「〜♪ 〜♪ 〜♪ 〜♪」 「じんぐるべーる♪ 半年ぶーり♪ 床を掃く〜♪」 「今日は楽しいお掃除さ〜♪ いぇぃ!」 「じんぐるべー♪ じんぐるべー……」 「あ、ばあちゃん」 「なにって、掃除、掃除! いつ借り手が見つかるかわかんないでしょ?」 「……うん、平気平気。慣れてるから」 「え? わかってる。すぐそっち行くから。 ん、じゃね」 「ふー……」 「確かに、この家借りる物好きはいない、か」 「うー、寒っ!」 「こりゃ今夜も積もりそうね」 星に願いをかけたことがあるだろうか。 あるいは、無数に散らばる星々の瞬きに手を伸ばしたことがあるだろうか。 俺にとってのそれは、親父の肩の上だった。 満天の星に抱かれながら、その光の果てに胸を躍らせ、その光に手を届かせたいと思っていた。 それが何百光年の虚空に浮かんだガスの塊だなんて、あの頃の俺にはどうでもよかった。 月蝕や彗星のニュースに胸をときめかせ、七夕には天の川を探し、イブの夜には導きの星を探していた。 子供のころ、星空はただ見上げるためにあった。 そこにあるのは憧れと、小さな野心をかき立てる無数の〈煌〉《きら》めき。 流れ星を数える俺を肩に乗せた親父は、ある晩こんなことを言った。 『お前の瞳には、見えない光が映っている』 この瞳は特別製だ。わずかな光を見分けることができる。 七等星や八等星、さらに小さい星たちの〈瞬〉《またた》きを感じることができる。 彼らは暗いのではない。ただ遠いから、離れているから見えないのだ。 夜空の遠くに近くにさまざまな光が溢れていることを、俺は子供の頃から知っていた。 だから。 だから、あの場所を自分の世界にしたかった。 星に願いをかけたことがある。 いつの日か俺も、死んだ親父みたいに──。 「こちらカペラ03。 繰り返す、こちらカペラ03視界良好」 星空に包まれる。 宝石箱のような輝きの中に躍り出すと、身を切るような寒さが全身の緊張感を研ぎ澄ませる。 「これより九頭竜川のツリー軌道に入る。 合流地点までおよそ100km」 スノーフレークの星屑を舞い散らせ、年に一度のステージが幕を開ける。 二年目のイブの夜、関東地方上空800メートル──。 今は、ここが俺の職場だ。 「こちらカノープス09。 トーマ、日本の空には慣れたかい?」 「俺はもともと日本人だよ、ミラコフ」 「冗談はよせよ、本気か?」 「そうは見えないかい」 「小まめな日本人にしちゃ、 ずいぶんと操縦が荒っぽいからな」 「日本人離れしたダイナミズムか、 ちょっとくすぐったいな」 「いいように取るな。 おかげでサンタに逃げられて 半年も干されてたのはどいつだい?」 「相性の問題さ。去る者は追わず」 「減らず口はまるで治ってないな。 ともあれ初めての土地だ、 お前の無茶も今日ばかりは封印だな」 「ああ、様子を見ながら始めるよ」 「おい、成りゆき任せに聞こえるぜ?」 「パーティーの幕引きまで 大人しく飛んでるトナカイなんて、 〈寡聞〉《かぶん》にして知らないね」 「ハハ……違げーねえ」 スロバキアから屋久島、そして九頭竜川。支部から支部への渡り鳥で、ホームグラウンドなんて〈最初〉《ハナ》からない。 パートナーも決まらず宙ぶらりんだったトナカイが、急にイブの〈配達〉《パーティー》に借り出されたのだ。これで張り切らないほうがどうかしている。 視界良好。今年の聖夜は絶好のパーティー日和。 ……これで、後ろに乗っけてるのがルーキーサンタじゃなけりゃ最高なんだが。 「──おい、サンタさん?」 「な、な、なんですかぁーーーーーっっ!??」 「…………もう少し小さい声で大丈夫だ」 「なっ、なにか異常でもーーー!?」 「サンタに深刻な異常ありだ。 そんなへっぴり腰で本当にやれんのか?」 「だ、だいじょうぶです! これしきのスピード、 ぜーーーんぜん怖くなんかありまひぇんっっ」 「パニックの原因は別にあるとでも?」 「誰がパニックなんて……お、おわぁ!?」 「ひゃあああああああぁあぁぁぁあぁあぁッ!!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……こ、ころす気ですか!」 「やれやれ……よっぽど優しい トナカイの世話になってたんだな」 「とーまくんの運転が乱暴すぎるんですー!」 「ひどい言いがかりだ。 これでも今日は全力でセーブしてるんだぞ」 「そそそそんなはずがありません! こんな全速力で……きゃあああぁ!」 「それでよく卒業できたな。 本場のトナカイはこんなもんじゃないぜ」 「わ、わかってます! ソリ酔い対策は万全ですから、しばし時間を! ちょっとだけ、5分だけ待ってくださいー!!」 「5分? 了解だ」 5分待ったくらいで、あいつのスピード恐怖症だかソリ酔いだかがどうにかなるとは思えないが、サンタに『待て』と言われたら待つのがトナカイだ。 「それにしても、まさかお前と ペアを組むことになるとはな」 「もともと同級生だったじゃないですか」 「だから驚いてんのさ。 スピード恐怖症のうえに的当てはDランク。 それがどうやって卒業証書を手に入れたんだ?」 「ふっふっふ、心配ご無用。 それを克服したから卒業できたんですー」 「って、おやつ食ってんじゃねーー!!」 「えー、なんでですかぁ!?」 「任務中だ!!」 「ソリが汚れる!!」 「おまけに粉とか〈欠片〉《かけら》がパラパラパラパラ!」 「あうう、トナカイさんは神経質です」 「俺の引くソリは 昼下がりの公園のベンチじゃないんだ。 すぐに片付けろ」 「とーまくん、そんなにカリカリしなくてもー」 「七五調で言っても駄目だ。 だいたい菓子なんて持ち込むな!」 「そんなご無体な! ならばとーまくんに質問です。 お菓子を食べるとどうなりますか?」 「太る」 「ぐさっ!」 「そ、そんな遠い未来の話ではなくて! お菓子を食べるとどんな気持ちになりますか?」 「美味い?」 「そうです!」 「そして、美味しいときは幸せになるでしょう?」 「なーんとなく分かってきたぞ。 つまりお前は苦手なスピードを克服するために……」 「さすがはとーまくん!」 「なづけて、あまーいケーキの圧倒的多幸感で どんな恐怖心をも駆逐しちゃいましょー作戦……」 「地上で食ってこい!!」 「食べました!!」 「プロのサンタをみくびらないでください。 イブの夜なんですからそのくらいは当然です」 「そ、そうか……それはすまん」 「……ですが、それでもダメだったんですから 仕方ありません」 「背に腹はかえられないので、 今日のところは 星空スイーツタイムを満喫することで……」 「ひゃ!? わ、わ、わ……なんですかー!?」 「やめて、まわるー!! 世界がぐるぐるー!!!」 「パーティー前の腹ごなしだ。 プロのサンタなら対応してみせろ」 「そっ、そんな突然に言われても……!? あ、あーーーー!! おかしが!!!!」 「そのサンタ袋の中身は全部菓子か!?」 「ぐああーーー、落ちてる、落ちてます!!! ストップー! お願い、ストップ! ぐるぐるストップですってばぁあぁぁぁあぁ!!」 「あぐ! も、もっはいない!! んぐ……らめれふ! らめぇぇぇ!!」 「ぎゃーーー!! 落ちるーっ! 下はらめですっ、いきなり下はー!!」 「わぎゃーーーーーーーーー!! 死ぬー、サンタ殺しぃぃぃいぃぃぃ!!!」 「うぇぇ……死ぬかと思いました……」 「ったく……いつにも増して緊張感のない」 「とほほ……せっかくのお菓子が」 「ま、いろんなサンタがいるってことさ。 それに合わせられるようになって一人前だぜ」 「了解だ!!#」 「むー、冬馬くん不機嫌ですね」 「…………」 「……ひょっとして緊張してますか?」 「ああ、即席ペアで現場に入るんだ。 緊張しないほうがどうかしてるさ」 「心配ご無用です。イブの夜こそ リラックスを忘れちゃダメですよ」 「…………」 「訓練を思い出してやれば、 きっとうまくいきますって!」 「ルーキーサンタに諭されてちゃ世話ねえな」 「もうすぐしろくま町ですねー」 「もう分かるのか?」 「はい、こころなしか 空気がきらきらしてきました」 「ロードスターより上空のサンタ一同へ。 諸君らのソリは間もなく合流地点に差し掛かる」 「シリウスとカペラは初めてのステージになるが、 幸いコースは良好のようだ。 訓練を思い出して、くれぐれも無理は慎むように」 「シリウス01、了解」 「カペラ03、了解です」 「残る諸君は例年通りの割り当てだ。 子供たちが首を長くして待ってるぞ」 「でかいクリスマスケーキも用意してある、 この一年の成果を存分に発揮したまえ!」 「私からは以上だ。 ハッピー・ホリデーズ」 「ハッピー・ホリデーズ!」 「いよいよだな、サンタさん。 満足なテスト〈滑空〉《グライド》もなしだが、 ビビらないでくれよ」 「望むところです。 くりすます・訓練してれば・怖くない♪」 「これが新米サンタの台詞じゃなければ 心強いんだが……」 「あ……見えてきました。 冬馬くん、あっちの下のほう!」 「あっちじゃ分からん、方角で言ってくれ」 「は、はい! ええと、右下……ちがう左下 じゃなくてやっぱり右!!」 「……南西だ」 「あ、あはは……それでした」 「なんだこのこみ上げる不安感。 で、あれは……イルミネーションかな?」 「しろくま町では、 イブにお祭りをするそうですよ」 「街の灯にしちゃ明るいわけだ。 イブの祭りか……いい眺めだな」 「きらきらですねー、 おまつり、えんにち、屋台……じゅるり」 「食い気につられて〈的〉《まと》を外すなよ。 首尾よく片付いたらワタアメおごってやる」 「ほんとですか!? わ、わたし的にはあんずアメのほうが……」 「なんでもいいさ。パーッと終わらせて、 多幸感ってやつをたっぷり満喫してくれ」 「そうですね! 縁日といえば他にも チョコ味ソースせんべいに、チョコバナナに、 なにより大事なベビーカステラに……!!」 「おい聞いてるか?」 「ぬぬぬー、燃えてきましたっっ! そうと決まれば気合充実、意気軒昂!!」 「……暴飲暴食、七転八倒」 「もー、なんで出鼻をくじきますかー」 「……分ぁったから、お神楽が終わるまでには きっと来んだよ、それじゃ切るからね!」 「はー、やれやれ」 「お孫さんですか?」 「立ち聞きかい。 これだから政治屋は油断がならないよ」 「自然と聞こえてきましたよ? お孫さん相手だと声が大きくなりますから」 「けっ……言ってろ。 全く、孫の物好きにも困ったもんさ」 「祭りだってのに、 銭にもならん廃屋をご丁寧に 大掃除してるんだからね。誰に似たんだか」 「誰かさんの薫陶が行き届いているとみえますな。 勤勉なんですよ」 「ふん! あんた、町長になって、 余計なことばかり言うようになったね」 「それにしても……」 「なんだい、この赤服。 さっきから見てりゃ、 看板持ったままボケーと上ばっか向いて」 「オー、流れ星見てマシタ。 ソートゥインクルねー」 「目医者行きな。 この眩しい中、星なんて見えやしないよ」 「ミーの目はスペシャル仕様デスヨ。 ハイ、駅前スロット『パーラー・ヴィエント』、 25日はクリスマスサービスのフィーバー祭りヨ」 「ぽいぽいチラシを〈撒〉《ま》くんじゃないよ、 なにがパーラーだい。 そんなもの配んなら札ビラでも撒きな」 「それになんだいその下品な看板は! いただけないね! いかにも金をすりそうな色柄だ」 「オー、ソーリー!」 「ふん! 妙ちきりんな外人ばっかで困ったもんだよ」 「妙ちきりんがお嫌なら、 あの塔の管理も そろそろ町に任せてはいかがです?」 「は。あんないい場所にある物件、 手放すわきゃないだろ」 「それは、残念」 「だめね、去年の写真と何も変わらない」 「……流れ星?」 「………………」 「……まさかね、この灯りで見えるわけがないわ」 「…………!?」 「あれは…………彗星?」 「さーてと、いよいよパーティタイムね。 後ろのサンタさんは大丈夫ー?」 「…………」 「聞いてる、〈硯〉《すずり》?」 「…………」 「硯ちゃん? おーい?」 「あ、はい……聞こえています」 「緊張しすぎじゃない? 〈支部長〉《ロードスター》の通信聞いてたでしょ。 いつもどおりやれば問題ないない♪」 「でも、訓練どおりで通用するでしょうか? 現地のツリーも不安定だと聞いていますが」 「ラッキーじゃない。 デビュー戦でそれだけ重要なエリアを 任されてんだから、チャンスと思いなさい」 「チャンス……」 「貴重な経験を積めるわよ」 「了解しました……ですが」 「なーに?」 「その、もうひと組……サポート役のサンタは まだ到着していないのですか?」 「急な話だったからねー。 最新型の〈機体〉《セルヴィ》は日本じゃメンテできないし、 ま、仕方ないでしょ」 「だからってビクビクしないのよ。 二組で十分サポートできるエリアなんだから、 教えた通りにやればへーきよ、へーき」 「は、はい……」 「きこえなーい」 「はい、先生!」 〈眩〉《まばゆ》い光の流れに〈機体〉《セルヴィ》を乗り入れる。 九頭竜川としろくま町──二本のツリーによって生み出された光の軌道が、この空域で溶け合っているのだ。 飽和した光の彼方に目をやると、夜空を刻んで流れる光の帯が二つに分かれている。 ここが二つのコースの合流地点。つまりは分かれ道でもある。 「んーっ……いい空気。 しろくま町って気持ちいいですね、冬馬くん」 「観光に来たんじゃないぞ」 「もちろんです、仕事の準備はパーフェクト♪」 「こっちもだ。 心なしか出力が弱いが、ま、なんとかなるだろ」 「そうそう、案ずるより生むが易しです」 「シリウス01よりカペラ03。 これより当機とカペラは編隊を離脱、 しろくまのツリーコースに入る──」 「カペラ03了解。 サポートのもう一機はどうなってる?」 「間に合わなかったみたいね。 タイムリミットよ、このまま突入するわ」 「了解だ、市街地まで先導を頼む」 「いよいよだなトーマ、 張り切りすぎて事故んなよ」 「ああ、そっちは任せたぜ。 ベリーニとカーゾンにもよろしくな」 「了解だ、ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 ハッピー・ホリデーズは万国共通、サンタとトナカイの合言葉。 九頭竜川支部のトナカイたちに別れを告げた俺は、リーダー機のシリウスに先導されて新しいツリーの軌道に乗る。 「いくぜ、サンタさん」 「お任せあれ!」 初めてのパートナーを乗せたイブの星空、地上に広がるイルミネーションの〈煌〉《きら》めき。 年に一度の晴れ舞台、俺たちの職場は天と地の星座に挟まれている。 「サンタさん、準備はいいな。 最初のステージは市街地に面した住宅街だ」 「リミットは3分30秒。 ファーストアタックで出来るだけ当てちまおう」 「ふふふ、わたしの腕前を見せてあげます!」 「お菓子効果が出てきたか? 最後までそのテンションで頼むぜ」 ななみのやつ、初出動でたいした度胸だが、しがみついて泣いてるよりはよっぽどいい。 「市街地の手前でツリーのコースが途切れている。 急降下で進入するからつかまってろ」 「はい、ルミナ充填完了! つっこんじゃいましょー!」 「カペラ03、パーティーを開始する。 ハッピー・ホリデーズ!」 「はいはーい、ハッピー・ホリデーズ!」 ゴーグルを下ろすと、冷え込んだ大気を刻んで伸びる、糸のように細い光の軌道が見える。 このコースに沿って空を滑るかぎり、俺たちの姿が人に見られることはない。 トナカイの仕事は、サンタのソリをエスコートしながら、細い軌道を外れないように〈滑空〉《グライド》すること──それだけだ。 「市街地通過、 並木通りから住宅街へ入る──〈的〉《まと》は!?」 「30です! まずは右の三軒、それから左の白い屋根!」 「道路南側からアプローチする、遅れるな」 「りょうかいです!!」 「しろくま町のみなさん、 長らくおまたせいたしました!」 「まずは左のかたぎりさんから……」 「てぃーらー……」 「みーす!!」 「よしっ、命中です!! 続いてさいとーさん、みぞぐちさん……」 「……今のワザみたいな掛け声は?」 「チョコボンボーン!!」 「シナモンパーイ!!」 「モーーン……」 「ブラーン!!」 「やりました! 全部命中ぜっこーちょー♪」 「もう一度聞いていいか、 その不思議な掛け声はいったい?」 「ワザ名です!」 「サンタかケーキ屋か分からんぞ、 どんだけ邪念入ってんだ!!」 「あぅぅ!? わ、分かりました! では右の煙突のおうちいきますっ!」 「ねらって、ねらって……」 「いちごシュート!!!」 「もじっただけ!!」 「でもでもっ、サンタは幸せを届けるんですよ、 そのためには、自分がいっちばん幸せになれる 言葉をですね……!」 「こういうときに言うんだろう、 メリークリスマスって!!」 「おお、そうでした! さすが冬馬くんっ!」 「……何だってトナカイが サンタを指導せにゃならんのだ」 「それでは気を取り直して……」 「メリークリスマース!!」 「あれ? メリークリスマース!!」 「おっかしいな、メリー……」 「あれー……外れました」 「了解だ、いったん上昇する」 「……つまり、あまーい菓子を食って、 あまーいワザを使わないと調子が出ないと?」 「あ、あはは……面目ありません」 「で、いくつクリアした?」 「前半45秒で6足! 後半は……ええと…………」 「……半分の3足です」 「……俺が悪かった、 自分流で存分にやってくれ」 「いいんですか?」 「パーティーは始まったばかりだぜ。 ルーキーさんはプレゼントのことだけ考えてな」 「それではあらためまして、いっきますよー!!」 「食べたいな こたつに入って 水ようかーーん!!」 「ふふふ、全部命中です♪」 「……やるもんだ」 「見直しました?」 「ああ、さすがに学校にいた頃よか上手くなってる」 「とーぜんです。 こう見えてもプロですから」 「冬馬くんこそコース外れないでくださいね」 「はっ、誰に向かって言ってるんだ? このまま直進──残り時間をかせぐぞ」 「え? でも屋根が……」 「平気さ。 そら、的が来るぞ」 「は、はい……いきます! ティラミース、おかわりっ!」 「ひねるぞっ! 狙え!」 「いきなり……!?!? ぜ、ぜんざーい! くずきりっ!」 「おおー……当たったな」 「はぁ、はぁ……。 うしろのことも考えてくださいー!」 最初はどうなるかと思ったが、ななみの腕前もなかなかどうして馬鹿にはできない。 きらきらと輝くルミナの光球が窓辺に吊るされた靴下に弾け、七色の光が舞い踊る。 光の粒子のひとつひとつがツリーの奇跡だ。サンタとトナカイは、その力を運ぶためにイブの夜空を駆け抜ける。 「よーし、ノッてきたぞ。 クリアまであといくつだ?」 「ひぃの、ふぅの……15軒ですね」 「ルーキーにしちゃいいペースだ。 このまま一気に配っちまうか」 「もちろんですっ」 いまこの瞬間も、地上のどこかから星空を見上げているあの頃の俺がいる……。 夜更かしをして星を見ていた子供たちはいつしか眠りに落ち、やがて目覚めて靴下のプレゼントに気づくだろう。 それはサンタの運んだツリーからの贈り物。 トナカイがイブの空に残すのは、流れ星のようなスノーフレークの軌跡だけだ。 「21、22、23……にじゅうし……」 「にじゅう……にじゅうろく……?」 「27……」 「……まさかこんな形で日本に戻ってくるなんてね」 「あーあ、もう始まっちゃってる」 「見えるかい、お姫様?」 「うん、キラキラしてる……」 「〈故郷〉《ふるさと》っていうのはいつだって眩しく見えるものさ。 あるいはこみ上げる望郷が星空を〈滲〉《にじ》ませたかな?」 「はいはいはい。 トナカイってどうしてこうキザなんだろ」 「トナカイが〈気障〉《きざ》なんじゃない、俺が〈気障〉《きざ》なのさ」 「そんなんどーでもいい!! ムダ口叩いてないでキリキリ急ぐっ! 誰のおかげで遅刻したか分かってる!?」 「〈機体〉《こいつ》はデリケートなんだよ、お姫様」 「──熊ヶ崎灯台通過、30秒で市街地だ」 「いらいらいらいらいらいら遅い!! 加速っ、ハイパースピーダーーップ!!」 「そういきみなさんな。 我々は単なるサポート役だぜ」 「イブに張り切らないサンタなんていないの! ほら加速鈍ってる!! 手ぇ抜かない!!」 「はいはいご随意に、お姫様」 「日本のイブか……」 「……島国サンタのお手並み拝見ってところね」 「プリン・アラモード!!」 「海沿いは残り2軒です。 そのまま急上昇してください」 「無理すんなよ、 コースが不安定だ、揺れるぞ」 「平気です! 3・2・1・ワッフル、ワッフル♪」 「めりーくりすまーす♪」 「よーし、次でラストだ。 いっくぜ!」 「れっつごーーー!」 「お疲れさん、全ステージクリアだな」 「はぁぁ……いい汗かきました」 「さすがにバテただろう。 シリウスと合流するまでは休んでろ」 「りょーかいです……がさごそ」 「その袋の中身は全部菓子なのか?」 「はい、労働のあとは しあわせの素を補給しなくちゃいけません」 「そうして体型からリアルサンタを 目指しているわけだな」 「あ、ひどい!!」 「こちらカペラ03、 シリウス01聞こえるか」 「シリウス01よ、 そっちは順調みたいね」 「割り当てが少なかったからさ。 市街地のほうはどうだい?」 「手伝ってくれると助かるわ。 ドームからメインストリートに向かう コースが途切れてるの」 「ここのツリーはずいぶん気まぐれだな。 了解した、すぐに向かう」 「追加オーダーが来た。 サンタさん、もうひと仕事行くぜ」 「もが……お、おー!!」 「ここか……こいつはひどいな」 「うわぁ、コースがすっかり 霧に溶けちゃってますね……」 ツリーの気まぐれはイブの風物詩だ。本部の予報と実際のコースがずれていたなんて話はザラにある。 「にしたって、 ここまでコースが乱れているのは珍しいな」 「ご苦労さま」 「なんだ、シリウスはサンタさんが操縦してたのか」 「トナカイ稼業は見習い中なの、 お手柔らかにお願いね」 「すごい、両刀使いですか!」 「あらー、それは意味深な響きねえ?」 「先生」 「そ、そんなことはどーでもいいとして、 手伝って欲しいのはこの先なんだけどー」 「コースが完全になくなっちゃってますね」 「霧のしろくま町ってところね。 見ての通り、このドームから先の メインストリートが東西に分断されてるの」 「この先がメインの市街地か」 セルヴィを操縦するサンタの噂は聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。 しろくま町への先導ぶりを見るかぎり、見習いと言いつつも腕に覚えはあるのだろう。 「了解した。 俺たちがドームの西側からアプローチしよう」 「助かるわー。 予報よりルミナが薄いから気をつけて」 「なんとかなるさ、 ルート算出まで1分待ってくれ」 「はじめまして、シリウスのサンタさん」 「…………」 「……?」 「…………」 「……あ、あの?」 「……!」 「あ、わわ……ごめんなさいっ」 「……?」 「あの……何か?」 「あ、いえ、はじめましてーとご挨拶を」 「あ、すみません、ご丁寧に。 その……お手数をおかけして申し訳ありません。 ありがとうございます」 「いえ……どういたしまして」 「(すごく礼儀正しいサンタさんです)」 「育ちがいいんだろ、お前も見習ったほうがいいな」 「どーゆー意味ですか!」 「うちのサンタさんはルーキーイヤーなのよ、 緊張してるのは大目に見てね」 「あ、わたしもですー! じゃあ、同期ってことですね☆」 「………………」 「で、ですよね?」 「あ……!」 「はい、そうです! 至らぬところあるかと思いますが、その……」 「はい肩肘張らない」 「俺も2年目だから似たようなもんさ。 よし、新聞社ビルから路面電車を またぐコースが使えそうだ」 「ずいぶんと手際がいいのね、 九頭竜に来る前はどこにいたの?」 「うちの相方は屋久島に半年」 「冬馬くんはスロベニアだっけ?」 「スロバキアだ。 2年目でも一通りの対応はできるつもりだ。 割り当て分は任せてくれ」 「わ、わたしもです! 宝船に乗ったつもりでお任せあれ!」 「ふーん、頼もしいわね」 「度胸だけは超ルーキー級だからな」 「だけってどういう意味ですか!」 「とにかくっ、0時まであとちょっとだし、 わたしたちもがんばりましょう!」 「…………」 「あぅぅ……!」 「すーずーりー、緊張しすぎ」 「は、はい……!」 「緊張するとルミナが飛ばないって言うし、 リラックスリラックスです♪」 「よ、よろしくお願いします!」 「あれ……降ってきた?」 「……!」 「まずいな、吹雪いてきそうだ」 「予報じゃ快晴だったのにー!」 「へーきへーき、なんとかなるって。 イブに降る雪はラッキーだって言うじゃない?」 「そうですね! これはきっとレベルアップのチャンスです!」 「ホワイトクリスマスか。なんにしろ、 コースがこれ以上乱れないうちに決めちまおう」 「23時50分……。 タイムリミット近いけど、よろしくお願いね」 「りょーかいしましたっ!」 一年を通じて、ルミナが最も輝きを増すのがクリスマスイブだ。 イブの夜、23時59分はサンタにとって特別な意味を持っている。 夜明けまでにプレゼントを配りきれば、サンタクロースの役割を最低限果たしたことにはなる。 しかし、光に満ちたイブのうちにプレゼントを配り終えることにサンタたちはプライドを持っているのだ。 「コースが狭いです! 穴もたくさん空いてるし……行けますか!?」 「そいつは愚問だろ? つかまってろ!」 「おおっ! まるで腕利きトナカイさんみたいな台詞を!」 「〈みたい〉《・・・》か本物か、 自分で確かめてみるんだな」 眠れる住宅街から、眠らない繁華街へ──。 人の目が多くなればなるほど、ツリーのコースはタイトになってゆく。 けれどサンタは決して、その姿を人々に見せてはならない。 俺たちトナカイの腕が本当に問われるのは、ここから先だってことだ。 「行くぞ、エクストラステージだ」 「目標は頭に入ってるな! コースの虫食いは俺に任せておけ!」 「おっけーです、まっすぐ飛べば大丈夫っ!」 「いっきまーす!!」 「いつもにこにこ チョコレートサンデー!」 杖から放たれたルミナの光球がイルミネーションの光に溶けてゆく。 きらきらと、六角の〈雪晶〉《フレーク》を舞い散らせ、セルヴィは光を切り裂いて夜の市街地を滑る。 「お待たせしました、 キャラメルフロマージュ!」 「あと2つ! ここで決め手のベイクドチーズ……」 「うええっ!?」 「悪ィ、揺れた。大丈夫か?」 「へ、平気です! たいやき……たいやきっっ!」 「……外れたぁ」 「くそ、〈穴〉《ピット》だらけだ。 いったん上昇する!」 「あ、あ、あ、その前に! このまま右から寄せてください」 「なんだと!? 穴にハマっちまうぞ」 「けど、ここからならまだ狙えます!」 「当てられんのか?」 「もうすぐ0時です、急いで!!」 「了解だ! 右……東側よりアプローチする」 「どうするつもりだ、サンタさん?」 「とっておきを使います……そのまま!」 「穴だ、跳ぶぞ」 「せーのっ……和三ボム!!!」 「おおっ……当たったか!」 「やるじゃんか、ルーキーさん」 「はぁ、はぁ……っ! もちろんです、訓練してれば、こわくない」 「たいしたもんだ、残りの的は?」 「くつした7つ…… うー、思ったより当て損なってました」 「今のは俺のライン取りがヘボだった。 ルートを再計算するから待ってくれ」 「もう時間がありません。 すぐにセカンドアタック行きましょう!」 「同じルートでか? また揺れるぞ」 「かまいません! れっつごー!」 サンタが狙いを外すのは、トナカイの腕が悪いからだ。 だが、この霧でルミナの軌道を外れないためには、次も同じルートをなぞるしかない。 二度目の突入は23時57分──。 ここで撃ち洩らすと、三度目は0時をまたいでしまう。 「こいつで仕事納めにしたいな」 「イブのうちに決めてみせます!」 「ラストアタックだ。 あとは任せたぜ、サンタさん!」 「……りょーかいです!!」 「ん……なんだ?」 「きゃああっ!?」 「なんだ!?」 「そこの旧式、邪魔よ!!」 「き……旧式だと!?」 「わああああっ!! か、回避、回避ですーっ!!」 「ターゲットインサイト、 トータル7個──リクエスト確認省略!」 「聖夜の空を切り裂いて、 ラブリープリンセスただいま見参!」 「ロックオン!! デュエルザッパー最大出力!」 「メリー……!」 「クリスマース!!」 「ターゲットダウン! あはははっ……やっぱイブはこーでなくっちゃ!」 「一気に行くわ、連射モードON! ハイパーブラスター投下!!」 「オールターゲットダウン! ミッションコンプリート!」 「OK、離脱するぜ」 「ふふっ……軽いもんね」 「…………」 「…………」 「な……な、なんですか、 いまの赤いのは……?」 「ベテルギウスだ。 驚いたな……最新型が日本に来てたのか」 「ベテルギウス……ラブリープリンセス?」 「む、むむむむ……っっ!!」 「……どうした?」 「いくら新型だからって、 サポートのサンタさんだからって、 今のはちょっとひどいと思います!」 「まごころ込めてルミナを集めてきたのに あんな風に頭越しにプレゼントを 配っちゃうなんて……」 「冬馬くんもそう思いませんか?」 「ああ、そう思うぜ……」 時刻確認……0時ジャスト。イブの任務完了──フリー〈滑空〉《グライド》タイムに入る。 「ふぇ!?」 「あ……わ!」 「きゃああっ!? ととととーまくんっ!?」 「相方がそう思ってんなら話は早い」 「わ、わ、わっ! なにするですかーー!?」 「決まってるさ、追い抜いてやる」 「追い抜いてどうするんですか!?」 「そいつは抜いてから考えることだ!」 「計画性ゼロ!? ちょ、ちょ、ちょっと待って! さっき支部長さんが無茶はダメって……!」 「先に仕掛けてきたのはあちらさんだ」 「で、でもですよ……!!」 「最新型のベテルギウスか……面白いぜ。 ツラだけでも拝んでやる!」 「わぁぁぁ!! とーまくんの目が不完全燃焼してるーっ!」 「ひぇ、きゃぁぁ!」 「わぁーーーあぁぁぁああぁ!! とーまくん! とーーーーまくんっっ!?!?」 「ほう……旧式さん、追いついてきたぜ」 「可愛くないな。 島国サンタがはりきりすぎ」 「ナメんな!! 最新鋭がなんだってんだ!!」 「待ってぇぇー!! 無駄に速いですってば!! 事故るっ、落ちるっ、墜落するーっ!!」 「う゛ーっ、ぎもぢわるいーー! 熱くなっちゃダメだってばぁあぁ〜!!」 「そうカッカしなさんな、カペラさん」 「そーそー、感謝の言葉なら後で聞いてあげる」 「なんだと、挨拶もなしに仕事を取りやがって!」 「あそこでお前さんの相棒が撃ち洩らしてたら、 日付が変わっていたんだぜ?」 「やれたさ!!」 「根性論。自己採点が甘い……30点!」 「なんだとーーー!?」 「こっちのコースについて来れたら褒めてやるよ」 「抜いてやるさ!!」 「やぁぁーーー落ちる落ちる落ちるーっ! かみさまっ! かんのんさま、べんてんさまーっっ!!」 「サンタが祈るな!」 「わかってる、わかってますけど……! わ、わ、わぁぁああぁぁあぁーーっ!!」 「くそ、届かねえ!」 ──野郎、ただ者じゃない。 コースからコースに軽業みたいに飛び移ってあのデカいベテルギウスでロデオをしてやがる。だが……。 「小回りならカペラのほうが上だぜ!」 「いいぞジャパニーズ、ついて来い」 「片目にスコープだと……気取りやがって!」 「ん……ベテルギウス……片目?」 「お、お知り合いさん?」 「知るもんか! 意地でも俺のケツを拝ませてやる!」 「うええ、ぜんぜんだめだーー!!」 「わわーっ、もう無理!! ギブ! ギブですってばーーー!!!」 「イブの暴走行為は厳禁って教科書に! 戒めの書にぃぃぃーーーっ!!!!!」 「問題なしだ。 プレゼントは配り終えたし日付も回ってる。 一次会はお開きだ!」 「でも! ですけど!! きゃぁぁ!?」 「こっからはフリータイムだって 教科書にも書いてあったぜ」 「よし、とらえた。一気に攻める!」 「ふぇぇーーーっ!! このサンタ殺しー!!!」 「すみませーーーん!! そこのぐるぐるドリルさんも、 冬馬くんを止めてくださいー!!」 「誰がドリルよっ!!」 「短気は損気だぜ、お姫様。 先輩らしく優しく諭してあげたらどうだい?」 「うー、仕方ないな……」 「こらーー、そこの国産!!」 「国産!?」 「トナカイ一匹がカッカしたって、 サンタがトロけりゃ空回りするだけよ。 そろそろ頭冷やしたほうがいいと思わない!?」 「……かちん!」 「だいいち、エース機を相手に そんなカペラで何するつもり? 腕もダメ、機体もダメじゃ勝ち目なしよ」 「分かったら身の程をわきまえて、 さっさとママのお家に帰ること! 以上伝達終わり!」 「む……むむむーーっ!」 「これでよかった?」 「……こいつはもう才能の域だな」 「すまんね、うちの姫は口が悪いんだ」 「正直って言って」 「いい加減にしないと 後ろのお嬢ちゃんが泣き出すぜ、 アンティークさん」 「くそ、離される……無理なのか!」 「まだですっっ!!!!」 「ななみ──!?」 「なにが『無理なのか……』ですか、 そんなの冬馬くんらしくありません!」 「こーなったら今年の飛び納めですっ! 赤ドリルなんて一気に抜いちゃいましょう。 れっつごー! とーまくんっ!!!」 「赤ドリルーー!?」 「冬馬くん、コース右側が追い風です!」 「分かってらー、いっくぜ!」 「てぇぇーーーーーーい!!!」 「しつこいね。 これがブシドーってやつかい?」 「無鉄砲なだけ! 蹴散らすわ」 「そうは行くか……波をつかんだぜ! 覚悟しやがれ、金髪舶来サンタ!!」 「骨董品にしちゃ速いじゃないか」 「ラブ夫、手を抜くなーー! 絶対的能力差を見せ付けてやるんだから!」 「ご随意に、お姫様」 「ななみ、リミッター解除だ! 一気に抜くぜ!!」 「もちろんです! ルミナ供給全開っ!!」 「りゃああああああああああッ!!」 「てええええええええいいっっ!!」 「くっ、この加速……機体がもつか?」 「いいぞジャパニーズトナカイ、ゴキゲンだ」 「すぐに失速するわ。 こらーーっ、そこの凸凹コンビ! 墜落しても責任持てないからね!」 「墜落したらわたしの責任です!」 「そもそも墜落なんかしねえ!」 「あー、めんどくさいっ! もうっ、本気出すからね!!!」 「はー、終わった終わった。 帰ったら熱燗でキューッといきたいわねー」 「途中フラついたけど、 硯もなんとかなったじゃない」 「はい、先生」 「ぶるるる……あー、寒っっっ。 カペラの子たちもうまくやってくれた みたいだし、さっさと戻ろ戻ろ」 「くす、そうですね」 「…………あれ?」 「こんな夜はぬっくぬくのこたつで、 みかんと一緒に年末番組を……」 「先生! 左後方……!!」 「……え?」 「やぁぁぁあぁああぁぁぁぁぁッ!!!」 「てぇぇええぇぇえええぇえッッ!!!」 「な、なんなの!?」 「きゃ……ぁぁっ!?」 「あ、ちょっと、だめよ! 硯──!?」 「きゃああああっ!?」 「大丈夫よ、落ち着いて……硯!!」 「わ、わ、今度はなにーーー!?」 「突風か!?」 「違うな、吹雪だ。 後方からシリウス急接近!」 「なんで吹雪が突然……うわっ!?」 「ちっ……ここまでね、スピードダウン! 姿勢制御しつつ降下、ルミナ開放するわ!」 「……ってェ!?」 「わ、わ、わぁぁあああっ!!! なんで!? ぐるぐるしてます!! あっちこっちぐるぐるしてるーーーっ!!」 「こらーーーーーーーーっ!? なによ、来るなっ、こっち寄んなーー!!」 「機体制御不能!! 頼むぜカペラ!」 「こいつはイブらしいサプライズだ」 「カッコつけてないで姿勢制御ーっ!!」 「きゃあああっ、先生、先生っ!!」 「ありゃー、これ……まずいかも!?」 「きゃーーー、どいて、どいてーーぇぇ!!」 「だから来るなって言ってるのにーーー!!」 「きゃああああああああああああああっっ!!」 「はー、さむさむ。 今夜は冷えこむわー。あっつい甘酒飲みたっ」 「あ、姉ちゃん」 「もー、きららちゃん、おそいよぉ」 「ごめんごめん、今から超特急で行くから──」 「うぇ!?」 「な、なに……今の!?」 「どうしたのぉ?」 「あ、ううん、なんでも……」 「うぇ……!?」 「うわ………………」 「きららちゃーん? ねー、きららちゃぁぁぁん? うえ、とか、うわってどうしたのー?」 「びっくりした……雷?」 「だから危ないってあんだけ口すっぱくして言ったで しょーがっ!! 自分の実力も分からずにオラオラ 暴走してるからこーなるの! このボケ(略)」 「ふぇぇ…… ドリルさん、なんだかすごい怒ってます」 「とーーーーーぜんよっ!! だから自己採点が甘いって言ったの! 巻き込まれたこっちはいい迷惑だし!」 「だ、だってだってだってー!!」 「だってもさってもあさっても!! いったいぜんたいどーすんのよっ! セルヴィの接触事故なんて聞いたことないわっ!」 「それはわたしも初耳です」 「ピンクの記憶はどーでもいい!!!」 「そもそもそっちがつっかかってこなけりゃ こんなことにならなかったでしょーっっ!!」 「でもそれはドリルさんが横から」 「ドリル!?」 「あうぅ……」 「おまけに墜落した場所がツリーの上だなんて、 前代未聞にも程があるっっ!!」 「うぇぇぇ……だってーー!」 「ぴーぴー泣かない! だっても禁止!!!」 「は、はいーーっ!」 「うぎぎ……だから日本なんて来たくなかったのに! NY本部のエリートサンタが なんの因果でこんな辺境にぶつぶつぶつ……!!」 「ああああっ!?」 「わわ!?」 「す、凄いことを発見してしまいました……」 「な、なに!? このうえまだ何かあるの……!?」 「これではわたしたちが ツリーのオーナメントじゃないですかっ!」 「究極どーーでもいいーーーーーーっっ!!!」 「ありゃりゃ、相当カッカきてるわねー あのお嬢ちゃん」 「あああ……こんなことになるなんて予定外です! 誰かに見つかる前に早く逃げないと(略)」 「って、こっちもたいがいパニクってるか」 「せ、先生、こういうときの対処法は!? どどどどうすればこの状況から 脱出できますかっ!?」 「オロオロしないこと。 こーなっちゃったもんはしょーがないでしょ」 「ですけど、ですけど……!」 「いい? こういうときは、 お気楽なトナカイたちを見習って……」 「うわぁぁぁああぁっ……!! 俺のカペラがぁぁぁぁーー!!!」 「醜態だ、失態だ、言語道断だッ! あの程度の突風も処理できないなんて、 すまんカペラ……俺はまだまだ未熟だった!!」 「ありゃー、あんまり楽天的じゃないのもいるわね」 「〈聖夜〉《イブ》にハプニングはつきものさ。 ともあれ仕事はこれにてフィニッシュだ、 ハッピー・ホリデーズ!!」 「ちーともハッピーじゃないのにー!!」 「はぁぁ……最後の最後で大失敗でした」 「すまん、着任早々とんだクリスマスだな」 「くすん……縁日が……わたあめが、 梅ジャムせんべいにあんずアメ……」 「って、そっちかーーい!!」 %LC  ──10ヶ月後。 %LC──敬愛する師匠へ。%K %LCそちらは雪の季節になりましたが、お変わりなく過ごしていますか?%K %LC俺は……まあ元気にやってます。%K %LC師匠の勧めでこの土地に移って半年、カペラの奴は相変わらず不機嫌ですが、町の空気は北欧に劣らず綺麗です。%K %LC少々修理に手間取ってはいますが、なに、イブには間に合わせますので、どうか大船に乗ったつもりでいてください。%K %O 「さーーーーてと、完成だ!」 「それにしても長かった……いっときは 一生完成しないんじゃないかと思ったが」 颯爽とシートにまたがった俺は、ステアリングのスイッチを入れて上昇する計器板の数値を読み取る。 リフレクター反射率98%ハーモナイザー同調率95%──我ながら文句なしの仕上がりだ。 「行くぜ、カペラ始動──!」 「師匠にも大見得切っちまったんだ、 今度こそ頼んだぜ、相棒」 「……おい?」 「………………」 「ちくしょー、また駄目か!」 「参った……なぜだ、なぜなんだ!? 理論上は直ってるはずなのに」 「はぁぁ……なんてこった、 すっかり寒くなってきちまった」 ──空を見る。 地上から見上げる空は、日に日に高く感じられる。季節は秋から冬へと変わろうとしているのだ。 俺の目指す星は、雪雲の果てに霞んだまま、おぼろにもその姿をとらえることができない。 師匠のもとで磨いた技能をくすぶらせたまま、セルヴィと格闘して早10ヶ月。 けれど、こういった毎日こそが修行の糧になるってことも、師匠からはみっちり叩き込まれている。 「とは言ったものの、 あん時はまさか、こんなことになるとはなぁ……」 「ばっかもーーーーん!!!!」 「ひぅぅっ!!」 「イブにサンタが揃って暴走行為とは何事だ! 頭を冷やせッ!!」 「い、いえあれは正確にはイブではなく……!」 「そそそそうです! もう0時を回っていてですね、ノルマも……」 「パーティーのしおりを読み返せッ!! 1:おやつは300円まで!! 2:支部に帰るまでがクリスマスです!!」 「ががーーーん!!!」 「まずいですっ! おかし5000円は買い込んでました!」 「そっちじゃねえ」 「挙句の果てにツリーに墜落するとは言語道断!」 「まさかあんなところに。 海よりも深く反省しています」 「その通りだ、付け加えるなら セルヴィの接触事故自体が前代未聞だ。 両名とも炎より熱く反省するように!!」 「す、すみません……」 「む、殊勝な態度はよろしい」 「ところで大破したセルヴィなのだが 改修を繰り返して相当古くなっているようだし、 これを機に新機種への乗り換えを検討したまえ」 「俺のカペラですか!? 待ってください、 あいつは師匠から譲られた機体なんです。 なんとかそこはひとつ……」 「だが交換部品もほとんど残っていなくてな、 修理には相当の手間と時間が……」 「だ……だったら俺が直します!」 「冬馬くん!?」 「トナカイとして、いくら古くても 愛機を簡単には捨てられません」 「……ふーむ」 「よろしい、ならば心ゆくまで修理したまえ」 「幸いなことに……時間はたっぷりあるからな」 「そのたっぷりが、まさか秋になっちまうとは!」 「頼むからこいつで決めてくれよ……。 修理が終わるまで戻ってくるなって言われてるし、 このままじゃ年を越しちまう」 「…………」 「……おいカペラさんよ、 お前をスクラップにしないためにやってるんだぜ。 ちったぁ言うこと聞いてくれよ」 「ぴーひょろろ……」 「ほら、とんびも笑ってるぜ」 顔を上げると、古い倉庫の屋根が、ほのかに色づいた木々のあいだに覗いている。もはや見慣れた山道の景色。 そして、その手前を横切る一羽の……。 ……一羽の!? 「とんび……じゃないぞ!?」 「ぴーひょろろ!」 「違う、そんなとんびはいねえ!」 「くっくるーーるーーー!」 「お前はトリか!! トリじゃないか!」 「やぁ、久しぶりじゃないか。 よくここが分かったな!」 「くるるる、くるるー!」 「お、師匠からの手紙を持ってきてくれたのか」 「ご苦労だったなぁ。ほら、テントはこっちだ。 コーヒーでも淹れてやるから休んでいけよ」 「くるる! くーーーーるるるっ!」 「早く読めって? 分かった分かった」 「……お、本部から俺宛に通達だって?」 「どれどれ………………」 「おおっ!? やったぜ!! 俺の新しいパートナーがこの町に来る?」 「で、今日これから迎えに行けだって!?」 「よーし、こいつはいい風が吹いてきたぜ。 なになに……パートナーと合流後は 現地の新しい支部へ着任の挨拶を……?」 「新しい支部ってなんだ……ふむふむ?」 「しろくま町支部だって!?」 山道を下り、田園地帯の田舎道を徒歩で30分余り──。 潮の香りを感じる辺りから建物の数が増えはじめ、道はすぐに、しろくま町の市街地へと入ってゆく。 メインストリートのしろくま通りを駅に向かうと、視界のあちこちに外国人や観光客の姿が入ってきた。 この町は観光地なのだ。 明治のころ、このしろくま町は『異人の町』と呼ばれていたらしい。 かつて外国人の協力で開発された町の沿革が、ところどころに立てられた標識や看板に記されている。 この土地に立派なツリーがある理由も、どうやらそのあたりにあるようだ。 午前9時、そろそろ新しいパートナーが駅に着いてる頃だ。 「さて……手紙によると この辺りに来ているはずだが」 「どこかな、新しいパートナーさんは?」 「……!?」 「あ、とーまくん!」 「……パートナー……さん!?」 「おはようございます。 星名ななみ、ただいま到着いたしました!」 「あ、ちょっと待ってください!! とーまくん、どこ行くんですかぁ!?」 「抜擢かと思ったら、懲罰人事だったか」 「もー、待ってくださいってばー!」 「そこに書いてあるだろ、 駅構内での飲食はご遠慮ください」 「げげ、それは盲点でした!」 「ちょっ、だからって 置いてかないでくださいー」 「まずは、これをどーぞ!」 アイスクリームを咥えたななみが、バッグから書類のファイルを取り出す。 「この寒いのにアイスか?」 「ふぁい、そこで売ってましたから。 名物・しろくまくんアイス……ぶるるるる!」 「全く変わりないようで何よりだ。 で、こいつが申し送りかい?」 「はい、冬馬くんは住所不定なので 辞令はわたしが預かってきました」 「住所は山ん中さ。 サインはここだな」 歩きながら書類にペンを走らせる俺の後をななみが小走りで追いかけてくる。 この書類を〈支部長〉《ロードスター》に提出すれば、俺もしろくま町支部の一員として現場復帰というわけだ。 「それにしても、また冬馬くんと ペアを組むなんて思いませんでした」 「問題コンビ復活というわけか」 「そうとも限りませんよ」 「お菓子は卒業できたかい?」 「ふっふっふ、それは見てのお楽しみです」 「冬馬くんこそ、 カペラさんの調子はどうですか?」 「ま……ぼちぼちさ」 またもこいつとペアを組むことになろうとは全くもって想定外だったが、それでもパートナー不在の毎日よりは百倍マシだ。 どんなサンタにも対応してこそ、一流のトナカイといえる。 今回の人事は、そのための第一歩ってことだ。 そう自分を納得させられれば充分だ。サイン済みの指令書を懐に入れて、いざ、しろくま町支部へ……! 「とーまくん逆ですよー、こっちこっち!!」 「電車に乗って行くのか?」 「はい、支部の建物まで『くま電』で2駅です」 「あ、さては住所不定の冬馬くんには、 新しい支部の地図が届いていませんね?」 「……面目ない」 「そういうことなら、 道案内はわたしに任せてください」 かくして俺はななみに手を引かれるように駅前のロータリーへ。 「おー、サンタがいるな」 「わたしですか?」 「いや、あっちさ」 「サァ、サァ、 イラッサーイ、イラッサーイ! アッサラーム!」 「ほんとだ。 それにしても外国の方が多い町ですねー」 「サンドイッチマンまで外国人とは、 国際色豊かだな」 「サンドイッチ!?」 「はてサンドイッチマンとは……。 むしろ、おむすびさんのほうが似合いそうな 恰幅の良さではありますけど……」 「ニックネームつけてんじゃない。 サンドイッチマンってのは あーいう格好で宣伝する仕事のことさ」 「どうしてまたサンドイッチなんですか?」 「見ての通りさ、店の看板を身体の前と後に ぶら下げて、自分を挟んでいる風体が さながらサンドイッチのようにだな……」 「はぁぁ……なるほど、 冬馬くんは物知りですね!」 「こう見えても昭和生まれさ」 「……でも、看板挟んでいませんよ」 「そこな道行くボッチャンジョーチャン、 しろくま名物パチンコーはイカガディスカー?」 「なるほど……厳密には サンドイッチマンじゃないのか」 「じゃあ、おむすびさんで!」 「了解だ。そしてどっちでもいい」 「むー、ノリが悪いですねー」 「ウェルカム・トゥー・しろくまシティ!!」 「わわわ!? び、びっくりした!」 「オー、プリティガール! フー・コー・メイビーな海のエントランス、 しろくまシティへようこそ!!」 「これはこれはご丁寧にありがとうございます」 「急ぐぞ」 「あ、ちょっと待ってください、 サンタたるもの街の人とは仲良くですよ」 「あのー、このあたりでおすすめの お菓子屋さんとかご存知でしょうかー?」 「ホワッツ!?」 「おい、〈道案内〉《ガイド》じゃないぞ」 「ワタシオ菓子ワカラナーイデスガ、 新名所パーラー・ヴィエント、ヨロシクネー」 「ぱーらー?」 首をかしげたななみが、差し出されたチラシを表彰状のように深々と受け取った。 「喫茶店……いやパチンコ屋だな」 「YES! 若人サン、オメガ高イ!! 只今新台参入キャンペーン実施中ニテ〈候〉《ソーロー》!」 「おぁぁ、なんだか分からないけど エキセントリックな日本語です!」 「旅のメモリーに一発勝負。 CR戦記アクシズ大放出中の巻でゴザルヨ」 「へぇ、パチンコか……どんなものだろうな。 やはり一流のトナカイたるもの、 ギャンブルの嗜みくらいは……」 「……もが!?」 「だめですよー! 賭け事にお金を使うなんて無駄遣いです」 「……ならば聞くがサンタさん、 そのバッグの隅から覗いてる ピンクの箱はなんだい?」 「予備のお菓子ですが?」 「なら、そっちのポーチの中身は?」 「メインのお菓子です!」 「無駄菓子だ!!!」 「む、無駄じゃありませんー!! 古代アステカの人も言ってますよ、 毎朝のチョコレートは元気の源です♪」 「やめろ、もが……っ!!」 「げーーーーーほ、げほげほっ!!」 「あーーーーーーー!!! なんてもったいないことをっっ!」 「いきなり口に突っ込むからだ! げほげほげほ、甘すぎてむせるっっ! 水!! その手に持ってる奴よこせ!」 「えー! これは限定の……」 「げーーーーほ、げほげほっ!!」 「うー、しょうがないですね」 「サンキュー、 ごくごくごくごく……んぐ!?」 「げふっ…………こ、これは」 「はい、そこのファーストフード屋さんで 新発売してた、この秋限定の……」 「チョコシェイクだ!!!!」 「うーーーーーー…………………………… やっと落ち着いた…………………げほっ!」 「元気が出るはずなのに、 げっそりしてしまいましたね……もごもご」 「鼻血で倒れなかっただけマシさ。 そして心配してるはずの君はさっきから なにをペチャコリペチャコリやってる?」 「これですか? じゃーーーん、くまキャンディ! さっき、おむすびさんから貰ったんです」 「そうか美味いか?」 「はい! 搾りたての牛乳から作った ミルクキャンディだそうですよ。 もう1つだけ残ってるんですけど……」 「全力で遠慮する」 ふんわりと漂ってきた甘い香りに肩をすくめた俺は、くま電の車窓から外の景色を眺めやる。 しろくま電鉄──通称『くま電』は、この町の市街地を割って走る路面電車だ。 窓の外を流れてゆくのは、道路と信号、それから華やかに飾られたビルの群れ。 そんな駅前の繁華街を過ぎると建物の背はとたんに低くなり、空が開ける。 暑い夏はとうに過ぎ、空の青もいくぶん薄くなってきた。 「…………(にこにこ)」 「こんにちはー」 向かいの座席にニコニコ座ってる女の人に、ななみが手を振った。 「…………(にこにこ)」 にこやかに手を振り返すお姉さん。 「知り合いか?」 「いえ、まったく」 「知らない人に手を振るんじゃない」 「町の人とのコミュニケーションですってば」 「…………(にこにこ)」 そんなものだろうか。 新しいパートナーのフリーダムなサンタぶりに首をひねっているうちに、車窓の景色に緑の色が増えてくる。 「……どうか遅刻しませんよーに」 「どこに何時集合だって?」 「山の手住宅街の支部に朝10時集合です」 「なら1時間もかからないさ」 「だといいんですけど……ここだけの話ですが、 すっごぉぉーーーーくキビシイらしいですよ、 今度の〈支部長〉《ロードスター》さんは」 「どんな人なんだ?」 「ええと、確かサー・なんとかさんって……」 「サー・アルフレッド・キング?」 「らら、知ってましたか?」 「噂くらいだけどな。 キング氏っていや、ヨーロッパじゃ有名人だ」 サー・アルフレッド・キングといえば、サンタの世界では名の通った英国紳士だ。 表の顔である福祉事業が英国王室に認められ、ナイトに叙任された程の人物だってことは、下っ端トナカイの俺でも知っている。 「そんな大物が、スパルタ指導するのかぁ。 面白いことになりそうだな、しろくま支部は」 「嬉しそうですね」 「キャリアアップにはもってこいさ。 それに……」 「……それに?」 「それにやっぱり、 サンタといえば髭のオッサンだろう!」 「……美少女ですみませんでした」 「自分から美を付ける度胸はたいしたもんだ」 「むー、ほっといてください」 ふと、ななみが宙に視線を泳がせた。黒い瞳がきらきらと空の明かりを映している。 「……ツリーも元気みたいですね」 「昼間なのに見えるのか? ルミナは屋久島より多いみたいだが」 「うん、あっちこっちでふわふわしてます。 さすが、日本で五番目の支部に 選ばれるだけのことはありますね」 「本州じゃ、九頭竜川に次いで二つ目か」 「急に決まったらしいですよ。 だからサンタも少数精鋭で、 3チームしか組まないとか……」 「どうしてそんな支部に俺たちが……?」 「そんなの決まってるじゃないですか」 「期待されてるってことですっ!!」 「そうか!!」 「そうです!!」 「大物ロードスターの指揮する少数精鋭部隊か! 本部もなかなか粋な人選をするもんだ」 「そういえば、冬馬くんは いつからこの町にいるんですか?」 「半年ほど前さ」 「えーー!? なら、冬馬くんのほうが しろくま町に詳しいんじゃないですか?」 「あいにく山のテントに〈篭〉《こも》ってたんでな。 町の名前くらいしか知らないのさ」 師匠がこの土地をすすめてくれたのは、支部の発足を予期していたからだろうか。 まったくもってありがたい話だ。ここで期待に応えられなくては男が立たない。 「こんなことになると分かってりゃ、 少しは勉強しとくんだったな」 「仕方ないですねー、 すこしレクチャーしてあげます」 「コホン──しろくま町は人口3万8千人、 南をしろくま湾、北を〈白波〉《しらなみ》山に挟まれた 観光と漁業の町です」 「お、いかにもガイドさんだ」 「ふっふっふー、下調べは入念にやってきましたよ。 町のことなら何でもわたしに聞いてくださいね☆」 「へええ、さすがだねサンタさん。 ま、頼りにさせてもらうぜ」 〈星名〉《ほしな》ななみとペアを組むのは予想外だったが、去年のリベンジを果たせると考えればそれも悪くはない。 俺がいま考えるべきは、この新しい支部でまだ見ぬ仲間たちと共にベストの仕事を貫き通すこと。 全てはその先にある憧れの八大トナカイを目指すために──。 「しろくま海岸ー、しろくま海岸ーー」 「あれー?」 「海じゃねーか!!!」 「元屋久島支部サンタクロース、星名ななみ! しろくま支部への異動を命ぜられ、 ただいま着任しました!」 「トナカイ中井冬馬、ただいま着任しました」 「ご苦労様です、楽にしてください」 「(──子供!?)」 「何か?」 「あ、い、いえ……はじめまして」 「よろしくご指導のほど、お願いします!」 「歓迎します。 と言いたいところですが……(ちらり)」 「……30分の遅刻ですね」 「ご、ごめんなさい! 実はこれには 深ぁぁぁーーーーーーーーい事情が ありましてっっ!!」 「反対方向の電車に乗ったんです」 「わぁぁーー! なんで言うですかーー!!」 「ごまかしてどーなる。 注意不足でした、申し訳ありません」 「あうぅぅー、ごめんなさいっっ!! ついうっかり景色に見とれてしまって」 「言い訳は結構です。 次から気をつけてください」 「はいぃ……」 へえ、こいつは噂に違わず厳しい支部長みたいだ。 見た目は子供でも、伊達にナイトの称号は持ってないってところか。 「……?」 ……っと、平常心平常心。 「どうしました、星名さん?」 「あ、いえその、 すっごいお屋敷だなぁーーって……」 「こんなお屋敷に住めるなんて、 ちょっとドキドキします☆」 気ままに宿を取って生活するトナカイとちがい、サンタさんは支部の建物内に部屋をもらって寝泊りをすることが多い。 こんな立派な洋館が支部だと知ってななみがはしゃぐ気持ちも分かるってもんだ。 「残念ながら、そうはなりません」 「は?」 「しろくま町支部では、サンタの住まいと 支部の建物を別に分けることになりました」 「こちらに活動拠点を用意してありますので、 本日より、そちらに〈起居〉《ききょ》してください」 「えええーーー!?」 「あてが外れたな」 「活動拠点と言われましても、 そこ……森の中ですけど?」 「確かに森だが……ん? この位置は、ひょっとして」 「覚えていますか? この家が活動拠点になります」 「あーっ!?」 「やっぱりか……」 前代未聞の接触事故から10ヶ月。今でも、この建物を見せられるとあの夜のことが鮮やかに蘇ってくる。 「でも……このモミの木って しろくま町のツリーなんですよね?」 「はい、ですが古くからツリーハウスとして 使われていて、特にここ数年はずっと貸家に なっていたそうです」 「ノエルと無関係の人に借りられるよりは、 サンタが利用したほうが合理的、ってことですか」 「そういうことです」 しかし……本当に大丈夫なのだろうか?俺たちのエネルギーの源であるツリーに家をこさえて住みついたりなんかして。 「すごいですっっ!!!」 「こここれは画期的ですよ、冬馬くん! サンタがツリーに住んでいるなんて! おぉぉーーー燃えてきましたっっ!!」 「るんるんるー、るんるんるー」 「な、なるほど……サンタがそう言うなら それでいいんだろうけど」 ツリーハウスのサンタクロースか、確かに絵にはなりそうだ。 「で・す・が!!!」 「重大な注意事項が3点あります。 それだけは忘れずに守ってください」 「は、はい! 注意事項とは?」 「1:ペット禁止! 2:焚き火禁止! 3:何か壊したら責任を持って修繕すること!」 「そ、それはもう当然守りますが」 「ええ、これくらい常識的に守っていただける とは思っています……ですが!!」 「忘却厳禁の最重要項目として、 命にかえても先の3点だけは死守してください!」 「りょ、了解」 「でも、どうしてそんなことをわざわざ……?」 「ここの大家さんは、 すっごーーーーーーく怖い人だからです!」 「そんなにもですか!?」 「そんなにもです!!」 「実際に契約の席で会ってきた ぼくが言うのだから間違いないです。 いいですか、心して聞いてください!」 「その大家さん現るところ、 恐怖と商売が支配する!」 「その大家さん現るところ、 あらゆる物件は徹底的に管理される!」 「千里眼で店子の所持金を見通し!」 「眼力ひとつで家賃を取り立て!」 「逆らうものは顎の力で全て噛み砕く!!」 「敷2・礼4あたりまえ! それが!! ツリーハウスの大家・〈鰐口〉《わにぐち》さんなのです!」 「わ……ワニグチ……!!!」 「そう、鰐口……みすずさんです」 「ど、どんな人なんでしょうかぁぁ……」 「想像図から全力で遠いことを祈るのみだ」 「うぅぅ……わに……わにさん……わにさん……」 「それから、ツリーハウスの最上階に 狭い小屋が付いていますが、 そこは使わないようにしてください」 「古くより言い伝えのある祠のようなもので、 人が住める造りになっていませんから」 「なんだかややこしいおうちですね」 「頑張ってくれよ、サンタさん」 「こちらからは以上です。 最後にこれを星名さんに預けておきます」 「は、はい……巻物ですか?」 「極秘指令の書です。 ツリーハウスにサンタチームが集合したら そのときに開いてください」 「中に活動についての指示がありますので、 以降は全てこの巻物に従ってください」 「以上です、何か質問は?」 「はい、トナカイは自由行動でいいんですね?」 「巻物に書かれていないことについては、 規則の範囲内でご自由にどうぞ。他には?」 「あ、あのぉ」 「やっぱりその、 わたしたちが最後……でしたか?」 「いえ、一番乗りです」 「えぇ!? 他のサンタさんたちはいったい……」 「分かりません」 「……温泉なんかに入ってないといいけど」 「あたーーーりーーー!!!」 「またまたあたりだーーー畜生!!!」 「あーーたーーーりーーーー!!!」 「まったく……あと……3年!?」 「日本支部!! よりによって、日本!!」 「このあたしともあろう者が、 どーしてこんな辺境で……!!」 「あれ?」 「おじさーん、〈的〉《マト》がもうないー!」 「ねーちゃん! あいや、お嬢ちゃん!! 後生だからもう勘弁してくんねーかなぁぁぁっ」 「?? どーしたの??」 「景品なんかもうどこにもねーーーよっ!! 300円で一切合財さらわれちまった!! これじゃ破産しちまわぁ、俺ンとこぁよ!!!」 「えー、まだまだ弾残ってるのに!」 「潮時だぜ、お姫様」 「そーね……カンストじゃあ仕方ないか」 「時計の針も10時半だ。 支部の皆さんが首を長くしてるだろうよ」 「え!? もうそんな時間!? どーして黙ってたの、完璧遅刻じゃん!」 「姫の射撃に見とれてたのさ」 「外で女の子ひっかけてたくせに。 急ぐわよ、どーせ遅刻だけど!」 「あ……そうだおじさん」 「あいよ、もうどーにでもしてくんな!」 「はい、これ返すわ」 「へ!? この景品……全部!?」 「クリスマスプレゼント、ちょっと早いけどね☆」 「んー! 田舎だけあって空気はいいわねー」 「水と空気の美しい土地は、 そこに住む女性をも美しくする」 「女の子にばっか見とれてないの。 どーせみんな観光客よ」 「素晴らしいものだな、大和撫子とは」 「はいはいはい、あんたは嬉しいでしょーね。 まだ日本には現地妻がいなかったから!」 「お姫様、そんなにイライラしていたら キュートなお顔が台無しだぜ?」 「よけーなお世話!! そもそもどーしてあたしがローカル支部なんかに 飛ばされなきゃなんないのよ、意味不明すぎるわ」 「去年の衝突事故のペナルティだろう。 まあ、気楽に行こうぜ。 田舎だが、ここの支部は悪くなさそうだ」 「ラブ夫は女の子がいれば何処でもいーんでしょ? で、ロードスターはどんな人なの?」 「なんて言ったかな、相当な大物だって話だ。 俺たちとも釣り合いが取れるくらいのな」 「どーだか。こんな辺境に そんな大物が来るなんて信じられないけど」 「きっと集められたサンタも 君のような一流ぞろいだよ、お姫様」 「観光客を目で追いながら言うの、やめてくれる?」 「すずりー? あとちょっとよ、がんばりなさーい」 「は……はい、先生!」 「緊張もビクビクもしちゃダメよ。 同じとこでまた事故りたくないでしょー?」 「大丈夫……です……」 「……まだ怖い?」 「いえ、そうじゃなくて……」 「じゃあ、どーしたの?」 「…………」 「ただ、少し不安なだけです。 どんなサンタクロースと暮らすことになるのか」 「へーきへーき、どーにでもなるって。 それより、もう30分遅刻よー?」 「……!?」 「そうそう、いくわよスピードアーップ!!」 「むーむむむ……」 「どうした、壊れたファンみたいな音出して」 「いえその、いったいどんな 大家さんなのでしょうかーと思いまして」 「あまり気にするなって。 普通に暮らしてりゃ怒られるもんかよ」 「うーーー、 冬馬くんはトナカイだからいいですけど……」 「こっちは、しばらく気楽なテント暮らしだな。 大家さんより他のメンバーのほうが楽しみだ」 「そうですね、どんな人たちでしょうか」 「間違いなく、〈髭〉《ヒゲ》のサンタさ♪」 「どうしてですか?」 「簡単な話さ、3組中1組はサンタが新人同然。 そうなるとバランス的に、 フォロー役のベテランサンタが必要になる」 「なるほど、さすがとーまくん」 「って、なにが新人同然ですか!!! こう見えても、実は頼りになるって 評判なんですから!」 「ほう、評判?」 「ええ、そりゃもうあっちこっちで!! えーとえーと、あそこでも言われてたし、 あそこもそうでした、あとあっちの方とかでも……」 「とととにかく頼りになるんですっ!!」 「分かった分かった、俺も頼りにするから 駅に着いたらツリーハウスまで案内を頼むよ」 「山じゃねーか!!!」 「なんてこった。 電車を乗り違えてるうちに夕方だ」 「ですけどー! 初めてだったんですからー!」 「完璧な下調べは?」 「あはは、駅名だけは暗記してたんですがー」 「めんぼくない」 「ま、過ぎたことはいいさ。 ともあれ目的地には着いたんだ」 田園地帯にぽつりと茂った森の入口に、古い標識が突っ立っている。そのてっぺんでデカい銀ヤンマが〈翅〉《はね》を休めていた。 朽ちた木の標識には、かつて何か文字が書かれていたのだろうが、今ではかすれていて読み取れない。 「この森の中なんだろ? 早くベテランサンタさんに会いに行こうぜ」 「ふーむ……どうしてとーまくんは ベテランだとノリノリなのですか?」 「決まってるさ、正統派のサンタときたら やっぱり髭のオッサンが一番だ!」 「えー、なんですかそれは!」 「慈愛の笑みが似合うってことさ。 お前も早く年輪を刻めよ」 「偏見です!!」 「お、一番星」 口を尖らせるななみを置いて、赤く染まった秋空を見上げる。 「去年はこの上空をすっ飛ばされたんだな」 「なんで急に〈吹雪〉《ふぶ》いたんでしょうねー」 「まったく謎が多い事故だった」 快晴の夜空から一転して巻き起こった、イブの吹雪。 その原因は10ヶ月たった今でもかいもく見当がつかない。 もしあれが、不安定なツリーが引き起こした一夜の悪夢であるとするのなら、今後の出動でも相当な警戒が必要になるだろう。 「わぁぁ……すごい!!」 「こいつは……えらく立派なツリーだったんだな」 「前は暗くて分かりませんでしたねー」 はしゃいだ声をあげたななみが、巨大なモミの木の中腹あたりを指差してみせる。 「わたしがひっかかったの、あの辺りでしょうか?」 「もうちょっと下だったかな。 あんまり思い出したくないが」 「あう……それは確かに」 「それにしても……」 「な、なんか〈鬱蒼〉《うっそう》としてて、ちょっと怖いですね」 「サンタがツリーを怖がってどーする」 「それはそうなんですけど、 あ、あはは、おばけは…………ちょっと……」 「……と、肩をすくめたその背後に!!!」 「わ、わぁあぁぁーー!! そーゆーのだめ、やめてくださいーっ!!」 そのとき、パニクって騒ぎだしたななみの背後で、ツリーハウスのドアがゆっくりと開きはじめた……。 「で、でたぁああぁぁーーーーーーーぁあ!!!!」 「わぁぁ!? か、風だ、風! 急にでかい声を出すな!!」 「で、ですけど……扉が!」 「きゃーーーぁぁぁあぁぁあぁ!!」 「落ち着け、古い家で建て付け悪いだけだ。 ……いや?」 「なななんですかっ!?」 「……中に気配が」 「ふぇぇぇ……とーまくんっ!!」 「大丈夫だ、ひっ付くな! ここで待ってろ、様子を見てくる」 「わ、わ、わたしも行きます……!」 「って、うわわっ!」 「うぉ!? お、押すなっ!!」 「あ、あたたた……」 「きゃあぁっ…………!!」 何だ、頭の上から別の悲鳴が……!? 「え? わーーーーっ!!」 「あ……いたたた…………」 「…………!?」 「あーー! あなたは!?」 「…………!」 「あ、あはは……びっくりしました。 1年ぶりですねー! しろくま支部に来たんですか?」 「…………」 「えっと……その……」 「ほ、本日はお日柄も良くー!!」 「あ、あなたは去年の……!」 「うぅ……テンポが違った……」 「硯ー、大丈夫? まさか落ちちゃった!?」 「す、すみません! そこの手すりが古くなっていて」 「あらー、バッキリいっちゃったわねー」 「あ、シリウスのトナカイさんも!」 「あららー、誰かと思ったら」 「ひさしぶりー。 元気してたかしら?」 「そ、それはもう! よろしくおねがいします!」 「こちらこそ。ね、硯?」 「…………(ぺこり)」 「で、なんで硯は落ちちゃったのー?」 「外で声がしたので様子を見ようと思ったら テラスの手すりが折れてしまって……」 「なーんだ、そうだったんですね。 おばけじゃなくて本当によかったです」 「……お化け、ですか?」 「そうです、この雰囲気! あたり一面鬱蒼としてて いかにも出ちゃいますみたいな!」 「あはは、確かに何か出そうだもんね。 夕方になるとけっこう暗いし」 「せめて灯りか何かあったら良かったのですがー」 「…………(かち)」 「ぎゃああああぁああぁああぁあぁぁぁっっ!!」 「はいそこ、顔の下から照らさない」 「え…………??」 「い、いきなり心臓に悪いですー!」 「…………盛り上がってるところ悪いが」 「ベンチなら別のを探してくれないか?」 「わぁあああ!?」「す、すみませんっっ!!」 「あんたサンタ学校の先生だったのか!?」 「ぜんぜん知りませんでした。 それで『先生』って呼ばれてたんですね」 「本名は〈三田〉《みた》〈蒔絵〉《まきえ》さんなんだけど、 みんなサンタ先生って呼ぶのよねー」 「サンタ先生か……なるほど。 でも屋久島の学校じゃ見なかったよな」 「そう言われてみれば」 「んー、特別クラスの非常勤だったからねー」 「あ、よくよく見れば そのマントは……マスターサンタさん!?」 「へえ、マントで分かるのか」 「肩書きだけはねー。 マント重たくて苦手なんだけど」 マスターサンタは、他のサンタの手本になるべき存在だ。 一般のサンタの上にマスターサンタがいて、その上に長老たちがいる。 「マスターサンタで学校の先生とは、参ったな」 「おヒゲじゃなくて残念でした」 「うるさい。まあ、なんというか……その、 以後よろしくご指導お願いします!」 「あはは、トナカイ同士でそんなに かしこまらなくてもいいわよー」 いくら先輩後輩でも、トナカイ同士はざっくばらんに話すのがマナーってもんだ。そいつができない奴は野暮だと笑われる。 とはいえ、サンタとトナカイじゃサンタのほうが格上で、そのまた上のマスターサンタさんとなると……。 ううむ……タメ口を叩くにも、多少緊張してしまいそうだ。 しかしなるほど、髭の老人ではなかったが、ベテランが来るという予想に大きな間違いはなかったようだ。 去年はトナカイ見習いだなんて謙遜をしていたが、サンタ学校の先生ともなれば腕も相当だろう。 「先生と一緒に仕事をするんだから、 覚悟してかからないとな……」 「そうよ覚悟しといてね。 アタシ、グータラだから」 「は?」 「ま、それはさておき、こっちのサンタさんが アタシの教え子だったってわけ」 「柊ノ木硯です。 昨年まで九頭竜川支部にいました。 よろしくお願いいたします」 「よ、よろしくおねがいしますー」 「…………」 「あぅ……鋭い眼光……」 「で、そちらさんは?」 「はい、星名ななみです! 今年で2年目のフレッシュサンタ。 好きな食べ物はあまいもの!」 「でもって、こっちはトナカイのとーまくん! 気は優しくて力持ち、だけどちょっぴり大酒飲み」 「よけーなことまで言うな!」 「中井冬馬、今日からまたもやコイツの相方だ。 まだまだ駆け出しの3年目だが、よろしく頼む」 「いいわねー、フレッシュコンビかぁ。 でもって、最後の一組は超エリートなのよね」 「エリートさんですか?」 「噂だけどね。 なんでもNY本部のエースサンタさんとか……」 「NY本部!? まさかそんな人が」 「むむ、やっぱり冬馬くんの おヒゲさん理論なのでしょうか?」 「それにしたってバランスってもんが……」 「ん……なんだ?」 「上から……ですね」 「どーやらお出ましのようね」 「NYのエースが最後のペアか。 となると、今度こそは正統派の髭サンタが……」 「ちょっと待て……あいつぁ!?」 気流を避けながら俺たちが仰ぎ見たものは、忘れもしない真紅の〈機体〉《セルヴィ》──。 「おっまたせーーー!!! ここがあたしたちの新基地ね!」 「とーまくん、この声!?」 「ウソだろ……悪い冗談だ」 「ネオンの雪空に舞う華麗なる赤い影! マンハッタンのラブリープリンセス りりかる☆りりか、ここに見参──!!」 「──三十億の美女に 真紅の愛を降り注ぐイブの流星。 そう、ジェラルド・ラブリオーラだ」 「フッ……決まったわ……」 「………………(ぽかーん)」 「………………ん?」 「………………」 「あ゛ーーーーーーーーーーーーーっっっ!?!?」 「なななんであんたがここにいるのよ ピンク頭ーー!?」 「そういうドリルさんこそ どうしてですかー!?」 「ドリルってゆーな! このピンクピンクピンクの風俗カラー!」 「ひ、ひどいですーーー地毛なのに!」 「ヅラでも植毛でもどーでもいい!! そもそも」 ……想定外だ。こいつは全くもって予想外だった。 不安定なツリーをいただく新支部に大物ロードスターを迎え、小規模ながら精鋭のサンタ部隊を組むのかと思ったら。 キャリア豊富なベテランを立てるでもなく、女子のルーキーサンタを3組も集めてくるとは、本部はいったいどういうつもりで……。 「……うーむむむ、納得できん」 「で……あいつはなに〈唸〉《うな》ってんの?」 「とーまくんは、おじさま好みなんです」 「そーーーーじゃない!! 俺はただ髭のサンタが!」 「しかも髭フェチ!?」 「性癖を恥じることはないぞ、ジャパニーズ」 「なーなーみーーー!!! 深刻な誤解を植えつけるんじゃない!」 「だって別にいいじゃないですか、 サンタクロースが女の子だってー」 「俺はなにも悪いって言ってんじゃ……」 「ちーとも良かないわ!!」 「ふぇぇ!?」 「どんなメンバーかと思って来てみたら、 ちょっとラブ夫、何なのよこの面子!! どこが誰と釣り合うってゆーーーーの!?」 「そいつは本部の決めたことさ。 キュートな八重歯で噛み付かれても、 俺には抱きしめてやることしかできないぜ?」 「わぷっ!?」 「むぎぎーーーー、寄るな離れろ!! いくら辺境でも、こんなB級グルメみたいな チーム編成はないでしょって言ってんの!!」 「わー、なんですかその上手い〈喩〉《たと》えは」 「認めるなピンク頭!」 「日本配属って聞いた時から嫌な予感してたのよ! ひげもじゃの正統派ベテランサンタはどこ!? 精鋭部隊じゃなかったのーー!?」 「落ち着け、姫」 「ふがふが……ひっふぁるなーー!!」 うーむ……同じ言葉が他人の口から語られると、てんで身勝手なことを言ってるよーに聞こえる。自重しなくては。 「まー、気持ちは分かるけどねー。 へんてこチームになりそうな予感するし」 「なるほどっ! へんてこパワー全開でメークミラクルですね!」 「お前は徹底的に前向きだな」 「とーぜんですっ。 最初から後ろ向きになってどーするんですか」 「むー、一理あるけど釈然としない」 「いや、俺にとっては 素晴らしい支部になりそうだ」 「そうは思いませんか、麗しきサンタさん」 「アタシ? 今はサンタじゃなくて この子のトナカイなんだけど……」 「ご同業か。両刀のマスターサンタとは珍しい」 「ジェラルド・ラブリオーラだ、 この奇跡の出会いに祝福を……」 「(なんだあのキザトナカイは)」 「(映画のラブシーンみたいですねー)」 「(その映画のタイトルを教えてくれ)」 「美女と〈轡〉《くつわ》を並べられるとは光栄だ。 マイドルチェ、ぜひお名前をうかがいたい」 「えーと……三田蒔絵、 あ、いや、呼ぶときはサンタ先生でいいわ」 「願わくば今夜の予定と、好きな異性のタイプも」 「ずいぶん情熱的なのね。 名前からしてイタリア系かしら?」 「国籍に関係なく愛の炎は燃え上がるものさ、 これこのように」 「はいはい、アタシはともかく その調子でいたいけなサンタさんたちに 迫ったりしないでよねー」 「フ……そいつは無用の心配さ。 俺は熟女専門だ」 「うう……」 「……で!!!! これで三組そろったわけね」 「美しい薔薇には〈棘〉《とげ》がある。 などと月並みな〈喩〉《たと》えしかできぬ 我が身を恥じるとしよう……さらばだ」 「ちょっとこら、ラブ夫! どこ行く!?」 「ベテルギウスのスペアパーツでも運んでこよう。 顔見せも済んだようだしな」 「まだ済んでない! あ、待って、置いてくな!」 「男は引き際が肝心さ。 サンタのお嬢さん方、 20年経ったら愛を語り合おう!」 「あーー!! もー! 勝手なやつ!!」 「トナカイの快楽主義を絵に描いたような男だ……」 「そこは感心するとこじゃない!」 「あ、あの……りりかちゃんって、 NY本部から来たんですか……!?」 「だから?」 「うおおお、すっっっごいです!! NY本部って、あのNY本部ですよね!?」 「な、なによ急に……!?」 「だってNYですよ! 現代サンタ発祥の地!!」 「去年は助っ人としか聞かされてなかったけど、 本部のサンタさんがいるなら心強いわねー」 「学校で習いました! 本部のサンタさんは選りすぐりの エリートばっかりなんだって!!」 「ん……そうね。 ま、そーとも言うけど」 「やっぱり目隠しで曲乗りとかできるんですか? それに連射技とか、2ウェイショットとか!?」 「とーぜん! これでもルーキーイヤーから NYのトップチームに選抜されたんだから。 けど、その程度の技ならチームメイトは全員……」 「ほかにも三点射とか、フルオートルミナとか、 サンタボムとか……それからそれから……!!」 「……ちょっと? あたし話してる」 「あ、そーいえば前から興味があったんですが アメリカのクリスマスケーキって……」 「黙って聞けーーーーー!!!」 「さっきまで、硯と中を見て回ってたのよ」 「へえ、綺麗なもんだな。 すぐにも店を開けそうだ」 「外見と中はずいぶん違いますねー」 「掃除も行き届いてるみたいね。 こわーーーーい大家さんがしてるのかな?」 「りりかちゃんもその話聞いたんですか?」 「うん、最重要事項だって言われた」 「よっぽど怖い人なんだな」 「こちらがリビングです」 「わー、おしゃれだー」 「家具までキッチリ揃ってるな」 「サー・アルフレッド・キングさんが 用意してくれたんですねー」 「そうだな、そういうところ 几帳面そうだったもんな」 「几帳面って、サー・アルフレッド・キングが?」 「そう見えましたけど?」 「ふーん、なるほどね……」 むむ……なんだ今の笑みは? それにしても、さすがはマスターサンタ。腕利きサンタはみんな早着替えの技術を持っていると聞くが、全く気づかなかった。 「ここに住むようになったら、 この部屋が生活の中心になりそうね」 「そーゆーわけでっ!!」 「みなさん、ちゅーもーく!! 実はここにロードスターからお預かりした 極秘指令の巻物がありますっ!」 「なにそれ?」「…………巻物ですか?」 「はい、皆さんが集まったら開くようにって 言われていたのですが、 ようやくその時がやってまいりました!」 「へー、指令は星名さんが受け取ってたのね」 「で、なんて書いてあるの?」 「それは開けてのお楽しみです。 では、いざ開かん極秘指令の書──ていっ!」 リビングに置かれた巨大なテーブルの上を、巻物がごろごろっと転がっていく。 「それでは読み上げまーす!」 「しろくま町支部ロードスター サー・アルフレッド・キングより サンタ各員へ告ぐ!」 「……(ごくっ)」 「極秘指令、そのーーーいちっ!」 「新任サンタ3名は互いに協力し、 本日よりこのツリーハウスにて 寝食を共にすべし!」 「やっぱり、そうなんですね」 「……そーくると思ったわ」 「つまりサンタ3人、なかよしさんで やってきましょーってことですね」 「ではでは、指令そのにーーーー!!」 「サンタはここでショップを経営し、 生計を立てながら しろくま町の暮らしに馴染むべし!」 「お店……ですか?」 「NYでもやってた。 生活費はサンタ持ちってことでしょ?」 「うちはお給料安いもんねー」 「屋久島支部でも基地はおみやげ屋さんでした」 「NY本部は?」 「ピザの宅配」 「そいつはトナカイ向きの副業だなぁ。 で、ここでやる店ってのは何なんだ?」 「はてさて……それがどこにも書いてないんです」 「読んでけばわかるんじゃない?」 「そうですね、じゃあ先に行っちゃいましょう」 「指令、そのさーーん!!」 「トナカイの中より1名がサンタと同居し、 協力して日々の活動を共にすべしっ!」 「えーー!?」 「これは……どういうことでしょう」 「サンタだけじゃ頼りないってこと?」 「保護者が必要なんじゃないか?」 「……む!!」 「……っと、失礼」 「女の子だけでも平気だと思うけどねー。 他には何か書いてある?」 「はいはいはい、指令そのよーーーん!!」 「当面の訓練とサンタ活動のスケジュールは 一同相談のうえ、書面で提出すること」 「えーと、それからですね……」 「実際の運用を観察してから正式な……むむむ?」 「どーしたの?」 「あ、い、いえ……実際の運用を観察してから、 正式なサンタとトナカイの組み合わせ……を 決定……する……??」 「……って、どーゆーこと!?」 「あらら、それって 現在のペアも仮のものになるってこと?」 「そんな……!?」 「つまり俺たちは、どのサンタさんにも 対応しなきゃなんないわけだ」 「じょーだん、実力差を考えたら ペア変更なんてありえないし!」 「そうかな? 国産のトナカイだって捨てたモンじゃないぜ」 「へーえ、どこがー?」 「──以上、極秘指令でしたっ!」 「で、結局なんのお店をやるのかな?」 「どこにも指示されていなかったのですか?」 「そういえばー……書いてませんでした」 「手がかりになりそうなものが、 家の中にあるんじゃないか?」 「じゃー、みんなで手分けして探そっか? アタシはこの部屋担当するから、あとよろしくー」 「……この人、もしかしてぐーたら?」 「ふーむ、手がかりといいましても」 「見つからないもんだな」 「これといって目ぼしい物は置いてなさそうねー」 「てことは、勝手に決めていいんじゃない? たとえばガンショップとか☆」 「ここは日本だ」 「じゃあモデルガン! もしくはゲームセンター!」 「ツリーの御機嫌が急降下しそうだ」 「…………あの」 「わわっ、びっくりした」 「……チカ」 「血か!? な、なにそのホラーな感じ!」 「いいえ、ホラーではなく 地下が倉庫になっていました」 「それです、れっつごー!!」 「……で、 ひねりもなくおもちゃ屋ってわけね?」 「ビンゴですね。このダンボール ぜーーーんぶ木のおもちゃですよ」 「確かに、町の人とのふれあいにはなるかなー」 「ステキですねー。 まさにサンタさんのお店です!」 「でも、こんな場所にお客さん来るかな?」 「だいじょーぶ! なんとかなります!」 「なに、その根拠ゼロの自信」 「なるほど、おもちゃ屋か。 つまりここをメルヘンの国に作り変えるわけだ」 「あれ、でも……これっていいのかな? 部屋を勝手に改装するのって……」 「大家さんに怒られるか?」 「わ、ワニの大家さんって、 ほんとにそんな怖い人なんでしょうかー」 「本で読んだことあるな。 人食いの〈鰐人間〉《ゲーターマン》って怪物」 「そ、それは……人類との混血ってことですか!?」 「最先端科学で遺伝子を操作したとかしてないとか」 「本人が聞いてたら土下座じゃすまないぞ」 「別に大家さんのこと話してないもん」 「な、なーんだ……よかったぁ」 最後の1組が、この金髪サンタだと知った時は、この先どうなるかと思ったが、早くもななみと打ち解けつつあるみたいで何よりだ。 これにあの無口なサンタさんが加わって一緒に暮らすとなると、いったいどんな共同生活になるんだろうか。 「んじゃ、お店の正体が分かったところで、 今度は一緒に暮らすトナカイを決めないとね」 「極秘指令その3ですね」 「同居といっても、 トナカイのうち2人は男なわけだし……」 「そうね、じゃあ中井さんかな」 「いやいやいやいや、その流れじゃないでしょ!」 「そうかなー、いい流れだったと思うけど」 「ちっともよかない。俺が言ってたのは、 ここが女子サンタばっかりの家だってことで、」 「用心棒の一人くらいは欲しいところよね」 「う、その発想は無かった」 「でしょー? じゃー、そういうことで」 「いやいやいや、早いな結論! そんな物騒な土地柄でもないでしょう。 ツリーがあるくらいなんだから」 「ん? ひょっとしてサンタ先生には なにか同居したくない理由があるとか?」 「あら…………よく分かったわね」 「アタシは……一緒に暮らしてあげられないの。 ひとつだけ決定的に欠けているものがあるから」 「そ、それは……一体!?」 「やる気」 「出せやぁあぁぁあ!!!」 「うそうそ、冗談。 本当は別の仕事があるのよー」 「お仕事ですか?」 「そうなの、ロードスターの補佐役を 頼まれちゃっててねー。 支部の立ち上げで忙しいんだって」 「く……それでは仕方がない」 「そーゆーわけで中井さんに……」 「だから結論早いです」 「えー、とーまくんと一緒ですか?」 「嫌がるな。先生が忙しいってだけで、 まだ俺と決まったわけじゃない」 だいたいトナカイってのは、気ままに暮らすのが向いてるんだ。保護者なんてのは、性分じゃない。 ロードスターからの指令とあれば仕方がないが、あとであのキザトナカイと相談だな……。 「お店のことと暮らしのことが決まったので、 そろそろおやつに……」 「まーーーった!! なにか大事なこと忘れてない!?」 「大事なこと……?」 「店長よっ!!」 「経営者のことですか?」 「言い方を変えると、いちばん偉い人ね。 店長がいないとお店がまとまんないでしょ?」 「あ、あのー」 「はい、そこのピンク色」 「あのですね、店長さんなんていなくても、 みんなで仲良く相談できれば いいんじゃないでしょうかー?」 「ナンセンス! 究極ありえない!」 「な、なぜですかー!?」 「みんなの意見がバラバラになったとき、 有無を言わさずにまとめる人が必要でしょ? 平たく言えばリーダーよ、リーダー」 「サンタのリーダーとは別に、 お店のリーダーですか?」 「よーくわかりました。 でしたらここは、わたしが一肌!!」 「まてーー!! なんでそこで立候補する!?」 「で、ですから……リーダーが必要で」 「だからなんでピンクがなるの!?」 「あ、りりかちゃんがやりますか?」 「そ、そーね。本当はリーダーなんて 性に合わないんだけど……」 「じゃあ、ここはやっぱりわたしが……」 「だから最後まできーーーけーーーー!!!」 「な、なんなんですかぁ!?」 「もういい!! こーなったら雪合戦で決める!!!」 「雪合戦?」 「聞いたことがあるわ。 アメリカのサンタたちがやってる遊びでしょ?」 「そう、空中でルミナの弾をぶっつけあうのよ。 いわばセルヴィを使ったドッグファイトね。 NYじゃ訓練メニューにも入ってるわ」 「へええ、面白そう! でも、りりかちゃんのトナカイさんは?」 「ここにいるよ、お嬢さん」 「来たわね裏切り者」 「ご挨拶だな、スペアパーツと一緒に 姫の荷物も運んで来たんだぜ?」 「それから……こいつを貴女に」 ジェラルドは、懐から一輪の薔薇を抜き去ると、それをサンタ先生の目の前に掲げ……。 「一輪の薔薇はいつでも愛の贈り物さ。 先ほどはすまなかったね、マイドルチェ」 「あら、ありがとう。 呼び名はサンタ先生でいいけど」 「裏通りに手ごろな〈飲み屋〉《バール》を見つけたんだ。 どうかな、お詫びに今宵は よく冷えたカクテルで乾杯でも……」 「いいわよ。じゃあみんなの着任祝いに 6人分の席を予約してもらえる?」 「OK……また次の機会にしておこう」 「はいはい、玉砕したところであんたの出番よ。 雪合戦で店長を決めることになったわ。 いいんでしょ、ピンクヘッド?」 「はい、それではこっちも 冬馬くんのセルヴィを……!」 「………………」 「あれ? こういうとき、とーまくんは 誰よりノリノリになるはずなのに?」 「いや……まあその……」 「カペラさんは山のテントですか?」 「ああ……」 「大丈夫です、今から取りに行けばすぐに」 「悪いが、セルヴィを取ってきてもだな……」 「……?」 「まだ直ってないーーーっっ!?!?」 「そ、それは予想してませんでした……」 「…………面目ない」 「Z……ZZ……」 「こーけこっこーーーーーー!!」 「……ん、んん?」 「こーきょおおっっぉうぅーーーー!!」 「なんだ朝か!? そうかトリか!」 「お前のニワトリで起こされるのも1年ぶりだな。 おまけにまだ4時だ、畜生」 「ここっ、ここここ!」 「わかってるさ、朝飯だろ。 米とのりたまくらいしかないぞ、我慢しろよ」 「ぐーるるるーーー!」 「そんなこと言ってもそれしかないんだ。 そこらのミミズでもトッピングするか?」 「くるーーー」 早朝の冷気を吸い込んだ川の水で顔を洗うと、自然と気持ちが引き締まってくる。 毎朝のスッキリ洗顔もどうやら今日で最後になりそうだ。 トリと自分の餌をお手軽に作り、腹ごなしをしているうちにしろくま町に朝日が昇ってきた。 「ずいぶん涼しくなってきたな。 いつまでもテント住まいってわけには いかないか……」 ……とはいえ、あのツリーハウスで若いサンタさんと一緒に暮らすというのも、少し腰が引けている。 天然ボケにイライラに引っ込み思案。あそこまでチームに協調性がないと、トナカイとしてどう接したらいいか悩ましい。 「トリよ、昨日は留守番させて悪かったな。 もう師匠のところに戻っていいぞ」 「くるるる!」 「なんだ、ここに残るっていうのか。 ツリーハウスはペット禁止だぞ」 「──師匠から監視するように言われてる? そんなわけあるか」 「──手紙をよく読め? ご冗談を。 そんなことどこにも書いて……」 「……あるな。 サンダースの面倒を見てやってくれ、だと」 「くるるーる!」 「分かったよ、 師匠がそう言うならなんとかするさ」 こいつともスロバキア時代からの付き合いだ。おまけに師匠のお気に入りとくれば、〈禽獣〉《きんじゅう》といえども粗略には扱えない。 「それに、お前の特技もバカにできんしな」 「くるっるるるー!」 「そうかそうか、そうと決まれば 〈飯盒〉《はんごう》を洗ってすぐに引越しだ」 「くる?」 「残念だが〈機体〉《そいつ》はまだ動かないんだ。 ふもとのレンタカーで運搬用の車を借りるのさ」 「くー」 「しょげたって無理なものは無理さ。 そいつは俺が一番分かってる」 「よう、おはようさん」 「……(ぺこり)」 「おや、柊ノ木さんだけか? あとの二人は?」 「星名さんは先ほど町役場に行かれました。 月守さんは……」 「…………(きょろきょろ)」 「おはよー、ふぁぁ……」 「おはようございます」 「あいあい。 ふぁーあぁ、顔洗ってくる……」 「……中井さんが来ていますけど」 「え!?」 「わぁーーああっっ! 来てるなら来てるって言えーー!!」 「来てる」 「おそーーーいっっ!」 寝起きくらいでそんなに照れなくてもよさそうなものだが……なるほど、サンタたちの新生活もいよいよスタートか。 あんな格好でウロウロしているのを見るとなんだか修学旅行の女子ルームに入り込んでしまったかのような、居場所のなさを感じる。 「どーお? 役得満載の同居生活も悪くないってことに 気づいたでしょー?」 「すごい格好だな。同居は女性トナカイが 適役だってことに気づきましたよ。 〈昨夜〉《ゆうべ》は先生が泊り込んだんでしょう?」 「中井さんがセルヴィを運ぶって言うから 代わってあげただけよ? 今日からは予定びっしりだから無〜理〜」 「ううっ……あのイタリア人はどこに行ったんだ!」 「さあ?」 「でもね、あんな情愛先行型のトナカイを、 純真な乙女の花園に放り込むのは ちょっと危険すぎないかしら?」 「本人は年増好みのようだけど……」 「え?##」 「おおお!? そ、それはそうと このトリなんですけどね!!!」 「トリー?#」 「ん? あれ、さっきまでいたんだが。 おーい、トリ! トリー?」 「鳥って、インコでも飼ってるの? それともオウムとか?」 「んー、七面鳥というか、謎の生き物というか」 「……??」 おかしい、どこに行った?確かに一緒にツリーハウスまで来たんだが。 「出てきたら紹介するよ」 あいつの気まぐれは今日に始まったことじゃないし、そのうち気が向いたら出てくるだろう。 「それにしても朝イチで役所回りとは、 ななみのやつ、張り切ってるな」 「早起きしてノリノリだったわよー。 さすがは店長さんね」 ニコニコ笑顔で役所にでかけていったななみの様子が目に浮かぶ。 あの金髪サンタとの壮絶な死闘の末に、店長を勝ち取ったんだから無理もないだろう。 「いっくわよー、覚悟はいい!?」 「受けて立ちますっ!!」 「むーーーーーーーー!!」 「じゃんけんぽっ!!!」 「やったーーー!!」「ががーーーん!!」 かくして、ななみは朝から役所の手続きに出かけ、〈柊ノ木〉《ひいのき》〈硯〉《すずり》は残って荷物の整理、失意の〈月守〉《つきもり》りりかは朝寝を決め込んだってわけだ。 「ふふ、心配?」 「いや、変に過保護にはなりたくないし、 職分を超えた心配はしないようにしてる」 「たっだいま帰りましたーーーー☆☆」 「さあさあ、お店始めちゃいますよーっ!」 願わくば、心配しないですむ程度のノリノリであってくれ。 「おおっ!? 硯ちゃん、お片づけありがとうございます」 「い、いえ、当然ですから。 役所の手続きはいかがでした?」 「はい、全てつつがなくすみました! あとはお店の飾りつけをして、 品物を並べれば、もー安心ですっ」 「それだけで準備完了なのか?」 「はい! もーバリバリやりますよ。 これからだ、めざせ全国10000店ー!」 「完全に舞い上がってやがる。 あんな簡単に店長を決めてよかったのかな」 「いーんじゃない、 やりたい子がやってるんだから」 「よかないわ!!」 「そこのピンクサンタ、ちょっとタイム!」 「りりかちゃん、おっはようございますー! よく眠れましたか?」 「全然! 不眠症になるかと思った!」 「そ、それはなにゆえに!?」 「あんなジャンケンで店長が決まるなんて どーーーーしても納得いかないの!!!」 「ええー、そんなことを言われましても」 「うるさいうるさーい! もう一回勝負よ、これが最後!!」 「えー!? ま、またですかぁ」 「問答無用! じゃーんけん……」 「ぽん!!」 「うわぁああああぁぁーーー!!」 「ま、またしても……! このあたしともあろうものが瞬殺ーー!?」 「昨日もチョキ出して負けてなかったか?」 「……癖なのかもしれません」 「いーんじゃない、 出したくて出してるんだから」 「それでは楽しくお店をはじめましょー☆」 「うっ……ううっ、ありえない! 二戦して二敗だなんて…………」 「……さて、向こうのことは向こうに任せて トナカイはトナカイの仕事をするか」 「トナカイの仕事って?」 「不機嫌なセルヴィと取っ組み合いさ。 そうだ、ちょっと見てもらえると ありがたいんだが……」 「アタシ?」 「おっはよー、ばーちゃん」 「おはよう。 そういや、木の家の引越し今日だったか」 「昨日のうちに 荷物運んじゃうって話だったけど」 「あんなへんぴなトコで商売をしようなんざ、 どうせ真っ当な連中じゃないに決まってる。 よーーっく言ってきかすんだよ」 「はいはい。わかってるって。 見たとこ、素直そうな男の子だったけどね」 「どうだか。 おや、あの変な鳥はなんだ?」 「え? あ、どらぞー!」 「なーーーーーーご!!」 「こけーーーーこここここ!!!!」 「なーーーーーーご!!」 「こけーーーーーこここ、 ほけきょ、ほーほけきょ!!!!」 「………………」 「確かに…………変な鳥」 「はっ、近頃はニワトリまでいかれてるよ。 毛唐の連中が持ち込んでくんのかね! 奴らのは、くっくどぅるでぅとか鳴くそうだし」 「変な動物を飼うのは許さないって、 ちゃんと釘を差しておくんだからね。 蛇でも飼われて逃げ出された日にゃこっちも迷惑だ」 「はいはい、ばーちゃんは来ないの?」 「こっちはこっちで大忙しさ。 駅前のしぐれ荘じゃ雨漏り、 山の手の佐藤さん家じゃドアが外れたと!」 「ま、いい機会だけどな。 未払いの家賃を出さないと、 修理はしないって言ってやるよ」 「ごくろーさま。 でも、あんまり脅しすぎちゃだめだよ。 さて……と、私も行きますか」 「ありゃー、ほんとに動かないんだ?」 「一応、調整は完璧に やったつもりなんスけどね」 「へーえ……ずいぶん前衛的なカペラねえ。 こんなリフレクター、どこで見つけてきたの?」 「師匠がどっかから貰ってきたんだ。 ベテルギウスの試作機に使われたやつらしい」 「そんなものカペラにくっつけちゃうなんて 無茶するわねー、このノズルも自作?」 「ああ、純正パーツはもう在庫がないんでね」 「ふん……ふんふん、面白いわねー。 ステアリングからサスペンションまで カスタムパーツで揃えてるなんて」 「師匠が凝り性だったんだよ」 「ね、ちょっと動かしてみていい?」 「あら、いい音してるわね」 「お払い箱になるはずだった ポンコツカペラを引き取って、 こつこつ改造したのがこの機体さ」 「なーる……こりゃほとんど別の機体だわ。 カペラ改ってところね」 「で、どう思います? 理論上は直っているはずなんだけど」 「そうねー、リフレクターの反射率も正常だし これで調子悪いなんて思えないけど」 「だよなぁ……なぜ飛べないんだ」 「なんでだろー? ごめんね、こりゃアタシも分からないわ」 セルヴィで空を駆けることはできても、その力の源であるルミナとツリーに関しては全てが解明されているわけではない。 現場のトナカイやサンタはもちろん本部の開発チームにも分からないことは山ほどあるってことだ。 「お手上げか……。 いっそロードスターに聞いてみるかな」 「ちゃんとフルネームで呼ばないと怒られるわよ。 サー・アルフレッド・キングって」 「そうなんスか?」 「それがマナーなんだって。 けどあの人、セルヴィには疎いと思うなー」 うーむ、確かにサー・アルフレッド・キングは見るからに子供だし、あんまり頼りすぎるのはよくないか。 ──ん? 梢が揺れた。 「どうせならキャロル君に聞いたほうがいいかもね。 それじゃー、あたしは急用ができたみたいー」 「あ……ちょっと」 「キャロルなんてどこにいる?」 キャロルってのは、俺たちトナカイやサンタの活動をサポートをする人のことだ。 基本的にはサンタの見習いやOBの人たちがキャロルとなって、道具のメンテナンスやルミナの観測をしてくれている。 ひとつの支部にだいたい十人以上のキャロルがいるんだが、そういえばしろくま町に来てから俺はまだキャロルには会っていない。 できたての支部だから、メンバーがいないのかと思っていたんだが。 「お、この音は」 耳に覚えのある駆動音に上空を見上げる。 「よォ、ジャパニーズ」 木々の梢を揺らしながらゆっくりと降りてきたのは、あのベテルギウスだ。 お手本のような水平姿勢を保って降下してきた赤い〈機体〉《セルヴィ》の後部には、木箱を満載にしたソリが〈曳〉《ひ》かれている。 箱の間からのぞいたおかっぱの頭は、おそらく──うちのロードスター様だろう。 「それ、全部下ろすのか」 「そうだ、追加の商品だとさ。 どこか停められる場所はあるか?」 「誘導する、裏庭に降りてくれ」 「お疲れ様です」 「ど、どうも……おはようございます」 「わぁぁ!? どうしたんですか、この箱山さんは!?」 「ロードスターからのプレゼントだよ、 ピンクのお嬢ちゃん」 「昨日到着した分の商品を運んできました」 「……え、これも売り物なんですか!?」 「もちろんです。 こちらの書類を確認してから 倉庫に移してください」 納品書と商品の山に囲まれたななみが目を白黒させている。 そうか……危険を察して逃げたな、さすがはマスターサンタ。 かくしてソリから下ろされた積荷はダンボールと木箱が合わせて50箱。 この森の中におもちゃ屋を開いたうえにこいつを全部売りさばくのか。 なんだか無茶な気もするが、そこはサンタのやることだ。トナカイが口を出す筋合いじゃない。 それにしても、ロードスター直々にご納品とは。小規模支部ならではってところだな。 「うぉ!? ぬ……ぬおおお……う、ぎ、ぎ、ぎ……!」 「ななみさん、古い建物です! あちこちぶつけないように気をつけてください」 「はっ、はいー! ぜんぜん平気ですっっ!」 「それからここにサインをお願いします」 「ふ、ふぇいっ! とととーまくん、 ちょっと運ぶのお願いしますー!」 「ああ、任せとけ」 「うぬっ!? お、重いな。 これ全部木のおもちゃか……!」 「んぎぎ……素朴で……ハートフルな…… おもちゃ屋さん……ですからっ!」 「おーい、なんかあったの?」 「うげげ! なんなのこの荷物!?」 「追加の売り物だそうだ。 野ざらしにもできんし、さっさと運んじまおう」 「えーーー!? 力仕事は男の仕事!!」 「よい……しょっ……あああ」 「うぅぅ……おもーいーぃぃ」 「……と言いたいとこだけど、 このまんまじゃ収集つかないか」 「いいわ、ここは無冠の店長であるりりかちゃんが、 華麗なオペレーションで片付けてあげる☆」 「オペレーション?」 「そーゆーこと! 困った時はラブリープリンセスにお任せよ」 「ラブリープリンセス?」 「こういうのは段取りが大事なんだから。 まずは運ぶ先の場所確保が優先ね」 「ふむ……言われてみれば」 「はいはい、すずりーん。 非力なくせに無理なことしないの。 あんたは箱なんか運ばなくていいから」 「ですけど、私もお手伝いを」 「そのかわり、これ!」 「きゃ??」 りりかが次々に放って渡したファイルとペンを硯がなんとかキャッチする。 「月守さん? これ……」 「あなたの仕事は在庫のチェックと管理。 そっちのほうが得意でしょ?」 「は、はい」 「あたしは、お店に荷物置ける場所を確保するわ。 終わったら声かけるから一気に運び込んで。 いいわね、ピンク店長?」 「あのー、荷物は地下の倉庫に運ぶそうです」 「げげ、早く言って!!」 「月守りりかさん、早合点の傾向あり……と」 「わ、わわわ!? まったーーーーぁぁぁ!! い、今書いたの何!? なんなんですかっ!?」 「報告書です。 みなさんの特性と成果をチェックして……」 「ちょっと待ちなさ……待って、待ってください! 今のはちょっとしたジョークですよ。 ジョークですってばぁ☆」 「んしょっと、い、いきまーす!」 「うお、すげえ力……」 「そ……そうと分かればちゃっちゃか行くわよ! 倉庫番の一つや二つ、このラブリープリンセスに おまかせなんだから!」 「そのラブリープリンセスってのは何だ?」 「んしょ……っと、うぅぅ、重いわね……!」 「NYでの通り名か?」 「…………」 「ラブリーでお姫様……なのか?」 「いちいち突っ込むな! 雰囲気よ、細かいこと気にしない。 男子は女子の3倍運ぶ! いくわよーー!」 「うぅぅ……お、おもい……ぃ」 「すずりーーん、持ってきたわよー!」 「はい、こちらです……(かち)」 「きゃあああああああーーー!!!」 「おい、そこで寝るなラブリープリンセス」 「はー、終わった終わった」 「うぇぇ……死ぬかと思った」 「労働の汗は気持ちがいいですねー」 「ひの、ふの………………(在庫チェック中)」 「……で! 店長ならこれから何するか 考えてるんでしょーね?」 「もっちろんです! さあさあ見てください。 夜なべしてつくってきた、大繁盛計画ですっ!」 「お、なかなかやる気ありそーじゃない」 「どーだかなぁ。 昔からあいつは何かがごそっと抜けてんだ」 「ごそっと……ねえ?」 首をかしげる俺たちの前で、ななみがなにやらもぞもぞと支度を始めている。 「よいしょ……こらしょ、っと! はいできましたー☆」 「からんからーん♪ こっちですよ〜。 ぼっちゃんじょーちゃんよっといで〜」 「……紙芝居?」 「ちょっと待った! 計画って書類とかテキストファイルじゃないの?」 「より伝わりやすい方法を模索してみました。 さーさー、はじまりですよ、席についてー」 「うー、子供じゃないのに!」 「…………(どきどき)」 「──むかしむかしあるところに、 とーってもかわいい 3人のおもちゃ屋さんがいました」 「……ブリーフィングじゃなかったのー?」 「計画とものがたりって対義語じゃないか?」 「……というわけで、いろいろあって3人は 力を合わせてお店を持つことになりました!」 「そのお店は森の中の、 ちょっと目立たないところにありました」 「だけど、おもちゃ屋さんたちは、きれいに 飾り付けをして、ステキな看板もとりつけて……」 「じゃんっ! ぴっかぴかのおもちゃ屋さんのできあがりです☆」 「さあ、ここからが本番です! お店があればこっちのもの。おもちゃ屋さんは 人の多い町に、宣伝のために出かけました」 「そこですばらしい宣伝をして、なんと! たくさんの人が開店セールに押しかけましたっ」 「……すばらしい宣伝って何?」 「えーと、それはですね…………」 「ビラまきとか街宣車とか」 「でもって、おもちゃ屋さんたちのがんばりが実って お店の経営もたちどころに安定しちゃいます!!」 「………………」 「さらに──ここで神風が吹きまして お店にテレビの取材が入ります!!」 「まずはローカルテレビ、次に在京キー局で 朝の情報番組に紹介されることになり、 そこからさらに神風で世界的ブームに……」 「神風って何!?」 「神風は神風ですよ。 つまりかつてモンゴルさんが……」 「由来なんてきーてない!」 「星名さん、神風とは具体的には?」 「それはつまり……」 「予想外のハプニングです!」 「あの……?」 「平たく言うとですね、 突然のハプニングが起きまして、 お店の経営も一気に竜巻きに……」 「上向きです」 「無理ー! ぜったいこいつに店長無理!!」 「あうぅぅ……なぜだかすごい怒ってますー」 「もう、このピンク頭じゃなかったら誰でもいいわ」 「いっそのこと、もう一度対決してみるー?」 「じゃんけんぽっ!!!」 「うぎーーーー!! なぜまた負けるーー!!」 「むー………………」 「むー………………」 「……………………」 「なーんか空気重いわね」 「むー……完璧な計画を立てたのですが」 「完璧な妄想! すずりんもそう思うでしょ?」 「ですが神風の解明をしていけば……」 「そこから離れないとだめー!」 うーむ、確かにこいつはチームワークどころの騒ぎじゃないな。 「なあ、今後のことも大事だが 少し目線を変えてみたらどうかな」 「目線?」 「そう、もっと楽しいことから 決めてったらいいんじゃないか?」 「快楽主義のトナカイらしいアイデアね」 「気楽にやろうってことさ。 ふくれっ面のサンタなんて似合わないぞ」 「いいですねー、楽しいことですかぁ」 「いま、楽しいことというと……?」 「たとえばそうだな、 店の名前を決めてみるとか!」 「!?」 「ん、それいいかも!」 「そうですね」 「そ、それは……!」 「確かにね、ショップの名前は盲点だったな」 「看板はこのあたりに付けるんだよな?」 「ここに、どんなロゴが入るかですね」 「どんなロゴがいいのかな?」 「押さえるべきポイントはひとつだけよ」 「なになに?」 「これがショップの顔になるんだから、 屋号はインパクトが最重要!!!」 「い、インパクト……ですか?」 「とーぜん! プラスNY流はクールにカッコよくね。 たとえば……」 「でもですよ、おもちゃ屋さんなんだから、 メルヘンでとっつきやすい名前とか……」 「だーめ! インパクト&クール!! こんな僻地にショップを開くんだから、 みんなの心を狙い撃ちにするよーな……」 「たとえば?」 「そーね……うーんと……」 「スーパー・トイステーション!!」 「すーぱー?」 「うん、決まったわ!」 「あ、あの。 イメージと少し違うような気もしますが……」 「えーー、そ、そうかな!? じゃあ、ハイパー・トイステーション!」 「今度はハイパー?」 「そーよ、クールに決めるんだから、 スーパーかハイパーは譲れないわ!」 「小学生かお前は」 「NY流はハイパー……と」 「そこはメモ取るとこじゃない」 「とにかくハイパー・トイステーション!!!」 「違うって言うならハイパー・トイザウルスでも ハイパー・トイパラダイスでも、ハイパー……」 「硯も考えてるんでしょー? アイデアがあるなら自分から言いなさいな」 「は、はい!」 「その、たとえば『ユグドラシル』とか?」 「ユグ……なにそれ?」 「北欧神話だな。 世界樹とこのツリーをひっかけてるわけか」 「はい、私が思うにツリーというのは……」 「見えたわ!! ハイパー・ユグドラシル!!」 「その見えたのは幻覚だ」 「…………私もそう思います」 「うー、なによ! じゃあスーパー・ユグドラ……」 「ユグドラシル以外には何かないー?」 「は、はい! 実はもう1つ……『コルヴァトゥントゥリ』と いうのも考えたのですが」 「これはサンタクロースの住む、 フィンランドの『耳の山』にちなんだ名前で……」 「却下、覚えらんない」 「やっぱりそうでしょうか」 「百歩譲って ハイパー・コルヴァンクラインなら!」 「もう間違えてる」 「………………」 「どうした、珍しく静かじゃないか。 お前こそメルヘンなアイデアを たくさん思いついてそうなもんだが……」 「え? あ、あのですね、それはその……」 ──と、そのとき。 「こんにちはー!」 「わぁ、こ、こんにちは!?」 はて、この娘はどなたさんだ? 「はじめまして、大家の(〈鰐口〉《わにぐち》)きららです。 苗字は覚えなくていーから、『きらら』って 呼んでね」 「(──ワニグチ!?)」 「(き……来たわね)」 「(……この人が!?)」 「ふーん、ここが『きのした玩具店』になるわけね。 で、誰が木下さん?」 「キ ノ シ タ !? !?」 「ガングテンーーーーー!?!?」 「あ、あわ、あわわ……!! い、い、いらっしゃいませーーーーっっ!!」 「わ、わ、わ、ワにゃぐちゃしゃん、 わにゃ……わにゃにゃ!! よろしくおねがいしまままま……!」 「(ばか、なにアガってんのよ!  いいわ、ここはあたしに任せて!)」 「(りりかちゃん!?)」 「(大丈夫か? 恐怖の大家さんだぞ)」 「(……NY流を見せてあげるわ)」 「はっじめましてー! 昨日からこちらに住んでいます、 月守りりかでーーす☆」 「おおっ!?」 「化けた!?」 「ご挨拶にお伺いしようと思ってたんですけど、 わざわざ鰐口さんに お越しいただいて恐縮ですー」 「……きららでいいよ。挨拶もまだで良かった。 うちはいろいろあるから、来られたらかえって ややこしくなっちゃうかもしれないし」 「いろいろ…………? そ、そうなんですかー、鰐口さん」 「あー……気にしないで 下の名前で呼んでくれていいからね」 「は、はいー、鰐口さん!」 「…………きらら#」 「ハッ、もしかして……!」 「あ、それでですね、あっちにいるのが、 ハウスシェアをしている友達の 柊ノ木硯ちゃんと星名ななみちゃん!」 「こ、こんにちはー……」 「ほら、さっさとお茶とか用意して、 わざわざ鰐口さんが来てくれたんだから!」 「……きらら」 「り……りりかさん!?」 「なに? すずりん。 あ、まずは鰐口さんに上がってもらって……」 「…………」 「だっ、だめですよ、りりかさん……!」 「なによオロオロしちゃって。 鰐口さんの前なんだから……」 「りりかさんーーーーー!!!!」 「もがっ、なにーーー!?」 「だからダメなんです、その、あの……!」 「あ、鰐口って言ったらダメなんだー!!」 「きゃああああああああ!!!!!」 「ばっっかもーーーん!!!」 「あ、あわわわわ……すみません、 すみませんワニグチさんっっ!!」 「そういうわけで、きららです。 あらためてよろしくっ!!」 「よ、よろしくおねがいします……きららさん」 「で。 えーと、確か4人でお店やるんだっけ」 「4人!?」 硬直したりりかがこっちを横目でうかがう。そしてすかさず『×』マークをつくるサンタ先生。 ん……この流れは!? 「あ、そそ、そうなんです!! あっちのお兄さんが、保護者がわりを してくれることになってましてー!」 「俺!?」 違う! だがここで怪しまれるわけにはいかない。 「保護者の中井冬馬です、よろしく」 「あなたが店長さん? キノシタさんじゃないんですね」 ──店長だと?? 「……!!(こくこくこく)」 ぐるっと見渡した向こうでみなさん必死にYESを要求してくる。 「ああ……えっとですね、 キノシタは創業者の名前なんです」 「創業者? へー、歴史のあるおもちゃ屋さんなんだ」 「そうそう、キノシタ……なんだっけ、 幸之助とかそんな感じで、はははは!!」 「(そこでとどめの一声です!)」 「(GO!)」 「(…………!!)」 ──あと一押ししろ??ええい、やむなし!! 「そんなこんなで店長の中井です。 これからいろいろとご厄介になりますが、 何はともあれよろしくお願いします、鰐口さん」 「(とーーーーーまくん!!)」 「できれば、下の名前で呼んでくれますか#」 「は……はい、きららさん」 「で!! えーと、昨日から引越しは始まってるのよね」 「はい! もうすごく快適な家で よかったなーって思ってます!」 「快適? こんな古い建物なのに?」 「素晴らしい住み心地でしたよ、ね?」 「そうですね、とても暖かかったし」 「隙間風とかは?」 「ぜーんぜん感じませんでした」 「ふーん、それならよかった」 「そうだ、夕べここにいた男の子にひととおり 説明しておいたけど、せっかくだから あらためてツリーハウスの中を案内するね」 「あ、ありがとうございます」 「変な家でしょ? もともと自然志向で作られたうえに、 あちこち改築して不便なところはあるんだけど」 俺たちに説明しながら、大家さんがおもちゃ屋のドアに手をかける。 「入ってすぐが、 一番広いホールになってるところ」 「がらんとして殺風景だけど、 お店のスペースとしては……」 「………………」 「………………あれ?」 「……家は間違えてないよね?」 「大家さん、どうしたのでしょう?」 「いきなり改装されてるから怪しんでるのよ」 「そ、それはまずいですー!」 「びくっっ!!」 「はーぁ……」 「あ、あの……」 「あー、びっくりした。 もう引越し済んでたんだ」 「て、手際のいい引越し業者だったみたいで」 「リフォームも終わっちゃってるけど」 「たた達人だったので!」 「そっかー、達人なら仕方ないね」 「そーかそーか、これで いつでも開店できますってことね」 「さすが、こんな場所でお店を やろうってだけあって、手際いいんだ」 「いやー、わたしたちもびっくりで……」 「(よ、余計なこと言うなー!)」 ともあれ大家さんは納得してくれたようで、感心したように陳列棚を眺め回して……。 「でもえらい! たった1日でお店を綺麗にしちゃうなんて 商売人の鑑だと思うな」 「奥の住居部分のほうは、 少し改装に手間がかかると思うけど……」 「って、廊下も綺麗になってる!?」 「ぎぎぎくっっ!!」 「奥の洗面所は水漏れしてなかった?」 「ぜ、ぜんぜん!」 「な、直したのでー!」 「はぁぁ……ここも改装してたんだ」 「(うちの支部長、やりすぎてない?)」 「(そ、そんな気がしてきました)」 「ってことは、まさかあの古ぼけたリビングも?」 「わーーっ!!」 「おまけにこっちの地下室も!」 「テラスの手すりも新しい!?」 「じゃあまさか……上の個室も!?」 「うわー、機能的!」 「うわー、ファンシー!」 「うわー、風雅!」 「でもって最後は!?」 「あれ……ここだけ手付かず?」 「(なんで手付かずなんだ?)」 「(トナカイの部屋よ、つまりあんたの!)」 「(俺が住むと決まった訳じゃないぞ)」 「ここ、店長さんの部屋なんですー☆」 うぐ……こ、こいつは!! 「とーまくんは、 今日引っ越してきたばっかりなので!」 「そうだよね、他ももともとは こんな部屋だったのよね」 「はー、変われば変わるもんねー」 「(あ、怪しまれてるよね?)」 「(俺の部屋みたいだったのが  一晩でこんなになっちゃうんだからなぁ)」 「(で、ですよね……)」 「(………………”)」 「……それにしても」 「うん! ほんと、いい人たちに 入居してもらえてよかったー!」 「へ?」 「ここまで徹底してる人は初めてだけど、 やっぱり自分たちの住む家なんだから、 愛を込めて手入れしないとね!」 「うん、きっと大事にしてもらえるぞ。 よかったねー、木のおうち」 大家さんは、この家に語りかけるように、柱をぺたぺたと叩いている。 「(聞いてたほど怖い人じゃないな)」 「(そうですねー、むしろ優しい感じ)」 「(スイッチ押したら怖そうだけど)」 「(………………”)」 「うーん、まいったまいった。 家の案内する必要なしだね、こりゃ」 「でも、よくこんな童話みたいな家が 残ってたもんですね」 「そうですよね。 こう見えて築100年近いから、 気をつけて使ってくださいね」 「100年!?」 「ありゃ、聞いてなかった? そっか……だったらこの家がどういう 家なのか説明しないとね!」 「もともとね、このツリーハウスは 明治時代に建てられたんだって」 「築100年といったら ……明治の終わりごろですか」 「そう、小さい漁港だったこの町に、 外国人が移り住んできたのがその頃なの」 「それで、そのなかの誰かが、 ここの巨大な〈樅〉《もみ》の木を見つけたってわけ」 「こんなに大きい樅の木なのに、 それまで見つかってなかったんですか?」 「うーん、もっと古い時代には、 神木としてあがめられていたらしいんだけど」 「どういうわけかその頃は すっかり忘れられてたんだって」 「で、この木を見つけた外国人たちは 昔からの町の人とここで親睦を深めようとしたのよ」 「それでツリーハウスを?」 「そ、町の人と一緒になって作ったの」 「この森が『〈樅〉《もみ》の森』って言われるようになった のも、その頃からなんだって」 「あ、あのー、質問です」 「あの一番上にある小部屋はなんなのでしょう?」 「あー、あそこね。天狗様の部屋」 「天狗?」 「そう、言い伝えによると あそこに赤天狗様が来るんだって」 「天狗ってのは確か、 もともと赤かったような……」 「それが全身赤ずくめなんだって。 昔は『飛ぶ人』なんて言われてたんだけど」 「昔むかし、 空を飛んできた赤天狗様が津波を予言して、 それで村が救われたって伝説があるのよ」 「そんな話を聞いた外国の人たちも、 赤い服の妖精が羽休めをするための小部屋を、 ここの一番上に作ったわけ」 「人が住めるような広さはないから、 結果的に開かずの間みたいになってるんだけどね」 「へぇぇ……赤天狗さんですか」 赤服の天狗、ツリーに来る妖精か。それはかつてのサンタクロースだったのかもしれない。 「そういうわけで、この母屋部分は、 当時のものをそのまま残してあるの」 「それがこんなに綺麗になるんだから、 たいしたもんだわ……うん」 「で、そのあとで戦争があったりして 外国の人がいったん町から いなくなっちゃって」 「すっかり使われなくなっていたこの家を、 うちのばーちゃんが買い取ったってわけ」 「このテラスから上は、その頃に作り直したのよ。 いちばん上の天狗様の部屋だけはそのままだけど」 「ははぁ、なるほど。 由緒正しいおうちなのですねー」 「そうね。 だから大切に使ってくれそうな人が 住んでくれてよかったな」 そういう由来がある家だったとはな。 支部長があれだけピリピリしていた理由も分かったような気がする。 「……ま、こんなとこかな。 なにか困ったことがあったら いつでもここに電話してね」 「わぁ、すみませんー!」 電話番号が2つ並んだメモをりりかが受け取る。上が一般回線で、下が携帯のナンバーだ。 「こっちがお店で、こっちが私の携帯ね」 「で、ここでひとつ注意!」 「は、はいっ!?」 「こっちのお店に電話すると ばーちゃんが出て話がややこしくなるから、 基本的には私の携帯にかけるようにしてね」 「お祖母さんが?」 「ま、そのうち会うとは思うけど。 ともあれ電話は携帯に!」 「?? わ、わかりました」 「お店、繁盛するといいね。 じゃ、今日からよろしくー!」 「ありがとうございますー!」 「はぁ……ドキドキしました」 「………………!?」 「な、なんでしょう……この不穏な空気は!?」 「…………きーのーしーたー」 「ひぃぃっ!?」 「キノシタってなんだこのピンク頭ーーーーー!!!」 「あ、あはは……そ、それはですね!」 「お店が木の下にあるからーーーー!!」 「没!! 没!! 絶対断固必没ーーっっ!!!」 「どこインパクト!? どこクール!? そのピンク頭のどこをどうシェイクしたら キノシタになるの!? 即時却下やり直しーー!!」 「じ、実はですね……もうこの名前でお役所に……」 「ぐああーーーーーーーーーーー!!!!」 「きゃああああああーーーー!!」 「このっ! このっ! この勝手ピンクーっっ!!」 「あうぅ……すみません、うっかり……」 「むぎぎぎ……さっきの時間まるで無駄じゃん!」 「ハッ……でも! せめてハイパーきのした玩具店なら!!」 「やめろ落ち着け」 「まー、そんならもう仕方ないじゃない? きのしたで決めちゃえば!」 「わーーーーん!! インパクトが、クールが、ハイパーがぁぁ!」 「ですが、インパクトはあります」 「ビタイチ嬉しくないっ!! うぎぎ……やっぱりこんな暴走サンタに 店長なんて任せらんない!」 「うぅぅ、反省します……」 「……こーなったら仕方ないわ」 「国産トナカイ! あんたを店長に任命するっっ!」 「ええーー!?」 「な、なんでそうなる! 待て、俺は無理だ、管理職とかそーゆーの!」 トナカイの仕事は空を飛ぶこと。そのための環境と、肉体・機体の整備に持てる時間を注ぎ込むのが俺のスタイルだ。 「店の名前がなりゆきなら、 店長だってなりゆきでOK! さっき大家さんに自己紹介したでしょ?」 「したが、あれは方便……」 「これから大家さんが訪ねてくるたびに 嘘ついて回るのが、どのくらい危険なことか。 それくらいは分かるでしょ?」 「しかしだな、昨日のジャンケンでななみが」 「むー、やっぱり女の子店長では無理がありますか。 たしかに、曲がりなりにも大人の冬馬くんのほうが 説得力はありますね……」 「お前まで!?」 「非常に無念ではありますが、 ここは適任者のとーまくんが……」 「難しい顔で難題をおっかぶせるな! そもそもこれはサンタの仕事じゃないのか トナカイにだってトナカイの仕事があるんだぞ」 「セルヴィのメンテナンスをしたり、 コースマップを作ったり、自主トライアルだって イブまでに重ねて行かなきゃならん」 それに、できない仕事を引き受けても周りに迷惑をかけるだけだ。ここは断固として譲ってはいかんのだ。 「んー、仕方ないわね……」 「じゃ大まけにまけて『店長代理』はどう?」 「一緒だ!! だって店長いないんだろ!?」 「プロのトナカイなら『教えの書』は覚えてるわよね?」 「へ?」 「第一条、トナカイの理念を〈暗誦〉《あんしょう》!」 「うぐ……っ!! と、トナカイは…… いついかなる時にもサンタを助け……」 「なにか質問は?」 「あ、それなら自動的に同居の話も決まりね!」 「は、謀ったな!!!」 「まっさかー、単なる偶然だってばぁ」 昨日まではテント生活してた風来坊が『きのした玩具店』の店長代理だと!? なんてこった、責任者なんてガラじゃないぞ。おまけにどうやら、同居生活も俺が保護者になりかねないこの流れ! 想定外だ……しかしこれも八大トナカイへの試練のひとつか……! ──30分後。 「……で、俺とななみは外回りか」 「店長さんのお仕事は、 お店の外にあるってことですねー」 「店長代理だ! 元店長の星名ななみ君」 「りょーかいしました、店長代理!」 ううむ……本当に俺に店長代理の仕事など務まるのだろうか。不安は残るが、引き受けたからには全力だ。 代理とはいえ店長と名がつくからには、サンタさんたちの行動もある程度把握しておかなくてはいけないだろう。 「…………で、元店長さん?」 「どうしました?」 「お前の目から見て、どんな具合だ? しろくま支部のサンタチームは」 「どう……とは?」 「ざっくりした感想さ、イけそうか?」 「んー、まだごちゃっとしてますね」 「ごちゃっと……か、なるほど」 3人のサンタを見てみれば、天然のななみを筆頭にNY帰りのりりかはガミガミ仕切りたがるし、硯は無口でなかなか意見を言わないし、 それぞれ自分のペースで勝手にやってるからななみの〈喩〉《たと》えはなかなか的を射ている気がする。 「しかしまあ……あの金髪さんは、 ソリを降りても相当パワフルだな」 「そうですね、話しやすい人でよかったです」 「本人が聞いたらどう思うかね」 「あー、もうこんな時間! 時間もったいないから、今日の作業分担は 店長代理の代理であたしが決めるわね!!」 「だったらお前が店長代理やってくれ」 「うるさい、そこ! えっと、まずは内装だけど……」 「そうね、内装はすずりんと先生にお任せっ! 商品在庫のチェックは後回しでいいから、 カッコいい感じでお店を仕上げちゃって」 「はい!」「アタシもー?」 「当然です。ピンク頭は広報担当にしてあげる」 「は、はい! えっと、それは何を?」 「宣伝よ宣伝! とりあえず町に行って ショップの看板を作ること」 「名前が変なんだから、看板くらいは クールでカッコいい奴にするのよ!」 「おぉぉ、りりかちゃんテキパキしてます!」 「適役だと思うがなぁ」 「キノシタ玩具店の店長なんて願い下げ!」 「あたしはウダウダしてるのが死ぬほど嫌いなの。 開店準備なんかさっさと片付けて、 夜はパーティーよ☆」 「パーティー?」 「そ。引越し祝いと、開店準備完了記念っ! 景気づけにぱーっと盛大に騒ぐの 楽しそうでしょ?」 「いいわねー、それもNY流?」 「ザッツライト! そういうわけで各自、仕事の合間に 食べ物を調達してくるよーに!」 「りょーかいです!」 「国産店長は、ピンク頭のお守りをよろしくね☆」 「覚えてないようだから念を押すが、 店長代理の中井冬馬だ」 ──かくして、今日の俺たちの仕事の分担は決められたわけだ。 「確かに……りりかちゃんは リーダーさんに向いてる気がします」 「ああ、ちょっと神経質っぽい気もするが」 「そうですか? 本部のエリートさんにしては とっつきやすい人だと思いますけど」 「ふむ、言われてみりゃそうかもな。 所属先でランクが決まるわけじゃないが」 「ですけど憧れのNY本部です」 「そーだな……NYか……」 空を見上げた俺は、まだ見ぬ海の果ての支部に想いを馳せた。 俺の目指す八大トナカイの称号へはNY本部が圧倒的に近道だ。 クリスマスソングの流れる摩天楼を縫うように飛ぶ、俺のカペラ──。 いや、やめておこう。今はここが俺の職場なのだ。 「ま、しろくま町支部も捨てたもんじゃないさ、 いまのところはな」 「はい、もちろんです!」 ツリーハウスから徒歩でたっぷり30分。 俺とななみは店長代理のそのまた代理である金髪さんの指示でメインストリートのしろくま通りまでやってきた。 「しろくま通りか。思い出すな」 「イルミネーション綺麗でしたねー」 「今年ももうすぐだな。 さて、国産コンビは看板作りから地道に行こうぜ」 「おまかせあれ! ええと、確かこのあたりに……」 「お、看板屋をリサーチしてきたのか?」 「いえー、看板は手作りのつもりだったので、 心当たりはさっぱりなのですが……」 「あ、いたいた。 こんにちはー!」 「オー、プリティガール!!」 「へえ、空からじゃ分からなかったが、 メインストリートの裏側一帯も 商店街になってたのか」 「さすが、おむすびさんは親切です」 「地元の人に店を聞くってのは、悪くない判断だ。 コミュニケーションにもなるしな」 「えへへ、それほどでも。 ええと、ペンキ屋さん、ペンキ屋さん……」 「ありました、春日ペンキ店!」 「すみませーーん、ペンキ屋さーーん!」 「はーい、何をお探しですか?」 「あの、はじめまして。 実はこのたび、町の郊外におもちゃ屋を 開こうと思っているのですけれど……」 「やあ、これはこれはご丁寧に、 春日ペンキ店の店主、春日〈進〉《すすむ》です。 外装から看板まで、なんでもご相談に乗りますよ」 「ありがとうございます。 よかったですねー、親切そうな人で」 「そうだな」 「ふんふん、なるほど。お店が〈樅〉《もみ》の森にあると いうことは、建物につける看板と、道沿いに置く 呼び込み看板の2つが必要になりそうですね」 「ああ!! それはそうですね、ナイスアイデアです!」 「やあ、そう言っていただけると嬉しいですね。 きょうび看板の重要さを真に理解している お客さんなんて、なかなかいないものですよ」 「そんなものですか?」 「ええ、それはそうと、 しろくま町にいらしたのですから、 くま電にはお乗りになりましたよね?」 「え、あ……はい」 「それは良かった! このしろくまの地に来て くま電に乗らなかったら人生の大きな損失となる ところでしたから! そう、くま電は人生!!」 「凄い電車なんですね、あのちんちん電車さんは」 むむ……!?ななみは素直に感心しているが、なぜだか俺の本能が危険を訴えはじめた。 「そうなんだよ! わかるかい!?」 「いえ、具体的にはあんまり……」 「ふふふ。それは仕方ないなぁ♪ それならくま電のそもそもの始まりから、 順を追って語って行こうじゃないですか!」 「は、はぁ」 「しろくま電気軌道、通称くま電は、路面電車化 されたのこそ大正2年1913年だけど、人車 軌道として開業したのは1891年に遡る(略)」 じんしゃきどうとは何のことだ?メカ好きの血が騒いでいるが、絶対にそれを聞いてはいけないと、俺の心が叫んでいる! 「あの、じんしゃきどうってなんですか?」 お前が聞くなーーーーー!!! 「ほほう。人車軌道を御存じない! 1900年代初期に全国各地を走っていた 栄光の人車軌道たちを!」 ペンキ屋さんの目が比喩ではなく光った!! 「人車軌道は、やや用語的には厳密でないが 人車鉄道とも呼ばれる古き良き交通機関の事だよ。 最盛期にはこの国に29路線が(略)」 「えーと、それで、じんしゃというのは……?」 「も、もういい……!」 慌ててななみの口を押さえようとしたが、時遅し! 「お嬢さんは人車に興味を持ってくれたようだね! 人間のにんに自動車のしゃと書いて人車だよ。 人が客車や貨車を押す鉄道の事なんだ!」 「人が電車を押しちゃうんですか!?」 「そうとも! 確かに蒸気機関車も電気機関車も 当時から存在したのに、なぜ人力という疑問が あるだろう? だが、しかし! 蒸気(略)」 「わわわ……!?」 「(下向いてろ!)」 「それにだ1900年代初頭の人件費の安さを考えて みたまえ! 蒸気機関やモーターに比べてその経済 的有利さは明白! 蒸気や電気は人力に叶(略)」 「ああ! 栄光のくま電の先駆けである白波温泉郷 人車軌道! 僕は決して彼らを忘れはしない!」 「そして、白波温泉郷人車軌道が いかにしてくま電になったかというと――」 「わかった! 人車軌道は分かりました!! 非常に詳しく隅から隅まで理解しました! ですがまずは……!!」 「すごい! 冬馬くんはもう理解してしまいましたか? わたしなんか、もう一度聞かないと……もが!?」 「ま、まずはおもちゃ屋の看板の話を!!」 「もがもが!!」 「ああ、これは失敬、 もちろん分かってますとも」 「ではこの話が終わったら、 すぐにでもくま電の歴史を……」 「わかってねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」 「はぁ、はぁ……いったいあの ペンキ屋さんは何だったんだ……」 「たっぷり30分は くま電のお話をしてくださいました」 「あれでなぜ駅員にならなかったのかが謎だ」 「それはそうと!」 「やめろ!!」 「いえ、それはそうと、広報責任者として、 宣伝のいいアイデアがあるのですけど」 「アイデア?」 「看板だけじゃ宣伝には心もとないですし、 今はチラシを刷るような予算もありません。 そこで……」 「サンドイッチマンさんを雇いましょう!」 「ふむ、しかしそんな金がどこにある?」 「もちろん、わたしのおこづかいです。 とはいえ、今月はけっこうつかっちゃいましたが」 「小銭しか残ってないなんて言わんでくれよ。 そういうことなら俺が……」 「サンタさんの月給をなめちゃいけません。 なんとかなりますよ」 「オー、分カリマシタ! オミセノコマーシャルハ、トラストミー」 「わぁ、ありがとうございます!」 「へえ、なんでも言ってみるもんだ」 「ですが、その……お代はいかほど……?」 「ノー、オカネイリマセーン! 何故ナラワタシ、トゥー・エクスペンシブね」 「スリー・Xペンシルまでならなんとか!」 「どこの鉛筆で払う気だ。 高いから払えないだろうって言ってんだ」 「シカーシ、ドンビーアフレイッ! ワタシ伝授スル、アナタヤリマショウ!」 「おおおっ! なんだか分からないけどやらせていただきます!」 「いいのか、勢いで弟子入りなんかして」 「これも広報部長のお仕事です。 ちょっと待っててくださいねー」 「ばばーーーん!! おむすびさん2号、ただいま参上!」 「お前その服は!?」 「ふっふっふ……備えあれば嬉しいな。 サンタなら、いつでも衣装は持ってます」 「オー、グレイト! ジャパニーズ・コトワザ!!」 「いえすいえーす! 郷に入らばゴートゥーヘブン」 「マーーーーヴェラスッッ!!」 「(なんだこのノリ?)」 サンタの大切な仕事のひとつが、着任した土地の人々とのふれあいだ。 そういう意味で、サンドイッチマンとなって町に溶け込むのは決して間違ってはいない。むしろナイスひらめきと言っていい。 「いらさーい、いらさーい!」 「イラサーイ、イラサーイ!」 「娯楽の殿堂・きのした玩具店ー。 開店記念セール企画中ですよ〜♪」 「オタメゴカシはイーカラ、ヨッテコーイ!!」 「ヨッテコーイ!!」 外人さんの指導で即席サンドイッチマンと化したななみはノリノリで楽しんでいるが、横で見ている俺はいかにも手持ち無沙汰だ。 本題の看板製作はもう手配も終わったし、ななみも自分の仕事を……一応は見つけたようだ。 だとすれば、店長代理がその横でいつまでもボーっと突っ立っているわけにはいかないだろう。 それに当然のことながら今日はトナカイとしての仕事がなにひとつできていない。 「そこな道行くお父さん。 寄ってかないと損しますよー♪」 「可愛いお子さんに明日の活力! 全て現金、明朗会計!」 「おい、そこのサンタさん」 「おお、なんですか冬馬くん」 「俺が横に立ってるのは むしろ逆効果だと思うんだが、 先に店に戻っててもいいかな?」 「そ、そんなー! だめですよ!」 「ひとりで立派にやれてるじゃないか」 「で、でも、冬馬くんがいないと……」 「その………………恥ずかしいじゃないですか」 「そんなノリノリだってのに!?」 「ひとりだったら乗れません!」 これは意外な反応!? しかし俺も、ここでななみの安心毛布になっているだけでは仕事にならない。 なによりも、俺のカペラはまだセルヴィの機能を取り戻してはいないのだ。 それに、師匠が可愛がっていたトリの野郎が雲隠れしてしまったのも気にかかる。 たくましい奴だから無事だとは思うが、クリスマスシーズンを控えた晩秋に、七面鳥の一人歩きはいろいろと危険すぎる。 「うーー……わかりました! でしたら、じゃんけんで決めましょう!」 「悪いが勝たせてもらうぞ」 「容赦はいたしません!」 星名ななみ──じゃんけんに関しては、エリートの月守りりかを圧倒した猛者だ。 必殺の右フック(グー)で、りりかを2回に渡って葬り去ってきた。 俺としては、猪突猛進にパーを出すか、あるいは深読みしてグーでアイコを狙うか。 いや、ここは裏の裏でチョキへの変化だろうか!?いずれにしろ、勝負は一瞬のことだ。 「じゃーんけん……」 「ぽんっ!!」 「あぁああぁぁ、まけたーーっ!!」 かくして俺はななみと別れ、足取りも軽くカペラの待つツリーハウスへ。 ななみには申し訳ないが、俺にはトナカイの仕事もある。今日のところは悪く思わないでくれ。 「しかし、ななみもなかなかやるもんだ」 しばらく一緒に行動していたおかげで、いくつか彼女についての発見もあった。 サンタ学校在学時のイメージで、どうしてもななみ=トロくさいと決め付けてしまいがちだが、久しぶりに会ってみればそうでもなかった。 普通のサンタには思いつかないようなひらめきを見せることもあるし、そもそも行動力がずばぬけている。 ただ決定的にどっかのネジがゆるんでるせいでそのアイデアが全力で空回りしてしまうのが困ったところなのだ。 そこいらは、おいおい馴染んでいくものとして。 「とりあえず、大事な局面で あいつにジャンケンをさせるのは危険だな」 ……ん? 「よお、柊ノ木さん」 「……!」 「あ、中井さん!」 「ご苦労さん、買い出しかい?」 「…………(こくり)」 見れば、両手に巨大な紙袋を2つもさげた柊ノ木硯が、なにやら途方にくれている。 さらに小脇にはなにやら分厚いファイルを抱えている。 「それは?」 「マニュアルです」 「買い出しをするのにマニュアルが?」 「……(こくり)」 口数の少ない彼女がぽつりぽつりと話すには、どうやらロードスターに、開店準備のためのお買い物マニュアルを作ってもらったようだ。 「……なるほど、店の判子を作ってから、 銀行に口座を開いて……色々ややこしいな」 「いえ、順番にこなしていくだけですから」 「順番ったって……」 いや、それだから彼女の当番なんだろう。 びっしり書かれたマニュアルに沿って忠実かつ正確に段取りを踏むような仕事が、彼女には適任なのかもしれない。 「しかし、その荷物がなあ」 「……あ!」 文字通り荷が重そうな巨大紙袋を、横からひょいと取り上げてやる。 中に入っているのは、事務用品から包装紙、その他の消耗品類がてんこ盛りで、しめて20キロってところだろう。 「どうせツリーハウスに戻るところだし、 ま、荷物持ちくらいはな」 カペラをいじりたいのは確かだが、少なくとも、こっちのサンタさんは俺の手を必要としているように見える。 「いえ、そんな……大丈夫です! わざわざ中井さんの手を煩わせるような」 「いいっていいって、 これだけ袋が重いんだ、 残りの買い物も少しなんだろう?」 「はい、それはそうなんですが……」 「なるほど、残る買い物は 内装や設備関係の大物ばっかりか」 「内装ってことは店のインテリアだよな。 どんな方向性で行くんだい?」 「はい。星名さんからは、 このイラストみたいな雰囲気にしてほしいって」 「ななみが……?」 「…………」 「教育番組で見たことがある。 こいつは先土器時代に描かれたやつだ」 「そ、それは……”」 「しかしこのラスコーの壁画をもとに 店の内装を決めなくちゃならんのか」 「いえ、ですがもう だいたい買うものは決まっています」 「あの絵からプロファイルを?」 「はい、それは月守さんが。 最初にしろくま壱番館に行こうと思います」 「確か、駅前にそんな建物があったような」 「はい、複合商業施設と ガイドブックに書いてありましたので」 「なるほどデパートみたいなもんか」 俺は硯の荷物を持ちながら、ガラス張りの6階建て、ずいぶんと立派な建物の中に入っていく。 「いらっしゃいませ」 「こちらのキャビネットを いただきたいのですが……」 「ち、ちょっと待った!!」 「中井さん、どうしたんですか?」 「怪訝そうな顔をしているところ悪いが、 柊ノ木さん、値札の数字は見ていたかい?」 「いえ」 「35万だ」 「…………はい」 「今回の予算は?」 「あ、それでしたら平気です。 運良く、35万円ぴったり用意していましたから」 「平気じゃねーーー!!! 買うのは棚だけじゃねーー!!!」 「はぁ……」 分かってない。分かってないぞ、このサンタさんは。 「わかった! とりあえずはだ、 この一流ブランド満載の ゴージャスデパートから離れよう」 「はぁ」 「もう少し現実的な価格帯の店を いくつか回って、似たような家具を そろえて行こうぜ」 「…………(きょろきょろ)」 「このあたりは初めてかい?」 「──ほらあなマーケット。 古いショッピングモールをそのまま残していて 洋風のたたずまいを楽しむことができる──」 「ガイドブックでは知っていましたが、 足を運ぶのは初めてです」 「そんだけ予習できてりゃ上等さ。 ここなら掘り出し物もありそうだ」 「掘り出し物?」 「ああ、家具なんて言い値で買うこたぁないさ。 安い店を探して、足りなかったら値切る」 「値切る……とは?」 「んー……平たく言えば、店と客との 本音のコミュニケーションかな。 ま、その手の一切合財は店長代理に任せてくれ」 「はい、ありがとうございます」 ふーむ……こりゃあカペラの修理は明日に日延べだな。 「よし……っと、このレジスターで最後か」 椅子、テーブルから、書類棚、さらにはカーペットや清掃用具まで。 そこそこ見栄えのするもので、なおかつ安いのを選んでいたら思ったよりも時間がかかってしまった。 かくして、あまり色気のないしろくま町ショッピングが終わるころ、俺の両手には、抱え切れないほどの商品の山。 「中井さん、大丈夫ですか?」 「ああ、どってことない。 トナカイは鍛えてるからな」 残念ながら腕力はそこまで鍛えていないが、ここは嘘も方便だ。 なぜなら、さっきから俺の隣で、柊ノ木硯はうつむいたままだから。 「…………」 「サンタさん、どうした?」 「いえ……その、助かります」 「さっきから元気ないみたいだが、 なんか余計なことでもしてたかな?」 「あ、す、すみません! 決してそういうわけではなくて!」 「…………」 こちらから話せば受け答えはしてくれるが、会話が途切れると、急に沈んで見える。 ……ふーむ、想像以上に引っ込み思案なサンタさんというわけか。 パートナーのサンタ先生がいる場所では普通に話していた気がするんだが。人見知り、あるいは男性恐怖症? いずれにしろ、これから同じ屋根の下で暮らすのだから、居心地が悪いままって訳にはいかんよな。 「柊ノ木さんは、 サンタ先生のお弟子さんなんだろう?」 「はい」 「その前は?」 「それは……その、普通に実家に」 「柊ノ木さんは、 良家のお嬢様って感じがするな」 「そう思いますか?」 「物腰っていうか、雰囲気がさ」 「それは……自分ではわかりません」 サンタになるにも、バックボーンはそれぞれだ。ななみみたいに親がサンタだった奴もいれば、孤児院から引き取られてくる奴もいる。 「…………」 「雑談さ。詮索する気はないんだが、 気に障ったのならすまなかった」 「いえ……そんな」 「………………」 まあ、焦ることはない。イブを越える頃にはきっと気の置けない仲間になるだろう。 「さて……もう少し付き合ってくれるかな」 「ですけど、荷物はいっぱいですし もう必要な物は……」 「大事なものを忘れてるだろ」 「……?」 「いらっしゃい。 空いてる席にどうぞー」 「すまないがテイクアウトなんだ。 オードブルを適当にみつくろってくれないか」 「中井さん?」 「パーティーの食料さ。 こいつは俺からのおごりにしとくよ」 「いえ、そんな」 「予算はあらかた使っちまったんだろ? 遠慮するなって、ほら、サンタさんも 欲しいものを選んでくれ」 「あ、は……はい」 頷いた硯が、メニューではなく、カウンターに並んだボトルをキョロキョロと見回す。 「……それでしたら、 そこのオリーブオイルを」 「オイル? そんなもの売ってくれるかね?」 「あ、す、すみません!」 「何もすまないことはないさ。 お姉さん、このオリーブオイル 1本分けてもらってもいいかな?」 「あら、お目が高い。 これ手に入れるの大変なんだから」 「それでしたら……」 「いいわよ、手間賃ちょっと乗せてもらうけど お分けします」 「すまないね」 「本当にすみません。ご迷惑をおかけして」 「誰も迷惑してないさ。 おかげで俺は感じのいい店を見つけられたし、 あの店は新しい常連をつかまえた」 「…………」 「で、そんなもの買って 手料理でもふるまってくれるのか?」 「…………(こくり)」 「そうか、そいつは楽しみだ。 さて、じゃあ最後に酒屋にでも寄ってくか」 「ですが、それ以上持つのは無茶では?」 「アルコールのないパーティーのほうが よっぽど無茶な話だよ」 「んぎ……ぐぐぐ……」 「や、やっぱり無茶です。 そんないっぺんに持つなんて……!」 「平気さ……あとちょっとだ」 「悪いな、〈機体〉《セルヴィ》の機嫌さえ良けりゃ、 ひとっ飛びで運んでやれたんだが、 すっかり徒歩が板についちまった」 「そんなこと……助かりました」 「おかえり、待ってたわー!!」 「……って、国産か」 「期待外れで悪かった」 「どーしたの、その荷物!?」 「誰かさんの指示の通りに 買ったらこうなったんだ」 「げ、ほんと!?」 「ただいま戻りました」 「おーーっと、待ちかねてたわ!」 「トナカイの話はあと! まずはお店の 飾りつけをちゃっちゃか片付けるわよ。 そのクロスをこっちにかけて……っと!」 話をごまかそうとしたりりかが、慌てて内装の仕上げに取り掛かろうとする。 「月守さん! 釘を打つのは禁止されてます」 「えー!? じゃあどうやって飾るの?」 「大丈夫です、釘やネジがなくても できるように買ってきましたから。 まず、この布のはじとはじを……」 「ピンと張らせりゃいいわけね! てーーーーいっ!!」 「りりかさんーー!!!」 「うわ、わ!?」 「うげっ!!」 クロスごと盛大にすっ転んだりりかが、鼻をおさえて起き上がった。 「ごめんごめん、リトライするから!」 「てい!!」 「うわ!?」 「ぶべっ!!!」 ああ、この光景には見覚えがある。 単に髪の色がピンクか金髪か違うだけで、俺の相方と全く同じ行動パターンだ。 「もーいいわ、月守さんは休んでいてね」 「ええーー、どうして!?」 「本部のエースサンタに こんな雑用させちゃ悪いでしょ?」 設営から体よく追い払われたりりかは、部屋の隅に詰まれた在庫のダンボールに四重丸のマトを描くと、おもちゃのパチンコで狙い始めた。 「エリートさんは細かい作業が苦手なんだな」 「しゃーーーらっぷ! 細かい作業なんて楽勝だし」 「てっ!!」 「ふーんだ」 パチンコのゴム弾を俺の額に命中させた金髪が、今度はダンボールの的を狙う。 「お、ど真ん中」 「外すわけないわよ、 動かないマトなんて」 確かに繊細なコントロールだ。ゴムを引き絞り、手を離すたびにマトの中心部分にパチンコの弾が命中する。 「大人しい仕事は性に合わないってだけ。 アンダスタン?」 つまり根気が足りないのか……なんて言ったら、今度はゴム弾を眼球にぶっつけられそうだから肩をすくめるだけにしておこう。 「あ、そうだ。 国産、ちょっと手伝ってくれる?」 「…………」 「国産! こら、聞いてる?」 「まさか俺を呼んでるんじゃないよな」 「……あんた以外に誰がいるの?」 呼んでる本人を含めて、周りは全部国産なんだが、……いや、無駄な抵抗はよそう。 「で、何の用だい」 「ちょっとその辺回りたいんだけど セルヴィに乗せてくれない?」 「店はほっといてもいいのか?」 「これも立派な分業よ。 すずりんと先生がいるんだから あたしたちがいなくても何とかなるわ」 「そりゃあ、俺も飾りつけなんてのは 不慣れもいいところなんだが……」 「あいにくカペラは故障中だ」 「あーー! そういえば!! まだ直ってなかったの!?」 「いつの間にか店長代理にされたりしてるんでな。 代わりに飛んでくれるかどうか、 あっちの人に聞いてくるよ」 「あー、そんなことだったら 私のシリウスを使っていいわよ」 「え? いいんですか、オレが乗って」 「壊さなきゃね。 でもシリウスはスピード出るから気をつけて」 「そりゃ望むところですが、先生の機体なのに?」 「まー、アタシが行ってもいいんだけど、 3時半からは見たいテレビがあって どーしても外せないのよねー」 「……了解、そいつは一大事だ」 「それじゃ、先にソリの準備をしておいて、 すぐに追っかけるから」 「よし、行くぜ金髪さん」 「おっけー!」 「………………(作業中)」 「……はーい、 カーペットのタグは切っておいたわ」 「ありがとうございます」 「………………」 「硯はうまくやれそう?」 「はい……?」 「このツリーハウスで、アタシ以外の女の子たちと うれし恥ずかし共同生活〜?」 「……だから」 「だから先生は、一緒に住まないって 決められたのですよね?」 「ん? そーじゃないわよ。さっき言ったとおり、 サー・アルフレッド・キングの手伝いを 頼まれちゃったの。それだけ」 「…………」 「アタシにとってもね、 憧れのロードスターの秘書ができるんだから ここは逃せないチャンスなのよー」 「先生……」 「こーらー、そんな心細そうな顔しちゃダメー」 「……硯にとってもいい経験になるわ。 あんな癖の強い子たちとやってくんだからね」 「………………はい」 「オーライ……オーライ」 「受信完了──同調率100%」 月守りりかの乗るソリを、サンタ先生のシリウスに合体させる。 合体といっても物理的に結合するわけではない。ソリとセルヴィの間でルミナを対流させるのだ。 ラジオの周波数を合わせるみたいに同調率を満たしさえすれば、サンタのソリはあらゆるセルヴィに対応できる仕組みになっている。 「あはは……久しぶりのシリウスだわー♪」 「ずいぶん小さいソリね」 「うん、速いからね」 「そうなのか?」 「そうね、そのぶんバランスが難しいから、 〈滑空〉《グライド》には細心の注意が必要よ」 「了解だ、先生」 「シリウスは初めて?」 「ああ、不思議と乗る機会がなかったんでね」 シリウスは俺のカペラよりも二世代後の量産機だ。今は多くのトナカイが、『白い雌鹿』と呼ばれるこのセルヴィを愛用している。 「カペラのトナカイなんかに乗らせて ホントに大丈夫かな……?」 「平気よ、シリウスは扱いやすさが売りだからー」 「ベテルギウスの前は、あんたの相方も こいつを使ってたんだろ?」 「あいつはエース機しか乗らないわ」 「そいつはご大層なことで」 ゴーグルをつけると、大気中に淡い光の帯が浮かび上がる。 「へえ、こいつがシリウスのパワーか……」 師匠が調整したカペラよりは若干落ちるが、安定性は高そうだ。 「準備OKよ、 昼の〈滑空〉《グライド》だからってビビらないでね」 「望むところさ」 本当は、少し緊張していた。 量産機とはいえシリウスに乗るのは初めてだ。そしてそれ以上にひっかかるのは、あの事故から10ヶ月のブランク──。 「──!!」 しかし、ペダルに足をかけた途端に、そんなモヤモヤはどこかに吹っ飛んでしまった。 「行くわよ、国産」 「一緒に飛ぶ時くらい国産はよしてくれ。 ちゃんと中井冬馬って名前がある」 「名前を覚えてほしかったら、 他のトナカイとは違うってところを見せてよね」 NY帰りのお嬢様は、顔色ひとつ変えずに不敵に笑ってみせる。 ペダルの足に力をこめた。いいだろう、カペラじゃないのが残念だが、今日は俺の〈滑空〉《グライド》を堪能してもらおう──。 機体が動き出すと、大気中のルミナがシリウスの吸入口から機体に流れ込んでくる。 「ご希望なら曲乗りだって見せてやるさ。 つかまってろよ、サンタさん」 「手ぶらで充分」 「落ちても責任は持たないぜ」 ステアリングを握るとスキーが大地を離れ、リフレクターの振動が心地よく全身を包みこむ。 そうだ、この感じだ。 身体が光に包まれて、フワリと宙に浮かび上がる感覚。 ゴーグルを下ろし、視界を包む光の軌道の先を見据える。 そして一気にペダルを踏み込めば、そこはもう──。 ──空だ! 「イィィィヤッホォォォォーーーィィ!!」 一気に急上昇して背面固定、三回ループしての垂直急降下! 10ヶ月ぶりの〈滑空〉《グライド》でも操縦の勘は全く衰えていない。 当たり前だ、いったい何年訓練してきたと思っている? 「どーだいお嬢さん?」 「……おそーい」 「お、遅い!?」 「うん、超おそい。 あくびが出るかも。 ふぁーぁぁ…………ほら出た」 「う……ぐぐ! き、緊張してると生あくびが出るとか出ないとか」 「たぶん加速のタイミングだと思う。 踏み込みがワンテンポ遅いから コースの波に乗れてないのよ」 加速? 踏み込みが遅い……? ううっ……そうかもしれん。 「ま、気にしなくていっか。 あの子のパートナーやってるうちは、 たいした裏技も必要ないだろーし」 「…………あんたメチャクチャ口悪い」 「え!? うそ!?」 「そ、そんなことないって……! あたしサンタだし! 正直なだけ!!」 口が悪い自覚はどうやらないらしいが、しかし言ってる事には一理ある。 「踏み込みのタイミングか。 なら、こいつでどうだ?」 「お? けっこう速い!」 「シリウスは初めてなんだ。 慣れるまでは大目に見てくれよ」 「ふんふん、慣れたらもっと速くできる?」 「もっと!? 充分やってらぁ!」 「だから、もっとだってば♪」 「もっと? メーター振り切ってるぞ」 「あんなの飾りだもん」 「この……だったらこいつでどうだ!」 うお、サンタ先生め!シリウスのリミッター切ってやがる。 「おおー、もっともっと! あと2段階スピーダーーーップ!」 「本気か、きりがねえ!!」 「はぁ、はぁ……はぁっ」 「んー、まあまあね。 少しはマシになったみたい」 「……そいつはどうも」 セルヴィの性能を越えてスピードを出すにはルミナの流れの緩急を読むことだ。 俺はスロバキアでそいつを師匠から叩き込まれた。 流れの速いコースからコースへ、アクロバットのように飛び移りながら空中を滑らなくてはならないのだ。 当然、コースアウトの危険は大きくなる。トナカイの腕が悪ければ墜落だ。 それだってのに、後ろに乗った金髪のお嬢さんは目をキラキラさせてやがる。 「NY本部にいたんだよな、キャリアは?」 「んー、5年目」 「5年!?」 き、聞くんじゃなかった……先輩かよ。 「ねえねえ、どーしてそんなムキになるの?」 「あんたと同じで負けず嫌いなのさ」 「ふーん……ま、配達数の少ない日本じゃ 必要のない技術だろーけどね」 「言っとくが、俺の目標は日本のエースじゃない。 トナカイのトップチームさ」 「八大トナカイ? 無理よ」 「皆さんそうおっしゃいます」 無理かどうかを決めるのは、生意気なエリートサンタでもなければ〈組織〉《ノエル》の長老会議でもない。 多くの現場をこなして、いい仕事をする。その先に見えるものがあるのだと俺は信じている。 「もうちょっと低く飛んで」 「構わんが、そういえば なんのために空に上がったんだ? まさか気分転換なんてことは……」 「あるわけないでしょ!」 「下調べをしておくの。 ルミナの分布図を早めに作らないと、 すぐ12月になっちゃうし」 ルミナとは、サンタだけが見ることのできる光の粒子だ。 それは世界中のツリーから無数に生み出され、ふわふわと空気中に漂っている。 そのルミナが集まってできた光の軌道を俺たちのセルヴィは滑っているのだ。 「サンタが分布図なんて作るのか?」 「とーぜん」 「それは一応、トナカイの仕事なんだがな」 「飛行用じゃなくて配達用よ」 「ルミナの分布が判れば、 プレゼントの予想も立てやすくなるの。 3年目でそんなことも知らなかったの!?」 「すまん、サンタのことはそんなに詳しくない」 「どーゆートナカイなのよ」 「師匠とペアを組んでた時は これでやってこれたんだがな」 「ふーん、国産はお弟子さん上がりなんだ?」 「途中からは学校に通ったぜ。 星名ななみと同期だったんだ」 「日本のサンタ学校ね……」 話しながら、りりかの視線は眼下の町並みを泳いでいる。 大きな瞳がめまぐるしく動いて、サンタにしか感じ取れないルミナの光を細かく読み取っているのだ。 「メモとか取らないのか」 「覚えるから必要ない」 「あんたエリートサンタなんだよな」 「とーぜん! NY本部だもん。 世界一アグレッシブな基地で、 現代サンタ発祥の地!」 「そこのエースが どうして飛ばされてきたんだ」 「……!?」 「かかかかんけーないわよ、国産には!」 「ヘマでもやらかしたのか」 「よよよけーなお世話! なんでそんなこと知りたいの!?」 「興味あるさ。こんな辺鄙なところに NYのエリートが来るなんて」 「抜擢だもん!」 「本当に?」 「ほ……本当!」 「そうか、ならば俺も抜擢か!?」 「ぶー! 国産はペナルティ」 「どこが違うんだ!」 「ルックスとかスタイルとか才能とか、 もー全部違う!」 「……って、ちょっと待って」 「言うだけ言って今度はなんだ?」 「しっ……黙ってて……」 「…………?」 ソリから身を乗り出して景色を睨んでいた金髪は、急に背伸びをしたり、手で額に〈庇〉《ひさし》を作ったりして、キョロキョロと落ち着きをなくした。 「…………おかしいな」 「どうした」 「ルミナの流れよ。 なんだろ……なんか変だわ」 「こっちのコースコンディションは良好だが、 流れがどう変なんだ?」 「…………もう少し飛んでみて。 旋回して、山の手のほうに回ってみる」 「原因不明か」 「そのうち分かるわ。 分かったら障害は排除するだけよ」 肩越しに振り返ると、りりかの視線はまだ足元を流れるルミナの粒子に集中している。その横顔にさっきまでの笑顔はない。 「どんな状況でも、イブの24時には 絶対にクリアしてないと駄目なんだから」 「……了解だ」 見た目はお子様でも、プロはプロだ。 彼女がエースサンタと呼ばれていた理由がそのとき、少しだけ分かったような気がした。 「あ、ちょっと待って」 「面白い物でも見つけたか?」 「うん、見つけたわ……。 足元にピンクの物体」 「いらさーい! いらっさーーい!! ぼっちゃんじょーちゃん寄っといでー♪」 「き・き・きのした♪ きのしたがんぐてーん♪」 「き・き・きのした♪ おもちゃ買うならーぁぁ」 「き・の・し・た・・・がんぐてーん♪♪」 「……なによあれ?」 「広報活動……だな」 「あ・れ・が!?」 「かなりインパクトあるさ。 ほら親子連れが笑って見ているじゃないか」 「Noーーーーー!! あんなお笑い要素てんこ盛りな店じゃなーい! もっとクールに! スマートな感じなのにぃ!」 「あれでも広報部長さんだ。 こうなっちまったもんは仕方あるまいよ」 「あぁぁ、任せるんじゃなかったー!!」 「もー究極ありえない! あのピンクヘッド! ピンク前頭葉の ピンクニューロンのピンクシナプス!!」 「こーなったら、ひとこと文句言ってやるから! 国産! レッツ急降下ぁ!!」 「昼の市街地で無茶言うな!」 「ビビってんの? コース外れなきゃノープロブレム!」 「コースったって……」 確かにルミナのコースに乗っている限り、俺たちの姿はあらゆる人間の死角に入る。 だから平気だって言いたいんだろうが、昼間の、しかも市街地となれば空中に敷かれたコースの細さは半端じゃない。 「この細いコースを急降下は危険だ」 「せっかくのシリウスが泣いてるわ。 んもー、国産にはがっかり!!」 「うぐ!」 「って……あれ? ちょっと見て、あそこ」 「自尊心が回復するまで待ってくれないか……」 「いーから見るの!」 「くるる……くーるるる!」 「ちょっと待って! どこいくの!?」 しろくま通りに目をやると、朝から行方不明だったトリが車道スレスレをよたよたと走る姿と、それ追いかける大家さんの姿……。 「そっち行ったら危ない! 危険だってば!」 「よーってこーい! みーていこー♪ きのしたラーブ! きのしたスラッシュ! きのした、きのした、がんぐてーーん♪♪」 「くるるるる……こけーこ、こけーっこっこ……」 「あ、こらー! そっち行っちゃだめー!」 「あの鳥は……?」 「あ、大家さん!」 「あぶないっ!!」 トリを追いかけて車道に飛び出した大家さんの向こうから、白い乗用車の影。 特別製と言われた俺の瞳が映したのは、運転席で携帯に気を取られている男の姿だ。そいつがスピードを上げて迫ってくる。 「やばいぞ」 「急降下!! 急いで、これ命令!!」 「わーってる、イチかバチかだ!」 「NYじゃこれが当たり前よ!」 「あっ!? 大家さん、車!!」 「え……?」 「遅い! あの子じゃ無理! 合図で逆噴射して、わかった?」 「了解だ!」 「うわ……トリさん!?」 「あぶなーいっっ!!」 「まったく……よそ見運転なんか!」 「大家さん……!!」 「車はあたしが止める、目くらましよ!」 「え……?」 そのとき、俺の視界の隅っこで大家さんの身体が、ふわりと……。 「スーパーアクアイリュージョン!!!」 りりかの〈サンタ道具〉《ユール・ログ》から放たれたルミナが路面に弾けて、水蒸気をもうもうと立ち上らせた。 「わわ……!?」 「水鉄砲か?」 「ハイパージングルブラスターよ。 もういっちょ!」 ルミナの発射音とブレーキが交錯して、白い乗用車が急停止した。 「なにやってんのよ!」 「りりかちゃんっ!?」 「トロい! 大家さん〈轢〉《ひ》かれるとこだった!」 「……!」 「あのトリめ……!!」 「やっぱ日本のサンタは頼りないわね。 国産、そのまま急速離脱!」 「いや、降りよう」 「どーして!?」 「あれは俺のトリだ」 「トリ?」 「………………」 路地裏に停めたセルヴィにフードをかけ、しろくま通りへ急ぐと、ななみはまだ車道の真ん中で、ぽかんとした顔のままつっ立っていた。 「ななみ!」 「ふぇ……あ、え?」 「ほら、危ないぞ。こっち来いよ」 「あ、はい……」 「あれ、いま私……浮いて……」 「うーん……?」 トリを大事そうに抱えた大家さんは狐につままれたような顔をしている。 上空からだと状況がよく分からなかったが大家さんはトリを助けようとしてくれたのだ。 そしてあの交錯の一瞬、俺の目は大家さんの身体が宙に浮いたのを確かに見た──。 「ま、いっか」 「なにはともあれ、よかったよかった、 トリさん怪我してないね?」 「くーるるるー♪」 「きゃはは、こら、くすぐったいってば!」 「ありがとう、トリを助けてくれて」 「あれ? 店長さん? じゃ、このトリさんって」 「俺の相方みたいなもんで、 サンダースっていうんです」 「へー、とーまくんには こんなお友達さんがいましたか」 「サンダースか。 うんうん、よかったなーサンダース」 「でも、かわいそうに。 あの家ペット禁止なんだよ」 むむむ、そこが問題だ。 「というわけで今日から サンダースはうちのこ!」 「いや、それはさすがにどうかと」 「なら、食材ということにすればいいよ。 食材ならペットじゃないし」 「こいつは俺の非常食ですか?」 「ははぁ……さすがは野宿のプロフェッショナル」 「テント暮らしを何だと思ってやがる! こいつ食べても中毒起こしますよ?」 「冗談だってば。 でも飼うんだったらこっそりね。 バレると面倒だからさ」 「了解、気をつけます」 「それにしても、さっきのなんだったのかな? 急に身体がふわっとなって……」 「……!!」 まさか、ななみがあの杖で? 「な、なんでしょうねー、 このモヤモヤした霧はー!」 「ああ、なんだか分からないが、 ともあれトリが無事でよかったよ」 「──全く分かりません」 「わわ!?」 「…………」 「ど、どちらさまでしょうか!?」 「あれつぐ美ちゃん、どしたの?」 「全く分かりません。たしかに先刻、 鰐口さんの身体が宙に浮いていました。 なぜそのような現象が起きたのかが分かりません」 「だから、きららでいいから!」 「みみみ見間違いじゃないですか、見間違い! ほら、もやもやーってしてて!」 「ありえません。 ファインダーを通して見たのですから、 そこにあるのが真実です」 「そ、そうなっちゃいますか?」 「ですが、理解できません」 「どうでもいいんじゃない? サンダースが無事だったんだし。 それより自己紹介でもしておいたら?」 「そうですね、〈更科〉《さらしな》つぐ美です、 しろくま日報の記者をしています」 「あ、ご、ごていねいにどうも、 きのした玩具店の星名ななみです」 「同じく、店長の中井冬馬です」 記者だって?どう見ても、近く学校の生徒さんに見えるが。 「カメラには真実が映ります。 今、確かに人間が宙に浮いていたのですが」 「記者さんってことは……、 しゃ、写真を撮りましたか!?」 「……残念ですが、急でしたので」 「なななーんだ、そうでしたか。 ざ、ざんねんですー!」 「惜しかったな、そんな場面を見逃したなんて」 「そうですねぇ……全くもって」 「急に霧が立ち込めたのも不自然です。 きっと他に目撃証言が……」 「(どどどどーしましょう!!)」 「(しらん顔しとけ)」 「オー、ワタシ見テマシタ、ベリー近クデ! 煙ブォォォォォォ!!! 霧モワァァァァァ!!! ベリートテモ見ニクカッタデスガ、アレハ確カニ、」 「確かに??」 「マーッタク浮イテナーーイ!!」 「……そんなはずは!」 「そっかー、やっぱり気のせいか」 「YES!! ザッツ見間違イ!」 「おーい、中井さーん!! なーなみーーーーん!!」 「もー、2人とも何やってるんですかー♪ 早くお店に戻らなくちゃですよー!」 「あ、みなさんお騒がせしましたー☆ ほらほら、まだまだ仕事がたくさん 残ってるんですから。いっそぎましょーっっ!」 ──ボカッ! 「いてっ!」 「イラサーイ、イラッサーーイ! シーユー・ネクスタイッ!!」 「んじゃ、私も帰りますか」 「………………」 「……怪しい」 ──夜。 「……というわけで、 途中なんだかんだとありましたが!」 「おもちゃ屋さん、 おまたせしました かんせいだーーー!!」 「いえーーーー!!」「ばんざーーーい!!」 「………………あの」 「うえっ!?」 「在庫整理もできました」 「あ……ありがと。 できれば背後に無言で立たないで……?」 「……って? このリスト全部!?」 「すごい、あんなにたくさんあったのに」 「……確かにちょっとすごいかも」 「いえ……そんなこと」 「はぁ………………はぁ……」 「あれれ? せっかくのおめでたに とーまくんはどーしましたか?」 「……疲れてんだ!」 「うかつだった。 力仕事全部俺の担当じゃねーか」 「しゃーないって、店長なんだから。 それに男手は国産しかいなかったんだし」 「本当に助かりました、さすがは店長さん!」 「代理だ!! うやむやのうちに昇格させんでくれ」 こんな収集のつかん店を、トナカイの俺が取り仕切っていくことなんてできるもんか。 おまけにサンタって連中は、トナカイにとっちゃ上役でもあるんだ。店長だの上司だのと、ややこしいことこの上ない。 「くそ、イタリア人はどこ行ったんだ」 「ここにいるぜ、ジャパニーズ?」 「あんた、今までどこに」 「坊ややら荷物やらを載せて飛び回ってたんだ。 悪く思うな」 「そうだったのか、そいつはお疲れさん。 で、荷物ってのは?」 「在庫やら私物やら、いろいろさ。 お前さんの家財道具も運んでおいたぜ」 「──どこに!?」 「お前さんの部屋に」 「…………やられた!」 「男ひとり住むには悪くない部屋さ。 いつでもカワイコちゃんを連れ込める」 「あんたの部屋は!?」 「俺のことなら安心してくれ。 山の温泉宿に部屋をとってある。 あとは甘い夜を共にするハニーを探すだけさ」 「…………(がっくり)」 「これで店長も決まりね」 「いやー、冬馬くんのお家が見つかって よかったよかった」 「んじゃ、さーっそくロードスターに ミッション完了の報告ね!」 「それではみなさんれっつごー!」 「……あ、あれ、とーまくん?」 「力尽きています……」 「着任早々の店舗設営、大変ご苦労でした」 ええーーーーーーーーーっっ!? 「ええーーーーーーーーーっっ!?」 「支部長のアルフレッド・キングだ。 ようこそ、我がしろくま支部へ」 「挨拶が遅くなったが、まあ楽にしてください」 「お、おむすびさんがロードスター!?」 「うそ……」 「まさか…………」 「あれ、みんな知らなかったの?」 「それより、日本語が普通だ……」 「サー・アルフレッド・キングは、 筋金入りの日本通なのよ」 「そ、それがどうして あんなたどたどしいしゃべりかたを?」 「立場上、あまり目立っては 都合がよろしくないのでね……はっはっは」 それはきっと違う意味で失敗してる。 「ちょっと待って!! じゃ……じゃあ、 今までちょろちょろしてたあの子は?」 「お茶をお持ちしました」 「ああーーーーーーーーーっっ!?」 「こいつだー!!」 「ちびっこロードスター!!」 「ああ、それでは説明しましょう。 この子はだね…………」 「いったいどういうことなんですかっ!?」 「******************* ******************* *****************!!」 「あ、あの……ななみさん! りりかさん!」 「はっはっは……弱りましたね、 そう一気呵成にまくし立てられては……」 「ですから何度も言いますけど!!」「つまり、かいつまんで言いますとー!」 「******************* ******************* *****************!!」 「喝ーーーーーーーーーーーっっ!!!」 「きゃぁぁあああぁぁあぁあぁっ!?」 「噴ーーー!」 「…………(びくっ!)」 「がっはっは……!! 活きのいい〈小童〉《こわっぱ》どもだ。 明日からしごいてやるぞ!!」 「ひぃぃ!?」 なるほど……こいつは確かにスパルタっぽいぜ。 「以上のような理由から、彼には、 私の執務の補佐。ならびにサンタ諸君の 合力をするために来てもらいました」 「私の留守中は伝令役も兼ねることに なっていたのですが、 いささか誤解をさせてしまったかな?」 「……い、いえー、そんなことは」 「あらためて紹介しよう、キャロルのトールだ」 「〈七瀬〉《ななせ》〈透〉《とおる》です、よろしくお願いします」 「キャロルーーー!?」 「ん、何だね?」 「あ、いえ……いいえ何でもっ!」 「に、日本語お上手なんですね」 「うむ……そうかね?」 「ウホン……付け加えさせてもらえば、 私も諸君らを驚かそうと思って素性を隠して いたのではない。ひとつ試験をしていたのだよ」 「テストですか?」 「左様、選ばれた三人のサンタのうち、もっとも リーダーに相応しいのは誰かというテストです」 「リーダー!?」 「…………」 「一部始終は確かに見届けさせてもらいました。 これより吟味して参るゆえ、追って沙汰するまで ゆるりとくつろいでくれたまえ」 「了解しました!」 「……行った」 「後半えらい時代がかった言い回しだったな。 ななみに日本語を褒められたから……とか? いや、まさかな」 「日本マニアさんの熱情に 火をつけてしまいましたでしょうか?」 「はぁ……素敵ねー」 「……あの?」 「あー、なんでもないなんでもない。 それにしても誰がリーダーになるのかしらねー」 「そういえば……どきどきしますね?」 「ぜんぜん!?」 「ええ!? そうなんですかー?」 「だって実力から言えば決まってるもん。 それより問題はこのちびっ子!!!」 「……!?」 「ロードスターだと思ってたら キャロルってどーゆーことっっ!?」 「気づいてなかったのか、お姫様?」 「知ってたんなら早く言ってよ!」 「おいおい、間違えようがないだろう。 サー・アルフレッド・キングは老人だ」 「知らないわよそんなの! それにエラソーにしてたもん!!」 「そ、そんなことはしてません」 「し・て・ま・し・た!! どーしてキングに成りすました!?」 「サー・アルフレッド・キングです。 ちゃんとフルネームで呼ぶようにしてください」 「むぎーー! 知るかっ!!」 「勘違いは俺たちがマヌケだったとしてもだ、 キャロルだと名乗らなかったのは何故だ?」 「な、聞かれなかったからです」 「偽者のくせになまいきよ、このニセコ!」 「ニセコってなんですか!!」 「偽者だからニセコったらニセコー!」 「落ち着け、姫。 可愛い顔が真っ赤だぜ?」 「むぎー! だって!!」 「皆の衆、お待たせした! いよいよ結果発表の時間がやって参った次第!」 「早ぇ!?」 「まだちょっと時代劇っぽいです……」 「コホン……では発表しましょう。 しろくま町支部サンタチームのリーダーは……」 「リーダーは!?」 「あたし?」 「…………(どきどき)」 「ザ・保留!!」 「保留ーーーー!?」 「あら、残念」 「なぜ保留なのですか、 サー・アルフレッド・キング?」 「つまり、こういうことです。 今日一日の行動を吟味した結果……」 「星名ななみは町の人々との交流を深め、 月守りりかはルミナの調査にいち早く手をつけた。 また柊ノ木硯は地道な仕事で最もチームに貢献した」 「役割分担としてはまずまず上々、 働きも評価に値するが、リーダーを選出するには 決め手に欠けるということです」 「で……でも、交通事故とか!」 「決定打不足」 「あぅぅ……!」 「よって試験期間を延長します。 各サンタはその旨を心に留め置くように」 「了解しました」 「またトナカイの3名は、それぞれ 期待以上の仕事をしてくれました。 この調子で今後もよろしくお願いします」 「了解!」 「サー・アルフレッド・キング、 今夜、着任のパーティーを開きたいと 月守さんから要望が出ていますが」 「ああ、もちろん許可します。 仕事は完了したのですから、 心ゆくまでくつろいでください」 「やった!!」 「そうこなくっちゃな」 「その配慮のぶんは 月守りりかに加点しておきましょう」 「あ、ありがとうございます!」 「それでは諸君、明日からまた忙しくなる。 一同英気を養い、協力のうえ新天地での 活動にいそしんでくれたまえ」 「さーて、それではツリーハウスに 帰ってパーティーですねー」 「俺たちは徒歩だけどな」 「それも、おつなものですよ」 「先に戻って準備しとくわー、ね?」 「はい!」 「ピンク頭!」 「……りりかちゃん?」 「なんであんたとリーダー争いしなくちゃ いけないか全然わかんないんだけど、 ん……まあ、なんていうか……その」 「一応……よろしく」 ぶっきらぼうに呟いたりりかが、ななみに右手を差し出した。 「あ…………」 「はい、よろしくお願いします」 「……あんたもね、すずりん」 「はい……月守さん、星名さん」 「ふふふー、友情の握手ですね」 「べ、べつに……なんか」 「なんか……こーゆーことちゃんとしとくのも リーダーには必要っぽいって思っただけ! じゃ、先行くから!」 「こらラブ夫ーー! 鏡ばっか見てないでさっさと離陸ー!」 「…………不器用な奴だなぁ」 「でも、いい子ですねー」 「ああ、そうだな。 本人に言ってやれよ、きっと怒るぜ」 「ふふふー」 「さすがはサー・アルフレッド・キング、 ちゃんと硯のことも見ててくれたじゃない」 「私ですか?」 「いちばんチームに貢献してたんでしょ?」 「あ……」 「……そういうこと、言われたことなくて」 「あはは、アタシは褒めないからねー」 「い、いえ……そういうことじゃないです」 「サンタとしちゃ優等生といっていいわよ。 あとは協調性だけなんだけどねー」 「…………」 「しょげないの。 それだってなんとかなるかもねー」 「そう思いますか?」 「わかんないけどね、 初めてでしょ、握手なんてしたの」 「あ……」 「……よかったね、硯」 「けーっきょく、 みんなセルヴィで帰っちまったな」 「ほんとですねー」 前を歩くななみがのんびりと呟く。サンタ服を脱いだななみの姿は、もうこの町にすっかり溶け込んで見える。 「あんまり遅くなると 先に乾杯されちまうかなぁ」 「むー、それは問題です……はむはむ」 「お前、なにをいつの間に食ってる!?」 「そこの屋台で売ってました。 たいやき……食べます?」 「いいよ、これからパーティーだってのに よく買い食いなんてできるな」 「だってもう、緊張しちゃって……はむはむ」 「甘いものは精神安定剤だっけ?」 「そうなんですよねー。 言うなれば、圧倒的な多幸感へのダイブです」 「変な言い回しに騙されないからな。 吸収した分は燃焼しろよ。 食い終わったらダッシュで戻るか?」 「い、いいですよー! のんびり戻りましょう」 ななみと二人、秋の夜空を眺めながらぶらぶらとツリーハウスまでの散歩道。 朝っぱらからギッチギチに密度のつまった1日が暮れて、ようやく一息といったところだ。 「しかし、あのエリートさんが 自分から握手をしてくるとはなぁ」 「意外でしたか?」 「ああ、お前がな」 「わたし?」 「去年いろいろモメたのに、自己紹介の時から ずいぶんと金髪さんを持ち上げてたじゃないか。 どんな心境の変化があったんだ?」 「ああー、あれはですね」 「……できなかったんですよ」 「?」 「あれから試してみたんです。 あのときりりかちゃんがやったみたいに、 パンパンパンって乱れ撃ち」 「そしたらゼンゼンだったんです。 きっと、去年やってたら失敗してました」 さばさばと語るななみの声が、夜のしじまに溶け込みそうなほど、か細く耳を打った。 「りりかちゃんは凄いです」 「……あのとき、 どうして大家さんを浮かせた?」 「え?」 「見てたぜ、危うく大事故になるとこだった」 「あれは……大家さんがトリさんを 助けたいんだろうなって思ったから」 「だから力を貸してやったのか?」 「……りりかちゃんに怒られてしまいました」 「…………」 「さっきの話だけどな」 「え?」 「金髪さんの技さ。 乱れ撃ちだかマルチプルショットだか知らないが、 あれは馬の良し悪しもあるぜ」 「……そうですね」 「案外、冬馬くんとだったらできるかもしれません」 「かもじゃなくて、やってやるんだ」 「はい!」 「ま、開店準備も完了して、 リーダー試験って目標も決まったことだし、 いよいよ新生活のスタートだな」 「あとは冬馬くんが店長さんになってくれれば 全て解決です」 「代理の2文字は外さんぞ」 「えー……それでは、 きのした玩具店の開店の前祝と、 サンタ、トナカイの着任を祝しまして……」 「かんぱーーい!!」 「くるーーるーーー!」 「ふーん、この子が 危うくミンチになりかけたトリさん?」 「くくく?」 「オードブルが1品増えるところだったな」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「あー、うっさい!! これのどこが七面鳥!?」 「形状が違います」 「そう言われても、親が七面鳥だったんだ」 「突然変異だったりして?」 「前世の呪いかな?」 「でも、可愛いから正義です!」 「中井さん!! そのトリまさか飼うつもりでは!?」 「まあ飼うっていうか、居着くっていうか」 「だめですよ!! 忘却厳禁の最重要項目って言ったじゃないですか! そんなことしたら鰐口さんに……!!」 「その大家さんから、 こっそりなら飼っていいって言われたんだ」 「ええ!?」 「優しい人でしたよね?」 「お、おかしいな……そんなはずは」 「それよりどうしてニセコがいるの!?」 「ニセコって言うのやめてください! 僕は皆さんがハメを外し過ぎないように 見張ってるだけです!」 「ハメなんて外さないもん!」 「じゃあ居ても平気ですね?」 「うぐぐ……ニセ子のくせになまいきー!」 「僕は男ですっ」 「うるさいニセコ!」 「まーまー、そんなことより、 乾杯のあとは美味しいご馳走タイムです♪」 「そうね、今日は買い込んできたんだから!」 「わたしもですー! ほらほら、おいしーですよー」 一瞬にしてテーブルにうず高く積み上げられた菓子山の中から、スプレーチョコをたっぷりまぶしたドーナツが、金髪さんの口の中に放り込まれる。 「んぐ……うぇ、甘!?」 「まだまだたーくさんありますよ。 浜の真砂は尽きるともー♪」 「うが、むぐ……! だーーーっ!! なんで全部甘いっ!?」 「だってパーティーですから☆」 「デザートはシメに食べるもんなの! 食べ物買ってこいって言ったけど、 ぜんぶスイーツなんてありえない!」 「でもでも、甘いのと甘くないのが並んでたら、 甘いの買うでしょ??」 「あんただけよー!!」 「で、月守さんが買ってきたのはー?」 「うわ、うわわ!? りりかちゃんだって、 ハンバーガーばっかりじゃないですかー!」 「だって美味しいじゃん」 「だめです、健康に悪いですってば」 「どの口で言うかーー!!」 「もが、もがが!!」 「二人とも栄養価は最低です」 「……あのー」 「なによ?」「なんですか?」 「私も、食事にと思って」 「おおっ!」 「なに買って来たの?」 「いえ、その……作ってみたのですが」 「うわ…………!」「…………すご!」 「へえ、こいつは ちょっとした〈高級店〉《リストランテ》のディナーだな」 「栄養価も申し分なさそうですね」 「な、なーんて、 こんなもの食べてみないと分かんないしー」 「そ、そうですね!」 「あーむ……!」 「…………すご!」 「お口に合えばいいのですけど」 「こいつは美味い! 口に合うなんてもんじゃないぜ」 「ああ、アルコールとの相性も完璧だ」 「硯の特技だもんねえ……あとが怖いけど」 「あと……?」 「ま、そのうち分かるって」 「うーーー! りりかちゃんは、 そっちにお肉あるじゃないですかーー!!」 「うぎぎ……あんただって、 こっちのサラダ食べてりゃいいじゃない!!」 「と、とにかく……はむはむ! 料理当番はすずりんに決定……!」 「さ……賛成です! もぐもぐ!」 「……美味いもの食うときくらいは仲良くしろ」 「……で、 新しい住人はどうだったんだい?」 「んー、いい人たちだったよ。 なんか助けてもらっちゃったし」 「きららちゃんが、そう言うのならー そうなんだろうねー。よかったねー」 「おい、また変なのが入り込んでるよ」 「今日は一緒に夕飯だって言ってたじゃん」 「覚えちゃいないね、 こら、おつゆの前に魚に手をつけるんじゃないよ」 「これはどうもすみませんー」 「ふん、新しい連中も、 ろくでもない知り合いとか引っ張り込んで どんちゃん騒ぎなんかしてやしないだろうね」 「え!? だ、だいじょーぶだと思うけどー?」 「んー、こいつは……んんん……ぷはァ」 「とーまくん、なにをご機嫌な顔してますかー?」 「いやな、向こうに置いてあった酒が とんでもなく美味いんだ、これが。 はぁぁ……たまらん」 「わぁぁ、お酒くさい!」 「……って、まさかここに転がってるビン ぜんぶ飲んだんですか!?」 「うわ、うわ、スコッチって書いてある。 ウイスキーじゃないですか!」 「ん? どうだったかな……? んく……はぁぁー、美味いなぁ」 「おかしいですよ、 ビールじゃないんですから!」 「ビールもウィスキーも似たもの同士さ。 等しく〈酒精〉《アルコール》に祝福されている」 「安心しろ。 鉄の肝臓を持ち、決して酒の失敗をしない。 そいつが……っく、一流のトナカイさ」 「ふーむ、一流への道は険しそうです」 「そういえば知ってました? ジェラルドさんが キューピッドの称号を持ってたって」 「ん…………?」 「キューピッドですよ、八大トナカイの!」 「キューピッドに選ばれていたのに、 自分から返上しちゃったんですって」 「…………あいつが?」 キューピッド。その言葉に、酔いが一気に引いていくのを感じた。 青天の霹靂とはこのことだ。そうして俺は……去年のイブを思い出す。 ベテルギウスを駆る片眼の暴れ鹿──。あのイタリア人の姿を見たときから、頭の片隅に引っ掛かっていたのだ。 ゴーグルを片方しか着けないエーストナカイがいるという噂は、はるか中央スロバキア支部まで届いていた。 トナカイになってからずっと憧れていた八大トナカイの称号。 世界で最高の技術を持った八頭のトナカイ。その資格を持つ男が、こんな身近にいる……? 「よお、ジャパニーズ。 日本の酒はなかなかいいもんだな」 「この『熊殺し』ってのは、 お前さんが買ってきたんだろ。 今度店を教えてくれよ」 「そりゃ……もちろん、いいですよ」 「どうした? トナカイ同士で敬語なんて野暮はよしてくれ」 「同じことを先生にも言われたよ」 「キャリアのことなら気にするな。 長く飛んでるヤツが上手いって訳じゃない」 そう言って、イタリア人は紙コップの日本酒を一気に空けた。 「あんた……キューピッドだったんだって?」 「…………」 「……はは、よそうぜ。昔の話だ」 それきり言葉が切れて、しばらく俺は元八大トナカイの隣でグラスを傾けた。 相手が誰だろうと、俺が変わるわけじゃない。だのに、酒の味は全くといっていいほどしなかった。 「俺の師匠は……サンタだったんだ」 「珍しいな、サンタに仕込まれたのか?」 「ああ、サンタ学校にも途中編入だったんだが、 同期連中にずいぶんバカにされたもんさ。 素人のそのまた弟子が来たってな──」 「トナカイの酒好きと、口の悪さは万国共通だ」 「ああ。俺に出来るのは、技術を磨いて 連中の鼻を明かしてやることだけだった」 「どうやらそいつは、 今でも変わらないみたいだ……」 「あまり肩肘張りなさんな、サンタが迷惑するぜ」 「ああ……そうなんだよな……」 「それでひとつ謎が解けたよ」 「お前の〈滑空〉《グライド》はサンタに優しい。 師匠のおかげだな」 「……前までのサンタには嫌われたけどな」 「そいつはサンタの問題だろう?」 緑の薫りに冬の冷たさを乗せた大気を吸いながら、ツリーの周りを歩き回る。 不覚にも、すっかり酔いが回ってしまった。 トナカイの誰もが酒好きで、当然のごとくすこぶる強い。しかしジェラルドの奴は輪をかけて底なしだ。 付き合ってペースを上げたせいか、いつの間にか足元がふらふらしている。なにか余計なことを口走っていたかもしれない。 ──空を見上げる。 子供の頃から身体に染み付いた癖のようなものだ。 こうやって、どこまでも広がる満点の星に囲まれているだけで、迷いや不安が全身から抜け落ちてゆく。 いつだって俺はこうして空を見上げてきた。 忘れもしない初出動の日も、そして……親父が死んだあの日の夜も。 「……師匠」 師匠は知っていましたか?俺の目標がこんな近くにいるってことを。 俺の壁が、こんなに近くに現れたことを。 これまで俺は、どんなトナカイにも負けたことがなかった。 師匠の下にいたときも、学校にひとりで編入してからも、そのあとも──。 「今度は下っ端からのスタートだ」 シリウスのマスターサンタと、八大トナカイのキューピッド──。 サンタはともかく、俺以外のトナカイは精鋭ぞろい。 「そうだな…… 目標は高いほうが張り合いがあるってもんさ」 師匠──。%K 俺は、あの日飛び越えられなかった暗い川を、今度こそ飛ぶことができるでしょうか──。%K %O 五分ほど酔い醒ましに散歩をしてふらふらとツリーハウスのテラスに戻ると、ジェラルドが金髪さんに話しかけていた。 「なにを物思いに耽っているのかな、お姫様?」 「あんたこそなによ、ジロジロと」 「腹を見てたのさ。 食べ過ぎてないかと思ってね」 「!! み、見るな! 誰に向かって言ってんの!!」 「俺のベテルギウスに重量サンタは搭乗禁止だぜ」 「平気に決まってるでしょ。 ピンク頭と一緒にしないで」 「よっぽど気になるみたいだな」 「べー! そんなことない」 「どうかな、島国のローカルサンタは?」 「問題にならないわ」 「仕事はダラダラしてるし、 トナカイの扱いは下手だし、 コースを読む勘だって鈍いし!」 「だいいち……」 「どうした?」 「あの子……空気で浮かせたのよ」 「……!」 「なんの話かな?」 「大家さんのこと、 ロードスターから聞いたでしょ?」 「あのとき、あたしは車を止めようとしたの、 当然の判断よ。なのにあのピンク頭、 大家さんを空に浮かせようとしてたんだから」 「ははは、そいつは大胆だ」 「じょーだん、危なっかしいったらないわ」 金髪さんが話しているのは、あの時のこと。 俺が一瞬だけ見た、ななみが杖を使って大家さんの身体を宙に浮かせたことだ。 「無茶が身上の姫が、お株を奪われた格好か」 「誰があんな無茶するかっっ!!」 「…………」 「…………」 ため息をついた金髪さんの視線が、テラスの床に落ちる。 「……あのとき、大家さんは 空を飛びたいって思ってたかな……?」 「そいつはサンタにだって分からんよ」 「判断が正しかったのはあたしよ……」 「事故の話なら、そうなんだろうさ」 「そうよ」 そういうことだ。あのとき、金髪さんは車を止めようとした。ななみは大家さんの願いを叶えようとした。 ならば、あのまま彼女の身体が宙に浮いていたらどうなっていた? 「………………」 「あの子……スゴイかも」 「ん?」 「なんでもない。 ちょっと暑いのよ、もう10月だってのに!」 俺は二人に声をかけずにリビングに戻ってきた。 「ははは……」 なんとなく気持ちが昂ぶっている。嬉しいのかもしれない。 金髪さんか……ははは、分かってるじゃないか。さすがはNYのエリートサンタさんだ。 そして、このチームも……そのうち、さすがと言われるようなチームになればいい。 顔を赤くした俺がソファーでニヤついてる〈画〉《え》はさぞや見事な酔っ払いに見えていることだろう。 「あらら、若いっていいわねー」 「中井さん……大丈夫でしょうか?」 「とーまくん、相当できあがってますねー」 「気にすんな、飲もうぜ相棒さん」 「は、はい……」 キョトンとしているななみをよそに、手近なボトルを取ってぐびぐびと喉に流し込む。 ……ふと、 窓の外に白く舞うものを見つけた。 あれは──セルヴィのスノーフレーク?違うな、あれは……。 「見ろよ、初雪だ」 「まさか、10月の頭ですよ」 「何月だって降るときは降るさ」 窓べりに身を乗り出して、手のひらに白い雪片を乗せる。 「ほらな……」 資料に書いてあった。しろくま町は12月になると太平洋岸とは思えないほどの大雪が降るそうだ。 一年に一度のサイレントナイト、一面の銀世界──。 それがスロバキアとはまるで違う景色だろうってことは、俺にだって想像できる。 だが、大丈夫だ。俺はきっとこの町の景色を好きになれるだろう──。 「夜になると冷えますね」 「うん、冬が近づいてきたんですね」 「冷たい風に当たって頭が冷えたんなら、 そろそろパーティーもお開きだ」 「へ?」 「明日も早いぞ。 開店準備ができたんだから、 次はバリバリ宣伝しなくちゃな!」 「おおおっ!? とーまくんがやる気を出した!?」 「当たり前だ、俺は店長だぜ!」 ──師匠。%K どうやら俺にとって、この町は良い職場になりそうです。%K 新しい支部、新しいチームと、新しい相棒……。%K 未来の形は、それこそ明日のことさえまるで見えないけれど、それでも冬はもう目の前に迫っています。%K せめて、今年のイブが最高のイブになることを祈って。%K %O ハッピー・ホリデーズ──。%K %O 「おはようございます!」 「………………あれ?」 「お……おはようございまーす?」 「ぐー」 「ぐー」 「ななななんですか!? 着任早々のこのたるみようは!?」 「ぐー」 「くかー」 「あーもう! サンタって人たちは どうしてこうパーティーとか宴会が 好きなんだろう……!!」 「おーい、起きてくださーい! みーなーーさーーーん!!!!」 「だめですよ、 サンタクロースがこんなだらしない 格好でごろごろしてたらっ!!」 「ななみさーん! 起きてください、ななみさんっ!!」 「んが、ふぃ……?」 「んぁー、とーるくんではないですか、 ふぁぁ……おはよう……ごじゃいまふわぁぁあぁ」 「お日様もすっかり昇ってます! ほら、りりかさんも起きてください!」 「くかー……むにゃむにゃ……ぴぴっ ナンシーより緊急連絡……むにゃにゃ……」 「ああっ、もう完全に寝言だ!」 「でもって、硯さんは……(きょろきょろ)」 「ふぇああ……硯ちゃんでしたら、 お台所のシンクと冷蔵庫の間に……」 「すー」 「硯さん!!」 「すー……んぅ……んっ?」 「お、おはよう……ふわ……ございます!」 「お早くないです。 そっちのトナカイさんたちも 急いで支度をしてくださいー!!」 「ふぁぁ……いま寝てるから無理ー。 〈昨夜〉《ゆうべ》は遅くまで飲んでたんだからぁ」 「起きてるじゃないですか!」 「勿論だ坊や。一流のトナカイはいついかなる時も 万全の出動態勢を整えてるもんさ。 んじゃ、おやすみ……ZZZ」 「わぁぁ、二度寝はダメですーーっ!」 「はてさて、こんな早くにどうしましたか? まだ朝ご飯の時間じゃないですけど……」 「朝ご飯より前にロードスターの呼び出しです」 「ツリーハウスのサンタは、 6時30分までに ロードスター邸へ集合せよって!」 「なぁんだ、じゃあトナカイとは無関係ね。 おやすみー」 「わぁぁ、先生!? ちょっと困りますってば!!」 「はいはい、むにゃむにゃ」 「あぁーー! 支部じゃキビキビしてる先生が、 どうしてこんなルーズな性格に……!!」 「オンとオフを使い分けてるだけよー。 優しいとーるくんは、サー・アルフレッド・キング に言いつけたりしないよねー?」 「でも、マスターサンタがこんな体たらくじゃ……」 「がばっ!!」 「うえ!?」 「もしその可愛いお口を滑らせちゃったら、 アタシだけが一方的に楽しい おもてなしをしちゃうかもー?」 「わぁぁ、お酒くさい! やめて、息を吐き掛けないでくださいっ!」 「ミラクルブレスー♪ ぷはー!」 「わかりました、わかりましたからっ!!」 「ふふ、おりこうさんは大好きよ@ それじゃ、おやすみー」 「ううっ……マスターサンタのイメージが……」 「おっまたせしましたーー!! 洗顔終了、準備万端!!」 「……あれれ、どうしました?」 「なんでもないです。 それより、中井さんはどこですか?」 「……はて?」 「ふーむ、どうしたもんかな……? どのパーツも正常に組まれてる はずなんだが……??」 「ここか? このキャブレターが……うわちっ!?」 「おいおい、頼むぜカペラさんよ。 いったいなにが気に食わないんだ?」 物言わぬカペラに話しかけ、頼りない手元を押さえつけるように、ボルトを締め直す。 手元が怪しいのは、夜更けまで飲んでいたアルコールが頭の中に残っているせいだ。 「ははは、トナカイが二日酔いだなんてな」 頭の芯が揺れるような〈疼痛〉《とうつう》を覚えつつも、不思議と気分は清々しい。 「相棒、今日から店を開けるんだ。 俺が店長だってよ? 笑っちまうな」 「お前の仕事もたっぷりあるさ。 さあ、頼むから機嫌を直してくれよ」 「せーのっ……!」 「りりかさん!!」「りりかちゃーん!!」 「くかー……!」 「**********!!!」 「むにゃむにゃ、うう、弾幕がきつすぎる…… フラッシュ攻撃が……むにゃ……」 「うぅぅ、どんな夢を見てるか分かりませんが なかなか筋金の入ったお寝坊さんです」 「だからって放っておけません。 りりかさんってば、 寝ぼけてないで出動ですよ!」 「むにゃむにゃ…… これしきで不敗のカーネルがぁ……」 「置いていきますよ! 遅刻ですよ! これがラストチャンスですよ!!!」 「りりかさんーっ!!」 「にゃむクラーッシュ!」 「うぎゃ!?」 「うーん……!」 「ああっ、とーるくん!?」「ああっ、キャロルさんっ!?」 「……で、金髪さんは置いてきたのかい?」 「仕方がありません。 どうしても起きないんですから」 「とーまくんは早起きでしたね?」 「枕が変わるとな。 で、その頭のコブは?」 「なんでもありません」 「ま、相手はエリートさんだし、心配ないさ。 そこらへんは上手く帳尻合わせてくるだろう」 七瀬から受け取ったリモコンを操作すると、裏庭の隅に隠されていたハッチが口を開け、機械音とともに俺のカペラが姿を現した。 地下の格納庫と裏庭が秘密のリフトでつながっているのだ。 「こんな仕掛けがあるとはなぁ」 「昔からあったみたいです。 大家さんもご存知ないようですけど」 「前にもサンタさんがここを使ってたんだっけ? さてと……行けるか?」 カペラのシートにまたがり、ハーモナイザーを起動させる。すぐに心地の良い振動が下腹部に伝わり……。 「………………やっぱり」 「駄目ですね……」 やはりどうやっても出力が上がらない。ルミナを上手く取り込めていないのか、あるいはエネルギーへの変換がまずいのか。 「なにが原因なんでしょう?」 「それがさっぱりだ、 整備はちゃんとできてるはずなんだが」 「中井さんにはブラウン邸と ツリーハウスの送迎役を兼ねて いただきたかったのですが……」 ブラウン邸というのは、ボスの住んでいるあの立派な洋館──つまり、我らがしろくま支部のことだ。 ここから徒歩だと、電車こみで1時間はかかる。それでトナカイの同居が必要だったわけか。しかし……。 「参ったな、すまないが今日のところは ご期待に添えそうにない」 「こういうときは、 斜め45度でコツンとですね」 「昭和のテレビだったら良かったんだがな」 「機体の不調じゃ仕方がありません。 でも、早めに起こしに来てよかったです」 ひとり納得しながら、キャロルの七瀬が自分のセルヴィにまたがった。 「そいつは七瀬のかい?」 「いえ、支部の連絡機ですが」 「とーまくんのと同じカペラくん……ですか?」 あらためてデチューンされたカペラを眺める。七瀬がまたがっているのは、確かに連絡機と呼ぶのに相応しい機体だ。 原型こそ俺と同じカペラのようだが、小型のリフレクターで出力を大幅に低下させ、操縦系統もずいぶんと簡略化されている。 「倉庫で眠っていた古い機体を改造したんです」 「お前さんが?」 「え?」 「あ、えっと……まあ」 「へええ、そいつはすごい。 いい仕事してるなぁ!」 「とーるくん、実は天才メカニックさん!?」 「あ、う……」 「それならきっと、 中井さんのセルヴィもすぐに直りますね」 「頼むよ、あとでカペラも見てくれないか?」 「………………”」 「その……機体を改修したのはノエルの本部でして」 「………………」 「そりゃそっか」「そ、そーですよねー!」「すみません早合点でした」 「…………(しょぼん)」 それにしても、なかなか便利そうな機体だ。この程度の機能なら特別な訓練をしていないキャロルさんでも、飛ばすことができるだろう。 「つまり、かんたんカペラくんですね」 「変なあだ名をつけないでください」 七瀬が連絡機のカペラを起動させると、大気中のルミナが機体に吸い込まれてゆき、機体がふわりと宙に浮いた。 空中で機体を静止させる。ふむ、見習いキャロルのわりには……。 「達者なもんだ」 「サー・アルフレッド・キングに 鍛えられましたから。 では、僕は先に戻っています!」 「あのー、わたしたちのソリは?」 「これにそんなパワーはありませんよ」 「へ?」 「では、どうやって支部まで……?」 「ううむ……電車通勤とはなぁ」 「ピクニックみたいで楽しいじゃないですか。 ね、硯ちゃん?」 「そ、そうですね……」 ツリーハウスからロードスターの暮らすブラウン邸まで徒歩と電車で1時間ほど。 セルヴィが使えれば、ルミナの分布次第だが10分とかからないだろう。差し引きの50分は俺の責任だ。 カペラの不調が原因とはいえ、あの機体にこだわっているのは、そもそもが俺のわがままによるもの──。 早いとこ修理を完了させないと、俺のこだわりにサンタさんを巻き込むのでは、トナカイの道理に合わん。 「(それにしても、カペラくんというのは  ずいぶん古いセルヴィさんだったんですね)」 「(主力機がシリウスに代わってからは、  ほとんどが現役を引退して  あのような形でリサイクルされてるようですよ)」 「(つまりとーまくんは……物好きさん?)」 「聞こえてるぞ」 「あぅぅ……!?」 「お、おはようございますっ!!」 「清々しい朝の鍛錬へようこそ、サンタの諸君」 「……鍛錬?」 「月守りりかさんは寝坊で遅刻です。 トナカイさんは不参加の予定でしたが……」 「見送りがてらに来ました」 「それは感心。 さて、ツリーハウスでの新生活は 快適なものになりそうですか?」 「はいっ!!」 「なかなか元気があって良い返事です。 しかし残念なことがひとつ……」 「な、なんでしょうかっ!?」 「5分遅刻だ、〈小童〉《こわっぱ》ども!!!」 「ひぃぃぃ…………っっ!!」 「めーん! めーーーーん!!!」 「先手必勝!! 一撃必殺!! 〈烈帛〉《れっぱく》の気合を〈以〉《も》って、刀身〈雲燿〉《うんよう》に至らしめん!」 「せんてひっしょー! いちげきひっさつー!」 「蚊が鳴いておるわっ! 〈丹田〉《たんでん》に〈魂魄〉《こんぱく》を込めんかっ!」 「ひぁぁい! めーん! めーん! めーーーーん!!」 「(はぁ、はぁ……っ!  ど、どうして剣道の素振りを  してるんでしょうかー!)」 「(こいつがサンタの修行なんだろう?)」 「(で、でも、こんな訓練、  今まで一度も……っ、ぜえ、ぜえ)」 「声は腹から出せいッ!!」 「は、はいーーっっ!」 「す、すみませんーー! どうしても外せない急用で遅れました!!」 「……って、なにやってんの!?」 「喝ーーーーーーーー!!!!」 「きゃあぁぁぁああああああぁぁぁッ!!?」 「急用とは片腹痛し! よだれの跡がくっきり残っておるわっっ!!」 「こ、これは花粉症で!!」 「秋です!」「秋だ!」 「ぎぎぎく!?」 「うーむ、全く帳尻合ってなかったな、 あのエリートさん」 「すでに報告は受けておる! 秋は夜長なれども、〈秋眠〉《しゅうみん》暁を覚悟せい!」 「あわわ、そ、それはその……!! (こらニセコ、言いつけたな!!)」 「自業自得です」 「なっ!? ぐぎぎぎ……!!」 「ちっ、ちがうんですっっ! これはそのですね、何か催眠術的な怪奇現象が!」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》ッッ!!」 「ぐあああーーーーーーーーー!!!!」 「どーして起こしてくれなかったのよー!」 「お、起こしましたよー!」 「うぅぅ、あたしだけ 素振り200回追加だなんて……!」 「私語はだめです、また雷が……!」 「めっ、めーん! めんめんめーんめーーーんっっ!!」 細腕で竹刀を振るうサンタ一同とトナカイの俺。その向かいには、静かに気を整えるロードスターがさながら不動明王像のごとき形相で〈屹立〉《きつりつ》中。 こ、これがこの支部での活動なのか! 張り詰めた緊張の糸!洋館の庭になぜか響く『面』の叫び!そこにクリスマスの気配は微塵もなく……。 「めーん! めーん! わんたんめーん! めーん! めーん! たんたんめーん!」 むむ、さすがはななみ、この状況が楽しくなってきたな。 「(ねえ、この特訓になんの意味があるの?)」 「(きっと……なにかあるんだと思います)」 「(なにかってなに?)」 「(すみません、そこまでは……)」 「サンタの道は武士の道! 問われれば答えるが武士の情け!」 「きゃああ!?」 「ジャパァーンには古来より、 〈斯〉《か》くの如き教えがある――すなわち」 「武士は喰わなの焼き〈蛤〉《はまぐり》!」 「すなわち武士道とは人の生きる道。 蛤など食さずとも、道さえ見出さば 人は心豊かに生きてゆける、と先人は説いておる」 「おおお!!」 「どうしてお前のテンションが上がる?」 「おばーちゃんと同じことを言ってます!!」 「サンタの道もまた〈斯〉《か》くあるべし。 左様に心得たまえ」 「ぜんぜんわかりません!」「……………………???」 「フハハハハ……!! 以心伝心の 〈斯様〉《かよう》に難しきこと、我ら等しく 鍛錬不足に相違なし! ゆえに汗を流すのだ!」 「つまり暗中模索のアイウォンチューですね!」 「ますます意味がわかんない……」 「チェエエエエエエーーーーィィ!!!」 「ちぇーーーーーい!!!」「ちぇーーーぃ……」「ちぇーーーぃ……」 「キェエエエエエエーーーーィィ!!!」 「きぇーーーーーい!!!」「きぇーーーぃ……」「きぇーーーぃ……」 「よし、素振りここまで!!」 「ありがとうございましたー!!!」「ありがとうございました……」「ありがとうございました……」 「や、やっと……終わったぁぁ!!!」 「やー、死ぬかと思いましたー」 「ハァハァ……私もです」 「続いてラビットジャンプだ!」 「はぁぁ!?」 「あの、ラビットジャンプというのは!?」 「武士道とは〈道標〉《しるべ》なき道を〈往〉《ゆ》くが如し。 だが今はついて参れ、〈小童〉《こわっぱ》どもっ!!」 「うさぎ跳び!?」 「ら、ラビットジャンプですね」 「なんで? 終わったんじゃないの!?」 「さっきの素振りは準備運動だったとか?」 「こ、怖いこと言わないでよ……!」 「はー、ひー……とーまくんはどうして 一緒に跳ねてるんです?」 「朝の訓練っていうから、いつもの自主トレの 代わりになると思ったんだが さ、さすがにこいつはキツイな……」 頃合いを見てギブアップ宣言したいところだが、雲の上の〈支部長〉《ロードスター》に先導切られては、音を上げるわけにもいかない。 いっそ抜かしてやったらどうかと悲鳴を上げる身体に鞭打って後を追ってみても、 「はーっはっはっはっ! 武士とは脱兎の如く駆け抜けるもの也!」 「ぐうっ、は、速い!?」 「締めくくりは立ち木打ちである。 皆の衆、〈木太刀〉《きだち》を持てい!!」 「りャァアアアアアアアッッ!!」 「ひーー!!」 「きゃーーー!!!」 「うわーーーーっっ!!!」 サンタ一同、もはや目的など見えぬままに、藁でぐるぐる巻きになった木の杭をずっしり重い木刀でひたすらに打つ、打つ、打つ! 「もう……だめです……先生……」 「はひー」 「さすがにもうお嬢さん達にゃ……ん?」 「ぜぇ、ぜぇ……な、なによ……?」 「てっきり、とっくにヘバってるもんだと」 「じょーだん……国産のあんたにできて、 あたしにできないはずない……し!」 「うむ、なかなかの負けん気。 だがその腕で打ち込めるかな?」 「もちろんです! めぇええええぇぇぇぇーーーーん!!!」 「うむ、見事である!!」 「に、NY復帰は早まりそうですか?」 「遅刻分と相殺して進ぜよう」 「そ、それだけ……」 へなへなとへたり込むりりかを見て、サー・アルフレッド・キングは満足そうに木太刀を置いた。 とたんに、表情が柔和になる。 「朝の身体慣らしはここまでです。 サンタの皆さんは 充実した一日を過ごしてください」 「はぁ、はぁ、はぁ…………」 「お、おつかれさま……でした」 「うん、明日からはトールも入りなさい」 「ぼ、僕もですか!?」 「うー」 「あー」 「はぁ……」 かくして、朝っぱらから死屍累々。俺たちはくま電のシートで荒い息をついたまま、レールの振動にぐったり身を任せていた。 「……明日から、これが毎朝」 「いやぁぁぁぁぁーーー!!」 「もがっ!? もがもががが……!!!」 死体のようにぐったりしていたサンタさんたちがいっせいに俺の口を塞ぐ。 「縁起でもないこと言うな!」 「毎日はごかんべんー!!!」 「ですーーー!!!」 「ぷはっ!! はぁ、はぁ……すまん、悪かった」 「うあー、しんどい! どうしてあの年であんな元気なの!?」 「ノリノリだから……じゃないでしょうか……?」 「キングさんの大の日本好きが、 ああいう意味だったとは……」 「な、ななみさん! ちゃんとサー・アルフレッド・キングって 呼ばないと怒られます……!」 「呼ぶだけで疲れるー。 もっと簡単に、和風おやじとか、 ヒゲモンスターとか……」 「ご本人の前で言えたら尊敬します」 「うーーーー! でも、サー・アルフレッド・ キングじゃ長いし……サー・アルフレッド、 アルフレッ……と……」 「レッドキング!!!」 「え!?」 「なんですかそのぴったりなお名前は!」 「なら明日からそう呼んでみるか」 「……………………」 「や、やめとく……」 「(こくこくこく)……!!」 「ただいまぁ……」 「ふえー、もうだめー」 「……まったく、 だらしないわね、あの程度でーー……」 「す、すぐに朝食を用意しますね……」 「ならばわたしたちは片付けを……」 「あれ、サンタ先生たち帰っちまったのか」 「あうー! 散らかしたまんまでどこ行ったラブ夫ー!」 「みんな満身創痍だな。 とりあえずここはやっとくよ」 「とーまくんは元気ですね?」 「そりゃあ、鍛えてるんでな」 などと見栄を張ってみたが、こいつは久々に筋肉痛を味わうことになりそうだ。 「今日分かったこと! とにかく!! この支部のロードスターは容赦がないっ!」 「……(こくこく)」 「それだけに、これからのスケジュールも きっちり今日のうちに決めておいたほうが いいと思うの!」 「さんせいですっ!」「……賛成!」 「あ……で、でも……」 「でも?」 「あ、い、いえ……その……」 「ピンク頭は、ロードスターの指示があるまで 待ったほうがいいと思うの!?」 「そ、そういうわけじゃなくてですね……」 「じゃあなにー!?」 「えっと……先にごはん食べません?」 「だめー!! 食べたら眠くなる!!」 「それはりりかちゃんだけではー!?」 「てなわけで、あらためまして サンタさん1日のスケジュールー♪」 「まず起床は6時♪」 「だけど呼び出しがあった日は 恐怖のスパルタ修行タイム!」 「そのあとは、朝食の時間となります」 「それで……もぐもぐ、 いいんじゃないでふか? もぐもぐ……」 「なにくってんだー!!!」「ぐああっ!?」 「だって冷めちゃいますー!!」 「そうそう、せっかくだ。 残りの決め事は食べながら話すことにしようや」 正直なところ、朝からの激しい鍛錬で胃袋が悲鳴を上げていた。 おまけにさっきから食卓では硯特製ブレックファストが食欲をそそる匂いを振りまいている。 ななみを叱っていたりりかにしても、やはり食欲には打ち勝てなかったらしく、そそくさとフォークを手に取った。 「それではさっそくいただきまーす!!」 「サンタががっつかないの! ていうか、いきなりメインから食べる!? 普通はサラダじゃない?」 そう言いながら、りりかはテーブル中央の大皿に盛られたサラダに、オニオンドレッシングをたっぷりとかける。 「あぁぁ……!」 「え? どしたの?」 「りりかちゃん、 ドレッシング3種類ありました!」 「おまけに全部手作りのようだ」 「サラダは……取り分けてから……」 「わぁぁ、ごめんすずりん!」 朝食の作法が違うのにそれぞれ苦戦しながらも空腹の俺たちは、パンとチキンソテーのがっつりめな朝食にそろって舌鼓を打つ。 「ああ……こいつはいい。 柊ノ木さんの飯は美味いな」 「ほんと……鶏肉さんジューシーですー@」 「朝の修行がとてもハードでしたから、 力が付きそうなメニューに変えてみたんです」 「(もぐもぐ)……やるわね、すずりん」 「新鮮な地鶏ですので、 きっと栄養も満点じゃないかと……」 「やっぱり人材は適材適所が一番ね。 そういうわけで、すずりんにツリーハウスの 専属シェフになってもらたい人ー!」 「はいはいはいー!」 「が、がんばりますっ」 そんなこんなで、食事をしながらもりりかは次々に仕事の割り当てを決めていき、硯はノートにそれを書きとめていく。 でもって、ななみはというと……。 「んーっっ、胸肉なのにこの肉汁……! 火の通し方は完璧です」 硯の料理をかみしめているか。ま、これはこれでいいんだろう。 「定休日は経営が軌道に乗ってきたら考える。 それまでは基本的に年中無休ね」 「お客さんは毎日ウェルカムですね」 「お客さんが来なかったら、毎日休みだけどね」 「あうう……が、がんばります!」 「お店の仕事も、 今のうちに担当を決めたほうが良いでしょうか?」 「んー、そうね。 小さいお店だから手の空いた人が なんでもやることになるとは思うけど」 「ふっふっふ……店員さんならお任せあれ!」 「全員店員だし」 「そうではなくて、レジとか接客とかですね」 「フロアスタッフのこと? だったらあたしがNY流の クールな接客術をたっぷりと……」 「わたしも屋久島のおみやげ屋さん直伝の ほのぼの接客術をたっぷりと……」 「だめ! お店のイメージがばらける!」 「ですけど、お店はほのぼので……!」 「そこにギャップがあるから、 サプライズ効果がでてくるんじゃない」 「ですけどですけど!」 「あ、あの……」 「硯ちゃんはどっち派ですか!?」「すずりんはどっち派!?」 「あっ、いえ……、 私はできれば裏の仕事にしていただけたらと。 接客とか少し苦手で……」 「そうなの!?」 「確かに硯ちゃんの在庫管理は完璧でした!」 「適材適所か……俺もどっちかって言うと 裏方のほうがありがたいな」 「力仕事はとーまくんがいれば安心ですね!」 「それで2:2か……悪くないかも」 「は、はい」 ──かくして20分後。 「ごちそうさま!」 「食べたー、決まったー、めでたしめでたし!」 「お口に合いましたか?」 「すっごく美味しかったです」 「んー、さすがすずりん……99点♪」 「減点の1はなんですか?」 「たいしたことじゃないけど パンが6枚切りだったから」 「す、すみません」 「な、なるほど! やっぱりパンは4枚切りでないと」 「8枚でしょ!?」 「8枚ってサンドイッチ専用じゃないですかっ」 「いつ誰が決めたのよ!」 「トーストといったら4枚ですよー! 一口『がぶーっ』てするだけで『食ぁぁべたぁ』 って実感が湧いてくるじゃないですか」 「太る!!」 「ひ、ひどいーー!! とーまくんはどう思いますか!?」 「もちろんトーストは サクッと8枚切りよね、国産!」 「もちろん食えればどっちでもいい」 「そこをあえて言うならば!?」 「言うならば!!!」 「あえて言うなら米食党」 「うぎぎ……すずりんはどーなの? 今日の6枚以外で選ぶとしたら!」 「え、え!?」 「硯ちゃんは4枚です!」 「なんで分かるのよ!! 8枚は耳が邪魔になんないし!」 「むしろ4枚で耳をご賞味いただきたい!」 「わ、私はその……あの……」 「8は横にしたら無限大!」 「4は千に似ています!」 「あ、あの、論点が……」 「うぬぬぬぬ……!!!!」 「間をとって6枚!」 「もが!?」 最後1切れのパンをななみの口に放り込み俺は席を立った。 「ちょっとー、まだ決着ついてない!」 「そうです、せめてどっち派かだけでも!」 「どっちだっていいさ。 それよりも、美味いもんをプンスカ食うのは もったいないぜ、サンタさん」 自分の食器をシンクに戻して、洗面所で手を洗う。 どうやら重要な話題はあらかた話し終えたようなので、先に地下に潜らせてもらうことにした。 今の俺には、パンの厚みよりもカペラのご機嫌の方がよっぽど重大な関心事だ。 「うー……不完全燃焼! 結局なんの話だったっけ?」 「99点です」 「食後のカモミールティーをどうぞ。 とてもリラックスできますよ」 「わぁ、いい香りー♪」 「ほんと! ナイスすずりん。 プラス1点して、100点満点!」 「ありがとうございます」 「でも、こうなるとケーキがほしいですねー」 「まだ食べる!?」 「紅茶とお菓子は同期の桜って言いますし」 「お菓子と脂肪は竹馬の友って言うかもね」 「うー、なんてロマンのない!!」 「空いてるお皿、片付けてしまいますね」 「あ、ちょ、ちょっと待ってください」 「はい?」 「やっぱり、こういう当番は 公平にやらないとダメです」 「……?」 「だから、硯ちゃんはお料理当番なので、 後片付けはわたしたちの当番ということで」 「(むむ……一理ある!)」 「そんな。 大丈夫ですよ、休んでいてください」 「でもチームですから!」 「(むむむ……ここでチームをアピール!?  まさかこの子もリーダーの座を!?)」 「そういうわけで、役割分担を……」「……するなら皿洗いと後片付けね!!」 「!?」 「そーゆーわけで、 あたしがテーブルを拭くから、 ななみんは皿洗いするよーに!」 「なんでもう決まっちゃうんですか!?」 「〈嫌〉《や》なの?」 「嫌じゃないですけど強引です!」 「むむむむむ……!!」「ぬぬぬぬぬ……!!」 「ここはやっぱりジャンケンで!」 「ラッキーは三度続かないわ!」 「望むところです! じゃーんけん……」 「ぽいっ!!」 「なぁぁあああぁぁぁぁーーーーーーー!!!!?」 「…………」 「はぁぁ……私本当にやっていけるのかしら。 お料理くらいしかできることないのに……」 「…………」 「……あっ! お皿は洗いカゴの中でいいって、 りりかさんに伝えないと……!」 「あの、りりかさん……」 「むーーーぎぎぎぎぎ!!!」 「きゃああああ!?」 「水がかかりました!!」 「だからなによ!! こっちは冷たいんだから!」 「お皿洗いはそういうものです!」 「い、いったい何が!?」 「布巾はしっかり絞れって言ってるの!」 「あとで乾拭きするからいいんです!! りりかちゃんこそ、水出しっぱなしで お皿洗うのは無駄づかいです!!」 「泡のついた手で蛇口ひねるのが嫌なの!!」 「あとで流せばいいじゃないですかー!!」 「そ、そんなことで……!?」 「そんなこと!?」 「す、すみません……(しくしく)」 「スプラッシュカノン!!」 「つめた!! い、いまお水飛ばしましたね!」 「ぐーぜんぐーぜん! 手についたしずくを払っただけだし」 「ワザ名ついてたじゃないですか! ていっ、アクアバレット!!!」 「や、やったな!!」 「手首の運動です!」 「あーあ、 あたしも手が凝ってきちゃったかもー?」 「だ、だめですよ、二人ともっ。 止めてくださ――」 「ていていていていていていていていっっ!!!」 「きゃああああああああーーー!!!」 「できたーー!!!」 「なによ!?」「なんですか!?」 「できたんだよ、修理が完了したんだ!」 「いいか、見てろよ……!」 「ん、どうした? 来いよカペラ……!」 「いらいらいらいらいらいらいらいらいら」 「りりかちゃん、集中できません」 「なっ!?」 「……あれ?」 「動きません……か?」 「なぜだ……また駄目だ! ハーモナイザーの調整も完璧だったのに」 「むーむむむむむ!!!!」 「な、なんだどうした!?」 「べーつにっ!!」 「…………はぁぁ」 「……??」 な、何があったんだ?わずか2、30分でサンタさんたちは見違えるほど不機嫌だ。 と、そこへ……。 「ごめんくださーーい!」 「やあ、どーもおひさしぶり」 慌ててカペラを格納庫に戻して駆けつけると、そこにいたのはペンキ屋さんだった。 「ペンキ屋さんー! どうなさったんですか?」 「頼まれていた看板ができたので、 届けに来たんですよ」 「そりゃずいぶんと早いですね」 「そりゃあもう、超特急で仕上げたからね! 超特急といえばTGVだけど、574.8km/hって記録、 あれは少々特殊な例と言えるだろうね、つまり――」 「大丈夫です、知ってます!!」 「なになに、何の話?」 「お嬢さん、知らなかったのなら丁度いい」 「……え!?」 「いいかい、TGVと言えばフランス。 フランスと言えばブルートレインだ!! 国内では我らが『あさかぜ』がその先駆けだね!」 「我ら? フランス? ブルートレイン?」 「──その蒼き車体は天駆ける竜の如く!!」 「いいかい、我らが『あさかぜ』はかつて 東京〜博多間を運行していた戦後初の(略)」 「…………なにこれ?」 「…………なんなのでしょう?」 「ううっ……ためになりますっっ!」 「なんでもらい泣きしてんの??」 「いやあ、今日は初めての方もいたので、 つい間口の広い話題を選んでしまいました。 もしご希望とあれば、さらなるレールの向こうへ」 「おおっ!? なんだろう!? クラクションの音が聞こえるぞ!! 誰かが呼んでるみたいだ、おーい、おおーい!」 「ああ、僕を呼んでるのかな。 じゃあここからは超特急で、平成20年に 廃止となった寝台急行『銀河』について……」 「い、行こっ! 今すぐ行こっ!! おーーい、おおーーい!!」 異世界から生還した俺たちが〈樅〉《もみ》の森を抜けると、狭い田舎道にペンキ屋さんの軽トラックが停めてあった。 その横にサングラスをかけたラフないでたちの男の人が立っている。 「よお、こんちはー」 「はじめましてー、ええと……?」 「ああ、紹介しておかないとね。 彼はなんとあの有名な……!」 「ジョーさんだ、よろしくなお嬢ちゃん」 「そう、ジョーさんには ときどき仕事を手伝ってもらっているんだ」 「(……有名人?)」 「(なんでしょうか?)」 俺たちの疑問はさておき、ジョーさんと呼ばれた人はトラックの荷台に積んであった布に巻かれた看板らしき板を下ろしてきた。 「こいつが呼び込み看板だ、 けっこういい出来だぜ?」 だいたい1メートルちょい、俺の腰よりやや高いくらいの折り畳み看板。これは森の入り口に置く呼び込み用だ。 明るい木目の板に、思いっきり目立つ赤と緑のクリスマスカラーで店の名前が書いてある。 『木のおもちゃ・きのした玩具店』『この先、森の中50メートル⇒』その下に営業時間と電話番号と……。 「わぁぁー、可愛い看板ですねー!(でもなんで、電車の絵が描いてあるんだろう)」 「ま、悪くないわね。(あの電車はなに??)」 「おもちゃ屋さんらしくなってきましたね。(電車……)」 「ここらに置いとけば目立つだろ?」 「うんうん、僕の最高傑作がまた増えたよ! この電車はくま電の初期型で、」 「こっちが店の看板の初期型だ」 おお、ジョーさん、ペンキ屋さんの扱いに手馴れている! 今度はトラックの荷台から呼び込み看板の10倍ちかくある巨大な板が下ろされてきた。 「でか……!?」 「こいつが一人じゃ運べなくてね」 「よし、みんなで運ぼう」 「わぁぁ!」 「こうやって看板がつくと それっぽくなるもんね」 「素敵ですね。 デザインはななみさんが?」 「ううん、ペンキ屋さんにお任せでした」 「それじゃ、僕たちはこれで。 本業の塗装工事もできますから、 いつでもご用命を」 「ありがとうございまーす!」 「そーゆーわけで、 看板も無事に出来たところで、 サンタさん1日のスケジュールっ!!」 「朝食の後は、いよいよお店のお仕事ですっ! わーわー、どんどんぱふぱふ♪ わくわくタイムの始まりですよー♪」 「昼食までが午前の部ですね」 「で、なんでピンクが仕切ってんの!」 「開店祝いの景気づけですってば。 きのした玩具店グランドオープンですよ♪」 「うー、まだその名前に慣れない……」 「よーし、いよいよグランドオープンだ! みんな気合入れて行こう!」 「おーー!!!」 いいタイミングで看板もやってきたところで、記念すべき開店初日だ。 さすがに開店前から外に大行列なんてことはないけれど、サンタさんたちの士気も上々、あとはお客さんが来るのを待つだけなのだが……。 「んしょ……とっ……おおっ……できました」 「なになに?」 「なんとびっくり、東京タワーです♪」 「へえ、積み木で作った割にはタワーに見えなくも ……って、おもちゃで遊ぶなーー!」 「わぁぁ、崩れる! きゃー!!」 「仕事中に商品で遊ぶなんて言語道断!」 「ちがいます、ディスプレイ用の積み木で お店の飾りつけの研究をですね……」 「なるほど、それだったら……。 ねーねー、ちょっと貸して」 「よいしょ、ん、しょ……っと、ふっふっふ!」 「これはなんですか?」 「クレイジーなクライマーもびっくりな、 エンパイアステートビル! てっぺんにゴリラの人形を添えてと……」 「じゃーん、完成! 東京タワーより高いー!」 「むむむ……この勝負には負けられません! 次は新東京タワーです!!」 「だったらこっちはドルアーガの……」 「ぬぬぬぬ……!!!!」 「えーと……なにをしていらっしゃる?」 「あ、とーまくん! 暇だったら手伝ってくださいー」 「そこの国産! 積み木集めてきて、とにかく大きいやつ!」 「仕事中俺店長!!」 「六文字熟語!?」 「違う!! 二人とも少しは柊ノ木さんを見習ってくれ。 ほら、黙々と自分の仕事に……」 「……はぁぁ、なんて精巧な造形でしょう」 「うっすら木目の透けたベースに、 起毛したパウダーを絶妙に散らすことで このリアルな……」 「……柊ノ木さん?」 「はっ!? すすす、すいませんっっ」 「あたしたちもジオラマを凝視すればいいわけね?」 「むむ、それはそれで奥の深い仕事に……」 「悪かった、客が来るまでは好きにしてくれ」 「……(赤面)」 まあ、この程度はご愛嬌。古今東西、老若男女問わず、サンタクロースって人種は例外なくおもちゃ好きだ。 スロバキアの師匠も、配るのとは別に部屋いっぱいのブリキ人形をコレクションして、うきうきした顔でおもちゃ部屋にこもっていたし、 うちのロードスターの執務室に溢れていた和風(?)装飾品もきっと同じ類のものなんだろう。 俺たちトナカイが酒をこよなく愛するように、おもちゃ好きはサンタの素質に関係しているのだろうけれど……。 「ま、お客さんがきたら まじめにやってくれるだろうさ」 「……ふわぁぁ」 「………………こない」 「……ふわ……ほんとに、お客さん来ませんね」 「グランドオープンセール絶賛開催中なのに!」 開店時間から1時間が経過したが、待てど暮らせどお客さんはやってこない。 在庫管理担当の俺と硯にしたところで、商品が動かないことには仕事も何もあったもんじゃない。 退屈な時間は不安と焦りを呼び込み、店内に重く横たわる静寂が、じりじりとした危機感へと変わっていく。 「なにかあったんでしょうか……」 「実は人類がもう死滅していたとか!」 「ええーーーっっ!?」 「テレビやってるぞ」 「よかった……放送局は生きてる」 「も、もしかすると…… この場所にお店がオープンしたことが ちゃんと伝わってないんじゃないでしょうか?」 「それだ! 広報部長ーーーー!!!!」 「そそそんなこと言われましてもーー!」 「責任問題!! 引責辞任!! 解散総選挙!!」 「落ち着け。たった1日の宣伝なんだから、 そうそうお客さんも集まらないって」 「私もそう思います」 「むー! それはそうだけど 初日から経営難ってどういうこと!?」 「い、今からでも、 宣伝に行ってきましょうか?」 「──ッ!!?」 「いらっしゃいませー☆」 「あ、どうも……お邪魔します」 「──ずーん」 「な、なんですか開店早々不景気顔で!?」 「不景気なんです……」 「……ふむふむなるほど、 こういう分担になりましたか」 朝食のときに硯がノートを取った、店の仕事分担と1日のスケジュールに目を通した七瀬が、大きく頷いた。 「まだスケジュールはできていないと 思ってましたが、さすがですね」 「ふふん、仕事が速いのがNY流よ」 「訓練は先生とジェラルドさんも一緒ですね。 このスケジュールは、 僕からお二人に伝えておきます」 「お手数をおかけしますー!」 「いえ、それが仕事ですから。 それでですね……」 「今日の本題はこちらですっ!」 「……わぁぁ!!」 手提げカバンの中から七瀬が取り出したのは、3着のエプロン風の……。 「こ、こ、これはもしかして!?」 「はい、きのした玩具店の制服です」 「おおーーっっ!!」 「やった、手際いいじゃん!」 「どんな制服なんでしょうか?」 現金なもので、さっきまで意気消沈していたサンタさんたちも、その言葉で一瞬にしてテンションアップ。 「さっそく変身ですね!」 「もっちろん!!」 「わ、私も……」 「じゃーん!! どうですかー、とーまくん!」 「ラブリープリンセス華麗に見参ー@」 「(……かわいい)」 「制服ってエプロンだったんですね」 「着替えやすくていいかもね。 これでちょっとはお店らしくなってきたかな?」 「あの……このロゴのところなのですが」 「きのしたガング……」 「最後にてんが付いてます」 「おおっ!? きのしたガング〈.〉《てん》、すごい! 斬新!」 「…………むー」 「り……りりかさん、どうしました?」 「やっぱこの名前センス0点ーー!!」 「ええー!? 木のおもちゃ屋さんですよ! ぴったりじゃないですかー!!」 「ハイパーがあったらもっといいのに! こんな名前じゃお客さんもこないし NYに支店を出すなんて夢のまた夢!!」 「むー!! だったらりりかちゃんのエプロンだけ、 このマーカーで上から……」 「ぎゃーー!! するなっっ!!」 「そ、そ、それよりも!! 昨日の今日で、もうエプロンが できてくるなんて思いませんでしたっっ」 「サー・アルフレッド・キングが、 夜なべをして縫ってくれたんです」 「ロードスター自ら!?」 「ううぅぅ……わたしたちのために、 目ヤニこすって夜なべしてくれたんですね。 わ、わたし、がんばりますっっ!!」 「失敬な! ロードスターは目ヤニなんて出しません!」 ……出すだろう。 「どうぞ、これは中井さんの分です」 「俺もか!?」 「とーぜん、店長なんだし!」 「ええと、店長代理……」 「もう店長でいいから」 しかしこのエプロンのデザイン、女子には似合いそうだが、男には……。 「いや、ええとだな、ほら、 店長が同じ格好してたんじゃ、他の店員と 見分けがつきにくいという可能性について……」 「じぃぃーー……」 「…………了解」 クールでダンディ、そしてハードボイルドなトナカイのイメージとは程遠い気がするのだが、ええい……これも仕事!!! 「へー、似合う似合う」 「……似合うのか(しょぼん)」 うむむ、現場復帰を喜んだのもつかの間。なんだか、日に日にトナカイらしくなくなってきている気がする。 「あ、あの……っ、 男性のエプロン姿というのもいいと思いますよっ」 「やっぱりとーまくんには 店長さんが似合っています」 「トナカイってのはなぁ! もっとフリーダムでワイルドで」 「プリティでキュートでラブリーで!」 「……おーい、どこ行く国産?」 「独りになりたいんだ……」 「しろくま町サンタチームの活動報告──」 「初日午前中は客足ゼロ。 一堂やる気が空回り気味で前途多難……と」 「…………はぁ」 「本当に大丈夫かな?」 「…………」 「…………」 「…………」 エプロン制服でテンションうなぎ登り!!……だったはずのサンタさんたちは、ものの1時間ほどで元の状態に戻ってしまった。 いくら制服がピッカピカだろうと、お客さんがこなければ仕事にならない。 午前11時になったところで、硯が申し訳なさそうにリビングに引っ込んでお昼ごはんの用意を始めた。 もともとフロアスタッフじゃないのだから気にすることはなにもないのだが、確かに…… 「…………」 がらんとした店内がこの空気じゃ、席を外すのも気が引けるというものだ。 「店長〜、ひーまーでーすぅぅ〜〜……」 「まったくだ。 よし、俺はカペラの調子を……」 「て〜〜んちょぉぉ〜〜!!」 「わかった、もう少しいるから!」 俺はほとんど真っ白の台帳と、在庫チェックのリストを手に、カウンターの中にこもることにした。 店内の掃除や整頓をしておこうにも硯が全部きっちり整えてくれたので手を出すことがなにもない。 そして店内をふらふらしているのは、この2人──。 なんだか知らないが、ななみとりりかは朝から些細なことでぶつかってばっかりだ。 ──無言。 ──静寂。 ──退屈。 硯と俺が抜けて緩衝材を失った売り場では、沈滞した空気が次第に淀みを帯びてくる。 ねっとりと濁った、それでいてちくちくと刺すような、ザ・〈剣呑〉《けんのん》空間。 「………………」 「………………」 「………………」 「星名ななみ……」 「……なんですか?」 「……変な名前」 「なにがですかっ!?」 「ほし・なななみ……なが3つ。なななー!」 「り、りりかちゃんだって、 りが3つじゃないですか! つきもりりりー! りーりーりーー!」 「あー人の名前で遊ぶなっ!」 「どっちがですか!!」 「そっち!」 「そっち!」 「そっちそっちそっちー!!」 「そっちそっちそっちそっちーー!!」 「そっちそっちそっちそっちそっちそっち そっちそっちそっちそっちそっちそっち そっちそっちそっちそっち…………そっち!」 「むぎぎぎぎぎぎぎ……!!!!」 「はははは、落ち着けサンタさん。 君ら似たもの同士じゃないか!」 「どこがですかっ!!」「どこがよっ!!」 うーむ……途方にくれる。この2人の間に割って入るのも店長(代理)の仕事なのだろうか? 昨夜は友情が芽生えたっぽい空気だったのに、生活が始まってみればこんなものか。 オープンから半日でこの体たらく。なにとぞ俺たちが1日で廃業しないよう遠い空の下で祈っててください──師匠。 「はぁぁ……いい天気だ!」 なんとか二人をなだめて外の空気を吸いに出ると、暖かい木漏れ日が頭上から降り注いできた。 いい天気だぜ。これで〈油〉《オイル》の匂いを嗅げりゃ言うことなしだ。どれ、こっそりカペラの様子を見てくるか……。 「……ん?」 「こんにちは」 「ああ、どうもこんにちは」 そこにいたのは小さな女の子だ。会釈して気づいたのだが……あれ?……今は平日の午前中だが。 「何かうちに御用かい?」 「ここ、おもちゃ屋さんなんですよね……?」 「ああ、そうだよ。今日からオープンなんだ。 でも君、小学校はまだ授業中じゃ……」 「小学校!!?」 「失礼千万です! 私のどこが小学生に見えるってゆーんですかっ!」 「え、違った!?」 「背がちっちゃいからですか! 顔が子供っぽいからですか! 色気より食い気だからですか!」 「返答しだいでは、私にだって覚悟がありますよ!」 「も、申し訳ない! そいつはこっちの早合点でした!」 「……わかっていただけたなら、 それでいいんです」 「私、さつきっていいます。 小さいのにしっかりしてるねー、 ってよく言われるんですよ!」 その小さいは、身長あるいは体格を指してるんだろうか……?いや、考えるまい。 「どうも、中井冬馬です。 この店の店長……代理をやってるんだ」 「代理?」 「複雑な大人の事情がありまして」 「もしかして、いま子供扱いしました?」 「そ、そんなつもりは全く! むしろアダルトな世界にウェルカムというか!」 「ふふ、冗談ですよ♪ お店……もう開いてますか?」 「おーい、お客さんだぞー」 「こんにちはー」 「いらっしゃいませーーー☆」 「よーこそ、 愛と平和のきのした玩具店へっっ!!」 「ただいま、史上最大のビッグチャンス! グランドオープンセール開催中でーす♪」 「ど、どーも……」 「さぁさぁ、ずずずぃーーっと奥へ!」 「BGMスタートっ!!」 「おきゃくさま、本日はお日柄もよく、 どのようなおもちゃをお探しですかー?」 「店内全て、天然素材100%になっております」 「い、いえ、そんなおかまいなく……」 「そうおっしゃらずに おかまいさせてくださいー」 「お茶がまだでしたね。 あと椅子もお持ちします。国産ー!」 「あ、あ、いいです! え、えーと……お客さんじゃなくて、」 「まいど! しろくま日報でーす!」 「にっぽー?」 「新聞!? いらない!!」 「ひゃーーーああああ!!」 「塩っっ!」 「はいっ!!」 「ぶえーっしょ!! これコショウ!!」 「ごめんなさいー!!」 「お客さんだと思って 下手に出てれば、新聞勧誘じゃない!! だまされたぁぁぁーーーっくしょん!!」 「国産!!! なんで拡張員なんか連れ込んでんの!!」 「すまん、女の子だったし、 まさかそんなこととは……」 「うう……この客足では 新聞とってる余裕なんてないですよね?」 「サンタさん1日のスケジュール。 続いて、お昼になったら……お昼ご飯です。 ほんとは交代で……」 「店番と食事と、 ちゃんと順番決めてやろーねって 話したのよね……予定では」 「お客さんが来てくれていれば……」 「けど、美味そうなパスタじゃないか!! なあ、ほら!!」 「ほんとだー!!」 「こ、この匂い……おなかへったー」 「駅前のデパートに 美味しそうなウニが出ていたので、 ソースにどうかと思いまして……」 「……ウニ?」 「(道理で美味そうな匂いだが)」 「(ウニって高いわよね?)」 「でも美味しいですよー!」 「ほんとだ!」 ななみの言うとおり、こいつは舌がとろけるほど美味い! 店のストレスが空腹をもたらしたのか、みんなあっという間に皿を平らげて、硯のいれてくれたお茶に手を伸ばそうとしたとき。 「よう、お邪魔するよ」 「ジェラルドさん!?」「ラブ夫!?」 「お姫様、おつとめの方はどうだい?」 「大繁盛で大忙しよ! あんたも油売ってないでちょっとは手伝って」 「あいにくこちらも大忙しさ。 旅行者の多い町ってのは……」 「出会いも多いと?」 「あー、コホン! それより、散歩でもどうかと思ったんだが、 忙しいなら仕方がないな」 「暇! すっごーーーーーく暇!!」 「オープン早々暇はまずいだろ」 「まずいから対策考えてるとこなの! ね、店長、ちょっと出てきていいでしょ?」 「え? ん……そうだな今日のところは」 「とーまくん?」 「夕飯までには戻ってきてくれよ」 「そんなー! いいんですか!?」 「遊兵を作るべからずよ、ななみん♪」 「サンタさん1日のスケジュール! お昼が終わったら、お店の仕事・午後の部です」 「こんどこそ、 お客さんがわんさかやってきて、 大賑わいのフィーバータイムですよー♪」 「だといいんですけれど……」 「うーーーーーーーーたいくつー、 やっぱり宣伝が足りなかったのでしょうか」 「屋久島の時と違って、販売戦略を根本的に 立て直す必要があるかもしれないな」 「チラシを配ったり、広告を出したり、 あとはCMを流したり、 広告塔を立てたり……ですね」 「ああ、そのうちどこまで実現できるものか、 そのあたりも夜のミーティングで相談だな」 「相談といえば、 りりかちゃん、どこ行ったんでしょう?」 「ジェラルドさんは 散歩だと言ってましたけど……」 「サンタのお散歩なんじゃないか?」 「??」 「あ! ひょっとしてルミナの観測を……?」 「おそらくな。 昨日も俺を引っ張って空に出てたし、 今晩から訓練も始まるだろう?」 「そっか……りりかちゃん」 「NY帰りは伊達じゃないってことさ。 カルシウム不足は珠にキズだけどな」 「なにかいいメニューがないか考えてみます」 「ひとりで修理するなんて無茶ですよ。 普通キャロルに預けちゃいますよ」 「まあそうなんだが、色々事情があってさ」 昼食後、店の様子を見に来た七瀬を捕まえて、地下格納庫に降りてきた。 〈機体〉《セルヴィ》の整備に関しては、トナカイよりもメカニック担当のキャロルが専門家だ。 あいにくメカニック専門ではないようだが、俺が気づかなかったカペラの不調原因も七瀬の目なら分かるかもしれない。 「凄い……あらためて見ると、 ガチガチにチューンしてありますね」 「最新型のリフレクターを 可動式の単発ノズルにつなぐなんて……」 「いいだろ、俺のカペラ」 「はい、これは渋いです! なのに……駆動しないんですか?」 格納庫の工具を手に、七瀬がハーモナイザーとリフレクターのチェックを始める。 「同調率も反射率も、地上なら問題ないんだ」 「ツリーのコースに乗ると乱れるんですか。 おかしいですね……」 「ところで、その手に持っているのは?」 「ああ、こいつは店の在庫リストさ。 まだジャンル別の整理ができていないんでな」 「それも後でやっておきます。 そこに置いといてください」 「本当か? 助かるよ、 メーターの数字を読むのは得意なんだが、 この手の計算はチンプンカンプンでな……」 「中井さん、お給料の管理とか、 ちゃんとできているんですか?」 「おう、そこは大丈夫だ。 今月はまだ5000円残してる」 「5000!?」 「高校生のお小遣いじゃないですか……」 「そう言うな。 酒は買い込んでるから大丈夫だ」 「それは大丈夫じゃないです!」 具体的な数字は野暮だから伏せるが、安月給とはいえトナカイも給料をいただいている。残金が少ないのはそいつを飲んじまったからだ。 せめてサンタさんくらいの収入があれば、なんて思ってもみるが、おそらくは増額分の酒量が増すだけだろう。 ずっと年下のななみのほうが高給取りっていうのもなんだか妙な気分だが、サンタはイブの主役なんだから、これは当然のこと。 ロードスター以外は緩やかなものだが、ノエルの役職にも順位はあって、サンタのほうがトナカイよりも上位ってことになっている。 イブの花形はサンタであり、俺たちトナカイはあくまでもサンタを支えるサポート役って寸法だ。 「おかしいな……」 「分かるか?」 「…………直ってますね」 「だよなぁ」 「うーん、これで飛べないこと ないはずなんですけど……」 「キャロルの目から見ても異常なしか……」 「支部に持ち帰って分解検査してみましょうか?」 「それだとずいぶんかかるだろう? 店が終わってからもう少し格闘してみるよ」 「はい、僕もカペラのデータを調べてみます」 「ああ、頼むよ」 少し心配性で口やかましい奴だが、うちのキャロルさんは頭が下がるほど勤勉だ。 手にしたファイルに熱心にメモを走らせる七瀬の姿が年齢に見合わず頼もしく感じられた──。 「それじゃ、夜また来ますので」 「夜?」 「ツリーの観測も必要ですから。 サンタさんが住んでからは 安定しているみたいですけど」 「ああ、そいつはいいニュースだな」 カペラの不調原因はまだ分からないが、店長の仕事をいつまでも放り出しているわけにはいかない。 帳簿整理の救世主・七瀬透を見送りがてら店のほうに戻ってみると……。 「こんにちはー、店長さん」 「わわわワニグチさんっっ!?」 「きららです」 「す、すみませんでしたっ!」 「じゃじゃっじゃじゃじゃじゃあ僕はこれで! さようならぁぁーーー!」 「……とーるくん、どうしたんでしょうか?」 「禁忌に触れたんだ」 「えっと、いまの子って契約のときに来たけど」 「うちのマネージャーみたいなもんです。 で、今日はどうなさったんで?」 「ううん、別に用があるわけじゃないんです。 うちで管理する物件は全て見て回るのが、 私の日課みたいなもので」 「といっても、毎日中に上がりこむ わけじゃないけどね。いつもは外から 建物の具合をちょっと見るくらい」 「でも、ついでにおもちゃ屋さんも のぞいちゃおうかなーって! あはは!」 「はいこれ差し入れ。 しろくまんじゅう♪」 「おおぉぉーー!!! 伝説のしろくまスィーツじゃないですか!!」 「これですね、駅の売店のお土産コーナーで お見かけして、いつか食してみたいと 目をつけてたんですよー!」 「一応、しろくま町の名物よ」 「──しろくまんじゅうは、しろくまの顔の形をした おまんじゅうに、地元産の白いんげん豆を原材料に した白あんがたっぷり入った極上の逸品である」 「へえ、よく知ってるね」 「ガイドブックで見たんです。 でも本当においしそう」 「なにやら神々しさすら感じてしまいまじゅる」 「ええと、わかってると思うが……」 「あ、あとでみんなでいただきましょうー!! たのしみたのしみ」 「みなさん、 この町の住み心地はどうですか?」 「のんびりしてて最高ですー。 田舎の町なのに異国情緒もふんだんにあって」 「ああ、ここは外国の人が作った町だから」 「外人さんが?」 「あ……んーと、正確に言うと、ご先祖様と 外国の人が力を合わせて作った町かな?」 「ここが昔、 小さな漁村だったって話はしたよね?」 「はい。明治時代に入ってから、 そこへ外国の方たちが移り住んできたと」 「そ、山と海に挟まれた小さな村が それから町になってったの」 「だから、今でも山の手のほうには、 外国人居住地の名残が色濃く残ってるのよ」 「山の手地区のことですね」 ロードスターの住むブラウン邸のあるエリアだ。確かに、あのあたりは閑静で上品な住宅街だった。 「ま、観光するには楽しめる町だよ。 町の中心部なんかヨーロッパだしね。 そだ、近々案内させてよ」 「いいんですか? わぁぁ、ガイドさんつきとは贅沢ですっ」 確かに、サンタとして活動するにも、店の宣伝するにしても、また生活をするにしても町の全容をもっと深く知ることが大切だ。 トナカイなら気ままに飛んでりゃ済む話なんだが、ここはサンタさん目線で大家さんのご厚意に甘えさせてもらおうか。 「助かります。 店が休みの日にぜひ!」 「お店のほうはどうですか? 順調?」 「あ……まあ、いまのところはぼちぼちで、 3人くらい……」 「3人!?」 「新聞屋さんととーるくんときららさんですよね?」 「それって……」 「…………」 「えーーーー!?!?」 「でっ、でもご案じめさるな!! これしきの逆境、 すぐに跳ね返してみせますっっ!!」 「ちょ、ちょっと……店長さん!」 「はい……おわ!?」 「あの、えっと……ううん」 「はい?」 「なんていうか、聞きづらいんだけど……」 「お節介承知で率直におたずねしますが、 今の感じでお店……大丈夫なの?」 「そいつはずいぶん直球ですね」 「では2択。○×で!」 「……×!」 「あー、やっぱり! そうですよね、やっぱりそうなんですね!?」 「オープン初日なのに、 まだ一人もお客さん来てないなんて! どーなってるんですか?」 「ここからですよ。 昨日の今日じゃ宣伝も足りなかったけど、 もっと認知してもらって繁盛させてみせます」 「だったらいいんですけど……」 「あ、でもお家賃のことなら大丈夫!!」 「あ、そういう意味じゃなかったんだけど、 でも……そうですね、確かに家賃のことも」 情けない話だが、家賃はノエルが支払っている。俺たちが稼かなくちゃならんのは、給料だけではまかないきれない毎日の生活費だ。 そもそも、俺たちがこうして店をやる目的は金儲けではなく、サンタがこの町の住人になるためのこと。 そのあたりを説明するわけにはいかないのが辛いところだ。 「ファイト!」 「お、おう」 「負けちゃだめだよ。 これからの営業努力次第でなんとかなるから! 頭と体と精神力で乗り切って!」 「ありがとう、ご心配をおかけします」 素直に頭を下げると、大家さんはニコッと微笑んだ。 会って間もない俺たちをこんなに心配してくれてるんだから、この人もそうとういい人だ。 ──人の運がある。 どこの支部に行っても、その土地の人と会うたびに俺はそう思う。 「そういえば、大家さん学校は?」 「とっくに卒業しました。っていうか、 あの子たちこそ学校に通わなくていいの?」 「ああ、若く見えるけど、 彼女たちも立派に卒業してますから」 ──サンタ学校を。 「そうなんだ…… その割には世間ずれしてなさそうだけど」 ──サンタ学校ですから。 「そこは店長さんが守ってあげてるのか。 でも、女の子ばっかりで大変ですよね」 「ん……まずはチームワークが課題かな」 「チームワーク?」 「商売柄なんでしょうね。 いつまで経っても子供っぽさが抜けなくて、 なかなか手が掛かります」 「ふぅむ。 実生活と商売の経験値が 不足気味ですね……ホント大変だわ」 「まあ、そんなとこです。 特にななみとか、のんびりしてるんで」 「いえ、ななみちゃんだけではなくて、 全員そんな感じ」 「俺も?」 「うん。 ここってチェーン店なんでしょう?」 「そのわりに販売マニュアルもなさそうだし、 売り上げのノルマとか気にしてなさそうだし、 お客さん来ないのにみんなのんびりしてるし」 「おもちゃ屋さんが焦ってたら嫌でしょう? なんてね」 「………………」 「な、なんですか その不安そうなまなざしは」 「……もしお金に困ったら相談してね。 安いお店くらいは教えてあげられるし、 いざとなれば祖母ちゃんのツテで金利の安い――」 「気持ちだけありがたく!」 こりゃまずい、話題を切り替えよう。 「そ、それはそうと……!」 むむむ……!?どっかで聞いたこのフレーズ。 「………………」 「ええと、赤天狗様ってのは……?」 「………………」 「……ん?」 「あ、ごめんなさい。なんですか?」 「たいしたことじゃ、 いま、なにを見てたんですか?」 大家さんはいま、何もない宙の一点をぼーっと見ていた。 釣られて俺もそっちを見てしまったが、特に気になるようなものはない。 「ん、ちょっとキラキラした」 「え?」 「あ、別になんでもないよ?」 そう答えた大家さんの視線が、俺の背後を流れるように追いかける。 キラキラしたもの? 流れ? 町に着いたばかりのななみが、キラキラしていると言っていたのを思い出した。 まさか大家さんの目には……? 「きゃぁぁああああぁぁぁあぁぁーーーーっ!!?」 なんだなんだ!?この声──ななみか!? 「…………静かになった」 「今の声、ななみちゃん?」 「ゴキブリかなんかですよ。 柊ノ木さんがついてるから平気です」 「硯ちゃんか……」 今やおなじみ感すらあるななみのトラブル処理よりも、俺たちにとっては、大家さんの目に見えているものが何かってことのほうが重要だ。 もしもルミナを感じ取ることができているのなら、それは、サンタの素質ということになる。 「キラキラしたのって、この周りの?」 「何のことかな?」 「さっき、キラキラしたって」 「……」 「もしかして…… 店長さんも見えるの?」 「え、いや。いまの話から そういうことかなって思っただけだ」 「なんだぁ見えないのか……。 ときどきね、空気が光って見えるんだけど、 なんでだろう?」 「…………!?」 「あー、私のこと変な目で見てる! ぽろっと言って大失敗だわ。 多分、単なる飛蚊症だし」 「……まだ光ってますか?」 「ん、どっかいっちゃったみたい」 ななみと同じ仕草で、大家さんが宙に向かって目を細めてみせる。 「じゃなくてこんなの飛蚊症。 まったく、目は悪くないのに、 どうして変なもんが見えるんだろう」 「何度も目医者さんに行ったけど、 なんにも悪くないって言われてるんだ。 今度、おっきな町で見て貰おうかな……」 昔から見えてるらしいってことは、何度も見ているってことか。 「きゃああーーーーーあああああ!!!」 「……また!?」 大家さんと一緒に店に戻ると、涙目になったななみが真っ青な顔で取り乱していた。 「とと、とーまくん! でで出ました! お、おばおば……」 「おばけでーすーーーー!!!」 「おばけ!?」 「まさか」 「ところがどっこい、これホント!!」 「外で物音がしたんです。 それで、ななみさんが窓を開けて見てみると」 「茂みの中からですね、怪しく光る目が こっちをじぃぃーっと覗いててですね!!」 「ネコだ」 「ネコさんじゃないです」 「ならトリとか」 「そういえばサンダースは?」 「お店を開く前に、 南の方へ駆けていきましたけど」 「奴め、また縄張りを作る気だな」 「そういう習性がありましたか?」 「あったんだよなぁ」 「ははーん、それでどらぞーとモメてたのか」 「どらぞー?」 「ん、近所のデブネコ。 天狗様は来るかもしれないけど おばけは出ないよ安心して」 「そ、そうなんですか?」 「この100年、 ここで殺人事件が起きた記録なんてないから、 そういう面ではクリーンよ」 「その根拠もどうかと思いますが?」 「で、でもあれはきっと、 しろくま恐怖伝説のひとつ! 腐れ首の落武者に違いありません!!」 「な、なんですかそれは?」 「じ……じつは……」 「時をさかのぼること400年前の戦国時代、 この辺りは、有名な古戦場だったといいます」 「歴史の教科書に名前が出るような大戦ではなく 地元の豪族の小競り合いのなかで、 大勢のお侍さんがお亡くなりになられたと!」 「そ、そういえば、 すぐ北にあるニュータウンの公園って、 熊崎城址公園って言いましたよね?」 「うん。 昔むかしあそこには山城があったのよ」 「きききっとそれです! 本によると、いまだ死んだことに気づかない 落武者の怨霊が夜な夜な町をはいずって!」 「この上なく昼だ」 「でも、森の奥のほうとか暗いですし!」 「で、でも戦国時代の幽霊が 今になって出るなんてこと……」 「それが出るんです! わたしが聞いた話ですと、 ドライブ中のカップルが山の中でなぜか道に迷い、 同じところをぐるぐると1時間も……」 「やがてあたりは暗くなってきて、ふと気づくと、 鬱蒼とした茂みの中に大勢の人が立っていて、 ぼーっと光った目でこっちを見ていたんです」 「なんでこんなところに人がいるんだろう、 嫌だな嫌だなーと思ってよく見ていると、 草むらの中にいた人たち全員が左手を上げて」 「ぴたーーーーっ…………」 「っと、こっちを指差していたんです……」 「……ごくっ」 「なんで指なんか差すんだろう、怖いな怖いなー と思いながら、さらに車を近づけてよく見ると、 なんと! その人たちは顔の腐り落ちた……」 ──バタン!! 「きゃぁぁああああああぁぁぁぁあああぁあぁあああ あぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああ ああああぁぁぁあああああーーーーー!!!!!」 「お待たせしました! そういうときはこの1冊!!」 「きゃぁぁああああぁぁぁーーーーー…………あ?」 「なんだ、さつきちゃんか」 「こんにちは! お話はきっちり聞かせていただきました♪」 「腐れ顔の落武者事件についてもっと詳しく 知りたければ、しろくま町のさらなる発展を 願って刊行された、このムックシリーズ!」 「じゃん!『呪われた町! 恐怖のしろくま巡り』を ぜひご購読あれ!!」 「発展どころか完全なネガキャン本だ。 ……って、君はたしか?」 「新聞屋さんの……?」 「先ほどはどうも!」 「てことは……もしかして、 幽霊の正体見たり枯れ尾花?」 「あ……ああーー!! もしかして・そこの窓から・枯れ尾花!?」 「あ、あはは……すみません。 ちょっと気になっちゃったことがあって、 ついこっそり覗いてました」 「気になったこと?」 「実はさっき、森の入り口で 昔の友達にそっくりな子を見かけて、 ここまで追っかけてきたんですけど」 さつきが『ずびしっ!』と指をさしたのは、ななみと大家さんの陰に隠れるように立っていた、柊ノ木硯だった。 「……!?」 その言葉で二人がまじまじと見つめ合う。 「…………さつき……ちゃんって、 〈八重原〉《やえはら》さつきちゃん!?」 「やっぱり、硯……だよね?」 「…………!!」 「やっぱりだー!! うわー、懐かしいね!!」 「う、うん……ほんと」 「なんと、硯ちゃんのお友達でしたか!?」 「うん、小学校の頃からのね! ホント久しぶり、硯ー。 しばらく見ない間に大きくなっちゃって」 「さつきちゃんも大きく……」 「……なってないけど!」 「えええ!? 今朝のって勧誘じゃなかったんですかー!?」 「ぜんぜんぜんぜん! もう契約は済んでますから、 明日から配達しますとご挨拶に来ただけで」 「そいつはすまなかった! 引っ越したばかりでてっきり……」 「そんな……。 私も誤解させるような挨拶しちゃいましたし。 今はバイトも終わったから、プライベートです」 「新聞配達のバイトをしてるのか、えらいなぁ」 「硯たちと一緒ですよ」 「む……それもそうか」 ここにいるのはサンタさんばかりなので、つい感覚がおかしくなってしまうが、確かにみんな若いうちから仕事をしてるのだ。 さつきの新聞は、どうやらうちの〈ボス〉《ロードスター》か七瀬が事前に手を回してくれたもののようで、明日から配達されることがすでに決まっているという。 一安心した俺たちに笑顔を向けたさつきは、マスコットドールの並んでいる棚から熊の人形を手にとり……。 「せっかくだから、 再会の記念にコレいただこうかなー」 「さつきちゃん……」 「わぁぁ、ありがとうございますー!!」 「やりました! とーまくん、お客さん第1号ですよ!!」 「で、でかい声でお前そんな!」 「第1号なの……」 「いやぁ、ほら、 お店はこれからだから、そうだよな?」 「はい! これからです!」 「いまんとこピンチはピンチですが これから可及的すみやかに対策を練って!」 「でも、対策というのは?」 「か、神風を!!」 「待つのではなく、俺たちの手で……!」 「つまり神風を起こすんですよね!?」 「そうさ!!」 「ふっふっふ……燃えてきました! 神風吹けば桶屋大もうけです!!」 「問題はその神風を どうやって吹かせるかなんだよね」 「あのー、商売のお話ですか?」 「お話ですよ」 「じゃん! お金がないときの商売については、 この『しろくま起業伝説BEST100!』に 詳しく載ってますが!」 「君はムックの行商人か!?」 「ちがいますってー、今はプライベート! なのでアドバイスだけしちゃいます!」 「アドバイス?」 「はい、困った時は粉物商売がイチバン♪」 「粉物!?」 「そう! 元手がかからないから利益率が高いんだって」 「なるほどね、 それっていいんじゃない。 検討してみる価値はあるかもね」 「はてなんでしょう……粉物商売といいますと?」 「ひと目につかないとはいえ ここで〈麻薬〉《おクスリ》はちょっと……」 「ちがいますーー!! そうじゃなくて粉物ってのは……」 「ごめんくださぁい」 「いいいいらっしゃいませー!?!」 「あ……電車のときの!」 本当だ。昨日、電車の中で乗り合わせたひらひら手を振る女の人……。 「きららちゃーん、 やっぱりこちらに来てたんですかぁ」 「ね、姉ちゃん!?」 「だめですよぉ、 こんなところで油を売っていたらぁ」 「こ、これには海よりも深いわけが!」 「大家さんのお身内さんでしたか」 残念ながらというか、案の定というか、今度の来訪者さんもお客さんではなさそうだ。 「じゃあ、そのわけを、 帰りながらみっちりと聞いてあげるねぇ」 エレガントでほんわかした空気をまとった彼女は、カタツムリのようなのんびりさで大家さんにひらひらと近づくと、その手をしっかと握り……。 「あう!?」 おもむろに引っ張る。ぐいぐいと力強く……ではないのに、なぜか大家さんは魔法のように引きずられて行く。 「それではおいとまいたしましょうー、 ね、きららちゃーん♪」 「わわ、ちょっと待って、 これからいいところなんだって、姉ちゃーーん”」 ずるずる……。 動きこそスローリィだが、強引に大家さんを引っ張っていく。 「きららさんのお姉さんでしょうか?」 「って言ってたよなぁ」 「あ、申し遅れましたぁ、 わたし、〈神賀原〉《かみがうら》〈羽衣〉《うい》と申しますぅ。 以後、おみしりおきをぉ」 「はて、苗字が」 「苗字の話はーっっ!!」「はいはい、いきましょーねぇ」 「苗字が違うということは、親戚とか?」 「もしくはご結婚されたとか……」 「いえいえー、きららちゃんとは、 たまたま血のつながってない姉妹なんですよぉ」 「? ? ?」 「それでは、ごきげんよう。 さぁきららちゃぁん、 お手製の小テストがまってるよぉ」 「姉ちゃん、ちょっとタンマ! これから粉物が神風で、まだ全然ーー””」 「………………」 「なるほど、大家さんとこにも いろいろ事情があるってことか」 「それで……何のお話でしたっけ?」 「桶屋さんの話です」 「えらい戻ったなぁ」 たいそうインパクトのあるお姉さんの登場で、今まで何を話していたのか忘れてしまったが、このままじゃ店の未来の大ピンチだったのだ。 「そうじゃなくて粉物でした!」 「そう!! 粉物ってのは麻薬じゃなくて 小麦粉とかそんなやつ!!」 「小麦粉売りますか!?」 「違う、焼きます! 具体的にはお好み焼きとか、たこやきとか!」 「たこやきっっ!?」 「寒い日に食べるたこやきって、最高でしょ!!」 「たこやき最高ですっっ!! なるほど、見えてきましたーー!!」 「何が!?」 「神風ですっっ!! たこやき屋さんに〈南東風〉《たつみかぜ》あり!!」 「うぬ……やってみる価値アリか、ななみ!」 「それじゃ、たこ釣ってきますー!」 「釣ってきましたー!!」 「大漁だと!?」 「そこの海にたくさんいました! さ、とーまくん焼きましょう! 焼いて焼いて!!」 「お、おう……ほらよ、 たこやき一人前おまち!」 「残りのタコも下ゆでしておきますね」 「よーし、ばりばり売っちゃいますよー!!」 「はぁぁ……疲れた、もうくたくた……」 「お店を放り出して出かけるからです」 「うっさーーい! 放り出してないし! バトンタッチだし! だいたいなんでニセコがいるのよ!?」 「りりかさんがサボらないように 見張っていたんです」 「サボってなんかないもん、 パトロールしてただけ」 「そういうときは出発前に報告をしてください」 「そんなことレッドキングに言われてないもん!」 「誰ですかそれは!?」 「……っと、ちょっとまって!?」 「どうしたんですか?」 「なに……? この匂い?」 「くんくん……おいしそう」 「…………うん」 「じゃなくて! な、なんかやな予感するっ!!」 「大丈夫ですよ、 きっと硯さんが夕食の支度を……」 「さあさあ美味しいよー! たっこたこのたこ焼き屋さんだよー!」 「4人前、お待たせしましたーー」 「ご新規たこやき3枚入りますーー!」 「ぎゃあああああああああ!!!!!!」 「だから、あれほど改造するなと 言ったじゃないですかーーーー!!!」 「大家さんも応援してくれたから、 平気だと思ってー!!!!」 かくして、俺たち3人大目玉。 勝手に店は改装するわ、近所の農家の皆さんにたこやきを売りつけるわで七瀬と金髪さんのお怒りは収まりそうにない。 あのときはいいアイデアだと思ったんだが……ううっ、無念だ! 「だいたいなんでたこやき屋なの!? そのチョイスがありえないっ、 ついでにセンスもありえないっ!!」 「りりかさんも 勝手に持ち場を離れていたので同罪です」 「ええーーー!? 同罪は重すぎるっ!! ニセコだって最後まで気づかなかったくせにー!」 「あうぅ……と、とにかく! 全てはお客さんが集まっていないからです」 「うぅ……めんぼくありません……」 「初日は準備不足だったとしても このままじゃ営業が成り行きません!」 「オープンセール中だってのに、 買ってくれたのはたった1人。 しかも、すずりんのお友達だもんね……」 「すみません……」 「宣伝、もっとしないとダメですよね」 元気が取り得のサンタさんたちも、初日の惨状に意気消沈している。店長をやってる俺の責任は重大なのだ。 