき。 流れ星を数える俺を肩に乗せた親父は、ある晩こんなことを言った。 『お前の瞳には、見えない光が映っている』 この瞳は特別製だ。わずかな光を見分けることができる。 七等星や八等星、さらに小さい星たちの〈瞬〉《またた》きを感じることができる。 彼らは暗いのではない。ただ遠いから、離れているから見えないのだ。 夜空の遠くに近くにさまざまな光が溢れていることを、俺は子供の頃から知っていた。 だから。 だから、あの場所を自分の世界にしたかった。 星に願いをかけたことがある。 いつの日か俺も、死んだ親父みたいに──。 「こちらカペラ03。 繰り返す、こちらカペラ03視界良好」 星空に包まれる。 宝石箱のような輝きの中に躍り出すと、身を切るような寒さが全身の緊張感を研ぎ澄ませる。 「これより九頭竜川のツリー軌道に入る。 合流地点までおよそ100km」 スノーフレークの星屑を舞い散らせ、年に一度のステージが幕を開ける。 二年目のイブの夜、関東地方上空800メートル──。 今は、ここが俺の職場だ。 「こちらカノープス09。 トーマ、日本の空には慣れたかい?」 「俺はもともと日本人だよ、ミラコフ」 「冗談はよせよ、本気か?」 「そうは見えないかい」 「小まめな日本人にしちゃ、 ずいぶんと操縦が荒っぽいからな」 「日本人離れしたダイナミズムか、 ちょっとくすぐったいな」 「いいように取るな。 おかげでサンタに逃げられて 半年も干されてたのはどいつだい?」 「相性の問題さ。去る者は追わず」 「減らず口はまるで治ってないな。 ともあれ初めての土地だ、 お前の無茶も今日ばかりは封印だな」 「ああ、様子を見ながら始めるよ」 「おい、成りゆき任せに聞こえるぜ?」 「パーティーの幕引きまで 大人しく飛んでるトナカイなんて、 〈寡聞〉《かぶん》にして知らないね」 「ハハ……違げーねえ」 スロバキアから屋久島、そして九頭竜川。支部から支部への渡り鳥で、ホームグラウンドなんて〈最初〉《ハナ》からない。 パートナーも決まらず宙ぶらりんだったトナカイが、急にイブの〈配達〉《パーティー》に借り出されたのだ。これで張り切らないほうがどうかしている。 視界良好。今年の聖夜は絶好のパーティー日和。 ……これで、後ろに乗っけてるのがルーキーサンタじゃなけりゃ最高なんだが。 「──おい、サンタさん?」 「な、な、なんですかぁーーーーーっっ!??」 「…………もう少し小さい声で大丈夫だ」 「なっ、なにか異常でもーーー!?」 「サンタに深刻な異常ありだ。 そんなへっぴり腰で本当にやれんのか?」 「だ、だいじょうぶです! これしきのスピード、 ぜーーーんぜん怖くなんかありまひぇんっっ」 「パニックの原因は別にあるとでも?」 「誰がパニックなんて……お、おわぁ!?」 「ひゃあああああああぁあぁぁぁあぁあぁッ!!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……こ、ころす気ですか!」 「やれやれ……よっぽど優しい トナカイの世話になってたんだな」 「とーまくんの運転が乱暴すぎるんですー!」 「ひどい言いがかりだ。 これでも今日は全力でセーブしてるんだぞ」 「そそそそんなはずがありません! こんな全速力で……きゃあああぁ!」 「それでよく卒業できたな。 本場のトナカイはこんなもんじゃないぜ」 「わ、わかってます! ソリ酔い対策は万全ですから、しばし時間を! ちょっとだけ、5分だけ待ってくださいー!!」 「5分? 了解だ」 5分待ったくらいで、あいつのスピード恐怖症だかソリ酔いだかがどうにかなるとは思えないが、サンタに『待て』と言われたら待つのがトナカイだ。 「それにしても、まさかお前と ペアを組むことになるとはな」 「もともと同級生だったじゃないですか」 「だから驚いてんのさ。 スピード恐怖症のうえに的当てはDランク。 それがどうやって卒業証書を手に入れたんだ?」 「ふっふっふ、心配ご無用。 それを克服したから卒業できたんですー」 「って、おやつ食ってんじゃねーー!!」 「えー、なんでですかぁ!?」 「任務中だ!!」 「ソリが汚れる!!」 「おまけに粉とか〈欠片〉《かけら》がパラパラパラパラ!」 「あうう、トナカイさんは神経質です」 「俺の引くソリは 昼下がりの公園のベンチじゃないんだ。 すぐに片付けろ」 「とーまくん、そんなにカリカリしなくてもー」 「七五調で言っても駄目だ。 だいたい菓子なんて持ち込むな!」 「そんなご無体な! ならばとーまくんに質問です。 お菓子を食べるとどうなりますか?」 「太る」 「ぐさっ!」 「そ、そんな遠い未来の話ではなくて! お菓子を食べるとどんな気持ちになりますか?」 「美味い?」 「そうです!」 「そして、美味しいときは幸せになるでしょう?」 「なーんとなく分かってきたぞ。 つまりお前は苦手なスピードを克服するために……」 「さすがはとーまくん!」 「なづけて、あまーいケーキの圧倒的多幸感で どんな恐怖心をも駆逐しちゃいましょー作戦……」 「地上で食ってこい!!」 「食べました!!」 「プロのサンタをみくびらないでください。 イブの夜なんですからそのくらいは当然です」 「そ、そうか……それはすまん」 「……ですが、それでもダメだったんですから 仕方ありません」 「背に腹はかえられないので、 今日のところは 星空スイーツタイムを満喫することで……」 「ひゃ!? わ、わ、わ……なんですかー!?」 「やめて、まわるー!! 世界がぐるぐるー!!!」 「パーティー前の腹ごなしだ。 プロのサンタなら対応してみせろ」 「そっ、そんな突然に言われても……!? あ、あーーーー!! おかしが!!!!」 「そのサンタ袋の中身は全部菓子か!?」 「ぐああーーー、落ちてる、落ちてます!!! ストップー! お願い、ストップ! ぐるぐるストップですってばぁあぁぁぁあぁ!!」 「あぐ! も、もっはいない!! んぐ……らめれふ! らめぇぇぇ!!」 「ぎゃーーー!! 落ちるーっ! 下はらめですっ、いきなり下はー!!」 「わぎゃーーーーーーーーー!! 死ぬー、サンタ殺しぃぃぃいぃぃぃ!!!」 「うぇぇ……死ぬかと思いました……」 「ったく……いつにも増して緊張感のない」 「とほほ……せっかくのお菓子が」 「ま、いろんなサンタがいるってことさ。 それに合わせられるようになって一人前だぜ」 「了解だ!!#」 「むー、冬馬くん不機嫌ですね」 「…………」 「……ひょっとして緊張してますか?」 「ああ、即席ペアで現場に入るんだ。 緊張しないほうがどうかしてるさ」 「心配ご無用です。イブの夜こそ リラックスを忘れちゃダメですよ」 「…………」 「訓練を思い出してやれば、 きっとうまくいきますって!」 「ルーキーサンタに諭されてちゃ世話ねえな」 「もうすぐしろくま町ですねー」 「もう分かるのか?」 「はい、こころなしか 空気がきらきらしてきました」 「ロードスターより上空のサンタ一同へ。 諸君らのソリは間もなく合流地点に差し掛かる」 「シリウスとカペラは初めてのステージになるが、 幸いコースは良好のようだ。 訓練を思い出して、くれぐれも無理は慎むように」 「シリウス01、了解」 「カペラ03、了解です」 「残る諸君は例年通りの割り当てだ。 子供たちが首を長くして待ってるぞ」 「でかいクリスマスケーキも用意してある、 この一年の成果を存分に発揮したまえ!」 「私からは以上だ。 ハッピー・ホリデーズ」 「ハッピー・ホリデーズ!」 「いよいよだな、サンタさん。 満足なテスト〈滑空〉《グライド》もなしだが、 ビビらないでくれよ」 「望むところです。 くりすます・訓練してれば・怖くない♪」 「これが新米サンタの台詞じゃなければ 心強いんだが……」 「あ……見えてきました。 冬馬くん、あっちの下のほう!」 「あっちじゃ分からん、方角で言ってくれ」 「は、はい! ええと、右下……ちがう左下 じゃなくてやっぱり右!!」 「……南西だ」 「あ、あはは……それでした」 「なんだこのこみ上げる不安感。 で、あれは……イルミネーションかな?」 「しろくま町では、 イブにお祭りをするそうですよ」 「街の灯にしちゃ明るいわけだ。 イブの祭りか……いい眺めだな」 「きらきらですねー、 おまつり、えんにち、屋台……じゅるり」 「食い気につられて〈的〉《まと》を外すなよ。 首尾よく片付いたらワタアメおごってやる」 「ほんとですか!? わ、わたし的にはあんずアメのほうが……」 「なんでもいいさ。パーッと終わらせて、 多幸感ってやつをたっぷり満喫してくれ」 「そうですね! 縁日といえば他にも チョコ味ソースせんべいに、チョコバナナに、 なにより大事なベビーカステラに……!!」 「おい聞いてるか?」 「ぬぬぬー、燃えてきましたっっ! そうと決まれば気合充実、意気軒昂!!」 「……暴飲暴食、七転八倒」 「もー、なんで出鼻をくじきますかー」 「……分ぁったから、お神楽が終わるまでには きっと来んだよ、それじゃ切るからね!」 「はー、やれやれ」 「お孫さんですか?」 「立ち聞きかい。 これだから政治屋は油断がならないよ」 「自然と聞こえてきましたよ? お孫さん相手だと声が大きくなりますから」 「けっ……言ってろ。 全く、孫の物好きにも困ったもんさ」 「祭りだってのに、 銭にもならん廃屋をご丁寧に 大掃除してるんだからね。誰に似たんだか」 「誰かさんの薫陶が行き届いているとみえますな。 勤勉なんですよ」 「ふん! あんた、町長になって、 余計なことばかり言うようになったね」 「それにしても……」 「なんだい、この赤服。 さっきから見てりゃ、 看板持ったままボケーと上ばっか向いて」 「オー、流れ星見てマシタ。 ソートゥインクルねー」 「目医者行きな。 この眩しい中、星なんて見えやしないよ」 「ミーの目はスペシャル仕様デスヨ。 ハイ、駅前スロット『パーラー・ヴィエント』、 25日はクリスマスサービスのフィーバー祭りヨ」 「ぽいぽいチラシを〈撒〉《ま》くんじゃないよ、 なにがパーラーだい。 そんなもの配んなら札ビラでも撒きな」 「それになんだいその下品な看板は! いただけないね! いかにも金をすりそうな色柄だ」 「オー、ソーリー!」 「ふん! 妙ちきりんな外人ばっかで困ったもんだよ」 「妙ちきりんがお嫌なら、 あの塔の管理も そろそろ町に任せてはいかがです?」 「は。あんないい場所にある物件、 手放すわきゃないだろ」 「それは、残念」 「だめね、去年の写真と何も変わらない」 「……流れ星?」 「………………」 「……まさかね、この灯りで見えるわけがないわ」 「…………!?」 「あれは…………彗星?」 「さーてと、いよいよパーティタイムね。 後ろのサンタさんは大丈夫ー?」 「…………」 「聞いてる、〈硯〉《すずり》?」 「…………」 「硯ちゃん? おーい?」 「あ、はい……聞こえています」 「緊張しすぎじゃない? 〈支部長〉《ロードスター》の通信聞いてたでしょ。 いつもどおりやれば問題ないない♪」 「でも、訓練どおりで通用するでしょうか? 現地のツリーも不安定だと聞いていますが」 「ラッキーじゃない。 デビュー戦でそれだけ重要なエリアを 任されてんだから、チャンスと思いなさい」 「チャンス……」 「貴重な経験を積めるわよ」 「了解しました……ですが」 「なーに?」 「その、もうひと組……サポート役のサンタは まだ到着していないのですか?」 「急な話だったからねー。 最新型の〈機体〉《セルヴィ》は日本じゃメンテできないし、 ま、仕方ないでしょ」 「だからってビクビクしないのよ。 二組で十分サポートできるエリアなんだから、 教えた通りにやればへーきよ、へーき」 「は、はい……」 「きこえなーい」 「はい、先生!」 〈眩〉《まばゆ》い光の流れに〈機体〉《セルヴィ》を乗り入れる。 九頭竜川としろくま町──二本のツリーによって生み出された光の軌道が、この空域で溶け合っているのだ。 飽和した光の彼方に目をやると、夜空を刻んで流れる光の帯が二つに分かれている。 ここが二つのコースの合流地点。つまりは分かれ道でもある。 「んーっ……いい空気。 しろくま町って気持ちいいですね、冬馬くん」 「観光に来たんじゃないぞ」 「もちろんです、仕事の準備はパーフェクト♪」 「こっちもだ。 心なしか出力が弱いが、ま、なんとかなるだろ」 「そうそう、案ずるより生むが易しです」 「シリウス01よりカペラ03。 これより当機とカペラは編隊を離脱、 しろくまのツリーコースに入る──」 「カペラ03了解。 サポートのもう一機はどうなってる?」 「間に合わなかったみたいね。 タイムリミットよ、このまま突入するわ」 「了解だ、市街地まで先導を頼む」 「いよいよだなトーマ、 張り切りすぎて事故んなよ」 「ああ、そっちは任せたぜ。 ベリーニとカーゾンにもよろしくな」 「了解だ、ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 ハッピー・ホリデーズは万国共通、サンタとトナカイの合言葉。 九頭竜川支部のトナカイたちに別れを告げた俺は、リーダー機のシリウスに先導されて新しいツリーの軌道に乗る。 「いくぜ、サンタさん」 「お任せあれ!」 初めてのパートナーを乗せたイブの星空、地上に広がるイルミネーションの〈煌〉《きら》めき。 年に一度の晴れ舞台、俺たちの職場は天と地の星座に挟まれている。 「サンタさん、準備はいいな。 最初のステージは市街地に面した住宅街だ」 「リミットは3分30秒。 ファーストアタックで出来るだけ当てちまおう」 「ふふふ、わたしの腕前を見せてあげます!」 「お菓子効果が出てきたか? 最後までそのテンションで頼むぜ」 ななみのやつ、初出動でたいした度胸だが、しがみついて泣いてるよりはよっぽどいい。 「市街地の手前でツリーのコースが途切れている。 急降下で進入するからつかまってろ」 「はい、ルミナ充填完了! つっこんじゃいましょー!」 「カペラ03、パーティーを開始する。 ハッピー・ホリデーズ!」 「はいはーい、ハッピー・ホリデーズ!」 ゴーグルを下ろすと、冷え込んだ大気を刻んで伸びる、糸のように細い光の軌道が見える。 このコースに沿って空を滑るかぎり、俺たちの姿が人に見られることはない。 トナカイの仕事は、サンタのソリをエスコートしながら、細い軌道を外れないように〈滑空〉《グライド》すること──それだけだ。 「市街地通過、 並木通りから住宅街へ入る──〈的〉《まと》は!?」 「30です! まずは右の三軒、それから左の白い屋根!」 「道路南側からアプローチする、遅れるな」 「りょうかいです!!」 「しろくま町のみなさん、 長らくおまたせいたしました!」 「まずは左のかたぎりさんから……」 「てぃーらー……」 「みーす!!」 「よしっ、命中です!! 続いてさいとーさん、みぞぐちさん……」 「……今のワザみたいな掛け声は?」 「チョコボンボーン!!」 「シナモンパーイ!!」 「モーーン……」 「ブラーン!!」 「やりました! 全部命中ぜっこーちょー♪」 「もう一度聞いていいか、 その不思議な掛け声はいったい?」 「ワザ名です!」 「サンタかケーキ屋か分からんぞ、 どんだけ邪念入ってんだ!!」 「あぅぅ!? わ、分かりました! では右の煙突のおうちいきますっ!」 「ねらって、ねらって……」 「いちごシュート!!!」 「もじっただけ!!」 「でもでもっ、サンタは幸せを届けるんですよ、 そのためには、自分がいっちばん幸せになれる 言葉をですね……!」 「こういうときに言うんだろう、 メリークリスマスって!!」 「おお、そうでした! さすが冬馬くんっ!」 「……何だってトナカイが サンタを指導せにゃならんのだ」 「それでは気を取り直して……」 「メリークリスマース!!」 「あれ? メリークリスマース!!」 「おっかしいな、メリー……」 「あれー……外れました」 「了解だ、いったん上昇する」 「……つまり、あまーい菓子を食って、 あまーいワザを使わないと調子が出ないと?」 「あ、あはは……面目ありません」 「で、いくつクリアした?」 「前半45秒で6足! 後半は……ええと…………」 「……半分の3足です」 「……俺が悪かった、 自分流で存分にやってくれ」 「いいんですか?」 「パーティーは始まったばかりだぜ。 ルーキーさんはプレゼントのことだけ考えてな」 「それではあらためまして、いっきますよー!!」 「食べたいな こたつに入って 水ようかーーん!!」 「ふふふ、全部命中です♪」 「……やるもんだ」 「見直しました?」 「ああ、さすがに学校にいた頃よか上手くなってる」 「とーぜんです。 こう見えてもプロですから」 「冬馬くんこそコース外れないでくださいね」 「はっ、誰に向かって言ってるんだ? このまま直進──残り時間をかせぐぞ」 「え? でも屋根が……」 「平気さ。 そら、的が来るぞ」 「は、はい……いきます! ティラミース、おかわりっ!」 「ひねるぞっ! 狙え!」 「いきなり……!?!? ぜ、ぜんざーい! くずきりっ!」 「おおー……当たったな」 「はぁ、はぁ……。 うしろのことも考えてくださいー!」 最初はどうなるかと思ったが、ななみの腕前もなかなかどうして馬鹿にはできない。 きらきらと輝くルミナの光球が窓辺に吊るされた靴下に弾け、七色の光が舞い踊る。 光の粒子のひとつひとつがツリーの奇跡だ。サンタとトナカイは、その力を運ぶためにイブの夜空を駆け抜ける。 「よーし、ノッてきたぞ。 クリアまであといくつだ?」 「ひぃの、ふぅの……15軒ですね」 「ルーキーにしちゃいいペースだ。 このまま一気に配っちまうか」 「もちろんですっ」 いまこの瞬間も、地上のどこかから星空を見上げているあの頃の俺がいる……。 夜更かしをして星を見ていた子供たちはいつしか眠りに落ち、やがて目覚めて靴下のプレゼントに気づくだろう。 それはサンタの運んだツリーからの贈り物。 トナカイがイブの空に残すのは、流れ星のようなスノーフレークの軌跡だけだ。 「21、22、23……にじゅうし……」 「にじゅう……にじゅうろく……?」 「27……」 「……まさかこんな形で日本に戻ってくるなんてね」 「あーあ、もう始まっちゃってる」 「見えるかい、お姫様?」 「うん、キラキラしてる……」 「〈故郷〉《ふるさと》っていうのはいつだって眩しく見えるものさ。 あるいはこみ上げる望郷が星空を〈滲〉《にじ》ませたかな?」 「はいはいはい。 トナカイってどうしてこうキザなんだろ」 「トナカイが〈気障〉《きざ》なんじゃない、俺が〈気障〉《きざ》なのさ」 「そんなんどーでもいい!! ムダ口叩いてないでキリキリ急ぐっ! 誰のおかげで遅刻したか分かってる!?」 「〈機体〉《こいつ》はデリケートなんだよ、お姫様」 「──熊ヶ崎灯台通過、30秒で市街地だ」 「いらいらいらいらいらいら遅い!! 加速っ、ハイパースピーダーーップ!!」 「そういきみなさんな。 我々は単なるサポート役だぜ」 「イブに張り切らないサンタなんていないの! ほら加速鈍ってる!! 手ぇ抜かない!!」 「はいはいご随意に、お姫様」 「日本のイブか……」 「……島国サンタのお手並み拝見ってところね」 「プリン・アラモード!!」 「海沿いは残り2軒です。 そのまま急上昇してください」 「無理すんなよ、 コースが不安定だ、揺れるぞ」 「平気です! 3・2・1・ワッフル、ワッフル♪」 「めりーくりすまーす♪」 「よーし、次でラストだ。 いっくぜ!」 「れっつごーーー!」 「お疲れさん、全ステージクリアだな」 「はぁぁ……いい汗かきました」 「さすがにバテただろう。 シリウスと合流するまでは休んでろ」 「りょーかいです……がさごそ」 「その袋の中身は全部菓子なのか?」 「はい、労働のあとは しあわせの素を補給しなくちゃいけません」 「そうして体型からリアルサンタを 目指しているわけだな」 「あ、ひどい!!」 「こちらカペラ03、 シリウス01聞こえるか」 「シリウス01よ、 そっちは順調みたいね」 「割り当てが少なかったからさ。 市街地のほうはどうだい?」 「手伝ってくれると助かるわ。 ドームからメインストリートに向かう コースが途切れてるの」 「ここのツリーはずいぶん気まぐれだな。 了解した、すぐに向かう」 「追加オーダーが来た。 サンタさん、もうひと仕事行くぜ」 「もが……お、おー!!」 「ここか……こいつはひどいな」 「うわぁ、コースがすっかり 霧に溶けちゃってますね……」 ツリーの気まぐれはイブの風物詩だ。本部の予報と実際のコースがずれていたなんて話はザラにある。 「にしたって、 ここまでコースが乱れているのは珍しいな」 「ご苦労さま」 「なんだ、シリウスはサンタさんが操縦してたのか」 「トナカイ稼業は見習い中なの、 お手柔らかにお願いね」 「すごい、両刀使いですか!」 「あらー、それは意味深な響きねえ?」 「先生」 「そ、そんなことはどーでもいいとして、 手伝って欲しいのはこの先なんだけどー」 「コースが完全になくなっちゃってますね」 「霧のしろくま町ってところね。 見ての通り、このドームから先の メインストリートが東西に分断されてるの」 「この先がメインの市街地か」 セルヴィを操縦するサンタの噂は聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。 しろくま町への先導ぶりを見るかぎり、見習いと言いつつも腕に覚えはあるのだろう。 「了解した。 俺たちがドームの西側からアプローチしよう」 「助かるわー。 予報よりルミナが薄いから気をつけて」 「なんとかなるさ、 ルート算出まで1分待ってくれ」 「はじめまして、シリウスのサンタさん」 「…………」 「……?」 「…………」 「……あ、あの?」 「……!」 「あ、わわ……ごめんなさいっ」 「……?」 「あの……何か?」 「あ、いえ、はじめましてーとご挨拶を」 「あ、すみません、ご丁寧に。 その……お手数をおかけして申し訳ありません。 ありがとうございます」 「いえ……どういたしまして」 「(すごく礼儀正しいサンタさんです)」 「育ちがいいんだろ、お前も見習ったほうがいいな」 「どーゆー意味ですか!」 「うちのサンタさんはルーキーイヤーなのよ、 緊張してるのは大目に見てね」 「あ、わたしもですー! じゃあ、同期ってことですね☆」 「………………」 「で、ですよね?」 「あ……!」 「はい、そうです! 至らぬところあるかと思いますが、その……」 「はい肩肘張らない」 「俺も2年目だから似たようなもんさ。 よし、新聞社ビルから路面電車を またぐコースが使えそうだ」 「ずいぶんと手際がいいのね、 九頭竜に来る前はどこにいたの?」 「うちの相方は屋久島に半年」 「冬馬くんはスロベニアだっけ?」 「スロバキアだ。 2年目でも一通りの対応はできるつもりだ。 割り当て分は任せてくれ」 「わ、わたしもです! 宝船に乗ったつもりでお任せあれ!」 「ふーん、頼もしいわね」 「度胸だけは超ルーキー級だからな」 「だけってどういう意味ですか!」 「とにかくっ、0時まであとちょっとだし、 わたしたちもがんばりましょう!」 「…………」 「あぅぅ……!」 「すーずーりー、緊張しすぎ」 「は、はい……!」 「緊張するとルミナが飛ばないって言うし、 リラックスリラックスです♪」 「よ、よろしくお願いします!」 「あれ……降ってきた?」 「……!」 「まずいな、吹雪いてきそうだ」 「予報じゃ快晴だったのにー!」 「へーきへーき、なんとかなるって。 イブに降る雪はラッキーだって言うじゃない?」 「そうですね! これはきっとレベルアップのチャンスです!」 「ホワイトクリスマスか。なんにしろ、 コースがこれ以上乱れないうちに決めちまおう」 「23時50分……。 タイムリミット近いけど、よろしくお願いね」 「りょーかいしましたっ!」 一年を通じて、ルミナが最も輝きを増すのがクリスマスイブだ。 イブの夜、23時59分はサンタにとって特別な意味を持っている。 夜明けまでにプレゼントを配りきれば、サンタクロースの役割を最低限果たしたことにはなる。 しかし、光に満ちたイブのうちにプレゼントを配り終えることにサンタたちはプライドを持っているのだ。 「コースが狭いです! 穴もたくさん空いてるし……行けますか!?」 「そいつは愚問だろ? つかまってろ!」 「おおっ! まるで腕利きトナカイさんみたいな台詞を!」 「〈みたい〉《・・・》か本物か、 自分で確かめてみるんだな」 眠れる住宅街から、眠らない繁華街へ──。 人の目が多くなればなるほど、ツリーのコースはタイトになってゆく。 けれどサンタは決して、その姿を人々に見せてはならない。 俺たちトナカイの腕が本当に問われるのは、ここから先だってことだ。 「行くぞ、エクストラステージだ」 「目標は頭に入ってるな! コースの虫食いは俺に任せておけ!」 「おっけーです、まっすぐ飛べば大丈夫っ!」 「いっきまーす!!」 「いつもにこにこ チョコレートサンデー!」 杖から放たれたルミナの光球がイルミネーションの光に溶けてゆく。 きらきらと、六角の〈雪晶〉《フレーク》を舞い散らせ、セルヴィは光を切り裂いて夜の市街地を滑る。 「お待たせしました、 キャラメルフロマージュ!」 「あと2つ! ここで決め手のベイクドチーズ……」 「うええっ!?」 「悪ィ、揺れた。大丈夫か?」 「へ、平気です! たいやき……たいやきっっ!」 「……外れたぁ」 「くそ、〈穴〉《ピット》だらけだ。 いったん上昇する!」 「あ、あ、あ、その前に! このまま右から寄せてください」 「なんだと!? 穴にハマっちまうぞ」 「けど、ここからならまだ狙えます!」 「当てられんのか?」 「もうすぐ0時です、急いで!!」 「了解だ! 右……東側よりアプローチする」 「どうするつもりだ、サンタさん?」 「とっておきを使います……そのまま!」 「穴だ、跳ぶぞ」 「せーのっ……和三ボム!!!」 「おおっ……当たったか!」 「やるじゃんか、ルーキーさん」 「はぁ、はぁ……っ! もちろんです、訓練してれば、こわくない」 「たいしたもんだ、残りの的は?」 「くつした7つ…… うー、思ったより当て損なってました」 「今のは俺のライン取りがヘボだった。 ルートを再計算するから待ってくれ」 「もう時間がありません。 すぐにセカンドアタック行きましょう!」 「同じルートでか? また揺れるぞ」 「かまいません! れっつごー!」 サンタが狙いを外すのは、トナカイの腕が悪いからだ。 だが、この霧でルミナの軌道を外れないためには、次も同じルートをなぞるしかない。 二度目の突入は23時57分──。 ここで撃ち洩らすと、三度目は0時をまたいでしまう。 「こいつで仕事納めにしたいな」 「イブのうちに決めてみせます!」 「ラストアタックだ。 あとは任せたぜ、サンタさん!」 「……りょーかいです!!」 「ん……なんだ?」 「きゃああっ!?」 「なんだ!?」 「そこの旧式、邪魔よ!!」 「き……旧式だと!?」 「わああああっ!! か、回避、回避ですーっ!!」 「ターゲットインサイト、 トータル7個──リクエスト確認省略!」 「聖夜の空を切り裂いて、 ラブリープリンセスただいま見参!」 「ロックオン!! デュエルザッパー最大出力!」 「メリー……!」 「クリスマース!!」 「ターゲットダウン! あはははっ……やっぱイブはこーでなくっちゃ!」 「一気に行くわ、連射モードON! ハイパーブラスター投下!!」 「オールターゲットダウン! ミッションコンプリート!」 「OK、離脱するぜ」 「ふふっ……軽いもんね」 「…………」 「…………」 「な……な、なんですか、 いまの赤いのは……?」 「ベテルギウスだ。 驚いたな……最新型が日本に来てたのか」 「ベテルギウス……ラブリープリンセス?」 「む、むむむむ……っっ!!」 「……どうした?」 「いくら新型だからって、 サポートのサンタさんだからって、 今のはちょっとひどいと思います!」 「まごころ込めてルミナを集めてきたのに あんな風に頭越しにプレゼントを 配っちゃうなんて……」 「冬馬くんもそう思いませんか?」 「ああ、そう思うぜ……」 時刻確認……0時ジャスト。イブの任務完了──フリー〈滑空〉《グライド》タイムに入る。 「ふぇ!?」 「あ……わ!」 「きゃああっ!? ととととーまくんっ!?」 「相方がそう思ってんなら話は早い」 「わ、わ、わっ! なにするですかーー!?」 「決まってるさ、追い抜いてやる」 「追い抜いてどうするんですか!?」 「そいつは抜いてから考えることだ!」 「計画性ゼロ!? ちょ、ちょ、ちょっと待って! さっき支部長さんが無茶はダメって……!」 「先に仕掛けてきたのはあちらさんだ」 「で、でもですよ……!!」 「最新型のベテルギウスか……面白いぜ。 ツラだけでも拝んでやる!」 「わぁぁぁ!! とーまくんの目が不完全燃焼してるーっ!」 「ひぇ、きゃぁぁ!」 「わぁーーーあぁぁぁああぁ!! とーまくん! とーーーーまくんっっ!?!?」 「ほう……旧式さん、追いついてきたぜ」 「可愛くないな。 島国サンタがはりきりすぎ」 「ナメんな!! 最新鋭がなんだってんだ!!」 「待ってぇぇー!! 無駄に速いですってば!! 事故るっ、落ちるっ、墜落するーっ!!」 「う゛ーっ、ぎもぢわるいーー! 熱くなっちゃダメだってばぁあぁ〜!!」 「そうカッカしなさんな、カペラさん」 「そーそー、感謝の言葉なら後で聞いてあげる」 「なんだと、挨拶もなしに仕事を取りやがって!」 「あそこでお前さんの相棒が撃ち洩らしてたら、 日付が変わっていたんだぜ?」 「やれたさ!!」 「根性論。自己採点が甘い……30点!」 「なんだとーーー!?」 「こっちのコースについて来れたら褒めてやるよ」 「抜いてやるさ!!」 「やぁぁーーー落ちる落ちる落ちるーっ! かみさまっ! かんのんさま、べんてんさまーっっ!!」 「サンタが祈るな!」 「わかってる、わかってますけど……! わ、わ、わぁぁああぁぁあぁーーっ!!」 「くそ、届かねえ!」 ──野郎、ただ者じゃない。 コースからコースに軽業みたいに飛び移ってあのデカいベテルギウスでロデオをしてやがる。だが……。 「小回りならカペラのほうが上だぜ!」 「いいぞジャパニーズ、ついて来い」 「片目にスコープだと……気取りやがって!」 「ん……ベテルギウス……片目?」 「お、お知り合いさん?」 「知るもんか! 意地でも俺のケツを拝ませてやる!」 「うええ、ぜんぜんだめだーー!!」 「わわーっ、もう無理!! ギブ! ギブですってばーーー!!!」 「イブの暴走行為は厳禁って教科書に! 戒めの書にぃぃぃーーーっ!!!!!」 「問題なしだ。 プレゼントは配り終えたし日付も回ってる。 一次会はお開きだ!」 「でも! ですけど!! きゃぁぁ!?」 「こっからはフリータイムだって 教科書にも書いてあったぜ」 「よし、とらえた。一気に攻める!」 「ふぇぇーーーっ!! このサンタ殺しー!!!」 「すみませーーーん!! そこのぐるぐるドリルさんも、 冬馬くんを止めてくださいー!!」 「誰がドリルよっ!!」 「短気は損気だぜ、お姫様。 先輩らしく優しく諭してあげたらどうだい?」 「うー、仕方ないな……」 「こらーー、そこの国産!!」 「国産!?」 「トナカイ一匹がカッカしたって、 サンタがトロけりゃ空回りするだけよ。 そろそろ頭冷やしたほうがいいと思わない!?」 「……かちん!」 「だいいち、エース機を相手に そんなカペラで何するつもり? 腕もダメ、機体もダメじゃ勝ち目なしよ」 「分かったら身の程をわきまえて、 さっさとママのお家に帰ること! 以上伝達終わり!」 「む……むむむーーっ!」 「これでよかった?」 「……こいつはもう才能の域だな」 「すまんね、うちの姫は口が悪いんだ」 「正直って言って」 「いい加減にしないと 後ろのお嬢ちゃんが泣き出すぜ、 アンティークさん」 「くそ、離される……無理なのか!」 「まだですっっ!!!!」 「ななみ──!?」 「なにが『無理なのか……』ですか、 そんなの冬馬くんらしくありません!」 「こーなったら今年の飛び納めですっ! 赤ドリルなんて一気に抜いちゃいましょう。 れっつごー! とーまくんっ!!!」 「赤ドリルーー!?」 「冬馬くん、コース右側が追い風です!」 「分かってらー、いっくぜ!」 「てぇぇーーーーーーい!!!」 「しつこいね。 これがブシドーってやつかい?」 「無鉄砲なだけ! 蹴散らすわ」 「そうは行くか……波をつかんだぜ! 覚悟しやがれ、金髪舶来サンタ!!」 「骨董品にしちゃ速いじゃないか」 「ラブ夫、手を抜くなーー! 絶対的能力差を見せ付けてやるんだから!」 「ご随意に、お姫様」 「ななみ、リミッター解除だ! 一気に抜くぜ!!」 「もちろんです! ルミナ供給全開っ!!」 「りゃああああああああああッ!!」 「てええええええええいいっっ!!」 「くっ、この加速……機体がもつか?」 「いいぞジャパニーズトナカイ、ゴキゲンだ」 「すぐに失速するわ。 こらーーっ、そこの凸凹コンビ! 墜落しても責任持てないからね!」 「墜落したらわたしの責任です!」 「そもそも墜落なんかしねえ!」 「あー、めんどくさいっ! もうっ、本気出すからね!!!」 「はー、終わった終わった。 帰ったら熱燗でキューッといきたいわねー」 「途中フラついたけど、 硯もなんとかなったじゃない」 「はい、先生」 「ぶるるる……あー、寒っっっ。 カペラの子たちもうまくやってくれた みたいだし、さっさと戻ろ戻ろ」 「くす、そうですね」 「…………あれ?」 「こんな夜はぬっくぬくのこたつで、 みかんと一緒に年末番組を……」 「先生! 左後方……!!」 「……え?」 「やぁぁぁあぁああぁぁぁぁぁッ!!!」 「てぇぇええぇぇえええぇえッッ!!!」 「な、なんなの!?」 「きゃ……ぁぁっ!?」 「あ、ちょっと、だめよ! 硯──!?」 「きゃああああっ!?」 「大丈夫よ、落ち着いて……硯!!」 「わ、わ、今度はなにーーー!?」 「突風か!?」 「違うな、吹雪だ。 後方からシリウス急接近!」 「なんで吹雪が突然……うわっ!?」 「ちっ……ここまでね、スピードダウン! 姿勢制御しつつ降下、ルミナ開放するわ!」 「……ってェ!?」 「わ、わ、わぁぁあああっ!!! なんで!? ぐるぐるしてます!! あっちこっちぐるぐるしてるーーーっ!!」 「こらーーーーーーーーっ!? なによ、来るなっ、こっち寄んなーー!!」 「機体制御不能!! 頼むぜカペラ!」 「こいつはイブらしいサプライズだ」 「カッコつけてないで姿勢制御ーっ!!」 「きゃあああっ、先生、先生っ!!」 「ありゃー、これ……まずいかも!?」 「きゃーーー、どいて、どいてーーぇぇ!!」 「だから来るなって言ってるのにーーー!!」 「きゃああああああああああああああっっ!!」 「はー、さむさむ。 今夜は冷えこむわー。あっつい甘酒飲みたっ」 「あ、姉ちゃん」 「もー、きららちゃん、おそいよぉ」 「ごめんごめん、今から超特急で行くから──」 「うぇ!?」 「な、なに……今の!?」 「どうしたのぉ?」 「あ、ううん、なんでも……」 「うぇ……!?」 「うわ………………」 「きららちゃーん? ねー、きららちゃぁぁぁん? うえ、とか、うわってどうしたのー?」 「びっくりした……雷?」 「だから危ないってあんだけ口すっぱくして言ったで しょーがっ!! 自分の実力も分からずにオラオラ 暴走してるからこーなるの! このボケ(略)」 「ふぇぇ…… ドリルさん、なんだかすごい怒ってます」 「とーーーーーぜんよっ!! だから自己採点が甘いって言ったの! 巻き込まれたこっちはいい迷惑だし!」 「だ、だってだってだってー!!」 「だってもさってもあさっても!! いったいぜんたいどーすんのよっ! セルヴィの接触事故なんて聞いたことないわっ!」 「それはわたしも初耳です」 「ピンクの記憶はどーでもいい!!!」 「そもそもそっちがつっかかってこなけりゃ こんなことにならなかったでしょーっっ!!」 「でもそれはドリルさんが横から」 「ドリル!?」 「あうぅ……」 「おまけに墜落した場所がツリーの上だなんて、 前代未聞にも程があるっっ!!」 「うぇぇぇ……だってーー!」 「ぴーぴー泣かない! だっても禁止!!!」 「は、はいーーっ!」 「うぎぎ……だから日本なんて来たくなかったのに! NY本部のエリートサンタが なんの因果でこんな辺境にぶつぶつぶつ……!!」 「ああああっ!?」 「わわ!?」 「す、凄いことを発見してしまいました……」 「な、なに!? このうえまだ何かあるの……!?」 「これではわたしたちが ツリーのオーナメントじゃないですかっ!」 「究極どーーでもいいーーーーーーっっ!!!」 「ありゃりゃ、相当カッカきてるわねー あのお嬢ちゃん」 「あああ……こんなことになるなんて予定外です! 誰かに見つかる前に早く逃げないと(略)」 「って、こっちもたいがいパニクってるか」 「せ、先生、こういうときの対処法は!? どどどどうすればこの状況から 脱出できますかっ!?」 「オロオロしないこと。 こーなっちゃったもんはしょーがないでしょ」 「ですけど、ですけど……!」 「いい? こういうときは、 お気楽なトナカイたちを見習って……」 「うわぁぁぁああぁっ……!! 俺のカペラがぁぁぁぁーー!!!」 「醜態だ、失態だ、言語道断だッ! あの程度の突風も処理できないなんて、 すまんカペラ……俺はまだまだ未熟だった!!」 「ありゃー、あんまり楽天的じゃないのもいるわね」 「〈聖夜〉《イブ》にハプニングはつきものさ。 ともあれ仕事はこれにてフィニッシュだ、 ハッピー・ホリデーズ!!」 「ちーともハッピーじゃないのにー!!」 「はぁぁ……最後の最後で大失敗でした」 「すまん、着任早々とんだクリスマスだな」 「くすん……縁日が……わたあめが、 梅ジャムせんべいにあんずアメ……」 「って、そっちかーーい!!」 %LC  ──10ヶ月後。 %LC──敬愛する師匠へ。%K %LCそちらは雪の季節になりましたが、お変わりなく過ごしていますか?%K %LC俺は……まあ元気にやってます。%K %LC師匠の勧めでこの土地に移って半年、カペラの奴は相変わらず不機嫌ですが、町の空気は北欧に劣らず綺麗です。%K %LC少々修理に手間取ってはいますが、なに、イブには間に合わせますので、どうか大船に乗ったつもりでいてください。%K %O 「さーーーーてと、完成だ!」 「それにしても長かった……いっときは 一生完成しないんじゃないかと思ったが」 颯爽とシートにまたがった俺は、ステアリングのスイッチを入れて上昇する計器板の数値を読み取る。 リフレクター反射率98%ハーモナイザー同調率95%──我ながら文句なしの仕上がりだ。 「行くぜ、カペラ始動──!」 「師匠にも大見得切っちまったんだ、 今度こそ頼んだぜ、相棒」 「……おい?」 「………………」 「ちくしょー、また駄目か!」 「参った……なぜだ、なぜなんだ!? 理論上は直ってるはずなのに」 「はぁぁ……なんてこった、 すっかり寒くなってきちまった」 ──空を見る。 地上から見上げる空は、日に日に高く感じられる。季節は秋から冬へと変わろうとしているのだ。 俺の目指す星は、雪雲の果てに霞んだまま、おぼろにもその姿をとらえることができない。 師匠のもとで磨いた技能をくすぶらせたまま、セルヴィと格闘して早10ヶ月。 けれど、こういった毎日こそが修行の糧になるってことも、師匠からはみっちり叩き込まれている。 「とは言ったものの、 あん時はまさか、こんなことになるとはなぁ……」 「ばっかもーーーーん!!!!」 「ひぅぅっ!!」 「イブにサンタが揃って暴走行為とは何事だ! 頭を冷やせッ!!」 「い、いえあれは正確にはイブではなく……!」 「そそそそうです! もう0時を回っていてですね、ノルマも……」 「パーティーのしおりを読み返せッ!! 1:おやつは300円まで!! 2:支部に帰るまでがクリスマスです!!」 「ががーーーん!!!」 「まずいですっ! おかし5000円は買い込んでました!」 「そっちじゃねえ」 「挙句の果てにツリーに墜落するとは言語道断!」 「まさかあんなところに。 海よりも深く反省しています」 「その通りだ、付け加えるなら セルヴィの接触事故自体が前代未聞だ。 両名とも炎より熱く反省するように!!」 「す、すみません……」 「む、殊勝な態度はよろしい」 「ところで大破したセルヴィなのだが 改修を繰り返して相当古くなっているようだし、 これを機に新機種への乗り換えを検討したまえ」 「俺のカペラですか!? 待ってください、 あいつは師匠から譲られた機体なんです。 なんとかそこはひとつ……」 「だが交換部品もほとんど残っていなくてな、 修理には相当の手間と時間が……」 「だ……だったら俺が直します!」 「冬馬くん!?」 「トナカイとして、いくら古くても 愛機を簡単には捨てられません」 「……ふーむ」 「よろしい、ならば心ゆくまで修理したまえ」 「幸いなことに……時間はたっぷりあるからな」 「そのたっぷりが、まさか秋になっちまうとは!」 「頼むからこいつで決めてくれよ……。 修理が終わるまで戻ってくるなって言われてるし、 このままじゃ年を越しちまう」 「…………」 「……おいカペラさんよ、 お前をスクラップにしないためにやってるんだぜ。 ちったぁ言うこと聞いてくれよ」 「ぴーひょろろ……」 「ほら、とんびも笑ってるぜ」 顔を上げると、古い倉庫の屋根が、ほのかに色づいた木々のあいだに覗いている。もはや見慣れた山道の景色。 そして、その手前を横切る一羽の……。 ……一羽の!? 「とんび……じゃないぞ!?」 「ぴーひょろろ!」 「違う、そんなとんびはいねえ!」 「くっくるーーるーーー!」 「お前はトリか!! トリじゃないか!」 「やぁ、久しぶりじゃないか。 よくここが分かったな!」 「くるるる、くるるー!」 「お、師匠からの手紙を持ってきてくれたのか」 「ご苦労だったなぁ。ほら、テントはこっちだ。 コーヒーでも淹れてやるから休んでいけよ」 「くるる! くーーーーるるるっ!」 「早く読めって? 分かった分かった」 「……お、本部から俺宛に通達だって?」 「どれどれ………………」 「おおっ!? やったぜ!! 俺の新しいパートナーがこの町に来る?」 「で、今日これから迎えに行けだって!?」 「よーし、こいつはいい風が吹いてきたぜ。 なになに……パートナーと合流後は 現地の新しい支部へ着任の挨拶を……?」 「新しい支部ってなんだ……ふむふむ?」 「しろくま町支部だって!?」 山道を下り、田園地帯の田舎道を徒歩で30分余り──。 潮の香りを感じる辺りから建物の数が増えはじめ、道はすぐに、しろくま町の市街地へと入ってゆく。 メインストリートのしろくま通りを駅に向かうと、視界のあちこちに外国人や観光客の姿が入ってきた。 この町は観光地なのだ。 明治のころ、このしろくま町は『異人の町』と呼ばれていたらしい。 かつて外国人の協力で開発された町の沿革が、ところどころに立てられた標識や看板に記されている。 この土地に立派なツリーがある理由も、どうやらそのあたりにあるようだ。 午前9時、そろそろ新しいパートナーが駅に着いてる頃だ。 「さて……手紙によると この辺りに来ているはずだが」 「どこかな、新しいパートナーさんは?」 「……!?」 「あ、とーまくん!」 「……パートナー……さん!?」 「おはようございます。 星名ななみ、ただいま到着いたしました!」 「あ、ちょっと待ってください!! とーまくん、どこ行くんですかぁ!?」 「抜擢かと思ったら、懲罰人事だったか」 「もー、待ってくださいってばー!」 「そこに書いてあるだろ、 駅構内での飲食はご遠慮ください」 「げげ、それは盲点でした!」 「ちょっ、だからって 置いてかないでくださいー」 「まずは、これをどーぞ!」 アイスクリームを咥えたななみが、バッグから書類のファイルを取り出す。 「この寒いのにアイスか?」 「ふぁい、そこで売ってましたから。 名物・しろくまくんアイス……ぶるるるる!」 「全く変わりないようで何よりだ。 で、こいつが申し送りかい?」 「はい、冬馬くんは住所不定なので 辞令はわたしが預かってきました」 「住所は山ん中さ。 サインはここだな」 歩きながら書類にペンを走らせる俺の後をななみが小走りで追いかけてくる。 この書類を〈支部長〉《ロードスター》に提出すれば、俺もしろくま町支部の一員として現場復帰というわけだ。 「それにしても、また冬馬くんと ペアを組むなんて思いませんでした」 「問題コンビ復活というわけか」 「そうとも限りませんよ」 「お菓子は卒業できたかい?」 「ふっふっふ、それは見てのお楽しみです」 「冬馬くんこそ、 カペラさんの調子はどうですか?」 「ま……ぼちぼちさ」 またもこいつとペアを組むことになろうとは全くもって想定外だったが、それでもパートナー不在の毎日よりは百倍マシだ。 どんなサンタにも対応してこそ、一流のトナカイといえる。 今回の人事は、そのための第一歩ってことだ。 そう自分を納得させられれば充分だ。サイン済みの指令書を懐に入れて、いざ、しろくま町支部へ……! 「とーまくん逆ですよー、こっちこっち!!」 「電車に乗って行くのか?」 「はい、支部の建物まで『くま電』で2駅です」 「あ、さては住所不定の冬馬くんには、 新しい支部の地図が届いていませんね?」 「……面目ない」 「そういうことなら、 道案内はわたしに任せてください」 かくして俺はななみに手を引かれるように駅前のロータリーへ。 「おー、サンタがいるな」 「わたしですか?」 「いや、あっちさ」 「サァ、サァ、 イラッサーイ、イラッサーイ! アッサラーム!」 「ほんとだ。 それにしても外国の方が多い町ですねー」 「サンドイッチマンまで外国人とは、 国際色豊かだな」 「サンドイッチ!?」 「はてサンドイッチマンとは……。 むしろ、おむすびさんのほうが似合いそうな 恰幅の良さではありますけど……」 「ニックネームつけてんじゃない。 サンドイッチマンってのは あーいう格好で宣伝する仕事のことさ」 「どうしてまたサンドイッチなんですか?」 「見ての通りさ、店の看板を身体の前と後に ぶら下げて、自分を挟んでいる風体が さながらサンドイッチのようにだな……」 「はぁぁ……なるほど、 冬馬くんは物知りですね!」 「こう見えても昭和生まれさ」 「……でも、看板挟んでいませんよ」 「そこな道行くボッチャンジョーチャン、 しろくま名物パチンコーはイカガディスカー?」 「なるほど……厳密には サンドイッチマンじゃないのか」 「じゃあ、おむすびさんで!」 「了解だ。そしてどっちでもいい」 「むー、ノリが悪いですねー」 「ウェルカム・トゥー・しろくまシティ!!」 「わわわ!? び、びっくりした!」 「オー、プリティガール! フー・コー・メイビーな海のエントランス、 しろくまシティへようこそ!!」 「これはこれはご丁寧にありがとうございます」 「急ぐぞ」 「あ、ちょっと待ってください、 サンタたるもの街の人とは仲良くですよ」 「あのー、このあたりでおすすめの お菓子屋さんとかご存知でしょうかー?」 「ホワッツ!?」 「おい、〈道案内〉《ガイド》じゃないぞ」 「ワタシオ菓子ワカラナーイデスガ、 新名所パーラー・ヴィエント、ヨロシクネー」 「ぱーらー?」 首をかしげたななみが、差し出されたチラシを表彰状のように深々と受け取った。 「喫茶店……いやパチンコ屋だな」 「YES! 若人サン、オメガ高イ!! 只今新台参入キャンペーン実施中ニテ〈候〉《ソーロー》!」 「おぁぁ、なんだか分からないけど エキセントリックな日本語です!」 「旅のメモリーに一発勝負。 CR戦記アクシズ大放出中の巻でゴザルヨ」 「へぇ、パチンコか……どんなものだろうな。 やはり一流のトナカイたるもの、 ギャンブルの嗜みくらいは……」 「……もが!?」 「だめですよー! 賭け事にお金を使うなんて無駄遣いです」 「……ならば聞くがサンタさん、 そのバッグの隅から覗いてる ピンクの箱はなんだい?」 「予備のお菓子ですが?」 「なら、そっちのポーチの中身は?」 「メインのお菓子です!」 「無駄菓子だ!!!」 「む、無駄じゃありませんー!! 古代アステカの人も言ってますよ、 毎朝のチョコレートは元気の源です♪」 「やめろ、もが……っ!!」 「げーーーーーほ、げほげほっ!!」 「あーーーーーーー!!! なんてもったいないことをっっ!」 「いきなり口に突っ込むからだ! げほげほげほ、甘すぎてむせるっっ! 水!! その手に持ってる奴よこせ!」 「えー! これは限定の……」 「げーーーーほ、げほげほっ!!」 「うー、しょうがないですね」 「サンキュー、 ごくごくごくごく……んぐ!?」 「げふっ…………こ、これは」 「はい、そこのファーストフード屋さんで 新発売してた、この秋限定の……」 「チョコシェイクだ!!!!」 「うーーーーーー…………………………… やっと落ち着いた…………………げほっ!」 「元気が出るはずなのに、 げっそりしてしまいましたね……もごもご」 「鼻血で倒れなかっただけマシさ。 そして心配してるはずの君はさっきから なにをペチャコリペチャコリやってる?」 「これですか? じゃーーーん、くまキャンディ! さっき、おむすびさんから貰ったんです」 「そうか美味いか?」 「はい! 搾りたての牛乳から作った ミルクキャンディだそうですよ。 もう1つだけ残ってるんですけど……」 「全力で遠慮する」 ふんわりと漂ってきた甘い香りに肩をすくめた俺は、くま電の車窓から外の景色を眺めやる。 しろくま電鉄──通称『くま電』は、この町の市街地を割って走る路面電車だ。 窓の外を流れてゆくのは、道路と信号、それから華やかに飾られたビルの群れ。 そんな駅前の繁華街を過ぎると建物の背はとたんに低くなり、空が開ける。 暑い夏はとうに過ぎ、空の青もいくぶん薄くなってきた。 「…………(にこにこ)」 「こんにちはー」 向かいの座席にニコニコ座ってる女の人に、ななみが手を振った。 「…………(にこにこ)」 にこやかに手を振り返すお姉さん。 「知り合いか?」 「いえ、まったく」 「知らない人に手を振るんじゃない」 「町の人とのコミュニケーションですってば」 「…………(にこにこ)」 そんなものだろうか。 新しいパートナーのフリーダムなサンタぶりに首をひねっているうちに、車窓の景色に緑の色が増えてくる。 「……どうか遅刻しませんよーに」 「どこに何時集合だって?」 「山の手住宅街の支部に朝10時集合です」 「なら1時間もかからないさ」 「だといいんですけど……ここだけの話ですが、 すっごぉぉーーーーくキビシイらしいですよ、 今度の〈支部長〉《ロードスター》さんは」 「どんな人なんだ?」 「ええと、確かサー・なんとかさんって……」 「サー・アルフレッド・キング?」 「らら、知ってましたか?」 「噂くらいだけどな。 キング氏っていや、ヨーロッパじゃ有名人だ」 サー・アルフレッド・キングといえば、サンタの世界では名の通った英国紳士だ。 表の顔である福祉事業が英国王室に認められ、ナイトに叙任された程の人物だってことは、下っ端トナカイの俺でも知っている。 「そんな大物が、スパルタ指導するのかぁ。 面白いことになりそうだな、しろくま支部は」 「嬉しそうですね」 「キャリアアップにはもってこいさ。 それに……」 「……それに?」 「それにやっぱり、 サンタといえば髭のオッサンだろう!」 「……美少女ですみませんでした」 「自分から美を付ける度胸はたいしたもんだ」 「むー、ほっといてください」 ふと、ななみが宙に視線を泳がせた。黒い瞳がきらきらと空の明かりを映している。 「……ツリーも元気みたいですね」 「昼間なのに見えるのか? ルミナは屋久島より多いみたいだが」 「うん、あっちこっちでふわふわしてます。 さすが、日本で五番目の支部に 選ばれるだけのことはありますね」 「本州じゃ、九頭竜川に次いで二つ目か」 「急に決まったらしいですよ。 だからサンタも少数精鋭で、 3チームしか組まないとか……」 「どうしてそんな支部に俺たちが……?」 「そんなの決まってるじゃないですか」 「期待されてるってことですっ!!」 「そうか!!」 「そうです!!」 「大物ロードスターの指揮する少数精鋭部隊か! 本部もなかなか粋な人選をするもんだ」 「そういえば、冬馬くんは いつからこの町にいるんですか?」 「半年ほど前さ」 「えーー!? なら、冬馬くんのほうが しろくま町に詳しいんじゃないですか?」 「あいにく山のテントに〈篭〉《こも》ってたんでな。 町の名前くらいしか知らないのさ」 師匠がこの土地をすすめてくれたのは、支部の発足を予期していたからだろうか。 まったくもってありがたい話だ。ここで期待に応えられなくては男が立たない。 「こんなことになると分かってりゃ、 少しは勉強しとくんだったな」 「仕方ないですねー、 すこしレクチャーしてあげます」 「コホン──しろくま町は人口3万8千人、 南をしろくま湾、北を〈白波〉《しらなみ》山に挟まれた 観光と漁業の町です」 「お、いかにもガイドさんだ」 「ふっふっふー、下調べは入念にやってきましたよ。 町のことなら何でもわたしに聞いてくださいね☆」 「へええ、さすがだねサンタさん。 ま、頼りにさせてもらうぜ」 〈星名〉《ほしな》ななみとペアを組むのは予想外だったが、去年のリベンジを果たせると考えればそれも悪くはない。 俺がいま考えるべきは、この新しい支部でまだ見ぬ仲間たちと共にベストの仕事を貫き通すこと。 全てはその先にある憧れの八大トナカイを目指すために──。 「しろくま海岸ー、しろくま海岸ーー」 「あれー?」 「海じゃねーか!!!」 「元屋久島支部サンタクロース、星名ななみ! しろくま支部への異動を命ぜられ、 ただいま着任しました!」 「トナカイ中井冬馬、ただいま着任しました」 「ご苦労様です、楽にしてください」 「(──子供!?)」 「何か?」 「あ、い、いえ……はじめまして」 「よろしくご指導のほど、お願いします!」 「歓迎します。 と言いたいところですが……(ちらり)」 「……30分の遅刻ですね」 「ご、ごめんなさい! 実はこれには 深ぁぁぁーーーーーーーーい事情が ありましてっっ!!」 「反対方向の電車に乗ったんです」 「わぁぁーー! なんで言うですかーー!!」 「ごまかしてどーなる。 注意不足でした、申し訳ありません」 「あうぅぅー、ごめんなさいっっ!! ついうっかり景色に見とれてしまって」 「言い訳は結構です。 次から気をつけてください」 「はいぃ……」 へえ、こいつは噂に違わず厳しい支部長みたいだ。 見た目は子供でも、伊達にナイトの称号は持ってないってところか。 「……?」 ……っと、平常心平常心。 「どうしました、星名さん?」 「あ、いえその、 すっごいお屋敷だなぁーーって……」 「こんなお屋敷に住めるなんて、 ちょっとドキドキします☆」 気ままに宿を取って生活するトナカイとちがい、サンタさんは支部の建物内に部屋をもらって寝泊りをすることが多い。 こんな立派な洋館が支部だと知ってななみがはしゃぐ気持ちも分かるってもんだ。 「残念ながら、そうはなりません」 「は?」 「しろくま町支部では、サンタの住まいと 支部の建物を別に分けることになりました」 「こちらに活動拠点を用意してありますので、 本日より、そちらに〈起居〉《ききょ》してください」 「えええーーー!?」 「あてが外れたな」 「活動拠点と言われましても、 そこ……森の中ですけど?」 「確かに森だが……ん? この位置は、ひょっとして」 「覚えていますか? この家が活動拠点になります」 「あーっ!?」 「やっぱりか……」 前代未聞の接触事故から10ヶ月。今でも、この建物を見せられるとあの夜のことが鮮やかに蘇ってくる。 「でも……このモミの木って しろくま町のツリーなんですよね?」 「はい、ですが古くからツリーハウスとして 使われていて、特にここ数年はずっと貸家に なっていたそうです」 「ノエルと無関係の人に借りられるよりは、 サンタが利用したほうが合理的、ってことですか」 「そういうことです」 しかし……本当に大丈夫なのだろうか?俺たちのエネルギーの源であるツリーに家をこさえて住みついたりなんかして。 「すごいですっっ!!!」 「こここれは画期的ですよ、冬馬くん! サンタがツリーに住んでいるなんて! おぉぉーーー燃えてきましたっっ!!」 「るんるんるー、るんるんるー」 「な、なるほど……サンタがそう言うなら それでいいんだろうけど」 ツリーハウスのサンタクロースか、確かに絵にはなりそうだ。 「で・す・が!!!」 「重大な注意事項が3点あります。 それだけは忘れずに守ってください」 「は、はい! 注意事項とは?」 「1:ペット禁止! 2:焚き火禁止! 3:何か壊したら責任を持って修繕すること!」 「そ、それはもう当然守りますが」 「ええ、これくらい常識的に守っていただける とは思っています……ですが!!」 「忘却厳禁の最重要項目として、 命にかえても先の3点だけは死守してください!」 「りょ、了解」 「でも、どうしてそんなことをわざわざ……?」 「ここの大家さんは、 すっごーーーーーーく怖い人だからです!」 「そんなにもですか!?」 「そんなにもです!!」 「実際に契約の席で会ってきた ぼくが言うのだから間違いないです。 いいですか、心して聞いてください!」 「その大家さん現るところ、 恐怖と商売が支配する!」 「その大家さん現るところ、 あらゆる物件は徹底的に管理される!」 「千里眼で店子の所持金を見通し!」 「眼力ひとつで家賃を取り立て!」 「逆らうものは顎の力で全て噛み砕く!!」 「敷2・礼4あたりまえ! それが!! ツリーハウスの大家・〈鰐口〉《わにぐち》さんなのです!」 「わ……ワニグチ……!!!」 「そう、鰐口……みすずさんです」 「ど、どんな人なんでしょうかぁぁ……」 「想像図から全力で遠いことを祈るのみだ」 「うぅぅ……わに……わにさん……わにさん……」 「それから、ツリーハウスの最上階に 狭い小屋が付いていますが、 そこは使わないようにしてください」 「古くより言い伝えのある祠のようなもので、 人が住める造りになっていませんから」 「なんだかややこしいおうちですね」 「頑張ってくれよ、サンタさん」 「こちらからは以上です。 最後にこれを星名さんに預けておきます」 「は、はい……巻物ですか?」 「極秘指令の書です。 ツリーハウスにサンタチームが集合したら そのときに開いてください」 「中に活動についての指示がありますので、 以降は全てこの巻物に従ってください」 「以上です、何か質問は?」 「はい、トナカイは自由行動でいいんですね?」 「巻物に書かれていないことについては、 規則の範囲内でご自由にどうぞ。他には?」 「あ、あのぉ」 「やっぱりその、 わたしたちが最後……でしたか?」 「いえ、一番乗りです」 「えぇ!? 他のサンタさんたちはいったい……」 「分かりません」 「……温泉なんかに入ってないといいけど」 「あたーーーりーーー!!!」 「またまたあたりだーーー畜生!!!」 「あーーたーーーりーーーー!!!」 「まったく……あと……3年!?」 「日本支部!! よりによって、日本!!」 「このあたしともあろう者が、 どーしてこんな辺境で……!!」 「あれ?」 「おじさーん、〈的〉《マト》がもうないー!」 「ねーちゃん! あいや、お嬢ちゃん!! 後生だからもう勘弁してくんねーかなぁぁぁっ」 「?? どーしたの??」 「景品なんかもうどこにもねーーーよっ!! 300円で一切合財さらわれちまった!! これじゃ破産しちまわぁ、俺ンとこぁよ!!!」 「えー、まだまだ弾残ってるのに!」 「潮時だぜ、お姫様」 「そーね……カンストじゃあ仕方ないか」 「時計の針も10時半だ。 支部の皆さんが首を長くしてるだろうよ」 「え!? もうそんな時間!? どーして黙ってたの、完璧遅刻じゃん!」 「姫の射撃に見とれてたのさ」 「外で女の子ひっかけてたくせに。 急ぐわよ、どーせ遅刻だけど!」 「あ……そうだおじさん」 「あいよ、もうどーにでもしてくんな!」 「はい、これ返すわ」 「へ!? この景品……全部!?」 「クリスマスプレゼント、ちょっと早いけどね☆」 「んー! 田舎だけあって空気はいいわねー」 「水と空気の美しい土地は、 そこに住む女性をも美しくする」 「女の子にばっか見とれてないの。 どーせみんな観光客よ」 「素晴らしいものだな、大和撫子とは」 「はいはいはい、あんたは嬉しいでしょーね。 まだ日本には現地妻がいなかったから!」 「お姫様、そんなにイライラしていたら キュートなお顔が台無しだぜ?」 「よけーなお世話!! そもそもどーしてあたしがローカル支部なんかに 飛ばされなきゃなんないのよ、意味不明すぎるわ」 「去年の衝突事故のペナルティだろう。 まあ、気楽に行こうぜ。 田舎だが、ここの支部は悪くなさそうだ」 「ラブ夫は女の子がいれば何処でもいーんでしょ? で、ロードスターはどんな人なの?」 「なんて言ったかな、相当な大物だって話だ。 俺たちとも釣り合いが取れるくらいのな」 「どーだか。こんな辺境に そんな大物が来るなんて信じられないけど」 「きっと集められたサンタも 君のような一流ぞろいだよ、お姫様」 「観光客を目で追いながら言うの、やめてくれる?」 「すずりー? あとちょっとよ、がんばりなさーい」 「は……はい、先生!」 「緊張もビクビクもしちゃダメよ。 同じとこでまた事故りたくないでしょー?」 「大丈夫……です……」 「……まだ怖い?」 「いえ、そうじゃなくて……」 「じゃあ、どーしたの?」 「…………」 「ただ、少し不安なだけです。 どんなサンタクロースと暮らすことになるのか」 「へーきへーき、どーにでもなるって。 それより、もう30分遅刻よー?」 「……!?」 「そうそう、いくわよスピードアーップ!!」 「むーむむむ……」 「どうした、壊れたファンみたいな音出して」 「いえその、いったいどんな 大家さんなのでしょうかーと思いまして」 「あまり気にするなって。 普通に暮らしてりゃ怒られるもんかよ」 「うーーー、 冬馬くんはトナカイだからいいですけど……」 「こっちは、しばらく気楽なテント暮らしだな。 大家さんより他のメンバーのほうが楽しみだ」 「そうですね、どんな人たちでしょうか」 「間違いなく、〈髭〉《ヒゲ》のサンタさ♪」 「どうしてですか?」 「簡単な話さ、3組中1組はサンタが新人同然。 そうなるとバランス的に、 フォロー役のベテランサンタが必要になる」 「なるほど、さすがとーまくん」 「って、なにが新人同然ですか!!! こう見えても、実は頼りになるって 評判なんですから!」 「ほう、評判?」 「ええ、そりゃもうあっちこっちで!! えーとえーと、あそこでも言われてたし、 あそこもそうでした、あとあっちの方とかでも……」 「とととにかく頼りになるんですっ!!」 「分かった分かった、俺も頼りにするから 駅に着いたらツリーハウスまで案内を頼むよ」 「山じゃねーか!!!」 「なんてこった。 電車を乗り違えてるうちに夕方だ」 「ですけどー! 初めてだったんですからー!」 「完璧な下調べは?」 「あはは、駅名だけは暗記してたんですがー」 「めんぼくない」 「ま、過ぎたことはいいさ。 ともあれ目的地には着いたんだ」 田園地帯にぽつりと茂った森の入口に、古い標識が突っ立っている。そのてっぺんでデカい銀ヤンマが〈翅〉《はね》を休めていた。 朽ちた木の標識には、かつて何か文字が書かれていたのだろうが、今ではかすれていて読み取れない。 「この森の中なんだろ? 早くベテランサンタさんに会いに行こうぜ」 「ふーむ……どうしてとーまくんは ベテランだとノリノリなのですか?」 「決まってるさ、正統派のサンタときたら やっぱり髭のオッサンが一番だ!」 「えー、なんですかそれは!」 「慈愛の笑みが似合うってことさ。 お前も早く年輪を刻めよ」 「偏見です!!」 「お、一番星」 口を尖らせるななみを置いて、赤く染まった秋空を見上げる。 「去年はこの上空をすっ飛ばされたんだな」 「なんで急に〈吹雪〉《ふぶ》いたんでしょうねー」 「まったく謎が多い事故だった」 快晴の夜空から一転して巻き起こった、イブの吹雪。 その原因は10ヶ月たった今でもかいもく見当がつかない。 もしあれが、不安定なツリーが引き起こした一夜の悪夢であるとするのなら、今後の出動でも相当な警戒が必要になるだろう。 「わぁぁ……すごい!!」 「こいつは……えらく立派なツリーだったんだな」 「前は暗くて分かりませんでしたねー」 はしゃいだ声をあげたななみが、巨大なモミの木の中腹あたりを指差してみせる。 「わたしがひっかかったの、あの辺りでしょうか?」 「もうちょっと下だったかな。 あんまり思い出したくないが」 「あう……それは確かに」 「それにしても……」 「な、なんか〈鬱蒼〉《うっそう》としてて、ちょっと怖いですね」 「サンタがツリーを怖がってどーする」 「それはそうなんですけど、 あ、あはは、おばけは…………ちょっと……」 「……と、肩をすくめたその背後に!!!」 「わ、わぁあぁぁーー!! そーゆーのだめ、やめてくださいーっ!!」 そのとき、パニクって騒ぎだしたななみの背後で、ツリーハウスのドアがゆっくりと開きはじめた……。 「で、でたぁああぁぁーーーーーーーぁあ!!!!」 「わぁぁ!? か、風だ、風! 急にでかい声を出すな!!」 「で、ですけど……扉が!」 「きゃーーーぁぁぁあぁぁあぁ!!」 「落ち着け、古い家で建て付け悪いだけだ。 ……いや?」 「なななんですかっ!?」 「……中に気配が」 「ふぇぇぇ……とーまくんっ!!」 「大丈夫だ、ひっ付くな! ここで待ってろ、様子を見てくる」 「わ、わ、わたしも行きます……!」 「って、うわわっ!」 「うぉ!? お、押すなっ!!」 「あ、あたたた……」 「きゃあぁっ…………!!」 何だ、頭の上から別の悲鳴が……!? 「え? わーーーーっ!!」 「あ……いたたた…………」 「…………!?」 「あーー! あなたは!?」 「…………!」 「あ、あはは……びっくりしました。 1年ぶりですねー! しろくま支部に来たんですか?」 「…………」 「えっと……その……」 「ほ、本日はお日柄も良くー!!」 「あ、あなたは去年の……!」 「うぅ……テンポが違った……」 「硯ー、大丈夫? まさか落ちちゃった!?」 「す、すみません! そこの手すりが古くなっていて」 「あらー、バッキリいっちゃったわねー」 「あ、シリウスのトナカイさんも!」 「あららー、誰かと思ったら」 「ひさしぶりー。 元気してたかしら?」 「そ、それはもう! よろしくおねがいします!」 「こちらこそ。ね、硯?」 「…………(ぺこり)」 「で、なんで硯は落ちちゃったのー?」 「外で声がしたので様子を見ようと思ったら テラスの手すりが折れてしまって……」 「なーんだ、そうだったんですね。 おばけじゃなくて本当によかったです」 「……お化け、ですか?」 「そうです、この雰囲気! あたり一面鬱蒼としてて いかにも出ちゃいますみたいな!」 「あはは、確かに何か出そうだもんね。 夕方になるとけっこう暗いし」 「せめて灯りか何かあったら良かったのですがー」 「…………(かち)」 「ぎゃああああぁああぁああぁあぁぁぁっっ!!」 「はいそこ、顔の下から照らさない」 「え…………??」 「い、いきなり心臓に悪いですー!」 「…………盛り上がってるところ悪いが」 「ベンチなら別のを探してくれないか?」 「わぁあああ!?」「す、すみませんっっ!!」 「あんたサンタ学校の先生だったのか!?」 「ぜんぜん知りませんでした。 それで『先生』って呼ばれてたんですね」 「本名は〈三田〉《みた》〈蒔絵〉《まきえ》さんなんだけど、 みんなサンタ先生って呼ぶのよねー」 「サンタ先生か……なるほど。 でも屋久島の学校じゃ見なかったよな」 「そう言われてみれば」 「んー、特別クラスの非常勤だったからねー」 「あ、よくよく見れば そのマントは……マスターサンタさん!?」 「へえ、マントで分かるのか」 「肩書きだけはねー。 マント重たくて苦手なんだけど」 マスターサンタは、他のサンタの手本になるべき存在だ。 一般のサンタの上にマスターサンタがいて、その上に長老たちがいる。 「マスターサンタで学校の先生とは、参ったな」 「おヒゲじゃなくて残念でした」 「うるさい。まあ、なんというか……その、 以後よろしくご指導お願いします!」 「あはは、トナカイ同士でそんなに かしこまらなくてもいいわよー」 いくら先輩後輩でも、トナカイ同士はざっくばらんに話すのがマナーってもんだ。そいつができない奴は野暮だと笑われる。 とはいえ、サンタとトナカイじゃサンタのほうが格上で、そのまた上のマスターサンタさんとなると……。 ううむ……タメ口を叩くにも、多少緊張してしまいそうだ。 しかしなるほど、髭の老人ではなかったが、ベテランが来るという予想に大きな間違いはなかったようだ。 去年はトナカイ見習いだなんて謙遜をしていたが、サンタ学校の先生ともなれば腕も相当だろう。 「先生と一緒に仕事をするんだから、 覚悟してかからないとな……」 「そうよ覚悟しといてね。 アタシ、グータラだから」 「は?」 「ま、それはさておき、こっちのサンタさんが アタシの教え子だったってわけ」 「柊ノ木硯です。 昨年まで九頭竜川支部にいました。 よろしくお願いいたします」 「よ、よろしくおねがいしますー」 「…………」 「あぅ……鋭い眼光……」 「で、そちらさんは?」 「はい、星名ななみです! 今年で2年目のフレッシュサンタ。 好きな食べ物はあまいもの!」 「でもって、こっちはトナカイのとーまくん! 気は優しくて力持ち、だけどちょっぴり大酒飲み」 「よけーなことまで言うな!」 「中井冬馬、今日からまたもやコイツの相方だ。 まだまだ駆け出しの3年目だが、よろしく頼む」 「いいわねー、フレッシュコンビかぁ。 でもって、最後の一組は超エリートなのよね」 「エリートさんですか?」 「噂だけどね。 なんでもNY本部のエースサンタさんとか……」 「NY本部!? まさかそんな人が」 「むむ、やっぱり冬馬くんの おヒゲさん理論なのでしょうか?」 「それにしたってバランスってもんが……」 「ん……なんだ?」 「上から……ですね」 「どーやらお出ましのようね」 「NYのエースが最後のペアか。 となると、今度こそは正統派の髭サンタが……」 「ちょっと待て……あいつぁ!?」 気流を避けながら俺たちが仰ぎ見たものは、忘れもしない真紅の〈機体〉《セルヴィ》──。 「おっまたせーーー!!! ここがあたしたちの新基地ね!」 「とーまくん、この声!?」 「ウソだろ……悪い冗談だ」 「ネオンの雪空に舞う華麗なる赤い影! マンハッタンのラブリープリンセス りりかる☆りりか、ここに見参──!!」 「──三十億の美女に 真紅の愛を降り注ぐイブの流星。 そう、ジェラルド・ラブリオーラだ」 「フッ……決まったわ……」 「………………(ぽかーん)」 「………………ん?」 「………………」 「あ゛ーーーーーーーーーーーーーっっっ!?!?」 「なななんであんたがここにいるのよ ピンク頭ーー!?」 「そういうドリルさんこそ どうしてですかー!?」 「ドリルってゆーな! このピンクピンクピンクの風俗カラー!」 「ひ、ひどいですーーー地毛なのに!」 「ヅラでも植毛でもどーでもいい!! そもそも」 ……想定外だ。こいつは全くもって予想外だった。 不安定なツリーをいただく新支部に大物ロードスターを迎え、小規模ながら精鋭のサンタ部隊を組むのかと思ったら。 キャリア豊富なベテランを立てるでもなく、女子のルーキーサンタを3組も集めてくるとは、本部はいったいどういうつもりで……。 「……うーむむむ、納得できん」 「で……あいつはなに〈唸〉《うな》ってんの?」 「とーまくんは、おじさま好みなんです」 「そーーーーじゃない!! 俺はただ髭のサンタが!」 「しかも髭フェチ!?」 「性癖を恥じることはないぞ、ジャパニーズ」 「なーなーみーーー!!! 深刻な誤解を植えつけるんじゃない!」 「だって別にいいじゃないですか、 サンタクロースが女の子だってー」 「俺はなにも悪いって言ってんじゃ……」 「ちーとも良かないわ!!」 「ふぇぇ!?」 「どんなメンバーかと思って来てみたら、 ちょっとラブ夫、何なのよこの面子!! どこが誰と釣り合うってゆーーーーの!?」 「そいつは本部の決めたことさ。 キュートな八重歯で噛み付かれても、 俺には抱きしめてやることしかできないぜ?」 「わぷっ!?」 「むぎぎーーーー、寄るな離れろ!! いくら辺境でも、こんなB級グルメみたいな チーム編成はないでしょって言ってんの!!」 「わー、なんですかその上手い〈喩〉《たと》えは」 「認めるなピンク頭!」 「日本配属って聞いた時から嫌な予感してたのよ! ひげもじゃの正統派ベテランサンタはどこ!? 精鋭部隊じゃなかったのーー!?」 「落ち着け、姫」 「ふがふが……ひっふぁるなーー!!」 うーむ……同じ言葉が他人の口から語られると、てんで身勝手なことを言ってるよーに聞こえる。自重しなくては。 「まー、気持ちは分かるけどねー。 へんてこチームになりそうな予感するし」 「なるほどっ! へんてこパワー全開でメークミラクルですね!」 「お前は徹底的に前向きだな」 「とーぜんですっ。 最初から後ろ向きになってどーするんですか」 「むー、一理あるけど釈然としない」 「いや、俺にとっては 素晴らしい支部になりそうだ」 「そうは思いませんか、麗しきサンタさん」 「アタシ? 今はサンタじゃなくて この子のトナカイなんだけど……」 「ご同業か。両刀のマスターサンタとは珍しい」 「ジェラルド・ラブリオーラだ、 この奇跡の出会いに祝福を……」 「(なんだあのキザトナカイは)」 「(映画のラブシーンみたいですねー)」 「(その映画のタイトルを教えてくれ)」 「美女と〈轡〉《くつわ》を並べられるとは光栄だ。 マイドルチェ、ぜひお名前をうかがいたい」 「えーと……三田蒔絵、 あ、いや、呼ぶときはサンタ先生でいいわ」 「願わくば今夜の予定と、好きな異性のタイプも」 「ずいぶん情熱的なのね。 名前からしてイタリア系かしら?」 「国籍に関係なく愛の炎は燃え上がるものさ、 これこのように」 「はいはい、アタシはともかく その調子でいたいけなサンタさんたちに 迫ったりしないでよねー」 「フ……そいつは無用の心配さ。 俺は熟女専門だ」 「うう……」 「……で!!!! これで三組そろったわけね」 「美しい薔薇には〈棘〉《とげ》がある。 などと月並みな〈喩〉《たと》えしかできぬ 我が身を恥じるとしよう……さらばだ」 「ちょっとこら、ラブ夫! どこ行く!?」 「ベテルギウスのスペアパーツでも運んでこよう。 顔見せも済んだようだしな」 「まだ済んでない! あ、待って、置いてくな!」 「男は引き際が肝心さ。 サンタのお嬢さん方、 20年経ったら愛を語り合おう!」 「あーー!! もー! 勝手なやつ!!」 「トナカイの快楽主義を絵に描いたような男だ……」 「そこは感心するとこじゃない!」 「あ、あの……りりかちゃんって、 NY本部から来たんですか……!?」 「だから?」 「うおおお、すっっっごいです!! NY本部って、あのNY本部ですよね!?」 「な、なによ急に……!?」 「だってNYですよ! 現代サンタ発祥の地!!」 「去年は助っ人としか聞かされてなかったけど、 本部のサンタさんがいるなら心強いわねー」 「学校で習いました! 本部のサンタさんは選りすぐりの エリートばっかりなんだって!!」 「ん……そうね。 ま、そーとも言うけど」 「やっぱり目隠しで曲乗りとかできるんですか? それに連射技とか、2ウェイショットとか!?」 「とーぜん! これでもルーキーイヤーから NYのトップチームに選抜されたんだから。 けど、その程度の技ならチームメイトは全員……」 「ほかにも三点射とか、フルオートルミナとか、 サンタボムとか……それからそれから……!!」 「……ちょっと? あたし話してる」 「あ、そーいえば前から興味があったんですが アメリカのクリスマスケーキって……」 「黙って聞けーーーーー!!!」 「さっきまで、硯と中を見て回ってたのよ」 「へえ、綺麗なもんだな。 すぐにも店を開けそうだ」 「外見と中はずいぶん違いますねー」 「掃除も行き届いてるみたいね。 こわーーーーい大家さんがしてるのかな?」 「りりかちゃんもその話聞いたんですか?」 「うん、最重要事項だって言われた」 「よっぽど怖い人なんだな」 「こちらがリビングです」 「わー、おしゃれだー」 「家具までキッチリ揃ってるな」 「サー・アルフレッド・キングさんが 用意してくれたんですねー」 「そうだな、そういうところ 几帳面そうだったもんな」 「几帳面って、サー・アルフレッド・キングが?」 「そう見えましたけど?」 「ふーん、なるほどね……」 むむ……なんだ今の笑みは? それにしても、さすがはマスターサンタ。腕利きサンタはみんな早着替えの技術を持っていると聞くが、全く気づかなかった。 「ここに住むようになったら、 この部屋が生活の中心になりそうね」 「そーゆーわけでっ!!」 「みなさん、ちゅーもーく!! 実はここにロードスターからお預かりした 極秘指令の巻物がありますっ!」 「なにそれ?」「…………巻物ですか?」 「はい、皆さんが集まったら開くようにって 言われていたのですが、 ようやくその時がやってまいりました!」 「へー、指令は星名さんが受け取ってたのね」 「で、なんて書いてあるの?」 「それは開けてのお楽しみです。 では、いざ開かん極秘指令の書──ていっ!」 リビングに置かれた巨大なテーブルの上を、巻物がごろごろっと転がっていく。 「それでは読み上げまーす!」 「しろくま町支部ロードスター サー・アルフレッド・キングより サンタ各員へ告ぐ!」 「……(ごくっ)」 「極秘指令、そのーーーいちっ!」 「新任サンタ3名は互いに協力し、 本日よりこのツリーハウスにて 寝食を共にすべし!」 「やっぱり、そうなんですね」 「……そーくると思ったわ」 「つまりサンタ3人、なかよしさんで やってきましょーってことですね」 「ではでは、指令そのにーーーー!!」 「サンタはここでショップを経営し、 生計を立てながら しろくま町の暮らしに馴染むべし!」 「お店……ですか?」 「NYでもやってた。 生活費はサンタ持ちってことでしょ?」 「うちはお給料安いもんねー」 「屋久島支部でも基地はおみやげ屋さんでした」 「NY本部は?」 「ピザの宅配」 「そいつはトナカイ向きの副業だなぁ。 で、ここでやる店ってのは何なんだ?」 「はてさて……それがどこにも書いてないんです」 「読んでけばわかるんじゃない?」 「そうですね、じゃあ先に行っちゃいましょう」 「指令、そのさーーん!!」 「トナカイの中より1名がサンタと同居し、 協力して日々の活動を共にすべしっ!」 「えーー!?」 「これは……どういうことでしょう」 「サンタだけじゃ頼りないってこと?」 「保護者が必要なんじゃないか?」 「……む!!」 「……っと、失礼」 「女の子だけでも平気だと思うけどねー。 他には何か書いてある?」 「はいはいはい、指令そのよーーーん!!」 「当面の訓練とサンタ活動のスケジュールは 一同相談のうえ、書面で提出すること」 「えーと、それからですね……」 「実際の運用を観察してから正式な……むむむ?」 「どーしたの?」 「あ、い、いえ……実際の運用を観察してから、 正式なサンタとトナカイの組み合わせ……を 決定……する……??」 「……って、どーゆーこと!?」 「あらら、それって 現在のペアも仮のものになるってこと?」 「そんな……!?」 「つまり俺たちは、どのサンタさんにも 対応しなきゃなんないわけだ」 「じょーだん、実力差を考えたら ペア変更なんてありえないし!」 「そうかな? 国産のトナカイだって捨てたモンじゃないぜ」 「へーえ、どこがー?」 「──以上、極秘指令でしたっ!」 「で、結局なんのお店をやるのかな?」 「どこにも指示されていなかったのですか?」 「そういえばー……書いてませんでした」 「手がかりになりそうなものが、 家の中にあるんじゃないか?」 「じゃー、みんなで手分けして探そっか? アタシはこの部屋担当するから、あとよろしくー」 「……この人、もしかしてぐーたら?」 「ふーむ、手がかりといいましても」 「見つからないもんだな」 「これといって目ぼしい物は置いてなさそうねー」 「てことは、勝手に決めていいんじゃない? たとえばガンショップとか☆」 「ここは日本だ」 「じゃあモデルガン! もしくはゲームセンター!」 「ツリーの御機嫌が急降下しそうだ」 「…………あの」 「わわっ、びっくりした」 「……チカ」 「血か!? な、なにそのホラーな感じ!」 「いいえ、ホラーではなく 地下が倉庫になっていました」 「それです、れっつごー!!」 「……で、 ひねりもなくおもちゃ屋ってわけね?」 「ビンゴですね。このダンボール ぜーーーんぶ木のおもちゃですよ」 「確かに、町の人とのふれあいにはなるかなー」 「ステキですねー。 まさにサンタさんのお店です!」 「でも、こんな場所にお客さん来るかな?」 「だいじょーぶ! なんとかなります!」 「なに、その根拠ゼロの自信」 「なるほど、おもちゃ屋か。 つまりここをメルヘンの国に作り変えるわけだ」 「あれ、でも……これっていいのかな? 部屋を勝手に改装するのって……」 「大家さんに怒られるか?」 「わ、ワニの大家さんって、 ほんとにそんな怖い人なんでしょうかー」 「本で読んだことあるな。 人食いの〈鰐人間〉《ゲーターマン》って怪物」 「そ、それは……人類との混血ってことですか!?」 「最先端科学で遺伝子を操作したとかしてないとか」 「本人が聞いてたら土下座じゃすまないぞ」 「別に大家さんのこと話してないもん」 「な、なーんだ……よかったぁ」 最後の1組が、この金髪サンタだと知った時は、この先どうなるかと思ったが、早くもななみと打ち解けつつあるみたいで何よりだ。 これにあの無口なサンタさんが加わって一緒に暮らすとなると、いったいどんな共同生活になるんだろうか。 「んじゃ、お店の正体が分かったところで、 今度は一緒に暮らすトナカイを決めないとね」 「極秘指令その3ですね」 「同居といっても、 トナカイのうち2人は男なわけだし……」 「そうね、じゃあ中井さんかな」 「いやいやいやいや、その流れじゃないでしょ!」 「そうかなー、いい流れだったと思うけど」 「ちっともよかない。俺が言ってたのは、 ここが女子サンタばっかりの家だってことで、」 「用心棒の一人くらいは欲しいところよね」 「う、その発想は無かった」 「でしょー? じゃー、そういうことで」 「いやいやいや、早いな結論! そんな物騒な土地柄でもないでしょう。 ツリーがあるくらいなんだから」 「ん? ひょっとしてサンタ先生には なにか同居したくない理由があるとか?」 「あら…………よく分かったわね」 「アタシは……一緒に暮らしてあげられないの。 ひとつだけ決定的に欠けているものがあるから」 「そ、それは……一体!?」 「やる気」 「出せやぁあぁぁあ!!!」 「うそうそ、冗談。 本当は別の仕事があるのよー」 「お仕事ですか?」 「そうなの、ロードスターの補佐役を 頼まれちゃっててねー。 支部の立ち上げで忙しいんだって」 「く……それでは仕方がない」 「そーゆーわけで中井さんに……」 「だから結論早いです」 「えー、とーまくんと一緒ですか?」 「嫌がるな。先生が忙しいってだけで、 まだ俺と決まったわけじゃない」 だいたいトナカイってのは、気ままに暮らすのが向いてるんだ。保護者なんてのは、性分じゃない。 ロードスターからの指令とあれば仕方がないが、あとであのキザトナカイと相談だな……。 「お店のことと暮らしのことが決まったので、 そろそろおやつに……」 「まーーーった!! なにか大事なこと忘れてない!?」 「大事なこと……?」 「店長よっ!!」 「経営者のことですか?」 「言い方を変えると、いちばん偉い人ね。 店長がいないとお店がまとまんないでしょ?」 「あ、あのー」 「はい、そこのピンク色」 「あのですね、店長さんなんていなくても、 みんなで仲良く相談できれば いいんじゃないでしょうかー?」 「ナンセンス! 究極ありえない!」 「な、なぜですかー!?」 「みんなの意見がバラバラになったとき、 有無を言わさずにまとめる人が必要でしょ? 平たく言えばリーダーよ、リーダー」 「サンタのリーダーとは別に、 お店のリーダーですか?」 「よーくわかりました。 でしたらここは、わたしが一肌!!」 「まてーー!! なんでそこで立候補する!?」 「で、ですから……リーダーが必要で」 「だからなんでピンクがなるの!?」 「あ、りりかちゃんがやりますか?」 「そ、そーね。本当はリーダーなんて 性に合わないんだけど……」 「じゃあ、ここはやっぱりわたしが……」 「だから最後まできーーーけーーーー!!!」 「な、なんなんですかぁ!?」 「もういい!! こーなったら雪合戦で決める!!!」 「雪合戦?」 「聞いたことがあるわ。 アメリカのサンタたちがやってる遊びでしょ?」 「そう、空中でルミナの弾をぶっつけあうのよ。 いわばセルヴィを使ったドッグファイトね。 NYじゃ訓練メニューにも入ってるわ」 「へええ、面白そう! でも、りりかちゃんのトナカイさんは?」 「ここにいるよ、お嬢さん」 「来たわね裏切り者」 「ご挨拶だな、スペアパーツと一緒に 姫の荷物も運んで来たんだぜ?」 「それから……こいつを貴女に」 ジェラルドは、懐から一輪の薔薇を抜き去ると、それをサンタ先生の目の前に掲げ……。 「一輪の薔薇はいつでも愛の贈り物さ。 先ほどはすまなかったね、マイドルチェ」 「あら、ありがとう。 呼び名はサンタ先生でいいけど」 「裏通りに手ごろな〈飲み屋〉《バール》を見つけたんだ。 どうかな、お詫びに今宵は よく冷えたカクテルで乾杯でも……」 「いいわよ。じゃあみんなの着任祝いに 6人分の席を予約してもらえる?」 「OK……また次の機会にしておこう」 「はいはい、玉砕したところであんたの出番よ。 雪合戦で店長を決めることになったわ。 いいんでしょ、ピンクヘッド?」 「はい、それではこっちも 冬馬くんのセルヴィを……!」 「………………」 「あれ? こういうとき、とーまくんは 誰よりノリノリになるはずなのに?」 「いや……まあその……」 「カペラさんは山のテントですか?」 「ああ……」 「大丈夫です、今から取りに行けばすぐに」 「悪いが、セルヴィを取ってきてもだな……」 「……?」 「まだ直ってないーーーっっ!?!?」 「そ、それは予想してませんでした……」 「…………面目ない」 「Z……ZZ……」 「こーけこっこーーーーーー!!」 「……ん、んん?」 「こーきょおおっっぉうぅーーーー!!」 「なんだ朝か!? そうかトリか!」 「お前のニワトリで起こされるのも1年ぶりだな。 おまけにまだ4時だ、畜生」 「ここっ、ここここ!」 「わかってるさ、朝飯だろ。 米とのりたまくらいしかないぞ、我慢しろよ」 「ぐーるるるーーー!」 「そんなこと言ってもそれしかないんだ。 そこらのミミズでもトッピングするか?」 「くるーーー」 早朝の冷気を吸い込んだ川の水で顔を洗うと、自然と気持ちが引き締まってくる。 毎朝のスッキリ洗顔もどうやら今日で最後になりそうだ。 トリと自分の餌をお手軽に作り、腹ごなしをしているうちにしろくま町に朝日が昇ってきた。 「ずいぶん涼しくなってきたな。 いつまでもテント住まいってわけには いかないか……」 ……とはいえ、あのツリーハウスで若いサンタさんと一緒に暮らすというのも、少し腰が引けている。 天然ボケにイライラに引っ込み思案。あそこまでチームに協調性がないと、トナカイとしてどう接したらいいか悩ましい。 「トリよ、昨日は留守番させて悪かったな。 もう師匠のところに戻っていいぞ」 「くるるる!」 「なんだ、ここに残るっていうのか。 ツリーハウスはペット禁止だぞ」 「──師匠から監視するように言われてる? そんなわけあるか」 「──手紙をよく読め? ご冗談を。 そんなことどこにも書いて……」 「……あるな。 サンダースの面倒を見てやってくれ、だと」 「くるるーる!」 「分かったよ、 師匠がそう言うならなんとかするさ」 こいつともスロバキア時代からの付き合いだ。おまけに師匠のお気に入りとくれば、〈禽獣〉《きんじゅう》といえども粗略には扱えない。 「それに、お前の特技もバカにできんしな」 「くるっるるるー!」 「そうかそうか、そうと決まれば 〈飯盒〉《はんごう》を洗ってすぐに引越しだ」 「くる?」 「残念だが〈機体〉《そいつ》はまだ動かないんだ。 ふもとのレンタカーで運搬用の車を借りるのさ」 「くー」 「しょげたって無理なものは無理さ。 そいつは俺が一番分かってる」 「よう、おはようさん」 「……(ぺこり)」 「おや、柊ノ木さんだけか? あとの二人は?」 「星名さんは先ほど町役場に行かれました。 月守さんは……」 「…………(きょろきょろ)」 「おはよー、ふぁぁ……」 「おはようございます」 「あいあい。 ふぁーあぁ、顔洗ってくる……」 「……中井さんが来ていますけど」 「え!?」 「わぁーーああっっ! 来てるなら来てるって言えーー!!」 「来てる」 「おそーーーいっっ!」 寝起きくらいでそんなに照れなくてもよさそうなものだが……なるほど、サンタたちの新生活もいよいよスタートか。 あんな格好でウロウロしているのを見るとなんだか修学旅行の女子ルームに入り込んでしまったかのような、居場所のなさを感じる。 「どーお? 役得満載の同居生活も悪くないってことに 気づいたでしょー?」 「すごい格好だな。同居は女性トナカイが 適役だってことに気づきましたよ。 〈昨夜〉《ゆうべ》は先生が泊り込んだんでしょう?」 「中井さんがセルヴィを運ぶって言うから 代わってあげただけよ? 今日からは予定びっしりだから無〜理〜」 「ううっ……あのイタリア人はどこに行ったんだ!」 「さあ?」 「でもね、あんな情愛先行型のトナカイを、 純真な乙女の花園に放り込むのは ちょっと危険すぎないかしら?」 「本人は年増好みのようだけど……」 「え?##」 「おおお!? そ、それはそうと このトリなんですけどね!!!」 「トリー?#」 「ん? あれ、さっきまでいたんだが。 おーい、トリ! トリー?」 「鳥って、インコでも飼ってるの? それともオウムとか?」 「んー、七面鳥というか、謎の生き物というか」 「……??」 おかしい、どこに行った?確かに一緒にツリーハウスまで来たんだが。 「出てきたら紹介するよ」 あいつの気まぐれは今日に始まったことじゃないし、そのうち気が向いたら出てくるだろう。 「それにしても朝イチで役所回りとは、 ななみのやつ、張り切ってるな」 「早起きしてノリノリだったわよー。 さすがは店長さんね」 ニコニコ笑顔で役所にでかけていったななみの様子が目に浮かぶ。 あの金髪サンタとの壮絶な死闘の末に、店長を勝ち取ったんだから無理もないだろう。 「いっくわよー、覚悟はいい!?」 「受けて立ちますっ!!」 「むーーーーーーーー!!」 「じゃんけんぽっ!!!」 「やったーーー!!」「ががーーーん!!」 かくして、ななみは朝から役所の手続きに出かけ、〈柊ノ木〉《ひいのき》〈硯〉《すずり》は残って荷物の整理、失意の〈月守〉《つきもり》りりかは朝寝を決め込んだってわけだ。 「ふふ、心配?」 「いや、変に過保護にはなりたくないし、 職分を超えた心配はしないようにしてる」 「たっだいま帰りましたーーーー☆☆」 「さあさあ、お店始めちゃいますよーっ!」 願わくば、心配しないですむ程度のノリノリであってくれ。 「おおっ!? 硯ちゃん、お片づけありがとうございます」 「い、いえ、当然ですから。 役所の手続きはいかがでした?」 「はい、全てつつがなくすみました! あとはお店の飾りつけをして、 品物を並べれば、もー安心ですっ」 「それだけで準備完了なのか?」 「はい! もーバリバリやりますよ。 これからだ、めざせ全国10000店ー!」 「完全に舞い上がってやがる。 あんな簡単に店長を決めてよかったのかな」 「いーんじゃない、 やりたい子がやってるんだから」 「よかないわ!!」 「そこのピンクサンタ、ちょっとタイム!」 「りりかちゃん、おっはようございますー! よく眠れましたか?」 「全然! 不眠症になるかと思った!」 「そ、それはなにゆえに!?」 「あんなジャンケンで店長が決まるなんて どーーーーしても納得いかないの!!!」 「ええー、そんなことを言われましても」 「うるさいうるさーい! もう一回勝負よ、これが最後!!」 「えー!? ま、またですかぁ」 「問答無用! じゃーんけん……」 「ぽん!!」 「うわぁああああぁぁーーー!!」 「ま、またしても……! このあたしともあろうものが瞬殺ーー!?」 「昨日もチョキ出して負けてなかったか?」 「……癖なのかもしれません」 「いーんじゃない、 出したくて出してるんだから」 「それでは楽しくお店をはじめましょー☆」 「うっ……ううっ、ありえない! 二戦して二敗だなんて…………」 「……さて、向こうのことは向こうに任せて トナカイはトナカイの仕事をするか」 「トナカイの仕事って?」 「不機嫌なセルヴィと取っ組み合いさ。 そうだ、ちょっと見てもらえると ありがたいんだが……」 「アタシ?」 「おっはよー、ばーちゃん」 「おはよう。 そういや、木の家の引越し今日だったか」 「昨日のうちに 荷物運んじゃうって話だったけど」 「あんなへんぴなトコで商売をしようなんざ、 どうせ真っ当な連中じゃないに決まってる。 よーーっく言ってきかすんだよ」 「はいはい。わかってるって。 見たとこ、素直そうな男の子だったけどね」 「どうだか。 おや、あの変な鳥はなんだ?」 「え? あ、どらぞー!」 「なーーーーーーご!!」 「こけーーーーこここここ!!!!」 「なーーーーーーご!!」 「こけーーーーーこここ、 ほけきょ、ほーほけきょ!!!!」 「………………」 「確かに…………変な鳥」 「はっ、近頃はニワトリまでいかれてるよ。 毛唐の連中が持ち込んでくんのかね! 奴らのは、くっくどぅるでぅとか鳴くそうだし」 「変な動物を飼うのは許さないって、 ちゃんと釘を差しておくんだからね。 蛇でも飼われて逃げ出された日にゃこっちも迷惑だ」 「はいはい、ばーちゃんは来ないの?」 「こっちはこっちで大忙しさ。 駅前のしぐれ荘じゃ雨漏り、 山の手の佐藤さん家じゃドアが外れたと!」 「ま、いい機会だけどな。 未払いの家賃を出さないと、 修理はしないって言ってやるよ」 「ごくろーさま。 でも、あんまり脅しすぎちゃだめだよ。 さて……と、私も行きますか」 「ありゃー、ほんとに動かないんだ?」 「一応、調整は完璧に やったつもりなんスけどね」 「へーえ……ずいぶん前衛的なカペラねえ。 こんなリフレクター、どこで見つけてきたの?」 「師匠がどっかから貰ってきたんだ。 ベテルギウスの試作機に使われたやつらしい」 「そんなものカペラにくっつけちゃうなんて 無茶するわねー、このノズルも自作?」 「ああ、純正パーツはもう在庫がないんでね」 「ふん……ふんふん、面白いわねー。 ステアリングからサスペンションまで カスタムパーツで揃えてるなんて」 「師匠が凝り性だったんだよ」 「ね、ちょっと動かしてみていい?」 「あら、いい音してるわね」 「お払い箱になるはずだった ポンコツカペラを引き取って、 こつこつ改造したのがこの機体さ」 「なーる……こりゃほとんど別の機体だわ。 カペラ改ってところね」 「で、どう思います? 理論上は直っているはずなんだけど」 「そうねー、リフレクターの反射率も正常だし これで調子悪いなんて思えないけど」 「だよなぁ……なぜ飛べないんだ」 「なんでだろー? ごめんね、こりゃアタシも分からないわ」 セルヴィで空を駆けることはできても、その力の源であるルミナとツリーに関しては全てが解明されているわけではない。 現場のトナカイやサンタはもちろん本部の開発チームにも分からないことは山ほどあるってことだ。 「お手上げか……。 いっそロードスターに聞いてみるかな」 「ちゃんとフルネームで呼ばないと怒られるわよ。 サー・アルフレッド・キングって」 「そうなんスか?」 「それがマナーなんだって。 けどあの人、セルヴィには疎いと思うなー」 うーむ、確かにサー・アルフレッド・キングは見るからに子供だし、あんまり頼りすぎるのはよくないか。 ──ん? 梢が揺れた。 「どうせならキャロル君に聞いたほうがいいかもね。 それじゃー、あたしは急用ができたみたいー」 「あ……ちょっと」 「キャロルなんてどこにいる?」 キャロルってのは、俺たちトナカイやサンタの活動をサポートをする人のことだ。 基本的にはサンタの見習いやOBの人たちがキャロルとなって、道具のメンテナンスやルミナの観測をしてくれている。 ひとつの支部にだいたい十人以上のキャロルがいるんだが、そういえばしろくま町に来てから俺はまだキャロルには会っていない。 できたての支部だから、メンバーがいないのかと思っていたんだが。 「お、この音は」 耳に覚えのある駆動音に上空を見上げる。 「よォ、ジャパニーズ」 木々の梢を揺らしながらゆっくりと降りてきたのは、あのベテルギウスだ。 お手本のような水平姿勢を保って降下してきた赤い〈機体〉《セルヴィ》の後部には、木箱を満載にしたソリが〈曳〉《ひ》かれている。 箱の間からのぞいたおかっぱの頭は、おそらく──うちのロードスター様だろう。 「それ、全部下ろすのか」 「そうだ、追加の商品だとさ。 どこか停められる場所はあるか?」 「誘導する、裏庭に降りてくれ」 「お疲れ様です」 「ど、どうも……おはようございます」 「わぁぁ!? どうしたんですか、この箱山さんは!?」 「ロードスターからのプレゼントだよ、 ピンクのお嬢ちゃん」 「昨日到着した分の商品を運んできました」 「……え、これも売り物なんですか!?」 「もちろんです。 こちらの書類を確認してから 倉庫に移してください」 納品書と商品の山に囲まれたななみが目を白黒させている。 そうか……危険を察して逃げたな、さすがはマスターサンタ。 かくしてソリから下ろされた積荷はダンボールと木箱が合わせて50箱。 この森の中におもちゃ屋を開いたうえにこいつを全部売りさばくのか。 なんだか無茶な気もするが、そこはサンタのやることだ。トナカイが口を出す筋合いじゃない。 それにしても、ロードスター直々にご納品とは。小規模支部ならではってところだな。 「うぉ!? ぬ……ぬおおお……う、ぎ、ぎ、ぎ……!」 「ななみさん、古い建物です! あちこちぶつけないように気をつけてください」 「はっ、はいー! ぜんぜん平気ですっっ!」 「それからここにサインをお願いします」 「ふ、ふぇいっ! とととーまくん、 ちょっと運ぶのお願いしますー!」 「ああ、任せとけ」 「うぬっ!? お、重いな。 これ全部木のおもちゃか……!」 「んぎぎ……素朴で……ハートフルな…… おもちゃ屋さん……ですからっ!」 「おーい、なんかあったの?」 「うげげ! なんなのこの荷物!?」 「追加の売り物だそうだ。 野ざらしにもできんし、さっさと運んじまおう」 「えーーー!? 力仕事は男の仕事!!」 「よい……しょっ……あああ」 「うぅぅ……おもーいーぃぃ」 「……と言いたいとこだけど、 このまんまじゃ収集つかないか」 「いいわ、ここは無冠の店長であるりりかちゃんが、 華麗なオペレーションで片付けてあげる☆」 「オペレーション?」 「そーゆーこと! 困った時はラブリープリンセスにお任せよ」 「ラブリープリンセス?」 「こういうのは段取りが大事なんだから。 まずは運ぶ先の場所確保が優先ね」 「ふむ……言われてみれば」 「はいはい、すずりーん。 非力なくせに無理なことしないの。 あんたは箱なんか運ばなくていいから」 「ですけど、私もお手伝いを」 「そのかわり、これ!」 「きゃ??」 りりかが次々に放って渡したファイルとペンを硯がなんとかキャッチする。 「月守さん? これ……」 「あなたの仕事は在庫のチェックと管理。 そっちのほうが得意でしょ?」 「は、はい」 「あたしは、お店に荷物置ける場所を確保するわ。 終わったら声かけるから一気に運び込んで。 いいわね、ピンク店長?」 「あのー、荷物は地下の倉庫に運ぶそうです」 「げげ、早く言って!!」 「月守りりかさん、早合点の傾向あり……と」 「わ、わわわ!? まったーーーーぁぁぁ!! い、今書いたの何!? なんなんですかっ!?」 「報告書です。 みなさんの特性と成果をチェックして……」 「ちょっと待ちなさ……待って、待ってください! 今のはちょっとしたジョークですよ。 ジョークですってばぁ☆」 「んしょっと、い、いきまーす!」 「うお、すげえ力……」 「そ……そうと分かればちゃっちゃか行くわよ! 倉庫番の一つや二つ、このラブリープリンセスに おまかせなんだから!」 「そのラブリープリンセスってのは何だ?」 「んしょ……っと、うぅぅ、重いわね……!」 「NYでの通り名か?」 「…………」 「ラブリーでお姫様……なのか?」 「いちいち突っ込むな! 雰囲気よ、細かいこと気にしない。 男子は女子の3倍運ぶ! いくわよーー!」 「うぅぅ……お、おもい……ぃ」 「すずりーーん、持ってきたわよー!」 「はい、こちらです……(かち)」 「きゃあああああああーーー!!!」 「おい、そこで寝るなラブリープリンセス」 「はー、終わった終わった」 「うぇぇ……死ぬかと思った」 「労働の汗は気持ちがいいですねー」 「ひの、ふの………………(在庫チェック中)」 「……で! 店長ならこれから何するか 考えてるんでしょーね?」 「もっちろんです! さあさあ見てください。 夜なべしてつくってきた、大繁盛計画ですっ!」 「お、なかなかやる気ありそーじゃない」 「どーだかなぁ。 昔からあいつは何かがごそっと抜けてんだ」 「ごそっと……ねえ?」 首をかしげる俺たちの前で、ななみがなにやらもぞもぞと支度を始めている。 「よいしょ……こらしょ、っと! はいできましたー☆」 「からんからーん♪ こっちですよ〜。 ぼっちゃんじょーちゃんよっといで〜」 「……紙芝居?」 「ちょっと待った! 計画って書類とかテキストファイルじゃないの?」 「より伝わりやすい方法を模索してみました。 さーさー、はじまりですよ、席についてー」 「うー、子供じゃないのに!」 「…………(どきどき)」 「──むかしむかしあるところに、 とーってもかわいい 3人のおもちゃ屋さんがいました」 「……ブリーフィングじゃなかったのー?」 「計画とものがたりって対義語じゃないか?」 「……というわけで、いろいろあって3人は 力を合わせてお店を持つことになりました!」 「そのお店は森の中の、 ちょっと目立たないところにありました」 「だけど、おもちゃ屋さんたちは、きれいに 飾り付けをして、ステキな看板もとりつけて……」 「じゃんっ! ぴっかぴかのおもちゃ屋さんのできあがりです☆」 「さあ、ここからが本番です! お店があればこっちのもの。おもちゃ屋さんは 人の多い町に、宣伝のために出かけました」 「そこですばらしい宣伝をして、なんと! たくさんの人が開店セールに押しかけましたっ」 「……すばらしい宣伝って何?」 「えーと、それはですね…………」 「ビラまきとか街宣車とか」 「でもって、おもちゃ屋さんたちのがんばりが実って お店の経営もたちどころに安定しちゃいます!!」 「………………」 「さらに──ここで神風が吹きまして お店にテレビの取材が入ります!!」 「まずはローカルテレビ、次に在京キー局で 朝の情報番組に紹介されることになり、 そこからさらに神風で世界的ブームに……」 「神風って何!?」 「神風は神風ですよ。 つまりかつてモンゴルさんが……」 「由来なんてきーてない!」 「星名さん、神風とは具体的には?」 「それはつまり……」 「予想外のハプニングです!」 「あの……?」 「平たく言うとですね、 突然のハプニングが起きまして、 お店の経営も一気に竜巻きに……」 「上向きです」 「無理ー! ぜったいこいつに店長無理!!」 「あうぅぅ……なぜだかすごい怒ってますー」 「もう、このピンク頭じゃなかったら誰でもいいわ」 「いっそのこと、もう一度対決してみるー?」 「じゃんけんぽっ!!!」 「うぎーーーー!! なぜまた負けるーー!!」 「むー………………」 「むー………………」 「……………………」 「なーんか空気重いわね」 「むー……完璧な計画を立てたのですが」 「完璧な妄想! すずりんもそう思うでしょ?」 「ですが神風の解明をしていけば……」 「そこから離れないとだめー!」 うーむ、確かにこいつはチームワークどころの騒ぎじゃないな。 「なあ、今後のことも大事だが 少し目線を変えてみたらどうかな」 「目線?」 「そう、もっと楽しいことから 決めてったらいいんじゃないか?」 「快楽主義のトナカイらしいアイデアね」 「気楽にやろうってことさ。 ふくれっ面のサンタなんて似合わないぞ」 「いいですねー、楽しいことですかぁ」 「いま、楽しいことというと……?」 「たとえばそうだな、 店の名前を決めてみるとか!」 「!?」 「ん、それいいかも!」 「そうですね」 「そ、それは……!」 「確かにね、ショップの名前は盲点だったな」 「看板はこのあたりに付けるんだよな?」 「ここに、どんなロゴが入るかですね」 「どんなロゴがいいのかな?」 「押さえるべきポイントはひとつだけよ」 「なになに?」 「これがショップの顔になるんだから、 屋号はインパクトが最重要!!!」 「い、インパクト……ですか?」 「とーぜん! プラスNY流はクールにカッコよくね。 