経緯はどうあれ、引き受けたからには店をなんとかするのが俺の役目なのだが──! 「むむむ……!」 「すずりん、ご飯にしよっ! 落ち込んでばっかじゃ このあとの訓練に差し支えるわ」 「は、はい。 お昼の間に下ごしらえを済ませてますから、 すぐにご用意できると思います」 ぱたぱたとキッチンへ向かう硯と入れ替わりに、外からセルヴィの駆動音が聞こえてきた。あれは、シリウスとベテルギウスだ。 「はーい、こんばんは。 夕食をたかりに来たわよー」 「ほう、ジャパニーズジャンクフードか。 売れてるかい?」 もちろん2人はディナーを食べに来たのではなく、夜の訓練のために集合したのだ。 俺も、このツリーハウスで同居することになっていなければ、これくらいの時間に気楽な顔で参上していただろう。 しょんぼりモードの俺たちに代わって、七瀬がたこやき屋の顛末を説明すると、 「へー、面白そーじゃない」 「面白くないです!」 「だが、凍える夜に心と体を温めてやるのは、 たこやきもサンタクロースも一緒だろう?」 「ずいぶん違います」 「いっそ商売替えしちゃえば?」 「あぁぁ、この人たちは……!!」 刹那的なトナカイの無責任反応に、頭を抱える七瀬の隣で、硯が7人分の夕飯をテーブルに並べ始めた──。 「というわけで、サンタさん1日のスケジュール。 夜になってお店が閉店したら、 わくわくディナータイムです!」 「リビングにみんな揃って すずりんの手料理をエンジョイする、 本当は天国の時間なんだけど……」 「昼間の報告なんかも一緒にするので 内容がかんばしくないと、 ちょっとしょんぼりな夕ごはんに……じゅるり」 「ちっともしょんぼりしてないし!」 かくして、テーブルの上に並べられた皿、皿、皿。 「ほう、こいつは美味そうだ」 「ふふふ、硯の料理は絶品よ〜♪」 「どうぞ、お2人の分も用意しましたから」 「美味そうだな、この鶏の丸焼き。 柊ノ木さんにしちゃ、 やけに豪快な料理だが……」 「鶏ではなくアヒルなんです。 パリパリに焼いた皮を食べる料理で」 「肉のとこは食べないのか。 もったいないことを…………ん!?」 「なあ、それって……」 「こちらが鴨の肝臓のソテー・木苺ソース、 隣がキノコと4種のチーズのお雑炊、 あちらは貝の煮物で、それから……」 「うわぁぁぁぁ!?!? こ、これは唾液が決壊寸前ですっ! う、う……じゅるるるるる!!!」 「なんでたこやきが混ざってんの?」 「そ、それも美味しそうでしたので……。 沢山余っていますし」 「でもいいわねー、 毎日こんなディナーだったら最高! これだけ作るの大変だったでしょ?」 「いえ、皆さんに喜んでもらえればと思っただけで」 「あ……あの……」 「れれ? 顔色が悪いですよ、とーるくん」 「原材料は、どこで買ったんですか?」 「駅前にある、しろくま壱番館の食品コーナーです」 「毎朝産地から直接仕入れているそうで、 お肉も魚介類も新鮮なものが多くて……。 野菜も身体に良い有機野菜を扱ってるんですよ」 「なるほど、さすがは硯ちゃん! わたしたちの健康面もしっかり気遣いを」 「気遣いじゃなくて無駄遣い!! いいですか、この鳥の料理は北京ダック!!」 「んぐっ……!?」 「そっちのお雑炊はトリュフのリゾットで、 鴨の肝臓とは要するにフォアグラで、 貝に至ってはアワビ丸ごとじゃないですか!!」 「トリュフ……フォアグラ……アワビ?」 「わぁぁ、漫画の世界のお料理みたいですね!」 「それが現実になったら いくらかかると思ってんのーー!?」 「いくらでしたかっっ!?」 「す……すみません。 さすがに細かく覚えてなくて」 「ニセコ、レシート!!」 「はいーーっっ!!!」 七瀬が慌てて、共同のレシート入れを物色し始める。 「ええと、ええと……これはペンキ屋さん、 こっちは文房具店……あ、あった!!」 「…………!!」 「………………うーん!」 ──ばたり。 「い、いくらでしたか……?」 「見るなーー! 見たらああなるっっ!!」 「…………うー、うー、うー!」 「はぅぅ……ごめんなさい」 「い、いやぁ……! 柊ノ木さんだけのせいじゃないさ!」 うかつだった……!初日の買い出しに付き合ったというのに彼女の金銭感覚に気づかなかった俺にも責任はある。 しかし美味いものを食ってほっぺが落ちるならともかくほっぺが引きつるというのはどうしたことか? 「まあまあ、硯なりに、 気をつかってくれてたわけだしさぁ。 だいいち美味しいじゃないー、はむはむ」 「ああ、酒にもぴったり合うぜ、 ジャパニーズ」 「ずいぶんのんきですね、トナカイさんは!」 「作っちゃったものは仕方ないでしょー? あとは美味しく食べなくちゃ。ぷはー」 「うわぁぁ、お酒くさい!」 「坊主も大人になればこの味が分かるさ」 「けほっ、けほっ! と、とにかく!! こうなったら 今月はいろいろ耐えてがんばってくださいっ」 「はぁぁ……残金どーなってるんだろ?」 「お姫様、思ったより食が細いな」 「べつに、普通だし……はぁぁ」 「はぁぁ……サー・アルフレッド・キングに どう報告しよう」 「りりかちゃんも、とーるくんも小食れすねえ? たべないなら、わたしがもらっちゃいまふよ?」 「……太るわよ」 「へ!?」 「これ1皿で何キロカロリーか、 計算してあげよっか?」 「わわわわわあわわたしこう見えて、 スリムなつもりなんですけど……!!」 「……」 「つもりなんですけど……!!(ちら)」 「…………」 「なんですけどー!!(ちら)」 「どうしてそこで俺を見るのかな?」 「どーして黙ってるんですかー!」 「沈黙は雄弁ね。ま、ななみんが 〈伝統的〉《トラディショナル》なサンタスタイルを 目指すんならそれでもいーけど?」 「うー、いじわる!」 「せっかく食後のお楽しみに、 大家さん差し入れのしろくまんじゅうを 取っておいたのに……」 「しろくま名物の!?」 「おや知ってましたか?」 「駅前の看板に書いてあったから。 でもすぐ売り切れちゃうんでしょ?」 「ふっふっふ、興味ありますね? たーべたいですかー?」 「なんでもったいぶってんの! 大家さんがくれたってことは、 みんなに、ってことでしょ?」 「そ、それはそうなんですけどー!」 「じゃあ、すぐに持ってきますね」 硯がキッチンに引っ込んで、すぐに慌てた顔で戻ってきた。その背後から……。 「こっこっこっこ……」 「トリさん!?」 「ああ、こいつは何でも食うが、中でも まんじゅうが好物で…………お前まさか!?」 「まさかって……まさか!?」 「くるる?」 「そ、そのまさかです……」 「やっ、焼き鳥よ、焼き鳥ーーー!!!!」 「くるる!? くるっく、くるるーー!!?」 「こらー! まんじゅうどろぼー!!」 「あーーん、わたしのおまんじゅう、 返してくださいーー!!」 「もー! 食事中ですよっ! 落ち着いてください、 ななみさん、りりかさん!!」 「やれやれ、火種は尽きないね」 「ほんと、なごむわー」 「おまんじゅう、楽しみにしてたのにーー!!」 「明日の北京ダックはあんたよ!!」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「邪魔よ、そこの国産!!」 「冬馬くんどいてくださいー!」 「うわっ、落ち着けーーーー!!?」 「で、残ったのはこの1個だけと」 「こーこけーーー!!!」 「うっさい、バンバンジーにするわよ!」 「ギョギョッ!?」 「じゃあ、これをみなさんで分けて」 「この人数で!?」 「だ、だめでしょうか?」 「ひと口にもならないわよ」 「いやー、でもわたしひとりでいただくのは さすがに申し訳なくて……」 「どーしてそーなんの! この不届きなチキンを捕まえたのは あたしでしょ!?」 「でもでも、りりかちゃんはほら、 ダイエットがあるから体重管理を……」 「うぐぐ……ピンクのくせに、 へりくつゆーなーー!!」 「ギョーーッ! ギョーーッ!」 「あんたが主張するんじゃないっ!」 「だったらじゃんけんで!!」 「だ、だめ! もーじゃんけんはやだ!!」 「ではどうでしょう、 不戦敗ということで……」 「負けるが勝ちっっ!!」 「ううううーーーー!!!!」 「はいはーい! ここはアタシに任せてー♪」 「いさかいの元になるようなものは、 こーしちゃおー♪ ひょい……ぱく!!」 「あああああああああああああああ!!!!!??」 「お茶をどうぞ、先生」 「ありがと……グッドタイミング♪」 「わたしのしろくまんじゅうがぁぁ……」「楽しみだったのに……」 落ち込む2人を尻目に、悠々とお茶を飲み干した先生は……。 「うん、このチームはもっと 団結を深めた方がよさそーね」 「そいつはまったくごもっとも」 「そこで提案なんだけど、 アタシたちのチーム名を決めない?」 「チーム名……?」 「そうか、さすがは先生!」 「亀の甲より年の功……ってやつだ」 「……オーケー、日本語は難しい」 「そーゆーわけで、 シンキングターイムっ☆」 「はいはいはいはいはーーーーい!!!」 「はい、月守さん」 「ハイパーアストロサンターズ!!!」 「またハイパー!?」 「またって言うな! 宇宙的にクールなチーム名でしょ。 はぁぁ……ハイパーに痺れるほどクール!」 「あすなろさんとはどなたですか?」 「なろうなろう明日なろう、 立派なサンタに明日なろう、じゃない!! アストロよ! 宇宙!! スペーシー!!!」 「星名さんだったら?」 「そーですねー♪ わたしだったら アットホームに……きのした一家!!」 「ただのヤーさんじゃない」 「なら間を取って、あすなろ一家で!」 「だいぶそっち寄り!!」 「トゥモローファミリーとかいかがでしょう?」 「英訳!?」 「ふーむ、ちょっとマフィアっぽくていいな」 「マフィアはやだ、本職がいるから!」 「おいおい、俺はシチリア出身なだけで、 〈無辜〉《むこ》の一市民だぜ?」 「そ、そうだったんですか……」 「ええと、でしたら ほのぼのサンタさん……とか」 「スーパー……コズミック……」 「あ、あの……」 「ちょっと待って、いいのが浮かびそう! コズミック……ダッシュターボ……じゃなくて、 ファンタズムソルジャー……エクストラ……」 「で、でも訓練の時間が……」 「わぁ、そうだった! じゃチーム名は明日の宿題?」 「そうねー、もうちょっと考えてみよっか?」 「了解っ!」 「それじゃ、すぐに片付けて飛行訓練ね!」 皿洗い当番のりりかと掃除当番のななみが、てきぱきと席を立つ。 カペラさえ直っていれば、俺も颯爽と機体をスタンバイさせるところだ。 「りりかちゃん、楽しそうですね」 「だって、こっからがサンタの本分でしょ? 先行くわよ、ななみん?」 「あ、待ってくださいー!」 ここからが本分……。 確かに、ショップの運営も大事だが、俺たちの仕事は、早くしろくまの空に慣れること、そうしてイブに最適なコースを見つけ出すことだ。 地上の仕事をしているとついつい忘れてしまうが、確かにりりかの言うとおり、ここからが本番なのだ。 出かかったため息をひとつ飲み込んで、俺はカペラの待つ地下格納庫へと階段を下った。 「サンタさん1日のスケジュール。 やって来ました、夕食後! いよいよ最後のお仕事です♪」 「こっからが本当の ハイパーサンタクロースタイム! セルヴィを使った実践訓練のはじまりー☆」 「手綱さばきに配達訓練、トナカイさんとの連携に サンタ同士のコンビネーション……やることが いっぱいですね」 「イブへのタイムリミットはあとちょっと。 ガンガンいくわよー♪」 「いやっほーーーーー!! いっくわよ、ななみーーん!」 「シリウス01、らじゃーですっ!」 「初めてのペアでも手抜きはナシよ。 下調べは完璧だからついてきて!」 「ベテルギウスのお尻を見てればいいのね?」 「そーゆーこと!」 「ツリー西側はルミナの散布状況も良好! メインストリートまでコースが網の目に なってるから、最短ルートでれっつごー!」 「りょーかい!」「先生、だっしゅですー!」 「だめーーー高度上げすぎ! コースアウトする!」 「あうう、シリウスさんに慣れなくて」 「次の交差でジャンプするわよ」 「ジャンプ!?」 「上のコースにジャンプするの」 「まっすぐ飛べば着きますよー!?」 「遠回りしても意味ないじゃん! 上下のコースを飛び移りながら、 最速の流れを探すのよ」 「そ、それは分かりますけど、 どのコースに移ればいいのか、 すぐには指示が……」 「出せるって! ほら、こっちよこっち!」 「うわ!? じゃ、次はこっち?」 「ちーがーう!! 逆向きじゃん! どーしてできないの!?」 「こーすんでしょ?」 「きゃあああ、こんな動き無理ですーー!!」 「サンタがトナカイに引っ張られてどーすんの!」 「でもだってでも…… きゃああああああーーーー!」 「もっともっと 限界までスピードアーーーップ♪」 「けどこの速度で靴下狙える?」 「できますって、楽勝楽勝っ!」 「本部の基準で考えるなよ。 ここは日本だぜ?」 「でも精鋭部隊でしょ? マスターサンタだっているんだし!」 「どーかなー? アタシは単なるぐーたらよ」 「謙遜は不要です! あたしがいる以上、 間違いなく精鋭部隊なんだから!」 「り、りりかちゃん……すごい自信」 「そうまで言い切られちゃ仕方ないわねー。 覚悟決めよっか、星名さん」 「や、やりますっ!!」 「そうこなくっちゃ、 このまんま射撃訓練にとーつにゅー♪」 「ら、らじゃーですっ!」 「ぜーはー、ぜーはー……こ、交代です」 「は、はい! あの……大丈夫ですか?」 「な、なんとか……ぜー、はー……」 「お疲れさん。 すまなかったな、カペラが不調で」 「だ、だいじょうぶ……れふ……(がくり)」 「今度は、すずりんとサンタ先生がペアね。 ななみんは見学!」 「夜は短い、急いでね! ラブ夫、ベテルギウスのスタンバイは?」 「いつでもOKさ、お姫様」 「んじゃ、いっくわよ、 全開でれっつごーーー!!」 「へぇ……ありゃ水を得た魚だな」 「お店よりも、こっちがメインだと 割り切ってるみたいですね」 「ああ、いいなぁ」 ついため息が洩れそうになるのは、俺も全く同じ気持ちだからだ。 成り行きで店長なんかやってはいるが、あくまでもトナカイの本分は地上よりも空。訓練の時間ほど心躍ることはない。 イブの配達経路を想定しつつ、町内の各エリアをくまなく飛び回り、コースの発生状況を身体にたたきこんでいく。 1年ぶりのななみとのパートナーシップ、新しい仲間たちとのフォーメーション、八大トナカイとNYエースサンタの〈技倆〉《ぎりょう》。 カペラさえ良好なら、今すぐにでもあの星空に駆け上がってそれら全てを肌で感じ取りたい──。 「サンタ先生とななみのペアも 悪くないじゃないか」 「……カペラのパフォーマンスを 見ることができなくて残念です」 地上のトナカイを気遣うような七瀬の言葉に、自嘲めいた苦笑がもれる。 「俺も残念さ。 できることなら、今すぐにでも 地下に潜って整備を続けたいんだが」 「仲間の〈滑空〉《グライド》を見ておくのも仕事、ですか?」 「そんなところかな」 だが、こうやって地上からセルヴィの光跡を目で追っているのは目の毒だ。同僚が羨ましくて仕方なくなる。 「ちょっと僕、カペラの様子を見てきます。 中井さんも付き合ってくれませんか?」 「ああ……そうだな、俺も行こう」 「……分かりません」 「リフレクターは最新型、 ハーモナイザーの調子も良好、 心臓部の〈星石〉《スター》も綺麗なものですし」 「だよなあ、 俺の整備がおかしいのかとも思ったんだが」 「そんなことはないと思いますよ。 思うんですけど……うーん……」 「お前、時間は大丈夫なのか?」 「はい、訓練終了までは見届ける予定ですので」 「そいつはご苦労さんだな。 他にキャロルは?」 「整備スタッフはいますが ツリーハウスとサンタクロースの担当は 僕だけですから」 なるほど、子供みたいに見えて七瀬はサンタよりもハードなスケジュールで動き回っているのかもしれない。 ふと、遠くからセルヴィの排気音が聞こえてきた。 「帰ってきたな」 「今日はここまで、ですか……」 「しゃーないさ、リフト動かすぞ」 「は、はい」 「すずりん、飛行が消極的。 40点!」 「す、すみません……」 セルヴィ用のリフトで地上にあがると、ちょうど裏庭に着陸した機体の横で、りりかが訓練を総括しているところだった。 「でもってピンクは…… んー、ヤバヤバの20点」 「そ、そんなぁぁ!!!」 「じゃ、自己採点は何点?」 「え? えっと……なんやかんやで、22点」 「その2点はなに」 「が、がんばったから2点プラスでー!」 「なんやかんやで18点!!」 「しゅーん……まっすぐ飛ぶのは得意なんですけど」 「ふーん……まっすぐなら自信ある?」 「す、少しは!」 「……じゃあ賭けてみよっか? 直線レースで負けた方が しろくまんじゅう10個おごるとか!」 「しろくまんじゅう!?」 「無理にとは言わないけど?」 「うぅぅ……や、やりま……」 「だめですっっ!!」 「わわ、ニセコいたの!?」 「いましたよ! サンタクロースが賭けレースなんて しないでください!」 「なによ、イングランドのサンタは紳士だったかも しれないけど、NY流はちょーっと違うわよ?」 「そういう話じゃありません! 先生からもなんとか!」 「ま、サンタは聖職者じゃないし スタイルはそれぞれだからねー」 「てなわけで決まり! すずりんは?」 「わ、私は遠慮しておきます……」 「じゃあ審判お願いね! 国産も!」 「ああ、それくらいならお安い御用だ」 「そんな、中井さんまで!!」 「いいじゃないか、レースくらい。 レクリエーションの一環ってやつさ」 それに、今日は何かとぶつかってた2人だ。今夜のレースをきっかけに、雨降ってなんとやらになってくれればいいが。 「よーっし、面白くなってきた!」 「で、どこでやる?」 「あそこだろ、姫?」 「そーゆーこと! ついてきてっ!」 「……???」 「りりかちゃーん、どこまで行くんですかぁ!?」 「もう少しよ、ちょっと先ー♪」 賭けレースに反対する七瀬をツリーハウスに残して俺たちは夜空に繰り出した。 カペラが動かないので、俺とななみは硯のソリに同乗して、先生のシリウスに引いてもらっている。 「タイムトライアルに向いたコースが 出来ているのかい?」 「ああ、うってつけさ」 「この町のコースはクセがあるの。 ツリーが中心になってないみたいで、 ルミナの流れがあっちこっち向いてんの」 「どういうことですか??」 「行けば分かるわ」 〈樅〉《もみ》の森から針路を北東に取り、ニュータウンの中心部に差し掛かった矢先……。 ──そいつは現れた。 「あれ、コースがない?」 「そうよ、ここがレースの場所」 「こいつは……どうなっている??」 それまでゴーグル越しに確認できていたルミナの光が、ニュータウン上空で急に途切れ、視界いっぱいにほの暗い闇空が広がっている。 「驚いた? ルミナの濃度が希薄でコースができてないの」 「珍しいケースねー、初めてだわ」 「のんきに眺めてる場合じゃないな。 こいつは……厄介だ」 ツリーが宙空に散布するルミナの光が、セルヴィの動力源であり、サンタの力の源でもある。 それが途切れているということは、このエリアへの配達が成立しないということだ。 「ボスに報告は?」 「ラブ夫がしてる。 でも、ここをクリアしないと……」 「イブの配達ができない……?」 「そーなるわね」 「なるほどな。 それで、ここをステージに選んだわけか」 「む、むむむ……これは逆境ですね!」 「どーする? 今ならリタイアしてもいいけど?」 「やります! やるに決まってるじゃないですか!! ふっふっふ……燃えてきましたっ!!」 「そ……そう」 「(……ほんとに分かってんのかな?)」 ぽっかりと穴が開いたようなルミナの真空地帯。その外縁部に沿って1周した俺たちは、深夜のニュータウンに着陸した。 「そういうわけで、ここがスタート地点。 ゴールはさっき通った公園ね」 「北西にまっすぐ一直線ですね」 「そ、だけどその間は ルミナを補給できない真空地帯」 「……ごくっ」 「じゃ、ルールを説明するわね。 レースといっても同時には飛ばないわ。 それはそれで面白そうではあるんだけど」 「別々に飛んでタイムを競う、駆け引きなしの 純粋なタイムトライアルでどう?」 「この条件ならそのほうが安全だろう。 ん? なんだか嬉しそうだな」 「こーゆーの久しぶりだもん。 レースなら去年やったけど?」 「その節はどうも」 りりかがチクリと嫌な思い出を刺激する。俺は少し心配になって、ななみのところへ駆け寄った。 「ななみ、お前勝算は……いや、それより完走だ。 無補給で真空地帯を抜ける自信はあるのか?」 「ん……なんとなくなんですが、 いまぐるっと飛んでみて、 冬馬くんとなら行けそうな気が」 俺の見立ても、だいたい同じだ。真空地帯とはいえ、この距離をただ飛ぶだけなら余裕を持ってできるだろう。 ルミナのない空間を飛ぶというのは、俺たちにとって二重のリスクがある。 ひとつは推進力の供給が絶たれるということ。タンク内のルミナを全て消費しても、セルヴィで長距離の飛行は困難だ。 もうひとつは正体が知れてしまうということ。ルミナのコースを飛ぶ限り、セルヴィは人間の死角に入ることができる。 コースアウトをしたときのために、セルヴィには目くらましのシールド機能があるが、それにはタンク内のルミナを大量に消費する。 コースから外れて飛ぶということは、ルミナの供給がないまま、普段の倍以上のエネルギーを消費して〈滑空〉《グライド》するということだ。 当然、失敗は許されない。チームどころか支部にも多大な迷惑がかかる。 「七瀬が知ったら卒倒するぜ」 「でも、ここを抜けられるようにならないと イブの配達ができないんですよね」 「まんじゅうも食べられないな」 「はい、あのお店は行列がものすごく……」 「……って、そんな動機じゃないですよ!?」 「そいつは感心だ、気を抜くなよ」 「先生、ルミナの供給なしに シリウスが飛べる時間は?」 「シールド全開で2分ってとこかな?」 「なら平気です。 配達速度でも1分30秒でこっちに着くわ」 「ということは……1分は切りたいです」 ななみはやる気だ。1年前の雪辱を晴らしたいのか、それとも、りりかに力を認めさせたいのか。 まさか、本気でしろくまんじゅうが欲しいわけでもないだろうが、 「勝ったらしろくまんじゅうですよ!」 ……ないと思いたい。 「んじゃ、可愛い子猫ちゃんが待ってるんで 俺はこのへんで」 「へ? ちょっとラブ夫、レースどーすんの!?」 「悪いがデートの時間なんでね。 それに慣れた馬じゃ不公平だろう?」 「……それもそうね」 ジェラルドの駆るベテルギウスならばスピードもタンクの容量も段違いなので、安心して飛ぶことができるのだが、 ここは双方に公平な条件ということで、レースに使用する機体には、サンタ先生のシリウスが選ばれた。 「シリウスか……楽しそう」 「正々堂々やりましょう!」 「あーあ、借りてたDVD 今夜じゅうに見たかったのにー」 俺と硯は、シールド全開のベテルギウスでゴール地点の熊崎城址公園まで運んでもらった。 「OKだ、公園内に人影なし」 「こっちも大丈夫です」 答えた硯が、少し不安げに空を見上げる。 「暗い空ですね……」 肉眼の視界に広がる空には、満点の星空。 しかしゴーグルを着けて見ると、公園の上空には、ルミナの光がほとんど見えない。 今から俺たちがやろうとしているのは、無呼吸のまま行う長距離走のようなものだ。 「…………」 「心配か?」 「は、はい……コースのない空を飛ぶなんて」 「イブには珍しいことじゃないさ。 金髪のエリートさんは慣れてるだろうし、 〈馭者〉《ぎょしゃ》がマスターサンタなら安心だ」 「はい……」 サンタ先生の名前が出ると硯は少し落ち着いた顔になった。彼女にとって、あの先生はそれだけ信頼に足る存在なのだろう。 硯の携帯電話が鳴った。向こうの準備ができた合図だ。 「1番手はりりかさんですね。 はい、こちらも大丈夫です。 それでは、5、4、3……」 俺たちの役目は計測係だ。スタートの号令がかかると同時に、俺がストップウォッチを押す。 「2……1……スタート!」 ストップウォッチのデジタル表示が、時間を刻みはじめる。 今、ニュータウンの入口側をりりかの乗ったシリウスが飛び立った。 ここからは何の反応も感じられないが、2分以内にはシールドを張ったままの機体が公園に飛び込んでくるはずだ。 30秒……40秒……50…… ストップウォッチが01:00を表示した時、遠くで小さな光がまたたいた。 次の瞬間―― シリウスだ。超高速の光が頭上を通過する。 「1分1秒03!」 ストップウォッチの数値を読み取る。旋回しながらゆっくりと減速したシリウスが光をまといながら公園に降り立った。 「タイムは!?」 「だいたい1分ってとこさ」 「あぁー! 1分切れなかったか!!」 「でも速かったわよ、金髪さん」 「……思ったより遠いな」 「納得できないか?」 「国産も飛んでみれば分かるわ。 真空地帯が想像以上に広いの……」 「全速力で突破するのに1分。 配達しながらとなると……ちょっと面倒ね」 先生の言葉に、硯と顔を見合わせる。イブの配達ともなれば、ただ突っ切るように飛ぶわけにはいかない。 「ま、あとは星名さんのトライアル次第ね。 いったんニュータウンの外に抜けて、 ルミナを補給してくるわ」 シリウスが虚空に姿を消して数分後──ななみからのコールがあり、2本目のトライアルがスタートした。 規則的に時を刻むストップウォッチを眺め、俺たちはなんとなく黙り込んでいた。 見慣れたルミナの光のない、上空の暗闇を睨んで…… 思い描いていることは様々だろう。 「イブまでにここを攻略か」 「抜けるだけで精一杯だもんね」 「リクエストはどのくらい来るんでしょうか……」 「きっと、たくさんよ」 ここはニュータウン、市街地よりも家族の多く住んでいる住宅街なのだ。 支部ができたことでツリーも活性化している。おそらくリクエストの数は去年を遥かに上回るものになるだろう。 「…………ななみさん、遅くないですか?」 ストップウォッチを見た。ななみがスタートして、もうすぐ2分になろうとしている。 この時点で、勝負はりりかの勝ちだ。しかし彼女の顔にも笑みはない。 ななみとりりかに実力差があるにしても、サンタ先生の駆るシリウスでここまで差が開くことはありえないからだ。 「まさか、あの子……!?」 「金髪さん、ジェラルドを呼んでくれ!」 そのとき俺の携帯が鳴った──ななみからだ! 「俺だ! どうした!?」 「もしもし、とーまくんですか! わたしです、ななみですけどーー!!」 「名乗らなくても分かる! なにがあった!?」 「先生のシリウスにトラブルなんです! 身動きが取れません!!」 「動けない!? どういうことだ!」 「どうしたの!」 「シリウスにトラブルだ。 霧に巻かれて出力がダウンしているらしい」 「い、位置はっ!?」 「どこだ、ななみ!」 「ちょうど真ん中くらい……わわぁ、 もう限界、落ちそうですー!」 「上に逃げて!!!」 「うえーー!?」 「高度を上げるの! コースはないけど、ルミナが水溜まりみたいに 点在してるエリアがあるから!」 「り、了解です!!」 「そこに逃げ込めば、 ひとまず墜落は避けられますね」 「ラブ夫を呼ぶわ」 「ななみ、すぐ助けが来るから、 しばらく持ちこたえるんだ!」 「もしもし、ラブ夫? 緊急事態発生! 今すぐ来て!!」 短い連絡を終えたりりかが携帯をぎゅっと握りしめる。 「ど、どうしましょう!? すぐに探しに行かないと……!!」 「慌てないで。でも……」 ここにはセルヴィもなけりゃ、ななみたちがどこにいるかも分からない。 「くそ、こんなときにカペラが!」 「透さんに連絡して、 あの連絡用のカペラを借りれば……!!」 「時間がかかりすぎるわ。 それにあんな機体じゃ……」 「二重遭難の危険性もあるか。 だが、やらないよりは……!」 このまま手をこまねいてはいられない。携帯で七瀬を呼び出そうとした、そのとき。 「……!? この音は!?」 「こけーーーー!!!」 「みなさーーん!!」 「あ、あれ……サンダース!?」 「ニセコ!?」 俺たちの頭上をカペラが飛び越していった。操縦しているのは──七瀬だ。 しかも、あれは連絡用の改造機じゃない。俺の〈愛機〉《カペラ》だ! 「よく来てくれた! どうやって直したんだ?」 「分かりません! な、ななみさんからSOSをもらって!」 「なにしてんの!? いいから早く降りてこーーい!!」 「お、降りられないんですーー!」 「スロットルを緩めるんだ! 完全に離すなよ、少しだけ開けて……」 「こ、こうですか……!?」 「そうだ、デリケートだから気を抜くな、 そのままゆっくり高度を下げるんだ! 姿勢制御忘れるな!」 「は、はい!」 「大丈夫か、七瀬!?」 「はぁ……はぁ、平気です! シリウスに異常発生です。リフレクターの 反応が止まって飛行できないみたいです」 「ななみんから?」 「はい、かなり慌ててる様子で、 とっさに中井さんのカペラに、 SOSを発信したみたいでした!」 「で、なんでこいつが動いてる?」 「わかりません。 いちかばちかで動かそうとしたら、 何度目かで急に……」 「そりゃまた……」 「理由なんかあとあと! 今すぐ飛ぶわよ、できるわね!」 「ああ、代わってくれ!」 「はい!」 七瀬の降りた座席に飛び乗ると、りりかが俺の後ろにまたがった。 ソリがないから仕方がない。ここはタンデムだ。 「こけーこっここ!!」 「トリ! お前も来るのか!?」 「いきなり肩に飛び乗ってきたんです」 「お前、ななみになついてたもんな。 分かった、行くぜ金髪さん……!!」 ペダルを踏み込む。すぐに、懐かしい駆動音が腹の下から聞こえた。 「確かに、直ってる……!!」 「国産!」 「ああ、飛ばすぜ!」 「今思ってる倍の速度でね!」 「了解だ、つかまってろ!」 「ハリアーーップ!! 国産! 急げーーーっ!」 「わーってる! 頼んだぜカペラ!」 「くるるるーっ!」 「お前まで急かすな!」 「そのトリ、下ろさなくて平気!?」 「こいつは俺の言うことだって聞きやしないんだ」 「ななみ、先生、無事かーー!?」 「どこ!?」 「とーまくーん! こっちですー!」 「参ったわ、急にすねちゃって……あら? カペラくん?」 「突然動き出したんだ。 ここからはカペラで牽引する」 「タンクが空になる前に早く同調して! ただでさえ時間がかかる作業なんだから」 「了解だ! 1分で済ませてやる」 薄いルミナがふわふわと集まった水溜まりのような空間にカペラを乗り入れる。 シリウスとカペラでここのルミナを全て使い切る前に、なんとしても脱出しなくてはならない。 薄いルミナの中でシリウスの前方に位置を取る。細かい立ち回りは〈カペラ〉《こいつ》の専売特許だ。 「大丈夫ですか?」 「ああ、シリウスとの〈同調〉《ハーモナイズ》は 何度かやったことがある」 シリウスのハーモナイザーと、硯のソリ、それにカペラのハーモナイザーを同調させる……。 本来なら10分ほど時間をかけてじっくり調整するべき作業だが、緊急時にそんなご丁寧なことは言っていられない。 「待ってろよ、すぐだ………………」 「よし…………つないだ!」 「じょーだん、30秒よ?」 「先生、シリウスの反応に問題は?」 「やん、完璧。 あとよろしくねー!」 「ほんと!?」 「長居は無用だ、さっさと行くぜ金髪さん」 「やる……! いいわよ、こっちはいつでも!」 「とーまくん、れっつごー!」 「ああ、ニュータウン脱出だ」 「コース復帰──やれやれ、もう大丈夫だな」 「シリウスさんは?」 「楽できて助かるわー」 「お、シリウスも復活です!」 「OK、あとは任せる。 先生、ラストで楽できませんが、よろしく」 「えー!?」 シリウスとの同期を解除して機体を切り離す。 これでどうにか一安心だ。七瀬に連絡を入れてやることにしよう。 「七瀬か? こちらカペラ、脱出成功だ」 「シリウスは大丈夫ですか!?」 「ああ、問題ない。 じきにそっちに降りると思う」 「了解しました。 カペラが動いている理由も分かりませんから、 中井さんたちも気を付けてください」 「いまのところは好調だ。 このままツリーハウスまで戻るよ」 「ふぅ……しかしトラブルの多い着任地だ」 「ま、仕方ないんじゃない? 新しい支部だし、ツリー次第だもん」 「ずいぶん楽しそうだな」 「トラブルがあるってことは、 点数を稼げるってことでしょ?」 なるほど、正しい認識だ。あくまでこのエリートさんの目標はNY本部への復帰ってことらしい。 「それにしても、国産、 ずいぶん必死だったわね」 「サンタを助けるのがトナカイの仕事さ」 「……ふーん」 「しかし……金髪さんとななみの勝負は またしてもノーコンテストか」 「え!? どーしてよ! あたしの圧勝でしょ!?」 「マシントラブルだぜ、引き分けだろう」 「う、運も実力のうち!!」 「ほー?」 「圧勝! 完勝! 大勝! 快勝!」 「了解だ、あとはサンタさん同士で決めてくれ」 カリカリするエリートさんをなだめながら〈樅〉《もみ》の森の近くまで戻ったところでまたも携帯が鳴った。 誰だ……大家さん!? 液晶ディスプレイに『きららさん』と、苗字抜きの名前が表示されている。 「鳴ってるけど?」 「あ、ああ」 操縦の最中に電話を取るのは良くないが、セルヴィが携帯着信音を鳴らしながら飛ぶのも相当にまずい。 出よう。こんな時間にわざわざ電話をかけてきた理由も知っておきたい。 「もしもし?」 「もしもし、店長さん? きららです」 「どうも、どうしました?」 「ううん、たいしたことじゃないんだけど。 いまお店の方へいったら誰もいなかったから。 あれからみんな、仲良くやってる?」 「あ、ああ、もちろん! 大丈夫ですよ」 「ならよかった。 ところで、明日の予定って空いてるかな?」 「俺の?」 「できれば、みんなの」 「ええ、時間次第ですが」 訓練と重ならなければ大丈夫だ。店もあるけど……明日は営業よりも今度の活動方針について考える日になるだろう。 「よかった。 ちょっと相談したいことがあったので」 「……?」 「明日くわしく話しますね。 んじゃ、よろしくお願いしますね」 電話が切れた。 相談?いったい大家さんが何を……? 「恋人?」 「ば、馬鹿ぬかせ!」 「わっ、こら!? なに動揺してんの、揺らすなっ!!」 「動揺してない揺らしてすまん」 「なにその棒読み? ま、どんな相手か知らないけど、 〈滑空〉《グライド》中に電話とはいい度胸ね?」 「これも店長の仕事なんでね」 「店長の??」 途中、サンタ先生のシリウスと合流して、〈樅〉《もみ》の森まで戻ってきた。 森から突き出たツリーハウスの〈樅〉《もみ》の木を目印に、徐々に高度を下げてゆく。 このまま裏庭に着陸すれば、無事帰還だ。 後続のシリウスに合図を送り、着陸態勢に入ろうとしたところで……。 「ん? 誰だろ」 地上に数人の人影が見えた。 ルミナのコースにいる限り、ここは死角だ。とくに気にすることもなく、その頭上を通過しようとしていると…… 「…………うげ!?」 「なんだ!?」 「あの人たち!!」 慌てて視線を落とした俺の背筋が凍りついた。地上の人影が、こっちを見上げている!? 「あ……」 「鰐口先輩どうかしました?」 「どーかしたのぉ?」 「あの辺になにか……気のせいかな?」 「何も……」 「──!!!」 目が合った! 「え!?」 いま、こっちを見上げた大家さんと、完全に視線が重なった。 まさかこんな近くから電話をしていたなんて! 隣のカメラ少女に至っては、取り出したカメラのレンズを、こっちへ向けようとしている! 「ウソだろ!?」 「コース外れてないのに、どーして!?」 「着陸中止!! 緊急離脱!!」 「あぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」 「どーしよう、ほんと、どーしよう!」 「これは逆境通り越して大逆境の一大事です!」 「も、もし正体がばれてしまったら、 きっとマスコミが殺到して、私達サンタの存在が 明るみになって、ノエルが解散してしまって……!」 「まだばれたって決まったわけじゃないんでしょ?」 「でも見てたし! すっごい見てたし!」 「なにより……写真!!」 「向こうは明かりなしで、 こっちからライトを照射してる状態だったから、 はっきりとは見えなかったはずよ?」 「……どうだろう。 俺は、ばっちり目があっちまったから」 「うがーーやっぱダメだー!」 〈滑空〉《グライド》中に電話に出るわけにはいかない。俺は携帯をポケットに戻した。 「恋人?」 「ば、馬鹿ぬかせ!」 「わっ、こら!? なに動揺してんの、揺らすなっ!!」 「動揺してない揺らしてすまん」 「なによ、その棒読み」 ツリーハウスの裏庭にカペラを降ろし、そのままリフトで地下格納庫へ入れる。これでようやく帰還完了だ。 サンタさんたちをリビングに残したままテラスに出た俺は、すぐ大家さんに電話をかけ直した。 「もしもし、中井です」 「もしもし、店長さん? きららです」 「どうも、どうしました?」 「ううん、たいしたことじゃないんだけど。 いまお店の方へいったら誰もいなかったから。 あれからみんな、仲良くやってる?」 「あ、ああ、もちろん! 大丈夫ですよ」 「ならよかった。 ところで、明日の予定って空いてるかな?」 「俺の?」 「できれば、みんなの」 「ええ、時間次第ですが」 訓練と重ならなければ大丈夫だ。店もあるけど……明日は営業よりも今度の活動方針について考える日になるだろう。 「よかった。 ちょっと相談したいことがあったの」 「相談?」 「明日くわしく話しますね。 んじゃ、よろしくお願いしますね」 ふーむ、相談か。いったい大家さんが何を……? 「ふんふふふーん♪ おっふろだ、おっふろー♪ 汗ざーざー♪」 「はいはいちょい待ちピンク頭ー!」 「わぁぁ、なんですか!? 髪を引っ張らないでくださいー!」 「一番風呂はいただきっ♪」 「あっ!? 順番抜かしはダメですーーっ!!」 「わたしが先に……んぎぎ! 来たんですよ!!」 「ぐぎぎぎ……!! あたしなんて昼から予約してたし!」 「そんなの聞いてません!!」 「スパイラルレーザー!! からのフリントシュート!!」 「わぁぁーーーあぁぁあぁあぁああ!! ずるいーっっ!!」 「もらったぁ、いっちばーん♪」 「うぅぅ……卑怯……あれ? もう誰か入ってますよ!」 「えぇぇ!?」 「このヘアブラシは、すずりちゃん……っっ!?」 「あたしとしたことが……!! おっとりしてるからノーマークだった!」 「では、一番風呂挫折ということで、 次はわたしがー♪」 「なんでそうなる!? 順番よ、順番!!」 「なんの順番ですか!?」 「訓練の得点順!」 「りりかちゃんが採点してるんじゃないですか! なら、じゃんけんで決めましょう」 「そ、その手には乗らないからっ! とにかく次はあたし!」 「わたしです!」 「うぎぎぎぎぎぎ!!!」 「おいおい、寝る前までお盛んだなぁ」 「だってりりかちゃんが!」「だってピンク頭が!」 「うううぅぅ!!」「がるるるる!!」 「よーし分かった、 ここは無駄な争いをなくすために……」 「ために!?」 「俺から入ろう」 「とーまくんは後!!」「トナカイは後!!」 湯量のすっかり減った風呂でしょんぼり身体を温めてからリビングに戻るとすぐに来客があった。 こんな時間まであちこち飛び回っていた勤勉なキャロルさんだ。 「お邪魔します」 「お、とーるくん」 「わわっ、な、なんて格好をしてるんですか!!」 「なにって、夜だし家の中だしパジャマだし」 「どうかしましたか? まさか熱でも……」 「な、なんでもないですっ」 「その割に熱っぽいわよ。 ほら、こっち向いて?」 「わぁあぁ!? こ、このままで結構です! けけけ結構ですからっ!!」 「なになに? もしかして照れてるー?」 「りりりりりかさんたちこそ、 恥ずかしくないんですか!!」 「ていうかパジャマだし」 「ですよね?」 「ちち近ごろの若い女性には 恥じらいと慎みが足りないと常々……!」 「最年少丸出しのニセコが良くゆーわ」 「で、ボスはなにか仰せだったか?」 「そ、そうでした! さきほどのレースの一部始終を、 サー・アルフレッド・キングに報告してきました」 「げげっ、もう言いつけたの!?」 タイムトライアルの後、七瀬はサンタ先生のシリウスでいったんボスの屋敷に送られて行った。 それがわざわざ引き返してきたんだから、伝言の内容もだいたい予想がつく。 「……お裁きを言い渡しに来たんですね」 「まさか、おやつ抜きでしょうかぁ?」 「朝のしごきよ、絶対……」 「コホン、静粛に!」 七瀬はパジャマ姿のサンタに背中を向けたまま、レッドキングのお達しを伝えはじめた。 「1:本日行われたレースについては、 訓練の一環としてお咎めなしとする」 「2:サー・アルフレッド・キングは、 中井さんとりりかさんの咄嗟のフォローを、 とても高く評価していらっしゃいました」 「3:ニュータウンにおけるルミナの分布状況に ついては、支部のほうでも調査を進めており、 後日伝達予定だったとのことです」 「お咎めなし……ですか?」 「さっすがレッドキング! だてに太っ腹してないわ」 「おヒゲの名奉行ですねー」 「エヘンエヘン! まだ終わりじゃありません。 ここからが肝心なんです!!」 「は、はい!」 「4:今後については、しろくま支部のサンタチーム にリーダーを任命し、リーダーを中心とした訓練が できるように、チームワークを固めていただきます」 「5:その際、必要があれば 現在のパートナー構成を解消し、新しい編成で イブに臨むことも考えているそうです」 「訓練の成果を検討しながら、 トナカイとサンタのペアメークをしていくので、 そのつもりでいるように、とのことです」 「そうか、そんな話があったな」 着任初日にななみが読み上げた、極秘指令書に書いてあった内容だ。 「ペア解消……ですか……?」 「ハイパーシャッフルシステムってことね」 「これからの特訓で、 それが決まるんですか!?」 サンタ3人が顔を見合わせ、リビングにピリッとした緊張感が走った。 シャッフルによって現在のペアが解体されるかもしれない。イブまでの期間を考えれば、それは恐怖ですらある。 「報告は以上です。 今回はお咎めなしですけど、 もう無茶はしないでくださいね」 七瀬の念押しを上の空で聞きながら、サンタがそれぞれに不安そうな表情を浮かべる。 きっと俺も同じような顔色になっていたことだろう。 「何故だ……!!」 七瀬が帰ってから、もう一度カペラで空の空気を吸おうと思っていた俺は、再び裏庭で頭を抱えることになった。 シャッフルのことではない。またしても、カペラが全く反応を示さなくなったのだ。 「え? また動かないですか?」 俺の隣では、膝を抱えたななみがやはり不安げな表情を浮かべている。 「まるで分からん。 さっきは快調だったのに」 「…………」 「……気になるか?」 「な、なにがですか?」 「ペアを解消するって話さ」 「あ……うん、それもそうなんですけど」 いったん言葉を切ったななみが俺の顔を見て、それからまた視線をカペラに落とした。 「今日はわたし、なんにもできませんでした」 「初日なんだからこんなもんさ。 俺だって、こいつが動かないことには どうしようもない」 「でも、冬馬くんは凄かったです。 シリウスも助けてもらったし……」 「七瀬がこいつを 動かしてくれたおかげなんだがな」 そうしてまた首をひねる。本当に、さっきまでの好調はなんだったというのか。 「今日のはあくまでマシントラブルさ。 金髪さんだってそこんとこは分かってた みたいだぜ」 「でも慌ててしまって、 ちゃんとした判断ができませんでした」 「りりかちゃんの指示がなかったら、 きっと墜落してたと思います」 「……的確な指示だったな」 上空に避難できることを事前の偵察で知っていたからこそ、とっさの指示が出せた。それはつまり、りりかの地道な下調べの賜物だ。 「むむむ……! わたしもっと頑張らないとダメですよね」 「お互い様だな。 さいわい努力は絶対に裏切らない」 「はい、とーまくん!!」 沈んでいたはずのななみの瞳が、らんらんと輝きはじめる。 落ち込んでも、ほっとけば勝手に復活する。それがこのサンタさん最大の取り得だ。 「今日は実感できました、 やっぱり世界のレベルは凄いですっ!」 さばさばとした表情で、ななみは自分の敗北を認めることができる。 それは、もしかするとりりかにはない強さかもしれない。 そうだ、俺まだ、ななみの敗北を認めたくはない。 「即席コンビでの対決じゃ、 本当の所は分からんよ」 「とーまくん?」 「だから、早くこいつを直すのさ」 「はい、楽しみです!」 シャッフルによっては、そのコンビが即席ではなくなるかもしれないのだが、今、それを考える必要はない。 俺に出来ることは、早くこのカペラでイブの本番を想定した〈滑空〉《グライド》を可能にすることだ──。 「やれやれ、こいつはまた七瀬に相談だな」 明日のことを考えると、いつまでもカペラのメンテナンスをしているわけにもいかない。 適当なところで切り上げて寝床に向かうとその手前のテラスで、星空を見上げるサンタと出くわした。 「お疲れさん」 「あ、はい……お疲れ様です」 「大変な一日だったな。 ボスのブシドー修行にニュータウントライアル」 「ここは余所の支部と、だいぶ勝手が違う。 そっちはやりにくくなかったかい?」 「いえ……そんなことは」 答えにくそうに硯が言葉を濁す。 皆と一緒にいる時は普通に喋れても、こうして二人きりでとなると、なかなか調子が出ないのかもしれない。 聞き覚えのある駆動音に目を向けると、七瀬を連れてきた先生がシリウスで飛び立とうとしていた。 「七瀬を運んできたんだな、先生は」 「…………はい」 柊ノ木の目に一瞬、憂いのような焦りのような色が浮かんだ。 これは、不安の色だろうか。 飛び立とうとするシリウスのもとへ、いまにも駆けていきたそうな、そんな横顔を見ていると少し心配になる。 「あまり気を回すなよ。 先のことは分からんさ」 「……はい」 相槌を打ちながらも、彼女の視線はシリウスから離れない。 「私は……先生じゃないと駄目なんです」 「え?」 「ッ……し、失礼します」 ポツリとそう呟いて、硯は足早に階段を駆け下りていった。 肩をすくめた俺は、疲れた身体をひきずって住居部一番下の個室へ戻ることにした かくしてサンタの多忙な1日が終わった。 これから眠りに落ちるまで、俺たちはそれぞれの想いを抱えながら、つかの間のプライベートな時間を過ごす。 「ふむふむ……原発建設に住民達は一致団結して 反対し、予定地の整備まで進んでいた計画は 白紙に……」 「うむむ……その後、熊崎町は白波村と合併し、 現在のしろくま町へと町名を変更……」 「はぁぁ……歴史が大事、かぁ。 それはそうなんですけど、難しいですねー」 「……っくしょん!」 「……うぅぅ、寒い寒い」 「…………」 「…………きれいだなぁ……」 「…………」 「……お母さん」 「先生」 「あら硯、わざわざ見送りに来てくれたの? ありがとー」 「い、いえ……」 「なーによ、暗い顔しちゃって」 「あの……シャッフルのこと……なんですけど」 「……なるほど。 暗い顔をしてたのはそーいうワケか」 「せ、先生……私は……」 「こっちにおいで、硯」 「はい……?」 「髪、ハネてる」 「あ……”」 「ここは大変な支部だけど、 アタシも分かったことがあるわ」 「…………?」 「チームワークの要になるのは、あんがい硯かもね?」 「え……!?」 「じゃね、おやすみー」 「あ……」 「……チームワーク……私が……?」 「………………ふーん、ここもOK」 「西側は問題なさそうね。 とすると、やっぱりニュータウンか……」 「やれやれ、デートを邪魔されたあげく、 真夜中までお付き合いをご所望ですか、 お姫様?」 「今日だけよ、どーしても気になるの」 「夜更かしはお肌の大敵」 「そんな年じゃないし」 「けれど風呂上りだろう? 風邪引くぞ」 「無駄口はいいからスピードアップ!!」 「はいはい、子供は風の子」 「子供じゃないもん!!」 「……そういやシャッフルやるんだって?」 「ボスの気まぐれでしょ。 いちいち真に受けてらんないわ」 「わからんぞ、あんがい俺と姫も……」 「エースのバラ売りは戦力の分散よ? ありえない!」 「ま、それでも姫に 徹夜覚悟の点数稼ぎをさせてるんだから 効果的ではあるか」 「誰が……ふわぁぁぁ……」 「おねむじゃないか。 今日のところはお帰りになられてはいかが?」 「ばか! コース確認は基礎中の基礎! まっ先に済ませておかないと、 落ち着いて寝られないわ……おわ!?」 「すまん、〈落し穴〉《ピット》だ」 「……想像以上に厄介な土地かもね」 「なのにうちのサンタどもは 揃いも揃って〈素人〉《アマチュア》同然。 ほんとに大丈夫なのかしら……」 「だから姫が配属されたんだろう?」 「足りない分はあたしの担当……か、 そーゆーことなら!」 「ラブ夫、予定変更!! ロードスター邸に行くわ」 「ご随意に、お姫様」 ぐったりとした、それでいて心地のいい疲労感をひきずったまま、自分の部屋へと足を踏み入れる。 荷物の少ない俺の部屋は、いたって簡素にしつらえてある。 トナカイの部屋にはベッドと酒があればいい。かつて八大トナカイの誰かが言った台詞らしいが、出典は忘れてしまった。 「さて、あと何年ここで過ごすかな?」 ノエルから転属の指令がない限り、俺の住まいはずっとこの部屋だ。場合によっては一生、なんて事もある。 「く……くるる?」 「トリよ、そこは俺の寝床だ」 「くるるぅ……くるるぅ……」 「なんだ、寝てんのか」 鳥目のトリは夜に弱い。当たり前のことだが、俺のベッドを占拠することないだろう。 「すまんが今日は疲れてる。 家主の権利は譲らんぞ」 「こけ……? ギョーーーー!! ギョーーーー!!」 「わっ、こら、暴れるな!! 了解だ! わかったから、 30cmだけずれてくれ!」 「くるっく」 トリが渋々納得したので、隣のスペースに潜り込む。これじゃ誰の部屋だかわからんな。 やっと落ち着いたところで、俺は途中で止まっていた思索を再開した。 カペラを整備してからずっと、同じ疑問が頭の中を堂々巡りしている。 「なぜ、トナカイでもない七瀬透が カペラを操縦できたのか?」 連絡機の簡易カペラじゃない。本物のトナカイが乗るセルヴィだ。それも、謎の故障で動かないはずの……。 「くるる……くるるぅ……」 「トリよ、もう少し詰めてくれ」 「こけ……? こけーー……」 「無理ならせめて、 くちばしを向こうに……ん?」 トリが、こっくりこっくりと船をこぐたびに、師匠の付けた鈴が鳴る。 その音がおかしい。スロバキアで聞いていたのとはまるで違う、濁った音だ。 俺はトリを起こさないよう、暗闇の中、慎重に鈴の中を覗いてみた。 空洞の中心部分で何かが光っている。これは…… 「ベルの中に、星が……?」 「〈星石〉《スター》……ですか?」 「セルヴィの心臓さ」 3カラットのモルガナイトが俺の手の中で輝いている。 「こいつがないと、 トナカイはツリーとつながることができないんだ。 サンタさんとは違ってな」 「なるほど……こんなに綺麗な石が カペラくんの中にあったんですかー」 前脚部のインテイクから、セルヴィ内部に取り込まれたルミナは、いったんタンクに貯蔵される。 タンクのルミナは〈同調器〉《ハーモナイザー》を経由することでセルヴィでも利用可能なエネルギーに結晶化される。 そしてルミナの結晶は機体後部の〈反射器〉《リフレクター》に送られ、そこで反射を繰り返すことにより、光の結晶から推進エネルギーに変換されるのだ。 このとき、ハーモナイザーの同調率が低いと、結晶のエネルギー化が効率よく行うことができず、機体の出力は低下してしまう。 いわばハーモナイザーは、ツリーの生み出すルミナとセルヴィの間にある翻訳装置のようなものだ。 「その中枢にあるのが〈星石〉《こいつ》さ」 ツリーと交信し、ルミナを感じ取る──。それはサンタなら誰もが持っている能力だ。 しかし俺たちトナカイは、サンタほど敏感にルミナを感じることができないから、こういった石や装置が必要になる。 「こんなからくりを考えた グリーンランドの技師たちを尊敬するよ」 「なるほどー、そうやってこのカペラくんは 飛んでたんですね」 「学校で習わなかったか?」 「ぜんぜんです。 わたしサンタコースでしたし」 言われてみれば、俺もサンタのことは、トナカイに関連する範囲でしか勉強しておらず他のことは大ざっぱにしか知らない。 デビューしてからも仕事仕事の毎日で自分の仕事に関する部分を吸収するのに精一杯で、サンタの事情に気を配る余裕はなかった。 サンタとトナカイは、まったく別種の専門職ということだ。 「それで……カペラくんの星石に 問題があったということですか?」 「ハーモナイザーの動作は正常だったから そんなはずはないんだけどな……」 星石をスタンドの明かりにかざす。 「とにかくトリが持ってたってことは こいつは師匠の星石なんだろう」 手の中にある星石は、トリの鈴に付けられていたものだ。星石を鈴につけるなんて聞いたことがない。 「異常がないのに、どうするんですか?」 「試しに組み込んでみる!」 「だ、大丈夫なんですか?」 「キャロルの七瀬がこいつを飛ばしただろう? あのとき、リアシートにはトリが乗っかってた」 「……あ、なるほど! それなら、帰ってきてから動かなくなった理由も、 説明がつきますね!」 正解だ。日ごろはボケてばっかりのくせに、こいつは時々すごく頭の回転が早くなる。 「それならば、さっそくつけてみましょうか!」 「おう、そのつもりで早起きしたんだ」 と、そこで携帯のアラームが鳴った。 「5時半か」 「ああー、残念ですがタイムリミットです。 硯ちゃんたちを起こしてこないとー!」 今朝もサー・アルフレッド・キングの武士道修行がある。サンタさんの1日は朝から手加減なしだ。 「とーまくんはどうしますか?」 「悪いが今日はパスだ。 一刻も早くこいつを試したい」 「七瀬に伝言してくれ、〈星石〉《スター》の交換をするってな」 「りょーかいですっ!」 「いっそげーいっそげー さもなきゃまたもや大目玉ー♪」 さて、こっちも早いとこ修理して、毎朝の送迎くらいはできるようにしないとな。 ……しかし、あいつは朝っぱらから何の用があったんだ? 「だめだな、針が跳ねてやがる……」 試しにモルガナイトを組み込んでみたのだが、とたんにコンソールの表示がメチャクチャになってしまった。 てっきりこいつだと思ったのだが、実は〈星石〉《スター》じゃなかったとか……? 「……わからん」 これ以上機体をいじくるのは、さすがに俺の手には余る。 がっつり再調整するにしても、専門の知識がある七瀬を待ったほうがよさそうだ。 カペラの整備をいったん中断して俺は店の準備に取りかかった。 どうせサンタさんはくたくたになって戻ってくるだろう。 まずは昨日できたばかりの呼び込み看板を道沿いに置いて、それから店の支度だ。 店内をざっと見て回り、カーテンを開く。商品のリストは硯が作ってくれているので、実際ほとんどやる事がない。 電気をつけ、夜の間のホコリを取るのでフロアモップで店の中を簡単に掃除して、棚の陳列をはたきで撫でる。 簡単ながら、開店準備はこれで完了。あとはサンタさんの帰りを待つばかりだ。 「まさかこんなことになるとはなぁ……」 テーブルの上に自分専用のエプロンを広げてため息をひとつ。 こいつをつければ、俺はたちまちきのした玩具店の店長さんだ。 本来トナカイという人種は、セルヴィの操縦以外のことには、そんなに勤勉なタチじゃないんだが……。 「ただいまですぅぅーー」 「うげーー、もうムリぜったいムリーー」 「ひざが……ガクガクしています……」 「はい、おつかれさん」 「国産ーー!! どーして修行こなかった!!」 「トナカイは修行の対象外」 「うーーー、なんか納得行かない。 ま、でもカペラが直ったんなら それでいいけど!」 「それが……まだ」 サンタさんたちがため息をつく。 どうやらななみが事情を話してくれたようで、修行を休んだことも自然と受け入れてもらえたが、こいつはいよいよカペラに動いてもらわんと。 「とーるくん、あとで来てくれるそうです」 「おお、そいつは何よりだ」 「もぐもぐ……とにかく、 国産は早くカペラを復活させるよーに!」 「はむはむ……店長さんより そっちが優先ですね。あ、硯ちゃん、 オムレツおかわりありますか?」 「店長がいなくて大丈夫か?」 「はい、 1日くらいなんとかなると思います」 「どーせ客なんて来ないだろーし」 「今日もダメだと思いますか?」 「まだなんの手も打ってないもん。 大事なのは広報よ! 宣伝宣伝、大宣伝!!」 「ううっ……なんとかして注目を集めないと」 「そーゆーこと……む、殺気!?」 「さ、殺気!?」 「どうした?」 「……誰か見てる!」 りりかが窓の外に視線を向ける。 「…………」 「あ、あの人は……!」 大家さんを助けた時にいた、カメラの女の子だ。店の周りをあちこち回っては写真を撮っている。 「……なにをされてるんでしょうか?」 「写真……撮ってますよね」 「ははーん、覗き魔ね」 「女の子だぞ」 などと話している間に、眼鏡の女の子はこっちに近づいてきて……。 「ごめんください」 「来た!?」 「お、お客さんでしたか!?」 「よし、とにかく接客だ」 「いらっしゃいませぇぇーー☆」 「な、なにかおさがしでしょうかー?」 「朝早くすみません。 実は……あれ?」 「ど、どうもー」 「一昨日はどうも、ええと……」 「………………」 「更科つぐ美です。 しろくま日報で記事を書いています」 「記者さん!?」 「そうですが、なにか?」 「あ、い、い、いえ、いえいえ!!」 「(ど、ど、どうしましょうー!  新聞の記者さんが覗き魔だなんてー!)」 「(落ち着け! チャンスじゃん)」 「(チャンス?)」 「(そーよ! お店のこと宣伝してもらうの!)」 「(おおっ!? その手がありましたか!)」 「あらためましてこんにちはー☆ トイショップの妖精・月守りりかちゃんですっ! 今日は……ひょっとして取材ですか!?」 「はい、そうですが?」 「おおーーっ!! それでしたらぜひぜひ、こちらへー! うふふふふ、これは嬉しいサプライズ」 「さすが記者さん、目の付け所が違う!」 「い、いまお茶を入れますね!!」 「で? で? これはどんなコーナーで 記事になっちゃうんですか??」 「別冊のムックになると思います。 ということは、 取材をお受けいただけるのですね?」 「もちろんに決まってますとも〜☆ このりりかちゃんに、 なんでも聞いちゃってくださいっっ!」 「ではさっそく、 昨夜ここから立ち上った怪光線について なのですが、何か心当たりは?」 「かいこーせん???」 「そ、それはプロレタリア文学を代表する……?」 「すずりーん、お茶キャンセル!!! 店長、お客さんお帰りですーー!!」 「???」 「あぅぅーー、脱力です……」 「期待して損したぁぁ……」 「まさかオカルトムックの取材とはな」 「すずりん、塩ーー、まくほうのやつ」 「はぁぁ、前途多難です……」 空が高い。 高いというのは遠いということだ。 俺と空をつなぐべきカペラは、まるで回復の兆しを見せていない。 七瀬から携帯に、所用で到着が遅れると連絡があった。電話を切って見上げた空は、やはり遠い──。 足元の店舗スペースでは、ななみが店番の真っ最中。しかしテラスから見渡した視界のどこにもお客さんの姿は認められない。 暇に耐えかねたりりかは『ルミナの観測にいってくる!』と、ジェラルドのベテルギウスで出かけてしまった。 お店の営業に意気込んだ俺たちではあったが、今日この森を訪れたのは、あのカメラ少女だけ。 客が来たら呼んでくれと、りりかの携帯番号を教えてもらったが、どうやらその機会もなさそうだ。 「中井さん、そろそろお昼なんですが」 「お、ありがとう」 携帯電話を取り出し、もらったばかりの番号にかける。 「あ、国産? まさか、お客さんきたの!? もしかして大盛況とか!!?」 「残念ながらシンとしたもんさ」 「じゃなんで電話してきたのよー#」 「昼飯ができたんだ」 「はぁ!?」 「だから昼飯が……」 「どーーでもいい!! ほんっっっと、どーでもいい!! そんなことで電話するなーー!!」 「お姫様、お腹のラッパが鳴ってるぜ?」 「どこでそんな言葉覚えたのよ! バカトナカイ!!」 「……ま、適当に帰っておいで、お姫様」 「あんたがお姫様言うなーー!!」 「いっただっきまーす☆」 「(はぐはぐ……もぐもぐ)おおっ!? 今日も最高においひいれすー!!」 「本当だ、柊ノ木さんの料理は外さないな!」 「ありがとうございます」 今日も店が閑古鳥なので、硯、ななみと3人での昼食タイムだ。 「ん、本当に美味い。それにしても えらくコクと甘みのあるソースだな」 「エビとマイタケのクリームパスタです。 ソースに昨日のウニの残りを使って、 少し節約してみました」 「そ、そりゃあ美味いわけだ」 「とーまくん、美味しいくせに不安顔……」 微妙に豪華さが抜け切っていないのが不安だが、昨日から考えれば長足の進歩といえるだろう。うん、前向きに考えよう、それがいい。 「……ん?」 「デフコン1、デフコン1!! 緊急事態発生ーー!!」 「りりかちゃん!?」 「ど、どうしました!?」 「スネークがいるわ!!」 「スネーク?」 「あだ名よあだ名! あのスパイごっこ、しつこいんだから!」 「ああ、あの記者さんか」 「それにしても……はむはむ、 怪光線というのは一体……もぐもぐ」 「まさかルミナの光ってことは…… あ、ななみさん、おかわりですか?」 「あーーーっ!! のんきすぎてイライラする!!」 「頼りにならない同僚はほっとくに限るわ。 とにかく撃退! こういうときは……」 「店長の出番ね!」 「俺!?」 「あーあー、聞こえてる?」 「はい、感度良好です。オーバー」 「これから対象と接触するわ」 「りょーかいであります! オーバー」 「遊びなのか? 本気でやってんのか?」 「本気にきまってるでしょ! トナカイはこれだから……!」 「いい? あいつは危険なスパイなのよ。 あたしたちの正体を探ろうとしてる。 しかも正体バレたら即、新聞記事!!」 「そしたら街の有名人ですね! テレビの取材とかも来ちゃうんでしょうか」 「わ、私目立つことはあまり……」 「そーゆー問題じゃない!!」 トランシーバーに向かってりりかが怒鳴る。確かに、サンタの正体がばれたら一大事だ。 ななみと硯は家の中で待機、俺とりりかがスネークさんと接触する段取りだ。 「で、どこにいるんだ?」 「茂みの中……ほらあそこ!」 りりかが指さした茂みの奥に、スカートのお尻が見えた。なるほど、頭は隠している。 「接触するわ、店長の出番よ」 「お、おう……」 「れっつごーです! とーまくん」 「いらっしゃいませ、お客様」 「……!!??」 「…………がさごそ」 「……ご丁寧にどうも」 隠れてるのを発見された更科さんは、悪びれる風もなくカメラを構えたまま姿を現した。 「(ぬぬ……ふてぶてしい態度、  さすがはマスコミの手先!)」 「穏便に頼むぜ」 「(わかってるって!)」 「どーもー、こんにちはー☆ さきほどは失礼いたしましたー!」 「気にしていません、 取材拒否には慣れていますから(じろじろ)」 「な、なんの取材ですかぁ!?」 「怪光線の取材です。 なにか怪しい装置がないかと 周囲を見て回っていたのですが」 「ないですよー! ていうか、ここあたしたちの家だし! 勝手に入らないでください!」 「営業中の店舗敷地が立入禁止とも思えませんが」 「ぬぬ!?」 「怪光線なんて言われても、 住んでる俺らも見たことないんですよ。 他にも目撃者がいたりするんですか?」 「…………いえ、目撃例はまだ」 「(ナイス国産!)」 「なのに取材なんておかしくないですか、 本当に記者なんですかぁ?」 「ええ」 「学校新聞じゃなくて?」 「名刺をどうぞ」 どれどれ── りりかが受け取った名刺を、二人でのぞき込む。 『しろくま日報・嘱託記者 更科つぐ美』 「嘱託……?」 「ふーむ……で、怪光線ってのは君が見たの?」 「私ではなく、このカメラが見ました」 名刺に続いて写真を渡される。暗い空に一筋の光の帯が写っている写真だが、これだけでは何の光か分からない。 「このカメラで撮影を?」 つぐ美が黙って頷いた。 ずいぶんと古びたカメラだ。家族のカメラを借りてきたのか、あるいは中古を買ったのか……。 「ご存知ないかもしれませんが、 去年のクリスマスにも、ここで 未確認飛行物体が目撃されています」 「未確認って……UFO!?」 「はい、かなりの速度で あちらから、こちらのほうへ……」 空を仰いだつぐ美が、南西から北東への軌道を指し示す。 「(……それって)」 去年のクリスマス、そしてその軌跡はまさに吹雪で制御を失った俺たちがツリーハウスに墜落したときの軌道そのままだ。 「あれは紛れもなく、 オーバーテクノロジーの飛行物体です。 おそらくは地球上の文明とは異なる……」 「ちょ、ちょっと待って、 単なる光を見ただけでしょ?」 「はい。 ですが、このレンズが真実を暴きました」 「真実って!?」 「宇宙人の写真が撮れたのです」 「写真!?」 「ウソ!?」 「私は嘘をつきません。 そのときの写真もここにあります」 自信満々に渡された2枚の写真を、俺とりりかが覗き込む……。 1枚目は赤い光の写真──。 なんてこった、こいつはベテルギウスだ。コースアウトした瞬間を写真に取られたのか? しかし元八大トナカイのジェラルドがコースアウト時にシールドを張り忘れるとは考えにくい。 なのに、こうもあからさまに赤い光をとらえているということは、まさかもう1枚には俺たちの姿が……!? 「!?」 「!!?」 予想の斜め上を行く写真に絶句してしまった。 「これが宇宙人です……」 「どんな写真なんですか? わたしも見たいです、オーバー?」 「な、ななみさん、静かにしないと……!!」 「パンツ……黒……!?」 「黒パンツ!?」 赤い光が帯をなしているということは、これはベテルギウスのソリ。 しかしなんだこのミスマッチにアダルトな画づらは。コラージュか!? いや、まさか……。 「こんなのはいて……」 「わ、わ、わーーーっ!!!」 「……どうしました?」 「や、やろーには目の毒っっ!!」 黒パンツ宇宙人写真を素早く奪い取ったりりかが、背中にさささと隠す。 「あ、あのさー! こここれって!! ふふふ普通の女の子の……」 「宇宙人です」 「盗撮写真ーーー!!」 「報道写真です」 すかさず写真を取り返したつぐ美が、 「なにを取り乱しているのですか?」 「あ、あぐあぐ……!?」 「だだだだだって!! そんな破廉恥盗撮写真持ち歩くなんてダメだし!! ありえないし!! わぁぁ、見せびらかすなー!!」 「あなたには関係のないことでは?」 「そーーだけどっっ!!」 真っ赤になってじたばたするりりかの足を、つぐ美が写真とじろじろ見比べる。 「ぎゃーーー!! どこ見てるーー!!!」 「脚が似ているような気がしたので」 「似てない! 似てるとしても本数だけ!」 「似ているかどうか、 それは私が決めることです」 「じゃあさっさとその写真しまえーーー!!!」 だめだ、りりかは完全にテンパっている。ここは俺がひとつ……。 「ああ、つまりうちの店員さんが言いたいのは、 ここは一応メルヘンな木のおもちゃ屋さんだから、 アダルト写真は自重してもらえないかってことで」 「……業務妨害になりますか?」 「妨害妨害大妨害!!」 「分かりました」 思ったより素直につぐ美が写真を引っ込めてくれた。 「だいたい、あんなピンボケ写真で 似てる似てないなんてナンセンス!」 「そうですね、次はもっと 鮮明な写真を撮ってみせます」 そうして彼女はまたツリーハウスのあちこちにレンズを向けようとする。 「(あああ、もう!  あいつまだウロウロしてる!)」 「(やれやれ、帰る気はなさそうだな。  ところで……)」 「(…………な、なによ!)」 「(……お前、あんなのはいてるの?)」 「(違う、あれあたしじゃないーーー!)」 「(しかしあの赤い光はベテルギウスの……)」 「(だっ、黙れ、そして忘れろっっ!!  全部きれいさっぱり金輪際忘却っ!!)」 「……?」 「(って、きーてんのこらーー!!)」 俺の視線の先、ツリーハウスのテラスにななみが姿を現した。 「せんたくせんたくよいしょっとー♪」 「(洗濯!?)」 「…………!!」 「(なにやってんの!?  まだスネークがにょろにょろしてるのに!)」 「干すぞー、〈闘将〉《たたかえ》せんたくまーん♪」 「あ、りりかちゃーん! 洗濯物、ここに干しときますねー。 今日はおてんきでよーく乾きますよー♪」 鼻歌まじりにななみが干しているのは――ちょうちん子供パンツ?? カメラまで構えていたつぐ美が、それを見て、張り詰めていた緊張を緩める。 そして、ちょうちんパンツとりりかを見比べて、 「……納得のクオリティ」 何事か呟いて、立ち去ろうとした。 「なななによいまのー!?」 「そういえば、お名前を伺っていませんでした」 「つ、月守りりかだけど!」 「店長の中井冬馬です」 「覚えさせていただきました、失礼します」 「うぎぎ……なにあいつ!」 「にしても助かったな、ナイスななみ!」 「えへへー」 「あ、あたしあんなガキっぽいのはかないし!」 「やですねー、とっさの機転ですよ☆」 「ああ、思いっきり説得力があった」 「うーーー、それはそれで納得いかない! それに嘘がばれたら……」 「ご心配には及びません。 りりかちゃんは明日からこのぱんつを……」 「絶対いやぁぁーー!!!」 「……で、一体どんな写真だったんですか?」 「知らない!!」 まったく客足のない午後二時の店内。俺たちは、様子を見に店を訪れた七瀬に、あまり言いたくない報告をしている──。 「つまり、黒い……」 「わあぁぁぁ!! 記憶を消せこくさんーーー!」 「報告はしないとまずいだろ」 「け、けどそれはひとまずっ……! その話題は保留っていうか、だから、その!」 「でもサンタだってバレてしまうと……」 「バレてないし去年の話だし今年は大丈夫だし!」 「なるほど、月守りりかさんに隠蔽体質……」 「ああううー!! 分かったから閻魔帳しまって!」 「なるほど、それで……その『黒いパンツ』の 写真は、本当にりりかさんのものなんですか?」 「うぅぅ……そ、そうだけど……」 「現物があれば状況がつかみやすいんですが」 「わぁぁぁ、だめっっ! なに考えてんの、このエロニセコっっ!」 「ぼ、僕が見るんじゃないですよ、 サー・アルフレッド・キングの判断を……」 「そんなのいらないー! ううぅぅぅ、あの眼鏡記者っっ!!」 「とはいえ、シールドの操作は サンタさんの責任じゃないし、 去年のことを言うなら俺たちにも責任がある」 「……そうですよね」 「…………(しゅん)」 「それも納得がいかないの。 ラブ夫はしょーもないヘンタイだけど、 ケアレスミスは一度もしたことないわよ」 「ふーむ、なのに写真が……?」 「……分かりました、その件については サー・アルフレッド・キングにも伺ってみます。 で、今日お話したいことはそれよりも……」 「ニュータウンか?」 「それとお店の営業計画です」 「……それじゃ、店が軌道に乗るまでは、 ななみのサンドイッチマンを継続して 宣伝に力を入れるということでいいか?」 「賛成!」 「おまかせあれ!」 「サンドイッチマンって、前にやってたアレでしょ? 本当に宣伝効果あるの?」 「前回の5倍の気合いで挑みます!」 「前回は8割気合い抜けてたの?」 「あうぅ、ちがいますってばー!」 「で、より深刻なニュータウンのほうなんだが。 七瀬からなにかあるのか?」 「はい、サー・アルフレッド・キングから その件に関する伝言を預かっています」 持ってきたしろくま町地図を広げた七瀬がポイントを指差しながら説明する。 「皆さんもご存じの通り、 現在、ニュータウンの上空には ほとんどルミナが分布していません」 「原因は特定できていないのですが、 ニュータウンの住宅街やその先のしろくま温泉郷も 配達エリアに入っていますので……」 「避けて通ることはできない……でしょ?」 「ええ。温泉郷は迂回路を取れば済みますが、 ニュータウンには相当な配達数が 見込まれていますから」 「どうしたらいいのでしょう?」 「支部としては、サンタクロースの皆さんを ツリーに住まわせることで、ルミナ分布の変化を 期待しているのですが……」 「1週間やそこらじゃ、効果も分からないか」 「はい……現状のままですと、 ニュータウン地区の配達には 相当高度なテクニックが要求されます」 「難所越えってわけね」 「ふふふ……逆境ですね!」 「……どうしてそんなにワクワクできるんですか?」 「うぅ……」 「しかし相当高度……ってことは、 不可能じゃないってことだろう?」 「分かりません。 ニュータウンの中心地区に配達をする場合、」 「プレゼントを射出できる速度でとなると、 ルミナの無補給時間が3分程度になるので……」 「2分30秒の壁──か」 「2分30秒?」 「標準型のセルヴィが無補給で滑空できる目安さ。 金髪さんの最新鋭機は別なんだろうがな」 「はい、ベテルギウスならもう30秒ほどの 余裕を見込めますが、それでも3分では ギリギリアウトです」 「ベテルギウスでも……」 「だからって『はい、出来ませんでした』は ナシよね? つまりやるっきゃないってこと!」 「そうですよっ!」 「だからどうしてそんなに楽しそうなんですか!?」 「トナカイほどじゃないにしろ 大部分のサンタも楽天家なのさ」 「そのとーりっ!」 結局、地図に顔をつき合わせて、全員で難所越えの案をひねり出すことになった。 「サンタは楽天家だけど無茶はしないわ! というわけで、精神論は全部NG!! さあ、なにかアイデアはある?」 「……………………(しーん)」 「いきなりノープランですか?」 「あ、そうだ……は、はい! 先生!」 「最初から飛ぶことを考えるから 3分とか4分とかの壁ができるんです!」 「……それはどういう?」 「だからですね、 ニュータウンの配達は手渡しで!」 「姿を見せるんですか?」 「件数によっちゃ一晩かかるわよ!」 「で、でしたら、ね、念力で配る!!」 「精神論どころじゃないわ! 超心理学はもっとだめ!!」 「うぅぅ……そもそもどうして 姿を見られちゃダメなんでしょう?」 「ぶっ!? なによいまさら!? そー決まってるからに決まってるじゃない!」 「でもですね……ここは逆転の発想で 例えば、わたしたちの姿を見せることで、 子供たちに夢というものをですね……」 「大人も見てんの!!」 「わぁぁ……そうでした」 「もうちょっと具体的な話をしようぜ。 ちょっとユール・ログを見せてくれるか?」 「何すんの?」 「セルヴィの性能は分かっているから、 可能性があるとすれば、 サンタさんの射程距離のほうかと思ってな」 「へえ、国産にしちゃ……まあまあな意見かも」 「さすがとーまくんです」 「どうぞ……」 思い思いの言葉とともに、サンタたちの『ユール・ログ』がテーブルの上へと並べられていく。 ユール・ログ──クリスマスの薪という意味を持つこの言葉は、サンタたちの操る道具の正式名称だ。 ななみは杖、りりかは銃、硯は弓。これらの道具は全て、ツリーの幹や枝を材料にして作られている。 サンタはユール・ログを使うことでルミナを射ち出すことができる。 サンタがツリーの力を利用するうえでも、プレゼントを配るためにも、なくてはならない道具なのだ。 「ぱっと見、 射程が長そうなのはすずりんの弓かな?」 「りりかさんのは?」 「連射性能はピカイチよ。 だから数はこなせるけど、 遠距離向きじゃないかな」 「それで機動力のあるベテルギウスと ペアを組んでいるわけか……」 「そ、接近戦命!」 しかし、実際の射程は道具の性能に加えてサンタとツリーの親和性がものを言う。 そこで、各々の道具の射程距離を算出してから、セルヴィの速度と当日のコースとを検証していけば抜け道が見つかるのではないかと思ったのだが……。 「……10月じゃ無理?」 「そう、無理なの! イブにできるコースの予測が立てられるのは 早くても12月に入ってから」 「そして、中井さんが考えているような仕事は サー・アルフレッド・キングがやってくれます」 「ううっ……意味なかったか」 「だいじょーぶですよ! 12月までに修行をして みんなでパワーアップです!」 「うーん、あとはニュータウンでの 実地訓練の回数を増やすくらいかなぁ」 「私も、サジタリウスの射程距離を、 少しでも伸ばせるようにがんばります」 「すずりんの弓ってサジタリウスって言うの? 強そー!」 「射手座ですか、かっこいーです」 「せ、先生が名付けてくれたんです……」 「先生って実はロマンチックさんなんですね」 「あの、話の本題が……」 「そうでした、 ええと、わたしもわくわくロッドの射程を 今よりもっと……」 「なにその名前!? もうちょっとサンタらしい名前にしないと ツリーが泣いてるわよ!」 「そ、そんなぁぁ!! ネーミングセンスには自信があるのに!!」 「…………あのー!」 「じゃあ、どういうのがセンスあるんですか!?」 「こーゆーのよ♪ じゃん! ハイパー・ジングルブラスター!!」 「やっぱりハイパーなんですね」 「りりかちゃん、ナントカの一つ覚えです。 それに道具がかわいそうですよ」 「な、なんでよ!?」 「だって、両方あわせて名前がひとつなんて!」 「あぐ……そ、そっか。じゃあ、 ハイパー・ジングルブラスター1号・2号! これじゃだめ?」 「番号ですか?」 「うぐぐ……い、いいじゃないかっこいいし!」 「そうじゃなくて、たとえばですね……そう! 向かって左がテツくんです♪」 「鉄砲のテツか」 「えー、なんかかっこ悪い。 じゃあ右のは?」 「そうですねー、じゃあトモくんで……」 「なんだそりゃあああああ!!!!」 「きゃああああああ!! り、りりかちゃんだって、 あだ名つけるじゃないですかー!」 「あたしは物にはあだ名をつけないの!」 「いや、だから何だって話だし」 「だいたい、うきうきロッドなんて 言ってる奴に言われたくない!」 「わくわくロッドです!!」 「あのーーーーっっ!!!」 「うるさい、へなちょこロッド!!」 「わくわく! わくわくっ!」 「へなちょこ、へなちょこ、へーなちょこ!」 「むーむむむ……!!」「うーぎぎぎ……!!」 「はぁぁ……もうやだこの支部」 「ニセコ、すぐ閻魔帳を出すな!」 「会議の様子を書記してるだけです! りりかさん好戦的! 0点!」 「あうぅぅ!? こ、こんなことでアタフタ してたら査定にかかわるわ! なにかアイデア、アイデアを……!」 「そうだ!! 長距離砲を自作するってどう!?」 「ちょうきょりほう?」 「そう、このツリーの幹を 真っ二つにぶった切って、 ハイパーメガルミナ砲へと改造を施し……」 「む、無茶ですー!」 「やってみなくちゃ分かんないじゃない!」 「落ち着け金髪さん」 「そうですよ。 それなら私たちの力を合わせて……」 「それが不安だから言ってるの!!」 「不安ですか?」 「だ、だって……ななみんもすずりんも、 訓練テキトーにやってたし、 ちっとも危機感もってないし!!」 「適当ってことはないだろう」 「……りりかちゃん、ちょっと焦ってます?」 「な、なにー!?」 「焦ってなんかないし! 実力ないのに 食欲だけはエース級のへっぽこサンタと 組んでたら誰だってこーなるもん!」 「な、な、なんですかー!!」 「だから落ち着けって!」 「りりかちゃんはチームのことじゃなくて 自分がNYに帰りたいだけじゃないですか!」 「ふ、二人とも、 もうそのくらいにしてください」 「すずりんだってずーっと黙ってばっかりだし」 「りりかちゃん!!」 「だって……すずりんだってサンタなのに 聞くばっかでぜんぜん意見出さないじゃん」 「わ、私は……まだ、 意見を言えるような立場じゃないから……」 「立場なんてかんけーない! チームだし!」 「でも……無理なんです………………。 私は……先生とじゃないと……」 「はぁっ……もう! そーやって、何でも先生に お任せしてきたんじゃない?」 「…………!?」 それまでうつむきがちに話していた硯が泣きそうな顔で席を立つ。 「ご……ごめんなさい!」 「………………!」 「ま………………まずかったかな?」 「まずいです!」 「ああ、まずかった」 「りりかちゃんは思いやり不足です!」 「な、な、なによ! 仲良しごっこで思いやってる フリをしてるななみんはどーなの!」 「そんなことしてません!!」 「してる!!」 「なんですか!!」 「なによ!!」 「ぎりぎりぎりぎり……!!!」 「ふーーーーーんっ!」 「ああ……行っちまった」 「あああっ……もうっ!! 大事なミーティングの最中なのに!」 サンタ娘たちが出て行った後、取り残された俺と七瀬は、二人して頭を抱えていた。 「はぁぁ、最悪です。 こんなにガタガタなチームは、 見たことありません……!!」 「りりかさんは自分勝手、ななみさんは空気が 読めなくて、硯さんはコミュニケーション不足! 全員サンタとして問題ありすぎます!!」 七瀬が怒りに任せて閻魔帳を開いた。 「あいつらの評価をつけてんのか?」 「中井さんもです。 店長として、もう少しサンタクロースを まとめられるよう努力してください」 「勘弁してくれ、 トナカイにMCは大任だぜ」 「でも、ここのサンタクロースの保護者役を している以上、責任があるわけですから……」 「おいおい、そりゃ違うだろ!」 「……!」 「いいか坊や、俺はトナカイだ」 「俺の仕事はサンタを乗せて空を飛ぶことと、 サンタの活動をサポートすることで、 保護者や責任者なんざハナから柄じゃないんだ」 「チームワークも取れない未熟なサンタの お守りを探してるなら、ロードスターか マスターサンタの管理職を呼んで来るんだな」 俺まで席を立とうとすると、慌てた七瀬がすがりついてきた。 「す、すみません! そういうつもりじゃなかったんです!」 「中井さんに無理をさせてるのは分かってます。 けど、僕は……」 「…………!」 涙目になってオロオロと取り乱す七瀬の姿に〈逆上〉《のぼ》せていた頭の芯がスーッと冷え、すぐに寒気のような後悔が押し寄せてきた。 ──馬鹿が、俺はなにをやっているんだ。 孤軍奮闘してる若いキャロルをこんなに困らせて、それで八大トナカイを目指してるだと!? 「なあ、透……」 口をついた『透』という呼び名が、不思議としっくりきた。それは俺たちがもう仲間になろうとしているからだ。 「すまなかった。 そうじゃない、そうじゃあないんだ」 「…………中井さん?」 「やりたくもない仕事をやってんじゃない、 サンタとの同居も店長も覚悟の上でやっている。 だが、ちょっとそいつを度忘れした」 「いえ、そんなことは……」 「乱暴なことを言ってすまなかった。 あいつらの仲は俺が必ず……」 テーブルに手をついたとき、指先にコツンと木の触れる感覚があった。 りりかのハイパージングルブラスターが触れたのだ。その隣に、硯のサジタリウスと、ななみのわくわくロッド──。 3つのユール・ログがテーブルの上に並んでいる。 「中井さん?」 わくわくロッドの柄を手にして目の前にかざす。 「……よく使い込まれているんだな」 見ればサジタリウスにもハイパージングルブラスターにも、細かい傷痕が無数に刻まれていた。 どれもまだ、うら若いサンタたちのユール・ログ。しかし、使い込まれて傷だらけになったその姿は、歴戦の古強者を思わせた。 「サンタの商売道具か……」 これだけの傷が刻まれるには、いったいどれほどの鍛錬が必要だっただろう。 それでいて手入れが行き届いているところに、彼女たちの愛着と想いの強さが現れている。 「こいつはカペラと同じだ」 道具への愛着は、仕事への誇り。 3人とも、それだけの覚悟や決意を背負ってここへ来たのだ。 「……なあ、透」 「は、はいっ!」 ユール・ログを置いて、俺は透を振り返った。 「閻魔帳に書き込むのは もう1日だけ待ってくれないか?」 「くふぇえぇ〜〜……」 「眠いんだったら部屋で寝てろよ」 「くく……くえっく!」 「強情なヤツだ。 ま、お前の鈴を拝借してるんだから、 気にはなるか……」 今朝も早くから起き出して、カペラのメンテナンスだ。 昨日、透が持ってきてくれた整備用の機材一式を使ってみる。 モルガナイトで針がおかしくなったのは、ハーモナイザーとの相性が悪かったようだ。 透にハーモナイザーの設定をいじってもらうことで無事に組み込むことに成功した。 リフレクターとの連動も問題ない。俺の読みが正しければ、あと一息でカペラが動き出してくれるはずだが。 「やれやれ……面倒事ばっかりだ」 ついつい頭の中に3人娘のことが浮かんでくる。果たして、あの3人を俺がどうまとめたものか。柄じゃないが、俺のするべき仕事だろう。 「くえー!」 「どうした、トリ?」 「くえっくえーー!!」 騒ぎ出したトリがバサバサと走り去り、その後を追いかけるように立った後、遅れていい匂いが漂ってきた。 「お、もう飯か」 「…………」 「なんだ、もう食っちまったのか」 「冬馬くんも、食べ終わったら、 食器はおいといてくださいね」 俺から視線を外したまま、ななみはシンクで食器を洗っている。 皿洗いは金髪さんの担当のはずだが、どうやらまだ寝坊しているようだ。俺は肩をすくめて席に着いた。 「……お待たせしました」 ほどなく、柊ノ木さんの手でうっすら焦げ目のついたフレンチトーストが運ばれてきた。 「柊ノ木さんも ゆうべから二人と口きいてないのか?」 「は…………はい……」 「それに、ななみさんもりりかさんも、 私の話なんて聞いてくれないと思います」 「柊ノ木さん?」 「すみません、お店の掃除してきます……」 「ふぅ……でもって金髪さんは相変わらずか」 今朝からサンタたちは別々の行動を開始したようだ。昨日のうちに修復できなかった傷口が、1日経つことで、さらに大きく開いてしまった。 今朝はボスのスペシャル修行もお休みだ。毎日稽古をつけられるほどロードスターも暇じゃない。 さらにはお店も休業日にしたので、のんびりとした朝になるはずだったのだが……。 ──ぴんぽーん♪ 「どなたですかー?」 「おはようございまーす」 「大家さん、どうしたんですか、 こんな早くから」 「今日、お店休みでしょう? 前から気になってた窓枠の立て付けを、 キチンと直しとこうと思ってね」 「そ、そんなことでお手を煩わしては! わたしたちでやりますからー!」 「とはいえ、大家さんの許可なく 修繕はまずくないか?」 「ううん、直すくらいゼンゼンいいですよ。 でも慣れてるから 今日のところは私に任せてね」 窓枠の隣で背伸びをしたきららが、器用にかなづちを振るっている。 「どうですか?」 「これなら瞬殺ね。 それより……」 「ねえねえ、店長さん?」 「なんでしょう?」 「なんか、 ななみちゃんも硯ちゃんも 元気ないみたいですね」 「わかっちゃいます?」 窓枠の修繕をしてくれる大家さんに、俺はまず、朝につぐ美がやってきたところから話してみようと思った。 「謎の怪光線!?」 「そ、そんなのが見えたんだって話で、 つぐ美って子があちこちカメラで……」 「あー、 あの子は徹底してるからね。 しつこいよ」 「親しいんですか?」 「私、あの子の通ってる学校のOGなの」 「へー」 「あ。 それで、みんな隠れてるんだ」 「そういうわけじゃないんだが……」 そういうわけじゃないんだが、サンタの会話はほとんどゼロだ。 やれやれと肩を落とす俺に、きららがにこっと微笑んでよこした。 「ま。 そう気をおとすことじゃないんじゃないかな。 うちもだし」 「うち?」 「ばーちゃんと喧嘩が絶えないの。 うちのばーちゃん気むずかしいから余計にね」 「そうなんだ」 「家族だからね。 赤の他人ならかえって 気にならなかったりするんだろうけど」 「ふーん……家族か」 「家族だから何度も同じことで喧嘩するし、 ぜーんぜん進歩ないんだ」 「でも、次の食事時には もう普通に喋っているんだから、 考えて見ると不思議かも」 それは俺たちの即席ファミリーにしたって一緒のことだ。 一緒に住んで、一緒に飯食って、一緒に店やって。 家族だから喧嘩もするし、当然、仲直りだって……。 「よいしょ……っと、これでいいかな?」 「ああ、ありがとう」 「ふふふ、ガタが来たときは任せてね」 試しに窓を開閉してみると、とてもスムーズになった。 「今日はこの窓のためにわざわざ?」 「それと、みんなの様子を見たかったのと、 あと本題が2つ」 「ずいぶん盛りだくさんですね」 「ふふ、約束事は忘れない〈性質〉《たち》なの」 「しろくま町案内ー!?」 「む……!」 「そ。約束したでしょ?」 「そういえば!」 「安いお店を教えていただけるとか……」 「それだけじゃなくて、 町のあっちこっちを見てもらいたいんだ。 それなりに歴史のある街だから」 「いいですね、今日はお店休みだし!」 大家さんの召集で、寝坊したりりかも含めたツリーハウスの一堂がリビングに集合していた。 まだ少しギクシャクを引きずっているようで、サンタたちは相手を気にして、互いにチラチラと目線を交差させている。 「と、その前に……もうひとつ!」 「ばーちゃんがこれ持ってけって言ったんだ」 大家さんが取り出した1枚の書類を、みんな同時に覗き込む。 「ほらあな商店会!?」 「む……!」 書類は、商店会名簿の記入用紙だった。 「どういった会なんでしょう?」 「うーんと。 簡単に説明するとね、 この街の中心部には2つの商店会があるのよ」 「ひとつは、しろくま通りに面した商店が 入っている『しろくま通り商店会』! これが町でいちばん大きな商店会ね」 しろくま通りは町のメインストリート。銀行、デパートから土産物屋まで、たくさんの商店が建ち並んでいる。 そこの商店会となれば、確かに規模も大きいだろう。 「ということは……」 「そ、こっちは、 ほらあなマーケットを中心にした商店会!」 「でも、うちってマーケットどころか、 市街地からも離れた場所にあるんですけど?」 「だからなのよ! ほらあな商店会は、来るもの拒まずで、 圏外のお店でも入っていいことになってるの」 「でもって、 うちのばーちゃんが会長やってるの。 どう、入っとく?」 「ああ、それはむしろありがたい」 サンタとしても、こうやって町の人のあいだに溶け込んでいけるのはありがたいことだ。 「さすがきららさん。 郷に入らばゴートゥヘブンですね!」 「そーそー、良くわかんないけどそんな感じ」 「それを言うなら、郷に入らば郷を制すです」 「知ってたもん、わざと間違えただけ!!」 「…………(恥ずかしい)」 「じゃあ、この用紙に記入して。 うちの店子さんだし、審査なしで一発OK!」 さらさらと言われるまま用紙に記入しながら、はたと気づいた。 ──もしかして、仕事も増えやしないか!? 「どうしました?」 「ああ、なんでもない」 ま、そのときはそのとき。店長らしくこなしてみせればいいさ。 「じゃあこれ、ばーちゃんに渡しとくね」 「よろしくお願いします」 「ではでは、用事その2が済んだところで、 てきとーに出発しますか?」 「ぜひぜひー!」「いきましょう!」 「む!」 「(いい? 大家さんの前では一時休戦!)」 「(もとより承知!)」 「それじゃ、準備ができたら出発しましょう」 「店の戸締りOK!」 「準備中のプレートもOKです」 「トリさんおるすばんOKー♪」 「ぎょーーー、ぎょぎょーー!!」 「悪く思うな、トリよ」 「それじゃー、さっそくしゅっぱーつ!」 「おーーーー!!」 「って、なんでまた同時(ですか)!?」 「…………はぁぁ」 「そういうわけで、 ここがしろくま町のメインストリート、 その名も『しろくま通り』!!」 「おおおー! ここが噂の!!」 「知ってるでしょ」 「ですけど地元の方に言われると説得力があります」 「説得力だけじゃなくて、おトク感もあるのよ♪」 「安売りのお店のことですか?」 「あ、できれば、わたしにもオススメの おいしいもの屋さんを教えていただけると!」 「中古ゲーム屋も!」 「うんうん。 じゃあみんなひっくるめて、 まずは映画を見よー!」 「なんでですかー!!」 「この町について知るには、映画が一番なのよ♪」 かくして、わけもわからず大家さんについていった俺たちは、『しろくま座』という小さな映画館へ案内された。 そこで上映していた映画がこれだ──。 「うっ、ううっ……! いい映画でしたね、『おはようくまっく』!」 「おかえりくまっく」 「あうう……似てる」 「全く似てない」 おかえりくまっくは、昭和のころ、この町で実際に起こった原発招致運動をテーマにした映画だ。 原発ができることが決まり、昔からあった動物園が廃園になり、白熊の『くまっく』が東京の動物園に送られてしまう。 くまっくはこの町のシンボルといえる動物でくまっくを再びこの町に返そうと、原発招致の反対運動が起こる。 紆余曲折の末に原発招致は取りやめになったが、同じころ、年老いたくまっくは東京の動物園でひっそり息を引き取っていた──という物語だ。 「細かいところまでよく作られてる映画だったな」 「うぅぅ……涙なみだのお話でした」 「この町の歴史の通りでしたね」 「へえ、よく知ってるね」 「硯ちゃんはしっかりさんですから」 「誰かさんと違ってね」 「む!! そう言うりりかちゃんは知ってたんですか!? ごきげんくまっくーが本当のお話だってこと!」 「おかえりくまっく」 「あうぅ……」 この二人、まだ喧嘩の余熱は引いてないみたいだ。 「くまっくはこの町のシンボルなんだ。 そこら中にいるから探してみてね、 たとえば、ほら……こっちこっち!」 「ほらね」 駅前ロータリーを横切った大家さんが指さしたのは、植え込みの中央に設置された、逆立ちした熊の像だ。 「駅前の『さかさ熊』の像。 これも子供の頃のくまっくが モチーフになってるのよ」 「どうして逆立ちしてるんですか?」 「実は動物園で曲芸をしてたとか」 「残念、くまっくの本名はマックっていうの。『熊のマック』だから『くまっく』。 ……で、くまをひっくり返してみると?」 「マック!」 「くまが逆立ちして、 マックになるというわけですね」 「そういうこと〜♪ ま、映画も楽しんでもらえたようで何より」 「とってもためになりました。 さすが大家さん!」 「あれ、最近のリメイクなんだよね。 最初の映画は昭和何年だったか、 ずいぶん前に作られたんだ」 「それにしてもキャストが豪華でしたね。 主演は〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》さんでしたし」 「有名人?」 「と、とーまくん、ものを知らなすぎです!」 「え? 金髪さん知ってたか?」 「し、知ってるし! 楽勝だし!」 「近頃よくテレビに出てるんだけど 知名度はまだまだなのかな。 一応ね、この町出身の有名人なんだ」 城悟──金髪さんもどうやら知らなそうだし、ここ1、2年で人気の出た俳優さんか。 「で、住民運動の裏ボスがいたでしょ?」 「あの、すっごく意地悪なおばあさん!」 「因業マネーモンスターって感じだったよね、 血管にドス黒い血が流れてそうな……」 ちなみに表のボスは豪傑笑いが特徴の、気の良いおっさんだった。 で、そのおっさんを祭り上げて、裏でいろいろ画策するのがそのばあさん。 「あれ、うちのばーちゃんがモデルなの」 「そそそそそーだったんですかー!!!」 「ばーちゃんたら、あの女優さんが気に入らない らしくって、もうカンカン。ちーっとも似てない なんて言って、一度も観に来てないんだ」 「い、いやぁ、それはなんとも……!!」 「リメーク前も後も、 どっちもはまり役だったと思うんだけどね。 両方ともエランドール助演賞も取ってるし」 「(い、いったいどんな大家さんなのでしょう?)」 「(考えないほうがいいと思う)」 映画の感想を話しているうちに、また、しろくま通りに戻ってきた。 「そーゆーわけで、お待ちかねの お買い得なお店紹介のコーナーね!」 きららが、遠くに見えるスーパーを指差してみせる。 「はい、あれが全国でおなじみ、スーパーの ガイエーね。で、隣にあるやたら立派なのが、 同じガイエーグループの『しろくま壱番館』」 「昨日のお買い物は、あの辺りでしました」 「ですが! あのへんのお店は 基本高いからオススメできません」 「そ、そうなんですか!?」 「見るからにご大層だもんねー」 「でも、金曜日のガイエーは 加工食品が安いので、 新聞のチラシをチェックするように!」 「は、はいっ、なるほど……(メモメモ)」 「でもって、地元民がいつも買い物をするのは、 表通りからひとつ裏に入ったこっち側!」 「じゃん! ここが商店会でおなじみの、 ほらあなマーケットです。 ペンキ屋さんに来たから知ってるよね」 「はい、それはもう!」 「野菜を買うなら角の八百政。 お肉はミートショップくじらや」 「ま、そんな感じで、食料品はここのお店を 回ったほうがいいわよ。 地元の農家直送だから美味しいしね」 「なるほどー、この町の台所なんですね」 「お、いいこと言うね。 昔はこんな風に空が見える商店街じゃなくて アーケードがあったんだ」 「それで『ほらあな』なんですね」 小さな商店街に、食料品の店から床屋、大衆食堂などなど、多種多様な店がひしめき合っている。 言われて見れば、ぎゅっと凝縮された生活空間といった趣だ。 と、あたりをキョロキョロ見回している俺たちのところへ、恰幅のいいおっさんがひょこひょこと近づいてきた。 「おう、きららちゃん! 肉買いに来たんだろう!」 「今日は違うって。 あ、この人はミートショップくじらやの主人、 谷野輝夫さん」 「おお。肉のことなら ミートショップくじらやをよろしくな!」 なぜだろう。この人の額に『肉』という刺青を彫ったら、とても似合うだろうと思ってしまう。 「それから商店会の寄り合いが、 火曜の夜にあるって覚えてる? ごはんも出るから晩ご飯食べないで来てね」 「あいよ、 肉食えよ肉!」 俺たちのほうを見てにんまり笑ったおっさんは、小走りに通り過ぎていった。 「さすが大家さん、顔が広いですね」 「ああ、ほんとに……」 「やあ、こんにちは。 今日はみなさんおそろいで」 「こんにちはー」 「こんにちはー」 今度は進さんがやってきた。大家さんの顔が広いというよりは、この商店街は知り合いだらけ、といった感じがする。 「いま、大家さんに町案内をしてもらってるんです」 「へえ、そりゃラッキーだね。 鰐口さんは、この町を 隅々まで知り尽くしてるんだよ」 「きららです#」 「さっきツリーハウスで新しい看板を見ましたよ。 今回のも気合い入ってますね」 確かに、あの立て看板のデザインには素晴らしく気合いが入っている。 「そう見えたのなら嬉しいな。 ボクのペイントには愛が溢れているからね!」 ……主に電車への愛が。 「それはそうと、町案内をするなら移動はくま電に 限るよ! なんといってもオフシーズンの今は 1日乗車券が格安のうえ、電車にも――」 「はいはーい、 まもなくドアが閉まりまーす」 「あっ、待って! まだ乗ってません!」 「駆け込み乗車はご遠慮くださーい。 いくわよみんなー」 乗り遅れたペンキ屋さんをおいて、きららさんはみんなを引き連れていく。 「すごい技ですね、さすがきららお姉さん!」 「ま、慣れてるからね。 さあ、さっさと商店街を抜けちゃいましょー」 ほらあなマーケットを抜ける──とはいっても、ななみの好きそうなケーキ屋とか、ゲーセンとかを覗いていたのでずいぶんとかかってしまった。 南へ抜けて少し進むと、目の前に公民館のドームが見えてきた。 「しろくま町公民館ですね」 通称くまドーム。町役場と町議会場、それに図書館と公民館が併設されている、この町の心臓部分だ。 去年のイブ、ここでサンタ先生と合流し、二手に分かれてプレゼントを配ったのを思い出す。 「あ……」 きっとななみも同じようなことを……。 「くまっく発見!」 「そっちか」 プラネタリウムのドームに白熊のオブジェが乗っかっている。 「だから、くまドームってわけ。 あ、でもお店開く前に ここへは手続きしに来てるか」 「はい、実は来てました」 「(ここで勝手に名前つけたのね!)」 「(ま……まあまあ、楽しく行こうぜ)」 「ん、だったら次は……」 「じゃん! 『鳴らないカリヨン塔』です」 「おおー、でも鳴らないのか」 「肝心の鐘がないのよ」 「それじゃ、ただの塔ですね」 本来のカリヨンってのは〈鐘楼〉《しょうろう》のことで音階の別れたいくつものベルを鳴らして、音楽を奏でるというものだ。 「戦争のごたごたで外されちゃったんだ。 でも、一応は名所になるのかな?」 「その割に、由来を書いた看板とかはないんだな」 「あはは……これ、うちの持ってる物件なのよね」 「この塔が!?」 「ばーちゃんがものずきでさぁ」 あらためて、鰐口家のカリヨンを見上げる。 「はぁぁ……もの好きのレベルを超えてるな。 しかし、こんな塔があったとは」 「空から見たときは気づきませんでしたね」 「へええ、遊覧ヘリでも乗ったの?」 「そうなんです!! この子だけ抜け駆けで!!!」 「(ばか!!)」 「(ご、ご、ごめんなさい!  ちょっと口が滑ってしまいました)」 「(大丈夫だ、怪しまれた感じはない)」 見れば、大家さんはまたも顔なじみと思わしき初老の男性に声をかけられている。 「あ、紹介しときますね。 例のツリーハウスのおもちゃ屋さんの方々です」 そう言って彼女は、男性を連れてきた。黒いタキシードに杖をついた、場違いなほど身なりのしっかりした人だ。 「あ、どうも、店長の中井です」 「おや、あなた方がそうですか。 噂はかねがね聞いてますよ」 「ええと……おじさまは?」 「すみません、自己紹介が遅れましたね。 私、〈熊崎〉《くまさき》〈五郎太〉《ごろうた》といいます」 「熊……ゴローさん?」 「(勝手に省略するな!)」 しかし、見た目は穏やかな老紳士といった趣なのに、ずいぶん見た目と名前のイメージが離れてる人だ。 「五郎太さんは、この町の町長さんなんだ」 「ちょ、町長!?」 「わわ、はじめまして!! わたし広報担当の星名ななみです!」 「いやー、本日はお日柄もよく、 恐悦至極のいたれりつくせり……」 「わきゃっ!?」「はじめましてー!! ハイパーフロアチーフの月守りりかです!!」 「きのした玩具店は、子供が安心して遊べる木の おもちゃをメインにしたお店なんです。ちなみに あたしはおもちゃの国のお姫様って呼ばれてます♪」 「ほほう、そうなのですか」 お、町長さん食いついてきた。 「子供に優しく地球に優しく、 地域に根ざしたおもちゃ屋さん!! この町の未来のためにがんばります!!」 「ほっほっほ、それはそれは。 何か困ったことがありましたら、 相談してください。お力になりますよ」 「それでは、私は公務がありますのでこれで。 みすずさんにも宜しくお伝えください」 「はーい」 「ごきげんようーー☆」 去っていく町長さんに向かって、りりかが愛想笑いで手を振っている。 その後ろでななみが、珍しくぶすっと不機嫌な顔をしていた。 「広報担当はわたしなのに……」 「どうしたんだ」 「りりかちゃんは、 なんでも1人でやろうとしすぎです」 「あれはあれで気を遣ってるんじゃないのか?」 「むー、そうでしょうか?」 「んでもって、この家はそーっと通り過ぎて」 「どうしてですか?」 「ばーちゃんにつかまると大変だから」 「ここ、きららお姉ちゃんの!?」 「そ、静かにね……」 確かに、表札に立派な毛筆書体で『鰐口』と刻まれている。 もちろん、誰もそれを口に出して読んだりしないのが、大人のマナーだ。 大家さんの家の近所を抜けて少し歩くと、視界が晴れて、しろくま湾の青が見えてきた。 「わぁぁ、海だーー!」 「む!」 「ここからの景色、最高でしょ? 知る人ぞ知る穴場なんだ」 大家さんの言葉どおり、カメラを構えた観光客っぽい人の姿がちらほらと見受けられる。その向こうには、幸いの好天に、秋の海面がキラキラと美しい。 「海だー、海だー、いっきますよー♪」 「はいはい」 「………………」 「どうした、行かないのか?」 「すみません、うまく馴染めていなくて……」 「え?」 返答に困る俺を残して、柊ノ木さんはななみたちの後を追っていく。 その静かな足取りは、まるで自ら気配を消そうとしてるようでもある。 「あの子はあの子で、気にしすぎなんだよな」 この景色を見てウキウキしないんじゃ、よほど昨日のことがこたえてるんだろう。 「わーい、海水浴場!」 「秋よ」 「でも、来年泳げます!」 「そーね、この海は遠浅で楽しいよ、 夏休みの時期は結構混むけどね」 視界の向こうには熊ヶ崎の灯台があり、その先にある熊崎港に向かう船が水平線の近くに小さく浮かんでいる。 「いまから夏が楽しみですねー! ん……れろれろ……ぶるるるる!」 「って、なに食べてんの!?」 「名物・しろくまくんアイスれふ。 そこの売店さんで売ってまひたので」 「いつの間に!? しかもこの寒空にアイス!?」 「見ているこっちが寒くなるな」 「食べてるわたしも寒いれふ……ふるるる」 「でも、1人だけは感心しないなぁ」 「あう!? す……すみません、つい美味しそうで」 「そうですよ! さすがきららお姉さん、いいこと言う♪」 「きららお姉さんって、ちょっと長くない?」 「じゃあきらら姉……きら姉で!」 「きらねーか……ふふ、 じゃあ私はりりかちゃんでいいかな?」 「もちろんです。 あっちのはピンク頭で」 「もー、なんでですか!」 「ほらほら、喧嘩しないの」 「んじゃ、みんなで食べよっか。 冬でもおいしい、しろくまくんアイス。 おすすめだよー♪」 「ええっ!?」「はーい♪」 「ぶるるるる……さむいー!」 「しろくまくんアイス、 おいしかったですねー」 「なんで平気かな。熱あんじゃないの?」 「………………(ぶるるる)」 しろくま海岸からくま電に乗って、今度は一気に町の北側へ。 しかし、電車の中でも3人娘のチームワークは、相変わらずぎくしゃくしている。 硯はさっきからずっと無口のまま。ななみとりりかも話しにくそうで、電車に乗ってから、ろくに口も開かない。 こんな姿をボスに見られたら、精神修養が足りん! と一喝されそうだ。 もっとも、昨夜は俺も〈癇癪〉《かんしゃく》を起こしかけたから、他人のことばかりは言えない。よし、ここはひとつ俺が盛り上げ役を……。 「おいおい、外見てみろよ。 さっきの海水浴場が見えるぞ!」 「もう見たし」 「じゃあ反対側だ!」 「山ですね」 「山ね」 「………………」 だめだ、彼女らには余裕が足りておらず、俺にはスキルが足りてない。 「店長さんは大変だ」 「いつものことです」 「そういえば、前に電車の中であの人に会ったな。 大家さんのお知り合いの、〈神賀浦羽衣〉《かみがうらうい》さん」 「あぁ。 お姉ちゃんいつも電車で ぐるぐる回ってるから」 「そういうお仕事なんですか?」 「どういう仕事ですかそれは」 仕事ではないようだ。 「名字が違うんですよね?」 「うん、血はつながってないからね」 「血のつながっていないお姉さん!? うーん……どういう関係なんでしょう?」 「だから姉ちゃん」 「……???」 みんなの頭に大きな『?』をともしたまま、電車はニュータウン東駅へと滑り込んでいった。 くま電を降りてやってきたのは、穏やかな空気の流れる、〈樅〉《もみ》の並木道。 というか、我らがしろくま支部、サー・アルフレッド・キングのお屋敷の近くだ。 「ここもいいでしょ? ブラウン通りって言うんだ」 「ブラウンってのは、昔の偉い人の名前でね」 それは町の資料で読んだことがある。 「オットー・ブラウン。 明治から戦前にかけて、この土地の 街作りに尽力したドイツ人……」 「おお、よく知ってますね。 この〈樅〉《もみ》の並木を植えたのが、 そのブラウン氏なんだって」 「なるほどぉ!」 「でもって、あそこに当時のブラウン邸が あるんだけど、今は普通に人が住んでるので、 観光は禁止」 そう言って大家さんが指差したのは、俺たちの良く知った茶色い洋館……。 「(あれって……)」 「(うちの支部?)」 「(……ですよね)」 そのとき、素晴らしいタイミングで並木道の向こうに赤く巨大な人影が見えてきた。 「HAHAHA!!! ボッチャンジョーチャン、ウェルカムねー!」 「わぁぁああぁぁぁぁああ!?」 「どーしたの?」 「ろ、ロードスターさん……!?」 「ロードス島?」 「わぁぁぁ!? いや、戦記っていうか、その、 あのサンドイッチマンさん、ギリシャのほうから 来た人なのかなーと思って!」 「さあ、どうだろ……聞いたことないな」 と、苦しい言い訳をりりかがしているその向こうから、黄色い声援が飛んできた。 「きゃーー、ステキおじさまーー!!」 「おじさまのおヒゲ、ちょースイーツですーー」 「こっち向いてくださーい!!」 「これはリトルなマドモアゼル。 スマイルはゼロ円ですよ……キラーリ☆ニヤーリ」 「きゃーー!! おじさまのダンディースマイル発動ーー!」「ちょー和みますーーー!!」 「この町……どーなってんの」 「な、なにが起きてるのでしょう??」 サンタは町に溶け込み、人々を理解する。ロードスターがそれを率先してやっているのだろうが、いやしかし……。 「オゥ、一句浮かびました。 分け入っても、分け入っても、フルオブロンリネス」 「出たわ、ステキおじさまのフリースタイル川柳!」「きゃあああ、ヤバすぎるー!!」 「はいはい、アメをあげようね」 「(い、行こう……なんかやなもの見た)」 「(うんうん、わかります。  あのアメ美味しかったし……)」 「(なにをのんきなことを!  いま見つかったら  サボってると思われるかもしれないじゃん)」 「(そ、それは明日の早朝修行がピンチですね!)」 「すごいわね。 相変わらず、あのおじーちゃん人気あるなぁ。 ん、みんな、なに隠れてるの?」 「いえ、なんでも……あはは。 それより、次、次がいいですー!」 「この通りの先に、 私の母校があるんだけど……」 「そ、そっちはいいですーーー!!」 「んじゃ、次はここね、 しろくまニュータウン!」 「おもちゃ屋さんのある森にも近いし、 ここでたっくさんアピールして、 お客さんをゲットできるといいね」 「まったくもって」 相槌をうちながら、俺たちの視線はついつい空のほうを見てしまう。 昼間、ここに足を踏み入れるのは初めてだ。ルミナの空白地帯も、太陽の下で見るとごく穏やかな住宅地だ。 「昔、しろくま町ができる前はね、 こっから北の山側が〈白波〉《しらなみ》村で、 南の海側が〈熊崎〉《くまさき》村って言われてたんだ」 「はて?? しろくま町って、くまさんの名前から 取ったんじゃないんですか??」 「さすがにそりゃないよ。 〈白波〉《しらなみ》の白と、熊崎の熊をくっつけて しろくま町ってわけ」 「でも、白熊がひらがなになったのは、 くまっくのおかげなのかも。 漢字がないとうれしいよね」 きららさんの学力はかなりアレなのか。いや、漢字がないと嬉しいくらいで、そう判断するのは失礼だな。 「……うう、くまっくー!」 この町に帰ることのなかった白熊の映画を思い出してななみが瞳を潤ませる。 「あの映画で動物園のあった 原発の予定地って……」 「そ、このへんなんだ。 原発のかわりにニュータウンができたってわけ」 「……静かな町ですね」 確かに、ざっと辺りを見渡しても、歩いている人は多くない。閑静と〈寂寞〉《せきばく》の中間といったところだ。 おかげで昨夜は、コースアウトした機体を誰にも姿を見られずに済んだのだが、ここで営業することに意味はあるのだろうか……? 「昼間は大きな町に 勤めに出てる人ばかりだからね」 「で、こっから電車で山のほうへいくと、 しろくま温泉郷。アルカリ性単純泉で、 肩こり、疲労回復に効果アリ!」 「おおーーー、おんせん!!」 「一応就業時間だが、行ってみるか?」 「さんせーい、射的もあるし!」 「で、でも私、混浴はちょっと……」 「あれ、硯?」 「さつきちゃん?」 曲がり角の向こうから、小柄な女の子──さつきが姿を現した。 硯の表情がふっと和らぐ。 サンタ仲間や俺には見せない笑顔だ。それを見て、今日これまでの硯がどれだけ硬かったのか、気づかされた。 「おりょ、みなさん勢揃いで。 今日はお休み?」 「きららさんに、 町を案内していただいてるんです。 さつきちゃんは?」 「私は集金の真っ最中」 「もうすぐで下校時間だからね。 今のうちにやっとかないと、 騒がしくってやりづらくなっちゃうから」 「子供多いんだ、よかった……」 「うん、わりと多いよー。 あっちのほうにまだ学校があるからね」 「まだ?」 「なんでも、もうすぐで廃校になるらしくて。 んじゃ、ちょっと急いでるからまたねー」 さつきに別れを告げてしばらくすると、遠くからチャイムの音が聞こえてきた。 「子供が多いってことは、 なおさらニュータウン攻略が大事ってことね」 「攻略?」 「わぁぁ!?」「もが、もがもが……!!」 「あ。そうか! ニュータウンを攻略して お客さん、がっちりゲットしないとね!」 「そ、そうなんですー!」 「ここが昔、 くまっくのいた動物園があったとこ」 「熊崎城址公園?」 「あそこ、モニュメントがあるでしょ。 あれが、くまっくの碑」 「映画で見たのと一緒ですね」 ななみが神妙な面持ちでモニュメントを眺める。 「もっと昔は、熊崎城ってお城があったみたい。 戦国時代に建てられた城で、 確かなんとかって大名が――」 ──がしっ! 「きゃう!?」 「待ってたよぉ」 「ね、姉ちゃん!? いったい、どこから!!」 「それはナイショ。 はーい、おべんきょうの時間ですよぉ」 「わ、姉ちゃん! ちょっと待ってー! まだ案内したい場所が残ってるのーー!!」 「うふふ、だぁめぇ@」 ──ずるずる。 不意に物陰から姿を現した神賀浦さんが、昨日と同じく、有無を言わさぬ力で大家さんを引きずって行く……。 「じゃ、じゃあみんな! なにか困ったことがあったら、 いつでも言ってぇぇーー!!」 「みなさんごきげんよう〜♪」 「……いってしまいました」 「え? え? これで町案内終わり?」 城址公園できららさんと別れた(?)、俺たちは、とりあえずくま電に乗ることにした。 「…………つーん」 「…………ふーん」 身内だけになった途端に険悪ムード復活か。 確かに相性のいいメンバーとは言いがたいが、ここからチームワークを築いていくのが、チームの醍醐味ってやつだ。 そう言い聞かせて自らを奮い立たせる。 「なあ、このまま帰ってもいいんだけど、 せっかくだから温泉郷まで行ってみないか。 尻切れトンボじゃ気持ち悪いだろ?」 「とーまくんが行きたいならいいですよ」「国産が行きたいならいいけど?」 「む!?」 「ピンク真似すんな!」 「そっちこそ先回りしないでください!」 「なによ!! きら姉の前でバカみたいに『空から見たでござんすー♪』とか言ってた くせに! バレたらどーすんの!?」 「そんな言い方してません! それにりりかちゃんだって ニュータウン攻略とか言ってたし!」 「むぎぎぎぎぎ!!!」 こりゃ、空気を変えるどころじゃないな。 しかしなんというか、ジャブばかりでいまいちスッキリしない喧嘩だ。女子のいざこざってのはこんなもんなのか? 「あの……中井さん……」 「わかってる、仲裁なら俺がするから。 柊ノ木さんは心配しなくていいよ」 「むーぎぎぎ、むぎぎ、むーーーぎぎぎ!!!」 「おい、ひとまず車内は静かにしようぜ」 ガラガラの車両は貸切状態だが、それでもマナー的によろしくない。 「でも……」 「へ?」 「どしたの、すずりん?」 「いえ……なんでも」 「なにか気になることがあるんだろ?」 「はい……その、サンタは秘密厳守なのに、 どうして皆さん気軽にあんなこと 話してしまったのかと思って……」 「言われてみれば、 あたしいつも気を付けてるのに」 「わ、わたしもそーですよ!」 「えぇ??」 「ほんとですってば! けど、きららさんの前だと、 サンタのことも普通に話せちゃう感じで」 「ああ、確かにそれはある。 大家さんの人柄かな?」 「でもそれって危険よね? 特にこのピンク能天気ヘッドとか!?」 「ドリルちゃんのほうが100倍危険ですー!」 「なによ!!」 「なんですか!!」 「着いたーーーー!!!!」 「きゃああ!?」 「な、なんですか、いきなり大声で!?」 「なんでもない、降りるぞー」 「わぁぁ、温泉ですー! 温泉郷、右も左も湯気だらけー!」 「こんなに賑わってるんですね」 「射的もやってるし♪」 小競り合いサンタさんたちも、さすがにこのロケーションにはテンション上がったようだ。 「ね、とーまくん! せっかくだから温泉はいりましょーよー」 「よし、そうしよう!!」 はしゃぐななみと同様、俺も温泉で一休みしたいところだが、あいにくサンタ様ご一行は予算切り詰め中だ。 というわけで……。 「はぁ〜、癒されます〜」 「ほんとだー、ほわぁぁ……ハマりそうー」 「ま、今日のところは無料の足湯で我慢だ」 「ぜーんぜんオッケーですー」 「足だけなんて初めてですけど、 気持ちいいものですね……」 足先から温泉が身体の芯まで温めてくれるようだ。トナカイもサンタも、飛行では足腰を酷使するだけにこいつはまさに天国の心地。 さあ、この雪解けムードのなか、店長としてはサンタさんたちのチームワークをなんとか築き上げたいところなんだが……。 「お、そうだ! あれ決めよう、名前! ゆうべ先生が話してたやつ」 「チーム名のことでしょうか?」 「そうさ、俺たちのチームの名前だ! カッコいいのを考えようぜ」 「言い出しっぺの国産には 何かいい案があるの?」 「むむ、俺か? ええと……そうだな……」 「しろくま町……サンタ……んー、 ジングルベル……ツリー……〈導きの星〉《ロードスター》……」 「ふむふむ?」 「んー…………」 「『しろくまベルスターズ』なんてのはどうだ?」 「球団名か!!」 「パンチがきいてません」 「うぐぐ……好き勝手言いよって!」 「ま、トナカイのセンスなんてそんなものね。 こういうのは、もっとハッピーな気分になれる 感じじゃないとダメなのよ」 「と、言いますと?」 「そうねー、あたしだったら、 聖夜をモチーフした綺麗な感じがいいから……」 「聖なる夜、キラキラした星空…… だから、んーっと……セイントとか、 イブとか………………そうだ!!」 「聖☆聖夜!! すごくない!? 聖と聖夜の間に☆は必須だから!」 「……色々ひどすぎます」 「な、なんだとー!? じゃ、ピンクの案はどーなのよ!?」 「わ、わたしは、 聖なる夜に空を羽ばたくサンタさんの イメージで、ええと……」 「サイレントナイト〈翔〉《はばたき》!! これしかありません!」 「絶対却下!!」 「ど、どこがですかー? だいたい☆ってなんですか! 発音しないじゃないですか!!」 「ふっ……行間を読むだけの知能がないから このハイパーセンシズが理解できないのね。 やっぱりピンクは頭の中までピンク色!」 「ななななっ!? り、りりかちゃんだって 頭の中まで真っ金金じゃないですかー!」 「ピンクよりゴールドの方が強いし!! 黄道十二宮だし!!」 「ピンクのほうがかわいいんですー!!」 「中井さん……やっぱり無理です」 「とりあえず落ち着け、 そして平和裏に話し合おう」 「話し合っても無駄! どーせピンクは 考えなしに思いついたこと言うだけだもん。 サンタは楽天的ならいいと思ってんでしょ!」 「ち、違います! りりかちゃんこそNYに 戻ることばっかり考えてるから、人の話なんて ぜーんぜん聞いてくれないし……!!」 「喝ーーーーーーーっっ!!!!!」 「うぇぇ……!?」 「……と、さすがにボスほど声は出ないか」 「な、中井さん……?」 「あのさ、サンタさんたち ちょっと聞いてほしいんだが」 「な、なによ」 「…………なんですか?」 「あのさ、サンタさんとはいえチームだし、 喧嘩をするのも分かるよ。 トナカイはそんなのしょっちゅうだしな」 「けど、やるならちゃんと喧嘩しろ!」 「…………!」 「どーせピンクは……とか、 どーせりりかちゃんは、とかさ、たった3日で そこまで相手のことが分かるのか?」 「………………」 「柊ノ木さんもさ、最初っから、 どうせ二人は私のこと分かってくれないって 思ってなかったかな」 「………………」 「それは結局、 頭の中でこしらえた相手に向かって 腹を立ててるだけでしかない」 「自分勝手に怒ってるのと ちっとも変わらないと思うぜ」 さっきまでやかましかったサンタさんたちが、神妙な顔で俺の言葉を聞いている。 「そういう喧嘩は絶対にスッキリしない。 ちゃんと相手と向き合わないと、 仲直りなんて絶対にできないぜ」 俺はガキの頃からそうやって鍛えられてきたし、曲者の多いトナカイの中でもそれは一緒だった。 けれど若いサンタさんは修行ばかりの毎日で、案外こういう衝突に慣れていないのかもしれない。 「………………」 「………………」 などと偉そうな俺も、実のところ説教垂れるなんてのは初めての経験だ。 昔、師匠に諭されたときのことを思い出して、勢い任せに喋ってみたはいいものの、困ったことにまとめの言葉が出てこない。 「………………」 さて、どうしたものか。こういうとき、気の利いた格言でも知ってれば、締めの言葉に使えるんだが……。 ええと────抱腹絶倒、違うな落ち着け。 「おお!? 電話だ!!」 「で、電話ですね!」 「早く出ないと!」 「そ、そうだな、出よう、うん!」 「ん……透か? もしもし?」 「中井さんですか? ちょうど手が空いたので これからカペラの整備を……と思ったのですが」 「おおっ! 悪いな、助かる。 俺もすぐに戻る!!」 「はい、僕も至急向かいますので、お願いします」 「よし、わかった。 それじゃ、また後で!!」 「と、いうわけで、帰らないと!!」 「そ、そりゃよかった!」 「カペラくんの修理ですね!」 「お、おう、みんなは?」 「わ、私は……夕食の買出しがありますから、 このまま行ってこようかと……」 「だったらわたしも行きます!」 「あ………………」 「り、りりかちゃんも一緒に行きましょう!」 「そ……そうね! 仕方ないな、 買い出しは一人で行かないって約束だし!」 「はい、お願いします」 「よし、じゃあ解散!!」 「了解です」 「………………」 「………………」 「解散じゃなかったの?」 「俺に言うな、方向一緒なんだから!」 「あぅぅ、なんか気まずいです……」 「どうだ?」 「うーん…… ハーモナイザーの同調率が不安定ですね」 「だよなぁ」 「たぶんですけど、 ルミナのエネルギー変換効率が、 高すぎるのが原因かもしれません」 「というと?」 「前にイングランドで似たケースを 見たことがあるんですが 〈星石〉《スター》が敏感すぎるんです」 「そのせいでタンクのルミナが 本来より高濃度のエネルギー結晶体に 変換されてるんです」 「そのせいで変換直後は機体の出力が急激に上昇、 しかし、すぐにルミナの供給不足に陥り、 今度は出力が低下します」 「それを繰り返しているせいで 挙動が不安定になっている?」 「多分……なんですけど」 「なるほど。 それで、計器の表示がこんなデタラメに」 「ぼくが操縦した時は、 石がハーモナイザーから離れていたために、 挙動が安定していたのかもしれません」 「敏感すぎる〈星石〉《スター》か……」 「でも、ルミナの変換効率の高い、 良い石だとも言えます」 「ベテルギウスの石よりも?」 「そうですね。 ただ、通常の星石より繊細なので、 調整にも時間がかかりそうですが」 「それでも……あと少しさ」 「はい」 『あと少し』しかし、10ヶ月待ってからの『あと少し』だ。透がいなければ、さらに長引いていただろう。 「……詳しいんだな、まだ若いのに」 「はい、それはもう……」 「サー・アルフレッド・キングに、 鍛えられましたから……か?」 「………………」 「僕は、小さい頃に弟子入りして、 サー・アルフレッド・キングに連れられて、 イングランドで修行しました」 「じゃあ、キャロルになってから、 結構長いのか」 「いえ、ずっとサー・アルフレッド・キングの 身の回りのお世話をしていましたが、 正式にキャロルになって、まだ1年程度です」 「1年か……それでサンタさんを叱れるんだから、 度胸はAランクだな」 「や、やめてください。 これでも緊張してるんですから」 「サンタとトナカイ、 どっちを目指すんだ?」 「どっちかと言われると……わかりません、 今はキャロルの仕事で精一杯で」 どっちかというと、どっちでもない。透は管理職に向いているような気もする。 「それにしても、こんなチームワークで……」 「本当にすまん」 「いえ、中井さんのことじゃなくて……」 「ん、それでも頑張ってるほうさ」 「……そうでしょうか」 ──ああ、そうさ。腹の中でそう呟いて、足湯での一幕を思い返す。 あいつら、あれから町に出てどうしただろう? と、そこへ階上からどたどたと足音が響いてきた。どうやら件のサンタたちが帰ってきたらしい。 「なんだ、またやけに騒がしいな?」 「はぁぁ……まったく、あの人たちは」 「ただいまー」 「あれ、誰もいない?」 「2人で地下に潜ってるんでしょ。 ん、なによ、ななみん!?」 「りりかちゃんはどんなのを買ったんですかー?」 「べ、別にいつも通り! あんたこそどんなの買ったの?」 「わたしも普通ですよ。 すずりちゃんは?」 「普通……ですけど……」 「むむむ……みんな普通と言いますか? これは大変ですね」 「なにが?」 「だって、わたしたちの「ふつー」が 試されてるってことですよ!」 「誰にどう試されているのよ?」 「ま、まあ確かに趣味とか嗜好とかあるし、 第一こーゆーのは いちばん個性が出る部分だとは思うけど?」 「そのふつーが、どれだけふつーなのか!?」 「わ、私のは本当に普通のもので!」 「なので!! せっかくですから、みせっこしませんか?」 「ええーー!?」 「なに考えんのよピンク頭!!」「そ、そんな恥ずかしいこと無理ですっ!」 「いいじゃないですかぁ。 お互いの好みを理解するのも チームワークづくりの一環です!」 「ち、チームワークか……痛いところを」 「ですけど、ななみさん……!」 「でも……ま、一理あるかも……」 「えぇぇ、りりかさんまで!?」 「よーし覚悟決めた! あたしは構わないわよ?」 「そんな…………」 「硯ちゃん、やりましょうよー!」 「そーそー、夕飯まではまだ時間あるし……」 「あぅぅ……!! わ、私は……みなさんがしたいなら……」 「よーし、けってーい♪」 「……あと少し、あと少し……か」 思わず漏れる溜息ひとつ。 もちろん〈星石〉《スター》の交換程度で簡単に動くとは思ってなかったが、細かい調整が意外に大変だ。 それでも透が骨を折ってくれているのでこっちはだいぶ助かっている。 「で……連中はどこへ消えたんだ?」 そろそろ夕飯だというのに、どこへ行ったのだろう。 「またメニューとかで喧嘩してなきゃいいんだが」 「わわ、ななみんってけっこうノーマル!?」 「だからふつーって言ったじゃないですか」 「確かに変じゃないわね。 もっとオマケつきとか、アメ玉入りとか そんなの想像してたけど……」 「もー、どういう意味ですか!! 普通ですよね、硯ちゃん?」 「は、はい、可愛いと思います。 ななみさんらしくて……」 「うん、子供っぽくてかわいい」 「り、りりかちゃんのはどーなんですか!?」 「あたしのは……ふつーにこれだけど……」 「黒っ!?」 「く、黒で悪いかーー!?」 「いっ、いえ……ステキだと思います」 「黒パンツってこのことだったんだ。 これが、りりかちゃんの、ふつー……」 「い、いいじゃん、黒って強いんだから! ラスボスってたいてい黒いし!!」 「ラスボスりりかちゃん……!? 確かにアダルト的な意味ではラスボスかも」 「うるさいうるさいうるさいっ!」 「あ、でも……!」 「あわせてみると……すごく可愛い!!」 「ほ、ほんと? や、やだ……そーかなぁ?」 「うん、さすがりりかちゃん、 おしゃれさんです!」 「そ、そう……ふふふ、だったらいいけど」 「んで、すずりんのは?」 「あ、あの……これ……です」 「わわ、清純!!」 「うっ、清潔感ナンバー1かも……」 「へ、変じゃないですか?」 「ううんっ! すごくすずりんらしい。 あたしこーゆーの合わないからなぁ」 「わたしはサイズ的に無理です……」 「うぅ……さすが最年長」 「そ、そんなことないですよ! 二人ともすぐに……」 「…………」 「すぐに、たぶん……」 「んー、でも見てるだけじゃ、 いまいちイメージ浮かばないよね」 「やっぱり……着けるしかないですか!?」 「ええぇぇぇっ!?」 「もー、こーなったら仲間だし。 お互いのこと、もっとよく知るには!」 「で、でも、でもそれは……でも!!」 「いちばん、星名ななみいっきまーす!!」 「あたしもー!!」 「うぅ……そ、そうですよね」 「わ、わかりました……チームワークですっ」 「まったく、なんだこの騒ぎは。 ななみの部屋か……」 やれやれ、また口げんかでもしているのか?今度はうまい締めの文句を考えて行かないと。 「おーい、何やってんだー?」 「わぁ、りりかちゃん やっぱりラスボス!!!」 「それ、ほめてるかどーか分かんない!!」 「やれやれ、またか……」 「っていうか……すずりん……すごい……」 「ほ、本当……別の意味でラスボス」 「やぁぁ! まじまじと見ないでください……」 「おい、なにやってんだ。大丈夫か?」 「さっきも言ったが、喧嘩ってのはな……」 「アーク・スラッシュ!!!」 「な、中井さん!? 今の声はっ!?」 「中井さん! 中井さんどこですかー!?」 「…………」 「テラスの方!?」 「中井さん! 何があったんですか!?」 「え……?」 「な……!?」 「…………?」 「!!!!!!」 「…………!!!!!」 「あーーーーーーーーーーー!!!!!!」 「わ、わわわ、とーるくん!?」 「なっ……なんでニセコがここにいるーー!?」 「ちっ、違います! 僕はただ……っ!」 「いやっ、いやっ、いやーーーー!!!」 「ま、真面目な子だと思ってたのにー!!」 「うわっ!? だから違うんですって!! 僕はただ中井さんの悲鳴を聞きつけて! あれ、中井さん、どうして倒れて……!?」 「このエロトナカイを 助けにきたふりをしても無駄よ!」 「とーるくん、成敗ですっ!!」 「ち、ちが……うげっ!」 「顔を上げるな! 淫魔キャロル!」 「呆然としたふりの凝視もダメっ!!」 「そういうわけじゃありま……うげっ!!」 「ソニックダガー!!」 「ぐぁぁぁぁぁ! どうしてこんなことに!? 中井さん!? どうして寝てるんですか!? 鼻から血を流して……!!」 「で、で、出て行ってくださいーーっ!!」 「は、は、はいいぃっ!」 「この鼻血も持ってけー!!!!」 「うわっ!?」 「そして記憶を全部消してくださーいっ!」 「目をつむってーーー!!」 「二度とこないでーーっ!」 「はいーーーーっっ!」 「ち、ち、違う!! というかなんだか分からん!!」 「うるさい、ピーピングトナカイ!!」 「してない、ピープしてない! むしろ堂々としてた!」 「居直るのってどうかと思います!」 「堂々と覗くのはもはや強姦!!」 「だから俺はまだ状況が……おい、な、ななみ!?」 「とーまくん、いくらペアでも節度があります!」 「うああぁぁぁぁぁ!!」 「だからみなさん!! 落ち着いて話し合いましょう!」 リビングの床に正座させられながら、おろおろ弁明する俺と透を、女子三人は三角形を作って取り囲む。 「とーまくんはともかく、 純真無垢なとーるくんまでっっ!!」 「いや、ともかくって何だ!?」 「こいつはもともとこーゆーやつよ!」 「違いますってば!!」 「ええい、同居をいいことにいたいけな 乙女のヌードをゲットしようなんて! 即刻死刑! 肉は塩漬け!」 「本当に見てない!! 入るなり殴られて、俺はなにも見る暇なく」 「ふーん、どーだか!」 「うぅ……っ、だから同居なんて……」 「だいいちノックをせずに開けたのが怪しいです」 「それはまたお前たちが 喧嘩をしてたのかと思ったから」 「ぼ、僕は中井さんの声がしたから 何かあったのかと!」 「いいわけするな、のぞきんぐ!」 「のぞきんぐ!!?」 「とーるくんは、リトルのぞきんぐです」 「ひどい称号だーー!!」 「二人とも……まともな人だと思ってたのに」 「トナカイの女好きはどーしょもないわよ。 人の血3割、野獣7割ってとこね!」 「とーまくん、ほとほと愛想がつきました」 「…………(つーん)」 「じゃ、じゃあぼく、そろそろ帰ります! サー・アルフレッド・キングに、 お使いを頼まれていてーー!!」 「そそそうなのか! じゃあ俺はそこまで見送ってくる!」 「あっ、逃げた!!」 「こらーーっっ!!」 「もうとーまくんは夕ごはん抜きです!!」 「反省してください!」 「で、で、ではっ! あとはよろしくお願いしますっっ!!」 「俺も支部にかえりたい……」 「無理を言わないでくださいっ!」 はぁ、はぁ……なんなのだあのトライアングルフォーメーションは。 3人とも完全に結束していて、何を言っても聞いてもらえそうにない。 こ、これは抜群のチームワーク!?俺という、共通の敵を得たことで!? うぅ……喜ばしいことが全く喜べないこのジレンマをどうすればいい!? 「……ふぅ」 冷たい水で顔を洗って、頭を冷やす。 うかつだった。女子と同居してるという意識が、いつの間にかすっぽり抜け落ちていた。 お子様のように見えはしても、彼女たちは立派な女子、しかもちょっと上司様だ。俺はそこのところを少し忘れていたのかもしれない。 おかげで喧嘩の仲裁どころか事態がぐちゃぐちゃになってしまった。 このまま放置するわけにも行かないし、なにより、チームワーク成立の鍵となるボールは俺の手元に来てしまったようだ。 俺がいますべきは、とにかく、この深刻な誤解を解いて、サンタに納得をしてもらうこと。 しかし、あの団結力を前にしてはまずい。皮肉な話だが、一人ずつ、根気よく当たることにしよう。 さしあたって一人目をどうするかだが……。 「……よう、ななみ」 「……とーまくん」 朝食後の空き時間。テラスでスコーンを食べていたななみに、俺は声をかけた。 「あのさ……なんというか」 昨日のことを釈明したいのだが、改まった空気になると、とたんに言葉が出なくなる。 「なんですか?」 「透の調整がそこそこうまく行ってさ、 せっかくだからカペラで、 テストフライトをしようと思うんだが」 「カペラくんが!?」 「ああ、一緒に飛んでみないか?」 「…………変なことしないですよね?」 「しないってば!」 「よーし、頼むぜカペラ!」 「きゃあああ!?」 「うおお!? っと、大丈夫か?」 「へ、平気です」 「よし、行くぞ……」 なんとか飛べるようにはなったものの、まだ出力が安定しないようだ。 しかし、そこはトナカイに乗り慣れたサンタさん。慣れたもので、怖がる様子もない。 俺はふらふらとツリーの周囲を飛びながら、話を切り出すタイミングを計っていた。 変にごまかしてもだめだ、本当のことだけを伝えよう。 「ななみ……その、こないだは悪かった」 「え……!? いや、そ、その……あれは」 「本当に、やましい気持ちじゃなかったんだ。 それは信じてほしい」 「うん、わかってます」 「……?」 「ほんとは事故だって分かってました、 だから……その、気にしないでください」 「でも、すごく怒ってたぜ?」 「そ、それは……!!」 「や、やですね……女の子ごころです!」 「照れ隠しみたいなもんか?」 「わぁぁ、なんでみなまで言いますかーっ」 「す、すまん! そっか……そりゃ何より……うわ!?」 「っとと……危ない」 「カペラくん、調子悪そうですね」 「ああ、これ以上は危険だな」 「すまない、こっちから誘っといて」 裏庭に不時着しながら、後ろに乗ったななみに謝る。 「でも、久しぶりのカペラくん、楽しかったです」 「いや、もう少し直ってからにするべきだった」 「頭が上手く回ってないな……。 愛機の調子がこうだと、正直焦ってくる」 「とーまくんでも焦りますか?」 「ああ、自分の役割が果たせないってのは、 なかなか辛いもんだぜ」 「…………」 「わたしも……焦ってたのかもしれないです」 「お前が?」 「そうは見えませんか?」 「しごくマイペースに見えるが……ん、いや でも、たまにそれっぽいときはあったな。 とくに金髪さんと……」 「そうなんです……」 「どうした」 「その……りりかちゃんが上手すぎて」 「上手すぎる……? たしかに、連中の技術は半端ないが」 NYから来たエリートコンビ。サンタじゃない俺から見ても、りりかの凄さはよくわかる。 「たぶん、わたしが気にしすぎなんです。 りりかちゃんにコンプレックスがあって」 意外な台詞だった。ななみがそんな風に感じていたなんて。 「そのせいで、りりかちゃんがなんでも1人で、 やろうとしてるように見えちゃって……」 「でも、とーまくんに言ってもらったから。 もっとちゃんとりりかちゃんのこと 見ないと駄目だって思いました」 「だから思いついたんですよ! 下着の見せっこしたら、もっと りりかちゃんのこと分かるんじゃないかって」 「なんでそうなる!?」 「秘密を共有するっていうか、 秘密を見せ合って仲間意識を 高めようという深謀遠慮がですね」 「……どっかズレてるな、おまえはいつも」 「うぅ……面目ありません」 「ま、それでチームが団結できてるんだから それでいいんだろうさ」 「できてますか?」 「俺を吊るし上げた時は凄かった」 「おおっ! それは良かったのかもしれないです。 とーまくん! もしよかったらまた……」 「覗きはしないぞ!」 圧縮されて噴き出した水が、木の葉を弾く。 ──1発! 2発! 3発! 今度は、立て続けに3発。水の固まりが、風に揺れていた3枚の木の葉を、正確に撃ち抜いている。 「たいしたもんだ」 「べっつに」 素直な感嘆の気持ちを言葉にしたのだが、りりかは興味なさげに、次の的に狙いを定めた。 その手にあるのはハイパージングルブラスター。ユール・ログの二丁拳銃だ。こいつはどういう仕組みか、水鉄砲にもなるようだ。 「あのさ金髪さん、特訓中に悪いんだが……」 「わっぷ!?」 「特訓じゃないわ、遊んでるだけ」 「……遊んでる最中に申し訳ないが」 水鉄砲を喰らった鼻先をさする。音のわりに、大して痛くもない。木の葉を揺らす程度の威力だ。 「どーしたの?」 「昨日のこと謝らせてくれないか」 「謝らなきゃならないようなこと、したんだ?」 「不可抗力! けど、謝らなきゃならんことだった……」 「………………」 「とにかく、俺が悪……」 「……もういい、許してあげる」 「いい?」 「うん、気にしてるけどもういい。 その代わり、条件があるんだけど」 「……お手柔らかに頼みます」 「カペラ直ったんでしょ。 乗せてくれない?」 「うげ、本当にのろい! っていうか低い!」 「だから先に聞いただろ? のろまでいいならって!」 「にしたってひどいって! もうさいてー! ぜんっぜんクールじゃない!」 「こんなんじゃ、 ニュータウンにつく頃には、 日が暮れちゃうわ」 「さすがにそれはないと思うけど……」 調整中のカペラは相変わらず出力が安定せず。騙し騙し動かしても、せいぜいホバー程度の飛行しかできない。 りりかは、ニュータウンの調査に行きたいのだと言うが……。 「すまない。 足を使ったほうがよさそうだ、サンタさん」 「えーー!?」 「はぁぁ……いらいらいらいら。 またこののろい電車! もっとキビキビ走れないのかしら」 「うちのサンタ軍団とおんなじ。 みんなとろくさくって……」 昨日に引き続いての電車移動だ。 りりかとちゃんと話がしたいのだが、このイライラぶりに果たしてどう話を切り出したものか……。 いや、トナカイが小細工してどうする。こういう時は、率直に聞くに限る。 「実際のところ、 他のサンタはそんなに頼りないかな?」 「ピンク頭はね!」 ううっ! 返す言葉がない。 「でも…………素質はあるけど」 「……!?」 「それにしたって、ぜんぜん活かしてないし! その気もないみたいだし!!」 「っていうか、 どーしてあたしにそんなこと聞くの?」 「そりゃあ、お前が一番先輩だからさ」 「……!」 「な…………ならいいけど」 ――あの子……スゴイかも。 歓迎会の夜だ。大家さんを事故から守ろうとした一件で、りりかはそう言って、ななみを認めていた。 「柊ノ木さんは?」 「すずりんは……地味だけどそんなに悪くない」 「あたしにはできないタイプの 仕事をこなせる子だと思うし、 ああいう子もチームには必要よ」 「だったらどうしてイライラしてるんだ? 2人のこと認めてるんだろう」 「手応えがないんだもん。みんなどこに モチベーションがあるのか見えないし、 ほんとにやる気あるのかわかんなくなるの!」 「そこは新人さんってことでさ」 「新人だってプロはプロ! 目の前の仕事をこなすだけじゃ、 やる気なんていわないわ」 「あたしが言ってるのは使える使えないじゃなくて この辺境のしろくま支部で、 サンタとして何がしたいのかって話!」 「なら、そいつを聞いてみればいいさ」 「誰によ?」 「本人に」 「…………だって、どうせ」 「……あ!」 どうせ、と言いかけたりりかが慌てて口をつぐむ。 「は、話してみたらいいの?」 「ん……」 「国産は……それでいいと思ってる?」 「ああ、俺はそう思う」 「じゃあ……今回だけ、 国産に免じて聞いてみることにするわ」 「ありがとう、それがいい」 「でも……今回だけだからね!」 「とは言ったものの……」 結局、謝る機会が見つからないまま、翌日になってしまった。 本当ならズルズル引きずりたくないが、彼女と二人きりになれるタイミングがなかなか見つからなかったのだ。 「ふーむ……」 「……ん?」 リビングに入ると、風に乗って香ばしい匂いが鼻に届く。 もしかして……。 キッチンを覗き込むと、エプロン姿の柊ノ木さんが黙々とご飯の支度をこなしていた。 壁の時計を見上げると、すでに昼時を回っている。 「…………」 黙々と料理を続けている柊ノ木さんは、目の前の俺に全く気づいていない。 周りにはななみ達も居ない。謝るなら今しかないな。 「もぐもぐ……ん。 あとは……」 「柊ノ木さん」 硯の手が止まった所を見計らって、声をかけた。 「? あ、な、中井さん」 「料理中にすまない。 少し話したいことがあってさ」 「話したいこと、ですか?」 「ああ。その……」 「すまなかった!」 硯に向かって、深く頭を下げる。 「え? いきなりどうされたんですか?」 「いや、この前に覗いてしまっただろ? その……着替えをさ」 「あっ……!!」 「だからちゃんと謝ろうと思って。 すまん! 次からはもっと気をつける」 「そ、そんな……。 あ、あれはその……じ、事故だったんですから」 「もう怒ってませんから。 中井さんも、もう気にしないでください」 「む、むしろ忘れてもらえると……そのっ」 「忘れる……というか、何も見えてなかった、 本当だから、そこは安心してほしい」 「は、はい……!」 「……と、ところで、 さっきから何か探してるみたいだが……」 「あ、はい。 調味料が幾つか見当たらなくて……、 今からちょっと買ってきます」 「俺も一緒に行こう。 荷物持ちは必要だろ?」 「え? で、でも……」 「それに柊ノ木さんの買出しには 誰かがついていかなきゃ駄目なんだろ?」 「あぅ……は、はい」 「なるほど……。 アレはななみからの提案だったのか」 「はい」 しかし、みんなと打ち解けるためとは言え、いきなり下着品評会を提案とは……。 「あいつらしいというか、何と言うか……」 柊ノ木さんとは違う意味で、やっぱりどこかズレてるな。 「で、柊ノ木さんは、 それに巻き込まれてしまったと」 「は、はい……。 仲間意識を高めるためでしたから」 「それでもやっぱり恥ずかしかったと」 「……(こくり)」 「そういうことは、ちゃんと話さないとな」 「私……昔からこういうの駄目なんです」 「こういうの?」 「その……みんなに溶け込むとか、 そういうの、上手くできなくて」 声のトーンが沈む。それに合わせて、彼女の足取りも重くなっていく。 「俺はまだ付き合いは短いし、 柊ノ木さんのことはまだよく知らないけど」 「きっと色んなことを気にし過ぎてしまうんだな」 「……!」 「はい……たぶん」 「けど、そいつは武器にもなるさ」 「え?」 「スロバキアの師匠がよく言ってたんだ。 サンタには慎重さこそ必要だ……ってな」 「そうでしょうか……」 「もともとサンタなんてのは楽天家だからな。 引き締め役が必要ってことなんだと思うぞ」 「だから、そこまで深刻に 考えることもないと思うぜ」 「……はい」 「調味料だけだったはずなのに、 随分と買ってしまったな」 「は、はい……」 ツリーハウスに続く田舎道に差し掛かった頃、俺と硯の両手には、パンパンに膨れた買い物袋。 最初は調味料だけだったのに、足りないものとか考えているうちに、ついつい買い込んでしまった。 「あの……中井さん」 「ん?」 振り返ると、硯は目を逸らさずに、真っ直ぐに俺を見ている。 「チームの名前なんですけど……、 私、しろくまベルスターズがいいと思ってます」 「柊ノ木さん……」 「私……もっとちゃんと伝えます。 ななみさんにも、りりかさんにも。 その……中井さんにも」 「……もっと、自分の気持ちを」 「……なら、ちゃんと皆で話をしないとな」 「はい!」 ──夕方。 店長らしくサンタさんの仲を取り持とうと張り切っていた矢先、 なんの前触れもなく2人目のお客さんがきのした玩具店を訪れた。 「とととーまくん!?」 「お、お客さんか!?」 「幻覚……じゃないわよね?」 「ほ、本当に……?」 「そんなにお客が珍しいんですかね?」 「わぁぁぁ!?」 「お、お見苦しい所を お見せしてしまって申し訳ありません」 「いいんですよ。 こんな町外れにお店を構えてるんですから、 仕方のないことかもしれませんねえ」 にこにこと頷いて、棚から棚へと視線を移してゆく品のいい老婦人。 ああ、確かにこんな人がおもちゃを求めに来てゆったりと暖かい時間が流れてゆく──、そんなのがこの店には似合う気がする。 「なんかいいですねー」 「お客さんが、うちのおもちゃを 見てくれているだけで……ちょっと嬉しいです」 「これが普通なのよ」 「……あの、よろしかったら」 す、と硯が老婦人へ日本茶を差し出した。いいぞ、ナイスサービスだ。 「ふぅ……いいお茶ですね……」 「ご自宅用をお探しですか?」 「ええ、孫がひとりいましてね。 ここにおもちゃ屋が出来ると、 楽しみにしていたんですよ」 湯飲みを置いた老婦人が、手提げから出した小さなデジカメで店内のあちこちを撮影しはじめる。 「……何で写真?」 「記念撮影じゃないでしょうか」 「ブログで紹介してくれるのかもしれません」 「(わぁぁ……!)」 「ここは少し前まで廃屋寸前だったんですよ。 それをここまで改装するのは大変だったでしょう」 「いっ、いえ! 私達がついた時にはこ、もがもが」 「なるべくこの町に合ったデザインを、 と特別発注しましてー!」 「しかし、これだけ改装して、 大家さんは大丈夫なのですか?」 「ええ、それはもう」 鰐口……じゃなくて、きららさんに言ってあるから、問題ないだろう。 「それならよろしいのですが、 ここの大家の鰐口さんは、 何かと厳しいそうですから」 「そ……そんなに厳しいんですか?」 「ええ、それはもう」 老婦人はあたりを見回すと、ささやく。 「家賃を一月滞納しただけで、 鍵をつけかえられ部屋に入れ無くされ、 家具を全て売り払われた人もいるという噂ですよ」 「そんなことが!?」 「あくまで噂ですけどね。 他にもいろいろと恐ろしい話はあるようですよ」 お茶をずずっと。 「それにしても、 木のおもちゃしか置いていないのですね」 「はい、ツリーハウスなので 木のおもちゃ屋さんなんです」 「孫がでぃーえすのなんとかいうのを 欲しがっているのですが……」 「でぃーえす?」 「ゲーム機」 「む、むむ……そ、それは」 「これでしょうか?」 ななみが棚の隅に置かれた剥き出しのゲームソフトを手に取る。 「ええと……『パラレルプロ野球』ディーエス版?」 「(なんでそんなのがあるんだ?)」 「(リストにはありませんでしたが……)」 「いかほどです?」 「え、あ、あの…… い、いかほどなんでしょう?」 「駅前の量販店なら 1000円程度ですよね」 「1000円……なんですか?」 「あの、それは売り物ではなくて……」 「誰かの忘れ物、よね?」 「なので、お売りするわけには……」 そう言うと、老婦人はにっこりと笑って、 「その通りですね、これは今しがた 注意力散漫なあなた方の目の前で、 私がここに置いたものですから」 「へ?」 「あの、その、どういうことなんでしょうか?」 「あなたがたがどんな反応をするか、 見て見たいと思いましてね おほほほほ……では、ごきげんよう」 「あ、あの……」 「なに今の……?」 「忘れ物が見つかってよかったじゃないですか」 「それはそうなんだけど……じゃなくて! あの人はわざとあそこに置いたんでしょう! 忘れ物じゃないじゃない!」 「わざわざ置いた忘れ物なんですよ」 「だから、 そもそも忘れてないじゃないの!」 「結局、なにも買ってもらえませんでしたね」 「仕方ないさ、 ディーエスのソフトは置いてないんだし」 「なにが仕方ないんだい!!!」 「わぁぁぁ!?」 「お、お客さん、なにか!?」 「おい。店長はお前かよ?」 「え……あ、はい!」 「いったいなんだいこの店は! お前ら商売を舐めてるだろう!」 「と、いいますと?」 いきなりえらい豹変だ。にしてもこの人……初対面のはずなんだが、どこか見覚えがあるような。 「なんで商品じゃないものが 棚の上に並んでやがんだい!? 仕入れてるものくらい把握してな!」 「それはお客様が置き忘れたのでは?」 「こいつは俺のじゃねえよ!!」 「そんなこともよく確かめずに返しやがって、 こんな間の抜けた店じゃ、 万引きゲス野郎のパラダイスだよ!」 「売っている商品の値段もろくに知らず、 どんな商品を売ってるのかすら、 あやふやじゃないか! 大した商売人だよ!」 「その上、新規開店だってぇのに、 事前の宣伝も事後の宣伝もしてない始末、 呆れ果てちまうね!」 「せ、宣伝なら……ですね、 ささやかながら駅前で おむすび……サンドイッチマンなどを!」 「ふぅん。で、客は来てんのかい?」 「ふ、二人来ました!」 「オレを除くとひとりかよ! 来てねぇっていうんだよそれはよ!!」 「てて店長ーー、なんとか言ってください」 「うん、返す言葉がない」 「そんなー!!」 「おい店長、今、この町のおもちゃ屋で、 何が一番売れてるか、 もちろん知っているんだろうね?」 「ええと……もしかして ディーエスですか?」 「こんな初歩も知らないのかい! 仮面ライガー竜ドラゴンの サン日輪変身ベルトだよ!」 「おお、テレビで見たことがあります! ベルトのバックルに太陽の光を5分間あてると、 そのエネルギーで変身するんですよ!」 「知ってたって、 置いてなけりゃあ意味がないよ!」 「あぅぅ……」 このまくし立てる感じ……、どこだ、どっかで見たことがある。遠い過去じゃない、ついさっき……。 「あんたら事前のリサーチとかしてないだろ! まったく売れ筋から外れた商品並べて、 しかも宣伝すらしない!」 「じゃあ売れ筋から外れた所で勝負してるかと思や、 どういう方針なのかすら、 店員に徹底していない始末! 最悪だね!」 「いや、でもこれがいいおもちゃなんですよ 大量生産では味わえない……」 「そりゃ、 木のおもちゃの需要だってあるだろうよ!」 「だがね、そういうこじゃれたのは、 おされな大都会なら商売として成り立つだろうが ここ程度の町で、成り立つわけねぇだろ!」 さっき……今日町で会ったか?いや、会ってたら忘れないインパクトだ。だったらどこで…………。 ────映画館!? 「それに、まさか知ってると思うが、 駅前に、もっとでかくて、 こういうのが充実してるおもちゃ屋があるんだよ」 「ええっ!?」 「かぁっ。知らなかったのかい!? あんたら同業他社の調査すらしてないのかい! さっさと荷物をまとめて引き上げるんだね!」 「あの……ご忠告痛み入りますが、 そもそも貴女は誰なんですか?」 「(だめだ、聞くのはよせ!)」 「なんで!?」 「(なんでって……そりゃ……)」 「オレか? オレはお前らの大家さ」 「大家さん……?」 「……ということは!?」 「ワニグチさんだーーー!!!!!!」 「そうさ。 鰐口みすずとはオレの事さ!」 「……ごくっ」 やはり……と思うと同時に喉が鳴った。 ついに正体を現した恐怖の大家!なるほど、噂にたがわぬ大迫力だ。いったい俺たちの運命はどうなってしまうのか!? 大家さんは来客用の椅子にどっかりと座ると、タバコを取り出して火をつけて、実にうまそうに吸った。 「おい、ボンボン店長」 「は、はい?」 「最近じゃネットなんて便利なもんがあってね。 ググれば結構いろいろ判るんだよ」 ぶわ。と、白い煙が吐き出される。 「きのした玩具店はいっぱい引っかかったがね、 チェーン店になってるのはなかったよ。 これはどういう事なんだい?」 「検索!? いえ……そんな筈は!」 「そんな筈もこんな筈もねぇよ。 なぁ。あんたらオレに嘘こいて、 店を借りたってわけなんだな?」 「そ、それはですね……」 正確には、透がなんだがそんなことはこのさい問題じゃない。サンタの秘密がピンチだぞ……どうする、店長!? 「契約時に虚偽の申告をしたとあっちゃ、 賠償をたんまりいただくとするかねぇ」 「い、いやその……!!」 「それはご心配をおかけしました!!」 ──金髪さん!? 「チェーン店はチェーン店でも、 本部は外国にあるんです!」 「ほう。どこの外国だい? 出来れば地球上に実在する国に、 あって欲しいもんだ」 「はい、グリーンランドに本部があるんですよ」 「け。よりによってあんな場所かい。 それに本部だって?」 「私どものグループでは、 本店を本部と呼んでいるんです。 日本ではフランチャイズ経営をしていまして」 「ふぅん……」 「日本はここが一号店なので、 まだまだ無名なんですよ」 「……というわけです、大家さん」 「……ふん!」 大家さんは、露骨に信用していない様子で、鼻を鳴らすと、 「おい。灰皿」 「はい、こちらに!」 「ふん、随分と変わった灰皿だね」 「(あれは貯金箱なんですが……)」 「(いいの、訂正すると面倒なことになるわ)」 大家さんは灰を落とすと、再びタバコをくわえて、またもうまそうに吸って煙を吐き、 「さて……オレの許可も得ず、 この建物を随分といじくり回してくれたようだが、 釘とか打ち込みまくったんだろうね」 「え? それはまあ、多少は……」 店内は補修程度にしかいじっていないはずだが、昨日たこやき屋になった話は絶対秘密だ。 「この建物、結構古くからある貴重なものでね。 もちろん、退去する時には 弁償してくれるんだろうね?」 ゆらゆらと煙をたなびかせるタバコの先端が、俺に向けられる。 「もちろん、元通りにいたします!」 「すぐにできます。張り紙をするときも、 糊が残らないテープを使っていますので」 「どーぞご安心くださいな!」 「……ふん!」 大家さんは灰皿(?)にタバコを押しつけると。 「なるほど。あんたらの責任で、 ちゃんとするってわけだ。 確かに聞かせてもらったよ」 大家さんは俺達に見せつけるようにポケットの中から小型のレコーダーを出して、録音を切った。 「店長は無能の極みのウドの大木みてぇだが、 小娘どもはよくさえずるようだね」 「さえずりには責任が伴うって事を 判ってりゃ結構なんだがね」 「ま、オレとしちゃ、 きちんと店子としての責任を 果たしてくれりゃ文句はねぇよ」 「店子の責任というと、家賃ですか?」 家賃は本部から出ることになっているから、そこは全く問題がない。 「家賃をきちんと納めるのは当然さ。 ここで首くくったり、火の不始末を起こしたり、 犯罪しでかしたりペット飼ったりしねぇって事さ」 「……ペット」 「ああ、その……野鳥がよく枝に止まるんですが」 「んなこた知るもんか、 ここに住むんなら糞の掃除くらいするんだね!」 「了解、つつしんで野鳥のフンも掃除します!」 「それから木のおもちゃを扱っているので、 店内は禁煙です、ご心配なく」 大家さんは、にやり、と笑い。 「なら、誰にでも見える場所に、 大きく禁煙と貼っておくんだね」 そう言うと思いの外、身軽に立ち上がった。 「せいぜい潰さないようにするんだよ」 「はいっ、おまかせください!」 「でしたら何かお買い上げを?」 「あいにく、うちの孫は こういうオモチャは欲しがらねぇよ。 ……この灰皿は悪くないね。いくらだい?」 「(……貯金箱なんですが)」 「(別にいいわよ、  どう使うのもワニ〈婆〉《ばー》の自由)」 「ええと……700円で……」 「タダにしな」 「え?」 「タダにしなと言ったんだよ」 「そ、それは駄目です! そんなにまけたら、潰れちゃいます!」 「こちらも商売ですので。 それでいいんですよね?」 「……ふん。馬鹿だねあんたら」 「え?」 「量販店じゃねぇんだ。 別にまける必要はないさ」 「これは700円分の授業料として、 貰っておくさ」 灰皿ならぬ貯金箱をひょいと懐に挿れた大家さんは、振り向きもせず出て行ってしまった。 「……なに、あのばーさん」 「なかなか良い人でしたねー」 「どこをどう押したらそーなんの!?」 「だって、いろいろ忠告してくれたじゃないですか」 「うん、ななみらしい解釈だ」 「ですね」 「目を覚ませー!! なんのかんの言って、 貯金箱タダで持ってかれたんだってば!!」 「えええええっ!?」 「いまごろ気づいても遅いっての」 「あれって貯金箱だったんですか!?」 「そこかい!!」 かくして、またしてもドタバタした1日がなんとか終わり……。 「はー、つかれました」 「ニセコが大家さんに怯えてた 理由が分かったわ……」 「いまお茶を入れますね」 「ありがとう」 「いえ……」 硯の淹れた紅茶を飲みながらしばらく話題は大家さん対策へ……。 「こーなったら正体を隠すことよりも、 売り上げを出すほうが大事になりそうね」 「そ、そうですね!」 「けど、今はもっと重要な課題があるわ。 優先順位を間違えないようにしないとね」 「お店よりも大事なこと……?」 「ニュータウンの攻略、ですか?」 「そのとーり!」 「それと、もうひとつ」 「え? あ……」 「………………」 三人が少し気まずそうに下を向く。自分たちのチームワークについては、俺以上にサンタさんたちは気にしている。 けれど、大家さんに対処するときだって、うちのサンタさんたちは、そりゃあ見事なチームワークだった。 まだ新しいチームに馴染んだとは言えないが少なくとも、俺は彼女たちのことをもっと知りたくなった。 「………………」 天然全開のななみも、ずけずけと物を言うりりかも、今は自分から話を切り出すことができず、かしこまった様子で相手の反応をうかがっている。 俺たちはまだ、お互いの表層しか見ちゃいない。相手にこういう一面があることを、本人たちも初めて知ったのではないだろうか。 「俺の親父はさ…… パイロットだったんだ。 だから子供の頃から空に憧れてた」 「パイロットって?」 「自衛隊で戦闘機飛ばしてた。 F-15って知ってるか」 「ウソ、すごい!」 「俺もそう思う。親父は凄いんだ。 凄すぎて、子供の頃からいつも 背中ばっかり見てた」 「その親父が10才のときに死んでさ」 「どうしてですか?」 「飛行機事故、墜落したんだ。 で、お袋と俺は東京を離れて、 親戚のいる田舎で暮らすようになった」 サンタさんたちは、俺の言葉を黙って聞いている。 「それでもなかなか信じられなくてな、 空ばっかり見てたんだ。親父はきっと まだこの空のどこかを飛んでる……ってな」 「……その年のイブに、俺はサンタを見た」 「素質があったんですね」 「あとから考えればそうなんだろうな。 その翌年も、また翌年もサンタを見てさ、 けど、話しちゃいけないって秘密にしていた」 「それからは、親父の姿を探すんじゃなくて、 サンタを見たくて空を見るようになった。 けれど俺が憧れたのはサンタじゃなくて……」 「トナカイ……」 「ああ、13歳のイブの日に、 靴下の中に手紙を入れておいたのさ。 トナカイになって空を飛びたいってな」 「そうして俺はサンタの師匠に拾われて、 今ここにこうしているってわけさ」 「なんてな、ははは……まあ、 お互いを知るには昔話から、 なんて思ったんだが」 「でも……納得できました」 「……うん、間違いないわ」 「何が?」 「とーまくんがオジサマ好みな理由」 「重症ね」 「おい!!!!」 「それでもサンタか畜生!! ……話すんじゃなかった」 「でも私は、聞けてよかったです」 「柊ノ木さん……?」 「中井さんは、そのお師匠様のためにも 最高のトナカイになりたいんですね」 「…………誰のためかは分からないが、 まあ、そういうことなんだろうな」 「だから、サンタの仲裁までしようっていうのね?」 「別に俺は点数をかせぐためにやってるんじゃ……」 「でも、あたしは点数がほしい」 「ん!?」 「りりかちゃん、そ、そんな露骨な……」 「だって本当だもん。 あたし本当は……NYでヘマしちゃって」 「金髪さん……?」 驚いたことに、りりかがまじめな顔で俺の話を引き継いだ。彼女のこんな思いつめた顔を見るのは初めてだ。 「………………」 しばしの沈黙……。ななみも硯も、黙って次の言葉を待った。 「……それでこっちに飛ばされてきたの、 ま、左遷ってやつね」 「NYにいた頃は、エースサンタとか 期待のホープとか言われてて……正直、 気持ちに油断があったんだと思う」 「サンタのミッションで、こなせないこと なんてなかったし、トップチームの仲間にも 負けてるつもりはなかったのに……」 「でも本当は……まだエースには 早かったって思い知らされたの」 「………………」 「だから、あたしはもっと成長したい!」 「りりかちゃん……」 「点数もほしいし、NYにも戻りたい! けど、そのためには、あたし自身が 最強のサンタにならないとダメって分かった」 そう言い放ったりりかが、テーブルの上に書類を広げた。 「だから、ロードスターに志願して、 こんなものももらってきたの」 「しろくま町サンタチームの ……テクニカルコーチを命ずる!?」 「りりかさん……?」 「これって、りりかちゃんが わたしたちの訓練を見てくれるってこと?」 「おいおい、聞いてないぞ」 「ごめん……勝手にやって。 でも絶対にみんなの技術レベルは上げるから!」 あのりりかがぺこりと頭を下げた。その姿から、痛いほどの決意が伝わってくる。 「あたしはNYに返り咲いてみせる! でもその時は、小さいけど最高の支部から 転属してきたって言わせたいの!」 「みんなもそう言われたくない?」 りりかの言葉に頷く俺たち。エリートさんの強い言葉を聞いていると、本当にその気になってくる。 「わたしは……左遷じゃないと思います」 「ななみん?」 「だって、こんなに気難しい ツリーさんのいる支部なんですよ」 その言葉に俺たちはいっせいに天井を見上げる。 「確かに、ニュータウンはこれまでにない難関だ」 「ルミナの分布もおかしいしね」 みしっと家鳴りがしたのはツリーが拗ねたせいかもしれない。 「……でも、わたしたちならできるから ここにいるんだと思います」 「……!」 「ふーん……いいこと言うじゃん」 「わたしも、りりかちゃんみたいに、 いいサンタさんになりたいんです」 「けど、なにがいいサンタさんなのか、 わたしにはまだ分からないことが多くて……」 「それを探したいです、みんなと」 「だったら、甘いものを食べ過ぎない ところから始めないとね?」 イタズラに笑ったりりかが、ひょいとお茶菓子のクッキーの皿を取り上げる。 「あぁぁ、そ、それはダメです!」 「いいサンタになるためよー」 「いじわるー! お菓子は別件ですってばー!」 ドタバタと攻防を繰り広げるりりかの手から、今度は硯がひょいとクッキーの皿を取り上げてななみに手渡した。 「あー、すずりんダメ!!」 「はい、ななみさんは 食べる以上に消費しているから平気ですよ」 「わー、すずりちゃん、ありがとー!!」 「もー、甘いんだから」 「はい、よかったら席に着いて ……私の話も聞いてくれますか?」 「え?? すずりんが仕切ってる?」 「はい、ようやく二人の間に 入れたような気がします」 「すずりちゃん……」 「みなさん分かっていたと思いますけど、 私……昔から引っ込み思案で、何をやっても 周りの人と打ち解けられなかったんです」 「そんな自分がすごく嫌いで……」 「そこ!」 「え?」 「そこで沈むのがダメ」 「あ、そ、そうですよね!」 「だから、私にとってのいいサンタは、 もっと積極的になることだと思ったんです」 「りりかさんの言うとおり、これまでは 言われたことをするだけで、 サンタ先生に頼ってばかりでしたから」 「それは……わたしもそうでした」 「みんなそんなもんよ」 「本当に?」 「最初のうちはな。 それで自信をなくしちまうほうがよくない」 「中井さん……」 「はい、すぐには無理かもしれないですけど、 自分に自信が持てるように頑張ります!」 「お互いにね」 「みんなでがんばりましょう!!」 そうして三人で手を握り合う。 ほっといてもサンタさん同士で話はまとまってしまったようだ。 「国産! なにやってんの! あんたも握手!」 「仲間外れはダメですよ、とーまくん」 「中井さん」 三者三様の呼びかけで、俺も輪の中へと加わる。 俺への呼び名にもそれぞれ別の形があるように、彼女たちの目指すサンタっていうのも、それぞれ少しずつ異なっているのだろう。 けれど、こうやって手を重ねることで、不ぞろいな想いが束ねられ、きっと俺たちはチームになれる。 「それじゃあ、カッコよく締めちゃいましょう! みなさん……(ぐきゅるるるーーー)」 「あ、あうぅぅ……」 「なーなーみーん!!」 「晩ごはん、すぐ用意しますね」 「はぁぁ……すみません……(きゅるるる)」 「じゃ、そろそろ行くわね」 「すまんな、せっかくのコーチ初日に カペラが本調子に戻らなくて」 「早く直るといいですね」 「せめて、お店とお夕飯の後片付けは、 わたしたちでやっておきます!」 「ありがと、ななみん」 「ありがとうございます」 「えへへ、みなさんこそ、 訓練がんばってきてください!」 礼を言ったり励ましあったり。照れくさそうにやってる光景を見て、俺はほっと胸をなでおろす。 紆余曲折はあったものの、うちのサンタチームもなんとかまとまってくれそうだ。 りりかのベテルギウスと硯のシリウスが光の尾を残して飛び立つのを見送ってから、俺とななみは店の片付けにとりかかる。 「お店のほうも、 明日からばりばり宣伝しないとですね」 「ああ、大家さんに睨まれるのだけは 避けたい…………だがその前に」 「ニュータウン……ですか?」 「ああ、そうだな」 ななみに店内の掃除を任せた俺は、外に出した呼び込み看板を回収しながらニュータウンの攻略方法を考えた。 俺たち個人、そしてチームの技倆が向上することはもちろんだが、それ以外になにかアイデアはないだろうか。 最新鋭のベテルギウスに比べて、カペラやシリウスの無補給飛行時間は短い。 タイムリミットを過ぎると、姿を隠すことができなくなり、推力を失ってセルヴィは墜落だ。 昨日のレースのように、ただ単にニュータウンを突っ切るだけならばタイムリミットの中でこなせるが、 それぞれの家にプレゼントを配りながらの滑空を考えると、リミットに至る約3分の壁は高い。 問題点を整理するだけで、特にアイデアも出ないまま、看板をしまいに店内に戻る。 「……なにをしてなさる?」 店内を掃除しているはずのななみは、箒を壁に立てかけたまま、ディスプレイのおもちゃをいじくりまわしている。 「見てください、 これ、よくできていますよねー」 「ああ、屋台のカフェか」 いや、商品の細工がよく出来ているかどうかはこのさい問題ではないんだが……。 「屋台じゃなくて移動カフェテリアです」 「どっちでもいいさ、 ヨーロッパの街角に似合いそうだな、 確かによくできてるが、まずは掃除を……」 「そうなんですが……これって使えませんか?」 「使う?」 「はい、おもちゃ屋を動かしたらどうでしょう?」 「なんだって?」 「お店をもうひとつ作るんですよ。 ほら、こんな風に……!」 ななみがカフェの屋台を俺の前に掲げてみせる。 「ここに沢山おもちゃを載せてですね……」 「ニュータウンで行商するとでも!?」 「はい、これならお店の宣伝にもなりますし、 ルミナの流れを変えられるかもしれません」 「確かに宣伝は分かるが、屋台ひとつで 簡単にルミナのコースを変えるなんて……」 「屋台の材料はツリーの枯れ枝です」 「!?」 俺は思わず、ななみの手からおもちゃの屋台をひったくり、まじまじと凝視した。 「これを、ツリーの枯れ枝で作る……?」 確かに、ツリーハウスの周囲には、ツリーの枝が沢山転がっている。 それらは全て、サンタの道具──ユール・ログを作る材料にできるものだ。 ユール・ログがサンタとツリーを交信させる道具だとしたら、同じ材料で造った屋台はどうだ? あるいは同じ効果を持たせることができないだろうか? 「お前……よく思いついたな」 「木のおもちゃ屋さんでよかったです」 屋台のカフェテリアを手のひらに載せて、ななみがにっこりと微笑んだ。 「屋台のおもちゃ屋!?」 「屋台というのは おでんとか、焼き鳥とかの……?」 「はい! 屋台です!」 ななみの大胆な提案に朝から驚きの声を上げる二人。きっと夕べの俺も、こんな顔をしていたのだろう。 テーブルの上では、朝食が美味しそうに湯気を立てている。 さすがにウニだのイセエビだのは出てこなくなったが、ときどき珍しい食材が使われているのがひっかかるところだ。 そのプチ豪華朝食を食べながら、ななみが自分のプランを披露しはじめた。 最初はまゆつばな表情を浮かべていたサンタたちも、話がニュータウンの攻略につながるととたんに瞳を輝かせはじめた。 「それってつまり、 その屋台ショップ自体が ユール・ログになるってわけ?」 「はい!」 「すごいですけど、そんなこと……」 「……できなくはないかも」 「そう思います!?」 「うん……馬鹿げたアイデアだけど、やれるかも!」 「もー、馬鹿は余計です」 サンタが持つユール・ログだって、もとは全てツリーの枝から作られたものだ。 それが少しばかりでっかくなったからといって無茶な話ではない。 「なら……試してみましょう!」 「そうね、すずりん!」 「はい!」 「これで、少しはニュータウンに 可能性が見えてきたな」 「あとはりりかさんのアイデアがまとまれば……」 「あ、あれはまだ……!」 「なにか名案があるんですか!?」 「ん……昨日訓練の最中に ちょっと思いついたんだけど」 「おお、NY仕込みのアイデアか?」 「そ、エリートなんだからハイクオリティよ。 ……って言いたいけど、まだ模索段階」 「それは一体!?」 「まとまってないアイデアでも……聞きたい?」 「ぜひ!!」 「わかった。 つまりなにをするかっていうと……合体よ!」 「合体!?」 「合体って、セルヴィを?」 「厳密には合体というより連結なんだけど、 要は、ニュータウンの真空地帯を どう抜けるかってことでしょ?」 「で、今のななみんの作戦は、 屋台のおもちゃ屋で そこに新しい補給ポイントを作るってことよね?」 「はい、そうです」 「あたしが考えたのは燃費のほう。 どうやって無補給飛行の距離を 伸ばすかってことなんだけど」 「1機だと3分が限界だから たとえば3機のセルヴィを縦一列に連結して……」 「多段式にするってことか?」 「国産、鋭い!」 「むむ……多段式……ですか??」 「だからね、先頭の1機が道を拓きながら飛んで、 後ろの2機はソリみたいに引っ張ってもらいながら タンク内のルミナを温存するの」 「で、不時着の余力を残したぎりぎりのところで 先導機は離脱、そこまでルミナを温存していた 残り2機がプレゼントを配る……」 「そういうこと! 次は2機目が3機目を牽引してもいいしね」 「すごい……そんなことできるんですか!?」 「計算してないから分からないけど、 感覚的にはこれでいけそうなのよね……でも」 「でも?」 「問題は、口で言うほど簡単じゃないってこと。 そーでしょ、国産?」 「任せとけって言いたいところだが、 連結しながらバランスを取るのは相当骨だな。 特に2番機、3番機の制御がキツイ」 「引っ張ってもらうだけでも難しいんですか?」 「無人のセルヴィならなんとでもなるさ。 しかしトナカイが乗ってるとなると、 相性とか、いろいろな……」 セルヴィを一列につなげて飛行するなんて聞いたこともない。ましてやプレゼントを配りながらとなると……。 「トナカイとサンタが3機とも、 ぴったり息を合わせりゃいいんだけど、 んー、やっぱちょっと無理かなぁ……」 メンバーの中で一番キャリアを積んでいるりりかが、腕を組んだまま首をひねる。 「これを組み合わせたらどうですか?」 「ななみんのと、あたしのを?」 「先導機の補給場所に屋台を使うわけだな。 どうだ、金髪さん?」 「できないかもしれないけど、 できるかもしれない……」 「でも……だったら、 やってみるっきゃないわね!」 「はい!」 「んー、屋台のお店なんですけど、 この位置に置いたら人目に付きますよね?」 「ブラウン通りはマズいってば! 学校あるんだし、人通りけっこうあるから!」 「イブの夜はイルミネーションもありますし」 「だったら、 葉っぱでカモフラージュするとか……」 「どこのジャングルよ! 余計に怪しい!」 「むしろ一晩だけですから、 自然に置いておけばごまかせないでしょうか?」 ニュータウン問題の影響があったのか、今日はロードスターの早朝特訓も中止になり、開店までの時間を作戦会議に費やすことになった。 カペラの修理状況が気になるのか、サンタさんたちは整備中の俺の隣で、ニュータウンの攻略法を相談している。 「コースとしては、 去年みたいに西側からアプローチして……?」 「んー、でもこの配置だと、 北からのほうが良くない? コースも安定してそうだし」 「それに、西からだとここの交差点で引き返すから 二度手間になると思う」 「あ、本当だ! さすがりりかちゃん!!」 一晩経って、チームのまとまりが元に戻ってしまうのではないかという心配はまるっきりの〈杞憂〉《きゆう》だった。 ななみは素直にりりかの意見を受け入れるようになったし…… 「だったら、 るんるん号はこの辺りでどうでしょう?」 「位置的には補給にも都合がいいですね」 「ん! ほんとだ! ちょうど目立たなそうな場所だし、いーじゃない」 「ありゃ、このコースだと4丁目より西から リクエストがきた場合に厳しいですね」 「これぐらいの距離でしたら、 手前の通りからでも届くと思います。 私に任せてください」 りりかも他の二人の話を聞くようになったし、硯も、積極的とは言わないまでも、以前よりずいぶん意見を出してくるようになった。 「でも……ただ単に突っ切るだけじゃなくて、 真空地帯でプレゼントの配布をしなくちゃ いけないのよね」 「縦一列の連結飛行ですね」 「やっぱり難易度が高すぎるんでしょうか?」 「けど、それが前提になってるしなぁ」 性能のそれぞれ異なる機体での縦一列連結飛行──。 確かに技術面でそこをクリアできれば、可能性は一気に高まるんだが…… 「カペラはあと少し調整したらいけそうだ。 縦一列、難易度は相当だがやるしかないな」 「そーね、カペラが復活したら イブを想定した訓練ができるし。 その結果を見てからにしよっか」 「ああ、お待たせしてるがあと少しだ。 頼むぜ、相棒」 言いながらカペラに手を乗せた時、格納庫の壁に貼ってある航空基地祭のポスターが目に入った。 なかなか空を飛べなかった俺が唯一の慰みにしていた、大空が写ったポスター。 空の青を切り裂くように、F-15の編隊が白い飛行機雲を引きながら飛んでいる。 「…………!?」 それを見た瞬間、さっきから俺の頭にかかっていた分厚い雲が晴れたような気がした。 「これだ、3機あれば…………!」 「はい?」 「国産?」 「どうしました?」 「なあ……編隊を組んでみたらどうだ?」 水色の空が、どこまでも平坦に続いている。 その中に、真っ直ぐ走る白いラインを見つけると、俺は今でもあの日の光景をありありと思い出す。 この大空を職場にしていた俺の親父──。 子供のころに見に行った基地の航空祭は、文字通り、親父の晴れ舞台だった。 青空を縦横無尽に飛行する戦闘機が、まるでキャンバスに絵筆を走らせるように、真っ白なラインを描いていく。 あの胸躍る光景は、今でも俺の胸に焼き付いて離れない。 「編隊を組むんだよ!」 「とととーまくん、そんないやらしい!!」 「ちげえ!! 〈編隊〉《フォーメーション》だ!!」 基地祭のアクロバット──飛行隊は一糸乱れぬ編隊を保ちながら、空中で次々とフォーメーションを変えていった。 「セルヴィで編隊を?」 「ああ、トライアングルフォーメーションだ。 先導は金髪さんのベテルギウス」 「あたし!?」 「ああ、先導はリフレクターを2基搭載している ベテルギウスが適任さ。カペラとシリウスは 左右に分かれてその後ろにつく」 「航続距離の長いベテルギウスは、 左右2基のリフレクターから ルミナを散布しながら飛ぶ」 「……ベテルギウスは先導機でありながら、 ルミナ補給の役割も兼ねる、ってわけ?」 「そういうことだ」 「わざとハーモナイザーの同調率を落とせば、 ルミナを排出しながら飛ぶことはできるわね」 「それでニュータウンの真空地帯を 無事に突っ切れるかどうかが問題さ」 「つまり先導機が一番難しい?」 「そうなるな。 それを何度か繰り返すことで、 ニュータウン一帯の配達を全てサポートする」 いつしか熱っぽく語っていた俺は、全ての説明を終えると、考え込むりりかの顔をじっと見つめた。 同じように、他のサンタふたりも、りりかの顔を覗き込む。 「……いいわ、やってやろうじゃない!」 「頼むぜ、エースさん」 「悪くないアイデアね、見直したわ」 「さすがヘンタイのとーまくん!」 「その通り名はやめろ!」 いけるぞ、金髪さんがそう判断したのなら、あとは訓練を積むだけだ。 興奮した俺は、その勢いでまたがっていたカペラのフットペダルを、思い切り踏み込んだ。 ──カシュン! 「お?」 「まさか……!?」 「イィィィィ…………ヤッホォォォォーーーーイ!!」 湧き立つ感情そのままに、俺はカペラを宙へと舞い上がらせた! 無軌道にただただ飛び回るカペラを、さらに、さらに加速させていく。 ツリーとの同調率、99.7%!出力は〈星石〉《スター》の交換以前より、むしろ増しているように思える。 「やっぱ空は最高だな! 相棒!!」 カペラのリフレクターが振動で答える。 風が頬を打つぴりぴりした感触。 悦びにうち震えるように、小刻みに震動する機体。 久しぶりに味わう愛機との一体感に、胸の内が急速に充たされていく。 久しく──忘れかけてた感覚。こいつが戻れば、もはや迷うことはない! 「やっぱり〈星石〉《スター》か!」 あの石は師匠からの贈り物だったんだ。きっと、古い〈星石〉《スター》の寿命が尽きかけていることに、気づいていたんだろう。 ありがとうございます、師匠!おかげで、またここに戻ってくることができました。 カペラは飛行機雲のかわりに、キラキラと輝くルミナの尾を引き、ツリーの上空を何度も何度も旋回する。 地上を見下ろすと、サンタさんたちが半ば呆れたようにこっちを見上げていた。 「満足した?」 「ああ、出力もだいぶ増えた感じがする。 すぐにでもニュータウンまで飛んで行きたいよ」 「よかったですね、中井さん」 「ふーむ、これはもう パワーアップカペラ君ですね」 「カペラ改──ってところかな」 ななみは自分のことのように嬉しそうに、にっこり笑って、俺の愛機に…… ぺたっ。 眉毛のシールを貼り付けた!! 「な、なんだこいつは!?」 「カペラくんが蘇ったら、 眉を入れてあげようと思っていたんです」 「だるまじゃねえぞ! やめろ、はがせ!!」 「あら、似合ってるじゃない」 「眉毛が太くなって、なんだか男らしいです」 「そんな馬鹿な……! ん、同調率99.9%?」 「ほら、喜んでるし」 「ば、ばかな……俺のカペラが!」 「カペラ改です」 「分かってらあ!」 かくして、カペラもめでたく復活した日の夜、俺は久しぶりに町に繰り出すことした。 「いらっしゃいませ、空いてる席にどうぞ」 マスターの姫野美樹さんが切り盛りするカフェバーのネーヴェ。 昼は軽食とコーヒーを出してくれるこの店には以前から目をつけていた。 「はー……美味い……!」 チーズとナッツの盛り合わせを肴に、ボトルで頼んだウィスキーの水割りを傾ける。 ピートの香りと柔らかなアルコールの刺激が、胸の奥にゆっくりと落ちてきた。 連日セルヴィの整備に追われて、気を抜く時間もなかっただけに、久しぶりに外で味わうアルコールはたまらなく美味かった。 「どうした、ジャパニーズ。 お嬢さんたちに追い出されちまったか?」 「あんたもこの店を?」 「まあな、それよりどうした」 いつも入り浸っているのか、ジェラルドは慣れた仕草で注文を入れて俺のテーブルの正面に腰を下ろした。 「カペラが直ったんだ」 「それで祝杯ってわけか」 にやっと笑ったジェラルドがグラスを掲げてみせる。俺もそれに倣って、一息に飲み干した。 「めでたい夜に 男二人ってのも無粋なもんだな」 「そいつはなんの伏線だい?」 「分かってるだろう、ジャパニーズ」 笑いながらジェラルドは携帯を取り出してサンタ先生に呼び出しをかけようとする。 「グッドイブニング、愛しきマイドルチェ! いやイタズラじゃない、即切りは勘弁だ」 「……そうさ、カペラがようやく直って ジャパニーズと飲んでるところだ」 「もちろんさ、ハニーにもぜひ祝杯を おごりたいって奴が言うものだから……」 「……おい!!」 「ごめんごめんー、待たせたかしら?」 「今来たところさ、マイドルチェ」 「(……どこから電話していた?)」 「ふふっ、大人だけのパーティか。 たまにはこんなのもいいわね」 微笑む先生と軽くグラスを合わせる。 こうやって3人だけで飲むのは初めてだ。他愛もない世間話をしながら、アルコールだけが異様な速さで流し込まれていく。 トナカイは酒がなくっちゃあ話にならない。サンタチームと同じく、俺たちもこうやって互いの距離を縮めていくことになるのだろう。 しかし俺たちは同じ職場の同僚でもある。会話は次第に、課題になっているニュータウン攻略の話題へと移っていった。 「ああ、だいたいのあらましは ロードスターから聞いてるぜ」 「編隊飛行をするんだって? 面白そうじゃない」 「問題はベテルギウスが 散布するルミナ量の調整なんだ」 「先導機がガス欠になっちゃ仕方ないもんね」 「かといって、俺たちが 墜落するわけにもいかない」 「そんなことか。 だったらバルーンを使えばいい」 「バルーンって、ルミナ観測用の?」 「そうさ、そいつにルミナを詰めて コース上にばらまいてやるんだ」 「バルーンからの補給方法は?」 「そいつはお姫様の得意分野だ」 「……射撃か!」 ベテルギウスの飛行ルートにバルーンをばらまき、射撃名人のりりかがそいつを割ってルミナを拡散させる……。 「ま、バルーンに入るルミナの量なんざ たかが知れてるがな。後続機はそこから ルミナを補給すればいい」 「そうすれば、 ベテルギウスが自腹を切って ルミナをばら撒く必要はなくなるか」 「いや、ある程度の補給は必要になるだろう。 だがそれなりに楽はできるはずだ」 「問題は、バルーンを先に飛ばすから 途中でルートを変更するわけには いかなくなるってことかしら」 「ミスはなしってことか」 「特にイタリア人がね。 自分で難易度上げてるようにも見えるけど」 「大胆な男はモテるだろ?」 「無謀な男はモテないわよ」 「明快だな。 モテたければ成功させりゃいいってことさ」 補給を充実させるために、滑空の技術がより要求されるようになった。 ジェラルドはバルーンの位置とプレゼントの配布位置を計算に入れてコースを選ばなくてはならず、 俺とサンタ先生は、ジェラルドがどんな無茶なルートを飛んでも必死に食らいついていかなければならない。 「できるかい? ジャパニーズ」 「ああ、望むところだ」 ななみの屋台、バルーンのルミナ、編隊飛行。どれ一つ欠けてもうまくいかない作戦だ。 そうして、何もかもが過去に経験したことない難易度になるだろう。 「それじゃ乾杯! 今日から忙しくなりそうね♪」 かくして俺たちの酒は進み、ニュータウンのことやサンタたちのことを相談するうちに、気付けばもう深夜になっていた。 「ジャパニーズ、 お前はどうしてトナカイになった?」 「突然だな、どうした?」 「単なる好奇心だ」 「それ、アタシも気になるかも〜」 「……暗い川を越えるためさ」 どうやら俺自身、カペラが直ったことがよほど嬉しかったらしい。 さっきサンタさんには話すときははしょったエピソードが口をついた。 「暗い川?」 「ふーん……」 「親父が墜落死して、機体は海に沈んだ。 ニュースで見たのは、ヘリのライトに照らされて 波間に浮かぶ機体の破片だけさ」 親父の墜落は機械系統のトラブルだった。コントロールを失った機体を市街地に墜落させまいと必死で海まで飛ばしたらしい。 「どうにもそいつが俺の頭に残ってる」 ジェラルドが傾けたグラスで氷が鳴る。その音を聞きながら、更に話を続けた。 「トナカイになるずっと前、 田舎で度胸試しをやったんだ。 夜の川を跳び越えるっていうガキっぽいものさ」 「だけど……俺は跳べなかった。 暗い水面を前に足がすくんで、 一歩も踏み出せなかった」 「やれやれ苦い話だな。 そいつを吹っ切るためかい?」 「そうさ、なにかひとつ乗り越えるたびに、 俺の中にある黒い流れが、川幅を狭くする」 「乗り越えるため……か……」 「トナカイになったら消えると思ったんだがな、 どうやらまだ川は干上がっていないようだ。 俺はそいつを消し去ってやるために飛んでるのさ」 アルコールのせいでずいぶんと饒舌になってしまったようだ。俺は照れを隠すようにグラスを空ける。 「……誰にだって、 そんな見たくもない景色があるもんさ」 「ん?」 「ま、お前さんは生真面目すぎるよ。 トナカイはもっと気楽にやるもんだ」 俺のグラスに琥珀色の液体を注いでジェラルドが笑った。 ──訓練が始まった。 それは、生まれたばかりのサンタチームに与えられた、初めての本格的な現場任務。 「さあみんな、いっくわよー!!」 「了解!」 コーチ役はNY帰りの月守りりか。訓練の指揮を通じて、本部で〈培〉《つちか》ったテクニックを出し惜しみなく叩き込もうとする。 「フォーメーションを組んで上空を一周、 それから急降下!」 「ビビるなよ、ついて来い!」 「無用の心配だ」 「そっちこそしっかり飛んでちょーだいね!」 先導をするのは真紅のベテルギウス、後続のカペラとシリウスは赤い機影を追いかける。 「コースを外れてはいけないよ、マイドルチェ」 「あん、面倒ね」 ジェラルドのライン取りは、ことごとくセオリーを外してくるので、こっちが慣れるまで何回でも飛ぶしかない。 「ベテルギウス、 もう少し真っ直ぐ飛べないのか?」 「手加減しろとでも?」 「逆だ、むしろ遅すぎてやりずらい」 「言うじゃないか、ジャパニーズ」 軽口を叩く俺たちの背後──ソリの上では、サンタさんたちが特訓の火花を散らしている。 「シリウスが遅れてる! すずりん、ちゃんと鞭入れて!」 「は、はい!!」 「ななみんは国産に任せすぎ!」 「とは申しましてもーー!!」 がちゃがちゃと騒ぎながら、それでも編隊は綺麗な三角形を描きながらしろくまの夜空を駆ける。 今はまだ、ぎこちなさの残るチームでの実践訓練──しかし、やがてはこれが日常になってゆく予感はある。 訓練の開始と同時に俺たちの日常は加速した。 深夜の訓練が終わり、泥のような睡眠を終えたサンタさんには地獄の早朝稽古が待ち構えている。 「一意専心!! 〈不撓〉《ふとう》不屈!! ひたすら眼前の〈的〉《マト》を打ち砕くべし!! きぇぇぇーーーーーーー!!!」 「きええーーーーー!!!」 「ふぇぇぇ、もう腕があがりませんー!」 「ま、負けない、泣かない、乗り越えるーーっ!!」 「は、はいーー!!」 「まだまだ気合いが満ちとらん! 立ち木打ち、30本追加せい!!」 「わーーーーーーーーん!!」 「よっ……と、枝はこんなもんか?」 「はいぃー……そこ置いといてくださぁい」 「無理するなよ、休んでろ」 「あいぃ……」 「太い枝がもう少し必要ですね。 支柱はツリーの枝しか考えられませんし……」 「じゃ、この辺ぶった切っちゃうー?」 「だ、だめです!! 生きてる枝は切らないでくださいー!!」 「ニュータウン東、 2丁目3番地から6番地まで バルーン21個設置完了──」 「予備に30個確保するとして、 あとは北側に14個……」 「おや、キノシタさんとこの。 風船持ってなにやってんの?」 「き、キャンペーンですっっ! それではーー!!」 「……??」 「変なの、 何も書いてない風船なんて。 店名くらい書けばいいのに」 「で、では……いきますよー!」 「は、はい……っ!!」 「せーの……っ!!」 「しろくま町のみなさーん、はじめましてー!」 「き・の・し・た・玩具店でーす!!」 「やってきましたグランドオープン! 〈樅〉《もみ》の森のツリーハウスにて堂々開店!」 「た……ただいま、 オープン記念セール実施中でーーす!」 「見ての通り、とーってもかわいい店員さんが、 手取り足取りお出迎えしまーーす☆」 「……………………」 「(ど、どう……反応は?)」 「(は、恥ずかしくて顔を上げられませんっ!)」 「(だいじょーぶ、  みなさん遠巻きに見てくれてます!)」 「よーしっ、覚悟きめた! こうなったら完膚なきまでに宣伝してやるわ! 恥ずかしさを力に変えて立つのよサンタ!!」 「お、おーー!!」 「訓練用バルーンの設置、 予定通り完了しました」 「ご苦労。ではこれより観測チームから届いた ルミナ分布図の検討に入ります。 一緒に見ていきなさい」 「いいんですか!?」 「トールは私の補佐役だよ」 「は、はいっ!!」 「屋台のペイントだって? もちろん任せてくれたまえ! それはそうと……」 「ま、まもなくドアが閉まりまーす!!」 「ここだってさ、新しいおもちゃ屋」 「ほんとだ、できてるよ」 「き、きました……お客さん!」 「いらっしゃいませー!!」 「……なんか思ってたのと違う」 「ディーエスないのー?」 「あう、ご……ごめんなさい」 「……ですので、 やはり商品ラインナップの充実を……」 「自腹切って仕入れるほど余裕ないわよ」 「なら、木のおもちゃを手に持って宣伝して、 どんなお店かを分かってもらうとか……」 「きええーーーーーーーーっっ!!」 「うむっ、腹から声が出ておる! 褒美にラビットジャンプ3周追加だ!!」 「はい!!」 「ほう、ひよっ子がいい目になってきおったわ」 「ハイパージングルブラスター! ストライクモード!!」 「わくわくロッド 秋のスイーツ祭り開催中ーっ♪」 「必殺必中! ホーミングレーザー!!」「必殺必中! ココナッツパンプキン!!」 「さっすがぁ♪ さ、残りは硯よ」 「はい…………当たって──!」 「へえ、シリウスさん上手くなったもんだ」 「でしょー? もう手加減は要らないわよ」 「わたしたちも負けられませんね!」 「よーし、つかまってろよ!」 「え? わ、わ、わぁーーーぁぁああぁ!!」 「できたー!!」 「移動おもちゃ屋さん・るんるん号、 ただいま完成です!」 「へー、なかなか可愛いじゃない」 「メルヘンチックで、 木のおもちゃ屋さんらしいですね」 「さっそくニュータウンに繰り出したいんですが、 勝手にやったら怒られちゃいますよね」 「大丈夫です、許可はもう取ってありますから!」 「さすがとーるくん、仕事が早い!」 「それではさっそく出陣です! とーまくん、れっつごー!!」 「〈支部長〉《ロードスター》を乗せて飛ぶってのも 緊張するものですな」 「その割に楽しそうに見えるがね?」 「重さが違うんですよ。 ズシッと手ごたえがあるのは久しぶりでね」 「……にしても、わざわざ現地視察とは ニュータウンのデータに不安でも?」 「ははは、一度飛んでみたかったのだ」 「〈支部長〉《ロードスター》が難所を?」 「こう見えて、私も現場主義なのだよ」 「了解、つかまっててくださいよ」 「いらっしゃいませー」 「いい感じにお客さん増えてきたわね」 「宣伝の成果でしょうか?」 「実力よ、実力。 ななみんの方も上手く行ってるといいけど」 「カードないのー?」 「DXロボはー?」 「ラジコンー!」 「ううっ……現実は厳しいです」 「こんにちはー!」 「おおっ!? お客さん入ってるじゃない!」 「はい、ここ数日で少しずつ増えてきて……」 「こちら、おみやげ用に包んでください」 「かしこまりましたー」 「あ、それとこの熊の人形もおみやげにー」 「……おもちゃ屋としては機能してない??」 「それは言わないで!」 ──そんなこんなで気がつけば1週間。 奮闘の甲斐あってか、夜の訓練も店の経営もゆっくりと前に向かって動き始めている。 若手サンタばかりの寄合所帯がイブまでにどんなチームになっていくのか、当事者の俺も楽しみになり始めていた。 「店長さん、おつかれさま。 ようやくお店も軌道に乗ってきたみたいね」 「みすずさんも安心してくれるかな」 「さっきまで一緒だったけど」 「そいつは……えっと、なにか言ってました?」 「ふん! って一言」 おお、そいつはきっといい反応だ。なんとなく、あのお婆さんのノリは理解できる。 「それから、これ……渡すようにって」 「なんですか?」 封をしていない茶封筒を渡された。中には折り畳んだB5の紙が1枚──。 「ほらあな商店会の……歓迎会?」 俺たちサンタチームに支部への集合がかかったのは翌日のことだった。 簡単だが前向きな経過報告のあと、珍しく笑顔の透から、ルミナ分布の報告があった。 ニュータウンのルミナの分布に変化が見られはじめたのだ。 「コースを形成するには至ってないものの、 踏み石のようにルミナの点在する空間が、 現れるようになりました」 ニュータウンの拡大地図に、赤い丸印がいくつも付けられている。 小さな丸印の集合がちぎれ雲のような形になり、真空地帯のあちこちに散らばっていた。 「これって……るんるん号の影響で?」 「はい、その可能性は、十分にあるかと」 「息継ぎをするにはチト足りないが、 飛んだ感じも悪くはなかったぜ」 「あんたいつの間に!?」 「ま、いろいろあってね」 「でも……そうとなったらやるしかないわね!」 「ニュータウンで訓練ですか!?」 「先走るのは禁止です! もう少し様子を見てからにするようにって」 「サー・アルフレッド・キングが言ってた?」 「えっ!? えっと……そ、そうですよね?」 「訓練──良いではないですか」 「よっしゃ!」 「そ、そんなぁ……!」 「しかし、トールの言うとおり危険は危険。 ゆえにここは訓練ではなく……」 「そ、そうです!」 「勝負!!! と、心得るべし!!」 「勝負!?!?」 「左様、難所との勝負である。 どうせなら、イブを想定した プレゼントの配布訓練としてみましょう」 「な、なおさら危険ですってば!」 「しかし一度は飛んでみなくては コースの厳しさを実感することはできない」 「よーっし、それじゃさっそく!!」 「ああ……もうひとつ付け加えましょう」 「配布訓練の結果をもとに、 サンタチームのリーダーを選定します」 「ええええええええっっっっ!!!!??」 「必要とあればペアのシャッフルも検討します。 さて、これは去年のデータをもとにした プレゼントのリクエスト予想なのですが……」 有無を言わさぬ勢いで、サー・アルフレッド・キングが地図上に紫のマーカーペンで印を付け始める。 「この位置に、ルミナ補給用とは別の バルーンを標的用に上げておきましょう」 「バルーンをくつしたに見立てて、 そいつを打ち抜くってことですか?」 「左様、無事に予定数のバルーンを ヒットさせれば任務完了とします」 「ただのタイムトライアルより、 断然おもしろくなりそうね……」 「コース選択、ソリの操作テクニック、 射撃テクニック……サンタクロースの総合力が 問われるテストになりますね」 「リーダーを決めるには、 ふさわしいテストってことか……」 「訓練には、例のオアシスを引いてゆき、 実際にルミナの分布にどのような影響が出るのか、 確かめてみるとしましょう」 「オアシス??」 「きのした玩具店の移動店舗です」 「なるほど、真空地帯を砂漠に見立てるなら、 あの屋台はルミナがわき出るオアシスってわけか」 「ちょうどいいじゃない、 まだ名前決めてなかったし」 「あ、ありますよー! るんるん号といってですね……」 「オアシスだなんて素敵だと思います」 「るんるん号といってですねーー!!」 ボスの号令のもと、いよいよ大掛かりな配達訓練に向けて動き出した俺たちサンタチーム──。 しかしサンタの仕事は空だけではない。地上での活動が実を結ぶ場所が空であり、どちらもないがしろにはできないのだ。 かくして俺は、マーケットにやってきた。 「商店会の歓迎会か……」 ここで町の人たちと交流を深めることもツリーハウスの店長である俺の役割なのだが、 「あの大家さんが会長なんだよな……」 これも仕事、いったんくじけそうになる気持ちを取り直す。 「ま、当たって砕けろだ」 「あーいたいた、店長さん」 「先生?」 「聞いたわよ、歓迎会だって?」 「ま、そうなんだけど、どうして先生が?」 「だって飲めるんでしょ、タダ酒」 「はぁぁ……疲れました」 「どーだった、外回りは?」 「うーん、まだなんのお店か 分かってもらえないことが多いです」 「最初のうちは仕方ありませんよ」 「そーね、今は真空地帯攻略が最優先だし」 「それでリーダーが決まるんですよね?」 「そうなんじゃない?」 「……ごくっ」 「………………」 「な、なんですか!?」 「……ま、いいわ、教えてあげる。 リーダー決めはたぶんトラップよ」 「罠?」 「ど、どういうことですか? まさかロードスターさんが嘘なんて」 「嘘じゃないんだろうけど、 それであたしたちを試してるんだと思う」 「正確には、あたしたちのチームワークをね」 「……あ!」 「あたしも最初はテンション上がったんだけど、 リーダー決めだからって、スタンドプレーに 走ったりしたら多分そこでアウトってこと!」 「いーい、ななみん?」 「な、なんであたしなんですか!?」 「協調性って意味だとあんたがいちばん心配」 「そ、それをりりかちゃんが言いますか!?」 「なによ!」 「だって!」 「……ってなるのも危険ですよね」 「そ、そういうこと! 要はテストだからって訓練からブレちゃ駄目よ」 「あうぅ……了解です。 とーまくんにもあとで話しておかないと」 「……そーいえば遅いわね。 まさか飲みまくってるんじゃ?」 「そ、それはさすがに……」 「でも、トナカイですもんね……」 「あー、気を遣った!」 「そーお? 結構楽しかったじゃなぁい♪」 「そりゃ先生は飛び入りだから!」 「いい人ばかりだったわよ。 あんなに騒いだのも久しぶりよ」 「そいつは確かに」 ネーヴェで開かれた歓迎会、商店会のおっさんおばさん連中はノリのいい人ばかりで酒もつまみも大盤振る舞い。 ペンキ屋の鉄道談義と大家さんの毒舌には参ったが、最後はサンタ先生のカラオケ熱唱まで飛び出して宴は異様な盛り上がりを見せていた。 内々で飲むのも美味いが、大勢で盛り上がる席に酒は欠かせない。 「もう少し酔えたら最高だったんだがな」 「訓練続きだもんねー。 二日酔いでセルヴィに 乗るわけにもいかないしー」 「そうそう、訓練以外での サンタさんたちの様子はどう?」 「ニュータウン攻略に向けて 相当気合いが入っているかな」 「あとは、チームワークかしらねー」 さすがは先生、鋭いところを突いてくる。 「ま、そのあたりはおいおい……」 話をする俺たちの頭上を赤い光が追い抜いていった。 「今の……イタリア人?」 何かあったのだろうか。今日は歓迎会があるので、訓練も中止にする予定だったのだが……。 「ただいま! 今しがたそこでベテルギウスが……」 「待ってたわよ国産、先生! それじゃさっそく訓練、訓練!」 「夜間訓練の総仕上げです!」 「ちょっと待て! アルコール入ってるから今日は中止じゃ」 「二人ともセーブして飲んでたでしょ?」 「そ、それは、いざってときのために……」 「大事なテストを控えた今こそ一大事です!」 「そ、そーなるか!?」 「そーなります!」 「俺も子猫ちゃんとデートの予定だったんだがな。 えらい剣幕で呼び出されちまった」 「ほら、さっさと支度して行くわよ」 「そんなー! アタシ今日はのんびりドラマを……」 「平気です、 録画予約を透さんにお願いしておきました」 「硯までーー!?」 「ま、サンタさんがそこまで言うならしゃーないか」 「アナタは飛ぶのが好きだからいーけど……」 「いいチームワークで追い込まれたら、 やるっきゃないでしょ、先生?」 「はぁぁ……ここの人たち無駄に熱いわ」 「……ふぅ」 ニュータウン攻略の日が近づいてるためか、以前よりもサンタ達の連帯感が強くなったような気がする。 「柊ノ木さんも、 ななみ達と大分打ち解けたみたいだし……」 ここ最近、ななみやりりかと当日について打ち合わせを重ねているようだ。 俺の居ない間に何があったか判らないが、とりあえずは一安心ってところだろう。 「な〜か〜いさ〜ん!」 自室に戻ろうとして、いきなり呼び止められる。 目を向けると、暖炉の前で先生がぐてーっと横になっていた。 「……そんなトコで何してるんだ、先生”」 「ちょぉっとお酒飲み過ぎちゃってね〜。 悪いけど、送ってってくれるー?」 「これでちょっと……」 周りには空になったビンがいくつも転がっていた。 歓迎会で地酒を堪能できなかったからとは言え、流石に飲みすぎじゃないか、これは? 「んー……」 確かに、今のほろ酔い先生にセルヴィを運転させるわけにはいかない。 かといって、この時間じゃくま電もとっくに終わってしまってるはずだ。 結局俺が送っていくしかないってことか。 「……分かった。 支度してくるから、ちょっと待っててくれ」 「よろしくねー」 「んじゃ、先生。 さっさと後ろに……」 「んしょっと……」 先生は後ろのシートに跨らず、連結前のソリに乗り込んでしまった。 「? わざわざソリに乗らなくても、 タンデムで大丈夫だろ?」 「いーのいーの」 先生はぷらぷらと手を振るばかりで、取り合おうとしない。 ほろ酔いとは言ってるけど、もしかしてかなり酔ってないか? 「……まあいいか。 振り落とされないようにしてくれよ」 「オッケー」 「んー! きもちいいわー!」 「ゆっくり飛んでるぐらいで、 随分とはしゃぐじゃないか、先生」 「現役を引退してからは、 ずっとシリウス一筋だったからねー」 「だからサンタが乗るソリが 懐かしくなってしまった、か?」 「そーいうこと」 両手を大きく左右に広げ、先生は夜の風を身体いっぱいに受け止める。 そんな先生の様子を確認しつつ、ゴーグル越しに伸びる細い光の道を〈滑空〉《グライド》していく。 流れの緩いコースから緩いコースへ。後ろの先生に負担がかからないように。 「…………」 ……さっきから、背中がむず痒い。 肩越しに目を向けると、ほろ酔い加減のサンタ先生がじーっと見つめていた。 「な、なんだ?」 「んー……無鉄砲なトナカイにしては、 随分と控えめな運転と思ってね」 「去年のクリスマスイブは、 かなり無茶な〈滑空〉《グライド》してたじゃない?」 「うっ”」 間違いなく、あの時のことを言ってるな。 「あ、あの時は、少し張り切りすぎただけさ。 一年に一度だけのイブだからな」 「それに今は配達時間じゃないし、 今の先生にはこれぐらいがちょうどいいだろ?」 確かに全速力で飛ばせば、数分程度の距離だ。 しかしアルコールの入った先生にはちょっとばかしキツイ運転になってしまう。 「……そうねぇ。 去年みたいなアクロバットされちゃったら、 きっとリバースしてたかも」 「冗談でもやめてくれ」 「サンタに仕込まれたトナカイか……。 中井さんのお師匠さんも両刀だったのかしら?」 「いや、ずっとサンタ一筋の人だ。 ただ三度の飯よりセルヴィ弄りが好きでさ」 師匠が使っていたこのカペラも、元々は廃車寸前だったものを無理言って引き取ったものらしい。 「サンタ学校に入るまではみっちりと、 実戦形式でトナカイのイロハを叩き込まれたのさ」 「へぇー。 一度、あなたのお師匠さんと会ってみたいわね」 「そういう先生は、サンタを辞めて長いのか?」 「それなりにね。 とはいっても受け持ったのは 今のところ一人だけだけど」 「柊ノ木さんのことか」 生活を共にして数日も経ってないが、それでも彼女について分かったことはある。 少し人見知りのきらいがあるが、とても真面目で、責任感の強いしっかり者。 正直、グータラを自称する先生の弟子とはとても思えなかったりする。 いや、むしろ先生がグータラだったから、弟子の柊ノ木さんがしっかり者になったのか? 「それにしても……」 「ん?」 「硯のこと、随分と気にかけてくれてるみたいね?」 「そうか?」 「そうよ。 今だってこうして あの子のこと考えてくれてるみたいだし」 「……まあ、放っておけないタイプではあるな」 責任感が強い故か、彼女は何事も一人で抱え込んでしまう傾向にある。 平然と一人で家中の掃除をこなそうとしたり、明らかに自身の処理能力を超える量の作業を片付けようとした時もあった。 だから正直、危なっかしくて見ていられない。 「けどね……」 「生半可な覚悟じゃ、 あの子は受け止められないわよ?」 すっ、とトーンダウンした言葉に、思わず先生に視線を向けてしまう。 さっきまで穏やかだった先生は、一転して真剣な表情で俺を見ていた。 「生半可な覚悟でトナカイなんかできやしないさ」 「……ふふ。それもそうね」 そうやって小さく笑う先生に、さっきまでの真剣味は余韻すらも残っていなかった。 「もうそろそろ到着だ、先生」 視線を下ろすと、明かりの消えたロードスター邸が見える。 静かな空の〈滑空〉《グライド》ももうそろそろ終わりだ。 ロードスター邸に続くルートを見つけ、人気が無いことを確認し、下降しようとして―― 「ん……?」 「どうしたの?」 「急に出力が落ち始めたんだ。 おかしいな……」 「もしかして、また故障?」 「いや、そんなはずは……」 訓練後のメンテナンスの時は、異常は特に見当たらなかったのに……。 「なっ――」 「え――!」 直後、雲に突っ込んだように、視界が真っ白に染まる。 これは……霧か!?何てタイミングの悪い時に! ルミナの供給が少なくなりエンジン音が小さくなっていく。 「出力が低下したのは霧の予兆だったのね……! すぐにコースを変更して!」 「言われなくても!!」 「くっ!!」 続けざまに叩きつけるような突風が、機体を激しく揺さぶる。 「きゃあっ!!」 背中からの悲鳴に、咄嗟に俺はセルヴィのハンドルを横に切っていた。 崩れそうだったバランスを持ち直し、揺れるソリを落ち着かせる。 「……!」 「大丈夫か、先生!?」 「え、ええ……」 「にしても、随分と流されてしまったな……!」 霧と突風でバランスが取れず、機体はルートから大きく外れてしまっていた。 こうしてる間も風は止まず、いつまた突風が来るか判らない。 「って、考えてるうちにまた……!」 ショックに備えてグリップを握る。その拍子にゴーグルの隅に、一本のルートを捉えた。 やれるか……?いや、やるしかないな! 「先生! 揺れるだろうから、しっかり掴まっとけよ!」 「え……」 吹きつけてくる突風に合わせて、アクセルを全開に開く。 肩越しにソリのバランスを確認しつつ、風に逆らわないように機体を操作する。 「……!」 思惑通り、追い風となった突風。それを利用して、安定していた別ルートへカペラを飛び移らせる。 「……ふぅ。 ぶっつけ本番だったけど何とか上手くいったか」 「…………」 「……先生?」 「……うぷ」 「は?」 お、おいおいおい!先生、アンタまさか……ッ!! 「……ぎもぢわるい”」 「ああああああああ!! 吐くなよ!? すぐに着陸するから! 絶対に吐くなよ!!」 「ふー、お騒がせしました」 「……はぁぁ」 かくして、マシントラブルと突発的な霧と突風に見舞われた〈滑空〉《グライド》から解放された俺だった。 しかしまさか、突風を伴った滑空よりも、着陸作業に神経を尖らせることになるとは……。 「でも、カペラのエンジン不良や 突然の霧に巻き込まれた時は どうしようかと思ったけど……」 「まさか、あそこで突風を利用するなんて 中々やるじゃないの」 「それにソリも見ずに、 あれだけ素早くバランスを整えるなんてね」 「マスターサンタの先生に褒められるとは……光栄だ」 ただあの時は事態に対して勝手にハンドルを切っていたのだ。 これもスパルタ実戦形式で扱いてくれた師匠のおかげかもしれない。 訓練を重ね、身体で学び取ったものこそが、真に実戦で役立つ物だ、とは師匠の談だ。 「それに、あなたの〈滑空〉《グライド》は サンタにとても優しいのね」 「中井さんの後ろに乗っていて、 それがよく分かったわ」 「ジェラルドにも同じことを言われたよ」 俺自身、そんな特別なことを実践しているわけじゃないんだが……。 「まっ、今日の所はありがとね。 お礼に今度、お酒でも奢るわ〜」 ひらひら、と手を振りながらロードスター邸に入っていく先生を見送る。 「…………」 『生半可な覚悟じゃ、 あの子は受け止められないわよ?』 「生半可な覚悟……か」 サンタ先生が残した言葉が、何故かヤケに胸に強く焼き付いていた。 かくして連日連夜の訓練は続く──。 真空地帯の範囲とルミナの分布は日替わりなので、手順は毎晩変わり、訓練中、気の休まる時間はまるでない。 しかし、毎晩のハードな訓練にも負けずに、サンタチームの士気はうなぎのぼりだ。 そうして迎えた、ニュータウン攻略訓練当日の朝──。 「本日行われる配達訓練についての 注意事項をまとめました」 「25時開始? ずいぶん遅い時間にやるんですね」 「ニュータウンが いちばん静かになる時間ってことね」 「内容はお話ししてある通り、 イブを想定した配達訓練で、 トライアングルフォーメーションを試します」 そのための訓練を今日まで繰り返してきた。変に緊張したりしなければ、上手く行くはずだ。 「その結果次第で、 チームをシャッフルするんだな?」 ジェラルドの言葉に、サンタたちが表情を引き締める。 そうだ、リーダー決めよりも大事なのは、このシャッフルだ。 場合によっては、ここで新しいパートナーとペアを組むことになる。 「サー・アルフレッド・キングは、 そうおっしゃっていました」 パートナーシップというのは、一朝一夕で培われるものじゃない。 果たしてボスは本気でそれを考えているのだろうか。 「しかし、ニュータウンの攻略が 第一目的だということを忘れないでください」 「イブまであと2ヶ月ちょい…… ここで新しいペアを組むのは大変ね」 「………………」 サンタたちが緊張した顔を見合わせる。おそらく俺も、緊張が顔に出ていただろう。 「かんぱーい!」 しろくま支部のサンタとトナカイ、全員が揃ってテラスで乾杯をする。 とはいえ訓練前なので、右手に掲げているのはジンジャーティーの満たされたティーカップだ。 「いよいよチームの晴れ舞台ね!」 「……で、チーム名は決まったの?」 「そういえばまだだったな」 「だったらいい名前がある。 ジェラルド・ラブリオーラと5人の盗賊」 「大却下」 「ならば、世紀の伊達男と美女軍団、 おまけの男子1名とか……」 「私は、 しろくまベルスターズがいいと思います!」 「わたしも!」 「ゲートボールチームみたいじゃない?」 「……せめて野球と言ってください」 「覚えやすいじゃないですか、 ね、りりかちゃん」 「あんた自分のアイデアに 自信あったんじゃないの?」 「あ、あはは……りりかちゃんは?」 「………………」 「イタリア人の意見は?」 「先駆の着想はいつだって迫害に遭うものさ」 「ま……しゃーないか。 それじゃ『しろくまベルスターズ』行くわよ!!」 「おーーー!!」 「さて、頃合いもよし。 我々も持ち場につくとしよう」 「…………」 「どうしたのだね?」 「いえ、その……やっぱり心配で」 「ここのサンタさんに編隊訓練なんて、 まだ早すぎませんか? こないだまでケンカばかりしていたのに……」 「それを見極めるのも今夜の仕事だ」 「でも……!」 「確かに簡単な訓練ではないが、 ここでの仕事は今後も難度の高いものになる。 ここでつまづいていては先がないのだよ」 「では、無茶を承知で?」 「無茶ではない。 いずれにせよ通らねばならぬ道だ」 「確かにイブに博打を打つよりは 今のうちですが……もし失敗したら?」 「そうさせないのが私の仕事だよ」 「サー・アルフレッド・キング……」 「さあ行こう、夜が更けてきた」 「来ます……」 「定刻通り……ふむ、綺麗な編隊だな」 「──25時まで20秒。 作戦通り、これよりニュータウンに突入する。 遅れるなよ!」 「了解!」 「ベテルギウス── ジェラルドさん聞こえますか?」 「感度良好だ。 編隊各機ニュータウンへ向けて加速中。 少し風に流されている」 「了解しました。バルーンは 標的、補給用ともに設置完了しています。 データをそちらへ送ります」 セルヴィのシールドに、ニュータウンの地図と標的の位置、そしてルミナのコースが表示される。 ゴーグルを通して見下ろす夜景が記号化されたものだ。 「熊崎城址公園にサー・アルフレッド・キングと オアシスが待っています。先導機の ベテルギウスはそこをゴールにしてください」 「了解だ、予定変更なし」 「決して無茶をしないでください。 訓練は安全第一です!」 「無茶かどうかは終わってみれば分かるさ。 通信終わり、突入する──!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 ──コースが途切れた。 3機のセルヴィは、三角形のフォーメーションを保ったままニュータウン上空へ進入する。 ここから先は無補給の真空地帯だ。コースのないまっ暗な闇夜を、ルミナの光跡が切り裂いていく。 「バルーンは?」 「そろそろ見えるはずだ。 頼んだぜ、お姫様」 「まっかせなさーい! バルーン撃ちなんて楽勝楽勝♪」 久しぶりの緊張感に、金髪さんのテンションも上がっている。 「あった……あれね!」 前方に、ふわふわと漂う赤いバルーンが見えた。グリーンランドの本部が開発したルミナを閉じ込めることのできる風船だ。 バルーンの表面が内包したルミナの光で、うっすらと輝いている。 「ハイパージングルブラスター、 2WAYショット!!」 「すごい、左右同時……!」 「後ろはどう?」 「ルミナ補給──成功だ」 「予想値ぴったりね、どんどんお願い」 「おかわりだとさ、お姫様」 「まっかせなさーい! いくわよ、バルカン7!!」 「さあ、こっちもお仕事だ。 配達用バルーン、3個確認!」 「いっきまーす! マローン、グラーッ、セーー♪」 「こっちもいくわよ、硯!」 「は、はい!」 「スパー、ゲティー、カルボナー……あ、あれ?」 「そこは張り合わなくていいから」 「す……すみません”」 「いちご……ショート!」 「てーいっ!!!」 「いただきッ!!」 「はいっ!!」 初めてのトライアングルフォーメーションは、予想以上に順調だ。 ベテルギウスの赤いノズル光がバルーンとバルーンの間に赤いカーペットを敷き、オレたちはその後ろを追いかける。 セルヴィの光跡を追いかけるように風で大きく揺れていたバルーンが次々と破裂する。 りりかは補給用のバルーンを左右のブラスターで次々と打ち抜き、ななみは近距離、硯は遠距離の配達用バルーンを確実にヒットさせていく。 「行けるじゃないか、俺たち」 「無駄撃ちゼロ、予想以上ね」 「本番もこの調子なら助かるな」 作戦を練ってきただけあって真空地帯であることを忘れるほど順調な展開に、このまま無事終わることを期待し始めたとき……。 「ラブ夫、前!!」 「〈霧〉《・》だ。 後続機、見えるか?」 「ああ、どうする!?」 前方、暗闇の空間に水玉のようにもやもやと漂う、鈍い光の塊。 霧といっても、こいつは本物の霧じゃない。 流れを失ったルミナが停滞し、〈靄〉《もや》のように〈揺蕩〉《たゆた》っているのだ。見た目が似ているから霧と呼ばれている。 「あーあ、予報はあてになんないわねー」 「……すみません」 本物の霧なら振り払うことができるが、こいつはそうはいかない。 霧となって停滞したルミナはエネルギーに変換することができず、つかまると推力が大幅に低下してしまう。 「ベテルギウス、回避するか?」 「〈最初〉《ハナ》からコースアウトして飛んでんだ、 回避してる猶予はないぜ」 「霧はよける! ついてこられるか?」 「ここからアクロバットってわけね。 いいじゃない、やってみるわ」 「曲乗りは得意科目だ。行けるな、ななみ?」 「ええ!? わ、わかりました。 その前にお菓子の補充を……(ごそごそ)」 「硯も落ちちゃダメよー?」 「大丈夫です!」 「んじゃ……いくぜ、お姫様!!」 「バーナーオン! つっこめーー!!」 最高速を維持したまま、赤い光跡が霧を避けて飛び跳ねる。背後から見るその動きは、まさに曲芸師だ。 「とーまくん、あれ……忍者みたいです!」 「八大トナカイの〈滑空〉《グライド》か……燃えてきたぜ!」 「で、できるんですか!?」 「たりめーだ! つかまってろ!!」 「お、おおー!? とーまくんに火がついた!?」 コースを瞬時に判断する手間がないだけ、後続機のほうが楽をしているんだ。これで遅れるわけにはいかない。 ベテルギウスの斜め後方につけながら、離されないよう必死に喰らいついた。 「ちょっと早すぎない!?」 さすがというべきか、先生のシリウスも俺の隣にぴったりついてくる。 「乱暴なエスコートも愛のうちさ」 3機は編隊を乱すことなく、霧を避けながらの〈滑空〉《グライド》を続けた。 「補給用バルーン確認! 後ろいいわね、マルチプルショット!!」 「……すごい、りりかちゃん」 「この程度のアクロバットなら 何度も経験してますって感じだな」 「ぬぬぬ、負けてられません!」 「カペラ! ターゲット来るわよ!」 「右前方に2、3……4個!」 「パン・プキン・パイ、おかわりっ!」 「硯ー、前方にふたっつ!」 「はい…………ッ!」 「いいぞ、ターゲットクリア!」 「リラックスできてるじゃない、その調子!」 「……っと、どうやら今度は 我々が魅せる番だぜ、お姫様」 「……!?」 「前方、霧が網の目に広がっている。 聞こえるかキャロルの坊や── すぐに修正した脱出ルートを送ってくれ」 「ジェラルドさん、なにかあったんで――****」 「通信障害か……ゴキゲンだ、突破する!!」 「任せた、ラブ夫!」 「あいよ、お姫様。 後続機、こっから難易度アップだ」 「危険です、不時着のほうが……」 「いま降りたら見つかるわ。 それに先導機が行くって言ったら行くっきゃないの」 「……というわけだ、いいな、ななみ!!」 「もぐもぐ……りょーかいですっ!!」 声は硬いが、菓子食ってる余裕があれば大丈夫だ。 この霧の中、カペラとシリウスに提示された道はベテルギウスの光跡を正確にトレースすること! 目撃されるリスクはあるが、墜落を避けるための不時着が正解だと、俺の理性が囁きかける。 しかし、霧の中に突っ込んでいくジェラルドの背中に向かって、俺はこう呟いていた。 ──そうこなくっちゃ! 「通信──回復しません!」 「では、場所を移そうか。 広場中央から追加のバルーンを上げなさい」 「でも、みんなの場所が分からなくちゃ……」 「機械がだめなら〈両眼〉《こいつ》を使うだけのことです」 「……肉眼を」 「笑いなさい、眉を寄せれば不安がやってくる。 彼らに託したのは私だ」 「…………は、はい」 「ここを灯台にします。 バルーンを急ぎなさい」 「分かりました、行ってきます!」 霧に照らされた仄暗い空を右に左に、時には旋回しながら霧の合間を縫って飛ぶ。 こいつは間違いなく曲乗りだ。それも、超一流の。 「ターゲットきてる! 右下の赤い屋根!」 「急降下する! 下を向いた瞬間に狙え!」 「りょ、りょーかいです!!」 「霧が邪魔ね、遠距離からは無理よ!」 「はい、先生! 引きつけて狙います!」 「ナイスクリア! あと少しで突破できるわ!」 「そうは行かないぜ、お姫様」 「なんでよ!?」 「フ…………よけきれない」 網の目に広がる霧を避けてきたが、とうとう周囲を包まれてしまった。 セルヴィにUターンはできないし、できたとしても編隊を組んでいては無理だ。 「ウソ!? ちょっ、なんとかしろーー!!」 「ああ、加速する!」 「加速だと!?」 「霧を払ってやるのさ。 後続2機は、その間に突破しろ!」 「突っ込むの!? それじゃベテルギウスが!」 「なんとかするわ。 ベテルギウスのフィルターなら、 少しは霧の浸入を抑えられるから!」 「真紅の稲妻って奴をごらんあれ、マイドルチェ」 「無駄口禁止! いっけー、ラブ夫!」 「ここからさらに加速!?」 「まだ〈残して〉《・・・》たのか!」 りりかのハイパージングルブラスターが光の束を射ち出し、前方の霧を払いのけていく。 そうしてわずかにできた穴に、巨大なベテルギウスが鼻先を突っ込んだ。 きりもみ状に回転し、霧をはじき飛ばしていく。 「先生、一列だ!」 「結局こーなるのね!」 後続のカペラとシリウスは、一列縦隊になってその穴に突入する。 一度は無茶だと否定したはずの一列縦隊、そいつに今は賭けるしかない──!! 「楽勝!! いっくわよ、ベテルギウス!!」 「そうさ、楽勝だぜ……」 しかし──。 もう30メートルも飛べば霧を抜けるというところで、突如、ベテルギウスが失速した。 「どうした!?」 「どうもしてないさ、 予定通り、後続機は霧を抜けろ!」 「りりかちゃんは!?」 「こいつをやっつけて追っかけるわ!」 「でも!」 「いいから行けっての! ハッピー・ホリデーズ!」 ベテルギウスの後方でルミナを温存していた俺たちなら、残りの推力でこの霧を抜けられるだろう。 しかし、いくら最新鋭とはいえベテルギウスはこのまま霧に囚われてしまう。 「とーまくん!!」 「ああ!」 だが……どうする!? 「前方、バルーン2つ!」 「OK! あたしが撃ったら、 後続の2機はルミナを補給して離脱!」 「イタリア人は!?」 「エリートに不可能はない!! 3・2・1……いけーーっ!!」 ハイパージングルブラスターから、立て続けに2発の光弾が放たれる。 1発目が霧を払い、2発目がその向こうに漂っていたバルーンを、撃ち抜いた。 「くそ──!!」 バルーンから広がったルミナが機体に取り込まれる。俺は──カペラを一気に加速させた! 「ななみ頼む!!」 「はい!!」 細かい指示を出している余裕はない。アクセルを踏み込み、ベテルギウスに機体を寄せる。 けれどもななみは、全て承知していたように―― 「りりかちゃん、手!!」 「ななみん!?」 「早く、手をつないで!!」 接触すれすれで並走するカペラとベテルギウス。その間をつなぐように、ななみが伸ばした手を、りりかが受け止めた。 〈宵闇〉《よいやみ》の中、サンタの手のひらが2機のセルヴィをつないでいる──。 「ばか、なに考えて……!?」 「わかんないけど……離しちゃダメです!」 サンタには、ルミナの流れを読み、それを制御する能力が備わっている。 ルミナを動かすのはサンタになるための資質であり、イブの夜には、その力が奇跡を呼び起こす──。 「うそ──!?」 ななみとりりか──つないだ手から手にルミナが伝わり、カペラからベテルギウスへと供給されていく。 「なんだ、こいつは? おいジャパニーズ、聞いたことあるか?」 「初耳だ……サンタにそんな裏技が」 「でも、このままじゃ……!」 ふいに、足元から光が差し、霧となったルミナに緩やかな流れが生まれた。 「地上から……?」 「りりかちゃん、脱出です!」 「お、オッケー、行くわよ!!」 「やれやれ、月明かりが眩しいぜ」 「……突破した?」 「でも、オアシスが見えません!」 「公園もないわ、まさか霧の中に!?」 「ううん、こっちです!!」 北西の方角をななみが指差してみせる。まさか、こいつには見えているのか!? 「なんで分かんのよ!?」 「さっきの光──オアシスですよ!」 「だからどーして分かる!?」 「なんとなくです!」 「!?」 「いずれにしろ、このままじゃ不時着だ」 「だったら賭けてみるか。 ジャパニーズ、交代だ。先導してくれ」 「了解だ」 地上への先導を託された──。 ベテルギウスと交代したカペラは、編隊を率いてななみの指した北西に機首を向ける。 そうして間もなく……、 「ななみさん、ありました!」 「前方地上に光──ルミナだ」 「るんるん号……」「……オアシスね!!」 「やれやれ、不名誉な成績は免れたな」 霧が晴れた。 視界の向こうに熊崎城址公園と、オアシスの隣で手を振るロードスターの姿がある。 ジェラルドのノーズランプが赤く点滅し、地上に向かって合図をした。 「通信回復──こちらベテルギウス、異常なしだ」 「ななみん、すずりん、あとは任せたからね!」 サー・アルフレッド・キングのオアシスから迎えのコースが宙に延びている。 タンクのルミナを使い切って編隊を離脱したベテルギウスが、地上に向かうコースへと吸い込まれていった。 「では、残りのエリアを ぱぱぱっと配っちゃいましょー!」 「はい!」「了解!」 最後の仕上げだ。 明るく響くななみの声をどこか頼もしく感じながら、俺はカペラのアクセルを踏み込んだ。 「11時方向、霧が薄いわ!」 「よーし、一気に抜ける!」 「OK……助かったわ、ななみん」 「い、いえ……どういたしまして……」 「……きゃう!?」 「ちっ!!」 ベテルギウスに気を取られ、こっちもいつしか薄く広がった霧幕に突っ込んでいた。 霧が厄介なのは、元がルミナと同じもののため、しばらくは排気されず、機体にとどまってしまうことだ。 「つかまったか……」 「こっちもよ。 困ったわね、推力がもたないかも」 霧の向こうにシリウスのノーズランプが淡く光っている。 カペラとシリウスだけだ。先導していたベテルギウスの影は見えない。 「とーまくん!」 「わーってる、すぐに考える」 迷っている時間はない。こうしている間にも、ルミナの澱みに囚われたカペラとシリウスは、蓄えたわずかなルミナを、みるみる消耗している。 ここでの停滞はイコール墜落につながる。選択肢は二つ。脱出か不時着かだ。 脱出──タンクのルミナを全放出すれば、霧を払うことができるかもしれないが、そいつは賭けだ。 霧を抜けた先にバルーンがなければ、俺たちは墜落する。しかし、成功すれば……。 「……不時着する!」 「でも、地上に誰かいたら!?」 「落ちたら同じことだ」 脳裏に親父の顔が浮かんだ。 地上への墜落を避けるために、最後まで操縦桿を離さなかった親父の顔が。 「…………仕方ない、ですか」 「ああ……ゲームオーバーだ」 できることならここを突破したい。しかし俺の欲求で、仲間を賭けに巻き込むわけにはいかない。 出力を停止し、自然落下で霧を抜けてから、ランディングへ移行──。 頭の中で手順を整理して、ステアリングのスイッチに指をかけた時、 「白旗をひっこめな、ジャパニーズ!」 「!!?」 声がした、ベテルギウスだ! 真紅の機体が霧を蹴散らしながら再突入をしてきたのだ。 「後ろから押し出してやる! 霧が晴れたらコースに乗って公園に降下しろ!」 「無茶だ、接触する気か!?」 「無茶かどうかは俺が決める! 祈ってろ!」 「シールド最大!!」 ベテルギウスは旋回しながら、カペラとシリウスの間に突っ込んできた。 「つかまれ、ななみ!!」 「硯も……きゃっ!?」 「あぐ……ッッ!」 「りりかちゃん!?」 「早く脱出!!」 「り、了解っ!!」 ベテルギウスはカペラとシリウスに接触しながらも、重くまとわりついていた霧の幕を払いのけた。 そして、脱出する俺たちのために高濃度のルミナを後方へ排出する。 「無茶しすぎ……いくら情熱の国だからって!」 「すまん、カペラ脱出する!」 「よーし、すっからかんだ、 あとはお姫様のルミナが頼りだぜ」 「わかってる、バルーンの位置は!?」 「正面だ……ん、ちょっと待ってくれ」 「カペラだ、 10時方向に地上へのコースを確認した。 脱出するならそっちに向かってくれ」 「本当か、そいつはいい」 「コースの正面に付けたら教えて。 鞭を入れてあげるわ」 「おっかないね、笑ってるのか?」 「ふふ……見せてあげるわ、 エリートは無敵だってとこ!!」 「コース正面だ、お姫様!」 「いくわよ──まっすぐ全速力!!」 「ベテルギウス、着陸します──」 「ご苦労でした、怪我はありませんか?」 「楽勝です!」 「もう、無茶をしないでくださいって、 あれほど言ったのに……」 「不時着よりは無茶じゃなかったはずよ?」 「……そうは思えません」 「実際、危ないところでした。 地上からのコースは この屋台が作ったんですか?」 「まあ、そういうことです。 なかなかの名案ですよ、これは」 「へぇ……ななみん、やるじゃない」 「それにしてもこの町のツリーさんは、 相当なじゃじゃ馬ですな。 ボスからよくしつけてやってください」 「それだけ元気があれば安心です。 あとはカペラとシリウスに任せましょう」 ──コースが途切れた。 3機のセルヴィは、三角形のフォーメーションを保ったままニュータウン上空へ進入する。 ここから先は無補給の真空地帯だ。コースのないまっ暗な闇夜を、ルミナの光跡が切り裂いていく。 「バルーンは?」 「そろそろ見えるはずだ。 頼んだぜ、お姫様」 「まっかせなさーい! バルーン撃ちなんて楽勝楽勝♪」 久しぶりの緊張感に、金髪さんのテンションも上がっている。 「あった……あれね!」 前方に、ふわふわと漂う赤いバルーンが見えた。グリーンランドの本部が開発したルミナを閉じ込めることのできる風船だ。 バルーンの表面が内包したルミナの光で、うっすらと輝いている。 「ハイパージングルブラスター、 2WAYショット!!」 「すごい、左右同時……!」 「後ろはどう?」 「ルミナ補給──成功だ」 「予想値ぴったりね、どんどんお願い」 「おかわりだとさ、お姫様」 「まっかせなさーい! いくわよ、バルカン7!!」 「さあ、こっちもお仕事だ。 配達用バルーン、3個確認!」 「いっきまーす! マローン、グラーッ、セーー♪」 「こっちもいくわよ、硯!」 「は、はい!」 「スパー、ゲティー、カルボナー……あ、あれ?」 「そこは張り合わなくていいから」 「す……すみません”」 「いちご……ショート!」 「てーいっ!!!」 「いただきッ!!」 「はいっ!!」 初めてのトライアングルフォーメーションは、予想以上に順調だ。 ベテルギウスの赤いノズル光がバルーンとバルーンの間に赤いカーペットを敷き、オレたちはその後ろを追いかける。 セルヴィの光跡を追いかけるように風で大きく揺れていたバルーンが次々と破裂する。 りりかは補給用のバルーンを左右のブラスターで次々と打ち抜き、ななみは近距離、硯は遠距離の配達用バルーンを確実にヒットさせていく。 「行けるじゃないか、俺たち」 「無駄撃ちゼロ、予想以上ね」 「本番もこの調子なら助かるな」 作戦を練ってきただけあって真空地帯であることを忘れるほど順調な展開に、このまま無事終わることを期待し始めたとき……。 「ラブ夫、前!!」 「〈霧〉《・》だ。 後続機、見えるか?」 「ああ、どうする!?」 前方、暗闇の空間に水玉のようにもやもやと漂う、鈍い光の塊。 霧といっても、こいつは本物の霧じゃない。 流れを失ったルミナが停滞し、〈靄〉《もや》のように〈揺蕩〉《たゆた》っているのだ。見た目が似ているから霧と呼ばれている。 「あーあ、予報はあてになんないわねー」 「……すみません」 本物の霧なら振り払うことができるが、こいつはそうはいかない。 霧となって停滞したルミナはエネルギーに変換することができず、つかまると推力が大幅に低下してしまう。 「ベテルギウス、回避するか?」 「〈最初〉《ハナ》からコースアウトして飛んでんだ、 回避してる猶予はないぜ」 「霧はよける! ついてこられるか?」 「ここからアクロバットってわけね。 いいじゃない、やってみるわ」 「曲乗りは得意科目だ。行けるな、ななみ?」 「ええ!? わ、わかりました。 その前にお菓子の補充を……(ごそごそ)」 「硯も落ちちゃダメよー?」 「大丈夫です!」 「んじゃ……いくぜ、お姫様!!」 「バーナーオン! つっこめーー!!」 最高速を維持したまま、赤い光跡が霧を避けて飛び跳ねる。背後から見るその動きは、まさに曲芸師だ。 「とーまくん、あれ……忍者みたいです!」 「八大トナカイの〈滑空〉《グライド》か……燃えてきたぜ!」 「で、できるんですか!?」 「たりめーだ! つかまってろ!!」 「お、おおー!? とーまくんに火がついた!?」 コースを瞬時に判断する手間がないだけ、後続機のほうが楽をしているんだ。これで遅れるわけにはいかない。 ベテルギウスの斜め後方につけながら、離されないよう必死に喰らいついた。 「ちょっと早すぎない!?」 さすがというべきか、先生のシリウスも俺の隣にぴったりついてくる。 「乱暴なエスコートも愛のうちさ」 3機は編隊を乱すことなく、霧を避けながらの〈滑空〉《グライド》を続けた。 「補給用バルーン確認! 後ろいいわね、マルチプルショット!!」 「……すごい、りりかちゃん」 「この程度のアクロバットなら 何度も経験してますって感じだな」 「ぬぬぬ、負けてられません!」 「カペラ! ターゲット来るわよ!」 「右前方に2、3……4個!」 「パン・プキン・パイ、おかわりっ!」 「硯ー、前方にふたっつ!」 「はい…………ッ!」 「いいぞ、ターゲットクリア!」 「リラックスできてるじゃない、その調子!」 「……っと、どうやら今度は 我々が魅せる番だぜ、お姫様」 「……!?」 「前方、霧が網の目に広がっている。 聞こえるかキャロルの坊や── すぐに修正した脱出ルートを送ってくれ」 「ジェラルドさん、なにかあったんで――****」 「通信障害か……ゴキゲンだ、突破する!!」 「任せた、ラブ夫!」 「あいよ、お姫様。 後続機、こっから難易度アップだ」 「危険です、不時着のほうが……」 「いま降りたら見つかるわ。 それに先導機が行くって言ったら行くっきゃないの」 「……というわけだ、いいな、ななみ!!」 「もぐもぐ……りょーかいですっ!!」 声は硬いが、菓子食ってる余裕があれば大丈夫だ。 この霧の中、カペラとシリウスに提示された道はベテルギウスの光跡を正確にトレースすること! 目撃されるリスクはあるが、墜落を避けるための不時着が正解だと、俺の理性が囁きかける。 しかし、霧の中に突っ込んでいくジェラルドの背中に向かって、俺はこう呟いていた。 ──そうこなくっちゃ! 「通信──回復しません!」 「では、場所を移そうか。 広場中央から追加のバルーンを上げなさい」 「でも、みんなの場所が分からなくちゃ……」 「機械がだめなら〈両眼〉《こいつ》を使うだけのことです」 「……肉眼を」 「笑いなさい、眉を寄せれば不安がやってくる。 彼らに託したのは私だ」 「…………は、はい」 「ここを灯台にします。 バルーンを急ぎなさい」 「分かりました、行ってきます!」 霧に照らされた仄暗い空を右に左に、時には旋回しながら霧の合間を縫って飛ぶ。 こいつは間違いなく曲乗りだ。それも、超一流の。 「ターゲットきてる! 右下の赤い屋根!」 「急降下する! 下を向いた瞬間に狙え!」 「りょ、りょーかいです!!」 「霧が邪魔ね、遠距離からは無理よ!」 「はい、先生! 引きつけて狙います!」 「ナイスクリア! あと少しで突破できるわ!」 「そうは行かないぜ、お姫様」 「なんでよ!?」 「フ…………よけきれない」 網の目に広がる霧を避けてきたが、とうとう周囲を包まれてしまった。 セルヴィにUターンはできないし、できたとしても編隊を組んでいては無理だ。 「ウソ!? ちょっ、なんとかしろーー!!」 「ああ、加速する!」 「加速だと!?」 「霧を払ってやるのさ。 後続2機は、その間に突破しろ!」 「突っ込むの!? それじゃベテルギウスが!」 「なんとかするわ。 ベテルギウスのフィルターなら、 少しは霧の浸入を抑えられるから!」 「真紅の稲妻って奴をごらんあれ、マイドルチェ」 「無駄口禁止! いっけー、ラブ夫!」 「ここからさらに加速!?」 「まだ〈残して〉《・・・》たのか!」 りりかのハイパージングルブラスターが光の束を射ち出し、前方の霧を払いのけていく。 そうしてわずかにできた穴に、巨大なベテルギウスが鼻先を突っ込んだ。 きりもみ状に回転し、霧をはじき飛ばしていく。 「先生、一列だ!」 「結局こーなるのね!」 後続のカペラとシリウスは、一列縦隊になってその穴に突入する。 一度は無茶だと否定したはずの一列縦隊、そいつに今は賭けるしかない──!! 「楽勝!! いっくわよ、ベテルギウス!!」 「そうさ、楽勝だぜ……」 しかし──。 もう30メートルも飛べば霧を抜けるというところで、突如、ベテルギウスが失速した。 「どうした!?」 「どうもしてないさ、 予定通り、後続機は霧を抜けろ!」 「りりかちゃんは!?」 「こいつをやっつけて追っかけるわ!」 「でも!」 「いいから行けっての! ハッピー・ホリデーズ!」 ベテルギウスの後方でルミナを温存していた俺たちなら、残りの推力でこの霧を抜けられるだろう。 しかし、いくら最新鋭とはいえベテルギウスはこのまま霧に囚われてしまう。 「とーまくん!!」 「ああ!」 だが……どうする!? 「あれは……!」 煙のように広がる鈍い光の幕。そこに薄らと小さな影が二つ浮かび上がっていた。 「補給用のバルーンか!」 あの二つを割ることが出来れば、ベテルギウスの推力を回復させられるかもしれない。 しかし霧が深すぎて、りりか達が気づいてくれる様子はない。 霧に加えてこの距離からでは、ななみじゃ少しばかり分が悪い。 それなら……! 「柊ノ木さんッ、前方にバルーン2つだ! 直線上に1つと、そこから右に1メートル! 狙えるかッ!?」 「とーまくんっ!?」 「! ……やってみます!」 サイドミラーに小さな光が二つ煌く。 流星のように放たれた二本の光の矢がそれぞれ霧を打ち払い、その向こうに浮かんでいたバルーンを貫いた。 「え……!」 「あんなトコにバルーンがあったなんて……! ナイスよすずりん! ラブ夫っ!」 「分かってるぜ、お姫様!」 バルーンから広がったルミナが機体に取り込まれ、吹き返したようにベテルギウスが力を取り戻す。 「俺達も行くぞ、ななみ!」 「はい!」 ペダルを強く踏み込みカペラを加速させた。 霧を吹き飛ばしながら、その先に広がっている夜空を目指す。 しかし、スピードが上がるに連れて、ルミナを補給したはずのベテルギウスが目に見えて遅れ始めた。 「どうしたのよラブ夫!?」 「どうやら思ったより霧を食い過ぎたようだ。 お腹いっぱいだとさ」 余裕の態度を崩さないジェラルドだが、速度を失ったベテルギウスは、ゆっくりとその高度を下げていく。 「ここから先は俺が先導に回る! 柊ノ木さんっ、あとを頼む!!」 「はいっ、先生!」 「分かってるわよー!」 機体をさらに加速させ、外側から隊形の先頭へ回り込む。 その後ろでは先生が細かくペダルを操作し、失速を続けるベテルギウスに機体を近づけていた。 「りりかさん!」 「す、すずりん!?」 「こちらに手を伸ばしてください!!」 接触すれすれで並走する純白と真紅の機体。その間を繋ぐように、硯が延ばした手をりりかが受け止めた。 〈宵闇〉《よいやみ》の中、サンタの手のひらが2機のセルヴィをつないでいる──。 「ばか、なに考えて……!?」 「離さないでください!」 サンタには、ルミナの流れを読み、それを制御する能力が備わっている。 ルミナを動かすのはサンタになるための資質であり、イブの夜には、その力が奇跡を呼び起こす──。 「なんだ、こいつは? 聞いたことあるかい、マイドルチェ」 「アタシだって初めて見たわ……。 こんなウルテクがあったなんてねー」 「でも、このままじゃ……!」 ふいに、足元から光が差し、霧となったルミナに緩やかな流れが生まれた。 「地上から……?」 「りりかさん、このまま脱出を……!!」 「お、オッケー、行くわよ!!」 「やれやれ、月明かりが眩しいぜ」 「……突破した?」 「でも、オアシスが見えません!」 「公園もないわ、まさか霧の中に!?」 「ううん、こっちです!!」 北西の方角をななみが指差してみせる。 「なんで分かんのよ!?」 「さっきの光──オアシスですよ!」 「だからどーして分かる!?」 「なんとなくです!」 「!?」 「いずれにしろ、このままじゃ不時着だ」 「だったら賭けてみるか。 ジャパニーズ、交代だ。先導してくれ」 「了解だ」 地上への先導を託された──。 ベテルギウスと交代したカペラは、編隊を率いてななみの指した北西に機首を向ける。 そうして間もなく……、 「ななみさん、ありました!」 「前方地上に光──ルミナだ」 「るんるん号……」「……オアシスね!!」 「やれやれ、不名誉な成績は免れたな」 霧が晴れた。 視界の向こうに熊崎城址公園と、オアシスの隣で手を振るロードスターの姿がある。 ジェラルドのノーズランプが赤く点滅し、地上に向かって合図をした。 「通信回復──こちらベテルギウス、異常なしだ」 サー・アルフレッド・キングのオアシスから迎えのコースが宙に延びている。 タンクのルミナを使い切って編隊を離脱したベテルギウスが、地上に向かうコースへと吸い込まれていった。 「じゃあ、ちゃっちゃと残りのエリアも 片付けてしまおうか」 「了解です!」「りょーかい」「はい!」 「はぁー……やれやれ。 一時はホントどうなることかと思ったけど」 「今回は硯に助けられちゃったわね」 「私が……ですか?」 「濃霧の中、バルーンを見つけただけでなく、 あの距離から打ち抜いて、 いち早くルミナを供給させたじゃない」 「アレが無かったら、 今頃こうしてのんびり帰ってこられなかったわよ?」 「あっ、あれはその……たまたま上手くいっただけで」 「言ってるでしょ? たまたまでも運でも、それはあなたの実力だって」 「せ、先生……」 「……よくやったわね」 「は、はい。 ありがとうございます」 「……硯」 「? なんですか?」 「まあ色々あったけど……、 今まで硯と一緒に飛べて楽しかったわ」 「え?」 「これからも頑張っていきなさいよ?」 「…………」 「んー? 返事はぁ?」 「えっ……あ、は、はいっ。 頑張ります、先生!」 「……よし! あーあ、今日はホント疲れたわねぇ。 さっさと帰って温かい布団で眠りたいわー」 「先生……?」 「皆さん、〈昨夜〉《ゆうべ》はご苦労でした」 早朝──しろくまベルスターズの6名は、いつもの特訓時間にロードスター邸へと集められた。 「予想外の霧に苦しめられはしたものの、 実に期待以上の成果を収むるに至り、 全くもって〈重畳〉《ちょうじょう》至極!!」 執務机の前に立ったサー・アルフレッド・キングが、少しおかしな日本語で昨夜の訓練を総括する。 「かの真空地帯での配達訓練を成功させたるは ひとえに皆の衆の鍛錬の成果! 燦然たるサンタの〈誉〉《ほま》れである!!」 「(ほ、褒められてるんですよね?)」 「(たぶん、かなり……)」 「(夜のうちは物静かな英国紳士さんなのに、  どーして朝になるとこーなっちゃうんで  しょうか?)」 「(お日様が昇ると  おめでたい気分になるんじゃない?)」 「(そんなからくりですか!?)」 「(やっぱり朝のロードスターはステキねぇ)」 「(せ、先生って……!!)」 「みなさん、お静かに!!」 「ウホン……よろしいか! 先般申し伝え置いた通り、かの配達訓練は リーダー選定の検分も兼ねておった!!」 「そ、そうでした!!」「そ、そーだった!!」 「しからば、その結果をこれより発表する!」 「…………ごくり!」 「やぁやぁ、遠からん者は音にも聞けい!! しろくまベルスターズの異名を与えられし 我がサンタチーム、そのリーダーの名は……!!」 「──星名ななみ!!」 「ええええっっっ!?」 「きみに決定する」 「ななななぜですか!! なぜなんですかっっ!?!?」 「勢いである!」 「いきおい!?」 「左様、かの者には勢いがある」 「あたしよりもですか!?」 「どっこいどっこい」 「じゃどーして!?」 「それすなわち、役割分担と心得たまえ」 「…………????」 「以上である、各員一層の精進努力を期待する!」 「え? あ、あの……!!」 「できないできない納得できないっ!! ちっともさっぱりわかんないーー!!」 「まーまー、面倒なリーダー役じゃない。 気にしない気にしない」 「でもでもどーしてあたしじゃなくて あいつなんですかーー!?」 「そんなのアタシに言われても」 「実際、わたしもなにやら 狐につままれたような……」 「ベテルギウスのピンチを フォローしたのが評価されたんだろ?」 「その点では異論を挟む余地なしだ、お姫様」 「うぎぎぎ……あたしともあろうものが、不覚!」 「でも、役割分担……って言ってましたよね?」 「え?」 「りりかさんにはコーチのお仕事があるので、 リーダーの仕事をななみさんに振り分けて、 バランスを取ったんじゃないでしょうか?」 「……!」 「そうか……! なるほど、そういうこともあるかも。 ふふふ、うふふふふ……!」 「そーと決まれば、行くわよラブ夫!」 「どこへだい?」 「特訓のメニューを考えるの! 付き合ってもらうからね」 「おいおい、今日はオフの予定が……」 「りりかちゃん…………ゴキゲンになりました」 「……だな」 「硯ってば、言いくるめるの上手くなったわねー」 「わ、私は決してそんなつもりじゃ!」 「はぁぁ……」 「気が抜けたのか? さっきからため息ばっかりだぜ、サンタさん?」 「逆ですよ、逆! わたしにリーダーなんて務まるんでしょうか?」 「できると思ったから任命したんだろ? ボスのお墨付きだから、 金髪さんも引き下がったんだぜ」 「うーん……でもですよ、 リーダーと言われても さしあたり何をしたらいいか……」 「そんなのは決まってる、盛り上げ役さ」 「へ!?」 「考えてもみろよ、訓練は金髪さんが担当して、 毎日の生活は硯が仕切ってくれるんだから、 あとはムードメーカーがいりゃ何とかなる」 「まさか役割分担ってそういう意味!?」 「本当を言えばよくわからん、てきとーだ」 「もー、まじめに聞いてたのに!」 「お、噂をすれば……金髪さんからだ。つなぐぞ」 「もしもし、ななみん!」 「は、はいっ!」 「リーダーはななみんになったとしても、 訓練はあたしのスタイルでやるからね!」 「も、もちろんです! またよろしくお願いします!」 「ん、ならいいけど……それだけ」 「…………切れちゃいました」 「めでたしめでたし、ってことだ。 さ、早く戻って朝飯にしようぜ」 「そうですね、 案ずるよりごはん〈美味〉《うま》し、です」 りりかが訓練、硯が家のことを見るのなら、俺の役割は何だろうか? 店内の簡単な掃除を終えた俺は、整ったディスプレイの人形を眺めながらコーヒーで一息つくことにした。 店長が俺の仕事だ──と言いたいところだが、明日からまた、ななみとペアを組んでオアシスでの営業が始まるだろう。 店は、りりかと硯に見てもらうことになる。如才ないりりかと、几帳面な硯ならきっと上手く店を回してくれるだろう。 俺とななみは屋台を引っ張っての別行動だ。ななみが、リーダーとしてのポジションに悩む気持ちも、分からないではない。 「それでも、あいつなら上手くやるさ」 このさい能天気は武器になる。あいつは深く考えずに勢いで突っ走ってくれればいい。 それが行き過ぎないように支えてやるのが、どうやらトナカイである俺の役割らしい。 棚に陳列された人形を取ったり戻したりしながら、俺は少しだけ誇らしい気持ちになっていた。 「おい」 「わぁ!?」 「け。まったくボヤボヤしやがって、 そんなで、生き馬の目を抜く商売の世界で、 生きていくつもりとは」 「お、お久しぶりですね大家さん。 なんですか、突然」 「突然じゃなくちゃ見回りの意味がないだろう。 店はどうしたんだ、店は、閉店の準備中か」 「昨日、遅くまで研修がありましてね、 今日は休みなんですよ、 外の看板に書いてませんでしたか?」 「ふん、そんなもの目に入らなかったね。 知らずに客が来たらどうすんだ?」 「そのときは俺が接客します」 大家さんはポケットから煙草を取り出すと、手馴れた動作で火をつけてうまそうに吸い。 「で、肝心の売り上げは?」 「着服なんてしませんよ? ごほごほ」 紫煙が俺の顔に容赦なくふきつけられた。 「着服っていうのはな。 着服出来る売り上げがなきゃ出来ないんだよ。 で、その売り上げは出てるのかって聞いてるんだ」 「げほごほ。 そ、それなら順調です。 おかげさまで客足も上向きですし」 「ふぅん。来月には 別の店子に貸してやれると思ってたんだがね。 あてがはずれちまった」 「今日びそんな借り手が大勢いるんですか? しかもこんな町外れの物件」 「ラブホテルにどうかって話があったのさ。 あー残念だ残念だ」 なんという運命!このツリーは、俺たちが借りなければ、ラブホテルになっていたらしい。 「それから。ほらよ」 四つ折になったメモを大家さんが放ってよこす。 「これは?」 「あんた頭蓋骨に脳が入っていないらしいね。 ここにチラシを置いてやるって 物好きがいたってさ」 思い出した。 前の歓迎会で俺は、きのした玩具店のチラシを置いてくれる店がないか、聞いて回っていたのだ。 「……ありがとうございます!」 大家さんは煙草を携帯灰皿におしつけた。 「ふん。 礼ならその物好きに言うんだね」 おそらくは、呼び込み看板の『本日休業』を読んだうえで、営業の邪魔にならないように訪ねてくれたであろう大家さんを、送り出す。 「……案ずるよりごはん美味し、か」 「なんだって? 今、乱れに乱れた日本語が 聞こえて来た気がしたんだが」 首だけで振り返る大家さんを、愛想笑いでやりすごそうとしたそのとき、ツリーハウスのテラスから、なにやら羽音が……。 「こけーここ!!」 「──トリ!!」 「鳥だね、ありゃ。 まさかペットじゃないだろうね?」 ひっこめ、そして飛び去れサンダース!無理でも大空に羽ばたけ! 「や、野鳥の類です、前にお話した!」 「あれが野鳥? 随分と野性味のない野鳥だね」 「い、いえ、野生種ですとも!」 「ふー、いい湯だったぁ」 バスタブの中で一日の労働から解放され、さて湯上りの一杯でもと思っていたところに金髪さんが飛び込んできた。 「ワニ婆が来てたの!?」 「ああ、思ったより優しかったぜ。 うちのチラシを置いてくれる店を 見繕ってくれたんだ」 「そこにトリが乱入してきて ごまかすのに一苦労さ」 「食用って言えば良かったのに……」 「それよりそのカッコ!! 裸で歩き回るな!! 活動家か!!」 「裸!? ちゃんと下はつけてるぞ」 「上もつけてっっ!! アイドル級にプリティでラブリーな女子と 同居してるって忘れないでよね!」 「いまさら気にするような間柄とも思えんが」 「お風呂洗ってきま……」 「!!!!!」 「あ、すまん……」 「……あの、いえ……その」 「やっぱり……まずかったか?」 「どーぶつから人間に進化するチャンスよ。 はい、洋服」 「ふー、やれやれ……夜気が心地いいぜ」 本当なら上半身裸でビールでもひっかけたいところだが、まだまだ店の営業も生活習慣も見直すことが多くありそうだ。 久しぶりの休日。しかし夜になると身体がうずうずしてくるのは、トナカイの〈性〉《さが》でもある。 「湯冷め覚悟で、夜の散歩としゃれこむか」 空を見上げる。 学校にいた頃は、トナカイになった日を想像してよくこうして夜空を見上げたものだ。今日は不思議と当時のことばかり思い出される。 ななみと出会ったのも、そのころだ。 進級テストの時間、消しゴムをなくして困っていたピンク髪の女子に、買ったばかりの新品を貸してやった。 『ちゃんと新しいのをお返しします』 やけに礼儀正しい言葉で礼を言ったななみが俺に返してくれた消しゴムは、新品でこそあったものの、香りつきのケーキ型。 おかげで当時はえらく冷やかされたものだ。 「まさか、そいつとパートナーとはな……」 コツン、と足先に何かが当たった。 足元に視線を下ろすと、そこにはショートケーキの形をした──。 「あれーー?」 「おかしいです……うーむむ……」 「探してるのはこいつか?」 「おおっ、とーまくん! どこでそれを!?」 「テラスに転がってた」 「ありゃ? あ、あはは……ありがとうございます」 まるで進歩のないななみが、俺の手からケーキの消しゴムを受け取る。 「なに書いてんだ?」 「サンタ学校の筆記試験ですよ。 屋久島支部から取り寄せたのをやってるんです」 「そりゃまた、どうして?」 「これ、タダなんです!」 「は?」 「ほら、新聞のクロスワードみたいなものですよ。 ついつい暇つぶしにやってしまうといいますか」 「新聞に直接答えを書き込んでたのはお前か!」 「ま、まずかったですか!?」 「まずいのは、むしろその手元の菓子軍団だ」 「こ、これは……パズルは脳を使うので、 糖分の補給をですね」 「よりによって就寝前に? いや、むしろ脳云々は菓子を食う口実か」 「あうぅ、そ、それはその……!」 「じ、実を申しますと! わたくし、 カスター道を極めている最中なんです!!」 「初耳すぎらあ、段位はBMIか?」 「もー、いいじゃないですか、 乙女のリラックスタイムなんですってば!」 「部屋でやればよかろうに」 「まあ、それはそうなんですけど……」 意味ありげな視線を送ってくる。 「久しぶりにゆっくりしていたら、 なんとなく眠れなくて……」 「とーまくんが良かったら、 カペラくんに乗せてもらえないかなー、なんて」 「へえ……お前もか」 「とーまくんもでしたか?」 「全開ぶっちぎりじゃなくていいですよ、 のんびりドライブな感じでー!」 「安心しろ、風呂上りに汗をかくつもりはないさ」 「またお風呂になっちゃいますもんね」 後席にまたがったななみが、ほっと息をつく。 「……ずいぶん上手くなったな」 「へ?」 「的当てだよ、留年した割にはさ」 学生時代のななみは、ルミナの軌道を読むのは上手かったものの、射撃が苦手で留年することになった。 「勢いがありすぎてノーコンになるって聞いてたが、 その割に制御できてると思ってさ」 「そりゃあ……留年はショックでしたから」 俺も似たようなものだ。カペラの操縦に対応できるサンタがいなくて、屋久島では仕事がほとんどなかった。 それは周囲のサンタが悪いのではなく、俺の対応力の問題だ。 「今年は、上手くやってこうぜ」 俺にとってもななみにとっても、ようやく手に入れた自分の仕事──。 「もちろんです♪」 ななみの能天気な声を聞いていると、意気込んで張り詰めていたものが、どこかへ抜けていくような気がする。 緩いんだか熱いんだか分からないが、今はこいつが俺の相棒だ。 「少し飛ばすぜ」 ななみの腕が、俺の腰をぎゅっと締め付ける。 アクセルペダルを踏み込んで、俺は町を見渡せる高度へ機体を躍らせた。 「ザ・保留!!」 「またですかーーーー!?」 「うむ、諸事勘案したところ、 決定打不足ということにあいなった」 「か、勘案ですか?」 「左様、月守りりかの先導ぶりと ジェラルド・ラブリオーラの決断力には 目を〈瞠〉《みは》るものがあった」 「ですよね!!」 「一方で咄嗟の危機に即応した星名ななみの機転も 〈白眉〉《はくび》というべきもの。ゆえにもうしばらく 両名の資質を見極めてゆきたいと思う次第である」 「そんなぁ……」 「つまり、この先も 集中力を切らすことなく競い合えと?」 「左様である!」 「ふーむ、修行に終わりなしですね! さすがは支部長さんです」 「うーーー、でもでもー!」 「また、パートナーの組み換えについては、 現状の編成が最上であると判断し、 全てなかったものとする」 「本日の通達は以上! 以後両名のますますの鍛錬を期待する!!」 「あうぅ…………」 「わかりました……」 「はー、まだまだ保留ですかー」 「今日のところはリーダーの話を忘れて、 訓練の成功を祝おうぜ」 「それもそうですね。あんなハードな訓練を 乗り切れるなんて思いませんでした」 「体力がついてるんだ。 毎朝のスパルタのおかげかもな」 「あいかわらず二人とも前向きねー」 「あ、先生!」 「無事に訓練終わって良かったですね」 「さすがに柊ノ木さんもほっとした顔してるな」 「え? あ……いえ」 「これは違うのよー、今朝まではリーダーに なったらどうしようってオロオロしてたんだけど 候補から漏れて安心してるの」 「せ、先生、そんなこと言わなくても……!」 「なるほどね、サンタさんも色々だな」 「……すみません」 「っと、その対極にいるサンタさんからだ。 ななみ、つなぐぞ」 「はいはーい、りりかちゃんお疲れ様でした!」 「うん、おつかれー」 「じゃない!!!!」 「わぁぁ、びっくりしました!」 「なんでそんなのんきなのよ! 今日からあたしたちはライバル! いいわね、ライバルなんだから!」 「おおっ『友』と書くやつですね!」 「それは強敵と書いて『とも』でしょ!! ちがう、ただの競争相手!!」 「ええー、ただのですか!?」 「ただの、だったらライバルとは言わないわよねー?」 「昨夜は仲良く手をつないでたじゃないか」 「あぅ……ぐぐぐ、それはいいのっっ! とにかくリーダーの座は渡さないわ! それだけよ!」 「りょーかいです♪」 どうやらこの二人は、今後も切磋琢磨しながら競い合うことになるらしい。まさにボスの狙い通りってところか。 「ま、そんならそれで、 トナカイもトナカイ同士 せいぜい競わせてもらうさ」 「おおっ! とーまくん、その意気です」 「退屈な勝負は御免だぜ?」 「ラブ夫、格の違いを見せつけるわよ! レッツ・スピードアーップ!!」 「あいよ!」 「……と言いたいところだが、無理だ」 「どーして!?」 「出力ダウン。 ……こりゃご機嫌ななめだな」 「こ、故障ですか?」 「どうやらそうらしい。 レースはお預けだ、不時着する」 ベテルギウスは人目に付かない山の中を選びルミナのコースをたどりながら高度を下げてゆく。 俺とサンタ先生も、慌ててそのあとを追いかけた。 「ふーむ、なるほどね……」 「大丈夫?」 「ダメだな」 「簡単に言うな!! どーなってるの!?」 「ハーモナイザーがイかれてる。 どうやら接触のダメージだな」 「冗談でしょ!? ハーモナイザーが……?」 「ジョークで済めばありがたいんだがな、 こりゃ本当にヤバいぜ」 「昨夜の接触か?」 「さァな」 ジェラルドは言葉を濁しているが、これは間違いなく、霧の中から俺たちを脱出させた時のダメージだろう。 ハーモナイザーとリフレクターはセルヴィの核となるパーツだ。当然ながら、整備は特に時間がかかる。 この時期にその心臓部分がいかれるってのは……。 「大丈夫さ、透が何とかしてくれる」 悪い想像を振り払うように笑顔をつくった。元八大トナカイは、俺の表情になど目もくれない。 「そうだな、キャロルの坊やに期待してみるか」 「と、とにかく!! 急いでロードスター邸へ戻らなきゃ! こんなとこ誰かに見つかったら大変だし」 「そーね、シリウスで牽引するわ」 「このデカい機体だ、2機で行こう」 「うー、こんなことになるなんてー!!」 「心配ですよね」 「それもそうだけど、ライバル宣言したばかりなのに カペラに引っ張ってもらうなんて屈辱ーー!!!」 「おい!!」 「まあまあ、仲良くやろうぜお姫様」 「だってラブ夫!」 「……これからどうなるか分からないんだ」 「……ジェラルド?」 ベテルギウスが不時着事故を起こしりりかの心細そうな声を聞いたあの日から4日が過ぎた。 ベテルギウスの検査が終わるまで、夜の訓練は自習モード。 りりかは不安を紛らわすように、ツリーハウスの裏庭で射撃の練習ばかりやっていた。 5日目に透からの連絡があり、ロードスター邸に呼び出された俺たちは、突然の通達を受けたのだ。 「ペア交代ーーーーーー!?!?!?」 「左様!」 「ででででも交代ってことはまさか!?」 「わたしとりりかちゃんがペアを!?」 「ちがーーー!!!」 「ま、まさか……ですよね!?!?」 うすうす覚悟はできている。どんなサンタであれ、サポートするのがトナカイだ。 「そのまさかである!」 「月守りりかは今後カペラと、 星名ななみはベテルギウスとペアを組むこと、 〈屹度〉《きっと》申し付けるものである」 「ま、妥当な判断ですな」 「そ、そんなー!? 何であたしがこんな国産なんかとっ!?」 どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ。どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ!どんなサンタであれサポートするのがトナカイだ!! 「ここからは僕が説明します。 検査の結果、ベテルギウスのハーモナイザーに 強い衝撃が原因となる変調が発見されました」 「応急処置とリミッターの再設定により 動作を安定させることには成功しましたが、 本来のスペックを発揮するのが難しい状態です」 「つまり、いまのベテルギウスじゃ あたしのパートナーに釣り合わないってこと?」 「その……カペラのほうが適役と診断されました」 「……一緒じゃん、意味」 りりかが悔しそうに唇を噛む。 「ま、このさい仕方がないさ。 あそこで無茶したのは俺の失策だ」 「『あたしたちの』よ!」 「りりかちゃん……」 その失策は、俺たちを助けるための判断だった。 「分かりました。 自分たちでしたことの結果は受け入れます。 ななみんはそれでいいの?」 「わ、私は……」 ななみが頼るような目で俺を見る。ここでこいつを迷わせてはトナカイ失格だ。 「いいじゃないか、 元八大トナカイのパートナーなんて 望んだってなれるもんじゃないぜ」 「とーまくん……」 「よろしくな、ピンクのお嬢ちゃん」 「あ、あの……」 「………………」 「はい、こちらこそよろしくおねがいします!」 「……うむ」 「突然のことで戸惑いもあるだろうが、 よろしくお願いします、星名くん」 「は、はい!」 霧の中で接触事故を起こしたのは、ベテルギウスだけではなく、カペラとシリウスも同様だ。 支部で3機のセルヴィを全て点検するというので、俺たちは久しぶりに『くま電』でツリーハウスに戻ることとなった。 「はぁぁ……」 「まさか……国産がパートナーとはね」 「俺じゃ役者不足かもしれないが、辛抱してくれ」 「…………」 「……ま、仕方ないか!」 さばさばした声で伸びをしたりりかが、ふうっ、と大きく息をつく。 「お、切り替えたな」 「まーね、国産が相手でも、 まだ絶望って段階までは行かないし」 「いったいどこまでハードルを下げた?」 「このくらい」 親指と人差し指で1cmくらいの長さを作ってみせる。 「そりゃ気が楽だ。 ま、1cm以上の働きはしてみせるよ。 よろしく頼むぜ、エリートさん」 「それなりに期待しておくわ」 「俺とペアになっても、 あんたはエースのままだ。 そうできるよう全力を尽くす」 「とーぜん!」 ヘコんでいた顔が、凛としたエリートの表情に戻る。 口は悪いが、エースの責任を果たそうとする熱意は誰よりも強い。 このエリートサンタさんをどこまで活かしてやれるか。それで俺のトナカイとしての価値が決まるだろう。 揺れる電車の中で拳を握る。 視界の隅で揺れる〈金髪〉《きん》の縦ロールが、しろくま町の太陽にきらきらと輝いていた──。 「――柊ノ木硯!」 「…………え?」 「君に決定する!」 「なっ!? ど、どどど、どーしてすずりんなんですかっ!?」 「リーダーに求められるものは、 堅実に物事を処理し、それを〈纏〉《まと》められる能力」 「着任時の皆さんの行動を吟味した結果、 柊ノ木硯は地道に仕事を重ね、常に 諸君らが動きやすい環境を構築しようとしていた」 「うっ……」 「さらに今回のニュータウン攻略の際も 機転を利かせ、チームの危機を救った」 「ぐっ」 「以上のことから、 リーダーには柊ノ木硯が適任と判断したのだ。 勿論、他にも要因は沢山ある」 「は、はい……ガクッ」 「おめでとーございます、硯ちゃん! これからもよろしくお願いしますね!」 「…………」 「硯?」 「…………あっ! ち、ちょっと待ってください……!! り、リーダーなんて私……っ」 唯一状況に追いついていない硯は、オロオロとしっぱなしで、助けを乞うように先生へ顔を向ける。 しかし、サー・アルフレッド・キングの側に控えている先生は、言葉を返さず小さく微笑み返すだけだ。 「そして兼ねて知らせていた通り、 只今を以って、現在のコンビは解消!」 「今後はこちらが定めたペアで活動してもらいます」 「っ……!!」 「――星名ななみ!」 「は、はい!」 「今後、君はサンタ先生と組んでもらう」 「せ、先生とですかぁっ!?」「えっ……!!」 って言うことは……。 「――そして柊ノ木硯!」 「っ! は、はい!」 「君はそこにいる中井冬馬とペアを組み、 チームを引っ張っていくように」 「月守りりか、ジェラルド・ラブリオーラは 変わりません。 今後もより一層の努力を重ねていくように」 「了解!」 「一つよろしいでしょうか。 サー・アルフレッド・キング」 「なにかね?」 「なぜ、二人のペアを入れ替えたのか、 説明していただけますか?」 「……これは私の一存ではなく、 先生の意思によるものでもある」 「先生の……っ!?」 「先ほど話した通り、ニュータウン攻略の折、 二人は非常に的確な連携を取ってくれた」 「それを見た先生が、 柊ノ木硯は中井冬馬と組んだほうが より実力を発揮できる……そう進言したのだ」 「……そーいうことよ」 「せ、先生……」 「ほらほら、二人とも。 今日からコンビを組むんだから、 握手でもしなさいよ、握手!」 「……そうだな。 これからよろしく頼むよ、硯」 硯に向かって、右手を差し出す。しかし、硯は戸惑っていて手を伸ばそうとしない。 「ほーら、すずりー」 「はっ、はい……。 よ、よろしくお願いします……」 先生の手が硯の手首を掴み、強引に俺の手を握らせる。 さらにその上から、先生の手が握り合った俺達の手を包み込むように重ねられた。 「アタシの教え子をよろしく頼むわよ?」 「ああ。任せてくれ」 「…………」 全てが終わって外に出ると、夕映えの雲が頭上に広がっていた。 冷え込んだ秋の空気が身にしみる。 「さて……と」 「――とーまくん!」 「ななみか。どうした?」 「とーまくんが寂しがってると思いまして。 慰めに来てあげたんですよー」 「寂しがってる? 俺が?」 「ほらー、私とコンビ解散しちゃいましたし。 びーびー泣いてるんじゃないかって☆」 「はっ、お前と一緒にするなよ」 「わ、私だって全然寂しくありませんー!」 「元々、ここ来た時に コンビを変更するとは聞いてたからな。 腹積もりはしていたさ」 ななみとコンビを組んだ期間は長い。それだけに解散となると感慨深いものがある。 「今までお世話になりました♪ 先生に代わって、硯ちゃんをちゃんと 支えてあげてくださいね」 「そっちこそマスターサンタと組めるんだ。 みっちり鍛えてもらっとけ」 少し寂しい気もするが、どんな状況にも対応できるのがプロだ。切り替えていかないとな。 「ところで、とーまくんはこの後どーするんですか?」 「ツリーハウスに戻るさ。 カペラのメンテもしてやらないとな」 ニュータウンを攻略してから、簡単な整備しかやれてないからな。調整も兼ねて綺麗にしてやらないと。 「お前はどうするんだ? 戻るんなら乗っけていくぞ」 「お構いなく! 私もこの後は用事がありますから」 「用事?」 「ほらあなマーケットに焼き菓子屋さんを 見つけちゃったんです! これから、そこに」 「了解だ」 いつかお菓子から卒業するかな、と思ってたが、こいつはもうお菓子とは切っても切れない関係みたいだ。 「それではー!」 「……さばさばしてるなぁ」 あっという間に小さくなったななみを見送った後、俺はカペラを取りに中庭を訪れていた。 「……ん?」 ……あれは、硯と先生? 二人ともいつもの雰囲気とは違う。特に硯は思いつめたように真剣な面持ちで先生を見つめていた。 「……っ!」 思わず近くに建っていた塀の影に身を隠してしまう。 ……ってこれじゃ、完全に盗み聞きじゃないか! かといって、おいそれとここから出られる雰囲気じゃない。 そうこう考えているうちに、二人の会話が耳に吸い込まれてきた。 「……どうして、私を中井さんと組ませたんですか?」 「それは私とのペアを解消した理由が聞きたいの? それとも、中井さんと組ませた理由?」 「……両方です」 「ペアを解消したのは、硯……あなたのためよ」 「私の……?」 「このままアタシと組んでいても、 硯は一人立ちできないし、 サンタとしても大成しないわ」 「……!」 「中井さんと組ませたのは、 サー・アルフレッド・キングが 話してくれた通りよ」 「アタシよりも彼と組んだ方が、 あなたの力をより発揮できると判断したから」 「わ、私は……!!」 「変わりたいんでしょ?」 「で、でも……!」 「私のことが信じられない?」 「……そんなこと、ありません」 「アタシが居なくなるわけじゃないんだから。 中井さんと頑張ってみなさい、ね?」 「分かりました……」 「…………」 「私は……先生じゃないとダメなんです」 「……サンタ先生じゃないとダメ、か」 そんなことはないと思う。少なくとも、ボスの言った通り、あの時はしっかりと連携が取れたのだから。 先生から任されたんだ。これからは俺が硯の相棒として彼女を活かしていかなければいけない。 俺はその場から離れつつ、固く拳を握り締めた。    拝啓 柊ノ木硯様%K %LCまた、クリスマスが近づいてきましたが、おもちゃ屋さんの調子はどうですか?%K %LC何度か手紙にも書きましたが、うちの家族もようやく落ち着きました。%K %LC今年は久しぶりにみんなでクリスマスを祝うことができそうです。%K %LCでも、そうなると思い出すのがしろくま町。毎年の思い出があるしろくま町での冬ですが、去年は特に、いろんなことがありました。%K %O %LC……何だか、そんなことを書いていたら、しろくま町に行ってみたくなりましたね。近いうちに行けたらいいな♪%K %LCこの絵はがきは、私が今住んでいる町の、冬景色だそうです。この町で過ごす冬は初めてなので、こちらも楽しみです。%K %LCそれでは、寒さもこれから本番。皆さんも体調には気をつけてくださいね。%K                 敬具                八重原さつき%K %O 「……結局、来ちゃったよ」 久しぶりのしろくま町。久しぶりのしろくま駅。久しぶりのくまっくを前に、もう笑うしかないね。 「うーん、どうしてもここに来るのを 止められなかったなぁ」 もちろん、今年のクリスマスは家族みんなで過ごす予定……なんだけど。 硯に絵はがきを出したあたりから、どうしてもここに来たくなっちゃって。 まあ、理由は色々あるんだけど、やっぱり硯に会いたくなっちゃったりとか、去年のクリスマスのことを思い出しちゃったりとか。 「いきなり顔出したら、硯、びっくりするだろうな」 そう。実は今回、しろくま町にやってきたのはほとんど衝動が為せるワザ。 朝イチの電車でやってきて、日が暮れる前に電車で日帰りするという無謀な計画。 当然、硯には連絡さえしていない。 「まあ、硯ならおもちゃ屋さんに居るだろうし……」 あー。 でも、なんだかなー。 「あ、あははー”」 思わず変な笑いを浮かべながら、周りを見渡す。 朝の通勤ラッシュは終わったとはいえ、お昼と呼ぶにはまだ早い時間だ。 「おもちゃ屋さんも……今、開けたくらいかな?」 このまま直接、硯のところに行く?行ってビックリさせる? 「んー……」 なんとなくだけど、いきなりは行きづらい。 となれば……。 「少し、散歩でもしますか」 かくして私は、懐かしいしろくま町を歩くことになったのだった。 「……で、結局ここに来るわけだ」 しろくま町の景色を堪能しようと、昔馴染んだ新聞配達のコースを避けてきたのに。 気がつけば、私は波の音を聞いていた。 「まあ、でも当然かもね……」 ここの景色は一年前と変わっていない。 だからかな?去年起こった様々なことが、波の合間に浮かんでは消えて行くような気がして、私はじっと見入っていた。 波の音。風の音。時々聞こえる、過去の音。 「いろいろ、あったなぁ……」 思わずつぶやいた時だった。 「さつきちゃん……?」 真後ろから聞こえた声に、思わず振り返る。 「え……?」 硯?何で? 「やっぱり、さつきちゃん……」 見れば、硯も驚いた顔をしている。私がここにいるなんて、予想だにしていなかった顔だ。 「どうして……?」 「私は何となく……、 本当に何となく、ここに来たくなったの」 「さつきちゃんこそ、一体どうしてここに……?」 「あー……絵はがき出したあとから、 急にしろくま町に来たくなっちゃって」 「だから来ちゃった。あはは」 「来ちゃったって……そんな、いきなり」 「ごめんごめん。 連絡ぐらいすればよかったんだけど」 「なんか自分でも、 居ても立ってもいられなくなっちゃって」 「で、久しぶりにしろくま町に来て、 フラフラって歩いてたらここに来てたんだ」 「そうだったんだ……」 硯は、しばらく何かを噛みしめるように私の顔を見た。私は、彼女が黙っている間に言葉を続ける。 「でもビックリしたなあ。 いきなり硯が出てくるんだもん」 「ふふ……でも、案外偶然じゃなかったりして」 「え?」 「だってほら、私たちは」 硯が微笑む。私の頬も自然とほころんだ。 「そっか……そうだよね。 赤い糸よりも強い絆で結ばれてるもんね」 「うん」 息を吐く。空気は冷たいのに、身体の内側があったかくなった気がした。 「……元気だった?」 「いつも手紙に書いてる通りだよ」 「私も、いつも絵はがきに書いてる通り。 今は家族みんなで上手くやってるよ」 「うん」 「お店のみんなはどう? 相変わらず?」 「それは……まあ」 「あはは……やっぱり色々あったんだ。 硯ったら、お店のことはほとんど手紙に 書いてこないもんね」 「もう、さつきちゃんったら」 「笑ったまま怒ったフリしてもダメだよ。 怖くないもん」 「やっぱり、怖くないですか」 「……大丈夫そうだね。 うん、安心した」 「さつきちゃんも元気そうで……安心した」 「ありがと」 笑い合い、うなずき合う。空からは雪がちらほら落ちてきている。 「お店にも来てくれるんでしょ?」 「うー。 ホントは私がお店に行ってビックリさせる 予定だったんだけどなあ」 「逆に私がびっくりさせちゃったね」 「くっ……来年は目にもの見せてやるかんね!」 「くすくす……楽しみにしてる」 「あ……」 「どうしたの?」 「来年も、来てくれるの?」 「えへへ」 笑い声だけで応えると、私は硯の手を握った。硯もうなずいて、私の手を握り返す。 「行こっ」 「うん。昼食、期待しててね」 「やったー!」 後ろでは、波だけが変わらぬ音を立てていた。 12月24日──。クリスマスイブと呼ばれる聖なるお祭りも、昼の顔はあくまで師走の一日と変わらない。 浮かれた空気を〈醸〉《かも》し出すのは、イルミネーションに彩られた繁華街だけで、昼下がりの公園にあるのは、走り回る子供たちの姿と、のどかな冬休みの風景。 日が落ちて、食卓にご馳走が並んでから子供達のクリスマスは始まるのだ。 この時間にクリスマスの空気をもっとも肌で感じているのは、子供達ではなく、夕食の準備に忙しい母親たちかもしれない。 私はといえば、のんきな子供たちを眺めながら、クリスマスを送り届ける側の彼女と一緒に、少し遅めの昼食をとっている──。 「って、それも記事にするの?」 「いえ、プライベートです」 書きかけのメモを閉じ、にべもない返事をすると、期待に瞳を輝かせていた彼女は、ちょっとすねたような、かわいい顔をする。 ──かわいい? 余計な文字列が入ってしまった。 記事にはふさわしくなく、さりとて本人に伝えることもできない言葉は、私の心の中に記録しておけばいい。 「でも助かったわー。 ありがとね、 オアシス引くの手伝ってもらっちゃって」 「取材の範囲でしたら協力を拒む理由はありません」 そう……私は今年も変わらず、学校に通いながらしろくま日報の嘱託記者としての毎日を過ごしている。 去年のイブに1枚だけ撮ったオーロラの写真が全国紙に掲載されることになってから、私の記事が採用される回数もずいぶんと増えた。 そして今年は、12月特大版のカラー記事に、私の提出した『森のおもちゃ屋さん』という特集企画が抜擢されたのだ。 イブを控えたきのした玩具店の店舗取材をすませ、今日はもうひとつの目玉である移動店舗『オアシス』の密着取材ということで張り付かせてもらっている。 「手伝いの最中にいいネタも拾えますし、 美味しいお弁当までいただいていますから」 私がお弁当を褒めると、とたんに彼女は小さな胸を反り返らせた。 「ふふーん、おいしーでしょ! ツリーハウス特製☆ すずりんのハイパーCレーション!!」 「戦闘糧食の話でしたら、 Cレーションは80年代に廃止されています。 現在はMRIレーションといって……」 「あーもー、それくらい知ってるし! あたしだってNYにいたんだからね!」 とてもレーションらしくない煮染めを箸でつまみながら、彼女が口を尖らせる。 他人のことも自分と同じくらい褒めるのが、彼女の美点なのかもしれない。そう思いながら、私も上品な味付けの和風弁当に箸を伸ばした。 「そういえば、 土曜版文化面のコラムに空きがあるのですが」 「え? え? それってあたしにゲームコラムの依頼!?」 「違います。柊ノ木さんのお料理レシピを 紹介したらどうかと思いまして」 「あーそー。 本人、すごく恥ずかしがるかもねー」 また可愛い顔ですねた彼女が、大きな口をあけて、カボチャコロッケを丸呑みにする。 実にいい食べっぷり──そうだ、大食いをしても太らない秘訣があるのなら、コラムに使えるかもしれない。 そんなことを思いながら、私も出し巻き玉子に箸を伸ばした──。 「はー、おいしかったー♪」 「ごちそうさまでした」 「さーってと、エネルギー補充も すんだところで、そろそろ行こっか。 どう? いい記事になりそう?」 「穴埋め程度には」 「どーゆー意味よ!?」 「言ったとおりの意味です」 「わわ……!? な、なに、いまのも使うの?」 「ご安心ください、 これもプライベート用ですから」 きょとんとした顔の彼女を見て、私は自然と微笑んでしまう。 記者には客観的で冷静な観察眼が要求される。もちろん、その言動においても同様である。 けれど彼女と話すとき、私の発言はいつも公平性を欠いている。 彼女の怒った顔やすねた顔が可愛らしくて、つい意地悪を口にしてしまうのだ。 これはきっと、記者ではなく、カメラマンとしての私の欲求なのだと思う。……たぶん。 「しかし、月守さんがそんなに 子供たちに人気があるとは意外でした」 「誰に向かって言ってるの! しろくま町のラブリープリンセスよ? 子供のハートだって楽勝でわしづかみ☆」 「りりかる☆りりかの人形劇は、いつから?」 「去年からやってるわ。 ななみんがオアシスクビになってからずっと」 「興味深いエピソードですね」 「う……記者の目になったわね、つぐみん。 本当は、ななみんが疲れてダウンしちゃって、 それからは交代で外回りしてるってだけ!」 「男手があったほうがよいのでは?」 「店長? あー、あいつは駄目! 接客は頼りないし、面白みもないし、 酒飲みだし! 足はくさいし!」 「そうですか……ふむふむ」 「あ、あとあいつ見かけによらずキザだし! ほんとよ? 顔と言動のギャップすごいから」 「きのした玩具店……チームワークは抜群、と」 「どー聞けばそんな結論にたどり着くの!?」 「他の結論があるとも思えませんが?」 「……あ、電話?」 携帯電話に表示された相手先を見て、私は一気に凍りついた──。 「もしもし、更科です! はい、はいっ!」 「はいっ、そこは今日中に……! はい、はいっ、分かりました、すぐ戻りますっ!」 「だ、だいじょーぶ?」 「何も問題ありません。 でも会社にすぐ戻って校正をしないと」 「またあの怖い鬼デスク?」 「残念な話ですが、 デスクの恐ろしさには果てしがありません」 ため息をついた私の前を子供たちが雪を蹴って走ってゆく。 雪玉をぶつけあい、転んで、起き上がってまた走り出す……。 彼らに向かって何度かシャッターを切る。それでも子供たちはカメラのレンズなど目にも入っていないように遊んでいる。 偶然、いい写真にめぐり合えた──。満足の息を吐いてレンズから目を外すと、彼女の笑顔が見えた。 「それも取材なんだ」 「どうなのでしょう? そのうち記事になるかもしれませんが、 今はまだプライベートの段階です」 首を横に振ってカメラを撫でる。一年前、このカメラで私はオカルトを追っていた。 「子供の写真?」 「いえ……この町の、今ある姿の記録です」 「ふーん……」 興味がなさそうにうなずきながらも、彼女は笑顔で私の顔を見つめている。少し照れた私は、レンズの雪を〈拭〉《ぬぐ》うふりをした。 「さて……と、こっちも今日はこれまでかな。 さっさと、店じまいしないとね」 「すいぶん早いんですね」 「だってイブだもん。 今日のメインはオアシスじゃないわ。 夜に備えて体力を温存しておかなくちゃ!」 「夜まで仕事が?」 「そーよ、おもちゃ屋さんは忙しいの」 彼女がにっこり笑う。私は再びカメラを構え、ファインダーにその笑顔をとらえる。 「それも取材?」 「いいえ、プライベートです」 きっと、これが記事のトップを飾る最高のショットになる。 少し眩しい彼女の横顔をファインダーにおさめ、私は一度だけシャッターの指に力をこめた──。 「ただいまぁ」 少し遅いのは、夕飯の買い出しに行ってたからだろう。特売日だしな。 「きららちゃんはぁ?」 オレは新聞に目を落としながら、 「まださ」 「そっかぁ」 予想通り、エコバッグがぱんぱんに膨れてる。 「カレーかい」 香辛料の匂いがする。ナンの安売りをやってたんだろう。この辺りにはケチのつけようがない。 「はぁい」 「また印度風かよ」 「カレーは印度が本場ですからねぇ」 「ふん」 オレは新聞の続きを読み、キッチンからは野菜を切る音が響いてくる。 オレは時計を見た。 「帰ってくるまで、もう少しかかるかね……」 「きららちゃん、 今日もお腹空かしてるだろうなぁ」 食欲を刺激する芳ばしい香辛料の香りをひきつれて入ってくると、こたつの向かいに図々しく座りやがる。 「ここは印度かよ」 「インド人ってやせてるからぁ、 お腹空かしてそうだよねぇ」 「ふん。元神童だけあって知性がない発言だね。 印度人にもデブはいるさ。どこだろうと 金持ちとニートはブクブク太ってるもんさ」 「じゃあ、きららちゃんはだいじょうぶだねぇ。 金持ちでもニートでもないからぁ、 太らないよねぇ」 「食う分だけ働いてりゃ、太りゃしないよ。 だが同じ働くなら木っ端役人なんかやめて、 カネがカネを産む仕事をすりゃいいのに」 「きららちゃん、 よく食べてくれるからぁ 作りがいがあるよねぇ」 「ったく、 がつがつ食って誰に似たんだか」 「きららちゃんがごはん食べるトコ見るのぉ、 嬉しいよねぇ」 「……」 きららはいつでも美味しそうにごはんを食べる。作った方にすりゃあ、それはもう本望なくらい。 「あ、みかんもらうね」 「勝手にしな」 「はぁい」 「相変わらずちまちました剥き方だね」 「すいませぇん。不調法なものでぇ」 「ふん」 どうせ直りゃしないんだがな。 「今年は、ゆっくりした氷灯祭だねぇ」 「いつものたのたしてるヤツが何を言ってるやら。 きららが駆け回っていない分だけ そんな気がするだけさ」 「そうだねぇ。 おつとめ一年目だとお仕事で一杯一杯でぇ お祭りにまでは手が回らないよねぇ」 「だからといって お祭りの日まで残業することもないだろ。 手の抜き方くらいさっさと覚えやがれ」 とは言え、仕事があれば手を抜ける性格じゃねぇしな。 「氷灯祭には行くって言ってたよぉ。 手を抜かないでしょうめんとっぱでぇ、 なんとかするんじゃないかなぁ」 「有給だって殆ど残ってるんだから、 今日は休みゃよかったんだ」 「きららちゃん、 一日もはやくお仕事覚えようって、 頑張っちゃってるもんねぇ。偉いよねぇ」 「そういう誰かさんも ちっとは頑張った方がいいんじゃないか。 家賃滞納したら容赦なく叩き出すよ」 「大丈夫だよぉ。 お家賃、負けて貰ってるんじゃないかってくらい とっても安いからぁ」 「ふん。オレが良心的だってだけさ」 オレも甘くなったもんだ。 「はぁい、わかってまぁす」 「忘れるんじゃないよ」 「はぁい」 オレはまた新聞に目を落とした。下らない記事ばかりだが、世の中が平和ってことだろう。 コトコトコト……台所から火にかけられた鍋の音が聞こえてくる。印度風カレーの匂いがする。 「……雪はまだ、降ってたかい?」 「降ってるよぉ。 辺り一面、雪景色」 「毎年毎年、 どかどか降りやがる。 よくあきない――」 「羽衣。 あんた今夜も仕事だったね?」 「うん。ごはん食べたら、行ってきまぁす」 「祭りの夜も家庭教師呼んで勉強かい。 少しでも人を出し抜こうとはいじましい。 せちがらい世の中になったもんだ」 「あそこのお母さんは熱心だからねぇ」 「ガキがやる気になってなけりゃ、 意味がねえよ」 「きららちゃんに比べればぁ、 どんな子でも簡単だよぉ」 「ふん。きららが二浪したのは 自分のせいじゃないって 言いたいのかい?」 「きららちゃんが 二浪だけですんだのはぁ、 わたしのお陰だって言いたいかもぉ」 「ふん」 「ただいまー」 帰ってきた。 「きららちゃん、おかえりなさぁい」 こたつから出る気はないらしく、顔だけ玄関の方に向けている。オレもないけどな。 「ただいま、お姉ちゃん、ばあちゃん」 「結構まともな時間に帰って来たじゃないか。 また要領悪く残業かと思ったよ。 少しは手抜きでも身につけたかい?」 「手抜きなんてする余裕ないよ。 っていうか、そもそも手抜きダメ!」 「きららちゃんが手抜きをしちゃうのは、 勉強だけだよねぇ」 「うっ。も、もうそれはいいじゃん! 山下さんと田中さんのお手伝いしてたら、 ちょっと遅くなっただけだもん!」 「そもそも今日はお祭りだから、 残業なんてなかったもの」 「じゃあ、そろそろカレーを用意してくるねぇ」 「わ、今日、カレーなんだ。 わぁいいにおい!」 「うんうん。楽しみにしててねぇ」 氷灯祭の夜だからって、特別なことはなんにもない。孫がそろって、これがうちのいつもの光景。 「きららちゃん、 氷灯祭のおみやげお願いねぇ」 「そっか、 お姉ちゃん仕事なんだ。 うん、いいよ。大丈夫」 「今年も、 賑やかなお祭りになりそうだねぇ」 「うん。そうだね」 ふと見ると、きららが窓から外を見ている。 「見えるのかい? だとしたら気が早い奴らだな」 「いくらなんでも、 まだ早いんじゃないですかぁ?」 「そんなことないよ。 だって今日はイブなんだからさ」 「いらっしゃいませー」 私が店の扉を開けると同時に、お姉ちゃんのおめでたい声が店内に響いた。 「いらっしゃいませ!」 少し遅れて店長さんの声。それから二人は、私の顔を見て目を丸くした。 「アイちゃん!?」 「はい、こんばんは」 クリスマスイブ。閉店間際のきのした玩具店──。 飛び込みで入店した私は、顔なじみの二人に向かってぺこりと頭を下げた。 「わーー、アイちゃんだー!!」 「わぁぁぁ、だから抱きつかないでーー!!」 「いいじゃないですかー! アイちゃんおひさしぶりですよ。 元気してましたー?」 「元気です、思いっきり元気ですから ギューってしないでうっとーーしーーー!!」 「てんちょーさーーん!!」 「はいはい、ほら、お客さんの迷惑だ」 「あうぅぅぅ……ちょっとした スキンシップじゃないですかぁ……」 ななみお姉ちゃんが店長さんに引き剥がされてずるずるとカウンターの奥に連れて行かれる。 「はぁ……っ」 ほっと息をついたわたしは、久しぶりに訪れたおもちゃ屋さんの中を見渡した。 あれから……星野平児童館がなくなり、ニュータウンに足を運ばなくなってからお姉ちゃんたちと会う回数も自然と減ってしまった。 私はいま、しろくま海岸の近くに新しくできた児童館に通っている。 「アイちゃんが来てくれて嬉しいです! 何かお探しものですかー?」 「はい、お店はまだ大丈夫なんですか?」 「もちろんさ、閉店まで30分あるから ゆっくり見ていってください」 「よーっし、ならばわたしは アイちゃんのために腕によりをかけて、」 「お姉ちゃん、そういうのいいですから!」 「お茶を……」 「……お茶くらいならもらいます」 お姉ちゃんは今日もやけにはしゃいでいる。なにも言わないで放っておいたら、山盛りのお菓子とか持ってきそうな予感。 けれど、お店にいるのがこの二人でよかった──。 私は、ちょっと切り出しにくいお願いをお姉ちゃん…………じゃなくて、店長さんに聞いてみることにした。 「店長さん、ええと……あのですね……」 「はいはい、なんでしょー」 「お姉ちゃんじゃありません。 そ……その……今日は、 プレゼントを買いに来たんですけど」 「へえ、プレゼント?」 店長さんたちが顔を見合わせる。こういう空気は、今でもちょっと苦手。 「それってお父さんに?」 「ううん……明日、みんなで クリスマスパーティーをやるから……」 「児童館でかい?」 「……(こくり)」 「おおーー! それならば 全面的に大協力しちゃいますっ! とーまくん、とーまくん、はしごはしごー!」 「了解だ、任せとけ!」 お姉ちゃんの顔がぱっと輝く。 まるで、自分がパーティーに参加するみたいなうきうきした表情で……。 「あ、あの……それでなんですけど」 「はいはい??」 もうこうなったら仕方がない。 私がこんなことを聞いたら、またお姉ちゃんがはしゃぎだすんじゃないかと思ったけれど、素直にお願いを口にすることにした。 「もしよかったらなんですけど、 私こういうの慣れてなくて、その……」 「…………プレゼント選ぶの、 手伝ってもらえませんか?」 「………………」 「もっちろんですよー! 一緒に選びましょう!」 「よーし、まずは人気商品から見てみよう!」 急にノリノリになったお姉ちゃんと店長さんがお店のあちこちから商品を集めてくれる。 見ているだけじゃ悪いから、私も慌ててそれを手伝うことにした。 「いいですよー、 アイちゃんお客さんなんですから」 「ダメです。 甘やかされてるって思われたくないし」 「ははは、それならこいつを頼むよ」 「はい、店長さん」 「で、みんなって?」 「はい?」 「パーティーでプレゼントを渡すお相手は、 決まっているんですか?」 「あ、それは……」 「ミミちゃんとかユウちゃんとか……」 「そうか……今も一緒の児童館なんだよな」 「それでプレゼントを?」 「うん…………友達だから」 「……そうですね」 お姉ちゃんがにっこりと微笑む。その笑顔につられて、わたしも笑ってしまった。 「それじゃあ、このへんで。 ありがとうございました」 「ああ、気をつけて」 「……わざわざ送ってくれなくてもよかったのに」 「そうはいかないさ。 雪道をアイちゃんひとりで帰したんじゃ、 ななみに怒られる」 「お姉ちゃんは過保護なんです」 私はきのした玩具店の紙袋が雪に濡れないように胸もとに抱えた。 中には、店長さんとお姉ちゃんのアドバイスで選んだ小さなトリとネコの人形が入っている。 「今日は店に来てくれて本当にありがとう」 「クリスマスにおもちゃ屋さんに行っただけで そこまでお礼を言われるなんて不自然です」 「ああ、でもななみが喜んでたんだ」 店長さんの言葉は、私の胸にじんわりと暖かい。つい逆らいたくなってしまうのは、きっとこの人たちに私が甘えているせいだ。 「お姉ちゃんはいつもあんな感じですから。 それより店長さんこそ、仕事いいんですか?」 「俺の方は準備もぬかりなく、さ」 「準備?」 「クリスマスの支度……ってところかな。 そういえば氷灯祭は見ていかないのかい?」 「今夜はおうちで お父さんとクリスマスなんです」 「そうか、そいつはいい」 「店長さんたちは、 パーティーしないんですか?」 「やってるさ、みんなお祭り好きだからな。 毎年とびきり派手なパーティーを……」 そう言って店長さんが空を見上げる。よくわからないままに、私もネオンとイルミネーションに薄らいだ夜空を見上げた。 「そろそろ時間だ。 それじゃあアイちゃん、 ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー?」 「メリークリスマスみたいなもんさ、 店じゃいつもこう言ってるんだ」 「そうなんですか。 それじゃ、ハッピー・ホリデーズ?」 「ああ、ハッピー・ホリデーズ!」 「うーん、今年の氷灯祭も盛況だね」 「クリスマスイブ……サンタさんたちの晴れ舞台、か」 「どこ飛んでいるのかな……」 「オアシスより上空のサンタ各機へ、 調子はいかがですか?」 「こちらカペラ──同調率反射率ともに良好」 「ベテルギウスだ──システムオールグリーン」 「シリウスよ──こっちも調子はいつもどーり」 「了解しました! 〈編隊〉《フォーメーション》はそのまま、氷灯祭会場をパスして しろくま通りへ入ってください」 「空はぼた雪、絶好の配達日和だ。 各員の健闘を期待する──!」 「了解!!」 「よーし、2年目のイブだ。 派手にキメて行こうぜ、サンタさん!」 「おー、まかせてくださいっ!」 「華麗なるイブのコーディネートは ラブリープリンセスにお任せよっ☆」 「雪も落ち着いています。 行けます!」 「ニュータウンのルミナ分布も良好だ。 悪いが今年の主役は頂戴するよ」 「はいはい、イタリア人は熱いわね。 さっさとパーティーを始めちゃいましょ?」 「くるるるるーーーーーっっ!!」 「ではでは、パーティーオープンです! ハッピー・ホリデーズ!!」 「ハッピー・ホリデーズ!!」 ──星空に包まれる。 宝石箱のような輝きの中に躍り出すと、身を切るような寒さが全身の緊張感を研ぎ澄ませる。 しろくま町上空500メートル。スノーフレークの星屑を舞い散らせ、年に一度のステージが幕を開ける。 闇を裂いて刻まれた光のコースの向こうにはきらきらと輝くネオンの海。 三年目のイブの夜、俺たちの職場は天と地の星座に挟まれている──。 ──楽しい楽しいクリスマス。 お父さんと二人でコンビニのローストチキンを食べて、テレビのバラエティ番組を見て笑い、いつもは一人で遊んでいるトランプを二人でやって。 それから、ちょっとだけシャンパンも飲ませてもらった。 ケーキはカットされたショートケーキだったけど上にはイチゴと一緒に、星型の砂糖菓子。 おなかいっぱいになった私は顔を洗って歯を磨き、パジャマに着替えて布団に横になる。 天井から窓際に視線を移すと、去年と同じように毛糸の靴下が揺れている。 そして、その向こうには雪の舞う広い星空。 サンタさんが来る──! 布団の中で、私はどきどきした胸を抱えながらその時を待つ。 サンタさんが来るんだ──。 今年はくつしたじゃなくて、ちょっぴり贅沢をして、お父さんのひげそりをお願いした。 本当に届くのだろうか。くつしたの向きが違うと、プレゼントが届かないなんてことがないだろうか。 どうしても気になって眠れない。私は布団から身体を起こし、靴下に手を触れる。 去年のクリスマスの朝も、私はこうやって靴下に触って……。 「……?」 ふいに、眩しい光が私の目をとらえた。 窓の外──三本の光の帯が、まるで流れ星のように夜空を走っている。 不思議な光。けれど、どこか懐かしいような──。 その光の中を、雪の欠片が舞い踊る。きらきら、きらきらと。 まるで、光の結晶のように……。 「きれい……」 窓の外、満天の星空の彼方。 けれど、それはまるで、手を伸ばせば届くところにあるみたいで…… ううん、ひょっとしたら本当に届いてしまうのかもしれない。 「もし届いたら、 私はどうなるんだろう……?」 手を伸ばす。ガラス窓に指先が触れる。 「ハッピー・ホリデーズ……」 店長さんの言葉が唇からこぼれる。胸の中でなにかが踊った。 ──ハッピー・ホリデーズ。 それがなにかも分からないまま、私の瞳はイブの夜空に舞う光の結晶に吸い込まれていった──。 「どーしよう、どーしよう!」 「あ、慌てちゃだめよ! 何かいい手があるはずだわ!」 「こういう時は、先輩の智恵を借りよう! 先生! 俺達はどうすれば!?」 「先生!」 「なるようになるわよ」 頼りにならねぇ! 「七瀬に報告するしかないか……」 「なにいい子ちゃんぶってるのよ! もし正体がばれたと判ったら サンタ人生おしまいよ!」 「……もうおしまいです。 短い間でしたがみなさんお世話に――」 「北極支部で便所掃除ですよ! そんなのいやです!」 「は?」 「べんじょそうじ?」 「なんだそれは?」 「便所掃除っていうのは――」 「その程度で済むわけないでしょう!」 「単なるトイレじゃありません! 体育館くらいある上に暖房無しの さむーいトイレなんですよ!」 「は。これだから田舎モノは」 「そんなもんですむかよ」 「正体を知られたサンタやトナカイはね、 黒服にサングラスの二人組に 記憶と能力を消されちゃうのよ」 「正体がばれてから半年以内に、 セルヴィが謎の暴走を起こして 墜落するって聞いてるぞ」 「………」 「………」 「はぁ? それはどこの都市伝説よ国産!?」 「そっちこそ、なんだその、 映画のパクリくさい設定は!?」 「ニューヨークでは常識よ!」 「ニューヨークの常識は、 スロバキアの非常識だな!」 「すずりんだって、 黒服二人組の事は知ってるでしょう?」 「………」 「あ、あの、先生…… あの話をみなさんにしても いいんでしょうか?」 「何の話?」 「以前、絶対秘密だと言って話してくださった、 正体が露見したサンタがどうなるか、をです」 「あ、あれね。 ま、いーんじゃない」 「なんだか凄そうな話のにおいがします」 「ああ、確かに」 一応大先輩である先生が、秘密だと念を押してまで、硯に話した事らしいからな。 「で、でも、 黒服二人組よりも怖いはずはないわよ」 「わわっ」 「先生!? なぜ電気を!?」 用意していたかのように、先生がロウソクを灯した。 「黒服二人組の話は 真実を隠蔽するために、 わざと広められているのだそうです……」 「隠蔽? どういうことよ?」 「真実って?」 「ドキドキします」 どこからか入ってきた風が、頼りないロウソクの明かりを揺らす。 硯はまるで何かを恐れているように声をひそめて。 「正体が露見したサンタやトナカイは、 ノエル直属のSSという組織に処理されるのだと」 「SSって……名前からして嫌な感じね……」 「処理……」 「別名死神または巡回処刑人と呼ばれる彼らは、 ステルス100%の特殊塗料で血の色に塗られた アンタレスという専用セルヴィを乗り回して」 「盗聴や密告や諜報員を駆使して、 全世界のサンタとトナカイを 密かに監視しているそうです」 「うちの組織に、 そんな恐ろしい面があったのか……」 「ま、まさか……それこそ都市伝説よね……」 「SSって整理整頓委員会の略ですか?」 「そんな学園モノじみた名前なわけないでしょう! 一文字目のSは多分SUPERのSね」 「ななみさん凄いです。当たりです」 「元は日本語なんですねー」 「そこに驚くのかよ!」 「活動内容をごまかすために、 あえて平和な名前をつけているそうです」 「で肝心の、 正体がばれたサンタやトナカイの運命は?」 硯はまたもためらい、覚悟を決めるように大きく息をした。 そして更に声をひそめる。 「……プレゼントにされてしまうそうです」 「なーんだ。 プレゼントを配ればいいだけなら、 ばっちこいですねー」 「いや……違うだろう。 プレゼントにされてしまうっていうのは」 「どういうこと?」 「クリスマスの時、召使いが欲しいなとか、 そういう類の願いをした人の所へ贈られて、 召使いにされるそうです」 「な、何よそれ!?」 「噂に聞くメイド喫茶みたいな感じでしょうか? でも……とーまくんはどうなるんでしょう?」 「国産のメイド服……あ、悪夢だわ!」 「せめて執事にしてくれよ」 「服装までは知りませんが、 主には絶対服従だそうです。 死ねと言われたら本当に死んでしまうそうです」 「ま、マジ?」 硯は重々しくうなずいた。 「しかも死ぬまでだそうです」 「メイド服はちょっと着てみたいですが、 一生となると遠慮したいです!」 「ほとんど奴隷じゃないか!」 「そんな形で あたしのサンタ人生がおしまいになるなんて! いやよぉぉぉぉぉ!」 「みんな落ち着きなさい」 「お、落ち着けるわけないわよ!」 「先生だって、メイドにされちゃうんですよ!」 「もしかして。 そういうご趣味だったんですか?」 先生さんは、俺達を悠然と見回した。余裕綽々だ。 「みんな忘れていない? アタシだって見られたかもしれないのよ? そのアタシがこんなに落ち着いてるのよ」 「つまり……」 「本当の事を知っているから、 落ち着いているって事ですか?」 「全部でたらめですか!」 「まさか!? 5年前からだまされていたなんて」 「その通り。本当は秘密なんだけど、 みんなを安心させてあげるために、 真実を教えてあげるわ」 先生はひとつ咳払いをすると 「アタシ達は 人々に幸福を配るルミナの使徒みたいなもの。 それが奴隷だのなんだのするわけないでしょう?」 「そう言われてみれば……そうよね」 「正体が露見したら確かに処罰されるけど、 それは、いかにもサンタ的な処罰よ」 「サンタ的な処罰?」 「わかりました! ひとつの支部の管轄地域全部を、 ひとりで配るんですね!」 「それならどーんとお任せあれ!」 「ななみん! あんた一人にそんなおいしいことさせないわよ!」 「一区域まるごとか……燃えるぜ!」 「が、がんばります」 「みんな盛り上がってる所、悪いんだけど。 そんなに張り切っても無駄だから」 「これが張り切らずにいられますかー」 「だって単なる転勤だもの」 「え……?」 「それだけ……なんですか?」 「正体がばれている地区で、 働き続けるわけにはいかないでしょう?」 もっともだった。 「……ま、大した事にはならないと思ってたわ。 全く、みんなパニクっちゃって、 おもしろいったらありゃしない」 「お前だってパニクりまくりだったろうが」 「あ、あれはみんなに合わせただけよ!」 「それだけなんですか!? この盛り上がった気持ちを、 どうすればいいんですかー!?」 「転勤先でぶつければいいんじゃないの? もしかして……あたし この異動を機にニューヨークに戻れるかも!」 「つまり……この支部は解散……」 「短いつきあいだったな」 しろくま町とこれでお別れか……。あっけないものだ。 「みなさんの事は忘れません!」 「ひとつ忠告しておくけど、 新しい任地へ行く前に、 時間つぶしの趣味を見つけておいた方がいいわよ」 「……なぜ、そんなことをわざわざ言うんですか」 「凄く暇になるからよ」 「先生じゃあるまいし」 「だって、新しい任地には、 ルミナが全くないから」 「…………」 「ちょ、ちょっとどういう事よ!?」 「それじゃあ、飛べないじゃないですかー!」 「そういう支部に転勤になるんだから、 あきらめるのね」 「もしかして……それはいわゆる島流し……」 「島流しなんていう言葉を使っちゃだめよ。 そんな言葉、サンタにふさわしくないわ。 転勤先にたまたまルミナがないってだけ」 「同じだ!」 「アタシは昼間から酒飲んで、 パラプロしたりして、だらだら過ごすつもり。 悪くないでしょ?」 「同意を求めるな!」 「やたら長くて難しい ロールプレイングゲームだって クリアし放題なのよ!」 「最悪です!」 「そうでもないわ。 過去の名作はいっぱいあるし、 ゲームは毎週発売されるもの」 「……」 「この機会に、 『きよしの挑戦状』でもクリアしようっと! さー、まずはソフトを手に入れなくてはね」 先生はスキップでもしそうな足取りで、出て行ってしまった。 「………」 俺達は声もなかった。 「……プレゼントも配れず」 「……トナカイとして飛べもせず」 「……暇つぶしに一日中ゲームをして」 「……朽ち果てていくサンタ」 「…………」 ああ、重力が重い。この状況をなんとかしなくては! 「み、みんな落ち着くんだ! まだばれたって決まったわけじゃない」 「でも見てたし! すっごい見てたし!」 「写真だって撮られてしまいました!! きっと明日はスクープです”」 「だ、だが、そうだ、あれだ! 向こうは明かり無しで、 こっちはライトで照らしてたじゃないか」 「そ、そうですよね! それならはっきり見えなかった……かも」 「ま、まだ希望はあるって事よね。 そうよ。そうじゃなきゃおかしいわよ。 あたしの華麗なサンタ人生は始まったばかり!」 「あ」 「なんですかその いかにも何か都合の悪いことを思い出したっぽい、 思わせぶりな声はー!」 「大家さんと ばっちり目があっちまった……ような」 「うがーーやっぱダメだー!」 「しろくま支部、 発足二日目で解散ですぅぅぅ!!」 「だが、もしかしたら、ひょっとして、 気のせいかもしれないかもしれない ……かも」 「何よそのはっきりしない言い方は!」 「でも、 はっきりしたら希望が無いんだから、 今日のところは許してあげる」 「ええと、それは、つまり…… 見られたかどうか確かめると…… いう事ですよね?」 「そういうことならお任せあれ!」 「却下よ!」 「同感だ!」 「どうしてですかー!?」 「どうせ、本人に直接 サンタを見ましたか? とか、 聞くつもりなんでしょう?」 「りりかちゃんすごーい! なぜ、判ったんですか!?」 「本人に直接聞いたら、 やぶ蛇になるだけでしょう!」 「おー! それは計算外でした」 「……本当に黒服二人組がいて、 記憶を消してもらえれば――」 「映画だったらそれで済むんだけどな。 なんとか遠回しに探りをいれて、 確認するしかなさそうだ」 「でももし見られていたら……」 「それはとりあえず考えない! まずは確認するしかないわね」 「それで行くしかないか」 「……そうですね」 「ラジャーです!」 それにしても、コースを外れていないのに、どうして気づかれたんだろう? この町に来てから、イレギュラーなことばかり起こる。 「くえぇ〜〜……」 「眠いんだったら、 部屋で寝てろよ……ふわぁ……」 「くえっく!」 「あー、悪かったな、 眠い奴が眠い奴を注意する資格はないな」 トナカイは後先考えないのが信条だが、空を飛べない可能性が出てきたとなれば、考えずにいられない。 余り眠れず、気分を紛らわすために今朝も早くからカペラのメンテナンス。 昨日、新たに届けられた整備用の機材を試しているところだ。 「もう一頑張りだな」 直しても飛べないなんて事に、なりませんように。 いや、してなるものか! 「あんた見なさいよ」 「お前、見ろよ」 「………」 俺達が囲むテーブルには、フレンチトーストの軽い朝食と、しろくま日報。 「いや、すまん。 こういうのはまがりなりにも店長の 俺が見るべきだな」 ここで見なければ、男としてどうよ? 「ふわぁ……おふぁようございまふ」 「……あんた余裕ね。 神経ないんじゃない?」 「そんなことありませんよ……。 色々考えてたら夜更かしサンでした。 よいしょ」 ななみは大儀そうに椅子に腰掛けると、実に自然な動作でしろくま日報を手に取った。 「!」 「? どうかしましたか?」 「な、なんでもないわよ」 「おー、ふむふむ」 「何が載ってる!」 「この町の財政は、 かなり改善されているらしいですよ。 町長さんが有能なんでしょうか?」 「あのね、そういうのじゃなくて、 ほら、あれよ」 「あー、りりかちゃんが好きな お役立ちニュースですね」 「いつのまに変な設定作らないでよ!」 「町役場で椿の苗を配るそうです。 なになに、お一人様二鉢まで――」 「違う!」 「って、なんでわたし、 しろくま日報なんて危険なものを 手にとっているんですかー!?」 俺はななみから新聞を奪った。 「………」 「どう?」 「……とりあえず、 サンタもUFOも載ってない」 「ほ……」 「このどきどきが毎日続くのは、 あまりうれしくないわね」 「どきどきするなら、 違うことがいいです」 「確かに……」 「はーい」 「おはようございまーす」 「!」 目撃者その1が!? 「ん? なに固まってるの?」 もし怪しまれてるならこれ以上、怪しまれるわけにはいかん! 「お、大家さん! どうしたんですか、 こんな早くから」 「ふわぁ……。 おはようございます」 「うわ……すごいアクビ。 休日におしかけちゃってごめん」 「いえいへ〜。 昨日はいろいろたひはくを考えてまして、 ふごひねむひでふ……ふぁ」 「たひはく?」 「でふから ぴんちなんで、いろいろたいさふを…… あわわっわわ」 「ああ、対策! ピンチってそんなに経営悪いの?」 「え、あ、いや、ピンチというのは、 こいつ給料をもうほとんど使っちゃって、 月末までどうしようかと悩んでるらしくて」 「そ、そーなんですよ。 お小遣い少なくて困っちゃいます」 「ななみちゃん。社会人なんだから 小遣いなんて言い方はしない方がいいわよ。 それにお金は計画的に使わなくちゃだめ」 「わ、わたしはいつでも 用意周到なんですよー。 まかせてください!」 「家計簿つけてる? つけると無駄遣いが減るよ」 「つけてますよー。 後で真っ青になりますけど」 「ならいいんですけど…って、余り良くないか。 とにかく、何かあったら相談してくださいね」 「お金は貸せないけど、 弁護士なら紹介出来るから」 「……で、大家さん。 今日のご用時は?」 「きららでいいって」 「今日、この店休みでしょう? 前から気になってた窓枠の立て付け、 直しとこうと思って」 「どこです?」 「おもちゃ屋の中」 「……気づかなかった」 「えへん。わたしは気づいてましたよ」 「なら言えよ!」 「あれくらいは、 どーということもありませんから」 「でもね、ななみちゃん。 そういうちょっとのガタつきを放っておくと 後で大変なことになるんだよ」 「そーなんですか?」 「人間って慣れるでしょう? だからひどくなるのにも慣れちゃうの」 「おーわかりました! 痛み止め飲んでおけば大丈夫なんで、 虫歯を放っておく感じですね」 「そうそう。 それでいつのまにか手遅れに なったりしたでしょ」 「あの親知らず、 抜くしかなくなったのに、 やたらしっかり生えていてですね」 「先生は結局抜くのをあきらめて、 ごっついノミを持ち出してきて」 「ノミ!」 「そーなんですよ。しかも局所麻酔だったんで、 振動と音が頭の中にぐわんぐわん響いて、 あんなごりごりはこりごりですよー」 「実話なのか」 「じゃあ、ななみちゃん、店長さん、 さっそくとりかからせてもらいます」 「すいません。その程度なら 俺でも出来たかもしれないのに」 「困ったとーまくんですね。 余りきららさんに、 迷惑をかけちゃだめですよー」 「言わなかったじゃないか!」 「まぁまぁ。 大規模な破損じゃなければ、 そっちで直しちゃっても構わないですよ」 「でも慣れてるから 今日のところは任せてください」 「おー。いー手際ですね。 まるで手品ですよー」 「はは。それほどでも」 「だって、トンカチで 指を打たないなんて、 ほとんど奇跡じゃないですか!」 「私も最初はよく打ったけどね。 今じゃ慣れました。 なんでも慣れるのが一番」 「慣れるくらいしてるわけだ」 「ぼろい物件多いからね」 別に何事もない感じだなぁ。目が合ったような気がしたんだが、俺の勘違い? 「休みの日になにやってんのよ……」 「あ。りりかちゃん。おはよう」 「わ、わに――」 「お、大家さん、どうしてここに!?」 「なーんと! きららさんは、今まさに、 奇跡を起こしているんですよ」 「は?」 「トンカチで釘を叩いて、 指を叩かないんですよ!」 「……」 りりかは、無言でななみの肩を叩いた。 「なんですかその哀れみの眼差しはぁ!」 「わざわざ、 窓枠の修理に来てくれたんだ」 「休みの日にすいません」 「いえいえ。 わたし無職で暇だから」 「………」 「えと、あの……」 「ニートなんですね」 直球だ! 「うん。早くも2年目。 働いたら負けだと思っている、 とか言ってみたり」 「で、でも、わ、じゃなくて、 きららさんは、 大家さんの仕事を立派に――」 「これは実家の仕事を手伝っているだけ」 「でも、働いてますね。 負けじゃないんですか?」 「あはは。 ……んしょ、これでよし」 きららさんは修理の手を止め、窓を開閉してみせた。 「ありがとうございます」 「わわぁ……奇跡の技です」 「釘も打たずに修理できれば、 奇跡だけどね」 「今日はこれのためにわざわざ?」 「これはついで、本題が2つ」 「(来た!?)」 「(お、落ち着け)」 「(私に名案がありますよ)」 不吉な予感。だがななみを停める間もあらばこそ 「追い出さないでください!」 「え?」 「頑張ってかせぎますから! ここにいさ――」 「(あほ)」 俺はななみの口を塞いだ。 「……なにかしたの?」 「いえ! とりあえずは何も! な?」 「そうなんです! この子たまにちょーっと、 いろいろ口走るんで!」 「………」 大家さんじゃなくて鰐口さんじゃなくて、きららさんは俺達の顔を見回した。 「ああ、判った! お祖母ちゃんの悪い噂でも聞いたんだ。 大丈夫、いきなり追い出したりしないから」 俺とりりかは顔を見合わせた。 「(いきなりじゃなければ追い出すのか……)」 「(そう……みたいね)」 「むぅむぅ、ふぐぅむぎゅるぅ」 「ななみちゃんが大変なことに! 酸欠でカラータイマー点滅状態だわ!」 「いけね」 ななみを解放。 「ぷはぁ……死ぬかと思いました」 「お、おほん。 本題が2つとは……?」 「………」 「きのした玩具店さん。 使用態度が悪いので、 1週間以内に出て行ってください」 「ええええええっ!?」 「ご、ごめん。今の冗談。 そこまで真に受けられるとは思わなくて、 一体、祖母ちゃんのどんな噂聞いたの?」 「それはもちろん 放射能火炎で町を焼き尽くすんです!」 「崩壊する超高層ビル群! 逃げ惑う人々! 総天然色ドルービーサラウンド!」 「……それは初耳だわ。 でも、いくら祖母ちゃんでもそれは無理」 「で、ですよね……。 でも、ほら、大家さんがそういう事おっしゃると、 冗談に聞こえなかったりするんですよ」 「ごめん。大丈夫だから安心して。 家賃を三ヶ月滞納したり、 ペットを連れ込んだのが祖母ちゃんにばれなければ」 「気をつけます」 「みなさん、お茶が入りました。 もしさしつかえなければ、大家さんもご一緒に」 「ありがと! じゃあ、話はそっちで」 「しろくま町案内ー!?」 「そ、約束したでしょ?」 「ああ、そういえば!」 「安いお店を教えていただけるとか……」 「特に硯ちゃん!」 「……し、指名されてしまいました」 「安くていい食材が入る店、教えるから! っていうか教えさせて!」 「一回の買い物では大した差がなくても、 毎日の積み重ねで大きく差が出るものだからね。 お得な買い物の仕方をみっちり教育するから!」 「え、え……ありがたいですけど、その、 なぜそこまで親切に……?」 「あ、ごめん、いやならいいんだ。 親切とかじゃなくてこっちの勝手だから」 「正直言うとね、硯ちゃんみたいな、 買い物してる人みるとむずむずしてくるの」 「むずむず……ですか?」 「ああいう大ざっぱで損してる買い物見ると、 ああ、それは他の店で買えば! とか、 一時間後に安売りになるのに、とか!」 「むずむずしちゃうから! でも、どういう物買おうと自由だから、 ぐっ、と黙ってたけど」 「でもね、知ってて選んでるのと、 知らないで選んでいるのは違うでしょう?」 「あ、ええと、はい……そ、そうですね」 「だからとりあえず知って! 知ったあとは何買おうと 何も言わないから! お願い!」 「よ、よろしくお引き回しください……」 「よっし。引き回しちゃうぞぉ。 あ、それからもう一つの用件は、 商店会に加入しませんかってこと」 「商店会?」 「そ。ほらあな商店会」 「ほらあな商店会!?」 「縦穴式ですね!」 「いや『ほらあな』というからには、 横穴式だ」 「なるほど! 冴えてますねとーまくん!」 「絶対どっちも違うわ!」 「縦穴でも横穴でもないけど、 入っておくと色々お得」 「ティッシュとか洗剤とか くれるんですね!」 「そういうものなのですか?」 「違います。 まず、 しろくま通り商店会ってのがあるのね」 「文字通り、 しろくま通りの商店の集まりなんだけど」 しろくま通りは、この町のメインストリート。沢山の商店が建ち並んでいる。 「ということは……」 「そこにほらあながあるんですね!」 「そうなのよ。秋吉台にあるのより、 深くてながーい奴が! 地球の裏側までつながってるの」 「ひょぇぇぇ! それは凄いですね!」 「んなのあるわけないでしょ」 「しろくま通りから西へ延びる道に 商店街があるんだ」 「そこにある ほらあなマーケットを中心にした 商店会が『ほらあな商店会』」 「なるほど」 「で、洞穴には、 どこから入れるんですか!」 「あー、ごめん。ないから」 「昔は屋根付きの狭い通りだったから、 洞穴っぽい感じがしたんで、 そう呼ばれるようになっただけなの」 「ほらあなが……無いなんて……」 「でも、ここ、 ずいぶんと離れてますけど」 「この商店会は、来るもの拒まずで、 商店街の外のお店でも、 別に構わないってことになってるの」 「なるほど」 曲がりなりにも商売してるんだから、地元につながりを作った方がいいか。 「枯れ木も山の賑わいって奴ね!」 「でも……それだと きのした玩具店は枯れ木ということに……」 「細かいことは置いておいて、 理解してもらえたかな?」 「どうするみんな? 町の人との交流を考えるなら、 入っておくべきだと思うが」 「賛成です!」 「異議なし」 「そうするべきだと思います」 「というわけです、大家――」 「きららでいいって。 じゃ、次の時に申請用紙もってくるから。 うちの店子さんだし、審査なしで一発OKよ」 「あ、でも……。 加入すると、 義務もあるのではないでしょうか?」 「大したことないよ。 商店会の会合には顔を出すとか」 「歳末の火の用心には人を出してもらうし、 福引きの受付係とかも……。 でも、仕事に差し支えるって事はないよ」 「大丈夫そうですね。 この店は暇ですから」 「店員がそういうこと 言うもんじゃないわ!」 「大きな行事、特にお祭りの時なんかは、 準備に人を出してもらうこともあると思う」 「うーん」 結構大変かも。 「用紙は次の時に持ってくるから、 その時までに考えておいて」 「すいません」 「さぁて! 屋内の用事が済んだところで、 そろそろ出発しますか?」 「ぜひぜひー!」「いきましょう!」 「くえーーくえーー!!」 「おまえは留守番だ」 「ぎょーー! ぎょーー!」 「ごめんね、サンダース。 お土産買ってきてあげるから。 ひまわりの種とか」 「くるっく」 「それじゃー、さっそくしゅっぱーつ!」 「おーーーー!!」 「お、おー……」 「登山電車が出来たので♪ 登ろう登ろう♪」 「鬼のパンツはいいぱんつ♪ 破れない破れない♪」 「(国産)」 「(なんだよ)」 「(きららさんから、 あのことを訊き出すのよ)」 「(判ってるよ。 でも、お前だってチャンスがあったら、 訊き出せよ)」 「(判ってるわよ!)」 「そういうわけで、 ここがしろくま町のメインストリート!」 「おおおー! ここが噂の!! メインストリートですか!」 「……ピンク」 「わたしにはななみって、 立派な名前があるんです」 「(あんた何、純粋に案内されてるのよ。 きららさんが目撃したかどうか、 さりげなく訊き出すチャンスでしょ!)」 「おー、そうでした! 楽しいんですっかり忘れてました!」 「何を?」 「な、なんでもないです! さりげなく訊きますから!」 「さりげなくって……。 質問しにくいことなの?」 「え、あの……安い店は どこにあるのでしょうか……?」 「後でちゃーんと教えてあげる!」 「でも、ななみちゃん。 訊きたいのはそれじゃないよね?」 「い、いえ別に怪しいものじゃないです! さりげなく訊き出すんで、 気にしないでください!」 「あっやしいなぁ。 さぁさぁ、きらら姉さんに、 全て話してしまうのだ!」 って、いつのまにか、俺達が訊かれる立場に!? 「あ、あれは何かなと」 「あれって?」 「あー、あれあれ!」 俺は話題を求めて周りを見回した。 「この町のあちこちに、 しろくまが逆立ちした像や、 マークやロゴがあるんだが」 「なにかなって気になってたんですよ! でも、有名なものらしいから、 知らない方が恥ずかしいのかと思ったりして!」 「そっか。 くまっくのこと、 外の人は知らないよね」 「くまっく……?」 「知りたい?」 「はい、ぜひとも! ね、そうでしょうみんな」 「わくわくします!」 「なら、今から映画でも見ようか?」 「映画な――」 映画なんて見てる暇あるのか、と言いかけた俺のつまさきに踵がめりこむ! 「(この流れでごまかすのよ)」 「(わ、判ったからどけろ)」 「えいがな?」 「とーまくんは貧乏なんで、 映画なんて久しぶりなんですよ」 「そうなの? もしかしてななみさんよりも 無計画だとか?」 くそぉ。なんでだかとても屈辱的な立場に!だが、我慢! 「あ、あはは。 実はそうなんです」 「600円も払えない?」 「タダみたいな値段ですね」 「それなら貧しい店長でも大丈夫ね」 「くっ……」 「おごろうか?」 「いえ、大丈夫です!」 大家さんについていった俺たちは、『しろくま座』という小さな映画館で映画を観た。 ちょっと古い映画の、リバイバル上映だった。 ……。 小さな動物園の人気者、シロクマのくまっく。 だがこの町に原発が出来ることが決まり、落ち目だった動物園の廃園が決定。 それと共に、彼は住み慣れたこの町を離れ、遠い町に引き取られる事になる。 一方くまっくが去った町では、原発誘致に対する賛成反対で町を二分する大騒動が続いていた。 そんな状況を一人の少女の言葉が全てを変える。 『くまっくが帰る場所がなくなっちゃう』 それをきっかけに、反原発運動とくまっく帰還運動は結びつき。くまっくは、運動のシンボルとなる。 そしてついに、町議会で、原発誘致は否決され、くまっくの帰還が決定される。 だが、老齢のくまっくの健康状態は思わしくなく、しろくま町への輸送は回復を待ってという事になる。 ……だが、くまっくは ………。 「どうだった?」 「ああ。いい映画だった。 動物ものにしては、ちゃんとエンタメだったし」 「う、ううっ……感動でしたー」 「ななみん、きららさんに奢ってもらった ポップコーンに感動したんじゃないの?」 「違います! くまっくがしろくま町を思いながら、 息絶えるシーンなんか特に……」 「こう言っちゃなんだけど、 あんなの動物ものの定番のひとつよ」 「……りりかさんも泣いてました」 「め、目にゴミが入っただけよ」 「つれてった方としては、うれしいわ。 私はもう何度見たか判らないから 泣けないけど」 「でも、納得できません! どうしてくまっくは、 死んじゃうんですか!」 「あれは実話だから」 「じゃあ、あのくまっくが……」 「そういうこと」 大家さんが指さしたのは、駅前の植え込みの中央に設置された、くまの像だった。 「なるほど……。 それで町のシンボルになったんですね」 「似たのが町中にあるのは、 そういうワケだったのね」 「どうして逆立ちしてるんですか?」 「くまっくは逆立ちするのが得意でね。 動物園の名物だったの」 「ええっ! それはしろくまを越えてるわ! スーパーしろくまだわ!」 「ちょっと見てみたかったですね……」 「やっぱり結末は変えましょう!」 「いくらフィクションの結末を変えても、 現実には影響しないと思います……」 「逆立ちしたってマジですか?」 「ううん。うそ」 「さくっと裏切られました!」 「くまのマックだからよ。 ほら、くまをひっくり返してみると」 「マック!」 「判りました。くまが逆立ちして、 マックになるというわけですね」 「ご名答〜♪」 ちなみにマックは、くまっくの本名だ。 『くまのマック』と呼ばれていたのが、いつのまにやら短縮されて『くまっく』になり、定着したらしい。 映画でそんな経緯も語られていた。 「それにしてもキャストが豪華でしたね。 主演は〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》さんでしたし」 「有名人?」 「と、とーまくん、ものを知らなすぎです!」 「え? 金髪さん知ってたか?」 「し、知ってるし! 楽勝だし!」 「近頃よくテレビに出てるけどねー、 知名度はまだまだなのかな。 一応ね、この町出身の有名人なんだ」 城悟──金髪さんも知らないってことは、ここ1、2年で人気の出た俳優さんか。 「それから住民運動の裏ボスがいたでしょ?」 表のボスは豪傑笑いが特徴の、気の良いじいさんだった。 「あの、すっごく意地悪で ずる賢いおばあさんですね!」 で、そのおっさんを祭り上げて、裏でいろいろ画策するのがそのばあさん。 「いかにも狡猾で緑色の血が流れてそうな、 陰険冷血妖怪ばばあね」 「そこまでひどくは……」 まさか、もしかして……。 「その冷血妖怪ばばあのモデルがね、 うちのばーちゃんなの」 「えっっ!!?」 「お、おい、おまえら”」 「(りりかちゃん、言い過ぎです”)」 「(あんたが先に言い出したんじゃない!)」 「ばーちゃんたら、 あの役やった女優さんが気に入らないらしくって、 話に出すだけで不機嫌になるのよね」 「私ははまり役だったと思うんだけど。 エランドール助演賞も取ってるし」 「(きららさんがこう言ってるってことは……)」 「(本物のばーさんも、  あれくらい性格が悪いっての!?)」 「(いえ、きっともっとすごいに違いないです!)」 「(も、もしお家賃を滞納したりしたら、  どうなってしまうんでしょう……)」 「(金がないなら、体で払いなっ!)」 「(なぁに熊崎港から出る船に乗りゃ、  インド洋まで連れてってくれるさ。  しっかり稼いでから帰ってくるんだよ!!)」 「(ひえぇぇ〜〜”)」 「ん? インド洋がどうかした?」 「ななな、なんでもないですー”」 「いやー、ほんとに素敵な映画でしたねー、 『おはようくまっくー』」 「ここにくればいつでも観られるから」 「またみんなで来ましょうね! 『ごきげんくまっくー♪』観に! 何度も見れば結末も変わるかもしれません!」 「どこに、つっこんでいいものやら」 「ではでは、お待ちかね。 お買い得商店コーナー」 「まず、あれがスーパーガイエーね」 「昨日のお買い物は、 あそこでしました」 「それはNG!」 「え……そうなのですか?」 「あそこは金曜日以外は駄目! 存在していないと思うが吉!」 「なぜ……ですか?」 「あそこはうーんと高いの。 でも、金曜日は加工食品が安いので 新聞のチラシをチェックするように」 「ふむふむ、なるほど…… ガイエーは金曜日以外は存在しない(メモメモ)」 「でもって、こっちが……」 「きらら」 「あ、猫さん」 ジーンズが妙に似合ってる細身のおばあさんは、きららさんの知り合いらしかった。 「……噂の?」 「うん。 あ、みんな紹介するね。 この人は猫塚桜子さん」 「この近くの『ニューヨーク』っていう 本屋さんの店長さん」 猫塚さんは俺達を一瞥すると、面倒くさげに挨拶してくれた。 「俺は――」 猫塚さんは、言葉を遮ると、俺達ひとりひとりを順繰りに見て。 「中井冬馬。星名ななみ。月守りりか。柊ノ木硯。 猫塚桜子だ。よろしく」 「な、なんで判ったんですか!?」 「きららから聞いてたのから推理した」 「猫さん……いくらミステリーマニアだからって、 悪いクセだよそれ。 当たらない時の方が多いんだから」 猫塚さんは肩をすくめた。 「この歳になると、 今更変えられない」 「あーはいはい」 「洋書が必要になったら、 『ニューヨーク』にいつでも来なさい。 じゃ、きらら」 「うん。またね」 ………。 「洋書専門なんて、 商売になるんでしょうか?」 「扱ってる本屋が、 町に一軒しかないから、 大丈夫じゃないかな?」 「いくら一軒しか無くても、 読めない本なんて、 誰も買わないですよ!」 「あんたは読めなくても、 読める人はごまんといるのよ!」 「えー。ありえないですよ! 英語なんて悪魔の言葉ですよ! 習うだけで死んじゃいます!」 「私もありえないと思いたい。 あんなの悪魔の言葉だわ。 でも、現実はキビシイのよ……」 きららさんも英語がアレのようだ。 「あー、おほん。 で、次なるターゲットはあそこ!」 「言われずとも判るぞ! あそこは高い! NGだな!」 初日に、柊ノ木の買い物に付き合って、危うく超高級家具を買ってしまうところだった。 「大正解! あれは言うなれば魔界! 見ただけで目が潰れる凶器!」 「確かに……見るからに高級だわ」 「でも、ああいうのの地下には、 おいしいお菓子がいっぱい 売ってるんですよ!」 「売ってません。 なぜならあれは存在していないから!」 「よく利用しています」 「だめだめだめっ。 しろくま壱番館は観光客向け! 安く済ませたければこっちこーい!」 「じゃあ、今だけはわたしも 観光客ですよー。 もんぶらーん、おぺら、しゅーくりーむ〜」 「ああっ! ななみちゃんが魔界へと! 店長さん! 捕まえて!」 「おう!」 ゲット! 「おーかーしーがぁぁぁぁぁぁぁぁ」 「ここが商店会でおなじみ、 ほらあなマーケット」 「食料品を買うならこっちがオススメ。 スーパーのセール品を除けばだけど」 「ここなら来たことある」 「ペンキ屋さんがあるとこですね」 「あの噂の……」 「おもしろい人ですよー」 小さな商店街に、食料品の店から床屋、大衆食堂などなど、多種多様な店がひしめき合っている。 ぎゅっと凝縮された生活空間といった趣だ。 「野菜を買うなら角の八百政。 お肉はミートショップくじらやがオススメね。 それから……」 「やあ! みなさんおそろいで」 「こんにちはー」 「こんにちはー」 「(この人が?)」 「(そうです)」 「(普通の人に見えますが……)」 「(これは擬態だから、 発言には注意するように)」 「買い物ですか?」 「今、みんなを町案内してるんです」 「それはいい。 鰐口さんなら、この町のことは、 隅々までご存じだからね!」 「きららです#」 「親しき仲にも礼儀ありだよ鰐口さん」 「(素なのかしら)」 「(それっぽいです)」 「(勇敢な方ですね)」 「……あれ? いつの間にやら看板が新しくなってる」 「前のは錆が目立ってきたんでね」 なぜペンキ屋の看板なのに、電車が描いてあるんだ!? 「……はぁ。 相変わらず気合い入ってますね」 「まだまだですよ。 ペイントは奥が深い……。 もっとくま電の可能性を追求しなければ!」 なぜいきなりくま電?き、訊きたいが訊いてはいけない! 「案内の途中だから、この辺――」 「うわぁ! この真っ赤な電車がこまかーく描いてあって、 すごく凝ってますねー」 「わっ、バカ!」 「わかりますか、お嬢さん!!」 「見ればわかりますよー。 かっくいーですねー」 「これは、再来年導入予定の新型車両で、 今までのくま電のレトロなイメージから脱却し、 モダンなデザインを採用した――」 「はいはーい。 第2系統、ニュータウン東行きにお乗り換えの方は、 ここでお降りくださーい」 「第2系統でニュータウンへ!? まさか! その経路は検討段階で止まり、 第2系統は城址公園前熊ヶ崎往復である筈!」 「降りていただければ、 ちゃんと来ますから」 「未知の新系統の情報! これは研究者として乗らねばならない! 降ります!」 「駆け込み乗車はご遠慮くださーい。 いくわよみんなー」 慌てて降りたペンキ屋さんをおいて、きららさんはみんなを引き連れていく。 「なんて、スーパーな技なの! さすがきららさん!」 「あのペンキ屋さんを、 一瞬で黙らせるなんて」 「電車の話になると長いからね。 ああやってうやむやにしちゃえばいいの」 「なるほどー。 じゃあ聞きたければ、 いつまでも聞いていられるわけですね!」 「あんた……ちょっと尊敬するわ」 「めもめも……第2系統、 ニュータウン行き……」 「でも、今のは、 素人さんには勧められないなぁ」 「マニアのつぼをつかないと やぶ蛇になる可能性が高いし」 「あ、あの……では、どうすれば?」 「わかりました! 次の電車が来るまで待つんですね!」 「それはダメ。 降ろしてもらえないから!」 ほらあなマーケットを抜け、しばらくいくと。 「ほえー」 「あれがしろくま町公民館?」 「ホームページに載ってた通りです」 「立派だな」 田舎の公民館とは思えない。 「町の主要施設がここに集中してるからね」 「なるほど、 借金も集中してるんですね。 今朝の新聞に書いてありました」 「あんたは…… 変な事だけは覚えてるんだから」 「りりかちゃん、 なにを言ってるんですか! お世話をする町のことですよー!」 「お世話をする?」 「ええと、ほら! この町の子供の幸せと楽しみを、 色々お世話するって意味です!」 「ああ、なるほど」 「あの、まぁるい屋根はなんですか?」 「あれはね、通称くまドーム! 中はプラネタリウムになってるのよ」 ドームと戯れるように、白熊のオブジェがつけられている。 おおかた、愛称の由来はそこにあるんだろう。 「さてと、ここからは 町の海側を回ってみましょうか」 「? あれは……」 「みょうちきりんな塔が建ってますねー」 「あれは、『鳴らないカリヨン塔』」 「鳴らないカリヨン塔?」 3人娘が異口同音にオウム返しし、塔を見上げる。 「確か……。 カリヨンとは、演奏用に音程を整えた、 鐘楼のことですよね」 「でも……さっき鳴らないって?」 「鳴ろうにも、肝心の鐘がないから」 「昔は鳴ったんですか?」 「一度も鳴ったことはないはずよ。 クリスマスイブに 鳴ったって噂もあるけどね」 「イブに?」 「……」 きららさんは、なぜか俺の顔を一瞬見た。 「サンタクロースが鳴らしてるって 言ってる人もいるけど、 ありえないよねー」 「……鐘もないのにありえないな」 「だよね」 「でも、なぜサンタなんだ?」 「そりゃ、クリスマスだからでしょ」 「単純な理由だな」 言葉に裏をかんぐってしまうのは、考えすぎなんだろうか。 「由来を書いた看板とかはないんですね」 「あはは……これ、うちの持ってる物件なのよね」 「この塔が!?」 ごうつくばりで有名なきららさんのお祖母ちゃんの事だ。壊して更地にして売るつもりなんだろうか。勿体無い。 「空から見たときは気づきませんでしたねー」 「……空から見た?」 「ええ、たか――もがが」 「高台! 高台から見たって事だよ!」 「高台って……どこの?」 「え……ええと温泉……です」 「お、温泉の方から見たんです!」 「……だよね。 本当に空から見るわけないもんね」 「お、温泉には一度行ってみたいですね」 「? え、でも、 今、白波の方からって……」 「そ、それは、行っただけで! 温泉には入ってないんです!」 「開店準備やあれやこれやで!」 「忙しさに一段落ついたら、 行くといいと思うよ。 疲れなんかふっとぶから」 「温泉かぁ……」 「もごもご……くるひいれすぅぅ”」 「(バカ!  余計なこと言うんじゃない!!)」 「(ちょ、ちょっと口が滑っただけです!)」 「あ。こんにちは」 大家さんは、俺たちがどたばたやってる横で、誰かに気づいて声をかけた。 相手は初老の男性。声をかけられてる事に気づいてない様子で、物思いに耽るように、カリヨン塔を眺めている。 小粋な帽子をかぶり黒いタキシードに杖をついたヒョウヒョウとした感じの人だ。 どこかで見たような……。 「こんにちはー」 「ん? ああ、これはきららさん。 どうも、こんにちは」 「いいんですか? 忙しいんでしょう?」 「ちょっと息抜きに散歩をね。 そちらは?」 「例の森の外れにできた、 おもちゃ屋さんの方々です」 「どうも」 相手が誰かわからないので、曖昧に頭を下げる。見た事あるんだけど……。 「ああ、君たちが。 噂はかねがね聞いてますよ」 「はぁ。ええと……」 「あ、自己紹介が遅れました。 私、しろくま町の町長をやってます、 熊崎五郎太と申します」 あ。ポスターで見たのか! 「町長さんですか! はじめまして、わたしきのした玩具店広報担当の 星名ななみです」 「随分とかわいらしい広報さんですね」 「わ。いきなり褒められてしまいました!」 「(チャンスね)」 「(何が?)」 「あー、おほん。本日はお日柄もよく、 町長さんに会えるなんて、 恐悦至極のいたれりつくせりです!」 「(決まってるじゃないの。 売り込みのチャンスよ)」 「ここはひとつ、 きのした玩具店をどうか……」 「わきゃっ”」 「どうも、こんにちはー、町長さん」 「こんにちは。 あなたも店員さんですか?」 「きのした玩具店の月守りりかと申します。 以後、おみしりおきを」 「わたくしどもきのした玩具店は、 子供が安心して遊べる 木のおもちゃを取り扱ってるんですー」 「ほほう、そうなのですか」 お、町長さん食いついてきた。 「子供に優しく地球に優しく、 地域に根ざした営業活動をモットーに、 やっていきたいと思ってるんですー」 町長さんは、にっこりと笑って。 「それは結構なことですね。 何か困ったことがありましたら、 相談してください。お力になりますよ」 「ありがとうございますー☆」 「それでは、私は公務がありますのでこれで」 去っていく町長さんに向かって、りりかが愛想笑いで手を振っている。 その後ろではななみが、珍しくぶすっと不機嫌な顔。 「どうしたんだ」 「広報担当はわたしなのに……」 「あれは脈ありね! きっと町立の幼稚園とか児童館に、 おもちゃを納入出来るようになるわ」 「って、ピンク、なに不機嫌な顔してるのよ」 「広報担当はわたしです!」 「なに言ってるのよ! 見たでしょあの笑顔! あたしのトークに好感触よ」 「いや、それはどうかな。 町長さんは誰にでも愛想いいから。 ほほえみ殺しのゴロって呼ばれるし」 「誰にでもですか。 なーんだ。納得です」 「納得するな!」 「海ぃぃぃぃ」 「海だわ!」 「ここからの景色、最高でしょ? 知る人ぞ知る穴場なんだ」 大家さんの言葉どおり、カメラを構えた観光客っぽい人の姿がちらほらと見受けられる。その向こうには、幸いの好天に、秋の海面がキラキラと美しい。 「で、この坂は潮見坂! この石段は江戸時代にいた土橋釜右衛門って人が、 私費を投じて作ったものなんだ」 「由緒あるんですねー」 「はやり病に息子さんがかかった時、 石段を作って人々に徳をほどこせば、 息子さんは助かるってお告げがあったんだって」 「それはすごいプレゼントですね! わたし達も負けていられません!」 「確かに…… あ、ええと、子供達におもちゃで 夢と希望をプレゼントするって意味ですから!」 「その意気込みはいいけれど、 まずは店を黒字にしてからにしてね」 「も、勿論判ってます!」 「さて、次は海へ行きましょうか」 「………………」 「どうした、いかないのか?」 「あの…… 私達すっかり観光気分ですけど……。 いいんでしょうか?」 「あ”」 「海水浴場がありますよ! おお、海の家も!」 「こぢんまりとしてるけど、 悪くないわね」 「ここがかの有名(地元限定)な しろくま海水浴場よ。 夏休みの時期は結構混むの」 「いまから夏が楽しみですねー…… ぶるるるる!」 「って、なに食ってんだーー!」 「知らないんですか? 名物・しろくまくんアイスです!」 「全国的(地元限定)に有名なの」 「地元限定がつく時点で有名じゃないじゃん」 「てへへ」 「ピンク! 勝手に買い食いなんてしてんじゃない! しかもこの寒いのにアイスって!?」 「見ているこちらが、 寒くなってきます……ぶるるる”」 「いいじゃないですか、別に。 食べ物だけでも夏の気分に なってみたんです!」 「ななみちゃん。 夏を独り占めはよくないんじゃない?」 「あうぅ……すいません、つい」 「そうですよね、 さすが、きららお姉さん!」 「お姉さん……っていい響き。 でも、きららお姉さんって、 ちょっと長くない?」 「じゃあきらら姉……きら姉で!」 「おっけーりりかちゃん」 「というわけで、みんなで食べましょう! 冬でもおいしい、しろくまくんアイス。 お姉さんがおごっちゃうわ!」 「ええっ”」 「おごりですか! うー、わたしだけ仲間外れです」 「なら、ななみちゃん、 もう一本行っとく?」 「もちろんです!」 「あんたちょっとは遠慮しなさいよ! あたしたちも遠慮するつもりなんだから」 「遠慮しない遠慮しない! おじさん! しろくまくんアイス5つ!」 って、俺もか!? 海水浴場前からくま電に乗って、町をぐるりと回る。 「しろくまくんアイス、 おいしかったですねー」 「うんうん。 そうでしょうそうでしょう!」 「そ、そうですねー……」 「……ぶるるるる」 にこにこしているきららさんに、言うのはちょっと抵抗が……。 だが、俺はあえて言うぞ! 「冬にアイスは、ちょーっと寒かった」 「あはは。 私もそう思ったわ」 「あ。そういえば。以前、この電車で、 きららさんのお姉さんと会ったな、 ええと確か……」 「〈神賀浦羽衣〉《かみがうらうい》さんですね」 「姉ちゃん、 いつも電車でぐるぐる回ってるからねー」 「そういうお仕事なんですね! なんか優雅です、ちょーっとあこがれます」 「あはは。 あれは単なる時間つぶし」 「あ、そうだ。硯ちゃん」 「え、あ、はい」 「あのさ。食材の買い方は紹介したけど、 料理のレシピの方も知りたくない?」 「一通りは出来ますが……。 どんな種類の料理でしょうか?」 「ずばり中華!」 「………」 「興味ない? それとも結構得意?」 「余り知りません……興味は……あります」 「姉ちゃんが、中華得意なの。 ちょっと教わってみない?」 「中華料理ですか! ぜひそれは食べたいですね!」 「あんたは食うの専門って感じよね……」 「……ご迷惑じゃないんですか?」 「ぜーんぜん。 姉ちゃん仕事ない時は暇だから。 決まりね。明日とかどう?」 「え……あの……」 「いいんじゃないか。 人の情けは受けておくものだし、 食いしん坊が多いんだからさ」 それに、社交性が低そうな硯が、人と接触するのは悪いことじゃないだろう。 「りりかちゃんですね!」 「あんたよ!」 「判りました……よろしくお願いします」 町をぐるりっと回っているうちに、たちまち時間は経って。 「今日は楽しかったですね!」 「ななみちゃん。 遠足は家に帰るまでが遠足よ」 「なるほど遠足だったんですね」 「遠足か」 「おやつはないけどね」 「事前に遠足だって言って貰えれば、 バナナ含まず300円で準備したんだけどな」 「じゃ、次の機会には、是非用意して。 その時は、ほらあなマーケットでの、 買い物をおすすめするわ」 「今日は、本当にありがとうございました」 「いいって、いいって。 こんなの大した事じゃないから」 「でも、丸一日つきあっていただきました……」 「あなたたちが、 ちょーっとでもこの町を好きになってもらえれば、 私には十分だから」 「なーんてね。えへへ」 自分の台詞にきららさんは照れていた。結構、シャイな人なのかも知れない。 「なんで照れてるんですか?」 「え、そんなことないよ! あ、そうだ! 昨日、ツリーハウスで花火しなかった?」 俺達は顔を見合わせた。 「どういう事ですか?」 「違うの? なんかね、ツリーハウスから怪光線が発射された、 とか、つぐみんが言ってたから」 「怪光線?」 「つぐみん?」 「ああ。 ななみちゃんなら知ってると思うけど」 「ほえ?」 「この前、 サンダースと私が危機一髪だった時、 一緒にいた子」 「ああ。あの子か……って!?」 「?」 「あ、あの子なの!?」 俺達は顔を見合わせた。 あの子。俺達を写真に撮ったかもしれない子か! 「あ、ふたりだけ知ってるなんて、 ずるいです」 「あんただっていたでしょ!」 「おお!」 「…………」 きょとんとしている硯に、りりかが耳打ちした。 「(あたし達を写真に撮ったかもしれない子)」 「あ……」 「……」 なぜかきららさんが俺の顔を見ていた。 「な、なんですか?」 「え、ああ、いや、 どうかしたのかな、と思って」 「あ、あれだ! そうか、あの子かなるほどって 思って」 「でね。 わたしは多分、花火でもしてたんじゃない、 って、言ったんだけど」 その怪光線はおそらく、俺のセルヴィが起動した時のものだが、ここはきららさんの思い込みに乗るべし。 「いやー、 冬の花火なんて季節外れと思うでしょうが、 ななみが急に花火をしたいとか言い出して!」 「わたしそんなこと言ってません! 冬に花火なんて季節外れ過ぎるじゃないですか!」 「いや、お前は覚えていないだろうが、 言ったんだよ、確実に間違いなく!」 「そうよあんたは言ったのよ!」 「言ってません! そうですよね、硯ちゃん」 「え、えと……」 硯は一瞬、俺とりりかの顔を見ると、 「確かに……言いました……」 「お、覚えていません! ショック……」 「そう気を落とさないでななみちゃん。 物事を忘れるなんて良くある事だから、 私なんて数式を覚えたはしから忘れるもの!」 「そうですよね! 忘れてもおかしくないですよね!」 「そういうわけで、 花火を打ち上げたんですよ」 「楽しい夜だったわ!」 「………」 「だよね。普通。 そんな怪しい光線なんてありえないよね…… うん。ありえない」 「メリークリスマス!」 いきなりの声に、俺達は振り向いた。 「メリークリスマス!」 穏やかそうな顔をしたお爺ちゃんがいた。足下がかなりおぼつかない感じ。よったよった歩いている。 「メリー! 君たち! サンタクロースは実在するんだ!」 「あ、はい、しますね」 「そ、そうよ」 「もちろんです!」 「え、えっと……」 「メリー! メリークリスマス! なぁ、そうだろうきららちゃん! サンタはいるんだ! メリー!」 「はいはい。丘爺ちゃん。 サンタは実在するする」 きららさんは、子供でもあやす口調で、お爺さんをいなすと、 「丘爺ちゃん。じゃ、帰ろうね」 「ああ、きららちゃん、 アリの奴にも言ってくれよ、 サンタはいるって、メリー!」 「うんうん。言う言う。 でも、今日のところは暗くなる前に帰ろうね」 きららさんは俺達に軽く会釈すると、お爺さんを連れて町の方へ去っていった。 「………」 「あのお爺ちゃんは誰?」 「きららさんのお祖父さんなんじゃないか?」 「……あの恐ろしい管理人さんの、 旦那さんということですよね……?」 「やさしそうなお祖父さんだったな……」 恐ろしい奥さんに、いつも圧迫されているのだろうか? 「だとすれば……予想と全然違いました。 角くらい生えているかと思ったのに、 ちょっとがっかりです」 「いや、それはありえない」 「判りました! 隠しているんですよ!」 「隠すも何もないから!」 翌日。 「トナカイはスパイに向いていない……」 「サンタも探偵さんにはなれないようです」 「はぁぁぁ……」 「揃ってため息をつくんじゃないわよ!」 「だがまぁ、 きららさんの様子は、 いつもと変わらなかったな」 「安心って事じゃない?」 「あの……ですが私たち、 きららさんの事を、 それほどよく知っているわけでは……」 「きら姉は……いい感じの人よ。 お祖父さんの事も大切にしてたし」 「この家の大家さん代理で、 世話好きで、気がよい人で」 「苗字が違う姉がいること……。 それくらいですよね」 「うーん……。 じゃあ、あれはどうだったのかな? いつもの態度じゃなかったのかも」 「あれってなんだよ?」 「あのですね。なんとなーくだけど、 とーまくんのことをちらちら見ていたよーな」 「確かに……」 「気のせいじゃない? それにこっちを疑ってるんだったら、 花火のことだって教えてくれなかったろうし」 「ですが、 もし気のせいでなかったら……」 「ピンクや国産の言ってる事だから 気のせいなんじゃない? と言いたい所だけど……」 「りりかちゃん! 今、なにげにぶじょくしましたねー!」 「こういう非常事態では、 どんな危険の芽も見逃せないわよね」 「きららさんは、引き続き観察か。 なら、ほらあな商店会にも加入した方がいいな」 「なるほど、 近づけばスパイ活動もやりやすくなりますね」 「スパイ言うな!」 「人を出したりするのは、店長に任せて」 「さりげなく、 義務を人に押しつけようとしてるな!」 「そう言えば、すずりん」 「あ、は、はい」 「きら姉のお姉さんから、 料理を教わることになってたわよね」 「はい…… ま、まさか、私がスパイを!? そ、そんな無理です!」 「自然に会話が出来る機会が すぐめぐってくるなんて僥倖よ! すずりん任せた!」 「そ……そんな……」 「任せた!」 「え、えう……」 「じゃあ、わたしが!」 「……やります」 「なんか複雑な気分!」 「うわわっ!?」 「だ、誰!?」 「お、お客様です」 「なんと、ここで ほんもののお客さんですよ!」 「はっ!?」 「いらっしゃいませ!」 「(なに感激してるのよ! スマイルといらっしゃいませでしょう!)」 「あ……い、いらっしゃいませ」 「それにピンク頭! お客にほん――なに?」 「あの、お客様がこちらをご覧に」 「お暇そうですね」 「す、すいません!」 「こんな人通りの少ない場所に店を開いたら、 仕方のないことですよ」 「お、お見苦しい所をお見せしてしまって 申し訳ありません」 「いえいえ。気にしていませんから」 意地悪そうな見かけだけど、寛大な人でよかった……。 「(さっきの話の続きは後で)」 「(今は全力で接待だな)」 「ほん ってなに?」 「(だから、お客に、本物も偽物もないでしょう)」 「なるほど! お客様は神様ですね!」 「あんたいちいち声でかい」 「気をつけます!」 「はぁ……」 「りりかちゃん。大丈夫ですよ。 そのうち慣れますから」 「慣れるまでもなく常識なのよ!」 「あの、今は言い争っている時では、わわわわわ!」 「(ち、近づいてきます!)」 「(お、落ち着け! 落ち着くんだ!)」 「(お、お二人とも落ち着いてください)」 「(ここはわ――)」 「(アタシに任せて)」 「あの、もし御多忙でなければ、 少々お尋ねしたい事があるのですけれど」 「大丈夫です! とてつもなく暇で――んがんが」 「はい。なんでしょうか」 老婦人は店内をぐるりと見回すと、 「ここは、少し前まで廃屋寸前だったんですよ。 それを、ここまで改装するのは大変だったでしょう」 「いえ! わたし達がついた時にはこ、もがもが」 「新規開店ですから、これくらい当然です”」 「それは良い心がけですね」 俺達の醜態にもかかわらず、老婦人はにこやかな笑みをたやさない。意地悪げな見かけと違って、出来た人なのだろう。 「(りりかちゃん乱暴です!)」 「(あんたはお茶でも入れて来なさい!)」 「これだけの改装をしたのですから、 大家に話は通してあるのですよね?」 「え、まぁ、一応……」 鰐口……じゃなくて、きららさんに言ってあるから、通してあると言えば言えるだろう。 「それなら、よろしいのですが、 ここの大家の鰐口さんは、 何かと厳しいそうですから」 俺とりりかは顔を見合わせた。お互いの顔に不安の陰。 「……そんなに厳しいんですか?」 「ええ、それはもう」 老婦人はあたりを見回すと、ささやく。 「家賃を一月滞納しただけで、 鍵をつけかえられ部屋に入れ無くされ、 家具を全て売り払われた人もいるという噂ですよ」 「まさか」 「あくまで噂ですけどね。 他にもいろいろと恐ろしい話はあるようですよ」 「あの、よろしかったら」 す、と硯が老婦人へ日本茶を差し出した。 「わざわざ、すみませんね」 「ふぅ……いいお茶ですね……」 「(硯ちゃんナイス!)」 「(え……あ……大した事では……)」 「孫がね。ここにおもちゃ屋が出来ると、 楽しみにしていたんですよ」 ……え? 「ありがとうございます!」 応対でいっぱいいっぱいのりりかは気づかないようだけど、事前の宣伝なんて何もしてなかったはず……。 「(わたしの宣伝の大勝利ですね)」 「(中井さん……)」 「(うん。聞いてみるよ)」 「あの、つかぬことを伺いますが。 この店の開店を何でお知りに?」 「チラシでだ、と孫は言っていましたが」 「ええっ」 「わたしに内緒で、チラシ配りなんてー!」 「配ってない!」 「……私の聞き違いかもしれません。 ならポスターか、 店のほーむぺーじでも見たのでしょう」 「はぁ……年は取りたくないものですね」 「いつのまにポスターにホームページまで! なるほど! これは小人さんの起こしてくれた奇跡ですね」 「んなわけあるか!」 「(こいつら事前の準備をしてないのかよ。 粗忽者どもだね)」 「あの、なにか?」 「いえいえ。本当においしいお茶ですね」 そう言いつつ、老婦人は店内を見回し、 「それにしても、 雰囲気のよいおもちゃ屋ですね」 「もしよければ、 写真を撮らせていただいても よろしいですか?」 「あ、はい、いくらでもどうぞ」 「ありがとうございます。 それから、お茶、本当においしかったですよ」 「……そ、それほどでは」 老婦人は軽やかに立ち上がると、店内のあちこちを携帯で撮影し始めた。 「………」 「りりかちゃん? ぼうっとしてどうしたんですか?」 「(ぼうっとしてなんかいないわよ)」 「(じゃあ、どうしてお客さんを 熱い目で見ているんですか?)」 「(あんたは変に思わないわけ、あの客。 普通、店内を撮影したりする?)」 「(そう……ですよね)」 「(ううむ……言われてみれば)」 「(みなさん。 人をわけもなく疑うなんていけないです。 きっと、そういう趣味の人なんですよ)」 「(どういう趣味よ)」 「(おもちゃ屋さんの店内を撮影して アルバムに貼って眺める趣味ですよ)」 「それにしても、 木のおもちゃしか置いていないのですね」 「(そうなの?)」 「(ひととおり確認しましたが、 そうみたいです)」 「え、ええ。そういう方針なんです!」 俺も知らなかったが。うまいぞ。 「なるほど、 子供達には、木のぬくもりに触れてほしいという 方針なのですね」 「なるほど。そういう方針だったんですか! 初めて知りま――もごもご」 「ええ! そうなんです!」 「ですが、困りましたね……。 孫はいわゆるテレビゲームが好きでしてね」 「こういうオモチャおもしろいですよ! これなんか特に! ほら、プロペラが動くんですよ! ぶーん」 「そう言われましても……。 孫が欲しがっているのは、 でぃーえすの何とかというものらしくて」 「ううむ。困りましたね店長さん」 「でも、無いものは……」 「あ!」 ななみが棚に駆け寄ると、なぜか隅にディーエスのソフトが! 「これならどうです!? 『パラレルプロ野球』ディーエス版ですよ!」 「これしか置いていないのですか? しかも剥き出しなのですか」 「でも、ゲームはゲームですよ!」 「……いかほどですか?」 「ええと……」 「駅前の量販店なら、 1000円程度で買えますよ」 「なるほど1000円なんですか。 では、開店祝いで半額に」 「って、おいちょっと待て! 剥き出しのゲームを売るなんてないだろ!」 「はて? では、なぜあそこに」 「多分、それは売り物ではなくて……」 「誰かの忘れ物、よね?」 「なので、お売りするわけには……」 そう言うと、老婦人はにっこりと笑って、 「その通りですね、これは今しがた 注意力散漫なあなた方の目の前で、 オ―私がここに置いたものですから」 「へ?」 「あの、その、どういうことなんでしょうか?」 「あなたがたがどんな反応をするか、 見て見たいと思いましてね おほほほほ……では、ごきげんよう」 「あ、あの……」 行ってしまった。 「なに今の?」 「忘れ物が見つかってよかったじゃないですか」 「それはそうなんだけど……じゃなくて! あの人はわざとあそこに置いたんでしょう! 忘れ物じゃないじゃない!」 「わざわざ置いた忘れ物なんですよ」 「だから、 そもそも忘れてないじゃないの!」 「結局、なにも買ってもらえませんでしたね」 「仕方ないさ、 ディーエスのソフトは置いてないんだし」 「なにが仕方ないんだい!!!」 「わぁぁぁ!?」 「お、お客さん、なにか!?」 「おっ音もなく!」 「おい。店長はお前かよ?」 「え……あ、はい」 「いったいなんだいこの店は! お前ら商売を舐めてるだろう!」 「いえ、そういうわけでは」 「なんで商品じゃないものが 棚の上に並んでてすぐわかんないんだい!? 仕入れてるものくらい把握してな!」 「それはお客様が置き忘れたのでは?」 「こいつはオレのじゃねえよ!!」 「そんなこともよく確かめずに返しやがって、 こんな間の抜けた店じゃ、 万引きゲス野郎のパラダイスだよ!」 「売っている商品の値段もろくに知らず、 どんな商品を売ってるのかすら、 あやふやじゃないか! 大した商売人だよ!」 「その上、新規開店だってぇのに、 事前の宣伝も事後の宣伝もしてない始末、 呆れ果てちまうね!」 「宣伝しましたよ! サンドイッチマンしました!」 「ふぅん。で、客は来てんのかい? そういや、さっき珍獣が現れたみたいに オレを扱ってくれたね」 「珍獣だなんてそんな……」 「二人来ました!」 「オレを除くとひとりかよ! は、それなら確かに珍獣よりも珍しいな、 トキだってもうちっといるな」 「店長、何とか反論してください」 「だ、だが事実に反論出来るかよ!」 「おい店長、今、この町のおもちゃ屋で、 何が一番売れ筋か、 もちろん知っているんだろうね?」 「ええと……もしかして ディーエスですか?」 「仮面ライガー竜ドラゴンの サン日輪変身ベルトだよ!」 「あ、それ知ってます! ベルトのバックルに太陽の光を5分間あてると、 そのエネルギーで変身するんですよ!」 「知ってたって、 置いてなけりゃあ意味がないよ!」 あれ?このぽんぽんまくし立てる感じ。 「あんたら事前のリサーチとかしてないだろ! まったく売れ筋から外れた商品並べて、 しかも宣伝すらしない!」 「じゃあ売れ筋から外れた所で勝負してるかと思や、 どういう方針なのかすら、 店員に徹底していない始末! 最悪だね!」 「でも、いいおもちゃなんですよ! みんな!」 多分。 「そりゃ、 木のおもちゃの需要だってあるだろうよ!」 「そうですよね!」 「だがね、そういうこじゃれたのは、 おされな大都会なら商売として成り立つだろうが ここ程度の町で、成り立つわけねぇだろ!」 「それに、まさか知ってると思うが、 駅前に、もっとでかくて、 こういうのが充実してるおもちゃ屋があるんだよ」 「ええっ!?」 もしかしてこの人。 「かぁっ。知らなかったのかい!? あんたら同業他社の調査すらしてないのかい! さっさと荷物をまとめて引き上げるんだね!」 ちょっとムッとして、 「やってみなくちゃ判らないじゃないですか!」 「はっ。お気楽なボンボンだね。 そういう台詞は、 人事をつくしてない奴の遠吠えさ」 「う……」 「そういうあなたは、 何者なんですかー!?」 「(だめだ、聞くのはよせ!)」 「なんで!?」 「(なんでって……そりゃ……)」 「オレか? オレはお前らの大家さ」 「大家さん……」 「……ってことは!?」 「…………」 「ワニグチさんだーーー!!!!!!」 「そうさ。 鰐口みすずとはオレの事さ」 ついに正体を現した恐怖の大家!ああ。俺達の運命はどうなってしまうのか!? 大家さんは椅子にどっかりと座ると、タバコを取り出して火をつけて、実にうまそうに吸った。 「おい、ボンボン」 「は、はひ」 「最近じゃネットなんて便利なもんがあってね。 ググれば結構いろいろ判るんだよ」 ぶわ。と、白い煙が吐き出される。 「きのした玩具店はいっぱい引っかかったがね、 チェーン店になってるのはなかったよ。 これはどういう事なんだい?」 「い、いえ、そんな筈は」 「そんな筈もこんな筈もねぇよ。 なぁ。あんたらオレに嘘こいて、 店を借りたってわけなんだな」 「そ、それはですね」 「契約時に虚偽の申告をしたとあっちゃ、 賠償をたんまりいただくとするかねぇ」 「チェ、チェーン店ですけど 本部は外国! 外国なんです!」 「ほう。どこの外国だい? 出来れば地球上に実在する国に、 あって欲しいもんだ」 「グリーンランドに本部があるんですよ!」 「け。よりによってあんな場所かい。 それに本部だって?」 「あ……あの、それは。 うちのグループでは本店を本部と呼んでいるんです。 日本ではフランチャイズ経営をしているんです」 「ふぅん……」 「ここは日本での一号店なので、 有名じゃないんですよ」 「そうなんです! ですから、ググっても 引っかからないんです!」 「……ふんっ」 大家さんは、露骨に信用していない様子で、鼻を鳴らすと、 「おい。灰皿」 「え……」 「これ、どうぞ!」 「ほう。随分と変わった灰皿だね」 「でも使えますよ灰皿に!」 「いいよ。これで」 「(あれは貯金箱なんですけど)」 「(しーっ、  今、突っ込みを入れたら、  何が起きるか考えたくないわ)」 大家さんは灰を落とすと、再びタバコをくわえて、またもうまそうに吸って煙を吐き、 「さて……オレの許可も得ず、 この建物を随分といじくり回してくれたようだが、 釘とか打ち込みまくったんだろうね」 「え、それは」 「この建物、結構古くからある貴重なものでね。 もちろん、退去する時には 弁償してくれるんだろうね?」 ゆらゆらと煙をたなびかせるタバコの先端が、俺に向けられる。 「そ、そのあたりは本部に――」 「もちろんですよ! おまかせあれ!」 「壁紙だって、 糊が残らないテープを使っています」 「ちゃんと元通りにして返します!」 「……ふん」 大家さんは灰皿(?)にタバコを押しつけると。 「なるほど。あんたらの責任で、 ちゃんとするってわけだ。 確かに聞かせてもらったよ」 大家さんは俺達に見せつけるようにポケットの中から小型のレコーダーを出して、録音を切った。 「店長は無能の極みのウドの大木みてぇだが、 小娘どもはよくさえずるようだね」 「さえずりには責任が伴うって事を 判ってりゃ結構なんだがね」 「ま、オレとしちゃ、 きちんと店子としての責任を 果たしてくれりゃ文句はねぇよ」 「店子の責任というと、 家賃ですか?」 それなら、本部が払ってくれるはず。 「家賃をきちんと納めるのは当然さ。 ここで首くくったり火の不始末を起こしたり、犯罪 しでかしたりペットを飼ったりしねぇって事さ」 「しません! それから木のオモチャを扱っているので、 店内は禁煙です!」 大家さんは、にやり、と笑い。 「なら、誰にでも見える場所に、 大きく禁煙と貼っておくんだね」 そう言うと思いの外、身軽に立ち上がった。 「せいぜい潰さないようにするんだよ」 「潰しません!」 「ちゃんとやります!」 俺は思い切って言ってみた。 「でしたら何かお買い上げを」 「あいにく、うちの孫は こういうオモチャは欲しがらねぇよ。 ……この灰皿は悪くないね。いくらだい?」 「(……貯金箱だって言うべきでしょうか)」 「(別にいいわよ、 どう使うのもワニグチさんの自由)」 「ええと……700円で……」 「タダにしな」 「え?」 「タダにしなと言ったんだよ」 「だ、駄目です! そんなにはまけません! 損になっちゃいます」 「そういうことよね?」 「……ふん」 大家さんは、灰皿(?)を、ひょいと掴んだ。 「これは授業料として、 貰っておくさ」 そう言い捨てると、振り向きもせず出て行こうとする。 「あのちょっと待ってください」 「なんだよウド店長。金なら払わないよ」 あのボケたお爺さんがどうしてるか少し気になっていた。 「鰐口さんは、 きららさんのお祖母さんなんですよね」 「それがどうしたよ」 「お孫さんに町を案内して貰った時に、 旦那さんにお会いしたんですが……」 「旦那? 誰のだよ。 オレのはとうにくたばってる」 「え……でも。 きららさんは丘爺ちゃんって……」 「ああ、ドラのボケか。 ありゃ単なるオレのダチさ。 だからきららはじいさん呼ばわりしてる」 「そうだったんですか……。 ちょっと心配だったもので」 「オレ達はそう簡単にくたばりゃしないよ。 他人の心配をするより、 この店の行く末を心配しな」 「なによ。あの婆さん」 「でも……そんなに悪くない人かも」 「どこをどうすればそういう結論になるわけ?」 「なんだか、いろいろと忠告をしてくれた…… かも?」 「だな」 「ですね」 「みんなだまされてるわよ! なんのかんの言って、 貯金箱タダで持ってったじゃない!」 「あれは灰皿じゃなかったんですか!」 「そこに驚くのかよ!」 「どうでしょうか……?」 「うん。ばっちりだねぇ」 「そう……ですか? でも、初めてでそんな……」 「じゃあ、自分で食べてみなよぉ。 おいしいからぁ」 「………」 「……おいしいです」 「でしょぉ。 でも、もっとおいしくしたくないかなぁ?」 「あ、はい、もちろんです……出来れば……」 「ちょっとしたコツがあるんだよねぇ」 「是非よければ……その……教えてください」 「重要なのは油だよぉ」 「(うまく行ってるようじゃないか)」 俺は、一緒に隠れているりりかに囁く。 「(うまくいってるわね……料理教室は)」 「(そう言うなよ、硯だって頑張ってるんだ)」 「(判ってるわよ)」 「(硯ちゃん使命を思い出すのだー――もがもが)」 「(静かにしなさいよ)」 「!」 「どうしたのぉ?」 「あ、いえ、その……」 「(わたしのてれぱしーが通じたようですね)」 「(物音が聞こえただけだろ)」 「ちょっと休憩にしようかぁ」 「あ、あの……神賀浦さんそういうわけじゃ……」 「ちょっと待ってねぇ」 神賀浦さんは冷蔵庫をあけて、何かを取り出そうとしている。 硯が不安げに俺達の方を振り返る。緊張でひきつった顔だ。 「(スマイルスマイル)」 「(チャンスよ)」 「(がんばれー)」 「う……う……」 「後ろになにかいるのぉ?」 「ひっ、え、いや、あの」 「じゃーん。冷やしておきましたぁ」 神賀浦さんは冷蔵庫から取り出した何かを、柊ノ木と自分の前に一つずつ置いた。 「杏仁豆腐。食べよぉ」 「あ、あの、その」 神賀浦さんはジャスミンティを紙コップ二つにつぎながら、 「大丈夫だよぉ。 他の人の分はちゃーんと いれておいたからぁ」 「え、あ、そういうわけでは……」 「じゃあ……きらい?」 「そ、そんなことはありません」 「よかったぁ」 「い、いただかせていただきます……」 「(おいしそうですー)」 「(後で食べればいいだろ)」 「(今、今、今、たべたいです)」 「(3度も言うことじゃないでしょうが……)」 「(重要なことなので)」 「どう?」 「おいしいです! これ……神賀浦さんがお作りに?」 「うん。そうだよぉ。 こんなの誰でも作れるよぉ」 「ぜひ、教えてください!」 「じゃあ、次の機会にね」 「(硯ちゃんのレパートリーが増えると わたしたちもしあわせですね)」 「(それはそうだけど…… 肝心の本題が……)」 「(ここは任せよう)」 「………あ、あの!」 「なにかなぁ?」 「あ、あの、その、ええと、 ですから、最近、変なものとか、 見たりしませんでしたか?」 「(うわ。直球)」 「(しかも直球なのに、漠然としすぎ……)」 「へんなものかぁ……。 ギザ付きの十円玉なら拾ったけどぉ……」 「あ! 5つ葉のクローバー見たよぉ」 「え、えと、ええ、あの、 何かが空を飛んでいるのを、 その見たとかです」 「(剛速球かよ)」 「(しかも、ビーンボールよ!)」 「空かぁ……わたしには縁がないなぁ、 危ないからぁ」 「危ない……ですか?」 「歩くとき、上を向いてると転ぶよぉ。 犬のうんちとか踏んじゃうかもだしねぇ」 「そう……ですね」 「だから、星を見る時は立ち止まるよぉ。 でも、星じゃあ珍しくもないよね。 サザンクロスでも見れれば珍しいんだけどぉ」 「サザンクロス……あ。南十字星…… それは確かに……珍しいですよね」 「でも、見えたら 地軸がずれちゃってるわけだから、 杏仁豆腐食べてる余裕なくなっちゃうねぇ」 「(見てないな……これは)」 「(そのようね)」 「(さて、俺らは店に戻――)」 「あ……そういえばぁ……。 更科さんがUFOを 撮ったって言ってたなぁ」 「……ゆーふぉーですか」 「うん。 決定的な写真を撮ったって言ってたよぉ」 「(やっぱり撮られてたぁぁっ! しかも怪光線まで見られてる! おしまいだわ!)」 「(お、落ち着け! 怪光線に関してはうちあわせ済みだし、 まだどんな写真かは判っていないんだからな)」 「具合でも悪いのぉ? 凄い汗だよぉ」 「だ、暖房の、きっ、効き過ぎです」 「なら、いいんだけどぉ……」 「しゃ、写真には、 な、な、な何がどんな風に う、写っていたんですか」 「たぶん、誰にも見せていないと思うよぉ。 しろくま日報の一面に掲載されるのを 楽しみにしてくださいって言ってたからぁ」 「………」 硯はショックのあまり口をぱくぱくとさせているばかりで声も出ないようだ。 「(ど、どうしましょう!?)」 「(やばいぞ……)」 「(やばいなんてもんじゃないわよ…… 新聞に載るとまで言うくらいなのよ! これはスーパーやばいだわ!)」 「でも、あまり期待しない方がいいよぉ。 載らなかった事もいっぱいあったからさぁ」 「そ、そうですか……」 「更科さんの写真に写ったのがぁ、 サンタクロースだったらいいなぁって わたしは思ってるんだよぉ」 「えええええええええええええっっっっっっっ!?」 「そんな驚くようなことじゃないよぉ」 「空を飛んでいたんだから、 サンタクロースかもしれないよぉ」 余りに叫びが揃っていたのが幸いして、俺達は気づかれなかったようだ。 「もしかしたらだけどぉ。 UFOとかこの町の赤天狗様っていうのは、 サンタクロースのことだったのかもぉ」 「ま、まさかぁ……」 「うん? どうしてぇ? 赤天狗様は赤い服着て空を飛ぶんだよ? サンタクロースだよぉ」 「あの、それは、その……。 クリスマスまでまだ間があるじゃないですか、 だから、空を飛ぶには早すぎると思うんです……」 「うーん。それはさぁ、 うん、そうだなぁ。空を飛ぶ練習とかぁ?」 「え、えう、え、あ、それは」 「ふふぅ。 サンタなんているわけないですよ。 って言わないんだぁ」 「あ、あう、だって、その」 「(すずりちゃんが真っ青になってます!)」 「もしかして……柊ノ木さんはぁ」 「(こ、これは凄いピンチなのでは!?)」 「(ハイパーピンチだわ!)」 「なかまぁだぁ」 「え、え、あの、それは一体…… どういう意味ですか?」 「サンタなんていなぁいって 言わないってことはぁ、 サンタを信じてるってことでしょぉ」 「え、あ、は、はい」 「うんうん。サンタはいるよねぇ。 でも、信じてるひとって少ないからぁ」 「あの……もしかして……。 サンタを信じているんですか?」 「もちろんだよぉ」 「サンタを信じている人が、 あんな身近にいるとは……」 「なにを驚いてるのよ! そのためにあたしら頑張ってるんでしょ」 「そりゃさ。 去年だってこの町で配ったわけだから、 いるのは判っていたけどな」 「でも、珍しいですよねー。 しかもあの歳で」 「貰った事があるんだろうか?」 「そう考えるのが自然ね。 去年あたりも貰ったのかしら?」 「………」 「とーまくん。どうかしましたか?」 「あまり考えたことなかったんだが、 プレゼントを貰うって どういう気分なんだろうか?」 「そんなの決まってるじゃない! うれしいわよ!」 「そりゃぁ、そうでなくっちゃ 俺達のやってる事に意味がなくなるけどさ」 「いらっしゃいませ」 「げ……」 「やっほー! こんにちわ!」 「どうも」 うわ……大家さんと更科つぐ美!目撃者かもしれない人が、ふたりそろって! 「わ、わわわっ」 「(なに動揺してるのよ)」 「(だって、スパイするんですよ。 大緊張ですよー)」 「む」 怪しまれているっぽいぞ! 「お客さんが来たからって、 そんなにいちいち動揺してて 大丈夫?」 「す、スパイなんてしてませんよ!」 「怪しいですね」 「あ、怪しくないわ! この子たまに 変なことを口走るのが趣味で!」 「スパイはしなくていいけど、 他のおもちゃ屋さんの品揃えくらいは、 調べたほうがいいと思うよ」 「そうですよね! あはは」 「先輩。そちらの用事を先に」 「じゃ、ぱぱっと済ませるから」 「あの、わ――」 「きららでいいから」 しまった!俺、緊張してるよ! 「ええと、今日はどんな御用事でしょうか?」 「はい。これ!」 大家さんの隣に立つ更科つぐ美の視線を嫌でも意識しつつ、紙を受け取る。 「『ほらあな商店会 加入申請用紙』? あ……」 「すいません。 わざわざ持ってきてもらってしまって」 「ついでだから。 で、どうするか決めた?」 「加入させていただきます」 「うむ。ではさっそく手続きしましょう! 必要事項は、ココとココとココ。 字はなるべくキレイに書いてくださいね」 「とーまくん、わたしに期待しないでください」 「あんたが店長なんだから あんたが書きなさいよ」 「字のうまいへたは置いておいて、 責任者が書くべきだよ」 「……」 かきかきかきかき。 「これで、どう?」 「へぇ」 「弘法も筆の誤りって奴ね」 「そんなに下手なの? なんだ、意外とうまいじゃないの! これなら大丈夫」 意外なのか! 「ん? なに?」 「あ、いや……大丈夫って?」 「不備があると 一時間くらいの説教つきでつっかえされるから」 「なるほど……判子は……」 「待ってください!」 「おおっとここで物言いが!」 「え。何か不備があるか?」 「記入漏れはないと思うけど」 「判子はわたしが押します」 「あんた子供か!?」 「いいっていいって、 誰が押しても同じだから」 「えいっ」 「これでよし」 「………」 「とーまくんの顔に何かついてますか?」 「え、いや、ちょっとね。 気になったことがあって」 やっぱり俺の顔は見られていたのか? 「気になったこと……?」 「祖母ちゃんにひどい事されなかった?」 「灰皿をむがむが」 「ソンナコトナイデス! ヤサシイオバアサンデスネ」 「はぁ……やっぱり。 いろいろ脅されたんだ…… いつもの事だけど」 「いつもなのか」 「鍵つけかえて追い出すとかでしょ? あれはウソだから」 「そうよね。 きら姉のお祖母ちゃんが そんなのあり得ないものね」 「取材させていただいた事がありますが、 確かに非合法な事はなさっていませんでした」 「なーんだ。つまりあれは ハッタリだったんですね」 「そうそう怖がることないから。 祖母ちゃんは 合法的にしかやらないから」 「………」 それは、違う意味で恐ろしいという意味では? 「延滞した家賃の他に、 賠償金と裁判費用まで毟ってました」 「家賃払ってくれさえすれば、 ちゃーんと物件は管理するから 安心して」 安心して……大丈夫だよな? 「さて、こっちの用事は終わったよ。 どうぞつぐみん」 「どうも」 「確か更科つぐ美さんでしたよね……?」 「はい。更科つぐ美です。 しろくま日報で記事を書かせてもらってます」 「記者さんですか!」 「だから、そうだと言っています。 今日は取材に来たのですが」 「取材……といいますと」 「花火だって話しておいたんだけど、 つぐみん納得してくれなくて」 「どのような花火だったのですか?」 「そりゃもちろん、打ち上げ花火だよ」 「ばーんと打ち上げました! 店に置くかどうか検討中なんですよ」 打ち合わせして口裏を合わせておいてよかった……。 「ね。話した通りでしょ?」 「………」 更科は眼鏡のつるを、くいっと直した。 「垂直に立ち上る青白い光。 そのような光を発する花火の情報を、 ネットで募集したのですが、反応は全くありません」 「それは、だな……」 「(ファイト!)」 「ネットなんてあてにならないわよ!」 「花火の専門店の幾つかに問い合わせてもみましたが、 そのような花火は聞いた事がないと」 「う……」 「そうなの?」 「はい」 「そうなんだ……」 大家さんが俺の顔をじっと見た! 「う、ですから、それは……」 緊張するな俺!あの視線に、大した意味があると決まってるわけじゃない。 だが……やはり怪しまれているのか!? 「う、うちの開発部が開発中のものなのよ!」 「開発部?」 「そ、そう。うちはチェーン店で、 本部はいろいろ開発してるんだよ!」 「思ってたより大企業っぽいんだ」 「新型の花火ですか。 なら見せていただけませんか?」 「え……それは」 「企業秘密なんだ!」 「漏らすと首になっちゃうんですよー」 「企業秘密かぁ……。 それじゃ勤め人としては仕方ないね」 「きら姉は話が判る!」 「………」 更科は眼鏡のつるを、指先でくいっと直した。 「なるほど。 あなた方に答える気がない事だけは 判りました」 「取材に協力していただいて ありがとうございます。 今日の所はこれで」 「………」 視線を感じる!? 「な、何か?」 「ん? あ、なんでもないよ?」 「まったく…… つぐみんは いつもけんか腰なんだから」 「納得してもらえたんでしょうか?」 「単に、これ以上突っ込むネタが なかったんだと思うよ」 ここで写真の事を聞くべきか。 「きららさん、あのさ」 「ん? なに?」 待て。ここで訊いたらあの写真と俺達に関係があると、言ってるようなものじゃないか? 「聞きにくいこと?」 「え、いや、そういうわけじゃないさ。 この申請書なんだけど、 これで手続き終わり?」 「ざーんねん! もう一手間あるんだなこれが」 「もう一手間?」 大家さんは、申請書の隅に書かれた、商店会本部の住所を指さした。 「ここに行って、 ほらあな商店会会長に 申請書を出すこと。よろしく」 「店長、任せたわよ!」 「がんばれー」 いつのまにか、俺が行くことになっている。 「商店会の会長って、 どんな方なんだ?」 「うちの――」 「うふふぅ。 きららちゃん、待ってたよぉ。 さぁ勉強しなくちゃねぇ」 「お、お姉ちゃん! どどど、どうしてここに!?」 「神様が教えてくれたんだよぉ」 「ええっ!? そ、そうなの!」 「わ、私に料理を教えに来てくださったんです……」 「しまった!? それ勧めたの私だった!」 「神様は、きららちゃんが ちゃーんと勉強するように、 取りはからってくれたんだねぇ」 神賀浦さんは、手をわきわきとさせながら、大家さんへ迫る。 「うわーん。そんな神様なんていらない!」 「そんなばちあたりなコトを言う子はぁ、 勉強させて反省をたたきこまなくちゃだめだねぇ」 「あ、そうだ! 実はわたしの母さんはみみずで、 父さんはおぽっさむだから勉強しなくていいの! だから神様だっていらないの!」 「(うわ……きら姉が  めちゃくちゃ子供になってる!)」 「(しかも小学校低学年レベルだ)」 「ふふふぅ。神様はどんな生物も見捨てないんだよぉ。 だって神様はお心が広いからねぇ。 だから勉強しなくていいってことはないんだよぉ」 「(おぽっさむやみみずの所には、 突っ込まないんですね……)」 「そんな幅広い神様ならいらないっ! 神様! 是非是非私は除外してください!」 「なんだかかわいそうだから、 神様に代わって除外してあげますよー」 「ほら! 姉ちゃんにも聞こえたでしょう! 神様がわたしは除外するって答えてくれたよ! だからさくっと見捨てて!」 「大丈夫だよぉ。神様が見捨てても、 わたしはきららちゃんを絶対に見捨てないからぁ。 っていうかぁどこに落ちてても拾っちゃうよぉ」 神賀浦さんのカタツムリなみに緩慢な動作にもかかわらず、きららさんは壁際に追い詰められた。 「うわぁ! 誰か助けて!」 と言われても。微妙に同情心がわかない。 「きぃらぁらぁちゃん。 お勉強しないと今年も絶対絶命だよぉ」 「未来なんてどうでもいいの! 今が絶体絶命!」 「はーいゲームオーヴァー。 つかまえたぁ」 神賀浦さんの手が、がしり、ときららさんの手首をつかまえた。 「ひょぁぁぁ」 そして引っ張る。ぐいぐいと力強く。 「さあ、いきましょうねきららちゃん」 「や、ちょっと待って、 姉ちゃん”」 ずるずる。 動きはスローリィだが、強引にきららさんを引っ張っていく。 「みなさん、おさわがせしましたぁ。 きららちゃんは拾っていきますよぉ」 「姉ちゃん、タンマ! まだ話終わってないんだからーー””」 「………」 なんだか数日前にタイムスリップした気分だ。 「判りました!」 「何が判ったのよ?」 「これがいわゆる、デジャブという奴ですね」 「……更科は写真を突き付けては来なかったな」 「疑われている事は間違いないけど、 決定的な写真というほどではないって事かしら?」 「ゆーふぉーだと思ってるみたいですから、 大丈夫かもしれませんよ」 「だが、写真を撮られた場所は、 ここと近かったし そもそもどうして気づかれたかも気になる」 「そうよね…… 光を見たから事前に張っていたのかしら?」 「是非ともその写真って奴を、 見てみたいもんだが……」 「そうだ! さつきさんに頼んではどうでしょう!」 「それは名案ね! ピンク! たまには冴えてるじゃない! すずりん頼める?」 「え、あ、あの……。 それは無理なのではないでしょうか……」 「なぜ?」 「彼女は、単なるアルバイトですから……。 編集部にあるものを見るのは……」 「そうよね……」 「それに、私達があの写真に興味があるのを 知られるのも余り……」 「ううむ」 「あの……あれからも…… 神賀浦さんと話しましたけど……」 「夕ご飯が楽しみー」 「が、がんばります」 「じゃなくて! やっぱり知らなそうだった?」 「はい。そう思います。 それで……更科さんの状況は判りましたが……。 大家さんの方はどうでした……?」 「あ……またもや聞かなかった」 「なにやってんのよ! それが肝心な事でしょう!」 「でも、大家さん、 とーまくんの顔をちらちら見てましたよ」 「確かにそうだったわね……」 「他の方は?」 「わたしが見られてる感じは、 しなかったですよー」 「あたしも」 「俺だけか」 「見られたとしたら国産って事ね」 「いや、でも、 見られてたらあの程度の反応のわけが」 「きら姉が知ってるかどうか探るのは あんたの役目ね!」 「お前が一番なついてるんだから、 お前がやればいいじゃないか」 「あんなに親切な人を こそこそ探るなんて卑怯者のやることだわ」 「俺は卑怯者か!」 「まぁいいじゃないですか。とーまくん。 そこはそれ、 騙すならまず味方からといいますし」 「わけわからん!」 ええと、番地からすると……。 この辺だな。 大家さんが『うちの』って言ってたから『内野』さんかな……? 「何度来ても無駄さ」 ん? 「何度でも来ますよ」 ひとりは大家の鰐口さん。もう一人は……? 小粋な帽子をかぶり仕立てのいい服を着たヒョウヒョウとした感じの老人。 「暇なら、 票になるとこへでも行きな。 次も給料泥棒する気なんだろ」 票……政治家?あ、町長さんか! 「そんな気はありませんよ。 私には町長なんて荷が重い。 あと二年あると思うと目眩がする」 「は。ゴロは小物だね」 「小物で結構。 自分の分くらい心得てますよ。 私はあの人じゃない」 確か、熊崎なんとかさんだったよな。でも、なんで大家さんの所に。 「……… あいつが町長になってたら、 町がめちゃくちゃになるのがオチさ」 「でも、今頃、 あの塔はきっと鳴っていたでしょうな」 塔? 「どうかね…… 倒れてたんじゃねぇか?」 もしかして……カリヨン塔? 「はは。かもしれません。 ですが、あの人は なぜか人に期待をいだかせる人だった」 「単なるお祭り好きの馬鹿さ」 「今度のクリスマスで 五年になりますか」 「年をとると周りが次から次へとくたばるんで、 ひとりひとりがいつくたばったかなんて 忘れちまったよ」 「……では、またうかがいますよ」 「ホント暇だね。そんなに暇なら、 シケモクでも拾って、 赤字解消に寄与しな」 町長は老紳士然とした風体に似合わない素早い動作で傍らに停めてあった、これまた似合わないマウンテンバイクにまたがると。 「私はね。あの鐘を鳴らすのが、 あの人や、スマイルさんやオショウさんの 遺志だったと思ってるんですよ」 「特に、 葬式まであそこでしてもらいたがった、 あの人のね」 「知るか」 町長は、俺がいる方と反対側に去っていった。 「け……生意気言いやがって。 あいつに判るかよ。 オレ達の事が……」 鰐口さんも引っ込んでしまった。そうか、ここに大家さん一家は住んでいるのか。 表札に立派な毛筆書体で『鰐口』と刻まれているから間違いない。 ………。 あれ?もしかしてこの家が、ほらあな商店会本部? って、ことは……。 「おい。そこのボンボン。 なんか用かい?」 「わ」 「店があんまりに売れなくて、 空き巣で収入の補填をしようってかい?」 「あの。もしかして。 ほらあな商店会の商店会会長は……」 「オレだ」 そうか!『うちの――』、と大家さんが言いかけたのは、『うちの婆ちゃんだよ』だったのか! 「ほらあな商店会加入申請書です」 「よこしな」 鰐口さんは妙に鋭い目つきで、なめ回すように申請書を見る。なんとなくいたたまれない。 レポートを目の前で読まれる学生さんって、こんな気分を味わうんだろうか? 「おい、ボンボン。 これ、あんたが?」 「……そうですが」 「ふん。 ふわふわした見かけのわりに まともな字だね」 「俺はボンボンじゃありません。 中井冬馬って名前があります」 「オレは優しいから丁寧に教えといてやるが、 商店会に加入するにあたって、 ひとつ義務がある」 スルーかよ。 「氷灯祭の準備に労働力を提供しろってことだ」 「お祭りの時とかに人を出すって話は、 お孫さんから聞いています。 氷灯祭はどんなお祭りなんですか」 鰐口さんは、申請書をポケットに押し込むと、もう一方のポケットから煙草を取り出した。 「やっぱりあんたらは ボンボンにお嬢ちゃんどもだね」 そのまま火をつけると、悠然と吸い出す。 「ふはぁ……。 かきいれ時にある行事も調べない甘ちゃんじゃ 話にならないよ」 「む」 ムカっと来たが反論の余地はなかった。 「この町で、クリスマスと同じ時期にやるお祭りさ。 ググレカスって言われたくなけりゃ、 自分で調べな」 煙は見事な輪っかになって、広がり、消えた。 「あの賑わいはクリスマスってだけじゃ、 なかったのか」 「ほう。この町に前に来た事があんのか」 「え、ええまぁ」 上空から見ました。とは言えない。 「人を出すことも承知の上で、 加入するってわけかい?」 「しますよ」 「ま、あんたら暇人だから クリスマスまで1週間につき2日、 1人ずつ出すくらいワケないな」 「クリスマスも近づいて来ますから、 忙しくなるんです」 「ぼやぼやしてるあんたらの事だ。 どうせ、クリスマスセールすら、 予定してないんだろ?」 「それくらいは準備してます」 「ふぅん。まぁそんなら、商店会でも、 クリスマスシーズン特製の宣伝チラシを配るから、 そん時、載せる宣伝を考えておきな」 「白黒じゃなくてカラーだよ。 一店舗あたりのスペースは、 5センチかける3センチってとこだ」 「判りました」 もしかしたら、この人はそれなりに、親切なのかも知れない。口は悪いが、さりげなくいろいろ教えてくれる。 家賃を払っている間だけかもだが。 「あんたらは月並みが精一杯だから、 サンタのグッズでも出すんだろ?」 「ええ、まぁ……。 でも、売れますから」 多分。 「ふん。全く凄い詐欺だね。 ありもしないもんをネタに、 人にものを売りつけるとはよ」 「クリスマス……ですか?」 「赤い服着た空飛ぶデブの事さ。 あんなもんいるわきゃない」 「ま、信じる方も大馬鹿野郎だから、 詐欺られても仕方がないがな。 商売のネタとしちゃ良くできてら」 「サンタ嫌いなんですか?」 「………」 鰐口さんは、携帯灰皿に短くなった煙草を押しつけると、新しい煙草を吸い出した。 ゆるゆると紫煙が漂う。 「……いもしないもんを嫌えるかよ。 馬鹿馬鹿しい」 「わざわざ歓迎会なんて……悪いな」 「遠慮しない遠慮しない。 新人さんを歓迎するのは当たり前」 「そーですよぉ。 遠慮無く飲み食いしてくださいなぁ」 「イタリア料理店なんですよね?」 「う……うん。まぁそうだよ」 「ティラミスとアイスクリームの 食べ放題万歳ですよー」 「遠慮しろよ」 あの時、きららさんは何を見たのか?それとも何も見てないのか? 訊き出したいんだが、さりげなく切り出せない。 「でも、ホント、タダでいいんですか?」 「あの……こちらがお世話になるのですから、 全額こちらが出すべき筋合いなのでは ないでしょうか」 「すずりん…… 相変わらずブルジョア的な金銭感覚ね……」 「ありがたい申し出だけど、 こういう決まりなんだ。 タダなのは一回目だけだし」 「ええっ!? そうなんですかー!?」 「そーなんですよぉ」 「今度、新たに新人さんが 入って来た時にはワリカンしてもらうから、 よろしく」 「当分ないと思いますけどねぇ」 「姉ちゃん……それを言っちゃおしまい」 「あーそうだぁ。 硯さん、あれはきららちゃんに、 聞いた方がいいと思うんだよぉ」 「なんのこと?」 「え、え? と、突然なんですか?」 「ほら、この前、更科さんが、 何を撮ったのか知りたがってたでしょぉ」 「え、あの、その、 知りたがっていたというほどでは……」 「あの時のこと思い出したんだよぉ。 確か、きららちゃんが空を見てて それにつられて更科さんも見たんだよぉ」 「!」 俺達は思わずきららさんを見た。 「あれー、そうだったっけ?」 「そうだったんだよぉ。 それで更科さんは カメラを構えたんだよぉ」 一瞬だけ、きららさんは俺を見て、すぐ目をそらした。 「うーん。姉ちゃんがそういうなら、 間違いないんだろうけど……。 ぜんぜん覚えてないな」 「そっかぁ。 だ、そうだよぉ。 硯さん、残念だねぇ」 「は、はい……そうですね」 「でも、まぁ覚えていないんだから、 大したもんじゃなかったんだよ」 「そ、そうですよね」 「………」 隠しているのか?でも、なぜ隠す必要がある?それとも、目があったと俺が思っただけ? 「決めました! ずばっと行きますよ」 「ちょ、ちょっと何をずばっと行くのよ!?」 真っ正面から訊くつもりか!?ななみならやりかねん! 「おごってもらうのに、 ティラミスとアイスクリームの両方は、 図々しいので、アイスクリームの方にします!」 「そんな事をずっと考えていたのかよ!」 「みなさん! ビールは全員に行き渡ったようね!」 「あー、おほん!」 「新たな仲間、きのした玩具店の加入と、 ほらあな商店会の更なる発展を祝って」 「かんぱーい」 「ぷはぁ……」 俺は単純なトナカイ。正直、くだくだ悩んだり、何かを探り出すのには向いていない。 「店長さん。どうぞ」 「どうも」 「祖母ちゃん! また手酌してる!」 「自分のペースで飲みてぇんだよ」 「中井君。何か悩みでもあるのかい?」 「え」 「ずいぶんと早いピッチで飲んでいるからさ」 「……」 「店の事かい? どんな具合なんだい?」 「まぁ……ぼちぼち」 主な悩みは別だけど。 「まだ知名度が低いから仕方がないよ。 ある程度の運転資金は、 用意してあるんだよね?」 「ええ、まぁ……」 つぶれない程度のお金は、本部から入ってくる。あくまで本業はサンタ活動だからだ。 「うんうん。どんな事業でも初めは苦しいものだよ。 だが、その試行錯誤の期間にどう取り組んだかが、 後で振り返ると重要になってくるんだよ」 「事前の調査だけでは判らない、 生のお客の反応に触れるわけだからね。 そこから色々な事を引き出すんだよ」 こんなに真剣に親身にされると、潰れる心配はないから、小遣いかせぎ程度でいいやという姿勢の自分らがちょっとうしろめたい。 「なるほど……」 「あの偉大なくま電の経営も、 最初はなかなか軌道に乗らなくてね」 「へぇ。そうだったんですか」 「そもそも始まりである白波人車軌道も、 事前にたてた運行計画通りにはいかなかったんだよ。 人車というのは軽くてね(中略)」 しまった! 「そうなると当然、客がほとんどいない時でも、 時刻表通りに運行しなければならない、 空っぽのまま走る車両がいくつも出――」 「うるさいペンキ屋」 「ボクの眼鏡が! 眼鏡が!」 「あちゃー……」 「い、いいんですか? 今、骨が折れたような音が……」 「世の中には、 気にしなくていいことがあんだよ」 「すまんすまん。遅れた」 「席はこっち! そしてかけつけに一杯!」 「ありがと。ふぅ……」 「あんた、延滞料金な」 「一分いくらですか?」 「そうやって何でも金で解決するから、 3度目の女房にも逃げられるんだよ」 「鰐口さんは、いつもきついなぁ」 「祖母ちゃん。3人目は向こうが男と出来ちゃって、 木田さんは慰謝料とられなかったんだから、 その言い方は間違ってるよ」 「……あはは」 「はい。進さん。眼鏡」 「おお! ありがとう鰐口さん!」 「………」 「あの、どちらさまでしょうか?」 「こいつか。 ああ、こいつは、三流新聞社の三流編集者」 ビア樽体型のおじさんは、俺に名刺を差し出してくれる。 しろくま日報の編集長。って、もしかして!? 「しろくま日報で編集長をやっております。 木田浩です。どうぞよろしく」 「あ、どうも。 きのした玩具店の……店長を務めております。 中井冬馬です」 この人が更科が写真を見せているであろう人か。 「きららでいいです」 「親しき仲にも礼儀ありだよ」 「……あ、ごめんなさい。 落としちゃった。 あ、転がってトイレの方へ……」 「わぁぁぁぁ。ボクのめがねーめがねー」 「さすがは鰐口さんの孫だね」 「当たり前の事をわざわざ言うんじゃねぇよ」 「あの、小耳に挟んだんですが、 更科つぐみさんが、 うちの店の近所でゆーふぉーを撮ったとか」 「ん? そんな事は聞いていないが……」 見せていないのか。それとも、見せるほどの物じゃないのか―― 「デザートのアイスクリームいきます!」 「いきなりかよ!?」 「まだ料理だってろくに食べてないのに!?」 「おなかは待ってくれません!」 「ちょーっと待ったななみちゃん! アイスクリームに行く前に、 このサバの味噌煮食べてみなよ」 ここってイタリア料理店じゃないのか!? 「どれどれ……。 おおおおおおおおおいしいです!」 「でしょでしょ」 「ここはちょっと前まで赤提灯だったんだ」 ななみの隣で静かにコーラを飲んでいたおばあさんが教えてくれた。 「なるほど……」 細身の体にジーンズが妙によく似合っている。確かこの前会った時、自己紹介されて……。 「おい。ネコ。 どうしてあんたは コーラしか飲まないんだ!」 ネコ……そうだ、猫塚さんだ! 「サイダーも飲む」 「ああ。そうだったそうだったね。 言うだけ無駄だったよ」 「きーださん。さぁさぁ、どうぞ」 「あ、どうも」 「実行委員長さんには、 今年の氷灯祭でもお世話になりますから」 「頼りにならない委員長ですまんね。 ゴロさんなら、もっとうまく やるんだろうが」 「ゴロさん? もしかして……町長さんですか?」 「大当たり。 熊崎五郎太さんだから、ゴロさん」 「なるほど」 「サバの味噌煮もうひとつください!」 「そ、そんなにおいしいの……? アタシも試しにひとつ……」 「わ、わたしも……」 「彼は公私のけじめをつけるからな。 町長という公職についている限り、 やらないさ」 「薄情なだけさ」 「あの人なら……。 両方やっちまったかもしれないがな……」 「どうだか。 両方めちゃくちゃにするのがオチさ」 ん?ごく最近、似たような台詞をどこかで聞いたような……。 「はは。 そういえばゴロさん。 この前、言ってましたよ」 「きららちゃんが氷灯祭の手伝い、 よくやってくれてるって」 「えへへ。そっかー。 ちょっとうれしいな」 「け。ほめるだけならタダだからな」 「月守りりか! 歌います!」 「おー! がんばれー!」 「私の働きを認めてくれてるなら、 その功績で就職できないかな。 なんてね」 「大家さんの仕事が、 あっているように見えるけど……」 「これは世を忍ぶ仮の姿なのでっす」 「なぜ、そこで自慢げなんだ」 「あはは。なんとなく。 世を忍ぶ仮の姿って言葉、 言ってみたかったんだ!」 「まったく…… 家庭教師が優秀ならとっくに どうにかなってるのにな」 「誰の事でしょうかぁ?」 「めりーくりすまーす!」 「メリークリスマース!」 「メリークリスマス!」 「早すぎだよ!」 丘さんの後から、戦前のヨーロッパのご婦人が着ていたようなドレスを着た老女とメイドさんが入って来た。 老女の顔は妙にバタ臭くて、似合ってはいた。 「まったく…… さわがしさが外まで聞こえてましてよ」 ご丁寧なことに、扇で口元を覆っている。 「飲んでんだから当然だろ」 「仕方ないですわね。 志奈子、わたくしの席を作りなさい」 「はい。ジェーン様。今すぐお作りします!」 「空けといたのにいつのまにか埋まってるし!」 志奈子さんというらしいメイドさんときららさんは、眼鏡を探して未だにはいつくばっている進さんをどけると席をあけた。 「わぁぁ、またボクの眼鏡がぁぁぁぁ」 「ねぇジェーンさん。 もしかして丘じいちゃん、 また迷子になってたの?」 「きららさん。心配することはありませんわ。 この店へ向かって、ちゃんと歩いていましたわ。 いつも通り、メリーメリー喚きながらでしたけど」 「あのさ」 「なに?」 「この方は……」 「土橋ジェーンさん。 おばあちゃんの昔からの友達」 「もしかして貴方が、 きのした玩具店の店長ですの?」 「あ、はい。中井冬馬です」 「わたくし土橋ジェーンと申します。 そして、こちらはわたくしのメイドですわ」 「土橋ジェーン様専属のメイドを 勤めさせていただいております。 寺内志奈子です。おみしりおきを」 「ご、ご丁寧な挨拶いたみいります」 「なぁアリ! ネコ! お嬢! サンタはいるよ!」 「あーはいはい。いるいる。 さ、いつまでも入り口に突っ立ってないで、 ほら、さっさとそこに座りな!」 猫塚さんが、自分の隣に置いてあった本をどけて場所を作った。もしかして、場所を取っておいたのか? 「丘じいちゃん。こっちこっち」 「メリーめりーめりーくりすまーす!」 「あんたの好きな里芋の煮付け 注文して置いたからな」 「ありがとアリ。 メリークリスマス!」 「めりーくりすます! おじいさん! サンタクロースはいますよね!」 「もちろん! あんたがサンタだよ!」 「ええええええっっっっっっ!?」 一瞬。ほんの一瞬。きららさんが俺を見た気がした。 「な、なぜ判ったんですか!?」 「ちょ、ちょっとあんた何を――」 「そりゃそうだよ! ここにいる人は、 みんなサンタクロース! メリークリスマス!」 「ちがいます! 本物はわ――むがむが」 「ちょーっとこの子酔ってまして」 「酔ってないれふ! ふにゅぅぅぅぅ」 「……酔っています」 「ななみちゃん! ほら水!」 「酔ってないれふが……かたじけなひ」 「きららさん。 勉強の方の進み具合は順調ですこと?」 「う……まぁ……ぼちぼちです」 「あらあら、 いい先生がついているのに変ですわね……?」 「うーん。どうしてでしょうねぇ?」 「あ、あはははは」 「どっかの誰かは うちの孫相手には手を抜いてるのさ」 「そんなことないよ! 私がすぐ逃げようとするだけで……」 「家庭教師としての彼女の評判はいいぞ」 「ふん」 「家庭教師なんて雇ってるの?」 「ええ、まぁ……あはは」 「神賀浦先生。うちの孫の中間考査の成績、 大幅にアップしてましたわ。 これも先生の教え方がよかったからですわ」 「高志くんが、がんばったからですよぉ」 この人、何やってる人なのか不思議に思ってたけど、家庭教師をしてたのか。しかも優秀っぽい。 「あった! ボクの眼鏡! 装着!」 「おお! みなさん盛り上がっていますね! それはそうと!」 「あがう!」 「眼鏡めがねめがねめがねぇぇぇぇぇ」 「いいかいボンボン。 こいつが、ああ言いだしたら、殴るんだよ」 「ええっ!? いいんですか!?」 「そうだね。殺さない程度にしな。 店子が犯罪者になるとオレも迷惑だから」 「そういう問題ですか」 「あ……あれ……お」 「ん、どうかしたのきららちゃん? 飲み過ぎというほどには飲んでないはずだけどぉ」 不意に、きららさんが立ち上がった。 「よーし! 今日は調子がいいから、 恒例の隠し芸いきまーす!」 「ああ、あれが来たのかぁ」 神賀浦さんは、割り箸の袋を器用にばらすと、それで折鶴を折った。 「きらら様、これを」 寺内さんが、いつのまにか折ったらしい折鶴を、きららさんへ差し出す。 「あ、どうも。ありがとう!」 二羽の折鶴で何をやるつもりなんだ? 「ひゅーひゅー」 「きら姉。何するつもりなのかしら?」 「……折鶴を消す、とかでしょうか?」 きららさんは、左右の手のひらを上に向けた。開いたそれぞれの手のひらの上で、折鶴は頼りなげにみえた。 「飛ばします! それ!」 浮いた。 重力を忘れたように、折鶴はきららさんの手から浮いた。 「あ……」 舞い上がったのではなくて、浮いたのだ。 その浮き方は、明らかに風の力で浮いたのではない。 そして俺は、これとそっくりの浮き方をするものを知っている。 「ほーら。飛びます飛びまーす」 二羽の折鶴はゆっくりと舞い始めた。 交差し、宙返りし、垂直に上昇したかと思うと、水平の角度を保ったまま降下する。 店内は静まりかえっていた。 「いつ見ても不思議ですわね……」 彼らは何度も見ているようだ。 「アリにもタネは教えてくれないのか?」 「知らない方がいいんだよ。こういうのは。 知っちまったらつまんねぇさ」 手品か何かだと思っているらしい。 折鶴は、ネーヴェの店内をゆっくりと周り、再びきららさんの所へ戻ると、その周囲をぐるぐると回り出した。 「不思議ですねぇ……」 「……金にもならんことを。 しょーがないね。まったく」 鰐口さんは、台詞と裏腹に、どこか嬉しそうだった。 ………。 重力を忘れたような独特の飛び方。そしてさっきの浮き方。 俺はそっくりなものを知っている。 セルヴィやソリの浮き上がり方だ。 俺はななみとりりかと硯の方を見た。 彼女たちはうなずいた。同じ意見のようだ。 間違いない。 きららさんは、ルミナをある程度は制御できるのだ。 「あれは……やっぱり」 「間違いないわ」 「間違いないと思います」 「ああ! あの話ですね! 聞いたから間違いないですよ」 「って、おい」 「ちょ、ちょっと本人に聞いたの!?」 「本場仕込みなんだって」 「本場仕込み?」 「グリーンランドということでしょうか?」 「もちろんイタリアですよ」 「イタリアって……本場か?」 「イタリア料理の本場はイタリアですよ。 さすがは本場仕込みの味でしたよね」 「……なんの話をしているんだ」 「ネーヴェの 美人マスターの料理は 本場イタリア仕込みだって話ですよ」 「違う!」 「もしかして…… きららさんのことですか?」 「他に何があるっていうのよ! このスカポンタン!」 「だって、歓迎会の会場で、 アイコンタクトで確認しあったじゃないですか」 「だから、確認はあの場で終わって、 これからどうするかの話をするのかな って思ってたのに」 「みんな、間違いとか言うから ああ、違う話題なのかと思ったもので」 「あんた……。 いつもテンポずれるからって、 前にずれることないでしょう、前に!」 「ま、まぁ誤解も解けたわけだしな、 本題だ本題」 「きら姉はサンタへの適性を持っている。 しかも恐らく、かなりの」 「そんなにか?」 「ま、国産はトナカイだから判らなくて当然だけど、 訓練も受けないうちに、 あんなこと出来る人、滅多にいないはずよ」 「ルミナの光があふれだして、 きらきらしてましたよ」 「あれだけルミナに祝福されている人が いるんですね……驚きました」 「もしかして……。 だから、3人の中できららさんだけが 俺達を察した可能性が高いってことか?」 「ありうるわね」 「名案思いつきました! きららさんもサンタにしちゃえばいいんですよ! そうすれば全部解決!」 「そんなんで解決するわけないでしょ!」 「だが、 仲間になってくれれば 秘密もなにもなくなるよな」 「そうなれば…… 更科さんが撮った写真を調べるのにも、 協力してもらえるかもしれません」 「……反射的に反対したけど、 ピンクにしては名案じゃない」 「ひどいですよー」 「ピンクだってなれたんだから、 きら姉ならばっちりよね」 「重ね重ねひどいですよー」 「きら姉って、 就職してないのよね?」 「ああ。そうだったな」 「正式に就職出来るっていえば、 飛びついてくるかも!」 「スカウトするわけか」 「なるほど! りりかちゃんは就職先がないから サンタになったんですね」 「違うわよ!」 「だが、スカウトしようにも、 きららさんは サンタの実在を信じていないぜ」 「どうしてそんな事が判るのよ?」 「神賀浦さんが、 サンタを信じてる人は少ないって 言ってただろ?」 「あ。なるほどー! あの時、きららさんが信じてると知ってたなら、 そうつけくわえたはずですよね」 「信じていないんだったら、 ハードル高いわ。っていうか無理ね」 「なら、わたし達がきららさんの前で、 サンタの実在を証明すればいいんですよー」 「おいおい。 どうやって隠すかを話してるんだぞ」 「あ、そうでしたー」 「信じていないなら、 俺達をサンタとトナカイだって、 見抜く可能性も低いって事じゃないか?」 「でも、信じていると判ると、 恥ずかしいから隠しているという可能性も あるのではないでしょうか?」 「あ……それは考えてなかった。 普通の人は、 信じている人でも言いたがらないものなんだったな」 「そうだったわね。 身内とばっかりつきあってると、 それを忘れちゃうわ」 「ルミナの祝福は、サンタやトナカイになる運命へ、 その人を引き寄せる傾向があると 聞いた事があります」 「それなら全然信じてないのも、 変ってことになりますよね」 「ううむ……信じていないのか。 信じている事を隠しているのか……」 「そこでとーまくんの出番です!」 「国産。きら姉が 信じてるか信じてないか確かめるのよ!」 「やっぱり俺かよ。オッケー」 「酒かっくらってどんちゃん騒ぎのあげく、 ようやっと帰って来たわね!」 「あのー、 ここにほとんどいないのは、 先生の方だと思うんですがー」 「そういう細かいことはどうでもいいの! あなた達が出かけている間に、一大事よ!」 「まさか!」 「もしかして新聞に俺達の正体が!?」 「そんな…… 朝、新聞を読んだ時には 載っていなかったのに……」 「硯ちゃん、しっかり! 正体がばれる時は、わたしも一緒だから」 「もっと一大事よ」 「俺達の正体がばれてしまったよりも、 一大事ですか!?」 「もしかして一足飛びに、 島流しなの!?」 「もう……おしまいです……きゅう」 「硯ちゃん! 眠ったら死んじゃうよー。 えいっ! えいっ! えいっ!」 「いたいですいたいですいたいです……」 「とにかくTVをつけてみて!」 「写真じゃなくて、飛行映像だったの!? 新聞じゃなくて、TV局に売られてたのね!」 「とにかく見なさい!」 「は、はい」 作り物くさい青い空の下。なぜかビキニの女となぜかビキニパンツ一枚の男。 「あーらボブ。 弾けもしないギターなんか買ってまた置物にする気? これで十台目ね!」 「はっはっは。ご挨拶だねジェシー! 心配はご無用! このギターは 誰でも弾けちゃう優れものなのさ!」 「あらあら。 前もそんなことを言ってたんじゃないかしら?」 「でも、睡眠学習カセットは行方不明だし、 『馬鹿でも判る教本』には 『そんなものあるか馬鹿』って書いてあったのよね」 「ははは! このサブリミナルギターは、 そういうまがい物とは違うのさ!」 男はギターとコードで繋がっているヘッドギアをかぶった。 「なんと! このスイッチを入れると、 ヘッドギアからの催眠音波が脳を刺激して、 指が勝手に動き出すのさ!」 「それはすごいわね! じゃあ、さっそく押してみようかしら! ぽちっとな!」 「あ、まだ心の準備が! う、おおおおおおおおおおおお! 指が指が指が指がぁぁぁぁぁぁぁ」 「凄いじゃない、目にもとまらない指の動きよ! このマシーンも生命保険付きなの?」 「うぉぉぉぉぉぉ! おおお値段は一台15万円のところぉぉぉ! 13万円でぇぇぇハーモニカもついてるぅぅ!」 「止めて止めて止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」 俺がTVを切ると、沈黙。 「…………」 「あの、これが何か……?」 「BSじゃなきゃだめよ!」 「あ、BSのニュースですね。何番ですか?」 「いいから、つ・け・な・さ・い」 「は、はい」 先生のただならぬ様子に気圧されて、俺はBSをつけた。 真っ暗だった。 「…………」 「判ったでしょう?」 「……何がですか?」 「BSが映らなくなってしまったのよ!」 「………」 「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁ! この事態に、TVなんかどうでもええんじゃぁぁ!」 「えー、TVがないなんて駄目よ」 「BSがないと『ストアチャンネル』も 『健康大好き』も『賢い買い物』も『お肌通信』も 『隠れた名品の旅』も見られないのよ!」 「通販番組ばっかりだ!」 「通販番組が見られないのは一大事よ」 「だいたい、先生は、 こっちにほとんどいないじゃないですか!」 「部屋でごろごろしながら見るのもいいけど、 こっちでだらだらしながら見るのもいいものなのよ。 暇があればTVかゲーム。これが優雅な過ごし方」 「却下だ! BSくらい我慢しなさい! こっちはそれどころじゃないんだから!」 「あら。みんなだって見たいわよね?」 「俺達にはそんな暇――」 「私も見たいです……」 「……え?」 「そーですよとーまくん。 BSが映らない間に、新しいサプリメントが出たら、 買えないじゃないですか」 「……へ?」 「もしかして、あんたも見てるの? 『美容の王国』?」 「……お前ら」 「あれ、いいですよねー! 出てる女優さんのお肌がみんなつやつやで、 せっとくりょくありまくりですよー」 「『美肌パワービタミンX』がいいのよ」 「わたしも買ってますよー」 「こくこく」 「ふふ。通販が嫌いな女の子なんていないのよ」 「……」 BSの通販番組を愛していないのは、俺だけだったのか……。 「国産! きら姉に連絡しなさい!」 「はい……」 「こんにちわ!」 今朝方からめっきり冷え込んできたためか、きららさんは皮ジャンを着込んでいた。 「BSが写らないんだって? ぽちっとな。 ありゃホント。まっくら」 「そうなんですよー。 『美容の王国』も『華麗なるスィーツの世界』も 見られないなんて、本当に困った物ですよ」 「『ケーキの世界』はともかく、 『美容の王国』は見たいわよね」 「『世界の豪華クルージング』 忘れないでください……」 「……だそうだ」 「へー。BSってそんなに凄いんだ。 うちは入ってないから見れないけど」 「仲間!」 「ごめん。 来週TV買い換えて、 ついでにBSもつけちゃうから」 「四面楚歌だ!」 「じゃ、さっそく見てみますか!」 「きら姉、お願いします」 「はははっ! このきららお姉さんに 嵐の海で救命ボートに乗った気持ちで 任せなさい!」 「駄目っぽく聞こえますけど」 「いやぁマジな話。重大な故障だったら 業者さん呼ばないとどうしようもないからね。 とりあえずアンテナ見てみるよ」 「アンテナって……。 随分高い所にあるんじゃないですか?」 「この木のてっぺん。 でも、取り付けも私がしたし、 慣れてるから大丈夫」 「手伝うよ」 「あ、いいからいいから。 この程度は家賃と管理費に入ってるから。 BSがちゃんとついたらケイタイに連絡して」 「国産! 今日こそきら姉から 色々聞き出すのよ!」 「おうよ。任せろ。 手伝うついでに聞くぞ!」 「きららさん! やっぱり手伝うよ」 ……いない。 アンテナ見るんだったら、ツリーハウスの中通って上の部屋へ行くはず。 じゃない!玄関に彼女の靴がない! 「きららさん!」 ………。 もしかして、工具でも取りに戻ったのかな。 ………。 まさか!? 「わ!」 もうあんな高い所に! 「きららさぁぁぁん!」 一体どうやって登ったんだ?外から登ったんだったら、幹を伝ってとしか。 「ん? なぁにぃ? もうすぐ済むから」 作業も始めちゃってるし! 「手伝いまぁぁぁす!」 「なぁにぃ!?」 ええい、ラチがあかん! 俺は太い幹に手を掛け脚を掛け、きららさん目指して登り出す。 「ええっ!? ちょ、ちょっと何してるの!」 小さい頃、木登りは得意だった。細い木だってするする登ったんだから、これくらい太ければ楽勝だ。 トナカイだから、高い所には慣れている。 「来なくていいって! わ、わわっ」 ようやく止まってくれた彼女目指して、するすると登っていく俺。 の、ハズだったのだが……。 「うっ……。 木登りって……こんな感じ だったか……?」 昔の感じより体が重い。不覚! 俺、太ったか!? た、確かにトナカイは日々忙しいが、特別な運動をしているわけでもないし、酒はカロリーが高いとも言うが。 「い、いや、違う。 大人になったから当然だ!」 自分の成長を意外な所で実感。 「来なくていいからね! もうすぐ終わるから!」 きららさんが何か言っている。来るなと言っているのかもしれないけど登り始めたら登り切るべし! 体重がいくら増えたとしても、体格もそれに見合っているだけ成長しているはずだから。慣れれば大丈夫! な、はずだ! 「この程度で負けるわけには! ん、くふぅ……よいしょ。おいしょ。 ふんっ。ふんっ」 ファイト一番! 「ああ、もう平気なのに!」 もうひと息!あともうひと息! 「ぜぇぜぇはぁはぁ……」 「あ、はい」 「ついた。そっか。良かった」 「ふ、ふぅ……到着!」 「ええと……」 なぜか、きららさんは、困ったような顔をしていた。 「なんか手伝えることないか?」 「その前に……あの……。 見た?」 「何を?」 「……い、いいのっ! 大したもんじゃないから!」 「……?」 「あー、おほん。 それから、言いにくいんだけど……」 「大丈夫だ! 俺、高い所は慣れてるし 木登りに関しては自信をなくしたが、 力仕事なら遠慮はいらない」 「いや、そうじゃなくて もう終わったから」 「え……? 今なんと!?」 「終わったから! BSのアンテナに、 折れた木の枝が引っかかってただけだったから」 「……」 「あのさ。その。 もっと手が掛かるものだったら、 多分、手伝ってもらったと思うよ」 「……」 俺の肩にきららさんの手が置かれた。 「あー。 よく頑張った!」 「……どうも」 「ええと……降りられる?」 「ああ。もちろんだ」 「じゃあ、私が先に降りるけど」 「いや、俺が先に」 「……私、スカートだから」 「あ、すまん」 「判ればよろしい。 で、くれぐれも下は見ないように。 じゃ、お先に!」 きららさんは、慣れた様子で、するすると降りていく。 あんなにするすると……。 「おわっ!?」 俺は慌てて木の幹を掴んだ。きららさんがなぜ下を見ないように言ったのか理解した。 高い!そして強烈な引き込まれ感。地面がおいでおいでをしている。 トナカイしている時の高さより低いのに、感覚的に高いのだ。 下のものがはっきり見える分、高さが実感できるのかもしれない。 それに。 「まずい」 ちらっとだけど、ツリーハウスからそう遠くない木の裏に、カメラを構えた人影も見てしまった。 更科だ。更科つぐみが、ツリーハウスを監視している。 「……ふぅ」 「そんなに気落ちする事ないよ。 木登りなんて久しぶりだったんでしょ?」 「ああ、まぁ……」 カッコ悪かったな……。それに、更科もうろうろしてるとなると頭が痛い。今だって監視されているのかも。 「はい、どうぞ」 ほかほか温かい缶コーヒーだった。 「あ、すまん。 金はあとで」 「いいっていいって、 手伝ってくれようとしたお礼」 「何もしなかったのに、 受け取れない」 「じゃあ、単なるおごり。 それならいいでしょ?」 「……ありがとう」 熱を帯びた甘い液体が、喉を下っていく。 「ぷふぁ……いつもこんな事を?」 「うん。祖母ちゃんは歳だから、 こういうのは任せられないもの」 「まぁ確かに…… あの歳で無理はさせられないな」 放射能火炎を吐けるくらい元気そうだけど。 「でしょ」 「姉さんは?」 「頭脳労働者だから」 「……」 あのほえほえした(緩慢ともいう)物腰と、優秀な家庭教師という職業が、うまく結びつかない。 「あー。疑ってるな。 姉ちゃんは昔神童って呼ばれた、 凄い人なの」 「へぇ……」 『昔、神童。今ただの人』という言葉が頭に浮かんだのは内緒だ。 「それに、うちの物件は古いの多くて、 工務店とかで直してもらうとなると、 凄くお金がかかるんだよね」 「だから自分達でなんとかしないと、 やってけないんだ」 「古いっていうと……。 あの、『泣かないカリン塔』とか?」 「『鳴らないカリヨン塔』だよ。 でも、あれだけは例外」 「ちゃんと業者に頼んでるってことか?」 「ううん。 あの塔は修理しなくていいから、 放置してあるんだ」 「へぇ……でもそれはまたなんで?」 「店子もいないから、 修理するだけ無駄だって」 「ひどいなぁ。 倒壊したら困るじゃないか」 「解体する手間が省けるって」 「うわぁ」 「あはは。 祖母ちゃんが言うと 冗談に聞こえないけどね」 「そう言えば店長さんは なんで高い所に慣れてるの?」 「そりゃ高い所で仕事して――」 危ない!ななみの事は言えないな。 俺は最後のひとくちを飲んで間を置いてから 「窓ふきのバイトしてたんだ」 「……なるほど。 パイロットだった、とかじゃないんだ」 「まさか!」 自分の声が震えてたりどもったりしてなくて、少しホッとする。うまくごまかせてる。 「……ならあれくらいの高さはへいちゃらだね」 「ま、まぁね」 「その割には高さ慣れしてない、 感じだったけど」 「それは、多分、ほら、あれだよ。 バイトでは命綱つけてたから」 「ああ、納得。 私は慣れちゃったから平気だけど、 つけてるのとつけてないのじゃ違うよね」 「だからちょーっとカッコ悪いとこ、 見せちまったよ」 具体的な事を聞かれたら、ボロが出ちまうな。 「昔の人はさ、 命綱もつけずによくこの建物建てたよな」 「そりゃ、昔の人は飛べたもの」 「天狗だったっけ?」 「そう。赤天狗様。 ま、作ったのは私のひいひいお爺ちゃんだけどね」 「飛べたの?」 「あはは。普通の人間だよ。 このツリーハウスを建てた大工さん達の 棟梁だったんだ」 「きららさんのひいひいお爺ちゃんって事は…… 大家さんのお祖父ちゃんって事か」 「いやあ。そうとは限らないわ」 「いや、人類ならそうと限るだろ」 「あはは。 でもさ、建ててくれたならさ、 もうちょっと大きく作ってくれれば良かったのに」 そう言って彼女が指さしたのは、今現在はサンダースが住んでいる天狗様の部屋だった。 「どうして?」 「だって貸せない部屋じゃ、 家賃が取れないでしょ?」 「いれば取るんだ」 「もちろんよ。 赤天狗様からだって取っちゃうわ」 やっぱりこの人は、あの祖母ちゃんの孫娘なんだな。 「いただきまーす」 「いただきます」 ちょっと遅めの俺達の昼食。そこに混じってきららさんのお弁当。 「それ誰が?」 「えへん。私」 「おいしそうなお弁当ですね」 「卵焼きが特においしそうです!」 「じゃあ、 そのミートボールと交換しようか!」 「2個と1個で交換ですね!」 「うん。じゃあいただきます!」 ひょいひょい。 「わたしのミートボールが二つも!」 「だって、2個と1個だよ。 はい、卵焼き」 「だまされました!」 「騙すも何も、 あんたの方こそ図々しいわよ」 「じゃ、一個返すね。これで一対一の等価交換」 「おお! これはお得ですね!」 「公平なレートに落ち着いただけなのでは……」 「あんな簡単にBS直しちゃうなんて、 きら姉は凄いわ」 「あはは。 た、大したことないよ。 枝をどけただけだよ」 「でも、 あんな所まで上れませんよー」 「い、いやぁ、 ここを建てたひいひいお祖父ちゃんに比べれば、 全然大したことないって」 「元々ここはきら姉に縁のある場所だったんですね」 「ひいひいお祖父ちゃんとか言っても、 古い写真で見た事あるだけだから、 ぴんと来ないけどね」 「ひいひいお祖父さんも 赤天狗様って信じてたのかな?」 「どうだろ? 昔の人だからね。信じてたかも」 「じゃあ、今、生きてたら、 サンタも信じたかな?」 一瞬、みなの手が止まった。 俺の脇腹にいい肘鉄が食い込んだ! 「(ぐ)」 声を漏らすのをこらえる。 「(国産、あんたピンクなみに直球よ!)」 「(そんなこと トナカイに期待するな)」 「……なぜ?」 「空飛ぶ紅い服を着た人なんて、 まるでサンタみたいだな、と思って」 俺はきららさんの顔を盗み見る。 「あ、ああ、そうね」 きららさんが俺の顔を見た。視線がぶつかる。 「……なるほど。 でも違うんじゃない? 国が違うし」 「……そうだな」 俺達は、視線をそらしあった。 「あのさ。もしかして……。 ここにいるみんなは、 サンタとか信じてるの?」 「え……」 どう答えればいいんだ!一斉に力強く頷いたりしたら怪しまれる気がするし。かと言って、全員が否定するのも変かも……。 「もちろんですよ! サンタはいますよ!」 「ば、馬鹿じゃない! いるわけないわよ! ね、すずりんだってそう思うでしょ?」 「ど、どうでしょうか…… でも、あの、そんなに全力で否定しなくても……」 「店長さんは?」 「ま、まぁ……いるんじゃないか?」 「ふーん。会ったことある?」 毎日会ってます。 「……別に信じてたっていいだろ?」 「悪かないよ。 私の周りにも信じている人いるし。 丘じいちゃんとか、姉ちゃんとか」 「でも、きららさんは 信じてないと?」 「だって、存在そのものが変だし」 「どこがですか! サンタは変態さんじゃありません!」 「変態かどうかはともかく プレゼントをくれる存在がいたとして、 どこからプレゼントを調達してくるのかな?」 「それは!」 「あ、いえいえなんでもありませんよ。 わたしも学習しましたから」 「……ん?」 「ええと、きららさんは、 それに関してどう考えてるわけ」 「プレゼントを買うにしても工場で作るにしても、 莫大な資金が必要だろうし」 「うわ。現実的」 「実は、おもちゃ屋のチェーン店を やっているんです」 「な、なに言ってんのよ。 まるでうちがそうみたいじゃないの」 「単なるアイデアだよアイデア」 「どうやってその資金を回収するの?」 「それは……ボランティアだから」 「そんなの怪しいわ。絶対下心があるに違いない! 例えば正規なルートには乗せられない 欠陥玩具を処分するためとか」 「ひでぇ!」 「第一、サンタは祖母ちゃんだって、 5歳の時、知っちゃったし」 よくあるパターンだった。 「あ、このアジフライおいしい。 どこで?」 「さっそくきららさんお勧めの店へ 行ってみました……」 「みなさぁん、こんにちわぁ」 「んがぐぐっ、げほんげほん」 「き、きら姉しっかり!」 アジフライを飲み込んでしまったきららさんの背中を、りりかがたたいてる。 「あ、神賀浦さん」 「おはよぉ、硯ちゃぁん」 「ね、姉ちゃん!? どうやって入って来たの!?」 神賀浦さんは、にこやかな表情のまま、手をわきわきしつつきららさんの方へつきだし、ゆらゆらと近づいてくる。 「うふふぅ。 みなさん不用心ですよぉ。 玄関も店もあけっぱなしぃ」 「え、閉めたはず――」 きららさんは、おびえたように立ち上がり、後ずさる。 「どうしてここがっ! ここに来てる事は、 誰にも教えていないはずっ!」 「ふふふぅ。きららちゃぁん。 お姉ちゃんを甘くみてはいけないぞぉ。 どこに隠れてたってみつけちゃうんだからぁ」 「そ、それはいくらお姉ちゃんでも、 私のプライバシーを探るの反対!」 「わたしだってぇ、きららちゃんがスナオにぃ、 お勉強してくれれば、こんなコトは したくないんだよぉ、つかれるしねぇ」 「そ、そうだ! 姉ちゃんは家庭教師とかで忙しいから、 今日は休ませてあげようと!」 きららさんは後退しながらもあたりを見回し、逃げ道がないかを探しているようだったが。 「今日はおやすみだから特訓するって 言っておいたよねぇ」 「き、記憶に御座いません!」 神賀浦さんは緩慢な動きのくせに、定かでない視線できららさんの動きを、制している。ただ者ではない! 「そっかぁキオクにないのかぁ」 「だ、だから! そんな会話はなかったんだよ! お姉ちゃんの勘違い!」 たちまちの内に壁際に追いつめられるきららさん、まさにそれは、蛇ににらまれたカエル! 「『お姉ちゃん。明日は逃げないから。 絶対の絶対の約束』っていってたよぉ? その前後30ワードずついってもいいんだけどぉ」 「覚えているんですか!」 「ちなみにぃ15ワード前のせりふはぁ、 『カポエラってインドの楽器だったっけ?』」 「うっ……」 「凄いピンポイントです!」 「一体どんな話なんだ!」 「ですが、話が見えない所に、 リアリティがあるような気がします……」 「そしてわたしはぁ、 『ググレかす』って答えたんだよぉ」 「な、なんか殺伐としてるわ。 それにどうやったら後13ワードで 勉強の話に?」 「え、カポエラは楽器じゃなくて格闘技だって 丁寧に教えてくれたじゃない! その後、勉強の話に――しまった!」 「うふふぅ。おぼえているんだぁ。 じゃあヤクソクを破ったときの罰も おぼえているよねぇ」 「そ、そっちは忘れました!」 「とーぶんのあいだ、 わたしのおうちにカンキンしてぇ、 たぁっぷりと教えてあげるからねぇ」 「うわぁ! りりかちゃん! ななみちゃん! 硯ちゃん! 店長さん! 誰か助けてっ!」 「………」 と言われても。微妙に同情心が湧かない。 神賀浦さんの手が、がしり、ときららさんの手首をつかまえた。 「ひぃぃぃぃぃぃぃ。 みんな薄情者だぁぁぁぁ!」 そして引っ張る。ぐいぐいと力強く。 「さあ、いきましょうねきららちゃん。 みなさん、おさわがせして、 すみませんでしたぁ」 「ま、待ってぇ! まだ、お昼が食べ終わってなぁぁぁい、 もったいないお化けがでちゃう!」 ずるずる。 動きはスローリィだが、強引にきららさんを引っ張っていく。 「きららちゃんのおベントはぁ、 みなさまの好きにしてくださぁい。 お弁当箱あらっておいてもらえるとありがたいなぁ」 「お任せあれ!」 「裏切りものぉぉぉ」 「これでぇ、もったいないオバケは出ないねぇ。 さ、心のこりもなくなったところで、 おべんきょうの時間だよぉ」 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 「………」 「きら姉、大丈夫かしら?」 「そんなら止めればよかったじゃないか」 「……」 「では、いただきまーす! まずは卵焼きですねー」 「早速かよ」 「まぁいいんじゃない? 食う子は育つっていうから」 「はむはむ。 おお、これは! ぐっどですよー」 「……料理の腕はともかくだ。 あの感じだと、サンタを信じてないな」 「そうね。 隠しているという線は、 かなり薄そうね」 「信じていないのなら、 サンタになるのは無理です……」 「それにしても、 りりかちゃんがサンタを信じていないとは、 びっくりでしたよ」 「そんなわけないでしょ! でも、全員が全員信じてたら、 それこそおかしいでしょう!」 「おー。りりかちゃんは嘘つきなんですね」 「悪い事みたいに言うな!」 「まぁまぁ。その辺にしておけよ。 ななみには悪気だけはないんだから」 「判ってるわよ。それくらい。 だからイライラするの!」 「……きららさんを仲間に引き込むのは 無理という事ですね」 「名案だと思ったんだけど、 ピンク頭の提案じゃそんなもんね」 いっそ、俺達がサンタとトナカイである姿を見せれば、信じざるを得なくなるんじゃないか? 「なら――」 「おお、このなんだか判らない小魚の釘煮 おいしいですよ!」 「今、そんなことはどうでもいいの!」 「仲間はずれですか! なら、全部食べちゃいますよ! 後で泣いても知りませんから!」 「どうぞどうぞ」 「あ」 駄目じゃないか。そんなことしたら、自分から正体を明かす事になっちまう。 サンタだとばれないようにしなくちゃいけないのに、ナニ考えているんだ俺は。 「ま、きら姉が サンタを全く信じていない事が判ったのは、 悪くない収穫ね」 「ですが…… サンタに関する話題が 不自然に多かった気がするのですが」 「……そうだったわね」 「だが、確信があったら、 もっと直接的な訊き方をしてくるんじゃないか?」 「つまり……私達がきららさんを探っているように、 きららさんも私達を探っていた、 ということでしょうか?」 「多分な」 「とりあえず、きら姉の前では 発言を注意するしかないわね。 って、状況は変わってないんじゃない!」 「いや、別の所で悪化してるかも」 「何かあったんですか?」 「さっき、ツリーハウスの上から下を見たら、 更科がここ監視してた」 「あちゃー。しつこいわね」 「でも、それは……取り方によっては、 悪くない事なのではないでしょうか?」 「どうしてよ?」 「あの夜、もし、何か撮られていたとしても、 決定的なものじゃないって可能性が、 増えたって事だものな」 「だけど、更に確証を得るために、 追加の写真を撮ろうとしている可能性だって、 あるじゃない!」 「結局、きららさんがサンタを信じていないって事が、 判っただけか」 「あと、訓練のコースも 検討した方がいいですね……」 「ああ、もう、こういう宙ぶらりんな状態はいや!」 「ああっ!」 「ナニよその いかにも嫌な事に気づいたみたいな悲鳴は」 「もうお弁当がありません!」 「お前が食ったんだろ」 で、数日後。 俺は『しろくま日報』を手に取った。 「おほん。見るぞ」 「う、ちょっと待って心の準備が」 「どきどき」 「わくわく」 「あんた。 ナニよその真剣味を欠いた効果音は!」 「なんかこの緊張感が 快感になって来ちゃいましたよー」 「いっそ、ファンファーレでもつけるか?」 「おー! 名案ですねー!」 「おふぁよう……」 「お早う御座います」 「おはようございます!」 「おはようございます。 先生、今日は早いんですね」 「ぷわぁ……おふぁよふ……ふわぁぁ」 すげぇあくび。 「おはようございます。 夜更かしでもしたんですか?」 「ちょっとね……。 昨日は仕事で徹夜したから……」 「何か緊急の用事でもあったんですか?」 「そふよふぉ……ふぁぁ……。 かわいい教え子達にとって、ふぁぁ……。 今が一番大変な時期だから……徹夜もするわよ……」 「え……」 明日は雨か!? 「私達のために……」 「感激です!」 「そこまで心配してくれてたなんて、 あたし、先生を見誤ってました!」 「アタシだってやる時ふぁやるのよ……。 だってもう少しで甲子園だもの……」 「甲子園……?」 「甲子園はね、大阪府じゃなくて、 兵庫県にあるのよね」 「知りませんでしたー」 「そんなトリビアはどうでもいいわ! あたし達に甲子園なんて関係ありません! 寝ぼけないでください!」 「だって、 教え子がもう少しで甲子園に行くんだもの」 「だから、訓練の後で熱中してしまって…… 格納庫で徹夜しちゃったわ……ふわぁ……」 「あの……もしかしてそれは……。 ゲームですか……?」 「パラプロの話かよ!」 パラレルプロ野球。通称パラプロ。総出荷数120万を超えるという大ヒットゲームである! と、業界紙に書いてあった(ちょっと勉強した)。 ちなみに以前、大家さんに売りそうになったパラプロはこの人が置き忘れたものだった。 「違うわ『パラレルプロ野球』じゃないわ。 『パラプロくんポケット』よ。 この方がイベントがエグくておもしろいの」 「どっちもゲームだ!」 「ふわぁぁぁぁぁ……」 「暇ですねー」 「……暇だな」 俺達はお留守番。硯とりりかは買い出し。 「こういう時、きららさんが来てくれると、 退屈がまぎれるんですが」 「この前の様子だと、 当分、来られないんじゃないか?」 「そうですねー」 かちかちと、掛け時計の音だけが響き続ける。 ………。 「掃除でもするか……」 「もう4度目ですよー。 新聞でも読んだらどうです?」 「もう隅から隅まで読み尽くした。 賢い墓地の買い方に詳しくなったぞ」 「……まだ役に立つには早いですねー」 「ああ……そうだな」 ちなみに更科の写真は、今日も載っていなかった。 「………」 「………」 「いっそ、大事件でも おきたりしませんかねー」 「おきんでいい」 「そうだ! 新聞にサンタがやってるオモチャ屋って載れば、 たちまち大繁盛ですよ!」 「そうだな……」 「でも、わたしたちは島流しになっちゃいますけど」 「そうだな……」 「いらっしゃいま―― なんだ、金髪さんか」 「何だとは何よ! そんなに暇なら、 店内の片づけでもしなさいよ!」 「これ以上どうやって片づけるんですか!」 「じゃあ、表でも掃きなさいよ!」 「……表、すごく綺麗ですね」 「……」 「じゃあ、あんたらが休憩時間の間、 あたし達は何をすればいいのよ!」 「……パラプロ?」 ………。 「あ、そうだ。 更科はどうだった?」 「椅子しかなかったわ。 いっそ、ウルシでも塗って、 追い払うのはどうかしら?」 「……画鋲」 「見られちゃいけないものがあると、 告白するようなもんだぞ」 「言ってみただけよ!」 「……いじめカッコ悪いです」 「名案を思いつきましたよ! きららさんに更科さんの写真を 見てもらえばいいんですよ!」 「どうしてそんな写真を見たがっているのか、 怪しまれるのがオチよ」 「ですから、きららさんには、 言ってしまうんですよ!」 「この中途半端な状況より、 マシってか?」 「その通りです! きららさんなら、 黙ってくれそうな気がします!」 「信頼がおけるって思うのか?」 「いいえ! 店子がいなくなったら、 家賃が入らなくなるじゃないですかー」 「あー……なるほど」 「そんなの駄目よ」 「なぜですか?」 「あんたねぇ、 授業で教わったでしょう? こんなの初歩の初歩よ!」 「? わたしは習ってない気が……。 補習授業ですね!」 「補習なんて受けたことないわよ!」 「どこの学校でも教えるはずです」 「……もし、サンタの存在を知ったら、 プレゼントを直にリクエストしに来る人が、 出るからだったよな?」 「おお! それ、どこかで聞いた事があります」 「どこかじゃないでしょ! まったく……」 「望みをかなえればえこひいきになるし、 かなえられなければ嘘つき呼ばわりされる、か」 「どちらにしろ、サンタへの信頼は落ちるでしょ。 そうしたらルミナの力にとっても、悪影響になるわ。 だから一般の人に教えては駄目」 「うー。名案だと思ったんですが……」 また数日後。 依然として記事は載らずだ。 きららさんに会うのも久しぶりだな。 しかも、こっちから会いに行くのは初めてだな。 「中井君! 久しぶりだね」 「こんにちわ」 「あれからどう?」 「まぁ……ぼちぼち」 「実はね。おせっかいかもと思ったんだけど、 うちに来るお客さん達に、 それとなく君達の店の事を話そうとしたんだけど」 「え……」 「どうかしたかい?」 「あ、いえ。 そこまで気にかけてもらえるなんて、 ちょっと意外だったもので」 「ははは! 何を言っているんだい! 同じ商店会の仲間じゃないか、 こんなの当然だよ!」 じーん……。 「だけど……力にはなれなかったよ。 ボクが君達の店の話をしようとすると、 みんななぜか用事を思い出すんだ」 俺の脳裏に電光のように一つの言葉が浮かんだ! この人、『それはそうと』で切り出してるな! 「………」 「それはそうと」 「お、俺、用事があるんで失礼します! 本当にありがとうございました!」 俺は脱兎! 「ああっ!? 君もなのかぁぁぁぁぁぁ!」 「はぁはぁ……」 ここまで来れば追ってはこれまい。 ? なんの音だ? 入り口から庭を覗き込むと、縁側に大家さんが座って、足の爪を切っていた。 「おい。そこに突っ立ってるボンボン。 なんか用か? つまらない用事だったら 爪をてめぇの鼻につめちまうからね」 「俺はボンボンじゃなくて、 中井冬馬って名前があります」 「で、ボンボン。 用事はなんだい」 「……きららさんはいらっしゃいますか?」 大家さんは、『胡散臭げな視線』の標本になりそうな胡散臭げにものを見る目で、俺をなめ回し。 「け、色気づきやがって、 オレがいなかったら孫に何するつもりだか、 恐ろしい世の中だね」 「……この前、 アンテナを修理してもらったお礼に、 店を代表してやってまいりました」 大家さんが在宅していた時にそなえて、近所のスーパーで買っておいた貢ぎものを差し出す。 「……しろくまんじゅうかよ。 地元の人間にこんなもん持ってくるとは、 気が利かないね」 「あ」 「こんなおざなりなもんじゃ、 あんたの感謝の気持ちとやらの真実も、 疑わしいってもんだ」 言われてみれば、もっともだ。 「すいません」 「虚礼だろうが形式だろうが、 それなりに気を利かせる事もできねぇ奴は、 ボンボンだって事だわな」 「どういう物ならいいんでしょうか?」 「け、自分で考えな」 「そうですね……」 大家さんは、俺を睨め回すように見ると、呆れた口調で。 「つくづく金儲けと縁がなさそうな顔をした奴だ」 「……」 反論しようがなかった。俺はトナカイとしてもまだ一流じゃないし、地上では木登りも商売も初心者なのだ。 「あんたとあの3人娘、 どいつもこいつもふわふわした感じがするよ。 あのろくでなしと同類だぜ」 ろくでなし? 「家賃を滞納するのも時間の問題だろうね。 ちなみに、オレは夜逃げを許した事は、 一度もねぇからな」 「ろくでなしって……誰ですか?」 「ああ、オレの旦那さ。 毎日毎日飽きもせず、 夢みたいな事ばっかり言ってやがったよ」 「夢……ですか?」 「『俺は作家になりたい』が 『俺は作家だ』に途中で変わりやがったけどな。 死ぬまでうちに一銭だって入れなかった穀潰しだ」 「えっと、でも……それは、たまたま、 才能を認めてくれる人が いなかっただけじゃ……」 「は。認められたさ。一回だけな。 で、それっきりよ。その一回こっきりが 奴の作家たる所以って奴だったのさ」 「………」 「入れなかったどころか、酒飲んで肝臓壊したあげく、 くたばる前の十年くらい病院に出たり入ったりでよ。 金を下痢便みたく垂れ流す一方だったぜ。最悪だ」 「才能のかけらも無い奴が、 夢ばかり見るとロクな事がないってこった」 「おや、同類は同類を呼び込むもんらしいね。 ふわふわしたのが来た」 俺の背中が戦慄した。 「ま、まさか亡くなった旦那さんが……」 「けっ。なに昼日中から間抜けな事いっていやがる」 「こんにちわぁ。 きららちゃんいますかぁ?」 い、いつのまに俺の背後を!? 「あ、店長さんもこんにちわぁ」 「あ、どうも……」 「知ってても、赤の他人のあんたにゃ、 なーんにも教えねぇよ」 赤の他人? あ、そうか、血が繋がっていない姉妹だって、神賀浦さん言ってたもんな。 じゃあ、この二人の関係っていったい……。 「やっぱりいないんですねぇ。 失礼しましたぁ」 「け。 二度と来るんじゃないよ。 この疫病神兼貧乏神め」 孫と祖母……じゃないんだよな。 「あらあらぁ。そうするとぉ、 今日はお勉強の日ですからぁ、 きららちゃんは、またトーブン帰せませんよぉ」 「……」 「おうちにきららちゃんを、 お持ちかえりしてもいいってことですねぇ。 それに今日のお夕飯は久しぶりのしゃおろ――」 「け。勝手にするがいいさ。 おい、それからついでに、 穀潰しのせいで醤油がもう無いよ」 「了解しましたぁ。 あとカレー粉の特売も買ってきますかぁ?」 「いちいち聞くんじゃないよ。 嫌味な女だね」 でも……赤の他人というには、それなりにうまくやっているような……? 「カクニンしただけですってばぁ。 では、店長さん、行きましょうかぁ?」 「あ、え?」 「きららちゃんに用があるんですよねぇ?」 イメージしていたのよりは速いスピードで、俺達の脇をくま電が通り過ぎていく。 「おもくないですかぁ?」 俺の左手にカレー粉の箱がどっさり入った袋。右手には3本の醤油瓶。 「これくらいは大した事ないですが。 心当たりがあるんじゃなかったんですか?」 神賀浦さんのあとをついて、あちこち回ってるけど、きららさんは見つからず。 「だいじょうぶですよぉ。 そのうち会えますからぁ」 「もしかして……。 こうして回っているのは、 きららさんちの物件ですか?」 「そうだよぉ。 こうしてまわってれば、 きららちゃんにおいつくよぉ」 このとろとろした歩き方で、追いつくんだろうか?だが、他にアテもない。 「……結構沢山あるんですね」 「みすずさんは やり手だからねぇ」 「……その割には、 古くさい物件が多いんだが」 修理する手間を惜しんでいるのか? 「おもしろいのがおおいでしょう。 よーかん、とか、 屋根はにっぽん風で本体はよーかん風とかねぇ」 「…………」 奇妙な洋館や和洋折衷の古い建物が幾つもあった。確かに面白いし、建築学的には、貴重なものもあるのかもしれない。だけど。 賃貸物件としては余り良くないのじゃないだろうか。実際、人が住んでる気配がないのもあったし。 「やり手というからには、 こういう大通りに面した物件だって、 持ってるんでしょう?」 「うん。あるよぉ。 あのビルと、あとあっちのビルが そうだったかなぁ?」 神賀浦さんは、ふらふらと歩きながら、大通りの向こう側のビルを指さす。 ちょうど前を通りかかったくま電が通り過ぎると、10階ちょいくらいの、最近建ったっぽいビルが二棟、姿を現した。 いかにも家賃が高そうなのに、ちゃんと埋まっているっぽい。 「ここからは見えないけどぉ、 ひとつ入った通りにも、 おんなじよぉなのが2軒あるよぉ」 「寄らないんですか?」 「このへんのはみんな、 管理会社にまかせてるからぁ」 きららさんは、タッチしてないってわけか。 「わたしは好きだなぁ」 「何が……ですか」 「きららちゃんちが持っている建物だよぉ。 変なのおもしろいのがいっぱいでぇ」 不意に神賀浦さんの足がとまった。 「特に、これがねぇ。わたしのお気に入りぃ」 「『鳴らないカリヨン塔』でしたっけ?」 「一通りのことは、 きららちゃんに聞いたんだよねぇ」 「ええ、まぁ」 良く覚えていないけど。 「よーろっぱのべるぎーに行けば、 こういう塔はいっぱぁいあるらしいよぉ。 でもぉ、この国じゃめずらしいよねぇ」 「珍しくても、これじゃあ……」 周りを取り囲む金網のせいで、近寄ることすら出来ない。 「ちゃんと修理して、 観光スポットにでもすればいいのに」 「お金かかるからねぇ」 「でも、どうしてこんな塔を買ったんだろう? 珍しいかもしれないけれど、 余りいい物件とは思えないなぁ」 「さっきのいくつかの古い建物とこの塔はぁ、 敗戦後、売りにだされちゃってねぇ、その時、 ほとんどただどーぜんで買ったらしいよぉ」 「なるほど……」 だからか。やっぱり更地にでもして売る気だったんだ。だけど、解体費が思いのほか掛かるんでやめたんだな。 ごうつくばりなのに、いや、ごうつくばりだからの失敗か。 もしかして典型的な安物買いの銭失い? 「……ここは大家さんの管轄で きららさんは関わりがないって聞いたんだけど」 「でも、ときどき、 見にくることはあるんだよぉ…… 今日はいないみたいだけどねぇ」 「うふふぅ。きららちゃん発見」 「どこです?」 「あの建物の3階だよぉ。ほら」 視線を追って6階建てのアパートを見上げると、こちらに面した3階の通路で、きららさんが中年で外人の女の人と話している。 「相手は誰?」 「ええとねぇ……。 にゅーきょしゃのぉ ラミレスさんだねぇ」 あそこもきららさんちの物件なのか。 「たしかブラジルから来て日が浅いからぁ、 いろいろ相談にのっているらしーんだよねぇ」 「……なるほど」 「それにしてもさぁ。 にゅーきょしゃって……」 「なんですか?」 「どことなくぅ。 きょにゅーを連想することばだよねぇ」 「しません」 しばらくすると話が終わったらしく、きららさんが降りてきた。 「きららちゃん。 こんにちわぁ」 「ね、姉ちゃん!?」 早くも逃走モードになりかけるきららさん。 「だいじょうぶだよぉ。 店長さんがきららちゃんに用事があるっていうから、 案内してきただけだからねぇ」 「ほ……」 「この前、BS映るようにしてくれたお礼を、 言いに来たんだ」 大家さんにああ言われた後で、ちょっと心苦しいが、『しろくまんじゅう』(12個入り)を差し出す。 「わぁ! しろくまんじゅう! これ好きなんだよね!」 「よかったねぇ」 「でも……店長さんいいの? あんなの大した事じゃないんだよ? 管理費と家賃の中に入ってる仕事だよ?」 「でも、俺達はお礼をしたかったんだから、 受け取ってもらえると嬉しい」 「じゃ、遠慮無く。ありがと!」 「まったく……きららちゃんは、 ただ働きが好きだよねぇ」 「タダじゃありません! 家賃と管理費もらってます! これはその分だもの」 「うんうん。 そういう、きららちゃんのこと、 お姉ちゃんは大好きだよぉ」 神賀浦さんは大きくため息をついた。 「あーあ」 「しろくま町の住民にたいするこーけんどが、 採用試験での きららちゃんの点数に加算されればいいのにねぇ」 「採用試験って?」 「ね、ねぇそう言えば! 店長さんってサンタクロースを、 信じているんだよね」 「え、あ、はい、まぁ」 トナカイですから。 「おー、そうだったんですかぁ。 またもお仲間はっけんですよぉ。 もしかしてぇ後のふたりもぉ?」 俺は、この前のやりとりをなんとか思いだし。 「金髪さんは信じていないみたいですけど」 「うーん。 プレゼントさえもらえればぁ、 誰でもしんじると思うんですけどねぇ」 「そうかもしれませんね……」 まず信じてもらわないと、プレゼントも配れないわけで。 「店長さんは、 プレゼントもらったことありますかぁ?」 「え、ええ、まぁ」 貰ったこともあるし、配っているところも何度も見てます。 「姉ちゃん……そんなわけないじゃん。 姉ちゃんの場合だって、 あれはご両親がくれてたんだよ」 「ちがうよぉ。サンタだよぉ」 「ご両親って……神賀浦さんの?」 「うん。そうだよ。 ご両親っていったら、 他に誰がいるのよ?」 ……きららさんのご両親じゃないんだな。 「サンタだよぉ。 だってぇ、わたしの欲しいものを、 ちゃーんと知ってたものぉ」 「お姉ちゃんが思っているよりも、 ご両親はお姉ちゃんの事を、 考えていたんだってば」 「やさしいねぇきららちゃんは、 そういうところも大好きだよぉ。 でもねぇ、あれはサンタさんだったんだよぉ」 「いくらきららちゃんにも、 これは譲れないなぁ」 「はぁぁ……」 「聞いてくださいよ店長さん。 お姉ちゃんは、つぐみんがこの前写したって 騒いでるものもサンタだって言うんですよ」 「うん。サンタさんたちだって 平日は訓練とかするんだよぉ」 「しないって、消防署じゃあるまいし」 「サンタさんたちはねぇ、 一年に一度のおしごとのために、 日夜勤勉に努力してるんだよぉ」 勤勉……。サンタ先生の顔が浮かんでしまった。期待を思いっきり裏切ってる感じ。 「一年に一度しか仕事しなくて、 どうやって食べて行くのさ」 「そりゃもちろん、副業があるんだよぉ。 たとえるなら必殺仕事人だよぉ」 「あの。 最近はもらっているんですかプレゼント?」 「もらってないよぉ。 だって、わたし欲しいものないからねぇ。 最近は、靴下もさげてないことだしぃ」 「サンタの実在を証明するためにも、 今年は靴下をぶらさげてみれば?」 「だーめ。 だって、きららちゃんがこの世にいてくれれば、 他にはなーんにもいらないんだものねぇ」 ぎゅう。 ごく自然に、神賀浦さんはきららさんの事を抱きしめた。 「姉ちゃん……流石に恥ずかしいよ……」 「だいじょうぶだよぉ。 わたしは恥ずかしくないからぁ。 こうやってはぐしちゃうよぉ」 「もう……しょうがないなあ……」 「本当に仲がいいんですね」 「うん。そうだよぉ」 「は、恥ずかしい姉ですけど……。 笑わないでくださいね」 「笑わないよ」 「えへへ。ありがと」 「ありがとぉ」 「満たされている人は、満たされていない人に あふれちゃったものを渡すんだよぉ。 それがみんながしあわせになる道だよぉ」 ふと思った。みんなにプレゼントを配る俺達は満たされているのか。 そんなこと考えたことなかったけど。 「店子さんたちやぁ、 町の人達のために一生懸命に頑張る きららちゃんだってそう思うでしょう?」 「頑張ってなんかいないってば。 困ってる人がいたら、 なにかしてあげずにはいられないだけだよ」 「まったくかわいいんだからぁ」 ぎゅう。 「それにね。店長さん。 わたしは……みんなにこの町を 好きになって欲しいんだ」 「もちろん、店長さんにもね」 「……そっか」 俺はこの町をひどく好きになる予感がした。 「さぁて、きららちゃん。 店長さんの用事が済んだっぽいからぁ、 わたしの番だねぇ」 「!」 きららさんは不吉な気配にひきつった顔になったが、逃げられない。 「さぁ、お勉強の時間だよぉ」 愛のハグは、瞬時に拘束具となった! 「こ、この1週間、 ほとんど部屋にこもりきりで、 勉強したじゃん」 「ああ、だから ここんとこ姿を見なかったのか!」 「そうなの! だからもう十分!」 「でもねぇ、きららちゃんってばぁ、 物理的に不可能なところからでもぉ、 精神的に逃亡しちゃうんだもん」 「もしかして……。 寝ちゃうんですか?」 「ごめーとぉ。きららちゃんってば、 お勉強時間の3分の2は、 意識がもーろーとしてるんだよぉ」 「最近はすごいんだよぉ。 寝ながらでも字をかいたりぃ、 返事をしたりするんだよねぇ」 「それはひどい」 「だ、だって、私には、 脳に勉強する筋肉がないんだよ! そもそも勉強が無理なんだよ!」 「だったら、せっせと脳をきたえてぇ、 勉強する筋肉をつけなくちゃねぇ」 「脳まで筋肉なんてつけたくないよ! 店長さん! 助けて!」 「……」 「ごめん。きららさん。 なぜだか助けたい気持ちが全くわかない」 「なぜっ!? 無理矢理勉強させられる不幸な私が 目の前にいるのに!?」 「あ、店長さん。 その荷物、きららちゃんにわたしてくださぁい」 「あ、ああ」 荷物を差し出すと、きららさんは反射的にうけとった。 「さあ、いきましょうねきららちゃん。 ここ数日、どれくらい勉強しなかったかぁ、 カクニンしてあげるからねぇ」 「や、ちょっと待って、 姉ちゃん”」 ずるずる。 「店長さん、ごきげんよぉ。 きららちゃん確かにうけとりましたぁ」 「店長さぁぁん! 見捨てないでぇぇぇぇぇぇぇ」 あれも愛か? 「こんにちわ!」 「来て大丈夫なのか? また連れ戻しに来るんじゃ……」 「あ、あはは」 「脳に筋肉がない人という噂の人ですね!」 「あははははは。 って、店長さんああいう事は黙っててよ」 「ついつい」 「でも、きら姉。 本当に大丈夫なんですか?」 「う、りりかちゃんまで……。 大丈夫、常にお守り代わりに、 過去問を携帯することにしたから!」 「なるほど! 神頼みという奴ですねー」 「だ……だって 姉ちゃんは頼りがいあるけど厳しいし、 安心して頼れるのは神様だけだもの!」 「いや……まずは自分に頼れよ」 「それが一番頼りにならないこの悲劇!」 「あの……そもそも何の試験なのでしょうか?」 「え、ええとね……」 「大学受験ですか?」 「すでに三浪くらいしているとか!」 「違うの! 私のは公務員試験。 しろくま町役場への就職を狙ってるんだ! それに3浪じゃなくてまだ1浪なの!」 「脳がない人にそれは過酷ですよー」 「いや、そこまではひどくないから! 脳はあるから! ちょっと性能悪いけど!」 「そうですよ! 点数なんかで人間は計れませんよ!」 「そうだよね! それに去年よりは実力アップしてるから! こうしてちょっと抜け出しても平気!」 「抜け出して来たのか!」 「気分転換! お姉ちゃんがトイレに立った時に、 偶然『気分転換したいな』って気になっただけで、 逃げ出したとかじゃないの!」 「あの、あたしたちに向かって 言い訳なんてしなくてもいいんですけど……」 「おお! これが噂の過去問という奴ですか!」 「うん。お姉ちゃんがワープロで作ってくれた お手製なんだよ。 って、いつのまに!?」 「わぁ。中すごくきれいですよ! 見て見てとーまくん、 まるで使っていないみたいに新品です!」 「って、あんたそういう事は もっとオブラートに包んで言いなさいよ…… でも、本当にきれいね……」 「一問も解こうとした形跡がありません……」 「だ、だって去年のクリスマスにもらったけど、 見ると頭が痛くなるから健康のためにしまって おいただけで」 「どれどれ……ぴっかぴかだな」 「見ないでぇぇぇぇ!」 きららさんは俺の手から、過去問をひったくった! 「ぜぇぜぇぜぇぜぇ……。 え、エリート公務員なんて目指してないから、 これでいいの!」 「……良くはないだろう」 「目標が低いから大丈夫! えへん!」 「でも、なんで公務員なんですか? せいじかとけったくしてお金儲けですか?」 「あんたさりげなく失礼ね」 「じゃあ、ずばり職場が安定しているからですか?」 きららさんは、ちょっとはにかみながら言った。 「私この町が好きだからさ。 ああいう場所の中に入ってこそ、 出来ることがあるかなぁって」 「ええと、うーんと……だから……。 町をちょっとでもハッピーにするお手伝い? かな?」 その顔は、ひどくチャーミングだった。 「今年の氷灯祭の子細は、 みなさんのお手元に配ってある資料に、 おおむね書いてあります。何か質問があるかたは?」 今夜は商店会の集まりで、来る氷灯祭の第一回打ち合わせ。 俺は手元の紙に視線を落とす。開催日は忘れもしない去年と同じくクリスマス当日か。 「特に、きのした玩具店さんは初参加なんだから、 遠慮しないでなんでも訊いて」 「ふん。訊こうにも何もこのボンボンには、 氷灯祭がなんなのかすら、判ってないね」 挑発に対して俺は敢然と立ち向かう。 「氷灯祭とは! しろくま町で明治時代に始まった 伝統ある祭りである!」 「よ! 待ってました色男!」 食堂バリバリ亭のおやじ角田ひとしさんがはやしたてるのを華麗にスルーして。 「江戸時代以前から熊崎村で行われていた 火の神事と雪祭りがルーツとされている!」 「そして、そもそも火の神事は、 この地方で昔から信仰されている、 赤天狗様を祀る祭りが元であったらしい」 調べてみると、それなりに有名な祭りらしくて、ネットには写真やら参加した感想やらがいっぱい載っていた。 大家さんがググレカスと言ったのもちょっと判る。 「へぇぇそんな由緒のある 祭りだったのかよ。さすがだぜ」 と地元住民のくせに、なぜかしきりと感心してくれるのは、『ミートショップくじらや』の谷野輝男さんだ。 「しろくまっこの常識だろ…… 肉屋だけあって 頭の中身まで肉がつまってるね」 そう言って突っ込んだのは、『バーバー水橋』の水橋百合恵おばはんだ。 「ゆりすけよ。 てるてるぼうずの頭に 肉しか詰まってないのは、昔からの常識さ」 「おうよ! 肉屋だからな!」 「ある日目が覚めたら てめぇの頭がショーウィンドウに 並んでたって不思議じゃないわな」 「店長さん。続き続き」 「おう。おほん」 「かつては、雪がつもった城址公園の広場に、 氷のランタンをいくつも作り、 中で火をともして楽しむだけのお祭りだったが」 「ここ二十年、市街地の各所でも、 氷のランタンが設置されるようになり」 地上に灯ったたくさんの明かりは、サンタクロースの目印とも言われていて、サンタ仲間の間ではそれなりに有名だったらしい。 が、これはサンタとトナカイの情報掲示板に書いてあったことなので秘密だ。 「更に氷灯祭前後に行われていた、 熊崎、白波両地区の古い祭りが統合され、 山車や御輿も練り歩くようになった」 「そして今では 町をあげてのお祭りとなったのです。 で、どうです?」 「ふん。下調べとしちゃまぁまぁだね」 「祖母ちゃん辛すぎ! 氷灯祭の説明としては十分合格点! だけど、ひとつ重要な事を忘れてるよ」 「……重要なこと?」 「うん。商売をやっている人達にとって、 掻き入れ時ってこと!」 「あ、そうかお祭り当日は、 全国各地から見物客がくるから、 一年で一番町がにぎやかになるんだ!」 「わいらの掻き入れ時ってわけやね」 と文房具屋さんの金石高介さんが言うと。 「あんな浮かれた日に、 あんたのボロい店で、 わざわざ買い物する客がいるかよ」 「たはっ。きついね」 「さて、店長さん。 下調べしてきてくれたのは判ったけど、 その上で何か質問は?」 「まだ、実地が判らないから、 とりあえず質問はないな」 「おっけー。 何か思いついたら遠慮せずに訊いてね」 肉屋の谷野さんがまるまると太った腕で挙手した。 「確かよ。去年、人混みに押し倒されて、 のぼりが2,3本破けちまったような 気がするんだが……」 ノートパソコンに議事進行を記録している神賀浦さんが顔もあげずに。 「5本ですねぇ。竿が折れた物が1本。 布地が少し破けたのが2本。 行方不明が2本でしたぁ」 「折れた一本と、紛失した二本の、 計三本は新品を購入する予定ですよぉ」 「残りの2本は こっちで修理だったよね?」 「はぁい」 「けちくさい話やな。 そっちもついでに 新調してまえばええんちゃうか」 「新調するんなら、金糸銀糸でも織込んだ 派手なもんにしたらどうだい? もちろん、あんたの金でな」 「そりゃ、かんにんしてや」 「これを機に、のぼりを 白いレース飾りで飾るようにするというなら、 お金は出しますわよ。きっと綺麗ですわ」 ドレスの老婦人、ジェーンさんの実家、土橋家は、昔からこの町の有力者だったらしい。金をうなるほどもっているとか。 だからこそ、メイドさんなんてつれてここにいるわけなんだろう。 「そんなもん氷灯祭ののぼりじゃねぇよ。 あんたの趣味は最悪だよ」 老婦人には、白いドレスは結構似合っているが……。のぼりがあれは嫌だな。 「氷灯祭積立金を使えばですねぇ。 金糸銀糸は無理にしてもぉ、 新調出来ない事もないですよぉ」 「ただ来年には御神輿を修理したいから、 お金はなるべく使いたくないんだ」 「あ。そうだったね。 あれもうちの亭主と同じで、 随分とガタが来てるからね」 「いや、ゆりすけんとこの のんべ程じゃねぇだろ。 同じとかいったら御輿に悪ぃ」 「あっはっは。 そりゃそうだ」 「みなさん。お金の心配をなさることはありませんわ。 御神輿も山車もこの機会に新しく誂えて いいんですのよ。お金ならいくらでも払いますわよ」 「あんたに任せると、 でっけぇウェディングケーキみてぇに なるのがオチだから嫌だ。最悪だ」 「アリ、貴女に言われたくなくてよ」 「どっちもどっちだ」 「志奈子、例のものを」 「はい、ただいま」 俺が生まれて初めて見た実在のメイドさん、寺内志奈子さんが、テーブルの上に紙を広げた。 「これが新しい御神輿と山車の 設計図ですわ」 「……ロマン街道?」 そこにあったのは、西洋のドイツあたりにある古城風の御神輿と山車だった。 「これはまるで駅の裏のラ、げふんげふん」 「すまない! 仕事で遅れてしまったよ! だけど間に合ったようだね!」 「いいや、今、ちょうど 打ち合わせが終わった所さ」 「それが新しい御神輿ですか! まるで駅の裏のラブホテルみたいですね!」 俺が思いとどまった事を!だが、そこにしびれないしあこがれない! 「貴方、今、なんとおっしゃいまして?」 「せっかく新しく誂えるのでしたら、 我が町の象徴であるくま電に――」 「打ち合わせは終わり! 今から飲み会! さぁ飲むぞ騒ぐぞ!」 寺内さんは素早く設計図を片づけると、ネーヴェの女主人といっしょに、つまみや酒を並べ始める。 「待ってください! この大切な会合に遅れたのは謝ります! ですが、いえ、だからこそ僕の素晴らしい提案――」 「あんたは話し合いの場にいないのが 最大の貢献だよ」 「あははは。面白い冗談ですね鰐口さん。 ですが、この提案をお聞きになれば、 ハタと膝を打ち賛成すること請け――」 「まぁまぁかけつけ一杯どうぞ」 「ありがとう鰐口のお嬢さん!」 「きららでいいですから」 「はは。親しき仲にも礼儀ありだよ。 それで僕の提案というのはですね――」 「さぁ、ぐっとぐっと」 「駄目だよ中井君。乾杯は全員そろってからだよ。 全員に行き渡るまでの時間でいいですから、 ひとつ僕の提案を訊いてください」 「みなさん! 僕は思うんですよ! こうやって毎年毎年同じような祭りでいいのかと! いや、いいわけがない!」 「同じじゃないよ。 今年は火吹き男さんとか呼ぶ予定なんだから……」 「そんな予算あるのかい?」 「安いんですよぉ。とってもぉ。 なんせTVにも舞台にもデパートの屋上にも なんにも出たことがない人らしいですからぁ」 「それは素人では? そろそろみなさんに行き渡ったんじゃないですか? ペンキ屋さんもいったん座って――」 「火吹き男? そんな、小さいものじゃないよ! もっと人を集め全国にくま電の名を轟かせる 一大イベントにしなくては!」 「去年と同じ提案ですかぁ」 「さすがはくま電の女神! 僕が言う前にお分かりとは!」 「毎年ですからぁ」 「どうせ却下するんだから、 書く必要なんかありゃしねぇよ」 「大丈夫ですよぉ。 記録はしてませんからぁ」 「ですが! 今年はひと味違うんです! 設計図も手に入れましたし、 今年こそ人車は復活するのです!」 だだん、と音を立てて、ペンキ屋さんは椅子の上に立ち上がった! 「金はどうすんだよ金は」 「わたくしに任せれば、 いつでも出してあげましてよ?」 「土橋さん! そのお心遣いはありがたいのですが、 僕が目指しているのは、 完璧かつ忠実な『白波人車軌道』の再現なのです!」 「遊園地を走っているような、 妙にファンシーな車体は下の下の下!」 お金の前にも信念を曲げない男ペンキ屋!だが、なぜか尊敬する気が湧かない? 「で、人車復活とぶちあげれば、 町内の心ある人達から募金が集まる……だよね? もう3年も前から聞かされているんだけど……」 「せいかくには4年前からだよぉ」 「ふふふ。隗より始めよですよ! こういうことも あろうかと毎年少しずつ積み立てていまして、 ついに今年こそ人車復活費用をまかなえる額に!」 「すげぇ……」 信念のために私財すら投げうつ男ペンキ屋!だが、尊敬よりも呆れるほうが強いのはなぜだろう? 「まぁ……わたくしを頼ろうとしないのは、 評価に値しますわね」 「はぁ……で、お金がどうにかなったとして、 今から作って間に合うの?」 「ええ。 みなさんの心が人車でひとつになれば可能ですよ!」 「さわやかな声で言ってもだめ。 そういう精神論は、 ろくな結果をまねかないもの」 「そして完成した暁には! 人車目当てに来る天下万民で 氷灯祭は大盛況になりますよ!」 「あの……人車ってそんなに メジャーなものなんですか?」 「わわわわ店長さんそれは!」 「中井君! 君は人車がどんなにすばらしく 人気があるかについて、 あまりよく判っていないようだね!」 「しまった!」 「以前にも説明したけれど人車軌道というのは――」 「ペンキ屋」 「あ、はい」 「あんたは本当に大した腕だと思うよ」 「え、そんな鰐口さん。からかわないでください。 僕なんてまだまだ若輩者ですから」 「そういう自然な謙遜も嫌いじゃないね」 「いや、謙遜というわけでは、 まだまだというのは事実ですから。 それはそうと」 「だから、腕は折らないでやるよ!」 「げふん!」 大家さんのアッパーがペンキ屋の顎を打ち抜き、リングを煌々と照らしだす光の中、血まみれのマウスピースが放物線を描いて舞い上がった。 ペンキ屋さんの細い体はまるで重力を無くしたように浮遊し、そして妙にゆっくりと床にくずおれていった……。 アナーキーだ……。(一部脚色が入っています) 「さて、気が抜けちまう前に、 ビールをいただくとしようか」 「あ、うん! とりあえず、氷灯祭の成功を祈って! かんぱぁぁぁい!」 「かんぱい!」 「あ、そうだ!」 きのした玩具店の店長として、ではなく、サンタとして言っておかねばならない事があった。 「すいません。 お祭り当日は 人を出せないと思うんですが」 「……なにか特別な用事でもあるの?」 きららさんの視線に、なにか探るものを感じるのは、俺が意識しているからというだけなのか。 「え、ええ、まぁ。 っていうか、 クリスマスのおもちゃ屋は忙しいから」 「おい。 あんな町はずれにあるくせに、 忙しくて人を出せないと言うのかい?」 「それは、ですね――」 ひとりだけ黙々とコーラを飲んでいた猫塚さんが、俺をいきなり指さした。 「私の推理では、 この男はサンタだ」 「ええっ!?」 「!」 心臓が止まるかと思った。 「クリスマス当日、 忙しくない筈なのに忙しい、 つまり別の仕事があるということ」 「クリスマスに忙しいものといったら、 商売人でなければサンタだ」 「あ、あはは。そんなわけないじゃん。 もう猫さんは推理好きなんだから」 「あんたの推理はいつでもおめでたいね」 「冗談だ」 「猫さんはいつも、 真面目な顔してるからわかんないよ」 「ええとですね。 本部から通達がありまして、 クリスマス当日は、全員で販売にいそしむべしと」 「そ、そっかそうだよね。おもちゃ屋さんだもんね! それにあそこは離れているから 簡単に戻る事も出来ないしね。しょうがないか」 「なるほど……つまりあんたらは、 お祭りの当日、本部の命令とやらで、 来るあてもない客を待って店内くすぶってるのかい」 「まぁ! そんなに売れていないのですか……。 惨めですわね」 「兄ちゃん。 そもそもあんな場所でよぉ。 おもちゃ屋がなりたつのかよ」 「……ええ、まぁ、なんとか」 あんまり忙しくなると、肝心の仕事が出来ないものな。 負け惜しみじゃないぞ。 「でもぉ。なにか代わりに提供してもらわないと、 他とのかねあいもありますからぁ。 ちょっとしたことでいいんですけどねぇ」 「あ、そうだ! きのした玩具店さんになんか作ってもらおう」 「クリスマスに相応しい ちょっとしたおもちゃかなんかを、 みんなの店で売るの」 「それに、あの店でだけ売るよりも、 そっちの利益だって少しは出るしさ。 どうかな?」 「ああ。それなら」 「だけどさあ、 儲かる上に、人も出さないんじゃ、 このあんちゃん達が得するだけじゃないか?」 「ゆりぼうは昔からこまけぇなぁ。 そんなのこいつらの取り分を 全部取り上げりゃいいだけじゃねぇか」 「え、いや、そこまでアコギな事は……」 「じゃあ、店長さん。 お祭りの事前準備に もうちょっと人を出してもらえないかな?」 「週に一人分くらいなら」 俺が出りゃいいわけだしな。 「おっけー。 百合恵さんもそれならどう?」 「文句はないよ。 じゃあ、しっかり働いてくれよ。 若店長さん」 「はい! 任せてください」 いきなり、俺の隣で人が立ち上がる気配! 「はっ!? 僕はどうしてこんな所に寝ているんだ!?」 「突然倒れちゃったんだよ。 びっくりした!」 「なにか すばらしい事を話そうとしていた気が――」 「ま、一杯!」 「……ありがとう。 それはそう――」 「今度のお祭りでも、 進さんにはいろいろ描いてもらうから、 よろしくね!」 「ペンキのことなら僕におまかせ! それはそうと、中井君!」 止めるまもなく、ペンキ屋さんは一枚の写真をふところから取り出した。 「これが人車! 我らが『白波人車軌道』の勇姿だよ!」 「!」 その姿を見た瞬間、俺の中に不思議なものが駆け抜けた。 もしかして、俺はこれを、この奇妙な乗り物を見たことがある? 「そうやって人に無理矢理見せるのは――」 「このコンパクトでキュートな車体! まさに健康的な色気とも言える程の魅力を、 かもしだしているのが君にも判るだろう!」 判りません。でも…… 「あの…… もう少しよく見せてもらえませんか?」 「いいともいいとも! この写真に興味を持った ようだね! それは、非常に珍しくも貴重な写真で、 開通当時宣伝をかねて行われたイベント(中略)」 TVや映画で見たことがあるのか?でも、この感覚はそういうのじゃなくて、もっと身近で……。 「世界のどこかで人車が現役……。 せめて20年前まで走ってたところって あるんですか?」 「残念ながらないんだ! なんという文化の損失! だからこそ僕はこの人車を氷灯祭に 走らせることに魂を燃やす――」 「うるさい。 あんまりうるさいとビンで殴るよ」 「すでに殴ってますけど」 「ボンボンのくせに、 細かいことを気にするんだね。 あんた偽のボンボンだね」 「そもそもボンボンじゃありません」 「春日進殺しの犯人は……誰だ? 私の推理では」 「推理するまでもないよ? 第一、死んでないし」 「犯人は私だ」 「あんた……酔ってるね」 そうか……走って無いのか。そうだよな。こんなもの見たはずがない。錯覚だよな。 「そうだ、店長さん! ひとつ頼み事があるんだ」 「頼み事?」 「うん。 若いきれいどころが3人もそろってるのは、 店長さんのとこだけだもの」 「貴女のところだって、 ふたりいるではありませんか」 「姉ちゃんと……」 「……」 「……ばあちゃん?」 「きららさんだろ」 「え、ええっ!?! 店長さん酔ってる?」 「ジェーン様は、 きららさんの事を、 仰っているのだと推測します」 「どういう血の不思議か、 アリの孫とも思えないですわ」 「……」 「え、えっと、あのその。 そうだ頼み事頼み事!」 「あのさ。クリスマスの二週間前くらいに、 商店会の宣伝として、 みんなでサンタの帽子かぶって町を歩くんだけど」 「あの子達にも参加してもらえない?」 「なるほどー サンタのコスプレして練り歩くんですか! 楽しそうですねー」 「こすぷれはちょっと……恥ずかしいです」 「あたし達の場合は、 コスプレじゃないでしょ! いつもの格好なんだから恥ずかしくないでしょ!」 「おーそうでした。 いつもの事なので コスプレという意識がありませんでしたよ」 「だから! コスプレじゃないわよ!」 「まぁまぁ。 こう思ってくれていた方が、 パレード当日でもボロがでなくていいだろう」 「そーですよ! これでいいんですよ!」 「まぁ……いいわ、もう」 「いつもの格好でも、 人前でするのは恥ずかしいです……」 「わたしは当然参加しますよー。 で、りりかちゃんはどうするんですか?」 「参加するわよ。 店の宣伝にもなるし」 「みなさんが参加するなら……。 頑張ります……」 「いっそお祭りの日も参加しましょうよ! 綿飴とかリンゴ飴とか、 縁日のお菓子もばっちこーいですよ」 「あの、それは無理だと思います」 「お小遣い使い切ったりしませんよー」 「あんただけ参加すれば? あんたの分まで配ってあげるから」 「あ、そうでした! クリスマスなんでしたよね」 「忘れてたのか」 「きららさんには 本当に感謝しなくてはいけませんね」 「ああ。彼女のおかげで クリスマス当日は自由に行動出来るからな」 「他の店でうちのオモチャを 売ってもらえることにもなったものね」 「でも準備にもう少し人手を出さなくちゃ ならなくなったんですよねー」 「頑張ってくるのよ国産!」 「最初からそのつもりだ」 きららさんの言動はかなり怪しい。どれくらいのことを見られたかをなんとか訊き出すチャンスも欲しい。 「なるほど。とーまくんが 人柱なのですね!」 「頑張るのは納得しているが、 その呼び方はなんとかしてくれ」 「……生け贄ですか?」 「労働奉仕だ!」 でも、俺って。トナカイ以外のことってしたことないんだよな。大丈夫だろうか。 「若店長さん。おはよう」 「よろしくお願いします」 「よろしくな!」 はじめての労働奉仕。 ……ちょっと不安だ。 「おう兄ちゃん! うまくいきそうじゃねぇか」 「ええ」 壊れた竿の部分を、裏山でとってきた竹で代用して、とりあえず修理完成。 これでのぼりは新調しなくて済んだわけだ。 「立派なもんだ! 若店長さん才能あるぜ」 「その調子で御神輿の修理も、 やれねぇか?」 「応急修理なら。 でも、この程度なら俺じゃなくても」 「一昨年まではな、 大工の治って奴がいたんだがよぉ」 「その人は?」 「今は東京。 息子さんのとこで同居さ」 それでこういうのをやれる人が、いなくなったって事か。 「こんにちわ! 差し入れ持って来たよ!」 きららさんの手には、マックナルドの袋。 「この兄ちゃんなかなかやるぜ。 ほら、あのぶっ壊れてたのぼりが、 こんなに元気に」 「こりゃ千人力だな」 「い、いやそれほどでも」 照れる。悪い気はしない。 単純なトナカイである俺は、結構のせられやすいらしい。 「やるね店長さん! あんな景気の悪そうなおもちゃ屋やめて、 大工さんに転職したら?」 「いや、俺はト―― おもちゃ屋に人生かけてますから!」 「おー、言うね!」 「なら肉屋に転職しねぇか? 肉屋はいいぞ、肉がいっぱいで、 肉だけじゃなくてコロッケもあるしな」 「そんな肉ばっかりだとあきるぞ。 やはり商売するなら料理屋だぜ」 「はいはい、人生かけた仕事を邪魔しないの」 「そういや、 挨拶回りはどうだった?」 「ばっちり。今年も問題ナシ」 「挨拶って?」 「お祭りに関係ある関係各方面へ挨拶。 警察に、役場に、消防に他の商店会に、 町内会、くま電、などなど」 「大変だなぁ」 「そうだぞ兄ちゃん。 人気もんのきららちゃんだからこそ、 出来る役目なんだぜ」 「人望あるんだ」 「人望なんてないよ。 みんな私が未熟だから かわいがってくれているだけで……」 「でも、 少なくとも谷野さんや角田さんより、 人望あるってことだろ」 「おお、そうよ! 俺は肉以外には人望がねぇからな!」 「肉に人望も何もないだろ」 「そんな褒められても…… タイガーさんに比べれば、 まだまだ全然」 タイガーさん? 「おい、兄ちゃん、 この前、お祭りのこと調べてたよな?」 「ええ」 「じゃあよぉ。二十年前、 氷灯祭を、今みたいに賑やかに変えた、 男の名前も知ってるよな?」 wikiにそんな事は載っていなかったよな……。 「ええと、熊崎町長ですか?」 「いや、その人こそが タイガーさんさ」 「それに、 『おかえりくまっく』に出てきた くまっく帰還運動のリーダーのモデルなの」 「ああ、あの豪快な」 「そうそう。あの人」 「ゴロさんは、あの人の弟分さ。 実際、あの人が町長選挙にだって出るって 話があったくらいだしな」 思い出した。 きららさんと肉屋さんが『あの人』と言う口調。それは、町長さんが大家さんに言っていた『あの人』と同じ口調だった。 「凄かったんだよぉ。 お祭りの挨拶回りとか行くと、あちこちで大人気! どこでも顔パスで入れちゃったくらい」 そして、気づいていた。その人のしたことには全て、過去形である事に。 きっと、もう、その人はいないのだ。 「そろそろ行ってくる」 「はーい、いってらっしゃーい。 頑張ってくださーい」 「労働奉仕の割には、 機嫌良さそうじゃない」 「そうか?」 「そんなにきら姉に会えるのが、 嬉しいのかしら」 「よいトナカイは サンタを良くサポートするもんさ。 だから、労働奉仕は性にあってるんだろ」 「ふぅーん」 「おはよう!」 「おはようございまぁす」 「きららさん。 神賀浦さん。おはよう」 「これから手伝い?」 別に彼女に会う機会が増えたから、機嫌がいいわけじゃないぞ。 多分。 「ああ。 そちらは、これからどこへ?」 「祖母ちゃんの代理で、 出店場所の打ち合わせに警察へ」 「ご苦労様です」 いつも忙しそうだなぁ。 「わたしはぁ秘書兼、保護者兼、 見張りということでぇ」 「ああ…… きららさん逃げるんですか」 「うふふぅ。念のためですよぉ。 きららちゃんを信頼してますからぁ」 「いや、見張りという時点で、 信頼してないな」 「あはは」 「後で差し入れもってくから、 頑張ってね!」 「そっちもな!」 「ふぅぅ……動いた」 俺の目の前の綿飴製造器は、快調に動き始めた。 心地よい達成感。 「ほう! 中井君! ついにやったじゃないか! 電車の整備でもしていたことあるのかい?」 「え、いえ、車の方です」 正確にはセルヴィだけど。しかも空飛ぶし。 肉屋の谷野さんが、プロレスラーのようにでかい手で、俺とがっちり握手。 「やったな兄ちゃん! 俺なんか肉以外の才能がないからな、 あこがれるぜ!」 「え、いえ、褒めすぎですよ。 谷野さんだって協力してくれたじゃないですか」 サンタ関係以外の人とこうやって作業をした事なんて初めてだったけど、悪くない。 そうか……これが地上のクリスマス(正確には違うけど)の準備なんだ。 悪くない。俺、楽しくなってる。 「いいね、モーターの回転音は、 くま電の駆動音を思わせ――」 「差し入れもってきたよ! あ、動いてる!」 「すげーだろ! 2年前に俺が壊しちまって以来、 俺の罪悪感を刺激しまくっていたブツが!」 「……壊したんですか」 「おうよ! 任せとけ!」 「店長さんが直したんだ」 「あ、うん」 いきなり両手をつかまれる。 「店長さんすごい! これからは、しろくま町のエジソンと 呼ぶことにするよ!」 「え、いや、それはちょっと」 「んー……じゃあ、 しろくま町の平賀源内ならどうかな? ニコラテスラでもいいけど」 「獄死するか、 UFOバスターとか作っちゃいそうでいやだ。 打ち合わせはどうなったんですか?」 ぱっと手が離れ、きららさんは元気にVサイン。 「ばっちり。それに消防への届け出もすんだし、 仮設ステージを作ってくれる業者の人とも ちょっとだけまけてもらう形で話がついたし」 「しっかりしてるなぁ」 「え、そんなことないよ。 やろうと思えば誰だってこれくらい、 すぐ出来るよ!」 いろいろな交渉に走り回っている自分をちょっと想像してみた。 「……いや、誰にでも出来るとは思えん」 「そうさ! 鰐口のお嬢さんに任せておけば大丈夫さ!」 「き・ら・ら・でいいです!」 「それだけ順調なら今からでも遅くない、 『白波人車軌――」 「綿飴製造器が直ったとなると、 綿飴の材料も用意しなくちゃね」 「予算なら大丈夫だよぉ」 「ね、姉ちゃん!? まいたはずなのにナゼ!?」 「そうかぁまいたんだぁ」 「い、いえ、そんなこと言ってませんよ? 姉ちゃんの空耳だから!」 「そうだよねぇ。空耳だよねぇ。 だってきららちゃんは お勉強をさぼろうなんてしなぁいいい子だからぁ」 「う、うん。そ、そうだよ!」 「うふふぅ。 じゃあ今日はごほうびに お姉ちゃんと手をつないでかえろうかぁ」 がしり、ときららさんの手がつかまれた。 「う、うれしいなぁ」 「じゃあ、みなさんごきげんよぉ」 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 後には差し入れの、弾丸ドーナツの袋が残った。 「はは! 仲良きことは美しきかな、だね!」 「……」 差し入れのドーナツ、とてもおいしうございました。 「はっ!」 夜中、いきなり俺は目覚めた! 上着をはおると、急いで地下の格納庫へ! 「急な仕事で悪いな相棒! だが、ちょいとつきあって貰うぜ!」 急発進!俺の逸る心が伝わっているのか、カペラも絶好調! かつて愛機を隠しておいた森の中へ着地! 修理の間、部品を置いておいた傾いた古い倉庫は……。 「あった!」 ひっそりと朽ちかけたその建造物は、ここを離れた日のままに建っていた。いや、打ち捨てられていた。 予感を確認するべく、倉庫をよくよく観察した。 外れた扉も、すべて割れた窓も、明らかに倉庫のものではなかった。 ほとんど埋まっているが、地上に僅かに覗いているのは鉄の車輪だった。 中を覗けば、両側の朽ちかけた棚は、棚ではなくシートに見えてくる。 コケとカビと泥に覆われた壁から慎重に汚れを取ると、『白波』という白い文字が現れる。 「やっぱりな」 なぜペンキ屋さんの写真を見た時に、ひっかかりを感じたか。それは俺が現物を見ていたからだ。 小さな建造物は古い倉庫ではなく、打ち捨てられた人車だったのだ。 もし、ペンキ屋さんの言葉が正しければ、『白波人車軌道』最後の現存車輌ということになる。 周りを調べると、朽ち果てた柱や、錆びてぼろぼろになったトタン板が見つかった。 ある時期まで、ここはトタン屋根に覆われた資材置き場か何かで、人車はそこに置かれていたのだろう。 屋根が崩壊して以降も、周りの木々が直射日光や風、雨の一部まで遮ってくれたおかげで人車はその姿をとどめる事が出来たのだろう。 実際、俺がこの場所を選んだ理由も、風や雨が吹き込みにくく少し小高いので水はけがよいからだった。 「だが……ひどいもんだ」 様々な好条件が重なったとはいえ、長い歳月放置されていたせいで、最後の人車は今にも崩壊しそうだった。 ピカピカに磨かれた愛機と比べると、同じ乗り物とは思えない惨状だ。 ペンキ屋さんに感化されたというわけでもないけれど、ちょっと修理してみるか。 「ふわぁぁ……」 あくびをこぼしながら『しろくま日報』を広げると。 「『レオポルド・ブリューネワルトの、 書簡が大量に発見される』?」 「町の歴史を調べた時に、 見た覚えがある名前です……」 「ふむふむ。 あのカリヨン塔を建てた人なんだと。 へぇ。ベルギーの貿易商だったんだ」 今の俺たちには関係ないが。 「あんな塔を造る気になったんだから よほど羽振りがよかったのね」 「確か……故郷を偲んで、 故郷にあった塔そっくりの塔を、 建てることにしたのだそうです」 「でも、塔の完成前に破産してしまわれて、 カリヨンが鳴る幻聴を聞きながら この町で一人寂しく亡くなられたそうです」 「哀しい話だな……」 「今、気づきましたよ。 ブリューネワルトって名前は おかしの名前みたいですねー」 「あんたにとって、 外人の名前はみんなお菓子 ってわけね」 「違います! 確かにマリーアントワネットとか、 クレオパトラとかナポレオンはお菓子ですけど」 「あ、あの、 ご飯がさめてしまいますから」 「お、そうだな」 「いただきまーす」 「おお、新メニューだ!」 ご飯茶碗のなかに、卵そぼろの鮮やかな黄色と、たっぷりと入った新鮮なしらす。 「きららさんに教わりました……」 「おいしいです! きららさんに感謝ですね。 なむなむ」 「成仏を祈ってどうする」 「え、ええ、 この町は漁港でしらすも安い、 のだそうです……」 「これは……梅かな」 「おいしいです!」 「納豆に、種をのぞいた梅干しを 小さくちぎっていれて、まぜてあるんです」 俺はネギと麩のみそしるをいただいた。こちらもうまい。 「朝から飯はうまいし、 平和だ……」 「そうですねー。 最近、どきどきしなくなりましたしね」 「急になによ」 「新聞ですよー」 「そういえばそうだ」 依然として、俺達の正体を暴いた記事は載っていない。 「みんな緊張感が足りないわよ! 悪いことは不意打ちでやってくるんだから!」 「そうですね。おめでたいクリスマスの日に、 セルヴィの接触事故が起きたことも あるそうです」 「それは珍しいな」 「って、それは去年のあんたらでしょう!」 「お前もな」 「でも実際……。 あの時、撮られていたのなら、 とっくに記事になっている筈ですよね」 「うーん。これはあれよ。 写真なんか撮られていなかったんじゃないの?」 「そういえば。 昨日の訓練の時も、 カメラマンさんはいましたよ」 「ええっ!? そうだったの!」 「お前だって、 緊張感が足りないじゃないか」 「うるさいわね!」 「ルミナの状態がよかったんで、 ほんの5メートルくらいの距離まで ちかづいたんですよー」 「な……。 あんた! 反対しなさいよ!」 「俺はトナカイだからな。 サンタが乗ってたら邪魔しないのも 仕事のうちさ」 「超低空でカメラの前をよこぎったんですよー。 どきどきしましたー」 「撮られてたらどうするのよ!」 「カメラマンさんは、あくびしてましたよ。 そりゃそうですよね。 真夜中はおねむの時間ですから」 「気づかれた様子はなかったな」 「……考えてみれば、 気づかれなくても不思議ではありませんね」 「どうしてよ」 「飛行中、ルミナに加護されている私達は、 お互いにしか見えない筈ですから」 「でも実際、 2回は撮られている可能性があるじゃない! 去年の忌々しい事件の時と、この前」 「そういえばそうですね」 「いや……去年のは説明がつくぞ。 墜落中でルミナの加護が 失われていたってことじゃないか?」 「墜落言うな! じゃあ、この前のはどうなのよ」 「もしかしたらですが……。 きららさんのルミナに祝福された力が 撮影機材になんらかの影響を及ぼしたのでは?」 「つまり、ぱぱらっち単独なら、 写る可能性はほとんどないってことなのかしら?」 「単なる推測ですが」 「きららさんにカメラで撮ってもらえば、 証明できるんですけどねー」 「撮らせてどうする!」 「飛行中のわたしのかっこいい勇姿を、 撮ってもらえるかもしれません!」 「なにねぼけたこと言ってるのよ! スーパーカッコいいのは、 ラブリープリンセスである、このあたし!」 「サンタのお嬢さん達。 論点がずれてるぞ」 「とーまくんは、 相棒であるわたしを、 カッコよくないと思ってるんですか!」 「当然よね。 だってアタシと比較してだもの」 「だから! 論点がずれてる!」 くいくい。 ふりむくと、 「あの中井さん……。 後でもっていって欲しいものがあるんです。 頼める……でしょうか?」 「こんにちは! 差し入れもってきたよ!」 「あれれ? 今日は店長さんだけ?」 「不覚にもそういうローテーションらしい」 きららさんは、ローテーション表を見た。 「どれどれ、ホントだ。 進さんがいないのは知ってたけど」 「進さんはどこへ?」 「この時期、進さんは毎年、 くま電におしかけて、 クリスマス用のペイントをしてくるから」 「呼ばれてでも、 雇われてでもなくて、 押しかけて?」 「うん。勝手におしかけるの。 向こうも損じゃないからやらせてるみたい。 最低でも3日は帰って来ないよ」 すごい人だ! 「うーん……差し入れどうしようか」 「お、今日はモッコスバーガーか! ここのちょっと高いけどうまいんだよな」 「そうそう、 奮発してきたのにな」 「差し入れといえば、 実は俺も悩んでいたところで」 「ひとりで全部食べられるかどうかで?」 「そうじゃなくて。 俺も差し入れをもたされてて」 出がけに硯から渡されたでかいタッパーを開けて見せる。 「わ。卵まきご飯がいっぱい!」 タッパーにびっしりと並んだ俵型の卵まきご飯。 「悩むだろ?」 「硯ちゃん?」 「当たり」 きららさんは上着を脱いで、手近にあったパイプ椅子を引き寄せると座り。 「それならちょーっとだけ、 悩みを減らしてしんぜよう」 そう言うときららさんは、卵まきご飯をひとつ取った。顔がほころぶ。 「おいしい! しっかり火も通ってる! 硯ちゃん料理うまいね。 お姉ちゃんも感心してた」 「伝えておくよ。喜ぶだろうな」 「よろしく その上、すごく恥ずかしがると思うよ」 「だな」 「あ、それに、これは、 ミートショップくじらやの卵の味だ!」 「判るの?」 「もちろん! 古いつきあいだから。 あそこって町はずれの養鶏場から 直に仕入れてるからおいしいの」 「ちょっと高いけどね。 卵巻きご飯にはこれが最適」 そう言うときららさんは二つめを手に取った。 「お腹空いてるみたいだ」 「あ、ばれちゃった? 店長さんの方はこれ食べて」 そう言ってモッコスバーガーの袋が俺に渡される。油の香ばしいにおいが鼻をくすぐり食欲をそそる。 「では遠慮無く」 と、俺の手が止まる。 「この差し入れって、 商店会の会費から出てるんだろ」 「そんなこと気にしなくていいから」 「もしかして……。 きららさんのポケットマネー?」 「だから、そーゆうの気にしなくていいから。 お金は天下のまわり物だからさ」 そういうことらしい。 「商店会のみんなだって、 労働をボランティアで提供してくれてるんだから、 これも形はちょっと違うけど同じだよ」 「でも、きららさんだって 交渉したりいろいろしてるじゃん。 そっちの方が換えがきかないと思うぞ」 「いいの。みんな出来ることをしてて、 誰も換えなんか利かないの。 私だって出来ることをしてるだけなの!」 以前、きららさんが町をちょっとでもハッピーにするお手伝い。って言ってたのは本気も本気なんだな。 「だから、しのごの言わないで食べる!」 あまり遠慮するのも、アレか。 俺はバーガーにかぶりついた。 「うまい! 労働は最高の調味料だな」 「ほんとーだね」 「今日もおつとめご苦労さま」 「いえいえ。 店長さんの方はどう?」 「今日は看板作ってた。だいたい出来たかな。 きららさんの方は?」 「こっちは、商店会費の集金と 警備会社へ挨拶、あとガスボンベの手配」 「有能だ」 「そんなことないよ。 細かい計算とかは全部、 お姉ちゃんがやってくれるんだ」 「やっぱ凄いよ。 俺、単純で交渉とか苦手だから、 そういうの凄いと思う」 「も、もう! 出来ることをしてるだけだってば! おだてたって何も出ないんだからね」 そうか同じだ。 きららさんはサンタや俺達トナカイと同じだ。別に何か得がなくても人のために何かしたくなってしまうタイプの人種。 だからルミナに祝福されているのかもしれない。 「おだててなんか無いよ。 素直に喜びをあらわしなさい」 「そういう店長さんだって綿飴マシーン直したり 大活躍でたいしたもんなんだぞ。 角田さんとかも褒めてた」 「そう……なのか?」 「うん。 素直に喜びをあらわしなさい」 「うっし! 俺って客観的にも役に立ってるのか!」 「って、本当に素直に喜んでるし!」 「だって褒められると嬉しいしな。 俺は喜んだからそっちも喜べ」 「うー……」 「わーい」 「棒読みだ」 「う、うるさいなぁもう。 私は奥ゆかしいんです!」 照れたように言うと、きららさんは卵巻きご飯をまたひとつ取った。 「あはは」 「も、もう、なにさ」 かわいかった。 「!」 気づいた。いや、気づいてしまったと言うべきか。 きららさんと二人きりになるのは、初めてだということに。 「……店長さん、どうかした?」 きららさんって短いスカートはいているんだな……ではなくて! 「え、あ、いや、 バーガーのうまさに一瞬呆然と。 これはおそらく、組み合わせが偶然良かったのか」 「おお、伝説のバーガーが、 店長さんの口に入るとは!」 「な、なんだそれ?」 「モッコスバーガーでは、 10万食に1個、最高級の食材で作った、 テラめちゃうまいバーガーを混ぜとくんだって」 「そして光あれば陰がある。 10万個に1個、最低の食材だけで作った、 テラめちゃまずいバーガーを混ぜておくんだって」 「そうだったのか!」 「と、いう都市伝説が」 「……」 俺は残りをひとくちで飲み込んだ。 「ああっ! そんなにおいしいなら、 一口もらおうと思ってたのに!」 「そ」 ―そんなことしたら間接キスだ― 「そんなもったいない事はしない! 伝説は俺が食う!」 「むむぅ」 俺はもにょもにょした気分をかえるべく、爆弾投下。 「そんなにいろいろやってて、 勉強の方は大丈夫なの?」 「……あ、あはは」 「管理人の仕事だってやってるんだろ?」 「ま、まぁ、 だって管理人が働かなかったら 店子の人たちが困っちゃうじゃん」 俺は重々しく言った。 「自分の出来ることをするのはいいけれど、 するべきことをしないのも困ると、 俺は思ったりするんだな」 「だから大家の仕事とお祭りの手伝い」 俺は威厳をこめて告げた。 「勉強も含めてあげなさい」 「含めようにも 入る場所がなかなか見つからなくて」 「何かをどけて作ってあげなさい」 「はーい、肝に銘じておきます」 俺達は顔をみあわせて、ちょっとだけ笑った。 「あのさ店長さん」 「なに?」 「店はいっぱいあるのに、 いつまでも店長さんだけを店長さんって呼ぶのも アレだよね」 「そう……かな?」 「名字は中井だっけ?」 「冬馬でいいよ」 「じゃあ……冬馬さん。 で、いいかな?」 他愛ない事だ。最初からそう言われてたって、なにも特別なものがない程度の呼ばれ方。 でも、俺はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ胸の奥がざわついたのだった。 懐中電灯の頼りない光の下で汗をぬぐう。 「この板も取り替えないと駄目か」 携帯のカメラで、ぱちりぱちりと記録しながらため息。 調べれば調べるほど、人車はひどいありさまだった。 この状態でここから運びだそうとしたらつり上げただけで崩壊してしまうだろう。 全部とっかえた方が早いかもしれないが、現存する『白波人車軌道』唯一の人車ではなくて、単なるレプリカになってしまっては意味がない。 だから部品を一個一個調べて、使えるものは使う計画なんだが。 「カビとコケと泥を取ったら、 何も残らなかったりして」 いやいや。 少なくとも大部分の金属部品は大丈夫。とまでは言えないが、何とかなりそうだ。 もちろん慎重に錆を取る必要は大ありだったが。塗料を塗り直す必要も大ありだったが。釘やネジの大部分を取り替える必要も大ありだったが。 何とかなりそうだが大変だ。 俺は状態を確認した側面の板を外し、ぼろぼろになった釘を引き抜く。全ての作業を注意深く慎重に進める。 外したらまたも写真を撮る。メジャーで寸法を計測する。 「ふぅ……」 寒いのに汗がにじんでくる。 金属部品と違って、側面や天井に使われている板の大部分は、再利用不可っぽい。 一個一個というか一枚一枚細部まで計測して写真にとって図面を作って寸分違わぬものを作るしかない。 シートなどの布や、割れた窓ガラスもどうにもならない。 カペラをメンテナンスする技術がこんな所で役に立つとは。 「記録終わり」 ようやくぼろぼろの板一枚の記録作業終了。 だが、記録が終了したからと言って、廃棄するわけにはいかない。これだって文化財だ。 俺は、ビニールシートでぼろ板を梱包すると、カペラに積み込む。 こういう部品も、港で見つけた使われていない倉庫に運んで、保存しておくんだ。 時計を見ると、午前2時を回っていた。 「……今夜はここまでだな」 それにしても、なぜ俺はこんな事をしているんだろう? ………。 こいつも乗り物だからかもしれない。そして、俺はこいつを直してやることができる。 それだけだ。トナカイらしい単純な答え。それで十分。 「こんにちわ!」 「きら姉、こんにちわ!」 「景気はどう?」 「以前よりかは少しは……」 商店会のちらしに載ったおかげか。ななみが駅前で何度もサンドイッチマンをしたからか。硯がHPを作ってくれたおかげか。 俺がほかの店を見て回って値段を少し下げたおかげか。りりかの提案で少し品揃えを増やしたおかげか。売り上げは僅かに上向きになりはじめていた。 「4倍ですよー。4倍!」 「それは凄いわ!」 「事実だけど以前が低すぎたのよ」 「事実は事実さ。 同じ見るならなるべくいい事実で いいじゃないか」 「あんたは職業柄単純ね」 「職業柄? おもちゃ屋さんって単純なの?」 「ま、まぁ……ほら、 主な客層が子供だからさ」 「子供だってけっこう複雑だと思うけど」 「あの、そういう意味じゃなくて、 店長にあまり悩まれても困るから」 「職業とかかんけいなく、 とーまくんは単純なんですよ」 「なるほど。 でも、きっと冬馬さんも、 見えない所で悩んでいるんだよ」 「あ。店長さんが一杯いるのに、 冬馬さんだけいつまでも店長さんじゃ おかしいでしょ?」 「それもそうですね」 「それからりりかちゃん、 今日はよろしくね」 「任せてください!」 「今日は金髪さんが労働奉仕する日か」 「何よ別に奉仕してるわけじゃないわよ。 好きでやってるの」 「態度変わったな」 「うるさい」 「評判いいんだよりりかちゃんも、 手先が器用だから造花とか作るのうまいし」 「へぇ」 「あったり前でしょ! アタシの才能に死角はないんだから!」 「わたしは!?」 「あ、うん……。 ななみちゃんの作ってくれる飾りは、 とても独創的だって……」 「ほら、大好評なんですよ!」 「硯ちゃんが縫ってくれた、 半纏も好評だよ」 「……あ、ありがとうございます」 他の3人も、町の人とうまくやっているようじゃないか。 「おっと、 あんまりだべってると、 商売の邪魔になっちゃうね」 「今日は何か?」 「天狗様の部屋の掃除」 「あのてっぺんの部屋のですか?」 「うん。 毎年一回。 冬に掃除する事にしてるんだ」 「別に冬じゃなくてもいいんじゃないか? 特に秋とか春のほうがちょうどいい」 「あそこって、誰も使わないから、 動物が住んじゃうことがあって。 ネズミとかコウモリとか」 「どうぶつ王国な感じですね」 「そ、そんなものが……」 「蛇の抜け殻とか スズメバチの巣の残骸とかが、 あった事もあるんだよ」 「スズメバチ!?」 「今の季節にはいないから大丈夫。 寒くなってからなら わざわざ追い出す必要もないしね」 「確かに」 「と、いうわけで みなさんは気にせず仕事しててください。 終わったらまた来るから」 「はーい」 「………」 「ななみどうかしたか?」 「なんか忘れてる気がするんですよー。 わたしの勘ではとーまくんがらみの」 「俺がらみ?」 「判りました! とーま君はあの部屋にお菓子を隠してるんですよ」 「お前じゃあるまいし、 あんな部屋に――」 「サンダース!」 「あ」 俺は駆けだした! 急に扉が開いたら、突然の闖入者にサンダースがびっくりして、 「こけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! こけこけぇこけぇぇぇぇ!」 パニクる怪鳥に驚いたきららさんが、 「え、きゃぁぁぁぁぁぁぁ」 こんな感じの悲鳴をあげて、転がり落ちそうになったりしたら! ――って現実!? 赤天狗様の部屋からすぐの木の枝に今にも落ちそうなきららさんが! 「きららさん!」 俺はツリーハウスの壁面に飛びつき、懸命によじのぼる。 重力がもどかしい、どうしてこうも俺を下へ引っ張ろうとするんだろうか、カペラに乗ってくりゃよかった! 風が強い、ツリーハウスがゆっくりと揺れている。今にも落ちそうなきららさんに、力一杯よびかける。 「もうちょっとだけ頑張って!」 「冬馬さん!? 危ないよ!」 「今は 木に捕まっていることだけ、 考えてて!」 「う、うん」 無理矢理体を引っ張り上げていく。畜生! どうして人間は飛べないんだ! 「きら姉が大変!」 「どど、どうすればいいんでしょう!? うう、ウルトラ警備隊を先生を!? すーぱーまんがいれば! ああわわわ」 「す、硯ちゃん落ち着いて! こういう時は大根でもかじればいいんです!」 「大根かじってどうすんのよ!」 下の3人はパニック状態だ!俺がなんとかしなければ! 「きららさん! もう少しだけ我慢して!」 「う、くぅ……わ、判ってるけど」 もう少しもう少しもう少し! その瞬間、強い風が吹いた。きららさんが捕まってる枝が大きくしなる。 「あ」 「きららさん!」 俺はきららさんの落ちる方へ飛んだ!強い風が全身を包む! だけど、俺の腕はきららさんをなんとかキャッチ! 「もう大丈夫!」 「お、落ちる落ちる! だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 って、どうして落ちてるんだ? 「しまった!」 夢中になっていて、後先考えてなかった! 「きららさん!」 俺は咄嗟にきららさんを抱きしめた。こうすれば彼女だけでも助けられる。 「あ」 きららさんが俺を見た。 どうして、と問いかけるように。 なぜだろう。 それがトナカイの性だからか、それとも、最後まで市街地に落ちないように操縦をあきらめなかった親父の血か。 それとも……。 「スーパーアクアイリュージョン!!!」 真下から俺達を持ち上げるようにあがる強い気流! 「え……」 「りりかちゃん!?」 「もういっちょ!」 絶望的な加速度がみるみる落ちる。 「あ!」 背中に衝撃。 脳裏に親父の顔が浮かんだ。 だが、俺の体は肉片にはじけ飛ぶこともなく、地面からの衝撃を吸収した。 一瞬、息詰まるような重さが、俺の体を上から押しつぶす! 「ぐっ……」 奥歯をかみしめて耐えると、きららさんを抱えたまま、殺しきれない衝撃に飛ばされて転がる。 そしてようやく止まった。 「………」 生きてる……か? 「う、うーん」 「きららさん!」 俺は少し痛む体を起こすと、腕の中のきららさんを見た。 「………」 「大丈夫か!?」 「………」 きららさんは俺の顔をじっと見た。そして、視線を上へ向けた。 「あそこから落ちて無事だったんだ……」 「どこか痛くないか?」 「大丈夫……」 きららさんは上を見たまま、ぽつり、と呟いた。 「普通……怪我するよね……?」 「う……」 「う、運がいいな」 我ながらなんの説得力もない。 「そうですよ! すごい強運ですよ!」 「そ、そうよね スーパー運がよかったわ!」 「き、奇跡です」 駆けつけてきた3人が口々に言ってくれる。 「……」 きららさんが、りりかを見た。 「それとも国産が丈夫だったのかも! 象に踏まれたって気づかないくらいだものね」 「りりか、お前」 「な、何!? 今はアタシのことなんて、 どーでもいいでしょ!」 「あ、あわわわわわ」 「み、店の新しい制服なんて着て、 どうしたんだ。あはあははは」 「!」 りりかは、ようやく、自分の姿に気づいたらしい。 「………」 「き、きら姉! え、えとこれは、 その、そうなの! 新しい制服なのよ!」 「そ、そうなんですよ!」 「きららさんを、 びっくりさせようと思ってたんだ!」 「………」 「もう、大丈夫だから。 だから冬馬さん、あの……」 「あ」 その時ようやく気づいた。腕の中の、きららさんの体のやわらかさに。 俺は慌てて腕をほどいた。 きららさんはゆっくりと立ち上がると、俺達を見回した。 「………なんだかまた浮かんだみたい」 「え、あ、あの気のせいよきら姉」 「きっと風が下から吹いて来たんですよ! かみさまのおかげですよ! ありがたやありがたやなんまいだぶなんまいだぶ」 きららさんはもう一度上を見て、それから俺達を見回した。 「……まぁ、助かったからいいか」 「いやぁホントラッキー!」 「そ、そうそう! ばっちりラッキーですよ!」 「でも、その、 一応、病院で検査したほうが」 「そうだね。うん。そうする。 だけど、この事は誰にも言わないよ」 妙に静かな声だった。俺達は何も言えなくなった。 「ありがとう」 「え、ええっ!? あたしたち何もしてないですよ! ねぇ?」 「そ、そうですよ。 とーまくんが超合金ロボみたいに、 頑丈だっただけですよ」 「に、人間とは思えないくらい頑丈なんです」 「俺って打たれ強いんだ! それと、運もよかった!」 詐欺にも演技にも縁がなさげな俺達は、見事にしらじらしかった。 「うん。そうなんだろうね。 でも、ありがとうって言いたい気分なんだ」 「それにさ。 サンタなんかいやしないに決まってるんだから」 「はぁぁ……」 「完全にばれたわね……」 「あれだけ露骨ならな」 「あたしのせいよね……。 サンタ服まで見せちゃったし……」 空気が重い。 「もし島流しになるなら、 あたしだけの責任だって、 上申書を出すわ」 「そんな必要ないぞ!」 「そうですよ! りりかちゃん! ひとりで格好つけないでください!」 「格好なんてつけてないわよ! だって事実じゃない!」 「あの場合、 他にどうしようもなかったですよ。 前みたいにこっそり助けるわけには」 「あの時、りりかさんが ああしていなかったら……。 今頃、中井さんもきららさんも……」 「そうだよ。 りりかはよくやったよ」 「……」 「そうよね! 国産はともかく、 きら姉のピンチを見捨てるわけには」 「とーまくんだけだったら、 見捨てることもあったかもしれませんが」 「俺だったら見捨てるのかよ」 「場合によってはよ」 「あくまで仮定の話ですよー。 そのときになったら多分助けますから」 見捨てる可能性がゼロとは言ってくれなそうだった。 「だけど、きららさんは、 誰にも言わないっていってくれましたよ」 「そうよね! きら姉なら言わないでくれるわよ!」 「それに不思議な体験だったなーって思ってても、 わたしたちがサンタだ、という風には 思わないでくれるかもしれないですよ!」 「じゃあなんだと思うんだよ」 「それはもちろん…… ちょいのーりょく者ですよ!」 「……超能力者です」 「そうじゃなかったら…… うちゅう人とか、うるたーまんとか、 インドで修行とかそういうのですよ!」 「きら姉は、あたしのカッコ見てるのよ。 それに――」 「ちょっとかわいそうな、 こすぷれいやー……とか?」 「あんたの正装だって、 同じようなもんでしょうが!」 「コスプレじゃありません……」 「きららさんにはもう完全にばれてる。 そうじゃなきゃ、 サンタなんかいるはずがない、とか言わないだろ」 「とーまくんはひどいですよ! その台詞、忘れるように努力していたのに」 「でも、言わないでくれるなら、 なんとかなるのかしら?」 「……聞いてみるしかないな」 「先生に聞くのは……ちょっと」 「俺がロードスターに聞きにいく」 「え」 「大丈夫だ。 俺だけが姿を見られたって言うから」 「……やめてよ。 そんなことでカッコつけるの。 見られたのはあたし、そう言いなさい」 「……いいのか?」 「だって、あんたがきら姉を助けようと飛んだから、 あたしだって咄嗟に、ああしちゃったんだし…… あんたのせいにするわけにはいかないわ」 「判った」 「……」 俺は、ロードスターに全て話した。 「以上です」 「……なるほど。判りました。 少々、面倒な事になりましたね」 「面倒……ですか。 彼女が黙っていてくれるから、 大丈夫という訳にはいきませんよね」 「そういうことではありませんよ」 「……と仰いますと?」 「もし、君たちが隠しておくつもりなら、 こうして私に話す必要すら感じなかった筈です。 違いますか?」 「………」 確かにそうだ。きららさんと俺達が黙ってさえいれば、何もなかった事になるのだ。 「それなのに、君はこうしてここへ来た。 どうしてだろうね?」 「………」 「君たちは知らないと思いますが。 私達支部長には 特別の権利が与えられています」 「え……?」 急に話が変わったので、ついていけない。 「支部長が許可した場合に限り、 地元の人間に正体を知らせてもいいのです」 「そんなこと聞いた事がありません」 「無理もありません。 ロードスター以上の者しか知らない決まりですし、 許可が下りる事も滅多にありませんから」 「彼女に秘密を打ち明けるか打ち明けないかは、 君達で決めなさい」 「……打ち明けるなんて事が許されるんですか?」 「君たちは既に打ち明けているも同じです。 暗黙の秘密を持ち続けるか、持ち続けないか、 差はそれだけではありませんか?」 「そうですが……」 「そうです。ですが、です。 その差は大きい。 少なくとも君たちはそう感じている」 「………」 「何かあったら責任は私が取ります。 そのための支部長ですからね」 「よく相談してみます……」 「そうしたまえ。 ルミナの導きが君たちに 正しい結論をもたらさんことを」 「失礼します」 「………」 「そんな規則ありましたか?」 「ないね」 「ですが、正式には、 打ち明けていけないという決まりもない、 違いますか?」 「君は時々鋭いですね」 「学校で教えている禁忌、 あれは単なる都市伝説に過ぎないのです。 とても強固ではありますが」 「誰かに打ち明けたことがおありなので?」 「どうかな?」 「ただ、 我々は人の外にあるものではない。 人の中にあるものだ」 「ということだ」 「そんな規則があったなんて……」 「簡単ですよ! 許可が出たんですから話しちゃいましょう!」 「そんな簡単に決められないわよ。 あたしだけの問題じゃないんだもの」 りりかはジェラルドを見た。 「俺はどっちでもいいさ。 騎士はお姫様の断に従うだけだからな」 「アタシも、 パラプロがあるからどこへ行っても平気」 「あの…… それはそれで問題があると思いますけど」 「大丈夫よ。 ゲームは毎週発売されているんだもの」 「もう正体はばれている、 そして、このままでも、 きららさんは黙っていてくれる」 「それには異議ないよな?」 「ないわ」 「ないですよ」 「回りくどいな。 トナカイはもっとシンプルなもんさ」 「……俺は、言うべきだと思う。 これ以上、嘘はつけない」 「わたしもです」 「ここまで来て言わないのは、 嘘ついてるみたいでいやよ」 「……ちょっと怖いです。 でも……このままだと、すっきりしません」 「ねえ、もしきららさんが みんなをサンタだって知ったら どうなると思う?」 「知ったとしても、 彼女がプレゼントを俺達に要求してくるとか、 想像がつきません」 「そうですよ!」 「確かに…… あの婆さんなら、 容易に想像つくけど」 「そうですね……」 「なるほど。 なら、いいんじゃない?」 「ここまで若い奴らが決意してるんだ。 止めるのは野暮ってもんだな」 「これで満場一致ですね!」 「俺がきららさんに言う。 それでいいか?」 「いいんじゃない。 だって、間違いなく、 あんたが一番言いたがってるんだから」 「……別にそんなんじゃない。 俺は店長だからな」 「おはよ!」 「おはようございます」 「買い物? でも、今日はやめておいた方がいいよ。 明日バーゲンやるとこが多いから」 「いや、今日は手伝いに」 「冬馬さん。 おめでとうございます!」 「え、なぜ?」 「なんと! 今日のローテーション表に、 きのした玩具店さんの名前は載っていません。 本業がんばってね」 「それは知ってる」 予定にないからこそ、今日は来たのだ。 「え? もしかして誰かの代わり? でも、そもそも今日は誰も シフトを入れてなかったはずだけど……」 「いや、気になったコトがあったんで、 自主的に作業しようと思って」 「気になったコト?」 「お祭りの時に使う、 テントを点検しておきたいと思ってさ」 うん。我ながらなかなかいい理屈。前向きで、自主的で、献身的だ。いかにもトナカイだ。 「おー! 頑張るね冬馬さん! 自主的なんて偉いぞ!」 「いや、偉くなんかないよ。 俺の心がそうしたいと叫んでいるだけさ」 「これからは、 しろくま町のシュバイッツァーと 呼んであげよう!」 「いや、それはちょっと……」 「じゃあナイチンゲールでもいいや! 後で差し入れもっていくね!」 で、きららさんが差し入れ持ってきてくれる→二人きりになる→俺、自分達がサンタだと打ち明ける→きららさんは受け入れてくれる→めでたしめでたし。 うむ。完璧だ。 「……」 「冬馬さん。 わざわざ来てくれたのは嬉しいけど、 ちゃんと本業をしなくちゃだめだよ」 「な、なにゆえ!?」 予想外の展開だ! 「今のスケジュール通りにやれば、 お祭りの前にテントの点検も 完了してるから心配しなくて大丈夫」 「え、いや、テントだけじゃないぞ。 綿飴製造器以外にも幾つかガラクタがあるから、 直せないか調べようと思って」 嘘はついていない。 「……」 「そういう気持ちは嬉しいけど、 本業に差し支えるようなことは、 して欲しくないんだ」 「きのした玩具店さんには、 当日人を出せない代わりってことで、 ただでさえ多めに負担してもらってるんだし」 「あ、いや、その辺は大丈夫! うちはあんま忙しくないから」 「だからこそだよ。 うまくいくかどうかの大事な時でしょう? 宣伝とか研究とか話し合いとかした方がいいよ」 「……」 なんていい人なんだ! 「ありがとう! そこまで赤の他人の店を心配してくれて!」 「え、あ、だって、 その、余りなんというかうま―― い、いえ、始まったばかりで大変だろうから」 「でも、今日のところは手伝うよ」 「……」 「うん。判った。 じゃあ後で何か差し入れにいくよ」 ほ。なんとか予定通りになった。 というわけで。 がらくたを全部ばらしてみたのだが。 「うーん。このたこ焼き機は、 使えそうもないな……」 プレートは大丈夫だが、加熱する部分が壊れてる。なまじ修理するより買い換えた方が良さそうだ。 射的用のおもちゃのピストルは、筒のプラスチックがぼろぼろだし、金魚すくいの水槽は底が腐りきっていた。 水槽は作り直せそうだが、おもちゃのピストルはどうにもならない。 「差し入れ持ってきたよ!」 たい焼きだった。まだほかほかとあたたかい。 「ありがとうございます!」 計画通り二人きり。チャンス! 「どうだった?」 「テントの方は問題なかった」 「水槽はなんとか修理出来そうだけど、 ピストルとたこ焼きは駄目そうだ。 新しいのを買うしか」 「そっか……ありがと」 「………」 今こそ言うチャンスか!? 「冷めないうちに食べなくっちゃ駄目よ」 「あ、おう。 これも自腹?」 「高いもんじゃないから気にしないで」 とりあえず話すのは食べてからにしよう。 あつあつのたい焼きにかぶりつくと、ほどよい甘さが口の中一杯にひろがる。 うん。うまい。 「あのね……その……」 「うまいぞ」 「いや、そうじゃなくて、 あのね、私しゃべったりしないから、 気とか使わなくていいんだよ」 俺は思わずたい焼きを食うのを止めて。 「……え」 きららさんは、少しそっぽを向いていた。 いや、そんなこと心配してないよ。と言うわけにもいかず。俺は歯形がついたたい焼きを持ったままフリーズ。 「この前のはすっごく運がよかった。 それに冬馬さんが、その、しっかり 抱きしめててくれたから、だから大丈夫だったから」 「それにさ。サンタなんていないんだよ。 どこにもいない。いるはずがない。今の時期 サンタのコスプレ風の制服くらい普通だもの」 彼女は俺達に気を遣ってくれてるんだ。だが、俺は悲しくなった。俺達がまとめて否定されてるみたいで悲しくなった。 「俺は――」 「あ、中井君じゃないか! 鰐口のお嬢さんもこんにちわ! おお、おいしそうなたい焼きだね!」 場違いに明るい声。 「ええっ、 進さんどうしてここに!?」 「はっはっは! ここは僕の店だよ! ようやくくま電でのワークが終わってね。 帰って来たというわけさ! ひとついただくよ」 ひょい、と実に当然、というしぐさで、ペンキ屋さんはたい焼きをひとつ取った。 失念していた!ここはこの人がうろうろしているんだ!こんな所で告白が出来るわけがなかった! 「そ、そうですよね。不思議じゃないですよね。 あと、十年以上前から言ってますけど、 きららでいいですからっ」 「親しき仲にも礼儀ありだよ。 それはそうと、今年の氷灯祭用に 僕がペイントしたカラーリングはなんだと思う?」 しまった。それはそうとが!だが、きららさんにはいつもの切れがない。ここは俺が。 「え、ええと」 こちらが返事をするまもなく、ペンキ屋さんは続ける。 「今年はなんと! 僕が去年発見した新資料を基に くま電創業時のカラーリングを忠実に再現したん だよ! ああ、今こそよみがえる創業(中略)」 大家さんを見習って、ペンキ屋さんを肉体言語で黙らせるしかないと思った時、救い主が現れた! 「進さん、中井さんこんにちわぁ。 きららちゃん、ここにいるのは、 判っているんだよぉ」 「こんにちわ」 「おお! くま電の女神ではないですか!」 なぜくま電かを訊くのは自殺行為。それに、くま電のかどうかはともかく、救いの女神ではあった。 だがしかし、きららさんと二人きりになるには、この人も障害! 「ね、姉ちゃん! これには海より深いわけが! 多分、瀬戸内海よりもいやマリアナ海溝よりも 深い深いわけが!」 「深くても浅くてもどっちでもいいんだよぉ。 きららちゃんちに行くまでのあいだに、 ちゃーんと聞いてあげるからぁ」 「は、話しだしたら うちにつくまでに話せるほど短い話じゃないんです! 長い長いペンギンの話なみに長いんです!」 「それに大きな声だと五月蠅いし、 小さな声だと聞こえません!」 「ふふふぅ。だいじょうぶだよぉ。 それなら訊かないであげるからねぇ」 「彼女は俺に差し入れを持って来てくれたんです! 逃げようとかさぼろうとかじゃなくて、 ちゃんとワケがあったんです!」 「そ、そうなの! 冬馬さんに差し入れに来たの!」 「うんうん。みじかいはなしだったねぇ」 「あうあう」 「ちゃーんと差し入れたべてもらえたみたいだねぇ。 よーじも終わったようだから、 おしょくじ前のお勉強タイムだよぉ」 神賀浦さんの手が、きららさんの手首をつかんだ! 「た、たすけて!」 「女神よ! 鰐口のお嬢さんに余り乱暴なことは いけませんよ」 なぜ女神なんだ!?疑問はふくらむばかりだが。 「うん。いけないねぇ。 でも、これくらいだから乱暴じゃないよぉ」 そう言うと神賀浦さんは、空いた方の手でペンキ屋さんの手首を握ってみせた。 「ね?」 「なるほど! これなら乱暴ではないですね!」 「ですよねぇ」 そう言うと、ペンキ屋さんの手首を握っていた手が、きららさんのもう一方の手首へ移動した。 「お、おたすけ!」 「神賀浦さん! いやがる彼女に無理矢理教えても、 余り効率がよくないと思います」 「そ、そうだよ! 冬馬さんいいこと言う! 花丸あげちゃうよ!」 「うん。わたしもそう思うよぉ。でもぉ。 いやがらない時はねちゃってるきららちゃんに、 むりやり教える以外のほーほーがないんだよぉ」 「……無いんですか」 「うん。ない」 「ちょ、ちょっと冬馬さん納得しないで! 私だって、たまには、じゃなくて、もしかしたら、 いつか、きっと、遙か未来にはそんな心境に!」 「うふふ。はるかミライじゃ遅いんだよぉ。 みなさん、おさわがせしましたぁ」 「あれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」 ドップラー効果を残して、きららさんの声は遠ざかっていった。 「それはそうと、中井君は、 僕がなんで神賀浦さんを、くま電の女神と言うか 不思議に思ったろうね。それは」 俺は、逃げ出した。 「『俺がきららさんに言う』と、 中井冬馬が、雄々しく宣言してから はや一週間が経過した」 「決意は立派な中井冬馬であったが、 現実はきびしいのであった」 「たまに店に顔出したと思ったら、 変なナレーションをいれないでください」 「とーまくん」 「なんだ? 腹でも減ったか?」 「まだきららさんに告白してないんですか?」 「誤解を受けそうな言い方をするな」 「誤解? だって告白は告白ですよー」 「まぁ、そりゃそうだが」 「誤解が本当になることだってあるわよ。 それはそれで流されるのも人生」 「先生はいつも流されてばかりなんでしょうね」 「うーん。どっちかと言うと、 生ぬるいよどみに浮かんだままって感じかしら?」 嫌な人生だなぁ。 「『俺がきららさんに言う。それでいいか?』 ってビシッと言ってた割に行動が遅いですね」 「機会がな」 性質上、他の人に聞かれるわけにいかない話なのだが、彼女とふたりきりになるのは実に難しい。 「あ、そうか。 きららさんって人気者ですからねー」 「そういうことだ」 「でも、 あれからだって、何度かきららさん、 ここに来たじゃないですか」 「ななみ達が一緒の時だと、 話がややこしくなりそうで」 「確かに、りりかちゃんあたりが、 いろいろと口を挟んで混乱しそうですよねー」 どちらかというと、ななみが一番心配なんだが。言わぬが花。 「なら、自分の部屋に連れ込んで、 ちゃんと鍵をかけて、 無理矢理ふたりきりになればいいじゃない」 「って、なんですかその不穏な感じは!」 「ベッドがあるから出来るわよ。 なくたって出来るし」 「出来るんですかー。すごいですねー」 何が出来てすごいのか判っているのか?いや、判ってなくていい。 「でも、まじめな話。なかなか難しいわね」 「……」 「きららさんに打ち明けるからといって、 他の人に聞かれてもいいってわけではないし。 壁に耳あり障子に目ありだものね」 「もしかして……。 まじめに話しているんですか?」 「もちろんよ。アタシはいつだって真面目よ。 後輩が困っているんだから捨てておけないわ」 「………」 「さすが、年上が言うと、 説得力がありますねー」 「ふふ。人生の師とよびなさい」 「あ、まちがえました。 年上ではなく年増でしたー」 「余計な訂正すな!」 「……年上はそれくらいでは怒らないものよ」 「お、怒っていますね!」 「まず、話すときはふたりきりがいい、 これが第一条件ね」 「そうですね」 「人気のなくてしかも、人が来たらすぐ判る場所か、 滅多に人が来ない場所がいい。これが第二条件ね」 「……そんなところに呼び出したら、 思いっきり誤解されますね」 「冬馬さん、こんな所に呼び出して何の用? へへへ、用って言ったらこれしかないだろう! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「……」 「しくしく、もうお嫁にいけない……。 へへへ、この写真をばらまかれたくなかったら、 黙っていろよ。ついでに家賃もただにしろ!」 「あ、この手でもいいんじゃない?」 「よくないですよー」 「では、俺は倉庫の整理を……」 「待ちなさい」 「今更まじめぶっても、 だまされません」 「お! とーまくん、クールですね」 「そういう誤解をされずに、 告白しやすい状況を設定できる手段が あると言ったら?」 「……聞くだけは聞きましょう」 「いきなりそういう場所へ呼び出すのは論外だし、 日常の延長でそういうシチェーションを 作ろうとしてもうまくいかないのは当然よね?」 「この一週間でよく判りました」 「かといって二人きりになるのを、 単に待っているだけじゃ、 いつまで経っても告白できないわよね?」 「確かに……」 「だけど、私の提案する手段を使えば、 ふたりきりになるチャンスだって作り易いし、 ひとけのない場所へ行っても不自然じゃないわ」 「……」 願ったりかなったりだ。もし、先生が真面目に考えてればだけど。 「ま、うまくいくかは、 あなた次第だけど」 「わかりました! とーまくんが、きららさんの、 家庭教師になればいいんですね!」 