たとえば……」 「でもですよ、おもちゃ屋さんなんだから、 メルヘンでとっつきやすい名前とか……」 「だーめ! インパクト&クール!! こんな僻地にショップを開くんだから、 みんなの心を狙い撃ちにするよーな……」 「たとえば?」 「そーね……うーんと……」 「スーパー・トイステーション!!」 「すーぱー?」 「うん、決まったわ!」 「あ、あの。 イメージと少し違うような気もしますが……」 「えーー、そ、そうかな!? じゃあ、ハイパー・トイステーション!」 「今度はハイパー?」 「そーよ、クールに決めるんだから、 スーパーかハイパーは譲れないわ!」 「小学生かお前は」 「NY流はハイパー……と」 「そこはメモ取るとこじゃない」 「とにかくハイパー・トイステーション!!!」 「違うって言うならハイパー・トイザウルスでも ハイパー・トイパラダイスでも、ハイパー……」 「硯も考えてるんでしょー? アイデアがあるなら自分から言いなさいな」 「は、はい!」 「その、たとえば『ユグドラシル』とか?」 「ユグ……なにそれ?」 「北欧神話だな。 世界樹とこのツリーをひっかけてるわけか」 「はい、私が思うにツリーというのは……」 「見えたわ!! ハイパー・ユグドラシル!!」 「その見えたのは幻覚だ」 「…………私もそう思います」 「うー、なによ! じゃあスーパー・ユグドラ……」 「ユグドラシル以外には何かないー?」 「は、はい! 実はもう1つ……『コルヴァトゥントゥリ』と いうのも考えたのですが」 「これはサンタクロースの住む、 フィンランドの『耳の山』にちなんだ名前で……」 「却下、覚えらんない」 「やっぱりそうでしょうか」 「百歩譲って ハイパー・コルヴァンクラインなら!」 「もう間違えてる」 「………………」 「どうした、珍しく静かじゃないか。 お前こそメルヘンなアイデアを たくさん思いついてそうなもんだが……」 「え? あ、あのですね、それはその……」 ──と、そのとき。 「こんにちはー!」 「わぁ、こ、こんにちは!?」 はて、この娘はどなたさんだ? 「はじめまして、大家の(〈鰐口〉《わにぐち》)きららです。 苗字は覚えなくていーから、『きらら』って 呼んでね」 「(──ワニグチ!?)」 「(き……来たわね)」 「(……この人が!?)」 「ふーん、ここが『きのした玩具店』になるわけね。 で、誰が木下さん?」 「キ ノ シ タ !? !?」 「ガングテンーーーーー!?!?」 「あ、あわ、あわわ……!! い、い、いらっしゃいませーーーーっっ!!」 「わ、わ、わ、ワにゃぐちゃしゃん、 わにゃ……わにゃにゃ!! よろしくおねがいしまままま……!」 「(ばか、なにアガってんのよ!  いいわ、ここはあたしに任せて!)」 「(りりかちゃん!?)」 「(大丈夫か? 恐怖の大家さんだぞ)」 「(……NY流を見せてあげるわ)」 「はっじめましてー! 昨日からこちらに住んでいます、 月守りりかでーーす☆」 「おおっ!?」 「化けた!?」 「ご挨拶にお伺いしようと思ってたんですけど、 わざわざ鰐口さんに お越しいただいて恐縮ですー」 「……きららでいいよ。挨拶もまだで良かった。 うちはいろいろあるから、来られたらかえって ややこしくなっちゃうかもしれないし」 「いろいろ…………? そ、そうなんですかー、鰐口さん」 「あー……気にしないで 下の名前で呼んでくれていいからね」 「は、はいー、鰐口さん!」 「…………きらら#」 「ハッ、もしかして……!」 「あ、それでですね、あっちにいるのが、 ハウスシェアをしている友達の 柊ノ木硯ちゃんと星名ななみちゃん!」 「こ、こんにちはー……」 「ほら、さっさとお茶とか用意して、 わざわざ鰐口さんが来てくれたんだから!」 「……きらら」 「り……りりかさん!?」 「なに? すずりん。 あ、まずは鰐口さんに上がってもらって……」 「…………」 「だっ、だめですよ、りりかさん……!」 「なによオロオロしちゃって。 鰐口さんの前なんだから……」 「りりかさんーーーーー!!!!」 「もがっ、なにーーー!?」 「だからダメなんです、その、あの……!」 「あ、鰐口って言ったらダメなんだー!!」 「きゃああああああああ!!!!!」 「ばっっかもーーーん!!!」 「あ、あわわわわ……すみません、 すみませんワニグチさんっっ!!」 「そういうわけで、きららです。 あらためてよろしくっ!!」 「よ、よろしくおねがいします……きららさん」 「で。 えーと、確か4人でお店やるんだっけ」 「4人!?」 硬直したりりかがこっちを横目でうかがう。そしてすかさず『×』マークをつくるサンタ先生。 ん……この流れは!? 「あ、そそ、そうなんです!! あっちのお兄さんが、保護者がわりを してくれることになってましてー!」 「俺!?」 違う! だがここで怪しまれるわけにはいかない。 「保護者の中井冬馬です、よろしく」 「あなたが店長さん? キノシタさんじゃないんですね」 ──店長だと?? 「……!!(こくこくこく)」 ぐるっと見渡した向こうでみなさん必死にYESを要求してくる。 「ああ……えっとですね、 キノシタは創業者の名前なんです」 「創業者? へー、歴史のあるおもちゃ屋さんなんだ」 「そうそう、キノシタ……なんだっけ、 幸之助とかそんな感じで、はははは!!」 「(そこでとどめの一声です!)」 「(GO!)」 「(…………!!)」 ──あと一押ししろ??ええい、やむなし!! 「そんなこんなで店長の中井です。 これからいろいろとご厄介になりますが、 何はともあれよろしくお願いします、鰐口さん」 「(とーーーーーまくん!!)」 「できれば、下の名前で呼んでくれますか#」 「は……はい、きららさん」 「で!! えーと、昨日から引越しは始まってるのよね」 「はい! もうすごく快適な家で よかったなーって思ってます!」 「快適? こんな古い建物なのに?」 「素晴らしい住み心地でしたよ、ね?」 「そうですね、とても暖かかったし」 「隙間風とかは?」 「ぜーんぜん感じませんでした」 「ふーん、それならよかった」 「そうだ、夕べここにいた男の子にひととおり 説明しておいたけど、せっかくだから あらためてツリーハウスの中を案内するね」 「あ、ありがとうございます」 「変な家でしょ? もともと自然志向で作られたうえに、 あちこち改築して不便なところはあるんだけど」 俺たちに説明しながら、大家さんがおもちゃ屋のドアに手をかける。 「入ってすぐが、 一番広いホールになってるところ」 「がらんとして殺風景だけど、 お店のスペースとしては……」 「………………」 「………………あれ?」 「……家は間違えてないよね?」 「大家さん、どうしたのでしょう?」 「いきなり改装されてるから怪しんでるのよ」 「そ、それはまずいですー!」 「びくっっ!!」 「はーぁ……」 「あ、あの……」 「あー、びっくりした。 もう引越し済んでたんだ」 「て、手際のいい引越し業者だったみたいで」 「リフォームも終わっちゃってるけど」 「たた達人だったので!」 「そっかー、達人なら仕方ないね」 「そーかそーか、これで いつでも開店できますってことね」 「さすが、こんな場所でお店を やろうってだけあって、手際いいんだ」 「いやー、わたしたちもびっくりで……」 「(よ、余計なこと言うなー!)」 ともあれ大家さんは納得してくれたようで、感心したように陳列棚を眺め回して……。 「でもえらい! たった1日でお店を綺麗にしちゃうなんて 商売人の鑑だと思うな」 「奥の住居部分のほうは、 少し改装に手間がかかると思うけど……」 「って、廊下も綺麗になってる!?」 「ぎぎぎくっっ!!」 「奥の洗面所は水漏れしてなかった?」 「ぜ、ぜんぜん!」 「な、直したのでー!」 「はぁぁ……ここも改装してたんだ」 「(うちの支部長、やりすぎてない?)」 「(そ、そんな気がしてきました)」 「ってことは、まさかあの古ぼけたリビングも?」 「わーーっ!!」 「おまけにこっちの地下室も!」 「テラスの手すりも新しい!?」 「じゃあまさか……上の個室も!?」 「うわー、機能的!」 「うわー、ファンシー!」 「うわー、風雅!」 「でもって最後は!?」 「あれ……ここだけ手付かず?」 「(なんで手付かずなんだ?)」 「(トナカイの部屋よ、つまりあんたの!)」 「(俺が住むと決まった訳じゃないぞ)」 「ここ、店長さんの部屋なんですー☆」 うぐ……こ、こいつは!! 「とーまくんは、 今日引っ越してきたばっかりなので!」 「そうだよね、他ももともとは こんな部屋だったのよね」 「はー、変われば変わるもんねー」 「(あ、怪しまれてるよね?)」 「(俺の部屋みたいだったのが  一晩でこんなになっちゃうんだからなぁ)」 「(で、ですよね……)」 「(………………”)」 「……それにしても」 「うん! ほんと、いい人たちに 入居してもらえてよかったー!」 「へ?」 「ここまで徹底してる人は初めてだけど、 やっぱり自分たちの住む家なんだから、 愛を込めて手入れしないとね!」 「うん、きっと大事にしてもらえるぞ。 よかったねー、木のおうち」 大家さんは、この家に語りかけるように、柱をぺたぺたと叩いている。 「(聞いてたほど怖い人じゃないな)」 「(そうですねー、むしろ優しい感じ)」 「(スイッチ押したら怖そうだけど)」 「(………………”)」 「うーん、まいったまいった。 家の案内する必要なしだね、こりゃ」 「でも、よくこんな童話みたいな家が 残ってたもんですね」 「そうですよね。 こう見えて築100年近いから、 気をつけて使ってくださいね」 「100年!?」 「ありゃ、聞いてなかった? そっか……だったらこの家がどういう 家なのか説明しないとね!」 「もともとね、このツリーハウスは 明治時代に建てられたんだって」 「築100年といったら ……明治の終わりごろですか」 「そう、小さい漁港だったこの町に、 外国人が移り住んできたのがその頃なの」 「それで、そのなかの誰かが、 ここの巨大な〈樅〉《もみ》の木を見つけたってわけ」 「こんなに大きい樅の木なのに、 それまで見つかってなかったんですか?」 「うーん、もっと古い時代には、 神木としてあがめられていたらしいんだけど」 「どういうわけかその頃は すっかり忘れられてたんだって」 「で、この木を見つけた外国人たちは 昔からの町の人とここで親睦を深めようとしたのよ」 「それでツリーハウスを?」 「そ、町の人と一緒になって作ったの」 「この森が『〈樅〉《もみ》の森』って言われるようになった のも、その頃からなんだって」 「あ、あのー、質問です」 「あの一番上にある小部屋はなんなのでしょう?」 「あー、あそこね。天狗様の部屋」 「天狗?」 「そう、言い伝えによると あそこに赤天狗様が来るんだって」 「天狗ってのは確か、 もともと赤かったような……」 「それが全身赤ずくめなんだって。 昔は『飛ぶ人』なんて言われてたんだけど」 「昔むかし、 空を飛んできた赤天狗様が津波を予言して、 それで村が救われたって伝説があるのよ」 「そんな話を聞いた外国の人たちも、 赤い服の妖精が羽休めをするための小部屋を、 ここの一番上に作ったわけ」 「人が住めるような広さはないから、 結果的に開かずの間みたいになってるんだけどね」 「へぇぇ……赤天狗さんですか」 赤服の天狗、ツリーに来る妖精か。それはかつてのサンタクロースだったのかもしれない。 「そういうわけで、この母屋部分は、 当時のものをそのまま残してあるの」 「それがこんなに綺麗になるんだから、 たいしたもんだわ……うん」 「で、そのあとで戦争があったりして 外国の人がいったん町から いなくなっちゃって」 「すっかり使われなくなっていたこの家を、 うちのばーちゃんが買い取ったってわけ」 「このテラスから上は、その頃に作り直したのよ。 いちばん上の天狗様の部屋だけはそのままだけど」 「ははぁ、なるほど。 由緒正しいおうちなのですねー」 「そうね。 だから大切に使ってくれそうな人が 住んでくれてよかったな」 そういう由来がある家だったとはな。 支部長があれだけピリピリしていた理由も分かったような気がする。 「……ま、こんなとこかな。 なにか困ったことがあったら いつでもここに電話してね」 「わぁ、すみませんー!」 電話番号が2つ並んだメモをりりかが受け取る。上が一般回線で、下が携帯のナンバーだ。 「こっちがお店で、こっちが私の携帯ね」 「で、ここでひとつ注意!」 「は、はいっ!?」 「こっちのお店に電話すると ばーちゃんが出て話がややこしくなるから、 基本的には私の携帯にかけるようにしてね」 「お祖母さんが?」 「ま、そのうち会うとは思うけど。 ともあれ電話は携帯に!」 「?? わ、わかりました」 「お店、繁盛するといいね。 じゃ、今日からよろしくー!」 「ありがとうございますー!」 「はぁ……ドキドキしました」 「………………!?」 「な、なんでしょう……この不穏な空気は!?」 「…………きーのーしーたー」 「ひぃぃっ!?」 「キノシタってなんだこのピンク頭ーーーーー!!!」 「あ、あはは……そ、それはですね!」 「お店が木の下にあるからーーーー!!」 「没!! 没!! 絶対断固必没ーーっっ!!!」 「どこインパクト!? どこクール!? そのピンク頭のどこをどうシェイクしたら キノシタになるの!? 即時却下やり直しーー!!」 「じ、実はですね……もうこの名前でお役所に……」 「ぐああーーーーーーーーーーー!!!!」 「きゃああああああーーーー!!」 「このっ! このっ! この勝手ピンクーっっ!!」 「あうぅ……すみません、うっかり……」 「むぎぎぎ……さっきの時間まるで無駄じゃん!」 「ハッ……でも! せめてハイパーきのした玩具店なら!!」 「やめろ落ち着け」 「まー、そんならもう仕方ないじゃない? きのしたで決めちゃえば!」 「わーーーーん!! インパクトが、クールが、ハイパーがぁぁ!」 「ですが、インパクトはあります」 「ビタイチ嬉しくないっ!! うぎぎ……やっぱりこんな暴走サンタに 店長なんて任せらんない!」 「うぅぅ、反省します……」 「……こーなったら仕方ないわ」 「国産トナカイ! あんたを店長に任命するっっ!」 「ええーー!?」 「な、なんでそうなる! 待て、俺は無理だ、管理職とかそーゆーの!」 トナカイの仕事は空を飛ぶこと。そのための環境と、肉体・機体の整備に持てる時間を注ぎ込むのが俺のスタイルだ。 「店の名前がなりゆきなら、 店長だってなりゆきでOK! さっき大家さんに自己紹介したでしょ?」 「したが、あれは方便……」 「これから大家さんが訪ねてくるたびに 嘘ついて回るのが、どのくらい危険なことか。 それくらいは分かるでしょ?」 「しかしだな、昨日のジャンケンでななみが」 「むー、やっぱり女の子店長では無理がありますか。 たしかに、曲がりなりにも大人の冬馬くんのほうが 説得力はありますね……」 「お前まで!?」 「非常に無念ではありますが、 ここは適任者のとーまくんが……」 「難しい顔で難題をおっかぶせるな! そもそもこれはサンタの仕事じゃないのか トナカイにだってトナカイの仕事があるんだぞ」 「セルヴィのメンテナンスをしたり、 コースマップを作ったり、自主トライアルだって イブまでに重ねて行かなきゃならん」 それに、できない仕事を引き受けても周りに迷惑をかけるだけだ。ここは断固として譲ってはいかんのだ。 「んー、仕方ないわね……」 「じゃ大まけにまけて『店長代理』はどう?」 「一緒だ!! だって店長いないんだろ!?」 「プロのトナカイなら『教えの書』は覚えてるわよね?」 「へ?」 「第一条、トナカイの理念を〈暗誦〉《あんしょう》!」 「うぐ……っ!! と、トナカイは…… いついかなる時にもサンタを助け……」 「なにか質問は?」 「あ、それなら自動的に同居の話も決まりね!」 「は、謀ったな!!!」 「まっさかー、単なる偶然だってばぁ」 昨日まではテント生活してた風来坊が『きのした玩具店』の店長代理だと!? なんてこった、責任者なんてガラじゃないぞ。おまけにどうやら、同居生活も俺が保護者になりかねないこの流れ! 想定外だ……しかしこれも八大トナカイへの試練のひとつか……! ──30分後。 「……で、俺とななみは外回りか」 「店長さんのお仕事は、 お店の外にあるってことですねー」 「店長代理だ! 元店長の星名ななみ君」 「りょーかいしました、店長代理!」 ううむ……本当に俺に店長代理の仕事など務まるのだろうか。不安は残るが、引き受けたからには全力だ。 代理とはいえ店長と名がつくからには、サンタさんたちの行動もある程度把握しておかなくてはいけないだろう。 「…………で、元店長さん?」 「どうしました?」 「お前の目から見て、どんな具合だ? しろくま支部のサンタチームは」 「どう……とは?」 「ざっくりした感想さ、イけそうか?」 「んー、まだごちゃっとしてますね」 「ごちゃっと……か、なるほど」 3人のサンタを見てみれば、天然のななみを筆頭にNY帰りのりりかはガミガミ仕切りたがるし、硯は無口でなかなか意見を言わないし、 それぞれ自分のペースで勝手にやってるからななみの〈喩〉《たと》えはなかなか的を射ている気がする。 「しかしまあ……あの金髪さんは、 ソリを降りても相当パワフルだな」 「そうですね、話しやすい人でよかったです」 「本人が聞いたらどう思うかね」 「あー、もうこんな時間! 時間もったいないから、今日の作業分担は 店長代理の代理であたしが決めるわね!!」 「だったらお前が店長代理やってくれ」 「うるさい、そこ! えっと、まずは内装だけど……」 「そうね、内装はすずりんと先生にお任せっ! 商品在庫のチェックは後回しでいいから、 カッコいい感じでお店を仕上げちゃって」 「はい!」「アタシもー?」 「当然です。ピンク頭は広報担当にしてあげる」 「は、はい! えっと、それは何を?」 「宣伝よ宣伝! とりあえず町に行って ショップの看板を作ること」 「名前が変なんだから、看板くらいは クールでカッコいい奴にするのよ!」 「おぉぉ、りりかちゃんテキパキしてます!」 「適役だと思うがなぁ」 「キノシタ玩具店の店長なんて願い下げ!」 「あたしはウダウダしてるのが死ぬほど嫌いなの。 開店準備なんかさっさと片付けて、 夜はパーティーよ☆」 「パーティー?」 「そ。引越し祝いと、開店準備完了記念っ! 景気づけにぱーっと盛大に騒ぐの 楽しそうでしょ?」 「いいわねー、それもNY流?」 「ザッツライト! そういうわけで各自、仕事の合間に 食べ物を調達してくるよーに!」 「りょーかいです!」 「国産店長は、ピンク頭のお守りをよろしくね☆」 「覚えてないようだから念を押すが、 店長代理の中井冬馬だ」 ──かくして、今日の俺たちの仕事の分担は決められたわけだ。 「確かに……りりかちゃんは リーダーさんに向いてる気がします」 「ああ、ちょっと神経質っぽい気もするが」 「そうですか? 本部のエリートさんにしては とっつきやすい人だと思いますけど」 「ふむ、言われてみりゃそうかもな。 所属先でランクが決まるわけじゃないが」 「ですけど憧れのNY本部です」 「そーだな……NYか……」 空を見上げた俺は、まだ見ぬ海の果ての支部に想いを馳せた。 俺の目指す八大トナカイの称号へはNY本部が圧倒的に近道だ。 クリスマスソングの流れる摩天楼を縫うように飛ぶ、俺のカペラ──。 いや、やめておこう。今はここが俺の職場なのだ。 「ま、しろくま町支部も捨てたもんじゃないさ、 いまのところはな」 「はい、もちろんです!」 ツリーハウスから徒歩でたっぷり30分。 俺とななみは店長代理のそのまた代理である金髪さんの指示でメインストリートのしろくま通りまでやってきた。 「しろくま通りか。思い出すな」 「イルミネーション綺麗でしたねー」 「今年ももうすぐだな。 さて、国産コンビは看板作りから地道に行こうぜ」 「おまかせあれ! ええと、確かこのあたりに……」 「お、看板屋をリサーチしてきたのか?」 「いえー、看板は手作りのつもりだったので、 心当たりはさっぱりなのですが……」 「あ、いたいた。 こんにちはー!」 「オー、プリティガール!!」 「へえ、空からじゃ分からなかったが、 メインストリートの裏側一帯も 商店街になってたのか」 「さすが、おむすびさんは親切です」 「地元の人に店を聞くってのは、悪くない判断だ。 コミュニケーションにもなるしな」 「えへへ、それほどでも。 ええと、ペンキ屋さん、ペンキ屋さん……」 「ありました、春日ペンキ店!」 「すみませーーん、ペンキ屋さーーん!」 「はーい、何をお探しですか?」 「あの、はじめまして。 実はこのたび、町の郊外におもちゃ屋を 開こうと思っているのですけれど……」 「やあ、これはこれはご丁寧に、 春日ペンキ店の店主、春日〈進〉《すすむ》です。 外装から看板まで、なんでもご相談に乗りますよ」 「ありがとうございます。 よかったですねー、親切そうな人で」 「そうだな」 「ふんふん、なるほど。お店が〈樅〉《もみ》の森にあると いうことは、建物につける看板と、道沿いに置く 呼び込み看板の2つが必要になりそうですね」 「ああ!! それはそうですね、ナイスアイデアです!」 「やあ、そう言っていただけると嬉しいですね。 きょうび看板の重要さを真に理解している お客さんなんて、なかなかいないものですよ」 「そんなものですか?」 「ええ、それはそうと、 しろくま町にいらしたのですから、 くま電にはお乗りになりましたよね?」 「え、あ……はい」 「それは良かった! このしろくまの地に来て くま電に乗らなかったら人生の大きな損失となる ところでしたから! そう、くま電は人生!!」 「凄い電車なんですね、あのちんちん電車さんは」 むむ……!?ななみは素直に感心しているが、なぜだか俺の本能が危険を訴えはじめた。 「そうなんだよ! わかるかい!?」 「いえ、具体的にはあんまり……」 「ふふふ。それは仕方ないなぁ♪ それならくま電のそもそもの始まりから、 順を追って語って行こうじゃないですか!」 「は、はぁ」 「しろくま電気軌道、通称くま電は、路面電車化 されたのこそ大正2年1913年だけど、人車 軌道として開業したのは1891年に遡る(略)」 じんしゃきどうとは何のことだ?メカ好きの血が騒いでいるが、絶対にそれを聞いてはいけないと、俺の心が叫んでいる! 「あの、じんしゃきどうってなんですか?」 お前が聞くなーーーーー!!! 「ほほう。人車軌道を御存じない! 1900年代初期に全国各地を走っていた 栄光の人車軌道たちを!」 ペンキ屋さんの目が比喩ではなく光った!! 「人車軌道は、やや用語的には厳密でないが 人車鉄道とも呼ばれる古き良き交通機関の事だよ。 最盛期にはこの国に29路線が(略)」 「えーと、それで、じんしゃというのは……?」 「も、もういい……!」 慌ててななみの口を押さえようとしたが、時遅し! 「お嬢さんは人車に興味を持ってくれたようだね! 人間のにんに自動車のしゃと書いて人車だよ。 人が客車や貨車を押す鉄道の事なんだ!」 「人が電車を押しちゃうんですか!?」 「そうとも! 確かに蒸気機関車も電気機関車も 当時から存在したのに、なぜ人力という疑問が あるだろう? だが、しかし! 蒸気(略)」 「わわわ……!?」 「(下向いてろ!)」 「それにだ1900年代初頭の人件費の安さを考えて みたまえ! 蒸気機関やモーターに比べてその経済 的有利さは明白! 蒸気や電気は人力に叶(略)」 「ああ! 栄光のくま電の先駆けである白波温泉郷 人車軌道! 僕は決して彼らを忘れはしない!」 「そして、白波温泉郷人車軌道が いかにしてくま電になったかというと――」 「わかった! 人車軌道は分かりました!! 非常に詳しく隅から隅まで理解しました! ですがまずは……!!」 「すごい! 冬馬くんはもう理解してしまいましたか? わたしなんか、もう一度聞かないと……もが!?」 「ま、まずはおもちゃ屋の看板の話を!!」 「もがもが!!」 「ああ、これは失敬、 もちろん分かってますとも」 「ではこの話が終わったら、 すぐにでもくま電の歴史を……」 「わかってねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」 「はぁ、はぁ……いったいあの ペンキ屋さんは何だったんだ……」 「たっぷり30分は くま電のお話をしてくださいました」 「あれでなぜ駅員にならなかったのかが謎だ」 「それはそうと!」 「やめろ!!」 「いえ、それはそうと、広報責任者として、 宣伝のいいアイデアがあるのですけど」 「アイデア?」 「看板だけじゃ宣伝には心もとないですし、 今はチラシを刷るような予算もありません。 そこで……」 「サンドイッチマンさんを雇いましょう!」 「ふむ、しかしそんな金がどこにある?」 「もちろん、わたしのおこづかいです。 とはいえ、今月はけっこうつかっちゃいましたが」 「小銭しか残ってないなんて言わんでくれよ。 そういうことなら俺が……」 「サンタさんの月給をなめちゃいけません。 なんとかなりますよ」 「オー、分カリマシタ! オミセノコマーシャルハ、トラストミー」 「わぁ、ありがとうございます!」 「へえ、なんでも言ってみるもんだ」 「ですが、その……お代はいかほど……?」 「ノー、オカネイリマセーン! 何故ナラワタシ、トゥー・エクスペンシブね」 「スリー・Xペンシルまでならなんとか!」 「どこの鉛筆で払う気だ。 高いから払えないだろうって言ってんだ」 「シカーシ、ドンビーアフレイッ! ワタシ伝授スル、アナタヤリマショウ!」 「おおおっ! なんだか分からないけどやらせていただきます!」 「いいのか、勢いで弟子入りなんかして」 「これも広報部長のお仕事です。 ちょっと待っててくださいねー」 「ばばーーーん!! おむすびさん2号、ただいま参上!」 「お前その服は!?」 「ふっふっふ……備えあれば嬉しいな。 サンタなら、いつでも衣装は持ってます」 「オー、グレイト! ジャパニーズ・コトワザ!!」 「いえすいえーす! 郷に入らばゴートゥーヘブン」 「マーーーーヴェラスッッ!!」 「(なんだこのノリ?)」 サンタの大切な仕事のひとつが、着任した土地の人々とのふれあいだ。 そういう意味で、サンドイッチマンとなって町に溶け込むのは決して間違ってはいない。むしろナイスひらめきと言っていい。 「いらさーい、いらさーい!」 「イラサーイ、イラサーイ!」 「娯楽の殿堂・きのした玩具店ー。 開店記念セール企画中ですよ〜♪」 「オタメゴカシはイーカラ、ヨッテコーイ!!」 「ヨッテコーイ!!」 外人さんの指導で即席サンドイッチマンと化したななみはノリノリで楽しんでいるが、横で見ている俺はいかにも手持ち無沙汰だ。 本題の看板製作はもう手配も終わったし、ななみも自分の仕事を……一応は見つけたようだ。 だとすれば、店長代理がその横でいつまでもボーっと突っ立っているわけにはいかないだろう。 それに当然のことながら今日はトナカイとしての仕事がなにひとつできていない。 「そこな道行くお父さん。 寄ってかないと損しますよー♪」 「可愛いお子さんに明日の活力! 全て現金、明朗会計!」 「おい、そこのサンタさん」 「おお、なんですか冬馬くん」 「俺が横に立ってるのは むしろ逆効果だと思うんだが、 先に店に戻っててもいいかな?」 「そ、そんなー! だめですよ!」 「ひとりで立派にやれてるじゃないか」 「で、でも、冬馬くんがいないと……」 「その………………恥ずかしいじゃないですか」 「そんなノリノリだってのに!?」 「ひとりだったら乗れません!」 これは意外な反応!? しかし俺も、ここでななみの安心毛布になっているだけでは仕事にならない。 なによりも、俺のカペラはまだセルヴィの機能を取り戻してはいないのだ。 それに、師匠が可愛がっていたトリの野郎が雲隠れしてしまったのも気にかかる。 たくましい奴だから無事だとは思うが、クリスマスシーズンを控えた晩秋に、七面鳥の一人歩きはいろいろと危険すぎる。 「うーー……わかりました! でしたら、じゃんけんで決めましょう!」 「悪いが勝たせてもらうぞ」 「容赦はいたしません!」 星名ななみ──じゃんけんに関しては、エリートの月守りりかを圧倒した猛者だ。 必殺の右フック(グー)で、りりかを2回に渡って葬り去ってきた。 俺としては、猪突猛進にパーを出すか、あるいは深読みしてグーでアイコを狙うか。 いや、ここは裏の裏でチョキへの変化だろうか!?いずれにしろ、勝負は一瞬のことだ。 「じゃーんけん……」 「ぽんっ!!」 「あぁああぁぁ、まけたーーっ!!」 かくして俺はななみと別れ、足取りも軽くカペラの待つツリーハウスへ。 ななみには申し訳ないが、俺にはトナカイの仕事もある。今日のところは悪く思わないでくれ。 「しかし、ななみもなかなかやるもんだ」 しばらく一緒に行動していたおかげで、いくつか彼女についての発見もあった。 サンタ学校在学時のイメージで、どうしてもななみ=トロくさいと決め付けてしまいがちだが、久しぶりに会ってみればそうでもなかった。 普通のサンタには思いつかないようなひらめきを見せることもあるし、そもそも行動力がずばぬけている。 ただ決定的にどっかのネジがゆるんでるせいでそのアイデアが全力で空回りしてしまうのが困ったところなのだ。 そこいらは、おいおい馴染んでいくものとして。 「とりあえず、大事な局面で あいつにジャンケンをさせるのは危険だな」 ……ん? 「よお、柊ノ木さん」 「……!」 「あ、中井さん!」 「ご苦労さん、買い出しかい?」 「…………(こくり)」 見れば、両手に巨大な紙袋を2つもさげた柊ノ木硯が、なにやら途方にくれている。 さらに小脇にはなにやら分厚いファイルを抱えている。 「それは?」 「マニュアルです」 「買い出しをするのにマニュアルが?」 「……(こくり)」 口数の少ない彼女がぽつりぽつりと話すには、どうやらロードスターに、開店準備のためのお買い物マニュアルを作ってもらったようだ。 「……なるほど、店の判子を作ってから、 銀行に口座を開いて……色々ややこしいな」 「いえ、順番にこなしていくだけですから」 「順番ったって……」 いや、それだから彼女の当番なんだろう。 びっしり書かれたマニュアルに沿って忠実かつ正確に段取りを踏むような仕事が、彼女には適任なのかもしれない。 「しかし、その荷物がなあ」 「……あ!」 文字通り荷が重そうな巨大紙袋を、横からひょいと取り上げてやる。 中に入っているのは、事務用品から包装紙、その他の消耗品類がてんこ盛りで、しめて20キロってところだろう。 「どうせツリーハウスに戻るところだし、 ま、荷物持ちくらいはな」 カペラをいじりたいのは確かだが、少なくとも、こっちのサンタさんは俺の手を必要としているように見える。 「いえ、そんな……大丈夫です! わざわざ中井さんの手を煩わせるような」 「いいっていいって、 これだけ袋が重いんだ、 残りの買い物も少しなんだろう?」 「はい、それはそうなんですが……」 「なるほど、残る買い物は 内装や設備関係の大物ばっかりか」 「内装ってことは店のインテリアだよな。 どんな方向性で行くんだい?」 「はい。星名さんからは、 このイラストみたいな雰囲気にしてほしいって」 「ななみが……?」 「…………」 「教育番組で見たことがある。 こいつは先土器時代に描かれたやつだ」 「そ、それは……”」 「しかしこのラスコーの壁画をもとに 店の内装を決めなくちゃならんのか」 「いえ、ですがもう だいたい買うものは決まっています」 「あの絵からプロファイルを?」 「はい、それは月守さんが。 最初にしろくま壱番館に行こうと思います」 「確か、駅前にそんな建物があったような」 「はい、複合商業施設と ガイドブックに書いてありましたので」 「なるほどデパートみたいなもんか」 俺は硯の荷物を持ちながら、ガラス張りの6階建て、ずいぶんと立派な建物の中に入っていく。 「いらっしゃいませ」 「こちらのキャビネットを いただきたいのですが……」 「ち、ちょっと待った!!」 「中井さん、どうしたんですか?」 「怪訝そうな顔をしているところ悪いが、 柊ノ木さん、値札の数字は見ていたかい?」 「いえ」 「35万だ」 「…………はい」 「今回の予算は?」 「あ、それでしたら平気です。 運良く、35万円ぴったり用意していましたから」 「平気じゃねーーー!!! 買うのは棚だけじゃねーー!!!」 「はぁ……」 分かってない。分かってないぞ、このサンタさんは。 「わかった! とりあえずはだ、 この一流ブランド満載の ゴージャスデパートから離れよう」 「はぁ」 「もう少し現実的な価格帯の店を いくつか回って、似たような家具を そろえて行こうぜ」 「…………(きょろきょろ)」 「このあたりは初めてかい?」 「──ほらあなマーケット。 古いショッピングモールをそのまま残していて 洋風のたたずまいを楽しむことができる──」 「ガイドブックでは知っていましたが、 足を運ぶのは初めてです」 「そんだけ予習できてりゃ上等さ。 ここなら掘り出し物もありそうだ」 「掘り出し物?」 「ああ、家具なんて言い値で買うこたぁないさ。 安い店を探して、足りなかったら値切る」 「値切る……とは?」 「んー……平たく言えば、店と客との 本音のコミュニケーションかな。 ま、その手の一切合財は店長代理に任せてくれ」 「はい、ありがとうございます」 ふーむ……こりゃあカペラの修理は明日に日延べだな。 「よし……っと、このレジスターで最後か」 椅子、テーブルから、書類棚、さらにはカーペットや清掃用具まで。 そこそこ見栄えのするもので、なおかつ安いのを選んでいたら思ったよりも時間がかかってしまった。 かくして、あまり色気のないしろくま町ショッピングが終わるころ、俺の両手には、抱え切れないほどの商品の山。 「中井さん、大丈夫ですか?」 「ああ、どってことない。 トナカイは鍛えてるからな」 残念ながら腕力はそこまで鍛えていないが、ここは嘘も方便だ。 なぜなら、さっきから俺の隣で、柊ノ木硯はうつむいたままだから。 「…………」 「サンタさん、どうした?」 「いえ……その、助かります」 「さっきから元気ないみたいだが、 なんか余計なことでもしてたかな?」 「あ、す、すみません! 決してそういうわけではなくて!」 「…………」 こちらから話せば受け答えはしてくれるが、会話が途切れると、急に沈んで見える。 ……ふーむ、想像以上に引っ込み思案なサンタさんというわけか。 パートナーのサンタ先生がいる場所では普通に話していた気がするんだが。人見知り、あるいは男性恐怖症? いずれにしろ、これから同じ屋根の下で暮らすのだから、居心地が悪いままって訳にはいかんよな。 「柊ノ木さんは、 サンタ先生のお弟子さんなんだろう?」 「はい」 「その前は?」 「それは……その、普通に実家に」 「柊ノ木さんは、 良家のお嬢様って感じがするな」 「そう思いますか?」 「物腰っていうか、雰囲気がさ」 「それは……自分ではわかりません」 サンタになるにも、バックボーンはそれぞれだ。ななみみたいに親がサンタだった奴もいれば、孤児院から引き取られてくる奴もいる。 「…………」 「雑談さ。詮索する気はないんだが、 気に障ったのならすまなかった」 「いえ……そんな」 「………………」 まあ、焦ることはない。イブを越える頃にはきっと気の置けない仲間になるだろう。 「さて……もう少し付き合ってくれるかな」 「ですけど、荷物はいっぱいですし もう必要な物は……」 「大事なものを忘れてるだろ」 「……?」 「いらっしゃい。 空いてる席にどうぞー」 「すまないがテイクアウトなんだ。 オードブルを適当にみつくろってくれないか」 「中井さん?」 「パーティーの食料さ。 こいつは俺からのおごりにしとくよ」 「いえ、そんな」 「予算はあらかた使っちまったんだろ? 遠慮するなって、ほら、サンタさんも 欲しいものを選んでくれ」 「あ、は……はい」 頷いた硯が、メニューではなく、カウンターに並んだボトルをキョロキョロと見回す。 「……それでしたら、 そこのオリーブオイルを」 「オイル? そんなもの売ってくれるかね?」 「あ、す、すみません!」 「何もすまないことはないさ。 お姉さん、このオリーブオイル 1本分けてもらってもいいかな?」 「あら、お目が高い。 これ手に入れるの大変なんだから」 「それでしたら……」 「いいわよ、手間賃ちょっと乗せてもらうけど お分けします」 「すまないね」 「本当にすみません。ご迷惑をおかけして」 「誰も迷惑してないさ。 おかげで俺は感じのいい店を見つけられたし、 あの店は新しい常連をつかまえた」 「…………」 「で、そんなもの買って 手料理でもふるまってくれるのか?」 「…………(こくり)」 「そうか、そいつは楽しみだ。 さて、じゃあ最後に酒屋にでも寄ってくか」 「ですが、それ以上持つのは無茶では?」 「アルコールのないパーティーのほうが よっぽど無茶な話だよ」 「んぎ……ぐぐぐ……」 「や、やっぱり無茶です。 そんないっぺんに持つなんて……!」 「平気さ……あとちょっとだ」 「悪いな、〈機体〉《セルヴィ》の機嫌さえ良けりゃ、 ひとっ飛びで運んでやれたんだが、 すっかり徒歩が板についちまった」 「そんなこと……助かりました」 「おかえり、待ってたわー!!」 「……って、国産か」 「期待外れで悪かった」 「どーしたの、その荷物!?」 「誰かさんの指示の通りに 買ったらこうなったんだ」 「げ、ほんと!?」 「ただいま戻りました」 「おーーっと、待ちかねてたわ!」 「トナカイの話はあと! まずはお店の 飾りつけをちゃっちゃか片付けるわよ。 そのクロスをこっちにかけて……っと!」 話をごまかそうとしたりりかが、慌てて内装の仕上げに取り掛かろうとする。 「月守さん! 釘を打つのは禁止されてます」 「えー!? じゃあどうやって飾るの?」 「大丈夫です、釘やネジがなくても できるように買ってきましたから。 まず、この布のはじとはじを……」 「ピンと張らせりゃいいわけね! てーーーーいっ!!」 「りりかさんーー!!!」 「うわ、わ!?」 「うげっ!!」 クロスごと盛大にすっ転んだりりかが、鼻をおさえて起き上がった。 「ごめんごめん、リトライするから!」 「てい!!」 「うわ!?」 「ぶべっ!!!」 ああ、この光景には見覚えがある。 単に髪の色がピンクか金髪か違うだけで、俺の相方と全く同じ行動パターンだ。 「もーいいわ、月守さんは休んでいてね」 「ええーー、どうして!?」 「本部のエースサンタに こんな雑用させちゃ悪いでしょ?」 設営から体よく追い払われたりりかは、部屋の隅に詰まれた在庫のダンボールに四重丸のマトを描くと、おもちゃのパチンコで狙い始めた。 「エリートさんは細かい作業が苦手なんだな」 「しゃーーーらっぷ! 細かい作業なんて楽勝だし」 「てっ!!」 「ふーんだ」 パチンコのゴム弾を俺の額に命中させた金髪が、今度はダンボールの的を狙う。 「お、ど真ん中」 「外すわけないわよ、 動かないマトなんて」 確かに繊細なコントロールだ。ゴムを引き絞り、手を離すたびにマトの中心部分にパチンコの弾が命中する。 「大人しい仕事は性に合わないってだけ。 アンダスタン?」 つまり根気が足りないのか……なんて言ったら、今度はゴム弾を眼球にぶっつけられそうだから肩をすくめるだけにしておこう。 「あ、そうだ。 国産、ちょっと手伝ってくれる?」 「…………」 「国産! こら、聞いてる?」 「まさか俺を呼んでるんじゃないよな」 「……あんた以外に誰がいるの?」 呼んでる本人を含めて、周りは全部国産なんだが、……いや、無駄な抵抗はよそう。 「で、何の用だい」 「ちょっとその辺回りたいんだけど セルヴィに乗せてくれない?」 「店はほっといてもいいのか?」 「これも立派な分業よ。 すずりんと先生がいるんだから あたしたちがいなくても何とかなるわ」 「そりゃあ、俺も飾りつけなんてのは 不慣れもいいところなんだが……」 「あいにくカペラは故障中だ」 「あーー! そういえば!! まだ直ってなかったの!?」 「いつの間にか店長代理にされたりしてるんでな。 代わりに飛んでくれるかどうか、 あっちの人に聞いてくるよ」 「あー、そんなことだったら 私のシリウスを使っていいわよ」 「え? いいんですか、オレが乗って」 「壊さなきゃね。 でもシリウスはスピード出るから気をつけて」 「そりゃ望むところですが、先生の機体なのに?」 「まー、アタシが行ってもいいんだけど、 3時半からは見たいテレビがあって どーしても外せないのよねー」 「……了解、そいつは一大事だ」 「それじゃ、先にソリの準備をしておいて、 すぐに追っかけるから」 「よし、行くぜ金髪さん」 「おっけー!」 「………………(作業中)」 「……はーい、 カーペットのタグは切っておいたわ」 「ありがとうございます」 「………………」 「硯はうまくやれそう?」 「はい……?」 「このツリーハウスで、アタシ以外の女の子たちと うれし恥ずかし共同生活〜?」 「……だから」 「だから先生は、一緒に住まないって 決められたのですよね?」 「ん? そーじゃないわよ。さっき言ったとおり、 サー・アルフレッド・キングの手伝いを 頼まれちゃったの。それだけ」 「…………」 「アタシにとってもね、 憧れのロードスターの秘書ができるんだから ここは逃せないチャンスなのよー」 「先生……」 「こーらー、そんな心細そうな顔しちゃダメー」 「……硯にとってもいい経験になるわ。 あんな癖の強い子たちとやってくんだからね」 「………………はい」 「オーライ……オーライ」 「受信完了──同調率100%」 月守りりかの乗るソリを、サンタ先生のシリウスに合体させる。 合体といっても物理的に結合するわけではない。ソリとセルヴィの間でルミナを対流させるのだ。 ラジオの周波数を合わせるみたいに同調率を満たしさえすれば、サンタのソリはあらゆるセルヴィに対応できる仕組みになっている。 「あはは……久しぶりのシリウスだわー♪」 「ずいぶん小さいソリね」 「うん、速いからね」 「そうなのか?」 「そうね、そのぶんバランスが難しいから、 〈滑空〉《グライド》には細心の注意が必要よ」 「了解だ、先生」 「シリウスは初めて?」 「ああ、不思議と乗る機会がなかったんでね」 シリウスは俺のカペラよりも二世代後の量産機だ。今は多くのトナカイが、『白い雌鹿』と呼ばれるこのセルヴィを愛用している。 「カペラのトナカイなんかに乗らせて ホントに大丈夫かな……?」 「平気よ、シリウスは扱いやすさが売りだからー」 「ベテルギウスの前は、あんたの相方も こいつを使ってたんだろ?」 「あいつはエース機しか乗らないわ」 「そいつはご大層なことで」 ゴーグルをつけると、大気中に淡い光の帯が浮かび上がる。 「へえ、こいつがシリウスのパワーか……」 師匠が調整したカペラよりは若干落ちるが、安定性は高そうだ。 「準備OKよ、 昼の〈滑空〉《グライド》だからってビビらないでね」 「望むところさ」 本当は、少し緊張していた。 量産機とはいえシリウスに乗るのは初めてだ。そしてそれ以上にひっかかるのは、あの事故から10ヶ月のブランク──。 「──!!」 しかし、ペダルに足をかけた途端に、そんなモヤモヤはどこかに吹っ飛んでしまった。 「行くわよ、国産」 「一緒に飛ぶ時くらい国産はよしてくれ。 ちゃんと中井冬馬って名前がある」 「名前を覚えてほしかったら、 他のトナカイとは違うってところを見せてよね」 NY帰りのお嬢様は、顔色ひとつ変えずに不敵に笑ってみせる。 ペダルの足に力をこめた。いいだろう、カペラじゃないのが残念だが、今日は俺の〈滑空〉《グライド》を堪能してもらおう──。 機体が動き出すと、大気中のルミナがシリウスの吸入口から機体に流れ込んでくる。 「ご希望なら曲乗りだって見せてやるさ。 つかまってろよ、サンタさん」 「手ぶらで充分」 「落ちても責任は持たないぜ」 ステアリングを握るとスキーが大地を離れ、リフレクターの振動が心地よく全身を包みこむ。 そうだ、この感じだ。 身体が光に包まれて、フワリと宙に浮かび上がる感覚。 ゴーグルを下ろし、視界を包む光の軌道の先を見据える。 そして一気にペダルを踏み込めば、そこはもう──。 ──空だ! 「イィィィヤッホォォォォーーーィィ!!」 一気に急上昇して背面固定、三回ループしての垂直急降下! 10ヶ月ぶりの〈滑空〉《グライド》でも操縦の勘は全く衰えていない。 当たり前だ、いったい何年訓練してきたと思っている? 「どーだいお嬢さん?」 「……おそーい」 「お、遅い!?」 「うん、超おそい。 あくびが出るかも。 ふぁーぁぁ…………ほら出た」 「う……ぐぐ! き、緊張してると生あくびが出るとか出ないとか」 「たぶん加速のタイミングだと思う。 踏み込みがワンテンポ遅いから コースの波に乗れてないのよ」 加速? 踏み込みが遅い……? ううっ……そうかもしれん。 「ま、気にしなくていっか。 あの子のパートナーやってるうちは、 たいした裏技も必要ないだろーし」 「…………あんたメチャクチャ口悪い」 「え!? うそ!?」 「そ、そんなことないって……! あたしサンタだし! 正直なだけ!!」 口が悪い自覚はどうやらないらしいが、しかし言ってる事には一理ある。 「踏み込みのタイミングか。 なら、こいつでどうだ?」 「お? けっこう速い!」 「シリウスは初めてなんだ。 慣れるまでは大目に見てくれよ」 「ふんふん、慣れたらもっと速くできる?」 「もっと!? 充分やってらぁ!」 「だから、もっとだってば♪」 「もっと? メーター振り切ってるぞ」 「あんなの飾りだもん」 「この……だったらこいつでどうだ!」 うお、サンタ先生め!シリウスのリミッター切ってやがる。 「おおー、もっともっと! あと2段階スピーダーーーップ!」 「本気か、きりがねえ!!」 「はぁ、はぁ……はぁっ」 「んー、まあまあね。 少しはマシになったみたい」 「……そいつはどうも」 セルヴィの性能を越えてスピードを出すにはルミナの流れの緩急を読むことだ。 俺はスロバキアでそいつを師匠から叩き込まれた。 流れの速いコースからコースへ、アクロバットのように飛び移りながら空中を滑らなくてはならないのだ。 当然、コースアウトの危険は大きくなる。トナカイの腕が悪ければ墜落だ。 それだってのに、後ろに乗った金髪のお嬢さんは目をキラキラさせてやがる。 「NY本部にいたんだよな、キャリアは?」 「んー、5年目」 「5年!?」 き、聞くんじゃなかった……先輩かよ。 「ねえねえ、どーしてそんなムキになるの?」 「あんたと同じで負けず嫌いなのさ」 「ふーん……ま、配達数の少ない日本じゃ 必要のない技術だろーけどね」 「言っとくが、俺の目標は日本のエースじゃない。 トナカイのトップチームさ」 「八大トナカイ? 無理よ」 「皆さんそうおっしゃいます」 無理かどうかを決めるのは、生意気なエリートサンタでもなければ〈組織〉《ノエル》の長老会議でもない。 多くの現場をこなして、いい仕事をする。その先に見えるものがあるのだと俺は信じている。 「もうちょっと低く飛んで」 「構わんが、そういえば なんのために空に上がったんだ? まさか気分転換なんてことは……」 「あるわけないでしょ!」 「下調べをしておくの。 ルミナの分布図を早めに作らないと、 すぐ12月になっちゃうし」 ルミナとは、サンタだけが見ることのできる光の粒子だ。 それは世界中のツリーから無数に生み出され、ふわふわと空気中に漂っている。 そのルミナが集まってできた光の軌道を俺たちのセルヴィは滑っているのだ。 「サンタが分布図なんて作るのか?」 「とーぜん」 「それは一応、トナカイの仕事なんだがな」 「飛行用じゃなくて配達用よ」 「ルミナの分布が判れば、 プレゼントの予想も立てやすくなるの。 3年目でそんなことも知らなかったの!?」 「すまん、サンタのことはそんなに詳しくない」 「どーゆートナカイなのよ」 「師匠とペアを組んでた時は これでやってこれたんだがな」 「ふーん、国産はお弟子さん上がりなんだ?」 「途中からは学校に通ったぜ。 星名ななみと同期だったんだ」 「日本のサンタ学校ね……」 話しながら、りりかの視線は眼下の町並みを泳いでいる。 大きな瞳がめまぐるしく動いて、サンタにしか感じ取れないルミナの光を細かく読み取っているのだ。 「メモとか取らないのか」 「覚えるから必要ない」 「あんたエリートサンタなんだよな」 「とーぜん! NY本部だもん。 世界一アグレッシブな基地で、 現代サンタ発祥の地!」 「そこのエースが どうして飛ばされてきたんだ」 「……!?」 「かかかかんけーないわよ、国産には!」 「ヘマでもやらかしたのか」 「よよよけーなお世話! なんでそんなこと知りたいの!?」 「興味あるさ。こんな辺鄙なところに NYのエリートが来るなんて」 「抜擢だもん!」 「本当に?」 「ほ……本当!」 「そうか、ならば俺も抜擢か!?」 「ぶー! 国産はペナルティ」 「どこが違うんだ!」 「ルックスとかスタイルとか才能とか、 もー全部違う!」 「……って、ちょっと待って」 「言うだけ言って今度はなんだ?」 「しっ……黙ってて……」 「…………?」 ソリから身を乗り出して景色を睨んでいた金髪は、急に背伸びをしたり、手で額に〈庇〉《ひさし》を作ったりして、キョロキョロと落ち着きをなくした。 「…………おかしいな」 「どうした」 「ルミナの流れよ。 なんだろ……なんか変だわ」 「こっちのコースコンディションは良好だが、 流れがどう変なんだ?」 「…………もう少し飛んでみて。 旋回して、山の手のほうに回ってみる」 「原因不明か」 「そのうち分かるわ。 分かったら障害は排除するだけよ」 肩越しに振り返ると、りりかの視線はまだ足元を流れるルミナの粒子に集中している。その横顔にさっきまでの笑顔はない。 「どんな状況でも、イブの24時には 絶対にクリアしてないと駄目なんだから」 「……了解だ」 見た目はお子様でも、プロはプロだ。 彼女がエースサンタと呼ばれていた理由がそのとき、少しだけ分かったような気がした。 「あ、ちょっと待って」 「面白い物でも見つけたか?」 「うん、見つけたわ……。 足元にピンクの物体」 「いらさーい! いらっさーーい!! ぼっちゃんじょーちゃん寄っといでー♪」 「き・き・きのした♪ きのしたがんぐてーん♪」 「き・き・きのした♪ おもちゃ買うならーぁぁ」 「き・の・し・た・・・がんぐてーん♪♪」 「……なによあれ?」 「広報活動……だな」 「あ・れ・が!?」 「かなりインパクトあるさ。 ほら親子連れが笑って見ているじゃないか」 「Noーーーーー!! あんなお笑い要素てんこ盛りな店じゃなーい! もっとクールに! スマートな感じなのにぃ!」 「あれでも広報部長さんだ。 こうなっちまったもんは仕方あるまいよ」 「あぁぁ、任せるんじゃなかったー!!」 「もー究極ありえない! あのピンクヘッド! ピンク前頭葉の ピンクニューロンのピンクシナプス!!」 「こーなったら、ひとこと文句言ってやるから! 国産! レッツ急降下ぁ!!」 「昼の市街地で無茶言うな!」 「ビビってんの? コース外れなきゃノープロブレム!」 「コースったって……」 確かにルミナのコースに乗っている限り、俺たちの姿はあらゆる人間の死角に入る。 だから平気だって言いたいんだろうが、昼間の、しかも市街地となれば空中に敷かれたコースの細さは半端じゃない。 「この細いコースを急降下は危険だ」 「せっかくのシリウスが泣いてるわ。 んもー、国産にはがっかり!!」 「うぐ!」 「って……あれ? ちょっと見て、あそこ」 「自尊心が回復するまで待ってくれないか……」 「いーから見るの!」 「くるる……くーるるる!」 「ちょっと待って! どこいくの!?」 しろくま通りに目をやると、朝から行方不明だったトリが車道スレスレをよたよたと走る姿と、それ追いかける大家さんの姿……。 「そっち行ったら危ない! 危険だってば!」 「よーってこーい! みーていこー♪ きのしたラーブ! きのしたスラッシュ! きのした、きのした、がんぐてーーん♪♪」 「くるるるる……こけーこ、こけーっこっこ……」 「あ、こらー! そっち行っちゃだめー!」 「あの鳥は……?」 「あ、大家さん!」 「あぶないっ!!」 トリを追いかけて車道に飛び出した大家さんの向こうから、白い乗用車の影。 特別製と言われた俺の瞳が映したのは、運転席で携帯に気を取られている男の姿だ。そいつがスピードを上げて迫ってくる。 「やばいぞ」 「急降下!! 急いで、これ命令!!」 「わーってる、イチかバチかだ!」 「NYじゃこれが当たり前よ!」 「あっ!? 大家さん、車!!」 「え……?」 「遅い! あの子じゃ無理! 合図で逆噴射して、わかった?」 「了解だ!」 「うわ……トリさん!?」 「あぶなーいっっ!!」 「まったく……よそ見運転なんか!」 「大家さん……!!」 「車はあたしが止める、目くらましよ!」 「え……?」 そのとき、俺の視界の隅っこで大家さんの身体が、ふわりと……。 「スーパーアクアイリュージョン!!!」 りりかの〈サンタ道具〉《ユール・ログ》から放たれたルミナが路面に弾けて、水蒸気をもうもうと立ち上らせた。 「わわ……!?」 「水鉄砲か?」 「ハイパージングルブラスターよ。 もういっちょ!」 ルミナの発射音とブレーキが交錯して、白い乗用車が急停止した。 「なにやってんのよ!」 「りりかちゃんっ!?」 「トロい! 大家さん〈轢〉《ひ》かれるとこだった!」 「……!」 「あのトリめ……!!」 「やっぱ日本のサンタは頼りないわね。 国産、そのまま急速離脱!」 「いや、降りよう」 「どーして!?」 「あれは俺のトリだ」 「トリ?」 「………………」 路地裏に停めたセルヴィにフードをかけ、しろくま通りへ急ぐと、ななみはまだ車道の真ん中で、ぽかんとした顔のままつっ立っていた。 「ななみ!」 「ふぇ……あ、え?」 「ほら、危ないぞ。こっち来いよ」 「あ、はい……」 「あれ、いま私……浮いて……」 「うーん……?」 トリを大事そうに抱えた大家さんは狐につままれたような顔をしている。 上空からだと状況がよく分からなかったが大家さんはトリを助けようとしてくれたのだ。 そしてあの交錯の一瞬、俺の目は大家さんの身体が宙に浮いたのを確かに見た──。 「ま、いっか」 「なにはともあれ、よかったよかった、 トリさん怪我してないね?」 「くーるるるー♪」 「きゃはは、こら、くすぐったいってば!」 「ありがとう、トリを助けてくれて」 「あれ? 店長さん? じゃ、このトリさんって」 「俺の相方みたいなもんで、 サンダースっていうんです」 「へー、とーまくんには こんなお友達さんがいましたか」 「サンダースか。 うんうん、よかったなーサンダース」 「でも、かわいそうに。 あの家ペット禁止なんだよ」 むむむ、そこが問題だ。 「というわけで今日から サンダースはうちのこ!」 「いや、それはさすがにどうかと」 「なら、食材ということにすればいいよ。 食材ならペットじゃないし」 「こいつは俺の非常食ですか?」 「ははぁ……さすがは野宿のプロフェッショナル」 「テント暮らしを何だと思ってやがる! こいつ食べても中毒起こしますよ?」 「冗談だってば。 でも飼うんだったらこっそりね。 バレると面倒だからさ」 「了解、気をつけます」 「それにしても、さっきのなんだったのかな? 急に身体がふわっとなって……」 「……!!」 まさか、ななみがあの杖で? 「な、なんでしょうねー、 このモヤモヤした霧はー!」 「ああ、なんだか分からないが、 ともあれトリが無事でよかったよ」 「──全く分かりません」 「わわ!?」 「…………」 「ど、どちらさまでしょうか!?」 「あれつぐ美ちゃん、どしたの?」 「全く分かりません。たしかに先刻、 鰐口さんの身体が宙に浮いていました。 なぜそのような現象が起きたのかが分かりません」 「だから、きららでいいから!」 「みみみ見間違いじゃないですか、見間違い! ほら、もやもやーってしてて!」 「ありえません。 ファインダーを通して見たのですから、 そこにあるのが真実です」 「そ、そうなっちゃいますか?」 「ですが、理解できません」 「どうでもいいんじゃない? サンダースが無事だったんだし。 それより自己紹介でもしておいたら?」 「そうですね、〈更科〉《さらしな》つぐ美です、 しろくま日報の記者をしています」 「あ、ご、ごていねいにどうも、 きのした玩具店の星名ななみです」 「同じく、店長の中井冬馬です」 記者だって?どう見ても、近く学校の生徒さんに見えるが。 「カメラには真実が映ります。 今、確かに人間が宙に浮いていたのですが」 「記者さんってことは……、 しゃ、写真を撮りましたか!?」 「……残念ですが、急でしたので」 「なななーんだ、そうでしたか。 ざ、ざんねんですー!」 「惜しかったな、そんな場面を見逃したなんて」 「そうですねぇ……全くもって」 「急に霧が立ち込めたのも不自然です。 きっと他に目撃証言が……」 「(どどどどーしましょう!!)」 「(しらん顔しとけ)」 「オー、ワタシ見テマシタ、ベリー近クデ! 煙ブォォォォォォ!!! 霧モワァァァァァ!!! ベリートテモ見ニクカッタデスガ、アレハ確カニ、」 「確かに??」 「マーッタク浮イテナーーイ!!」 「……そんなはずは!」 「そっかー、やっぱり気のせいか」 「YES!! ザッツ見間違イ!」 「おーい、中井さーん!! なーなみーーーーん!!」 「もー、2人とも何やってるんですかー♪ 早くお店に戻らなくちゃですよー!」 「あ、みなさんお騒がせしましたー☆ ほらほら、まだまだ仕事がたくさん 残ってるんですから。いっそぎましょーっっ!」 ──ボカッ! 「いてっ!」 「イラサーイ、イラッサーーイ! シーユー・ネクスタイッ!!」 「んじゃ、私も帰りますか」 「………………」 「……怪しい」 ──夜。 「……というわけで、 途中なんだかんだとありましたが!」 「おもちゃ屋さん、 おまたせしました かんせいだーーー!!」 「いえーーーー!!」「ばんざーーーい!!」 「………………あの」 「うえっ!?」 「在庫整理もできました」 「あ……ありがと。 できれば背後に無言で立たないで……?」 「……って? このリスト全部!?」 「すごい、あんなにたくさんあったのに」 「……確かにちょっとすごいかも」 「いえ……そんなこと」 「はぁ………………はぁ……」 「あれれ? せっかくのおめでたに とーまくんはどーしましたか?」 「……疲れてんだ!」 「うかつだった。 力仕事全部俺の担当じゃねーか」 「しゃーないって、店長なんだから。 それに男手は国産しかいなかったんだし」 「本当に助かりました、さすがは店長さん!」 「代理だ!! うやむやのうちに昇格させんでくれ」 こんな収集のつかん店を、トナカイの俺が取り仕切っていくことなんてできるもんか。 おまけにサンタって連中は、トナカイにとっちゃ上役でもあるんだ。店長だの上司だのと、ややこしいことこの上ない。 「くそ、イタリア人はどこ行ったんだ」 「ここにいるぜ、ジャパニーズ?」 「あんた、今までどこに」 「坊ややら荷物やらを載せて飛び回ってたんだ。 悪く思うな」 「そうだったのか、そいつはお疲れさん。 で、荷物ってのは?」 「在庫やら私物やら、いろいろさ。 お前さんの家財道具も運んでおいたぜ」 「──どこに!?」 「お前さんの部屋に」 「…………やられた!」 「男ひとり住むには悪くない部屋さ。 いつでもカワイコちゃんを連れ込める」 「あんたの部屋は!?」 「俺のことなら安心してくれ。 山の温泉宿に部屋をとってある。 あとは甘い夜を共にするハニーを探すだけさ」 「…………(がっくり)」 「これで店長も決まりね」 「いやー、冬馬くんのお家が見つかって よかったよかった」 「んじゃ、さーっそくロードスターに ミッション完了の報告ね!」 「それではみなさんれっつごー!」 「……あ、あれ、とーまくん?」 「力尽きています……」 「着任早々の店舗設営、大変ご苦労でした」 ええーーーーーーーーーっっ!? 「ええーーーーーーーーーっっ!?」 「支部長のアルフレッド・キングだ。 ようこそ、我がしろくま支部へ」 「挨拶が遅くなったが、まあ楽にしてください」 「お、おむすびさんがロードスター!?」 「うそ……」 「まさか…………」 「あれ、みんな知らなかったの?」 「それより、日本語が普通だ……」 「サー・アルフレッド・キングは、 筋金入りの日本通なのよ」 「そ、それがどうして あんなたどたどしいしゃべりかたを?」 「立場上、あまり目立っては 都合がよろしくないのでね……はっはっは」 それはきっと違う意味で失敗してる。 「ちょっと待って!! じゃ……じゃあ、 今までちょろちょろしてたあの子は?」 「お茶をお持ちしました」 「ああーーーーーーーーーっっ!?」 「こいつだー!!」 「ちびっこロードスター!!」 「ああ、それでは説明しましょう。 この子はだね…………」 「いったいどういうことなんですかっ!?」 「******************* ******************* *****************!!」 「あ、あの……ななみさん! りりかさん!」 「はっはっは……弱りましたね、 そう一気呵成にまくし立てられては……」 「ですから何度も言いますけど!!」「つまり、かいつまんで言いますとー!」 「******************* ******************* *****************!!」 「喝ーーーーーーーーーーーっっ!!!」 「きゃぁぁあああぁぁあぁあぁっ!?」 「噴ーーー!」 「…………(びくっ!)」 「がっはっは……!! 活きのいい〈小童〉《こわっぱ》どもだ。 明日からしごいてやるぞ!!」 「ひぃぃ!?」 なるほど……こいつは確かにスパルタっぽいぜ。 「以上のような理由から、彼には、 私の執務の補佐。ならびにサンタ諸君の 合力をするために来てもらいました」 「私の留守中は伝令役も兼ねることに なっていたのですが、 いささか誤解をさせてしまったかな?」 「……い、いえー、そんなことは」 「あらためて紹介しよう、キャロルのトールだ」 「〈七瀬〉《ななせ》〈透〉《とおる》です、よろしくお願いします」 「キャロルーーー!?」 「ん、何だね?」 「あ、いえ……いいえ何でもっ!」 「に、日本語お上手なんですね」 「うむ……そうかね?」 「ウホン……付け加えさせてもらえば、 私も諸君らを驚かそうと思って素性を隠して いたのではない。ひとつ試験をしていたのだよ」 「テストですか?」 「左様、選ばれた三人のサンタのうち、もっとも リーダーに相応しいのは誰かというテストです」 「リーダー!?」 「…………」 「一部始終は確かに見届けさせてもらいました。 これより吟味して参るゆえ、追って沙汰するまで ゆるりとくつろいでくれたまえ」 「了解しました!」 「……行った」 「後半えらい時代がかった言い回しだったな。 ななみに日本語を褒められたから……とか? いや、まさかな」 「日本マニアさんの熱情に 火をつけてしまいましたでしょうか?」 「はぁ……素敵ねー」 「……あの?」 「あー、なんでもないなんでもない。 それにしても誰がリーダーになるのかしらねー」 「そういえば……どきどきしますね?」 「ぜんぜん!?」 「ええ!? そうなんですかー?」 「だって実力から言えば決まってるもん。 それより問題はこのちびっ子!!!」 「……!?」 「ロードスターだと思ってたら キャロルってどーゆーことっっ!?」 「気づいてなかったのか、お姫様?」 「知ってたんなら早く言ってよ!」 「おいおい、間違えようがないだろう。 サー・アルフレッド・キングは老人だ」 「知らないわよそんなの! それにエラソーにしてたもん!!」 「そ、そんなことはしてません」 「し・て・ま・し・た!! どーしてキングに成りすました!?」 「サー・アルフレッド・キングです。 ちゃんとフルネームで呼ぶようにしてください」 「むぎーー! 知るかっ!!」 「勘違いは俺たちがマヌケだったとしてもだ、 キャロルだと名乗らなかったのは何故だ?」 「な、聞かれなかったからです」 「偽者のくせになまいきよ、このニセコ!」 「ニセコってなんですか!!」 「偽者だからニセコったらニセコー!」 「落ち着け、姫。 可愛い顔が真っ赤だぜ?」 「むぎー! だって!!」 「皆の衆、お待たせした! いよいよ結果発表の時間がやって参った次第!」 「早ぇ!?」 「まだちょっと時代劇っぽいです……」 「コホン……では発表しましょう。 しろくま町支部サンタチームのリーダーは……」 「リーダーは!?」 「あたし?」 「…………(どきどき)」 「ザ・保留!!」 「保留ーーーー!?」 「あら、残念」 「なぜ保留なのですか、 サー・アルフレッド・キング?」 「つまり、こういうことです。 今日一日の行動を吟味した結果……」 「星名ななみは町の人々との交流を深め、 月守りりかはルミナの調査にいち早く手をつけた。 また柊ノ木硯は地道な仕事で最もチームに貢献した」 「役割分担としてはまずまず上々、 働きも評価に値するが、リーダーを選出するには 決め手に欠けるということです」 「で……でも、交通事故とか!」 「決定打不足」 「あぅぅ……!」 「よって試験期間を延長します。 各サンタはその旨を心に留め置くように」 「了解しました」 「またトナカイの3名は、それぞれ 期待以上の仕事をしてくれました。 この調子で今後もよろしくお願いします」 「了解!」 「サー・アルフレッド・キング、 今夜、着任のパーティーを開きたいと 月守さんから要望が出ていますが」 「ああ、もちろん許可します。 仕事は完了したのですから、 心ゆくまでくつろいでください」 「やった!!」 「そうこなくっちゃな」 「その配慮のぶんは 月守りりかに加点しておきましょう」 「あ、ありがとうございます!」 「それでは諸君、明日からまた忙しくなる。 一同英気を養い、協力のうえ新天地での 活動にいそしんでくれたまえ」 「さーて、それではツリーハウスに 帰ってパーティーですねー」 「俺たちは徒歩だけどな」 「それも、おつなものですよ」 「先に戻って準備しとくわー、ね?」 「はい!」 「ピンク頭!」 「……りりかちゃん?」 「なんであんたとリーダー争いしなくちゃ いけないか全然わかんないんだけど、 ん……まあ、なんていうか……その」 「一応……よろしく」 ぶっきらぼうに呟いたりりかが、ななみに右手を差し出した。 「あ…………」 「はい、よろしくお願いします」 「……あんたもね、すずりん」 「はい……月守さん、星名さん」 「ふふふー、友情の握手ですね」 「べ、べつに……なんか」 「なんか……こーゆーことちゃんとしとくのも リーダーには必要っぽいって思っただけ! じゃ、先行くから!」 「こらラブ夫ーー! 鏡ばっか見てないでさっさと離陸ー!」 「…………不器用な奴だなぁ」 「でも、いい子ですねー」 「ああ、そうだな。 本人に言ってやれよ、きっと怒るぜ」 「ふふふー」 「さすがはサー・アルフレッド・キング、 ちゃんと硯のことも見ててくれたじゃない」 「私ですか?」 「いちばんチームに貢献してたんでしょ?」 「あ……」 「……そういうこと、言われたことなくて」 「あはは、アタシは褒めないからねー」 「い、いえ……そういうことじゃないです」 「サンタとしちゃ優等生といっていいわよ。 あとは協調性だけなんだけどねー」 「…………」 「しょげないの。 それだってなんとかなるかもねー」 「そう思いますか?」 「わかんないけどね、 初めてでしょ、握手なんてしたの」 「あ……」 「……よかったね、硯」 「けーっきょく、 みんなセルヴィで帰っちまったな」 「ほんとですねー」 前を歩くななみがのんびりと呟く。サンタ服を脱いだななみの姿は、もうこの町にすっかり溶け込んで見える。 「あんまり遅くなると 先に乾杯されちまうかなぁ」 「むー、それは問題です……はむはむ」 「お前、なにをいつの間に食ってる!?」 「そこの屋台で売ってました。 たいやき……食べます?」 「いいよ、これからパーティーだってのに よく買い食いなんてできるな」 「だってもう、緊張しちゃって……はむはむ」 「甘いものは精神安定剤だっけ?」 「そうなんですよねー。 言うなれば、圧倒的な多幸感へのダイブです」 「変な言い回しに騙されないからな。 吸収した分は燃焼しろよ。 食い終わったらダッシュで戻るか?」 「い、いいですよー! のんびり戻りましょう」 ななみと二人、秋の夜空を眺めながらぶらぶらとツリーハウスまでの散歩道。 朝っぱらからギッチギチに密度のつまった1日が暮れて、ようやく一息といったところだ。 「しかし、あのエリートさんが 自分から握手をしてくるとはなぁ」 「意外でしたか?」 「ああ、お前がな」 「わたし?」 「去年いろいろモメたのに、自己紹介の時から ずいぶんと金髪さんを持ち上げてたじゃないか。 どんな心境の変化があったんだ?」 「ああー、あれはですね」 「……できなかったんですよ」 「?」 「あれから試してみたんです。 あのときりりかちゃんがやったみたいに、 パンパンパンって乱れ撃ち」 「そしたらゼンゼンだったんです。 きっと、去年やってたら失敗してました」 さばさばと語るななみの声が、夜のしじまに溶け込みそうなほど、か細く耳を打った。 「りりかちゃんは凄いです」 「……あのとき、 どうして大家さんを浮かせた?」 「え?」 「見てたぜ、危うく大事故になるとこだった」 「あれは……大家さんがトリさんを 助けたいんだろうなって思ったから」 「だから力を貸してやったのか?」 「……りりかちゃんに怒られてしまいました」 「…………」 「さっきの話だけどな」 「え?」 「金髪さんの技さ。 乱れ撃ちだかマルチプルショットだか知らないが、 あれは馬の良し悪しもあるぜ」 「……そうですね」 「案外、冬馬くんとだったらできるかもしれません」 「かもじゃなくて、やってやるんだ」 「はい!」 「ま、開店準備も完了して、 リーダー試験って目標も決まったことだし、 いよいよ新生活のスタートだな」 「あとは冬馬くんが店長さんになってくれれば 全て解決です」 「代理の2文字は外さんぞ」 「えー……それでは、 きのした玩具店の開店の前祝と、 サンタ、トナカイの着任を祝しまして……」 「かんぱーーい!!」 「くるーーるーーー!」 「ふーん、この子が 危うくミンチになりかけたトリさん?」 「くくく?」 「オードブルが1品増えるところだったな」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「あー、うっさい!! これのどこが七面鳥!?」 「形状が違います」 「そう言われても、親が七面鳥だったんだ」 「突然変異だったりして?」 「前世の呪いかな?」 「でも、可愛いから正義です!」 「中井さん!! そのトリまさか飼うつもりでは!?」 「まあ飼うっていうか、居着くっていうか」 「だめですよ!! 忘却厳禁の最重要項目って言ったじゃないですか! そんなことしたら鰐口さんに……!!」 「その大家さんから、 こっそりなら飼っていいって言われたんだ」 「ええ!?」 「優しい人でしたよね?」 「お、おかしいな……そんなはずは」 「それよりどうしてニセコがいるの!?」 「ニセコって言うのやめてください! 僕は皆さんがハメを外し過ぎないように 見張ってるだけです!」 「ハメなんて外さないもん!」 「じゃあ居ても平気ですね?」 「うぐぐ……ニセ子のくせになまいきー!」 「僕は男ですっ」 「うるさいニセコ!」 「まーまー、そんなことより、 乾杯のあとは美味しいご馳走タイムです♪」 「そうね、今日は買い込んできたんだから!」 「わたしもですー! ほらほら、おいしーですよー」 一瞬にしてテーブルにうず高く積み上げられた菓子山の中から、スプレーチョコをたっぷりまぶしたドーナツが、金髪さんの口の中に放り込まれる。 「んぐ……うぇ、甘!?」 「まだまだたーくさんありますよ。 浜の真砂は尽きるともー♪」 「うが、むぐ……! だーーーっ!! なんで全部甘いっ!?」 「だってパーティーですから☆」 「デザートはシメに食べるもんなの! 食べ物買ってこいって言ったけど、 ぜんぶスイーツなんてありえない!」 「でもでも、甘いのと甘くないのが並んでたら、 甘いの買うでしょ??」 「あんただけよー!!」 「で、月守さんが買ってきたのはー?」 「うわ、うわわ!? りりかちゃんだって、 ハンバーガーばっかりじゃないですかー!」 「だって美味しいじゃん」 「だめです、健康に悪いですってば」 「どの口で言うかーー!!」 「もが、もがが!!」 「二人とも栄養価は最低です」 「……あのー」 「なによ?」「なんですか?」 「私も、食事にと思って」 「おおっ!」 「なに買って来たの?」 「いえ、その……作ってみたのですが」 「うわ…………!」「…………すご!」 「へえ、こいつは ちょっとした〈高級店〉《リストランテ》のディナーだな」 「栄養価も申し分なさそうですね」 「な、なーんて、 こんなもの食べてみないと分かんないしー」 「そ、そうですね!」 「あーむ……!」 「…………すご!」 「お口に合えばいいのですけど」 「こいつは美味い! 口に合うなんてもんじゃないぜ」 「ああ、アルコールとの相性も完璧だ」 「硯の特技だもんねえ……あとが怖いけど」 「あと……?」 「ま、そのうち分かるって」 「うーーー! りりかちゃんは、 そっちにお肉あるじゃないですかーー!!」 「うぎぎ……あんただって、 こっちのサラダ食べてりゃいいじゃない!!」 「と、とにかく……はむはむ! 料理当番はすずりんに決定……!」 「さ……賛成です! もぐもぐ!」 「……美味いもの食うときくらいは仲良くしろ」 「……で、 新しい住人はどうだったんだい?」 「んー、いい人たちだったよ。 なんか助けてもらっちゃったし」 「きららちゃんが、そう言うのならー そうなんだろうねー。よかったねー」 「おい、また変なのが入り込んでるよ」 「今日は一緒に夕飯だって言ってたじゃん」 「覚えちゃいないね、 こら、おつゆの前に魚に手をつけるんじゃないよ」 「これはどうもすみませんー」 「ふん、新しい連中も、 ろくでもない知り合いとか引っ張り込んで どんちゃん騒ぎなんかしてやしないだろうね」 「え!? だ、だいじょーぶだと思うけどー?」 「んー、こいつは……んんん……ぷはァ」 「とーまくん、なにをご機嫌な顔してますかー?」 「いやな、向こうに置いてあった酒が とんでもなく美味いんだ、これが。 はぁぁ……たまらん」 「わぁぁ、お酒くさい!」 「……って、まさかここに転がってるビン ぜんぶ飲んだんですか!?」 「うわ、うわ、スコッチって書いてある。 ウイスキーじゃないですか!」 「ん? どうだったかな……? んく……はぁぁー、美味いなぁ」 「おかしいですよ、 ビールじゃないんですから!」 「ビールもウィスキーも似たもの同士さ。 等しく〈酒精〉《アルコール》に祝福されている」 「安心しろ。 鉄の肝臓を持ち、決して酒の失敗をしない。 そいつが……っく、一流のトナカイさ」 「ふーむ、一流への道は険しそうです」 「そういえば知ってました? ジェラルドさんが キューピッドの称号を持ってたって」 「ん…………?」 「キューピッドですよ、八大トナカイの!」 「キューピッドに選ばれていたのに、 自分から返上しちゃったんですって」 「…………あいつが?」 キューピッド。その言葉に、酔いが一気に引いていくのを感じた。 青天の霹靂とはこのことだ。そうして俺は……去年のイブを思い出す。 ベテルギウスを駆る片眼の暴れ鹿──。あのイタリア人の姿を見たときから、頭の片隅に引っ掛かっていたのだ。 ゴーグルを片方しか着けないエーストナカイがいるという噂は、はるか中央スロバキア支部まで届いていた。 トナカイになってからずっと憧れていた八大トナカイの称号。 世界で最高の技術を持った八頭のトナカイ。その資格を持つ男が、こんな身近にいる……? 「よお、ジャパニーズ。 日本の酒はなかなかいいもんだな」 「この『熊殺し』ってのは、 お前さんが買ってきたんだろ。 今度店を教えてくれよ」 「そりゃ……もちろん、いいですよ」 「どうした? トナカイ同士で敬語なんて野暮はよしてくれ」 「同じことを先生にも言われたよ」 「キャリアのことなら気にするな。 長く飛んでるヤツが上手いって訳じゃない」 そう言って、イタリア人は紙コップの日本酒を一気に空けた。 「あんた……キューピッドだったんだって?」 「…………」 「……はは、よそうぜ。昔の話だ」 それきり言葉が切れて、しばらく俺は元八大トナカイの隣でグラスを傾けた。 相手が誰だろうと、俺が変わるわけじゃない。だのに、酒の味は全くといっていいほどしなかった。 「俺の師匠は……サンタだったんだ」 「珍しいな、サンタに仕込まれたのか?」 「ああ、サンタ学校にも途中編入だったんだが、 同期連中にずいぶんバカにされたもんさ。 素人のそのまた弟子が来たってな──」 「トナカイの酒好きと、口の悪さは万国共通だ」 「ああ。俺に出来るのは、技術を磨いて 連中の鼻を明かしてやることだけだった」 「どうやらそいつは、 今でも変わらないみたいだ……」 「あまり肩肘張りなさんな、サンタが迷惑するぜ」 「ああ……そうなんだよな……」 「それでひとつ謎が解けたよ」 「お前の〈滑空〉《グライド》はサンタに優しい。 師匠のおかげだな」 「……前までのサンタには嫌われたけどな」 「そいつはサンタの問題だろう?」 緑の薫りに冬の冷たさを乗せた大気を吸いながら、ツリーの周りを歩き回る。 不覚にも、すっかり酔いが回ってしまった。 トナカイの誰もが酒好きで、当然のごとくすこぶる強い。しかしジェラルドの奴は輪をかけて底なしだ。 付き合ってペースを上げたせいか、いつの間にか足元がふらふらしている。なにか余計なことを口走っていたかもしれない。 ──空を見上げる。 子供の頃から身体に染み付いた癖のようなものだ。 こうやって、どこまでも広がる満点の星に囲まれているだけで、迷いや不安が全身から抜け落ちてゆく。 いつだって俺はこうして空を見上げてきた。 忘れもしない初出動の日も、そして……親父が死んだあの日の夜も。 「……師匠」 師匠は知っていましたか?俺の目標がこんな近くにいるってことを。 俺の壁が、こんなに近くに現れたことを。 これまで俺は、どんなトナカイにも負けたことがなかった。 師匠の下にいたときも、学校にひとりで編入してからも、そのあとも──。 「今度は下っ端からのスタートだ」 シリウスのマスターサンタと、八大トナカイのキューピッド──。 サンタはともかく、俺以外のトナカイは精鋭ぞろい。 「そうだな…… 目標は高いほうが張り合いがあるってもんさ」 師匠──。%K 俺は、あの日飛び越えられなかった暗い川を、今度こそ飛ぶことができるでしょうか──。%K %O 五分ほど酔い醒ましに散歩をしてふらふらとツリーハウスのテラスに戻ると、ジェラルドが金髪さんに話しかけていた。 「なにを物思いに耽っているのかな、お姫様?」 「あんたこそなによ、ジロジロと」 「腹を見てたのさ。 食べ過ぎてないかと思ってね」 「!! み、見るな! 誰に向かって言ってんの!!」 「俺のベテルギウスに重量サンタは搭乗禁止だぜ」 「平気に決まってるでしょ。 ピンク頭と一緒にしないで」 「よっぽど気になるみたいだな」 「べー! そんなことない」 「どうかな、島国のローカルサンタは?」 「問題にならないわ」 「仕事はダラダラしてるし、 トナカイの扱いは下手だし、 コースを読む勘だって鈍いし!」 「だいいち……」 「どうした?」 「あの子……空気で浮かせたのよ」 「……!」 「なんの話かな?」 「大家さんのこと、 ロードスターから聞いたでしょ?」 「あのとき、あたしは車を止めようとしたの、 当然の判断よ。なのにあのピンク頭、 大家さんを空に浮かせようとしてたんだから」 「ははは、そいつは大胆だ」 「じょーだん、危なっかしいったらないわ」 金髪さんが話しているのは、あの時のこと。 俺が一瞬だけ見た、ななみが杖を使って大家さんの身体を宙に浮かせたことだ。 「無茶が身上の姫が、お株を奪われた格好か」 「誰があんな無茶するかっっ!!」 「…………」 「…………」 ため息をついた金髪さんの視線が、テラスの床に落ちる。 「……あのとき、大家さんは 空を飛びたいって思ってたかな……?」 「そいつはサンタにだって分からんよ」 「判断が正しかったのはあたしよ……」 「事故の話なら、そうなんだろうさ」 「そうよ」 そういうことだ。あのとき、金髪さんは車を止めようとした。ななみは大家さんの願いを叶えようとした。 ならば、あのまま彼女の身体が宙に浮いていたらどうなっていた? 「………………」 「あの子……スゴイかも」 「ん?」 「なんでもない。 ちょっと暑いのよ、もう10月だってのに!」 俺は二人に声をかけずにリビングに戻ってきた。 「ははは……」 なんとなく気持ちが昂ぶっている。嬉しいのかもしれない。 金髪さんか……ははは、分かってるじゃないか。さすがはNYのエリートサンタさんだ。 そして、このチームも……そのうち、さすがと言われるようなチームになればいい。 顔を赤くした俺がソファーでニヤついてる〈画〉《え》はさぞや見事な酔っ払いに見えていることだろう。 「あらら、若いっていいわねー」 「中井さん……大丈夫でしょうか?」 「とーまくん、相当できあがってますねー」 「気にすんな、飲もうぜ相棒さん」 「は、はい……」 キョトンとしているななみをよそに、手近なボトルを取ってぐびぐびと喉に流し込む。 ……ふと、 窓の外に白く舞うものを見つけた。 あれは──セルヴィのスノーフレーク?違うな、あれは……。 「見ろよ、初雪だ」 「まさか、10月の頭ですよ」 「何月だって降るときは降るさ」 窓べりに身を乗り出して、手のひらに白い雪片を乗せる。 「ほらな……」 資料に書いてあった。しろくま町は12月になると太平洋岸とは思えないほどの大雪が降るそうだ。 一年に一度のサイレントナイト、一面の銀世界──。 それがスロバキアとはまるで違う景色だろうってことは、俺にだって想像できる。 だが、大丈夫だ。俺はきっとこの町の景色を好きになれるだろう──。 「夜になると冷えますね」 「うん、冬が近づいてきたんですね」 「冷たい風に当たって頭が冷えたんなら、 そろそろパーティーもお開きだ」 「へ?」 「明日も早いぞ。 開店準備ができたんだから、 次はバリバリ宣伝しなくちゃな!」 「おおおっ!? とーまくんがやる気を出した!?」 「当たり前だ、俺は店長だぜ!」 ──師匠。%K どうやら俺にとって、この町は良い職場になりそうです。%K 新しい支部、新しいチームと、新しい相棒……。%K 未来の形は、それこそ明日のことさえまるで見えないけれど、それでも冬はもう目の前に迫っています。%K せめて、今年のイブが最高のイブになることを祈って。%K %O ハッピー・ホリデーズ──。%K %O 「おはようございます!」 「………………あれ?」 「お……おはようございまーす?」 「ぐー」 「ぐー」 「ななななんですか!? 着任早々のこのたるみようは!?」 「ぐー」 「くかー」 「あーもう! サンタって人たちは どうしてこうパーティーとか宴会が 好きなんだろう……!!」 「おーい、起きてくださーい! みーなーーさーーーん!!!!」 「だめですよ、 サンタクロースがこんなだらしない 格好でごろごろしてたらっ!!」 「ななみさーん! 起きてください、ななみさんっ!!」 「んが、ふぃ……?」 「んぁー、とーるくんではないですか、 ふぁぁ……おはよう……ごじゃいまふわぁぁあぁ」 「お日様もすっかり昇ってます! ほら、りりかさんも起きてください!」 「くかー……むにゃむにゃ……ぴぴっ ナンシーより緊急連絡……むにゃにゃ……」 「ああっ、もう完全に寝言だ!」 「でもって、硯さんは……(きょろきょろ)」 「ふぇああ……硯ちゃんでしたら、 お台所のシンクと冷蔵庫の間に……」 「すー」 「硯さん!!」 「すー……んぅ……んっ?」 「お、おはよう……ふわ……ございます!」 「お早くないです。 そっちのトナカイさんたちも 急いで支度をしてくださいー!!」 「ふぁぁ……いま寝てるから無理ー。 〈昨夜〉《ゆうべ》は遅くまで飲んでたんだからぁ」 「起きてるじゃないですか!」 「勿論だ坊や。一流のトナカイはいついかなる時も 万全の出動態勢を整えてるもんさ。 んじゃ、おやすみ……ZZZ」 「わぁぁ、二度寝はダメですーーっ!」 「はてさて、こんな早くにどうしましたか? まだ朝ご飯の時間じゃないですけど……」 「朝ご飯より前にロードスターの呼び出しです」 「ツリーハウスのサンタは、 6時30分までに ロードスター邸へ集合せよって!」 「なぁんだ、じゃあトナカイとは無関係ね。 おやすみー」 「わぁぁ、先生!? ちょっと困りますってば!!」 「はいはい、むにゃむにゃ」 「あぁーー! 支部じゃキビキビしてる先生が、 どうしてこんなルーズな性格に……!!」 「オンとオフを使い分けてるだけよー。 優しいとーるくんは、サー・アルフレッド・キング に言いつけたりしないよねー?」 「でも、マスターサンタがこんな体たらくじゃ……」 「がばっ!!」 「うえ!?」 「もしその可愛いお口を滑らせちゃったら、 アタシだけが一方的に楽しい おもてなしをしちゃうかもー?」 「わぁぁ、お酒くさい! やめて、息を吐き掛けないでくださいっ!」 「ミラクルブレスー♪ ぷはー!」 「わかりました、わかりましたからっ!!」 「ふふ、おりこうさんは大好きよ@ それじゃ、おやすみー」 「ううっ……マスターサンタのイメージが……」 「おっまたせしましたーー!! 洗顔終了、準備万端!!」 「……あれれ、どうしました?」 「なんでもないです。 それより、中井さんはどこですか?」 「……はて?」 「ふーむ、どうしたもんかな……? どのパーツも正常に組まれてる はずなんだが……??」 「ここか? このキャブレターが……うわちっ!?」 「おいおい、頼むぜカペラさんよ。 いったいなにが気に食わないんだ?」 物言わぬカペラに話しかけ、頼りない手元を押さえつけるように、ボルトを締め直す。 手元が怪しいのは、夜更けまで飲んでいたアルコールが頭の中に残っているせいだ。 「ははは、トナカイが二日酔いだなんてな」 頭の芯が揺れるような〈疼痛〉《とうつう》を覚えつつも、不思議と気分は清々しい。 「相棒、今日から店を開けるんだ。 俺が店長だってよ? 笑っちまうな」 「お前の仕事もたっぷりあるさ。 さあ、頼むから機嫌を直してくれよ」 「せーのっ……!」 「りりかさん!!」「りりかちゃーん!!」 「くかー……!」 「**********!!!」 「むにゃむにゃ、うう、弾幕がきつすぎる…… フラッシュ攻撃が……むにゃ……」 「うぅぅ、どんな夢を見てるか分かりませんが なかなか筋金の入ったお寝坊さんです」 「だからって放っておけません。 りりかさんってば、 寝ぼけてないで出動ですよ!」 「むにゃむにゃ…… これしきで不敗のカーネルがぁ……」 「置いていきますよ! 遅刻ですよ! これがラストチャンスですよ!!!」 「りりかさんーっ!!」 「にゃむクラーッシュ!」 「うぎゃ!?」 「うーん……!」 「ああっ、とーるくん!?」「ああっ、キャロルさんっ!?」 「……で、金髪さんは置いてきたのかい?」 「仕方がありません。 どうしても起きないんですから」 「とーまくんは早起きでしたね?」 「枕が変わるとな。 で、その頭のコブは?」 「なんでもありません」 「ま、相手はエリートさんだし、心配ないさ。 そこらへんは上手く帳尻合わせてくるだろう」 七瀬から受け取ったリモコンを操作すると、裏庭の隅に隠されていたハッチが口を開け、機械音とともに俺のカペラが姿を現した。 地下の格納庫と裏庭が秘密のリフトでつながっているのだ。 「こんな仕掛けがあるとはなぁ」 「昔からあったみたいです。 大家さんもご存知ないようですけど」 「前にもサンタさんがここを使ってたんだっけ? さてと……行けるか?」 カペラのシートにまたがり、ハーモナイザーを起動させる。すぐに心地の良い振動が下腹部に伝わり……。 「………………やっぱり」 「駄目ですね……」 やはりどうやっても出力が上がらない。ルミナを上手く取り込めていないのか、あるいはエネルギーへの変換がまずいのか。 「なにが原因なんでしょう?」 「それがさっぱりだ、 整備はちゃんとできてるはずなんだが」 「中井さんにはブラウン邸と ツリーハウスの送迎役を兼ねて いただきたかったのですが……」 ブラウン邸というのは、ボスの住んでいるあの立派な洋館──つまり、我らがしろくま支部のことだ。 ここから徒歩だと、電車こみで1時間はかかる。それでトナカイの同居が必要だったわけか。しかし……。 「参ったな、すまないが今日のところは ご期待に添えそうにない」 「こういうときは、 斜め45度でコツンとですね」 「昭和のテレビだったら良かったんだがな」 「機体の不調じゃ仕方がありません。 でも、早めに起こしに来てよかったです」 ひとり納得しながら、キャロルの七瀬が自分のセルヴィにまたがった。 「そいつは七瀬のかい?」 「いえ、支部の連絡機ですが」 「とーまくんのと同じカペラくん……ですか?」 あらためてデチューンされたカペラを眺める。七瀬がまたがっているのは、確かに連絡機と呼ぶのに相応しい機体だ。 原型こそ俺と同じカペラのようだが、小型のリフレクターで出力を大幅に低下させ、操縦系統もずいぶんと簡略化されている。 「倉庫で眠っていた古い機体を改造したんです」 「お前さんが?」 「え?」 「あ、えっと……まあ」 「へええ、そいつはすごい。 いい仕事してるなぁ!」 「とーるくん、実は天才メカニックさん!?」 「あ、う……」 「それならきっと、 中井さんのセルヴィもすぐに直りますね」 「頼むよ、あとでカペラも見てくれないか?」 「………………”」 「その……機体を改修したのはノエルの本部でして」 「………………」 「そりゃそっか」「そ、そーですよねー!」「すみません早合点でした」 「…………(しょぼん)」 それにしても、なかなか便利そうな機体だ。この程度の機能なら特別な訓練をしていないキャロルさんでも、飛ばすことができるだろう。 「つまり、かんたんカペラくんですね」 「変なあだ名をつけないでください」 七瀬が連絡機のカペラを起動させると、大気中のルミナが機体に吸い込まれてゆき、機体がふわりと宙に浮いた。 空中で機体を静止させる。ふむ、見習いキャロルのわりには……。 「達者なもんだ」 「サー・アルフレッド・キングに 鍛えられましたから。 では、僕は先に戻っています!」 「あのー、わたしたちのソリは?」 「これにそんなパワーはありませんよ」 「へ?」 「では、どうやって支部まで……?」 「ううむ……電車通勤とはなぁ」 「ピクニックみたいで楽しいじゃないですか。 ね、硯ちゃん?」 「そ、そうですね……」 ツリーハウスからロードスターの暮らすブラウン邸まで徒歩と電車で1時間ほど。 セルヴィが使えれば、ルミナの分布次第だが10分とかからないだろう。差し引きの50分は俺の責任だ。 カペラの不調が原因とはいえ、あの機体にこだわっているのは、そもそもが俺のわがままによるもの──。 早いとこ修理を完了させないと、俺のこだわりにサンタさんを巻き込むのでは、トナカイの道理に合わん。 「(それにしても、カペラくんというのは  ずいぶん古いセルヴィさんだったんですね)」 「(主力機がシリウスに代わってからは、  ほとんどが現役を引退して  あのような形でリサイクルされてるようですよ)」 「(つまりとーまくんは……物好きさん?)」 「聞こえてるぞ」 「あぅぅ……!?」 「お、おはようございますっ!!」 「清々しい朝の鍛錬へようこそ、サンタの諸君」 「……鍛錬?」 「月守りりかさんは寝坊で遅刻です。 トナカイさんは不参加の予定でしたが……」 「見送りがてらに来ました」 「それは感心。 さて、ツリーハウスでの新生活は 快適なものになりそうですか?」 「はいっ!!」 「なかなか元気があって良い返事です。 しかし残念なことがひとつ……」 「な、なんでしょうかっ!?」 「5分遅刻だ、〈小童〉《こわっぱ》ども!!!」 「ひぃぃぃ…………っっ!!」 「めーん! めーーーーん!!!」 「先手必勝!! 一撃必殺!! 〈烈帛〉《れっぱく》の気合を〈以〉《も》って、刀身〈雲燿〉《うんよう》に至らしめん!」 「せんてひっしょー! いちげきひっさつー!」 「蚊が鳴いておるわっ! 〈丹田〉《たんでん》に〈魂魄〉《こんぱく》を込めんかっ!」 「ひぁぁい! めーん! めーん! めーーーーん!!」 「(はぁ、はぁ……っ!  ど、どうして剣道の素振りを  してるんでしょうかー!)」 「(こいつがサンタの修行なんだろう?)」 「(で、でも、こんな訓練、  今まで一度も……っ、ぜえ、ぜえ)」 「声は腹から出せいッ!!」 「は、はいーーっっ!」 「す、すみませんーー! どうしても外せない急用で遅れました!!」 「……って、なにやってんの!?」 「喝ーーーーーーーー!!!!」 「きゃあぁぁぁああああああぁぁぁッ!!?」 「急用とは片腹痛し! よだれの跡がくっきり残っておるわっっ!!」 「こ、これは花粉症で!!」 「秋です!」「秋だ!」 「ぎぎぎく!?」 「うーむ、全く帳尻合ってなかったな、 あのエリートさん」 「すでに報告は受けておる! 秋は夜長なれども、〈秋眠〉《しゅうみん》暁を覚悟せい!」 「あわわ、そ、それはその……!! (こらニセコ、言いつけたな!!)」 「自業自得です」 「なっ!? ぐぎぎぎ……!!」 「ちっ、ちがうんですっっ! これはそのですね、何か催眠術的な怪奇現象が!」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》ッッ!!」 「ぐあああーーーーーーーーー!!!!」 「どーして起こしてくれなかったのよー!」 「お、起こしましたよー!」 「うぅぅ、あたしだけ 素振り200回追加だなんて……!」 「私語はだめです、また雷が……!」 「めっ、めーん! めんめんめーんめーーーんっっ!!」 細腕で竹刀を振るうサンタ一同とトナカイの俺。その向かいには、静かに気を整えるロードスターがさながら不動明王像のごとき形相で〈屹立〉《きつりつ》中。 こ、これがこの支部での活動なのか! 張り詰めた緊張の糸!洋館の庭になぜか響く『面』の叫び!そこにクリスマスの気配は微塵もなく……。 「めーん! めーん! わんたんめーん! めーん! めーん! たんたんめーん!」 むむ、さすがはななみ、この状況が楽しくなってきたな。 「(ねえ、この特訓になんの意味があるの?)」 「(きっと……なにかあるんだと思います)」 「(なにかってなに?)」 「(すみません、そこまでは……)」 「サンタの道は武士の道! 問われれば答えるが武士の情け!」 「きゃああ!?」 「ジャパァーンには古来より、 〈斯〉《か》くの如き教えがある――すなわち」 「武士は喰わなの焼き〈蛤〉《はまぐり》!」 「すなわち武士道とは人の生きる道。 蛤など食さずとも、道さえ見出さば 人は心豊かに生きてゆける、と先人は説いておる」 「おおお!!」 「どうしてお前のテンションが上がる?」 「おばーちゃんと同じことを言ってます!!」 「サンタの道もまた〈斯〉《か》くあるべし。 左様に心得たまえ」 「ぜんぜんわかりません!」「……………………???」 「フハハハハ……!! 以心伝心の 〈斯様〉《かよう》に難しきこと、我ら等しく 鍛錬不足に相違なし! ゆえに汗を流すのだ!」 「つまり暗中模索のアイウォンチューですね!」 「ますます意味がわかんない……」 「チェエエエエエエーーーーィィ!!!」 「ちぇーーーーーい!!!」「ちぇーーーぃ……」「ちぇーーーぃ……」 「キェエエエエエエーーーーィィ!!!」 「きぇーーーーーい!!!」「きぇーーーぃ……」「きぇーーーぃ……」 「よし、素振りここまで!!」 「ありがとうございましたー!!!」「ありがとうございました……」「ありがとうございました……」 「や、やっと……終わったぁぁ!!!」 「やー、死ぬかと思いましたー」 「ハァハァ……私もです」 「続いてラビットジャンプだ!」 「はぁぁ!?」 「あの、ラビットジャンプというのは!?」 「武士道とは〈道標〉《しるべ》なき道を〈往〉《ゆ》くが如し。 だが今はついて参れ、〈小童〉《こわっぱ》どもっ!!」 「うさぎ跳び!?」 「ら、ラビットジャンプですね」 「なんで? 終わったんじゃないの!?」 「さっきの素振りは準備運動だったとか?」 「こ、怖いこと言わないでよ……!」 「はー、ひー……とーまくんはどうして 一緒に跳ねてるんです?」 「朝の訓練っていうから、いつもの自主トレの 代わりになると思ったんだが さ、さすがにこいつはキツイな……」 頃合いを見てギブアップ宣言したいところだが、雲の上の〈支部長〉《ロードスター》に先導切られては、音を上げるわけにもいかない。 いっそ抜かしてやったらどうかと悲鳴を上げる身体に鞭打って後を追ってみても、 「はーっはっはっはっ! 武士とは脱兎の如く駆け抜けるもの也!」 「ぐうっ、は、速い!?」 「締めくくりは立ち木打ちである。 皆の衆、〈木太刀〉《きだち》を持てい!!」 「りャァアアアアアアアッッ!!」 「ひーー!!」 「きゃーーー!!!」 「うわーーーーっっ!!!」 サンタ一同、もはや目的など見えぬままに、藁でぐるぐる巻きになった木の杭をずっしり重い木刀でひたすらに打つ、打つ、打つ! 「もう……だめです……先生……」 「はひー」 「さすがにもうお嬢さん達にゃ……ん?」 「ぜぇ、ぜぇ……な、なによ……?」 「てっきり、とっくにヘバってるもんだと」 「じょーだん……国産のあんたにできて、 あたしにできないはずない……し!」 「うむ、なかなかの負けん気。 だがその腕で打ち込めるかな?」 「もちろんです! めぇええええぇぇぇぇーーーーん!!!」 「うむ、見事である!!」 「に、NY復帰は早まりそうですか?」 「遅刻分と相殺して進ぜよう」 「そ、それだけ……」 へなへなとへたり込むりりかを見て、サー・アルフレッド・キングは満足そうに木太刀を置いた。 とたんに、表情が柔和になる。 「朝の身体慣らしはここまでです。 サンタの皆さんは 充実した一日を過ごしてください」 「はぁ、はぁ、はぁ…………」 「お、おつかれさま……でした」 「うん、明日からはトールも入りなさい」 「ぼ、僕もですか!?」 「うー」 「あー」 「はぁ……」 かくして、朝っぱらから死屍累々。俺たちはくま電のシートで荒い息をついたまま、レールの振動にぐったり身を任せていた。 「……明日から、これが毎朝」 「いやぁぁぁぁぁーーー!!」 「もがっ!? もがもががが……!!!」 死体のようにぐったりしていたサンタさんたちがいっせいに俺の口を塞ぐ。 「縁起でもないこと言うな!」 「毎日はごかんべんー!!!」 「ですーーー!!!」 「ぷはっ!! はぁ、はぁ……すまん、悪かった」 「うあー、しんどい! どうしてあの年であんな元気なの!?」 「ノリノリだから……じゃないでしょうか……?」 「キングさんの大の日本好きが、 ああいう意味だったとは……」 「な、ななみさん! ちゃんとサー・アルフレッド・キングって 呼ばないと怒られます……!」 「呼ぶだけで疲れるー。 もっと簡単に、和風おやじとか、 ヒゲモンスターとか……」 「ご本人の前で言えたら尊敬します」 「うーーーー! でも、サー・アルフレッド・ キングじゃ長いし……サー・アルフレッド、 アルフレッ……と……」 「レッドキング!!!」 「え!?」 「なんですかそのぴったりなお名前は!」 「なら明日からそう呼んでみるか」 「……………………」 「や、やめとく……」 「(こくこくこく)……!!」 「ただいまぁ……」 「ふえー、もうだめー」 「……まったく、 だらしないわね、あの程度でーー……」 「す、すぐに朝食を用意しますね……」 「ならばわたしたちは片付けを……」 「あれ、サンタ先生たち帰っちまったのか」 「あうー! 散らかしたまんまでどこ行ったラブ夫ー!」 「みんな満身創痍だな。 とりあえずここはやっとくよ」 「とーまくんは元気ですね?」 「そりゃあ、鍛えてるんでな」 などと見栄を張ってみたが、こいつは久々に筋肉痛を味わうことになりそうだ。 「今日分かったこと! とにかく!! この支部のロードスターは容赦がないっ!」 「……(こくこく)」 「それだけに、これからのスケジュールも きっちり今日のうちに決めておいたほうが いいと思うの!」 「さんせいですっ!」「……賛成!」 「あ……で、でも……」 「でも?」 「あ、い、いえ……その……」 「ピンク頭は、ロードスターの指示があるまで 待ったほうがいいと思うの!?」 「そ、そういうわけじゃなくてですね……」 「じゃあなにー!?」 「えっと……先にごはん食べません?」 「だめー!! 食べたら眠くなる!!」 「それはりりかちゃんだけではー!?」 「てなわけで、あらためまして サンタさん1日のスケジュールー♪」 「まず起床は6時♪」 「だけど呼び出しがあった日は 恐怖のスパルタ修行タイム!」 「そのあとは、朝食の時間となります」 「それで……もぐもぐ、 いいんじゃないでふか? もぐもぐ……」 「なにくってんだー!!!」「ぐああっ!?」 「だって冷めちゃいますー!!」 「そうそう、せっかくだ。 残りの決め事は食べながら話すことにしようや」 正直なところ、朝からの激しい鍛錬で胃袋が悲鳴を上げていた。 おまけにさっきから食卓では硯特製ブレックファストが食欲をそそる匂いを振りまいている。 ななみを叱っていたりりかにしても、やはり食欲には打ち勝てなかったらしく、そそくさとフォークを手に取った。 「それではさっそくいただきまーす!!」 「サンタががっつかないの! ていうか、いきなりメインから食べる!? 普通はサラダじゃない?」 そう言いながら、りりかはテーブル中央の大皿に盛られたサラダに、オニオンドレッシングをたっぷりとかける。 「あぁぁ……!」 「え? どしたの?」 「りりかちゃん、 ドレッシング3種類ありました!」 「おまけに全部手作りのようだ」 「サラダは……取り分けてから……」 「わぁぁ、ごめんすずりん!」 朝食の作法が違うのにそれぞれ苦戦しながらも空腹の俺たちは、パンとチキンソテーのがっつりめな朝食にそろって舌鼓を打つ。 「ああ……こいつはいい。 柊ノ木さんの飯は美味いな」 「ほんと……鶏肉さんジューシーですー@」 「朝の修行がとてもハードでしたから、 力が付きそうなメニューに変えてみたんです」 「(もぐもぐ)……やるわね、すずりん」 「新鮮な地鶏ですので、 きっと栄養も満点じゃないかと……」 「やっぱり人材は適材適所が一番ね。 そういうわけで、すずりんにツリーハウスの 専属シェフになってもらたい人ー!」 「はいはいはいー!」 「が、がんばりますっ」 そんなこんなで、食事をしながらもりりかは次々に仕事の割り当てを決めていき、硯はノートにそれを書きとめていく。 でもって、ななみはというと……。 「んーっっ、胸肉なのにこの肉汁……! 火の通し方は完璧です」 硯の料理をかみしめているか。ま、これはこれでいいんだろう。 「定休日は経営が軌道に乗ってきたら考える。 それまでは基本的に年中無休ね」 「お客さんは毎日ウェルカムですね」 「お客さんが来なかったら、毎日休みだけどね」 「あうう……が、がんばります!」 「お店の仕事も、 今のうちに担当を決めたほうが良いでしょうか?」 「んー、そうね。 小さいお店だから手の空いた人が なんでもやることになるとは思うけど」 「ふっふっふ……店員さんならお任せあれ!」 「全員店員だし」 「そうではなくて、レジとか接客とかですね」 「フロアスタッフのこと? だったらあたしがNY流の クールな接客術をたっぷりと……」 「わたしも屋久島のおみやげ屋さん直伝の ほのぼの接客術をたっぷりと……」 「だめ! お店のイメージがばらける!」 「ですけど、お店はほのぼので……!」 「そこにギャップがあるから、 サプライズ効果がでてくるんじゃない」 「ですけどですけど!」 「あ、あの……」 「硯ちゃんはどっち派ですか!?」「すずりんはどっち派!?」 「あっ、いえ……、 私はできれば裏の仕事にしていただけたらと。 接客とか少し苦手で……」 「そうなの!?」 「確かに硯ちゃんの在庫管理は完璧でした!」 「適材適所か……俺もどっちかって言うと 裏方のほうがありがたいな」 「力仕事はとーまくんがいれば安心ですね!」 「それで2:2か……悪くないかも」 「は、はい」 ──かくして20分後。 「ごちそうさま!」 「食べたー、決まったー、めでたしめでたし!」 「お口に合いましたか?」 「すっごく美味しかったです」 「んー、さすがすずりん……99点♪」 「減点の1はなんですか?」 「たいしたことじゃないけど パンが6枚切りだったから」 「す、すみません」 「な、なるほど! やっぱりパンは4枚切りでないと」 「8枚でしょ!?」 「8枚ってサンドイッチ専用じゃないですかっ」 「いつ誰が決めたのよ!」 「トーストといったら4枚ですよー! 一口『がぶーっ』てするだけで『食ぁぁべたぁ』 って実感が湧いてくるじゃないですか」 「太る!!」 「ひ、ひどいーー!! とーまくんはどう思いますか!?」 「もちろんトーストは サクッと8枚切りよね、国産!」 「もちろん食えればどっちでもいい」 「そこをあえて言うならば!?」 「言うならば!!!」 「あえて言うなら米食党」 「うぎぎ……すずりんはどーなの? 今日の6枚以外で選ぶとしたら!」 「え、え!?」 「硯ちゃんは4枚です!」 「なんで分かるのよ!! 8枚は耳が邪魔になんないし!」 「むしろ4枚で耳をご賞味いただきたい!」 「わ、私はその……あの……」 「8は横にしたら無限大!」 「4は千に似ています!」 「あ、あの、論点が……」 「うぬぬぬぬ……!!!!」 「間をとって6枚!」 「もが!?」 最後1切れのパンをななみの口に放り込み俺は席を立った。 「ちょっとー、まだ決着ついてない!」 「そうです、せめてどっち派かだけでも!」 「どっちだっていいさ。 それよりも、美味いもんをプンスカ食うのは もったいないぜ、サンタさん」 自分の食器をシンクに戻して、洗面所で手を洗う。 どうやら重要な話題はあらかた話し終えたようなので、先に地下に潜らせてもらうことにした。 今の俺には、パンの厚みよりもカペラのご機嫌の方がよっぽど重大な関心事だ。 「うー……不完全燃焼! 結局なんの話だったっけ?」 「99点です」 「食後のカモミールティーをどうぞ。 とてもリラックスできますよ」 「わぁ、いい香りー♪」 「ほんと! ナイスすずりん。 プラス1点して、100点満点!」 「ありがとうございます」 「でも、こうなるとケーキがほしいですねー」 「まだ食べる!?」 「紅茶とお菓子は同期の桜って言いますし」 「お菓子と脂肪は竹馬の友って言うかもね」 「うー、なんてロマンのない!!」 「空いてるお皿、片付けてしまいますね」 「あ、ちょ、ちょっと待ってください」 「はい?」 「やっぱり、こういう当番は 公平にやらないとダメです」 「……?」 「だから、硯ちゃんはお料理当番なので、 後片付けはわたしたちの当番ということで」 「(むむ……一理ある!)」 「そんな。 大丈夫ですよ、休んでいてください」 「でもチームですから!」 「(むむむ……ここでチームをアピール!?  まさかこの子もリーダーの座を!?)」 「そういうわけで、役割分担を……」「……するなら皿洗いと後片付けね!!」 「!?」 「そーゆーわけで、 あたしがテーブルを拭くから、 ななみんは皿洗いするよーに!」 「なんでもう決まっちゃうんですか!?」 「〈嫌〉《や》なの?」 「嫌じゃないですけど強引です!」 「むむむむむ……!!」「ぬぬぬぬぬ……!!」 「ここはやっぱりジャンケンで!」 「ラッキーは三度続かないわ!」 「望むところです! じゃーんけん……」 「ぽいっ!!」 「なぁぁあああぁぁぁぁーーーーーーー!!!!?」 「…………」 「はぁぁ……私本当にやっていけるのかしら。 お料理くらいしかできることないのに……」 「…………」 「……あっ! お皿は洗いカゴの中でいいって、 りりかさんに伝えないと……!」 「あの、りりかさん……」 「むーーーぎぎぎぎぎ!!!」 「きゃああああ!?」 「水がかかりました!!」 「だからなによ!! こっちは冷たいんだから!」 「お皿洗いはそういうものです!」 「い、いったい何が!?」 「布巾はしっかり絞れって言ってるの!」 「あとで乾拭きするからいいんです!! りりかちゃんこそ、水出しっぱなしで お皿洗うのは無駄づかいです!!」 「泡のついた手で蛇口ひねるのが嫌なの!!」 「あとで流せばいいじゃないですかー!!」 「そ、そんなことで……!?」 「そんなこと!?」 「す、すみません……(しくしく)」 「スプラッシュカノン!!」 「つめた!! い、いまお水飛ばしましたね!」 「ぐーぜんぐーぜん! 手についたしずくを払っただけだし」 「ワザ名ついてたじゃないですか! ていっ、アクアバレット!!!」 「や、やったな!!」 「手首の運動です!」 「あーあ、 あたしも手が凝ってきちゃったかもー?」 「だ、だめですよ、二人ともっ。 止めてくださ――」 「ていていていていていていていていっっ!!!」 「きゃああああああああーーー!!!」 「できたーー!!!」 「なによ!?」「なんですか!?」 「できたんだよ、修理が完了したんだ!」 「いいか、見てろよ……!」 「ん、どうした? 来いよカペラ……!」 「いらいらいらいらいらいらいらいらいら」 「りりかちゃん、集中できません」 「なっ!?」 「……あれ?」 「動きません……か?」 「なぜだ……また駄目だ! ハーモナイザーの調整も完璧だったのに」 「むーむむむむむ!!!!」 「な、なんだどうした!?」 「べーつにっ!!」 「…………はぁぁ」 「……??」 な、何があったんだ?わずか2、30分でサンタさんたちは見違えるほど不機嫌だ。 と、そこへ……。 「ごめんくださーーい!」 「やあ、どーもおひさしぶり」 慌ててカペラを格納庫に戻して駆けつけると、そこにいたのはペンキ屋さんだった。 「ペンキ屋さんー! どうなさったんですか?」 「頼まれていた看板ができたので、 届けに来たんですよ」 「そりゃずいぶんと早いですね」 「そりゃあもう、超特急で仕上げたからね! 超特急といえばTGVだけど、574.8km/hって記録、 あれは少々特殊な例と言えるだろうね、つまり――」 「大丈夫です、知ってます!!」 「なになに、何の話?」 「お嬢さん、知らなかったのなら丁度いい」 「……え!?」 「いいかい、TGVと言えばフランス。 フランスと言えばブルートレインだ!! 国内では我らが『あさかぜ』がその先駆けだね!」 「我ら? フランス? ブルートレイン?」 「──その蒼き車体は天駆ける竜の如く!!」 「いいかい、我らが『あさかぜ』はかつて 東京〜博多間を運行していた戦後初の(略)」 「…………なにこれ?」 「…………なんなのでしょう?」 「ううっ……ためになりますっっ!」 「なんでもらい泣きしてんの??」 「いやあ、今日は初めての方もいたので、 つい間口の広い話題を選んでしまいました。 もしご希望とあれば、さらなるレールの向こうへ」 「おおっ!? なんだろう!? クラクションの音が聞こえるぞ!! 誰かが呼んでるみたいだ、おーい、おおーい!」 「ああ、僕を呼んでるのかな。 じゃあここからは超特急で、平成20年に 廃止となった寝台急行『銀河』について……」 「い、行こっ! 今すぐ行こっ!! おーーい、おおーーい!!」 異世界から生還した俺たちが〈樅〉《もみ》の森を抜けると、狭い田舎道にペンキ屋さんの軽トラックが停めてあった。 その横にサングラスをかけたラフないでたちの男の人が立っている。 「よお、こんちはー」 「はじめましてー、ええと……?」 「ああ、紹介しておかないとね。 彼はなんとあの有名な……!」 「ジョーさんだ、よろしくなお嬢ちゃん」 「そう、ジョーさんには ときどき仕事を手伝ってもらっているんだ」 「(……有名人?)」 「(なんでしょうか?)」 俺たちの疑問はさておき、ジョーさんと呼ばれた人はトラックの荷台に積んであった布に巻かれた看板らしき板を下ろしてきた。 「こいつが呼び込み看板だ、 けっこういい出来だぜ?」 だいたい1メートルちょい、俺の腰よりやや高いくらいの折り畳み看板。これは森の入り口に置く呼び込み用だ。 明るい木目の板に、思いっきり目立つ赤と緑のクリスマスカラーで店の名前が書いてある。 『木のおもちゃ・きのした玩具店』『この先、森の中50メートル⇒』その下に営業時間と電話番号と……。 「わぁぁー、可愛い看板ですねー!(でもなんで、電車の絵が描いてあるんだろう)」 「ま、悪くないわね。(あの電車はなに??)」 「おもちゃ屋さんらしくなってきましたね。(電車……)」 「ここらに置いとけば目立つだろ?」 「うんうん、僕の最高傑作がまた増えたよ! この電車はくま電の初期型で、」 「こっちが店の看板の初期型だ」 おお、ジョーさん、ペンキ屋さんの扱いに手馴れている! 今度はトラックの荷台から呼び込み看板の10倍ちかくある巨大な板が下ろされてきた。 「でか……!?」 「こいつが一人じゃ運べなくてね」 「よし、みんなで運ぼう」 「わぁぁ!」 「こうやって看板がつくと それっぽくなるもんね」 「素敵ですね。 デザインはななみさんが?」 「ううん、ペンキ屋さんにお任せでした」 「それじゃ、僕たちはこれで。 本業の塗装工事もできますから、 いつでもご用命を」 「ありがとうございまーす!」 「そーゆーわけで、 看板も無事に出来たところで、 サンタさん1日のスケジュールっ!!」 「朝食の後は、いよいよお店のお仕事ですっ! わーわー、どんどんぱふぱふ♪ わくわくタイムの始まりですよー♪」 「昼食までが午前の部ですね」 「で、なんでピンクが仕切ってんの!」 「開店祝いの景気づけですってば。 きのした玩具店グランドオープンですよ♪」 「うー、まだその名前に慣れない……」 「よーし、いよいよグランドオープンだ! みんな気合入れて行こう!」 「おーー!!!」 いいタイミングで看板もやってきたところで、記念すべき開店初日だ。 さすがに開店前から外に大行列なんてことはないけれど、サンタさんたちの士気も上々、あとはお客さんが来るのを待つだけなのだが……。 「んしょ……とっ……おおっ……できました」 「なになに?」 「なんとびっくり、東京タワーです♪」 「へえ、積み木で作った割にはタワーに見えなくも ……って、おもちゃで遊ぶなーー!」 「わぁぁ、崩れる! きゃー!!」 「仕事中に商品で遊ぶなんて言語道断!」 「ちがいます、ディスプレイ用の積み木で お店の飾りつけの研究をですね……」 「なるほど、それだったら……。 ねーねー、ちょっと貸して」 「よいしょ、ん、しょ……っと、ふっふっふ!」 「これはなんですか?」 「クレイジーなクライマーもびっくりな、 エンパイアステートビル! てっぺんにゴリラの人形を添えてと……」 「じゃーん、完成! 東京タワーより高いー!」 「むむむ……この勝負には負けられません! 次は新東京タワーです!!」 「だったらこっちはドルアーガの……」 「ぬぬぬぬ……!!!!」 「えーと……なにをしていらっしゃる?」 「あ、とーまくん! 暇だったら手伝ってくださいー」 「そこの国産! 積み木集めてきて、とにかく大きいやつ!」 「仕事中俺店長!!」 「六文字熟語!?」 「違う!! 二人とも少しは柊ノ木さんを見習ってくれ。 ほら、黙々と自分の仕事に……」 「……はぁぁ、なんて精巧な造形でしょう」 「うっすら木目の透けたベースに、 起毛したパウダーを絶妙に散らすことで このリアルな……」 「……柊ノ木さん?」 「はっ!? すすす、すいませんっっ」 「あたしたちもジオラマを凝視すればいいわけね?」 「むむ、それはそれで奥の深い仕事に……」 「悪かった、客が来るまでは好きにしてくれ」 「……(赤面)」 まあ、この程度はご愛嬌。古今東西、老若男女問わず、サンタクロースって人種は例外なくおもちゃ好きだ。 スロバキアの師匠も、配るのとは別に部屋いっぱいのブリキ人形をコレクションして、うきうきした顔でおもちゃ部屋にこもっていたし、 うちのロードスターの執務室に溢れていた和風(?)装飾品もきっと同じ類のものなんだろう。 俺たちトナカイが酒をこよなく愛するように、おもちゃ好きはサンタの素質に関係しているのだろうけれど……。 「ま、お客さんがきたら まじめにやってくれるだろうさ」 「……ふわぁぁ」 「………………こない」 「……ふわ……ほんとに、お客さん来ませんね」 「グランドオープンセール絶賛開催中なのに!」 開店時間から1時間が経過したが、待てど暮らせどお客さんはやってこない。 在庫管理担当の俺と硯にしたところで、商品が動かないことには仕事も何もあったもんじゃない。 退屈な時間は不安と焦りを呼び込み、店内に重く横たわる静寂が、じりじりとした危機感へと変わっていく。 「なにかあったんでしょうか……」 「実は人類がもう死滅していたとか!」 「ええーーーっっ!?」 「テレビやってるぞ」 「よかった……放送局は生きてる」 「も、もしかすると…… この場所にお店がオープンしたことが ちゃんと伝わってないんじゃないでしょうか?」 「それだ! 広報部長ーーーー!!!!」 「そそそんなこと言われましてもーー!」 「責任問題!! 引責辞任!! 解散総選挙!!」 「落ち着け。たった1日の宣伝なんだから、 そうそうお客さんも集まらないって」 「私もそう思います」 「むー! それはそうだけど 初日から経営難ってどういうこと!?」 「い、今からでも、 宣伝に行ってきましょうか?」 「──ッ!!?」 「いらっしゃいませー☆」 「あ、どうも……お邪魔します」 「──ずーん」 「な、なんですか開店早々不景気顔で!?」 「不景気なんです……」 「……ふむふむなるほど、 こういう分担になりましたか」 朝食のときに硯がノートを取った、店の仕事分担と1日のスケジュールに目を通した七瀬が、大きく頷いた。 「まだスケジュールはできていないと 思ってましたが、さすがですね」 「ふふん、仕事が速いのがNY流よ」 「訓練は先生とジェラルドさんも一緒ですね。 このスケジュールは、 僕からお二人に伝えておきます」 「お手数をおかけしますー!」 「いえ、それが仕事ですから。 それでですね……」 「今日の本題はこちらですっ!」 「……わぁぁ!!」 手提げカバンの中から七瀬が取り出したのは、3着のエプロン風の……。 「こ、こ、これはもしかして!?」 「はい、きのした玩具店の制服です」 「おおーーっっ!!」 「やった、手際いいじゃん!」 「どんな制服なんでしょうか?」 現金なもので、さっきまで意気消沈していたサンタさんたちも、その言葉で一瞬にしてテンションアップ。 「さっそく変身ですね!」 「もっちろん!!」 「わ、私も……」 「じゃーん!! どうですかー、とーまくん!」 「ラブリープリンセス華麗に見参ー@」 「(……かわいい)」 「制服ってエプロンだったんですね」 「着替えやすくていいかもね。 これでちょっとはお店らしくなってきたかな?」 「あの……このロゴのところなのですが」 「きのしたガング……」 「最後にてんが付いてます」 「おおっ!? きのしたガング〈.〉《てん》、すごい! 斬新!」 「…………むー」 「り……りりかさん、どうしました?」 「やっぱこの名前センス0点ーー!!」 「ええー!? 木のおもちゃ屋さんですよ! ぴったりじゃないですかー!!」 「ハイパーがあったらもっといいのに! こんな名前じゃお客さんもこないし NYに支店を出すなんて夢のまた夢!!」 「むー!! だったらりりかちゃんのエプロンだけ、 このマーカーで上から……」 「ぎゃーー!! するなっっ!!」 「そ、そ、それよりも!! 昨日の今日で、もうエプロンが できてくるなんて思いませんでしたっっ」 「サー・アルフレッド・キングが、 夜なべをして縫ってくれたんです」 「ロードスター自ら!?」 「ううぅぅ……わたしたちのために、 目ヤニこすって夜なべしてくれたんですね。 わ、わたし、がんばりますっっ!!」 「失敬な! ロードスターは目ヤニなんて出しません!」 ……出すだろう。 「どうぞ、これは中井さんの分です」 「俺もか!?」 「とーぜん、店長なんだし!」 「ええと、店長代理……」 「もう店長でいいから」 しかしこのエプロンのデザイン、女子には似合いそうだが、男には……。 「いや、ええとだな、ほら、 店長が同じ格好してたんじゃ、他の店員と 見分けがつきにくいという可能性について……」 「じぃぃーー……」 「…………了解」 クールでダンディ、そしてハードボイルドなトナカイのイメージとは程遠い気がするのだが、ええい……これも仕事!!! 「へー、似合う似合う」 「……似合うのか(しょぼん)」 うむむ、現場復帰を喜んだのもつかの間。なんだか、日に日にトナカイらしくなくなってきている気がする。 「あ、あの……っ、 男性のエプロン姿というのもいいと思いますよっ」 「やっぱりとーまくんには 店長さんが似合っています」 「トナカイってのはなぁ! もっとフリーダムでワイルドで」 「プリティでキュートでラブリーで!」 「……おーい、どこ行く国産?」 「独りになりたいんだ……」 「しろくま町サンタチームの活動報告──」 「初日午前中は客足ゼロ。 一堂やる気が空回り気味で前途多難……と」 「…………はぁ」 「本当に大丈夫かな?」 「…………」 「…………」 「…………」 エプロン制服でテンションうなぎ登り!!……だったはずのサンタさんたちは、ものの1時間ほどで元の状態に戻ってしまった。 いくら制服がピッカピカだろうと、お客さんがこなければ仕事にならない。 午前11時になったところで、硯が申し訳なさそうにリビングに引っ込んでお昼ごはんの用意を始めた。 もともとフロアスタッフじゃないのだから気にすることはなにもないのだが、確かに…… 「…………」 がらんとした店内がこの空気じゃ、席を外すのも気が引けるというものだ。 「店長〜、ひーまーでーすぅぅ〜〜……」 「まったくだ。 よし、俺はカペラの調子を……」 「て〜〜んちょぉぉ〜〜!!」 「わかった、もう少しいるから!」 俺はほとんど真っ白の台帳と、在庫チェックのリストを手に、カウンターの中にこもることにした。 店内の掃除や整頓をしておこうにも硯が全部きっちり整えてくれたので手を出すことがなにもない。 そして店内をふらふらしているのは、この2人──。 なんだか知らないが、ななみとりりかは朝から些細なことでぶつかってばっかりだ。 ──無言。 ──静寂。 ──退屈。 硯と俺が抜けて緩衝材を失った売り場では、沈滞した空気が次第に淀みを帯びてくる。 ねっとりと濁った、それでいてちくちくと刺すような、ザ・〈剣呑〉《けんのん》空間。 「………………」 「………………」 「………………」 「星名ななみ……」 「……なんですか?」 「……変な名前」 「なにがですかっ!?」 「ほし・なななみ……なが3つ。なななー!」 「り、りりかちゃんだって、 りが3つじゃないですか! つきもりりりー! りーりーりーー!」 「あー人の名前で遊ぶなっ!」 「どっちがですか!!」 「そっち!」 「そっち!」 「そっちそっちそっちー!!」 「そっちそっちそっちそっちーー!!」 「そっちそっちそっちそっちそっちそっち そっちそっちそっちそっちそっちそっち そっちそっちそっちそっち…………そっち!」 「むぎぎぎぎぎぎぎ……!!!!」 「はははは、落ち着けサンタさん。 君ら似たもの同士じゃないか!」 「どこがですかっ!!」「どこがよっ!!」 うーむ……途方にくれる。この2人の間に割って入るのも店長(代理)の仕事なのだろうか? 昨夜は友情が芽生えたっぽい空気だったのに、生活が始まってみればこんなものか。 オープンから半日でこの体たらく。なにとぞ俺たちが1日で廃業しないよう遠い空の下で祈っててください──師匠。 「はぁぁ……いい天気だ!」 なんとか二人をなだめて外の空気を吸いに出ると、暖かい木漏れ日が頭上から降り注いできた。 いい天気だぜ。これで〈油〉《オイル》の匂いを嗅げりゃ言うことなしだ。どれ、こっそりカペラの様子を見てくるか……。 「……ん?」 「こんにちは」 「ああ、どうもこんにちは」 そこにいたのは小さな女の子だ。会釈して気づいたのだが……あれ?……今は平日の午前中だが。 「何かうちに御用かい?」 「ここ、おもちゃ屋さんなんですよね……?」 「ああ、そうだよ。今日からオープンなんだ。 でも君、小学校はまだ授業中じゃ……」 「小学校!!?」 「失礼千万です! 私のどこが小学生に見えるってゆーんですかっ!」 「え、違った!?」 「背がちっちゃいからですか! 顔が子供っぽいからですか! 色気より食い気だからですか!」 「返答しだいでは、私にだって覚悟がありますよ!」 「も、申し訳ない! そいつはこっちの早合点でした!」 「……わかっていただけたなら、 それでいいんです」 「私、さつきっていいます。 小さいのにしっかりしてるねー、 ってよく言われるんですよ!」 その小さいは、身長あるいは体格を指してるんだろうか……?いや、考えるまい。 「どうも、中井冬馬です。 この店の店長……代理をやってるんだ」 「代理?」 「複雑な大人の事情がありまして」 「もしかして、いま子供扱いしました?」 「そ、そんなつもりは全く! むしろアダルトな世界にウェルカムというか!」 「ふふ、冗談ですよ♪ お店……もう開いてますか?」 「おーい、お客さんだぞー」 「こんにちはー」 「いらっしゃいませーーー☆」 「よーこそ、 愛と平和のきのした玩具店へっっ!!」 「ただいま、史上最大のビッグチャンス! グランドオープンセール開催中でーす♪」 「ど、どーも……」 「さぁさぁ、ずずずぃーーっと奥へ!」 「BGMスタートっ!!」 「おきゃくさま、本日はお日柄もよく、 どのようなおもちゃをお探しですかー?」 「店内全て、天然素材100%になっております」 「い、いえ、そんなおかまいなく……」 「そうおっしゃらずに おかまいさせてくださいー」 「お茶がまだでしたね。 あと椅子もお持ちします。国産ー!」 「あ、あ、いいです! え、えーと……お客さんじゃなくて、」 「まいど! しろくま日報でーす!」 「にっぽー?」 「新聞!? いらない!!」 「ひゃーーーああああ!!」 「塩っっ!」 「はいっ!!」 「ぶえーっしょ!! これコショウ!!」 「ごめんなさいー!!」 「お客さんだと思って 下手に出てれば、新聞勧誘じゃない!! だまされたぁぁぁーーーっくしょん!!」 「国産!!! なんで拡張員なんか連れ込んでんの!!」 「すまん、女の子だったし、 まさかそんなこととは……」 「うう……この客足では 新聞とってる余裕なんてないですよね?」 「サンタさん1日のスケジュール。 続いて、お昼になったら……お昼ご飯です。 ほんとは交代で……」 「店番と食事と、 ちゃんと順番決めてやろーねって 話したのよね……予定では」 「お客さんが来てくれていれば……」 「けど、美味そうなパスタじゃないか!! なあ、ほら!!」 「ほんとだー!!」 「こ、この匂い……おなかへったー」 「駅前のデパートに 美味しそうなウニが出ていたので、 ソースにどうかと思いまして……」 「……ウニ?」 「(道理で美味そうな匂いだが)」 「(ウニって高いわよね?)」 「でも美味しいですよー!」 「ほんとだ!」 ななみの言うとおり、こいつは舌がとろけるほど美味い! 店のストレスが空腹をもたらしたのか、みんなあっという間に皿を平らげて、硯のいれてくれたお茶に手を伸ばそうとしたとき。 「よう、お邪魔するよ」 「ジェラルドさん!?」「ラブ夫!?」 「お姫様、おつとめの方はどうだい?」 「大繁盛で大忙しよ! あんたも油売ってないでちょっとは手伝って」 「あいにくこちらも大忙しさ。 旅行者の多い町ってのは……」 「出会いも多いと?」 「あー、コホン! それより、散歩でもどうかと思ったんだが、 忙しいなら仕方がないな」 「暇! すっごーーーーーく暇!!」 「オープン早々暇はまずいだろ」 「まずいから対策考えてるとこなの! ね、店長、ちょっと出てきていいでしょ?」 「え? ん……そうだな今日のところは」 「とーまくん?」 「夕飯までには戻ってきてくれよ」 「そんなー! いいんですか!?」 「遊兵を作るべからずよ、ななみん♪」 「サンタさん1日のスケジュール! お昼が終わったら、お店の仕事・午後の部です」 「こんどこそ、 お客さんがわんさかやってきて、 大賑わいのフィーバータイムですよー♪」 「だといいんですけれど……」 「うーーーーーーーーたいくつー、 やっぱり宣伝が足りなかったのでしょうか」 「屋久島の時と違って、販売戦略を根本的に 立て直す必要があるかもしれないな」 「チラシを配ったり、広告を出したり、 あとはCMを流したり、 広告塔を立てたり……ですね」 「ああ、そのうちどこまで実現できるものか、 そのあたりも夜のミーティングで相談だな」 「相談といえば、 りりかちゃん、どこ行ったんでしょう?」 「ジェラルドさんは 散歩だと言ってましたけど……」 「サンタのお散歩なんじゃないか?」 「??」 「あ! ひょっとしてルミナの観測を……?」 「おそらくな。 昨日も俺を引っ張って空に出てたし、 今晩から訓練も始まるだろう?」 「そっか……りりかちゃん」 「NY帰りは伊達じゃないってことさ。 カルシウム不足は珠にキズだけどな」 「なにかいいメニューがないか考えてみます」 「ひとりで修理するなんて無茶ですよ。 普通キャロルに預けちゃいますよ」 「まあそうなんだが、色々事情があってさ」 昼食後、店の様子を見に来た七瀬を捕まえて、地下格納庫に降りてきた。 〈機体〉《セルヴィ》の整備に関しては、トナカイよりもメカニック担当のキャロルが専門家だ。 あいにくメカニック専門ではないようだが、俺が気づかなかったカペラの不調原因も七瀬の目なら分かるかもしれない。 「凄い……あらためて見ると、 ガチガチにチューンしてありますね」 「最新型のリフレクターを 可動式の単発ノズルにつなぐなんて……」 「いいだろ、俺のカペラ」 「はい、これは渋いです! なのに……駆動しないんですか?」 格納庫の工具を手に、七瀬がハーモナイザーとリフレクターのチェックを始める。 「同調率も反射率も、地上なら問題ないんだ」 「ツリーのコースに乗ると乱れるんですか。 おかしいですね……」 「ところで、その手に持っているのは?」 「ああ、こいつは店の在庫リストさ。 まだジャンル別の整理ができていないんでな」 「それも後でやっておきます。 そこに置いといてください」 「本当か? 助かるよ、 メーターの数字を読むのは得意なんだが、 この手の計算はチンプンカンプンでな……」 「中井さん、お給料の管理とか、 ちゃんとできているんですか?」 「おう、そこは大丈夫だ。 今月はまだ5000円残してる」 「5000!?」 「高校生のお小遣いじゃないですか……」 「そう言うな。 酒は買い込んでるから大丈夫だ」 「それは大丈夫じゃないです!」 具体的な数字は野暮だから伏せるが、安月給とはいえトナカイも給料をいただいている。残金が少ないのはそいつを飲んじまったからだ。 せめてサンタさんくらいの収入があれば、なんて思ってもみるが、おそらくは増額分の酒量が増すだけだろう。 ずっと年下のななみのほうが高給取りっていうのもなんだか妙な気分だが、サンタはイブの主役なんだから、これは当然のこと。 ロードスター以外は緩やかなものだが、ノエルの役職にも順位はあって、サンタのほうがトナカイよりも上位ってことになっている。 イブの花形はサンタであり、俺たちトナカイはあくまでもサンタを支えるサポート役って寸法だ。 「おかしいな……」 「分かるか?」 「…………直ってますね」 「だよなぁ」 「うーん、これで飛べないこと ないはずなんですけど……」 「キャロルの目から見ても異常なしか……」 「支部に持ち帰って分解検査してみましょうか?」 「それだとずいぶんかかるだろう? 店が終わってからもう少し格闘してみるよ」 「はい、僕もカペラのデータを調べてみます」 「ああ、頼むよ」 少し心配性で口やかましい奴だが、うちのキャロルさんは頭が下がるほど勤勉だ。 手にしたファイルに熱心にメモを走らせる七瀬の姿が年齢に見合わず頼もしく感じられた──。 「それじゃ、夜また来ますので」 「夜?」 「ツリーの観測も必要ですから。 サンタさんが住んでからは 安定しているみたいですけど」 「ああ、そいつはいいニュースだな」 カペラの不調原因はまだ分からないが、店長の仕事をいつまでも放り出しているわけにはいかない。 帳簿整理の救世主・七瀬透を見送りがてら店のほうに戻ってみると……。 「こんにちはー、店長さん」 「わわわワニグチさんっっ!?」 「きららです」 「す、すみませんでしたっ!」 「じゃじゃっじゃじゃじゃじゃあ僕はこれで! さようならぁぁーーー!」 「……とーるくん、どうしたんでしょうか?」 「禁忌に触れたんだ」 「えっと、いまの子って契約のときに来たけど」 「うちのマネージャーみたいなもんです。 で、今日はどうなさったんで?」 「ううん、別に用があるわけじゃないんです。 うちで管理する物件は全て見て回るのが、 私の日課みたいなもので」 「といっても、毎日中に上がりこむ わけじゃないけどね。いつもは外から 建物の具合をちょっと見るくらい」 「でも、ついでにおもちゃ屋さんも のぞいちゃおうかなーって! あはは!」 「はいこれ差し入れ。 しろくまんじゅう♪」 「おおぉぉーー!!! 伝説のしろくまスィーツじゃないですか!!」 「これですね、駅の売店のお土産コーナーで お見かけして、いつか食してみたいと 目をつけてたんですよー!」 「一応、しろくま町の名物よ」 「──しろくまんじゅうは、しろくまの顔の形をした おまんじゅうに、地元産の白いんげん豆を原材料に した白あんがたっぷり入った極上の逸品である」 「へえ、よく知ってるね」 「ガイドブックで見たんです。 でも本当においしそう」 「なにやら神々しさすら感じてしまいまじゅる」 「ええと、わかってると思うが……」 「あ、あとでみんなでいただきましょうー!! たのしみたのしみ」 「みなさん、 この町の住み心地はどうですか?」 「のんびりしてて最高ですー。 田舎の町なのに異国情緒もふんだんにあって」 「ああ、ここは外国の人が作った町だから」 「外人さんが?」 「あ……んーと、正確に言うと、ご先祖様と 外国の人が力を合わせて作った町かな?」 「ここが昔、 小さな漁村だったって話はしたよね?」 「はい。明治時代に入ってから、 そこへ外国の方たちが移り住んできたと」 「そ、山と海に挟まれた小さな村が それから町になってったの」 「だから、今でも山の手のほうには、 外国人居住地の名残が色濃く残ってるのよ」 「山の手地区のことですね」 ロードスターの住むブラウン邸のあるエリアだ。確かに、あのあたりは閑静で上品な住宅街だった。 「ま、観光するには楽しめる町だよ。 町の中心部なんかヨーロッパだしね。 そだ、近々案内させてよ」 「いいんですか? わぁぁ、ガイドさんつきとは贅沢ですっ」 確かに、サンタとして活動するにも、店の宣伝するにしても、また生活をするにしても町の全容をもっと深く知ることが大切だ。 トナカイなら気ままに飛んでりゃ済む話なんだが、ここはサンタさん目線で大家さんのご厚意に甘えさせてもらおうか。 「助かります。 店が休みの日にぜひ!」 「お店のほうはどうですか? 順調?」 「あ……まあ、いまのところはぼちぼちで、 3人くらい……」 「3人!?」 「新聞屋さんととーるくんときららさんですよね?」 「それって……」 「…………」 「えーーーー!?!?」 「でっ、でもご案じめさるな!! これしきの逆境、 すぐに跳ね返してみせますっっ!!」 「ちょ、ちょっと……店長さん!」 「はい……おわ!?」 「あの、えっと……ううん」 「はい?」 「なんていうか、聞きづらいんだけど……」 「お節介承知で率直におたずねしますが、 今の感じでお店……大丈夫なの?」 「そいつはずいぶん直球ですね」 「では2択。○×で!」 「……×!」 「あー、やっぱり! そうですよね、やっぱりそうなんですね!?」 「オープン初日なのに、 まだ一人もお客さん来てないなんて! どーなってるんですか?」 「ここからですよ。 昨日の今日じゃ宣伝も足りなかったけど、 もっと認知してもらって繁盛させてみせます」 「だったらいいんですけど……」 「あ、でもお家賃のことなら大丈夫!!」 「あ、そういう意味じゃなかったんだけど、 でも……そうですね、確かに家賃のことも」 情けない話だが、家賃はノエルが支払っている。俺たちが稼かなくちゃならんのは、給料だけではまかないきれない毎日の生活費だ。 そもそも、俺たちがこうして店をやる目的は金儲けではなく、サンタがこの町の住人になるためのこと。 そのあたりを説明するわけにはいかないのが辛いところだ。 「ファイト!」 「お、おう」 「負けちゃだめだよ。 これからの営業努力次第でなんとかなるから! 頭と体と精神力で乗り切って!」 「ありがとう、ご心配をおかけします」 素直に頭を下げると、大家さんはニコッと微笑んだ。 会って間もない俺たちをこんなに心配してくれてるんだから、この人もそうとういい人だ。 ──人の運がある。 どこの支部に行っても、その土地の人と会うたびに俺はそう思う。 「そういえば、大家さん学校は?」 「とっくに卒業しました。っていうか、 あの子たちこそ学校に通わなくていいの?」 「ああ、若く見えるけど、 彼女たちも立派に卒業してますから」 ──サンタ学校を。 「そうなんだ…… その割には世間ずれしてなさそうだけど」 ──サンタ学校ですから。 「そこは店長さんが守ってあげてるのか。 でも、女の子ばっかりで大変ですよね」 「ん……まずはチームワークが課題かな」 「チームワーク?」 「商売柄なんでしょうね。 いつまで経っても子供っぽさが抜けなくて、 なかなか手が掛かります」 「ふぅむ。 実生活と商売の経験値が 不足気味ですね……ホント大変だわ」 「まあ、そんなとこです。 特にななみとか、のんびりしてるんで」 「いえ、ななみちゃんだけではなくて、 全員そんな感じ」 「俺も?」 「うん。 ここってチェーン店なんでしょう?」 「そのわりに販売マニュアルもなさそうだし、 売り上げのノルマとか気にしてなさそうだし、 お客さん来ないのにみんなのんびりしてるし」 「おもちゃ屋さんが焦ってたら嫌でしょう? なんてね」 「………………」 「な、なんですか その不安そうなまなざしは」 「……もしお金に困ったら相談してね。 安いお店くらいは教えてあげられるし、 いざとなれば祖母ちゃんのツテで金利の安い――」 「気持ちだけありがたく!」 こりゃまずい、話題を切り替えよう。 「そ、それはそうと……!」 むむむ……!?どっかで聞いたこのフレーズ。 「………………」 「ええと、赤天狗様ってのは……?」 「………………」 「……ん?」 「あ、ごめんなさい。なんですか?」 「たいしたことじゃ、 いま、なにを見てたんですか?」 大家さんはいま、何もない宙の一点をぼーっと見ていた。 釣られて俺もそっちを見てしまったが、特に気になるようなものはない。 「ん、ちょっとキラキラした」 「え?」 「あ、別になんでもないよ?」 そう答えた大家さんの視線が、俺の背後を流れるように追いかける。 キラキラしたもの? 流れ? 町に着いたばかりのななみが、キラキラしていると言っていたのを思い出した。 まさか大家さんの目には……? 「きゃぁぁああああぁぁぁあぁぁーーーーっ!!?」 なんだなんだ!?この声──ななみか!? 「…………静かになった」 「今の声、ななみちゃん?」 「ゴキブリかなんかですよ。 柊ノ木さんがついてるから平気です」 「硯ちゃんか……」 今やおなじみ感すらあるななみのトラブル処理よりも、俺たちにとっては、大家さんの目に見えているものが何かってことのほうが重要だ。 もしもルミナを感じ取ることができているのなら、それは、サンタの素質ということになる。 「キラキラしたのって、この周りの?」 「何のことかな?」 「さっき、キラキラしたって」 「……」 「もしかして…… 店長さんも見えるの?」 「え、いや。いまの話から そういうことかなって思っただけだ」 「なんだぁ見えないのか……。 ときどきね、空気が光って見えるんだけど、 なんでだろう?」 「…………!?」 「あー、私のこと変な目で見てる! ぽろっと言って大失敗だわ。 多分、単なる飛蚊症だし」 「……まだ光ってますか?」 「ん、どっかいっちゃったみたい」 ななみと同じ仕草で、大家さんが宙に向かって目を細めてみせる。 「じゃなくてこんなの飛蚊症。 まったく、目は悪くないのに、 どうして変なもんが見えるんだろう」 「何度も目医者さんに行ったけど、 なんにも悪くないって言われてるんだ。 今度、おっきな町で見て貰おうかな……」 昔から見えてるらしいってことは、何度も見ているってことか。 「きゃああーーーーーあああああ!!!」 「……また!?」 大家さんと一緒に店に戻ると、涙目になったななみが真っ青な顔で取り乱していた。 「とと、とーまくん! でで出ました! お、おばおば……」 「おばけでーすーーーー!!!」 「おばけ!?」 「まさか」 「ところがどっこい、これホント!!」 「外で物音がしたんです。 それで、ななみさんが窓を開けて見てみると」 「茂みの中からですね、怪しく光る目が こっちをじぃぃーっと覗いててですね!!」 「ネコだ」 「ネコさんじゃないです」 「ならトリとか」 「そういえばサンダースは?」 「お店を開く前に、 南の方へ駆けていきましたけど」 「奴め、また縄張りを作る気だな」 「そういう習性がありましたか?」 「あったんだよなぁ」 「ははーん、それでどらぞーとモメてたのか」 「どらぞー?」 「ん、近所のデブネコ。 天狗様は来るかもしれないけど おばけは出ないよ安心して」 「そ、そうなんですか?」 「この100年、 ここで殺人事件が起きた記録なんてないから、 そういう面ではクリーンよ」 「その根拠もどうかと思いますが?」 「で、でもあれはきっと、 しろくま恐怖伝説のひとつ! 腐れ首の落武者に違いありません!!」 「な、なんですかそれは?」 「じ……じつは……」 「時をさかのぼること400年前の戦国時代、 この辺りは、有名な古戦場だったといいます」 「歴史の教科書に名前が出るような大戦ではなく 地元の豪族の小競り合いのなかで、 大勢のお侍さんがお亡くなりになられたと!」 「そ、そういえば、 すぐ北にあるニュータウンの公園って、 熊崎城址公園って言いましたよね?」 「うん。 昔むかしあそこには山城があったのよ」 「きききっとそれです! 本によると、いまだ死んだことに気づかない 落武者の怨霊が夜な夜な町をはいずって!」 「この上なく昼だ」 「でも、森の奥のほうとか暗いですし!」 「で、でも戦国時代の幽霊が 今になって出るなんてこと……」 「それが出るんです! わたしが聞いた話ですと、 ドライブ中のカップルが山の中でなぜか道に迷い、 同じところをぐるぐると1時間も……」 「やがてあたりは暗くなってきて、ふと気づくと、 鬱蒼とした茂みの中に大勢の人が立っていて、 ぼーっと光った目でこっちを見ていたんです」 「なんでこんなところに人がいるんだろう、 嫌だな嫌だなーと思ってよく見ていると、 草むらの中にいた人たち全員が左手を上げて」 「ぴたーーーーっ…………」 「っと、こっちを指差していたんです……」 「……ごくっ」 「なんで指なんか差すんだろう、怖いな怖いなー と思いながら、さらに車を近づけてよく見ると、 なんと! その人たちは顔の腐り落ちた……」 ──バタン!! 「きゃぁぁああああああぁぁぁぁあああぁあぁあああ あぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああ ああああぁぁぁあああああーーーーー!!!!!」 「お待たせしました! そういうときはこの1冊!!」 「きゃぁぁああああぁぁぁーーーーー…………あ?」 「なんだ、さつきちゃんか」 「こんにちは! お話はきっちり聞かせていただきました♪」 「腐れ顔の落武者事件についてもっと詳しく 知りたければ、しろくま町のさらなる発展を 願って刊行された、このムックシリーズ!」 「じゃん!『呪われた町! 恐怖のしろくま巡り』を ぜひご購読あれ!!」 「発展どころか完全なネガキャン本だ。 ……って、君はたしか?」 「新聞屋さんの……?」 「先ほどはどうも!」 「てことは……もしかして、 幽霊の正体見たり枯れ尾花?」 「あ……ああーー!! もしかして・そこの窓から・枯れ尾花!?」 「あ、あはは……すみません。 ちょっと気になっちゃったことがあって、 ついこっそり覗いてました」 「気になったこと?」 「実はさっき、森の入り口で 昔の友達にそっくりな子を見かけて、 ここまで追っかけてきたんですけど」 さつきが『ずびしっ!』と指をさしたのは、ななみと大家さんの陰に隠れるように立っていた、柊ノ木硯だった。 「……!?」 その言葉で二人がまじまじと見つめ合う。 「…………さつき……ちゃんって、 〈八重原〉《やえはら》さつきちゃん!?」 「やっぱり、硯……だよね?」 「…………!!」 「やっぱりだー!! うわー、懐かしいね!!」 「う、うん……ほんと」 「なんと、硯ちゃんのお友達でしたか!?」 「うん、小学校の頃からのね! ホント久しぶり、硯ー。 しばらく見ない間に大きくなっちゃって」 「さつきちゃんも大きく……」 「……なってないけど!」 「えええ!? 今朝のって勧誘じゃなかったんですかー!?」 「ぜんぜんぜんぜん! もう契約は済んでますから、 明日から配達しますとご挨拶に来ただけで」 「そいつはすまなかった! 引っ越したばかりでてっきり……」 「そんな……。 私も誤解させるような挨拶しちゃいましたし。 今はバイトも終わったから、プライベートです」 「新聞配達のバイトをしてるのか、えらいなぁ」 「硯たちと一緒ですよ」 「む……それもそうか」 ここにいるのはサンタさんばかりなので、つい感覚がおかしくなってしまうが、確かにみんな若いうちから仕事をしてるのだ。 さつきの新聞は、どうやらうちの〈ボス〉《ロードスター》か七瀬が事前に手を回してくれたもののようで、明日から配達されることがすでに決まっているという。 一安心した俺たちに笑顔を向けたさつきは、マスコットドールの並んでいる棚から熊の人形を手にとり……。 「せっかくだから、 再会の記念にコレいただこうかなー」 「さつきちゃん……」 「わぁぁ、ありがとうございますー!!」 「やりました! とーまくん、お客さん第1号ですよ!!」 「で、でかい声でお前そんな!」 「第1号なの……」 「いやぁ、ほら、 お店はこれからだから、そうだよな?」 「はい! これからです!」 「いまんとこピンチはピンチですが これから可及的すみやかに対策を練って!」 「でも、対策というのは?」 「か、神風を!!」 「待つのではなく、俺たちの手で……!」 「つまり神風を起こすんですよね!?」 「そうさ!!」 「ふっふっふ……燃えてきました! 神風吹けば桶屋大もうけです!!」 「問題はその神風を どうやって吹かせるかなんだよね」 「あのー、商売のお話ですか?」 「お話ですよ」 「じゃん! お金がないときの商売については、 この『しろくま起業伝説BEST100!』に 詳しく載ってますが!」 「君はムックの行商人か!?」 「ちがいますってー、今はプライベート! なのでアドバイスだけしちゃいます!」 「アドバイス?」 「はい、困った時は粉物商売がイチバン♪」 「粉物!?」 「そう! 元手がかからないから利益率が高いんだって」 「なるほどね、 それっていいんじゃない。 検討してみる価値はあるかもね」 「はてなんでしょう……粉物商売といいますと?」 「ひと目につかないとはいえ ここで〈麻薬〉《おクスリ》はちょっと……」 「ちがいますーー!! そうじゃなくて粉物ってのは……」 「ごめんくださぁい」 「いいいいらっしゃいませー!?!」 「あ……電車のときの!」 本当だ。昨日、電車の中で乗り合わせたひらひら手を振る女の人……。 「きららちゃーん、 やっぱりこちらに来てたんですかぁ」 「ね、姉ちゃん!?」 「だめですよぉ、 こんなところで油を売っていたらぁ」 「こ、これには海よりも深いわけが!」 「大家さんのお身内さんでしたか」 残念ながらというか、案の定というか、今度の来訪者さんもお客さんではなさそうだ。 「じゃあ、そのわけを、 帰りながらみっちりと聞いてあげるねぇ」 エレガントでほんわかした空気をまとった彼女は、カタツムリのようなのんびりさで大家さんにひらひらと近づくと、その手をしっかと握り……。 「あう!?」 おもむろに引っ張る。ぐいぐいと力強く……ではないのに、なぜか大家さんは魔法のように引きずられて行く。 「それではおいとまいたしましょうー、 ね、きららちゃーん♪」 「わわ、ちょっと待って、 これからいいところなんだって、姉ちゃーーん”」 ずるずる……。 動きこそスローリィだが、強引に大家さんを引っ張っていく。 「きららさんのお姉さんでしょうか?」 「って言ってたよなぁ」 「あ、申し遅れましたぁ、 わたし、〈神賀原〉《かみがうら》〈羽衣〉《うい》と申しますぅ。 以後、おみしりおきをぉ」 「はて、苗字が」 「苗字の話はーっっ!!」「はいはい、いきましょーねぇ」 「苗字が違うということは、親戚とか?」 「もしくはご結婚されたとか……」 「いえいえー、きららちゃんとは、 たまたま血のつながってない姉妹なんですよぉ」 「? ? ?」 「それでは、ごきげんよう。 さぁきららちゃぁん、 お手製の小テストがまってるよぉ」 「姉ちゃん、ちょっとタンマ! これから粉物が神風で、まだ全然ーー””」 「………………」 「なるほど、大家さんとこにも いろいろ事情があるってことか」 「それで……何のお話でしたっけ?」 「桶屋さんの話です」 「えらい戻ったなぁ」 たいそうインパクトのあるお姉さんの登場で、今まで何を話していたのか忘れてしまったが、このままじゃ店の未来の大ピンチだったのだ。 「そうじゃなくて粉物でした!」 「そう!! 粉物ってのは麻薬じゃなくて 小麦粉とかそんなやつ!!」 「小麦粉売りますか!?」 「違う、焼きます! 具体的にはお好み焼きとか、たこやきとか!」 「たこやきっっ!?」 「寒い日に食べるたこやきって、最高でしょ!!」 「たこやき最高ですっっ!! なるほど、見えてきましたーー!!」 「何が!?」 「神風ですっっ!! たこやき屋さんに〈南東風〉《たつみかぜ》あり!!」 「うぬ……やってみる価値アリか、ななみ!」 「それじゃ、たこ釣ってきますー!」 「釣ってきましたー!!」 「大漁だと!?」 「そこの海にたくさんいました! さ、とーまくん焼きましょう! 焼いて焼いて!!」 「お、おう……ほらよ、 たこやき一人前おまち!」 「残りのタコも下ゆでしておきますね」 「よーし、ばりばり売っちゃいますよー!!」 「はぁぁ……疲れた、もうくたくた……」 「お店を放り出して出かけるからです」 「うっさーーい! 放り出してないし! バトンタッチだし! だいたいなんでニセコがいるのよ!?」 「りりかさんがサボらないように 見張っていたんです」 「サボってなんかないもん、 パトロールしてただけ」 「そういうときは出発前に報告をしてください」 「そんなことレッドキングに言われてないもん!」 「誰ですかそれは!?」 「……っと、ちょっとまって!?」 「どうしたんですか?」 「なに……? この匂い?」 「くんくん……おいしそう」 「…………うん」 「じゃなくて! な、なんかやな予感するっ!!」 「大丈夫ですよ、 きっと硯さんが夕食の支度を……」 「さあさあ美味しいよー! たっこたこのたこ焼き屋さんだよー!」 「4人前、お待たせしましたーー」 「ご新規たこやき3枚入りますーー!」 「ぎゃあああああああああ!!!!!!」 「だから、あれほど改造するなと 言ったじゃないですかーーーー!!!」 「大家さんも応援してくれたから、 平気だと思ってー!!!!」 かくして、俺たち3人大目玉。 勝手に店は改装するわ、近所の農家の皆さんにたこやきを売りつけるわで七瀬と金髪さんのお怒りは収まりそうにない。 あのときはいいアイデアだと思ったんだが……ううっ、無念だ! 「だいたいなんでたこやき屋なの!? そのチョイスがありえないっ、 ついでにセンスもありえないっ!!」 「りりかさんも 勝手に持ち場を離れていたので同罪です」 「ええーーー!? 同罪は重すぎるっ!! ニセコだって最後まで気づかなかったくせにー!」 「あうぅ……と、とにかく! 全てはお客さんが集まっていないからです」 「うぅ……めんぼくありません……」 「初日は準備不足だったとしても このままじゃ営業が成り行きません!」 「オープンセール中だってのに、 買ってくれたのはたった1人。 しかも、すずりんのお友達だもんね……」 「すみません……」 「宣伝、もっとしないとダメですよね」 元気が取り得のサンタさんたちも、初日の惨状に意気消沈している。店長をやってる俺の責任は重大なのだ。 経緯はどうあれ、引き受けたからには店をなんとかするのが俺の役目なのだが──! 「むむむ……!」 「すずりん、ご飯にしよっ! 落ち込んでばっかじゃ このあとの訓練に差し支えるわ」 「は、はい。 お昼の間に下ごしらえを済ませてますから、 すぐにご用意できると思います」 ぱたぱたとキッチンへ向かう硯と入れ替わりに、外からセルヴィの駆動音が聞こえてきた。あれは、シリウスとベテルギウスだ。 「はーい、こんばんは。 夕食をたかりに来たわよー」 「ほう、ジャパニーズジャンクフードか。 売れてるかい?」 もちろん2人はディナーを食べに来たのではなく、夜の訓練のために集合したのだ。 俺も、このツリーハウスで同居することになっていなければ、これくらいの時間に気楽な顔で参上していただろう。 しょんぼりモードの俺たちに代わって、七瀬がたこやき屋の顛末を説明すると、 「へー、面白そーじゃない」 「面白くないです!」 「だが、凍える夜に心と体を温めてやるのは、 たこやきもサンタクロースも一緒だろう?」 「ずいぶん違います」 「いっそ商売替えしちゃえば?」 「あぁぁ、この人たちは……!!」 刹那的なトナカイの無責任反応に、頭を抱える七瀬の隣で、硯が7人分の夕飯をテーブルに並べ始めた──。 「というわけで、サンタさん1日のスケジュール。 夜になってお店が閉店したら、 わくわくディナータイムです!」 「リビングにみんな揃って すずりんの手料理をエンジョイする、 本当は天国の時間なんだけど……」 「昼間の報告なんかも一緒にするので 内容がかんばしくないと、 ちょっとしょんぼりな夕ごはんに……じゅるり」 「ちっともしょんぼりしてないし!」 かくして、テーブルの上に並べられた皿、皿、皿。 「ほう、こいつは美味そうだ」 「ふふふ、硯の料理は絶品よ〜♪」 「どうぞ、お2人の分も用意しましたから」 「美味そうだな、この鶏の丸焼き。 柊ノ木さんにしちゃ、 やけに豪快な料理だが……」 「鶏ではなくアヒルなんです。 パリパリに焼いた皮を食べる料理で」 「肉のとこは食べないのか。 もったいないことを…………ん!?」 「なあ、それって……」 「こちらが鴨の肝臓のソテー・木苺ソース、 隣がキノコと4種のチーズのお雑炊、 あちらは貝の煮物で、それから……」 「うわぁぁぁぁ!?!? こ、これは唾液が決壊寸前ですっ! う、う……じゅるるるるる!!!」 「なんでたこやきが混ざってんの?」 「そ、それも美味しそうでしたので……。 沢山余っていますし」 「でもいいわねー、 毎日こんなディナーだったら最高! これだけ作るの大変だったでしょ?」 「いえ、皆さんに喜んでもらえればと思っただけで」 「あ……あの……」 「れれ? 顔色が悪いですよ、とーるくん」 「原材料は、どこで買ったんですか?」 「駅前にある、しろくま壱番館の食品コーナーです」 「毎朝産地から直接仕入れているそうで、 お肉も魚介類も新鮮なものが多くて……。 野菜も身体に良い有機野菜を扱ってるんですよ」 「なるほど、さすがは硯ちゃん! わたしたちの健康面もしっかり気遣いを」 「気遣いじゃなくて無駄遣い!! いいですか、この鳥の料理は北京ダック!!」 「んぐっ……!?」 「そっちのお雑炊はトリュフのリゾットで、 鴨の肝臓とは要するにフォアグラで、 貝に至ってはアワビ丸ごとじゃないですか!!」 「トリュフ……フォアグラ……アワビ?」 「わぁぁ、漫画の世界のお料理みたいですね!」 「それが現実になったら いくらかかると思ってんのーー!?」 「いくらでしたかっっ!?」 「す……すみません。 さすがに細かく覚えてなくて」 「ニセコ、レシート!!」 「はいーーっっ!!!」 七瀬が慌てて、共同のレシート入れを物色し始める。 「ええと、ええと……これはペンキ屋さん、 こっちは文房具店……あ、あった!!」 「…………!!」 「………………うーん!」 ──ばたり。 「い、いくらでしたか……?」 「見るなーー! 見たらああなるっっ!!」 「…………うー、うー、うー!」 「はぅぅ……ごめんなさい」 「い、いやぁ……! 柊ノ木さんだけのせいじゃないさ!」 うかつだった……!初日の買い出しに付き合ったというのに彼女の金銭感覚に気づかなかった俺にも責任はある。 しかし美味いものを食ってほっぺが落ちるならともかくほっぺが引きつるというのはどうしたことか? 「まあまあ、硯なりに、 気をつかってくれてたわけだしさぁ。 だいいち美味しいじゃないー、はむはむ」 「ああ、酒にもぴったり合うぜ、 ジャパニーズ」 「ずいぶんのんきですね、トナカイさんは!」 「作っちゃったものは仕方ないでしょー? あとは美味しく食べなくちゃ。ぷはー」 「うわぁぁ、お酒くさい!」 「坊主も大人になればこの味が分かるさ」 「けほっ、けほっ! と、とにかく!! こうなったら 今月はいろいろ耐えてがんばってくださいっ」 「はぁぁ……残金どーなってるんだろ?」 「お姫様、思ったより食が細いな」 「べつに、普通だし……はぁぁ」 「はぁぁ……サー・アルフレッド・キングに どう報告しよう」 「りりかちゃんも、とーるくんも小食れすねえ? たべないなら、わたしがもらっちゃいまふよ?」 「……太るわよ」 「へ!?」 「これ1皿で何キロカロリーか、 計算してあげよっか?」 「わわわわわあわわたしこう見えて、 スリムなつもりなんですけど……!!」 「……」 「つもりなんですけど……!!(ちら)」 「…………」 「なんですけどー!!(ちら)」 「どうしてそこで俺を見るのかな?」 「どーして黙ってるんですかー!」 「沈黙は雄弁ね。ま、ななみんが 〈伝統的〉《トラディショナル》なサンタスタイルを 目指すんならそれでもいーけど?」 「うー、いじわる!」 「せっかく食後のお楽しみに、 大家さん差し入れのしろくまんじゅうを 取っておいたのに……」 「しろくま名物の!?」 「おや知ってましたか?」 「駅前の看板に書いてあったから。 でもすぐ売り切れちゃうんでしょ?」 「ふっふっふ、興味ありますね? たーべたいですかー?」 「なんでもったいぶってんの! 大家さんがくれたってことは、 みんなに、ってことでしょ?」 「そ、それはそうなんですけどー!」 「じゃあ、すぐに持ってきますね」 硯がキッチンに引っ込んで、すぐに慌てた顔で戻ってきた。その背後から……。 「こっこっこっこ……」 「トリさん!?」 「ああ、こいつは何でも食うが、中でも まんじゅうが好物で…………お前まさか!?」 「まさかって……まさか!?」 「くるる?」 「そ、そのまさかです……」 「やっ、焼き鳥よ、焼き鳥ーーー!!!!」 「くるる!? くるっく、くるるーー!!?」 「こらー! まんじゅうどろぼー!!」 「あーーん、わたしのおまんじゅう、 返してくださいーー!!」 「もー! 食事中ですよっ! 落ち着いてください、 ななみさん、りりかさん!!」 「やれやれ、火種は尽きないね」 「ほんと、なごむわー」 「おまんじゅう、楽しみにしてたのにーー!!」 「明日の北京ダックはあんたよ!!」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「邪魔よ、そこの国産!!」 「冬馬くんどいてくださいー!」 「うわっ、落ち着けーーーー!!?」 「で、残ったのはこの1個だけと」 「こーこけーーー!!!」 「うっさい、バンバンジーにするわよ!」 「ギョギョッ!?」 「じゃあ、これをみなさんで分けて」 「この人数で!?」 「だ、だめでしょうか?」 「ひと口にもならないわよ」 「いやー、でもわたしひとりでいただくのは さすがに申し訳なくて……」 「どーしてそーなんの! この不届きなチキンを捕まえたのは あたしでしょ!?」 「でもでも、りりかちゃんはほら、 ダイエットがあるから体重管理を……」 「うぐぐ……ピンクのくせに、 へりくつゆーなーー!!」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「あんたが主張するんじゃないっ!」 「だったらじゃんけんで!!」 「だ、だめ! もーじゃんけんはやだ!!」 「ではどうでしょう、 不戦敗ということで……」 「負けるが勝ちっっ!!」 「ううううーーーー!!!!」 「はいはーい! ここはアタシに任せてー♪」 「いさかいの元になるようなものは、 こーしちゃおー♪ ひょい……ぱく!!」 「あああああああああああああああ!!!!!??」 「お茶をどうぞ、先生」 「ありがと……グッドタイミング♪」 「わたしのしろくまんじゅうがぁぁ……」「楽しみだったのに……」 落ち込む2人を尻目に、悠々とお茶を飲み干した先生は……。 「うん、このチームはもっと 団結を深めた方がよさそーね」 「そいつはまったくごもっとも」 「そこで提案なんだけど、 アタシたちのチーム名を決めない?」 「チーム名……?」 「そうか、さすがは先生!」 「亀の甲より年の功……ってやつだ」 「……オーケー、日本語は難しい」 「そーゆーわけで、 シンキングターイムっ☆」 「はいはいはいはいはーーーーい!!!」 「はい、月守さん」 「ハイパーアストロサンターズ!!!」 「またハイパー!?」 「またって言うな! 宇宙的にクールなチーム名でしょ。 はぁぁ……ハイパーに痺れるほどクール!」 「あすなろさんとはどなたですか?」 「なろうなろう明日なろう、 立派なサンタに明日なろう、じゃない!! アストロよ! 宇宙!! スペーシー!!!」 「星名さんだったら?」 「そーですねー♪ わたしだったら アットホームに……きのした一家!!」 「ただのヤーさんじゃない」 「なら間を取って、あすなろ一家で!」 「だいぶそっち寄り!!」 「トゥモローファミリーとかいかがでしょう?」 「英訳!?」 「ふーむ、ちょっとマフィアっぽくていいな」 「マフィアはやだ、本職がいるから!」 「おいおい、俺はシチリア出身なだけで、 〈無辜〉《むこ》の一市民だぜ?」 「そ、そうだったんですか……」 「ええと、でしたら ほのぼのサンタさん……とか」 「スーパー……コズミック……」 「あ、あの……」 「ちょっと待って、いいのが浮かびそう! コズミック……ダッシュターボ……じゃなくて、 ファンタズムソルジャー……エクストラ……」 「で、でも訓練の時間が……」 「わぁ、そうだった! じゃチーム名は明日の宿題?」 「そうねー、もうちょっと考えてみよっか?」 「了解っ!」 「それじゃ、すぐに片付けて飛行訓練ね!」 皿洗い当番のりりかと掃除当番のななみが、てきぱきと席を立つ。 カペラさえ直っていれば、俺も颯爽と機体をスタンバイさせるところだ。 「りりかちゃん、楽しそうですね」 「だって、こっからがサンタの本分でしょ? 先行くわよ、ななみん?」 「あ、待ってくださいー!」 ここからが本分……。 確かに、ショップの運営も大事だが、俺たちの仕事は、早くしろくまの空に慣れること、そうしてイブに最適なコースを見つけ出すことだ。 地上の仕事をしているとついつい忘れてしまうが、確かにりりかの言うとおり、ここからが本番なのだ。 出かかったため息をひとつ飲み込んで、俺はカペラの待つ地下格納庫へと階段を下った。 「サンタさん1日のスケジュール。 やって来ました、夕食後! いよいよ最後のお仕事です♪」 「こっからが本当の ハイパーサンタクロースタイム! セルヴィを使った実践訓練のはじまりー☆」 「手綱さばきに配達訓練、トナカイさんとの連携に サンタ同士のコンビネーション……やることが いっぱいですね」 「イブへのタイムリミットはあとちょっと。 ガンガンいくわよー♪」 「いやっほーーーーー!! いっくわよ、ななみーーん!」 「シリウス01、らじゃーですっ!」 「初めてのペアでも手抜きはナシよ。 下調べは完璧だからついてきて!」 「ベテルギウスのお尻を見てればいいのね?」 「そーゆーこと!」 「ツリー西側はルミナの散布状況も良好! メインストリートまでコースが網の目に なってるから、最短ルートでれっつごー!」 「りょーかい!」「先生、だっしゅですー!」 「だめーーー高度上げすぎ! コースアウトする!」 「あうう、シリウスさんに慣れなくて」 「次の交差でジャンプするわよ」 「ジャンプ!?」 「上のコースにジャンプするの」 「まっすぐ飛べば着きますよー!?」 「遠回りしても意味ないじゃん! 上下のコースを飛び移りながら、 最速の流れを探すのよ」 「そ、それは分かりますけど、 どのコースに移ればいいのか、 すぐには指示が……」 「出せるって! ほら、こっちよこっち!」 「うわ!? じゃ、次はこっち?」 「ちーがーう!! 逆向きじゃん! どーしてできないの!?」 「こーすんでしょ?」 「きゃあああ、こんな動き無理ですーー!!」 「サンタがトナカイに引っ張られてどーすんの!」 「でもだってでも…… きゃああああああーーーー!」 「もっともっと 限界までスピードアーーーップ♪」 「けどこの速度で靴下狙える?」 「できますって、楽勝楽勝っ!」 「本部の基準で考えるなよ。 ここは日本だぜ?」 「でも精鋭部隊でしょ? マスターサンタだっているんだし!」 「どーかなー? アタシは単なるぐーたらよ」 「謙遜は不要です! あたしがいる以上、 間違いなく精鋭部隊なんだから!」 「り、りりかちゃん……すごい自信」 「そうまで言い切られちゃ仕方ないわねー。 覚悟決めよっか、星名さん」 「や、やりますっ!!」 「そうこなくっちゃ、 このまんま射撃訓練にとーつにゅー♪」 「ら、らじゃーですっ!」 「ぜーはー、ぜーはー……こ、交代です」 「は、はい! あの……大丈夫ですか?」 「な、なんとか……ぜー、はー……」 「お疲れさん。 すまなかったな、カペラが不調で」 「だ、だいじょうぶ……れふ……(がくり)」 「今度は、すずりんとサンタ先生がペアね。 ななみんは見学!」 「夜は短い、急いでね! ラブ夫、ベテルギウスのスタンバイは?」 「いつでもOKさ、お姫様」 「んじゃ、いっくわよ、 全開でれっつごーーー!!」 「へぇ……ありゃ水を得た魚だな」 「お店よりも、こっちがメインだと 割り切ってるみたいですね」 「ああ、いいなぁ」 ついため息が洩れそうになるのは、俺も全く同じ気持ちだからだ。 成り行きで店長なんかやってはいるが、あくまでもトナカイの本分は地上よりも空。訓練の時間ほど心躍ることはない。 イブの配達経路を想定しつつ、町内の各エリアをくまなく飛び回り、コースの発生状況を身体にたたきこんでいく。 1年ぶりのななみとのパートナーシップ、新しい仲間たちとのフォーメーション、八大トナカイとNYエースサンタの〈技倆〉《ぎりょう》。 カペラさえ良好なら、今すぐにでもあの星空に駆け上がってそれら全てを肌で感じ取りたい──。 「サンタ先生とななみのペアも 悪くないじゃないか」 「……カペラのパフォーマンスを 見ることができなくて残念です」 地上のトナカイを気遣うような七瀬の言葉に、自嘲めいた苦笑がもれる。 「俺も残念さ。 できることなら、今すぐにでも 地下に潜って整備を続けたいんだが」 「仲間の〈滑空〉《グライド》を見ておくのも仕事、ですか?」 「そんなところかな」 だが、こうやって地上からセルヴィの光跡を目で追っているのは目の毒だ。同僚が羨ましくて仕方なくなる。 「ちょっと僕、カペラの様子を見てきます。 中井さんも付き合ってくれませんか?」 「ああ……そうだな、俺も行こう」 「……分かりません」 「リフレクターは最新型、 ハーモナイザーの調子も良好、 心臓部の〈星石〉《スター》も綺麗なものですし」 「だよなあ、 俺の整備がおかしいのかとも思ったんだが」 「そんなことはないと思いますよ。 思うんですけど……うーん……」 「お前、時間は大丈夫なのか?」 「はい、訓練終了までは見届ける予定ですので」 「そいつはご苦労さんだな。 他にキャロルは?」 「整備スタッフはいますが ツリーハウスとサンタクロースの担当は 僕だけですから」 なるほど、子供みたいに見えて七瀬はサンタよりもハードなスケジュールで動き回っているのかもしれない。 ふと、遠くからセルヴィの排気音が聞こえてきた。 「帰ってきたな」 「今日はここまで、ですか……」 「しゃーないさ、リフト動かすぞ」 「は、はい」 「すずりん、飛行が消極的。 40点!」 「す、すみません……」 セルヴィ用のリフトで地上にあがると、ちょうど裏庭に着陸した機体の横で、りりかが訓練を総括しているところだった。 「でもってピンクは…… んー、ヤバヤバの20点」 「そ、そんなぁぁ!!!」 「じゃ、自己採点は何点?」 「え? えっと……なんやかんやで、22点」 「その2点はなに」 「が、がんばったから2点プラスでー!」 「なんやかんやで18点!!」 「しゅーん……まっすぐ飛ぶのは得意なんですけど」 「ふーん……まっすぐなら自信ある?」 「す、少しは!」 「……じゃあ賭けてみよっか? 直線レースで負けた方が しろくまんじゅう10個おごるとか!」 「しろくまんじゅう!?」 「無理にとは言わないけど?」 「うぅぅ……や、やりま……」 「だめですっっ!!」 「わわ、ニセコいたの!?」 「いましたよ! サンタクロースが賭けレースなんて しないでください!」 「なによ、イングランドのサンタは紳士だったかも しれないけど、NY流はちょーっと違うわよ?」 「そういう話じゃありません! 先生からもなんとか!」 「ま、サンタは聖職者じゃないし スタイルはそれぞれだからねー」 「てなわけで決まり! すずりんは?」 「わ、私は遠慮しておきます……」 「じゃあ審判お願いね! 国産も!」 「ああ、それくらいならお安い御用だ」 「そんな、中井さんまで!!」 「いいじゃないか、レースくらい。 レクリエーションの一環ってやつさ」 それに、今日は何かとぶつかってた2人だ。今夜のレースをきっかけに、雨降ってなんとやらになってくれればいいが。 「よーっし、面白くなってきた!」 「で、どこでやる?」 「あそこだろ、姫?」 「そーゆーこと! ついてきてっ!」 「……???」 「りりかちゃーん、どこまで行くんですかぁ!?」 「もう少しよ、ちょっと先ー♪」 賭けレースに反対する七瀬をツリーハウスに残して俺たちは夜空に繰り出した。 カペラが動かないので、俺とななみは硯のソリに同乗して、先生のシリウスに引いてもらっている。 「タイムトライアルに向いたコースが 出来ているのかい?」 「ああ、うってつけさ」 「この町のコースはクセがあるの。 ツリーが中心になってないみたいで、 ルミナの流れがあっちこっち向いてんの」 「どういうことですか??」 「行けば分かるわ」 〈樅〉《もみ》の森から針路を北東に取り、ニュータウンの中心部に差し掛かった矢先……。 ──そいつは現れた。 「あれ、コースがない?」 「そうよ、ここがレースの場所」 「こいつは……どうなっている??」 それまでゴーグル越しに確認できていたルミナの光が、ニュータウン上空で急に途切れ、視界いっぱいにほの暗い闇空が広がっている。 「驚いた? ルミナの濃度が希薄でコースができてないの」 「珍しいケースねー、初めてだわ」 「のんきに眺めてる場合じゃないな。 こいつは……厄介だ」 ツリーが宙空に散布するルミナの光が、セルヴィの動力源であり、サンタの力の源でもある。 それが途切れているということは、このエリアへの配達が成立しないということだ。 「ボスに報告は?」 「ラブ夫がしてる。 でも、ここをクリアしないと……」 「イブの配達ができない……?」 「そーなるわね」 「なるほどな。 それで、ここをステージに選んだわけか」 「む、むむむ……これは逆境ですね!」 「どーする? 今ならリタイアしてもいいけど?」 「やります! やるに決まってるじゃないですか!! ふっふっふ……燃えてきましたっ!!」 「そ……そう」 「(……ほんとに分かってんのかな?)」 ぽっかりと穴が開いたようなルミナの真空地帯。その外縁部に沿って1周した俺たちは、深夜のニュータウンに着陸した。 「そういうわけで、ここがスタート地点。 ゴールはさっき通った公園ね」 「北西にまっすぐ一直線ですね」 「そ、だけどその間は ルミナを補給できない真空地帯」 「……ごくっ」 「じゃ、ルールを説明するわね。 レースといっても同時には飛ばないわ。 それはそれで面白そうではあるんだけど」 「別々に飛んでタイムを競う、駆け引きなしの 純粋なタイムトライアルでどう?」 「この条件ならそのほうが安全だろう。 ん? なんだか嬉しそうだな」 「こーゆーの久しぶりだもん。 レースなら去年やったけど?」 「その節はどうも」 りりかがチクリと嫌な思い出を刺激する。俺は少し心配になって、ななみのところへ駆け寄った。 「ななみ、お前勝算は……いや、それより完走だ。 無補給で真空地帯を抜ける自信はあるのか?」 「ん……なんとなくなんですが、 いまぐるっと飛んでみて、 冬馬くんとなら行けそうな気が」 俺の見立ても、だいたい同じだ。真空地帯とはいえ、この距離をただ飛ぶだけなら余裕を持ってできるだろう。 ルミナのない空間を飛ぶというのは、俺たちにとって二重のリスクがある。 ひとつは推進力の供給が絶たれるということ。タンク内のルミナを全て消費しても、セルヴィで長距離の飛行は困難だ。 もうひとつは正体が知れてしまうということ。ルミナのコースを飛ぶ限り、セルヴィは人間の死角に入ることができる。 コースアウトをしたときのために、セルヴィには目くらましのシールド機能があるが、それにはタンク内のルミナを大量に消費する。 コースから外れて飛ぶということは、ルミナの供給がないまま、普段の倍以上のエネルギーを消費して〈滑空〉《グライド》するということだ。 当然、失敗は許されない。チームどころか支部にも多大な迷惑がかかる。 「七瀬が知ったら卒倒するぜ」 「でも、ここを抜けられるようにならないと イブの配達ができないんですよね」 「まんじゅうも食べられないな」 「はい、あのお店は行列がものすごく……」 「……って、そんな動機じゃないですよ!?」 「そいつは感心だ、気を抜くなよ」 「先生、ルミナの供給なしに シリウスが飛べる時間は?」 「シールド全開で2分ってとこかな?」 「なら平気です。 配達速度でも1分30秒でこっちに着くわ」 「ということは……1分は切りたいです」 ななみはやる気だ。1年前の雪辱を晴らしたいのか、それとも、りりかに力を認めさせたいのか。 まさか、本気でしろくまんじゅうが欲しいわけでもないだろうが、 「勝ったらしろくまんじゅうですよ!」 ……ないと思いたい。 「んじゃ、可愛い子猫ちゃんが待ってるんで 俺はこのへんで」 「へ? ちょっとラブ夫、レースどーすんの!?」 「悪いがデートの時間なんでね。 それに慣れた馬じゃ不公平だろう?」 「……それもそうね」 ジェラルドの駆るベテルギウスならばスピードもタンクの容量も段違いなので、安心して飛ぶことができるのだが、 ここは双方に公平な条件ということで、レースに使用する機体には、サンタ先生のシリウスが選ばれた。 「シリウスか……楽しそう」 「正々堂々やりましょう!」 「あーあ、借りてたDVD 今夜じゅうに見たかったのにー」 俺と硯は、シールド全開のベテルギウスでゴール地点の熊崎城址公園まで運んでもらった。 「OKだ、公園内に人影なし」 「こっちも大丈夫です」 答えた硯が、少し不安げに空を見上げる。 「暗い空ですね……」 肉眼の視界に広がる空には、満点の星空。 しかしゴーグルを着けて見ると、公園の上空には、ルミナの光がほとんど見えない。 今から俺たちがやろうとしているのは、無呼吸のまま行う長距離走のようなものだ。 「…………」 「心配か?」 「は、はい……コースのない空を飛ぶなんて」 「イブには珍しいことじゃないさ。 金髪のエリートさんは慣れてるだろうし、 〈馭者〉《ぎょしゃ》がマスターサンタなら安心だ」 「はい……」 サンタ先生の名前が出ると硯は少し落ち着いた顔になった。彼女にとって、あの先生はそれだけ信頼に足る存在なのだろう。 硯の携帯電話が鳴った。向こうの準備ができた合図だ。 「1番手はりりかさんですね。 はい、こちらも大丈夫です。 それでは、5、4、3……」 俺たちの役目は計測係だ。スタートの号令がかかると同時に、俺がストップウォッチを押す。 「2……1……スタート!」 ストップウォッチのデジタル表示が、時間を刻みはじめる。 今、ニュータウンの入口側をりりかの乗ったシリウスが飛び立った。 ここからは何の反応も感じられないが、2分以内にはシールドを張ったままの機体が公園に飛び込んでくるはずだ。 30秒……40秒……50…… ストップウォッチが01:00を表示した時、遠くで小さな光がまたたいた。 次の瞬間―― シリウスだ。超高速の光が頭上を通過する。 「1分1秒03!」 ストップウォッチの数値を読み取る。旋回しながらゆっくりと減速したシリウスが光をまといながら公園に降り立った。 「タイムは!?」 「だいたい1分ってとこさ」 「あぁー! 1分切れなかったか!!」 「でも速かったわよ、金髪さん」 「……思ったより遠いな」 「納得できないか?」 「国産も飛んでみれば分かるわ。 真空地帯が想像以上に広いの……」 「全速力で突破するのに1分。 配達しながらとなると……ちょっと面倒ね」 先生の言葉に、硯と顔を見合わせる。イブの配達ともなれば、ただ突っ切るように飛ぶわけにはいかない。 「ま、あとは星名さんのトライアル次第ね。 いったんニュータウンの外に抜けて、 ルミナを補給してくるわ」 シリウスが虚空に姿を消して数分後──ななみからのコールがあり、2本目のトライアルがスタートした。 規則的に時を刻むストップウォッチを眺め、俺たちはなんとなく黙り込んでいた。 見慣れたルミナの光のない、上空の暗闇を睨んで…… 思い描いていることは様々だろう。 「イブまでにここを攻略か」 「抜けるだけで精一杯だもんね」 「リクエストはどのくらい来るんでしょうか……」 「きっと、たくさんよ」 ここはニュータウン、市街地よりも家族の多く住んでいる住宅街なのだ。 支部ができたことでツリーも活性化している。おそらくリクエストの数は去年を遥かに上回るものになるだろう。 「…………ななみさん、遅くないですか?」 ストップウォッチを見た。ななみがスタートして、もうすぐ2分になろうとしている。 この時点で、勝負はりりかの勝ちだ。しかし彼女の顔にも笑みはない。 ななみとりりかに実力差があるにしても、サンタ先生の駆るシリウスでここまで差が開くことはありえないからだ。 「まさか、あの子……!?」 「金髪さん、ジェラルドを呼んでくれ!」 そのとき俺の携帯が鳴った──ななみからだ! 「俺だ! どうした!?」 「もしもし、とーまくんですか! わたしです、ななみですけどーー!!」 「名乗らなくても分かる! なにがあった!?」 「先生のシリウスにトラブルなんです! 身動きが取れません!!」 「動けない!? どういうことだ!」 「どうしたの!」 「シリウスにトラブルだ。 霧に巻かれて出力がダウンしているらしい」 「い、位置はっ!?」 「どこだ、ななみ!」 「ちょうど真ん中くらい……わわぁ、 もう限界、落ちそうですー!」 「上に逃げて!!!」 「うえーー!?」 「高度を上げるの! コースはないけど、ルミナが水溜まりみたいに 点在してるエリアがあるから!」 「り、了解です!!」 「そこに逃げ込めば、 ひとまず墜落は避けられますね」 「ラブ夫を呼ぶわ」 「ななみ、すぐ助けが来るから、 しばらく持ちこたえるんだ!」 「もしもし、ラブ夫? 緊急事態発生! 今すぐ来て!!」 短い連絡を終えたりりかが携帯をぎゅっと握りしめる。 「ど、どうしましょう!? すぐに探しに行かないと……!!」 「慌てないで。でも……」 ここにはセルヴィもなけりゃ、ななみたちがどこにいるかも分からない。 「くそ、こんなときにカペラが!」 「透さんに連絡して、 あの連絡用のカペラを借りれば……!!」 「時間がかかりすぎるわ。 それにあんな機体じゃ……」 「二重遭難の危険性もあるか。 だが、やらないよりは……!」 このまま手をこまねいてはいられない。携帯で七瀬を呼び出そうとした、そのとき。 「……!? この音は!?」 「こけーーーー!!!」 「みなさーーん!!」 「あ、あれ……サンダース!?」 「ニセコ!?」 俺たちの頭上をカペラが飛び越していった。操縦しているのは──七瀬だ。 しかも、あれは連絡用の改造機じゃない。俺の〈愛機〉《カペラ》だ! 「よく来てくれた! どうやって直したんだ?」 「分かりません! な、ななみさんからSOSをもらって!」 「なにしてんの!? いいから早く降りてこーーい!!」 「お、降りられないんですーー!」 「スロットルを緩めるんだ! 完全に離すなよ、少しだけ開けて……」 「こ、こうですか……!?」 「そうだ、デリケートだから気を抜くな、 そのままゆっくり高度を下げるんだ! 姿勢制御忘れるな!」 「は、はい!」 「大丈夫か、七瀬!?」 「はぁ……はぁ、平気です! シリウスに異常発生です。リフレクターの 反応が止まって飛行できないみたいです」 「ななみんから?」 「はい、かなり慌ててる様子で、 とっさに中井さんのカペラに、 SOSを発信したみたいでした!」 「で、なんでこいつが動いてる?」 「わかりません。 いちかばちかで動かそうとしたら、 何度目かで急に……」 「そりゃまた……」 「理由なんかあとあと! 今すぐ飛ぶわよ、できるわね!」 「ああ、代わってくれ!」 「はい!」 七瀬の降りた座席に飛び乗ると、りりかが俺の後ろにまたがった。 ソリがないから仕方がない。ここはタンデムだ。 「こけーこっここ!!」 「トリ! お前も来るのか!?」 「いきなり肩に飛び乗ってきたんです」 「お前、ななみになついてたもんな。 分かった、行くぜ金髪さん……!!」 ペダルを踏み込む。すぐに、懐かしい駆動音が腹の下から聞こえた。 「確かに、直ってる……!!」 「国産!」 「ああ、飛ばすぜ!」 「今思ってる倍の速度でね!」 「了解だ、つかまってろ!」 「ハリアーーップ!! 国産! 急げーーーっ!」 「わーってる! 頼んだぜカペラ!」 「くるるるーっ!」 「お前まで急かすな!」 「そのトリ、下ろさなくて平気!?」 「こいつは俺の言うことだって聞きやしないんだ」 「ななみ、先生、無事かーー!?」 「どこ!?」 「とーまくーん! こっちですー!」 「参ったわ、急にすねちゃって……あら? カペラくん?」 「突然動き出したんだ。 ここからはカペラで牽引する」 「タンクが空になる前に早く同調して! ただでさえ時間がかかる作業なんだから」 「了解だ! 1分で済ませてやる」 薄いルミナがふわふわと集まった水溜まりのような空間にカペラを乗り入れる。 シリウスとカペラでここのルミナを全て使い切る前に、なんとしても脱出しなくてはならない。 薄いルミナの中でシリウスの前方に位置を取る。細かい立ち回りは〈カペラ〉《こいつ》の専売特許だ。 「大丈夫ですか?」 「ああ、シリウスとの〈同調〉《ハーモナイズ》は 何度かやったことがある」 シリウスのハーモナイザーと、硯のソリ、それにカペラのハーモナイザーを同調させる……。 本来なら10分ほど時間をかけてじっくり調整するべき作業だが、緊急時にそんなご丁寧なことは言っていられない。 「待ってろよ、すぐだ………………」 「よし…………つないだ!」 「じょーだん、30秒よ?」 「先生、シリウスの反応に問題は?」 「やん、完璧。 あとよろしくねー!」 「ほんと!?」 「長居は無用だ、さっさと行くぜ金髪さん」 「やる……! いいわよ、こっちはいつでも!」 「とーまくん、れっつごー!」 「ああ、ニュータウン脱出だ」 「コース復帰──やれやれ、もう大丈夫だな」 「シリウスさんは?」 「楽できて助かるわー」 「お、シリウスも復活です!」 「OK、あとは任せる。 先生、ラストで楽できませんが、よろしく」 「えー!?」 シリウスとの同期を解除して機体を切り離す。 これでどうにか一安心だ。七瀬に連絡を入れてやることにしよう。 「七瀬か? こちらカペラ、脱出成功だ」 「シリウスは大丈夫ですか!?」 「ああ、問題ない。 じきにそっちに降りると思う」 「了解しました。 カペラが動いている理由も分かりませんから、 中井さんたちも気を付けてください」 「いまのところは好調だ。 このままツリーハウスまで戻るよ」 「ふぅ……しかしトラブルの多い着任地だ」 「ま、仕方ないんじゃない? 新しい支部だし、ツリー次第だもん」 「ずいぶん楽しそうだな」 「トラブルがあるってことは、 点数を稼げるってことでしょ?」 なるほど、正しい認識だ。あくまでこのエリートさんの目標はNY本部への復帰ってことらしい。 「それにしても、国産、 ずいぶん必死だったわね」 「サンタを助けるのがトナカイの仕事さ」 「……ふーん」 「しかし……金髪さんとななみの勝負は またしてもノーコンテストか」 「え!? どーしてよ! あたしの圧勝でしょ!?」 「マシントラブルだぜ、引き分けだろう」 「う、運も実力のうち!!」 「ほー?」 「圧勝! 完勝! 大勝! 快勝!」 「了解だ、あとはサンタさん同士で決めてくれ」 カリカリするエリートさんをなだめながら〈樅〉《もみ》の森の近くまで戻ったところでまたも携帯が鳴った。 誰だ……大家さん!? 液晶ディスプレイに『きららさん』と、苗字抜きの名前が表示されている。 「鳴ってるけど?」 「あ、ああ」 操縦の最中に電話を取るのは良くないが、セルヴィが携帯着信音を鳴らしながら飛ぶのも相当にまずい。 出よう。こんな時間にわざわざ電話をかけてきた理由も知っておきたい。 「もしもし?」 「もしもし、店長さん? きららです」 「どうも、どうしました?」 「ううん、たいしたことじゃないんだけど。 いまお店の方へいったら誰もいなかったから。 あれからみんな、仲良くやってる?」 「あ、ああ、もちろん! 大丈夫ですよ」 「ならよかった。 ところで、明日の予定って空いてるかな?」 「俺の?」 「できれば、みんなの」 「ええ、時間次第ですが」 訓練と重ならなければ大丈夫だ。店もあるけど……明日は営業よりも今度の活動方針について考える日になるだろう。 「よかった。 ちょっと相談したいことがあったので」 「……?」 「明日くわしく話しますね。 んじゃ、よろしくお願いしますね」 電話が切れた。 相談?いったい大家さんが何を……? 「恋人?」 「ば、馬鹿ぬかせ!」 「わっ、こら!? なに動揺してんの、揺らすなっ!!」 「動揺してない揺らしてすまん」 「なにその棒読み? ま、どんな相手か知らないけど、 〈滑空〉《グライド》中に電話とはいい度胸ね?」 「これも店長の仕事なんでね」 「店長の??」 途中、サンタ先生のシリウスと合流して、〈樅〉《もみ》の森まで戻ってきた。 森から突き出たツリーハウスの〈樅〉《もみ》の木を目印に、徐々に高度を下げてゆく。 このまま裏庭に着陸すれば、無事帰還だ。 後続のシリウスに合図を送り、着陸態勢に入ろうとしたところで……。 「ん? 誰だろ」 地上に数人の人影が見えた。 ルミナのコースにいる限り、ここは死角だ。とくに気にすることもなく、その頭上を通過しようとしていると…… 「…………うげ!?」 「なんだ!?」 「あの人たち!!」 慌てて視線を落とした俺の背筋が凍りついた。地上の人影が、こっちを見上げている!? 「あ……」 「鰐口先輩どうかしました?」 「どーかしたのぉ?」 「あの辺になにか……気のせいかな?」 「何も……」 「──!!!」 目が合った! 「え!?」 いま、こっちを見上げた大家さんと、完全に視線が重なった。 まさかこんな近くから電話をしていたなんて! 隣のカメラ少女に至っては、取り出したカメラのレンズを、こっちへ向けようとしている! 「ウソだろ!?」 「コース外れてないのに、どーして!?」 「着陸中止!! 緊急離脱!!」 「あぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」 「どーしよう、ほんと、どーしよう!」 「これは逆境通り越して大逆境の一大事です!」 「も、もし正体がばれてしまったら、 きっとマスコミが殺到して、私達サンタの存在が 明るみになって、ノエルが解散してしまって……!」 「まだばれたって決まったわけじゃないんでしょ?」 「でも見てたし! すっごい見てたし!」 「なにより……写真!!」 「向こうは明かりなしで、 こっちからライトを照射してる状態だったから、 はっきりとは見えなかったはずよ?」 「……どうだろう。 俺は、ばっちり目があっちまったから」 「うがーーやっぱダメだー!」 〈滑空〉《グライド》中に電話に出るわけにはいかない。俺は携帯をポケットに戻した。 「恋人?」 「ば、馬鹿ぬかせ!」 「わっ、こら!? なに動揺してんの、揺らすなっ!!」 「動揺してない揺らしてすまん」 「なによ、その棒読み」 ツリーハウスの裏庭にカペラを降ろし、そのままリフトで地下格納庫へ入れる。これでようやく帰還完了だ。 サンタさんたちをリビングに残したままテラスに出た俺は、すぐ大家さんに電話をかけ直した。 「もしもし、中井です」 「もしもし、店長さん? きららです」 「どうも、どうしました?」 「ううん、たいしたことじゃないんだけど。 いまお店の方へいったら誰もいなかったから。 あれからみんな、仲良くやってる?」 「あ、ああ、もちろん! 大丈夫ですよ」 「ならよかった。 ところで、明日の予定って空いてるかな?」 「俺の?」 「できれば、みんなの」 「ええ、時間次第ですが」 訓練と重ならなければ大丈夫だ。店もあるけど……明日は営業よりも今度の活動方針について考える日になるだろう。 「よかった。 ちょっと相談したいことがあったの」 「相談?」 「明日くわしく話しますね。 んじゃ、よろしくお願いしますね」 ふーむ、相談か。いったい大家さんが何を……? 「ふんふふふーん♪ おっふろだ、おっふろー♪ 汗ざーざー♪」 「はいはいちょい待ちピンク頭ー!」 「わぁぁ、なんですか!? 髪を引っ張らないでくださいー!」 「一番風呂はいただきっ♪」 「あっ!? 順番抜かしはダメですーーっ!!」 「わたしが先に……んぎぎ! 来たんですよ!!」 「ぐぎぎぎ……!! あたしなんて昼から予約してたし!」 「そんなの聞いてません!!」 「スパイラルレーザー!! からのフリントシュート!!」 「わぁぁーーーあぁぁあぁあぁああ!! ずるいーっっ!!」 「もらったぁ、いっちばーん♪」 「うぅぅ……卑怯……あれ? もう誰か入ってますよ!」 「えぇぇ!?」 「このヘアブラシは、すずりちゃん……っっ!?」 「あたしとしたことが……!! おっとりしてるからノーマークだった!」 「では、一番風呂挫折ということで、 次はわたしがー♪」 「なんでそうなる!? 順番よ、順番!!」 「なんの順番ですか!?」 「訓練の得点順!」 「りりかちゃんが採点してるんじゃないですか! なら、じゃんけんで決めましょう」 「そ、その手には乗らないからっ! とにかく次はあたし!」 「わたしです!」 「うぎぎぎぎぎぎ!!!」 「おいおい、寝る前までお盛んだなぁ」 「だってりりかちゃんが!」「だってピンク頭が!」 「うううぅぅ!!」「がるるるる!!」 「よーし分かった、 ここは無駄な争いをなくすために……」 「ために!?」 「俺から入ろう」 「とーまくんは後!!」「トナカイは後!!」 湯量のすっかり減った風呂でしょんぼり身体を温めてからリビングに戻るとすぐに来客があった。 こんな時間まであちこち飛び回っていた勤勉なキャロルさんだ。 「お邪魔します」 「お、とーるくん」 「わわっ、な、なんて格好をしてるんですか!!」 「なにって、夜だし家の中だしパジャマだし」 「どうかしましたか? まさか熱でも……」 「な、なんでもないですっ」 「その割に熱っぽいわよ。 ほら、こっち向いて?」 「わぁあぁ!? こ、このままで結構です! けけけ結構ですからっ!!」 「なになに? もしかして照れてるー?」 「りりりりりかさんたちこそ、 恥ずかしくないんですか!!」 「ていうかパジャマだし」 「ですよね?」 「ちち近ごろの若い女性には 恥じらいと慎みが足りないと常々……!」 「最年少丸出しのニセコが良くゆーわ」 「で、ボスはなにか仰せだったか?」 「そ、そうでした! さきほどのレースの一部始終を、 サー・アルフレッド・キングに報告してきました」 「げげっ、もう言いつけたの!?」 タイムトライアルの後、七瀬はサンタ先生のシリウスでいったんボスの屋敷に送られて行った。 それがわざわざ引き返してきたんだから、伝言の内容もだいたい予想がつく。 「……お裁きを言い渡しに来たんですね」 「まさか、おやつ抜きでしょうかぁ?」 「朝のしごきよ、絶対……」 「コホン、静粛に!」 七瀬はパジャマ姿のサンタに背中を向けたまま、レッドキングのお達しを伝えはじめた。 「1:本日行われたレースについては、 訓練の一環としてお咎めなしとする」 「2:サー・アルフレッド・キングは、 中井さんとりりかさんの咄嗟のフォローを、 とても高く評価していらっしゃいました」 「3:ニュータウンにおけるルミナの分布状況に ついては、支部のほうでも調査を進めており、 後日伝達予定だったとのことです」 「お咎めなし……ですか?」 「さっすがレッドキング! だてに太っ腹してないわ」 「おヒゲの名奉行ですねー」 「エヘンエヘン! まだ終わりじゃありません。 ここからが肝心なんです!!」 「は、はい!」 「4:今後については、しろくま支部のサンタチーム にリーダーを任命し、リーダーを中心とした訓練が できるように、チームワークを固めていただきます」 「5:その際、必要があれば 現在のパートナー構成を解消し、新しい編成で イブに臨むことも考えているそうです」 「訓練の成果を検討しながら、 トナカイとサンタのペアメークをしていくので、 そのつもりでいるように、とのことです」 「そうか、そんな話があったな」 着任初日にななみが読み上げた、極秘指令書に書いてあった内容だ。 「ペア解消……ですか……?」 「ハイパーシャッフルシステムってことね」 「これからの特訓で、 それが決まるんですか!?」 サンタ3人が顔を見合わせ、リビングにピリッとした緊張感が走った。 シャッフルによって現在のペアが解体されるかもしれない。イブまでの期間を考えれば、それは恐怖ですらある。 「報告は以上です。 今回はお咎めなしですけど、 もう無茶はしないでくださいね」 七瀬の念押しを上の空で聞きながら、サンタがそれぞれに不安そうな表情を浮かべる。 きっと俺も同じような顔色になっていたことだろう。 「何故だ……!!」 七瀬が帰ってから、もう一度カペラで空の空気を吸おうと思っていた俺は、再び裏庭で頭を抱えることになった。 シャッフルのことではない。またしても、カペラが全く反応を示さなくなったのだ。 「え? また動かないですか?」 俺の隣では、膝を抱えたななみがやはり不安げな表情を浮かべている。 「まるで分からん。 さっきは快調だったのに」 「…………」 「……気になるか?」 「な、なにがですか?」 「ペアを解消するって話さ」 「あ……うん、それもそうなんですけど」 いったん言葉を切ったななみが俺の顔を見て、それからまた視線をカペラに落とした。 「今日はわたし、なんにもできませんでした」 「初日なんだからこんなもんさ。 俺だって、こいつが動かないことには どうしようもない」 「でも、冬馬くんは凄かったです。 シリウスも助けてもらったし……」 「七瀬がこいつを 動かしてくれたおかげなんだがな」 そうしてまた首をひねる。本当に、さっきまでの好調はなんだったというのか。 「今日のはあくまでマシントラブルさ。 金髪さんだってそこんとこは分かってた みたいだぜ」 「でも慌ててしまって、 ちゃんとした判断ができませんでした」 「りりかちゃんの指示がなかったら、 きっと墜落してたと思います」 「……的確な指示だったな」 上空に避難できることを事前の偵察で知っていたからこそ、とっさの指示が出せた。それはつまり、りりかの地道な下調べの賜物だ。 「むむむ……! わたしもっと頑張らないとダメですよね」 「お互い様だな。 さいわい努力は絶対に裏切らない」 「はい、とーまくん!!」 沈んでいたはずのななみの瞳が、らんらんと輝きはじめる。 落ち込んでも、ほっとけば勝手に復活する。それがこのサンタさん最大の取り得だ。 「今日は実感できました、 やっぱり世界のレベルは凄いですっ!」 さばさばとした表情で、ななみは自分の敗北を認めることができる。 それは、もしかするとりりかにはない強さかもしれない。 そうだ、俺まだ、ななみの敗北を認めたくはない。 「即席コンビでの対決じゃ、 本当の所は分からんよ」 「とーまくん?」 「だから、早くこいつを直すのさ」 「はい、楽しみです!」 シャッフルによっては、そのコンビが即席ではなくなるかもしれないのだが、今、それを考える必要はない。 俺に出来ることは、早くこのカペラでイブの本番を想定した〈滑空〉《グライド》を可能にすることだ──。 「やれやれ、こいつはまた七瀬に相談だな」 明日のことを考えると、いつまでもカペラのメンテナンスをしているわけにもいかない。 適当なところで切り上げて寝床に向かうとその手前のテラスで、星空を見上げるサンタと出くわした。 「お疲れさん」 「あ、はい……お疲れ様です」 「大変な一日だったな。 ボスのブシドー修行にニュータウントライアル」 「ここは余所の支部と、だいぶ勝手が違う。 そっちはやりにくくなかったかい?」 「いえ……そんなことは」 答えにくそうに硯が言葉を濁す。 皆と一緒にいる時は普通に喋れても、こうして二人きりでとなると、なかなか調子が出ないのかもしれない。 聞き覚えのある駆動音に目を向けると、七瀬を連れてきた先生がシリウスで飛び立とうとしていた。 「七瀬を運んできたんだな、先生は」 「…………はい」 柊ノ木の目に一瞬、憂いのような焦りのような色が浮かんだ。 これは、不安の色だろうか。 飛び立とうとするシリウスのもとへ、いまにも駆けていきたそうな、そんな横顔を見ていると少し心配になる。 「あまり気を回すなよ。 先のことは分からんさ」 「……はい」 相槌を打ちながらも、彼女の視線はシリウスから離れない。 「私は……先生じゃないと駄目なんです」 「え?」 「ッ……し、失礼します」 ポツリとそう呟いて、硯は足早に階段を駆け下りていった。 肩をすくめた俺は、疲れた身体をひきずって住居部一番下の個室へ戻ることにした かくしてサンタの多忙な1日が終わった。 これから眠りに落ちるまで、俺たちはそれぞれの想いを抱えながら、つかの間のプライベートな時間を過ごす。 「ふむふむ……原発建設に住民達は一致団結して 反対し、予定地の整備まで進んでいた計画は 白紙に……」 「うむむ……その後、熊崎町は白波村と合併し、 現在のしろくま町へと町名を変更……」 「はぁぁ……歴史が大事、かぁ。 それはそうなんですけど、難しいですねー」 「……っくしょん!」 「……うぅぅ、寒い寒い」 「…………」 「…………きれいだなぁ……」 「…………」 「……お母さん」 「先生」 「あら硯、わざわざ見送りに来てくれたの? ありがとー」 「い、いえ……」 「なーによ、暗い顔しちゃって」 「あの……シャッフルのこと……なんですけど」 「……なるほど。 暗い顔をしてたのはそーいうワケか」 「せ、先生……私は……」 「こっちにおいで、硯」 「はい……?」 「髪、ハネてる」 「あ……”」 「ここは大変な支部だけど、 アタシも分かったことがあるわ」 「…………?」 「チームワークの要になるのは、あんがい硯かもね?」 「え……!?」 「じゃね、おやすみー」 「あ……」 「……チームワーク……私が……?」 「………………ふーん、ここもOK」 「西側は問題なさそうね。 とすると、やっぱりニュータウンか……」 「やれやれ、デートを邪魔されたあげく、 真夜中までお付き合いをご所望ですか、 お姫様?」 「今日だけよ、どーしても気になるの」 「夜更かしはお肌の大敵」 「そんな年じゃないし」 「けれど風呂上りだろう? 風邪引くぞ」 「無駄口はいいからスピードアップ!!」 「はいはい、子供は風の子」 「子供じゃないもん!!」 「……そういやシャッフルやるんだって?」 「ボスの気まぐれでしょ。 いちいち真に受けてらんないわ」 「わからんぞ、あんがい俺と姫も……」 「エースのバラ売りは戦力の分散よ? ありえない!」 「ま、それでも姫に 徹夜覚悟の点数稼ぎをさせてるんだから 効果的ではあるか」 「誰が……ふわぁぁぁ……」 「おねむじゃないか。 今日のところはお帰りになられてはいかが?」 「ばか! コース確認は基礎中の基礎! まっ先に済ませておかないと、 落ち着いて寝られないわ……おわ!?」 「すまん、〈落し穴〉《ピット》だ」 「……想像以上に厄介な土地かもね」 「なのにうちのサンタどもは 揃いも揃って〈素人〉《アマチュア》同然。 ほんとに大丈夫なのかしら……」 「だから姫が配属されたんだろう?」 「足りない分はあたしの担当……か、 そーゆーことなら!」 「ラブ夫、予定変更!! ロードスター邸に行くわ」 「ご随意に、お姫様」 ぐったりとした、それでいて心地のいい疲労感をひきずったまま、自分の部屋へと足を踏み入れる。 荷物の少ない俺の部屋は、いたって簡素にしつらえてある。 トナカイの部屋にはベッドと酒があればいい。かつて八大トナカイの誰かが言った台詞らしいが、出典は忘れてしまった。 「さて、あと何年ここで過ごすかな?」 ノエルから転属の指令がない限り、俺の住まいはずっとこの部屋だ。場合によっては一生、なんて事もある。 「く……くるる?」 「トリよ、そこは俺の寝床だ」 「くるるぅ……くるるぅ……」 「なんだ、寝てんのか」 鳥目のトリは夜に弱い。当たり前のことだが、俺のベッドを占拠することないだろう。 「すまんが今日は疲れてる。 家主の権利は譲らんぞ」 「こけ……? ギョーーーー!! ギョーーーー!!」 「わっ、こら、暴れるな!! 了解だ! わかったから、 30cmだけずれてくれ!」 「くるっく」 トリが渋々納得したので、隣のスペースに潜り込む。これじゃ誰の部屋だかわからんな。 やっと落ち着いたところで、俺は途中で止まっていた思索を再開した。 カペラを整備してからずっと、同じ疑問が頭の中を堂々巡りしている。 「なぜ、トナカイでもない七瀬透が カペラを操縦できたのか?」 連絡機の簡易カペラじゃない。本物のトナカイが乗るセルヴィだ。それも、謎の故障で動かないはずの……。 「くるる……くるるぅ……」 「トリよ、もう少し詰めてくれ」 「こけ……? こけーー……」 「無理ならせめて、 くちばしを向こうに……ん?」 トリが、こっくりこっくりと船をこぐたびに、師匠の付けた鈴が鳴る。 その音がおかしい。スロバキアで聞いていたのとはまるで違う、濁った音だ。 俺はトリを起こさないよう、暗闇の中、慎重に鈴の中を覗いてみた。 空洞の中心部分で何かが光っている。これは…… 「ベルの中に、星が……?」 「〈星石〉《スター》……ですか?」 「セルヴィの心臓さ」 3カラットのモルガナイトが俺の手の中で輝いている。 「こいつがないと、 トナカイはツリーとつながることができないんだ。 サンタさんとは違ってな」 「なるほど……こんなに綺麗な石が カペラくんの中にあったんですかー」 前脚部のインテイクから、セルヴィ内部に取り込まれたルミナは、いったんタンクに貯蔵される。 タンクのルミナは〈同調器〉《ハーモナイザー》を経由することでセルヴィでも利用可能なエネルギーに結晶化される。 そしてルミナの結晶は機体後部の〈反射器〉《リフレクター》に送られ、そこで反射を繰り返すことにより、光の結晶から推進エネルギーに変換されるのだ。 このとき、ハーモナイザーの同調率が低いと、結晶のエネルギー化が効率よく行うことができず、機体の出力は低下してしまう。 いわばハーモナイザーは、ツリーの生み出すルミナとセルヴィの間にある翻訳装置のようなものだ。 「その中枢にあるのが〈星石〉《こいつ》さ」 ツリーと交信し、ルミナを感じ取る──。それはサンタなら誰もが持っている能力だ。 しかし俺たちトナカイは、サンタほど敏感にルミナを感じることができないから、こういった石や装置が必要になる。 「こんなからくりを考えた グリーンランドの技師たちを尊敬するよ」 「なるほどー、そうやってこのカペラくんは 飛んでたんですね」 「学校で習わなかったか?」 「ぜんぜんです。 わたしサンタコースでしたし」 言われてみれば、俺もサンタのことは、トナカイに関連する範囲でしか勉強しておらず他のことは大ざっぱにしか知らない。 デビューしてからも仕事仕事の毎日で自分の仕事に関する部分を吸収するのに精一杯で、サンタの事情に気を配る余裕はなかった。 サンタとトナカイは、まったく別種の専門職ということだ。 「それで……カペラくんの星石に 問題があったということですか?」 「ハーモナイザーの動作は正常だったから そんなはずはないんだけどな……」 星石をスタンドの明かりにかざす。 「とにかくトリが持ってたってことは こいつは師匠の星石なんだろう」 手の中にある星石は、トリの鈴に付けられていたものだ。星石を鈴につけるなんて聞いたことがない。 「異常がないのに、どうするんですか?」 「試しに組み込んでみる!」 「だ、大丈夫なんですか?」 「キャロルの七瀬がこいつを飛ばしただろう? あのとき、リアシートにはトリが乗っかってた」 「……あ、なるほど! それなら、帰ってきてから動かなくなった理由も、 説明がつきますね!」 正解だ。日ごろはボケてばっかりのくせに、こいつは時々すごく頭の回転が早くなる。 「それならば、さっそくつけてみましょうか!」 「おう、そのつもりで早起きしたんだ」 と、そこで携帯のアラームが鳴った。 「5時半か」 「ああー、残念ですがタイムリミットです。 硯ちゃんたちを起こしてこないとー!」 今朝もサー・アルフレッド・キングの武士道修行がある。サンタさんの1日は朝から手加減なしだ。 「とーまくんはどうしますか?」 「悪いが今日はパスだ。 一刻も早くこいつを試したい」 「七瀬に伝言してくれ、〈星石〉《スター》の交換をするってな」 「りょーかいですっ!」 「いっそげーいっそげー さもなきゃまたもや大目玉ー♪」 さて、こっちも早いとこ修理して、毎朝の送迎くらいはできるようにしないとな。 ……しかし、あいつは朝っぱらから何の用があったんだ? 「だめだな、針が跳ねてやがる……」 試しにモルガナイトを組み込んでみたのだが、とたんにコンソールの表示がメチャクチャになってしまった。 てっきりこいつだと思ったのだが、実は〈星石〉《スター》じゃなかったとか……? 「……わからん」 これ以上機体をいじくるのは、さすがに俺の手には余る。 がっつり再調整するにしても、専門の知識がある七瀬を待ったほうがよさそうだ。 カペラの整備をいったん中断して俺は店の準備に取りかかった。 どうせサンタさんはくたくたになって戻ってくるだろう。 まずは昨日できたばかりの呼び込み看板を道沿いに置いて、それから店の支度だ。 店内をざっと見て回り、カーテンを開く。商品のリストは硯が作ってくれているので、実際ほとんどやる事がない。 電気をつけ、夜の間のホコリを取るのでフロアモップで店の中を簡単に掃除して、棚の陳列をはたきで撫でる。 簡単ながら、開店準備はこれで完了。あとはサンタさんの帰りを待つばかりだ。 「まさかこんなことになるとはなぁ……」 テーブルの上に自分専用のエプロンを広げてため息をひとつ。 こいつをつければ、俺はたちまちきのした玩具店の店長さんだ。 本来トナカイという人種は、セルヴィの操縦以外のことには、そんなに勤勉なタチじゃないんだが……。 「ただいまですぅぅーー」 「うげーー、もうムリぜったいムリーー」 「ひざが……ガクガクしています……」 「はい、おつかれさん」 「国産ーー!! どーして修行こなかった!!」 「トナカイは修行の対象外」 「うーーー、なんか納得行かない。 ま、でもカペラが直ったんなら それでいいけど!」 「それが……まだ」 サンタさんたちがため息をつく。 どうやらななみが事情を話してくれたようで、修行を休んだことも自然と受け入れてもらえたが、こいつはいよいよカペラに動いてもらわんと。 「とーるくん、あとで来てくれるそうです」 「おお、そいつは何よりだ」 「もぐもぐ……とにかく、 国産は早くカペラを復活させるよーに!」 「はむはむ……店長さんより そっちが優先ですね。あ、硯ちゃん、 オムレツおかわりありますか?」 「店長がいなくて大丈夫か?」 「はい、 1日くらいなんとかなると思います」 「どーせ客なんて来ないだろーし」 「今日もダメだと思いますか?」 「まだなんの手も打ってないもん。 大事なのは広報よ! 宣伝宣伝、大宣伝!!」 「ううっ……なんとかして注目を集めないと」 「そーゆーこと……む、殺気!?」 「さ、殺気!?」 「どうした?」 「……誰か見てる!」 りりかが窓の外に視線を向ける。 「…………」 「あ、あの人は……!」 大家さんを助けた時にいた、カメラの女の子だ。店の周りをあちこち回っては写真を撮っている。 「……なにをされてるんでしょうか?」 「写真……撮ってますよね」 「ははーん、覗き魔ね」 「女の子だぞ」 などと話している間に、眼鏡の女の子はこっちに近づいてきて……。 「ごめんください」 「来た!?」 「お、お客さんでしたか!?」 「よし、とにかく接客だ」 「いらっしゃいませぇぇーー☆」 「な、なにかおさがしでしょうかー?」 「朝早くすみません。 実は……あれ?」 「ど、どうもー」 「一昨日はどうも、ええと……」 「………………」 「更科つぐ美です。 しろくま日報で記事を書いています」 「記者さん!?」 「そうですが、なにか?」 「あ、い、い、いえ、いえいえ!!」 「(ど、ど、どうしましょうー!  新聞の記者さんが覗き魔だなんてー!)」 「(落ち着け! チャンスじゃん)」 「(チャンス?)」 「(そーよ! お店のこと宣伝してもらうの!)」 「(おおっ!? その手がありましたか!)」 「あらためましてこんにちはー☆ トイショップの妖精・月守りりかちゃんですっ! 今日は……ひょっとして取材ですか!?」 