「それなら教えている時は、 いつもふたりきりですよ」 「それが出来たら楽だけど、 トナカイはそういうのに向かないわ」 「それに、俺が金を出す人間なら、 神賀浦さんと俺を比較したら」 「あ、そうですね。 とーまくんを家庭教師にするなんて、 お金をドブに捨てるようなものです」 「……ちょっとだけ傷ついたぞ」 「中井さん、ここは思い切って」 「思い切って?」 「デートを申し込むしかないわ」 「……は?」 「あなたがきららさんに、 デートを申し込むしかないわ」 ………。 「きららさんとデートか……」 ………。 先生の言うことだから、ふざけていると笑い飛ばせばいいのかもしれなかった。だが、頭にこびりついて離れない。 確かに、一緒にある程度長い時間いれば、ふたりきりになるチャンスだって増える。 ひとけの無い場所へ行くのはアレだが、それでも、告白しやすくはあるだろう。 「……いい手なのかもしれないが」 そんなんでデートに誘うなんて、だましてるみたいで嫌だ。 「……って、俺は馬鹿か」 第一、きららさんが、うん、と言ってくれるかどうか判らない。ってか、多分無理。 自分が女性に生理的な嫌悪感をもたれるほど、絶望的な容姿性質の男とは思えない、が。だからと言って、応じて貰えるとは思えない。 嫌われてはいないだろうが、それは危なっかしい商売をしてる店子を心配してるレベル。別に特別な好意をもっているわけじゃない。 基本的に彼女は誰にでも親切だ。 誰にでも。 「……」 馬鹿馬鹿しい。他の手を考えるべきだ。 っていうか、わざわざそんなことをしなくても、チャンスはあるに違いない。 ………。 多分。 「差し入れ持って来たよ!」 「お! このにおいは肉だな!」 「おー、いつもすまねーな」 この人、みんな(俺も)ジョーさんって呼ぶけど、下の名前を知っている人は誰もいない。 「店長さんよ、取らねーと無くなるぜ」 「あ、はい」 「あれれ、冬馬さん。 具合でも悪いの?」 「肉を食べようとしないとは、 ひどく具合が悪いに違いないぜ!」 「あ、いえ。そういうわけじゃないです」 ペンキ屋さんが戻って来てから、ますます人がうろうろするようになって、二人きりになんてなれやしない。 「兄ちゃんが食わないなら、 このハンバーガーは俺のもの」 「だーめ」 もしかして、この前の時が最後のチャンスだったのか!? 「自分の決断力のなさが恨めしい!」 「うわわ。 冬馬さん急に苦悩してどうしたの!?」 「あ、ええと、みんなおいしそうだから、 どのモッコスバーガーにしようかと」 「全部同じ」 「いや、同じモノなど無いのだよ諸君!」 「猫塚の仕事は終わったのかい?」 「ちょっと構図に悩んでいてね。 それはそうと、さっきの同じモノはない という話だけどこれには根拠があるんだ」 「え? あれ」 気づくと、きららさんと谷野さんとジョーさんは、姿を消していた。 見捨てられた! 「同じ年代に同じ工場で製造されたくま電にも、 それぞれ微妙なクセがあってだね。 特に、二系統を走る車輌番号1193と――」 それから3時間俺だけがありがたいお言葉を拝聴させられたのだった。 木にサインペンで引いた直線に沿ってのこぎりを入れていく。 ゆらめくカンテラの明かりの中、おが屑が雪のように飛ぶ。 「ふぅ……。 雪が本格的に降り出す前に、 なんとか間に合いそうだ」 今夜は順調。これで人車の修理に必要な木材は全て揃った。 「労働はいい……」 面倒な事を考えなくて済む。なんと言ってもトナカイにふさわしくシンプルだ。 どうやって女の人をデートに誘うかなんて難しい事を、考えずに……。 「って、済んでどうする!」 昨日は徹夜して考えて何も思い浮かばず、今日こそは環境を変えて考えようとここへ来たのに、もくもくと作業しちまったよ! 木の切り株に腰を掛けて、改めて考える。一体いかにデート(?)を申し込むべきか。 衆人環視の中で、申し込むのはためらいがある。 だが、そもそも二人きりになる機会がないから、デート(?)を申し込むわけで。二人きりになれるならこんな事はしない。 かといって、携帯で誘うのも、初デート(?)を申し込むには軽すぎる。 八方ふさがりか! 「ふわぁ……」 考えてたら一睡も出来ないうちに朝。 これで二日完徹。 「あ。おはようございます。冬馬さん」 「おふぁよう……」 郵便受けからしろくま日報を引っ張り出す。 「こんな朝早くどうかした―― 凄いクマですね」 折り込みチラシを外してから、ちらり、と1面を見る。相変わらず問題の写真は載っていない。 緊張感がなくなったな。ホント。 「そんなに凄いか……。 あとでベンジンでも塗って消しておこう」 「模型じゃないんですから無理じゃないでしょうか」 「……そうか? ふぁぁ……まぁいいや。 ちょっと考え事をしてたら、眠れなくてね」 「冬馬さんでもそんな事があるんですか」 「たまにはね。 俺ってそんふぁに 神経太く見えるか?」 「え、いえ。 硯の話だとそんな感じだったので」 一体、俺をどんな人間だと話しているんだ? 残りの郵便物をあさる。ダイレクトメールばっかりだ。 まったく、ご苦労さんなこった。こんな印刷された手紙で、人の心が動かせると思っているのか。 真心をこめた手紙じゃなきゃ、心は動かせんぜ――。 「!」 「冬馬さん? どうかしましたか?」 その輝かしいアイデアは、雷鳴か天使のラッパのように俺の脳内に轟き渡った! 手紙だ! 直筆の手紙でデートを申し込めばいいんだ!これなら二人きりになれなくても問題ナシ! 「ありがとうさつきちゃん! 俺は書いて書いて書きまくるぞ!」 「な、なんだかよくわかりませんが、 頑張ってください」 「おう!」 「ふふ。ふふふふ」 俺のふところにはマーベラスなラブレター。あとはきららさんちへ届けるだけだ! 「……」 「あ、あの……」 「なんだい?」 「い、いえ、その。 中井さん、朝から少し、その……」 「大丈夫さ。万事うまくいくから!」 「そ、そうなんですか……何が?」 「未来。 おっと、そろそろ交代の時間だな!」 「え、あ、はい、そうですね」 「ただいまー!」 「く、重いわ……」 なぜか、買い物の荷物を全てりりかが持っていた。 「りりかちゃん勝負弱すぎです。 そうでなかったら、 わたしの溢れる才能の勝利ですよ」 「次に会う人が男か女か当てるのが、 才能のはずないでしょ!」 「全部外したりりかちゃんが言っても、 説得力ないですよ」 「帰って来たか! じゃ、俺は重大な用事があるんで、 後を頼む!」 「え、あ、ちょっと!?」 俺は後も見ずに駆けだした。青春は振り返ってはいけないのだ! 「とーまくん、どうしたんでしょう? 目の周りにあんなに凄いクマまで作って」 「アタシが知るわけ無いでしょ!」 「……もしかして」 「もしかして?」 「………青春?」 「なによそれは!」 俺は走る! 走る走る俺達!ってひとりなのに俺達とはこはいかに? 来た! 見た! 入れた! 「こんにちわぁ」 偉大な仕事を成し遂げた俺は、高揚した気分のまま挨拶。 「ははは! こんにちわ!」 「ご機嫌ですねぇ」 「ええ。未来はバラ色ですから!」 「そうなんですかぁ。 それは良かったですねぇ」 世界はキラキラした鱗粉をまぶしたように、一面輝いていた。 世界はひとりぼっちの夜のように光ひとつさしていなかった。 「………」 俺は真っ暗な部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。 目覚めて頭がすっきりした途端、襲って来たのは恐ろしい後悔。 俺は……。 俺は……なんて事をしちまったんだ! いくら、徹夜で神経がハイになってたからと言って、いきなりラブレターを投函するってどうよ? しかも。 「なに書いたか全く覚えてねぇ!」 「とーまくん、ごはんですよー」 「……今日はいい。 男が大きくなるための、 絶望を味わい尽くしているんだ」 「ええっ!? とーまくんどうかしたんですか!? いつもガツガツと食べるとーまくんが!」 「……俺ってそんなに腹ぺこキャラなのか」 「うん。そうですよ」 「………」 こういう時でも腹は減るのか。 「来ないと、全部食べちゃいますよー」 「こんな時にいったい誰が?」 液晶ディスプレイの表示は。 「きららさん!?」 もしかして怒り狂っているとか!? だ、だが意識が朦朧としていたとしても、俺がとった行動には変わらない、男なら責任を取らなければ! 「……はいもしもし」 「あ、あれ、冬馬さん……だよね? 声暗いけどどうしたの?」 「い、いや、明るいぞ。 部屋はまっくらだけど」 「電気くらいつけた方がいいよ。 目に悪いから」 「そ、そうだね」 怒ってる感じはしないな……。 「………あー、おほん」 「それで、肝心の返事しなくちゃだよね。 オッケーだから」 「え?」 「今度の日曜日の午前10時、 しろくま駅のくまっく前でどうかな?」 「え?」 どういう事? 「……おい。中井冬馬」 「は、はい」 「え? とか言うな。 申し込んで来たのはそっちなのよ」 「……」 「そ、そうだよな。 あ、うん。それでこっちもOKだ」 「じゃ、日曜日に」 「あ、ああ。ありがとう」 「どーいたしまして」 ………。 取りあえず。 「よっしゃ!」 「おお」 悩みが無くなって見上げる冬の青空は俺の心と同じように澄んでいた。 「あ。おはようございます。冬馬さん」 「おはよう!」 郵便受けからしろくま日報を引っ張り出す。 「悩みは……なくなったみたいですね」 折り込みチラシを外してから、ちらり、と1面を見る。 今日も大丈夫。 「ありがとうなさつきちゃん。 君のおかげだ!」 「そうなんですか? よくわかりませんが、 お役に立ててよかったです」 「う……」 結局、夕飯は、俺が電話のあと、喜びをかみしめている間に、ななみに食われてしまったのだ。 「寝不足は解消したみたいですけど、 今度は腹ぺこみたいですね」 「世の中、 あちらを立てればこちらが立たずさ」 「それ……なんだか違いますよ?」 「で、とーまくん。 きららさんのことは、 どうなったんですか?」 「任せておけ。 今度の日曜日にはケリをつけるさ」 「おお! 自信に満ちてますね」 「随分と具体的ね。 あ、この卵焼きおいしいわ!」 「ありがとうございます」 「どうやって二人きりになるのかな? もしかして、先生の提案通り きららさんとデート?」 「あ、それは、だな……」 デートなのか……やっぱり客観的に見るとそうだよな……。 「まさか! きら姉がそんなに趣味悪いわけないじゃない。 先生も冗談がきついわね」 「なるほど。振られましたかー」 「何を! 振られてない! オーケーもらったぞ!」 えええええええええっっっっっっっっ!? そこまで意外か?まぁ……確かに俺自身、何でオーケーして貰えたかよくわからないのだが。 疑念のまなざしが俺に集まる。 「あー、おほん。 ま、まぁ……そういうことだ」 「判りました! 神風が吹いたんですね」 「神風は関係ないのでは……」 「きら姉をどうやって脅したのよ!」 「普通に手紙で申し込んだだけだ!」 「おー、ラブレターですか」 「え、あ、まぁ……」 正面切ってそう言われると照れる。 「ラブレター……」 「どういう文面で脅したのよ!」 「……」 「って、なに黙るのよ! 本当に脅して無理矢理……サイテー」 「そんなわけないだろ!」 多分。きららさんの声からして、そういう感じじゃなかったし。 今はもう忘れられてしまった過去の俺よ。脅してなんかいないよな? 「いつのまに そこまでラブになったんですかー」 「これは、あれだ……。 あくまで、その、手段であって――」 「そうよ。ラブなのはこいつだけよ」 「で、とーまくん。 当日のデートコースとか、 もう決めているんですよね?」 「ま、まぁな。 任せておけ」 何も決めていない。ってか、考えてもいなかった! デートコースか……。 「い、いつぅぅぅぅぅぅぅ!」 トンカチを釘でなくて指に! 「おいおい、大丈夫か?」 「あ、ああ、どうも。大丈夫です」 「3度目だぜ」 「いや、大したことないですこれくらい!」 「おう、その調子だぜ! 釘が貫通したわけじゃねェんだ」 「今日、きららさん遅いですね」 「色んな関係者との 面倒な打ち合わせだとよ」 「なるほど……」 「中井君! 君は鰐口のお嬢さんを 随分と気にしているようだね」 いきなり後ろから言われて、俺は飛び上がるかと思った。 「え、いえ、そういうわけでは」 「隠しても判るよ。 ジョーさんもそう思うよね?」 「まァな」 「そうだろうそうだろう! 誰だって判るさ! つまりこれは恋だね!」 ペンキ屋さんは、何もかも判っているという顔をして、俺の肩をたたいた。 「僕のくま電愛を隠せないように、 中井君の愛も隠せないんだよ! 愛というのはそういうものなんだ!」 「だから、 彼女をデートに誘い給え!」 「ええっ!?」 この人の口からこんな言葉が出るとは! 「自信がないのかい? だが大丈夫!」 「こんなこともあろうかと 女の子なら誰でも喜ぶスペシャルなデートコースを 僕が作成してあるからさ! ここに!」 ペンキ屋さんがポケットから取り出した茶封筒は、神々しくもありがたく。 自信に満ちあふれたその言葉は、俺をすがらせる藁として十分だった。 「恩に着ます!」 ありがたくもかたじけなく、封筒を受け取ると、 「うむ。中井君は、 鰐口のお嬢さんの承諾を貰う事にだけ、 全勢力を注ぎ給え!」 「はい!」 もう貰っているのだけど。 「見事、承諾をもらった暁には、 デートの当日、このしろくま電気軌道特注の封筒を 開けるんだ! わかったね?」 「はい!」 「それはそうと、 しろくま電気軌道特注封筒のロゴは、 これまで都合3回変わっていてね」 それから3時間。ペンキ屋さんの話を聞かされたが。 今の俺にはペンキ屋さんのどんな言葉でもありがたくかたじけなかった。 で、日曜日! しかも、デート日和! 「あんた浮かれてるみたいだけど、 勘違いしちゃだめよ。 これはデートでもなんでもないんだからね!」 「……判っているさ」 俺はうきうきしている。だが忘れてはいけない。 これはいつわりのデート。別にそのなんだ、告白のお膳立てにすぎない。 う……ちょっと罪悪感。 午前9時30分。待ち合わせの時刻まで30分ある。 「ついにか」 俺は、茶封筒(しろくま電気軌道特注)の封を切った! ペンキ屋さんの作ってくれた計画書が、そのかたじけなさを遺憾なく発揮する時が来た! 「こ、これは!?」 くま電にある5つの系統を、一筆描きでで制覇する一日乗り放題コースだとぉっ!? このスケジュールに従って乗り換え乗降すると、朝11時から夜の6時まで、ひたすらくま電に乗っていることに。 スペシャルだがスペシャルすぎる!りりかならスーパースペシャルと言うだろう。 確かに、女の子なら誰でも喜ぶデートコースだ。ただしペンキ屋さん並のくま電マニア限定の。 「あ、あはは……」 人間溺れると掴んでしまうのは藁程度でしかないというありがたくない教訓。 どうする!?なんの予定も立てていないぞ! 「おはよ!」 封筒(しろくま電気軌道特注)と計画書を握りつぶして振り返る。 「おほん……おはよう」 デート(?)の待ち合わせで、相手に醜態を見せるのはアレだ。 既にさんざん見せてる気もするが。 「早いね。びっくりした。 待ち合わせすると、 たいてい私が一番なんだけどな」 「相手より先に来るのが、 男のたしなみだからな」 「そうなの?」 「違うのか?」 「だって、 それって大変じゃない」 「なんで?」 「待ち合わせの時刻は判っても、 相手がいつ来るかなんて判らないんだから。 相手も早く来ちゃうかもよ」 「むむ。そういえば」 「待ち合わせの時刻に遅れなければ、 いいんじゃないかな? 私は10分前にはつけるようにしてるけどね」 「ってことは、 余裕を見て30分前に来て 正解だったな」 「え、じゃあ、 20分も待たせちゃった!?」 「いや、今、来たところだから」 「それっておかしい。 計算があいません」 「男は、デートの時、 女がいくら遅れてきても、 『今、来たところさ』と言う物なんだ」 多分。 「……」 「……きららさん?」 「ええと……あの…… そ、そっか、デートなんだ?」 「え、あ、うん、そうだろう」 きららさんが俯いてもじもじすると、俺の方にもそれがうつってしまう。 「まぁ、そうだよね……。 この状況だと……そう、なんだよね」 落ち着け俺! 「そっか……なら、見てたのは……。 進さんのアレ……だよね?」 「アレ……? じゃなくて、どうしてこれが 進さんがくれた物だと!?」 「だって、そんな封筒使ってる人、 つきあいのある人では、 進さんしかいないもの」 「……そりゃそうか」 「あの人、 周りで、その、デートとかしそうな人みると、 好意で作ってくれるんだよ。それ」 いつものことだったのか! 「でも、お姉ちゃんならともかく 私は、くま電一日乗り放題とかは、 ちょっと遠慮したいかな」 「まさにその通りだった」 「でも、冬馬さんが、是非の是非にそうしたい くま電、好き好き超愛してるって言うなら、 じっと我慢の子で反対しないけど」 「いや、是非反対してくれ!」 「ほ……よかった。 冬馬さんがそうしたいって言い出したら、 どうしようかってドキドキしちゃったよ」 「きららさんが、くま電、好き好き超愛してる、 一日中乗り放題まんせーとか 言い出したらどうしようかとドキドキだった」 「確かにそれはドキドキね」 ペンキ屋さんのおかげで、なんとなく空気がほぐれた。感謝はしないけどな。 「くま電乗り放題はやめるとして、 どうするの?」 「この町のこと、 まだよく知らないから、 きららさんと一緒に歩いてみたい」 「……いいのそれで? 別に今日じゃなくても、 この町なら歩けるよ」 「いや、今日じゃなくっちゃ駄目だ」 きららさんと半日は一緒にいられる今日じゃなくちゃだめだ。なぜかそんな気がした。 「……そっか。 私もその方がいいや」 きららさんはそう言うと、腕時計を見た。 「あ、その前に、 ちょっと一緒に見たい物があるんだけど、 いいかな?」 「あー、面白かった!」 約3時間の暗闇から解放されると、冬の澄んだ青空が目にしみる。 「……そうか?」 「ああいう映画嫌い? だったらごめん」 映画館でかかっていたのは、いかにも金がかかっていなそうな安っぽいホラー映画の3本立て。 夏休みが終わらない内に死んだ男の子が、心残りの余り死霊となって夏休みを過ごす。『死霊と生霊と夏休みの日記』 マッドサイエンティストが死霊を人体標本にしようと苦闘する。『死霊と生霊と人体標本』 売れないマラカス奏者のマラカスの出す音波が、町に死霊と生霊を呼び寄せて大騒動を起こす。『死霊と生霊とマラカス野郎』 題名を聞いただけで、駄目な感じがする映画3本は、見ても駄目な3本だった。 「嫌いってわけじゃないが……。 映画館でわざわざ見る映画じゃない。 見たいならKUTAYAのレンタルで十分」 「だって、 カップル割引で見たかったんだもん」 「まさか……それだけ?」 「それだけとはなによ。 割引は重要よ。割引は!」 きららさんは、俺を、ずびし、と指さして。 「割引なしで映画館に行くなんて、 裸でくま電に乗るようなものだよ!」 「わけがわからないぞその例えは」 そう言えば……。俺達と『おかえりくまっく』を見に行った時も、団体割引チケットを使ってたな。 「それに……一度、カップル割引で、 入ってみたかったんだもの」 「もしかして初めて?」 「悪い? 男の人だけと一緒にいったのは、 初めてなんだもの」 俺達のわきを、くま電がゆっくりと通り過ぎていく。 「前は友達と?」 「学生の頃は友達とつるんで、 話のネタにくだらなーい映画とか、 よく見てたんだけどね」 「団体チケットで?」 「うん」 「その子達は?」 「ブンちゃんもエツコもハルミもトージもヨーヘイも、 卒業したら、大学へ行ったり就職したりで、 町を出て行っちゃってさ。しょーがないけどね」 「一人じゃ行かないんだ。映画」 「そうだよ。 私にとって映画はひとりで見るものじゃないの」 「ならさ。 映画に行こうかなって時には、 誘ってくれればいつでも行くよ」 俺は格別の意識もなく言ったのだけど、 「それって、新手のナンパ?」 「い、いや、そうじゃないぞ! 俺はただ、行く人がいないならってだけで、 別に俺じゃなくてななみ達でもいいわけだし」 「冗談だよ。判ってるって」 きららさんは、俺の顔を覗き込むように見た。 「冬馬さんって不思議だね」 「そうか……?」 不思議な職業に就いてるが、健全で年相応の男だと思う。 「たまにだけどね。 エトランジェだからかな」 「えとらんじぇ?」 「異邦人のコトよ」 不意に、俺達の脇に黒くてぴかぴかした大きな車が停止した。 「きららさん。こんにちわ。 どちらへお出かけなのかしら?」 開いた窓から顔を覗かせたのは、ドレスを着た老婦人。 「今日は目的もなくブラブラと」 「あら。それは珍しいですわね」 老婦人の視線が俺に向けられた。 「そちらの方は、確か……」 「俺は――」 車の奥から声がした。 「ジェーン様。あの方は、 きのした玩具店の店長、 中井冬馬様で御座いますよ」 「ああ、そうでしたわね」 「しろくま町を案内してるんです」 「そうなんですデートとかじゃないんです!」 「……」 老婦人の顔に、いたずらっぽい表情が浮かんだ。 「なるほど。そうでしたの。 この事はアリには言わないであげますわ」 「え、いえ、そんな、 別に知られても困ることじゃ……」 「おほほほ。万事わたくしにお任せなさい。 言いふらそうという慮外者がいらしたら、 釘を刺してあげますわ」 「え、ちょっとジェーンさん!」 「中井さん。 きららさんをよろしくお願いしますね」 「あ、はい」 「ふぅ……。 一瞬で広まっちゃうな……」 「ごめんな。 俺がもっとうまく対応していれば!」 「いや、どうしようもなかったって。 ま、一週間で広まるか、 三日で広まるかくらいの差だけど」 「それはそれとして、 さっきのはちょっとムカついた」 「何が? 心当たりがないんだが」 「デートとかじゃないんです。 とか力一杯きっぱり言っちゃってさ。 誘ったのはそっちのくせに」 「きららさんだって、 町を案内してるんだ、 って言ったじゃないか」 きららさんが、ずい、と迫ってきた。 「誘ったのはそっちのくせに」 「それは、そうだが」 きららさんは尚も、ずずい、と迫ってきた。 「いっそ、このまま、 キスでもしちゃおうか。 そうすればデートになるかも」 「え、ちょ、ちょっと! 早まるな!」 「なーんてね」 俺はきららさんに連れられるままに、ほらあなマーケットをぶらつく。 「へぇ……こんな店が」 ひっそりと開いた細い脇道を1メートルくらい入ると、そこにも小さな店があった。 「漬け物の専門店なんだよ」 店名は『らっきょう』というらしい、看板はペンキ屋さん製。隅にくま電が描いてあるから間違いない。 「おや、きららちゃん。 いい男連れてるじゃないか。 紹介しておくれよ」 「この人、 ほら、ツリーハウスに入った おもちゃ屋の店長さん」 「ああ、あの噂の」 「どんな噂なんですか?」 「言いにくいけど言っちゃうよ。 売れそうもない酔狂な店だってさ」 「う」 渡る世間はキビシイ。 「この人は早川靖子さん。 まったく、靖子さんが会合に出てくれれば とっくに知り合いになってたのに」 「悪い悪い」 「さぁて、今日は新しいお客さんを 紹介したんだから、 商店会費払ってね。約束したわよね?」 「まったく、しっかりしてるね。 ほら、商店会費」 「もしかして…… この為に俺をここに!?」 「それだけじゃないって。 ひのふのみぃよ。確かに受け取りました」 「お、酒粕も扱ってるんだ」 「粕漬けがあるからね。 お、今日はあったあった。 酒粕ならこの銘酒『猫だまし』のがいいよ」 「有名なお酒なのか?」 「有名かどうかは知らないけど、おいしいんだ。 この酒粕。料理に使うと味がよくなるし。 甘酒にしても絶品なの」 「甘酒って、これから作るのか? 発酵させて作るんだとばかり」 「あー、そういう甘酒もあるけど、 酒粕にお砂糖をくわえてお湯で溶かして、 とろとろにして作るっていうのもあるんだ」 「おお。なるほど」 「きららちゃん気をつけな。 この人、教えてくれとか言って家に連れ込んで、 きららちゃんをデザートに甘酒飲むつもりだよ」 「気をつけまーす」 「しません」 「ねえ靖子さん。 新しいお得意様開発のためにも、 ここはひとつサービスが必要なんじゃない?」 靖子さんは、しょうがないなという風に肩をすくめると、『猫だまし』の酒粕を一袋くれた。 「めりーくりすます! じんぐるべる! めりー!」 「あ。丘じいちゃん」 「めりーめりー。 ゆー、あー、さんたくろーす!」 「え、俺!? 俺は」 「はいはい。みんなサンタクロースだね。 丘じいちゃん。家の人心配してるよ」 きららさんは、丘さんの手をひいてゆっくり歩き出した。 「めりーくりすます! ええと、あんたは……。 そうだ、さんたくろーす!」 少しよろける丘さんに、俺は肩を貸した。 「はい、そうですよ丘さん。 俺はさんたくろーす」 トナカイだけどな。 「メリー!」 「ごめんね。 なんだか色々つきあわせて」 「いいって、 あれがいつものこの町なんだろ?」 「うん」 「あ」 「どうかした?」 「ごめん。やっぱりいいや。 またほらあなマーケットに戻るね。 まだ紹介してない店あるから」 「いいよ。俺に気を遣わなくても」 「……ん」 「じゃあ、お言葉に甘えて」 きららさんは、さっき声をあげた所まで引き返した。 「もしかして……。 ここもきららさんちの物件?」 「そうだよ。 あさって新しい店子が入るんだけど、 ガス周りとか軽く最終点検しとこうかなって」 「手伝おうか?」 「え。いいの?」 「ぼさっと突っ立って、 きららさんの仕事を見ているだけじゃ、 手持ちぶさただからな」 点検したり他の店子の相談に乗ったりしてから、またほらあなマーケットへ戻ってぶらぶら。 「にんじん、おいしいね」 八百屋さんがくれた今朝取れたばかりのにんじんは、確かにうまかった。 「ああ、うまいな」 俺達は生のニンジンをかじりながら、徐々に夕暮れが迫ってきたほらあなマーケットを並んで歩く。 「でも、ニンジンをかじりながら歩く、 カップルって変かもな」 「そうかな? 生だけどちゃんと洗ってあるよ」 「なら問題ないな」 確かに問題はない。俺達はそう悪く無い感じだった。 「お、きららちゃん、若店長。 いつのまにそういう仲になったんだ」 ここ数週間で顔見知りになった人達にひやかされるのも、こそばゆいけど、悪く無かった。 「こんにちわ。 で、そういう仲ってなにかな?」 「一緒にニンジンを囓る仲じゃないか?」 「若店長。どうせ囓るなら、 一本のニンジンを両ハシから かじるってのはどうだ?」 「おお。その手があったか!」 「ついでに、きららちゃんまで、 ぱくっとな」 「はいはいオヤジギャグはその辺まで。 お店をほっぽっといてふらふらしてると、 奥さんに後でおしおきされるよ」 角田さんは肩をすくめた。 「おー、こわこわ。 じゃ、無粋なオヤジは退散するさ」 立ち去る角田さんの背中を見ながら、きららさんが言った。 「あのさ。冬馬さん。 ちょっとはデートっぽいことしない?」 「いらっしゃいませ」 ネーヴェのカウンターの向こうから、美人マスターの美樹さんの笑顔が迎えてくれる。 「こんにちわ! あれ? クレイジーズの誰か来てたの?」 クレイジーズ?苦隷自慰図? 「ネコさんがさっきまで」 「そっか」 「男の方とふたりで来るのは、 初めてですね」 初めてなのか。 「うん。初デート」 実にさらりときららさんが言った。その自然さが心地よかった。 「そうなんですよ」 こんなことなら純粋に誘えばよかった。 だけど、純粋な気持ちだったら誘うなんて考えなかったろう。 俺達は奥のテーブルについた。音楽は軽快なイージーリスニングに変わっていた。 俺はコーヒーを、きららさんは紅茶を頼んだ。 お冷やを口に含んで少し落ち着いてから言葉を探す。 どうして俺の誘いに乗ったの?どうして俺とここへ来たの? だけど、そんな直球なことを訊く代わりに、別の事を口に出していた。 「ネコさんって言うのは、 本屋の猫塚さんのこと?」 デートみたいなこの雰囲気を、崩したくなかった。 「そうだよ。あの人達の誰かが来るとね。 この店では必ず、バッハの曲がかけられるの。 だから判るんだ。来てたのが」 「あの人達って……? もしかして苦隷自慰図っていうのが あの人達の事なのか?」 「あ。冬馬さんは知らないんだ。 そっか、当たり前だよね」 きららさんはどう説明しようか、という風にしばらく黙り、紅茶をスプーンでくるくるとかき回していたが。 「クレイジーズっていうのは、 うちの祖母ちゃんとその仲間の事なの」 「祖母ちゃん。丘じいちゃん。ジェーンさん。 ネコさん。タイガーさん。 高田さん。梅井さん。で七人組」 後ろの3人は聞いた事のない名前だった。 「この町では有名なの?」 「この界隈で知らない人はいないよ」 「昔は凄いワルだったとか?」 苦隷自慰図。昔の愚連隊みたいな名前だものな。それにあの大家さんだし。 「ワルかどうかは判らないけど、 いろいろ悪さはしたらしいよ」 「カツアゲとか?」 「冬馬さん。 私の祖母をどういう目で見ているのかね」 「ごめん。つい」 「まぁ……判るけどさ。 あの『カリヨン塔』が幽霊塔って呼ばれた 原因を作ったのも祖母ちゃん達なんだって」 「幽霊のふりして、 いたずらでもした、とか?」 「聞いた話ではそうらしいよ」 「つまり……悪ガキ軍団?」 「うん。 タイガーさんがボスで、 祖母ちゃんが裏ボス」 「……裏ボスか」 想像つきすぎる。 「でもね。ただの悪ガキじゃなかったんだよ。 7人が揃うと、 何かやってくれちゃう人達だったの」 「へぇぇ」 「『おかえりくまっく』でさ、 市民運動のボスは庭木さん、参謀は祖母ちゃんが、 モデルだったって知ってるよね?」 「ああ。この前、聞いた」 「映画でさ。 他にも何人かいたでしょう? 同じ歳くらいのキャラが」 「あ。運動の中心になってた人達のこと?」 「あの人達のモデルが、 クレイジーズ」 「え、でも、庭木さんの名前、 さっきなかったぞ」 「タイガーさんが、庭木さん。 庭木虎蔵だったから」 「ああ……なるほど」 鰐口だからアリゲーター。だから、アリだったのか。 「だけど、 それがどうしてバッハなんだ? 全然結びつかない」 あのメイドさんを連れた老婦人、ジェーンさんなら、なんとなく納得だが。 「あー差別だ。 人を見かけで判断しちゃ駄目だぞ」 「でも、大家さんなんかは、 バリバリのド演歌って感じじゃないか」 「そりゃ、カラオケではそればっかりだけど、 前はよく、携帯プレイヤーで、 バッハ聞いてたよ」 「へぇ……」 「ずっと前に丘じいちゃんに聞いた所によると。 戦前、この町に住んでいたある外人さんが、 家でバッハの曲を始終弾いてたんだって」 「それが子供心に耳に残って、 クレイジーズのみんなにとって バッハは特別な作曲家になったんだそうよ」 「あの大家さんがバッハか……」 「冬馬さんは誤解してるよ。 そりゃ祖母ちゃんは業突張りだし、 欲深いしケチだし口も意地も悪いけど」 「誤解していないな」 「あう……そ、そうだね」 きららさんは、気を取り直して、 「おほん。 だけど、それだけじゃないんだもの」 「この町って、奇妙な物件が一杯あるでしょ。 洋館とか和洋折衷の建物とか、カリヨン塔とか」 「そういやそうだな。 きららさんちの物件にも何軒かあったっけ」 サー・アルフレッド・キングのお屋敷もそうだな。 「ああいうのはみんな、明治から大正にかけて、 祖母ちゃんのひいひいお祖父ちゃん達が 建てたものなんだ」 「大工さんだったっけ?」 「うん。棟梁だったんだって。 だから二束三文で買いたたいたのは 確かだけど、それだけじゃないんだ」 「ひいひいお祖父ちゃんの、 思い出のためにか……。 いい話だ!」 「……多分」 「多分かい!」 「だって、そうだったとしても、 あの祖母ちゃんがそんなコト、 正直に話すわけないじゃん」 「確かに」 「だけどね。祖母ちゃんが買ったからこそ、 多くの建物が取り壊されずに済んだんだもの」 「今では冬馬さんに見せた数件を残して、 町に譲渡して、立派な観光資源に、 なっているってわけ」 やっぱりいい話なのか? 「……でも、その」 「譲渡する時、 結構ぼったらしいけどね……あはは」 「台無しだ!」 「だね……でも、ほら、 生活っていうのがあるわけだし……」 「きららさんは 祖母ちゃんが好きなんだな」 きららさんはなぜか頬を紅くして、 「え、あ、いや、それは」 「あー、あったりまえじゃん!」 そう言うと、一気に紅茶を飲み干し、 「って、祖母ちゃんの話ばっかり。 これ違う! なし! 私馬鹿だなぁ。 話題が狭くてごめんなしゃい」 「なんで? 謝ることなんてないだろ」 「だって。せっかくわざわざ喫茶店来て、 いつもしそうな話しても、デートっぽくないもの。 しかも祖母ちゃんの話なんて」 「そんなことない。 俺はきららさんのこと、 全然知らないから新鮮だ」 「そ、そうなの? ならいいんだけど。 あ、それから、今、喋ったこと、 祖母ちゃんには内緒ね」 カウンターの向こう側で、美樹さんがこっそり笑っていた。 ネーヴェを出たら、町は夕暮れ。 いかん。俺達の正体を告白しないまま、こんな時間に! 「冬馬さん」 「あ、送っていくよ」 「……え? でも」 「そろそろ暗くなるし」 俺がデートを申し込んだのが、あの告白のためだって知ったら、彼女は機嫌を損ねるだろう。 なら。無理に今日言わなくてもいいか……。 「……」 「あのさ。海、見に行かない?」 「次はしろくま海岸。 しろくま海岸でございます」 11月も末の海岸は、ただ何もなく寒かった。 壊れかけた小さな倉庫らしき建物が、ひとつだけぽつんとあって、かえって何もなさが倍加している。 「海のばかやろー」 「ストレスでもたまってたの?」 「ううん。単に定番かなって」 俺達の足下で、砂がさくりさくりと音を立てる。 「夕日に向かって走るんじゃないのか?」 「あ、それもあるね。 でも、そんな気分じゃないかな」 「誰も……いないな」 きららさんは足を止めて俺を見た。 「だから、来たの」 「……」 「冬馬さんも、 その方が好都合なんじゃないの?」 俺はきららさんを見つめ返した。 「だから……俺の申し出を?」 「ん、そう……だね」 なぜ彼女が、知り合って間もない俺の、唐突な誘いを受けてくれたのか判った。 それは、こうしないと二人きりになるチャンスを作れないと、考えたからだったのだ。 「手間をかけてすまん」 「ホントだよ。 これを初デートって考えるのは癪だから、 カウントしませんからね」 「……それがいいな」 お互い承知していたんだ。デートじゃないと。判っていたはずなのにな。ちょっと、がっかり。 「じゃあ本題。 冬馬さんって、赤天狗なの? 飛ぶ人でもいいけど」 「この町の赤天狗様は、 もしかしたら、昔の人が俺の同類を、 そう呼んだのかもしれないけれど」 「俺は、赤天狗じゃない。トナカイだ」 「それって…… 比喩とか単なる愛称とかじゃないんだよね?」 「そのものずばりだ」 「もしかして……。 今は変身して人間になってるの?」 「いや、違うよ。 サンタが乗っているソリを引っ張るメカの 操縦士ってとこかな」 「……バイクみたいな乗り物?」 「セルヴィって言うんだ。 見たんだ。あの時」 「うん。はっきり見ちゃった。 冬馬さんがバイクみたいな乗り物にのって、 空を飛んでいたのを」 「更科さんとかに、 言わないでくれてありがとな」 きららさんは、手をぶんぶんと振った。 「そんな、お礼を言われるようなコトじゃないよ。 店子の秘密をべらべら喋る大家なんて、 最低だもの」 きららさんは、波打ち際のほんの端を、ゆっくりと歩いて行く。俺も後へ続く。 「トナカイってことはさ。 サンタもいるんだよね?」 「ご明察」 「ななみちゃん、 りりかちゃん、 硯ちゃん?」 「ああ、そうだ」 「そっか……あの子達がね……」 「驚かないんだな」 「冬馬さん達って、 どこか浮世離れした人達だから。 アリだな、って」 「ほめ言葉?」 「どうだろ? 婆ちゃんだったら間違いなく悪態だね。 姉ちゃんならほめ言葉かも」 「あー」 納得。 「……」 「そっか……見間違えじゃなかったんだ。 サンタもトナカイもいるんだ……」 「こんな奴らで残念だろ?」 きららさんは立ち止まると、小さく首を振った。 「そんなことないよ。 残念も何も、全く信じてなかったんだもの」 「ただ……お姉ちゃんの言ってたコトは、 ホントだったんだなって思ってね」 「それはどうかな。 ご両親に貰ったのを、そう思ってるだけ、 ってこともありうるし」 「……」 きららさんはまたゆっくり歩き始めた。俺は無言で隣を歩く。 冬の海の打ち寄せる音が、絶え間なく響いている。 しばらくそうしていたら、 「あのね。私、誰かに言う気なんて、 これっぽっちもなかったんだよ」 と、きららさんが呟いた。 「落ちたのを助けてもらうまでは、 錯覚だと思い込もうとしてたし。 あれ以降は、秘密にしておこうと思ってたし」 「そうじゃないかって思ってた」 「ならさ。 打ち明けなくてもよかったんじゃない? それとも、たいした秘密じゃないの?」 「基本的には 知られちゃいけないコトになってる」 「なんで?」 「サンタだって知られると、 プレゼントを直接頼んでくる人が、 出てくるかもしれない」 「そうすると、不公平が生じるだろ?」 「なるほど。なんだかもっともらしいね。 だとすれば……」 「目撃してたことを確認した後で、 黒服の二人組が来て、 私の記憶を消しちゃうんだ」 「サンタはそんな事しない」 「出来れば、ここ半年くらいの記憶だけにして欲し いな。せっかく覚えた試験勉強分も消さないで! 合格率が10%から0になっちゃう!」 「大丈夫だって、しないって そんな心配しないで」 「冗談♪ でも、じゃあなぜ打ち明けたの?」 「俺……いや俺たち、 きららさんには 嘘を重ねたくなかったんだ」 「その程度、嘘って言わないし、 嘘だったとしても方便よ。 誰だって秘密くらい持ってるものだし」 「………」 「きららさんなら、 打ち明けても、 変わらないだろうと思ったんだ」 「いや、打ち明ければ、 もっと……判ってもらえるんじゃないかと思った」 「………」 「ええと……うまく言えないけど、 そんな積極的な感じで」 「そっか……。 信頼してくれてありがと」 「ま、当然か。 店子と大家は親子も同然だものね」 「かあさん!」 「息子よ。 そうやって甘えても、 小遣いはやらんぞ」 「ケチ」 俺達は顔を見合わせて小さく笑った。 「でも、冬馬さんってホント不器用。 相談があるって携帯に連絡してくれれば、 都合くらいつけたのに」 「……あ」 「なんだ、思いつかなかったんだ。 でも、だからって、 デートの申し込みするかな? 普通」 「それしか、その……。 思いつかなかったんだ」 「しかもあんな珍妙な手紙でさ」 「……あはは」 気になる。中身がとても気になる!だが、寝不足でハイになって書いたとは、とても言えません。 「じゃあさ。つぐみんはどうするの? あの時、彼女は写真撮ってたよ? それってまずくないの?」 「とてもまずい」 「でも、決定的な写真ってわけじゃないと思うよ。 それならとっくの昔に『しろくま日報』に 載ってるはずだもの」 「俺達も最近、そうじゃないかって 思うようになった。 出来れば何を撮ったのか確かめたい」 「でも、 冬馬さん達が探りをいれてるって判ったら、 つぐみんはもっと疑うだろうね」 「そうなんだよな……」 出来れば、きららさんに探って欲しいけど、スパイみたいな事してくれとは、言えないものな。 「いっそ打ち明けたら? あ、駄目か。 あの子、絶対記事にしちゃうものね」 「きららさんもそう思うのか?」 「だって、大スクープだよ」 「だよな……だから困ってるんだ」 「もしもさ。 新聞とかに 決定的な写真が載ったらどうなるの?」 「……俺達はこの町にいられなくなると思う」 「うーん。それは大家として困る。 あの物件に入居してくれる奇特な人なんて、 滅多にいないんだから」 「そういう心配デスカ」 「あ、でも。 サンタの秘密基地だって知られれば、 観光客が押し寄せるかも!」 「俺達の運命はどうでもいいんかい!」 「冗談だって」 「だから、その頼みにくいんだが、 出来ればきららさんに」 「つぐみんが何を撮ったか、 探り出して欲しいと?」 「頼める……かな?」 「……いいよ。それくらい。 急にいなくなられちゃったら、 こっちも困るしね」 「ありがとう」 「あーあ、ここんとこ冬馬さんが、 私のことちらちら見てるからさ」 気づかれてたのか。 「私の魅力も満更捨てたもんじゃないって、 ちょーっと嬉しくなったりしてたのに、 見られてたかどうか気にしてただけか」 「しょんぼり……がっかり」 「あ、や、そんながっかりするコト無いぞ! きららさんは十分魅力的だ!」 「そ、そんな、あはは。 いやだなぁ、もう、 ほ、本気にしちゃうよ!」 「え、あ、でも、 その、魅力的だ……と思う」 急に気恥ずかしくなる。 「も、もう…… そんなこと言わなくても、 ちゃんとやるのに……」 俺達は黙り込んだ。辺りは、打ち寄せる波の音のせいで、かえって静かだった。 こそばゆいような、だが、そんなに悪く無い、不思議な沈黙。 「え、えっと…… そっちの用事も終わったし、 そろそろ帰ろうか!」 「……ああ」 きららさんは、今日のことを、デートだと思ってくれないだろう。 それが、残念だった。 「店長! 見てきなさい」 店長でパシリ扱いかよ。 「おま――」 「いらっしゃいませ」 客の応対なら、俺よりこの二人に任せたほうがいい。 「任せる」 「え、きららさん?」 「おはよう!」 同時に突き付けられた一枚の紙切れ。 「で、これがつぐみんが撮った写真。 を、カラーコピーしたもの」 「ええっ。もう手にいれたのか!?」 「ひっひっひ。蛇の道は蛇って奴っすよ。 まぁまずは見てみそ」 「……確かにセルヴィが写ってる」 「私にも冬馬さんが乗ってた、 乗り物に見えるけど」 「それは多分。 俺達はこれが何か知っているから、だな」 画像はブレてしかも滲みまくり、その上、ルミナの力の作用でか、あちこち不自然に白く飛んでいた。 これでは夜空を写したかどうかすら判らない。 「これじゃあ持ち込めないわけだよ。 つぐみんらしくないことに、 全然ピント合ってないし」 おそらく、更科本人は何も見えて無かったが、きららさんの動きに反応して、カメラを向けてシャッターを押しただけだったのだ。 ピントを合わせるなんて出来るはずがない。あのカメラでは、手ぶれ補正機能なんてついてなさそうだし。 「だから載らないわけか」 「でも疑ってはいるから 粘ってるんだろうね」 「少なくとも何かは写ってるわけだからな。 で、どうやって手に入れたんだ?」 「ですから、蛇の道は蛇。うちは不動産屋なのよ。 こわーい人達に『更科ってちょっとめざわりだな』 とか囁くと、なぜかつぐみんがひどい目に」 「今頃つぐみんは 熊崎港から東南アジア辺りへ向かう船に、 箱詰めにされて詰め込まれているわ」 「な、なんて恐ろしい!」 「勘違いしないでね。うちは囁いただけで、 つぐみんを襲って身ぐるみ剥げ とか具体的に命令したわけじゃないから」 「ひぃ」 「もちろん。冗談だけど」 「……」 「はは。判ってたさ」 「何よその間は」 大家さんを見てると、微妙にありそうだったりして。 「ホントの所は?」 「つぐみん、サブローさんにだけは、 写真、見せるだろうと踏んで、 ビンゴ!」 「サブローさん?」 「あ、そうか。冬馬さん知らないか。 水橋の百合恵さんの旦那さん。 UFOの研究者っていうかマニアなの」 水橋さんって、あの床屋のおばはんか。 「つぐみん、変な写真撮ると、 あの人の所に持ち込むんだ」 「……なるほど」 「でね。百合恵さんと私仲良いから、 旦那さんのトコに新作来てない? って訊いたら、 けらけら笑いながら見せてくれましたよ」 「で、笑いのネタにコピーしたいって 言ってOKもらいましたとさ」 「ネタが明かされると、 実にご町内的だなぁ」 「そんなわけで、安心していいんじゃない? つぐみんも来年になれば飽きるよ」 「来年!?」 「学期の変わり目に興味が変わるのが つぐみんのパターンだから」 「クリスマス前には変わって欲しいんだが」 「もっといいネタが現れれば、 そっちに興味が切り替わると思うけど」 「ううむ」 彼女には見えないらしい、と判っていても、何が起きるか判らない以上、今年いっぱい警戒は怠れないわけか。 「あ、それから100円。 カラーコピー代」 「あ、悪い」 「まいど。 これでおしまいかぁ」 「何が?」 「ん? なんでもないっ!」 「おしまいってなんだよ」 「さぁて、そんなわけで、 サラバなので、 お仲間を安心させたげなさい」 「あ、ああ」 「どこで油売ってたのよ! こっちはちゃんとセールスに励んで、 スーパーな売り上げを叩きだしたっていうのに」 「200円のおもちゃで スーパーですか……」 お客さんは帰ったみたいだな。 「きららさんだった。 ちょっと店閉めてダイニングへ集合」 「これ」 「とーまくんの写真ですか! ひどいですね。 人間とは思えません」 「……少なくともそれは違うと思います」 「で、何なのよこのピンぼけ写真は?」 「例の写真だ」 「え、これが……?」 「霊の写真……。 おばけの写真ですか!」 「し、しまってください、今すぐに!」 「違うわよ! 更科の写真ってことよね」 「ほ……」 「きららさんが 手に入れてきてくれた」 「なるほど。 更科さんが生き霊になって 写っているわけですね」 「そこから離れろ。 な、これじゃ何の写真か判らないだろ」 「新聞に持ち込めなかったわけね」 「新聞を広げる度にときめいていた 緊張にみちたトキメキの日々は 終わりですか……がっくり」 「最近は平然と開いてたけどな。 それにトキメいてたのかよ」 「ほ……よかったです」 「だが、きららさんによると、 更科は今年一杯くらい張り付いてるらしいから、 警戒は怠れないけどな」 「しつこいのね結構。 見えないらしいって判ってても、 気にはなるわよね」 「何か別のネタが起これば、 そっちへ行くらしいけどな」 「油断はしないようにしなくちゃね。 にしても良かったわ」 「何がだよ」 「正体がわかった以上、 きら姉もすっきりして あんたに興味もたなくなるし」 「とーまくんも、きららさんに嘘ついて デートに誘ったりしなくて済みますからね。 純情をもてあそぶなんていけません」 「焦った国産が、 間違いを起こさないうちで良かったわ」 「ま、間違い! あわわわ。 それはとてもいけないです!」 「ひどい言いようだ――」 あ。 ようやく理解した。きららさんが、『これでおしまいかぁ』と言ったわけが。 きららさんが俺を気にしていたのは、俺の正体を気にしていたから。 そして、俺がきららさんを気にしていたのは、俺達の正体がばれていないか、探り出そうとしていたから。 つまり、お互いを気にする理由は、キレイさっぱり消えたわけだ。 「なに絶句してるのよ! まさか、あんた本当に、 間違いを起こそうと企んでいたの!?」 「間違うんですか?」 「………」 「俺を何だと思ってるんだ!」 「……男はみんなオオカミ?」 「ふぅ……とりあえずこれで終わり、と」 俺はアイスボックスからビールを一缶取り出すと、近くの切り株に腰をかける。 カンテラの淡い光の中に浮かび上がる白波人車軌道最後の生き残りの姿を見つめながら、労働のあとのビール。 「うまい!」 苦闘一ヶ月余りの末、なんとか形になった人車を肴に飲む今夜のビールは格別だ。 腐った板や釘や割れた窓やシートを取り替えて、塗装も全部塗り直した。素人にこれ以上出来ることはない。 というか、文化財保護的に言うと、これでもやりすぎかもしれなかったが、崩壊寸前だったんだから許してもらえるだろう。 一応、元の部品や板やボロ切れも保管してあるし、どう作業したかもデータ化して記録してある。 冷えたビールを飲み干す。 「ふぅ。さぁて」 修理も一段落ついたことだし、俺はこいつを……。 「……」 考えてなかった。 こいつをどうすればいいんだ? 「………」 「冬馬さんどうかしたんですか?」 「数日前からああなんです」 ううむ。とりあえず行動するのがトナカイ。が、いくらなんでも考えてなさすぎだったか。 「冬馬さん。 今日の朝ご飯はかにたまでしたか?」 「ああ」 ……まぁ、過ぎた事は仕方がない。 「違います今日は――」 「それとも、オムライスでしたか?」 「ああ」 せっかく修理したんだから、 「硯、大丈夫だよ。 冬馬さんは ただ反射的に返事をしているだけだから」 誰かに見せたいよな。 「ねぇ、冬馬さん……道合ってるの?」 「大丈夫」 セルヴィを修理していた間、何度か地元のコンビニへ買い出しに行ったから、間違いない。 「でも、森へ入ってから 30分くらい歩いてるけど……」 「うわ。携帯のアンテナが立ってない!」 「もう少しだから」 「こんな森の奥へ連れてきて 見せたいものって……なに?」 「これ!」 「これって……?」 「これだ」 「……なんか、 見覚えあるものなんだけど」 「白波人車軌道最後の生き残り。 ここに放置されてた」 「………」 「あっ。もしかして! 進さんがスキあらば話そうとする人車?」 「この前、無理矢理見せられた写真と、 そっくりなんだ」 「これが……人車……へぇ……」 きららさんは人車の周囲を回って観察する。うむうむ。期待通りの反応。 「電車の仲間とは思えないちっささね」 「人が押して動かすものだからな」 「100年以上前のものにしては、 妙にピカピカね」 「あー、おほん。 それは俺が修理したんだ」 ちょっと胸を張る。 「ええっ!? 冬馬さんがこれを? もしかして一人で?」 「まあね。 壊れる寸前だったんで」 「凄い! 凄いわ冬馬さん!」 「そ、そうか? 文化財の保存としては、 どうかと思ったんだが――」 期待以上の反応だけどここまで感心されると照れる照れる! 「凄いって!」 ぎゅっ、と俺の手が握られた。 「あ」 「一体全体どうやって見つけたの?」 手から伝わってくる体温が、俺を妙にドキドキさせる。 「そ、それは、 ここで前、セルヴィを修理してて」 「セルヴィっていうのは、 冬馬さんが乗ってたバイクみたいな 乗り物の事ね!」 「あ、ああ、そう。人目につかないようにここで。 その時は、壊れかけた倉庫だと思ってたんだが、 進さんに写真を見せられて気づいた」 なぜこんなにドキドキするんだ?口調まで転びそうな早口になっとる、いかんいかんぜよ! 「そっか。あの時か! もう! 水くさいな! 打ち明けてくれればよかったのに」 「い、いや、それは、その。 あれだ、あの時は秘密だったから」 「あ、そうか。 どうして発見したのか説明できないものね。 地元の人だってこんな奥までは来ないもの」 冷たい冬の風がひときわ強くふきつけて、俺達を取り囲む木々を揺らした。 「あ……」 きららさんは、手をぱっと離した。 「ごめん。子供みたいなコトして」 「や、いや……謝ることないよ」 やわらかい感触が手に残響してる。 「進さんには見せ……てないか」 「どうして判った?」 「これ見せてたら、 進さん、今頃ここで寝泊まりしてるよ」 「納得」 「もしかして私が初めて…… のわけないか」 「初めてだ」 「またまたぁ、 サンタさん達には見せたでしょ?」 「いや、正真正銘きららさんが初めてだ」 「ホント?」 「ホント」 「……」 「あ、そっか。 私なら地元の人間の上に、 セルヴィとか言っちゃっても平気だものね」 「……ま、まぁな、そんなところ」 ホントはきららさんに見せたいと思っただけなんだけど。 「でも、 私に一番最初に知らせてくれたんだ。 そっか、そっか」 「ま、まぁね。 他に誰も思いつかなかったし」 「え……あ、うん、そうだよね。 だって、私以外には言えないものね。 うん。判ってるって。それだけだって」 「ろくに説明もしないで こんな所へつれてくるから、 ちょっと怖かったのよ」 「怖かった? なぜ?」 「考えてもみてよ。 いくら昼とはいえ、滅多に人が来ないような場所に、 脇目も振らずに入って行くんだもの」 「冬馬さんは男で……私だって、その…… か弱い――かどうかはともかく 女なんだから」 「あ……」 俺ときららさんは、森の奥でふたりきりだった。 「だ、断じてそんな気はなかったぞ! 二人きりになりたいとかそんなのは、 全然これっぽっちも!」 「わ、わかってるって、 まったく、世間知らずなんだから、 冬馬さん、誤解されちゃうよ」 「……これから気をつける」 「う……うん……。 わ、わかってもらえればいいの」 「……」 「……」 この気まずいような、ドキドキするような微妙な雰囲気を、ごまかさなくては! 「きららさん!」 「な、なに!?」 「えーと、あれだあれ、 この人車、どうしたらいいと思う?」 「そ、そうだね。 せっかく修理したんだし、 どうするか……うーん……」 「進さんに相談したら面倒な事になりそうだし……」 「そうだ! お祭りで走らせるっていうのはどうだ? 進さんもこの前、言ってたしな」 「あ! なるほど」 「なら、まずはここから運び出して」 「あ…… それ難しいと思う」 「なぜだ?」 「いくら人車が軽いって言ったって、 冬馬さんと私だけじゃ運び出せないでしょ?」 「そりゃそうだが。 あいつらにも相談して人手を増やせば」 「だめだめ、道らしい道もないし、 足場だって悪いし、 人の手で運び出すのは難しいよ」 「軽トラでもあればなぁ……」 「だめだめ、そもそも道ないし。 かといって森切り開いて、 ここまで道造るのも私らじゃね」 「ううむ」 「それにここ、 土橋さんの私有林だし。多分。 道造るなんて派手なことしたら」 「ばれるよな……。 そもそも許可なんて取ってないし」 「そういう問題を全部クリアしたとして。 ここにあるのをどうやって発見したって、 言うつもりなの?」 「セルヴィを修――とは、言えないな」 「偶然迷い込んだ、っていうのも駄目だよ」 「なぜ? それでいいじゃないか」 「さっきも言ったけど、こんな場所、 地元の人間だって滅多に来ない場所だもの。 迷い込もうにも道だってないし」 「あ。山菜採りならどうだ」 冬の冷たい風が、俺達の間を通り過ぎていく。 「季節がまずいでしょ」 「いや、でも、秋に見つけたって言えば」 「そもそも冬馬さん。 嘘つくとか向いてないでしょ」 「う……」 「ごめん。 なんか否定的なコトばっかり言って、 私も考えてみるよ」 「ありがたい」 「締め切り決めよう。 取りあえずあさっての真夜中。 電話で話そう」 「そこまでしなくても」 「いやいや、 こういうのは決めないと、 思いつかないものなのよ」 「……経験があるっぽいな」 「あ、あははは」 あ、きららさんだ。 「もしもし、俺も話が――」 「またまた締め切りのばして!」 「あー、まさに俺もその話を」 勢いで突っ走るトナカイである俺もこういうのは苦手。 「冬馬さんも? じゃあ決定ね! また今回も一日の――」 「こうやって伸ばすの もう3回目だっけ」 「……忘れようそういうことは」 「忘れるのか!」 「希望のない今日よりも 明日のことを話しましょう」 「今日に希望がないなら、 明日にもないと思うんだよぉ」 「わ、わわ、姉ちゃん!」 電話の向こうの様子が見えるようだ。 「じゃ、じゃあそういうことで!」 「あ、うん!」 「ほほう。真っ昼間から女と イチャイチャトークかい」 「わ」 「真っ昼間から幽霊に会ったような声出しやがって。 ボンボン。あんた小心者だろ」 「……おはようございます。 誰だって急に話しかけられたら こうなります」 「ふん。大方、 真っ昼間から発情して焦った挙げ句に、 相手にキモがられて切られたんだろ」 「それはゲスの勘ぐりという奴です。 我が店の経営について真摯に 相談していたのです」 「は、情けないね。 その年でもう欲情もしないのかい。 育ちが良くていらっしゃる。流石はボンボン」 「男として、しない、とは言いませんが、 所構わずはしません」 「へ。情けないね。 男はいつでも何処でも発情してるもんさ」 「どこでも発情してる男がいいんですか」 「どっちみち オレの孫娘の相手としたら最悪だね」 「な、なんでここで きららさんが出て来るんですか」 「ふん。しらばっくれるのかい? さっきの電話、うちの孫とだろ?」 「覗いたんですか」 「鎌をかけたら大当たりかい。 うちの孫に〈も〉《・》とは、 大した発展家だね」 「って、も?」 「オモチャ屋3人娘全員と、 あんた出来てんだろ? 自分で客を増やそうとは商売人の鏡だ」 「意味判らないんですが」 「だがね、手前ぇのガキにオモチャ売っても、 儲からないだろうに。 やはりあんたは浅はかさ」 「………」 自分のガキ→つまり俺の子供。自分で客を増やす→つまり俺が客を増やす。おもちゃ屋の客は子供→俺が子供を増やす(5秒)。 「………」 3人娘→ななみ、りりか、硯だよな→つまり俺があの3人と子供を増やす(5秒)。 「………」 「そ、そんなことはしていません!」 ばばあ(あえて今はそう言う)は、ニヤリ、と笑った。 「はぁん。あんた童貞だな」 「な、何をいきなり!?」 「一度でもしてりゃあな、 この程度不意打ちで言われても 男は声を裏返しゃしないもんさ」 「わ、わざとですよ。 老人の戯れ言につきあってみました」 く、苦しい言い訳だ。 「ふん。まったく男は見栄の生き物だね。 オレの連れ合いと全く同じ言い訳をしやがる。 ま、流石に老人たぁ言わなかったがね」 「………」 かなり昔に亡くなったって言ってたよな。 「なんだよ? 見栄が張れなくて弱ってんのか?」 「え、いえ……。 亡くなったって……」 「はん。若いね。 生きてりゃ生きてるほどな、 知り合いは先に逝っちまうのさ」 知っている。俺の父親は空で不意にいなくなったから。 「いちいちしめっぽくなれるもんかい。 しかも女の方が長生きと来てるからな」 「……そうかもしれないですね」 その軽口が、哀しみを隠しているのか、本当にふっきってるのか、俺には見当すらつなかい。 「ボンボン、もしかしてあんた、 親でも亡くしてるのかい?」 「……はい」 いつも考えてるわけじゃない。でも、亡くなった人はこんな風に不意に現れて、俺の気持ちを空へさらっていく。 「……ふぅん。成る程。 あんたもふわふわ生きてきただけじゃない そういうわけかい」 「……そうは言いませんよ。 きっと、俺はふわふわ生きているんでしょう」 あの父親の辿り着いた空に、きっと俺は辿り着いていない。 どこまでも続く空。どこへでも行ける空。 ……。 どこへでも? 「!」 「用事を思い出しました! 失礼します!」 そうか!道がなくてもいいんだ。空を飛べばどこへでも行ける! 「ふん……。 ふわふわしてる上に、 慌ただしい男だね」 「あんなののどこがいいんだか……。 ま、オレも人の事は言えなかったか」 ロープロープロープロープは……。 「ロープ発見!」 これなら太さも十分だ。あとは痛んでないかか。 「あれ? とーま君、 なにやってるんですか?」 「ちょっとな」 両手でビシビシしごいて見ても、痛んでいる所はないようだ。 「ひ、昼間から地下室で縄をしこしこしごいて! しかも、にやり、と邪悪な笑いをー! あ、あだると過ぎですとーまくん!」 「お前……何を考えてる?」 待ってろ人車!今、運び出してやるからな! 「これでよし」 俺はロープで縛り上げた人車を見上げる。 道がなくても問題ない、セルヴィで引っ張りあげれば無問題。 トナカイの癖に、地面を這いずる考えに囚われていたとは、俺もまだまだ。 グローブを締め直し、ステアリングを握り締める。 ロープの片端を愛機に結びつけて、ひらりとシートにまたがる。 「さぁ、行くぞ! と、その前に」 俺はきららさんに一報を入れようと、携帯を手にとって 「――いや」 不意に運んで、驚かせてやるぞ! 「見せたいものって何よ?」 「姫、焦るなよ。 美しい顔がだいなしだぜ。 言わなくても見せてくれるだろうよ」 「ふわぁ…… 早く終わらしてよね……。 夜更かしはお肌の大敵なんだから」 「……先生は始終 ゲームで夜更かししていらっしゃいますが」 「ゲームは脳を活性化して、 素敵なゲーム脳に改造するのよ」 「今時ゲーム脳とか言ってるなんて、 恥ずかしい人だわ」 俺は人車から、雨よけの白いシートをはぎ取った! 「これだ!」 カンテラの灯りに、人車の姿が浮かび上がった。 「……?」 「……ふぅん」 「なによこれ?」 「……さぁ?」 「これは――」 「これって人車ですかー!」 「……よくわかったなお前」 「この前、ペンキ屋さんが いろいろ教えてくれましたー。 余りよく覚えてませんが」 「もしかしてこの前、 買い物からなかなか帰って来なかったのは、 あんなのの話を聞いてたからなの!?」 「単なる世間話ですよー」 「……あれを世間話って言えるアンタを、 ちょっと尊敬するわ」 「そもそも、 人車ってなんなんだ?」 「昔、この町に走っていた 交通機関ですよ。 SLみたいなものだと思ってください」 「なんと人が押して動かすんですよー!」 「人力車の電車版ですね」 「一台も残っていないって話だったのが、 ここに!」 「貴重なものだってわけか」 「それとアタシ達に何か関係があるの?」 「これを、 セルヴィ3台で引っ張り上げて運びだそうと 思うんだ」 飛んだらきららさんに一報して、俺の勇姿を見せようと思ったのだけど、一台では無理だったのだ。 よかった電話しなくて。 「ジャパニーズとマイドルチェと俺でか?」 「あらあたしもなの?」 「ええ、出来れば。 だからサンタであるみんなの、 許可も欲しかったんだ」 「意味判らないんだけど。 そもそもなんでそんな事するのよ」 「人の力で運びだそうにも道がないし、 車もここへは入れない、 となりゃ、空を飛ばすしかないだろ」 「じゃなくて! どうしてこれを運び出さなきゃならないのよ」 「それはだな、き―― あ、おほん。そこに人車があるからだ!」 きららさんに見せようと思ったから、と言うほど俺はアホじゃない。っていうか本末転倒してるぞ俺。 「貴重なものだったとしても、 教育委員会かなんかに通報すりゃいいでしょ。 勝手に運び出してくれるわよ」 「……あの、それは、 なぜ、こんな場所で見つけたか説明しなければ、 ならなくなると思うんですが」 「なら匿名ですればいいじゃない」 「う」 気づかなかった! 「『う』、って何よ『う』って、 まさか気づいてなかったんじゃ」 「AHAHAHAHA。 勿論気づいてたさ」 「これって、 妙にピカピカですけど、 見つけた時からそーだったんですか?」 「ボロボロだったのを俺が直したんだ」 「あー! だからここのところ、 夜中こっそり抜け出してたんですか」 「なぜ知ってる!?」 「お腹がすいて夜冷蔵庫を漁ってたら、 足音を忍ばせたとーまくんが来たことが何度も」 「あんた……太るわよ」 「食材が無くなって困ってました……」 「とーまくん一生懸命修理したんですね! あんなに毎日出かけてたんですから」 「ま、まぁ……好きでやってただけだけどな」 確かに一生懸命だった。なぜだろう?なぜこんな縁もゆかりもなかったものを一生懸命。 「中井さんって……そっち系の人?」 「違う!」 「わかりました! これはプレゼントですね!」 「あ」 そうか、そうだったのか! 「ペンキ屋さんへのですねー! これであの人のハートを鷲づかみですよ!」 「なんでそうなる!」 「……あんたそういう趣味だったの」 「姫はまだまだ若いな。愛はフリーダムさ」 「………」 「いいじゃないですか! みなさん温かく見守ってあげましょうよー」 「生暖かく見守ってあげるわ」 「勝手に話をすすめるな! 確かにこれはプレゼントさ。 だが、しかし!」 「俺達から町の人達への 新任の挨拶代わりの 一足早いクリスマスプレゼントさ!」 俺は高らかに宣言するとみんなを見回した。 「俺達はライトスタッフとしてこの町に来た。 そして俺達はビジネスマンじゃない。 単に転勤でここへ来たんじゃない」 「ルミナの導きで、 俺達はこの町の初めてのサンタになるべく来たんだ。 で、こいつと出会っちまった」 ぽんぽん、と人車を叩く。 「だから、これもルミナの導き。 こいつをいっちょ、 プレゼントとしてしまおうぜ!」 「おー、なるほど! プレゼントならわたし達におまかせですね!」 「ちょっと釈然としないけど、 プレゼントとか言われたら、 やらざるを得ないわね」 「……わたしもそう思います」 「どうでしょうか?」 「プレゼントでしょ? ならいいんじゃない」 「そういう若気の至り的な突っ走りは好きだが、 それ以前に、無理だな」 「え」 「残念ながらセルヴィの推力では無理だ。 俺達はトナカイ、操縦は得意だが、 ルミナの扱いでは劣る」 「3台なら」 「辛うじて持ち上がるかもな。 だが、複数のセルヴィが同じ速度と高度を維持して、 飛ぶのは困難だぞ。トナカイは我が強いからな」 「これって随分やわそうよね。 ちょっとでも変な風に力がかかったら、 空中分解しちゃうんじゃない?」 「……訓練すれば」 「おいおい。俺達はトナカイだぜ。 新しい空域での最初のクリスマスだ。 本業以外の訓練をしてる時間はないぜ」 「イブかこれかじゃ、 答えは決まってるわね」 「う……」 ダメか。いや、まだ何か方法が 「ひとつ提案がありますよ!」 「何か名案が?」 「とりあえずおうちに帰って、 みんなでお夜食食べませんか?」 「気分転換すれば、 名案が出るかもしれません。 甘いものなら効果絶大ですよ!」 「どうぞ」 「うわー! 杏仁豆腐ですねー! ついに登場ですよ!」 「あ、あの、ですね。ひとつ――」 「あたしの教育が良かったのよね」 「ふむ。マイドルチェは こういう事も教えられるのか、流石だな。 ますます俺を惚れさせる」 「あの、わた――」 「ラブ夫、なに騙されてるのよ。 これ、神賀浦さんに習った奴よね?」 「え、あ、はい。 やっとお出しできるレベルになりました。 あの、それよりも――」 「はぁ……」 思いつかない。締め切りまで延ばしたというのに、こうしてまた貴重な一日が空費されるのか。 「とーま君。なにため息をついてるんですか? もしかして杏仁豆腐嫌いですか? それならわたしが貰っちゃいますよー」 「やらん」 「あ、あの!」 「遠慮しなくてもいいんです。 わたしお夜食に狙ってたんですから」 「勝手に狙うな!」 「そこの二人喧嘩しない! 硯がオロオロしてるでしょう」 「あ、すまん」 「すみません」 「ち、違うんです。あの、その、 私、さっきの事で、ひとつ思いついて」 「えっ……もしかして人車の輸送法を!?」 「は、はい。 あの……人車をソリに見立てれば、 いいと思うんです」 「人車を……ソリに? だが、セルヴィじゃ人車は持ち上がらないって さっき話が出たばかりだぞ」 「ち、違うんです。そういう事ではなくて、 ソリのように人車を引っ張るんです」 「あ、判ったわ! ソリについたトラクタービームの受信ユニットを 人車に付け替えて引っ張るのね」 「そうです。それなら可能だと思うんです」 「縄で引っ張ったりぶら下げたりするのと違って、 ルミナの力で緩やかに結ばれてるから 急激な運動をしてもショックは小さい筈よ」 「めーあんですね。 それならセルヴィ一台で、 運べるはずですよ」 「あ、でも。 セルヴィにルミナを供給してやらないと、 あれだけの重さは引っ張れないか」 「ですから、あの、人車でしたよね? あれに、私達サンタが乗ればいいと思うんです」 「そうか! サンタならルミナの力を供給出来るものな」 「つまりアタシの出番ね! アタシがアレに乗るわ!」 「え、どーしてそうなるんですか!? こういうのはじゃんけんで決めるべきですよ!」 「アンタよりアタシの方が適任なの! アタシの方がルミナをうまく扱えるんだから」 「ぶー」 「あ、だが。 アレが空を飛んでたら見つかるんじゃ」 「セルヴィで釣り上げて運ぶのだったら、 人車はルミナの力で包まれていないわけですから、 見えてしまうと思いますが、この方法なら」 「サンタが乗ってて、ルミナを供給していれば、 人車も、ルミナの力で見えなくなるわよ」 「って、もしかしてアンタ! 飛ばそうとしてたくせに、 今更それに気づいたの!?」 「い、いや、そんなことはないぞ」 「そう責めるな姫。トナカイは単純なのさ。 俺だってそんな後先は考えやしなかったぜ」 「もっとも俺だったらあんなプレゼントを 考えつきもしなかったろうがな」 「年増が好きなだけあって、 発想が年寄りね。若さがないわ」 「なんでも面倒くさがるマイドルチェと、 年増どうしってわけか。悪くないな」 「最悪ねそれは」 「でも、ひとつ、 こんぽんてきな疑問を、 思いついてしまいました」 「杏仁豆腐の作り方か?」 「ひとをいつも食べ物のことしか考えていないコ 扱いしないでください!」 「運びだすのはいいですけど、 いったいどこまで運ぶんですか?」 「そりゃ公園とかにこっそり。 そうすりゃ誰かが発見してくれるさ。 そうだ! きららさんに発見して貰おう」 「打ち合わせしておくってこと? 確かに協力して貰えるのはきら姉しかいないし。 きら姉なら、それくらいしてくれそうだけど」 「な」 飛行も着地も見て貰える、うむ。いい感じだ。 「でも、きら姉が夜の公園にどうしているのよ。 不自然じゃない。かと言って昼間だと ほかの人がいる可能性も高いし」 「公園っていうのは一例だ。 他の場所でもいい」 「人がいるような所なら、 きら姉以外の人が見つけちゃうかもでしょう?」 「む……だが、 きららさん以外には見えないんじゃないか?」 「地面に着地させてルミナの力から離れた瞬間、 誰の目にも見えるようになってしまうと思います」 「じゃ、じゃあ……。 人のいない場所を探してそこに」 「それじゃあ、いつ見つけてもらえるか、 判らないじゃないですかー」 「だからそれは、きららさんに、だな」 「人のいかない場所に、 きら姉が来た理由が必要になるじゃない。 余り迷惑かけるわけにはいかないわよ」 「………」 「見つけて貰えなければ、 プレゼントの意味がなくなってしまいます」 「ううむ……」 人けがなくてきららさんがいても不思議でない場所。 または、人けはないんだけど、すぐに発見して貰える場所。 そんな都合のいい場所が……。 「まぁ時間はまだあるし、 焦って考えなくてもいいんじゃない? 硯、おいしかったわよ。二つも食べちゃったわ」 思いつかない。俺はこの町をまだそんなには知らない。 「ありがとうございます。 でも、二つ……?」 俺だけじゃない、ここにいるみんなはこの町を知らない。 「あ、硯の食べたわけじゃないから安心して、 中井さんのを食べただけだから」 ダメか。くそ。せっかくうまくいきそうだったのに。 「なら安心ですね」 でも、俺達じゃ。 「なかなか美しい食べ方だったぜ。 いい女は食べ方も美しい」 ……俺達じゃ? 「ラブ夫。あんたたまに寒いわ」 「そうだ! きららさんに相談しよう!」 計画段階から彼女にも参加して貰えばいいんだ! 「きら姉に?」 「きららさんなら、この町の生まれだから、 都合のいい場所の見当が つくかもしれないじゃないか!」 「あんた……これを口実に、 会いたいだけなんじゃない?」 「ラブラブですねー」 「そ、そういうわけじゃないぞ!」 「と、いうわけなんだ」 「話は判ったけど、 うーん……」 「頼れるのはきららさんしかいないんです!」 「お願いきら姉! いい場所教えて!」 「あ、杏仁豆腐をいくら食べてもいいですから」 「いや、そういうのいらないから。 祖母ちゃん達なら こういうの得意だったんだろうけど……」 「ばあちゃんって大家さ――」 「なんと! 硯ちゃんの杏仁豆腐が全否定されましたよ! しかもさくっと!」 「気に入りませんか……」 「神賀浦さんが作る杏仁豆腐は、 そんなにレベルが高いというのか」 「そういうわけじゃないって、 お礼なんていらないってこと。 私も締め切りは守りたいし」 「締め切り?」 「あ、ええと、私、 この前、冬馬さんにあれ見せてもらってて、 どうしようか二人で考えようって約束――」 「ちょっと国産! あんな場所にきら姉を連れ込んだの!?」 「見せただけだ! 怪しい言い方するな」 「問題は場所なわけね」 「ああ。そういうことだ」 「人目につかないけど、 比較的すぐに発見される場所か……」 「まとめて貰ったら、 めちゃくちゃ矛盾してるわよねこれって」 「う……」 「町中はダメね。急に現れたら変すぎるし、 どこで見られてるか判らないし、 となると……ちょっと外れか」 「人けの無い場所ならいくらでもあるけど、 すぐに見つかるっていうのがネックね。 そんな場所に、私が行くのも不自然だし……」 「ここで逆転の発想ですよ! 人が多く通る場所だったらすぐ見つかりますよ!」 「それは逆転の発想ではなく、 単に思いつきなので――」 「あ。あった!」 「え、ホントかよ?」 「人通りの多い場所ですね!」 「その前にひとつ質問。 人車を運ぶのは今夜でも大丈夫?」 「どうだ? 俺は大丈夫だが」 「アタシは大丈夫。 ななみんとすずりんは?」 「善は急げですよ」 「……大丈夫だと思います」 「よし。 先生達の都合が悪かったとしても、 俺のカペラがあれば、運べるな」 「大丈夫なわけね」 「ああ。でも、なんで今夜なんだ」 「その場所、今夜までは人がいなくて、 明日の昼には人だらけになるから」 「バッチリですね!」 「確かにそれなら、すぐ見つかりますね」 「都合がよすぎて恐いくらい」 「相談しておいてなんだが……。 それってどこの異空間だ?」 「異空間じゃないって、 みんなも行った事のある場所よ」 俺達は顔を見合わせた。 「そんな場所が」 「あったんですか?」 「うん。しかもうまくいけば、 つぐみんの興味も反らせるかも」 俺はりりかの携帯をのぞき込んだ。午前01時25分の表示が見えた。 「ジェラルドから?」 「流石、仕事早いわね。 上空のルミナは安定してるって」 「硯からも来た。 地上からの観察でも安定してるようだ」 「アンタがドジしなけりゃ、 ミッションは成功したも同じね」 「お前がちゃんとルミナを供給すりゃ、 成功したも同じだな」 「ふんっ。トナカイなら 言葉より行動でしょ?」 「ふふっ。 俺のフライトを 特等席から見ろよ」 「出来ましたー! 我ながらかわいく結べましたよ」 「何をやっている……」 「プレゼントはリボンで飾るものなんですよ!」 「このスカタン!」 「スカタンとはなんですか! スカタンっていう子が スタンガンなんですよ!」 「そもそも言葉が崩壊してるぞ、お前」 「いい? アタシ達はサンタなのよ! プレゼントを闇に隠れて クールに届けるスーパーな存在なの!」 「ぶう。 クールでスーパーって、 わけわかりません」 「なんだか泥棒みたいだな」 「アンタどっちの味方よ!」 「ま、とりあえずこれは取って」 ぽいっ。 「がーん。わたしが丹精こめたリボンが!」 修理する時に外した板や釘は積み込み済みだし、つけていた記録類もCDに焼いて添付してある。万全。 俺は愛機にまたがった。 「じゃ、ななみん、 留守番よろしく」 りりかは人車に乗り込んだ。 「ルミナを頼むぞ」 「誰にモノ言ってると思ってんのよ」 ルミナがいつにも増して激しく、カペラの心臓を打ち鳴らしているのを、体の下に感じる。 いい感じだ。 「行くぞ!」 俺は、武者震いをする愛機の力を、一気に解放! りりかを乗せた人車の重さを苦にせず軽々と舞い上がる! 流石、ニューヨーク支部のエースだっただけはある、なめらかで安定したルミナの供給だ。 「ふふん。 こんだけルミナを供給されてて、 落ちたりしたら恥よね」 「トナカイは行動だろ? まぁ見てな」 「がんばれー」 「……」 「……アタシ疲れてるのかしら。 妙にはっきりした幻聴が」 「安心しろ。俺にも聞こえた」 「そうですよー。 わたし存在感には自信ありますよ」 「あ、あんたなんで乗ってるのよ!」 「ルミナの供給は、 一人より二人の方が安定しますし、 わたしだって乗ってみたいです」 「それが本音か……」 「今から降ろす! すぐ降ろす!」 「それ降ろすじゃなくて突き落とすですよ! あれー人殺しー」 「これだけ順調なんだ。 引き返すのはばからしい。 それに、ルミナの供給が安定してる」 「……ちゃんと手伝いなさいよ」 「お任せアレ!」 午前01時41分。 満天の星に囲まれて、俺達は音もなく冬の空を渡る。 きららさんに連絡。 「冬馬さん?」 「そうだ。 あと3分で到着する」 「おっけー。 空のどの辺? まだ見えないかな?」 「この前より距離遠いから きついと思うぞ。 もうちょっとしたら見えるさ」 「実はね、私、 なんかドキドキしてるの」 冬の空を走る電波で、ドキドキが俺に感染する。 ちょっとだけだけど。ちょっとだけだぞ。 「そ、そう? ま、まぁこんなのは、 なんてことないフライトさ」 「そりゃ冬馬さんはトナカイだもん。 空を飛ぶ一番星だもんね」 空を飛ぶ一番星?なんだか微妙に覚えがあるフレーズ―― 「こっちはドキドキしつつ 3分経ったら打ち合わせ通り合図するわ! じゃね! また!」 「きら姉は?」 「準備出来てるみたいだ。 3分で着くって言っておいた」 きららさんから?いや、今度は硯からか。 「海岸近くに ルミナのエアポケットがある、か」 俺は前方を見た。ルミナのルートに巨大な裂け目が見えてくる。だが、上空のルミナは安定してるはず。 上空からベテルギウスが降下してきて、カペラと人車に併走。 「こっちだ! ジャパニーズ」 「了解」 俺達は更に上空へ飛び出し、ルミナのエアポケットを迂回し、海岸線へ向かう。 「トナカイにしちゃ安全運転だな」 「老婦人の手をひいてるもんでね」 「ははっ。確かに、老婦人だ」 「ラブ夫の大好物ね」 「人車にまでとは、 見境ないんですね」 「愛は自由だが、 血の通っていない相手はご遠慮願いたいね」 遠浅の海岸線が近づいてくる。波打ち際が白く光っている。 だけど、俺がきららさんに告白した辺りの海岸線は夜の暗さに塗り潰されて判らない。 きららさんがどこにいるかも判らない。 告白……。 別に深い意味はないぞ、秘密を告白したってだけだ。 と、その時。 冬の空を真一文字に駆け上ってくる火の玉。 「あそこか!」 俺は高度を下げ始める。 「見えた?」 「ああ、見えた。こっちは?」 「うん。見えてる! セルヴィ2台と人車が飛んでるのが見える! あ、冬馬さんが見える! やっほー」 闇の中、懐中電灯を振り回すきららさんらしき人影と目的地の廃倉庫がぼんやりと見えてくる。 「俺からも見える!」 「手を振ってるのが見えるよ! うわー。うわー。 空飛んでるよ冬馬さんが!」 「そりゃトナカイだからな!」 「そっか。そうだよね。 トナカイなんだよね。うわー」 「はっはっはっは」 「……」 「ねぇ、冬馬さん。 飛ぶってどんな感じなの?」 「そうだな……」 「飛ぶっていうのは 飛ぶって感じだな、 頭悪いから他に言いようがない」 「飛ぶっていうのは、 飛ぶって感じかぁ……。 なんか冬馬さんらしいや」 「こればっかりは、 飛ばないと判らないと思う」 「そっか…… ちょっと残念」 「ちょっと国産! いつまで話してんのよ!」 「おっと。 小姑に叱られてしまった」 「誰が小姑よ!」 「恐い恐い。じゃトナカイさん、 後は打ち合わせ通りによろしく! 扉はこじ開けておいたから!」 「了解!」 午前01時44分。 俺は老婦人をソフトランディングさせるべく、らせんを描きながら慎重に慎重に高度と速度を落としていく。 「海岸には鰐口嬢以外人影はなし。 変化があったら連絡する」 「了解。 こっちは降下の最終段階に移る」 「しっかりしなさいよ。 ここで人車こかしたら スーパードジなんだから」 「特等席で見てな!」 「ま、あたしらはあんたのドジなんて、 何度も見て見慣れてるけど、 きら姉には見せたくないでしょ?」 「……俺はいつも通り飛ぶだけさ」 「とーまくん大丈夫ですよ。 今更力まなくてもきららさんには 日常で頼りない所をいろいろ見せてますから」 「……」 意識するな意識するな。平常心平常心。 この程度、クリスマスのフライトに比べれば大したことはない。きららさんが見てるからと言って緊張するコトはない。 波の音が大きくなってくる。海岸に沿って幾重にも打ち寄せる波頭が、白々と浮かび上がってくる。 海岸から海の方へ出る。 這うような高度まで降りる。 カペラの下部に波しぶきがかかり、水滴がルミナの場を叩いても、更に高度を下げる。 人車の下部の車輪が、波頭より低い位置を飛ぶ。俺の左右を波しぶきがきらめいている。 「衝撃来るぞ」 「言われなくても!」 「え、なにをするんですか!?」 「あんた打ち合わせ聞いてなかったの!? ルミナの場が、砂浜に触れるのよ!」 進行方向を転換、海岸線を目指す。きららさんがいる場所へ。 一瞬、衝撃が来た。人車とカペラを包むルミナの場が、遠浅の海底をこすっているのだ。 砂浜と直角に一条の痕をひきながら、カペラは海岸へ倉庫へきららさんへ驀進。追いすがる波頭を飛び越え上陸。 「おーい!」 きららさんだ! ここで失敗はできない!べ、別にきららさんの前で、カッコつけるってコトじゃないぞ。 ななみとりりかは思いのほか息があっているらしく、ルミナの流れがなめらかに絞られていく。 俺はカペラの足を徐々にゆるめ、壊れかけた小さな倉庫の前で静止。 ルミナの力を一気に絞り砂を僅かに巻き上げながら着地。重力がカペラをがっちり捕らえた。 一番恐ろしい瞬間。今、俺達を隠してくれるルミナの力は、ほぼ消滅している。 カペラから飛び降りると、俺は人車に駆け寄り、トラクタービームの受信ユニットを外す。 人車から降りたりりかと、駆けつけてくれたきららさんと一緒に人車を押す。倉庫までは1メートル。 砂地に車輪がめり込んでるらしく、かなり重い手応え。ざりざりと砂を噛む音が響く。 「おーえすおーえす!」 きららさんは俺のすぐ隣にいる。なんだかドキドキする。 「おーえすおーえす!」 「これが人車なんですね! ほんとうに人の力で動いてますよ!」 「あんたいつまで乗ってるのよ!」 「あ。 感動の余り乗ってました! ごめんなさい」 ななみも慌てて人車から降りると、最後の一押しに加わる。 目的地の倉庫は、薄暗闇の中、更に暗い入り口をぽっかりと開いて、人車を飲み込もうと待ち構えている。 そこへ人車の車体がゆっくりと入っていく。 「もう少し!」 「うん!」 「こんなのをよく押したわよね古代人は」 「古代人は凄いんですよ! ピラミッドとか作っちゃいますから」 「いや、そこまで古くないと思うよ」 ががり、と人車の車輪がコンクリートを噛む音、倉庫の床に乗り上げようとしているんだ。 砂浜とコンクリートの床に、ほんの僅かに段差があるのだ。 「おおおおおおおおおっ!」 最後の一押し!車輪が僅かの段差を……越えた! 一気に軽くなると、人車は、自分の意志のように倉庫の中へ入っていく。 「よいしょぉ!」 きららさんは倉庫の扉を閉めると 「冬馬さん! この釘と板で止めてあったから」 ぼろぼろの釘と板とトンカチを渡される。 「了解!」 「もともと外れ掛けてたから、 あんまりしっかり打たないほうがいいよ」 きららさんの話では、彼女が物心ついてからずっと、この扉は板を打ち付けて閉鎖してあったらしい。 「打ち付けようにも釘がボロボロだ」 きららさんが、板と扉に開いた釘穴の位置を合わせて板を支えていてくれる。 俺は、釘が折れないように気をつけながら、釘を打つ、と言うよりははめこんだ。 「手、離すよ」 「おっけーだ」 俺ときららさんが手を離しても、扉を封鎖している板は扉から落ちなかった。 これで、今日の午後までもってくれればいい。 「これで元通り!」 「全作業終了! 撤収!」 現時刻は午前01時59分。作戦に掛かった時間は34分だった。 「ところで……疑問があるんですよ」 「なによ」 「おーえすってなんですか?」 「知るか」 時刻は午後2時を指していた。 計画が全てうまくいけば、きららさんが電話をかけてくる頃合い。 「なんだよ、どーした? さっきから時間が気になるみてーだが、 ビデオ予約でも忘れたか?」 「え、いや」 「昼食って来なかったのか。 なら、俺んちのソーセージ食うか? 肉はいいぞ、肉は!」 「昼はちゃんと食べて来ましたから」 「兄ちゃん、 もしかして魚肉だと思ってるな! うちはちゃんと肉だぞ肉」 俺達の計画は単純だった。 しろくま海岸に、ここ20年来、使われた事も開けられた事もない倉庫がひとつある。 昨夜の内に俺達が人車を運び込んだ倉庫だ。 その倉庫、今日の午後に、撤去される事が決まっていた。だが取り壊す前に中を確認するだろう。 そこに人車を入れておけば、この町の住人ならそれが何か気づいてくれる可能性が高い。 万一誰も気づかない時に備えて、きららさんが、たまたま、物件周り中に通りかかる事になっている。 「はい! ペンキの事なら春日ペンキ店にお任せの 春日ペンキ店です! あ、鰐口のお嬢さんいつもお世話になっております」 来たっ!俺は思わずこぶしを握りしめかけてこらえる。まるでこれを待ってたみたいに思われたら大変だ。 「ははっ。親しき仲にも礼儀ありだよ。 仕事は外装ですか内装ですか?」 「な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇ! 人車らしきモノを発見されたですとぉぉぉぉ!? 信じられない!」 「あの白波人車軌道の車輌が発見されたなんて! しかも僕じゃない人が発見するなんて! ああ、うらやましいうらやましすぎる!」 「あ、おほん」 「す、すみません。少々興奮してしまいました。 しろくま海岸のどこでしょうか? あの廃倉庫!? あんな所に……何という盲点! すぐ行きます!」 「ジョーさん! 行くぞ愛のために!」 「おい、行くってどこへだ? っていうか愛って」 「ジョォォォォォさん! 僕の事は、 車掌と呼べと言ってるじゃないか!」 「めんどくせー。 で、車掌どこへお出かけで?」 「ジョーさん、聞いてなかったのか? 君も来るんだ!」 「俺が? 祭りの用事はどーすんだ?」 「ジョーさん! 人間には全てを捨ててもしなければならない 事というのがあるんだ!」 「へいへい」 ペンキ屋さんは転びそうな程の勢いで出て行った。ジョーさんは、目で俺達に謝るとその後を追って出て行った。 ペンキ屋さんの軽トラック『ロケット号』が、ペンキの缶を幾つかひっくり返したのも気にせず飛び出していく。 「何があったんだ?」 「さぁ?」 「そうか! 判ったぞ! 男があんなに慌てて飛び出して行く事と言ったら 肉の大安売り以外ありえねぇ!」 「多分、違います」 「こんにちわ!」 「こんにちわー。 そんなはぁはぁして、 どうしたんですか?」 「水もってくる! いや、ジュースがあったか」 「そんなのは後々! 『しろくまチャンネル』で五時から、 人車のことが!」 「なにぃ!?」 「すぐ店閉めます! 平日のこんな時間に、 お客さんなんてありえませんから!」 「なに断言してるのよ」 「あ、でも、仕事中だよね、ご――」 「ごごごごごごごごごごごご!」 「お、おいななみ」 「凄いわ! 早すぎて姿が見えない!」 「それは言い過ぎだ」 「待ってななみちゃん! 7時のニュースでもやるは――」 「閉めました!」 「はやっ!」 「ああっ4時58分! あと2分しかありません! とーまくん、りりかちゃん、きららさん 急いでください!」 「テレビは待ってくれませんよ!」 「なんか……忘れているような」 「わ。ど、どうしたんですか?」 「テレビテレビ!」 「間に合った! ななみちゃん、 テレビは逃げないってば」 「いいえ、逃げますよ! 時間は待ってくれないのです」 「いいこというねぇ。 たしかに時間はまってくれないよねぇ きららちゃん」 「ね、姉ちゃんどうしてここに!?」 この人の存在を忘れていた! 「うーん。かんたんだよぉ。 きららちゃんが来るような気が してたんだよぉ」 恐るべしお姉ちゃんESP! 「え? あの、今日は、 蓮根と豚肉の黒酢炒めを 教えに来てくれたんじゃ……」 「うん。そういう学説もあるよねぇ」 「あ、あのね、勉強が苦しいから たまにはエスケープしようとか、 そんなこと全く考えてなかったからね!」 「うん。判ってるよぉ。 きららちゃんのいいわけくらいはぁ」 「いいわけだってばれてる!?」 「そんなことより今大事なのはテレビですよ! わ、5時!」 「……よくある政治家の汚職事件ね」 「一億もお食事券をがめるなんて、 最低ですね」 「『しろくまチャンネル』はCS!」 「おお」 TVの画面に見覚えのある風景。そして画面に『百年ぶりに人車現る!』 「これだわ!」 あのボロ倉庫が映っている。 「では、ここで しろくま町の郷土史家である、 春日進さんに話を聞いてみたいと思います」 「何か聞いた事のある名前だぞ」 「あの人って しろくま町の電車関係の郷土史家として 有名だから」 「へぇ……範囲狭いけど、 それなりに認められてんのね」 「ペンキのことなら春日ペンキ店をよろしく! どうもご紹介にあずかりました春日です」 「わ。宣伝してますよ! 宣伝係として負けていられません! わたしもあそこへ行って宣伝してきます!」 「落ち着け」 「……えー。 まずお訊きしたいのはですね。 今回発見された人車、本物でしょうか?」 「塗装や構造部分に、恐らくごく最近、 手を加えられた形跡はありますが、 車体の重要部分はオリジナルです」 「かつて白波人車軌道で、 使用されていたものであると?」 「白波人車軌道を走っていた車輌である、 とこの僕が断言します! あの栄光の白波人車軌道が今ここに!(中略)」 「か・な・り! 手を加えられていると仰いましたが、 誰が、いつ頃、どこで、どの程度加えたのかは、 判明しているのでしょうか」 「ですからその辺りは、更なる調査が必要なんですよ。 とりあえず人車は詳細な調査のために、 僕が引き取らせて貰います」 「え、引き取る? ちょっと待ってください! どういうことですか!」 「もう待てない! 積み終わってるんだもんね! 彼女を僕んちへ連れて行くんだ! ふはははは。誰も僕を止められないからな!」 「………」 「……人車発見に沸く、 しろくま海岸から中継でした」 「………」 「うわ。あ、あの人、 堂々と自分ちへ お持ち帰りしやがった!」 「ちょっとだけでも感心したアタシが 馬鹿だったわ……。 やっぱり奴は単なる病気のマニアね」 「進さんらしいなぁ、 欲しいからってもってかえるなんて、 コドモみたいだよねぇ」 「ですねー」 「子供らしいで済む事ではないのでは……?」 「あー、こんなことになってしまって、 なんというか…… ごめんなさい!」 「きららさんが謝ることじゃないぞ」 「そうですよ! こんなことになるなんて 誰も予測できません!」 「うーん。人車がでてくれば、 こうなっても 仕方ないですよ。どんまいです」 「でも、拉致監禁まで行くとは…… まだまだ私も甘いってことか、 祖母ちゃん達はすごかったんだ……」 「でもぉ、意外だねぇ。 みなさんがアレで こんなにもりあがるなんてぇ」 「そりゃ当――」 って、この人、部外者じゃないか!余りに自然に溶け込んでたんで気づきませんでしたよ! 「え、えっと、その、だって、 人車だったら盛り上がるよ! ね、そうだよね!?」 「そ、そうですよ!」 「人車だからな! 盛り上がるのも当然! あはははは」 「だって人車は空だって、あわわわわ」 「か、軽いから気球でもつければ、 空を飛ぶってことなんです」 苦しい! 苦しすぎるよ硯! 「そっかぁ、 みんな鉄分が高い人だったんだぁ」 「違うぞ! 断じて違う!」 「あんなのと一緒にしないでください!」 「面白い人だけど、 一緒にはされたくないです」 「(あの……ここでは取りあえず、 頷いておくべきだったのでは……)」 「(そうかもしれないけど、 スーパーイヤ!)」 「(同感だ)」 「それは冗談としてぇ どうしてきららちゃんがあやまるのぉ?」 「そ、それは……」 「きららさんが、 進さんに知らせたそうなんですよ!」 「そ、そう! そうなの! た、たまたま現場とおりかかっちゃって、 電車なら進さんかなぁって」 「そんなの普通、普通! 鉄関係はあの人ってパブロフの犬で条件反射! しょうがないって」 「でも……まさか…… 進さんが泥棒寸前まで突っ走るなんて……」 「ほら、でも、きら姉! あいつはああいう生き物なんだから、 しょうがないわ」 「そうだよね…… 進さんはああいう人だったよね……。 予想がつかなかったらおかしいよね……」 「わわ。きららさんが本格的に、 落ち込みモードですよ! 神賀浦さん! 何か言ってあげてください!」 「勉強のことでも、 これくらい真面目におちこんでくれると、 お姉さんはうれしいんだけどなぁ」 「あさっての方へ突き放したよこの人!」 「もし、もしも……。 このまま進さんが人車をガメちゃったりしたら、 私のせいだ……どうしよう……」 「大丈夫よきら姉。 きっと警察がなんとかしてくれるわ!」 「け、警察ざた!? 最後は犯罪者! 私のせいでご町内から犯罪者が出るなんて……」 「だいじょうぶだよぉ。 みすずさんが、いい弁護士を しょうかいしてくれるからさぁ」 「弁護士が必要になる時点で、 事態はかなり悪いのでは……」 これ以上見てられない!ここは俺が! 「きららさん、大丈夫! 少なくともきららさんはいいことした!」 「ええっ!? 進さんを犯罪者にするのがいいことなの!?」 「確かにのべつまくなしに マニアトークを炸裂されなくなるのは、 悪い事じゃないわね」 「い、いや、まだなったわけじゃないし」 「まだだけどさ……。 あの進さんが人車を手放すはずないよ。 最後には機動隊が突入して進さんが蜂の巣に」 「いや、それはそれとして、 いいことしたって言うのはさ、 あれは、そう、プレゼントなんだよ!」 「プレゼントって……?」 「ペンキ屋さんに、 ちょっとだけ早い クリスマスプレゼントをあげたと思えば!」 「サンタクロースの贈り物だって、 あそこまで人を喜ばせることは 滅多にない。すごいことだ!」 「そう……なの?」 「ああ。グッジョブ!」 「そっか、プロの―― 褒められちゃったわ。えへへ」 「あ、でも……犯罪者は犯罪者だし」 「だいじょうぶだよぉ」 「でも、あの進さんだよ?」 「だってあの進さんだよぉ」 「そうかもしれないけど……」 「そうなるってばぁ」 「あれで通じてるんですねー」 「そう……なのか?」 「いい散歩日和だね」 「つきあわせてすまん」 人々がどんな反応か見たくて、店の休み時間にやって来ました海岸線。 「いいっていいって、 私も現場を、も一度見たかったし」 「それはあれだな。 犯人は現場に戻りたがるというお約束だ」 「ネコさんみたいなコト言うね」 「でも見たいのは事実だ」 「……祖母ちゃん達もこうだったのかな?」 「どういう事?」 「あ、冬馬さんは知らないか。 クレイジーズが全員揃ってた頃は――」 現場が見えてきた。 「その話は後ね。 取りあえずは犯人らしく 現場を見ない?」 「だな」 「4日経ったのに、 人が結構いるわ」 海岸通りから現場を見下ろすと、取材陣だの野次馬だのが、うじゃうじゃとまでは行かないが、そこそこ。 しろくまくんアイスの屋台も出てるし―― 「お、噂の『人車まんじゅう』の屋台だ」 「結構おいしいよ。これ」 「後で買って行くか。 にしても、こんなに話題になるとは……。 もっとマイナーだと思ってた」 「私もびっくり。 正直、ここまで騒ぎになるとは 思ってなかったよ」 きららさんは、俺の顔を見て、にこり、と笑った。 「ちゃんと届いたみたいだね。 ちょっと早めのプレゼント」 「ああ。届いてる」 そうか。俺達はサンタとトナカイとしてでなくても、ちゃんとプレゼントを届けられるんだな。 「本番もがんばってね」 「言われなくても。 トナカイは言葉じゃなくて、 行動で示すものなのさ」 「おお、頼もしいね。でも、ご用心。 未来っていうのは判らないものだからね」 「前ここにデートで来た時、 こんなコトになるなんて 思ってなかったでしょ?」 「デートじゃなかったんだろ、アレは?」 「もちろん、 あれはノーカンだけどね」 「……そうだったな」 ノーカンと強調されると、ちょっと残念。 「降りてみる?」 「……もちろん」 俺達がデート(大切なことだと思うので何度でも)した思い出の砂浜は、12月に似合わず、うぞうぞと人がうごめいていた。 人車をひきずった痕や海岸から直角に伸びる轍を計ったり撮ったり、そんな調査な人達もいる。 「あ、つぐみんだ」 「お」 彼女がここにいるということは、うまくいったってことか? 「つーぐみん!」 見慣れたカメラ少女が、こちらに気づく。 「おはようございます鰐口先輩」 「きららでいいから……はぁ……」 どうも苦手だこの子は。 俺の気分を察したのか、きららさんは俺を目線で制すると。 「もしかしなくても人車の取材?」 「他に何があります?」 「だよね。 でもさ、つぐみん好みの 派手な話題じゃないような気が」 「誤解です。派手な話題ばかり 追いかけてるわけではありません」 「ごめんごめん」 「人車自体も珍しいものですが、 この件には謎が多すぎるのです」 「そうなの?」 更科は右の人差し指で、眼鏡のつるを、ぐっ、と押し上げた。 「あの人車、 去年の四月には ここになかったらしいです」 「な、なにっ!?」 遅かれ早かれこの辺はばれると思っていたが、数日のうちとは! 「へぇ……そ、そうなんだ」 「去年、近所の子供が探検っていって、 倉庫の隅に穴掘って、 中に入った事があったそうなんです」 子供めやるな! 「その時は、空っぽだったそうなんです! つまり人車は、ずっとここにあったのではなくて、 一年以内に持ち込まれたものだったんです」 「しかも、もしかしたら、 見つかる前の日の晩に!」 「それはどうして?」 「前夜、ここの浜辺から 花火が打ち上げられたのを 目撃している人が数人いるんです」 「へ、へぇ、そうなんだ、へぇぇ」 「打ち上げた奴を、 目撃した人いないのか?」 ジェラルドが上空から監視してくれていたとはいえ、ちょっと、ドキドキする。 「ええ、残念ながら……」 「そっかそっか……まぁ、夜だからね」 「その花火と人車の間に 何か関係があるのか?」 「大ありです! それを目印に上陸した一団がいて、 彼らが人車を倉庫へ運び込んだようなんです」 俺ときららさんは一瞬だけ視線を交わした。 「上陸ってことは……海から?」 「はい。浜辺に残った痕からして、 彼らはホバークラフトに人車を 積んで上陸したようなんです」 浜辺にわざわざ跡をつけた甲斐があった。 「ホバークラフトを操り、 夜陰に紛れて上陸し、 人車を置いて去った謎の一団!」 「いったい彼らの目的は? そしてその正体は!?」 「そういう風にまとめると、 本当に怪しい集団だな」 しかもそれが俺達。ちょっと愉快。 なぜか更科は、きららさんを見た。 「な、なに?」 「人車が発見される前日の夜。 みすずさんは 何処かへ出かけませんでしたか?」 「え……祖母ちゃん? 寝てたと思うけど……」 「なんで大家さんが?」 「前科が幾つもありますから」 「前科?」 「でも、どれも 祖母ちゃん達がしたって証拠はないよ」 「あんな大がかりなイタズラの数々を、 他の誰がやるんですか! 今度のことだって――」 「メリー! メリークリスマス! サンタはいるよ!」 「わわっ!?」 「サンタが現れたんだって聞いたよ! メリークリスマス!」 「え、どこで聞いたんですか!?」 「人車が現れたんだろ? あれはクリスマスプレゼントの前祝いだよ! メリーメリーメリークリスマス!」 「サンタなんていません!」 確かにここにはいないな。俺はトナカイだもの。 「第一ホバークラフトに乗るサンタが、 どこにいるって言うんですか!」 「ははは。いないよ。 サンタはトナカイがひくソリにのってくるもんだ。 だからソリに人車を載せて来たにきまってる」 惜しい。 「………」 なぜか更科は丘さんをじっと見ると、ぽつりと呟いた。 「……この人達には無理なようですね」 「?」 「メリーメリーメリークリスマス!」 「あー、ストップ。 丘じいちゃん。帰ろうね」 きららさんが視線で俺に合図する。俺は丘さんを支えるべく、きららさんの反対側へ立つ。 「つぐみん、じゃあ、また! 取材頑張ってね!」 「頑張れよ! 記事楽しみにしてるからな!」 「あ、はい!」 俺達への挨拶もそこそこに、更科は現場へ戻っていった。 俺ときららさんは丘さんによりそって砂浜から海岸通りへあがる。 「そこ、 段差があるから気をつけてください」 「メリー、メリークリスマス!」 「うん。判ってるよ。丘じいちゃん。 サンタはいるよ。きっと…… ううん。間違いなく」 「そうだそうだよサンタはいるよ。 あいつらにも見せてやりたかった。 メリーメリー! メリークリスマスってな!」 「で。丘じいちゃん。 噂にあったイタズラの数々って、 みんなクレイジーズがやったの?」 「メリークリスマス!」 どこかで見覚えのある外車が、俺達の横を通り過ぎていった。 「あれは」 外車は100メートルほど先で急停止。そのままバックしてこちらへ戻って来た。 後部座席の窓が開くと顔を出したのは、 「ドラ! こんなところでなにをしていますの!」 こちらもまた見覚えのある、ドレスを着た老婦人だった。 「メリークリスマス!」 「はいはい。メリーですわね。 それより捜しましたわよ」 「サンタを捜しているのか! サンタなら近くにいるぞ!」 トナカイだけどな。 「サンタじゃありませんわ。 貴方をですわ。 今日はスマイルの月命日ですわよ」 「いらっしゃいませ」 「美樹さん今日も美人」 「きららさんも美人ですよ」 「え、ええっ、そ、そんなことないです」 きららさんは受けに回ると弱いようだった。 俺はギムレットを注文したのだけど、きららさんに昼から酒を飲むなとたしなめられた。 「ごゆっくり」 ギムレットの代わりに注文したアイスコーヒーを一口飲んでから聞いた。 「前科ってなに?」 「祖母ちゃん達がやったって事になってる 幾つものいたずらの事だと思う。 特に最後のはちょっと似てる。今度の事に」 きららさんはストローでトマトジュースをかきまわしながら答える。 「似てるって?」 「この町ってさ、 逆さまのくまっくの像が いっぱいあるでしょ」 「この町のシンボルだからだろ?」 「そうなんだけど、それだけじゃないの」 「祖母ちゃん達クレイジーズが やった事になっている イタズラの一つが原因でもあるの」 「イタズラが原因? なるほど! ちゃんと建ってたのを、 ひっくりかえして逆立ちさせたのか!」 「いや、それは最初から。 町のあちこちにね。 くまっくの像が現れたのが始まりなの」 「それは、 あちこちに建てられたって事じゃ――」 「くまっくの石膏像が町のあちこちに現れたの。 しかもどれも同じ像が。 昨日は海岸、今日は駅前、明日は公園って風に」 「ええとつまりそれは……。 判ったぞ! くまっくの像が勝手に動いたのか! それは超常現象だな!」 「冬馬さん。 日常が少々変わってるからって 常識を失うのはどうかと思うの」 「………」 「ははは。 なに真面目に応えているんだよ。 もちろんジョークさ」 結構本気だったのだが。 「じゃあ、どういう事だと思ったのかな?」 「ええと……… 石膏像はつまり石膏像だから、 石膏像なんだよな、だからして」 「石膏像は急に出現もしないし、 勝手に歩き回りも飛び回りもしないでしょ?」 「そうか! だとすれば、 像が自分の意志で動いたんじゃないなら…… どこかから運ばれたってこと――あ」 「ね?」 「似てるな」 「三日間隔くらいで、 町のあちこちに出現したんだって」 「……ええとつまり、 わざわざ石膏像を作ったか作らせて どこかに置いてはまた移動させたって事か?」 「そういうこと」 「酔狂だな」 「しかも、警察署の前とか 大通りの噴水の中にまで出現したんだよ」 「それで……ばれなかったのか? だって、像を見張ってれば、 犯人達は現れるってことだろ?」 「そうなんだけど、 ある時は気球、ある時は郵便配達の車、 ある時は下水口からドロンと神出鬼没」 「で、2ヶ月くらいのあいだに、 12カ所に出現したんだって」 「それをクレイジーズが?」 「証拠は何もないけどね。 あの人達以外、 そんなことをやらかす人達はいないよ」 「凄いが……暇人どもだな」 「だね」 「しかも金持ちだ。 気球や車の手配はタダじゃないだろうし、 石膏像の制作にも結構かかるだろうに」 「クレイジーズには、 しろくま一の金持ちがいるもの」 「あ……さっきの」 お嬢様がそのまま年取ったようなドレス着た婆さんか。 「……今さ。 お嬢様がそのまま年取ったような ドレス着た婆さんとか考えなかった?」 「ぎ、ぎくっ!」 「それ、ジェーンさんが聞いたら、 怒り狂うと思うよ。今でもお嬢様だってね。 で、志奈子さんに狙撃されるよ」 「そ、狙撃!? あのメイドさんに!?」 「あの人、狩猟免許もってるから」 「以後気をつける……だが金だけじゃ無理だろ。 突飛なアイデアをひねりだす頭や、 緻密な計画や事前の下調べも」 「突飛なアイデアだけなら猫さんが得意だし、 それを現実的なのにまとめてもっと面白くして 緻密な計画を建てるのは祖母ちゃんが」 「交渉ごとはスマイルさんが得意だったし」 「ああ、さっきの話に出た……」 高田敬一さん。通称スマイル。白波旅館組合の理事長。いつもニコニコしてたからスマイル。 その人が亡くなってから、今年で3年。今日は月命日。 丘さんはジェーンさんの車で、お墓へ拉致されてしまったのだった。 恐らく、大家さんと猫塚さんも行っているのだろう。 「丘じいちゃんはメカなら任せとけだったし、 オショウサンは話がうまくて調査が得意」 「あの丘さんにそんな特技があったとは。 オショウサンっていうのは?」 「梅井義正さん。 お坊さんだったんだよ」 「ああ……なるほど」 さっき更科が、この人達、つまり今のクレイジーズには無理だと言った理由がようやくわかった。 きららさんは、オショウサンも過去形で語っていた。 俺がどんなにこの町に親しんでも、時間という絶対の断絶に隔てられて、彼らには会えないのだ。 「確か庭木さんっていう人も一員だよな。 彼は何が得意だったの?」 そんなグループの表のリーダーと目されてたからには、よほど凄い才能があったに違いない!ドキドキだぜ。 「え、タイガーさん? うーん……」 きららさんは腕を組んで考え込んだ。 「え、悩むような事か? あ、そうか。 何でも出来る人だったんだな!」 「全然」 「え、そうなの? じゃあ、あれだ。 なんか職があってそれは得意だったんだろ?」 「庭木さん。 もし町長になってたら それが初めての定職だったかも」 「ええっ無職!?」 「確かね。親の遺産でどうとか。 それでいつもブラブラしてた。 あと裏山で金を掘り当てようとしたり」 「裏山って……この町の?」 「うん。 埋蔵金探しもしてた」 「………」 「あ、ぴったりの言葉がある! 山師だよ山師!」 「……そんな人だったのか」 「美樹さーん。 庭木さんってさ、 何が得意だったんだろ?」 美人マスターはコップを磨く手を止めた。 「……そうですね」 「ギャグ……かな?」 「それはどうでしょう? 結構寒かったですよ。 ギャグそのものが当たる率は1割くらいでしたよね」 「だよね」 「でも、あの人が どんなに外れたギャグを飛ばしても、 みんな笑ってしまうんですよね。なぜか」 美人マスターは遠くを見る目をして呟いた。 「魚屋が驚いた。ギョ」 「そんなレベルで笑いを取れるのか!?」 「でもね。あの人が独特のタイミングで言うとね。 なんだかおかしいの。 うん。不思議な人だったよね」 「あの人が来ると、 なぜか平日の昼でも、 店がいっぱいになったものです」 「人をひきつける 磁力みたいなのがある人だったのよ」 「そうか……判ったぞ! みんなに好かれるのが才能だったんだ!」 「ああ、なるほど。 みんな庭木さんが好きだったものね。 あんなにいい加減な人だったのに」 「ダメ人間でしたよね。 この店もかなりツケが溜まってましたし。 というかお金を払ってくれた事ってなかったです」 「いつも『出世払いでヨロシク!』 だったよね……」 「凄い人だ……」 だが。 亡くなった人にアレコレ言うのは、歴史学者の仕事でトナカイの仕事じゃないが。声を大にして言いたい。 庭木さん、大人なんだから、たまにはお金くらい払いましょうよ。 「結局、庭木さんは 出世しなかったんだよね……。 それもあの人らしいけどさ」 「そうですね……。 ブラブラしてないあの人って 想像できませんよね」 「それにしても」 こうやって雰囲気のいい喫茶店で、気になる異性と話していると言うのに。 「なに?」 「……アイスコーヒーが すっかりぬるくなってしまった」 色気がない会話だな。とか言えないよな。 「そういえば。 ペンキ屋さんはあれからどうしたのかな?」 「あれから3日間、 店閉めて家に籠もりきりみたい」 俺達はネーヴェから出ても、色気のない会話を続けていた。 「じゃあ当分出てこないだろうな。 だが、人車をこのままにしておくのは、 やばいんじゃないか?」 「……一応、詳しい調査中って事で、 黙認されてるみたい」 「郷土史家か」 「うん。マニアの発展系?」 「発展というより、 ビョーキが悪化した感じだ」 「……ビョーキはひどいわ」 「言葉が返ってくるまでの微妙な間は、 同意とみなすがよろしいか?」 「……えっと。 一応、様子だけでも見に行こうか?」 「だが、あの人の事だ。 邪魔が入らないように鍵かけてるだろ。 行くだけ無駄じゃないか?」 きららさんは、鍵束を取り出してちゃらちゃら振った。 「大丈夫。 うちあそこの大家だから、 鍵もこの通り」 大家恐るべし。 「やっぱりしまってるな」 「見せるわ! 大家の力!」 「ペンキ屋さーん」 「ダメだよ冬馬さん。いきなり声かけちゃ。 熱中しているのを無理矢理止めると、 マニアは暴れるかもしれないから気をつけて」 「了解……って。 そういうのは入る前に言ってくれよ」 「ごめんごめん」 「おー、人車だ」 「解体調査とかはしていないみたいね」 「だが、いないぞ」 「人車の中じゃない?」 俺達は抜き足差し足忍び足。 「扉が閉まってる」 「物音……しないわね」 「………」 「静か……過ぎないか?」 「なんだか不吉な予感がするわ」 俺達は視線を交わす。俺が人車の扉を力一杯開くと、きららさんは車内に飛び込んだ! 「進さん! ちょっとごめん余り入りたくなかったけ ど、物音しないからやばそうで入って来ちゃっただ けだから、そっちが悪いんだから怒っちゃダメ!」 「お、おい……」 「大丈夫。一応先に謝ったから」 「じゃなくて、足下足下!」 「足下……?」 きららさんの視線が、ゆっくりと下へ向けられた。 「す、進さん!」 そこには、変わり果てたペンキ屋さんが! 「誰がペンキ屋さんをこんな目に!?」 ペンキ屋さんは人車の床に、うつぶせになって倒れていた。ぴくり、とも動かない。 肌も土気色で、生きている人間のものとは思えない。 「も、もしかして私!?」 「お、落ち着けきららさん。 まだ犯人が誰かと決まったわけじゃない!」 「そ、そうよね! あ、それに今なら生き返るかも!」 「人工呼吸かぁ! だが、俺、知らないぞやり方!」 「トナカイなのに!?」 「いや、ボーイスカウトじゃないんだから」 「そっか。そうよね。 じゃあ私が……」 「……」 「ごめんなさい! いくら人工呼吸でも、 進さんとは……」 何を思いついたのかきららさんは、慌てて携帯を取り出すとどこかへ掛けた。 「姉ちゃん! あのね。今、進さんが大変なの! なんか倒れて動かないの!」 「姉ちゃん。確か、 緊急救命士の資格もってたよね? わ、私どうすればいいのかな」 「えっ……あ。うん。判った」 「なんと?」 「まず…… 生きてるかどうか確かめろって」 「なるほど!」 俺ときららさんは、力なく伸ばされたペンキ屋さんの両手首を、それぞれ握った。 「ほ……生きてる」 「だな……」 「ということは……救急車呼ばなきゃ!」 「もう呼んだよぉ」 声の方へ向くと。 「こんにちわぁ」 「姉ちゃん、はや!」 「きょうはぁ、かていきょうしがないからさぁ、 きんじょの公園でぼおっとしてたんだよぉ」 寒い日に野外でぼおっとって、とか突っ込みたいが今はそれよりも。 「あの、一体これは!?」 「誰が進さんをこんな目に!?」 「4日間、のまずくわずで、 いっしんふらんになにかしてたら、 だれだってこうなるよぉ」 「あ……」 俺達は顔を見合わせた。言われてみればもっともだった。 駆けつけた救急隊員が進さんをタンカで運び出した時。 「うう……僕の人車……僕の……僕の」 意識がほとんどないのに、うわごとをこぼしながら人車の方へ手を伸ばすその姿は。 ちょっとだけ感動的……。というより、ホラーっぽかった。 「……姉ちゃん」 「なぁに?」 「進さんは大丈夫だって言ってたのは……。 どうせこんな事になるから、 大丈夫だろうって事だったの?」 「だってあの進さんだよぉ」 「でも、 あのまま放っておいたら」 「ほうっておかないと思うよぉ。 周りのひとがぁ」 「まぁ……そうかもしれないけど」 「あー。まぁあれだ。 ご町内から犯罪者が出るよりは よかったじゃないか!」 「そ、そうだね。あはは」 「めでたしめでたしだねぇ」 めでたしなのか?これでいいのか? ………。 これでいいのだ! ……と、日記には書いておこう。 「いらっしゃいませ!」 「いらっしゃいませ……げ」 「お客を見て、げ、かよ」 「申し訳御座いません。 あんたも謝りなさいよ!」 「も、申し訳御座いません」 「店員の教育がなってないね。 店長を呼びな」 「俺です」 「そら丁度いい。 顔かしな」 「仕事中なんですが」 「お客様は神様よ。 幸い時間に余裕はあるし、 ちゃっちゃと行ってきなさい」 「ちょっとはかばえよ!」 「午後3時までここの番してろ。 客が来たら適当に相手してやりな」 大家さんは煙草を取り出すと、うまそうに吸い出した。 「あの、げほんげほん」 煙をふきつけやがった! 「文句あるのかボンボン。 客あしらいの勉強にもなるだろ。 かぁっ。オレって優しいな」 「なんで俺が。 って聞いても無駄なんでしょう」 「あんたの店が一番暇だからだ」 「何を根拠に断言するんですか! おかげさまでうちはこの頃、 商売繁盛ですよ!」 ばばあ(あえてそう言わせて貰う)はニヤリと笑い、口から煙の輪を吐くと 「自分の胸に聞いてみるんだね」 「ぐ」 聞くまでもなかった。 「この珍車、奴以外盗む馬鹿がいるとは思えないが、 ほっぽっとくワケにも行かない。 誰かが見張ってる必要がある」 ぷわ、ぷわ、と輪が二重。 「丁度暇人がいた。合理的だろ」 「大家さんの方が暇じ、げほごほ」 俺の顔に副流煙を吹きつけると、ばばあは、煙草を携帯灰皿に押しつけた。 「せいぜい盗まれないようにやんな」 午後3時。 腹へった。 誰も代わりに来てくれない。だが、ここを離れるわけにもいかない。 「どうして?」 「いや、それがさ。 人車見に人が来るんだよね。 一時間にひとりかふたりだけど」 「……」 「って、きららさん!?」 「はーいきららでっす! こんにちわ! で、冬馬さんどうしてここにいるの?」 「かくかくしかじかで」 「ふむふむなるほど。 暇そうに見えたから 祖母ちゃんに連れてこられた」 「伝わってる!」 かくかくしかじかおそるべし。 「え、ええっ、当たりなの!? も、もう祖母ちゃんはしょうがないなぁ。 冬馬さんだってお店の仕事あるのに」 「あ、あるぞ! あるんだから! 暇なわけじゃないんだ!」 「どうどう。 判ってるって。 交代の人は?」 「3時に寄越してくれるって、 大家さんは言ってたんだけど」 「判った! なんとかするから ちょーっと待ってね」 「なんとかって。あ、いない」 「冬馬さん、はい!」 「はやっ!? ええっ! おおっ食い物だ! しかも、こんなにいっぱい」 きららさんがくれたビニール袋の中にはコンビーフの缶詰やらソーセージ、コロッケ、ハンバーグなんかが詰まっているじゃないですか。 しかもソーセージは魚肉じゃないぞ♪ソーセージは魚肉じゃないぞ♪重要なので二度言うのだ。 「遠慮無く食べて」 「ごくり だ、だが、これだけあると結構お代が」 「心配しないで、谷野さんとこで、 期限切れ直後のもらってきたのだから」 「ありがたし! しかも地球にちょっぴり優しいエコライフ」 谷野さんが肉にこだわりがあるだけあって、あそこの食い物はうまいんだよな。 「はい、缶切りにお皿にお箸。 ケチャップと辛子と醤油とマヨネーズ。 コショウもあるよ」 「いただきます!」 はむはむがつがつむしゃむしゃばくばく。うまいうまいうまいうまい。 「んっ、げふんげふぅひずみずひずぅ」 「慌てない慌てない。 はい、飲み物」 「ふぅ……助かった」 「よっぽどお腹減ってたのね」 「そんなにガツガツしてたのか……。 これは恥ずかしいトコロを」 「それもあるけど、 あれだけあったのが、 全部なくなったから」 「おおっ。いつのまに?」 「でも、食べっぷりのいい人って好き」 そうか好きなのか! 落ち着け俺。恐らく大した意味じゃないぞ。 「ま、まぁ。 ほらあれだ子供の心を持った 大人の男を目指してるんだ」 「子供に夢を配る トナカイだものね」 「そういうこと。 にしても栄養補給ありがと これで夜まで戦える」 「旦那旦那。 何を言っているんですか、 交代要員も用意してありまっせ」 「流石きららさん! 一体その犠牲者もとい 奇特なお方はどこに?」 「ふふーん。奇特な犠牲者は私! 明日以降はちゃんと商店会で割り振るとして、 今日は取りあえず私がね」 「それは許可できないよぉ」 「ひぃ」 「何やつ!?」 「きららちゃぁん。 おべんきょうのじかんだよぉ」 早くも逃げ腰になったきららさんは、 「わ、私はあれだよあれ! お祖母ちゃんが冬馬さんに仕事 押しつけたから孫である私が――」 きららはにげようとした! 「うんうん。 いいこころがけだよぉ」 だが、いつのまにかまわりこまれた! 「だよねだよね! だから今日の勉強は――ひぃっ」 きららはべんかいした! 「だからぁ、きょうはここで おべんきょうをするよぉ。 追い込みすぱーとでがんがんやるよぉ」 だが、つかまえられてしまった! 「だ、だけど、ほら、あれ! ここには教材とか無いし! これじゃあ勉強は――」 「もってきたよぉ。 というわけでぇ、 おべんきょうおべんきょう」 「と、冬馬さん助けて!」 きららはとうまをしょうかんした! 「ええと……神賀浦さん」 「はぁい?」 「たまには息抜きさせてあげても」 「いきぬきしていいのはねぇ、 いつも逃げずにやってるひと だけなんだよぉ」 「……きららさん。頑張れ」 とうまはやるきがわかなかった! 「な、納得するの冬馬さん!? 事実だけど納得しちゃだめ! 私だっていつも逃げてるわけじゃないの!」 「そうだよねぇ。 最初から、にげられないって あきらめてる時は、にげないよねぇ」 「……ごめんきららさん。 助けたいけど、助ける理由が 見つからないんだ」 「うわーん。 冬馬さんの薄情者!」 「ふぅん。これが人車ですの」 「はい。これが人車です」 壁に貼られた当番表(きららさん作成)の今日の所には俺とななみの名前が燦然と輝いている。 というかきららさんの名前ときのした玩具店関連の名前(特に俺)がやたら多い。 商店会の各店が人を出せる日を付き合わせたら、うちがやけに多くなった結果なのだそうだ。いかに暇か判って、ものがなしい。 「……」 「それだけですの?」 「と言いますと?」 「中井様。 ジェーン様は解説をご所望なので御座います」 「貴方。何の為にここにいるのですの? 解説の一つも出来ずにガイドが勤まると、 思っていますの?」 「ジェーンさんは地元の人じゃないですか」 「だからこれを知っていて、 当然だと仰りたいのですの? ガイドを受ける資格も無いと仰いますの?」 「いえ、そういうわけでは」 「とーまくん!  お客様は神様ですよ。  もめちゃだめですってば」 「もめてないぞ。 ってかお前、昼飯は?」 「確かに揉めてはいませんわ。 この方がガイドとして不勉強だと、 指摘してさしあげただけですのよ」 「なるほどなるほど。 つまりこの人車について ガイドすればいいんですよね」 「いいんですよねって、 お前にだって出来ないだ――」 「ちょーっと黙っててください、 今、思い出そうとがんばってるトコロですから」 「………」 「人車軌道について知りたいのかい! 1900年代初期に全国各地を走っていた 栄光の人車軌道たちを!」 「人車軌道は、やや用語的には厳密でないが 人車鉄道とも呼ばれる古き良き交通機関の事だよ。 最盛期にはこの国に29路線が(略)」 「す、凄い!」 だが、この強烈なデジャブは一体? 「だが、そもそも人車とは何かを語るべきだろう。 人間のにんに自動車の車と書いて人車だよ! 人が客車や貨車を押す鉄道の事なんだ!」 「凄い解説ですわ! でも、なぜ、わざわざ人が押すんですの? その頃には蒸気機関車だってありましたのに」 「そうとも! 確かに蒸気機関車も電気機関車も 当時から存在していたのに、なぜ人力という疑 問があるだろう? だが、しかし! 蒸気(略)」 ドレスばあちゃんと俺はぽかんと口を開け、ただただ圧倒されてななみの解説を聞いていた。 怒濤の解説がペンキ屋の店内に吹き荒れ、そして。 「――ああ! 栄光のくま電の先駆けである 白波温泉郷人車軌道! ボクは決して彼らを忘れはしない!」 嵐の後の沈黙。 「とても素晴らしゅう御座いました。 私がここへ伺う事前に調べて置いたものを、 軽く上回る情報量。感服で御座います」 「えへへ。そ、そうですか」 「志奈子にそこまで言わせるとは、 なかなかやりますわね」 「っていうかお前、 いつのまにそんな知識を」 「それはですねー。なんだかペンキ屋さんって、 面白い人だったんで、この辺りに来る度に寄って、 毎回この辺を聞かせて貰っていたんですよー」 俺達の脳髄に事態が染みこんできた。 「……毎回?」 「そうですよ」 「あの阿呆の話を自分から進んで、 聞きに行っていたというんですの?」 「そうですよー。 でも、まだお話の中身の方は、 よくわからないんですけどね」 「中身は判らないのかよ!」 「ほら、あれですよあれ。 お坊さんのお経は全然中身が判らなくても、 なんとなくありがたいじゃないですか」 「いや、それ全然違う――」 これは使える! 「とーまくん?」 「ななみ! いや、師匠! 俺にも教えてくれ!」 「ほへ?」 「――ああ! 栄光のくま電の先駆けである 白波人車軌道! ボクは決して彼らを忘れはしない!」 「おお! とーまくんカンペキです! よくがんばりました!」 「師匠!」 「進さん! 病院抜け出して来ちゃったの!?」 「きららさん、こんにちわ」 「こんにちわ! 進さんは!? 進さんはどこ!?」 「ペンキ屋さんなんていませんよ」 「え、だって、 今、あの独特のマニアトークが」 「それは幻聴ですよー。 きららさんは忙しいから、 疲れているんですよー」 「え、そ、そうなのかな……。 確かに最近は勉強をいっぱい…… いや、してないか……いや、全然じゃないから!」 「そんなことよりきららさん! ちょっと聞いて欲しい事が」 「聞いて欲しいコト?」 「では、いきます」 俺は胸を張ると、朗々とした声で唱える! 「人車軌道について知りたいのかい! 1900年代初期に全国各地を走っていた 栄光の人車軌道たちを!」 「え、もしかして――」 「人車軌道は、やや用語的には厳密でないが 人車鉄道とも呼ばれる古き良き交通機関の事だよ。 最盛期にはこの国に29路線が(略)」 「さっきのは……冬馬さん?」 「だが、そもそも人車とは何かを語るべきだろう。 人間のにんに自動車の車と書いて人車だよ! 人が客車や貨車を押す鉄道の事なんだ!」 「………」 「あの……それは一体」 「ぶぶー。 ここは、なぜわざわざ人が押すのかを 突っ込まなくちゃダメです」 「そう……なの?」 俺は期待に満ちた目できららさんを見た。 「え、えっと…… なぜわざわざ人が押すのかな?」 「そうとも! 確かに蒸気機関車も電気機関車も 当時から存在したのに、なぜ人力という疑問が あるだろう? だが、しかし! 蒸気(略)」 俺は語りに語りに語った! 「――ああ! 栄光のくま電の先駆けである 白波温泉郷人車軌道! ボクは決して彼らを忘れはしない!」 嵐の後の沈黙。 そしてきららさんからの賞賛の拍手! 「凄いよ冬馬さん! いつのまにそんな解説を身につけたの!」 「ふふふ。 男は一日あれば変わるものなのさ」 「そう言われて見直すと……。 昨日より一回り頼もしくなった感じだわ」 「そ、そうか!? ふ。照れる!」 「ととと冬馬さんが大変なことに!」 「え?」 「進さんの生き霊が憑いてる! いえ、こんな非科学的で非常識なことがあるハズが。 でも、サンタだって実在するんだし……」 「生き霊ですか! どこですかどこですか? 見たいですよ!」 あれ?おかしい、何か予想外の展開? 「今、冬馬さんの体を借りて、 進さんの生き霊が喋ってたのよ! もしかして進さんの身に何か!?」 「とーまくん! いつのまにそんなオモシロ体質に!?」 「ちょっと待て! 俺はそんなイタコ系の面白体質じゃない!」 「で、でも今、確かに進さんが……」 「いや、だからこれは、 暗記して喋っただけで」 「暗記って――あ」 「す、凄いね冬馬さん……。 暗記しちゃうほど進さんの話が 好きだったのね……」 「違う! それは違う! 暗記したのはこいつで、 俺はその又聞きなんだ!」 「そうなんですよ。 何を隠そう師匠はわたしなのです!」 「ななみちゃんが……まさ――」 「おほん」 「人車軌道について知りたいのかい! 1900年代初期に全国各地を走っていた 栄光の人車軌道たちを!」 「人車軌道は、やや用語的には厳密でないが 人車鉄道とも呼ばれる古き良き交通機関の事だよ。 最盛期にはこの国に29路線――」 「わ、判ったからストップ! で、なんでそれを冬馬さんが?」 「ここに見物に来る人に、 解説のひとつも出来ないと悪いじゃないか」 「そのために、 特訓したのさ」 「凄いですよー。 とーまくんはたった3時間で、 この呪文をフルコンプリートしたんですから!」 「冬馬さん凄い! 暗記が出来るなんて天才!」 「い、いやぁ、それほどでも」 ようやく予想の展開になった。だが予想してても照れる! 「だけど…… 口調まで進さんのと 同じにする必要はないと思うよ?」 「……」 「おお!」 「ダメですよ。 言葉を変えたらありがたいお経の効果が、 薄れてしまいます。ナムアミダブツ」 「お経じゃないから。 そっか、そういう事なら、 私も覚える! 暗記苦手だけど頑張る!」 「そうこなくちゃ」 「じゃあわたしがバッチリ」 「ななみ、お前にはもっと重大な使命がある」 「重大な使命! なにか燃えますねそれ!」 「りりかと硯にもこれを覚えさせるのだ!」 「おーなるほど! 覚えた人が3時間でまた次の人に覚えさせれば、 一ヶ月の内にこの町の人全員が被害者ですね」 「その勢いだ!」 「ネズミ講じゃないんだから”」 「人車軌道について知りたいのですね? ええと……1900年代初期に……ええと」 「………」 「もう……ダメ……。 私の事は見捨てて冬馬さん一人でやって……」 「大丈夫だ! 俺だって最初は全然ダメだったんだから」 「でも、でも! 私には記憶力がミジンコ並にしかないの! 勉強だって全然出来ないし!」 「しっかりするんだ! まだ初めて15分じゃないか! ファイト!」 ちょっとだけ、神賀浦さんの苦労が判ったかも。 「――今でも私たちを乗せて走るくま電。 その先駆けである白波人車軌道を、 私たちは決して忘れてはいけないと思うのです」 「……」 「どう……かな?」 俺はサムズアップ。 「カ・ン・ペ・キだ!」 「……カンペキ?」 「おお。 これならどこに出しても恥ずかしくない ガイドさんだ」 「……ホントにホント?」 「ホントにホントさ! わ」 きららさんは俺の両手を両手でつかんで、ぶんぶんと振った。 「冬馬さん! わ、私やったんだね! 記憶力がミジンコ並にしかない私が!」 「お、おうともさ! きららさんはやったんだよ!」 小さな手だな……。女の子の手だ……。 「冬馬さんありがとう! ほんとうにありがとう!」 「あ、ああ、うん」 「……う……ううっ……」 「ど、どうしたのきららさん? ぶるぶる震えちゃって」 きららさんの手に、ぎゅっ、と力がこもる。 「か、感動してるの……」 「感動って」 「わ、私でも…… あんなに長い台詞を暗記出来る 知能があったんだって……」 「それはねぇ。 おぼえるないようが、 お勉強とかんけいないからだよぉ」 「ひぃっ」 ぱっときららさんの手が離れた。 「いつも言ってるけどぉ。 きららちゃんはねぇ、 あたまが悪いわけじゃないんだよぉ」 「で、でも、私の成績はいつも」 きららさんは助けを求めるように左右を見回した。 「たんにねぇ。 べんきょうする気が ないだけなんだよぉ」 だが、ゆらゆらと迫ってくる神賀浦さんは、逃走を許さない! 「そ、そんなことないよ! 私だって夢のために、 頑張ってるんだよ! たぶん!」 「きららちゃん、ことばは正確につかわなくちゃねぇ。 がんばってるんだ、じゃなくって、 がんばろうと思ってるんだけどぉ、だよぉ」 「うぐっ」 思わず膝をついたきららさんの手を、神賀浦さんの手が掴んだ。 「記憶力があることもわかったことだしぃ、 きょうは過去問のときかたを、 どんどんおぼえてもらうよぉ」 きららさんが縋るような目で俺を見た! 「神賀浦さん! 待ってください!」 何一つ正統な理由も弁護するべき理由もない。だが、俺はきららさんの味方だ! 「ここに誰もいなくなったら、 人車を誰が見守るんですか!」 「そ、そうだよ! だから今日は」 「だいじょうぶだよぉ。 もう5時だからここをしめればいいだけだよぉ」 チェックメイト。 「あんたら、 まったく……何かんがえてんのよ」 「……昼間に見たのは……初めてです……」 「俺だって色々とだな」 「あんなに長い説明、 みんなが覚えられるわけないでしょ」 人車の脇の壁には、人車とはどういうものかという説明文が貼られていた。 一緒に暗記しましょうというななみの提案を即座に却下したりりかと硯が、訓練の後、一晩掛けて作ってくれたものだ。 「人が自らの口で説明するのが、 温かみがあっていいと思うんだが……」 「あんなに長い長い説明、 最後までちゃんと聞く奴なんて、 そうそういないわよ。ななみんくらいでしょ」 「う……悔しいが 否定できない自分がここにいる」 「こんにちわ!」 「きら姉聞いてくださいよ。 こいつってば、ペンキ屋のマニアトークを まるまる覚えろとか言うんですよ」 「名案でしょう! やっぱりさ、ガイドさんが 口で説明するのが暖かみがあっていいと思うよ」 「え……」 「そうだよな!」 「りりかちゃんと硯ちゃんは覚えた? 私はもう覚えたもんね」 「いえ、あの、その」 「……大変言いにくいのですが、 あのように長い説明を、 丸ごと覚えるのは無理だと思います」 「そんなことないよ! 私だって覚えられたんだから! ミジンコ並の知能しかない私が!」 「あ、あの……。 そこまで自分をひどく言う事は ないと思いますけど」 「それに正直…… 聞いていると圧倒はされるのですが……。 何を言っているのかは良く判りませんでした」 「そ、そんなことないよ!」 「ごめん。きら姉。 ちょっと同意出来ない」 「何を言っているかよくわからなくてもいいんだ! 肝心なのは熱いガイドハートだ!」 「ガイドは内容が伝わってなんぼでしょ」 「そういうわけで、あの、 説明文を貼っておいてはどうかと思いまして、 昨夜、作ってみたんです」 「……」 「冬馬さん……。 私達の努力は無駄だったみたい……」 「やっぱり……そうなのか……。 俺も薄々そんな気がして来たんだ……」 「頭が悪いって……哀しいよね……」 「そんな寂しそうに言わなくても。 ええと、あ、ほら、説明を聞きたそうな人には、 説明すればいいんですから!」 「そ、そうよね!」 「あの…… どうやってそれを 判断するのでしょうか?」 「……」 「え、ええと……。 そ、そうだりりかちゃん硯ちゃん! お店の方はななみちゃん一人で大丈夫なの?」 「今までの経験からすると 大丈夫ですよ」 「ななみちゃんの接客って、 そんなに見事なんだ」 「あれ? いつのまにあいつ そんな隠し芸を習得したんだ?」 「この時間には誰も来ませんから」 「そっちの経験なのね……」 「……」 「……」 「来ないな」 「平日の昼間だからね」 「なんということだ! 俺のガイドハートを示す機会が、 めぐってこないじゃないか」 「まだこだわってたんだ」 「なぬぅ!? きららさんはこのままでいいのか? 単なる文字の列に万物の霊長が負けたままで」 「なんだか、 めぐってこないほうが、 いい気がしてきたよ」 「なんで? せっかく覚えたのに」 「私達があんな事をしてるのを、 帰って来た進さんが見たら」 「あのマニアトークを炸裂させまくるか…… でも、俺達がやらなくても、 勝手にやるんじゃないか?」 「あはは。そう言えばそうか」 「………」 「………」 「あのさ」 「あの」 「う、ううむ。 これでは話が出来ないぞ」 「ええと……お先にどうぞ」 「あ、いや、そこまで 畏まられるほどの台詞じゃなかったんだが」 「……私もそう……かな」 「ええと」 俺は頭を掻いた、改まって言おうとすると、喉にちょっとひっかかる。 「ほんとに他愛ないことなんだ。 ほら、ずっと前に、デートの時」 「あれは…… デートじゃありません。 どさくさにまぎれてダメだよ」 「あ、すまん。でも、とにかくあの時。 これでもうお互い気にする事も なくなるだろうって言っただろ」 「え、ええ……」 「だけどさ、 気づいたら俺達、あれからも、 よく一緒にいるよな」 「あ……」 「どうかした?」 「あのね……その……。 私が言おうとしてたのも それなの」 「へ、へぇ。 そ、そうだったんだ」 「う、うん、奇遇だよね!」 「べ、別に深い意味はないんだ! ただ、そうだなってだけでさ」 「あのさ……それって……。 冬馬さんは……イヤなの?」 「え、いや、そんなことはないぞ」 「そっか……良かった」 「きららさんは、 その、イヤかな?」 「実は……私も。 イヤじゃないかな」 「イヤだったほうが、 よかったかもしれないなぁ」 ちょっといい感じのこそばゆい雰囲気にたちこめる暗雲の正体は!? 俺はきららさんを守るように、声の相手に立ちふさがって叫ぶ。 「ナニヤツ!?」 「きららちゃぁん、お勉強のじかんだよぉ」 「ね、姉ちゃん!」 「なぜ今日はこんなに早く!?」 もしかして俺達が仲がよくっぽく見えるのに、ジェラシーか? 「というか、とーぶん、 お勉強のたーんだよぉ」 「で、でも、今日はほら! 私が当番だから!」 「そうですよ! 当番と決まってる日には 最後までやってもらわないと、 他の人達にも迷惑がかかるじゃないですか」 神賀浦さんは、ゆらゆらとした足取りで、当番表の前に来ると。 「えーい、とー、やー、たー」 書かれていたきららさんの名前を全て、黒い太マジックでバッテン。 「ね、姉ちゃん横暴だよ! これは商店会のみんなで決め――」 「きららちゃん。 ウソはいけないなぁウソはぁ、 お姉ちゃんかなしくなっちゃうよぉ」 「ウソ?」 「冬馬さん信じて! ウソじゃないの! みんなの都合のいい日を聞いて 決めたんだもん」 「きららちゃんが、みんなの都合のいい日をきいて、 あとはぜーんぶ、ひとりできめたんだよねぇ」 「えっと、それは…… でも、ほら、このスケジュールで 誰からも文句は出なかったよ!」 「あたりまえだよぉ。 だって、これだけきららちゃんが負担すれば、 ほかのみんなは全然でなくていいものねぇ」 「妙にきららさんの当番日が多かったのは、 そういうわけだったのか」 「そーゆーわけだったんだよぉ」 「ああっ。冬馬さんがあっさり納得してる!?」 「だが待てよ? きのした玩具店関係者の 当番日が多いのは……」 俺と一緒に当番したかったから? 「それはたんにぃ、 きのした玩具店さんがヒマだからだよぉ」 「くっ……現実はキビシイ」 「きららちゃぁん、試験もちかいのに、 どーして試験1週間前からぜーんぶ、 きららちゃんの当番日なのかなぁ?」 「そ、それは、その、あれ! 姉ちゃんも家庭教師の仕事でいつも大変だから、 せめて私の分くらい休ませてあげようと思って!」 「きららちゃんってば そんなにわたしのことを…… うれしいなぁ」 「でも、試験2週間前から、 きららちゃんいがいのおべんきょうは ぜんぶきゃんせるしたってお話したよね?」 「う……ソウデシタ」 「だからそんな心配しなくてもいいんだよぉ」 「え、えっと、ごめんなさい! 私にその気分転換が必要だと思っただけ!」 「なんで気分転換が ひつようなのかなぁ?」 「ええと」 「それは……ほら! きららさんだって、 一生懸命勉強してるからじゃないですか?」 「この町の役場に就職するのは、 きららさんの夢なんですから」 「そうだよ! ほら、見てよ冬馬さん! いつも過去問だって持ってるんだよ! こんなに難しそうな問題がいっぱい!」 問題集には書き込みもなんにもなく、折り目がついてるページすらなかった。俺はきららさんの前からさりげなくどいた。 「あと1週間でおいこみなんだもの、 私だって一億火の玉で燃え尽きて 玉砕覚悟で勉強するよ!」 「その意気だ! って、いや待て、玉砕覚悟なのかよ」 「きららちゃん、そういう正直なところすきだなぁ、 しているよぉ、じゃなくて、するよぉ、 って自分でいっちゃうところがぁ」 「してないのか?」 「え、ええと、それはだから、 そのうちするってことだよ! あれ? 冬馬さんの目が冷たくなってる!?」 「そのうちそのうちで、あと1週間だねぇ」 「で、でも、だってほら! 一昨日、姉ちゃん、なんとかなるって 言ってくれたじゃない! だから!」 「つごうのいい耳をしてるねきららちゃん。 これから地獄のおいこみをかけてぇ、 ぎりぎりなんとかなるっていったんだよぉ」 「じゃ、じゃあ耳鼻科に――」 「わたしは甘いかもだけどぉ、 試験はあまくないよぉ」 神賀浦さんの手が、きららさんの手首をつかんだ。 「いやぁぁぁぁぁぁ! 助けて冬馬さん! 私には勉強する筋肉がないんだよ!」 「というわけで中井さん、 きららちゃんはとーぶん借りていくからぁ、 ごめんねぇ」 ほほえみにはほほえみを。俺は上着の裾にしがみつくきららさんの手をさりげなく外しながら。 「いえいえ、 試験1週間前じゃしょうがないですよ」 「ああっ! ザイルが切られた!」 俺は、びしっと親指を立ててきららさんにエールを送る。 「あの長い説明が覚えられたんだから、 大丈夫さっ」 「今年もだめだった!」 大丈夫じゃなかったか! 「だから言ったじゃないか。 せんでもいい苦労なんかしないで、 オレの不動産屋をつぎゃいいんだ」 「ぎゅう」 「そうすりゃ、 変な女に出入りされずに済むってもんだ」 「きららちゃん、よくやったよぉ。 前回は成績とすら呼べなかったんだから だいしんぽだよぉ」 「ずーん」 「慰めるなら もっと言い方が」 「たんなるじじつだよぉ。 ごーかくらいんまであと10てん。いちもんぶん。 せめて2週間前からまじめにやっていればねぇ」 「ずずーん……」 ああっ。きららさんがどんどん地面に沈んでいく! 「ボンボン、 あんたも趣味が悪い男だねぇ」 「え?」 「用もないのに町役場へやって来て、 試験に落ちて不幸のずんどこの女を、 嘲笑ってやろうっていう魂胆だろ?」 「あらあらぁ。 中井さんって けっこうエスな人なんだねぇ」 「……なにを言われても 敗者は黙って受け容れるしかないんだわ。 愚かな私を嘲笑うがいいわ」 「違う! 断じて違うぞ! 役場に用事があったんだ」 「そうだよね。 冬馬さんってそういう悪意がない人だもんね。 ごめん……」 「謝らなくても」 「役場の人達は親切だったでしょ」 「あ、うん。 役人とは思えない対応だった」 「そうなんだよ。 雰囲気いいんだよ、ここ。 だから……私ここに……ああ……」 「小役人にそんなになりたいんなら、 オレがコネとカネで ちょちょいと押し込んでやるっていうのに」 「それは駄目! そんな不公平なのはだめ!」 「きららちゃんの、そういうところ好きだなぁ。 ちゃんと勉強してうかっていれば、 とってもカッコよいせりふだったのにねぇ」 「………」 「で、役立たずの家庭教師としちゃ この結果、どう言い繕うつもりなんだい?」 「去年ならアレでもだいじょうぶだったんですよぉ。 今年は受験者がきゅーぞうしてしまったらしくって、 倍率も平均もあがってしまったらしいんですよぉ」 「まったく、景気が悪いからって、 税金泥棒になりたがるやつが増えるとは、 世も末だね」 「重点まーくをつけたところだけでも きららちゃんがやっておいてくれればぁ ごうかく出来たんだけどねぇ」 「わぁぁぁぁぁぁ! もっと勉強しておけばよかった!」 「でも、去年よりしんぽしたねぇ。 去年は、勉強しておけばよかったぁ、 だったもんねぇ」 「まさか…… 去年は勉強すらしてなかったとか じゃないだろ?」 「あう、あう」 「してなかったのか!」 「そもそも、あんたには、 勉強という行為そのものが無理なんだよ。 だから裏口とちょいとした金で」 「う、う。 みんな私が悪いんだぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」 「きららさん!」 行ってしまった……。 「趣味が悪いのはあんたらの方では? ツッコミ容赦なさ過ぎだ」 「中井さんもぉ。 かなりちめいてきなツッコミを、 入れてましたよぉ」 「だ、だが、俺は、 あんたらと違って意図的だったわけじゃ」 「ふん。ボンボンには判らないだろうが、 これも親心ってもんさ、 かないもしない夢は諦める頃合いさ」 「うふふぅ。 ほんきでそんなこと思ってるんですかぁ?」 「ふん」 「最近、きららさん来ませんねー」 「試験に落ちたの、 よっぽどショックだったのね」 「だろうな…… ってお前ら、なんでここにいるんだよ! 当番は俺と角田さんの――」 「まぁ若店長固いこと言うな。 ヒマじゃぁしょうがないさ」 「ですよね」 「ですよねじゃねぇ!」 「そういえば…… 去年はどうだったんですか?」 「クリスマス直前まで、 家にこもってたな」 「今はやりの引きこもりですね」 「はやってないだろ」 「あたしたちで何かしてあげられないかしら?」 「去年は みんなで派手に残念会をやったんだが」 「かえって落ち込みますよそれは」 「そっとしとくのが一番……かしら?」 「ううむ」 飛ぶ以外余りなめらかに回転しないトナカイ的な自分の頭がうらめしい。 「ふっふっふ。今年は違うのさ。 もうきららちゃんは元気いっぱいだからな」 ここにも当番でないのに、うろついてるのがもう一人。 だが、そんなことより。 「きららさんに会ったんですか? どんな様子でしたか!?」 「会っちゃいないが間違いない」 「はぁ?」 「谷野のおっさんの事だから、 どうせ、肉でも食べれば立ち直ると思って、 スキ焼き用の肉でも送ってあげたんでしょ?」 「なるほど。 谷野さんは肉ですからねー」 彼女らも、お祭りと人車の当番で何度も来てるうちに、町の人達と随分親しくなったもんだ。 「惜しい! ステーキ用の松阪牛だぜ! 落ち込んだ時には肉! 疲れた時には肉! 嬉しい時には肉!」 「単なる推測ですか」 「お前の頭の中は、 脳みそまで肉だ」 きららさん、大丈夫だろうか……。 「実はわたしも落ち込んでるんです。 お肉ただでください」 「すまねぇ。 勝手に肉を送っちまったんで、 かかぁの奴が怒り狂ってよ」 「だからここに逃げて来たのね」 「いったい幾ら送ったんですか」 「おくさんを 怒り狂わせるほどの量の松阪牛……。 じゅるるるるるる」 「あそこは飯時は3人だからよ。 キリよく3キロ送ったぜ」 「馬鹿だお前は」 「それは、怒り狂うわ……」 「おお! 僕の白波人車軌道! 今、まさに帰って来たよ!」 「もう退院したんですか」 「人車! 僕の人車!」 「ペンキ屋さん、おかえりなさい!」 「元気でなくてもいい奴に限って、 元気になるのよね……」 「肉をいっぱい食ったんだな」 「これからは、 人車じゃなくてペンキ屋が 餓死しないように見張るってか」 「ああ、このキュートな車体! まるで僕の夢の中から現れたような 過去の素敵な体現者!」 「アレ、病院に入れられないの?」 「戻したら 病院が迷惑だろ」 「違うわよ。頭の病院よ」 「他の患者がもっと変になるだろ」 落ち込んでるきららさんに俺は何かしてあげられないか? 飛ぶ以外不調法で不器用な俺に。トナカイの俺に。 「!」 俺はベッドから跳ね起きた。 トナカイの俺にしか出来ない事があるじゃないか! 俺の体の下で、カペラが武者震いをする! 「行くぜ相棒!」 夜空へ飛び出す。 冷たい12月の大気が、俺を荒々しく抱擁する。 地上もツリーハウスも、はるか下。 カペラの状態は―― 「オールグリーン!」 今夜は特別なフライト。みんなの為じゃないひとりの為に俺は飛ぶ! ここ数ヶ月の訓練で見慣れた町並み、その中のたった一件の家を目指して、俺とカペラは流星の勢いで突撃! 「え……?」 「冬馬さん!?」 「ちょっとそこまで散歩しないか?」 「わぁぁぁ! すごぉいっ!」 冬の星座が俺達を出迎える。 「ちょっと羨ましいな。 俺は毎晩見慣れているから、 もう感動しないんだが」 ウソです。飛ぶ度に感動します。ちょっとカッコつけてみました。 「しろくま町があんなにきらきらしてるっ!」 「え……?」 俺はきららさんにつられて地上を見た。 「あれが大通りで、 あっちが駅で……ツリーハウスも見える! あ、くまでん! ちっこいなぁ」 「カリヨン塔は…… 灯りがないから見えないけどあの辺かな?」 見慣れたはずの光景。クリスマスに備えて頭にたたき込んだ市街地。 「海や森はホントに真っ黒なのね!」 だけど、暗闇を背景に広がる光の海は圧倒的だった。 「うわ……」 まるで初めて見るように俺は見ていた。仕事場ではなく、ただ光景を見ていた。 「キレイ! 本当にキレイ!」 ほんとうに初めて見たのかもしれない。 明かりは地上の星々だった。 俺は親父が見ていた光景を初めて見ているのかもしれない。 親父が命に代えて守ろうとした光景を。 「ぜんぶ見える! しろくま町が見える」 それを見せてくれたきららさんに感謝をこめて、 「なぁきららさん」 「え、なに?」 「夜空も見てみな」 「だって、夜空なんて見慣れてるんだもん」 「地上から見るのと、違うからさ」 「……」 「うわ……。 こんな夜空初めて見た!」 「だろ?」 「うん! 凄いわ! お祖父ちゃんにも見せたかったな」 「お祖父ちゃん?」 「うん! 会った事はないんだけどね いつも望遠鏡で夜空を見てたらしいよ」 「へぇ……」 あの大家さんの旦那がそんな人だったとは。 「まるで星がつかめそうだわ」 「気をつけろ! あんまり乗り出すと落ちるぞ」 「落ちたら冬馬さんが、 キャッチしてくれるって信じてるから」 「ハリウッド映画なら成功確実だが、 これはフィクションじゃないからな 出来れば避けたい」 「はーい」 きららさんは、俺にぎゅっとしがみついてきた。 「お」 結構、胸ある……。 「そっか。冬馬さんは、 いつもこんな凄い景色を見てたんだ」 「ま、まぁね」 「どうかした?」 「タンデムには慣れてなくてね」 なんとかごまかした。 「そうかぁ……」 「……」 きららさんが俺の背中にきゅっと密着した。 「ど、どうかした?」 いかんぞ!俺ってこういう密着に慣れていない事実が判明。 童貞は伊達じゃない、って全く自慢にもならん。 「ありがとう」 体温と一緒に言葉が伝わってくる。 「なにが?」 「……言うとヤボだから言わない」 「じゃあ聞くのもヤボだな」 「だね。 ……でも、ほんとうにありがとう」 「……」 照れる。きららさんに顔を見られない姿勢でよかった。 「ちょっと判った…… 飛ぶってどんな感じかって……」 人車を夜間飛行させた時、きららさんは言った。飛ぶってどんな感じなのかって。 俺は、こればっかりは飛ばないと判らないと思うって答えた。 「私……頭わるいからうまく言えないけど、 なんだか部屋にこもってるのが、 馬鹿馬鹿しくなったわ」 俺だって頭悪いから。トナカイに出来ることをしただけだ。 「そっか」 「うん。 みんなに迷惑かけちゃったから、 明日から当番復帰するよ」 「そういえば、 進さんが退院したって知ってた?」 「それはますます復帰しないと」 「今度は餓死しかねないものな」 「それもあるけど、あの人が 見物に来た人を追い払わないように 監視しなくちゃいけないでしょ」 「それもあるか」 「でもさ、冬馬さん 結構ひどいよ」 「え、ちょっと待て! 俺はいろいろと不調法だが、 とりあえず思い出せないぞ!」 「いつ乗せてくれるか、 いつ乗せてくれるか、 ずーっと待ってたんだから」 「えええっ!? 俺が? きららさんを乗せるって約束?」 背後でくすくす笑い声。 「覚えがない……。 もしかして俺、忘れたのか?」 「うん。忘れてる。 見事に忘れてる」 「ちょーっと待った。 ヒントだ! ヒントをくれ!」 きららさんが俺の耳元で囁いた。 「べいびぃ、デートしようぜ。 空を飛ぶ一番星の俺が、 君を乗せてナイトフライトだ」 「……なんだその、 恥ずかしくもいっちゃったセンス炸裂の 素敵ワードは?」 「どうだいイカスプランだろ? トナカイの中のトナカイ中井冬馬より 鰐口きららちゅあんへ」 「俺がきららさんに!?」 「そうよ」 「俺がぁぁぁぁぁ? ありえねぇ! 冤罪だぁぁぁぁ!」 「やっぱり覚えてないのね。 姉ちゃんからあの時の冬馬さんの様子聞いてたから、 そんなコトだろうと思ってたけど」 「そんな酔っぱらったか 寝不足でハイになった台詞を俺が? はっ! もしかして!?」 「そう。あのラブレター。 あー思い出しただけでも、 笑いがこみあげてくる」 「あは、あははははははははははは!」 「燃やしてくれ!」 「大丈夫。大丈夫! 燃やしても忘れませんから!」 「忘れてくださいお願いします!」 「ムリ! はっはっはっは! 絶対ムリ! 冬馬さんだってムリでしょ?」 「そんなことはないぞ! なんせ俺はさっきまで忘れてたんだからな。 忘却力には自信がある」 「じゃあ、 今、ここで思い出してみて」 「ふふ。トナカイの頭の悪さをなめるなよ」 「……べいびぃ、デートしようぜ。 空を飛ぶ一番星の俺が、 君を乗せてナイトフライトだ」 「どうだいイカスプランだろ? トナカイの中のトナカイ中井冬馬より 鰐口きららちゅあんへ」 「ふふふあはははははははは!」 「……」 「うぉぉぉぉぉぉ! 確かにこれは忘れられない! 俺が書いた事実さえなければ傑作かもしれん」 「でしょでしょ!」 「でも、まぁ、あれだ。 きららさん笑ってるからオッケーだ」 そういうことにしておく。 「ごまかした。 でも、元気になったわ」 「この調子で! 明日から来年にそなえて勉強も頑張る」 「その意気だ!」 「……明後日くらいからにしようかな、 いえ、来年からでも……」 「ちなみに来年っていつから?」 「もちろん! 1月からですよ! でも、半年もあれば十分か。 なら6月くらいから……」 「きららさん、きららさん、 世の中甘く見てませんか?」 「あ、あははは。 二回も落ちてるのに反省が足りませんでした。 ごみんなさい」 「うむ。判ればよろしい」 「でもさ、二回も落ちるとね。 ちょーっと適性がないのかな、とか、 思っちゃったりもするんだよね」 「適性か……」 「ごめんごめん。 愚痴ってしまいました」 俺は空を駆ける速度を落とした。 「あの隠し芸って、ここで出来る?」 「隠し芸?」 「歓迎会でやってくれた 自由自在に紙飛行機を飛ばすヤツ」 「え、それはムリよ。 タネを仕込んでおかないと」 「タネはないって知ってる」 「知ってるって……?」 「あれは、 このセルヴィを飛ばしているのと 同じ力だからだ」 「……同じ……ちから……」 「折鶴を飛ばす要領で、 俺の体に力を注ぎ込んでくれ」 「冬馬さんに……?」 「ああ、俺にだ」 「ちょっと待って……」 きららさんが目をつぶった気配。 ここまで密着しているとはっきり判る。ちりちり、ちりちり、とルミナの力が集まってくるのが。 「うん……なんか出来そう……」 「じゃあ俺にその力を」 「う、うん。 でも、その、どうやればいいのか」 「接触してる所から、 流し込む感じで」 「……やってみる」 じわ。と体温以外の何かが、俺の体に侵入してくる感じがした。 間違いないルミナの力だ。 かすかに、かすかに、カペラの鼓動が高くなる。 「あれ……今、このセルヴィ……。 ぴくっとした」 「判る?」 「え、うん。 なぜだか、そんな感じがした……」 「きららさんには適性がある」 「適性って……。 だって、私、勉強とっても苦手で」 「そっちじゃなくて、 サンタになる適性。トナカイでもいいけど」 「どういうこと?」 「何の訓練も受けていないのに、 そういうこと感じられるのは、 かなり適性があるってコトだよ」 「……」 「えええええっ! まっさかー」 「いや、マジで」 「マジ?」 「おおマジ」 「私がセルヴィに乗ったり、 出来るようになるってこと?」 「それだけじゃなくて、 プレゼントを配ったりも出来るようになるってこと」 「私が!?」 「きららさんが」 「前、りりかちゃんが着てたような服着て、 お仕事するってこと?」 「その通り!」 想像してみた。 「うーん……」 けっこう似合う気がする。っていうか積極的にいい。 「……やっぱ駄目それ」 「ええっ。結論はやっ」 「だって想像できないもの」 「結構似合うと思うけど」 「またまた。 私、地味だから服に負けちゃう」 「そんなことないって、 きららさん可愛いから」 「あははは。 またまた冬馬さん、 たまにキザなんだから」 本心なのだが。 「でも、問題は服じゃないんだろ」 「だって、コスプレサンタじゃないんでしょ? プロのサンタってことでしょ? だから想像できないの」 「どうして?」 「……」 「じゃあさ。 冬馬さんは、 しろくま町役場の受付やってる自分って想像つく?」 「ううむ……」 俺は想像力をフル稼働させた。 受付には誰も座っていなかった。 「いや、待て! 誰も座っていないはまずいだろう。 座るくらいは出来るはずだ」 俺は更に想像した。脳髄を絞りあげた。 「うぬぬぬぬぬぬ」 「そんなにムリしなくても……」 俺は受付に座っていた。ただし椅子はカペラだった。 「負けを認めようじゃないか」 「勝ちとか負けとかないと思うんだけど、 多分そういうこと」 「そういうことか……」 俺達の将来の夢の硬度は、ほとんど変わらなそうだった。 「馬鹿なことを言った。 空は考える場所じゃなくて 飛ぶ場所だってのにな」 きららさんが俺にぎゅっとしがみついてくる。 「そんなことないよ。 心配してくれてありがとう」 あたたかさがしみこんでくる。 「……そろそろ降りるか?」 「出来れば…… もうちょっと飛んでいたいな」 「了解!」 俺は、背中からのぬくもりをはっきりと感じながら、再び速度をあげた。 「今夜のことは忘れないよ」 「……何か言った?」 「えへへ。なんでもない?」 はっきりと聞こえていた。そして、俺も忘れない。 「社長、じゃなくて車掌! そろそろ出るんじゃねーのか?」 「ああ、この完璧なボディ……。 だが、古材で置き換えれば更に完璧になる……。 君は現在に蘇ったクレオパートラ!」 「おい車掌! 早くしねーと遅刻だ。 地獄ババァに殴られてーのか?」 「くぅっ! 愛しい君よ! 暫しのお別れだ! 寂しがらないで待っていておくれ!」 進さんは袖口で目をふくと、(泣いてるのかよ!)俺達の方へ向き直り。 「中井君! 鰐口のお嬢さん!」 「きららでいいで――」 「彼女は罪深い程に魅力的だ! いつ何時邪な思いを抱いた輩が、 独占を企み攫いに来るかもしれない!」 「いや、来る!」 それはあんただろう。 「だからしっかり見張っていてくれたまえ! それから一時間に一回は 僕の携帯に連絡をいれること!」 「はいはい」 「僕の携帯番号は知ってるよね?」 「はい、知ってますよ」 俺は投げやり気味に一連の数字を唱える。こんなやりとりを10回以上すればイヤでも覚えてしまう。 「後は……本当は銃を持って貰いたい所だが、 そんな野蛮で下世話なものは 真っ当な市民である僕は持っていないし」 「いや、待て! そーだ! あのナチなら持ってるかも、 だが、あんなのに頭を下げて譲って――」 「車掌!」 「えー、おほん! 間もなく2番ホームから、 10時45分発の――」 「なにぃ! 10時45分発だと! あれはダイヤ改正で去年消えたはず! どこだどこだ!?」 「お客様、あちらです」 俺は、やれやれという顔をしているジョーさんの方を指さした。 ペンキ屋さんの軽トラック『ロケット号』が、飛び出していく。 「……」 「……」 「毎度のコトながら、 どうにかならないんだろうか、これ」 「進さんだから、しょうがないよ」 「それにしても、 よくも毎日仕事があるもんだ」 「ここだけの話、 祖母ちゃんが手を回してるんだ」 「どういうこと?」 「あちこち回っちゃ、四方山話ついでに、 あそこの塗装がはげてるだの、 防水ペンキでも塗ったらだの言ってるの」 「なぜそんな親切を?」 「進さんをここに置いておいたら、 色々面倒起こすもの」 「まぁ……そうだな。いや、待て! 実はいい人って結論がなぜ出ない!? しかも孫の口から」 「だって相手は進さんだし」 「納得」 そんなこんなで今日も、俺達が人車の番。 「……ひと来ないな」 「平日だからね」 「ペンキ屋さんの話だと、 同好の士達が押し寄せるって 話だったんだが」 「進さんの話だよ。 実際はこんなものなんじゃない? 宣伝してるわけじゃないし」 「だな」 「町長さんは、 カリヨン塔を改修して、 そこに人車を置きたいらしいけど」 「大家さんが売ろうとしない?」 「……うん」 「がめついなぁ」 「……」 「どんな大金を積まれても お祖母ちゃんはあの塔を 手放さないと思う」 「え。どうして? 他の古い建物は少々ボリ気味の値段で、 町に譲ったんだろ?」 「あの塔は特別だから、 お祖母ちゃんだけじゃなくて、 クレイジーズの人達にとって」 「思い出の場所だ、とか?」 「自分達のシャーウッドだって ジェーンさんが言ってた」 「しゃーうっど?」 「ええとね。ロビンフッドの隠れ家だったかな? ジェーンさん以外は梁山泊って言ってたって。 秘密基地って感じだったんだろうな」 「もしかして…… クレイジーズの誰かのお葬式をあそこで?」 「タイガーさんの―― え、どうしてそれを?」 「前、町長さんが、 そんなこと話してたから。 本人の遺志だったとか」 大家さんと町長さんの会話で、あの人って呼ばれてたのは、タイガーさんの事だったんだ。 「良く覚えてる。 5年前のイブの次の次の日だった」 イブというか氷灯祭の時に亡くなったのか……。 「カリヨン塔が タイガーさんが好きだった赤いバラに飾られて、 大音量でバッハの曲が流れてて」 「それも遺志だったの?」 「うん。 飲みの席で言ってたんだって、 俺が死んだら幽霊塔で葬式してくれって」 「そしたら、幽霊としてドロンと出てきて 『こりゃまた失礼いたしました』って言って、 パッと消えるって」 「……」 寒いギャグだった。でも、それが本当に起こったらよかったのにってみんな思ってたんだろう。 「ホントに愛着があったんだな……」 「登記上はお祖母ちゃんのだけど、 あそこの鍵はクレイジーズの人たち全員が 持ってるんだ」 思い出の塔を守っているのか。こわもてで、がめつくて、因業で、毒舌で。でも、それだけじゃないんだな。 「じゃあ 幽霊のふりして人を脅したのも」 「相手は 建設業者とか不動産業者とかだったらしいの。 軍人さんには歯がたたなかったらしいけどね」 あの塔を守るために子供ながら一生懸命だったのか。 「だからもし、 お祖母ちゃんがあの塔を誰にも渡さなかったら、 私もあの塔を守らなくちゃって思ってるの」 「……ご、ごめん。 なんか変な話しちゃって」 「嬉しいな」 「え……?」 「そういう話をしてくれるって事はさ、 それだけ俺を信頼っていうか、身近っていうか、 そんな風に感じてくれるからじゃん」 「え、私は、その、 祖母ちゃんがあんまり因業に思われてると、 身内として嫌だなぁって思っただけ!」 「そ、そういえば冬馬さん。 今日もコンビニ弁当なの?」 「うん」 「ふーん……そうなんだ」 「どうかした?」 「ちょっとこっちの話」 「判ったぞ! きららさんは優しいな」 「ええっ!? な、何が判っちゃったの!?」 「俺の財布を心配してくれたんだろ。 お金に困ってない? なんて露骨に聞けないから 言葉を濁したんだって判ってるぞ」 「いや、別にそういうわけじゃ」 「隠さなくてもいいよ。 大丈夫。一番安いシーチキンマヨおにぎりを 中心に組み立ててるからな」 「そ、そうなんだ……。 でもさ、手作りの弁当とか食べたくならない?」 「誰も作ってくれないしな。 自分で作るのも手間だし 手に入らないものは手に入らない!」 トナカイだけにシンプル。 「ふーん。なるほど……ふふふ」 「弁当か……」 「あんたまさか、 暗にあたしらのうちの誰かに、 作れって言ってるの?」 「お作りましょうか?」 「やめときなさいよ。 一度やるとつけあがるわよ」 「ふむふむ。愛妻弁当ですか」 「え、ええっ!? そういう意図ならちょっと……」 「まだ単なる同僚なのに、 いきなりそこまで行くとは 若いわね」 「違いますよ! きららさんに、 手作り弁当食べたくならないって 聞かれたもので」 「へぇ……ほぅ……ふぅん」 「なんだよ?」 「明日が楽しみね」 「じゃーん」 「え?」 俺の前には、蓋があけられた弁当箱。 中には白い粒がぴかぴかのご飯。煮魚、里芋の煮っ転がし、ふくめに、野菜サラダ、そしてデザートのオレンジ。 「ええと……もしかしてイヤだった?」 「きららさんて、 人に自分の弁当を見せるのが趣味なのか?」 「あの……それって冗談?」 「いきなり弁当をつきつけて、 中を見せてくれたから」 「で、そういう解釈なわけね」 「もしかして外れか」 「もしかしなくても普通は外れでしょ」 「ううむ。面目ない」 「ええとね……これは……その この前の……だから判らないかな?」 「この前……」 俺は考え深げに腕を組んだ。眉間には深々と皺。 「ううむ……むむむぅ」 俺ですら判るのは、目の前のきららさんが、ちょっと照れているということだ。これは重要なヒントに違いない。 「だが判らん」 「冬馬さんって……。 いや、私、人のことは言えないわ」 「すまん。 どうも飛ぶ以外はさっぱりだ」 「ええと、だからね、 お礼なの!」 「礼を言われるようなことを した覚えはないぞ」 「あのさ、ほら、 私を乗せて飛んでくれたでしょう!」 「あれは俺が出来るコトを、 俺がしたいからしただけだ」 「……なんだか今の冬馬さん、 ちょっと……カッコよかった」 「そ、そうか」 どこがどうカッコよかったかは判らないが照れる。 「参考までに聞きたいのだけど、 どこがカッコよいんだ?」 「冬馬さんらしいや……。 でも、それは秘密です」 「むむ。いじわるだ」 「兎に角! 私はお礼がしたいの! 冬馬さんと同じ、私がしたいからするの。 だから食べて」 ここまで言われて食べないのは、男として問題ありすぎだ! 「では、いただきます!」 「うんまぁぁぁぁぁぁぁい! くぅ、これがおふくろの味かぁ! なんてこのふくめにはうまいんだぁ!」 「よかった!」 「うんまぁぁぁぁぁぁぁい! この粒が立ったきらめくごはん! うんまぁぁぁぁぁぁぁい!」 「あ、あのね、うれしいんだけど……」 「うまうまうまぁぁぁぁぁ」 「いちいち叫ばなくても……。 恥ずかしいよ……」 「うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 「で、国産。 きら姉とは何か進展があったの?」 「進展? ううむ」 弁当を食べさせて貰ってるだけだ。うれしいし、おいしい。 「餌付けされてるかも?」 「餌付けって” きら姉も気の毒ね……」 「なぜ」 「ふぅ……。 あんたきら姉に気があるんでしょう」 「………」 「なぜ判る!?」 「判るわよ。 あんたっていかにもトナカイ的な、 トナカイだから」 「ふ。ニューヨークのエースに トナカイの中のトナカイと褒められるとは、 こそばゆい」 「はぁ……違うわよ。 いかにもトナカイらしく単純で、 行動が全てってことよ」 「じゃ、じゃあ、俺の気持ちは、 きららさんに筒抜けか!? 繊細なガラスのハートが羞恥に砕ける!」 「繊細なガラスのハートだったら、 そんな台詞出ないわよ」 「そんなものか」 「そんなものよ。 でも、どうせアタシが 何を言ったって無駄でしょ」 「なぜだ?」 「あんたはトナカイでしょ。 トナカイは、考えるより先に 行動しちゃうんだもの」 とは言うものの。 「冬馬さん?」 俺は、どう行動すればいい? 「冬馬さん……おいしくなかった?」 いくら行動が考えより先に来ると言っても、どこへ足を踏み出せばいいのやら。 「どれどれ……おかしいな、 味付けもいつもと変わらないし、 これ、この前はおいしいおいしいって……」 「俺はどうすればいいんだ!」 「わわわっ。 急に立ち上がってどうしたの!?」 「すまん」 急に立ち上がっても、弁当をこぼさなかったことは、自分を褒めてやりたい。 「すまんとか言われても……。 何か悩みでもあるの?」 俺がジェラルドだったら。 「悩みは君さハニー」 「ええっ。そうなの?」 「君の魅惑が俺をおかしくするのさ」 「……じゃあもっとおかしくなって」 「望むところだよハニー」 ……。 かなりかゆいが、うまくいきそうだ。 「悩みはき」 「き?」 「ンなコト言えるか!」 頭の中で、ジェラルド冬馬を背負い投げ。見事な放物線を描いて飛んでいった。 「なんだか良く判らないけど、 深そうな悩みなのね」 悩みのもとのその人は、俺の心も知らず心配そうにこちらを見ていた。 「ああ。見事な放物線だった」 「? よくわからないけど、 冬馬さんはお腹が空いてるんだよ」 「そんな単純な――」 「ね?」 「俺もそんな気がしてきた。 改めていただきます!」 「うんまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 さて、今日も差し入れを堪能させてもらったわけだが。このままではいかん。 きららさんが差し入れという行動をしてくれてるのだから俺も行動するべきだ。 「………」 いきなり名案を思いついた!取りあえず、眠らないでみるぞ。 自分を極限まで追い込めば、何かがつかめるかもしれない。 仏陀やキリストは飲まず食わずで荒野をさまよったが、きららさんの差し入れを食べないのは哀しすぎるので、眠らない路線で行くのだ。 「ふわぁぁぁぁ……」 「朝っぱらから凄いアクビね。 そのまぬけに空いた口に 七味唐辛子を放り込んでやりたくなるわ」 「やめてくれ。 っていうか硯、 その箸で掴んだ唐辛子が気になるんだが」 「すみません……。 なんだかやってみたくなったのです」 「とーまくん、夜更かしですね」 「これは修行なんだ」 「トナカイには、 そういう独自の修行法があるのですか?」 「どーせエロい修行よ」 「とーまくんはエロい人だったんですか! うすうすそうじゃないかと思ってましたけど」 「違います」 「意外な味方が!」 「確かに意外ね。 すずりんはこういう時、 引く役目だと思ってたけど」 「それは……私も前よりは慣れたので、 こういう展開の時は 冗談なのだと判るようになりました」 「硯! 成長したわね!」 「一体どこから!?」 「テーブルの下からに 決まってるじゃない」 「暇人ですね」 「淑女のたしなみよ」 「なるほど」 「テーブルの下に隠れてて突然現れるのは 淑女のたしなみなんだそうだ」 「多分それ騙されてるから」 「そうか……ふぁぁぁぁ」 眠気で判断力が低下しているのか。 「眠いの?」 「ま、まぁちょっとね。 昨日寝てなくて」 「ええっ。 冬馬さんが眠れないなんて!」 「俺ってそんなに寝付きよさそうなのか? 前にもそんな事を言われた覚えがあるが」 「元気な人って大抵すぐ寝ちゃうじゃん。 昼間、目一杯体力を使っちゃうんだね。 だから電池が切れたみたいにプツンって」 「我ながら、 なぜこんなに寝つきがいいか不思議だったが、 そういうコトだったのか」 「この前の悩み事 まだ続いてるの?」 きららさんが心配そうに俺を見てる。だが、この前のシミュレーションでも判明したように、ジェラルド冬馬は投げ飛ばすしかない。 いや、待て、これは怪我の功名かもしれない! 悩みの憂いを帯びた渋い男は、もてるらしいからな。 俺はハードボイルドっぽく、やや俯き、視線をそらし、いわくありげに溜息をついた。 「ふっ……。 あっしには関わりのない事でござんす」 決まった。 「あの……言ってる事が支離滅裂だよ? 自分の悩みなのに 自分に関わりのない事って」 しまった!洋物を選択するべきところで、和物のハードボイルドを選択してしまった。 「ごめん。もう一度やるから」 「そもそも何をしようとしているかも、 よく判らないんだけど」 「……そんな昔の事は忘れてしまったな」 「……ハードボイルドらしい事は判ったけど、 それ以上は私にはとても……」 何か根本的に間違った。 「あ。判ったわ!」 「判っちゃったのか!?」 俺がきららさんのことで、センチに悩んでいるのが! 繊細なガラスのハートが羞恥に砕ける時が今? 「きっと冬馬さんは、 寝不足なだけじゃなくて、 お腹も空いてるんだわ!」 「だから支離滅裂なのね。 じゃあお昼にしよう」 まずい!憂いを帯びたハードボイルドトナカイじゃなくて、おまぬけ面白トナカイとして定着してしまう。 「俺はそこまで腹ペコキャラじゃ――」 「ほーら腹ペコキャラだ。 まぁお姉さんに任せなさい! 目もお腹もばっちりにしてあげるから!」 「はい、あーんして」 目が覚めた! 「うぉ」 「うぉって何よ」 「いや、だって、 このシチュエーションがいきなり来たら 誰だって驚くぞ」 考えてもみて欲しい(って俺は誰に言ってるんだ?)気になる女の子に、手作り弁当をあーんしてもらう。それはいい、すごくいい、とってもいい。 だが、何の心の準備もなく不意打ちならどうだ?しかも、彼女が俺にどれくらい好意を持っているか、どんな意図でこうしてるのかさっぱり判らないのだ。 「いきなりじゃないでしょ。 今日はお客さん来そうにないから、 人車でランチにしようかってさっき言ったわよ」 ああ。きららさんの唇って、形がいいなぁ……じゃなくて。 「いくら昨日がそんな昔な俺でも、 それくらいは覚えているが」 「向かいに座っていい? って訊いたら、 冬馬さんは打てば響く返事で、 もちろん大歓迎だよって言った」 ああ。きららさんって美人だよなぁっ、じゃなくて! 「いくら頭が悪い俺でも、 それくらいは覚えているが」 「ほらね。 順番をちゃーんと踏んでるでしょ? だから、あーん」 ああ。肉団子おいしそうだな……。でもなくて! 「なんだか凄い跳躍があったぞ!」 「いや?」 「そういうわけじゃないが」 っていうか、そもそもなぜ俺は抵抗しているんだ?気になる女の子にあーんされてるんだぞ。 「いやじゃないなら、いいじゃない」 「確かにそうだな」 いいじゃないか、とってもいい。これでいいのだ! 「ほら、冬馬さんのお腹も、 あーんして欲しがってるわ」 「はっはっは。 正直なヤツめ」 「と、いうわけで、あーん」 「あ、あーん」 「うわ。大きな口!」 「え。 もしかして開けすぎか? こういう経験ないんで面目ない」 「そっか、ないんだ、ふーんへぇ」 「勘違いしないで欲しいのだが、 トナカイとしての精進にあけくれて、 機会にめぐまれなかっただけなんだ!」 「めぐまれたかった?」 「いや、負け惜しみでもなんでもなく、 考えたこともなかった」 「じゃあ、今日が初体験でも、 何の問題もないよね?」 「初体験……」 なんだかオラ、ドキドキしてきたぞ! 「俺、きららさんと初体験したい」 「う、うわぁ。 な、何いってるのよいきなり!」 「いや、だからあーんを――」 って、今、俺、考えようによっては、凄いことを口走ったか? 「い、いや。あくまであーんだ!」 「あ、あ、あ、そ、そうだよね。 あーんだよねあーん」 「そ、そうさあーんさ」 「あーんだよね、そう、あーんあーん」 「……」 「……」 「ええと」 「ごめん! すっかり待ちくたびれさせて」 我ながら、なかなか空気を読むお腹だ。 「お、おう、どんと来い!」 「じゃ、じゃあ改めて行くからね」 「あーん」 俺は今度こそあーんをゲットすべく、繊細な感覚を総動員して、口の開け方を微調整した。 「い、行くわよ」 目の前の肉団子は、神々しいまでの光を放っていた!(俺の主観描写) 「あ、あーん」 ぱくり。 「……」 口の中に、この世のものとは思えない美味が! 「どう?」 「……」 ああ、なんてすばらしいんだ。これが、あーんの威力なのか! 「え、ええっ、 どうしちゃったの冬馬さん!? いつもならうまぁぁぁぁぁって言うのに……」 俺の目に滲むものがある。美味しいものはこんなにも人を感動させる。 「泣いてるの!? もしかして私、 間違って絶叫唐辛子でも入れちゃった!?」 「うまい……」 「え……」 「うますぎるっ。 くぅハードボイルドな俺でも、 この味には感激を禁じえない!」 「え、あの、普通の肉団子だよ?」 「だって、うまいんだ!」 もしかしたらこれは、きららさんが食べさせてくれるからかもしれない。 「そんなに喜んでくれるなんて……。 じゃあ、もうひとつどうぞ」 「おおっ。 2つ目もあるのか!」 「冬馬さんが望めば、 3つめもあるわよ」 「おおおおおっ。 今日はなんて素晴らしい日なんだ!」 「はい、あーん」 「あーん」 「うんまぁぁぁぁぁぁい」 「うんまぁぁぁぁぁぁぁぁい!」 「はぁ……」 素晴らしい昼飯だった……。素晴らしすぎて晩飯の内容を思い出せないくらいだ。 今日はいい夢が見られそうだ。 おやすみなさい。 すがすがしい朝だ! 「あ。 おはようございます冬馬さん」 「おはよう!」 郵便受けからしろくま日報を引っ張り出す。 「今日はお早いんですね」 「昨日は寝つきが凄くよくてさ」 折り込みチラシを外してから、テレビ欄を見る。今日は『熱中人図鑑』の日だったか。 「冬馬さんが、 わざわざ寝つきがよかったと言うなんて、 よほど寝つきが良かったんですね」 「俺ってそんなに、 寝つきがいい人間に見えるか?」 「え、いえ。 硯の話だとそんな感じだったので……」 一体、俺をどんな人間だと話しているんだ? 「あれ?」 「どうかしたの?」 「前にもこんな会話しましたよね」 「そういえば…… そこはかとなくそんな記憶が、 あるような気がしないでもないでもない」 「しましたよ。 その時は今と逆で冬馬さんひどく眠そうでした。 目の下にクマまで作ってましたよ」 「俺が? なんて珍しいんだ」 「やっぱり珍しいんですね」 なぜ、そんなに寝不足だったんだ?まるで、きららさんにどうやってデートを申し込むか、悩んでいたみたいじゃないか。 「って、そのままズバリじゃん!」 「何がズバリなんですか?」 っていうか。 きららさんにどうするべきか考えるべく、一昨日から断眠修行に入っていたはずなのにぐっすり眠ってしまった。 「改めて今日から眠らないぞ!」 「ええっ!? どこをどうしたらそんな決意が?」 「男にはやらねばならない時があるんだ」 「男でも女でも ちゃんと眠った方がいいと思いますけど」 「危ない危ないもう少しで決意を忘れる所だった。 さつきちゃん、ありがとう! この前も今も君はいろいろと恩人だ」 「な、なんだかよくわかりませんが、 お役に立てたようで……」 そう言えばあの時、俺は確か……。 慌てて残りの郵便物をあさる。ダイレクトメールばっかりだ。 まったく、ご苦労さんなこった。こんな印刷された手紙で、人の心が動かせると思っているのか。 真心をこめた手紙じゃなきゃ、心は動かせんぜ――。 「!」 「以前と全く同じ反応! 冬馬さん、今度はどうしたんですか?」 その輝かしいアイデアは、俺の中で、雷鳴か天使のラッパのように轟き渡った。 デートのお誘いの手紙だ! 男が気になる女の子にすること。それはデートを申し込むことだ!そのためにはレターだ! 「ありがとうさつきちゃん! よし俺は書いて書いて書きまくるぞ!」 店を開けるまでに書き上げて、休み時間にきららさんに届ける! 「な、なんだかよくわかりませんが、 頑張ってください」 「おう!」 「……」 「オチは全く同じでした……。 とすると、 今度も感謝されるんでしょうか……?」 「………」 書けませんでした。 「お客さん4人目、なかなか来ませんね」 「………」 「こんなにお客さんが来ないと、 お店のおもちゃで遊びたくなってきますよね?」 「………」 「わたしは遊びたくなってるんですが」 「なぁ、ななみ」 「遊んでもいいんですね?」 「俺ってさ……。 頭悪いよな?」 「はい」 「……」 「それがとーまくんの、 いいところだと思いますよ」 「頭が悪いのが取り柄か?」 「この世の中は複雑すぎるんですよ。 だから複雑なことを考えられると、 かえってわけがわからなくなるんですよ」 「……」 「シンプルな方がいいんですよ。 だからとーまくんのそういうところ、 悪くないと思いますよ」 「……相棒」 「なんですか?」 「お前も、何か複雑な事があるのか? シンプルに考えられないような悩みか何かが」 「……」 「まぁいろいろですよ」 「……そうか」 「とにかく とーまくんはしたいようにすればいいんです」 「……ありがとな」 「いえいえ。 お礼にはおよびません。 サンタはトナカイを大切にするものです」 書けた! 「行ってくる!」 「さっぱりした顔しちゃって。 随分と張り切ってるわね」 「トナカイは 行動が決まれば悩まないものさ」 「どーぶつですね」 「飼い主が言うと説得力あるわ」 「行動そのものが間違っていたら、 どうするんですか?」 「結果は走った後にしか判らない。 判らないからって走らなければ、 結果だって出ないさ」 「つまり、でたとこ勝負ですね」 「最初から玉砕覚悟なんですね……」 「きら姉に玉砕するのね」 「な、なぜきららさん相手と判る!? さてはそのサトリの力で、 ニューヨークのエースになったんだな!」 「今更だけどアンタ馬鹿? ポケットからはみだした封筒に、 『きららさんへ』って大きく書いてあるわよ」 「(こくこく)」 「思わぬところに機密漏洩の穴が」 「りりかちゃん鋭い! 言われて初めて気づきましたよ」 俺は封筒をポケットに押し込めた。 「そういうわけで、 明日はきららさんとデートなんで、 店の方よろしく!」 「きら――」 「………」 「しろくま町随一のミステリー研究家の猫塚さん。 どうやってこの人車は運ばれたんだと思いますか」 客がいた。見覚えのある細くて背の高い老女と、更科つぐみだった。老女は猫塚さんだった。 「冬馬さん、おはよう」 「おはよう。 珍しい組み合わせだなアレ」 「取材のネタがつきたんじゃないかな? ネコさんの言う謎解きは、 大抵、可能を不可能にするトリックだもの」 猫塚さんは断言した。 「空以外あり得ない」 「!」 「ですが、 上陸した痕が残っていましたよ」 「ダミー。 あんな事をやる奴等は、 不注意で痕を残さない」 「(だ、大丈夫かな)」 「(普通なら、 まともに相手をしないと思うが)」 更科の目が少し細められた。 「クレイジーズだったら、 そうしたと言う事ですか?」 「(こっちが本題だったのね)」 「(なるほど……)」 大家さん達がやったとされる事には、証拠はなかったって話だった。 その一員が関与を漏らしたとなれば、地方新聞のちょっとした記事くらいにはなるかも。 「頭で考えただけさ」 更科は何事もなかったように質問を継ぐ。 「その場合、空と言っても色々ありますが…… 何を使って輸送したんでしょうか?」 「ヘリコプターなら爆音が付き物。 気球はコントロールが困難。 飛行機は着地出来る場所がない」 「どれでもないとなると何だと? まさかUFOとかですか?」 いかにも答えをあてにしていない投げやり気味な質問に対して、猫塚さんは当然という口調で。 「輸送手段はトナカイと橇。 犯人はサンタクロース達」 「!」 俺は心臓が止まるショック、というのを始めて経験した。 「はぁ……」 「人に見つからず飛行する隠密性、 人車を運べる輸送力」 「滑走路もない海岸に 誰にも見つからず着陸し離陸可能な 機動力」 「全てを満たす輸送手段は これ以外有り得ない。クリスマスは近い」 「なるほど……。 貴重な意見とても参考になりました。 お時間を取らせて申し訳ありませんでした」 そう言うと更科は、俺達に軽く会釈して行ってしまった。 「ぶらぼぉぉぉぉぉ! 今の推理凄かったです! 見事でした!」 更科が消えた途端、思わず叫んでいた。 「ちょ、ちょっと冬馬さん!? なに馬鹿なこと言ってるのよ。 サンタよサンタ!」 「だって、全部、い゛う゛おお゛」 足の小指がぁ!きららさんに思いっきり踏まれた! 「推理を褒められたのは初めてだ」 「で、でも、そもそも、 サンタなんかいないわ。 ねぇそうでしょう冬馬さん!」 「そ、そうだったな。 サンタもトナカイもいやしない」 自分で自分を力いっぱい否定するのは妙な気分だ。でも足の小指は弱いんだ。 「あなたは信じているんですか?」 「……」 猫塚さんは、人車に視線を戻した。 「推理小説は可能性の夢」 「可能性の夢?」 「現実の殺人は推理小説の殺人と 似ても似つかない、 華麗なトリックも複雑な動機も猟奇もない」 「そうなんですか?」 「大部分の殺人は家族内か顔見知りの犯行。 家の中が一番危険、通り魔など1割にも満たない。 無理心中が一番多い」 「大抵の動機は愚にもつかない衝動。 計画は無いか思いつきか行き当たりばったり。 凶器もそこら辺にあるものだ」 「バラバラ死体は単に輸送のために、 バラされたのが大部分で 実際は猟奇の欠片もない」 「だったら不謹慎だが、 面白い夢の方がいい」 「なら…… サンタもいた方がいいって事ですか?」 「……」 「現実は苦いんだ」 「それにしても……びっくりした」 「本当。びっくりしたわ……」 「全て見抜かれるとは! やるな超推理。 金髪さんならスーパー推理って言うかもな」 「そっちじゃなくて、 冬馬さんがカミングアウトしそうだった事に びっくりしたわ」 「カミングアウトはしなかったぞ。 多分」 「あの時、全部あってる、って、 言おうとしてなかった?」 「ま、まさか」 数十分前の記憶に自信のない俺だった。 「……なんか複雑な気持ち」 「え?」 「私に告白した時には、 するかしないか、どうやってするかで あんなに悩んでたくせに」 「ネコさんには 悩む事もなく 勢いでぽろっと言っちゃうんだ」 「だから言わなかったよ」 「言いそうだったじゃない」 「言わなかったよ」 「ほっといたら言ってました!」 「言わないぞ!」 「言いました!」 「言わない!」 「言った!」 「ない!」 「ある!」 「……」 「ほら、 やっぱり言ったって認めるんだ」 「じゃなくて。 ない! より短い言い方を考えてるんだ」 「……は?」 「どんどん短くなってったろ? だとすれば、次は、 『ない』より短く言わなくては」 「言わなくてはって……。 今は台詞を短くする競争じゃなくて」 「あったぞ! 『否』だ! だが、待て、あれは漢字で一文字ってだけで、 発音的には『ない』と同じ文字数で駄目かぁ……」 「きららさん、 なんかないかな。 『ない』より短くて同じ意味の台詞」 「冬馬さん……。 今それを聞くかな? しかも私に」 「そ、そうか。 勝負の相手に聞くのはまずいな。 しょうがない明日までに考えておこう」 「明日までって……」 「きららさんも、 『ある』より短い台詞を 考えておくんだぞ」 「……」 「それから、ネットで検索したり、 答えを聞くのはなしだ! あくまで自分の力でということで」 「あーあ。 なんか馬鹿馬鹿しくなっちゃった。 こんなことで言い争ってもしょうがないわ」 「ええっ!? この燃え滾る俺の決意は いったいどこに向かえば?」 「別のもっと有意義な決意に 使えばいいと思うな」 「もっと有意義な決意――」 そう言えば、俺は今朝なんか決意を固めてたぞ。 「おおっ」 思い出した! 「ありがとうきららさん! もっと重要な決意にさっそく使うよ」 「ええっ!? そんなにあっさり、 重要な決意が見つかっちゃったの?」 「うむ! 俺の人生を左右する重要なVIP決意だ」 ポケットに手を突っ込み、封筒を取り出した! %XS45「これだ!」%XE 俺は封筒をつかんだ手を自由の女神のたいまつのように高々と掲げた! 冬の澄んだ太陽光線に、封筒のシルエットがくっきりと浮かびあがっているに違いない! 屋内だけど。 「あ、あの。 それってここで出すものなの……?」 「ここで出さずにいつ出す! これはきららさんあての手紙なんだ」 「……」 「私あて……?」 「ほらここに! 『きららさんへ』って書いてあるだろ? 大きな字で」 「え、どうしてわざわざ……」 「こういうのは、 手紙でなくちゃ駄目なんだ!」 きららさんに向かって、ずびし、と封筒を差し出す。 「さぁさぁさぁ!」 きららさんは受け取ってくれた。なんだかドキドキしてきた。 「見て……いいの?」 「家に――いや、今見てくれ!」 「……」 「『一筆啓上』」 「!」 しまった!渡す前に音読しないでください、と注意しておくべきだった! 「待――」 「『俺はきららさんとデートしたいです』」 俺は悶絶した。目の前で読まれるだけでもアレだというのに、しかも音読! 「『駄目ですか?』」 「ぜぇぜぇ……」 危なかった。手紙があと10文字あったら、俺は悶死していたに違いない。 「……」 「『一筆啓上。  俺はきららさんとデートがしたいです。  駄目ですか?』」 「うわぁぁぁぁ」 俺はペンキ屋の中をわけのわからぬものに駆られて駆けずり回った! 不意打ちで二度目! しかもまた音読!クリティカルヒット!なかいとうまは499のダメージをおった。 「……」 「きらら……さん」 俺が足を止めると不気味な沈黙。 「きらら……さん?」 「……」 きららさんの口元がかすかに動いた。だけど、言葉は聞き取れなかった。 「なんて……言ったの?」 俺はささやいた。大きな声で聞くのがなぜか怖かった。 「一度目の……」 ようやく言葉が耳に届く。 「え?」 「この前のデートは……単なる誘う口実で……」 「なのに本当の一度目は私から誘うなんて…… いやだったの……」 きららさんは恥ずかしそうなうれしそうな、ちょっとだけ泣きそうな不思議な表情で。 「ちゃんと、冬馬さんの方から…… 誘って欲しかったの……」 「えっと……。 それは……」 きららさんは俺をまっすぐに見た。 「駄目じゃ……ないわ」 今すぐ抱きしめたいくらいかわいかった。 午前9時00分。待ち合わせの時刻まで1時間。 「ふっふっふ。 男のたしなみ度が、 30分強化されたぞ」 この強化されたたしなみ度をもってすれば無敵! これできららさんが来たら。 「待たせちゃってごめん!」 「いや、今、来たところだから」 とさわやかに決めることが出来る! 「それにしても早過ぎよ。 一時間も前だよ」 「相手より先に来るのが、 男のたしなみだからな」 白く白く念入りに磨いた歯が、朝日に映える角度でさわやかに微笑む。 「……」 「あれ? 妄想なのに会話が止まってしまったぞ」 「あーやっぱり。 どうりで過度にさわやかだと思った」 「…………」 「のわっ!? もしかして本物のきららさん?」 「もしかしなくても本物です」 またも醜態をさらしてしまった。 「妄想の方がよかったかな?」 「本物が来てくれなかったら哀しいです」 「ならよろしい」 「それにしても早過ぎだよ」 「いや、 早ければ早いほど良いハズ」 「ちょっと考えてみてよ。 デートは一人でするものじゃないでしょ」 「一人でデートしてたら怖いぞ」 「さっきの冬馬さんみたいにね」 「う」 「冬馬さんが30分前に来てると判ってたら、 あまり待たせちゃいけないな、とか思うでしょ? そしたら相手だって早く来なきゃいけなくなるわ」 「言われてみれば確かに」 「そのうち、 始発電車もない時刻に、 家を出なきゃいけなくなるわよ」 「た、確かに」 「だからさ。 十分か十五分くらい前がいいんだよ」 「俺が十五分前で、 きららさんが十分前だな」 「……そんなにあの台詞言いたいの?」 「うん」 「そこまで素直に言われちゃしょうがないなぁ。 じゃあ、そういう事にしましょう」 ふふふ。そう言いつつ次は30分前に行くのだ。 「………」 「なにかなその疑いの眼差しは?」 「そう言いつつ30分前に 来るつもりでしょう」 「……15分前に来るって約束します」 「っていうか、 まだ初デートなのに、 なに次の話してるんだろ?」 「ええっ!? 次はないのか?」 「冬馬さんは気が早いなぁ」 「トナカイだからな」 「気が早い冬馬さんは どこか行きたい所ある? どうせ何も考えてないんでしょう?」 手紙を渡すまでは誘うので頭がいっぱいで、昨日からは待ち合わせで頭がいっぱいだった事が、見抜かれている!? 「い、いや」 俺は駅前を見渡した。 「『おかえりくまっく』を 見に行こうかと思ってたんだ」 なんとか切り抜けた。 「しろくまっことして言わせて貰うと あれは年一回見ればいいの」 「そういうものなのか」 「でも、冬馬さんが是非の是非にそうしたい 『おかえりくまっく』好き好き超愛してる って言うなら、一緒に見に行こうか?」 「結構気に入ったけど、 そこまで情熱的じゃないな」 「それに、 くまっくはいつでも見られるし」 「そうか……。 くまっくはいつも しろくま町の皆の心の中にいるんだな」 人は誰でも心の中に一匹のけだものを飼っているという。 「きれいにまとめてくれたのに、 ごめん」 「え?」 「映画は公民館で始終やってるし、 町中にくまっくの像があるって 意味で言っただけ」 「な、なるほど」 「で、どうする?」 「……」 「きららさんと一緒に歩きたい」 「それでいいの?」 「ああ」 「でも、この前と違って、 デートなんだから――」 「今度は本当に デートなんだよね?」 「正真正銘間違いない JISマークつきのデートだ」 「そ、そうか…… って、確認するまでもないよね」 「デートらしいデートか」 俺はナウい(死語です)知識を総動員して考えてみた。 「デートと言えば、 映画館で映画」 「『死霊と生霊と人体模型』 『死霊と生霊とおかあさんと一緒』 『死霊と生霊とマスカルポーネ』の3本立てです」 「おされなホテルの 最上階のレストランで食事」 「ホテルはあるけど高いよ。 それに本当にいい所は 予約が必要だし」 「オープンカーで 海岸通りを飛ばして」 「冬にそれは寒いよ。 そもそもオープンカーがないし」 「あと花束だ!」 「ごめん。 聞いた私が悪かったわ」 「ウィンドウショッピングって言ったら、 普通大通りの方の店へいかないか?」 「あの辺はほとんど行かないから、 敷居が高くて」 「お、若店長にきららちゃん! 今日はもしかしてデートかい?」 「はい」 「と、冬馬さん素直すぎ! こういう時は、『どう見えますか?』 とかちょっと外してみるもんでしょう」 「どう見えますか?」 「今頃言っても……」 「へっへっへ。 デートかいこりゃこりゃ。 ついにきららちゃんにも遅めの春か!」 「何よ花の盛りの乙女を捕まえて、 今頃春とは!」 「そうなんですか?」 「そうなんだよ。 きららちゃんは友達は多いが、 浮いた話のひとつもなくってな」 「角田さん! 店サボってると、 奥さんにしばかれるわよ」 「おーこわこわ。 では後は若い二人に任せて、 おやじは退散するとしますか」 「任せてください!」 「何を任せるって?」 「あ、どうも」 次々と知り合いに会うな。場所が場所だけに当たり前だけど。 「きららちゃん。 この前はうちの宿六が お世話になったそうで」 「いえ、たいしたことしてません」 「どうかしたんですか?」 「店長さん聴いてくれよ。 あの馬鹿。UFOの写真を撮るとかで、 風呂屋の屋根に登ろうとして」 「あの場で きららちゃんが弁護してくれなきゃ、 覗き魔として突き出される所だったんだよ」 「あ、もしかしてUFOマニアの」 「そうそう」 「その節はどうも」 「ん? 何かしたっけ?」 「ええと…… あ、うちでこの前 おもちゃ買ってくれたじゃないですか」 「ああ、あの車かい。それがさ、 一番下の息子が どこをどうしたのか壊してしまってね」 「ちょっと見ましょうか? 直せるかもしれませんし」 「おお。そりゃ助かるよ。 でもあんたらデートの途中なんじゃないの?」 「あ」 「いいですいいです。 冬馬さん! 直しに行こう」 「おう!」 「四郎君、喜んでたね」 「あの顔を見られただけでも 直してよかった」 サンタの活動以外でも人に何かを与えられるんだな……。 「だね」 だからきららさんは、いつも町の人のために、一生懸命なんだろう。 「ついでに昼飯まで ゴチになってしまった」 「百合恵さんのオムレツって、 おいしいでしょ? 冬馬さんうまぁい連発して」 「だって、 うまいんだから仕方が無い」 「あははは」 「いきなりどうしたの?」 「変なデートだと思って。 いきなりご近所にあがりこんで、 おもちゃ直して、お昼までご馳走になって」 「だけど、俺は悪くないな、と思うよ。 っていうか積極的に楽しい。 きららさんは?」 「積極的に楽しい!」 「うむ。それでこそ、 誘ったかいがあったというものさ!」 きららさんが急に立ち止まった。 「どうかした?」 「デートっぽいかどうかは判らないけど、 とっておきの場所に行こう」 「おお! とっておきの場所か。 それは是非行きたい!」 途中でなぜかシーチキンの缶詰を10個ばかり買い込んでから、きららさんが俺を連れてきてくれた場所は……。 「ここ!」 「ここがまだ見ぬガンダーラ! どこかにあるびっくりするほどユートピア! 花咲く桃源郷か黄金のエルドラド!」 「いや、それほどでも。 でも、ある種の人には桃源郷かも」 「だが、俺はこの景色を見たことがある…… このデジャブは……はっ!?」 俺の脳髄には俺も知らない記憶が隠されていてこの記憶を狙う組織が、俺に対して襲い掛かって来る展開かっ。 ただのトナカイである俺はどうすればいいんだ!?そうかハリウッドばりの空中戦だな! 「だって町を案内した時にも来たし」 「となると一体どこに桃源郷が……?」 「にゃぁにゃぁぁぁにゃぁぁぁぁぁ」 「きららさん!?」 きららさんは猫のような手つきで、あらぬ方へ向かっておいでおいでをする。 「にゃぁにゃぁぁにゃぁぁにゃにゃぁ」 「こ、これは!」 この国に古来から伝わる有名な猫憑き!? 「にゃぁ」 「にゃぁ」 「なぁぁ」 「ふんにゃぁぁぁ」 と思ったらきららさん(に取り憑いた猫)に操られて猫達がわらわらと集まり始める。 「ば、化け猫め! 猫達を集めて何をする気だぁ! お前が猫なら俺はトナカイだぞ勝負だ!」 「ん? なに言ってるの冬馬さん? みんなかわいいにゃんこだよ」 「きららさん! 無事だったのか!」 「なにが? もしかしてにゃんこに 襲われてるとか思った?」 「あー、まぁ」 化け猫に取り憑かれたんじゃないかと思ってましたとは言えません。 きららさんはじゃれてくる三毛の喉をくすぐってやりながら、 「だいじょうぶだよぉ。 みんなこの辺の人にかわいがられてるから、 人に慣れてるにゃんこだし」 なんだ。よくわからない思い込みを無くしてみれば、かわいい奴らじゃないか。 ぶち猫が俺の方をじっと見ている。 「この人は中井冬馬さん。 あまり見かけない顔だろうけど、 悪い人じゃないから大丈夫だよ」 「にゃぁ」 ぶち猫が俺の方へとてとてと近づいて来て、足へじゃれつきだした。 「なかなかかわいいヤツめ」 猫たらしの異名を持つ俺のテクを、その身で体感するがいい。 「ふにゃぁぁぁぁ〜」 しゃがんでなででやると気持ちよさげな声で鳴く。 「冬馬さん、猫扱いに慣れてるね」 「ネコはかわいがるものさ」 かわいいなぁ。 「なぁなぁ、なぁごろごろごろ」 猫とたわむれるきららさんもかわいいなぁ。 「元気かぁ? 今日は差し入れ持ってきてやったからなぁ」 きららさんはシーチキンの缶詰を次々とあけて、道端に並べた。 「たった3匹相手に 随分とたくさんの缶詰だな。 そうか! こいつら大喰らいな――」 「にゃぁにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「のわぁぁぁぁぁぁ!」 「あらあら。 冬馬さんすっかり人気者ね」 どこに隠れていたのか、数十匹の猫が殺到してきた! 「さっき冬馬さんにじゃれてたコタローが―― そう言われても判んないか。あの三毛のことね。 偵察役で、新顔の様子をさぐるのよ」 「にゃぁにゃぁにゃぁぁふにゃぁぁ」 俺の顔といわず手と言わず足といわず、猫が猫が猫が猫がじゃれついてくる! 「うふふ。冬馬さん みんなに歓迎されて良かったね」 「おおお! みんなまとめてかわいがっちゃる!」 「にゃぁぁぁっ!」 「そーいちろー元気だったか? あーまた傷こさえて、 しかもお尻に! 弱いんだから!」 「ここがいいのか! それともここか! うぉぉ服の中に入るなぁぁ」 「もんぷちはまた太ったでしょ? あちこちの家に出入りしすぎ! 年取ると大変だぞ」 「くぅっ! 手荒い歓迎だぜ! 男同士(?)のつきあいの始まりは、 こんなもんさ! がははは」 「まいむは相変わらずでかいなぁ。 また、みゃーすけとやりあってるって聞いたぞ。 ボス同士どーして仲良く出来ないかなぁ」 「いや、それは無理だろうきららさん、 おおおっ! 耳たぶをなめるなぁぁ! おのれ、なめかえしだぁぁ!」 それにしても、どうして俺には殺到し、きららさんには行儀よくかわいがられるんだ? 「冬馬さん楽しそう。 あーあ、私もあんなに じゃれつかれてみたいなぁ」 「おおおおおおおお! 負けるものかぁぁぁぁぁぁ」 「美樹さーん、ぶらし貸して!」 「もしかして、 中井さんをあの場所へ?」 「当たり」 猫の毛を落としてから席についた俺はギムレットを注文したのだけど、 「ごゆっくり」 出てきたのはアイスコーヒーだった。 「たっぷり遊んだ後に、 イタリアンレストランでくつろぐ……。 デートって感じだ!」 「遊んだって言っても、 猫相手だけどね」 「もっとデート度をあげるために、 どうすればいいかな」 「………」 きららさんはしばらくの間、目の前のトマトジュースをストローでかき回していたが、 「……手をつなぐ……とか?」 「だ、大胆な!」 「で、でもほら、 大人のカップルならそれくらい当然……でしょ?」 「そ、そうか! そうだよな、うん、そうだ。 俺もきららさんも立派な大人だもんな」 「じゃ、じゃあやってみる?」 「はははは! 手をつなぐなんてお茶の子さいさいさ」 俺は大胆に右手を伸ばしてテーブルの上に置いた。 「さぁ」 「ええと……。 私が……握るの?」 「お、俺から握るのか! ハードル高いな! いや、そ、そうだよな。うん。そうだ」 落ち着け俺。きららさんの手を握ったことも握られた事も経験済み。 いわばその道のプロ。 「行くぞ」 「う、うん」 「行くぞ!」 「は、はひ」 「う、ふ、ふふ」 カウンターの向こうでは美人マスターの美樹さんが笑い出した。 「わ、笑わないでください。 こういうの慣れていないんで」 「ご、ごめんね。 でも二度目ですものね」 「あ……はい……」 「二度目……?」 「この前もおふたりで」 あれはノーカンだったのだが。 「あの時、 ちゃんとデートしてるっぽい 雰囲気でしたか?」 「ちゃんとお似合いのカップルに 見えましたよ」 ぐ! 「そ、そういう美樹さんは、 イタリアでデートしまくりだったんだろうから、 手つなぐぐらい慣れてるんだろうけど」 「イタリアの男は、 口説きまくりだそうだからなぁ」 ぴたり、と美樹さんの顔が固まった。 「し、しまったわ」 「イタリア男性は嫌いです」 何かよほど嫌な事があったに違いない。美樹さんからマイナスのオーラが出まくり! こ、こわ! 「と、冬馬さん! 私、海に行きたいなぁ」 「え、あ、うん。 出ようか」 俺は2千円札というレアな札を出して 「つりはいら――」 つりはいらない、とキめようとしたのだが。 「はい、お代!」 きららさんがテーブルに置いたお金は、きっちりだった。 こういう時でもしっかりしているきららさんだった。 俺達は逃走! 「はぁはぁ……」 「はぁはぁ……ごめん。 地雷踏んじゃった」 「なにが……いけなかったんだ?」 「あ、あのね……。 美樹さんイタリアの修業先で出来た恋人に、 浮気されまくったらしくて……」 「なるほど……そりゃ…… ああいうオーラを出すわけだ……」 「知ってたのに……やっちゃった」 きららさんらしくない……。 「もしかして……。 手つなぐのにドキドキして、 慌ててたのか!」 「え、まさか、そんな 手くらいお茶の子さいさいよ」 「だよな。うんうん」 「だよね。 今だってこうして繋いでるし――」 「あ」 俺はきららさんの手をしっかりと握っていた。逃げる時、咄嗟に掴んでいたらしい。 「出来るじゃないか俺!」 「そ、そうだね。 なんだ簡単、簡単」 「きららさんの手って……。 あったかいな」 「で、でも、ほら、 あっちこっち固くなってて、 あんまり触り心地のいい手じゃ……」 「いや、それもまたよし! 固くなってるのは勤労の印。 えらいっ。えらいぞ!」 「って、俺、偉そうに なに言ってるんだろ!」 「と、冬馬さんの手だって、 おっきくてあったかいよ…… 働いてる人の手だ……」 「そ、そうか?」 「うん……そう……」 「あー……」 「あの……乗ろうか?」 「な、なにに?」 「くまでん……。 今の時間から海だと、 流石に遅くなっちゃうから……」 「た、確かにそうだな」 「あのね……。 手を離さないと お財布出せない……」 「お、おう。 そりゃ気づかなかった!」 「……」 「……」 くまでんがレールの継ぎ目を越えていく音が、規則正しく響いていた。 「誰も……乗ってないね」 「そう……だな」 夕日を浴びたつり革の影が一斉に揺れている。 「なんだか貸し切りみたい」 「大丈夫なのかなこの路線……」 「冬馬さん……。 今のはちょっと空気読んでない」 「すまん」 「……」 ふたりきり、夕日。 「……その、なんだ。 提案があるんだが」 「な、なに?」 「もうちょっと……。 その近づいてもいいよな?」 言った!俺って大胆。 「うん……」 きららさんが、俺の想定以上にぴったりと身を寄せてきた! 「うぉう!」 「ひゃ! だ、だめ?」 「ダメじゃないぞ。 というかいいです。はい」 「よかった……あのさ」 「な、なにかな?」 「改めてさ、 その、さっきみたいに勢いじゃなくて、 手つないでいい?」 「俺にどうやって非と答えろと! って今の『なし』より短い―― じゃなくて、力一杯いいです」 「じゃ、じゃあ……」 きららさんの手が、俺の手に重なった。 「はぁぁ……。 こんなに簡単なのに…… たまらなくしあわせだ」 「冬馬さんって……。 たまに凄いこと口にするよね」 「そう……か?」 「うん……。 でも、そういう所もいいかな」 きららさんの鼓動、きららさんのあたたかさ。 「もしかして……。 褒められてる?」 「うん……いっぱい」 「ええと……。 きららさんは……。 結構大胆だな……」 「そんなことないよ……。 こんなの初めてだよ……」 「……俺に任せておけよベェ――」 なんて言うのは、ここでは似合わない。 「すいません。 俺も初めてだ」 「ふふ。だろうと思った……」 「……」 「……」 濃くなっていく夕日の中を、俺達だけを乗せたくま電が駆けてゆく。 きららさんと俺の視線があった。 きららさんのくちびるが、夕日のルージュでなまめいて見えた。 ああ、きれいだな。 きれいだ。 「……俺さ。今、凄い事を考えた。 しかも2つも」 「2つも……ええとそれは……。 とりあえず1つ目は?」 「えー、こほん。 きららって呼んで……いいですか?」 「え、あ、うん、いいわよ……。 あ、あの、じゃあ、私も、 冬馬さんのことトーマって呼んでいい?」 「あ、ああ、もちろん」 「もしかして……2つ目は……。 もっと大胆?」 「あ、ああ……でも、 好き合ってる同士じゃないと まずいかもしれない」 「ええとそれは……。 俳優とかなら恋人どうしでなくても、 しちゃうようなこと……かな?」 「俺、俳優じゃないから……。 するなら好きな人とがいい」 俺の手に重なるきららさんの手に、やわらかく力が加わった。 「私も……同意見……」 俺の目にはきららさんしか映っていなかった。その逆もありならうれしい。 「お、俺は……きららさん じゃなくて、きららが 好きだ……間違いなく……」 「ふ、不意打ちだ……。 一気にここまで来るなんて……。 冬馬さ、トーマって大胆……」 「え、ええっ!? 大胆かな……今こそ言うべき時だと、 本能が絶叫してたのだけど」 「ご、ごめん。本能正しいと思う。 でも、あの、ちょっと、 私の方の準備が出来てなくて」 きららさんは一瞬目をつぶり、すぐ目を開けた。 「私も……その……。 トーマが好き……だよ」 「……」 「……」 「わ、わぉ」 「ト、トーマ?」 「い、いや、この胸の喜びを、 どう言い表せばいいか 判らなくて、思わず」 「うん。判る……私もそうだもん」 世界は夕陽につつまれて溶けてしまいそうだった。 「あのさ……。 大胆なことをしていい?」 「いいよ……トーマなら」 きららさんのくちびるはあたたかくて、やわらかかった。 「この店で、 おもちゃの修理をうけつけちゃどうだ? 木のおもちゃ限定でさ」 「ふむふむ。おもちゃのお医者さんですか」 「今までここと縁がなかった人も、 修理が縁になって 来てくれるようになるかもしれない」 「とーまくんがお医者さんなら わたしはかわいい看護婦さんですね」 「看護婦ってなにやるんだよ」 「検温に決まっていますよ。 ぶすっと」 なにをどこへぶすっとするのかは聞かない。 「おもちゃに体温があるか」 「おっと」 「サービスだから、 もちろん料金はただ――」 「タダは駄目よ!」 「なにやつ!?」 「こんにちわ。 何がタダなのかは判らないけど タダは絶対に駄目!」 「きららさんチェックが入りましたよー」 「な、なぜだ!? なぜタダが駄目なんだ! タダはみんなが喜ぶステキなものなのに」 「で、ななみちゃん。何がタダなの?」 「とーまくんが、 ここで木のおもちゃを修理する サービスを始めようって」 「修理には補修用の材料が必要だし、 部品が壊れて直しようもない場合は、 新しい部品を取り寄せる必要だってあるでしょ」 「そういうののお金はどうするの?」 「そ、それは……。 そうだ! 宣伝担当! 宣伝にもなるから宣伝費でなんとか」 「とーまくん。 きのした玩具店に宣伝費なんていう、 贅沢なものはありません」 「じゃ、じゃあ……ハートでなんとか!」 「ハートじゃ資材は買えません」 「う」 「それはそれとして、トーマ、時間」 「冬馬時間? オレタイム?」 「……忘れてるんだ」 「ええと……なにを?」 「人車! 今日の午後は 私とトーマが当番でしょう!」 「しまった! グッドアイデアに気をとられて 忘れてた!」 「今、さりげなく とーまくんのこと、 トーマって呼びましたね」 「さりげなく呼んだつもりでも、 繊細なわたしには判りますよ! しかもお迎えですか!」 「べ、別にそういうわけじゃないの! 行こうトーマ!」 「すっかり積もったな……」 返事の代わりに返ってくるのは、積もったばかりの雪を踏む音だけ。 「ええと……」 「本当に迎えに来てくれた、とか?」 「……たまたま近所まで来たから」 「ごめん。 ちょっとうぬぼれた」 「……」 「あのさ」 「なに?」 「もしかして怒ってる?」 「怒ってないわ。 そもそもなぜ怒るのよ」 「俺が当番のことを ちょっとだけ忘れてたから」 「私との当番なんかより タダの方が魅力的だものね」 「タダよりきららの方が、 魅力的だ」 「……」 「比較対象がタダってトコに ちょいひっかかるけど」 「きららは魅力的だ」 「あ、ありがとう」 「えーと。どういたしまして」 「それから……その…… うぬぼれじゃないから」 「何が?」 「わかんなければいいの」 「勝ち組イケメン俳優の我が弟君が、 今度の祭りん時に帰ってくるとかって噂が、 ネットで流れてるそーだぜ」 「へぇ」 進さんは電話中。 「弟さんって……あの城悟?」 「人気の俳優だって聞いてます」 「帰って来る暇なんてあるの?」 りりかと硯はすぐ店に戻るからともかくジョーさんと進さん、早く仕事へ出かけてくれよぉと考える俺は悪い人。 「噂っつーかデマだ! この前、野郎にTELしたら、 正月も忙しいって悲鳴あげてたぜ」 「無責任な噂か」 「噂流すほうは タダで事情通っぽい気分になれるものね」 「ほらやっぱり、 タダはみんなが好きなんだ」 「あんた。 タダほど高いものはないってコトワザ 知らないの?」 「でも、本当に来てくれれば、 人寄せになるのに」 「はっはっは。みんな大事な事を忘れているよ!」 「(どうせ電車がらみだ)」 「(ペンキと電車のコト以外は、 頭からっぽよね)」 「(事実でもそれはちょっと……)」 「(仕事行かなくて大丈夫なのかな)」 「(シゴトよりタワゴトが大事なんだ。 ほっときゃそのうち飽きるぜ)」 「イケメン俳優なんかに頼らなくても、 我がしろくま町には人を呼び寄せる 大スターがいるじゃないか!」 「百年の孤独から蘇った栄光の人車! 白波人車軌道の車輌! 彼女がいれば人は幾らでも来るさ!」 思わず素朴な疑問。 「その割に人が来ませんね」 「(馬鹿!)」 「(トーマ! そういうコトは思っていても 口に出しちゃだめ!)」 「(しまった)」 「中井君! 君は判ってない! そもそも人車の人気は――」 「クマがうろついてるせいだろ、車掌」 「くま?」 「あの噂のこと?」 「そうそうアレだ。 変な鳴き声がここから聞こえるってやつさ。 車掌、猟友会からの返事はどーだったんだい?」 「クマが出たって証拠があれば 出動してくれるって言うんだが、 それじゃ遅い! 遅すぎる!」 「あの恐ろしい爪が彼女の体を 傷つけたりしたら! 僕は僕はもう生きていけない!」 「く、くま……」 「なにすずりん怯えてんのよ。 こんな町中でクマなんて出るわけないじゃん」 「鳴き声からして嘘くさいもの」 「くま、くま、と鳴くなんてなァ」 「いくらなんでもそれは無いでしょ」 「か、帰ります」 「ちょ、ちょっとすずりん! しょうがないわね」 「(じゃああたし達は帰るけど、 きら姉とあんまりいちゃいちゃしちゃだめよ!)」 「な、なにを――」 「中井君、鰐口のお嬢さん! もしクマが現れたら、お嬢さんは連絡を、 中井君は彼女をクマから守るんだ!」 「はい! きららは俺が守ります!」 「トーマ危ないよ! クマに立ち向かうなんて」 「いや、鰐口のお嬢さんじゃなくて、 彼女を守って欲しいんだよ! 彼女は逃げることすら出来ないんだから」 進さんが指差した先には人車。 「……はぁ」 「車掌、そろそろ出発の時間だ。 ダイヤの乱れは心の乱れだぜ」 「お客を待たせては車掌の名折れ! 行くぞジョーさん! 僕のロケット号はいつも時刻表通りさ!」 ペンキ屋さんの軽トラック『ロケット号』が、飛び出していく。 「熊ね」 ありえねー。 「トーマ、 クマが出たら逃げていいからね」 「見損なうな! きららを置いて逃げはしない。 俺はトナカイの中のトナカイ!」 「それは嬉しいけど…… 一緒に逃げればいいんだよ」 「あ、そうか」 ごめん進さんごめん人車(←棒読み)守る気ゼロな俺たちであった。 「逃げる前に腹ごしらえが必要みたいね」 「おう。腹が減っては戦は出来ぬだ」 「ほーら、今日はトーマが好きな卵焼き。 はい。あーん」 「あーん」 俺たちはさっそくいちゃいちゃ。 「それ」 「ぱくり」 「……」 「うまぁぁぁぁぁぁぁ」 「はぁ…… トーマが食べてるの見てるだけで なんかうれしくなっちゃう」 「俺もきららに、 あーんしてもらうと、 それだけで幸せだ」 「え、えへへ。 じゃあもうひとつあげちゃう! あーん」 「あーん」 「それっ」 「がぶり」 「……」 「うんまぁぁぁぁぁぁぁ」 「そんなにおいしい?」 「おう。 俺の貧しいボキャブラリーでは 形容するのが呼吸困難なほどにおいしい!」 「そ、そんな私なんかまだまだなのに……」 「おいしさのナゾが解けたぞっ。 きららが食べさせてくれるからだ!」 「そ、そうかな……? なに言ってるかなもう! 恥ずかしいよ……」 「なんで? おいしいものはおいしい。 そしてきららが作ってくれると、 本当にうまいっ」 「……トーマってすごいわ。 普通そういうこと思ってても 素直に言えないもの」 「そうなのか? 言わないと伝わらないし、 せっかく目の前に相手がいるんだし」 不意に。ふたりきりだ、って思った。 「……」 キスしたいな、って思った。 いや、キスだけじゃなくて、それ以上にもっと近づきたいなんて。 「……どうかした?」 「え、あ、いや、 もっと食べたいな、なんて」 「じゃ、じゃあ もっと私からも伝えちゃう! あーん」 「あーん」 「はい」 「ぱくり……」 「うんまぁぁぁぁぁぁ」 「なるほどぉ。 これがクマさんの正体だったんだねぇ」 「んがくっく」 慌てて飲み込んで詰まったっ! 「と、トーマしっかり! お茶お茶!」 「ん、ごくごく、 うぷはぁぁぁぁぁ助かった……」 「うんまぁぁぁぁぁが、 くまぁぁぁぁってきこえたんだねぇ」 「ね、姉ちゃんこ、これは、その!」 「わかってるよぉ。 わかってるよぉきららちゃん、 ふたりでいちゃいちゃしてたんだよねぇ」 「ちょ、ちょっと姉ちゃん! 表現が赤裸々すぎるよっ! でりかしーがないわ」 「繊細なガラスのハートが、 羞恥に砕けたらどうするんですか」 「あんな所でいちゃいちゃしてた人たちにぃ、 そんなこと言うしかくはないとおもうなぁ」 「う゛」 「ごめんなさい、 姉ちゃんの言う通りです」 「いいですかぁ、 以後、ここでのあーんは禁止ぃ」 「そんなっ」 「もしかして、 お姉ちゃんは私とトーマが つきあうのに反対なの?」 「そうなんですか!?」 「進さんにはねぇ、 イタリア軍まにあさんの、 親戚がいるらしいんだよぉ」 「はぁ?」 「それは知ってるけど……」 「ここにクマさんがでつづけるとぉ、 進さん、そのマニアさんからぁ、 本物のぴすとるをてにいれちゃうかもぉ」 「まさか。 ここは日本ですよ? その人だってピストル持ってるわけ」 「でもあの進さんの親戚さんだよぉ。 ファシストだぁいすきなぁマニアだよぉ。 イタリアのピストルくらい手に入れちゃうよぉ」 「そりゃそうですけど……。 でも、そのマニアだって、 そう易々と譲ったりは」 「ゆずってくれなかったらぁ、 うばうくらいしかねないよぉ」 「あの進さんだものね……」 「あの人がそんな恐ろしいものを手に入れたら。 まさにキチ○○(良心的伏字)に刃物。 そして俺たちのこれが目撃されたら」 「中井さんはともかくぅ、 きららちゃんがどうにかされたら、 お姉ちゃん死んじゃうぅ」 「大丈夫です! その時は、俺が自ら盾となって きららを守ります!」 ビシッと決まった。 「トーマ……」 「なるほどぉ、 撃たれる庇うどちらにしてもぉ、 中井さんは死んじゃうんだねぇ」 「確定ですか!?」 「そんな! 死んじゃいや!」 「きららを残して死ねるものかっ。 俺はミサイルでも毒ガスでも銃弾でもバットでも、 硬球でもパチンコ玉でも仁丹でも受け止める!」 「ミサイルとぉ毒ガスとぉ銃弾はムリだと思うなぁ。 バットはびみょうだねぇ」 「姉ちゃん……冷静な突っ込みだね」 「他人事だからねぇ。 さぁてきららちゃん、 久しぶりにお勉強の時間だよぉ」 「え、ええっ!? どうして!? 試験は来年の末なのに!」 「どれくらい学力がおちたかぁ、 確かめておかないとねぇ」 「あの…… 上がったって事だってありえたり…… する……かも……」 言ってはみたものの、俺の声は途切れ途切れで弱々しかった。 ごめん、きららさん。これが精一杯の弁護だ。 「そ、そうだよ! 私だって自分にすら判らないくらい こっそりと勉強してるかもしれない?」 「うんうん。 そういうこともありえるよねぇ」 「ありえるのかっ」 「そうだよ! それくらいの隠し芸ありえるよ! だから」 「どれくらい上がったか確かめようねぇ」 神賀浦さんの手が、きららの腕をつかんだ。 「と、トーマ助けて!」 俺の体は反応。掴まれている方と反対の手を掴んだ! 「いかせんっ。いかせはせん!」 「中井さんは、来年もぉ、 きららちゃんの夢がかなわなくて いいのかなぁ?」 「い、いや、それは……」 「ああっ、トーマの力が弱くなって行く……。 いけないいけないよトーマ!」 「いいのかなぁ?」 俺の手が力なく離れた。 「ああっ」 「……すまんきらら。 俺の限界はこの辺らしい」 「トーマぁぁぁ」 「ご協力ありがとうございましたぁ」 きららさんがドナドナになって曳かれていくのを、少しセンチな気持ちで見送った。 愛では超えられないものがあると知ってしまった昼下がりだった。 「中井さんって、 きららさんと付き合い始めてたんだって?」 「げほげほ」 「わ、とーまくん! 食事中に汚いです」 「す、すまん」 「あんたなに驚いてるのよ。 もうみんな知ってるわよ」 「(こくこく)」 「わたしなんか、 一万年前から知ってましたよ」 「一万年はちょっと……」 「そ、そりゃ、 一緒に暮らしているからな」 「甘いわね中井さん。 とてつもない甘ちゃんだわ。 ボーヤって呼んであげる」 「俺には中井冬馬って名前があります」 「私が誰から聞いたと思う?」 無視かよ。 「……そりゃ硯からでしょう」 「わ、私は喋ってませんよ」 「え、だって……」 「ふふーん。 ネーヴェで聞いちゃったのよねぇ」 「マスターから?」 「美樹ちゃんはそんなことしないわよ。 人が話してるのを聞いちゃったのよね。 鰐口のお孫さんに男が出来たらしいって」 「人って……?」 「商店街の……ええと……。 散髪屋のおばさんだったわ」 「水橋さんかっ」 「あんたってホントーに馬鹿ね。 大して広くもないこの町でデートしたら、 簡単にばれるでしょう?」 「ということは…… みんなと言うのは」 「少なくとも、あの商店街の人は、 みんな知ってるんじゃない?」 「そうですね。 肉にしか関心がなさそうな谷野さんまで、 知ってましたから」 「……ということは、 あの怖い大家さんも……」 「当然ね」 「うわぁぁ」 「楽しみだわ。 立ち塞がるあの妖怪おばあちゃんに、 中井さんがどんなひどい目にあうか」 「ひどい目確定!?」 「大丈夫ですよとーまくん。 愛しあう恋人同士には、 高く困難な障害がつきものですから」 「そうだよな……俺がんばる」 「障害が高すぎて悲恋になることもありますが、 それはそれで」 「大丈夫じゃねぇ!」 みんなに知られてるか。 いつまでも隠せることでもないし、そもそも隠す気なかったし。 周りに言わなかったのは、単に気が回らなかったからだ。きららさんだってそうだろう。 知られるのは気恥ずかしいけど、問題はない。後ろ指差されることしてるわけでもないし。 だけど。 「あの二人は別格だ」 大家さんと神賀浦さん。きららさんに一番近い人たち。あの二人には快く受け入れてもらいたい。 ちょうど明日はオフ。人車の当番もない。会って話をするにはいい機会だ。 大家さんはきららさんの―― 「まだ考える時には、 きららさんになってるな……」 大家さんはきららのお祖母ちゃんだし。神賀浦さんはきららの…… 「血がつながっていない姉妹って…… そもそもあの人はなんなんだ?」 「むつかしくも簡単なしつもんだねぇ」 カリヨン塔を囲むフェンスにもたれて、神賀浦さんは言った。 「簡単な方で言ってもらえると助かります」 「かんたんにいうと アカの他人だねぇ」 「……」 「はいぃ?」 神賀浦さんは平然としていた。 「ちなみに他人の意味はぁ、 1.自分以外の人。ほかの人。他者。 2.家族・親族以外の人。血のつながりのない人」 「3.見ず知らずの人。親しくない人。 この場合は2の強調としての赤の他人だねぇ。 まったく関わりもなく縁もない人」 「いや、だって、 そんなことはないでしょう」 「血がつながっていないんだったらぁ、 アカの他人だよぉ?」 「でも、 きららのお兄さんの奥さんとかだったら」 「きららちゃんにお兄さんはいないしぃ、 わたし結婚したことないしねぇ、 そもそも男とつきあったことのない処女だしぃ」 「そ、そうなんですか」 「きららちゃんのお姉さんの 奥さんでもないからねぇ」 「きららさんにお姉さんが?」 「わたししかいないよぉ」 神賀浦さんは、俺が献上した缶の甘酒のプルトップをあけた。 「ぷしゅぅぅ。 あったかぁい」 「……たまたま血が繋がっていない姉妹 でしたよね」 「そうそう。 それでいいんじゃないかなぁ」 「女子校的なお姉さまって奴だな!」 「ぜーんぜん。 一緒につうがくしてたこととかぁ、 同じ学校のちがう学年だったとかはないんだよぉ」 「でも、あんなに仲がいいんだから、 縁とか色々あって、 赤の他人じゃないはずだ」 「えんかぁ…… いちばん説明しやすいのだと家庭教師かなぁ。 わたしせんせい。きららちゃん教え子」 「おお。判りやすい!」 「つうじたぁよかったぁ」 「万歳! じゃなくて。 それだけで お姉ちゃんお姉ちゃん言わないだろ」 「うーん。そうかもねぇ」 「判ったぞ! 隣のお姉ちゃんって奴だ」 「どうだろうねぇ。 住んでたところは355.5めーとる離れてたしぃ、 せめて20メートルいないにないとぉ」 「確かに……。 って、なんでそんな細かいんだ」 「地図ではかったからぁ。 ちなみに今は直線距離で 30.3めーとるくらい」 「計ったんですか?」 「うん。お引越ししてから 325.2めーとる近づいたんだぁ。 すごいでしょぉ」 「でも、となりのお姉ちゃんには、 きょりがたりないんだよねぇ」 「つまり整理すると……」 「……」 「親戚でも親類でもないしぃ、 実家ははなれてるしぃ、 おなじ学校に通ったこともないんだよぉ」 「整理まで任せてしまって、 すいません」 「いえいえぇ」 「つまり家庭教師が接点で、 仲良くなったんですね」 「うーん。ちょっとちがうかなぁ。 接点がぜんぜんないからぁ、 仲良くなるために家庭教師になったんだよぉ」 「仲良くなるために?」 「うん。そうだよぉ。 ほかのひとに家庭教師するよぉになったのはぁ、 そのあとからだよぉ」 「……」 きららさんに接近するために、わざわざ家庭教師になった。 つまり、そんなにも親密になりたかったというコトか。 そして今やお姉ちゃんと呼ばれるポジションを獲得した神賀浦羽衣の次なる野望は……。 「もしかして俺のライバル!?」 「どうかなぁ。 たぶんちがうよぉ」 「わたし、中井さんとちがって 性的にねぇ、きららちゃんをどうにかしたいとかは、 ぜーんぜん思わないんだよぉ」 「性的にって……。 いや、俺はまだ、じゃなくて、 紳士的ですよ! 断じてそんな野獣ではっ」 「おふろできゃっきゃうふふしてぇ、 きららちゃんのヌードとか見てもぉ、 性的にはこーふんしないものねぇ」 「おふろできゃっきゃうふふだとぉ!」 全裸のきららが、お風呂場で……。 「きららちゃんの、まぁるいおっぱいを、 うしろからたぷたぷこねまわしてもねぇ、 かわいいけどねぇ。たべちゃいたいとはねぇ」 まぁるいおぱーい!責められてかわいい声をあげるきらら。ああ、ああ、ああ、なんて、うら―― 「断じてそんな眼福な もとい、うらやましい光景を 妄想などしないっ」 「もーそーしてるんだぁ」 「だ、断じて否!」 「だからねぇ。 きららちゃんと中井さんのあいだを、 ぼーがいしよぉとかは思ってないよぉ」 「妄想してませんからね? その辺わかってくれましたよね?」 「それにおねえちゃんなら、 妹の恋はきほんてきには 応援するものだよぉ」 「そうなんですか?」 「ちがうのかなぁ? ぼーがいするのが正しいのかなぁ? それなら一生懸命ぼーがいするけど」 「お願いします妨害しないでください。 その方が多分正しいです」 「ならそーゆーことだよぉ。 甘酒ごちそうさまぁ」 ようやく理解した。むずかしく見えて簡単なことだった。 「きららは…… 神賀浦さんの妹なんですね」 「うん。血の繋がらない妹なんだよぉ」 「大切な妹なんですね」 神賀浦さんはちいさく笑った。 「うん。妹。 べんきょうはぜんぜん出来ないしやらないけど、 自慢の妹なんだよぉ」 俺は神賀浦さんに向かって深々と頭を下げた。 「お姉さん! 自慢の妹さんと、 おつきあいさせていただきます」 「……」 「うまくいくといいねぇ」 うまくいくさ。 「実はお孫さんとつきあっているんです」 「ふん。命知らずな奴だ」 「命の一つや二つ惜しんで 恋は出来ません!」 「じゃあ落とし前として、 一つは頂かせて貰うよ」 「え、いや、ひとつしかないんで 取られると困――」 「ぐはぁっ」 「落とし前はつけさせてもらったさ。 後は好きにしな、 生きていればだけどな」 「きらら……がく」 「……」 「いくらなんでも、 いきなり狙撃される事は」 「何をうろうろしてんだボンボン」 「ひぅぅっ。 いつからそこに!?」 「玄関先で奇声をあげてる阿呆がいたんで、 見てただけさ」 見られた! 「繊細なガラスのハートが 羞恥に砕ける時が今!」 「面白ぇ。 さっさと砕けろ。 見ててやるからよ」 大家さんはポケットから煙草を取り出すと、一本出してうまそうに吸い始めた。 「……」 「お陰様で大丈夫でした」 「ふん。 そんなやわな構造の心を持った奴が、 人んちの前で奇声をあげたりするかよ」 「つまり俺の精神の強靭さを 認めてくれたわけですね」 「図々しい精神だと認めてやるよ」 「図々しいついでに お話があるんです」 大家さんはおもむろに煙を吐き出した。俺の顔めがけて。 「ごほんげほん」 「ボンボン。 あんたに人に話す事が出来る 知能があったとはね。初耳だよ」 「そういう事を平気でするから、 愛煙家の肩身が狭くなって行くんですよ」 「オレの生きてる間、吸えりゃいいのさ」 ばばぁ(あえてそう呼ぶ)は、煙草を携帯灰皿に押し付けて消した。 「横暴なヘビースモーカーの割には、 いつもそれ携帯してるんですね」 「火の不始末で物件を燃やす不動産屋なんざ、 オレに言わせりゃプロの資格はねぇよ」 「てっきり俺の顔で、 揉み消したりするかと」 「名案だね。これからはそうしようかね」 「結構です」 「ふん」 ばばぁは俺に背を向けると、塀の中に入って行ってしまった。 「あ、ちょっと待ってください!」 「入る時には鍵をかけな。 オレは無用心な奴が嫌いなんだ。 泥棒よりたちが悪い」 家にあがっていいって事か! 「は、はい」 行くぞ。決戦の時は今! 後を付いていって部屋へ入ると大家さん(こういう時にばばぁは無いだろう)はこけしを背後に座っていた。 「……」 正面に座るべきか!それとも、ちょっと離れた所に正座して、そこから話しかけるべきか!? 「ボンボン。 あんた話に来たと言うわりに、 土産すら用意していないのかい」 「え……まぁ、 急な話だったもので」 「はん。思いつきかい。 考えの浅いボンボンらしいや」 「何とでも言ってください。 土産は後で持ってきます。 ですが今は話を聞いてください」 かちこちかちこちと、古めかしい時計が時を刻む音がする。 「……」 ばば、いや大家さんはおもむろに手を伸ばすと、コタツの上のみかんを手に取り。 ゆっくり剥くと食べ始めた。 「あの……。 話を聞く気あります?」 「……」 筋も袋も取らず、二房ずつ豪快に食べて行く。 「じゃあ勝手に――」 「全くねぇが、 ボンボンが勝手にわめけば 嫌でも聞こえる程度に耳はいいさ」 「では勝手に――」 「だがねぇ、年よりは耳が悪いんで そんな遠いところでわめかれても、 単なる雑音にしか聞こえねぇかもな」 「ぐ」 ああいえばこう言いやがって。 だが落ち着け俺。こちらをいらつかせるのもこのばばいや、大家さんの趣味の悪い楽しみなのだ。 俺はコタツに入り、大家さんが座る向かい側に陣を構えた。 ここは関ヶ原か川中島か桶狭間か、大阪夏の陣か冬の陣か田原坂か恋のワーテルローか。 あれ?恋のワーテルローは失恋の歌だったかも……。 落ち着け俺。いくら目の前の大家さんが邪悪で妖怪じみていても取って食われる事もなければ、狙撃される事もない。 「……ふん」 「お話があります」 大家さんは二個目のみかんを手に取ると、おもむろに皮を剥き始めた。 「俺はお孫さんのきららさんと おつきあいさせていただいています」 「そうかい」 「はい」 古い時計が時を刻む音が響く中で、大家さんはみかんを食べている。 ああ。おいしそうなみかんだな。 「あんたに出すみかんはないよ」 「……ないんですか」 「あるわけないだろう。 まったく図々しいね」 「……」 「で、どうなんでしょう?」 「何がどうなんだ。 はっきりしない腐った奴だね」 「俺ときららさんが付き合う件です」 「付き合ってんだろ?」 「はい」 「なっちまったもんは仕方ねぇよ」 「……」 「それだけ……ですか?」 「ほかに何がある?」 「え、ここで、 お孫さんとつきあわせてください! お断りだね! お願いします! と」 「恋のハルマゲドンが 勃発するはずなのでは」 「うちの家系の女どもは、 しょーもない奴に惚れる血筋なのさ」 「……あなたも?」 「だからボンボン、あんたもろくでなしさ。カスだ。 間違いない。俳句が三度の飯より好きで 全国を放浪した阿呆や、裏山で宝探しする馬鹿」 「誰も読まない駄文を一生書いたり、 ありもしない彗星を求めて一晩中起きてる癖に、 働かないアホとかな」 「あの……言っていいですか?」 「勝手に言いな」 「本当に困った人達ですね」 「は。そうだな。 まぁあんたもその一人だが」 「俺は違います」 大家さんはまた煙草を取り出すと、慣れた手つきでマッチを擦って火をつけた。その仕草はとても様になっていた。 「どうだか。まぁまだ孫は若いさ、 男の一人や二人消えても、 どうにかなるだろうよ」 「逆に聞きます。 俺がそんな男だったとしても構わないんですか? げほごほ」 ばばぁは俺に煙草の煙を吐きながら言い放った。 「一向に構わないさ。言っただろ、孫はまだ若いんだ。 いくらでもやり直しが利く、 だからあんたがどんな人間だろうとどうにかなる」 「……あなたの旦那さんも そういう人だったんですか?」 「奴か? 奴はオレより長生きするだの 散々わめいていた癖に20年も前に くたばっちまったよ」 ぷわり、と紫煙が見事な輪になって吐き出され漂う。 「そんなこと言うのを聞いてたら、 旦那さん悲しみますよ」 「は。聞けるもんか。 なんせ奴はもういないんだからね。 誰でも消えるのさ。いつかはね」 「……」 相手はきららのお祖母ちゃんで、もっとちゃんと認めて欲しかったけど。 「特にボンボン。ろくでなしでその上余所者だ。 余所者はいついなくなるか判らないもんさ。 そんときゃ安心していなくなるんだな」 俺は立ち上がった。 「俺はあんたが何と言おうと、 きららさんと付き合います」 「なっちまったもんは、 仕方ねぇって言ったろ。 好きにすりゃいい」 「好きにします。 失礼します」 俺は回れ右をして襖に手をかけようとした。 「おい。ボンボン」 「なんですか?」 「アレは あんたらがつきあうのに 反対しなかったのか?」 「アレって誰です?」 ほぼ推測がついたけどわざと聞き返した。この人があの人の事をどう思っているか、知りたいと思ったから。 「うちに図々しく出入りする 赤の他人の家庭教師だよ」 「うまくいくといいねぇ、って 言ってくれましたよ」 「……ふん。そうかい。 まだ夢を見てるんだねアレは」 「夢?」 答えはなかった。俺は振り返らなかった。 ……疲れた。 しかも雪まで降ってきた。 このまますぐツリーハウスに戻る気にもなれなかった。 「今日はおひとりで?」 「振られたわけじゃありませんよ」 どうせ出してはくれないだろうと思いつつ、ギムレットを注文した。 美樹さんは慣れた手つきでシェイカーを振り、僅かに白く濁った液体で満たされたカクテルグラスが、俺の前に出された。 グラスを傾けると、その名の由来ともなった錐を突き刺すような苦味を帯びた冷たく鋭い味が口に広がった。 「きょうはお姉ちゃんが、 なんでもおごってあげちゃうよぉ」 「なんかいい事でもあったの?」 「うふふぅ。ないしょぉ」 「え」 「あ」 「おやおやぁ」 「そっかぁ、 みすずさんってばそんなことをねぇ」 神賀浦さんは、しろくま町の地サイダー、しろくまシトロンを舐めるようにちびちびと飲みながら呟いた。 微炭酸な上に氷まで入っているので、ほとんど水じゃないのだろうか? 「祖母ちゃんトーマのこと、 嫌いなのかな……」 黙って聞いていたきららがぽつりと言った。 まったく口のつけられていないトマトジュースが、解けた氷で、どんどん薄くなっていく。 「嫌われるような事をした覚えは――」 商売に関する無知をさらしたり、家の前で奇声をあげたり……。 「あるんだ」 「こんなことなら 最初からデキル男を目指して、 キメまくっていればよかった!」 「いやそれは かえって変な人に思われるだけだったと思う」 「中井さんがそんなひとだったらねぇ、 きららちゃんも付き合おうとおもって なかったんじゃないかなぁ」 「そう……かも」 「だからさぁ、 中井さんはデキナイ男でよかったね、なんだよぉ。 よかったよかったぁ」 慰めてるつもりか、天然に言ってるのか、わからん。 「あはは」 「そういや……俺のどこがいいんだ?」 「え、その、えっと」 「そういうことはねぇ、 ふたりきりの時にきくものじゃないかなぁ」 「そ、そうだよ! トーマってデリカシーが ちょっとないよ!」 「め、面目ない」 「ぎゃくにさぁ、中井さんは、 きららちゃんのどこが おきにめしたのかなぁ?」 「ちょ、ちょっと姉ちゃん」 「デリカシーがないんじゃないんですか?」 「わたしあんまりそういうのないからねぇ」 「……ふたりきりの時に話します」 神賀浦さんは、氷が解けきって水にしか見えないシトロンを、飲み終え、 「まぁなんとかなるものはなんとかなるし、 なんともならないものはなんともならないよぉ」 と、全く頼りにならないことをのたもうてくれた。 「なんともならないのは嫌だよ……」 「なんともならなくても、 別のほうでなんとかなるかも しれないよぉ」 神賀浦さんはレシートを手に取った。 「あ、俺が」 「いいのいいの。 今日はさいしょから わたしが払うつもりだったからねぇ」 「ごゆっくりぃ。 でも夕ご飯のときにはぁ かえってくるんだよぉ」 「うん……」 あとには俺たちだけが残された。 「……」 「きらら」 「……なに」 「少なくとも、 大家さんは反対はしてなかった」 「反対してくれてた方がよかった」 「どうして?」 「喧嘩も出来るし、 そうすればもっと突っ込んで話す事も出来るけど」 「これじゃあ お祖母ちゃんが何を嫌がっているかも判らない」 「そりゃ簡単さ。俺が嫌なんだろう。 まったくはやっていない店の、 雇われ店長だもんなぁ」 急にきららは顔をあげ、テーブルに手をついてこっちへ身を乗り出して。 「そんなことないよ! トーマにはト――」 「トーマは 誇りを持てる立派な仕事を 持ってるのに……」 それだけ言うと、また座り込んでしまった。 「きらら」 テーブルの端をつかんだままの手に、俺は手を重ねた。 「あ……」 その手はひどく冷たく感じた。 「俺は別れる気なんてないから」 「と、突然なに言うのよ。 私だって……」 「俺たちがつきあうのに誰も反対していない。 きららの大切なお姉ちゃんは、 少なくとも俺たちの味方だ」 「……」 きららの手に体温が戻ってくる。 「そう……だね……。 きっとそのうちにお祖母ちゃんも……」 「ああ。そうだ。大丈夫」 「みんなうまくいくよね?」 「うまくいくさ」 「むねんなり……」 「どうしたななみ?」 俺はななみが見ていたTVを見た。アメリカンティストな家の中を、小汚いネズミ(複数)が走り回っていた。 「きゃぁぁぁぁぁぁぁ! ぼ、ボブ! ドブネズミが走り回ってる! いやぁぁぁぁぁぁぁ」 「HAHAHAHAジェシー! それはネズミじゃなくて、メカネズミだよ! 電気で動く最新式のメカなのさ!」 「でも、どう見ても ネズミにしか見えないわよ?」 「だからこそ最新式! これぞ病害虫退治の新兵器メカネズミさ! 家のどんな場所にも入り込んで退治して(中略)」 「この通販がどうかしたのか?」 「もしかしてあんた、 このいかがわしい商品 買ったとかじゃないわよね!?」 「なかなかかわいいお品ですが違います」 「かわいいかよ」 「しろくまジャンボに なぜか当たりませんでした……」 「なぜじゃないだろ」 「っていうかあんた買ってたの?」 「りりかちゃん。わたしを馬鹿にしてますね。 買わないと当たらないことくらい、 わたし知ってますよ」 「拾うという手もあると思いますけど」 「おお。そのほうがもっと合理的でした!」 「合理的の意味が間違っている気がします」 「まったく…… 無駄な時間を空費したわ。 集合時間に遅れたらななみんのせいね」 「ええっ。違いますよー。 しろくまジャンボがなぜか外れたのが 悪いんです」 「さっさと行くぞ」 「当たったらおもちゃの修理サービスが、 ただで出来るようになったのに……」 「がっかりするな、ななみ。 最初から期待してなかったから」 「ひ、ひどいです」 「迎えに来たよ!」 「うわ。久しぶりに見たけど本格的!」 「えへん。本職ですから」 「クリスマスは、 ニューヨークのエースであるアタシに おまかせあれ!」 「が、がんばります」 「トーマは あの時着てた制服着ないの?」 「トナカイの制服はマイナーだから」 「普通のジャケットと思われちゃうか」 「あの時のトーマ、 カッコよかったのに」 「着てくる!」 というわけで、今夜はクリスマス2週間前、ほらあな商店会合同の宣伝会! 「ほう。なかなか本格的じゃないか! まるで氷灯祭仕様に塗られた くま電特別車両のようだよ!」 「……」 「褒められたのか?」 「日本語に翻訳すると、 そういうコトになると思う」 「全然そういう気はしませんが……」 「だが人車のきぐるみなら、 もっと素晴らしかったのに! デザインを僕に任せてくれれば!」 「あー、そう来るだろうと思った」 「そういう進さんだって、 普通のサンタ帽じゃないですか」 「僕は人車発見を記念して、 人車をデザインした帽子がいいって言ったんだけど、 旧弊な人達に猛反対されてしまって」 「しかも彼らは商売で圧力まで掛けるって言うんだ! これは思想および言論の弾圧じゃないか! 鉄道がしかも郷土の鉄道が好きで何が悪い!」 いや、良識か常識があれば誰でも反対すると思う。 「クリスマスだというのに、 わざわざ妙なかぶりものを かぶる人がありまして?」 画面でお見せできないのが残念なくらい凄い格好をした人があらわれた! 「誰?」 「失礼な方ですわね」 「(ジェーンさんだよ)」 「あ……。 そう言われてみれば 確かにそこはかとなく面影が」 「見る目がない方ですわね」 「ジェーン様。中井様は、 余りにジェーン様がサンタになりきっておいでで、 見違えてしまったのでしょう」 「なるほど、なら仕方ありませんわね」 確かに主従そろって赤い帽子に赤い服だが、ひらひらふりふりだのピカピカキラキラだのがやたら一杯付いているのはどうかと思う。 「あれちょっと着てみたいです」 「やめといたほうがいいわ。 服に着られるのがオチよ」 「とても着こなせる自信ありません……」 「土橋さん! 僕の帽子だけなら、 人車の素敵なデザインでもいいじゃないですか!」 「これは商店会のクリスマスの催しですわ。 ひとりだけ妙なものをかぶっているなんて、 許せませんわ」 「妙なものとはなんですか! なんと嘆かわしい! しろくま町民だと云うのに白波人車軌道の偉大さが 判らないなんて! そもそもこの軌道は――」 「うわぁ! めがね! めがねが飛んだ! 僕のめがね! 僕のめがねどこ!? どこ!? どこ!? どこぉぉ!?」 寺内さんがさりげなく、進さんの目の前に転がっていた眼鏡に、雪をかけて隠してしまった。 「いつまでも這いずってな。 まったく、こんな奴に喋らせるなんて、 あんたも甘くなったもんだねお嬢」 「随分とご挨拶ですわね。 わたくしアリほど粗暴でないだけですわ」 「こんにちわ」 「ふん」 「お祖母ちゃん……」 「こんにちわぁ。 おやおやきのした玩具店のかたがたは、 ほんかくてきですねぇ」 「ふん。それだけの情熱を商売に向けりゃぁ、 今頃あのしけた店も、 黒字スレスレくらいにはなってるだろうに」 「みなさんほんとうににあってますねぇ。 ほんもののサンタさんみたいですねぇ」 「はっはっは! なんてったって本物ですから!」 「と、トーマ変な冗談は」 「うふふぅ。 では、くりすますの時は、がんばってくださいねぇ。 めりーくりすまぁす」 「そりゃもう。メリークリスマス」 冗談だと思ってくれたようだ。当たり前だけどね。 「いつまでもサンタなんて信じておめでてぇ奴だ」 「いけませんかぁ?」 「ふん。 冗談なら儲けのネタだが、 本気だと笑えないね」 「おお! 兄ちゃん! みんな生肉色でおそろいだな! 俺も新調したぜ。素敵な色合いだろ!」 「……は、はい」 肉屋の谷野さんのサンタの服装は、どことなく赤がぬめっとしていた。 「なまにくいろ……」 「おー、生肉色! 言われてみればそうですね」 「同意するなよ」 「サンタってのは生肉の神様だからな! 空飛んで肉の宣伝をしてくれるんだぜ!」 「いったいどこの邪宗よそれは」 「りりかちゃんあきらめて、 谷野さんはこういう人だから」 「若店長さん」 「あ、どうも」 「おもちゃの修理、 店のお客さんの間でも 評判になってたよ」 「え、そうなんですか! うれしいなぁ」 店にちらしを置かせてもらった効果が出てきたか。 「ガキはすぐおもちゃを壊すし、 他の店はもっと高いし時間かかるし、 助かるって」 ちょっと照れる。 「よかったじゃんトーマ」 「そんな……大したことじゃ……」 きのした玩具店も、少しずつ受け入れられているようで、嬉しい。 「はいはい」 「こんなとこで、 油売ってても一銭にもなりゃしない。 始めるんならさっさと始めたらどうだい」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス!」 「め、めりー……」 「硯、がんばれ!」 「硯ちゃん、ファイト」 「め、メリークリスマス!」 クリスマスや氷灯祭用の飾り付けがそこかしこに取り付けられて、町は華やぎを増していた。 「クリスマスまであと2週間! クリスマスを迎える準備は順調ですか?」 大通りを帰りの通勤客を乗せた路面電車が軽快な音を立てて追い抜いていく。 「お買い物ならほらあなマーケット! ほらあなマーケットをよろしくでーす」 「木のおもちゃなら、 きのした玩具店をよろしくおねがいします」 「木のおもちゃの修理もやってます!」 そんな大通りを道行く人に声かけながら、俺達は練り歩く。 「安い店、仕事が速い店、サービス満点の店、 このチラシを読めば、 ほらあなマーケットがばっちりわかる!」 「このチラシに書いてありまーす。 あ。手にとっていただいて ありがとうございまーす」 「はい。よろしくおねがいしますねぇ」 「買い物帰りには、 安い早いうまいの3拍子揃った バリバリ亭だぞ」 「肉ならくじらやだ! 生肉の神さ――」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス」 「めりーめりーめりーくりすます! なぁアリよ。サンタはいるんだよ。 ほら。あんなにいっぱいいるんだよ」 「いやしねーよサンタなんて。 あんなもん信じるとろくな事がないさ」 「サンタは二度と来やしないのさ」 「メリークリスマス! みなさんメリークリスマス!」 「メリークリスマス! くまっくにもメリークリスマス!」 「メリークリスマス!」 「クリスマスまであと2週間! クリスマスを迎える準備は順調ですか?」 「お買い物ならほらあなマーケット! ほらあなマーケットをよろしくでーす」 「よろしくおねがいしまーす」 「安い店、仕事が速い店、サービス満点の店、 このチラシを読めば、 ほらあなマーケットがばっちりわかる!」 「ばっちりわかっちゃいますよー」 「ありがとうございまーす! このチラシに書いてありまーす」 「トーマ」 きららの目がきらきらしていた。 「楽しいの?」 「うん」 「俺もさ」 「本番も楽しみだね」 「ああ」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス! くまっくにもメリークリスマス!」 主要な街路をぐるりとまわり、俺達はほらあなマーケットへ帰還。 「メリークリスマス! メリーメリークリスマス!」 「メリークリスマス! メリーメリーメリークリスマス!」 「負けませんよ! メリーメリーメリーメリークリスマス!」 「メリークリスマス!」 「クリスマスまであと2週間! クリスマスを迎える準備は順調ですか?」 「お買い物ならほらあなマーケット! ほらあなマーケットをよろしくでーす」 「ほらあなマーケットでは 春日ペンキ店にて栄光の白波人車軌道を展示中! 車体の長さは縦二百四十一糎! 横百三十九――」 無言のまま繰り出された寺内さんのアッパーが、復活した進さんを雪の中へ沈めた。 「皆様。お気になさらずお続けください」 「ほらあなマーケットのことなら全部、 このチラシを読めばばっちり! はい、はい、はい、ありがとう!」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス」 「あ。ちらし、 また無くなっちゃったわ」 「こっちもでーす」 「こちらもです」 「全部はけたみたいだな」 「去年より随分早いわね」 「これが美女軍団の力ですよ」 「そろそろお開きかな?」 「ここに最後の一枚がありますよぉ」 「わたしが配りまっす!」 「はい。どうぞぉ」 「おまかせあれ!」 ななみは最後の一枚を受け取ると、今しもマーケットに買い物に来た親子連れに駆け寄り、 「クリスマスのお買い物には、 ほらあなマーケットを よろしくおねがいしまーす!」 「ここに書いてある きのした玩具店にもきてくださいねー」 と言ってちらしを渡すと、駆け戻ってくる。 「任務完了!」 誰からともなく拍手がまきおこった。 「えへへ。どーも」 「くっ。最後の一枚、 アタシが華麗に配ればよかったわ」 「おいおい」 「そんなことで張り合っても、 意味が無いのでは?」 「なくてもあるのよ!」 「りりかちゃんって、 本当に負けず嫌いだね」 「もう、きら姉まで……」 「きららちゃん。 もう配るものもないし、 来るお客さんも減ってきたからさぁ」 「うん。そうだね」 きららは皆に向かって、これにて今日は解散と告げた。 「本番でもがんばりましょう!」 「メリークリスマス!」 商店会の人たちは、三々五々散っていく。 「アリ」 「なんだよお嬢」 「ひさしぶりに、わたくしのうちで、 わたくしたちだけで飲みませんこと?」 「どうせ一週間後に集まるだろうが」 「飲みたい気分なんですもの」 「やれやれ。まだ本番でもないのに お祭り気分で浮かれやがって……。 さっさとあくせくした日常に戻りな」 「わたくしはあくせくした日常など送ってませんわ。 それに、今日は残り少な、 今更戻ってもしょうがありませんでしょ?」 「ネコの都合はどうなんだよ?」 「僭越かとは思いましたが、 猫塚様には連絡済みです。 いらっしゃるそうです」 「うふふ。本当に志奈子は気が利きますわね」 「恐縮でございます」 「しょうがないねまったく……。 おい、ドラも行くよ」 「クリスマスの前祝いだな! メリーメリークリスマス!」 「では、車を取ってまいります」 「きらら。 家の戸締りはしっかりするんだよ」 「うん。お祖母ちゃん。 あんまり飲みすぎないでね」 「誰に物を言ってるんだい。 こんな人生飲まなきゃやってられないよ。 でもまぁ、せいぜい気をつけるさ」 大家さんは一瞬、俺に視線を走らせた。 「……ふん」 「星がきれいね」 「そうですねー」 「この町の冬の大気は、 雪が降っていない日は特に 安定して澄んでいるのだそうです」 「……」 なんだろうこの胸のモヤモヤは。 「マニアの方々の間では ちゃんと天体観測が出来る地方都市として 名が通っているそうです」 「へぇ…… ニューヨークでは全然見えなかったわ。 ま、それだけここが田舎ってことだけど」 「住めば都ですよ」 「ま、まぁね。 田舎だけどそう悪くはないわね」 「……」 宣伝会は成功っぽかったし、楽しかった。満足のうちに終わったはず。なのに……。 「不思議ですね」 「なにがですか?」 「クリスマスってプレゼントを配る事ばかり 考えていましたけど、 こうやって地上で祝われているんですね」 「……そうね。 ああいう人たちがクリスマスを待っているのよね。 ひとりひとり顔が浮かぶと……なんか違う感じ」 「あの町の人たちが……あの人たちが…… 私達を待ってくれているんですね」 「……」 何かが満たされない。足りない。 「今、気づいたんですけど、 わたしたちとっても幸せじゃないですか?」 「何がよ」 「だって顔を思い浮かべたら、 あんな奴らに配るものか! みたいなトコだったらかなしいですよー」 「……」 「……ペンキ屋さんは、ちょっと」 「……ペンキ屋はあんたに任せるわ」 「いいんですか? 任されました!」 「あ!」 「いきなり奇声をあげてなによ?」 「ちょっと用事思い出した。 先、帰っててくれ!」 きららに会いたい。 会ってもっと一緒にいたい! ああ。俺はなんて欲深なんだろう!好きあってるってわかってるだけで十分なはずだったのに。 でも、止まらない。止まらないんだ。 気持ちがどんどんどんどん、きららに向かって傾いていく。 斜面を転がるように、走らずにはいられないんだ。 空を翔るトナカイにとって、走るのはとってももどかしい。 でも、それでも、俺は走る。 「トーマ!?」 「え……?」 目の前にきららが。 「どうして……?」 「トーマに……会いたくて……」 「俺も……」 「走ってきたんだ……?」 「そっちも……か?」 「うん……」 「よかった……。 行き違いになったりしなくて……」 「だいじょうぶよ。 商店街とツリーハウスのあいだで、 他の道は遠回りだもの」 「それでも……会えてよかった……。 それに、きららも俺に、 会いたがっててくれて……うれしい」 「うん……」 「神賀浦さん……いや、お姉さんは……。 びっくりしてなかった?」 「お姉ちゃんは……。 なんとなく判ったみたい…… いってらっしゃいって」 「そうか……」 どうしよう。会って一緒にいたくて、もうこんなに夜で。 でも……。 「きらら……。 俺、今夜、 きららと一緒にいたい」 「え……」 「会いたくて、一緒にいたくて、 もうこんな夜で、 どうしたらいいんだろうと思うけど」 「一緒に! 一緒にいたい……」 頬が熱くなった。気持ちがあふれてしまった。 「……」 冬の静かな沈黙は俺の胸をひどくしめつけた。 「……ここはちょっと……寒いよね」 「あ、ああ……」 「一緒にいるなら……。 あったかいところがいいよね……?」 俺は、喉がからからになってきて、思わずつばを飲み込んだ。 「そう……だな。 それはそうだ」 「じゃあ行こうか……。 ここよりあったかいところへ」 俺達はそこへ向かう間、珍しくひとことも喋らなかった。 予感があった。 予感じゃない。必然な気がした。 だけど。その場所へついた時、俺は僅かだけどためらいを感じた。 「ここ……?」 「……」 きららは無言でうなずく。 「お祖母ちゃんは、 クレイジーズの面子と飲む時は、 午前中いっぱい帰って来ないの」 「それって――」 言葉を飲み込む。確認の必要はないことだ。 「お姉ちゃんは 夜は自分のマンションに帰っちゃうからいないし、 どんなに早くても朝は一緒じゃないし」 きららが俺の覚悟を求めているわけじゃない。何の覚悟もなしにこういう事をする男だっていっぱいいるんだろうと思う。 だけど俺は彼女に対して、誠実でありたい。 「きらら……」 俺でいいのか、と聞きかけてやめた。そんなことを聞くのは野暮天だ。 「私じゃ……いや?」 「そんなはずない」 「……そうだよね。 そうじゃなかったら、 走って戻ってきてくれないよね」 俺は大きく息を吸って吐いて、ようやく言うべき言葉を見つけた。 「……他の人じゃ嫌だ。 きららがいい。 きららだけがいい」 「……私も」 ごく最近に通されたばかりの部屋なのに、初めての気がした。 あの時はよほど緊張していたのか、周りが全然目に入っていなくて、部屋の隅に仏壇があったことにすら気づかなかった。 仏壇には4枚の写真が飾られていた。1人は初老の男。3人は老いた男だった。 初老の男は気難しそうに口を噤み、背後には小型の望遠鏡が写っていた。 老人のうち1人は豪快に笑い。もう1人はさわやかな笑みを浮かべ。最後の1人は眼鏡をかけたお坊さんだった。 「お祖父ちゃん、庭木さん、 高田さん、梅井さん」 中年の男がお祖父さんらしい。 「お祖父ちゃん以外は、 クレイジーズの人達?」 「うん……」 写真と一緒に真鍮製らしき大きな鍵が置かれていた。 「トーマ、あの、ええと、 みかん食べる?」 「え、あ、いただきます」 ぽん、とみかんが宙を飛び、きららから俺に渡された。 「あ。ご、ごめん!」 「え、このみかんに 何か問題が?」 「じゃなくて、 いつもの癖でここへ通しちゃったけど、 なにやってんだろう私、あはは」 「部屋。2階、だから」 これがきららの部屋……。 女の子のにおいがした。敷かれている布団に、妙な意味を感じてしまう。 どくん、と鼓動が早くなる。 「べ、べつに布団なんか見てないぞ!」 「え、あ、いやだな、もう。 これは出掛けに敷いておいただけで、 特別な意味とか全然ないの」 「いや、だから、 そんな意味なんて感じてないし」 「それに万年床とかじゃないんだからね。 ちゃんと一昨日干したんだから」 「ああ。あの日は俺も、 洗濯物一杯干したよ」 「そうだよね! いい天気だったものね」 「そうそういい天気だったな!」 「………」 「………」 「き、きららさ」 「な、なに?」 「深い意味とかないんだが、 その、なんだ、 シャワーを浴びたいな……」 いや、意味アリまくりだろう中井冬馬。好きあってる男と女がふたりきりで、男がシャワーを浴びたいとほざいたら。 「あ、うん。な、ないよね深い意味は、 判ってる、とってもよく判ってるって シャワー浴びたくなることくらいあるよね」 「あるよな。うん。誰でも」 ああ、なにを喋っているんだろう。初めてのフライトより地に足がついてない感じ。 「ええとね。その、シャワー…… っていうかお風呂は下だから」 「そ、そうか1階なのか」 「そうなの1階なの。 今、案内するから!」 みかんを食べていた。もくもくと食べていた。 しかも、正座をして、バスタオルを腰にまいただけの姿で。 「あ……」 食べ終えてしまった。こうなるともうすることがない。 目の前には布団。 「布団か……」 べつに布団があるからといって、何か不思議なことはない。布団にも不思議はない。 だが、これからする事を考えると、布団が妙にエロく見えて仕方が無い。しかもきららがいつも使ってる布団なんだぞ。 ここに顔をうずめて……。とかはしないぞ。絶対にしない。それでは変態である、ような気がする。 だが、ちょっとなら―― 「ほぁぁっ!」 「ひゃぁ!」 「誤解だ! 俺は布団に顔をうずめて、 きららのにおいがする、ふにゃぁ……。 なんて変態的な行為は考えてもいないっ」 「か、考えてたんだ」 「じ、実行はしていないぞ!」 「い、いや、それくらいは、 まぁいいんだけど……」 「いいのか?」 「たぶん……。 私の前でしなければ」 「しません」 「うん」 「……」 きららは、バスタオルを巻いていた。おそらくあの布地の下は……。 「……」 「そ、そうだ! このみかんの皮はどうすれば?」 「え、うん。それはそこのゴミ箱に」 「お、おう。 誰かが足を滑らせたら大変だものな」 「そ、そうだよね。 うん。そうだそうだ」 俺は顔面の筋肉に異様な緊張をはりつけたまま、みかんの皮をゴミ箱に捨てた。 「捨てた」 「捨てたね。 つまり、あれだ…… これで安全だってことね」 「安全っていいよな」 俺達は布団を挟んでむかいあって正座していた。 「……」 「……」 もう言葉がなかった。 「あう」 「ええと」 「……」 ごくり、とつばをのみこみ、膝の上の拳を握り締めた。 男は度胸。男は覚悟! 俺は正座のまま、布団の上へ、ずい、と進んだ。 「きらら」 「あ、はいっ」 言うんだ言うんだ!なにを? とにかくなにかを! 「い、一筆啓上!」 あたまのなかが真っ白になった。 「え」 「お、俺はきららと……。 せ、セックスしたいです!」 うわ。うわ。なにを言っているんだ俺! 「……」 「だ、駄目ですか?」 「……」 きららの口元がかすかに動いた。だけど、言葉は聞き取れなかった。 もしかしたら拒絶か! そりゃそうだいくらなんでも物は言いようっていうものがあるだろうロマンチック街道とまでは行かなくてもロマンのかけらくらい―― きららは小さく首を振った。 「駄目じゃ……ないわ」 「え」 「駄目じゃないです」 きららの手を掴んで、引き寄せて、そっと布団に横たえる。 触れた肌があたたかくてやわらかくていいにおい。心臓が激しく打ちすぎて、こめかみがずきずきする。 「……ねぇ、トーマ」 「な、何かなお姫様?」 「あのね、その……きっキスして」 「お、おう」 恐らく、恥ずかしさとシャワーを浴びた余熱でほんのりと赤い肌に近づくと、それだけでどきまぎしてしまう。 かがみこめば、きららの潤んだ瞳で、俺の顔だけが映っている、大きくなっていく。 「ん……ん……んん……」 キスは甘い。やわらかい。こんなものはただの粘膜接触だ、とかほざく奴がいたら殴る。 「きらら……」 くちびるを重ねて、なめあって、互いの舌先をつつきあう。 「ん、んんむ……んちゅ……ちゅちゅ」 たまらない。もっときららを感じたい。 俺は舌をきららの口の中へ、恐る恐る押し入れていく。 「! ん、ん……んふぅん、 んちゅ、ちゅる」 一瞬だけきららが硬くなった気配がしたけど、すぐこらえて、俺の舌を受け入れてくれる。 そこはきららの体の中のとばくち。ただくちびるを触れ合っているよりも、きららの熱がダイレクトに伝わってくる。 「んちゅ、ん、ん、んん……ん」 俺はだんだん夢中になってきて、きららの熱い舌を追いかけて、強引に俺の舌にからませる。 凄い。まるで体の中を直接舌でさぐってるみたいに、熱くてどきどきしてやわらかい。 「ん……ちゅれ……れる、ちゅれる……。 ぴちゅ、ぴれるらる……ちゅれる」 きららの舌が俺の舌に恐る恐る絡んでくる。そのおずおずとした感触がまた好ましくて、俺は益々味わいたくなってしまう。 もっと密着したくて、熱いほほを右手で撫でながら、引き寄せるようにして口の奥まで吸う。 「ん、ちゅ、ちゅれる、ちゅ、 ちゅれる、ん、ちゅうる、れるれる」 ぴちゃりぴちゃりと、水を帯びた音が頭の中へ直接響く。いやらしい、いやらしすぎる。 だんだん、きららの舌の絡み方が、情熱的になってくる。俺の舌が吸い込まれとろける。 頭がぼおっとしてくる。もっとしていたいけど、無粋な息苦しさがそれを阻む。 俺達は名残惜しげにくちびるとくちびるを離す。 「ふわぁ……」 くちびるとくちびるを、なまめいた光を放つ、唾液の糸がつなぎ。ぷちり、と切れる。 「はぁ……」 「すごい…… キスって……こんなに凄いんだ……」 「ああ……俺も思わず入れちゃったけど、 あんなに凄いとは知らなかった……」 本とかビデオとかマンガとか話とかで聞いてはいたけど、そんなものはふっとんでいた。 きららが俺をじっと見た。 「知ってたら……。 ちょっといやかも……」 「大丈夫。 俺はトナカイ一筋だから、 きららとするのが全部初めて」 「も、もう……。 嬉しい……」 真っ赤になったきららに、俺はふたたび覆いかぶさるとキスをする。 「ん、んちゅ……ちゅ、ちゅぷ、 ちゅぷり、んちゅ、ちゅぴちゅぴ」 やわらかいくちびるをふれあい、甘くかみあい、しゃぶりあい、なめあい、こすりつけあう。 「れる、ぴちゅ、れちゅる、ぴちゅる、 ぴちゅ、れる、ちゅれる、ぴちゅ、 れるじゅ、ちゅる、じゅちゅる」 ぬめっとした熱い舌と舌をからませて、くっついて離れる水気の多い音を立てて、お互いの唾液までなめあう。 こんなこと他の人とは出来ない。 シャワーで濡れた髪や汗ばんでいる肌から、えもいわぬにおいがたちのぼり、俺の脳髄を熱く焦がしていく。 きららの濡れ濡れとした瞳が、行動をさらに煽り立てている。 「んじゅ、ちゅる、じゅちゅる、 ん、れじゅちゅる、んじゅじゅじゅ れぴちゅ、ぴじゅ、じゅじゅじゅじゅ」 キスしながら、唾液をすすりあいながら、俺は右手できららの胸に触れた。タオル越しの感触はマシュマロみたいだ。 衝動のままやわらかい塊を指がめりこむほどに、ぐっと掴む。 「ん!? ん、んんん、んーん」 いやいやのような身じろぎに、俺は我に返った。 「……やりすぎたか?」 「そ、そんなことない……。 私で興奮してくれてうれしい……」 「じゃあゆっくり、じっくりする」 「う、うん……。 