「はい、そうですが?」 「おおーーっ!! それでしたらぜひぜひ、こちらへー! うふふふふ、これは嬉しいサプライズ」 「さすが記者さん、目の付け所が違う!」 「い、いまお茶を入れますね!!」 「で? で? これはどんなコーナーで 記事になっちゃうんですか??」 「別冊のムックになると思います。 ということは、 取材をお受けいただけるのですね?」 「もちろんに決まってますとも〜☆ このりりかちゃんに、 なんでも聞いちゃってくださいっっ!」 「ではさっそく、 昨夜ここから立ち上った怪光線について なのですが、何か心当たりは?」 「かいこーせん???」 「そ、それはプロレタリア文学を代表する……?」 「すずりーん、お茶キャンセル!!! 店長、お客さんお帰りですーー!!」 「???」 「あぅぅーー、脱力です……」 「期待して損したぁぁ……」 「まさかオカルトムックの取材とはな」 「すずりん、塩ーー、まくほうのやつ」 「はぁぁ、前途多難です……」 空が高い。 高いというのは遠いということだ。 俺と空をつなぐべきカペラは、まるで回復の兆しを見せていない。 七瀬から携帯に、所用で到着が遅れると連絡があった。電話を切って見上げた空は、やはり遠い──。 足元の店舗スペースでは、ななみが店番の真っ最中。しかしテラスから見渡した視界のどこにもお客さんの姿は認められない。 暇に耐えかねたりりかは『ルミナの観測にいってくる!』と、ジェラルドのベテルギウスで出かけてしまった。 お店の営業に意気込んだ俺たちではあったが、今日この森を訪れたのは、あのカメラ少女だけ。 客が来たら呼んでくれと、りりかの携帯番号を教えてもらったが、どうやらその機会もなさそうだ。 「中井さん、そろそろお昼なんですが」 「お、ありがとう」 携帯電話を取り出し、もらったばかりの番号にかける。 「あ、国産? まさか、お客さんきたの!? もしかして大盛況とか!!?」 「残念ながらシンとしたもんさ」 「じゃなんで電話してきたのよー#」 「昼飯ができたんだ」 「はぁ!?」 「だから昼飯が……」 「どーーでもいい!! ほんっっっと、どーでもいい!! そんなことで電話するなーー!!」 「お姫様、お腹のラッパが鳴ってるぜ?」 「どこでそんな言葉覚えたのよ! バカトナカイ!!」 「……ま、適当に帰っておいで、お姫様」 「あんたがお姫様言うなーー!!」 「いっただっきまーす☆」 「(はぐはぐ……もぐもぐ)おおっ!? 今日も最高においひいれすー!!」 「本当だ、柊ノ木さんの料理は外さないな!」 「ありがとうございます」 今日も店が閑古鳥なので、硯、ななみと3人での昼食タイムだ。 「ん、本当に美味い。それにしても えらくコクと甘みのあるソースだな」 「エビとマイタケのクリームパスタです。 ソースに昨日のウニの残りを使って、 少し節約してみました」 「そ、そりゃあ美味いわけだ」 「とーまくん、美味しいくせに不安顔……」 微妙に豪華さが抜け切っていないのが不安だが、昨日から考えれば長足の進歩といえるだろう。うん、前向きに考えよう、それがいい。 「……ん?」 「デフコン1、デフコン1!! 緊急事態発生ーー!!」 「りりかちゃん!?」 「ど、どうしました!?」 「スネークがいるわ!!」 「スネーク?」 「あだ名よあだ名! あのスパイごっこ、しつこいんだから!」 「ああ、あの記者さんか」 「それにしても……はむはむ、 怪光線というのは一体……もぐもぐ」 「まさかルミナの光ってことは…… あ、ななみさん、おかわりですか?」 「あーーーっ!! のんきすぎてイライラする!!」 「頼りにならない同僚はほっとくに限るわ。 とにかく撃退! こういうときは……」 「店長の出番ね!」 「俺!?」 「あーあー、聞こえてる?」 「はい、感度良好です。オーバー」 「これから対象と接触するわ」 「りょーかいであります! オーバー」 「遊びなのか? 本気でやってんのか?」 「本気にきまってるでしょ! トナカイはこれだから……!」 「いい? あいつは危険なスパイなのよ。 あたしたちの正体を探ろうとしてる。 しかも正体バレたら即、新聞記事!!」 「そしたら街の有名人ですね! テレビの取材とかも来ちゃうんでしょうか」 「わ、私目立つことはあまり……」 「そーゆー問題じゃない!!」 トランシーバーに向かってりりかが怒鳴る。確かに、サンタの正体がばれたら一大事だ。 ななみと硯は家の中で待機、俺とりりかがスネークさんと接触する段取りだ。 「で、どこにいるんだ?」 「茂みの中……ほらあそこ!」 りりかが指さした茂みの奥に、スカートのお尻が見えた。なるほど、頭は隠している。 「接触するわ、店長の出番よ」 「お、おう……」 「れっつごーです! とーまくん」 「いらっしゃいませ、お客様」 「……!!??」 「…………がさごそ」 「……ご丁寧にどうも」 隠れてるのを発見された更科さんは、悪びれる風もなくカメラを構えたまま姿を現した。 「(ぬぬ……ふてぶてしい態度、  さすがはマスコミの手先!)」 「穏便に頼むぜ」 「(わかってるって!)」 「どーもー、こんにちはー☆ さきほどは失礼いたしましたー!」 「気にしていません、 取材拒否には慣れていますから(じろじろ)」 「な、なんの取材ですかぁ!?」 「怪光線の取材です。 なにか怪しい装置がないかと 周囲を見て回っていたのですが」 「ないですよー! ていうか、ここあたしたちの家だし! 勝手に入らないでください!」 「営業中の店舗敷地が立入禁止とも思えませんが」 「ぬぬ!?」 「怪光線なんて言われても、 住んでる俺らも見たことないんですよ。 他にも目撃者がいたりするんですか?」 「…………いえ、目撃例はまだ」 「(ナイス国産!)」 「なのに取材なんておかしくないですか、 本当に記者なんですかぁ?」 「ええ」 「学校新聞じゃなくて?」 「名刺をどうぞ」 どれどれ── りりかが受け取った名刺を、二人でのぞき込む。 『しろくま日報・嘱託記者 更科つぐ美』 「嘱託……?」 「ふーむ……で、怪光線ってのは君が見たの?」 「私ではなく、このカメラが見ました」 名刺に続いて写真を渡される。暗い空に一筋の光の帯が写っている写真だが、これだけでは何の光か分からない。 「このカメラで撮影を?」 つぐ美が黙って頷いた。 ずいぶんと古びたカメラだ。家族のカメラを借りてきたのか、あるいは中古を買ったのか……。 「ご存知ないかもしれませんが、 去年のクリスマスにも、ここで 未確認飛行物体が目撃されています」 「未確認って……UFO!?」 「はい、かなりの速度で あちらから、こちらのほうへ……」 空を仰いだつぐ美が、南西から北東への軌道を指し示す。 「(……それって)」 去年のクリスマス、そしてその軌跡はまさに吹雪で制御を失った俺たちがツリーハウスに墜落したときの軌道そのままだ。 「あれは紛れもなく、 オーバーテクノロジーの飛行物体です。 おそらくは地球上の文明とは異なる……」 「ちょ、ちょっと待って、 単なる光を見ただけでしょ?」 「はい。 ですが、このレンズが真実を暴きました」 「真実って!?」 「宇宙人の写真が撮れたのです」 「写真!?」 「ウソ!?」 「私は嘘をつきません。 そのときの写真もここにあります」 自信満々に渡された2枚の写真を、俺とりりかが覗き込む……。 1枚目は赤い光の写真──。 なんてこった、こいつはベテルギウスだ。コースアウトした瞬間を写真に取られたのか? しかし元八大トナカイのジェラルドがコースアウト時にシールドを張り忘れるとは考えにくい。 なのに、こうもあからさまに赤い光をとらえているということは、まさかもう1枚には俺たちの姿が……!? 「!?」 「!!?」 予想の斜め上を行く写真に絶句してしまった。 「これが宇宙人です……」 「どんな写真なんですか? わたしも見たいです、オーバー?」 「な、ななみさん、静かにしないと……!!」 「パンツ……黒……!?」 「黒パンツ!?」 赤い光が帯をなしているということは、これはベテルギウスのソリ。 しかしなんだこのミスマッチにアダルトな画づらは。コラージュか!? いや、まさか……。 「こんなのはいて……」 「わ、わ、わーーーっ!!!」 「……どうしました?」 「や、やろーには目の毒っっ!!」 黒パンツ宇宙人写真を素早く奪い取ったりりかが、背中にさささと隠す。 「あ、あのさー! こここれって!! ふふふ普通の女の子の……」 「宇宙人です」 「盗撮写真ーーー!!」 「報道写真です」 すかさず写真を取り返したつぐ美が、 「なにを取り乱しているのですか?」 「あ、あぐあぐ……!?」 「だだだだだって!! そんな破廉恥盗撮写真持ち歩くなんてダメだし!! ありえないし!! わぁぁ、見せびらかすなー!!」 「あなたには関係のないことでは?」 「そーーだけどっっ!!」 真っ赤になってじたばたするりりかの足を、つぐ美が写真とじろじろ見比べる。 「ぎゃーーー!! どこ見てるーー!!!」 「脚が似ているような気がしたので」 「似てない! 似てるとしても本数だけ!」 「似ているかどうか、 それは私が決めることです」 「じゃあさっさとその写真しまえーーー!!!」 だめだ、りりかは完全にテンパっている。ここは俺がひとつ……。 「ああ、つまりうちの店員さんが言いたいのは、 ここは一応メルヘンな木のおもちゃ屋さんだから、 アダルト写真は自重してもらえないかってことで」 「……業務妨害になりますか?」 「妨害妨害大妨害!!」 「分かりました」 思ったより素直につぐ美が写真を引っ込めてくれた。 「だいたい、あんなピンボケ写真で 似てる似てないなんてナンセンス!」 「そうですね、次はもっと 鮮明な写真を撮ってみせます」 そうして彼女はまたツリーハウスのあちこちにレンズを向けようとする。 「(あああ、もう!  あいつまだウロウロしてる!)」 「(やれやれ、帰る気はなさそうだな。  ところで……)」 「(…………な、なによ!)」 「(……お前、あんなのはいてるの?)」 「(違う、あれあたしじゃないーーー!)」 「(しかしあの赤い光はベテルギウスの……)」 「(だっ、黙れ、そして忘れろっっ!!  全部きれいさっぱり金輪際忘却っ!!)」 「……?」 「(って、きーてんのこらーー!!)」 俺の視線の先、ツリーハウスのテラスにななみが姿を現した。 「せんたくせんたくよいしょっとー♪」 「(洗濯!?)」 「…………!!」 「(なにやってんの!?  まだスネークがにょろにょろしてるのに!)」 「干すぞー、〈闘将〉《たたかえ》せんたくまーん♪」 「あ、りりかちゃーん! 洗濯物、ここに干しときますねー。 今日はおてんきでよーく乾きますよー♪」 鼻歌まじりにななみが干しているのは――ちょうちん子供パンツ?? カメラまで構えていたつぐ美が、それを見て、張り詰めていた緊張を緩める。 そして、ちょうちんパンツとりりかを見比べて、 「……納得のクオリティ」 何事か呟いて、立ち去ろうとした。 「なななによいまのー!?」 「そういえば、お名前を伺っていませんでした」 「つ、月守りりかだけど!」 「店長の中井冬馬です」 「覚えさせていただきました、失礼します」 「うぎぎ……なにあいつ!」 「にしても助かったな、ナイスななみ!」 「えへへー」 「あ、あたしあんなガキっぽいのはかないし!」 「やですねー、とっさの機転ですよ☆」 「ああ、思いっきり説得力があった」 「うーーー、それはそれで納得いかない! それに嘘がばれたら……」 「ご心配には及びません。 りりかちゃんは明日からこのぱんつを……」 「絶対いやぁぁーー!!!」 「……で、一体どんな写真だったんですか?」 「知らない!!」 まったく客足のない午後二時の店内。俺たちは、様子を見に店を訪れた七瀬に、あまり言いたくない報告をしている──。 「つまり、黒い……」 「わあぁぁぁ!! 記憶を消せこくさんーーー!」 「報告はしないとまずいだろ」 「け、けどそれはひとまずっ……! その話題は保留っていうか、だから、その!」 「でもサンタだってバレてしまうと……」 「バレてないし去年の話だし今年は大丈夫だし!」 「なるほど、月守りりかさんに隠蔽体質……」 「ああううー!! 分かったから閻魔帳しまって!」 「なるほど、それで……その『黒いパンツ』の 写真は、本当にりりかさんのものなんですか?」 「うぅぅ……そ、そうだけど……」 「現物があれば状況がつかみやすいんですが」 「わぁぁぁ、だめっっ! なに考えてんの、このエロニセコっっ!」 「ぼ、僕が見るんじゃないですよ、 サー・アルフレッド・キングの判断を……」 「そんなのいらないー! ううぅぅぅ、あの眼鏡記者っっ!!」 「とはいえ、シールドの操作は サンタさんの責任じゃないし、 去年のことを言うなら俺たちにも責任がある」 「……そうですよね」 「…………(しゅん)」 「それも納得がいかないの。 ラブ夫はしょーもないヘンタイだけど、 ケアレスミスは一度もしたことないわよ」 「ふーむ、なのに写真が……?」 「……分かりました、その件については サー・アルフレッド・キングにも伺ってみます。 で、今日お話したいことはそれよりも……」 「ニュータウンか?」 「それとお店の営業計画です」 「……それじゃ、店が軌道に乗るまでは、 ななみのサンドイッチマンを継続して 宣伝に力を入れるということでいいか?」 「賛成!」 「おまかせあれ!」 「サンドイッチマンって、前にやってたアレでしょ? 本当に宣伝効果あるの?」 「前回の5倍の気合いで挑みます!」 「前回は8割気合い抜けてたの?」 「あうぅ、ちがいますってばー!」 「で、より深刻なニュータウンのほうなんだが。 七瀬からなにかあるのか?」 「はい、サー・アルフレッド・キングから その件に関する伝言を預かっています」 持ってきたしろくま町地図を広げた七瀬がポイントを指差しながら説明する。 「皆さんもご存じの通り、 現在、ニュータウンの上空には ほとんどルミナが分布していません」 「原因は特定できていないのですが、 ニュータウンの住宅街やその先のしろくま温泉郷も 配達エリアに入っていますので……」 「避けて通ることはできない……でしょ?」 「ええ。温泉郷は迂回路を取れば済みますが、 ニュータウンには相当な配達数が 見込まれていますから」 「どうしたらいいのでしょう?」 「支部としては、サンタクロースの皆さんを ツリーに住まわせることで、ルミナ分布の変化を 期待しているのですが……」 「1週間やそこらじゃ、効果も分からないか」 「はい……現状のままですと、 ニュータウン地区の配達には 相当高度なテクニックが要求されます」 「難所越えってわけね」 「ふふふ……逆境ですね!」 「……どうしてそんなにワクワクできるんですか?」 「うぅ……」 「しかし相当高度……ってことは、 不可能じゃないってことだろう?」 「分かりません。 ニュータウンの中心地区に配達をする場合、」 「プレゼントを射出できる速度でとなると、 ルミナの無補給時間が3分程度になるので……」 「2分30秒の壁──か」 「2分30秒?」 「標準型のセルヴィが無補給で滑空できる目安さ。 金髪さんの最新鋭機は別なんだろうがな」 「はい、ベテルギウスならもう30秒ほどの 余裕を見込めますが、それでも3分では ギリギリアウトです」 「ベテルギウスでも……」 「だからって『はい、出来ませんでした』は ナシよね? つまりやるっきゃないってこと!」 「そうですよっ!」 「だからどうしてそんなに楽しそうなんですか!?」 「トナカイほどじゃないにしろ 大部分のサンタも楽天家なのさ」 「そのとーりっ!」 結局、地図に顔をつき合わせて、全員で難所越えの案をひねり出すことになった。 「サンタは楽天家だけど無茶はしないわ! というわけで、精神論は全部NG!! さあ、なにかアイデアはある?」 「……………………(しーん)」 「いきなりノープランですか?」 「あ、そうだ……は、はい! 先生!」 「最初から飛ぶことを考えるから 3分とか4分とかの壁ができるんです!」 「……それはどういう?」 「だからですね、 ニュータウンの配達は手渡しで!」 「姿を見せるんですか?」 「件数によっちゃ一晩かかるわよ!」 「で、でしたら、ね、念力で配る!!」 「精神論どころじゃないわ! 超心理学はもっとだめ!!」 「うぅぅ……そもそもどうして 姿を見られちゃダメなんでしょう?」 「ぶっ!? なによいまさら!? そー決まってるからに決まってるじゃない!」 「でもですね……ここは逆転の発想で 例えば、わたしたちの姿を見せることで、 子供たちに夢というものをですね……」 「大人も見てんの!!」 「わぁぁ……そうでした」 「もうちょっと具体的な話をしようぜ。 ちょっとユール・ログを見せてくれるか?」 「何すんの?」 「セルヴィの性能は分かっているから、 可能性があるとすれば、 サンタさんの射程距離のほうかと思ってな」 「へえ、国産にしちゃ……まあまあな意見かも」 「さすがとーまくんです」 「どうぞ……」 思い思いの言葉とともに、サンタたちの『ユール・ログ』がテーブルの上へと並べられていく。 ユール・ログ──クリスマスの薪という意味を持つこの言葉は、サンタたちの操る道具の正式名称だ。 ななみは杖、りりかは銃、硯は弓。これらの道具は全て、ツリーの幹や枝を材料にして作られている。 サンタはユール・ログを使うことでルミナを射ち出すことができる。 サンタがツリーの力を利用するうえでも、プレゼントを配るためにも、なくてはならない道具なのだ。 「ぱっと見、 射程が長そうなのはすずりんの弓かな?」 「りりかさんのは?」 「連射性能はピカイチよ。 だから数はこなせるけど、 遠距離向きじゃないかな」 「それで機動力のあるベテルギウスと ペアを組んでいるわけか……」 「そ、接近戦命!」 しかし、実際の射程は道具の性能に加えてサンタとツリーの親和性がものを言う。 そこで、各々の道具の射程距離を算出してから、セルヴィの速度と当日のコースとを検証していけば抜け道が見つかるのではないかと思ったのだが……。 「……10月じゃ無理?」 「そう、無理なの! イブにできるコースの予測が立てられるのは 早くても12月に入ってから」 「そして、中井さんが考えているような仕事は サー・アルフレッド・キングがやってくれます」 「ううっ……意味なかったか」 「だいじょーぶですよ! 12月までに修行をして みんなでパワーアップです!」 「うーん、あとはニュータウンでの 実地訓練の回数を増やすくらいかなぁ」 「私も、サジタリウスの射程距離を、 少しでも伸ばせるようにがんばります」 「すずりんの弓ってサジタリウスって言うの? 強そー!」 「射手座ですか、かっこいーです」 「せ、先生が名付けてくれたんです……」 「先生って実はロマンチックさんなんですね」 「あの、話の本題が……」 「そうでした、 ええと、わたしもわくわくロッドの射程を 今よりもっと……」 「なにその名前!? もうちょっとサンタらしい名前にしないと ツリーが泣いてるわよ!」 「そ、そんなぁぁ!! ネーミングセンスには自信があるのに!!」 「…………あのー!」 「じゃあ、どういうのがセンスあるんですか!?」 「こーゆーのよ♪ じゃん! ハイパー・ジングルブラスター!!」 「やっぱりハイパーなんですね」 「りりかちゃん、ナントカの一つ覚えです。 それに道具がかわいそうですよ」 「な、なんでよ!?」 「だって、両方あわせて名前がひとつなんて!」 「あぐ……そ、そっか。じゃあ、 ハイパー・ジングルブラスター1号・2号! これじゃだめ?」 「番号ですか?」 「うぐぐ……い、いいじゃないかっこいいし!」 「そうじゃなくて、たとえばですね……そう! 向かって左がテツくんです♪」 「鉄砲のテツか」 「えー、なんかかっこ悪い。 じゃあ右のは?」 「そうですねー、じゃあトモくんで……」 「なんだそりゃあああああ!!!!」 「きゃああああああ!! り、りりかちゃんだって、 あだ名つけるじゃないですかー!」 「あたしは物にはあだ名をつけないの!」 「いや、だから何だって話だし」 「だいたい、うきうきロッドなんて 言ってる奴に言われたくない!」 「わくわくロッドです!!」 「あのーーーーっっ!!!」 「うるさい、へなちょこロッド!!」 「わくわく! わくわくっ!」 「へなちょこ、へなちょこ、へーなちょこ!」 「むーむむむ……!!」「うーぎぎぎ……!!」 「はぁぁ……もうやだこの支部」 「ニセコ、すぐ閻魔帳を出すな!」 「会議の様子を書記してるだけです! りりかさん好戦的! 0点!」 「あうぅぅ!? こ、こんなことでアタフタ してたら査定にかかわるわ! なにかアイデア、アイデアを……!」 「そうだ!! 長距離砲を自作するってどう!?」 「ちょうきょりほう?」 「そう、このツリーの幹を 真っ二つにぶった切って、 ハイパーメガルミナ砲へと改造を施し……」 「む、無茶ですー!」 「やってみなくちゃ分かんないじゃない!」 「落ち着け金髪さん」 「そうですよ。 それなら私たちの力を合わせて……」 「それが不安だから言ってるの!!」 「不安ですか?」 「だ、だって……ななみんもすずりんも、 訓練テキトーにやってたし、 ちっとも危機感もってないし!!」 「適当ってことはないだろう」 「……りりかちゃん、ちょっと焦ってます?」 「な、なにー!?」 「焦ってなんかないし! 実力ないのに 食欲だけはエース級のへっぽこサンタと 組んでたら誰だってこーなるもん!」 「な、な、なんですかー!!」 「だから落ち着けって!」 「りりかちゃんはチームのことじゃなくて 自分がNYに帰りたいだけじゃないですか!」 「ふ、二人とも、 もうそのくらいにしてください」 「すずりんだってずーっと黙ってばっかりだし」 「りりかちゃん!!」 「だって……すずりんだってサンタなのに 聞くばっかでぜんぜん意見出さないじゃん」 「わ、私は……まだ、 意見を言えるような立場じゃないから……」 「立場なんてかんけーない! チームだし!」 「でも……無理なんです………………。 私は……先生とじゃないと……」 「はぁっ……もう! そーやって、何でも先生に お任せしてきたんじゃない?」 「…………!?」 それまでうつむきがちに話していた硯が泣きそうな顔で席を立つ。 「ご……ごめんなさい!」 「………………!」 「ま………………まずかったかな?」 「まずいです!」 「ああ、まずかった」 「りりかちゃんは思いやり不足です!」 「な、な、なによ! 仲良しごっこで思いやってる フリをしてるななみんはどーなの!」 「そんなことしてません!!」 「してる!!」 「なんですか!!」 「なによ!!」 「ぎりぎりぎりぎり……!!!」 「ふーーーーーんっ!」 「ああ……行っちまった」 「あああっ……もうっ!! 大事なミーティングの最中なのに!」 サンタ娘たちが出て行った後、取り残された俺と七瀬は、二人して頭を抱えていた。 「はぁぁ、最悪です。 こんなにガタガタなチームは、 見たことありません……!!」 「りりかさんは自分勝手、ななみさんは空気が 読めなくて、硯さんはコミュニケーション不足! 全員サンタとして問題ありすぎます!!」 七瀬が怒りに任せて閻魔帳を開いた。 「あいつらの評価をつけてんのか?」 「中井さんもです。 店長として、もう少しサンタクロースを まとめられるよう努力してください」 「勘弁してくれ、 トナカイにMCは大任だぜ」 「でも、ここのサンタクロースの保護者役を している以上、責任があるわけですから……」 「おいおい、そりゃ違うだろ!」 「……!」 「いいか坊や、俺はトナカイだ」 「俺の仕事はサンタを乗せて空を飛ぶことと、 サンタの活動をサポートすることで、 保護者や責任者なんざハナから柄じゃないんだ」 「チームワークも取れない未熟なサンタの お守りを探してるなら、ロードスターか マスターサンタの管理職を呼んで来るんだな」 俺まで席を立とうとすると、慌てた七瀬がすがりついてきた。 「す、すみません! そういうつもりじゃなかったんです!」 「中井さんに無理をさせてるのは分かってます。 けど、僕は……」 「…………!」 涙目になってオロオロと取り乱す七瀬の姿に〈逆上〉《のぼ》せていた頭の芯がスーッと冷え、すぐに寒気のような後悔が押し寄せてきた。 ──馬鹿が、俺はなにをやっているんだ。 孤軍奮闘してる若いキャロルをこんなに困らせて、それで八大トナカイを目指してるだと!? 「なあ、透……」 口をついた『透』という呼び名が、不思議としっくりきた。それは俺たちがもう仲間になろうとしているからだ。 「すまなかった。 そうじゃない、そうじゃあないんだ」 「…………中井さん?」 「やりたくもない仕事をやってんじゃない、 サンタとの同居も店長も覚悟の上でやっている。 だが、ちょっとそいつを度忘れした」 「いえ、そんなことは……」 「乱暴なことを言ってすまなかった。 あいつらの仲は俺が必ず……」 テーブルに手をついたとき、指先にコツンと木の触れる感覚があった。 りりかのハイパージングルブラスターが触れたのだ。その隣に、硯のサジタリウスと、ななみのわくわくロッド──。 3つのユール・ログがテーブルの上に並んでいる。 「中井さん?」 わくわくロッドの柄を手にして目の前にかざす。 「……よく使い込まれているんだな」 見ればサジタリウスにもハイパージングルブラスターにも、細かい傷痕が無数に刻まれていた。 どれもまだ、うら若いサンタたちのユール・ログ。しかし、使い込まれて傷だらけになったその姿は、歴戦の古強者を思わせた。 「サンタの商売道具か……」 これだけの傷が刻まれるには、いったいどれほどの鍛錬が必要だっただろう。 それでいて手入れが行き届いているところに、彼女たちの愛着と想いの強さが現れている。 「こいつはカペラと同じだ」 道具への愛着は、仕事への誇り。 3人とも、それだけの覚悟や決意を背負ってここへ来たのだ。 「……なあ、透」 「は、はいっ!」 ユール・ログを置いて、俺は透を振り返った。 「閻魔帳に書き込むのは もう1日だけ待ってくれないか?」 「くふぇえぇ〜〜……」 「眠いんだったら部屋で寝てろよ」 「くく……くえっく!」 「強情なヤツだ。 ま、お前の鈴を拝借してるんだから、 気にはなるか……」 今朝も早くから起き出して、カペラのメンテナンスだ。 昨日、透が持ってきてくれた整備用の機材一式を使ってみる。 モルガナイトで針がおかしくなったのは、ハーモナイザーとの相性が悪かったようだ。 透にハーモナイザーの設定をいじってもらうことで無事に組み込むことに成功した。 リフレクターとの連動も問題ない。俺の読みが正しければ、あと一息でカペラが動き出してくれるはずだが。 「やれやれ……面倒事ばっかりだ」 ついつい頭の中に3人娘のことが浮かんでくる。果たして、あの3人を俺がどうまとめたものか。柄じゃないが、俺のするべき仕事だろう。 「くえー!」 「どうした、トリ?」 「くえっくえーー!!」 騒ぎ出したトリがバサバサと走り去り、その後を追いかけるように立った後、遅れていい匂いが漂ってきた。 「お、もう飯か」 「…………」 「なんだ、もう食っちまったのか」 「冬馬くんも、食べ終わったら、 食器はおいといてくださいね」 俺から視線を外したまま、ななみはシンクで食器を洗っている。 皿洗いは金髪さんの担当のはずだが、どうやらまだ寝坊しているようだ。俺は肩をすくめて席に着いた。 「……お待たせしました」 ほどなく、柊ノ木さんの手でうっすら焦げ目のついたフレンチトーストが運ばれてきた。 「柊ノ木さんも ゆうべから二人と口きいてないのか?」 「は…………はい……」 「それに、ななみさんもりりかさんも、 私の話なんて聞いてくれないと思います」 「柊ノ木さん?」 「すみません、お店の掃除してきます……」 「ふぅ……でもって金髪さんは相変わらずか」 今朝からサンタたちは別々の行動を開始したようだ。昨日のうちに修復できなかった傷口が、1日経つことで、さらに大きく開いてしまった。 今朝はボスのスペシャル修行もお休みだ。毎日稽古をつけられるほどロードスターも暇じゃない。 さらにはお店も休業日にしたので、のんびりとした朝になるはずだったのだが……。 ──ぴんぽーん♪ 「どなたですかー?」 「おはようございまーす」 「大家さん、どうしたんですか、 こんな早くから」 「今日、お店休みでしょう? 前から気になってた窓枠の立て付けを、 キチンと直しとこうと思ってね」 「そ、そんなことでお手を煩わしては! わたしたちでやりますからー!」 「とはいえ、大家さんの許可なく 修繕はまずくないか?」 「ううん、直すくらいゼンゼンいいですよ。 でも慣れてるから 今日のところは私に任せてね」 窓枠の隣で背伸びをしたきららが、器用にかなづちを振るっている。 「どうですか?」 「これなら瞬殺ね。 それより……」 「ねえねえ、店長さん?」 「なんでしょう?」 「なんか、 ななみちゃんも硯ちゃんも 元気ないみたいですね」 「わかっちゃいます?」 窓枠の修繕をしてくれる大家さんに、俺はまず、朝につぐ美がやってきたところから話してみようと思った。 「謎の怪光線!?」 「そ、そんなのが見えたんだって話で、 つぐ美って子があちこちカメラで……」 「あー、 あの子は徹底してるからね。 しつこいよ」 「親しいんですか?」 「私、あの子の通ってる学校のOGなの」 「へー」 「あ。 それで、みんな隠れてるんだ」 「そういうわけじゃないんだが……」 そういうわけじゃないんだが、サンタの会話はほとんどゼロだ。 やれやれと肩を落とす俺に、きららがにこっと微笑んでよこした。 「ま。 そう気をおとすことじゃないんじゃないかな。 うちもだし」 「うち?」 「ばーちゃんと喧嘩が絶えないの。 うちのばーちゃん気むずかしいから余計にね」 「そうなんだ」 「家族だからね。 赤の他人ならかえって 気にならなかったりするんだろうけど」 「ふーん……家族か」 「家族だから何度も同じことで喧嘩するし、 ぜーんぜん進歩ないんだ」 「でも、次の食事時には もう普通に喋っているんだから、 考えて見ると不思議かも」 それは俺たちの即席ファミリーにしたって一緒のことだ。 一緒に住んで、一緒に飯食って、一緒に店やって。 家族だから喧嘩もするし、当然、仲直りだって……。 「よいしょ……っと、これでいいかな?」 「ああ、ありがとう」 「ふふふ、ガタが来たときは任せてね」 試しに窓を開閉してみると、とてもスムーズになった。 「今日はこの窓のためにわざわざ?」 「それと、みんなの様子を見たかったのと、 あと本題が2つ」 「ずいぶん盛りだくさんですね」 「ふふ、約束事は忘れない〈性質〉《たち》なの」 「しろくま町案内ー!?」 「む……!」 「そ。約束したでしょ?」 「そういえば!」 「安いお店を教えていただけるとか……」 「それだけじゃなくて、 町のあっちこっちを見てもらいたいんだ。 それなりに歴史のある街だから」 「いいですね、今日はお店休みだし!」 大家さんの召集で、寝坊したりりかも含めたツリーハウスの一堂がリビングに集合していた。 まだ少しギクシャクを引きずっているようで、サンタたちは相手を気にして、互いにチラチラと目線を交差させている。 「と、その前に……もうひとつ!」 「ばーちゃんがこれ持ってけって言ったんだ」 大家さんが取り出した1枚の書類を、みんな同時に覗き込む。 「ほらあな商店会!?」 「む……!」 書類は、商店会名簿の記入用紙だった。 「どういった会なんでしょう?」 「うーんと。 簡単に説明するとね、 この街の中心部には2つの商店会があるのよ」 「ひとつは、しろくま通りに面した商店が 入っている『しろくま通り商店会』! これが町でいちばん大きな商店会ね」 しろくま通りは町のメインストリート。銀行、デパートから土産物屋まで、たくさんの商店が建ち並んでいる。 そこの商店会となれば、確かに規模も大きいだろう。 「ということは……」 「そ、こっちは、 ほらあなマーケットを中心にした商店会!」 「でも、うちってマーケットどころか、 市街地からも離れた場所にあるんですけど?」 「だからなのよ! ほらあな商店会は、来るもの拒まずで、 圏外のお店でも入っていいことになってるの」 「でもって、 うちのばーちゃんが会長やってるの。 どう、入っとく?」 「ああ、それはむしろありがたい」 サンタとしても、こうやって町の人のあいだに溶け込んでいけるのはありがたいことだ。 「さすがきららさん。 郷に入らばゴートゥヘブンですね!」 「そーそー、良くわかんないけどそんな感じ」 「それを言うなら、郷に入らば郷を制すです」 「知ってたもん、わざと間違えただけ!!」 「…………(恥ずかしい)」 「じゃあ、この用紙に記入して。 うちの店子さんだし、審査なしで一発OK!」 さらさらと言われるまま用紙に記入しながら、はたと気づいた。 ──もしかして、仕事も増えやしないか!? 「どうしました?」 「ああ、なんでもない」 ま、そのときはそのとき。店長らしくこなしてみせればいいさ。 「じゃあこれ、ばーちゃんに渡しとくね」 「よろしくお願いします」 「ではでは、用事その2が済んだところで、 てきとーに出発しますか?」 「ぜひぜひー!」「いきましょう!」 「む!」 「(いい? 大家さんの前では一時休戦!)」 「(もとより承知!)」 「それじゃ、準備ができたら出発しましょう」 「店の戸締りOK!」 「準備中のプレートもOKです」 「トリさんおるすばんOKー♪」 「ぎょーーー、ぎょぎょーー!!」 「悪く思うな、トリよ」 「それじゃー、さっそくしゅっぱーつ!」 「おーーーー!!」 「って、なんでまた同時(ですか)!?」 「…………はぁぁ」 「そういうわけで、 ここがしろくま町のメインストリート、 その名も『しろくま通り』!!」 「おおおー! ここが噂の!!」 「知ってるでしょ」 「ですけど地元の方に言われると説得力があります」 「説得力だけじゃなくて、おトク感もあるのよ♪」 「安売りのお店のことですか?」 「あ、できれば、わたしにもオススメの おいしいもの屋さんを教えていただけると!」 「中古ゲーム屋も!」 「うんうん。 じゃあみんなひっくるめて、 まずは映画を見よー!」 「なんでですかー!!」 「この町について知るには、映画が一番なのよ♪」 かくして、わけもわからず大家さんについていった俺たちは、『しろくま座』という小さな映画館へ案内された。 そこで上映していた映画がこれだ──。 「うっ、ううっ……! いい映画でしたね、『おはようくまっく』!」 「おかえりくまっく」 「あうう……似てる」 「全く似てない」 おかえりくまっくは、昭和のころ、この町で実際に起こった原発招致運動をテーマにした映画だ。 原発ができることが決まり、昔からあった動物園が廃園になり、白熊の『くまっく』が東京の動物園に送られてしまう。 くまっくはこの町のシンボルといえる動物でくまっくを再びこの町に返そうと、原発招致の反対運動が起こる。 紆余曲折の末に原発招致は取りやめになったが、同じころ、年老いたくまっくは東京の動物園でひっそり息を引き取っていた──という物語だ。 「細かいところまでよく作られてる映画だったな」 「うぅぅ……涙なみだのお話でした」 「この町の歴史の通りでしたね」 「へえ、よく知ってるね」 「硯ちゃんはしっかりさんですから」 「誰かさんと違ってね」 「む!! そう言うりりかちゃんは知ってたんですか!? ごきげんくまっくーが本当のお話だってこと!」 「おかえりくまっく」 「あうぅ……」 この二人、まだ喧嘩の余熱は引いてないみたいだ。 「くまっくはこの町のシンボルなんだ。 そこら中にいるから探してみてね、 たとえば、ほら……こっちこっち!」 「ほらね」 駅前ロータリーを横切った大家さんが指さしたのは、植え込みの中央に設置された、逆立ちした熊の像だ。 「駅前の『さかさ熊』の像。 これも子供の頃のくまっくが モチーフになってるのよ」 「どうして逆立ちしてるんですか?」 「実は動物園で曲芸をしてたとか」 「残念、くまっくの本名はマックっていうの。『熊のマック』だから『くまっく』。 ……で、くまをひっくり返してみると?」 「マック!」 「くまが逆立ちして、 マックになるというわけですね」 「そういうこと〜♪ ま、映画も楽しんでもらえたようで何より」 「とってもためになりました。 さすが大家さん!」 「あれ、最近のリメイクなんだよね。 最初の映画は昭和何年だったか、 ずいぶん前に作られたんだ」 「それにしてもキャストが豪華でしたね。 主演は〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》さんでしたし」 「有名人?」 「と、とーまくん、ものを知らなすぎです!」 「え? 金髪さん知ってたか?」 「し、知ってるし! 楽勝だし!」 「近頃よくテレビに出てるんだけど 知名度はまだまだなのかな。 一応ね、この町出身の有名人なんだ」 城悟──金髪さんもどうやら知らなそうだし、ここ1、2年で人気の出た俳優さんか。 「で、住民運動の裏ボスがいたでしょ?」 「あの、すっごく意地悪なおばあさん!」 「因業マネーモンスターって感じだったよね、 血管にドス黒い血が流れてそうな……」 ちなみに表のボスは豪傑笑いが特徴の、気の良いおっさんだった。 で、そのおっさんを祭り上げて、裏でいろいろ画策するのがそのばあさん。 「あれ、うちのばーちゃんがモデルなの」 「そそそそそーだったんですかー!!!」 「ばーちゃんたら、あの女優さんが気に入らない らしくって、もうカンカン。ちーっとも似てない なんて言って、一度も観に来てないんだ」 「い、いやぁ、それはなんとも……!!」 「リメーク前も後も、 どっちもはまり役だったと思うんだけどね。 両方ともエランドール助演賞も取ってるし」 「(い、いったいどんな大家さんなのでしょう?)」 「(考えないほうがいいと思う)」 映画の感想を話しているうちに、また、しろくま通りに戻ってきた。 「そーゆーわけで、お待ちかねの お買い得なお店紹介のコーナーね!」 きららが、遠くに見えるスーパーを指差してみせる。 「はい、あれが全国でおなじみ、スーパーの ガイエーね。で、隣にあるやたら立派なのが、 同じガイエーグループの『しろくま壱番館』」 「昨日のお買い物は、あの辺りでしました」 「ですが! あのへんのお店は 基本高いからオススメできません」 「そ、そうなんですか!?」 「見るからにご大層だもんねー」 「でも、金曜日のガイエーは 加工食品が安いので、 新聞のチラシをチェックするように!」 「は、はいっ、なるほど……(メモメモ)」 「でもって、地元民がいつも買い物をするのは、 表通りからひとつ裏に入ったこっち側!」 「じゃん! ここが商店会でおなじみの、 ほらあなマーケットです。 ペンキ屋さんに来たから知ってるよね」 「はい、それはもう!」 「野菜を買うなら角の八百政。 お肉はミートショップくじらや」 「ま、そんな感じで、食料品はここのお店を 回ったほうがいいわよ。 地元の農家直送だから美味しいしね」 「なるほどー、この町の台所なんですね」 「お、いいこと言うね。 昔はこんな風に空が見える商店街じゃなくて アーケードがあったんだ」 「それで『ほらあな』なんですね」 小さな商店街に、食料品の店から床屋、大衆食堂などなど、多種多様な店がひしめき合っている。 言われて見れば、ぎゅっと凝縮された生活空間といった趣だ。 と、あたりをキョロキョロ見回している俺たちのところへ、恰幅のいいおっさんがひょこひょこと近づいてきた。 「おう、きららちゃん! 肉買いに来たんだろう!」 「今日は違うって。 あ、この人はミートショップくじらやの主人、 谷野輝夫さん」 「おお。肉のことなら ミートショップくじらやをよろしくな!」 なぜだろう。この人の額に『肉』という刺青を彫ったら、とても似合うだろうと思ってしまう。 「それから商店会の寄り合いが、 火曜の夜にあるって覚えてる? ごはんも出るから晩ご飯食べないで来てね」 「あいよ、 肉食えよ肉!」 俺たちのほうを見てにんまり笑ったおっさんは、小走りに通り過ぎていった。 「さすが大家さん、顔が広いですね」 「ああ、ほんとに……」 「やあ、こんにちは。 今日はみなさんおそろいで」 「こんにちはー」 「こんにちはー」 今度は進さんがやってきた。大家さんの顔が広いというよりは、この商店街は知り合いだらけ、といった感じがする。 「いま、大家さんに町案内をしてもらってるんです」 「へえ、そりゃラッキーだね。 鰐口さんは、この町を 隅々まで知り尽くしてるんだよ」 「きららです#」 「さっきツリーハウスで新しい看板を見ましたよ。 今回のも気合い入ってますね」 確かに、あの立て看板のデザインには素晴らしく気合いが入っている。 「そう見えたのなら嬉しいな。 ボクのペイントには愛が溢れているからね!」 ……主に電車への愛が。 「それはそうと、町案内をするなら移動はくま電に 限るよ! なんといってもオフシーズンの今は 1日乗車券が格安のうえ、電車にも――」 「はいはーい、 まもなくドアが閉まりまーす」 「あっ、待って! まだ乗ってません!」 「駆け込み乗車はご遠慮くださーい。 いくわよみんなー」 乗り遅れたペンキ屋さんをおいて、きららさんはみんなを引き連れていく。 「すごい技ですね、さすがきららお姉さん!」 「ま、慣れてるからね。 さあ、さっさと商店街を抜けちゃいましょー」 ほらあなマーケットを抜ける──とはいっても、ななみの好きそうなケーキ屋とか、ゲーセンとかを覗いていたのでずいぶんとかかってしまった。 南へ抜けて少し進むと、目の前に公民館のドームが見えてきた。 「しろくま町公民館ですね」 通称くまドーム。町役場と町議会場、それに図書館と公民館が併設されている、この町の心臓部分だ。 去年のイブ、ここでサンタ先生と合流し、二手に分かれてプレゼントを配ったのを思い出す。 「あ……」 きっとななみも同じようなことを……。 「くまっく発見!」 「そっちか」 プラネタリウムのドームに白熊のオブジェが乗っかっている。 「だから、くまドームってわけ。 あ、でもお店開く前に ここへは手続きしに来てるか」 「はい、実は来てました」 「(ここで勝手に名前つけたのね!)」 「(ま……まあまあ、楽しく行こうぜ)」 「ん、だったら次は……」 「じゃん! 『鳴らないカリヨン塔』です」 「おおー、でも鳴らないのか」 「肝心の鐘がないのよ」 「それじゃ、ただの塔ですね」 本来のカリヨンってのは〈鐘楼〉《しょうろう》のことで音階の別れたいくつものベルを鳴らして、音楽を奏でるというものだ。 「戦争のごたごたで外されちゃったんだ。 でも、一応は名所になるのかな?」 「その割に、由来を書いた看板とかはないんだな」 「あはは……これ、うちの持ってる物件なのよね」 「この塔が!?」 「ばーちゃんがものずきでさぁ」 あらためて、鰐口家のカリヨンを見上げる。 「はぁぁ……もの好きのレベルを超えてるな。 しかし、こんな塔があったとは」 「空から見たときは気づきませんでしたね」 「へええ、遊覧ヘリでも乗ったの?」 「そうなんです!! この子だけ抜け駆けで!!!」 「(ばか!!)」 「(ご、ご、ごめんなさい!  ちょっと口が滑ってしまいました)」 「(大丈夫だ、怪しまれた感じはない)」 見れば、大家さんはまたも顔なじみと思わしき初老の男性に声をかけられている。 「あ、紹介しときますね。 例のツリーハウスのおもちゃ屋さんの方々です」 そう言って彼女は、男性を連れてきた。黒いタキシードに杖をついた、場違いなほど身なりのしっかりした人だ。 「あ、どうも、店長の中井です」 「おや、あなた方がそうですか。 噂はかねがね聞いてますよ」 「ええと……おじさまは?」 「すみません、自己紹介が遅れましたね。 私、〈熊崎〉《くまさき》〈五郎太〉《ごろうた》といいます」 「熊……ゴローさん?」 「(勝手に省略するな!)」 しかし、見た目は穏やかな老紳士といった趣なのに、ずいぶん見た目と名前のイメージが離れてる人だ。 「五郎太さんは、この町の町長さんなんだ」 「ちょ、町長!?」 「わわ、はじめまして!! わたし広報担当の星名ななみです!」 「いやー、本日はお日柄もよく、 恐悦至極のいたれりつくせり……」 「わきゃっ!?」「はじめましてー!! ハイパーフロアチーフの月守りりかです!!」 「きのした玩具店は、子供が安心して遊べる木の おもちゃをメインにしたお店なんです。ちなみに あたしはおもちゃの国のお姫様って呼ばれてます♪」 「ほほう、そうなのですか」 お、町長さん食いついてきた。 「子供に優しく地球に優しく、 地域に根ざしたおもちゃ屋さん!! この町の未来のためにがんばります!!」 「ほっほっほ、それはそれは。 何か困ったことがありましたら、 相談してください。お力になりますよ」 「それでは、私は公務がありますのでこれで。 みすずさんにも宜しくお伝えください」 「はーい」 「ごきげんようーー☆」 去っていく町長さんに向かって、りりかが愛想笑いで手を振っている。 その後ろでななみが、珍しくぶすっと不機嫌な顔をしていた。 「広報担当はわたしなのに……」 「どうしたんだ」 「りりかちゃんは、 なんでも1人でやろうとしすぎです」 「あれはあれで気を遣ってるんじゃないのか?」 「むー、そうでしょうか?」 「んでもって、この家はそーっと通り過ぎて」 「どうしてですか?」 「ばーちゃんにつかまると大変だから」 「ここ、きららお姉ちゃんの!?」 「そ、静かにね……」 確かに、表札に立派な毛筆書体で『鰐口』と刻まれている。 もちろん、誰もそれを口に出して読んだりしないのが、大人のマナーだ。 大家さんの家の近所を抜けて少し歩くと、視界が晴れて、しろくま湾の青が見えてきた。 「わぁぁ、海だーー!」 「む!」 「ここからの景色、最高でしょ? 知る人ぞ知る穴場なんだ」 大家さんの言葉どおり、カメラを構えた観光客っぽい人の姿がちらほらと見受けられる。その向こうには、幸いの好天に、秋の海面がキラキラと美しい。 「海だー、海だー、いっきますよー♪」 「はいはい」 「………………」 「どうした、行かないのか?」 「すみません、うまく馴染めていなくて……」 「え?」 返答に困る俺を残して、柊ノ木さんはななみたちの後を追っていく。 その静かな足取りは、まるで自ら気配を消そうとしてるようでもある。 「あの子はあの子で、気にしすぎなんだよな」 この景色を見てウキウキしないんじゃ、よほど昨日のことがこたえてるんだろう。 「わーい、海水浴場!」 「秋よ」 「でも、来年泳げます!」 「そーね、この海は遠浅で楽しいよ、 夏休みの時期は結構混むけどね」 視界の向こうには熊ヶ崎の灯台があり、その先にある熊崎港に向かう船が水平線の近くに小さく浮かんでいる。 「いまから夏が楽しみですねー! ん……れろれろ……ぶるるるる!」 「って、なに食べてんの!?」 「名物・しろくまくんアイスれふ。 そこの売店さんで売ってまひたので」 「いつの間に!? しかもこの寒空にアイス!?」 「見ているこっちが寒くなるな」 「食べてるわたしも寒いれふ……ふるるる」 「でも、1人だけは感心しないなぁ」 「あう!? す……すみません、つい美味しそうで」 「そうですよ! さすがきららお姉さん、いいこと言う♪」 「きららお姉さんって、ちょっと長くない?」 「じゃあきらら姉……きら姉で!」 「きらねーか……ふふ、 じゃあ私はりりかちゃんでいいかな?」 「もちろんです。 あっちのはピンク頭で」 「もー、なんでですか!」 「ほらほら、喧嘩しないの」 「んじゃ、みんなで食べよっか。 冬でもおいしい、しろくまくんアイス。 おすすめだよー♪」 「ええっ!?」「はーい♪」 「ぶるるるる……さむいー!」 「しろくまくんアイス、 おいしかったですねー」 「なんで平気かな。熱あんじゃないの?」 「………………(ぶるるる)」 しろくま海岸からくま電に乗って、今度は一気に町の北側へ。 しかし、電車の中でも3人娘のチームワークは、相変わらずぎくしゃくしている。 硯はさっきからずっと無口のまま。ななみとりりかも話しにくそうで、電車に乗ってから、ろくに口も開かない。 こんな姿をボスに見られたら、精神修養が足りん! と一喝されそうだ。 もっとも、昨夜は俺も〈癇癪〉《かんしゃく》を起こしかけたから、他人のことばかりは言えない。よし、ここはひとつ俺が盛り上げ役を……。 「おいおい、外見てみろよ。 さっきの海水浴場が見えるぞ!」 「もう見たし」 「じゃあ反対側だ!」 「山ですね」 「山ね」 「………………」 だめだ、彼女らには余裕が足りておらず、俺にはスキルが足りてない。 「店長さんは大変だ」 「いつものことです」 「そういえば、前に電車の中であの人に会ったな。 大家さんのお知り合いの、〈神賀浦羽衣〉《かみがうらうい》さん」 「あぁ。 お姉ちゃんいつも電車で ぐるぐる回ってるから」 「そういうお仕事なんですか?」 「どういう仕事ですかそれは」 仕事ではないようだ。 「名字が違うんですよね?」 「うん、血はつながってないからね」 「血のつながっていないお姉さん!? うーん……どういう関係なんでしょう?」 「だから姉ちゃん」 「……???」 みんなの頭に大きな『?』をともしたまま、電車はニュータウン東駅へと滑り込んでいった。 くま電を降りてやってきたのは、穏やかな空気の流れる、〈樅〉《もみ》の並木道。 というか、我らがしろくま支部、サー・アルフレッド・キングのお屋敷の近くだ。 「ここもいいでしょ? ブラウン通りって言うんだ」 「ブラウンってのは、昔の偉い人の名前でね」 それは町の資料で読んだことがある。 「オットー・ブラウン。 明治から戦前にかけて、この土地の 街作りに尽力したドイツ人……」 「おお、よく知ってますね。 この〈樅〉《もみ》の並木を植えたのが、 そのブラウン氏なんだって」 「なるほどぉ!」 「でもって、あそこに当時のブラウン邸が あるんだけど、今は普通に人が住んでるので、 観光は禁止」 そう言って大家さんが指差したのは、俺たちの良く知った茶色い洋館……。 「(あれって……)」 「(うちの支部?)」 「(……ですよね)」 そのとき、素晴らしいタイミングで並木道の向こうに赤く巨大な人影が見えてきた。 「HAHAHA!!! ボッチャンジョーチャン、ウェルカムねー!」 「わぁぁああぁぁぁぁああ!?」 「どーしたの?」 「ろ、ロードスターさん……!?」 「ロードス島?」 「わぁぁぁ!? いや、戦記っていうか、その、 あのサンドイッチマンさん、ギリシャのほうから 来た人なのかなーと思って!」 「さあ、どうだろ……聞いたことないな」 と、苦しい言い訳をりりかがしているその向こうから、黄色い声援が飛んできた。 「きゃーー、ステキおじさまーー!!」 「おじさまのおヒゲ、ちょースイーツですーー」 「こっち向いてくださーい!!」 「これはリトルなマドモアゼル。 スマイルはゼロ円ですよ……キラーリ☆ニヤーリ」 「きゃーー!! おじさまのダンディースマイル発動ーー!」「ちょー和みますーーー!!」 「この町……どーなってんの」 「な、なにが起きてるのでしょう??」 サンタは町に溶け込み、人々を理解する。ロードスターがそれを率先してやっているのだろうが、いやしかし……。 「オゥ、一句浮かびました。 分け入っても、分け入っても、フルオブロンリネス」 「出たわ、ステキおじさまのフリースタイル川柳!」「きゃあああ、ヤバすぎるー!!」 「はいはい、アメをあげようね」 「(い、行こう……なんかやなもの見た)」 「(うんうん、わかります。  あのアメ美味しかったし……)」 「(なにをのんきなことを!  いま見つかったら  サボってると思われるかもしれないじゃん)」 「(そ、それは明日の早朝修行がピンチですね!)」 「すごいわね。 相変わらず、あのおじーちゃん人気あるなぁ。 ん、みんな、なに隠れてるの?」 「いえ、なんでも……あはは。 それより、次、次がいいですー!」 「この通りの先に、 私の母校があるんだけど……」 「そ、そっちはいいですーーー!!」 「んじゃ、次はここね、 しろくまニュータウン!」 「おもちゃ屋さんのある森にも近いし、 ここでたっくさんアピールして、 お客さんをゲットできるといいね」 「まったくもって」 相槌をうちながら、俺たちの視線はついつい空のほうを見てしまう。 昼間、ここに足を踏み入れるのは初めてだ。ルミナの空白地帯も、太陽の下で見るとごく穏やかな住宅地だ。 「昔、しろくま町ができる前はね、 こっから北の山側が〈白波〉《しらなみ》村で、 南の海側が〈熊崎〉《くまさき》村って言われてたんだ」 「はて?? しろくま町って、くまさんの名前から 取ったんじゃないんですか??」 「さすがにそりゃないよ。 〈白波〉《しらなみ》の白と、熊崎の熊をくっつけて しろくま町ってわけ」 「でも、白熊がひらがなになったのは、 くまっくのおかげなのかも。 漢字がないとうれしいよね」 きららさんの学力はかなりアレなのか。いや、漢字がないと嬉しいくらいで、そう判断するのは失礼だな。 「……うう、くまっくー!」 この町に帰ることのなかった白熊の映画を思い出してななみが瞳を潤ませる。 「あの映画で動物園のあった 原発の予定地って……」 「そ、このへんなんだ。 原発のかわりにニュータウンができたってわけ」 「……静かな町ですね」 確かに、ざっと辺りを見渡しても、歩いている人は多くない。閑静と〈寂寞〉《せきばく》の中間といったところだ。 おかげで昨夜は、コースアウトした機体を誰にも姿を見られずに済んだのだが、ここで営業することに意味はあるのだろうか……? 「昼間は大きな町に 勤めに出てる人ばかりだからね」 「で、こっから電車で山のほうへいくと、 しろくま温泉郷。アルカリ性単純泉で、 肩こり、疲労回復に効果アリ!」 「おおーーー、おんせん!!」 「一応就業時間だが、行ってみるか?」 「さんせーい、射的もあるし!」 「で、でも私、混浴はちょっと……」 「あれ、硯?」 「さつきちゃん?」 曲がり角の向こうから、小柄な女の子──さつきが姿を現した。 硯の表情がふっと和らぐ。 サンタ仲間や俺には見せない笑顔だ。それを見て、今日これまでの硯がどれだけ硬かったのか、気づかされた。 「おりょ、みなさん勢揃いで。 今日はお休み?」 「きららさんに、 町を案内していただいてるんです。 さつきちゃんは?」 「私は集金の真っ最中」 「もうすぐで下校時間だからね。 今のうちにやっとかないと、 騒がしくってやりづらくなっちゃうから」 「子供多いんだ、よかった……」 「うん、わりと多いよー。 あっちのほうにまだ学校があるからね」 「まだ?」 「なんでも、もうすぐで廃校になるらしくて。 んじゃ、ちょっと急いでるからまたねー」 さつきに別れを告げてしばらくすると、遠くからチャイムの音が聞こえてきた。 「子供が多いってことは、 なおさらニュータウン攻略が大事ってことね」 「攻略?」 「わぁぁ!?」「もが、もがもが……!!」 「あ。そうか! ニュータウンを攻略して お客さん、がっちりゲットしないとね!」 「そ、そうなんですー!」 「ここが昔、 くまっくのいた動物園があったとこ」 「熊崎城址公園?」 「あそこ、モニュメントがあるでしょ。 あれが、くまっくの碑」 「映画で見たのと一緒ですね」 ななみが神妙な面持ちでモニュメントを眺める。 「もっと昔は、熊崎城ってお城があったみたい。 戦国時代に建てられた城で、 確かなんとかって大名が――」 ──がしっ! 「きゃう!?」 「待ってたよぉ」 「ね、姉ちゃん!? いったい、どこから!!」 「それはナイショ。 はーい、おべんきょうの時間ですよぉ」 「わ、姉ちゃん! ちょっと待ってー! まだ案内したい場所が残ってるのーー!!」 「うふふ、だぁめぇ@」 ──ずるずる。 不意に物陰から姿を現した神賀浦さんが、昨日と同じく、有無を言わさぬ力で大家さんを引きずって行く……。 「じゃ、じゃあみんな! なにか困ったことがあったら、 いつでも言ってぇぇーー!!」 「みなさんごきげんよう〜♪」 「……いってしまいました」 「え? え? これで町案内終わり?」 城址公園できららさんと別れた(?)、俺たちは、とりあえずくま電に乗ることにした。 「…………つーん」 「…………ふーん」 身内だけになった途端に険悪ムード復活か。 確かに相性のいいメンバーとは言いがたいが、ここからチームワークを築いていくのが、チームの醍醐味ってやつだ。 そう言い聞かせて自らを奮い立たせる。 「なあ、このまま帰ってもいいんだけど、 せっかくだから温泉郷まで行ってみないか。 尻切れトンボじゃ気持ち悪いだろ?」 「とーまくんが行きたいならいいですよ」「国産が行きたいならいいけど?」 「む!?」 「ピンク真似すんな!」 「そっちこそ先回りしないでください!」 「なによ!! きら姉の前でバカみたいに『空から見たでござんすー♪』とか言ってた くせに! バレたらどーすんの!?」 「そんな言い方してません! それにりりかちゃんだって ニュータウン攻略とか言ってたし!」 「むぎぎぎぎぎ!!!」 こりゃ、空気を変えるどころじゃないな。 しかしなんというか、ジャブばかりでいまいちスッキリしない喧嘩だ。女子のいざこざってのはこんなもんなのか? 「あの……中井さん……」 「わかってる、仲裁なら俺がするから。 柊ノ木さんは心配しなくていいよ」 「むーぎぎぎ、むぎぎ、むーーーぎぎぎ!!!」 「おい、ひとまず車内は静かにしようぜ」 ガラガラの車両は貸切状態だが、それでもマナー的によろしくない。 「でも……」 「へ?」 「どしたの、すずりん?」 「いえ……なんでも」 「なにか気になることがあるんだろ?」 「はい……その、サンタは秘密厳守なのに、 どうして皆さん気軽にあんなこと 話してしまったのかと思って……」 「言われてみれば、 あたしいつも気を付けてるのに」 「わ、わたしもそーですよ!」 「えぇ??」 「ほんとですってば! けど、きららさんの前だと、 サンタのことも普通に話せちゃう感じで」 「ああ、確かにそれはある。 大家さんの人柄かな?」 「でもそれって危険よね? 特にこのピンク能天気ヘッドとか!?」 「ドリルちゃんのほうが100倍危険ですー!」 「なによ!!」 「なんですか!!」 「着いたーーーー!!!!」 「きゃああ!?」 「な、なんですか、いきなり大声で!?」 「なんでもない、降りるぞー」 「わぁぁ、温泉ですー! 温泉郷、右も左も湯気だらけー!」 「こんなに賑わってるんですね」 「射的もやってるし♪」 小競り合いサンタさんたちも、さすがにこのロケーションにはテンション上がったようだ。 「ね、とーまくん! せっかくだから温泉はいりましょーよー」 「よし、そうしよう!!」 はしゃぐななみと同様、俺も温泉で一休みしたいところだが、あいにくサンタ様ご一行は予算切り詰め中だ。 というわけで……。 「はぁ〜、癒されます〜」 「ほんとだー、ほわぁぁ……ハマりそうー」 「ま、今日のところは無料の足湯で我慢だ」 「ぜーんぜんオッケーですー」 「足だけなんて初めてですけど、 気持ちいいものですね……」 足先から温泉が身体の芯まで温めてくれるようだ。トナカイもサンタも、飛行では足腰を酷使するだけにこいつはまさに天国の心地。 さあ、この雪解けムードのなか、店長としてはサンタさんたちのチームワークをなんとか築き上げたいところなんだが……。 「お、そうだ! あれ決めよう、名前! ゆうべ先生が話してたやつ」 「チーム名のことでしょうか?」 「そうさ、俺たちのチームの名前だ! カッコいいのを考えようぜ」 「言い出しっぺの国産には 何かいい案があるの?」 「むむ、俺か? ええと……そうだな……」 「しろくま町……サンタ……んー、 ジングルベル……ツリー……〈導きの星〉《ロードスター》……」 「ふむふむ?」 「んー…………」 「『しろくまベルスターズ』なんてのはどうだ?」 「球団名か!!」 「パンチがきいてません」 「うぐぐ……好き勝手言いよって!」 「ま、トナカイのセンスなんてそんなものね。 こういうのは、もっとハッピーな気分になれる 感じじゃないとダメなのよ」 「と、言いますと?」 「そうねー、あたしだったら、 聖夜をモチーフした綺麗な感じがいいから……」 「聖なる夜、キラキラした星空…… だから、んーっと……セイントとか、 イブとか………………そうだ!!」 「聖☆聖夜!! すごくない!? 聖と聖夜の間に☆は必須だから!」 「……色々ひどすぎます」 「な、なんだとー!? じゃ、ピンクの案はどーなのよ!?」 「わ、わたしは、 聖なる夜に空を羽ばたくサンタさんの イメージで、ええと……」 「サイレントナイト〈翔〉《はばたき》!! これしかありません!」 「絶対却下!!」 「ど、どこがですかー? だいたい☆ってなんですか! 発音しないじゃないですか!!」 「ふっ……行間を読むだけの知能がないから このハイパーセンシズが理解できないのね。 やっぱりピンクは頭の中までピンク色!」 「ななななっ!? り、りりかちゃんだって 頭の中まで真っ金金じゃないですかー!」 「ピンクよりゴールドの方が強いし!! 黄道十二宮だし!!」 「ピンクのほうがかわいいんですー!!」 「中井さん……やっぱり無理です」 「とりあえず落ち着け、 そして平和裏に話し合おう」 「話し合っても無駄! どーせピンクは 考えなしに思いついたこと言うだけだもん。 サンタは楽天的ならいいと思ってんでしょ!」 「ち、違います! りりかちゃんこそNYに 戻ることばっかり考えてるから、人の話なんて ぜーんぜん聞いてくれないし……!!」 「喝ーーーーーーーっっ!!!!!」 「うぇぇ……!?」 「……と、さすがにボスほど声は出ないか」 「な、中井さん……?」 「あのさ、サンタさんたち ちょっと聞いてほしいんだが」 「な、なによ」 「…………なんですか?」 「あのさ、サンタさんとはいえチームだし、 喧嘩をするのも分かるよ。 トナカイはそんなのしょっちゅうだしな」 「けど、やるならちゃんと喧嘩しろ!」 「…………!」 「どーせピンクは……とか、 どーせりりかちゃんは、とかさ、たった3日で そこまで相手のことが分かるのか?」 「………………」 「柊ノ木さんもさ、最初っから、 どうせ二人は私のこと分かってくれないって 思ってなかったかな」 「………………」 「それは結局、 頭の中でこしらえた相手に向かって 腹を立ててるだけでしかない」 「自分勝手に怒ってるのと ちっとも変わらないと思うぜ」 さっきまでやかましかったサンタさんたちが、神妙な顔で俺の言葉を聞いている。 「そういう喧嘩は絶対にスッキリしない。 ちゃんと相手と向き合わないと、 仲直りなんて絶対にできないぜ」 俺はガキの頃からそうやって鍛えられてきたし、曲者の多いトナカイの中でもそれは一緒だった。 けれど若いサンタさんは修行ばかりの毎日で、案外こういう衝突に慣れていないのかもしれない。 「………………」 「………………」 などと偉そうな俺も、実のところ説教垂れるなんてのは初めての経験だ。 昔、師匠に諭されたときのことを思い出して、勢い任せに喋ってみたはいいものの、困ったことにまとめの言葉が出てこない。 「………………」 さて、どうしたものか。こういうとき、気の利いた格言でも知ってれば、締めの言葉に使えるんだが……。 ええと────抱腹絶倒、違うな落ち着け。 「おお!? 電話だ!!」 「で、電話ですね!」 「早く出ないと!」 「そ、そうだな、出よう、うん!」 「ん……透か? もしもし?」 「中井さんですか? ちょうど手が空いたので これからカペラの整備を……と思ったのですが」 「おおっ! 悪いな、助かる。 俺もすぐに戻る!!」 「はい、僕も至急向かいますので、お願いします」 「よし、わかった。 それじゃ、また後で!!」 「と、いうわけで、帰らないと!!」 「そ、そりゃよかった!」 「カペラくんの修理ですね!」 「お、おう、みんなは?」 「わ、私は……夕食の買出しがありますから、 このまま行ってこようかと……」 「だったらわたしも行きます!」 「あ………………」 「り、りりかちゃんも一緒に行きましょう!」 「そ……そうね! 仕方ないな、 買い出しは一人で行かないって約束だし!」 「はい、お願いします」 「よし、じゃあ解散!!」 「了解です」 「………………」 「………………」 「解散じゃなかったの?」 「俺に言うな、方向一緒なんだから!」 「あぅぅ、なんか気まずいです……」 「どうだ?」 「うーん…… ハーモナイザーの同調率が不安定ですね」 「だよなぁ」 「たぶんですけど、 ルミナのエネルギー変換効率が、 高すぎるのが原因かもしれません」 「というと?」 「前にイングランドで似たケースを 見たことがあるんですが 〈星石〉《スター》が敏感すぎるんです」 「そのせいでタンクのルミナが 本来より高濃度のエネルギー結晶体に 変換されてるんです」 「そのせいで変換直後は機体の出力が急激に上昇、 しかし、すぐにルミナの供給不足に陥り、 今度は出力が低下します」 「それを繰り返しているせいで 挙動が不安定になっている?」 「多分……なんですけど」 「なるほど。 それで、計器の表示がこんなデタラメに」 「ぼくが操縦した時は、 石がハーモナイザーから離れていたために、 挙動が安定していたのかもしれません」 「敏感すぎる〈星石〉《スター》か……」 「でも、ルミナの変換効率の高い、 良い石だとも言えます」 「ベテルギウスの石よりも?」 「そうですね。 ただ、通常の星石より繊細なので、 調整にも時間がかかりそうですが」 「それでも……あと少しさ」 「はい」 『あと少し』しかし、10ヶ月待ってからの『あと少し』だ。透がいなければ、さらに長引いていただろう。 「……詳しいんだな、まだ若いのに」 「はい、それはもう……」 「サー・アルフレッド・キングに、 鍛えられましたから……か?」 「………………」 「僕は、小さい頃に弟子入りして、 サー・アルフレッド・キングに連れられて、 イングランドで修行しました」 「じゃあ、キャロルになってから、 結構長いのか」 「いえ、ずっとサー・アルフレッド・キングの 身の回りのお世話をしていましたが、 正式にキャロルになって、まだ1年程度です」 「1年か……それでサンタさんを叱れるんだから、 度胸はAランクだな」 「や、やめてください。 これでも緊張してるんですから」 「サンタとトナカイ、 どっちを目指すんだ?」 「どっちかと言われると……わかりません、 今はキャロルの仕事で精一杯で」 どっちかというと、どっちでもない。透は管理職に向いているような気もする。 「それにしても、こんなチームワークで……」 「本当にすまん」 「いえ、中井さんのことじゃなくて……」 「ん、それでも頑張ってるほうさ」 「……そうでしょうか」 ──ああ、そうさ。腹の中でそう呟いて、足湯での一幕を思い返す。 あいつら、あれから町に出てどうしただろう? と、そこへ階上からどたどたと足音が響いてきた。どうやら件のサンタたちが帰ってきたらしい。 「なんだ、またやけに騒がしいな?」 「はぁぁ……まったく、あの人たちは」 「ただいまー」 「あれ、誰もいない?」 「2人で地下に潜ってるんでしょ。 ん、なによ、ななみん!?」 「りりかちゃんはどんなのを買ったんですかー?」 「べ、別にいつも通り! あんたこそどんなの買ったの?」 「わたしも普通ですよ。 すずりちゃんは?」 「普通……ですけど……」 「むむむ……みんな普通と言いますか? これは大変ですね」 「なにが?」 「だって、わたしたちの「ふつー」が 試されてるってことですよ!」 「誰にどう試されているのよ?」 「ま、まあ確かに趣味とか嗜好とかあるし、 第一こーゆーのは いちばん個性が出る部分だとは思うけど?」 「そのふつーが、どれだけふつーなのか!?」 「わ、私のは本当に普通のもので!」 「なので!! せっかくですから、みせっこしませんか?」 「ええーー!?」 「なに考えんのよピンク頭!!」「そ、そんな恥ずかしいこと無理ですっ!」 「いいじゃないですかぁ。 お互いの好みを理解するのも チームワークづくりの一環です!」 「ち、チームワークか……痛いところを」 「ですけど、ななみさん……!」 「でも……ま、一理あるかも……」 「えぇぇ、りりかさんまで!?」 「よーし覚悟決めた! あたしは構わないわよ?」 「そんな…………」 「硯ちゃん、やりましょうよー!」 「そーそー、夕飯まではまだ時間あるし……」 「あぅぅ……!! わ、私は……みなさんがしたいなら……」 「よーし、けってーい♪」 「……あと少し、あと少し……か」 思わず漏れる溜息ひとつ。 もちろん〈星石〉《スター》の交換程度で簡単に動くとは思ってなかったが、細かい調整が意外に大変だ。 それでも透が骨を折ってくれているのでこっちはだいぶ助かっている。 「で……連中はどこへ消えたんだ?」 そろそろ夕飯だというのに、どこへ行ったのだろう。 「またメニューとかで喧嘩してなきゃいいんだが」 「わわ、ななみんってけっこうノーマル!?」 「だからふつーって言ったじゃないですか」 「確かに変じゃないわね。 もっとオマケつきとか、アメ玉入りとか そんなの想像してたけど……」 「もー、どういう意味ですか!! 普通ですよね、硯ちゃん?」 「は、はい、可愛いと思います。 ななみさんらしくて……」 「うん、子供っぽくてかわいい」 「り、りりかちゃんのはどーなんですか!?」 「あたしのは……ふつーにこれだけど……」 「黒っ!?」 「く、黒で悪いかーー!?」 「いっ、いえ……ステキだと思います」 「黒パンツってこのことだったんだ。 これが、りりかちゃんの、ふつー……」 「い、いいじゃん、黒って強いんだから! ラスボスってたいてい黒いし!!」 「ラスボスりりかちゃん……!? 確かにアダルト的な意味ではラスボスかも」 「うるさいうるさいうるさいっ!」 「あ、でも……!」 「あわせてみると……すごく可愛い!!」 「ほ、ほんと? や、やだ……そーかなぁ?」 「うん、さすがりりかちゃん、 おしゃれさんです!」 「そ、そう……ふふふ、だったらいいけど」 「んで、すずりんのは?」 「あ、あの……これ……です」 「わわ、清純!!」 「うっ、清潔感ナンバー1かも……」 「へ、変じゃないですか?」 「ううんっ! すごくすずりんらしい。 あたしこーゆーの合わないからなぁ」 「わたしはサイズ的に無理です……」 「うぅ……さすが最年長」 「そ、そんなことないですよ! 二人ともすぐに……」 「…………」 「すぐに、たぶん……」 「んー、でも見てるだけじゃ、 いまいちイメージ浮かばないよね」 「やっぱり……着けるしかないですか!?」 「ええぇぇぇっ!?」 「もー、こーなったら仲間だし。 お互いのこと、もっとよく知るには!」 「で、でも、でもそれは……でも!!」 「いちばん、星名ななみいっきまーす!!」 「あたしもー!!」 「うぅ……そ、そうですよね」 「わ、わかりました……チームワークですっ」 「まったく、なんだこの騒ぎは。 ななみの部屋か……」 やれやれ、また口げんかでもしているのか?今度はうまい締めの文句を考えて行かないと。 「おーい、何やってんだー?」 「わぁ、りりかちゃん やっぱりラスボス!!!」 「それ、ほめてるかどーか分かんない!!」 「やれやれ、またか……」 「っていうか……すずりん……すごい……」 「ほ、本当……別の意味でラスボス」 「やぁぁ! まじまじと見ないでください……」 「おい、なにやってんだ。大丈夫か?」 「さっきも言ったが、喧嘩ってのはな……」 「アーク・スラッシュ!!!」 「な、中井さん!? 今の声はっ!?」 「中井さん! 中井さんどこですかー!?」 「…………」 「テラスの方!?」 「中井さん! 何があったんですか!?」 「え……?」 「な……!?」 「…………?」 「!!!!!!」 「…………!!!!!」 「あーーーーーーーーーーー!!!!!!」 「わ、わわわ、とーるくん!?」 「なっ……なんでニセコがここにいるーー!?」 「ちっ、違います! 僕はただ……っ!」 「いやっ、いやっ、いやーーーー!!!」 「ま、真面目な子だと思ってたのにー!!」 「うわっ!? だから違うんですって!! 僕はただ中井さんの悲鳴を聞きつけて! あれ、中井さん、どうして倒れて……!?」 「このエロトナカイを 助けにきたふりをしても無駄よ!」 「とーるくん、成敗ですっ!!」 「ち、ちが……うげっ!」 「顔を上げるな! 淫魔キャロル!」 「呆然としたふりの凝視もダメっ!!」 「そういうわけじゃありま……うげっ!!」 「ソニックダガー!!」 「ぐぁぁぁぁぁ! どうしてこんなことに!? 中井さん!? どうして寝てるんですか!? 鼻から血を流して……!!」 「で、で、出て行ってくださいーーっ!!」 「は、は、はいいぃっ!」 「この鼻血も持ってけー!!!!」 「うわっ!?」 「そして記憶を全部消してくださーいっ!」 「目をつむってーーー!!」 「二度とこないでーーっ!」 「はいーーーーっっ!」 「ち、ち、違う!! というかなんだか分からん!!」 「うるさい、ピーピングトナカイ!!」 「してない、ピープしてない! むしろ堂々としてた!」 「居直るのってどうかと思います!」 「堂々と覗くのはもはや強姦!!」 「だから俺はまだ状況が……おい、な、ななみ!?」 「とーまくん、いくらペアでも節度があります!」 「うああぁぁぁぁぁ!!」 「だからみなさん!! 落ち着いて話し合いましょう!」 リビングの床に正座させられながら、おろおろ弁明する俺と透を、女子三人は三角形を作って取り囲む。 「とーまくんはともかく、 純真無垢なとーるくんまでっっ!!」 「いや、ともかくって何だ!?」 「こいつはもともとこーゆーやつよ!」 「違いますってば!!」 「ええい、同居をいいことにいたいけな 乙女のヌードをゲットしようなんて! 即刻死刑! 肉は塩漬け!」 「本当に見てない!! 入るなり殴られて、俺はなにも見る暇なく」 「ふーん、どーだか!」 「うぅ……っ、だから同居なんて……」 「だいいちノックをせずに開けたのが怪しいです」 「それはまたお前たちが 喧嘩をしてたのかと思ったから」 「ぼ、僕は中井さんの声がしたから 何かあったのかと!」 「いいわけするな、のぞきんぐ!」 「のぞきんぐ!!?」 「とーるくんは、リトルのぞきんぐです」 「ひどい称号だーー!!」 「二人とも……まともな人だと思ってたのに」 「トナカイの女好きはどーしょもないわよ。 人の血3割、野獣7割ってとこね!」 「とーまくん、ほとほと愛想がつきました」 「…………(つーん)」 「じゃ、じゃあぼく、そろそろ帰ります! サー・アルフレッド・キングに、 お使いを頼まれていてーー!!」 「そそそうなのか! じゃあ俺はそこまで見送ってくる!」 「あっ、逃げた!!」 「こらーーっっ!!」 「もうとーまくんは夕ごはん抜きです!!」 「反省してください!」 「で、で、ではっ! あとはよろしくお願いしますっっ!!」 「俺も支部にかえりたい……」 「無理を言わないでくださいっ!」 はぁ、はぁ……なんなのだあのトライアングルフォーメーションは。 3人とも完全に結束していて、何を言っても聞いてもらえそうにない。 こ、これは抜群のチームワーク!?俺という、共通の敵を得たことで!? うぅ……喜ばしいことが全く喜べないこのジレンマをどうすればいい!? 「……ふぅ」 冷たい水で顔を洗って、頭を冷やす。 うかつだった。女子と同居してるという意識が、いつの間にかすっぽり抜け落ちていた。 お子様のように見えはしても、彼女たちは立派な女子、しかもちょっと上司様だ。俺はそこのところを少し忘れていたのかもしれない。 おかげで喧嘩の仲裁どころか事態がぐちゃぐちゃになってしまった。 このまま放置するわけにも行かないし、なにより、チームワーク成立の鍵となるボールは俺の手元に来てしまったようだ。 俺がいますべきは、とにかく、この深刻な誤解を解いて、サンタに納得をしてもらうこと。 しかし、あの団結力を前にしてはまずい。皮肉な話だが、一人ずつ、根気よく当たることにしよう。 さしあたって一人目をどうするかだが……。 「……よう、ななみ」 「……とーまくん」 朝食後の空き時間。テラスでスコーンを食べていたななみに、俺は声をかけた。 「あのさ……なんというか」 昨日のことを釈明したいのだが、改まった空気になると、とたんに言葉が出なくなる。 「なんですか?」 「透の調整がそこそこうまく行ってさ、 せっかくだからカペラで、 テストフライトをしようと思うんだが」 「カペラくんが!?」 「ああ、一緒に飛んでみないか?」 「…………変なことしないですよね?」 「しないってば!」 「よーし、頼むぜカペラ!」 「きゃあああ!?」 「うおお!? っと、大丈夫か?」 「へ、平気です」 「よし、行くぞ……」 なんとか飛べるようにはなったものの、まだ出力が安定しないようだ。 しかし、そこはトナカイに乗り慣れたサンタさん。慣れたもので、怖がる様子もない。 俺はふらふらとツリーの周囲を飛びながら、話を切り出すタイミングを計っていた。 変にごまかしてもだめだ、本当のことだけを伝えよう。 「ななみ……その、こないだは悪かった」 「え……!? いや、そ、その……あれは」 「本当に、やましい気持ちじゃなかったんだ。 それは信じてほしい」 「うん、わかってます」 「……?」 「ほんとは事故だって分かってました、 だから……その、気にしないでください」 「でも、すごく怒ってたぜ?」 「そ、それは……!!」 「や、やですね……女の子ごころです!」 「照れ隠しみたいなもんか?」 「わぁぁ、なんでみなまで言いますかーっ」 「す、すまん! そっか……そりゃ何より……うわ!?」 「っとと……危ない」 「カペラくん、調子悪そうですね」 「ああ、これ以上は危険だな」 「すまない、こっちから誘っといて」 裏庭に不時着しながら、後ろに乗ったななみに謝る。 「でも、久しぶりのカペラくん、楽しかったです」 「いや、もう少し直ってからにするべきだった」 「頭が上手く回ってないな……。 愛機の調子がこうだと、正直焦ってくる」 「とーまくんでも焦りますか?」 「ああ、自分の役割が果たせないってのは、 なかなか辛いもんだぜ」 「…………」 「わたしも……焦ってたのかもしれないです」 「お前が?」 「そうは見えませんか?」 「しごくマイペースに見えるが……ん、いや でも、たまにそれっぽいときはあったな。 とくに金髪さんと……」 「そうなんです……」 「どうした」 「その……りりかちゃんが上手すぎて」 「上手すぎる……? たしかに、連中の技術は半端ないが」 NYから来たエリートコンビ。サンタじゃない俺から見ても、りりかの凄さはよくわかる。 「たぶん、わたしが気にしすぎなんです。 りりかちゃんにコンプレックスがあって」 意外な台詞だった。ななみがそんな風に感じていたなんて。 「そのせいで、りりかちゃんがなんでも1人で、 やろうとしてるように見えちゃって……」 「でも、とーまくんに言ってもらったから。 もっとちゃんとりりかちゃんのこと 見ないと駄目だって思いました」 「だから思いついたんですよ! 下着の見せっこしたら、もっと りりかちゃんのこと分かるんじゃないかって」 「なんでそうなる!?」 「秘密を共有するっていうか、 秘密を見せ合って仲間意識を 高めようという深謀遠慮がですね」 「……どっかズレてるな、おまえはいつも」 「うぅ……面目ありません」 「ま、それでチームが団結できてるんだから それでいいんだろうさ」 「できてますか?」 「俺を吊るし上げた時は凄かった」 「おおっ! それは良かったのかもしれないです。 とーまくん! もしよかったらまた……」 「覗きはしないぞ!」 圧縮されて噴き出した水が、木の葉を弾く。 ──1発! 2発! 3発! 今度は、立て続けに3発。水の固まりが、風に揺れていた3枚の木の葉を、正確に撃ち抜いている。 「たいしたもんだ」 「べっつに」 素直な感嘆の気持ちを言葉にしたのだが、りりかは興味なさげに、次の的に狙いを定めた。 その手にあるのはハイパージングルブラスター。ユール・ログの二丁拳銃だ。こいつはどういう仕組みか、水鉄砲にもなるようだ。 「あのさ金髪さん、特訓中に悪いんだが……」 「わっぷ!?」 「特訓じゃないわ、遊んでるだけ」 「……遊んでる最中に申し訳ないが」 水鉄砲を喰らった鼻先をさする。音のわりに、大して痛くもない。木の葉を揺らす程度の威力だ。 「どーしたの?」 「昨日のこと謝らせてくれないか」 「謝らなきゃならないようなこと、したんだ?」 「不可抗力! けど、謝らなきゃならんことだった……」 「………………」 「とにかく、俺が悪……」 「……もういい、許してあげる」 「いい?」 「うん、気にしてるけどもういい。 その代わり、条件があるんだけど」 「……お手柔らかに頼みます」 「カペラ直ったんでしょ。 乗せてくれない?」 「うげ、本当にのろい! っていうか低い!」 「だから先に聞いただろ? のろまでいいならって!」 「にしたってひどいって! もうさいてー! ぜんっぜんクールじゃない!」 「こんなんじゃ、 ニュータウンにつく頃には、 日が暮れちゃうわ」 「さすがにそれはないと思うけど……」 調整中のカペラは相変わらず出力が安定せず。騙し騙し動かしても、せいぜいホバー程度の飛行しかできない。 りりかは、ニュータウンの調査に行きたいのだと言うが……。 「すまない。 足を使ったほうがよさそうだ、サンタさん」 「えーー!?」 「はぁぁ……いらいらいらいら。 またこののろい電車! もっとキビキビ走れないのかしら」 「うちのサンタ軍団とおんなじ。 みんなとろくさくって……」 昨日に引き続いての電車移動だ。 りりかとちゃんと話がしたいのだが、このイライラぶりに果たしてどう話を切り出したものか……。 いや、トナカイが小細工してどうする。こういう時は、率直に聞くに限る。 「実際のところ、 他のサンタはそんなに頼りないかな?」 「ピンク頭はね!」 ううっ! 返す言葉がない。 「でも…………素質はあるけど」 「……!?」 「それにしたって、ぜんぜん活かしてないし! その気もないみたいだし!!」 「っていうか、 どーしてあたしにそんなこと聞くの?」 「そりゃあ、お前が一番先輩だからさ」 「……!」 「な…………ならいいけど」 ――あの子……スゴイかも。 歓迎会の夜だ。大家さんを事故から守ろうとした一件で、りりかはそう言って、ななみを認めていた。 「柊ノ木さんは?」 「すずりんは……地味だけどそんなに悪くない」 「あたしにはできないタイプの 仕事をこなせる子だと思うし、 ああいう子もチームには必要よ」 「だったらどうしてイライラしてるんだ? 2人のこと認めてるんだろう」 「手応えがないんだもん。みんなどこに モチベーションがあるのか見えないし、 ほんとにやる気あるのかわかんなくなるの!」 「そこは新人さんってことでさ」 「新人だってプロはプロ! 目の前の仕事をこなすだけじゃ、 やる気なんていわないわ」 「あたしが言ってるのは使える使えないじゃなくて この辺境のしろくま支部で、 サンタとして何がしたいのかって話!」 「なら、そいつを聞いてみればいいさ」 「誰によ?」 「本人に」 「…………だって、どうせ」 「……あ!」 どうせ、と言いかけたりりかが慌てて口をつぐむ。 「は、話してみたらいいの?」 「ん……」 「国産は……それでいいと思ってる?」 「ああ、俺はそう思う」 「じゃあ……今回だけ、 国産に免じて聞いてみることにするわ」 「ありがとう、それがいい」 「でも……今回だけだからね!」 「とは言ったものの……」 結局、謝る機会が見つからないまま、翌日になってしまった。 本当ならズルズル引きずりたくないが、彼女と二人きりになれるタイミングがなかなか見つからなかったのだ。 「ふーむ……」 「……ん?」 リビングに入ると、風に乗って香ばしい匂いが鼻に届く。 もしかして……。 キッチンを覗き込むと、エプロン姿の柊ノ木さんが黙々とご飯の支度をこなしていた。 壁の時計を見上げると、すでに昼時を回っている。 「…………」 黙々と料理を続けている柊ノ木さんは、目の前の俺に全く気づいていない。 周りにはななみ達も居ない。謝るなら今しかないな。 「もぐもぐ……ん。 あとは……」 「柊ノ木さん」 硯の手が止まった所を見計らって、声をかけた。 「? あ、な、中井さん」 「料理中にすまない。 少し話したいことがあってさ」 「話したいこと、ですか?」 「ああ。その……」 「すまなかった!」 硯に向かって、深く頭を下げる。 「え? いきなりどうされたんですか?」 「いや、この前に覗いてしまっただろ? その……着替えをさ」 「あっ……!!」 「だからちゃんと謝ろうと思って。 すまん! 次からはもっと気をつける」 「そ、そんな……。 あ、あれはその……じ、事故だったんですから」 「もう怒ってませんから。 中井さんも、もう気にしないでください」 「む、むしろ忘れてもらえると……そのっ」 「忘れる……というか、何も見えてなかった、 本当だから、そこは安心してほしい」 「は、はい……!」 「……と、ところで、 さっきから何か探してるみたいだが……」 「あ、はい。 調味料が幾つか見当たらなくて……、 今からちょっと買ってきます」 「俺も一緒に行こう。 荷物持ちは必要だろ?」 「え? で、でも……」 「それに柊ノ木さんの買出しには 誰かがついていかなきゃ駄目なんだろ?」 「あぅ……は、はい」 「なるほど……。 アレはななみからの提案だったのか」 「はい」 しかし、みんなと打ち解けるためとは言え、いきなり下着品評会を提案とは……。 「あいつらしいというか、何と言うか……」 柊ノ木さんとは違う意味で、やっぱりどこかズレてるな。 「で、柊ノ木さんは、 それに巻き込まれてしまったと」 「は、はい……。 仲間意識を高めるためでしたから」 「それでもやっぱり恥ずかしかったと」 「……(こくり)」 「そういうことは、ちゃんと話さないとな」 「私……昔からこういうの駄目なんです」 「こういうの?」 「その……みんなに溶け込むとか、 そういうの、上手くできなくて」 声のトーンが沈む。それに合わせて、彼女の足取りも重くなっていく。 「俺はまだ付き合いは短いし、 柊ノ木さんのことはまだよく知らないけど」 「きっと色んなことを気にし過ぎてしまうんだな」 「……!」 「はい……たぶん」 「けど、そいつは武器にもなるさ」 「え?」 「スロバキアの師匠がよく言ってたんだ。 サンタには慎重さこそ必要だ……ってな」 「そうでしょうか……」 「もともとサンタなんてのは楽天家だからな。 引き締め役が必要ってことなんだと思うぞ」 「だから、そこまで深刻に 考えることもないと思うぜ」 「……はい」 「調味料だけだったはずなのに、 随分と買ってしまったな」 「は、はい……」 ツリーハウスに続く田舎道に差し掛かった頃、俺と硯の両手には、パンパンに膨れた買い物袋。 最初は調味料だけだったのに、足りないものとか考えているうちに、ついつい買い込んでしまった。 「あの……中井さん」 「ん?」 振り返ると、硯は目を逸らさずに、真っ直ぐに俺を見ている。 「チームの名前なんですけど……、 私、しろくまベルスターズがいいと思ってます」 「柊ノ木さん……」 「私……もっとちゃんと伝えます。 ななみさんにも、りりかさんにも。 その……中井さんにも」 「……もっと、自分の気持ちを」 「……なら、ちゃんと皆で話をしないとな」 「はい!」 ──夕方。 店長らしくサンタさんの仲を取り持とうと張り切っていた矢先、 なんの前触れもなく2人目のお客さんがきのした玩具店を訪れた。 「とととーまくん!?」 「お、お客さんか!?」 「幻覚……じゃないわよね?」 「ほ、本当に……?」 「そんなにお客が珍しいんですかね?」 「わぁぁぁ!?」 「お、お見苦しい所を お見せしてしまって申し訳ありません」 「いいんですよ。 こんな町外れにお店を構えてるんですから、 仕方のないことかもしれませんねえ」 にこにこと頷いて、棚から棚へと視線を移してゆく品のいい老婦人。 ああ、確かにこんな人がおもちゃを求めに来てゆったりと暖かい時間が流れてゆく──、そんなのがこの店には似合う気がする。 「なんかいいですねー」 「お客さんが、うちのおもちゃを 見てくれているだけで……ちょっと嬉しいです」 「これが普通なのよ」 「……あの、よろしかったら」 す、と硯が老婦人へ日本茶を差し出した。いいぞ、ナイスサービスだ。 「ふぅ……いいお茶ですね……」 「ご自宅用をお探しですか?」 「ええ、孫がひとりいましてね。 ここにおもちゃ屋が出来ると、 楽しみにしていたんですよ」 湯飲みを置いた老婦人が、手提げから出した小さなデジカメで店内のあちこちを撮影しはじめる。 「……何で写真?」 「記念撮影じゃないでしょうか」 「ブログで紹介してくれるのかもしれません」 「(わぁぁ……!)」 「ここは少し前まで廃屋寸前だったんですよ。 それをここまで改装するのは大変だったでしょう」 「いっ、いえ! 私達がついた時にはこ、もがもが」 「なるべくこの町に合ったデザインを、 と特別発注しましてー!」 「しかし、これだけ改装して、 大家さんは大丈夫なのですか?」 「ええ、それはもう」 鰐口……じゃなくて、きららさんに言ってあるから、問題ないだろう。 「それならよろしいのですが、 ここの大家の鰐口さんは、 何かと厳しいそうですから」 「そ……そんなに厳しいんですか?」 「ええ、それはもう」 老婦人はあたりを見回すと、ささやく。 「家賃を一月滞納しただけで、 鍵をつけかえられ部屋に入れ無くされ、 家具を全て売り払われた人もいるという噂ですよ」 「そんなことが!?」 「あくまで噂ですけどね。 他にもいろいろと恐ろしい話はあるようですよ」 お茶をずずっと。 「それにしても、 木のおもちゃしか置いていないのですね」 「はい、ツリーハウスなので 木のおもちゃ屋さんなんです」 「孫がでぃーえすのなんとかいうのを 欲しがっているのですが……」 「でぃーえす?」 「ゲーム機」 「む、むむ……そ、それは」 「これでしょうか?」 ななみが棚の隅に置かれた剥き出しのゲームソフトを手に取る。 「ええと……『パラレルプロ野球』ディーエス版?」 「(なんでそんなのがあるんだ?)」 「(リストにはありませんでしたが……)」 「いかほどです?」 「え、あ、あの…… い、いかほどなんでしょう?」 「駅前の量販店なら 1000円程度ですよね」 「1000円……なんですか?」 「あの、それは売り物ではなくて……」 「誰かの忘れ物、よね?」 「なので、お売りするわけには……」 そう言うと、老婦人はにっこりと笑って、 「その通りですね、これは今しがた 注意力散漫なあなた方の目の前で、 私がここに置いたものですから」 「へ?」 「あの、その、どういうことなんでしょうか?」 「あなたがたがどんな反応をするか、 見て見たいと思いましてね おほほほほ……では、ごきげんよう」 「あ、あの……」 「なに今の……?」 「忘れ物が見つかってよかったじゃないですか」 「それはそうなんだけど……じゃなくて! あの人はわざとあそこに置いたんでしょう! 忘れ物じゃないじゃない!」 「わざわざ置いた忘れ物なんですよ」 「だから、 そもそも忘れてないじゃないの!」 「結局、なにも買ってもらえませんでしたね」 「仕方ないさ、 ディーエスのソフトは置いてないんだし」 「なにが仕方ないんだい!!!」 「わぁぁぁ!?」 「お、お客さん、なにか!?」 「おい。店長はお前かよ?」 「え……あ、はい!」 「いったいなんだいこの店は! お前ら商売を舐めてるだろう!」 「と、いいますと?」 いきなりえらい豹変だ。にしてもこの人……初対面のはずなんだが、どこか見覚えがあるような。 「なんで商品じゃないものが 棚の上に並んでやがんだい!? 仕入れてるものくらい把握してな!」 「それはお客様が置き忘れたのでは?」 「こいつは俺のじゃねえよ!!」 「そんなこともよく確かめずに返しやがって、 こんな間の抜けた店じゃ、 万引きゲス野郎のパラダイスだよ!」 「売っている商品の値段もろくに知らず、 どんな商品を売ってるのかすら、 あやふやじゃないか! 大した商売人だよ!」 「その上、新規開店だってぇのに、 事前の宣伝も事後の宣伝もしてない始末、 呆れ果てちまうね!」 「せ、宣伝なら……ですね、 ささやかながら駅前で おむすび……サンドイッチマンなどを!」 「ふぅん。で、客は来てんのかい?」 「ふ、二人来ました!」 「オレを除くとひとりかよ! 来てねぇっていうんだよそれはよ!!」 「てて店長ーー、なんとか言ってください」 「うん、返す言葉がない」 「そんなー!!」 「おい店長、今、この町のおもちゃ屋で、 何が一番売れてるか、 もちろん知っているんだろうね?」 「ええと……もしかして ディーエスですか?」 「こんな初歩も知らないのかい! 仮面ライガー竜ドラゴンの サン日輪変身ベルトだよ!」 「おお、テレビで見たことがあります! ベルトのバックルに太陽の光を5分間あてると、 そのエネルギーで変身するんですよ!」 「知ってたって、 置いてなけりゃあ意味がないよ!」 「あぅぅ……」 このまくし立てる感じ……、どこだ、どっかで見たことがある。遠い過去じゃない、ついさっき……。 「あんたら事前のリサーチとかしてないだろ! まったく売れ筋から外れた商品並べて、 しかも宣伝すらしない!」 「じゃあ売れ筋から外れた所で勝負してるかと思や、 どういう方針なのかすら、 店員に徹底していない始末! 最悪だね!」 「いや、でもこれがいいおもちゃなんですよ 大量生産では味わえない……」 「そりゃ、 木のおもちゃの需要だってあるだろうよ!」 「だがね、そういうこじゃれたのは、 おされな大都会なら商売として成り立つだろうが ここ程度の町で、成り立つわけねぇだろ!」 さっき……今日町で会ったか?いや、会ってたら忘れないインパクトだ。だったらどこで…………。 ────映画館!? 「それに、まさか知ってると思うが、 駅前に、もっとでかくて、 こういうのが充実してるおもちゃ屋があるんだよ」 「ええっ!?」 「かぁっ。知らなかったのかい!? あんたら同業他社の調査すらしてないのかい! さっさと荷物をまとめて引き上げるんだね!」 「あの……ご忠告痛み入りますが、 そもそも貴女は誰なんですか?」 「(だめだ、聞くのはよせ!)」 「なんで!?」 「(なんでって……そりゃ……)」 「オレか? オレはお前らの大家さ」 「大家さん……?」 「……ということは!?」 「ワニグチさんだーーー!!!!!!」 「そうさ。 鰐口みすずとはオレの事さ!」 「……ごくっ」 やはり……と思うと同時に喉が鳴った。 ついに正体を現した恐怖の大家!なるほど、噂にたがわぬ大迫力だ。いったい俺たちの運命はどうなってしまうのか!? 大家さんは来客用の椅子にどっかりと座ると、タバコを取り出して火をつけて、実にうまそうに吸った。 「おい、ボンボン店長」 「は、はい?」 「最近じゃネットなんて便利なもんがあってね。 ググれば結構いろいろ判るんだよ」 ぶわ。と、白い煙が吐き出される。 「きのした玩具店はいっぱい引っかかったがね、 チェーン店になってるのはなかったよ。 これはどういう事なんだい?」 「検索!? いえ……そんな筈は!」 「そんな筈もこんな筈もねぇよ。 なぁ。あんたらオレに嘘こいて、 店を借りたってわけなんだな?」 「そ、それはですね……」 正確には、透がなんだがそんなことはこのさい問題じゃない。サンタの秘密がピンチだぞ……どうする、店長!? 「契約時に虚偽の申告をしたとあっちゃ、 賠償をたんまりいただくとするかねぇ」 「い、いやその……!!」 「それはご心配をおかけしました!!」 ──金髪さん!? 「チェーン店はチェーン店でも、 本部は外国にあるんです!」 「ほう。どこの外国だい? 出来れば地球上に実在する国に、 あって欲しいもんだ」 「はい、グリーンランドに本部があるんですよ」 「け。よりによってあんな場所かい。 それに本部だって?」 「私どものグループでは、 本店を本部と呼んでいるんです。 日本ではフランチャイズ経営をしていまして」 「ふぅん……」 「日本はここが一号店なので、 まだまだ無名なんですよ」 「……というわけです、大家さん」 「……ふん!」 大家さんは、露骨に信用していない様子で、鼻を鳴らすと、 「おい。灰皿」 「はい、こちらに!」 「ふん、随分と変わった灰皿だね」 「(あれは貯金箱なんですが……)」 「(いいの、訂正すると面倒なことになるわ)」 大家さんは灰を落とすと、再びタバコをくわえて、またもうまそうに吸って煙を吐き、 「さて……オレの許可も得ず、 この建物を随分といじくり回してくれたようだが、 釘とか打ち込みまくったんだろうね」 「え? それはまあ、多少は……」 店内は補修程度にしかいじっていないはずだが、昨日たこやき屋になった話は絶対秘密だ。 「この建物、結構古くからある貴重なものでね。 もちろん、退去する時には 弁償してくれるんだろうね?」 ゆらゆらと煙をたなびかせるタバコの先端が、俺に向けられる。 「もちろん、元通りにいたします!」 「すぐにできます。張り紙をするときも、 糊が残らないテープを使っていますので」 「どーぞご安心くださいな!」 「……ふん!」 大家さんは灰皿(?)にタバコを押しつけると。 「なるほど。あんたらの責任で、 ちゃんとするってわけだ。 確かに聞かせてもらったよ」 大家さんは俺達に見せつけるようにポケットの中から小型のレコーダーを出して、録音を切った。 「店長は無能の極みのウドの大木みてぇだが、 小娘どもはよくさえずるようだね」 「さえずりには責任が伴うって事を 判ってりゃ結構なんだがね」 「ま、オレとしちゃ、 きちんと店子としての責任を 果たしてくれりゃ文句はねぇよ」 「店子の責任というと、家賃ですか?」 家賃は本部から出ることになっているから、そこは全く問題がない。 「家賃をきちんと納めるのは当然さ。 ここで首くくったり、火の不始末を起こしたり、 犯罪しでかしたりペット飼ったりしねぇって事さ」 「……ペット」 「ああ、その……野鳥がよく枝に止まるんですが」 「んなこた知るもんか、 ここに住むんなら糞の掃除くらいするんだね!」 「了解、つつしんで野鳥のフンも掃除します!」 「それから木のおもちゃを扱っているので、 店内は禁煙です、ご心配なく」 大家さんは、にやり、と笑い。 「なら、誰にでも見える場所に、 大きく禁煙と貼っておくんだね」 そう言うと思いの外、身軽に立ち上がった。 「せいぜい潰さないようにするんだよ」 「はいっ、おまかせください!」 「でしたら何かお買い上げを?」 「あいにく、うちの孫は こういうオモチャは欲しがらねぇよ。 ……この灰皿は悪くないね。いくらだい?」 「(……貯金箱なんですが)」 「(別にいいわよ、  どう使うのもワニ〈婆〉《ばー》の自由)」 「ええと……700円で……」 「タダにしな」 「え?」 「タダにしなと言ったんだよ」 「そ、それは駄目です! そんなにまけたら、潰れちゃいます!」 「こちらも商売ですので。 それでいいんですよね?」 「……ふん。馬鹿だねあんたら」 「え?」 「量販店じゃねぇんだ。 別にまける必要はないさ」 「これは700円分の授業料として、 貰っておくさ」 灰皿ならぬ貯金箱をひょいと懐に挿れた大家さんは、振り向きもせず出て行ってしまった。 「……なに、あのばーさん」 「なかなか良い人でしたねー」 「どこをどう押したらそーなんの!?」 「だって、いろいろ忠告してくれたじゃないですか」 「うん、ななみらしい解釈だ」 「ですね」 「目を覚ませー!! なんのかんの言って、 貯金箱タダで持ってかれたんだってば!!」 「えええええっ!?」 「いまごろ気づいても遅いっての」 「あれって貯金箱だったんですか!?」 「そこかい!!」 かくして、またしてもドタバタした1日がなんとか終わり……。 「はー、つかれました」 「ニセコが大家さんに怯えてた 理由が分かったわ……」 「いまお茶を入れますね」 「ありがとう」 「いえ……」 硯の淹れた紅茶を飲みながらしばらく話題は大家さん対策へ……。 「こーなったら正体を隠すことよりも、 売り上げを出すほうが大事になりそうね」 「そ、そうですね!」 「けど、今はもっと重要な課題があるわ。 優先順位を間違えないようにしないとね」 「お店よりも大事なこと……?」 「ニュータウンの攻略、ですか?」 「そのとーり!」 「それと、もうひとつ」 「え? あ……」 「………………」 三人が少し気まずそうに下を向く。自分たちのチームワークについては、俺以上にサンタさんたちは気にしている。 けれど、大家さんに対処するときだって、うちのサンタさんたちは、そりゃあ見事なチームワークだった。 まだ新しいチームに馴染んだとは言えないが少なくとも、俺は彼女たちのことをもっと知りたくなった。 「………………」 天然全開のななみも、ずけずけと物を言うりりかも、今は自分から話を切り出すことができず、かしこまった様子で相手の反応をうかがっている。 俺たちはまだ、お互いの表層しか見ちゃいない。相手にこういう一面があることを、本人たちも初めて知ったのではないだろうか。 「俺の親父はさ…… パイロットだったんだ。 だから子供の頃から空に憧れてた」 「パイロットって?」 「自衛隊で戦闘機飛ばしてた。 F-15って知ってるか」 「ウソ、すごい!」 「俺もそう思う。親父は凄いんだ。 凄すぎて、子供の頃からいつも 背中ばっかり見てた」 「その親父が10才のときに死んでさ」 「どうしてですか?」 「飛行機事故、墜落したんだ。 で、お袋と俺は東京を離れて、 親戚のいる田舎で暮らすようになった」 サンタさんたちは、俺の言葉を黙って聞いている。 「それでもなかなか信じられなくてな、 空ばっかり見てたんだ。親父はきっと まだこの空のどこかを飛んでる……ってな」 「……その年のイブに、俺はサンタを見た」 「素質があったんですね」 「あとから考えればそうなんだろうな。 その翌年も、また翌年もサンタを見てさ、 けど、話しちゃいけないって秘密にしていた」 「それからは、親父の姿を探すんじゃなくて、 サンタを見たくて空を見るようになった。 けれど俺が憧れたのはサンタじゃなくて……」 「トナカイ……」 「ああ、13歳のイブの日に、 靴下の中に手紙を入れておいたのさ。 トナカイになって空を飛びたいってな」 「そうして俺はサンタの師匠に拾われて、 今ここにこうしているってわけさ」 「なんてな、ははは……まあ、 お互いを知るには昔話から、 なんて思ったんだが」 「でも……納得できました」 「……うん、間違いないわ」 「何が?」 「とーまくんがオジサマ好みな理由」 「重症ね」 「おい!!!!」 「それでもサンタか畜生!! ……話すんじゃなかった」 「でも私は、聞けてよかったです」 「柊ノ木さん……?」 「中井さんは、そのお師匠様のためにも 最高のトナカイになりたいんですね」 「…………誰のためかは分からないが、 まあ、そういうことなんだろうな」 「だから、サンタの仲裁までしようっていうのね?」 「別に俺は点数をかせぐためにやってるんじゃ……」 「でも、あたしは点数がほしい」 「ん!?」 「りりかちゃん、そ、そんな露骨な……」 「だって本当だもん。 あたし本当は……NYでヘマしちゃって」 「金髪さん……?」 驚いたことに、りりかがまじめな顔で俺の話を引き継いだ。彼女のこんな思いつめた顔を見るのは初めてだ。 「………………」 しばしの沈黙……。ななみも硯も、黙って次の言葉を待った。 「……それでこっちに飛ばされてきたの、 ま、左遷ってやつね」 「NYにいた頃は、エースサンタとか 期待のホープとか言われてて……正直、 気持ちに油断があったんだと思う」 「サンタのミッションで、こなせないこと なんてなかったし、トップチームの仲間にも 負けてるつもりはなかったのに……」 「でも本当は……まだエースには 早かったって思い知らされたの」 「………………」 「だから、あたしはもっと成長したい!」 「りりかちゃん……」 「点数もほしいし、NYにも戻りたい! けど、そのためには、あたし自身が 最強のサンタにならないとダメって分かった」 そう言い放ったりりかが、テーブルの上に書類を広げた。 「だから、ロードスターに志願して、 こんなものももらってきたの」 「しろくま町サンタチームの ……テクニカルコーチを命ずる!?」 「りりかさん……?」 「これって、りりかちゃんが わたしたちの訓練を見てくれるってこと?」 「おいおい、聞いてないぞ」 「ごめん……勝手にやって。 でも絶対にみんなの技術レベルは上げるから!」 あのりりかがぺこりと頭を下げた。その姿から、痛いほどの決意が伝わってくる。 「あたしはNYに返り咲いてみせる! でもその時は、小さいけど最高の支部から 転属してきたって言わせたいの!」 「みんなもそう言われたくない?」 りりかの言葉に頷く俺たち。エリートさんの強い言葉を聞いていると、本当にその気になってくる。 「わたしは……左遷じゃないと思います」 「ななみん?」 「だって、こんなに気難しい ツリーさんのいる支部なんですよ」 その言葉に俺たちはいっせいに天井を見上げる。 「確かに、ニュータウンはこれまでにない難関だ」 「ルミナの分布もおかしいしね」 みしっと家鳴りがしたのはツリーが拗ねたせいかもしれない。 「……でも、わたしたちならできるから ここにいるんだと思います」 「……!」 「ふーん……いいこと言うじゃん」 「わたしも、りりかちゃんみたいに、 いいサンタさんになりたいんです」 「けど、なにがいいサンタさんなのか、 わたしにはまだ分からないことが多くて……」 「それを探したいです、みんなと」 「だったら、甘いものを食べ過ぎない ところから始めないとね?」 イタズラに笑ったりりかが、ひょいとお茶菓子のクッキーの皿を取り上げる。 「あぁぁ、そ、それはダメです!」 「いいサンタになるためよー」 「いじわるー! お菓子は別件ですってばー!」 ドタバタと攻防を繰り広げるりりかの手から、今度は硯がひょいとクッキーの皿を取り上げてななみに手渡した。 「あー、すずりんダメ!!」 「はい、ななみさんは 食べる以上に消費しているから平気ですよ」 「わー、すずりちゃん、ありがとー!!」 「もー、甘いんだから」 「はい、よかったら席に着いて ……私の話も聞いてくれますか?」 「え?? すずりんが仕切ってる?」 「はい、ようやく二人の間に 入れたような気がします」 「すずりちゃん……」 「みなさん分かっていたと思いますけど、 私……昔から引っ込み思案で、何をやっても 周りの人と打ち解けられなかったんです」 「そんな自分がすごく嫌いで……」 「そこ!」 「え?」 「そこで沈むのがダメ」 「あ、そ、そうですよね!」 「だから、私にとってのいいサンタは、 もっと積極的になることだと思ったんです」 「りりかさんの言うとおり、これまでは 言われたことをするだけで、 サンタ先生に頼ってばかりでしたから」 「それは……わたしもそうでした」 「みんなそんなもんよ」 「本当に?」 「最初のうちはな。 それで自信をなくしちまうほうがよくない」 「中井さん……」 「はい、すぐには無理かもしれないですけど、 自分に自信が持てるように頑張ります!」 「お互いにね」 「みんなでがんばりましょう!!」 そうして三人で手を握り合う。 ほっといてもサンタさん同士で話はまとまってしまったようだ。 「国産! なにやってんの! あんたも握手!」 「仲間外れはダメですよ、とーまくん」 「中井さん」 三者三様の呼びかけで、俺も輪の中へと加わる。 俺への呼び名にもそれぞれ別の形があるように、彼女たちの目指すサンタっていうのも、それぞれ少しずつ異なっているのだろう。 けれど、こうやって手を重ねることで、不ぞろいな想いが束ねられ、きっと俺たちはチームになれる。 「それじゃあ、カッコよく締めちゃいましょう! みなさん……(ぐきゅるるるーーー)」 「あ、あうぅぅ……」 「なーなーみーん!!」 「晩ごはん、すぐ用意しますね」 「はぁぁ……すみません……(きゅるるる)」 「じゃ、そろそろ行くわね」 「すまんな、せっかくのコーチ初日に カペラが本調子に戻らなくて」 「早く直るといいですね」 「せめて、お店とお夕飯の後片付けは、 わたしたちでやっておきます!」 「ありがと、ななみん」 「ありがとうございます」 「えへへ、みなさんこそ、 訓練がんばってきてください!」 礼を言ったり励ましあったり。照れくさそうにやってる光景を見て、俺はほっと胸をなでおろす。 紆余曲折はあったものの、うちのサンタチームもなんとかまとまってくれそうだ。 りりかのベテルギウスと硯のシリウスが光の尾を残して飛び立つのを見送ってから、俺とななみは店の片付けにとりかかる。 「お店のほうも、 明日からばりばり宣伝しないとですね」 「ああ、大家さんに睨まれるのだけは 避けたい…………だがその前に」 「ニュータウン……ですか?」 「ああ、そうだな」 ななみに店内の掃除を任せた俺は、外に出した呼び込み看板を回収しながらニュータウンの攻略方法を考えた。 俺たち個人、そしてチームの技倆が向上することはもちろんだが、それ以外になにかアイデアはないだろうか。 最新鋭のベテルギウスに比べて、カペラやシリウスの無補給飛行時間は短い。 タイムリミットを過ぎると、姿を隠すことができなくなり、推力を失ってセルヴィは墜落だ。 昨日のレースのように、ただ単にニュータウンを突っ切るだけならばタイムリミットの中でこなせるが、 それぞれの家にプレゼントを配りながらの滑空を考えると、リミットに至る約3分の壁は高い。 問題点を整理するだけで、特にアイデアも出ないまま、看板をしまいに店内に戻る。 「……なにをしてなさる?」 店内を掃除しているはずのななみは、箒を壁に立てかけたまま、ディスプレイのおもちゃをいじくりまわしている。 「見てください、 これ、よくできていますよねー」 「ああ、屋台のカフェか」 いや、商品の細工がよく出来ているかどうかはこのさい問題ではないんだが……。 「屋台じゃなくて移動カフェテリアです」 「どっちでもいいさ、 ヨーロッパの街角に似合いそうだな、 確かによくできてるが、まずは掃除を……」 「そうなんですが……これって使えませんか?」 「使う?」 「はい、おもちゃ屋を動かしたらどうでしょう?」 「なんだって?」 「お店をもうひとつ作るんですよ。 ほら、こんな風に……!」 ななみがカフェの屋台を俺の前に掲げてみせる。 「ここに沢山おもちゃを載せてですね……」 「ニュータウンで行商するとでも!?」 「はい、これならお店の宣伝にもなりますし、 ルミナの流れを変えられるかもしれません」 「確かに宣伝は分かるが、屋台ひとつで 簡単にルミナのコースを変えるなんて……」 「屋台の材料はツリーの枯れ枝です」 「!?」 俺は思わず、ななみの手からおもちゃの屋台をひったくり、まじまじと凝視した。 「これを、ツリーの枯れ枝で作る……?」 確かに、ツリーハウスの周囲には、ツリーの枝が沢山転がっている。 それらは全て、サンタの道具──ユール・ログを作る材料にできるものだ。 ユール・ログがサンタとツリーを交信させる道具だとしたら、同じ材料で造った屋台はどうだ? あるいは同じ効果を持たせることができないだろうか? 「お前……よく思いついたな」 「木のおもちゃ屋さんでよかったです」 屋台のカフェテリアを手のひらに載せて、ななみがにっこりと微笑んだ。 「屋台のおもちゃ屋!?」 「屋台というのは おでんとか、焼き鳥とかの……?」 「はい! 屋台です!」 ななみの大胆な提案に朝から驚きの声を上げる二人。きっと夕べの俺も、こんな顔をしていたのだろう。 テーブルの上では、朝食が美味しそうに湯気を立てている。 さすがにウニだのイセエビだのは出てこなくなったが、ときどき珍しい食材が使われているのがひっかかるところだ。 そのプチ豪華朝食を食べながら、ななみが自分のプランを披露しはじめた。 最初はまゆつばな表情を浮かべていたサンタたちも、話がニュータウンの攻略につながるととたんに瞳を輝かせはじめた。 「それってつまり、 その屋台ショップ自体が ユール・ログになるってわけ?」 「はい!」 「すごいですけど、そんなこと……」 「……できなくはないかも」 「そう思います!?」 「うん……馬鹿げたアイデアだけど、やれるかも!」 「もー、馬鹿は余計です」 サンタが持つユール・ログだって、もとは全てツリーの枝から作られたものだ。 それが少しばかりでっかくなったからといって無茶な話ではない。 「なら……試してみましょう!」 「そうね、すずりん!」 「はい!」 「これで、少しはニュータウンに 可能性が見えてきたな」 「あとはりりかさんのアイデアがまとまれば……」 「あ、あれはまだ……!」 「なにか名案があるんですか!?」 「ん……昨日訓練の最中に ちょっと思いついたんだけど」 「おお、NY仕込みのアイデアか?」 「そ、エリートなんだからハイクオリティよ。 ……って言いたいけど、まだ模索段階」 「それは一体!?」 「まとまってないアイデアでも……聞きたい?」 「ぜひ!!」 「わかった。 つまりなにをするかっていうと……合体よ!」 「合体!?」 「合体って、セルヴィを?」 「厳密には合体というより連結なんだけど、 要は、ニュータウンの真空地帯を どう抜けるかってことでしょ?」 「で、今のななみんの作戦は、 屋台のおもちゃ屋で そこに新しい補給ポイントを作るってことよね?」 「はい、そうです」 「あたしが考えたのは燃費のほう。 どうやって無補給飛行の距離を 伸ばすかってことなんだけど」 「1機だと3分が限界だから たとえば3機のセルヴィを縦一列に連結して……」 「多段式にするってことか?」 「国産、鋭い!」 「むむ……多段式……ですか??」 「だからね、先頭の1機が道を拓きながら飛んで、 後ろの2機はソリみたいに引っ張ってもらいながら タンク内のルミナを温存するの」 「で、不時着の余力を残したぎりぎりのところで 先導機は離脱、そこまでルミナを温存していた 残り2機がプレゼントを配る……」 「そういうこと! 次は2機目が3機目を牽引してもいいしね」 「すごい……そんなことできるんですか!?」 「計算してないから分からないけど、 感覚的にはこれでいけそうなのよね……でも」 「でも?」 「問題は、口で言うほど簡単じゃないってこと。 そーでしょ、国産?」 「任せとけって言いたいところだが、 連結しながらバランスを取るのは相当骨だな。 特に2番機、3番機の制御がキツイ」 「引っ張ってもらうだけでも難しいんですか?」 「無人のセルヴィならなんとでもなるさ。 しかしトナカイが乗ってるとなると、 相性とか、いろいろな……」 セルヴィを一列につなげて飛行するなんて聞いたこともない。ましてやプレゼントを配りながらとなると……。 「トナカイとサンタが3機とも、 ぴったり息を合わせりゃいいんだけど、 んー、やっぱちょっと無理かなぁ……」 メンバーの中で一番キャリアを積んでいるりりかが、腕を組んだまま首をひねる。 「これを組み合わせたらどうですか?」 「ななみんのと、あたしのを?」 「先導機の補給場所に屋台を使うわけだな。 どうだ、金髪さん?」 「できないかもしれないけど、 できるかもしれない……」 「でも……だったら、 やってみるっきゃないわね!」 「はい!」 「んー、屋台のお店なんですけど、 この位置に置いたら人目に付きますよね?」 「ブラウン通りはマズいってば! 学校あるんだし、人通りけっこうあるから!」 「イブの夜はイルミネーションもありますし」 「だったら、 葉っぱでカモフラージュするとか……」 「どこのジャングルよ! 余計に怪しい!」 「むしろ一晩だけですから、 自然に置いておけばごまかせないでしょうか?」 ニュータウン問題の影響があったのか、今日はロードスターの早朝特訓も中止になり、開店までの時間を作戦会議に費やすことになった。 カペラの修理状況が気になるのか、サンタさんたちは整備中の俺の隣で、ニュータウンの攻略法を相談している。 「コースとしては、 去年みたいに西側からアプローチして……?」 「んー、でもこの配置だと、 北からのほうが良くない? コースも安定してそうだし」 「それに、西からだとここの交差点で引き返すから 二度手間になると思う」 「あ、本当だ! さすがりりかちゃん!!」 一晩経って、チームのまとまりが元に戻ってしまうのではないかという心配はまるっきりの〈杞憂〉《きゆう》だった。 ななみは素直にりりかの意見を受け入れるようになったし…… 「だったら、 るんるん号はこの辺りでどうでしょう?」 「位置的には補給にも都合がいいですね」 「ん! ほんとだ! ちょうど目立たなそうな場所だし、いーじゃない」 「ありゃ、このコースだと4丁目より西から リクエストがきた場合に厳しいですね」 「これぐらいの距離でしたら、 手前の通りからでも届くと思います。 私に任せてください」 りりかも他の二人の話を聞くようになったし、硯も、積極的とは言わないまでも、以前よりずいぶん意見を出してくるようになった。 「でも……ただ単に突っ切るだけじゃなくて、 真空地帯でプレゼントの配布をしなくちゃ いけないのよね」 「縦一列の連結飛行ですね」 「やっぱり難易度が高すぎるんでしょうか?」 「けど、それが前提になってるしなぁ」 性能のそれぞれ異なる機体での縦一列連結飛行──。 確かに技術面でそこをクリアできれば、可能性は一気に高まるんだが…… 「カペラはあと少し調整したらいけそうだ。 縦一列、難易度は相当だがやるしかないな」 「そーね、カペラが復活したら イブを想定した訓練ができるし。 その結果を見てからにしよっか」 「ああ、お待たせしてるがあと少しだ。 頼むぜ、相棒」 言いながらカペラに手を乗せた時、格納庫の壁に貼ってある航空基地祭のポスターが目に入った。 なかなか空を飛べなかった俺が唯一の慰みにしていた、大空が写ったポスター。 空の青を切り裂くように、F-15の編隊が白い飛行機雲を引きながら飛んでいる。 「…………!?」 それを見た瞬間、さっきから俺の頭にかかっていた分厚い雲が晴れたような気がした。 「これだ、3機あれば…………!」 「はい?」 「国産?」 「どうしました?」 「なあ……編隊を組んでみたらどうだ?」 水色の空が、どこまでも平坦に続いている。 その中に、真っ直ぐ走る白いラインを見つけると、俺は今でもあの日の光景をありありと思い出す。 この大空を職場にしていた俺の親父──。 子供のころに見に行った基地の航空祭は、文字通り、親父の晴れ舞台だった。 青空を縦横無尽に飛行する戦闘機が、まるでキャンバスに絵筆を走らせるように、真っ白なラインを描いていく。 あの胸躍る光景は、今でも俺の胸に焼き付いて離れない。 「編隊を組むんだよ!」 「とととーまくん、そんないやらしい!!」 「ちげえ!! 〈編隊〉《フォーメーション》だ!!」 基地祭のアクロバット──飛行隊は一糸乱れぬ編隊を保ちながら、空中で次々とフォーメーションを変えていった。 「セルヴィで編隊を?」 「ああ、トライアングルフォーメーションだ。 先導は金髪さんのベテルギウス」 「あたし!?」 「ああ、先導はリフレクターを2基搭載している ベテルギウスが適任さ。カペラとシリウスは 左右に分かれてその後ろにつく」 「航続距離の長いベテルギウスは、 左右2基のリフレクターから ルミナを散布しながら飛ぶ」 「……ベテルギウスは先導機でありながら、 ルミナ補給の役割も兼ねる、ってわけ?」 「そういうことだ」 「わざとハーモナイザーの同調率を落とせば、 ルミナを排出しながら飛ぶことはできるわね」 「それでニュータウンの真空地帯を 無事に突っ切れるかどうかが問題さ」 「つまり先導機が一番難しい?」 「そうなるな。 それを何度か繰り返すことで、 ニュータウン一帯の配達を全てサポートする」 いつしか熱っぽく語っていた俺は、全ての説明を終えると、考え込むりりかの顔をじっと見つめた。 同じように、他のサンタふたりも、りりかの顔を覗き込む。 「……いいわ、やってやろうじゃない!」 「頼むぜ、エースさん」 「悪くないアイデアね、見直したわ」 「さすがヘンタイのとーまくん!」 「その通り名はやめろ!」 いけるぞ、金髪さんがそう判断したのなら、あとは訓練を積むだけだ。 興奮した俺は、その勢いでまたがっていたカペラのフットペダルを、思い切り踏み込んだ。 ──カシュン! 「お?」 「まさか……!?」 「イィィィィ…………ヤッホォォォォーーーーイ!!」 湧き立つ感情そのままに、俺はカペラを宙へと舞い上がらせた! 無軌道にただただ飛び回るカペラを、さらに、さらに加速させていく。 ツリーとの同調率、99.7%!出力は〈星石〉《スター》の交換以前より、むしろ増しているように思える。 「やっぱ空は最高だな! 相棒!!」 カペラのリフレクターが振動で答える。 風が頬を打つぴりぴりした感触。 悦びにうち震えるように、小刻みに震動する機体。 久しぶりに味わう愛機との一体感に、胸の内が急速に充たされていく。 久しく──忘れかけてた感覚。こいつが戻れば、もはや迷うことはない! 「やっぱり〈星石〉《スター》か!」 あの石は師匠からの贈り物だったんだ。きっと、古い〈星石〉《スター》の寿命が尽きかけていることに、気づいていたんだろう。 ありがとうございます、師匠!おかげで、またここに戻ってくることができました。 カペラは飛行機雲のかわりに、キラキラと輝くルミナの尾を引き、ツリーの上空を何度も何度も旋回する。 地上を見下ろすと、サンタさんたちが半ば呆れたようにこっちを見上げていた。 「満足した?」 「ああ、出力もだいぶ増えた感じがする。 すぐにでもニュータウンまで飛んで行きたいよ」 「よかったですね、中井さん」 「ふーむ、これはもう パワーアップカペラ君ですね」 「カペラ改──ってところかな」 ななみは自分のことのように嬉しそうに、にっこり笑って、俺の愛機に…… ぺたっ。 眉毛のシールを貼り付けた!! 「な、なんだこいつは!?」 「カペラくんが蘇ったら、 眉を入れてあげようと思っていたんです」 「だるまじゃねえぞ! やめろ、はがせ!!」 「あら、似合ってるじゃない」 「眉毛が太くなって、なんだか男らしいです」 「そんな馬鹿な……! ん、同調率99.9%?」 「ほら、喜んでるし」 「ば、ばかな……俺のカペラが!」 「カペラ改です」 「分かってらあ!」 かくして、カペラもめでたく復活した日の夜、俺は久しぶりに町に繰り出すことした。 「いらっしゃいませ、空いてる席にどうぞ」 マスターの姫野美樹さんが切り盛りするカフェバーのネーヴェ。 昼は軽食とコーヒーを出してくれるこの店には以前から目をつけていた。 「はー……美味い……!」 チーズとナッツの盛り合わせを肴に、ボトルで頼んだウィスキーの水割りを傾ける。 ピートの香りと柔らかなアルコールの刺激が、胸の奥にゆっくりと落ちてきた。 連日セルヴィの整備に追われて、気を抜く時間もなかっただけに、久しぶりに外で味わうアルコールはたまらなく美味かった。 「どうした、ジャパニーズ。 お嬢さんたちに追い出されちまったか?」 「あんたもこの店を?」 「まあな、それよりどうした」 いつも入り浸っているのか、ジェラルドは慣れた仕草で注文を入れて俺のテーブルの正面に腰を下ろした。 「カペラが直ったんだ」 「それで祝杯ってわけか」 にやっと笑ったジェラルドがグラスを掲げてみせる。俺もそれに倣って、一息に飲み干した。 「めでたい夜に 男二人ってのも無粋なもんだな」 「そいつはなんの伏線だい?」 「分かってるだろう、ジャパニーズ」 笑いながらジェラルドは携帯を取り出してサンタ先生に呼び出しをかけようとする。 「グッドイブニング、愛しきマイドルチェ! いやイタズラじゃない、即切りは勘弁だ」 「……そうさ、カペラがようやく直って ジャパニーズと飲んでるところだ」 「もちろんさ、ハニーにもぜひ祝杯を おごりたいって奴が言うものだから……」 「……おい!!」 「ごめんごめんー、待たせたかしら?」 「今来たところさ、マイドルチェ」 「(……どこから電話していた?)」 「ふふっ、大人だけのパーティか。 たまにはこんなのもいいわね」 微笑む先生と軽くグラスを合わせる。 こうやって3人だけで飲むのは初めてだ。他愛もない世間話をしながら、アルコールだけが異様な速さで流し込まれていく。 トナカイは酒がなくっちゃあ話にならない。サンタチームと同じく、俺たちもこうやって互いの距離を縮めていくことになるのだろう。 しかし俺たちは同じ職場の同僚でもある。会話は次第に、課題になっているニュータウン攻略の話題へと移っていった。 「ああ、だいたいのあらましは ロードスターから聞いてるぜ」 「編隊飛行をするんだって? 面白そうじゃない」 「問題はベテルギウスが 散布するルミナ量の調整なんだ」 「先導機がガス欠になっちゃ仕方ないもんね」 「かといって、俺たちが 墜落するわけにもいかない」 「そんなことか。 だったらバルーンを使えばいい」 「バルーンって、ルミナ観測用の?」 「そうさ、そいつにルミナを詰めて コース上にばらまいてやるんだ」 「バルーンからの補給方法は?」 「そいつはお姫様の得意分野だ」 「……射撃か!」 ベテルギウスの飛行ルートにバルーンをばらまき、射撃名人のりりかがそいつを割ってルミナを拡散させる……。 「ま、バルーンに入るルミナの量なんざ たかが知れてるがな。後続機はそこから ルミナを補給すればいい」 「そうすれば、 ベテルギウスが自腹を切って ルミナをばら撒く必要はなくなるか」 「いや、ある程度の補給は必要になるだろう。 だがそれなりに楽はできるはずだ」 「問題は、バルーンを先に飛ばすから 途中でルートを変更するわけには いかなくなるってことかしら」 「ミスはなしってことか」 「特にイタリア人がね。 自分で難易度上げてるようにも見えるけど」 「大胆な男はモテるだろ?」 「無謀な男はモテないわよ」 「明快だな。 モテたければ成功させりゃいいってことさ」 補給を充実させるために、滑空の技術がより要求されるようになった。 ジェラルドはバルーンの位置とプレゼントの配布位置を計算に入れてコースを選ばなくてはならず、 俺とサンタ先生は、ジェラルドがどんな無茶なルートを飛んでも必死に食らいついていかなければならない。 「できるかい? ジャパニーズ」 「ああ、望むところだ」 ななみの屋台、バルーンのルミナ、編隊飛行。どれ一つ欠けてもうまくいかない作戦だ。 そうして、何もかもが過去に経験したことない難易度になるだろう。 「それじゃ乾杯! 今日から忙しくなりそうね♪」 かくして俺たちの酒は進み、ニュータウンのことやサンタたちのことを相談するうちに、気付けばもう深夜になっていた。 「ジャパニーズ、 お前はどうしてトナカイになった?」 「突然だな、どうした?」 「単なる好奇心だ」 「それ、アタシも気になるかも〜」 「……暗い川を越えるためさ」 どうやら俺自身、カペラが直ったことがよほど嬉しかったらしい。 さっきサンタさんには話すときははしょったエピソードが口をついた。 「暗い川?」 「ふーん……」 「親父が墜落死して、機体は海に沈んだ。 ニュースで見たのは、ヘリのライトに照らされて 波間に浮かぶ機体の破片だけさ」 親父の墜落は機械系統のトラブルだった。コントロールを失った機体を市街地に墜落させまいと必死で海まで飛ばしたらしい。 「どうにもそいつが俺の頭に残ってる」 ジェラルドが傾けたグラスで氷が鳴る。その音を聞きながら、更に話を続けた。 「トナカイになるずっと前、 田舎で度胸試しをやったんだ。 夜の川を跳び越えるっていうガキっぽいものさ」 「だけど……俺は跳べなかった。 暗い水面を前に足がすくんで、 一歩も踏み出せなかった」 「やれやれ苦い話だな。 そいつを吹っ切るためかい?」 「そうさ、なにかひとつ乗り越えるたびに、 俺の中にある黒い流れが、川幅を狭くする」 「乗り越えるため……か……」 「トナカイになったら消えると思ったんだがな、 どうやらまだ川は干上がっていないようだ。 俺はそいつを消し去ってやるために飛んでるのさ」 アルコールのせいでずいぶんと饒舌になってしまったようだ。俺は照れを隠すようにグラスを空ける。 「……誰にだって、 そんな見たくもない景色があるもんさ」 「ん?」 「ま、お前さんは生真面目すぎるよ。 トナカイはもっと気楽にやるもんだ」 俺のグラスに琥珀色の液体を注いでジェラルドが笑った。 ──訓練が始まった。 それは、生まれたばかりのサンタチームに与えられた、初めての本格的な現場任務。 「さあみんな、いっくわよー!!」 「了解!」 コーチ役はNY帰りの月守りりか。訓練の指揮を通じて、本部で〈培〉《つちか》ったテクニックを出し惜しみなく叩き込もうとする。 「フォーメーションを組んで上空を一周、 それから急降下!」 「ビビるなよ、ついて来い!」 「無用の心配だ」 「そっちこそしっかり飛んでちょーだいね!」 先導をするのは真紅のベテルギウス、後続のカペラとシリウスは赤い機影を追いかける。 「コースを外れてはいけないよ、マイドルチェ」 「あん、面倒ね」 ジェラルドのライン取りは、ことごとくセオリーを外してくるので、こっちが慣れるまで何回でも飛ぶしかない。 「ベテルギウス、 もう少し真っ直ぐ飛べないのか?」 「手加減しろとでも?」 「逆だ、むしろ遅すぎてやりずらい」 「言うじゃないか、ジャパニーズ」 軽口を叩く俺たちの背後──ソリの上では、サンタさんたちが特訓の火花を散らしている。 「シリウスが遅れてる! すずりん、ちゃんと鞭入れて!」 「は、はい!!」 「ななみんは国産に任せすぎ!」 「とは申しましてもーー!!」 がちゃがちゃと騒ぎながら、それでも編隊は綺麗な三角形を描きながらしろくまの夜空を駆ける。 今はまだ、ぎこちなさの残るチームでの実践訓練──しかし、やがてはこれが日常になってゆく予感はある。 訓練の開始と同時に俺たちの日常は加速した。 深夜の訓練が終わり、泥のような睡眠を終えたサンタさんには地獄の早朝稽古が待ち構えている。 「一意専心!! 〈不撓〉《ふとう》不屈!! ひたすら眼前の〈的〉《マト》を打ち砕くべし!! きぇぇぇーーーーーーー!!!」 「きええーーーーー!!!」 「ふぇぇぇ、もう腕があがりませんー!」 「ま、負けない、泣かない、乗り越えるーーっ!!」 「は、はいーー!!」 「まだまだ気合いが満ちとらん! 立ち木打ち、30本追加せい!!」 「わーーーーーーーーん!!」 「よっ……と、枝はこんなもんか?」 「はいぃー……そこ置いといてくださぁい」 「無理するなよ、休んでろ」 「あいぃ……」 「太い枝がもう少し必要ですね。 支柱はツリーの枝しか考えられませんし……」 「じゃ、この辺ぶった切っちゃうー?」 「だ、だめです!! 生きてる枝は切らないでくださいー!!」 「ニュータウン東、 2丁目3番地から6番地まで バルーン21個設置完了──」 「予備に30個確保するとして、 あとは北側に14個……」 「おや、キノシタさんとこの。 風船持ってなにやってんの?」 「き、キャンペーンですっっ! それではーー!!」 「……??」 「変なの、 何も書いてない風船なんて。 店名くらい書けばいいのに」 「で、では……いきますよー!」 「は、はい……っ!!」 「せーの……っ!!」 「しろくま町のみなさーん、はじめましてー!」 「き・の・し・た・玩具店でーす!!」 「やってきましたグランドオープン! 〈樅〉《もみ》の森のツリーハウスにて堂々開店!」 「た……ただいま、 オープン記念セール実施中でーーす!」 「見ての通り、とーってもかわいい店員さんが、 手取り足取りお出迎えしまーーす☆」 「……………………」 「(ど、どう……反応は?)」 「(は、恥ずかしくて顔を上げられませんっ!)」 「(だいじょーぶ、  みなさん遠巻きに見てくれてます!)」 「よーしっ、覚悟きめた! こうなったら完膚なきまでに宣伝してやるわ! 恥ずかしさを力に変えて立つのよサンタ!!」 「お、おーー!!」 「訓練用バルーンの設置、 予定通り完了しました」 「ご苦労。ではこれより観測チームから届いた ルミナ分布図の検討に入ります。 一緒に見ていきなさい」 「いいんですか!?」 「トールは私の補佐役だよ」 「は、はいっ!!」 「屋台のペイントだって? もちろん任せてくれたまえ! それはそうと……」 「ま、まもなくドアが閉まりまーす!!」 「ここだってさ、新しいおもちゃ屋」 「ほんとだ、できてるよ」 「き、きました……お客さん!」 「いらっしゃいませー!!」 「……なんか思ってたのと違う」 「ディーエスないのー?」 「あう、ご……ごめんなさい」 「……ですので、 やはり商品ラインナップの充実を……」 「自腹切って仕入れるほど余裕ないわよ」 「なら、木のおもちゃを手に持って宣伝して、 どんなお店かを分かってもらうとか……」 「きええーーーーーーーーっっ!!」 「うむっ、腹から声が出ておる! 褒美にラビットジャンプ3周追加だ!!」 「はい!!」 「ほう、ひよっ子がいい目になってきおったわ」 「ハイパージングルブラスター! ストライクモード!!」 「わくわくロッド 秋のスイーツ祭り開催中ーっ♪」 「必殺必中! ホーミングレーザー!!」「必殺必中! ココナッツパンプキン!!」 「さっすがぁ♪ さ、残りは硯よ」 「はい…………当たって──!」 「へえ、シリウスさん上手くなったもんだ」 「でしょー? もう手加減は要らないわよ」 「わたしたちも負けられませんね!」 「よーし、つかまってろよ!」 「え? わ、わ、わぁーーーぁぁああぁ!!」 「できたー!!」 「移動おもちゃ屋さん・るんるん号、 ただいま完成です!」 「へー、なかなか可愛いじゃない」 「メルヘンチックで、 木のおもちゃ屋さんらしいですね」 「さっそくニュータウンに繰り出したいんですが、 勝手にやったら怒られちゃいますよね」 「大丈夫です、許可はもう取ってありますから!」 「さすがとーるくん、仕事が早い!」 「それではさっそく出陣です! とーまくん、れっつごー!!」 「〈支部長〉《ロードスター》を乗せて飛ぶってのも 緊張するものですな」 「その割に楽しそうに見えるがね?」 「重さが違うんですよ。 ズシッと手ごたえがあるのは久しぶりでね」 「……にしても、わざわざ現地視察とは ニュータウンのデータに不安でも?」 「ははは、一度飛んでみたかったのだ」 「〈支部長〉《ロードスター》が難所を?」 「こう見えて、私も現場主義なのだよ」 「了解、つかまっててくださいよ」 「いらっしゃいませー」 「いい感じにお客さん増えてきたわね」 「宣伝の成果でしょうか?」 「実力よ、実力。 ななみんの方も上手く行ってるといいけど」 「カードないのー?」 「DXロボはー?」 「ラジコンー!」 「ううっ……現実は厳しいです」 「こんにちはー!」 「おおっ!? お客さん入ってるじゃない!」 「はい、ここ数日で少しずつ増えてきて……」 「こちら、おみやげ用に包んでください」 「かしこまりましたー」 「あ、それとこの熊の人形もおみやげにー」 「……おもちゃ屋としては機能してない??」 「それは言わないで!」 ──そんなこんなで気がつけば1週間。 奮闘の甲斐あってか、夜の訓練も店の経営もゆっくりと前に向かって動き始めている。 若手サンタばかりの寄合所帯がイブまでにどんなチームになっていくのか、当事者の俺も楽しみになり始めていた。 「店長さん、おつかれさま。 ようやくお店も軌道に乗ってきたみたいね」 「みすずさんも安心してくれるかな」 「さっきまで一緒だったけど」 「そいつは……えっと、なにか言ってました?」 「ふん! って一言」 おお、そいつはきっといい反応だ。なんとなく、あのお婆さんのノリは理解できる。 「それから、これ……渡すようにって」 「なんですか?」 封をしていない茶封筒を渡された。中には折り畳んだB5の紙が1枚──。 「ほらあな商店会の……歓迎会?」 俺たちサンタチームに支部への集合がかかったのは翌日のことだった。 簡単だが前向きな経過報告のあと、珍しく笑顔の透から、ルミナ分布の報告があった。 ニュータウンのルミナの分布に変化が見られはじめたのだ。 「コースを形成するには至ってないものの、 踏み石のようにルミナの点在する空間が、 現れるようになりました」 ニュータウンの拡大地図に、赤い丸印がいくつも付けられている。 小さな丸印の集合がちぎれ雲のような形になり、真空地帯のあちこちに散らばっていた。 「これって……るんるん号の影響で?」 「はい、その可能性は、十分にあるかと」 「息継ぎをするにはチト足りないが、 飛んだ感じも悪くはなかったぜ」 「あんたいつの間に!?」 「ま、いろいろあってね」 「でも……そうとなったらやるしかないわね!」 「ニュータウンで訓練ですか!?」 「先走るのは禁止です! もう少し様子を見てからにするようにって」 「サー・アルフレッド・キングが言ってた?」 「えっ!? えっと……そ、そうですよね?」 「訓練──良いではないですか」 「よっしゃ!」 「そ、そんなぁ……!」 「しかし、トールの言うとおり危険は危険。 ゆえにここは訓練ではなく……」 「そ、そうです!」 「勝負!!! と、心得るべし!!」 「勝負!?!?」 「左様、難所との勝負である。 どうせなら、イブを想定した プレゼントの配布訓練としてみましょう」 「な、なおさら危険ですってば!」 「しかし一度は飛んでみなくては コースの厳しさを実感することはできない」 「よーっし、それじゃさっそく!!」 「ああ……もうひとつ付け加えましょう」 「配布訓練の結果をもとに、 サンタチームのリーダーを選定します」 「ええええええええっっっっ!!!!??」 「必要とあればペアのシャッフルも検討します。 さて、これは去年のデータをもとにした プレゼントのリクエスト予想なのですが……」 有無を言わさぬ勢いで、サー・アルフレッド・キングが地図上に紫のマーカーペンで印を付け始める。 「この位置に、ルミナ補給用とは別の バルーンを標的用に上げておきましょう」 「バルーンをくつしたに見立てて、 そいつを打ち抜くってことですか?」 「左様、無事に予定数のバルーンを ヒットさせれば任務完了とします」 「ただのタイムトライアルより、 断然おもしろくなりそうね……」 「コース選択、ソリの操作テクニック、 射撃テクニック……サンタクロースの総合力が 問われるテストになりますね」 「リーダーを決めるには、 ふさわしいテストってことか……」 「訓練には、例のオアシスを引いてゆき、 実際にルミナの分布にどのような影響が出るのか、 確かめてみるとしましょう」 「オアシス??」 「きのした玩具店の移動店舗です」 「なるほど、真空地帯を砂漠に見立てるなら、 あの屋台はルミナがわき出るオアシスってわけか」 「ちょうどいいじゃない、 まだ名前決めてなかったし」 「あ、ありますよー! るんるん号といってですね……」 「オアシスだなんて素敵だと思います」 「るんるん号といってですねーー!!」 ボスの号令のもと、いよいよ大掛かりな配達訓練に向けて動き出した俺たちサンタチーム──。 しかしサンタの仕事は空だけではない。地上での活動が実を結ぶ場所が空であり、どちらもないがしろにはできないのだ。 かくして俺は、マーケットにやってきた。 「商店会の歓迎会か……」 ここで町の人たちと交流を深めることもツリーハウスの店長である俺の役割なのだが、 「あの大家さんが会長なんだよな……」 これも仕事、いったんくじけそうになる気持ちを取り直す。 「ま、当たって砕けろだ」 「あーいたいた、店長さん」 「先生?」 「聞いたわよ、歓迎会だって?」 「ま、そうなんだけど、どうして先生が?」 「だって飲めるんでしょ、タダ酒」 「はぁぁ……疲れました」 「どーだった、外回りは?」 「うーん、まだなんのお店か 分かってもらえないことが多いです」 「最初のうちは仕方ありませんよ」 「そーね、今は真空地帯攻略が最優先だし」 「それでリーダーが決まるんですよね?」 「そうなんじゃない?」 「……ごくっ」 「………………」 「な、なんですか!?」 「……ま、いいわ、教えてあげる。 リーダー決めはたぶんトラップよ」 「罠?」 「ど、どういうことですか? まさかロードスターさんが嘘なんて」 「嘘じゃないんだろうけど、 それであたしたちを試してるんだと思う」 「正確には、あたしたちのチームワークをね」 「……あ!」 「あたしも最初はテンション上がったんだけど、 リーダー決めだからって、スタンドプレーに 走ったりしたら多分そこでアウトってこと!」 「いーい、ななみん?」 「な、なんであたしなんですか!?」 「協調性って意味だとあんたがいちばん心配」 「そ、それをりりかちゃんが言いますか!?」 「なによ!」 「だって!」 「……ってなるのも危険ですよね」 「そ、そういうこと! 要はテストだからって訓練からブレちゃ駄目よ」 「あうぅ……了解です。 とーまくんにもあとで話しておかないと」 「……そーいえば遅いわね。 まさか飲みまくってるんじゃ?」 「そ、それはさすがに……」 「でも、トナカイですもんね……」 「あー、気を遣った!」 「そーお? 結構楽しかったじゃなぁい♪」 「そりゃ先生は飛び入りだから!」 「いい人ばかりだったわよ。 あんなに騒いだのも久しぶりよ」 「そいつは確かに」 ネーヴェで開かれた歓迎会、商店会のおっさんおばさん連中はノリのいい人ばかりで酒もつまみも大盤振る舞い。 ペンキ屋の鉄道談義と大家さんの毒舌には参ったが、最後はサンタ先生のカラオケ熱唱まで飛び出して宴は異様な盛り上がりを見せていた。 内々で飲むのも美味いが、大勢で盛り上がる席に酒は欠かせない。 「もう少し酔えたら最高だったんだがな」 「訓練続きだもんねー。 二日酔いでセルヴィに 乗るわけにもいかないしー」 「そうそう、訓練以外での サンタさんたちの様子はどう?」 「ニュータウン攻略に向けて 相当気合いが入っているかな」 「あとは、チームワークかしらねー」 さすがは先生、鋭いところを突いてくる。 「ま、そのあたりはおいおい……」 話をする俺たちの頭上を赤い光が追い抜いていった。 「今の……イタリア人?」 何かあったのだろうか。今日は歓迎会があるので、訓練も中止にする予定だったのだが……。 「ただいま! 今しがたそこでベテルギウスが……」 「待ってたわよ国産、先生! それじゃさっそく訓練、訓練!」 「夜間訓練の総仕上げです!」 「ちょっと待て! アルコール入ってるから今日は中止じゃ」 「二人ともセーブして飲んでたでしょ?」 「そ、それは、いざってときのために……」 「大事なテストを控えた今こそ一大事です!」 「そ、そーなるか!?」 「そーなります!」 「俺も子猫ちゃんとデートの予定だったんだがな。 えらい剣幕で呼び出されちまった」 「ほら、さっさと支度して行くわよ」 「そんなー! アタシ今日はのんびりドラマを……」 「平気です、 録画予約を透さんにお願いしておきました」 「硯までーー!?」 「ま、サンタさんがそこまで言うならしゃーないか」 「アナタは飛ぶのが好きだからいーけど……」 「いいチームワークで追い込まれたら、 やるっきゃないでしょ、先生?」 「はぁぁ……ここの人たち無駄に熱いわ」 「……ふぅ」 ニュータウン攻略の日が近づいてるためか、以前よりもサンタ達の連帯感が強くなったような気がする。 「柊ノ木さんも、 ななみ達と大分打ち解けたみたいだし……」 ここ最近、ななみやりりかと当日について打ち合わせを重ねているようだ。 俺の居ない間に何があったか判らないが、とりあえずは一安心ってところだろう。 「な〜か〜いさ〜ん!」 自室に戻ろうとして、いきなり呼び止められる。 目を向けると、暖炉の前で先生がぐてーっと横になっていた。 「……そんなトコで何してるんだ、先生”」 「ちょぉっとお酒飲み過ぎちゃってね〜。 悪いけど、送ってってくれるー?」 「これでちょっと……」 周りには空になったビンがいくつも転がっていた。 歓迎会で地酒を堪能できなかったからとは言え、流石に飲みすぎじゃないか、これは? 「んー……」 確かに、今のほろ酔い先生にセルヴィを運転させるわけにはいかない。 かといって、この時間じゃくま電もとっくに終わってしまってるはずだ。 結局俺が送っていくしかないってことか。 「……分かった。 支度してくるから、ちょっと待っててくれ」 「よろしくねー」 「んじゃ、先生。 さっさと後ろに……」 「んしょっと……」 先生は後ろのシートに跨らず、連結前のソリに乗り込んでしまった。 「? わざわざソリに乗らなくても、 タンデムで大丈夫だろ?」 「いーのいーの」 先生はぷらぷらと手を振るばかりで、取り合おうとしない。 ほろ酔いとは言ってるけど、もしかしてかなり酔ってないか? 「……まあいいか。 振り落とされないようにしてくれよ」 「オッケー」 「んー! きもちいいわー!」 「ゆっくり飛んでるぐらいで、 随分とはしゃぐじゃないか、先生」 「現役を引退してからは、 ずっとシリウス一筋だったからねー」 「だからサンタが乗るソリが 懐かしくなってしまった、か?」 「そーいうこと」 両手を大きく左右に広げ、先生は夜の風を身体いっぱいに受け止める。 そんな先生の様子を確認しつつ、ゴーグル越しに伸びる細い光の道を〈滑空〉《グライド》していく。 流れの緩いコースから緩いコースへ。後ろの先生に負担がかからないように。 「…………」 ……さっきから、背中がむず痒い。 肩越しに目を向けると、ほろ酔い加減のサンタ先生がじーっと見つめていた。 「な、なんだ?」 「んー……無鉄砲なトナカイにしては、 随分と控えめな運転と思ってね」 「去年のクリスマスイブは、 かなり無茶な〈滑空〉《グライド》してたじゃない?」 「うっ”」 間違いなく、あの時のことを言ってるな。 「あ、あの時は、少し張り切りすぎただけさ。 一年に一度だけのイブだからな」 「それに今は配達時間じゃないし、 今の先生にはこれぐらいがちょうどいいだろ?」 確かに全速力で飛ばせば、数分程度の距離だ。 しかしアルコールの入った先生にはちょっとばかしキツイ運転になってしまう。 「……そうねぇ。 去年みたいなアクロバットされちゃったら、 きっとリバースしてたかも」 「冗談でもやめてくれ」 「サンタに仕込まれたトナカイか……。 中井さんのお師匠さんも両刀だったのかしら?」 「いや、ずっとサンタ一筋の人だ。 ただ三度の飯よりセルヴィ弄りが好きでさ」 師匠が使っていたこのカペラも、元々は廃車寸前だったものを無理言って引き取ったものらしい。 「サンタ学校に入るまではみっちりと、 実戦形式でトナカイのイロハを叩き込まれたのさ」 「へぇー。 一度、あなたのお師匠さんと会ってみたいわね」 「そういう先生は、サンタを辞めて長いのか?」 「それなりにね。 とはいっても受け持ったのは 今のところ一人だけだけど」 「柊ノ木さんのことか」 生活を共にして数日も経ってないが、それでも彼女について分かったことはある。 少し人見知りのきらいがあるが、とても真面目で、責任感の強いしっかり者。 正直、グータラを自称する先生の弟子とはとても思えなかったりする。 いや、むしろ先生がグータラだったから、弟子の柊ノ木さんがしっかり者になったのか? 「それにしても……」 「ん?」 「硯のこと、随分と気にかけてくれてるみたいね?」 「そうか?」 「そうよ。 今だってこうして あの子のこと考えてくれてるみたいだし」 「……まあ、放っておけないタイプではあるな」 責任感が強い故か、彼女は何事も一人で抱え込んでしまう傾向にある。 平然と一人で家中の掃除をこなそうとしたり、明らかに自身の処理能力を超える量の作業を片付けようとした時もあった。 だから正直、危なっかしくて見ていられない。 「けどね……」 「生半可な覚悟じゃ、 あの子は受け止められないわよ?」 すっ、とトーンダウンした言葉に、思わず先生に視線を向けてしまう。 さっきまで穏やかだった先生は、一転して真剣な表情で俺を見ていた。 「生半可な覚悟でトナカイなんかできやしないさ」 「……ふふ。それもそうね」 そうやって小さく笑う先生に、さっきまでの真剣味は余韻すらも残っていなかった。 「もうそろそろ到着だ、先生」 視線を下ろすと、明かりの消えたロードスター邸が見える。 静かな空の〈滑空〉《グライド》ももうそろそろ終わりだ。 ロードスター邸に続くルートを見つけ、人気が無いことを確認し、下降しようとして―― 「ん……?」 「どうしたの?」 「急に出力が落ち始めたんだ。 おかしいな……」 「もしかして、また故障?」 「いや、そんなはずは……」 訓練後のメンテナンスの時は、異常は特に見当たらなかったのに……。 「なっ――」 「え――!」 直後、雲に突っ込んだように、視界が真っ白に染まる。 これは……霧か!?何てタイミングの悪い時に! ルミナの供給が少なくなりエンジン音が小さくなっていく。 「出力が低下したのは霧の予兆だったのね……! すぐにコースを変更して!」 「言われなくても!!」 「くっ!!」 続けざまに叩きつけるような突風が、機体を激しく揺さぶる。 「きゃあっ!!」 背中からの悲鳴に、咄嗟に俺はセルヴィのハンドルを横に切っていた。 崩れそうだったバランスを持ち直し、揺れるソリを落ち着かせる。 「……!」 「大丈夫か、先生!?」 「え、ええ……」 「にしても、随分と流されてしまったな……!」 霧と突風でバランスが取れず、機体はルートから大きく外れてしまっていた。 こうしてる間も風は止まず、いつまた突風が来るか判らない。 「って、考えてるうちにまた……!」 ショックに備えてグリップを握る。その拍子にゴーグルの隅に、一本のルートを捉えた。 やれるか……?いや、やるしかないな! 「先生! 揺れるだろうから、しっかり掴まっとけよ!」 「え……」 吹きつけてくる突風に合わせて、アクセルを全開に開く。 肩越しにソリのバランスを確認しつつ、風に逆らわないように機体を操作する。 「……!」 思惑通り、追い風となった突風。それを利用して、安定していた別ルートへカペラを飛び移らせる。 「……ふぅ。 ぶっつけ本番だったけど何とか上手くいったか」 「…………」 「……先生?」 「……うぷ」 「は?」 お、おいおいおい!先生、アンタまさか……ッ!! 「……ぎもぢわるい”」 「ああああああああ!! 吐くなよ!? すぐに着陸するから! 絶対に吐くなよ!!」 「ふー、お騒がせしました」 「……はぁぁ」 かくして、マシントラブルと突発的な霧と突風に見舞われた〈滑空〉《グライド》から解放された俺だった。 しかしまさか、突風を伴った滑空よりも、着陸作業に神経を尖らせることになるとは……。 「でも、カペラのエンジン不良や 突然の霧に巻き込まれた時は どうしようかと思ったけど……」 「まさか、あそこで突風を利用するなんて 中々やるじゃないの」 「それにソリも見ずに、 あれだけ素早くバランスを整えるなんてね」 「マスターサンタの先生に褒められるとは……光栄だ」 ただあの時は事態に対して勝手にハンドルを切っていたのだ。 これもスパルタ実戦形式で扱いてくれた師匠のおかげかもしれない。 訓練を重ね、身体で学び取ったものこそが、真に実戦で役立つ物だ、とは師匠の談だ。 「それに、あなたの〈滑空〉《グライド》は サンタにとても優しいのね」 「中井さんの後ろに乗っていて、 それがよく分かったわ」 「ジェラルドにも同じことを言われたよ」 俺自身、そんな特別なことを実践しているわけじゃないんだが……。 「まっ、今日の所はありがとね。 お礼に今度、お酒でも奢るわ〜」 ひらひら、と手を振りながらロードスター邸に入っていく先生を見送る。 「…………」 『生半可な覚悟じゃ、 あの子は受け止められないわよ?』 「生半可な覚悟……か」 サンタ先生が残した言葉が、何故かヤケに胸に強く焼き付いていた。 かくして連日連夜の訓練は続く──。 真空地帯の範囲とルミナの分布は日替わりなので、手順は毎晩変わり、訓練中、気の休まる時間はまるでない。 しかし、毎晩のハードな訓練にも負けずに、サンタチームの士気はうなぎのぼりだ。 そうして迎えた、ニュータウン攻略訓練当日の朝──。 「本日行われる配達訓練についての 注意事項をまとめました」 「25時開始? ずいぶん遅い時間にやるんですね」 「ニュータウンが いちばん静かになる時間ってことね」 「内容はお話ししてある通り、 イブを想定した配達訓練で、 トライアングルフォーメーションを試します」 そのための訓練を今日まで繰り返してきた。変に緊張したりしなければ、上手く行くはずだ。 「その結果次第で、 チームをシャッフルするんだな?」 ジェラルドの言葉に、サンタたちが表情を引き締める。 そうだ、リーダー決めよりも大事なのは、このシャッフルだ。 場合によっては、ここで新しいパートナーとペアを組むことになる。 「サー・アルフレッド・キングは、 そうおっしゃっていました」 パートナーシップというのは、一朝一夕で培われるものじゃない。 果たしてボスは本気でそれを考えているのだろうか。 「しかし、ニュータウンの攻略が 第一目的だということを忘れないでください」 「イブまであと2ヶ月ちょい…… ここで新しいペアを組むのは大変ね」 「………………」 サンタたちが緊張した顔を見合わせる。おそらく俺も、緊張が顔に出ていただろう。 「かんぱーい!」 しろくま支部のサンタとトナカイ、全員が揃ってテラスで乾杯をする。 とはいえ訓練前なので、右手に掲げているのはジンジャーティーの満たされたティーカップだ。 「いよいよチームの晴れ舞台ね!」 「……で、チーム名は決まったの?」 「そういえばまだだったな」 「だったらいい名前がある。 ジェラルド・ラブリオーラと5人の盗賊」 「大却下」 「ならば、世紀の伊達男と美女軍団、 おまけの男子1名とか……」 「私は、 しろくまベルスターズがいいと思います!」 「わたしも!」 「ゲートボールチームみたいじゃない?」 「……せめて野球と言ってください」 「覚えやすいじゃないですか、 ね、りりかちゃん」 「あんた自分のアイデアに 自信あったんじゃないの?」 「あ、あはは……りりかちゃんは?」 「………………」 「イタリア人の意見は?」 「先駆の着想はいつだって迫害に遭うものさ」 「ま……しゃーないか。 それじゃ『しろくまベルスターズ』行くわよ!!」 「おーーー!!」 「さて、頃合いもよし。 我々も持ち場につくとしよう」 「…………」 「どうしたのだね?」 「いえ、その……やっぱり心配で」 「ここのサンタさんに編隊訓練なんて、 まだ早すぎませんか? こないだまでケンカばかりしていたのに……」 「それを見極めるのも今夜の仕事だ」 「でも……!」 「確かに簡単な訓練ではないが、 ここでの仕事は今後も難度の高いものになる。 ここでつまづいていては先がないのだよ」 「では、無茶を承知で?」 「無茶ではない。 いずれにせよ通らねばならぬ道だ」 「確かにイブに博打を打つよりは 今のうちですが……もし失敗したら?」 「そうさせないのが私の仕事だよ」 「サー・アルフレッド・キング……」 「さあ行こう、夜が更けてきた」 「来ます……」 「定刻通り……ふむ、綺麗な編隊だな」 「──25時まで20秒。 作戦通り、これよりニュータウンに突入する。 遅れるなよ!」 「了解!」 「ベテルギウス── ジェラルドさん聞こえますか?」 「感度良好だ。 編隊各機ニュータウンへ向けて加速中。 少し風に流されている」 「了解しました。バルーンは 標的、補給用ともに設置完了しています。 データをそちらへ送ります」 セルヴィのシールドに、ニュータウンの地図と標的の位置、そしてルミナのコースが表示される。 ゴーグルを通して見下ろす夜景が記号化されたものだ。 「熊崎城址公園にサー・アルフレッド・キングと オアシスが待っています。先導機の ベテルギウスはそこをゴールにしてください」 「了解だ、予定変更なし」 「決して無茶をしないでください。 訓練は安全第一です!」 「無茶かどうかは終わってみれば分かるさ。 通信終わり、突入する──!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 ──コースが途切れた。 3機のセルヴィは、三角形のフォーメーションを保ったままニュータウン上空へ進入する。 ここから先は無補給の真空地帯だ。コースのないまっ暗な闇夜を、ルミナの光跡が切り裂いていく。 「バルーンは?」 「そろそろ見えるはずだ。 頼んだぜ、お姫様」 「まっかせなさーい! バルーン撃ちなんて楽勝楽勝♪」 久しぶりの緊張感に、金髪さんのテンションも上がっている。 「あった……あれね!」 前方に、ふわふわと漂う赤いバルーンが見えた。グリーンランドの本部が開発したルミナを閉じ込めることのできる風船だ。 バルーンの表面が内包したルミナの光で、うっすらと輝いている。 「ハイパージングルブラスター、 2WAYショット!!」 「すごい、左右同時……!」 「後ろはどう?」 「ルミナ補給──成功だ」 「予想値ぴったりね、どんどんお願い」 「おかわりだとさ、お姫様」 「まっかせなさーい! いくわよ、バルカン7!!」 「さあ、こっちもお仕事だ。 配達用バルーン、3個確認!」 「いっきまーす! マローン、グラーッ、セーー♪」 「こっちもいくわよ、硯!」 「は、はい!」 「スパー、ゲティー、カルボナー……あ、あれ?」 「そこは張り合わなくていいから」 「す……すみません”」 「いちご……ショート!」 「てーいっ!!!」 「いただきッ!!」 「はいっ!!」 初めてのトライアングルフォーメーションは、予想以上に順調だ。 ベテルギウスの赤いノズル光がバルーンとバルーンの間に赤いカーペットを敷き、オレたちはその後ろを追いかける。 セルヴィの光跡を追いかけるように風で大きく揺れていたバルーンが次々と破裂する。 りりかは補給用のバルーンを左右のブラスターで次々と打ち抜き、ななみは近距離、硯は遠距離の配達用バルーンを確実にヒットさせていく。 「行けるじゃないか、俺たち」 「無駄撃ちゼロ、予想以上ね」 「本番もこの調子なら助かるな」 作戦を練ってきただけあって真空地帯であることを忘れるほど順調な展開に、このまま無事終わることを期待し始めたとき……。 「ラブ夫、前!!」 「〈霧〉《・》だ。 後続機、見えるか?」 「ああ、どうする!?」 前方、暗闇の空間に水玉のようにもやもやと漂う、鈍い光の塊。 霧といっても、こいつは本物の霧じゃない。 流れを失ったルミナが停滞し、〈靄〉《もや》のように〈揺蕩〉《たゆた》っているのだ。見た目が似ているから霧と呼ばれている。 「あーあ、予報はあてになんないわねー」 「……すみません」 本物の霧なら振り払うことができるが、こいつはそうはいかない。 霧となって停滞したルミナはエネルギーに変換することができず、つかまると推力が大幅に低下してしまう。 「ベテルギウス、回避するか?」 「〈最初〉《ハナ》からコースアウトして飛んでんだ、 回避してる猶予はないぜ」 「霧はよける! ついてこられるか?」 「ここからアクロバットってわけね。 いいじゃない、やってみるわ」 「曲乗りは得意科目だ。行けるな、ななみ?」 「ええ!? わ、わかりました。 その前にお菓子の補充を……(ごそごそ)」 「硯も落ちちゃダメよー?」 「大丈夫です!」 「んじゃ……いくぜ、お姫様!!」 「バーナーオン! つっこめーー!!」 最高速を維持したまま、赤い光跡が霧を避けて飛び跳ねる。背後から見るその動きは、まさに曲芸師だ。 「とーまくん、あれ……忍者みたいです!」 「八大トナカイの〈滑空〉《グライド》か……燃えてきたぜ!」 「で、できるんですか!?」 「たりめーだ! つかまってろ!!」 「お、おおー!? とーまくんに火がついた!?」 コースを瞬時に判断する手間がないだけ、後続機のほうが楽をしているんだ。これで遅れるわけにはいかない。 ベテルギウスの斜め後方につけながら、離されないよう必死に喰らいついた。 「ちょっと早すぎない!?」 さすがというべきか、先生のシリウスも俺の隣にぴったりついてくる。 「乱暴なエスコートも愛のうちさ」 3機は編隊を乱すことなく、霧を避けながらの〈滑空〉《グライド》を続けた。 「補給用バルーン確認! 後ろいいわね、マルチプルショット!!」 「……すごい、りりかちゃん」 「この程度のアクロバットなら 何度も経験してますって感じだな」 「ぬぬぬ、負けてられません!」 「カペラ! ターゲット来るわよ!」 「右前方に2、3……4個!」 「パン・プキン・パイ、おかわりっ!」 「硯ー、前方にふたっつ!」 「はい…………ッ!」 「いいぞ、ターゲットクリア!」 「リラックスできてるじゃない、その調子!」 「……っと、どうやら今度は 我々が魅せる番だぜ、お姫様」 「……!?」 「前方、霧が網の目に広がっている。 聞こえるかキャロルの坊や── すぐに修正した脱出ルートを送ってくれ」 「ジェラルドさん、なにかあったんで――****」 「通信障害か……ゴキゲンだ、突破する!!」 「任せた、ラブ夫!」 「あいよ、お姫様。 後続機、こっから難易度アップだ」 「危険です、不時着のほうが……」 「いま降りたら見つかるわ。 それに先導機が行くって言ったら行くっきゃないの」 「……というわけだ、いいな、ななみ!!」 「もぐもぐ……りょーかいですっ!!」 声は硬いが、菓子食ってる余裕があれば大丈夫だ。 この霧の中、カペラとシリウスに提示された道はベテルギウスの光跡を正確にトレースすること! 目撃されるリスクはあるが、墜落を避けるための不時着が正解だと、俺の理性が囁きかける。 しかし、霧の中に突っ込んでいくジェラルドの背中に向かって、俺はこう呟いていた。 ──そうこなくっちゃ! 「通信──回復しません!」 「では、場所を移そうか。 広場中央から追加のバルーンを上げなさい」 「でも、みんなの場所が分からなくちゃ……」 「機械がだめなら〈両眼〉《こいつ》を使うだけのことです」 「……肉眼を」 「笑いなさい、眉を寄せれば不安がやってくる。 彼らに託したのは私だ」 「…………は、はい」 「ここを灯台にします。 バルーンを急ぎなさい」 「分かりました、行ってきます!」 霧に照らされた仄暗い空を右に左に、時には旋回しながら霧の合間を縫って飛ぶ。 こいつは間違いなく曲乗りだ。それも、超一流の。 「ターゲットきてる! 右下の赤い屋根!」 「急降下する! 下を向いた瞬間に狙え!」 「りょ、りょーかいです!!」 「霧が邪魔ね、遠距離からは無理よ!」 「はい、先生! 引きつけて狙います!」 「ナイスクリア! あと少しで突破できるわ!」 「そうは行かないぜ、お姫様」 「なんでよ!?」 「フ…………よけきれない」 網の目に広がる霧を避けてきたが、とうとう周囲を包まれてしまった。 セルヴィにUターンはできないし、できたとしても編隊を組んでいては無理だ。 「ウソ!? ちょっ、なんとかしろーー!!」 「ああ、加速する!」 「加速だと!?」 「霧を払ってやるのさ。 後続2機は、その間に突破しろ!」 「突っ込むの!? それじゃベテルギウスが!」 「なんとかするわ。 ベテルギウスのフィルターなら、 少しは霧の浸入を抑えられるから!」 「真紅の稲妻って奴をごらんあれ、マイドルチェ」 「無駄口禁止! いっけー、ラブ夫!」 「ここからさらに加速!?」 「まだ〈残して〉《・・・》たのか!」 りりかのハイパージングルブラスターが光の束を射ち出し、前方の霧を払いのけていく。 そうしてわずかにできた穴に、巨大なベテルギウスが鼻先を突っ込んだ。 きりもみ状に回転し、霧をはじき飛ばしていく。 「先生、一列だ!」 「結局こーなるのね!」 後続のカペラとシリウスは、一列縦隊になってその穴に突入する。 一度は無茶だと否定したはずの一列縦隊、そいつに今は賭けるしかない──!! 「楽勝!! いっくわよ、ベテルギウス!!」 「そうさ、楽勝だぜ……」 しかし──。 もう30メートルも飛べば霧を抜けるというところで、突如、ベテルギウスが失速した。 「どうした!?」 「どうもしてないさ、 予定通り、後続機は霧を抜けろ!」 「りりかちゃんは!?」 「こいつをやっつけて追っかけるわ!」 「でも!」 「いいから行けっての! ハッピー・ホリデーズ!」 ベテルギウスの後方でルミナを温存していた俺たちなら、残りの推力でこの霧を抜けられるだろう。 しかし、いくら最新鋭とはいえベテルギウスはこのまま霧に囚われてしまう。 「とーまくん!!」 「ああ!」 だが……どうする!? 「前方、バルーン2つ!」 「OK! あたしが撃ったら、 後続の2機はルミナを補給して離脱!」 「イタリア人は!?」 「エリートに不可能はない!! 3・2・1……いけーーっ!!」 ハイパージングルブラスターから、立て続けに2発の光弾が放たれる。 1発目が霧を払い、2発目がその向こうに漂っていたバルーンを、撃ち抜いた。 「くそ──!!」 バルーンから広がったルミナが機体に取り込まれる。俺は──カペラを一気に加速させた! 「ななみ頼む!!」 「はい!!」 細かい指示を出している余裕はない。アクセルを踏み込み、ベテルギウスに機体を寄せる。 けれどもななみは、全て承知していたように―― 「りりかちゃん、手!!」 「ななみん!?」 「早く、手をつないで!!」 接触すれすれで並走するカペラとベテルギウス。その間をつなぐように、ななみが伸ばした手を、りりかが受け止めた。 〈宵闇〉《よいやみ》の中、サンタの手のひらが2機のセルヴィをつないでいる──。 「ばか、なに考えて……!?」 「わかんないけど……離しちゃダメです!」 サンタには、ルミナの流れを読み、それを制御する能力が備わっている。 ルミナを動かすのはサンタになるための資質であり、イブの夜には、その力が奇跡を呼び起こす──。 「うそ──!?」 ななみとりりか──つないだ手から手にルミナが伝わり、カペラからベテルギウスへと供給されていく。 「なんだ、こいつは? おいジャパニーズ、聞いたことあるか?」 「初耳だ……サンタにそんな裏技が」 「でも、このままじゃ……!」 ふいに、足元から光が差し、霧となったルミナに緩やかな流れが生まれた。 「地上から……?」 「りりかちゃん、脱出です!」 「お、オッケー、行くわよ!!」 「やれやれ、月明かりが眩しいぜ」 「……突破した?」 「でも、オアシスが見えません!」 「公園もないわ、まさか霧の中に!?」 「ううん、こっちです!!」 北西の方角をななみが指差してみせる。まさか、こいつには見えているのか!? 「なんで分かんのよ!?」 「さっきの光──オアシスですよ!」 「だからどーして分かる!?」 「なんとなくです!」 「!?」 「いずれにしろ、このままじゃ不時着だ」 「だったら賭けてみるか。 ジャパニーズ、交代だ。先導してくれ」 「了解だ」 地上への先導を託された──。 ベテルギウスと交代したカペラは、編隊を率いてななみの指した北西に機首を向ける。 そうして間もなく……、 「ななみさん、ありました!」 「前方地上に光──ルミナだ」 「るんるん号……」「……オアシスね!!」 「やれやれ、不名誉な成績は免れたな」 霧が晴れた。 視界の向こうに熊崎城址公園と、オアシスの隣で手を振るロードスターの姿がある。 ジェラルドのノーズランプが赤く点滅し、地上に向かって合図をした。 「通信回復──こちらベテルギウス、異常なしだ」 「ななみん、すずりん、あとは任せたからね!」 サー・アルフレッド・キングのオアシスから迎えのコースが宙に延びている。 タンクのルミナを使い切って編隊を離脱したベテルギウスが、地上に向かうコースへと吸い込まれていった。 「では、残りのエリアを ぱぱぱっと配っちゃいましょー!」 「はい!」「了解!」 最後の仕上げだ。 明るく響くななみの声をどこか頼もしく感じながら、俺はカペラのアクセルを踏み込んだ。 「11時方向、霧が薄いわ!」 「よーし、一気に抜ける!」 「OK……助かったわ、ななみん」 「い、いえ……どういたしまして……」 「……きゃう!?」 「ちっ!!」 ベテルギウスに気を取られ、こっちもいつしか薄く広がった霧幕に突っ込んでいた。 霧が厄介なのは、元がルミナと同じもののため、しばらくは排気されず、機体にとどまってしまうことだ。 「つかまったか……」 「こっちもよ。 困ったわね、推力がもたないかも」 霧の向こうにシリウスのノーズランプが淡く光っている。 カペラとシリウスだけだ。先導していたベテルギウスの影は見えない。 「とーまくん!」 「わーってる、すぐに考える」 迷っている時間はない。こうしている間にも、ルミナの澱みに囚われたカペラとシリウスは、蓄えたわずかなルミナを、みるみる消耗している。 ここでの停滞はイコール墜落につながる。選択肢は二つ。脱出か不時着かだ。 脱出──タンクのルミナを全放出すれば、霧を払うことができるかもしれないが、そいつは賭けだ。 霧を抜けた先にバルーンがなければ、俺たちは墜落する。しかし、成功すれば……。 「……不時着する!」 「でも、地上に誰かいたら!?」 「落ちたら同じことだ」 脳裏に親父の顔が浮かんだ。 地上への墜落を避けるために、最後まで操縦桿を離さなかった親父の顔が。 「…………仕方ない、ですか」 「ああ……ゲームオーバーだ」 できることならここを突破したい。しかし俺の欲求で、仲間を賭けに巻き込むわけにはいかない。 出力を停止し、自然落下で霧を抜けてから、ランディングへ移行──。 頭の中で手順を整理して、ステアリングのスイッチに指をかけた時、 「白旗をひっこめな、ジャパニーズ!」 「!!?」 声がした、ベテルギウスだ! 真紅の機体が霧を蹴散らしながら再突入をしてきたのだ。 「後ろから押し出してやる! 霧が晴れたらコースに乗って公園に降下しろ!」 「無茶だ、接触する気か!?」 「無茶かどうかは俺が決める! 祈ってろ!」 「シールド最大!!」 ベテルギウスは旋回しながら、カペラとシリウスの間に突っ込んできた。 「つかまれ、ななみ!!」 「硯も……きゃっ!?」 「あぐ……ッッ!」 「りりかちゃん!?」 「早く脱出!!」 「り、了解っ!!」 ベテルギウスはカペラとシリウスに接触しながらも、重くまとわりついていた霧の幕を払いのけた。 そして、脱出する俺たちのために高濃度のルミナを後方へ排出する。 「無茶しすぎ……いくら情熱の国だからって!」 「すまん、カペラ脱出する!」 「よーし、すっからかんだ、 あとはお姫様のルミナが頼りだぜ」 「わかってる、バルーンの位置は!?」 「正面だ……ん、ちょっと待ってくれ」 「カペラだ、 10時方向に地上へのコースを確認した。 脱出するならそっちに向かってくれ」 「本当か、そいつはいい」 「コースの正面に付けたら教えて。 鞭を入れてあげるわ」 「おっかないね、笑ってるのか?」 「ふふ……見せてあげるわ、 エリートは無敵だってとこ!!」 「コース正面だ、お姫様!」 「いくわよ──まっすぐ全速力!!」 「ベテルギウス、着陸します──」 「ご苦労でした、怪我はありませんか?」 「楽勝です!」 「もう、無茶をしないでくださいって、 あれほど言ったのに……」 「不時着よりは無茶じゃなかったはずよ?」 「……そうは思えません」 「実際、危ないところでした。 地上からのコースは この屋台が作ったんですか?」 「まあ、そういうことです。 なかなかの名案ですよ、これは」 「へぇ……ななみん、やるじゃない」 「それにしてもこの町のツリーさんは、 相当なじゃじゃ馬ですな。 ボスからよくしつけてやってください」 「それだけ元気があれば安心です。 あとはカペラとシリウスに任せましょう」 ──コースが途切れた。 3機のセルヴィは、三角形のフォーメーションを保ったままニュータウン上空へ進入する。 ここから先は無補給の真空地帯だ。コースのないまっ暗な闇夜を、ルミナの光跡が切り裂いていく。 「バルーンは?」 「そろそろ見えるはずだ。 頼んだぜ、お姫様」 「まっかせなさーい! バルーン撃ちなんて楽勝楽勝♪」 久しぶりの緊張感に、金髪さんのテンションも上がっている。 「あった……あれね!」 前方に、ふわふわと漂う赤いバルーンが見えた。グリーンランドの本部が開発したルミナを閉じ込めることのできる風船だ。 バルーンの表面が内包したルミナの光で、うっすらと輝いている。 「ハイパージングルブラスター、 2WAYショット!!」 「すごい、左右同時……!」 「後ろはどう?」 「ルミナ補給──成功だ」 「予想値ぴったりね、どんどんお願い」 「おかわりだとさ、お姫様」 「まっかせなさーい! いくわよ、バルカン7!!」 「さあ、こっちもお仕事だ。 配達用バルーン、3個確認!」 「いっきまーす! マローン、グラーッ、セーー♪」 「こっちもいくわよ、硯!」 「は、はい!」 「スパー、ゲティー、カルボナー……あ、あれ?」 「そこは張り合わなくていいから」 「す……すみません”」 「いちご……ショート!」 「てーいっ!!!」 「いただきッ!!」 「はいっ!!」 初めてのトライアングルフォーメーションは、予想以上に順調だ。 ベテルギウスの赤いノズル光がバルーンとバルーンの間に赤いカーペットを敷き、オレたちはその後ろを追いかける。 セルヴィの光跡を追いかけるように風で大きく揺れていたバルーンが次々と破裂する。 りりかは補給用のバルーンを左右のブラスターで次々と打ち抜き、ななみは近距離、硯は遠距離の配達用バルーンを確実にヒットさせていく。 「行けるじゃないか、俺たち」 「無駄撃ちゼロ、予想以上ね」 「本番もこの調子なら助かるな」 作戦を練ってきただけあって真空地帯であることを忘れるほど順調な展開に、このまま無事終わることを期待し始めたとき……。 「ラブ夫、前!!」 「〈霧〉《・》だ。 後続機、見えるか?」 「ああ、どうする!?」 前方、暗闇の空間に水玉のようにもやもやと漂う、鈍い光の塊。 霧といっても、こいつは本物の霧じゃない。 流れを失ったルミナが停滞し、〈靄〉《もや》のように〈揺蕩〉《たゆた》っているのだ。見た目が似ているから霧と呼ばれている。 「あーあ、予報はあてになんないわねー」 「……すみません」 本物の霧なら振り払うことができるが、こいつはそうはいかない。 霧となって停滞したルミナはエネルギーに変換することができず、つかまると推力が大幅に低下してしまう。 「ベテルギウス、回避するか?」 「〈最初〉《ハナ》からコースアウトして飛んでんだ、 回避してる猶予はないぜ」 「霧はよける! ついてこられるか?」 「ここからアクロバットってわけね。 いいじゃない、やってみるわ」 「曲乗りは得意科目だ。行けるな、ななみ?」 「ええ!? わ、わかりました。 その前にお菓子の補充を……(ごそごそ)」 「硯も落ちちゃダメよー?」 「大丈夫です!」 「んじゃ……いくぜ、お姫様!!」 「バーナーオン! つっこめーー!!」 最高速を維持したまま、赤い光跡が霧を避けて飛び跳ねる。背後から見るその動きは、まさに曲芸師だ。 「とーまくん、あれ……忍者みたいです!」 「八大トナカイの〈滑空〉《グライド》か……燃えてきたぜ!」 「で、できるんですか!?」 「たりめーだ! つかまってろ!!」 「お、おおー!? とーまくんに火がついた!?」 コースを瞬時に判断する手間がないだけ、後続機のほうが楽をしているんだ。これで遅れるわけにはいかない。 ベテルギウスの斜め後方につけながら、離されないよう必死に喰らいついた。 「ちょっと早すぎない!?」 さすがというべきか、先生のシリウスも俺の隣にぴったりついてくる。 「乱暴なエスコートも愛のうちさ」 3機は編隊を乱すことなく、霧を避けながらの〈滑空〉《グライド》を続けた。 「補給用バルーン確認! 後ろいいわね、マルチプルショット!!」 「……すごい、りりかちゃん」 「この程度のアクロバットなら 何度も経験してますって感じだな」 「ぬぬぬ、負けてられません!」 「カペラ! ターゲット来るわよ!」 「右前方に2、3……4個!」 「パン・プキン・パイ、おかわりっ!」 「硯ー、前方にふたっつ!」 「はい…………ッ!」 「いいぞ、ターゲットクリア!」 「リラックスできてるじゃない、その調子!」 「……っと、どうやら今度は 我々が魅せる番だぜ、お姫様」 「……!?」 「前方、霧が網の目に広がっている。 聞こえるかキャロルの坊や── すぐに修正した脱出ルートを送ってくれ」 「ジェラルドさん、なにかあったんで――****」 「通信障害か……ゴキゲンだ、突破する!!」 「任せた、ラブ夫!」 「あいよ、お姫様。 後続機、こっから難易度アップだ」 「危険です、不時着のほうが……」 「いま降りたら見つかるわ。 それに先導機が行くって言ったら行くっきゃないの」 「……というわけだ、いいな、ななみ!!」 「もぐもぐ……りょーかいですっ!!」 声は硬いが、菓子食ってる余裕があれば大丈夫だ。 この霧の中、カペラとシリウスに提示された道はベテルギウスの光跡を正確にトレースすること! 目撃されるリスクはあるが、墜落を避けるための不時着が正解だと、俺の理性が囁きかける。 しかし、霧の中に突っ込んでいくジェラルドの背中に向かって、俺はこう呟いていた。 ──そうこなくっちゃ! 「通信──回復しません!」 「では、場所を移そうか。 広場中央から追加のバルーンを上げなさい」 「でも、みんなの場所が分からなくちゃ……」 「機械がだめなら〈両眼〉《こいつ》を使うだけのことです」 「……肉眼を」 「笑いなさい、眉を寄せれば不安がやってくる。 彼らに託したのは私だ」 「…………は、はい」 「ここを灯台にします。 バルーンを急ぎなさい」 「分かりました、行ってきます!」 霧に照らされた仄暗い空を右に左に、時には旋回しながら霧の合間を縫って飛ぶ。 こいつは間違いなく曲乗りだ。それも、超一流の。 「ターゲットきてる! 右下の赤い屋根!」 「急降下する! 下を向いた瞬間に狙え!」 「りょ、りょーかいです!!」 「霧が邪魔ね、遠距離からは無理よ!」 「はい、先生! 引きつけて狙います!」 「ナイスクリア! あと少しで突破できるわ!」 「そうは行かないぜ、お姫様」 「なんでよ!?」 「フ…………よけきれない」 網の目に広がる霧を避けてきたが、とうとう周囲を包まれてしまった。 セルヴィにUターンはできないし、できたとしても編隊を組んでいては無理だ。 「ウソ!? ちょっ、なんとかしろーー!!」 「ああ、加速する!」 「加速だと!?」 「霧を払ってやるのさ。 後続2機は、その間に突破しろ!」 「突っ込むの!? それじゃベテルギウスが!」 「なんとかするわ。 ベテルギウスのフィルターなら、 少しは霧の浸入を抑えられるから!」 「真紅の稲妻って奴をごらんあれ、マイドルチェ」 「無駄口禁止! いっけー、ラブ夫!」 「ここからさらに加速!?」 「まだ〈残して〉《・・・》たのか!」 りりかのハイパージングルブラスターが光の束を射ち出し、前方の霧を払いのけていく。 そうしてわずかにできた穴に、巨大なベテルギウスが鼻先を突っ込んだ。 きりもみ状に回転し、霧をはじき飛ばしていく。 「先生、一列だ!」 「結局こーなるのね!」 後続のカペラとシリウスは、一列縦隊になってその穴に突入する。 一度は無茶だと否定したはずの一列縦隊、そいつに今は賭けるしかない──!! 「楽勝!! いっくわよ、ベテルギウス!!」 「そうさ、楽勝だぜ……」 しかし──。 もう30メートルも飛べば霧を抜けるというところで、突如、ベテルギウスが失速した。 「どうした!?」 「どうもしてないさ、 予定通り、後続機は霧を抜けろ!」 「りりかちゃんは!?」 「こいつをやっつけて追っかけるわ!」 「でも!」 「いいから行けっての! ハッピー・ホリデーズ!」 ベテルギウスの後方でルミナを温存していた俺たちなら、残りの推力でこの霧を抜けられるだろう。 しかし、いくら最新鋭とはいえベテルギウスはこのまま霧に囚われてしまう。 「とーまくん!!」 「ああ!」 だが……どうする!? 「あれは……!」 煙のように広がる鈍い光の幕。そこに薄らと小さな影が二つ浮かび上がっていた。 「補給用のバルーンか!」 あの二つを割ることが出来れば、ベテルギウスの推力を回復させられるかもしれない。 しかし霧が深すぎて、りりか達が気づいてくれる様子はない。 霧に加えてこの距離からでは、ななみじゃ少しばかり分が悪い。 それなら……! 「柊ノ木さんッ、前方にバルーン2つだ! 直線上に1つと、そこから右に1メートル! 狙えるかッ!?」 「とーまくんっ!?」 「! ……やってみます!」 サイドミラーに小さな光が二つ煌く。 流星のように放たれた二本の光の矢がそれぞれ霧を打ち払い、その向こうに浮かんでいたバルーンを貫いた。 「え……!」 「あんなトコにバルーンがあったなんて……! ナイスよすずりん! ラブ夫っ!」 「分かってるぜ、お姫様!」 バルーンから広がったルミナが機体に取り込まれ、吹き返したようにベテルギウスが力を取り戻す。 「俺達も行くぞ、ななみ!」 「はい!」 ペダルを強く踏み込みカペラを加速させた。 霧を吹き飛ばしながら、その先に広がっている夜空を目指す。 しかし、スピードが上がるに連れて、ルミナを補給したはずのベテルギウスが目に見えて遅れ始めた。 「どうしたのよラブ夫!?」 「どうやら思ったより霧を食い過ぎたようだ。 お腹いっぱいだとさ」 余裕の態度を崩さないジェラルドだが、速度を失ったベテルギウスは、ゆっくりとその高度を下げていく。 「ここから先は俺が先導に回る! 柊ノ木さんっ、あとを頼む!!」 「はいっ、先生!」 「分かってるわよー!」 機体をさらに加速させ、外側から隊形の先頭へ回り込む。 その後ろでは先生が細かくペダルを操作し、失速を続けるベテルギウスに機体を近づけていた。 「りりかさん!」 「す、すずりん!?」 「こちらに手を伸ばしてください!!」 接触すれすれで並走する純白と真紅の機体。その間を繋ぐように、硯が延ばした手をりりかが受け止めた。 〈宵闇〉《よいやみ》の中、サンタの手のひらが2機のセルヴィをつないでいる──。 「ばか、なに考えて……!?」 「離さないでください!」 サンタには、ルミナの流れを読み、それを制御する能力が備わっている。 ルミナを動かすのはサンタになるための資質であり、イブの夜には、その力が奇跡を呼び起こす──。 「なんだ、こいつは? 聞いたことあるかい、マイドルチェ」 「アタシだって初めて見たわ……。 こんなウルテクがあったなんてねー」 「でも、このままじゃ……!」 ふいに、足元から光が差し、霧となったルミナに緩やかな流れが生まれた。 「地上から……?」 「りりかさん、このまま脱出を……!!」 「お、オッケー、行くわよ!!」 「やれやれ、月明かりが眩しいぜ」 「……突破した?」 「でも、オアシスが見えません!」 「公園もないわ、まさか霧の中に!?」 「ううん、こっちです!!」 北西の方角をななみが指差してみせる。 「なんで分かんのよ!?」 「さっきの光──オアシスですよ!」 「だからどーして分かる!?」 「なんとなくです!」 「!?」 「いずれにしろ、このままじゃ不時着だ」 「だったら賭けてみるか。 ジャパニーズ、交代だ。先導してくれ」 「了解だ」 地上への先導を託された──。 ベテルギウスと交代したカペラは、編隊を率いてななみの指した北西に機首を向ける。 そうして間もなく……、 「ななみさん、ありました!」 「前方地上に光──ルミナだ」 「るんるん号……」「……オアシスね!!」 「やれやれ、不名誉な成績は免れたな」 霧が晴れた。 視界の向こうに熊崎城址公園と、オアシスの隣で手を振るロードスターの姿がある。 ジェラルドのノーズランプが赤く点滅し、地上に向かって合図をした。 「通信回復──こちらベテルギウス、異常なしだ」 サー・アルフレッド・キングのオアシスから迎えのコースが宙に延びている。 タンクのルミナを使い切って編隊を離脱したベテルギウスが、地上に向かうコースへと吸い込まれていった。 「じゃあ、ちゃっちゃと残りのエリアも 片付けてしまおうか」 「了解です!」「りょーかい」「はい!」 「はぁー……やれやれ。 一時はホントどうなることかと思ったけど」 「今回は硯に助けられちゃったわね」 「私が……ですか?」 「濃霧の中、バルーンを見つけただけでなく、 あの距離から打ち抜いて、 いち早くルミナを供給させたじゃない」 「アレが無かったら、 今頃こうしてのんびり帰ってこられなかったわよ?」 「あっ、あれはその……たまたま上手くいっただけで」 「言ってるでしょ? たまたまでも運でも、それはあなたの実力だって」 「せ、先生……」 「……よくやったわね」 「は、はい。 ありがとうございます」 「……硯」 「? なんですか?」 「まあ色々あったけど……、 今まで硯と一緒に飛べて楽しかったわ」 「え?」 「これからも頑張っていきなさいよ?」 「…………」 「んー? 返事はぁ?」 「えっ……あ、は、はいっ。 頑張ります、先生!」 「……よし! あーあ、今日はホント疲れたわねぇ。 さっさと帰って温かい布団で眠りたいわー」 「先生……?」 「皆さん、〈昨夜〉《ゆうべ》はご苦労でした」 早朝──しろくまベルスターズの6名は、いつもの特訓時間にロードスター邸へと集められた。 「予想外の霧に苦しめられはしたものの、 実に期待以上の成果を収むるに至り、 全くもって〈重畳〉《ちょうじょう》至極!!」 執務机の前に立ったサー・アルフレッド・キングが、少しおかしな日本語で昨夜の訓練を総括する。 「かの真空地帯での配達訓練を成功させたるは ひとえに皆の衆の鍛錬の成果! 燦然たるサンタの〈誉〉《ほま》れである!!」 「(ほ、褒められてるんですよね?)」 「(たぶん、かなり……)」 「(夜のうちは物静かな英国紳士さんなのに、  どーして朝になるとこーなっちゃうんで  しょうか?)」 「(お日様が昇ると  おめでたい気分になるんじゃない?)」 「(そんなからくりですか!?)」 「(やっぱり朝のロードスターはステキねぇ)」 「(せ、先生って……!!)」 「みなさん、お静かに!!」 「ウホン……よろしいか! 先般申し伝え置いた通り、かの配達訓練は リーダー選定の検分も兼ねておった!!」 「そ、そうでした!!」「そ、そーだった!!」 「しからば、その結果をこれより発表する!」 「…………ごくり!」 「やぁやぁ、遠からん者は音にも聞けい!! しろくまベルスターズの異名を与えられし 我がサンタチーム、そのリーダーの名は……!!」 「──星名ななみ!!」 「ええええっっっ!?」 「きみに決定する」 「ななななぜですか!! なぜなんですかっっ!?!?」 「勢いである!」 「いきおい!?」 「左様、かの者には勢いがある」 「あたしよりもですか!?」 「どっこいどっこい」 「じゃどーして!?」 「それすなわち、役割分担と心得たまえ」 「…………????」 「以上である、各員一層の精進努力を期待する!」 「え? あ、あの……!!」 「できないできない納得できないっ!! ちっともさっぱりわかんないーー!!」 「まーまー、面倒なリーダー役じゃない。 気にしない気にしない」 「でもでもどーしてあたしじゃなくて あいつなんですかーー!?」 「そんなのアタシに言われても」 「実際、わたしもなにやら 狐につままれたような……」 「ベテルギウスのピンチを フォローしたのが評価されたんだろ?」 「その点では異論を挟む余地なしだ、お姫様」 「うぎぎぎ……あたしともあろうものが、不覚!」 「でも、役割分担……って言ってましたよね?」 「え?」 「りりかさんにはコーチのお仕事があるので、 リーダーの仕事をななみさんに振り分けて、 バランスを取ったんじゃないでしょうか?」 「……!」 「そうか……! なるほど、そういうこともあるかも。 ふふふ、うふふふふ……!」 「そーと決まれば、行くわよラブ夫!」 「どこへだい?」 「特訓のメニューを考えるの! 付き合ってもらうからね」 「おいおい、今日はオフの予定が……」 「りりかちゃん…………ゴキゲンになりました」 「……だな」 「硯ってば、言いくるめるの上手くなったわねー」 「わ、私は決してそんなつもりじゃ!」 「はぁぁ……」 「気が抜けたのか? さっきからため息ばっかりだぜ、サンタさん?」 「逆ですよ、逆! わたしにリーダーなんて務まるんでしょうか?」 「できると思ったから任命したんだろ? ボスのお墨付きだから、 金髪さんも引き下がったんだぜ」 「うーん……でもですよ、 リーダーと言われても さしあたり何をしたらいいか……」 「そんなのは決まってる、盛り上げ役さ」 「へ!?」 「考えてもみろよ、訓練は金髪さんが担当して、 毎日の生活は硯が仕切ってくれるんだから、 あとはムードメーカーがいりゃ何とかなる」 「まさか役割分担ってそういう意味!?」 「本当を言えばよくわからん、てきとーだ」 「もー、まじめに聞いてたのに!」 「お、噂をすれば……金髪さんからだ。つなぐぞ」 「もしもし、ななみん!」 「は、はいっ!」 「リーダーはななみんになったとしても、 訓練はあたしのスタイルでやるからね!」 「も、もちろんです! またよろしくお願いします!」 「ん、ならいいけど……それだけ」 「…………切れちゃいました」 「めでたしめでたし、ってことだ。 さ、早く戻って朝飯にしようぜ」 「そうですね、 案ずるよりごはん〈美味〉《うま》し、です」 りりかが訓練、硯が家のことを見るのなら、俺の役割は何だろうか? 店内の簡単な掃除を終えた俺は、整ったディスプレイの人形を眺めながらコーヒーで一息つくことにした。 店長が俺の仕事だ──と言いたいところだが、明日からまた、ななみとペアを組んでオアシスでの営業が始まるだろう。 店は、りりかと硯に見てもらうことになる。如才ないりりかと、几帳面な硯ならきっと上手く店を回してくれるだろう。 俺とななみは屋台を引っ張っての別行動だ。ななみが、リーダーとしてのポジションに悩む気持ちも、分からないではない。 「それでも、あいつなら上手くやるさ」 このさい能天気は武器になる。あいつは深く考えずに勢いで突っ走ってくれればいい。 それが行き過ぎないように支えてやるのが、どうやらトナカイである俺の役割らしい。 棚に陳列された人形を取ったり戻したりしながら、俺は少しだけ誇らしい気持ちになっていた。 「おい」 「わぁ!?」 「け。まったくボヤボヤしやがって、 そんなで、生き馬の目を抜く商売の世界で、 生きていくつもりとは」 「お、お久しぶりですね大家さん。 なんですか、突然」 「突然じゃなくちゃ見回りの意味がないだろう。 店はどうしたんだ、店は、閉店の準備中か」 「昨日、遅くまで研修がありましてね、 今日は休みなんですよ、 外の看板に書いてませんでしたか?」 「ふん、そんなもの目に入らなかったね。 知らずに客が来たらどうすんだ?」 「そのときは俺が接客します」 大家さんはポケットから煙草を取り出すと、手馴れた動作で火をつけてうまそうに吸い。 「で、肝心の売り上げは?」 「着服なんてしませんよ? ごほごほ」 紫煙が俺の顔に容赦なくふきつけられた。 「着服っていうのはな。 着服出来る売り上げがなきゃ出来ないんだよ。 で、その売り上げは出てるのかって聞いてるんだ」 「げほごほ。 そ、それなら順調です。 おかげさまで客足も上向きですし」 「ふぅん。来月には 別の店子に貸してやれると思ってたんだがね。 あてがはずれちまった」 「今日びそんな借り手が大勢いるんですか? しかもこんな町外れの物件」 「ラブホテルにどうかって話があったのさ。 あー残念だ残念だ」 なんという運命!このツリーは、俺たちが借りなければ、ラブホテルになっていたらしい。 「それから。ほらよ」 四つ折になったメモを大家さんが放ってよこす。 「これは?」 「あんた頭蓋骨に脳が入っていないらしいね。 ここにチラシを置いてやるって 物好きがいたってさ」 思い出した。 前の歓迎会で俺は、きのした玩具店のチラシを置いてくれる店がないか、聞いて回っていたのだ。 「……ありがとうございます!」 大家さんは煙草を携帯灰皿におしつけた。 「ふん。 礼ならその物好きに言うんだね」 おそらくは、呼び込み看板の『本日休業』を読んだうえで、営業の邪魔にならないように訪ねてくれたであろう大家さんを、送り出す。 「……案ずるよりごはん美味し、か」 「なんだって? 今、乱れに乱れた日本語が 聞こえて来た気がしたんだが」 首だけで振り返る大家さんを、愛想笑いでやりすごそうとしたそのとき、ツリーハウスのテラスから、なにやら羽音が……。 「こけーここ!!」 「──トリ!!」 「鳥だね、ありゃ。 まさかペットじゃないだろうね?」 ひっこめ、そして飛び去れサンダース!無理でも大空に羽ばたけ! 「や、野鳥の類です、前にお話した!」 「あれが野鳥? 随分と野性味のない野鳥だね」 「い、いえ、野生種ですとも!」 「ふー、いい湯だったぁ」 バスタブの中で一日の労働から解放され、さて湯上りの一杯でもと思っていたところに金髪さんが飛び込んできた。 「ワニ婆が来てたの!?」 「ああ、思ったより優しかったぜ。 うちのチラシを置いてくれる店を 見繕ってくれたんだ」 「そこにトリが乱入してきて ごまかすのに一苦労さ」 「食用って言えば良かったのに……」 「それよりそのカッコ!! 裸で歩き回るな!! 活動家か!!」 「裸!? ちゃんと下はつけてるぞ」 「上もつけてっっ!! アイドル級にプリティでラブリーな女子と 同居してるって忘れないでよね!」 「いまさら気にするような間柄とも思えんが」 「お風呂洗ってきま……」 「!!!!!」 「あ、すまん……」 「……あの、いえ……その」 「やっぱり……まずかったか?」 「どーぶつから人間に進化するチャンスよ。 はい、洋服」 「ふー、やれやれ……夜気が心地いいぜ」 本当なら上半身裸でビールでもひっかけたいところだが、まだまだ店の営業も生活習慣も見直すことが多くありそうだ。 久しぶりの休日。しかし夜になると身体がうずうずしてくるのは、トナカイの〈性〉《さが》でもある。 「湯冷め覚悟で、夜の散歩としゃれこむか」 空を見上げる。 学校にいた頃は、トナカイになった日を想像してよくこうして夜空を見上げたものだ。今日は不思議と当時のことばかり思い出される。 ななみと出会ったのも、そのころだ。 進級テストの時間、消しゴムをなくして困っていたピンク髪の女子に、買ったばかりの新品を貸してやった。 『ちゃんと新しいのをお返しします』 やけに礼儀正しい言葉で礼を言ったななみが俺に返してくれた消しゴムは、新品でこそあったものの、香りつきのケーキ型。 おかげで当時はえらく冷やかされたものだ。 「まさか、そいつとパートナーとはな……」 コツン、と足先に何かが当たった。 足元に視線を下ろすと、そこにはショートケーキの形をした──。 「あれーー?」 「おかしいです……うーむむ……」 「探してるのはこいつか?」 「おおっ、とーまくん! どこでそれを!?」 「テラスに転がってた」 「ありゃ? あ、あはは……ありがとうございます」 まるで進歩のないななみが、俺の手からケーキの消しゴムを受け取る。 「なに書いてんだ?」 「サンタ学校の筆記試験ですよ。 屋久島支部から取り寄せたのをやってるんです」 「そりゃまた、どうして?」 「これ、タダなんです!」 「は?」 「ほら、新聞のクロスワードみたいなものですよ。 ついつい暇つぶしにやってしまうといいますか」 「新聞に直接答えを書き込んでたのはお前か!」 「ま、まずかったですか!?」 「まずいのは、むしろその手元の菓子軍団だ」 「こ、これは……パズルは脳を使うので、 糖分の補給をですね」 「よりによって就寝前に? いや、むしろ脳云々は菓子を食う口実か」 「あうぅ、そ、それはその……!」 「じ、実を申しますと! わたくし、 カスター道を極めている最中なんです!!」 「初耳すぎらあ、段位はBMIか?」 「もー、いいじゃないですか、 乙女のリラックスタイムなんですってば!」 「部屋でやればよかろうに」 「まあ、それはそうなんですけど……」 意味ありげな視線を送ってくる。 「久しぶりにゆっくりしていたら、 なんとなく眠れなくて……」 「とーまくんが良かったら、 カペラくんに乗せてもらえないかなー、なんて」 「へえ……お前もか」 「とーまくんもでしたか?」 「全開ぶっちぎりじゃなくていいですよ、 のんびりドライブな感じでー!」 「安心しろ、風呂上りに汗をかくつもりはないさ」 「またお風呂になっちゃいますもんね」 後席にまたがったななみが、ほっと息をつく。 「……ずいぶん上手くなったな」 「へ?」 「的当てだよ、留年した割にはさ」 学生時代のななみは、ルミナの軌道を読むのは上手かったものの、射撃が苦手で留年することになった。 「勢いがありすぎてノーコンになるって聞いてたが、 その割に制御できてると思ってさ」 「そりゃあ……留年はショックでしたから」 俺も似たようなものだ。カペラの操縦に対応できるサンタがいなくて、屋久島では仕事がほとんどなかった。 それは周囲のサンタが悪いのではなく、俺の対応力の問題だ。 「今年は、上手くやってこうぜ」 俺にとってもななみにとっても、ようやく手に入れた自分の仕事──。 「もちろんです♪」 ななみの能天気な声を聞いていると、意気込んで張り詰めていたものが、どこかへ抜けていくような気がする。 緩いんだか熱いんだか分からないが、今はこいつが俺の相棒だ。 「少し飛ばすぜ」 ななみの腕が、俺の腰をぎゅっと締め付ける。 アクセルペダルを踏み込んで、俺は町を見渡せる高度へ機体を躍らせた。 「ザ・保留!!」 「またですかーーーー!?」 「うむ、諸事勘案したところ、 決定打不足ということにあいなった」 「か、勘案ですか?」 「左様、月守りりかの先導ぶりと ジェラルド・ラブリオーラの決断力には 目を〈瞠〉《みは》るものがあった」 「ですよね!!」 「一方で咄嗟の危機に即応した星名ななみの機転も 〈白眉〉《はくび》というべきもの。ゆえにもうしばらく 両名の資質を見極めてゆきたいと思う次第である」 「そんなぁ……」 「つまり、この先も 集中力を切らすことなく競い合えと?」 「左様である!」 「ふーむ、修行に終わりなしですね! さすがは支部長さんです」 「うーーー、でもでもー!」 「また、パートナーの組み換えについては、 現状の編成が最上であると判断し、 全てなかったものとする」 「本日の通達は以上! 以後両名のますますの鍛錬を期待する!!」 「あうぅ…………」 「わかりました……」 「はー、まだまだ保留ですかー」 「今日のところはリーダーの話を忘れて、 訓練の成功を祝おうぜ」 「それもそうですね。あんなハードな訓練を 乗り切れるなんて思いませんでした」 「体力がついてるんだ。 毎朝のスパルタのおかげかもな」 「あいかわらず二人とも前向きねー」 「あ、先生!」 「無事に訓練終わって良かったですね」 「さすがに柊ノ木さんもほっとした顔してるな」 「え? あ……いえ」 「これは違うのよー、今朝まではリーダーに なったらどうしようってオロオロしてたんだけど 候補から漏れて安心してるの」 「せ、先生、そんなこと言わなくても……!」 「なるほどね、サンタさんも色々だな」 「……すみません」 「っと、その対極にいるサンタさんからだ。 ななみ、つなぐぞ」 「はいはーい、りりかちゃんお疲れ様でした!」 「うん、おつかれー」 「じゃない!!!!」 「わぁぁ、びっくりしました!」 「なんでそんなのんきなのよ! 今日からあたしたちはライバル! いいわね、ライバルなんだから!」 「おおっ『友』と書くやつですね!」 「それは強敵と書いて『とも』でしょ!! ちがう、ただの競争相手!!」 「ええー、ただのですか!?」 「ただの、だったらライバルとは言わないわよねー?」 「昨夜は仲良く手をつないでたじゃないか」 「あぅ……ぐぐぐ、それはいいのっっ! とにかくリーダーの座は渡さないわ! それだけよ!」 「りょーかいです♪」 どうやらこの二人は、今後も切磋琢磨しながら競い合うことになるらしい。まさにボスの狙い通りってところか。 「ま、そんならそれで、 トナカイもトナカイ同士 せいぜい競わせてもらうさ」 「おおっ! とーまくん、その意気です」 「退屈な勝負は御免だぜ?」 「ラブ夫、格の違いを見せつけるわよ! レッツ・スピードアーップ!!」 「あいよ!」 「……と言いたいところだが、無理だ」 「どーして!?」 「出力ダウン。 ……こりゃご機嫌ななめだな」 「こ、故障ですか?」 「どうやらそうらしい。 レースはお預けだ、不時着する」 ベテルギウスは人目に付かない山の中を選びルミナのコースをたどりながら高度を下げてゆく。 俺とサンタ先生も、慌ててそのあとを追いかけた。 「ふーむ、なるほどね……」 「大丈夫?」 「ダメだな」 「簡単に言うな!! どーなってるの!?」 「ハーモナイザーがイかれてる。 どうやら接触のダメージだな」 「冗談でしょ!? ハーモナイザーが……?」 「ジョークで済めばありがたいんだがな、 こりゃ本当にヤバいぜ」 「昨夜の接触か?」 「さァな」 ジェラルドは言葉を濁しているが、これは間違いなく、霧の中から俺たちを脱出させた時のダメージだろう。 ハーモナイザーとリフレクターはセルヴィの核となるパーツだ。当然ながら、整備は特に時間がかかる。 この時期にその心臓部分がいかれるってのは……。 「大丈夫さ、透が何とかしてくれる」 悪い想像を振り払うように笑顔をつくった。元八大トナカイは、俺の表情になど目もくれない。 「そうだな、キャロルの坊やに期待してみるか」 「と、とにかく!! 急いでロードスター邸へ戻らなきゃ! こんなとこ誰かに見つかったら大変だし」 「そーね、シリウスで牽引するわ」 「このデカい機体だ、2機で行こう」 「うー、こんなことになるなんてー!!」 「心配ですよね」 「それもそうだけど、ライバル宣言したばかりなのに カペラに引っ張ってもらうなんて屈辱ーー!!!」 「おい!!」 「まあまあ、仲良くやろうぜお姫様」 「だってラブ夫!」 「……これからどうなるか分からないんだ」 「……ジェラルド?」 ベテルギウスが不時着事故を起こしりりかの心細そうな声を聞いたあの日から4日が過ぎた。 ベテルギウスの検査が終わるまで、夜の訓練は自習モード。 りりかは不安を紛らわすように、ツリーハウスの裏庭で射撃の練習ばかりやっていた。 5日目に透からの連絡があり、ロードスター邸に呼び出された俺たちは、突然の通達を受けたのだ。 「ペア交代ーーーーーー!?!?!?」 「左様!」 「ででででも交代ってことはまさか!?」 「わたしとりりかちゃんがペアを!?」 「ちがーーー!!!」 「ま、まさか……ですよね!?!?」 うすうす覚悟はできている。どんなサンタであれ、サポートするのがトナカイだ。 「そのまさかである!」 「月守りりかは今後カペラと、 星名ななみはベテルギウスとペアを組むこと、 〈屹度〉《きっと》申し付けるものである」 「ま、妥当な判断ですな」 「そ、そんなー!? 何であたしがこんな国産なんかとっ!?」 どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ。どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ!どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ!! 「ここからは僕が説明します。 検査の結果、ベテルギウスのハーモナイザーに 強い衝撃が原因となる変調が発見されました」 「応急処置とリミッターの再設定により 動作を安定させることには成功しましたが、 本来のスペックを発揮するのが難しい状態です」 「つまり、いまのベテルギウスじゃ あたしのパートナーに釣り合わないってこと?」 「その……カペラのほうが適役と診断されました」 「……一緒じゃん、意味」 りりかが悔しそうに唇を噛む。 「ま、このさい仕方がないさ。 あそこで無茶したのは俺の失策だ」 「『あたしたちの』よ!」 「りりかちゃん……」 その失策は、俺たちを助けるための判断だった。 「分かりました。 自分たちでしたことの結果は受け入れます。 ななみんはそれでいいの?」 「わ、私は……」 ななみが頼るような目で俺を見る。ここでこいつを迷わせてはトナカイ失格だ。 「いいじゃないか、 元八大トナカイのパートナーなんて 望んだってなれるもんじゃないぜ」 「とーまくん……」 「よろしくな、ピンクのお嬢ちゃん」 「あ、あの……」 「………………」 「はい、こちらこそよろしくおねがいします!」 「……うむ」 「突然のことで戸惑いもあるだろうが、 よろしくお願いします、星名くん」 「は、はい!」 霧の中で接触事故を起こしたのは、ベテルギウスだけではなく、カペラとシリウスも同様だ。 支部で3機のセルヴィを全て点検するというので、俺たちは久しぶりに『くま電』でツリーハウスに戻ることとなった。 「はぁぁ……」 「まさか……国産がパートナーとはね」 「俺じゃ役者不足かもしれないが、辛抱してくれ」 「…………」 「……ま、仕方ないか!」 さばさばした声で伸びをしたりりかが、ふうっ、と大きく息をつく。 「お、切り替えたな」 「まーね、国産が相手でも、 まだ絶望って段階までは行かないし」 「いったいどこまでハードルを下げた?」 「このくらい」 親指と人差し指で1cmくらいの長さを作ってみせる。 「そりゃ気が楽だ。 ま、1cm以上の働きはしてみせるよ。 よろしく頼むぜ、エリートさん」 「それなりに期待しておくわ」 「俺とペアになっても、 あんたはエースのままだ。 そうできるよう全力を尽くす」 「とーぜん!」 ヘコんでいた顔が、凛としたエリートの表情に戻る。 口は悪いが、エースの責任を果たそうとする熱意は誰よりも強い。 このエリートサンタさんをどこまで活かしてやれるか。それで俺のトナカイとしての価値が決まるだろう。 揺れる電車の中で拳を握る。 視界の隅で揺れる〈金髪〉《きん》の縦ロールが、しろくま町の太陽にきらきらと輝いていた──。 「――柊ノ木硯!」 「…………え?」 「君に決定する!」 「なっ!? ど、どどど、どーしてすずりんなんですかっ!?」 「リーダーに求められるものは、 堅実に物事を処理し、それを〈纏〉《まと》められる能力」 「着任時の皆さんの行動を吟味した結果、 柊ノ木硯は地道に仕事を重ね、常に 諸君らが動きやすい環境を構築しようとしていた」 「うっ……」 「さらに今回のニュータウン攻略の際も 機転を利かせ、チームの危機を救った」 「ぐっ」 「以上のことから、 リーダーには柊ノ木硯が適任と判断したのだ。 勿論、他にも要因は沢山ある」 「は、はい……ガクッ」 「おめでとーございます、硯ちゃん! これからもよろしくお願いしますね!」 「…………」 「硯?」 「…………あっ! ち、ちょっと待ってください……!! り、リーダーなんて私……っ」 唯一状況に追いついていない硯は、オロオロとしっぱなしで、助けを乞うように先生へ顔を向ける。 しかし、サー・アルフレッド・キングの側に控えている先生は、言葉を返さず小さく微笑み返すだけだ。 「そして兼ねて知らせていた通り、 只今を以って、現在のコンビは解消!」 「今後はこちらが定めたペアで活動してもらいます」 「っ……!!」 「――星名ななみ!」 「は、はい!」 「今後、君はサンタ先生と組んでもらう」 「せ、先生とですかぁっ!?」「えっ……!!」 って言うことは……。 「――そして柊ノ木硯!」 「っ! は、はい!」 「君はそこにいる中井冬馬とペアを組み、 チームを引っ張っていくように」 「月守りりか、ジェラルド・ラブリオーラは 変わりません。 今後もより一層の努力を重ねていくように」 「了解!」 「一つよろしいでしょうか。 サー・アルフレッド・キング」 「なにかね?」 「なぜ、二人のペアを入れ替えたのか、 説明していただけますか?」 「……これは私の一存ではなく、 先生の意思によるものでもある」 「先生の……っ!?」 「先ほど話した通り、ニュータウン攻略の折、 二人は非常に的確な連携を取ってくれた」 「それを見た先生が、 柊ノ木硯は中井冬馬と組んだほうが より実力を発揮できる……そう進言したのだ」 「……そーいうことよ」 「せ、先生……」 「ほらほら、二人とも。 今日からコンビを組むんだから、 握手でもしなさいよ、握手!」 「……そうだな。 これからよろしく頼むよ、硯」 硯に向かって、右手を差し出す。しかし、硯は戸惑っていて手を伸ばそうとしない。 「ほーら、すずりー」 「はっ、はい……。 よ、よろしくお願いします……」 先生の手が硯の手首を掴み、強引に俺の手を握らせる。 さらにその上から、先生の手が握り合った俺達の手を包み込むように重ねられた。 「アタシの教え子をよろしく頼むわよ?」 「ああ。任せてくれ」 「…………」 全てが終わって外に出ると、夕映えの雲が頭上に広がっていた。 冷え込んだ秋の空気が身にしみる。 「さて……と」 「――とーまくん!」 「ななみか。どうした?」 「とーまくんが寂しがってると思いまして。 慰めに来てあげたんですよー」 「寂しがってる? 俺が?」 「ほらー、私とコンビ解散しちゃいましたし。 びーびー泣いてるんじゃないかって☆」 「はっ、お前と一緒にするなよ」 「わ、私だって全然寂しくありませんー!」 「元々、ここ来た時に コンビを変更するとは聞いてたからな。 腹積もりはしていたさ」 ななみとコンビを組んだ期間は長い。それだけに解散となると感慨深いものがある。 「今までお世話になりました♪ 先生に代わって、硯ちゃんをちゃんと 支えてあげてくださいね」 「そっちこそマスターサンタと組めるんだ。 みっちり鍛えてもらっとけ」 少し寂しい気もするが、どんな状況にも対応できるのがプロだ。切り替えていかないとな。 「ところで、とーまくんはこの後どーするんですか?」 「ツリーハウスに戻るさ。 カペラのメンテもしてやらないとな」 ニュータウンを攻略してから、簡単な整備しかやれてないからな。調整も兼ねて綺麗にしてやらないと。 「お前はどうするんだ? 戻るんなら乗っけていくぞ」 「お構いなく! 私もこの後は用事がありますから」 「用事?」 「ほらあなマーケットに焼き菓子屋さんを 見つけちゃったんです! これから、そこに」 「了解だ」 いつかお菓子から卒業するかな、と思ってたが、こいつはもうお菓子とは切っても切れない関係みたいだ。 「それではー!」 「……さばさばしてるなぁ」 あっという間に小さくなったななみを見送った後、俺はカペラを取りに中庭を訪れていた。 「……ん?」 ……あれは、硯と先生? 二人ともいつもの雰囲気とは違う。特に硯は思いつめたように真剣な面持ちで先生を見つめていた。 「……っ!」 思わず近くに建っていた塀の影に身を隠してしまう。 ……ってこれじゃ、完全に盗み聞きじゃないか! かといって、おいそれとここから出られる雰囲気じゃない。 そうこう考えているうちに、二人の会話が耳に吸い込まれてきた。 「……どうして、私を中井さんと組ませたんですか?」 「それは私とのペアを解消した理由が聞きたいの? それとも、中井さんと組ませた理由?」 「……両方です」 「ペアを解消したのは、硯……あなたのためよ」 「私の……?」 「このままアタシと組んでいても、 硯は一人立ちできないし、 サンタとしても大成しないわ」 「……!」 「中井さんと組ませたのは、 サー・アルフレッド・キングが 話してくれた通りよ」 「アタシよりも彼と組んだ方が、 あなたの力をより発揮できると判断したから」 「わ、私は……!!」 「変わりたいんでしょ?」 「で、でも……!」 「私のことが信じられない?」 「……そんなこと、ありません」 「アタシが居なくなるわけじゃないんだから。 中井さんと頑張ってみなさい、ね?」 「分かりました……」 「…………」 「私は……先生じゃないとダメなんです」 「……サンタ先生じゃないとダメ、か」 そんなことはないと思う。少なくとも、ボスの言った通り、あの時はしっかりと連携が取れたのだから。 先生から任されたんだ。