でも、そういうこと口に出されると、 恥ずかしいよぉ」 ちょっとだけ調子に乗ってみた。 「姫様、 胸を触らせていただきます」 「も、もう……」 この恥らう様子が、たまらない! 今度は慎重にそっと触れる。 「やわらかい…… だけど、くずれなくてぷりぷりしてて…… あったかい……いいなぁ」 俺の手の中に今、至福が。 「い、いじわる……。 そんな解説しなくても……」 「きららの体がどんなにスゴ素晴らしいか、 言いたくなっちゃってたまらないんだ。 ほんといい……」 「あ……あん……」 「もしかして……感じた?」 「え……ち、違うの……」 俺はもう一度、胸のふもとから一番高まったあたりへともみあげるように手のひらを動かしてみる。 「ぁ……ぁふぅ……」 俺は、きららのかすかな震えをとらえる。 「姫様はやはり かわいらしい声で鳴くのですね」 「だ、だって…… と、トーマの手なんだもの……」 「う……」 今のは心臓を打ち抜いた。 「トーマ……?」 「きらら……。 今の台詞……俺の魂のツボを、 がつんと直撃した」 「え、そ、そうなの……? で、でも本当にトーマの手だから……。 きっと、その、やさしいから……」 「俺の手でよければいくらでも」 両手で両方の胸を同時に責める。胸の先にわずかにひっかかりがある。これがきららの乳首なのか。 「あ、同時なんて、あっ、あふぅ……。 だ、だめ、あ、ふぅん……」 ぴくり、ぴくり、ときららの震える首筋が、紅葉の朱に染まっていく。 「かわいい……かわいすぎる」 その様子が余りに色っぽくって、首筋に何度もキスを浴びせる。 「あ、そんなところ……あ、汗で汚いよぉ」 「きららの体に汚いところなんてあるものか」 「そんなぁ、あ、だめぇ……んふぅん。 あふぁ、耳たぶなめちゃだめぇ」 俺の体の下できららの体がもだえる。反射的に胸を隠してしまう仕草すらいとおしい。 「きららの全部知りたい……今すぐに」 きららに覆いかぶさって、体全身でむしゃぶりつく。くちびるを思いっきりむさぼる。 「ん、んんちゅ、ふわぁ……。 ん、んちゅちゅ、れるぴちゅ、じゅちゅ ん、むちゅ、ちゅぴ、ちゃぴ、ちゅる」 裸のふとももどうしがこすれあい、肌と肌の触れ合ったところから、今まで感じたことのない快感がわきあがる。 脚を脚の間に押し込んでもっと密着する。もっと知りたい、見たい、感じたい! きららの喉が、ごくり、と唾を飲む感触が伝わってきた。 「あ、あのねトーマ……。 ば、バスタオルを……その……」 「お、おう!」 俺はきららの魅惑的な乳房を覆うバスタオルの胸元に手をかけて、ふと、我に返る。 「……電気、消すよ」 明かりの下でじっくり見たい。だが、しかし、お互い初めてだし、きらら凄く恥ずかしいだろうし。 「あ、あの、 消さないで……」 「い、いいのか……?」 小さなうなずきが返ってくる。 「は、恥ずかしいけど、 あのね、トーマに……その見て欲しいし……」 「……」 「それに、あの…… 私、あの、エッチなのかもしれないけど、 その、トーマも……見たい……から」 「は、初めて……だから全部……」 俺はひどくやさしい気持ちになって、きららにそっとキスする。 顔を近づけると、石けんの香りとあたたかい肌のにおいがした。 「ん……」 「実は、俺も全部見たかった」 「でも……多分、 えっちな雑誌にのってる女の子みたいに、 きれいじゃないよ」 「そんなことない」 俺はきららの目を見て、きっぱり断言した。 「だって、ああいう雑誌の子に、 こういうことしたいとか 全然思わないから」 またキスする。 「ん……ん……。 ちゅ、ちゅ、ぴちゅ、ちゅぴ」 「ん……ふぅあ……。 それ、ほんとう……?」 もう一度キスした。 「ん、ん……ぴちゅ、ぴちゃ、 ぴちゅ、れる、ぴりゃり、れるれる…… ん、ん、じゅる、ちゅじゅ、んじゅ」 キスしてるうちに、夢中になってきて、きららの方からも積極的に舌をからませてくる。 「ん……ふぅあ……」 「な?」 「うん……。 でもね、トーマだって、 かっこいいよ」 「そ、そうかな? そりゃトナカイの中のトナカイだが」 「地上にいる時も、 かっこいいよ」 なんでだろう。こんな単純な台詞でドキドキが速くなる。 「あ……う、そうか」 「トーマ、恥ずかしがってる。 もしかして打たれ弱い?」 「俺は単純だから、 簡単な台詞に弱いんだよ……多分」 きららは、俺を凄くいとしげにみてくれる。こそばゆくてたまらない。 「それにトーマ、 ここだけの話だけど、 とってもかわいい」 「え、いや、そんなことないぞ。 きっとそれは目の錯覚だ」 「いいの錯覚でも、 トーマって凶悪にかわいい時があるの」 頬が熱くなった。かわいいとか言われてるのに。確かに、単純でしかも打たれ弱いっぽい。 「ええと……。 た、タオル……取っていいか?」 「え、ちょ、ちょっと待って……」 「そんな……」 いかんです。今の俺の声。結構、情けないっぽかった。 「だ、駄目じゃないけど、 その……今更だけど、 あのね、心の準備が……」 「じゃあ、こうしよう。 そっちが自分で脱ぐというのは」 「そ、そんなのもっと恥ずかしい!」 「ふっ……我侭な姫様だな」 「お、女の子はみんな姫様で我侭なの……」 「奥が深い……姫様じゃしょうがないな」 「ぷ……。 トーマってやっぱりいいな」 今の会話のどこに、俺の良さが滲んでいたのだろうか? 「いいよ」 「何が?」 「トーマになら、 全部見せても平気……。 というか見て欲しい……」 きららの体から、緊張のこわばりがほどけていた。 「お、おう」 俺は、ごくり、と唾を飲み込むと、そろそろとタオルを取った。 「おおっ!」 まぶしかった。俺の心臓がばくばくと打ち鳴らされる。 「っ」 きららは恥ずかしさの余りか、ぴく、と全身をふるわせた。 「うわ……うわ……うわ」 余りに素敵なんで、言葉が出ないです。実は、女の子の裸を生で見るのは初めてだったりする。 「そ、そうなんだ……」 なんて、なんて、なんて女の子の裸な裸なんだ。どこもかしこも女の子だ! 「そうじゃなかったら……困るよ」 やわらかそうで、いいにおいがして、なんといってもきららの裸!他の誰にも見せたくない。 「見せないよ……絶対」 それはうれしい!彼女が俺の彼女なんだと思うと、もう、それだけで勃然たるパトスが! 「言葉が壊れるくらい感動してもらえると、 その、うれしいけど……。 もうちょっと落ち着いて……恥ずかしいよ」 「わ、判った…… だが待てよきらら。 さっきからどうして俺の心に突っ込みを?」 「それは、その……全部ダダ漏れだから」 「まさか」 「なんて、なんて、なんて 女の子の裸な裸なんだ……とか」 「!」 なんてことだ。恐ろしく恥ずかしい。 「く、こうなったら。 きららの方をもっと恥ずかしくする!」 「う、うん……覚悟してる」 俺はきららの体をさらによく見るべく、ぐぐっと迫る。 「これがきららの胸……」 「あ……あんまり大きくないから」 「いや。充分。 充分すぎます」 息がかかるくらい近くまで顔を近づける。 「と、トーマの息が……熱い」 張りのある肌はわずかに汗ばみ、うっすらと底光りしている。 「きれいだ」 「そ、そんな……うれしいけど……」 俺の視線がやわらかなふくらみの頂点に到達。 「そしてこれが……きららの乳首か」 「い、いちいち声に出さないで……」 「どんどん恥ずかしくするって言っただろ?」 俺は薄い色素のとがりを鼻先でこするような距離で見る。鼻先が他の場所より僅かに硬さを帯びたそこに触れる。 「ん、んふぅ」 もっといろいろしたい。 俺は大胆に舌をつきだして、色づく尖りをぺろり、と舐めた。 「ひんっ。んふぁっ」 「さっきより、 硬くとがってきたみたいだ」 「だ、だって、そんなことされたら、 あ、ぁふぅん」 俺は更にきららを味わうべく、濡れた乳首に顔を近づけると、そのまま唇でくわえた。 「な、なにを、ん、ひゃぁん! なめられてる……。 トーマになめられちゃってるぅ」 くちびるに挟んで、ぺろぺろと嘗め回すと硬さと熱が増していく。 「ひゃぁん! あん……。 ぁ……そんな音たてて吸われたら は、恥ずかしすぎる」 俺は空いた手でもう一方の乳房ももみしだく。 「ん、ふぅあ……んっ……」 お餅をこねるようにいじる。ぷりぷりとした弾力がたまらなく素敵だ。その間にも乳首を吸うのはやめない。 「ぁ……トーマぁ……。 ぁ、んふぅん……くぅん」 鼻にかかったあえぎが俺の脳天を直撃する。腰のあたりがカッと熱くなる。それに炙られてもっとしたくなる。 「ぁん」 グミのような乳首から口を離すと、すっかり勃起したそこは濡れて赤らみとってもいやらしく見えた。 「きらら、きらら」 きららの体にのしかかり、肌と肌を密着させる。太ももと太ももをからませる。 肌がこすれるだけで気持ちいい。さっきからすっかり膨れ上がったペニスが、バスタオル越しにやわらかい肌に当たる。 きららの熱が好きな女の子の熱が、においが感触が息の甘さが俺をどんどんと燃やしていく。 「と、トーマ……お腹に何か当たってる…… もしかしてこれ……」 「ごめん。もう我慢できなくなりそうだ」 目の前でひくひくする首筋に、俺は舌を這わせる。 「あ、ああんっ。首筋まで」 細い首筋が俺の唾液で濡れて、海の生き物のようになまめかしくひかる。 「きららを全部食べちゃいたい」 両手でやわらかい乳房を根元からさきっぽまで、寄せながらしぼりあげる。 「ああん! はぁはぁ、んふぁぁ」 きららがたまらずに半開きにした口から、僅かに唾液がこぼれくちびるを妖しく濡らす。 「きらら、感じてるんだ」 「だ、だって……。 ひ、ひとりでしてる時と くらべものにならないんだもん」 恥ずかしくも嬉しい告白。俺はなおも手をゆるめない。 「きららもそんなコトしてるんだ」 みみたぶを甘く噛みながらささやく。 「す、するよぉ。でも、こんなには、 あっあん、そんなとこ噛んじゃぁ。 と、トーマ……えっちすぎだよぉ」 俺は断言した。 「男なら誰でも、好きな相手を 舐めたり吸ったりするはず」 きららはもう真っ赤になって、 「わ、判ってるし、 そうだろうと思うし、 そうされてうれしいけど……でも」 「ほんとうにされると…… は、恥ずかしすぎるの……」 かわいい。全身を朱にそめて汗まみれになって、剥き卵みたいに光ったきららは。 俺はつばを飲み込んだ。 「そんなかわいいこと言うから もっと恥ずかしいことをするぞ」 俺は顔をぐっと下げると、きららの脚の付け根に視線をそそぐ。 やわらかそうに盛り上がったヴィーナスの丘。それをおおうあわあわのヘア。そして……。 「こ、ここが……きららの」 ぎゅっ、ときららが身を固くする。 さんざんもんだり触ったりなめたりして、体を熱くしておいたせいか、合わせ目はわずかに開きかかっていた。 そこからミルクと似たにおいがした。初めて嗅ぐにおいだ。下半身にずずん、と来る不思議な……。 「これはもしかして 女の子の恥ずかしい愛液のにおいか」 「だ、だってトーマが色々するから、 私だって……さっきからその…… こ、こんなこと言わせないでよ……」 俺はもっと見た。 さんざん熱くさせたせいで、くちびるにそっくりな器官は熱く充血し赤らみ、クリトリスが皮を押し上げて勃起していた。 「そ、そんなに……見ないで……。 でも、トーマなら……恥ずかしいけど……。 でも……やっぱり、でも……」 「ああ……すごい……」 僅かに開いた合わせ目の間から、恥ずかしい愛液がこぼれてあふれて、太ももの内側を濡らしている。 いやらしい光景がいやらしいにおいが頭をくらくらにする。 腰に力が凶暴ささえ秘めた力がむくむくと迫り上がってくる。 「さ、触って……いいか?」 鼻の頭から汗まで垂らして呟くと、きららは何も言えず、頬を真っ赤にしたまま小さく頷いてくれる。 「で、でも……。 トーマも……その……」 「な、なにか」 「私だけが……裸じゃいやだ……」 「……おう」 俺も裸になるのだと思うといきなり恥ずかしくなる。 「電気消しても……いいか」 別にさらしても恥ずかしい体じゃないが、でも、全てをさらすというのは、なかなかに困難なもの。 「ひ、人のはさんざんみておいて それはちょっと」 「わ、判ってるさ。 男らしく全てを見せる!」 覚悟を決めた。そうだ。相手がきららなら、全てを見せられる。 バスタオルを思い切りよく脱ぐ。 「うわ……」 「うわ、とは……? そんな面白いものは 俺の体にないと思う……のだけど」 「す、すごい…… そんなに大きいの……?」 視線をたどれば、俺の股間。 きららのいやらしくもうつくしい体をさんざんいじってるうちに俺の方もたまらない状態だ。 「あ、ああ……まぁ……。 抜きんでて巨大ではないが……。 多分、ちいさくはない」 「そ、そんなに私と…… エッチしたいの?」 「あ、あたりまえだ! だって、きららが相手なんだから! 他の子だったらこんなにならない!」 「私だって、相手がトーマだから……。 こんなにエッチな気持ちになったの、 はじめてなんだもん」 「じゃ、じゃあ、エッチになるぞ。 その、だから……触るからな」 俺はきららの股間に指先を這わせる。 「あ……ん、ふぅ……あん……」 「ここってやわらかい」 僅かに開いたそこを、上から下へとなぞりあげる。 「!」 ぴゅ、と合わせ目から僅かな愛液がこぼれた。 「すごい……」 合わせ目はさらにほころび、薄い花びらのような襞の重なりの奥にピンクの粘膜が覗いた。 「いま……ぴくっと来ちゃった……。 私……すごくエッチになってる」 襞を集めたすぼまった入り口はぴくぴくとひくついて、俺のことを誘惑しているようだった。 「……」 「トーマ……?」 胸が苦しい、今にもいろいろなものがあふれてしまいそうだ。もう矢も盾もたまらない。 「きらら……いいか?」 「え……」 きららが俺を見た。その瞳にうつった男の顔は、妙に切迫してひきつっていてカッコ悪い。 「いいのか……?」 「あ……うん…… トーマならいい…… トーマじゃなくちゃいやだ……」 「俺だって、 きららとしかしたくない」 「……トーマってちょっと心配だよ」 「何が? 俺はどんな挑戦でも受けるぞ」 「妙にいいタイミングで、 胸をきゅんとさせること言うから」 「そうか?」 自分では全然判らないのだけど。 「自分では判らない?」 「ああ……。 なんか今はきららの方が、 落ち着いてるのな」 俺は震えていた。これからきららといよいよだと思うと。 「だって、トーマとだもの、 怖くなんかないよ」 「そ、そうか……。 じゃあ……」 俺は息苦しいほどにみなぎったペニスを、きららの脚のつけねに押し付けた。 「う」 肌のあたたかさに触れただけで暴発してしまいそうだ。 「トーマの……熱い。 びくびくしてる」 俺は緊張して緊張して答えることもできない。 ここ……か? 「あん……」 俺の先走りで濡れたペニスは、割れ目に入らず滑ってしまった。 やりなおしだ。俺は先端を慎重に濡れた割れ目に押し付ける。思いのほか亀頭は鈍感でよくわからない。 「……っ」 きららが身を固くするのが判る。ここか! 俺は一気に腰を押し付けた。 肌をこするいやらしい水音とともに、俺の狙いはまたも外れてしまう。 「もしかして……うまくいかないの?」 きららは目を潤ませてそんなことを訊いてくる。早く早くしなくちゃいけない。 「あ、ああ。 初めてなんで、どうも……」 言ってから恥ずかしくなる。こういう時なのに、俺の方がよっぽどうろたえている。 「………」 「トーマ……あ、あのね、 ちょっと待って」 「え……? いや、もうちょっとだから、 ちゃんとやるから」 うろたえ騒ぐ俺の下で、きららが身じろぎした。 「!」 俺は頭の中まで血で一杯になったみたいに熱くなる。 「これなら……判るでしょう?」 きららの全てがあからさまにこんな事があっていいのかいやいいのだというくらい見えた。 「……な、なんと大胆な!」 濃い愛液が花びらの間で幾重にも糸をひき、てらてらと光っている。 「え、だ、だって、 入らないって言うから……」 きららの膣口は俺を求めてひくひくしながら濡れている。 「き、きらら……」 ああ。俺、凄くかっこ悪すぎ。 「もしかして……そ、その、 これでも駄目? じゃ、じゃあ……」 「……」 たまらなかった。こめかみが血で脈打ってズキズキした。全身が沸騰していた。 「そ、そんなに見ないで……」 「……」 ごくり、と唾を飲み込んだ。もう、たまらない。何か言うべきこともない。 俺は、まだどこかに残っていたためらいを脱ぎ捨てた。 「きららっ」 一気にのしかかると、割れ目を広げている指の間に亀頭をおしつけ、そのまま一気に腰を進めた。 「んっ、ああっ」 びくり、と濡れた体が震える。 「あ、熱い……ア、あ…… トーマの入ってくる……」 今までの苦労が嘘だったように狭い入り口をこじあけ押し広げ、俺の欲望の形が押し入っていく。 「ん、あ、ひぅっ……、 と、トーマぁ、あ、っあ、ああっ」 襞がみっしりと俺のペニスにからみついてくる。熱いどくんどくんとした鼓動が繋がった場所から響く。 「きらら、入ってるぞ、 どんどん入ってる」 「ん、判る、判る、 トーマのかたちが入ってくるのが ひぅ、くぅ、うぁ」 ぐ、と亀頭に抵抗がかかってくる。俺の欲望の鋭角は、一気にそれを破った。 「ひんぐ……ぐっ……アアっ」 繋がった部分から、赤いものがこぼれだす。俺はこめかみをハンマーで殴られたように動揺した。 「だ、大丈夫か? 痛くないのか? やめたほうが」 「平気、ぜんぜん、ん、平気……。 だってトーマとだもの……」 僅かに涙ぐんだ目をして苦しそうに息をあえがせながらそんなことを言われたら俺は。 「きららっ」 思わずぎゅっと抱きしめてしまった。どこか甘くミルクっぽいかおりが、俺の鼻をいっぱいに満たす。 「うん……離さないで、絶対に離さないで」 熱いものに包まれて、俺のペニスは今にも爆ぜてしまいそうな癖に、もっともっとと刺激を求めている。 「離さない、絶対に離さない」 体の下で荒い息を整えているのか、きららが深く息を吸って吐く気配がする。 「でも今は、 無理しなくてもいいんだ」 耳元でささやき返される。 「ううん。したい。とってもしたい。 最後まで……したいの、 最後まで……して……」 もう限界だった。俺の腰が意識の手綱をふりきって、無意識に動き出してしまう。 きららの中は、熱くてしめつけてきて、俺の欲望をじりじりと炙りたてて、もうたまらないんだ。 「だいじょうぶ……んく…… だいじょうぶだから、んくっ……んっ」 「痛く……ないか? 我慢できなくなってる俺が 聞くことじゃないかもだが……」 ぎゅっと押し込んでしまうと、きゅうっと絞り上げられる。その度に、脳天から熱い何かが溢れそうだ。 「本当に……だいじょうぶ……。 トーマをいっぱい感じてるとしあわせ……」 熱い息がからまりあう。 「俺も、 きららをいっぱい感じてる」 いとしい、いとしい。そんなこと言われたら、もっと歯止めがかからなくなる。 「それに、なんだか……。 私……熱くなってるの……。 腰と胸がふわふわして……」 感じてくれてるんだ。こんなぶきっちょにただ抜き差ししてるだけなのに。 「ああっ、トーマのが、 中でおっきくなってるぅ」 「だって、きららが、 俺の胸をきゅんとさせるから」 止まらない。俺の腰が止まらなくなる。 「きらら、きららっ」 きららの腰を指のあとがつくほどに、ぎゅっと掴んで引き寄せる。 「ああっ、トーマぁトーマぁ、 私の奥が熱い……熱くなってきちゃう」 ただもう俺の動きは荒削りで、全然必死でかっこよくなくてでも、きららは幸せそうな顔で。 激しく俺に揺らされて、目の前できららの汗まみれの乳房が、ぷるんぷるんと震えて汗のたまを飛ばす。 「きらら、きらら」 無我夢中できららの体に沈む。そうでないと今にも出してしまいそうだ。 腰を打ち付けるたびに、熱い中がきゅっと締まって、熱いものが全身をかけめぐる。 「トーマ、トーマぁ、 ああっ、あんっ、熱い熱いのぉ、 あ、あふぅ、くぅっ、ああん」 俺は歯をくいしばり、今にもあふれそうなものをこらえながら、ただただ腰をぶつける。 「あ、あふぅ、くぅん、 トーマぁ、もっとぎゅっとして ぎゅっとして」 俺は無言できららをもっと抱き寄せた。密着の度合いがあがり、俺の胸をきららの乳房がゆれるたびにこすりあげる。 「あふぅっ!」 突き上げにあわせてきららの腰が踊る。 「あ、さっきより奥まで、 奥まで入ってきちゃう、 トーマのが私のなかかきまわしてるぅ」 きゅうきゅうと熱い中が俺を締め上げる。繋がった場所から、泡だつ愛液が溢れて、からみあった二人の下の毛を濡らしていく。 熱くなった体温を感じる、汗のにおいを愛液のかおりを、きららの肌のにおいを髪のにおいを感じる。 目の前のくちびるにキスする。繋がったまま、じゅくじゅくとエッチな音立てながら、互いのくちびるをむさぼる。 「んむっ、んっ……くちゅ、むちゅう ちゅ、くぴちゅ、れるちゅる、ぴる」 互いの顔まで唾で濡らしながら、情熱的にキスをする。 ずっと腰を強く打ち込んだ衝撃で、 「ひぅん」 くちびるが離れる。 互いの汗まみれのとろけた顔を見ながら、ささやく。 「あっ、あふうん。トーマ、トーマ好きぃ トーマのことどんどん好きになっちゃう」 「俺もっ きららのこともっと知って、 どんどん好きになる」 俺はきららに包まれている。炙られて燃え上がる。 「きらら」 もう限界へ迫るあふれそうな感じに、俺は突き動かされ、腰をひたすら速く打ちつける。 「凄い、なんか頭の中まで熱いのぉ、 変になっちゃう、私変になっちゃう、 トーマにとかされちゃう」 ふたりの熱を帯びた視線が絡み合う。 「どろどろに溶けてるのは俺も、 コレ以上は、だから」 二人の神経を走る電気パルスが共鳴しているみたいだ。 「出して! トーマの全部私の中に、 お願いお願いだから出して、 ぜんぶ全部欲しいの」 俺の意思ときららの意思がひとつになったみたいだった。 「ああ、おう!」 奔馬の勢いで最後の突き上げをする、俺達は燃えながらふわふわになる。 「溶けちゃうぅ、溶けちゃうぅ」 俺の下半身ももうどろどろに溶けて、そのまま崩れて爆発した。 「く」 腰が踊る。踊る度にふくれきった先端から、熱い精が噴出してきららの奥を染めていく。 「トーマのトーマの熱いの、 私の中に出てる出てる、 もっともっと出してぇぇぇ!」 全てを吸い取ろうとするみたいに、熱い中の襞襞がうごめき、俺を奥へ奥へとひきずりこもうとする。 「これが……これがトーマの精子……。 熱くて……凄い……」 目の前の女の子がいとしくてたまらない。他の人とこんなことしたくない。 本当にそう思った。 「はぁはぁはぁ……」 ようやくつきる。俺は名残惜しく感じながらも、きららの中から俺を引き抜いた。 「……えっちしちゃったね」 「後悔なんてしてないぞ」 「もちろん私もよ」 「きらら……俺…… きららのこと大事にする! ずっとずっとずっと!」 「……あう」 きららは真っ赤になって口をぱくぱくさせて 「と、トーマってさ…… 凄いロマンチストだ」 ちょっと目をそらしてそんなコトを言う。 「なんだよ。 ホントのことなんだからな」 「嘘だなんて思ってないわ。 だって、トーマって、 そういうこと言う時いつも本気だもの」 「そういうところ大好き」 「う」 狙撃された。撃ち抜かれた。こうやって狙撃されるのは何発目だろう?きっと俺は攻められると弱い。 「俺の方が好きだ」 「同じくらいじゃ駄目なの?」 俺達は軽くキスした。くちびるとくちびるを合わせるだけのキス。 「ちゅ」 すぐ離れる。でも、また離れがたくなり。 「ちゅ」 キスしてしまう。 俺達はそんなうれしはずかしを、一緒の布団で眠るまで続けてしまった。 同じくらい好きらしかった。 「ハッピー・ホリデーズ」 「ハッピー・ホリデーズ!」 キングの通信が切れると同時に、俺達は所定の行動を開始。 「サンタさん。 訓練だからって気を抜くなよ」 「わたしはいつでも本気ですよ。 くりすます・訓練してれば・怖くない♪」 ゴーグルを下ろすと、冷え込んだ大気を刻んで伸びる、糸のように細い光の軌道が見える。 しろくま町上空で見られるルミナ分布のパターンの一つだ。 「カペラより、シリウス、ベテルギウス。 担当空域のルミナの状態はオールグリーン、 計画の変更の必要ナシ」 ルミナの分布は時々刻々変わり、完全に同じになることはない。 だが、特定の地域のルミナパターンは、一定の法則性をもっている。 「ベテルギウス了解した。 こちらの担当空域の状態もオールグリーン。 事前プラン変更の必要ナシ」 夜毎のフライトによって、俺達トナカイは法則を体に染み付かせている。 「シリウス了解したわ。 こっちもオールグリーン」 事前の準備は着々と進んでいる。唯一の気がかりは―― いや、今は考えても仕方が無い。 「これより当機は 事前の計画に従いパーティーを開始する。 ハッピー・ホリデーズ!」 「了解。 こちらも楽しいパーティーを始めるさ。 ハッピー・ホリデーズ!」 「了解。 パーティーなのにお酒がないのがさみしいわ。 ハッピー・ホリデーズ!」 「いくぜ、サンタさん」 「お任せあれ!」 「最後の10軒、 いっきますよー!!」 「バーム……」 「クーヘン!」 「シュニッテーン!」 ななみの掛け声は相変わらずだが、俺は何も言わない。 トナカイは自分の美学に反してもサンタがやりやすいようにサポートするものだ。 「オールクリアか?」 「もちろんです!」 通信を入れようとしたが、僅かに先を越された。 「ベテルギウスより、カペラ、シリウス、 こちらミッションコンプリート。 助けが必要な頃合じゃないか?」 「カペラより、 申し出はありがたいがノーサンキュー。 こちらもコンプリートした」 「シリウスより、 こちらもコンプリートしたわ。 これでお風呂に入れるわー」 「日付が変わるまで2時間。これなら余裕ね」 「ニュータウンさえなければ……ですが」 唯一の気がかり。それがニュータウンだった。 「硯ちゃん、だいじょうぶですよ。 イブ当日になれば、 ルミナの力が増しますから」 「飛ぶことさえ出来ればなんとかなるさ」 「でも、ここ一ヶ月 あの空域では訓練さえ出来ない状態です。 このままだとイブでも……」 イブが近づけば状況は改善するかと思われていたが、悪化するばかりだった。 「心配しすぎはお肌の敵よ。 もっと気楽に考えなさいな」 「飛ぶほうは俺達にまかせて、 サンタさん達はプレゼントを届ける事だけ、 考えてな」 「トナカイどもは気楽に言ってくれちゃって……。 まぁ、あんたらはいつもそうよね」 「先生は支部長から何か聞いてませんか?」 「状況が改善されなければ、 九頭竜川や屋久島に増援を要請して 人海戦術でなんとかする、って言ってたわ」 「それは助かりますねー」 「そんなのスーパー駄目よ! 新設の支部でいきなり増援を頼む羽目になるなんて、 屈辱以外の何者でもないわ!」 「かりかりするなよお姫様。 増援に来た奴らはご苦労さんな事になるさ。 なんせ俺達が全部配った後だろうからな」 「2時間もあれば、 ぶっつけ本番でもなんとかするさ」 「はぁ……全く、あんた達はお気楽ね。 特に国産はきら姉とうまくいってるもんだから、 頭の中はお花畑なんじゃない?」 「とーまくん。 明日はデートじゃないですか。 しあわせひとりじめですね」 「明日はデート。 へー。なるほど。ふふぅん」 「トナカイが気楽なのはいつもの事さ」 「トーマ!」 「おう!」 「待たせちゃってごめん」 「いや、今、来たところだから」 さわやかにしかもごくごく自然に決まった! じーん。 「しあわせだ……」 確かに俺の頭は、1ヘクタールばかりお花畑かもしれない。 お米の国の農家の平均作付面積にくらべれば、大したことないさ。 「そんなに憧れてたの? 今のやりとりに」 「そうさ! 男なら誰でもあこがれるさ」 「相手の女の子は誰でもいいのかな?」 「現実になった今では、 きらら以外に考えられない」 「ならよろしい」 「!」 「どうかした?」 「もっと幸せになる方法を思いついた」 「なになに?」 「きらら」 俺はきららをじっと見た。 「う、腕を組んで歩いてみてはどうか?」 「……」 「素敵なアイデアだわ」 「で、では」 俺は脇を締め、腰に左手を当て、ぐっと肘をつきだした。 「さぁさぁ!」 「う、うん」 きららは、緊張気味にうなずくと、手をのばしてきた。 肘と肘がからみあう。 「……」 「恋人度がアップした気がする」 きららは顔を真っ赤にした。 「あ、改めて言われると、 照れるね。でも、うれしい」 「おう」 俺達はシンプルにしあわせ。 デート日和としかいいようのない晴れ。世界が俺達を祝福しているみたいだ。 町もなんだか華やいでいる。俺達のデートに合わせてこんな雰囲気になるとは、やっぱり祝福されてる? 「もうすぐクリスマスだね」 「ああ、なるほど」 「なにが?」 「町が華やいでいるから、 俺達をお祝いしてくれてるのかな、 なんて思ってた。そうかクリスマスか」 「な、なに言ってるかなもう。 そんなわけないじゃん」 きららが体を寄せてくる。あったかいなぁ。 しあわせだ。 「そう言えばトーマは、 クリスマスにプレゼント もらったことってあるの?」 「もちろんさ」 「サンタさんに?」 「それもあるけど、 両親にもらったこともね」 「どんなの?」 「一番嬉しかったのは、 おやじにもらった ジェット戦闘機のプラモデルかな」 結局、組み立てないうちに、おやじがああいうことになって……。あれが親父からの最後のプレゼントになった。 「……」 「ジェット戦闘機かぁ。男の子だね」 俺の親父が事故で亡くなったことを、まだきららは知らない。 「でも……プラモデルってわけにもね……」 「きららは?」 クリスマスには、中井冬馬個人として、きららの恋人として、何か贈りたい。 「え? わたし? 私は……うーん……」 「お祖母ちゃんからもらった 夕食の献立を一人で作らせてもらう権利、かな」 「なんだそりゃ?」 「私さ。お祖母ちゃんと二人暮らしを始めた頃は、 ぜんぜん料理とか出来なくて、 お祖母ちゃんに仕込まれたんだよね。みっちり」 大家さんと二人暮しを始めた?ってことは、それまでは二人暮しでなかったわけか。 「最初はお手伝いだけで、 そのうち幾つか作らせてもらえるようになって、 でも、献立は任せてもらえなくて」 きららが俺のことをまだ色々知らないように、俺もきららに関して知らないことばかりなんだ。 「小学5年の時だったかな? クリスマスイブに、 いきなり祖母ちゃんが言ったの」 「今日はくたびれて献立考えるのも億劫だ。 きらら。お前が全部考えなって」 「……それがプレゼント?」 「うん。 一人前に認められた感じがして とーっても嬉しかった」 それって単に自分の家事の負担を軽減するためだったんじゃ?それになによりイブじゃなくてもいいじゃん。 だが言わないのがたしなみ。 「今、何か欲しいものってあるか?」 「学力!」 「……」 「べ、別に高望みはしてないよ? 試験に受かる分だけでいいの!」 「目標低っ」 「だって、 必要以上にあってもしょうがないから。 そういうトーマはどうなのよ?」 「……」 「何かあるでしょう何か」 「ええと……操縦テク?」 「あのメカの?」 「俺、トナカイとしてはまだまだだからな」 「ごめん。 それは私ではどうにもこうにも」 同じような事を考えていたらしい。 「お互い欲がないな」 「お姉ちゃんだったら、 私が欲深だって言うと思う……」 「もしかして…… そんなに下がってたのか?」 「これだけ跡形もなく忘れる生徒は 他にいないねぇ。って言われた」 「あー……が、がんばれ」 「この塔を改修して、 人車を置くって話が駄目になるとしたら。 人車はどうなるんだろう?」 「当分、進さんの所に 置かれることになるらしいよ」 「進さんはそれを?」 「伝えたよ。そうしたら」 「嘆かわしい! この貴重な人車を展示する場所すら この町にはないなんて! 歴史を大切にしない町に 明るい未来はない! ああ、この町は滅びるよ!」 「郷土を愛し鉄道を愛する者の使命として、 彼女をボクのところに保護しておくしか ないようだね! って」 「嬉しそうに?」 「うん。嬉しそうにわめいてた」 俺はあらためて塔を見上げた。 カリヨン塔。鳴らないカリヨン塔。幽霊塔。秘密基地。梁山泊。シャーウッド。 大家さんたちの思い出を見守ってきた塔は、今、俺ときららがこうしている事も見守っていてくれるのだろうか? 「ね、トーマ」 「なに?」 「ネコに会いにいこ」 「ねーこ。ねこねこ。 にゃーにゃー。ばいばーい」 「はっはっはっは。 かわいいやつらめ」 俺は全身についた猫の毛を払いながら立ち上がった。 「相変わらずトーマは ネコ達にもてもてだね」 「殺到されて 押し倒されるくらい愛されるなら本望」 きっとおばはん達に殺到される韓流スターもこんな感じなんだろうな。 「私もトーマを 押し倒さなくちゃだめ?」 「……」 「……どっちかと言うと、 押し倒したいかも」 「ま、真昼間から なにを言ってるかな、もう」 ひっそりと開いた細い脇道を1メートルくらい入ると、そこにも小さな店がある。 「こんにちわ」 漬物屋『らっきょう』だ。 「おや、あんたまた来たのかい」 酒粕から作った甘酒がサンタ達に大好評で、来るのは3回目だったりする。 「お客さん相手に それはないと思うよ」 「きららちゃん。あたしの忠告を聞かずに、 この男に食べられたんだって? 注入された甘酒は濃かったかい?」 「……」 「な、なんのことやら」 おばはんは、糸がひきそうな、にぃやりとした笑いを浮かべた。 「も、もう。靖子さんは 誰でもセクハラなんだから」 「誰にも言わない代わりに、 今日も買っていってくれよ」 「べ、別に言わない代わりとかじゃなくて、 今日は買うつもりで来たんだからな! 『猫だまし』の酒粕を4袋ください」 「ふふん。 あんたツンデレかい」 「つんでれ?」 何かの隠語かな? 「毎度あり。 今夜もこいつをデザートに、 せいぜい楽しんでくださいね」 「デザートに……するの?」 「べ、別にそんな事を、 こんな明るい時間から考えてないぞ! ないんだからな!」 「ようお二人さん。 今日も熱いね。雪が溶けちまいそうだ」 「も、もう……なんでみんなこうかな」 「熱くて悪いですか」 「若店長開き直ったな。 いいなぁ。若いなぁ。はっはっは」 「またお店抜け出して、 パチンコ行ったんでしょ」 「紳士の社交場と呼んでくれ。 しかも今日は金を引き出しに行ったんだ。 預けるだけじゃつまらんからな」 「引き出せたんですか?」 「老後を考えて今日も預けて来た。 引き出すのはいつでも出来るからな」 「その言い訳 奥さんにも通じるといいわね」 「おー、こわこわ。 じゃ、後は若い二人にまかせて 無粋なオヤジは退散するさ」 立ち去る角田さんの背中を見ながら、きららが言った。 「トーマもすっかり、 町になじんだね」 「そうかな? 最初からあんな感じだったけど」 「そう言えばそうだね。 この町とトーマって波長があってたのかも」 確かにこの町は居心地がいい。大した苦労もなく、俺達は迎え入れられた気がする。 「この前、ななみが言ってた」 「俺達とっても幸せじゃないかって、 顔を思い浮かべたら、あんな奴らに配るものか! みたいなトコだったらかなしいからって」 「ななみちゃんらしいな」 「俺もさ、あんまりこの町の居心地がいいんで、 生まれた時からいるみたいな 気になって来たよ」 「そっかぁ。そういえばそうだったね」 「なにが?」 「トーマさ、 ずいぶんこの町に溶け込んじゃってるから 最近、私も忘れてたけど」 「エトランジェだったんだよね」 「しろくまっこへの道は遠いなぁ。 とりあえずどうすれば近づけるだろう?」 「……そっか……エトランジェなんだよね」 「きらら?」 「あ、ごめん。なに?」 「俺がしろくまっこになるには、 どうすればいいかってこと」 「うーん。そうね……。 『おかえりくまっく』の全台詞を暗記するとか?」 「してるのか?」 「私の記憶力に何か期待するだけ無駄よ。 じゃ、毎日くまっくの銅像を拝むとか? はんにゃはらぶらかたぶらあーめんほーれん」 「怪しい新興宗教みたいだな」 「トーマは注文が多いなぁ。 じゃ、くま電を愛してみるとか?」 経営状態が心配になるくらい、今日もがらがら。 「ここで初めてキスしたね」 思い出す。 あの時、からっぽの車内を満たしていた夕暮れを。あの時、きららの顔がひどくきれいに見えた事を。あの時の、きららの髪のにおいを、肌のにおいを。 「今もしたい」 「も、もう……」 「私もそんな気になって来ちゃったじゃない……」 俺達はキスをした。 「次はしろくま海岸。 しろくま海岸でございます」 12月も末の海岸は、ただ何もなく寒かった。 人車騒ぎで来ていた人達も騒ぎの中心だった壊れかけた倉庫を置き去りにして跡形もなく消えていた。 「すっかり寂しくなったな」 「こんな季節にここに来るのは、 物好きだけだよ」 「じゃあなんでここへ?」 どちらが言い出したわけでもなく、ふたりそろってなんとなくここへ足が向いた。 「覚えてる? 最初に二人だけでここへ来た時のこと」 「最初のデートだろ。 忘れるわけがない」 「……」 「あれはノーカン」 「そうだったな」 「もう……」 不意に気づく。 「俺はあの時から、 きららが好きだったんだと思う」 「そうじゃなかったら、 あんな恥ずかしいラブレターを 書かなかった」 きららは、ぷい、と顔をそむけ。 「どういう文面だったか 覚えてもいなかったクセに」 「面目ない」 「でも…… それは私も同じ……かも」 俺は衝撃の余り、雪がつもった砂浜に膝をついてしまった。 「そ、そんな……。 いくらデートじゃないといったって なにも…なにも覚えていないのかっ!?」 「い、いや。 いくら私の記憶力がミジンコでも、 そこまでひどくは」 「よかった」 俺は膝から砂と雪を払うと、何事もなかったように立ち上がる。 「私もあの時には トーマが気になり始めてたの」 「そうじゃなかったら、 どんなに面白い手紙受け取っても、 デートなんてしなかったよ」 「今、デートって言った」 「う」 「デートって言った!」 「も、もう、デートでいいよ。 不意打ちでかわいくなるんだから」 俺はきららを見た。 「……俺がここに来たのはさ。 多分。確かめたかったんだ」 「トーマも物好きだね。 12月の海岸の寒さを確かめたいなんて、 で、感想は?」 「寒い! いや、そうじゃなくて。 ええと……なんというか…… うまく言えない……ちょっと待ってくれ」 不意に、そして当然のようにきららは告げた。 「私は……中井冬馬が好き」 「え、あ、お、俺もきららのこと好きだ」 「一緒にいるとね楽しいし、 たまにとっても素敵だし」 「たまに!? たまになのか!? 俺はきららがいつも かわいくて素敵だと思ってるのに……」 「あ、ありがとう……」 不意にモヤモヤしていたものが言葉になった。 「そうだよ! 俺が確かめるって言ったのは、 ここで俺達は始まったってことだったんだ。 今はもう好きで好きでたまらないって事だ」 「そ、そうだけど……恥ずかしいなぁ。もう」 「だけど、なんだかドドドドドっと 進展しちゃった割りに、というか進展したからか、 お互いのことって案外知らないんだよな」 「トーマも……そう思う?」 「俺の両親のこととか知らないだろ?」 「そういうトーマだって、 私の両親のこと、全然知らないよね?」 「ああ。 プレゼントの話した時、気づいた」 「正直言うとね。 話す必要があるなんて考えてもいなかったの。 だって、知ってるだろうと思ってたから」 「え、そこまで買い被られると照れる。 だけど俺、ニュータイプでも エスパーでもないから。ただのトナカイだし」 「違う違う」 「私さ。ずっとここで生まれ育って、 友達も知り合いもみんなここの人で、 お互いのことは嫌でも耳に入ってくるんだよね」 「そりゃそうだ。御近所のことだものな」 「だからさ。お互いなんとなく 察してたり知ってたりすることが一杯あって、 話さなくて済むことが多いの」 「だから俺の親とかの事も」 「うん。だってそういうコトは知ってて当然。 知らなくてもどこかから自然に聞いちゃうもの。 でも、トーマの場合は違ったんだね」 「エスパーじゃないし まだしろくまっこには程遠いんで、 そういうの無理」 「だよね。 ようやく気づくなんて、 私、やっぱり馬鹿だなぁ」 「きららだけじゃないさ。 お互い口に出さなきゃ伝わらないこと いっぱいありそうだな」 「うん。だから。 ここなら誰にも聞かれないと 思って……でも」 誰もいないのにはわけがあった。 「さっきも言ったけど」 「同感。寒い」 「間違いなく 話が終わる前に凍死する」 「それも同感」 「じゃあ――」 「あれ?」 靴を見る限り、みんな出かけているようだった。 「どうしたの?」 「靴がない」 「……ふたりきり?」 その言葉を聞いた途端、いろいろいけない妄想が、血管を駆け巡る。 「ご、誤解しないで欲しい! この事態は俺の予想外だ」 「誤解してないよ」 「ほっ」 「話そうと言うのは口実で、 自分の部屋に連れ込んで、ぐへへ」 「でしょ?」 「誤解してるし!」 「ま。 トーマがそう考えてたとしても、 なんの問題もないしね」 「…」 それはつまり、そうなってもいいってコト。俺ときららがまた―― 「だ、誰もいないって事はないだろう」 誰もいませんでした。 「なに書いてあるの?」 無言で書置きを渡す。 「『とーまくんへ。明日は雨かもしれません。 せんせいがごちそうしてくださると言うので、 こんやはがいしょくしてきます』……」 もう一枚の書置きは丸めてポケットに隠した。 『きららちゃんをつれこむチャンスよ(はーと それともひとりさびしくカップラーメンかしら? うふふ』 「……」 何かたくらんでいた感じの『なるほど、ふぅん』は、こういうコトだったのか。 「ふたりきりなんだ……」 なんでも意味深に聞こえてしまう、俺の聴覚を許してください。 「へぇ…… これがトーマの部屋か……」 ふたりきりの狭い部屋。 「あ、ああ」 いかん、どんどん意識してしまう。 「……」 何か言わなくては。 「と、とりあえず掛けて」 「う、うん」 きららはベッドにぎこちなく腰掛けた。頭の方へ寄り気味に掛けているのは、俺の場所を空けてか。 こんな意識しまくった状態で、隣に腰掛けて話なんか出来るか?だけど、わざわざ離れて座るのも意識過剰な感じ。 「え、ええと俺も座っていいかな?」 「な、なにいってるかな トーマの部屋じゃない」 「ま、まぁな」 結局、隣に座ってしまう。微妙に触れるか触れないかの距離。 ベッドのたわみ。あたたかい気配。息遣い。全てがきららの存在を意識させる。 「……」 「なんか不思議な感じ」 「ふ、不思議って?」 「トーマが来る前は、 この部屋は単なる部屋で からっぽで、なんでもない部屋だったのに」 「今はトーマのにおいがする」 におい。妙に生々しい言葉。ドキリ。 「え、ええと……その」 まずい。まずいですよ。俺は結構まじめな話をするつもりで、きららを部屋に連れ込んだ―― もとい連れ込むじゃなくて、連れてきたのに、だろうが!無意識はすっかりそっち路線。 救いを求めるように部屋を見回せば、目に留まったのはプラモデルのジェット戦闘機。親父が最後にくれたF15。 そうだ。俺達は話をするためにここに来たんだ。 「さっき…… ジェット戦闘機のプラモデルを もらって嬉しかったって言ったろ」 親父。俺の親父。俺を空に導いた男。カッコよくて勇敢な最高のパイロット。まだ、いや一生追いつけないかもしれない男。 「え、あ、うん」 進路を見失ってフラフラフライトしてたら、最後まで進路を見失わなかった親父に笑われちまう。 「それが、あれ。 親父がくれた最後のクリスマスプレゼント」 「最後の……?」 きららは、息を呑み、え、という顔で俺を見る。 俺は話した。 親父が最高のパイロットだったこと。誰よりもうまく奢らずに空を駆けたこと。俺のあこがれだったこと。 最後の瞬間までするべきコトを見失わずに、最高のパイロットとして散っていったこと。 「……」 「もう10年以上…… 下手すると20年近く経つのに はっきりと覚えてる光景があるんだ」 「無数に散らばる星々の瞬きを 親父の肩の上から見ていたことを」 「満天の星に抱かれながら、 その光の果てに胸を躍らせ、 その光に手を届かせたいと思っていた」 「それが何百光年先の 虚空に浮かんだガスの塊だなんて、 あの頃の俺にはどうでもよかった」 「ちょうどペルセウス座流星群が 夜空を埋め尽くして流れる日だった。 俺は親父の肩の上で流れ星の数を数えていた」 「一心に流れ星を数える俺に、親父は言ったんだ。 すごく優しい目をして言ったんだ。 『お前の瞳には、見えない光が映っている』って」 「あの時は意味が判らなかったけど、今なら判る。 親父は俺の トナカイとしての才能を見抜いていたんだ」 「お父様は知っていたのかしら? トナカイやサンタのことを」 「判らない。でも、空には何か不思議があること、 科学では測りがたい何かがあることは 悟っていたんだと思う」 「親父はあんなに名パイロットだったのに、 空に対して、飛ぶことに対して、 いつも謙虚だったって仲間の人が言ってた」 「……凄いお父様だったのね」 「ああ、俺にとって永遠のヒーローさ。 俺は今でも親父の肩の上で、 星を見ていた日のままなのかもしれない」 「……」 「きららのご両親は?」 少し訊きにくかった。恐らく、不幸があったのだろう。そして一人残された孫を大家さんが……。 「なんか……トーマの話聞いた後だと、 平凡すぎて気がひけちゃう」 「え?」 なんか御生存っぽい? 「父さんはごく普通のサラリーマン。 東京に本社のある会社の 開発部門に勤めてるの」 そう言ってきららがあげた会社名は俺でも知っている有名メーカーだった。 「へぇ……凄いな。 あの会社の開発部門だなんて」 AMUSEMENTPARKは遊園地、The AMUSEMENTPARKといえば、その名も高い超巨大遊園地デウスガーデン。 その巨大アトラクションの制御システムを作っているとか聞いた事があるから、凄い技術力の会社なのだろう。 「今はアメリカのどこかにある研究所に居て あと4年だったか5年だったかの予定で、 なんかの開発をしてるらしい」 「なんかって?」 「さぁ? 何を開発してるのかは、 娘なのに、さっぱりなんだ」 「もしかして…… お母さんはお父さんに付いて?」 「うん。アメリカ。 弟も一緒」 「弟って…… きららに弟!?」 「うん。弟。 もう3年くらい会ってない。 大きくなっただろうなぁ」 「……ごめん。俺、てっきり、 きららの御両親はお亡くなりで、 一人っ子だったと思い込んでた」 「両親ともに健在です」 「なぜ、きららだけがこの町に?」 「……」 きららは言葉を捜すように黙り込んだ。俺は待った。 「二つの場所にはいられない、から」 少しうつむいたまま、きららはそう呟いた。 「誰でも選ばなくちゃいけないでしょ。 体は一つしかないのだもの」 「でも、どうして? 普通ならご両親に付いていくだろう?」 きららは顔を上げて、 「トーマが勘違いする前に言っておくね。 両親が私を捨てたとか、お祖母ちゃんが強引に、 とかじゃないんだ。私が私の意志で選んだの」 きっと、ご両親がアメリカに行く時に、付いていくか残るかを選んだって事なのだろう。 「じゃあご両親が渡米してから 大家さんと二人暮し?」 「お父さんが東京の本社に転勤してからだから、 ええと…ひぃふぅみぃ……もう12年になるかな」 「でも、選んだって言うのは、 その時じゃないだろ? その時は、何かご両親の都合で」 「その時と、3年前。 2回選んで2回ともここに残ったの」 「……」 「だって、 体が一つしかないってことは、 何歳になっても変わらないでしょう?」 「え、いや、ちょっと待った。 12年前って…… その時、きららは」 「選ぶことくらい出来たわ。 だって2択だもの。 ついていくか、ここに残るか」 確かに2択。シンプルだ。だけど普通はそんな歳の子に選ばせない。親が決めるものだ。 「……ご両親と仲が悪かった、 って事はないんだよな?」 「そうじゃないって。 確かに私はお祖母ちゃん子だったけど、 でも、ごく普通に可愛がってくれてたもの」 「ご両親は反対しなかったの?」 「したわ。一緒に来いって、来てくれって、 弟だってわんわん泣いたわ。 お祖母ちゃんだって味方してくれなかった」 「そもそも2択じゃなかったんだろ? ご両親も大家さんも、 きららは東京へ行くって決めてたんだろ?」 「でも、東京に行ったらここにはいられない、 お祖母ちゃんとも離れなくちゃいけない。 そんなのイヤだったの」 「よく残れたもんだ……ご両親は心配だろうし、 弟さんは姉さんと離れたくないだろうし、 大家さんだって孫を親と引き離したくないだろう」 「でもそれは、 私がついていく理由じゃないもの。 私には残る理由があったんだもの」 「東京にあこがれなんてなかったし、 クラスメートとも別れたくなかった」 「なによりも お祖母ちゃんとしろくま町から離れたくなかった」 「それは、きららから見れば、 そうなんだろうけど……。 ご両親はどう思ったろう」 「……哀しんでたよ。 私が両親に愛されてないと思い込んでるって、 そんなこと全然ないのに」 「これは2択なんだっていくら言っても 判ってもらえなかった」 「特にお父さんは、外から来た人だから、 私がこの町に居たがる理由が、 最後まで判らなかったみたい」 「それでも……残る事を選んだんだ」 「……だって二つともは選べないもの。 それにね、私、想像できなかったの」 「想像?」 「ここ以外の場所で暮らしてる自分を。 何も。何一つ」 「そりゃ行った事もない場所で暮らすなんて、 想像つかないだろ。当たり前だよ。 想像つかなくても、行けばなんとかなるもんだ」 「うーん。 そういうのじゃないんだ……。 なんというかな……」 「うまく言えないけど、私のいるべき場所は、 ここしかないというか……根っこがここに あるというか……うーん……」 「ここにしかいたくないんだ。 他の所にいる私は偽物みたいっていうか、 リアルな感じがしないんだ」 故郷を出てからトナカイ修行のために世界のあちこちを定めなく流れる俺とは、かけ離れた生き方だった。 「私があんまり強情なんで、 父さんと母さんはついに折れて、 私をここへ残すことにしたの」 「最初のうち、お祖母ちゃん冷たくてね。 勝手に残った馬鹿を世話するかよって」 「……冷たくすれば御両親の所へ 行きたがると思ったんじゃないか?」 「多分そうだと思う。 だけどね、全然辛くなかった。 町のみんなやクレイジーズの人達がいたから」 きららは懐かしいことを思い出す目をした。 「タイガーさんは、 きらぼうきらぼうって言ってかわいがってくれて、 俺の秘書! とか言って連れ回してくれたっけ」 「ネコさんは探偵小説の話をいつも聞かせてくれたし、 ジェーンさんはケーキとお小遣いくれて、 志奈子さんはトランプで遊んでくれて」 「丘さんはバイクに乗せてくれたなぁ。 なんか凄い改造バイクで砂浜走ったり、 国道を爆走したり」 「あの人が……」 想像がつかん。 「スマイルさんは、旅館のお手伝いすると、 アルバイト代くれて…… 従業員の人達もかわいがってくれて」 「オショウさんはお寺の掃除すれば 幾らでも泊めてくれた」 「それで大家さんは結局」 「半年くらい経ったら、 受け入れてくれるようになったの。 口に出しては何も言わなかったけどね」 孫かわいさもあっただろうけど。 「きららが選んだことだからな……。 考えてみれば俺だって、 母親のところをかなり若い頃出たな」 俺はサンタになるために外国へ行き、母親とは全然違う場所で生きている。それは俺が選択したことだ。 選択の結果は全然違うけど、選択したという事実は同じかもしれない。 「トナカイになるために?」 俺はうなずき。 「『頑固なお前が選んだ道だから、 最後まで飛びなさい』って おふくろは言ったっけ」 「私もお母さんに ちょっと似たこと言われたわ」 「いつ?」 「両親がアメリカに行くって時。 一緒に来ないかって言われて、 行けないって答えた」 「私の夢はここにあって、 それは アメリカでは叶わないものなんだって」 「お父さんは外から来た人だからさ、 若いんだからもっと視野を広げた方がいい、 人生を決めるには早過ぎる、とか色々言ったけど」 「最後にお母さんが言ったんだ」 「この子は、こうと決めたら、 テコでだって動かせませんよって。 だって、私の子供で母の孫なんですからって」 「そしてね。 『頑固なお前が選んだ道なんだから、  自分に正直に最後まで歩きなさい』って」 飛びなさい。歩きなさい。お互いの母親の選んだ動詞は天地に分かれてるけど、どこか俺達は似てもいた。 「……じゃあ、お互い。 最後まで行かないとな」 「トーマは少なくともトナカイにはなってるじゃん。 私はまだまだ……」 「勉強しなさい」 「判ってる。 ああ、でも、勉強って苦手、 考えるだけで気が重い……」 きららが頭を俺の肩に寄せてきた。心地よい重み。 「今年こそお姉ちゃんの言いつけ通り 勉強しなくちゃ……」 髪を撫でる。つやつやした感触が指に心地よい。 「神賀浦……いや、 お姉さんはいつ頃から、 きららの家庭教師に?」 「小学5年くらいからだよ……。 もし、お姉ちゃんが家庭教師じゃなかったら、 私、中高とも卒業出来なかったかも」 「そ、そんなに悪かったのか……」 「うん。 頭悪くてごめんなさい……」 「お姉さんの教え方も 下手なんじゃないか?」 慰めるつもりだったのだけど、きららは、キッと顔を上げて。 「絶対そんなことないもの!」 「わ、悪かった」 「お姉ちゃんに家庭教師してもらって、 トーダイとかキョーダイとかソーケーとか ゲーダイに行けた子が何人もいるんだから!」 「いくらなんでも美術は無理だろ」 「お姉ちゃん、 二科展に入賞したことあるんだよ」 芸能人が入選したとかで、たまにTVに出てくる賞か。TVに出てくるくらいだから凄いんだろう。 「へぇ」 「私以外の子はみんな、 志望先に合格させてるんだもの! お姉ちゃんは凄いんだから!」 「大手の予備校にものごっつい契約金で、 スカウトされた事だってあるの!」 そう言えば、ジェーンさんも孫を見て貰ってるって言ってたっけ。 「あ、ごめん……。 急にエキサイトしちゃって……あ」 俺はきららの髪を撫でた。 「きららは本当に、 大家さんとお姉さんが好きなんだな」 「うん……でも」 「でも?」 「たまにね……不安になるの。 どうしてお姉ちゃんは、 こんなにも私に良くしてくれるんだろうって」 「それは、 お姉ちゃんもきららを好きだからだろ。 なんといってもお姉ちゃんだし」 「そう……なんだろうね。 でもね……」 「……」 「お姉ちゃんってね。 昔しろくま町でも有名な神童だったんだよ」 「しんどうって……神様の童って書くあの?」 「そう、あの神童……。 TVとかに出たこともあるんだ」 「だけど、神童って言うのはさ。 十歳くらいになると元神童になるのが、 普通だろ?」 「お姉ちゃんは違うの。 ああ見えて体力と運動神経を使う事以外は 本当になんでも出来ちゃうの」 「進さんがお姉ちゃんを くま電の女神って呼んでたでしょ?」 「それは彼女が 始終くま電に乗ってるから?」 俺とななみが彼女と初めて会ったのも、くま電だったし。 「それもあるけど……。 進さんがお姉ちゃんを女神とまで呼ぶのは、 くま電の時刻表を全部暗記してるからなの」 「全部!?」 「うん。全部。 でも、そんなのは、 お姉ちゃんにとって一瞬で出来ちゃう事なの」 「凄い記憶力だな……」 「そんな人がどうして……って思うんだ」 「……」 「なぁ、きらら。 今、俺と一緒にいて不安か?」 「そんなことないよ。 とっても安心する…… 頭なでられるだけで気持ちいい……」 きららが俺に密着してくる。あたたかさが伝わってくる。きっと俺の熱もきららに伝わってる。 「でも、俺は外から来た男で、 しかもこうして話すまで、 家族の事すら碌に知らなかったんだぞ」 太ももと太ももがくっつく。ドキドキが高まってくる。 「そんなの関係ない。 好きになっちゃったんだもの」 俺ときららは見つめあい。どちらともなくキスした。 「うん……トーマ……。 う、うん、うちゅ、ちゅ、ちゅ……」 軽いキス。 「だから、多分、 そういうことなんだ」 「そういうこと?」 「頭が悪いからうまく言えないけど、 どうして、とか、なぜ、とか言う意味が なくなっちゃう関係ってあることくらい判る」 「……」 「俺がきららを好きな理由はいっぱいあるけど、 それをひとつひとつ細かくあげて全部足しても、 好きな気持ちは説明出来ない」 「そう……だね……。 私もトーマのこと好き……」 きゅっと抱きつかれる。やわらかい胸のふくらみが押し付けられて、俺はそれだけでしあわせなきもち。 「あ……そうか。そうだね……」 「不安になることなんてないんだ。 きっとお姉さんはきららを好きなだけなんだ。 大家さんがきららを好きなのと同じように」 そして俺がきららを好きで、きららが俺を好きなのと同じに。 「私も…… お姉ちゃんとお祖母ちゃんが好きだもの。 それでいいんだ……それだけでいいんだ」 「ああ、それだけだ……」 きららが顔をあげて俺を見ている。潤んだ瞳に俺が映っている。湖にさかさまに映った影のようだ。 俺は飛び込むようにキスをした。 「ん、んちゅ、くちゅ、んむちゅ、ちゅ」 舌を互いにからめて、互いの奥まで吸って舐めて、 ああ、この子を俺は好きなんだな、好きで好きでたまらないんだなって思いながら。 「ん、ちゅぷ、れるちゅる、ちゅりゅ、 んちゅる、んずちゅる、んちゅんちゅ」 俺達は徐々に夢中になって、互いの体まで絡み合わせて抱き合いながらキスを、キスを続ける。 「ちゅ、ちゅちゅ、じゅちゅる、ちゅ、んちゅ、 はふぅ、んちゅ、むちゅるぅ、とふまぁ、 んちゅ、じゅちゅ、んんんん」 互いに息が続かなくなってようやく名残惜しげにくちびるが離れる。離れたくびちるの間をつなぐ唾液がきらきらする。 「きらら…… 俺さっき好きなだけでいいなんて言ったけど、 どうもそれだけじゃ満足できないみたいだ」 息が荒くなってる。肌が熱くなる。心臓が加速して、欲望が加速して、ぞわぞわする、人体が電気を帯びる、きららがもっと欲しくなる。 「好きなだけじゃだめ?」 見上げて来るきららの瞳にも、熱がある。熱くなった肌の香りが俺の頭の芯まで満たす。下半身から欲望がぐぐっと突き上げて来る。 「ああ、駄目だ。全然。足りない。 もうきららが欲しくてたまらない」 ぐろぐろととぐろを巻いていた欲望が、鎌首をもたげる。熱が下半身で膨れ上がってくる。どくどくする。 「私も……ねぇ私エッチなのかな。 2度目なのに、トーマが欲しいの」 「俺だけにエッチなら全然オッケー。 だって、俺もきららが相手だと、 凄くエッチになってるから」 ズボンの中でペニスがはじけそうにぱんぱんに膨れ上がって、どくんどくんと息苦しく脈打つ。 きららのくちびるが近づいてくる。唾液できらきらして誘いをかける赤い花。 俺はむさぼる。 「ん、ん……んむちゅ、んちゅるじゅちゅ、 はぁ、んむふぁ、んちゅ、んんちゅむ、 んちゅ、ちゅ、ちゅる、じゅちゅる」 舌の濡れた粘膜がぴちゃりぴちゃりと音を立てる。ミルクを飲む犬のような音を立てる。お互いを舐めて絡めて熱くする。 「じゅちゅ、れるぴちゅる、んふぁ……。 んじゅちゅ、ちゅる、れる、むちゅる、 んちゅ、ちゅちゅ、んちゅじゅちゅ」 二つの汗にまみれた肉体の間で、お互いの服がよじれてこすれて、それだけで肌を神経を刺激する。 「ふはぁ……はぁ……はぁ……」 俺達は絡みついた糸を無理やりほどくように、離れたくないのに息苦しくて離れる。くちびるがものほしげにわなないている。 ああ、もっと近くに近くになりたい。密着して絡み合って、お互いの奥まで貪りたい。 「ねぇ、トーマ……」 「あの、俺も、 もうこれ以上、だから、 その、ああ、もうなんて言えば」 頭が回らない。きっとアレだ。血が別のところに回って貧血なんだ。体がかっかぽっぽして熱くなってる。 「……いいよ」 「いいのか? でも、いきなりだときららが 嫌じゃないか、俺はきららの嫌がることは嫌だ」 きららが俺を見た。黒い瞳は濡れ濡れとして、やさしく、そして妙に色めいていた。 「嫌じゃないわ。全然、全く、 だって……」 それは無意識の動作だったのか、きららが舌先で自分のくちびるを舐めたのは、なんだかぞくぞくする光景。 「トーマに負けないくらい私もエッチだもの……。 あのね……私の……アソコ熱いの……」 熱い香りの中に、ミルクに似た、でも下半身に来る生理的な香りが混じっている。人体電気がぴくりぴくりと腰を走る。 「そ、それで、その……。ええと……。 2回目なのに大胆かもだが…… その……う、後ろからしてみてもいいか?」 「トーマがしたいのなら……いいよ」 きららは妙に緩慢な、俺を焦らすみたいな動作で立ち上がると、ゆっくりとスカートを脱いだ。 ぱさ、と床に布地が落ちる音が、俺の耳に大きく響いた。ごくり、と唾を飲み込む。 「きららっ」 「きゃん」 俺は背後からきららに覆いかぶさる。 「ちょっと乱暴……」 「ごめん、 もう全然我慢できなくて」 おぼれる者が藁を掴むように、俺は無我夢中できららにむしゃぶりついた。 暖かい肌に絡み付いていた下着を震える手指ではずすと、形のいい乳房が、ぷるん、と出てくる。 俺は息をふいごみたいに荒くして、もう一方の手でパンツまで一気にずりおろす。 薄い布地の中にこもっていた熱くエッチな香りが、一気にあふれて俺をくらくらさせる。 「きららのおっぱい……。 あったかくて丸くって、 いつまでも触っていたい」 背中に腹をこすり付けるほどに密着して、俺はきららの乳房を手のひらで味わう。 「ああん、そんな激しく……。 あ、うふぅん、あ、ああっ」 もう一方の手は、いやらしい蜜を滲ませた場所を探る。 「きららのここ、凄く熱い。 熱い沼地みたいだ」 指先で探ると、ぬちゅにちゃエッチな音。やわらかく熱い粘膜が指に絡み付いてくる。 「あふぅっ。トーマの指が私のおっぱいいじってる。 エッチなところまで……感じちゃう」 「感じて、 俺を感じて」 俺はぐぐっとかがみこんで、耳元で囁きながら、上気した首筋をゆっくりと舐めた。 「くふぅん、ああ、首筋舐められてる」 「おいしいんだもの。 ここもかわいい」 汗にまみれて熱く膨らんだ乳房を、ふもとから絞り上げるようにもんでいく。目の前の背中が痙攣している。 「まだ2回目なのに…… こんなにエッチになっちゃうなんて……」 「いいんだ。 俺だって凄くきららを食べちゃいたい」 硬く尖りきった乳首を、指のまたでつねって軽く引っ張る。 「ひぃん、胸の先、そんな引っ張っちゃ、 形悪くなっちゃうぅ」 「でも、気持ちよさそうだ」 俺はなおも何度も何度も固い乳首を、引っ張りこすりつねり転がす。 「ひゃぁうんっ! ひぅん! トーマの指、感じる、感じるぅ」 濡れた背中が水からあげられたばかりの魚のように、ぴちぴちと跳ねる。部屋の灯りに噴出す汗が反射してきらめく。 「こっちも……凄いことになってるんじゃないか?」 桃みたいに滑らかに丸いお尻に指をすべらせ、大事な場所に触れようとすると、 「ああん、今、そこ触らないでぇ、 だって、エッチすぎてトーマに引かれちゃう」 「大丈夫。こっちも凄いことになってるから」 ズボンの中でパンパンになっている。 きららが魅力的でエッチなんだから、 不思議なことじゃない。 「あっ、ああんっ!」 きららの大事な場所は、俺を欲しがってるのか、めくれあがるように開いて、指をくわえ込んでくれる。そこには熱いエッチな体液が溢れていた。 「きららのここ、凄いことになってる。 熱くてぬるぬるして溢れてる、 指先でかきまわすと糸ひいちゃいそうだ」 「そんなこと説明しないで、意地悪いじわるぅ。 体がどんどん熱くなっちゃう」 「判るよ。だって乳首がこんなにびんびんだものな。 もう発情してすごいことになってる」 白い肌は茹で上がったように赤らんで、一面に噴出した汗で妖しく光を帯びていた。なんておいしそうなきららなんだ。 「そういうトーマだって、 もう我慢出来ないんでしょう? 凄い荒くて熱い息……」 「当たり前じゃないか、 だって相手がきららなんだもの」 俺はもどかしさを感じながら、絡みつくズボンを脱ぎ捨てた。トランクスの前がはちきれそうだ。 「この前より……大きい気がする……」 「それだけ愛が増量したってことだ」 自分でも恐ろしいくらい、俺は馬鹿になっている。発言のいちいちが馬鹿なのにそれが気持ちいい。 「じゃあ……トーマ。 どれくらい増えてるのか教えて……」 「今すぐにでも」 トランクスの前が膨れたペニスに引っ掛かるのを振り捨てて脱ぎ捨てた。腹に着きそうな程に反り返る。 「わぁ……そんなに私が好きなんだ……」 きららが熱いまなざしで俺を見る。俺を見てくれる。俺だけを見てくれる。 「大好きだ。 きららが大好きだ」 汗に光る白い背中に覆いかぶさる。女の子の、きららの香りが俺を包む。 「ねぇ、今日は大丈夫……?」 「大丈夫。後ろからだと良く見える。 隅々まで凄くエッチによく見える」 きららはこれ以上ないくらい真っ赤になった。 「こ、ここまで恥ずかしいことばかり お互いにしてるのにアレだけど……。 あんまりしげしげ見ないで……」 無理そうだった。 「う……今の台詞、効く」 そんな恥ずかしそうに言われると、余計、下半身に来るものがある。 俺はもうたまらず、濡れた欲望の先端をきららのひくつく女の子の花へ、開いた花びらの間へ、物欲しげな濡れた粘膜の孔の入り口へ当てた。 「あ……熱い……」 息が苦しい。息が荒い。汗が目の中に入ってくるのに気にならない。 「行くよ……」 俺は止めるなんて考える事も出来ず粘膜にくぼみを探り当て一気に腰を進めた。熱い内部に、ペニスの先端はズブズブと入っていく。 「ん、くふぁ、あ、入ってくる」 初めての時より、抵抗感なく入っていく。 「おおっ」 俺はもうひたすら感激してる。二度目なのに全然薄れない。 「きららの中……熱い……。 本当に熱い……すごい……」 ペニスの表面ににゅるにゅると絡み付いてくる感触。それが呼吸に合わせて締まったりほどけたりする。 「トーマのも熱い……熱いよぉ……。 私の中、押し分けて入ってくる……」 「うお……おお……」 まるでペニスの表面を無数の小さな舌でなめられているみたいだ。ああ、夢心地。 「ね、ねぇ、トーマ……ん、 私の、ん……中……あ、 気持ち……んんっ、いいの?」 神経を直接炙るように、中がぞわぞわとうごめいて、俺を追い上げていく。どくどくと鼓動が弾けそう。 「ああっ。すごい気持ちいい……」 腰が動く。無意識のうちに軽く動き出している。 「トーマの、熱いの……どんどん入ってくる。 判る。判るの。たくましいの入ってくる。 あ、ん、ふぅぁ……」 きららの背が感極まった吐息とともに、小さく震えた。 「俺も……きららの中ざらざらして 吸い付いて、くるのが、気持ちいい、 とっても、感じる……」 「そ、そんなは、恥ずかしいコト、 ふぁ…言わないで……嫌いになっちゃ…… わなんかないけど……」 かわいいっ! 二回目なんだからもっと労わってとか、頭では思っていたんだけど、我慢出来ない。 「あ、と、トーマ、 中で中で大きく、大きくなった」 「ごめん」 「え、何が? あ、ああん、ああっ」 俺はゆっくり動くなんてのに満足できなくて、腰を激しく動かし始める。 「ごめん。でも、俺、ゆっくりなんて無理だっ」 膨れ上がり敏感になった先端が、きららの熱い内部をえぐるように動く!その摩擦が感触が更に俺を燃え上がらせる。 「あ、ああっ、なんか、あ、ああっ、 トーマに、トーマの、あふぅっ! こんなのっ、あ、ああっ」 「きららっ。 俺っ、俺っ」 汗でぬれぬれと光るお尻を、指の痕が俺の痕がつくほどにぐっと掴むと、ペニスの長さ全部を使って中をかき回す! 「ああっ、ああっ、声がでちゃうっ!! 感じてるっ、私、トーマので感じちゃってるっ! この前よりも、全然、いっぱい感じちゃってる!」 にちゃにっちゃと濡れ濡れした粘膜同士が張り付きながら擦れる音が小さな空間一杯に響く。ベッドのバネがきしんで歌ってる。 「もっと感じて。 俺でもっともっと気持ちよくなって!」 ぐっと突きこむと絡みつく粘膜を掻き分けてる感じで、腰を引くときは、抜かないでとばかりに絡みつかれる。天国でもこんなには幸せじゃないだろう。 「うれしいっ、ああっ、トーマ気持ちよさそうで、 うれしいのっ、あ、私も、ああん、なんか、 熱い、熱いのっ」 俺達の汗のミルクっぽいエッチな匂いが、男くさいクセのあるにおいが、熱く蒸れた部屋いっぱいに充満する。 「あ、そこ、そこ凄いっ、きゅぅんっとするの!」 「ここかっ」 「あ、あああんっ! そこぉ、凄いぃ 体の奥が熱くなって、きゅうっとするっ」 きららが髪まで振り乱して叫ぶ。俺はそこを狙って腰を打ち付ける。 「あっ、くぅっ、きゅふぅんっ! ひぅん、ああ、すごい、そこ、すごい! トーマぁ、トーマっ、私、私ぃ」 汗まみれの腰と腰がぶつかり、ぱんぱんという激しい音が部屋に響く。いやらしい音にいやらしい音が重なる。 「きらら、きららっ」 俺は汗まみれになってただひたすらにきららにおぼれる。 「トーマっ、トーマぁっ、 ひぅん、あん、あっ、ああっ、ああああっ」 きららのはちきれそうな漲ったお尻が、左右にくねり振られる、繋がった部分から泡立った汁がこぼれる。 「わたし、わたひぃ、なんか、変になるぅ、 あ、そこ、ああっ、わたし、トーマぁ」 白い汗がピンクの粘膜を染めているのが、もうエッチでエッチでたまらん!今にも全身の血を噴出してしまいそうだ! 「俺も、俺も、もう、 出る、出そうだっ」 俺はわめいていた。およそかっこよくなかったけど、きららの前だから、きららの前だけだから。 「出して、出してっ、トーマのなら、 全部、私に私に出してっ、 熱いの熱いの全部出してっ」 それでも俺は、今にも溢れそうなものを懸命にこらえて、腰が熱くてとろけそうなのをこらえて動く。 こんな時間を、熱くて馬鹿になる、気持ちいい時間を終わらせたくない。 「きらら、きららっ」 俺はきららに沈みこむように、前のめりになって顎から汗まで垂らして、ぐいぐいと熱い中をかき回し続ける。 「あ、ああっ、私、私、あう、 ああんっ! ひぅぁぁっ、 あっ、ああっ、ああああっ!」 息が荒い、体中が心臓になったように汗まみれでどくどく脈打ってる。 「く」 言葉すら蒸発する。俺の欲望が脈打っている。全身が発情でどろどろに溶けている。 「トーマ、トーマ、 私、おかしくなっちゃうっ! トーマにおかしくされちゃうぅぅ!」 目の前の首筋がきゅうっと反り返り、短めの髪がざざざっと振り乱され、濡れ濡れ光る背中が痙攣した。 同時に、俺のペニスが、ひときわ強く締め付けられた。先端から付け根まで満遍なく! 「うお」 俺はその刺激に、耐えられないっ。 「おうっ」 腰の奥が煮えたぎりざわめき、腰がふわりと軽くなり、溶ける、世界が回転する。 「あっぁぁぁぁぁぁっ! 熱いぃ熱いのぉ、トーマのが熱いぃ、 来ちゃう何か来ちゃうぅぅ変になっちゃう!」 「く、くっ」 俺はそれでもなお、喉奥からうめき声をもらしながら、何度も何度もきららの中へ熱い精液を打ち込む。 「きもちいいいいっ、 熱いのでいっぱいに……いっぱいに。 あ、また来る、どんどん来るぅ」 俺の大好きな女の子の中を、俺で染め上げようとする。 「あ、奥に熱いのが、熱いのが 溢れてる、くる、ああ、いいっ…… トーマがトーマが熱い……」 それに応えてくれるのか、きららの中もうねりくねり、俺の精を全て飲み込もうとうごめく。 「ふぅ、はぁ……」 最後の一滴まで流れ出して、腰が抜けたようにふらふらして、俺はそのまま後ろへ下がった。 「はぁ……はぁ……はぁ…… 凄かった……トーマって……けだもの……」 こんなに出したのに、半勃ちのペニスはまだ何か言いたげで。 「そういうきららだって…… あんなに声を出して……」 きららのアソコは、まだ充血して赤らんでいて、しかも俺のどろどろの白い精液がヒダに絡み付いて、その光景が、俺の下半身をまた刺激する。 「は、恥ずかしい…… まだ2回目なのに……」 俺こそ、こんなに出したのに、もう、きららを求めようと欲望がざわめきだす。 「私……インランなの……かな?」 エッチな体液がブレンドされたにおいが、俺の神経に直接突き刺さってかっと燃え上がらせる。 「大丈夫だ……。 多分、俺も、インランだから……」 喉がかわく、熱い、熱い。俺は唾をのみこむ。のみこむ音が妙に大きく響く。 「男の人のことって……、 余りインランって言わないと……思う」 「いや、言うね。 だって俺はもう、きららがまた欲しくなってる」 「えっ……? だ、だって終わったばかり」 「だけど…… まだまだきららが欲しいんだ」 俺はきららの腰をぐっと掴むと、猛り立ったペニスの先端を、きららのひくつく粘膜の肉のくぼみへ押し付ける。 「……いいよ」 「え……? いやなら、嫌だって……」 きららは小さく首を振った。 「トーマがそんなにも 私を欲しがってくれてうれしい」 来た。今の台詞は魂まで、ぐっ、と来た。 「きららっ」 もうたまらず、一気に奥までペニスを侵入させる、全然抵抗がない上に、もう熱くてとろとろだ。 「あ、ああっ、トーマぁ、 入ってくる、入ってくるだけで感じるっ」 精液やエッチな体液でどろどろになった中は、俺のを奥まで頬張って物欲しげにうごめく。 「お、おう、くぅ」 びくびくと小刻みに震えて、俺のペニスをしごきたててくる。 「わ、私の中も熱いの……だからっ、 だから最初から動いても大丈夫……」 こんなコトを恋人に囁かれて、紳士でいられる男がいるだろうか? 俺は、無言で頷くと、腰を前後に動かし始めた。ぬちゃぬちゃと水を含んだ粘膜同士がこすれ合う音が狭い空間を埋めるように響く。 「あ、ん、んぁぁっ、さっきより、 か、感じちゃうっ、トーマが動いてるっ、 あん、あ、暴れてるぅっ、んふひぁぁっ」 「きららの中も凄いっ、 びくびくして、どろどろで」 上下左右とも無数のつぶつぶでこすりたてられて、隅々まで絡みつかれてとろけそうだった。 「あ、ああっ、き、気持ちいいのぉ、いいのぉっ」 少し奥が僅かに狭くなっていて、張り出した先端のエラでヒダを擦るように動く時が、特にたまらない。 「あぁっ、うぅっ、はぁっ、あふぅんっ、くぅん」 目の前で、汗でなまめかしく濡れた背中のくぼみが、きららがひくつく度に影の形を変える。 細い首に張り付いた後れ毛にまで、そそられるものを感じてしまう。 「トーマので、おなか、おなかいっぱいになるぅ、 あ、あん、んふぁっ、んくぅ、ひん、ひぁ!」 熱く柔らかく薄い肉にくるまれた恥骨と恥骨がぶつかるほどに強く打ち寄せては離れ、その度に濡れた肌が打ち合う音が響く。 「きらら、きららっ、俺、俺っ」 顔中汗だらけにして、きららの体へ沈んでいく。背中を汗がつたう感触にぞくぞくする。俺は全てに敏感になって発情している。 「トーマぁ、トーマっ、あ、ああっ、 どうして、こんなにすごいのぉ、あ、ああっ、 くふぅ、あああん、ああん」 つなぎ目から、先ほど流し込んだ精と、エッチな体液がかきまぜられたものが、泡立ちながら溢れていく。 「すごい、エッチな音する、は、恥ずかしい、 で、でも、いいのぉ、トーマ、いいのぉっ、 あ、おおん、んふぁっ、くふぁ、ああん」 鼻にかかったようなきららの喘ぎ声、それが俺の神経を引っかいて、更なる興奮のメロディを鳴らす。 荒い息が鳴っているのは、俺なのかきららなのか両方なのか。 「ああ、二回目なのに、ああん、こんなに、 こんなに感じちゃって、んふぁぁっ! トーマ、トーマこんなエッチな私私」 「さっきも言ったけど! 俺もインランだからなっ」 「んふぁぁっ、私たち、私たちっ、インランなのっ、 すごいのぉ、トーマが私の中、ぐりぐりするのぉ、 ぐりぐりされて、いいのぉ、あ、あん、ああっ」 きららがいやらしいにおいを立てながらぶるぶると震えて、中を締め上げてくる。脳天から熱いものが飛び出しそうな締め付け。 「くぉ」 思わずうめく。だけど、だけど、こんなに気持ちいい事をまだまだ続けたい。まだ終わりたくない。 俺は、汗が目に流れ込んでくるのもかまわず、一心にただひたすらに加速して、少しでも長く多く貪ろうと腰を深々と打ち込む。 「ん、ぁぁ、すごい、おなかかきまわされちゃう 全部もってかれちゃうぅぅ、く、ふぅあっ、 なんだか、あ、ふわふわしてくる、あ、ああっ」 「きらら、感じてくれっ。 もっともっともっと」 ベッドの軋む音に切り裂かれてか言葉が支離滅裂にはじけていく。きららだけが俺の全てになる。 「トーマ、トーマぁ、 わたしぃ、私ぃ、もうもう、あ、 ああっ、ふぁぁ、いっちゃいそうっ」 「俺も、俺もっ」 もうたえられない。これ以上はどうしても伸ばせない。噛み締めた口からうめき声がもれる。 「くふ」 俺は最後にもう一度きららを存分に味わおうと、いったんペニスを引き抜こうとした。 「あっ、トーマぁ、 ひきずりだされちゃうぅ、あ、ああんっ」 逃がすまいとするように、熱く火照ったヒダが一面にからみついてくる、そのこそばゆい抵抗感が俺を容赦なく追い詰める。 それでも、なんとか引き抜く、その途端、熱くぎりぎりまで火照ったペニスに、冷たい外気が突き刺さった。 その刺激が俺へのとどめとなった。ぐっ、と腰で暴れていた熱いものが弾ける。 「う、あっ」 俺は情けない声をあげて、腰を震わせながら、きららのぐずぐずになった股間や濡れたお尻に、弾けたものをぶちまけた。 「あ、ああっ、熱いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」 俺の灼熱を浴びせられたせいか、それとも不意につながった場所に冷気が触れたせいか、きららもイッてしまう。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっつ!」 きららの体が弓なりになり、ベッドを掴んでいた手からシーツが大きくうねり、髪が汗を飛ばして振り乱された。 「く、あ」 さっき出したばかりなのに、またこんなに出るのかというくらい、俺の腰はびくびくと震え、精を吐き出し続ける。 赤らみ俺のペニスの形のままに開いた粘膜のくぼみに、白くどろついた精液が飾り付けられていく様子は、ひどくエッチだった。 「はぁ……トーマの熱い…… 熱いのかかってる……」 俺のペニスはまだぴくぴく震えそそり立ち、まだ欲しがっているまだ興奮してる。 形のいいお尻に浴びせた精液は、ぬるりとした痕をひいて垂れて落ちてきららの太ももまで濡らしていく。 「はぁ……」 「ねぇ……トーマ…… 中でも良かったのに……」 そうしたかったんだけど、抜いたら思わず出てしまいました。とは言えない。 「いや、まぁ……」 変な笑いを浮かべてごまかす。 「満足……できなかったんじゃない?」 「そ、そんなことはないぞ」 まだ興奮が収まらないのは、外へ出しちゃったからじゃないだろう。 きららは大儀そうに身を起こした。俺が流し込んだものが溢れて、濡れていた太ももを更にぬらす。 「トーマ……つらそう」 そそり立ったものをジッと見られると、相手が恋人でもこそばゆく恥ずかしい。 「す、すぐ収まるさ」 「我慢しなくていいの」 きららは上気した顔に優しい笑みを浮かべた。 見惚れるほどかわいくて、それでいてエッチだった。 「ね、ベッドに座って。 私が満足させてあげる」 「え……それって、 いや、そ、そこまでしなくても あ、ごめん、そんな俺の早とちり」 「早とちりじゃないよ。 お口と手で満足させてあげる」 俺は、ごく、と唾をのみこみ、こくり、と頷いていた。 恋人にそんなコトを言われて、断れる男がいるだろうか? 「すごい…… 改めて見るとこんなに大きいんだ。 へぇ……ほぉう……」 照れる。何度も見られてても照れる。しかも、ちょっと褒められてもっと照れる。 「も、もう何度も見ているのに、 そんなにマジマジと見ないでくれよ、 は、恥ずかしいだろう」 「うふふ。トーマかぁわいい」 ほほが熱くなってしまうじゃないか。 「か、かわいいとか言うな」 「だって、かぁわいいんだもん」 しかも、すっかり敏感になったペニスの先に、きららがしゃべる度に息がかかって、ぞくんぞくんしてしまうじゃないか。 「あ……もうさっきと同じくらいに、 本当にトーマはいんらんなんだから」 「それは…… きららが熱い息を吹きかけるから」 「じゃあもっと……」 きららの吐息が俺のペニスをくすぐる、俺はそれだけでぴくぴくしてしまう。これで咥えられたりしたらどうなってしまうんだろう。 「うふふ。 トーマってばぴくぴくしちゃって、 やっぱりかぁわいい」 「か、かわいくなんてないぞっ」 「ムキになっちゃって」 今度は指で、敏感な先端をつんつんと突いてくる。 「う、くぅ」 「あ、なんか出てきた……。 凄い匂い……もしかしてこれ」 きららの指がペニスの先端に絡みつき、ねばっとした精液をすくいあげる。指を広げると糸をひいてきらめく。 「これが私の中にいっぱい……」 俺はきららに色々吟味されて、実も世もなく恥ずかしくなる。 「も、もう、いいだろ」 「でも、どんどんおっきくなってる」 「う……」 見られて触られて調べられるほどに、俺の下半身は血が集まり熱を高めていく。 「本当に苦しそう……。 いま、してあげる」 そう言うと、きららは躊躇もみせずに、俺のペニスの先端にそっとキスした。 「うお」 「ちゅ、ちゅ、ちゅちゅちゅ……」 あたたかいくちびるが敏感になった粘膜に触れるだけで、ぴきぴきと電気が走るような感触。 「あのね。こういうの初めてだから よくわからなくて、 余り気持ちよくないかも」 「え、こ、これだけで気持ちいいよ」 その言葉に勇気を得たように、今度は舌でペニスを舐めてくる。 「ん、ちゅる、ぴちゅる、ちゅる、 へんなあじ……ちゅれる、れる、ちゅる」 「く、ふぅあ」 「これがトーマの……ちゅる、あひはんだ……。 ぴちゅる、れるちゅるれるぴちゅ」 「汚いよ」 きららは顔をあげてにっこりと笑い。 「トーマのなら……汚くなんかないよ」 「きらら……」 「んぴちゅ、ちゅる、ぴちゅる、 じゅちゅ、ぴちゅるれ、ちゅる」 「くぅお」 先端のくびれた部分を絡めるように舌先がなぞる。それだけで、ぞくぞくした電気が走り声が出てしまう。 「ここがいいんだ……。 じゃあ、ここはどうかな……。 ちゅる、ぴちゅれる」 熱い唾液に覆われた舌が、ペニスの裏筋を一気に舐め上げた! 「う、くふぁっ」 じゅあ、と熱いものがペニスの先端から溢れる感触。男の精の匂いが更に重ねられる。 「うふふ。ここもいいんだ……。 じゃあ、ここも……。 ちゅぴ、ちゅちゅちゅっ」 ペニスの先端の鈴口を尖らせた熱い舌がつつく、 「お、い、いいっ」 これくらいでもう、腰がとろけそうに熱くなる。 「じゃあ、こういうのはどう?」 きららはそっと俺のペニスに手を添えると右手の指でペニスの背中側を撫で始めた。 「うくぉぉっ!」 電気が走った。 「うわ。また溢れてきた……。 じゃあ、もっとしてあげる」 きららの小指から中指までは、背中側をさわさわと撫で、人差し指がエラの部分をつつく。 「くっ」 ペニスにたっぷりとまぶされた俺の精ときららの愛液が潤滑剤となって、なめらかに指先はすべり俺の形をなぞる。 「凄い……苦しそうなくらい 血管が浮いてきた……じゃあ、こっちも」 きららの親指がペニスの裏筋を上から下へなぞる。5本の指が俺を攻め立てる。 「う、くぅ、おおおおおっ」 先端からあふれる先走りをまぶした指先は、軟体動物のように俺のペニスに絡みつき、やわやわとしごきたててくる。 「うふふ。やっぱりここも凄く感じるんだ。 じゃあ、こっちは……」 もう一方の手もペニスからしたたるぬめりをまぶされると、そっと玉袋のあたりへ添えられる。 添えられた、と思った時、今度は玉袋を手のひらで転がしながら裏筋を上から下へなぞりはじめる。 「く、ああっ」 その動きはぎこちないはずなんだけど、でも、他の女なんて知らないし、しかもきららがしてくれてるしで。 俺はもうそれだけで天にも昇る心地。 きららは、とろんとした目で俺を見上げると、自分のくちびるをなめてから、 「ちゅ、ちゅちゅ、ちゅれる」 「え、あ、お」 その上、これに熱い舌の攻めまで加わって来た!舌先は尿道口を中心に、膨れた部分を這い回る。 「ちゅ、れる、ちゅる、ちゅちゅ、 ちゅれる、ちゅ、ちゅちゅ」 粘膜の熱くぬめぬめした感触が張り付くように撫でてくる。 熱いとろとろの唾液がまとわりついてくるのが、とてつもなく気持ちいいっ。 「ちゅ、ちゅる、はふぅ、れちゅ、 ん、ちゅちゅる、ちゅっ、くちゅ、ちゅる トーマ、ちゅ、どう? ちゅちゅ」 「くぅ」 ぬめぬめした手のひらや指、そして熱くてとろとろの唾液に覆われた舌。3つの責めが俺の下半身を甘くとろけさせていく。 「ちゅ、れぴちゅ、れるちゅる、 ちゅ、ずちゅれるれる、ぴちゃぴちゃ、 ずちゅれるる、じゅれじゅれちゅれるれる」 きららは俺のペニスに夢中な様子で。 膨れた部分に舌をぴったりと張り付かせたと思うと、ペニスの粘膜を引きずり上げるように、密着したまま舐めあげていく水音。 感触と音の両方で俺の五感は炙られる。 「あ、くぅぁああっ」 きららは頬を上気させ、上目遣いで俺の反応を確かめながら、指と舌を駆使して敏感な部分を嬲ってくる。 俺の精液でぬらぬらになった掌が、玉袋をもみしだく音が妙に大きく響き、それにかぶさる様に舌がメロディラインを刻む。 「ちゅ、れるぴちゅる、れるちゅる、 れるるるる、じゅれるちゅるじゅるちゅる」 俺のペニスは楽器にでもされたように、気持ちいい音楽を鳴らされる。 「う、あう」 腰が踊ってしまう。また耐えられなくなってくる。握り締めた拳が汗ばむ。爪が掌に食い込む。だが辛うじて耐える。沸騰寸前。 「トーマ気持ちよさそうな顔してる……。 それに、腰ぴくぴくさせちゃって……。 じゃあ、こんな事もしちゃう」 きららはいきなり、俺のペニスの先端に口づけすると、中から精液を吸出し始めた。 「じゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅ。 じゅ、じゅじゅじゅじゅじゅじゅ」 「くはぅ」 残らず吸い出されそうだ。腰の辺りがきゅうっと来る感覚っ。背筋の辺りを青い電気が奔る! 「ちゅじゅちゅじゅる、 ちゅ、じゅるるるるる、 ちゅれる、じゅる、ちゅじゅるちゅる」 きららは俺の反応を見て取ったのか、舐めるのと鋭く吸い出すのを交互に繰り出してくる。 もう、さすがにこれは……駄目かも。 「くぅ、お、あ、ああううう!」 俺は爆発した。腰がとろけていく。気が遠くなりそうな程、気持ちいいっ! 「きゃぁっ」 きららは不意打ちで浴びせられた熱い精液にびっくりしたのか悲鳴をあげた。 「く、ご、ごめん、お、おおっ」 俺の欲望はおさまらず、きららの顔を何度も汚した。眉毛にかかった精液が雫になって落ちてセクシーだ。 ようやっと収まってくる。 「うわぁ……こんなに……」 「ごめん……。 出るって言えばよかった。 こういうの初めてなんで余裕なくて」 とてもカッコ悪い。なんだかしょんぼりしてしまう。 「いいよ。顔は洗えばいいんだから」 「だが…… 男としてちょっと情けなくて……」 あんなにあっけなくこらえられなくなってしまうとは。 「私は トーマを気持ちよくさせてあげられて とってもうれしい」 「!」 精液でどろどろになった顔のまま、にっこりと笑ったきららは、とってもかわいくて、愛しくて。 俺はまたもたまらなくなってしまって。下半身の方もいきなり元気になってしまって。 「きららっ」 「きゃぁぁっ、と、冬馬、ちょ、ちょっと」 気づけばきららをベッドに押し倒していた。 「きららがあんまりかわいいから! 俺はっ」 俺はそのままきららに今にも熱くほとばしりそうな脈打つペニスを挿入した。 「あ、ああんっ、そんなぁ、 あ、ちょ、ああん」 直前の余熱か、それともペニスに夢中になっていた時に感じていたのか、きららのアソコは蕩けていた。 俺のペニスは何の抵抗もなく、奥まで飲み込まれていく。 「あ、ああん、んふぁ、ああっ、 そんなこ、心の準備が、あ、入ってくる、 どんどん入ってきちゃうぅ」 俺はきららの右足首をつかむと、そのまま脚を大きく開かせる。 「や、やぁんっ、は、恥ずかしすぎる」 「きららを全部食べちゃいたいんだっ!」 俺は息を荒くして、更に腰を奥へとぶつける。 「トーマの、トーマの奥まで来ちゃうっ、 深い、深いところまでトーマのがっ」 ぐちゅぐちゃといやらしい音を立てて、俺達の濡れた肉と肉が絡む、 「俺ときららの繋がった場所が、 すごくよく見えるっ」 さっきからさんざんしているせいで、クリトリスがビンビンに勃っていて、粘膜が充血して膨れてくっきりしてる。 「あ、ああん、だめぇ、 そんなの見ないでぇ、ん、ああっ」 きららが泣きそうな顔をして、頭をふるふると振った。 「ご、ごめん。だ、だが、 男だから見ずにはいられないんだ、 それに、きららはとてもキレイだ!」 「そ、そんな、う、うそだよぉ。ん、ああっ。 見ないでぇ、今とってもだらしない顔してる。 いやぁ、んふぁぁっ、見られたくない」 きららは、ぎゅっ、と目を瞑ってしまった。 確かに汗まみれで口の端からよだれまで垂らして、ぴくんぴくん痙攣している姿は普通じゃない。でも、とってもキレイなんだ。 俺はぐっと前屈みになると、くちびるを奪った。 「あ、んちゅ、とぅまぁ、 んちゅぺちゅ、んれる、んちゅる、 ふれる、ちゅれる、れるられ、んちゅる」 俺達は激しく舌を絡め合い、互いの唾液をすすり合う。互いの荒い息がいきかう。 「ん……ふぅあぁぁぁっ」 俺は、ぐっと下から突き上げながら、きららの耳元でささやく。 「本当にかわいいよきらら。 もっともっと俺に見せて、 みっともないと思うところもかわいいところも」 「あ、ああん、やっぱり恥ずかしいぃ、 でも、トーマがそういうなら、んぁぁっ、 あ、トーマぁ、見てぇ見てぇ」 きららの腰が俺を迎えるように突き出される、つながった部分から泡だったエッチな汁が溢れて、俺ときららの下半身をどろどろに濡らす。 「みっともない私も見て! 見て! トーマだけは全部見てっ!」 きっと俺以外、こんなきららの表情を見た人はいないんだろう。なんか嬉しい。 「ああ。見る! それに俺だってとっても必死で、 恥ずかしい顔してるっ」 「そんなことないぃ、トーマぁ、 みっともなくなんて全然ないからっ。 私にも見せてぇっ、もっとよく見せてっ」 今度はきららの方から、俺の方へ顔を寄せてくる。 「ん、んむちゅ、とぉまぁ、 ん、んちゅむちゅ、れるちゅる……」 ぐぐっと奥までつながりながら、俺達は絡み合うようにキスをする。身も心も絡め合い繋がっている。 お互いの肌の香りや息の熱さ、肌のほてり、濡れた髪から飛び散る汗、下半身を刺激するエッチなにおい。 「ちゅ、んちゅる、すきひぃ、すきぃ、 んぁ、んちゅれる、ちゅれる、すひぃ、 あん、ああん、れるじゅれる、じゅるちゅる」 俺達は互いをあらゆる体液で濡らしながら、キスをしてキスをする。 胸と胸がこすれて、きららの固く尖った乳首が俺の胸板をこすり、濡れた肌同士がこすれあって気持ちいい。 「ふぅあ……ああん、すごい、トーマすごぃぃ、 もっともっと私をかきまわしてぇ、 あっ、ああっ、んふぁっ、ひふっあふぅっ」 つながった場所からあふれる水音さえ、今では心地よく響いて聞こえる。 「どんどん気持ちよくしちゃう、 いや、絶対にする! するっ!」 どすっどすっときららの体をゆする程に、下から激しく突き上げる。突き上げる度に泡だったエッチな汁が溢れる。 「ひぅん、して、トーマぁしてぇ、 あっ、うくぅん、すごぃっ、すごいっ、 飛んじゃいそう! 飛んじゃう!」 きららの叫びまでが甘く脳に響く。快感に染まった体がよじれるのが、とてもエロい。 「俺もいっちゃいそうだ!」 ものが考えられなくなってくる。もともと余り考えるタチじゃないけど。 もうただただやみくもに腰をぶつける。動物みたいですごい。ああ。体中軟体動物になったみたいに絡み合う。 「好きぃ、とぉまぁ、すきぃ! いいのぉっ、とぉまのおち○ちんいいのぉ! あっ、ああっ、あ、んっ、んふぁっっっっっ!」 「い、いくぅぅぅっ!」 軽い絶叫と共に、きゅうっと中が締まり、きららの体はがくがくと震え、ヒダがねじれて俺をしぼりあげる。 「くぅっ」 俺は僅かに腰をひいて辛うじてやりすごす。力が抜けかけたきららの中へ、また一気に奥まで突き立てる。 「ひゃんっ、あっ、ああっ、またぁっ、 きちゃいそう、きちゃいそうっ、んふひぁっ、 んふぁっ、ふはぁっ」 きららの表情はもうとろけにとろけて、やっぱりこんな表情を見ることができるのは、俺だけだと思うと、たまらなく嬉しい。 「ひふっ、ひふはっ、くぅああん! くるっ、くるっ、くるぅぅぅぅ!」 「俺も、俺も、もうっ」 「出してっ、トーマっいっぱい出してぇっ」 きららが反射的に濡れた腰を突き出すのに呼応して、俺も深々と腰を打ち込んで、もう耐え切れぬ程に湧き上がった欲望を開放する。 「きららぁぁぁぁぁっ」 腰がとろける程の快感の怒涛と共に、熱の塊がきららの中へと押し寄せていく。 「いくぅっ、トーマの熱いので イっちゃうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」 俺の全てを呑み込もうと、きららの中がうねりくねりザワザワとうごめく。 目の前の痙攣する体から不意に力が抜けたかと思うと、きららはベッドに沈み込んでいった。 イッてしまってさっぱりしたようで、妙に安らかな顔で眠りにおちている。 「すぅすぅ……トーマ……すぅ……すぅ……」 まだつながったままの下半身は、俺をくわえこんだまま離そうとせず、まだ精液を搾り取ろうとうごめいていた。 俺は余熱にまだ酔いながら、ゆっくりと引き抜く。 「ん……」 ぴくん、とまぶたが動く。その表情もかわいらしかった。 「……」 「……」 シャワーを浴びたとはいえ、行為が終わったばかりの部屋で、ベッドに並んで座っていると、気恥ずかしい。 濃厚に漂う行為のあとのにおいとか気配とかが否応なく意識させる。 「……」 俺は意味もなく鼻の頭をかいた。映画だったら煙草でも吸うトコロだろうか?それともTVでも見始めるだろうか? でも、きららがTVのバラエティ番組でも見始めて、俺そっちのけでけらけら笑い出したら嫌だな。 「……TVないんだね」 「あー、うん。 それに映画とかと違って、 こういう時にTVとか見る気分にはなれない」 「よかった……。 今ここで、トーマがTVつけて、 バラエティ見てあはあは笑ってたら嫌だもの」 TVは見ずに正解だったらしい。最初から見ようがないんだけどね。 「HHKならどうだ?」 「クローズアップ現在とかも嫌だな。 気分が暗くなっちゃうもん」 HHKクローズアップ現在は、見れば見るほど現代の世界が暗黒魔界に思えてくる、凄いホラー番組である。さすが国営放送。 「TVは駄目だな」 「うん。駄目」 またも会話がつきる。 「あー……」 そろそろきららを送って行かなくちゃいけない。でも、離れたくない。 「わわ。お酒がいっぱいだわ! しかもみんな凄く高そう。 アルコール度も高いのばっかり!」 俺のコレクションに感心してくれた! 「高い酒こそトナカイの伴侶。 安酒なんてちゃんとした大人の酒じゃない。 給料の9割注ぎ込んでも惜しくないのさ」 「給料のほとんどを酒に!? 私が見ていない所では、始終酔っ払ってるんだ。 そうなんだ知らなかった……」 しまった!感心されてなかった! 「トナカイは確かに酒が大好きだし、 給料のほとんどをお酒につぎこむが、 仕事をしている時は素面さ」 「酒に飲まれるような奴は、 プロとは言えない」 お。今のなかなかカッコよく決まったぞ。惚れ直されるかも。 「……トーマだけじゃなくて、トナカイはみんな、 給料のほとんどをお酒につぎこむたぐいの 人達だったのね……」 あれ?惚れ直されるどころか更に印象を悪くした気配。しかもトナカイ全般。 「た、確かにトナカイは酒飲みだが、 俺なんか大した事無いよ。 毎晩せいぜい一本しか飲まないし」 とりあえず俺の印象だけでも改善を目指す。 「そうなんだ……トナカイっていうのは、 毎晩最低でも強いお酒を一本は空けるんだ…… お酒なしで一日を終われないんだ」 改善に失敗した上に、トナカイ全体の印象が更に悪化。 「お酒飲むと人格変わるタイプ?」 「ち、違う! 断じて違う! 俺は確かに一日に一本は飲むが、 だが、アル中でもなんで――」 「まだ大丈夫なんだ……よかった」 「ちょ、ちょっときららさん? そのまだっていうのは?」 「え? クリスマスが終わるまで 会えそうにないの?」 「俺達の商売の本番だからな。 本格的な予行演習やらで夜は無理だし、 昼も機体の整備とかあるし」 外はしんしんと寒いけど、繋いでいる手はあたたかかった。 「ならこっちから遊び、もとい、 大家として店子の事情を見に行くわ」 「でも、そっちだって忙しいんだろ?」 「トーマは私に会いたくないの? もしかして早くも倦怠期?」 「そんなわけないだろう! きららに倦怠するなんて考えられないし、 想像もつかない」 「……」 「実は、私も……」 照れるきららはめちゃくちゃかわいい。こんな子が俺の彼女だなんて……。まさにこの世の奇跡。 出来れば、イブの前に一度は会って、プレゼントを渡したい。 「……イブの前に一度くらいは会いたいな。 ふたりきりで」 同じ事を考えているらしい。 「それくらいは、なんとかするさ」 「うん。楽しみにしてる」 だんだん町が近づいてくる。今夜が少なくなっていく。 「今更なんだけど、 こんなに遅くなって、 大丈夫だったのか?」 「大丈夫。 今夜もお祖母ちゃんいないし」 「そういえば先週も大家さん飲んでたな。 またクレイジーズの人達と?」 「……うん」 「元気な人達だなぁ」 「……」 「今日は庭木さんの祥月命日なの。 あの人わいわい飲んで騒ぐの好きだったから」 「ああ……そういうこ――」 ん? なんかひっかかる。 「ちょうど5年前の今日。 夜中、心筋梗塞で」 「……」 「毎晩のように飲んで、 飲んじゃ人の家に上がりこんで寝ちゃって 滅多に自分の家に帰らない人だったのに」 「不思議だよね。 あの日の夜に限って、一人で家に帰って……。 お酒も飲まず、誰にも連絡せず連絡されず……」 「翌日、クレイジーズの人達が会いに行ったら、 お釈迦様みたいにおだやかな顔して、 布団の中で眠るように亡くなってたんだって……」 「……」 「ちょっと待った。変だぞ」 「変って?」 「確か、タイガーさんの葬式って イブの翌々日だったんだよな?」 「そうだけど」 「今日はイブの1週間前、 つまり亡くなってからお葬式まで、 1週間以上も間が?」 「イブの直前だとみんな忙しいから お別れを言いたくても 言えない人がいっぱい出るだろうからって」 「あ。納得。本当に人気者だったんだな。 でも、そんな大事な日に……よかったのか?」 「……」 きららの吐いた息が、しろい。 「大丈夫だよ。タイガーさんなら 『若い奴らは結構結構コケコッコー』 とか言ったに決まってるもの」 寒い冬の風が吹き抜けていった。 「……寒いな」 「うん…… タイガーさんの魔法がないと、 単なる寒いギャグだね」 「タイガーさんって人気者だったんだから、 飲み会への参加者も一杯いるんだろ? きららが出ないと目立つんじゃないか?」 「人がいっぱい参加するのはお葬式の日。 今夜はクレイジーズの人達だけだよ」 「そうなんだ」 「それに、人前だと、 お祖母ちゃん涙の一つもこぼせないもの。 だからあの人達だけでいいの」 「タイガーさんのお葬式の時も?」 「タイガーさんが豪傑笑いをしてる写真の前で、 カリヨン塔の敷地を埋め尽くした 大勢の人が泣いてて……」 「クレイジーズの人達も泣いてて、 みんな急に十も歳をとった感じで……」 「オショウさんは泣きながらお経読んでて、 あのジェーンさんもそっと涙を拭ってて、 でも、お祖母ちゃんだけは泣いてなかった」 「だけどね。途中で お祖母ちゃんとジェーンさんとネコさんの姿が 見えなくなって……」 「どうしたんだろうと思って、私、捜したの」 「そうしたらカリヨン塔の一番上の なんにもないからっぽの部屋で、 お祖母ちゃんが柱に頭を押し付けて泣いてたの」 「ネコさんは、ただ黙って隣に立っていて ジェーンさんが祖母ちゃんの肩を抱いてたの」 「お祖母ちゃん泣きながら言ってた。 もうサンタクロースなんて信じるもんかいって」 「そうしたらジェーンさんが、 わたくしたちが欲どしすぎたんですわ。 サンタだって贈れないものがあるんですわ、って」 「サンタだって贈れないもの……か」 本当に願っていれば叶う。そのものでなくても形を変えて叶う。それがルミナのルールのはず。 「見ちゃいけないものを見た気がして、 わたし慌てて階段を下りたの」 「……」 「もしかしたら大家さんって その時までサンタを信じてたんじゃないか?」 「まさか」 「そうじゃなきゃ もう信じるもんかなんて言わないだろう」 「でも、クレイジーズの人達って、イブの夜。 自分達だけで こっそり飲みにいったりしてたんだよ」 「そうか……。まぁそうだよなぁ。 あの人がサンタを信じていたとは 思えないものなぁ」 「クリスマスに友達が亡くなっちゃったから、 サンタに毒づいてただけだと思うんだけどね」 「……そんなとこか」 「じゃあね。また」 つないだ手が名残惜しげに離れる。 「ああ。おやすみ」 「おやすみなさい」 そう言うときららは門から入りかけたが、足を止め、くるりと振り向き。 「それからね……大好き!」 俺はもうそれだけでたまらなくて、キスをした。 帰り道。冷たい風が吹いていたけど、俺はほかほかふわふわして、ヘリウムどころか水素より軽かった。 このまま空へのぼれるんじゃないかと思うくらいしあわせだった。 「この豚肉と キャベツの味噌炒めサイコー! この炒め加減絶妙ね!」 「そんな…… きららさんに比べれば、 私なんかまだまだです……」 「謙遜しない謙遜しない、 この分だと今夜も楽しみね」 「ちなみにアタシのリクエストは、 蒸しナスと豚肉の中華風と鳥粥がいいわ」 「あれか! うまかったなぁ」 「わ、わかりました。 神賀浦さんに比べればまだまだですけど……。 が、頑張ります」 「デザートは杏仁豆腐をリクエストです」 「あれもおいしいよな」 「頑張ります!」 「最近、先生よく朝食たかりに来るけど、 月末になる前に給料使い果たしたんじゃない?」 「そんなことないわ。 かわいい一番弟子の料理が食べたいなぁってだけ。 そんな純粋な思いを汚すなんてひどい子ね」 「ならその分の食費入れてくれませんか?」 「出世払いでヨロシクね(はーと)」 「……この人がマスターサンタなんて 世の中間違ってるわ」 「あ、あの一人分くらい増えても 大した手間じゃありませんし、 材料費だってそんなには……」 「いいのよ硯。 月守さんが何を言おうが、 あたしは筋を曲げず堂々とまっすぐに行くから」 「なんかカッコいいですね」 「どこがカッコいいのよ。 単に給料が入ってくるまで たかり続けるって言ってるだけじゃない……」 「それにね、たかりに来てるだけじゃないのよ」 「しかも、あっさり認めてるしこの人!」 「ちょっと気になる情報を小耳に挟んだんで、 みんなに知らせてあげようかと思って」 「どんな情報なんでしょうか。ドキドキします」 「今、思い出しただけなんじゃないの?」 「この支部に関係してくるかはまだ判らないけど、 近々、大規模な異動があるらしいのよ」 「異動……ですか?」 なぜか胸がざわついた。 「九頭竜川支部にいる友達の話だと、 屋久島支部と合わせて かなり大規模にやるんだそうよ」 「結成されたばかりのここには、 余り関係がないのではありませんか?」 「判らないわよー。 この支部の結成自体急な話だったし、 解散も急だったりして」 「さっきの話……どう思う?」 「イブの直前のこの時期に、 そんなことするわけないじゃない」 「でも……イブの成果如何によっては、 そういう事もありえるんじゃないでしょうか?」 「ニュータウン……か」 「……ありえないとは言えなくなってきたわね」 「この支部の人員だけで 地区への配達が出来ないとすれば、 支部を維持する理由がなくなってしまいます」 「この人口規模からして、 増員はありえないわね」 「そう上が判断すれば、 最悪、この支部は解散、 他の支部へ統合ってことになるかもな」 まぁそうなっても俺はトナカイ。どこの空でも空は空――。 きらら。 「せっかく、ここの人といい感じで、 おつきあいさせてもらえるようになって来たのに、 なんだかさびしいです」 もし、この支部が解散になりでもしたら、きららと俺は……。 「何言ってるのよ。 決まったわけじゃないでしょ」 「そ、そうだよ。 ニュータウンだってなんとかなるさ」 「でも、考えて見れば……。 今回異動が無かったとしても、 いつかはあるかもしれないんですよね……」 「あ……」 すっかり忘れていた。 俺はトナカイ。きららの前から、この町からいつ消えるか判らない余所者だったんだ……。 「そりゃ……そうだけど……」 「りりかさんは、 ニューヨークに帰りたがっていたんじゃ なかったんですか?」 「え、あ。そ、そうよ! こんな田舎町なんていつでも出て行くわよ!」 「でも」 「ふぅ。すっきりしました。 あぶないところでした」 「あれー? みんな深刻な顔しちゃって どうしたんですか?」 「あ、きららさん、こんにちわ」 「あ、こ、こんにちわ」 「き、きらら!?」 さっきから見えていたのは、実体だったのか!? 「き、きら姉いつからそこに!?」 「い、今、入って来たばかりだから! べ、別に異動とか転勤とか何も聞いてないから!」 「ちょ、ちょっと寄っただけだから、 今日も一日元気でがんばろう! じゃ、じゃあね!」 「きららっ!」 「え、あ、トーマ…… な、なにかな?」 俺は顔をそらそうとするきららの視線を追いかけて、正面から尋ねた。 「聞いてたのか?」 「……」 「べ、別に立ち聞きとかするつもりじゃなかったの、 ただ、ちょっと、音立てずに合鍵で入って、 驚かしてやろうかなーなんて思ったの、だから…」 「そんな責めてるんじゃない、 っていうか何にも責めてなんかいない」 きららは視線をそらした。 「そうだよね……。 私が悪いんだよね……勝手に忘れてて そもそもトーマは転勤して来たんだものね」 「それはそうだけど、 すぐにあるってわけじゃないし、 もしかしたら無いかも知れないし」 「それは……あるかもしれないって事だよね?」 「かもしれないってだけだ」 でも、それは確かに、あるかもしれないって事なのだ。 「そ、そうだよね当然だよね。 サンタって言えば グリーンランドかラップランド出身だものね」 「俺は ラップランド人でもグリーンランド人でもない、 正真正銘この国生まれだから」 きららが言ってるのはそういう事じゃない。判ってる。 「ごめん。 私、ちょっと混乱してるの、 判っていた筈なのに忘れてて……」 「トーマがエトランジェだってこと……」 その『エトランジェ』は、今まできららの口から出た中で、一番寂しい響きを帯びて聞こえた。 「俺は――」 俺はなんだ? なんだと言うんだ?エトランジェじゃないとでも言うつもりか?そんなこと言えるはずがない。 「ご、ごめんなさい!」 きららは行ってしまった。引き止められなかった。 おやじが亡くなったあの町を出て夢をかなえるためにおふくろの元を去ってから。俺は常に異邦人だった。 常に、異国の言葉、異国の人、異国の町の中にいた。 でも気にもしていなかった。俺はトナカイで、空だけがあれば充分だったから。 飛ぶ空さえあれば、他には何もいらなかったから。そして空はどこまでも一つだったから。 だけど。今の俺は……。 俺はいったいどうしたいんだ? 「そんなのは男女の間ではよくある事さ」 「出会いっていうのは、 運命の糸が一瞬交錯した瞬間の事を言うんだからな。 どこまで行っても糸は2本。1本にはならない」 「そんな一般論を聞きたいんじゃない」 「そう尖るな、判ってるさジャパニーズ。 でもな、俺にとってきららちゃんは 青い果実過ぎて――」 「あんたの熟女好みを聞きたいんでもない」 「重い相談は苦手なんだ。 トナカイは飛ぶのが仕事、 余計な重量はフライトの妨げさ」 「妨げ……。 妨げだって言うのか!」 「だから言っただろ。そう尖るな。 何度も出会いと別れを繰り返せば 嫌でもわかっちまう様になるさ」 「何度も出会ったり別れたりしたくないんだ。 だって俺はもうきららと 出会ってしまったんだから」 ジェラルドは俺の顔をじっと見ると、 「2本の糸はどうあがいても1本には出来んぜ。 まぁだからこそ交錯して愛の火花が散るんだが、 火花は一瞬だけ咲くのが花さ」 「そんなのを俺は望んでいない。 大事にしたいんだ。 ずっと咲かせていたいんだ」 ジェラルドは俺の肩を軽く叩き、 「訊く人選を誤ってるぞジャパニーズ。 花を咲かせるのは農夫の仕事さ。 少なくともトナカイの仕事じゃない」 それだけ言い残すと、俺を置いて行ってしまった。 ………。 もしかして、空を飛ばず地上にとどまり続ける人間に相談しろって事か? 「中井君。君は悩んでいるようだね」 きららに会おうと思って来たら、別段会いたくない人に会ってしまった。 「進さんにまで、判ってしまうんですか!?」 こんな人にまで見抜かれてしまった!重症だ。 「判るよ。 若いうちは悩むものだからね。 僕もそうだったからね」 「その時、進さんはどうしたんですか?」 「中井君、 こんな往来では話しにくいんじゃないか?」 「え、ええ、まぁ……」 「選択というのはそう沢山あるわけじゃない、 最初から全て提示されているんだ」 おお。なんかもっともらしい。進さんが頼もしく見えてきた! 「時刻表を見れば全部書いてあるからね!」 「は?」 「学校へ毎朝登校する度に くま電のどの系統をどう使って今日は登校しようか 大いに悩んだものだよ」 悩みだけは見抜かれていたが、進さんの視力は歪みまくっていた。しかも。 「踏んだ!」 「そもそもこのくま電には3つの系統があってね。 素人考えでは路線が一本しか無いのだから統合すれ ば良さそうに思うだろうけど、実はこ(以下略)」 俺の本能は危険を察知して無意識のうちに出口を探した、が。 「す、進さん!? なぜ入り口に鍵を掛けるんですか!?」 「君の悩みを解消してあげるためだよ」 「お、落ち着いてください! 仕事を依頼に来る人がいたら どうするんですかっ」 「帰って貰えばいいよ。 ボクは商売人である以前にくま電を愛する者さ!」 言い切ったよ! 「こんな事もあろうかと、 電話の線も抜いて置いたからね。 もう二人の邪魔をする無粋な者はいないのさ!」 聞きようによってはエロい台詞だった。 「さぁ! こころおきなくくま電しようじゃないか! くま電を! 最高のくま電を!」 「お助けぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 「とーまくん」 「なんだよ」 ゴーグルを下ろすと、冷え込んだ大気を刻んで伸びる、糸のように細い光の軌道が見える。 「なにか悩みがあるんですか? 位置取りがもたついているような感じです」 「気のせいだろう。 今はフライト中だ。 悩みは地上に置いてきた」 ニュータウン上空。そこだけルミナの光がほとんど見えない。 まるで虚無が口を空けているようだ。 「空の穴か……」 俺ときららの未来にぽっかり開いた穴。それは、俺達が気づく前からずっとそこにあった。 飛行を拒むこの虚無のように。 「あな? 心に穴でもあいてしまったんですか?」 「ペンキ屋のトークを 4時間も聞かされれば、 誰だって穴があくさ」 「そういう時は、 ケータイゲームで遊びながら、 聞いていればいいんですよ」 「あと眠くなったら、 聞きながらさりげなく居眠りするのも、 悪くない手です」 「忠告ありがとう。 次からはそうするさ」 俺はカペラをニュータウンの方へ向け降下していく。 虚無へ向かって。 「あれ?」 「『臨時休業』? どうしたんだろう?」 「6時間!? 嘘でしょ!?」 「昨夜の演習の結果と、 イブの日に見込めるルミナの濃度から考えると、 それくらいかかる計算になるんです」 「……」 昨夜の演習。俺達は虚無の前に敗北した。 余りのルミナの密度の薄さに、俺とななみはニュータウン上空で失速し、墜落寸前にまで追い詰められた。 一番うまくやったりりかとジェラルドでさえ、受け持ち地区を予定より一時間以上オーバーして、配送するのが精一杯だった。 「3組がかりで6時間か…… いいハンディなんじゃないか?」 「ハンディですか。 つまり強者のあかしですねー」 「気楽だな」 「あらあら。 中井さんってばトナカイらしくもない突込みね」 「……」 「増援の話はどうなったんですか?」 「九頭竜川支部、屋久島支部とも、 増援要請には応じてくれましたが……」 透は言いにくそうに言葉を切った。 「各支部の配達が 終了してから駆けつけるとの事なので、 到着は2時前後になるとの事です」 「リミットの3時まで1時間しかないんですね……」 「増援に来る予定の奴らの中で、 この地区でフライトの経験がある奴は?」 「いません。 彼らが予定通り参加してくれたとしても、 4時に配送を終了出来るかすら微妙な所です」 俺はテーブルの上に広げられた地図を見た。ニュータウンを囲む赤いラインは殺人現場に描かれた人型めいて不吉だった。 「3時までに配れないか……。 これは屈辱と言うべきだな」 皆が地図に目を落としていた。赤いラインに囲まれたそこは、暗い視線を吸い込む底なし沼だった。 「だいじょうぶですよ。 なんとかなりますよ」 ななみは、ごくごく普通の口調で沈滞した空気を破った。 「神風なんか吹かないわよ」 「そこにプレゼントを求める人がいれば、 サンタが配れないわけありませんから」 「はぁぁ……あんたってばホント楽天的、 トナカイの方が向いてたんじゃないの?」 「それはつまり、 どちらの適性もあるということですね!」 「あんた長生きするわ」 俺は地図から目を上げた。データを見てあれこれ考えるなんて、トナカイらしくない。 トナカイはとりあえず行動。 「……俺達は配るしかない。そうだろ?」 選択肢なんかないんだ。配れるか、配れないかは選択じゃなくて結果だ。 「同感だな。俺達はまず行動する」 「そうね。 一旦始めさえすれば、 終わらない仕事はないものよ」 空気が動き出す。 「少しでもルミナの密度が高い所を 幹線として使えば、 効率よく配れるんじゃないでしょうか?」 「そうですね……。 その線で計画を立ててみます。 データ収集への協力お願いします」 「イブ当日までは、あの地区の観測か……。 華やかなステージ活動の準備には、 地味な事も必要よね」 「なんだかわくわくして来ました!」 「この道の上をルミナのルートが走ってますね」 俺はゴーグルを下ろして上を見た。確かに昼のクモの巣のように光っている。 「……だが薄いし、細い」 「飛べませんか?」 「せいぜい、一度だな」 イブまでの数日間、交互に取る休憩時間にもニュータウンのルミナの観測をすることになったのだ。 「ふむふむ」 ななみはニュータウンの地図に書き込もうとして、何かに気づいたらしく顔をあげた。 「とーまくん」 「なんだよ真剣な顔して?」 「ここはどの辺でしょうか?」 「……地図を持っている奴が 迷子になるんじゃねぇ!」 「それは偏見です。 地図を持っていても迷子になるものです」 きっぱりと断言された。 「今、ここだろう」 「おお、なるほど。 なんとなくそうじゃないかと思っていました」 「なら聞くなよ」 ななみは、地図にルミナのラインを書き込み、1かい、と注釈をつけた。 その間に、俺は素早く携帯をチェック。きららから何も来ていない。 行動しようにも時間が無い。昼間は調査。夜は訓練。 「それから、とーまくん」 慌てて携帯を閉じて、 「また迷子になったのかよ」 「きららさんとのこと、どうするんですか?」 あれからきららと会っていない。ツリーハウスにも来てくれない。電話もメールも来ない。 恐らくきららもどうしていいか判らないんだろう。 ここは俺が動かなければ! 「なぁ、ななみ、俺」 「あとはわたしがやっておくので、 とーまくんは先に帰ってください」 「……恩に着る」 「おい、ボンボン。 孫ならいねぇよ」 振り返るとばばぁがいた。 「ふん。 今、失礼なこと考えただろ?」 「考えてませんよ」 「まぁ、あんたの空っぽの頭じゃ、 考えるなんて上等なことは できねぇわな」 「な、なぜ俺の頭が空っぽだと 知っているんですか!?」 ちょっとボケてみる。 「ふん。 あんたくらいの若い男の頭が、 空っぽだなんて常識さ」 「常識だったんですか……」 「知らないのはあんただけさ。 さっさと帰った帰った。通行の邪魔だ」 「いえ、きららさんに 会いに来たんじゃありません」 「オレに会いに来たとでも? 悪い冗談だ」 「冗談じゃありません。 大家さん、貴方に会いに来ました」 「家賃は口座振込みだよ」 「家賃じゃありません。 貴方と話しに来ました」 大家さんはしばらく俺の顔をしげしげと見ていたが、ふん、と鼻を鳴らし。 俺に背を向けると、塀の中に入って行ってしまった。 俺は無言でついていった。入る時に門に鍵を掛けたのは言うまでもない。 「俺の事を余所者だっていいましたね」 「どうだったかね。 歳を取ると記憶力が悪くてね」 「貴方はこの町出身じゃない碌でなしと、 つきあった事があるんですね」 「あんたに言う必要はないね」 「その人は、どうなったんですか? 貴方を捨てて町を出て行ったんですか?」 俺はわざと、捨てて、と言ってやった。この食えない人を挑発して、言葉を引き出してやろうと思ったのだ。 「成る程。 あんたきららとやったってわけかい」 「……は?」 「だから、この町を出て行こうってわけだ。 ふん。安い男だね」 「俺はそんな男じゃありません!」 「安かろうが高かろうが、 出て行くんだろう?」 「そういうわけじゃありません! ただ、この町を離れなければいけない可能性が あるかもしれないってだけで――」 「ふん。そういう事かい」 話を引き出されたのは俺の方。相手は老獪さで数段上だった。 もしかしたらきららの様子で、事前に何事か察していたのかも。 大家さんは煙草を取り出すと、慣れた手つきでマッチを擦って火をつけた。その仕草はやはり様になっていた。 「ボンボン。 あんたの店はチェーン店だったな。 大方、転勤の話でも出て来たんだろ?」 「単なる噂です。 それに、あの支――支店は開設したばかりですから、 俺がすぐどうこうなるわけでは」 大家さんは俺に煙草の煙を吐きながら、 「孫はそれを知って、 思い出したってわけだ。 あんたが余所者だって事を」 「……」 懸命に考える。そうだ。ここまで判ってもらってるんだったら。かえって話は早いじゃないか。 俺は本題を切り出した。 「貴方は…… どういう男がろくでなしだと思いますか?」 「目の前にいるさ」 「俺はきららに対して、 ろくでなしになりたくないんです」 「あきらめな」 「あきらめません! 俺はきららと、きららとずっと居たいんです。 そして、貴方にも認めて貰いたいんです!」 「そりゃ、百万年経っても無理な話さ。 町を出るまで、ろくでなしはろくでなしなりに、 せいぜい孫の体でも楽しむんだね」 「そんなの嫌だ! 俺は、俺は」 「何を怒ってるんだい? 寛大さに感激されたって 罰は当たらないと思うんだがね」 落ち着け俺。ここで怒って席を立てば、この前と同じだ。怒りに任せていたらフライトだってうまくいかない。 俺は大きく息を吐いた。 「貴方がろくでなしと言う人達は、 こういう時、どういう行動を取ったせいで、 貴方にろくでなしと言われるんですか?」 「……」 大家さんは大きく煙を吐いた。煙は見事な輪になって、居間の空気へ溶けていく。 「過去の経験から学んで、 自分は別の運命を掴もうって言うのかい、 欲どしいこった」 「……」 「夢を捨ててこの町に留まったさ」 「……それはろくでなしじゃ、 ないんじゃないですか?」 「奴の夢はその程度だったって事さ。 捨てられる程度の夢だった。 だから捨てられたのさ。たかが女の為にな」 「たかがって――」 「それって前言ってた、 『誰も読まない駄文を一生書いたり』 って人ですか?」 「ほう。 あんたにも脳みそってもんがあったとはね、 驚いたよ」 「『ありもしない彗星を求めて一晩中起きてる癖に、  働かないアホ』――」 俺はハッとして振り返り、仏壇に飾られた写真のうち一枚を見た。 初老の男は気難しそうに口を噤み、背後には小型の望遠鏡が写っていた。 「……旦那さん?」 「ああ。そうさ。ろくでなしさ」 「でも…… ああやって写真を飾ってる」 大家さんは短くなった煙草を灰皿に押し付けると、次の煙草を取り出した。火をつける仕草も吸う仕草も様になっている。 「そりゃ。 ろくでなしでもきららの祖父だからね」 「何でろくでなしなんですか。 彼は夢より貴方を選んだ。 彼にとって貴方はたかがじゃなかった!」 俺はきららの為にトナカイを辞められるか?少なくとも、きららのお祖父さんはそうした。俺は? 俺はどうすれば? 「たかがさ。奴にとって夢もオレもたかがさ。 さっき言ったろ。捨てられる程度だったとね」 「でも、夢を捨てるって言うのは、 それは大変な事です!」 それこそを俺は求められているのか。そうなのか。そういうコトなのか。それが誠実さなのか。 「ふぅん。あんたは、 捨てられない夢がある。 そういうわけかい」 「!」 「そしてそいつに殉じれば、 この町から出て行く事がありえるんだろ?」 「で、でも、でも俺は きららの為なら」 為なら?為ならどうする?本当にトナカイを、空を、俺は、 「あんた、夢の残骸って奴を 見たことはあるかい?」 「夢の……残骸?」 「オレはあるさ。 夢の残骸はな、うちの縁側に転がっていたさ。 原稿用紙と望遠鏡と一緒にな」 「仕事にも行かず、日がな一日ぶらぶらして、 不意に原稿用紙につまらない文章を書き殴る、 書き殴っては破く。ゴミの始末が大変だったさ」 「……」 完全には捨てられなかったのか。 「見たくないねあんなのは、 生きながら腐っていくっていうのは、 一番残酷な見世物さ」 「でも、何か書いたものは残ったんでしょう? 全部、破ったわけじゃないでしょう?」 「駄文さ。本当の駄文。面白くも不愉快でもない。 単につまらない文章。そんなのを残されて、 どうしろって言うんだ?」 「……どうしたんですか?」 「一緒に燃やしてやったよ。 あんなもんは人の目に触れさせちゃいけないのさ。 あんな見世物見せられるのはオレだけで充分さ」 「……」 俺はトナカイと空を捨てられるか? 捨てられるだろう形の上では、それくらい今の俺はきららが好きだ。 だけど。俺は空を恋しがるだろう。間違いなく恋しがるだろう。 きららのお祖父さんは空を捨てた未来の俺だ。 「まぁ、夢を追いかけたところで、 大したもんにはならなかったろうがね」 空恋しさは日々の行動にも出て、他の仕事についても空の事、トナカイの事ばかり考えてしまうだろう。 そんな奴にまともに仕事が出来るわけがない。 そして俺が空を捨てた事は、きららを苦しめるだろう。 捨てるに捨てられない夢の残骸を後生大事に抱えた俺は、そこにいるだけできららを苦しめるだろう。 「でも……夢を追いかけても……。 余所者は余所者で…… ろくでなしだと言うんですね」 「ようやく判ったようじゃないか、 それならせめて夢を追いかけるろくでなしになりな」 「でも……俺は……」 涙が出てきた。この人の言ってることは正しいかもしれない。いや、きっと正しい。 俺はトナカイを空を捨てられない。でも、それでも俺はきららと。 ああ、恥ずかしい。人前でぽろぽろ泣くなんて。でも、どうすればいいかやっぱり判らなくて。 「俺は……」 夢が捨てられない事を悟らされただけで。何も、何一つ進展しなかった。あの虚無は、俺達の未来から消えようとしない。 「……」 大家さんは、ふかしていた煙草を灰皿に押し付けて消すと 「孫は馬鹿じゃない。 もしあんたの夢が、あんたにとって必要なら、 あんたから夢を取り上げなんかしないさ」 その声はやさしく胸にしみた。だけどやさしさが悔しかった。 「……」 俺は涙をぬぐって顔を上げた。 「ふん。ボンボン、あんた青臭いね。 せいぜいさかしらぶって、悟ったように、 そん時はそん時だとか言うと思ってたんだがね」 「言いませんよ……」 「言ったら殴ったさ」 ようやく判った。この人は、俺を嫌っているわけではないんだ。 ただ知っているんだ。夢を諦めきれない人間の無残さを。 「まぁ、孫の心配なら無用さ。 この町にいる限り、孫はなんとでもなる。 周り中があの子を助けてくれる」 「遊び友達と生まれ故郷っていうのは、 悪く無いもんさ」 きららが苦しむのを少しでも減らそうとしているだけなんだ。 「でも……でも……」 俺の夢ときららの夢。両方を持ったまま一緒にいられる方法はないのか。 「まぁそれに…… どうしようがいつか人は別れるのさ」 「どんなに気の合う奴らとだって、 いつまでも一緒に遊んではいられないのさ」 「あんちくしょうなんて、 永遠に一緒だと思ってたのによ。 いつまでも夢を見られるもんだと思ってたのによ」 庭木さん達のことか。 大家さんは、新しい煙草に火をつけてゆっくりとふかした。 「……それにしてもあんたら、 たまには、金で解決出来る問題を持ち込みやがれ、 オレの資産が泣く」 「あんたらって……俺ときららですか?」 「金で解決できねぇことか、 金で解決しちゃいかんことを金で解決しちまうか。 金をなんだと思ってるんだよ。全く」 「……」 「つまりだ。 あんたが孫の腹をふくらしても、 金でなんとか出来るって事さ」 「……」 こういうのは、この人の照れ隠しなのかもしれない。 でも、やっぱり。この人はばばぁと呼ぶのがふさわしかった。 「このルートは使えそうね」 俺はゴーグルを下ろして上を見た。確かに昼のクモの巣のように光っている。 「……だが薄いぜこれ」 「3回は使えるでしょう?」 「……ギリギリだな。 安全を考えれば1回だ」 「じゃあ3ね」 りりかはニュータウンの地図にルミナのルートを書き込んでいく。ななみのより全然見やすい。 「これでおしまいね」 「おい。まだこの地区が」 「国産! あんたがいるとかえって時間がかかるの」 「……」 「判ったらさっさと行きなさい」 俺はまだ答えを見つけていない。だからまだ、きららには会えない。 だけど、あの人なら俺にヒントをくれるかも知れない。 「あー、中井さんだぁ」 会えたのは良かったけど。なんでこの人はここにいるんだ? 寒いのに、とっても寒いのに。雪までちらついてるのに。 「ええとねぇ。 中井さんがそろそろわたしに、 会いたがってるかなぁって思ったから」 「エスパーですか?」 「ううん。 不思議だなぁってお顔をしてたからだよぉ」 「ここなら探しに来るでしょう? それに今のじかん、きのした玩具店さんの 休み時間だったとおもうしねぇ」 凄い記憶力だ。 「それにねぇ、みすずさんがねぇ、 あのばかがオレのところにきたって、 きのう言ってたからねぇ」 俺と会うのを予想していたのなら好都合。単刀直入に聞いてみよう。まぁ、婉曲に聞くなんて俺には無理だが。 「神賀浦さんは、 隣のお姉さんでもなければ親戚でもない、 きららと自然な接点があったわけじゃない」 「うん。そうだねぇ。そのとおりだねぇ」 「でも、あなたはきららの、 お姉ちゃんになってる」 「中井さんはそう思うんだぁ。 うれしいなぁ」 「誰が見てもそう思うだろ」 「そっかぁ……うれしいなぁ」 俺は、本題をぶつけた。 「どうやって、 お姉ちゃんになったんですか?」 この人は、しろくま町の人ではあった。でも、きららとは血の繋がりのない赤の他人。その点では俺と一緒だ。 だから、この人なら、結び続ける方法を知っているかもしれない。 「あんまり参考にならないと思うけど、 それでもいいのかなぁ?」 「かまいません」 「えっとねぇ……どこから話そうかぁ?」 「最初からでいいですよ。 頭が悪いんで」 「中井さんは、 サンタを信じているんだよねぇ?」 「え、ええ、でもそれが どう関係してくるんですか?」 「きっかけはねぇ、 サンタさんからもらったプレゼントだったんだぁ」 一瞬、神賀浦さんがぶら下げていた靴下に、きららが入っていた光景が浮かんだ。 「あー、わたし、 妹が欲しかったんだよぉ」 「お姉ちゃぁん」 ……いや、無理だろうそれは。靴下の大きさからして物理的に。 「どんなプレゼントがきっかけだったんですか?」 神賀浦さんは一人の小説家の名前をあげた。生涯ショートショートを1000篇書いたので有名なこの国のSF作家だった。 「その人の全集が入ってたんだぁ」 「随分と……でかい靴下ですね」 「うん。自分で編んだんだぁ。 おおきいの作れば、 いっぱいプレゼントがもらえると思ったからぁ」 「意外と欲が深いんですね」 「でもないよぉ。 あの親にしてこの子ありだよぉ」 この人には実の親。一体今どうしているんだろう?どういう親子関係なんだろう? 少なくとも欲深いという評価は、好意を意味してはいないだろう。 「……どうして、 サンタのプレゼントだと思ったんですか?」 「だって、わたしのパパとママは、 あんなぷれぜんとくれるわけがないんだから」 「プレゼントをくれなかったわけじゃ ないんですね」 「うん。毎年くれたよぉ。 参考書とか文部省推薦のえーがのビデオとかぁ べんきょうつくえ、バイエルのがくふ、とかぁ」 不思議なラインナップだった。 「そういうのを欲しがるなんて。 随分と、その、いい子だったんですね」 「違うよぉ。わたしが望んだんじゃなくてぇ、 パパとママが望んだものがきたんだよぉ」 「え…… じゃあ、クリスマスのプレゼントは、 ご両親がくれるんだって知ってたんですよね」 「うん。知ってたよぉ」 おかしい。それなら、サンタを信じていない筈だ。サンタからプレゼントは届かない。 「でもねぇ、ある日、おもったの」 「みんなはクリスマスプレゼントを とても楽しみにしてるのにぃ、 どうしてわたしは楽しみにしてないんだろうって」 「ちょっと考えたらわかったのぉ。 わたしはパパとママからもらってるけどぉ、 みんなはサンタさんからもらってるからだって」 「だからねぇ。わたしは、 サンタさんから 直接プレゼントをもらうことにしたんだぁ」 「それで……靴下を?」 「うん。ママに頼んで手に入れるとぉ、 見知らぬ人からものをもらっちゃいけませんってぇ ぜったいに反対されるからねぇ」 「ママが捨てたセーターをほどいてねぇ、 家にあったあみものの本をこっそり読んでぇ、 それでくつしたをあんだんだぁ」 「毛糸くらい買ってもらえば……」 「お勉強にかんけいないものはねぇ、 なーんにもかってくれないんだもん」 そうか。この人は何でも出来た神童。ご両親はこの人に期待してた。 だからクリスマスプレゼントまで、参考書に、文部省推薦の映画のビデオ、勉強机、バイエルの楽譜。か。 「じゃあ、 そういう娯楽の本を読むのも 初めてだったんじゃないですか?」 「うん! とってもおもしろかったぁ。 世界がぐるんと引っくり返ったかと思った!」 「だって、わたしねぇ、それまでは、 お勉強の本しか読ませてもらえなかったんだもん」 「しかもねぇ、マンガもテレビもゲームもラジオも、 頭が悪くなるからって禁止されて、 ラジオ体操と英会話以外はきけなかったんだぁ」 「音楽もクラシック以外は全部禁止で、 小説も教科書にでてくるのいがいは、 読ませてもらえなかったしぃ」 「えーがも文部省が推薦したえーが以外は、 みちゃいけなかったんだよぉ。 馬鹿みたいだよねぇ?」 「……」 馬鹿みたいだ。だけど、俺はそう答えることが出来なかった。 ご両親はこの人によかれと思ってしてたのだろうから。 「でも、それがとーぜんだと思ってたんだよぉ。 でも、すごくつまらなくてねぇ、 毎日がどーでもよかったんだぁ」 「だけどねぇ、その全集のおかげでねぇ、 世の中にはおもしろいものがあることが、 初めてわかったんだぁ」 「おーいでてこーい、 世界はこんなにおもしろいんだよーって その全集に言われたんだぁ」 「サンタは……素敵な仕事をしたんですね」 「うん。サンタさんって素敵だよねぇ」 ちょっと感動。 何もかもつまらないと思っていた女の子には、世界に面白いものがあるんだよ、というしるしをプレゼントしたのだ。 「今でも、その全集持っているんですか?」 「ううん。 ママに燃やされちゃったぁ」 「え…… つまりそれは…… 間違って燃やした……とかですよね?」 そう聞き返させたのは多分、俺の願望だろう。答えは判っていた。 「ちがうよぉ。 わたしの前で1ぺーじ1ぺーじひきさいてぇ、 裏庭のたきびにほうりこんで燃やしたんだよぉ」 「でもねぇ、もう全部覚えてたから、 ママのしたことは なんの意味もなかったんだけどね」 そうだろうか。本当にそうだろうか。 子供が初めて楽しんだ本を燃やす親。そんな光景がこの人に何も影響しなかったわけがない。 「それでねぇママは言ったの。 こんなくだらない物はすぐ忘れて、 数式のひとつでも覚えなさいってねぇ」 「あなたは神に選ばれた子供なんだから、って」 「……」 「あー、それからねぇサンタさんからの プレゼントをもやされちゃったことはねぇ、 きららちゃんに言わないでねぇ」 「どうして……ですか?」 「きららちゃんは、このプレゼントがねぇ わたしのパパとママから贈られたって 信じたがっているからねぇ。やくそくだよぉ?」 「………」 きららは神賀浦さんに言ってた。『お姉ちゃんが思っているよりも、 ご両親はお姉ちゃんの事を考えていたんだ』と。 確かに、神賀浦さんのご両親がその本を娘に贈ったのだったら、サンタに贈られるよりも素敵だったろう。 だからきららにとって、サンタはいないほうがいいものだったのだ。このお姉ちゃんとその両親のために。 だから、俺たちサンタの姿を見ても、見間違えですまそうとしていたんだ。 「だめ……かなぁ? うーん。困っちゃうなぁ」 「きららは……いい子ですね」 「あたりまえだよぉ」 「それで。サンタからの贈り物が、 きららとどう関係してくるんですか?」 「それでねぇ、こんな面白いんだから、 誰かに話したいなぁって思ったんだぁ」 「それで……きららに?」 「うん。うちの近所で話してたらぁ、 すぐパパかママに見つかっちゃうからぁ」 「だから、近所じゃなくて、 ちょっと離れたところで?」 「うん。でもねぇ。 とーじのわたしは人にものを話すの苦手でねぇ、 みんな変な顔して逃げちゃうんだぁ」 そりゃそうだろう。いくらご町内で有名な人とはいえ、急に語りかけられたら。 「……なぜいきなり町の人なんですか。 学校の友達とかに話せば」 「いなかったんだぁ友達。 禁止されてたんだぁ。学校で友達作るの。 くだらない人間がうつるからって」 「あははぁ。 馬鹿みたいだよねぇ?」 「……」 「それでねぇ、 けっきょく聞いてくれたのはぁ、 きららちゃんだけだったんだぁ」 「そしてねぇ、たしかねぇ、素敵な鍵をひろって、 それにあう鍵穴をさがして、世界中を旅する人の 話をした時ねぇ、きららちゃんが言ったんだぁ」 「お姉ちゃん、さびしいの? ってねぇ」 ああ。なんてきらららしい。 「そのお姉ちゃんって言葉に、 わたしねぇ、感動しちゃったのぉ。 そしてねぇぽろぽろ泣いちゃったの」 「それでねぇこの子のおねえちゃんに、 なりたいなぁって思っちゃったんだぁ。 つまり一種のひとめぼれかなぁ?」 「泣き出したわたしをねぇ、 きららちゃんは家まで連れてってくれてぇ、 お味噌汁とご飯をごちそうしてくれたんだぁ」 「きららちゃん、 その頃はまだそれしかできなくてねぇ」 つまりそれは、大家さんときららが二人暮しを始めてそれほど経っていない時。 「でも……あったかくておいしかったなぁ」 いくら選択したと言っても、ご両親と弟がいなくなって、大家さんに邪険にされて、きららだって寂しかったのだろう。 この人だって、軽い口調で喋っているけれど、寂しかったのだろう。 「それから、どうやってお姉ちゃんになろうかって 毎日毎日精一杯考えてぇ、 きららちゃんを観察してぇ、お話してねぇ」 「ほとんどストーカーですね」 「違うよぉ。隠れてなんてしなかったものぉ。 きららちゃんがどんどんかわいく見えて来てねぇ もう一直線だったよぉ」 「でもねぇ、ほら、 生まれついてのお姉ちゃんじゃないから、 それなりに努力したよぉ」 「きららちゃんも、みすずさんも料理上手でしょう? だから二人のやらないジャンルの中華料理を 出来るようにがんばっちゃったりねぇ」 「そのうちねぇ、前、お話ししたようなりゆうでね、 きららちゃんにお勉強を教えるようになって、 全教科で赤点をとるのを阻止したんだぁ」 「……それまでは取ってたんですか」 「うん。そうだよぉ。 いつも再試験でなんとかクリアしていたんだぁ。 だから学校の先生がびっくりしたらしいよぉ」 「それでねぇ、ちょっと評判になって、 庭木さんが、ジェーンさんに お孫さんの家庭教師にどうだいって」 「それからだよぉ。 家庭教師のおしごとが来るようになったのは。 そのお金でようやく引っ越したんだぁ」 「きららの家の近くへ?」 「うん。そーゆことぉ。 これできららちゃんのうちへ、 気軽にいけるようになったのでしたぁ」 「実家を出たってことですよね?」 「うん」 「ご両親はその事を……?」 期待していた娘が、期待とは違う行動を取り出して、何もなかったわけがない。 「パパもママもいかりくるってねぇ、 たいへんだったんだぁ。 怒鳴られてなぐられてもうたいへん」 「な、殴られたんですか!?」 「そう大したことないからぁ、 いちばんひどいのだって、 頭を5針ぐらい縫っただけだからねぇ」 「……」 「あれれぇ? 中井さんが、 そんなにつらそうな顔をすることはないんだよぉ。 もうおわったことだからねぇ」 「だから……だからって言って、 娘を殴って怪我させるなんて」 なんてひどい話なんだ。 「あー殴られて怪我したんじゃないんだぁ。 殴られた時にねぇ、キッチンの角にぶつけてねぇ、 それで切っちゃたんだぁ」 事実はもっとひどかった。 「でもさぁしかたがないんだよぉ。 わたし、きららちゃんと離れたくないからぁ、 大学にもいかなかったんだもんねぇ」 「……」 「ほんとぉに中井さんはいい人だねぇ、 ちょっときららちゃんに似てるなぁ。 ひとのことなのに泣いちゃうなんてねぇ」 「似てますか……?」 「うん。きららちゃんねぇ、 わたしが病院に運ばれる時 つきそってくれてねぇ」 「自分が痛いみたいにねぇ、 わんわん泣いてくれたんだぁ。 あったかい涙だったなぁ」 「それで…… 結局はどうしたんですか?」 「ママはねぇ。わたしに言ったんだぁ。 おまえをここまで育てるのに 2000万かかったんだぁってぇ」 「……」 「あ、そうかぁって気づいたんだぁ ママとパパの怒りって、 2000万円分なんだってねぇ」 「だから言ったんだぁ、 じゃあ毎月少しずつ返すからってぇ、 そしてねぇとりあえず現金で20万かえしたの」 「……お母さんは、 それを受け取ったんですか?」 「うん。そうだよぉ。そしてねぇ。 払えるあいだはせいぜい勝手にしなさいって、 言ってくれたんだぁ」 「それからはねぇ 毎月さいていでも20万ずつ振り込んでたんだぁ。 やくそくだからねぇ」 「ご両親は……何か言って来ないんですか?」 「なにも言ってこないよぉ。 だって、払ってるあいだは好きにしなさいって 言ってくれたんだよぉ」 「わたしは ちゃーんと約束を守っていたんだからさぁ」 「……」 もしかしたら。神賀浦さんのお母さん(あるいは御両親)は娘がそのうち音を上げると思ったのかもしれない。 だけど、この人は今でもお金を払い続け、それゆえご両親は娘には何も言えなくなったのだ。 心をお金で換算してしまったから。 「みすずさんの言ってる通り、 お金でなんでも買えるんだねぇ。 お金っていいものだよねぇ」 大家さんが『金で解決しちゃいかんことを金で解決しちまう』と言ったのは、この人の事だったのか……。 「中井さん、だからねぇ、 もうわたしのことは解決してるんだからぁ、 そんなにかなしそうな顔をすることないんだよぉ」 「解決してないじゃないですか! だって、神賀浦さんがお金を払っている限り――」 「だからねぇ、解決したんだよぉ。 この前、返済が完了したからさぁ」 「……」 なんて悲しい解決なんだろう。 「うーん。そんな顔されると困っちゃうよぉ。 ええとね、この世にはどーしよーもないこととぉ、 どーにかなることがあるんだよぉ」 「わたしとパパとママのことは、 どーしよーもなくて、どーにかなったんだからぁ、 もうね、そんな顔することないんだよぉ」 「……」 「どう? わたしの話は参考になったかなぁ?」 「よく……わかりません」 判ったのは、この人がきららのお姉ちゃんのポジションを、なんとなく得たわけではないということ。 自分で選んで、色々な犠牲を払って、その位置に居続けているんだということ。 「そっかぁ……わかんないかぁ」 「でも…… どういう経緯があったとしても、 あなたはきららのお姉ちゃんです」 この人はその為になら、なんでもする覚悟が出来ている。 俺にその覚悟があるだろうか? 「うふふぅ。ありがとう。 きららちゃんの恋人さんに、 そう言ってもらえるとうれしいなぁ」 「……」 「……神賀浦さんは考えませんか? きららがこの町を出て行ったら、 自分ときららはどうなるだろうとかって」 「その時にならないとわからないなぁ。 でもさぁ、中井さんはさぁ、 きららちゃんがこの町を出て行くと思う?」 「ありえない事じゃないでしょう?」 「じゃあさぁ、中井さんはさぁ、 自分が生き方をかえることがある……じゃなくてぇ できるって思うのかなぁ?」 「……」 出来ないだろう。俺は空を捨てられない。それは大家さんに気づかされた。 「出来ると思っているなら悩まないと思うんだよぉ。 きららちゃんもおんなじだと思うよぉ。たぶん」 「そう……ですね」 「あのねぇ、わたしはねぇ、 未来なんか考えなくていいと思うんだよぉ。 どうせ判らないんだからさぁ」 「どーしよーもないことも、 最後にはどーにかなるんだからねぇ」 「中井さんも、きららちゃんも、考えすぎだよぉ。 その時がきたら考えればいいんだよぉ」 「……」 そうなのかもしれない。そう考えられればいいんだろうと思う。 だけど。俺は。おそらくきららも。 空ばかり考えていた俺。この町での未来しか考えてなかったきらら。 俺たちはお互いの人生の有り得なかったはずのエトランジェ。 「中井さん。 そろそろ時間あぶないんじゃないかなぁ」 慌てて時計を覗くと、休み時間はほとんど終わりだった。 りりかに迷惑がかかってしまう。 「本当にすいませんでした! あんまり話したくないだろうことを 話させてしまって」 「いつかさぁ」 「はい?」 「きららちゃんと、みすずさんと、 とうまさんと、わたしの4人で 麻雀が出来るといいねぇ」 「麻雀……ですか?」 「だって家族4人いれば、 麻雀が出来るでしょう? スコットランドヤードは無理だけどねぇ」 ほんとうにそんな風になれたらどんなに素敵だろうと思った。 「ここ……今日は飛べそうですね」 俺はゴーグルを下ろして上を見た。確かに昼のクモの巣のように光っている。 「……昨日はなかったよな、 このルートは」 「確かおとといにはありました。 このルートが一度でも使えれば、 10分は短縮できると思います」 「一度しか使えないな、こいつは。 その上、出たり消えたりか……。 不安定だな」 ニュータウン上空の薄いルミナ密度。しかも飛べるくらい濃いところさえ、多くて3度のフライトに耐えるのが精一杯。 「……」 硯はニュータウンの地図にルミナのルートを書き込んでいく。習字でもやってたのかキレイな線だ。 「……」 不意に硯は顔をあげると、俺の顔を物言いたげに見つめる。 「な、なんだ?」 「え、ええと、あの……ですね」 「後は私がやっておきますから……」 なんだこのデジャブは! 「もしかして……。 ななみ、りりか、硯と三日続けて俺を 観察のパートナーに選んだのは……」 「な、なんのことでしょうか? わ、私はその、ただ、その、 一人で出来るからというだけです……」 「……」 「べ、別にきららさんと 仲直りするための時間を作ろうだなんて、 そんな事は考えていな――」 「あ、ごめん」 きららに登録した呼び出し音を聞いた俺は、急いで携帯電話を取り出して開いた。 「きらら!?」 「えっ」 なんできららから?俺より先に抜け出したのか? 「も、もしもし」 「……」 「もしもーし」 早く声が聞きたい。 「あ、ご、ごめん。 あ、あの……トーマ お、お久しぶり」 ああ。きららの声だ。それだけで嬉しくなってしまう。 「あ、うん。そうだな……。 いや、たった3日じゃないか」 3日でも長かった。 「そ、そういえばそうだね。 あ、あのね。今、周りに人いる? トナカイとかサンタとか聞かれちゃまずい人」 「いや、硯しかいない」 「そ、そう……なら大丈夫だね」 「なにを?」 話が見えない。 「あのね。その……トーマ。 サンタでもトナカイでもいいけど、 頭が悪くてもなれるの?」 「……急にどうしたの?」 「あのね。うーんとね。 その……私でもなれるのかなって」 「なれると……思うぞ」 きららがサンタになる。それは確かに嬉しい。志願すれば一緒に転勤だって出来る。 「……」 「あ、あのね。だからね。 その、入学案内とかあるのかなぁって、 あるのなら見てみたい」 「……どうだろう。 俺にはちょっと……」 「どこにいけばそういうの手に入るかな?」 「聞いてみる。 何か判ったら連絡する」 「ありがとう。 急な話でごめんね」 「いや、きららの話ならいつでもさ」 「………」 「……きらら」 「あ、あの仕事中なんでしょう? ほんと、ごめんね。じゃあ」 「あ、ちょっと」 「も、もしかして……その……」 「別れ話じゃないから」 「ほ……よかったです」 「きららがさ。 サンタになりたいって」 「あ……それなら問題は解決ですね」 「……どうだろうな」 どうして?きららは選べたのか?俺と違って、あきらめられるのか? 「オー、ソコイクヤングメェン、 ユーハ、ミーヲサガシニキタノデッスネー」 ボスはすぐに見つかった。というか見つけられたのは俺だった。 「ええ、まぁ」 「ダガイマ、ミーハイソガシイノデース! ナイトニハ、タイムヲトリマッスノデー ミーノヤシキヘゴショウタイイッタシマッス」 「用があるのは俺じゃなくて」 「フゥム。マスマスソレハ、 ココデ、リスニングデキルコトデハ ナイノデッスネー」 「ソノプリティーガールヲ ミーハウスマデツレテキテアゲナッサイ、 マッテマース」 ボスはポケットから何かを取り出すと、俺のポケットに押し込んだ。 「デハッ、ミーハワークノ トッチュウナッノデー、 ナイトニマッタアイマショウ!」 ボスが行ってしまった後、残された俺はポケットにいれられたものを取り出した。 それは真っ赤な蝋で封印までされたサー・アルフレッド・キング邸への招待状だった。 「……」 「……」 たった三日ぶりなのに、とても久しぶりな気がした。 何を言えばいいんだろう?質問があるはずだった。でも、言葉がうまく出てこない。 「待った……?」 「いや、 今、来たところだから」 「よかった……」 きららは少しだけ笑った。でも、どこか陰がある気がした。 「なぁ、きらら」 「なに?」 イブが近い町は華やぎを増しているはずだったけど、どこかくすんで見えたのは、俺の心のせいなのか。 「サンタになる……つもりなのか?」 「……」 「なれれば、なりたい」 「ううん……ならなくちゃいけない。 そしたら、私がサンタで、 トーマがトナカイで」 「公務員は……どうするんだよ?」 訊かずにはいられなかった。 「……」 「どうせ……なれないよ。 私、頭悪いから」 「……」 「それじゃ、 サンタが頭悪いみたいじゃないか」 違うだろう。そうじゃないだろう。俺。 「でも、ほら、 私、サンタの適性があるんでしょう? 公務員の適性は……多分ないもの」 俺がこの人を曲げたのか。曲げてしまったのか。 「……」 でも、きららがサンタになれば、ずっと一緒にいられる。俺は夢を見続けられる。 だけど。 「知らなかった…… ここが……このお屋敷が この地域のサンタさんの首領のお屋敷……」 「き、きっと庭をドーベルマンが徘徊していて、 柵には高圧電流が、庭には地雷が!」 「サンタの屋敷にそんなのあるわけないだろ?」 「だ、だって、こんな凄い招待状なんだよ!? しかもこのお屋敷なんだよ!? 池には200万円の錦鯉とかいそうだよ!」 「きらら落ち着けって」 「そ、そうよね。 こんな洋館に錦鯉はいないわよね」 「落ち着く方角が違う! 大丈夫、きららだってよく知ってる人だから」 「え、ええっ!? わたしサンタの首領なんて知り合いにいないよ!? いつのまに会ってたんだろ?」 「会えば判るさ」 「どどど、どうしようトーマ。 わたし知らない内に、無礼なことしてて、 その人に嫌われたりしてるかもっ!?」 「そうしたら…… 試験も受けさせてもらえなかったりしたら どうしようトーマぁ!」 「……」 その方がいいんじゃないか、となぜか思ってしまった。 「私がしろくま支部の総責任者。 サー・アルフレッド・キングである」 「わ、私はわ、鰐口きららとも、申します! 急なそのアポイントでご迷惑か、かけて、 申し訳ありませんでした!」 「……」 「中井君。彼女に話していないのか? 私が何者か?」 「会えば判るだろうと思ったので」 「御免なさい! 全然心当たりがないんです! もし、その時無礼を働いていたりしたら、 ゆ、許してください!」 「……」 「ヘイ! ヤングウーメン! ミーノフェイスヲ、フォーゲット シテシマッタンデスカ! オーサッド!」 「……」 「あ、ああっ! あのサンドイッチマンさん! 女の子にモテモテの!」 「如何にも」 「確かにそう言われて見れば…… 面影があちこちに……」 「彼女は、 サンタになる方法を知りたいんです」 サンタになりたがっているんです。とは言えなかった。 「ふぅむ」 「彼女は…… 何の訓練も受けていないこの今でさえ、 ルミナを見ることが出来るんです」 「そ、そうなんです。 あの……確認するならここで」 「確認するまでもない。 その件に関しては、 ここの支部のサンタ達から報告を受けている」 「じゃ、じゃあ! 私にはサンタの適性があるっていうのは、 ご存知なんですね!」 「了解しておる」 「あの、私、サンタにならなくちゃいけないんです! もちろん、適性だけでなれるとか思ってません! 試験とかちゃんと受けて、勉強もします!」 「なるほど」 「あの…… 試験とかあるんですよね?」 「……」 ボスは全てを見抜くようなまなざしで、きららのことを見ている。 「わ、私、 あんまり頭よくないんですけど、 で、でも頑張ります!」 「……君の歳でサンタを志願する人も いないわけではない」 「もちろん、 その中でサンタやトナカイになれる者もいる」 「いるんだ! じゃあ、方法があるんですね!」 「真に必要なのは、方法ではない」 「え…… でも、いきなりサンタになれるんですか?」 「訓練、学習それはもちろん必要だ。 だがそれ以前に必要なものがある」 「基礎学力……ですか?」 ボスは俺を見た。 「中井君。 サンタになるために 必要なものはなんだと思う?」 基礎学力? 才能? 猛訓練?いや、違う、それ以前に必要なものだ。 「サンタに限らず、 夢をかなえる時に必要なものだ」 「……」 俺がトナカイになる前にすでにあったもの。 「それがあれば、 私もサンタになれるんですね!」 「なれるよ。間違いなく。保障しよう。 なぜなら、そこにいる男も、 それがあったが故にトナカイになれたのだから」 「ねぇ、なんなのトーマ! それはなんなの!」 俺がトナカイの存在すら知らず。ただ空にあこがれていた時に、すでにあったもの。 そうか。 それは漠然としたもの、だが、確かに必要なもの。 「きららは…… あこがれているのか?」 「え……」 「俺は空にあこがれていた。 そしてトナカイとサンタの存在を知った時、 すぐあこがれは形になった」 俺はトナカイになる前から、いつか空を飛ぶ自分を知っていたのかもしれない。 トナカイの存在を知った時、それは運命を射抜く矢のように俺を貫き、空を飛ぶ自分はトナカイ以外ありえなくなった。 「サンタになっている自分を、 想像できるのか?」 「わ、わたしは」 ボスの静かな声が響いた。 「それが答えです」 「きららさん。 あなたは、サンタをやっている自分が 想像出来ますか?」 「………」 「みんなびっくりするだろうな。 私の恋人は空を飛ぶトナカイだって知ったら」 イブ当日とはいえ、朝の氷灯祭会場は、まだ静かだった。 「大家さんだったら、 ふん、オレの思ったとおり、 ふわふわした職業だね、とか言うだろうな」 「ふふっ。だろうね」 俺たちの足元から、昨夜降ったばかりのやわらかい雪を踏む音がさくさく、と響く。 「自分でもびっくりだよ。 恋人がトナカイだなんて、 しかもサンタじゃなくてトナカイ」 この朝の時間を過ぎれば、俺はイブの準備と本番フライトで忙しく、きららは氷灯祭の準備と本番で忙しい。 天と地。恋人同士なのに、イブには一緒にいられない。 「ちなみに、 どんな男が恋人になると思ってた?」 「そうね…… 具体的にはどう、と言うのはなかったけど、 手に職がある人かな?」 「堅実だな。 いかにもきららっぽい」 「トーマは手に職があるプロだわ」 「まぁ……ね。 でも堅実じゃない」 夢みたいな。いや夢そのものの職業。 「堅実だよ。 世界に子供がいる限り、 なくならない職業だもの」 「そういう言い方もあり、か」 「トーマは?」 「……」 「考えたことも無かった」 「それは、つまり、 女は体だけだぜうえっへっへっへ。 みたいな?」 「しかも給料のほとんどを飲んじまう 飲む買う飛ぶ3拍子揃った 鬼畜DV男とは俺のことさ!」 「おお! こわーい。 でも真面目な話、 保険くらい入った方がいいよ?」 「大丈夫! サンタとトナカイが強制加入させられる、 ホワイトクリスマス保険があるから」 「掛け金払ってる?」 「給料から天引きです。 うちの組織はその辺しっかりしてるから」 「天引きしないと、 全部飲んじゃいそうだものね」 「きららが俺をどういう目で見てるか、 おぼろげに判ってしまったぞ」 「あの酒瓶の山を見たら……ね?」 「う」 「あ、あのな」 「ごまかした」 照れ隠しもあって、ちょっとぶっきらぼうに。 「おほん。 これ、きららに」 「こ、これは!? 『しろくま壱番館』の人気ファンシーショップ、 『ホワイトくまっく』にしか売ってない封筒!?」 「え、きららでもあの魔界へ 入ることがあるのか?」 きゃぴきゃぴした女の子だけで埋め尽くされて、男はいたたまれない気分になるあそこは、まさに魔界。 「ま、まぁ一応私も女の子ですから、 在学中には友達とつるんで、 冷やかしてましたよ」 買ったことはなさそうだ。 「トーマ! あそこは入っちゃだめって言ったでしょ! あれは観光客向けのショップなんだから」 「それは判っていたけど、 神社の紙袋じゃ味気なくて。 じゃなくて中身見てくれ中身」 「あ、うん」 きららは俺の前で、ファンシーでかわいい袋を破かないように丁寧に開けた。 「あ……」 錦糸に飾られた朱の袱紗。合格祈願のお守りを見て、きららは顔をあげた。 「これ……もしかして私に?」 俺はますます照れくさくて、顔をそらしてしまう。 「あ、うん。 く、クリスマスプレゼント」 女の子に何かを贈るなんて初めてで。 「ごめんな。 クリスマスプレゼントなのに、 そんなもんしか思いつかなくて……」 昨日。営業時間前にセルヴィを飛ばして、隣の隣の県の有名な神社まで取りに行ったのだ。 「うれしい! トーマありがとう!」 弾んだ声に思わず振り返ると、きららのきらめくような笑み。 「これさえあれば 合格した気がしてきたわ!」 あんまり喜ばれるんで、もっと気恥ずかしくなって。 「水を差して悪いが、 気がするだけだからなっ」 「あ、あの、えっとね。 私からも渡すものがあるの」 「え?」 「はい、これ!」 サンタと8頭のトナカイが描かれたクリスマスカードを添えた、熊崎神社の小さな紙袋だった。 「これは……?」 「ええとね。 め、メリークリスマス!」 俺は紙袋を丁寧にあけた。 きららは恥ずかしそうにうつむいて、 「サンタさんにプレゼントを渡すなんて、 なんか変な感じ」 錦糸に飾られた緑色の袱紗。交通安全のお守りだった。 「……」 言葉が出なくて、胸の奥が暖かくなった。 「イブに空飛ぶんでしょう? だから……ね」 クリスマスカードには、『イブを楽しもうね』のメッセージ。 「クリスマスプレゼントなのに、 地味すぎかとも思ったんだけど、 他に何も思いつかなくて……」 ようやく俺の脳が言葉を見つけた。 「ありがとう! 俺、すげーうれしい!」 「で、でも……」 「今夜は 最高のフライトになりそうな気がしてきた!」 「え、あ、あうう そういうのは気がするだけだから ちゃんと安全確認して――」 「大丈夫。 しろくまのイブは俺にまかせろ!」 「……」 きららは、大きく息を吐いて吸うと。俺を見た。 「私はちゃんと合格する。 だからトーマも飛んで、飛び続けて」 「ああ。お互い頑張ろうな」 町役場の試験に合格してしまえば、きららはきっとこの町から一生離れないだろう。 それでも俺は、合格祈願のお守りを渡した。 トナカイを続ければいつか俺はこの町から離れてしまうかもしれない。 それでもきららは、交通安全のお守りを渡してくれた。 俺達はお互いの夢の、かけがえのなさを知っていた。 そしてお互いが、とっくの昔に選んでしまった夢を走り続けるしか能がないことも知っていた。 「でも…… きららのサンタ姿ってちょっと見たかったな」 それでも、こんなことを言ってしまうのは、未練なんだろう。 「今年は無理だけど いつかコスプレしてあげる」 「……」 いつか、っていつだろう?もし、ニュータウンでの配達がうまくいかなかったら、この支部だってどうなるか。 ぎゅっと手が握られる。 「大丈夫。きっと大丈夫。 私達、来年も再来年もその先も一緒だから」 わざわざこんな事を口に出すのは、きららも同じ不安を抱えているからなんだろう。 「そうさ。 来年も再来年も一緒さ」 きららの手はあたたかかった。 会場の外の生活音が、ざわざわと高まる気配が迫ってくる。 町が目覚め始める。イブが始まろうとしている。 お互い準備をするために、離れなくちゃいけない。 「トーマの手、あったかい……」 それでも、この手を離したくなかった。 「……」 でも出来るんだろうか。夢を走り続けて、その上、この手を離さないでいることが。 「……」 天の夢と地の夢。交錯した事さえ奇跡の平行線かもしれないのに。 「きらら…… そろそろ行かなくていいのか?」 「……トーマだって」 「ああ……俺も行かないとな」 結ばれた手がほどけた。 俺達は公園の出口で、右と左に別れた。 多分、明日まで会えないのに、メリークリスマスさえ言うのを忘れたまま。 「あら、中井さん。 パーティが始まる前から壁の花でも気取ってるの?」 「先生こそ、 パーティが始まるっていうのに 随分とご機嫌ですね」 「当然じゃない。 トナカイだもの」 目の前にどんな事があろうと、それが例え、ニュータウンの虚無であろうと、いつもお気楽なのが俺達トナカイの筈。 「……そうですね」 「きららさんからお守りもらった?」 「ど、どうしてそれを!?」 「さっきからしきりと 胸ポケットを押さえているから」 「!」 無意識だった。 「そこに入るくらいの大きさで、 あーんど、 きららさんの性格を考えるとね」 いつもいい加減に見えるこの人にもかなわない。 この人だけじゃない。俺はまだ色々な人にかなわない。 「……ええ」 「きららさんの 恥ずかしい場所の毛が入ってたでしょ?」 「……は?」 「最高のお守りになるのよ。 これ常識」 「そ、そんな常識聞いたことありません!」 「どっかの小説に書いてあったわ」 「いかにも薄弱な根拠だ」 「この国の人間の基礎教養よ」 根拠が薄弱な上に断言を重ねられてもなぁ。 「……こういう時、 サンタにプレゼントを頼めば、 解決するんでしょうね」 「どうかしら? サンタは人生相談はやっていないわ」 「でも、ルミナなら、 どんな願いでも叶えてくれるんでしょう」 「中井さんがルミナに解決して欲しいと 心底願っているなら、叶うかもね」 「……」 判っていた。これはきららと俺の問題で、俺達で解決するしか無いって。 「それにね。 心底願っても叶わないコトもあるらしいわ」 「……聞いた事ありません」 心底願っていれば叶う。そのものでなくても形を変えて叶う。それがルミナのルールのはず。 「イブの日にね。 病室の窓に靴下がぶらさがっていたコトがあったの」 「サンタは靴下にルミナを打ち込んだわ。 でも、何も起きなかった」 「心底願ってなかったんじゃないですか?」 「靴下をぶらさげたのは小さな女の子。 ベッドには臨終を迎えたばかりのお祖母さん」 「女の子はお祖母ちゃんが大好きで、 そしてサンタを信じていた」 「……まさか」 「サンタさんに願ったのに、 お祖母さんは目を覚まさなかった」 「……」 「ま、あたしも聞いただけだからね。 ホントのところは判らないけど」 「……ルミナでさえ不可能があるのに、 ちっぽけな俺達がくよくよ考えても、 仕方がないって事ですか?」 「そんな説教しないわ。 単に出来ないことは出来ないし、 眉間に皺を寄せてもセルヴィは飛ばないってこと」 「ロードスターより上空のサンタ一同へ。 イブのパーティ会場へようこそ」 「今更言うまでもないことだが、 訓練通り、ただし臨機応変に踊りなさい、 さすればルミナも微笑んでくれる」 「そして楽しみなさい。 幸せでない者は幸せを運べないのだから」 「以上! ハッピー・ホリデーズ」 「こちらカペラ。 繰り返す、こちらカペラ視界良好」 満天の星は宝石。 宝石の輝きの中へ躍り出せば、身を切る寒さが全身の緊張感を研ぎ澄ませる。 「これより予定の進入地点へ向かう」 スノーフレークの星屑を舞い散らせ、年に一度のステージが幕を開ける。 3年目のイブの夜、しろくま町上空800メートル──。 ここが俺の職場だ。 実感する。やっぱり俺はトナカイ。空に心奪われた者。 「こちらベテルギウス。 こちらも視界良好。 そちらの機影がはっきり見えるぞ」 俺からもベテルギウスの曳くスノーフレークの光跡が――。 「え……」 光跡が記憶と微妙にずれていた。ベテルギウスに何かアクシデントが? 「余り細かい事は言いたくないが、 ジャパニーズ0.5秒ほど遅れてるぞ」 まさか!? 「こちらシリウス。こちらも視界良好。 カペラ、誤差の範囲なんだから気にしない」 「!」 俺が遅れているからずれているのか! 「とーまくん。大丈夫ですか?」 「……大丈夫だ」 雪がちらついているがおおむね視界良好。今年の聖夜は絶好のパーティ日和。 俺は胸ポケットの上から交通安全のお守りをおさえた。 最高のフライトになるはずだ。いや、しなければ。 俺には飛ぶしか出来ないんだから。 遅れを取り戻すべく加速。 「くっ」 カペラが不満そうな軋みをあげる。ルミナの流れが乱れている。 いつもと同じ感覚で飛んでいる筈。点検だって念入りにやった。なのに。どうして。 くそ。 しろくま町が迫ってくる。今頃、地上ではきららが氷灯祭を楽しんで―― 「ベテルギウス。 これよりパーティを開始する」 「シリウス、了解。 こっちもパーティをはじめるわ」 俺だけが突入予定位置に達していない。遅れが広がっている。 「ベテルギウスよりカペラへ。 今晩のパーティが楽しみすぎて、 夜更かしして風邪でもひいたか?」 「そんなドジするかよ! あんたにちょっとハンディをやっただけさ」 「言うじゃないかジャパニーズ。 大言壮語かどうかは結果で判断してやるさ!」 二つの光跡が氷灯祭の華やぎに輝くしろくま町へ見事なラインを描いて吸い込まれていく。 にぎやかな地上。あそこにはきららがいる。あのどこかにきららがいる。 でも、ここからじゃ、二人で話した氷灯祭の会場の位置すらも判らない。 きららがどこにいるか判らない。きっときららだって俺がどこにいるか判らない。 俺は星の中にいて、きららは地上の灯りの中にいて、天と地で、お互い見ているものすら違って、こんなに離れてしまって。 「とーまくん! 操縦に集中してください!」 「判ってるよ!」 くそ。くそっ!霧も出ていないって言うのに。 俺の焦りをよそにカペラの速度が落ちていく。出力まで低下していく。傾斜が増していく坂を上っているようだ。 「とーまくん」 「何とかする!」 「とーまくんは、 きららさんと離れているのが不安なんですね?」 「……」 図星だった。剥き出しになった天地の距離が俺の不安をくっきりと浮かび上がらせている。 「そういうわけじゃないさ」 ななみのくせに鋭い。いや、こいつは昔っからたまに鋭いか。 「カッコつけたって判ります。 だってわたしはとーまくんの パートナーですから」 俺の不安がカペラに影響しているのか。ルミナの力ならありうる。この傾斜は不安の角度か。 「地上では、 きららさんがとーまくんのパートナーですけど、 ここではわたしがパートナーなんですから」 なにが不安なんだ。俺達はお互いの夢の大事さを知ってて、その上でお互いが好きなんだ。 今だって、俺はきららのことを、きららは俺のことを思っている。思っているはずだ。 「大丈夫ですよとーまくん」 「わかってるさ! くそっ。どうして単純じゃないんだ」 俺達は好きあってて、それで十分なはずなのに。 カペラの出力が惨めなほどに低下、満天の星が動きを停める。 「バラバラじゃありませんから。 とーまくんときららさんは バラバラじゃありませんから」 「なぜそんなことが言えるんだ」 心底そう言い切れたらどんなにか素敵だろう。 「あそことここを ルミナがつなげています!」 サンタには見えるのかもしれない。人と人をつなぐルミナのラインが。 サンタはルミナで人とつながっている。なんてシンプルなつながり。 赤い糸か糸電話のようにそれが見えれば、単純な俺は、瞬時に納得してしまうだろう。 だけど。だけど。 「俺はサンタじゃないから判らないんだっ」 不意に。体が軽くなった。 咄嗟に覗いた推力計はゼロ。自由落下!? 幸せでない者は幸せを運べない、そんな言葉が頭をよぎる。 「とーまくん! とーまくんしっかり! ルミナはちゃんと掴んでます!」 「だから! とーまくん信じてください! きららさんとルミナを!」 ななみが何か叫んでいる。 だけどカペラを懸命に制御しようとあがく俺に答える余裕なんてない。 「飛べ! 飛べっ!」 俺の焦燥に反応して片側のバーナーが咳き込むように光を吐き出す。 「あっ」 急な衝撃にゴーグルが吹き飛び、ぐるり、と視界が回転した。 「!」 満天の星。いや、満天どころか上も下も星の海。 天地が消え、ただ星星星星星! なんだこれは!?なんなんだこの夜空は? しろくま町の上空にいたはずなのに、この空はいったいどこの空なんだ!? 目に飛び込んでくる夜空は、見たこともない星々の海。 ひときわ輝く星雲が夜空の中央を弧を描いて走り、その周辺を小さな星雲や星が取り巻いていた。 見知らぬ空はきれいで、なぜかとても胸の奥を揺すぶった。 そうだ。俺は、この空を見たことがある。何度も何度も訓練の度に。 意識するコトすらなく見ていた。ただの背景として見ていた。 これは星空じゃない。しろくま町の灯りだ。 弧を描く星雲はメインストリート。周辺の星雲や星は氷灯祭の会場や家々。 そうか!そうだったのか! 空は天だけではなく、地にもあったんだ! あの空を俺は忘れていた。きららと飛んだ時に、きららが教えてくれたあの空を。 あれはきららの空。きららが飛んでいる空。そしておやじが身を挺して守った空。 天と地とか何を馬鹿げたことを。あれもこれも空でただ飛び方が違うだけなんだ。 俺達は、俺ときららは、別々のところにいても、同じ空を見ている。 体の下でカペラが吼える。今気づきやがったか馬鹿がとでも言うように。 「ですから、その。わかるはずです! 本当につながれば、 サンタとかトナカイとか関係なく、届くんです!」 「だからとーまくんときららさんも!」 「サンキュー。俺にもわかった!」 推力が戻ってくる。メーターが振り切れるほどに満ちていく。 「本当に見えちゃったんですか!? それはそれで少し問題があるかも」 「なんだよその言い方は、 判ったんだ。あちらもこちらも同じなんだ。 いや、あっちとかこっちとかはないんだ!」 カペラが夜空を滑らかな加速で飛翔する。しろくま町へ、地上の星の海へ駆け上がっていく。 「俺ときららが夢見ていたものは、 同じだったんだ!」 満天の星の中へ! あの星の中、きららも俺と同じように飛んでいる。俺は走り、きららは飛んでいる。あるいは俺は飛び、きららは走っている。 物理的に離れていても俺達は一緒なんだ! 「トーマ」 今、きららの声がしたような気が。 「トーマ!」 空を駆けながら答えていた。 「きらら!」 「トーマ!? え、でも、トーマは今、空に」 どういう現象かは判らないがこの声を、いやこの感じを間違えるはずがない。 「きらら! 間違いなく俺だ冬馬だ!」 この感じはきららだ。あり得ないはずなのに、きららの存在をすぐ側に感じる。 「トーマ。うん。わかる。私も。 トーマだ!」 「とーまくん!」 「あ、すまん、今ちょっと」 「見えないとは思いますが、 とーまくんの胸が光ってます」 「馬鹿な!? 俺はそんな恥ずかしい体質じゃないぞ」 胸元を見た。 「これは一体!?」 あたたかい光が胸ポケットを内側から光らせていた。 「え。ルミナの光が見えるんですか?」 俺は額に乗せておいたゴーグルを下ろそうとして、それがさっき吹き飛んでしまった事を思い出す。 「どうしてトナカイの俺にルミナの光が? そもそもなんでこんなところから光が!?」 「もしかして ポケットに何か入ってますか? お菓子ですね!」 「俺はそんなに食い意地はってないぞ。 きららからもらったお守りだ」 「そうですよ! やっぱりルミナはとーまくんときららさんを つないでいるんですよ!」 「だからとーまくんにも見えるんです! サンタやトナカイの間でたまに起こるという ルミナの共鳴現象ですよ!」 俺ときららがルミナでつながっている。なんてシンプルで判りやすい。 そう思った途端。きららの存在がまるで隣にいるみたいに感じられた。互いの引力で引き寄せ合っているようだ。 「うん。私も! 今ね、トーマからもらったお守りが、 光ってるもの!」 「俺も」 「不思議、トーマに触れそう!」 「もしかして、 俺のこと考えてたか」 「うん。最初は空にトーマを探したけど 全然見えなくて……哀しくなっちゃって、 しかも丘じいちゃんが行方不明になって」 「え。あのメリークリスマスの人?」 眼下に迫ってくるきらめくしろくま町を見た。この光のどこかにあの人がいるのか。 「具合悪くて家で寝ていたのに、 抜け出しちゃったらしいの」 「それで? 見つかったのか?」 具合の悪い御老人が、こんな寒い日に外をさまよっているのが、いい事とは思えない。 「みんなで手分けして探しているけど全然」 「携帯には掛けた?」 「出てくれないの。 ひとりで探していたら、だんだん心細くなって、 ああ、トーマが一緒ならって思っちゃって……」 きららの性格からして俺に電話をかけるわけがないものな。 「どうしてこんな時にバラバラなんだろうって トーマは空にいて私は地上にいるんだろうって、 もっと暗い気分に……」 「でもね、 もう一度空を見上げて思い出したの。 一緒に飛んだ時の事を」 「きらきら光るしろくま町は、 まるで夜空の星みたいだったって、 だから私もトーマも星の中にいるんだって」 「俺もだ」 「トーマも私のこと思ってくれたんだ! 一緒だって思ってくれたんだ!」 こんなに離れているのに距離はゼロだった。 「こっちもプレゼント配りながら探す!」 「ありがとう! でも、いいの? トナカイには一番大事なイブなのに」 「人助け、つまり幸福のプレゼント、 なにも問題はありません!」 「トーマ」 きららが俺の方へ手を伸ばしてきたのを感じた。 「きらら」 俺もそれに答えた手を伸ばす。 そこにきららがいた。 地上の一点から発したルミナの光と、俺の胸から発したルミナの光がお互いめがけて伸びていくのを感じた。 俺ときららは手をつないだ。 それはきっと物理的なものではない。それでも手を繋いだとしか言いようがない感触。 瞬間。俺にはきららが見ている地上の光景が。 きららには俺が見ているしろくま町の光景が。 見えた! 「すごい!」 触れ合った場所からルミナが七色の波となって広がっていく。 波が通った後、しろくま町が、世界が宝石箱をぶちまけたようにいたるところ輝いていた。 地上の人々はみんな、いや、人々だけじゃない木立も猫も全ての生命が、一人ずつ違うルミナの光を発して輝いていた。 一人ずつ一匹ずつ一羽ずつ一枚ずつがこの世に一つしかない宝石だった。 ツリーハウスからは夜空に向かって巨大なルミナの光が伸びているのが見えた。 同じように神々しい光の柱が、地球上の全てのツリーから発して、天と地を、星と星をつないでいるのを感じた。 きらめく世界の中を、カペラがカタログデータを無視したスピードで矢のように駆けて行く。 町並みがみるみる迫ってくる。恐ろしい速度の筈なのに全てが明瞭に知覚出来る。時間が圧縮されているみたいだ。 「出番だサンタ!」 「お任せアレ!」 「しろくま町のみなさん! メリークリスマス!」 「たると・おー……」 「しとろーん!!」 「確認しなくていいのか?」 訓練ですら一度も見た事が無い精度と速射で、わくわくロッドから発射されたルミナが、宝石のように輝く人々の夢を叶えていく。 「もーん・ぶらーん!」 「大丈夫です。 なぜだか全部判りますから! 外れるなんてあり得ません!」 ななみは狙うという意識もないふうに、自然な動作で次々と光を撃ち出す。当たるのが当然とでもいう風に。 「エトワレット……」 「アンティークっ!」 速度が速度を呼び更に加速していく。俺達は夢の速度でプレゼントを配っていく。 「キレイ! これがサンタさんの仕事なんだ!」 俺たちが通り過ぎた後に、驚きの声と笑顔がはじけるのを感じる。幸せが幸せを呼び輝きを増していく。 「今日は特に絶好調だけどな!」 飛翔している間も、俺ときららの意識の翼は丘さんを探す。 こんなに高速なのに、氷灯祭に集う全ての人の顔が一人ずつはっきりと見えた。 「クルスタッドマロン!」 ただのターゲットじゃなくて、一人一人違う人間としてそこにいた。 俺達はこの人達に。この人達一人一人にプレゼントを配っているんだ! 「カルデナールシュニッテン!」 「きらら! まだ探してない所はどこなんだ? あと、心当たりとかないのか?」 「!」 クレイジーズの人達にとって特別な場所。 「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!」 カペラが更に加速!ななみからルミナの奔流が流れ込んでくる。 「デュオ・ショコラ!」 「きららさん、とーまくん! 配達終わったらそこへ飛びます!」 「クリスマスにはハプニングがつきものだが、 いいのか? 予定外だぞ。 後でボスにお目玉くうかもな」 「タルトレット・オ・キャラメル!」 「お目玉くらい焼いて食べちゃいます! それにこれは、 わたしからお二人へのプレゼントです!」 「ななみちゃん! ありがとう! もし今ここにいるなら抱きしめちゃいたい!」 「えへへ。あ。 クルスターッド・マローン!」 「クロカーン・ブーッシュ!」 受け持ち予定地区を駆け抜けるのに使った時間は、レコード記録ものだったろう。 「コンプリートしました!!」 閃光になってきらめくしろくま町の上空を駆ける。 俺はカリヨン塔へ機首を―― 「……」 「トーマどうしたの?」 「ごめん。わからん」 「あそこは灯りがないから、 夜、目印にならない。 だからランドマークとして記憶してない」 「大丈夫! 私が判るから!」 「そうか!」 「? どういう意味ですか?」 俺達は今、共鳴している。きららが判るなら俺にも判る。 ぐるり、と視界がゆらめいて、すぐに重なる。いや溶け合う。 命あるもの全てが発するルミナの光、そのきらめきに飾られた町の中を、きららは、俺は、走っていた。 天も地もうつくしいものでいっぱいだった。 「こっち!」 重なり広がったきらめきの中、カリヨン塔の場所がひときわ強く輝く。 「なにかあっちに感じます!」 「いいカンしてるぜサンタさん!」 カペラが跳ぶ。一筋の電光となる。もう一つの星空へ滑り込んでいく。 カペラは俺/きららそのもの。操縦している感覚さえなく飛翔する。 同じ一点を目指す直線のように、二つの移動するラインは近接しそして一致した! 「ついた!」 闇の中、カリヨン塔は、ひときわ強いルミナの光をまとって聳え立っていた。 周囲を旋回。 「最上階には ひとっこひとりいません。 でも」 「こんなに〈光〉《ルミナ》が集まっていて、 何かないわけがない!」 共有する視界がきららの足元を捉える。 「そこにあるのは足跡じゃないか?」 「ほんとだ! 雪の上に足跡がある!」 塔を囲む塀の入り口から、塔の入り口へ続いている。出て行くのはない。 候補は4人。 「今、確認する!」 「あの馬鹿見つけたのか!」 「ジェーンさんと ネコさんは一緒?」 「ああ。 お嬢の車であいつんちの周り走ってる」 共鳴するルミナの力か、俺には、いや俺達にはすぐ判った。 「お祖母ちゃん。 カリヨン塔へ向かっているんでしょう」 「!」 「丘じいちゃんから連絡があったんでしょう?」 俺達の意識はクレイジーズの位置を把握した。人々のルミナが燃え上がり溢れかえるメインストリートの向こう。 「……ありゃしないよ。 カリヨン塔なんか探すだけ無駄だよ。 別の場所を探しな」 お祖母ちゃん達は/この人達は。なぜ嘘をつくのかしら。/なぜ嘘をつくんだろう。 それは。クレイジーズの人達だけで、決着をつけるため。 何を? 「どうかしましたの?」 「どうもしやしないさ! ええい、この車、高そうなのに 全然進まないじゃないか!」 「すいません」 「志奈子。謝る必要はありませんわ。 渋滞なのですもの」 「私の推理を無視するからだ」 「貴方の推理は殆ど外れるから、 まさかドラがこんな事するなんて、 あり得ないと思っていましたわ!」 「きらら! 兎に角カリヨン塔には 誰もいやしないよ! 他をあたりな!」 「どうしよう?」 「もう一回電話して、 渋滞で大通りは渡れない事を伝えるしか」 「うん。あ」 「丘さんみつかったのかなぁ?」 神賀浦さんは、カリヨン塔からそう遠くない位置にいた。 「カリヨン塔」 「わかったぁ。 みんなに伝えておくよぉ」 「伝えなくていいから」 「ん。わかったよぉ。 じゃあわたしはそっち向かうから」 「向かうって……鍵がないと」 「先に謝っておくねぇ。 きららちゃんちのお仏壇にあった鍵をねぇ、 必要かもと思って、借りてきたんだぁ」 「姉ちゃんにはかなわないな」 「何かいるものあるかなぁ?」 「何かあたたかいもの」 「了かぁい」 どうすればいい?/どうする? あの人達は/祖母ちゃん達はまだ当分ここには来られない。いっそ俺達が連れてくれば……どうやって? 「とーまくん!」 「あ」 「丘じいちゃん!」 カリヨン塔のなにもないふきさらしの最上階に靴下を手にもった老人がふらふらと現れた。 間違いなく丘さんだ。階段を上がってきたせいか、苦しそうにあえいでいる。 「苦しそう……」 丘さんはあえぎながら柱にもたれると、右手にもった靴下を高々と掲げた。 「光ってます! 凄い!」 紅白のクリスマス配色の靴下は、黒い布地の上に置かれたダイヤのように燦然と光り輝いていた。 「ななみ!」 なぜわざわざこんな所で靴下を? 決まっている何か願いがあるからだ。しかも、サンタを信じてかけられた願いが。 「行きます!」 外しようのない距離。 「タルトー・オ……ポワール!」 「何も起こらないぞ!」 「どうして!?」 「そんな!? とーまくんもう一度お願いします」 「原因はわからないのか?」 「とりあえずもう一度やってみます!」 俺は一旦カリヨン塔から離れると、最上階の端に立つ丘さんを狙いやすいコースへカペラを乗せる。 「しょこら……ぷらりね!」 わくわくロッドは沈黙したままだった。 「駄目です!」 勢いのままカペラはカリヨン塔を離れていく。 ルミナの真空地帯のはずはない。 今晩ルミナはご機嫌。どんなコースも取り放題。今だって周回コースにやすやすと戻せた。 「ルミナが充分なのに、 プレゼントが現れない、 そんなことってあ――」 俺の、いや俺達の脳裏に声が響いた。 『サンタは靴下にルミナを打ち込んだわ。 でも、何も起きなかった』 ねぇ冬馬。/なに?お祖母ちゃん達が信じていたとしたら?サンタを?/うん。5年前のあの日まで。 『もうサンタクロースなんて信じるもんかい』 ああ。そうか。信じていたのか。あの葬式の前まで。 『わたくしたちが欲どしすぎたんですわ。 サンタだって贈れないものがあるんですわ』 クレイジーズ達は何かを願った。そして叶わなかった。/叶わない願い? 俺ときららの間で電光の速さで思考が飛び交う。 流れていく景色が遅くなる。違う、俺達の意識が加速している。 『サンタさんに願ったのに、 お祖母さんは目を覚まさなかった』 ……タイガーさんを。/ああ。そうだろう。 だから葬儀をイブの後にした。サンタを待つために。サンタに願いを叶えてもらうために。 そして願いは叶わなかった。 じゃあ、丘さんは何を?/同じ願いか? そうだとしたら、やはり願いは叶わない。ルミナでも叶えることは出来ない。 「くそぉ」 あそこにサンタを信じてくれている人がいて、あんなに強く輝くほどに願ってくれているのに、それを叶えることができないなんて! 「とーま君! きららさん! なんだかルミナがざわざわしてます」 「あ……ホントだ」 きららの感じたものを俺も感じた。カリヨン塔の周囲のルミナが、輝きを帯び、ゆらめき、ざわめいている。 「……何か伝えようとしている……みたいな?」 「ええ。 なにかを求めている……感じでしょうか」 「求めているって……なにを?」 「そうか…… きっと何か足りないんだわ!」 「足りない……」 「わかりました! プレゼントを具現化させる要素が、 ここには足りないんです!」 カリヨン塔。ここはクレイジーズゆかりの塔。そして今いるのは丘さんだけ。 「そうかっ」 「お祖母ちゃん達だ! でも渋滞に」 俺は丘さんの方を見た。塔を上るのに疲れ果てたのか、柱にもたれて座り込んでしまっている。 それなのに靴下を掲げるのだけは止めない。 「くそ。今から引き返してあの人達を――」 「なにぬるい事を言ってるんだジャパニーズ! プレゼントを待たせてうろうろするなんて、 トナカイの恥だぜ」 「ジェラルド!?」 「ベテルギウスからカペラへ。 こちらはミッションコンプリート。 苦労しているようだな!」 「あんたらの話は全部聞いてたわ! あんたときら姉が接触してから全部」 「ぜ、全部……」 「ぜ、全部ってどういう事だ!?」 「お姫様のお言葉は真実さ。 今夜のパーティ。ルミナもひどく御機嫌で、 この空域中が御祭り騒ぎ。共鳴してるのさ」 「シリウスからカペラへ こっちも聞いてたわ。 おふたりさん、なかなか熱いわね」 「せ、先生 そういうことをわざわざ言わなくても……」 「う、嘘!? じゃ、じゃああんな事もこんな事も……」 「別に隠すような事じゃないじゃないか」 「そうだけど……は、恥ずかしいの!」 「レディ御安心を、 他人の愛の秘め事を宣伝する趣味はないんでね」 「渋滞なんか飛び越せばいいのよ」 「どうやって?」 「きら姉。あの人達に伝えて! ペンキ屋まで来るようにって」 「な、なんでペンキ屋さんに?」 「あの外車をセルヴィで引っ張るのは無理だけど、 人車なら、あの人達乗せて飛べるわ!」 「でも! そんな事したら サンタの秘密が」 「気を使ってくれるとは嬉しいね御嬢さん。 だが難易度の高いミッションほど、 トナカイは後に退かないものなのさ!」 「きららさん、 プレゼントを配るのがサンタの使命! それが最優先なんですよ!」 「そこにプレゼントを求めている人がいたら、 アタシ達は飛ばなくっちゃ」 「それに、 ルミナが言っている気がするんです。 あの人達の願いを叶えろって」 「あの人達?」 「そうか丘じいちゃんだけの 願いじゃないんだ!」 「もうあのアホのことはオレに任せ――」 「祖母ちゃんお願い。 クレイジーズのみんなで ペンキ屋さんに行って!」 「どういう事だい? こんな時にマニアトーク聞く 余裕はないね!」 「お願い、兎に角行って! カリヨン塔へすぐ行ける乗り物を 用意してあるから!」 「……」 「お願い!」 「くっ。判ったよ! 行けばいいんだろ行けば!」 ねぇ冬馬。/なぜ大家さん達は信じてたのか、か。プレゼント貰ってたんだろうね。/恐らくな。だからイブの日に/抜け出してたってわけだ。 全員で何を願ってたんだろ?/永遠の友情とか?……きっとそうだね。/そうじゃなきゃ願わないさ。そうだね叶わない願いなんて願わない。 「いま、ほらあなマーケット上空です! ペンキ屋さんの周りだけ人影ありません!」 「都合がいいわね。 流石ルミナの力というべきなのかしら? この力であたしのお肌もつるつるに」 「ペンキ屋に煙突はないわよ? どうするラブ夫?」 「ふ。こうするのさ!」 進さん大ショックだろうなぁ。 「とーまくん! いったん降りてきららさんだけでも、 あそこへ送り込みましょう!」 「判った!」 俺はカペラを路上まで降下させた。 「トーマ!」 「乗って!」 手を差し出す。 「うん!」 きららが握ってくる。握り返す。 互いの実在が触れた瞬間。魔法のような感覚が消えうせる。 だけど。 「不思議。 さっきまでも一緒にいたみたいだったけど このほうがいいわ」 手から伝わってくるぬくもり。こんなコミュニケーションはルミナの力より全然不器用なんだろう。 だけど。 「俺もそう思う」 さっきは心まで繋がっていたのに、今こうしてきららの笑顔を見ている方がいい。 きららがシートに座って、俺の背中から手を回してしがみついてくる。 あったかいな、と思う。 絶対に失わないと思う。 「飛ぶぞ」 「うん!」 まだ僅かに共鳴が続いているのか、ゴーグル無しでもルミナの光はかすかに見えた。十分だ。 ふわり、とカペラは舞い上がりルミナをたっぷりと吸い込んで、忽ち空へ駆け上がる。 俺達は空の一部になる。 「二度目だけどやっぱり凄い!」 頭上には満天の星。天の星々。 「そうでしょうとも! サンタは最高ですから!」 「そうだね!」 そして眼下にも満天の星。地の星々。 「でも、 しろくま町役場の人も、 親切で素敵です!」 「だよね!」 俺は、カリヨン塔の周囲を旋回して、姿勢を安定させた。 「あ」 「どうした」 「姉ちゃん?」 きららの視線を追うと、見覚えのある人影が、カリヨン塔の入り口に。 「とーまくん、きららさん。 あのお爺ちゃんは一体何を願っているんでしょう?」 「クレイジーズの全員が揃わないと 叶わない事だよね」 「そして、ルミナの力で叶えられる事だろう」 5年前。彼らが願って叶わなかった事とは違う願い。 「叶えれば判るわよ」 「そうですね! あ、光りました!」 ななみの声に顔をあげると、丘さんが力を振り絞るように、高く靴下を掲げていた。 俺の目にもはっきり見えるほどに輝いている。 「今度こそ頼むぞ!」 「お任せアレ! 3度目の正直ですよ!」 「いちご……ショート!」 景色が七色に爆発した。靴下から七色の波となってルミナが広がっていく。 光の洪水の中、カリヨン塔の最上階へ強行着陸する俺の耳に、4つの声が飛び込んできた。 「最高の花火だな!」 「待たせたわね!」 「飛ばすわよ!」 「は、はいっ」 振り返れば、広がる光の波を突き破って2条のスノーフレークが突進して来る! 先行する閃光の先端、尖った鼻づらのシルエットが、愛らしい箱型を引き連れて。 人車とベテルギウスだ! 俺達のカペラとソリ、りりか達の人車とベテルギウスは、同時に最上階へ着地した。 「丘じいちゃん!」 きららがカペラから飛び降りて、丘さんに駆け寄る。階段からは神賀浦さんが現れる。 その瞬間。 どこからともなく音楽が聞こえてきた。 「きれい……」 「ほんとぉ」 「ああ、 きれいだろうきららちゃん。 おお、あっちくてうめえ……」 きららに支えられて、神賀浦さんに缶の甘酒を飲ませて貰いながら、丘さんが満足げに呟く。 「ルミナがきらきらして…… 歌っています……」 曲名も楽器もわからない。 だけど。音が光を帯びきらめき、降り注いでくるのは判る。 それがうつくしいことも。 「これはカリヨンの音色で御座いますね」 「カリヨン? おかしみたいですね」 「この曲…… 聞き覚えがあるわ」 「生憎クラシックにはうとくてね」 「これはヨハン・セバスチャン・バッハの、 『主よ人の望みの喜びを』ですわ」 「これが丘さんの願い……」 残ったクレイジーズ達みんなで、まぼろしのカリヨンの音を聴くことだったのか。 「なぁ覚えてるだろうアリ。 この曲をこの音を、毎年この日に聞いたよな。 みんなで。毎年みんなで」 「……」 「それがわたくしたちの 永遠の友情の証でしたの」 「永遠とか言うんじゃねぇよ。 みんな勝手に逝っちまってさ」 「馬鹿野郎。こんなの今更聞いたって もう、4人しかいないじゃないか!」 「もうタイガーもスマイルもオショウもいない。 今更こんなの聞いてもつらいだけじゃねぇか!」 「それでもてめぇは聞きたいのかよ。 思い出すしか出来ない奴らのことを、 思い出しちまうこの曲を!」 「阿呆! この阿呆! ドラの阿呆が!」 「違うよ。祖母ちゃん。 丘じいちゃんの願いは それだけじゃないよ」 「え?」 「じゃあ何でこの 忌々しい曲が流れているっていうんだ!」 「みんな外を見て!」 俺は塔の縁へ駆け寄った。 「わぁ……」 塔を囲む塀の周りにたくさんの人がいた。 「すごーい!」 みんな何かに聴き惚れている様子で、静かに佇んでいる。 まぼろしのカリヨンの音色は、彼らにも届いている。おそらく耳でなく心に直接。 こうして見ている間にも、後から後から人波は増えていく。 「なぁアリ。 俺の願いは みんなでもう一度曲を聴くことじゃないのさ」 「もしもし! 外を見てください! 外を外を! 人がいっぱいです!」 「もう見てるわ。 でも、どうして町の人達に聞こえてるの?」 「プレゼントに関係のない奴らには、 届かないはずなんだがな……」 「早く早くみなさん逃げてください! 見つかっちゃいます捕まっちゃいます! そうしたらあわわわわわわ」 「硯落ち着いて、 これだけの濃度のルミナに包まれてれば映らないわ。 それに、いざとなったら私達は逃げればいいし」 俺ときららは顔を見合わせた。 「そうか!」 「わかった!」 「丘じいちゃんの望みは、 カリヨンの音色を しろくま町のみんなに聴いてもらう事だったんだ!」 「だから町中の人に聞こえているんだな」 これは、しろくま町全てへのプレゼント。 ルミナの力と、俺達と町の人達、どれか一つが欠けても実現しなかったプレゼント。 「なぁアリ。俺だってな。 タイガーがああなってしまってからは、 サンタなんて信じちゃいなかったのさ」 「あんなにメリーメリー言ってたくせに なにいってんだ」 「それはな、 今年病気しちまって三途の川渡りかけて思ったんだ。 俺達が消えたらこの音楽も消えちまうって」 「こんな美しい音色を 他の誰も聴けないなんてもったいなさすぎだろ? だから、もう一度信じることにしたんだよ」 「サンタクロースって奴らをな」 それを聞いた瞬間のサンタ達とトナカイの顔を俺は忘れないだろう。 ななみは喜びに顔を輝かせ、りりかは照れ隠しのようにそっぽを向き、ジェラルドは珍しく気恥ずかしそうに頭を掻いた。 「お祖母ちゃん。 タイガーさんもスマイルさんもオショウさんも、 どこかで聴いてるわよ」 「町中の人が聴いてるんですから」 「……ああ、そうかもね。 我ながらアマちゃんだが そうかもしれないね」 「カペラ! ベテルギウス! 応答してください! 誰か! 誰か!」 「どうしたんだ透? そんな声音はパーティには似合わないぞ」 「やっと繋がった…… シリウスは支離滅裂だし、 あなた方には繋がらないし!」 「何かあったのか?」 「ついさっき消えたんです! ニュータウンのルミナ真空域が!」 「本当か!」 「旧市街の方から、 ルミナの波動が押し寄せてきて、 一気に消してしまったんです!」 「了解。だそうだジェラルド」 「そりゃ、凄いクリスマスプレゼントだな。 じゃあパーティの続きと行こうかジャパニーズ」 「おう! ななみ行くぞ!」 「了解!」 「ラブ夫! さっさと出しなさいよ! パーティに遅れたら恥よ!」 「御意のままに」 「きららはどうする?」 「乗せてもらっていいの?」 「今度はわたしの隣に乗ってください!」 「実は そっちにも一度乗ってみたかったの!」 「あ、それから、これってトーマの?」 「俺のゴーグル! どうして?」 「さっき、空から落ちてきたの。 そっかトーマのだったんだ」 「……ほんとに俺達って縁があるな」 「うん!」 「きららちゃん」 「ね。サンタさんっているでしょぉ?」 そう言った神賀浦さんはちょっと得意そうだった。 「うん。サンタはいるね」 きららは俺を見た。 「でも、サンタより、 トナカイの方が好きかな」 その笑顔には一点の曇りもなかった。 俺の顔にも自然と笑みが浮かぶ。 プレゼントは俺達にも届いていた。 それは、いつでも一人じゃないという確信だった。 『猫だまし』の酒粕3袋の勘定をすませる。 「毎度あり。 今夜はきららちゃんを酒の肴に、 こいつで一杯やるのかい?」 毎度のセクハラトークをさりげなくスルーして。 「きららが怒ってましたよ。 また商店会費滞納してるって」 「そういや今日は きららちゃんの不合格発表の日だろ?」 「合格発表です!」 ……たぶん。 「じゃあ合格したら、 合格祝いに払ってあげるよ」 「不合格でも払ってもらいますから」 『らっきょう』でごく日常的な攻防戦を繰り広げてから外へ出る。 通いなれた商店街は、いつもと違う様相を見せだして、どことなく華やいでいる。 イブが近づいているせいか。 「……あれからもう一年になるんだな」 去年のイブ。恐らくトナカイ人生の中でも滅多にないくらい、奇妙で素敵なパーティの夜。 ルミナをきらめかせて響いたまぼろしのカリヨンの音を、町中の人が聞いたらしい。 らしい、と言うのは、聞いた、と口に出す人が誰もいなかったからだ。 ネット検索しても、あの夜のカリヨンの音について触れている記事もブログも見つからなかった。 カリヨン塔の周りにあんなにも多くの人が集まったのに、その人達全てが沈黙を守っていた。 まるであの夜に響いた音楽が幻だったかのように。 カリヨン塔の最上階に人車が移動していた事はもちろん話題になった。 何者かが春日ペンキ店の工房に窓を破り侵入。工房内に安置されていた人車を奪取。 それを何らかの手段を使って、塔の最上階に運んだのだろうが、肝心かなめの手段が誰にも判らなかった。 イブで人出も少なくなかったのに、犯行を目撃した人間や不審な物音を聞いた人間は誰一人としていなかった。 カリヨン塔にも何の手がかりも残されていなかった。 ……。 どうやって人に囲まれたあの塔から、大家さん達が脱出したかだって?(俺は誰に向かって話してるんだか) 実は5年前、クレイジーズはあそこで最後のイタズラを仕掛けるつもりだったらしい。 その時、脱出用に仕掛けをしておいたのが、あの日、役に立ったというわけだ。 どんなイタズラを仕掛けるつもりだったかって?さぁ、それは彼らに訊いてくれ。もっとも、答えてくれないと思うけどな。 というわけで。 しろくま町始まって以来の最大のミステリーはなんの解決をみないまま現在に至る。 「僕の人車がぁぁぁぁ!」 こうして表立った騒動は終了した。 だが、カリヨンの音が町の人々の心に響いたのは間違いなかったのだ。 クリスマス直後召集された臨時町議会でカリヨン塔を改修してカリヨンを設置する事が、満場一致で可決され。 それを請けた町長と所有者の交渉も円滑に進み、カリヨン塔は、たった一つの条件と引き換えに、ほぼ無償で町の財産になり。 二月初めにはカリヨンを設置するのに充分な額の寄付金が町中から集まり。 三月には、改修工事が始まり、突貫工事でカリヨン塔は新装になった。 今年のイブの夜には新品のカリヨンの音が初めて披露される予定だ。 演奏する曲は町民にアンケートを取った結果、圧倒的多数で、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』と決定された。 今年のイブには、カリヨン塔の周りに、たくさんの人々が集まって、カリヨンの音に聞き惚れるのだろう。 百年以上前、レオポルド・ブリューネワルトが見た夢が、ようやく実現されるというわけだ。 ちなみに去年発見された彼の書簡も、カリヨン塔に展示される事になっている。 そして人車はクレーンで地上へ下ろされ、そのまま塔の一階で展示される事となった。 めでたしめでたし。 「めでたしじゃない! 僕の人車を返せぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 「冬馬さぁん、こんにちわぁ」 「おはようございます」 「きららちゃんなら、まだいないよぉ」 「もしかして」 「うん。逃げたんだよぉ」 逃げても結果は変わらないのに。相変わらず試験に対して弱気なきららだった。 「よろしくお願いします」 羽衣さんは、きららを探しにいくのだろう。 「うふふぅ。 お姉ちゃんにまかせなさぁい」 これだけ気合入ってると10分ってとこだな。逃げても無駄なのに。 ちなみにこの人の気合の有無は1年付き合って7割くらいの確率で判るようになった。 高いか低いか微妙なところだ。 「自己採点では そんなに悪くなかったんですよね? っていうかかなり良かったって」 確かに去年よりきららは勉強した。何度か知恵熱を出してたから間違いない。悲しいのはあくまで去年よりというところだが。 だが、その努力(?)にも関わらず、去年より採用枠が少ないせいで狭き門となり難易度は、どんっ! とアップしたのだ。 「きららちゃんの自己採点は、 希望的観測と願望の要素がおおきいからねぇ」 「じゃあ本当は……ギリ?」 「サイはなげられちゃったからねぇ。 いまさらだよぉ」 ギリかどうかも怪しいのか。 「だいじょうぶだよぉ。 冬馬さんがおちるわけじゃないからねぇ」 「いや、それ、 きららにとって 全然大丈夫じゃないですから」 「じゃあ いってくるからぁ、 戸締まりよろしくぅ」 今年の2月から、羽衣さんはこの家の一階に住むようになった。 一応家賃は払っているが、彼女が料理に使う食材費は、全部みすずさんが出すようになったそうで、実質、何も払っていないのと同じらしい。 「行ってらっしゃい」 「いってきまぁす」 「あ、いけない忘れるところだったよぉ。 郵便ポストのなかのものを、 取ってはいっちゃだめだからねぇ」 「どうしてですか?」 「みればわかるよぉ」 そう言うと、ここ一年で見慣れたとろとろした歩き方で行ってしまった。 「?」 俺はポストを覗いた。 「あ」 納得。 もうすっかり見慣れた風景。 ダルマにみかんに大家さん。そしてお仏壇。 お仏壇には4つの写真と1つの鍵。 この鍵でいつでもカリヨン塔へ出入り出来る事。それが塔を譲渡するにあたって唯一の条件だったのだそうだ。 どこからか中華料理のにおいがする。きっと羽衣さんがきららの為に準備してるんだろう。 中でもこの少し甘い香りは、〈東坡肉〉《トンポウロウ》を蒸している匂いだ。 「なんだい、鼻をひくつかせて、 卑しい男だね」 コタツの向かいからそう言われる。 「いい匂いなんだから しょうがないじゃないですか」 「ふん。オレなんか朝から嗅いでるが、 鼻をひくつかせなんかしねぇぞ」 「みすずさんだって、 好きじゃないですか東坡肉」 羽衣さんの作る東坡肉は、でかい肉を使う豪快な奴で、出てくる度にみんな幸せな気分になる。 みすずさんは、見事な仕草で煙草に火をつけた。 「ふんっ。あれはろくに料理も出来なくて、 そりゃひどいもんだったんだ。 オレ達が散々人体実験されてその結果があれさ」 「でも食べたんでしょう?」 紫煙が漂う。きつい煙草のにおい。 あんなにきららを可愛がってるのに、きららがやめてと頼んでも、これだけは絶対に止めない。 「もったいないからな。肉が。 それに捨てたら、谷野の奴が泣くだろう、 男の泣き顔なんてうっとうしくてたまらん」 「それに……あれに邪険にすると、 きららが悲しそうな顔をしやがる」 「まったく……。 あんたといいあれといい、 きららは変なもんばっかり拾ってくる」 「困ったもんだよ」 みすずさん、羽衣さん、俺。血の繋がらない3人を繋いでいるのはきららなんだ。 「捨てられないように努力しますよ」 「ふん。 ただの言葉なんて聞きたかないね。 行動と結果で見せな」 「判ってますよ」 否は無い。とにかく行動すること、それがトナカイだから。 去年のイブ。俺ときららの間に起こったちょっとした問題。二人の未来の問題。 それが解決したのかしないのか、みすずさんも羽衣さんも訊いて来ない。 実際、何が解決したわけでもない。 イブにあったことは、俺ときららが一緒にちょっとしたことを成し遂げたただそれだけだ。 でも、それは一つの確信を俺達にくれた。いつでもつながっているという確信を。 それを持ち続けるために、俺ときららは行動し続けるだろう。 「戻って来ないな」 「あと5分もすれば来ますよ」 「……」 みすずさんは、煙草を灰皿に押し付けた。 「あんたに伝えておくことがある」 「俺に?」 『俺、頭悪いですよ』といつもならつけくわえるけれど、そういう場合でない事は俺でも察せた。 「オレの血が繋がっていない方の孫のことだ」 羽衣さんのことか。 「あいつには、 オレのもっている不動産を全部譲るつもりだ」 驚きはなかった。この人が羽衣さんを既に受け入れていることは、判っていた。 「もっとも法定相続分は別だし、 きららが町に寄付しようと思ってる 洋館なんかは別だがな」 「もう遺言書も書いて弁護士に預けてある。 あんたが責任を持って渡して、 オレの言ったとおりに事を運ぶんだよ」 「もし直接言っても、 あれはオレからなんにも受けとりゃ しないだろうからな」 「それに、 きららはあれに拒まれたら、 渡すことはできないだろうしな」 「……」 どうして俺なのか。それを訊くのは野暮すぎる。 「人に物を渡すのは得意だろ? あんたはサンタなんだからな」 トナカイです。 そんな言葉が口からこぼれる前に、俺の目からは涙が溢れてきて、何も言えなくなってしまう。 「ふん。なに辛気臭ぇ顔してんだい。 自分にも何か残してもらえるんじゃないかっていう アテでも外れたからかい?」 言葉が出なかった。 これは特別な言葉だった。羽衣さんに対してだけじゃなくて、俺に対しての特別な言葉でもあった。 「け。こういう台詞を言ったばばぁは、 早晩くたばるとか考えて、 嘘泣きの練習かよ。ああ、いやだね」 「お生憎様。オレは当分生きるさ。 お前らより長生きして 遺言なんぞ役に立たなくしてやるさ」 「そして、来々々世紀くらいに あの婆さんまだ生きてたのかと驚かれるくらい、 長生きするさ」 やっと言葉が出た。 「……そうしてください」 「ふんっ」 「お、お姉ちゃん! お願い私の代わりに開けて!」 玄関の方から声が聞こえる。 「だめだよぉ。 これはきららちゃんへのお手紙でぇ、 わたしあてじゃないんだからねぇ」 きららと羽衣さんが戻って来たらしい。 「こんなの見たら目が潰れちゃうわ!」 「だいじょうぶだよぉ。 めがつぶれたら点字のテキストをつくって ちゃーんと勉強おしえてあげるからねぇ」 さっき郵便箱を覗いたら役所から合否の通知が来ていた。 だから羽衣さんは俺に取っていくなと言ったのだ。 「ひ、ひどいよ姉ちゃん! こ、こうなったら一思いに破って!」 「きららちゃん、 封筒はやぶかないように丁寧にあけるんだよぉ。 もし合格してたのに破ったらたいへんだからねぇ」 「う」 「う……く……だめぇできないっ でも、でもぉ、ここで開けなくちゃ負け犬!」 「ただいまかえりましたぁ」 「おかえりなさい」 「ふんっ……」 「冬馬さん」 「わかってます」 俺は腰をあげた。 「さぁて とうろんぽーの具合はどうかなぁ」 「あける! あけるのよきらら! だいじょうぶ! だいじょうぶ! 今年はだいじょうぶ!」 「孫のよろこぶ顔を見るのは、 あんたにゆずってやるさ」 廊下の窓から見た空は、どこまでも青かった。 俺たちの未来に悪いことなんて起きるはずがない。 それはなんの根拠も無いけど、確信だった。 「う……わぁっ!」 「トーマ!」 俺が玄関に駆けつけるのと同時に扉が勢いよく開いた! 「合格した!」 俺たちトナカイが嫌うのは、仕事の範囲を越えた責任としがらみだ。 目の前のステージひとつ、コースひとつに全神経を傾け、一個一個の任務を確実にクリアしていく──。それがトナカイに求められる能力だ。 もちろん俺にもそれが向いているし、いつでもそうやって己を高めていきたいと思っている。 しかし、相棒のサンタが不用意にノリノリだったりするとその雲行きも怪しくなるもので……。 「こーけこっこーーー!!」 「おはよーございます!!☆ ななみwithサンダースくんです!」 ──しーん。 「………………あれ?」 「さ、さすがとーまくん、 昨日夜更かししたのに朝が早いです」 「それでは、次は硯ちゃんのお部屋です! いきますよー!」 「こここけ!!」 「あら、ななみさん、早いですね」 「わぁぁ、お、起きてましたか!?」 「朝食、もうすぐ準備できますから」 「ううっ、さすがです……考えてみれば わたしとりりかちゃん以外は朝に強いんでした」 「こけーここっ!!」 「こんなことで挫けてたらリーダーらしくない?」 「そ、そのとおりでした! りりかちゃんだけでも、ロードスターさんの 大目玉から守ってあげないと!」 「りりかちゃーん、朝ですよー! 早く起きないと地獄の特訓はじまりだー♪」「こーこけこー、こけこーーこーー!!」 「朝だ、朝だ! がっはっはーがっはっはー♪ きをつけろー、ひげのおじさん襲来だー♪」「こけこっこーー♪」 「おーい、りーりーかーちゃーーん!!!」 「うるっさーーーーーーーーーーいいい!!!」 「なんだ、エラい騒ぎになってんな」 「な、ななみさん……?」 「あうぅー……エリートさんは 寝起きからパワーあります……がくり」 「きぇぇぇーーーーーッ!!!」 「きえーーっ」 「いよォォォーーーーーーッ!!!」 「いよーーっ」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》ッッ!!」 「きゃああああああ!!」「何故だーーーーっ!?!?」 「ぬるいッ!! サンタの道は武士の道!! 腰を入れ、腹の底から〈烈帛〉《れっぱく》の気を〈迸〉《ほとばし》らせいッ!!」 「つ、つまりこれは武者修行ですかっ!?」 「武者修行である!!」 「おおおー! 燃えてきましたっっ!!」 「……なにあのノリ?」 「変なところで意気投合したな」 「武者修行とサンタ……(ぐるぐる)」 「それでは参るぞ!」 「お願いしますっ!」 「ムシャシュギョー!! きえーーーーーーーーーっっ!!!」 「きえー……」 「きえーーー♪ きーえーーー♪ むっしゃしゅぎょーーーー♪♪」 「うへぇ……腕があがんないわ」 「私もです……」 「いっくぜー、たっおせー♪ わるいやつー♪」 「(なんであんな元気なの?)」 「(わ、わかりません……)」 おそらく本人的にはムードメーカーになろうとしているのだろうが、俺が焚き付けてしまったようで、ちょっと責任を感じる。 「さーってと、 そういうわけで今日のお仕事ですが!」 「はい、外回りで 武者修行の精神をモノにしてきてね」 「え……え? え??」 「よってらっさーいみてらっさーい! 今時貴重な木の玩具ですよー。 地球に優しい手作りですよー」 「癒しのエコ空間! おもちゃサンクチュアリ! きのした、きのした、きのした玩具店を よろしくお願いしまーす♪」 かくして、半ば追い出されるようにではあったが屋台を引いてニュータウンまでやってきた。 夜の配達訓練ではあんなに苦戦したこの町も、昼間はのどかなものだ。 この町の上空にコースが生まれることを想像しながら、ゆっくりと屋台を引いて熊崎城址公園を目指す。 土曜日なので、午前中から園内のあちこちに子供の姿が見受けられた。 中央の広場に屋台を陣取ると、派手な屋台のペイントに釣られて、子供たちが集まってくる。 「さぁさ、ぼっちゃんじょーちゃん見てらっしゃい。 他じゃ買えないめずらしいおもちゃばかりだよー」 「今日もディーエスないんだ」 「ざんねん、ディーエスはないですが 木のおもちゃがたーくさんですよ」 「たとえばこれ! 名付けてアヒル上級大将閣下! これを地面に置いてヒモを引っ張ると……」 「おおっ、歩いた! 閣下が歩きましたーー!!」 「それだけ……?」 「手動かよー!」 「では次はこちら! とーまくん、ドールハウスを!」 「おおっ、これは大きい」 「これはドールハウスといいまして、 家具やお人形さんを並べて遊ぶんです」 「ならべてどーするの?」 「やっぱ手動じゃん」 「あぅー……とーまくん」 「ディーエスの対抗馬には弱いかなぁ」 「遊んでみたら面白いものなんですけどね」 「そういやお前、勝手に封を開けてない?」 「勝手もなにも、これわたしのです」 「まさか、自腹で買ったのか?」 すごい根性だ。いや、だからこそサンタなのか? 「ではみなさーん、いいですか? 見ててくださいねー」 「この二階建てのおうちにテーブルと椅子を並べて、 えーと、ここに食器棚をおいたら……さあ完成!」 「なにこれ」 「見ての通り、ここはキッチンでーす。 次はリビングいってみましょーか テレビとソファをおいて……」 ななみはどんどん商品を開封していって、ドールハウスを作り上げていく。 リビングの次は寝室。子供部屋や、庭に犬小屋まで。 「ペロのおうちも完成〜♪ おとーさん、おかーさん、おにーちゃんに妹、 それからペロの5人家族ですねー」 「ふっふっふ、どうですか? こうやって自分だけのオリジナルおうちを 作れるんですよー」 「すっげー! ねぇねぇ、お風呂はないの?」 「もっちろんあります! ププッピドゥ〜♪ なバスタブです!」 ななみのプレゼンが功を奏したのか、全員とはいかないが、集まった子供たちはドールハウスや木のおもちゃに興味を示している。 遊び方のヒントをあげれば、子供ってのは勝手に楽しむもんだ。 「これ、コンプしたらいくら?」 「ええと、ドールハウス本体が1万円で、 全部合わせて、えーと……」 「2万2千円です!」 「……帰ろう」 「……うん」 「えっ、あ、ちょっと、 みなさん待ってくださいー!!」 「…………はぁぁ、がっくり」 「自腹、半分持とうか?」 「い、いいですよ、それより……」 「子供でも買える値段の商品が少ないな」 「あぅぅ……どうしたものでしょう」 このところ、売り上げはゼロの行進だ。ルミナを呼び寄せるためでなかったら、とうに宣伝効果は破綻している。 リサーチができてない、という大家さんの言葉が耳に痛い。 「こらーー! 二人とも、なーにさぼってんのよ#」 「りりかちゃん!?」 「どうしたんだ?」 「どうしたもなにも、 ルミナの分布データを集めてたの。 そのついでにのぞいただけ!」 「店は?」 「そりゃもう大繁盛よ! どっかの有名ラーメン店くらいの長蛇の列で 整理券配って対応してるし!」 「す、すごい……!!」 「そんな戦争状態で外に出ていていいのか?」 「おっとと、用事を忘れてたー! じゃーね、しっかり商売するのよー!」 「…………なにをしに来たのでしょう?」 「単純にこっちの様子が気になったのかもな」 「むむむ、心配をかけないように しないといけません」 昼になるのを待って、俺たちは公園のベンチで弁当を広げた。 「おおおーーー、すずりちゃんのお弁当、 スペシャル豪華ですよ!」 「なんてこった、ありがたいなぁ」 倹約第一、と硯が持たせてくれた特製弁当には、から揚げ、厚焼き玉子に始まって、煮物、焼き物など、おかずが合わせて10種以上。 そこそこ高級な幕の内弁当のようで、薄給のトナカイにはありがたい話だ。 「あーんしますか?」 「どこをどう押すと そういう発想になる?(ぐりぐり)」 「あいたた、いたいいたい!」 「うー、ちょっとしたお茶目ですよ」 「ふーむ……商品価値だな」 「は?」 「いや、弁当見てて思ったんだが、 こんだけ豪華ならたいがいの人が欲しがるだろ? けどさ、おかずが煮物だけだったら?」 「煮物も美味しいですけど……ふーむ」 「晩飯で食うには嬉しいが、 外で煮物だけ食って帰るのは寂しいよな」 「とーまくん、それって……!」 「木のおもちゃはツリーハウスで買えばいいんだ。 屋台でも同じものばかり並べる必要はないさ」 「そうか……移動販売には、 それに向いた商品があるんですね!」 「そんな気がするな……こいつみたいな」 箸でから揚げをつまんでみせる。そう、欲しいのはこんな具合の鉄板の商品だ──。 配達訓練までは、ルミナの補給が最優先だったから、屋台の売り上げは後回しになっていたが、今日からはそうも言っていられない。 「ふーむむむ……」 ななみが神妙な顔で腕を組む。そのとき…… 「おっ、やっぱりそうだ」 「よぉ、こんちは!」 「あ、ペンキ屋さんの……!」 「ところにいたジョーさん!」 「へえ、本当にこいつで町を回ってんだな」 「ジョーさんもこの屋台 手伝ってくれたんですか?」 「まーな、ここらへんは俺が塗ったんだ。 さすがにプロみたいに上手くはいかねーな」 一見するとグラサンの怪しい男だが、ジョーさんは気さくでとっつきやすい。 「それより話は聞いてるぜ 女だらけのおもちゃ屋だって? 面白ェー商売してんだな」 「一応、男もいますけどね」 「ちっせえ町で客商売すんのは 大変だろうけど、頑張れよ」 「あ、ちょっと待ってください!」 立ち去ろうとするジョーさんを呼び止めたななみが、二言三言──。 それからあらためて会釈で見送り、俺のところへ戻ってきた。 「とーまくん、食事が終わったら マーケットのほうへ行きませんか?」 ななみに先導される形で、俺たちはニュータウンから市街地へ入り、ほらあなマーケットに顔を出した。 商店街を屋台で練り歩いては迷惑になるのでペンキ屋さんの裏手に置かせてもらい、身一つのすっかり身軽な格好だ。 「というわけで、 駄菓子屋さんにれっつごーです!」 「駄菓子?」 「はい、ちょっとのぞいてみたくなりまして」 「カスター道の達人は 駄菓子をターゲットにおさめたか?」 「ま、まさか、仕事中に間食なんてしませんよ」 「よー、兄ちゃん! 肉を肴に、また一杯やろうぜ」 「いつもの店に新しい銘柄が入ったってよ、 飲りたいねえ」 「……とーまくんこそ、〈酒道〉《しゅどう》の武者修行でも?」 「歓迎会でちょっと(1升)口つけただけだよ」 「ふーむ、ちょっと(1杯)でしたか」 「ああ、ちょっと(2升だったか?)だけ」 かくして通りを歩くこと5分ほど、看板も出ていない駄菓子屋にななみが入っていく。 後に続くと、狭い店内にわんさか並んだ駄菓子と安価なおもちゃ……。 「……おもちゃ?」 「そうなんです、ここならお手ごろ価格な商品が あるんじゃないかなーって思いまして」 「そうか、駄菓子なら子供の小遣いでも手が出るな」 「こういうおもちゃと一緒に 木のおもちゃを並べても怒られないですよね?」 「いいんじゃないか、どうせ店の商品をみんな 持って来るわけにはいかないんだし、 屋台は屋台、店には店のラインナップさ」 「わぁ、カードゲームにシールコレクション、 この30円くじはお手軽で楽しそうです」 「問題は仕入れの予算か」 「そこはサンタさんにお任せあれ♪」 「またも自腹か!?」 「お試しなんですから当然です」 「いいよ、店長の俺が出す」 「とーまくん、 飲んじゃってお金ないじゃないですか」 「うぐ!? 直球で急所を……!」 「ですから」 「見くびるな、駄菓子分くらいはある! とりあえず売れ筋のリサーチをしてみるか」 「ふー、けっこう買い込んじゃいましたね」 「最初は色々試してみないとな。 そんな高いもんじゃないし」 予想以上に買い込んでしまった俺たちは、メインストリートの100円ショップまで紙袋を買いに来た。 プラスチックのおもちゃが大半なので、重さの割りにかさばる。屋台に並べるにしても場所を考える必要がありそうだ。 「ちゃんと売れるようだったら、 透に仕入れの手続きをお願いしよう」 「なんか楽しいですねー。 トレーディングカードに、ねり消しに、 りりかちゃんの好きそうな銀玉鉄砲!」 「これ、売れ残ったら俺たちが〈的〉《マト》だな」 「い、意地でも売ってみせましょう! でも大丈夫、本命はきっと行けますよ」 本命の売れ筋予想商品は、人気アニメキャラクターのトレーディングカードが入った30円くじだ。 流行から来る注目度と、価格設定。そして、駄菓子屋に来る子供を観察した結果、これが一番という話に落ち着いた。 ためしに買っただけだから、仕入値=売値で、もうけは全くないが、これで店に人が来てくれれば宣伝にはなる。 「木のおもちゃは、 お子さんには高かったんですね」 「まったくだ」 本当なら、こんなことは店長の俺が考えてしかるべきところ、今日はななみに助けてもらった格好になってしまった。 ペンキ屋さんの前に戻ると、ジャンパーを着た小柄なおじさんが、屋台の中を覗き込んでいた。 「お客さんかな?」 頭に白いのが混じっている。記憶があいまいだが、商店会の誰かだったかもしれない。 「いらっしゃいませー☆」 「…………」 ななみのお愛想には一瞥もくれずに、おじさんは手に取った馬の人形をしげしげと眺めている。 「ふーん、外国のおもちゃかい?」 「え? あ、あの……」 「ま、ピコピコゲームよりゃマシだがね」 独りごちたおじさんは人形を屋台に戻し、くるりと背を向けて歩き出した。 「どうもありがとうございましたー」 「さて、そろそろ戻るか」 「んー……ですけど」 特に珍しいことじゃない。店をやっていれば当たり前のありふれた出来事だが、ななみは何か気になるようにおじさんの後姿を見ている。 おじさんの両手には花柄のトートバッグ、中にはどっさりと日用品が詰め込まれている。 左右にずっしりとしたバッグを持つ手がどこかおぼつかないように感じられた。 「…………?」 「ふーむ……」 「おいこら、どこへ行く!?」 「ふぇ!? あ、いえその……おじさん」 「おじさんなんかあちこちにいるぞ。 気になることもあるのか?」 「あるというか……なんというか……」 ちらちらこっちを振り返りながら、おじさんのあとへついていこうとする。 「商売は!?」 「………………」 「ああ、もうしょうがねえな」 トナカイはサンタを支えるが、奴隷ではない。サンタの意向をどこまで汲み取り、どこからは拒絶したほうがいいものか……? しかし漫然と店を開いていても埒があかなかったところへ、駄菓子屋の商品を売るという道筋を示したのはななみだ。 この先、差し迫った予定があるわけでもない、もう少し、ななみの判断に任せてみよう。 「ん……? なんだ、さっきのじょーちゃんか」 「はい、きのした玩具店です」 「………………」 「………………」 「こらこら、なんだってついてくるんだ?」 「あの、荷物が重そうだなーと思いまして、 よろしければ……」 「おう、そいつは感心だ」 言うが早いか、おじさんは遠慮もなしに、両手の荷物を屋台に載せる。 シャンプーだの海苔だのがぎっしり詰め込まれたトートバッグは、花柄の女物。 トートバッグが女物なのは当たり前だが、この男性には不似合いだ。 「さっきおじさんが見ていたのはですね、 ダーラナホースといいまして、北欧の……」 はりきって兵隊人形の説明をしようとしたななみをおじさんが手を上げて制する。 「うちにガキはいないんだ」 「でも、いいものなんですよ。 スウェーデンの職人さんが手作りで……」 「見りゃ分かるよ」 グレーの馬を手に取ったおじさんがヤスリできれいに慣らされたたてがみのラインを指先でなぞる。 ひと目で分かった──職人の目だ。 「おじさん……ひょっとして こういうの作るんじゃないですか?」 「どうしてそう思うんだい?」 「雰囲気です」 「……手慰みにな、昔の話だよ。 うちは農家だからよ」 「すごい、とーまくん正解です」 「今は作らないんですか?」 「時代が違うだろ。 それに手を傷めて農家もやめちまった。 今は悠々自適、ご隠居様って身分さ」 さっきトートバッグを持つ手がおぼつかなく感じられたのは、そのせいか。 「それなのに、この荷物は大変ですね。 おうちまでお送りします」 「じょーちゃん、仕事中だろ」 「袖振り合うも多生の縁です」 「ふーん、変わってんな」 まったくおじさんに同意だが、脱線ばかりと思いながらななみのあとについていく。 しかし、思い返してみれば、師匠もこんな感じのサンタだった。 好奇心なのか、おせっかいなのか、とかく本筋を離れて首をつっこみたがる。自分のことは後回し。 ななみも似ているといえば似ているのだが、最大の違いは、頼りになるかならないかの差だろうか……。 「ほら、とーまくんスピードアップです!」 「だいじょーぶだ、屋台は俺が引く」 「いいからいいから。 三人寄らば〈無問題〉《もーまんたい》……うわぁぁ!?」 「ばか、溝にはまりやがった」 「あぅぅ……面目ありません」 おじさんのあとについて、俺たちは町の中心街から西へ西へ。 「おお、海が見えてきました」 「この先だよ」 「このあたりはずいぶん〈佇〉《たたず》まいが違いますね」 「大家さんの家もこの近くだったな」 町案内をしてもらったのを思い出す。このあたりは確か、町に古くから住む人たちが多く住んでいる地域だったはずだ。 「じょーちゃんたち、地元じゃないよな」 「はい、最近引っ越してきたんです。 それから――星名ななみです。 で、こちらが店長さんの中井冬馬くん」 「どうも」 「俺は〈志垣〉《しがき》〈林蔵〉《りんぞう》ってんだ」 「志垣さんですか、でしたら……」 「シガさんだ、ガッキーと呼ぶな」 グレーのニット帽をぐいと引き下げて、シガさんの眼光が鋭くなる。 「か、かしこまりました!」 「ほら、ついたぜ」 「はて、農家だとおもったら……」 案内されたシガさんの自宅は、瀟洒な和風の一軒屋で、あたりに畑らしいものは見当たらない。 「土地はとっくに処分しちまったよ。 おい、帰ったぜ」 「おかえりなさい、すみません」 シガさんが奥に声をかけると、年配の女性らしい声で返事があった。 「連れ合いが腰をやっちまってな」 トートバッグを受け取ったシガさんが、家の奥へと引っ込んでいく。あの花柄は、そういうことだったのだ。 「……なんかいいですね」 「ああ、そうだな」 「見て行くかい?」 「へ?」 「茶菓子もろくにないけどな、 昔作った人形ならいくつか残ってんだ」 「ぜひぜひ!! さあお邪魔しましょう、とーまくん!」 「……どうもありがとうございました!」 「こっちこそ助かった。 あんな素人細工で恥ずかしいが、 なんかの役には立ったかい?」 「もちろんです!」 シガさんが作っていたのは、〈張子〉《はりこ》人形といわれる郷土玩具だった。 原型となる木彫りの人形に、和紙を幾重にも張り合わせ、乾いたところで原型から外して、色を塗って仕上げたものだ。 干支をモチーフにしたものから、着物姿の女の子まで種類もさまざま、それが床の間に飾られていた。 「木のおもちゃならぬ、紙のおもちゃですね。 見たことはありましたが、あんなに種類が あるなんてびっくりでした」 「注文されりゃ、なんだって作ったからな。 雛人形なんかは定番ってやつだ」 「犬や猫に侍大将……あとは、なんつったかな、 ピカ……ピカなんとかっちゅう鼠とかさ」 口数の少なかったシガさんが、人形の話になると、とたんに生き生きしてくる。 「ふーむ、日本のフィギュアですね」 「手慰みってレベルじゃないな。 よくできてますよ……」 「しばらくは土産物屋に卸してたんだけど、 ありゃあ、なんか違うんだよな。 大人の置物じゃ子供は喜ばねえ」 「時代が変わっちまったってことなんだろうな」 「…………時代、ですか」 ななみが神妙な顔をする。シガさんが言っているのは今の俺たちとも地続きの話だ。 「でも……これは可愛いです! 時代とか関係なしに!」 「気に入ったんなら、もってきな」 「いいんですか?」 「ああ、うちにあっても仕方ねえんだ」 「……おもちゃ屋さんが おもちゃ貰ってしまいました」 「別にいいんじゃないか、 大事にしてやれよ」 数ある中から、なぜかたぬきと侍大将をチョイスしたななみが、手元の人形をまじまじと見つめる。 張子人形という名前こそ知らなかったものの、同じような人形にはお目にかかったことがある。見れば見るほど、素朴な作りが味わい深い。 「こんなにかわいーのに、 今の子供はほしがらないんですね」 「だから、駄菓子屋で買い込んだんだろ?」 「そうですね……」 あれから町内のあちこちを屋台で練り歩き、俺たちは山の手の並木道──ブラウン通りまで足を伸ばしていた。 ふと、通りの向こうに女の子がいるのが見えた。首をかしげながら、こっちに近づいてくる。 「いらっしゃいませー☆」 売上ゼロに焦ることもなく、ななみは目一杯の笑顔で女の子を迎える。 「なーんだ……」 「??」 「あ、ごめんなさい。 お花屋さんかと思ったから」 礼儀正しい女の子が、はきはきした声で頭を下げる。 「遠くから見たら、ほら、こことか」 模様の描かれたオアシスの壁面を女の子が指さした。 「残念ながらお花はありませんが、 楽しいおもちゃ満載のるんるん号です。 見てってください、おじょーちゃん!」 「アイです」 「はい?」 「おじょーちゃんじゃなくて、アイです」 「これはこれはご丁寧に。 私は星名ななみです。 アイちゃんは、どんなおもちゃが好きですか?」 「女の子におすすめは、 なんといってもファンシーなドールハウス!」 「見てください、 この二階建ての立派なおうちに……」 「おもちゃには興味ありません。 お邪魔しました」 ぺこりと頭を下げて、アイと名乗った女の子は歩いていってしまった。 「……ということがあったのですよ」 「それで、午後はお店どころじゃなかったと」 「い、いやぁ……あはは……面目ありません」 ──午後8時。掃除を終えた俺たちの鼻先を、キッチンから漂ってくる匂いがくすぐる。 硯が料理をしている間に、残りの3人で店の掃除を片付け、今は駄菓子屋で仕入れてきた商品に値札をつけている。 「で、これを明日から売るわけね?」 「どう思います? 買ってくれるといいんですけど」 「近ごろの子供はわかんないなー」 「金髪さんに言われると違和感を禁じえんな」 「どーゆー意味よ!」 「おや、どなたでしょう?」 「まさか……大家さん!?」 「こんばんは」 「なんだ、ニセコか」 「七瀬透です。 中井さん、スペアパーツを届けにきました」 ニュータウンで酷使したカペラのフィルターとノーズランプのスペアを注文していたのだ。 「よかったら夕飯食っていけよ」 「お、いいですねー、ぜひぜひ!」 「せっかくですが仕事中ですので」 「む、かわいくなーい#」 「だって、僕が食べたらみなさんの分が」 「多めに作ってしまったので、平気ですよ」 「本当に大丈夫です、 お腹すいてませんので!(ぐきゅるるるーーー)」 「………………!!」 「ふーーーーん?」 「な、な、なんですかっっ!?」 「構わないから、こいつの分もよそってくれ」 「はい、すぐに用意しますね」 「中井さん、僕はいいですってば!」 「ふーーーーん?」 「………………うぅぅ」 「いっただきまーーーす!」 「はふはふ……んー、美味しいです♪」 「………………」 「? どうしました?」 「あ、いや……意外だったので」 「意外とは?」 「いえ、なんでも……」 「そこまで言ってやめる?」 「な、なにか変な味でした?」 「そ、そうじゃなくて……その、 星名さんって、もっと勢いよく 食べる方かと思ってたので」 「………………」 「ぷっ……あははははっ!! そっか、そりゃそう思うわよね」 「えー、どうしてですか?」 「こいつは育ちがいいから、 がっついて食ったりしないんだよ」 「いつもきれいに食べてくれますよ」 「もちろんですとも! とーるくんはいったいどういう 先入観を持ってたんですか?」 「しゃーないじゃん、大食いなんだから」 「あぅ!?」 「マナーを守り、がっつかず、 しかし高速にいつまでも食い続ける。 閻魔帳にはそう書いといてくれ」 「わぁぁ、なんてことを! とーるくん、だまされちゃいけません!」 「は、はい……ところで月守さんは なにをしてるんですか?」 「ぎく……!!! な、なにも!?」 「そんなはずはありません。 今、自分のお皿の中身を 星名さんのお皿に移してましたよね」 「え!? まさか苦手なものでも入ってましたか!?」 「ああああるわけないでしょ! アスパラもブロッコリーも楽勝だし!!」 「どっちも入ってないな、食ったか?」 「た、食べたもう食べたし楽勝だし!」 「りりかさん?」 「ち、違うの! サンタが好き嫌いなんてするわけないでしょ! ウェイトコントロールよウェイトコントロール!!」 「そうだったんですか! でしたら、こっちの方が カロリー高いんですよ……(ぱくり)」 「あぁあぁぁ! あたしの肉ーー!! 一番でっかいの残してたのにーー!」 「人の役に立つのはうれしいで……ぐえっ!?」 「この無限胃袋ーーっ!!! かえせ、もどせーーー!!!」 「うげげ……!! も、もどしますー、もどしますから!!」 「わぁぁ!? もどすな絶対もどすな!!」 「もー、どっちですかーー!」 「食い意地の張ったサンタが2名……と」 「……その閻魔帳、本人どもに見られるなよ」 「ふぃー、ひどい目にあいました」 「勝手にひとの食べるからでしょ」 「りりかちゃんだって、勝手にわたしのお皿に」 「あんたがいつもたくさん食べるから!」 「そんなにもですか?」 「ななみさんの食事はいつも、 1.5人前で数えないといけません」 「食事もだが、おやつだな」 「ですから、甘いものは別腹と言いまして!」 「ケーキ用のお腹、タルト用、シュークリーム用、 ゼリー用、プリン用、ポテチ用、etc…… 各種別腹を取り揃えてまーす!」 「きゃああ、ど、どこ触ってるんですか!?」 「お腹よ、おな……………………」 ななみのお腹をふにふにしていたりりかが、途中で言葉を失った。 「……ななみん、 本気でダイエットした方がよくない?」 「なな、なんでそうなるんですか!」 「ここに来た時より太ってる」 「確かに言われてみれば……」 「う、ウソですよー! ねぇ、冬馬くん?」 「安心しろ、 カペラのリフレクターを改修すれば対応可能だ」 「そんなことないって言ってー!!!」 せっかく透が一緒なので硯の入れてくれたジンジャーティーで食後の簡単なミーティングをすることになった。 気の重い売り上げ報告をするのは、店長である俺の役目だ。 「……そういうわけで、売り上げはゼロ。 客層に比べて商品の値段が高いこともあって 善後策を検討中ってところです」 「うーん、確かにオアシスでの営業は予定外 でしたし、こちらでも何か考えてみます。 で、お店のほうは……?」 「ああ、そっちのほうは 行列ができるほどの大繁盛……」 「え!?」「う!!」 「なんだよな?」 「え、えーと、まあ解釈はいろいろあるけど」 「解釈? で、今日の売り上げはええと……」 「…………1050円?」 「……はぁぁ」 「(……大繁盛とか言ってなかったか?)」 「(あ、あれは言葉のあやっていうか!)」 「町の生活に馴染むには、 まだ時間がかかりそうですね。 宣伝の効果が足りてないのかな……?」 「しゃーないわよ、 ニュータウンでばっかり営業してるんだもん」 「駅前のメインストリートでも 宣伝ができるといいんですが……」 〈屋台〉《オアシス》の第一の役割は、ニュータウンにルミナの流れをつくることで、店の宣伝に使うというのは、副次的な目的だ。 しかしこのまま玩具店が営業不振を続けては、大家さんにも怪しまれるし、町に溶け込むというサンタの基本がおろそかになってしまう。 「屋台を引いて回るだけならいいんだが、 営業するとなると許可が要るよな」 「それでしたらご安心を。 サー・アルフレッド・キングの言いつけで 営業許可はもう取り付けてあります」 「やるー、さすがレッドキング!」 「は?」 「あ、う、ううん、なんでも!!」 「すかー」 「それなら明日からは試験的に しろくま通りにも…………ん?」 「くかー」 「おっきろーーーーーー!!!!」 「はえっ!? お、おはようございまふ、 朝ですよりりかちゃん、起きてくださいー!」 「起きるのはあんた!!! おまけにぜんぜん朝じゃない!!」 「れれ? わたしのチョコモナカは どこにいきましたか……?」 「夢の中に置き忘れてきたんだろ」 「ななみさん居眠り減点……と」 「え!? わああぁ!! す、すみません! お腹の皮と目の皮のたるみの因果関係がその!」 「いいからよだれを拭け」 「……本当にリーダーこの人でよかったのかな」 「あうぅ……面目ない」 「ぷはぁ……不覚でした、 まさか落ちてしまうとは……」 「ななみん、無駄にがんばりすぎなの。 ペース配分しないともたないわよ」 「で、でも一応はリーダーってことですし」 「リーダーの仕事なんてしてた?」 「ぐさっ!!」 「冗談よ冗談! けど……」 「あんまりキツいんなら 今からリーダー代わってあげてもいいけど?」 「へ、へーきですっ! もーへっちゃら、げんきげんき!!」 「よく言った、そーこなくっちゃ!!」 「へ?」 「元気なら遠慮しなくていーわよね? さぁ、顔洗ったらリニューアルした ハイパー特訓タイムの始まりよ!!」 「ふえーー!?」 「さあ今日も元気にまいりましょー!!」 「……あいたたた」 「大丈夫か?」 「へっちゃらです、なんのこれしき、あうぅぅぅ!」 昨夜はさんざんりりかにしごかれ、今朝は今朝で地獄の武者修行に絞られたななみが、へろへろと屋台にもたれかかる。 身体のあちこちがバキバキ言ってるだろうが、持ち前の元気さだけは変わりがない。 「それにしても今日は人が多いですねえ」 「世間じゃ日曜日って言うらしいぜ」 「おや!」 「しっかりしてくれよ、 今日から駄菓子屋作戦開始なんだろ」 「はいっ!」 「からんからーん! いらっしゃいませー! 素敵なサムシング満載☆ きのした玩具店、出張営業中でーす♪」 「いろいろおもちゃ取り揃えてまーす」 さすがは休日だ。店を開くなり物珍しそうに人が集まってきた。 「いらっしゃいませーー☆ 遠慮なくどどーんとみてってくださーい」 「プラモ置いてないの?」 「プラモですか? ええと、木のプラモなら……」 「それプラモって言わねーだろ」 「キン消しはー? 王位争奪編のが欲しいんだけどー!」 「キン消し……!!?? そそそそんな大人のおもちゃ的なものは!!」 「落ち着け」 「き、金隠し、あるいは金閣寺でしたら!」 「面白そうだな、ちょっと頼んでみるか」 「あぅぅ、と、とーまくん、 金閣寺の消しゴムってありますでしょうか?」 「知るか。 お客さん、希望の超人がいれば探してみますよ」 「ほんとかい? じゃあ、マン○スマン!! オークションだと高くてさぁ」 「とととーまくんっっ!! 伏せ字、伏せ字ですーーーっっ!!」 「だから落ち着け」 「なあ、おもちゃ屋さん! そんじゃスーパーカー消しゴムとかも、 仕入れてもらえんのかな?」 「よ、よく分かりませんが、 できる限り善処します!」 「いっちばん古いシリーズの カウンタックが欲しーんだよ。 あれさぁ、実物とちっとも似てなくてよ」 「ふむふむ、実物とちっとも似てない カウンターアタックですね……メモメモ」 「頼んだぜ。 俺、このへんで道路工事やってっから。 また覗きにくるわ」 「お、お任せあれ!」 「いいのか? スーパーカー消しゴムって、 俺の親父の時代のおもちゃだぞ」 「な、何事も、成せばなるなり法隆寺!」 宣伝をするには、公園の広場に留まるよりもあちこち移ったほうがいい。 屋台を引いて日曜のニュータウンを回っていると、見覚えのある女の子の姿をみつけた。 「アイちゃーん!」 日曜日だというのに、アイちゃんは学校のほうへ歩いていこうとしていた。呼び止められて、こっちを振り向く。 「あ……おねえちゃん!」 「やっぱりアイちゃんでした」 「よく私の名前、覚えていましたね」 「もちろんです、ちょっと待っててくださいね」 ぱたぱたと戻ってきたななみが、オアシスの中で水に浸していた花束を手に取った。 「はい、これ……プレゼントです」 「え……?」 「前に言っていたじゃないですか、 お花屋さんかと思ったって」 「そんなことで、わざわざ?」 ななみは、花が好きだと言っていた彼女のために、オアシスの商品に秋の花束を加えておいたのだ。 そんなことで商品を増やすのか!? とも思ったが、こうやって彼女に花束を渡せたことを考えると、間違ってはいないかったのかもしれない。 「でも、今はお金が……」 「お金はいいですよ、それ予備の花束なので」 「予備?」 「はい!」 「……ありがとうございます」 サンタも時には軽い嘘をつく。花束を受け取ったアイちゃんは、しばらく紫の花弁を見つめて、 「コスモスだ」 「はい、色が綺麗だったので」 「………………」 「私、願い事があると花占いをするんです」 「願い事?」 「はい。 お姉ちゃんは花占い好きですか?」 「もちろんです! 花占いなんてロマンチックですよねー」 「それじゃ私が、お姉ちゃんのこのお店が 繁盛するかどうか占ってみましょうか?」 「え?」 「儲かる、儲からない……」 目を丸くするななみの前で、アイちゃんはコスモスの花びらを指で散らしていく。 「儲かる、儲からない、儲かる、儲からない……」 「あ……よかったですね、繁盛しそうです」 最後に残った一枚の花びらを、ななみの前に差し出して、にこっと笑った。 俺はうまい言葉が見つからずに、ただその様子を眺めている。 こういうとき、なんて言ったらいいのか……。『花だって生きてるんだぜ』だったらなぜ最初に花占いを否定しなかった? 花占いの好きなアイちゃんが、花占いをしてみせた、それだけのことなのだが。 横目でななみを見る。 「……しおれて元気がなくなったときは、 茎を斜めに切ってあげるといいんですよ。 そうすると水の吸いがよくなるんですって」 「………………」 「そうなんだ……ありがとうございます」 「これ、駅前の『フローラ』で買ったんですよね?」 「そ、それは……!」 「お姉ちゃん、その格好より お花屋さんのエプロンのほうが似合いそうですね」 「……!!」 「それじゃ私、学校がありますから」 「あ、いってらっしゃい!」 「………………」 ぺこりと会釈してアイちゃんが背を向ける。 「…………」 「日曜に学校?」 ランドセルの小さな背中が小さくなっていくのを俺とななみは呆然と見送った。 今日から、午後は町の中心部で営業をすることになった。 店の売り上げを増やすためにも、ここは踏ん張らないといけない。 かくして俺たちは勇んで駅前広場までやってきたのだが……。 「……どうした?」 「さっきの……どういうことだったのか なんだかよく分からなくて」 ななみが言ってるのは、アイちゃんのことだ。もちろん俺もずっと気に掛かっている。 「買った店も当てられるなんてな」 「……失礼なことしちゃってたのでしょうか?」 「むしろやりすぎなくらい丁寧だったぜ」 確かに、あの子には単に「変わった子」では片付けられない何かを感じるが……。 サンタより花屋の格好が似合っている──。 相手に深い意図がなかったにしろサンタのななみには重い一言だ。 「今はとりあえず仕事が先だ! 気持ちを切り替えて行こうや」 「は、はい……そうですね!」 「からんからーん♪ 注目ちゅうもーく! やってまいりました、 おもちゃの殿堂・きのした玩具店でーす!!」 やっぱり宣伝といえばここしかないだろう。ななみと俺は、屋台を引いてしろくま通りへ来た。 「とーっても珍しい木のおもちゃ! 見なきゃソンソン! 買わなきゃトントン! 弥七も佐吉もよっといでー♪」 こういうとき、単純なななみはすぐにスイッチが切り替わる。サンドイッチマンモード全開の呼び込みだ。 さすがはしろくま町のメインストリート。通りかかる人も多く、みんな物珍しげに足を止めてくれる。 「店舗のほうでは、さらにバリエーション豊富な 品を扱っていますので、ぜひ足を運んでください」 ここぞとばかりに透の用意したチラシを配っていると、人だかりの中に覚えのある顔を見つけた。 「町長さん!?」 「みなさん、頑張っておられるようですねえ」 「ええと、確か営業許可は……」 「いえいえ、公務ではありませんよ。 おもちゃの屋台が出てると聞いて、 ちょっと覗きに……ね」 「それでしたら、思う存分見ていってください!」 「これはなんとも懐かしいおもちゃで、 ふむふむ……」 ピノキオのロープ人形を町長さんが手に取った。紐でつながれた手足が、ぷらぷらと踊るのを見て目を細める。 「孫に似た、人形〈愛〉《め》でてまぎらわす……。 気に入りました、いただきましょう」 しみじみと微笑んだ町長さんは、会釈をすると、ロープ人形を懐に入れて公民館のほうへ歩いていった。 「最初の売り上げが 町長さんとは幸先よさそうだ」 「お仕事忙しそうですね。 あんまりお孫さんに会えないんでしょうか?」 「ん?」 「川柳がそんな感じでしたから。 ですけど趣があって……」 「誰かさんのスイーツ川柳とはえらい違いだな」 「とーまくんに芸術は分かりません!」 町長さんをきっかけに客足が増えてきた。このあたりの客層には、駄菓子などではなく普通の木のおもちゃのほうが好評のようだ。 ほとんどは冷やかしだったが、中には土産に人形を買って行く観光客もいる。安価の商品から少しずつ売り上げが出始めた。 客足はなかなか途絶えることなく、細々とではあるが、着実に売れていく。 しかし、その合間に少し空白ができると、ななみは考え込むような仕草をする。 「…………」 「やっぱり気になるか?」 「ち、ちがいますよー。 沢山お客さんが来てくれて、 驚いてるだけです」 なにが「ちがいます」なのかといえば、アイちゃんのことだ。 「……けど、買っていってくれるのは、 大人の方ばかりですね」 「せっかくの駄菓子屋作戦だったが、 日曜のしろくま通りじゃ必要なかったみたいだな」 「うーん……予想外でした」 「本来の商品が売れるのはありがたい話さ。 さ、もうひと踏ん張りだ」 「らじゃーです……あ」 立ち上がろうとしたななみがその場で固まった。 視線の先を追いかけると、通りを隔てた向こう側にアイちゃんの姿があった。 「………………」 さっきまでの笑顔が嘘のように、アイちゃんの顔からは感情が読み取れない。 ななみが贈ったコスモスの花束は、だらんと下げた右手の中にある。 「あ……!」 ななみが小さく声をあげた。観光客の女性がアイちゃんにぶつかり、花束が道に落ちてしまった。 女性はぺこりと頭を下げて足早に通り過ぎる。アイちゃんは無表情にそれを見送ってから地面に落ちた花束を拾おうと手を伸ばし──。 「…………!」 拾い上げるよりも早く、歩いてきたスーツの男性が花を踏んでしまった。 携帯電話で話をしていた男性は花束を踏んだことに気づかずに去ってゆく。 「………………」 「………………」 アイちゃんはしばらく踏みつけられたコスモスを見下ろしていた。 なぜだか緊張して喉が鳴った。 視線はアイちゃんから外せない。ななみを見ることがためらわれた。 「…………」 やがてアイちゃんは花束を拾い上げた。まだ花は生きているだろうか。 俺が安堵の息をつく前に、彼女は踏みつけられた花束をコンビニエンスストアの可燃ごみのボックスに片付けて、足早に去っていった。 「とーまくん、お茶どうぞ」 「お、サンキュ」 客足が途絶えたところで遅めの昼休みになった。駅のベンチに並んで、硯の手作り弁当を広げる。 さっきから口数の少ないななみの視線は少し遠くを見つめている。 俺はアイちゃんのことに触れないように会話の糸口を探った。 「しかし、場所変えたのは正解だったな。 昨日の悪夢が嘘みたいだ」 「……ほんとにこれでいいんでしょうか」 「?」 「お客さんのほとんどは観光客でしたよね?」 「そういう人たちのお土産に、 外国製のおもちゃを買ってもらって、 サンタ的にはそれでいいのかなーと」 「商売として成立はしてると思うけどな」 「でも、おもちゃ屋さんは、おもちゃを売るんです」 「ななみ……」 アイちゃんと出会ってから続いていたななみの思索が、ひとつの答えを見出したようだった。 確かに、この屋台をしろくま町の土産物屋だと勘違いして立ち寄る人も多かった。中には勘違いのまま商品を買った人もいるだろう……。 駅前の花屋で買ってきた花を贈るのは、本当のサンタクロースじゃない。 「土産物にしたって、 せめて本物を扱ったほうがいいよな」 「そう思いますか?」 「……ああ」 俺は店長だが、売り物についてはノンポリだ。正確に言うのなら、ななみがそう思っているのなら、そうするべきだ、という話でしかない。 「うーん、そうなんですよね……」 弁当を広げたまま、ななみが視線を泳がせる。 駅のダイヤ表、駅前広場の逆さくまの像、それから俺たちの屋台……と、順番に視線を移してゆき、 「そうだ!」 ぽんと手を打ち合わせる音と共に、ななみの顔にいつもの笑顔がぱっと広がった。 「あのお人形だったらどうでしょう?」 「そいつぁ無理だぜ」 「そこをなんとか!!」 「って言われてもなぁ、 俺の手はこんなんだし」 震えの残る右手を見せるシガさんに、ななみが必死でくらいついていく。 ──うちの屋台にシガさんの張子人形を並べたいので、仕入れさせてもらえないか? いきなりそんな難題をふっかけたのだ。手を怪我しているシガさんが簡単に了承してくれるとは思えない。 「でしたら、ほかに残っている職人さんとか……」 「昔はわんさかいたが、みんなやめちまったからな。 本格的に作ってる職人はいるだろうが、 そういう連中のは芸術になっちまうから高ぇぜ」 「あうう……そうですか」 「仕方ないさ、別の手を考えよう」 「はい……突然お伺いしてすみませんでした」 「…………待てよ」 「そんなしょぼくれた顔されちゃ仕方ねえ。 どうしてもって言うなら作ってみるか?」 「へ?」 「覚えんだよ、お嬢ちゃんが」 「本当なら木型を彫るところから始めてえが、 最初は俺のを使えばいい。 簡単に作りたきゃ、粘土だな」 「は、はい……っ!!」 「家に残ってる木型をみんな持ってきた。 こいつに紙を貼るところから始めようか」 しろくま町公民館・通称くまドーム。図書館の隣にあるレクリエーションスペースの一角が、今日からななみの教室だ。 シガさんの家でほこりをかぶっていた古い仕事道具を出し、がらんとしたスペースの隅に店を広げる。 離れたテーブルで碁を打っていたお年寄りの物珍しそうな視線を浴びながら、シガさんの指導が始まった。 「細かくした和紙を糊の溶液に浸してから、 こう、ためらわずに重ねていくんだよ」 「こ、これは……なかなかに難しいです」 「手つきは悪くねえ、腹を据えてやんな」 「は、はい!」 澱粉ノリを水で溶いた液体に浸した和紙をシガさんの木型におっかなびっくり貼り付けていく。 これから乾燥させて木型から外したり、貝殻の粉で外を固めたり、絵入れをしたりと、全ての工程を終了するには何日かかかるそうだ。 その間、昼過ぎから夕方まで、ななみはシガさんのレクチャーを受ける。 「じゃあな、がんばれよ」 「すみません、とーまくんひとりに お仕事を任せてしまって」 「これでも店長さ。 それに、お前がやってんのも仕事だろ?」 「とーまくん……」 「あの、もしアイちゃんに会ったら……その……」 「サンタさんは修行中だって伝えとくさ」 「……」 ほんの軽口のつもりだったが、ななみは案外真剣な表情で、こくりと頷いた。 アイちゃんの言葉は、今のななみにとって、大きなウェイトを占めているのだろう。 「アイちゃんはきっと、なにか悩んでいます」 「そうなんだろうな」 それは容易に想像がつくが、その先のことは彼女と話さなければわからない。 そのためにも、ななみはサンタの格好の似合うおもちゃ屋さんになろうとしているのだろう。 かくして、シガさんに急遽弟子入りしたななみの奮闘が始まった──。 「いらさーい、いらさーい! 見るだけならタダですよー。 30円コーナー新登場でーす!」 「あれ、パケモンシールじゃん! 2回引かせて」 「オレ、ライガーカード!」 「はいはーい、押さないで押さないで」 「やった、キラのギザヂュウゲットー!」 「とーまくん、売れてますー!」 「ああ、あとは俺がやっとくよ。 そろそろ張子の時間だぜ」 「わわっ、ほんとだ! いってきまーーす!」 「シワにならんよう、綺麗に張んなきゃ 駄目なんだ…………くらぁぁ!! そんなんじゃ売り物になんねーぞ!!」 「お、押忍っ!!」 「意気込みだけで全然なってねーな。 貸してみな」 「あうぅ……すみませんっ」 「はい、ずいぶん探しましたよ」 「おおーーっ! さすがはとーるくん! よく見つかりましたね!?」 「四万十川支部の倉庫に 古いゴム人形が大量に保管されていたんです。 依頼品が残っていて幸いでした」 「ありがとうございます、 これさえあれば百人力です!」 「マニア向けのお店にするつもりですか?」 「そ、そうではないんですが……い、勢いで」 「しろくまベルスターズ、いっくわよー!!」 「了解ですっ!!」 「ななみん、前! バルーン来てる!」 「え……ぐあばっ!?」 「大丈夫かななみ!?」 「へ、平気ですー!」 「なにやってんの! 反応鈍すぎ! 15点!!!」 「す、すみません! もう一回お願いしますーーっっ!」 「はい、見つかりました! マン○スマンさんです!」 「おお、すっげ! これ探してたんだよ!」 「あと、これがカウンターアタック号!」 「おおっ!! ぜんぜん違うが 確かにこいつはカウンタックだぜ。 探してくれたのか!?」 「もちろんです! お代は……(こしょこしょこしょ)」 「おい、安すぎないか!?」 「そんなんじゃ赤字だろ?」 「そのかわりに木のおもちゃも見てっていただけると これ幸いなんですけどね」 「お、おう……せっかくだから何か買ってこうか」 「ふーむ……むむむ……」 「ななみさん、なにをされているんですか?」 「オリジナルの人形も作ろうと思って、 粘土をこねてるんですが、難しくて……」 「あまり根を詰めると、バテちゃいますよ。 なにか温かいものを作りますね」 「で、あれは何やってるの?」 「新商品開発さ。 張子人形っていうんだ」 「まったく……入れ込むなって言ったのに!」 「どうやらあいつは そういうサンタさんなんだよ」 「がんばってるのは分かるけど、 売り上げも伸びてないでしょ?」 「駄菓子とレア消しゴムを差っぴくと、 まあ……相当キツイな。 だから新商品って話になったんだよ」 「で、アイちゃんって誰?」 「なぜそれを!?」 「聞かれたのよ、花を捨てたことがあるかって」 りりかが不思議そうに首をかしげる。あいつ、相当引っ張ってやがるな……。 「……………………」 「……………………はぁ」 「手が止まってるぞ」 「わぁぁ!? と、とーまくん!?」 「どうした、ぽーっとして」 「いえ……ちょっとお菓子のことを」 おそらくアイちゃんのことを考えていたであろうななみが、下手なウソをつく。 「目かなり赤いぞ、寝てるのか?」 「だいじょーぶです!」 張子人形作りを始めてから、ななみの部屋は深夜まで灯りがついている。 「それより、とーまくんは、どうしました?」 「………………」 「……??」 「時計」 「え!? うわ、10時過ぎてる!」 「おっっそーい!!!」 「きゃあああ、ごめんなさーい!!」 「さっさと準備!! 今日は久々のニュータウンなんだから!」 「い、いますぐー!」 りりかに怒鳴られたななみが、慌てて自分の部屋に駆け込んでいく。 ローテーブルには、作りかけの粘土の原型と、シガさんから借りてきた張子作成道具一式が雑然と置かれている。 「国産、これっていつまで続くの?」 「今週いっぱいってところかな。 もう少し見守ってやってくれ」 「ふーん……」 「まずいか?」 「まだ分かんない。 あと10分で訓練だから急いでね」 「了解」 「だからもっと狙って撃てってばー!!」 「や、やってるんですけど距離がー!!」 「遠距離はなんでもすずりんに任せない! 自分の仕事減らしても成長しないんだから!」 「は、はいーーーっっ!!」 「リトライよ! 国産、今度はひねり入れて!」 「了解!」 「わ、わ、わ、わーーーぁあああぁぁ!?」 「うぇぇぇ……死にました」 「大丈夫か? 明日に響くから、風呂入って寝ろよ」 「はぃ…… なんか今日はハードだったような」 「お前の体力が落ちてんだ」 サンタ服のななみがテラスで仰向けになる。一緒に外回りをしているせいで、この服装を見ても、空よりも屋台が浮かんでしまう。 「はぁぁ……でも働いてるって感じがします」 荒く息をつきながら、ななみは、なにかを探すように視線があちこちへと落ち着かない。 隣に立って星空を見上げた。 「明日も早いんだ。 今日はもう休んでくれよ、サンタさん」 「はい、そうですね」 ことさら『サンタさん』と言ったのは、ななみを気遣っていたのかもしれない。 ななみの声がいつもの弾みを取り戻し、俺は少しホッとしていた。 屋台の営業と張子人形の二正面作戦でかなりお疲れのななみだが、町に出ればいつものテンションにスイッチが入る。 「きのしたー、きのしたー、 おなじみきのした玩具店でーす☆」 「オー! ハイトーンボイス! 元気ヨロシイディスネーイ?」 「わぁあああぁぁぁあッッ!?」 「ぼ、ぼ、ぼ、ボス!?」「サー・アルフレッド・キングさん!?」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》ッッ!!」 「ぐわぁあああぁッッ!?」 「ノンノン。 ワタシ通りすがりのサンタデース」 「そ、そうだった! なぁんだ、通りすがりのサンタクロースかぁ」 「い、いやぁ、こんなに 通りすがっちゃうとは思いませんでしたー!」 「……君たちの適正を見直す必要を感じますね」 「こ、こんにちはサンドイッチマンのおじさん!」 「よ、よろしく! きのした玩具店ですっ!」 「オー、ここで会ったがセンチュリー! ワタシこう見えて、宣伝得意デース。 お手伝いシマスヨー?」 「お、おおっ、なんてありがたい!」 「イラサーイ、イラサイマセー! デッドorアライブの玉手ボックス、 きのしたガングテーン、よろしくディース!」 「ついに来た来た、やっと来た!! ライスorパンの玉手ボックス、 おもちゃの竜宮城、きのした玩具店ー!!」 改めて疑問に思うのだが、ロードスターと現役サンタが、人前でこんなことしてていいんだろうか。 それとも、第三者視点で見るとこれは通りすがりのサンタがコラボっているだけなのか? 「きゃああああ、ステキおじさまー!」 「サンタのおひげ、ちょーかわいー!!」 そして、またしてもロードスターのおっかけが!? 「す、すごいです、 あっという間に子供たちが集まってきました」 「しかも女の子ばかり。 みんなロードスターが目当てなのか……」 確かに陽気なご老人だが、いったいこの人のどこにフェロモンが……。 分からないことは聞いてみよう。なにか営業ヒントがあるかもしれない。 「あの、サー・アルフレッド・キング……」 「〈雷霆十字掌〉《サンダークロス》ッッ!!」 「出たわ、ステキおじさま必殺のサンダークロス!」 「きゃあああ、おじさまー!!」 「ううっ、なぜ声援が……」 「(前にこいつで空き巣を捕まえたのですよ)」 俺を助け起こしたボスが耳打ちする。そうか、こう見えて町の役に立ってるってわけか。 「ねーねー、これどうやって遊ぶのー?」 「これなにー? ねぇ、おじさまー!」 「オー、ワタシ知リマセーーン。 あっちのプリティサンタガールに 聞いてクダサーイ」 女の子はロードスターの言う事をよく聞いて、ななみを取り囲む。俺も屋台に戻って手伝うことにした。 なんだかんだと、あれこれおもちゃの質問があるが学校帰りなので実際の売り上げはほとんどない。 「すごいです、今日は女の子に大人気ですね」 「ロードスター効果だな。 あんなに子供に騒がれてるサンタは初めて見たよ」 「わたし、前に読んだことがありますよ」 「ボスみたいなサンタのことを?」 「はい。 えーと、確かハーメルンの……」 「誘拐犯だ」 「…………!?」 目の錯覚か? ロードスターの取り巻き、その中でも目立つ三人娘のなかに、アイちゃんの姿があった。 俺たちの屋台には近寄らず、少し距離を置いて空を見ている。 「あの、サンドイッチマンさん? あの子もおじさんの追っかけですか?」 「オー、気にナリマスカ?」 「ええ、まあ。 俺よりも、ななみが気にしてます」 「ふむ……」 いったん言葉を切ったボスは、俺の目を見て低い声になった。 「3人の中で、 彼女だけ私ではなく別の所を見ています」 「……?」 「何故でしょう?」 俺が首をかしげると、ボスも同じように首をかしげた。 アイちゃんは少し離れた場所を動かず、空を見上げている。 久しぶりに顔をみたアイちゃんを引きずったその日の夜。 ななみの明るい声が夜のツリーハウスに響き渡った。 「できましたー!」 「え、もう夕飯? ちょっと早いんじゃ……」 「って、何もない!? あたしの夕飯は!?」 「落ち着け、金髪さん」 「これができたんですー!」 「でーん! 試作品1号くん☆」 ななみの手に薄灰色の塊が乗っている。 「これは……くまさんですか?」 「ご名答! しろくま町のシンボル、くまっく君!」 「……の張子人形か」 シガさんに弟子入りして1週間、ようやく1つ目の人形が完成したのだ。 「……可愛いですね」 「こうやって見ると民芸品だよな。 土産物として並べたら人気出そうだ」 「そのうち、お店のほうでも置きたいですね」 「が、がんばりますよー!」 「無理すんなよ、相当バテてるぞ」 「い、いやぁ……あはは、 ようやくひとつ出来たと思ったら、 ちょっと気が抜けちゃいました……」 「お疲れ様です、急いでご飯にしちゃいますね」 「飯が終わったら配達訓練だろ? しっかり食ってエネルギー補給してくれよ」 「おまかせあれ!」 「………………」 「突っ込むわよ、続いて──!!」 「うぎぎぎぎぎ……!!」 「こらー! ダラダラ飛ばない!」 「は、はいー!!!」 その日の夜間訓練はいつもよりも特にハードだった。 ななみの弱点である射撃コントロールを克服するために、ターゲットが近距離になるまで接近しての的当て訓練だったのだが、 カペラの性能限界ギリギリのコースを要求されるので、俺も制御で手一杯。 最初は的に狙いをつけようとしていたななみだが、途中からはソリにしがみついているのがやっとになってしまった。 「なんでソリの制御まで下手になってんの! 前にやったでしょー!?」 「ですけど、わぁぁーーー!!!!」 「うぅぅ……惨敗です」 「ななみん10点!」 「ま、満点!?」 「100点満点にきまってるでしょーが!!」 「うわぁああぁぁーー!!」 「前より下手になってるのが最悪! 仕事サボってるせいじゃない!?」 「け、決してサボってなんか!」 「身が入ってないのは サボってるのと一緒ってこと!」 「こいつも外回りでいろいろ抱えてんだ、 今日はボロボロだったが、そのあたり……」 「国産は黙ってて! これはサンタの仕事の話なんだから!」 いつものガミガミではない剣幕に、俺は口をつぐんだ。りりかがななみを向き直る。 「ななみん、サンタの仕事を履き違えてる」 「りりかちゃん……?」 「町の人のことにかまけて、 本業がお留守になってるのはおかしいわよ」 「け、けれど、サンタっていうのは……」 「ぜったい町のカウンセラーなんかじゃないから!」 「……!」 「あたしたちサンタは、イブの夜に たくさんの人にプレゼントを届けるのが仕事なの」 「でもプレゼントっていうのは……」 「なに?」 「その……まごころをこめて、 ひとりひとりの心に届くように……」 「それであぶれた子が出たらどうするの?」 「そ、そんなことは……」 「絶対ないわよ、そんなこと。 だってあたしがフォローするもん!」 「でもあたしがいなかったらどーするの? 今日のななみんの仕上がりじゃ、 ノルマだって危ないわ」 「…………!!」 「リーダーだからって好き勝手やって みんなの足を引っ張られちゃ 迷惑だって言ってんの!」 反論を封じられたななみが下を向く。 「紙の人形をいくつ作っても、 配達ができなきゃそんなのサンタじゃない!」 「………………」 「ごめん…………それだけ、おやすみ!」 少し言いすぎたと思ったのか、りりかはさっさと話を切り上げて、バスルームに入っていった。 硯は言葉もなく、心配そうにななみを見ている。顔を上げたななみの瞳が、真っ赤に染まっていた。 「とーまくん……」 「ずいぶん絞られたな。 ま、そういう日もあるさ」 「ごめんなさい。 その……わたし……」 「なんで俺に謝るんだ?」 「………………だって」 「トナカイはどんなサンタにでも対応する」 「とーまくん……?」 「サンタの正解について どうこう言える立場じゃないが、 つまり俺から言えるのは……」 「中途半端にはならないでくれよ」 「…………」 赤い目をしながら、しかし涙は流さなかったななみは、言葉のかわりに強く頷いた。 ななみが風呂に入るのを見送った俺は、水割りのスコッチを片手にテラスに出た。 