これからは俺が硯の相棒として彼女を活かしていかなければいけない。 俺はその場から離れつつ、固く拳を握り締めた。    拝啓 柊ノ木硯様%K %LCまた、クリスマスが近づいてきましたが、おもちゃ屋さんの調子はどうですか?%K %LC何度か手紙にも書きましたが、うちの家族もようやく落ち着きました。%K %LC今年は久しぶりにみんなでクリスマスを祝うことができそうです。%K %LCでも、そうなると思い出すのがしろくま町。毎年の思い出があるしろくま町での冬ですが、去年は特に、いろんなことがありました。%K %O %LC……何だか、そんなことを書いていたら、しろくま町に行ってみたくなりましたね。近いうちに行けたらいいな♪%K %LCこの絵はがきは、私が今住んでいる町の、冬景色だそうです。この町で過ごす冬は初めてなので、こちらも楽しみです。%K %LCそれでは、寒さもこれから本番。皆さんも体調には気をつけてくださいね。%K                 敬具                八重原さつき%K %O 「……結局、来ちゃったよ」 久しぶりのしろくま町。久しぶりのしろくま駅。久しぶりのくまっくを前に、もう笑うしかないね。 「うーん、どうしてもここに来るのを 止められなかったなぁ」 もちろん、今年のクリスマスは家族みんなで過ごす予定……なんだけど。 硯に絵はがきを出したあたりから、どうしてもここに来たくなっちゃって。 まあ、理由は色々あるんだけど、やっぱり硯に会いたくなっちゃったりとか、去年のクリスマスのことを思い出しちゃったりとか。 「いきなり顔出したら、硯、びっくりするだろうな」 そう。実は今回、しろくま町にやってきたのはほとんど衝動が為せるワザ。 朝イチの電車でやってきて、日が暮れる前に電車で日帰りするという無謀な計画。 当然、硯には連絡さえしていない。 「まあ、硯ならおもちゃ屋さんに居るだろうし……」 あー。 でも、なんだかなー。 「あ、あははー”」 思わず変な笑いを浮かべながら、周りを見渡す。 朝の通勤ラッシュは終わったとはいえ、お昼と呼ぶにはまだ早い時間だ。 「おもちゃ屋さんも……今、開けたくらいかな?」 このまま直接、硯のところに行く?行ってビックリさせる? 「んー……」 なんとなくだけど、いきなりは行きづらい。 となれば……。 「少し、散歩でもしますか」 かくして私は、懐かしいしろくま町を歩くことになったのだった。 「……で、結局ここに来るわけだ」 しろくま町の景色を堪能しようと、昔馴染んだ新聞配達のコースを避けてきたのに。 気がつけば、私は波の音を聞いていた。 「まあ、でも当然かもね……」 ここの景色は一年前と変わっていない。 だからかな?去年起こった様々なことが、波の合間に浮かんでは消えて行くような気がして、私はじっと見入っていた。 波の音。風の音。時々聞こえる、過去の音。 「いろいろ、あったなぁ……」 思わずつぶやいた時だった。 「さつきちゃん……?」 真後ろから聞こえた声に、思わず振り返る。 「え……?」 硯?何で? 「やっぱり、さつきちゃん……」 見れば、硯も驚いた顔をしている。私がここにいるなんて、予想だにしていなかった顔だ。 「どうして……?」 「私は何となく……、 本当に何となく、ここに来たくなったの」 「さつきちゃんこそ、一体どうしてここに……?」 「あー……絵はがき出したあとから、 急にしろくま町に来たくなっちゃって」 「だから来ちゃった。あはは」 「来ちゃったって……そんな、いきなり」 「ごめんごめん。 連絡ぐらいすればよかったんだけど」 「なんか自分でも、 居ても立ってもいられなくなっちゃって」 「で、久しぶりにしろくま町に来て、 フラフラって歩いてたらここに来てたんだ」 「そうだったんだ……」 硯は、しばらく何かを噛みしめるように私の顔を見た。私は、彼女が黙っている間に言葉を続ける。 「でもビックリしたなあ。 いきなり硯が出てくるんだもん」 「ふふ……でも、案外偶然じゃなかったりして」 「え?」 「だってほら、私たちは」 硯が微笑む。私の頬も自然とほころんだ。 「そっか……そうだよね。 赤い糸よりも強い絆で結ばれてるもんね」 「うん」 息を吐く。空気は冷たいのに、身体の内側があったかくなった気がした。 「……元気だった?」 「いつも手紙に書いてる通りだよ」 「私も、いつも絵はがきに書いてる通り。 今は家族みんなで上手くやってるよ」 「うん」 「お店のみんなはどう? 相変わらず?」 「それは……まあ」 「あはは……やっぱり色々あったんだ。 硯ったら、お店のことはほとんど手紙に 書いてこないもんね」 「もう、さつきちゃんったら」 「笑ったまま怒ったフリしてもダメだよ。 怖くないもん」 「やっぱり、怖くないですか」 「……大丈夫そうだね。 うん、安心した」 「さつきちゃんも元気そうで……安心した」 「ありがと」 笑い合い、うなずき合う。空からは雪がちらほら落ちてきている。 「お店にも来てくれるんでしょ?」 「うー。 ホントは私がお店に行ってビックリさせる 予定だったんだけどなあ」 「逆に私がびっくりさせちゃったね」 「くっ……来年は目にもの見せてやるかんね!」 「くすくす……楽しみにしてる」 「あ……」 「どうしたの?」 「来年も、来てくれるの?」 「えへへ」 笑い声だけで応えると、私は硯の手を握った。硯もうなずいて、私の手を握り返す。 「行こっ」 「うん。昼食、期待しててね」 「やったー!」 後ろでは、波だけが変わらぬ音を立てていた。 12月24日──。クリスマスイブと呼ばれる聖なるお祭りも、昼の顔はあくまで師走の一日と変わらない。 浮かれた空気を〈醸〉《かも》し出すのは、イルミネーションに彩られた繁華街だけで、昼下がりの公園にあるのは、走り回る子供たちの姿と、のどかな冬休みの風景。 日が落ちて、食卓にご馳走が並んでから子供達のクリスマスは始まるのだ。 この時間にクリスマスの空気をもっとも肌で感じているのは、子供達ではなく、夕食の準備に忙しい母親たちかもしれない。 私はといえば、のんきな子供たちを眺めながら、クリスマスを送り届ける側の彼女と一緒に、少し遅めの昼食をとっている──。 「って、それも記事にするの?」 「いえ、プライベートです」 書きかけのメモを閉じ、にべもない返事をすると、期待に瞳を輝かせていた彼女は、ちょっとすねたような、かわいい顔をする。 ──かわいい? 余計な文字列が入ってしまった。 記事にはふさわしくなく、さりとて本人に伝えることもできない言葉は、私の心の中に記録しておけばいい。 「でも助かったわー。 ありがとね、 オアシス引くの手伝ってもらっちゃって」 「取材の範囲でしたら協力を拒む理由はありません」 そう……私は今年も変わらず、学校に通いながらしろくま日報の嘱託記者としての毎日を過ごしている。 去年のイブに1枚だけ撮ったオーロラの写真が全国紙に掲載されることになってから、私の記事が採用される回数もずいぶんと増えた。 そして今年は、12月特大版のカラー記事に、私の提出した『森のおもちゃ屋さん』という特集企画が抜擢されたのだ。 イブを控えたきのした玩具店の店舗取材をすませ、今日はもうひとつの目玉である移動店舗『オアシス』の密着取材ということで張り付かせてもらっている。 「手伝いの最中にいいネタも拾えますし、 美味しいお弁当までいただいていますから」 私がお弁当を褒めると、とたんに彼女は小さな胸を反り返らせた。 「ふふーん、おいしーでしょ! ツリーハウス特製☆ すずりんのハイパーCレーション!!」 「戦闘糧食の話でしたら、 Cレーションは80年代に廃止されています。 現在はMRIレーションといって……」 「あーもー、それくらい知ってるし! あたしだってNYにいたんだからね!」 とてもレーションらしくない煮染めを箸でつまみながら、彼女が口を尖らせる。 他人のことも自分と同じくらい褒めるのが、彼女の美点なのかもしれない。そう思いながら、私も上品な味付けの和風弁当に箸を伸ばした。 「そういえば、 土曜版文化面のコラムに空きがあるのですが」 「え? え? それってあたしにゲームコラムの依頼!?」 「違います。柊ノ木さんのお料理レシピを 紹介したらどうかと思いまして」 「あーそー。 本人、すごく恥ずかしがるかもねー」 また可愛い顔ですねた彼女が、大きな口をあけて、カボチャコロッケを丸呑みにする。 実にいい食べっぷり──そうだ、大食いをしても太らない秘訣があるのなら、コラムに使えるかもしれない。 そんなことを思いながら、私も出し巻き玉子に箸を伸ばした──。 「はー、おいしかったー♪」 「ごちそうさまでした」 「さーってと、エネルギー補充も すんだところで、そろそろ行こっか。 どう? いい記事になりそう?」 「穴埋め程度には」 「どーゆー意味よ!?」 「言ったとおりの意味です」 「わわ……!? な、なに、いまのも使うの?」 「ご安心ください、 これもプライベート用ですから」 きょとんとした顔の彼女を見て、私は自然と微笑んでしまう。 記者には客観的で冷静な観察眼が要求される。もちろん、その言動においても同様である。 けれど彼女と話すとき、私の発言はいつも公平性を欠いている。 彼女の怒った顔やすねた顔が可愛らしくて、つい意地悪を口にしてしまうのだ。 これはきっと、記者ではなく、カメラマンとしての私の欲求なのだと思う。……たぶん。 「しかし、月守さんがそんなに 子供たちに人気があるとは意外でした」 「誰に向かって言ってるの! しろくま町のラブリープリンセスよ? 子供のハートだって楽勝でわしづかみ☆」 「りりかる☆りりかの人形劇は、いつから?」 「去年からやってるわ。 ななみんがオアシスクビになってからずっと」 「興味深いエピソードですね」 「う……記者の目になったわね、つぐみん。 本当は、ななみんが疲れてダウンしちゃって、 それからは交代で外回りしてるってだけ!」 「男手があったほうがよいのでは?」 「店長? あー、あいつは駄目! 接客は頼りないし、面白みもないし、 酒飲みだし! 足はくさいし!」 「そうですか……ふむふむ」 「あ、あとあいつ見かけによらずキザだし! ほんとよ? 顔と言動のギャップすごいから」 「きのした玩具店……チームワークは抜群、と」 「どー聞けばそんな結論にたどり着くの!?」 「他の結論があるとも思えませんが?」 「……あ、電話?」 携帯電話に表示された相手先を見て、私は一気に凍りついた──。 「もしもし、更科です! はい、はいっ!」 「はいっ、そこは今日中に……! はい、はいっ、分かりました、すぐ戻りますっ!」 「だ、だいじょーぶ?」 「何も問題ありません。 でも会社にすぐ戻って校正をしないと」 「またあの怖い鬼デスク?」 「残念な話ですが、 デスクの恐ろしさには果てしがありません」 ため息をついた私の前を子供たちが雪を蹴って走ってゆく。 雪玉をぶつけあい、転んで、起き上がってまた走り出す……。 彼らに向かって何度かシャッターを切る。それでも子供たちはカメラのレンズなど目にも入っていないように遊んでいる。 偶然、いい写真にめぐり合えた──。満足の息を吐いてレンズから目を外すと、彼女の笑顔が見えた。 「それも取材なんだ」 「どうなのでしょう? そのうち記事になるかもしれませんが、 今はまだプライベートの段階です」 首を横に振ってカメラを撫でる。一年前、このカメラで私はオカルトを追っていた。 「子供の写真?」 「いえ……この町の、今ある姿の記録です」 「ふーん……」 興味がなさそうにうなずきながらも、彼女は笑顔で私の顔を見つめている。少し照れた私は、レンズの雪を〈拭〉《ぬぐ》うふりをした。 「さて……と、こっちも今日はこれまでかな。 さっさと、店じまいしないとね」 「すいぶん早いんですね」 「だってイブだもん。 今日のメインはオアシスじゃないわ。 夜に備えて体力を温存しておかなくちゃ!」 「夜まで仕事が?」 「そーよ、おもちゃ屋さんは忙しいの」 彼女がにっこり笑う。私は再びカメラを構え、ファインダーにその笑顔をとらえる。 「それも取材?」 「いいえ、プライベートです」 きっと、これが記事のトップを飾る最高のショットになる。 少し眩しい彼女の横顔をファインダーにおさめ、私は一度だけシャッターの指に力をこめた──。 「ただいまぁ」 少し遅いのは、夕飯の買い出しに行ってたからだろう。特売日だしな。 「きららちゃんはぁ?」 オレは新聞に目を落としながら、 「まださ」 「そっかぁ」 予想通り、エコバッグがぱんぱんに膨れてる。 「カレーかい」 香辛料の匂いがする。ナンの安売りをやってたんだろう。この辺りにはケチのつけようがない。 「はぁい」 「また印度風かよ」 「カレーは印度が本場ですからねぇ」 「ふん」 オレは新聞の続きを読み、キッチンからは野菜を切る音が響いてくる。 オレは時計を見た。 「帰ってくるまで、もう少しかかるかね……」 「きららちゃん、 今日もお腹空かしてるだろうなぁ」 食欲を刺激する芳ばしい香辛料の香りをひきつれて入ってくると、こたつの向かいに図々しく座りやがる。 「ここは印度かよ」 「インド人ってやせてるからぁ、 お腹空かしてそうだよねぇ」 「ふん。元神童だけあって知性がない発言だね。 印度人にもデブはいるさ。どこだろうと 金持ちとニートはブクブク太ってるもんさ」 「じゃあ、きららちゃんはだいじょうぶだねぇ。 金持ちでもニートでもないからぁ、 太らないよねぇ」 「食う分だけ働いてりゃ、太りゃしないよ。 だが同じ働くなら木っ端役人なんかやめて、 カネがカネを産む仕事をすりゃいいのに」 「きららちゃん、 よく食べてくれるからぁ 作りがいがあるよねぇ」 「ったく、 がつがつ食って誰に似たんだか」 「きららちゃんがごはん食べるトコ見るのぉ、 嬉しいよねぇ」 「……」 きららはいつでも美味しそうにごはんを食べる。作った方にすりゃあ、それはもう本望なくらい。 「あ、みかんもらうね」 「勝手にしな」 「はぁい」 「相変わらずちまちました剥き方だね」 「すいませぇん。不調法なものでぇ」 「ふん」 どうせ直りゃしないんだがな。 「今年は、ゆっくりした氷灯祭だねぇ」 「いつものたのたしてるヤツが何を言ってるやら。 きららが駆け回っていない分だけ そんな気がするだけさ」 「そうだねぇ。 おつとめ一年目だとお仕事で一杯一杯でぇ お祭りにまでは手が回らないよねぇ」 「だからといって お祭りの日まで残業することもないだろ。 手の抜き方くらいさっさと覚えやがれ」 とは言え、仕事があれば手を抜ける性格じゃねぇしな。 「氷灯祭には行くって言ってたよぉ。 手を抜かないでしょうめんとっぱでぇ、 なんとかするんじゃないかなぁ」 「有給だって殆ど残ってるんだから、 今日は休みゃよかったんだ」 「きららちゃん、 一日もはやくお仕事覚えようって、 頑張っちゃってるもんねぇ。偉いよねぇ」 「そういう誰かさんも ちっとは頑張った方がいいんじゃないか。 家賃滞納したら容赦なく叩き出すよ」 「大丈夫だよぉ。 お家賃、負けて貰ってるんじゃないかってくらい とっても安いからぁ」 「ふん。オレが良心的だってだけさ」 オレも甘くなったもんだ。 「はぁい、わかってまぁす」 「忘れるんじゃないよ」 「はぁい」 オレはまた新聞に目を落とした。下らない記事ばかりだが、世の中が平和ってことだろう。 コトコトコト……台所から火にかけられた鍋の音が聞こえてくる。印度風カレーの匂いがする。 「……雪はまだ、降ってたかい?」 「降ってるよぉ。 辺り一面、雪景色」 「毎年毎年、 どかどか降りやがる。 よくあきない――」 「羽衣。 あんた今夜も仕事だったね?」 「うん。ごはん食べたら、行ってきまぁす」 「祭りの夜も家庭教師呼んで勉強かい。 少しでも人を出し抜こうとはいじましい。 せちがらい世の中になったもんだ」 「あそこのお母さんは熱心だからねぇ」 「ガキがやる気になってなけりゃ、 意味がねえよ」 「きららちゃんに比べればぁ、 どんな子でも簡単だよぉ」 「ふん。きららが二浪したのは 自分のせいじゃないって 言いたいのかい?」 「きららちゃんが 二浪だけですんだのはぁ、 わたしのお陰だって言いたいかもぉ」 「ふん」 「ただいまー」 帰ってきた。 「きららちゃん、おかえりなさぁい」 こたつから出る気はないらしく、顔だけ玄関の方に向けている。オレもないけどな。 「ただいま、お姉ちゃん、ばあちゃん」 「結構まともな時間に帰って来たじゃないか。 また要領悪く残業かと思ったよ。 少しは手抜きでも身につけたかい?」 「手抜きなんてする余裕ないよ。 っていうか、そもそも手抜きダメ!」 「きららちゃんが手抜きをしちゃうのは、 勉強だけだよねぇ」 「うっ。も、もうそれはいいじゃん! 山下さんと田中さんのお手伝いしてたら、 ちょっと遅くなっただけだもん!」 「そもそも今日はお祭りだから、 残業なんてなかったもの」 「じゃあ、そろそろカレーを用意してくるねぇ」 「わ、今日、カレーなんだ。 わぁいいにおい!」 「うんうん。楽しみにしててねぇ」 氷灯祭の夜だからって、特別なことはなんにもない。孫がそろって、これがうちのいつもの光景。 「きららちゃん、 氷灯祭のおみやげお願いねぇ」 「そっか、 お姉ちゃん仕事なんだ。 うん、いいよ。大丈夫」 「今年も、 賑やかなお祭りになりそうだねぇ」 「うん。そうだね」 ふと見ると、きららが窓から外を見ている。 「見えるのかい? だとしたら気が早い奴らだな」 「いくらなんでも、 まだ早いんじゃないですかぁ?」 「そんなことないよ。 だって今日はイブなんだからさ」 「いらっしゃいませー」 私が店の扉を開けると同時に、お姉ちゃんのおめでたい声が店内に響いた。 「いらっしゃいませ!」 少し遅れて店長さんの声。それから二人は、私の顔を見て目を丸くした。 「アイちゃん!?」 「はい、こんばんは」 クリスマスイブ。閉店間際のきのした玩具店──。 飛び込みで入店した私は、顔なじみの二人に向かってぺこりと頭を下げた。 「わーー、アイちゃんだー!!」 「わぁぁぁ、だから抱きつかないでーー!!」 「いいじゃないですかー! アイちゃんおひさしぶりですよ。 元気してましたー?」 「元気です、思いっきり元気ですから ギューってしないでうっとーーしーーー!!」 「てんちょーさーーん!!」 「はいはい、ほら、お客さんの迷惑だ」 「あうぅぅぅ……ちょっとした スキンシップじゃないですかぁ……」 ななみお姉ちゃんが店長さんに引き剥がされてずるずるとカウンターの奥に連れて行かれる。 「はぁ……っ」 ほっと息をついたわたしは、久しぶりに訪れたおもちゃ屋さんの中を見渡した。 あれから……星野平児童館がなくなり、ニュータウンに足を運ばなくなってからお姉ちゃんたちと会う回数も自然と減ってしまった。 私はいま、しろくま海岸の近くに新しくできた児童館に通っている。 「アイちゃんが来てくれて嬉しいです! 何かお探しものですかー?」 「はい、お店はまだ大丈夫なんですか?」 「もちろんさ、閉店まで30分あるから ゆっくり見ていってください」 「よーっし、ならばわたしは アイちゃんのために腕によりをかけて、」 「お姉ちゃん、そういうのいいですから!」 「お茶を……」 「……お茶くらいならもらいます」 お姉ちゃんは今日もやけにはしゃいでいる。なにも言わないで放っておいたら、山盛りのお菓子とか持ってきそうな予感。 けれど、お店にいるのがこの二人でよかった──。 私は、ちょっと切り出しにくいお願いをお姉ちゃん…………じゃなくて、店長さんに聞いてみることにした。 「店長さん、ええと……あのですね……」 「はいはい、なんでしょー」 「お姉ちゃんじゃありません。 そ……その……今日は、 プレゼントを買いに来たんですけど」 「へえ、プレゼント?」 店長さんたちが顔を見合わせる。こういう空気は、今でもちょっと苦手。 「それってお父さんに?」 「ううん……明日、みんなで クリスマスパーティーをやるから……」 「児童館でかい?」 「……(こくり)」 「おおーー! それならば 全面的に大協力しちゃいますっ! とーまくん、とーまくん、はしごはしごー!」 「了解だ、任せとけ!」 お姉ちゃんの顔がぱっと輝く。 まるで、自分がパーティーに参加するみたいなうきうきした表情で……。 「あ、あの……それでなんですけど」 「はいはい??」 もうこうなったら仕方がない。 私がこんなことを聞いたら、またお姉ちゃんがはしゃぎだすんじゃないかと思ったけれど、素直にお願いを口にすることにした。 「もしよかったらなんですけど、 私こういうの慣れてなくて、その……」 「…………プレゼント選ぶの、 手伝ってもらえませんか?」 「………………」 「もっちろんですよー! 一緒に選びましょう!」 「よーし、まずは人気商品から見てみよう!」 急にノリノリになったお姉ちゃんと店長さんがお店のあちこちから商品を集めてくれる。 見ているだけじゃ悪いから、私も慌ててそれを手伝うことにした。 「いいですよー、 アイちゃんお客さんなんですから」 「ダメです。 甘やかされてるって思われたくないし」 「ははは、それならこいつを頼むよ」 「はい、店長さん」 「で、みんなって?」 「はい?」 「パーティーでプレゼントを渡すお相手は、 決まっているんですか?」 「あ、それは……」 「ミミちゃんとかユウちゃんとか……」 「そうか……今も一緒の児童館なんだよな」 「それでプレゼントを?」 「うん…………友達だから」 「……そうですね」 お姉ちゃんがにっこりと微笑む。その笑顔につられて、わたしも笑ってしまった。 「それじゃあ、このへんで。 ありがとうございました」 「ああ、気をつけて」 「……わざわざ送ってくれなくてもよかったのに」 「そうはいかないさ。 雪道をアイちゃんひとりで帰したんじゃ、 ななみに怒られる」 「お姉ちゃんは過保護なんです」 私はきのした玩具店の紙袋が雪に濡れないように胸もとに抱えた。 中には、店長さんとお姉ちゃんのアドバイスで選んだ小さなトリとネコの人形が入っている。 「今日は店に来てくれて本当にありがとう」 「クリスマスにおもちゃ屋さんに行っただけで そこまでお礼を言われるなんて不自然です」 「ああ、でもななみが喜んでたんだ」 店長さんの言葉は、私の胸にじんわりと暖かい。つい逆らいたくなってしまうのは、きっとこの人たちに私が甘えているせいだ。 「お姉ちゃんはいつもあんな感じですから。 それより店長さんこそ、仕事いいんですか?」 「俺の方は準備もぬかりなく、さ」 「準備?」 「クリスマスの支度……ってところかな。 そういえば氷灯祭は見ていかないのかい?」 「今夜はおうちで お父さんとクリスマスなんです」 「そうか、そいつはいい」 「店長さんたちは、 パーティーしないんですか?」 「やってるさ、みんなお祭り好きだからな。 毎年とびきり派手なパーティーを……」 そう言って店長さんが空を見上げる。よくわからないままに、私もネオンとイルミネーションに薄らいだ夜空を見上げた。 「そろそろ時間だ。 それじゃあアイちゃん、 ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー?」 「メリークリスマスみたいなもんさ、 店じゃいつもこう言ってるんだ」 「そうなんですか。 それじゃ、ハッピー・ホリデーズ?」 「ああ、ハッピー・ホリデーズ!」 「うーん、今年の氷灯祭も盛況だね」 「クリスマスイブ……サンタさんたちの晴れ舞台、か」 「どこ飛んでいるのかな……」 「オアシスより上空のサンタ各機へ、 調子はいかがですか?」 「こちらカペラ──同調率反射率ともに良好」 「ベテルギウスだ──システムオールグリーン」 「シリウスよ──こっちも調子はいつもどーり」 「了解しました! 〈編隊〉《フォーメーション》はそのまま、氷灯祭会場をパスして しろくま通りへ入ってください」 「空はぼた雪、絶好の配達日和だ。 各員の健闘を期待する──!」 「了解!!」 「よーし、2年目のイブだ。 派手にキメて行こうぜ、サンタさん!」 「おー、まかせてくださいっ!」 「華麗なるイブのコーディネートは ラブリープリンセスにお任せよっ☆」 「雪も落ち着いています。 行けます!」 「ニュータウンのルミナ分布も良好だ。 悪いが今年の主役は頂戴するよ」 「はいはい、イタリア人は熱いわね。 さっさとパーティーを始めちゃいましょ?」 「くるるるるーーーーーっっ!!」 「ではでは、パーティーオープンです! ハッピー・ホリデーズ!!」 「ハッピー・ホリデーズ!!」 ──星空に包まれる。 宝石箱のような輝きの中に躍り出すと、身を切るような寒さが全身の緊張感を研ぎ澄ませる。 しろくま町上空500メートル。スノーフレークの星屑を舞い散らせ、年に一度のステージが幕を開ける。 闇を裂いて刻まれた光のコースの向こうにはきらきらと輝くネオンの海。 三年目のイブの夜、俺たちの職場は天と地の星座に挟まれている──。 ──楽しい楽しいクリスマス。 お父さんと二人でコンビニのローストチキンを食べて、テレビのバラエティ番組を見て笑い、いつもは一人で遊んでいるトランプを二人でやって。 それから、ちょっとだけシャンパンも飲ませてもらった。 ケーキはカットされたショートケーキだったけど上にはイチゴと一緒に、星型の砂糖菓子。 おなかいっぱいになった私は顔を洗って歯を磨き、パジャマに着替えて布団に横になる。 天井から窓際に視線を移すと、去年と同じように毛糸の靴下が揺れている。 そして、その向こうには雪の舞う広い星空。 サンタさんが来る──! 布団の中で、私はどきどきした胸を抱えながらその時を待つ。 サンタさんが来るんだ──。 今年はくつしたじゃなくて、ちょっぴり贅沢をして、お父さんのひげそりをお願いした。 本当に届くのだろうか。くつしたの向きが違うと、プレゼントが届かないなんてことがないだろうか。 どうしても気になって眠れない。私は布団から身体を起こし、靴下に手を触れる。 去年のクリスマスの朝も、私はこうやって靴下に触って……。 「……?」 ふいに、眩しい光が私の目をとらえた。 窓の外──三本の光の帯が、まるで流れ星のように夜空を走っている。 不思議な光。けれど、どこか懐かしいような──。 その光の中を、雪の欠片が舞い踊る。きらきら、きらきらと。 まるで、光の結晶のように……。 「きれい……」 窓の外、満天の星空の彼方。 けれど、それはまるで、手を伸ばせば届くところにあるみたいで…… ううん、ひょっとしたら本当に届いてしまうのかもしれない。 「もし届いたら、 私はどうなるんだろう……?」 手を伸ばす。ガラス窓に指先が触れる。 「ハッピー・ホリデーズ……」 店長さんの言葉が唇からこぼれる。胸の中でなにかが踊った。 ──ハッピー・ホリデーズ。 それがなにかも分からないまま、私の瞳はイブの夜空に舞う光の結晶に吸い込まれていった──。 「どーしよう、どーしよう!」 「あ、慌てちゃだめよ! 何かいい手があるはずだわ!」 「こういう時は、先輩の智恵を借りよう! 先生! 俺達はどうすれば!?」 「先生!」 「なるようになるわよ」 頼りにならねぇ! 「七瀬に報告するしかないか……」 「なにいい子ちゃんぶってるのよ! もし正体がばれたと判ったら サンタ人生おしまいよ!」 「……もうおしまいです。 短い間でしたがみなさんお世話に――」 「北極支部で便所掃除ですよ! そんなのいやです!」 「は?」 「べんじょそうじ?」 「なんだそれは?」 「便所掃除っていうのは――」 「その程度で済むわけないでしょう!」 「単なるトイレじゃありません! 体育館くらいある上に暖房無しの さむーいトイレなんですよ!」 「は。これだから田舎モノは」 「そんなもんですむかよ」 「正体を知られたサンタやトナカイはね、 黒服にサングラスの二人組に 記憶と能力を消されちゃうのよ」 「正体がばれてから半年以内に、 セルヴィが謎の暴走を起こして 墜落するって聞いてるぞ」 「………」 「………」 「はぁ? それはどこの都市伝説よ国産!?」 「そっちこそ、なんだその、 映画のパクリくさい設定は!?」 「ニューヨークでは常識よ!」 「ニューヨークの常識は、 スロバキアの非常識だな!」 「すずりんだって、 黒服二人組の事は知ってるでしょう?」 「………」 「あ、あの、先生…… あの話をみなさんにしても いいんでしょうか?」 「何の話?」 「以前、絶対秘密だと言って話してくださった、 正体が露見したサンタがどうなるか、をです」 「あ、あれね。 ま、いーんじゃない」 「なんだか凄そうな話のにおいがします」 「ああ、確かに」 一応大先輩である先生が、秘密だと念を押してまで、硯に話した事らしいからな。 「で、でも、 黒服二人組よりも怖いはずはないわよ」 「わわっ」 「先生!? なぜ電気を!?」 用意していたかのように、先生がロウソクを灯した。 「黒服二人組の話は 真実を隠蔽するために、 わざと広められているのだそうです……」 「隠蔽? どういうことよ?」 「真実って?」 「ドキドキします」 どこからか入ってきた風が、頼りないロウソクの明かりを揺らす。 硯はまるで何かを恐れているように声をひそめて。 「正体が露見したサンタやトナカイは、 ノエル直属のSSという組織に処理されるのだと」 「SSって……名前からして嫌な感じね……」 「処理……」 「別名死神または巡回処刑人と呼ばれる彼らは、 ステルス100%の特殊塗料で血の色に塗られた アンタレスという専用セルヴィを乗り回して」 「盗聴や密告や諜報員を駆使して、 全世界のサンタとトナカイを 密かに監視しているそうです」 「うちの組織に、 そんな恐ろしい面があったのか……」 「ま、まさか……それこそ都市伝説よね……」 「SSって整理整頓委員会の略ですか?」 「そんな学園モノじみた名前なわけないでしょう! 一文字目のSは多分SUPERのSね」 「ななみさん凄いです。当たりです」 「元は日本語なんですねー」 「そこに驚くのかよ!」 「活動内容をごまかすために、 あえて平和な名前をつけているそうです」 「で肝心の、 正体がばれたサンタやトナカイの運命は?」 硯はまたもためらい、覚悟を決めるように大きく息をした。 そして更に声をひそめる。 「……プレゼントにされてしまうそうです」 「なーんだ。 プレゼントを配ればいいだけなら、 ばっちこいですねー」 「いや……違うだろう。 プレゼントにされてしまうっていうのは」 「どういうこと?」 「クリスマスの時、召使いが欲しいなとか、 そういう類の願いをした人の所へ贈られて、 召使いにされるそうです」 「な、何よそれ!?」 「噂に聞くメイド喫茶みたいな感じでしょうか? でも……とーまくんはどうなるんでしょう?」 「国産のメイド服……あ、悪夢だわ!」 「せめて執事にしてくれよ」 「服装までは知りませんが、 主には絶対服従だそうです。 死ねと言われたら本当に死んでしまうそうです」 「ま、マジ?」 硯は重々しくうなずいた。 「しかも死ぬまでだそうです」 「メイド服はちょっと着てみたいですが、 一生となると遠慮したいです!」 「ほとんど奴隷じゃないか!」 「そんな形で あたしのサンタ人生がおしまいになるなんて! いやよぉぉぉぉぉ!」 「みんな落ち着きなさい」 「お、落ち着けるわけないわよ!」 「先生だって、メイドにされちゃうんですよ!」 「もしかして。 そういうご趣味だったんですか?」 先生さんは、俺達を悠然と見回した。余裕綽々だ。 「みんな忘れていない? アタシだって見られたかもしれないのよ? そのアタシがこんなに落ち着いてるのよ」 「つまり……」 「本当の事を知っているから、 落ち着いているって事ですか?」 「全部でたらめですか!」 「まさか!? 5年前からだまされていたなんて」 「その通り。本当は秘密なんだけど、 みんなを安心させてあげるために、 真実を教えてあげるわ」 先生はひとつ咳払いをすると 「アタシ達は 人々に幸福を配るルミナの使徒みたいなもの。 それが奴隷だのなんだのするわけないでしょう?」 「そう言われてみれば……そうよね」 「正体が露見したら確かに処罰されるけど、 それは、いかにもサンタ的な処罰よ」 「サンタ的な処罰?」 「わかりました! ひとつの支部の管轄地域全部を、 ひとりで配るんですね!」 「それならどーんとお任せあれ!」 「ななみん! あんた一人にそんなおいしいことさせないわよ!」 「一区域まるごとか……燃えるぜ!」 「が、がんばります」 「みんな盛り上がってる所、悪いんだけど。 そんなに張り切っても無駄だから」 「これが張り切らずにいられますかー」 「だって単なる転勤だもの」 「え……?」 「それだけ……なんですか?」 「正体がばれている地区で、 働き続けるわけにはいかないでしょう?」 もっともだった。 「……ま、大した事にはならないと思ってたわ。 全く、みんなパニクっちゃって、 おもしろいったらありゃしない」 「お前だってパニクりまくりだったろうが」 「あ、あれはみんなに合わせただけよ!」 「それだけなんですか!? この盛り上がった気持ちを、 どうすればいいんですかー!?」 「転勤先でぶつければいいんじゃないの? もしかして……あたし この異動を機にニューヨークに戻れるかも!」 「つまり……この支部は解散……」 「短いつきあいだったな」 しろくま町とこれでお別れか……。あっけないものだ。 「みなさんの事は忘れません!」 「ひとつ忠告しておくけど、 新しい任地へ行く前に、 時間つぶしの趣味を見つけておいた方がいいわよ」 「……なぜ、そんなことをわざわざ言うんですか」 「凄く暇になるからよ」 「先生じゃあるまいし」 「だって、新しい任地には、 ルミナが全くないから」 「…………」 「ちょ、ちょっとどういう事よ!?」 「それじゃあ、飛べないじゃないですかー!」 「そういう支部に転勤になるんだから、 あきらめるのね」 「もしかして……それはいわゆる島流し……」 「島流しなんていう言葉を使っちゃだめよ。 そんな言葉、サンタにふさわしくないわ。 転勤先にたまたまルミナがないってだけ」 「同じだ!」 「アタシは昼間から酒飲んで、 パラプロしたりして、だらだら過ごすつもり。 悪くないでしょ?」 「同意を求めるな!」 「やたら長くて難しい ロールプレイングゲームだって クリアし放題なのよ!」 「最悪です!」 「そうでもないわ。 過去の名作はいっぱいあるし、 ゲームは毎週発売されるもの」 「……」 「この機会に、 『きよしの挑戦状』でもクリアしようっと! さー、まずはソフトを手に入れなくてはね」 先生はスキップでもしそうな足取りで、出て行ってしまった。 「………」 俺達は声もなかった。 「……プレゼントも配れず」 「……トナカイとして飛べもせず」 「……暇つぶしに一日中ゲームをして」 「……朽ち果てていくサンタ」 「…………」 ああ、重力が重い。この状況をなんとかしなくては! 「み、みんな落ち着くんだ! まだばれたって決まったわけじゃない」 「でも見てたし! すっごい見てたし!」 「写真だって撮られてしまいました!! きっと明日はスクープです”」 「だ、だが、そうだ、あれだ! 向こうは明かり無しで、 こっちはライトで照らしてたじゃないか」 「そ、そうですよね! それならはっきり見えなかった……かも」 「ま、まだ希望はあるって事よね。 そうよ。そうじゃなきゃおかしいわよ。 あたしの華麗なサンタ人生は始まったばかり!」 「あ」 「なんですかその いかにも何か都合の悪いことを思い出したっぽい、 思わせぶりな声はー!」 「大家さんと ばっちり目があっちまった……ような」 「うがーーやっぱダメだー!」 「しろくま支部、 発足二日目で解散ですぅぅぅ!!」 「だが、もしかしたら、ひょっとして、 気のせいかもしれないかもしれない ……かも」 「何よそのはっきりしない言い方は!」 「でも、 はっきりしたら希望が無いんだから、 今日のところは許してあげる」 「ええと、それは、つまり…… 見られたかどうか確かめると…… いう事ですよね?」 「そういうことならお任せあれ!」 「却下よ!」 「同感だ!」 「どうしてですかー!?」 「どうせ、本人に直接 サンタを見ましたか? とか、 聞くつもりなんでしょう?」 「りりかちゃんすごーい! なぜ、判ったんですか!?」 「本人に直接聞いたら、 やぶ蛇になるだけでしょう!」 「おー! それは計算外でした」 「……本当に黒服二人組がいて、 記憶を消してもらえれば――」 「映画だったらそれで済むんだけどな。 なんとか遠回しに探りをいれて、 確認するしかなさそうだ」 「でももし見られていたら……」 「それはとりあえず考えない! まずは確認するしかないわね」 「それで行くしかないか」 「……そうですね」 「ラジャーです!」 それにしても、コースを外れていないのに、どうして気づかれたんだろう? この町に来てから、イレギュラーなことばかり起こる。 「くえぇ〜〜……」 「眠いんだったら、 部屋で寝てろよ……ふわぁ……」 「くえっく!」 「あー、悪かったな、 眠い奴が眠い奴を注意する資格はないな」 トナカイは後先考えないのが信条だが、空を飛べない可能性が出てきたとなれば、考えずにいられない。 余り眠れず、気分を紛らわすために今朝も早くからカペラのメンテナンス。 昨日、新たに届けられた整備用の機材を試しているところだ。 「もう一頑張りだな」 直しても飛べないなんて事に、なりませんように。 いや、してなるものか! 「あんた見なさいよ」 「お前、見ろよ」 「………」 俺達が囲むテーブルには、フレンチトーストの軽い朝食と、しろくま日報。 「いや、すまん。 こういうのはまがりなりにも店長の 俺が見るべきだな」 ここで見なければ、男としてどうよ? 「ふわぁ……おふぁようございまふ」 「……あんた余裕ね。 神経ないんじゃない?」 「そんなことありませんよ……。 色々考えてたら夜更かしサンでした。 よいしょ」 ななみは大儀そうに椅子に腰掛けると、実に自然な動作でしろくま日報を手に取った。 「!」 「? どうかしましたか?」 「な、なんでもないわよ」 「おー、ふむふむ」 「何が載ってる!」 「この町の財政は、 かなり改善されているらしいですよ。 町長さんが有能なんでしょうか?」 「あのね、そういうのじゃなくて、 ほら、あれよ」 「あー、りりかちゃんが好きな お役立ちニュースですね」 「いつのまに変な設定作らないでよ!」 「町役場で椿の苗を配るそうです。 なになに、お一人様二鉢まで――」 「違う!」 「って、なんでわたし、 しろくま日報なんて危険なものを 手にとっているんですかー!?」 俺はななみから新聞を奪った。 「………」 「どう?」 「……とりあえず、 サンタもUFOも載ってない」 「ほ……」 「このどきどきが毎日続くのは、 あまりうれしくないわね」 「どきどきするなら、 違うことがいいです」 「確かに……」 「はーい」 「おはようございまーす」 「!」 目撃者その1が!? 「ん? なに固まってるの?」 もし怪しまれてるならこれ以上、怪しまれるわけにはいかん! 「お、大家さん! どうしたんですか、 こんな早くから」 「ふわぁ……。 おはようございます」 「うわ……すごいアクビ。 休日におしかけちゃってごめん」 「いえいへ〜。 昨日はいろいろたひはくを考えてまして、 ふごひねむひでふ……ふぁ」 「たひはく?」 「でふから ぴんちなんで、いろいろたいさふを…… あわわっわわ」 「ああ、対策! ピンチってそんなに経営悪いの?」 「え、あ、いや、ピンチというのは、 こいつ給料をもうほとんど使っちゃって、 月末までどうしようかと悩んでるらしくて」 「そ、そーなんですよ。 お小遣い少なくて困っちゃいます」 「ななみちゃん。社会人なんだから 小遣いなんて言い方はしない方がいいわよ。 それにお金は計画的に使わなくちゃだめ」 「わ、わたしはいつでも 用意周到なんですよー。 まかせてください!」 「家計簿つけてる? つけると無駄遣いが減るよ」 「つけてますよー。 後で真っ青になりますけど」 「ならいいんですけど…って、余り良くないか。 とにかく、何かあったら相談してくださいね」 「お金は貸せないけど、 弁護士なら紹介出来るから」 「……で、大家さん。 今日のご用時は?」 「きららでいいって」 「今日、この店休みでしょう? 前から気になってた窓枠の立て付け、 直しとこうと思って」 「どこです?」 「おもちゃ屋の中」 「……気づかなかった」 「えへん。わたしは気づいてましたよ」 「なら言えよ!」 「あれくらいは、 どーということもありませんから」 「でもね、ななみちゃん。 そういうちょっとのガタつきを放っておくと 後で大変なことになるんだよ」 「そーなんですか?」 「人間って慣れるでしょう? だからひどくなるのにも慣れちゃうの」 「おーわかりました! 痛み止め飲んでおけば大丈夫なんで、 虫歯を放っておく感じですね」 「そうそう。 それでいつのまにか手遅れに なったりしたでしょ」 「あの親知らず、 抜くしかなくなったのに、 やたらしっかり生えていてですね」 「先生は結局抜くのをあきらめて、 ごっついノミを持ち出してきて」 「ノミ!」 「そーなんですよ。しかも局所麻酔だったんで、 振動と音が頭の中にぐわんぐわん響いて、 あんなごりごりはこりごりですよー」 「実話なのか」 「じゃあ、ななみちゃん、店長さん、 さっそくとりかからせてもらいます」 「すいません。その程度なら 俺でも出来たかもしれないのに」 「困ったとーまくんですね。 余りきららさんに、 迷惑をかけちゃだめですよー」 「言わなかったじゃないか!」 「まぁまぁ。 大規模な破損じゃなければ、 そっちで直しちゃっても構わないですよ」 「でも慣れてるから 今日のところは任せてください」 「おー。いー手際ですね。 まるで手品ですよー」 「はは。それほどでも」 「だって、トンカチで 指を打たないなんて、 ほとんど奇跡じゃないですか!」 「私も最初はよく打ったけどね。 今じゃ慣れました。 なんでも慣れるのが一番」 「慣れるくらいしてるわけだ」 「ぼろい物件多いからね」 別に何事もない感じだなぁ。目が合ったような気がしたんだが、俺の勘違い? 「休みの日になにやってんのよ……」 「あ。りりかちゃん。おはよう」 「わ、わに――」 「お、大家さん、どうしてここに!?」 「なーんと! きららさんは、今まさに、 奇跡を起こしているんですよ」 「は?」 「トンカチで釘を叩いて、 指を叩かないんですよ!」 「……」 りりかは、無言でななみの肩を叩いた。 「なんですかその哀れみの眼差しはぁ!」 「わざわざ、 窓枠の修理に来てくれたんだ」 「休みの日にすいません」 「いえいえ。 わたし無職で暇だから」 「………」 「えと、あの……」 「ニートなんですね」 直球だ! 「うん。早くも2年目。 働いたら負けだと思っている、 とか言ってみたり」 「で、でも、わ、じゃなくて、 きららさんは、 大家さんの仕事を立派に――」 「これは実家の仕事を手伝っているだけ」 「でも、働いてますね。 負けじゃないんですか?」 「あはは。 ……んしょ、これでよし」 きららさんは修理の手を止め、窓を開閉してみせた。 「ありがとうございます」 「わわぁ……奇跡の技です」 「釘も打たずに修理できれば、 奇跡だけどね」 「今日はこれのためにわざわざ?」 「これはついで、本題が2つ」 「(来た!?)」 「(お、落ち着け)」 「(私に名案がありますよ)」 不吉な予感。だがななみを停める間もあらばこそ 「追い出さないでください!」 「え?」 「頑張ってかせぎますから! ここにいさ――」 「(あほ)」 俺はななみの口を塞いだ。 「……なにかしたの?」 「いえ! とりあえずは何も! な?」 「そうなんです! この子たまにちょーっと、 いろいろ口走るんで!」 「………」 大家さんじゃなくて鰐口さんじゃなくて、きららさんは俺達の顔を見回した。 「ああ、判った! お祖母ちゃんの悪い噂でも聞いたんだ。 大丈夫、いきなり追い出したりしないから」 俺とりりかは顔を見合わせた。 「(いきなりじゃなければ追い出すのか……)」 「(そう……みたいね)」 「むぅむぅ、ふぐぅむぎゅるぅ」 「ななみちゃんが大変なことに! 酸欠でカラータイマー点滅状態だわ!」 「いけね」 ななみを解放。 「ぷはぁ……死ぬかと思いました」 「お、おほん。 本題が2つとは……?」 「………」 「きのした玩具店さん。 使用態度が悪いので、 1週間以内に出て行ってください」 「ええええええっ!?」 「ご、ごめん。今の冗談。 そこまで真に受けられるとは思わなくて、 一体、祖母ちゃんのどんな噂聞いたの?」 「それはもちろん 放射能火炎で町を焼き尽くすんです!」 「崩壊する超高層ビル群! 逃げ惑う人々! 総天然色ドルービーサラウンド!」 「……それは初耳だわ。 でも、いくら祖母ちゃんでもそれは無理」 「で、ですよね……。 でも、ほら、大家さんがそういう事おっしゃると、 冗談に聞こえなかったりするんですよ」 「ごめん。大丈夫だから安心して。 家賃を三ヶ月滞納したり、 ペットを連れ込んだのが祖母ちゃんにばれなければ」 「気をつけます」 「みなさん、お茶が入りました。 もしさしつかえなければ、大家さんもご一緒に」 「ありがと! じゃあ、話はそっちで」 「しろくま町案内ー!?」 「そ、約束したでしょ?」 「ああ、そういえば!」 「安いお店を教えていただけるとか……」 「特に硯ちゃん!」 「……し、指名されてしまいました」 「安くていい食材が入る店、教えるから! っていうか教えさせて!」 「一回の買い物では大した差がなくても、 毎日の積み重ねで大きく差が出るものだからね。 お得な買い物の仕方をみっちり教育するから!」 「え、え……ありがたいですけど、その、 なぜそこまで親切に……?」 「あ、ごめん、いやならいいんだ。 親切とかじゃなくてこっちの勝手だから」 「正直言うとね、硯ちゃんみたいな、 買い物してる人みるとむずむずしてくるの」 「むずむず……ですか?」 「ああいう大ざっぱで損してる買い物見ると、 ああ、それは他の店で買えば! とか、 一時間後に安売りになるのに、とか!」 「むずむずしちゃうから! でも、どういう物買おうと自由だから、 ぐっ、と黙ってたけど」 「でもね、知ってて選んでるのと、 知らないで選んでいるのは違うでしょう?」 「あ、ええと、はい……そ、そうですね」 「だからとりあえず知って! 知ったあとは何買おうと 何も言わないから! お願い!」 「よ、よろしくお引き回しください……」 「よっし。引き回しちゃうぞぉ。 あ、それからもう一つの用件は、 商店会に加入しませんかってこと」 「商店会?」 「そ。ほらあな商店会」 「ほらあな商店会!?」 「縦穴式ですね!」 「いや『ほらあな』というからには、 横穴式だ」 「なるほど! 冴えてますねとーまくん!」 「絶対どっちも違うわ!」 「縦穴でも横穴でもないけど、 入っておくと色々お得」 「ティッシュとか洗剤とか くれるんですね!」 「そういうものなのですか?」 「違います。 まず、 しろくま通り商店会ってのがあるのね」 「文字通り、 しろくま通りの商店の集まりなんだけど」 しろくま通りは、この町のメインストリート。沢山の商店が建ち並んでいる。 「ということは……」 「そこにほらあながあるんですね!」 「そうなのよ。秋吉台にあるのより、 深くてながーい奴が! 地球の裏側までつながってるの」 「ひょぇぇぇ! それは凄いですね!」 「んなのあるわけないでしょ」 「しろくま通りから西へ延びる道に 商店街があるんだ」 「そこにある ほらあなマーケットを中心にした 商店会が『ほらあな商店会』」 「なるほど」 「で、洞穴には、 どこから入れるんですか!」 「あー、ごめん。ないから」 「昔は屋根付きの狭い通りだったから、 洞穴っぽい感じがしたんで、 そう呼ばれるようになっただけなの」 「ほらあなが……無いなんて……」 「でも、ここ、 ずいぶんと離れてますけど」 「この商店会は、来るもの拒まずで、 商店街の外のお店でも、 別に構わないってことになってるの」 「なるほど」 曲がりなりにも商売してるんだから、地元につながりを作った方がいいか。 「枯れ木も山の賑わいって奴ね!」 「でも……それだと きのした玩具店は枯れ木ということに……」 「細かいことは置いておいて、 理解してもらえたかな?」 「どうするみんな? 町の人との交流を考えるなら、 入っておくべきだと思うが」 「賛成です!」 「異議なし」 「そうするべきだと思います」 「というわけです、大家――」 「きららでいいって。 じゃ、次の時に申請用紙もってくるから。 うちの店子さんだし、審査なしで一発OKよ」 「あ、でも……。 加入すると、 義務もあるのではないでしょうか?」 「大したことないよ。 商店会の会合には顔を出すとか」 「歳末の火の用心には人を出してもらうし、 福引きの受付係とかも……。 でも、仕事に差し支えるって事はないよ」 「大丈夫そうですね。 この店は暇ですから」 「店員がそういうこと 言うもんじゃないわ!」 「大きな行事、特にお祭りの時なんかは、 準備に人を出してもらうこともあると思う」 「うーん」 結構大変かも。 「用紙は次の時に持ってくるから、 その時までに考えておいて」 「すいません」 「さぁて! 屋内の用事が済んだところで、 そろそろ出発しますか?」 「ぜひぜひー!」「いきましょう!」 「くえーーくえーー!!」 「おまえは留守番だ」 「ぎょーー! ぎょーー!」 「ごめんね、サンダース。 お土産買ってきてあげるから。 ひまわりの種とか」 「くるっく」 「それじゃー、さっそくしゅっぱーつ!」 「おーーーー!!」 「お、おー……」 「登山電車が出来たので♪ 登ろう登ろう♪」 「鬼のパンツはいいぱんつ♪ 破れない破れない♪」 「(国産)」 「(なんだよ)」 「(きららさんから、 あのことを訊き出すのよ)」 「(判ってるよ。 でも、お前だってチャンスがあったら、 訊き出せよ)」 「(判ってるわよ!)」 「そういうわけで、 ここがしろくま町のメインストリート!」 「おおおー! ここが噂の!! メインストリートですか!」 「……ピンク」 「わたしにはななみって、 立派な名前があるんです」 「(あんた何、純粋に案内されてるのよ。 きららさんが目撃したかどうか、 さりげなく訊き出すチャンスでしょ!)」 「おー、そうでした! 楽しいんですっかり忘れてました!」 「何を?」 「な、なんでもないです! さりげなく訊きますから!」 「さりげなくって……。 質問しにくいことなの?」 「え、あの……安い店は どこにあるのでしょうか……?」 「後でちゃーんと教えてあげる!」 「でも、ななみちゃん。 訊きたいのはそれじゃないよね?」 「い、いえ別に怪しいものじゃないです! さりげなく訊き出すんで、 気にしないでください!」 「あっやしいなぁ。 さぁさぁ、きらら姉さんに、 全て話してしまうのだ!」 って、いつのまにか、俺達が訊かれる立場に!? 「あ、あれは何かなと」 「あれって?」 「あー、あれあれ!」 俺は話題を求めて周りを見回した。 「この町のあちこちに、 しろくまが逆立ちした像や、 マークやロゴがあるんだが」 「なにかなって気になってたんですよ! でも、有名なものらしいから、 知らない方が恥ずかしいのかと思ったりして!」 「そっか。 くまっくのこと、 外の人は知らないよね」 「くまっく……?」 「知りたい?」 「はい、ぜひとも! ね、そうでしょうみんな」 「わくわくします!」 「なら、今から映画でも見ようか?」 「映画な――」 映画なんて見てる暇あるのか、と言いかけた俺のつまさきに踵がめりこむ! 「(この流れでごまかすのよ)」 「(わ、判ったからどけろ)」 「えいがな?」 「とーまくんは貧乏なんで、 映画なんて久しぶりなんですよ」 「そうなの? もしかしてななみさんよりも 無計画だとか?」 くそぉ。なんでだかとても屈辱的な立場に!だが、我慢! 「あ、あはは。 実はそうなんです」 「600円も払えない?」 「タダみたいな値段ですね」 「それなら貧しい店長でも大丈夫ね」 「くっ……」 「おごろうか?」 「いえ、大丈夫です!」 大家さんについていった俺たちは、『しろくま座』という小さな映画館で映画を観た。 ちょっと古い映画の、リバイバル上映だった。 ……。 小さな動物園の人気者、シロクマのくまっく。 だがこの町に原発が出来ることが決まり、落ち目だった動物園の廃園が決定。 それと共に、彼は住み慣れたこの町を離れ、遠い町に引き取られる事になる。 一方くまっくが去った町では、原発誘致に対する賛成反対で町を二分する大騒動が続いていた。 そんな状況を一人の少女の言葉が全てを変える。 『くまっくが帰る場所がなくなっちゃう』 それをきっかけに、反原発運動とくまっく帰還運動は結びつき。くまっくは、運動のシンボルとなる。 そしてついに、町議会で、原発誘致は否決され、くまっくの帰還が決定される。 だが、老齢のくまっくの健康状態は思わしくなく、しろくま町への輸送は回復を待ってという事になる。 ……だが、くまっくは ………。 「どうだった?」 「ああ。いい映画だった。 動物ものにしては、ちゃんとエンタメだったし」 「う、ううっ……感動でしたー」 「ななみん、きららさんに奢ってもらった ポップコーンに感動したんじゃないの?」 「違います! くまっくがしろくま町を思いながら、 息絶えるシーンなんか特に……」 「こう言っちゃなんだけど、 あんなの動物ものの定番のひとつよ」 「……りりかさんも泣いてました」 「め、目にゴミが入っただけよ」 「つれてった方としては、うれしいわ。 私はもう何度見たか判らないから 泣けないけど」 「でも、納得できません! どうしてくまっくは、 死んじゃうんですか!」 「あれは実話だから」 「じゃあ、あのくまっくが……」 「そういうこと」 大家さんが指さしたのは、駅前の植え込みの中央に設置された、くまの像だった。 「なるほど……。 それで町のシンボルになったんですね」 「似たのが町中にあるのは、 そういうワケだったのね」 「どうして逆立ちしてるんですか?」 「くまっくは逆立ちするのが得意でね。 動物園の名物だったの」 「ええっ! それはしろくまを越えてるわ! スーパーしろくまだわ!」 「ちょっと見てみたかったですね……」 「やっぱり結末は変えましょう!」 「いくらフィクションの結末を変えても、 現実には影響しないと思います……」 「逆立ちしたってマジですか?」 「ううん。うそ」 「さくっと裏切られました!」 「くまのマックだからよ。 ほら、くまをひっくり返してみると」 「マック!」 「判りました。くまが逆立ちして、 マックになるというわけですね」 「ご名答〜♪」 ちなみにマックは、くまっくの本名だ。 『くまのマック』と呼ばれていたのが、いつのまにやら短縮されて『くまっく』になり、定着したらしい。 映画でそんな経緯も語られていた。 「それにしてもキャストが豪華でしたね。 主演は〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》さんでしたし」 「有名人?」 「と、とーまくん、ものを知らなすぎです!」 「え? 金髪さん知ってたか?」 「し、知ってるし! 楽勝だし!」 「近頃よくテレビに出てるけどねー、 知名度はまだまだなのかな。 一応ね、この町出身の有名人なんだ」 城悟──金髪さんも知らないってことは、ここ1、2年で人気の出た俳優さんか。 「それから住民運動の裏ボスがいたでしょ?」 表のボスは豪傑笑いが特徴の、気の良いじいさんだった。 「あの、すっごく意地悪で ずる賢いおばあさんですね!」 で、そのおっさんを祭り上げて、裏でいろいろ画策するのがそのばあさん。 「いかにも狡猾で緑色の血が流れてそうな、 陰険冷血妖怪ばばあね」 「そこまでひどくは……」 まさか、もしかして……。 「その冷血妖怪ばばあのモデルがね、 うちのばーちゃんなの」 「えっっ!!?」 「お、おい、おまえら”」 「(りりかちゃん、言い過ぎです”)」 「(あんたが先に言い出したんじゃない!)」 「ばーちゃんたら、 あの役やった女優さんが気に入らないらしくって、 話に出すだけで不機嫌になるのよね」 「私ははまり役だったと思うんだけど。 エランドール助演賞も取ってるし」 「(きららさんがこう言ってるってことは……)」 「(本物のばーさんも、  あれくらい性格が悪いっての!?)」 「(いえ、きっともっとすごいに違いないです!)」 「(も、もしお家賃を滞納したりしたら、  どうなってしまうんでしょう……)」 「(金がないなら、体で払いなっ!)」 「(なぁに熊崎港から出る船に乗りゃ、  インド洋まで連れてってくれるさ。  しっかり稼いでから帰ってくるんだよ!!)」 「(ひえぇぇ〜〜”)」 「ん? インド洋がどうかした?」 「ななな、なんでもないですー”」 「いやー、ほんとに素敵な映画でしたねー、 『おはようくまっくー』」 「ここにくればいつでも観られるから」 「またみんなで来ましょうね! 『ごきげんくまっくー♪』観に! 何度も見れば結末も変わるかもしれません!」 「どこに、つっこんでいいものやら」 「ではでは、お待ちかね。 お買い得商店コーナー」 「まず、あれがスーパーガイエーね」 「昨日のお買い物は、 あそこでしました」 「それはNG!」 「え……そうなのですか?」 「あそこは金曜日以外は駄目! 存在していないと思うが吉!」 「なぜ……ですか?」 「あそこはうーんと高いの。 でも、金曜日は加工食品が安いので 新聞のチラシをチェックするように」 「ふむふむ、なるほど…… ガイエーは金曜日以外は存在しない(メモメモ)」 「でもって、こっちが……」 「きらら」 「あ、猫さん」 ジーンズが妙に似合ってる細身のおばあさんは、きららさんの知り合いらしかった。 「……噂の?」 「うん。 あ、みんな紹介するね。 この人は猫塚桜子さん」 「この近くの『ニューヨーク』っていう 本屋さんの店長さん」 猫塚さんは俺達を一瞥すると、面倒くさげに挨拶してくれた。 「俺は――」 猫塚さんは、言葉を遮ると、俺達ひとりひとりを順繰りに見て。 「中井冬馬。星名ななみ。月守りりか。柊ノ木硯。 猫塚桜子だ。よろしく」 「な、なんで判ったんですか!?」 「きららから聞いてたのから推理した」 「猫さん……いくらミステリーマニアだからって、 悪いクセだよそれ。 当たらない時の方が多いんだから」 猫塚さんは肩をすくめた。 「この歳になると、 今更変えられない」 「あーはいはい」 「洋書が必要になったら、 『ニューヨーク』にいつでも来なさい。 じゃ、きらら」 「うん。またね」 ………。 「洋書専門なんて、 商売になるんでしょうか?」 「扱ってる本屋が、 町に一軒しかないから、 大丈夫じゃないかな?」 「いくら一軒しか無くても、 読めない本なんて、 誰も買わないですよ!」 「あんたは読めなくても、 読める人はごまんといるのよ!」 「えー。ありえないですよ! 英語なんて悪魔の言葉ですよ! 習うだけで死んじゃいます!」 「私もありえないと思いたい。 あんなの悪魔の言葉だわ。 でも、現実はキビシイのよ……」 きららさんも英語がアレのようだ。 「あー、おほん。 で、次なるターゲットはあそこ!」 「言われずとも判るぞ! あそこは高い! NGだな!」 初日に、柊ノ木の買い物に付き合って、危うく超高級家具を買ってしまうところだった。 「大正解! あれは言うなれば魔界! 見ただけで目が潰れる凶器!」 「確かに……見るからに高級だわ」 「でも、ああいうのの地下には、 おいしいお菓子がいっぱい 売ってるんですよ!」 「売ってません。 なぜならあれは存在していないから!」 「よく利用しています」 「だめだめだめっ。 しろくま壱番館は観光客向け! 安く済ませたければこっちこーい!」 「じゃあ、今だけはわたしも 観光客ですよー。 もんぶらーん、おぺら、しゅーくりーむ〜」 「ああっ! ななみちゃんが魔界へと! 店長さん! 捕まえて!」 「おう!」 ゲット! 「おーかーしーがぁぁぁぁぁぁぁぁ」 「ここが商店会でおなじみ、 ほらあなマーケット」 「食料品を買うならこっちがオススメ。 スーパーのセール品を除けばだけど」 「ここなら来たことある」 「ペンキ屋さんがあるとこですね」 「あの噂の……」 「おもしろい人ですよー」 小さな商店街に、食料品の店から床屋、大衆食堂などなど、多種多様な店がひしめき合っている。 ぎゅっと凝縮された生活空間といった趣だ。 「野菜を買うなら角の八百政。 お肉はミートショップくじらやがオススメね。 それから……」 「やあ! みなさんおそろいで」 「こんにちはー」 「こんにちはー」 「(この人が?)」 「(そうです)」 「(普通の人に見えますが……)」 「(これは擬態だから、 発言には注意するように)」 「買い物ですか?」 「今、みんなを町案内してるんです」 「それはいい。 鰐口さんなら、この町のことは、 隅々までご存じだからね!」 「きららです#」 「親しき仲にも礼儀ありだよ鰐口さん」 「(素なのかしら)」 「(それっぽいです)」 「(勇敢な方ですね)」 「……あれ? いつの間にやら看板が新しくなってる」 「前のは錆が目立ってきたんでね」 なぜペンキ屋の看板なのに、電車が描いてあるんだ!? 「……はぁ。 相変わらず気合い入ってますね」 「まだまだですよ。 ペイントは奥が深い……。 もっとくま電の可能性を追求しなければ!」 なぜいきなりくま電?き、訊きたいが訊いてはいけない! 「案内の途中だから、この辺――」 「うわぁ! この真っ赤な電車がこまかーく描いてあって、 すごく凝ってますねー」 「わっ、バカ!」 「わかりますか、お嬢さん!!」 「見ればわかりますよー。 かっくいーですねー」 「これは、再来年導入予定の新型車両で、 今までのくま電のレトロなイメージから脱却し、 モダンなデザインを採用した――」 「はいはーい。 第2系統、ニュータウン東行きにお乗り換えの方は、 ここでお降りくださーい」 「第2系統でニュータウンへ!? まさか! その経路は検討段階で止まり、 第2系統は城址公園前熊ヶ崎往復である筈!」 「降りていただければ、 ちゃんと来ますから」 「未知の新系統の情報! これは研究者として乗らねばならない! 降ります!」 「駆け込み乗車はご遠慮くださーい。 いくわよみんなー」 慌てて降りたペンキ屋さんをおいて、きららさんはみんなを引き連れていく。 「なんて、スーパーな技なの! さすがきららさん!」 「あのペンキ屋さんを、 一瞬で黙らせるなんて」 「電車の話になると長いからね。 ああやってうやむやにしちゃえばいいの」 「なるほどー。 じゃあ聞きたければ、 いつまでも聞いていられるわけですね!」 「あんた……ちょっと尊敬するわ」 「めもめも……第2系統、 ニュータウン行き……」 「でも、今のは、 素人さんには勧められないなぁ」 「マニアのつぼをつかないと やぶ蛇になる可能性が高いし」 「あ、あの……では、どうすれば?」 「わかりました! 次の電車が来るまで待つんですね!」 「それはダメ。 降ろしてもらえないから!」 ほらあなマーケットを抜け、しばらくいくと。 「ほえー」 「あれがしろくま町公民館?」 「ホームページに載ってた通りです」 「立派だな」 田舎の公民館とは思えない。 「町の主要施設がここに集中してるからね」 「なるほど、 借金も集中してるんですね。 今朝の新聞に書いてありました」 「あんたは…… 変な事だけは覚えてるんだから」 「りりかちゃん、 なにを言ってるんですか! お世話をする町のことですよー!」 「お世話をする?」 「ええと、ほら! この町の子供の幸せと楽しみを、 色々お世話するって意味です!」 「ああ、なるほど」 「あの、まぁるい屋根はなんですか?」 「あれはね、通称くまドーム! 中はプラネタリウムになってるのよ」 ドームと戯れるように、白熊のオブジェがつけられている。 おおかた、愛称の由来はそこにあるんだろう。 「さてと、ここからは 町の海側を回ってみましょうか」 「? あれは……」 「みょうちきりんな塔が建ってますねー」 「あれは、『鳴らないカリヨン塔』」 「鳴らないカリヨン塔?」 3人娘が異口同音にオウム返しし、塔を見上げる。 「確か……。 カリヨンとは、演奏用に音程を整えた、 鐘楼のことですよね」 「でも……さっき鳴らないって?」 「鳴ろうにも、肝心の鐘がないから」 「昔は鳴ったんですか?」 「一度も鳴ったことはないはずよ。 クリスマスイブに 鳴ったって噂もあるけどね」 「イブに?」 「……」 きららさんは、なぜか俺の顔を一瞬見た。 「サンタクロースが鳴らしてるって 言ってる人もいるけど、 ありえないよねー」 「……鐘もないのにありえないな」 「だよね」 「でも、なぜサンタなんだ?」 「そりゃ、クリスマスだからでしょ」 「単純な理由だな」 言葉に裏をかんぐってしまうのは、考えすぎなんだろうか。 「由来を書いた看板とかはないんですね」 「あはは……これ、うちの持ってる物件なのよね」 「この塔が!?」 ごうつくばりで有名なきららさんのお祖母ちゃんの事だ。壊して更地にして売るつもりなんだろうか。勿体無い。 「空から見たときは気づきませんでしたねー」 「……空から見た?」 「ええ、たか――もがが」 「高台! 高台から見たって事だよ!」 「高台って……どこの?」 「え……ええと温泉……です」 「お、温泉の方から見たんです!」 「……だよね。 本当に空から見るわけないもんね」 「お、温泉には一度行ってみたいですね」 「? え、でも、 今、白波の方からって……」 「そ、それは、行っただけで! 温泉には入ってないんです!」 「開店準備やあれやこれやで!」 「忙しさに一段落ついたら、 行くといいと思うよ。 疲れなんかふっとぶから」 「温泉かぁ……」 「もごもご……くるひいれすぅぅ”」 「(バカ!  余計なこと言うんじゃない!!)」 「(ちょ、ちょっと口が滑っただけです!)」 「あ。こんにちは」 大家さんは、俺たちがどたばたやってる横で、誰かに気づいて声をかけた。 相手は初老の男性。声をかけられてる事に気づいてない様子で、物思いに耽るように、カリヨン塔を眺めている。 小粋な帽子をかぶり黒いタキシードに杖をついたヒョウヒョウとした感じの人だ。 どこかで見たような……。 「こんにちはー」 「ん? ああ、これはきららさん。 どうも、こんにちは」 「いいんですか? 忙しいんでしょう?」 「ちょっと息抜きに散歩をね。 そちらは?」 「例の森の外れにできた、 おもちゃ屋さんの方々です」 「どうも」 相手が誰かわからないので、曖昧に頭を下げる。見た事あるんだけど……。 「ああ、君たちが。 噂はかねがね聞いてますよ」 「はぁ。ええと……」 「あ、自己紹介が遅れました。 私、しろくま町の町長をやってます、 熊崎五郎太と申します」 あ。ポスターで見たのか! 「町長さんですか! はじめまして、わたしきのした玩具店広報担当の 星名ななみです」 「随分とかわいらしい広報さんですね」 「わ。いきなり褒められてしまいました!」 「(チャンスね)」 「(何が?)」 「あー、おほん。本日はお日柄もよく、 町長さんに会えるなんて、 恐悦至極のいたれりつくせりです!」 「(決まってるじゃないの。 売り込みのチャンスよ)」 「ここはひとつ、 きのした玩具店をどうか……」 「わきゃっ”」 「どうも、こんにちはー、町長さん」 「こんにちは。 あなたも店員さんですか?」 「きのした玩具店の月守りりかと申します。 以後、おみしりおきを」 「わたくしどもきのした玩具店は、 子供が安心して遊べる 木のおもちゃを取り扱ってるんですー」 「ほほう、そうなのですか」 お、町長さん食いついてきた。 「子供に優しく地球に優しく、 地域に根ざした営業活動をモットーに、 やっていきたいと思ってるんですー」 町長さんは、にっこりと笑って。 「それは結構なことですね。 何か困ったことがありましたら、 相談してください。お力になりますよ」 「ありがとうございますー☆」 「それでは、私は公務がありますのでこれで」 去っていく町長さんに向かって、りりかが愛想笑いで手を振っている。 その後ろではななみが、珍しくぶすっと不機嫌な顔。 「どうしたんだ」 「広報担当はわたしなのに……」 「あれは脈ありね! きっと町立の幼稚園とか児童館に、 おもちゃを納入出来るようになるわ」 「って、ピンク、なに不機嫌な顔してるのよ」 「広報担当はわたしです!」 「なに言ってるのよ! 見たでしょあの笑顔! あたしのトークに好感触よ」 「いや、それはどうかな。 町長さんは誰にでも愛想いいから。 ほほえみ殺しのゴロって呼ばれるし」 「誰にでもですか。 なーんだ。納得です」 「納得するな!」 「海ぃぃぃぃ」 「海だわ!」 「ここからの景色、最高でしょ? 知る人ぞ知る穴場なんだ」 大家さんの言葉どおり、カメラを構えた観光客っぽい人の姿がちらほらと見受けられる。その向こうには、幸いの好天に、秋の海面がキラキラと美しい。 「で、この坂は潮見坂! この石段は江戸時代にいた土橋釜右衛門って人が、 私費を投じて作ったものなんだ」 「由緒あるんですねー」 「はやり病に息子さんがかかった時、 石段を作って人々に徳をほどこせば、 息子さんは助かるってお告げがあったんだって」 「それはすごいプレゼントですね! わたし達も負けていられません!」 「確かに…… あ、ええと、子供達におもちゃで 夢と希望をプレゼントするって意味ですから!」 「その意気込みはいいけれど、 まずは店を黒字にしてからにしてね」 「も、勿論判ってます!」 「さて、次は海へ行きましょうか」 「………………」 「どうした、いかないのか?」 「あの…… 私達すっかり観光気分ですけど……。 いいんでしょうか?」 「あ”」 「海水浴場がありますよ! おお、海の家も!」 「こぢんまりとしてるけど、 悪くないわね」 「ここがかの有名(地元限定)な しろくま海水浴場よ。 夏休みの時期は結構混むの」 「いまから夏が楽しみですねー…… ぶるるるる!」 「って、なに食ってんだーー!」 「知らないんですか? 名物・しろくまくんアイスです!」 「全国的(地元限定)に有名なの」 「地元限定がつく時点で有名じゃないじゃん」 「てへへ」 「ピンク! 勝手に買い食いなんてしてんじゃない! しかもこの寒いのにアイスって!?」 「見ているこちらが、 寒くなってきます……ぶるるる”」 「いいじゃないですか、別に。 食べ物だけでも夏の気分に なってみたんです!」 「ななみちゃん。 夏を独り占めはよくないんじゃない?」 「あうぅ……すいません、つい」 「そうですよね、 さすが、きららお姉さん!」 「お姉さん……っていい響き。 でも、きららお姉さんって、 ちょっと長くない?」 「じゃあきらら姉……きら姉で!」 「おっけーりりかちゃん」 「というわけで、みんなで食べましょう! 冬でもおいしい、しろくまくんアイス。 お姉さんがおごっちゃうわ!」 「ええっ”」 「おごりですか! うー、わたしだけ仲間外れです」 「なら、ななみちゃん、 もう一本行っとく?」 「もちろんです!」 「あんたちょっとは遠慮しなさいよ! あたしたちも遠慮するつもりなんだから」 「遠慮しない遠慮しない! おじさん! しろくまくんアイス5つ!」 って、俺もか!? 海水浴場前からくま電に乗って、町をぐるりと回る。 「しろくまくんアイス、 おいしかったですねー」 「うんうん。 そうでしょうそうでしょう!」 「そ、そうですねー……」 「……ぶるるるる」 にこにこしているきららさんに、言うのはちょっと抵抗が……。 だが、俺はあえて言うぞ! 「冬にアイスは、ちょーっと寒かった」 「あはは。 私もそう思ったわ」 「あ。そういえば。以前、この電車で、 きららさんのお姉さんと会ったな、 ええと確か……」 「〈神賀浦羽衣〉《かみがうらうい》さんですね」 「姉ちゃん、 いつも電車でぐるぐる回ってるからねー」 「そういうお仕事なんですね! なんか優雅です、ちょーっとあこがれます」 「あはは。 あれは単なる時間つぶし」 「あ、そうだ。硯ちゃん」 「え、あ、はい」 「あのさ。食材の買い方は紹介したけど、 料理のレシピの方も知りたくない?」 「一通りは出来ますが……。 どんな種類の料理でしょうか?」 「ずばり中華!」 「………」 「興味ない? それとも結構得意?」 「余り知りません……興味は……あります」 「姉ちゃんが、中華得意なの。 ちょっと教わってみない?」 「中華料理ですか! ぜひそれは食べたいですね!」 「あんたは食うの専門って感じよね……」 「……ご迷惑じゃないんですか?」 「ぜーんぜん。 姉ちゃん仕事ない時は暇だから。 決まりね。明日とかどう?」 「え……あの……」 「いいんじゃないか。 人の情けは受けておくものだし、 食いしん坊が多いんだからさ」 それに、社交性が低そうな硯が、人と接触するのは悪いことじゃないだろう。 「りりかちゃんですね!」 「あんたよ!」 「判りました……よろしくお願いします」 町をぐるりっと回っているうちに、たちまち時間は経って。 「今日は楽しかったですね!」 「ななみちゃん。 遠足は家に帰るまでが遠足よ」 「なるほど遠足だったんですね」 「遠足か」 「おやつはないけどね」 「事前に遠足だって言って貰えれば、 バナナ含まず300円で準備したんだけどな」 「じゃ、次の機会には、是非用意して。 その時は、ほらあなマーケットでの、 買い物をおすすめするわ」 「今日は、本当にありがとうございました」 「いいって、いいって。 こんなの大した事じゃないから」 「でも、丸一日つきあっていただきました……」 「あなたたちが、 ちょーっとでもこの町を好きになってもらえれば、 私には十分だから」 「なーんてね。えへへ」 自分の台詞にきららさんは照れていた。結構、シャイな人なのかも知れない。 「なんで照れてるんですか?」 「え、そんなことないよ! あ、そうだ! 昨日、ツリーハウスで花火しなかった?」 俺達は顔を見合わせた。 「どういう事ですか?」 「違うの? なんかね、ツリーハウスから怪光線が発射された、 とか、つぐみんが言ってたから」 「怪光線?」 「つぐみん?」 「ああ。 ななみちゃんなら知ってると思うけど」 「ほえ?」 「この前、 サンダースと私が危機一髪だった時、 一緒にいた子」 「ああ。あの子か……って!?」 「?」 「あ、あの子なの!?」 俺達は顔を見合わせた。 あの子。俺達を写真に撮ったかもしれない子か! 「あ、ふたりだけ知ってるなんて、 ずるいです」 「あんただっていたでしょ!」 「おお!」 「…………」 きょとんとしている硯に、りりかが耳打ちした。 「(あたし達を写真に撮ったかもしれない子)」 「あ……」 「……」 なぜかきららさんが俺の顔を見ていた。 「な、なんですか?」 「え、ああ、いや、 どうかしたのかな、と思って」 「あ、あれだ! そうか、あの子かなるほどって 思って」 「でね。 わたしは多分、花火でもしてたんじゃない、 って、言ったんだけど」 その怪光線はおそらく、俺のセルヴィが起動した時のものだが、ここはきららさんの思い込みに乗るべし。 「いやー、 冬の花火なんて季節外れと思うでしょうが、 ななみが急に花火をしたいとか言い出して!」 「わたしそんなこと言ってません! 冬に花火なんて季節外れ過ぎるじゃないですか!」 「いや、お前は覚えていないだろうが、 言ったんだよ、確実に間違いなく!」 「そうよあんたは言ったのよ!」 「言ってません! そうですよね、硯ちゃん」 「え、えと……」 硯は一瞬、俺とりりかの顔を見ると、 「確かに……言いました……」 「お、覚えていません! ショック……」 「そう気を落とさないでななみちゃん。 物事を忘れるなんて良くある事だから、 私なんて数式を覚えたはしから忘れるもの!」 「そうですよね! 忘れてもおかしくないですよね!」 「そういうわけで、 花火を打ち上げたんですよ」 「楽しい夜だったわ!」 「………」 「だよね。普通。 そんな怪しい光線なんてありえないよね…… うん。ありえない」 「メリークリスマス!」 いきなりの声に、俺達は振り向いた。 「メリークリスマス!」 穏やかそうな顔をしたお爺ちゃんがいた。足下がかなりおぼつかない感じ。よったよった歩いている。 「メリー! 君たち! サンタクロースは実在するんだ!」 「あ、はい、しますね」 「そ、そうよ」 「もちろんです!」 「え、えっと……」 「メリー! メリークリスマス! なぁ、そうだろうきららちゃん! サンタはいるんだ! メリー!」 「はいはい。丘爺ちゃん。 サンタは実在するする」 きららさんは、子供でもあやす口調で、お爺さんをいなすと、 「丘爺ちゃん。じゃ、帰ろうね」 「ああ、きららちゃん、 アリの奴にも言ってくれよ、 サンタはいるって、メリー!」 「うんうん。言う言う。 でも、今日のところは暗くなる前に帰ろうね」 きららさんは俺達に軽く会釈すると、お爺さんを連れて町の方へ去っていった。 「………」 「あのお爺ちゃんは誰?」 「きららさんのお祖父さんなんじゃないか?」 「……あの恐ろしい管理人さんの、 旦那さんということですよね……?」 「やさしそうなお祖父さんだったな……」 恐ろしい奥さんに、いつも圧迫されているのだろうか? 「だとすれば……予想と全然違いました。 角くらい生えているかと思ったのに、 ちょっとがっかりです」 「いや、それはありえない」 「判りました! 隠しているんですよ!」 「隠すも何もないから!」 翌日。 「トナカイはスパイに向いていない……」 「サンタも探偵さんにはなれないようです」 「はぁぁぁ……」 「揃ってため息をつくんじゃないわよ!」 「だがまぁ、 きららさんの様子は、 いつもと変わらなかったな」 「安心って事じゃない?」 「あの……ですが私たち、 きららさんの事を、 それほどよく知っているわけでは……」 「きら姉は……いい感じの人よ。 お祖父さんの事も大切にしてたし」 「この家の大家さん代理で、 世話好きで、気がよい人で」 「苗字が違う姉がいること……。 それくらいですよね」 「うーん……。 じゃあ、あれはどうだったのかな? いつもの態度じゃなかったのかも」 「あれってなんだよ?」 「あのですね。なんとなーくだけど、 とーまくんのことをちらちら見ていたよーな」 「確かに……」 「気のせいじゃない? それにこっちを疑ってるんだったら、 花火のことだって教えてくれなかったろうし」 「ですが、 もし気のせいでなかったら……」 「ピンクや国産の言ってる事だから 気のせいなんじゃない? と言いたい所だけど……」 「りりかちゃん! 今、なにげにぶじょくしましたねー!」 「こういう非常事態では、 どんな危険の芽も見逃せないわよね」 「きららさんは、引き続き観察か。 なら、ほらあな商店会にも加入した方がいいな」 「なるほど、 近づけばスパイ活動もやりやすくなりますね」 「スパイ言うな!」 「人を出したりするのは、店長に任せて」 「さりげなく、 義務を人に押しつけようとしてるな!」 「そう言えば、すずりん」 「あ、は、はい」 「きら姉のお姉さんから、 料理を教わることになってたわよね」 「はい…… ま、まさか、私がスパイを!? そ、そんな無理です!」 「自然に会話が出来る機会が すぐめぐってくるなんて僥倖よ! すずりん任せた!」 「そ……そんな……」 「任せた!」 「え、えう……」 「じゃあ、わたしが!」 「……やります」 「なんか複雑な気分!」 「うわわっ!?」 「だ、誰!?」 「お、お客様です」 「なんと、ここで ほんもののお客さんですよ!」 「はっ!?」 「いらっしゃいませ!」 「(なに感激してるのよ! スマイルといらっしゃいませでしょう!)」 「あ……い、いらっしゃいませ」 「それにピンク頭! お客にほん――なに?」 「あの、お客様がこちらをご覧に」 「お暇そうですね」 「す、すいません!」 「こんな人通りの少ない場所に店を開いたら、 仕方のないことですよ」 「お、お見苦しい所をお見せしてしまって 申し訳ありません」 「いえいえ。気にしていませんから」 意地悪そうな見かけだけど、寛大な人でよかった……。 「(さっきの話の続きは後で)」 「(今は全力で接待だな)」 「ほん ってなに?」 「(だから、お客に、本物も偽物もないでしょう)」 「なるほど! お客様は神様ですね!」 「あんたいちいち声でかい」 「気をつけます!」 「はぁ……」 「りりかちゃん。大丈夫ですよ。 そのうち慣れますから」 「慣れるまでもなく常識なのよ!」 「あの、今は言い争っている時では、わわわわわ!」 「(ち、近づいてきます!)」 「(お、落ち着け! 落ち着くんだ!)」 「(お、お二人とも落ち着いてください)」 「(ここはわ――)」 「(アタシに任せて)」 「あの、もし御多忙でなければ、 少々お尋ねしたい事があるのですけれど」 「大丈夫です! とてつもなく暇で――んがんが」 「はい。なんでしょうか」 老婦人は店内をぐるりと見回すと、 「ここは、少し前まで廃屋寸前だったんですよ。 それを、ここまで改装するのは大変だったでしょう」 「いえ! わたし達がついた時にはこ、もがもが」 「新規開店ですから、これくらい当然です”」 「それは良い心がけですね」 俺達の醜態にもかかわらず、老婦人はにこやかな笑みをたやさない。意地悪げな見かけと違って、出来た人なのだろう。 「(りりかちゃん乱暴です!)」 「(あんたはお茶でも入れて来なさい!)」 「これだけの改装をしたのですから、 大家に話は通してあるのですよね?」 「え、まぁ、一応……」 鰐口……じゃなくて、きららさんに言ってあるから、通してあると言えば言えるだろう。 「それなら、よろしいのですが、 ここの大家の鰐口さんは、 何かと厳しいそうですから」 俺とりりかは顔を見合わせた。お互いの顔に不安の陰。 「……そんなに厳しいんですか?」 「ええ、それはもう」 老婦人はあたりを見回すと、ささやく。 「家賃を一月滞納しただけで、 鍵をつけかえられ部屋に入れ無くされ、 家具を全て売り払われた人もいるという噂ですよ」 「まさか」 「あくまで噂ですけどね。 他にもいろいろと恐ろしい話はあるようですよ」 「あの、よろしかったら」 す、と硯が老婦人へ日本茶を差し出した。 「わざわざ、すみませんね」 「ふぅ……いいお茶ですね……」 「(硯ちゃんナイス!)」 「(え……あ……大した事では……)」 「孫がね。ここにおもちゃ屋が出来ると、 楽しみにしていたんですよ」 ……え? 「ありがとうございます!」 応対でいっぱいいっぱいのりりかは気づかないようだけど、事前の宣伝なんて何もしてなかったはず……。 「(わたしの宣伝の大勝利ですね)」 「(中井さん……)」 「(うん。聞いてみるよ)」 「あの、つかぬことを伺いますが。 この店の開店を何でお知りに?」 「チラシでだ、と孫は言っていましたが」 「ええっ」 「わたしに内緒で、チラシ配りなんてー!」 「配ってない!」 「……私の聞き違いかもしれません。 ならポスターか、 店のほーむぺーじでも見たのでしょう」 「はぁ……年は取りたくないものですね」 「いつのまにポスターにホームページまで! なるほど! これは小人さんの起こしてくれた奇跡ですね」 「んなわけあるか!」 「(こいつら事前の準備をしてないのかよ。 粗忽者どもだね)」 「あの、なにか?」 「いえいえ。本当においしいお茶ですね」 そう言いつつ、老婦人は店内を見回し、 「それにしても、 雰囲気のよいおもちゃ屋ですね」 「もしよければ、 写真を撮らせていただいても よろしいですか?」 「あ、はい、いくらでもどうぞ」 「ありがとうございます。 それから、お茶、本当においしかったですよ」 「……そ、それほどでは」 老婦人は軽やかに立ち上がると、店内のあちこちを携帯で撮影し始めた。 「………」 「りりかちゃん? ぼうっとしてどうしたんですか?」 「(ぼうっとしてなんかいないわよ)」 「(じゃあ、どうしてお客さんを 熱い目で見ているんですか?)」 「(あんたは変に思わないわけ、あの客。 普通、店内を撮影したりする?)」 「(そう……ですよね)」 「(ううむ……言われてみれば)」 「(みなさん。 人をわけもなく疑うなんていけないです。 きっと、そういう趣味の人なんですよ)」 「(どういう趣味よ)」 「(おもちゃ屋さんの店内を撮影して アルバムに貼って眺める趣味ですよ)」 「それにしても、 木のおもちゃしか置いていないのですね」 「(そうなの?)」 「(ひととおり確認しましたが、 そうみたいです)」 「え、ええ。そういう方針なんです!」 俺も知らなかったが。うまいぞ。 「なるほど、 子供達には、木のぬくもりに触れてほしいという 方針なのですね」 「なるほど。そういう方針だったんですか! 初めて知りま――もごもご」 「ええ! そうなんです!」 「ですが、困りましたね……。 孫はいわゆるテレビゲームが好きでしてね」 「こういうオモチャおもしろいですよ! これなんか特に! ほら、プロペラが動くんですよ! ぶーん」 「そう言われましても……。 孫が欲しがっているのは、 でぃーえすの何とかというものらしくて」 「ううむ。困りましたね店長さん」 「でも、無いものは……」 「あ!」 ななみが棚に駆け寄ると、なぜか隅にディーエスのソフトが! 「これならどうです!? 『パラレルプロ野球』ディーエス版ですよ!」 「これしか置いていないのですか? しかも剥き出しなのですか」 「でも、ゲームはゲームですよ!」 「……いかほどですか?」 「ええと……」 「駅前の量販店なら、 1000円程度で買えますよ」 「なるほど1000円なんですか。 では、開店祝いで半額に」 「って、おいちょっと待て! 剥き出しのゲームを売るなんてないだろ!」 「はて? では、なぜあそこに」 「多分、それは売り物ではなくて……」 「誰かの忘れ物、よね?」 「なので、お売りするわけには……」 そう言うと、老婦人はにっこりと笑って、 「その通りですね、これは今しがた 注意力散漫なあなた方の目の前で、 オ―私がここに置いたものですから」 「へ?」 「あの、その、どういうことなんでしょうか?」 「あなたがたがどんな反応をするか、 見て見たいと思いましてね おほほほほ……では、ごきげんよう」 「あ、あの……」 行ってしまった。 「なに今の?」 「忘れ物が見つかってよかったじゃないですか」 「それはそうなんだけど……じゃなくて! あの人はわざとあそこに置いたんでしょう! 忘れ物じゃないじゃない!」 「わざわざ置いた忘れ物なんですよ」 「だから、 そもそも忘れてないじゃないの!」 「結局、なにも買ってもらえませんでしたね」 「仕方ないさ、 ディーエスのソフトは置いてないんだし」 「なにが仕方ないんだい!!!」 「わぁぁぁ!?」 「お、お客さん、なにか!?」 「おっ音もなく!」 「おい。店長はお前かよ?」 「え……あ、はい」 「いったいなんだいこの店は! お前ら商売を舐めてるだろう!」 「いえ、そういうわけでは」 「なんで商品じゃないものが 棚の上に並んでてすぐわかんないんだい!? 仕入れてるものくらい把握してな!」 「それはお客様が置き忘れたのでは?」 「こいつはオレのじゃねえよ!!」 「そんなこともよく確かめずに返しやがって、 こんな間の抜けた店じゃ、 万引きゲス野郎のパラダイスだよ!」 「売っている商品の値段もろくに知らず、 どんな商品を売ってるのかすら、 あやふやじゃないか! 大した商売人だよ!」 「その上、新規開店だってぇのに、 事前の宣伝も事後の宣伝もしてない始末、 呆れ果てちまうね!」 「宣伝しましたよ! サンドイッチマンしました!」 「ふぅん。で、客は来てんのかい? そういや、さっき珍獣が現れたみたいに オレを扱ってくれたね」 「珍獣だなんてそんな……」 「二人来ました!」 「オレを除くとひとりかよ! は、それなら確かに珍獣よりも珍しいな、 トキだってもうちっといるな」 「店長、何とか反論してください」 「だ、だが事実に反論出来るかよ!」 「おい店長、今、この町のおもちゃ屋で、 何が一番売れ筋か、 もちろん知っているんだろうね?」 「ええと……もしかして ディーエスですか?」 「仮面ライガー竜ドラゴンの サン日輪変身ベルトだよ!」 「あ、それ知ってます! ベルトのバックルに太陽の光を5分間あてると、 そのエネルギーで変身するんですよ!」 「知ってたって、 置いてなけりゃあ意味がないよ!」 あれ?このぽんぽんまくし立てる感じ。 「あんたら事前のリサーチとかしてないだろ! まったく売れ筋から外れた商品並べて、 しかも宣伝すらしない!」 「じゃあ売れ筋から外れた所で勝負してるかと思や、 どういう方針なのかすら、 店員に徹底していない始末! 最悪だね!」 「でも、いいおもちゃなんですよ! みんな!」 多分。 「そりゃ、 木のおもちゃの需要だってあるだろうよ!」 「そうですよね!」 「だがね、そういうこじゃれたのは、 おされな大都会なら商売として成り立つだろうが ここ程度の町で、成り立つわけねぇだろ!」 「それに、まさか知ってると思うが、 駅前に、もっとでかくて、 こういうのが充実してるおもちゃ屋があるんだよ」 「ええっ!?」 もしかしてこの人。 「かぁっ。知らなかったのかい!? あんたら同業他社の調査すらしてないのかい! さっさと荷物をまとめて引き上げるんだね!」 ちょっとムッとして、 「やってみなくちゃ判らないじゃないですか!」 「はっ。お気楽なボンボンだね。 そういう台詞は、 人事をつくしてない奴の遠吠えさ」 「う……」 「そういうあなたは、 何者なんですかー!?」 「(だめだ、聞くのはよせ!)」 「なんで!?」 「(なんでって……そりゃ……)」 「オレか? オレはお前らの大家さ」 「大家さん……」 「……ってことは!?」 「…………」 「ワニグチさんだーーー!!!!!!」 「そうさ。 鰐口みすずとはオレの事さ」 ついに正体を現した恐怖の大家!ああ。俺達の運命はどうなってしまうのか!? 大家さんは椅子にどっかりと座ると、タバコを取り出して火をつけて、実にうまそうに吸った。 「おい、ボンボン」 「は、はひ」 「最近じゃネットなんて便利なもんがあってね。 ググれば結構いろいろ判るんだよ」 ぶわ。と、白い煙が吐き出される。 「きのした玩具店はいっぱい引っかかったがね、 チェーン店になってるのはなかったよ。 これはどういう事なんだい?」 「い、いえ、そんな筈は」 「そんな筈もこんな筈もねぇよ。 なぁ。あんたらオレに嘘こいて、 店を借りたってわけなんだな」 「そ、それはですね」 「契約時に虚偽の申告をしたとあっちゃ、 賠償をたんまりいただくとするかねぇ」 「チェ、チェーン店ですけど 本部は外国! 外国なんです!」 「ほう。どこの外国だい? 出来れば地球上に実在する国に、 あって欲しいもんだ」 「グリーンランドに本部があるんですよ!」 「け。よりによってあんな場所かい。 それに本部だって?」 「あ……あの、それは。 うちのグループでは本店を本部と呼んでいるんです。 日本ではフランチャイズ経営をしているんです」 「ふぅん……」 「ここは日本での一号店なので、 有名じゃないんですよ」 「そうなんです! ですから、ググっても 引っかからないんです!」 「……ふんっ」 大家さんは、露骨に信用していない様子で、鼻を鳴らすと、 「おい。灰皿」 「え……」 「これ、どうぞ!」 「ほう。随分と変わった灰皿だね」 「でも使えますよ灰皿に!」 「いいよ。これで」 「(あれは貯金箱なんですけど)」 「(しーっ、  今、突っ込みを入れたら、  何が起きるか考えたくないわ)」 大家さんは灰を落とすと、再びタバコをくわえて、またもうまそうに吸って煙を吐き、 「さて……オレの許可も得ず、 この建物を随分といじくり回してくれたようだが、 釘とか打ち込みまくったんだろうね」 「え、それは」 「この建物、結構古くからある貴重なものでね。 もちろん、退去する時には 弁償してくれるんだろうね?」 ゆらゆらと煙をたなびかせるタバコの先端が、俺に向けられる。 「そ、そのあたりは本部に――」 「もちろんですよ! おまかせあれ!」 「壁紙だって、 糊が残らないテープを使っています」 「ちゃんと元通りにして返します!」 「……ふん」 大家さんは灰皿(?)にタバコを押しつけると。 「なるほど。あんたらの責任で、 ちゃんとするってわけだ。 確かに聞かせてもらったよ」 大家さんは俺達に見せつけるようにポケットの中から小型のレコーダーを出して、録音を切った。 「店長は無能の極みのウドの大木みてぇだが、 小娘どもはよくさえずるようだね」 「さえずりには責任が伴うって事を 判ってりゃ結構なんだがね」 「ま、オレとしちゃ、 きちんと店子としての責任を 果たしてくれりゃ文句はねぇよ」 「店子の責任というと、 家賃ですか?」 それなら、本部が払ってくれるはず。 「家賃をきちんと納めるのは当然さ。 ここで首くくったり火の不始末を起こしたり、犯罪 しでかしたりペットを飼ったりしねぇって事さ」 「しません! それから木のオモチャを扱っているので、 店内は禁煙です!」 大家さんは、にやり、と笑い。 「なら、誰にでも見える場所に、 大きく禁煙と貼っておくんだね」 そう言うと思いの外、身軽に立ち上がった。 「せいぜい潰さないようにするんだよ」 「潰しません!」 「ちゃんとやります!」 俺は思い切って言ってみた。 「でしたら何かお買い上げを」 「あいにく、うちの孫は こういうオモチャは欲しがらねぇよ。 ……この灰皿は悪くないね。いくらだい?」 「(……貯金箱だって言うべきでしょうか)」 「(別にいいわよ、 どう使うのもワニグチさんの自由)」 「ええと……700円で……」 「タダにしな」 「え?」 「タダにしなと言ったんだよ」 「だ、駄目です! そんなにはまけません! 損になっちゃいます」 「そういうことよね?」 「……ふん」 大家さんは、灰皿(?)を、ひょいと掴んだ。 「これは授業料として、 貰っておくさ」 そう言い捨てると、振り向きもせず出て行こうとする。 「あのちょっと待ってください」 「なんだよウド店長。金なら払わないよ」 あのボケたお爺さんがどうしてるか少し気になっていた。 「鰐口さんは、 きららさんのお祖母さんなんですよね」 「それがどうしたよ」 「お孫さんに町を案内して貰った時に、 旦那さんにお会いしたんですが……」 「旦那? 誰のだよ。 オレのはとうにくたばってる」 「え……でも。 きららさんは丘爺ちゃんって……」 「ああ、ドラのボケか。 ありゃ単なるオレのダチさ。 だからきららはじいさん呼ばわりしてる」 「そうだったんですか……。 ちょっと心配だったもので」 「オレ達はそう簡単にくたばりゃしないよ。 他人の心配をするより、 この店の行く末を心配しな」 「なによ。あの婆さん」 「でも……そんなに悪くない人かも」 「どこをどうすればそういう結論になるわけ?」 「なんだか、いろいろと忠告をしてくれた…… かも?」 「だな」 「ですね」 「みんなだまされてるわよ! なんのかんの言って、 貯金箱タダで持ってったじゃない!」 「あれは灰皿じゃなかったんですか!」 「そこに驚くのかよ!」 「どうでしょうか……?」 「うん。ばっちりだねぇ」 「そう……ですか? でも、初めてでそんな……」 「じゃあ、自分で食べてみなよぉ。 おいしいからぁ」 「………」 「……おいしいです」 「でしょぉ。 でも、もっとおいしくしたくないかなぁ?」 「あ、はい、もちろんです……出来れば……」 「ちょっとしたコツがあるんだよねぇ」 「是非よければ……その……教えてください」 「重要なのは油だよぉ」 「(うまく行ってるようじゃないか)」 俺は、一緒に隠れているりりかに囁く。 「(うまくいってるわね……料理教室は)」 「(そう言うなよ、硯だって頑張ってるんだ)」 「(判ってるわよ)」 「(硯ちゃん使命を思い出すのだー――もがもが)」 「(静かにしなさいよ)」 「!」 「どうしたのぉ?」 「あ、いえ、その……」 「(わたしのてれぱしーが通じたようですね)」 「(物音が聞こえただけだろ)」 「ちょっと休憩にしようかぁ」 「あ、あの……神賀浦さんそういうわけじゃ……」 「ちょっと待ってねぇ」 神賀浦さんは冷蔵庫をあけて、何かを取り出そうとしている。 硯が不安げに俺達の方を振り返る。緊張でひきつった顔だ。 「(スマイルスマイル)」 「(チャンスよ)」 「(がんばれー)」 「う……う……」 「後ろになにかいるのぉ?」 「ひっ、え、いや、あの」 「じゃーん。冷やしておきましたぁ」 神賀浦さんは冷蔵庫から取り出した何かを、柊ノ木と自分の前に一つずつ置いた。 「杏仁豆腐。食べよぉ」 「あ、あの、その」 神賀浦さんはジャスミンティを紙コップ二つにつぎながら、 「大丈夫だよぉ。 他の人の分はちゃーんと いれておいたからぁ」 「え、あ、そういうわけでは……」 「じゃあ……きらい?」 「そ、そんなことはありません」 「よかったぁ」 「い、いただかせていただきます……」 「(おいしそうですー)」 「(後で食べればいいだろ)」 「(今、今、今、たべたいです)」 「(3度も言うことじゃないでしょうが……)」 「(重要なことなので)」 「どう?」 「おいしいです! これ……神賀浦さんがお作りに?」 「うん。そうだよぉ。 こんなの誰でも作れるよぉ」 「ぜひ、教えてください!」 「じゃあ、次の機会にね」 「(硯ちゃんのレパートリーが増えると わたしたちもしあわせですね)」 「(それはそうだけど…… 肝心の本題が……)」 「(ここは任せよう)」 「………あ、あの!」 「なにかなぁ?」 「あ、あの、その、ええと、 ですから、最近、変なものとか、 見たりしませんでしたか?」 「(うわ。直球)」 「(しかも直球なのに、漠然としすぎ……)」 「へんなものかぁ……。 ギザ付きの十円玉なら拾ったけどぉ……」 「あ! 5つ葉のクローバー見たよぉ」 「え、えと、ええ、あの、 何かが空を飛んでいるのを、 その見たとかです」 「(剛速球かよ)」 「(しかも、ビーンボールよ!)」 「空かぁ……わたしには縁がないなぁ、 危ないからぁ」 「危ない……ですか?」 「歩くとき、上を向いてると転ぶよぉ。 犬のうんちとか踏んじゃうかもだしねぇ」 「そう……ですね」 「だから、星を見る時は立ち止まるよぉ。 でも、星じゃあ珍しくもないよね。 サザンクロスでも見れれば珍しいんだけどぉ」 「サザンクロス……あ。南十字星…… それは確かに……珍しいですよね」 「でも、見えたら 地軸がずれちゃってるわけだから、 杏仁豆腐食べてる余裕なくなっちゃうねぇ」 「(見てないな……これは)」 「(そのようね)」 「(さて、俺らは店に戻――)」 「あ……そういえばぁ……。 更科さんがUFOを 撮ったって言ってたなぁ」 「……ゆーふぉーですか」 「うん。 決定的な写真を撮ったって言ってたよぉ」 「(やっぱり撮られてたぁぁっ! しかも怪光線まで見られてる! おしまいだわ!)」 「(お、落ち着け! 怪光線に関してはうちあわせ済みだし、 まだどんな写真かは判っていないんだからな)」 「具合でも悪いのぉ? 凄い汗だよぉ」 「だ、暖房の、きっ、効き過ぎです」 「なら、いいんだけどぉ……」 「しゃ、写真には、 な、な、な何がどんな風に う、写っていたんですか」 「たぶん、誰にも見せていないと思うよぉ。 しろくま日報の一面に掲載されるのを 楽しみにしてくださいって言ってたからぁ」 「………」 硯はショックのあまり口をぱくぱくとさせているばかりで声も出ないようだ。 「(ど、どうしましょう!?)」 「(やばいぞ……)」 「(やばいなんてもんじゃないわよ…… 新聞に載るとまで言うくらいなのよ! これはスーパーやばいだわ!)」 「でも、あまり期待しない方がいいよぉ。 載らなかった事もいっぱいあったからさぁ」 「そ、そうですか……」 「更科さんの写真に写ったのがぁ、 サンタクロースだったらいいなぁって わたしは思ってるんだよぉ」 「えええええええええええええっっっっっっっ!?」 「そんな驚くようなことじゃないよぉ」 「空を飛んでいたんだから、 サンタクロースかもしれないよぉ」 余りに叫びが揃っていたのが幸いして、俺達は気づかれなかったようだ。 「もしかしたらだけどぉ。 UFOとかこの町の赤天狗様っていうのは、 サンタクロースのことだったのかもぉ」 「ま、まさかぁ……」 「うん? どうしてぇ? 赤天狗様は赤い服着て空を飛ぶんだよ? サンタクロースだよぉ」 「あの、それは、その……。 クリスマスまでまだ間があるじゃないですか、 だから、空を飛ぶには早すぎると思うんです……」 「うーん。それはさぁ、 うん、そうだなぁ。空を飛ぶ練習とかぁ?」 「え、えう、え、あ、それは」 「ふふぅ。 サンタなんているわけないですよ。 って言わないんだぁ」 「あ、あう、だって、その」 「(すずりちゃんが真っ青になってます!)」 「もしかして……柊ノ木さんはぁ」 「(こ、これは凄いピンチなのでは!?)」 「(ハイパーピンチだわ!)」 「なかまぁだぁ」 「え、え、あの、それは一体…… どういう意味ですか?」 「サンタなんていなぁいって 言わないってことはぁ、 サンタを信じてるってことでしょぉ」 「え、あ、は、はい」 「うんうん。サンタはいるよねぇ。 でも、信じてるひとって少ないからぁ」 「あの……もしかして……。 サンタを信じているんですか?」 「もちろんだよぉ」 「サンタを信じている人が、 あんな身近にいるとは……」 「なにを驚いてるのよ! そのためにあたしら頑張ってるんでしょ」 「そりゃさ。 去年だってこの町で配ったわけだから、 いるのは判っていたけどな」 「でも、珍しいですよねー。 しかもあの歳で」 「貰った事があるんだろうか?」 「そう考えるのが自然ね。 去年あたりも貰ったのかしら?」 「………」 「とーまくん。どうかしましたか?」 「あまり考えたことなかったんだが、 プレゼントを貰うって どういう気分なんだろうか?」 「そんなの決まってるじゃない! うれしいわよ!」 「そりゃぁ、そうでなくっちゃ 俺達のやってる事に意味がなくなるけどさ」 「いらっしゃいませ」 「げ……」 「やっほー! こんにちわ!」 「どうも」 うわ……大家さんと更科つぐ美!目撃者かもしれない人が、ふたりそろって! 「わ、わわわっ」 「(なに動揺してるのよ)」 「(だって、スパイするんですよ。 大緊張ですよー)」 「む」 怪しまれているっぽいぞ! 「お客さんが来たからって、 そんなにいちいち動揺してて 大丈夫?」 「す、スパイなんてしてませんよ!」 「怪しいですね」 「あ、怪しくないわ! この子たまに 変なことを口走るのが趣味で!」 「スパイはしなくていいけど、 他のおもちゃ屋さんの品揃えくらいは、 調べたほうがいいと思うよ」 「そうですよね! あはは」 「先輩。そちらの用事を先に」 「じゃ、ぱぱっと済ませるから」 「あの、わ――」 「きららでいいから」 しまった!俺、緊張してるよ! 「ええと、今日はどんな御用事でしょうか?」 「はい。これ!」 大家さんの隣に立つ更科つぐ美の視線を嫌でも意識しつつ、紙を受け取る。 「『ほらあな商店会 加入申請用紙』? あ……」 「すいません。 わざわざ持ってきてもらってしまって」 「ついでだから。 で、どうするか決めた?」 「加入させていただきます」 「うむ。ではさっそく手続きしましょう! 必要事項は、ココとココとココ。 字はなるべくキレイに書いてくださいね」 「とーまくん、わたしに期待しないでください」 「あんたが店長なんだから あんたが書きなさいよ」 「字のうまいへたは置いておいて、 責任者が書くべきだよ」 「……」 かきかきかきかき。 「これで、どう?」 「へぇ」 「弘法も筆の誤りって奴ね」 「そんなに下手なの? なんだ、意外とうまいじゃないの! これなら大丈夫」 意外なのか! 「ん? なに?」 「あ、いや……大丈夫って?」 「不備があると 一時間くらいの説教つきでつっかえされるから」 「なるほど……判子は……」 「待ってください!」 「おおっとここで物言いが!」 「え。何か不備があるか?」 「記入漏れはないと思うけど」 「判子はわたしが押します」 「あんた子供か!?」 「いいっていいって、 誰が押しても同じだから」 「えいっ」 「これでよし」 「………」 「とーまくんの顔に何かついてますか?」 「え、いや、ちょっとね。 気になったことがあって」 やっぱり俺の顔は見られていたのか? 「気になったこと……?」 「祖母ちゃんにひどい事されなかった?」 「灰皿をむがむが」 「ソンナコトナイデス! ヤサシイオバアサンデスネ」 「はぁ……やっぱり。 いろいろ脅されたんだ…… いつもの事だけど」 「いつもなのか」 「鍵つけかえて追い出すとかでしょ? あれはウソだから」 「そうよね。 きら姉のお祖母ちゃんが そんなのあり得ないものね」 「取材させていただいた事がありますが、 確かに非合法な事はなさっていませんでした」 「なーんだ。つまりあれは ハッタリだったんですね」 「そうそう怖がることないから。 祖母ちゃんは 合法的にしかやらないから」 「………」 それは、違う意味で恐ろしいという意味では? 「延滞した家賃の他に、 賠償金と裁判費用まで毟ってました」 「家賃払ってくれさえすれば、 ちゃーんと物件は管理するから 安心して」 安心して……大丈夫だよな? 「さて、こっちの用事は終わったよ。 どうぞつぐみん」 「どうも」 「確か更科つぐ美さんでしたよね……?」 「はい。更科つぐ美です。 しろくま日報で記事を書かせてもらってます」 「記者さんですか!」 「だから、そうだと言っています。 今日は取材に来たのですが」 「取材……といいますと」 「花火だって話しておいたんだけど、 つぐみん納得してくれなくて」 「どのような花火だったのですか?」 「そりゃもちろん、打ち上げ花火だよ」 「ばーんと打ち上げました! 店に置くかどうか検討中なんですよ」 打ち合わせして口裏を合わせておいてよかった……。 「ね。話した通りでしょ?」 