星空を見上げながら、口腔にピートの香りを満たす。 あそこでななみの弁護をしなかったのは、トナカイとして正しかったのだろうか。 いくつか別の対応を脳裏に描いてみたが、結局、黙っていて良かったのだという結論に達した。 町に溶け込もうとするななみと、成果至上主義のりりか。 さっきの衝突で、これまでもちらちらと見え隠れしていた二人のサンタの方針の違いが露わになった。 成果至上主義という言葉にはトゲがあるが、俺の感覚で言わせてもらえば、正論はりりかにある。 町の人の悩みに興味を持ったり、町へ溶け込むこともサンタの大事な仕事だが、そのために訓練がおろそかになっては本末転倒だ。 スピードの世界で生きている俺のようなトナカイは、着実な結果を残そうというりりかの考えに賛成だ。 『そういうことは、余裕のあるときにやるもんだ』そんな言葉が喉をつきそうになることもある。 しかし、ななみのアイデアというのは、結果的に上手く収まることが多く、俺は黙ってその成り行きを見守るようにしていた。 それがトナカイの領分だからだ。しかし……。 考えにふける俺の隣を寝巻き姿のりりかが横切って行こうとした。 「よう、お疲れさん」 「国産、もう飲んでるの?」 「運動後の水分補給さ。 それより……すまなかった」 今日の散々な結果の責任は、ななみに任せていた俺にもあるだろう。 「さっきのことならいいわよ、 ななみんの問題だもん」 「あ……待ってくれ」 「なに?」 「ん……あのさ、」 つい声をかけてしまったのは、あの日のことを思い出したからだ。 俺たちがこの町で再会して2日目の夜。このツリーハウスで着任のパーティーをしたときのこと。 りりかは、俺がいま立っているこの場所で、ジェラルドを相手にななみの実力を評価していた。 「俺が思うに、ななみってヤツは独特っていうか、 ときどき突拍子もないところで結果を出すんだよな」 「それとこれとは別問題!」 とりつくしまもない。 いったん言葉を切ったりりかは、台詞を選ぶように少し考えてから、俺のほうを向き直った。 「光るものがあろうがなかろうが、 結局、あの子がしてるのは自己満足よ」 ひと口にサンタと言っても、性格も違えば、仕事へのスタンスもそれぞれだ。 日ごろからボランティア活動をしてるサンタもいれば、12月まではぐーたらしてるサンタ先生みたいな人もいる。 師匠の内弟子から始めた俺は、サンタ学校に編入して、初めてそういうことを知った。 日ごろどんな生活をしていても、イブの夜にちゃんとプレゼントを配ることができれば、それで正解なのだそうだ。 一方でそのためには、日ごろの訓練こそが大事なのだとも言われている。 サンタが日々をどう過ごすべきなのか、どうやら決められた答えはないってことらしい。 ベテランのサンタたちは、みんな自分のリズムってやつを持っているが、まだまだルーキーのサンタは自分たちでそれを見つけるしかない。 それはトナカイの俺にとっても、全く同じことで……。 「おはようさん」 「おはようございます」 テラスから母屋に入り、螺旋階段を下りると、朝の支度をすっかり整えた硯が、ぺこりと小さく会釈をする。 誰よりも早起きをして、自分のすることは前もって整えておく──これが、硯というサンタのリズムなんだろう。 朝の修行には寝坊で大遅刻しながらも、夜の訓練ではキッチリ結果を残すのが、NY帰りのりりかのリズム。 それでもって、俺の相方さんはといえば……。 「………………」 歯ブラシを咥えたななみが鏡に向かってなにやら思案している。 「よ」 「あ、とーまくん、 おはようございます!」 どうやら昨夜の落ち込みは引きずっていないようだ。安心しつつも、ななみと並んで歯を磨く。 サンタ学校で体験した寮生活以来の集団生活にもだんだんと身体が馴染んできた。 「夜更かししたな」 「な……なんでですか?」 「見りゃ分かるよ。 人形の具合はどうだ?」 「ん……もうすぐ完成ってところです」 「早いじゃないか。 で……なに考えてたんだ?」 「んー、いろいろです……」 「…………」 他愛もない朝の会話の最中も、ななみの瞳はどこか所在なげに下を向いている。 「さてと、さっさとお姫様起こして、 楽しい朝の修行タイムだ」 「むむ、気楽な発言!」 「いいじゃんか、 もともとお前は修行を楽しんでたんだし」 「それはそうなんですけど、 近ごろロードスターさんの御機嫌がいいのか、 ちょっと運動量がすごいことになってまして……」 「それだけ親身に指導してくれてるって話さ」 「もー、とーまくんは 自由参加だからいいですけどー!」 「修行だって仕事のうちさ。 でもって俺の仕事は送迎係だ、 ほら、さっさと支度しないと遅刻するぞ」 「あ、待ってくださいー!」 「喝ーーーーーーーーーーっっっ!!!!」 「ごめんなさーーーいっっ!!」 「10分の遅刻は、一時間の修行で償うべし! さあ、今朝も楽しく鍛錬じゃ!!」 「わあああーーーーんっっ!!!」 「うぇぇ、死んだ…………」 「はぁぁ……今朝もハードでした」 「そうか? 身体が温まっていい感じだぞ」 「本当に涼しい顔してますね……」 「ん、慣れてきたってことだな」 「なんですかその有り余る体力は」 「トナカイってみんなこうよ!」 「そりゃあ、鍛えてますから」 かくして、久しぶりに早朝修行に付き合った俺は、ふらふらのサンタさんたちと一緒に気持ちのいい朝食をいただき、店長の仕事にとりかかる。 こっちが仕入れで、こっちが売り上げ、なかなか数字が頭に入ってこないが、台帳のチェックも立派な仕事だ。 営業を始めて一ヶ月も経っていないので、チェックするのはもっぱら売り上げよりも倉庫に残ったストックの数だ。 一時はどうなるかと思ったきのした玩具店だが、口コミかはたまた広報活動の成果か、ようやくそこそこの売り上げを残すようになってきた。 帳簿をざっと見て分かるのは、売り上げがいいのはほとんど週末で、平日は暇な店であるということだ。 つまり、俺とななみの広報活動に、いっそうの努力が必要ということだ。 「……キャロルの坊やも、 こんな風にチェックしてんだろうな」 「?? とーまくん、なにか言いましたか?」 「いや、別に。 これが終わったら営業に出かけようぜ」 「りょーかいです」 朝食をたらふく食べて復活したななみは、店のテーブルを占領して、型抜きの終わった張子人形に絵入れ──絵の具で着色をしている。 なんだかんだ言いつつも、ななみはシガさんから教わった張子人形を独りで作っちまおうとしている。 「これが、新しいお店の商品ですか?」 「町の人に教わったんですよ。 なんか可愛いですよね、張子人形さん」 「はい。これは……犬ですか?」 「おまわりさんですよ?」 「そ、そうでしたか。 じゃあこっちのは……武士?」 「いえ、それは……ちょんまげ猫です」 「…………」 「…………」 「い、色を塗ったらすぐに分かりますね!」 「そ、そーですよ、そうそう!!」 「私も手伝いましょうか。 これ、警官なんですよね?」 開店準備はすでに完了。朝の10時を過ぎても、しばらくは客の来ない平和な時間帯だ。 ななみの向かいに座った硯は、太目の筆を取り上げると、人形にちょんちょんと色を置き始める。 「わわ、硯ちゃんすっごい器用!」 「こ、これはわたしも 見習わなくっちゃいけませんね」 少し真剣モードに入ったななみが、手元の──おそらくは侍の人形に細筆でおっかなびっくり顔を書き入れる。 「最初に肌色を塗って、 濃い色を後にしたほうがいいですよ」 「おおっ、なるほど!」 「ふんふん、こうですねー♪ いくぞー、斬るぞー、お侍さーん、 そこへー、なおれー、無礼打ちー♪」 「また変な歌を……」 「いますぐ成敗、ジャパンダイナミック!!」 「やめろ、絵の具が飛び散る!」 「わわわ、す、すみません!」 「くすくす……ななみさんって、 お人形遊びが好きなんですね」 「はいー、お人形さんはラブですね。 硯ちゃんも好きじゃないですか?」 「私は……どちらかというと、作るほうが」 「さてはモデラーさん??」 「そ、そうじゃなくて! 細かい作業が性に合っているみたいで」 「……こういう、工作とか好きでした」 「それで器用なんですね。 わ、早い、もう終わりですか?」 「下色だけ付けておきますから 顔はななみさんが描いてくださいね」 「り、りょーかいです!」 サンタ二人がいい雰囲気で手作業をしているので、聞くともなしに二人の会話に耳が向いてしまう。 硯に教えてもらいながら、張子人形の顔に筆を遊ばせていたななみが、ふと話題を変えた。 「硯ちゃんは、 どうしてサンタになろうと思ったんですか?」 「はい、それはサンタ先生にスカウトされて……」 「あ、その前です。 スカウトされる前は……?」 「前……」 「その、サンタに憧れてたのかなーとか、 空を飛びたかったのかなーとか!」 「………………」 「……小さい頃から思ってたんです。 サンタクロースって、 みんなを笑顔にできるんだなって」 「うん……」 「だから、きっと憧れてたんですね。 笑顔を配ることのできるサンタさんに」 「そっかぁ、すごいなぁ……」 「ななみさんも同じじゃないんですか?」 「え? あ、あはは……わたしは……」 ななみの口からため息が漏れる。彼女なりに、昨夜のりりかの言葉を受け止めようとしているのだろう。 「よっしゃ、やりました! 20体目、かんせーい♪」 「そんなに作ったんですか?」 「はい! ゆうべは お張子さんナイトでした」 「んじゃ、きりのいいところで、 そろそろ広報部隊出動と行きますか」 「はい、れっつごーです!」 ──自分はどうしてサンタになろうと思ったのか? そう問いかけたとき、ほとんどのサンタは、『みんなの笑顔のため』とか、『幸せのため』と答えを出すだろう。 サンタのスタイルはさまざまだが、その根っこは似たようなものだから、なにも『すごいなぁ……』なんてことはない。 さっきのななみの言葉が少しだけ頭に引っかかったまま、俺たちは手作り屋台を引いて〈樅〉《もみ》の森を抜けた。 「いよいよ張子人形のデビューだな。 売れ行きを見るためにも 今日は駅前で売ることにしようか」 「そうですね、そのほうが お客さんもいっぱい来てくれますし!」 「ふーん……」 「どうしました?」 「いや、それでもニュータウンに 行きたいんじゃないかと思ってな」 「そんなことないですって! それに……」 「……もっとしっかりしないと りりかちゃんに怒られちゃいます」 「ななみ……ん?」 「ぎょーーっ、ぎょっ、ぎょぎょっ!!」 「ふーーーーーーーーーーーっっ!!」 視界の向こうで、トリが近くの野良猫と睨み合っている。 「……なにやってるんでしょう?」 「……また変な癖が出たか」 「癖?」 「あいつ、縄張り意識が妙に強いんだ。 特に野良猫とかカラスを相手にするとな」 「ははぁ……おーい、サンダース! なかよしさんにならないとダメだよー!」 「くこここここ!!! くこここっ!!」 「……なんですか?」 「我、天命を知る──だとさ」 「????」 ……などと、物憂げな表情を見せていても、もともと能天気なななみだけあって、町に出たとたんスイッチが切り替わった。 「いらさい、いらっさーい! 聞いてびっくり見てびっくり、 流しのおもちゃ屋さんでございまーす!」 「YES,キノシタトイステーション! ゼヒゼヒ、見テッテクダサーイ!」 「で…………なんでまたここにいますか?」 「オー青年、ワタシ毎日 ベリーベリービズィーね?」 「分かってます! だからうちの手伝いしてちゃ、 まずいんと違いますか?」 「ノォォォープロブレム!」 「町のミナサーン! ぽっちゃりセクシィミルクホール『うしっ娘』! トゥナイトはホルスタイン祭りデース!!」 「お誘い合わせのうえ、ぜひぜひー♪」 「乗っかるな!! いかがわしい提携を誤解されそうだ」 「えー、せっかくのサンタコラボなのにー」 「ソレデハ、オジョーチャン! アイルビーバーーック!!!!」 「さんきゅーべりまっちでーーす♪」 「…………元気だ」 「ほんとですね、おいくつなんでしょう?」 「聞いた話じゃ70近いはずなんだがな。 いや元気なのはお前も含めてだ!」 「元気なのはいいことです。 で、どうでした? 張子人形くんのデビュー戦は」 「いや、それがさ……」 「完売!?!?」 「ああ、試作品以外は全部」 ななみの作った張子人形は、細部こそ荒い仕上がりながら、外国人や観光客の目を引いたようで、ほとんどが売れてしまった。 「信じられません、わたしのお人形が こんなに売れるなんて……!!!」 「シガさんの教え方が良かったんだな。 それに1個150円は安かったんじゃないか?」 「サンタさんのコラボパワーも忘れちゃいけません」 「苦情と紙一重だけどな。 でも……確かに目立っていた。 あれが芝居とはとても思えない」 「お会いすればお会いするほど 謎の深いロードスターさんです」 英国騎士の名サンタがいるという噂は、俺が1年目を過ごしたスロバキアにも届いていたが、その〈為人〉《ひととなり》までは聞いていなかった。 「表向きは実業家で、イギリスに 漢方薬品の会社を持ってるんだってさ」 「ははぁ、それで東洋マニアに……」 「どっちが先かは知らないけどな」 「〈騎士〉《ナイト》さんと伺っていたので、 てっきりお役人さんかと思ってました」 「会社がやってる福祉事業が認められて、 騎士の称号をもらったんだそうだ。 〈欧州〉《むこう》の支部じゃ有名な話だったぜ」 「ふーむむ……」 「どうした?」 「……やっぱりすごい人なんですね。 おじさま好きの冬馬くんが興奮するわけです」 「何度否定すれば理解できるかな、 このピンク頭は?(ぐりぐりぐりぐり)」 「ぐぁぁぁ、冗談です、冗談ですってば! いたいいたいいたいいたい!!!」 「うぅぅ……こめかみは反則です。 せめて後頭部を」 「んで、ななみさんはピンクの頭で いったいなにを考えていらっしゃる?」 「へ?」 「いえ、その…… いろんなサンタさんがいるなーとか」 「………………」 「わたしらしいサンタさんって、 どんなサンタさんなんでしょうね……なんて」 俺たちは……。いや、ななみ以外の俺たちは、だ。 硯にしろ、りりかにしろ、俺にしたって、サンタやトナカイになりたいという憧れと強い決意をカバンに詰めてノエルに入ってきた。 その結果として今の仕事をしているわけだが、ななみの場合は、ちょっとばかし事情が異なる。 こいつの生まれた星名家はこの世界じゃ名家といわれるサンタの家柄だ。 ななみは、幼い頃からサンタになることが約束されていて、星名家というコースの上を走っているうちにサンタになっていた。 「ななみらしいサンタか」 「とーまくんはイメージ湧きますか?」 「大食い」 「ぐさっっ!!」 「天然」 「ひぐっっ!!」 「加えておっちょこちょいで……」 「ストップ、ストーップ!! どうしてひとの自信を 打ち砕こうと躍起ですかー!?」 「俺のイメージなんて役に立たないさ。 らしいってのは、お前のなりたいサンタのことだ」 「むー、そうなんですけど……」 「ま、おいおい見つけていけばいいさ。 今日のところは人形が売れてるってことで、 いいんじゃないか?」 「そ……そうですか。 うん、そうですね!」 遅い昼食を挟んで、午後三時すぎに俺たちの屋台はニュータウンに到着した。 俺たちの存在も次第に認知されてきたのか下校中の子供たちがランドセルのまま屋台を覗き込んでくる。 「新しいおもちゃ入ってる?」 「はい、深海戦隊グソクマンの コレクションカードくじが新入荷です! でも、一度おうちに帰ってからですよー」 「わかった、だーーーっしゅ!!」 子供たちのグループが慌てて駆け出してゆくと、またすぐに新しい子供たちがやってくる。 「どうやら、駄菓子作戦は成功だな。 ななみが呼び込みしなくても大丈夫そうだ」 「あれ?」 「どうした?」 「いま、そこにアイちゃんが……」 ななみの指差した方向を目で追いかける。 いた、確かにアイちゃんだ。下校する生徒の流れに逆らうように、早足でニュータウンの奥のほうへ向かっている。 「行ってみるか?」 「はい」 アイちゃんの背中を追いかけて、同じ方向へ屋台を移動させることにした。 「向こうになにかあるんでしょうか?」 こういうときは意識をしなくても、セルヴィから見下ろしたニュータウンの地図が頭の中に広がる。 「この方角だと……小学校か」 果たして、アイちゃんについていくと向こうから小学校の校舎が姿を現した。 「へえ、学校ってこんな奥だったんですね」 「〈星野平〉《ほしのだいら》小学校か」 無機質なコンクリートの校門に、校名の書かれたプレートが掛かっている。 「あ、おもちゃ屋さんだー!」 「ほんとだ! こっちにも来るんだー」 すぐに二人の女の子が屋台をのぞきに来た。 「ええと……ミミちゃんとユウちゃん?」 「うわ、なんでお姉ちゃん わたしたちの名前知ってるの?」 「このあいだ、サンドイッチマンさんのところで お話していたのが聞こえてたんです」 「へー、耳がいいんだ!」 耳よりも、その記憶力に俺は驚いた。 屋台をのぞきにきた女の子は、確かにこの間、サー・アルフレッド・キングのおっかけをしていた女の子のうちの2人だった。 あのときは、少し離れたところにアイちゃんがいて、 「ねー、アイちゃんもこっちおいでよー! おもちゃ屋さんが来たよー」 「アイちゃーん」 「あれれ、二人はアイちゃんのお友達さんでしたか」 「うん」 「おねーちゃん、アイちゃんのこと知ってるの?」 「はい、前にちょっと……」 ななみが言い差したところでアイちゃんが来た。初めて会ったときのように、屈託のない笑顔を浮かべている。 「あ、こんにちわー!」 「こ、こんにちは!」 「お兄さんも一緒なんですね、こんにちは!」 「門の中に入ってくださいー」 女の子たちが屋台を押して校内に入れようとする。しかしここで物を売るのはさすがにまずかろう。 「部外者が入るのはまずいよ」 「うちは校庭だったら出入り自由なんですよ」 「そうなのか?」 「けれどみなさん、 もう下校なんじゃないんですか?」 「ちがいますよー」 「私たち、これから学校ですから」 「ねー!」 「???」 「学童だから、学校じゃなくて あっちの児童館のほうに行くんです」 アイが指差したほうを見ると、学校校舎に並んで、もうひとつ、小さな建物が敷地内に建っている。 校庭の入口に立てられた案内板には、右に『星野平小学校』と書いてあり、左側には『星野平児童館』とあった。 「なるほど、学童保育さんか」 「が……学徒……動員??」 「惜しい、全然違う」 学童保育というのは、両親が共働きだったりして放課後一人になってしまう子供を、児童館などが保護者の帰宅時間まで預かってくれるサービスだ。 ニュータウンには東京や都市部で仕事をしている家庭が多いから、こういうサービスが必要になってくるのだろう。 「ふーむ、そんな便利なものがあるとは 知りませんでした」 「社会勉強不足だな、ななみさん」 「ううっ……冬馬くんはよく知ってましたね」 「ま、俺も勉強して知ったわけじゃなくて、 ガキの頃の友達にそういう奴がいたんだよ」 前にアイちゃんと会ったときは、どうして日曜日に学校があるのだろうかと不思議に思ったが、おそらくは休日も忙しいご家庭なのだろう。 「家の事情も様々って話だな。 お、子供たちが集まってきたぞ」 「はいはーい、店員さんはおまかせあれ!」 「売るなよ、問題になる」 「か、かしこまりました!」 子供たちの相手をななみに任せつつ、校庭から少しくたびれたコンクリートの校舎を見上げる。 どことなく懐かしい佇まいをしている。ニュータウンの高台にある小学校の空気はとても澄んでいて綺麗だ。 「なるほどね、児童館があるから、 ここは校庭も出入り自由になってるのか」 「そういうことです♪」 いつの間にかアイちゃんが背後にいた。こうして見上げていると、この上空が恐るべき真空地帯とは思えない。 「星野平か……ここからなら星もよく見えそうだな」 「よく観察会とかやるよね」 「ねー」 子供たちに囲まれた屋台から少し離れたところで、俺は女の子3人組としばしの雑談。 屋台のほうは賑やかだが、よくよく見れば、そんなに人数がいるわけではない。 「見た目より生徒の数は少ないのかな?」 「仕方ないです。 ここ、失敗ニュータウンだから」 「失敗?」 「新聞に書いてあったよね」 「ねー」 「なんだか穏やかじゃないな、いい町じゃんか」 「でも、空き屋ばっかりなんですよ」 「だよねー、思ったより人いないんだから」 「ねー!」 こないだの花の一件以来気になっていたが、こうやって学校で見る限り、アイちゃんは友だちもいるし、ごく普通の女の子みたいだ。 普通の子よりもしっかりしているように見えるので、あれこれ余計なものも見えてしまうのかもしれない。 「それにしても、 アイちゃんはしっかりしてるよな」 「…………」 「アイちゃんまじめだしね」 「グループ長もやってるもんね」 「あ、そろそろお話の時間だから……」 腕時計を見たアイちゃんは、ミミちゃんとユウちゃんを置いて小走りで児童館の建物に戻っていこうとする。 「ね、まじめでしょ」 「時間に厳しいんだよねー」 「ま、いいことさ。 俺たちもそろそろ仕事に戻らないとな」 「あ、とーまくん! ちょっと店員さん交代してくださいー!」 「いいぜ、どうした?」 「アイちゃん用のお花があるんです」 「??」 「アイちゃん、おーい、アイちゃーん!」 「おねえちゃん?」 「はぁ、はぁ……はい、これ」 「これ?」 「張子でつくったコスモスです」 「おねえちゃんが? わぁー、すごい。よくできてますね」 「アイちゃんにと思って 作ってみたんです」 「でもお金ないです」 「いいんですよ、 サンタさんのプレゼントですから」 「またですか?」 「これ、けっこう人気あるんですけど、 アイちゃんと会った日に思いついたので ほんのお礼です」 「お友達のぶんも今度つくってきますね」 「?? 友達なんていませんよ」 「え??」 「で、でもミミちゃんとかユウちゃんとか……!」 「やだな、ちがいますよー。 みんな同じクラスなだけですから」 「え? え????」 「……うん、でも、ありがとうございます。 私、これ好きになりました」 「あ、は、はい……! ちょっとドキドキでしたけど、よかったぁ」 「私ね、人形みたいって言われるんです」 「そうですね、アイちゃん可愛いし……」 「お人形は動けませんから」 「……!」 「よくできてますよね。 花なら最初から動かないものだし、それに」 「これなら花占いもできないし」 「…………」 「廃校だって?」 「そうですよ、ご存知なかったんですか?」 「ぜんぜん知りませんでした。 みんな何も言ってなかったし」 夕方、熊崎城址公園で営業をしていると、透が駄菓子グッズの補充に顔を出した。 自腹で仕入れた商品が売れ行き好調だったので、今後は正規の取り扱い品として、支部に仕入れを頼むことになったのだ。 「でも、これしか売れないっていうのも ちょっと寂しいですね」 「これきっかけで、他の品物も アピールできるといいんだけどな」 「張子くんたちは、お土産には人気でしたけど、 子供たちにはいまいちでしたもんね」 小学校近くで営業してみても、伝統工芸である張子人形の人気はさっぱりだ。職人さんがいなくなったのも頷ける。 「それにしても、 あの小学校がなくなっちゃうなんて」 「ま、廃校自体は珍しい話でもないか……」 町の人から聞いた話によると、一見おしゃれなしろくまニュータウンだが、交通の整備が遅れたこともあって、現在の入居率は7割程度。 特に奥まった位置にある小学校の近くは、寂しいところだと言われている。 「で、少子化で生徒の数が減ったから、 学校もなくなってしまうのか」 「ニュータウンができた15年くらい前は、 あの小学校に入りきらないくらいの生徒が いたらしいのですけど……」 「みんな卒業したら、 後に続く新入生がいなかったってわけだな」 「はい」 しろくまニュータウンに住んでいるのはこの町ができた15年近く前に、いっせいに引っ越してきた人ばかりだ。 だから、どの家庭もだいたい同じ世代の人ばかりになる。 昔は大勢いた小学生も、やがて中、高校生になってゆき、小学校の生徒数は急激に落ち込んでしまったというわけだ。 「もう、どこかの会社があの場所に 別の施設を作るとか、そういう話まで 出てきてるみたいですね」 「いずれにしろ小学生も児童館の子供たちも 卒業まではこの場所にいられないわけか」 「なるほどなぁ、 仕方のない話なんだろうが寂しいな」 「こればっかりは、 サンタの力じゃどうしようもないです」 「ま、そういうもんさ。 それよりアイちゃんのほうが気になるな」 「アイちゃん?」 首をかしげる透に、事情をかいつまんで説明する。 「つまり、訓練の成績が落ちているのは、 その子に言われた言葉が原因なんですか?」 「それだけでもないんですが……」 「ちょっと、気になる子なんだよな」 「はい、アイちゃん元気なかったです」 「学童ですか? あんまり面白くないですよ。 いっそなくなったらせいせいするかも」 「私、よくお人形さんみたいだって言われるんです。 人形は動かないから」 「……元気がないっていうか、 ななみの前だとそういうことを言うんだな」 「そうなんでしょうか」 「俺の前じゃすごくイイ子だもんなぁ。 おそらく、ななみのことがすごく嫌いか……」 「ええ!?」 「いや、好きなのかもしれないな」 「……りりかちゃんに怒られるかもしれないけど もうちょっとアイちゃんのこと、知りたいです」 「ああ、人形は動けない……か」 「シビアですね」 「シビアちゃんだな」 「………………」 「…………!」 「人形は動けない……?」 「どうした?」 「……そうだ! そうですよ!」 「なんだ、どうした!?」 「おもちゃ屋さんのナイスアイデア、 ひらめいちゃいました!」 「ええと……ここを、こうして……ちょいちょいと」 「できました、リバイアさん!」 「なんだい、そいつは?」 「深海戦隊のマスコットさんですよ。 ここのツノからもずくビームが出るんです」 「張子でヒーロー物を?」 「ええ、でもこれからちゃーんと時代劇シリーズも 作りますよ。ええと、〈組紐〉《くみひも》屋さんと、 三味線屋さんと、飾り職人さんと……」 「なんか美形そうな職業ばっかだな」 「近ごろはそういうのがウケるって 新聞に書いてありました♪」 「で、こっちが完成品です」 「ええと、王子様に、お姫様に、女王様に……鏡? ああ、白雪姫か」 「はい、やっぱり最初は王道かと思いまして」 「白雪姫なら誰でも知ってるもんな。 で……磁石と」 「はい、中が空洞ですから、 型から切り離す時にこーして……とと」 「気を付けろ、破けるぞ」 「ちょ、ちょっとくらいはドンマイです」 ふたたびななみが新作張子づくりに没頭する。 こうしていると、りりかの説教を受けた後でもまるで懲りてないように見えるが、ななみなりに睡眠時間をしっかり確保するようにしたようだ。 おかげで今日の訓練は、前ほどのミスもなく乗り切ることが出来た。 技術面はまだまだ修行の必要ありだろうが、おかげでりりかも少しは納得してくれたみたいだ。 「こいつが駄菓子の代わりになるといいな」 「まかせてください☆ アイちゃんきっかけでひらめいたんです、 きっと上手く行きますよ」 人形作りにあてられる時間は短くなったが、ななみがコツを覚えてきたので、作るペース自体はそう変わっていない。 一応、りりかの目を避けて、こうして倉庫でこっそり作っているのは、ななみなりに空気を読んでのことだろう。 「人形はこれでいいとして、 あとはつかみのネタがほしいですね」 「つかみ?」 「そーです、ここ大事ですよ。 小学生にも覚えてもらえそうなフレーズをですね」 「『そんなの関係ねー』みたいなやつか?」 「とーまくん…………」 「………………古いです」 「いいい1年日本を離れてたんだ、大目に見ろ!」 「とーまくん、すべったあげくに顔まっか!」 「ええい、詠むな!!」 「おっはよー☆」 「おはようございますー!」 「朝から元気がいいねっ。 建物のことで困ったことはない?」 「ぜんぜん快適です!」 「大家さん、 いつもそうやって家を回ってるんですか」 「昨日まではなんともなかったのに 今朝から水まわりが。 なんて、よくある話なんですよ」 「わざわざそのために?」 「ま、そーゆーことです」 「うぅぅ……感激ですとーまくん、 すごく優しい大家さんです!!」 「俺もそう思うが、オーバーすぎらあ」 「あと、ええとね……。 お店が繁盛してるかも気になるし。 あ、お家賃的な意味じゃないですよ?」 「まだまだ軌道には乗れていませんが、 少しずつお客さんも増えてきてくれています」 「ですー!」 「屋台のおもちゃ屋のほうも好調ですよ」 「町長さんから聞きました。 すごい人気なんだってね」 「いやー、よかったよかった、 正直、最初はどーなることかと思ったけど、 なんとかなりそうですね」 「おかげさまをもちましてー!」 「あ、大家さん、 よかったらこれ見てほしいんですが!」 「これって……どれ?」 「こっちです!」 「おひけーなすってぇー!! どうも、ちょうちん憲兵さんです!」 「お。張子人形が動いてる! どうやってるの?」 「人形の中に、磁石を入れてみたんです」 ななみがひらめいたのは、張子人形を使った人形劇だった。 とはいっても、特に珍しいことはしていない。張子人形の内部底面に磁石を貼り付けただけだ。 こいつを厚紙で作った舞台に置いて、その下で棒磁石を動かすと、張子人形も一緒に動くというごく単純な仕掛けだ。 「ためしに演じてみせましょーか?」 「あばよマーチン、 荷物はアリゾナに送ってくんな」 「ラウンデル、なにか言ったか?」 「すごいね、ちゃんと動いてる」 「名づけて、ハリコー人形劇団です」 「へええ。 手を使わないのに動くから、見てて楽しいよ。 すごいじゃない」 「ほんとですか!?」 大家さんは磁石人形をえらく気に入ったようで、手にとってはしげしげと眺めている。 「張子人形なんて、 地元じゃそんなに珍しいものじゃないけど、 これなら小学生も喜ぶかもしれないね」 「ナイス感触じゃないか」 「そうと分かれば、 さっそくニュータウンにれっつごーですっ!」 「おひけーなすってー!! ちょうちん憲兵さんですよー!」 「おひけーなすってー!」 かくして、ななみのハリコー人形劇団の第一回公演が、ニュータウンの路上で行われた。 屋台の売り台に厚紙でやぐらをこしらえて、幕を張って内側を隠せば、舞台の出来上がりだ。 集まってきたのは、学校帰りの子供たちが10人ほどだ。 「それでは、白雪姫のはじまりはじまりー!」 「わー、ぱちぱちぱちぱち……!」 ……どっかで見た人もまじってるな。 張子人形を磁石で動かすという、ななみの単純なアイデアが、子供たちにどこまで通じるか……だが。 「昔々、あるところに とーっても美しいけれど、 イジワルな王女様がいました」 ななみの言葉とともに魔女の磁石人形が動き出す。さあ、反応はどうだ? 「………………」 「王女様は毎日、自分の美しさを 魔法の鏡に映してはウットリしちゃってました」 「………………」 「(と、とーまくん……無反応ですー)」 「違う、注目してるんだ。 いいからノリノリで行け」 「鏡よ鏡、鏡さん、 世界で一番美しいのはだーれ?」 「もちろん王女様がイチバンでーーっす!」 「そうでしょうそうでしょう、 もういちど言ってごらんなさい?」 「けれども白雪姫のほうが1000倍綺麗っす!」 「じゃあイチバンじゃないじゃん!!」 「そこ突っ込んだら話進まないでやんすよ?」 「1000倍とか基準もわかんないし!」 「間違いないっす、 ニコ動のコメント数がダンチです」 「ネット調べ!?」 「うわあ、鏡すげーーー!!!」 「(台本と全然違うぞ)」 「(す、すみません、ついノリで!)」 「わー、鏡ーー! がんばれー!」 「(……なんか知らんけど、  ギャラリーが乗ってきてる。  いいからそのままやってしまえ!)」 「(ら、らじゃーです!)」 子供の賑やかな声に、道往く人も足を止め、ギャラリーの数が増え始めた。その中でななみのなりきり演技が続く──。 「おお、姫よ!! ついに見つけたぞ私のいとしい姫よ!! そなたは死してなお美しい……」 「そうして、王子様は 眠ったままの白雪姫に近づきました」 「白雪姫の物言わぬ唇に、 そっと自分の唇を押し当てて……」 「ズギュゥゥゥウウウウン!!!!」 「わぁぁ、撃ったー!!」 「違います、愛と情熱のキッスです!」 「あぁ、私を助けてくださったあなたはだれ……?」 「王子だ、君を愛する王子だよ!」 「わーー!!!」 「さーみんな、静かに静かにー。 ……こうして白雪姫は眠りから覚めました」 「そのあとなんやかんやあって、 結局幸せに暮らしたそうです。 ……めでたし、めでたし☆」 「わー、ぱちぱちぱちぱち」 子供たちの歓声に拍手が重なる。 ハリコー人形劇団・第一回ゲリラ公演は、ななみのノリノリ演技も手伝って、どうやら大成功に終わったようだ。 「おねーちゃん、その人形ほしい!」 「わたしもー!」 「はいはい、りょーかいです。そういうときは、 このハリコー劇団オールスターコレクションが おすすめです!」 「でも高そうだよな」 「心配ご無用、今日は特別に超割引の 1つ10円でおすそわけです!」 「おいおい10円って!」 いや、原価は大してかかってないし、店の宣伝費と考えれば、まるっきり無しではないか。 「あ、それから、今日の白雪姫のお話は、 お店でも売っている、こちらの絵本が もとになっていますー」 ななみが紹介した絵本は、子供たちよりも一緒に見ていた大人に評判がよく、保護者らしい数人がその場で購入してくれた。 張子の人形はもちろん手作りだが、台本はきのした玩具店で取り扱っている絵本をアレンジしたものだ。 厚紙の見栄えのする舞台を作ったのは硯だ。店の商品のいくつかを背景に使ったりして、なかなかしっかりしたジオラマになっている。 「で、こちらのお店は どこにあるんですって?」 「はーいっ、〈樅〉《もみ》の森のツリーハウスで 今日も絶賛営業中でーす!」 「あ、さつきちゃん!」 「こんにちわー! さっきから見てたけど 張子の人形劇すごい人気じゃない」 「ああ、こいつが考えたんだ」 「あ、でもこの舞台は 硯ちゃんに作ってもらったんですよ」 「へえー、確かにこのキッチリ感は 硯が作ったって感じがするなぁ」 「硯ちゃんとっても器用で……あれ?」 「くっこくっここー♪」 「にゃー」 「どうしてこんなところにトリさんが?」 肩で風を切っているのは、うちのトリだ。こないだ〈樅〉《もみ》の森の近くで睨み合っていた野良猫を子分に従えている。 「あ、あのノラ! このへんで幅を利かせてるボス猫だよ」 「トリさん……」 「……領土を広げやがったか」 「え??」 「あ、ああ……いや、なんでもない。 それよりさつきちゃんは、いま仕事帰り?」 「おっと! ところが新聞配達の真っ最中。 道草してちゃダメだよね、それじゃ!」 ぴゅーと走り出したさつきが、また同じ速さで戻ってくる。 「そうそう、言いたいことがあったんだった」 「なんですか?」 「今度さ、この近くの小学校で バザーがあるんだって」 「星野平小学校で?」 「そうそう、出店もできるみたいだから 参加してみたらどう?」 「バザーか。 それなら屋台で堂々と乗り込めるな」 「でしたらわたしもオリジナル人形劇を作ります」 「入れ込みすぎは禁物だぞ」 「はい、でもシガさんに見てほしいんです。 それから……アイちゃんにも」 笑顔のなかに、強い決意が見て取れた。それならば俺が口を挟むことはない。 「はぁ、もう終わってしまいました」 「店で売ってる絵本を台本にするのは いいアイデアだったな。おかげで人形が 10円でも、それなりに売り上げが出てる」 「あんな人形で子供からお金は取れないですよ」 「ま、ななみが言うならそれでいいさ。 俺たちは広報部隊ってことなんだから」 「……ん、そっちの人形は?」 「あ、これは……お客さんの層に合わせて いろんなバリエーションができるようにと 思いまして」 「ほう、子供以外ってことか?」 「そうです。たとえば、お年寄り向けに ハリコーちゃんばら時代劇!」 「ふむ?」 「てめーら人間じゃねえ、たたっ斬ってやる!」 「ちゃーんちゃーん、ばらばらばらばら♪ とうっ、てーいっ、秘剣オーロラつばめ返し!」 「剣劇の前に人情話を忘れるなよ」 「あとですね、海沿いの国道を流してる ちょっとツッパったお兄さんには、 こちらの張子さんです!」 「こいつは……リーゼント?」 「よー、オメー“どこ“よ?」 「んじゃコラ? “ダサ坊“が“チョーシ“くれてっと死ぬゾぉ? “死“ぬゾつってんべが!!」 「“〈悪運〉《ハードラック》“と“〈踊〉《ダンス》“っちまったぜ……」 「そっちのターゲット層を店に呼ぶ気かお前は!!」 「てえええええーーーーっっ!!!」 「うりゃああああーーーーっ!!!」 「はは……切り返しが甘いぜ、ジャパニーズ」 「動きが無駄だし大雑把。 なんのための軽い機体よ!?」 「きゃあああっ!!」 「ほら、手を引いてやるよ、ついて来い」 「くそ……抜かせるかっ!」 「こ、ここで一気にスパートですっ!」 「10戦10敗、ぜーんぜんダメ!! 今日までなんの修行してたのよ、 カペラチームは!!」 「しゅん……」 「ぜんぜん集中できてないのよ、 それしか考えられない!! ななみん5点!!」 「も……もういっかいお願いします! とーまくん、行きましょう!」 「了解だ、しかし……」 「ほらまた遅いっ!!」 「動き雑っ!!!」 「そっちのコースは遠回り!! あーもうイライライライラするーっっ!!!」 「レベル差がひどい?」 「はい!!」 「つまり、現時点でのサンタチームの 技倆に埋めがたい差がある……と?」 「うぅ、面目ありません……」 朝の特訓のあと、サンタとトナカイ全員が、サー・アルフレッド・キングの執務室に集められ、りりかから訓練の報告がなされた。 カペラチームにとっては耳の痛い内容だ。自分でも、あそこまで息が合わないとは思っていなかっただけにショックだ……。 「分かりました、その件は後ほど検討しましょう」 「さて、本日集まってもらったのは しろくま町のルミナ分布について 観測結果がまとまってきたのです」 「観測……ですか?」 「そーゆーこと」 「今回の観測には、バルーンだけではなく ベテルギウスチームによる上空計測を行い、 できるだけ誤差の少ない数値を得られました」 「い、いつの間に……!?」 「昼間とかちょいちょい抜け出して、ね」 「数値の分析は、サンタ先生とトールに 手伝ってもらったのだが、どうにも ニュータウンの数値がよろしくありません」 「まさか……真空地帯が?」 「はい、ルミナの非分布エリアが 以前よりも広がっているんです」 「あの屋台でうろうろしてたからでしょうか!?」 「それはないわ。 久しぶりに目覚めたツリーだから、 これくらいのトラブルはつきものよ」 「しかし、こりゃ少々厄介ですな」 「そうなのだよ。 原因の全てがツリーにあるのなら きのした玩具店が処方になるのだが……」 「どういうことですか?」 「ツリーハウスにサンタチームを住まわせれば、 ツリー本体の活動が安定するはずなのよね」 「わ、わたしたちが喧嘩しすぎてるとか?」 「してないでしょ!」 「してない……と思います」 「そこはツリーが寝ぼけたくらいのつもりで 考えていればよろしいでしょう」 「いま諸君にできるのは、 その原因を突き止めることよりも、 現状にどう対応するかということです」 「分析の結果、星名ななみさんのオアシスは、 真空地帯の拡散を抑えるのに有効ですので、 このまま継続してください」 「は、はい!」 「あとはサー・アルフレッド・キングの巡回で ルミナの安定化を図りながら、ニュータウンに ついては……」 「訓練あるのみ!」 「正解です」 「あの、サー・アルフレッド・キング! さっきの話の続きですけれど、」 「そのためには、 サンタチームの技術的なレベルアップが 必要不可欠だと思います!」 「ふむ」 「あたしを指導教官にしていただければ、 残りの2名をNYレベルに近づけるために 全力で指導します!」 「えええっ!?」 「今までも訓練は月守さんがテクニカルコーチとして リードしてるけど教官になるっていうのは?」 「根本的な訓練メニューも見直します。 今度は最初からキッチリやりたいんです」 「月守さんの訓練メニューは、 今でもついていくのが大変なんだけど……」 「そこもレベルアップです!」 「それには俺もつき合うんだよな?」 「そういうことになるんじゃない?」 「ま、これも運命だね。 全てはロードスターの御意のままに、さ」 ジェラルドの台詞で、みんなの視線がボスに集まる。 「ふむ……よろしい、月守りりかに 臨時の指導教官役を申し付ける」 「ありがとうございますっ!!」 「ふんふんふーん♪」 「りりかちゃん、ごきげんですね?」 「とーぜん。 ここで大幅にポイントを稼いで、 近い将来には……」 「NYに凱旋……か」 「ええーー、そういうことだったんですか!?」 「どっちにしたって、 ステージの難易度が上がったんなら あたしたちが対応するしかないでしょ」 「そうですね……がんばらないと」 「で、うちのリーダーは まだのんきに人形劇なんかやってるの?」 「来週バザーがあるんです」 「ニュータウン対策をするなら、 バザーよりも特訓!」 「そ……そうなんですけど」 「〈屋台〉《オアシス》の効果も馬鹿にはできないんだろ。 ここはバザーに参加しながら、 技術的なレベルアップもだな……」 「その腕で? 無理よ」 「ぐさっっ!!」 「ま、でも気持ちは分かるわ。 じゃあ対決で白黒はっきりさせちゃおっか?」 「対決?」 「そう、雪合戦で対決するの!」 「前にも言ってたな。 NYサンタのゲームなんだろう? どうやるんだ?」 「簡単簡単、ただの〈空中戦〉《ドッグファイト》よ」 「弾は?」 「これ」 りりかのハイパージングルブラスターに光が集まり、ボール状の光球になった。 「これをぶつけ合って、 1回でも命中させたら勝ち」 「へええ……! つまりこいつは模擬弾の代わりってことか!」 「興味津々だな、ジャパニーズ」 「ああ、そりゃあ楽しそうだ」 つい声が弾んでしまうのは、ノエル的に不謹慎かもしれないが、こんな面白そうなゲームの話を聞いてトナカイの心が躍らないわけがない。 「しかしお姫様、そうなると 馬のハンディがいるんじゃないのか?」 「冗談だろう?」 「お、対等の勝負をお望みか?」 「ああ、やってやるさ!!」 「うぅ、とーまくんに火がついてしまいました」 「じゃあ、雪合戦であたしたちが勝ったら、 人形劇とか張子人形とかお遊びは当分禁止!」 「教官りりかちゃんの言うことを聞いて、 サンタのレベルアップにひたすらいそしむこと!」 「わ、わかりました……!! そのかわりカペラくんが勝ったら、 今までどおりにがんばらせてください!」 「もちろん! ふふふ……」 「で、いつやるんだ?」 「勝負はそっちのバザーが 終わるまで待ってあげるから、 それまでの時間を好きに使うといいわ」 バザーが終わるまで1週間──態勢を立て直すには充分な時間だ。 「その間は特訓でも惰眠でも、お好きなようにね」 「い、今すぐでもだいじょーぶですよ!」 「無理よ、てい!」 ──ぽかん!! 「ぶへ!?」 「ほらね?」 「え??????? え!?!?!????? いま当たっちゃいました!?」 「見事に……」 「だって隙だらけだもん。 わかったら練習あるのみっっ!」 「……大変そうですね?」 「いえいえ、楽しい作業ですよ〜♪ ね、とーまくん?」 「おう、やってみりゃこいつも面白い」 りりかとの勝負が決定してから、早3日。 オアシスの外回りを少し早く切り上げた俺とななみは、バザーに向けて張子人形の製作にいそしんでいた。 店内で作業をするのは気が引けたが、そのほうがお客さんが喜ぶと硯にすすめられ店の中で堂々と張子づくりの作業をしている。 俺はもっぱら単純作業で、ノウハウを心得ているのはななみのほうだ。 りりかとの対決が迫っているのは確かだが、特訓に時間を使って張子劇団が完成しないのでは、それはそれで本末転倒になってしまう。 しかし、訓練をしないで雪合戦に臨んでは、俺とななみのペアがりりかを破ることなど叶うはずがない。 つまりこの張子づくりも、雪合戦の特訓も、どちらも満たさなければいけないのだ。 りりかは、わざとこういう条件をつきつけて、ななみの気持ちを試しているのかもしれない。 「いらっしゃいませ」 「こんにちわー」 「あー、やってるやってる」 「ミミちゃん、ユウちゃん」 「おねーちゃん、バザー出るんだって?」 「はい、なので新作を作ってるんです。 あれ、今日は二人だけで?」 「アイちゃん、家が遠いからいつも別々なんだ」 「みんなニュータウンに住んでるんじゃなかったのか」 「わたしたちはそうだけど、 アイちゃんは遠いんだよね。潮見坂のあたり」 潮見坂っていうと……。 「ああ、シガさんの家のご近所か」 「それじゃ一緒に帰れませんね」 「うん……それにアイちゃん、 家のほうに行くと嫌がるんだよね」 「はて?」 「ナイショだけど、 アイちゃんお父さんと二人暮らしで、 家がボロいんだって」 「子供が気にすることないと思うけどな」 「ときどきガスが止まるって聞いたことある」 「ガス……ふーむ???」 名家育ちのななみがキョトンとした顔で首をかしげる。 アイちゃんが妙に鋭かったりシビアだったりするのも、なんとなく頷けた。 ななみのサンタの嗅覚がそれを感じ取って、アイちゃんを特に気にしていたのかもしれない。 「よー、店長さんじゃねーか! ペンキ屋から聞いたよ。 屋台引っ張ってがんばってるらしいな」 「ジョーさん、お久しぶりです」 「たまにはネーヴェに顔出せよ。 いっぺん飲もうぜ」 「じゃあ、来週あたりぜひ」 「いいねぇ、覚えとくよ」 ジョーさんはまっすぐカウンターに向かうと、硯から包装済みの商品を受け取って、支払いをすませた。 「んじゃな、店長さん」 「ジョーさん、店にも顔をだしてくれてるのか」 「はい、時々来てくださいますよ。 看板を作った店は応援すると言ってくれて、 今日も絵本の予約を……」 「うぅぅ……なんだかすごく嬉しいです」 「(……い、いまの兄だよね)」 「(そうだよね!)」 「お兄さん?」 「そう、あの人って、 城悟のお兄さんなんだって!」 「やっぱり似てるよねー」 「城悟? どっかで聞いたような……」 「忘れちゃったんですか!?」 「す、硯にまで突っ込まれるとは思わなかった」 「平成版『ごきげんくまっく』の!」 「『おかえり』だ。 ああ、あれの主演俳優か!」 「店長さん知らないのー!? ちょー有名なのに!」 「そうか、イケメン俳優ってやつだな」 「なぜでしょう……、 とーまくんが言うとオジサンくさい」 「失敬な!」 「ジョーさんの弟さんが……すごいですね」 「弟は東京で芸能活動をしていて、 お兄さんはペンキ屋さんのお手伝いか」 「わー、それは言わないほうがいいよ! 気にしてると思うから!」 「どうして、立派な仕事じゃないか?」 「でもバイトして ぷらぷら遊んでるって聞いたけど」 「ねー」 「なに言ってんだ、ぶらぶらしてるんなら、 あのサンドイッチマンの爺さんだって」 「おじさまは渋いもん!」 「ねー!」 「……なぜそこまで人気が?」 ──通常訓練、外回り営業、バザーの準備、それからセルヴィの整備と、対ベテルギウスを想定した秘密特訓。 どれもおろそかにできない仕事を慌しくこなすうちに日々は過ぎてゆき、いよいよバザーが明日に迫ってきた 張子人形はあらかた出来上がり、ななみは部屋で人形劇のリハーサルをやっている。 カペラの最終整備を終えて、テスト〈滑空〉《グライド》に出ようとしたところで、ななみの部屋の明かりが消えた。 「んーっっ……肩こったぁ……」 「あれ、とーまくんも整備終わったんですか?」 「おう、これからテストさ。 一緒に来るかい、サンタさん?」 「わ、わわ……けっこう速いですね」 「ソリとは体感速度が違うだろ。 しっかりつかまっていろ」 いつものようにソリをつなぐのではなく、タンデムシートにななみを乗せて晩秋の夜空に駆け上がる。 ソリがないとスピードが上がってしまいがちだ。ななみはさっきから、ぎゅっと俺の腰にしがみついている。 「……明日はいよいよバザーか。 ちょっと緊張するな」 「そうですね……」 そこでななみが言葉を切った。 「とーまくん、ありがとうございます」 「どうした?」 「わたし、 とーまくんが付き合ってくれたおかげで なんとかやってこれたんだと思います」 「なに言ってんだ、おれは添え物さ。 基本的にお前がやってることだ」 「……それに」 「お前らしいサンタってのが 見つかりつつあるんじゃないのか?」 「………………」 「どうでしょう、私ってからっぽなんですよ」 「アイちゃんの真似は似合わないぞ」 「そうじゃなくて……ううん、そうなのかも しれないですけど、ぽけーっとしてるうちに サンタになっちゃったから……」 「だから中に何を入れたらいいのか悩んじゃって」 「………………」 「でも、うまくは言えないんですけど、 今の感じを大切にしたいです」 まだ着地点も見えていないものの、ななみがそう思っているのならトナカイにもできることがある。 「よし、ツリーに戻るぞ」 「え?」 「ソリをつけるんだよ、特訓だ」 「は、はい!!」 「──ですから犬さんがなんですかぁぁぁ!?」 「ドッグファイトつっても連中のことだ、 アクロバットなしに戦えるほど甘くないぜ!」 「きゃああーーーーーーーーああぁぁ!!!!」 「いまだ狙え! 的は止まってるんだぜ!」 「は、はい……わ、わわわ!? 風すごいですーーー!!!」 「耐えろ、急げ!」 「きゃあああーーーーぁぁぁ!!!」 りりかに代わってななみをしごくのもトナカイの仕事だ。 俺にも、ななみとは少し違った目標がある。 もうすぐ親父の命日が来る。その日までにトナカイとしてなにか結果を残しておきたい。 そして、元八大トナカイのジェラルドに肉薄したいという思いが──。 「わぁ、けっこう人が来てますね」 「ああ、売り手だけでも100人はいるな。 ニュータウンの奥なのに、賑やかなもんだ」 「……で、どうして僕が 一緒にいなくてはいけないんですか?」 「ルミナの観測をしなくちゃいけないんだろ?」 「それはそうですが、 バザーには関係ありません」 「まあまあ、このへんも真空地帯のど真ん中だ。 ついでにオアシスの活躍も報告してやってくれよ」 「それはいいですけど……」 「ん?」 「ななみさん、熱が入りすぎじゃないですか?」 「こんにちはー!! きのした玩具店 feat.ハリコー人形劇団です!」 「どうやらあれが持ち味らしいぜ。 どうしても気になるなら一緒に手伝えよ?」 「ぼ、僕もですか!?」 「い、いらっしゃいませー!」 「うー、どうして僕がこんなことを!」 「こんにちは、おもちゃ屋さんですね。 いつもうちの子たちがお世話になっています」 「え!? あ、いえその、どうも!! な、中井さんー!」 「どうした? あ、どうも、店長の中井です」 見たところ児童館の職員さんと思われる3、40代の女性を前に、透がしどろもどろしていた。 バトンタッチをすると、どうやら女性は児童館の先生で、俺たちのバザーへの参加を歓迎してくれているようだ。 「今回のバザーなんですけどね、 前に屋台でこちらにお越しいただいたあと、 子供たちから提案されたんですよ」 「なので、ぜひ来ていただければと思って」 「へえ、そいつは知りませんでした。 あの、校内や下校中の生徒さんには なにも売りつけていませんので」 「ええ、どうもすみません。 今日は構いませんので、存分になさってください」 会釈をした先生がいなくなると、入れ替わりにアイちゃんが姿を現した。 「本当に来たんですね。 先生も喜んでますよ」 「……!」 「あれ、新しい店員さんですか?」 「ああ、今日だけ手伝ってもらってるんだ」 「ど、どうも……こんにちは、七瀬〈透〉《とおる》です」 「はじめまして。 透おにいちゃん、ですね」 「お兄ちゃん!?」 一通り挨拶が終わると、あとは子供を相手にしたななみの独壇場だ。 張子人形で夢のコラボ、深海戦隊グソクマンVS仮面ライガー龍に黒山の人だかりができる。 「ふん。ちったぁ商売が分かってきたじゃないか」 「大家さん!?」 見れば透の姿はない。恐怖のあまり逃げ出してしまったようだ。 「それにしても、なんだいあのケバい屋台は。 ピンク系出張サービスでも始めたかと思ったよ。 いっそ、その方が儲かるんじゃないか?」 「思いっきり目立たせようと、 ペンキ屋さんとジョーさんが 骨を折ってくれたんですよ」 「ジョーのヤツがかよ。 かぁーっ、そいつはダメだね。 筋金入りのろくでなしさ、アイツは」 「そうでもないでしょう」 「ボンボン。あんた知らないんだろ? あいつが昔エレキだの弾いていたって話とかはよ。 恥多い人生を生きてきましたってヤツさ」 確かに初耳だ。有名俳優の実兄で、ギターも弾いていたのか。 「天狗になって東京に出てったはいいが、 忽ち尻尾巻いて、すごすご戻ってきやがった。 それっきりまともな仕事もしてないときてる」 「そんなことが……」 「あいつはただ単に 〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》とやらの兄ってだけの奴なのさ、 自分が判ってないヤツは心底くだらないね!」 ひとしきりジョーさんをこき下ろした大家さんは顔見知りの出店を回って、そっちでなにやら説教をはじめた。 「あれも、世話焼きの一種かな」 「な、中井さんは怖くないんですか?」 「うちのボスだって充分怖いさ」 「一掛け二掛け三掛けて、 仕掛けて殺して日が暮れて……」 大家さんだけではなくバザーといえばご年配がつきものだ。 「三途の川の渡し賃だ、とっときな。 ぱらぱーーーーー♪」 上演第二弾として用意しておいた時代物の人形劇をやってみたところ、これまた大好評。 張子も懐かしさを誘うようで、飛ぶように売れてしまった。 「売れてるみてえだな?」 「シガさん!」 人ごみを割ってきたシガさんは、売れ残った磁石人形の侍を手にとって、初めて会ったときのようにしげしげと眺め回す。 「ほお、張子の中に磁石を入れたのかい」 「ななみのアイデアですよ。 中が空洞なので、使えるんじゃないかって」 「ふんふん、〈胡粉〉《ごふん》の塗りも悪くねえ」 シガさんが嬉しそうな顔で笑った。その向こうでは、ご老人や子供に囲まれたななみが、楽しそうに店員をやっている。 「不肖の弟子にひとこと言ってきてくださいよ」 「いいんだよ、俺ァ様子を見にきただけだ」 「ななみの奴、 シガさんに見せたいってがんばったんですよ」 「なんだしょうがねえな、そんじゃ挨拶だけな」 シガさんは、それでも嬉しそうに屋台に近づいていく。 じーさんや子供たちと話しているななみを、俺は少し眩しいような気持ちで見つめた。 まるで昔からこの町に住んでいたみたいに、人々の輪に溶け込んでいる。トナカイの俺にはできない芸当だ。 まだしばらく屋台に拘束されそうなので、ななみに断りをいれて食事をとることにした。 出店のやきそばを買って、透と二人、校庭の隅で麺をすする。 「悪くないだろ、うちのサンタさんも」 「はい……」 「この調子で真空地帯も解消してほしいが……」 「………………」 「どうした?」 「さっきの子……」 「ああ、アイちゃんか」 「前に、公園で花占いしているのを 見たことがあります」 「その、なんだか必死そうな顔してて……」 「気になるのか?」 「ち、ちがいますよ!! そういう意味ではなくて!!」 「……なにも言ってない」 「あ……!」 「参ったよ、お前んとこのバーさんに 説教くらっちまってさぁ! 人形劇見逃しちまったよ」 「わたし、ジョーさんが ギターを弾く人だったなんて知りませんでした!」 「やめろって、何年も前だぜ?」 「でも、あの……たとえば、今の人形劇に ギターの演奏をつけてみるとか、どうでしょう?」 「生演奏か? 面白そうだが、外したら悲惨なことになんな」 「…………(きらきら)」 「そんな目で見られても無理だって、 俺はもう何年も弾いてないんだぜ?」 「はて……どうしてやめちゃったんですか?」 「そんなのは決まってんだろ!」 「俺のギターを聴きたいって奴が 居なくなっちまったからさ」 ──一息に駆け上がる。 ペダルを踏み込んで、ステアリングを思いっきり引き起こし、地から空の領域へ──。 見渡せば、目路の限りに広がる星空。今の俺は、このどこへだって一息に飛んでいける。 「ああ、いい天気だなぁ! こいつは最高の雪合戦日和だ」 「ほんと、気持ちいい風ですねー♪」 「くるるーーーっっ♪」 ななみの隣でトリが気持ちよさそうに喉を鳴らす。 すっかりななみに懐いたトリは、ちかごろ俺たちが夜間訓練をするたびにソリに勝手に乗ってくるようになった。 さすが師匠のペットだけあってルミナの流れを感じられるトリなので、コースの先読みくらいの役には立ってくれる。 「カペラの調子も悪くない。 これなら勝てるかもしれないな」 肩越しに大地を見下ろすと、暗い地上から真紅のセルヴィが矢のように鋭く駆け上がってくるのが見える。 「……きたぜ」 「きゃっ」 「……疾いな!」 俺たちを追い越していった赤い機体が上空できらりと反転して落ちてきた。 「うぇるかーーーーむ! イッツ・ショータイーーーーーム!!!」 「〈夜空〉《そら》駆けるキュート&スウィートな赤い影、 人呼んでリリカル☆りりか、きらりと降誕♪ ──聖なる夜は貴方と〈Rendezvous〉《ランデブー》@」 黄金の光跡を追って、ソリを急上昇させる。 月守りりかとジェラルド・ラブリオーラか──。先月までNY本部のエースだったエリートチームだ。 視界の先に見えるのは、きらきらと尾を引くセルヴィの軌跡だけ──。 「いよいよですね……お手並み拝見ですっ!」 「余裕だな。 ま、そのくらいのほうが頼もしいが」 「余裕もなにも、負けて当然なんですから」 「なに?」 「でも…………負けないけど!」 サンタさんのやる気は120%のようだ。あとは俺の操縦が、八大トナカイのラブリオーラを相手に、どこまで通用するかだが……。 「負けないんじゃなくて完全勝利してやる。 勝負は出会い頭だ──任せたぜ!!」 一息にペダルを踏み込んだ。白銀の尾を引いたセルヴィが、北極星に向かって駆け上がる。 上空のベテルギウスに向かって、軌道を読まれないようにきりもみで上昇する。 シールドの向こうから冬の風が頬を叩く。サンタとトナカイが星空に溶け込む瞬間──。 「くるる!」 「いくぜ!!」 「りょーかいですっ!!!」 ──ドドドドン!!!! 「………………」 「………………」 「くる……?」 「ターゲットダウン、ステージクリア」 「開始1分か──予想以上に簡単だったな」 「予想通りよ」 「どーも生意気言ってすみませんでしたっっ!!」 「分かればよろしい。 そういうわけで、今日は解散ーー♪」 「へ……? それだけですか!?」 「うん、敗者をネチネチいたぶる趣味はないもん」 「敗者……!」 「明日までにたーっぷり時間をかけて 今後の訓練メニューを考えておくわ。うふふ、 うふふふふふぁーぁ、それじゃおやすみー♪」 弾んだ声であくびをしたりりかがテラスへと姿を消す。壁の時計は午前2時を指していた。 あまりにあっけない決着に、硯もかける言葉がないらしく、ぺこりとお辞儀をして部屋に引き上げていった。 あとには気合いが空回りしっぱなしの俺とななみだけが残された。 「………………」 「…………はぁぁ」 「まさか手も足も出ないとはな」 「不意をつかれてしまいました」 「にしたって、相手の動きを 読めなかったこっちの負けさ」 「うぅぅ…………かくなるうえは!」 「……猛特訓だ!!」「……ぱーっとヤケ食いでも、」 「………………」 「………………」 「ええい、こののんき者ーー!!!」 「びええーー!!! だってそう思うじゃないですかーー!!」 「……というわけで、サンタチームの技術レベルを 華麗に憂慮するハイパー指導教官りりかちゃんから、 偉大なるご神託ー!」 「はいーっ!!」 「ななみん、本日よりとーぶんの間、 オアシスの業務停止命令ーー!!」 「あぅぅ……そうなっちゃいますか?」 「とーぜん!! そのぶん特訓をハードにするから、 英気をバリバリ養っておくよーに!!」 「わかりましたー……」 「でもって、基本的にはあたしの指示で 業務をしてもらうから覚悟するよーに」 「は、はい、質問でありますっ!」 「なーに?」 「えーとですね…… オアシスをやめちゃうってことは 宣伝のほうはほっといていいのでしょうか?」 「ほっとかないわよ、あたしがやってみる!」 「りりかちゃんが!?」 「NY仕込みのコミュニケーション能力を 甘く見ないことね! サンタの仕事でできないことなんてないわ」 「その自信……さ、さすがはエリートさん……!」 「んじゃ、そういうわけで、 今日は国産と2人で 在庫のチェックをするよーに!」 「…………おまかせあれー」 りりか教官からの通達で、移動店舗の営業をしばらく控えることになった俺とななみは、地下倉庫の在庫チェックにいそしむことになった。 「えーと、しろくまドールセットが残り2箱で、 つみきメガロポリスが3個でーす!」 「了解、ドールセット補充……と。 それにしても、屋台でも人気あったし、 くま人形は鉄板だな」 「はい、さすがはしろくまの町ですね」 硯にいつもお願いしている在庫の管理もここで覚えることになったんだが……。 「うーむ……厄介だ。 こいつは数字、数字、数字だなぁ」 「トナカイさんは数字に強いんじゃないんですか?」 「同調率と飛行距離の計算なんかはするが、 座って黙々と……ってのはなぁ」 「なんだか拍子抜けしちゃいますね」 「しかし……たまにはこういう のんびりした時間も必要なんだろうさ」 「さてはけっこう楽しんでますか?」 「楽しめるように努力中ってとこだな」 こうなったからには、今の仕事を楽しめるようにならなければダメだ。 今週の売り上げと店の在庫をチェックし、間違いがなかったら帳簿に数字を書き込んでいく。 数字の足したり引いたりは面倒だが、足りない商品を発注するのには、ささやかな嬉しさを感じたりするものだ。 「お店の調子はどうですか?」 「いい感じだぜ、ほら、帳簿上は右肩上がりだ」 「うわ……! りりかちゃんたち、すごいですね」 「俺たちも結果を出していかないとなぁ」 「お……そろそろ11時だ。 残りは帰ってからやるか」 「次は透くんのお手伝いですね。 れっつごー、とーまくん!!」 「さーてと、あたしもそろそろ行こうかな」 「大丈夫ですか? ひとりで外回りなんて」 「へーきへーき、オアシスの運用は あたしたちの大事な任務だもん。 休めないわよ」 「それに、こいつがあるから ニュータウンを飛べるんだし」 「ななみさんのおかげですか?」 「ま、ね。 けど他がお留守になるんじゃ、 いくらリーダーでも認めてあげない!」 「……でも、ななみさん ショックじゃないんでしょうか?」 「ピンク頭だもん、へーきよへーき。 むしろショックなのは国産のほうかな?」 「…………」 「仕方ないわよ、実力は実力。 そんなことでいちいちへこたれてたら サンタなんてやってけないわよ」 「それに……いまのままじゃ、 ニュータウンの攻略だって危ないし」 「そ、そう思いますか?」 「前だって成功したけど、 100%じゃなかったでしょ。 サンタに求められるのはパーフェクトよ」 「特にあたしたちは選抜チームなんだから、 他の支部にいたときみたいに、 のんびり訓練してらんないの」 「選抜……?」 「前にピンク頭がそんなこと言ってたでしょ。 そうでも思わないと こんな辺境でやってらんないもん」 「りりかさん……」 「なに?」 「はい……そうですね!」 倉庫整理のあとは、透の手伝いで外回りだ。 お店とは関係ないが、ツリーハウスにとって非常に有益なミッションだと言いくるめられてやってきたのだが……。 「で……お野菜ですか?」 「そうです、近所の農家の人が おすそ分けをしてくれると言うので」 「へえー、優しい人がいるものですねー。 とーるくんにですか?」 「僕ではなく、 サー・アルフレッド・キングにです」 「……ふむむ?」 「サー・アルフレッド・キングが、 仕事の合間に雨漏りの修繕をしたそうで、 そのお礼なんです」 「雨漏り? 修繕? よもやそんな副業まで……!?」 「副業ではありません。 町の人との地道な交流活動です」 「さすがはおむすびさん!! 冬馬くんもそう思いませんか? あれ、とーまくん?」 「おーい、とーまくーーん! なにをぽけーっと上向いてますかー?」 「雲が高いなーってなぁ……。 あ、いや、なんでもない、気にしないでくれ」 「気になりますってー! 今日はとーまくんからですよ!」 「今日は透も一緒なんだし、 しりとりはナシでもいいんじゃないのか?」 「なにを言ってるですか。 しりとりは3人入ることで 戦略的要素がぐーっと広がるんですよ!」 「…………って、聞いたことがあります」 「ななみさんって、いつもこんな調子ですか?」 「その閻魔帳を閉じてくれたら答えられる」 「どーゆー意味ですか」 「ぬ……く、く! 思ったよりたくさんいただいてしまいました」 「こいつは食いでがありそうだ」 「次は『か』ですよね……『カフェオレ』」 「れ……『礼儀作法』 お二人で運んでるぶんは、 ツリーハウスで使ってください」 この寒いのに額に汗を浮かべながら野菜をかつぐ透とななみ。 「『馬』……俺とななみの合わせたら、 ほとんどこっちでもらうことになりそうだけど そんなんで大丈夫か?」 「構いません。 そうするように言われてますから」 「ま、ま……『マドレーヌ』!!」 「……どうしてななみさんのしりとりは 甘いものずくめなんですか??」 「なぜってそれは……」 「なんだか知らんが、 よろず糖分を想像すると 脳内麻薬が出るんだそうだ」 「甘けりゃなんでもいいわけじゃないんです! これでもお菓子の味には ちょーっとばかりうるさいですよ」 「来るもの拒まずに食べてやしないか?」 「たた、食べ分けてるんですっ! 同じチョコレートだって、 お店によって、ぜーんぜん違うんですから」 「たとえばしろくま町ですと、 ほらあなマーケットに、メリーランドという チョコレート屋さんがありまして……」 「了解だ」 「もうけっこうです」 「うぅっ……カスター道をみなさんに 理解していただくには まだまだ前途遼遠なのやもしれません」 「なんですかその流派は?」 「それはですね、甘いものに感謝して、 もっと元気になりましょーという……」 「ダイエットも忘れないでくださいね」 「ぐぐぐさっっ!!!!」 「ししししてますよー、ダイエット!! もう10キロ20キロあたりまえでっっ」 「あれ?」 「……どうしました?」 「あの女の子……」 「あ、アイちゃんだ! おーい、アイちゃーーん!」 「おいおい、いいのか。 また金髪さんに……って、行っちまった!」 「あ、お姉ちゃん、こんにちはー」 「アイちゃん学校は?」 「休みですよ」 「今日は土曜日です」 「あう、そ、そーでした」 「お姉ちゃんこそどうしたんですか、 その野菜の山は?」 「やさしい農家さんにいただいてしまったんですよ。 アイちゃんにもおすそ分けです」 「いいですよ、私は」 「でも、ほんとにおいしそうですよー。 ほら、この白菜とかこーんな大きいの!」 ななみが差し出した野菜からアイちゃんが逃げようとする。 「あれ、もしかしてアイちゃん野菜ニガテとか?」 「ちがいますー、むしろ好きだし!」 「だったら……」 「ほんとに困るんです! 野菜もらっても作るの私だもん」 「こんなの持って帰ったら、 仕事増えちゃうんですからー!」 「すごい……アイちゃんって、 家のこともやっちゃってるんですか?」 「ななみさんも見習ってください」 「もー、そういうの褒めたりとか 社交辞令的なのはいいですから!」 「いや、本当に凄いと思うけど……」 「あーん、むしろうっとーしーです! もう行きますね、さよならー!」 「あぁぁ……僕、 なにかまずいこと言ってたでしょうか?」 「………………」 「あの……中井さん?」 「ん? あ、いや、 空が晴れてるなーって思ってさ」 「とーまくん、 さっきからどうしたんですか?」 「ん? 俺がどうしたって?」 「…………?」 「飛べー、立てー、りりかるシュート! 夜空の妖精りりかるー、りーりーかー♪」 「……っと、とーちゃく!」 「女子ひとりで引っ張るには、 ちょっと重いわね、このリヤカー」 「クエーーーッッ!!」 「かーーーーーーー!!」 「あれ? うちの鶏肉? おーい、なんでカラスと戦ってるのよ!」 「くけーーーーーーー!!」 「…………ま、いいか。 さってと……こっちも始めちゃおっかなぁ」 「外回りなんて ピンク頭にもできたんだから楽勝楽勝♪」 「あたしに交代したら、ここで一気に売り上げ 大爆発よ!! ふふ、ふふふふー♪」 「おっまたせしましたー! あなたの町のおもちゃ屋さん、 ハイパーきのした玩具店でーっす!」 「今日から始まるエコロジー、 地球に優しい木のおもちゃですよー♪」 「さーさー、来て見て買って! りりかちゃんの移動おもちゃ屋さん ニュータウンに颯爽登場ーー!」 「あれー、 今日はいつものおねーちゃんじゃない!」 「ほんとだー」 「いらっしゃーい、今日からエリート店員の りりかちゃんが登場ですよ。 昨日までのことは忘れて忘れてー♪」 「でも劇の続き見たいよ!」 「劇!?」 「そーそー、ハリコーなんとか劇団!」 「そーだよなー!」 「人形劇はー?」 「ううっ……な、なにこの展開?」 「さてはできないんでしょー?」 「そんなことないもん!」 「できないんだー」 「できるし、そんなの楽勝だし!」 「ほんとに!?」 「とーぜん、あたしを誰だと思ってんの!?」 「よーし、やったろーじゃないの!! NY仕込みのスペクタクル人形劇を 見せてあげるわ!」 駅前で透と別れたあと、両手に野菜満載の俺とななみはなぜか、こんなところに足を向けていた。 「なんだってマーケットに 寄らなきゃいけないんだ?」 「気分転換です」 「寄り道したら怒られるぞ」 「そうですけど、上ばっかり見てたら 肩が凝っちゃいますよ」 「上ばっかり?」 「とーまくん、 さっきから空を見てばっかりです」 「…………そうか」 ふっと気を抜くと、頭の中で夕べの雪合戦がリピートしはじめる。まだまだ修行が足りてないってことだ。 「そーゆーわけなので、せっかくですから 今日はメリーランドのチョコレートを 奮発してしまおうと」 「どの店がそれなんだ?」 「こっちです、こっち」 「この忙しい中……いつの間に開拓するんだろうな」 「そこは野生の嗅覚ってやつです!」 名前からしてチェーン店かと思ったが、『メリーランド』は、小ぢんまりとした個人の洋菓子屋だった。 ショーケースにはショコラケーキと一緒に、自家製のチョコレート菓子が並んでいる。 もちろん板チョコなんかじゃなくて、ブランデーなんかを封じ込めた感じの、ひと口で食べるやつが、宝石みたいにきらきらした包装紙にくるまれていた。 「チョコレート5個…… 詰め合わせの一番安いやつで1000円か」 「ですねー」 「買わないのか?」 「んー、買いたいのは山々だったのですが……」 財布とショーケースを見比べたななみが、小さくため息を洩らす。そういえば、給料日前で俺も金欠だ。 「サンタさんも予算オーバーか」 「いやー、ははは、面目ありません」 そういえば、ななみは移動店舗の商品なんかでずいぶんと自腹を切っていた。 「せっかく来たんだ、俺が立て替えておこう」 「無理しちゃダメですよ。 とーまくん、お金持ってないの知ってます」 「馬鹿にするなよ。 すみません、このチョコ1箱お願いします」 「はぁぁ…………@@@@@」 「んふぁぁ…………@@@@@@@@@」 「おい?」 「お、お、おいしーーーーーーーですっっ@@」 「分かった落ち着けまっすぐ歩け」 「はぁぁ@ なんでしょう、この舌で蕩けてしまう チョコレートの〈儚〉《はか》なさ、いとおしさ! 口に広がる〈馥郁〉《ふくいく》たる香り……!!」 「その講釈がカスター道か? しかし、1粒200円でそこまで幸せになれる んなら、あんがい安い買い物かもしれないな」 「うううーーっっ、でももう少し食べたいです!! あうぅー、チョコー、チョコー、がるるるる!!」 「禁断症状で差し引きゼロは勘弁してくれよ」 「…………へっ、なんだこりゃ」 「あ、ペンキ屋さんの……」 「ジョーさんだ、なにしてるんだろう?」 「このお野菜、ジョーさんに、 すこしおすそ分けしたらどうでしょう?」 「こんにちはー、どうしましたか?」 「よー、おもちゃ屋さん! 見てくれよ、こいつを! ババーン! 新作の看板だぁ!」 「おおおっ!! この真ん中にどーんとある 水滴みたいな前衛的な模様がいいですね」 「ハハハ! ハハハ! そうかい!?」 「確かに思い切ったデザインだなぁ」 「ハハハ! ハハハハハハハ!! ペンキこぼしちまった!!!!」 「…………」 「はぁぁ……………………っ 徹夜でここまで仕上げたってぇのに!」 「こっから取り返せないんですか?」 「電車店長くらいの腕がありゃァいいんだがなぁ。 ま、仕方ねェさ」 ぺたぺたとロゴの上からベース色のペンキを重ね塗りしてまっさらの看板に戻してゆく。 「あの……ジョーさん?」 「今度ジョーさんのギター、聞かせてくれますか?」 「あ? よしてくれよ、無理だって無理」 「でも、すごく上手だって聞きましたよ」 「死ぬほど下手だぜ。ギャグの域だな、うん」 「…………」 ちょっと困ったような顔をしたななみに、ジョーさんがフォローするみたいに言葉を継ぎ足す。 「いいんだよ、俺は。 このままペンキ屋のジョーさんでいいからよ」 「ペンキのジョーさんか……。 そういえば、下の名前はなんて言うんです?」 「あ? 城……下の名前もジョーでいいよ。 ジョージョーってんだ、スタンド使えるぜ?」 軽くあしらうように笑ったジョーさんは、俺たちに背中を向けてペンキに集中した。 邪魔をしちゃ悪そうだ。顔を見合わせた俺たちは、肩をすくめてペンキ屋さんを後にした。 ジョーさんと微妙な空気で別れたあと、ななみと一緒にネーヴェで一休みすることにした。 昼過ぎの店内は、マーケットのあちこちからやってきた人でごった返している。 そんな賑やかな店をひとりで切り盛りしているのがジェラルドが最近狙っていると噂の美樹さんだ。 「あら、いらっしゃい。奥の席へどうぞ」 「やれやれ、席が空いててよかった」 「へええ、素敵なお店! とーまくんだっていつの間にか お店を開拓してるじゃないですか」 「嗅覚がはたらくんだ」 「むぅ…………そういえばお酒の瓶があちこちに」 ななみが感心したように店のあちこちをきょろきょろと見回す。 「でも甘いのもたくさんありそう……」 そうして手にしたメニューをしげしげと……。 「おおっ、ガレットだ!! ガレットですよ!! すみませーん、このバニラアイスのください!」 「レガッタ?」 「違います、おそばのクレープ的なものです。 とーまくんも食べませんか? すっっっごく美味しいですよ!」 「俺はドリンクだけでいいよ」 片手を上げると、すぐにマスターの美樹さんがテーブルに注文をとりにやってきた。 「お待たせしました。 あら、デートですかおもちゃ屋さん?」 「まさか、こいつは店員ですよ」 「あらまあ、店長さんったら見境なし?」 「なんでそうなりますか!」 「……ふーん」 「な、なんだ!?」 「べーつに、仲いいんですね?」 「この店な、夜は飲み屋になるんだよ」 「ご贔屓にしてもらっています。 あの、なんとかっていう外国のお兄さんと」 「いいかげんイタリア人の名前を 覚えてやってください」 「ふふっ、考えておきますね」 オーダーを取った美樹さんが厨房にこもるとまた周囲の喧騒が大きくなったように感じられる。 「ジェラルドさんってば、まさかあの人も?」 「狙ってアタックして、そして玉砕だ」 「ふふふ……とーまくん、 ようやく笑顔になりましたね」 「ん、そんなに仏頂面だったか?」 「そうじゃないですけど、 なんだか気が抜けたみたいになってました」 「んー、まあ……あっという間だったからな」 「そうですね……」 特に何の話題かを説明する必要もなく、俺もななみも、りりかとの戦いを思い浮かべる。 それは戦いと言うよりも、あっという間の決着。狐につままれたようなものだった。 おかげで敗北をいまいち自分の中に落とし込めず、頭の中では、あのときのシーンが何度もリピートされている。 いくつも対応する方法はあった。ただ、相手の速度が予想以上に速かった。 それでも、あの速度を知った今なら……。 「とーまくん!」「ななみ!」 「な、なんですか?」 「お前こそ急にでかい声で」 「ですから、その……」 「りりかちゃんにリベンジです!」「金髪さんにリベンジだ!」 「……………………」 「とーまくんも!?」 「ああ、あんな一瞬の出来事で アイちゃんやジョーさんのこと、 切り離して考えられないだろ?」 「そこでリベンジですね!!」 「もちろんだ。 マスター、こっちに グリルチキンのランチひとつ!」 そうだ、トナカイは軽薄なのが身上だ。負けを引きずって低調になるなんてのは柄じゃない。 拳と拳を合わせる俺たちのテーブルに香ばしく焼きあがったガレットが運ばれてきた。 「まさか、昨日の今日でリベンジマッチだなんてね。 懲りないのも才能なのかな?」 「いいじゃないか、やる気があるってこった」 「そーね、訓練と考えればちょうどいいし、 今日こそはちゃんと実力を思い知らせてあげるわ」 「しろくま海岸上空が雪合戦用のエリアです。 空気中のルミナ濃度良好、気をつけてください」 「中井さん、 今度はエリートさんの鼻を明かしてやってね」 「了解だ。 よーし行くぜ、サンタさん!」 「はい、おまかせあれ! トリさんもがんばろうね!」 「くるるーっ!」 「向こう、市街地がきらきらしてて綺麗ですね」 「本当だ……同調率、反射率ともに問題なし」 「もうすぐイルミネーションが入るらしいですよ」 「イルミネーションもいいけど、 赤いのが来るぜ……正面だ!」 ゴーグルを下げた。上空、視界の向こうから真紅の機体が矢のような全速降下で突っ込んでくる。 二度目の雪合戦だ──今度はもう負けられない。 「腹を見せたくない、回るぞ」 「りょーかいですっ!」 「ゲームスタート! 今回はたっぷり遊んであげるわ」 「ああ、受けて立つ!」 「あはは……身の程知らず……!!」 高速で接近する真紅の機体から、白い光跡が弧を描いて射ち出される。 「くるるーっ!」 「そこか!!」 ステアリングを左に切って、りりかの撃った雪玉を紙一重でかわした。息つく暇もなく第二撃が襲い掛かってくる。 「く……っ!」 当たるつもりはない。それをかわして、さらに突っ込んでくるベテルギウスとの激突を回避。 「回避だけで手一杯ね、隙だらけよ」 「わわっ!! とーま君、右です!!」 ななみが杖を振り下ろして、雪玉を撃ち返す。こっちはステアリングを引き戻すだけで精一杯だ。 一瞬ですれ違う。 ソリがビリビリと震えて、真紅の光に目が眩む。 すぐに光がかき消され、夜の闇が戻ってきた。どうやら雪玉は食らっていないようだ。 「当てたか?」 「ダメです、よけられました」 「最初はあいこだな! 前に比べりゃ勝負らしくなってきた」 大きくターンをして舞い散るスノーフレークを追いかける。 「うむむ、りりかちゃんみたいに 大振りしないで撃つにはどうしたらいいんだろ」 「連中はNYで何度もこんな特訓をしてたんだ。 コツは盗んで行かないとな!」 ペダルを踏み込んでカペラのスピードを上げる。 コースに乗って距離を縮めていくと、先を行くりりかのソリが、ステージの外縁ぎりぎりを滑っていくのが見えた。 「よし、上を取る」 「了解です、形勢逆転ですね!」 この位置なら行ける!ベテルギウスを追いかけて、限界速度までペダルを踏み込んだ。 俺は、自分よりも操縦の上手い奴に会ったことがない。そんなことで得意になっていた時期がある。 ジェラルドに会うまでは、そうだった。ジェラルドに会うまでは、俺は井の中の蛙だった。 それはずっと分かっていたことなんだ。 だから、ここで100%をぶつけてやる!あのエリートチームの相手をすることで、本当の俺の程度が見えてくるはずだ。 「捉えた、撃てっ!!」 「まっかせてください! バニラアイスガレット!!」 「よけて!」 「あいよ、すれ違う!」 「生意気……あたしの上を取るなんて!」 「下から来ます! もういっちょ、 チョコレートボンボンボン!!」 「はぁ……っ、回避成功!」 「面白くなってきたな。 あのジャパニーズコンビ、 姫を相手に交戦時間の記録更新だ」 「ここが限界よ、次で仕留めるわ」 「ご随意に……振り落とされないように しっかり踏ん張ってな!」 「誰に向かって言ってるの? クイックターン! 立ち上がりを叩くわっ!」 「──いいねえ、大胆だ!」 「くるるっ、くるるるるっ!!」 「分かった、このコースで待ち構える! ななみ、見えたらすぐに撃て!」 「はい、今度こそ逃がしませんっ!」 「ああ、すぐに……ん!?」 「くるる!?」 上空できらりと赤い光が瞬いた。ベテルギウスがコースの流れを無視した垂直降下で突っ込んでくる。 「いっくわよ、ピンクサンタ!!」 「どうして上からっ!?」 「馬鹿な……迎撃しろ、防げななみ!」 「もーらった!! 避けると変なトコ当たるわよっ!」 「防ぐっていっても、あ、あわ、わわわ、 多すぎますってばーーーっ!」 「あーはははははははっ!!!」 「き……きたーーーーぁぁ!?!?」 「わあぁぁあぁぁぁッ!!!」 「あぅぅぅ……さむいぃぃ……」 「お、お疲れ様です……」 「く……またしてもやられちまったか」 「ふんふんふーん♪ 終わり終わりっと。 久しぶりにいい汗かいたわ」 「ああ、あちらさんも筋は悪くなかった」 「やっぱり訓練不足ね。 明日から猛特訓してやろっと♪」 「えー? で、また再戦?」 「な、なにとぞひとつ……!」 「三度目の正直? それとも二度あることは三度ある?」 「さ、三度目の正直で!」 「んー、どうしようかなぁ」 「やっぱだめよ、そんなポンポン戦ってあげない。 あ、でもそーだな、ひとつお願い聞いてくれたら やってあげてもいいわ」 「お、お願いとは?」 「あたしの人形も作って! とびっきりカワイイやつ!」 「へ?」 「そーね、りりかるりりかちゃん、 張子バージョン! って感じかな」 「は、はい……それくらいお安い御用ですが、 でも、どうして?」 「いろいろあって必要になったの! とにかくお願いね!」 「わ、わかりました! で、三度目の正直マッチは?」 「そーね……今すぐってのもなんだし、 うーんと、10日後くらいかな?」 再戦まで10日──。 10日の猶予をもらったということは、10日でりりかペアに対抗できるような実力をつけろということだ。 となれば10時間でも20時間でもセルヴィにまたがっていたいのだが、りりか教官に与えられた仕事をサボるわけにはいかない。 そしてもうひとつ、大事な仕事といえば……。 「でっきましたー! りりかる☆りりかちゃん、超特急バージョン!」 「おお、早いな」 「大至急って言われたので、 最初の乾燥にドライヤーを使っちゃいました」 「そうは見えないぜ、上出来だ」 ななみの手の中にあるのは、りりかから発注のあった張子人形。その名も、りりかる☆りりかちゃん──! リクエストどおり、本人よりも愛らしい仕上がりだ。 いったいこれを使って、あの金髪さんはなにをやろうというのだろうか。 とにかく、何かをしようと思ったら時間がかかる。 店の手伝い、夕食、それからりりかの地獄訓練、それらが全て終わったあとで、ようやく二人の対ベテルギウス特訓が始められるのだ。 「てえええーーーーっっ!! 頭下げんなよ、目標を見据えろっ!!」 「いきまーす! チョコボンボーン!!!」 「くこっ、くこここここ!!」 「そっから和三ボムだ!」 「りょーかいっっ!!」 「……やってますね」 「ちょっとはしゃぎすぎ!」 「でも元気そうでほっとしました」 「そうね……ま、指導教官としては 結果的にカペラチームがレベルアップ してくれれば、それでいいんだけど」 「ひょっとして いままでのって挑発してたんですか?」 「まさか、本音よ。 さ、あたしたちはゆっくり休んで 明日に備えないとね」 「はい、ななみさんのぶんもがんばりましょう」 「それが甘いんだけど……ま、仕方ないか」 「…………ふむふむ、輸入のくまさん人形は よく売れるが、民芸品バージョンは いまいち……と、なるほど」 「お疲れ様です」 「おお、サンキュ」 昼の営業時間、ひとり倉庫で在庫のチェックをしていた俺のところへ、硯がコーヒーを入れてきた。 「上のほうはどんな調子だい?」 「ちょうどお客さんがいなくなって、 ななみさんにお店を見てもらっています」 「居眠りしてないかな?」 「………………””」 「……してますか」 「そ、それよりもですね、帳簿で 分からないことがありましたら……!」 「いや、分かりやすく書いてあるんで助かるよ」 「それならいいんですが……。 中井さん毎日大変そうなので」 「キツいっちゃあキツいけど、 ほとんど自分で撒いた種さ。 はい、発注書はこんな感じで」 ななみの活動をサポートするには、セルヴィの訓練だけではなく、店長の仕事もきっちりこなさなくてはならない。 「かなり猛特訓……ですよね」 「そう見えるかい?」 「はい、鬼気迫る感じで…… でも、無理しないでください」 「ああ、ありがとう。気をつけるよ」 打倒りりかの自主練習は、もちろん昼夜問わずだ。少しでも時間が空いたらカペラで空に上がる。 「いくぜ、ななみ! 最高速度だ!」 「りょーかいですっ!! キャラメルフロマージュ!!」 「いいぞ、この速度域で 当てられるようになれば上出来だ」 連日の特訓が活きたのか、ななみとのコンビネーションも、これまで以上に息が合ってきた。 相手の呼吸が分かると、特訓が楽しくなってくる……が。 そのぶん、昼のおもちゃ屋業務への反動は大きいものがあって……。 「お疲れ様です」 「おう、来たなキャロルさん。 はいよ、発注リストだ」 「お預かりします。 って、目くぼんでますよ?」 「気にすんな、ようやく軌道に 乗ってきたから楽しいんだ」 「……ん? なんだ?」 「こらーーー!!! 国産っっっ!!!」 「ど、どうしたんですか!?」 「どーしたもこーしたも あ、ニセコ、ちょっとそれ貸して!!」 えらい剣幕で乗り込んできたりりかが、透が手にした帳簿を取り上げる。 「んーと……あーーー!! やっぱり!!!」 「やっぱりって、何がどーし……」 「ぶわっ!?」 「おかしーと思ったわ、どーなってんの この『手押しわにさん』セット!」 「んん?」 「ここよここ!! 仕入れが3500円ってことは、売値は!?」 「ああ、そいつは……4500円だったか」 「じゃあこれは!?」 「値札が……」 「…………(硬直)」 「…………450円」 「ど、ど、どういうことですか!?」 「待ってくれ……てことは 3500円で仕入れたおもちゃを 450円で売ってたってことか!?」 「で、これは誰の字!?!?」 「お……俺だ!!!」 「ちょ、ちょっと待ってください、 でもノエルから納品されたものなら 仕入れの値段はかかっていませんので……」 「いや、こいつは うちの予算で仕入れたやつだ」 「どーりでよく売れると思ったわよ!! 知らずに完売しちゃったじゃない!!」 「完売って……いくつ売れたんですか!?」 「……50セット」 「50ーーーー!?」 「昨日から良く売れるから、 ぱーっと売り切っちゃった」 「ってことは1個当たり3050円のロスですから、 えーとえーと……」 「15万2500円!!」 「うーーーーん!!!」 「わわっ、こらー、しっかりしてニセコ! しっかりしなさいってばーーー!!」 夕方になってから降りだした雨は、いまだにやむ気配を見せない。このままだと今夜の訓練は中止になるだろう。 乾いた木の屋根に弾ける雨音を聞きながら、俺は仰向けになって天井の木目を見ていた。 「しっかりしろよ、中井冬馬。 ちょっと調子に乗りすぎてたんじゃないか?」 完全に俺の失敗だ。ダメ店長のミスで店にえらい損害を出してしまった。 なんとかその後の仕事でフォローしようと奮闘したものの、その反動が出たのか部屋に戻ったところでがくっと脱力感に襲われてしまった。 「成り行きで店長になったから、 なんてのは言い訳にならんぜ」 甘えているつもりはなかったが、店長の仕事だけではなく、俺はトナカイ稼業のほうも黄色信号だ。 どんなサンタにも合わせられるのが一流のトナカイだ──。 その言葉は痛いほど胸に刻みつけている。しかし俺はまだ、ななみとのペアに完全な自信をもって臨めているわけではない。 ななみがどんなサンタになりたいのか?俺はそこでどんなサポートをするのか? 何かが見えたかと思えば分からなくなり、それを繰り返しているうちに11月に入ってしまった。そろそろイブの準備が本格的になるというのに……。 「……いかんな、こいつは」 頭を振ってベッドから起き上がる。いつしか思考がマイナス方向に猛スピードで回転を始めている。 ウジウジするのはトナカイの持ち味じゃない。部屋でアンニュイな気分に浸るくらいなら、雨に濡れようが、空に出るべきだ。 そう思って立ち上がったところで、ドアがノックされた。 「どうぞ?」 扉を開けると、ドアの前に傘をさしたななみが立っていた。 「よお、サンタさん。 どうしたこんな時間に?」 「えっとですね……きっと飲んでると思って これ、買ってきたんです」 「あいにく飲んじゃいなかったが……もが!?」 「頭すっきりしますよ」 「いらん!! 寝る前にスッキリしても仕方ない!」 「うー、おいしいのにもったいない」 「などと言いつつ、なにを上がりこんできた?」 「ふーむ、ここが冬馬くんのお部屋ですか」 殺風景な部屋に上がりこんできたななみが、珍しそうにあたりを見回す。 「あー、お酒こんなに買い込んでる! やけ酒はいけません!!」 「違う、大事なコレクションに手を出すな!」 「飲んだらコレクションになりませんよ?」 「胃袋経由で全身にコレクションしてる」 「むー、冬馬くんらしからぬ減らず口を……。 だったら、わたしも一緒に飲んでいいですか?」 「なに!? さ、酒はだめだぞ!」 「心配ご無用、 ちゃんとジュースを持ってきました!」 かくして、ひとり雨中の空中散歩の予定が、なんの因果か…… 「とーまくん、ささ、ぐいーっと! ぐいーーーーっっとひとつ!!」 ……ピンク髪サンタと差し向かいのどんちゃん騒ぎになってしまった。 俺がななみのグラスにジュースを注ぎ、向こうはこっちのぐい呑みに日本酒を注ぐ。 「どこで酌のしかたなんて覚えたんだ?」 「おばーちゃんが好きでしたから! それにトナカイさんたちもよく家に来ましたし。 ささ、ご返杯、ご返杯♪」 「名家のたしなみってやつか……おっとと! まだ呑んでないから……うわ、こら、 こぼれるって!」 「あーーーーーー手が重い! 重いですーーーーーーーーーっっ!」 「そんな追い込み方まで覚えなくていい!」 ノリノリで飲ませようとするななみが、ふと手を止めて、俺の顔を見た。 「まったく……何しに来たんだ!」 「とーまくんがひとりで飲んでると思ったので 不健康にならないよーにですね!」 「本当に飲んでなかったんだって! あれこれ考え事をしてただけで」 「考え事とは?」 「そ……そいつは……」 なにか言いつくろおうとして、そんな必要もないかと鼻で笑う。 「そうだな、ろくでもないことばっかりだ」 「だいじょーぶですよ」 疲れた口にななみがチョコを放り込んできた。 「こら、太らすな!」 口の中で塊がとろけだし、カカオの風味が一気に広がる。 チョコレートの優しい甘みが不覚にも胸に染みた。 「おいしいでしょう?」 「……ん、まあ確かに」 「ふっふっふー、実はですね……」 「じゃーん!」 と、ななみが見せたのはほらあなマーケットの隠れ高級洋菓子店メリーランドの包装紙だ。 「お、別の買ったのか!?」 「へそくりはたいちゃいましたー♪ とーまくんには、ちょっと甘すぎる かもしれませんけど」 「ところがチョコレートは酒のアテになるのさ」 「なんですと! それは初耳です」 「ま、食えるものなら たいがい〈肴〉《さかな》になるんだけどさ。 ちょっと辛目の酒にチョコレートは合うぜ?」 酒棚の端からスコッチのボトルを取り上げる。 「あれ、とーまくんが外国のお酒?」 「ジェラルドに教えてもらったんだ。 トナカイ同士の情報交換ってやつだな」 ウィスキーグラスに琥珀色の液体を注ぎ、チョコレートのあとに流し込む。 「んーっ、たまらんな……!! いいか、この素晴らしい酒はな、 アイラ島というスコットランド南西の……」 「おおっ、とーまくんがペンキ屋さんのように!」 「え!? う……嘘だろう!?」 「それにしても、さすがはジェラルドさん。 大人のお酒って感じですねー」 「おい、先に嘘だと言ってくれ、嘘だと!」 「だからですね、りりかちゃんは正しいんれふ! 正しいんらけど、わらひはどーーーしたら そうなれるか分からなくて……あははは!」 「お前はよくジュースでそこまで酔える……ん!?」 「ぜーんぜん、酔ってなんかないれふよー」 「おい、お前まさか勝手に割ってないか!?」 「いやぁ、チョコレートとお酒の相性は…… ひっく、グンバツですねーーー!!」 「あぁぁぁ、完全にできあがってやがる!!」 「はい、できあがりました。かんせーーい!! おめでとーございます!! おいしいな、お酒のおともにチョコレート♪」 「何も完成してない!! サンタがトナカイの酒をくすねるなんて 聞いたことないぞ」 「出ましたね! 歴史の新しい1ページってやつですか!?」 「うぜえ、なにを革新的にしてやがる。 普通は逆なんだ! 逆!」 「く……く……『クリスマス』!」 「しりとりじゃねえし! すだと!? す……す……」 考えながらも、ななみが勝手にスコッチをぶち込んだジュースのグラスを遠くにどかす。 「す……『するめ』!」「『メープルシロップ』!!」 「な、なぜ俺が答えるのと同時に!?」 「ふっふっふー、さらに続きは『プラモ』『モミの木』『北酒場』の順番です」 「お……俺の答えを予測した?」 「えへん! 今までのパターンを研究してみました!」 「赤ら顔でえばるんじゃない!」 突っ込みつつも、俺は少なからず愕然としていた。なんなんだこいつの異様な第六感は。 研究だと!? 天然丸出しみたいな顔をして、ななみは俺のことを分析していた?つまりそれは、俺の考え方を取り込んで……。 「まさか……それで近ごろ 訓練の息が合ってきたのか?」 「それは、とーまくんが、 わたしのやることを予測してくれるからですよ」 「当たり前だろう、だいたい……」 ……それがトナカイの仕事だ。 サンタがより自由に動き回れるように、滑空時は、サンタの呼吸を読み、ソリの進路を確保しながらあらゆるサポートをする──。 「だいたい、サンタは普通 トナカイの都合に合わせたりしないんだぞ」 「普通じゃないのはお互いさまです」 図星を突かれてしまった。大きくため息をひとつ。 「参るぜ……セオリーガン無視だもんな。 変なサンタだよ、つくづく」 「みなさんそうおっしゃいます」 グラスの向こうで、ななみが照れくさそうに微笑んでいる。 いったい何に突っ込んでるのか分からなくなって俺も笑顔になってしまった。 「……お前は強いな」 「みんな強いですよ。ただ……」 「晴れの日と曇りの日があるんです」 窓の外、雨音はいつしか聞こえなくなっていた。 ときおり、枝を伝った雨露が部屋の屋根を叩く音がするくらいだ。 「そういえばトリは?」 「ぐっすりお休みです」 「あいつの世話、すっかり押し付けちまったな」 「いいんですよ、好きでやってるだけですし」 「曇りの日、か……」 チョコレートを口に放り込み、幸せそうに味わっているななみを見ていると、ひとりで悩んでいたのがばからしくなってくる。 そんなななみの姿に奇妙な眩しさを覚えながら、俺は、グラスに残ったアルコールを流し込んだ。 外に出ると、雨上がりで濃密になった木々の匂いが酔いに火照った鼻先をかすめていった。 「いい空気だな」 「屋久島を思い出しますねー」 屋久島支部のサンタ学校で、俺は5年、ななみは4年の時間を修行に費やした。 森の匂いは微妙に異なるが、ツリーの周りに密生した植物の匂いは、どこかあの島を思い出させる。 「学校か……大変だったよな」 「もう、 一生卒業できないんじゃないかと思いました」 「誰だってそうさ。 サンタコースは特に厳しいもんな」 ななみも俺も途中入学組だったので、一緒にいたのはたかだか2年程度だ。 それでも訓練でななみとペアを組むことが多かったのを覚えている。 「あのころ、とーまくんとよく一緒に ごはん食べましたね」 「俺は飯で、お前はお菓子だ。 先生に見つかって取り上げられてたよな。 あと、サンタ服に菓子パンを忍ばせて……」 「もー、どうしてそんなことばっかり 覚えてるんですか!」 「なんでだろうな。 授業以外のことは逆に知らないけど」 「コースが違うと、 実習以外ではあんまり会いませんからね」 「そういや、サンタコースの男子は 美形ぞろいって噂だったぜ。 好きな奴とかいたんじゃないか?」 「……!!」 「……お、図星か」 「い、いませんって! こう見えても、わたしは まじめ一筋でしたから!」 「まあ確かに箱入り娘さんだったか。 それで、お菓子が恋人に……」 「ルミナが恋人です! とーまくんこそ、実は トナカイコースで素敵な女子さんと?」 「あいにく、俺の代のトナカイは男ばっかりだ」 「そういえばそうでした。 ふーむ……………………」 「……とーまくんの男好きは、さてはこの頃に?」 「誰が男好きだッッ!! それを言うならオッサン好きだし!! それも誤解だし!!!」 「あうぅ、声が大きいですってば」 「がるるる……!」 「お師匠様が立派なオジサマだったんですよね?」 「そうだな、お前は偉大なるおばーちゃんだろ?」 「はい…………そうです」 ななみが少し遠い瞳をした。 お互いが目標としている師匠はどちらも確かに偉大なサンタで、それゆえに今の俺たちからはずいぶんと遠い。 「あのさ、お前は俺とペアを組んで……」 「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」 「ん……?」 「こ、こういうお話はですね、やっぱり、 面と向かって話すことじゃないと思います」 「はぁ?」 「ですので……その、部屋で待っててください。 で、電話しますから!!」 「……こういう話って、どういう?」 部屋に戻り、呑み散らかしたテーブルを片付け、携帯電話を開いたまま置いておく。 いったい、どういう話だったら面と向かって恥ずかしくないというのか? ──正直、ななみの考えることはよく分からない。 それは、俺がまだななみのことを理解できていないという証でもある。 なまじ学生時代から知っているせいで、俺はななみと正面から向き合うことを避けてきたのではないだろうか? 少し離れた場所から観察して、勝手にあいつのことを分かった気になっていた……。 待ち受け画面のクリスマスツリーを眺めながらしばらくななみからの連絡を待った。 「………………待てよ」 考えてみれば、俺はななみの携帯番号を知らない。 向こうにも教えた覚えはないし、ツリーハウスの個室には固定電話だって引かれていない。 「あのバカ!」 いまごろ上の小部屋でテンパってるのだろう。 あたふたしながら携帯電話をいじっているななみの姿を想像すると、苛立ちよりも愉快な気分が先に立つ。 それは決して意地悪な気持ちからじゃない。 相方のミスが気にならない……ってのは、俺もいつしかあいつに染まっているのだろうか? 深呼吸をした。窓の外には、木々に切り取られた星空が見える。 「……ん?」 壁にもたれ、雨上がりの夜空を見上げていたら、目の前に白い物体が垂れ下がってきた。 「こいつは……?」 紙コップだ。そいつに糸が通してある。 「もしもーし」 「……ウソでしょ?」 窓の外、俺の部屋の真上にあるのはななみの部屋だ。 そこの窓から、糸に吊るされた紙コップがまっすぐこっちの窓まで降りていた。 半笑いになって紙コップを口に当てる。 「……お前、携帯は?」 「持ってないですよ」 「持ってない……」 苦笑した俺は、窓辺に腰を下ろしてななみの糸電話を引き寄せた。 ノイズに混じったななみの声が、耳のすぐ近くから聞こえてくる。 「で、面と向かっては 言えないようなことを話すのか?」 「冬馬くんがお望みならば」 「どんな話題だと面と向かえないのかを 聞かせてもらおうか」 コップの〈縁〉《へり》を耳に当てると、紙コップのノイズの向こうから、ななみの笑うような声が聞こえてくる。 「昔話は、ちょっと恥ずかしいんです」 話しながら聞くことができないので、短い会話をするにも時間がかかるだろう。 長丁場を覚悟の上で、俺は話し始めた。 思い返してみても、俺の人生の、後にも先にも、あんなに長い電話をしたことはなかった。 「ななみは卒業式の夜を覚えているか?」 「とーまくんが酔っ払いました」 「先輩トナカイに飲まされたんだ。 今日からこっちも修行しろってな」 「そのせいで現場に出たトナカイさんは みんな大酒飲みになるんですね」 「だから赤鼻のトナカイさ」 「だったらサンタさんが 太っててもいいですよね?」 「ヒゲのオッサンだったらな!」 「むー! とーまくんは昔から わたしの揚げ足を取ります」 「そうか?」 「そうですよ。 わたしが腹ごしらえに お散歩をしようって言ったときも」 「腹ごなしだ」 「そう、それ!!」 「ツッコミと揚げ足を一緒くたにするのは ななみの悪い癖だ」 「それもそれも!」 「サンタコースと違って、 トナカイの教官なんて鬼ばっかりさ」 「サンタの先生も厳しかったですよ。 早弁なんてしようものなら……」 「俺でも怒る」 「し、したわけじゃないですからね! そういう噂話があっただけで!」 「別にしてたって驚かないさ。 最終的に卒業できて一人前にやれてんならさ」 「そ、そうですよね! 実を言いますと……」 「君は誘導尋問って言葉を知ってるか?」 「赤鼻のルドルフを知ってるか?」 「おとぎ話の?」 「最高のトナカイに送られる称号のほうさ。 八大トナカイの上に立つ、 トナカイの中のトナカイ」 「サンタ・オブ・ザ・イヤーと一緒ですね。 とーまくんもルドルフになりたいんですか?」 「トナカイは誰だってそうさ、 同じコースの連中だって……。 ななみは一番になりたくないのか?」 「いちばんって、よく分かりません」 「だからお前は強いのかもな」 「それって、いっつも頭がお天気ってことですか?」 「質問です。 とーまくんは、夜に出るオバケと、 昼に出るオバケとどっちが怖いですか?」 「そりゃ昼だろう。 夜にオバケが出るのは普通だが、 昼に出てこられると常識が崩壊する」 「ならば夕方は?」 「逢魔ヶ時って言うだろう」 「じゃあ午後3時!」 「おやつを食え」 「ははーん、さてはお前、 いまちょっと怖くなってるな?」 「ぎぎぎく!? な、なにを言いますかー!?」 「こういう話をすると呼ぶって言うしなぁ」 「そ、そ、そんなこと……。 ちょ、ちょっと、とーまくん、だめですよ 怖いのは……や、やめてぇぇ……」 「だだでさえ、ちょっと寒気がするんですからぁ」 「寒気……だと?」 「さ、さっきから少しだけ」 「待てななみ! 左から後ろを振り返るんだ。 いいか、絶対に左からだぞ。 間違っても右から振り向くなよ!」 「……!?!?!?」 「とか急に言われるとビビるよな?」 「な、な、な、なんなんですかぁぁぁ!!」 「──俺が思うにトナカイってのは、 単にサンタを支えるだけじゃダメなんだ」 「ふむふむ」 「うちのボスも言ってたぜ。 どんなサンタにも対応するってことは、 たんに便利屋になるってことじゃなくて……」 「……とーまくん、まじめですか!」 「切るぞ、糸を!」 「じょ、じょーだんですってば、続き、続き! 思いっきりまじめな感じで来ちゃってください」 「もういい、なんでもない!」 「ふにゃー、もごもご……」 「まだチョコ食ってるな?」 「幸せを噛み締めているんですー♪」 「太るぞ……と言いたいところだが、 まあ、今日のところは気持ちも分かるさ」 「えへへー、さすが話がわかります」 「お前ってさ、小さいころから そんなに甘いもの好きだったの?」 「学校に入ってからですね。 子供の頃から、おばあちゃんに言われてたんです。『むやみにチョコを食べると太ってしまうよ』って」 「いいおばあちゃんだ」 「でも、おかあさんは『チョコを食べると頭が活性化するんだ』って」 「で……ななみはどう思ってるんだ?」 「そうですね、チョコを食べると……」 「ふむ」 「おいしいです♪」 「そろそろ切らないとまずいんじゃないか?」 「まだ大丈夫ですよー」 「もう4時だぞ、明日の朝は……」 「もう4時だからこそ、徹夜の覚悟です!」 「……了解だ、サンタさん」 「……昔から、おばあちゃんと一緒でした」 「両親じゃなくて?」 「はい、おとうさんもおかあさんも、 小さい頃に家を出たんです。 だからずっとおばあちゃんと二人暮しで」 「おばあちゃんに手を引かれて、 きらきらしたルミナの星空を見ながら、 サンタになることを誓ったんです」 「ななみのお祖母ちゃんっていうのは、 確か、日本最初の女性サンタで……」 「はい。クリスマスのたびに、 おばあちゃんの配達を見上げてました」 「初めてソリに乗せてもらったのは、 6歳の誕生日で……」 「誕生日?」 「イブなんです、わたしの誕生日」 「そいつはすごい。 サンタになるために生まれたようなもんだな」 「あんまり嬉しくないです。 プレゼント1回分損してますから」 「そうか、説得力がある」 「7歳からサンタの修行が本格的になって いってですね、」 「アドベントに入ると、おばあちゃんが リクエストの整理をして、 わたしはツリーに飾りをつけて……」 「ななみの思い出には、 いつもお祖母ちゃんがいるんだな」 「ほんとーに、ずっと一緒でしたから」 「偉大なるサンタのおばーちゃん……か」 「お祖母ちゃんは、今のななみみたいな サンタクロースだったのか?」 「んー、よく覚えていないんですが、 いつも忙しそうにしてたくらいしか……」 「でも、おばあちゃんがわたしの目標でした。 ちょっと大きすぎますけどね」 「…………目標か」 「俺もさ……親父みたいな パイロットになりたかったんだ」 「前に話したことがあったよな。 親父は自衛官でさ、F-15Jって知ってるか? 最高の戦闘機さ。そいつの操縦桿を握ってた」 「俺もガキのころは 基地祭のたびに見学に押しかけてさ、 写真をもらっては友達に自慢をして……」 「ふーん、なんだかとーまくんらしいです。 男の子って感じですねー」 「ああ……」 「そんな……親父が死んだのは事故だった。 機体のトラブルでコントロールを失い、 海に落ちたんだ」 「俺は親父が、地上に被害を出さないために 最後まで操縦桿を離さなかったんだと思ってる。 俺の頭にいる親父は、そういう人さ」 「とーまくん……」 「そのあとはお袋と東京を離れて、 親子ふたりで田舎の町に引っ越してさ」 「そこは見渡す限り、畑と山ばっかりの ところでさ……毎晩、星空を眺めてたっけなぁ」 「むかし、親父が俺を肩車して言ったんだ。 お前の瞳は特別製だ、 他の人には見えない光が見えるんだ……ってな」 「そうして俺は──イブの夜に師匠のソリを見た」 「俺がトナカイを選んだのは、そこからなのさ。 親父みたいに空で仕事をしたかった……」 「お父さんの顔は覚えてるんですか?」 「ああ、はっきり覚えてる」 「だったら……きっとなれます」 やがて話も尽きた頃、すっかりあたりは明るくなっていた。 夕べの雨はすっかりと上がり、今日はいい天気になりそうだ。 「ななみ……起きてるか?」 「はいー、なんとか……」 「外、見ろよ」 「ん……綺麗ですね……」 「…………おはよう」 「ふふっ、おはようございます」 「くすくす……」 ふたりでおはようを交わして時計を見る。針は5時ジャストを指していた。 「あと1時間で起床時刻ですね」 「半端に寝ても仕方がない。 ちょっと上の空気でも吸いに行くか?」 「いいですね、ぜひぜひ」 するすると糸電話が上に戻っていく。肌寒い朝だが、紙コップは手の汗ですっかりふにゃふにゃになっていた。 「それじゃあ、行きますか」 鏡で髪を整え、着替えをしてドアを開けると、目の前にはすっかり準備OKのななみが立っていた。 ななみとタンデムで、朝焼けの空を滑る。 サンタ服で来なかったのはいい判断だ。ソリを引いて飛ぶんじゃ、訓練と一緒になってしまう。 「ずいぶんと話し込んじゃいましたね……」 「まさか夜通しとはな。 あれだけ話せば、だいたい 言いたいことは言いつくしたか?」 「冬馬くんはどうですか?」 「ん……そーだな」 「むむ、まだまだ秘密は多そうですね?」 「ああ、そんなところだ」 「ふふふ……ならお互い様です」 水平線の朝日が半円を越えた頃、カペラはしろくま海岸に着いた。 「やれやれ、3割増で眩しいぜ」 「でも、いい風です。 ルミナもたくさん流れてて……」 「余計に眩しそうだが……。 サンタだけに見える景色ってやつだな」 「はい……眩しいです」 ななみの身体が俺に寄り添ってきた。 驚いて振り向くと、ななみはまるで気づいていないように水平線の向こうに目を細めている。 「…………」 意識しすぎだな。ため息を飲み込んで、光をはじく波頭に目を凝らした。 「しろくま町……かぁ」 ──それからしばらく、俺とななみは並んで、砂浜に寄せては砕ける波を眺めていた。 徹夜明けのテンションを引きずりながら、俺たちは、言葉の向くままに移動店舗のこととか、人形劇のアイデアとか、他愛もないことを話した。 言葉にかぶさるのは、規則的に繰り返される波の音……。 「……ちなみに、 おばあちゃんの名前はナミって言います」 「星名ナミさんの孫が星名ななみさんで、 お袋さんは?」 「七香さんですね」 「ほしななみ・ほしななななみ・ほしななか」 「とーまくんに川柳の才能はありません……」 「俺もそう思った。 で、お袋さんはどこの支部に?」 「……もうやめました」 「やめた?」 「はい、わたしが小さい頃に 自分からノエルを辞めたって」 「だからわたしは、 おばあちゃんと一緒に暮らすようになって」 「そ、そうか……そいつは」 「いいんですってば、もう本当に ずーーーっと昔のことですし、 あんまり覚えていませんから」 ななみのにこにこした笑顔に胸をなでおろし、会話の糸口を探しながら砂浜を散歩する。 砂の上を並んで歩くと、波の音に足の運びがつられそうになる。 他愛もないことを話しながらしばらく砂浜を歩き回り、俺たちはまたセルヴィの隠してある岩場の入口へ戻ってきた。 「ま…………助かったよ」 「へ?」 「相当、雨降り気分だったんだが、 今日のところは……助かった」 「な、なにを言ってるんですかぁ! とーまくんらしくもない!」 「昨日の俺のほうがよっぽどらしくなかったさ」 「掲げた目標はでっかいが、 俺にできることは、毎日こうやって 少しずつ歩いていくことだけだ……」 「それを分かっちゃいるんだが、 ときどき気持ちが治まらないこともある。 そんなときは……」 「……そういうときは、 サンタさんに手紙を書くんです」 明るく微笑んだななみが、レターセットを手渡してきた。 「ほんとは、これを渡そうと思ってて。 タイミング変になっちゃいましたけど」 見ればノエルで使われている特製の便箋だ。 「トナカイがサンタに手紙?」 「トナカイさんだって プレゼントをもらっていいはずですよね?」 「聞いたことないけどな」 「おかしいですか?」 「……いや、そんなことはないさ」 苦笑した俺は、それからゆっくりとななみを見つめた。 自分のスタイルを模索しているのはななみだけじゃないし、俺だけでもない。 「お袋さんのことは分からないが、 お前は……サンタをやめるなよ」 「冬馬くん……」 「なんとなく……な。 お前と話してると少し楽になる」 「………………」 「…………だ、大丈夫です。 わたしはサンタをやめたりしません!」 「そうか?」 「はい、わたしなりのサンタさんが 見つかったような気がしたから……」 「どんなだ?」 「ふふふ……内緒です」 潮風にほつれた髪が、朝日を浴びてきらきらと輝く。屈託のない笑顔は、そのときの俺に少し眩しかった。 「よーっし、ラストアタック!!」 「らじゃーですっっ!! 右からいきますよー!!」 長電話の朝を迎えてからというもの、ななみは何かに覚醒したかのように力をつけてきた。 もっとも変化があったのは、意識の問題だ。 これまでは状況についていくだけで必死だったななみが、今では自分のやりやすいルートを提示して、俺をリードしようとする。 おかげで、カペラを操縦しているだけでななみの意志を感じることができる。 俺からの一方通行だった会話が、ようやく対話になったような、そんな感覚だ。 自分なりのサンタ──そいつがななみの中ではっきりと形を現しているのだろうか。 「なんてこったー、パンナコッター! 最後にとどめのクーベルチュール!」 「やりました、ぜんぶ命中です!」 「いいぞ、射的距離も伸びてるんじゃないか」 「ほんとですか? だったらオマケにもう1回 アタックしちゃいましょう!」 「了解だ。 金髪さん、それでいいかい?」 「いーわよ、べつに」 「ありがとーございますっ! 冬馬くん、切り返しです!」 「オーライ! コースジャンプで上の流れに乗る」 「ふーん……けっこうやるじゃん」 「ピンクのお嬢ちゃん、いよいよ開眼かな?」 「あんがい実力かもねー。 あの子、のびのび飛んでるし」 「ななみさん……楽しそうですね」 「だったらアタシらも楽しんでいきましょ。 ラスト2セット! さっさと済ませて帰るわよー」 「のびのび……楽しそう、か。 甘いわね……」 「とーちゃーく!!」 「命中率95%、記録更新だ!」 「快挙ですか?」 「快挙だな!」 「いえーい!!」 ソリから降りたななみとハイタッチをする。 「……!」 汗ばんで熱を帯びた、柔らかい手のひらの感触が伝わってきた。 「……どうしました?」 「あ、いや、なんでもない」 一瞬、ドキッとしたような気がして焦ったが、たぶん気のせいだ……気のせい。 「はぁ……いたたたた。 なんであたしがこんな目に……」 昼前のがらんとした店内。店番をしていた俺のところへ、新広報部長の月守りりかがしょんぼり顔で戻ってきた。 「どうした金髪さん?」 「それが……って、国産しかいないの!?」 「硯は飯の支度、 ななみは誰かさんの言いつけで掃除当番さ。 おい、怪我してるのか?」 「怪我ってほどじゃないわ。 ちょっと車にぶつかっただけ」 「なんだって!? 大丈夫なのか!?」 「あたしは手首をひねったくらいなんだけど……」 「ごらんの有様」 りりかの指差した先には、ばっくりと側面の装飾が外れた屋台の姿。 「あたた、こいつは派手にやっちまったな。 で、相手の車は?」 「怪我はなかったし、 なんかすごい謝ってくるから、ま、いいかなって」 「へえ、女王様にしちゃ優しいんだな」 「誰が女王様よ!!」 「失敬……お姫様だったか? それにしても、てっきり賠償金くらい ふんだくるんじゃないかと」 「じょーだん! 町の住人とトラブル起こしてどーすんの」 「ん、それもそうだ」 「わあああーーー!?!? それ……どうしちゃったんですか!?」 テラスの掃除をしていたななみが、こっちに気がついて大声で呼びかけてきた。 「ちょっと事故っただけよ。 修理しようと思ってるんだけど」 「軽い大工仕事で済みゃいいんだが、 こいつは側面の塗装が剥げちまってるな」 「いいわ、これくらいあたしが何とか……」 台詞のわりに、りりかは自信なさそうだ。 「だいじょーぶですよ! そういうときはペンキ屋さんです!」 「あ、あそこに行くの!?」 「はい!」 「それじゃー、いってきまーす♪」 かくして、諸般の事情から、ペンキ屋へは耐性のあるななみが行くことになった。 「あたし店番やるから、国産もついてけば?」 「そうですね、それがいいと思います」 「え、いいんですか?」 「しかし、俺たちが屋台を引っ張るのは……」 「べつに営業しろなんて言ってないし! やっぱり女子ひとりじゃ 無理があるかもって思っただけよ!」 確かに、この屋台を女子ひとりで扱うのはちょっと無理がある。 あんだけ反射神経のあるりりかがただの車を避けられなかったってのは、純粋に腕力の問題だったんだろう。 「あと、すずりんが買い出ししてほしいって」 「チラシに、きゅうりの安売りが あるって書いてあったので……よかったら」 「了解しましたっ!」 「じゃあ、無事に一通り終わったら 少しくらい寄り道してもいいかな?」 「……(じろり)」 「……ご自由にどーぞ」 「やった!」 「くすくす……」 「なによ」 「あ、いえ、なんでもないです」 かくして俺とななみは、久しぶりに屋台を引いて駅前を目指す。 「屋台預けたらネーヴェで昼飯でも食べるか」 「いいですねー! わたしもそうしたいって思ってました!」 「ごっはんー、ごっはんー、 ごはんが疲れをファラウェー、おー♪」 毎日わずかの睡眠時間にもかかわらず、ななみはむやみに元気だ。 無理もない。あの日を境に、ななみの能力は飛躍的に上昇中だ。 サンタとして脱皮したななみは、飛行訓練のバリエーションも増えたし、りりかへのリベンジにも燃えている。 「今のななみがなりたいサンタって、どんなだ?」 「そうですね……んー」 ななみと話すのに変な前置きは必要ない。素直に聞いてみると、ななみは少し考える顔をしてから、 「古くさいサンタです」 「古くさい?」 「はい、わたしは……多分、 古くさいサンタさんになりたいんです」 「古いサンタクロースといえば、 聖ニコラウスって悪い子にお仕置きして 回るんだったよな?」 「そ、そうですけど?」 「平たく言うと、なまはげみたいなサンタか」 「ちちちがいます!! そういう意味ではなくて!」 「絵本のサンタさんみたいに、煙突から入ってきて、 プレゼントをそっと枕元に置いていったり……」 目をキラキラさせながら、ななみはずいぶんと無理なことを言いはじめる。 「もちろん、 それでは配りきれないことも分かってるんです。 だから、本当にそうしたいっていうんじゃなくて」 「……ひとりひとりと向き合えるような サンタになりたいです」 「なんて、ちょっと生意気ですよね」 それはごく自然な、悪く言えば当たり前の、ななみらしい言葉に感じられた。 ななみの性格を考えたら、自然とそういうサンタを目指すことになるだろう。りりかと対立した時から分かっていたことだ。 ただ、ななみ自身がその言葉に届くまでには、今日までの時間と経験が必要だったのだ。 俺はどうだろう? どんなサンタにも対応できる、一流のトナカイになる。 ななみと違い、その言葉は昔から俺の中にある。その言葉に従って、ななみというサンタの仕事を今日まで見守ってきたつもりだ。 だが俺は、ななみのように一途にその言葉を信じられるだろうか。 「……金髪さんの真逆だな」 「そうでしょうか?」 「違うか?」 「んー、よくわかりません」 分からない、というのは自分のことではなく、りりかのことがまだ分からないという意味だ。 そう考えたところで、俺は声を出さずに苦笑した。 「どうしました?」 どうやら、ずっと一緒にいたせいで、すっかりななみの言葉の解釈に長けてしまった。 「いや……馴染むってのはこういうことかな」 「???」 「んー、いい匂いがしますねー」 「ほんとだ……昼時だもんなぁ、 だが、食い気よりもまずは仕事だ」 「はい! ちゃちゃーっ、と済ませちゃいましょう☆」 「それができる店ならいいんだがな……」 「在ラライラライラライラライ♪ 在ラライラライラライラライ♪ 在ラライラライラライラライララーイ♪」 ペンキ屋に近づくにつれて、どこからか妙な鼻歌が聞こえてくる。 店の作業場の窓が開いていて、中にいる進さんの歌声が聞こえてきているのだ。 「ノリノリでお仕事されていますね」 「ああ、注意しろ」 「おっじゃましまーす!!」 おなじみペンキ屋さんの店内を見渡す。 進さんは奥の作業場で、なにやらガタガタとでかいパネルを引きずっていた。 「あのー………………」 「………………」 「ペンキ屋さーん、聞こえてますかー?」 「やあ、鉄道を愛するおもちゃ屋さん!! 今日はなんの御用ですか?」 「屋台の修繕をお願いしたいんです。 あと愛してはいないです」 「ふふふ、目を見れば分かるよ。 君のは嘘をつけない鉄道マニアの目だ」 「いやその」 「ここのところを直せばいいんだね。 お安い御用です!」 「……と言いたいんだけど、 いまは手が離せないので、 ちょっと待っててもらえますか?」 「ええ、それはもちろん」 「それに、こういう細かいペイントは ジョーさんが得意だから……」 「今日はお休みですか?」 「さっき看板を運ぶ最中に足をくじいちゃってね 先に上がってもらったんだ」 「確かネーヴェにいるって言ってたけど……」 「それでしたら、わたしが呼んできます!」 「俺も行くよ」 「ありがとう、でも呼ぶのはちょっと待って、 その前にこの看板壊しちゃうから」 作業場の壁に、絵の描かれた巨大なボードが立てかけてある。そこに描かれているのは、大きな顔──。 「あ、この人!」 ななみが声をあげる。どこかで見た絵だと思ったら、しろくま町が生んだスター、〈城〉《じょう》〈悟〉《さとる》の顔だ。 見覚えのある表情は、駅前でロングラン上映中の『おかえりくまっく』の看板だった。 しかし残念なことに、城悟の爽やかな笑顔にちょび髭が書き加えられている。 「あやや、この落書きのところを 描き直すんですか?」 「ははは、絵描きじゃないからそれは無理だよ。 この看板は、もう使わないので うちで処分することになったんだ」 「このヒゲは…… 近所の子が落書きでもしたのかな?」 「てことは、映画の上演が終わったんですね」 「うん、今から年末に備えて、 映画館の外装も塗り替える話になっていてね。 ペンキ屋さんの腕の見せどころさ」 「そうですか、終わっちゃうんだ……」 「冬休みはハリウッドの大作をやるらしいよ。 それはそうと、僕も人車軌道殺人事件という 映画の脚本を考えていてね、これは……」 「あ、空飛ぶ人車鉄道!!!!」 「な、なんだってええええええ!?!?」 「見間違いでした。 なるほど、弟さんの看板を壊すから、 ジョーさんを呼ぶのは少し待てと?」 「まあね、気分がいいものじゃないだろう? じゃ、すぐに片付けちゃうから……」 うおっ、一見華奢な進さんが、どっかんどっかん看板を壊している。 こいつは……プロの仕事だ。こう見えてもペンキ屋さん、塗装業のガテン系ってことか。 「ところでそれは、なんの歌ですか?」 「在来線の歌だよ。 CDが欲しいときはね、インターネットの……」 「大丈夫です、それじゃ!!」 「はぁ、はぁ……どーしたんですか、 せっかく珍しい音楽の出所が……」 「あそこで鉄道独演会につかまってみろ、 金髪さんに大目玉くらうところだ」 「そ、そうでした……これはしたり!」 「それよりさ、ジョーさんと話をするのか?」 「んー、分かりませんが…… やっぱり気になるじゃないですか」 アイちゃんにジョーさん──。普段明るい二人が、ななみの前では別の顔を見せている。 これはななみの持っているなんらかの資質だと思ってよさそうだ。 「金髪さんがやめろと言ってたのは、 たぶんこういうことだと思うけどな」 サンタに選ばれた人間だけが幸せになる。そんなのは、サンタの仕事ではない。なるほどりりかの言葉は筋が通っている。 「うー、一応自重はしてるつもりなんですけど」 「でも、今日こうやって 屋台を引っ張ってきたのも なにかの縁ですよ」 「縁……か」 縁──サンタが〈縁〉《えにし》を大事にするのか。おかしな気もするが、分かるような気もする。 サンタっていうのは、基本的に受け身の存在だ。リクエストがこない限りは、誰にもプレゼントを届けることができない。 人は縁があって人とつながる。それを大事にしたいななみの気持ちも分かるような気がする。 ネーヴェに入ると、美樹さんは厨房に入っているらしく、接客の店員さんが忙しそうに立ち働いていた。 ななみと店内をきょろきょろ見回すと、奥のテーブルでグラスを傾けているジョーさんの姿を見つけた。 お……昼から一杯やってるのか?うらやま……。 「とーまくん喉鳴ってます」 「う、うらやましくないぞ!」 「よー、おもちゃ屋さん。 どうしたい、昼飯か?」 「屋台の修理で、 ペンキ屋さんに行ったんです」 「修理? なんかあったのか!?」 「実はですね……」 ジョーさんに手招きされて、向かいのテーブルに腰を下ろしたななみが、これまでの経緯をかいつまんで説明する。 「そこで、自動車さんが向こうから急接近!! さあきたクライマックスです! どうなる、りりかちゃん──!?」 「かいつまんだ説明だ」 「うー、ドラマチックな脚色は大事ですよ」 「んで、アイツの看板にヒゲが描かれてたって?」 「それは、近所の子のイタズラだそうで」 「残念、そいつは俺の仕業だ」 「ははは……またまた」 「本当さ、弟の活躍を妬んでやったんだ」 言葉の端が粘ついている。どうやらジョーさんは少し悪い酒を飲んでるようだ。 ついでに下の名前を聞いておきたかったが、今日は避けたほうがいいだろう。 「ジョーさん、足のほうは大丈夫ですか?」 「そうです! 看板を運んでる最中にくじいたって!」 「ちっと看板に目がくらんじまって、 フラフラっとな」 「看板に?」 「ああ、そうさ。自分の道を まっすぐ進んでるヤツが眩しすぎた ……って理由はどうだい?」 「ジョーさんは寄り道をしてるんですか?」 「(おい……やめとけ)」 やさぐれた気分のときは、むしろ放っておかれたほうがありがたいと思うのだが、恐れを知らぬななみは、どんどん切り込んでいく。 「人生なんてずっと寄り道さ。 いつの間にか、そっちがオレの道になってんだ」 「音楽のお話ですか?」 「そうさ……だけど後悔はしてないんだぜ。 思うようにやってきて、ダメだったんだからな」 「俺のなりたい姿に、 現実の俺がちょっとだけ負けちまっただけさ」 「……ってまあ、そんなのはどーでもいいんだよ」 酔ったジョーさんは、気恥ずかしそうに頭をかくと話の舵を横に切ろうとした。 「屋台の修理なんだな? ペンキの仕事なら飲んでるわけにゃいかねーな」 「大丈夫ですか?」 「あのペンキ屋はいい奴だからな。音楽のことは 全然分かってねーのがガッカリだが、俺みてーな イイカゲン野郎を使ってくれてんだからな」 「ジョーさんのことが好きだからですよ」 「うぇ!? 怖えーこと言うなよ」 「あっっ!!?? そ、そうじゃなくて、普通の意味で! あの、その……ジョーさん自身というか!!」 「俺の望んでねー俺でもか?」 「それでもジョーさんです」 ジョーさんが黙り込む。俺はヒヤヒヤしながら、ななみの言葉の続きを待っていた。 ジョーさんがひどくヘコんでいるのは、端で見れば分かるが、俺だったら相手の気持ちにこんなに土足で上がりこんではいけない。 ななみにしたって、いつもならこんなに入りこんで行くような奴じゃなかったはずだが……。 「……あんた、この町に向いてる人間だな」 「そうですか?」 「この町はいいところさ。 俺がほんの少し我慢すりゃいいんだ。 そいつは、分かってる」 相当酔っているんだろう、ジョーさんの言葉は、気持ちの断片のようにつながりがない。 「音楽にだって未練はないのさ。 オチをつけてくれるヤツがいれば、それでいい」 「オチですか?」 「ああ、オチがつきゃあ諦められるんだ。 一応、エンディングのシーンは考えてるんだぜ。 監督俺様のやつをさ」 「そう──ある日、 俺が駅前でギターを弾いている……」 「どんな曲ですか?」 「あー、考えてなかったが……そーだな、 サンタさんがいるなら、 クリスマスソングでいいや」 「クリスマスソング!?」 「俺が弾けんのは……そーだな、赤鼻のトナカイ、 いや、キャロル・オブ・ザ・ベルがいい」 赤い顔のまま、ジョーさんはギターを構えるポーズをした。 俺も音楽はよく分からないがそのポジションは驚くほど収まりが良くて、 上手くは言えないが、まるでベテラントナカイのライドポジションのように見えた。 思い出すように指を運ぶその姿から、俺でも知っている伝統的なクリスマスのメロディが聞こえてくる。 騒がしい食堂の中で、ふいに周りの音が消えたように感じられた。俺の隣でななみが鼻歌を口ずさんでいる。 「と……そこへさ! ブランドのバッグ持ってピアス穴空けた 女子高生がきてさ、俺に向かって言うんだよ」 「『オジサンのギター死んでるねー』ってな」 「なんつって、俺もう何年も弾いてねーから ありえねー話だけどな……あはははは!」 「だからよ、ギター弾かねー俺は 転生して有名人の兄貴になったわけだ。 城悟の兄だ! そう呼んでくれ……ってな」 「でも……わたし、ジョーさんの ギター聞いてみたいです!」 目をキラキラさせたななみが、ジョーさんに詰め寄る。 「だから、下手なんだよ。 何度言わせんだ?」 「でも、聴いてみたいです!」 「無理言うなよ、〈帰〉《けえ》んな」 ななみの勢いに酔ったジョーさんはたじろいだ。 本当はジョーさんはギターを弾きたいのだろう。 鈍い俺にも、もうそれは分かる。そしてななみは、俺よりずっと前からそれを分かっていた。 「……ペンキ屋には、 酔いを醒ましてから戻るって伝えてくれ」 「はい、じゃあ今度酔ってないときに」 「しつけーよ!」 ああ、だからこいつはサンタなのだ。 プレゼントを配るためには、ルミナの流れを感じることが必要で、そのためには人の願いを感じ取ることができなくてはいけない。 俺たちは軽く会釈をしてネーヴェを後にした。 「……ありがとな」 別れ際にジョーさんが小さく呟いた言葉はきっとななみにも聞こえていただろう。 「さて……と、 それじゃあ先にペンキ屋さんに戻って 修理くらい手伝うか?」 「ごはんはその後ですねぇ」 「ま、そーなるな」 ななみと並んで歩き出したところへ、透が小走りで寄ってきた。 「お疲れ様です。 ななみさん、中井さん」 「あ、とーるくん!」 「りりかさんから状況を聞いたので 様子を見に来たのですが、修理のほうは?」 「はい、それはもう滞りなく!」 「今回は俺たちだけで大丈夫そうだぜ?」 「そうですか。 修理代は支部の予算から出せますから」 「本当か、そいつは助かる!」 俺のミスによる発注間違いがあったばかりなので今月はダブルパンチだと覚悟していたが、どうやら食費を圧迫せずにすみそうだ。 「透ありがとう、恩に着る!」 「そ、そんな、僕はなにも! サー・アルフレッド・キングの お決めになったことですから……」 「で、まだ修理は……?」 「ああ、ちょいと時間かかりそうだ」 「……そうですか」 透が少し思案するような顔を見せた。 「実は今から図書館で調べ物があるのですが、 中井さん、本を探すのを手伝ってもらえますか?」 「俺が? ん……構わないぜ」 「す、すみません……じゃあ、ちょっと 1時間くらいですみますので」 なんだ、なにかあるのか……? 俺の袖を引っ張ってくる透の態度が、どこかせわしない。 「それじゃー、わたしは お店でジョーさんをお待ちしています」 「すまない、よろしく頼む」 ほらあなマーケットを南に抜けると、しろくま町公民館の前に出る。 通称・くまホール。プラネタリウムのドームに寄りかかった2頭のしろくま像が日光浴の最中だ。 「俺なんかでよかったのか?」 「はい、中井さんのほうが向いてそうなので」 と言われても、調べ物の手伝いなんて全く経験ないのだが、やってやれないことはないだろう。 「で、なにを調べるんだって?」 「町史と、あと、最近の町議会の議事録とか……」 「なんだか面倒なことをするんだな」 「でも、今日は本を探すだけですから」 「了解だ」 隠しごとをしているようにも見えるが、キャロルが俺たちに不都合なことをすることはないだろう。 「あ……! 中井さん、見てください」 公民館の1階図書館に入るなり、透が小声で奥のテーブルを指差した。 「どこだ?」 「ほら、あそこに座っているのって……」 透の指差す先、小柄な女の子が児童スペースのベンチに腰掛けている。 「アイちゃんか?」 「……でしょうか? ぼ、僕もいま気づいたところなので、 分からないんですが」 「いま?」 「は、はい、たった今!」 無駄な強調は、否定とイコールなのだが、まあそれはどうでもいい。 ベンチに腰掛けたアイちゃんは、テーブルに載せた手を忙しそうに動かしているようだ。 「今は学童保育の時間のはずですが、 どうしたんでしょう?」 「そんなことも調べてたのか」 「ぐ、偶然です。 どうしましょう、話しかけますか?」 「んー、金髪さんには止められてるんだよな。 町の人の日常にまで、 あんまり深く関わるべきじゃないってな」 「……そ、そうですよね」 それでも透はやけに気になるようだ。何度もアイちゃんのほうを振り返っている。 「たとえばの話だが、あの子のことが気になって 調べ物に集中できないとか?」 「そ、そんなことありません!!」 「しーっ!」 「…………!!」 「お前がそうだったら、 俺としても手伝う必要を感じるんだが」 「あ……そ、そうですね、 ちょっと気になるかもしれません。 全く知らない顔ってわけでもないですし」 「了解、確かに俺も少し気になってるんだ」 「……中井さんも?」 「さて、ななみを呼ぶか……いや」 ──古くさいサンタになりたい。 ふいに、ななみから聞いた言葉が頭の中をよぎった。 ここにななみがいたら、きっと迷わず彼女に声をかけているだろう。 サンタとトナカイの職分は違う。それは分かりきったことだが、しかし、俺も余計なことに首を突っ込んでみたくなった。 「よ、こんにちは」 「!?」 「こ、こんにちは……!!」 声をかけると、アイちゃんが慌てて振り向いた。 机の上には裁縫箱。手に持っている布は、男物の靴下のようだ。かかとの部分が擦り切れている。 「…………!」 アイちゃんは、靴下と裁縫箱を手提げに放り込むと、席を立って足早に図書館を出て行こうとした。 「待ってくれ! すまん、急に声をかけて」 「…………なにか見ましたか?」 「いや、ただ靴下を……」 「……!!」 アイちゃんの顔が真っ赤に染まった。 ボロい家にお父さんと二人で暮らしている──、そんな噂話が頭をよぎる。 「ご、ごめんな……その」 「べつに謝られるようなことないですよ」 泳いだアイちゃんの視線が、透の前で止まった。 「こ、こんにちは」 「…………はぁ」 ぺこりとお辞儀をして、アイちゃんは観念したようにため息をついた。 「調べ物があって図書館に来たんだ。 そしたらアイちゃんがいたから……」 「そーですか」 俺が下手だったのだろう。おかしな空気になってしまった。 彼女のことが気にはなっているが、なにも尋問しようとか、無理に何かを聞き出そうというのではない。 俺は言葉を選びながら、ことさら明るい声で会話を続けた。 「立派なもんだと思うけどな」 「はい?」 「それ、お父さんの靴下だろ?」 「気を使わなくってもいいですよ」 「それくらいしかコメントできないって 分かってますから」 「気を使ってるわけじゃないよ。俺だって ちょっと前までテント暮らししてたんだ」 「うそ!」 「ほんとさ。あちこち貧乏旅行やっててさ。 もともと仕送りなんてないから 金がないときは草とか食ってたしな」 サンタの秘密に抵触するかもしれない。そう思いながらも俺は、ななみになったようなつもりで優しく彼女に話しかける。 「野宿の道具と着替えだけ持ってさ。 旅行というより人生修行みたいなもんだけど」 「よく家の人が許してくれましたね」 「お袋は寛大だったし、 俺んち、親父がいなかったからさ。 旅費はバイトして稼ぐんだ」 「うちはお母さんがいないから、逆ですね」 「…………アイちゃん」 「やだな、べつに暗くなるような話じゃないから。 ずっとこうだったから、当たり前だし」 「貧乏旅行っていいですね。 わたしもアルバイトして、 一人暮らししてみたいな……」 「お母さん代わりは大変?」 「違います、そういう意味で言ってないし!」 「ただ……これくらいしないと、 お父さんの足手まといになるから」 「そ、そんなことないよ!」 「…………?」 アイちゃんが透のほうを向いた。 目をそらすなよ。俺は心の中でそう呟きながら、二人の様子をうかがう。 「おにいちゃんの家ってお金持ちでしょ?」 「ど、どうして?」 「なんとなく、 そんな空気を感じただけです」 「そ、そうかな……でも。 僕も本当にえらいと思ってるよ……」 「ねえ……おにいちゃん、 どーしてビクビクしてるんですか?」 「し、してないよ! 全然、普通だし……」 「変に気を使わないでくださいね。 嫌いになっちゃいますよ」 「……!!」 ダメだ、アイちゃんのほうが上手だ。そんなことを言われたら、透は気を使ってガチガチになってしまうだろう。 自分がいることで、お父さんの足手まといになる? それがこの場のノリの言葉なのか、思いつめた末の言葉なのかは分からないが、そんな風に考えても、いいことなんて何もない。 そう言い切ってしまうのは簡単だが、言葉は喉をついて出なかった。 俺はまだ、この子にちゃんと向き合っていない。 そんな俺の言葉をぶつけることがためらわれたのだ。 「今日見たことはナイショにしてくださいね、 透おにいちゃん?」 「う、うん……もちろん!」 透が助けを求めるようにこっちを見ている。俺は頭をめぐらせて、なにか会話の糸口を探す。 「そうだ、つくろいものが終わったら 窓辺に吊るすくつしたでも縫ってみないか?」 「くつした!?」 「いきなりそんなメルヘンなこと言われても……」 「いいんだよ、もうすぐクリスマスだろ?」 「さすが、おもちゃ屋さんですね。 ほんとにサンタがいるとか思ってます?」 「いるって思ったほうが楽しいよ」 「すごいポジティブなんですね。 わたしは、ちょっと無理かな…… そんな資格ないし……あ、それじゃ!」 「あ……!」 会話を断ち切るように、アイちゃんは小走りで公民館の門の向こうに姿を消してしまった。 俺の力不足だ。このギクシャクした空気で長時間の会話は辛いだろう。 緊張が解けないままの透があちこちに目を泳がせている。 「気になるな……」 「はい。 資格……だなんて、おかしいですよ」 「透……お前はサンタとトナカイの どっちを目指してんだ?」 「え?」 「僕は……まだ分かりません」 「自分でできる仕事とできない仕事がある。 そういうのって、たまに見えるんだよな」 「中井さん……」 「ここは、 サンタさんに出張ってもらわないとな」 図書館で、町史や新聞の縮刷のコピーをいくつか取ってから、俺は透と別れ、ひとりでペンキ屋の前に戻ってきた。 「どんな感じだ?」 「修理はだいたい終わったんですが、 細かい模様を塗るのはジョーさんのほうが上手 だというお話ですので……」 「それじゃあ、明日までかかっちまうか」 「でも、1日ですんでよかったじゃないですか」 「そうか……そうだな」 そういう事情ならば仕方がない。今日のところはツリーハウスに戻ることにした。 アルコールをしっかり抜いてもらって、快心のペイントを仕上げてもらったほうが嬉しい。 表通りに出て少し歩いたところで、ふいにななみが口を開いた。 「とーまくん、わたし…… ジョーさんは落書きしてないと思います」 「ああ、俺もそう思う」 「そうですよね! はぁぁ、安心したらお腹がへりました」 すぐにスイッチの切り替わるななみと一緒だとこっちの気分もずいぶんと楽になる。 きっと、ジョーさんやアイちゃんも同じ気分なのだろう。 「ランチタイム逃しちまったから、 ファーストフードでも食ってくか?」 「では、ドーナツとか!?」 「甘くないメニューもある店だったらな」 「ご安心めされ! ベーグルもミートパイもありますし!」 「『ミートパイ』か……い……胃潰瘍」 「お、受けて立ちましょう♪ 胃潰瘍、う、う……」 「せっかくだから難易度上げていこう。 母音縛りでやろうか?」 「ぼいんしばり!?」 「な、なんですか!! そのいやらしそうなしりとりは!!」 「真昼間にどんな勘違いしてやがる!!」 「きゃあ、いた、いたたたた! な、なんでですかぁーーー!?」 「え……アイちゃんと会ったんですか?」 「ああ、ペンキ塗ってもらってる最中にな」 ドーナツ屋で遅い昼食をとってからいつもの道を徒歩でツリーハウスへ戻る最中、俺はアイちゃんとの顛末をななみに話して聞かせた。 透はあらかじめ知ってて、俺を連れ出したのではないかとも思えるのだが、そこのところは男同士の秘密ってことで伏せておこう。 「アイちゃん元気でしたか?」 「元気といっていいのか……まあ、 いろいろあってさ」 お父さんの靴下を縫っていた話。将来の夢は一人暮らしで、父親の荷物になりたくないという話……。 俺の言葉でアイちゃんの気持ちを伝える間、ななみはまじめな顔で何度も頷いていた。 「アイちゃんにはお袋さんがいないんだよな。 そのせいか、父親が自分を養っていることを 後ろめたく思ってるようにも見えてさ」 俺は10歳で父親を失ったが、母親や親戚にはずいぶんと大切にされていたのだと思う。 父親の喪失は心に大きな穴を空けたが、他にはこれといった不自由を感じることもなく、田舎の町でそれなりにのびのびやってきた。 「わたしも、おばあちゃんに大切にしてもらって、 サンタになることだけ考えていました」 「ななみのところは、 いかにもな名家だって聞いたことがあるな」 「もとはお武家さんだったみたいです。 変なお宝も家にたくさんありましたし」 「凄いな、お前サムライか!?」 「えへん! サンタ修行の折に 武家の作法もひととおり叩き込まれてます」 「どーりでボスと息が合うわけだ。 その話し方も、家柄の仕業だったのか……」 「左様左様」 そこでふっと表情が〈翳〉《かげ》った。 「……だからわたしも、アイちゃんのことは きっと分かってあげられないと思います」 ななみが言葉をつなぐ。 「でも、きっとアイちゃんはお話がしたいんですよ」 「お話……か、そうだな」 「だからとーまくんなら大丈夫です」 「また根拠もなしにお前は」 「やですね、根拠くらいありますよ」 「それは?」 「ふっふっふ……教えてあげません」 「なんじゃそりゃ!?」 ななみに背を向けて先を歩く。 からかわれて腹を立てたふりをしたものの、本当のところは少し気が楽になっていた。 「とーまくん……」 俺なら大丈夫なのだろうか。理屈は全く分からないが、そう思っていれば、そうなるような気もする。 「とーまくん、とーまくん」 「なんだ……もが!?」 「はい、頭を使ったら糖分補給です」 「お前はいいかげん…………」 「……!?」 なんだ!?いま一瞬、胸が……? 「だいたい、そいつは食いかけじゃないのか」 「いいじゃないですか、おすそわけです」 ソフトクリームをひと口かじったななみが、また俺の口にそいつをくっつける。 「んぐ……!?」 うっ……何故だ? なぜ心臓が!? これは……不整脈!? 心不全か!?トナカイの俺にそんな循環器的欠陥が!? 「はて……??」 「な、なんだ、もう甘いのは充分だ」 「とーまくん、どうしましたか?」 「ど、どうもしてない!!」 「でも、変ですよ?」 「変なのはこの寒空にアイスを食う奴だ!」 「ふーむ……、 さてはなにか後ろめたいことでもありますね?」 「な、ない!! 断固ない!! 全くない!!」 「ならば熱とか……」 ──ぴとっ。 「うわぁぁっ!? ない熱ない!! 全くない!!」 「全く無かったら氷点下じゃないですか。 わわ、暴れないでください! これじゃ熱が計れませんってば……とうっ!」 「ごふっ! なぜ的確に〈鳩尾〉《みぞおち》を……」 「おばーちゃんに教わったんです。 こう見えてもブシドーですから」 「どんなばーさんだ……ううっ!」 「わわわ!? 平熱なのにとーまくんが!?」 「こらーーッ、もたもたすんな!!! 速攻だ、そっこーーーー!!!!!」 「びええーー、了解ーーー!!」 いったいなんだってんだ、どうしたんだ、俺の心臓は……!? 理由も無く息苦しいだの、動悸が早くなるだの、こんな症状は訓練で吹き飛ばすに限る! 「なにやってる! チンタラ狙ってるんじゃねーー!!」 「あーん、どうしたんですか、 もう機嫌悪すぎますーーっ!」 「悪くない! 俺のことはほっとけ!」 「そんなんじゃ息が合いませんよ。 こういうときは、しりとりでもやってですね!」 「お、おう! いいだろう、何でも来い!」 「え? えーと、えーと!!」 「さっさとしろ!」 「じゃ、じゃあ見たまんまで『とーまくん』!」 「ああああああーーー!!!」 「ハハハ、ひでェ音……」 「こりゃダメだ、錆び付いちまってら」 「あのお嬢ちゃん、こっちの気も知らねーで」 「アハハ……なんだこれ?」 「ちぇいいーー!」 「うりゃーーー!!! 電子銀河斬りーーーーっっ!!!」 「はぁっ……謎の剣術は上達したけど、 ほんとにサンタの実力ついてんのかな?」 「ちぇえええーーーーー!」 「…………がんばるね、すずりん」 「はーい、ちょっとサンタさん集合ー!」 「はーい! あれ、そういえば サンタ先生は修行しないんですね?」 「たまには身体動かすのもいいですよー?」 「無理無理、 アタシ持病100個くらいあるから」 「(ぜったい嘘だ)」「(嘘ですね)」 「そんなことより サー・アルフレッド・キングがお呼びよー」 「まさかまた追加の修行メニュー!?」 「だいじょーぶだいじょーぶ ただのミーティングだって」 「ミーティング……?」 「はて、なんでしょうか?」 特訓でバテバテのななみたちにくっついてボスの執務室に入ると、先に来ていたジェラルドと透が俺たちを待っていた。 急な呼び出しだったが、予感がなかったわけでない。 これまでの支部でも月に一度は大きなミーティングが行われていたし、暦も11月に入っている。 「しろくま町支部所属サンタ、 全員到着しましたーー!!」 「トナカイも揃いました、 サー・アルフレッド・キング」 「急なところご苦労。 さっそくだが手元の資料を見てください」 サンタ先生の手から一堂へ、書類のファイルが手渡される。 俺たちにはおなじみのルミナの分布移行図とイブのコースを予想したもの。今年の配達予想件数などが書き込まれた図表。 加えて、もうひとつ……。 「ガイエー・リゾート開発計画?」 「これは?」 「ガイエーって駅前スーパーのガイエー?」 「そうです。そのガイエーがこの町に 新しく大規模なリゾート施設を作る 計画があるんです」 「リゾート!?」 「リゾートっていうのはやっぱり、 ヤシの木陰におっきなプール、 そしてトロピカルフルーツの食べ放題……じゅる」 「ブラーヴォ、新たなる出会いを感じるな」 「あほらし、完成するのはずっと後でしょ。 今は偉いオジサンしかいないわよ」 「それはとーまくんの管轄ですね」 「お前は!!!」 「じょ、じょーだん、 じょーだんですってばーー!!」 「……ん、おい、この地図」 「……ふーむ」 「……この場所って?」 「そういうことよ」 「な、なんですか? 場所……?」 「リゾート開発の予定区画は、 ニュータウンの小学校とその周辺一帯だ」 「ああ! それで学校がなくなるんですね」 「逆でしょ、普通」 「廃校になったから、 開発が始まるということですか」 「リゾート……はて、 ニュータウン……ということは?」 「まさか、この計画が ルミナの分布に悪影響を?」 「ツリー本体を伐採するわけではないので、 直接的な影響はないでしょう。だが、 ツリーが嫌がっているのかもしれませんね」 「ツリーが?」 「この町のツリーはへそ曲がりです」 「と……その前に、ここまでの経緯について トールから説明をしましょう」 「はい。調べたところ、星野平小学校のあった場所は、 廃校後に老人福祉施設や、地域交流センターになる 予定だったのですが」 「数年前にリゾート開発の話が持ち上がった みたいです。ガイエーはもう周辺の土地も確保 しているみたいで……」 「土地の確保って?」 「買ったんだろう、土地を持ってる人から」 「そ、そか……当然よね」 「開発予定地域はニュータウンの奥まった エリアです。この付近には使われていない 土地や家屋がけっこうあるみたいで……」 「もともと眠ってた土地だから、 地権者の人たちは喜んで手放したそうです」 「……ふーむむ??」 「ここに書いてある、リゾートで元気な町を! ってどういうことでしょうか?」 「それはですね、開発によって地元での雇用が増える ことと、町の中心部からニュータウン周辺への 人の流れが生まれることによる経済効果が……」 「なによ、パンフレット読んでるだけじゃない。 具体的にはどーゆーことなの?」 「ぐ、具体的には……ええと、ええと」 「ニュータウン地区の活性化が見込まれる!!! ということです」 「それもここに書いてある」 「あう、だ、だから……その!」 「……よく分からないんですね」 「……すみません」 「ま、経済がどうのこうのって サンタさんにはピンとこない話よね」 「基本的にめでたい話なんだろう? だったら俺たちが状況に対応すりゃいい」 「左様、サンタクロースには人の世の営みを 広く俯瞰する視点が必要になる」 「しかしそのためには多くの経験が不可欠だ。 それらのいくつかは、このニュータウンから 学ぶことにもなるでしょう」 「その開発がルミナの分布に影響していたとしても それとサンタの仕事は別のことです」 ボスの話を俺たちは黙って聞いた。 ルミナの力を利用して人の営みをコントロールすることはできない。 それをしようとしたところでルミナの力は働かず、行使しようとしたサンタは、ツリーと感応することができなくなってしまうのだ。 サンタの仕事はリゾート開発を推進させることでも阻止することでもなく、イブに確実にプレゼントを配ること、それだけだ。 「いろいろな意見はあるだろうが この町が豊かになるために、 この町の人たちが選んだことだ」 「ひとつひとつの出来事に惑うことなく、 サンタとして必要なことを行いなさい」 「了解しました!」 リゾートの話は、頭の片隅に留めておけばいい。 りりかとの勝負を控えている俺は、ひとまず頭の奥底に、その話をしまいこむことに決めた。 ミーティングが終わって倉庫の整理をしていても俺たちの口数は減ったままだ。 それぞれが、それぞれの頭の中でニュータウンのことを考えているのだろう。 「はぁぁ、難しいですねー」 「ニュータウンか?」 「はい。サンタとしていろいろ考えてしまいます」 「いろいろって?」 「そこがまだ、いまひとつ……」 「いろいろがまとまっていないんだな」 「うー、面目ない……」 「町の事情にサンタは首を突っ込まない。 今回のは、アイちゃんやジョーさんの 問題とは別物だぜ」 「もちろんそれは分かってますが。 つまり、わたしたちはそのために集められた 精鋭メンバーっていうことですよね……?」 「ん……そうか、そうだな!!」 「はい、ニュータウンの真空地帯の拡散にも 対応できるスーパーサンタチームです!」 「おう、言われてみれば確かにそうだ!」 さすがはななみだ。このポジティブシンキングは見習うべきだ。 「でも……それだからなんですよ」 「なんだなんだ?」 「りりかちゃんとのことです」 「どーした。 雪合戦のリベンジまであと3日だぜ?」 「でもですよ、チームワークのためには 勝負を撤回したほうがいいんでしょうか?」 「……ななみ」 ななみが悩む気持ちは分かる。しかし今になって流れを止めても、淀みができてしまうだろう。 「仲良しごっことチームワークは別さ。 意地の張り合いはあるけれど しろくまベルスターズはイイ感じだぜ」 「そうですか?」 「ああ、あとはリーダーが ガンガン引っ張ってくれりゃいい。 そのためには……」 「りりかちゃんに負けてられない……!?」 「正解。 というわけで、今度こそケリをつけようぜ」 「りょーかいですっ!!」 昼前にペンキ屋さんから電話があり俺は修理の終わった〈屋台〉《オアシス》を受け取りにほらあなマーケットを訪れた。 「おじゃましまーす」 「よぉ、きたな! ほらよ、徹夜で仕上げといたぜ」 目の前にぴっかぴかに塗装された屋台が引かれてくる。 「おお凄え、まっさらだ!」 「キレーだろ、ここんとこのラインがよ。 おーっと触るなよ! 最後の塗りは、いまさっきしたところだ」 「ジョーさんがえらく気合い入っちゃってね。 結局全部塗装をし直すことにしたんだよ」 「完全塗装ですか!?」 「あ、でも料金は据え置きなのでご安心を」 ほっと息をなでおろして、会計をすませる。 「……こないだは変なとこ見せちまったな」 屋台を引いてきたジョーさんは、俺に小声でそう囁いた。それから一緒に店を出る。 「で、これから売りに行くのかい?」 「ああ、久々だし回ってみるかなって」 「俺も行っていいか? 今日ヒマなんだよ」 「ジョーさんが?」 かくして、変則メンバーの広報部隊が、久しぶりのニュータウンに繰り出してきた。 商品ラインナップは、昔と変わらない木のおもちゃと駄菓子屋玩具。 ななみの張子人形は生産の手間がかかるので、劇の上演だけをすることにして、しばらく売らないことになっている。 「わー、りりかる劇団だー!」 「ほんとだ、また来たー!」 公園に近づくと、すぐに子供たちが集まってくる。 「……ハリコー人形劇団だよ?」 「それは昔でしょ、今はりりかる劇団!」 「やっぱ、 超絶天才少女りりかる☆りりかだよなー!」 「今日も華麗に 豚耳怪獣ナナミミガーを倒してよ!」 「あ……あのぐるぐるドリル……!」 哀れなナナミミガーの名誉を回復してやりたいところだが、練習もなしに人形劇はさすがに無理だ。 やんわりと断ろうとしていたところ……。 「おーい、ガキども、道に広がるなよ、 こっちに集まれ!」 「ちょっと、ジョーさん!?」 なにも分かってないジョーさんがノリノリで子供を集合させてしまった! 「うさぎ大帝! りりかる☆りりかを解放しろ!!」 「ゲーーッゲエッゲエッ……! 糸を喰らえばうんこが数珠繋ぎ!! 世界のバニーガールは俺様うさぎ大帝が……」 「(ジョーさん、下ネタ禁止です)」 「(だーって受けてるぜ?)」 「(ああもう、しょーがねーなぁ!)」 「はー、ひさびさに楽しかったぜ」 俺とジョーさんの即席劇団は子供たちには大受けだったものの、りりかる☆りりかの世界観を大陵辱してしまった。 こいつは……あとで大目玉を覚悟しないとな。 「ん?」 「にゃー! にゃーにゃーにゃー!」 「くこ、くこここここ!!」 「にゃっ!」 「くここー!」 「……おい、なにしてる?」 「くここ! くここここ!」 「兵糧基地である〈烏〉《カラス》の巣を突き止めた? これから総攻撃をかける? おい、こら待て!」 「……なんだ、ありゃ?」 「いや、知らんほうがいいです。 ともあれ、お疲れさんでした」 「おー、もう他人行儀はよそーぜ。 あんたは店長、俺はバイトだぜ」 「そっか……うん、あらためて、よろしく」 「おう! んじゃ、飲んでこーぜ?」 「…………ごくっ!」 「つまりさ……サンタにプレゼントをもらう 資格がないって考えてる子がいるんだよ」 「さっきのガキの中にかい?」 「いや、そのへんは複雑なんだけどさ」 「ま、いいか。 資格……資格ねえ」 焼酎をちびちび舐めている俺の横でジョーさんがビールを次々にあおる。 ジョーさんの誘惑に屈した俺は、屋台をツリーハウスに届けてから、サンタさんたちに事情を説明し、訓練後にネーヴェで合流した。 りりかとの勝負まで日がないため、深酒は禁物だが、ジョーさんという人をもう少し知りたいという欲求には勝てなかった。 「いい子なんだけど、 いろいろ複雑なものを抱えてるんだ」 「……その子、俺みたいになんないといいなぁ」 「ジョーさんみたいに?」 「ああ、資格がないってのはバリアーだからな」 「関わりを持たないでくれってサインかな?」 アイちゃんは『友達なんていない』とななみに言ったらしい。 「そうさ、俺だってまだ思ってるぜ。 俺にギターを弾く資格なんかないってな」 「そいつがバリアーなんだ。 負けないためのバリアーってやつでさ」 「……タバコ、吸っていいかい?」 「ああ」 「お前はそういうこと、ないのか?」 「ああ、そうだな……」 はっきり言えば、それはない。資格や適正に疑問を感じたらルミナを感じることなどたちまちできなくなる。 そうならないように、サンタ学校で過酷な精神修養をしてきたのだ。 だが、俺の前にはでかい壁が立ちはだかっている。 このままジェラルドに負け続けたら、あるいは他のトナカイに追い抜かれてばかりだったらどうなるだろう。 俺は、夜の川が怖かった。 親父が墜落した夜の海、それに似た田舎の川。その流れを飛ぶことがどうしてもできなかったあの頃の俺ならば……。 「俺のギターさ、 東京じゃそこそこ評価されてたんだぜ」 「俺にしか出せない〈音色〉《トーン》があるってな。 自惚れもあったし、一人前だって自負もあったさ」 俺にも自負がある。俺の滑空は誰にも真似できないという。 「……けれど拾われなかった」 「だからギターをやめたんだ。 拾われない奴には、 弾く資格がないってルールを決めてな」 「強ぇーぜ、こいつはよ。 弾かないから、もう負けはねーんだ」 「勝負をかけない?」 「まあな、弾くってのは敗北と向き合うってことだ。 そいつから逃げて、 俺はこの町に落ち着いてるのさ」 「それを話せるのは、強いんじゃないか?」 俺がもしそうだったら、怖くて口を開けないだろう。語ることも、向き合うことと一緒なのだから。 「だってよぉ、ギターじゃなくて父親だぜ? もし、そんな子がいるんだったら寂しいだろ」 「それにくらべりゃ、俺の話なんざ……」 「ああ……ありがとう」 薄暗い店内に紫煙が立ち昇る。ジョーさんが大きく息をついて、最後にこう結んだ。 「資格ってのは多分、勇気のことなんだろうな」 「とーまくん、右のコースから一気に上昇!」 「了解、急降下で相手の経路を塞ぐんだな。 トリ、コースを頼む!」 「くこここっ!」 「直線だ、行けるぞ!」 「さすがです、れっつごー!!」 「てえええーーーーーーーいっっ!!」 今日も深夜の猛特訓は続く。雪合戦まで、あと数日だ。 「ふぅ……お疲れさん」 「お、おつかれさまでしたー!」 今はベテルギウスの回避パターンを想定し、先読みと狙い撃ちに絞った訓練をしている。 いつの間にかニュータウンのノラ覇道を目指しているサンダースも、金髪さんに負けたのが悔しかったのか、多忙の合間を縫って訓練には顔を出したがる。 それにしても、ななみの成長ぶりは見違えるほどだ。ななみの発想に従って、俺がカペラを操縦する。悔しいが、今はそういう段階に入りつつある。 「うー、いたたたた……」 「連続5時間か……相当ハードだったな」 「情けない話ですが、 腰がバッキラコン言ってますー……」 「その擬音は大変そうだ。 ちょっと寄り道していくか?」 「幸せになる勇気、ですか……」 「いい言葉だと思ったぜ」 訓練の汗を夜気に冷ましながら、俺はジョーさんとのやりとりを語る。 「うん……きっと、それを届けるのが、 サンタさんのお仕事なんですね」 「ああ、そうなんだろうな」 「……アイちゃんが前に言ってたんです」 「わたしがいなかったら お父さんも楽になると思うし もっと好きなことして暮らせるんだよね」 「そんなことを……」 「誰だって幸せになれるんです。 けれど、立ち止まってしまって 動けないこともあって……」 「そんなとき、小さなプレゼントが その背中を押すんです」 「誰かが自分のために何かをしてくれた。 それが力になるんだって」 だからななみはアイちゃんにプレゼントを贈りたいのだ。 それはサンタとしてではなく、星名ななみとして、でも良いのだろう。 「そいつは、ブシドーの おばあちゃんに教わったのかい?」 「ううん、おかあさんです」 「ななみのお袋さんの話は あまり聞いてなかったな」 「だって……恥ずかしいですから」 夜の足湯には人の姿がない。ななみと一緒にこっそり使わせてもらうことにした。 誰かに見られたとしても、この時期ならサンタ服はギリギリ許容範囲だ。 「わたし……おかあさんに憧れてたんです」 足湯に腰を下ろしてすぐに、ななみは話し始めた。 普段は込み入った話をするようなタイプではないが、それでもななみは先の言葉を一生懸命に選びながら、自分の気持ちを俺に伝えようとしている。 「おかあさんがサンタクロースだった頃のことは ほとんど知らないんですけど」 「すごく昔……サンタのおかあさんからプレゼントを 受け取ったことがあって、ああ、これが おかあさんの仕事なんだ、って思ったんです」 もともとサンタの家系に育ったななみにとってサンタというのは肉親とつながっているのだろう。 「その杖も、お母さんから譲ってもらったのか?」 「これはおばあちゃんから、 12歳の誕生日に譲ってもらったんです。 一人前のサンタさんになりなさい……って」 「よくは知らないのですが、 由緒正しいユール・ログだって聞きました」 「名門の跡継ぎか……」 「ひー、プレッシャーですってば!」 「悪い悪い。 でも、まあ……格好はついてるぜ」 「……ほんとに?」 ななみの手のひらが樅のロッドを撫でる。ルミナの光が指先に宿っているように見えるのは、おそらく錯覚だろう。 「わたしね、サンタさんにプレゼントを おねだりしたことって、実は一度もないんです」 「手紙は書いてたんだろう?」 前に俺がもらった便箋のことを思い出しながらななみに問いかけた。 「そうなんですけどね……」 「一昨年まではずっと、『サンタさんになれますように』 ……って書いてました」 「去年は『早く一人前になれますように』って書いて」 「そいつは受験生の絵馬だな。 今年のクリスマスはどうする?」 「んー…… 『もっといいサンタさんになれますように』」 「なるほど、サンタ道は険しい……か」 「で、でも! たまには別のプレゼントを お願いしてみようかなーなんて 考えてもいるんですよ!」 「ほう、それは?」 「んー、まだ探してる最中です。 甘いものばっかり浮かんでしまって」 大きく伸びをしたななみの瞳が、頭上の星空に吸い込まれる。 時々ななみが見せる、なにかを探しているような表情──。 「憧れのサンタにはなれそうか?」 「わかりません、 おかあさんはもういないですし」 「サンタ、やめたんだよな」 「…………」 「はい……でもよくは分からないんです。 いまは、そういうこと 考えないほうがいいと思うし」 「そうだな、すまなかった」 「ううん、いいんです、とーまくんなら」 「ななみ……?」 「だって、パートナーじゃないですか」 「ぜんぶが幸せにはなれないのかな……?」 ツリーハウスへの帰路、くま電の線路を越えたあたりでななみがぽつりと呟いた。 その問いかけはアイちゃんやジョーさんを通り越してななみの母親や祖母にも向けられているのだろう。 みんなを笑顔にしたい。サンタとしては当たり前すぎる考えだ。 そんな当たり前のことをななみはただ一途に目指している。 トナカイとして、俺にできることは、そんなサンタクロースを支えてやることだけだ。 「よーし、明日も特訓だ、ななみ!」 「お、おー!!!?」 「って、急にどうしました?」 「お前が『もっといいサンタ』になるには 俺がもっと使えるトナカイにならなくちゃ なんないからな。特訓あるのみさ」 「とーまくん……」 「ま、俺の場合は、まだ先は長そうだ」 「どうしてですか?」 「八大トナカイを抜いてやりたい気持ちは あるんだけどな……」 それが難しいことは、この半月あまりで身に染みて分かっている。 俺がどうすればななみの役に立てるのか、それはまだ分からない。 同僚として支えてやれることはあるが、パートナーとして、俺はどう変わっていけばいいのだろう。 「お祖母ちゃんが言っていました。 イブに奇跡を届けるには、わたしたちが イブの前に奇跡を起こしてないとダメなんです」 「厳しい話だな」 「大丈夫ですよ、冬馬くんなら」 「だって、わたしに元気をくれてます」 「……!? な、なにをいきなり!」 正面切ってそんなことを言われ、俺は少なからず動揺した。 咳払いをして、照れ隠しに背を向ける。 「嘘じゃないですよ」 「そりゃどうも…………」 振り返ると、目線が合った。 上目づかいのななみがまっすぐ俺を見つめている。 「…………」 「…………」 ……なんだこの空気は? どうして俺はこいつと見つめ合っている? ななみの瞳が潤んでいるような気がする。錯覚か? いや、そうではない。だから俺は、ななみの肩に手を置いた。 ──待て、なぜ置いた?? 「…………(ごくっ)」 どうしてこうなった?なんとかしろ、この状況をなんとかしてくれ、俺。 「…………も」 「……も?」 「も、網膜認証システム作動! イジョウナシ、イジョウナシ、コイツハサンタ」 「………………」 ──最低だ!なんの解決にもなってない上に滑ってる! 「だ、だから……その、な」 なんてことだ、顔が真っ赤になってきた。トナカイが年下のサンタを前にしどろもどろになってどーするってんだ!? 「…………」 「ま、そういうわけで……そういうわけだから」 「…………」 なんだ、なぜ眼をそらさない!?お前がそらさないと、俺がそらせないんだ! 「…………」 この沈黙の長さは不自然だろう?おいななみ、なんとか言ってくれ。 「…………」 だから、何とか……! 「…………」 ううっ……!? 覚悟を決めた。なんだか分からないが、出し抜けに俺は覚悟を決めた。 ななみと向き合って、正面から潤みを帯びた瞳を見つめる。 「………………」 「………………」 唇が近づく。それから、ななみは目を閉じて……。 目を……。 目……。 目だ!!なぜ目を閉じない!? 「………………」 目を閉じてないのに唇が近づく。 吐息が融け合うほど、いまにも触れそうな距離に……。 「…………!」 「…………!!」 そして満天の星空のもと、俺たち二人は……。 「…………ぷはぁぁっ!!」 呼吸がもたなくなって、同時に大きく息をついた。 それからほとんど同時に後ろを向き、背中合わせになる。 「……はぁっ、はぁっ、なんだ今のは?」 「……ま、魔が差しましたか?」 「だとしたら魔王クラスだ。 いや、お前もちょっと変だったぞ」 「そ、そうでした……はぁぁ、心臓に悪いです」 互いの背中をくっつけたまま、ゆっくり息をつき、呼吸を整える。 りりかとの勝負を控えているというのに、とんだ失態を演じてしまった。 「……危ないところだったな」 「はい……サンタ的によくなかったです」 振り返り、あらためてななみの顔を覗き込む。よし、いつものななみだ。 「このままじゃ風邪引くな」 「そ、それは一大事、急ぎましょう!!」 手を繋ぐ。ああ、これくらいならば構わないだろう。俺もななみも、もうすっかりいつもの二人だ。 そのまま並んで、意味も無く早足で夜の田舎道をツリーハウスへと急いだ。 ──そして、決着の夜が来た!! 「2人とも、スタンバイOK?」 「はい!」「OK!」 「とゆーわけで、 3度目の正直マッチだっけ?」 「2度あることは3度あるマッチです!」 「ちがいます!」「ちがわない!」 「もーいいわ、じゃあただの第3回戦。 今回は審判をするサンタ先生よ」 「ルールは前回と同じく時間無制限です。 勝利条件はサンタに雪玉を命中させること。 機体、トナカイ、ソリへの命中は無効です」 「たった10日でどこまで成長したか見てあげる♪」 「今日は負けませんっ!」 「無理よ」 「できます!」 カペラによる再リベンジの雪合戦だ。トリを肩に乗せた俺とジェラルドは、ただ黙って周囲のコースを読んでいる。 最初のコース取りから気を抜けない勝負になる。 ななみは自分の目指すサンタのために、俺はそのサンタを支えるトナカイとして、この壁は絶対に越えなければならない──! 「それじゃ……ゲームスタート!」 「いくわよ!」 「お願いしますっ!!」 北西方向のコースへ乗り、ベテルギウスと距離をとる──。 一戦目は手も足も出ず、二戦目は圧倒されて、泣きの三戦目。つまりこれがラストチャンスだ。 「いい天気だな、空が近いぜ」 「ほんとですね……」 「くるるっ!」 「ああ、今日ならやれそうな気がする」 「三度目の正直です!」 「そうさ、お前は明らかに上手くなってる。 そいつは俺が保証する」 「とーまくん……!」 「わたしじゃなくて、わたしたちです」 「そうか、そうだな」 はるか下方に遠ざかった赤い光が、遠ざかりながらゆっくりと旋回をはじめる。 この短い期間に、ななみの技倆がどの程度成長したのか、俺にも具体的なところは分からない。 あの金髪さんと太刀打ちできるまでになっているのか、それともまだ内輪褒めの域を出ないのか──。 「俺たちがそいつを実感するには、 持ってるの全力を あの赤い機体に叩きつけるだけだ」 「はいっ!!」 「ガチの対決っていいわねー。 さーて、二人ともどんな戦いをするのかしら?」 「先生、楽しそうですね」 「もちろん! パラプロの観戦モードも飽きちゃったしね、 なによりライブの迫力には敵わないもん!」 「……先生?」 「あ、見て! ベテルギウスから仕掛けるわ!」 「さーて、今日も一気に決めるわよ。 ラブ夫、上からかぶせるわ」 「オーライ、お姫様」 真紅の機体が滑るように動きだし、上昇するルミナの流れに溶け込んでいく。 「前と同じパターンだ。舐められてるな」 「むむむ……ならこっちは急降下です」 「了解、いったん距離を取って相手の出方を見よう」 当たり前のことだがセルヴィもサンタも、空中戦を想定して空を飛んでいるわけではない。 この雪合戦も、ターゲットになるくつしたをどれだけ早く射程に収め、ルミナを命中させるかを想定した訓練だ。 つまり──回避よりも攻撃! 前回までの感覚で言うのなら、コースを滑りながら相手の弾を避けるのは極端に困難だ。 ゆえに、先に相手を射程に捉えたほうが勝つ──。 「あん、逃げた?」 「〈奴〉《やっこ》さん、慎重になってきたか」 「だったら先回りで脅かしちゃえ、 急降下からの反転上昇!」 一度距離をとったのは、向こうに上を取られたからだ。 上空を取ったほうが有利なのだ、こちらが上空を取るまでは距離を縮めたくない。 悪くない感覚だ。俺もななみも、前回ほどは熱くなっていない。 やるだけの訓練はしてきたのだから、あとはそいつをベストのパフォーマンスで発揮すればいい。 遠く、しろくま町の夜景が近づいてくる。ベテルギウスの出力は桁違いだから、向こうがその気なら、すぐに詰めてくるだろう。 「くるる!?」 「うわ!? し、下から来ます!?」 「バカな、回り込んだってのか!?」 なんて速さだ……だが! 「でも、上を取れました」 「正解だ! せーので減速するから一気に叩き込め!」 「せーの、ですね!」 「ああ、行くぞ」 足元から赤い光が迫ってくる。二基のリフレクターがもたらすベテルギウスの馬力は、俺の想像以上だ。 わざと有利な上空を取らせてこっちを釣ってきているのか。 それだけの自信があるってことか。しかし、この位置ならば──! 「とーまくん! わたし、これに勝ったら……」 「気を散らすな!」 「は、はいっ!!!」 コースの流れに沿って機体を急降下させる。この速度なら交錯は一瞬だ。 「速いな……来るぞ、お姫様!」 「上等!!」 「2秒だ、せーの!!」 「チョコボンボン!!」「デュアルザッパー!!」 1、2……頭の中で2を読むと同時に背後からルミナの雪玉が射ち出される。 「同時!?」 カペラの前方で、きらきらと眩しい花火が夜空に弾け、ベテルギウスの紅い鼻先が姿を見せた。 一瞬ですれ違う。 「ど、どうなったんですか!?」 「くそ……防がれた。 まさかこっちのルミナに当ててくるとは」 だがこっちも被弾はしていない。大丈夫だ、俺たちは戦えている! 「撃墜されなかっただけラッキーです。 手数が一緒なら、まだ勝てるかもしれません」 「すごい……」 「けど、カペラは追い込まれたみたいね」 「ふふふっ……行くわよラブ夫、 クイックターン!!」 「了解、一気に落とすぜ!」 相手の姿が消えたら、すぐにパネルとにらめっこだ。 次はどこから現れるだろう。すれ違ったベテルギウスは、もうはるか後方に……!? 「くるるーーーーっ!?」 「なに、背後──!?」 「き、来ます!!」 背後に赤い光が見えたかと思うと、ものすごい勢いで背後に迫ってくる。 どういうことだ、コース上で180度のターンをしたとでもいうのか!? カペラの乗ったコースはしばらく直線で。周りにジャンプできそうな別のコースもない。 「きょーーっ!!」 「ケツを取られた、逃げる!」 「は、はいっ!」 上空のベテルギウスに尻を晒した格好で、全力で急降下する。 セルヴィは基本的に、飛行ではなく滑空する機体だ。好きな方向へ飛び回ることができるわけではない。 直線コースで大出力のベテルギウスに勝てるはずがない。このままでは、回避コースが見つかる前に相手の射程に入ってしまう。 「と、とーまくん!?」 「楽勝! こっちのほうが速いわ!!」 「だが手数は一緒だ。防げ、ななみ!」 「さっきのはまぐれよ!」 「たっ!? はっ! きぃぃぃっ!!」 「あら?」「ウソ!?」 「危ねえ……紙一重か」 「待て! この、このっ!!」 「うわ!? きゃ、うわわ!?」 「とーまくん、だいじょうぶ、見えてます!!」 「頼むぜ、直線を抜けるまでの辛抱だ!」 行ける──! 不思議な確信があった。ななみの手数や反応速度だけじゃない。前回よりも格段にカペラの操縦性が高まっている。 それは、俺とななみの息が合っているからだ! 「てい、うわ、わわっ!? りりかちゃんパワーアップした!?」 「まだ手加減してるわ!」 「ソリにつかまれ! 間合いを外す!」 今ならできるかもしれない。ペダルを思い切り踏み込んで逆噴射をかけた。 加重に身体がびりびりと痺れ、視界を流れていた星が引き戻される。ベテルギウスがカペラを追い越したのが分かった。 「なに!?」 「へぇ、上手いじゃないか」 この速度からの急ブレーキに対応できたのはカペラの反応速度が格段に跳ね上がっていたからだ。 「よし、ケツについた。一気に攻めろ!!」 「は、はいっ!!」 「させないわ、スピードアップ!!」 「あ、あー!! 逃げられたー!」 「うわ……速いわね」 「さすがベテルギウスですね」 「性能より息が合ってるみたい。 さすがエースってとこかしら……」 「くるるーーー……」 「うぅぅ、とーまくんすみません、 逃げられちゃいました」 「速さが違うんだ、仕方ないさ。 まだ行けるか?」 「はい、ぜーんぜんだいじょーぶです!」 「疲れてるな。 了解だ、いったん距離をとって」 「ううん、行きましょう!!」 「くるる??」 「いま……なにかつかめそうなんです。 だからこのまま!」 「ああ……了解だ」 速度を増してベテルギウスを追いかける。赤い光はすでに消え、ゴーグルの視界にはルミナのコースが広がっているばかりだ。 「背後を頼む、俺は正面を警戒する」 「前からです!」 「くるー?」 「トリにも見えてないぞ」 「でも、来ます!」 ななみの言葉が終わると同時に正面にチカッと赤い光が瞬いた。 「また反転してきたか。 直線コースでよくやる!」 「一気に急降下です!!」 「ああ!」 「来るぞ、面白いじゃないか」 「確かめてやるわ、ベテルギウス出力最大!」 「てえええいいっ!!」 「甘い、ピンク頭!!」 「…………!?」 光が砕け、再びすれ違う。今回も弾は全く浴びていない。 「また相討ちか!」 「これって……?」 「連射!?」 「なんだって?」 「なんでもない。 ピンク頭……やるじゃない」 「ななみ、呼吸を合わせろ! もうケツは取らせない」 「は、はい! ターンですか?」 「ああ、真似してやる。 逆噴射と同時に鞭を入れてくれ! いくぜ……せーの!!」 「はい……っっ!!」 逆噴射、それからノズルの角度を調節して背面宙返りから逆方向へ機首を向けさせる。 「で、できた……!」 「くるるーっ!!」 「上からだ、ななみ!」 すぐに上空から反転したベテルギウスが襲い掛かってくる。 「やるじゃない。 いいわ、ハンデなしよ!」 「りりかちゃん二丁拳銃です!!」 「本気で来るんだろ、競り勝つぞ!」 「いきます!!」 「猿真似でも腕が違うわ!!」 「ぴぎーーーっ!!」 「ああっ、トリーーーーーっっ!!」 「と、トリさんのかたきーーー!! てええええいいッッ!!!」 交錯! 反転!繰り返しセルヴィのノーズをかち合わせ、ルミナの光弾を打ち込んでいく。 りりかを超えることで、ななみは自分なりのサンタの形をはっきりと胸に刻もうとしている。 連射ができたのもその一念からだろうか、この雪合戦の最中に、ななみの技倆はますます……。 「……うわっ!?」 「なに、今の軌道!?」 「はい、ぱーっと広がって……」 「……今の?」 「とーまくん、もう一度やらせてください!」 「分かった、お前に託すぜ!」 「は……はいっ!!」 コースに逆らうように機体をターンさせ、紅い影を追いかける。 「なんだったの、今の……!?」 「距離を取ろう、 あのお嬢ちゃんはちょっと厄介だ」 「だめ! 迎撃するわ!」 「相手の能力を見極めるのが先だぜ?」 「だったらあたしが自分で見極める……来るわ!」 「ショコラ・アラモードっ!!」 「……拡散弾!?」 同時に4、5本の光条がななみのロッドからベテルギウスに射ち出される。 「この……っ!!」 さすがは元NYのエースだ。カーブを描いて飛んだルミナの塊を、りりかが全て打ち落とす。 連射、それに拡散弾──それはつまり、ななみの扱えるルミナの最大量が飛躍的にアップしていたってことだ。 「行くぞ、押し切っちまえ!」 「はいっ!!」 「お姫様、つかまってな!」 赤い光が進路を変えた。 まっすぐこっちへターンするのではなく、コースの外周ギリギリを旋回する。 「背水か!!」 「そうさ、来るかい?」 「逃げるんじゃなくて誘い込むのね。 あのイタリア人、性格悪いじゃない」 「とーまくん……?」 「ああ、突っ込んで防がれたら こっちはコースアウトで〈的〉《マト》になる」 だが、そのかわりベテルギウスはほとんど回避行動を取ることができない。 突っ込んでいけば、機体の性能を抜きにした、ななみとりりかの射ち合いになる。 ななみがりりかを凌駕すれば勝ち、できなければ負けのシンプルな一騎打ちだ。 「来るかな、連中」 「来るわよバカだから」 「ああ、行ってやるさ!!」 「最後の一撃ですっ!!」 「無駄よ、あたしなら防げる!!」 「任せたぜ、お姫様!」 「いっけーーーー!!!! ショコラ・アラモードおかわりっ!!」 「く……ッ!? このっ、このっ……!!」 「無理だ回避する!!」 「できる!! 待て!!」 「逃がすなッ!!」 「はい──っ!!!」 「あんたなんかに──わぷっ!?」 「ヒット!! カペラチームの勝ちよー!」 「……!!!」 「やれやれだ……」 「ウソ……あたしがあいつに?」 「と……とーまくん! やりました!!」 「ああ、やった……やったんだな」 背後で赤い機体が立ち往生している。 コースアウトしたカペラにシールドを張り、俺は自力飛行で戻れるコースを探した。 「拡散弾の連射なんてどこで覚えたんだ?」 「ついさっきです」 「ははは……なんてこった」 ずいぶんと長いこと空にいた気がするが、実際のゲームは5分程度のことだったようだ。 雪合戦──ゲームとはいえ初めての勝利はどこか信じられないところがあり、喜びや達成感は不思議と湧いてこなかった。 「………………」 「………………」 「………………」 「そ、それでは……今日のところはこれでっ!」 「ピンク頭!」 「は、はいっ!」 「…………」 「あの、りりかちゃん……?」 「……………………」 「〈残念だ〉《ぺッカート》……! 俺としたことが一呼吸遅かったか」 「エリアが限定されていたからな、 小回りのきくカペラが有利だった」 「性能差を考慮に入れれば妥当なステージだ。 あのお嬢ちゃん……化けたな」 「とことん予想を裏切る奴なんだ、あいつはな」 「ははは、飲むかい?」 スコッチのグラスを俺に渡したジェラルドが、『祝杯だ』とボトルを口につける。 「ああ、美味いな……」 胃の底に落ちてくるアルコールの刺激が、ようやく勝利の実感となって俺を満たした。 「この俺に勝ったんだ。 たっぷり美酒に酔いしれるがいいさ」 「だが、次はこうはいかない──だろ?」 「俺がよくても、あっちの姫様がな」 バルコニーから裏庭を見下ろすと、小柄なサンタさんが二人、なにも言わずに睨み合っていた。 「…………」 「…………えっと」 「オアシスは明日からななみんに任せる!」 「!?」 「そのかわり訓練と両立させること! サボったら承知しないからね!」 「りりかちゃん……!」 「ありがと……! ありがとー! りりかちゃーん!」 「わわっ! こら、抱きつくなっ!!」 「いいじゃないですか、 このくらいのスキンシップ」 「あたしはベタベタしたの嫌いなの! それに……」 「ま……約束は約束だからね」 「ところでななみん!!」 「ふぇ!?」 「(拡散弾ってどーやって打つの!?)」 「り、りりかちゃん!?」 「(銃に応用できないかな?  二丁で同時拡散弾とか無理っぽい?  飛距離と範囲を予測して撃てるかな?)」 「り、りりかちゃん……まじめ」 「乾杯」 窓から見える月に向かって、ひとりグラスを掲げる。 シャワーで汗を流し、久しぶりにゆっくりと湯船に浸かって身体の凝りをほぐした。 こうして酒を飲むのも久しぶりだ。奮発して開けた『熊ころし』の大吟醸が喉を焼きながら胃に落ちていく。 「はぁ……」 口から漏れるため息は、腹に染み込むアルコールからか、あるいは、つかの間の開放感からか……。 ぐったり疲れているはずなのだが、今から特訓と言われても対応できるほど頭の奥がハイになっている。 こういう夜には肴など要らない。 ぐい呑みで立て続けに3杯空けて、さらにもう一杯を注ごうとしたところで、窓の外に何かが垂れ下がってきた。 「…………?」 目の錯覚かと思えばそうでもない。窓の外、木の上のほうから白い紙コップが……。 「……もしもし?」 「もしもーし」 「……眠れないのか?」 「とーまくんもですか?」 ──かくして10分後。 「かんぱーい」 「いやー、おめでとうございます!」 「なんとか一山越えたってとこだな」 ななみから、こっそり祝杯をあげないかと糸電話で誘われて、急きょ俺の部屋で祝賀会を開く流れになった。 あまり騒ぐとりりかにも悪いので、あくまでも内緒の酒盛りだ。 「あんまりテンション上げて夜更かしするなよ」 「とーまくんこそ呑みすぎちゃダメですよ。 気をつけろ、お酒は急に止まれない!」 「二日酔いなんて、 徹夜の電話に比べたら楽勝さ」 ななみのチョコレートをつまみに、日本酒からスコッチに切り替える。ジェラルドの薦めで、俺の酒棚にもずいぶん洋酒の銘柄が増えた。 「んー、大丈夫かなぁ」 「……いよいよ明日から、 オアシスでのお仕事が再開なんですねー」 「そーだな……ひっく、めでたい話さ」 久しぶりに飲む美味い酒だ。ボトルの2本目が空いたあたりから酔いが兆してきた。 「けど、りりかちゃんとの訓練時間も もっと増えると思いますし……」 「ほう、やる気だな?」 「はい、イブに向けて、本格的な訓練を もっとたくさんしたいです」 「ふむ」 「雪合戦を3回やってみて、 やっぱり実力も経験もりりかちゃんが一番だと 思いましたし……」 「三人一緒の訓練時間をもっと増やして チームならではの配達方法を研究して いかないとダメだなーと思いまして……」 「…………」 「おかしいですか?」 「ななみがリーダーみたいな 考えかたをしてるのが実におかしい」 「もー、なんでそうなりますかー!」 「ははははは、冗談だって! ほら、お詫びにぐっと呑め! 遠慮すんな!」 「ジュースですよ?」 「なんだっていいやな! ほれほれ、今日は無礼講だ!」 「うええーーー、よっぱらいーーー!!!」 「トナカイがこれっぽっちで酔うもんか」 「酔いますよ、 ボトル空いてるじゃないですかぁ」 「そんくらい、とと……」 「きゃっ!?」 どうやら本当に酔っていたらしい。つまづいてななみにもたれかかってしまった。 「………………!!」 「お、おう、すまん」 「…………」 「……ん、どうした?」 「……え!?」 「えーーーーと! あ、えへへへへ……なんでもないですー!」 「そうか、なんでもないか、うん」 「………………」 「……なにか?」 「い、いえー、別に……」 「……って、またおかわりしてる!! わぁぁ、しかもなみなみとーー!! もーほんとに呑みすぎですよ!?」 「酒よりも・チョコの食いすぎ・要注意」 「ぜんぜん上手くないです。 それにチョコは酔わないから平気ですー!」 「まさに酔っ払いの常套句だ」 「ぜんぜん違います!! ていうか、とーまくんのほうが食べてますよ!」 身を乗り出したななみと俺の鼻先が、ほとんど触れるくらいに接近した。 「…………わわ!」 「と……ところでっ! チョコとお酒ってそんなに合うんですか?」 「……飲みたいのか?」 「そ、そうですね、今日は無礼講ですし!」 ななみがグラスを俺の目の前に突き出してみせる。 「しかし、うら若いサンタが トナカイと酒盛りってのも……」 「ああーーー? ここでまたとーまくんのオジサマ症候群が」 「ち、違え!! 別にオッサンに酌したいわけじゃねえし!!」 「了解だ、じゃあちょっとだけだぞ!」 とくとくと、グラスに注がれる15年物のスコッチウィスキー。 とろりと滑らかな琥珀色の液体は日本酒党の俺ですらつい見とれてしまうほどだ……。 「水で割ってやるよ。 こいつはトゥワイスアップって言ってだな……」 「いいです、とーまくん氷だけじゃないですか」 「俺はちびちびやるのが好きなの。 それに、水で割ったほうが香りが……」 「チョコと一緒にいっただきまーす! ぱくっ、んぐんぐ…………ごくっ!」 「…………!!!」 「あぇぇえぇぇぇ……からいからいからいーー!」 「な、無理だろ、やめとけ。 あーあー、もったいねえ」 ななみのグラスから自分のグラスへ琥珀色の液体を取り返す。 「うぇぇーーげほっ……! も、もっと甘いお酒はないのですか?」 「ふーむ、そうだな、 簡単なカクテルなら作れなくもないか」 「カクテル!? じゅるり……!」 「なあサンタさん、 どうして今日はそんなに酒なんだ?」 「こないだいただいたのが 美味しかったですし」 「あれはお前が勝手にくすねて ジュースに入れたんじゃないか」 「だって、とーまくんがそこまでハマるなんて 気になるじゃないですか」 「なるほど、好奇心か。 しかし残念ながら、トナカイの冷蔵庫に ジュースの入り込む余地はないのさ……」 「ではさっそくジュースを取って来ます! とーまくんはしばしそのまま 格好をつけていてくださいー!」 「おまちどーさま!!」 バイタリティ満載のななみがただちにオレンジジュースのペットボトルを持ってきた。 「は、早いな。 しかし……うーむ、どうしたものか、 口当たりのいい酒ってのは、えてして……」 「大丈夫ですよ、 わたしたち相棒じゃないですか」 「脈絡がない、ぜんぜんない」 しかし、相棒と言う言葉を使われると弱い。相手がうら若い女子サンタとはいえ酒くらい酌み交わす仲になっておくべきか。 「ま……今日だけだぞ」 「あいあいさー!」 カクテルか。棚の奥にミラコフから昔もらったウォッカが残っていたはずだ──。 ……オレンジジュースにウォッカだと?うむむ、極めて下心が疑われそうな取り合わせだ。 だいいち明日も訓練がある。ここは、ほぼジュースだけのうっすいカクテルでごまかしておこう。 「そういうわけで、あらためて……」 「かーんぱーい!」 「ごくごくごく……んーっ! ぷはー! おいしー♪」 「おかわり!」 「一気か!?」 「お酒って美味しいものなんですね。 あははははは!」 「しかも笑い上戸!?」 「じょうごも下戸も ちーーとも酔っ払ってないれすよ?」 「おいおい、酒なんてほとんど入ってないぞ」 「らいじょーぶです、 とーまくんとは無敵ペアれすから!」 「ああ、無敵ってのはいいことだ。 ほれ、おかわり」 もちろん、おかわりはウォッカゼロの単なるオレンジジュースだ。 「ごくごくごく……あははははは……ひっく!」 しかしそいつを一気飲みしたななみは、ますます調子をあげてきた。 思い込みが激しいのか、それとも最初のウォッカが回ったのか? まあ、アルコールはほとんどないし、サンタさんが大丈夫と言うのなら大丈夫なんだろう。 「話は戻るが、ここからが第一歩だな。 お前なりのサンタ探しってやつの」 「今日はたまたま勝てたんだ。 俺たちはあのエリートさんを 越えられたわけじゃない……」 ななみを前にすると、なぜか説教じみたことばかり言ってしまうのが俺の悪い癖だ。 酒の席くらいもっと砕けていいとも思うのだが、このピンクの相棒さんを見ていると、本当にあれこれ気になって心配になってしまう。 その結果、ななみに優しい言葉をかけてやれないこともあっただろう。そんなことを反省しながら、俺は少し言葉を選びはじめる。 「ま……とはいえ、 ななみも2年目にしちゃよくやってるさ」 「あとはお前の信じる方法で イブを乗り越えればいい。 お前ならできると、俺は思うぜ?」 「とーまくん……」 「それで金髪さんをうならせて、 ようやく対等ってところだな。 まだまだ先は長いってこった……」 「………………」 「また……説教くさかったかな」 「あ、ううん! ほんとにそう思います! お、お注ぎしましょー!」 「とくとくとく……はい、どうぞ」 「お、サンキュ……」 なんだろうな、ななみとこうしていると、変に不自然に身構えてしまったり、逆に自然体で居心地がよかったりする。 感じ方が違うのはおそらくななみに変化があるのではなく、そのときの俺の感じ方次第なのだろう。 しかしいずれの場合も、俺はななみを意識しているようだ。 それはたぶん──異性としてでも、あるいは相棒として意識しているでもなく、上手くはいえないが、環境のようなもので。 今の俺にとって、こいつが隣にいるというのは本当に自然な環境になりつつあると…… 「──?」 「………………」 物思いにふけりながらぐい呑みを傾ける俺を、ななみが間近から見つめている。 「ふふふー……」 「……ん!?」 「くすくす……」 「ええと、なにか付いてる?」 「ううん、見てるだけです」 「……本気で酔ってやがるな?」 「ううん、だいじょーぶです!」 なにが大丈夫だ。ベロベロじゃねーか! 前回こいつがくすねた酒量が読めん。俺のウォッカが多かったのか!?サンタさんの肝臓ってのはそんなにピュアなのか? 「金髪さんには勝てたけど、 酒には勝てないみたいだな」 「りりかちゃんに勝てたのは、 わたしの力じゃないですよぉ。 とーまくんがリードしてくれて……」 「……それに励ましてくれたから」 「ななみ?」 「えーと……これは、し、仕事の話ですよ! とーまくんは、 仕事の相棒として……その……」 「……最高のトナカイさんです」 「あ、当たり前のことしか してないから気にするな」 むしろ照れる、勘弁してくれ。 「ううん、とーまくんは凄いです。 普通のトナカイさんだったら、 ここまでサンタに付き合ってくれません」 「やりすぎだって言われてるんだぜ?」 「でも、わたしはすごくやりやすいんです。 とーまくんと一緒で!」 「お……おう」 いきなりにじり寄られて息を呑んでしまった。どうしたななみ?そいつはちょっと、いつものお前らしくない。 「わ、わ……わたしはですね、 とーま君を尊敬してるんですよ?」 「そいつは……」 ──俺だって、と言いそうになるのを辛うじて飲み込んだ。 この空気は、ちょっとおかしい。いつもの俺とななみの間の空気じゃない。 いちど深呼吸する。わけのわからない気流にさらわれて、機体が制御不能になるところだった。 「……やめとこうぜ」 「へ?」 「ちと酔いすぎたかな。 なんだかおかしな空気になってる」 「お、おかしかったですか!?」 「あぅぅ……そういえば、 なんか変なこと言ってましたよね」 「ああ、相当な」 「…………」 ──しばしの沈黙。先に口を開いたのはななみだった。 「あ、あの! こないだなんですけど!」 「や……やっぱり キスしなかったのは正解ですね!」 「こないだ?」 「あのとき……」 「そ……そりゃそうだ! 俺たちはト、トナカイとサンタだぜ!?」 バカ、どもるな俺。動揺していると思われるじゃないか。こういうときはノリノリで行け、ノリノリだ! 「だから今日も勝てたんですよね!」 「おう、当然さ!」 「そ、そうですよね……うん!」 「お、おう……」 そしてふたたび沈黙が訪れた。 祝賀ムードが一転しての、この不可思議空間。 気まずさを通り越して息苦しいほど煮詰まった空気に、呼吸すらおかしくなってしまいそうだ。 キスの話なんかするからだ。と、ななみに責任を押し付けられないのはむしろ俺のほうがアップアップなせいであり……。 「も、模型でも見るか?」 「模型?」 「ほら、見ろ、日本が世界に誇る大空の翼、 F-15Jイーグルだ!!」 逃げ道を見つけた俺は、慌ててそいつに飛びついた。 「いいか、イブの夜空は俺たちが守っているが、 日本の空はこいつが守っている。 こいつの何が凄いって言うとだな……」 「……よって、世間ではイーグルといえば単座という 認識を持たれているようだが、複座の機体も 存在しているわけだ。そいつはDJ型といって(略)」 かくして始まってしまったペンキ屋まがいの俺・独演会。 ななみは聞いているのかいないのか。果たしてこの止まらなくなってしまった戦闘機ウンチクは誰のために語られているのか。 しかし今はとにかく言葉をつなぐのだ。話している限りは、さっきの奇妙な空気はやってこないのだから。 「見てくれこのシャープなフォルムを。 実戦配備から30年以上も現役で、いまだ最強 の翼と呼ばれているのは、時代による改修を……」 「とーまくん……」 「おう! なんだ、質問があれば……」 「どうしてあの時、 ちゅーしようとしたんですか?」 「──!!!」 「その質問は違う! するんなら、こっちの……!」 「いや違う! してない、してないぞ! あの時ってどの時だ!?」 「あのときです!」 「あ、あのとき!?」 48分の1のイーグルを手にしたまま固まる俺。 あのときってのは──あのときだ。しかし……いや、こ、こいつはからみ酒だったのか!? 「しましたよー。 こーやって、肩に手を置いて!」 「……!!」 肩に手を置いたななみがアップに迫ってくる。ふわっと、チョコレートの甘い香り──。 「それは……」 「それはー?」 「だからあれは……」 「どーれーはー?」 「い、勢いと言うか雰囲気と言うか……」 「むー……!」 「だ……だが、 結果として飲み込まれなかったわけで!」 「当然です、パートナーですから」 「ああ、流されなくてよかった……」 「キスしなかったのは……、 正解だったんですよね」 「そりゃ……そうだろう。 しなくて正か…………んぐ!?!?」 「ん……」 いきなり、ななみに唇を塞がれた! 「ん、んーー!?!?!?」 「ん……んっ……んむ…………」 息ができ…………いやできる、鼻があるからな。いやそうじゃなくて、こ、これは……この状況はーー!? 「んぐ……ん……!」 「んー……ん、ん……んん……」 だめだ現状が分からない。 ふわっと鼻先をかすめたのは窓の外の夜気か、あるいはカクテルのそれとも、ななみの香りだろうか……? 「んふ……ん、んっ……ちゅ……ん、ん」 唇と唇がふれあい、吐息が絡み合う。現状はキスか!?キスっていうのはこういうものなのか!? 「んちゅ……ん、ん……んんっ」 酒のせいか感覚がおかしい。しかし……しかしななみは、俺の動きを封じるように身体を押し付けてくる。 「ふ……んん……んっ……」 ななみに押された俺の上体は自然と平らになってゆき、いつしか仰向けで天井を見上げていた。 「とーまくん……」 「は、はい?」 「ん……ん、ん……んっ……」 いったん息を継いだななみがふたたび唇を重ねてくる。 その気になれば顔を外すこともできたが、不思議とまるで動けなかった。ななみは、これからどこに行こうとしているのか!? 「ん、ん……ちゅ、んむ、ん……んんっ……」 し、舌……!?!? 「んぐ……ん、んちゅ、 んん……ん、んろっ……ん、れろ……」 「ん!? んーーーーー!?」 「んん……ん、ちゅ……ちゅぅぅ……んん」 ち、ちょっと待てななみ!!これは酔った勢いじゃすまされ……。 「んむ……ん、ん……んふっ、ちゅ、ちゅ、 んちゅ、じゅる……ん、ちゅ、ちゅ……んんっ」 ななみが身体を押し付けてくる。押し倒される形で二人の肉体が重なり合った。 「んふっ、ん、んふ……もごもご……」 だから、舌、舌──!! 「や、やっぱりキスしなかったのは正解ですね!」 「んふ……ん、ちゅ、ちゅ……ん、んーっ、 んぐ……んむ、ん、んろろっ……」 待て──これは不正解だ。 「んっ、んっ、ん……んんっ……れろ、ん、 ちゅ、ん、じゅる……ん、んちゅる……」 不正解……!!! 「んぅ……ん、んーっ、んちゅ、ちゅ、ちゅ、 んんっ、じゅる……ん、もごもご……ん」 不正……解……………… 「はぁっ、とーまくん……んむ……ん、じゅる、 ん、んっ、んっ……んんっ」 だめだ、何も考えられない。口の中からななみに催眠術をかけられたように頭の中がぼーっと揺らぎはじめる。 「んっ、ちゅ、ちゅ、ちゅ……ん、んっ、んーっ、 はぁ……ん、んっ、ちゅ、ちゅ、ちゅ……」 ついばむように、ななみが俺の唇を吸い上げる。その感触が心地よくて、どうでも良くなってくる。 「あは……ぁ、とーまくん……ん、ちゅ、ちゅ、 んんっ、ちゅ、んむ……ん、んっ……」 甘ったるい匂いがするのは、菓子ばっかり食べているせいだろうか。 「ん、んっ……んふーっ、ん、んふぅぅ……」 身体に押し付けられた柔らかい肉体。これが女子か、こいつはまるで生態が違う……。 「……ッッ!?」 ふいに、灼けるような刺激が背筋を這い登ってきた。ななみの膝が俺の股間に当たっている。 ……バカな!? 「ん、ちゅ、ちゅ……ん、んっ、んん……」 なぜだ、ただのキスで……なぜ俺の身体は反応してる!? 「んっ、んぐ……ん、んーーっ!?」 「はぁ……ん、んっ、ちゅ、ちゅ……んんんっ」 俺の肉体の反応に気づいたのか、ななみの舌がさっきよりも執拗に俺の口内を動き回る。 「ん、んっ、ちゅ……んふっ……ん、んっ」 いつしか俺も、舌の動きに応えるように自分の舌を絡ませはじめ……。 「はぁ、ん、ん……んちゅ、ん、んっ……」 いや待て落ち着け。相手はあのななみだぞ!? ていうかファーストキスってこんなに長いのか?平均時間の統計なんて知らんが、違わないか!?違うだろ!? 「はぁ、ん、んっ……ちゅ、ちゅ……んんっ、んっ んっ、んっ、んっ、んっ……ん、じゅるる……」 だめだ、アルコールとななみの匂いが頭をくらくらさせている。 「ななみ……」 本能がそうさせるのか、いつしか俺は自分からななみを抱き寄せて舌をからめていた。 「ん!? ん……んん、んちゅ……ん、ちゅ、 ちゅ……ん、じゅる……んちゅ……ちゅ、 ちゅ……んん……っ」 長い、長いキスだ。どこで終わるのか、どうすれば終わりが来るのか、きっと俺もななみも分かっていない。 「はぁ、ん……んっ、んちゅ……ん、んっ、 んぁっ、ん……んちゅ、ちゅ、んじゅるる……」 このまま、酔いから醒めるまで、ななみと舌を絡ませているのだろうか。 「んっ、んふっ……ん、んっ、んーっ、んん、 ん……じゅる、んじゅるる……ん、じゅるっ」 ななみに口の中の唾液を吸い上げられた。な、なんてことを思いつくんだ、こいつは!? 「ん、んふ……ん、もご……ん、じゅる、 んじゅる……ん、ちゅ、ちゅ……」 すぐに吸い上げた唾液を返してくる。俺はそれを受け入れて、またななみのほうへ舌と一緒に押し戻す。 「んぁぁ……ん、ちゅ、んんーっ、ちゅ、ちゅ、 んちゅ、じゅるる……ん、ちゅ、ちゅ、ちゅ」 くちゃくちゃと、互いの口の中をチョコとアルコールの香る唾液が往来する。 「はふぁ、ん、ちゅ……んちゅ、ちゅ、 んむ……ん、んちゅ、じゅるる……れろっ」 これは……なんだかすごく卑猥で新鮮な時間だ。よく知っているはずのななみが、全く知らないななみになってしまったような。 同時に、そんなななみを舌先で学習しているような。不思議な心地だった。 「はぁ……ん、んむむ……ん、ちゅ、んむ、 んっ、んっ……ちゅ、ちゅ……んじゅる……んんっ」 全く覚えのない距離感──だが、この感じはなぜだかしっくりくる。 「んぁン……ん、んッ、んん……ちゅ、ちゅ、んん、 んむ、ん、んぁ……んぁ、んぁ、んぁぁ……ッ」 いつしか俺は夢中になってななみの舌先をつつき、追い回していた。 「んふふ……ん、んっ、んんっ……んちゅ……」 情熱的というよりは、お遊戯みたいな舌先の追いかけっこ。 キスなんていうとご大層だが、ななみとこうやって遊んでいるのがごく当たり前のことのように思えてくる。 「んぁんっ……ん、んーっ、んちゅ、ちゅ、 んんっ、ん、ん……んんっ……ん、んっ……!?」 いつまでも続きそうな鬼ごっこの結末は、不意にやってきた。 「ぷはっ……けほっ、けほけほっ…… ごめん……けほっ、なさい……はぁ、はぁーっ」 急にむせこんだななみの顔が離れていく。 「はぁ、はぁ……はぁぁっ……はぁーっ」 「はーーーーっ、はぁっ、はぁ……長い!!」 「はぁ、はぁ、ほんと……長かった……です」 ようやく頭の中がすっきりしてきた。きっと、唾が喉にからまったんだろう。 やれやれ、最後までグダグダな口づけになってしまった。けれどそんなのもななみらしい気がする。 「お前……すけべーだな」 「そ、それは……っっ!?」 いや、いくらななみが相手でも今の一言はぶしつけすぎたかもしれない。訂正するように、俺はななみを抱き寄せて、 「……もう一度するか?」 「と、とーまくん?」 「口直しに軽ーいやつ……ん……」 「ん……っ……ん、ちゅ……」 今度は俺のほうから唇を近づけた。 ななみの存在を確認するように、唇の感触を確かめる。 「ん……ん…………ちゅ、ん、ん」 これは、酔った挙句の夢でもなんでもない。俺とななみは、確かにキスをしている。 舌を絡めたりはせずに、ななみの体温と唇の弾力だけを確かめ、顔を離した。 「ん……とーまくん……」 「…………あ、ああ」 目の前で、アップになったななみの瞳が潤んでいる。照れ隠しにぐい飲みに残った酒をあおった。 こういうとき、どんな言葉をかけるのか。あのイタリア人ならきっと〈気障〉《きざ》な台詞を山ほど並べ立てるだろう。 「あのね、わたし…… 今年のクリスマスプレゼント、 決めたんです」 「?」 俺を見つめるななみの瞳は、アルコールに濁っていないように見える。 待ってくれ、締めの台詞までななみに先を越されてしまうのか!? 「プレゼントに欲しいものは……」 「……ななみ」 「ふぇ!? んぁ……ん、んむ……ちょっ、 だめ、もう……ん、んっ……んんっ」 なんとなく、その言葉を先延ばしにしたくなり俺はふたたび唇を重ねた。 「ん、ちゅ、ちゅ……んんっ、とーまく…… ん、ん、んっ……はぁぁ、ん、んっ」 一度やってしまえば変にアガることもなく、ななみの言葉と呼吸を唇に封じ込める。 「ん、もう……ん、んんっ……ん……」 と、そのとき……。 「!!!!!!!!!」 「おーい、いるんでしょ? こら、たのもーー!!」 「(り、りりかちゃんです!)」 「(金髪さんが俺の部屋に何の用だ!?)」 「(さ、騒がしかったんでしょうか!?)」 「返事がない……うぬぬ、さては こっそり祝杯をあげようって魂胆ね! そーはさせるもんですか!」 「(お、お見通しですーっ!)」 「いるのはわかってるんだ! 無駄な抵抗はやめろー!」 「わーーーっ!! やめろ!! 大家さんにぶち殺される!!」 「やっぱりいたーーー! くらえ、カッパー・マトック!!!」 「ほら、やっぱり酒盛りしてるじゃない!」 「……って、うわ!?」 りりかが急に顔を赤くしてこっちを凝視する。待て、今の俺の状態は……!? 『──ななみの下にいる!!』 「あわわわわ!!!」 慌てて飛びのいたものの、これは凄まじいまでの今さら感。 「お、お邪魔だった?」 「なにがだぜんぜん邪魔じゃない!!」 「うぇうぇうぇうぇうぇうぇうぇ!!」 「ど、どーしたななみん!?」 「うぇ……うぇるかむです!!」 「噛みすぎだ!」 「だ、だって、だってーー!!!」 「…………で、 身だしなみが整ったら来てくれる?」 「着衣は乱れてないし何にもしてないし!!」 「い、今のはですね、 お酒を隠そうとしたところを けつまづいてしまっただけでして!!」 「…………そーなんだー」 「あぅぅ……なんだか視線が冷たいです」 頭がパニック状態の俺たちは、ともあれりりかのあとに続いて母屋のほうへ……。 「(なあ、ななみさん……?)」 「(な、なんですか!?)」 「(俺たちは何で呼び出されてるんだ?)」 「(え!? え!?  はて……なんででしょう?)」 「(まさか見られてたとか?)」 「(そそそそそんなことは……!!!)」 はぁ……と、ため息をひとつ。それにしてもなんでキスなんか……。 「(……サンタ的にダメじゃなかったのか?)」 「(だ、だめだったんですけど……ですけどー!)」 ──ですけど? いや、俺がななみを追い込める立場か?どうしてあんな流れになったのかといえば、トナカイが酒に飲まれたから、だ。 「(ん……まあ、その、なんだ……酒は怖い)」 「(そ、そうですね、ホラーです!)」 「なにこそこそ話してんの!?」 「な、なんでもない(です)!!」 「ななみさん、 テスト合格おめでとうございます!」 リビングに入るなり、硯のクラッカーからテープが弾けた。 「ふええ!?」 「ほら、すずりんがどーしてもって言うから……」 りりかが顎をしゃくってみせたテーブルの上には、豪華な(ようでやりくり素材の)料理が並んでいる。 「わぁぁ、からあげ! ポテト! ミートボール!」 「ななみさんの好きそうな物を集めてみたのですが」 「結果、どー見てもお子様メニューになったわね」 「すずりちゃん……りりかちゃん……」 「あたし的には ぜんぜんおめでたくないんだけど!」 「でも言ってたじゃないですか、 生徒がテストに合格したんだから、 教官としては嬉しいって……」 「だ、だぁーーっ!! 言ってないし、誰がそんなこと言うかっっ!!」 「りりかちゃーん!」 「抱きつくなーー!! 絶対いーーーーってないからー!!」 「そういうわけで、ささやかですが」 「この時間から?」 壁時計の針は、午前1時を指している。 「すみません、 お料理の時間がかかってしまいまして」 「いーじゃん、明日の朝練は遅刻だけど」 「寝なければ平気です♪」 「あんたじゃないんだから!!」 ……かくして。 「かんぱーいっっ!!」 今日何度目かの乾杯をして、ツリーハウスメンバーだけのささやかな祝宴。 「すずりちゃんにも心配かけちゃって、 ごめんなさい」 「ううん……明日から また営業がんばってくださいね」 和やかな祝賀ムードがリビングを包む。ななみと俺にとってはもちろんのこと、硯も俺たちの修行をずっと心配してくれていたし、 勝負には負けた形のりりかにしても、俺たちペアの地力を引き上げることで教官としての役割を果たしたことになるようだ。 「ま、あれはテストだから 別に本気で相手したわけじゃないし」 「むむ……では次こそは本気で!」 「もちろん、叩きのめしてあげる」 「教官さんがそんなこと言ったらダメですよ」 「じょ、じょーだんだってば!」 いつもと変わらない女子だらけのかしましい団欒風景。 ふと視線をななみに移すと、向こうもこっちを見ていたところに目が合った。 「……!」 「…………♪」 「!!」 満面の笑顔を向けられて、つい下を向いてしまった。 鼓動が早くなってるのは、当然ながらドキドキした訳ではなく、キスがバレやしないかとハラハラしたからだ。 「…………(じー)」 いたたまれなくなってりりかに視線を移すと、これまたこっちをうかがっている。おまけにその目は探りを入れている目だ! 「(こそこそこそこそ……)」 「(…………””)」 「な、なななんだなにか用か!?」 「なーんでもない!」 おかしい……祝賀会と聞いていたのだが、俺が腰を下ろしているのは針のむしろではなかろうか? ──朝が来た。 「……よし、今日もやるか!!」 ベッドの上で上体を起こし寝巻きがわりのTシャツを勢いよく脱ぎ捨てる。 寝起きの習慣で目覚まし時計を見ると5時半を回ったところだ。 「やれやれ、ちょっと酒が過ぎたかな」 クラリと、軽いめまいを覚えながら、俺はベッドから飛び降りて大きく深呼吸。 冷たい水で顔を洗って、今日もトナカイの1日が始まる。 「おかげで、夕べはいろいろ変な夢を……」 「…………」 ふと視線を下ろせば、部屋のちゃぶ台には、昨夜のチョコレートが残っていた。 俺がこんなものを買うわけがない。つまり、ななみとここで祝勝パーティーをしたのは事実だということだ。 そこまではいい。しかし……。 パーティの最中の──あれは夢か? ……夢だったような気がする。 「……ふむ」 リビングに下りてみれば、ななみがいない。硯とりりかの姿も見えない。 いつもなら誰かいるはずだが、……どこからどこまでが夢だったのだろう。 「おはようございますっ!!」 「お、おう!」 洗面所に入るやいなや、歯を磨いていたななみが思いっきり元気な「おはよう」をよこしてきた。 「昨日はお疲れだったな」 「ぜーんぜん、平気の〈平左〉《へいざ》です! それにしても美味しかったですね、 硯ちゃんのからあげ……」 「から揚げだったか、フリッターだったか」 「そう、それでした!」 うなずいてから、俺はごくりと喉を鳴らした。 どうやらサンタの祝賀会は夢じゃなかった。問題なのはそれより前のことだ。 ななみと並んで歯を磨き始める。 「ん……と」 「……?」 「昨日のチョコ、あれは……」 「そうです、 とーまくんの部屋に置き忘れてしまいまして!」 ──チョコは現実。 「いやもう酔っ払ってたからさ、 俺もなんだかぐちゃぐちゃで……」 「それがわたしもなんです。 お酒なんて初めてだったので、 もうなにがなんやらで……」 ──カクテルも現実。 「気がついたらベッドでぐーぐーでした」 ──おおっ!? なんという吉兆!つまりカクテルから先はただのドリーム!?!? 「いや参ったよ、 りりかが途中で呼びにきた時なんかさ……」 「……あ!」 「……!?」 「……(もじもじ)」 「…………うふふふふー@」 ──夢じゃなかったーーーー!!!! 「あ、と、とーまくん、どうしました!? いきなりうなだれてどうしましたか!?」 「た、ただの二日酔いだ」 「えぇ!? だから飲みすぎちゃダメだと言った のに! サー・アルフレッド・キングさんに 見つかったら大目玉ですよ!」 「……反省してる」 本当に、あらゆる意味で海よりも深く反省している。 この俺が、酒の勢いで一夜の過ちを……。 「…………」 いや待て。なんだこの重責感は!? なんとなくだが、昨日のことは、このまま一夜の過ちとして済ませられない予感がする……。 「くすくす、 とーまくんはしょーがないですねー@」 そして予感はすぐに証明されるのだ。この見たこともないほど赤面したななみの笑顔によって──。 「へ、平気だ、酔ってない」 そう、むしろ一気に醒めた。 「とーまくん?」 醒めたから、どうか全てよ夢に還ってくれ! 「とーまくんってば!」 「あのー!!」 「わああああっ!?」 「りりりりりりか(ちゃん)!?」 「後ろ、つっかえてんだけど」 「ど、どーもすみませんでしたっっ!!」 落ち着け、落ち着くんだ、中井冬馬。そう、トナカイってのはいつだって平常心さ。 ついでに言うならトナカイは、空と女と酒好きだ。空と女と酒だ。スカイウーマンアルコール!女も入っているのを忘れるな!! ええい、キスのひとつやふたつ、朝食前の挨拶だと思えばなんてことは……。 「とーまくん!」 「おおおおおおうっ!」 「なぜにヤカラっぽくなりましたか?」 お、落ち着け! こういうときこそ動揺を抑え、一分一秒に気合を込めてしっかり生活をこなしていくのだ……! 「おう、なんでもない、どうした?」 「朝のジュースはオレンジでいいですか?」 オレンジジュース………………ウォッカ…………。 「そっちのグレープフルーツにしてください」 「???」 「──ぐあああああああああ!!」 ベッドの上を転げ回る。 なんて1日だ!! 今日の俺は、1ミリたりともイケてるトナカイとは言えなかった。 ロードスターの前でも、透の前でも、あげく大家さんの前に出た時だって! まったくこの役立たずめ、朝から晩までなにかを変に意識してギクシャクギクシャクと、オイルの切れたトナカイ人形のように! 「きゃーあああああ!! とーまくん、前、前ーーっ!!」 「す、すまんっ!」 「こらー! どこ見て飛んでんの!?」 「おいおい、昨日のコンビネーションは どこに行っちまった?」 「さー、いらっしゃいいらっしゃい!」 「どーしたの店長さん? 顔が赤いけど?」 「熱でもあるのかな?」 「今日のお夕飯は〈鱚〉《きす》のてんぷらです」 「キキキキス!?」 「って、あぶないーーーっっ!!」 「なにそのダラーッとした〈滑空〉《グライド》!! 昨日今日の新人だって もうちょっとまともに飛ぶっての!!」 「中井さん、体調でも悪いんですか?」 「テスト終わって安心してんじゃないの!?」 「バカな、この俺が接吻のひとつごときで たやすく崩壊など……!」 とはいえこれが現実。トナカイにあるまじき醜態だ。 「く……一流は遠いぜ」 ──深夜のしろくま町上空。 肌を刺すような夜気を切り裂いて、カペラは高速で地上と星空の狭間を駆ける。 正面から後方へと吹っ飛んでいくルミナを貫きながら、俺は頭の中にモヤモヤと沈殿した迷いを振り払おうとする。 キスで動揺したことは認めよう。だが、なぜそれをこうも引っ張る? 師匠、俺は──いや師匠に聞いてどうする!こいつは俺の問題だ。 なんとなくは分かっている──。 それは、おそらく俺が、ちゃんとななみと恋愛するに至っていないせいだ。 ななみは俺にとってなんなんだ?あいつとの距離感が分からなくなってしまったからあいつとの呼吸も合わなくなってしまった。 下手にキスなんてしてしまったから──。 「バカが!」 自分のこめかみをゴツンと殴る。そんな根性だからオタオタ慌てているのだ。 そう、悪いのはキスじゃない。こうなれば……。 「──キスを正解にしないでどうすんだ」 ステアリングを右に切る。機体が水平に傾き、星空と街の灯が左右から俺を挟む。 大きく旋回を繰り返しながら、俺はあらためてななみのことを考えた。 俺は、あいつのことをどう思っている? サンタ学校の同期生?現在のパートナー?それは単なる互いの立場の確認だ。 そうではなくて、あいつ個人のことを……。 ななみはいいヤツだ。一緒にいるとハラハラさせられ通しだが、一方であいつと一緒にいると安心できる。 仲間としてなら信頼できる。いや、サンタとしての能力も確かで……。 「ヘイボーイ、能力の話に逃げるなよ」 その的確な指摘。お前は誰だ──俺か? 俺の中の俺か? ポジティブな、あるべき姿の俺なのか!? 「俺のことなんざァどーだっていい、 てめェはななみを女としてどう見てんだい?」 「それが分からずに悩んでいる」 「悩まねーで考えろ……ちげぇ、感じろ!」 脳裏にななみの姿を思い浮かべる。あいつは、いつだってのんきでマイペースで俺にお節介ばかりを……。 頭の中には次々とななみとの毎日が溢れてきてひとつのシーンに定まる気配すらない。最後はキスの感触ばかりが蘇ってくる。 「ううっ……! くそっ、胸が熱い……!!」 だが、それでも俺には分からないのだ。ななみを異性としてどう思っているのかが。 ただひとつ、胸を熱くする心臓の鼓動だけが激しい。 「……この熱量に嘘はないということか」 「だったらくくっちまいな、その腹をよ! まったくめんどくせートナカイだぜ!」 地上に戻る頃には、すっかり腹を決めていた。 俺は、ななみと恋人になろう。 言葉で明確に表せない気持ちの答えは、きっとあいつの中にあるはずだ。 とはいえ相手のあることだ。土壇場で断られたらそれまで……いや、その仮定は無意味だ。 空を飛ぶときに墜落することを考えるか!? 「……考える」 いや確かに考えるがしかし、その不吉なイメージに流されてはダメなのだ! ポジティブだ。ポジティブな未来をイメージしろ、俺! 「よし……!!」 「よう、ジャパニーズ」 深夜のリビングに降りると、訓練を終えたジェラルドがひとりでグラスを傾けていた。 「どうした、疲労困憊の極みって顔だな?」 訓練のあと、りりかをツリーハウスに送り届けてそのままリビングで一服、といった按配のようだ。 「今日はネーヴェじゃないのか?」 「たまにはな……飲るかい?」 隣の席をすすめてくる。 もうひとりぶんのグラスが置かれているのは、俺のために用意したのではなくサンタ先生を誘って失敗したのだろう。 「こないだ美味いのを見つけたんだ。 持って来るよ」 「お、いいねえ」 俺はウィスキー、ジェラルドは日本酒。それぞれの酒を交換して乾杯する。 なにをするにしても、まずは情報収集と勉強だ。さいわい俺の身近には、生まれながらの恋愛マスターがいた。 どうやら話し相手が欲しかったのか、女性経験豊富なベテラントナカイは最初の一杯から饒舌だった。 ひとつ教えを乞う弟子の気分で、俺はジェラルドの言葉に耳を傾ける。 「トナカイはスピードと酒と、それから いい女がいればOKだ。 そうだよな、ジャパニーズ?」 「ああそうだな、いい女は最高だ」 ジェラルドの楽天的な物言いに合わせながら、『いい女』とは何なのかを考える。 まずは美人で、気立てが良くて……………………………………………………あとが続かないのが情けない。 この恋多きトナカイにも今の俺のような時期はあったのだろうか? 「恋人はいないだって!?」 「ああ、今夜はな」 「……そりゃ日替わりってことか?」 「なあジャパニーズ、 この世の真理をひとつ教えてやる。 いいか、恋人の賞味期限は、一晩だ」 「というわけで、いい熟女がいたら紹介してくれよ」 「サンタ先生じゃダメなのかい?」 「俺は彼女をこの上なく愛しているんだが、 先方が照れ屋でね。付け加えるなら、 あれでも熟女的には青い果実だ」 「…………」 いかん、このトナカイの恋愛観を学んだとしても、ななみとの関係には何のプラスもないような気がしてきた。 と、考え込んでいると、急にジェラルドが核心を突いてきた。 「恋をしているな、ジャパニーズ」 「ああ、そうだと思う」 分からない、などとは言えない。 俺はななみに恋をしている──はずだ。自分にそう言い聞かせながらうなずいた。 「それで悩んでいたのか。 職場に恋愛を持ち込むことに 日本人は抵抗を感じるんだろう?」 「そんなところかな」 「なるほど、相手はやっぱり ピンクのお嬢ちゃんだったか!」 「ゆ、誘導尋問!?」 「うちのお姫様が怪しい怪しいって言うんでね、 まさかとは思ったが、ふーん、なるほどねえ」 「い、いや……それは! って、まさかそれを確かめるために ここで飲んでたのか!?」 「まあまあ、いいじゃないか。 で、実際どんなもんだい? サンタクロースを落とした気分は」 「そう簡単には行きそうにないから、 悩んでいるのさ」 「どうしてだ? 向こうもその気はあるんだろう? 愛を囁いて押し倒してしまえば済む話だ」 「愛を……囁いて……」 「なんだその難しい顔は、ジャパニーズ? ん……そうか、お前さんは……」 「なっ、なにか!?」 「ふーむ……それで今日の不調ってわけか」 「………………(ごくり)」 呆れたような笑顔で俺を見たジェラルドが短くため息をつく。 「……やれやれこいつはABCからだな」 酔いの兆した目で俺を見たまま、日本酒を一合ほど一息に飲み干し、いかにも美味そうに口をぬぐった。 「よーし、プラトニックなお前さんに 俺からいい言葉を贈ってやろう!」 「──男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる」 「耳?」 「減らず口のトナカイに沈黙は似合わない ってことさ、なあ?」 「ああ……まったくそう思う」 なるほど、慣れない分野だからって硬くなるなってことか。 そうさ、ななみは俺よりずっと年下だ。俺がリードしてやらなくてどうするんだ。 そのためにも、もう少しこの恋愛マスターから恋の手ほどきを受けてみたいところだが……。 「あのさ、もしあんたに 好きな女ができたとして……」 「おーっと、そんな話よりまずは お前さんがあのサンタさんのどこに惚れたのか そいつを教えてくれないか?」 「…………いまから考えてもいいかな?」 「(ななみん、すずりんも!)」 「どうしましたか、りりかちゃん?」 「(しーっ! しーーーっっ!!)」 「(いま、中で国産とラブ夫が密談してるわ)」 「密談……?」 「(きっとななみんの話よ。  サンタとして見過ごすわけにはいかないわ)」 「(ええ!? わ、わたしですか!?)」 「(今日の国産は1日中挙動不審だったもん。  きっと何かたくらんでるに違いないわ!)」 「(あぅぅ…………)」「(……そうでしょうか?)」 「(そうよ、ほら、こっちこっち!)」 「(えー、盗み聞きはよくないですってー!)」 照れくさい質問をかわしながら、なんとか恋愛のアドバイスを聞きだそうと躍起になってみる。 しかし、俺秘蔵の『鼻自慢・純米大吟醸』を次々と飲み下していったジェラルドは、アダルトトークに弾みがついてしまい……。 いつしか俺は奴の繰り出す謎言語に相槌を打つだけのイエスマン状態になってしまった。 「だいたい肌の張りなんてもんは、 他者を寄せ付けぬ鎧なのさ。ゆえにしっとりと 染み入るような熟女の肌が最高だと言うんだ!」 「ああそうだな、熟女の肌は最高だ(棒)」 「弾力のあるぴちぴちの乳房だって? そんなもんはな、甘くて口当たりのいいだけの カクテルと一緒だぜ?」 「たるんだ下腹の重量感がもたらす 複雑で深い味わいには到底及ばんよ」 「ああそうだな、下腹の弾力は最高だ(棒)」 だめだ、ステージが違いすぎる。仮免コゾーがF1パイロットと話をしてるようなもんだ。 「よーし、ここで40代女子のハートを直撃する 愛のささやきを教えてやろう!」 「ん? おい、どうしたジャパニーズ! 脱力してないでメモを取れ。 こいつは貴重なテクニックだぜ、つまり……」 「ななみは40代のナイスマダムじゃない」 「大同小異って知ってるか? ともかくまずは年輪を褒めろ、それから……」 「(ちょっと聞いた?)」 「…………(こくこく)」 「(聞いてはいたのですが、  半分以上よく分かりませんでした)」 「(あたしだってチンプンカンプンよ)」 「やっぱりトナカイはトナカイね、 あんな健全そうな顔してても百戦錬磨だわ」 「でも……とーまくん……わたしのこと……」 「なに目をキラキラさせてんの! それより対策会議よ!」 「対策会議!?」 「そ、女好きのトナカイに ななみんが弄ばれないよーに、 ちゃんと予習しとかないとね!」 「これからななみんの部屋に集合。 すずりんはノートパソコン持ってきて!」 「PCを?」 「そうよ、レッツゴー!」 「お、おー!」「は、はい!」 「事態は一刻を争うわ……!」 「でもでも、対策ってなんの対策ですか?」 「トナカイに襲われない対策よ!!」 「中井さんはそういうことしないと思いますけど」 「う、うん……わたしも」 「さっきの会話を聞いてなかったの!?」 「相手は40代までターゲットにおさめる 半分ケダモノのトナカイよ! あたしがどんだけ苦労してきたことか……」 「りりかさんの場合は、パートナーが特別……」 「なに!?」 「い、いえ……っ!!」 「とにかく! 上司であるサンタクロースが トナカイに弄ばれるなんてナンセンス!!」 「ここは相手の上を行くさらに 過激なアプローチで勝負をしかけるのよ」 「襲われる前に襲うんですか!?」 「そこまでは言ってない!」 「じゃあ、リードしちゃいますか?」 「あんたが国産のこと好きならね」 「わ、わ、わ、わたしはそんな、べつに!! というか、わたしととーまくんは、決して そーゆーことじゃなくて!!!」 「…………わかりやす」「………………………」 「とにかく、女子がするべき作法について ワールドワイドにリサーチするの!」 「そこでネットですか?」 「そ、ちょい、ちょい、ちょい……と。 おや、海外のサイトみたいなのにつながった。 どれどれ……?」 「……!!!!!」 「きゃあああ、なんですか、 このこっぱずかしいインターネットは!?」 「わ、わ、ワールドワイドってこういうことよ!」 「この……和炉JSというのはなんのことでしょう?」 「あ、あたしが知るわけないでしょ! きっと検索すれば分かるわ……とう!」 「!!!!!!!!!」 「無理ですー、絶対無理ーーー!!!!」 「わ、わかった。 あたしもそー思う! もう少しソフトな世界にダイブよ!」 「こ、国内のサイトにしてください……」 「……ふむふむ、男のコは癒し攻撃に弱い? 疲れたダーリンをベッドで優しくおもてなし?」 「ど、どんなおもてなしをしましょうか?」 「決まってるでしょ、 はちきれんばかりにフレッシュな サンタさんの女体でもってご奉仕を……」 「具体的な絵が見えないですー!」 「『女体』『ご奉仕』……でイメージ検索、と」 「ひぅ……!?!?!?」 「きゃああああ!! そそそそんな癒らしいことを!?」 「と、閉じてー、ネット閉じるー!!」 「うーーー、クラクラする。 こりゃ明日は二日酔いか……?」 「きゃーーー、恥ずかしいですってばー」「うわ、うわ、うわ、なにこれ!?」「あぅぅぅ……め、目の毒だと思いますー!」 なんだ……上がやけに騒々しいな。 ななみの部屋からだ。えらく盛り上がってるみたいだが、酒盛りか? 「まったく余裕あるぜ。 いや、俺が生真面目すぎるのか?」 「うーむ…………」 今日もハード極まりない武者修行が始まる……と、意気込んで支部を訪れた俺たちは、ボスから抜き打ちの休息を言い渡された。 連日の猛訓練と、それにまつわる諸々で疲労のたまった俺たちに、ロードスターが特別休暇をくださったというわけだ。 結局、きのした玩具店の店舗営業だけは通常通りに行うことになったのだが、俺は交代時間を利用して、メインストリートに繰り出してきた。 「行くぜ、ここからは情報戦だ」 ひと目を忍んで、本屋へ行き、めぼしい資料を物色する。 思えば、ななみからキスをされたのも、俺がこれまでにこれといった態度を示さなかったせいだ。 女性に少なからず好意を寄せていたのに、そういうアプローチをしないのは失礼だとジェラルドは言っていた。 俺としても、こういうのは男がリードしなくてはいけないと思うが、徒手空拳で立ち向かえるほど安易なモノじゃなさそうだ。 「中井さん、お買い物ですか?」 「お? おう! まあ、そんなもんだ」 「気象や町の沿革についての資料でしたら 支部の予算で購入できますが」 「あーー!!! いやいやいや、なんでもない。 大丈夫だ、ノープロブレム!」 中をのぞかれそうになって、俺は慌ててバッグを隠した。 「……?」 「珍しいですね、中井さんが読書なんて」 「ああ、そういう気分のときもあるさ。 ところでお前って、恋人……」 「は!?!?」 「……いや、なんでもない」 落ち着け、俺。透からなにを教わろうというのだ。 「恋人ってどういうことですか?」 「本当になんでもない、忘れてくれ」 「聞きたいことがあるなら聞いてください。 僕ではお役に立てませんか?」 「すまない分かった、 ならば聞くがお前に恋人はいるか?」 「え!?」 「……いません」 「そうだな、忘れてくれ」 「な……中井さんーー!!」 ──資料の検討を終えた頃、夜はすっかり深まっていた。 窓を開けて、外の空気を入れる。ツリーハウスの一番低い個室。ここからの眺めはすっかり生活の一部になった。 11月の冷気が、疲れた頭に新鮮な風を送り込んでくる。 「ううむ……さすが その道のプロが書いただけのことはある」 身近な人間を頼れぬのなら専門家の言葉こそ師と仰ぐべし──。 ベッドに視線を落とせば、ようやく読破した資料本が散らばっている。いずれ劣らぬプロが書いたと思われる本だ。 「女性が喜ぶ口説き文句」「モテ男の名言集」「恋の詩集・冬」「恋愛の格言BEST100」「恋のはなし名作選」 さらにはレンタル店で片っ端から借りてきた恋愛映画セレクションズ。こいつは眠気との戦いだったが、これも勉強。 「愛されることは幸福ではない。 愛することこそが幸福だ──か」 さすがに昔の人はいいことを言う。 俺は、本の中で気に入った台詞を頭の中で再生しながら部屋を出た。 男は目から恋をして、女は耳から恋をする──。 ジェラルドの持論が、どこまで普遍的なものかは分からないが、確かにラブロマンスに恋の格言は多かった。 「恋は炎であると同時に 光でなければならない──」 予習は完璧。ただひとつ問題は、いつ、どのタイミングでその言葉を使うかが分かっていないところだ。 「クロスワードと恋は似ている。 難解なほど楽しい──」 そういうことだ。ここから先は現場を踏むしかない。 バラの花束は用意した。愛の言葉も用意した。あとは、一握りの決意があればいい。 「人は愛し合い、求め合う。 幸せを得る為に──」 ぶつぶつと台詞を唱えながらななみの部屋へ向かう。 無用心なことに部屋のドアが少し開いていたが、それはたいした問題じゃない。 さあ、深呼吸だ。初めての出動以来の緊張感を、喉奥に封じ込めろ。 「ななみ、話があるんだが──」 「……!?」 ドアを開けると、ななみが窓辺に身を乗り出しているところだった。 「あわわわわ……とーまくん!!」 見れば、その手には糸をつなげた紙コップが──。 「静かにしろ、静かにだ」 後ろ手にドアを閉めてななみの部屋に入る。さすがに他のサンタたちにこんなシーンを見られるのは恥ずかしい。 「そのコップ」 「こ、これはその……天日干しに……」 「………………」 糸電話を下ろそうとしていたななみが、真っ赤になって言葉を失う。 いきなり奇妙な雰囲気になってしまった。出鼻をくじかれた俺は、あらためてななみの部屋を見渡してみる。 「なんだこりゃ……子供部屋か」 「な!? いきなりなんですか!」 「すごいな、同じぬいぐるみばっかりこんなに。 ……商品ストックか?」 「ちがいます、とりかぶは5匹ですから」 「トリとカブで……とりかぶ?」 「わわ、さてはご存じない!? 国民的人気のスーパー〈根菜〉《こんさい》マスコット、『とりかぶっ!』じゃないですかー!!」 「国民的!? そいつは〈寡聞〉《かぶん》にして知らなかった。 これ、テレビとかでやってるのか?」 「はい、しろくまケーブルテレビで、 26時30分から絶賛放送中です!!」 「見ねえ、それはまず見ねえ!」 ──だめだ!このゆるーい雰囲気では、意気込んできたテンションが軒並み削られる。 なにか、会話の流れを戻すきっかけになるものは……?? 「……なにをキョロキョロしてますか?」 「いや、お前の部屋に入るのは初めてだからな」 「そんなことありませんよ! 前にみんなで下着の見せっこしてたとき……!」 「あ──!?」 「あ、あのときは入ってないだろう? 全く記憶にないんだが」 「んー、どうだったでしょうか?」 なんだかまずい空気になってきた。話題を変えようとぬいぐるみのほうを見ると、机に乗せられた紙コップの糸電話が目に入った。 「あ……!」 そいつを取り上げると、ななみが恥ずかしそうな顔に戻る。 「話があったのなら聞くぜ」 「あ、いえいえ……その、 特にはないんですけど! なんとなく……」 「そうか、俺には話があるんだが……」 勢いに任せて切り出した俺をななみの大きい瞳が見つめる。 「え……?」 「ええと……まあ、その、なんだ……」 唾をいったん飲む。会話の糸口はどうすればよかったのか、本になにか書いてあったはずだが……。 「あのな……」 「は、はい!」 「……!」 ななみの緊張が伝わってきて、頭の中に詰まっていたはずの言葉が真っ白になってしまった。 「いや、その……夜遅くに悪いな」 「……?」 「ええと、こんな時間にどうして 押しかけてきたかというとだな……」 「はははい……!」 「ああ、その前に! いろいろやきもきさせてすまなかった、 俺がちゃんとその……言えばよかったな」 「!!」 「だから…………その」 ななみを見る。かき消えていたいくつかの言葉がようやく戻ってきた。 『こいつを好きかどうか分からない』だって? そんなことはない。ななみを見ているだけで答えが明確になる。 ただ、俺の覚悟が足りてなかっただけだ。告白をする覚悟じゃない、誰かを好きになるという覚悟だ。 「ななみ……」 丸暗記してきた台詞が頭の中をぐるぐる回っている。 『俺の心は愛で一杯だ、この愛を君に……』『愛することこそが幸福だ……』 どれもこれも、今、この時に似つかわしい言葉じゃない。 バラの花束を床に落とす。俺は、やおらななみの肩を抱き。大空に身を投げるような気持ちでこう言った。 「俺はお前が好きだ」 「──!?」 「………………」 もう手遅れだ。完了したと言い換えてもいい。 どんなに陳腐な言葉だったとしても初めての告白をやり直すことはできない。 コースから外れたカペラを制御するように、俺はななみを間近から見つめる。 「わ、わたしは……その……!」 女は耳から恋をする。男は──男はなんだった?俺はななみの顔から目が離せない。 「……ななみ」 「と、とーまくん?」 さらに距離を縮めた。お互いの鼻先がくっついてしまいそうな距離にある。 俺は続く言葉を頭の中で捜しながら……。 ……………………………………………………………………………………………… 「…………だめだ、吹っ飛んじまった」 「へ?」 「すまん、気の利いた台詞を 仕込んでたはずなんだがな」 「…………ふふふ♪ とーまくんには、そういうの似合いませんよ」 「そんなはずがあるか、トナカイってのは」 「台詞を仕込んでたなんて言っちゃうのは トナカイさんらしくありません」 「ぐ!?」 まさか、ななみからそんな的確に突っ込まれるとは思わなかった。反論を失った俺にななみがにっこりと微笑む。 「実はわたしも一緒でした」 キスのときに感じた匂いが鼻先をかすめた。今日はアルコールも混じっていない。 「もし告白されたらって、 ずっと前から考えてたんですけど……」 「わたしも……とーまくんが好き……」 「ななみ」 俺は目の前にいる相棒の名前を呼んで、彼女に唇を重ねた。 「ん……んっ……ん……」 キスの前に言う名言も覚えていたはずだが、どこかへ飛んでいってしまったらしい。 「ん……ん…………っ」 飛んでったってことは、必要がなかったってことだ。俺は唇を離すと、ななみの目を見つめ……。 「……俺でいいのか?」 馬鹿、なに聞いている!?確認はするのはNGだって、どの本にも……!! 失言から、とっさに視線を外しそうになった俺の顔をななみの手が左右から包んだ。 「まだひとつ言ってなかったです」 「冬馬くんがわたしを好きになる前から、 わたしが冬馬くんを好きだったんです」 「………………」 「……?」 「そいつは……なんの台詞だ?」 「もー、どうしてそうなるんですか、 オリジナルです! 〈(C)〉《まるしー》です!」 驚いた。 好きでなけりゃキスなんてしないとは思うが、ななみが俺をそういう目で見ていたというのはいかにも意外な感じがして、それと同時に……。 彼女がたまらなく愛しくなった。 「ななみ……!」 俺はななみの柔らかい身体を抱きしめ、そのままソファーベッドへとなだれ込んだ。 「と、とーまくん、ストップ、ストップです!」 「なんで!?」 「で、電気を消しましょう!」 「そ、そうか……そうだな。 外から見えるかもしれないし」 見えるわけがない。頭の中でそう突っ込みながら、部屋の明かりを急いで消す。 そういえば、ちゃんと歯を磨いただろうか。 そんなことを考えながら、俺はななみの小さい身体を再び抱き寄せた。 この腕の中にななみがいる。 ベッドマナーとかアプローチのテクニックとか、そういった諸々は消え失せて、ただ、ななみともっと触れ合いたい欲求だけが先行していた。 ななみが身体をよじるとソファーの上の『とりかぶ』が迷惑そうに床の上に転がった──。 ソファーベッドを広げ、マットの上で絡み合う。 「ん……とーまくん…… ん、んっ、ちゅ……んん……」 唇をあわせ、互いの唾液を混ぜ合わせる。 「はぁぁっ……ん、ちゅ、ちゅ……んん、ちゅ」 「はぁ……はぁっ……」 キスしてようやく落ち着いてきた。さっきまでの俺は、ななみの顔もまともに見ることができていなかったのだ。 視線を泳がせた覚えはないから、きっとものすごく不自然に凝視していたのだろう。 「ななみ……」 「とーまくん……」 離した唇からこぼれるのは、相手の名前を呼ぶ声だけだ。 そんな映画や本とは程遠いぎこちない空気の中で、俺とななみは身体をすり寄せる。 「んちゅ……ん、んむ……ん、んっ……」 恥ずかしいのを隠すように、ふたたび唇を重ねた。 「んむ……ん、ちゅ、ちゅ……ん、んっ、 んちゅ……れろ……ん、んっ」 舌で唇の入口を広げると、ななみの舌先が俺を迎え入れる。 「んちゅ……ん、んっ、ちゅ、 ちゅ……はぁぁ、ん、んっ、ちゅ……」 息継ぎをしながら、少しずつ、身体の下のななみを壊してしまわないように、キスだけを繰り返した。 「とーまくん……ん、ちゅ、ちゅ……んっ んちゅ……ちゅ、ちゅ、ちゅぅぅ……」 唇をつけたり離したりして繰り返し感触を確かめると、ななみの粘膜が、舌先を優しく受け止めているのが、熱い唾液とともに感じられる。 「はぁ、ん、ちゅ……んーっ、ん、んっ!」 ななみって奴は本当に不思議だ。足手まといで、危なっかしくて、放っておけなくて、それに……それにどうしてこんなに愛しいのだろう。 「ん……んーっ、ん、ちゅ……はぁぁ ん、んっ、んっ、んっ……んんン……」 パジャマを脱がし、下着の上からななみの身体に触れると、身体が小刻みに震えているのが伝わってきた。 「はぁ、ん、んっ……とーまく……」 ななみの乳房に手を乗せると、薄い布地の下からふにゃりと柔らかい感触が伝わってくる。 「んぁ、あ……あ、そこ……」 乳房を優しく手で包むと、手のひらの向こうからドキドキした心音が伝わってくるようだ。 「鼓動、早くなってるな」 「と、とーまくんだってさっきから……んぁ!? あ、あ……はぁ……はぁぁぁ、ん……ちゅ んむ……ん、んんっ」 キスをしながら少し力を入れると、まだ硬い乳房が手の中で解けるように形を変える。 「んぁ……とーまく……ん、んっ、んはぁぁ……」 まだまだ発育途上のふくらみが俺の指を押し返してくるのが分かる。 「んああ……あ、あ……ッ」 少しだけ力を入れて揉んでみると、ななみの身体が弓なりにしなった。 「ん……んんっ、とーまく……ん、んっ」 再び唇を重ねた俺は、白い胸を覆い隠していた下着の金具を外した。 「やんっ!? と、と、とととーまくん!?」 ぱつんと金具が外れると、ななみの白いふくらみがあらわになった。 汗を滲ませたなだらかな稜線の頂上で薄いピンクの尖りが小さく縮こまっている。 「恥ずかしい?」 「あ、あうぅぅ……」 言葉にならない声と共に、ななみが首を縦に振る。 そのたびに白い乳房が揺れて、頂きのピンクが俺を手招きした。 「んぁ、そ、そんな見ちゃダメです……」 「……綺麗だよ」 いともあっさりと、自分でも信じられないような言葉が、無意識の唇からこぼれた。 「と、とーまくん?」 さすがのななみも目を丸くしているが、一度、口に出してしまうと、こういう言葉はもっと言いたくなる。 「恥ずかしいから何度も言わないが、 見とれそうなくらい綺麗だ」 「う、うそです……んんっ……」 囁きかけると、ななみの身体がそのたびにビクッと震えて返事をよこしてくる。 構わずに俺は、ななみの小さな乳房を手の中におさめた。 「そうじゃなかったら、こんなことしない」 「あうぅ……とーまくんがおかしくなったー」 「褒めてやってんだ」 「きゃんんッ……んぁ、んぁ!? あ、あっ、ご、ごめんなさぃぃぃ!」 キュッと乳首をつまんでみると、ななみの身体が白魚のように跳ねた。 「やぁぁ、だめです、んぁ、 そんな急に……あ、あ、あっ……はぁぁ」 ふにふにと強弱をつけて摘み上げる。ななみの声がこころなしか潤いを増した気がする。 「はぁぁ、とーまくん……ん、ん、 んあっ、あ……んん……んーーーッ!」 乳首を軽く引っ張ると、ななみの身体は再び激しくのけぞった 「大丈夫か?」 「ん……んッ……んはぁぁ……」 返事が無いので、そのまま指を動かし続ける。 「んあっ、あ、あ……はぁぁ、あ、あんっ とーまくん、あ、あ、とーまくんン」 そのたびに俺の身体の下で、ななみの柔らかそうな身体が跳ねる。 「はぁ……はぁぁ……ァ、とーまくん……ッ」 ななみの真っ白な乳房が俺の胸板に押し付けられて、むにっとゆがんだ。 「顔がとろけてる」 「え? やだ、そんなこと……ん、んぁぁ、 はぁ、はぁ……ん、ん、んっ、んん……ッ!」 白い額に汗が浮かんでいる。ただ仰向けになっているだけのななみが汗びっしょりになっていた。 「痛かったら言ってくれよ」 「え?」 「あ……ぅぅ……ちょっと痛い……」 「すまん……」 「で、でも、ちょっとだけです……平気……んっ」 「本当に?」 「うん、平気です……あ、あ、あッ!?」 だんだん、ななみの気持ちのいい強さが分かってきた。 声が甘くとろけるくらいの力で乳首を転がしていると、指の中で次第に硬くなってくるのが分かる。 「とーまく……ん、んんっ、れろ、ん、ちゅ……」 ななみが欲しそうにしているので、再び唇を重ねた。 「んちゅ、ん……んむっ、ん、んっ、んんっ……」 唇と舌から、そして間近に迫った白い身体からななみの体温が伝わってくる。 「んふぅぅ……ん、んっ、ちゅ、ちゅーっ、 んむ……ん、んっ!」 指で強くつまむたびに、ななみの呼吸はどんどん荒くなっていく。 「はぁぁ、んんぁ……んちゅ……ん、んむっ、 ん、んっ、んッ、んッ、んッ、んーーッッ!」 少し力を抜いて、左右から乳首をつまみあげる。 「んぁぁ……ッ!?」 小さな膨らみが釣鐘型になり、白い内股がキュッと閉じ合わされる。 「そ、そこ……ちょっと……ん、んっ」 「あ、その……痛いかも……です……っ!」 顔を真っ赤にしてななみがこっちを見た。視線を合わせると、少し恥ずかしそうに目を外す。 「サンタが嘘を?」 「うぇ!?」 「い、い、いえ嘘じゃなくて……その……」 「んぁ!? あ、あ……あッ……そ、そこは……」 しどろもどろになるのに構わずに乳首をつまむと、ななみの大きな瞳がとろりと蕩けだした。 「そこは、まだ……んぁ!? あ、あ……ちょっと変になりそうで」 「とっくになってるさ」 「な、なってなんか……はぁぁ……ぁ」 「俺もなってる……」 「はぁぁ!? あ、あ、あ、あ……ッ、 だめ、とーまくん……?」 変になっているのは俺も同じだ。ほんのりとシャンプーの香る髪に包まれているだけで、吐息に声が混じりそうなほど昂ぶっている。 「いい匂いがする」 「もう、んんぁ、だめです、あ、あ、 恥ずかしい……ですってば……んぁぁ」 俺の腕の中に、ななみがいる。それを感じながら、手の中で脈打つグミのような突起を優しく揉み潰す。 「はぁぁ……とーまくん……ン、ンううッ!?」 「ああ、汗の匂いか」 「んあああっ、ん、もう、とーまくん、ん、んっ かっこつけちゃダメですっ……!」 「あ、あ、あ、やぁぁ、おかしくなっちゃうから わたし……あ、あ、あはぁぁぁぁァ……」 指先から乳首が滑り落ちるのと同時にななみの背筋がピンとのけぞって、湿っぽい吐息が吹きかかった。 「とーまくん……んぁ、ん、ん、ちゅ、んんっ ふゥ……ん、んんッ、んうッ……ん、ん…… ちゅ、ちゅ、ちゅ……んぁ、ん、んちゅ……」 乳首を逃がさないように唇を重ね、何度もついばむ。 「はぁ、ん、ん……ちゅ、ちゅ、ちゅっ……ちゅ」 小鳥のようなキス。俺にとっては照れくさい行為だが、ななみにはぴったりの愛情表現だ。 「んん、とーまくん……ん、ちゅ、ちゅ……ん、 んーー、ちゅちゅ……ちゅぅぅ……ん、んっ、 ちゅちゅ……ちゅ、ちゅっ」 キスのたびにななみの指先に力がこもり、二つの身体が強く密着する。 やがて俺は唇のクッションの隙間から、俺自身の意思を、小鳥のようなななみにねじ挿れようとした。 「ん!? ん、んーーー!?」 にゅるり……浅く浸入を果たした舌先が、相手の舌先に阻まれる。 「んん……らめ……ん、ちゅ……じゅる……ン!」 「とーまく……んんんぁ、ちゅ、んむっ……ん、 舌はらめ、らめれぅ……んんぁ!!」 「どうして?」 「らって……んちゅ、じゅる……ん、んーっ? んぁ、はぁ、ん、じゅる……んぁぁ、んぁ、 んぁぁぁ!」 最初は自分から挿れてきたくせに、ななみは小刻みに首を振る。 「んぁぁ、らめらめ、い、いま舌はまずいです、 まずいですってば……んむ……んんぁ!」 甘えているのかと思いきや、本気の抵抗を示された俺は一瞬たじろぎ、それから……。 「んんぁ!? んぐ……ん、んろっ、んぉっ? んむ……じゅるる、んぅぅ、んむ、んじゅる、 んぁ、れろ……れろれろ……ん、んぁぁああぁ」 激しくななみの口の中に潜り込み、舌先を絡め取った。 「らめって……んちゅ、ん、んむむ……ん、んっ いったのに、ん、じゅる……はぁぁ、知らない ん、じゅるる……ん、ちゅ、ちゅ……」 スイッチが切り替わったように抗う力が抜け落ち、小柄な身体が震え始める。 「はぁぁ、とーまくん……ん、ちゅ、ちゅ、んっ すきぃ……ん、ちゅちゅ、ん、んっ……れろっ いじわる……ん、じゅる……ん、んっ」 何度も深いキスをしているのに、今さらになって抵抗したのは、こうなってしまうのが怖かったのだ。そうと気づいたら、さらに感じさせてやりたくなる。 「んーっ、んふっ、んーーーっ!! んふ、ん、ん、ん……ちゅ、れろ、んあっ」 「ん……舌……出して」 「はぁ……は、はい……ん……」 「ん…………はぁ、はぁ、ま、まられふか?」 俺の前に突き出されたななみのピンクの舌先。それを少しのあいだ楽しんでから、自分の舌先を巻きつけた。 「ぇぁ!? ン……えろ……ん、れろろ……ん、 んむ……ん、んっ……じゅるる、んちゅ、ん、 ん、んっ、じゅる……ん、ちゅ、ちゅ、じゅる」 さっきまでとは打って変わって、ななみは積極的に俺の舌を貪ってくる。 「んちゅ、じゅる……ん、んーーっ!! ん、んぁ、ん、んっ、れろ、れろれろ……ん」 まるで俺そのものを求めてくるように、舌で舌をつつき戻し、俺の舌を巻き取りながらこっちの口へ入り込んでくる。 「はぁ、ん、んっ……おっぱい……ん、んっ、 じゅる……ん、ちゅ、ちゅ、ん、んっ」 ついつい留守になっていた手を再び動かしながら、俺とななみは唇の交接を続ける。 「はぁ、ん、ん……んちゅ、ん、じゅる……ん、 とーまくん……ん、んーっ、ん、ちゅ」 「んちゅ、じゅる……ん、ん、んっ、んうぅっ! はぁ、はぁ……ん、んちゅ、ちゅ、ちゅ……」 小刻みに動かしたり、強く吸い上げたり──。そのたびに互いの腰に回した腕に力が入り、二人の身体がサンタ服ごしにぴったりと密着する。 「んあっ……はぁぁ、ん、んっ、ちゅ、ちゅ…… 好き……ぃ、ん、んっ、はぁ、はぁぁ……ん、 ちゅ、ちゅ、とーまくん好き……んんっ!」 「俺も……お前が可愛くて困ってる」 照れを捻じ伏せて囁くと、それだけでななみの身体がブルルッと震える。 「んぁ……ん、んっ、じゃあ、もっとちゅっちゅ ん……ちゅ、ちゅるる……ん、れろれろ、 ん、ちゅっちゅしちゃいましょう……んんぁ」 「ん……んんっ」 「好き……ん、んっ、好きです、とーまくんが好き ん、ちゅ、ちゅ……んんっ、ちゅぅぅ……」 火照った額に汗の玉を結びながら、ななみは単純な愛の囁きを繰り返す。 「あ、あ……ん、んっ……とーまくんっ!」 「んちゅ、ちゅ……ん、んーっ、 ちゅちゅ、ちゅ、ちゅぅぅ……ん、んっ!」 俺もななみもいつしか夢中になっていた。 「はぁ、んぁぁ……とーまくん……とーまく……」 夢中になって相手の舌を求め、柔らかい乳房の感触を貪る。 「はぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ、あ、あ、あ、 もう、そこばっかり……あ、んぁぁ」 俺はもう本から得た知識を丸ごと忘却していた。こんなに長く同じ愛撫をするなんて、どの本にも書いてはいないはずだ。 「とーまくん、ねぇ、とーまくぅぅ……ンン!」 しかし俺の唇はななみの首筋と唇の間を這い回り、指先はひたすら小さくほころんだ胸の尖りを弄び続けている。 「んぁ、ん……とーまくんは 大っきいおっぱいが好きなんじゃ なかったんですか?」 「ああ……モデル体型のな」 「え……?」 「なのにどうして夢中になってるんだ」 「んぁ、ん、ん……ッ!」 勃起した乳首の頂点に、指の腹を強くこすりつける。 「やぁ、そこばっかり……あ、あ、もう 変な声出ちゃいます……んぁ、んぁ、んぁ、 んはぁぁぁあぁあぁァ……」 「ただ可愛かったのに……」 「はぁ、はぁ……え?」 「お前がこういう顔になるなんてな」 「とーまくんにしか見せませ……あ、あ、いじわる! そこ弱いの分かってるくせに……あ、あ、あぁぁ!」 「初めて触ったんだけどな」 「でもとーまくん分かってた……んぁ、 あっ、あっ、あっ……ひぅぅっ、んん!!」 「その声を聞けば分かるよ」 「らって……ひぁぁァ!?」 「可愛いよ、ななみ」 「ンあ!? うそです、うそ……あッ、んぁっ! あ、あ、おかしいです、わたし、あ、あ、あ、 変ですよっ、あんっ、んぁぁ、はぁぁぁぁぁぁ」 「あぁぁぁァぁあぁァ……変です、あ、あ、あ、 とーまくんに、あ、はぁぁ……やぁぁ、だめ あ、あ、あ、あッ、あッ、あーーーーーッッ!!」 大きく叫んだななみが、内腿を閉じ合わせて身体を小刻みに震えさせる。 「はっ、はぁ、はぁぁーーっ……」 「はぁ……はぁっ、はぁ……はぁッ? あ、あ、あァ……あぁ!?」 ななみが一息つく前に、俺の指先は再び尖った乳首を摩擦しはじめる。 「はァああ……やぁン、ま、まだですか……?」 「そう、まだ」 「んぁ、あ、あ、ちょ……だめ、あ、あんっ! もう、おっぱいつまんじゃだめですーっ、ん、 んんぁ、んぁ、だめーーぇぇ……!」 「あぅぅーー! と、とーまくんがそんな人とは思いませんでした」 「どんな?」 「んああっ……これ、あんっ、んんッ さっきからおっぱいばっかり……!」 「しつこい〈性質〉《たち》だったりしてな」 それは嘘だ。どうやら俺はななみの肉体に臆しているのだ。けれど、今の臆病さは嫌いじゃなかった。 「んあっ、あ、あ……うそ……あ、あんっ、 んんぁ、あ、あ、あ……やぁぁ、 引っ張ったら伸びちゃいますーっ」 夜は長い。そう自分に言い聞かせて、ななみの首筋を舌で撫でながら、乳首を指先で弄ぶ。 「やぁぁ、んあっ、あ、あ、んぁぁ、 とーまく……ん、んーーっ!?」 ななみの白い喉がのけぞり、戻ってくる。そこでふたたび唇を重ねた。 「ああン……ん、ん、ちゅ、ちゅ…… はぁ……ンン、ん、んーっ……」 おそらく昇りつめた直後のななみの口の中はさっきよりも熱く粘り気があった。 「んあァ……んむ、ん、じゅる……ん、ちゅ、 んじゅる……れろ、ん、れろれろ……じゅる あん、もう……ん、じゅる……」 鼻腔いっぱいにななみの匂いがする。それを感じながら、何度も唇を合わせる。 「んちゅ、ん、んぅ……んんーー! んー、んん、ちゅ、んーーンン」 最初に耐え切れなくなったのはどうやらななみのほうだ。 「んぁ、ん……んっ、んーっ……んん! とーまくん……ん、んーっ、ん、ん」 知ってか知らずか腰をもじもじさせながら、俺にすり寄せてくる。 「ねえ、とーまくん……ん、んっ、ねぇぇ んむ……んむっ、ちゅ、ちゅ、んーっ!!」 その反応が面白くて、俺はキスをさらにねちっこく続けてしまう。 「はぁぁ、もう……ん、んんっ、ちゅ、んあっ、 んむっ……ん、んっ、んーっ! ねぇぇ、ん、 んんん……んっ」 太ももが絡みついてくる。それでも俺は乳首への愛撫に飽きそうもない。 「はぁぁ……ん、んっ、ねーってば、ん、ちゅ、 やぁぁ、なんで無視ですかぁ、ん、ん、んむ、 れろれろ……はぁぁ、もーーっ!」 とうとう、しがみついたまま、ななみは腰をカクカクとすり寄せてきた。 「ねえ、とーまくん、いじわる……ンぁ、 とーまくぅん……ん、んんーっ!」 発情した犬のような仕草が、しかしまるでみっともなく感じられない。かえって、ななみへの愛しさを募らせてしまう。 「もー、ん、ちゅ、ちゅ、だめ、このままじゃ おかしくなる……ん、とーまく……ん、ちゅ、 んんぁ!?」 不思議だった。ドキッとした気持ちがいつしか欲情に変わり、欲情が愛しさに変わる。肌を触れ合わせるというのは、そういうことなのだ。 「ななみ……」 「はぁ、はぁ……っ、んんぁ、ん、んーっ」 名前を呼ぶと、ななみが荒い息づかいで答える。 「とーまくん、とーまく……ん、んんっ!」 「んあぁ……とーまくん、とーまくんー!!」 唇を外して見つめると、ピンクの髪をほつれさせたななみが瞳を潤ませて俺の名前を呼んだ。 『どうした?』と指を外すと、とたんに我を取り戻したななみが頬を赤らめる。 「あ、い……いえ、な、なんでも……」 いったん唾を飲んでから、下着の上から軽く触れてみた。それだけでななみの腰がヒクンと上を向く。 「んあぁ……はぁ、はぁぁ、とーまく……ん、んッ」 また名前を呼ぶ。 喘ぎ声と俺の名前、その合間に取りとめもない単語を散らばせながら、ななみの両腕は俺をギュッと捕らえている。 「可愛いよ」 また、同じ言葉を囁く。一度目のほどの抵抗はなく、口に出すことで自分の気持ちを確認しているようでもある。 「やぁぁ、そんなの間近で言われたら照れますよ! あんっ、あ、あ、だめ……あぁぁ、だめ、そこ んああっ! いきなり……あ、あーーっ!!」 「そんな……んんぁ、らめれす、イッちゃいま……! イッちゃ……あ、あ、あッ!! んあああッ!!」 肩口がせり上がってきたところで、湿り気のある布地から指先を離す。 「あ……あ、あ、あ…………ッッ」 不規則な痙攣を繰り返したななみの身体が、俺の腕の中で名残惜しそうに弛緩した。 「は……はぁぁぁっ……い、いじわるー!」 「駄目なんだろ?」 「だ……ダメなんて言ってないです」 「それなら良かった」 今度は少し強めに、股間に指を押し付ける。それだけでななみの声が裏返った。 「んああっ!? うぁ……あ、あ、あっ、あぃぃっ!」 「感じる?」 「は、はい……はいっ、とーまくん、そこ……あ、あ、 そこ、もうちょっと上のとこ……んあ、んぁぁ!」 「うぁぁッ、んぁ、んぁ……はぁぁ……ッ! やぁぁ、そこ変です、痺れちゃう……うっ!」 ななみの指示通りに場所を移し、そのまましばし、指先を遊ばせる。 「んあっ、あ、あ、あぁぁ…… とーまく……ん、んっ!」 パンツの上で指先を上下させながら乳首をつまみあげる。 「んあーっ、あ、あ、あーっ! だめ、つよすぎ……ん、んーっ!」 「どっちが?」 「んーっっ!!」 「そこ……上じゃなくて……」 「し、下のほう……ん、んっ……あ、あ、あッ!」 軽く触れてるだけなのだが、と思いながらも少しだけ力を抜いてみる。 「あんっ、こっち、とーまくんの指が」 「指が?」 「あんっ、あん、あん……んんんっ、もーっ!」 「ああ、こっちか」 「はぁぁ……そ、そう、あ、あ、あ、そうです。 とーまくんが、指しゅりしゅりしてるそこ…… あ、あ、あ、そこそこそこ……っ!!」 「ここをもっとこすって……と」 「はぁぁァぁあっ!? ち、ちが……っン、 んぁああああぁぁはァアァぁああぁ……!!」 「らめ……あぅぅぁ? ほ、ほんと……はぁッ ほんとにイっちゃ……あ、あ、イっちゃいます、 とーまくんの指でイッちゃ……あ、あ、あーー!」 ぎりぎりのところで指を離す。 「んあ……ッ! かは……っ……う、 うぅぅ……うぅぅーーっ!!」 「もう、いじわるしないでくださいーっ! やんっ!? あ、あ、あ、いじわるー」 「動かしても動かさなくても意地悪じゃないか」 「だって! あ、あ、だめ……んあっ、あ、あ、 あ……はぁぁ、はぁ、はぁ、はぁぁ……んん」 俺が手を止めると、ななみは自分から腰をすり寄せてくる。 「ねぇぇ、とーまくん……ん、ん、 はぁぁ……ん、んっ、んあっ、ねーぇ……?」 その反応を見ているうちにたまらなくなってきた。 なにも迷うことはない。ななみは俺を求めていて、俺もななみを求めている。 「とーまく……んああっ!?」 手のひらに力をこめて、ななみの両足を開かせる。 「え? え? あ、あ……そ、そこ!? 直接ですか!?」 「ん、嫌?」 「じゃないですけど……でも、あ……!」 下着に指を差し入れると、ぬるっと粘り気のある感触が伝わってきた。ゆっくり指先でななみの入口を探る。 「んぅぅ……ッ!? さ、触っちゃってます……!?」 「ああ、怖くないさ」 耳元で囁くと、ななみの亀裂がキュッと収縮して俺の指先を挟み込んだ。 「こ、怖くなんて……ん、んっ……はぁぁ、 ん、んぁぁ……やぁ、当たってる…… 指が、あ、あ、当たってますッ!」 「目、つむってろ」 「は、はい………………ん、ん……んん……」 荒く息をつきながらななみが瞳を閉じる。 あとは前に進むだけだ。緊張を圧し殺しながら、俺は呼吸を整えて、次の一歩を踏み出した。 「んぁ……あぁ、あ、あ、あ、とーまくん……!」 「緊張するなよ、誰だってやることなんだから」 「で、でも、誰だって緊張すると思います……」 「こんなとこで屁理屈言うなって」 「あ、あはは……ごめんなさ、あ、あ、んぁっ!」 ペニスの先端を割れ目にあてがって、軽く何度かラインに沿ってこすりつけた。 「やん、ん、んっ、あ、あ、 もう……い、いじわるです……ん、んあっ」 意地悪をしているつもりはないのだが、暗がりのなかで目測がつかめないのだ。 「はぁぁァ……と、とーまくぅん……ン!」 覗き込もうにも、ななみの身体は俺にぴったりと密着していてよく分からない。 「……ここだ」 「ん……ああっ!」 また違ったか……!これまで三度、『ここだ』と言っては外してしまい、俺はもう黙っていようと思った。 「とーまく……ん、んんん……んッ」 ヌチヌチした音が上がるたび、興奮しきったペニスは俺の意思を無視して快感にうちふるえる。まずい……このままフィニッシュは最悪だ。 「あ、あ、ん……はぁぁ、と、とーまくん……」 「ななみ……」 焦りを隠して、わざとゆっくりと相手の名前を囁く。ようやく、それらしいところに先端があてがわれた。ななみの息が詰まる。 「……っ!?」 「……怖く」 それはさっき言った台詞だ。途中で言葉を切って、『いくぞ』と言い直す。 「り、りょうかい……です!」 おそらく俺が右往左往していたのは、腕の中のななみにも伝わっている。 照れを噛み殺し、見つめ合いながら、そそり立った俺自身を熱い亀裂の中に埋めていった。 「んあっ……あ、あ……ッ!!」 「……っっ」 ぬるるるっ……と、入口が俺を迎え入れる。 「んッ……はぁ……はぁぁ……はぁぁーーぁぁ……」 さっき指先に感じた粘り気が、今度は締め付けをともなってペニスを包み込んでくる。 「…………ッッ!?!?」 先端が、めり、という感触とともに押し入った瞬間ななみは息を飲んで表情を歪めた。 「う、うーーーーーッッ!!!」 息が詰まる、ななみの身体がぐっと丸まる。 「だ、大丈夫か?」 「は、はい……はぁ、はぁ、はぁ……はぁぁぁっ」 ななみが大きく息を吐いた。すこしだけ、中がスムーズになる。 「とーまくん……ん、んっ……はァァ……ッ!」 はやる気持ちをおさえてオレはさらに腰を進めた。 「あ……ゥッ! んゥゥゥ……ッッッ!!」 完全に根元まで埋まった。達成感に思わず吐息がこぼれてしまう。 「あ、あ……はぁ、はぁぁ……はぁぁっ」 肩で息をつくななみの瞳には涙が滲んでいる。 「んあっ、あ、あ……はぁぁ……と、とーまくん…… ん、んっ、あ…………はぁぁ……ッ」 ……もう、ななみがあまり痛がるのならこのまま終わりにしていいんじゃないか?そんな満足感すらある。 「大丈夫だ……」 「は、はい……ん、んっ……んううっ」 ギュッと抱きしめる。唇にキスをしてから、腰を少しずつ動かしはじめた。 「んく……ん、んっ、んーーーっっ」 「動くぞ」 「り、りょーかい……ん、んーっ!!」 ペニスが抜けるのを拒むかのように、もともときつい膣がさらにきゅっと収縮する。 「んあ、あ、あ……はぁ、はぁ……へ、 平気です……ぜんぜん、ん、んっ、んん……!」 できるだけ控えめに動いてやろう……。オレは、先端が奥に当たるか当たらないか、くらいの範囲で小刻みに腰をゆすった。 「ん、んっ、はぁぁ……ん、んぁぁ……あ、 と、とーまく……んっ!」 ななみが息を吐くのと同時に腰を送ると、粘膜の抵抗を突き抜けた先端が、深くへと潜っていった。 「はァ──んぃぃィッッ!?」 奥にペニスの先がトンと当たると、歯を食いしばっていたななみが声をあげた。 「うあっ、は、はぁぁ……とーまく……ううぁ、 あ、あ、あ……んああっ、あ、あーーっ!!」 ヌラッと熱く濡れた粘膜がペニスを包みとりにゅるにゅると締め上げてくる。まるでななみの手に握られているみたいだ。 「あーぁぁァ……はぁっ、んあっ、あ、あ、あ とーまくん、とーまくんんッ!」 だんだん頭が痺れてきた。全身の血液が、下半身に集まっていくのが分かる。 「とーまく……んんぁ、んあっ、あ、あ、んんぁ そこ……ん、ん、んぅっ、んぅぅ〜!!」 「っく……はっ、あ……!」 声が漏れた。ななみの粘膜が俺のペニスをギュッと握り締める。腰から下が蕩けてしまいそうだ。 