「………」 更科は眼鏡のつるを、くいっと直した。 「垂直に立ち上る青白い光。 そのような光を発する花火の情報を、 ネットで募集したのですが、反応は全くありません」 「それは、だな……」 「(ファイト!)」 「ネットなんてあてにならないわよ!」 「花火の専門店の幾つかに問い合わせてもみましたが、 そのような花火は聞いた事がないと」 「う……」 「そうなの?」 「はい」 「そうなんだ……」 大家さんが俺の顔をじっと見た! 「う、ですから、それは……」 緊張するな俺!あの視線に、大した意味があると決まってるわけじゃない。 だが……やはり怪しまれているのか!? 「う、うちの開発部が開発中のものなのよ!」 「開発部?」 「そ、そう。うちはチェーン店で、 本部はいろいろ開発してるんだよ!」 「思ってたより大企業っぽいんだ」 「新型の花火ですか。 なら見せていただけませんか?」 「え……それは」 「企業秘密なんだ!」 「漏らすと首になっちゃうんですよー」 「企業秘密かぁ……。 それじゃ勤め人としては仕方ないね」 「きら姉は話が判る!」 「………」 更科は眼鏡のつるを、指先でくいっと直した。 「なるほど。 あなた方に答える気がない事だけは 判りました」 「取材に協力していただいて ありがとうございます。 今日の所はこれで」 「………」 視線を感じる!? 「な、何か?」 「ん? あ、なんでもないよ?」 「まったく…… つぐみんは いつもけんか腰なんだから」 「納得してもらえたんでしょうか?」 「単に、これ以上突っ込むネタが なかったんだと思うよ」 ここで写真の事を聞くべきか。 「きららさん、あのさ」 「ん? なに?」 待て。ここで訊いたらあの写真と俺達に関係があると、言ってるようなものじゃないか? 「聞きにくいこと?」 「え、いや、そういうわけじゃないさ。 この申請書なんだけど、 これで手続き終わり?」 「ざーんねん! もう一手間あるんだなこれが」 「もう一手間?」 大家さんは、申請書の隅に書かれた、商店会本部の住所を指さした。 「ここに行って、 ほらあな商店会会長に 申請書を出すこと。よろしく」 「店長、任せたわよ!」 「がんばれー」 いつのまにか、俺が行くことになっている。 「商店会の会長って、 どんな方なんだ?」 「うちの――」 「うふふぅ。 きららちゃん、待ってたよぉ。 さぁ勉強しなくちゃねぇ」 「お、お姉ちゃん! どどど、どうしてここに!?」 「神様が教えてくれたんだよぉ」 「ええっ!? そ、そうなの!」 「わ、私に料理を教えに来てくださったんです……」 「しまった!? それ勧めたの私だった!」 「神様は、きららちゃんが ちゃーんと勉強するように、 取りはからってくれたんだねぇ」 神賀浦さんは、手をわきわきとさせながら、大家さんへ迫る。 「うわーん。そんな神様なんていらない!」 「そんなばちあたりなコトを言う子はぁ、 勉強させて反省をたたきこまなくちゃだめだねぇ」 「あ、そうだ! 実はわたしの母さんはみみずで、 父さんはおぽっさむだから勉強しなくていいの! だから神様だっていらないの!」 「(うわ……きら姉が  めちゃくちゃ子供になってる!)」 「(しかも小学校低学年レベルだ)」 「ふふふぅ。神様はどんな生物も見捨てないんだよぉ。 だって神様はお心が広いからねぇ。 だから勉強しなくていいってことはないんだよぉ」 「(おぽっさむやみみずの所には、 突っ込まないんですね……)」 「そんな幅広い神様ならいらないっ! 神様! 是非是非私は除外してください!」 「なんだかかわいそうだから、 神様に代わって除外してあげますよー」 「ほら! 姉ちゃんにも聞こえたでしょう! 神様がわたしは除外するって答えてくれたよ! だからさくっと見捨てて!」 「大丈夫だよぉ。神様が見捨てても、 わたしはきららちゃんを絶対に見捨てないからぁ。 っていうかぁどこに落ちてても拾っちゃうよぉ」 神賀浦さんのカタツムリなみに緩慢な動作にもかかわらず、きららさんは壁際に追い詰められた。 「うわぁ! 誰か助けて!」 と言われても。微妙に同情心がわかない。 「きぃらぁらぁちゃん。 お勉強しないと今年も絶対絶命だよぉ」 「未来なんてどうでもいいの! 今が絶体絶命!」 「はーいゲームオーヴァー。 つかまえたぁ」 神賀浦さんの手が、がしり、ときららさんの手首をつかまえた。 「ひょぁぁぁ」 そして引っ張る。ぐいぐいと力強く。 「さあ、いきましょうねきららちゃん」 「や、ちょっと待って、 姉ちゃん”」 ずるずる。 動きはスローリィだが、強引にきららさんを引っ張っていく。 「みなさん、おさわがせしましたぁ。 きららちゃんは拾っていきますよぉ」 「姉ちゃん、タンマ! まだ話終わってないんだからーー””」 「………」 なんだか数日前にタイムスリップした気分だ。 「判りました!」 「何が判ったのよ?」 「これがいわゆる、デジャブという奴ですね」 「……更科は写真を突き付けては来なかったな」 「疑われている事は間違いないけど、 決定的な写真というほどではないって事かしら?」 「ゆーふぉーだと思ってるみたいですから、 大丈夫かもしれませんよ」 「だが、写真を撮られた場所は、 ここと近かったし そもそもどうして気づかれたかも気になる」 「そうよね…… 光を見たから事前に張っていたのかしら?」 「是非ともその写真って奴を、 見てみたいもんだが……」 「そうだ! さつきさんに頼んではどうでしょう!」 「それは名案ね! ピンク! たまには冴えてるじゃない! すずりん頼める?」 「え、あ、あの……。 それは無理なのではないでしょうか……」 「なぜ?」 「彼女は、単なるアルバイトですから……。 編集部にあるものを見るのは……」 「そうよね……」 「それに、私達があの写真に興味があるのを 知られるのも余り……」 「ううむ」 「あの……あれからも…… 神賀浦さんと話しましたけど……」 「夕ご飯が楽しみー」 「が、がんばります」 「じゃなくて! やっぱり知らなそうだった?」 「はい。そう思います。 それで……更科さんの状況は判りましたが……。 大家さんの方はどうでした……?」 「あ……またもや聞かなかった」 「なにやってんのよ! それが肝心な事でしょう!」 「でも、大家さん、 とーまくんの顔をちらちら見てましたよ」 「確かにそうだったわね……」 「他の方は?」 「わたしが見られてる感じは、 しなかったですよー」 「あたしも」 「俺だけか」 「見られたとしたら国産って事ね」 「いや、でも、 見られてたらあの程度の反応のわけが」 「きら姉が知ってるかどうか探るのは あんたの役目ね!」 「お前が一番なついてるんだから、 お前がやればいいじゃないか」 「あんなに親切な人を こそこそ探るなんて卑怯者のやることだわ」 「俺は卑怯者か!」 「まぁいいじゃないですか。とーまくん。 そこはそれ、 騙すならまず味方からといいますし」 「わけわからん!」 ええと、番地からすると……。 この辺だな。 大家さんが『うちの』って言ってたから『内野』さんかな……? 「何度来ても無駄さ」 ん? 「何度でも来ますよ」 ひとりは大家の鰐口さん。もう一人は……? 小粋な帽子をかぶり仕立てのいい服を着たヒョウヒョウとした感じの老人。 「暇なら、 票になるとこへでも行きな。 次も給料泥棒する気なんだろ」 票……政治家?あ、町長さんか! 「そんな気はありませんよ。 私には町長なんて荷が重い。 あと二年あると思うと目眩がする」 「は。ゴロは小物だね」 「小物で結構。 自分の分くらい心得てますよ。 私はあの人じゃない」 確か、熊崎なんとかさんだったよな。でも、なんで大家さんの所に。 「……… あいつが町長になってたら、 町がめちゃくちゃになるのがオチさ」 「でも、今頃、 あの塔はきっと鳴っていたでしょうな」 塔? 「どうかね…… 倒れてたんじゃねぇか?」 もしかして……カリヨン塔? 「はは。かもしれません。 ですが、あの人は なぜか人に期待をいだかせる人だった」 「単なるお祭り好きの馬鹿さ」 「今度のクリスマスで 五年になりますか」 「年をとると周りが次から次へとくたばるんで、 ひとりひとりがいつくたばったかなんて 忘れちまったよ」 「……では、またうかがいますよ」 「ホント暇だね。そんなに暇なら、 シケモクでも拾って、 赤字解消に寄与しな」 町長は老紳士然とした風体に似合わない素早い動作で傍らに停めてあった、これまた似合わないマウンテンバイクにまたがると。 「私はね。あの鐘を鳴らすのが、 あの人や、スマイルさんやオショウさんの 遺志だったと思ってるんですよ」 「特に、 葬式まであそこでしてもらいたがった、 あの人のね」 「知るか」 町長は、俺がいる方と反対側に去っていった。 「け……生意気言いやがって。 あいつに判るかよ。 オレ達の事が……」 鰐口さんも引っ込んでしまった。そうか、ここに大家さん一家は住んでいるのか。 表札に立派な毛筆書体で『鰐口』と刻まれているから間違いない。 ………。 あれ?もしかしてこの家が、ほらあな商店会本部? って、ことは……。 「おい。そこのボンボン。 なんか用かい?」 「わ」 「店があんまりに売れなくて、 空き巣で収入の補填をしようってかい?」 「あの。もしかして。 ほらあな商店会の商店会会長は……」 「オレだ」 そうか!『うちの――』、と大家さんが言いかけたのは、『うちの婆ちゃんだよ』だったのか! 「ほらあな商店会加入申請書です」 「よこしな」 鰐口さんは妙に鋭い目つきで、なめ回すように申請書を見る。なんとなくいたたまれない。 レポートを目の前で読まれる学生さんって、こんな気分を味わうんだろうか? 「おい、ボンボン。 これ、あんたが?」 「……そうですが」 「ふん。 ふわふわした見かけのわりに まともな字だね」 「俺はボンボンじゃありません。 中井冬馬って名前があります」 「オレは優しいから丁寧に教えといてやるが、 商店会に加入するにあたって、 ひとつ義務がある」 スルーかよ。 「氷灯祭の準備に労働力を提供しろってことだ」 「お祭りの時とかに人を出すって話は、 お孫さんから聞いています。 氷灯祭はどんなお祭りなんですか」 鰐口さんは、申請書をポケットに押し込むと、もう一方のポケットから煙草を取り出した。 「やっぱりあんたらは ボンボンにお嬢ちゃんどもだね」 そのまま火をつけると、悠然と吸い出す。 「ふはぁ……。 かきいれ時にある行事も調べない甘ちゃんじゃ 話にならないよ」 「む」 ムカっと来たが反論の余地はなかった。 「この町で、クリスマスと同じ時期にやるお祭りさ。 ググレカスって言われたくなけりゃ、 自分で調べな」 煙は見事な輪っかになって、広がり、消えた。 「あの賑わいはクリスマスってだけじゃ、 なかったのか」 「ほう。この町に前に来た事があんのか」 「え、ええまぁ」 上空から見ました。とは言えない。 「人を出すことも承知の上で、 加入するってわけかい?」 「しますよ」 「ま、あんたら暇人だから クリスマスまで1週間につき2日、 1人ずつ出すくらいワケないな」 「クリスマスも近づいて来ますから、 忙しくなるんです」 「ぼやぼやしてるあんたらの事だ。 どうせ、クリスマスセールすら、 予定してないんだろ?」 「それくらいは準備してます」 「ふぅん。まぁそんなら、商店会でも、 クリスマスシーズン特製の宣伝チラシを配るから、 そん時、載せる宣伝を考えておきな」 「白黒じゃなくてカラーだよ。 一店舗あたりのスペースは、 5センチかける3センチってとこだ」 「判りました」 もしかしたら、この人はそれなりに、親切なのかも知れない。口は悪いが、さりげなくいろいろ教えてくれる。 家賃を払っている間だけかもだが。 「あんたらは月並みが精一杯だから、 サンタのグッズでも出すんだろ?」 「ええ、まぁ……。 でも、売れますから」 多分。 「ふん。全く凄い詐欺だね。 ありもしないもんをネタに、 人にものを売りつけるとはよ」 「クリスマス……ですか?」 「赤い服着た空飛ぶデブの事さ。 あんなもんいるわきゃない」 「ま、信じる方も大馬鹿野郎だから、 詐欺られても仕方がないがな。 商売のネタとしちゃ良くできてら」 「サンタ嫌いなんですか?」 「………」 鰐口さんは、携帯灰皿に短くなった煙草を押しつけると、新しい煙草を吸い出した。 ゆるゆると紫煙が漂う。 「……いもしないもんを嫌えるかよ。 馬鹿馬鹿しい」 「わざわざ歓迎会なんて……悪いな」 「遠慮しない遠慮しない。 新人さんを歓迎するのは当たり前」 「そーですよぉ。 遠慮無く飲み食いしてくださいなぁ」 「イタリア料理店なんですよね?」 「う……うん。まぁそうだよ」 「ティラミスとアイスクリームの 食べ放題万歳ですよー」 「遠慮しろよ」 あの時、きららさんは何を見たのか?それとも何も見てないのか? 訊き出したいんだが、さりげなく切り出せない。 「でも、ホント、タダでいいんですか?」 「あの……こちらがお世話になるのですから、 全額こちらが出すべき筋合いなのでは ないでしょうか」 「すずりん…… 相変わらずブルジョア的な金銭感覚ね……」 「ありがたい申し出だけど、 こういう決まりなんだ。 タダなのは一回目だけだし」 「ええっ!? そうなんですかー!?」 「そーなんですよぉ」 「今度、新たに新人さんが 入って来た時にはワリカンしてもらうから、 よろしく」 「当分ないと思いますけどねぇ」 「姉ちゃん……それを言っちゃおしまい」 「あーそうだぁ。 硯さん、あれはきららちゃんに、 聞いた方がいいと思うんだよぉ」 「なんのこと?」 「え、え? と、突然なんですか?」 「ほら、この前、更科さんが、 何を撮ったのか知りたがってたでしょぉ」 「え、あの、その、 知りたがっていたというほどでは……」 「あの時のこと思い出したんだよぉ。 確か、きららちゃんが空を見てて それにつられて更科さんも見たんだよぉ」 「!」 俺達は思わずきららさんを見た。 「あれー、そうだったっけ?」 「そうだったんだよぉ。 それで更科さんは カメラを構えたんだよぉ」 一瞬だけ、きららさんは俺を見て、すぐ目をそらした。 「うーん。姉ちゃんがそういうなら、 間違いないんだろうけど……。 ぜんぜん覚えてないな」 「そっかぁ。 だ、そうだよぉ。 硯さん、残念だねぇ」 「は、はい……そうですね」 「でも、まぁ覚えていないんだから、 大したもんじゃなかったんだよ」 「そ、そうですよね」 「………」 隠しているのか?でも、なぜ隠す必要がある?それとも、目があったと俺が思っただけ? 「決めました! ずばっと行きますよ」 「ちょ、ちょっと何をずばっと行くのよ!?」 真っ正面から訊くつもりか!?ななみならやりかねん! 「おごってもらうのに、 ティラミスとアイスクリームの両方は、 図々しいので、アイスクリームの方にします!」 「そんな事をずっと考えていたのかよ!」 「みなさん! ビールは全員に行き渡ったようね!」 「あー、おほん!」 「新たな仲間、きのした玩具店の加入と、 ほらあな商店会の更なる発展を祝って」 「かんぱーい」 「ぷはぁ……」 俺は単純なトナカイ。正直、くだくだ悩んだり、何かを探り出すのには向いていない。 「店長さん。どうぞ」 「どうも」 「祖母ちゃん! また手酌してる!」 「自分のペースで飲みてぇんだよ」 「中井君。何か悩みでもあるのかい?」 「え」 「ずいぶんと早いピッチで飲んでいるからさ」 「……」 「店の事かい? どんな具合なんだい?」 「まぁ……ぼちぼち」 主な悩みは別だけど。 「まだ知名度が低いから仕方がないよ。 ある程度の運転資金は、 用意してあるんだよね?」 「ええ、まぁ……」 つぶれない程度のお金は、本部から入ってくる。あくまで本業はサンタ活動だからだ。 「うんうん。どんな事業でも初めは苦しいものだよ。 だが、その試行錯誤の期間にどう取り組んだかが、 後で振り返ると重要になってくるんだよ」 「事前の調査だけでは判らない、 生のお客の反応に触れるわけだからね。 そこから色々な事を引き出すんだよ」 こんなに真剣に親身にされると、潰れる心配はないから、小遣いかせぎ程度でいいやという姿勢の自分らがちょっとうしろめたい。 「なるほど……」 「あの偉大なくま電の経営も、 最初はなかなか軌道に乗らなくてね」 「へぇ。そうだったんですか」 「そもそも始まりである白波人車軌道も、 事前にたてた運行計画通りにはいかなかったんだよ。 人車というのは軽くてね(中略)」 しまった! 「そうなると当然、客がほとんどいない時でも、 時刻表通りに運行しなければならない、 空っぽのまま走る車両がいくつも出――」 「うるさいペンキ屋」 「ボクの眼鏡が! 眼鏡が!」 「あちゃー……」 「い、いいんですか? 今、骨が折れたような音が……」 「世の中には、 気にしなくていいことがあんだよ」 「すまんすまん。遅れた」 「席はこっち! そしてかけつけに一杯!」 「ありがと。ふぅ……」 「あんた、延滞料金な」 「一分いくらですか?」 「そうやって何でも金で解決するから、 3度目の女房にも逃げられるんだよ」 「鰐口さんは、いつもきついなぁ」 「祖母ちゃん。3人目は向こうが男と出来ちゃって、 木田さんは慰謝料とられなかったんだから、 その言い方は間違ってるよ」 「……あはは」 「はい。進さん。眼鏡」 「おお! ありがとう鰐口さん!」 「………」 「あの、どちらさまでしょうか?」 「こいつか。 ああ、こいつは、三流新聞社の三流編集者」 ビア樽体型のおじさんは、俺に名刺を差し出してくれる。 しろくま日報の編集長。って、もしかして!? 「しろくま日報で編集長をやっております。 木田浩です。どうぞよろしく」 「あ、どうも。 きのした玩具店の……店長を務めております。 中井冬馬です」 この人が更科が写真を見せているであろう人か。 「きららでいいです」 「親しき仲にも礼儀ありだよ」 「……あ、ごめんなさい。 落としちゃった。 あ、転がってトイレの方へ……」 「わぁぁぁぁ。ボクのめがねーめがねー」 「さすがは鰐口さんの孫だね」 「当たり前の事をわざわざ言うんじゃねぇよ」 「あの、小耳に挟んだんですが、 更科つぐみさんが、 うちの店の近所でゆーふぉーを撮ったとか」 「ん? そんな事は聞いていないが……」 見せていないのか。それとも、見せるほどの物じゃないのか―― 「デザートのアイスクリームいきます!」 「いきなりかよ!?」 「まだ料理だってろくに食べてないのに!?」 「おなかは待ってくれません!」 「ちょーっと待ったななみちゃん! アイスクリームに行く前に、 このサバの味噌煮食べてみなよ」 ここってイタリア料理店じゃないのか!? 「どれどれ……。 おおおおおおおおおいしいです!」 「でしょでしょ」 「ここはちょっと前まで赤提灯だったんだ」 ななみの隣で静かにコーラを飲んでいたおばあさんが教えてくれた。 「なるほど……」 細身の体にジーンズが妙によく似合っている。確かこの前会った時、自己紹介されて……。 「おい。ネコ。 どうしてあんたは コーラしか飲まないんだ!」 ネコ……そうだ、猫塚さんだ! 「サイダーも飲む」 「ああ。そうだったそうだったね。 言うだけ無駄だったよ」 「きーださん。さぁさぁ、どうぞ」 「あ、どうも」 「実行委員長さんには、 今年の氷灯祭でもお世話になりますから」 「頼りにならない委員長ですまんね。 ゴロさんなら、もっとうまく やるんだろうが」 「ゴロさん? もしかして……町長さんですか?」 「大当たり。 熊崎五郎太さんだから、ゴロさん」 「なるほど」 「サバの味噌煮もうひとつください!」 「そ、そんなにおいしいの……? アタシも試しにひとつ……」 「わ、わたしも……」 「彼は公私のけじめをつけるからな。 町長という公職についている限り、 やらないさ」 「薄情なだけさ」 「あの人なら……。 両方やっちまったかもしれないがな……」 「どうだか。 両方めちゃくちゃにするのがオチさ」 ん?ごく最近、似たような台詞をどこかで聞いたような……。 「はは。 そういえばゴロさん。 この前、言ってましたよ」 「きららちゃんが氷灯祭の手伝い、 よくやってくれてるって」 「えへへ。そっかー。 ちょっとうれしいな」 「け。ほめるだけならタダだからな」 「月守りりか! 歌います!」 「おー! がんばれー!」 「私の働きを認めてくれてるなら、 その功績で就職できないかな。 なんてね」 「大家さんの仕事が、 あっているように見えるけど……」 「これは世を忍ぶ仮の姿なのでっす」 「なぜ、そこで自慢げなんだ」 「あはは。なんとなく。 世を忍ぶ仮の姿って言葉、 言ってみたかったんだ!」 「まったく…… 家庭教師が優秀ならとっくに どうにかなってるのにな」 「誰の事でしょうかぁ?」 「めりーくりすまーす!」 「メリークリスマース!」 「メリークリスマス!」 「早すぎだよ!」 丘さんの後から、戦前のヨーロッパのご婦人が着ていたようなドレスを着た老女とメイドさんが入って来た。 老女の顔は妙にバタ臭くて、似合ってはいた。 「まったく…… さわがしさが外まで聞こえてましてよ」 ご丁寧なことに、扇で口元を覆っている。 「飲んでんだから当然だろ」 「仕方ないですわね。 志奈子、わたくしの席を作りなさい」 「はい。ジェーン様。今すぐお作りします!」 「空けといたのにいつのまにか埋まってるし!」 志奈子さんというらしいメイドさんときららさんは、眼鏡を探して未だにはいつくばっている進さんをどけると席をあけた。 「わぁぁ、またボクの眼鏡がぁぁぁぁ」 「ねぇジェーンさん。 もしかして丘じいちゃん、 また迷子になってたの?」 「きららさん。心配することはありませんわ。 この店へ向かって、ちゃんと歩いていましたわ。 いつも通り、メリーメリー喚きながらでしたけど」 「あのさ」 「なに?」 「この方は……」 「土橋ジェーンさん。 おばあちゃんの昔からの友達」 「もしかして貴方が、 きのした玩具店の店長ですの?」 「あ、はい。中井冬馬です」 「わたくし土橋ジェーンと申します。 そして、こちらはわたくしのメイドですわ」 「土橋ジェーン様専属のメイドを 勤めさせていただいております。 寺内志奈子です。おみしりおきを」 「ご、ご丁寧な挨拶いたみいります」 「なぁアリ! ネコ! お嬢! サンタはいるよ!」 「あーはいはい。いるいる。 さ、いつまでも入り口に突っ立ってないで、 ほら、さっさとそこに座りな!」 猫塚さんが、自分の隣に置いてあった本をどけて場所を作った。もしかして、場所を取っておいたのか? 「丘じいちゃん。こっちこっち」 「メリーめりーめりーくりすまーす!」 「あんたの好きな里芋の煮付け 注文して置いたからな」 「ありがとアリ。 メリークリスマス!」 「めりーくりすます! おじいさん! サンタクロースはいますよね!」 「もちろん! あんたがサンタだよ!」 「ええええええっっっっっっ!?」 一瞬。ほんの一瞬。きららさんが俺を見た気がした。 「な、なぜ判ったんですか!?」 「ちょ、ちょっとあんた何を――」 「そりゃそうだよ! ここにいる人は、 みんなサンタクロース! メリークリスマス!」 「ちがいます! 本物はわ――むがむが」 「ちょーっとこの子酔ってまして」 「酔ってないれふ! ふにゅぅぅぅぅ」 「……酔っています」 「ななみちゃん! ほら水!」 「酔ってないれふが……かたじけなひ」 「きららさん。 勉強の方の進み具合は順調ですこと?」 「う……まぁ……ぼちぼちです」 「あらあら、 いい先生がついているのに変ですわね……?」 「うーん。どうしてでしょうねぇ?」 「あ、あはははは」 「どっかの誰かは うちの孫相手には手を抜いてるのさ」 「そんなことないよ! 私がすぐ逃げようとするだけで……」 「家庭教師としての彼女の評判はいいぞ」 「ふん」 「家庭教師なんて雇ってるの?」 「ええ、まぁ……あはは」 「神賀浦先生。うちの孫の中間考査の成績、 大幅にアップしてましたわ。 これも先生の教え方がよかったからですわ」 「高志くんが、がんばったからですよぉ」 この人、何やってる人なのか不思議に思ってたけど、家庭教師をしてたのか。しかも優秀っぽい。 「あった! ボクの眼鏡! 装着!」 「おお! みなさん盛り上がっていますね! それはそうと!」 「あがう!」 「眼鏡めがねめがねめがねぇぇぇぇぇ」 「いいかいボンボン。 こいつが、ああ言いだしたら、殴るんだよ」 「ええっ!? いいんですか!?」 「そうだね。殺さない程度にしな。 店子が犯罪者になるとオレも迷惑だから」 「そういう問題ですか」 「あ……あれ……お」 「ん、どうかしたのきららちゃん? 飲み過ぎというほどには飲んでないはずだけどぉ」 不意に、きららさんが立ち上がった。 「よーし! 今日は調子がいいから、 恒例の隠し芸いきまーす!」 「ああ、あれが来たのかぁ」 神賀浦さんは、割り箸の袋を器用にばらすと、それで折鶴を折った。 「きらら様、これを」 寺内さんが、いつのまにか折ったらしい折鶴を、きららさんへ差し出す。 「あ、どうも。ありがとう!」 二羽の折鶴で何をやるつもりなんだ? 「ひゅーひゅー」 「きら姉。何するつもりなのかしら?」 「……折鶴を消す、とかでしょうか?」 きららさんは、左右の手のひらを上に向けた。開いたそれぞれの手のひらの上で、折鶴は頼りなげにみえた。 「飛ばします! それ!」 浮いた。 重力を忘れたように、折鶴はきららさんの手から浮いた。 「あ……」 舞い上がったのではなくて、浮いたのだ。 その浮き方は、明らかに風の力で浮いたのではない。 そして俺は、これとそっくりの浮き方をするものを知っている。 「ほーら。飛びます飛びまーす」 二羽の折鶴はゆっくりと舞い始めた。 交差し、宙返りし、垂直に上昇したかと思うと、水平の角度を保ったまま降下する。 店内は静まりかえっていた。 「いつ見ても不思議ですわね……」 彼らは何度も見ているようだ。 「アリにもタネは教えてくれないのか?」 「知らない方がいいんだよ。こういうのは。 知っちまったらつまんねぇさ」 手品か何かだと思っているらしい。 折鶴は、ネーヴェの店内をゆっくりと周り、再びきららさんの所へ戻ると、その周囲をぐるぐると回り出した。 「不思議ですねぇ……」 「……金にもならんことを。 しょーがないね。まったく」 鰐口さんは、台詞と裏腹に、どこか嬉しそうだった。 ………。 重力を忘れたような独特の飛び方。そしてさっきの浮き方。 俺はそっくりなものを知っている。 セルヴィやソリの浮き上がり方だ。 俺はななみとりりかと硯の方を見た。 彼女たちはうなずいた。同じ意見のようだ。 間違いない。 きららさんは、ルミナをある程度は制御できるのだ。 「あれは……やっぱり」 「間違いないわ」 「間違いないと思います」 「ああ! あの話ですね! 聞いたから間違いないですよ」 「って、おい」 「ちょ、ちょっと本人に聞いたの!?」 「本場仕込みなんだって」 「本場仕込み?」 「グリーンランドということでしょうか?」 「もちろんイタリアですよ」 「イタリアって……本場か?」 「イタリア料理の本場はイタリアですよ。 さすがは本場仕込みの味でしたよね」 「……なんの話をしているんだ」 「ネーヴェの 美人マスターの料理は 本場イタリア仕込みだって話ですよ」 「違う!」 「もしかして…… きららさんのことですか?」 「他に何があるっていうのよ! このスカポンタン!」 「だって、歓迎会の会場で、 アイコンタクトで確認しあったじゃないですか」 「だから、確認はあの場で終わって、 これからどうするかの話をするのかな って思ってたのに」 「みんな、間違いとか言うから ああ、違う話題なのかと思ったもので」 「あんた……。 いつもテンポずれるからって、 前にずれることないでしょう、前に!」 「ま、まぁ誤解も解けたわけだしな、 本題だ本題」 「きら姉はサンタへの適性を持っている。 しかも恐らく、かなりの」 「そんなにか?」 「ま、国産はトナカイだから判らなくて当然だけど、 訓練も受けないうちに、 あんなこと出来る人、滅多にいないはずよ」 「ルミナの光があふれだして、 きらきらしてましたよ」 「あれだけルミナに祝福されている人が いるんですね……驚きました」 「もしかして……。 だから、3人の中できららさんだけが 俺達を察した可能性が高いってことか?」 「ありうるわね」 「名案思いつきました! きららさんもサンタにしちゃえばいいんですよ! そうすれば全部解決!」 「そんなんで解決するわけないでしょ!」 「だが、 仲間になってくれれば 秘密もなにもなくなるよな」 「そうなれば…… 更科さんが撮った写真を調べるのにも、 協力してもらえるかもしれません」 「……反射的に反対したけど、 ピンクにしては名案じゃない」 「ひどいですよー」 「ピンクだってなれたんだから、 きら姉ならばっちりよね」 「重ね重ねひどいですよー」 「きら姉って、 就職してないのよね?」 「ああ。そうだったな」 「正式に就職出来るっていえば、 飛びついてくるかも!」 「スカウトするわけか」 「なるほど! りりかちゃんは就職先がないから サンタになったんですね」 「違うわよ!」 「だが、スカウトしようにも、 きららさんは サンタの実在を信じていないぜ」 「どうしてそんな事が判るのよ?」 「神賀浦さんが、 サンタを信じてる人は少ないって 言ってただろ?」 「あ。なるほどー! あの時、きららさんが信じてると知ってたなら、 そうつけくわえたはずですよね」 「信じていないんだったら、 ハードル高いわ。っていうか無理ね」 「なら、わたし達がきららさんの前で、 サンタの実在を証明すればいいんですよー」 「おいおい。 どうやって隠すかを話してるんだぞ」 「あ、そうでしたー」 「信じていないなら、 俺達をサンタとトナカイだって、 見抜く可能性も低いって事じゃないか?」 「でも、信じていると判ると、 恥ずかしいから隠しているという可能性も あるのではないでしょうか?」 「あ……それは考えてなかった。 普通の人は、 信じている人でも言いたがらないものなんだったな」 「そうだったわね。 身内とばっかりつきあってると、 それを忘れちゃうわ」 「ルミナの祝福は、サンタやトナカイになる運命へ、 その人を引き寄せる傾向があると 聞いた事があります」 「それなら全然信じてないのも、 変ってことになりますよね」 「ううむ……信じていないのか。 信じている事を隠しているのか……」 「そこでとーまくんの出番です!」 「国産。きら姉が 信じてるか信じてないか確かめるのよ!」 「やっぱり俺かよ。オッケー」 「酒かっくらってどんちゃん騒ぎのあげく、 ようやっと帰って来たわね!」 「あのー、 ここにほとんどいないのは、 先生の方だと思うんですがー」 「そういう細かいことはどうでもいいの! あなた達が出かけている間に、一大事よ!」 「まさか!」 「もしかして新聞に俺達の正体が!?」 「そんな…… 朝、新聞を読んだ時には 載っていなかったのに……」 「硯ちゃん、しっかり! 正体がばれる時は、わたしも一緒だから」 「もっと一大事よ」 「俺達の正体がばれてしまったよりも、 一大事ですか!?」 「もしかして一足飛びに、 島流しなの!?」 「もう……おしまいです……きゅう」 「硯ちゃん! 眠ったら死んじゃうよー。 えいっ! えいっ! えいっ!」 「いたいですいたいですいたいです……」 「とにかくTVをつけてみて!」 「写真じゃなくて、飛行映像だったの!? 新聞じゃなくて、TV局に売られてたのね!」 「とにかく見なさい!」 「は、はい」 作り物くさい青い空の下。なぜかビキニの女となぜかビキニパンツ一枚の男。 「あーらボブ。 弾けもしないギターなんか買ってまた置物にする気? これで十台目ね!」 「はっはっは。ご挨拶だねジェシー! 心配はご無用! このギターは 誰でも弾けちゃう優れものなのさ!」 「あらあら。 前もそんなことを言ってたんじゃないかしら?」 「でも、睡眠学習カセットは行方不明だし、 『馬鹿でも判る教本』には 『そんなものあるか馬鹿』って書いてあったのよね」 「ははは! このサブリミナルギターは、 そういうまがい物とは違うのさ!」 男はギターとコードで繋がっているヘッドギアをかぶった。 「なんと! このスイッチを入れると、 ヘッドギアからの催眠音波が脳を刺激して、 指が勝手に動き出すのさ!」 「それはすごいわね! じゃあ、さっそく押してみようかしら! ぽちっとな!」 「あ、まだ心の準備が! う、おおおおおおおおおおおお! 指が指が指が指がぁぁぁぁぁぁぁ」 「凄いじゃない、目にもとまらない指の動きよ! このマシーンも生命保険付きなの?」 「うぉぉぉぉぉぉ! おおお値段は一台15万円のところぉぉぉ! 13万円でぇぇぇハーモニカもついてるぅぅ!」 「止めて止めて止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」 俺がTVを切ると、沈黙。 「…………」 「あの、これが何か……?」 「BSじゃなきゃだめよ!」 「あ、BSのニュースですね。何番ですか?」 「いいから、つ・け・な・さ・い」 「は、はい」 先生のただならぬ様子に気圧されて、俺はBSをつけた。 真っ暗だった。 「…………」 「判ったでしょう?」 「……何がですか?」 「BSが映らなくなってしまったのよ!」 「………」 「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁ! この事態に、TVなんかどうでもええんじゃぁぁ!」 「えー、TVがないなんて駄目よ」 「BSがないと『ストアチャンネル』も 『健康大好き』も『賢い買い物』も『お肌通信』も 『隠れた名品の旅』も見られないのよ!」 「通販番組ばっかりだ!」 「通販番組が見られないのは一大事よ」 「だいたい、先生は、 こっちにほとんどいないじゃないですか!」 「部屋でごろごろしながら見るのもいいけど、 こっちでだらだらしながら見るのもいいものなのよ。 暇があればTVかゲーム。これが優雅な過ごし方」 「却下だ! BSくらい我慢しなさい! こっちはそれどころじゃないんだから!」 「あら。みんなだって見たいわよね?」 「俺達にはそんな暇――」 「私も見たいです……」 「……え?」 「そーですよとーまくん。 BSが映らない間に、新しいサプリメントが出たら、 買えないじゃないですか」 「……へ?」 「もしかして、あんたも見てるの? 『美容の王国』?」 「……お前ら」 「あれ、いいですよねー! 出てる女優さんのお肌がみんなつやつやで、 せっとくりょくありまくりですよー」 「『美肌パワービタミンX』がいいのよ」 「わたしも買ってますよー」 「こくこく」 「ふふ。通販が嫌いな女の子なんていないのよ」 「……」 BSの通販番組を愛していないのは、俺だけだったのか……。 「国産! きら姉に連絡しなさい!」 「はい……」 「こんにちわ!」 今朝方からめっきり冷え込んできたためか、きららさんは皮ジャンを着込んでいた。 「BSが写らないんだって? ぽちっとな。 ありゃホント。まっくら」 「そうなんですよー。 『美容の王国』も『華麗なるスィーツの世界』も 見られないなんて、本当に困った物ですよ」 「『ケーキの世界』はともかく、 『美容の王国』は見たいわよね」 「『世界の豪華クルージング』 忘れないでください……」 「……だそうだ」 「へー。BSってそんなに凄いんだ。 うちは入ってないから見れないけど」 「仲間!」 「ごめん。 来週TV買い換えて、 ついでにBSもつけちゃうから」 「四面楚歌だ!」 「じゃ、さっそく見てみますか!」 「きら姉、お願いします」 「はははっ! このきららお姉さんに 嵐の海で救命ボートに乗った気持ちで 任せなさい!」 「駄目っぽく聞こえますけど」 「いやぁマジな話。重大な故障だったら 業者さん呼ばないとどうしようもないからね。 とりあえずアンテナ見てみるよ」 「アンテナって……。 随分高い所にあるんじゃないですか?」 「この木のてっぺん。 でも、取り付けも私がしたし、 慣れてるから大丈夫」 「手伝うよ」 「あ、いいからいいから。 この程度は家賃と管理費に入ってるから。 BSがちゃんとついたらケイタイに連絡して」 「国産! 今日こそきら姉から 色々聞き出すのよ!」 「おうよ。任せろ。 手伝うついでに聞くぞ!」 「きららさん! やっぱり手伝うよ」 ……いない。 アンテナ見るんだったら、ツリーハウスの中通って上の部屋へ行くはず。 じゃない!玄関に彼女の靴がない! 「きららさん!」 ………。 もしかして、工具でも取りに戻ったのかな。 ………。 まさか!? 「わ!」 もうあんな高い所に! 「きららさぁぁぁん!」 一体どうやって登ったんだ?外から登ったんだったら、幹を伝ってとしか。 「ん? なぁにぃ? もうすぐ済むから」 作業も始めちゃってるし! 「手伝いまぁぁぁす!」 「なぁにぃ!?」 ええい、ラチがあかん! 俺は太い幹に手を掛け脚を掛け、きららさん目指して登り出す。 「ええっ!? ちょ、ちょっと何してるの!」 小さい頃、木登りは得意だった。細い木だってするする登ったんだから、これくらい太ければ楽勝だ。 トナカイだから、高い所には慣れている。 「来なくていいって! わ、わわっ」 ようやく止まってくれた彼女目指して、するすると登っていく俺。 の、ハズだったのだが……。 「うっ……。 木登りって……こんな感じ だったか……?」 昔の感じより体が重い。不覚! 俺、太ったか!? た、確かにトナカイは日々忙しいが、特別な運動をしているわけでもないし、酒はカロリーが高いとも言うが。 「い、いや、違う。 大人になったから当然だ!」 自分の成長を意外な所で実感。 「来なくていいからね! もうすぐ終わるから!」 きららさんが何か言っている。来るなと言っているのかもしれないけど登り始めたら登り切るべし! 体重がいくら増えたとしても、体格もそれに見合っているだけ成長しているはずだから。慣れれば大丈夫! な、はずだ! 「この程度で負けるわけには! ん、くふぅ……よいしょ。おいしょ。 ふんっ。ふんっ」 ファイト一番! 「ああ、もう平気なのに!」 もうひと息!あともうひと息! 「ぜぇぜぇはぁはぁ……」 「あ、はい」 「ついた。そっか。良かった」 「ふ、ふぅ……到着!」 「ええと……」 なぜか、きららさんは、困ったような顔をしていた。 「なんか手伝えることないか?」 「その前に……あの……。 見た?」 「何を?」 「……い、いいのっ! 大したもんじゃないから!」 「……?」 「あー、おほん。 それから、言いにくいんだけど……」 「大丈夫だ! 俺、高い所は慣れてるし 木登りに関しては自信をなくしたが、 力仕事なら遠慮はいらない」 「いや、そうじゃなくて もう終わったから」 「え……? 今なんと!?」 「終わったから! BSのアンテナに、 折れた木の枝が引っかかってただけだったから」 「……」 「あのさ。その。 もっと手が掛かるものだったら、 多分、手伝ってもらったと思うよ」 「……」 俺の肩にきららさんの手が置かれた。 「あー。 よく頑張った!」 「……どうも」 「ええと……降りられる?」 「ああ。もちろんだ」 「じゃあ、私が先に降りるけど」 「いや、俺が先に」 「……私、スカートだから」 「あ、すまん」 「判ればよろしい。 で、くれぐれも下は見ないように。 じゃ、お先に!」 きららさんは、慣れた様子で、するすると降りていく。 あんなにするすると……。 「おわっ!?」 俺は慌てて木の幹を掴んだ。きららさんがなぜ下を見ないように言ったのか理解した。 高い!そして強烈な引き込まれ感。地面がおいでおいでをしている。 トナカイしている時の高さより低いのに、感覚的に高いのだ。 下のものがはっきり見える分、高さが実感できるのかもしれない。 それに。 「まずい」 ちらっとだけど、ツリーハウスからそう遠くない木の裏に、カメラを構えた人影も見てしまった。 更科だ。更科つぐみが、ツリーハウスを監視している。 「……ふぅ」 「そんなに気落ちする事ないよ。 木登りなんて久しぶりだったんでしょ?」 「ああ、まぁ……」 カッコ悪かったな……。それに、更科もうろうろしてるとなると頭が痛い。今だって監視されているのかも。 「はい、どうぞ」 ほかほか温かい缶コーヒーだった。 「あ、すまん。 金はあとで」 「いいっていいって、 手伝ってくれようとしたお礼」 「何もしなかったのに、 受け取れない」 「じゃあ、単なるおごり。 それならいいでしょ?」 「……ありがとう」 熱を帯びた甘い液体が、喉を下っていく。 「ぷふぁ……いつもこんな事を?」 「うん。祖母ちゃんは歳だから、 こういうのは任せられないもの」 「まぁ確かに…… あの歳で無理はさせられないな」 放射能火炎を吐けるくらい元気そうだけど。 「でしょ」 「姉さんは?」 「頭脳労働者だから」 「……」 あのほえほえした(緩慢ともいう)物腰と、優秀な家庭教師という職業が、うまく結びつかない。 「あー。疑ってるな。 姉ちゃんは昔神童って呼ばれた、 凄い人なの」 「へぇ……」 『昔、神童。今ただの人』という言葉が頭に浮かんだのは内緒だ。 「それに、うちの物件は古いの多くて、 工務店とかで直してもらうとなると、 凄くお金がかかるんだよね」 「だから自分達でなんとかしないと、 やってけないんだ」 「古いっていうと……。 あの、『泣かないカリン塔』とか?」 「『鳴らないカリヨン塔』だよ。 でも、あれだけは例外」 「ちゃんと業者に頼んでるってことか?」 「ううん。 あの塔は修理しなくていいから、 放置してあるんだ」 「へぇ……でもそれはまたなんで?」 「店子もいないから、 修理するだけ無駄だって」 「ひどいなぁ。 倒壊したら困るじゃないか」 「解体する手間が省けるって」 「うわぁ」 「あはは。 祖母ちゃんが言うと 冗談に聞こえないけどね」 「そう言えば店長さんは なんで高い所に慣れてるの?」 「そりゃ高い所で仕事して――」 危ない!ななみの事は言えないな。 俺は最後のひとくちを飲んで間を置いてから 「窓ふきのバイトしてたんだ」 「……なるほど。 パイロットだった、とかじゃないんだ」 「まさか!」 自分の声が震えてたりどもったりしてなくて、少しホッとする。うまくごまかせてる。 「……ならあれくらいの高さはへいちゃらだね」 「ま、まぁね」 「その割には高さ慣れしてない、 感じだったけど」 「それは、多分、ほら、あれだよ。 バイトでは命綱つけてたから」 「ああ、納得。 私は慣れちゃったから平気だけど、 つけてるのとつけてないのじゃ違うよね」 「だからちょーっとカッコ悪いとこ、 見せちまったよ」 具体的な事を聞かれたら、ボロが出ちまうな。 「昔の人はさ、 命綱もつけずによくこの建物建てたよな」 「そりゃ、昔の人は飛べたもの」 「天狗だったっけ?」 「そう。赤天狗様。 ま、作ったのは私のひいひいお爺ちゃんだけどね」 「飛べたの?」 「あはは。普通の人間だよ。 このツリーハウスを建てた大工さん達の 棟梁だったんだ」 「きららさんのひいひいお爺ちゃんって事は…… 大家さんのお祖父ちゃんって事か」 「いやあ。そうとは限らないわ」 「いや、人類ならそうと限るだろ」 「あはは。 でもさ、建ててくれたならさ、 もうちょっと大きく作ってくれれば良かったのに」 そう言って彼女が指さしたのは、今現在はサンダースが住んでいる天狗様の部屋だった。 「どうして?」 「だって貸せない部屋じゃ、 家賃が取れないでしょ?」 「いれば取るんだ」 「もちろんよ。 赤天狗様からだって取っちゃうわ」 やっぱりこの人は、あの祖母ちゃんの孫娘なんだな。 「いただきまーす」 「いただきます」 ちょっと遅めの俺達の昼食。そこに混じってきららさんのお弁当。 「それ誰が?」 「えへん。私」 「おいしそうなお弁当ですね」 「卵焼きが特においしそうです!」 「じゃあ、 そのミートボールと交換しようか!」 「2個と1個で交換ですね!」 「うん。じゃあいただきます!」 ひょいひょい。 「わたしのミートボールが二つも!」 「だって、2個と1個だよ。 はい、卵焼き」 「だまされました!」 「騙すも何も、 あんたの方こそ図々しいわよ」 「じゃ、一個返すね。これで一対一の等価交換」 「おお! これはお得ですね!」 「公平なレートに落ち着いただけなのでは……」 「あんな簡単にBS直しちゃうなんて、 きら姉は凄いわ」 「あはは。 た、大したことないよ。 枝をどけただけだよ」 「でも、 あんな所まで上れませんよー」 「い、いやぁ、 ここを建てたひいひいお祖父ちゃんに比べれば、 全然大したことないって」 「元々ここはきら姉に縁のある場所だったんですね」 「ひいひいお祖父ちゃんとか言っても、 古い写真で見た事あるだけだから、 ぴんと来ないけどね」 「ひいひいお祖父さんも 赤天狗様って信じてたのかな?」 「どうだろ? 昔の人だからね。信じてたかも」 「じゃあ、今、生きてたら、 サンタも信じたかな?」 一瞬、みなの手が止まった。 俺の脇腹にいい肘鉄が食い込んだ! 「(ぐ)」 声を漏らすのをこらえる。 「(国産、あんたピンクなみに直球よ!)」 「(そんなこと トナカイに期待するな)」 「……なぜ?」 「空飛ぶ紅い服を着た人なんて、 まるでサンタみたいだな、と思って」 俺はきららさんの顔を盗み見る。 「あ、ああ、そうね」 きららさんが俺の顔を見た。視線がぶつかる。 「……なるほど。 でも違うんじゃない? 国が違うし」 「……そうだな」 俺達は、視線をそらしあった。 「あのさ。もしかして……。 ここにいるみんなは、 サンタとか信じてるの?」 「え……」 どう答えればいいんだ!一斉に力強く頷いたりしたら怪しまれる気がするし。かと言って、全員が否定するのも変かも……。 「もちろんですよ! サンタはいますよ!」 「ば、馬鹿じゃない! いるわけないわよ! ね、すずりんだってそう思うでしょ?」 「ど、どうでしょうか…… でも、あの、そんなに全力で否定しなくても……」 「店長さんは?」 「ま、まぁ……いるんじゃないか?」 「ふーん。会ったことある?」 毎日会ってます。 「……別に信じてたっていいだろ?」 「悪かないよ。 私の周りにも信じている人いるし。 丘じいちゃんとか、姉ちゃんとか」 「でも、きららさんは 信じてないと?」 「だって、存在そのものが変だし」 「どこがですか! サンタは変態さんじゃありません!」 「変態かどうかはともかく プレゼントをくれる存在がいたとして、 どこからプレゼントを調達してくるのかな?」 「それは!」 「あ、いえいえなんでもありませんよ。 わたしも学習しましたから」 「……ん?」 「ええと、きららさんは、 それに関してどう考えてるわけ」 「プレゼントを買うにしても工場で作るにしても、 莫大な資金が必要だろうし」 「うわ。現実的」 「実は、おもちゃ屋のチェーン店を やっているんです」 「な、なに言ってんのよ。 まるでうちがそうみたいじゃないの」 「単なるアイデアだよアイデア」 「どうやってその資金を回収するの?」 「それは……ボランティアだから」 「そんなの怪しいわ。絶対下心があるに違いない! 例えば正規なルートには乗せられない 欠陥玩具を処分するためとか」 「ひでぇ!」 「第一、サンタは祖母ちゃんだって、 5歳の時、知っちゃったし」 よくあるパターンだった。 「あ、このアジフライおいしい。 どこで?」 「さっそくきららさんお勧めの店へ 行ってみました……」 「みなさぁん、こんにちわぁ」 「んがぐぐっ、げほんげほん」 「き、きら姉しっかり!」 アジフライを飲み込んでしまったきららさんの背中を、りりかがたたいてる。 「あ、神賀浦さん」 「おはよぉ、硯ちゃぁん」 「ね、姉ちゃん!? どうやって入って来たの!?」 神賀浦さんは、にこやかな表情のまま、手をわきわきしつつきららさんの方へつきだし、ゆらゆらと近づいてくる。 「うふふぅ。 みなさん不用心ですよぉ。 玄関も店もあけっぱなしぃ」 「え、閉めたはず――」 きららさんは、おびえたように立ち上がり、後ずさる。 「どうしてここがっ! ここに来てる事は、 誰にも教えていないはずっ!」 「ふふふぅ。きららちゃぁん。 お姉ちゃんを甘くみてはいけないぞぉ。 どこに隠れてたってみつけちゃうんだからぁ」 「そ、それはいくらお姉ちゃんでも、 私のプライバシーを探るの反対!」 「わたしだってぇ、きららちゃんがスナオにぃ、 お勉強してくれれば、こんなコトは したくないんだよぉ、つかれるしねぇ」 「そ、そうだ! 姉ちゃんは家庭教師とかで忙しいから、 今日は休ませてあげようと!」 きららさんは後退しながらもあたりを見回し、逃げ道がないかを探しているようだったが。 「今日はおやすみだから特訓するって 言っておいたよねぇ」 「き、記憶に御座いません!」 神賀浦さんは緩慢な動きのくせに、定かでない視線できららさんの動きを、制している。ただ者ではない! 「そっかぁキオクにないのかぁ」 「だ、だから! そんな会話はなかったんだよ! お姉ちゃんの勘違い!」 たちまちの内に壁際に追いつめられるきららさん、まさにそれは、蛇ににらまれたカエル! 「『お姉ちゃん。明日は逃げないから。 絶対の絶対の約束』っていってたよぉ? その前後30ワードずついってもいいんだけどぉ」 「覚えているんですか!」 「ちなみにぃ15ワード前のせりふはぁ、 『カポエラってインドの楽器だったっけ?』」 「うっ……」 「凄いピンポイントです!」 「一体どんな話なんだ!」 「ですが、話が見えない所に、 リアリティがあるような気がします……」 「そしてわたしはぁ、 『ググレかす』って答えたんだよぉ」 「な、なんか殺伐としてるわ。 それにどうやったら後13ワードで 勉強の話に?」 「え、カポエラは楽器じゃなくて格闘技だって 丁寧に教えてくれたじゃない! その後、勉強の話に――しまった!」 「うふふぅ。おぼえているんだぁ。 じゃあヤクソクを破ったときの罰も おぼえているよねぇ」 「そ、そっちは忘れました!」 「とーぶんのあいだ、 わたしのおうちにカンキンしてぇ、 たぁっぷりと教えてあげるからねぇ」 「うわぁ! りりかちゃん! ななみちゃん! 硯ちゃん! 店長さん! 誰か助けてっ!」 「………」 と言われても。微妙に同情心が湧かない。 神賀浦さんの手が、がしり、ときららさんの手首をつかまえた。 「ひぃぃぃぃぃぃぃ。 みんな薄情者だぁぁぁぁ!」 そして引っ張る。ぐいぐいと力強く。 「さあ、いきましょうねきららちゃん。 みなさん、おさわがせして、 すみませんでしたぁ」 「ま、待ってぇ! まだ、お昼が食べ終わってなぁぁぁい、 もったいないお化けがでちゃう!」 ずるずる。 動きはスローリィだが、強引にきららさんを引っ張っていく。 「きららちゃんのおベントはぁ、 みなさまの好きにしてくださぁい。 お弁当箱あらっておいてもらえるとありがたいなぁ」 「お任せあれ!」 「裏切りものぉぉぉ」 「これでぇ、もったいないオバケは出ないねぇ。 さ、心のこりもなくなったところで、 おべんきょうの時間だよぉ」 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 「………」 「きら姉、大丈夫かしら?」 「そんなら止めればよかったじゃないか」 「……」 「では、いただきまーす! まずは卵焼きですねー」 「早速かよ」 「まぁいいんじゃない? 食う子は育つっていうから」 「はむはむ。 おお、これは! ぐっどですよー」 「……料理の腕はともかくだ。 あの感じだと、サンタを信じてないな」 「そうね。 隠しているという線は、 かなり薄そうね」 「信じていないのなら、 サンタになるのは無理です……」 「それにしても、 りりかちゃんがサンタを信じていないとは、 びっくりでしたよ」 「そんなわけないでしょ! でも、全員が全員信じてたら、 それこそおかしいでしょう!」 「おー。りりかちゃんは嘘つきなんですね」 「悪い事みたいに言うな!」 「まぁまぁ。その辺にしておけよ。 ななみには悪気だけはないんだから」 「判ってるわよ。それくらい。 だからイライラするの!」 「……きららさんを仲間に引き込むのは 無理という事ですね」 「名案だと思ったんだけど、 ピンク頭の提案じゃそんなもんね」 いっそ、俺達がサンタとトナカイである姿を見せれば、信じざるを得なくなるんじゃないか? 「なら――」 「おお、このなんだか判らない小魚の釘煮 おいしいですよ!」 「今、そんなことはどうでもいいの!」 「仲間はずれですか! なら、全部食べちゃいますよ! 後で泣いても知りませんから!」 「どうぞどうぞ」 「あ」 駄目じゃないか。そんなことしたら、自分から正体を明かす事になっちまう。 サンタだとばれないようにしなくちゃいけないのに、ナニ考えているんだ俺は。 「ま、きら姉が サンタを全く信じていない事が判ったのは、 悪くない収穫ね」 「ですが…… サンタに関する話題が 不自然に多かった気がするのですが」 「……そうだったわね」 「だが、確信があったら、 もっと直接的な訊き方をしてくるんじゃないか?」 「つまり……私達がきららさんを探っているように、 きららさんも私達を探っていた、 ということでしょうか?」 「多分な」 「とりあえず、きら姉の前では 発言を注意するしかないわね。 って、状況は変わってないんじゃない!」 「いや、別の所で悪化してるかも」 「何かあったんですか?」 「さっき、ツリーハウスの上から下を見たら、 更科がここ監視してた」 「あちゃー。しつこいわね」 「でも、それは……取り方によっては、 悪くない事なのではないでしょうか?」 「どうしてよ?」 「あの夜、もし、何か撮られていたとしても、 決定的なものじゃないって可能性が、 増えたって事だものな」 「だけど、更に確証を得るために、 追加の写真を撮ろうとしている可能性だって、 あるじゃない!」 「結局、きららさんがサンタを信じていないって事が、 判っただけか」 「あと、訓練のコースも 検討した方がいいですね……」 「ああ、もう、こういう宙ぶらりんな状態はいや!」 「ああっ!」 「ナニよその いかにも嫌な事に気づいたみたいな悲鳴は」 「もうお弁当がありません!」 「お前が食ったんだろ」 で、数日後。 俺は『しろくま日報』を手に取った。 「おほん。見るぞ」 「う、ちょっと待って心の準備が」 「どきどき」 「わくわく」 「あんた。 ナニよその真剣味を欠いた効果音は!」 「なんかこの緊張感が 快感になって来ちゃいましたよー」 「いっそ、ファンファーレでもつけるか?」 「おー! 名案ですねー!」 「おふぁよう……」 「お早う御座います」 「おはようございます!」 「おはようございます。 先生、今日は早いんですね」 「ぷわぁ……おふぁよふ……ふわぁぁ」 すげぇあくび。 「おはようございます。 夜更かしでもしたんですか?」 「ちょっとね……。 昨日は仕事で徹夜したから……」 「何か緊急の用事でもあったんですか?」 「そふよふぉ……ふぁぁ……。 かわいい教え子達にとって、ふぁぁ……。 今が一番大変な時期だから……徹夜もするわよ……」 「え……」 明日は雨か!? 「私達のために……」 「感激です!」 「そこまで心配してくれてたなんて、 あたし、先生を見誤ってました!」 「アタシだってやる時ふぁやるのよ……。 だってもう少しで甲子園だもの……」 「甲子園……?」 「甲子園はね、大阪府じゃなくて、 兵庫県にあるのよね」 「知りませんでしたー」 「そんなトリビアはどうでもいいわ! あたし達に甲子園なんて関係ありません! 寝ぼけないでください!」 「だって、 教え子がもう少しで甲子園に行くんだもの」 「だから、訓練の後で熱中してしまって…… 格納庫で徹夜しちゃったわ……ふわぁ……」 「あの……もしかしてそれは……。 ゲームですか……?」 「パラプロの話かよ!」 パラレルプロ野球。通称パラプロ。総出荷数120万を超えるという大ヒットゲームである! と、業界紙に書いてあった(ちょっと勉強した)。 ちなみに以前、大家さんに売りそうになったパラプロはこの人が置き忘れたものだった。 「違うわ『パラレルプロ野球』じゃないわ。 『パラプロくんポケット』よ。 この方がイベントがエグくておもしろいの」 「どっちもゲームだ!」 「ふわぁぁぁぁぁ……」 「暇ですねー」 「……暇だな」 俺達はお留守番。硯とりりかは買い出し。 「こういう時、きららさんが来てくれると、 退屈がまぎれるんですが」 「この前の様子だと、 当分、来られないんじゃないか?」 「そうですねー」 かちかちと、掛け時計の音だけが響き続ける。 ………。 「掃除でもするか……」 「もう4度目ですよー。 新聞でも読んだらどうです?」 「もう隅から隅まで読み尽くした。 賢い墓地の買い方に詳しくなったぞ」 「……まだ役に立つには早いですねー」 「ああ……そうだな」 ちなみに更科の写真は、今日も載っていなかった。 「………」 「………」 「いっそ、大事件でも おきたりしませんかねー」 「おきんでいい」 「そうだ! 新聞にサンタがやってるオモチャ屋って載れば、 たちまち大繁盛ですよ!」 「そうだな……」 「でも、わたしたちは島流しになっちゃいますけど」 「そうだな……」 「いらっしゃいま―― なんだ、金髪さんか」 「何だとは何よ! そんなに暇なら、 店内の片づけでもしなさいよ!」 「これ以上どうやって片づけるんですか!」 「じゃあ、表でも掃きなさいよ!」 「……表、すごく綺麗ですね」 「……」 「じゃあ、あんたらが休憩時間の間、 あたし達は何をすればいいのよ!」 「……パラプロ?」 ………。 「あ、そうだ。 更科はどうだった?」 「椅子しかなかったわ。 いっそ、ウルシでも塗って、 追い払うのはどうかしら?」 「……画鋲」 「見られちゃいけないものがあると、 告白するようなもんだぞ」 「言ってみただけよ!」 「……いじめカッコ悪いです」 「名案を思いつきましたよ! きららさんに更科さんの写真を 見てもらえばいいんですよ!」 「どうしてそんな写真を見たがっているのか、 怪しまれるのがオチよ」 「ですから、きららさんには、 言ってしまうんですよ!」 「この中途半端な状況より、 マシってか?」 「その通りです! きららさんなら、 黙ってくれそうな気がします!」 「信頼がおけるって思うのか?」 「いいえ! 店子がいなくなったら、 家賃が入らなくなるじゃないですかー」 「あー……なるほど」 「そんなの駄目よ」 「なぜですか?」 「あんたねぇ、 授業で教わったでしょう? こんなの初歩の初歩よ!」 「? わたしは習ってない気が……。 補習授業ですね!」 「補習なんて受けたことないわよ!」 「どこの学校でも教えるはずです」 「……もし、サンタの存在を知ったら、 プレゼントを直にリクエストしに来る人が、 出るからだったよな?」 「おお! それ、どこかで聞いた事があります」 「どこかじゃないでしょ! まったく……」 「望みをかなえればえこひいきになるし、 かなえられなければ嘘つき呼ばわりされる、か」 「どちらにしろ、サンタへの信頼は落ちるでしょ。 そうしたらルミナの力にとっても、悪影響になるわ。 だから一般の人に教えては駄目」 「うー。名案だと思ったんですが……」 また数日後。 依然として記事は載らずだ。 きららさんに会うのも久しぶりだな。 しかも、こっちから会いに行くのは初めてだな。 「中井君! 久しぶりだね」 「こんにちわ」 「あれからどう?」 「まぁ……ぼちぼち」 「実はね。おせっかいかもと思ったんだけど、 うちに来るお客さん達に、 それとなく君達の店の事を話そうとしたんだけど」 「え……」 「どうかしたかい?」 「あ、いえ。 そこまで気にかけてもらえるなんて、 ちょっと意外だったもので」 「ははは! 何を言っているんだい! 同じ商店会の仲間じゃないか、 こんなの当然だよ!」 じーん……。 「だけど……力にはなれなかったよ。 ボクが君達の店の話をしようとすると、 みんななぜか用事を思い出すんだ」 俺の脳裏に電光のように一つの言葉が浮かんだ! この人、『それはそうと』で切り出してるな! 「………」 「それはそうと」 「お、俺、用事があるんで失礼します! 本当にありがとうございました!」 俺は脱兎! 「ああっ!? 君もなのかぁぁぁぁぁぁ!」 「はぁはぁ……」 ここまで来れば追ってはこれまい。 ? なんの音だ? 入り口から庭を覗き込むと、縁側に大家さんが座って、足の爪を切っていた。 「おい。そこに突っ立ってるボンボン。 なんか用か? つまらない用事だったら 爪をてめぇの鼻につめちまうからね」 「俺はボンボンじゃなくて、 中井冬馬って名前があります」 「で、ボンボン。 用事はなんだい」 「……きららさんはいらっしゃいますか?」 大家さんは、『胡散臭げな視線』の標本になりそうな胡散臭げにものを見る目で、俺をなめ回し。 「け、色気づきやがって、 オレがいなかったら孫に何するつもりだか、 恐ろしい世の中だね」 「……この前、 アンテナを修理してもらったお礼に、 店を代表してやってまいりました」 大家さんが在宅していた時にそなえて、近所のスーパーで買っておいた貢ぎものを差し出す。 「……しろくまんじゅうかよ。 地元の人間にこんなもん持ってくるとは、 気が利かないね」 「あ」 「こんなおざなりなもんじゃ、 あんたの感謝の気持ちとやらの真実も、 疑わしいってもんだ」 言われてみれば、もっともだ。 「すいません」 「虚礼だろうが形式だろうが、 それなりに気を利かせる事もできねぇ奴は、 ボンボンだって事だわな」 「どういう物ならいいんでしょうか?」 「け、自分で考えな」 「そうですね……」 大家さんは、俺を睨め回すように見ると、呆れた口調で。 「つくづく金儲けと縁がなさそうな顔をした奴だ」 「……」 反論しようがなかった。俺はトナカイとしてもまだ一流じゃないし、地上では木登りも商売も初心者なのだ。 「あんたとあの3人娘、 どいつもこいつもふわふわした感じがするよ。 あのろくでなしと同類だぜ」 ろくでなし? 「家賃を滞納するのも時間の問題だろうね。 ちなみに、オレは夜逃げを許した事は、 一度もねぇからな」 「ろくでなしって……誰ですか?」 「ああ、オレの旦那さ。 毎日毎日飽きもせず、 夢みたいな事ばっかり言ってやがったよ」 「夢……ですか?」 「『俺は作家になりたい』が 『俺は作家だ』に途中で変わりやがったけどな。 死ぬまでうちに一銭だって入れなかった穀潰しだ」 「えっと、でも……それは、たまたま、 才能を認めてくれる人が いなかっただけじゃ……」 「は。認められたさ。一回だけな。 で、それっきりよ。その一回こっきりが 奴の作家たる所以って奴だったのさ」 「………」 「入れなかったどころか、酒飲んで肝臓壊したあげく、 くたばる前の十年くらい病院に出たり入ったりでよ。 金を下痢便みたく垂れ流す一方だったぜ。最悪だ」 「才能のかけらも無い奴が、 夢ばかり見るとロクな事がないってこった」 「おや、同類は同類を呼び込むもんらしいね。 ふわふわしたのが来た」 俺の背中が戦慄した。 「ま、まさか亡くなった旦那さんが……」 「けっ。なに昼日中から間抜けな事いっていやがる」 「こんにちわぁ。 きららちゃんいますかぁ?」 い、いつのまに俺の背後を!? 「あ、店長さんもこんにちわぁ」 「あ、どうも……」 「知ってても、赤の他人のあんたにゃ、 なーんにも教えねぇよ」 赤の他人? あ、そうか、血が繋がっていない姉妹だって、神賀浦さん言ってたもんな。 じゃあ、この二人の関係っていったい……。 「やっぱりいないんですねぇ。 失礼しましたぁ」 「け。 二度と来るんじゃないよ。 この疫病神兼貧乏神め」 孫と祖母……じゃないんだよな。 「あらあらぁ。そうするとぉ、 今日はお勉強の日ですからぁ、 きららちゃんは、またトーブン帰せませんよぉ」 「……」 「おうちにきららちゃんを、 お持ちかえりしてもいいってことですねぇ。 それに今日のお夕飯は久しぶりのしゃおろ――」 「け。勝手にするがいいさ。 おい、それからついでに、 穀潰しのせいで醤油がもう無いよ」 「了解しましたぁ。 あとカレー粉の特売も買ってきますかぁ?」 「いちいち聞くんじゃないよ。 嫌味な女だね」 でも……赤の他人というには、それなりにうまくやっているような……? 「カクニンしただけですってばぁ。 では、店長さん、行きましょうかぁ?」 「あ、え?」 「きららちゃんに用があるんですよねぇ?」 イメージしていたのよりは速いスピードで、俺達の脇をくま電が通り過ぎていく。 「おもくないですかぁ?」 俺の左手にカレー粉の箱がどっさり入った袋。右手には3本の醤油瓶。 「これくらいは大した事ないですが。 心当たりがあるんじゃなかったんですか?」 神賀浦さんのあとをついて、あちこち回ってるけど、きららさんは見つからず。 「だいじょうぶですよぉ。 そのうち会えますからぁ」 「もしかして……。 こうして回っているのは、 きららさんちの物件ですか?」 「そうだよぉ。 こうしてまわってれば、 きららちゃんにおいつくよぉ」 このとろとろした歩き方で、追いつくんだろうか?だが、他にアテもない。 「……結構沢山あるんですね」 「みすずさんは やり手だからねぇ」 「……その割には、 古くさい物件が多いんだが」 修理する手間を惜しんでいるのか? 「おもしろいのがおおいでしょう。 よーかん、とか、 屋根はにっぽん風で本体はよーかん風とかねぇ」 「…………」 奇妙な洋館や和洋折衷の古い建物が幾つもあった。確かに面白いし、建築学的には、貴重なものもあるのかもしれない。だけど。 賃貸物件としては余り良くないのじゃないだろうか。実際、人が住んでる気配がないのもあったし。 「やり手というからには、 こういう大通りに面した物件だって、 持ってるんでしょう?」 「うん。あるよぉ。 あのビルと、あとあっちのビルが そうだったかなぁ?」 神賀浦さんは、ふらふらと歩きながら、大通りの向こう側のビルを指さす。 ちょうど前を通りかかったくま電が通り過ぎると、10階ちょいくらいの、最近建ったっぽいビルが二棟、姿を現した。 いかにも家賃が高そうなのに、ちゃんと埋まっているっぽい。 「ここからは見えないけどぉ、 ひとつ入った通りにも、 おんなじよぉなのが2軒あるよぉ」 「寄らないんですか?」 「このへんのはみんな、 管理会社にまかせてるからぁ」 きららさんは、タッチしてないってわけか。 「わたしは好きだなぁ」 「何が……ですか」 「きららちゃんちが持っている建物だよぉ。 変なのおもしろいのがいっぱいでぇ」 不意に神賀浦さんの足がとまった。 「特に、これがねぇ。わたしのお気に入りぃ」 「『鳴らないカリヨン塔』でしたっけ?」 「一通りのことは、 きららちゃんに聞いたんだよねぇ」 「ええ、まぁ」 良く覚えていないけど。 「よーろっぱのべるぎーに行けば、 こういう塔はいっぱぁいあるらしいよぉ。 でもぉ、この国じゃめずらしいよねぇ」 「珍しくても、これじゃあ……」 周りを取り囲む金網のせいで、近寄ることすら出来ない。 「ちゃんと修理して、 観光スポットにでもすればいいのに」 「お金かかるからねぇ」 「でも、どうしてこんな塔を買ったんだろう? 珍しいかもしれないけれど、 余りいい物件とは思えないなぁ」 「さっきのいくつかの古い建物とこの塔はぁ、 敗戦後、売りにだされちゃってねぇ、その時、 ほとんどただどーぜんで買ったらしいよぉ」 「なるほど……」 だからか。やっぱり更地にでもして売る気だったんだ。だけど、解体費が思いのほか掛かるんでやめたんだな。 ごうつくばりなのに、いや、ごうつくばりだからの失敗か。 もしかして典型的な安物買いの銭失い? 「……ここは大家さんの管轄で きららさんは関わりがないって聞いたんだけど」 「でも、ときどき、 見にくることはあるんだよぉ…… 今日はいないみたいだけどねぇ」 「うふふぅ。きららちゃん発見」 「どこです?」 「あの建物の3階だよぉ。ほら」 視線を追って6階建てのアパートを見上げると、こちらに面した3階の通路で、きららさんが中年で外人の女の人と話している。 「相手は誰?」 「ええとねぇ……。 にゅーきょしゃのぉ ラミレスさんだねぇ」 あそこもきららさんちの物件なのか。 「たしかブラジルから来て日が浅いからぁ、 いろいろ相談にのっているらしーんだよねぇ」 「……なるほど」 「それにしてもさぁ。 にゅーきょしゃって……」 「なんですか?」 「どことなくぅ。 きょにゅーを連想することばだよねぇ」 「しません」 しばらくすると話が終わったらしく、きららさんが降りてきた。 「きららちゃん。 こんにちわぁ」 「ね、姉ちゃん!?」 早くも逃走モードになりかけるきららさん。 「だいじょうぶだよぉ。 店長さんがきららちゃんに用事があるっていうから、 案内してきただけだからねぇ」 「ほ……」 「この前、BS映るようにしてくれたお礼を、 言いに来たんだ」 大家さんにああ言われた後で、ちょっと心苦しいが、『しろくまんじゅう』(12個入り)を差し出す。 「わぁ! しろくまんじゅう! これ好きなんだよね!」 「よかったねぇ」 「でも……店長さんいいの? あんなの大した事じゃないんだよ? 管理費と家賃の中に入ってる仕事だよ?」 「でも、俺達はお礼をしたかったんだから、 受け取ってもらえると嬉しい」 「じゃ、遠慮無く。ありがと!」 「まったく……きららちゃんは、 ただ働きが好きだよねぇ」 「タダじゃありません! 家賃と管理費もらってます! これはその分だもの」 「うんうん。 そういう、きららちゃんのこと、 お姉ちゃんは大好きだよぉ」 神賀浦さんは大きくため息をついた。 「あーあ」 「しろくま町の住民にたいするこーけんどが、 採用試験での きららちゃんの点数に加算されればいいのにねぇ」 「採用試験って?」 「ね、ねぇそう言えば! 店長さんってサンタクロースを、 信じているんだよね」 「え、あ、はい、まぁ」 トナカイですから。 「おー、そうだったんですかぁ。 またもお仲間はっけんですよぉ。 もしかしてぇ後のふたりもぉ?」 俺は、この前のやりとりをなんとか思いだし。 「金髪さんは信じていないみたいですけど」 「うーん。 プレゼントさえもらえればぁ、 誰でもしんじると思うんですけどねぇ」 「そうかもしれませんね……」 まず信じてもらわないと、プレゼントも配れないわけで。 「店長さんは、 プレゼントもらったことありますかぁ?」 「え、ええ、まぁ」 貰ったこともあるし、配っているところも何度も見てます。 「姉ちゃん……そんなわけないじゃん。 姉ちゃんの場合だって、 あれはご両親がくれてたんだよ」 「ちがうよぉ。サンタだよぉ」 「ご両親って……神賀浦さんの?」 「うん。そうだよ。 ご両親っていったら、 他に誰がいるのよ?」 ……きららさんのご両親じゃないんだな。 「サンタだよぉ。 だってぇ、わたしの欲しいものを、 ちゃーんと知ってたものぉ」 「お姉ちゃんが思っているよりも、 ご両親はお姉ちゃんの事を、 考えていたんだってば」 「やさしいねぇきららちゃんは、 そういうところも大好きだよぉ。 でもねぇ、あれはサンタさんだったんだよぉ」 「いくらきららちゃんにも、 これは譲れないなぁ」 「はぁぁ……」 「聞いてくださいよ店長さん。 お姉ちゃんは、つぐみんがこの前写したって 騒いでるものもサンタだって言うんですよ」 「うん。サンタさんたちだって 平日は訓練とかするんだよぉ」 「しないって、消防署じゃあるまいし」 「サンタさんたちはねぇ、 一年に一度のおしごとのために、 日夜勤勉に努力してるんだよぉ」 勤勉……。サンタ先生の顔が浮かんでしまった。期待を思いっきり裏切ってる感じ。 「一年に一度しか仕事しなくて、 どうやって食べて行くのさ」 「そりゃもちろん、副業があるんだよぉ。 たとえるなら必殺仕事人だよぉ」 「あの。 最近はもらっているんですかプレゼント?」 「もらってないよぉ。 だって、わたし欲しいものないからねぇ。 最近は、靴下もさげてないことだしぃ」 「サンタの実在を証明するためにも、 今年は靴下をぶらさげてみれば?」 「だーめ。 だって、きららちゃんがこの世にいてくれれば、 他にはなーんにもいらないんだものねぇ」 ぎゅう。 ごく自然に、神賀浦さんはきららさんの事を抱きしめた。 「姉ちゃん……流石に恥ずかしいよ……」 「だいじょうぶだよぉ。 わたしは恥ずかしくないからぁ。 こうやってはぐしちゃうよぉ」 「もう……しょうがないなあ……」 「本当に仲がいいんですね」 「うん。そうだよぉ」 「は、恥ずかしい姉ですけど……。 笑わないでくださいね」 「笑わないよ」 「えへへ。ありがと」 「ありがとぉ」 「満たされている人は、満たされていない人に あふれちゃったものを渡すんだよぉ。 それがみんながしあわせになる道だよぉ」 ふと思った。みんなにプレゼントを配る俺達は満たされているのか。 そんなこと考えたことなかったけど。 「店子さんたちやぁ、 町の人達のために一生懸命に頑張る きららちゃんだってそう思うでしょう?」 「頑張ってなんかいないってば。 困ってる人がいたら、 なにかしてあげずにはいられないだけだよ」 「まったくかわいいんだからぁ」 ぎゅう。 「それにね。店長さん。 わたしは……みんなにこの町を 好きになって欲しいんだ」 「もちろん、店長さんにもね」 「……そっか」 俺はこの町をひどく好きになる予感がした。 「さぁて、きららちゃん。 店長さんの用事が済んだっぽいからぁ、 わたしの番だねぇ」 「!」 きららさんは不吉な気配にひきつった顔になったが、逃げられない。 「さぁ、お勉強の時間だよぉ」 愛のハグは、瞬時に拘束具となった! 「こ、この1週間、 ほとんど部屋にこもりきりで、 勉強したじゃん」 「ああ、だから ここんとこ姿を見なかったのか!」 「そうなの! だからもう十分!」 「でもねぇ、きららちゃんってばぁ、 物理的に不可能なところからでもぉ、 精神的に逃亡しちゃうんだもん」 「もしかして……。 寝ちゃうんですか?」 「ごめーとぉ。きららちゃんってば、 お勉強時間の3分の2は、 意識がもーろーとしてるんだよぉ」 「最近はすごいんだよぉ。 寝ながらでも字をかいたりぃ、 返事をしたりするんだよねぇ」 「それはひどい」 「だ、だって、私には、 脳に勉強する筋肉がないんだよ! そもそも勉強が無理なんだよ!」 「だったら、せっせと脳をきたえてぇ、 勉強する筋肉をつけなくちゃねぇ」 「脳まで筋肉なんてつけたくないよ! 店長さん! 助けて!」 「……」 「ごめん。きららさん。 なぜだか助けたい気持ちが全くわかない」 「なぜっ!? 無理矢理勉強させられる不幸な私が 目の前にいるのに!?」 「あ、店長さん。 その荷物、きららちゃんにわたしてくださぁい」 「あ、ああ」 荷物を差し出すと、きららさんは反射的にうけとった。 「さあ、いきましょうねきららちゃん。 ここ数日、どれくらい勉強しなかったかぁ、 カクニンしてあげるからねぇ」 「や、ちょっと待って、 姉ちゃん”」 ずるずる。 「店長さん、ごきげんよぉ。 きららちゃん確かにうけとりましたぁ」 「店長さぁぁん! 見捨てないでぇぇぇぇぇぇぇ」 あれも愛か? 「こんにちわ!」 「来て大丈夫なのか? また連れ戻しに来るんじゃ……」 「あ、あはは」 「脳に筋肉がない人という噂の人ですね!」 「あははははは。 って、店長さんああいう事は黙っててよ」 「ついつい」 「でも、きら姉。 本当に大丈夫なんですか?」 「う、りりかちゃんまで……。 大丈夫、常にお守り代わりに、 過去問を携帯することにしたから!」 「なるほど! 神頼みという奴ですねー」 「だ……だって 姉ちゃんは頼りがいあるけど厳しいし、 安心して頼れるのは神様だけだもの!」 「いや……まずは自分に頼れよ」 「それが一番頼りにならないこの悲劇!」 「あの……そもそも何の試験なのでしょうか?」 「え、ええとね……」 「大学受験ですか?」 「すでに三浪くらいしているとか!」 「違うの! 私のは公務員試験。 しろくま町役場への就職を狙ってるんだ! それに3浪じゃなくてまだ1浪なの!」 「脳がない人にそれは過酷ですよー」 「いや、そこまではひどくないから! 脳はあるから! ちょっと性能悪いけど!」 「そうですよ! 点数なんかで人間は計れませんよ!」 「そうだよね! それに去年よりは実力アップしてるから! こうしてちょっと抜け出しても平気!」 「抜け出して来たのか!」 「気分転換! お姉ちゃんがトイレに立った時に、 偶然『気分転換したいな』って気になっただけで、 逃げ出したとかじゃないの!」 「あの、あたしたちに向かって 言い訳なんてしなくてもいいんですけど……」 「おお! これが噂の過去問という奴ですか!」 「うん。お姉ちゃんがワープロで作ってくれた お手製なんだよ。 って、いつのまに!?」 「わぁ。中すごくきれいですよ! 見て見てとーまくん、 まるで使っていないみたいに新品です!」 「って、あんたそういう事は もっとオブラートに包んで言いなさいよ…… でも、本当にきれいね……」 「一問も解こうとした形跡がありません……」 「だ、だって去年のクリスマスにもらったけど、 見ると頭が痛くなるから健康のためにしまって おいただけで」 「どれどれ……ぴっかぴかだな」 「見ないでぇぇぇぇ!」 きららさんは俺の手から、過去問をひったくった! 「ぜぇぜぇぜぇぜぇ……。 え、エリート公務員なんて目指してないから、 これでいいの!」 「……良くはないだろう」 「目標が低いから大丈夫! えへん!」 「でも、なんで公務員なんですか? せいじかとけったくしてお金儲けですか?」 「あんたさりげなく失礼ね」 「じゃあ、ずばり職場が安定しているからですか?」 きららさんは、ちょっとはにかみながら言った。 「私この町が好きだからさ。 ああいう場所の中に入ってこそ、 出来ることがあるかなぁって」 「ええと、うーんと……だから……。 町をちょっとでもハッピーにするお手伝い? かな?」 その顔は、ひどくチャーミングだった。 「今年の氷灯祭の子細は、 みなさんのお手元に配ってある資料に、 おおむね書いてあります。何か質問があるかたは?」 今夜は商店会の集まりで、来る氷灯祭の第一回打ち合わせ。 俺は手元の紙に視線を落とす。開催日は忘れもしない去年と同じくクリスマス当日か。 「特に、きのした玩具店さんは初参加なんだから、 遠慮しないでなんでも訊いて」 「ふん。訊こうにも何もこのボンボンには、 氷灯祭がなんなのかすら、判ってないね」 挑発に対して俺は敢然と立ち向かう。 「氷灯祭とは! しろくま町で明治時代に始まった 伝統ある祭りである!」 「よ! 待ってました色男!」 食堂バリバリ亭のおやじ角田ひとしさんがはやしたてるのを華麗にスルーして。 「江戸時代以前から熊崎村で行われていた 火の神事と雪祭りがルーツとされている!」 「そして、そもそも火の神事は、 この地方で昔から信仰されている、 赤天狗様を祀る祭りが元であったらしい」 調べてみると、それなりに有名な祭りらしくて、ネットには写真やら参加した感想やらがいっぱい載っていた。 大家さんがググレカスと言ったのもちょっと判る。 「へぇぇそんな由緒のある 祭りだったのかよ。さすがだぜ」 と地元住民のくせに、なぜかしきりと感心してくれるのは、『ミートショップくじらや』の谷野輝男さんだ。 「しろくまっこの常識だろ…… 肉屋だけあって 頭の中身まで肉がつまってるね」 そう言って突っ込んだのは、『バーバー水橋』の水橋百合恵おばはんだ。 「ゆりすけよ。 てるてるぼうずの頭に 肉しか詰まってないのは、昔からの常識さ」 「おうよ! 肉屋だからな!」 「ある日目が覚めたら てめぇの頭がショーウィンドウに 並んでたって不思議じゃないわな」 「店長さん。続き続き」 「おう。おほん」 「かつては、雪がつもった城址公園の広場に、 氷のランタンをいくつも作り、 中で火をともして楽しむだけのお祭りだったが」 「ここ二十年、市街地の各所でも、 氷のランタンが設置されるようになり」 地上に灯ったたくさんの明かりは、サンタクロースの目印とも言われていて、サンタ仲間の間ではそれなりに有名だったらしい。 が、これはサンタとトナカイの情報掲示板に書いてあったことなので秘密だ。 「更に氷灯祭前後に行われていた、 熊崎、白波両地区の古い祭りが統合され、 山車や御輿も練り歩くようになった」 「そして今では 町をあげてのお祭りとなったのです。 で、どうです?」 「ふん。下調べとしちゃまぁまぁだね」 「祖母ちゃん辛すぎ! 氷灯祭の説明としては十分合格点! だけど、ひとつ重要な事を忘れてるよ」 「……重要なこと?」 「うん。商売をやっている人達にとって、 掻き入れ時ってこと!」 「あ、そうかお祭り当日は、 全国各地から見物客がくるから、 一年で一番町がにぎやかになるんだ!」 「わいらの掻き入れ時ってわけやね」 と文房具屋さんの金石高介さんが言うと。 「あんな浮かれた日に、 あんたのボロい店で、 わざわざ買い物する客がいるかよ」 「たはっ。きついね」 「さて、店長さん。 下調べしてきてくれたのは判ったけど、 その上で何か質問は?」 「まだ、実地が判らないから、 とりあえず質問はないな」 「おっけー。 何か思いついたら遠慮せずに訊いてね」 肉屋の谷野さんがまるまると太った腕で挙手した。 「確かよ。去年、人混みに押し倒されて、 のぼりが2,3本破けちまったような 気がするんだが……」 ノートパソコンに議事進行を記録している神賀浦さんが顔もあげずに。 「5本ですねぇ。竿が折れた物が1本。 布地が少し破けたのが2本。 行方不明が2本でしたぁ」 「折れた一本と、紛失した二本の、 計三本は新品を購入する予定ですよぉ」 「残りの2本は こっちで修理だったよね?」 「はぁい」 「けちくさい話やな。 そっちもついでに 新調してまえばええんちゃうか」 「新調するんなら、金糸銀糸でも織込んだ 派手なもんにしたらどうだい? もちろん、あんたの金でな」 「そりゃ、かんにんしてや」 「これを機に、のぼりを 白いレース飾りで飾るようにするというなら、 お金は出しますわよ。きっと綺麗ですわ」 ドレスの老婦人、ジェーンさんの実家、土橋家は、昔からこの町の有力者だったらしい。金をうなるほどもっているとか。 だからこそ、メイドさんなんてつれてここにいるわけなんだろう。 「そんなもん氷灯祭ののぼりじゃねぇよ。 あんたの趣味は最悪だよ」 老婦人には、白いドレスは結構似合っているが……。のぼりがあれは嫌だな。 「氷灯祭積立金を使えばですねぇ。 金糸銀糸は無理にしてもぉ、 新調出来ない事もないですよぉ」 「ただ来年には御神輿を修理したいから、 お金はなるべく使いたくないんだ」 「あ。そうだったね。 あれもうちの亭主と同じで、 随分とガタが来てるからね」 「いや、ゆりすけんとこの のんべ程じゃねぇだろ。 同じとかいったら御輿に悪ぃ」 「あっはっは。 そりゃそうだ」 「みなさん。お金の心配をなさることはありませんわ。 御神輿も山車もこの機会に新しく誂えて いいんですのよ。お金ならいくらでも払いますわよ」 「あんたに任せると、 でっけぇウェディングケーキみてぇに なるのがオチだから嫌だ。最悪だ」 「アリ、貴女に言われたくなくてよ」 「どっちもどっちだ」 「志奈子、例のものを」 「はい、ただいま」 俺が生まれて初めて見た実在のメイドさん、寺内志奈子さんが、テーブルの上に紙を広げた。 「これが新しい御神輿と山車の 設計図ですわ」 「……ロマン街道?」 そこにあったのは、西洋のドイツあたりにある古城風の御神輿と山車だった。 「これはまるで駅の裏のラ、げふんげふん」 「すまない! 仕事で遅れてしまったよ! だけど間に合ったようだね!」 「いいや、今、ちょうど 打ち合わせが終わった所さ」 「それが新しい御神輿ですか! まるで駅の裏のラブホテルみたいですね!」 俺が思いとどまった事を!だが、そこにしびれないしあこがれない! 「貴方、今、なんとおっしゃいまして?」 「せっかく新しく誂えるのでしたら、 我が町の象徴であるくま電に――」 「打ち合わせは終わり! 今から飲み会! さぁ飲むぞ騒ぐぞ!」 寺内さんは素早く設計図を片づけると、ネーヴェの女主人といっしょに、つまみや酒を並べ始める。 「待ってください! この大切な会合に遅れたのは謝ります! ですが、いえ、だからこそ僕の素晴らしい提案――」 「あんたは話し合いの場にいないのが 最大の貢献だよ」 「あははは。面白い冗談ですね鰐口さん。 ですが、この提案をお聞きになれば、 ハタと膝を打ち賛成すること請け――」 「まぁまぁかけつけ一杯どうぞ」 「ありがとう鰐口のお嬢さん!」 「きららでいいですから」 「はは。親しき仲にも礼儀ありだよ。 それで僕の提案というのはですね――」 「さぁ、ぐっとぐっと」 「駄目だよ中井君。乾杯は全員そろってからだよ。 全員に行き渡るまでの時間でいいですから、 ひとつ僕の提案を訊いてください」 「みなさん! 僕は思うんですよ! こうやって毎年毎年同じような祭りでいいのかと! いや、いいわけがない!」 「同じじゃないよ。 今年は火吹き男さんとか呼ぶ予定なんだから……」 「そんな予算あるのかい?」 「安いんですよぉ。とってもぉ。 なんせTVにも舞台にもデパートの屋上にも なんにも出たことがない人らしいですからぁ」 「それは素人では? そろそろみなさんに行き渡ったんじゃないですか? ペンキ屋さんもいったん座って――」 「火吹き男? そんな、小さいものじゃないよ! もっと人を集め全国にくま電の名を轟かせる 一大イベントにしなくては!」 「去年と同じ提案ですかぁ」 「さすがはくま電の女神! 僕が言う前にお分かりとは!」 「毎年ですからぁ」 「どうせ却下するんだから、 書く必要なんかありゃしねぇよ」 「大丈夫ですよぉ。 記録はしてませんからぁ」 「ですが! 今年はひと味違うんです! 設計図も手に入れましたし、 今年こそ人車は復活するのです!」 だだん、と音を立てて、ペンキ屋さんは椅子の上に立ち上がった! 「金はどうすんだよ金は」 「わたくしに任せれば、 いつでも出してあげましてよ?」 「土橋さん! そのお心遣いはありがたいのですが、 僕が目指しているのは、 完璧かつ忠実な『白波人車軌道』の再現なのです!」 「遊園地を走っているような、 妙にファンシーな車体は下の下の下!」 お金の前にも信念を曲げない男ペンキ屋!だが、なぜか尊敬する気が湧かない? 「で、人車復活とぶちあげれば、 町内の心ある人達から募金が集まる……だよね? もう3年も前から聞かされているんだけど……」 「せいかくには4年前からだよぉ」 「ふふふ。隗より始めよですよ! こういうことも あろうかと毎年少しずつ積み立てていまして、 ついに今年こそ人車復活費用をまかなえる額に!」 「すげぇ……」 信念のために私財すら投げうつ男ペンキ屋!だが、尊敬よりも呆れるほうが強いのはなぜだろう? 「まぁ……わたくしを頼ろうとしないのは、 評価に値しますわね」 「はぁ……で、お金がどうにかなったとして、 今から作って間に合うの?」 「ええ。 みなさんの心が人車でひとつになれば可能ですよ!」 「さわやかな声で言ってもだめ。 そういう精神論は、 ろくな結果をまねかないもの」 「そして完成した暁には! 人車目当てに来る天下万民で 氷灯祭は大盛況になりますよ!」 「あの……人車ってそんなに メジャーなものなんですか?」 「わわわわ店長さんそれは!」 「中井君! 君は人車がどんなにすばらしく 人気があるかについて、 あまりよく判っていないようだね!」 「しまった!」 「以前にも説明したけれど人車軌道というのは――」 「ペンキ屋」 「あ、はい」 「あんたは本当に大した腕だと思うよ」 「え、そんな鰐口さん。からかわないでください。 僕なんてまだまだ若輩者ですから」 「そういう自然な謙遜も嫌いじゃないね」 「いや、謙遜というわけでは、 まだまだというのは事実ですから。 それはそうと」 「だから、腕は折らないでやるよ!」 「げふん!」 大家さんのアッパーがペンキ屋の顎を打ち抜き、リングを煌々と照らしだす光の中、血まみれのマウスピースが放物線を描いて舞い上がった。 ペンキ屋さんの細い体はまるで重力を無くしたように浮遊し、そして妙にゆっくりと床にくずおれていった……。 アナーキーだ……。(一部脚色が入っています) 「さて、気が抜けちまう前に、 ビールをいただくとしようか」 「あ、うん! とりあえず、氷灯祭の成功を祈って! かんぱぁぁぁい!」 「かんぱい!」 「あ、そうだ!」 きのした玩具店の店長として、ではなく、サンタとして言っておかねばならない事があった。 「すいません。 お祭り当日は 人を出せないと思うんですが」 「……なにか特別な用事でもあるの?」 きららさんの視線に、なにか探るものを感じるのは、俺が意識しているからというだけなのか。 「え、ええ、まぁ。 っていうか、 クリスマスのおもちゃ屋は忙しいから」 「おい。 あんな町はずれにあるくせに、 忙しくて人を出せないと言うのかい?」 「それは、ですね――」 ひとりだけ黙々とコーラを飲んでいた猫塚さんが、俺をいきなり指さした。 「私の推理では、 この男はサンタだ」 「ええっ!?」 「!」 心臓が止まるかと思った。 「クリスマス当日、 忙しくない筈なのに忙しい、 つまり別の仕事があるということ」 「クリスマスに忙しいものといったら、 商売人でなければサンタだ」 「あ、あはは。そんなわけないじゃん。 もう猫さんは推理好きなんだから」 「あんたの推理はいつでもおめでたいね」 「冗談だ」 「猫さんはいつも、 真面目な顔してるからわかんないよ」 「ええとですね。 本部から通達がありまして、 クリスマス当日は、全員で販売にいそしむべしと」 「そ、そっかそうだよね。おもちゃ屋さんだもんね! それにあそこは離れているから 簡単に戻る事も出来ないしね。しょうがないか」 「なるほど……つまりあんたらは、 お祭りの当日、本部の命令とやらで、 来るあてもない客を待って店内くすぶってるのかい」 「まぁ! そんなに売れていないのですか……。 惨めですわね」 「兄ちゃん。 そもそもあんな場所でよぉ。 おもちゃ屋がなりたつのかよ」 「……ええ、まぁ、なんとか」 あんまり忙しくなると、肝心の仕事が出来ないものな。 負け惜しみじゃないぞ。 「でもぉ。なにか代わりに提供してもらわないと、 他とのかねあいもありますからぁ。 ちょっとしたことでいいんですけどねぇ」 「あ、そうだ! きのした玩具店さんになんか作ってもらおう」 「クリスマスに相応しい ちょっとしたおもちゃかなんかを、 みんなの店で売るの」 「それに、あの店でだけ売るよりも、 そっちの利益だって少しは出るしさ。 どうかな?」 「ああ。それなら」 「だけどさあ、 儲かる上に、人も出さないんじゃ、 このあんちゃん達が得するだけじゃないか?」 「ゆりぼうは昔からこまけぇなぁ。 そんなのこいつらの取り分を 全部取り上げりゃいいだけじゃねぇか」 「え、いや、そこまでアコギな事は……」 「じゃあ、店長さん。 お祭りの事前準備に もうちょっと人を出してもらえないかな?」 「週に一人分くらいなら」 俺が出りゃいいわけだしな。 「おっけー。 百合恵さんもそれならどう?」 「文句はないよ。 じゃあ、しっかり働いてくれよ。 若店長さん」 「はい! 任せてください」 いきなり、俺の隣で人が立ち上がる気配! 「はっ!? 僕はどうしてこんな所に寝ているんだ!?」 「突然倒れちゃったんだよ。 びっくりした!」 「なにか すばらしい事を話そうとしていた気が――」 「ま、一杯!」 「……ありがとう。 それはそう――」 「今度のお祭りでも、 進さんにはいろいろ描いてもらうから、 よろしくね!」 「ペンキのことなら僕におまかせ! それはそうと、中井君!」 止めるまもなく、ペンキ屋さんは一枚の写真をふところから取り出した。 「これが人車! 我らが『白波人車軌道』の勇姿だよ!」 「!」 その姿を見た瞬間、俺の中に不思議なものが駆け抜けた。 もしかして、俺はこれを、この奇妙な乗り物を見たことがある? 「そうやって人に無理矢理見せるのは――」 「このコンパクトでキュートな車体! まさに健康的な色気とも言える程の魅力を、 かもしだしているのが君にも判るだろう!」 判りません。でも…… 「あの…… もう少しよく見せてもらえませんか?」 「いいともいいとも! この写真に興味を持った ようだね! それは、非常に珍しくも貴重な写真で、 開通当時宣伝をかねて行われたイベント(中略)」 TVや映画で見たことがあるのか?でも、この感覚はそういうのじゃなくて、もっと身近で……。 「世界のどこかで人車が現役……。 せめて20年前まで走ってたところって あるんですか?」 「残念ながらないんだ! なんという文化の損失! だからこそ僕はこの人車を氷灯祭に 走らせることに魂を燃やす――」 「うるさい。 あんまりうるさいとビンで殴るよ」 「すでに殴ってますけど」 「ボンボンのくせに、 細かいことを気にするんだね。 あんた偽のボンボンだね」 「そもそもボンボンじゃありません」 「春日進殺しの犯人は……誰だ? 私の推理では」 「推理するまでもないよ? 第一、死んでないし」 「犯人は私だ」 「あんた……酔ってるね」 そうか……走って無いのか。そうだよな。こんなもの見たはずがない。錯覚だよな。 「そうだ、店長さん! ひとつ頼み事があるんだ」 「頼み事?」 「うん。 若いきれいどころが3人もそろってるのは、 店長さんのとこだけだもの」 「貴女のところだって、 ふたりいるではありませんか」 「姉ちゃんと……」 「……」 「……ばあちゃん?」 「きららさんだろ」 「え、ええっ!?! 店長さん酔ってる?」 「ジェーン様は、 きららさんの事を、 仰っているのだと推測します」 「どういう血の不思議か、 アリの孫とも思えないですわ」 「……」 「え、えっと、あのその。 そうだ頼み事頼み事!」 「あのさ。クリスマスの二週間前くらいに、 商店会の宣伝として、 みんなでサンタの帽子かぶって町を歩くんだけど」 「あの子達にも参加してもらえない?」 「なるほどー サンタのコスプレして練り歩くんですか! 楽しそうですねー」 「こすぷれはちょっと……恥ずかしいです」 「あたし達の場合は、 コスプレじゃないでしょ! いつもの格好なんだから恥ずかしくないでしょ!」 「おーそうでした。 いつもの事なので コスプレという意識がありませんでしたよ」 「だから! コスプレじゃないわよ!」 「まぁまぁ。 こう思ってくれていた方が、 パレード当日でもボロがでなくていいだろう」 「そーですよ! これでいいんですよ!」 「まぁ……いいわ、もう」 「いつもの格好でも、 人前でするのは恥ずかしいです……」 「わたしは当然参加しますよー。 で、りりかちゃんはどうするんですか?」 「参加するわよ。 店の宣伝にもなるし」 「みなさんが参加するなら……。 頑張ります……」 「いっそお祭りの日も参加しましょうよ! 綿飴とかリンゴ飴とか、 縁日のお菓子もばっちこーいですよ」 「あの、それは無理だと思います」 「お小遣い使い切ったりしませんよー」 「あんただけ参加すれば? あんたの分まで配ってあげるから」 「あ、そうでした! クリスマスなんでしたよね」 「忘れてたのか」 「きららさんには 本当に感謝しなくてはいけませんね」 「ああ。彼女のおかげで クリスマス当日は自由に行動出来るからな」 「他の店でうちのオモチャを 売ってもらえることにもなったものね」 「でも準備にもう少し人手を出さなくちゃ ならなくなったんですよねー」 「頑張ってくるのよ国産!」 「最初からそのつもりだ」 きららさんの言動はかなり怪しい。どれくらいのことを見られたかをなんとか訊き出すチャンスも欲しい。 「なるほど。とーまくんが 人柱なのですね!」 「頑張るのは納得しているが、 その呼び方はなんとかしてくれ」 「……生け贄ですか?」 「労働奉仕だ!」 でも、俺って。トナカイ以外のことってしたことないんだよな。大丈夫だろうか。 「若店長さん。おはよう」 「よろしくお願いします」 「よろしくな!」 はじめての労働奉仕。 ……ちょっと不安だ。 「おう兄ちゃん! うまくいきそうじゃねぇか」 「ええ」 壊れた竿の部分を、裏山でとってきた竹で代用して、とりあえず修理完成。 これでのぼりは新調しなくて済んだわけだ。 「立派なもんだ! 若店長さん才能あるぜ」 「その調子で御神輿の修理も、 やれねぇか?」 「応急修理なら。 でも、この程度なら俺じゃなくても」 「一昨年まではな、 大工の治って奴がいたんだがよぉ」 「その人は?」 「今は東京。 息子さんのとこで同居さ」 それでこういうのをやれる人が、いなくなったって事か。 「こんにちわ! 差し入れ持って来たよ!」 きららさんの手には、マックナルドの袋。 「この兄ちゃんなかなかやるぜ。 ほら、あのぶっ壊れてたのぼりが、 こんなに元気に」 「こりゃ千人力だな」 「い、いやそれほどでも」 照れる。悪い気はしない。 単純なトナカイである俺は、結構のせられやすいらしい。 「やるね店長さん! あんな景気の悪そうなおもちゃ屋やめて、 大工さんに転職したら?」 「いや、俺はト―― おもちゃ屋に人生かけてますから!」 「おー、言うね!」 「なら肉屋に転職しねぇか? 肉屋はいいぞ、肉がいっぱいで、 肉だけじゃなくてコロッケもあるしな」 「そんな肉ばっかりだとあきるぞ。 やはり商売するなら料理屋だぜ」 「はいはい、人生かけた仕事を邪魔しないの」 「そういや、 挨拶回りはどうだった?」 「ばっちり。今年も問題ナシ」 「挨拶って?」 「お祭りに関係ある関係各方面へ挨拶。 警察に、役場に、消防に他の商店会に、 町内会、くま電、などなど」 「大変だなぁ」 「そうだぞ兄ちゃん。 人気もんのきららちゃんだからこそ、 出来る役目なんだぜ」 「人望あるんだ」 「人望なんてないよ。 みんな私が未熟だから かわいがってくれているだけで……」 「でも、 少なくとも谷野さんや角田さんより、 人望あるってことだろ」 「おお、そうよ! 俺は肉以外には人望がねぇからな!」 「肉に人望も何もないだろ」 「そんな褒められても…… タイガーさんに比べれば、 まだまだ全然」 タイガーさん? 「おい、兄ちゃん、 この前、お祭りのこと調べてたよな?」 「ええ」 「じゃあよぉ。二十年前、 氷灯祭を、今みたいに賑やかに変えた、 男の名前も知ってるよな?」 wikiにそんな事は載っていなかったよな……。 「ええと、熊崎町長ですか?」 「いや、その人こそが タイガーさんさ」 「それに、 『おかえりくまっく』に出てきた くまっく帰還運動のリーダーのモデルなの」 「ああ、あの豪快な」 「そうそう。あの人」 「ゴロさんは、あの人の弟分さ。 実際、あの人が町長選挙にだって出るって 話があったくらいだしな」 思い出した。 きららさんと肉屋さんが『あの人』と言う口調。それは、町長さんが大家さんに言っていた『あの人』と同じ口調だった。 「凄かったんだよぉ。 お祭りの挨拶回りとか行くと、あちこちで大人気! どこでも顔パスで入れちゃったくらい」 そして、気づいていた。その人のしたことには全て、過去形である事に。 きっと、もう、その人はいないのだ。 「そろそろ行ってくる」 「はーい、いってらっしゃーい。 頑張ってくださーい」 「労働奉仕の割には、 機嫌良さそうじゃない」 「そうか?」 「そんなにきら姉に会えるのが、 嬉しいのかしら」 「よいトナカイは サンタを良くサポートするもんさ。 だから、労働奉仕は性にあってるんだろ」 「ふぅーん」 「おはよう!」 「おはようございまぁす」 「きららさん。 神賀浦さん。おはよう」 「これから手伝い?」 別に彼女に会う機会が増えたから、機嫌がいいわけじゃないぞ。 多分。 「ああ。 そちらは、これからどこへ?」 「祖母ちゃんの代理で、 出店場所の打ち合わせに警察へ」 「ご苦労様です」 いつも忙しそうだなぁ。 「わたしはぁ秘書兼、保護者兼、 見張りということでぇ」 「ああ…… きららさん逃げるんですか」 「うふふぅ。念のためですよぉ。 きららちゃんを信頼してますからぁ」 「いや、見張りという時点で、 信頼してないな」 「あはは」 「後で差し入れもってくから、 頑張ってね!」 「そっちもな!」 「ふぅぅ……動いた」 俺の目の前の綿飴製造器は、快調に動き始めた。 心地よい達成感。 「ほう! 中井君! ついにやったじゃないか! 電車の整備でもしていたことあるのかい?」 「え、いえ、車の方です」 正確にはセルヴィだけど。しかも空飛ぶし。 肉屋の谷野さんが、プロレスラーのようにでかい手で、俺とがっちり握手。 「やったな兄ちゃん! 俺なんか肉以外の才能がないからな、 あこがれるぜ!」 「え、いえ、褒めすぎですよ。 谷野さんだって協力してくれたじゃないですか」 サンタ関係以外の人とこうやって作業をした事なんて初めてだったけど、悪くない。 そうか……これが地上のクリスマス(正確には違うけど)の準備なんだ。 悪くない。俺、楽しくなってる。 「いいね、モーターの回転音は、 くま電の駆動音を思わせ――」 「差し入れもってきたよ! あ、動いてる!」 「すげーだろ! 2年前に俺が壊しちまって以来、 俺の罪悪感を刺激しまくっていたブツが!」 「……壊したんですか」 「おうよ! 任せとけ!」 「店長さんが直したんだ」 「あ、うん」 いきなり両手をつかまれる。 「店長さんすごい! これからは、しろくま町のエジソンと 呼ぶことにするよ!」 「え、いや、それはちょっと」 「んー……じゃあ、 しろくま町の平賀源内ならどうかな? ニコラテスラでもいいけど」 「獄死するか、 UFOバスターとか作っちゃいそうでいやだ。 打ち合わせはどうなったんですか?」 ぱっと手が離れ、きららさんは元気にVサイン。 「ばっちり。それに消防への届け出もすんだし、 仮設ステージを作ってくれる業者の人とも ちょっとだけまけてもらう形で話がついたし」 「しっかりしてるなぁ」 「え、そんなことないよ。 やろうと思えば誰だってこれくらい、 すぐ出来るよ!」 いろいろな交渉に走り回っている自分をちょっと想像してみた。 「……いや、誰にでも出来るとは思えん」 「そうさ! 鰐口のお嬢さんに任せておけば大丈夫さ!」 「き・ら・ら・でいいです!」 「それだけ順調なら今からでも遅くない、 『白波人車軌――」 「綿飴製造器が直ったとなると、 綿飴の材料も用意しなくちゃね」 「予算なら大丈夫だよぉ」 「ね、姉ちゃん!? まいたはずなのにナゼ!?」 「そうかぁまいたんだぁ」 「い、いえ、そんなこと言ってませんよ? 姉ちゃんの空耳だから!」 「そうだよねぇ。空耳だよねぇ。 だってきららちゃんは お勉強をさぼろうなんてしなぁいいい子だからぁ」 「う、うん。そ、そうだよ!」 「うふふぅ。 じゃあ今日はごほうびに お姉ちゃんと手をつないでかえろうかぁ」 がしり、ときららさんの手がつかまれた。 「う、うれしいなぁ」 「じゃあ、みなさんごきげんよぉ」 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 後には差し入れの、弾丸ドーナツの袋が残った。 「はは! 仲良きことは美しきかな、だね!」 「……」 差し入れのドーナツ、とてもおいしうございました。 「はっ!」 夜中、いきなり俺は目覚めた! 上着をはおると、急いで地下の格納庫へ! 「急な仕事で悪いな相棒! だが、ちょいとつきあって貰うぜ!」 急発進!俺の逸る心が伝わっているのか、カペラも絶好調! かつて愛機を隠しておいた森の中へ着地! 修理の間、部品を置いておいた傾いた古い倉庫は……。 「あった!」 ひっそりと朽ちかけたその建造物は、ここを離れた日のままに建っていた。いや、打ち捨てられていた。 予感を確認するべく、倉庫をよくよく観察した。 外れた扉も、すべて割れた窓も、明らかに倉庫のものではなかった。 ほとんど埋まっているが、地上に僅かに覗いているのは鉄の車輪だった。 中を覗けば、両側の朽ちかけた棚は、棚ではなくシートに見えてくる。 コケとカビと泥に覆われた壁から慎重に汚れを取ると、『白波』という白い文字が現れる。 「やっぱりな」 なぜペンキ屋さんの写真を見た時に、ひっかかりを感じたか。それは俺が現物を見ていたからだ。 小さな建造物は古い倉庫ではなく、打ち捨てられた人車だったのだ。 もし、ペンキ屋さんの言葉が正しければ、『白波人車軌道』最後の現存車輌ということになる。 周りを調べると、朽ち果てた柱や、錆びてぼろぼろになったトタン板が見つかった。 ある時期まで、ここはトタン屋根に覆われた資材置き場か何かで、人車はそこに置かれていたのだろう。 屋根が崩壊して以降も、周りの木々が直射日光や風、雨の一部まで遮ってくれたおかげで人車はその姿をとどめる事が出来たのだろう。 実際、俺がこの場所を選んだ理由も、風や雨が吹き込みにくく少し小高いので水はけがよいからだった。 「だが……ひどいもんだ」 様々な好条件が重なったとはいえ、長い歳月放置されていたせいで、最後の人車は今にも崩壊しそうだった。 ピカピカに磨かれた愛機と比べると、同じ乗り物とは思えない惨状だ。 ペンキ屋さんに感化されたというわけでもないけれど、ちょっと修理してみるか。 「ふわぁぁ……」 あくびをこぼしながら『しろくま日報』を広げると。 「『レオポルド・ブリューネワルトの、 書簡が大量に発見される』?」 「町の歴史を調べた時に、 見た覚えがある名前です……」 「ふむふむ。 あのカリヨン塔を建てた人なんだと。 へぇ。ベルギーの貿易商だったんだ」 今の俺たちには関係ないが。 「あんな塔を造る気になったんだから よほど羽振りがよかったのね」 「確か……故郷を偲んで、 故郷にあった塔そっくりの塔を、 建てることにしたのだそうです」 「でも、塔の完成前に破産してしまわれて、 カリヨンが鳴る幻聴を聞きながら この町で一人寂しく亡くなられたそうです」 「哀しい話だな……」 「今、気づきましたよ。 ブリューネワルトって名前は おかしの名前みたいですねー」 「あんたにとって、 外人の名前はみんなお菓子 ってわけね」 「違います! 