「ううぁ、んあっ、あ、あ、あ……あはぁぁ…… いっぱい……とーまくん……んッ」 セーブしているつもりでもいつしか腰の動きが激しくなっていく。 「はぁぁ!? と、とーまく……んんっ、んあっ、 んあ、んああぁ、んぁ……あ、あ、あーーっ」 「ちょ、ストップ……だめ、あ、あ、あーーッ!」 ななみが痛そうに身をよじる。 「わぁぁぁん、だめだめだめぇぇ……んぎッ!? うぇぇっ……ちょ、ちょっとタイムですっ!」 「わ、悪い……つい」 慌てて離れようとしたが、ななみの両足が俺の腰をがっちりと押え込んでいる。 「ななみ、ちょ……」 ぐいと押し付けられ、ペニスの先が再びななみの奥深くに入り込む。 「んァ……う、うーっ、いたたた……ぁ、んぁ、 あ、あ……熱い……ん、んっ」 自分で離さないくせにななみの眉は辛そうに寄っている。 「ギブだったら、ギブって言えよ」 「い、いやですよ……ん、んっ! いやなんですけど、ちょっと……あうーーー!!」 パニックを起こしそうなななみを見ていると、たまらなく抱きしめたくなってしまう。 「まだ……んあ、あっ、最後までしてないし……くッ! しないとぜったい後悔します……ん、んぁっ、あァ」 「分かったよ、可愛いサンタさん」 「!?」 「あうぅぅ、そんな……いきなりいつもみたいに 呼ばれたら、かえって恥ずかしいです……」 ななみが震えているのが伝わってくる。この大事な初めての営みを、台無しにしたくないのは俺も一緒だ。 「と、とーまくん……あの、わたし、大丈夫です。 だから……もっと動いて……あ、あ、あ、んんぁ、 気持ちよくなってください……っ!」 「ああ、力を抜いて……」 「え? んんあ……ん!? んーーーーっっ!!」 つながったまま、痛みをこらえるななみはどうしたらいいか分からない。 「はぁぁ、ん、んっ、とーまくんの……あ、あ、あ、 とーまくんの……!!」 俺もまたどうしたらいいか分からないままにななみにキスをした。 「んあっ、ん……ん、ちゅ、ちゅ……ん、んっ」 愛の言葉など柄じゃない。そんなものは言葉で伝えることじゃない。 「ん、ちゅ、ちゅ……ん、んっ、んん……」 そう思っていたにも関わらず、キスの合間に俺は囁いていた。 「好きだ……」 「んうぅっ!? ん、んっ、じゅる……ん、んーっ……」 「……好きなんだ」 返事を封じるように唇を塞ぐ。出来れば目も瞑ってほしかったが、ななみは大きな瞳で俺を見つめている。 「んああ……ん、ちゅ、ちゅ、んちゅ……んんっ、 ちゅ、ちゅ……はぁぁ、とーまく……んんっ、 わたしも……ん、れろっ、ん、すきぃ……ん」 調子に乗りすぎたかもしれない。気恥ずかしさを紛らわすように腰の動きに集中した。 「んあっ、ん、んっ……はぁぁ、ん、んーっ! とーまくん、すごい……、 男の人って感じで……あ、あ」 「乱暴かな」 「ううん……あ、あ、優しいですよ、んっ、あ、 はぁぁ……ん、ンッ」 俺の腰をかにばさみしたななみが足を締めたり緩めたりするのに合わせて身体と身体がぶつかり、はぜる。 「んあぁ、あ、あ……ん、んん……っ」 「もっと、もっとちゅー…… ちゅーしてくだ……ん、んっ……じゅる……」 唇を塞いで、腰を打ち付ける。 いつも口やかましいななみが、いまは鳴き声のような喘ぎを洩らすばかりだ。 「ん……んちゅ、ちゅ、ん、んっ……ぷは、 あ、あ、あ……ああッ、んああッ……」 次第に声が湿り気を帯びてきた。腰を打ち付けるたびに、ななみの脚に力が入る。 「んふぁ……ん、んっ、んちゅ……はぁぁ、 んあっ、あ、あ……んむ……んんっ、ちゅ」 キスで脚の力は緩み、再び奥に入り込むと締め付けられる。 「とーまくん……あ、あ、あぁぁ……ん、んっ とーまくぅん……あ、あ、あっ!」 すがるような声でななみは何回俺の名前を呼んだだろう。 「あ、あ、あ……んああっ、あ、あぁぁ……んむ ん、んっ、ちゅ……ん、ん、んっ……!」 口にこそ出さなくても、俺も頭の中で何回こいつの名前を呼んだだろう。 「んあ、あ、あ、あ……ううぁ、んあっ、ん、 んちゅ……ん、んっ、あ、あ、あ……はぁぁッ」 声が大きくなってきた。ななみは俺の動きに応えるように自分から腰の動きを合わせ始めた。 「んあっ、あ、あ、あ……あああっ、あ、あッ、 あ、あ、あッ、んあっ、あ、んあァ、あ、あ……」 肉の交わりをダンスに例えている本があったが、本当に二人で踊っているみたいだ。 「はぁ……あああっ、んああっ、ん、ちゅ、ちゅ、 ん、んふ……ンンッ、んーっ、んんーーっ!」 俺は身勝手な動きで、ななみは俺に合わせながら。二人の呼吸が次第に同調してくる。 「はぁぁ、はぁっ、はぁぁ……あ、あ、 あぁァあ……あ、あ、あーっ、ん、んあぁァ!」 唇を離れ、耳たぶを軽く噛むと、ななみの息が詰まった。 「ん、んーーーーーッッ!!!」 急にななみの内部が締め付けてきた。肉の狭間でペニスがもみくちゃにされている。 「と、とーまく……んぁああッ! あ、あ、あ!」 「な、ななみ……ッ」 名前を呼んで切迫を伝える。俺の息の荒さから終わりが近いことを悟ったのかななみは両足の力をくたりと抜いた。 「ん、んあンッ、あん、あ、あ、あんんッ、 とーまく……あんっ、あああ……あ、あ、あんッ」 腰が打ち付けられるのに合わせて、ななみの喘ぎ声が耳元で踊る。 「んあっ、あ、あ、あ……わたし……あ、あッ、 んああっ、あ、あ……あん、あんんっ!」 脚が緩んだかわりとばかりにななみの中が絡み付いてくる。粘液と粘膜の摩擦に、脳が焦がされそうだ。 「んあっ、あ、あ、あ……とーまく、 とーまくん、とーまくん、とーまくんっっ!」 俺の名前を何度も呼びながら、ななみが身をよじる。両足がまたギュッと締め付けてきた。同時に中の肉も俺を締め付けて、うねりだす。 「あ、あーーーッッ!! とーまくん……とーま……くんっっ!!」 汗まみれになったななみの顔を見ながら、下半身の緊張を解き放つ。同時にななみの身体が跳ねた。 「あ、あ、あァァ……ッッッ!! とーまく……んん……っっ!!」 どくっ、どくっ……と、体内の熱がななみの中に打ち込まれる。射精の間も、熱い粘膜は俺を締め付けて離さない。 「んあ……はひァ、あ……あッ、あァァ……!」 ぶるっ、ぶるるっ……と肩口を震わせてななみの小さい身体が俺を受け止めている。 ななみともっと近づきたくなった俺は、その細い方を抱き寄せて、唇をふたたび重ねた。 「はぁ、はひぁ……ん、んむ……ん、んふーーン」 ななみとの距離が限りなくゼロに近づく。彼女の鼓動と肌のぬくもりを感じながら、俺は最後の一滴まで彼女の中に注ぎ込んだ。 「はぁ、はぁ……はへぁ……」 腕の力を緩めると、ななみはぐったりと全身の力を抜いた。 痛かったかと聞くと、首を横に振って、ふたたび大きく息をつく。 「はぁ……はぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ……ぁ」 「はぁ、はぁぁ……とーまくん……」 「あの、とーまくんが、はぁぁ……わたしの……」 「いいよ、黙ってろ」 囁いた声は、自分でも驚くほど優しかった。そのままななみの唇を塞ぐ。 「とーまくん……ん、んっ」 「ん……んふ……んぁ……んん……んっ……ちゅ」 「ぷは……はぁ、はぁ……はぁぁ……ん……はぁぁ」 唇の粘膜がこすれあう。言葉を失った俺たちは、手をつないで重なり合ったまま荒い息を貪った。 「じ……じゃあ、な」 「う、うん……また明日」 「ああ、また」 「うん……」 午前四時、正気に戻った俺とななみはそそくさと身だしなみを整え、おやすみの挨拶をした。 早足で、しかし足音を忍ばせて自分の部屋に戻る。 「はぁ、はぁっ……はぁ……」 閉めたドアにもたれかかったまま、しばし荒い息を整える。 呼吸音の隙間を縫って、〈梢〉《こずえ》を揺らす風の音がやけに大きく聞こえる。 頬を伝う汗は、冷や汗のたぐいだ。そいつをぬぐって、それから手近な酒をぐい呑みで喉奥に流し込んだ。 「はぁぁ……っ」 ようやく息をついた、そのとたん、 頭の中をぐるぐると回るのは、どいつもこいつも俺の発した言葉だ。 ──可愛いよ。 ──好きだ。 「まさか、本当にあんな台詞が……」 ──可愛いよ。 ──好きだ。 ──可愛いサンタさん。 「うがぁぁぁぁ!! なんだなんだ上等だ、やんのか畜生!!」 「はぁ、はぁ……うぐぐぐぐ…………!!」 「飲め! まあ飲め、俺!!」 今度はボトルごと流し込む。ベッドに広げられた参考資料一式は、これっぽちも活用できなかった。 机上と現実は違う……!ああ、それは空も女も一緒だ。今夜、確実に勉強できたのはそれだけだ。 しかし……。 「うぬぬぬぬぬ!!!」 いくらアルコールでまぎらわそうと、背筋を這い回るくすぐったいような悪寒はとうぶん取れそうになかった──。 「………………」 「………………」 「………………」 「…………あうあうぅぅううーーーぅぅ!!」 「ま、まさか本当に あんな声が出てしまうなんてぇぇーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーー(がくっ)」 「………………はぁ、はぁ……はぁ……っ!」 「あ、あんな……あんな…………」 「……………………(回想中)」 「あん……」 「ううん、こんなんじゃなかったです……!」 「あんッ……?」 「……………………」 「……あァン……ッ」 「…………!!」 「あーーーゃああゃあゃあゃああ!!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……! え、えっちはキケンです……! あんな、すごすぎます……ぅあぁあああーーー!!」 「おっはよーございまーす!」 「お、おはよ……」「……おはようございます……」 「いやー、いい天気ですねー! 今日も快晴だー!!!」 「おおっ、天気予報もお洗濯日和じゃないですか。 にほんばれ、今日も明日もにほんばれー!」 「………………」 「な、なにがあったの?」 「さ、さあ……」 「なれば諸君!! 本日も楽しい武者修行の始まりである!!」 「はーい! ノリノリでいっちゃいましょー!!」 「いっちにー、さんしー!! ごーごー、れっつごー!!」 「ふむ、気力充実しておるな! 感心感心!」 「もっちろんです、 しろくまベルスターズ本日も絶好調♪」 「分かりやす……」 「はい?」 「なんでもない……っていうか そのうち分かるわ、たぶん」 「運動のあとはごはんです!! うー、わくわくしますね。 今日のメニューはなんでしょうかー?」 「そうだなぁ……ん?」 「…………(じーっ)」 「な……なにか?」 「べーつーにー?」 ツンとりりかが顔をそむける。まさか……こ、この空気は昨夜のことが!? 「……うわ!」 動揺を隠そうとしたつもりがオレンジジュースのグラスを倒してしまった。 「あーもう、とーまくんなにやってますかー」 すかさず笑顔満面のななみが俺の脇にやってきて、服にかかったジュースの雫をふき取ってくれる。 「はいはい、ちゃんと拭かないと、 せっかくの一張羅がシミになっちゃいますよ?」 「それはそうだが、これくらい自分で……」 「いいからとーまくんは テーブルの上を拭いてください。 るんるるんるるー♪」 手伝ってくれるにしても、この分担は間違いなく逆だと思う。わかっているのか、ななみさん? 「(おい、やりすぎだ)」 「(へ?)」 「(前、金髪さんの目を見ろ!)」 「ふーーーーん!」 「……!!!」 「なななななっ!? ななななななななんですか!?」 「……で、予習は役に立ったわけ?」 「ふえぇぇ!? い、いやぁ……予習と言われましても、 そんな役に立つような出来事はひとつも!」 「はい、朝食はななみさんの好きな フレンチトーストです」 「きゃあぁああ!! そんな破廉恥トーストだなんて、 わたしたちはなにもーー!!!」 「落ち着けーーー!」 「むしろ落ち着くのは国産」 「あぐ……ぐ!」 「ななななーんでもないですって! 別に怪しいこととかぜーんぜん!!」 「怪しい?」 「い、いえその……あー! やー! しー!」 レッドキング直伝の即席カラテポーズを取ってみせるななみだが、そんなことでこの空気がどうにかなるはずもなく……。 「……ななみん! 国産!」 「は、はい!?」「お、おう!?」 「これでまた腕がなまったら 全面的にラブラブ禁止だからね!!」 「も、もちろんですともー!」 「あうう……完全にばれてましたか?」 「あんだけはしゃいでりゃバレる」 「はははしゃいでなんか!!!」 「……!!」 反論しようとして、鼻先が触れるほどアップに迫ったななみが、急に頬を染める。 「え、えへへー……な、なんか近いですね@」 ダメだこいつは。ついでに言えば、一緒になってドギマギしてる俺もダメ枢軸だ。 「……サンタさんたちには白状しとこうぜ」 「そ、そうなっちゃいますか?」 「リーダー的に考えてもそうなっちゃうだろ?」 「……!」 「そ、そうですね……イブを前に リーダーが隠し事なんて許されないです」 「俺も浮かれないように気をつける」 「うぅ……なら、わたしも!!」 「お前も?」 「はい! お仕事中はラブ禁にします!!」 「らぶきん?」 「ラブラブ禁止です」 「当たり前だ!! と言いたいところだが、本当に気をつけよう」 「俺たちがこうやって…… ま、こんな風にしてるのも、 仕事をキチッとこなせればこそ、だもんな」 「ふむむ『こうやって……こんな風』とは?」 「想像で補完」 「そこを具体的にー!!」 「ええい言わせるな!」 「そこを照れずにずばーっと言ってこその男の子! じゃないと妄想で余分に補完しちゃいますよ?」 「今決めたとこだろう、就業中はラブラブ禁止! 金髪さんだって同じこと言ってた」 「あうー、それはりりかちゃんのお達しを 悪用してないでしょうか?」 「どこがだ!」 まったく……果たしてこの調子で節制した日常なんて送れるのだろうか!? しょんぼり気味のななみを見ていると、もりもり不安が湧き上がってくる。 「ニュータウンだ! 久々の営業モードに切り替えるぞ」 「は、はい! そうですね!」 「からんからーん♪ からんからーん♪」 「やぁやぁ、遠からん者は音にも聞けー! 近くばよって目にも見よーー! きのした玩具店のおでましだー♪」 「はりこー人形劇団、 ただいま帰ってまいりましたー!」 ニュータウンにななみの声がこだますると、たちまち子供たちが集まってくる。 「サンタのおねーちゃんだ!」 「ほんとだ、かえってきたー!」 「ふっふっふ……お待たせしました! 今日から劇団・第二章の始まりですっ」 「おおー、なんだかわかんないけどすげー!!」 子供たちに囲まれながら、ななみの笑顔も絶好調。 「もーちろん、 新作人形劇も用意してきましたよ。 今度はなんとホームコメディに挑戦だー!」 久しぶりに屋台を引いてのニュータウン営業。しかし俺のパートナーさんは、ブランクなど微塵も感じさせない余裕っぷりだ。 「さーさー、みなさん集まりましたかー?」 「今日のはりこー人形劇は、 とある仲良し家族の日常をしみじみ描き出す、 その名もびっくり『シジミさん』でーす!」 「シジミー! しみじみー!」 「お、言ってる間にやってきましたよー! さーさー、登場しました、シジミさん! みんなにご挨拶です!」 久しぶりの人形劇ということで、いつもよりも気合の入った張子人形が踊りだす。 舞台はどこにでもありそうな町の二世帯住宅。そこに暮らす独特な髪型をした主婦、シジミさんの物語だ。 「シジミでございまーす。 あらあら、いけないわ駿河屋さん。 昼間っからこんなところで……!」 「おっとシジミさん さっそくの神展開かーーー!?」 「(やめろ、昼間の通学路だ!)」 「(単なるツカミですってば、だいじょーぶです)」 「こらー、イナダ! 早く起きなさい、また遅刻するわよ」 「姉さん、もうちょっと寝かせてよー。 ことわざにも言うじゃないか、『春眠暁を覚えず』って」 出だしでびっくりさせられたが、どうやら王道ホームコメディには違いないようだ。 「いいから早く起きておイモの配給に出かけるわよ。 あ、お父さん、お隣に満州から引き上げ組の ご一家が越してきたみたいですよ」 「単行本第一巻!? やめろ、平成だ!!」 「(だからツカミの……)」 「小学生がキョトンとしてらあ」 「あうぅ……じゃあすっ飛ばして本編ですー」 なんとか脱線から立ち直ったホームコメディー人形劇が子供たちの前で繰り広げられる。 ……しかしまあ、よくもこうぽんぽんと話が出てくるもんだ。 事前の打ち合わせをしているとはいえ、人形劇の95%はアドリブで出来ている。これもななみの才能なのか? 「……そのとき不意にイナダは思ったのです!! 自分の前にいるのは、 妹ではなく、ひとりの女の子だと……!」 ………………何の話になった? 「お、お兄ちゃん……だめ、 わたしお兄ちゃんといっしょにいるだけで 胸がどきどきしちゃって……」 「ぼ、僕もだよメカブ!! どうしよう、 こんなこと姉さんに知られたら……」 「だめ、お姉ちゃんじゃなくてわたしを見て!」 「小学生相手にラブ展開もダメ!!!」 「で、でも」 「でもじゃない、より一層キョトーンとされるだろ」 「でも!」 「いいぞー、イナダ!!」 「GO! メカブGO!!」 「う…………受けてるのか?」 ななみと子供が分からん……さっぱり分からん。これが……ジェネレーションギャップなのか! 「だけど次からラブ禁止!!」 「で、ですけどエンタメ的にいうとですね」 「子供向けのエンタメは明るく熱血で充分だ!」 「とーまくんちょっと古いです……」 「うぐっ……!」 突如として始まった禁断の恋愛劇に、一時はどうなることかと思ったが、フタを開けてみればそれも含めて大成功。 劇のウケは上々だったし、売り上げもなかなかのものだった。 屋台での営業に関しては、俺は単なる力仕事要員で、ほとんどななみに任せっきりだ。 俺では、ななみのように子供と一緒になって楽しむことはなかなかできない……。 「…………」 少し前を歩くななみの横顔を目で追いかける。 「……?」 「どーしました? 顔に何かついてますか?」 「い、いや何でも……」 こいつの横顔を眩しく感じてしまったのは、きっと夕陽が目に差したからだ。 「あれ……?」 足を止めたななみの視線の先、植え込みの中に大勢の野良猫とカラスがいる。その中心には── 「くーここ、くここここ!」 「にゃん!」 「かーかー!」 「ここっ、ここここ!」 「……なんかトリさんの部下が増えてる」 「くけー!! くここここ!」 「なに、熊崎城址の大ノラ軍の参謀ミケを うなぎの骨で〈諜略〉《ちょうりゃく》する? あの城を落とせばニュータウンを〈睥睨〉《へいげい》できる?」 「くこっこここ!」 「お、おう、命を粗末にするなよ」 「な、なにが起きてるんでしょう??」 「完全に覇道を〈邁進〉《まいしん》しているな」 「はぁぁ」 「それはさておき、出し物についてなんだが、 急にラブコメ人形劇ってのはどうかと思うぞ?」 「だって……日常生活がラブコメなんですから そこは仕方ありません」 「だ、誰がだ!? 俺は決してラブコメなんか……!!」 「誰と言った覚えもありませんけど?」 「うぐ……!? てっきり流れ的に俺たちのことかと……」 「はい、実際そうなんですけど」 「お・ま・え・はーーー!!!」 「あいた、いたた!! いたいいたいいたいいたいーー!」 「あい変わらず仲がいいんですね」 その声に、ななみのこめかみをぐりぐりしていた手を解き、慌てて距離を置く。 「らら……アイちゃん!」 「こんにちは。 お久しぶりです」 標識の陰から姿を現したのはランドセルを背負ったアイちゃんだ。 「わぁ、お久しぶりです! 元気にしていましたかー?」 「見ての通りですけど?」 言葉づかいはいつも通りだが、アイちゃんは少し嬉しそうだ。 「実は、今日からですね、 はりこー人形劇団の……」 「第二章ですよね。 さっきそこで見てました」 「げげっ、そうでしたか! た、楽しめてたらいいんですけどー?」 「はい、でもエンタメ的には 途中でB29の大空襲があっても よかったんじゃないでしょうか?」 「平成だから」 「あ、店長さん、いたんですか?」 「いるよ!! ななみがいる時は雑用係だけどな!」 「ふふふ……」 劇団にろくすっぽ貢献できてない俺をいじってアイちゃんが笑う。 「移動店舗がないときは お店にいるから遊びにきてくださいね」 「はい、スケジュールが空いてたら 喜んでお伺いします。それじゃっ!」 「うぅ、相変わらずの社交辞令です……」 「ま、アイちゃんだからな」 むろん、ななみは気づいていないだろう。 お前といる時のアイちゃんは、俺と話しているときよりも、ずっと打ち解けた笑顔を見せていることに。 「とーまくん、右下にターゲット 5つです!!」 「OK、一気にやっちまえ!」 「いっきまーす……!!」 「アッ……プル、パーーーイ!!!」 「やりました! ぴったりすっきり大成功ーー!」 「気を抜くなよ、市街地を抜けるぞ」 「りょーかいですっ!!」 一気に出力を上げたいところで、ななみのソリからルミナが流れ込んでくる。 トナカイに鞭を入れるタイミングを完璧につかんだななみが、この先どこまで成長するのか。そんなことを想像すると、空が狭く感じられる。 「次のターゲットは?」 「しろくまドームの南側に3箇所です」 今日はイブを想定した市街地での配達訓練。靴下のかわりにバルーンを撃ち抜くたびに、早くイブが来ないかと待ち遠しくなる。 「いっきまーす!!」 ななみの掛声に合わせて拡散弾が発射され、バルーンが次々に弾け飛んでいく。 「ふーん……」 「ピンクのお嬢さんの手際に見とれたかな?」 「誰が!! 今のはまぐれっぽいわ……うん、まぐれ!!」 「それにしちゃ綺麗に流れに乗っかってるぜ」 「……拡散弾の命中精度も高くなってるわね」 「………………」 「でも、あたしにはまだ届かない!」 「ラブ夫、一気に決めるわよ。 キャリアの差を見せ付けてやるの!」 「それでこそ麗しのお姫様だ、愛してるぜ」 「無駄口はいーから。 カペラより遅かったらクビだからね!」 「ははは……行くぜ、 ベテルギウス突入する!!」 「あーあー、二人とも暑っ苦しいほど絶好調ね」 「先生! 私たちも突入です!」 「えー? 硯も影響されちゃった?」 「はい、ななみさんやりりかさんの 足手まといにはなりたくないですから!」 「ま……いっか。 それじゃアタシも荒っぽく行っちゃおーかな?」 「はいっ!!」 しろくま町の夜空に流星が行き交い、そのあとを追うように、ルミナの光が灯される。 イブの配達を想定したサンタの空中飛行。今年のイブはしろくま町に例年以上のプレゼントが届けられるだろう。 ななみの好調がうつったのか、今夜はりりかも硯も気合いが乗りまくっている。チームワークの訓練も実を結んできた。 「りりかちゃん、西側の住宅街お願いします!」 「1分で抜けてやるわ! すずりん、撃ちもらしは任せた」 「了解、続きます──!!」 しろくまベルスターズ──いい感じだ。 この調子でイブを迎えることができれば、トナカイ冥利に尽きるというものだ。 「はぁ、はぁ、バルーン撃破完了……はぁぁ……」 「は、はひー、お疲れさまーーーぁぁぁ……」 さすがに本番並みの訓練はハードだ。スーツの中が汗でじっとり湿っている。 トナカイはむしろ楽しさが先に立つが、ルミナを操り続けているサンタの消耗は相当激しいようで、みんな肩で息をしている。 さて、あとはシャワーを浴びて……。 「早くこたつで一杯やりたいわー。 深夜の洋ドラ見ながら、イカでも〈炙〉《あぶ》って……」 「炙りイカに熱燗か……ごくり」 訓練後のひとときに欲望が芽生えたところで、それまで黙っていたりりかが、ぼそっとつぶやいた。 「カペラの受け持ち、 もっと増やしても平気かもね」 「え? いいんですか?」 「拡散弾の命中精度が保てるなら、だけど」 「は、はい! それはもう、まっかせてくださいっ」 チームのリーダーはななみだが、プレゼント配達の受け持ちについては、経験豊富なりりかの意見が重視される。 もちろん最終的な決断はロードスターがするが、サー・アルフレッド・キングは俺の想像以上にサンタたちの自主性を重んじているようだ。 「エースサンタがどういう心境の変化だい?」 「ニセコが言ってたでしょ、ニュータウンの話」 「真空地帯、ですね」 りりかが黙って頷く。今夜の訓練に先だって、透から気がかりな報告があったのだ。 「ルミナの非分布地帯が、 ニュータウンを中心に拡大しています」 「想定以上に範囲が広がっているので 予定していたニュータウン攻略訓練は 中止にしてください」 「このまま真空地帯が広がると、 相当時間をロスすると思うし」 「俺のベテルギウスでもいささか手に余る」 「そのフォローをカペラが?」 りりかが頷いた。 これまでの目算では、経験と技量の面から考えて、りりかとジェラルドのペアがもっとも多くの配達地区をカバーすることになっていたが、 真空地帯の拡大が続くようなら必然的に、各ペアが受け持つ配達地区の見直しが行われなければならないだろう。 「ま、こないだの雪合戦が たまたまじゃなければ、だけどね!」 「それはもちろん、おまかせあれ!」 「お、自信だな」 「はい、とーまくんとなら大丈夫です」 肩越しに振り返ると、ななみと目が合った。 熱い瞳だ。 この瞳が、根拠のなさそうな発言に妙な説得力を持たせている。 「……それも、お前のサンタとしての能力か」 「ふふ、とーまくん……」 「そこの二人! ツリーハウスまで気を抜かなーーい!!」 「も、もちろんですとも!!」 「よお、昇り調子だなジャパニーズ」 格納庫にカペラを戻してからテラスに上がると、ボトル片手のジェラルドに手招きをされた。 「ああ、このところ上がり調子みたいだ。 イブまでにはベストに仕上げて……」 「違うよ、ピンクのお嬢ちゃんの件さ。 首尾よく運べたみたいじゃないか?」 「……ええと、なんのことでしょう?」 「隠すことはないだろ? 少女趣味は日本人の特性だ」 「……!?!? だだだだれがそんなこと言った!!??」 「国連の偉い人か何かさ。 それよりほら、こいつを見ておけ」 「DVD?」 「特別教材だ。 お前さんは将来有望なトナカイだからな」 「そ、そいつは……どうも」 ふーむ、教材か──。 先輩のご好意はありがたいが、あいにく俺の部屋にはDVDを再生する環境がない。 リビングに降りてみると、サンタさんが集まって何やら熱心に話し込んでいた。 「……つまり、小回りのきくカペラと ななみんの拡散弾を活用するんなら、 メニューから変えていくっきゃないってことね」 「密集地域への配達を想定した訓練ですか?」 「ぜひぜひ、やらせてください! アクロバットの最中にルミナを射ち出すコツが ようやくつかめそうなんです」 「……あ、とーまくん!」 「おう、やってるな」 「とーぜん、イブは近いのよ。 あんたはどーしたの?」 「ちょっとね、硯に PCを貸してもらおうと思ってさ」 「はい、構いませんけど……」 「国産がPCなんていじれんの?」 「一応はカペラも精密機械だぜ。 そんじゃ、お邪魔さま」 「ふーむ……?」 「珍しいですね、中井さんが」 「なーんかひっかかるわね」 PCでDVDを見るくらい、いくら機械音痴の俺でも簡単なことだ。 「さて、八大トナカイの教材とやらは……」 期待感とともにDVDをトレイに乗せる。自動再生が始まると、そこには白人の……。 「オーッ、オオオオーーッ! モア、モア! ンォォーッ! カンミー! ンシーッ! カンミー、カンミー!! アアーーォッ!」 「違った、別のディスクだ」 「………………いや、これだな。 受け取ったのは間違いなくこいつだ」 「シーッ! アァァンシーッ!! ンアーーァ! イェス、イエスッッ! オオーーァォ!! ンシーッ!! ンンアアーーーーォォ!!」 「だが…………どう解釈すればいい?」 どうも何も明白だ!! トナカイがこういう人種だってことを俺がすっかり忘れていただけだ。 こいつが教材!?なにがどう教材!? いや待て……落ち着いて考えろ。確かに女を知らないトナカイのほうが異端なのだ。 それに、よくよく見てみれば……。 「確かに……こいつはプロの技術だ」 画面の中では、白人の男女がサーカスじみた性行為を繰り広げている。 いや、見た目の派手さに惑わされるな。この愛撫の細やかさ、丹念さはどうだ。 これに比べたら、夕べの俺の仕業など児戯にも等しい……。 「技術……いや、ハートと技術か」 操縦も性行為も、その基本は変わらないのだ。 トナカイは職人だ。職人であるなら愛撫ひとつとっても、そこには一つの美学というものがあるべきで、 「ジェラルド……あんたはそれを俺に伝えようと」 ──ありがたい話だ。 そうと分かれば、このDVDの隅々までも血肉とするのが、教えを受ける者の道義というやつだろう。 かくして俺は腹を据えて画面に向かった、その矢先──。 男の指と舌にばかり目をやっていた俺の前に、白人女の性器がアップになって飛び込んできた。 「うぉ!?」 思わずのけぞり、そしてひとつの疑問が芽生えた。 「あいつにもこれが?」 目の前で薄赤い口を広げた粘膜の襞。 生物学的に考えるのなら、こいつと同じようなものが、ななみにも? 「…………うーむ」 無理だ、どうしても接点が浮かばない。ななみにこんなモノが付いているさまは、俺の想像を超えている……。 「いや俺もうヤってるし!」 自分で突っ込んで、はたと気が付いた。性交を果たしたというのに、俺はまだ、ななみの下半身を知らないのだ。 昨夜は顔ばかり見ていた。裸といっても下着を着けた胸を見ただけで、ショーツを脱がしたときも暗くて分からなかった。 そうなのだ……俺はまだ、ななみのことをほとんど知らない。 性交とは、かくも儚ないつながりなのか、いや……。 「むむむ……!」 DVDの映像と昨夜の営みはまるで違う。 あれは、お互いが暗がりの中で手だけをつないだような、そんな交わりだったような気がしてくる。 考えれば考えるほど、好奇心が鎌首をもたげてくる。ななみはどんな身体をしている?あるいはどんな……。 「シルバー・マトック!!!!」 「うわぁあああぁぁッッ!?」 「なんか怪しいと思って来て見れば! あたしたちが訓練の打ち合わせしてる最中に なに見てんだこのエロトナカイーーー!!!」 「い、いやっ……これは、その……!」 「うっさい!! ぎゃーーーーなんか勃ってるし!!! ハイパーエロトナカイだ! エロと中井!!」 「うう、返す言葉がない……!」 「まったく…………………………」 「…………………………」 「……金髪さん、どこを見てる?」 「ハッ!? なななななななんでもないっっ!!」 「……………………(凝視)」 「……見終わったら貸すぞ」 「い、い、い、いるかーーー!!!」 「あーーーもういい!! いいわよわかった!!」 「な、なにがだ!?」 「ななみんにはナイショにしてあげるから かわりに国産は、 リビングの掃除当番1週間!!」 「ええーーーー!?!?」 「どうした血相変えて?」 「……こいつはお返しする」 「おいおい、気は確かか? この男優のテクニックは俺から見ても……」 「確かに凄いがこいつはよくない!」 「お気に召さないか?」 「そうじゃないが……!!」 「だ…………だからその、つまり!」 「へ、部屋にこういうのを置いておくのは、 抵抗があるというか……だから……!! とにかく、いけない!!」 「はァ?」 「よくない!!」 「………………」 「……処女かお前は?」 「あーーーーくそ!! くそくそくそっ!!」 「誰が処女だ!! 俺は女子と暮らしてんだ!!」 とはいえ、あのDVDを返した理由は、りりかに見つかったからではなく、なんとなく部屋に置くのがためらわれたからだ。 それが処女なら俺も処女か!? 「ぐむむ……!!」 苛立ちと邪心をまとめてねじ伏せるようにカペラをばらして細部までメンテナンスするが、心の水面は波立ったままだ。 「……とーまくん?」 「うおぉぉ!?」 いちど唾を飲み、平静を取り繕う。 「な、何か?」 「……リビングがぴかぴかになってました」 「ああ、ちょっと気になったから拭いといたんだ」 DVDの罰で掃除当番をしてるのはトップシークレットだ。 「ふーむ……どうしたんですか?」 「なんでもないさ」 あのDVDのおかげで、ななみを正視できない。こいつにも、あんなものが付いていて、場合によってはあんな反応を……!? 「む、なにか焦ってませんか?」 「俺が? まさか!!」 「だといいんですけど……」 覗き込もうとしたななみと目が合った。とたん頭の中に、昨夜のベッドの香りが蘇ってくる。 「………………」 「………………」 まずい、男の触覚が鎌首をもたげようとしている。 「そ、それで、なな何か用か?」 「あ、そーでしたっ! 実は、 りりかちゃんの予想では、わたしたちの 割り当て地区が想像以上に増えそうで……」 仕事の話か。 割り当てのことなら問題ない。増やせるだけ増やしても今のななみならば大丈夫だ。こいつには、それを受け止めるだけの力がある。 ……むむ、これは〈惚気〉《のろけ》か? 「そういうわけで、しばらくは猛勉強しないと いけなくなりそうなんです……」 「勉強?」 「はい。新しく受け持ちになる地区について 過去に来てるリクエストを整理したり、 去年までのデータを調べたり、あとイメトレとか」 「なので、相当忙しくなっちゃいます」 「レベルアップのチャンスじゃないか、がんばれよ。 お前がサンタとしてベストの力を出せるように、 俺はこいつを完璧に仕上げとく」 「はい……とーまくん……!」 「でも……そうなると」 「…………!」 「しばらくは……ラブラブ禁止ですよね?」 「余裕ができるまではな」 「ん……りょーかいです!」 ぐっとなにかをこらえたななみが、元気に敬礼してみせる。 その仕草に妙な引力を感じてしまった俺も、必死で踏みとどまろうとしている。 「あ、あのさ……ななみ」 「なので……今はこれだけです」 「……ん@」 ちゅ……と、頬に唇が押し当てられた。 「!?」 「それではっ、星名ななみ! お勉強いってきまーす!!」 「お、おう!」 「では……おやすみなさいっ!!」 足早に階段を上っていく靴音を聞きながら、じんわりと唇の感触が名残る頬を撫でた。 なぜかは知らんが胸が高鳴っている。まったく、あいつは……不思議な奴だ。 「このお人形って、 おじさんが作ってたんですか」 ななみから手渡された張り子の人形を持って、アイちゃんが感心して頷く。 「どうりで良く出来ていると思いました」 「あ、あはは……実はそうなんです」 「なに言ってる、 俺は作り方を教えてやっただけだ」 「あとな、お嬢ちゃん、 おじさんじゃなくて、シガさんだ」 「私は、 お嬢ちゃんじゃなくてアイちゃんですね」 「わっはっは……こいつは一本取られたな。 わかったよ、アイちゃん」 今日も変わらぬニュータウンでの営業活動。しかし、どうした風の吹き回しか、今日はアイちゃんが移動店舗の手伝いを申し出てくれた。 「べつに、暇なだけです」 どんな理由であれ、アイちゃんが手伝ってくれるというのでななみは大喜び。 かくして、三人で呼び込みをしているところへ、偶然シガさんが通りかかり、みんなで一緒に公園で昼食を取ることになったのだ。 「シガさんは、今日はどういう風の吹き回しで?」 「ん……まあな」 言葉を濁したシガさんにかわって、ななみが硯特製弁当をアイちゃんにすすめる。 「私は、べつにいりませんから」 「まあまあ、そんなこと言わずにー」 「そうだよ、こいつが食い物を 誰かにあげるなんて有史以来初めてだぜ?」 「もー、なんでですか! とーまくんにいつもお菓子あげてるのに」 口を尖らせたななみだが、シガさんが弁当を開くと、急に目を輝かせた。 「わぁ、シガさんのおにぎり美味しそう!」 「かあちゃんのさ……へへへ、ほらアイちゃん」 「ほんとに私……(ぐきゅるるる)」 「…………!!!」 「なァ、つまり遠慮はいらねえってことだ」 シガさんに手渡された大きいおにぎりにアイちゃんはかぷりと噛みついた。 そのまま、ちまちまと食べる姿は、まるで小動物のようだ。 一方、その隣では豪快に弁当をほおばっているお姉さんもいる。 「はぁぁ、おいしいですねー。 青い空ー! 白いごはんー!」 「しろくまの米は何気に美味いぜ、 ほれ、兄ちゃんも食ってみろ」 「じゃ遠慮なく……ななみ、半分食べるか?」 「はい、よろこんで…………ぱく!」 「おいしーーーーーーーい!!!」 「ほんとだ、米の味か……あと塩加減が、うん」 「握るのも上手なんですよ。 ぎゅっとしてるのにほろほろで!」 「かあちゃんはこれっきりしか能がねえんだ」 口調こそぶっきらぼうだけど、シガさんの頬は緩んでいる。 「梅干しでもこんなに美味しいなんて、 もしこれが昆布さんだったら、 確実にほっぺが落ちてしまいます……」 「嬢ちゃんは昆布が好きなのかい?」 「はい、佃煮にしたのが好きで。 ……おばあちゃんの味なんです」 「おばあちゃん?」 「小さいころ、おばあちゃんといっしょに暮らして たんですけど、その頃よくお手伝いさんが昆布の おにぎりを握ってくれたんです」 「それじゃお手伝いさんの味です!」 「……そういえば!」 おにぎりを口に入れたまま、絶句するななみ。 「おばあちゃんは ごはんを作ってくれなかったのかい?」 「はい、おばあちゃんは家長さんで とーっても偉かったので、 ほとんど家事はしませんでしたね」 「そいつぁ由緒正しいお家柄だな。 俺はもう、握り飯は梅干しだけだな」 「なにか思い出があるんですか?」 「んなもんねェよ。 かあちゃんが握れんのはこれだけなのさ」 「とか言って、好物だったりして??」 「よしなって」 シガさんが照れくさそうに手を払う。 「アイちゃんはどんなおにぎりが?」 「特にないですけど、 強いて言うならシーチキンです。 105円なので」 「コンビニのおにぎりか」 「そうですよ、店長さんは?」 「俺は……普通におかかかなぁ?」 「お、か、か?」 「定番だろ」 「はて……おかか……?」 「おかかってなんですか?」 「マジか!?」 「嬢ちゃん、おかかを知らんのか?」 「はい、アイちゃん知ってました?」 「ううん、売ってるのみたことないです」 「確かにコンビニじゃあまり見かけないが」 「おかかってのは、カツブシのことだよ。 醤油でクッと味つけてな、 中に入れても美味いし、まぶしてもいい」 「かつぶし?」 「カツオブシさ」 「カツオブシは出汁を取るものですよ?」 「あと、のり弁ののりの下にもあります」 「……参ったね、これが時代ってやつか?」 「そうでしょうか、アイちゃんはともかく、 ななみが知らないのは不勉強じゃないか?」 「そんなぁ、わたしだって最近は硯ちゃんに お料理習ってるんですよ」 「ケーキ作りではなく?」 「えへん、和食です!」 「ほう、そいつは初耳だ……何でまた?」 「そんなの、決まってるじゃないですか……」 ん……こ、この視線は!? 「待て、就業中──!!」 「そうでしたっっ!」 異次元に引きずり込まれそうになるのをかろうじて踏みとどまったつもりだったが、すでに時遅し。 「ちぇっ、春には早ぇがなあ?」 「ふーん、やっぱり恋人だったんだ」 「………………!!!!」 「い、いや、これはその就業中だから 恋愛禁止とかそういう意味ではなく、 料理の修業中であるということであって!」 「そそそそうです! みなさんにお料理を作りたくてですね!」 「いつ頃から付き合ってるんですか?」 「まるで聞いてくれてない!?」 「あぅぅ、ぐ、具体的には申せませんが、 おとといの午後……」 「わぁぁ! 具体的すぎらあ!!」 「ふうーん、顔を見せなかった間に、 そんなことがあったんですかぁ」 アイちゃんが得心のいった顔をする。確かに……相手がななみなのだから、隠しおおせると思ったことに無理があった。 「でも、もう来ないかと思いました」 「アイちゃん……」 アイちゃんの口調はいつもどおりだったが、わずかな響きの違いにななみが顔を上げた。 「……急にいなくなったりしませんよ」 「この騒がしいのがいないと寂しいだろう」 「そうでもないです」 「そのわりに居心地良さそうな顔してるぜ?」 「……!!」 「し……主観の相違ですね」 アイちゃんの頬が赤く染まる。それを振り払うように立ち上がると、『そろそろ帰ります』と彼女は言った。 歩きだして、途中で振り返る。 「あ、そうだ」 「?」 「今度、小学校で星の観察会があるんです。 わりと人が集まりますから、 商売になるかもしれませんよ?」 「いやー、今日も働きましたー。 やっぱり外の営業は気合いが入りますね!」 「アイちゃんさ、 お前が戻って喜んでたよ」 「……だといいんですけど」 「知ってるか? あの子は、俺と話してるときより、 ななみの前の方が自然な顔をしてる」 「そんなことはありません。 とーまくんにも同じでしたよ」 「サシになると、そうでもないのさ。 やっぱり……」 ななみの目を見る。 「やっぱり、お前はサンタさんなんだ」 「…………とーまくん」 ななみの顔が少しずつ赤みを帯びてくる。それを見た俺の鼓動も、少しだけ早くなった。 「…………」 「…………」 気が付けば、お互い足を止めて見つめ合っていた。 「あ、あのー!」 「ん?」 「その……今日1日は、 ちゃんとラブラブせずにがんばれましたよね?」 「そ、そうだな……80点」 「お、合格点でました!」 「自己採点甘いかな?」 「いいえ、適切ですとも!」 外回りの仕事はひとまず終わり、ここから夜の訓練まではつかの間のオフタイム──。 気づけば周囲に人影もない。あたりを見渡して、俺はゆっくり相方さんと視線を合わせる。 「ななみ」 「……はい」 こういうとき、気の利いた台詞はそれこそいくつもあるのだろうけれど、ななみの目をみているとどうでもよく思えてくる。 そうして──差し出した手にななみが手を重ね…………る直前に。 「……っと、透か!」 「あうぅぅ……とーーーるくんっ!!」 「もしもし……ああ、俺だ。 え? ふむ……了解した、すぐに行くよ」 「じ、事件ですか……?」 「事件じゃないが忙しくなるぞ。 支部に配達の資料がどっさり届いたらしい。 運ぶのを手伝ってくれってさ」 「お……オフタイムは?」 「終了」 「……ですよねー」 「サンタ稼業の醍醐味ってもんさ。 世間は恋人の季節、俺たちは労働の季節」 「うぅぅ……が、がんばりましょう!! こーなったら命の続く限り労働です! 労働で発散しますっっ!!!」 「……発散?」 「え!?」 「あ、あはははは……なんでもないですー!」 秋の陽はつるべ落としとはよく言ったものだ。 資料を受け取りにブラウン邸を訪ね、ツリーハウスに戻るころ、外はすっかり暗くなっていた。 そうして戻れば戻ったで、それぞれ別の仕事が控えている。 「キューブパズルのレッドが3つ、 ブルー2つ、緑とカーキが5つずつ。 ……3番の棚はこいつでラストだ」 「すみません、在庫のチェックまで」 「いいじゃないか、 箱があっちこっちに動くのは 商売繁盛の証ってもんさ」 このところ、店の客足は順調もいいところだ。りりかの話では、様子を見に来たワニ婆さんも「ふん」と鼻を鳴らして帰っていくらしい。 基本的にはめでたい話だが、新商品の入荷ペースも勢いも増すことになり、在庫管理の手間が前より増えている。 サンタ家業が忙しくなるこの時期に、副業のおもちゃ屋まで繁盛するというのは、嬉しくもあり、大変でもあり──。 「本当なら、 オフタイムをななみさんと……」 「なんですと?」 「あ……すみません、余計なことでした」 「ええと、繰り返しになるが、 俺たちはあくまで健全な同僚関係で!」 「………………(疑いの目)」 「さ、さあ!! 残りも片付けちまおう!!」 「………………」 「喜んで、ななみん! こっからここまで、 ぜーーーんぶカペラの受け持ち♪」 「おおーっ! 倍増じゃないですか!」 「当社比300%アップってところね。 というわけで…… はい、リクエストを丸暗記!」 「げげーっ! 三倍でしたか!?」 「サンタならできる! できなきゃリーダー失格!」 「や、や、やってやりますともっっ!!」 「ええと、2丁目1番地からずずーーと! う、う、うぬぬぬ……!!」 「たーーーーっ! てりゃーーーー!!! もいっちょこーーーーーーーい!!!! らぶらぶなんて知るもんかーー!!!!」 「……ヤケになってる?」 「あーーーーーーーしんどい!!!」 「……死にました」 イブのリクエスト整理と倉庫の在庫チェックが終わるとすぐにりりか教官の地獄猛特訓がスタートした。 まる1日の労働に、さらにとびきりハードな飛行訓練が追加されて、解放されたのは午前0時だ。 風呂ジャンケンに負けたななみと、性別の問題で宿命的にビリに回る俺が汗を流し、ななみの個室になだれ込んだのが、その30分後。 「毎年のことながら、 いよいよ始まってきたって感じだな」 ふと窓の外に目をやると、赤い光が闇空を割って飛んでいくのが見える。 「見ろよ。 金髪さん、まだ訓練する気だ」 「うぅーー、ま、負けてられません!」 がばっと跳ね起きたななみは、リビングから持ち込んだ暫定版の配達リストとリクエストの書類に向かい始めた。 その横でただ寝転んでいるわけにもいかず、俺も資料整理を手伝うことにする。 「山本さんって 12番地に2件ありますよね?」 「いや、こいつは二世帯住宅だな」 「なるほど、 子供部屋は南に窓……と、了解です」 手伝うといっても、トナカイはイブのリクエストを見ることができないルールになっている。 ゆえに俺にできることといえば、地図に印をつけて想定コースを割り出すとか、資料のページをめくる程度の補助的な仕事ばかりだ。 時として、集中するななみの横顔に視線を奪われたりして──気づけば時計は午前2時を回っていた。 「あんまり根を詰めるなよ。 明日だって忙しいんだ」 「冬馬くん!」 不意に、ななみが身を乗り出してきた。なにかおかしなことで言っただろうか? 「な、なんだ」 「わたし、悟ったんです。 りりかちゃんとリクエストの整理してるときに このままじゃダメだって……」 「というと?」 「これからどんどん忙しくなるじゃないですか。 放っておいたら、時間なんか全部仕事に 取られちゃいますよね?」 「ごもっとも」 「つまり、ラブラブするには 睡眠時間を削るしかなかったんです!」 「!?!?!?!?」 目を丸くしたところで、ななみが資料の束をぱたんと伏せた。 「よーーーし! 今日のノルマ達成ですー!!」 付箋を貼ったノルマページまでの内容を読み込んだななみが、ずっしりと重い書類の束を机の上に片付け、置時計の針を読んだ。 「午前2時、作業終了。 で、明日は朝の特訓がないから7時起床です」 「う、うん」 「睡眠時間を1.5時間にすれば、 ほら3時間以上もフリータイムが……」 「元気すぎらあ!」 「とーぜんです! でも、とーまくんはお疲れですか?」 「な、ななみ……さん?」 座卓の向こう、ほおづえをついてこっちを見たななみが笑っている。 ラブラブ!?まさか、今から……睡眠時間を削って……? 「お……おい、ちょっと!?」 「もー、やですね。 なにを慌てているんですか?」 「心配なだけです! サンタさんの体力が!」 「とーまくんのほうがお疲れですよ?」 「俺は男だからどうにでもなるの」 「とか言って、本当は癒しを求めてたり?」 「そ、そいつは……! 疲れてる時なら、そういうこともないとは」 「ふっふっふ……だから、 恋人さんがいるんじゃないですか」 確かに、体力を消耗するような行為でなくとも、お互いの愛情を伝えあう方法はいくらでもあるわけで……。 いかんな、変な発想をして気を回してたのは、どうやら俺だけのようだ。 「ふーむ……ラブラブは、癒しか」 「そうですとも!」 「なるほど、今のはなんとなく説得力があった」 「ですよね? では、さっそく 〈癒〉《いや》らしいことをしちゃいましょう♪」 「な、なな、なんか 1文字増えてませんでしたか!?」 ソファーに身体をもたせたままたじろいで硬直する俺の前にななみがにじり寄ってくる。 「くすくす……♪」 男の俺が緊張していて女のななみが楽しそうだ。 「ええい、そっちがその気なら!」 なぜか主導権を握られてしまった気がして、俺は遅まきながらななみの肩に手を回す。 「とーまくんはリラックスです」 するりと俺の手をすり抜けたななみが、上体を密着させてきた。 「な、ななみ……?」 「ん……」 自然と唇が合わさる。ぬるっとした舌が入り込んできて、俺の舌先をからめとる。 「はむ……ん、ちゅ、ちゅ、んんん……」 何日ぶりかのキス──。しばらくのあいだはお預けにされていた粘膜の交合に、身体の芯が熱くなってくる。 「ぷは……ふふふ、久しぶり」 「よし、落ち着こう」 「もー、どうしてそうなりますか。 落ち着いていないのはとーまくんです」 「そ、そんなことは……」 間近に迫ったななみの瞳が俺を射抜く。とっさに言葉が出なくなってしまった。 「冬馬くんはいつも格好よすぎるんです」 それは本当に格好がいいのではなく、格好をつけたがるということだ。 「こういうときは、ちょっとくらい かっこ悪いほうが可愛いですよ?」 「可愛くなくていい」 「もー、いじっぱり……」 ひんやりとした手のひらが、俺の手の甲に重なる。 「力を抜いて……」 「こうか?」 「うん♪ それから、素直になってください」 「ひねくれてるつもりはないんだが」 「…………」 ひねくれているつもりは毛頭ないんだが、ななみに正面から見つめられると、なぜだか気後れを覚える。 唾を飲むのをこらえた俺の頬をななみの両手が挟み込んだ。 「せっかく睡眠時間を削っているのに 気を使ってばっかりじゃもったいないです」 〈反駁〉《はんばく》の言葉が浮かばない。間近に見つめられていると、こいつの言うとおりだという気がしてくる。 「うん……分かった」 「ふふっ……」 「な、なんだ!?」 「ううん……今のって わたししか知らないとーまくんですね」 こないだ俺が囁いたようなことを言う。仕返しをされているような気にもなるが、どうやらそんなつもりはないようだ。 ななみの身体が密着する。コツンと刺激が伝わってきて、俺は自分の下半身の昂ぶりに気づいた。 「…………あー?」 いたずらに笑ったななみが、手の甲に乗せていた手をズボンの前に移す。 「ふふ……とーまくん、ドキドキしてますね?」 「お、お前こそ」 「でも、ドキドキは大切だって本で読みました」 確かに、俺の読んだ本にも似たようなことが書いてあった。 ななみは興味深そうに、硬く盛り上がった股間部分を見下ろしている。 「み、見ちゃっても?」 「駄目って言っても脱がす気だろ?」 「あ…………あはは、だって苦しそうですし」 「ほら、1日中ズボンの中にいるんですし、 外の空気を吸わせてあげたほうが いいんじゃないですか?」 しどろもどろになったななみが、喉をごくっと鳴らして、息をつく。 「えっと……」 リードしているつもりなのだろうが、おぼつかない仕草で手をチャックにかけた。 「……ここを……」 「わぁぁ!?」 トランクスごと下ろされ、勢いよくそり返る。本気で驚いた声をあげたななみが、姿を見せた俺の分身をまじまじと見つめる。 「なるほど…………これが、とーまくん」 「あ、あんまりまじまじ見るな」 「ふふふー、恥ずかしいですか?」 「そ、そんなことはないが」 この居心地の悪さは、羞恥というより緊張だ。ななみに見つめられているというだけで心臓がうるさいくらい強く鳴っている。 「それではさっそく……」 ななみが冷蔵庫から白いチューブを取り出してくる。 「な、なんだそれは?」 「ですから、癒しアイテムです♪」 「ちょん、ちょん……と、ふふふ」 「わっ……冷たい冷たい!!」 「がまんです、すぐに暖まりますから♪」 ななみは冷蔵庫から取り出したホイップクリームのチューブを絞って俺の上半身をデコレートしはじめた。 「ここにはたっぷり……ちょん、ちょん、っと」 シャツの前を開かれ、左右の乳首にクリームを乗せられる。 「ふっふっふ……とーまくんケーキです」 「こら、食べ物を粗末にする奴は……」 「粗末にしたりしませんよ……ん、ちゅ……」 「……ッ!!」 ななみの唇が俺の肌に押し当てられる。そのまま、れろろっ……と舌先がクリームの上を這い、舐め取った。 「んふーーンン、ん、ん、れろれろ……んぁ んむ……ん、んむ……ん、ちゅ、れろっ」 ゾクッと背筋を震えさせる刺激に、筋肉が収縮した。 「ふふっ、おいし♪ ん、ちゅ、ちゅちゅちゅ……れろれろ、ん」 「ひょっとして、き……緊張してんのか?」 「れろれろ……ぷは、な、なぜですか?」 「お前はいつだって スィーツ的なもので恐怖心を……」 「ぎく……!? ち、ちがいますってばぁ! これは癒しです、い・や・し♪」 「ですから、とーまくんはリラックスして、 ん……れろ、ん、ちゅ、ちゅ……んんんっ わらひに任せてくださ……ん、れろれろっ」 「う……っく……」 次第に快感がくすぐったさを制圧しはじめる。ペニスは痛いほどに反り返って、天井を向いている。 「ふぁ……!?」 それに気づいたななみが、ぎょっとした目になった。 「うわわ、こんなになるんですね!」 「こないだと同じ」 「そ、そうなんですか……? あのときはもう緊張しちゃってて、 ぜんぜん分かりませんでしたから」 今も充分緊張して見えるが、それでななみは恐る恐る俺の突起部分に手を伸ばしてくる。 「すごい……張り詰めてます。 これって、触ったら出ちゃうとか?」 「俺は10代男子か」 「うぅ、不慣れなもので……。 つまり、だ、大丈夫なんですね……わ、硬い……」 ぎゅっと握られ、息が詰まった。熱く滾った体内の熱が、ななみの手に持っていかれるようだ。 「はぁぁ、熱くて……脈打ってますね これぞとーまくん……って感じ」 「本能の塊とでも?」 「ちがいますよー、んー、そうですね 言うならば直情径行、暴発寸前……」 「どっちにしろよくない」 「ええー? 一応ほめてたんですけど、 んむ……ん、れろっ……♪」 「んく……」 「お? ひくんってなりますね」 「遊ぶな!」 「いやです!」 「とーまくんだって、こないだ……んちゅ、 楽しそうでしたもん……ん、ちゅ、れろ」 「わらひにも……ん……れろれろ……ちゅ、 ちょっとは楽しませてください、ん、んん、 ちゅ、ちゅ、あはは……かたーい♪」 「そんな……強く……ッ」 「強く握ると感じちゃいますか? ふーむ……ぎゅ? ぎゅぎゅぎゅ?? てっきり痛いのかと……」 「……っ!」 「おかしいな……急所なんですよね? なのに痛くはないですか……ん、れろ んー、ぎゅぅぅぅぅ……!」 本当の急所がどこかは絶対に言わないでおこう。そっちで遊ばれたら命に関わる。 「んふ、とーまくんのまだ硬くなってる。 元気なおち○ちんさんですね……ん、ちゅ」 ななみの手の中で、俺の分身がいいように遊ばれている。快感と羞恥がないまぜになって鳥肌が立ってきた。 「んー、れろれろれろ……ん、ちゅ、ちゅっ、 とーまくん、おっぱいもツンってしてきましたよ。 ふふっ、女の子みたい……ちゅ、ちゅ、ちゅ」 「はぁ……はぁ、はぁっ……」 「ん……んんっ、れろっ、れろっ……んん、 先のほうはぷにぷにですね……ん、ちゅ、ちゅ おち○ちん握られるの気持ちいいですか?」 「た、多少は……」 「ふふ、よかったぁ……はーむ、ん、んむ、んん れろれろ……ん、んむ……ちゅ、ちゅ……ちゅ はぁ……ん、んんむ……れろれろ……ちゅ」 次第にななみは手を上下に動かし始めた。俺の呼吸がますます荒くなってくる。 「はむ、ちゅ、ん……ちゅ、ちゅ、んむ、 くすくす……ちょっとかわいいですね?」 「やらしーの間違いだろ?」 「ううん……どっちかっていうと、カッコいいです」 「カッコいい?」 「そう見えますけど……ん、ちゅ、ちゅ、ふふっ、 れろれろ……ん、ん、れろっ……んーっ、んん、 ちゅ、ちゅ……ん、んー……んんっ、ちゅ」 胸板にキスをしていたななみの舌が、クリームの残った部分──乳首の周りを丹念に舐め始める。 「れろ、んぁ……知ってました? 男の人もここが気持ちいいんだって……んーっ、 れろ、れろれろれろ……ちゅ、ちゅぅぅ……」 ななみの舌先が左の乳首をとらえる。そのまま唇でついばみ、挟みつける。 「ん……ッ!!」 「お、声が出ちゃうほど?」 「ほど、くすぐったい」 「そうじゃない声だと思いますけど……ん、 れろ、れろれろ……ちゅ、ん、んーっ、 ちゅちゅちゅ……んむ、んん……っ」 「っ……ッッ!」 「こないだのお礼です、くすくす……ん、ちゅ、 んむ、んむんむ……はぁぁ、ん、ん、ちゅ、 んん……ちゅぅぅ……ちゅ、ちゅ、ちゅ」 「ま、待て、一時停止!」 「はぎ……?」 「──っっ!!! 噛んだまま止まるな!」 「もー、なんれふか? んー、れろれろ……」 乳首を歯で挟み込んだまま、ななみが答える。 「そのまましゃべるなって!」 「ふふっ、感じちゃう? んー、んむ、もごもご……んんーーっ、 ちゅ、ちゅ……はむ、れろれろれろれろ……」 「分かった、悪かった、ちょっと待て!」 「だーめ……まだまだ舐めちゃうの。 ん、ちゅ、ちゅ……くすくす、可愛い……ん、 ちゅ、ちゅ、ちゅーーっ、んーーれろれろれろ」 不覚にも、俺はもう限界だった。なんとかごまかして、この場を切り抜けようと言葉をつなぐ。 「や、やっぱりだな、仕事が山積みの中で こういうことしてるのは……」 「はむっ、ちゅっちゅっちゅっ……んん、 仕事とプライベートをきっちり分けて楽しむのが トナカイなんじゃないですか? んー、れろれろ」 「だ、誰に聞いた……いや聞かなくても分かる!」 ジェラルドとサンタ先生の顔が交互に浮かぶ。 「……とーまくん、ひとりであたふたしすぎです」 「……われ泣き濡れて蟹とたわむる」 「てきとーな返句もいりません!」 「いいからおとなしくして。ん……ね? 身を任せちゃってください……んむ、はむ、 ん、ちゅ、んむ……ん、ん、ちゅぅぅ……」 「……んぅ……ッ!」 いかん、変な声が出た。疲れているせいだ。絶対にそうだ。 ななみに……こいつなんかに、年上の俺がいいようにあしらわれているなんてことは絶対に……。 「あっ、ふふふ……とーまくんの顔、だんだん やらしー感じになってきました……ん、れろ」 「手の中でひくんひくんしてる……ん、ちゅ、 んふふー、ん、ちゅ、ちゅ……ん、んーーーっ、 んむ、ちゅ、ちゅ……はぁぁ……んむ、んんっ」 「お前の手がやらしーんだ」 「ちがいますよ、ん、ちゅ、ちゅ……はぁぁ、んむ、 とーまくんの息がやらしーんです……んむ」 「……!」 「こっち見て……」 口元にホイップクリームをつけたななみが間近から俺を見て、ペニスをぎゅっと強く握る。 「もっと、とーまくんのやらしー顔…… 見せてください」 それだけで、蛇に睨まれた蛙のように、俺は抵抗を諦めてしまった。 「んふ、その顔……好きなんです。 ん、ちゅ、ちゅ、あ、おち○ちん…… カッチカチですよ?」 屹立したペニスにからみついた手が上下に運動を始める。 「お前、どこでこんなこと……」 「それはないしょの情報網です……くすくす、 ん、ちゅ、ちゅ、んむ、んふーーっ、んっ とーまくん、もっと感じちゃってください」 まだまだ新米で、いつも頼りないななみが、どうやったらこんな顔に〈変貌〉《かわ》るんだ? まるで、年下の男の子をあやすような優しい笑顔でとんでもなく卑猥な行為を続ける。 「ちゅ、ちゅ……ん、んー、れろれろ ふふふ……気持ちいいですかぁ?」 乳首に歯を立てられると、全身の筋肉がピンと硬直する。ななみに送り込まれた刺激が、股間を痺れさせる。 「あ……ほんとに出てきた……! これ、気持ち良いときのですよね」 先走りの雫がななみの指に垂れ落ちて、ネチネチと音がしはじめる。 「あ……………………………………」 その音を聞いているうちに、ななみの表情がとろりと蕩けてきた。 「はぁ……はぁ、はぁ……はぁ……ふふふ」 「え……えっちですね…………」 「息……はぁはぁ言ってるぞ」 「とーまくんだって一緒です。それに、 ……それに……えっちになってます、 とーまくんの…………………………」 「…………かっこいいおち○ちん……」 「……!!」 「ふふふ……くすくすくす…………」 限界を必死にこらえる俺のペニスを見つめたまま、ななみが笑った。 まるで大好物のチョコレートを見るような嬉しさと愛しさのこもったような眼差しで……。 そんな目をされたら、こらえていたものが暴発してしまいそうだ。俺は必死にななみのペースを乱そうと考え……、 「そ、そんなに……それ、好きか?」 「え…………?」 「はい……好きですよ、とーまくんのだから……」 「……!!」 仕掛けたつもりが返り討ちにされてしまった。ななみの言葉に、限界の波が押し寄せてくる。 「あれ、とーまくんさては……?」 懸命に隠そうとしても、筒抜けだった。耳元に口を寄せたななみが、囁く。 「……イっちゃいそうですか?」 「どこに?」 「あー、ごまかしてる……くすくす。 違いますよ…………おち○ちん……」 「お、男ってのは、 そう簡単には……ん、く……ッ!」 「そお? んー、れろれろれろ……ん、んふーーっ、ん、ん」 舌先と手のひらと、両方のななみがリズミカルに動いて俺の中心部分に刺激を送り込んでくる。 「ひくんっ……って跳ねてる。 ほら、ひくんっ♪ ひくんっ♪ って、 んむ、んむんむ……ん、ちゅ、ちゅ……はぁぁ」 俺の反応を見ながら、胸板に何度もキスをする。初めての夜に胸ばかりをいじっていた俺のように。 「ん……んーっ、んむ……ちゅ、ちゅ」 あるいはななみも、俺のように先に進むタイミングをつかみ損ねているだけなのかもしれないが、こっちも経験不足で、それをあしらうことなどできやしない。 「ん、んちゅっ、ん、んっ……んんむ、ちゅ、 じゅるる……ん、ちゅーぅぅぅ……れろれろ」 こらえるのに歯を食いしばったのを、ななみは見逃さなかった。 「んー、とーまくん……かわいい」 「馬鹿……っく……!」 「ん、ちゅちゅ……あ、あ、どんどん垂れてきます」 だめだ……もう、これ以上は。 「んー、ちゅ、れろ、れろれろれろ……ん、んっ ふふ……とーまくん、うっとりしてます♪」 「全くしてない!」 「してますよー? むー、まだ素直じゃないですね。 とーまくんらしいですけど……ん、んむ……」 「ん、んーーっ、んちゅ、ちゅ、ちゅ……んむ、 ん、んんっ、ちゅば、ちゅっちゅっ、ちゅばっ、 ちゅばっ、んーーー、れろれろれろ……」 限界が近いのを見抜いたように、ななみの暖かい唇がさらに強く吸い付いてきた。 「手べとべとですよ……ん、んーっ、ちゅちゅ んむ、ん……ちゅ、ちゅばっ、ちゅばっ、ちゅばっ」 ピンクの前髪が揺れ、肌色がのぞく。じっとりと額に汗が滲んでいるのが見えたとき、出し抜けに強烈な射精感が襲い掛かってきた。 「おっぱい、つねってあげる……ん、きゅううっ♪ ふふ……あぁ、すごーい……ん、んっ、はぁぁ、 えっちなおち○ちん 跳ねちゃった♪」 「なッ……ななみ……!」 「ねえ、イっちゃう? イっちゃいますか?」 だめだ、トナカイの俺がこんなことじゃ……! 「うーむ、必死ですね……ならば奥の手です」 「──っっ!」 「こーやって、こしょこしょこしょー♪」 開いた傘の付け根部分を五本の指でつまみ、手首ごと回転させてくる。いったいどんな本を読んでやがった!? 「お? 効いた?」 「ぜ、ぜんぜん……!!」 なぜかこらえる──トナカイの意地か? 「ふふっ……とーまくんにイジワルしてるみたいで ちょっとドキドキしますね」 「な…………なに!?」 「ふふっ……ん、んむ、んむんむ……ちゅぷ、 奥の手も駄目でしたか……さすがはとーまくん なら……ん、こしょこしょこしょ……ふふっ」 必死に、歯を食いしばってこらえる。このままななみに押し切られてしまっては、いかにも初心者丸出しのようで情けない。 それにしても、あのななみがこんなに積極的になるなんて……! 「こーなったら、限界への挑戦ですね。 はーむ、ん、ちゅ、ちゅ、ちゅ、はぁ、はぁぁ」 「……!」 「はむ……ん、んむ……ん、ちゅ、ちゅちゅ、 イッちゃだめですよ、くすくす……ん、んっ もーっと、がんばってください♪」 「これしき……って言いたいが、む、無理かも」 「えーー!? そんないきなり? できます、とーまくんなら……くすくす」 「俺だって溜まってんだし」 「そこをなんとか!!」 「ならない……!」 「仕方ないですねー、ん、ちゅ、ちゅ、んむ…… ん、んっ、んっんっんっんっ……れろれろれろ ……ちゅ、くすくす……出ちゃいまちゅか?」 なぜか唐突に赤ちゃん言葉などを使い出したななみは、まるで俺の根性を試すみたいに舌の回転を速くしてくる。 「大人だったら、もうちょっと我慢できまちゅよね? くすくす……んー、どうでちゅか?」 「な、なにをふざけて……」 「あはは、かわいー♪ とーまくん内股ですよ?」 すっかり抵抗のできなくなった俺を前にななみは楽しくて仕方がないようだ。わざと赤ちゃん言葉で俺をあやそうとしてくる。 「はぁ、はぁ、はぁ……ふふっ、んー、ちゅちゅ、 ねー、とーまくん……んむっ、出ちたい? 出ちたくなっちゃいまちゅよね?」 「な、な……ふざ……け!」 「くすくす……んぁぁ、おかしいな、わたしいま、 すごいえっちになってます……」 「とーまくんにイジワルしちゃって、あん、 すごいドキドキしちゃってる……ん、ちゅ」 「ねぇ、出ちゃう? おち○ちんでちゃう?? 赤ちゃんみたいにおもらししちゃう?」 「んー、とーまくんかわいい、かわいいの 大好き、とーまくん……ん、ちゅ、ちゅ……」 「好きです、大好きなの……ん、ちゅ、ちゅ かわいいとーまくんも、えっちなとーまくんも」 「だからもっと見せて……、 えっちなとーまくんのこと……いっぱい見せて 我慢できずにお漏らししちゃうの、見ててあげます」 「そ、そんなまくし立てられたら……っく、 イくにイけないって」 「ふふふっ、負けず嫌いですねー。 えっちなおち○ちん、手の中でかっちかちなのに♪」 頭の中がくらくらする。ななみに魅入られてしまったように一切の抵抗ができなかった。 そんな俺を楽しそうに見上げながら、ななみの左手がさらに激しくしごきあげてくる。 「ん、ん、んっ……んーっ! ちゅ、ちゅ! ふふっ、かちかちのとーまくん……ん、んっ」 「あ、あ、あ……!」 「はぁ、はぁぁ……はぁ、はぁぁ、 も、もうしごいたら出ちゃう? 出ちゃいまちゅか?」 「……!!」 「だめでちゅよー、もうちょっと我慢我慢」 目を瞑った。もう、首を縦に振るだけで精一杯だ。 「はいはい、 がーまーん、がーまーん、がーまーんーーー♪」 口ではそんなことを言いながら手はさっきよりも激しく動き始める。 「ねえ、とーまくん……」 不意にななみの吐息を間近に感じた。 目を開くと同時に、唇が押し付けられた。キスされたと思う間もなく、舌が入り込んでくる。 「んんっ……んろっ、んろっ……ん、れろ、 じゅるるる……ん、じゅる……じゅるるっ」 「────!!!!」 不意打ちで口の中をなぞられて、一気に限界が押し寄せてきた。歯を食いしばるより先に全身の筋肉が痙攣を起こす。 「きゃあっ!?」 抑えようがなかった。勝手に身体が痙攣して、恍惚と脱力感が同時に押し寄せてくる。 「うわ、わわっ!? こんなにたくさん!?」 それは俺の台詞だ──心の中で呟いた。 禁欲生活わずか数日だというのに、自分でも驚くほどの精液が射ち出され、ななみの手に当たって弾ける。 「あ、あ……まだ……すごい出てますよ」 指先がリズミカルに動いて、中に残った精液を搾り出す。 「すごい……気持ちいいんだ……おち○ちん」 感心したような顔のななみの前で、まだ精液が搾り出されていく。指にしごかれる感触に脳が痺れてきた。 「はぁぁ……すごい…………えっち……」 間欠的に続く筋肉の収縮がようやく収まってきた。 「おおーーーー……っ」 射精を終えたペニスを見て、ななみが感心したような声をあげる。 「顔まで飛んできちゃった……ん、はぁァ……」 「はぁ……はぁ……っ」 「す、すごかったです……重労働でした?」 「そういう問題じゃない……はぁぁっ……」 なにか言ってやろうにもエネルギーの消耗が激しい。 「ふーむ…………」 放出を終えたばかりのペニスをななみがしげしげと見つめている。 「こんなのが出ちゃうんですね……ふーむ、 ミルクというよりはババロア的な」 「あ、甘くないからな」 「そうですか? ん……ちゅる……」 「うえ!? ほんとだ……んふふ……ん、 ちゅ、じゅるる……ん、んっ……ふむふむ」 指先で集めた精液を舌に乗せ、咀嚼して俺の味を確かめている。 「もごもご……ん、んーーー!」 「不味くはないですけど……んー、薄味です……」 「濃味は何かの病気だ」 「ふむ、それもそうですねー……くすくす」 おかしそうに笑ってから、いまだ勃起の衰えないペニスを見る。 「確かに、このおち○ちんは……やらしーです」 放出を終えたばかりの粘液まみれのペニスにななみの指先がからみつく。 「だって、ぜんぜん引っ込まないんだもん。 ね、とーまくんの、えっちですよねー?」 ぎこちなくうなずくと、ななみが楽しそうに笑う。 「それじゃ……えっちなおち○ちん、 もーっと気持ちよくしちゃいますね」 また、ゆっくりとしごき上げる。たちまち、痺れを伴った痛痒が股間を直撃した。 「いてて……!」 「え? え? どうして?」 「だ、出した直後は敏感なんだ」 「わわわ、そ、それは失礼をば!」 慌ててペニスから手を離したななみが、俺の顔と下半身を交互に覗き込む。 「だ、大丈夫です? 怪我しちゃったとか?」 「そんな大ごとじゃないから」 「そ、それならよかったです……ふーん、 あ、まだにじんできてる……」 「はぁっ、はぁ……悪い、こらえきれなかった」 「んー、やっぱり男の人は未知の世界です」 腕組みをしたななみが、今のお勉強タイム(?)を総括する。教材にされた俺としては、憮然とするしかない。 「それにしても……」 「いーーーーーーっぱい出ましたね♪」 まったく……これではトナカイ仲間に会わせる顔がない。 「ん? どうしました?」 「お前も顔……赤いぞ」 「はい……けっこう体力要りました。 それに腕もつっちゃいそうになるし……」 「あと……ちょっとドキドキしましたね、えへへ」 なにか突っ込んでやりたかったが、照れくさそうに笑うななみを見ていると、なにを言っても野暮になりそうだ。 「んむ……ん、ん……ちゅ」 「うわ!? お、おい……ななみさん?」 「ふぁい?」 「な、なにをしてる?」 「男の人が射精したらお掃除をするんです。 知りませんでした?」 「それは義務じゃ……うあ!?」 「そうですね、サービスですよぉ んむ……はむ……ちゅば……ちゅぷっ」 「……ッッ!!」 唇に包まれる。熱い粘膜の感触に腰が引けそうになった。 「お! ぴくんってなりました……んむ、ちゅちゅ、 んちゅ、んむ……ちゅぶ、ちゅぱ……ちゅぱっ」 「いいよ、いいって!」 「だめです、おち○ちんキレイにしないと。 あーむ……んむ、ちゅ、ちゅぶっ、んちゅ、ちゅ、 ちゅ、れろれろ……んぷっ、ちゅぷっ……」 まずい、また快感がせり上がってきた。 「もっとですね、 とーまくんを癒してあげないと……んふふ」 嘘だ、癒しじゃない。俺の生殖器官が、明らかにななみのニューおもちゃにされている! しっかりしろ、中井冬馬。お前はトナカイだ、マグロじゃない! 「癒しじゃなくて好奇心だろ!」 「というよりも、後学のためにですね……」 「ああ、それはそうだ。サンタとトナカイは 互いに分かり合わなけりゃいけない……」 「もちろんです…………え? それって?」 頭の中まで痺れでおかしくなる前に、俺は懸命に力を振り絞って、ななみをソファーに押し倒した。 「わ……きゃああ!?」 「な、なんですかいきなり!?」 ソファーの上ででんぐり返しにされたななみが、目を丸くする。 「いきなりってわけでもないと思うが。 そろそろ俺の教材役はおしまいかなって」 「き、教材なんて、 そ、そーゆーつもりでは!!」 「ない?」 「ななないですとも!」 「嘘ついたときの顔になってるぞ」 「ぎ、ぎく……そんなことは!」 「そ、それより……あの、この格好は?」 「ギブ&テイクはパートナーの基本」 「ああーなるほど、 つまり今度はとーまくんが……」 「………………(想像中)」 「いやぁああぁぁあぁあぁーーー!! だめだめ、だめです! 恥ずかしいですってばーー!!」 「何を今さら!」 「今言わずにいつ言うんですか! だめです、恥ずかしいからご堪忍ーー!!」 「んん? お前……漏らした?」 「は!?」 「下着……なんだか大変だぞ」 「…………!!!!」 「やだ、やだだめです! 見ちゃだめ、だめですーーー!!」 じたばたするななみの両膝を押さえつけて、脚を割り広げる。 こんなにまじまじと下着を見るのも初めてだ。愛撫で濡れるのは知っていたが、こうもあからさまな欲情の跡を見るなんて……。 「わ、すごいな、染みが広がってて……。 男で言うところのカチカチ状態ってやつでは?」 「ち、ちがいますー!」 「じゃ単なるおもらし?」 「もっとちがいますーー!!!」 「あ、あの……っ! そ、そんなことより……!」 「ん?」 「こ、この格好でお話するの、 恥ずかしいんですけどーっ!!」 「つまり、会話より大事なことをすればいいのか」 そうして指先をななみの中心部分に乗せる。 「そういう意味じゃ……んぃィ……ッ!?」 にちっと布地の湿った感触があり、ななみの腰がビクンと跳ねた。 「あ、あ、あ……とーまくん! だめ、そんなとこ触っちゃだめですってば」 「我慢しろ。 触らずに愛撫する方法は勉強してない」 「愛撫しちゃだめなんですー! やっ、やぁぁっ、ほんと、この格好だめ…… は、はずかし……ん、んーーーっ、んんっ!!」 ななみの抗議を無視して、指先を前後になぞらせる。そのたびに木綿のショーツがじわっと性器に張り付いて、その形を浮かび上がらせる。 「んあぁ……だめ、そんなに見ちゃ……あ、あ、 変なとこ見えちゃいます……んあ、あ、あっ!」 あいにく、その変なとこを見るつもりなのだ。ななみの反応を楽しみながら、さっきのお返しとばかりに、指であちこちをつついてみる。 「んあっ、あ、あ、あッ! はぁ、はぁぁ……はぁ、はぁっ……」 太ももから足の付け根、そのまま中心部を避けてショーツのリボンの周辺。 「はぁっ……はぁぁ……あ、あ、あっ、 あ……だめです……はぁぁ……ぁっ」 それからゆっくり中心部に近づいていく。 「あ、はぁっ、はぁ、はぁっ、あ、あ、あ、 あ、きゃああッ!? あッ、だめーーーっ! そこは、そこ、そこだめですってばぁ!」 うろ覚えでクリトリスのありそうな辺りをつついてみると、ななみの腰がカクンカクンと痙攣を起こした。 「わかりやす……」 「うぇぇーーん、それは仕方ないですって!」 「ふーん、お尻のほうまでぐっしょりだな。 これじゃ風邪を引いちまう」 「ぬ、濡れてませんってば! 錯覚です」 「この音も?」 「んぁ、んぁあああぁあ……やぁぁん!」 ニチニチと音を聞かせてやると、ななみがイヤイヤするように首を振る。 「濡れたままじゃ気持ち悪いだろ?」 「え!? と、とーまくん!? ま、まさか脱がせちゃうつもりじゃ……」 「俺は……まだ見てないんだ、お前の」 「……!?!?!?」 「そ、それって……あああの、あのですね、 別に絶対見なければならない場所って わけじゃないと思うんですけど……!?」 「向学心」 「それはわたしが考えたフレーズです」 「だから気が合うなーと思ってさ……」 「わ、わ、わーーっ、だめ、ひっぱらないでー!」 「そこまで恥ずかしがるか!?」 「当たり前じゃないですかぁ! これ以上恥ずかしいことなんてないですよ」 「なのに、あんだけ俺のを見るなんて」 「と、とーまくんは男の子じゃないですか…… 男の子は……ちょっとくらいいいんです……」 「って、わ、わーーっ!! 聞いて、ちょっと聞いてくださいー!」 「あの、その……そ、それにですね、 別に珍しいものじゃないですよ?」 「む、むしろ不快になるかもしれないですしっっ!」 「ぎゃーーーー、きいてない!! と、とーまくん待った、ストーップーー!!」 「ご、ごはんおごりますから! 明日のお昼! とーまくんの好きなお店で!」 「往生際って言葉を思い出そう」 「だって、とーまくんの目が怖いから!」 「そ、そうです、せめて電気消しましょう! しかるべき行いには、 しかるべきムードというものがあって……」 「しかるべきムードは対等の条件で」 「きゃあああ、だめですーっっ! 見えちゃう、見えちゃいます!!」 「ほんとに、つまんないですって! お粗末なものなんですってばぁ……!」 「あ、あ、あ、だめ、見えちゃう、 見えちゃいます、だめ、だめ、だめーぇぇ!!」 「やぁぁーーん、えっち、ちかん、ひとごろしー!」 「きゃああああっっ!?」 一思いにショーツを抜き取ってやる。自称・お粗末なものが、俺の眼下にあからさまになった。 「……ごくっ」 「……!!!!!!」 「な、なるほど……」 「う、うそ……うそですよね。 み、見えちゃってます……!?」 「思いっきり」 「わ、わぁあああーーーやだやだやだ!! とととーまくん、どすけべです!」 「どちらかと言うと、君だ」 トロッとした粘液を指ですくってみると、ななみのピンクの性器との間で糸を引いた。 「あうぅぅ……! わ、わたしのは好奇心とか、その……」 「これも好奇心?」 ねっとり湿ったショーツを見せてやると、ななみは慌ててそれを背中に隠そうとする。 「そ、それは、その……あの……そのっ!」 「えっと……そう、恋心!」 「この格好でそんな言葉を聞くとは思わなかった」 「うええええぇぇ……! だからやめてくださ……んんぁ!?」 「あ、んはァ……ぁぁあ……っ、ちょ、 さ、触っちゃダメですってばぁぁ……ァ」 「触るだろう、普通」 「それとも……んむ……ちゅ」 「ひぁぁ……!? わ、わ、わ、どこにちゅーしてるんですかっ!」 電灯の下にテラテラと光るななみの股間に唇をつけ、軽くついばむようにキスをする。 白い肌にちょこんとほころんだ下の唇が目の前に迫ってきた。 「はぁぁ……ァ、だめです、はぁ、はぁっ、 と、とーまくん、そこにちゅーは反則っ、 わぁぁぁ、広げるのも反則ですーーーーっ」 「ふーん、こうなってるんだな」 「うええぇぇぇ、ぜんぜんきーてないー!!」 「いや、でも……綺麗だ」 少なくともDVDで見た奴よりも、相当。 「き、綺麗って……そんなぁ。 な、なんの評価なんですかぁぁ……」 「つるっつるのせいかな」 「うあああーーー!! 鬼ーーー!!!」 「冗談だ、蹴るな、蹴るなって」 あらためて、間近からななみの性器を観察する。『資料』で参照した女性器にくらべると、小陰唇も控えめで色も薄く、むしろ清潔感がある。 無垢な性器──とでも言えばいいのだろうか、つるんとしたその形はいかにもななみらしいたたずまいだ。 「はわぁぁぅぅーー、すごい見てるーーー!!」 「そんな恥ずかしがるような物じゃないぞ、 いかにもななみ、って感じがする」 「だからって、 こんな格好で見られたら恥ずかしいですっ」 涙目になるななみの顔の手前で、ピンクの亀裂が口を開けている。 こうして見ると、どうということのない肉の器官だがその向こうにななみの顔が見えると、ただごとでないという気にもなってくる。 「ううぅぅ……見てる、見てる、見てるー!」 泣きべそをかくななみと、透明の雫を滲ませた肉の襞──。 あの天真爛漫なななみが、性と直結していることを突きつけられているようだ。俺はたぶん、その事実に欲情している。 「なるほど……下の口は正直だぜ、って こういう時に使うんだな」 「うっ、ううっ……とーまくん、いじわるー!」 「照れてんのか? 可愛いな」 「き、決まってるじゃないですかぁ! これじゃ解剖されてるみたいです……あ、あっ」 「知ってたか? 上が喋ると、こっちも動く」 「やあああ! そんなの知りません!」 ななみの言うところの向学心、正確には好奇心の赴くままにあらためて異性の肉体を観察する。 「やぁぁん! だめです、 広げるの恥ずかしすぎますってばぁ!」 左右の襞に指を添えて、少し力を入れるだけでとろりと雫を滴らせた粘膜が赤く開いた姿を現した。 「確かに複雑だ……」 「きゃあああ、勝手にのぞいちゃダメです! そこは女の子の秘密なんですーっ!」 「似ているようで……いや違うな、明らかに違う」 「な、なにとですか?」 「いや、こっちの話……ふーむふむ」 DVDと比較するのはもうやめよう。どう考えても、ななみの勝ちだ。 「あぁぁ、見てる〜……見すぎです、見すぎ!! や、やんっ……もう広げるのだめですーっ!! なんでそんなところ見たいんですかぁ!?」 「どういうモノか把握しておいたほうがいいだろ。 ともすれば一生の付き合いになるんだから……」 「……一生!?」 ななみの腰が震える。赤い入口から、とろりと粘液が蕩け出した。 「んん?」 「……っっ!? かか、感じてませんよ?」 「……なるほど」 やっぱり、肉体の反応は隠しきれないようだ。左右の襞を広げたり閉じたりするたびに、粘り気のある雫が玉を結び、肛門へ垂れ落ちる。 「わあぁあああ!? やだやだ! 開いちゃだめ、遊ぶの禁止ですーー!」 さっきまでと言ってることが逆転しているが、構わずにななみで遊んでやる。 「だめ……ん、んんっ、だめぇ……あ、あ、あ、 ぱくぱくするのだめですーっ、んぁ、ぁ、ぁ、 そんなにしてもワレワレハーとか言いませんから」 「この状況でその発想はなかった」 「だ、だ、だって……あ、はあぁ、 別のこと考えてないとなんか怖くて…… んあ、ぁ、あ、あ……はぁあぁぁぁっ!」 恥ずかしがりながらも、ななみの呼吸はどんどん荒くなっていく。 性器よりやや上のふくらみを指先で押し込むと、縦長の包皮がめくれて、赤く充血した小さな突起がひょこんと顔を覗かせた。 「あ、あーーっ!? ん……っはぁぁ……ああぁ……あ……ァ」 こんなに分かりやすい形をしているとは思わなかったが、ここが一番敏感な器官だということは、さすがの俺でも知っている。 「ふむふむ……」 「わぁぁぁ〜っ! な、なにかおかしなところでも!?」 「見とれてるだけさ」 「あうぅぅ……どっちにしろ恥ずかしいです」 「さすがにこれは慣れないか?」 「なっ、慣れるわけないじゃないですかーーぁぁ あ、あ、あはぁぁ……だめぇ……もう、 うぇぇ、誰にも見られたことなかったのにぃぃ」 そのあたりの感覚は俺の場合と違うようだ。恥ずかしがりながらも、ななみの瞳は次第にトロンと潤み始めている。 「あ、はぁ、はぁぁ……い、いつまで、んぁ、 見てるんですかぁ……もう、えっち……」 もじもじと腰が動くのを見ながら、俺は性器の複雑な動きにしばし見入っていた。 「ね、ねえ……とーまくん?」 「はぁぁっ………………! うううぅ…………ねえ、とーまくん!」 「ん?」 「も、もーっ……ですから! いつまで見てるんですかぁ!」 もじもじと腰をゆするななみの顔から少しだけ視線を落としてみると、剥き上げられたクリトリスが俺のほうを向いている。 「じゃあ……触っても?」 「えぇ……っっ!?」 顔を近づけると、明らかにななみが狼狽した。 「あ、あの……………………それは……」 「だ、だめ…………です……よ?」 明らかに焦れていたななみが、いまさら虚勢を張る。 日ごろ真っ正直なななみに、こんな一面があるとは知らなかった。頬に朱を散らして、すっかり女の顔になっている。 「そうか駄目か……」 「え……?」 「あ、あの……」 まさか俺が引くとは思わなかったのだろう、顔を離しただけで露骨に失望の色を浮かべるななみは、やはり正直な奴だ。 「うう……!? な、なにをニヤニヤしていますか!?」 「ううん……可愛いな、と思ってさ」 「あぅぅ……こんな格好で聞きたくない台詞です」 この位置で見下ろしていると、不思議なことに『可愛い』なんてフレーズが自然と口からこぼれてくる。 「本当は触ってほしい?」 「そ、そんなわけないじゃないですか! ちがいます、この濡れちゃってるのは そうじゃなくて……あの、その……!」 「ん?」 「んぁ……うぅぅ……ッッ!!」 性器には触れないように、指先を股間周辺に這わせてみる。 「はぁ、はぁっ……だめですよ……あぁぁ、 もっと出てきちゃう……えっちなの……」 「どこを触ったらダメなんだ?」 俺は余裕の表情を装いながら、ななみに白状の台詞をねだっている。 「うぅぅ……見すぎです……あ、あ、あ、 とーまくんのおち○ちん……はぁぁァ、 すごい大きくなってる……」 俺しか知らないななみの表情を、もっとたくさん引き出したい……。そんな幼稚な企みに気恥ずかしさを覚えながら。 「ううっ……じらさないでください、 とーまくんが触りたいとこ、わかってますから」 「どこ?」 「あうぅ、いじわる…………んァぁ!?」 「この辺とか?」 わざと太もものほうへ指を進ませ、もう片方の手でサンタ服ごしに胸を揉む。 「ち、ちが……そっちじゃなくて……ん、んーーっ」 太ももを撫でながら続きの言葉を待つ。ずいぶんと意地悪をしているというのに、不思議とななみに甘えているような気分だ。 「はぁ、はぁ……っ、違うんです、 もっと……し、下の方……」 「このあたり?」 「ちが……う、うぅぅ……ーーっっ!」 「こっち、こっち……ぃ!」 ななみの声に誘導されるように、太ももと胸からゆっくり指先を下ろしていく。 「こっちと言われても、 もっと具体的に指示をしてくれないと」 「そこ……あ、そっちじゃなくて、真ん中! ここです、ここ……んあっ、あ、あ…… やぁぁ、恥ずかしい……ぃ!」 二つの手の合流地点で、生赤い亀裂が粘液質の光沢を浮かべている。ゆっくり、その近くへ指先を寄せて……。 「つまり、こっちだ」 「んああ!? ちが……うぅぅ……!! もう、いじわるいじわるいじわ……あ、あっ」 腰を前後にカクカクとゆさぶって、ななみが抗議のアピールをする。そのつど形を変える性器を目で追いかける。 「ふーむ、さっぱり分からん」 「う……うぅぅ……やっぱり……」 「?」 「お、男の人って本当に言わせたがるんですね……」 「本に書いてあった?」 「はい…………りりかちゃんの本、んあッ!」 単純に言葉を言わせたいというよりも、ななみが、どこまでそういう知識を持っているのかに興味があった。 あの日キスをするまで、俺にとってのななみは、まったくそういう世界と縁のなさそうな、妖精かなにかのような相手だったから……。 自分の頭の中だけにいたななみを現実のななみと融け合わせてみたかったのだ。 「ふーむ? 俺の触りたい場所と、 ななみが触ってほしい場所は別なのか」 「あうぅぅ……ちが、あ、あ、あ、あッ」 「そういえば、素直になるのが一番……って 誰かさんが言っていたような?」 「そ、それは……う、ううっ……」 脚をばたつかせて抵抗するななみの中心に、ふーっと息を吹きかける。 「にゃあッ! ん……あ、あ……ああッ!」 つま先がキュッと縮こまり、肩を縮めたななみの中心で、薄赤い粘膜だけが欲しそうにヒクヒクと痙攣を起こした。 「息だけでも充分だったか」 「あ、あ、あっ……んぁぁァ!? あ、あ……っ、だめ、だめ……ッ!!」 「ふーむ、このあたり……か?」 「はぁ、はぁ……………………と、とーまくん?」 もうひと吹き。ななみの腰がヒクンと跳ね上がり、つるんとしたお尻がこっちを向く。 「………………う、うぅぅーーっ!! やだ、もう、おかしくなっちゃいますーっ」 さらに吹きかける。ななみの肛門がキュッと閉じあわされる。 「はぁぁぁ……わ、わかりました、 い、言いますから……あ、あの…… ひゃうっ、ち、ちがいます、そこはお尻っ!」 「ですから……ですから、 あの、その、あの……そこ……」 「お……○……○○……触って……」 「…………?」 「あうぅぅ……だ、だめですか?」 「…………うぅぅぅ!!」 「おま○こ……さ、触ってください」 「……!?」 「はぁっ……はぁ、はぁ……ううーーーっ、 もう、恥ずかしくて死にそうですーーっっ」 心臓が高鳴っていた。罪悪感と高揚感がないまぜになって押し寄せてくる。 「ななみ……」 優しく囁いて頭を撫でてやると、ななみが涙目で鼻をすすった。 「と、とーまくんって…… 実はハイパーイジワルさん?」 「自分でも驚いてる」 ご褒美に──いや謝るつもりで今度こそクリトリスを剥き上げてやる。 「ひぁ!? あ、あ……あ、あッ!?」 外気に触れた肉の突起が、物欲しそうにヒクついている。ためしに軽く指先で触れてみた。 「ひああっ……そこ、あ、あ、あァァーーーっ!」 甲高い声が上がる。ここが敏感なのは初めての夜に確かめている。 「すごい反応」 「わぁぁうッ!? だめだめ……そんな、あ、あ、 そ、そんなとこ無造作に触っちゃダメですーっ! やんっ! はじいちゃだめっ!」 「ここ、知ってるか?」 「し、知ってますよ……く、クリトリス……です」 「どういうところ?」 「気持ちよくなっちゃうとこ……ぉあああっ! んあぁぁっ、んあーーっ、あーーーっ!!」 敏感なクリトリスを根元まで剥き上げ、ななみの顔の真下で上下にヒクヒクしている、つるんとした桃色の突起をつまむ。 「だめだめ、つまんじゃ……! ひッ、ひぐ…………ッッ」 ななみの呼吸が止まった。それを何度も繰り返すと、小さな突起は指先からぬるりと逃げてゆく。 「はぁぁッ……んく……ッッ! あ、あ、あーっ! だめ……あ、あ、強い……んぃぃ……ッ! あ、あ、あ…………ま、まって……!」 乳首より小さいが、つまみそこねているだけでもななみに快感を送り込むことになっているようだ。 「いいいぃぃいィィッ! んィ……ッッ!! ん……ん……ッッ!! そこ、クリトリス、 あ、あ、あ……すごい、こんなの……はぁぁ!」 「あ、あーぁぁ……だめ……ううぁ、そこ、あ、 あ、そこはだめ……あ、あーーっ!!」 逃げ回る突起だが、どこかに芯があるはずだ。思い切り奥でつまみ上げた。 「きゃああああっ!? あ、あ、あーーーっ、だめだめだめっっ!! つまんじゃだめーーぇぇ!」 「わたしのえっちなとこ、つまんじゃだめ つままないで、あ、あ、つまんだらイっちゃう!」 電流に打たれたようにななみがのけぞる。さらに指先で生硬い芯の部分をとらえる。 「あはァ……あああっ、んあっ、あ、あーっ、 とーまく……うぅぅぅぅーーッ!! んぁ、はぁ、んあン……あ、あ、あンン……」 いつしか、すっかり女の顔になったななみが、俺の腕の中にいた。 いつも無邪気なななみが、笑顔の裏側に隠していた異性の素顔──そいつに触れることができたことに、俺は胸を熱くしている。 「あ……あぁぁ……しゅご……いぃッ! とーまくん……とーまくぅぅン……ンンッ!」 両側から指で押し上げると性器の形が変わる。指を引っ掛けて開くと透明な液が左右の襞の間で糸を引いた。 「はぁぁーーっ、はぁーーーっ、はーっ…… はぁ、はぁ、とーまく……ぅぅん……はぁ、 だめ、いっひゃう……はぁぁ……」 あらためて顔を近づけると、酸っぱいような生臭いような不思議な匂いがした。 「ん……じゅる……」 ななみの匂いを吸い込み、ななみの味を確かめようと、そこに唇をつけた。 「ひゃうぅぅ……ぅぅ!!」 間の抜けた声とともに、汗ばんだ身体がベッドの上で波を打つ。 「んあっ、と、とーまくん……んぁ、あ、あ! そんな、あ、あ、あ……!」 「すごい、硬くなってる」 「やぁぁ……なってませ……んーーーンンッッ!! んあっ、あン、あん、あんあん……ああァン!」 音を立てて吸い上げると、ななみが甘えたような声で喘ぐ。 「うあァ……すごい……あたまおかしく なっちゃいそうです……んあァ……とーまくんに」 「とーまくんに?」 「え? あ…………!!」 「な、なんでもありま……んああっ、あ、あ、あ!」 ななみの粘膜ごと咀嚼した。くちゅくちゅと、いやらしい音がする。 「やぁぁ、そんな音……はぁぁ、だめだめ、 聞かせないでいいですってばぁ!」 「恥ずかしくて……はぁぁ、おかしくなっちゃいます。 あ、あ、はぁぁ、恥ずかしい……はぁぁっ!」 ななみの言葉などおかまいなしに舌先でクリトリスをつっついた。 「あ、あーーっっ、そこ、そこ……! とーまくぅん……んぁ、んぁあン、あん、あんっ」 そのままクリトリスを転がすだけでななみの声が切迫してくる。 「あん、あん、あ、あ、あ、あッ、アッ、アッ!! だめ、あ、あーーっ、んああっ、ほんとに…… おかしくなっちゃいます……あはァあ……ァ!」 舌先で押し込むたびに声があがる。口の中が、薄味でねっとりしたななみの粘液で満たされる。 「あ、あ、あ……だめ、もうだめ、おわりっ!」 「怖くないって」 「だってわたし……まだイッたことない!」 「ん!? こないだは!?」 「い、イッてない……です……まだ……」 「そうなのか……」 「………………(こくっ)」 そんな告白をされたら、余計にイかせてやろうという気になってくる。 「え? あ、あ……だからダメなんですって、 まだイッてないから、イッちゃだめなのにぃぃ!」 「はぁっ、はぁーーーっ、はぁぁっ、あ、ああッ、 んひッ、んあっ、あ、あ、あーーっ、んああっ、 とーまくんっ、とーまくん、とーまくんんっ!」 あとからあとから、愛液があふれ出してくる。しょっぱくて、酸っぱい、ななみの味。それを全部、音を立てて吸いあげる。 「はぁぁ、はぁぁーーーっ、あ、あーっ!」 「すごい、すごいっ、ウソみたい……あ、あ、 とーまくんに……んあああっ、あ、あーっ、 おま○こ吸われてる……っ! あ、あはぁァっ!」 すっかり我を忘れたように、卑猥な言葉を漏らす。ななみがそんな言葉を知っていることが、さらに俺の炎を煽り立てる。 「あ、あ、あ……だめ、だめだめだめです! 変になっちゃう、変に……あ、あ、あーーっ!!」 「イく?」 「は、はい……イっちゃいそう……! あ、あ、これ、きっと……あ、あ、あーっ、 変です、イっちゃいます……っ!」 まだ絶頂を知らないななみの性器に舌をねじ入れる。粘っこい愛の液体を吸い上げながら、中でかき回す。 「うあああッ!? あ、あ、あーーっ! だめそれ、それだめだめだめっ、あ、あ、あーっ イっちゃう、イっちゃう、イっちゃうーーっ!!」 大きく叫んだななみの粘膜が、舌先をキュゥゥッ……と締め付けてきた。 「あ、あ、あ、イく……! イく、イッちゃ……イッちゃ……」 ななみの両足がキュッと閉ざされ、肩口がブルブルッ……と痙攣した。 「うぐッ、あーーーーーーーーっっ!!!」 「はぁっ、はぁぁーーーっ、はぁ、はぁぁ、 ん……んッ、ン……はぁぁぁ……っ……」 すぐにななみの脚が力を失い、さっきと同じ、あからさまな格好に開かれる。 「はっ、はっ、はっ、はぁぁーーーぁぁ……ぁ」 「あぁぁ……イッちゃった…… とーまくんのちゅーーーでイっちゃいましたぁぁ、 ん……はぁ、はぁ、はぁっ……」 痙攣しながら呟く言葉はうわ言のようだ。その間も、ななみの小さな身体は小刻みな痙攣を繰り返している。 「あひッ……んあっ、あ、あ……はぁぁっ……ンン」 とめどがないのだろう。ななみの震えは収まりそうにない。 「はぁ、はぁぁ……とーまくん、 とーまくん……好き…………ぃぃ……はぁ、はぁ」 いつしかペニスが勃起を取り戻していた。ななみに入り込みたい欲求を抑え込んで、俺は舌を動かす。 「ねえ……んあっ、 ちゅー、もっと……もっとちゅーしてください」 「可愛いよ、ななみ」 「あ、あぁぁッ!? は、はい、 そこ、そこそこ……ん、んーーっ!!」 いまのうちに、ななみのことを五感を使って感じ取ってやりたい。 クリトリスを含んだとたん、ななみの声のトーンが上がった。 「んあっ、あ、あーーっ! そこ、そこ、あ、あ、こすって、はぁぁ、 舌でこすって……あ、あはぁぁ……はぁっ」 顎が膣口にこすれて、新しい愛液がべっとりと塗りたくられる。 「やぁぁ、そんな……あ、アん、吸っちゃだめ! そこは吸っちゃ……うぁあっ、あ、あーっ!」 こんなに感じてくれると、あれこれ新しいことを試したくなってくる。確かにこれは、セルヴィの操縦と同じ感覚だ。 「あ、あ、あっ、吸われてる……とーまくんに あ、あ、あーーっ、吸われちゃって……」 ぬるっ、ぬるっ……と、顎を使って性器を愛撫しながらクリトリスを小刻みについばんでみる。 「きゃんっ、んぁ、んぁ、んぁ、んぁっ! だめぇぇ……もう、感じすぎちゃいます」 このまま二回目の絶頂を教えてやろう。得意になって指先を下ろすと、ぬちっ、と湿った感触が伝わってきた。 「きゃ……!!」 膣口に指先を感じたななみが、キュッと太ももを閉じようとする。 クリトリスを唇に挟んだまま、脚をこじ開けて、指先を粘膜に馴染ませた。 「と、とーまくん……そ、そこは……あ、あ、 指はまずいです! とーまくん、わたし、んんぁ 指はほんと、だめだめだめ……!」 ぷるぷる首を振る。これ以上されるのを怖がっているように。 「痛いか?」 「そ、そうじゃなくて……きっと、 またおかしくなっちゃいますから……!」 「さっきの俺みたいに?」 「ぜったい、もっとひどいです……ですから、 あ、あ、だめ……挿れちゃだめですってば!」 ニュルンと入り込んだ中指を熱い膣の中でクイクイと曲げる。 「あ……あぁぁあぁぁ……んあぁぁぁーーぁぁ」 今度はななみが脱力するような声で喘いだ。身体中の緊張を解き放つように、声がだらしなくビブラートする。 「んあっ、んひっ……ん、んぁあぁーーッ!! すごい、とーまくん、すごいっっ……はひっ、 おま○こ……ぐしょぐしょで、あ、あ、あ!」 クリトリスを吸われながら中をクチュクチュとかき回されて、ななみはすっかり我を忘れてしまった。 「ああーっ、あぅ、あぅぁぁああッ!! とーまくん、とーまくん……んんんぁあン わたし、はぁぁ、だめ、だめになっちゃう」 誰にも見せたことのない表情、誰にも見せたことのないポーズ、そして、誰にも聞かせたことのない声──。 それらをぜんぶ独り占めにしながら、俺は誰も味わったことのない粘液を口の中でクリトリスに塗りたくる。 「はァああぁあぁーーっ! とーまくん、そこ そこほんと気持ちいィ……そこ、おま○こ……あ、 んン、おかしくなる、わたし駄目になっちゃいます」 「やァあぁぁ……らめ、らめらめ……も、もっと んあっ……お、おま○こ舐めて、ちゅーってして んあン、あんっ……ちゅーちゅーしてっっ」 「ちゅーちゅー……あ、あーーーっ、もっと ちゅーーーって、あ、あ、あ、イく、イきます イっちゃう、あ、あ、おま○こ……イっちゃうぅ!」 今度は指先が痛いほど締め付けられてきた。こんな風にされたらすぐに射精してしまいそうだ。そいつをこじ開けて、中を指でかき回す。 「あ、あ、あッ……気持ちいい……おま○こ…… んぐ……んあ、あーーーーっ!!」 またも勢いよく水流がほとばしり、俺の顎を濡らした粘液を洗い流した。 とりとめをなくしたななみに粗相をさせてしまったのかとたじろいだが、どうやら違ったようだ。 その証拠に、ななみは唇をわななかせながら全身を打ち据える快楽の電流に身を任せている。 「うああぁぁ!? んあっ、とーまくん、 わたし、あ、あ、おま○こ……う、ううーっ、 おま○こ気持ちいい……ッッ」 我を忘れて喘ぐななみに追い討ちをかけるように、クリトリスを唇ではさみこみ、舌先で転がした。 「だめだめ……ぺろぺろだめぇ!! んあッ、んあ、んあァ、またイっちゃいます!」 「あ、あーっ、んあああーーっ! ああ、あ、あ、 あぃ、あぃ、あぃ……またイッちゃ、んんーっ、 イっちゃいます! イっちゃいますーっっっ!」 ななみの声に混じって、吹き上がった潮がシーツを叩く音がパタパタと聞こえる。 「でちゃ……出ちゃうでちゃう……!! あアーーーぁああああぁあぁあああぁッ!!」 とどめ……とばかりに、肉の突起の根元を甘噛みすると、ななみがじたばたと暴れだした。 「きぃぁああ!? やぁぁぁ、あ、あ、あっ! うそうそ、そんなの……んきぃぃ……ッ!! だめ、はむはむしたらイっちゃうっっ!!」 特に反応激しかったクリトリスの両脇をさらに軽く歯で挟んでやると、ななみのつま先がキュッと丸まった。 「んィィイイイイッッ!!! だめだめだめッ! おま○こ噛んだらイっちゃう、んぁァ、だめッ、 イっちゃう、イッちゃ……うぅぅぅーー!!!」 中にねじ挿れた指を前後に動かすたびに、充血した小さな性器が〈飛沫〉《しぶき》を噴き上げる。 「あ、あ、あ、ああぁぁ……!! うっ、うあああーーーーーっっっ!!!!!」 「あーーっ、あはぁぁーっ、やだ、出ちゃう、 なんか出ちゃってますーーっ!」 「ななみのま○こがエッチな証拠だ」 「あ、あぁぁあぁ……だめ、とーまくんは そんな言葉使っちゃだめぇ!」 「普通逆」 「だって……はぁあぁぁ……だめです、だめだめ とーまくんはえっちじゃないの……あ、あ、あ、 わたしが……あ、あーーーぁぁぁぁッ!」 宙を舞った水滴が引力にとらわれて、あるじであるななみの顔に降り注いだ。 「あひッ、はひぁ……はぁ、んんあァ!?」 自分の愛液を浴びたななみの膣内がさらにギュウウウッ……と絞られた。粘膜のくびきを断ち切ろうと、中の指を回転させる。 「あ、あ、あーーっ、それだめ……あ、あぶっ ん……んぃぃぃ……んぃっ、んいっ、んぃィ!」 「やだぁあぁ……また来ちゃいます、 来ちゃう、来ちゃう……あ、あ、あッ やぁあああぁぁぁあーーーーーーーーッッッ!!」 「あ………………は……ぁぁ……っっ……」 「はぁ、はぁ……さすがに疲れたな」 「ふはぁぁ……もうらめ…………です……っ」 「初めてなのに派手にイくもんだな」 「ひぐ……い、いじわる……だ、だって……」 「とーまくんだと10倍感じちゃうんです……」 大きく広げられた性器から、また新しい愛液が滲み出してくる。 「ん……ななみ……」 「きゃ!? んあ? あ、あ、 飲んじゃだめです……んァぁあぁぁ……ぁ」 そうして、熱く濡れた粘膜にキスを繰り返しているうちに、ななみの四肢からすっかり力が抜け落ちてしまった。 「とーまくん……はぁぁ、とーまく……」 舌と指で何度も絶頂させられて、ぽーっと放心したななみの太ももを、俺は抱え込む。 「ふぇ? あ、あ、あ、このまま?」 「ん、勃っちまった……いいか?」 「はぁぁ……は、はい……喜んで……」 「喜んではおかしいだろ」 「だ、だって……わたしも、おま○こに とーまくんのおち○ちん……欲しいです……」 「どっちがエッチか比べてるんじゃないぞ」 「えへへ……いまの、わざとでした」 「でも、本当に欲しいんです。とーまくんので、 いっぱい、いっぱい、イかせてください……。 ふふっ、ほんとだ、えっちですね……」 ゾクッとするような台詞に背中を押され、ヌルヌルに開ききった膣口に、再び猛り立った触覚をあてがった。 「はぁぁ……ど、どうぞ……ゆっくり……」 ななみの言葉に促され、くちくちと先端で入口をまさぐり、ゆっくり、痛くしないように奥へと進む……。 「ン……はぁぁ……はぁぁぁーーっ…… とーまくんのおち○ちん……あ、あ、 おち○ちん、入ってくる……はぁぁ……」 「……んあああっ!?」 あっという間だった。ヌルルッ……と誘われるように飲み込まれていく。 「あ、はぁぁーーーっ、入ってる、 とーまくん入ってきてる……っ」 中に入るなり、肉のうねりに締め上げられた。初めての時よりもさらにきつくペニスが圧迫される。 「……ッ、熱い」 「んぁ、わたしも……あつい……あ、あ、あっ! すごい、とーまくんの熱い……っ!!」 うねり、押し包む肉の抵抗を突き破って、ななみの奥を目指す。 「お、おかしくなっちゃ……なっちゃいます、 んあっ、あ、あーーっ、そこ、大っきいィ……!」 深く深く、ゆっくり奥まで進むと、すぐにトン、と行き止まりにぶつかった。 「ひぅっ!?」 「ここ、ななみの一番奥?」 「うん……あっ、あっ、そうです、奥…… わたしの一番奥に……あ、あ、あぁぁ……ッ!」 トロンと表情がとろけだした。ななみの口元に笑みが浮かぶ。 「はぁぁ……当たってる……とーまくんの おち○ちん……おもてなししちゃいますね」 「え? ううっ……!」 「ん……ふぅ……ン……ンッ……はぁぁ、 ん、はぁぁ……ほら……ふふふ……ゥ」 いきなり、手で握られたようにギュウウッと締め付けられた。そのまま、中の粘膜が俺の分身をうねり、包み、締め上げる。 「はぁぁ……すごい……あ、あ、あはぁ、 はぁぁ……とーまくん、んんぁ、はぁ、 はぁ、はぁあぁぁあ……ぁぁ……」 「ど、どこでこんなこと?」 「勉強してますから……んぁぁァ……あぁぁァ、 とーまくんに気持ちよくなってもらいたいもん ねえ、ちゃんと握手しちゃってた?」 「握手って……あ、あ、あ」 またキュウウッと絞められる。 「はぁァ……あ、あ、とーまくん、そんな、 あ、あはぁぁ……すごい、う、うっ、奥……」 狭い入口が俺の分身を食いしばって放さない。それを振り切るように腰を突きこんだ。 「あぁあぁぁ……おなかいっぱい……んあっ! とーまくん入ってる……んんっ」 「あぁぁ……気持ちいいな……」 「はっ、はいっ……あぁぁ、気持ちいい…… 気持ちいいっ、いいっ、いいっ、あいっ!」 ぱちゅん、ぱちゅん、と肉のはぜる音がする。ななみの反応を見ながら、自分の限界を引き伸ばして抜き差しのペースを速くしていく。 「あ、あーーっ、入ったり出たり……あ、あ、 えっち……とーまくんので……あ、あーーっ、 えっちに……んあぁ、あ、あ、あ……ァァ!」 初体験の時は、こんなことを考える余裕もなかった。今は、ななみの反応を見るくらいはできる。 「あん、あんっ、ひぁぁ……あ、あ、あーっ、 だめ、そこだめ、そこばっかりこすっちゃ、 あ、あ、あーっ、だめーーーっ!!」 腰の打ち付けで受け身に回ったななみは、自分のことだけで精一杯だ。 「はあぁっ、あーーっ、あはぁぁ、そこ、あ、あ、 そこ当たって……あん、あんっ、恥ずかしいっ、 あ、あ、あーっ、変な顔になっちゃう……あ!」 二人の結合部を凝視しながら、アンアンと可愛らしい悲鳴を上げている。 「はぁぁぁ……すごい、すごいすごい……ううっ、 あ、あ……はぁぁ……おま○こ……あ、あ、あ、 いっぱい……ィ……ッ」 浅く、深く、抜き差しを繰りかえしているうちにどんどんななみが昇っていくのが分かった。 「だめですイっちゃう……もうイっちゃう、 あ、あ、あーっ、だめだめだめ、許して、あ、 あーーっ、堪忍ですってばぁぁ!!」 ななみの声のトーンが高くなり、言葉が意味を失っていく。 「うあン……あんッ、あん、あんあんあんっ! いじわる……あ、あ、あーーっ、だめです、 気持ちいい、気持ちいいのっ、あ、あ、あっ!」 このまま昇りつめようと、腰を打ち付ける。 「ひゃっ、きゃああぁあ……! あぃ、あぃ、あぃ、あ、ああああーーーっ!!」 「んああっ、あん、あんっ、んああッ、あーーんっ んあ、んあ、んぁ、ん、ん、ん、んーーっ! とーまくんっ、とーまくん好き……好きぃ!!」 愛の言葉を連呼しながら、ななみの腰が円を描き始めた。 「あ、あーーっ、とーまくん、そこ、そこそこそこ! いいの、いいんです……そこすごいぃィ!」 二人の摩擦が繰り返される場所からは、チュポチュポといやらしい音がひっきりなしだ。 「あ、あ、あーーーっ!! そこそこ……かき混ぜて、 そこ……おま○こかき混ぜてぇ!」 二人とも、まるでケダモノのように貪りあった。夢中になって腰を打ち付けて、汗を交わらせる。 「んぃ……あ、あ、あ……!? そ、それ……あ、あーーーーーっ!!!」 にっちゃにっちゃ……浅いところで何度も動かすとななみの声が急に裏返った。 「ンああぁあぁあぁあああ……ああぁぁぁああぁ! だめ、だめだめ、それすごい、すごいのっ、 あ、あ、あ、あ、そんな小刻みなのダメぇぇ!!」 腰の動きを俺に合わせて、入口の摩擦だけに意識を集中させる。 「イっちゃいますってばぁ……! あ、あ、あ、今度こそイっちゃう! イっちゃいます、イっちゃう、イく……ッッ」 「うっ、うーーーーーああぁああああぁああ!!!」 「はひ……はぁ、はぁ……きもちいぃ……」 「はぁ、はぁ……イッた?」 「はぁぁ……はいぃ……恥ずかしい、 こんな格好で……あ、あはぁぁ……」 「この格好で興奮してるみたいだったけど?」 「やぁぁん、知りません。 あ、でも……とーまくん、まだですよね?」 中に入っている俺の感触を確かめながら、ななみが上目づかいになる。 「あの……わ、わたし……続きしても、 もうちょっと大丈夫かもしれないです」 「物足りない?」 「ち、ちがいます。そうじゃなくて! とーまくんの……中でおっきくなってますし」 「も、もうちょっと……ここで……あ、あの! おま○こでこすってみたらどうかなって……」 「あ、それとも……手のほうが 気持ちよかったですか?」 急にななみが後ろめたそうな顔をする。 「その……こっちがゆるくて……とか?」 「……馬鹿、そんなことあるか」 まったく……どこでそんな余計な知識を詰め込んできたのか……。耳年増もいいところだ。 やっぱりどこかズレているななみが、けれど無性に愛らしく思えて、俺は汗ばんだ白い太ももに手を回す。 「ここだけの話、俺だって必死にこらえてんだ」 そのまま、ペニスを抜くと見せかけて、再び奥まで貫いた。 「んあっ!? とーまくん……ッッ!!」 「手加減してくれよ、溺れそうになる」 「あ、あ、あ……ッ!! で、でも……んあああーーーーッッ!!!」 「もう手遅れかな。 ななみ…………好きだ」 「ひぐぅぅぅっ、あ、あ、あ、うれし……いっ、 すごいの、と、とーまくんのぶつかってる!」 愛を囁きながら、腰を打ち付ける。熱い粘膜の奥にトントンと軽くぶつけながら、浅く深く、抜き差しを再開してゆく──。 「あぁぁ……んあっ、んあァ……はぁぁーっ あっ、あっ、あっ、あっ、だめ、んぁ、んぁ 頭おかしくなりそう……んんぁあーーっ!」 虚脱しかけていたななみだが、再びきつく抱きしめられながら中をこすられると、すぐにボルテージが上がった。 「んあっ、あ、あ……!? あ、あ、あ、そこ、そこ当たってる!」 「どこ?」 「んぁ、おち○ちんの根元に、あ、あ、ほら、 こすれてるの……わたしのえっちなのが、 あ、あ、あ、これだめ……しびれちゃうっ!」 さっき口に含んでいた敏感な突起が顔をのぞかせ、俺の腰がぶつかるたびにペニスとこすられている。そのたびにななみの声が切迫するのが分かった。 「それっ、あ、あ、それだめっ……はぁぁっ。 あ、あ、あっ、来ちゃう、来ちゃうっ、 今度はとーまくんの番なのにぃぃっ!」 「やぁぁ、だめ、こすっちゃ……あ、あ、 お、おかしくなっちゃうから……あ、あ、あーっ」 「ひぎっ……ひぐ……んんぁ、あぁぁ、あぁ、 あはァ……ああぁあぁ……ッッ!!」 じょりじょり……と、俺の陰毛にこすられて、ななみのクリトリスは真っ赤に腫れ上がっている。 「だめだめッ! んぃィ……! あ、あ、あ、あーーっ、んあァ、んへァ…… んぁ、んぁ、んんぁ、んんーーぁぁぁぁ!!」 あられもなく悶えるななみと中の締め付けに、限界が押し寄せてきた。 「もっと、もっとしてくださいっ! あ、あーーーっ、とーまくん好き! 気持ちいいの……あ、あ、あ、大好きっ!」 スパートをかけた俺は、同時にクリトリスをつまみあげる。 「ひぐ!? そこつまんじゃ、つまむの反則……! つまんじゃ、あああぁああーーーーーーッッ!!」 「んあぁああぁぁああぁーーーッッ!!!」 ななみがのけぞるのと同時に、クリトリスと結合部の間からまたも飛沫が噴き上がった。 「やぁぁっ! 出ちゃう……出ちゃって……! あ、あ、あはァァぁあぁーーっ!!」 中の肉がうねりだし、痛いほどに俺を締め付ける。 「ひァ、あっ、んああっ、おち○ち……! んぎっ、あ、あーーっ、んんあーーッ!」 俺が突き込むたびに小さい性器が水鉄砲のように潮を噴いた。 「あ、あぁあぁぁぁ……だめ、とまらない! とまらないです、とーまくんーーっ!!」 名前を呼びそれからまた結合部を凝視する。ななみはもう、俺の運動に翻弄されているばかりだ。 「あ、ああああ……すご、おま○こすごい、 とーまくん見ちゃやだ……わたしまた イッちゃ……あ、あ、あ、見ちゃやですーっ!」 すっかりとりとめをなくした顔で、ななみが腰を振る。 「あ、あぃ、あぃ、あぃイくッ! いっちゃ、 あ、あ、イっちゃう、イッちゃ……!!」 俺はクリトリスを指の腹で軽く叩きながら腰を打ちつけた。 「んああッ!? らめ、とんとんしちゃダメ……! あ、あ、あ、そこ、ノックだめですーーっ!」 ギュウウウッ──と締め付けられる。もう限界だ……ぎりぎりまで耐えてから俺は一思いに体内の精を解き放った。 「──ッ!!」 「あ、あーーっ!! とーーーーまくぅぅぅうぅうゥゥンン!」 「あ、あ、あ、だめ、出てるのに……ィ、 出てるのにずんずんしちゃだめぇぇ!! あ、あ、あっ、おかしくなるッ、イくッ!」 「イっちゃう、おま○こイっちゃう! おま……イクイクイク……ひぐ……うッ!! ン……ぅぅぅぅううううううッ……!!」 どくっ、どくっ──と、ななみの中に灼熱の欲望が流れ込んでいく。 「んあぁあああぁぁぁあああぁぁっっ!! あっ、あーーーーっ! あ、あ、あ…… はぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ……ッ」 それらを全て受け入れたななみは、両足を開いた格好のまま、必死で空気を貪っている。 「んあ、んあ……あん、んん、ん、ん、ん…… はぁ、はぁーーーっ、はぁぁ、はぁーーーっ……」 「はひぁ……ふあぁぁ…………イっちゃったぁぁ……」 「あぁ……激しかった……」 「はぁぁ……はいぃ……こんなにいっぱい……」 「ん……」 「あ、あっ、だめ、もう挿れちゃ……! あん、指、だめですよ……んぁぁ」 「そこ、あ、あ、あ……っ もー、なに塗ってるんですかぁ……」 「なんとなく」 「とーまくん子供みたい……んっ、あ、 やだ、そ、そこ……おま○こ……だめ……」 「そんな言葉使ったら続きするぞ」 「はぁぁぁ……ン……い、いいけど、だめですよね? ふふっ、おたのしみはまた明日です……」 「もう一度シャワー浴びないとな」 「ふぁい………んんぁ……はぁぁ……一緒に?」 「……こっそりならバレないだろ」 「はい…………んふふ……っ」 「はひーーーーー、もうだめ……足がくがくです」 「完璧にペース配分ミスったな、明日が怖いぜ」 「ほ、本能の勝利なのでしょうか?」 「明日からは理性に期待しよう。 ほら、バレたら大変だ。さっさと戻ろう」 「ら、らじゃーです!」 「はぁぁ……ドキドキしました……くしゅん!」 「裸でリビングは無茶だったな」 「んふふ……でも、楽しかったですよ」 ななみは下着姿のまま、二人の営みの痕跡が大きな染みになっているソファのカバーを交換している。 「あやや……こ、これは恥ずかしいですね……」 「毎回これだと大変だな、タオルを敷くか」 「それもそうですけど…… やっぱり、これは練習あるのみです! 回数を繰り返さないと上達できません」 「練習!?」 新しい下着の股間が、ななみの動きに合わせてきゅっと食い込むのが見えて、収まりかけていた下半身がまたも邪心をもたげようとする。 いかん──俺は首を振って理性を呼び込んだ。深呼吸をして、下半身を落ち着かせる。 「んしょ……っと、これでかんせーい♪」 下着のままソファのカバーを取り替えたななみは抱き枕やクッションを上に戻そうとして、ふと手を止めた。 「ふぁぁ……ほんとはもうちょっと とーまくんと練習したかったですけど、 もう限界ですね……むにゃにゃ……」 「身体がSOSレベルで叫んでるな……」 「そうですね……ぐっすり休みましょう」 「ああ、それじゃ……おやすみ」 部屋を出て行こうとする俺の袖をななみが引っ張る。 「あ、あのですね……その……」 「愛用の抱き枕が濡れちゃってまして……」 「……??」 ……かくして。 「とーまくん抱きまくらっっ♪」 「……なんだそれは」 「なんだもなにも、とーまくん抱きまくらです!」 「………………このまま寝ろと?」 「はい、抱きまくらは襲うの禁止ですからね」 「そういう意味で聞いてねー!」 しかし……まあ、ななみに頼まれたらむげに断るわけにもいかない。それに……。 「ふふっ……とーまくん♪」 肉の交わりより何より、今のこの時間がいちばんラブラブという空気に似つかわしいような気がする。 「にしても……ハードな1日だったな」 「はい、楽しかったです」 「ああ……それならいい」 背中に当たる下着の感触と、ぷにぷにした肌触りに下半身が空気を読めなくなりそうで恐ろしいが、ぐっとこらえて目を閉じた。 「知りませんでした……」 ふと、ななみが独り言のように呟いた。 「わたし、たぶんすごくえっちなんです」 「…………!?」 「気にするな。ああいう時は 普段と違う自分が出てくるもんさ」 「そ、そうでしょうか……?」 「それに……半分はわざとだろ?」 「え?」 「わざとその……エロい言葉使ってさ」 「あうぅ……そ、それはそうなんですけど!!」 「でも……悪いことしてるみたいで ドキドキしちゃいました」 顔を真っ赤にしたななみがぎゅっと強く抱いてくる。 「それに、そのほうがとーまくんが 早くイっちゃうって思ったから……」 「戦術的卑語?」 「なんですか、それは!」 「戦術とかじゃなくてですね……その、 あのままだと、本当におかしくなっちゃいそうで ちょっと怖くなってしまって……」 「………………」 「とーまくんの……気持ちよすぎて怖いです」 唾を飲んだななみが、小さく耳元で囁いた。 「俺も……ちょっと怖い」 「それはまた?」 「お前に溺れそうで」 「…………!!」 「や、やだ……だめです、そんなお世辞は」 「これから……プライベートと仕事と メリハリつけないとな」 「で、できます……よね?」 「できなきゃ禁欲」 「あぅぅ…………が、がんばります!」 「ふんふんふーん♪」 鼻歌を歌いながら、ななみが髪をとかす。 ラブラブは禁止。プライベートと仕事はキッチリ分ける。メリハリ、メリハリと連呼していたはずが、3日連続でこの状況だ。 連日連夜、俺とななみは睡眠時間を削ってでも飽きることなく肌を合わせ、新しく刺激的なコミュニケーションに熱中している。 いきおい仕事がおろそかになってしまうのではないかと危惧していたのだが、そこは不思議とそうでもない。 昼のノルマを120%程度は果たしておかないとこの時間を心から楽しむことができないので、昨日今日と仕事の効率は普段以上だ。 「とーまくんは、 おっぱい大きいほうがいいんですよね?」 「なんですかな、いきなり?」 「ここを育てるには、 どうしたものかと思いまして。 むー……やっぱり栄養でしょうか?」 「菓子袋に手を伸ばすにはいい口実だ」 「ぎ、ぎくっ!? なんですかその勘の鋭さは!!」 「ウェイトコントロールを含めて考えれば、 小さいのも悪くはないかな、うん」 「えー、そんなぁ……!! よーくたしかめてみてくださ……」 「や! あんっ! ちょ、とーまくん!? 先っちょは……あ、あ、あん……やぁぁ、 もー、下着替えたばっかなのに……んんっ」 「刺激を与えると大きくなるって説はなかったかな」 「んぁぁ……知りませ……ん、んッ」 「……とーまくん……えっちです……」 かくして、ふたたび俺はななみの隣で見慣れつつある円錐の天井を見上げている。 最初は行為のたびに回数を指折り数えていたが、両手をオーバーしてからは深く考えないことにした。 「……で、これが『すまきねこ』さんです!」 「ふーむ、すまきねこ……」 「あー、もうちゃんと見てください」 「そいつか。 机の下が完全に占拠されてるな」 「原作からそういう設定なんです。 デキシーランドからやってきた ゆかいな居候ねこさんなんですよ?」 「しかもとっても貴重品! 1分の1ぬいぐるみはもう製造中止なんです」 心地よい脱力感に浸りながら、ななみコレクションの説明をご拝聴する。 それにしても、女子の部屋というのはぜんたいこういうものなのだろうか。あちこちにクリーチャー的物体が鎮座している。 「お、この壁のやつは張子人形で見たな」 「お目が高い! これが7年前にプチブームを 巻き起こした『ちょうちん憲兵さん』です! おひけーなすってぇ!!」 「知らんなぁ、憲兵なのに任侠口調?」 「こまけーこたぁいーんです。 これは日曜朝6時からテレビでやっていて 当時の早起きキッズたちはですね……」 「こっちの頭から植物が生えてる〈不憫〉《ふびん》な子は?」 「不憫じゃないです、ボンサイちゃんです! 大きいお兄さんからリアルおじいさんまで大人気の プラント人間ちゃんなんですから!」 「有名なのか?」 「もちろん、ただいま絶賛放映中です! これは主題歌がノリノリでですね、」 「ボンサイちゃーん、ボンサイちゃーん、 就職内定、究極剪定 ボンボンボボボンボンサイちゃーん♪」 「……ですが、しろくま町では放送されてないです」 「結局どいつもこいつもどマイナーだ!!」 「うぅ……わたしが好きになる子は 不思議と人気がないみたいで……」 「ははは……その通り、俺も不人気トナカイだ」 「とーまくんは別です!」 このまま解説を聞いてるとペンキ屋さん状態に入りそうだったので、適当なところでお茶を濁してしまった。 つーんとむくれたななみだったが、すぐに気を取り直すと、下着のままにじり寄ってきた。 「ところでとーまくーん……」 「あのですね、 わたしチョコボンボンが食べたいんですけど」 「どうぞ?」 「でも、中にウィスキーが入ってるんです」 「ボンボンってのはそういうものだ。 じゃ、なぜ買った!?」 「えへへー、どうしてなんでしょう? うー、むー、困りましたー」 「どこをどう困ると瞳に星がきらめくのかな?」 「とーまくーん……手伝ってくれますか?」 「ふふふっ……♪ もごもご…………そろそろ溶けちゃいまふ」 「ん……」 チョコボンボンを美味そうに舐めながら、ななみが顔を寄せてくる。 「んーーー@@ ちゅ、んるっ……んちゅ、 ん、んん……れろ……ん、んぁ……んっ……」 重ねた唇から舌がからまり、口から口へとろりと蕩けたチョコボンボンが受け渡される。 外側のチョコレートをななみが楽しみ、溶けてきたら中のウィスキーは俺が味わう。──これがななみ考案のラブ作法だそうだ。 「もうひとつ……ん、もごもご……」 「よくこんなことを思いつく」 くにゃりと噛み潰すと、甘味過多のアルコールが口の中に風味を広げた。 「とーまくん、おかわりですよー……」 「んむ……ちゅ、ちゅーーーーっ、んむ、れろ ん、ねもねも……んむっ、ちゅ、ちゅ、んんっ、 ふふ……お酒の匂い♪」 ななみはチョコ、俺はウィスキー。そのたびにキスをして、チョコの味のする舌をからめ合う。 ──チョコレートとアルコール。──ななみと俺。 なるほど、チョコボンボンってのは俺たちのことだ。 二つが交じり合った味は、甘味が強すぎて悪酔いをしそうだ。 「んっ、ちゅーっ……ん、んっ、あん! とーまくん、そこばっかり触るの……んむっ、 んっ、んっ、んっ……らめ……ん、んぁぁ」 「悪い、少し酔ってる……」 「ウソですよ……ん、んっ、んちゅ、ん……ぁ、 あッ、あッ……ちょ、ちょっと指!? だめ、汚れちゃいますよぉ……!」 「あ、あぁぁ……こすっちゃやぁぁ、 ん、もう……だったらわたしも舌……ん、 入れちゃい……ん、れろ、ちゅ、ん……」 「ん……んーっ、んろっ、んん……れろ…… ん、んーっ、ん!? ん、んんっ、んーーっ! んんーーーっ!!」 上と下の粘膜で遊びながら、ななみは俺の腕の中で必死に声を殺している。 「ぷはっ……はぁっ、はぁぁ……もう…………、 んぐ……ん、ん……んーーーっ!!」 「声、気になるか?」 ツリーハウス個室部分の3階──ななみの部屋は、上にりりか、下は硯に挟まれている。 「そ、そうじゃないんですけど……んぁ! 変な声になっちゃうから恥ずかしくて……」 「そうじゃないことないじゃないか」 「そうじゃないことなくなくなくて……あ、あれ?」 「ははは、かーわいいな」 「と……とーまくん?」 「ん?」 「なんか……変わりましたね」 「そうか?」 「そうですよ……正直さんです」 「誰かさんに影響されたかな?」 「わ、わたし、 そんなにえっちーくありませんよ!」 「じゃあボンボンで酔ったんだ」 「ウソですよ、あれっぽっちで」 「チョコと混じると酔いやすいって」 「嘘……ん、もうちょっと……あ、あんっ! だめ動かしちゃ……よだれが……あ、あ……ァ」 「はーっ……また いたしちゃいました……」 「うわ、もう4時か。 さすがに眠いだろ?」 「それが不思議とそうでもないんです」 「どんだけタフガールだ」 「だって、いまは大人買いの時間ですから」 「??」 「ほら、おもちゃを大人買いするとか、 言うじゃないですか」 「あれと同じで、小さい頃にできなかったことを いまの時間で一気にお勉強してるんです。 だから時間があっという間に……」 「なに!? 小さい頃からHしたかったのか!」 「へ!? ちちちちがいますってば!! えっちは……その、えっちだけじゃなくて」 「よ、夜更かしとか、その…… 大好きな人とラブラブするとか……」 だ、大好き……? まったく、なんて言いにくいことをサラッと言いやがる。 「もう……本当は分かってて言ってませんか?」 「まだ残ってるぞ」 ななみの尖らせた口にチョコボンボンを差し込んでやる。 「むー……」 納得のいかない顔でボンボンを転がしていたななみだが、 「んー、お酒はとーまくん……ん、んちゅ……」 口移しにチョコを受け取る頃にはすっかり機嫌も直っていた。 「ふふふ、口のはしっこにチョコ付いちゃってます」 「ん、取れたかな?」 「ううん、ここですよ……ん、れろ……」 口の端のチョコを舐め取った流れのままに耳元で囁きかけてくる。 「あのね、初恋の相手は冬馬くんでした……」 「サンタは忙しいからな。 今まで恋なんてする暇がなかっただけさ」 「ちがいますよ、学校にいたときです」 「学校?」 「はい、冬馬くんと同じクラスだったころ」 サンタ学校の記憶が蘇ってくる。あの頃、授業で俺とななみは良く同じチームになったが、男子と女子の壁は高かった。 「どうしてだ? あの頃はそれらしいことなんか……」 「冬馬くんは、わたしを普通にしてくれたんです。 家柄とか関係なしに、普通に……」 ほとんど覚えはないが、ななみは遠い目をして過去の俺を見つめている。 「なんて……やっぱり昔の話は照れちゃいます」 「だ、だったら言うなって」 照れた俺も視線を逸らす。 「…………?」 まだ俺を見ているかと思えば、ななみの視線は手元の書類に落ちている。 「……なにを読んでいる?」 「配達の資料です。 ちょっとでも覚えておかないと」 なんてまじめな奴だ。しかし場の空気をまるで読もうとしていない。 「で、いまや熱心なサンタのリーダーさんか」 「熱心じゃないです、みんなやってますし。 これは今日の補習分です」 「補習?」 「はい、えっちしてしまったぶんを、 取り返さなくちゃいけません」 なるほど、遊んだ分は倍返しで仕事をする。心がけとしては感心だが、しかし……。 ななみの背後には普段なら必要ないくらいの町に関する資料の束、束、束……。 「……お前、いつ寝てるんだ?」 ラブラブしたければ睡眠時間を削る──。まったく、ななみらしい考え方だ。 多忙を理由に禁欲するのではなく、仕事をこなした上で、なお楽しみを味わおうとする。 あいつがいつもニコニコしていられるのは、きっとそういう精神構造をしているからだろう。それがサンタの力に結びついている。 サンタとしての決まりだらけだった幼少時代。からっぽの自分──。 楽しみを手放しで受け入れることで、ななみはそんなコンプレックスを意識せずに忘れることができるのだろう。 どうやら初恋相手だったらしい俺も、少しはあいつの役に立てているだろうか……。 ひとりでカペラのメンテナンスをしていると、ついつい、ななみとのやりとりばかりが思い出されてしまう。 「まだやっているんですか?」 「ああ、金髪さんに怒られないように、 浮ついてないってところを見せないとな」 リフレクターの調整に念を入れていると、脇のテーブルに、硯がマグカップを置いた。中で淹れたてのコーヒーが湯気を立てている。 「それに……うちの相方にも負けてられん」 「…………」 「上手く言えないんですけど、 いいですね……そういうの」 「コーヒーいただくよ」 「はい、おやすみなさい」 普段は気づかないが、ふと横を見ると手を貸してくれている──。硯と言うのはそういうサンタさんだ。 ななみ、りりか、硯。同じような年頃のサンタでも性質はまるで異なる。 そしてどうやら俺には、ななみのような手のかかる相棒がお似合いだったようだ──。 さあ、コーヒーをすすってもうひと踏ん張りだ。時計はもう深夜の2時を回っている。 翌日。俺とななみはブラウン通りに移動店舗を引っ張った。 これまでの営業が功を奏したようで、今日もオアシスの周りには子供や観光客の人だかりが出来ている。 「はーい、お待たせしましたー! はりこー人形劇団、今日の演目は 驚愕のスペースオペラですっ!!」 人形劇でスペースオペラとは野心的すぎやしないかとは思うのだが、これも含めてななみ流だ。 慎重にやれと忠告はしたので、あとはサンタさんの思し召しのままに、だ。 「ソーラーシステムが狙っているけどぉーーー♪」 「コントロール艦がコロンブスだとぉーーーー♪」 「なんだかいけそうな気が……」「待て待て待て待て!!」 「な、なんですか?」 「なんでってお前、隅から突っ込んでこうか?」 「まずオペラと詩吟がごっちゃになってるし、 そもそもスペースオペラってのは歌劇と違うし、 その筋書き自体がスペースオペラじゃない!!」 「ううっ、逐一的確すぎるご指摘が……!」 「ですがとーまくん、ほら!!」 「いいぞやっちまえー!! 阻止限界点突破だーーー!!」 「う……ウケてるからいいのか……」 「はー、働いた働いた。 今日もだいはんじょー御礼でした!」 「スペースオペラより童話のほうが ウケると分かっただけでも収穫だな」 「あぅぅ、やっぱり王道が大事なんですね。 でも……挑戦はあきらめません!」 「がんばれ。そのうち児童番組の 1コーナーくらいもらえるかも知れん」 他愛もない雑談をしながら公園で弁当を広げる。 「そういえば、このところ サンドイッチマンの姿を見かけないな」 ブラウン通りやメインストリートでも営業をしているが、この1週間ほどはほとんど姿を見かけなくなっていた。 「だって、毎日すごい量のリクエストデータが 送られてくるんですよ」 「さすがにイブが近づいて来たってことか」 サンタクロースにプレゼントのリクエストが届き始めるのは、イブの一ヶ月前──アドベントの前後だ。 昔ながらのスタイルでサンタに手紙を書く人もいれば、心の中でそっとプレゼントを願う人もいる。 それら無数の願い事を、サンタは直接知ることはない。 ツリーと深く感応できるロードスターだけがルミナの流れを通じて読み取るのだという。 それは、俺たち俗なトナカイには理解の及ばない、御伽噺の領域だ。 そしてななみたちの手元には、ロードスターによって翻訳されたリクエストが毎日送られてくる。 人の心が移ろえばリクエストも変更される。窓辺にくつしたが吊るされるかどうか、はっきりしたことはイブの夜まで決まらない。 その日その日の最新のリクエストを元に、ロードスターは当日のコースを決め、サンタたちはテストを繰り返すのだ。 「ボスは、いったいどんな風に リクエストを受け取るんだろうな」 「屋久島のときは、木のうろに入って 森と心をひとつにする……って聞きましたけど」 「あの洋館で?」 「瞑想用の小部屋とか いかにもありそうじゃないですか!」 「色即是空空即是色一將功成萬骨枯 早天早々相州小田原透頂香 般若腹満たしィーーー……喝ーーーーっっ!!」 「……毎年思うんですが、こうしないと ツリーと交信できないんでしょうか?」 「ステキねー……」 「せ、先生の趣味って……」 「しかし真面目な話、この支部はツリーの すぐ近くにルミナの真空地帯を抱えてるからな。 コースも慎重に決めないと……」 「おむすびさんのご苦労が忍ばれます……」 「多少はアクロバティックなコースでも 対応できるようになっとかんとなー?」 「でもとーまくんなら……あれ、お電話です?」 「透からだ……もしもし?」 すっかり陽も落ちた午後6時。店の営業が終わる少し前に、俺とななみと透が顔を付き合わせた。 いつもより深刻そうな顔をした透が、ななみも同席させてほしいと言ってきたのだ。 「それで話っていうのは?」 「はい、前にお話したニュータウンの リゾート開発についてなのですが……」 「ああ、あの学校の……」 アイちゃんのことを思い出すと複雑な気分になる。 「その開発は県庁が主導して進めていたんです」 「ふむ?」 「実は、僕の父は県庁の職員をしていまして……」 「へえ、すごいじゃないか」 「でも、子供の頃に少し一緒に暮らしていただけで 僕はあまり父のことを知りません」 てっきり、故郷に帰るような気持ちなのかと思ったら、どうやら透にも複雑な事情があるようだ。 「父が再婚する前のことですし、 僕は自分から進んでサー・アルフレッド・キングの ところへ行ってしまったので……」 「……そうか」 「あ、別にわだかまりも何もないんですよ。 ちょっと懐かしいだけで……」 「それで……父親っていうと、 思い出すのはアイちゃんのことで」 ためらいがちに透が続ける。 「僕には細かいことは分からないけど、 アイちゃんは、 きっと学校が好きなんだと思います」 「うん……そう思います」 「だけど、僕の父はその学校を……」 「まさか開発の担当者が?」 「いえ、そうじゃないんですが……」 「なら、お前が気に病むことじゃない。 ボスはなんて言ってるんだ?」 「なにがこの町に必要なのか、 サンタじゃない立場から考えてみなさい、と」 「ボスらしいな、そいつが正解さ」 「でも、僕にはリゾート開発がこの町に そんなに必要なことなのか、よくわからなくて」 「それで、俺たちに相談を?」 「あ、そうじゃないんです、 その……もうひとつ大変なことがあって」 透の目がななみに向けられる。 「はい?」 「しろくまリゾート開発を推し進めているのは 大手スーパーのガイエーですが、その窓口に なっている人の名前が分かったんです」 「ふむ……?」 「……?」 「その人の名前は……星名七香さん」 ──星名七香。 それは、ななみの母親の名前だった。 訓練のあと、ななみを誘った俺は夜風に当たりに外へ出た。 いつもどおりのラブラブはいったんお預け。二人、手をつなぎ、満点の星空を見上げて歩きだす。 「…………」 いつものように、ななみは星空を見上げ、何かを探すように目を細める。 そんなななみの横顔に、俺も目を細めたくなる。 「……なにが見えるんだ?」 「お星さまと、あとはきらきらですね」 きらきらか……。 夜空を夜空としてしか見ることのできないトナカイと違い、サンタの瞳はルミナの光を感じとることができる。 ななみの大きな瞳には、いま、何が映っているのだろう? 夕食後のリビング、サンタチーム全員の前で透は俺たちにしたのと同じ話を繰り返した。 一足先に俺たちに話をしてくれたのは、透なりの配慮だったのだろう。 星名七香の名前が出たとき、りりかと硯は一瞬だけななみの顔をうかがったが、それ以上は特になにも口にしなかった。 「なあ──お前のお袋さんって……」 聞いていい事かどうか分からなかったが、俺はそこに足を踏み入れた。 「……わたしがちっちゃい頃に、 ノエルからいなくなったんです──」 ななみの話では、どうやら星名七香さんは、自分からサンタの立場を捨てたのだという。 サンタを辞めるなんていうのは珍しい話だ。そこにどういった事情があったのか……、好奇心を押さえつけ、俺はななみの言葉に耳を傾ける。 「で、わたしはおかあさんと行かずに、 おばあちゃんの家に残りました」 「それはまた、どうして?」 「わたしは跡継ぎにならなくちゃいけませんから」 星名家はサンタの名門。特に、ななみのお祖母さんは日本初の女性サンタだ。 星名家の事情ってやつは、新米トナカイの俺にもなんとなく想像はできる。同時に、軽々しく踏み込めないということも。 「けど、お母さんが いなくなったというのは……?」 「それは小さい頃のことなので、よく分かりません」 ななみは、自分の前から姿を消した母親について、断片的な記憶しか持ち合わせていなかった。 サンタを辞めたことで星名七香さんは、サンタとしての資格を失ったのだろう。 そんな彼女が星名家に留まれなかった理由も、なんとなく想像することはできる。 サンタ失格──その言葉は名門の星名家にどんな影を落としてしまったのだろうか。 「でも、おかあさんには お父さんがついてるから大丈夫です」 「親父さんっていうのは、 やっぱりノエルのスタッフかなにかで?」 「それが違うんです。 おかあさんと結婚してから 手伝うようになったらしいんですけど」 「聞くところによると、大恋愛があったそうで」 「へえ、大胆だな」 「空と地上の恋──なんていうのも素敵ですね」 いつものノリでヒソヒソ声になったななみだが、ふいに視線を星空に戻すと、今度はポツリと呟いた。 「……けど、今はおかあさんが寂しいのかな?」 つながりのない言葉はななみの直感が〈紡〉《つむ》ぎ出したものだろうか。 ニュータウンリゾート開発の窓口である星名七香は、いま──しろくま町にいる。 「会いに行ってみるか?」 「……うーん」 「お袋さんは、どうしてサンタをやめたんだ?」 「わかりません。 時期が来たら話してくれるって、 おばあちゃんが言ってました」 糸電話の長電話で昔話を聞いた時も、ななみの話の中にいたのはいつも偉大なるお祖母ちゃんだった。 星名七香という人は、ななみの歴史の中からすっぽりと抜け落ちている。あるいは押さえ込まれているのかもしれない。 そんなななみに、俺はどんな形で手を差し伸べてやれるのだろう。 「だからわたし平気なんです。 いま、ここに大切なものはみんな揃ってますから」 おそらく俺ならば、ななみのように今の環境を静かに受け入れることはできなかっただろう。 消えた母親に会い、知らなかったことを全て聞いて、それから前を向いて歩いていくだろう。 ……いや、それも空想だ。 俺は親父を失ったが、ななみのケースとはまるで違う。俺にななみの境遇を理解することはできない。 ななみ、お前はなにを想っているんだ。 すぐ隣にいるのに、ななみの本心は、七等星よりも遠くの星のようにかすんでいる。 けれど……だから目を凝らすのだ。人は、宵闇の空に向かって──。 深夜になってもネーヴェの客は引かない。美樹さんの料理と居心地のいい空間、そして選りすぐりの銘酒が客の腰を重くさせるからだ。 ぼんやりとした灯りに照らされた店内には4ビートのジャズが流れ、様々な年齢と職業の客が思い思いにグラスを傾けている。 ジェラルドと共にカウンターに座った俺も、すでに最初のボトルを空けていた。 「なるほど。 あのピンクのお嬢ちゃんの母親がね……」 「ニュータウンのあれな、 ガイエーリゾート開発となっているが、 実際に動いているのはガイエーの社員じゃない」 「ガイエーから依頼を受けた外部の会社が、 計画を立てて現場を任されているらしいんだ。 で、その責任者が……」 「星名七香、か」 「そういうことさ」 透から聞いた話は、これでほとんど伝えることができた。 「それで、なぜ俺にその話を?」 「美人らしいぜ、七香さんって人は」 「そいつは朗報だな。 で、お前さんはどうするんだ?」 「…………」 いきなり核心を突かれて、俺は口を噤んだ。 空いたグラスの氷が手のひらの熱で潤いを増してゆく。 「まだ分からない」 「お嬢ちゃんの気持ちがかい?」 「ああ、だから下手に動くこともできない」 「賢明だな」 ジェラルドはうなずくと、自分のグラスに残っていたスコッチを流し込んだ。 「ななみは、動揺していないのかな」 「どう見えるんだ?」 「どっちにも見える。 あいつはそういう奴なんだ、 母親に会わなくてもいいって言っている」 「なるほどな。 若くてもサンタはサンタさ、 パートナーの判断を信頼してやんな」 「心配するのはルール違反かな?」 「心配してるように見せるのはルール違反さ。 トナカイとしてはな」 「トナカイか」 「恋人には別の答えがあってもいいが、 そいつは俺が口を挟むことじゃない」 思案する俺の横で、ジェラルドが美樹さんに追加のボトルをオーダーする。 「今度はアイリッシュがいい、辛いやつだ。 それとグラスをもうひとつ」 「あら、今日はお連れのお姉さんも?」 「いいや、今日は二人さ。 このグラスは君のために……」 「ここはスナックじゃないんですよ。 片付けちゃいますね」 美樹さんが出してきたグラスを奥にさげる。 「あんた……隙を見せれば口説くんだな」 「人生は短いぜジャパニーズ。 おまけに彼女は町で一番ホットな熟女だ」 「……サンタ先生は?」 「一番クールなのが先生さ」 「あら、二股?」 「心配ご無用、3Pは趣味じゃない。 どうかな、店が終わったら乾杯の続きでも……」 「ふふっ、早寝早起きがモットーなの」 ひらひらと手を振って美樹さんが離れていく。 「ううむ……大和撫子は難解だ」 「二股かけりゃ誰だってそうなる」 「だが、俺だぞ!?」 「あんた……やっぱり凄いな」 俺があんぐりと口を開けたところへ……。 「残念だったな色男、おごるぜ?」 聞き慣れた声がして、ビールの満たされたジョッキがジェラルドの前に置かれた。 「ま、飲んでくれよ外国人」 「イタリアンだ、あんたは?」 「ジョーさん!」 「よう、おもちゃ屋さんのお知り合いか。 珍しいな、こんな時間に顔を出すなんて」 「ジョーさんは常連っぽいな」 「もっぱら安い昼の常連さ。 バイト代が入るたびに飲んじまうんだ」 「……で、こいつはなぜだい?」 「フラれ仲間だからさ。 堅ぇーぞ、あの人は」 「それならいただこう……乾杯!!」 互いにジョッキを打ち合わせ、ぐいぐいと、一息に飲み干した。 「名乗るのが遅れたな。 ジェラルド・ラブリオーラだ、あんたは?」 「城悟のそのまた兄貴だよ」 「……誰だ、それは?」 「役者の城悟だよ。知らねーのか?」 「初耳だな、舞台でもやっているのか?」 「へぇ!? 面白ぇーな、外国人!」 「ジェラルド・ラブリオーラだ」 どうやらこの二人、意気投合したようだ。互いに美樹さんを呼びつけて、料理をおごろうとしている。 「あんた、イタリアのどこだい?」 「シチリアさ」 「こえーな、マフィアじゃねーか!」 「生まれだけさ。その後は世界を転々、 こないだまではNYだ」 「どんな仕事だい?」 「この世で一番ハッピーな仕事さ。 そういうあんたも この町の人間には見えないぜ?」 「ハハハ、俺ァ疎開してきたんだ」 泡のついた口でぽつりとつぶやくと、ジョーさんは昔話を始めた。 音楽を志して、東京に出たこと。東京で、売れないバンドのギタリストをやっていたこと。 俺も断片的に聞いていた話だ。ジョーさんはジェラルドだけではなく、俺に向けても話している。 「東京じゃ、ときどきこんな店で 弾いてたっけなぁ……だが結局、 飯が食えるまでにはならなかった」 バイトで食いつないでいたけれど、ライブのたびに赤字を出し、やがてメンバーのいざこざでバンドも解散。 ジョーさんの酒は進む。誰かと飲むのは、案外久しぶりなのかもしれない。 「……それなりに頑張ったつもりだが、 俺は望んでいた姿にはなれなかったわけだ」 「イメージと現実のギャップってやつさ。 そいつがデカすぎたんだよ、くだらねーな!」 「分からなくもない話だ」 「あんたが?」 「男なら当然さ」 「ハハハ……で、そいつをこじらせちまったんだな。 つまりは、みんな敵に見えてきてよ」 「まー、相当荒れてたな。 しまいにゃ陰口を言うのも嫌んなってなぁ」 「金がなけりゃ借金だろ、 女にも金ばっかり借りて逃げられてさ、 最後に頼るのは売り出し中の弟だ」 「弟に金借りたときによ、えれー心配されてさ。 ……そこで折れちまったんだな」 「あいつの人脈を使えば道はあったかもしんねー。 けど、そいつは絶対にできなかった……。 だから、俺は疎開しちまったのさ」 「そいつはあんたのプライドだ、 心中して本望だろう?」 「ハハハ、いいこと言うなイタ公」 「……いやぁ、美味い酒だった!! ついつい口が滑っちまったが、 まあ、忘れてくれ!!」 「ああ、また飲もう」 「ジョーさんも気をつけて」 「おう、じゃーまたなぁ!」 ずっとへらへら笑っていたジョーさんだが、本心は少し離れたところあったのだろう。 店を出た俺とジェラルドは、去りゆくジョーさんの背中を見送った。 「……あの男は、どんな顔で笑うのかな」 「あんたも興味あるかい?」 「当然だろう、俺はサンタの一味だぜ」 「ただいまーー!!」 ツリーハウスに戻った俺は、そのままななみの部屋に転がり込んだ。 「うぇぇ……お酒くさいです!」 「イタリア人と飲んでたんだ。 ジョーさんとも途中で一緒になってさ」 「ジョーさんが?」 窓を開けながらななみが言う。 「寒い寒い、この時間に窓全開はないだろう」 「少しは冷えたほうがいいんです。 もうちょっとお酒は控えてください」 「トナカイにそいつは無理な相談だ」 「なに格好つけてるんですか、もー。 さ、窓際で頭を冷やしてください。 いまお水もってきますから」 言われるままに窓際に行くと、冷たい夜風がもろに顔に当たる。 「ああ、気持ちいいな……」 「…………」 「……?」 「……なあ、本当に全部なのか?」 酔いが完全に引く前に、俺は少しだけ、ななみにからんだ。 「何ですか?」 「お袋さんと会わなくても、 大切なものは全部揃っているのか?」 外の景色から、ななみの顔に目を戻す。 「…………」 ──ああ、あの時と同じ顔だ。 星空に何かを探すような、迷子になったような顔。 お前はいま、何を探しているんだ? 言葉に出さずに問いかける俺のほうを見て、ななみは静かに答えた。 「私はもう…… おかあさんの顔を忘れちゃってます」 「ゴルフ場!?」 「リゾート開発じゃなかったんですか?」 「プールは? ヤシの木は?」 「ありません。 リゾート開発というのはつまり、 ゴルフ場を作ることだったんです」 翌朝のミーティングで、俺たちサンタチームはリゾート開発についてのさらに詳しい報告を受けた。 ニュータウンのリゾート開発というのは、緑深いあの場所に、『しろくま〈CC〉《カントリークラブ》』を作ろうというものだったようだ。 「どうしてゴルフ場を リゾートと言うのでしょう?」 「ゴルフ場より響きがいいからじゃないか?」 「確かにスポーツリゾートっていい響きかも」 「ふーむ……紳士のスポーツですかー。 そこで町の人たちに楽しんでもらおうと」 「そうじゃないんです。県としては、 ゴルフ場とその周辺施設を開発することで 観光客が増えることを期待しているんです」 「観光客ですか」 「しろくま町の観光は、街、海、温泉と 揃っているのですが、ニュータウン方向には これといったものがないので……」 「うちのお店は?」 「さ、さすがに観光地とは違うのでは……」 「ゴルフ場ができて観光客が増えると、 ニュータウンの人口も増えるかな?」 「はい、町の活性化と入居率の上昇を 見込んでいるみたいです」 「じゃあ、やっぱり 町の人のためになる計画なんですね」 「町が賑やかになるのはいいですねー」 「ゴルフかぁ……ちょっと興味あるかも。 遥かなるぺブルビーチの奇蹟……!」 りりかが適当なゴルフスイングの真似をする。 「サンタ的には困らないのか」 「ルミナの分布とかですか?」 「工事開発となれば、 何かしら影響は出ると思いますけれど」 「そんなの珍しいことじゃないしね。 あの真空地帯がどーなるかってくらいで」 リゾート再開発とはいえ、工事によって町の自然は打撃を受ける。 その影響でルミナの流れが不安定になるかもしれないが、それはなにもこの町に限ったことではない。 「ただ、少し気になるのが……」 「…………?」 「農薬?」 「はい、芝を守るので使うんですよ」 芝に散布された農薬が地下水を汚染し、川と森を汚すという例がいくつもあって、一部でそれを危惧する声があるというのだ。 「ゴルフ場を維持することで 町の自然に大きな打撃があれば……」 「工事中だけじゃなく、ゴルフ場完成後も、 ルミナは影響を受け続けるってわけか」 しばしの沈黙。みんな、それぞれの頭の中にこの町の未来図を思い描いている。 「てことは、リゾート開発に 反対する人も出てくるんじゃないか?」 「そうなのですが全然盛り上がってはいません。 開発に反対しているのは、ニュータウンの 外にいる人が多いので……」 「外ですか?」 「はい、市街地から海にかけての、かつて熊崎村と 呼ばれていたエリアには、古くからこの町に 住んでいる人が多いんです」 「それに比べて、 ニュータウンに住んでいる人たちは、 あとになってこの町に来た人たちなので」 それでは、町の環境に対する意識に温度差があるのは仕方のないことかもしれない。 透はアイちゃんのことを気にしてか、リゾート開発の話になると、決まって深刻そうな顔をする。 「ちょ、ちょっと待って! まさか 町が二つに分かれていがみあうなんてことは」 「さすがにそんなことはないです。 ニュータウンにも開発反対の人はいますし、 その逆もそうですし……」 「人の思惑はそれぞれか……」 「そういうごちゃっとしてる状態が ツリーに影響を与えているのかもしれませんけど」 ニュータウンの真空地帯を除けば、しろくま町はサンタにとっても非常に環境のいい町だ。 気まぐれなツリーのおかげで油断はできないが、町の上空に日々刻まれるコースは、セルヴィを滑らすにはもってこいだ。 しかし、それも数年後にはずいぶん変わってしまうかもしれない。 それでも俺たちサンタにできるのは、どんな環境下でもプレゼントを確実に届けるための修行──それだけだ。 そのことは、口にせずともみんな分かっている。 「諸君、ご苦労」 「おはようございます!」 ボスに続いて、サンタ先生とジェラルドが入ってくる。しろくま支部のメンバーが勢揃いだ。 「イブのコース予測を出してみました。 こちらを見てください」 机の上に、ボスが町の地図を広げる。今日はブシドーモードではないようだ。その周りを囲むように、俺たちは覗き込んだ。 「しろくま町の地図に ルミナの分布図を重ねたものです」 「真空地帯がこんなに?」 「ニュータウン全域に広がっている」 「どうしてここまで ルミナが減少したのでしょう……」 「それについてはまだ調査中」 「ま、まさかオアシスが何か?」 「むしろオアシスが食い止めていると 言った方がいいかもね」 「やれやれ、また訓練メニューの見直しだ」 「師走とはよく言ったものだな」 「イブの夜も、ボスが自ら屋台を?」 「配達のサンタを減らすわけにはいかない。 適材適所というところでしょう」 ユール・ログと同じ働きを持つオアシスと、経験の豊かなサー・アルフレッド・キング。この組み合わせでルミナの流れを引き寄せる。 さらにバルーンでのルミナ補給を組み合わせ、セルヴィのトライアングルフォーメーションでニュータウン全域をカバーする。 それらの基本方針は変わらないが、予想以上に広くなっている真空地帯をどのルートで攻めていくか。 さっそく、イブのコース予想をもとに、オアシスとバルーンの配置を検討することになった。 「お疲れ様でした、 今日も一日がんばってください」 ミーティングは思ったよりも時間がかかり、もうすぐ開店という朝の9時半までかかってしまった。 「ま、ちょっとくらいコースが細くても あたしにかかれば楽勝楽勝♪」 「環境が変わるとコースも変わるんですね。 ちゃんと対応できるようにならないと……」 「あの、ななみさん……!」 「はい?」 「その……仮になんですけど……ななみさんの お母さんだったら、ニュータウンの開発を ストップできるんじゃないでしょうか?」 「……!」 「ひょっとすると、それが一番……」 言い差して透が口ごもる。自分が無理な話をしていることはさすがに分かっているのだろう。 しかし、これをきっかけにななみが母親に会うことになれば……? その可能性が頭をよぎり、俺は黙ってななみの返事を待った。 「…………わかりません。 でも、わたしにできることがあったら……」 「ななみん!」 「な……なーんて、む、無理ですよね」 「ななみん! さっきの減点80!」 「ううー、すみませんー……」 「本気でお母さんに頼むつもりだったの? サンタ失格になるつもり!?」 「失格……」 ななみのお袋さんの事情など全く知らないりりかは、いつもの勢いでバシバシ地雷を踏んでくる。 「まあまあ、 つい優しく答えちまったってだけのことさ。 なあ、ななみ?」 「反省してます……」 「そんならいいけど……」 さすがにデリケートな話題だと気づいたのか、りりかも気まずそうに視線を外す。おかげで、微妙な空気になってしまった。 「そ、それはそうと……!」 「ペンキ屋!?」 「ち、ちがいます! あの、私たちでもなにか対策を考えられたら いいな……と思いまして」 「対策か……そーね、訓練にニュータウン攻略の スペシャルメニューを組み込むのは当然として」 「なにか、ルミナの流れに強く働きかけるような 方法はないのでしょうか?」 「って言ってもねぇ……」 「バルーンは使う、オアシスは巨大なユール・ログ、 ニュータウンの子供はサンタを待っている……。 それでどーしてコースが出来ないかなぁ?」 「……そうだ、りりかちゃん!」 「却下」 「まだ何も言ってません!」 「ごめん、つい条件反射で。 ……で、お腹すいたの?」 「なんでそうなりますか、アイデアですよ」 「どんな?」 「はい、祝アドベント! クリスマス直前キャンペーンをやりましょう!」 「クリスマス直前キャンペーン!?」 「そうです、おもちゃ屋さんがクリスマスまでに みんなの気分を盛り上げるお手伝いをするんです」 「それでルミナを活性化させる?」 「で、できませんか?」 「………………」 「……できると思う」 「キャンペーンというのはどんな?」 「アドベントに合わせて、 くつしたを売り出すのはどうでしょう?」 「窓辺に吊るすくつした? それいい! ナイスかもななみん!」 「でしたら、サンタさんへの手紙セットも おまけにつけるとか」 「それです!」「それだ!」 「よし、そうと決まれば さっそくポスターでも作るか」 「その前にお昼ごはんですっっ!!」 「おー!!」 「きーたぞーきたぞアドベントー♪」 「すすめーすすめーもろびーとー♪」 「こーんこん、こーんこん、釘はだめー♪」 「みなさんご機嫌だな」 「もっちろん!!」 みんなで作ったクリスマス直前キャンペーンの手作りポスターを貼り、店にモールを飾りつける。 こういう時に大はしゃぎをするのはななみの専売特許だが、さすがにクリスマスが近くなるとサンタさんは一律にテンションが上がるようだ。 クリスマスの4週間前からを〈待降節〉《アドベント》と呼ぶのは、西洋のお祭りの習慣だ。 ちょうどアドベントに入る頃から、ルミナの活動が活発になることから、ノエルでもこの言葉を用いてアドベントを特別な期間と定めている。 「じゃーん、 本部からサンプルが届いてまいりました!」 ななみが色とりどりのくつしたと、レターセットをダンボールから取り出してみせる。こいつがクリスマスキャンペーンの特別商品だ。 「名付けて! サンタさんに手紙を書こうキャンペーン!」 「そのまんまですね」 「はい、サー・アルフレッド・キングさんも、 そこがいいんじゃないかと言うことで」 「サー・レッドキングは他に何か言ってた?」 「いささか押し付けがましいが、よろしい」 「へえ、期待されてるじゃないか」 「もちろんです。 張り切ってまいりましょー♪」 そうと決まれば話は早い。 俺とななみはさっそく移動店舗にありったけの商品サンプルを詰め込むと、メインストリートに繰り出した。 「いらっしゃいませー! サンタさんに手紙を書こうキャンペーン 本日はじまりで〜す!」 キャンペーンの名前が良かったのか、あるいは時期がよかったのか、しろくま通りでの営業は絶好調だった。 500円という低価格もウケたのか、午前中のうちにダンボール1箱50セットが空になってしまった。 「けっこう買ってくれるもんだな。 気の早いキャンペーンと思ったが」 「えっへん! さすがでしょう?」 「ああ、たいしたもんだ。 ブラウン邸に寄って追加をもらってこよう」 もうすぐ12月だ。駅前のショッピングモール『しろくま壱番館』からもクリスマスソングが聞こえてきた。 「ふう……」 予想以上のキャンペーンの売れ行きに気を良くした俺とななみは、途中商品を補充して、シガさんやアイちゃんの家がある潮見坂まで足を伸ばした。 「そろそろお昼にしましょーか」 「そうだな」 足を止めると、北風が吹きつけてくる。汗が冷えて、俺はぶるっと身を震わせた。 「そろそろ雪の季節だな」 「しろくま町は大雪で有名なんですよね」 「ああ、この景色が銀世界になるなんて 信じられないが……」 町の空気がクリスマス色に変わっていくのが波の音からも伝わってくるようだ。 「ルミナの量も、増えはじめているみたいです」 「きらきらしているか?」 「うん……きれい……」 空を見てななみがつぶやく。 ルミナはイブの夜にもっとも活性化する。その兆しがこの町にも訪れようとしていた。 屋台を押したまま海沿いの道を回って、駅前まで戻ってきた。 「あ!!」 「どうした?」 「あそこ、ジョーさんが……」 ななみが指差した先に、城悟の兄、ジョーさんがギターを肩から下げて立っていた。 「よー、おもちゃ屋さん」 「そのギター……」 「こいつに聞かせてくれるんですか?」 「へへっ、まあな」 ジョーさんは、照れくさそうに笑った。そして、ギターを下げたまま周囲をぐるりと見回すと、 「よく新宿の駅前でこんな風にしてたよ、 懐かしいぜ」 眼を細めて、呟いた。 「5年前だったっけな、クリスマスの路上ライブで 女が差し入れにプレゼントをよこしやがった。 そいつと東京で暮らしてたころを思い出すぜ」 「ま……置いてきちまったんだけどな」 「待っているかもしれないです」 「んなワケねーだろ」 小さく笑ったジョーさんがストラップを肩に通した。アンプやらエフェクターやらにケーブルを差して、クリスマスソングを奏で始める。 「……これって、相当上手いんだろ?」 ジョーさんの演奏を邪魔しないよう、俺はななみに訊いた。町行く人も足を止めている。 「わかんないですけど……」 ななみが上の空で首を振る。否定してるんじゃない。聞き惚れてるから、そんな動きになるのだ。 「わかんないけど、好きです……この曲」 ななみの目が潤んでいる。ジョーさんは苦笑を浮かべて視線を外した。 ジョーさんの演奏は、単にななみに聞かせるというよりも、ななみのリクエストをきっかけにして、昔の自分を思い出そうとしているようにも見えて── 「分かんなくたっていいのさ。 音ってのは理屈じゃねえ、心に直接響くんだ」 そうして曲が終わる。ジョーさんの指の動きに少し遅れて、スピーカーの音楽が止まる。 「ま、こんなもんか。 1曲だけですまねえな」 「ううん、ギター……すごいですね」 「ああ、こいつは親父の中古さ。他のギターは 金がないときにみんな売っ払っちまったが、 こいつだけ値段が付かなかったんだ」 「きっと、親父さんは喜んでますよ」 「よしてくれ」 「…………そうですね……きっとそうです」 ほんの一瞬、ななみがあの顔をした。遠くに何かを探しているような……。 「しっかし練習サボってたからな。 指がイメージどおりに動かねーんだ」 「よく言うだろ、1日サボったら 取り返すのに1週間かかるってな。 計算すると、どーやら俺は胎児以下らしいぜ」 「再び生まれてくるには 練習しかないんだがな……」 機材を手押しのカートに積みながらジョーさんが肩をすくめる。 「ははは、そうまでして弾く意味が分かんねー」 「そんなことないです、感動でした!」 ななみの反応は正直だ。目を潤ませ、全身で感動を現わしている。 少し面くらったジョーさんは、おそらく照れたのだろう、眩しそうに眼を細めると 「ありがとな、サンタさん」 サンタ服のななみに親指を立てて、人ごみの中に紛れていった。 駅前から場所を移し、最後にニュータウンでの営業が終えた俺たちは、帰る前にちょっと寄り道をして、熊崎城址公園に立ち寄った。 時刻は夕暮れ。赤く染まった空が目に眩しい。 「完売か──作戦成功だな」 「はふはふ……寒いときのあんまんは格別ですねー」 「こんなときでも、お前さんは甘いものだな」 目先のスイーツに相方の心をわしづかみにされてしまった俺は、肉まんをほおばりながらため息をつく。 「あんまんを馬鹿にしてはいけません。 昭和の昔からのスタンダードですよ?」 「ふむ、そう言えばそうか。 りりかと硯にも買っていこうか?」 「サンタさんからのプレゼントですね♪」 「ああ、プレゼント……か」 「とーまくん……?」 つぶやきかけたななみの言葉が途切れ、じっと俺の顔を見る。 つい、目線を外してしまうのは……。認めたくないが、俺が照れているからだ。 「…………」 夜の近くなった公園に人影はなく、ここにいるのは俺とななみだけ。 「これって……デートでしょうか?」 「軽い寄り道のつもりなんだが、 客観的に見たら…………そう」 「なっちゃいますよね?」 「い、いや、健全なもんさ」 「むー!」 顔を近づけるななみの間合いを外すと、ななみは口を尖らせてあんまんにかぶりつく。 俺に合わせて夕焼け空を見上げて……、また、なにかを探す顔になった。 「ジョーさんといたときも、 そんな顔をしていたぜ」 「……どんなですか?」 「なんかさ、迷子になったみたいな……」 言い差して、ななみの表情を窺う。静かな微笑がそこにあった。 「おかあさんのこと、 とーまくん気にしていますよね?」 「お前も一緒だろう?」 「わたしは……透くんの役に 立てればって思うんですが、でも……」 「おかあさんのことを考えていると、 私がサンタじゃなくなっちゃうみたいな 気がするんです」 「イブに集中しろ──って 相棒ならば言うべきなんだろうけどな」 そんなに気になるのなら会えばいいと思うのだが、サンタってのは面倒だ。 しかし俺はそんなサンタを好きになってしまったのだから仕方がない。 こいつのために俺ができることはなんだろうか。冷めてしまった肉まんにかじりついた俺はそんなことばかりを考えていた。 「……で、相談とはなんだね、中井冬馬?」 「ななみのことです」 「ニュータウンのゴルフ場建設で、 ガイエー側の窓口となっているのは ななみの母親だと聞きました」 ──トナカイとしてはルール違反。 ジェラルドの言葉が脳裏に響く。 しかし、おせっかいとは知りながら、俺はななみの問題に首を突っ込みたかった。 あいつのためになにが出来るのか──。それを知るためには、ななみをもっと知らなくてはならない。 「あいつは小さい頃に両親と別れ、 それ以来、顔も合わせずに育っています」 その母親がいま、すぐ近くに来ている、しかも真空地帯と関係があるかもしれないゴルフ場開発の責任者として。 「いつだって平気そうな顔で笑ってるんですが、 あいつはときどき、空を見るんです」 「うむ……」 「何かを探しているんです。 それはサンタのことかもしれないし、 別のものかもしれない」 「そこに、君はどう手を差し伸べたいのかね?」 「それは……」 それが見つからない。だから俺は、なにかヒントはないかとボスのいるブラウン邸を訪れたのだ。 「……サンタの流儀はサンタが決めるものです」 「分かっています。だからトナカイは 見ているしかないんでしょうか?」 「当然のこと」 「しかし!!」 「……!?」 突然、ボスは執務室から身を乗り出して、俺の両手をギュッと強く握り締めた。 「遠くから背中を見ることもできるし、 手を取って正面から見つめ合うこともできる。 わかるかね、中井冬馬?」 「ち、近いです……」 「はーっはっはっはっは!!! せっかくここまで来たのだ、 本棚の整理でもしてから帰りたまえ!」 「整理ですか?」 「そうだ、少しとっ散らかってしまっているが ひとつよろしく頼む!」 なぜトナカイが本棚の整理をするのかなにも分からずに作業を始めた俺だが、すぐにその理由が理解できた。 ここには、普段トナカイが目にすることのない、サンタに関する資料がごまんとある。 「サー・アルフレッド・キング……」 これはボスのありがたい心遣いだ。これを読めば、いま俺にできることが少しは分かるかもしれない。 さっそく、気になる本から手に取ってぱらぱらとページをめくってみた。 サンタ学校では、サンタとトナカイのコースははっきりと授業内容から分けられている。 そのため、たいていのトナカイはサンタの決まり事を詳しくは知らない。基本的に、上司であるサンタの方針どおりに空を飛ぶのがトナカイの仕事だ。 しかしボスは俺に、トナカイの向こう側に足を踏み入れてみろと誘っているのかもしれない。 「ふーむむむ……」 夕食はいらないとツリーハウスに連絡を入れ、サー・アルフレッド・キングの書斎にこもること4、5時間──。 読めば読むほどに、サンタの掟というのはカオスだった。 ここにあるのは、過去のサンタたちがそれぞれに記した生活やルールに関する記録だ。そのどれもが、てんで勝手なことを書いている。 ──朝は滝に打たれて禊をする。──夕食は食べるな。──トナカイと寝食をともにすべし。 ──十字架を捨てろ。──毎日歌を大声で歌うと良い。──アドベントに入ったら禁欲せよ。 あれこれと、掟なのだか生活の知恵なのだかよく分からない文句ばかりが並んでいる。 当然、製本された印刷物ではなく、手書きの記録をまとめた書類ばかりのようだ。 読みすすめて行くと、それらの中に、いくつか共通したルールが見受けられた。 ──サンタは己と組織のために  ルミナを用いてはならない。 占いで自分を占ってはいけない、というのと同じようなものだ。 自分、あるいはノエルの利益のためにルミナの力を使うことはできない。これはサンタ学校で習った基本中の基本だ。 トナカイが空を飛ぶのも、サンタがルミナを飛ばすのも全てはイブにプレゼントを配るため──。 前に大家さんを事故から助けたときのように人助けのためにルミナを使うこともあるが、それはあくまでハプニングだ。 サンタのレスキューチームが、あちこちで人命救助をしている──なんて話は聞いたことがない。 読み進めるうちに分かってきたのは、サンタが人の営みに干渉すると、ルミナの力から遠ざかってしまうということだ。 つまり、ニュータウン問題について、ななみの母親にあれこれ要求を突きつけるなど、サンタには決してできない話なのだ。 『我々は御伽噺を運ぶ』 見出しに大きくそんな文字が刻まれていた。 組織の中にいると分からなくなりがちだが、サンタクロースというのは、おとぎの世界の住人だ。 そうは言っても、ななみもりりかも硯も、あるいはボスやサンタ先生だって普通の人間。 自分のものさしで善悪を計るうちに、サンタはツリーから離れてゆき、おとぎの国から遠ざかってしまう。 そして、ルミナを感じ取ることができなくなるのだ。 「詰まるところ、サンタの掟はこのひとつか」 己がおとぎの世界の住人でいること。イブの夜だけは、御伽噺の登場人物であり続けること。 この部屋にある膨大な『サンタの掟』は、それぞれのサンタが、自分がサンタであり続けるための方法を記したものだった。 ひとつひとつの掟、その全てを守ることに意味はない。 『早寝をしろ』と書いたページもあれば、『夜こそがサンタの時間である』なんて記述もある。 「……サンタの流儀はサンタが決めるもの」 ならばサンタの数だけ流儀は存在するのだろう。ボスが武者修行にこだわっているのも、ボスなりの流儀。 母親のことを考えないようにするのも、ななみが作った、ななみなりの流儀……。 あるいは、ななみの師匠であるお祖母さん──星名ナミの流儀だろうか。 星名家の流儀は、サンタの仕事を肉親の情よりも優先することなのか? 自分ならどうだろう。イブの夜、母親が急に倒れたとして、仕事を捨てて看病に行くだろうか? おそらく俺は……行かないだろう。この不思議な仕事に俺を送り出してくれた母親の笑顔を信じて、セルヴィを駆るだろう。 だとしたら、俺の判断もななみと一緒だ。ならば何がこんなに引っかかっている? 「ふーむ……」 頭が痛くなってきた。少し気を紛らわすために、俺は隣の本棚を整理しはじめる。 こっちに並んでいるのはサンタの掟ではなく、サー・アルフレッド・キングがこれまでに赴任した各支部の詳細な記録のようだ。 何度も書類を出し入れしたのか、背表紙の番号がだいぶ入れ替わっている。 気分転換に、しろくま町の記録にも目を通しておこう。 見ればしろくま町支部の記録は明治の昔からずっと残されている。まだこの町が熊崎村と呼ばれていたころの記録だ。 いつの時代も町の資料は変わらない。ルミナのコースと町の地図、それからスケッチや写真……。 「なるほど、15年前にツリーが休眠し、 旧しろくま支部は解散したのか」 その後はサー・アルフレッド・キングがひとりでこの土地に住み続け、プレゼントの配達をしながら、ツリーの復活を待ち続けていた──。 「ん――?」 このスケッチは……? 「どうだね、はかどっているかな?」 本当にざっとではあるが一通りの資料を眺め終えた頃、ボスが入ってきた。 「ええ、もう少しで終わります」 「それはなにより。 では、少し外出をしてきます」 「どちらへ?」 「しろくま温泉郷まで。 星名くんの〈御祖母〉《おばあ》様が逗留中でね」 「ななみの……!?」 ロードスター邸を出ると、既に外は真っ暗だった。 どうやら相当長い間、資料を読みふけっていたらしい。 「中井さんお疲れ様でした!」 「おう、お前はいま帰りか?」 「いえ、これから観測用のバルーンを ニュータウンに設置するので……」 「遅くまで大変だな。 乗って行けよ」 「いえ、自分のカペラがありますから」 「連絡機だろ? 全力のカペラを味わってみたくないか?」 「え? いいんですか?」 「お前もそのうちトナカイかサンタを選ぶんだ。 構わんよ」 「は、はい!」 「なあ、透──旧しろくま支部について なにか知っているか?」 「話に聞いたくらいですが、 15年前に解散したそうですね」 「ああ、それからうちのボスはひとりで この町に残っていたんだよな」 「はい、僕が聞いた話だと、支部解散後も 5年ほどはチーム全員が残っていたみたいです」 「サー・アルフレッド・キングがそのリーダーで 解散後もこの町のツリーの様子をずっと 見守っていたのだと……」 「なるほどな……じゃあ、この絵に見覚えは?」 「……いえ、なんですかそれは?」 「俺にも分からないのさ」 「とーまくん、 今日はどちらへ行っていたんですか?」 「金髪さんから聞いてないか? ボスのところで書類の整理さ」 「りりかちゃん、ずっとおかんむりでしたよ?」 「急に訓練サボっちまったからな……。 ななみにも迷惑かけて、すまなかった」 「いいえ、わたしはシリウスに 乗せてもらったりして楽しかったですから。 で、サー・アルフレッド・キングさんが何か?」 「いや……ん、特には」 しろくま町の近くまで来ているななみの祖母さんのことは、まだ話せない。 ななみが祖母に会うのが良いことなのかどうか、俺にはまだ分からないからだ。 「……ななみ」 「はい?」 ななみが振り向く。 ななみについて知れば知るほど、一番近くにいるこいつのことを、俺はまだろくに分かっていないと気づかされる……。 だが、俺は自分を剥き出しにして、ななみを追い詰めるようなことはしたくない。 そうではない方法があるはずだ。そう思って、ななみを見つめる。 「と、とーまくん……あ、あはは、 やだな……どこを見てますか?」 「ななみを見てる」 「と、とーまくん……!」 「も、もう、いやですね、ジェラルドさんに 変なワザを教わってきませんでした?」 「そんなことはないさ」 「でも、とーまくんらしくないですよ。 そんな風に正面から口説いてくるなんて」 「口説いてない口説いてない」 「ええーー!? じゃあ、なんなんですかぁ!」 頬をぷーっと膨らませたななみが、ずいっと迫ってくる。〈気圧〉《けお》されたのを隠そうとした俺は、反射的に唇を重ねていた。 「……んッ!?」 「んぁ……ん、んっ…………やっぱり、んっ あん……ん、んん……ダメですよ……はぁぁ、 んん、我慢してたのに……ん、んっ」 キスをしてしまえば手が伸びる。そうして肩を抱き、抱き寄せ、背中に手を這わせ…… 「はぁぁァ……ン、とーまくん……!?」 ななみの身体がこわばる。ごくわずかな身じろぎ──だけど、それはほんのわずかな身じろぎに過ぎない。 「んむ……ん、うう……ん、ちゅ……んぅっ だめ……んぁ、ぁァ……キスおいしい……ん、 んあァ……もう止まらなくなっちゃいます……」 唇を割って舌が忍び込む。やがてななみもキスを返してきた。 「…………」 「……カーテン閉めとけよ、外から見られるぞ」 下着姿のまま、ななみは窓辺から空を見上げている。 「誰も見る人なんかいませんよ。 それより星がきれいです」 「ああ……綺麗だ」 「はい……」 どこかけだるい、だが幸福な時間。この部屋には酒もないし、俺は煙草も吸えない。 だけどこうやってただ、ななみを眺めているだけでいい。それだけがいい……。 「そういえば、星の観察会がもうすぐだな」 「はい、アイちゃんに会いたいですね」 「ああ、そうだな……」 キスをして、愛撫をして、互いの触覚を擦り合わせ、そうしてななみを手元に引き寄せる。 けれど、もっと深くへ入り込むにはななみの心に手を差し入れなければならない。 「ボスのところで資料整理してたら、 こんな絵を見つけたんだ……」 バッグの中からクリアファイルを取り出す。中にはボスのところで見つけた1枚の水彩画が入っている。 15年前に解散した旧しろくま支部、その資料の中に紛れていた星空の絵。 それは星空の水彩画で、輪になった天の川が描かれたイラストだった。 「あ!!!」 天の川が輪をつくった星空の景色──。 「これ……この景色!」 「前にこんな景色のことを言ってただろう? 気になって、コピーしてきたんだ」 「はい……この景色です! 間違いないです……ルミナが輪になって」 やはりそうか。天の川に見えたのは、ルミナの輝きだったのだ。 「旧しろくま支部の資料の中に混じってたんだ。 だから多分、しろくま町から見た空だと思う」 「この町だったんだ……」 抱きしめるように絵を持ったまま、ななみが呆然とつぶやいた。 「これ……子供のころに、 おばあちゃんと見た星空なんです」 コピーされたその絵をななみは部屋に飾った。 おばあちゃんと見上げた星空。壁に貼られた絵をななみが見つめる。 それは目の前の絵と一緒に遠い過去の自分を見つめているようだ。 「昔、おばあちゃんから聞きました。 言葉でも、気持ちでも、人はお互いに 与え合うことで絆を深めていくんだって……」 「学校で習ったな。 無償の贈り物を渡す時、受け取る時、 そこにルミナの暖かい力が生まれる」 同じことは、ボスの書斎の資料の中にも幾度となく書かれていた。 「でも、忙しくて余裕がなくなると みんな自分から誰かに与えることが できなくなってしまう」 「……そんなとき、最初に背中を 押すのがサンタの仕事なんです」 サンタがもしも本当に幸せを運んでいるのだとすれば、それは、受け取った一人一人が新しく生み出す幸せのためにある。 そうして暖かい力が循環するのだ。 「初めてその話を聞いたとき、 すごい仕事なんだなあって思いました」 「サンタの仕事は、 見知らぬ誰かの幸せのために、か」 確かに、そんな御伽噺のために人生を捧げることのできるサンタは幸福な職業だ。 だとしたらどうして彼女の母親はその仕事を辞めてしまったのだろう? その疑問を封じ込めて、ななみは、自分なりのサンタを探している。 「…………」 ななみと一緒に壁の絵を見つめた。 この景色がしろくま町にあるということは分かっても、しろくま町のどこなのかは分からない。 ななみは、またこの空を見たいだろうか? 俺は見てみたい。その景色は言葉よりも多く、ななみのことを伝えてくれる気がするからだ。 ななみと同じように、俺も夜空を見上げれば親父のことを思い出す。 今でも親父のことは鮮明に覚えている。顔も、声も、後姿も、広い肩も──。 そうして俺は、親父のような空の男になっていくだろう。 しかし、母親の顔を忘れたななみは、いったいどこに向かって歩くのだろうか……。 「……本当に来たんですか?」 数日後、星野平小学校で星の観察会が催された。 小学校に入るなり、俺たちはアイちゃんのつれない言葉で迎えられた。 初めて会ったときは仮面の笑顔だったアイちゃんが、今ではこんなにひねくれた挨拶をしてくれるようになったのだ。 「アイちゃんに誘われたのに すっぽかすわけがないじゃないですかー」 「誘ってないし! わぁぁ、うっとうしいです、頭なでないでー!」 「ふっふっふ、そんなこと言いながら、 ほっぺが緩んでますよ? うりうり」 「ゆ、緩んでないです!」 たちまちななみの餌食になるアイちゃん。 『取りつくろわないアイちゃんが好き』と豪語するななみは、すっかり彼女への対応を身につけてしまった。 首を振って逃れようとしたアイちゃんだが、やがてあきらめたのか、困ったような顔でななみのするように任せている。 「アイちゃん、わたしお菓子持ってきたんです。 どーぞ、うまいん棒!」 「きょーみありません!」 「チョコもありますよ?」 「だから、もらい食いは禁止ですってばー!」 「ほら、じゃれてないで先生に挨拶に行くぞ」 今日は『児童館の』星の観察会だ。外部からの参加も認められてはいるが、一応は先生に挨拶をしておいたほうがいい。 「それじゃ、アイちゃん。 すぐ戻って来ますからねー」 「もう……戻ってこなくていいです!」 ななみにおちょくられつつも、アイちゃんはどこか楽しそうだ。 ……というわけで、先生方への挨拶も終わり、いよいよ観察会が始まった。 子供たちには1人ずつ星座早見盤が配られ、ある子は先生の説明に従って、別の子は自分で好きなように、冬の星座を見上げている。 さいわい空は雲ひとつない晴天。周囲の暗さもあいまって、満天の星空だ。 「ええっと……オリオン座はあそこ!」 「思いっきりシリウスだな。 ほら、あそこの三連星を中心に、 赤いベテルギウスと、青のリゲル」 「おおー! すごいですね、とーまくん」 「一応トナカイだぜ。 いやオリオンくらい分かるだろう?」 トナカイになってからは滑空の目印として、その昔は親父に肩車をされて──俺はこうして星空を見上げていた。 「サンタの教習だって、 星座の勉強くらいあっただろう」 「うーん、確かに習った気はするんですが……」 「お前さんは本当にフリーダムだな」 「それって誉められてないですよね」 ふたたび夜空に目を向ける。 今、ここに広がっている星座の名前も惑星も、俺はほとんど言い当てることが出来る。 しかし、あの絵の空は分からない。 季節と時間を知ることができれば、日本のどこから見上げても星の配置はだいたい一緒だ。 しかし絵の星空はルミナの光も描かれているせいで、星の配置がまるで分からない。 「あれ?」 「どうした、隕石でも落ちてきたか?」 おりしも、先程から流れ星が見えはじめ、子供たちは大はしゃぎで願をかけていた。 「そうじゃなくてアイちゃんがいません」 言われてみれば姿が見えない。最初の頃は、ななみの隣で空を見上げてたのに。 「あ……!」 きょろきょろ辺りを見回していたななみの視線が輪の外にぽつんとしているアイちゃんをとらえた。 「どうしたんですか?」 「べつに、ちょっと飽きちゃって。 星なんて、どこででも見えますから」 「でも……この星空が もうすぐ見られなくなっちゃうのは、 ちょっと寂しいです」 「おねーちゃん、 星って日本のどこから見ても同じなんですよ?」 「けれどこの星空が見られるのはここだけです」 「だーかーらー!」 小さくため息をついたアイちゃんが後ろを向いた。少し黙って、それからポツリと洩らす。 「……学校がなくなったら、私はどこに行くのかな」 「アイちゃんは願掛けしないんですか?」 「流れ星に願いをかけるとか意味がわかりません。 ただの火ですよ、あれ」 「いーじゃないですか、ロマンですよ」 「……そういえば、おもちゃ屋さんで なんか願い事キャンペーンやってるんですよね? あれだって意味不明です」 「サンタさんにお手紙を書くんです。 クリスマスとか七夕さんとか楽しいじゃないですか」 「子供だましです。 願い事なんてどうせ叶わないし」 「どんな願い事なんですか?」 「そーだなあ……私だったら……」 「世界を滅ぼしてください、とか?」 「サンタクロースは そんなの叶えられないでしょ?」 「それは、アイちゃんの 本当のお願いじゃないからです」 「本当ですよ?」 「違います」 「本当だもん!!」 不意に声を荒げたアイちゃんがななみの手を払った。 「本当ったら本当なの! 私の気持ちだって、 お姉ちゃんには分かんないし!」 同時に、大きな流れ星が空を横切り、アイちゃんの叫びは子供たちの声にかき消された。 その声は俺とななみにしか届かない。広がる歓声のなか、アイちゃんが視線を落とした。 「もういいです!」 はしゃぐ子供たちの声を背にしてアイちゃんは児童館の中に駆け込んでしまった。 「ずいぶん踏み込んだな」 「そんなつもりはなかったんですけど……」 「また……りりかちゃんに怒られちゃいますね」 「サンタはカウンセラーじゃないってな」 寂しそうに微笑むななみの後ろで、また流れ星が尾を引いた。 「……確かにわたしに アイちゃんの気持ちは分かりません」 ななみの目は俺と、その向こうを星空を見ている。 「……だから、アイちゃんには 分かってあげられる人が必要なんです」 くつしたに書かれたリクエストを、サンタは全てそのまま叶えるわけではない。 恋人を欲しがった人に映画のチケットが、現金を欲しがった人に、小さな鉢植えが届けられることだってある。 しかし贈り物の向こうには、願いにつながる答えがある。 サンタが品物をコントロールするのではなく、ルミナはその人に必要なものを届けるのだ。 「分からないままでも、 背中を押してやることはできる……か」 「分からないままでも……」 その時、一瞬だけ、本当に、一瞬だけ、ななみがすごく寂しそうな顔をした。 「ねー、おねーちゃん! すごいよハレー彗星!!」 「わぁぁ! それじゃあ、 なにかお願い事をしちゃいましょう」 子供が割り込んできて、二人の時間が終わる。 人工衛星に向かってななみと男の子が手を合わせる。後ろから見るななみの背中は、とても小さく、か細く見えた。 いま、ななみにとって必要なものとはなんなのだろう。 ──サンタの流儀はサンタが決めること。 ボスの言葉が脳裏をよぎる。サンタの流儀がサンタによって決められるなら、トナカイの流儀もトナカイが決めることではないのか。 「ななみ!」 子供たちの手を引くななみに走って追いつくと、俺は真正面に回り込んだ。 「温泉郷に行ってみないか?」 「え?」 分からないでも背中を押すことはできる。 今のななみにとって必要なもの……。それが何か分からない俺が彼女にしてやれるのは、このくらいだ。 「来てるんだってさ、お前のお〈祖母〉《ばあ》さん」 「ようこそ、しろくま温泉郷へ!」 「ずいぶんと骨を折らせてしまったな、 ジェラルド君」 「どうってことはありません。 宿の手配は万全です」 「それで……もう見えられているのかね?」 「ええ、今はそこの射的屋で」 「うん、そうですか……」 「珍しく緊張されていますな。 偉大なるサー・アルフレッド・キングともなれば かつての長老とはいえ恐るるに足らずでしょう?」 「長老になる前は先生だったのだよ、私の」 「そいつは……お、見えられました」 「あらあら、お久しぶりです」 「ようこそおいでくださいました。 長老サンタのご出馬とは、恐縮ですな」 「わたしはもう引退した身ですよ。 ただのお使いです」 「指導員の服装もお似合いです」 「貴方こそよくお似合いですよ。 立派になりましたね、タイニィキング」 「……〈ちびっこ〉《タイニィ》?」 「貴方も、いつまでも遊んでいないで、 さっさとキューピッドにお戻りなさい。 ジェラルド・ラブリオーラ」 「ハッ……恐縮です! 目下鋭意検討中でありますれば!」 「まあ、その話は後にいたしましょう。 しろくま町ニュータウンの問題ですね?」 「はい、長老会議の案を具体的に検討しようと 思いまして……まずは車輌の配置について……」 「あの、そういうのは宿でやりません?」 「……おや?」 「……す、すみません!」 「やあ、星名くん」 「どうしたいお嬢ちゃん、血相を変えて」 「ご、ごめんなさい……その、わたし……」 「ななみさん?」 「おばあちゃん!」 「これは……急な再会になりましたな」 「いえ、うちの孫がお世話になっていますね」 「…………」 「少し見ない間に いい顔になりましたね、ななみ」 「お、おばあちゃん……」 「さあ、積もる話は落ち着いたところで。 ノエルの長老に風邪をひかせては 俺の顔が立ちません」 「ええ、そうしましょう。 それからタイニィキング……」 「貴方、まるで町に溶け込めていませんよ?」 「ホワット!?」 「……ああ、わかった。 了解だ、みんなにはよろしく言っとく」 「そうだな、なにかあったら こっちから連絡するから……ああ、頼んだ」 「ふぁーーーぁぁ、 おはよー、電話ななみんから?」 「そうみたいです」 「ふーん、テレフォンクラブってわけね」 「何と間違えたか分かりませんが、 ラブコールでしたら全然違うと思います」 「すまなかった! この忙しい時期に!!」 「わわ、電話終わったの!?」 「ああ、向こうは盛り上がってるみたいだ」 しろくま温泉郷のホテルでは、ななみのお祖母さんとボス、それにジェラルドが顔を付き合わせて、ニュータウンの真空地帯の攻略法を話し合っている。 ななみはそこに合流する形になり、サンタチームの代表としてあれこれ意見を戦わせているらしい。 アドベント期間中に大切なサンタ戦力を1名削除することになってしまったのだが、結果的にはななみも役に立っているようだ。 「で、どうなの?」 「ニュータウンはかなり厄介らしい。 オアシスをフル稼働させても 真空地帯の拡散を食い止め切れないようだ」 「イブまでにどうなっているか……ですね」 「もうひと月を切ったもんね」 「それでも、私たちは 私たちの仕事をするだけ……ですね」 「そーゆーこと!」 このツリーハウスで一緒に暮らすようになって2ヶ月ほど、 最初はあんなに内気だった硯も、いつしかしなやかな強さを身につけている。 今では店の接客もしっかりこなし、食材のやりくりも完璧にマスターした。 俺もななみも、同じように変わっていくのだろう。このチームの中で……。 ──がんばれよ。 俺は口の中で、ななみに向けてそう呟いた──。 「あ、外回りの当番が決まるまで、 店長はお店のほう手伝ってよね」 「おう、もちろんさ」 「そうそう、元気出してよね。 1週間もすればななみんだって帰ってくるから」 「どーしてななみの名前がそこで出る!?」 「違うんだ?」 「だから!」 「違うんですか?」 「……2回答えなきゃ駄目ですか?」 店に入っておよそ二時間。昔の苦戦が信じられないくらいに、お客さんのいない時間のほうが短かった。 「最近はいつもこうですよ」 昼を過ぎると客足はさらに増える。売れ筋は木のおもちゃと人形劇で使われた絵本で、中でもしろくまをモチーフにした商品が売れている。 これだけお客さんが来るのなら、硯が接客でもまれているのも納得だ。 硯の笑顔にも、ツリーハウスの店舗を守っているという頼もしい自負の色が見えている。 「すごいな、 どうりで売り上げも伸びてるわけだ」 「実力よ、実力」 「オアシスを見たお客さんが多いんですよ」 「そこは言わなくていいの!」 すっかりエプロンが似合うようになったりりかと硯の接客は、もはやベテランの域だ。 外回りが続いていた俺は、すぐには店の勝手をつかむことができず、ここでも雑用係とあいなった。 「うわっち……すまん、引っ掛けちまった!」 「店長、いいから今の内にお昼食べちゃって」 「待ってくれ、棚の人形を崩しちまって……」 「そこはやっとくから、 しばらく休んでればいーの」 「め……面目ない」 「……はぁぁ」 昼食のほうれん草パスタをつつきながら、大きなため息をひとつ。 はりきっていた店長が初手から足を引っ張ってしまっては仕方がない。 ななみの不在で気が抜けていると思われてはたまらない。せめて雑用くらいはパーフェクトにこなさなければ……。 コーヒーをすすりながらそんなことを考えていると、玄関の扉が開く音がした。 「ほろっほー!」 「おお、トリか! 久しぶりだな!」 いや、トリだけではなかった。 「おや店長さん、おひさしぶり」 「大家さん!?」 「マーケットで鶏肉が安売りしてたんで この子と一緒に買出し行ってたんです」 「トリが鶏肉を……?」 「くこっ、くここここ!」 「不気味に笑うな、明日はわが身だぞ」 「店長さんこそ さらっと怖いこと言うね。 硯ちゃんは?」 「今は店のほうに」 「うんうん、繁盛してますね。 じゃ、失礼して……」 大家さんは、いかにも手馴れた感じで冷蔵庫に鶏肉を押し込んで、レシートと伝言メモを磁石で貼り付ける。 「まさか最近はそんなサービスまで?」 「仕事じゃないから。 たまーに、いいのが出てたときだけね。 気にしない気にしない」 「そりゃ、すみません」 いつの間にか、大家さんとも密接なコミュニケーションができているみたいだ。サンタの外交力あなどりがたし。 「よかったらコーヒーでも? 硯が見つけてきたブレンドなんだけど、 値段の割にはなかなかいけますよ?」 「ああ、これ……」 「まさか……こいつも?」 「えへへ……お気になさらず。 見つけるのがちょっと早くなっただけだと思えば」 俺は苦笑して大家さん発だったらしいブレンドを淹れる。 「店長さん、ななみちゃんがいなくなって、 元気ないんですか?」 「うわちっ……な、なにを!?」 コーヒーが手にかかった!慌ててタオルで拭き取る俺を、大家さんが面白いものを見るように眺めている。 「りりかちゃんから聞いてますよ? もー、らぶらぶなんだって!」 「誤報です、熱いうちにどうぞ」 「お熱いうちに? お熱いのがお好きなんですか」 「違います」 「なーんだ、てっきりさっきのため息は そのためかと思ったんだけど……」 「ちょっと仕事が詰まってて、そんだけですよ」 「くけー、こここ!」 「そうだ、お前もちょっとは手伝ってくれ」 「イブも忙しくなりそうですか?」 「書き入れ時ですからね、多分、相当……」 「そっかぁ……お祭り来てほしいんだけど、 おもちゃ屋さんは無理そうか」 「お祭り? ああ、確かこの町はクリスマスに……」 「そう! 氷灯祭っていってね、 今年は私も実行委員やってるんです」 「おおー、それは凄い。 商店会のみなさんと協力して?」 「はい、昔から氷灯祭はほらあなマーケットが 取り仕切っていたんですよ。なので、ここの みんなも……って思ったんだけど」 「そうか……すみません、時期が時期だけに」 「いいんですよ。 暇な人はたくさんいるから。 私もそーだけど……あははは」 「少なくともきららちゃんには、 ヒマなんかないんだよぉ」 「ね、姉ちゃんッ!?」 「お勉強の最中にいきなりいなくなるんだもん、 きららちゃんが人さらいにさらわれたかもって 心配したんだよぉ?」 「だ、だってマーケットでタイムセールが! あ、待って、まだ今日の点検が!」 「だめだよぉ。 さぼりがひどい受験生には 他の事に首をつっこむ資格はないんだよぉ」 がしっ!羽衣さんが、大家さんの襟首をつかむ。 「せ、せめてコーヒーだけでもー!」 「はいはぁい、お姉ちゃんが 美味しい杏仁豆腐を用意しておいたから 食べながら、キリキリがんばろうねぇ」 ずるずるずる……、羽衣さんに引きずられ、大家さんが退場する。 「……いつからうちは入場フリーになったんだ?」 「くー……」 「お前も飼い主を絞れ」 「みなさーん、ごはんですー」 「あー、お腹へったー! わお、今日はチキンのロースト!? ほら国産も早く早く!」 「それじゃ、せーので……」 「いただきま〜す!」 「……の前にひとつ!!」 「なに?」「はい?」 「今日の昼飯時に大家さんが来てくれたんだが、 その……俺とななみの関係は、いったい どこまでオープンになってるんでしょうか?」 「どこまで……って、 屋台で町中に見せ付けてるくせに なに言ってるの?」 「そ、そんなはずはない!」 「だって……ねえ?」 「……はい」 「な、なにか?」 「ななみさんがですね、 中井さんを見るときの、その目の色が……」 「@ @  ▽  ←こーんな感じ!!!」 「う、嘘!?」 そ、そういえば、アイちゃんにもシガさんにも速攻見抜かれてしまったが……!! 「ほ、他にもなんというか オーラと言うか雰囲気と言うか違和感と言うか ……そういうのも発散してる?」 「ラブラブね」「ラブラブです」 「……!!!!!」 「し、知らなかった……! てっきり秘められた仲なのかと」 「な、中井さん、それはさすがに……」 「そーよ、あと気になることといったら……」 「ま……まだ何か?」 「夜の声がうるさい!!」 「うわぁあああぁぁあぁああ!?」 「り、りりかさんっ!?」 「そ、そいつはその……なんていうか……」 「す…………すまん、一言もない!!」 「やーっぱり、そーなんだ?」 「か……カマか!? カマかけたのか!?」 「とーぜん、あたし寝たら起きないもん」 「じゃ硯も!?」 「私は…………聞かないようにしてますので」 「あぐぐ………………(ばたり)!!」 「こらー国産死ぬなー! このままじゃやり逃げだー!」 「ににに逃げてない!!」 「うわ、国産が涙目になってるの初めて見た!」 「泣いてないやい! そんなことで男が泣くか!」 「……で、ニセコにはいつ報告したらいい?」 「うぐーーーーーー……(ばたり)!!」 「りりかさんもうだめです!! 中井さんが再起不能です!!」 「まー、いーじゃないの! 公私共にパートナーってやつで、ふひひ」 「フヒヒ…………**」 「もう、中井さんをいじめちゃダメです! ななみさんのことを愛しているんですから。 そうですよね、中井さん!?」 「もう『はい』以外に言うことがないです」 「ほら、げっそり老け込んじゃった じゃないですか!」 「ななみんに慰めてもらえないのが辛いところね」 「違う!!」「りりかさんっっ!!」 「ごめんごめん……ほんとはさ、 国産がラブ夫とヒソヒソやってたのを 聞いてから、なーんとなく分かってたの」 「へ?」 「ななみんがリードできるように ネットで予習もしたもんね?」 「し……しましたね」 「ネット……予習?」 ななみが途中からやけに積極的だったのは、つまり、このサンタさんたちと……!? 「ね、ね、ななみん活用できてた?」 「ななななにが!?」 「言わなくても分かってるくせにー」 「……心当たりがありません(無表情)」 「ちぇー、国産つまんない」 「この話を面白おかしく広げてたら、 俺はどうしようもない鬼畜野郎だ」 しかしまあ、ハナからバレていたのなら、それはそれで清々しい話だ。事実は事実、隠すようなことでもない。 「ま、そういうわけで……そうなんだ。 なんというか、暖かく見守ってください」 「おっけー安心して、ふひひひひ……」 「お、お前は…………!!」 「でも、まさかななみさんと中井さんが その……恋人になってしまうなんて、驚きました」 「サンタと交際できるのって、 トナカイかキャロルくらいだって言うけどね」 ふーむ、確かに金髪さんの言うとおり同業者以外との恋愛は障害が多いだろう。 ななみのご両親はどうだったのだろう?ふと、そんな想像が脳裏をよぎる。 「金髪さんは ジェラルドあたりとどうなんだ?」 「ば、ばか! ありえない!!」 「しかしだな、 仮にお前が熟女になったら……」 「あたし年とらないもん! だったらすずりんは先生と?」 「え!? わ、わたしは……その……そんな」 「……なんで赤くなってんの」 顔面が燃え盛るほどに照れくさい告白の儀式は、ともあれ無事に完了した。 それからは雑談をしながら食事をすませて、いまや習慣になった食後の歯磨きタイム。 いつもはサンタ3人娘が並んで歯を磨いているが、今日はななみのかわりに俺が間に入っている。 「ま、リーダーを名乗るには危なっかしいけど、 国産が思ってる以上にあの子がんばってるわよ」 「金髪さんが褒めるなんて珍しいな」 「本当ですよ。 特訓のプランとか、配達のルートのアイデアとか、 いつもたくさん考えてきてくれるんです」 「採用率は低いわよ。 きのした大食いコンテスト、とか 意味不明なのばっかだから!!」 「道理でな。 最近あいつ、夜遅くまで机に向かってんだ」 「ふーん、夜遅く……ニヤニヤ?」 「…………やぶへびだった」 「ふひひひひ……」 「もう、また!! あ、そういえばりりかさんは……」 「ななみさんが温泉に泊まるって聞いたあと、『がんばりすぎだから休ませてあげよう』って 言ってたんですよ」 「わぁぁ、すずりんは なんでいっつもそういうこと言うーー!?」 「だってりりかさん……もがががが!!」 恥ずかしがったりりかが、硯の頭をがくがくと揺さぶる。 「あー、変な汗かいたー!! そんなことより、今日の訓練の話!!」 「ジェラルドさんとななみさんが 不在なんですよね……」 「てことは、また俺が金髪さんと?」 「それでもいいけど、 せっかくだからクジで決めない?」 「ええっ!? シャッフルですか?」 「そ、シャッフル♪」 「ちょっと、だいじょーぶ?」 「悪い、進入角が甘かった。 もう一度トライしてみよう」 「……うん、いーけど」 ななみとジェラルドの不在からシャッフルの即席ペアで訓練をするようになって2日──。 変に意気込みすぎてしまったのか、ルミナの流れにカペラを乗せきれぬまま、俺はとても好調とは言えない滑空を続けている。 「っかしいな……セカンドアタック、突入する!」 「遅い!!」 「……っとと、マジか?」 「加速のタイミングがワンテンポ遅れてる。 コースアウトするとこだったわよ?」 昨夜は硯とペアを組んだのだが、突入のタイミングが早すぎて怖がらせてしまった。なので今度は慎重に運んだつもりだったが……。 「すまない、金髪さんの時は2秒早くだったな」 「それもそうなんだけど、国産ちょっと……」 「大丈夫だ、行くぜ!」 タイミングを修正し、あらためてアタックに臨もうとしたとき──。 「よお、新ペアの誕生かい?」 「ラブ夫!」「ジェラルドさん!」 「待ち焦がれただろう、お姫様? ジェラルド・ラブリオーラのご帰還だ」 「ななみんはどうだった?」 「向こうで〈祖母〉《ばあ》さんと仲良くやってるよ。 安心しな、ジャパニーズ」 「いや、俺は何も」 「で、シャッフルを試してるのかい? 面白そうだな、混ぜてくれよ」 「休み無しで平気なの?」 「そんなヤワな身体はしてないよ、マイドルチェ。 シリウスを駆る貴女は干菓子のように素敵だ」 「あー、ぶっつけたくなってきた」 「そーゆーときは雪合戦ね! すずりんがベテルギウスで、あたしがシリウス」 「俺は?」 「審判」 「そんな!」 「雪合戦なんて! わ、私も……先生とじゃないと……」 「じゃあレース! それならいいでしょ?」 「でも、昨日も中井さんとで 上手くいきませんでしたし」 「だからやってみるんでしょー? せっかくだから、 カペラとイタリア人でやってみたら?」 「何がせっかくなんですか?」 話はとんとん拍子に進んで、ジェラルド・硯ペアと俺・りりかペアでレースをすることになった。 「それじゃー、アタシは見学してるからー♪」 「うまいこと逃げたな」「せ、先生……」 「心配後無用さ黒髪のお嬢ちゃん。 この俺に任せておけば安心だ」 「いい? 相手は超即席チームなんだから圧勝するわよ」 「了解だ、金髪さん。 ベテルギウス、こちらは準備OKだ」 「ああ、こっちもいいぜ」 多少空回り気味だったが、ここでレースの緊張感に浸れるのはありがたい。一気に調子を取り戻させてもらうぜ。 「じゃあ行くわよー! 3、2、1……スタートぉ!」 「うーむ……参ったな」 「どーお、カペラの調子?」 「これといった異常が見当たらないんだが。 少なくともあんなにベテルギウスと 差が付くなんてのは……」 そう、レースは惨敗だった。 りりかの反応速度にも対応できたつもりだったが、今度は〈機体〉《カペラ》との連携がかみ合わず、ゴール前でコースアウトの失敗を犯してしまった。 そこで訓練中にいったん抜けて、カペラのチェックをしていたのだが……。 「異常なしってのは、おかしいわねー?」 「ふーむ……」 頭を抱える俺の前で、サンタ先生はなにを思ったか、ななみのソリに飛び乗った。 「ね、アタシを乗せて飛んでみたら?」 「先生を?」 「そ、これでも現役サンタの端くれだし」 「マスターサンタがよく言いますね。 ん、でも面白い、よろしく頼みます」 かくして俺はサンタ先生をソリに乗せ、夜空のコースを東へ西へ。 さすがにマスターサンタの肩書きは伊達じゃない。金髪さんのような鋭さはないが、これはこれで呼吸が合って実に飛びやすい。 サー・アルフレッド・キングの要請で硯のトナカイをやっているのだろうが、この人にサンタをさせないのはもったいない話だ。 「ふんふん、なるほどねー」 「なにか気になることでも?」 「そーねぇ……ちょっと タイミングの取り方が独特かも」 「タイミング……」 「うん、降りてみて」 「カスタマイズされてる?」 「そういうこと、カペラの操縦そのものが、 星名さんの呼吸に合わせて調整されてるのね」 「それで、他のサンタさんのときは 呼吸が合わなくなっていたのか」 「しかし、なぜだ。 スロバキアで師匠の下にいたときは、 全くそんな兆候はなかったのに……」 「らぶらぶってことかしらねー?」 我知らず耳たぶが熱くなってくる。 「もー、星名さんの呼吸が透けてきちゃって、 ちょっと妬けちゃう〈滑空〉《グライド》だったわねー。 あー、若いっていいわぁ」 「そ、それで済めばいいんですがね……!」 そういうことか──。 俺の腕が上がったのでも、俺がななみに対応していたわけでもない。 つまりは、ななみが俺を乗りこなしていたのだ。 「…………」 訓練終了後の地下格納庫。一人きりでカペラの整備をしながら、俺はこれまでのことを思い返していた。 いつしか俺にとって、ななみがなくてはならない存在になっていたと。 いや、それは分かってた。とうの昔に分かっていたことで、それ自体はなんにも問題になるようなことじゃない。 しかし、トナカイはサンタの持ち物じゃない。俺がななみとペアを組まなくなることも充分に考えられる──いや、それで当然なのだ。 どんなサンタにも対応できるようにコンディションを整えておくのがトナカイだ。 しかし……。 「今の俺にはななみが必要だってことか……」 言葉をくるむのはやめよう。もっとはっきり言ってしまえば、 「ななみがいてくれないと困る」 つまりはそういうことだ、俺は、いつの間にかななみにすっかり依存していたのだ。 その証拠に俺は、あの言葉に口ごもってしまった。 「しばらくペアを解消してみる?」 悪いクセを矯正するにはそれがベストだ。なのに、即答できなかったのは、俺が不安だったからだ。 ななみを頼れなくなるのが不安だった──!! 「こいつはトナカイの恥だな、おい!」 こめかみを殴りつける。 どうやら力の加減すらつかないらしい。自分自身に強く殴られた俺は、立ちくらんで地下室の床に仰向けになった。 「こんなポンコツじゃ、 ななみを支えるどころじゃないぜ」 ぐるぐる回る地下の天井。 そいつを見つめながら、俺は不安を打ち払う必要を痛感していた。 「中井さん、こっちですこっち!」 「おう、いま行く!」 はしゃぎ気味に道案内をする透の背中を見ながら、俺は屋台を引いていく。 オアシスの引っ越しの日がやって来たのだ。イブの配達を見越して、これ以降、この屋台はニュータウンに置かれることになる。 「ここは、どういう場所なんだ?」 置き場所として透が案内してくれたのは、一軒の民家だった。 「元々は別荘として建てられたものらしいです。 ただ、今は使われていないので、 お借りすることが出来ました」 「へえ、ずいぶんでかいな。 こっちがガレージか」 「はい、このガレージを オアシスの基地にしましょう。 商品在庫は建物の中に運びます」 「なるほど。ここなら雪が積もっても、 目の前で店を広げられるな」 「もっと早く場所を確保して おきたかったんですが……」 「結果的に間に合ったんだ、問題ないさ」 以前から検討されていた引っ越しの日程が遅くなったのは、イブの夜に移動店舗を配置するベストな場所に少しでも近づけたかったからだ。 そのため、ボスと透は雪が降るぎりぎりまで粘ってコースの予測に取りかかっていた。 「くるるる! くるー!!」 む、この聞き覚えのある鳴き声は──。 「にゃんにゃん!」「かーかー!」 「にゃにゃにゃん!」 「くるるるる!」 「……軍勢が増えてる」 「中井さん?」 「あ、ああ……いや、裏手に城址公園があるのか」 「はい、やっぱり前のテストと一緒で 公園が拠点になりそうです」 「これだけ立派な建物だと、物置だけに使うのは もったいないな。いっそのこときのした玩具店 ニュータウン支店でも出しちまおうか」 「……誰が店員をやるんですか?」 「そいつが問題……ん?」 ガレージにオアシスを置いて外に出ると、俺たちの前を町の人の一団が横切っていった。 何やらわいわい話しながら、急ぎ足に歩いている。 「……なんでしょう?」 「あれ……シガさんが一緒にいる」 「シガさん?」 「張子人形の師匠さ。 どうも、こんにちは」 「ん……おお、おもちゃ屋の」 俺の顔を見たシガさんは少し戸惑ったような顔をした。 「張子人形、おかげさまで大人気です。 今度、ここのガレージを 屋台の倉庫で借りることになったんですよ」 「ということは、 あなたもニュータウンの人ってわけね」 行列の中にいたおばさんが話に割り込んできた。 「ええ、このあたりでよく営業していますが」 「ね、知ってる? ここにゴルフ場が出来るって」 「聞いたことはありますが、 確か小学校のあたりに」 「そうなのよ! もう、どういう世の中なのかしらねえ」 「すると、みなさんは」 「反対集会よ。 この町を守るためにみんな集まってるの」 「反対?」 「そう、これ読んでみて。 そしたら大変だって分かるから」 ペラの両面にびっしり印刷されたチラシを手渡された。 『農薬でニュータウンが汚染!?』『子供の環境を守れ』そんな見出しが躍っている。 「反対運動……」 「な、中井さん……」 透が不安そうな声を出す。 ニュータウン開発をめぐる地域間の対立──。 そんな不吉なフレーズが脳裏をよぎった。 翌晩、ボス不在のブラウン邸に俺たちは集合した。 昨日ニュータウンで反対運動を知ってから俺と透はすぐにメンバー全員に連絡を取り、反対運動が起こっていることを知らせた。 反対運動は、ニュータウンのルミナに絶対に影響を及ぼす。そう確信した俺たちは、各自で情報を調べて持ち寄ることにしたのだが。 「思い過ごし?」 「そ、気にしすぎ」 「しかしこんなチラシが……」 「確かにチラシを配ってる人はいるけれど、 運動自体はあんまり盛り上がっていないみたいね」 「お店に来たお客さんから伺ったのも、 過剰反応している人がいるだけだと……」 「そ……そうだったのか」 拍子抜けのまま、ほっと胸をなでおろす。ニュータウンのことに過剰反応してしまうのはどうやら俺も一緒らしい。 「けれど、ニュータウンの住人さんの中からも 反対運動に参加する人が増えているみたいです」 「どういうことだ?」 「それまでにもリゾート開発への反対運動は あったんですけど、参加していたのは ニュータウンに住まない人ばかりだったようで」 「ニュータウンで広がったことに なにかきっかけはあったのですか?」 「昨日もらったチラシに、ゴルフ場の農薬で 自然環境が破壊されるって書いてありました。 この噂が広がったんじゃないでしょうか?」 「そういえば、農薬の話はお客さんもしてたかな」 「つまり、急速にではないが、 じわじわと反対の空気が広がっているってことか」 「なーんか急に火がついちゃったりすると怖いわね」 「ツリーへの影響は必至……ってことか」 「楽勝楽勝、やったろーじゃない♪ 国産はそれまでにスランプ脱出すること!」 「ななみさんが戻ってくれば、きっと大丈夫ですよ」 「そうであってほしいな」 一流のトナカイという目標はさておくとしても、いざイブの本番でトラブルがあったときに、他のサンタを乗せて飛べないんじゃ使い物にならない。 訓練の前に一度町を巡回してルミナの分布を目視することになり、3機のセルヴィはブラウン邸からしろくまの夜空へ滑り出す。 くま電の路線に沿って山のほうへ機首を向けると、すぐに温泉郷の光が飛び込んできた。 おそらくは今夜もニュータウン攻略の方策を相談しているのだろう。あの光の中に、ななみもいる……。 「思いつめるなよ、気楽に行こうぜ」 「もちろんだ」 白い歯を見せながら、俺は思う。 ななみには翼がある。どこまでも昇りつめられるだけの羽をきっとあいつは持っている。 そんなななみを支えているつもりで、実は俺がななみにもたれていたのだ。 そうならないためには俺の実力が必要だ。いまのななみと釣り合うだけの力が、ひとり立ちの自信が必要だ、なぜなら…… ──俺はななみを縛りたくない。 「……ふぃー」 「お疲れさま。 会議ばかりで疲れたでしょう?」 「ううん平気です、大切なことですから」 「それにしても驚きましたね。 いつもおっとりしていたあなたが、 大胆にも押しかけてくるなんて」 「とーまくんに背中を押してもらったんです……」 「カペラのトナカイさんですか。 それで、あなたはなにを 聞きたくて来たのでしょう?」 「あの……ニュータウンのことで わたしになにができるのか…… おばあちゃんに会ったらわかるような気がして」 「ニュータウンのこと?」 「は、はい……わたしリーダーですから!」 「…………それだけですか?」 「それだけ……です」 「本当に?」 「………………」 「そう……それで、答えはみつかりましたか?」 「そ、それは……なんとなく……」 「ななみさんに嘘は似合いませんね、 七香さんとは違います」 「…………!!」 「いま私がこうしなさいと導くことは容易です。 でも、あなたはそうしていいのですか?」 「………………ううん」 「でも……自分でも分からないんです。 どうしたらいいのか、わたしに何ができるのか」 「おかあさんのことは気になるけれど、 会いたいかって言われると、 それは自分でも分からなくて……」 「そう……」 「あの……こ、この足湯なんですけどね、 よくサンタのみんなと立ち寄るんです。 訓練のあととかに!」 「……?」 「ここで……前にとーまくんが言ったんです、 相手を見ないで喧嘩をしちゃダメだって」 「だから……その、あれ、わたし なんでこんなこと……」 「いいトナカイさんとペアを組んでいますね」 「………………」 「いいですか、いま、七香さんは 大きな会社の窓口になって この町を開発しようとしています」 「は、はい」 「ニュータウンにルミナが広がらないことの原因が そこにあるかどうかは、まだ分かりません」 「ですがおそらく、娘……いえ、 あなたのお母さんはいま、 ルミナの調和を乱す側に立っているのでしょう」 「わたしもそれが気になってるんですけど、 でも……おかあさんが何を考えてるのか、 分からなくて……」 「知りたいのですか?」 「その……ただ、気になるんです」 「?」 「おかあさんは、寂しくないのかな……って」 「…………そうですか」 「七香さんの仕事は人間の仕事。 ルミナの力でそれを操ることはできません」 「でも……それなら、 わたしにはなにができるんでしょう?」 「……クリスマスの支度をするのですよ」 「たっだいま戻りましたー!!」 「おそーい!!」 「わわ!? りりかちゃん、お変わりないようで……」 「今日からクリスマスセールでここは戦場! ただいまの挨拶とかいーから、 早く手伝って手伝って!!」 「うわわ……らじゃーですっ!! あ、とーまくん! 温泉郷のことなんですけど……」 「おー、これ終わるまで待ってくれ」 「は……はい」 「あーもう、おとなしくしなさいってば、 砂肝にするわよ!」 「ぎょーっ!! ぐぎょーーー!!!!」 「り、りりかちゃんは何を?」 「クリスマスに七面鳥といったら決まってるでしょ!」 「え? わ、わ、わ、だめーーーーっっ!!!」 「違うわよ、クリスマスカラーに塗装して 客引きに使うの! わ、こら、暴れるな!!」 「こけーーーーー!!!」 「きゃああ……陳列台がぁ!!!」 「あ、ななみさんおかえりなさい! え、えっと……この棚の商品、 並べるの手伝ってくださいー!」 「わわわ……お、おまかせあれっ!! クリスマス、いよいよきたぞクリスマスー♪」 「…………ふーっ」 倉庫の中、ひとり大きく息をつく。それから俺は頭を抱えた。 「しっかりしろ、中井冬馬」 ななみが戻ってきて、俺はとっさにつれない態度を取ってしまった。 あいつの顔を見た瞬間、心の底から安心しそうになったからだ。 ──これで復活だ。 ──ななみがいればスランプごとき。 そんな声が聞こえた気がした。俺はななみを頼り切っているのだ。 忙しい店の飾りつけが終わると、俺は夕食を抜いて地下に潜り、ひとりカペラのメンテナンスを続けた。 食欲はあまりない。ついでにカペラに異常もない。つまりは地下に隠れているだけだ。 たぶん俺は、ななみを怖じているのだ。その恐怖は依存の裏返しであって、底にあるのは同じものだ。 足音が隣の倉庫から聞こえてきた。誰のものかはすぐに分かる。 「とーまくん?」 「よう、おかえりななみ! 悪かったな、さっきは時間がなくて」 全力で笑う。俺はちゃんと笑顔になれているだろうか。 「ううん。 はい、おみやげのお酒です」 「おお、『熊ごろし』じゃないか! ありがたい!!」 「カペラくん、どうかしたんですか?」 「実はちょっと調子が悪い。 サンタ先生にも見てもらってるんだが」 「それでずっと整備を……」 「ああ……だが、すぐに復活するさ。 だからそれまでりりかと交代で ベテルギウスに乗ってくれないか」 「あうう……そーですか……」 がっかりしたななみの顔を見るのは辛い。ただ、このままではもっとお前をがっかりさせてしまいそうなのだ。 「少しの間だ、任せたぜ」 「わかりました。 早く、カペラくん良くなるといいですね」 「ああ、ありがとう」 寂しそうにしながらも、カペラを気遣う健気な視線が痛い。 「いくわよ、カペラさん」 話に区切りがつくまで待っていてくれたのだろう。階段を下りてきたサンタ先生が声をかけた。 結論から言うと、その夜の訓練も俺はひとりでボロボロだった。 この3日目、サンタ先生は根気よく俺のへなちょこ〈滑空〉《グライド》に付き合ってくれている。 しかしどうしても調子が上がらない。加速は鈍いし、ターンは大雑把だし、大技はどれも失敗しそうで試せもしない。 サンタたちの面倒をまとめて見ているジェラルドにも迷惑をかけている。そして、ななみ……。 まるで暗示にかけられたようだ。ここで復活しないと……と焦るほどに操縦はおぼつかなくなってゆく。 「……くそ!」 「焦らない、中井さん。 アタシより上手いんだから自信持って」 「……申し訳ない」 何度飛んでも調子が出ない。バランスもリズムもタイミングも、何もかもがデタラメだって自分でも分かる。 「とーまくん……?」 気づけば、ベテルギウスに引かれたななみが隣に並んでいた。 「あの……カペラ、本当に大丈夫ですか? 見てたんですけど、何ていうか……」 「大丈夫さ、なんとかする」 言葉の意味とは裏腹に、自分でも驚くほどぶっきらぼうな声が出た。 「う、うん……がんばってください!」 元気な励ましを残してベテルギウスが離れてゆく。 「中井さん?」 「……すみません、もう一回市街地にアタックを。 いやもっと難しいコースがいい。 ニュータウンに西側からアプローチして……」 「ちょっと……休もっか」 訓練が終わり部屋に戻った俺は、最初に目に入った酒瓶を握るとキャップを捨てて一息にあおった。 喉の奥を灼きながら、アルコールが身体にしみこんでくる。 重いボトルをゴトリと置くと、窓を開けて濁った息を吐き出した。 「急げ……急げよ冬馬!」 ななみに心配をかけるまえに復調を果たす。そう誓ってここ数日は懸命に空を飛んだ。 俺の調子が戻る前にななみは帰ってきたが、まだ間に合う。まだだ……。 深く椅子に腰を下ろし、俺は頭を抱えた。 ふと……、 「……?」 机の上に、見慣れない物が置いてある。 メリーランドのチョコレートに……メモ用紙、そこにはななみの字。 『冬馬くん、ファイトおーです☆』 それだけ。 たったそれだけの言葉なのに、俺にひどく気を遣って言葉をひねり出したななみの姿が目に浮かんだ。 1行の短文を何度も何度も読み返す。気が付くと、手が震えていた。 「バカ野郎!!」 反射的に、頭を殴る。目の奥から火花が散るが、こんなものじゃ足りない。 俺はまだ、ななみの話をひとつも聞いていないじゃないか。 あいつのことを考えてお祖母さんのところに送り出したというのに、いつしか俺の問題で頭が一杯になっていた。 もうやめろ、見栄を張るな。俺はななみを傷つけたいんじゃない。 部屋を飛び出した。行くべき場所はただひとつだ。 「ななみ!」 「わわ、とーまくん!?」 ななみは、窓の前にいた。手に持っているのは糸のついた紙コップ。 またも俺は、糸電話を下ろそうとした現場に出くわしたらしい。 そんなななみを見るともうたまらなくなって、俺は駆け寄り、抱きしめた。 「あ……!」 腕の中にすっぽり入る小さな身体。 なじみのある、けれどとても愛おしい感触。立ち昇ってくるななみの匂いを感じ取り、俺は胸が安らぐのを覚えた。 「とーまくん……?」 「……おかえり……いや、ただいまか」 「どっちでも一緒です」 しかし今は温もりに身を委ねている時ではない。何とか自制してななみを解放する。 「ななみ……俺は」 話しかけて踏みとどまる。俺の話よりも、ななみの話を聞くのが先だ。 「お祖母さんに会えたのか?」 「はい、このとおり」 そう言って、机の上の写真を取り上げる。そこにはななみと女性の老サンタが並んで微笑んでいた。 「……元長老の星名ナミさんか」 右手に杖をついた上品そうな老婦人だった。二人の笑顔は本当に自然で、和やかで……。 「おばあちゃん、むかし足を怪我して、 それからずっと杖をついてるんですよ」 「そういえば、 ななみのユール・ログも杖だったな」 「はい、元はおばあちゃんのです」 「そうか……よかったら聞かせてくれよ、 怖いお師匠さんの話をさ」 そうしてななみは、温泉郷での数日間をかいつまんで説明してくれた。 食べ物の描写が多かったのはさておき、話のほとんどは祖母のナミについてだった。 矍鑠とした老サンタとななみの会話。その最後は、謎掛けのような言葉でしめくくられていた。 「クリスマスの支度……か」 「はい、どういうことでしょう?」 「ななみも分からないのか?」 「ううっ、どうやらもっと 考えないとだめみたいです」 字面の通りに受け止めるのなら、サンタの仕事に精励しろということになるが……。 お祖母さんのアドバイスは、ふわっとした謎かけのようだ。 「そこまでは教えてくれない、か」 「でも『こうしなさい』って 言われなくて嬉しかったです」 あれこれ指示を出さずに、自分で考えさせる。 それはお祖母さんが弟子だったななみを一人前と認めた証かもしれない。 「クリスマスの支度ってのは、 サンタだけがするもんじゃないよな」 「とーまくん?」 「だから、俺にもできることがあるはずだ」 俺は、ななみに向けてではなく、半ば自分に向けてそう言った。焦りのせいかもしれない。 そんな気持ちを見越しているのかいないのか、ななみは俺の肩に身体をもたせてきた。 「冬馬くんのおかげでおばあちゃんに会えて ……ちょっと落ち着きました」 並んで、壁に飾った星空の絵を見る。ボスの執務室からコピーを取ってきた、思い出の星空だ。 「外……出ませんか?」 「そうだな、部屋の中で絵の星空を見てるより そっちのほうが良さそうだ」 「はい!」 硯を起こさないように階段をテラスまで降りる。 ななみとふたり手すりにつかまって、森の木に切り取られた星空を見上げた。 いくらかのスランプであの星空を恐ろしく感じたこともあったが、やはり地上から見上げると、憧れの夜空は宝石箱のように〈目映〉《まばゆ》く見える。 「小さいころ、あの絵に描かれた星空を おばあちゃんと一緒に見ていました」 ななみの口から祖母との思い出が紡がれる。 「天の川が輪になってるって、わたしすごく はしゃいじゃって……でもおばあちゃんは 静かに手をつないでくれて……こんな風に」 ななみの左手と、俺の右手が絡み合う。 男女の関係になった後だというのに、それだけのことでドキッとした。 同時に小さな違和感が浮かび上がる。 それは本当に些細な違和感であって、俺の意識からすぐに滑り落ちていった。 「……それで一緒に夜空を見上げて。 そのとき見た景色が、 ずっと頭のどこかに残ってるんです」 「輪になった天の川の向こうから、 ひときわ眩しい星が わたしたちを見下ろしていて……」 その時、ななみは祖母に言われたのだという。 「……あなたはまっすぐにサンタを目指しなさい。 そうすればまっすぐなサンタさんになれるから」 それが、ななみというサンタの原点なのだろう。 親父を失った俺が、引っ越した田舎の村でサンタの乗ったソリを見たときのように……。 あの夜空を俺はたぶん一生忘れないだろう。初めて見たそのサンタはやがて俺の師匠となり、一からトナカイに鍛えあげてくれた。 同じように、ななみの記憶の中にはあの壁に飾った絵と同じ星空が輝いている。 そしてななみは、わき目もふらず、まっすぐにサンタクロースを目指してきたのだろう。 「あのとき見た星と、 手のぬくもりを思い出せた気がします」 左手をぎゅっと握って、ななみは言った。 軽い違和感を覚えながら、俺はうなずく。ななみの記憶にあるのは祖母のことばっかりだ。 「お祖母ちゃんの言葉と手のぬくもり……か」 「それからですね、そのとき食べた お弁当のおにぎりが、 ほんっっとーーーーに美味しかったんです!」 「結局は食い物か!」 それでも、星空を見上げるななみの瞳にはどこか寂しさが混じっている。 迷いながら、それでもななみは自分のやるべきことを探して前に進んでいく。 それに引き換え俺は……。 「とーまくん……どうしたんですか?」 心に湧いた不安が漏れていたのかもしれない。ななみが気遣わしげな表情で俺の顔を覗き込んだ。 不安の中にあっても、俺の気持ちを思いやる。いつしか、俺とななみの間には、大きな隔たりが生まれていたのではなかろうか。 「すまん……」 口をついたのは詫びの言葉だった。ななみに隠しておくようなことは、なにひとつない。 「えええ!? う、うそですよ! とーまくんが私を頼ってたなんて!」 「俺だって自分じゃ気づかなかった。 ……お前がいなくなるまでは」 ここ数日の不調と、優秀なサンタへの依存心。そうして突きつけられた、俺の実力の程度──。 胸を焦がすわだかまりを洗いざらいぶちまけた俺の前で、ななみが目を白黒させている。 「で、でもですよ、とーまくんは……」 「このままだと、 俺は、ななみがいないと駄目になる」 「そんなこと……」 「師匠の下にいたときと同じだったのさ。 俺はまだ、俺の脚で立てていなかったんだ」 「とーまくん………………」 苦虫をすり潰すように奥歯を食いしばり、俺はななみに全てを打ち明ける。 「正直……自分でも驚いている。 だが、片方がもたれてたら、 本当のパートナーにはなれない」 「うん……でも、とーまくんは間違ってます」 優しい声で、ななみが言った。 「冬馬くんがいなかったら、 わたし、まだ悩んでいたと思います」 「ですから、わたしも冬馬くんに よっかかってたわけで……」 「えへへ……もたれあいですね」 「……ダメじゃん」 「じゃあ戦友ってことにしませんか? お互いに戦ってたんですから」 「そんなご大層なものでもないと思うが、 ま、ななみの気持ちはありがたいよ」 そうして、ようやく笑うことができたのも、ななみのおかげだ。 「ななみ、明日は一緒に営業に行こう」 「はい!」 「で……でも夜の訓練は別々ですよね?」 「すまない。 だが必ずだ、必ず克服する」 「わたしもクリスマスの支度……探してみます」 「ああ……約束だな」 俺が小指を突き出すとななみはそれに〈倣〉《なら》おうとする。 「……ゆびきりですか?」 思い直したように手を引っ込める。それから俺の近くににじり寄って、 「……指よりキスのほうが 効き目があるかもしれません」 「ななみさん?」 「だってぇー!! 誓いのキスって言うじゃないですかぁ!」 「しかしラブラブは……」 「わたしが禁止してません!」 「り、了解……」 「……ん? んあっ……ん、んんン……ん……ッ……」 1週間ぶりのキスにななみの身体が痙攣を起こす。 「ん……んーーッッ…………は、ぁぁ…………」 軽く唇を噛むだけで、全身から力が抜け落ちてしまったようだ。 俺はそんなななみをソファーに座らせて、ドアに手をかけた。 「……おやすみ」 「ふぁい……おやすみなさい……」 後ろ髪を引かれる思いで外へ出る。冷静になれ、こいつはもたれるよりもヤバい、溺れてしまいそうだ。 「はぁぁーーーっっ!」 「二人で営業するのも久しぶりだな」 「ずいぶん寒くなりましたねー。 ほら、すっかり息が白いです」 「吐く息や……」 「お前の川柳も久しぶりだ」 「吐く息や……吐く息やぁ、 プリンティラミスチョコレート」 「聞くんじゃなかった」 「たまには調子の悪いことだってありますー!」 引っ越し先のガレージからオアシスを出してきて、久しぶりに2人きりでの営業だ。 昨夜、お互いに腹を割って話したおかげで、たちまち時間が逆戻りしたかのようだ。 「ん……?」 「町の空気が前と違ってますか?」 「分かるか?」 「なんとなくですけど……何かあったんですか?」 「ああ、それがさ……」 ちょうどいいタイミングで反対運動の一団が目の前を通り過ぎる。 俺は手短に、反対運動が起きていることについてななみに説明してやった。 「まだまだ、規模は小さいみたいなんだけどな。 温泉会議じゃ話題にならなかったのか?」 「そういえば、聞かれたような気もしますが。 それよりですね、イブに…………」 言い差したところでななみが遠くの人影に気づいた。 「あれ、シガさん?」 少し離れたところから行列を見ていたシガさんが、俺たちのところにやってくる。 「嬢ちゃん、久しぶりだな」 「はい、お久しぶりです! あの……シガさんも反対運動に?」 「まさか、俺にその資格はねえよ」 「資格?」 「そうさ、俺はここの土地を売り渡したんだ。 ガイエー様にな」 「後悔、しているんですか?」 「そんなことはねえよ。 だが、どうなんだろうな……未練じゃねえのかな」 未練──自分がこの町から離れたことへのだろうか。 だから今日もこないだも、シガさんは反対運動の最後尾にいたのか。この人なりに、距離を取って。 「この町がどう変わって行くかってことを 他人任せにしちゃいけねえってことだよ。 町の人間が決めなくちゃならなかったんだ」 「土地を手放した俺には、 もう関係のないこととは分かっているがね」 シガさんが目を伏せる。 「シガさん……」 それまで黙って聞いていたななみは、オアシスの在庫から、張子で作ったサンタクロースを出してきた。 「シガさんはこの町の人じゃないですか」 シガさんの手にそいつを乗せる。 手の中の人形をしばらく見つめていたシガさんは照れくさそうに微笑んで歩き出した。 シガさんと別れてから、俺たちはしばらくニュータウンのあちこちを回って営業をして、最終的に熊崎城址公園に落ち着いた。 途中、別荘のガレージにオアシスを戻して、久しぶりに身軽なランチタイムだ。 「雪……降りそうですね」 「ああ、もうすぐ一面の銀世界になるんだな」 ベンチに座って弁当のバスケットを広げる。 最近、硯はサンドイッチに凝っているようで、千切りキャベツのたっぷり入った、タマゴとベーコンのトーストサンドが並んでいる。 「ま、オアシスの引越しが終わって良かったよ」 時計を見ると午後の3時を回っている。ずいぶん遅い昼飯になってしまったのだ。 「ん……あれはアイちゃんか?」 「ほんとだ、アイちゃーん!」 「…………!!」 ななみの姿を見とめたアイちゃんが、気づかないふりで早足になる。 「アイちゃんってばー!!」 「わぁぁ……なんですかもー!」 連行されてきたアイちゃんは、観念したのか口を尖らせながら隣のベンチに腰を下ろした。 「……久しぶり、ですよね?」 「そーなんです、お姉ちゃんちょっと お仕事で出張してまして!」 「そうだったんだ……」 アイちゃんが、ちょっとホッとした顔をする。そこで言葉が途切れて、沈黙が流れた。 俺がサンドイッチの続きに取り掛かろうとしたとき、アイちゃんがぺこりと頭を下げた。 「……こないだはごめんなさい」 「こないだ?」 「覚えてないならいいです」 悪びれた風にそっぽを向く。そういえばアイちゃんとは星の観察会で気まずく別れて以来だった。 「はて……(ぎゅるるるるー♪)」 盛大にお腹のラッパを鳴らしたななみがキョロキョロと当たりを見回す。 「え? え……!?」 「お前だ」 「あうぅ……お、おかしいですね……」 あらためて見ると、ななみの弁当はサンドイッチがたったの一切れだけ。 さっさと食べてしまったのではない。小さな風呂敷に、それしか持ってきていなかったのだ。 「ひょっとしてダイエット?」 「まさか!?」 「…………」 しかし、ななみは赤くなると下を向いてしまった。 「ダイエットなのか?」 飛行中でもお菓子を手放さないななみがダイエットだって!? 「あ、あはは……実はゆうべ、 重いって言われちゃいまして」 「デリカシーゼロ……」 「俺じゃない」 昨夜ということは、おそらくは飛行訓練──。つまり、発言者はななみと臨時ペアを組んだジェラルドってことだ。 確かにりりかに比べたら重たいだろうが、あのイタリア人がそんなことで重いなんて言うとは思えない。 いつも近くで見ていたから気づかなかっただけで、実はななみのやつ太っていたのだろうか……。 「あ、あはは……! やだなー、どこ見てるんですかぁ!」 「おや……あれは?」 「くーるるる、くるるる」 「ぶにゃー」 「くるる、くーるるる」 「ぶにゃにゃ!」 目の前を横切った野良猫の行列の先頭を歩いていたのは、確かにうちのトリ。 ななみとりりかの決着がついてから、サンダースは吹っ切れたように覇道を突き進み、ついに熊崎城址を落としたようだ。 「ああ、あれですか? なんか、最近このへんの ワル猫が大人しくなったんだって」 「トリさん……」 「あれでも地味に地域貢献しているのか」 営業も一区切りついたので、俺たちはくま電に乗り、アイちゃんを送るため、潮見坂のほうへ降りてきた。 「本当に寒くなってきましたねー」 「しかし大変だな、 この距離を毎日通うってのは……」 「他に児童館が空いてないんだから仕方ないです。 それに、もう慣れましたから」 そうは言うけどアイちゃんはまだ小学生だ。いろいろときついんじゃないかと思う。 「雪が積もったら 児童館でも雪あそびするんですよね? ソリとか、スキーとか!」 「ああ、あそこは積もりそうだな」 「雪合戦くらいなら、 学校の暇な子がいつもやってますよ」 「えへへ、おねえちゃんも強いんですよ」 りりかとの雪合戦を思い出したのだろう、ななみが胸を張る。 「だったら、雪合戦大会に来たらどうですか?」 「そんなイベントがあるのかい?」 地域の子供たちの交流のために、児童館では毎週さまざまな催しがある。 「毎年恒例の大会なんです。 私は大っ嫌いですけど」 「どうして?」 「服が汚れるから」 「服?」 「はい」 ──外で遊べば服くらい汚れるさ。 言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。 前に、図書館でお父さんの靴下をつくろっていたアイちゃんの姿を思い出したからだ。 と、ななみがぐらりとよろめいた。 「お、おい、どうした? 大丈夫か?」 「おねえちゃん?」 アイちゃんもドキッとした顔でななみを支えようとする。 「ななみ? おい?」 「……うー、おなかがすきました」 心の底から情けなさそうな声。 「……心配して損しました」 「ちょっと、根を詰めすぎじゃないか?」 朝から部屋を訪ねた俺を待っていたのは、地図を前に難しい顔でうなり続けるななみだった。 「へーきです、 なんたってリーダーですから」 「だいたいお前は地図ダメだろう」 「ううぅ……なんとかそこは!」 ななみはどうやら、飛行コースの見直しをしているらしい。 何度も何度も書き直しをしているのだろう。地図は、赤ペンで真っ赤になっていた。 「硯たちから聞いたぜ。 ななみはアイデアメーカーだって」 「え? えへへ……」 「睡眠時間を削るよりはいいけど、 たまには休んでおけよ」 温泉郷での会議が終わり、ボスも戻ってきたがさすがにイブが近くて多忙なせいか、このところ朝の武者修行は休みが続いている。 空いた時間でりりかは空を飛び回り、硯はツリーハウスの整理整頓に精を出し、ななみは地図とにらめっこというわけだ。 「う〜……ここがこーなるから、 コースがこっちに来て……!」 2年目とはいえ、去年のななみは助っ人だった。今年、初めてサンタの仕事と向き合っている。 「顔真っ赤だぜ。 少し散歩でもしないか?」 「お散歩?」 「そう、空の」 「……空?」 ちょっとの間、ななみは俺の顔を見たが、 「いいんですか、わたしと一緒で?」 「ただの散歩さ、訓練じゃない。 たまにはペアで飛ばないと勘が狂うだろ」 とってつけたような理屈に、ななみの表情がたちまちゆるむ。 「そ……そーーですねっっ!! 行きましょう! おさんぽおさんぽ!」 「ごっはんー、ごっはんー、 ごはんが疲れをファラウェーおー♪」 久しぶりにななみを乗せて、カペラの〈滑空〉《グライド》を試してみる。 ななみも乗り心地がいいのかご機嫌で、さっきから謎のごはんソングなんかを歌っている。 「ね、ね、とーまくん。 次は、どこ行きます?」 「そうだな。 せっかくだからニュータウンの ルミナ分布でも調べてみるか」 「おー、いいですね。 あ……でも」 「どうした?」 「今日は何だかルミナがもやもやしてて 分かりにくいんです。 わたしじゃ、はっきり調べられないかも」 「ならこっちで調べるよ」 正確な数値を出すのでなければ、トナカイのゴーグルと、カペラの計器で充分だ。 「いくぜ、全速だ!」 「りょーかい、れっつごーー!!」 「お? おお……!?」 「どーしました?」 「いや、なんでも……なくない! お前とだとやっぱり調子いいぜ」 そうなのだ。ななみをソリに乗せて飛んだとたんに、俺の身体は空の感覚を取り戻してしまう。 なんて現金なトナカイだ──。などと心の中で毒づいても、空を自由に飛びまわれるウキウキは隠しようがなかった。 「いっくぜ、やっほーーーーい!!!」 調子に乗って加速をかけ、あっという間に真空地帯の外縁部に到達した。 「まいったな……また広がってる」 ゴーグルと計器だけでも真空地帯の拡散は如実に感じ取ることができた。 「イブもこのまんまだと、 ちょっとまずいですよね」 「対策会議はどんな感じだった?」 「色々なアイデアが出たんですが、 真空地帯の拡散自体を防ぐ方法はないみたいで」 「なるほどな……」 ニュータウンの小さく群れた屋根を見下ろしながら、俺は思う。 リゾート開発──いやゴルフ場については、町の人の間でも意見は分かれている。 反対運動を起こすと言っても、簡単に止められるものではないだろう……。 「アイちゃんのお父さんって、 ニュータウンで工事のお仕事を しているんですよね」 同じことを考えていたのか、ななみが呟いた。 町の経済発展を願う人たちは、ゴルフ場だろうが何だろうが、リゾートを歓迎している。 ニュータウンで開発の工事が始まればアイちゃんのお父さんも潤って、アイちゃんに新しい服を買えるのだ。 「……?」 その時、ふとソリの抵抗を感じた。 ──重い? 確かにソリが重いのだ。ななみが不健康一歩手前のダイエットをしているというのに、どうしたことだ? いや……これは……。 「ななみ、加速するぞ」 「は、はい……!」 アクセルペダルを踏み込む。いつもなら一気に加速がかかるところなのに。確かに今日は重たい。 こいつは体重のせいじゃない。ななみの、サンタとしての力が弱まっているのだ。 しかし、なぜだ?ななみがまだ迷いを抱えてるせいか? 「どうしました?」 ななみは自覚していないのか? 「……ななみ」 少しの間思案して、俺は言った。 「ダイエットさ、もうやめとけ」 「え? でも」 「体重よりスタミナ切れが心配だ。 今日ちょっと元気ないぞ、お前」 「とーまくん……」 「ほら、景気づけだ」 「わわっ、ちょ……きゃああーーー!!」 それからしばらく、俺は黙ってカペラを飛ばした。ななみは本当に気が付いていないのだろうか? 「…………」 ミラーに映った横顔が目に入る。 ──あの顔だ。迷子になったような、何かを探しているような。 ななみがスランプを自覚してないはずがない。だとすれば、あの『大丈夫』は俺を心配させないための嘘ということになる。 その嘘を本当にしようと、ななみは必死に戦っている。 壁に飾られた星空──。お婆ちゃんの言葉──。 それではまだ足りないのだ。大丈夫なんかじゃなかったのだ。 あの夜テラスで聞いたななみの話には、お母さんがまるで出てこなかったじゃないか。ななみはそれでもイブを迎えられるのか? そんなななみに、俺が出来ることは、何だ? 「あ……」 ふいに、その表情が笑顔に花開いた。ななみが顔を上げる。 「雪だ!」 空を見上げると、灰色の雲から白いかけらがひらひらと舞い降りてくる。 初雪が訪れたのだ。 「わぁ……雪ですよ、ゆきっ! だーっしゅです、とーまくん!!」 「よーし、雲まで上がるぞ!!」 「おーっ!」 「オーライオーライ! ランディング……おっけー! どうしたの国産?」 「ん?」 「調子よくなってるじゃん。 これならななみんと行けるんじゃない?」 「ああ……そうかな」 まったく皮肉なもんだ。ななみの調子が悪くなるのと同時に、俺の〈滑空〉《グライド》が安定しはじめた。 それは、いつまでも自分のことばかりにかまけていられないと、必死で取り組んでいる賜物ではあるのだが、しかし……。 「……ねえ、ちょっと聞いてる、国産!?」 「あ、ああ……悪い、なんだっけ?」 「はぁっ、ぜーんぜん上の空だもんなぁ。 ……ほんとに好きなのね」 「……ん?」 「ななななにがだ!? さ、酒なら和洋問わず好きだが、 な、なにが好きだって!?」 「言ってほしいー?」 「……けっこうです」 「やれやれだ、この未熟者め」 いくら恋愛に疎いとはいえ、年下のりりかに手玉に取られるとは、まったくトナカイ失格だ。 ジェラルドが見ていたらなんと言うだろう。 「…………ななみ」 そういえば、ジェラルドとななみはまだペアで空の上だ。 未熟とはいえ、これでもプロだ。そのことに嫉妬したり焦るほど、頭がのぼせ上がっているわけじゃない。 俺はここで、ななみは上で、それぞれに戦っている。 そして、トナカイの俺にできることは、ふがいない己の調子を早く戻してななみを迎えに行ってやること──。 「よし、寝て明日だ!」 ばたんと、俺はベッドに倒れ込んだ。スイッチのオンオフはキッチリとやる、それがトナカイの基本だ。 ふと、シーツから顔を上げた拍子に、ピンク色のものが目に飛び込んできた。 「……?」 手に取ってみるとそこにあったのはレターセットだ。 いつだったか、りりかペアに敗れて落ち込んでいた頃にななみから渡された、ノエル印のレターセット。 「トナカイがサンタに手紙?」 ほんの数十分前に一緒にいたななみの顔が、なぜだか懐かしく脳裏に浮かぶ。 いつしか、俺はペンを手に取っていた。 ななみに思いをはせながら、サンタさんへの手紙の文面を考えてみる。 『サンタさん、こんにちは。 俺のお願いは……』 「俺の願いは、何だろう……?」 窓の外には12月の星空──。 「子供の頃に見た星空か……」 あのころ、俺は、親父の肩車で星の海を見上げていた。 そう──あの星空がずっと俺の支えだった。 ひとりの夜の心細さも、ちょっとしたいさかいのあとも、目標に手が届かなかったときの焦燥も、 あの日から、心の中のモヤモヤにケリをつけるとき、俺はあの星空を胸の奥に描くようになった。 そうだ、どうせ望むのなら、俺はそんな景色を……。 「………………」 「いや、俺にはもう……」 俺にはもう、あの星空は必要なさそうだ。なぜって、そいつは言うまでもない。 なぜなら──。 なぜなら俺はもう、背中を押してもらったのだから。 だから次は俺が、誰かの背中を押すのだ。そうして人から人へとそれは受け継がれる。 トナカイの服に着替えて、地下に降りる。 俺はカペラにまたがると、リフトのスイッチを入れた。 「ななみ……」 サンタさんに手紙を書く前に俺ができることがあるはずだ。 俺の支えになっていた星空を、今度は俺が別の誰かに──。 ペダルを軽く踏み込む。ななみが後ろに乗っているときのようにカペラのリフレクターが軽快なうなりを上げた。 「中井さん!? こんな時間に、どうしたんですか!?」 「夜分にすまん! どうしても調べたいことがあるんだ」 「ここでですか?」 「ああ、旧しろくま支部の資料を読ませてほしい」 「どうぞ、サー・アルフレッド・キングの 許可はいただきました」 いつか書類整理した執務室の電気をつけながら透が言う。 「悪いな、何から何まで」 「それは構いませんけど、大事な資料でしたら 僕もお手伝いしましょうか?」 「ありがとう、大丈夫だ。 前に自分で整理した資料だから……あった」 旧しろくま支部の記録を綴じたファイル。なにか、ここにななみの見たかった星空のヒントがあるはずだ。 「見てもいいですか?」 「ああ」 透も興味があるのだろう。棚から取り出した文書を、2人で読めるように机に広げる。 「15年前──、 旧支部が解散してからの記録ですね」 「そうさ。トナカイ4人にサンタ3人か、 今と規模はあまり変わらなかったみたいだ」 「サー・アルフレッド・キング以外は、 知らない名前ばっかりです」 前は流し読みだった資料を一文字一文字、舐めるように読み進める。 何枚かめくっていくと、ななみの部屋に飾ってある星空の絵の原本が出てきた。 日付は10年前──。支部が解散してからも、サンタたちがこの町に残っていたとされる期間のことだ。 「前にコピーを取った絵ですね?」 「ああ、こいつを探したいんだ」 あらためてイラストを見つめた。ななみの思い出の景色が、古い水彩にかすれている。 「この輪っかって、何でしょう?」 「ルミナだろうな」 ルミナの光が描かれているからには、これを描いたのは、それを見ることができる者──サンタの誰かということだ。 15年前のメンバーに名は連なっていないが、あるいはこれを描いたのは、ななみのお祖母さんかもしれない。 「輪の中央に、星が描いてあります」 「きっと、〈導きの星〉《ロードスター》だろう」 ルミナの向こうからひときわ眩しい光でななみを見下ろしていたという星。 このイラストだけでは、それが何かを特定することはできない。 だが、この星空だ。この星空こそが、ななみにとっての──。 「だめですね……ここのデータには、 絵の参考になりそうなものは何もないです」 「悪いが、こいつのコピーをもう1枚」 「はい、構いませんが…… この絵いったい何なんです?」 「言っただろう、導きの星さ」 「それって……」 「きっとこれから分かるのさ。 コピー機は別室だったな?」 「わわっ! ちょっと、待ってください中井さん!」 「まあまあ、賑やかですこと」 「彼ですよ、お孫さんのトナカイは」 「……そうですか」 翌晩から、俺の探索が始まった。 昼の間はおもちゃ屋があるし、夜は何より優先すべき訓練がある。 スランプを克服したとは言い切れない俺が抜け出す時間と言えば夕食の時間を返上するしかない。 夕暮れから夜にかけての時間を使い、俺はしろくま町を走り回った。 観光ガイドの書くとおり、数日でしろくま町は一面の銀世界に変貌を遂げた。 足場の悪い道を踏み越え、あるいはカペラを駆って、町のあちこちへ探索の足を伸ばす。 手にしているのはあの絵のコピー。それはななみの部屋に飾られているのと同じもの。かつて、ななみとお祖母さんが見た景色だ。 しろくま町のどこから見上げても、星空は一緒だ。星の配置が場所によって変わるなんてことは絶対にない。 鍵になるのは、このルミナだ。環状になったルミナの光が観測できる場所が、しろくま町のどこかにある。 資料を見ながらゴーグルごしにルミナの光を探す。 季節、場所、そして時間。全ての条件を満たさないと、絵の星空は現れないだろう──。 そいつをもし、見つけることが出来たのなら、それは奇跡といっていいだろう。 りりかとの対決に備えて修行していたときにななみが呟いた言葉が、頭の中に響いてくる。 「イブに奇跡を届けるには、わたしたちが イブの前に奇跡を起こしてないとダメなんです」 そうだ、ななみにはその力がきっとある。 あとはその道筋に向かって、誰かが背中を押してやれたらいい。 だから俺は、この景色をななみに贈りたい。絵に描いた星空ではなく、本物の星空を──。 10年前の資料だから、たいしてアテにはできない。 ルミナが渦を巻いて、その中心は晴れている。そんな空が、この町のどこかにまだあるだろうか? そんな日が、何日か続いたある日のこと。 「あぁ、腹減った……。 握り飯くらい作ってくりゃ良かったな」 すきっ腹を抱えたまま、俺は雪空を見上げて呟いた。 毎日毎日夕食を抜いてるんだから当然と言えば当然だ。 「握り飯……か」 ごはんのことを考えると、セットでななみを思い出してしまう。 雪が降ってからというもの、あいつのテンションはむやみに高い。 今朝も、雪合戦大会の特訓だなどと言って、店の前でりりかと雪まみれのバトルを繰り広げていた。 ときどき黒い染みのように現れる、あの寂しそうな顔さえなければ、ななみは相変わらずのおとぼけサンタさんだ。 そんなななみの姿は、いつだって俺を和ませてくれる……。 「ごはんー、ごはんー、 ごはんが疲れをファラウェーおー♪」 ななみのことを思い出していたら、謎のごはんソングがすきっ腹の口をついて出た。 いつ聴いても、緊張感のかけらもない歌詞とメロディーだ。 と、そのとき── 「おかかー、おかかー、 おかかとごはんのランデブー♪」 「……!?」 背中から続きのメロディが聞こえてきた。 こんな適当な歌に続きがあったのか?ななみのオリジナルじゃなかったのか? 驚いて振り返った視線の先には── 誰だ?スーツを着た見知らぬ女性が携帯電話をいじっていた。 「ええと……なんの歌ですか?」 「あなたが歌っていた歌よ」 「それはそうなんですが、この曲って」 「ごはんの歌。 作詞作曲、私」 謎の女性が顔を上げる。 それは俺とは初対面の、だがどこか懐かしい顔立ちをした女性だった。 ゴーグルの向こうに、星空は暗く瞬いている。 ルミナの光は時として、その向こうにある星の光をもかき消してしまう。それは地上のイルミネーションの灯りも同じことだ。 雪のしろくま通り──。イルミネーションに彩られたメインストリートから、俺は暗い夜空に目を凝らしている。 探しているのはただひとつ、ななみの部屋に飾られたのと同じ、ルミナが輪をなしたあの星空だ。 しろくま海岸、潮見坂、くまドーム、ほらあなマーケット、しろくま通り……。町の南側は、この数日で歩きつくした。 手がかりは、ブラウン邸の書類棚で見つけたイラストのコピーだけ。 こいつは、ななみがサンタクロースを目指すきっかけになった夜空の絵──。 祖母と一緒に手を繋いで見上げて、サンタクロースへの夢を胸に描いた、思い出の星空。 しかし俺はその話に、奇妙な違和感を覚えていた。 それが何なのかはまだ自分でもよくわからない。ただ、ななみの話にどこか漠然と、割り切れないものを感じていたのだ。 今日もななみは『クリスマスの支度』をしている。ソリに乗って、ルミナの発射訓練と店の手伝い、それから配達エリアのデータ整理を夜遅くまで。 その間も、支部からは続々とプレゼントのリクエストが送られてくる。 町の人たちの願いにツリーが反応をして、それをロードスターがサンタに伝えているのだ。 ツリーのお膝元に暮らしている俺たちには、残念ながらあの大樹の想いを感じ取る術がない。 それはロードスターにしかできない大切な仕事だからだ。 毎年変わらぬ、忙しいクリスマスの支度風景。 ななみは2年目のサンタとして、祖母の言いつけを守り、黙々とその作業に勤しんでいる。 ゴーグルを外して星空を見上げる。 冬の澄んだ大気に、星たちが瞬いている。 俺も子供のころ、星空を見上げながら大空への憧れを育んできた。 サンタのようにルミナを見ることは出来ないが、それでもこの両目は親父からもらった特別製だ。それが俺を、一人前のトナカイに導いた。 田舎のお袋もまた、ノエルの秘密にはいちいち踏み込まず、しかし俺を笑顔で送り出してくれた。 俺は家族に恵まれた。他人と比較をするつもりはないが、それだけは忘れるべきではないだろう──。 「店長さんのお父さんって、 どんな人だったんですか?」 「そうだな……一言で言うと、 憧れ、かな」 「……立派な人なんだ」 「立派かどうかは別にして、 俺は親父みたいになりたかったのさ」 夕暮れの潮見坂。俺の言葉にアイちゃんはかすかにうつむいた。 「ねえ……店長さん」 「店長さんも子供のころは、 お父さんが困ってる顔なんて 見たくなかったですよね?」 「そうだったかな。 でも、俺が困ってる顔だって、 見せたくなかったよ」 「……うん」 「…………」 その言葉を受け止めたアイちゃんはしばらく考えて、それから意を決したように俺の目を見た。 「……あのね、 今度の雪合戦、私も出るんです」 「そうか」 空には冬の星座たちが俺とアイちゃんを見下ろしている。 「……見に行くよ、必ず」 アイちゃんと別れた俺はしろくま町の中心部に向けて足を運びながら、ななみのことを考えていた。 ななみというのはやっぱり少しおかしな奴だ。母親に会いたいと思慕を募らせるでも、自分を捨てた相手だと憎む様子もない。 そういったことに気持ちを波立たせないのは、祖母から受けたサンタクロース教育の賜物なのだろうか、あるいは…… 『まっすぐにサンタになる』というのは、肉親の情からも目をそむけなければいけないということなのだろうか……。 ──やめよう。 首を振って余計な想念を払い落とす。ここで俺がななみの祖母の言葉をいくら〈穿〉《うが》ったところで、それは邪推にしかならない。 しかしそれでも、ななみの中には割り切れない想いがあるはずだ。 そうしてそいつが、軽やかだったななみを『重く』した。 会ったことのない母親というのは、おそらくは気まずいものだろう。 あるいは母親と合うことで、ニュータウンの話に触れることになるのが、ななみは怖いのかもしれない。 俺がななみの気持ちをはっきりと分からないように、ななみ自身も自分の中にあるモヤモヤが何なのか計りかねているように見える。 けれど……。 『分からないままでも、 手を差し伸べることはできる』 アイちゃんの背中に向かってななみが呟いた言葉は嘘ではない。 それが、いま俺を動かしている──。 「マスター、 早く出来そうなのってなにがあります?」 「パスタでよければ、すぐにでも」 3分で運ばれてきたのは、すぐにでも簡単に作ったとは思えないトマトソースのスパゲティ。 そいつを口に運びながら、俺は──昨夜出会ったあの人のことを考える。 「お袋さん……か」 ちょうど24時間前のことだ。 俺は、この同じ席で、ななみの母親と向かい合っていた。 「あら、トナカイさんだったの? 私の勘もずいぶん鈍ったわね……」 「サンタかキャロルに見えました?」 「そうね……でも、 言われてみればトナカイ顔だわ」 「面と向かって褒められると照れますね」 「ふふっ、その減らず口は確かにトナカイさんね」 目つきが鋭いけれど、人当たりの柔らかい大人の女性──。 その人と向き合った第一印象は、そんな感じだった。 「でもいいのかしら? 現役のトナカイさんが、 サンタ崩れと一緒にディナーなんて」 「いいんです。 貴女は俺のパートナーの肉親ですから」 「あらやだ、あの子がこの町に?」 「サンタチームのリーダーをやっていますよ」 「そう……偉くなっちゃったんだ」 偉いって表現には程遠いななみの姿を思い出すと、苦笑がこぼれそうになる。 ──自己紹介から始まって、俺は七香さんとしばらく言葉のキャッチボールを続けた。 その人の外見は、いったいどこがななみの母親なのだろうと思うほどに娘と全く違う雰囲気を宿していたが、 話していくうちに、その言葉の柔らかさに、どこかななみと通じるものを感じてしまう。 星名七香──。この人は何故サンタを辞めたのか、どういう気持ちでななみのもとを去ったのか? 「へぇ、あの〈樅〉《もみ》の森に サンタさんが住んでいるの?」 「で、商売はおもちゃ屋さん……か。 けれど今の時代には大変そうね」 「そちらのお仕事は順調ですか?」 「あんまり良くはないみたい……ふふっ」 ニュータウンのこと、ななみのこと、ノエルをやめた理由、彼女の目的──。 聞きたいことはたくさんあるが、話題がそこに近づきそうになるたびに、彼女は自然と話の方向を変えてしまう。 次第に、世慣れた七香さんのペースに巻き込まれそうになり、俺は思い切って話の腰を折ることにした。 「──星名さんは、 なにを望んでいるんですか?」 「サンタさんには分からないわ」 「そうとは限りませんよ」 「ほんと? だったら当ててくれたら嬉しいわ」 わずか2回のキャッチボールで、俺の質問ははぐらかされてしまう。 七香さんは、初対面の俺とあれこれ親しげに話しながらも、自分のことはほとんど口にしない人だった。 「それより、こんな忙しい時期に、 トナカイさんは公園で何をしていたの?」 「探し物をしていたんです。 この景色に心当たりとか、ありませんか?」 星空の絵のコピーを七香さんに見せるが、こいつはどうやら的外れだったのか、驚くようなそぶりは毛筋ほども現れない。 「力になれなくてごめんなさいね。 ななみちゃんが持ってたの?」 「支部の資料に入っていたのを見つけたんです」 「ならロードスターに聞いてみたらどうかしら?」 「うちのボスはなんでも自分でやらせるんで」 「奇遇ね、私も同じタイプみたい」 デザートのティラミスを美味しそうに口に運んで、七香さんが笑う。 確かに親子だ。お菓子を前にしたときの幸せそうな表情はななみにそっくりだ。 最後に炭酸水で口を洗った彼女は伝票を手に席を立った。 「誘ったのは俺ですよ」 「若い子にご飯を食べさせるのが趣味なの」 トナカイじみた軽口とともに、俺の前に名刺が差し出される。 「これも縁かしらね。 なにかあったらここにどうぞ」 『株式会社ベイ・ローレル』 名刺には横文字の会社名に、代表取締役の肩書きが添えられていた。 これが、元サンタだった人がいまやっている仕事──。 「星名さん!」 去り際の彼女を呼び止めた。 こいつはななみの家庭の問題だ。あるいはサンタの血筋の問題といってもいい。 差し出口だと分かっていても、俺はどうしても聞いておきたかった。俺にとって、ななみはもう他人ではないのだから。 「ななみに会いたくはないんですか?」 「……ええ」 「私は靴下を窓辺に吊るしたりはしないわ」 今日も俺は町を歩きながら考える──。 ゆうべ、ななみのお袋さんは、俺になにを伝えたかったのだろうか? 話をはぐらかそうとしていたのではないだろうが、部外者のくせに首を突っ込みたがる俺への、ある種の牽制のようなものは感じられた。 けれど、牽制するのが目的なら、なにも俺と食事をともにする必要はないはずだ。 俺からノエルの支部の情報を聞こうとしていた?いや、そんな話題には一切ならなかった。 ならば娘のパートナーであるトナカイへの好奇心か? あるいは、ななみのことが気になって……? 「お疲れ様です、中井さん!」 駅前の雑踏を抜けたところで透に声をかけられた。 「お疲れさん、なにか分かったか?」 「はい、ですがここでは……」 「ああ、上で聞こう」 「──反対運動が盛り上がっていない?」 「はっ、はいーーー!! 思ったほど盛り上がってなくて!!」 タンデムシートにまたがった透が、俺の腰を抱きしめたまま大声を上げる。 「その逆だと思ったんだがな」 七香さんが言っていた、『仕事がいまいち良くない』というのは反対運動が盛り上がったことかと思ったが……。 「ですが、投書がありまして!!」 「投書?」 「はい!! 児童館のアンケートにっ!!!」 「怒鳴らなくても聞こえるぞ」 「すっ、すみませんーーーーーっ!!!!」 「ふーむ、2回目じゃ慣れないか?」 「へ、平気です……! これくらいの〈滑空〉《グライド》っ!」 「その意気だ、未来のサンタさん」 「は、はいぃぃぃっっ!!!」 「で、ここのアンケートに投書があったって?」 「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!! そ、そうなんです、反対運動の 切り札にもなりえる投書がありまして」 「切り札?」 「はい、この学校です……」 「星野平小学校が?」 「ここの土地の所有者はまだ、 ガイエーではなくしろくま町なんです」 「なぜだろう。 県庁が主導している計画なら、 真っ先に買い取られてそうなもんじゃないか」 「それが、書類の不備があったり、 手続きが先送りになったことが 重なったりしていたみたいで……」 「加えて、ここの土地の利用方法についても、 まだ町議会ではもめているみたいです」 「おかげで県庁の担当者が困っているって、 お父さんから聞きました」 「親父さんに?」 「はい……僕にできることはこれくらいですから」 透が力強くうなずく。 この町のリゾート開発がまたひとつ、遠く離れていた肉親を近づけたのだろうか。 「なるほど、この土地の買収ができなければ ゴルフ場は作れない……切り札ってことか」 「この土地を手放さないように町議会に 働きかけよう──そんな投書が あったそうです」 「どうやらそこが、 ななみママの弱点ってことだな」 雪の積もったグラウンドを見渡す。頭上にはオリオンが誇らしげに輝いている。 ガイエーのリゾート開発計画が白紙になればこの景色は、ひとまずこの形のまま据え置かれることになる。 それはこの町の自然にとっていいことだし、反対派の住民はそれを願っているのだろう。 「でも、それが本当にみんなの幸せに つながることなのか 僕にはまだ分からなくて……」 アイちゃんにとって、この学校は大切な居場所だった。 しかしアイちゃんのお父さんは、このリゾート開発の工事現場で働いてアイちゃんを養っている。 これもまた、俺や透が軽々に首を突っ込める問題ではないということだ。 「ななみさんのお母さんは、 いったいこの町をどうしたいんでしょう?」 「──サンタさんには分からない」 「は?」 不思議そうな顔をする透に、俺は昨夜の顛末を語って聞かせた。 ──サンタさんには分からないわ。 「元サンタの人が言うと、寂しい言葉ですね」 「それが……そうとも思えないんだよな」 「どういうことですか?」 拒絶の言葉のようでありながら、あの時、俺はなぜか手を差し伸べられている感じがした。 それが何故かは、まだ分からない。そう──『まだ』分からないのだ。 「透、もう少し手伝ってくれないか?」 「は、はい! もちろんです」 透がふたたび俺の後ろにまたがってくる。 まだ分からないのなら、もう少しこのまま進んでみよう──そう思った。答えが見つかる確証はないけれど、それでいい。 「と……その前に」 「?」 「せっかく来たんだ。 アイちゃんに会っていかないか?」 「な、なんでですか!?」 「てっきり、そいつが気になって 手伝ってくれていると思ったんだが」 「そんな不純な理由じゃありませんっっ!」 「…………その、ゼロとは言いませんけど」 「でも、僕は知りたくなったんです。 サンタの仕事って本当はどういうものなのか──」 「それに……トナカイの仕事も」 「俺は参考にならないぜ」 「中井さん、卑下するのはよくありません」 「謙遜と言ってくれ、つかまってろよ」 「きゃーーーあああああーーーあぁぁ!」 「こらー、何してんの!」 「ごごごめんなさい、ごめんなさい!」 「……謝るの、これで何回目?」 「えーと……よ、4回?」 「ゼロがいっこ足んない」 「あ、あうぅ……!!」 「ていうか、ななみんおかしいよ? いつから拡散弾撃てなくなったの?」 「う、撃ててるつもりなんですけど……」 「……はぁぁっ、 こりゃ国産呼んできたほうがいいわね」 「だ、だめですよ! がんばりますから、 とーまくんにだけはご内密にっっ」 「だからそれはどーして!?」 「だ、だって………… 今は、とーまくんの邪魔をしたくないんです」 「あーもう……めんどくさい関係! わかった! 内緒にしとくから!」 「ううっ、りりかちゃーん……!」 「だーっ、抱きつくな! そのかわり明日も特訓するからね!」 「りょーかいですっ!」 「……ん、噂をすれば帰ってきたかしら」 「とーまくん……!」 「国産、こんな時間まで何やってたの!? でもってすずりーん、国産の特訓するから、 サンタ先生貸りるねー!」 「あ、あの……りりかちゃん?」 「なに?」 「とーまくんの調子は……どうですか?」 「ん? こないだまでボロボロだったけど、 一昨日あたりからすごく良くなってるわ。 安心して」 「ほ、ほんとですか!?」 「ミラクルコーチ☆りりかちゃんを 信じなさーい♪ それからななみん!」 「は、はいっ!?」 「ななみんは、最近疲れてるみたいだから 今日は勉強中止してゆっくり休むこと!」 「え? でも……」 「言うこと聞かなかったら さっきのへなちょこ〈滑空〉《グライド》 ぜーんぶバラしちゃうから!」 