確かにマリーアントワネットとか、 クレオパトラとかナポレオンはお菓子ですけど」 「あ、あの、 ご飯がさめてしまいますから」 「お、そうだな」 「いただきまーす」 「おお、新メニューだ!」 ご飯茶碗のなかに、卵そぼろの鮮やかな黄色と、たっぷりと入った新鮮なしらす。 「きららさんに教わりました……」 「おいしいです! きららさんに感謝ですね。 なむなむ」 「成仏を祈ってどうする」 「え、ええ、 この町は漁港でしらすも安い、 のだそうです……」 「これは……梅かな」 「おいしいです!」 「納豆に、種をのぞいた梅干しを 小さくちぎっていれて、まぜてあるんです」 俺はネギと麩のみそしるをいただいた。こちらもうまい。 「朝から飯はうまいし、 平和だ……」 「そうですねー。 最近、どきどきしなくなりましたしね」 「急になによ」 「新聞ですよー」 「そういえばそうだ」 依然として、俺達の正体を暴いた記事は載っていない。 「みんな緊張感が足りないわよ! 悪いことは不意打ちでやってくるんだから!」 「そうですね。おめでたいクリスマスの日に、 セルヴィの接触事故が起きたことも あるそうです」 「それは珍しいな」 「って、それは去年のあんたらでしょう!」 「お前もな」 「でも実際……。 あの時、撮られていたのなら、 とっくに記事になっている筈ですよね」 「うーん。これはあれよ。 写真なんか撮られていなかったんじゃないの?」 「そういえば。 昨日の訓練の時も、 カメラマンさんはいましたよ」 「ええっ!? そうだったの!」 「お前だって、 緊張感が足りないじゃないか」 「うるさいわね!」 「ルミナの状態がよかったんで、 ほんの5メートルくらいの距離まで ちかづいたんですよー」 「な……。 あんた! 反対しなさいよ!」 「俺はトナカイだからな。 サンタが乗ってたら邪魔しないのも 仕事のうちさ」 「超低空でカメラの前をよこぎったんですよー。 どきどきしましたー」 「撮られてたらどうするのよ!」 「カメラマンさんは、あくびしてましたよ。 そりゃそうですよね。 真夜中はおねむの時間ですから」 「気づかれた様子はなかったな」 「……考えてみれば、 気づかれなくても不思議ではありませんね」 「どうしてよ」 「飛行中、ルミナに加護されている私達は、 お互いにしか見えない筈ですから」 「でも実際、 2回は撮られている可能性があるじゃない! 去年の忌々しい事件の時と、この前」 「そういえばそうですね」 「いや……去年のは説明がつくぞ。 墜落中でルミナの加護が 失われていたってことじゃないか?」 「墜落言うな! じゃあ、この前のはどうなのよ」 「もしかしたらですが……。 きららさんのルミナに祝福された力が 撮影機材になんらかの影響を及ぼしたのでは?」 「つまり、ぱぱらっち単独なら、 写る可能性はほとんどないってことなのかしら?」 「単なる推測ですが」 「きららさんにカメラで撮ってもらえば、 証明できるんですけどねー」 「撮らせてどうする!」 「飛行中のわたしのかっこいい勇姿を、 撮ってもらえるかもしれません!」 「なにねぼけたこと言ってるのよ! スーパーカッコいいのは、 ラブリープリンセスである、このあたし!」 「サンタのお嬢さん達。 論点がずれてるぞ」 「とーまくんは、 相棒であるわたしを、 カッコよくないと思ってるんですか!」 「当然よね。 だってアタシと比較してだもの」 「だから! 論点がずれてる!」 くいくい。 ふりむくと、 「あの中井さん……。 後でもっていって欲しいものがあるんです。 頼める……でしょうか?」 「こんにちは! 差し入れもってきたよ!」 「あれれ? 今日は店長さんだけ?」 「不覚にもそういうローテーションらしい」 きららさんは、ローテーション表を見た。 「どれどれ、ホントだ。 進さんがいないのは知ってたけど」 「進さんはどこへ?」 「この時期、進さんは毎年、 くま電におしかけて、 クリスマス用のペイントをしてくるから」 「呼ばれてでも、 雇われてでもなくて、 押しかけて?」 「うん。勝手におしかけるの。 向こうも損じゃないからやらせてるみたい。 最低でも3日は帰って来ないよ」 すごい人だ! 「うーん……差し入れどうしようか」 「お、今日はモッコスバーガーか! ここのちょっと高いけどうまいんだよな」 「そうそう、 奮発してきたのにな」 「差し入れといえば、 実は俺も悩んでいたところで」 「ひとりで全部食べられるかどうかで?」 「そうじゃなくて。 俺も差し入れをもたされてて」 出がけに硯から渡されたでかいタッパーを開けて見せる。 「わ。卵まきご飯がいっぱい!」 タッパーにびっしりと並んだ俵型の卵まきご飯。 「悩むだろ?」 「硯ちゃん?」 「当たり」 きららさんは上着を脱いで、手近にあったパイプ椅子を引き寄せると座り。 「それならちょーっとだけ、 悩みを減らしてしんぜよう」 そう言うときららさんは、卵まきご飯をひとつ取った。顔がほころぶ。 「おいしい! しっかり火も通ってる! 硯ちゃん料理うまいね。 お姉ちゃんも感心してた」 「伝えておくよ。喜ぶだろうな」 「よろしく その上、すごく恥ずかしがると思うよ」 「だな」 「あ、それに、これは、 ミートショップくじらやの卵の味だ!」 「判るの?」 「もちろん! 古いつきあいだから。 あそこって町はずれの養鶏場から 直に仕入れてるからおいしいの」 「ちょっと高いけどね。 卵巻きご飯にはこれが最適」 そう言うときららさんは二つめを手に取った。 「お腹空いてるみたいだ」 「あ、ばれちゃった? 店長さんの方はこれ食べて」 そう言ってモッコスバーガーの袋が俺に渡される。油の香ばしいにおいが鼻をくすぐり食欲をそそる。 「では遠慮無く」 と、俺の手が止まる。 「この差し入れって、 商店会の会費から出てるんだろ」 「そんなこと気にしなくていいから」 「もしかして……。 きららさんのポケットマネー?」 「だから、そーゆうの気にしなくていいから。 お金は天下のまわり物だからさ」 そういうことらしい。 「商店会のみんなだって、 労働をボランティアで提供してくれてるんだから、 これも形はちょっと違うけど同じだよ」 「でも、きららさんだって 交渉したりいろいろしてるじゃん。 そっちの方が換えがきかないと思うぞ」 「いいの。みんな出来ることをしてて、 誰も換えなんか利かないの。 私だって出来ることをしてるだけなの!」 以前、きららさんが町をちょっとでもハッピーにするお手伝い。って言ってたのは本気も本気なんだな。 「だから、しのごの言わないで食べる!」 あまり遠慮するのも、アレか。 俺はバーガーにかぶりついた。 「うまい! 労働は最高の調味料だな」 「ほんとーだね」 「今日もおつとめご苦労さま」 「いえいえ。 店長さんの方はどう?」 「今日は看板作ってた。だいたい出来たかな。 きららさんの方は?」 「こっちは、商店会費の集金と 警備会社へ挨拶、あとガスボンベの手配」 「有能だ」 「そんなことないよ。 細かい計算とかは全部、 お姉ちゃんがやってくれるんだ」 「やっぱ凄いよ。 俺、単純で交渉とか苦手だから、 そういうの凄いと思う」 「も、もう! 出来ることをしてるだけだってば! おだてたって何も出ないんだからね」 そうか同じだ。 きららさんはサンタや俺達トナカイと同じだ。別に何か得がなくても人のために何かしたくなってしまうタイプの人種。 だからルミナに祝福されているのかもしれない。 「おだててなんか無いよ。 素直に喜びをあらわしなさい」 「そういう店長さんだって綿飴マシーン直したり 大活躍でたいしたもんなんだぞ。 角田さんとかも褒めてた」 「そう……なのか?」 「うん。 素直に喜びをあらわしなさい」 「うっし! 俺って客観的にも役に立ってるのか!」 「って、本当に素直に喜んでるし!」 「だって褒められると嬉しいしな。 俺は喜んだからそっちも喜べ」 「うー……」 「わーい」 「棒読みだ」 「う、うるさいなぁもう。 私は奥ゆかしいんです!」 照れたように言うと、きららさんは卵巻きご飯をまたひとつ取った。 「あはは」 「も、もう、なにさ」 かわいかった。 「!」 気づいた。いや、気づいてしまったと言うべきか。 きららさんと二人きりになるのは、初めてだということに。 「……店長さん、どうかした?」 きららさんって短いスカートはいているんだな……ではなくて! 「え、あ、いや、 バーガーのうまさに一瞬呆然と。 これはおそらく、組み合わせが偶然良かったのか」 「おお、伝説のバーガーが、 店長さんの口に入るとは!」 「な、なんだそれ?」 「モッコスバーガーでは、 10万食に1個、最高級の食材で作った、 テラめちゃうまいバーガーを混ぜとくんだって」 「そして光あれば陰がある。 10万個に1個、最低の食材だけで作った、 テラめちゃまずいバーガーを混ぜておくんだって」 「そうだったのか!」 「と、いう都市伝説が」 「……」 俺は残りをひとくちで飲み込んだ。 「ああっ! そんなにおいしいなら、 一口もらおうと思ってたのに!」 「そ」 ―そんなことしたら間接キスだ― 「そんなもったいない事はしない! 伝説は俺が食う!」 「むむぅ」 俺はもにょもにょした気分をかえるべく、爆弾投下。 「そんなにいろいろやってて、 勉強の方は大丈夫なの?」 「……あ、あはは」 「管理人の仕事だってやってるんだろ?」 「ま、まぁ、 だって管理人が働かなかったら 店子の人たちが困っちゃうじゃん」 俺は重々しく言った。 「自分の出来ることをするのはいいけれど、 するべきことをしないのも困ると、 俺は思ったりするんだな」 「だから大家の仕事とお祭りの手伝い」 俺は威厳をこめて告げた。 「勉強も含めてあげなさい」 「含めようにも 入る場所がなかなか見つからなくて」 「何かをどけて作ってあげなさい」 「はーい、肝に銘じておきます」 俺達は顔をみあわせて、ちょっとだけ笑った。 「あのさ店長さん」 「なに?」 「店はいっぱいあるのに、 いつまでも店長さんだけを店長さんって呼ぶのも アレだよね」 「そう……かな?」 「名字は中井だっけ?」 「冬馬でいいよ」 「じゃあ……冬馬さん。 で、いいかな?」 他愛ない事だ。最初からそう言われてたって、なにも特別なものがない程度の呼ばれ方。 でも、俺はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ胸の奥がざわついたのだった。 懐中電灯の頼りない光の下で汗をぬぐう。 「この板も取り替えないと駄目か」 携帯のカメラで、ぱちりぱちりと記録しながらため息。 調べれば調べるほど、人車はひどいありさまだった。 この状態でここから運びだそうとしたらつり上げただけで崩壊してしまうだろう。 全部とっかえた方が早いかもしれないが、現存する『白波人車軌道』唯一の人車ではなくて、単なるレプリカになってしまっては意味がない。 だから部品を一個一個調べて、使えるものは使う計画なんだが。 「カビとコケと泥を取ったら、 何も残らなかったりして」 いやいや。 少なくとも大部分の金属部品は大丈夫。とまでは言えないが、何とかなりそうだ。 もちろん慎重に錆を取る必要は大ありだったが。塗料を塗り直す必要も大ありだったが。釘やネジの大部分を取り替える必要も大ありだったが。 何とかなりそうだが大変だ。 俺は状態を確認した側面の板を外し、ぼろぼろになった釘を引き抜く。全ての作業を注意深く慎重に進める。 外したらまたも写真を撮る。メジャーで寸法を計測する。 「ふぅ……」 寒いのに汗がにじんでくる。 金属部品と違って、側面や天井に使われている板の大部分は、再利用不可っぽい。 一個一個というか一枚一枚細部まで計測して写真にとって図面を作って寸分違わぬものを作るしかない。 シートなどの布や、割れた窓ガラスもどうにもならない。 カペラをメンテナンスする技術がこんな所で役に立つとは。 「記録終わり」 ようやくぼろぼろの板一枚の記録作業終了。 だが、記録が終了したからと言って、廃棄するわけにはいかない。これだって文化財だ。 俺は、ビニールシートでぼろ板を梱包すると、カペラに積み込む。 こういう部品も、港で見つけた使われていない倉庫に運んで、保存しておくんだ。 時計を見ると、午前2時を回っていた。 「……今夜はここまでだな」 それにしても、なぜ俺はこんな事をしているんだろう? ………。 こいつも乗り物だからかもしれない。そして、俺はこいつを直してやることができる。 それだけだ。トナカイらしい単純な答え。それで十分。 「こんにちわ!」 「きら姉、こんにちわ!」 「景気はどう?」 「以前よりかは少しは……」 商店会のちらしに載ったおかげか。ななみが駅前で何度もサンドイッチマンをしたからか。硯がHPを作ってくれたおかげか。 俺がほかの店を見て回って値段を少し下げたおかげか。りりかの提案で少し品揃えを増やしたおかげか。売り上げは僅かに上向きになりはじめていた。 「4倍ですよー。4倍!」 「それは凄いわ!」 「事実だけど以前が低すぎたのよ」 「事実は事実さ。 同じ見るならなるべくいい事実で いいじゃないか」 「あんたは職業柄単純ね」 「職業柄? おもちゃ屋さんって単純なの?」 「ま、まぁ……ほら、 主な客層が子供だからさ」 「子供だってけっこう複雑だと思うけど」 「あの、そういう意味じゃなくて、 店長にあまり悩まれても困るから」 「職業とかかんけいなく、 とーまくんは単純なんですよ」 「なるほど。 でも、きっと冬馬さんも、 見えない所で悩んでいるんだよ」 「あ。店長さんが一杯いるのに、 冬馬さんだけいつまでも店長さんじゃ おかしいでしょ?」 「それもそうですね」 「それからりりかちゃん、 今日はよろしくね」 「任せてください!」 「今日は金髪さんが労働奉仕する日か」 「何よ別に奉仕してるわけじゃないわよ。 好きでやってるの」 「態度変わったな」 「うるさい」 「評判いいんだよりりかちゃんも、 手先が器用だから造花とか作るのうまいし」 「へぇ」 「あったり前でしょ! アタシの才能に死角はないんだから!」 「わたしは!?」 「あ、うん……。 ななみちゃんの作ってくれる飾りは、 とても独創的だって……」 「ほら、大好評なんですよ!」 「硯ちゃんが縫ってくれた、 半纏も好評だよ」 「……あ、ありがとうございます」 他の3人も、町の人とうまくやっているようじゃないか。 「おっと、 あんまりだべってると、 商売の邪魔になっちゃうね」 「今日は何か?」 「天狗様の部屋の掃除」 「あのてっぺんの部屋のですか?」 「うん。 毎年一回。 冬に掃除する事にしてるんだ」 「別に冬じゃなくてもいいんじゃないか? 特に秋とか春のほうがちょうどいい」 「あそこって、誰も使わないから、 動物が住んじゃうことがあって。 ネズミとかコウモリとか」 「どうぶつ王国な感じですね」 「そ、そんなものが……」 「蛇の抜け殻とか スズメバチの巣の残骸とかが、 あった事もあるんだよ」 「スズメバチ!?」 「今の季節にはいないから大丈夫。 寒くなってからなら わざわざ追い出す必要もないしね」 「確かに」 「と、いうわけで みなさんは気にせず仕事しててください。 終わったらまた来るから」 「はーい」 「………」 「ななみどうかしたか?」 「なんか忘れてる気がするんですよー。 わたしの勘ではとーまくんがらみの」 「俺がらみ?」 「判りました! とーま君はあの部屋にお菓子を隠してるんですよ」 「お前じゃあるまいし、 あんな部屋に――」 「サンダース!」 「あ」 俺は駆けだした! 急に扉が開いたら、突然の闖入者にサンダースがびっくりして、 「こけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! こけこけぇこけぇぇぇぇ!」 パニクる怪鳥に驚いたきららさんが、 「え、きゃぁぁぁぁぁぁぁ」 こんな感じの悲鳴をあげて、転がり落ちそうになったりしたら! ――って現実!? 赤天狗様の部屋からすぐの木の枝に今にも落ちそうなきららさんが! 「きららさん!」 俺はツリーハウスの壁面に飛びつき、懸命によじのぼる。 重力がもどかしい、どうしてこうも俺を下へ引っ張ろうとするんだろうか、カペラに乗ってくりゃよかった! 風が強い、ツリーハウスがゆっくりと揺れている。今にも落ちそうなきららさんに、力一杯よびかける。 「もうちょっとだけ頑張って!」 「冬馬さん!? 危ないよ!」 「今は 木に捕まっていることだけ、 考えてて!」 「う、うん」 無理矢理体を引っ張り上げていく。畜生! どうして人間は飛べないんだ! 「きら姉が大変!」 「どど、どうすればいいんでしょう!? うう、ウルトラ警備隊を先生を!? すーぱーまんがいれば! ああわわわ」 「す、硯ちゃん落ち着いて! こういう時は大根でもかじればいいんです!」 「大根かじってどうすんのよ!」 下の3人はパニック状態だ!俺がなんとかしなければ! 「きららさん! もう少しだけ我慢して!」 「う、くぅ……わ、判ってるけど」 もう少しもう少しもう少し! その瞬間、強い風が吹いた。きららさんが捕まってる枝が大きくしなる。 「あ」 「きららさん!」 俺はきららさんの落ちる方へ飛んだ!強い風が全身を包む! だけど、俺の腕はきららさんをなんとかキャッチ! 「もう大丈夫!」 「お、落ちる落ちる! だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 って、どうして落ちてるんだ? 「しまった!」 夢中になっていて、後先考えてなかった! 「きららさん!」 俺は咄嗟にきららさんを抱きしめた。こうすれば彼女だけでも助けられる。 「あ」 きららさんが俺を見た。 どうして、と問いかけるように。 なぜだろう。 それがトナカイの性だからか、それとも、最後まで市街地に落ちないように操縦をあきらめなかった親父の血か。 それとも……。 「スーパーアクアイリュージョン!!!」 真下から俺達を持ち上げるようにあがる強い気流! 「え……」 「りりかちゃん!?」 「もういっちょ!」 絶望的な加速度がみるみる落ちる。 「あ!」 背中に衝撃。 脳裏に親父の顔が浮かんだ。 だが、俺の体は肉片にはじけ飛ぶこともなく、地面からの衝撃を吸収した。 一瞬、息詰まるような重さが、俺の体を上から押しつぶす! 「ぐっ……」 奥歯をかみしめて耐えると、きららさんを抱えたまま、殺しきれない衝撃に飛ばされて転がる。 そしてようやく止まった。 「………」 生きてる……か? 「う、うーん」 「きららさん!」 俺は少し痛む体を起こすと、腕の中のきららさんを見た。 「………」 「大丈夫か!?」 「………」 きららさんは俺の顔をじっと見た。そして、視線を上へ向けた。 「あそこから落ちて無事だったんだ……」 「どこか痛くないか?」 「大丈夫……」 きららさんは上を見たまま、ぽつり、と呟いた。 「普通……怪我するよね……?」 「う……」 「う、運がいいな」 我ながらなんの説得力もない。 「そうですよ! すごい強運ですよ!」 「そ、そうよね スーパー運がよかったわ!」 「き、奇跡です」 駆けつけてきた3人が口々に言ってくれる。 「……」 きららさんが、りりかを見た。 「それとも国産が丈夫だったのかも! 象に踏まれたって気づかないくらいだものね」 「りりか、お前」 「な、何!? 今はアタシのことなんて、 どーでもいいでしょ!」 「あ、あわわわわわ」 「み、店の新しい制服なんて着て、 どうしたんだ。あはあははは」 「!」 りりかは、ようやく、自分の姿に気づいたらしい。 「………」 「き、きら姉! え、えとこれは、 その、そうなの! 新しい制服なのよ!」 「そ、そうなんですよ!」 「きららさんを、 びっくりさせようと思ってたんだ!」 「………」 「もう、大丈夫だから。 だから冬馬さん、あの……」 「あ」 その時ようやく気づいた。腕の中の、きららさんの体のやわらかさに。 俺は慌てて腕をほどいた。 きららさんはゆっくりと立ち上がると、俺達を見回した。 「………なんだかまた浮かんだみたい」 「え、あ、あの気のせいよきら姉」 「きっと風が下から吹いて来たんですよ! かみさまのおかげですよ! ありがたやありがたやなんまいだぶなんまいだぶ」 きららさんはもう一度上を見て、それから俺達を見回した。 「……まぁ、助かったからいいか」 「いやぁホントラッキー!」 「そ、そうそう! ばっちりラッキーですよ!」 「でも、その、 一応、病院で検査したほうが」 「そうだね。うん。そうする。 だけど、この事は誰にも言わないよ」 妙に静かな声だった。俺達は何も言えなくなった。 「ありがとう」 「え、ええっ!? あたしたち何もしてないですよ! ねぇ?」 「そ、そうですよ。 とーまくんが超合金ロボみたいに、 頑丈だっただけですよ」 「に、人間とは思えないくらい頑丈なんです」 「俺って打たれ強いんだ! それと、運もよかった!」 詐欺にも演技にも縁がなさげな俺達は、見事にしらじらしかった。 「うん。そうなんだろうね。 でも、ありがとうって言いたい気分なんだ」 「それにさ。 サンタなんかいやしないに決まってるんだから」 「はぁぁ……」 「完全にばれたわね……」 「あれだけ露骨ならな」 「あたしのせいよね……。 サンタ服まで見せちゃったし……」 空気が重い。 「もし島流しになるなら、 あたしだけの責任だって、 上申書を出すわ」 「そんな必要ないぞ!」 「そうですよ! りりかちゃん! ひとりで格好つけないでください!」 「格好なんてつけてないわよ! だって事実じゃない!」 「あの場合、 他にどうしようもなかったですよ。 前みたいにこっそり助けるわけには」 「あの時、りりかさんが ああしていなかったら……。 今頃、中井さんもきららさんも……」 「そうだよ。 りりかはよくやったよ」 「……」 「そうよね! 国産はともかく、 きら姉のピンチを見捨てるわけには」 「とーまくんだけだったら、 見捨てることもあったかもしれませんが」 「俺だったら見捨てるのかよ」 「場合によってはよ」 「あくまで仮定の話ですよー。 そのときになったら多分助けますから」 見捨てる可能性がゼロとは言ってくれなそうだった。 「だけど、きららさんは、 誰にも言わないっていってくれましたよ」 「そうよね! きら姉なら言わないでくれるわよ!」 「それに不思議な体験だったなーって思ってても、 わたしたちがサンタだ、という風には 思わないでくれるかもしれないですよ!」 「じゃあなんだと思うんだよ」 「それはもちろん…… ちょいのーりょく者ですよ!」 「……超能力者です」 「そうじゃなかったら…… うちゅう人とか、うるたーまんとか、 インドで修行とかそういうのですよ!」 「きら姉は、あたしのカッコ見てるのよ。 それに――」 「ちょっとかわいそうな、 こすぷれいやー……とか?」 「あんたの正装だって、 同じようなもんでしょうが!」 「コスプレじゃありません……」 「きららさんにはもう完全にばれてる。 そうじゃなきゃ、 サンタなんかいるはずがない、とか言わないだろ」 「とーまくんはひどいですよ! その台詞、忘れるように努力していたのに」 「でも、言わないでくれるなら、 なんとかなるのかしら?」 「……聞いてみるしかないな」 「先生に聞くのは……ちょっと」 「俺がロードスターに聞きにいく」 「え」 「大丈夫だ。 俺だけが姿を見られたって言うから」 「……やめてよ。 そんなことでカッコつけるの。 見られたのはあたし、そう言いなさい」 「……いいのか?」 「だって、あんたがきら姉を助けようと飛んだから、 あたしだって咄嗟に、ああしちゃったんだし…… あんたのせいにするわけにはいかないわ」 「判った」 「……」 俺は、ロードスターに全て話した。 「以上です」 「……なるほど。判りました。 少々、面倒な事になりましたね」 「面倒……ですか。 彼女が黙っていてくれるから、 大丈夫という訳にはいきませんよね」 「そういうことではありませんよ」 「……と仰いますと?」 「もし、君たちが隠しておくつもりなら、 こうして私に話す必要すら感じなかった筈です。 違いますか?」 「………」 確かにそうだ。きららさんと俺達が黙ってさえいれば、何もなかった事になるのだ。 「それなのに、君はこうしてここへ来た。 どうしてだろうね?」 「………」 「君たちは知らないと思いますが。 私達支部長には 特別の権利が与えられています」 「え……?」 急に話が変わったので、ついていけない。 「支部長が許可した場合に限り、 地元の人間に正体を知らせてもいいのです」 「そんなこと聞いた事がありません」 「無理もありません。 ロードスター以上の者しか知らない決まりですし、 許可が下りる事も滅多にありませんから」 「彼女に秘密を打ち明けるか打ち明けないかは、 君達で決めなさい」 「……打ち明けるなんて事が許されるんですか?」 「君たちは既に打ち明けているも同じです。 暗黙の秘密を持ち続けるか、持ち続けないか、 差はそれだけではありませんか?」 「そうですが……」 「そうです。ですが、です。 その差は大きい。 少なくとも君たちはそう感じている」 「………」 「何かあったら責任は私が取ります。 そのための支部長ですからね」 「よく相談してみます……」 「そうしたまえ。 ルミナの導きが君たちに 正しい結論をもたらさんことを」 「失礼します」 「………」 「そんな規則ありましたか?」 「ないね」 「ですが、正式には、 打ち明けていけないという決まりもない、 違いますか?」 「君は時々鋭いですね」 「学校で教えている禁忌、 あれは単なる都市伝説に過ぎないのです。 とても強固ではありますが」 「誰かに打ち明けたことがおありなので?」 「どうかな?」 「ただ、 我々は人の外にあるものではない。 人の中にあるものだ」 「ということだ」 「そんな規則があったなんて……」 「簡単ですよ! 許可が出たんですから話しちゃいましょう!」 「そんな簡単に決められないわよ。 あたしだけの問題じゃないんだもの」 りりかはジェラルドを見た。 「俺はどっちでもいいさ。 騎士はお姫様の断に従うだけだからな」 「アタシも、 パラプロがあるからどこへ行っても平気」 「あの…… それはそれで問題があると思いますけど」 「大丈夫よ。 ゲームは毎週発売されているんだもの」 「もう正体はばれている、 そして、このままでも、 きららさんは黙っていてくれる」 「それには異議ないよな?」 「ないわ」 「ないですよ」 「回りくどいな。 トナカイはもっとシンプルなもんさ」 「……俺は、言うべきだと思う。 これ以上、嘘はつけない」 「わたしもです」 「ここまで来て言わないのは、 嘘ついてるみたいでいやよ」 「……ちょっと怖いです。 でも……このままだと、すっきりしません」 「ねえ、もしきららさんが みんなをサンタだって知ったら どうなると思う?」 「知ったとしても、 彼女がプレゼントを俺達に要求してくるとか、 想像がつきません」 「そうですよ!」 「確かに…… あの婆さんなら、 容易に想像つくけど」 「そうですね……」 「なるほど。 なら、いいんじゃない?」 「ここまで若い奴らが決意してるんだ。 止めるのは野暮ってもんだな」 「これで満場一致ですね!」 「俺がきららさんに言う。 それでいいか?」 「いいんじゃない。 だって、間違いなく、 あんたが一番言いたがってるんだから」 「……別にそんなんじゃない。 俺は店長だからな」 「おはよ!」 「おはようございます」 「買い物? でも、今日はやめておいた方がいいよ。 明日バーゲンやるとこが多いから」 「いや、今日は手伝いに」 「冬馬さん。 おめでとうございます!」 「え、なぜ?」 「なんと! 今日のローテーション表に、 きのした玩具店さんの名前は載っていません。 本業がんばってね」 「それは知ってる」 予定にないからこそ、今日は来たのだ。 「え? もしかして誰かの代わり? でも、そもそも今日は誰も シフトを入れてなかったはずだけど……」 「いや、気になったコトがあったんで、 自主的に作業しようと思って」 「気になったコト?」 「お祭りの時に使う、 テントを点検しておきたいと思ってさ」 うん。我ながらなかなかいい理屈。前向きで、自主的で、献身的だ。いかにもトナカイだ。 「おー! 頑張るね冬馬さん! 自主的なんて偉いぞ!」 「いや、偉くなんかないよ。 俺の心がそうしたいと叫んでいるだけさ」 「これからは、 しろくま町のシュバイッツァーと 呼んであげよう!」 「いや、それはちょっと……」 「じゃあナイチンゲールでもいいや! 後で差し入れもっていくね!」 で、きららさんが差し入れ持ってきてくれる→二人きりになる→俺、自分達がサンタだと打ち明ける→きららさんは受け入れてくれる→めでたしめでたし。 うむ。完璧だ。 「……」 「冬馬さん。 わざわざ来てくれたのは嬉しいけど、 ちゃんと本業をしなくちゃだめだよ」 「な、なにゆえ!?」 予想外の展開だ! 「今のスケジュール通りにやれば、 お祭りの前にテントの点検も 完了してるから心配しなくて大丈夫」 「え、いや、テントだけじゃないぞ。 綿飴製造器以外にも幾つかガラクタがあるから、 直せないか調べようと思って」 嘘はついていない。 「……」 「そういう気持ちは嬉しいけど、 本業に差し支えるようなことは、 して欲しくないんだ」 「きのした玩具店さんには、 当日人を出せない代わりってことで、 ただでさえ多めに負担してもらってるんだし」 「あ、いや、その辺は大丈夫! うちはあんま忙しくないから」 「だからこそだよ。 うまくいくかどうかの大事な時でしょう? 宣伝とか研究とか話し合いとかした方がいいよ」 「……」 なんていい人なんだ! 「ありがとう! そこまで赤の他人の店を心配してくれて!」 「え、あ、だって、 その、余りなんというかうま―― い、いえ、始まったばかりで大変だろうから」 「でも、今日のところは手伝うよ」 「……」 「うん。判った。 じゃあ後で何か差し入れにいくよ」 ほ。なんとか予定通りになった。 というわけで。 がらくたを全部ばらしてみたのだが。 「うーん。このたこ焼き機は、 使えそうもないな……」 プレートは大丈夫だが、加熱する部分が壊れてる。なまじ修理するより買い換えた方が良さそうだ。 射的用のおもちゃのピストルは、筒のプラスチックがぼろぼろだし、金魚すくいの水槽は底が腐りきっていた。 水槽は作り直せそうだが、おもちゃのピストルはどうにもならない。 「差し入れ持ってきたよ!」 たい焼きだった。まだほかほかとあたたかい。 「ありがとうございます!」 計画通り二人きり。チャンス! 「どうだった?」 「テントの方は問題なかった」 「水槽はなんとか修理出来そうだけど、 ピストルとたこ焼きは駄目そうだ。 新しいのを買うしか」 「そっか……ありがと」 「………」 今こそ言うチャンスか!? 「冷めないうちに食べなくっちゃ駄目よ」 「あ、おう。 これも自腹?」 「高いもんじゃないから気にしないで」 とりあえず話すのは食べてからにしよう。 あつあつのたい焼きにかぶりつくと、ほどよい甘さが口の中一杯にひろがる。 うん。うまい。 「あのね……その……」 「うまいぞ」 「いや、そうじゃなくて、 あのね、私しゃべったりしないから、 気とか使わなくていいんだよ」 俺は思わずたい焼きを食うのを止めて。 「……え」 きららさんは、少しそっぽを向いていた。 いや、そんなこと心配してないよ。と言うわけにもいかず。俺は歯形がついたたい焼きを持ったままフリーズ。 「この前のはすっごく運がよかった。 それに冬馬さんが、その、しっかり 抱きしめててくれたから、だから大丈夫だったから」 「それにさ。サンタなんていないんだよ。 どこにもいない。いるはずがない。今の時期 サンタのコスプレ風の制服くらい普通だもの」 彼女は俺達に気を遣ってくれてるんだ。だが、俺は悲しくなった。俺達がまとめて否定されてるみたいで悲しくなった。 「俺は――」 「あ、中井君じゃないか! 鰐口のお嬢さんもこんにちわ! おお、おいしそうなたい焼きだね!」 場違いに明るい声。 「ええっ、 進さんどうしてここに!?」 「はっはっは! ここは僕の店だよ! ようやくくま電でのワークが終わってね。 帰って来たというわけさ! ひとついただくよ」 ひょい、と実に当然、というしぐさで、ペンキ屋さんはたい焼きをひとつ取った。 失念していた!ここはこの人がうろうろしているんだ!こんな所で告白が出来るわけがなかった! 「そ、そうですよね。不思議じゃないですよね。 あと、十年以上前から言ってますけど、 きららでいいですからっ」 「親しき仲にも礼儀ありだよ。 それはそうと、今年の氷灯祭用に 僕がペイントしたカラーリングはなんだと思う?」 しまった。それはそうとが!だが、きららさんにはいつもの切れがない。ここは俺が。 「え、ええと」 こちらが返事をするまもなく、ペンキ屋さんは続ける。 「今年はなんと! 僕が去年発見した新資料を基に くま電創業時のカラーリングを忠実に再現したん だよ! ああ、今こそよみがえる創業(中略)」 大家さんを見習って、ペンキ屋さんを肉体言語で黙らせるしかないと思った時、救い主が現れた! 「進さん、中井さんこんにちわぁ。 きららちゃん、ここにいるのは、 判っているんだよぉ」 「こんにちわ」 「おお! くま電の女神ではないですか!」 なぜくま電かを訊くのは自殺行為。それに、くま電のかどうかはともかく、救いの女神ではあった。 だがしかし、きららさんと二人きりになるには、この人も障害! 「ね、姉ちゃん! これには海より深いわけが! 多分、瀬戸内海よりもいやマリアナ海溝よりも 深い深いわけが!」 「深くても浅くてもどっちでもいいんだよぉ。 きららちゃんちに行くまでのあいだに、 ちゃーんと聞いてあげるからぁ」 「は、話しだしたら うちにつくまでに話せるほど短い話じゃないんです! 長い長いペンギンの話なみに長いんです!」 「それに大きな声だと五月蠅いし、 小さな声だと聞こえません!」 「ふふふぅ。だいじょうぶだよぉ。 それなら訊かないであげるからねぇ」 「彼女は俺に差し入れを持って来てくれたんです! 逃げようとかさぼろうとかじゃなくて、 ちゃんとワケがあったんです!」 「そ、そうなの! 冬馬さんに差し入れに来たの!」 「うんうん。みじかいはなしだったねぇ」 「あうあう」 「ちゃーんと差し入れたべてもらえたみたいだねぇ。 よーじも終わったようだから、 おしょくじ前のお勉強タイムだよぉ」 神賀浦さんの手が、きららさんの手首をつかんだ! 「た、たすけて!」 「女神よ! 鰐口のお嬢さんに余り乱暴なことは いけませんよ」 なぜ女神なんだ!?疑問はふくらむばかりだが。 「うん。いけないねぇ。 でも、これくらいだから乱暴じゃないよぉ」 そう言うと神賀浦さんは、空いた方の手でペンキ屋さんの手首を握ってみせた。 「ね?」 「なるほど! これなら乱暴ではないですね!」 「ですよねぇ」 そう言うと、ペンキ屋さんの手首を握っていた手が、きららさんのもう一方の手首へ移動した。 「お、おたすけ!」 「神賀浦さん! いやがる彼女に無理矢理教えても、 余り効率がよくないと思います」 「そ、そうだよ! 冬馬さんいいこと言う! 花丸あげちゃうよ!」 「うん。わたしもそう思うよぉ。でもぉ。 いやがらない時はねちゃってるきららちゃんに、 むりやり教える以外のほーほーがないんだよぉ」 「……無いんですか」 「うん。ない」 「ちょ、ちょっと冬馬さん納得しないで! 私だって、たまには、じゃなくて、もしかしたら、 いつか、きっと、遙か未来にはそんな心境に!」 「うふふ。はるかミライじゃ遅いんだよぉ。 みなさん、おさわがせしましたぁ」 「あれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」 ドップラー効果を残して、きららさんの声は遠ざかっていった。 「それはそうと、中井君は、 僕がなんで神賀浦さんを、くま電の女神と言うか 不思議に思ったろうね。それは」 俺は、逃げ出した。 「『俺がきららさんに言う』と、 中井冬馬が、雄々しく宣言してから はや一週間が経過した」 「決意は立派な中井冬馬であったが、 現実はきびしいのであった」 「たまに店に顔出したと思ったら、 変なナレーションをいれないでください」 「とーまくん」 「なんだ? 腹でも減ったか?」 「まだきららさんに告白してないんですか?」 「誤解を受けそうな言い方をするな」 「誤解? だって告白は告白ですよー」 「まぁ、そりゃそうだが」 「誤解が本当になることだってあるわよ。 それはそれで流されるのも人生」 「先生はいつも流されてばかりなんでしょうね」 「うーん。どっちかと言うと、 生ぬるいよどみに浮かんだままって感じかしら?」 嫌な人生だなぁ。 「『俺がきららさんに言う。それでいいか?』 ってビシッと言ってた割に行動が遅いですね」 「機会がな」 性質上、他の人に聞かれるわけにいかない話なのだが、彼女とふたりきりになるのは実に難しい。 「あ、そうか。 きららさんって人気者ですからねー」 「そういうことだ」 「でも、 あれからだって、何度かきららさん、 ここに来たじゃないですか」 「ななみ達が一緒の時だと、 話がややこしくなりそうで」 「確かに、りりかちゃんあたりが、 いろいろと口を挟んで混乱しそうですよねー」 どちらかというと、ななみが一番心配なんだが。言わぬが花。 「なら、自分の部屋に連れ込んで、 ちゃんと鍵をかけて、 無理矢理ふたりきりになればいいじゃない」 「って、なんですかその不穏な感じは!」 「ベッドがあるから出来るわよ。 なくたって出来るし」 「出来るんですかー。すごいですねー」 何が出来てすごいのか判っているのか?いや、判ってなくていい。 「でも、まじめな話。なかなか難しいわね」 「……」 「きららさんに打ち明けるからといって、 他の人に聞かれてもいいってわけではないし。 壁に耳あり障子に目ありだものね」 「もしかして……。 まじめに話しているんですか?」 「もちろんよ。アタシはいつだって真面目よ。 後輩が困っているんだから捨てておけないわ」 「………」 「さすが、年上が言うと、 説得力がありますねー」 「ふふ。人生の師とよびなさい」 「あ、まちがえました。 年上ではなく年増でしたー」 「余計な訂正すな!」 「……年上はそれくらいでは怒らないものよ」 「お、怒っていますね!」 「まず、話すときはふたりきりがいい、 これが第一条件ね」 「そうですね」 「人気のなくてしかも、人が来たらすぐ判る場所か、 滅多に人が来ない場所がいい。これが第二条件ね」 「……そんなところに呼び出したら、 思いっきり誤解されますね」 「冬馬さん、こんな所に呼び出して何の用? へへへ、用って言ったらこれしかないだろう! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「……」 「しくしく、もうお嫁にいけない……。 へへへ、この写真をばらまかれたくなかったら、 黙っていろよ。ついでに家賃もただにしろ!」 「あ、この手でもいいんじゃない?」 「よくないですよー」 「では、俺は倉庫の整理を……」 「待ちなさい」 「今更まじめぶっても、 だまされません」 「お! とーまくん、クールですね」 「そういう誤解をされずに、 告白しやすい状況を設定できる手段が あると言ったら?」 「……聞くだけは聞きましょう」 「いきなりそういう場所へ呼び出すのは論外だし、 日常の延長でそういうシチェーションを 作ろうとしてもうまくいかないのは当然よね?」 「この一週間でよく判りました」 「かといって二人きりになるのを、 単に待っているだけじゃ、 いつまで経っても告白できないわよね?」 「確かに……」 「だけど、私の提案する手段を使えば、 ふたりきりになるチャンスだって作り易いし、 ひとけのない場所へ行っても不自然じゃないわ」 「……」 願ったりかなったりだ。もし、先生が真面目に考えてればだけど。 「ま、うまくいくかは、 あなた次第だけど」 「わかりました! とーまくんが、きららさんの、 家庭教師になればいいんですね!」 「それなら教えている時は、 いつもふたりきりですよ」 「それが出来たら楽だけど、 トナカイはそういうのに向かないわ」 「それに、俺が金を出す人間なら、 神賀浦さんと俺を比較したら」 「あ、そうですね。 とーまくんを家庭教師にするなんて、 お金をドブに捨てるようなものです」 「……ちょっとだけ傷ついたぞ」 「中井さん、ここは思い切って」 「思い切って?」 「デートを申し込むしかないわ」 「……は?」 「あなたがきららさんに、 デートを申し込むしかないわ」 ………。 「きららさんとデートか……」 ………。 先生の言うことだから、ふざけていると笑い飛ばせばいいのかもしれなかった。だが、頭にこびりついて離れない。 確かに、一緒にある程度長い時間いれば、ふたりきりになるチャンスだって増える。 ひとけの無い場所へ行くのはアレだが、それでも、告白しやすくはあるだろう。 「……いい手なのかもしれないが」 そんなんでデートに誘うなんて、だましてるみたいで嫌だ。 「……って、俺は馬鹿か」 第一、きららさんが、うん、と言ってくれるかどうか判らない。ってか、多分無理。 自分が女性に生理的な嫌悪感をもたれるほど、絶望的な容姿性質の男とは思えない、が。だからと言って、応じて貰えるとは思えない。 嫌われてはいないだろうが、それは危なっかしい商売をしてる店子を心配してるレベル。別に特別な好意をもっているわけじゃない。 基本的に彼女は誰にでも親切だ。 誰にでも。 「……」 馬鹿馬鹿しい。他の手を考えるべきだ。 っていうか、わざわざそんなことをしなくても、チャンスはあるに違いない。 ………。 多分。 「差し入れ持って来たよ!」 「お! このにおいは肉だな!」 「おー、いつもすまねーな」 この人、みんな(俺も)ジョーさんって呼ぶけど、下の名前を知っている人は誰もいない。 「店長さんよ、取らねーと無くなるぜ」 「あ、はい」 「あれれ、冬馬さん。 具合でも悪いの?」 「肉を食べようとしないとは、 ひどく具合が悪いに違いないぜ!」 「あ、いえ。そういうわけじゃないです」 ペンキ屋さんが戻って来てから、ますます人がうろうろするようになって、二人きりになんてなれやしない。 「兄ちゃんが食わないなら、 このハンバーガーは俺のもの」 「だーめ」 もしかして、この前の時が最後のチャンスだったのか!? 「自分の決断力のなさが恨めしい!」 「うわわ。 冬馬さん急に苦悩してどうしたの!?」 「あ、ええと、みんなおいしそうだから、 どのモッコスバーガーにしようかと」 「全部同じ」 「いや、同じモノなど無いのだよ諸君!」 「猫塚の仕事は終わったのかい?」 「ちょっと構図に悩んでいてね。 それはそうと、さっきの同じモノはない という話だけどこれには根拠があるんだ」 「え? あれ」 気づくと、きららさんと谷野さんとジョーさんは、姿を消していた。 見捨てられた! 「同じ年代に同じ工場で製造されたくま電にも、 それぞれ微妙なクセがあってだね。 特に、二系統を走る車輌番号1193と――」 それから3時間俺だけがありがたいお言葉を拝聴させられたのだった。 木にサインペンで引いた直線に沿ってのこぎりを入れていく。 ゆらめくカンテラの明かりの中、おが屑が雪のように飛ぶ。 「ふぅ……。 雪が本格的に降り出す前に、 なんとか間に合いそうだ」 今夜は順調。これで人車の修理に必要な木材は全て揃った。 「労働はいい……」 面倒な事を考えなくて済む。なんと言ってもトナカイにふさわしくシンプルだ。 どうやって女の人をデートに誘うかなんて難しい事を、考えずに……。 「って、済んでどうする!」 昨日は徹夜して考えて何も思い浮かばず、今日こそは環境を変えて考えようとここへ来たのに、もくもくと作業しちまったよ! 木の切り株に腰を掛けて、改めて考える。一体いかにデート(?)を申し込むべきか。 衆人環視の中で、申し込むのはためらいがある。 だが、そもそも二人きりになる機会がないから、デート(?)を申し込むわけで。二人きりになれるならこんな事はしない。 かといって、携帯で誘うのも、初デート(?)を申し込むには軽すぎる。 八方ふさがりか! 「ふわぁ……」 考えてたら一睡も出来ないうちに朝。 これで二日完徹。 「あ。おはようございます。冬馬さん」 「おふぁよう……」 郵便受けからしろくま日報を引っ張り出す。 「こんな朝早くどうかした―― 凄いクマですね」 折り込みチラシを外してから、ちらり、と1面を見る。相変わらず問題の写真は載っていない。 緊張感がなくなったな。ホント。 「そんなに凄いか……。 あとでベンジンでも塗って消しておこう」 「模型じゃないんですから無理じゃないでしょうか」 「……そうか? ふぁぁ……まぁいいや。 ちょっと考え事をしてたら、眠れなくてね」 「冬馬さんでもそんな事があるんですか」 「たまにはね。 俺ってそんふぁに 神経太く見えるか?」 「え、いえ。 硯の話だとそんな感じだったので」 一体、俺をどんな人間だと話しているんだ? 残りの郵便物をあさる。ダイレクトメールばっかりだ。 まったく、ご苦労さんなこった。こんな印刷された手紙で、人の心が動かせると思っているのか。 真心をこめた手紙じゃなきゃ、心は動かせんぜ――。 「!」 「冬馬さん? どうかしましたか?」 その輝かしいアイデアは、雷鳴か天使のラッパのように俺の脳内に轟き渡った! 手紙だ! 直筆の手紙でデートを申し込めばいいんだ!これなら二人きりになれなくても問題ナシ! 「ありがとうさつきちゃん! 俺は書いて書いて書きまくるぞ!」 「な、なんだかよくわかりませんが、 頑張ってください」 「おう!」 「ふふ。ふふふふ」 俺のふところにはマーベラスなラブレター。あとはきららさんちへ届けるだけだ! 「……」 「あ、あの……」 「なんだい?」 「い、いえ、その。 中井さん、朝から少し、その……」 「大丈夫さ。万事うまくいくから!」 「そ、そうなんですか……何が?」 「未来。 おっと、そろそろ交代の時間だな!」 「え、あ、はい、そうですね」 「ただいまー!」 「く、重いわ……」 なぜか、買い物の荷物を全てりりかが持っていた。 「りりかちゃん勝負弱すぎです。 そうでなかったら、 わたしの溢れる才能の勝利ですよ」 「次に会う人が男か女か当てるのが、 才能のはずないでしょ!」 「全部外したりりかちゃんが言っても、 説得力ないですよ」 「帰って来たか! じゃ、俺は重大な用事があるんで、 後を頼む!」 「え、あ、ちょっと!?」 俺は後も見ずに駆けだした。青春は振り返ってはいけないのだ! 「とーまくん、どうしたんでしょう? 目の周りにあんなに凄いクマまで作って」 「アタシが知るわけ無いでしょ!」 「……もしかして」 「もしかして?」 「………青春?」 「なによそれは!」 俺は走る! 走る走る俺達!ってひとりなのに俺達とはこはいかに? 来た! 見た! 入れた! 「こんにちわぁ」 偉大な仕事を成し遂げた俺は、高揚した気分のまま挨拶。 「ははは! こんにちわ!」 「ご機嫌ですねぇ」 「ええ。未来はバラ色ですから!」 「そうなんですかぁ。 それは良かったですねぇ」 世界はキラキラした鱗粉をまぶしたように、一面輝いていた。 世界はひとりぼっちの夜のように光ひとつさしていなかった。 「………」 俺は真っ暗な部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。 目覚めて頭がすっきりした途端、襲って来たのは恐ろしい後悔。 俺は……。 俺は……なんて事をしちまったんだ! いくら、徹夜で神経がハイになってたからと言って、いきなりラブレターを投函するってどうよ? しかも。 「なに書いたか全く覚えてねぇ!」 「とーまくん、ごはんですよー」 「……今日はいい。 男が大きくなるための、 絶望を味わい尽くしているんだ」 「ええっ!? とーまくんどうかしたんですか!? いつもガツガツと食べるとーまくんが!」 「……俺ってそんなに腹ぺこキャラなのか」 「うん。そうですよ」 「………」 こういう時でも腹は減るのか。 「来ないと、全部食べちゃいますよー」 「こんな時にいったい誰が?」 液晶ディスプレイの表示は。 「きららさん!?」 もしかして怒り狂っているとか!? だ、だが意識が朦朧としていたとしても、俺がとった行動には変わらない、男なら責任を取らなければ! 「……はいもしもし」 「あ、あれ、冬馬さん……だよね? 声暗いけどどうしたの?」 「い、いや、明るいぞ。 部屋はまっくらだけど」 「電気くらいつけた方がいいよ。 目に悪いから」 「そ、そうだね」 怒ってる感じはしないな……。 「………あー、おほん」 「それで、肝心の返事しなくちゃだよね。 オッケーだから」 「え?」 「今度の日曜日の午前10時、 しろくま駅のくまっく前でどうかな?」 「え?」 どういう事? 「……おい。中井冬馬」 「は、はい」 「え? とか言うな。 申し込んで来たのはそっちなのよ」 「……」 「そ、そうだよな。 あ、うん。それでこっちもOKだ」 「じゃ、日曜日に」 「あ、ああ。ありがとう」 「どーいたしまして」 ………。 取りあえず。 「よっしゃ!」 「おお」 悩みが無くなって見上げる冬の青空は俺の心と同じように澄んでいた。 「あ。おはようございます。冬馬さん」 「おはよう!」 郵便受けからしろくま日報を引っ張り出す。 「悩みは……なくなったみたいですね」 折り込みチラシを外してから、ちらり、と1面を見る。 今日も大丈夫。 「ありがとうなさつきちゃん。 君のおかげだ!」 「そうなんですか? よくわかりませんが、 お役に立ててよかったです」 「う……」 結局、夕飯は、俺が電話のあと、喜びをかみしめている間に、ななみに食われてしまったのだ。 「寝不足は解消したみたいですけど、 今度は腹ぺこみたいですね」 「世の中、 あちらを立てればこちらが立たずさ」 「それ……なんだか違いますよ?」 「で、とーまくん。 きららさんのことは、 どうなったんですか?」 「任せておけ。 今度の日曜日にはケリをつけるさ」 「おお! 自信に満ちてますね」 「随分と具体的ね。 あ、この卵焼きおいしいわ!」 「ありがとうございます」 「どうやって二人きりになるのかな? もしかして、先生の提案通り きららさんとデート?」 「あ、それは、だな……」 デートなのか……やっぱり客観的に見るとそうだよな……。 「まさか! きら姉がそんなに趣味悪いわけないじゃない。 先生も冗談がきついわね」 「なるほど。振られましたかー」 「何を! 振られてない! オーケーもらったぞ!」 えええええええええっっっっっっっっ!? そこまで意外か?まぁ……確かに俺自身、何でオーケーして貰えたかよくわからないのだが。 疑念のまなざしが俺に集まる。 「あー、おほん。 ま、まぁ……そういうことだ」 「判りました! 神風が吹いたんですね」 「神風は関係ないのでは……」 「きら姉をどうやって脅したのよ!」 「普通に手紙で申し込んだだけだ!」 「おー、ラブレターですか」 「え、あ、まぁ……」 正面切ってそう言われると照れる。 「ラブレター……」 「どういう文面で脅したのよ!」 「……」 「って、なに黙るのよ! 本当に脅して無理矢理……サイテー」 「そんなわけないだろ!」 多分。きららさんの声からして、そういう感じじゃなかったし。 今はもう忘れられてしまった過去の俺よ。脅してなんかいないよな? 「いつのまに そこまでラブになったんですかー」 「これは、あれだ……。 あくまで、その、手段であって――」 「そうよ。ラブなのはこいつだけよ」 「で、とーまくん。 当日のデートコースとか、 もう決めているんですよね?」 「ま、まぁな。 任せておけ」 何も決めていない。ってか、考えてもいなかった! デートコースか……。 「い、いつぅぅぅぅぅぅぅ!」 トンカチを釘でなくて指に! 「おいおい、大丈夫か?」 「あ、ああ、どうも。大丈夫です」 「3度目だぜ」 「いや、大したことないですこれくらい!」 「おう、その調子だぜ! 釘が貫通したわけじゃねェんだ」 「今日、きららさん遅いですね」 「色んな関係者との 面倒な打ち合わせだとよ」 「なるほど……」 「中井君! 君は鰐口のお嬢さんを 随分と気にしているようだね」 いきなり後ろから言われて、俺は飛び上がるかと思った。 「え、いえ、そういうわけでは」 「隠しても判るよ。 ジョーさんもそう思うよね?」 「まァな」 「そうだろうそうだろう! 誰だって判るさ! つまりこれは恋だね!」 ペンキ屋さんは、何もかも判っているという顔をして、俺の肩をたたいた。 「僕のくま電愛を隠せないように、 中井君の愛も隠せないんだよ! 愛というのはそういうものなんだ!」 「だから、 彼女をデートに誘い給え!」 「ええっ!?」 この人の口からこんな言葉が出るとは! 「自信がないのかい? だが大丈夫!」 「こんなこともあろうかと 女の子なら誰でも喜ぶスペシャルなデートコースを 僕が作成してあるからさ! ここに!」 ペンキ屋さんがポケットから取り出した茶封筒は、神々しくもありがたく。 自信に満ちあふれたその言葉は、俺をすがらせる藁として十分だった。 「恩に着ます!」 ありがたくもかたじけなく、封筒を受け取ると、 「うむ。中井君は、 鰐口のお嬢さんの承諾を貰う事にだけ、 全勢力を注ぎ給え!」 「はい!」 もう貰っているのだけど。 「見事、承諾をもらった暁には、 デートの当日、このしろくま電気軌道特注の封筒を 開けるんだ! わかったね?」 「はい!」 「それはそうと、 しろくま電気軌道特注封筒のロゴは、 これまで都合3回変わっていてね」 それから3時間。ペンキ屋さんの話を聞かされたが。 今の俺にはペンキ屋さんのどんな言葉でもありがたくかたじけなかった。 で、日曜日! しかも、デート日和! 「あんた浮かれてるみたいだけど、 勘違いしちゃだめよ。 これはデートでもなんでもないんだからね!」 「……判っているさ」 俺はうきうきしている。だが忘れてはいけない。 これはいつわりのデート。別にそのなんだ、告白のお膳立てにすぎない。 う……ちょっと罪悪感。 午前9時30分。待ち合わせの時刻まで30分ある。 「ついにか」 俺は、茶封筒(しろくま電気軌道特注)の封を切った! ペンキ屋さんの作ってくれた計画書が、そのかたじけなさを遺憾なく発揮する時が来た! 「こ、これは!?」 くま電にある5つの系統を、一筆描きでで制覇する一日乗り放題コースだとぉっ!? このスケジュールに従って乗り換え乗降すると、朝11時から夜の6時まで、ひたすらくま電に乗っていることに。 スペシャルだがスペシャルすぎる!りりかならスーパースペシャルと言うだろう。 確かに、女の子なら誰でも喜ぶデートコースだ。ただしペンキ屋さん並のくま電マニア限定の。 「あ、あはは……」 人間溺れると掴んでしまうのは藁程度でしかないというありがたくない教訓。 どうする!?なんの予定も立てていないぞ! 「おはよ!」 封筒(しろくま電気軌道特注)と計画書を握りつぶして振り返る。 「おほん……おはよう」 デート(?)の待ち合わせで、相手に醜態を見せるのはアレだ。 既にさんざん見せてる気もするが。 「早いね。びっくりした。 待ち合わせすると、 たいてい私が一番なんだけどな」 「相手より先に来るのが、 男のたしなみだからな」 「そうなの?」 「違うのか?」 「だって、 それって大変じゃない」 「なんで?」 「待ち合わせの時刻は判っても、 相手がいつ来るかなんて判らないんだから。 相手も早く来ちゃうかもよ」 「むむ。そういえば」 「待ち合わせの時刻に遅れなければ、 いいんじゃないかな? 私は10分前にはつけるようにしてるけどね」 「ってことは、 余裕を見て30分前に来て 正解だったな」 「え、じゃあ、 20分も待たせちゃった!?」 「いや、今、来たところだから」 「それっておかしい。 計算があいません」 「男は、デートの時、 女がいくら遅れてきても、 『今、来たところさ』と言う物なんだ」 多分。 「……」 「……きららさん?」 「ええと……あの…… そ、そっか、デートなんだ?」 「え、あ、うん、そうだろう」 きららさんが俯いてもじもじすると、俺の方にもそれがうつってしまう。 「まぁ、そうだよね……。 この状況だと……そう、なんだよね」 落ち着け俺! 「そっか……なら、見てたのは……。 進さんのアレ……だよね?」 「アレ……? じゃなくて、どうしてこれが 進さんがくれた物だと!?」 「だって、そんな封筒使ってる人、 つきあいのある人では、 進さんしかいないもの」 「……そりゃそうか」 「あの人、 周りで、その、デートとかしそうな人みると、 好意で作ってくれるんだよ。それ」 いつものことだったのか! 「でも、お姉ちゃんならともかく 私は、くま電一日乗り放題とかは、 ちょっと遠慮したいかな」 「まさにその通りだった」 「でも、冬馬さんが、是非の是非にそうしたい くま電、好き好き超愛してるって言うなら、 じっと我慢の子で反対しないけど」 「いや、是非反対してくれ!」 「ほ……よかった。 冬馬さんがそうしたいって言い出したら、 どうしようかってドキドキしちゃったよ」 「きららさんが、くま電、好き好き超愛してる、 一日中乗り放題まんせーとか 言い出したらどうしようかとドキドキだった」 「確かにそれはドキドキね」 ペンキ屋さんのおかげで、なんとなく空気がほぐれた。感謝はしないけどな。 「くま電乗り放題はやめるとして、 どうするの?」 「この町のこと、 まだよく知らないから、 きららさんと一緒に歩いてみたい」 「……いいのそれで? 別に今日じゃなくても、 この町なら歩けるよ」 「いや、今日じゃなくっちゃ駄目だ」 きららさんと半日は一緒にいられる今日じゃなくちゃだめだ。なぜかそんな気がした。 「……そっか。 私もその方がいいや」 きららさんはそう言うと、腕時計を見た。 「あ、その前に、 ちょっと一緒に見たい物があるんだけど、 いいかな?」 「あー、面白かった!」 約3時間の暗闇から解放されると、冬の澄んだ青空が目にしみる。 「……そうか?」 「ああいう映画嫌い? だったらごめん」 映画館でかかっていたのは、いかにも金がかかっていなそうな安っぽいホラー映画の3本立て。 夏休みが終わらない内に死んだ男の子が、心残りの余り死霊となって夏休みを過ごす。『死霊と生霊と夏休みの日記』 マッドサイエンティストが死霊を人体標本にしようと苦闘する。『死霊と生霊と人体標本』 売れないマラカス奏者のマラカスの出す音波が、町に死霊と生霊を呼び寄せて大騒動を起こす。『死霊と生霊とマラカス野郎』 題名を聞いただけで、駄目な感じがする映画3本は、見ても駄目な3本だった。 「嫌いってわけじゃないが……。 映画館でわざわざ見る映画じゃない。 見たいならKUTAYAのレンタルで十分」 「だって、 カップル割引で見たかったんだもん」 「まさか……それだけ?」 「それだけとはなによ。 割引は重要よ。割引は!」 きららさんは、俺を、ずびし、と指さして。 「割引なしで映画館に行くなんて、 裸でくま電に乗るようなものだよ!」 「わけがわからないぞその例えは」 そう言えば……。俺達と『おかえりくまっく』を見に行った時も、団体割引チケットを使ってたな。 「それに……一度、カップル割引で、 入ってみたかったんだもの」 「もしかして初めて?」 「悪い? 男の人だけと一緒にいったのは、 初めてなんだもの」 俺達のわきを、くま電がゆっくりと通り過ぎていく。 「前は友達と?」 「学生の頃は友達とつるんで、 話のネタにくだらなーい映画とか、 よく見てたんだけどね」 「団体チケットで?」 「うん」 「その子達は?」 「ブンちゃんもエツコもハルミもトージもヨーヘイも、 卒業したら、大学へ行ったり就職したりで、 町を出て行っちゃってさ。しょーがないけどね」 「一人じゃ行かないんだ。映画」 「そうだよ。 私にとって映画はひとりで見るものじゃないの」 「ならさ。 映画に行こうかなって時には、 誘ってくれればいつでも行くよ」 俺は格別の意識もなく言ったのだけど、 「それって、新手のナンパ?」 「い、いや、そうじゃないぞ! 俺はただ、行く人がいないならってだけで、 別に俺じゃなくてななみ達でもいいわけだし」 「冗談だよ。判ってるって」 きららさんは、俺の顔を覗き込むように見た。 「冬馬さんって不思議だね」 「そうか……?」 不思議な職業に就いてるが、健全で年相応の男だと思う。 「たまにだけどね。 エトランジェだからかな」 「えとらんじぇ?」 「異邦人のコトよ」 不意に、俺達の脇に黒くてぴかぴかした大きな車が停止した。 「きららさん。こんにちわ。 どちらへお出かけなのかしら?」 開いた窓から顔を覗かせたのは、ドレスを着た老婦人。 「今日は目的もなくブラブラと」 「あら。それは珍しいですわね」 老婦人の視線が俺に向けられた。 「そちらの方は、確か……」 「俺は――」 車の奥から声がした。 「ジェーン様。あの方は、 きのした玩具店の店長、 中井冬馬様で御座いますよ」 「ああ、そうでしたわね」 「しろくま町を案内してるんです」 「そうなんですデートとかじゃないんです!」 「……」 老婦人の顔に、いたずらっぽい表情が浮かんだ。 「なるほど。そうでしたの。 この事はアリには言わないであげますわ」 「え、いえ、そんな、 別に知られても困ることじゃ……」 「おほほほ。万事わたくしにお任せなさい。 言いふらそうという慮外者がいらしたら、 釘を刺してあげますわ」 「え、ちょっとジェーンさん!」 「中井さん。 きららさんをよろしくお願いしますね」 「あ、はい」 「ふぅ……。 一瞬で広まっちゃうな……」 「ごめんな。 俺がもっとうまく対応していれば!」 「いや、どうしようもなかったって。 ま、一週間で広まるか、 三日で広まるかくらいの差だけど」 「それはそれとして、 さっきのはちょっとムカついた」 「何が? 心当たりがないんだが」 「デートとかじゃないんです。 とか力一杯きっぱり言っちゃってさ。 誘ったのはそっちのくせに」 「きららさんだって、 町を案内してるんだ、 って言ったじゃないか」 きららさんが、ずい、と迫ってきた。 「誘ったのはそっちのくせに」 「それは、そうだが」 きららさんは尚も、ずずい、と迫ってきた。 「いっそ、このまま、 キスでもしちゃおうか。 そうすればデートになるかも」 「え、ちょ、ちょっと! 早まるな!」 「なーんてね」 俺はきららさんに連れられるままに、ほらあなマーケットをぶらつく。 「へぇ……こんな店が」 ひっそりと開いた細い脇道を1メートルくらい入ると、そこにも小さな店があった。 「漬け物の専門店なんだよ」 店名は『らっきょう』というらしい、看板はペンキ屋さん製。隅にくま電が描いてあるから間違いない。 「おや、きららちゃん。 いい男連れてるじゃないか。 紹介しておくれよ」 「この人、 ほら、ツリーハウスに入った おもちゃ屋の店長さん」 「ああ、あの噂の」 「どんな噂なんですか?」 「言いにくいけど言っちゃうよ。 売れそうもない酔狂な店だってさ」 「う」 渡る世間はキビシイ。 「この人は早川靖子さん。 まったく、靖子さんが会合に出てくれれば とっくに知り合いになってたのに」 「悪い悪い」 「さぁて、今日は新しいお客さんを 紹介したんだから、 商店会費払ってね。約束したわよね?」 「まったく、しっかりしてるね。 ほら、商店会費」 「もしかして…… この為に俺をここに!?」 「それだけじゃないって。 ひのふのみぃよ。確かに受け取りました」 「お、酒粕も扱ってるんだ」 「粕漬けがあるからね。 お、今日はあったあった。 酒粕ならこの銘酒『猫だまし』のがいいよ」 「有名なお酒なのか?」 「有名かどうかは知らないけど、おいしいんだ。 この酒粕。料理に使うと味がよくなるし。 甘酒にしても絶品なの」 「甘酒って、これから作るのか? 発酵させて作るんだとばかり」 「あー、そういう甘酒もあるけど、 酒粕にお砂糖をくわえてお湯で溶かして、 とろとろにして作るっていうのもあるんだ」 「おお。なるほど」 「きららちゃん気をつけな。 この人、教えてくれとか言って家に連れ込んで、 きららちゃんをデザートに甘酒飲むつもりだよ」 「気をつけまーす」 「しません」 「ねえ靖子さん。 新しいお得意様開発のためにも、 ここはひとつサービスが必要なんじゃない?」 靖子さんは、しょうがないなという風に肩をすくめると、『猫だまし』の酒粕を一袋くれた。 「めりーくりすます! じんぐるべる! めりー!」 「あ。丘じいちゃん」 「めりーめりー。 ゆー、あー、さんたくろーす!」 「え、俺!? 俺は」 「はいはい。みんなサンタクロースだね。 丘じいちゃん。家の人心配してるよ」 きららさんは、丘さんの手をひいてゆっくり歩き出した。 「めりーくりすます! ええと、あんたは……。 そうだ、さんたくろーす!」 少しよろける丘さんに、俺は肩を貸した。 「はい、そうですよ丘さん。 俺はさんたくろーす」 トナカイだけどな。 「メリー!」 「ごめんね。 なんだか色々つきあわせて」 「いいって、 あれがいつものこの町なんだろ?」 「うん」 「あ」 「どうかした?」 「ごめん。やっぱりいいや。 またほらあなマーケットに戻るね。 まだ紹介してない店あるから」 「いいよ。俺に気を遣わなくても」 「……ん」 「じゃあ、お言葉に甘えて」 きららさんは、さっき声をあげた所まで引き返した。 「もしかして……。 ここもきららさんちの物件?」 「そうだよ。 あさって新しい店子が入るんだけど、 ガス周りとか軽く最終点検しとこうかなって」 「手伝おうか?」 「え。いいの?」 「ぼさっと突っ立って、 きららさんの仕事を見ているだけじゃ、 手持ちぶさただからな」 点検したり他の店子の相談に乗ったりしてから、またほらあなマーケットへ戻ってぶらぶら。 「にんじん、おいしいね」 八百屋さんがくれた今朝取れたばかりのにんじんは、確かにうまかった。 「ああ、うまいな」 俺達は生のニンジンをかじりながら、徐々に夕暮れが迫ってきたほらあなマーケットを並んで歩く。 「でも、ニンジンをかじりながら歩く、 カップルって変かもな」 「そうかな? 生だけどちゃんと洗ってあるよ」 「なら問題ないな」 確かに問題はない。俺達はそう悪く無い感じだった。 「お、きららちゃん、若店長。 いつのまにそういう仲になったんだ」 ここ数週間で顔見知りになった人達にひやかされるのも、こそばゆいけど、悪く無かった。 「こんにちわ。 で、そういう仲ってなにかな?」 「一緒にニンジンを囓る仲じゃないか?」 「若店長。どうせ囓るなら、 一本のニンジンを両ハシから かじるってのはどうだ?」 「おお。その手があったか!」 「ついでに、きららちゃんまで、 ぱくっとな」 「はいはいオヤジギャグはその辺まで。 お店をほっぽっといてふらふらしてると、 奥さんに後でおしおきされるよ」 角田さんは肩をすくめた。 「おー、こわこわ。 じゃ、無粋なオヤジは退散するさ」 立ち去る角田さんの背中を見ながら、きららさんが言った。 「あのさ。冬馬さん。 ちょっとはデートっぽいことしない?」 「いらっしゃいませ」 ネーヴェのカウンターの向こうから、美人マスターの美樹さんの笑顔が迎えてくれる。 「こんにちわ! あれ? クレイジーズの誰か来てたの?」 クレイジーズ?苦隷自慰図? 「ネコさんがさっきまで」 「そっか」 「男の方とふたりで来るのは、 初めてですね」 初めてなのか。 「うん。初デート」 実にさらりときららさんが言った。その自然さが心地よかった。 「そうなんですよ」 こんなことなら純粋に誘えばよかった。 だけど、純粋な気持ちだったら誘うなんて考えなかったろう。 俺達は奥のテーブルについた。音楽は軽快なイージーリスニングに変わっていた。 俺はコーヒーを、きららさんは紅茶を頼んだ。 お冷やを口に含んで少し落ち着いてから言葉を探す。 どうして俺の誘いに乗ったの?どうして俺とここへ来たの? だけど、そんな直球なことを訊く代わりに、別の事を口に出していた。 「ネコさんって言うのは、 本屋の猫塚さんのこと?」 デートみたいなこの雰囲気を、崩したくなかった。 「そうだよ。あの人達の誰かが来るとね。 この店では必ず、バッハの曲がかけられるの。 だから判るんだ。来てたのが」 「あの人達って……? もしかして苦隷自慰図っていうのが あの人達の事なのか?」 「あ。冬馬さんは知らないんだ。 そっか、当たり前だよね」 きららさんはどう説明しようか、という風にしばらく黙り、紅茶をスプーンでくるくるとかき回していたが。 「クレイジーズっていうのは、 うちの祖母ちゃんとその仲間の事なの」 「祖母ちゃん。丘じいちゃん。ジェーンさん。 ネコさん。タイガーさん。 高田さん。梅井さん。で七人組」 後ろの3人は聞いた事のない名前だった。 「この町では有名なの?」 「この界隈で知らない人はいないよ」 「昔は凄いワルだったとか?」 苦隷自慰図。昔の愚連隊みたいな名前だものな。それにあの大家さんだし。 「ワルかどうかは判らないけど、 いろいろ悪さはしたらしいよ」 「カツアゲとか?」 「冬馬さん。 私の祖母をどういう目で見ているのかね」 「ごめん。つい」 「まぁ……判るけどさ。 あの『カリヨン塔』が幽霊塔って呼ばれた 原因を作ったのも祖母ちゃん達なんだって」 「幽霊のふりして、 いたずらでもした、とか?」 「聞いた話ではそうらしいよ」 「つまり……悪ガキ軍団?」 「うん。 タイガーさんがボスで、 祖母ちゃんが裏ボス」 「……裏ボスか」 想像つきすぎる。 「でもね。ただの悪ガキじゃなかったんだよ。 7人が揃うと、 何かやってくれちゃう人達だったの」 「へぇぇ」 「『おかえりくまっく』でさ、 市民運動のボスは庭木さん、参謀は祖母ちゃんが、 モデルだったって知ってるよね?」 「ああ。この前、聞いた」 「映画でさ。 他にも何人かいたでしょう? 同じ歳くらいのキャラが」 「あ。運動の中心になってた人達のこと?」 「あの人達のモデルが、 クレイジーズ」 「え、でも、庭木さんの名前、 さっきなかったぞ」 「タイガーさんが、庭木さん。 庭木虎蔵だったから」 「ああ……なるほど」 鰐口だからアリゲーター。だから、アリだったのか。 「だけど、 それがどうしてバッハなんだ? 全然結びつかない」 あのメイドさんを連れた老婦人、ジェーンさんなら、なんとなく納得だが。 「あー差別だ。 人を見かけで判断しちゃ駄目だぞ」 「でも、大家さんなんかは、 バリバリのド演歌って感じじゃないか」 「そりゃ、カラオケではそればっかりだけど、 前はよく、携帯プレイヤーで、 バッハ聞いてたよ」 「へぇ……」 「ずっと前に丘じいちゃんに聞いた所によると。 戦前、この町に住んでいたある外人さんが、 家でバッハの曲を始終弾いてたんだって」 「それが子供心に耳に残って、 クレイジーズのみんなにとって バッハは特別な作曲家になったんだそうよ」 「あの大家さんがバッハか……」 「冬馬さんは誤解してるよ。 そりゃ祖母ちゃんは業突張りだし、 欲深いしケチだし口も意地も悪いけど」 「誤解していないな」 「あう……そ、そうだね」 きららさんは、気を取り直して、 「おほん。 だけど、それだけじゃないんだもの」 「この町って、奇妙な物件が一杯あるでしょ。 洋館とか和洋折衷の建物とか、カリヨン塔とか」 「そういやそうだな。 きららさんちの物件にも何軒かあったっけ」 サー・アルフレッド・キングのお屋敷もそうだな。 「ああいうのはみんな、明治から大正にかけて、 祖母ちゃんのひいひいお祖父ちゃん達が 建てたものなんだ」 「大工さんだったっけ?」 「うん。棟梁だったんだって。 だから二束三文で買いたたいたのは 確かだけど、それだけじゃないんだ」 「ひいひいお祖父ちゃんの、 思い出のためにか……。 いい話だ!」 「……多分」 「多分かい!」 「だって、そうだったとしても、 あの祖母ちゃんがそんなコト、 正直に話すわけないじゃん」 「確かに」 「だけどね。祖母ちゃんが買ったからこそ、 多くの建物が取り壊されずに済んだんだもの」 「今では冬馬さんに見せた数件を残して、 町に譲渡して、立派な観光資源に、 なっているってわけ」 やっぱりいい話なのか? 「……でも、その」 「譲渡する時、 結構ぼったらしいけどね……あはは」 「台無しだ!」 「だね……でも、ほら、 生活っていうのがあるわけだし……」 「きららさんは 祖母ちゃんが好きなんだな」 きららさんはなぜか頬を紅くして、 「え、あ、いや、それは」 「あー、あったりまえじゃん!」 そう言うと、一気に紅茶を飲み干し、 「って、祖母ちゃんの話ばっかり。 これ違う! なし! 私馬鹿だなぁ。 話題が狭くてごめんなしゃい」 「なんで? 謝ることなんてないだろ」 「だって。せっかくわざわざ喫茶店来て、 いつもしそうな話しても、デートっぽくないもの。 しかも祖母ちゃんの話なんて」 「そんなことない。 俺はきららさんのこと、 全然知らないから新鮮だ」 「そ、そうなの? ならいいんだけど。 あ、それから、今、喋ったこと、 祖母ちゃんには内緒ね」 カウンターの向こう側で、美樹さんがこっそり笑っていた。 ネーヴェを出たら、町は夕暮れ。 いかん。俺達の正体を告白しないまま、こんな時間に! 「冬馬さん」 「あ、送っていくよ」 「……え? でも」 「そろそろ暗くなるし」 俺がデートを申し込んだのが、あの告白のためだって知ったら、彼女は機嫌を損ねるだろう。 なら。無理に今日言わなくてもいいか……。 「……」 「あのさ。海、見に行かない?」 「次はしろくま海岸。 しろくま海岸でございます」 11月も末の海岸は、ただ何もなく寒かった。 壊れかけた小さな倉庫らしき建物が、ひとつだけぽつんとあって、かえって何もなさが倍加している。 「海のばかやろー」 「ストレスでもたまってたの?」 「ううん。単に定番かなって」 俺達の足下で、砂がさくりさくりと音を立てる。 「夕日に向かって走るんじゃないのか?」 「あ、それもあるね。 でも、そんな気分じゃないかな」 「誰も……いないな」 きららさんは足を止めて俺を見た。 「だから、来たの」 「……」 「冬馬さんも、 その方が好都合なんじゃないの?」 俺はきららさんを見つめ返した。 「だから……俺の申し出を?」 「ん、そう……だね」 なぜ彼女が、知り合って間もない俺の、唐突な誘いを受けてくれたのか判った。 それは、こうしないと二人きりになるチャンスを作れないと、考えたからだったのだ。 「手間をかけてすまん」 「ホントだよ。 これを初デートって考えるのは癪だから、 カウントしませんからね」 「……それがいいな」 お互い承知していたんだ。デートじゃないと。判っていたはずなのにな。ちょっと、がっかり。 「じゃあ本題。 冬馬さんって、赤天狗なの? 飛ぶ人でもいいけど」 「この町の赤天狗様は、 もしかしたら、昔の人が俺の同類を、 そう呼んだのかもしれないけれど」 「俺は、赤天狗じゃない。トナカイだ」 「それって…… 比喩とか単なる愛称とかじゃないんだよね?」 「そのものずばりだ」 「もしかして……。 今は変身して人間になってるの?」 「いや、違うよ。 サンタが乗っているソリを引っ張るメカの 操縦士ってとこかな」 「……バイクみたいな乗り物?」 「セルヴィって言うんだ。 見たんだ。あの時」 「うん。はっきり見ちゃった。 冬馬さんがバイクみたいな乗り物にのって、 空を飛んでいたのを」 「更科さんとかに、 言わないでくれてありがとな」 きららさんは、手をぶんぶんと振った。 「そんな、お礼を言われるようなコトじゃないよ。 店子の秘密をべらべら喋る大家なんて、 最低だもの」 きららさんは、波打ち際のほんの端を、ゆっくりと歩いて行く。俺も後へ続く。 「トナカイってことはさ。 サンタもいるんだよね?」 「ご明察」 「ななみちゃん、 りりかちゃん、 硯ちゃん?」 「ああ、そうだ」 「そっか……あの子達がね……」 「驚かないんだな」 「冬馬さん達って、 どこか浮世離れした人達だから。 アリだな、って」 「ほめ言葉?」 「どうだろ? 婆ちゃんだったら間違いなく悪態だね。 姉ちゃんならほめ言葉かも」 「あー」 納得。 「……」 「そっか……見間違えじゃなかったんだ。 サンタもトナカイもいるんだ……」 「こんな奴らで残念だろ?」 きららさんは立ち止まると、小さく首を振った。 「そんなことないよ。 残念も何も、全く信じてなかったんだもの」 「ただ……お姉ちゃんの言ってたコトは、 ホントだったんだなって思ってね」 「それはどうかな。 ご両親に貰ったのを、そう思ってるだけ、 ってこともありうるし」 「……」 きららさんはまたゆっくり歩き始めた。俺は無言で隣を歩く。 冬の海の打ち寄せる音が、絶え間なく響いている。 しばらくそうしていたら、 「あのね。私、誰かに言う気なんて、 これっぽっちもなかったんだよ」 と、きららさんが呟いた。 「落ちたのを助けてもらうまでは、 錯覚だと思い込もうとしてたし。 あれ以降は、秘密にしておこうと思ってたし」 「そうじゃないかって思ってた」 「ならさ。 打ち明けなくてもよかったんじゃない? それとも、たいした秘密じゃないの?」 「基本的には 知られちゃいけないコトになってる」 「なんで?」 「サンタだって知られると、 プレゼントを直接頼んでくる人が、 出てくるかもしれない」 「そうすると、不公平が生じるだろ?」 「なるほど。なんだかもっともらしいね。 だとすれば……」 「目撃してたことを確認した後で、 黒服の二人組が来て、 私の記憶を消しちゃうんだ」 「サンタはそんな事しない」 「出来れば、ここ半年くらいの記憶だけにして欲し いな。せっかく覚えた試験勉強分も消さないで! 合格率が10%から0になっちゃう!」 「大丈夫だって、しないって そんな心配しないで」 「冗談♪ でも、じゃあなぜ打ち明けたの?」 「俺……いや俺たち、 きららさんには 嘘を重ねたくなかったんだ」 「その程度、嘘って言わないし、 嘘だったとしても方便よ。 誰だって秘密くらい持ってるものだし」 「………」 「きららさんなら、 打ち明けても、 変わらないだろうと思ったんだ」 「いや、打ち明ければ、 もっと……判ってもらえるんじゃないかと思った」 「………」 「ええと……うまく言えないけど、 そんな積極的な感じで」 「そっか……。 信頼してくれてありがと」 「ま、当然か。 店子と大家は親子も同然だものね」 「かあさん!」 「息子よ。 そうやって甘えても、 小遣いはやらんぞ」 「ケチ」 俺達は顔を見合わせて小さく笑った。 「でも、冬馬さんってホント不器用。 相談があるって携帯に連絡してくれれば、 都合くらいつけたのに」 「……あ」 「なんだ、思いつかなかったんだ。 でも、だからって、 デートの申し込みするかな? 普通」 「それしか、その……。 思いつかなかったんだ」 「しかもあんな珍妙な手紙でさ」 「……あはは」 気になる。中身がとても気になる!だが、寝不足でハイになって書いたとは、とても言えません。 「じゃあさ。つぐみんはどうするの? あの時、彼女は写真撮ってたよ? それってまずくないの?」 「とてもまずい」 「でも、決定的な写真ってわけじゃないと思うよ。 それならとっくの昔に『しろくま日報』に 載ってるはずだもの」 「俺達も最近、そうじゃないかって 思うようになった。 出来れば何を撮ったのか確かめたい」 「でも、 冬馬さん達が探りをいれてるって判ったら、 つぐみんはもっと疑うだろうね」 「そうなんだよな……」 出来れば、きららさんに探って欲しいけど、スパイみたいな事してくれとは、言えないものな。 「いっそ打ち明けたら? あ、駄目か。 あの子、絶対記事にしちゃうものね」 「きららさんもそう思うのか?」 「だって、大スクープだよ」 「だよな……だから困ってるんだ」 「もしもさ。 新聞とかに 決定的な写真が載ったらどうなるの?」 「……俺達はこの町にいられなくなると思う」 「うーん。それは大家として困る。 あの物件に入居してくれる奇特な人なんて、 滅多にいないんだから」 「そういう心配デスカ」 「あ、でも。 サンタの秘密基地だって知られれば、 観光客が押し寄せるかも!」 「俺達の運命はどうでもいいんかい!」 「冗談だって」 「だから、その頼みにくいんだが、 出来ればきららさんに」 「つぐみんが何を撮ったか、 探り出して欲しいと?」 「頼める……かな?」 「……いいよ。それくらい。 急にいなくなられちゃったら、 こっちも困るしね」 「ありがとう」 「あーあ、ここんとこ冬馬さんが、 私のことちらちら見てるからさ」 気づかれてたのか。 「私の魅力も満更捨てたもんじゃないって、 ちょーっと嬉しくなったりしてたのに、 見られてたかどうか気にしてただけか」 「しょんぼり……がっかり」 「あ、や、そんながっかりするコト無いぞ! きららさんは十分魅力的だ!」 「そ、そんな、あはは。 いやだなぁ、もう、 ほ、本気にしちゃうよ!」 「え、あ、でも、 その、魅力的だ……と思う」 急に気恥ずかしくなる。 「も、もう…… そんなこと言わなくても、 ちゃんとやるのに……」 俺達は黙り込んだ。辺りは、打ち寄せる波の音のせいで、かえって静かだった。 こそばゆいような、だが、そんなに悪く無い、不思議な沈黙。 「え、えっと…… そっちの用事も終わったし、 そろそろ帰ろうか!」 「……ああ」 きららさんは、今日のことを、デートだと思ってくれないだろう。 それが、残念だった。 「店長! 見てきなさい」 店長でパシリ扱いかよ。 「おま――」 「いらっしゃいませ」 客の応対なら、俺よりこの二人に任せたほうがいい。 「任せる」 「え、きららさん?」 「おはよう!」 同時に突き付けられた一枚の紙切れ。 「で、これがつぐみんが撮った写真。 を、カラーコピーしたもの」 「ええっ。もう手にいれたのか!?」 「ひっひっひ。蛇の道は蛇って奴っすよ。 まぁまずは見てみそ」 「……確かにセルヴィが写ってる」 「私にも冬馬さんが乗ってた、 乗り物に見えるけど」 「それは多分。 俺達はこれが何か知っているから、だな」 画像はブレてしかも滲みまくり、その上、ルミナの力の作用でか、あちこち不自然に白く飛んでいた。 これでは夜空を写したかどうかすら判らない。 「これじゃあ持ち込めないわけだよ。 つぐみんらしくないことに、 全然ピント合ってないし」 おそらく、更科本人は何も見えて無かったが、きららさんの動きに反応して、カメラを向けてシャッターを押しただけだったのだ。 ピントを合わせるなんて出来るはずがない。あのカメラでは、手ぶれ補正機能なんてついてなさそうだし。 「だから載らないわけか」 「でも疑ってはいるから 粘ってるんだろうね」 「少なくとも何かは写ってるわけだからな。 で、どうやって手に入れたんだ?」 「ですから、蛇の道は蛇。うちは不動産屋なのよ。 こわーい人達に『更科ってちょっとめざわりだな』 とか囁くと、なぜかつぐみんがひどい目に」 「今頃つぐみんは 熊崎港から東南アジア辺りへ向かう船に、 箱詰めにされて詰め込まれているわ」 「な、なんて恐ろしい!」 「勘違いしないでね。うちは囁いただけで、 つぐみんを襲って身ぐるみ剥げ とか具体的に命令したわけじゃないから」 「ひぃ」 「もちろん。冗談だけど」 「……」 「はは。判ってたさ」 「何よその間は」 大家さんを見てると、微妙にありそうだったりして。 「ホントの所は?」 「つぐみん、サブローさんにだけは、 写真、見せるだろうと踏んで、 ビンゴ!」 「サブローさん?」 「あ、そうか。冬馬さん知らないか。 水橋の百合恵さんの旦那さん。 UFOの研究者っていうかマニアなの」 水橋さんって、あの床屋のおばはんか。 「つぐみん、変な写真撮ると、 あの人の所に持ち込むんだ」 「……なるほど」 「でね。百合恵さんと私仲良いから、 旦那さんのトコに新作来てない? って訊いたら、 けらけら笑いながら見せてくれましたよ」 「で、笑いのネタにコピーしたいって 言ってOKもらいましたとさ」 「ネタが明かされると、 実にご町内的だなぁ」 「そんなわけで、安心していいんじゃない? つぐみんも来年になれば飽きるよ」 「来年!?」 「学期の変わり目に興味が変わるのが つぐみんのパターンだから」 「クリスマス前には変わって欲しいんだが」 「もっといいネタが現れれば、 そっちに興味が切り替わると思うけど」 「ううむ」 彼女には見えないらしい、と判っていても、何が起きるか判らない以上、今年いっぱい警戒は怠れないわけか。 「あ、それから100円。 カラーコピー代」 「あ、悪い」 「まいど。 これでおしまいかぁ」 「何が?」 「ん? なんでもないっ!」 「おしまいってなんだよ」 「さぁて、そんなわけで、 サラバなので、 お仲間を安心させたげなさい」 「あ、ああ」 「どこで油売ってたのよ! こっちはちゃんとセールスに励んで、 スーパーな売り上げを叩きだしたっていうのに」 「200円のおもちゃで スーパーですか……」 お客さんは帰ったみたいだな。 「きららさんだった。 ちょっと店閉めてダイニングへ集合」 「これ」 「とーまくんの写真ですか! ひどいですね。 人間とは思えません」 「……少なくともそれは違うと思います」 「で、何なのよこのピンぼけ写真は?」 「例の写真だ」 「え、これが……?」 「霊の写真……。 おばけの写真ですか!」 「し、しまってください、今すぐに!」 「違うわよ! 更科の写真ってことよね」 「ほ……」 「きららさんが 手に入れてきてくれた」 「なるほど。 更科さんが生き霊になって 写っているわけですね」 「そこから離れろ。 な、これじゃ何の写真か判らないだろ」 「新聞に持ち込めなかったわけね」 「新聞を広げる度にときめいていた 緊張にみちたトキメキの日々は 終わりですか……がっくり」 「最近は平然と開いてたけどな。 それにトキメいてたのかよ」 「ほ……よかったです」 「だが、きららさんによると、 更科は今年一杯くらい張り付いてるらしいから、 警戒は怠れないけどな」 「しつこいのね結構。 見えないらしいって判ってても、 気にはなるわよね」 「何か別のネタが起これば、 そっちへ行くらしいけどな」 「油断はしないようにしなくちゃね。 にしても良かったわ」 「何がだよ」 「正体がわかった以上、 きら姉もすっきりして あんたに興味もたなくなるし」 「とーまくんも、きららさんに嘘ついて デートに誘ったりしなくて済みますからね。 純情をもてあそぶなんていけません」 「焦った国産が、 間違いを起こさないうちで良かったわ」 「ま、間違い! あわわわ。 それはとてもいけないです!」 「ひどい言いようだ――」 あ。 ようやく理解した。きららさんが、『これでおしまいかぁ』と言ったわけが。 きららさんが俺を気にしていたのは、俺の正体を気にしていたから。 そして、俺がきららさんを気にしていたのは、俺達の正体がばれていないか、探り出そうとしていたから。 つまり、お互いを気にする理由は、キレイさっぱり消えたわけだ。 「なに絶句してるのよ! まさか、あんた本当に、 間違いを起こそうと企んでいたの!?」 「間違うんですか?」 「………」 「俺を何だと思ってるんだ!」 「……男はみんなオオカミ?」 「ふぅ……とりあえずこれで終わり、と」 俺はアイスボックスからビールを一缶取り出すと、近くの切り株に腰をかける。 カンテラの淡い光の中に浮かび上がる白波人車軌道最後の生き残りの姿を見つめながら、労働のあとのビール。 「うまい!」 苦闘一ヶ月余りの末、なんとか形になった人車を肴に飲む今夜のビールは格別だ。 腐った板や釘や割れた窓やシートを取り替えて、塗装も全部塗り直した。素人にこれ以上出来ることはない。 というか、文化財保護的に言うと、これでもやりすぎかもしれなかったが、崩壊寸前だったんだから許してもらえるだろう。 一応、元の部品や板やボロ切れも保管してあるし、どう作業したかもデータ化して記録してある。 冷えたビールを飲み干す。 「ふぅ。さぁて」 修理も一段落ついたことだし、俺はこいつを……。 「……」 考えてなかった。 こいつをどうすればいいんだ? 「………」 「冬馬さんどうかしたんですか?」 「数日前からああなんです」 ううむ。とりあえず行動するのがトナカイ。が、いくらなんでも考えてなさすぎだったか。 「冬馬さん。 今日の朝ご飯はかにたまでしたか?」 「ああ」 ……まぁ、過ぎた事は仕方がない。 「違います今日は――」 「それとも、オムライスでしたか?」 「ああ」 せっかく修理したんだから、 「硯、大丈夫だよ。 冬馬さんは ただ反射的に返事をしているだけだから」 誰かに見せたいよな。 「ねぇ、冬馬さん……道合ってるの?」 「大丈夫」 セルヴィを修理していた間、何度か地元のコンビニへ買い出しに行ったから、間違いない。 「でも、森へ入ってから 30分くらい歩いてるけど……」 「うわ。携帯のアンテナが立ってない!」 「もう少しだから」 「こんな森の奥へ連れてきて 見せたいものって……なに?」 「これ!」 「これって……?」 「これだ」 「……なんか、 見覚えあるものなんだけど」 「白波人車軌道最後の生き残り。 ここに放置されてた」 「………」 「あっ。もしかして! 進さんがスキあらば話そうとする人車?」 「この前、無理矢理見せられた写真と、 そっくりなんだ」 「これが……人車……へぇ……」 きららさんは人車の周囲を回って観察する。うむうむ。期待通りの反応。 「電車の仲間とは思えないちっささね」 「人が押して動かすものだからな」 「100年以上前のものにしては、 妙にピカピカね」 「あー、おほん。 それは俺が修理したんだ」 ちょっと胸を張る。 「ええっ!? 冬馬さんがこれを? もしかして一人で?」 「まあね。 壊れる寸前だったんで」 「凄い! 凄いわ冬馬さん!」 「そ、そうか? 文化財の保存としては、 どうかと思ったんだが――」 期待以上の反応だけどここまで感心されると照れる照れる! 「凄いって!」 ぎゅっ、と俺の手が握られた。 「あ」 「一体全体どうやって見つけたの?」 手から伝わってくる体温が、俺を妙にドキドキさせる。 「そ、それは、 ここで前、セルヴィを修理してて」 「セルヴィっていうのは、 冬馬さんが乗ってたバイクみたいな 乗り物の事ね!」 「あ、ああ、そう。人目につかないようにここで。 その時は、壊れかけた倉庫だと思ってたんだが、 進さんに写真を見せられて気づいた」 なぜこんなにドキドキするんだ?口調まで転びそうな早口になっとる、いかんいかんぜよ! 「そっか。あの時か! もう! 水くさいな! 打ち明けてくれればよかったのに」 「い、いや、それは、その。 あれだ、あの時は秘密だったから」 「あ、そうか。 どうして発見したのか説明できないものね。 地元の人だってこんな奥までは来ないもの」 冷たい冬の風がひときわ強くふきつけて、俺達を取り囲む木々を揺らした。 「あ……」 きららさんは、手をぱっと離した。 「ごめん。子供みたいなコトして」 「や、いや……謝ることないよ」 やわらかい感触が手に残響してる。 「進さんには見せ……てないか」 「どうして判った?」 「これ見せてたら、 進さん、今頃ここで寝泊まりしてるよ」 「納得」 「もしかして私が初めて…… のわけないか」 「初めてだ」 「またまたぁ、 サンタさん達には見せたでしょ?」 「いや、正真正銘きららさんが初めてだ」 「ホント?」 「ホント」 「……」 「あ、そっか。 私なら地元の人間の上に、 セルヴィとか言っちゃっても平気だものね」 「……ま、まぁな、そんなところ」 ホントはきららさんに見せたいと思っただけなんだけど。 「でも、 私に一番最初に知らせてくれたんだ。 そっか、そっか」 「ま、まぁね。 他に誰も思いつかなかったし」 「え……あ、うん、そうだよね。 だって、私以外には言えないものね。 うん。判ってるって。それだけだって」 「ろくに説明もしないで こんな所へつれてくるから、 ちょっと怖かったのよ」 「怖かった? なぜ?」 「考えてもみてよ。 いくら昼とはいえ、滅多に人が来ないような場所に、 脇目も振らずに入って行くんだもの」 「冬馬さんは男で……私だって、その…… か弱い――かどうかはともかく 女なんだから」 「あ……」 俺ときららさんは、森の奥でふたりきりだった。 「だ、断じてそんな気はなかったぞ! 二人きりになりたいとかそんなのは、 全然これっぽっちも!」 「わ、わかってるって、 まったく、世間知らずなんだから、 冬馬さん、誤解されちゃうよ」 「……これから気をつける」 「う……うん……。 わ、わかってもらえればいいの」 「……」 「……」 この気まずいような、ドキドキするような微妙な雰囲気を、ごまかさなくては! 「きららさん!」 「な、なに!?」 「えーと、あれだあれ、 この人車、どうしたらいいと思う?」 「そ、そうだね。 せっかく修理したんだし、 どうするか……うーん……」 「進さんに相談したら面倒な事になりそうだし……」 「そうだ! お祭りで走らせるっていうのはどうだ? 進さんもこの前、言ってたしな」 「あ! なるほど」 「なら、まずはここから運び出して」 「あ…… それ難しいと思う」 「なぜだ?」 「いくら人車が軽いって言ったって、 冬馬さんと私だけじゃ運び出せないでしょ?」 「そりゃそうだが。 あいつらにも相談して人手を増やせば」 「だめだめ、道らしい道もないし、 足場だって悪いし、 人の手で運び出すのは難しいよ」 「軽トラでもあればなぁ……」 「だめだめ、そもそも道ないし。 かといって森切り開いて、 ここまで道造るのも私らじゃね」 「ううむ」 「それにここ、 土橋さんの私有林だし。多分。 道造るなんて派手なことしたら」 「ばれるよな……。 そもそも許可なんて取ってないし」 「そういう問題を全部クリアしたとして。 ここにあるのをどうやって発見したって、 言うつもりなの?」 「セルヴィを修――とは、言えないな」 「偶然迷い込んだ、っていうのも駄目だよ」 「なぜ? それでいいじゃないか」 「さっきも言ったけど、こんな場所、 地元の人間だって滅多に来ない場所だもの。 迷い込もうにも道だってないし」 「あ。山菜採りならどうだ」 冬の冷たい風が、俺達の間を通り過ぎていく。 「季節がまずいでしょ」 「いや、でも、秋に見つけたって言えば」 「そもそも冬馬さん。 嘘つくとか向いてないでしょ」 「う……」 「ごめん。 なんか否定的なコトばっかり言って、 私も考えてみるよ」 「ありがたい」 「締め切り決めよう。 取りあえずあさっての真夜中。 電話で話そう」 「そこまでしなくても」 「いやいや、 こういうのは決めないと、 思いつかないものなのよ」 「……経験があるっぽいな」 「あ、あははは」 あ、きららさんだ。 「もしもし、俺も話が――」 「またまた締め切りのばして!」 「あー、まさに俺もその話を」 勢いで突っ走るトナカイである俺もこういうのは苦手。 「冬馬さんも? じゃあ決定ね! また今回も一日の――」 「こうやって伸ばすの もう3回目だっけ」 「……忘れようそういうことは」 「忘れるのか!」 「希望のない今日よりも 明日のことを話しましょう」 「今日に希望がないなら、 明日にもないと思うんだよぉ」 「わ、わわ、姉ちゃん!」 電話の向こうの様子が見えるようだ。 「じゃ、じゃあそういうことで!」 「あ、うん!」 「ほほう。真っ昼間から女と イチャイチャトークかい」 「わ」 「真っ昼間から幽霊に会ったような声出しやがって。 ボンボン。あんた小心者だろ」 「……おはようございます。 誰だって急に話しかけられたら こうなります」 「ふん。大方、 真っ昼間から発情して焦った挙げ句に、 相手にキモがられて切られたんだろ」 「それはゲスの勘ぐりという奴です。 我が店の経営について真摯に 相談していたのです」 「は、情けないね。 その年でもう欲情もしないのかい。 育ちが良くていらっしゃる。流石はボンボン」 「男として、しない、とは言いませんが、 所構わずはしません」 「へ。情けないね。 男はいつでも何処でも発情してるもんさ」 「どこでも発情してる男がいいんですか」 「どっちみち オレの孫娘の相手としたら最悪だね」 「な、なんでここで きららさんが出て来るんですか」 「ふん。しらばっくれるのかい? さっきの電話、うちの孫とだろ?」 「覗いたんですか」 「鎌をかけたら大当たりかい。 うちの孫に〈も〉《・》とは、 大した発展家だね」 「って、も?」 「オモチャ屋3人娘全員と、 あんた出来てんだろ? 自分で客を増やそうとは商売人の鏡だ」 「意味判らないんですが」 「だがね、手前ぇのガキにオモチャ売っても、 儲からないだろうに。 やはりあんたは浅はかさ」 「………」 自分のガキ→つまり俺の子供。自分で客を増やす→つまり俺が客を増やす。おもちゃ屋の客は子供→俺が子供を増やす(5秒)。 「………」 3人娘→ななみ、りりか、硯だよな→つまり俺があの3人と子供を増やす(5秒)。 「………」 「そ、そんなことはしていません!」 ばばあ(あえて今はそう言う)は、ニヤリ、と笑った。 「はぁん。あんた童貞だな」 「な、何をいきなり!?」 「一度でもしてりゃあな、 この程度不意打ちで言われても 男は声を裏返しゃしないもんさ」 「わ、わざとですよ。 老人の戯れ言につきあってみました」 く、苦しい言い訳だ。 「ふん。まったく男は見栄の生き物だね。 オレの連れ合いと全く同じ言い訳をしやがる。 ま、流石に老人たぁ言わなかったがね」 「………」 かなり昔に亡くなったって言ってたよな。 「なんだよ? 見栄が張れなくて弱ってんのか?」 「え、いえ……。 亡くなったって……」 「はん。若いね。 生きてりゃ生きてるほどな、 知り合いは先に逝っちまうのさ」 知っている。俺の父親は空で不意にいなくなったから。 「いちいちしめっぽくなれるもんかい。 しかも女の方が長生きと来てるからな」 「……そうかもしれないですね」 その軽口が、哀しみを隠しているのか、本当にふっきってるのか、俺には見当すらつなかい。 「ボンボン、もしかしてあんた、 親でも亡くしてるのかい?」 「……はい」 いつも考えてるわけじゃない。でも、亡くなった人はこんな風に不意に現れて、俺の気持ちを空へさらっていく。 「……ふぅん。成る程。 あんたもふわふわ生きてきただけじゃない そういうわけかい」 「……そうは言いませんよ。 きっと、俺はふわふわ生きているんでしょう」 あの父親の辿り着いた空に、きっと俺は辿り着いていない。 どこまでも続く空。どこへでも行ける空。 ……。 どこへでも? 「!」 「用事を思い出しました! 失礼します!」 そうか!道がなくてもいいんだ。空を飛べばどこへでも行ける! 「ふん……。 ふわふわしてる上に、 慌ただしい男だね」 「あんなののどこがいいんだか……。 ま、オレも人の事は言えなかったか」 ロープロープロープロープは……。 「ロープ発見!」 これなら太さも十分だ。あとは痛んでないかか。 「あれ? とーま君、 なにやってるんですか?」 「ちょっとな」 両手でビシビシしごいて見ても、痛んでいる所はないようだ。 「ひ、昼間から地下室で縄をしこしこしごいて! しかも、にやり、と邪悪な笑いをー! あ、あだると過ぎですとーまくん!」 「お前……何を考えてる?」 待ってろ人車!今、運び出してやるからな! 「これでよし」 俺はロープで縛り上げた人車を見上げる。 道がなくても問題ない、セルヴィで引っ張りあげれば無問題。 トナカイの癖に、地面を這いずる考えに囚われていたとは、俺もまだまだ。 グローブを締め直し、ステアリングを握り締める。 ロープの片端を愛機に結びつけて、ひらりとシートにまたがる。 「さぁ、行くぞ! と、その前に」 俺はきららさんに一報を入れようと、携帯を手にとって 「――いや」 不意に運んで、驚かせてやるぞ! 「見せたいものって何よ?」 「姫、焦るなよ。 美しい顔がだいなしだぜ。 言わなくても見せてくれるだろうよ」 「ふわぁ…… 早く終わらしてよね……。 夜更かしはお肌の大敵なんだから」 「……先生は始終 ゲームで夜更かししていらっしゃいますが」 「ゲームは脳を活性化して、 素敵なゲーム脳に改造するのよ」 「今時ゲーム脳とか言ってるなんて、 恥ずかしい人だわ」 俺は人車から、雨よけの白いシートをはぎ取った! 「これだ!」 カンテラの灯りに、人車の姿が浮かび上がった。 「……?」 「……ふぅん」 「なによこれ?」 「……さぁ?」 「これは――」 「これって人車ですかー!」 「……よくわかったなお前」 「この前、ペンキ屋さんが いろいろ教えてくれましたー。 余りよく覚えてませんが」 「もしかしてこの前、 買い物からなかなか帰って来なかったのは、 あんなのの話を聞いてたからなの!?」 「単なる世間話ですよー」 「……あれを世間話って言えるアンタを、 ちょっと尊敬するわ」 「そもそも、 人車ってなんなんだ?」 「昔、この町に走っていた 交通機関ですよ。 SLみたいなものだと思ってください」 「なんと人が押して動かすんですよー!」 「人力車の電車版ですね」 「一台も残っていないって話だったのが、 ここに!」 「貴重なものだってわけか」 「それとアタシ達に何か関係があるの?」 「これを、 セルヴィ3台で引っ張り上げて運びだそうと 思うんだ」 飛んだらきららさんに一報して、俺の勇姿を見せようと思ったのだけど、一台では無理だったのだ。 よかった電話しなくて。 「ジャパニーズとマイドルチェと俺でか?」 「あらあたしもなの?」 「ええ、出来れば。 だからサンタであるみんなの、 許可も欲しかったんだ」 「意味判らないんだけど。 そもそもなんでそんな事するのよ」 「人の力で運びだそうにも道がないし、 車もここへは入れない、 となりゃ、空を飛ばすしかないだろ」 「じゃなくて! どうしてこれを運び出さなきゃならないのよ」 「それはだな、き―― あ、おほん。そこに人車があるからだ!」 きららさんに見せようと思ったから、と言うほど俺はアホじゃない。っていうか本末転倒してるぞ俺。 「貴重なものだったとしても、 教育委員会かなんかに通報すりゃいいでしょ。 勝手に運び出してくれるわよ」 「……あの、それは、 なぜ、こんな場所で見つけたか説明しなければ、 ならなくなると思うんですが」 「なら匿名ですればいいじゃない」 「う」 気づかなかった! 「『う』、って何よ『う』って、 まさか気づいてなかったんじゃ」 「AHAHAHAHA。 勿論気づいてたさ」 「これって、 妙にピカピカですけど、 見つけた時からそーだったんですか?」 「ボロボロだったのを俺が直したんだ」 「あー! だからここのところ、 夜中こっそり抜け出してたんですか」 「なぜ知ってる!?」 「お腹がすいて夜冷蔵庫を漁ってたら、 足音を忍ばせたとーまくんが来たことが何度も」 「あんた……太るわよ」 「食材が無くなって困ってました……」 「とーまくん一生懸命修理したんですね! あんなに毎日出かけてたんですから」 「ま、まぁ……好きでやってただけだけどな」 確かに一生懸命だった。なぜだろう?なぜこんな縁もゆかりもなかったものを一生懸命。 「中井さんって……そっち系の人?」 「違う!」 「わかりました! これはプレゼントですね!」 「あ」 そうか、そうだったのか! 「ペンキ屋さんへのですねー! これであの人のハートを鷲づかみですよ!」 「なんでそうなる!」 「……あんたそういう趣味だったの」 「姫はまだまだ若いな。愛はフリーダムさ」 「………」 「いいじゃないですか! みなさん温かく見守ってあげましょうよー」 「生暖かく見守ってあげるわ」 「勝手に話をすすめるな! 確かにこれはプレゼントさ。 だが、しかし!」 「俺達から町の人達への 新任の挨拶代わりの 一足早いクリスマスプレゼントさ!」 俺は高らかに宣言するとみんなを見回した。 「俺達はライトスタッフとしてこの町に来た。 そして俺達はビジネスマンじゃない。 単に転勤でここへ来たんじゃない」 「ルミナの導きで、 俺達はこの町の初めてのサンタになるべく来たんだ。 で、こいつと出会っちまった」 ぽんぽん、と人車を叩く。 「だから、これもルミナの導き。 こいつをいっちょ、 プレゼントとしてしまおうぜ!」 「おー、なるほど! プレゼントならわたし達におまかせですね!」 「ちょっと釈然としないけど、 プレゼントとか言われたら、 やらざるを得ないわね」 「……わたしもそう思います」 「どうでしょうか?」 「プレゼントでしょ? ならいいんじゃない」 「そういう若気の至り的な突っ走りは好きだが、 それ以前に、無理だな」 「え」 「残念ながらセルヴィの推力では無理だ。 俺達はトナカイ、操縦は得意だが、 ルミナの扱いでは劣る」 「3台なら」 「辛うじて持ち上がるかもな。 だが、複数のセルヴィが同じ速度と高度を維持して、 飛ぶのは困難だぞ。トナカイは我が強いからな」 「これって随分やわそうよね。 ちょっとでも変な風に力がかかったら、 空中分解しちゃうんじゃない?」 「……訓練すれば」 「おいおい。俺達はトナカイだぜ。 新しい空域での最初のクリスマスだ。 本業以外の訓練をしてる時間はないぜ」 「イブかこれかじゃ、 答えは決まってるわね」 「う……」 ダメか。いや、まだ何か方法が 「ひとつ提案がありますよ!」 「何か名案が?」 「とりあえずおうちに帰って、 みんなでお夜食食べませんか?」 「気分転換すれば、 名案が出るかもしれません。 甘いものなら効果絶大ですよ!」 「どうぞ」 「うわー! 杏仁豆腐ですねー! ついに登場ですよ!」 「あ、あの、ですね。ひとつ――」 「あたしの教育が良かったのよね」 「ふむ。マイドルチェは こういう事も教えられるのか、流石だな。 ますます俺を惚れさせる」 「あの、わた――」 「ラブ夫、なに騙されてるのよ。 これ、神賀浦さんに習った奴よね?」 「え、あ、はい。 やっとお出しできるレベルになりました。 あの、それよりも――」 「はぁ……」 思いつかない。締め切りまで延ばしたというのに、こうしてまた貴重な一日が空費されるのか。 「とーま君。なにため息をついてるんですか? もしかして杏仁豆腐嫌いですか? それならわたしが貰っちゃいます