「わ、わかりましたーーっっ!!」 「……それで、 そっちの訓練の調子はどうだい?」 「へ? わたしですか? もっちろん絶好調です!! むしろとーまくんこそ、どうなんです?」 「ああ、ここんとこ悪くないんだ。 ようやく戻ってきたって感じさ」 「んふふー、それなら安心です」 「唯一の敵は 寝不足ってところかな……ふぁぁ」 「とーまくん、とーまくん!」 「ん……もがっ!?」 「はい、眠い時はチョコレートさんです!」 「お……サンキュ」 強引に食べさせられた板チョコを一口かじって口の中で転がす。 こういった菓子は立ち食いするような物でもないと思うのだが、しかしまあ……美味い。 この2ヶ月で俺の味覚は、どうやら少しばかり変わってきたらしい。 「あらら、お熱いことで」 「きららさん……!?!?!?」 「あー! しかるに検討を繰り返してみたものの、 やっぱりチョコを商品に加えるというのはだな! いろいろ衛生的問題があるわけであり……!!」 「そ、そうでしょうか、店長さん!?」 「なーんだ、 てっきりアツアツデート中かと思ったら、 お仕事でしたか? これは失礼」 「も、もちろんじゃないですか! ほら、そろそろ看板も出来上がってるころだ!」 「そ、そーですねーーー!!!」 「こんにちはー」 「電話でお話した、 クリスマスセールの看板の件なんですが」 「ああ、いらっしゃい。 ちょうど今、簡単なイメージ図を 作っていたところなんだ……ほら」 「わ、かわいー!! 楽器がたくさんですね!」 「本当かい、それはよかった!」 「クリスマスらしい華やかさを出してみようと 思ってさ……ピアノ、タンバリン、ギター、 ビブラフォン、テルミン、それに60系の」 「この電車が一番大きい部分だけを 修正していただいて……」 「ああっ、ここが芸術なのに……!!」 「ふむむ、楽器がたくさん……ということは、 ジョーさんの出番ですね」 「もちろん! 特にギターはね」 「そういえば店長さんって、 ジョーさんのギターを……」 「うん、知ってるよ……いい演奏だよね! 僕はね、彼はプロのギタリストに なるべきだと思ってるんだ!」 「(……東京でギタリストやってたって話、  ご存じないみたいですね)」 「(……本人の前で言ってないことを祈ろう)」 「……それじゃあ、また夜な!」 「はい、ロードスターさんのお仕事、 がんばってください!」 俺の適当なごまかしを信じたななみが、疑いひとつない顔で励ましてくれる。 すまん──悪気はないが嘘は嘘だ。俺がお前の背中を押せるようになるまで、もう少しだけ待っていてくれ。 「お互いにがんばろうな!」 「あ、とーまくん!」 「……気合いを入れるときは笑顔ですっ!」 そう言って、ななみが飛びきりの笑顔を見せる。釣られて俺も白い(と思う)歯を見せて笑った。 あれから数日──。 俺はまだななみに、お袋さんと会ったことを話していない。 この大切な時期に中途半端な情報を入れてななみを惑わしたくなかったのだ。 そのかわり、俺はしろくま支部の古い記録を手に町のあちこちを飛び回った。 探しているのはもちろんあの星空──。あの絵の星空を再び見ることがななみの助けになるという確証はない。 手がかりはない、しかし俺にはまるでななみのような根拠のない自信が不思議とあった。 あの景色を見つけることできっと、ななみの中にある『星名家』という言葉が今とは別の意味を持つだろうということに……。 「中井さん!!」 「よお、どうしたんだ急に」 「すみません、状況が急転しまして!」 店長である俺のかわりにほらあな商店会の会合に顔を出していた透が血相を変えて現れた。 「きららさんが祭の実行委員をするんだろ?」 「それどころじゃありません! イブにデモが始まりそうなんです!」 「なんだって!?」 外で立ち話できるような話題じゃない。──ということで、俺たちはボスが不在のブラウン邸に場所を移した。 「デモってのは、あのデモか!?」 「リゾート開発反対のデモです」 「この町で?」 「はい!」 「おかしいじゃないか、 ついこないだまで、反対運動がいまいち 盛り上がっていないって……」 「それが、小学校のPTAを中心に、 急に運動がもりあがってきたんです」 「どうして?」 「子供たちの言葉がきっかけで……」 「言葉?」 「はい。 この星空はここからしか見えないのに、 なくしちゃうのはもったいない……って」 「──!!」 それは──ななみの言葉だった。 あの、星の観察会の夜、ななみがアイちゃんに言っていた言葉だ。 「もちろん、それだけが原因じゃないとは思うの ですが、主婦層を中心に反対の声が広まって いって、そこに前の投書があったらしいんです」 小学校のPTAで話題がもちあがったタイミングで、燃料となる投書があったわけか。 「で、今になって運動が盛り上がってきた……と」 「そうみたいです。 それから、これはよく分からないんですが、 リゾート計画が2種類あるんです」 「2種類?」 「はい、どういうことだか分からないんですが、 しろくま〈CC〉《カントリークラブ》のほかに、 遊園地を作るという話もあったみたいで」 「あの場所に遊園地?」 「けれど、すぐに立ち消えになったらしいです。 こっちに資料があります……」 透から『しろくまネイチャーランド(仮)』の開発計画書が手渡される。 表紙の右下には──『(株)ベイ・ローレル』七香さんの会社の名前が記されていた。 おや……? 「すぐに立ち消え……って、 ずいぶん昔のことなんだろう?」 「はい、リゾート計画自体は3年前から 進められていると聞いてますから」 「なら、どうして計画書の日付が 今年の8月なんだ?」 「え!?」 「お……おかしいですね?」 「この話、サー・アルフレッド・キングには?」 「戻ってこられたら、すぐに報告します」 「ボスは今日も サンドイッチマンでルミナの調査か」 「いえ、今日は急なお客様で……。 ななみさんのお祖母さんが来られるんです。 ニュータウンのバルーン配置について……」 「星名ナミさんが!?」 「お会いになりたいですか?」 「あ、ああ……そりゃあ!」 反射的に答えた直後にボスの顔が脳裏に浮かんだ。 ななみと手をつないで、俺の探している星空を見上げたお祖母さん──。 当人に聞くことができれば、あの星空の場所も簡単に知ることができるだろう。 しかしそこに、俺自身がつかんだ回答はない。 この数日間、俺は独りでいるときもずっと自分の相棒であるななみというサンタを見つめてきた。 この旅路──そうだ、探索行と言っていいだろう、それが俺というトナカイの自信を深めてくれた。 それは、調子を取り戻したここ数日の〈滑空〉《グライド》が証明している。 「いや……やめておくよ」 「ななみさんの家の問題だからですか? でも……」 「そうじゃない、 答え合わせをする前に、俺の答えが必要なんだ」 「いいわ、そのまままっすぐ! あたしの鞭で引き起こして一気に急上昇!」 「了解だ、金髪さん!!」 「今よ国産!!」 「てぇぇぇッッ!!!」 「イヤッハァァァァァ!!」 「ナーイス☆ そこそこ使えるようになったじゃない」 「ああ、久しぶりに空が広いぜ!」 「ホッとするには早いけどね。 天才のあたしと組んでるあいだは 上手くいって当たり前よ!」 「だったらなおさらだ、 もっと鍛えてくれないか?」 「ん、やる気は合格。 じゃあ、今度は鞭なしでやってみよー!」 「……ああ、いい湯だった」 久しぶりにバスタブでゆっくりと身体を温め、髪を乾かしながらリビングに戻る。 自己採点では70点といったところだが、この調子ならもう、ななみとのペアに戻っても良さそうだ。 その朗報を伝えてやろうとリビングを見渡すが……。 「ん……ななみは?」 「自主特訓」 「もう0時回ってるんですが……」 「へえ、あいつもノってるな。 俺も負けてられないってことか!」 ななみの喜ぶ顔を思い浮かべると、自然に口調も軽やかになってしまうようだ。 キッチンの水道をひねり、凍りそうなほどの冷水で喉を潤す。 「気楽なものね、トナカイさん」 「ん?」 「ボロボロよ、あんたの相方」 「ボロボロ? あいつがまた何かドジでも……」 言い差した言葉を飲み込んだ。 俺を見つめるりりかの表情が、驚くほど真剣だったからだ……。 「……まさか、重たくなったのか」 「ダイエットの話でもなくて! 見習いサンタでももうちょっとマシってほど ルミナに乗れてないのよ」 「…………」 硯が頷く。どういうことだ。ななみが、ルミナに乗れていない? 「ちょっと待ってくれ、 ななみのやつなら、さっきも俺に 絶好調だって……」 いや、それが星名ななみなのだ。俺のパートナーの。 「あんたを心配させたくないって言うから 今日まで内緒にしてたけど、 やっぱりあの子ひとりじゃダメなのよ」 「そうか。 あいつ……俺が復調するまでは」 「ま、でも今日の調子を見る限り、 国産のほうはたぶんだいじょーぶよ。 あとは、あの子を支えてあげて」 「ああ……ありがとう、金髪さん」 「……!?」 「……な、なんであたしがこんなこと 言わなきゃいけないのよ。 ガラじゃないっての、まったく……!」 こう見えて人のいい金髪さんが、真っ赤になってなにやら虚勢を張っている。 俺はあらためて、心の中のななみと向き合った。 やはり──。俺の探索は急がなくてはいけない。 明日から元のペアで訓練をするくらいならお安い話だが、それはななみにとって、本当の意味での解決にはならないだろう。 俺が今日までに見聞きしたことを全てななみに打ち明けることも簡単だが、途中経過の報告はかえって混乱を招きかねない。 あるいは、ななみの家族やあの星空のことなど全て忘れて、ななみとふたり、ただまっすぐにイブに向かうこともできる──。 しかし、今なのだ! 今──星名家のサンタが、ななみの家族が、三人ともこの町にいる。 「ま……今日のところは、 ななみんの気すむまでやらせてあげて」 「ああ、分かったよ……ありがとう」 食事を抜いていたせいだ。返事と一緒に豪快に腹の音が鳴り響いた。 「すぐにできますから、 ちょっとだけ待っていてくださいね」 腹ペコのトナカイのために、硯が夜食のおにぎりを握ってくれることになった。 手を洗ってキッチンに立った彼女は、冷蔵庫から具になりそうなものを取り出し、白米をボウルによそって水に手を浸す。 そうして軽快といっていい手さばきで、取り分けた飯粒を握りはじめた。 彼女の好意をありがたくお受けすることにして、俺はテーブルですきっ腹を抱えている。 「まったく、夕飯抜いてなにやってたの?」 「クリスマスの準備ってところかな。 そうだ、金髪さんは──」 「金髪さんは子供のころの……そう、 家族に手をつないでもらった時のことなんか 覚えているかな?」 「ん……うっすらとなら」 「だよな。 俺も……うっすらなんだ」 けれど、ななみははっきりと覚えていた。カサカサした祖母の右手の感覚まで──。 それはつまり、あの星空の記憶がななみにとってそれだけ大切なものだということだ。 「…………?」 握り飯をつくる硯の手の動きを見つめながら、俺はふと湧き出した疑問を口にした。 「硯のお母さんの手って、 やっぱりカサカサしてたよな?」 「……はい、していましたよ」 「そうだよな。 うちのお袋もそうだった。 だからいつもクリーム塗って……」 「私も水仕事のあとはハンドクリームをつけて、 できるだけ荒れないようにしています」 「で……どしたの、急に?」 「ん……いや、なんだろう、 急に気になって……ふーむ……」 さっきから、なにかが胸の内側でモヤモヤとわだかまっている。 その正体を探っているうちに硯の握り飯が運ばれてきた。 「はい、お口に合うといいのですけど」 「ありがたい、いただきます」 手を合わせ、ひとつ手にとってばくりと噛みつく。 「へえ……おかかだ!」 「お好きだって前に聞いていましたから」 「ああ、こいつが最高さ」 あっという間にひとつ平らげ、二つ目に手を伸ばす。 「……そんなに美味しいの?」 「あ、こら!」 「もぐ……もぐもぐ……、 ひとつぐらいケチケチしない」 「うぅ……カツブシかぁ。 美味しいとは思うけど、 おにぎりの具はやっぱソーセージに限るわね」 「ここにも風情のない奴がひとり」 「なによ、しっつれいね! そんなことないよね、すずりん?」 「ちょっとだけ……中井さんに賛成です」 「えーー、そんなぁぁ!!」 「でも今度、 ソーセージのおにぎり作ってみますね」 「そーこなくっちゃ! 言っとくけどソーセージは無敵食材よ、 お味噌汁にも合うんだから!」 「……そっちは期待しないでください」 「な、なんでー!?」 お子様味覚のエリートさんはさておき、俺にとって、お袋の握り飯というのは、ピクニックと遠足の思い出だ。 そのせいか、いまだに握り飯を食べると不思議と心が華やいできたりする。 こうしてサンタさんたちと一緒にテーブルを囲んでいる時もそれは変わりなくついつい良い気分になった俺は……。 「おかかー、おかかー、 おかかとごはんのランデブー♪」 「なにその歌?」 「なにってお前、 こいつは、ごはんソング……」 「……!?」 ぴたり──と、俺のなかで時間が止まった。 時計の針が巻き戻るような感覚。親父にもらった特別製の瞳に映ったものが、次々とフラッシュバックのように押し寄せてくる。 「ちょ、ちょっと!」 俺が取りこぼした握り飯をりりかが慌ててキャッチする。 「どーしたの??」 頭の中で、何かがつながっていく。ぐちゃぐちゃになったまま引っかかっていた糸が解きほぐされていく。 おかかのおにぎり──。カサカサの手──。お祖母さんの杖──。 待て、落ち着いて考えろ。ななみの言葉のどこに、俺は違和感を覚えていたのか。 「手が……逆なのか……」 「…………?」 「すまん、ちょっと出てくる! 硯、握り飯ありがとう!」 「透に、電話しないと……!」 「こんなに早く再会するとは思わなかったわね。 そちらの男の子は?」 「七瀬透──。 しろくま支部のキャロルです。 サー・アルフレッド・キングの補佐をしています」 「あら……」 「ニュータウンのルミナ分布について、 彼にずっと調べてもらっているんです」 「…………そう」 言葉を切った七香さんは透をしばらく見ていたが、ふいに視線を俺に戻した。 「それで、今日はどんなご用かしら?」 「実は……ひとつ、お願いがありまして」 「…………」 「その前に聞いておきたいのですが、 児童館に投書をしたのは、 あなただったんですね?」 「投書?」 「学校跡地の買収が停滞していることについてです」 「やぶから棒ね。 どうしてそう思うの?」 「……あなたが この町のサンタさんだったからです」 「…………」 七香さんの表情に変化はない。相変わらず、この人は他人に表情を読ませない。 「昨夜、徹夜でこいつと調べたんです。 15年前のしろくま支部の記録について」 テーブルの上に透が資料のコピーを広げる。 「この記録によると、15年前の しろくま支部サンタチームには、 トナカイが4人とサンタが3人いました」 「あわせて7人。 どうして半端な数字なのか、 そいつが気になったんです」 「トナカイとサンタはペアで行動するのに、 これではトナカイがあぶれてしまう」 「けれど、そのサンタがノエルの記憶から 抹消されたのなら、それも納得できます」 「つまり──あなたが しろくま支部4人目のサンタクロースだった」 「………………」 「それで?」 「昨日、公民館でこの資料を見つけました」 資料をいったん隅に寄せた透が、今度は遊園地の開発計画書を七香さんの前に差し出した。 「ニュータウンのリゾート開発には 県の許可が下りているのに、 どうしてこんなものがあるのか考えたんです」 「それでよく見てみたら、 この遊園地のイラストのここに、 小学校と児童館が描かれていました」 自然の地形を活かした緑あふれる遊園地の完成予想図。 その中央に描かれているのは、星野平の小学校と児童館だ──。 「つまりガイエーは、このまま小学校の土地を 買収できなかったら、あそこをゴルフ場ではなく、 遊園地にする計画を立てていた……」 「念のためにそういうことをするのよ。 リゾート開発=ゴルフ場とは限らないわ、 最悪の事態を想定して代案を作ってあるの」 「でもそれが、代案じゃなかったら?」 「…………どういうこと?」 「つまり……ここからは、 あなたがこの町のサンタさんだったと 仮定したうえでの、俺の想像なんですが……」 昨夜、徹夜で考えた俺なりの推理。 これが本当ならば、俺は星名七香という人を少し誤解していたことになる……。 「数年前、あなたはしろくま町に ガイエーがゴルフ場開発を 構想していることを知った」 「この町の環境を守りたいあなたは、 その方法を思案した結果──」 「自分が、リゾート開発計画を 動かす立場になるのが 一番だという結論に達した」 「そうしてあなたの会社はガイエーと接触し、 リゾート開発計画を進める一方で投書を使い、 ゴルフ場の危険性を指摘した」 「さらに用地買収の不備を教えることで、 反対運動を盛り上げて……」 「よく調べてあるわね、トナカイさん」 あっさりと認めた七香さんが、楽しそうに微笑んだ。俺には初めて見せる表情だった。 「俺じゃありません、こいつです」 「僕、この遊園地の完成予想図を読んで、 ワクワクしたんです!」 「周りの自然も活かしてあって、 山をそのまま遊園地にしたみたいな……」 「だから見ていて思ったんです。 この計画を書いた人は、すごくこの町のことが 好きなんじゃないかって……」 「けれど……本当に、 そんなことができるんですか?」 「〈歪〉《いびつ》なだけの思惑なんて、どこにもないのよ」 ななみのような優しい声で七香さんが話しはじめた。 「私がこの開発に関わるようになる前、 ガイエーがリゾート開発を立ち上げたときから、 企画書には町との共生という言葉が書かれていたわ」 「でも採算と効率を考えながら話を進めて行くと なにかが零れ落ちてしまうの」 「どんな思惑も、誰かのために考えられたもの。 けれど、どんな思惑にも人の欲が絡みつく──。 それだけの話」 七香さんが瞳を伏せた。御伽噺の住人から普通の人間に戻ったこの人のバックボーンを、俺に推し量ることはできない。 「だから……採算さえ見込めれば クライアントを説得する自信があるわ」 透と俺の予想は正しかった。 しろくま町のゴルフ場計画を知った七香さんは、わざとガイエーに接触して、その計画を推進させる立場を得た。 その裏で、自然遊園地を作る計画を進めながら、反対運動を起こしてゴルフ場計画を頓挫させようとしていたのだ。 つまり、この人は企業をペテンにかけようとしている。 「……ツリーを守ろうとしたんですね」 「ご想像にお任せするわ。 とにかく、私はまどろっこしいのが苦手なの」 嘘もペテンも操って、手段を選ばず遂行する。それは御伽の国のサンタクロースにはできない仕事だ。 「一時はどうなることかと思ったけど、 峠は越したわ。あとは進むだけ……」 「でも……イブにデモが起きそうなんですけど」 「サンタさんには迷惑をかけちゃいそうね?」 「大丈夫ですよ」 「中井さん……」 「サンタクロースってのは、 人間のすることにケチをつけないんです」 「それが貴女のプランだったとしても、 この町の人が決めたことなら俺たちは 全部受け入れてプレゼントを配りきります」 「……さすがはノエルの人ね、 嫌味じゃなくて期待しているわ」 「ななみも、貴女の期待通りのサンタになれますよ」 「どうして?」 「あいつが子供たちに言ったんです。 この星空が見えなくなるのはもったいない、って」 「……!!」 絶句した七香さんが、初めて俺に素顔を見せた。 「前に俺に言ったように、 あなたの計画は、けれど難航していた。 期待するほど反対運動が盛り上がらなかった」 「それを、ななみが最後に押したんです。 なんの打算もない……まっすぐな言葉で」 「そう……あの子が…………」 何度か目をしばたかせた七香さんは、自分を落ち着けるように、ワインを注文した。 沈黙が流れる。 俺と透は七香さんを見ていて、七香さんは──過去のななみを見つめているようだった。 少し間をおいて、俺は切り出したかった本題を七香さんにぶつけることにした。 「最初に言ったお願いなんですが……」 「仕事の話なら手遅れよ。 もうすぐ重機が入るわ。 年内に目処をつける約束なの」 「いえ、そうじゃないんです」 「……?」 「やれやれ散らかしおって……小童どもめ」 「ここにあるのは懐かしい記録ばかり…… 大事にしまっておいたのですね」 「長老のお手を煩わせることはありません。 トールに任せましょう。あれはこうした 細々としたことに気が回る子なんです」 「いいじゃないですか……ふふふ」 「弱りましたな。 では、私もお手伝いを……」 「……思ったとおり、 型破りなトナカイさんでしたね」 「若い頃、私も先生にそう言われました」 「あら、タイニィキングに そんな失礼なことを言ってしまったかしら?」 「物忘れが激しくなりましたかな?」 「…………やっと第一歩、ですね」 「は?」 「いえ……うちの孫が、 ずいぶんとお世話を焼かせていますね」 「色々なサンタがいて、 それぞれのやり方でプレゼントを配っている。 それだけの話です」 「……あの子は、ちゃんと見つけられますか」 「案ずることはありません。 そのためにトナカイは鼻を使うのです」 「………………」 「…………はぁ」 「もう、ばかばかばかばか……!」 「だめだぁ……わたし……」 「………………」 「とーまくん……」 「きゃ!? わわわっ!? な、なにか頭に……!?」 「……紙コップ?」 「で……糸?」 「……とーまくんの部屋?」 「も……も、もしもし? もしもし、とーまくん!?」 「え? はい? いまからお散歩……ですか?」 「……いえいえ! もちろんおっけーです! はい、はい、しからばさっそく──!!」 ななみをタンデムシートに載せてカペラは〈樅〉《もみ》の森からニュータウンへと夜空を駆ける。 「やっほー♪ 久しぶりのカペラくんです!」 「ソリなしで乗るのもな」 「引っ張るものがないと速いですねー」 「スピード恐怖症は克服したのか?」 「はい、さっきチョコをたっぷりと」 「そいつは何より」 ななみの声からは、スランプの〈翳〉《かげ》りなど、まるで感じられない。 りりかから話を聞いていなければ、俺は今でも気づかずにいたかもしれない。 「あ、いいお話がありますよ」 「ほう?」 「なんと、ジョーさんから プレゼントのリクエストが届きました」 「へえ、そりゃよかった」 心の底から俺は言った。 ただの気まぐれかもしれない。けれど、プレゼントをリクエストするということは、ジョーさんが希望を追っているということだ。 ジョーさんが前を向いて歩こうとするのなら、どんな困難があろうと、その背中を押してやるのがサンタの仕事だ。 「あと、覚えていますか? 明日……」 「雪合戦だろ、アイちゃんの児童館の」 「おお、さすがはとーまくん!」 自分のスランプよりも周りの人間のことばかり考えている──そういう奴がサンタになるってことは、頭で分かっている。 けれど、母親の記憶も、手のぬくもりも知らないまま、ただまっすぐなサンタであろうとするななみのことを思うと、無性に目頭が熱くなった。 それは誰が悪いのでもない。誰かの悲劇でもない。しかし、ななみは一面の広い雪原を歩いているのだ。 真っ白な雪原をまっすぐに、どこへ向かうか分からずに、けれど行く手の景色に希望を疑わず──。 「一緒に行こうな……アイちゃんのところ」 いつしか俺は泪声になっていた。 「? どーしました?」 「すまない……俺のわがままを聞いてくれて」 「とーまくん?」 「……ずいぶん寂しい思いをさせたな」 ──ぐらり。 急にカペラの平衡感覚がおかしくなった。〈操縦棹〉《ステアリング》を切り返して、なんとか水平を保とうとするが、振動が止まらない。 「ななみ!?」 これは、ななみの動揺か……!? 「だ、だめです……だめ、下りてください!」 バランスを整えながら、なんとか茂みの中にカペラを降ろした。 「……落ち着いたか?」 「はい、すみません……」 ルミナの異常反応だ。俺はここまでななみに負担をかけていたのか。 「こんな状態で訓練をしてたのか?」 「ううん、今日はちょっと調子悪くて。 そう……体調不良ってやつです」 「ああ、分かってる。 分かってるが……」 「大丈夫、がんばります!! だってこんなんじゃ、イブが……!」 「イブが…………」 「…………ぐすっ」 雪化粧された潅木に腰を下ろしたまま、ななみが小さな肩を震わせる。 その泣き声が耳に痛い──。 「俺が悪かった。 お前をほっときすぎたんだ」 「ううん、 わたしが……わたしがいけなかったんです。 本当の気持ちを冬馬くんにも話してなくて……」 「……わたしがダメだったんです」 ななみらしくない台詞。そんな言葉を言わせるために、俺は夜の町を走り回っていたわけじゃない。 「……こんなんじゃ、 冬馬くんのパートナーになんてなれません」 「そんなことがあるか」 「だって、ちゃんとひとり立ちしないと、 サンタにだって……」 「でも……でも……わたし……!」 「もういいよ、喋るな」 「でも、わたし……」 「冬馬くんと一緒がいいんです!!」 不意に、ななみが叫んだ。 「ななみ……!?」 「冬馬くんがいないとダメなんです!! なんにもできないんです!!!」 「わたし……わたし!! ひとり立ちなんてできません!!」 「……お前」 再び、ぼろぼろと泣き始めるななみを俺は強く抱きしめた。抱きしめても、抱きしめても、まだ足りない。 「プレゼントに欲しいのは?」 「……冬馬くん」 いつかじゃれ合っていたときの台詞が、心からの言葉だったと今なら分かる。 「……馬鹿だな」 「知ってるくせに……」 「いや、馬鹿なのは俺だ」 手袋に包まれたななみの手を握る。 「もう、独りの訓練は終わりだ」 「とーまくん……」 そうしてななみを引き寄せた。 「こいつはもたれ合いじゃない。 俺たちはもたれてるんじゃなくて、 手をつないでたんだ」 トナカイの流儀など、どうでもよかった。俺は、一歩引いたところから支えるんじゃない。こいつと手を取り合っていくのだ。 「行こう」 「……どこへですか?」 「お前がサンタになった星空へ」 0:15──。カペラは星野平小学校の校庭に着陸した。 夜の校舎は静かに寝静まっている。ななみを連れて、校庭のトラックを時計回りに歩き出す。 「ここ……ですか?」 「ああ、このあたりだ」 正確にはこの付近の山道のどこか。白く雪化粧をはじめた白波山地のいずこかだったのだろうが、それは誤差の範囲だ。 「ななみ……」 ななみの手をとると、ほんのり汗ばんだ感触が伝わってくる。 そうして俺たちは空を見上げた。いつかの星の観察会みたいに、校庭の真ん中で空をぐるっと眺め回す。 「これが、あの景色……?」 「もう少しだ……」 俺と手をつなぎ、空を見ながら、ななみが不思議そうに首をかしげる。 「どうして、ここだって分かったんですか?」 「聞いたんだ、お前と一緒にいた人に」 「おばあちゃんに?」 「いや、ナミさんは知らなかった」 「…………?」 ななみが目を丸くしてこっちを見る。俺は小さく頷いて、言葉の先を続けた。 「最初に、ななみの話を聞いた時から 引っかかってたんだ。 違和感っていうのかな……」 「違和感?」 「ああ、家事をほとんどやらない お祖母ちゃんの手が、 どうしてカサカサなんだろうって」 「はい……?」 「お祖母ちゃんの手のぬくもりを はっきり覚えているんだろう? あのとき、ナミさんがお前の手を取って……」 「はい、カサカサだけどあったかい手で……」 ななみが左手を愛しそうに押さえる。 「その手も逆なんだ」 「逆?」 「足を悪くしたナミさんは、 昔から杖をついていたんだろう。 お前に見せてもらった写真では、杖は右手だった」 「え……」 「お前と手をつないだのなら、 そっちの手じゃおかしいんだ」 「とーまくん……なにを言ってるんですか?」 「昨夜、ブラウン邸に逗留していたナミさんに 直接会って聞いたんだ。 この絵の場所を知らないか……って」 「……首を振られたよ」 「それは、自分で探しなさいっていう意味で」 「知らないってさ」 「待ってください、とーまくん……なにを」 「時間だ、来るぞ……」 「え? あ……!!」 ゴーグルをかけると、空が淡く光り始めるところだった。 真空地帯の外縁部に位置する星野平小学校、その上空にルミナが流れ込んできたのだ。 「時間通り……」 そして、ルミナはあの絵と同じように渦を巻きはじめる。 右から左へ、左回りの回転がきらきらと輝きながら俺たちの頭上に広がってゆく……。 「こいつは、すごい……」 そこに現れたのはあの絵と同じ、輪になったルミナの輝く夜空だ。 「……!」 息を呑む音が聞こえた。 ゴーグルの要る俺と違ってサンタの目を持つ彼女には、今、この光景がはっきり見えているはずだ。 「この空……あったんだ、ほんとに……」 「実際はこの場所からじゃない、 もう少し山のほうから見上げたんだ……」 いったん呼吸を整える。 「……七香さんがそう言っていた」 「とーまくん……?」 「七香さんだったんだ。 お前と一緒にこの空を見上げたのは」 「嘘ですよ、だってわたし……」 口ごもるななみに、持参した包みを差し出した。中には茶色く色づいた握り飯が6個並んでいる。 「食えよ、弁当だ」 「おにぎり……?」 「でもおかあさんは料理なんて……」 「きっと同じ味だ」 「…………」 恐る恐る、ななみが握り飯を口に運ぶ。 ぱくっとひと口食べたとたん、大きな瞳が涙に潤んだ。 「…………!!!」 「これ……この味だ……」 また一口、今度は大きく頬張る。 「おかあさん、おかあさんの……」 「おかかのおにぎりのこと、 お前はきっと忘れようとしていたんだ」 「おかか……? おかあさん、おかかのおにぎりを?」 「無理を言って握ってもらったんだ。 久しぶりだから格好が悪いだろうって」 「そんなこと……でも、この味……」 ぱくぱくむしゃむしゃと、日ごろ行儀のいいななみが、がっつくようにおにぎりを頬張る。 「おいしい……」 一口かじり、二口かじり、口の中で噛みしめながら。 「おいしい……おかあさんのおにぎり、おいしい」 瞳から、涙がこぼれ落ちる。 「おかあさん……おかあさん……っ」 ぽろり、ぽろり……止まることなく流れ落ちる涙をぬぐいもせずに、ななみは夢中になって握り飯を口に押し込んでいく。 俺は深く息をついてから、今のななみにもっとも必要な話を続ける。 「七香さんは、 自分からサンタを辞めたんじゃない。 辞めざるを得なかったんだ」 「……?」 「あの人は、嫌になったからって 辞めるような人じゃない。 会ってみて、それはすぐに分かったよ」 「ええ、あの人ほど能力のあるサンタクロースは あの頃の日本人にはいませんでした」 「けれど七香さんは、 サンタとしての歳月を経るうちに、 ルミナを感じ取ることができなくなったのです」 「そうして、あの人はノエルを去ったのですよ」 「でも……どうしてですか? どうしておかあさんが!」 「ここから先は俺の想像になるんだが…… あの人は合理的なんだ。ちゃんとロジックを 立てて、キッチリ計画通りに物事を進める」 「…………」 「誰より優秀で……それを突き詰めていくうちに、 どんどん効率を追い求めるようになって、 ルミナから離れてしまったんじゃないかな」 「おかあさんが……」 「でも、そんなの……悲しいじゃないですか……」 きっと、だからサンタは迷うのだろう。迷って、もがいて、自分なりの答えを探して行くのだろう……。 「でもあの人は、サンタが好きだった。 俺はそう思ってるよ」 「なら……どうしてお祖母ちゃんは 自分からノエルを辞めたなんて……」 「七香さんがお願いしたんじゃないか?」 「……なぜですか!?」 「お前に贈った言葉だよ」 「え?」 「覚えてるだろ?」 「……!!」 「まっすぐなサンタに……なりなさい──」 「おかあさん……」 「きっと七香さんは、サンタ以外の道を選んだ 自分を手本にさせたくなかったんだ……」 「だから、自分はサンタに背いた者になって お前の前から完全に消えてしまおうとした……」 「……ななみに夢を託したんだよ」 こらえていた嗚咽が洩れる。そこがななみの限界だった。 「う…………うーぅぅぅ……ううううっ、 おかあさん……ううっ、うーーーーぅっ おかあさんおかあさんおかあさんっっ!!」 ななみが泣き崩れる、校庭の雪に涙の跡をうがつ。 「ぐすっ……う、ううっ……うーーーっ、 おかあさん……ぐすっ、ぐすっ……ううっ……」 もう、これ以上の言葉も事実も必要ない。 おかあさんを呼ぶななみの泣き声を俺はきらきらした夜空を見上げながら、黙って聞いた。 やがて、ななみは泣き腫らした瞳を上げ、空の一点を見つめた。 七香さんと幼い日に仰ぎ見た、あの星空──。 「ようやく、見つかった……」 「…………」 同じ星空を見上げる。 輪になったルミナの中央に、ひときわ明るく輝くのは、見間違えようもない馭者座の一等星。 「私が見てたの、あの星です。 あの星を、おかあさんといつも見ていました」 「ああ……あれはカペラだ」 「それで、とーまくんは今日まで……?」 「ああ、答えが出るまで、 お前には話したくなかった」 「ななみは、言いたいことにぜんぶ蓋をして、 独りでがんばっているみたいだったから」 「うん……」 「さすが、とーまくんです……」 「けれど悪かった、水臭いのはもうやめだ」 もしも目の前に越えなければいけないものがあったとして、そのときに手を離してばらばらになる必要はどこにもなかった。 俺かななみか、どちらかが先に乗り越えたら手を差し伸べて引っ張り上げてやればいい。それだけのことだった。 「不器用な話だったんだ、俺もお前も」 「仕方ないですね……初めてですから」 「初めて?」 「はい、初恋です」 自分に関しては否定したかったが、いまさら見栄を張ることもできずに俺は黙り込む。 サンタ学校で、ななみと接していた2年間。俺はこいつを全く意識をしていなかったが、ななみはずっと俺のことを見ていた──。 「あのころ、告白していたら どうなってたんだろ……」 「案外、一緒だったのかもしれないな」 「そんなことないです。 あの頃は冬馬くん、上ばっかり向いてました」 「今だってそうさ」 最初は憧れ、今は友達、そして恋人になる。 出会いは奇跡──なんて言葉が、不思議な現実味をともなって頭の中に蘇る。 「わたしは……きっと冬馬くんに 告白したくて頑張っていたんです」 「なら、もう次の目標を探さないとな」 少し寄り道をして帰ろう。俺はカペラを海へ向かうコースに乗せた。 「わたしの……おかあさんって、どんな人でした?」 「怖い」 「あぅぅ……とーまくんが言うんだから、 よっぽどですね」 「あの人が先生だったら、 俺も脱落してたかもしれん。 会うんなら覚悟しておけよ」 「……ううん、私は会いません」 「…………ななみ?」 「冬馬くんの言葉を、 おかあさんを信じられるから……」 「おかあさんに会うのは……わたしが 一人前のサンタさんになれたときです」 ななみがぎゅっと俺の腰を抱く。少し踏み込むだけでカペラはまるで流星のように加速を続ける。 「おばあちゃんの言葉がようやく分かりました。 だから、やっぱりクリスマスの支度をするんです」 「お前、軽くなったな」 サンタではいられなくなった七香さんは自分から姿を消した。 いなくなる、ということが、あの人にできるななみへの贈り物だったのだろう。 その想いは温かい力となって、いま、ななみを再び包み込んでいる。 「自分のために喜んで損を 引き受けてくれるのは家族だけ……か」 「じゃあ……わたしたちはもう、家族なんですね?」 「………………不思議な奴だな、お前は」 「そうですか?」 「ああ、いつだって半分ズレてんだ」 少なくとも、俺とはまるで違う。はるか遠くの答えを軽やかに拾い上げるかと思えば、当たり前のことで何度もつまづいたりする。 だから……。 「だから……残りの半分は俺がなんとかする」 「とーまくん……」 抱きしめられた。 雪空に流星の尾を引きながら、俺とななみはカペラを通じてひとつになる。 波の音と、リフレクターの駆動音。心臓の鼓動。俺とななみを包み広がる12月の星空。ただそれだけの時間──。 ふいに、ななみが俺をつかんだままシートから身を乗り出した。 「あそこ……下見てください!」 「うー、くそ寒ィ……Let it snowってか、畜生!」 「ハハハ、指回んねーな!」 「ジョーさん、ギター弾いてました……」 「こっちも負けてらんないな」 「そ…………そうですねっ!!」 「デモ?」 「はい、デモです」 「まさか、ニュータウンでですか?」 「どーゆーこと!?」 翌朝のリビング。朝食の時間に、俺は透と一緒に会った七香さんについての一部始終を話して聞かせた。 「はぁぁ……もう! どこまでトラブル続きなんだろ、この支部って!」 「今ごろ、サー・アルフレッド・キングさんたちは」 「作戦会議だろうな。 何か決まったら報告があるだろう」 「もう……やるっきゃないか! ななみん、今夜からは10倍しごくからね!」 「はいっ! それなんですけど、りりかちゃん! 実は今日から、その……」 「元のペアに戻してみたいんだ」 「……できるの?」 りりかが怪訝そうな目で俺を見る。 「ああ、こいつとなら……」 「……!」 「こらこら、そこですずりんが赤面すると、 国産とすずりんがペアを組むみたいじゃん」 「す、すみません……」 「でも……よかったですね、ななみさん!」 「はいっ」 「ふんふんふーん♪」 「えらいご機嫌だな」 「えー、そんなことありませんよー、うふふー♪」 「営業中は……」 「ら……ラブラブ禁止です!」 神妙な顔になるななみを見て、ほっと息をつく。悪気はないんだろうが、まだこの甘ーい空気に馴染めるほど、俺も出来た人間じゃない。 「……雪合戦ってのは、どんなことをするのかな」 「東西戦って書いてありますから、 チームに分かれて戦うんじゃないでしょうか?」 ななみが手に持っているのは、児童館の子供にだけ配られたような、手書きのプリントだ。 そんなに規模の大きな催しでないことは分かっている。 「……!?」 ふいに、ななみが手をつないできた。 「あの、照れるんですけど……」 返事のかわりに、ぎゅっと握られる。 「……とーまくんとなら、大丈夫です」 その言葉に目線を上げる。道の向こうを10人ほどの集団が横切っていった。 雪合戦の会場に向かうのではない、プラカードを手にした人たちは、みんなが色めき立っているように見える。 クリスマスに、デモがはじまるのか──。 オアシスを引きながら、俺もいつしかななみの手を強く握っていた。 「んー、絶好の雪合戦日和だぜ」 「ゲレンデみたいですねー」 広がる青空、陽差しを受けてきらきらと輝く雪景色。 日曜の小学校には、予想以上に大勢の子供が集まっていた。 ざっと見渡して50人はいる。児童館と小学校と両方の子供たちに別の学区域の子供も集まってきているのだ。 「最初にあっちでエントリーをしないと いけないみたいですね」 「了解……ん? あいつは?」 「おい?」 「ぎくっ!?」 「とーるくんも、来ていたんですか?」 「だ、誰のことですかな? それがしはその……」 「顔を隠すなよ、どうしたんだ」 「ししし知りません! 拙者〈生国〉《しょうごく》は信州〈高遠〉《たかとお》にて……」 「なに言ってんだ、エントリーしないのか?」 ずるずると透を受付まで引っ張ってくる。 「あ、あうぅぅ……!?」 「とーるくんも、アイちゃんに会いにきたんですね?」 「ななっ!?」 透の顔が、一瞬で真っ赤になった。 「そそそそんなことはありません! 僕は、あくまでニュータウンの調査および 地域交流の一環として雪合戦を……!」 「そうかそうか、まあ雪で赤い顔を冷やせ」 「な、中井さんまでっ!! だいいち、今日のお仕事はどうしたんですか?」 「してますよ、とーるくんは?」 「……サー・アルフレッド・キングが 息抜きに行ってもいいって……」 「ならコソコソしないで遊んでけよ。 アイちゃんも喜ぶぜ」 「……はい」 ふと、背後で子供たちが騒ぐ声がした。振り返った視線の先に、颯爽と登場したのは……。 「白銀に輝く雪原に舞い降りた ハイパーラブリーなキューピッド! りりかる☆りりか華麗に見参ーーっっ♪♪」 「わーっ! りりかる☆りりかーー!!!」 「ふふふ……決まった、決まりすぎよ! かわいくてかっこいいなんて、 あたしってなんて罪深いのかしら……」 「りりかちゃん……?」 「わわわっ!? どーしてあんたたちがここに!?」 「ニュータウンで営業」 「だったらもっとあっちのほうで!!」 「アイちゃんに誘われたんだ」 「りりかる☆りりかー! 必殺技! 必殺技!」 「い、いま!?」 「たのむよりりかー!!」 「だってさ?」 「うぅ……し、しょーがないわね、 いざ必殺の……バーストアタックー!!」 「わーーっ、すげーーー!!」 「大人気だ……」 「りりかちゃん、いつの間に……」 「あんたがいないとき営業してたもん」 どんな営業だったのかは聞かないでおこう。 「りりかちゃん、お店は?」 「ラブ夫とサンタ先生が遊びに来てるの。 それにすずりんが行ってきていいって言うから……」 「りりかさんまで!」 「お前が言うな!!」 「あうぅ……ごめんなさい」 「ねー、りりかる☆りりかー! そいつよく見るけど、知り合い?」 「そのとーり! あたしの手下のニセコよ!」 「だ、だれが手下ですか!!」 「なによ、サンタとキャロルとどっちが上司!?」 「ひ、ひどい……! それに僕はニセコじゃなくて……」 「そういうわけで、 ニセコちゃんって呼んでね」 「わー、ニセコー!」 「おいニセコ! 雪合戦教えてやるよ、来い!」 「……小学生にお友達だと思われてます」 「背丈はたいして変わらんからな。 うちのちびっこチームは」 「だれがちびっこよ!!!」 かくして、りりかと透は男の子に囲まれて校庭の向こう側へ……。 「ようやく落ち着いたか……。 そういえば、アイちゃんはまだ?」 「わたしもさっきから探してるんですけど」 「あ、おねーちゃん!」 「おう、遊びに来たよ。 アイちゃんは?」 「さっきまで一緒にいたけど……、 あ、いたいたアイちゃーん」 「………………」 ユウちゃんが植え込みのほうを指差すとアイちゃんは茂みの陰になったところに目立たないように立っていた。 「ほんとだ、 おーーい、アイちゃーーーーーーーん!!」 さっと顔を赤らめたアイちゃんが、やがて観念したように俺たちのところにやってきた。 「……おねえちゃん、声が大きいです」 「あ、あはは……すみません。 アイちゃん見たら、うれしくて」 「バザーも星の観察会も、 今回も、誘えば本当に来ちゃうんですね」 「約束だからな」 「でも普通、大人のひとって来ないよね。 こどもの雪合戦だもん」 「ねー」 「……売れなくて暇なんですか?」 「なーに言ってるんですか、 忙しくたって来ちゃいますよー、ぐりぐり」 「あうぅぅぅ、だからうっとーしいですっっ!!」 と……ほのぼのした二人のコミュニケーションの背後から、怪しげな声が重なってきた。 「ただいまハイパーりりかちゃん帝国軍は 新規兵員を採用中でーす♪」 「……あいつはなにやってんだ?」 「……さぁ?」 「それでは雪合戦をはじめまーす。 校庭右側──わくわく児童館ず!」 「はーい!」 「校庭左側、ハイパーりりかちゃん帝国軍!」 「おおーーーーーーっっ!!」 「なんで向こうのチーム男子ばっかなの?」 「強そうな子ばっかり引き抜かれてる……」 そしていよいよ始まる雪合戦。児童館の子供たちは全員参加だ。 「なんでお前と金髪さんがリーダーになってる?」 「だって、最年長なんだから仕方ないです。 それにしても……」 そう、結局参加したのは子供ばかりだったのだ。 その中で、りりか帝国軍は男子大勢+透の精鋭部隊。 対するななみ軍は、俺以外は女子ばっかりという劣勢っぷり。 「ふふん……勝負はゲーム開始前から 始まってるのよ、ピンク頭」 「うぬぬ……り、りりかちゃーーん!!」 「手加減をしないというより、 大人げないレベルだ」 「うっさい! なにはともあれ、 あたしが来たからにはメモリアル! 見たこともない雪合戦にしてあげるわ!」 「おおーーーーっっ!!」 「ななみん、負けないわよ!」 「こ、こっちもですっ!!」 「それでは、開始ーーっ!!」 「うりゃーっ!!」 「とーーーっっ!!」 「りゃりゃりゃりゃりゃーーーっ!!」 「えいえいえいえいえいーーーーっ!!」 「今よ、支援砲火!!」 「きゃあああーーー!!」 「伝令よニセコ!! 左側面から敵の後背をつけー!」 「なんで僕が伝令なんか!」 「勝つためよ!! ほら、こっち来て!」 「な、なんですか……!?」 「うわわ!? つつつめたいいいっ!! 雪!? 背中に雪ーーーっっ!?」 「よーし、ダッシュでいってみよー!」 「わーーん、伝令、でんれーーい!!」 「あ、あんな鬼の軍隊に負けちゃいけません! じどうかんず、ふぁいとーー!!」 「おーーーっ!!」 意気込んで戦場に繰り出した俺たちだったが、エリートさんプロデュースの雪合戦は、それはそれは容赦のないもので……。 「敵児童をクロスファイアポイントに誘い込め! ファイエーーール!!!」 「よーし、左右両腹ともとらえた! 〈己〉《き》軍、〈庚〉《こう》軍、ゆけーーーーいっ!!」 「きゃああーーーーっっ!!」 「ミミちゃん!? ミミちゃぁぁーーん!! しっかりして、目を開けてーー!!」 「だめだ、前線を維持できないっ!! 至急来援を乞うーーっ!!」 「りりかちゃんが出てきて12人が全滅した!? ぬふー、なんというていたらくっ!!」 「くそっ、敵の包囲が崩せない!」 「アイちゃん無事か!? ん……アイちゃんは?」 このままではりりかの餌食だ。慌ててあたりを見渡すと、雪玉飛び交う戦場の、その外側にアイちゃんがぽつんと立っていた。 「なにやってんだ!?」 「だって……服、汚れるから!」 「ですけど前線が崩壊ーー!!」 「無駄に熱すぎます。ついていけません」 「──丘の上に新手!!」 「遊軍をつくったわね、いいわ各個撃破する! いっくわよーーー!!」 こともあろうに、アイちゃんのところへ雪玉を握り締めたりりかが全力で襲い掛かろうとしている。 「あ……アイちゃんだった!? ちょ、ちょっと待って、攻撃ストップです」 「邪魔よ、ニセコ──!!」 「ぐあああっ!!!」 「え? え? 私!?」 「もらった!!」 「わ……!?」 「アイちゃん、服を気にしてたら負けちゃいます! 雪玉を投げて!」 「う、うん……えいっ!!」 アイちゃん懸命の迎撃を、大人気ないりりかが全力でかわす。 「甘いわ、一撃でしとめる──!」 「させるかっ!!!」 「国産!?」 くるくるっととんぼ返りで俺の雪玉をかわしたりりかが、少し後退して着地する。 「ちっ……陣形を再編する!」 「させるな、ななみ!」 「りょーかいですっ!!」 「邪魔よ、ピンク!!」 「させません!!」 「いいわ!! そっちがその気なら全軍突撃ーーーっ!!」 「アイちゃん、ミミちゃんのかたきを!」 「う、うん……」 「がんばろう、アイちゃん! おもちゃ屋さん負けちゃうよ!」 「うん……ええーーーいっ!!」 「うわっ!?」 「あ、当たった……!」 「くたばれッ、金髪!!」 「その鼻を真っ赤にしてやるわ!!」 「背中ががら空きですっ!!」 「邪魔よピンク!!」 「てえええーーーーーーーーいいっっ!!」 「やーっ!」 「わーっ!!」 「とりゃーっ!!」 「ぐあああーーーーっ!!!」 ──試合終了。 激しい戦闘の末、ななみ率いる『わくわく児童館ず』は、生存3名。対する『りりかちゃん帝国軍』は、生存……0名。 「かったーーーーーーー!!!!」 「やったーーーーーーーー!!!!」 「負けた…………このあたしが、まさか……」 「はぁぁ……やったぜ……」 雪まみれの身体を白い校庭に横たえる。 俺もななみも、もちろんりりかも、激戦のさなか全身に雪玉を浴びて戦線を離脱。 あとはアイちゃん、ユウちゃんを中心にした女子チームが、チームワークで男子チームを圧倒しての勝利だった。 「うえぇ、パンツまでびちゃびちゃ」 「わぁぁ、ほんとだ。 風邪ひいちゃいますよ!」 「ぎゃああああぁぁぁ!? なんで手つっこんだーーーっ!?」 「そ、それより早くはきかえないと!」 「わかってる、ぎゃああ、脱がすな! 自分でできるっ! もう、ばかーー!!」 いつの間にか女帝様親衛隊になっていた男子たちがりりかを敬礼で見送ってから、先生から勲章の授与が始まった。 勲章とはいっても、金と銀の折り紙を厚紙に貼り付けて作ったお手製の勲章を参加者全員に配ってやるというものだ。 もちろん大人な俺たちは見学と拍手係。 雪にまみれていた子供たちが嬉しそうに手製の勲章を受け取っている。 その輪を外れたところで、ぽつんと下を向いているのは…… 「アイちゃんのおかげで勝てたんだ、 敢闘賞もらってこいよ」 「厚紙なんていりません」 「さっきの吹っ切れたアイちゃん、 カッコよかったぜ」 「でも服……ドロドロになっちゃいました……」 戦い終わって、誰も彼も雪にまみれていた。もちろん、アイちゃんだって例外じゃない。 みんなは遊びきった笑顔を浮かべていたが、雪でぐしゃぐしゃになった服を見ながら、アイちゃんは泣きそうになっていた。 「いいじゃないですか、 これが雪合戦の醍醐味です!」 「そんなの知りません、 うちにはうちの事情があるんです」 「……どうせおねえちゃんには分かりません」 「…………」 「アイちゃんは、誰に遠慮してるんですか?」 しゃがみこんだななみが、優しくアイちゃんの頭をなでる。 「…………」 答えはもう分かっている。アイちゃんは、ずっとお父さんに気を遣ってばかりいるのだ。 お父さんが好きだから、お父さんに少しでも迷惑をかけまいとして、邪魔にならないように、大人しくいい子でいた。 「いいんだよ、これで」 「……よくないです」 「いいんだ、 アイちゃんはドロドロの服とメダルを持って、 お父さんのところに帰ればいい」 「きっと、お父さんは喜んでくれます」 ぐしょぐしょのアイちゃんにななみがメダルをかけてやる。 アイちゃんが好きになったお父さんならきっと今の彼女を受け入れてくれる。いや、むしろ喜んでくれるだろう。 「でも……できるかな?」 「家族なんだから大丈夫です」 「…………」 小さくうなずいてアイちゃんが背中を向ける。すぐにミミちゃんとユウちゃんが駆け寄ってきた。 お互いにドロドロの服を指差して、楽しそうに笑っている。やがて、アイちゃんの口元にも笑みが浮かんだ。 「……笑ってくれたな」 「うん……」 家に帰るアイちゃんたちの背中を、ななみは並んで見送る。そのとき……。 「呼び出しですか?」 「ああ、ブラウン邸からだ」 その日の夜──しろくま支部サンタチームはロードスターの住むブラウン邸に集合した。 業務を中断して呼び集められたのだ、ニュータウンに関するミーティングだと誰もが分かっていた。 ここ数日、ルミナの観測に追われていた透とデータ整理の手伝いをしていたサンタ先生が、神妙な顔で立っている。 「では、皆さんそろったところで 現状の報告をさせていただきます」 揃った俺たちを見渡すと、いつもと違って丁寧な口調でサンタ先生が切り出した。 おなじみになりつつあるしろくま町の拡大地図がモニターに表示される。そして最新のルミナ分布がそれに重なり……。 「……こいつは」 俺とジェラルドが息を呑む。心なしか、サンタ先生の声にも疲れが感じられる。 「見ての通り、もうすぐイブだというのに、 ツリーのルミナは全くニュータウンに 分布されていません」 「さらに、みなさんご存知とは思いますが、 イブの夜にゴルフ場建設反対派が デモを行うという情報が入っています」 「イブにデモとは想定外でした」 「ツリーさんにも影響……ありますよね」 「……おそらくは」 たとえクリスマスにだって、この世界は山ほどのトラブルを抱えている。 そういった心の動きにもルミナは敏感に反応するが、さりとて大きな流れが失われることはない。 クリスマスが幸せなお祭りである限り、サンタの活動に不自由はないはずだった。 その程度でサンタの配達は妨げられたりしないが、この町にはもうひとつ、ニュータウンの真空地帯という難所がある。 「この広さでは、フォーメーションを組んでも ルミナが保つかどうか……」 あの晩──小学校の上に渦をつくったルミナの流れはあくまで一瞬のものだ。 その時を過ぎてしまえば、そこにはルミナのかけらも見出すことはできない。 「どういうアプローチを仕掛けたらいいのかしら?」 「昨日まで、本部の長老サンタが来て、 現地を見ながら検討を重ねていましたが、 エリアが広すぎて、今年は……」 「地上からの配達になる公算が高い」 「えっ!?」 「本部とサー・アルフレッド・キングで 協議を重ねた結果よ」 「ちょ、ちょっと待って! 地上からって、まさか自動車!?」 「そうね、徒歩および車で移動しながら 道具に蓄えていたルミナを打ち込むのが 唯一の配達方法になりそうよ」 「やれやれ……性に合わんね」 肩をすくめたジェラルドが、車のステアリングを回すジェスチャーをする。 自動車というのは、緊急用に開発されたノエルの特殊車輌のことだ。外見はそこらのミニバンとほとんど変わりがない。 動力はガソリンだが雪道の走行に特化しており、小さいがハーモナイザーを内臓して、配達用のルミナを蓄えることができる。 「パイロットからドライバーへ……か」 「残念だけどね」 「…………」 「で、でも、いいじゃないですか! たまにはそんなクリスマスも新鮮ですし」 しかし自動車の問題点はスピードが格段に落ちるということだ。 「そんなペースで間に合うんですか?」 「無理だ」 「む、無理って……レッドキングさん?」 「サー・アルフレッド・キング」 「あうぅ……でも、無理ならどうやって……」 「周辺支部のサンタが配達後に 駆けつけてくれるので、彼らと手分けを することになるでしょう」 「え!?」 「ゆえに配達エリアの割り当てを更新する。 今日はその確認になります」 「あたしたちだけで……配り終えられないんですか」 「新しい割り当て……」 透から割り当てに関する資料が配られる。本部の決定なら、支部のサンタはそれに従うのが当然のルールだ。 地図に色分けされた新しい配達エリア。俺たちの担当はほぼニュータウンに集中していた。 「これじゃ、アイちゃんやジョーさんも……」 「……外れちまったか」 雪合戦の翌週から、ついにニュータウンの奥にある西地区で整地工事が始まった。 まだ星野平小学校には程遠いエリアだが、次第に工事区域は拡張してくるだろう。 「……七香さんの予告どおりか」 「機械がたくさん入ってきましたね」 ここにできるリゾート施設がしろくま〈CC〉《カントリークラブ》でも、しろくまネイチャーランドでもいずれにしろ工事は進められていく。 整地工事の行われている区域は限定的で、事情を知っている俺たちには、自然の地形を活かしたネイチャーランド構想を模索する七香さんの気持ちが感じられる。 俺たちは真空地帯の解消が不可能だと分かってもこのニュータウンにオアシスを繰り出している。 こうしてルミナの流れを整えることで、少しでも真空地帯の拡散が抑えられるのならそれにはきっと意味があるはずだと信じて。 「知ってたか、ボスが夜なにをしてるか」 「ふぇ?」 「透から聞いたんだが、 このオアシスでルミナの流れを 引き寄せようとしているらしいぜ」 「サー・アルフレッド・キングさんが?」 「ああ……なんだかんだ言って、 まだ諦めてないんだな」 しかし現実は厳しいもの。目の前で忙しく動き回る重機の姿が俺たちにそれを告げているようだ……。 学校の敷地内にも重機の姿が見えるようになった。廃校になったあと、三ヶ月以内にこの校舎は取り壊されるのだという。 生徒数が少ない小学校は、敷地内に遊んでいる土地がたくさんあるので、校舎からもっとも離れた一角が、資材置き場になっている。 「……星野平小学校か」 「もう、クレーン越しの夜空なんですね」 「それも風情があって悪くないさ」 「…………そうですね」 少し感傷的になっているのは、この小学校と子供たちへの思い入れが強いせいだ。 サンタは平等にプレゼントを配るのが仕事だ。しかし今はもう、仕事という枠を越えて、俺もななみも、ここの子供たちとつながっている。 「こんにちは」 俺の物思いは、聞き慣れた声で破られた。 「ああ、いらっしゃ……」 「アイちゃん!」 「い、いらっしゃい! もうすぐ冬休みですねー」 「なにを慌ててるんですか?」 「あ、い、いやぁ……その」 「………………」 いつもは探るような笑顔のアイちゃんだが今日は様子が少し違っていた。 落ち着いた笑顔を浮かべて、いつもは興味なさそうにしか見ないオアシスの商品を眺めている。 「(なにかあったんでしょうか?)」 「(……あったんだろうな)」 いつか、図書館の片隅でお父さんの靴下を縫っていたアイちゃんの顔が脳裏をよぎった。 やがてアイちゃんは、クリスマスキャンペーンの棚から気に入った商品を取り上げて…… 「これ……」 「……!」 「ひとつください」 カウンターに置かれたのは、『サンタさんへ手紙を書こうキャンペーン』の毛糸のくつしたと、レターセットだ。 代金の500円が10円玉混じりの小銭ばかりで置かれる。 「……ありがとうございます」 「………………」 気まずそうに斜め下を向くアイちゃんに、ななみは特大のリボンをかけて毛糸のくつしたを手渡した。 「それじゃ……」 「うん」 アイちゃんは大切そうにそれを抱えると、ぺこりと一礼して走って行った。 ななみは屋台から身を乗り出して、その後姿を見送っている。 「ななみ……」 カウンターの小銭をキャッシャーがわりの金庫に入れながら俺は相棒のサンタに声をかけた。 「……なにか手がないか、考えよう」 「とーまくん?」 アイちゃんは、イブの夜にくつしたを窓辺につるしてくれるだろう。この期待に応えるのが俺たちの仕事なのだ。 「外のサンタさんの力を借りずに、 俺たちのパーティーを開くためのさ」 「とーまくん……それって」 それは、俺たちの個人的な欲求であり、ノエルの方針に逆らうものであるかもしれない。 けれど、サンタの流儀はサンタのもの。それを可能にするための代案を考えるのは、本部ではなく、流儀を守りたい俺たちの責任だ。 「この町のサンタは俺たちだ。 しろくまベルスターズの初陣、飾ってやろうぜ」 「は、はい……!」 「そうですね、やりましょう。とーまくん!」 雪道にオアシスを引いて歩いた。俺の前を行くななみは、高い空を見上げている。 「とーまくんはすごいです……。 いつも私の一歩先を見ています」 残念ながら、それはお互い様なんだ。むしろ俺は、お前の真似をしているんだ。 前を歩く心強いサンタさんの背中に向かって、俺は小さく呟いた──。 クリスマスの準備は進む。 俺たちトナカイは地上のドライブコースの検討。積雪量からイブの夜に走行可能なルートを割り出し実際にノエルの車を走らせてみる。 サンタさんたちは、上空よりもルミナの希薄な地上からいかに効率よくプレゼントを発射するかの訓練だ。 そうして夜になると俺とななみはラブラブ以外の目的で逢瀬を重ねていた。 「金髪さんと硯を巻き込みたくはない、 こいつは本部の意向に逆らうってことだからな」 「だいじょうぶです、 二人寄らば〈普賢〉《ふげん》の知恵♪」 飛べないセルヴィを使うくらいなら、車と人力で地道にプレゼントを配るしかない。 本部の言っていることは確かに正しいが、それでも実際にルートを決めてみるとそれもバクチであることが分かってきた。 ひとつは、車と徒歩でも明け方近くまでニュータウンの配達にかかりきりになること。 これは俺たちのクリスマスキャンペーンでくつしたの予想数が大幅に増えたことも関係しているが、基本的には喜ばしい話だ。 もうひとつは、各支部からのサンタの応援が到着する時刻がはっきりと計算できないこと。 どこの支部にしたって手持ちの配達で手一杯なのだから、無理もない話だ。応援のサンタだけでは手が足りない。 「最悪、宅配便で配ることにもなりかねないってさ」 「うそでしょう?」 「だよなぁ……」 しかし、地図の上をいくら眺めてみたところで、画期的なルートが沸いて出るわけでもない。 地図とルミナ分布図をもとにした検討なら、本部のベテランサンタたちが俺たちの何倍も時間をかけてやったはずだ。 ……なにか発想を変えたほうがいいんだが。 ふと、視線の隅に、クリスマスカードが入った。 「そいつは、新しい商品か?」 「え!?」 「あ、あははは……な、なんでもないんです! これはちょっとしたプライベートで」 「ああ、なるほど、俺にか」 「え!? ち、ちがいますよ、わぁぁ、見ちゃダメです!」 てっきり自分宛てとうぬぼれた俺は、思わずそのカードを手にとってしまった。 2枚ある。宛名は──星名七香様、星名ナミ様。 「……悪い」 「……み、見られちゃったのなら仕方ないです。 実は、文面でもう何日も悩んでまして……」 「メリー・クリスマスだけじゃすまないか。 しかし、よく思い切ったな」 少し意外だった。母親に会わないということは、一人前になるまで接触をもたないということだと俺は思い込んでいたから。 「これもクリスマスの支度なんです。 サンタじゃなくて、わたしの……」 「ななみ……」 お前はお祖母さんの言葉を、そう受け止めたのか。 ななみがカードを照れくさそうにしまう。俺は少し誇らしい気持ちで、その姿を眺めていた。 ふと我に返り、また地図とにらめっこをする。 オアシスを有効に使えないか?バルーンの数は?しかしこれといった打開策には結びつきそうにない。 「なにか基本的に発想を変えたほうがいいんだよな」 「さすがとーまくん、めげませんね!」 「当たり前さ、うまく行くに決まってる」 「おお、目がキラーンってしてます」 「おう、二人なら無敵だぜ!」 「そうですね!」 「──ゴールド・マトック!!」 「無敵を名乗るなんて10万年早いわよ」 「こんばんは」 「りりかちゃん? 硯ちゃん?」 「それに透も? どうしたんだ?」 「ごめんなさい、 盗み聞きをするつもりはなかったんですが」 「こそこそ何やってるかと思ったら……」 「あうぅ、こ、この件はなにとぞ……!」 「べつにいーわよ、内緒にしてあげる」 「そのかわり、 あたしたちも混ぜてくれたらね」 「ええっ!?」 「な、なに言ってるんですかりりかさん!」 「なによニセコ! 別に悪いことしてるわけじゃないでしょ」 「ですけど、さすがに無茶すぎますよ! 本部のサンタさんでも打開できなかったのに!」 「だからハイパーエリートの あたしがいるんじゃない!」 「そんな……めちゃくちゃです」 「……いいのか? 悪事じゃあないが、 本部の意向を無視することになるぞ」 「そうですよ、りりかちゃんはNYに……」 「あんたをほっといたほうが危なっかしいの。 それに……ねえ?」 「はい、私たちはサンタクロースですから」 まるでそれが全てだと言わんばかりに、硯が笑った。 「というわけで、第1回、 ハイパープレゼント配達作戦会議ーー!!」 「わー、ぱちぱちぱちー!」 「ぱちぱちぱち」 「……僕は一応止めましたからね!」 口を尖らせている透も交えてサンタたちの作戦会議が始まる。 なんだかんだ仕切りたがるだけあって、口火を切ったのはりりかだった。 「要は補給の問題なのよ! ルミナの補給地点をどこかに設定する、 それでニュータウンは攻略できるわ!」 「ですけど、その方法は!?」 「わかんない!」 「ですよねー………………」 「トナカイの立場からもいろいろ検討 してみたんだがな、地図上からは 新しい答えにたどり着けそうにないんだ」 「むー、つまり逆転の発想ね……」 「逆転…………」 「あ……はいはいはいっ!!」 「出たわね、切り込み隊長。 はい、ななみん」 「おまつり!!」 「おまつり?」 「はい! 氷灯祭をニュータウンで やってみてはどうでしょう!?」 「氷灯祭って、大家さんが実行委員の?」 「そうです! デモがあっても、お祭りしちゃえば みんなハッピーじゃないですか!」 なるほど。言ってることはもっともだが。 「イブまであと1週間だってのに?」 「あぅ!」 「いまから会場の変更は難しいですよね?」 「うぎ!?」 「じゃ、じゃあ、2箇所でやるとか!!」 「宣伝も何にもしてないんじゃ誰も来ませんよ」 「はぐぐ……!」 「おまつりか……縁日……屋台……オアシス……」 「やっぱりそこに行き着くんだよな」 「オアシス……ルミナの補給……」 「う……う……宇治金時……」 「しりとりやってんじゃない!!!」 一夜明けた翌日からは、まさに戦場だった。 昼間は玩具屋のクリスマスセールで忙しく、夜は特訓にリクエストの整理とこれまた忙しい。 「いらっしゃいまーせー」 この雪で客足は減っていたものの、冬休みに入ったおかげで子供の客が増えていた。子供への接客はエネルギーが必須だ。 こう忙しくては作戦なんて考えている暇もない。 昨夜の作戦会議では、結局これといったアイデアも出ず、移動店舗を利用した最短ルートを検討するにとどまった。 イブが近付いているだけに、サンタたちの仕事も立て込んでいる。 ましてや今回は、割り当てが直前で変更されたからサンタのスケジュールは分刻みといっていいほど忙しいものになってしまった。 秘密会議に割ける時間も、限られているのだ。 「ZZZ…………」 「ZZ…………」 「……はっ!?」 「うーー………………ふらふらふら」 「………………ZZ」 ななみと一緒に小学校に足を運んでも、なにか作戦を考えるどころではない。 ここ数日、サンタたちはほとんど眠らずに仕事と勉強に時間を使っているのだ。 「あううーー、ごめんなさいごめんなさい! ついうかうかと……」 「いいから休んでろ、夜にひびく」 「あ……それですけど、おこもりが……」 「おこもり?」 ななみが話しにくそうに下を向く。 「その……今朝言われたんですけど……」 「今年はリクエストをたくさん覚えるので、 夜になったらロードスター邸にこもって 勉強をすることになったんです」 「……そうか、おこもりか」 「はい…………」 「気にしないで行ってこいよ、俺がなんとかする」 「とーまくん……」 「サンタさんには思いつかないような アイデアを出してやる。 お前はサンタの仕事に集中してくれ」 「でも……」 「言ってるだろ、サンタを支えるのが……」 「ごめんなさい……お願いしますっ!!」 本当は悔しいのだろう。唇を噛んだななみが、熱い瞳で俺を見つめる。それから深々と頭を下げた。 ──サンタを支えるのがトナカイだ。 いまはただ、その言葉を果たせると信じるだけだ。ななみの、チームみんなの、この町のイブの、そして俺自身のために──。 「さて……どうしたものやら」 夕方、ボスのところへ向かうななみと別れた俺は、オアシスをガレージに戻して、少しニュータウンを散策してみることにした。 カペラを飛ばして俯瞰できればよいのだが、頭上は地獄の真空地帯。おまけにこの雪道では頼りになるのは2本の足だ。 日が沈むまでのわずかな時刻、雪景色が紅く染まり、ジオラマのようなニュータウンを飾っている。 ドラマのロケ地のような、絵になる空間。ここからは、デモだの開発だのといった物々しい雰囲気はまるで感じられない。 「おや、こんばんは。 あなたも集会へ?」 10分ほど歩いたところで、町長さんが声をかけてきた。 「いえ、さっきまで仕事だったので。 集会なんてあるんですか?」 「そうらしいですね、小学校のことで」 「まさか、町長さんも?」 「いえいえ、とんでもない。 仕事後の散歩です」 そりゃあそうだ、しろくま町のトップが反対運動の集会に顔を出せるはずがない。俺は少し踏み込んで聞いてみることにした。 「小学校……どうなるんでしょうね?」 「わかりませんねえ……先月までなら すんなりと売却できましたがね。 いまは議会の意見も割れてまして」 「……どうしてまだ売ってなかったんですか?」 「さあて……どうしてなのか、ほっほっほ」 「町の人の関心が高まるまで、 引き伸ばしていたとか……?」 「おやおや、滅多なことを 言うものじゃありませんよ。 シガさんから聞いたのですか?」 「シガさん?」 「あの張子の型は、シガさんのでしょう?」 「ええ、シガさんにはお世話になっていますが、 そういう話は全く……お知り合いだったんですか?」 「学生の時分からよく知ってますがね、 昔から馴れ合いが嫌いな人でねえ……」 「そんな偏屈が、どうしたことか 集会に毎回顔を出してると聞きましてね」 「シガさんが?」 「小耳に挟んだところによりますと、 集会に来ても、むすっと黙ったままなんですと」 「いったいあのおじさんはどうして来ているのかと、 不思議に思っている人も多いそうですよ」 「……きっと、見届けたいんだと思います」 なにも言わずに町長さんは笑った。 「町長さんは お困りじゃないんですか?」 「ほっ、そりゃあ困ってますとも」 楽しそうに笑いながら話を続ける。 「……これまで熊崎地区の人たちは、 こちらのことなど別世界のように思って いましたが、ここもしろくま町の一部なんですよ」 「ええ、分かります。 だから、今回のことは悪いことじゃないって 俺は思っています」 「若い人はいい顔で笑いますね。 さて、もう一回りしてから戻りましょうか、 それでは、ごきげんよう」 町長に一礼して、俺も歩き出した。 反対運動の行方も気になるが、いまの急務は、このニュータウンにどうやってルミナの補給地点を設けるかだ。 「くるる……るる……」 「おうトリか? なんだかしこまって」 「くるるるる……るるるる!」 「なんだと、ついにニュータウン統一したって? これからは争いのない平和な時代が来るだろう? そ、そうか……お前も苦労したな」 「くるるる」 「礼には及ばない? これ、このものに〈下賜〉《かし》の品を……?」 「にゃにゃん」 「…………いや、魚の骨をもらっても」 「くるる!」 「励めよ、じゃない! 毎日誰にエサもらってるつもりだ、お前!! こら、あああ……行っちまった……」 「トリめ……」 とはいえ、奴も奴なりに何かを成し遂げたようで、そこだけは祝福してやらねばなるまい。 「んーーーーーっっ」 胸いっぱいにニュータウンの空気を吸い込んだ。心地の良い冷気が体内に流れ込み、頭がキリッと引き締まるような感じがする。 ななみも、町長さんも、シガさんも、一応トリも、それぞれの流儀でがんばっているのだ。この俺に出来ることだって何かあるはずだ。 「……で、名案なしですか」 「お互い様だ、暗いぜキャロル君?」 「そりゃ暗くもなります。 イブまでもう1週間ですよ」 「そうさ、あと少しでパーティーだ!」 「なんなんですか、そのむやみな明るさは?」 「ななみみたいでいいだろ?」 「確かに似てますけど…… 変に感化されてませんか?」 「きのした玩具店さん、何かありますか?」 「い、いえっ! いま考え中です……!」 テンパった透の応答に、やれやれと苦笑が重なる。 今日はネーヴェで、ほらあな商店会の会合の日。間近に迫った氷灯祭の報告と、最後の打ち合わせをしているところだ。 お祭りの華やいだ空気には、ルミナが集まりやすい。ならばニュータウン攻略のヒントがここで何かつかめるかもしれない。 とはいえ、しろくま玩具店にはクリスマスセールがあって、氷灯祭に深く関われないこともあり、もっぱら聞き役に徹している。 「ななみの言うように、この祭りのパワーを どうにか利用できればいいんだけどな……」 「氷灯祭会場は、 ニュータウンから3キロは離れてます」 そこが困ったところだ。 祭りの打ち合わせといっても、やることは毎年そうそう変わりがない。 去年までの流れを確認したうえで準備が進められているので、意見交換というより経過報告と雑談がほとんどだ。 「にしても、シガのヤツもヤキが回ったね。 手前の土地を二束三文で売っぱらっといて、 どのつら下げて反対運動に顔を出すやら」 「まあ、そう言うなよみすずさん。 あの人にも色々都合があんだろ」 「オレに売ってれば、もっと高く買ってやったし、 そいつを更に、めんたま飛び出るくらいに ふっかけて売り飛ばしてやったってのにさ」 「そっちかよ」 「ゴルフ場だろうがなんだろうが、商売になんなら やったらいいのさ。今のまま空き家を並べて 閑古鳥鳴かせてもしょうがないからね」 「わたくしゴルフ場はどうも好きになれませんわ」 「お嬢。あんたは金持ちだから浮世離れしてんだよ。 普通の人間はな、客が増えりゃ喜ぶのさ。 だがね今時遊園地で人が来んのかね?」 「ばーちゃん。 一応その辺は考えてるんじゃないかな? 市場調査くらいしただろうし」 俺は黙ってそれを聞いていた。口は悪いが、それぞれの言葉には背負ってきた背景の重さがある。 町の人の価値観はさまざまだ。ニュータウンに住んでいる人たちは、また違った意見を持っているだろう。 「ほらほら、愚痴ばっかりじゃ お食事がまずくなりますよ」 「いつのまにか意見が愚痴扱いされる世の中かよ。 愚痴ついでに言えば、こんなこじゃれた店で 商店会の会合をするのも気に入らないね」 「親父の後を継いで『ねぇべ』をやると思ったら 横文字なんかにしやがって。 ひらがなでいいだろうがひらがなで」 「……そうなのか?」 「あのお小言は毎回聞いてますが、 どうやらそうみたいです」 「毎回?」 「お父ちゃんのサバ味噌も、 ちゃんと裏メニューにしてるじゃないですか。 はい焼酎おかわり」 「だいたい若い連中は格好気にしすぎさ。 特に、そこの商売からきしの玩具屋!」 「見てくれだけ整えてるが、 祭りに新しい案のひとつも出さねえ。 新種の壁の花にでもなりたいか?」 「矛先がこっちを向いたか」 「……目を合わせたら負けですっ」 「アイデアならいくらでもありますよ! まずは人車の――」 「あうううううう!」 「ペンキ屋。黙らないと殴るよ」 それにしても、商店会の顔ぶれを見まわすと、ご老人か中年ばっかりだな。 「イングランド風のクリスマスでも 紹介したらどうだ?」 「と言われましても、僕はずっと サー・アルフレッド・キングの ところでお手伝いをしていたので……」 「中井さんこそ、 スロバキアだったんですよね?」 「ん……とはいえ、向こうじゃ クリスマスは家庭の行事だったからな」 北欧のクリスマスというのは日本のように外に出て騒ぐお祭りではなく、家族で静かに過ごすお祭りのことだ。 サイレントナイトというのは、町から人が消えて家に帰ってゆくさまを表す言葉でもある。 「お祭りらしいことといえば、 ローソクを持って……」 「──!!」 スロバキアのクリスマス。蝋燭、賛美歌、そして美しい満天の星空。 ふと──なにかが降りてきた。 「透、やっぱり笑ってるといいことがあるな」 「……中井さん?」 「キャロリングですか……」 「ああ、祭りのアイデアにならないかと思ってさ」 会合がひと段落し、雑談モードに入ったところで俺は大家さんを呼び止めた。 キャロリングというのは、ろうそくを持った子供たちが列をつくり賛美歌を歌いながら家々を回るイベントだ。 俺は向こうの村でトナカイをしていた頃にそいつを見たことがある。 「それならイングランドでもありましたけど でも、今からそんなことが……」 「うーん。 できなくもないかも。 つまりはプチパレードってことでしょ?」 「そう、たとえば氷灯祭の会場から、 ニュータウンの公園くらいまで……」 「ろーそくを持って…… 歌をうたって行進かぁ」 「賛美歌のかわりに クリスマスソングにしてみるのはどうかしら?」 「ああ、それがいい。見に来る人に 馴染みのある曲のほうがいいもんな」 「ろうそく持つだけだったら、 準備もそんなに必要じゃないし、 氷の灯を運んで行くって意味になるかも」 「なるほど、うん、これならいけるかも! 町の人たちがニュータウンまで灯火を運んでいく お祭りなんていいと思わない!?」 「いいね、聖火リレーみたいだ」 大家さんの頭の中で、俺の思いつきがたちまちイベントの体裁を取り始める。 「面白そうなイベントだね、鰐口のお嬢さん」 「いつも言ってますけど、きららで――」 「盛り上がり始めたところで、 僕の大鉄道祭のアイデアを 発表させてもら――」 「ペンキ屋はすっこんでな。 なあ、きららちゃん、 今年のお祭りは隠し球でもあるのかい? 肉か?」 「うーん、まだわかんないけど」 「……ずいぶんと実現が大変そうな割に、 苦労と出費ばかりで効果がなさそうな、 胡散臭ぇ話をしてるじゃないか」 「そんなことないよ、 ニュータウンと私たちの間を つなぐお祭りになるような気がする!」 「ふーん。どうだかねえ……? まぁ囀るのはなんでも簡単さ」 振り返ったみすずさんが、俺の顔をじろりと見上げる。 「思いつきだかなんだか知らないが、 口だけ挟もうなんて虫が良すぎやしないか?」 「あんた、自分でもちゃんと働くんだろうね?」 「ええ、もちろん!」 言うなり俺は、この数日間持ち歩き続けていた町の地図をテーブルに広げた。 さっそく、きららさんを中心にしたメンバーでキャロリング改め、クリスマスパレードについてミーティングが始まった。 氷灯祭会場からニュータウンの熊崎城址公園まで、キャロリングではなく、クリスマスソングを歌いながらのパレードをすることで話がまとまった。 『ニュータウンも市街地も、同じしろくま町だ』町長さんの言葉が脳裏をよぎる。 「今から車道を止めるのは無理だから、 歩道を使おう。それから警察の許可を……」 「それはそうと……」 「電車は黙ってな! んじゃ、町長さんに連絡を取ってみるわ」 「あそこの署長、 あなたと同期じゃなかったでしたっけ?」 いつしか色々な世代の人たちが、きららさんのテーブルに集まってくる。 「この道順なんやけど、 川沿いは毎年雪がすごいから、やめとき」 「それはそうと……」 「うるせえテツ! 兄ちゃんの森んとこは除雪車通ってたか?」 「道路課に確認しました。 通っているとのことです」 「それはそうと……」 「しつこい上にうるさい殿方は嫌われますわよ」 「そ、それはそうとー!!」 「はいはい、ペンキ屋さんどうしたの?」 「おお、優しいな……大家さん」 「オレがなんだって? お世辞言っても家賃は負けないからね」 「いやお孫さんの話で……っと、そうだ」 「一銭たりとも負ける気はないからね」 「シガさんの電話番号をご存知ですか?」 「あん?」 「──なので、シガさんから一言、 反対運動の人達に提案してみて もらえないかと思ったんですよ」 「どうせならデモも〈粋〉《いき》にしてみちゃ どうかって話で、はい……そうですそうです、 了解、できればで結構ですので」 「……よし、あとはボスだ。 面会する時間は取れそうか?」 「は、はい! これから10分程度あけてもらえそうです」 「ありがたい、助かったぜ透」 「い、いえ……その、冬馬さんは……」 「話はあとだ、もう着いちまう」 「もー、とーるくん遅いってばー! イブの前だからってアタシが1日中 カンヅメなんて、もう我慢の限界ーー!」 「あが、いぎぎぎ……腕、腕入ってますー!」 「早くお手伝いに戻ってきてぇ! 未整理のリクエストたまってるんだから!」 「そ、それは先生に割り当てられた仕事じゃ ……いたたたた!」 「で先生、ボスは?」 「あー、ごめんごめん、こっちこっち」 「うぅ……どーして助けてくれないんですか?」 「いま助けたじゃないか」 「ニュータウンに道を作るから 予定通りセルヴィでの配達をしたいと?」 「今からその準備をするの?」 「間に合ったらでいいんです、 なんとかならないでしょうか?」 「ふむ……話を聞きましょう」 「はい、イブの氷灯祭にパレードをします。 会場から熊崎城址公園まで」 「パレード?」 「そうです、俺たちだけでルミナの流れを なんとかするんじゃなくて、 町の人の力を借りるんです」 ロードスターの前に地図を広げて、俺はさっき思いついたばかりのプランを説明する。 「ほう、ニュータウンと市街地の交流……」 「ななみが言ってました。『出会いもひとつのプレゼントだ』って。 なら、町と町の出会いはツリーのルミナにも……」 「…………」 「もし、これが上手く行くようなら、 配達は俺たちに任せてもらいたいんです。 応援のサンタさんには悪いですが……」 アイちゃん、ジョーさん、そのほかの町の人たち、靴下を通じてつながったひとりひとりに、自分たちの手でプレゼントを届けたい……。 それはサンタの仲間ならば、誰もが自然に思う感情だ。 「……隣で見ていて、トールはどう感じたかね?」 「そんなことのために……って思いました。 そんなことのためにリスクを背負うなんて、 でも…………」 「そんなことのために、 賭けさせてほしいんです!」 「手配しよう」 「ボス!」 「だが、プレゼントの配達限界は午前3時。 すなわち、パーティー開始時刻── 21時の厳守が絶対の条件だ、いいかね」 「……了解!」 「冬馬さん……!」 いつしか、俺のことを下の名前で呼ぶようになっていた透と、互いの親指を突き立てる。ここまで来たら、あとは──突っ走るだけだ。 「よし、折り返し町内会に合流しよう」 「はい!」 「と……とーるくん!?」 「すみません先生、あとはよろしくお願いします!」 「ちょ、ちょっとぉぉ!!」 「星名くんに会っていかないのかね?」 「ええ、今はそれよりも……」 「あ、いや……どうです、ななみの様子は?」 「うむ……落ち着いておるよ、 どのサンタクロースよりも」 「誰かさんを信頼してるんじゃないかしら?」 「…………そうですか」 安堵の息が洩れる。それならななみは大丈夫だ、俺には俺のクリスマスの支度がある……。 透を連れてほらあなマーケットに入り、ネーヴェを目指す途中で大家さんが走ってきた。 「店長さん、店長さん! 取れましたよ認可!」 「パレードの?」 「うんうん、町長さんが口ぞえしてくれて 当日のコースがこんな感じで……」 すっかりテンションの上がった大家さんは、道の真ん中で地図を広げようとする。 「待った待った、 ネーヴェでゆっくり聞かせてもらうよ」 「よォ、おもちゃ屋」 「ジョーさん、久しぶり。 今日は仕事で?」 「ああ、店から呼び出しがあったんだ。 ここで待ってるようにってさ」 「ここで? 大家さん、なにか聞いてます」 「聞いてるというより、預かってます。 はい、進さんからです」 にんまりと微笑んだきららさんが一枚の茶封筒を取り出した。 「なんだい、こりゃ?」 「要請状ですよ、商店会からの」 「はァ!?」 首をかしげて封を切ったジョーさんは手紙を読み始めると、ぴたりと止まった。 「なんですか……?」 そこには…… 「…………」 俺は目をこすった。ジョーさんもきっと同じ気持ちだろう。 そこには、商店会からの要請が記されていた。その内容は──、 ──イブに行われるパレードで、先導役と演奏を担当してほしいというもの。 「これって……」 ジョーさんのギターでクリスマスソングを奏でながら、パレードは進むのだ。 「ペンキ屋の字だ……」 ジョーさんを推薦したのは、ペンキ屋の春日進さんだった。 さっきの会合で、ペンキ屋さんがずっとなにか言いたそうにしていたのは、このことだったのだ。 2枚目の手紙をめくった。ジョーさんの手が震える。 パレードに関わるスタッフの割り当て。そこには俺の名前もある、そして上のほうに、 ──奏楽:〈城〉《じょう》〈渉〉《わたる》── 「ジョー……ワタル?」 「ハハッ……『奏楽』って何だよ、古臭ぇ……」 首をかしげて苦笑した城渉が、2枚目の紙を読み返す。 奏楽:城渉 何度も、何度も、そこに書かれている自分の名前を噛み締めるように。 「……これが城悟(兄)のオチかな?」 「だとすりゃ、パンチの弱えー話さ。 おい、なんで携帯出してんだ?」 「いまの顔、写メってななみに送ろうと思ってね」 「ざけんなよ、バーロー!」 「ジョーさん、喜んでいましたね」 「ああ……」 「イブの夜にジョーさんは とびきりのプレゼントを手にするだろう。 けど、あいつを救ったのはななみだ……」 「それも……サンタの仕事なんですね」 「どうだろうな、あいつの場合は」 ツリーハウスに戻った俺は、透の作ったサンドイッチで簡単な夕飯をすませると、地下格納庫でカペラの最終調整に入った。 イブまであとわずか。間近に迫ったXデーに備えて、セルヴィのコンディションは完璧にしておきたい。 「それは分かりますけど、この鐘は?」 「ああ、新しいのに換えようと思ってさ。 音がよく響くやつに」 透に頼んで取り寄せた、グリーンランド直送のベルを、カペラの首輪に取り付ける。 「音、ずいぶん響きますよ」 「ああ、地上からも聞こえるくらいがいい。 鐘の音が鳴って、 ソリの鈴が聞こえてくるような」 「誰に聞かせるんですか?」 「七香さんさ。 ななみの姿が見えなくても、 ななみがここにいるってことを伝えるんだ」 「冬馬さん……」 「音ってのは理屈じゃない、直に心に響くんだ。 そんなことを言ってた奴がいたんだよ」 ジョーさん……いや、城渉の音楽もまた、パレードの人達の心に届くといい。 「ななみの気持ちを伝えるには、言葉より、 こういうもののほうがいいと思ってな」 「………………」 「どうして……冬馬さんは、 そこまでななみさんを信じられるんですか?」 「それがトナカイだからさ」 ──サンタを信じるのがトナカイだ。 これまでは借り物だったトナカイの台詞。いつしかそれが自分の言葉になっていることに俺は少なからず驚いた。 「トナカイの……仕事?」 「俺はどこまで言っても俗な野郎さ。 空と酒が好きで、どうやら女も好きで、 負けたくないってことばかり考えてる」 「冬馬さん……」 「お前と一緒さ。目一杯背伸びをしてるくせに思った ところには全然届かず、さりとてジョーさんのよう にそいつを打ち明けるほどの勇気もない……」 「けれど、ななみの仕事を手伝ってる時だけは そんな俺でも御伽噺の住人になれる……」 「そいつはどうやら、すごく気分のいいことなのさ」 「すごいですね……冬馬さん。 僕は……こうしていても、 冬馬さんのやることを見てるばかりで」 「僕もいつか、 冬馬さんみたいになれるのでしょうか?」 「目を凝らして探してみろよ。 きっといま、お前だけにできることがあるさ」 「仕事があるってことは、 誰かの役に立てるってことなんだ」 「…………冬馬さん」 「さーて、いよいよラストステージ! 一年最後のホワイトクリスマス!!」 「絶好の配達日和ですね」 「今日が終われば、 あとはこたつにみかんの寝正月ねー♪」 「君と二人で寝正月……悪くはないな」 「とっかえひっかえ寝正月の間違いでしょ?」 「よしてくれ、一度に愛するのは1人までさ。 一晩に回れて2、3人……ま、今夜は サンタさんを2人乗せることになるがね」 「もう国産ったら、なにやってんのかしら」 「きっと準備に時間がかかってるんです。 先にサー・アルフレッド・キングさんのところへ 合流しちゃいましょう」 「……ピンクのお嬢ちゃん、 少し荒っぽいのは辛抱してくれよ」 「は、はい……だいじょーぶです!」 「あーあ、パレードが上手く行けば 楽できるんだけどなぁ」 「きっと……大丈夫ですよ」 「そーね…………そう信じるっきゃないか!」 「それじゃあ、しゅっぱーーつ!!」 「おーっし、俺について来いっ!!」 ジョーさんのギターとともに、ろうそくの行列が動き始める。 「目指すはニュータウン!」 「きららちゃーん、 お勉強じゃない時は かっこいいよぉ」 「パレードパレード♪ あーあ、硯も来れたらよかったのに」 「…………もっと上空からの写真が欲しいわ」 「歌え!! いいか、歌ってのは直接心に響くんだぜ!!」 「目指すはニュータウンよ! れっつごー♪」 ゴーグルをかけて夜空を見上げると、パレードの行列の進むのに合わせて、上空にルミナのコースが形成されてゆくのが見えた。 「やった……!」 もともと根拠のあるプランではなかった。1から10まで大博打。しかしともあれ──賭けに勝ったのだ。 虚空に刻まれた新しいコースを見届けた俺は、行列を離れてカペラへと急いだ。 「んー、いい空気! イブにお祭りをやってるせいかな?」 「このきらきらを ニュータウンまで届けたいですね」 「でも、本当に配りきれるでしょうか?」 「何度もシミュレーションしたもん、楽勝楽勝!」 「そうですとも!」 「お? ななみん、すごい自信」 「いつだって手を繋いでますから」 「え?」 「ふふふっ、とーまくんに任せておけば大丈夫です」 「さぁて、到着だ。お姫様方」 「ふえ? りりかちゃん、 ここ思いっきり中心街ですよ??」 「そーよ、ほら、ピンクはさっさと降りた降りた」 「え? ええ? だって集合地点はニュータウンの……」 「その前に寄るところがあるんだとさ」 「このビルに、ななみんがね」 「……りりかちゃん!?」 「ベイ・ローレル。 お母さんの事務所は5階だそうです」 「え? え? 硯ちゃんまで!?」 「プレゼント、用意してるんでしょ? ならさっさと済ませちゃってよね」 「ななみさんがサンタクロースの 張子人形を作っていたの、知ってますよ」 「この時間が、俺たちからのプレゼントだ」 「仕事はそれが終わってからね」 「りりかちゃん……みんな……」 「じゃ、じゃあ、えっと……まずは これがりりかちゃんへのプレゼン……」 「あたしたちのは後でいーからっっ!!!」 パレードの出発を見届け、急ぎななみのもとへ向かうカペラに、透からの緊急連絡が飛び込んできた。 「こちらカペラ──俺だ。 なにかあったのか?」 「……!?」 「パレードが止まった!? ……どういうことだ!?」 「……停電だって!?」 間の悪いことに停電が起きてしまった。完全な闇につつまれたニュータウンの入口で、ろうそくの行列が立ち止まってしまったのだという。 「オアシスと一緒に現場付近にいるのですが、 街灯も切れてしまったみたいで。 蝋燭の明かりだけじゃ足りないんです」 なんてことだ、ここに来て。 「復旧のメドは!?」 「分かりません、 問い合わせているのですが、まだ……」 「下は路面が凍ってるんだ。 目印がなくっちゃ進めないぜ」 「冬馬さん……どうしたら!」 「ああ、分かってる、 配達だって待ったなしだ」 「501…………ここだ……」 「…………おかあさん」 「──もしもし? ええ、私よ。 そう、建設資材の搬入は来年まで行わないわ。 説明会は年明けの15日で調整中よ」 「…………」 「そう……ええ、それなら問題ないわ。 大丈夫よ、騒音が出るわけでもないから」 「おかあさんにプレゼント……」 「でも……」 「…………」 「ちょっと待って、外に誰か来ているみたい。 ええ、切らなくて結構よ」 「どなた……?」 「………………?」 「ええ、誰もいないわ、イタズラかしらね。 あら? 何かしら、郵便受けに……」 「…………クリスマスカード?」 「で、結局手渡ししなかったの!?」 「はい、置いてきちゃいました」 「ななみさん……」 「仕事の電話してたから遠慮したの?」 「ううん、そうじゃなくて。 いいんです、やっぱりイブが終わるまでは」 「わたしは……まだ新米サンタですから」 「家族の団欒はそのサンタ服を脱いでから?」 「もし、そんなことになったらいいな……って」 「きっとそうなります、ななみさん」 「だったらなおさら、ここで失敗できないわね」 「いよいよだぜ、もうニュータウンだ」 「いったん降下して車に乗り換えるわ」 「了解!」 「しろくまベルスターズ、 ただいま到着いたしました!」 「ご苦労でした」 「まさかセルヴィをトラックで 運ぶことになるとは思いませんでしたよ」 「お祭りのパレードの終点って 本当にここなんですか? 誰もいないけど……」 「急に付近一帯が停電したのだよ、 町の人は灯りを用意するので行ってしまった」 「停電?」 「じゃあ、パレードは」 「ニュータウンの入口で足止めされておる」 「それじゃ、もう時間が……」 「8時55分──あと5分か」 「配達用の車輌はもう揃っている。 いずれにしろ9時には出発です」 「それが地上からであれ、空からであれ、 サンタクロースは存分にパーティーを楽しむべし」 「は、はいっ!」 「…………とーまくん」 「星名ななみ──」 「リーダーとして、 出発の号令は君がかけなさい」 「は、はい! わかりました!」 「ななみん、もう時間よ。 先に車に乗ってるわ」 「は、はい……ですけど、 出発はぎりぎりまで待ってください」 「ななみさん……」 「もちろん、ジャストまで待つ」 「うん……ありがと、りりかちゃん」 「遅いな、ジャパニーズ」 「このままじゃ地上コースか」 「でも、きっと中井さんが……」 「………………」 「とーまくん……」 「ッ……9時になった!」 「星名さん?」 「どうするんだリーダー、行くのか?」 「ななみさん……」 「……し」 「………………出発します!」 「待って、あと1分なら待てるわ!」 「ううん、平気です。わたしはとーまくんと 合流してから続きますので、 みなさん、たのしく配達しちゃいましょー!」 「…………」 「だいじょーぶだいじょうぶ♪ げんきだしてー! それじゃ、ハッピー・ホリデーズ!!」 「……ハッピー・ホリデーズ!」 「………………」 「………………おかあさん」 「……空に何が見えるかね?」 「星が……冬馬くんの星が見えます」 「おかあさんの腕に抱かれて 見上げていた星なんです、子供の頃に……」 「車はもう出てしまった……それでも待つかね」 「あと5分だけ、許してください。 それでも間に合いますから」 「なるほど、往生際が悪い。 たしかに七香の娘だな……」 「…………!!」 「す、すみません……」 「だが、サンタにとっては大切な資質だ。 君もきっと、いいサンタになる」 「……あ!」 「そして、いいサンタになるには いいトナカイが必要だ……行きたまえ」 「と、とーまくん……?」 「眩しいな……いや、そうか」 「でも、とーまくんです……! 来ました、とーまくんが……!!」 「──私だ」 「透です! カペラが……!! 冬馬さんのカペラが彗星みたいに……」 「どうした、しっかり報告しなさい」 「はい……そちらの、 公園からなら見えるはずです。 パレードの光が……!」 「……!!」 「すごい……光の海が……!」 ニュータウン上空300m。ルミナの届かぬ真空地帯。 いつもの訓練のように、カペラは西側から突っ込もうとしている。 タンク一杯のルミナを集めるのに少々手間取っちまったが……なに、まだ間に合う! 「待ってろよ、ななみ!」 カペラを真空地帯に飛び込ませた。何度も訓練で飛んだ、コースのない闇の空。そこにカペラが滑り込んでゆく。 「ルミナ出力最大! ──反射率40%!!」 わざと反射率を落とし、大量のスノーフレークを排出する。 「どうだ! こいつが目印だ、見えるだろう!?」 スノーフレークが星空に輝く帯となる。この光がカペラを〈導きの星〉《ロードスター》に変える! 「カペラくんが……光ってる!?」 「言っただろう、半分は俺がなんとかするってな!」 ベルの音が闇空に響く。一気にペダルを踏み込んで、輝く雪の結晶を撒き散らす。 光の向こうに、地上から空を見上げる人がいる。 その一つ一つにキャンドルの灯火が光り、光が集まって暗闇のニュータウンに光の道を刻む。 大家さんが、ギターを持ったジョーさんが、そしてシガさんと、ニュータウンの人たちが……。 「見て、流れ星!」 「あのきらきら……去年のイブと一緒……!」 「さやかに星はきらめき……か、 面白え、目指すのはあっちだぜ!」 「さあ、我々も行こう。 綺麗な星空じゃないか……」 鐘の音とギターのクリスマスソングに導かれ、しろくま町のパレードはゆっくりと進む。 ニュータウンと市街地の人たちが手を取り合って、大きな光の流れになって暗闇に道を作る──。 「トール、オアシスから花火を上げるぞ! トナカイをここまで誘導する!」 「りりかちゃん、硯ちゃん、戻ってください! 公園まで……急いで!!」 サー・アルフレッド・キングの打ち上げたルミナがニュータウンの虚空に鮮やかな光の花を浮かび上がらせる。 「見えた! 了解──公園まであと少し……!」 反射率を落としているので、スピードは上がらない。光の塊となったカペラはゆっくりと公園へ降りてゆく。 「あれってカペラ……!?」 「ああ……目立ってやがるな」 「あの光は?」 「わざと反射率を下げているんだ」 「ルミナの燃え残りは雪の結晶になって 排出されるのよ。それが光って見えて いるのね……でもそんな裏技……!」 「そっか……! 地上からルミナの光が見えなくても、 雪ならみんなに見える……!」 「それが、彗星の正体……」 「けっこう派手でいいな。 ラブ夫、真似しちゃう?」 「とーまくん! とーまくんっ!!」 「ああ、見えてるぜ……待たせたな!」 「ううん! ううん……とーまくんだ!」 雪の結晶を舞い散らせながら、彗星のカペラはイブの星空を滑る。 仲間のもとへ、ななみを迎えに──。 「とーまくん!」 「ああ、ななみ!」 ななみが手を広げる。 その中に向かって俺は最後の加速を入れる。青白い彗星の尾を引きながら、まっすぐにパートナーのもとへ。 俺を見るサンタさんの瞳には、まるで疑いの色がない。 その瞳に包まれている限り、俺は御伽噺の世界に生きていられるのだ。 「行こうぜ、お前の御伽噺を作るために!」 「キャラメルフロマージュ!!」 「扇射纖滅!! ファランクスビーム!!」 「行きますっ!!」 光の上をソリが滑り、ルミナの光が弾ける。 パレードの上空に刻まれたコースを足がかりに、3機のセルヴィがニュータウンの夜空を駆け巡る。 「んーーーーっ!! やっぱり空が最高っ!!」 「ほんと、きらきらして……」 「よォ、お手柄だなジャパニーズ」 「あたし車は苦手なのよね、助かったわー」 「ありがと……ま、一応ね」 「驚きました……とーまくんは、ときどき わけの分からないことをやってのけます」 「お前に言われたかない! さ、パレードが続いているうちに片付けちまおう」 ふたたびカペラを真空地帯に飛び込ませようとしたところ、足元の町並みに明かりが蘇った。 「灯いた……! 明かりが灯きました!」 「よかった……あとは学校ですね」 「学校……配達エリアだったか?」 「はい、この先にアイちゃんたちがいます」 「アイちゃん家は潮見坂だろう?」 「それが、児童館のクリスマスパーティーに お父さんを招待するって言ってですね……」 「へえ……そいつはいい!」 「ですよね!」 多少、タンクの中のルミナが不安だが、そういうことなら話は別だ。 「待ってろよ、児童館のみんな!」 「サー・アルフレッド・キングさん! オアシスの位置を少し学校寄りに移せませんか?」 「もう動いておるよ。 小学校の南西500m付近だ」 「了解です! よし、このまま行こう!」 カペラをそのままニュータウンの奥地へと突っ込ませた。周囲には建設用の重機がものものしい。 キャロリングで生まれたコースは安定している。もの言わぬ恐竜のような車輌の隙間を縫って児童館の建物へアプローチする。 「よく狙え!」 「おまかせあれ!」 広いニュータウンの闇の中に、ほんの僅かな光──あれが児童館だろう。 「できた……スイッチオン!」 「……!?」 「こいつは?」 俺たちのカペラを取り囲むように、色とりどりの、無数の灯り──!! カペラの前方に並んでいた重機がいっせいにきらめきだしたのだ。 「クリスマスツリー……!! ツリーです、とーまくんっっ!!」 それはまさに、巨大なクリスマスツリーだった。 「綺麗ですね……空気がきらきらしてます」 初めてこの町にやってきたときのようにななみがため息をもらす。 「行くぜ、このあとはほらあなマーケットだ」 「りょーかいですっっ!!」 「パレードが学校のほうへ移動しています!」 「あはは……楽しくなってきたわ」 「……りりかさん?」 「だって、イブは派手派手にいかなくちゃ。 ね、すずりん♪」 「ほう、トールめ……やってくれたな」 「見えた……くつしたっ!」 「よーし、狙ってけ!!」 「アイちゃん、メリークリスマースっ!」 「あたりーーっ!」 「まだルミナは保つぜ、どんどん行け」 「りょーかい! まだまだ、くつしただらけです!」 ニュータウンの奥、開発の手が入りつつある小学校に、突然現れた無数のクリスマスツリー。 無骨な重機を飾り立てた電飾に照らされて、カペラのスノーフレークが七色に輝いている。 「でも、誰がこんな仕掛けを……」 「見ろよ、透だ……手を振ってやがる」 「責任者には さきほど電話で許可をもらいましたから!」 「よーし、いっちゃいましょー!」 校舎を囲むように大きく旋回し、一気に上空へ駆け上がる。 ななみの放ったルミナが無数にはじけ、窓辺に吊るしたくつしたに吸い込まれていく。 「なあ、気づいてるか?」 「なんですか?」 「お前いま『メリークリスマス』で当ててたぜ」 「……ほんとだ!!」 「ようやく一人前かな、サンタさん?」 「まだまだです……いきますよー、 メリー……くりすまーーすっっ!!」 「よーし、次のステージは市街地です! しろくまベルスターズ、れっつごー!!」 「あはは、最高のイブにしちゃうわよ!」 「終わったらツリーハウスでパーティーです」 「ま、ちょちょーいと終わらせちゃいますか」 「日付が変わったらまた会おう」 「そうだな……ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!!」 「ええ、わかったわ。いいわよ。 現場の人間には私から上手く言っておくから」 「……はいはい、終わったらちゃんと片付けてね」 「……町の人に歓迎してもらうためよ。 感謝される筋合いじゃないわ。じゃあね、切るわよ」 「ふー……しつこい子は苦手」 「………………」 「しろくま町支部か……ふふ、変わらないわね」 「──あらあら、どこかで聞いた声と思ったら」 「……!」 「あらいやだ……お母さん!?」 「そうですよ、七香さんもカードを?」 「ええ……なるほど、そういうこと」 「お節介な子ですこと」 「本当に、誰に似たのかしら」 「ふふふ、塔の上で話しましょうか?」 「勝手に入ったら怒られますよ、 保存している建物なんですから」 「あら、それは大変。 さあさあ七香さんも早くどうぞ」 「ああ、もう、ぜんぜん聞いてない。 サンタがそんなことしていいんですか?」 「私ももう引退していますから、貴女と同じですよ」 「わくわくロッド?」 「ええ、自分で名前をつけさせたら、 そんな名前を……」 「あの子ったら、まるで変わってない」 「あなたはなんと名前をつけたかしらねえ」 「……もう忘れました」 「私もですよ、別の名前があったことなんて」 「あら……鐘の音?」 「聞こえますか?」 「はい、はっきりと。 そうか……イブの空か……」 「ええ……きらきらとして」 「少し眩しいな……眩しすぎるくらい」 「あらまあ、見えるのですか?」 「何故かしら……さっきまでは そんなことなかったのに、不思議とはっきり」 「そう……」 「ふーん……サンタクロースか……」 「あーあー、危なっかしい飛び方して。 あれがカペラね。 私が現役だったらとっちめてやるところだわ」 「ふふふ……」 「七香さん……ハッピー・ホリデーズ」 「……ハッピー・ホリデーズ」 「とーまくん! わたし……きっと今年のイブは一生忘れません!」 「毎年そうさ、重ねていくんだ」 「……そうですね」 「てなわけで今年のラストだ! いくぜ! 限界突破!! 獅子奮迅!!」 「クリスマス! やっぱりいいな、クリスマスっ♪」 「りりかさーん!」 「すずりん、お疲れ。 2年目……なんとか無事にクリアね」 「はい、おかげさまで。 と言いたいところですけど、まだ……」 「そうね、最後に1件……」 「はぁ……なんだか知らないけど悪い冗談ね、 3時回る前に決めちゃいましょ」 「ああ、まったくだ」 「んじゃ、行こっか」 「はい。 最後の目標は──ツリーハウス!!」 「はぁぁ……終わったぁぁ!!」 クリスマス──25日の午前4時すぎ。俺とななみは綿みたいになった身体をひきずって、ツリーハウスに戻ってきた。 電気もつけずに、暗い部屋になだれ込む。突っ伏して荒い息をつく。 「あうー、もうしばらく動けません……」 「情けないぜ、サンタさん。 これから下でパーティーだ」 「そういうとーまくんも、 肩で息してるじゃないですか」 「ああ……けど頭は冴えてる」 「それならば、わたしも冴え冴えしています!」 頭の冴えた二人が、床の上に寝っころがってぼけーっと暗い天井を見上げている。まったく絵になる光景だ。 「………………????」 ふと、ななみがごろんと俯伏せになり、四つんばいで窓辺に這っていく。 「どうした?」 「なんですか、このくつしたは?」 それは、窓辺に吊るされた、クリスマスキャンペーンの毛糸のくつしただ。 「ん……なにかある……?」 「これってまさかプレゼント?」 「へえ、サンタさんってのは本当にいるんだな」 照れ隠しにとぼけてみたが、俺がノエルのレターセットを使ったことはすぐななみにばれてしまい……。 「とーまくん……!」 急に瞳をきらきらさせたななみが、楽しそうに巾着になっている靴下のひもをほどきはじめる。 「電気つけようか」 「ううん、雪明りのほうがロマンチックですよ♪」 「なんだろ、お、けっこう大きい。 あ、でもこれは、とーまくんへの プレゼントですから、本人が開けないと」 「いいんだよ、お前でも」 「へ……?」 「なんだろうな、開けてくれ」 そうして靴下のひもを解いたななみが満面の笑顔になった。 「わぁぁーーーーーーーっっ!?」 「えへへー、とーまくん♪」 キャンドルに火を灯し、製氷皿の氷をアイスペールに入れて戻ると、にこにこ顔のななみがプレゼントを掲げてみせた。 「なにが入ってた?」 「じゃん! メリーランドのチョコレートボンボン!」 「へえ……なるほど」 星型、ハート、それにツリーの形。様々な形のチョコレートが、アルミ箔で包装されて透明のバケツに詰め込まれている。 俺のリクエストとは少し違っていたが、なるほど、気まぐれなツリーさんは、気の利いたものを贈ってくれた。 「それにしても、とーまくんが チョコレートに目覚めてしまうとは、 命がけで啓蒙した甲斐があったとゆーものです」 「リクエストに人名を書くと どうなるかの実験をしたんだが……」 「ほぇ……??」 「ま、どうでもいいさ。さあ、飲もうぜ」 「はいっ、思いっきり飲んじゃいましょー!」 「実はもう用意もしてある。 このあとパーティーがあるから、 ななみはアルコール禁止だぞ」 ななみのぶんは、さっぱりとローカロリーのグレープフルーツ味アミノ酸飲料を注いでやる。 「えぇー、とーまくんだけなんてずるいです!」 「ずるくない、むしろ良識派」 さっさとななみのジュースを注いで、自分が楽しむウィスキーを物色する。 ジェラルド推薦銘柄のボトルを手にして振り返ると、ななみはまるで玩具箱を見つめる子供みたいな目でチョコレートの入った透明のバケツを覗いている。 こうしてあと何度、ななみとクリスマスを迎えるのだろう。 年に一度、それができるだけ長く続くように俺は無邪気に笑うななみに笑い返した。 「とーまくん、とーまくん」 「待てよ、いま酒を……」 「メリー・クリスマスっ!!」 「ああ……メリー・クリスマス!」 「とうとう工事……始まりましたね」 「ああ、しろくま〈CC〉《カントリークラブ》になるのか、 しろくまネイチャーランドになるのか……」 「どちらでも、 町の人が考えて決めたことなら大丈夫です」 「そうだな……そう思うよ」 「あけましておめでとうございます! おー、アツアツですねー」 「あ、アイちゃん!?」 「校内でデートは禁止ですよ。 それじゃっ!」 「はは、ずいぶん明るくなったな」 「お父さんが近くで働いているんです」 「あ、そうそう! 私サンタさんからプレゼントもらっちゃいました」 「ええっ!? 本当ですか!?」 「はい、じゃーん! これ!」 アイちゃんが靴下をひらひらさせる。 「ためしにくつしたをお願いしたら、 くつしたにくつしたが入ってたんですよ。 実験成功です! 笑っちゃいますよね♪」 「それじゃ、本年もよろしくお願いします!」 「あぅぅぅ、まったくアイちゃんは……!」 「ああ……良かったなぁ」 俺は、公民館で縫い物をするアイちゃんを思い出していた。 つぎはぎばかりの靴下じゃなくて、お父さんには新しい靴下で仕事に行ってもらいたい──。 アイちゃんはそう願い、ななみの打ち込んだルミナは窓辺の靴下に靴下をプレゼントしたのだろう。 鉄を叩く工事の音が聞こえるがニュータウンの空気は穏やかだ。 「お袋さんの仕事、上手く行くといいな」 「おばあちゃんが手伝うんだって、 張り切ってました」 「ナミさんが?」 「はい、ノエルを完全に引退して おかあさんの仕事を手伝ってみるって」 「そっか、サンタに残るのはお前だけか」 「ぜーんぜん平気ですよ」 小さく笑ったななみが、俺に腕をからめてきた。 「校内はデート禁止」 「もー、とーまくんも生真面目さんでしたか」 「あー、いたいた! なにイチャコラしてんの!」 「りりかさん、待ってくださいー!」 「りりかちゃん、硯ちゃん!?」 「さっき、新型のバルーンが支部に届いたんです」 「そ、取りに行くから付き合って」 「ええ? まだお正月ですよ!?」 「イブ明けの休暇中だぜ? ヨーロッパじゃツリーも片付けてない」 「ここは日本! 1日でも早く観測すれば、 それだけ詳細なデータが取れるの!」 「そういうわけで、 今日からバルーンを散布することに……」 「うー、ここにも生真面目さんがもうひとり」 「ほら、急ぐわよリーダー!」 「リーダー??」 「なによ……あんたリーダーでしょ!」 「は、はい……りりかちゃん」 「…………わかりました、れっつごーです!!」 年は明けても、サンタの仕事は変わらない。 町に溶け込み、ルミナを観測し、訓練で腕を磨く。休暇が終わればその繰り返し、次のイブに向けて、長い準備期間の始まりだ。 ──しかし、その前に俺にはやっておくことがあった。 「それでは、行ってまいります!」 「風邪引かないようにしてくださいね。 あと、食べすぎには気をつけて……」 「拾い食いもしないよーに」 「もー、しませんよ!」 「おみやげは、お酒のおつまみになるものをね」 「カワイ〈母〉《コ》ちゃんの携帯番号でも構わんがな」 「くるるる!!」 「確実につまみを買ってくるよ」 「それにしても……ジャパニーズの度胸には 心からの敬意を表するよ」 「どういう意味かな?」 「だって、サンタの一家だろ? 俺なんか金を積まれたってとてもとても……」 「……そういう意味の旅行じゃないんだが」 「あら、違うの?」「違うんですか?」 「違います!」 「まー、せいぜいラブラブしてきてよね」 「ですって、とーまくん♪」 「そこで笑顔になるな」 「はい、とーまくん……あーん」 「いい……気を使わなくていい」 「むー、照れやさんですね。 いいじゃないですか、旅の恥はかき捨てですよ?」 「ことわざは合ってるが、あーんはいい!」 「しろくまアイスの食べ納めですよ? 向こうにはないんですから」 「ええ、遠慮することはありませんよ?」 「そうそう……あ、はいはい、こっちの話。 え、名前? いいじゃない、わくわくランドで。 上層部には私から説明するからそれで通しなさい」 「よろしくね、10日には現場に戻るわ。 それくらい私なしでもしっかりやりなさい。 はい、はい、よろしく──」 「ふぅ……最近の若い子は自立心がなくてダメね。 あ、冬馬くんは別よ、安心してね」 「だそうですよ、はい、あーん……」 「………………」 なぜ、こんなことになっているのか──。俺の頭の中は数時間前からパニック状態だ。 「それにしても、まさか帰りのホームで ばったり会うなんてねえ」 「なにかの運命なんでしょうか」 「目的地も一緒なんだからそうよね、 トナカイさん?」 ななみと二人の、骨休めを兼ねた里帰り。ついでに少し観光をしながら、古巣の九頭竜川支部に顔など出して……。 そんな幻想を抱いていたはずが、初手から名門星名一族とのご対面になってしまった。 夜行電車の中、シートを向かい合わせにしての親子団欒。つまり、俺にとってはまさしく針のむしろ。 隣にななみ、向かいにお祖母さん、斜め前にはお母さん。 隣でしろくまくんアイス。向かいでみたらし団子。斜め前ではクリスプクリームのドーナッツ。 「ああ、親子だ……」 「七香さんは相変わらずドーナツが好きですね。 太りますよ?」 「ご心配なく。 お母さんこそいくつ買ってきたんです?」 「どこを見ても親子だ」 「はい、とーまくん……あーん」 「だから後にしろ!」 「へーきです、家族ですから」 「そうですよ、遠慮はご無用」 「トナカイさんには 冷たくないものがいいんじゃない? はい、冬馬くん……あーん?」 「わぁぁ、おかーさん! とーまくん取っちゃダメです!」 「殿方にしつこい甘味はつらいでしょう。 甘辛いほうが口に合いますよ、ねえ?」 「おばーちゃんまで!?」 「これが……朝まで続くのか!?」 「とーまくん、こっちです! はい、あーん」 「あーん」 「あーん」 「ななみ戻ろう!」 「ああっ、とーまくん!? どこ行きますかーー!?」 「女3人寄らば近寄らないのがトナカイだ!!」 「聞いたことありませんよ! おーい、とーまくーん!! おかあさんのおにぎり食べないんですかー?」 「心配ないわ、すぐに戻ってくるから」 「ええ、トナカイさんですからね」 「そんなぁ、おーい、とーまくん! とーまくんってばー!!」 「──無理だ、引き返せ!」 「やめろ、サンタはお呼びじゃないんだ」 「引き返せ! もう踏み込むな!」 「機体制御不能!」 「制御不能!」 「制御不能!」 「逃げるなっ! ラブ夫!!」 「……っ!!」 「はぁ……はぁ……」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……………………5時?」 「…………」 「………………寝る」 「…………」 「…………」 「…………」 「……で、金髪さんは今朝も寝坊かい?」 「何度か試してみたのですが……」 「うぅ……りりかちゃん相当手ごわいです」 頭にこぶを作ったななみと硯が黙って頷く。今朝もエリートさんの寝起きの悪さは健在だ。 「そういうことなら仕方ない、 ここは相方の俺が起こしに行ってくるよ」 「ふぁいとです、とーまくん!」 「ぐあああああああああっ!!」 「よし置いて行こう!」 「と、とーまくん、血……血ーーー!!」 「武士は食わねど大明神!!! さあ、熱き〈日ノ本〉《ひのもと》の血の〈滾〉《たぎ》りを 渾身の一刀に込めるべしッ!」 「き、きえええーーーーーー!!!!」 「そこなトナカイの若者!! 皆に手本を見せてやれい!!」 「了解!! きィぇぇぇーーーーーーッッ!!!」 「そうだ、〈烈帛〉《れっぱく》の気合いとともに打ち下ろす! 〈初太刀〉《しょだち》を外せば次はなし! 即ち、イブの配達も同じことであるッ!!」 「きえええーーーーーー!!!!」 「ふむ……よろしい。 なかなか良い目をしておるわ、ぐわっはっは!」 からからと笑う謎の武士道ロードスター、その名もサー・アルフレッド・キング。 どこから見ても女子には無茶な特訓に思えるが、それでもうちのサンタさんたちは感心にも喰らいついている。 と、そこへ……。 「す、すみません、遅れましたーっ!」 「月を守ると書いて月守りりか! なぜに守り損ねたか、理由を簡潔に述べてみよ」 「き……昨日の夕飯に毒が!!」 「喝ーーーーーーーー!!!!! そこの〈朋輩〉《ともがら》はピンピンしておるわっ!!」 「にににNY育ちにだけ効く毒でして……」 「貴様の育ちは四国であろうが!!」 「四国なんだ……」「なんですね……」 「わぁぁぁ、そ、そんなことないですっ!!」 「サンタが虚言を弄するなど、 〈聖夜〉《イブ》道不覚悟はなはだしい! このワシが精神注入棒をぶち込んでくれるわッ!」 「精神注入棒!?!?!?」 「さあ尻を出せい!!」 「な、なななっっ!? 朝っぱらからそれはまずいですーーーーっっ!!」 「ピーーが入ります、ピーーが!! あとモザイクもっ!!」 「わぁぁッ!? ウソでしょ!? やぁぁ、待ってくだ……」 「ウリャァァーーーーーーーッッ!!」 「ぎゃーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」 「うーーーーーーー…………っ! ううぅぅ……ぐすっ……ひっく……ぐすん!」 「り、りりかちゃん、大丈夫……?」 「あたっ、いたたたたっ!! そーーっと、そーーーーっとっ!!」 「わぁぁ、お尻まっかっか!!」 「中井さんっ、駄目ですよ! 後ろを向いたらダメです……っ」 「わーってる!! 恥ずかしかったらミラーの陰に入ってくれ」 「わわわ……うぎ! いたたた……!」 「ともあれ、精神注入棒が ハリセンでよかったじゃないか」 「よかないわよ! どーして起こしてくれなかったの!?」 「起こしましたよー」「起こしました……」「起こした!」 「う……うそ、ほんと!?」 「本当なんです……」 「流血沙汰になるくらい必死でな」 「またやった……あ、悪魔の仕業だ……」 「悪魔?」 「そう、二度寝の悪魔」 「〈悪魔祓い師〉《エクソシスト》は自前で呼んでくれよ」 どうしたものか、この寝坊エリートさんが、今日から俺の相棒になるのだ。 どうやら腕は天才、多分わがまま、気が強くて口が悪くて、あんがい生真面目──。ななみとは全く違うタイプのサンタというわけだ。 どんなサンタにでも対応するのが一流のトナカイだ。しかし、果たして俺にこのサンタさんを上手くリードしていくことができるだろうか。 ……などと悩むのもトナカイらしくはない、か。 「よし、飛ばすぜ」 「そ、そーっとゆっくり飛ばして、 うわっ、いた、いたたたた…………!!!」 「あのイタリア人はもっと荒っぽいだろ?」 元八大トナカイと比べられるのは〈最初〉《ハナ》から覚悟の上──。 ジェラルドの癖を知り尽くしているりりかとコンビを組むことは、俺にとって千載一遇ともいうべきスキルアップのチャンスだ。 あとは、このサンタさんとの相性だけなんだが、ま、そこはお互いにプロってことで、なるようになるだろう。 「ただいまー!」「ただいま戻りました」 「それじゃ、すぐ朝食にしますね」 「はーい♪」 ここからが自分の出番だとばかりに、硯がいそいそとキッチンに向かう。 最初は内気でオドオドしていた彼女も、ツリーハウスにおける自分の居場所をつかみつつあるようだ。 今日ものんきなななみは、ソファーでテレビにかじりついている。 昨日まではパートナーだったななみだが、しばらくはリーダーの座をめぐるライバル関係になるのだろう。 「なにを熱心に見ているのかな?」 「エウメネスイッチ♪」 「こども…………教育番組か」 うーむ、どうもこいつがライバルという状況は、しっくり飲み込みにくい。 「そっちも今日からオアシスで外回りか。 ジェラルドが一緒に回ってくれるんだって?」 「んー、その予定だったんですが、 サー・アルフレッド・キングさんが オアシスをお気に召してしまって……」 「かわりにニュータウンを回ってくれる みたいなんです」 「へえ、そりゃすごい。 ロードスターが直々に店の宣伝を してくれるのか!」 「はい。ですので、わたしも今日からは おもちゃ屋さんということで!」 「おう、そういうことなら歓迎だ。 ま、引き続きよろしく」 「はい! ……って、とーまくんは、さっきから なにをキョロキョロしてますか?」 「金髪さんを探してるんだが」 「りりかちゃんでしたら、 いつも着替えが終わるとすぐ お部屋にれっつごーですよ」 「まさか3度寝ってことはないよな?」 「ど、どうでしょうか?」 3度寝でも4度寝でも、スケジュールに支障を来たさない限りは問題ないのだが……ふーむ。 朝食までまだ少し間がありそうだ。ここは、新しいパートナーとの親睦を深めておくのもいいだろう。 ジェラルドの〈滑空〉《グライド》についても、パートナーならではの話を聞くことができるかもしれない。 「金髪さん、ちょっといいかい?」 「だめ!」 「悪い、髪のセット中か。 えらい手間が掛かりそうだな」 「慣れてるからへーきよ。 で、だめだけど何?」 「やっぱりだめじゃなかったら、 コンビの親睦でも深められればと思ってね」 「親睦…………?」 「そっか……それもそうね。 新しい人間関係は大切だもんね」 「そういうことさ」 「わかった、じゃあちょっと待ってて」 「おっまたせー! 天才シューターりりかちゃん登場!」 「お、急に明るくなった?」 「暗いパートナーより、 こっちのほーがいいでしょ?」 「違いない。ま、よろしく頼むよ。 NY流ってやつは良く分からんが、 できるだけ対応していくつもりだ」 「うんうん、でもそのまえに、 ひとーつ国産に言っとくことがあるんだけど?」 「ああ、気になることがあったら、 なんでもズバッと頼む」 「それじゃ……あたしとペアを組むからには、 上下関係はキチンとすること!!」 「ふむ、上下とは?」 「つまり、 サンタは上司! トナカイは部下! アンダスタン?」 「……なんだって!?」 「おわかりかなぁ? 部下の中井冬馬君?」 上下関係──上司と部下!? 確かにノエルでの序列はサンタのほうが上。給料にしたってサンタのほうが上。俺たちトナカイはサンタのサポーター……。 ──だが!! 「待ってくれ、ノエルは階級制じゃないぞ。 サンタとトナカイに序列はあるが、それよりも 開かれたパートナーシップってもんが……」 「スロバキアではどうだったの?」 「うおおおおおお、師匠ーーーー!! 一生ついて参りますーーーーッッッ!!!」 中央スロバキア支部で師匠と組んでいた頃は、もちろんサンタが上司であり、絶対的な先生でもあった。 だが、しかし……。 「あんとき組んでたのは師匠だったからさ、 相手はキャリア40年以上の大ベテランだぜ? でもって、俺は1年坊主……」 「今は3年坊主よね? でもって、あたしは6年目」 「いやいやいや、そうは言うがたった3年差」 「……って言うと思ったわ。 そこで勝負よっっ!!」 「──!?」 「待て、話の展開が早すぎてよく分からん。 俺と金髪さんが……勝負だって?」 「そ、勝負!! 逃げたらあたしの勝ちだからね」 「そういうことか……。 いいだろう、売られた喧嘩は買う主義だ」 「……………………!!」 火花を散らして睨み合う、俺と金髪さん。──と、そこへ。 「おーい、りりかちゃーん、とーまくーん! ごはんですよー!!」 「おっけー、いま行くー!」 「ちょっと待った、勝負ってのは!?」 「ふっふっふ……それは夜のお楽しみよ☆」 「いらっしゃいませー♪ きのした玩具店へようこそー!」 今朝も硯が腕によりをかけた朝食でスパルタ修行の疲れを癒してから、きのした玩具店の営業が始まった。 りりかの言っていた勝負とやらが気がかりだが、その話は店の仕事が終わってからだ。 「とーまくん、 おさかなさんのガラガラって まだ在庫ありましたっけ?」 「おう、倉庫に降りてすぐ右の箱だ」 「らじゃーですっ!」 相棒がななみからりりかに変わっても、おもちゃ屋さんでは店長と店員さん。飛行訓練の時間を除けば、昨日と変わらぬ日常だ。 当然、あの金髪さんも……。 「はいお客様ぁ! 小さいお子様用でしたら、こちらの角が丸い タイプの方がよろしいと思いますー!」 「はい、もっちろんです! 塗料に関しても安全管理は完璧ですので!」 「どうもありがとうございまーっす!」 「ふふーん♪ 1ポイントゲット! 楽勝楽勝♪」 さすがと言おうか、NY帰りのエリートさんは店に立つやいなや、本性0%の見事な接客をやってのける。 それにひきかえ、俺の旧相方さんは……。 「はい! こちらのぐるぐる目覚ましの お……音? ですか?」 「はい! では、今セットして確かめますので 少々お待ちくださいっ!」 「…………」 「…………」 「…………」 「ちょ、ちょーーっとすみません!!」「わぁぁ!?」 「ええとですね……はい! このような音になっております。 耳に優しい波長のアラームですっ!」 「あ、お買い上げですか、 ありがとうございますー! それではレジのほうでお会計を……」 「ばかばかばか!! アラーム7時にセットしてあったじゃん! 音のチェックすんのに9時間待つつもり!?」 「ご、ごめんなさい! 勝手にいじったら悪いかと思って!」 「………………」 さすがと言おうか……いや、何も言うまい。でもって、もう一人のサンタさんは……。 「あ、はい……こちらはその、 自然素材にこだわった木のスプーンになります」 「素材に使われているのはカームの天然木で、 あ、カームというのは和名をシリブカガシと言い ましてブナ科マテバシイ属の常緑樹になります」 「樹高は10〜15メートルほど。シリブカガシと いう名前は、お尻が深い樫という字を書き、ドン グリの底が深くへこんでいることに由来を……」 「(すずりん!  お客さんそこまでの情報望んでないから!)」 「(きゃ……す、すみません!!)」 他のサンタさんがごらんの有様なので、お店の花形である接客係は、途中からりりかの独占状態──。 「あ、それでしたらこちらの商品の方を お試しになっていただいては いかがでしょうかー?」 「はい。もう少し大きい物ですね。 ございますよ、お任せくださいっ♪」 「この自動車は、車輪の部分が特に精巧にできて まして……見てくださいこのスムースな回転。 こういうのは他ではなかなかありませんよー」 「りりかちゃん……すごい勢いです……」 「私たち完全にレジ係ですね……」 「どうもありがとうございましたー♪」 「よーし、ステージクリア!! アベレージ100% まさに圧勝♪」 何が圧勝なのかはさっぱりわからないが、どうやら新たなる相方さんは絶好調のご様子。 シャッフルの影響がどうなるかと多少は心配していたが、このぶんなら問題なく新しい組み合わせでイブを迎えられそうだ。 「お疲れ様です、調子はいかがですか?」 「上々さ、お客さんもずいぶん増えてきた」 「ほんとだ、この時間でも まだお客さんいらっしゃいますね」 「とーぜん! 誰がフロア担当してると思ってんの♪」 「柊ノ木さんですか?」 「そーそー、すずりんってば ほんと丁寧な接客で……おい!!」 「まさか星名さんが!?」 「おそうじ当番でーす!」 「ニセコこっち来てー」 「はい……うわっ!?」 「お客様、こちらの商品は たいへん重くなっておりますので…… 当店スタッフがお車までお持ちいたしまーす♪」 「あら、助かるわぁ」 「う……お、おも……違います僕はその……」 「(お客さんの前でアタフタするな!)」 「そんなぁ!?」 「そんなもこんなも、 レッツゴー☆ニセコ♪」 「うぎ……ぎぎぎ……」 労働のあとに待っているのは朝食に引き続き、硯が腕によりをかけた晩飯だ。 ななみ、りりか、硯、俺、それに今日は後半さんざんこき使われた透も一緒にリビングのテーブルを囲んでいる。 「…………」 「いただきまーす」「いっただっきまーす♪」「いただきます」 「どうぞ、お粗末ですが……」 「ぜーんぜん粗末じゃありません!」 「で……何これ?」 「え? あの……なにか変でしたでしょうか?」 「う……ううん! ぜんぜんぜんぜん! ただ、今日の献立が知りたいなーって!」 「はい、まず……これが レンコン入りの和風ハンバーグです。 ソースはぽん酢でさっぱりと……」 「おおっ!! 和風ハンバーグ♪」 「…………この草は?」 「付け合わせにと思って カブと青梗菜を炊いてみました」 「おおーっ!! チンゲンサーイ!!」「………………」 「あとは、納豆ときんぴらごぼう、 わかめのお味噌汁……以上です」 「うん、美味い! さっぱりしてるが、こいつはいけるよ」 「はぁぁ……やっぱりお出汁の味は おいしいですねえ……幸せ幸せ」 相変わらず、お作法のビデオを3倍速で再生したようなスピードで、ななみが夕飯を平らげていく。 「こんなリーズナブルな食材なのに この上品な味……み、見習わないと!」 「さ、さすがすずりーん!」 「と言いながら、 金髪さんは箸が進んでないようだが?」 「そ、そんなことないけど?」 「りりかちゃん、食べないんですか? おいしーですよ?」 「心なしか顔色がすぐれないようですけど、 まさか具合でも?」 「違う違う違うっ! そ、そーなのよ、ちょーっと 最近ダイエットしてたりしてー!」 「ふむふむ、そうですねぇ、 サンタは体調管理が大切です」 「一回り大きいサイズのハンバーグを 食べながらでは、説得力ありませんが」 「こ、これは硯ちゃんのご厚意でー……」 「ななみはともかく、 金髪さんはそれ以上 削る必要なさそうだけどな」 「そんなことないって! 体重=ソリの重量なんだから。 スピード落ちたら大変大変!!」 「りりかさん……すごいですね」 「とーぜん、プロだもん!」 「でしたら一番カロリー高そうなのは このわたくしめが……あーん」 「な……っっ!?」 「はむ……むぐむぐ……はぁぁ、 この酸味と脂身のコラボレーション……」 「なにやってんだピンク頭ーーー!!!」「うぇ? うわ、うわわわ!?」 「返せ! あたしのハンバーグかえせーーー!!」 「もが、もごもご……だってダイエット!!」 「ダイエットでも食べるの!!」 「だってカロリー!!」 「だってもさってもバカピンクーーー!!!」「もが、もががががーーーー!!!」 「はいそこまでーーー!!」 「食事中の喧嘩は減点対象です」 「もが!?」「減点!?」 「ええ、必要があればバシバシ減点しろと、 サー・アルフレッド・キングからの伝言です」 「んぐっ! ごくっ! 伝言!?」 「ああぁ、あたしのハンバーグ……」 「コホン、では説明します」 「持ち越しになったしろくま町支部 サンタチームのリーダーについて、 今日から審査を継続することになりました」 「と、いいますと!?」 「本日より日々の生活を通して、 3人でリーダーの資質を競っていただきます」 「わ、私もですか!?」 「レースからの辞退はご自由に。 査定は射撃やソリの腕前だけではなく、 日常生活や経済活動についても〈勘案〉《かんあん》します」 「……ですので、みなさんには これからも毎日を心して過ごすように! とのことでした」 「日常生活……経済活動?」 「はいはいはいっ! それはどなたがチェックするんですか!?」 「僕ですが?」 「えええええーーーーっ!!!」 「月守さん、なにかご不満でも?」 「そ、そんな……ニセコが審査官!?」 「月守りりかさんのリーダーぶりは強引さが 目立つ傾向あり。思いやりにも難。──以上、 サー・アルフレッド・キングにご報告……と」 「わわわ、待って! ちょっと待ってーー!! ニセ……とーるくん閻魔帳待ってーーっ!!」 「なーにーか?」 「…………!!!」 「では、そういうことですので、 みなさん、これからもよろしくお願いします」 「なんか、すごいことになっちゃいましたね」 「夕方こき使うんじゃなかったな?」 「そんなぁ、 もうニセコに頭が上がらないなんて……」 「それでも『ニセコ』は続けるんだな」 「国産──右側のターゲット3つ、 一気に叩くわ!」 「了解!」 新ペアになって初の本格〈滑空〉《グライド》。1日目の今日はしろくま海岸まで足を伸ばし、波の音を聞きながらの夜間訓練だ。 アクセルペダルを踏み込んで、闇空を駆け上がる。暗い海原の上空をふわふわと漂うバルーン目指して最適なコースを選択し、一気に加速する。 「任せたぜ、金髪さん」 星空にほのかに浮かんでいるバルーンの赤い影を、肉眼で視認する。 このバルーンってやつは、サンタ活動の様々な局面で活用できる便利アイテムだ。 観測装置を搭載してルミナの分布も調べられるし、先日のニュータウントライアルように、ルミナを詰めて不安定なコースを補ったりもできる。 あるいは今夜のように、バルーンを標的に見立てて、配達訓練をすることも──。 「もらったぁ! ──バルカン7!!」 「32、33、34! 全弾命中、ターゲットダウーン♪」 「次! 左も一気に落とすわ! 急降下ーーーーーーっ!!」 さすがはエリートさんというべきか、左右に構えたハイパージングルブラスターから放たれる光の弾は、まさに百発百中。 ななみと組んでいたときのように、アクセルを緩めてやる必要はまるでない。 カペラの最高速に近いスピードの中でも、楽々バルーンに命中させてくる。 「楽勝──!! 48、49……あといっこ!!」 「ターゲットオールダウン! ふー、危ない危ない」 審査継続の通達でいつも以上に気合いが入ったのか、金髪さんは一発の無駄撃ちをすることもなく、計50個のバルーンを打ち抜いてみせた。 予定時間を大幅に短縮してノルマをこなした俺たちは、ななみ&硯と別れて、一足先にツリーハウスへと機首を戻す。 「危ないどころか、余裕だったじゃないか」 「どこが? タイムリミットギリギリだった」 「タイムリミット? さっきの本気で言ってたのか」 訓練前にりりかは、ターゲットを3分で全て落とすと豪語していた。単なる軽口かと思っていたが……ふーむ。 NYのエリートで朝寝坊の常習犯──。そんな金髪さんだけに、てっきり訓練もある程度はセーブして流すものかと思ったが……。 「いつでも全力投球ってのは俺も好きだぜ」 「NYに戻るためよ」 姫の視線は、海岸から俺たちの特訓をチェックしている透を気にしているようだ。 「万が一にも、 ななみんがリーダーになんてなったら……」 「NY復帰が遠ざかる?」 「そういうこと!」 「しかしリーダーといっても形程度のことだろう?」 「形で判断されることもあるでしょ?」 なるほど……。エリートさんは、年のわりにものの見方がシビアだ。 しろくま海岸の透は新生ななみペアの特訓をチェックしている。閻魔帳を片手に真剣な表情だ。 「……NYってのは、そんなにいい所かい?」 「とーぜん! いまのノエルの中心よ☆ それにサンタ・オブ・ザ・イヤーを取るには こんな辺境でくすぶってらんないの」 「サンタ・オブ・ザ・イヤー? そりゃすごい」 ──サンタ・オブ・ザ・イヤー。それは、その年最高のサンタに送られる、栄えある称号だ。 言うまでもなくサンタの頂点。俺の八大トナカイよりも遥かにでかい目標だ。 しかし、元NYのエースサンタならば、あながち身の程知らずの目標でもないだろう。 あのNY本部に籍を置くということは、まぎれもなくトップサンタの一員であることを意味するのだから。 「そーゆーわけで攻めの一手! 訓練も営業も結果をしっかり数字を残す!」 りりかが、自分に向かって誓うように呟く。 思ったよりも生真面目な性質──。実力にあぐらをかかないところは、俺の好みでもある。 「あと国産、ちょっと反応が鈍いわよ?」 「俺が!?」 気分がよくなっていたところで冷や水を浴びせられた。心外だ、この俺が──鈍いだと!? 「これでも対応できているつもりなんだが」 「……はぁっ! 国産とのペアがこんなに大きい ハンデだったなんて……」 「どーゆー意味ですかな?」 「聞いての通りよ。 向上心のないトナカイなんて 足手まといでしかないってこと!」 「む……!!」 「なるほど……どこが悪いかは 口じゃなくて腕で問えと?」 「ふふふ……分かってるじゃない♪」 「朝の続きだろう? いいぜ、勝負を通じて築く パートナーシップってのも悪くなさそうだ」 「じゃあここからツリーハウスまで 30秒で戻れたら国産の勝ちでいいわ。 あと5秒でスタートね。5、4、3、2……」 「いきなり!? く……このっ!!」 「ゼロ、スタート!!!」 容赦のないカウントダウンで一方的に勝負ってやつが始まった。 慌ててアクセルを全開にしてカペラをコースに躍らせる。 「30……!?」 海岸からツリーハウスまで30秒──!間に合うのか?最新鋭のベテルギウスならともかく、このカペラで。 「はぁ、はぁ……はぁっ」 「……37秒。 どーやらあたしの圧勝みたいね」 「こ、こんな勝負があるか!! 一方的に無茶なハードルを突きつけて……!」 「なーによ、往生際が悪い!」 「あのな、機体の出力が違うんだ。 直線でベテルギウス並みのスピードは無理さ」 「でもやる気で加速してたじゃん。 あれは、勝負に乗ったってことでしょ?」 「……ぐ!」 それはそうだ──!くっ、俺としたことが勢いに飲まれるとは。 「ふふふ……ま、今日のところは許してあげる。 そのうち嫌でも実力差を認めることに なると思うしね」 ひらりとソリから飛び降りたりりかは、返す言葉のない俺を振り返らずに家の中へ入っていく。 「それじゃ、おやすみー」 上司と部下──か。 頭の中を、自信満々な姫の台詞が駆け回って、今日はどうもすんなりと寝付けそうにない。 カペラを格納庫に戻した俺は、店の自転車を借りてほらあなマーケットまで足を伸ばした。 『ネーヴェ』に入ると、静かなBGMとアルコールの匂いが一日の労働に疲れた身体を包み込んでくる。 今夜は、あまり長居をするつもりはない。カウンターの立ち飲みで軽く一杯といったところだ。 薄暗い照明の中でアルコールの匂いを嗅いでいると、慌しかった時間の流れが、ゆったりと速度を落とす。 トナカイという連中は例外なく酒好きだ。たとえ睡眠時間を削ることになろうとも、このひとときを大切にする。 酒を飲むときは仕事のことなどは全て忘れ──。 「……俺の反応が鈍いだって? 上等だぜ」 いや……忘れられない日だって時にはある。 夜の〈滑空〉《グライド》を思い返しながら透明なアルコールを舐めていると、あちこち反省点が浮かびあがってきた。 勝負の件についてもそうだ。あんな無茶な条件に乗っかって、情けをかけられた形になってしまった。 ここは意地でも、あの自信家のサンタさんを見返してやらんと。 「あら、おもちゃ屋さん、 今日はペース早いですね?」 「こいつが旨いせいかな。 ぷはァ……もう一杯いいですか?」 グラスに残った新入荷の焼酎を一息に飲み干し、マスターのほうへ押し出す。 「ほんと、美味しそうに飲んでくれますね、 嬉しくなっちゃうわ」 「仏頂面で飲むのは性に合わないんでね」 「まったくだ! よぉジャパニーズ、もうやってたのか」 「ああ、お疲れさん」 「麗しのマスター、 俺にも同じやつをロックで……いや、 君の愛で割ってくれ」 「お味噌汁でも入れときましょうか?」 ジェラルドのモーションをマスターの美樹さんが華麗なステップでかわす。 二人の応酬を横目にしながら俺の頭には金髪さんの顔ばかりが浮かんでくる。 「ピンクのお嬢さん、 なかなか筋はいいぜ……」 美樹さんへのアプローチに見切りをつけたジェラルドが、急に切り出してきた。 元八大トナカイの口からななみを褒められると、嬉しさと焦りが同時にこみ上げてくる。 「良いペアになれそうかな?」 「ははは、そこんところは未知数だ。 そっちの調子はどうだい?」 「ぼちぼちさ。 と言いたいところだが、ちょっと苦戦している」 「だろうな。 あのおてんば姫のソリを引くのは骨が折れるぜ」 「あんたでも?」 「そりゃあそうさ 相手は若きエリートサンタだぜ。 プライドだって半端じゃない」 「あんただってエリートトナカイだろう」 「俺はエリートじゃない、ただの天才だ」 肩をすくめてグラスを傾ける。ならば、俺も天才にならなければならない。それがあの金髪さんに認めさせるということだ。 ふと思い立った俺は、今朝から気になっていたことを尋ねることにした。 「あんたと金髪さんも、 部下と上司だったのかい?」 「上司?」 「サンタは上司、トナカイは部下……って 彼女いつも言ってるだろう」 「そうだったかな。 だが俺は姫のデビューから組んでるからなぁ」 なるほど、ジェラルドのほうが年もキャリアもだいぶ先輩だ。 ならば、かつての二人の関係はどこまでが対等で、どこまでがそうではなかったのだろうか。 「お前さんに揺さぶりをかけてんのさ」 「揺さぶり、か」 「いかにも姫らしいな、可愛いじゃないか」 ジェラルドが鼻で笑う。しかし、りりかより後輩の俺にとってはそうそう笑い飛ばせる話でもないのだ。 「ま、お前さんが下だと思ったら、 素直に頭を下げりゃいい」 「そうはなりたくないな……だけど」 「ん?」 「どんなサンタにも合わせられるのが、 一流のトナカイだ……ってな」 「ははは、そんな信条抱えてると苦労するぜ?」 ジェラルドが焼酎のグラスを掲げる。俺はしばらくの間、この陽気なトナカイの背中を意識することになるのだろう。 カツンと合わせて、一気に熱いアルコールを喉奥へ流し込んだ。 度数の高い焼酎に喉が灼ける。明日からの訓練もまた、相当熱くなりそうだ。 「──ZZZ」 「──ZZZZ」 「こっくさーーーーんっ!!!」 「うおっ!? オーダーか!? まずい、鶏肉の下ごしらえがまだ……」 「……って、誰がコックさんだ!」 「起きた?」 「ああ起きたさ、 そして時計を見ろ、まだ4時半だ」 「4時半だって朝は朝。 起きてウォーミングアップよ!」 どうしたどうした?なんだって寝坊の達人がこんなに早く?……いやそうか、分からないでもない。 「昨日は大遅刻だったから、 NYのためにも取り返さないとな」 「……!!」 「べ、べつにそういうつもりじゃないし!」 「まあなんだっていいさ。 朝のウォーミングアップは嫌いじゃない。 眠気覚ましにちょっと散歩でもするか」 「OK、そーこなくっちゃ!」 睡眠不足には違いないが、昨夜はあれでもセーブしたので、もうアルコールは抜けている。 速攻で着替えをすませた俺は、リフレクターの暖まったカペラにまたがると、一気に──。 大空へと舞い上がった。 朝日が昇るわずか前──。この空の最も暗くなる時間帯にサンタが空を飛ぶことは、あまりない。 イブのタイムリミットは午前3時まで。その先の配達が不可能になる時間は、訓練のメニューからも排除されがちだ。 そうはいっても、空は空。星空の輝きに包まれる快感は他に代えがたい。 「ああ、早起きってのは気持ちがいいな。 空気が顔に刺さるようだ」 「…………」 「おい、金髪さん? どうだいウォーミングアップは?」 「ぐー……」 「……お前がチルアウトしてどーする」 「きええーーーーーーーーーぃ!!!!」 「きええーーー!」 「きえええーーーーーーーーーっっ!! てい、とぉ、うりゃーーーっ!!!!」 「ほう、月守りりか! 今朝は気合いが入っておるな」 「もっちろんです!!」 「昨夜の修行の成果も上々であったと トールより耳にしておるぞ」 「ありがとうございますっ! NYへの復帰も早まりそうですか?」 「貴様、亜米利加のために働いておるのか?」 「いっ、いえっ、とんでもないですっっ!!」 「ふむ……まあよかろう。 NY復帰の希望は本部に伝えおく」 「あ、ありがとうございますーーっ!」 かくして、サンタ一同の素振りも終わったところで、ブラウン邸にボスの落ち着いた声が響き渡る。 「うむ……ウホン!」 「今年より、この支部が正式に稼動をはじめ、 最初のサンタクロースが諸君である」 「いまだ不安定なツリーを抱える しろくま支部は、サンタクロースの技倆を 磨くにうってつけの舞台であると心得よ」 「また昨夜の調査で、真空地帯の 拡散が停止したことが確認されておる。 これもひとえに我らが努力の賜物!」 「ニュータウンの仕儀はそれがしに委ね、 〈其許〉《そこもと》らは存分に励むがよい!」 「イエッサー!」 「イエッサー!」 「ほいさっさー!」 「〈喝〉《くぁ》ーーーーーーーーーーー!!!!!」 「どーしてあんたは そーやって緊張感を台無しにーーー!!!」 「うぇぇぇ!! ごめんなさい、つい勢いでーーー!!」 朝の特訓、それから朝食。そのあとは開店準備から一日の営業が始まる。 出来たばかりの看板をえっちら担いで、森の外まで一往復。 呼び込み看板の出し入れは俺の担当だ。うむ、これでよし……! 「ん……?」 「…………」 草陰からツリーハウスをうかがう、一人の少女──。 彼女は……確か、更科つぐ美。しろくま日報の嘱託記者──。どうやらまた、うちを見張るつもりのようだ。 「…………」 幸いなことに相手は俺に気付いていない。 いつも構えているカメラが厄介だがおもちゃ屋の営業を見られるだけなら安心だ。 よほどの下手を打たなければサンタの秘密がばれることはないだろう。 よほどの下手を……。 ううむ……ななみあたりには、よく言っておく必要がありそうだ。 「スネーク出現!?」 「ああ、みんな今日は いつもより5割増で注意しとこう」 「新聞記者さんは執念深いと聞きます」 「気を付けて行動しないと 更科さんに晒されてしまいます!」 「誰が上手いことを言えと」 「とにかく! 怪光線だかフライングオブジェクトだか 知らないけど、うちとは無関係!」 「そのつもりで蛇退治するわよ!!」 「へ、蛇退治!?」 「サンタの秘密は絶対秘密! チョロチョロする蛇記者なんか トランキライザーガンで一撃打倒っ!」 更科つぐ美の問題になると、りりかはやけにはりきりはじめる。 去年のイブ、彼女に撮られてしまった写真は、リーダーになってNY復帰を目指す金髪さんにとって、まさにアキレス腱だからだ。 自分の写真がきっかけで、サンタの秘密を怪しまれている。その事実が彼女に危機感をもたらし……。 「……むむ」 そういえばあの写真には、やけに大人っぽい黒パンツが……。 本当に、あれをこの金髪さんが?? 「……なに見てんの!!」 「いや、別に……」 ……考えるな。そのことはトナカイと全く関係がないぞ中井冬馬。 「……どう? まだいる?」 「ああ、さっきまで隠れてたんだが、 今は店の周りで写真を撮りまくってる」 「敵め、少しずつ大胆になってるわね」 目下、きのした玩具店は絶賛営業中なのだが、新聞記者さんはうちに張り付いて離れるつもりがないらしい。 「やれやれ、面倒な……」 「な、何よ!?」 「構えるなって、お前のせいじゃない。 むしろなぜ彼女があんな写真を撮ることが できたのか、そっちが不思議すぎる」 「わぁぁ、わ、忘れてーー!!」 「ぐあっ!?」 「忘れて、忘れて、忘れろっ!!」 「つ……次言ったらほんとにぶつから!」 「ぶつ前に……ドリルが俺の、延髄に……がくっ」 「あ、国産? 国産っ!?」 「あばよ、俺が死んだら三年は喪を伏せて……」 「うるさいだまれ。 違うのよ、スネークがお店に!!」 「乗り込んできたって!?」 「いらっしゃい……ませ?」 「こんにちは、お久しぶりです」 「い、いらっしゃいませー! なにをお探しでしょう?」 「真実を」 「寝室でしたら上になっておりますが……」 「………………」 「あ、あはは…………」 「(どーしましょー、ボケても無視されますー!)」 「(いまのわざとだったんですか?)」 「あの……」 「はっ、はいはい! 真実でしたらそこらへんに いくらでも転がっていますのでー!」 「取材をしてもよろしいでしょうか」 「しゅっ、取材!?」 「え、ええと……それは、ええと……」 「(ど、どーしましょー!)」 「(お店の取材なら、知名度を上げる  ことができるかもしれません)」 「(なっ、なるほど!)」 「ええと、取材というのはお店の?」 「はい、しろくま日報に、新規開店した 玩具店の情報を掲載したく思っています」 「そっ、そーゆーことならよろこんでー!」 「一介の店員にその権限が?」 「わぁぁ、ちょ、ちょっと待っててください!」 「お待たせ、取材なら大丈夫だ」 「と、とーまくん、頭から血が……!?」 「ああ、触れてはいけない秘密に触れた代償だ」 「(うるさい!)」 「ともかく、ええと更科さん? しろくま日報の取材なら大歓迎ですよ」 「……ありがとうございます、では」 一礼したつぐ美は、もう俺たちに背を向けて店のあちこちを写真に撮ろうとしている。 「そのかわり、お客さんの写真と、 あと店内以外の撮影はご遠慮いただけますか?」 「わかりました。 紹介用に全景のショットはよろしいですか?」 「それはもちろん」 これでよし。取材が店内に限定されれば、むしろ心配は減る。 「(ふーん、やるじゃない)」 「(だてに年は食ってないさ)」 「それじゃみんな、仕事に戻るぞー」 「はーい!!」 「記者さん、何か質問とかあったら、 あたしに聞いてくださいね!」 「……ありがとうございます」 「…………」 「…………」 どうにか記者さんの矛先を丸め込んだものの、絶えず監視者の目があるというのもなかなか緊張するものだ。 如才のないりりかは演技も上手だが、もともと人見知りの硯はうつむいたままだし、嘘のつけないななみもカチコチになっている。 「解せません……」 「ど、どうしました!?」 「1時間あたりに2、3組。 この来客数では経営が成立しません。 ツリーハウスの賃料を勘案すると……」 「あ、あわわっ……り、りりかちゃん!」 「落ち着け! 今はまだ開店したばかりですので、 本社から援助があるんですよーっ!」 「従業員は全員アルバイトなのに、 店舗に寝泊りをしているのですね」 「そ、それは……っ!」 「うちは福利厚生がしっかりしてますので!!」 「私はこちらの店員さんに聞いています」 「さっき、質問はあたしにって言いましたー!」 「と、撮る時は笑顔で撮って!!」 「無理です。 ファインダーには真実しか写りません」 「な……なによそれ!」 「…………」 「(……で、いつまで取材許しとくの?)」 「(むやみに追い払うのもまずかろう)」 ななみも硯も、つぐ美の一挙手一投足にさっきから怯えっぱなしだ。 気の抜けないピリピリした雰囲気のままではさすがに店舗業務に差し支える。さて……どうしたものか? 「あれは良いのですか?」 「あれ?」 つぐ美が指差す先に目をやると……。 「ZZZ……」 「ななみーーーんっ! 営業中!! 営業中!!」 「は? あっ、あわわ! ごっ、ごめんなさいっっ! 緊張に耐えかねてついーっ!」 「緊張?」 「あ、いえそのあの……!! ほんとは朝の特訓の疲れが!!」 「朝の特訓?」 「ななみーーーーー!!」 「わーーーーーっっ!!!」 「あっ、えっ、えーっとえーっとっ…… おもちゃ屋の特訓ですよ! うちのチェーンでは基本中の基本っ!」 「この子供用の木の車に国産が乗っかってー、 それでななみんが引っ張ってーっ! ふぁいと! おー! みたいなっ!!」 「そのシーンを写真に収めても?」 「もちろん大歓迎!!!」 「ふぁいっとーーーー!!!」 「おー……」 ……どうしてこうなった?? 「──毎朝特訓するも店長に生気なし」 「……見出し文にそれ使うのは勘弁してください」 むしろ今日のもろもろに関しては、一切合財しろくま日報に載せないで欲しい。 ──と、そのとき。 「……はい、更科つぐ美です」 「はい……。 はい、分かりました。 ですがまだ取材は終わっていません」 「………………………………………… ………………はい、わかりました。 では海釣りの取材に今から向かいます」 「──取材終了です。 ご協力ありがとうございました、それでは」 「え? お、終わり?」 「……行っちゃいました」 「どうしたんでしょうか?」 「門限でもあるんじゃない?」 「国産、こくさーーん、ちょっといい?」 「ん、どうした?」 何だかんだと忙しかった店舗業務が終わり、夕食後に歯を磨いていると、廊下から顔を覗かせたりりかが声をかけてきた。 「じゃーん、これを見て!」 「ダンボール箱?」 「そ。そして中には……くつしたー!」 「おお、確かに靴下だ」 「とゆーわけで、これを全部、 ツリーハウスの窓に吊してくんない?」 「構わんが、窓に吊るしてどうする?」 「修行で使うのよ」 「なるほど標的か……了解だ」 「うん! よろしくね! ……ありがと!」 りりかがいなくなり、手元にはダンボールに詰まった靴下が残された。ざっと見て──100足ってところだ。 くつしたを使った特訓──。しかもこのツリーハウスが標的か。 どういった内容になるかは分からんが、なかなか面白そうだ。さっそく吊るして回るとしよう。 「それにしてもあいつ……」 礼を言う時はちゃんと言うんだな。ちょっと意外だ。 「いくぞ、お嬢ちゃん! がっちりつかまってるんだな」 「りょうか……うわ、うわわっ!? ジェラルドさんっ、旋回はもう少しゆっくり! ゆっくりお願いできますとーーっ!」 「平気だ、重心を後ろに傾けて、 ベテルギウスの角をつかむつもりで 立ってごらん?」 「は、はい……重心を後ろに……」 「………………お?」 「いいかい、ループするぜ」 「は、はい……お、お、おおお?? すごい、平気ですジェラルドさんっ!!」 「そのポジションがロデオの基本さ。 そいつだけ覚えてくれりゃ、他はどうでもいい」 「は、はいっ! れっつごーですっ!!」 ──新ペアでの特訓2日目。 今日も昨日に引き続き、それぞれのペアに別れて個別の訓練に打ち込むこととなった。全ては新しいパートナーに慣れるため……だ。 ななみを乗せたジェラルドは、故障したベテルギウスをかばいながらの〈滑空〉《グライド》だ。 いつもの荒く鋭い操縦ではなく、ななみに合わせるようにゆるーく滑っているのがわかる。 派手さはないが、俺の目から見ても新生ベテルギウスはいいコンビになりそうだ。 「金髪さん、紅い機体が恋しいかい?」 「あたしは国産ほど女々しくないの」 「その割にはじーっと見ているが」 「ラブ夫……パッとしないわね」 「ベテルギウスが故障中、 パートナーは新米サンタさんだ、仕方ないさ」 「そーゆー時のほうが調子いいのよ、あいつ。 でも……」 「ま、サンタが違えばこんなもんってことか」 どうやらりりかは安心したようだ。ソリの側から流れ込んでくるルミナが安定したまま供給のペースを上げてきた。 機体前脚部のインテイクから取り込まれるルミナと、サンタのソリから送り込まれるルミナ──。 その二つがかみ合ってこそ、セルヴィは最高のパフォーマンスを発揮できる。 「んじゃ、あたしたちも始めますか」 「了解だ、金髪さん」 「やっぱおそーい! 急上昇からの左旋回、急速下降!」 「了解、だがどこが遅い!?」 「反応!」 「どこの!?」 「鞭入れたらすぐ加速! そんなの常識でしょー!?」 「してるぞ!」 「それが遅いの!」 「俺のタイミングじゃこいつがベストだ!」 鞭を入れるってのは、サンタの側からセルヴィに向けて一度に大量のルミナを供給してやることだ。 瞬間的にルミナが最大供給されることで、こっちのアクセルとタイミングを合わせられれば、機体の性能値をさらに上回る速度がマークできる。 トナカイを最大限にコントロールするには搭乗しているサンタにも鞭入れのセンスが要求されるのだが……。 「タイミングはあたしが正しい!」 「言ってくれる……!」 そうは言うものの、やはり、りりかの勘の良さは尋常じゃない。 認めたくはないが、どうやら俺の方が彼女のペースに乗り切れていないような気もする……ならば!! 「こいつでどうだ!?」 「今度は早い! 自分のタイミングがつかめてない証拠!」 「合わせてるんだ!」 「合わせようとしてる、でしょ。 合ってないもん……そこ上昇して加速!」 畜生──ならばとことん付き合ってやる!エリートさんのハイレベルな要求に応えるのも一流のトナカイになるための登竜門だ。 それにしても、この遠慮のない物言い。どうにかしてギャフンといわせてやりたいが……。 目の前の景色が一瞬にして星空へ変わり、カペラは月へ向かって一直線に上昇する。 「これ以上はコースがない。 左旋回で降下する」 「ちぇー、せっかく乗ってきたのに」 「だったら……急速降下!!」 機体を錐のように尖らせて、遥か下方に小さく光るシリウスめがけて突っ込んでいく。 一瞬ですれ違った。あっという間に地平が迫り、木々の緑が黒々と視界を覆う──。 タイミングを見計らって機体を起こし、寸分の乱れもなく〈樅〉《もみ》の森上空のコースにふたたびカペラを乗り入れた。 「これでどうだい?」 「おしい、あと一呼吸。 ネクストステージ、れっつごー!」 「厳しいね、了解だ!」 金髪さんの号令でカペラを走らせる。 限界のそのまた向こうへ──〈滑空〉《グライド》に工夫をこらしているうちに、いつしか俺の手足に等しかった機体が金髪さんに乗っ取られたように思えてくる。 「よーし、スピーーダーーーップ!」 口は生意気だが、確かにこのサンタさんの実力は本物だ。これまでに組んだサンタとはまるで質が違う。 もちろん俺にとっては、スロバキアの師匠が最高のサンタだ。 しかしこの金髪さんには高齢の師匠にはなかった『勢い』がある──。 「良くなってきたじゃん、 ダブルループから急降下、 0高度のコースに乗って一気に上昇ーーっ♪」 「了解!!」 金髪さんに指示されるまま曲芸まがいの滑空を繰り返しながら、俺の中でトナカイの血が騒ぎだしている。 ──トナカイはサンタを支えるもの。 それは上司部下の関係とは別に存在する、トナカイの本性ともいうべきものだ。 月守りりかの能力を全開に引き出してやりたい。どうやらそれが、今の俺の望みらしい。 ……そうだ、あのジェラルドよりも。 「やってみせるさ!!」 「ん……今のは良い感じ!」 「ああ、任せろ! 次だ!」 サンタ・オブ・ザ・イヤーを目指す、若き金髪のエースサンタ──。 そいつを背中に乗せた俺の滑空は、そのまま八大トナカイの道につながっている。 光り輝くルミナのコースに乗りながら、俺の頭の中をそんな言葉がよぎった。そしてそれは、いつしか確信へと変質する。 急速上昇を繰り返すカペラとともに、俺の気持ちもより高みを目指していくように──。 「よーし、じゃあテストしてみよっか」 「テスト!?」 「さっき靴下を吊してもらったでしょ? それを0時までに全て撃墜する! それがテスト!」 「もうすぐ残り1分よ。 100足全部撃ち抜くには どのコースが一番いいのか、国産が考えるの」 「それも含めて0時までだって!?」 「話してる時間あるかしらー?」 「もちろんあたしは射撃で手を抜かない。 それで全部落とせたら、 対等のパートナーって認めてあげる」 「本当だな、聞いたぞ……」 「もちろん!」 つまりこいつは昨日の勝負の続きってわけだ。だったら金髪さんにナメられるわけにはいかない。無茶な条件だと尻込みするつもりもさらさらなかった。 コースの算出に15秒──!それ以上は使えない。 「よし決まりだ。 残り40秒、行くぜ!!」 「え……早いじゃない?」 悩んでる時間などあるものか。己の信じたコースを進むのみだ! 「振り落とされんなよ!」 残り30秒──。 ルミナのコースを外れたカペラを自力飛行に切り替え、ツリーに対して右回りに螺旋を描きながら上昇する。 「みっつ、よっつ……まとめて7つ!!」 約束どおり、りりかの射撃は完璧だ。窓辺に吊るした靴下が、次々と水鉄砲で撃ち落されてゆく。 残り20秒──。 手抜きなしってのは本当らしい。最初の1周で、ツリーに残された靴下は残り60足あまり。 「ふーん……」 「撃ち洩らしを潰す、2周目だ!」 「次は少し高めにね」 「分かってるさ!」 残り12秒──。 「くそ、1つ残したか……」 「焦りすぎ!」 残り時間に気を取られて早く上昇してしまったのは俺のミスだ。 残る靴下はあと1つ、ツリーの裏側、俺の部屋の東側の窓にベージュのやつが下がっている。 しかしカペラは、いったんコースに戻ってそれから再アタックしなければならない。残り11……10秒だ。 「くそ、今からツリーの裏側は……!」 「国産、イブにやり直しはないのよ」 「わかってる! だが……」 残り9秒──。 これから全速で回り込んだとしても、到底撃ち抜く時間はない。それでもカペラのアクセルを踏む。 「まだ正解はあるわ」 ──8秒!正解だと? 「知りたい?」 「…………」 ──6秒!!知りたいさ、何があるっていうんだ。 「ギブアップ?」 ──5秒、だめだ!! 「ああ、教えてくれ!!」 「停めて!!!」 「っ!?」 残り2秒──!!!りりかの声で反射的にルミナを逆噴射する。強烈なブレーキングでカペラを空中に静止させた。 「これでラスト!」 「何!?」 1秒──!!ツリーの反対側から平然と撃ちやがった!標的なんざ見えてないのに!! ──タイムアウトだ。 さっきまでの緊迫した空気が嘘のように、森の静寂が俺たちを包む。 「当てた……のか?」 「回りこめば分かるわよ♪」 カペラでツリーを半周し、裏庭に降下する。建物の脇に積まれた丸太の上に、ベージュの靴下が落ちていた。 「当たってる……」 「基本中の基本! スコアを稼ぐには必須のテクよ」 「まさか靴下の位置を感じ取ったのか?」 「それは無理、覚えてただけよ。 最初に2周もしたんだからね」 「…………」 あれだけの速さで滑空するカペラから、全ての靴下の位置を把握するだって……? そいつは、とんでもない離れ業に違いないのに、この小っさいエリートさんは、こうも簡単にやってのけるのか……。 「さっきの正解は──〈急停止〉《ブレーキ》か」 「違うわ、後ろのサンタを頼るってことよ」 「!」 彼女の言葉に、横面をはたかれたような気がした。 俺はりりかの目を見た。りりかも俺の目を見ている。 背後で、訓練を終えたシリウスとベテルギウスが着陸する音が聞こえてきた。 「わぁぁ、靴下がちらばってるー」 「へーきへーき、 散らかした人が片付けるわよ」 「そーゆーことだ、お先に」 「…………」 「…………」 声が消える。トナカイは巣に帰り、サンタはツリーハウスに戻ったのだ。 「コースの判断は早いわ、 それは認めてあげるけど……」 「30秒で戻れるのか?」 「ん?」 「昨日の勝負だ。 あれにも正解はあったのか?」 「……やってみる?」 「このへんね。 昨日はもう少し近くからスタートしたけど」 市街地を飛び越して海に出たカペラが再び引き返す途中、りりかが合図をした。 位置は昨日よりも遠いが、今日はコースの流れが速い。 ここから30秒でツリーハウスに帰還する。果たして7秒もタイムを縮めることが可能なのか? 「スタート!!」 りりかの声を合図に、カペラは昨日のように全開速度でコースに乗る。 「コースをよく見て。 流れの速いところと淀んでいるところが見える? 分かんなきゃ肌で感じればいい」 「コースの流れを読めっていうだろう。 そいつはトナカイの基本だが、 だが、淀みを完璧に避けるのは無理だぜ」 「そう。 淀みをそのまま飛んでもタイムは稼げない。 半キャラずらしで上を滑って抜けるの」 「半キャラずらし?」 「機体の頭半分をコースから出すの。 細かいテクはいいわ、とにかくコースに任せない! どう飛ぶかはルミナじゃなくて自分が決める!」 「ああ、全部あんたの言うとおりにやってみる。 それで本当に7秒縮めることができたら……」 「いちいち全部納得させてあげるわ。 鞭のタイミングは321よ、覚えて!」 「了解だ!」 「いい加速、できるじゃん。 いっけーーー!!!」 ──かくしてカペラは風を巻いてツリーハウスに到着した。 ツリーハウスまでに要したタイムは……。 「……29秒!」 「できた……7秒……!」 信じられん……本当にできたのだ。あのスピードの中で、淀みを避けて滑ることが──。 「やった……俺の負けだ!!」 「はぁ……」 ソファーにもたれてため息をつく。失意の吐息ではない。充足感が口の端から洩れただけだ。 ななみも硯もとうに就寝した午前2時。俺は金髪さんがシャワーを終えるのを待っている。 「あー、さっぱりしたー」 「お疲れさん」 あらかじめ用意しておいたグレープフルーツジュースをりりかに渡す。 「もう歯みがいちゃったんだけど、 ……まいっか、ありがと」 くすっと微笑んだりりかは、氷の浮いたグラスを傾け、さも美味そうに喉を鳴らす。 俺は少しまぶしいものを見るように、その横顔を眺めている。 「で、納得できた?」 「ああ、悔しいが……分かったよ。 俺はまだ金髪さんのレベルに到達していない」 兜を脱ぐ悔しさよりも、期待感が先に立っていた。 レベル差を見せ付けられたなんてのは、落ち込むに値しないことだ。それよりも、この先の自分はどこまで成長できるのか……。 「ふふ、分かればよろしい」 「じゃあよく覚えて? サンタとトナカイは 上司と部下じゃないかもしれないけど、 国産の上司はあたしよ、いい?」 「ああ…………了解だ、金髪さん」 「その『金髪さん』も今日から禁止! ちゃんと上司っぽく呼ぶこと!」 「むむ……そりゃ構わんが、 上司っぽいってのは……?」 降参することに苦痛はない。しかし……この先の毎日を想像して少し不安になったことも事実。 「そーね……あたしを呼ぶ時は『りりか様』☆」 「様ぁ!?」 こいつは不安どころじゃない。なんという職権濫用ハラスメント!!もしも本気で様付けなんぞしようものなら―― 「国産! 肩をもみなさーい☆」 「はい!! ありがとうございます、りりか様っ!」 「国産! 野菜はあんたが食べなさーい☆」 「ああ、残したものをいただけるなんて、 感謝します、りりか様ぁ!」 「国産! 椅子になりなさーい☆」 「はいはいはい! 仰せのままに、りりか様ーー!!」 「ごつごつして座りにくい! ほんとに使えない椅子ね。 なに喜んでるの? この変態トナカイ!」 「すみませんすみません。 こんな変態ですみません……!! ですから見捨てないで下さい、りりか様ぁぁー!」 「わー、とーまくん、 完全に犬ですねー」 「あのようになられては 人間として終わりですね」 「わんわん! わんわん! りりか様ー!!」 「寄るな、国産! その汚い手で触れたら見捨てる!」 「ああっ、そんな、すごい感じる! もっと、もっと罵ってりりか様ぁぁ〜@@」 「ぜぜぜぜ絶対無理!!! ないないないない!!! りりか様は絶対に無理ーーー!!」 「上司の命令は絶対よ? 国産トナカイくん?」 「普通の上司は部下を椅子にしない!!」 「は…………?」 「なんでもない! だから無理!!」 「……良くわかんないけど、 国産がテンパってるのだけは伝わってきた。 んーと、それじゃ……」 「そうね、 定番の『ラブリープリンセス』でいいわ」 「そいつはどこの定番だ?」 「敬語!!」 「えーと……めんどくせえ! そのセンスない呼び名は どこの定番でございましょうか?」 「ああ! ぜんっっぜん敬ってない!!」 「本音が滲むのはご容赦いただきたい。 ラブリーと横文字を抜いて、『姫』あたりで 手を打ってはいかがでゴザイマスか?」 「結局ラブ夫と同じじゃん」 「お前、あいつにも ラブリープリンセスを要求したのでゴザイマスか? そして却下されたのでゴザイマスか?」 「わぁぁ、うるっさい! なんだその敬語!? そしてお前って言うなー!」 「ええと……姫?」 「そう! 姫!」 「…………自分で言ってて恥ずかしくは?」 「ないっっ!!」 「でもって敬語はどうすればゴザイマスか?」 「いいわよ普通で!!」 「よかったよかった。 みんなの前で敬語+様付けなんて、 さすがにそいつは勘弁だ」 「そっか、みんながいない所ならいいのね?」 「嫌でゴザイマス」 「なによそれ!」 「ま、いいわ、とりあえずよろしくね、 部下の国産くん?」 「ええと姫、俺の呼び方もそろそろ本名で……」 「うん、一人前になったらね」 「一人前……!? あのな金髪さん、俺はエリートじゃないにしろ、 中央スロバキアでの成績はAクラスの……」 「誰に言ってるの?」 「……姫!!」 「よろしい、早く慣れること。 どんな状況にも対応できるのが 一人前のトナカイよ?」 「うぐ……ぐ!! 俺の十八番のフレーズを……!!」 かくして、しろくま支部における新しい相棒との生活が華々しくスタートした。 お相手はNY本部のエリートさん。互いに本音でぶつかり合い、実力を認め合うこともできた。 まったくもってめでたい限り。最高のペアの誕生だ──!! 「………………」 「ぬ………………」 「ぐぐぐぐぐ……!!」 どんなサンタの流儀にも対応できるのが一流のトナカイだ。 どんなサンタの流儀にも対応できるのが一流のトナカイだ! どんなサンタの流儀にも対応できるのが一流のトナカイだ!! 「どんなサンタの流儀にも……」 「はぁぁ……寝よう」 ──ペア誕生から3日目の朝。 かくして、月守りりかにこき使われる日常が始まった──。 「ほら店長! さっさと荷物運ぶ!」 「はいはい、お姫様」 「キューブの積み木はこっちの棚。 にわとりさん電車を中心に ディスプレイするの!」 「はいよ、ご随意に!」 「積み木は背景よ! そんな無造作に置いてどーすんの! ちゃんと山とか丘に見えるよーに!!」 「了解だ、お姫様!!!」 「……お姫様?」 「りりかさんとペアを組むと、 そう呼ぶのが決まりなのでしょうか?」 「なるほど、これがNY流ですね!」 「…………」 「ねーねー、国産。 木琴なんかの楽器系、 もう少し多くても良くない?」 「ディスプレイ的にも映えるでしょ? さっそく次の仕入れで追加しといてね」 「おう、任せとけ」 「──姫!!」 「了解しました、お姫様ッ!!」 「えーっとあとは……この積み木、 棚の上に置いとくと危ないから降ろしちゃって」 「り、了解……うぐぐ、重い!」 「力仕事は男の仕事、がんばってー♪」 りりか……じゃなかった、姫の偉そうな物言いには反発を禁じえないものの、彼女はいちいち的確な指示をするので従わざるを得ない。 なんにしろ、トナカイにとって一番大切のはサンタとのパートナーシップを築くこと。 こうして一緒に過ごす時間が増えた以上、『姫』VS『国産』の立場であろうとも、最良の関係ってやつを模索していかねばならん。 「この箱……ランプ類かー。 ふーむ、展示スペースの配線を伸ばしたら、 大物商品のライトアップが可能になるわね……」 初対面のイメージとは裏腹に、エリートのお姫様はおもちゃ屋経営にもやたらと熱心だ。 『サンタはイブにだけ成績を残せばいい』なんて言いそうなタイプだと思ってたのだが。 「……なに?」 「まさかお姫様が、 そこまで真面目に取り組むなんてなぁ」 「NYに戻るために決まってるでしょ」 帰ってくるのはいつも決まってこの台詞。 しかし、それだけでこうまで打ち込めるものでもないだろう。 「お前、根は相当真面目だな?」 「お前?」 「……失礼しました、お姫様!!」 あー、くそッ!!やりにくいったらありゃしねえ! 姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫!姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫!姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫姫! ふぅ……!これくらい言っとけば間違えないだろう。 しろくまベルスターズのリーダーの座をどのサンタが射止めるのか?予断を許さない状況のまま日々は過ぎる。 ちょこちょこ様子を見に来る透の閻魔帳になにが書き込まれているのか、いったい誰が優勢に立っているのか。 それが全く分からないことが幸いしてか、少なくともりりかは異常なほど熱心におもちゃ屋経営にのめりこんでいる。 「こくさーん、こくさーん! いいアイデア思いついたんだけど、 ……あれ、国産は?」 「さっき倉庫のほうに行きましたが?」 「あー、もう肝心なときに使えない!!」 「こっくさーーーーーん!!!!!」 「なんだい、お姫様」 「あー、もうこんなところで油売ってる! せっかくいいアイデア思いついたのに、 なにやってんのー!!!」 「俺に在庫チェックを言いつけたのは どこのお城の姫君でございましたかな?」 「え? あ……そ、そーだっけ?」 「ええーーーい!! だいたいトナカイは整理とか管理とかが 苦手なんでゴザイマス!!」 「それがなんだか慣れちまってゴザイマス! 硯のチェックリストが完璧でゴザイマス! 結果することがあんまなくてゴザイマス!」 「分かった分かった悪かったってばー! あとございますはいいから!!」 「むふーーー…………!!!! …………でゴザイマス!」 「わぁ、嫌味」 「で、アイデアってのは?」 「名案を思いついたんでゴザイマスっ!!」 「なんでも仕入れちゃおう計画ーー!?」 「独自商品の開拓……ですか?」 「ああ、俺も在庫チェックをしながら思って たんだが、ノエルから送られてくる商品は、 質はいいんだが種類があまり多くない」 「だからディスプレイに困るのよ。 同じ商品を2箇所に分けて 飾ったりしてるでしょ?」 「そういえばそうですね」 「金髪さんが言うには、店内の様子が 今ひとつパーッと弾けてないのも、 それが理由なんじゃないかと」 りりかの目を見る。じろりと睨まれたが、みんなの前では『金髪さん』と呼んでも構わないようだ。 「せっかく売り上げも出てきたんだし、 ここらで商品ラインナップを増やして みるのはどうかって思うのよ!」 「で、ひとまずはみんなの意見を聞きたいんだが」 「もっちろん賛成ですー! チョコレートとかきなこもちとかどら焼きとか!」 「おもちゃ屋だ」 「私も賛成ですが、何かコンセプトを決めて 増やしたほうがいいような気がします」 「ふむ、コンセプトか」 「そーよね、 お客さんの幅が広がるよーな商品よ!」 「はいはいはいはい!! だったら『ちょうちん憲兵さん』!!」 「……なにそれ」 「知らないんですかー!? 7年前に大ブームを巻き起こした国民的……」 「古いわっっ!!」 「じゃあ、とりかぶっ!! 鳥とカブのキメラちゃんさんですっ!」 「知らない全然知らないそして売れない」 「もー、どうして決め付けますかー。 必殺技もあるんですよ、 とりかぶっ、だーーーーっしゅ!!」 「いたいやめろぶつけるなっっ!!」 「あと、こっちのすまきねこさんは、 はるかデキシーランドから どんぶらこっこと流れてきた……」 「本当に知らないキャラクターばっかり……」 「ぜーーーーーーーーんぶ却下!!!」 「うーー!! いいじゃないですかメルヘンが コンセプトなんですからぁ」 「ちょっとサブカルっぽいメルヘンですね。 私はアダルト層にも喜ばれそうな、ジオラマ プラモデルなんてどうかと思ったのですが……」 「人形なんか木のやつで充分! それより子供に受けるのはゲームよゲーム! ワニ〈婆〉《ばぁ》も言ってたでしょ!?」 「金閣寺とか、銀閣寺、あと峠の茶屋とか、 日本人の心の風景と呼べるものを お店の清涼剤として……」 「見て、このカセットピジョンジュニア!! 与作とモンスターマンションは不朽の名作! ブロック崩しのフリープレイでお客さん倍増!」 「私がお薦めしたいのは、この姫路城で、 なんと石垣部分に木質粘土を使うことで、 城郭全体のリアルなたたずまいを演出しており」 「そしてなんといっても決め手になるのは、 じゃーん! もはや伝説、HAZUREの高速船!! 超美麗なワイヤーフレームにハートもズキュン☆」 「あ、こ、このボンサイちゃんでしたら、 今でもテレビでやってますよ!! ボンサイちゃーん、ボンサイちゃーん☆」 「******************** ******************** ******************!!!」 「ストーーーーップ!!!!」 「なんですか!?」「なによ!!」 「ななみ、そのキャラはマイナーすぎる! 金髪さん、そのゲームは全部古すぎる! 硯、その姫路城の定価は15万円する!」 「ぐーーーー!!!」 「ぐうの音も揃ったところで、 そろそろ真面目に会議しないか?」 「だったらぬいぐるみを!!」「だったらレゲーを!!」「だったらお城を!!」 「わかった…………明日に持ち越そう」 そうして俺は、ひそかに暖めていた『世界の戦闘機コレクション』の販売計画をひっそりとお蔵入りにしたのであった。 ──午後10時、今日も楽しい訓練のはじまりだ。 この数日というもの、俺は金髪さんの指示でコースを早く飛ぶために必要な半キャラずらしの練習ばかりをやってきた。 「お姫様、 俺もそろそろマスターできたと思うんだが、 新しいテクでも教えてくれないか?」 「いいわ、じゃあ登場シーンでもやってみる?」 「……は?」 「いい? いまから見本を見せるから 合わせて国産も名乗ること! それじゃ、 急降下から高度150でホバリングね!」 「お、おう……!」 言われるがままに垂直急降下、そして機体を水平に引き起こす。 「イブの夜空を切り裂いて、 ラブリープリンセスただいま見参! 貴方のスペシャルフラッグを今宵はいただきっ☆」 「はぁっ……決まった! ナイスあたし! 国産、バージョンⅡよ、もっぺん上昇急降下!」 「………………」 「聖夜に〈煌〉《きら》めくマジカルスター、 りりかる☆りりかただいま参上!! 〈安全地帯〉《アンチ》を飛び出し、目指せカンストっ☆」 「国産、ぼーっと見てないで続く!!」 「ええと…………なんの訓練?」 「だから登場シーン!」 「サンタは正体秘密だバカヤロウ!!」 「仲間に見せるの!! テンション上がるんだから、 やってみなさいって!」 ううっ、いちいちポーズを決められると見ているこっちが恥ずかしくなる……。 「ええとですね、お姫様。 そんなことより少しでも飛行テクニックを」 「だめ!! 目の前の戦いから 逃げるよーなトナカイは要らない!」 「これが戦い!?」 「んー、りりかる☆りりかも ちょっと飽きてきたなぁ」 「あなたに届け愛のプレゼント! プリンセスりりかただいま推参!!」 「あ、プリンセスりりかはいーかも」 「プリンセスりりか……ラブリーりりか…… キューティーりりか……んー……」 「ハイパーりりか!!」 「来た来たキタコレ!! いいの出たーー♪」 登場シーンで悩むりりかを見ていて、俺もひとつだけ気づいたことがある。 どうやらりりかは名乗りをあげるたびにみるみる機嫌がよくなっていく様子……。このサンタさんの派手好きは筋金入りってことだ。 「いい? サンタだってまずは気分を ハイにすることが大切なの☆」 「俺は空が飛べてりゃ、いつだってハイだぜ」 「だったら続きなさーい! 聖夜を駆けるスペシャルシューティングスター! ハイパーりりか、ただいま推参!!」 「えー、酒と夜空をこよなく愛す、 俊英トナカイ中井冬馬、ここに登場!」 「………………」 「うわわ!? どーしたの、国産?」 「自分で自分を褒めてると、 限りなくローに入りそうだ……」 ともあれ、完全に機嫌を戻したお姫様とともに、本格的な訓練のスタートだ。 この数日は同じ特訓ばかりで、腕の見せどころもあまりなかった。 ならばここで格好をつけてやろうと意気込んでカペラをコースに乗せた俺だったが……。 「遅ーい! もっとスピードアップ! &カペラのくせに動きが大雑把!」 「これがサンタに優しい飛び方? どこがー? メリハリがないだけじゃない?」 「後ろのサンタをお荷物だって思ってるでしょ! それってトナカイの傲慢! 猛省か、それに見合う実力を要求するー!!」 「い、言ってくれる……!」 良く言ってコテンパン。悪く言えば……思いつかない。1から10までダメ出しが降り注いでくる。 「荒っぽいのがお好みかい!?」 ならば……!全開バリバリの滑空ってやつを見せてやる! 「お、ちょっとはやる気出した?」 アクセルペダルをべったり踏み込むと、前にりりかを乗せて昼のしろくま町を飛び回ったのを思い出す。 「シリウスの俺とは一味違うぜ!?」 「へぇ、期待してるわ♪」 「てぇぇぇぇーーーーーーーーーいいい!!」 「こいつでフィニッシュだ!」 フルブレーキングからの失速を利用して、ほぼ落下状態のまま下のコースへ飛び移る。 「はぁ、はぁ……はぁ、どうだお姫さん?」 身体が浮いてしまうほどの無重力感にさすがの金髪さんも恐怖を……。 「35点。 おまけして半人前ってとこかな?」 「…………嘘だろう?」 「とりあえず分かったのは、 国産の逆噴射がちょっと下手ってこと。 だから小回りがきかないのよ」 「シリウスじゃなくてカペラでも……?」 「性能を引き出してるとはいえないかな? 機体ががっかりしてるわよ」 「……!!」 「残念だけど、今の国産のレベルじゃ あたしの本部復帰の足手まといになっちゃうかも。 やっぱり練習あるのみよ、レベルアーーップ!」 「……!!!!!!」 思いっきり目の前に突きつけられたNYの壁。本部のエリートってのは、こういうものか。そして、この俺に……あろうことか半人前の烙印! 「わわ!? ど、どーしたの国産!? だいじょーぶ!?」 ショックだ……限りなくショックだ。 おまけに金髪さんは悪意ゼロ、俺がヘコむなんてまるで思ってない。赤点野郎に赤点と言って何が悪いって顔だ。 「あ、ねえねえ国産。 せっかくだからちょっと北に飛んでくれる?」 「は?」 「国産を鍛え直すのはいつだってできるから、 その前にあの二人の様子、見てみない?」 「はぁ……」 「だから、ななみんとラブ夫の様子! なにぽけーっとしてんの、れっつごー!」 半人前のショックで頭の中がフワフワしてる。りりかの言う通りカペラを飛ばすと、すぐに紅い光跡が視界に入ってきた──。 どうやら向こうさんは、バルーンを使った射撃訓練をやっているようだ。 「よーし、お嬢ちゃん。 次はループしながらの狙い撃ちだ。 まー、リラックスして行こう」 「はい、お願いしまーーすっ! 右のほうにバルーン3つ確認ーー♪」 「はいよー、引き付けてどーん、だ! せーの…………!!」 「てーーーいっ☆」 「やりましたー☆」 「おめでとさんー☆」 「……何あののんき空間?」 「……まったくだ」 『暴れ鹿』の異名を取ったジェラルドとは思えないほどのんびりした訓練風景。 新生ななみペアの滑空は、俺とペアを組んでたときともまるで違った形に〈馴〉《な》らされているようだ。 だが、やる気がないのかと言えば絶対にそんなことはない。ジェラルドのリードは実に適切で丁寧だ。 まるで、ななみの手を引くようなアプローチ。おかげで射撃の苦手なななみが別人のような精度でバルーンを撃ち抜いている。 正直──こいつは驚いた。こっちのペアはかなりの速度で腕を上げている。それだけは間違いない。 「…………」 ボンクラの俺でも気付くくらいだから、金髪さんの焦りはいかばかりか。 こんなところでななみに後れをとっては、NY復帰も遠ざかる一方だ。 「……勝った!」 「え!?」 「楽勝よ、楽勝。 あんなピンク頭にあたしが負けるはずないもん。 要は国産が化けりゃいいだけのこと☆」 「えらい簡単におっしゃいますな?」 「あたしが教えるんだから間違いないわ。 とゆーわけでトレーニングステージ開始! ビシビシ行くわよっ!!」 「あててて……!」 なんてこった、久しぶりの筋肉痛だ。身体がなまってた?そうじゃない、いや……そういうことになるのか。 りりかとの特訓では、普段使わない筋肉ばかり酷使する。 俺だって〈滑空〉《グライド》スタイルは相当研究してきたが、全身でセルヴィをコントロールするってのはこういうことなのだと、思い知らされた気分だ。 昨夜はコテンパンにされて、たいそうヘコんだものだが、これはまたとない成長のチャンスでもある。 畜生──こうなってくると無性に夜の訓練が待ち遠しいぜ。 しかし、その前に今日の店舗業務だ!こいつをこなさなきゃ夜はやってこない。 「みんな、おはよう。 昨日話した新商品の件なんだが、 結論から言えば、話し合いは不毛だ!」 「はぁ!?」 「横で聞いていて分かった。 ありゃ、3本の平行線がひたすら まっすぐ〈驀進〉《ばくしん》してるだけだってな」 「むー、どういうことですかー!」 「個性があって結構ってことだ」 「そこで考えたんだが、 とりあえず全員のイチオシアイテムを この展示スペースに並べてみよう」 「つまり、人気投票ですか?」 「そう、最終的に一番売れた商品を仕入れてみる」 「ふんふん、国産にしては効率的じゃない」 「商品の事前リサーチは経営の基本さ。 ということで、各人よろしく!」 ──10分後、それまで北欧のウッドドールで飾られていた展示スペースは、混沌の殿堂と化した。 謎のメルヘンぬいぐるみ集団。使用感著しい中古ゲームソフト。1/850スケールの全国の名城。 「こうして見ると壮観だな」 「りりかちゃんのゲーム、 古すぎて全くわかりません」 「ななみんだって ちょうちん憲兵さんばっかじゃん! すずりんのは姫路城じゃなくて……タイホン城?」 「熊本城です……」「……りりかちゃん?」 「ち、ちがうってば、そー、クマモトクマモト! ちょっと見間違えただけだし!」 「えーと、このヒメロ城ってのは?」 「それが姫路城です」「……りりかちゃん?」 「ちちちちがうの! ひめじひめじひめじひめろ! ほら、ちょっと噛んだだけだしー!!」 「まあ、海外生活が長かったんだから 漢字が読めなくても仕方ないさ」 「なんだその蛇足フォロー!?」 「大丈夫です、分かってますからー」 「あぅ……むぎぎぎ……!!」 「って……あれ? この隅っこにある飛行機はなに?」 「さぁ……なんでしょうか? こんなものは仕入れてなかったですけど」 「それじゃあ、片付けておきますね」 「ありがと。 ……あれ? どーしたの国産?」 「いや……なんでもないさ(泣)」 俺が傷心の涙をぬぐっていると、さっそく今日最初のお客さんがやってきた。 「いらっしゃいませーっ!」 イチオシ商品の仕入れがかかってるとあって、みんなやる気満々だ。中でもりりかは……。 「ようこそハイパーきのした玩具店へ! こちら、新しく入荷予定の レトロゲームコーナーです! どーぞー!」 「レトロゲーム……?」 「わわ、スネークっ! じゃなかった更科さん!?」 「おはようございます」 「……まさか今日も取材?」 「はい、このあいだは中途半端でしたので。 ご迷惑でなければ……」 「ご迷惑って……てんちょー!!」 「ええと……接客中でなければ構いませんが」 本当は少し困るのだが、断って怪しまれるのもまた困る。このあたりが妥協ラインだろう。 「UFO取材ならお断りですけど!」 「心得ています、今日は店員さんに スポットを当てて取材します」 「おおお、これこそアピールチャンスですね!」 「そーゆーことならよろこんで!!」 「更科さん! 更科さん! こっちも撮ってもらえますかー? 入荷予定の垂れペンギンですー!」 「商品ラインナップの拡充ですか。 ではさっそく……」 「あー、しまった! このあたしが、ななみんに先を越されるなんて!」 「………………ん?」 「…………」 「……あ、あの、更科さん?」 「…………」 「ええとですね、 どうしてそんなローアングルから?」 「迫力のある構図を探しています」 「ちょ、ちょーっと下半身がアップすぎて 危ない感じなんですけど??」 「平気です」 「は、はぁ……」 「(国産……あれ、いいの?)」 「(腹ばいになってまで……熱心ですね)」 「(最高に見栄えのする構図を探しているんだな。  さすがはプロの仕事だ)」 「(あんたたち……)」 「もう少しスパッツを下ろしてみると 良い写真になりそうです」 「え、え、お、下ろすって!? え……え、えーと……あ、あはは……! りりかちゃーん!!」 「白……」 ため息をついたつぐ美がファインダーから顔を外す。 「こらー! いま、強引にななみんのパンツ狙ったでしょ! どこに投稿する気!? ネット!? P2P!?」 「そんなことはしていません」 「白って言ったじゃん! ななみん、今日のパンツは!?」 「はい、それは……って、え? え!? そんな、みんながいる前なんかではー!!」 「白ではなく、そこの城が目に入っただけです」 「なーんだ、そうでしたか。 そうですよね、偶然わたしが白いパンツを……」 「ななみん?」 「わあああ、しゃべってた!!!」 「あーもう! 城もぬいぐるみもいいから! 撮るんならこっちでしょ!?」 つぐ美の腕を取ったりりかは自分のゲームソフトの前に彼女を連行する。 「クレームの趣旨が変わったな」 「さすがはりりかさんです」 「さ、この神ゲーを前に お店のアイドルりりかちゃんを かわいーく撮ってくれる?」 「分かりました…………」 「………………」 「空中分解ボロガード? ………………いまどきなぜ?」 「知ってるのっっ!?」 「1984年発売。敵を撃つのではなく 撃たずに避けることに特化した 合体ロボットシューティングゲーム……」 「す、すごい。さすが新聞記者……! でも残念ね、発売は85年よ」 「オリジナルは84年です。 85年に発売されたのは、 バランス調整をした移植版です」 「ががーーーん!!!」 「な、な、どうしてそんなに詳しいの!?」 「祖父の家に実機とソフトがありましたので」 「わぁぁぁ……すごい、うらやましい!! あたしエミュでしか見たことないのに!」 「ですがここにソフトが」 「実機がないもん。 あたし88しか持ってないから 60とかFM系は憧れなのっ」 「(とーまくん、分かりますか?)」 「(電車の話だろう)」 「(よく分かりませんが、楽しそうですね)」 「ね、ね、遊んだ!? 遊び倒した!?」 「家がゲーム禁止でしたので、 祖父の家でしかできませんでしたから」 「つぐみんのおじいちゃんって、 ちょっとハイカラさんじゃない? 他にはどんなので遊んでたの??」 なんという変わり身。いつの間にか『スネーク』が『つぐみん』になっている。 いろいろ総合するに古いゲームの話のようだが、りりかは完全にUFO取材の警戒心をどこかに置き忘れてしまったようだ。 かくして俺とななみと硯を置き去りにした、レトロゲーム談義が奇怪な花を咲かせはじめ……。 「うっそー、ファイナリーゾーン!! 今回のポイント−マンはあたしひとりでやる?」 「タイニーゼルビウス!? mk2版って凄いカラー綺麗だよねー。 RF端子のにじみ画面で見てみたいーっ」 祖父の家で遊んだ思い出話を淡々と語るつぐ美だが、聞いてるりりかの弾けようは尋常じゃない。 「ははぁ、つまり りりかちゃんはマニアさんなんですね」 「時代と年齢がかけ離れている気がするんだが……」 「貴女はシューティング派のようですね?」 「もっちろんシューターです。 あ、あたしはりりかでいいから☆」 「分かりました。 それでは、撮影に入ります。 ボロガードは胸の前でポーズをどうぞ」 「いい写真撮っちゃってー♪ ウェザートップに入るつもりでよろしくね☆」 「くすくす……」 全く何を言っているか分からないが、どうやら二人の間には暖かいマニアの絆が生まれているようだ。 ともあれこれが、記者さんがツリーハウスに向けている好奇のまなざしをそらすきっかけになればいいのだが。 一通りの撮影を終えたつぐ美は、最後にゲームソフトを1本持ってレジにやってきた。 「こちら、いただきます。 取材ご協力ありがとうございました。 店長さんにご相談があるのですが……」 「俺に? はい、なんでしょう?」 「では、お話は外で……」 一日の取材活動を終えた新聞記者さんと、店の入口で向かい合う。 「ええと、相談というのは?」 「今日はさいわい客足も控えめでしたが、 私も営業妨害になるような取材活動は 本意ではありません」 「はぁ……」 「ですので、店舗への取材を控えるかわりに、 店長さんに協力していただきたいことがあるのです」 「そいつはUFO取材の協力ってことで?」 「はい」 ふーむ……協力か。それで取材を控えてもらえるのならありがたい話だ。 「わかりました。 営業に差し支えない範囲でしたら、 ご協力しましょうか」 「それでは、もしもお店に この被写体が現れたら 通報していただけますか?」 「……!!??」 「あ、あの……これを俺が?」 「唯一の手がかりですが、 焼き増しですので遠慮なくお持ちください」 「ええと、お客さんのスカートを めくって確認しろと?」 「怪しい客のみでけっこうです」 「できるかっっ!!!」 「方法はお任せします。 それから、これを……」 そうして彼女は1冊のハンドブックを手渡してきた。 『徹底攻略・しろくまミステリーゾーン』〈是美〉《これみ》〈有栖〉《ありす》/著しろくま日報社/刊 これは、前にさつきちゃんが持ってた本?……とは違うようだが、似たような趣向の本のようだ。 中のページをぺらぺらとめくると── 『しろくま町に現れた謎の飛行物体』『赤い発光体と赤天狗伝説』 ──なんて見出しが飛び込んでくる。 「この本って……まさか、更科さんが?」 俺の問いかけにつぐ美はこくりとうなずき、それから少し遠い瞳をした。 「私は、伝説の赤天狗が 宇宙人ではなかったかと思っています」 「……はぁ」 「怪光線、謎の葉巻型母艦、フライングソーサーの ような物体を見かけたときも、ご連絡ください。 では失礼いたします」 伝えたいことだけを言い残して、つぐ美が森の外へと帰ってゆく。 「ふーむ、伝説の赤天狗か……」 おそらく民話の赤天狗はサンタクロースだ。しかし、そいつを素直に話すことはもちろんできない。 今は天狗小屋にトリが住みついているが、どうにかして、あれが宇宙人の正体ってことにはできないものか……。 「しかし、通報と言っても……」 「うっ……目の毒だ」 「てんちょー! なにやってんのー!?」 「い、いやっ、何でもない!! ああ……本当になんでも!」 「ふーむ、今日は不調だったか」 せっかくの新商品コンペだったが、今日は客足がいまひとつ。 たまに店に顔を覗かせたお客さんも、つぐ美の取材中だということで遠慮がちに店内を冷やかす程度だった。 こいつは、いよいよあの記者さんには納得のうえでご遠慮してもらわねばなるまい……。 「ふんふんふーん♪」 「おや、えらい御機嫌だな?」 「まーね、 ふっふっふ……予想通り圧勝だったわ♪」 「圧勝? そいつは……まさか新商品の?」 「とーぜんでしょ! つぐみんお買い上げの1本で あたしのぶっちぎり勝利!!」 「………………」 「ダブルスコア、トリプルスコア以上の 大差をつけてのアイムウィナー!」 「確かに0は何倍しても0だが……それで嬉しい?」 「なによー! 可愛いパートナーさんの大勝利が嬉しくないの?」 「店長としては0対1という数値への不安が……」 「なんとかなるなるっ♪ やっぱり新入荷はレトロゲームで決まりねっ! こんなに売れるんだもの!」 「0対1」 「これを100日続けたら0対100よ! もー完封勝利!」 「1本差」 「だ・ま・れ・国産☆」 「……!!」 「なによなによだいたい部下のくせに さっきからえらそーに数字数字って! 勝ったんだから勝ったんだから勝ったの!!!」 「わぁぁ、怒るな怒るな! 別にお前の勝利は否定してない!」 「おまえ!?」 「あーーー!!! わかった、お姫様っっ!!!」 「──ん!?」 「ちょっと待て!!」 「うぇ!?」 「気づいた、読めた、ひらめいた!! 考えてみりゃ、お前は俺の部下じゃないか!!」 「はぁぁ!?」 「今はきのした玩具店の仕事中! 俺は店長、お前は店員だ!! どうだ、ここにこそ明確な上下関係が……」 「国産ひとりでお店回せるの?」 「うぐっ!!」 「うーん……でも国産の言うことにも一理あるか。 てことは、つまり……」 「つまり……?」 「あたしが店長になりゃいーのね!!」 「俺は!?」 「あんた〈傀儡〉《かいらい》!! 名義は貸してあげるけど、 真の店長はりりかちゃん☆」 「やめろ、大家さんとかに怪しまれる!」 「部下は上司に従うーー!!」 うぐぐ……なんだこの自信は!? 「わ、わかった。 じゃあ……そうだな、 1日店長ってことでどうだろうか?」 「1日店長!?」 「ああ、ほら……なんというか、 アイドルっぽいだろう?」 「それいい! ナイス国産!! さすがあたしの部下だけのことはある!」 「あぁー、柔軟な上司に恵まれて なんて俺は幸せなんだー(棒)」 「ええぇぇーーっ!?!?」 「そーゆーわけで次の日曜はあたしが店長の日☆ ぜったい売り上げ伸ばすから、 サポートよろしくねっ!」 「は……はい……それは構いませんが」 「えぇぇー、お試しキャンペーンはー!?」 「もう勝負ついたじゃん。 健闘したわね、ななみん……」 「あ、あれで終わりですかー!? すずりちゃん、すずりちゃん! ここでなにか一言!」 「りりかさんならあらゆる手段で 売り上げをアップしてくれそうです……」 「そーゆーこと、すずりん見る目あるある☆ ピンク頭も敗北を認めて引き下がるよーに!」 「そんなぁぁーーーーー!?」 「月守りりかさん、横暴で独断専行。 リーダーとしての資質に問題多し……」 「ぎゃああ!? ニセコ、なぜここにー!?」 「ふふふっ……審査の目が光っていることを 忘れないでください。それでは!」 「りりかちゃん、すでに本性まるはだか……」 「そんなことないもん!」 「……で、全部で何箇所?」 「ポイントが3つ、 バルーンの総計は24!!」 「軽い軽い♪ さっさと片付けちゃうわ」 ブラウン邸に顔を出した俺たちは、観測用のバルーンを受け取り、訓練の舞台であるニュータウンへ──。 秋空の下をカペラは軽快に滑る。ここ数日のハードな訓練を忘れるほどに晩秋の風は心地よい。 「うん、霧が多いけど、 それなりにコースができてるみたい」 ボスとオアシスの営業活動が実を結んだようで、ついに、ニュータウンのルミナ分布に変化が現れた。 あれほどルミナの流れなかったニュータウンに、不完全ながらコースが生まれ始めたのだ。 そこで今日から観測用バルーンを増設して、今後のルミナ分布の推移を観察するらしい。 「見えるか?」 「バルーンの位置は問題なし。 でもルミナはかけらも見えないわね」 ニュータウンの外縁部にはコースが生まれつつあるものの、さすがに中心部となると相変わらずの真空地帯だ。 空中からのバルーン設置を終えた俺たちは、地上から双眼鏡で位置を確認する。 バルーンの位置とルミナの濃度は支部のPCで確認できるのだが、りりかが言うには、なんでも肉眼で確かめるのが大事らしい。 「コンピューターゲームが好きな割に アナログ派なんだな」 「文句ある?」 「いや、俺も賛成だ。 太陽見て目を潰すなよ」 「3年目がえらそーに言わない。 誰だと思ってんの?」 「そりゃ失礼しました、お姫様」 「お姫様って、誰が?」 「うわっ」「きら姉!?」 「こんにちわー、何が見えるの?」 「空です空! 秋の空って物悲しくなるなーって」 「きら姉はお散歩ですか?」 「ん、ま……息抜きってとこかな。 もー毎日机にしがみついてたら疲れちゃって、 さっきまで城址公園でぼけーっとしてたとこ」 「受験勉強、大変そうですねー」 俺への態度と、大家さんへの態度。相変わらず見事な化けっぷりだ、このお姫様は。 「あたしもお店にいたら ちょっと肩こっちゃいましてぇー」 「おまけにセンチになったっていうんで、 散歩に付き合ってやってるんですよ。 意外にメンタル弱い奴で、ハハハ……!」 「そそそそーなんですー☆」 頭をポンポン叩いてやると睨まれた。ユーモアだ、ユーモア。 「仲いいんだー、うらやましいな」 「ぜんぜんそんなことないですよー」 「いてっ!」 「ここんところ、熱心な記者さんが 毎日押しかけてくるので、もー大変」 「それって、つぐ美ちゃん?」 「あ、そういえばきら姉って つぐみんの先輩でしたっけ?」 「ん、去年までガッコが一緒だったから。 あの子、興味持ったらまっしぐらだから 迷惑してない?」 「ご安心を、もーすっかり仲良しですから☆」 「へえ、さすがおもちゃ屋さんね!」 「まっかせてくださーい☆」 「つぐみんって学校だと無口なんですか?」 「そうなのよ、クールなお嬢様って感じ。 悪い子じゃないんだけど、 わりと近寄りがたいタイプかな」 「大家さんとは仲良さそうでしたね」 「あはは……私はほら、 誰にでもなれなれしいから」 「普段は無口なんだけど、 取材のときは急に迫力あるんだよな」 「そーそー、普段は無口で冷静。けれども しろくま日報の取材となると別人みたいに 情熱的──それがつぐみんよ」 「口癖は『レンズに映ったものが真実です』 その割にオカルトの取材なんかもしてるんだけど」 「オカルト?」 「そ、何とかアリスってペンネームで 心霊の特集記事を書いてたりしてね」 わかった……あの本だ。 「なんか、怖いものなしの マスコミさんって感じですね」 「怖いのは鬼デスクくらいじゃないかな? すっっごいスパルタらしいから!」 「ふーん……鬼デスク(きらーん☆)」 「最近は趣味でUFOを追っかけて……」 話しかけた大家さんの表情が固まる。凝視した視線の先には……。 「きららちゃーん!」 「姉ちゃんっ!?」 「さあ、きちんとお勉強しましょーねー」 「サボってたんじゃないの。 ちょっと気分転換してただけで、ああぁぁ……!」 「………………」 「きら姉、あの調子で受験大丈夫なのかな?」 「……………………………… ……………………………… ………………………………」 「め、飯でも食って帰るか!」 「そ、そーね!!」 「すみません、デラックスペーターバーガーセット! ドリンクはコーラ、ポテトはLにサイズアップ。 それからペッパーバーガーを単品で!」 「かしこまりました」 かくして、しろくま通りに繰り出してきたりりかが真っ先に飛び込んだのは、ファーストフードの『バーガーTIME』。 「いいのか、こんなお手軽で?」 「もっちろん! あ、それからナゲットを1つと、 エッグバーガーも!」 「悪いな、俺の分までわざわざ」 「は?」 「なに言ってんの、自分のオーダーは自分で!」 「……嘘だろう?」 オープンテラスの席を取り、りりかと二人でジャンクな昼食だ。 俺のトレイにはダブルバーガーセット。向かいのりりかのトレイには………… 「……山だ」 豪快なまでのジャンクフードの小山ができている。 「はぐはぐむしゃむしゃ はぐはぐむしゃむしゃ!!」 「……んー、やっぱ食事はこーでなくっちゃ♪」 「……山が……掘削されていく」 「ん? 国産食べないの?」 「食べる食べる、俺のペースで食べるから」 「そお? ならいーけど」 おどろいた……こいつはななみばりの食欲だ。おまけに、厚みのあるハンバーガーをかじるときのなんという満足顔──!! いつも、ダイエット中などと言ってはあまり食べないイメージの金髪さんだが、まさかこんなに食う奴だったとは!! 「……ストレスか」 「ん?」 「なんでもない、独り言」 「ごちそーさまっ!」 「早っ!?」 「よーっし、それじゃ次行くわよ。 食べきれないなら手伝ってあげる」 「次? あ、俺のポテト!!!」 「えへへー☆すきありー♪」 俺のポテトを勝手につまみながらVサインを送ってくる。いつもより子供っぽく見えるのは、上機嫌の証だろう。 それにしても信じられん。その身体のどこにあんな大量の食料が消えていったのだ……!? 「次ってのはここか?」 「そ、下準備よ」 「訓練の?」 「1日店長の!」 ノリで決まった1日店長をやるのにも、図書館で律儀に下調べをする。 なるほど、月守りりかというのはこういうサンタなのだろう。 派手好きな外面や、プリンセスというより女王様じみた高飛車な態度に惑わされていては、彼女の本質を見落としてしまうかもしれない。 「ふん、ふん……これと、 これと……あとはこれ」 経営学──とプレートのかかった本棚から、めぼしい本を物色する金髪さん。 しかし、1日店長の日が明日に迫っていることもまた、ひとつの真実だ。 「一夜漬けにしちゃ冊数が多くないか?」 「誰が一夜漬けよっ! 仕上げの確認!!」 「しーーーっっ!」 「わわ、ご、ごめんなさい……」 ぺこぺこと頭を下げて、貸出カウンターで数冊の本を借りる。 どれもりりかの小さな身体には不似合いなほど分厚い本だ。それを抱えている姿はなんだか微笑ましくもある。 しかし『熊本城』を読めない人でも読める経営学の本なんてあるのだろうか……? 「そりゃあ荷物持ちは俺だろうさ」 「分かっているならよろしーい」 その分厚い本を全部持たされた俺はお姫様に促されて外のベンチに腰を下ろした。どうやらここで本の中身を確認するつもりらしい。 運搬係の俺も、ついつい本のタイトルが気になってしまうが……。 「ふむ……?」 「………………」 『マクロ経済と動学的一般均衡理論』『情報化社会におけるMBAメソッド』『人的資源管理〜コスト削減型HRMシステム』 「ええと、君は何になるつもり?」 「ハイパーでキュートなおもちゃ屋さんよ。 どれどれ……」 「……………………ふんふん、なるほど」 「わ、分かるのか!? すげえ!!」 「だいたいはね。 つまり、無茶な値切りには応じるな ……ってことかな、うん!」 「思ったより単純な本だな!!!! なんで借りた!?」 「ああん、もーいいじゃん! あんまり細かいこと言わないの! それに販売プランはもう考えてるんだから」 「ほう、それは凄い」 「だからこれは仕上げの確認って言ったでしょ」 「熊本城を読めない人が……」 「な、なによーーーっっ!?」 「こんばんは!」 「お、とーるくんだ」 「いらっしゃいませ」 「また頼んでもないのに監視しに来たわね」 「なんて言い草ですか。 りりかさんに頼まれた品物を持ってきたのに!」 「りりかちゃんの?」 「おーーっととと! えらい! ありがとー!!」 「わ、わわっ……! いいです、撫でないでいいですから。 これも仕事なので!!」 「それじゃ、運んで運んで!!」 「ちょっと重たいので手伝ってくれますか?」 「おっけー、任せてっ! 国産出動ーーー!!」 「はいよ、お姫様」 「……とーまくんたち、 ずいぶん打ち解けましたねー」 「ほんと、息も合ってきていますし。 相性いいんじゃないですか」 「う、うむむむむ……複雑です」 「わっ、わっ、わぁぁ!! ニセコやるじゃん! どこでこんな大量に仕入れてきたの?」 「よくわかりませんが、オクラホマ支部の倉庫に 眠ってたんです。それじゃ僕はこれで……、 明日の売り上げには期待していますから」 「まーっかせなさーい!」 「そうか明日の商品か。 ゲームソフトだったな」 大きなダンボールを開けると、中にはゲームのパッケージがびっしり並んでいる。どれも少し歴史の感じられる不ぞろいの箱ばかりだ。 「どうしてオクラホマにこんなものが?」 「向こうの支部でゲームショップでも 経営してたんじゃない?」 「なるほど、 サンタらしいっちゃあ、らしいか。 ディーエスのソフトはあるのかな?」 「ない」 「Willやブレステは?」 「ディスクシステムと SMC-7777ならあるみたいだけど?」 「……なにそれ?」 「日本の歴史。 んじゃ、そっちから順番に並べてって」 「了解……ととと!?」 「きゃ!! ちょっと国産?」 ソフトを受け損ねて、脚立から落ちそうになったところを危うくりりかに支えられた。 「セーフ!」 「すまん、姫……」 「はいはい。 もー、しっかりしてよね」 さらっと流して作業に戻るりりか。俺も彼女のことを、いつしか抵抗なく『姫』と呼んでいることに気が付いた。 不思議とこの数日、俺たちはコンビとして息が合ってきている気がしないでもない。 「……そーいえば、 国産は何でトナカイなの?」 「そこに空があるからさ」 「なにカッコつけてんの。 それならサンタでもいいでしょ? イブの花形っていえばサンタなんだし」 確かにそういう見方もあるだろう。せっかくパートナーになったのだから、俺のことももう少し分かってもらうべきかもしれない。 同じ話の繰り返しになるかもしれないが、まだ彼女に話していないことだってある。 言葉よりも実力で分かり合う……なんてのがじっさい俺の好みだが、だからといって会話を避けていてはチームワークも生まれない。 「……親父がパイロットだった って話は前にしたよな。 自衛隊で戦闘機飛ばしてた」 「うん、G-ROCばりの」 「そう……早い話が憧れだったってわけさ」 「事故で親父を亡くして、 俺は田舎の町に引っ越したんだが、 そこに川があってさ……」 「水ってのは、夜になると真っ黒なんだよな。 まるで親父の墜ちた海みたいにさ」 「……そいつがどうしても怖かった」 「…………うん」 「……だから、俺はトナカイをやってるんだ」 「なにそれ、思いっきり間はしょってない?」 「悪いな。 上手く説明できてないかもしれないが、 とにかく、そうなんだってことさ」 「いいけどね、自分を上手く説明する 必要なんてどこにもないし……」 「…………」 ふと──金髪さんが瞳を伏せた。 それは、はっと気を引く表情ではあったが、俺は……あえて見なかったことにした。 俺たちはまだペアを組んで日も浅い。もし、なにか俺に言いたいことがあるのなら、じきに彼女が本人の判断で話してくれるだろう。 「トナカイか。 あたしもフライトシムはけっこう遊んだけどね」 「ゲーセンのかい?」 「どっちかというとPC。 でもシューティングのほうが好きだったから」 「それでバンバン撃てるサンタになったわけだ」 「あははは……まあ、そんなとこ。 そういや国産、これやったことある?」 「お、スペースラスター! 懐かしいな……」 「宇宙物の3Dシューティングはロマンよねー。 ま、初期配置命のランダムゲーなんだけど、 乱数とガチ勝負するのって最高に燃えるし!」 「ええと……」 「よーし、これが売れ残ったら、 国産にはディスラプターかんたん攻略法を 教えてあげよう。ありがたく思うよーに☆」 「えーと、ひとつ分かったことがある」 「なになに?」 「姫はペンキ屋さんといい勝負だ」 「ど、どーゆーことっっ!?」 「サンタがおもちゃ好きなのは知ってたが、 姫のは……なんというかマニアの領域」 「それほめてない!!」 「いや褒めてる。その情熱があれば 確実に商品をアピールできそうな気がする」 「そ、そう? ん……それは、どうも……」 拍子抜けしたような顔をする。存外、姫は面と向かって褒められるのに慣れていないような……いや、気のせいか。 「しかし、問題はその商品が えらいニッチな物だってことだが……」 「ふふーん、そこにはりりかちゃんの秘策ありよ」 「秘策?」 「内緒内緒、全ては明日のお楽しみっと☆」 「はー、終わった終わった。 あたし先にお風呂入ってくる」 「ああ、俺も一休みさせてもらうよ」 どうやらななみと硯は俺たちが倉庫にいる間に風呂を済ませたようだ。 金髪さんが廊下に消えるのを見送ってからソファーにどっかりと腰を下ろし、深夜のニュースをつける。 最新の話題を仕入れるのも接客の基本。少し前にあのお姫様から、そう教えられた。 おもちゃ屋をやるようになって覚えたことだが、夜のニュースというのは、スポーツを除くとたいがいが良くない知らせだ。 画面を眺めながらカペラのことを考えていたら、5分もしないうちに、パジャマに着替えたななみと硯が店舗につながるドアから入ってきた。 「お、とーまくん」 「お店の後片付けかい?」 「ええ、明日はりりかさんの1日店長なので、 少しスペースを作っておこうと思いまして」 「それはありがたい。 こっちもようやく片付いたよ。 どれだけ売れるか分からんが、明日はよろしく」 「はいっ、じゃんじゃん売っちゃいましょー!」 「あの……りりかさんは?」 「風呂」 「え? ええええーーーーーーーっっっ!?」 「ど、どうした!?」 血相を変えた二人の態度にがばっと身を起こしたそのとき……。 「ぎゃあああぁぁあぁあぁーーーー!!!!!」 「はっ、早く服きろーっっっ!!!」 なんだ、廊下でなにが起こっている? 「どどどどーしましょう!?」「ま、ま、まずいですっっ!!」 「わぁぁああぁあぁああっっっ!!!」 「はーっ、はーっ、はーーーっ!!」 「こ、これは……透!?」 「今度とゆー今度は絶対ゆるさない!! この常習覗き魔!! 異常性欲盗撮痴漢変態キャロル!!!」 「わぁぁ、やっぱり大変なことにーー!!」 「知りませんっ!! 入ってきたのはそっちじゃないですかぁ!」 「そもそもなんでニセコが 勝手にひとんちのお風呂入ってんのよ!!」 ああ……そういうことか。七瀬透、運がなかったな。 「そ、それは……わたし……がぁ……」 「そうです!! 僕が汗をかいてたから みなさんがお風呂にって……わぶっ!!」 「そこから計画のにおいがする!」 「ええっ!?」「そ、そーなんですかっ!?」 「汗くらいだったら支部に帰ればいいし!」 「そ、それは……ツリーハウスのお風呂は どんな具合かなって思ったから!」 「とか言ってハプニングを期待してたに決まってる!」 「そ、そ、そーなんですかっっ!?」 「違いますっっ!!」 「言い訳はいいわ! 汗だくになってまで 乙女のバスタイムを覗こうなんて奴は、 ハイパージングルブラスターで一撃打倒!!」 「わっ、わーーっ、つめたいいいっ!!」 「でも……その、出来心なんですよね?」 「ちがいますっっ!!」 「やっぱり故意!?」 「もっと違いますーっ!! ほ、ほんとは、みなさんの日常生活を もうすこし調査してみようと……!」 「また取って付けたような嘘を」 「本当ですよっ、見てください! ちゃんと チェックしてるんです。トイレとお風呂の 清掃状況とか、個室の片付け状況とか!」 「えーーー!? それで汗だくになってたんですか!?」 「個室まで……!?」 「それもレッドキングの指示!?」 「い、いえ……その、これは……僕の独断で」 「……で、実際に自分で風呂を使ってみたら 金髪さんが入ってきて、裸を見てしまったと?」 「不可抗力であったとしても、 見ちゃいけない物を見てしまったのなら、 謝っておいたほうがいいぞ」 「そーよ、それにこいつ2回目だし!」 「ご、誤解ですっ!! それに見られたのは僕のほうですから!!」 「は……??」 「えーと……りりかちゃんの乙女の秘密は?」 「暴いてませんーーーっ!!」 「と、言ってますけど!?」 「えっと……それは、まあ……」 「とーるくんが見たんじゃなくて、 りりかちゃんが見ちゃったんですか???」 「だだだだって、 とにかくひどい目にあったのよ!?」 「そ、そんなにもですかっっ!?」 「そーよ! 禁断の記憶よっ! ベルスターズの存亡にかかわる大事件よ!!」 「大事件!?」「禁断の記憶!?」 「それが……私たちチームの存亡を!?」 「こ、これはにわかに放置できませんっ! どういうことなんですか、りりかちゃんっ!?」 「わ……わかった、話すわ。 いい? さっき、あたしがお風呂入ろうとしたら 脱衣所から人の気配がしたの……!」 「てっきりななみんかすずりんだと思って 入ってみたら、そこには……!!」 「……ごくり!」 「……僕がいただけですが」 「そうこいつ! ことさら性器等及びその周辺部、 胸部、並びに臀部を露出した、わけの分かんない ちびっこキャロルが鼻歌まじりにドライヤーを!」 「わぁあぁあっっ!! 見てたんじゃないですかーー!」 「男がそんなこと気にするな。 別に見られたって減るもんじゃないさ」 「だからって嫌ですよっ!!」 「それでどーなりましたっ!?」「それでどうなりました!?」 「お二人も興味を示さないでくださいぃぃ!」 「だってチーム存亡の危機ですよ!」 「禁断の記憶というのがそこに!?」 「で……でも、見てなかったですよね!? そういえばりりかさん、 手で顔隠してましたよね!?」 「………………隠してたっけ?」 「隠してたじゃないですかー! こうやって、両手で、目の前を覆って!」 「それって……! この隙間を作る方のパターンですか?」 「そうそっち!」 「見えてる!?」 「どっちだっていいじゃないか。 なんで男がそんなこと気にしてんだ?」 「中井さんに羞恥心はないんですかぁ?」 「あるけど分からん」 「はっ……! まさか…………禁断の記憶って……」 「な、なんですか硯ちゃん!?」 「透さんが……その……! 男の子じゃなかったとか?」 「ええええっっ!? そ、そんな急展開ってありますか!?」 「嘘だろう?」 「じゃあ、りりかちゃんが見たのって!? あれ、この場合は見てないってことになるのかな? 見たようで見てないような……うーん、うーん!!」 「ないです、ありえないです!! 僕は男ですってば!!」 「そ、そこのところ、 具体的にはどーなんですか、りりかちゃん!?」 「何が見えたんだ!?」 「……………………(どきどきどきどき)!!」 「そ、それは……」 「それは!?」 「………………ごくり」 「……って、そんなこと 乙女の口から言えるわけないからー!」 「そこをなんとか、ヒントだけでも!」 「そうだ、場合によっちゃ、 キャロルさんとの今後の接し方を 検討しなくちゃならん」 「なにもありませんってば!」 「もう…… どーしても気になるならしょうがないかぁ」 「遠まわしに言うとね……あたしが見たのは……」 「み、見たのは……!?」 「㍉㍑㌢㌧㌢㌧!」 「?????」 「だ、だからー!」 「㍉㍑㌢㌧㌢㌧!! ──下段にちゅうもくー☆」 「…………!!!!」 「わぁぁぁぁぁ!?!? サブリミナルな悪口やめてくださいーー!!」 「あうぅぅぅ……ううっ、ぐすっ! だから嫌だったのに、こんな仕事……くすん」 「ま……まあまあ、とーるくん! ふぁ、ふぁいとですっっ!!」 「あー、その粗品的な状況は分かったが、 それのどこがチームの危機なのか?」 「危機一髪よ、分かるでしょ? りりかちゃんの魅力にめろりんQ@になった 全裸ニセコが襲ってきたら大事件だし!」 「誰が襲うかっっっ!!」 「はぁぁ、なーんだ……」「……取り越し苦労でした」 「うん、可愛いって罪だと思う。 事なきを得てよかったぁ……」 「ううっ……どうして僕がこんな目に! 中井さん、年長者からもなんとか 言ってくださいっ!!」 「サイズのことなら気にするな、透」 「あなたまでーーっっ!!」 そんなドタバタのうちに、いよいよ月守りりか1日店長の日がやってきた。 「みんなー! 今日はあたしのために 集まってくれてありがとーーーっ!!」 「月守りりかatきのした玩具店1dayスペシャル! 最後まで楽しんでいってねーーー!」 「それじゃ行くよーー!! せーーのっ、おっはよーございまーす!」 「おはよーございますっ!!」「おはようございます」 「うんうん、今日の朝礼は絶好調! この調子でじゃんじゃん売ってこー!」 「はーい!」 「では、その前に一曲きいてください。 りりかる☆りりかちゃんで、Winter Bells♪」 ノリノリだ。1日店長を任されたりりかのノリノリぶりは俺の想像のはるか上だ。 「朝礼はとーまくんより上手ですね」 「あんなんで良かったら俺も歌うぞ」 「そ、それはごかんべん!」 「じゃーん!! これがおもちゃだーっ!」 「わぁぁ、すごーーい!」 「棚のこっち側はコンシューマーゲーム! アルカディアンとか、高速船のソフトね。 ハードはあったりなかったり……」 「……でこっちがPCソフトで、ちゃんとMEC系と シャーブ、富士〈2〉《つぅ》系に分けておいたからね。 FDは5インチと3.5インチを間違えないよーに」 「で、真ん中にぴゅー太を置いて……と、 ねー聞いてる!?」 「わわわっ!? あの、りりかちゃん、りりかちゃん!?」 「ん?」 「外に……行列ができています!」 「マジか? うわ、すげえ!!」 窓から見えるのはおもちゃ屋から森の入口に向かって並ぶ少し大きめなお兄さんたちの大行列! 「どうして今日に限って?」 「ふ……ふふふ……ふはははははーー!! これがあたしの真の実力!!」 「おはようございます」 「わー@ つぐみーん! ありがとー!!」 「感謝には及びません。 これも記事のためですから」 「……えーと、1日店長さん。 状況が分からないんだが、 こいつはどういうことなんだ?」 「ふっふっふ、実をいうとね、 マスコミ代表のつぐみんに 宣伝をちょこーっと手伝ってもらったの」 「まさか記事にしてもらったのか!?」 「いえ、時間がありませんでしたので、 今回はネットで噂をばら撒きました」 「ネット? 噂?」 「伝説のスコアラーRRK氏がレゲーフェアを企画して いると書き込んだところ、匿名掲示板のスレッドが 予想以上に沸騰し、現在3スレ目に突入しています」 「ふふ……全ては狙い通り。 この客入りなら良い記事が書けそうです」 「スコアラー? 3スレ? RRK? なんのことだ? おい店長!?」 「よーっし、さっそくゲームスタートっ!!」 「おっまたせしましたー!!」 「やってきました1日限りのハイパーバージョン! きのした玩具店・隠しステージオープンでーす!」 ──かくして、俺たち全員の想像を絶した1日が幕を開けた。 「い、いらっしゃいま……せ……?」 「おおー、すげえ!? 熱血すとーりーバスケットの未開封品!?」 「み、見ろよ、Zのファイナル〈ED〉《エディション》だ!」 「まさか、こんな田舎に鉱脈が……!」 「と、とーまくん…… おっきなお客さんばっかりです!」 「全員男性だし、いつもの客層とまるで違うな。 気を引き締めて行こうぜ」 男だろうが女だろうが、大きなお友達だろうが小さなお友達だろうが、お客さんはお客さんだ。 それにしても、まさかこの僻地の店がお客さんでごった返す日が来ようとは! 多少の羨望と嫉妬の思いを込めて、俺はノリノリで接客中の1日店長さんの様子をうかがう。 「ふむふむ、パッドもアナコンも苦手なんですか? 分かります! やっぱりテンキーが最強☆」 「店員さんもそう思う?」 「はい、アナログコントローラーって慣れないと イレギュラー入りやすいし、やっぱりキーボードで 動かすときの『完全支配』って感覚が一番ですよね」 「ボクもそう思うんだよっっ! アナコンだって 所詮はデジタルで処理してるんだし!」 「そうそう! 指先ひとつでトラックボール以上の滑らかさを 再現するのが、テンキー使いの心意気ですっ!」 「さ、最高だよ! 分かってるね店員さん!」 謎言語のやり取りだが、マニアや専門家なんてのはそんなもの。要はペンキ屋さんのようなものだ。 店長としてみれば、お客さんが楽しそうであれば、それでよし。 「…………」 幸いなことに今日は記者さんも、UFOより店の写真を撮るのに熱心なようだ。 と、グループ客の中から、ひとりの男性が俺のところへ近寄ってきて……、 「あの……RRK氏って貴方ですか? 俺、尊敬してるんです、いまだにSBIで ハイスコアを更新してるなんて……」 「いやっ、自分はゲームは全然ヘボでして。 どーやら、あそこの1日店長がその人かと」 「ええっ、あの子!?!? まさか……あんな若い子が!?」 男性客がグループの輪に戻ると、あっという間にざわざわと情報が伝わって行く。 「あれ、どーしました?」 「あの……すみません、 ひょっとして君がRRKさん!?」 「うわ、もうバレちゃいました?」 「そのとーりっ!! 深夜のアミューズメントスポットに現れる 華麗なるスコアラーRRKとはあたしのこと!」 「ほ、本物だぁぁーー!」 「うおおーーー! すげええーーー!!」 「まさかRRK氏が こんなおにゃのこだったなんて!」 「バカヤロウ! RRK氏じゃねえ、RRKたんだ!」 「わぁ☆ 熱烈来店感謝でーす! あたしのハートのリップルレーザーで、 いつでもアナタを狙い撃ち☆」 「ワンミスくらったーーーーー@@@」 「か、可愛い……! 8ビットの天使だ!!」 「スプライトの女神だ!!!」 「VRAM転送の魔術師だ!!!!」 「あっりがとーございまーーす☆」 「愛してる、RRKたーーん!!」 「いえーい!! あいむ☆ゆあ☆ふれーーんど!!」 「I'm your friend!!!」 「わ、わぁぁ……!! なんかわかんないけどすごいです!」 「ああ、すごい盛り上がりだが いっさい入り込めん」 「そーゆーわけで! HERE COMES A NEW CHALLENGER! こっからはボーナスステージでーす!」 「なんと! お買い上げ2000円以上の お客さまには、お好きなゲームであたしに 1プレイ挑戦権を大サービスっ!」 「そして見事勝利したアナタには、 ステキなごほーびを、プ・レ・ゼ・ン・ト@」 「か、買う! 俺は買うぞ!!」 「欲しかったんだ、ジャイロダウンの基盤!」 「私はP6本体と拡張RAMを!」 「皆さん揃ってお目が高いっ! お買い上げありがとうございまーす☆」 かくして昼を過ぎたころ、日ごろアットホームなきのした玩具店は完全に大ゲーム大会の様相を呈していた。 「やっほー、楽勝楽勝 手加減はゼロですからねっ」 「あ、ありえねー!! この弾幕をボムなしで!?」 「アルゴリズムとパターン暗記で楽々です。 乱数に比べたらちょろいちょろい」 「……りりかちゃん、 すっかりお客さんとゲーム大会になってます」 「今日はあいつのリフレッシュデーか?」 「でも中井さん、売上げ……すごいですよ」 「うお? なんだこれ!! 桁……違ってないか!?」 「合ってます。りりかさんにチャレンジしたい人が 殺到しているのと、よく分からないのですが、 プレミアの付いたソフトがいくつもあるみたいで」 「1本4まんえん……!?」 「それでも相場の半額以下だって、 みなさん喜んで……」 「たいした目利きだな。 あの金髪さんがねえ……」 「ノーゲーム・ノーライフ♪ 溶岩面は目隠しプレイだって余裕余裕☆」 「パネェっす! RRKたんパネェっす!!」 「ペンキ屋さんが鉄道模型店を始めたら こんな感じになるんだろうな……」 「でもみなさん、目がキラキラしています」 「ほんと、おもちゃ屋さんの醍醐味ですね」 「ああ、本当にそうだ……」 おもちゃ屋ってのは、まず売り手の俺たちが楽しんでこそ、お客さんに楽しさを伝えることができるのだ。 この姿こそ、理想のおもちゃ屋さんの一形態!いささか破天荒ではあるが、今日もあの金髪さんに教わった気分だ──。 「よーしみんな、今日はとことんだ! 気合い入れて売るぞー!」 「おーっ!!」 「あっりがとーございましたー!!」 「いやー、働いた働いたぁ♪ デジタルディスプレイばっか見てたから ノーマルショットが2WAYに見えるわー」 「りりかちゃん、すごいっ!!」 「びっくりするくらいの売り上げです」 「そ、そーお? ふふん、あたしにかかれば おもちゃ屋さんなんて楽勝楽勝♪」 「もうひとり、感謝する人がいるな」 「……?」 「ほんとだ、つぐみーん! ありがとー、ネット作戦大成功!」 「良い記事のためなら問題ありません」 つぐ美は話しながらもシャッターを落とす。しかし今日はサンタの正体を探っているような素振りもなく、純粋に店を取材してくれたようだ。 「そのカメラかっこいい。 けっこう使い込んでるよね?」 「ええ、祖父の形見です」 「じーちゃ……お〈祖父〉《じい》さんの……」 「何か?」 「う、ううん! つぐみんって、いつからカメラマンを?」 「ずっと…………昔から」 「お祖父ちゃんもカメラを使うお仕事?」 「いえ、ただの趣味でした。あの……」 「月守さん、お願いがあるのですが、 建物の中も取材させてもらえますか?」 「え……!?」 かくして、ゲストを加えた5人で夕食を済ませ、ソファーに足を投げ出してくつろぐ俺。 そして、そんな俺を撮影しているゲストの更科つぐ美嬢。 「何か?」 「いや、お好きにどうぞ。 上の個室と地下の倉庫はNGだけどね」 地下の倉庫自体に問題はないが、奥の隠し扉の先にはセルヴィの格納庫がある。上の個室は俺たちのプライベート空間だ。 この2箇所さえ覗かれなければ、サンタの秘密に迫られることもないだろう。 ……とは思うのだが。 「ちょっとローアングル禁止!」 「あ、あはは……ピース!」 「わ、私は写真は……」 「えーと……!」 「……何か?」 「め、飯も食ったことだし、 風呂でも入っていったらどうかな?」 「そ、そーですね! もう沸いちゃってますしー!」 「ありがとうございます。 ですが……私は……」 「どーしたの?」 「……独りで入浴するのは苦手で」 「へー、意外! それなら一緒に入ろっか?」 「よろしいのですか?」 「キャンペーン大成功したんだし、 もー友達だもん、ぜんぜんおっけー! じゃ、行こ行こっ!」 「はー、暑い暑い。 久しぶりに対戦すると汗かくー」 「ほら、つぐみんも脱いで脱いで」 「お先にどうぞ、私もすぐに入りますので」 「まさか恥ずかしがってる? 気にしないで、女の子同士なんだしー」 「んしょ……じゃ、あたしから……」 「…………」 「え? あれ、つぐみん……!?」 「な、なんでカメラなんか……!?」 「はぁ、ようやく落ち着きました」 「食事の前から食後のひとときまで いったい何枚撮ったんでしょうね?」 「大したもんだよ。 あれがブンヤ魂ってやつかな」 「いい取材になるといいですね。 サンタのことはダメですけど……」 「ああ、まったく……」 「ぎゃあああぁぁあぁあぁーーーー!!!!!」 「な、なんでしょう、この声は!?」 「かっ、かえせばかーーー!!!」 「き、昨日もこんなパターンじゃなかったか?」 「撮りました、スクープです!」 「は!?」 「これを!」 珍しくエキサイトしたつぐ美が俺の目の前に黒い写真を置く。直後にドアがバタンと開いて、りりかが姿を現した。 「まっ、まてーーー!!」 「写真と同じ下着です、ほら!」 「わぁぁぁーーーー!!!!!」 つぐ美が右手を差し出して──俺の目の前に、ゆらゆらと揺れる黒い布切れが! 「怪しいと思っていましたが、 この下着! なぜ写真と同じものを貴女が!?」 「うるっさーい! あんた、さてはそれが目当てで あたしに協力した!?」 「さて、なんの話でしょう?」 「だから返せっ、ばかーー!!」 「そ、そのぱんつはいったいどこで?」 「さっき彼女が脱いだ下着です。 ここに写真もありますから間違いありません」 「なっ、中井さん、見ちゃダメですっ!!」 「うおっ!?」 硯が俺の目を塞ぐ。目の前でりりかとつぐ美がドタバタともみ合っている物音が聞こえてくる。 「脱ぎたての……てことはりりかちゃん!?」 「わーーーっっ!! なんでめくって確かめる!!!」 「うげっ、ぐえっ、す、すみません、つい!!」 「見ちゃダメ! 見ちゃダメです中井さんっっ!!」 「分かってる、見えてない!」 「いえ、確認していただきます」 「見てください、この幼児体型を!」 「なぁっ!?」 「この発育のかけらも見出せないヒップライン、 これと先ほど脱衣所で 撮影した写真を並べると……」 「だめーーっ!!」 「ほらこの通り、ほぼ一緒です」 「むぐぐぐぐ……!!!」 「おさえて、おさえてりりかちゃんっっ!!」 「これほどの幼児体型なら、 臀部に蒙古斑があってもなんら不思議は ありませんが、お心当たりは?」 「……うぎぎぎぎぎぎぎ!!!」 「もっとも私には、なぜにこのような体型で 不釣合いな黒下着で背伸びをしているのかが 全く理解に苦しむところではありますが……」 「りりかちゃん、だめですって落ち着いてーー! ひつじさんがいっぴき、ひつじさんがにひき、 ひつじさんがビキビキッ……!?」 「で、で、出てけーーっ!!!!」 「はぁ……はぁ……あいつ、あいつ……!」 「はぁぁ、協力者を間違えたな……」 「やっぱりあいつ、敵!!!!」 「記者さんの弱点は鬼デスクと相場が決まってる。 クレームでも入れておくか?」 「ばか! サンタがそんなことするわけないでしょ!」 ──と、外から再び足音が近づいてくる。 「ま、また来ました!?」 「わ、忘れ物でしょうか。 こ、これとか?」 「だからそれあたしのパンツ!」 「そ、そーでした!!」 「まだ来るかーーーっっ!! 迎撃開始ーーー!!」 「こんばんは、 なにがあったんで……うわぁぁっ!?」 「しろくま日報の記者に サンタの秘密を暴かれたーーー!?」 「ちっ、ちがうの! まだ暴かれてない! 暴かれそうなだけ!」 「どちらにしたって大問題ですっ! サンタの秘密に肉薄されるなんて!!」 「あ、ううっ……!」 透の剣幕に、珍しくりりかが反論もせずに縮こまっている。 閻魔帳が怖いというよりも、純粋に自分の不始末がショックなのだろう。 「月守りりかさん、 機密漏洩の恐れあり……と」 「わぁ、ちょっと待って!! リトルニセコーーっ!」 「リトルってなんですかっ!?」 「㍉㍑……」 「りりかさん0点っっ!!!」 「あちゃー……」「ばか……」 「ま、待ってってば! 今日はあたし凄かったんだから! 1日店長でがっぽがっぽと!!」 「30万円……!?」 「そう、イブまで生活できるわよ!」 「月守りりかさん、0点取り消し。 資金調達能力高し……」 「はぁぁ……危なかったぁ。 どう? あたしの商才、見直した?」 「商才は……どうでしょうか?」 「どーゆーことよっ?」 「僕もお昼からお店のチェックはしていましたが、 いつものお客さんが、入口のところで中を見て 引き返してしまっていました」 「あ……!!」 ふーむ、客層の違いによる弊害だ。俺もそこが心配だったが、やっぱりか……。 「1日限りのキャンペーンなので大丈夫だと 思いますが、これが続くと町のお客さんを 逃がすことになりますよ」 「で、でも……数字はあたしが!」 「サンタがお店を開く目的は?」 「それは…………町の人との交流を……」 「そういうことです。 あとはサー・アルフレッド・キングが どう評価するかですね」 「くっ……リトルなニセコに お説教されるなんて……!」 「りりかさーーーんっっ!!!」 「あーもうっ、このこのこのっ! 落ちろ落ちろ落ちろーーーーーっっ!!」 「ふわわ……りりかちゃん気合い入ってます」 「ありゃ鬼気迫ってるな」 「1日店長さんで気合い充実って感じかしらー?」 「どちらかというと〈自棄〉《やけ》になっているような」 「くらえ、ニュークリアミサイルっ!」 「国産、次のステージも一気にクリアするわよ」 「了解!」 せっかくの1日店長が大減点になってしまい、今宵のお姫様はことのほか機嫌が悪い。 しかし、次々に的を撃破する射撃能力はあいかわずの天才ぶりだ。パートナーの俺ですら舌を巻くほどに上手い。 このお姫様の反射神経についていくだけの〈滑空〉《グライド》ができているかどうか、正直、俺にはまだ自信がない……。 「ちょっと、ちょっとストーップ!」 「まだ攻めきれていないか?」 「そうじゃなくて……」 りりかの指差した先で、ベテルギウスとシリウスがバルーン撃破の射撃訓練を行っている。 「いいかいお嬢ちゃん、 スピードはカペラの3割増程度だ。 そのタイミングをつかんでくれ」 「りょーかいですっ!」 この数日、ななみの訓練は絶好調だ。日に日に実力をつけているのが分かる。 ベテルギウスの不調というビハインドを背負っていたジェラルドだが、力をセーブして飛ぶことで逆にななみの力を無理なく引き出すことに成功している。 「突っ込むわよ、硯!」 「了解です。 3秒で第一射、続けて回り込んで第二射です」 一方の硯も、アガリ症を克服しつつあるのか射撃にも芯の強さが見えるようになってきた。 もともと努力型の優等生で、サンタ先生とのコンビも円熟の域だ。訓練の成績も日ごとにステップアップしている。 「…………」 りりかの焦りは分かる。俺の実力が追いついていないこともあるが、ななみと硯の成長に危機感を覚えているのだ。 「頼むぜ、お姫様。 もういっちょ稽古つけてくれ!」 かくしてハードな訓練も終わり、深夜のツリーハウスへ──。 「むむむ、うーん……!」 「どうした? さっきからうなり声ばかり上げて」 「こないだの1日店長よ。 生活費は間違いなく潤ったけど、 確かに木のおもちゃが全く動いてないの」 「客層が全く違うんだから仕方ないさ。 そこは割り切ってやってたんだろう?」 「でもほら、そのあとも売り上げが落ちてるの。 確かにトータルだとプラスになってるけど、 次やる時はどーしようかなーって思って」 「定休日にやったらいいんじゃないか?」 「あ、国産頭いい!」 「問題は、イブまで定休日なんざないことだが」 「……国産頭悪い」 「こんばんは」 「む、きたわねリトル」 「無視します。 この報告書を書いたのは誰ですか?」 「それは……俺じゃないな」 「分かっています。 中井さんが書いたものじゃありません。 なぜなら誤字が多すぎます!」 「……ぎくっ!?」 「……姫?」 「そそそそーんなはずがないわっ! どこよ? あってるじゃん!!」 「いいですか? すーーーっ……コホン!」 「報告書は、国に報いるとは書きません! 仕入値は、仕入賃とは書きません! 無限の心臓は、〈夢幻〉《ユメマボロシ》です!」 「ばかな、このあたしがーーっっっ!?」 「おまけに売り上げも下降線! りりかさん、要勉強です!!」 「あぐっ……うぅぅ!」 「それでは、 残りのお二人の様子を見てきますので」 「大丈夫か、姫? 思いっきりぶった斬られたな」 「あいつ、ぜったい前世であたしが撃墜した グリンゴンの生まれ変わりよ……!」 「単に風呂の一件を引きずってるんだと思うが」 「お風呂?」 「覚えてなけりゃいいさ」 「………………」 「いやいや、 わざわざ思い出そうとしなくても!」 「そーじゃないの、国産……」 「……ひょっとして今、あたし最下位?」 「は? おいおい、そりゃないだろう。 もともとぶっちぎりのトップだった姫が……」 いや……しかし、ななみと硯の成長ぶりに加えて、配達以外での姫のムラっ気をかんがみるに……。 「………………うぬぬ!」 「うりゃああああああああああっっ!!!」 「待て姫、焦るな落ち着けーっっ!!」 「アルファ、ベータ、シータターゲット撃破! デルタターゲットロックオン!!」 「明日の訓練用に打ち上げたバルーンだぞ! 無駄遣いするなっ!」 「一人前の台詞を吐くなっ! こんなんじゃいつまでたっても……!」 「NY本部のことは考えるな! イブが先だってば!!」 「そんなんだから いつまでも上手くならないのっ!」 「だからって無理はよせーーっ!」 「誰が上司だと思ってんの!?」 「部下の忠告に耳を貸さない上司は無能だ!」 「なによっ!!」 「なんだっ!!」 「……りりかさん、 冷静さを欠いた訓練でバルーンを消費」 「と、とーるくん……厳しい」 「これも仕事ですから」 「凄い……あんなアクロバットみたいな訓練」 「本当に凄いです……。 これでムラっ気がなければいいんですけど……」 「マスター『はな野』ロックで」 「はい、今日はペース早めですね」 「ええ、明日がオフになったんで」 6杯目の焼酎を受け取り、口に含む。アルコールの刺激とともに蕎麦の香りが口腔に広がり、そのまま喉奥に滑り落ちてゆく。 軽く立ち飲みで済ませるつもりが、途中で携帯に明日オフの連絡が入り、ついつい杯を重ねてしまった。 連日の訓練で疲労のたまっているサンタチームにボスが1日のオフをくださったのだ。 おもちゃ屋を臨時休業にするわけにはいかないが、それでも朝晩の訓練がないだけでずいぶんと気が楽だ。 かくして久しぶりの夜更かしを決め込むことにしたのだが、ピッチが早くなっているのは、おそらく俺の気持ちが乱れているせいだろう。 「よォ、やってるなジャパニーズ」 「ああ、厄落としさ」 「どうした、姫が迷惑でもかけたかい?」 「そんなことはない。 むしろ足を引っ張ってるのは俺のほうだ」 「遠慮深いのはジャパニーズの特性か?」 なにか反論したいところだが受け流す。 この男くらいの腕があれば、お姫様はもっと強気に攻め込めるだろう。つまりは俺が悪いのだ。 あまり余計なことは話すまいと思っていたが、並んで飲んでいるうちに、俺はポツリポツリとジェラルドに昨晩の顛末を語っていた。 「……へえ、喧嘩になったのか?」 「女子で年下のサンタってのは難しいな。 男同士なら酒でパーッと手打ちにできるんだが」 「姫は飲まないからな」 椅子を回したジェラルドが俺のほうを向く。いつ見ても、物怖じのしない強い視線だ。 「喧嘩をしたってことは、 姫をその気にさせたってことだろ」 「そうでもないさ。 なかなかエリートさんの懐には入り込めないよ」 しかし、それではパートナー失格なのだ。おそらく俺は、心のどこかでジェラルドと自分を比較して、気後れしている。 「お前さんには向いてると思ったんだがな」 「なぜだい?」 「姫にはまっすぐぶつかるのがいい。 下手に〈躱〉《かわ》すより、正面からだ。 お前さん、そういうタイプだろう?」 ぶつかった結果が、今日の喧嘩だ。しかしあの喧嘩自体はそう悪いものじゃない。問題は、俺がその先に踏み込めていなかったことだ。 「姫は押しに弱いぜ。 正面から一気に押し込んでやれ」 「ああ、もう一押しか」 蕎麦焼酎をあおり、その言葉を胸の奥に落とし込んだ。 「ななみは……どうだい?」 「悪くない。 5年保てばいいサンタになるだろうな」 「保たないってことはないだろう」 「そいつは分からんよ。 お嬢ちゃん次第だ……」 「そうか、あいつ……ああ見えて 繊細なところがあるからな」 「お前さんとこの姫もそうさ。 ああ見えて根暗だぜ」 「冗談だろう、あの姫のどこが……?」 「NYで1年目から姫を見てきたがな、 まあ、目の覚めるような新人さんだったよ。 周りのエリートからも頭ひとつ抜けていた」 「ハドソン川の竜神か」 「そんな風に呼ばれたのも1年目からさ。 だがコミュニケーション能力は最低だ」 そうしてジェラルドの口から、5年前のりりかの様子が語られる……。 新人時代のりりかは、チームの中でかなり孤立していたようだ。相棒のジェラルドとは仲がよかったが、彼のいないときはいつも独りで輪の外にいたらしい。 「おいおい、サンタにいじめなんてないだろう?」 「もちろんだ。周りのサンタはリトルガール、 リトルプリンセスってずいぶん構ってたぜ。 なのに、気がつくと隅でポツンとしてるのさ」 「意外だな、そうは見えないが……」 「この町に来てからだな。 同世代のサンタと組んでるのが 良いのかもしれない」 「あるいは、新しいパートナーかな?」 「よしてくれよ、俺はまだ対等ですらない。 むしろななみだろう、あいつの おめでたビームにあてられたんだ」 「ははは……確かにな。 あのお嬢ちゃんは周りをハッピーにする。 姫にとっちゃいい環境だ」 しかし……そうか、根暗か。そんな可能性は考えたことすらなかった。 だが、あの天才のイメージとは程遠い勤勉さに、りりかの生真面目な一面は透けて見えている。 もし彼女の内側にそういう性格が眠っているのならば、やがては俺の取るべきスタンスも見えてくるだろう。 日ごろの自信ありげな言動と、圧倒的な実力の前に忘れてしまいがちになるが、りりかは俺よりずっと年下の女の子なのだ。 「マスター、ラフロイグを水割りでイタリア人に。 それとチーズの盛り合わせを」 「おっ、いいねえ。おごりかい?」 「ああ、飲もう今夜は!」 「あんあんあーん♪ あめちゃんあまいなあいうえおー♪」 「お前は日に日に自由になっていくなぁ」 「えへへー、せっかくのオフですから」 せっかくのオフだが、今日はりりかが外出するというので、代わりにななみに付き合う形でメインストリートまで足を伸ばすことにした。 店のほうは硯が仕切ってくれている。今日はサンタ先生も手伝いに来て、久しぶりの師弟水入らずといった趣だ。 「ジェラルドさんですか?」 「ああ、新しいセルヴィの乗り心地はどうだ? 最近調子よさそうじゃないか」 「そーなんです、もう優しくって! とーまくんとはえらい違いです」 「そいつはどうもすみませんでした」 「……だから、自分でコントロールしないと 大変です。とーまくんのときは、 けっこう頼っちゃってましたけど」 ななみなりに気を使ってくれているのだろうか?そんなことを言われると少し照れる……。 「ジェラルドが褒めてたぜ。 いいサンタになるだろうってさ」 「えええ? ジェラルドさんが!? りりかちゃんには全然かないませんけど……」 「そうでもないだろう」 「ううん、〈同じ機体〉《ベテルギウス》に乗って分かりました。 あんなスピードじゃ、命中させるだけでも 信じられないくらい難しいです」 「ふーむ……お互い様か」 「え?」 「いや……そうだな、 お互いに相方の足を引っ張らないように 食らいついていかないとな!」 「とーまくん……?」 エリートとペアを組むことの難しさは、ななみの骨身にもしみているのだろう。 ななみはジェラルドの、俺は姫の、それぞれのお荷物にならないように懸命だ。 新人とエリートのペアが2組──。イブまでに馴染んでくると良いのだが、あいにくその青写真はまだ見えていない。 「とーまくん、とーまくん!」 「なんだ……んご!?」 「あげます。 とーまくんに深刻顔は似合いませんよ!」 「もが……! そんな風に見えたか?」 「なんとなくです」 なんとなく……か。相変わらず、こいつは変なところで鋭いんだ。 「ではっ! もうすぐお昼ですので、 メリーランドの限定マロンタルトに 〈特攻〉《ぶっこ》んでまいりますっ!」 「ん……」 口に突っ込まれたアメの甘さが、焦っていた気持ちをわずかに解きほぐす。 そいつを引き抜いて、走り出したななみに声をかけた。 「ななみ!」 「なんですかー?」 「加減しとけよ。 ソリが重くなるからなぁ!」 「もー、どうして出鼻をくじきますかー!」 お菓子屋一直線のななみと別れた俺は、ほらあなマーケットで酒を見繕ってから、ふらふらと商店街を散策をすることにした。 ななみお目当てのメリーランド付近は、限定スイーツ目当ての女性客でごった返している。 道すがら、ほかほかの『熊まん』を買っての食べ歩き。熊まんといっても、饅頭の表面にくまっくの絵がついているだけの肉まんだが……。 「うん、美味い」 ななみに注意しておきながら、ついつい食べ歩きをしてしまう。こんなオフは本当に久しぶりのことだ。 町の標識、マーケット入口のオブジェ、石畳のマークからベンチの手すりまで、あらためて見ると、この町は何から何までしろくま押しだ。 「イブが過ぎたらのんびり観光でもしてみるか」 ぶらぶらと歩きながら商店街を抜けると、公民館──くまホールが姿を現した。 熊まんで口の水分を持っていかれてしまった。館内の冷水機で喉を潤そうと思ってエントランスを目指すと、視界の向こうに……。 「…………」 「あれは、姫……!?」 やっぱり姫だ──!こないだの経営学の本を返しにきたのだろうかと思いきや、姫は奥の自習スペースに席を陣取った。 どうやら、なにか書きものをしているようだが……。ふむ、こいつはさっそく姫に食らいついていくチャンス到来とみるべきか! 「よう、お姫様」 「っ!? こっ、こっ、国産ーーっ!?」 「(し、しーーーっ!!)」 「(あ、わわ……ごめん!)」 慌てて小声になったお姫様が、ばばばばっ!! と手元のノートを隠そうとする。 ノートと一緒に開かれていた小冊子のカラフルな表紙が目に入った。 「いっただっきまーす☆ パワーエサげっとー!」 「もしゃもしゃ、んぐんぐ……! あー、生き返るっ! やっぱランチはこーでなくっちゃ!」 心底美味そうに姫がハンバーガーをパクついている。 相変わらずカロリーの概念がすっ飛んでるのは、ななみと全く違いがない。 プレミアバーガーセットにナゲットに、ホットドッグにクラムチャウダーにオニオンリングに……うーむ、予想外の出費だ。 「さて、腹も膨れたところで ここからは俺がオススメの……」 「そうだ国産! あたし行きたいとこあるんだけど!」 「え? いや、俺がエスコート……」 「こっちこっち! ほら早くっ!」 「おーい、いや今日は マーケットのバイクショップを……」 「なにやってんの国産ー!」 「……ううっ!」 「やっほーい! ひさしぶりー☆」 「温泉……?」 「で、どこに行くんだって?」 「こっちこっちー♪」 「おじさーん、ひさしぶりー!」 「おうよ、いらっしゃ……!」 「お、お嬢ちゃん!!」 「もうお店開いてるんでしょ? 最初は弾10発からね♪」 「……射的屋?」 「そーそー、気分が晴れないときは ゲーセンかここが一番なの!」 「すげぇ……上段一列を一瞬で……!」 「あぁぁ……まただぁ……」 「どうしました?」 「始まっちまった。 また全部〈攫〉《さら》われちまう……。 おい兄ちゃん、あの子は悪魔だぜ」 「なによ人聞きの悪い。 カンストさせるまで行くわよー! 弾追加30発!」 「ははぁ、達者なもんだ」 「これだって訓練になるのよ」 「遊ぶ時くらい仕事を忘れたらどうかな?」 「あんたはどーなのよ」 うぐ……バイクショップに連れ込もうとした俺に反論の余地はなかった。 しかし、この景品の減りっぷりは……。 「親父さん、あとで景品返させるから」 「すまねえな兄ちゃん。 ん、そういやいつもの兄ちゃんじゃねえな」 「ま、もろもろ事情ありましてね」 「おじさーん、今日はスポンサーがいるから じゃんじゃん行こう! 弾追加〜!」 「はいよ、毎度ありぃ」 「これ、悲鳴上げるのは俺の立場じゃないか?」 「はー、勝った勝った♪ おじさーん、景品置いとくね!」 「いいのかい、そんな古くせぇ ピコピコゲーム1個で」 「最初っからこれが目当てだったの。 あとは気晴らし♪」 景品の中にあった、年代物のLSIゲームを手に、姫がにっこり微笑む。 テキヤのおじさん(といってもまだ30代くらいだろう)が、その代わりにと、冷えたラムネの瓶を持ってきた。 「こいつ、飲んでってくれよ」 「んー、おいしいー☆」 「な、足湯につかって 冷たいモン飲むと美味ぇだろ?」 足湯につかりながらラムネで喉を鳴らす。少し行儀が悪いが、『飲っていけ』とテキヤさんから強く勧められたのだ。 「なるほど裏技みたいなもんね。 これで手元にハンバーガーがあれば」 「まだ食うか? どうもいただきます……えっと」 「〈小六〉《ころく》ってんだ。〈流河〉《りゅうが》小六」 「おーっ、昭和のスターみたい!」 「へへっ、カッチョいいだろう?」 「その筋の人みたいですね」 「おーよ、筋モンさ。 東京でパリッと代紋背負ってた頃ぁ、 小六の兄貴とか呼ばせちまってよォ」 「本物!?」 「ま、古い話さぁ。 若ェ頃はポリの世話にもなったもんだが、 とうに足は洗ったんだ。安心してくんな」 「なるほど、 お巡りさんがやってきてスジモンゲットだぜ」 「そして、このスジモンフロンティアに 流れてきたと……」 「よくわかんねーが、 臭い飯食ってたわけじゃねーからな」 「お、客が来やがった。お嬢ちゃん、 他の客がいるときは遠慮してくれよ」 「えー!」 「そのかわり、客がいないときは タダで遊ばせてやっからさ、どうだい?」 「ほんと!? やったぁ……あ、あたし月守りりか!」 「中井冬馬です、よろしく」 「イマドキな名前だなぁ」 肩をすくめた小六さんがじゃあな、と手を振って店に戻っていく。 「さて、お姫様? ラムネ飲んだら少しぶらぶらするかい?」 「うん、いいわね」 足湯でくつろいだ俺たちは、肩を並べて温泉街をぶらぶらと散策する。 石畳に舗装された情緒ある町並みに、立ち並ぶ旅館。ジェラルドはこの中のどこかに宿を取っているらしい。 「…………」 急に無口になった姫は、散歩をしながら空を見上げている。 真空地帯のニュータウン、その外側にある温泉郷の近辺はルミナの濃度も申し分がない。 「たぶん、このへんは あたしたちの担当エリアになるわ」 「どうしてだい?」 「ニュータウンを越えた先で さらに配達をするのは面倒でしょ?」 「そうか、エースの仕事ってやつだな」 「そうよ……」 ふと、姫の顔に焦りの色が見えた。今朝の俺もまた、ななみの前でこんな顔をしていたのだろうか。 姫が俺を温泉郷へ連れてきたのは射的よりも下見が目的だったのかもしれない。 彼女は俺が思う以上に、いつだって仕事のことを考えているのだ。 「うちのエースは姫さ……」 「えー?」 「少なくとも、俺とななみはそう思ってる」 「国産……」 「そ、そっか! うん、少しは分かってるよーじゃない」 「ま、国産はせいぜい修行して……」 「姫を心配させないようにするさ」 「半人前のくせにえらそーよ」 まんざらでもなさそうに姫が笑い、俺は少しホッとした。 それにしても、姫がNYからしろくま町に飛ばされてきた理由というのはなんだろう。 これだけ実力のあるサンタを田舎に眠らせておくのは惜しい──俺だけじゃなく、きっと本部の長老たちもそう考えるだろう。 「なあ、姫はどうして……」 「しっ!」 「……どうした?」 「誰かが見てる……気配がするの。 国産、キョロキョロしないで歩くわよ」 「お、おう……待った、姫!」 急ぐ姫を呼び止めて、車のサイドミラーを指差す。鏡に映った小さな視界の遠く、電柱の陰に怪しい人影──。 「ああっ!!」 「尾けられてたのかな、どうする……?」 「逃げるっ!!」 「……!」 いきなり、姫が走り出した。俺も慌ててあとを追いかける。そして、背後からは追跡者さんが……。 「もー、あいつ、しつっこい!!」 「恩もあるし、無下にはできまい!」 「サンタの秘密が最優先!」 その通り。しかしつぐ美は、下着一枚の手がかりでまだ姫をターゲットにしていたのか……! 「こーなったら!」 「どうする!?」 「……!」 「あ!! UFO!!!!」 「そんなのに引っかかるか!」 「えっ……あ、わっ!?」 「ーーーーーーーーーー!!!!」 「きゃ!」 「うわ!」 「んぐっ!」 「彼女……思ったよりドジ?」 「いーからだーっしゅ!」 「り、了解!」 「い、たた………………」 「………………私としたことが!」 「国産! ぎりぎりまで突っ込む!」 「おう、お姫様! てぇぇーーーーーーーいっっ!!」 「……ふぅ、まあまあか」 「いまいちね。 あと1年がんばってみよー」 「そうかそうか!!」 「……なに喜んでんの?」 「ちょっと前まで、あと3年だったのが 2年分も縮めたかと思ってな!」 「ちょっと言い間違えただけよ! やっぱ3年! いや3年3ヶ月!」 「ハハハ……了解だ、お姫様!」 近々、リーダー決めのテストをするかもしれない。透からそんな情報があってから、俺たちの訓練はいよいよ差し迫ったものになってきた。 昼間から訓練に出るということは、つまりセルヴィを真昼間に動かすということであり、恐ろしいカメラマンを警戒しなくてはならないのだが、 あの温泉街でのロードチェイス以来、俺たちが更科つぐ美の姿を目撃することはなかった。 ──そんなある日のこと。 「!!」 「国産! 隠れて!」 「どうした姫?」 「いいから早く……!」 「………………」 「(お、記者さんか)」 「……はぁ」 「(スネーク、元気なさそうね)」 「(どうしたんだろう)」 看板の陰に隠れた俺たちの前を、つぐ美はとぼとぼと歩いていく。そういえば、この近くに彼女の学校があったのだ。 「………………」 「下向いてるぞ、アンテナ全方向の記者さんが」 「あーもー、何か調子狂うわね! おーい、つぐみーんっ!」 「……!」 「何か、ご用ですか?」 「用事があるのはいつだってつぐみんでしょ。 どうしたの、元気なさそう」 「気のせいです」 「そんなことないってば! あたし、そーゆーの分かるんだから」 「………………」 「いえ……カメラが直らないだけです」 「カメラ?」 そういえば、おじいちゃんの形見だといういつものごっついカメラを持っていない。 「それで取材ができないとか?」 「………………」 「そっかぁ……それは困ったね」 「特に困ってはいません」 つぐ美がカメラを失って困らないわけがない。彼女が秘密を探る相手だとしても、それはそれ。 あのときはつぐ美の自爆気味ではあったが、カメラが故障した責任の一端は俺たちにもある。 少し考えた姫は、つとめてさりげない口調でこう言った。 「もうすぐ12月だし、 サンタさんにお願いしてみるとか?」 「余計なお世話です」 「あ、ちょ、ちょっとぉー! そんな邪険にしなくったっていいんじゃない?」 「………………月守りりかさん?」 「なに?」 「仕事でサンタの格好をするのはどうぞご自由に。 ですがサンタクロースを信じるふりをするのは、 ただのまやかしです。そこに真実はありません」 「…………」 「かつてサンタクロースは オカルティズムの領域でしたが、 いまではコマーシャルキャラクターにすぎません」 「商業上の理由でサンタクロースの服は赤いのです。 12月に商店街がイルミネーションを灯すのは、 お祭り気分を出して消費者の財布を緩めるためです」 「つぐ……」「私が知りたいのは真実です。 虚飾の〈祭事〉《さいじ》に浮かれる趣味はありません」 つぐ美の舌鋒に姫が口を〈噤〉《つぐ》んだ。 「……すみません、 感情的な物言いをしてしまいました。 ……………………失礼します」 「………………」 「いいのか、あれで?」 「サンタに縁のない子もいるわ」 「しかし……そいつはちょっと」 「現在のクリスマスというイベントには、 商業的な側面がある。イルミネーションの輝きに 経済的な思惑が透けて見える人も多いだろう」 「……姫?」 「このとき、我々が考えるのは、誰が何の目的で イルミネーションを灯したかではない。イルミ ネーションを見た子供たちが、何を思うかだ」 「そこにサンタクロースがいてクリスマスがある 限り、人々はイルミネーションの光に暖かさを 見出すことができる」 「そしてサンタクロースは、 灯火の幻想を守護する存在でなければならない」 姫は暗誦をしていた。機械的に、抑揚をなくして、ただ読み上げていた。 それは、彼女がサンタ学校かあるいはNY本部で受けた、サンタクロースの講義だったのかもしれない。 それをそのままつぐ美に伝えることはできない。いや、どんな風に噛み砕いたとしても、言葉で伝えることに意味はないだろう。 「………………」 「……なんてね。 サンタは反論なんかしないけど。 さ……行こっか?」 「姫……」 「あたしはサンタ。 背伸びしたってしょーがないもん」 姫に手を引かれ、つぐ美とは反対方向に俺たちは走り出した。 最初はゆっくりと、しかし、いつしかそれは全力疾走に変わっていた。 もう冬がくる。 俺の隣でお姫様は息を切らしながら、黄色く色づいたイチョウの葉が宙に舞うのを睨んでいた──。 ここしばらく、きのした玩具店の客足は、すっかり落ち着いていた。 お姫様のレトロゲームフェアによるドーピングで経済的には全く問題ないのだが、いつしか客層は、物珍しさに惹かれてくる観光客が中心になっていた。 地元の人がわんさか押し寄せてこないのは寂しいが、食品や雑貨のような生活必需品を置いているわけではないのだから、これは仕方がない。 そんなわけで人手が余り、自然と店番も交代制になっていった。 ななみと硯が食事を終えたら、店番をしていた俺と姫が交代する。 食事の取り合いにならないためにも、ななみと姫をペアにしないことが肝心だ。 「おー、今日の昼はさんまの塩焼きか!」 「よーっし! 国産はガツガツ食べて、パワーつけてね!」 どどっ……と、俺の皿に焼き魚が投入される。続いて、脇に添えてあった小松菜の煮びたしも。 「……食えないのか?」 「食べられるに決まってるじゃない。 気が乗らないだけ」 そんなことを言いながら、姫は冷蔵庫のハムを失敬して食パンの上に乗せて、ぱくりとひと口。 「もぐもぐ……国産は残さず食べるのよ」 「なんでそうなる?」 「だってご飯残ってたら、 まるであたしに好き嫌いがあるみたいでしょ?」 絵に描いたような偏食家に見えるが、いや……いまさらそこは突っ込むまい。 焼いたさんまの2匹ごとき、20代男子の食欲にかかればどうってことない。 「生野菜でもいいからかじっとけよ」 「タブレットがあるから平気よ。 ひとのことはいいからさっさと食べる!」 「なぁ、姫。 次の休みに、また温泉でも行ってみないか?」 食後のひととき、俺は姫をまた射的に誘ってみた。 「なに? それってデートの申し込み?」 「広く言えばそんなもんだ。 つまり、もっとパートナーとしての連帯感を」 「適度な距離感」 「なんだって?」 「そこまで付きまとわれると うっとーしーってこと!」 「ふーむ……」 どうも今日の姫はカリカリしている。つぐ美との衝突がボディーブローのように効いているのかもしれない。 「そうは言われても相棒だぜ?」 「もう少し腕を磨いてから言う台詞よ?」 「つまり、少しは役に立ってみせろと?」 「とーぜん」 「了解……そこでこいつだ!」 そうして俺は、ひそかに準備していた姫へのお役立ちアイテムをテラスのテーブルに広げた。 「……えっ!?」 「ふっふっふ……見よ! これぞ『らくらく中井式漢字ドリル』!!」 そう、俺は仕事の合間を縫って、書き損じの台帳やファックスの裏面にドリルをちまちま作っておいたのだ。 「な、なに暇なことやってんのよ!」 「姫の苦境を察してのことじゃないか。 ほら、交代時間まで家庭教師してやるからさ」 「いっ、いらない! ひとりでできるし!」 「そう言うなって、ほらやってみろ」 「ば、ばかばか! こんなとこでできるかっ!!」 「どうして?」 「ひと目があるでしょ!?」 「そ、そうか……そいつは失敬」 ううむ、名案だと思ったが空振りだったか。仕方なしに俺は広げたドリルを重ねる。 「ちょ、ちょっと貸して。 見てあげるから」 「お?」 「ふんふん………………」 積極的に食いついてきた姫がドリルと俺の顔を何度も見比べる。 「うーーーーーーーーん…………」 「…………ま、いっか、国産なら」 「なんのことかな?」 「ひと目のないところに移るのよ、 ついてきて!」 そうして階段をどんどん昇っていく。この上は……まさか、姫の部屋!? 「うおおっ!?」 ──驚いた。 サンタさんの部屋に連れ込まれたことにも驚いたが、それよりもこの部屋の物々しさに驚いた。 「なんだなんだ、 こりゃどこのゲーム会社だ?」 「女子の部屋見て会社はないでしょ?」 「そりゃそうなんだが……すげえ! ハイパーブラスターの筐体があるぞ! ガキのころ遊んだなぁ」 左から順に、アップライト筐体、液晶ワイドTV、射撃用の的、横置きのPC、アーム型スタンドに、モデルガンに、謎の縦長黒モニター……。 「なんだ、PCもあるんじゃないか。 調べ物ならこいつで……」 「思いっきりスタンドアローンだけどね」 「PC-8802FH……? ネットつなげないの?」 「改造してないから無理ね」 「こっちのゲームは、 こないだ透に仕入れさせたやつだろ? ちゃんと遊んだら戻しておけよ」 「んなことするわけないじゃん! 私物よ、私物!」 「私物!? これが!?」 す……すげえ、軒並み20世紀だ。昭和のゲームも混じってやがる。 「はーぁ……サンタさんってやつは」 「な、なによ?」 「いや参った、お見それした。 ここまで筋金入りの コレクターとは思わなかった!」 「コレクターじゃないわよ。 ちゃんと遊んでるもん」 「動くのか!?」 「もちろん全部完動品♪ ゲームは遊ばなきゃかわいそーじゃん!」 「ううっ、なんてゲーム愛だ。 こっちが感動しそうだ……!」 「ふふーん、りりかちゃんを甘くみないでね♪ さ、それよりドリルでしょ? 急がないと交代時間になっちゃうから」 「お、おう!」 「ふーむ、いっせきにちょう、さんかんしおん、 ごぞうろっぷ、しちてんばっとう……と」 「なあ、ディーエスに漢字のゲームあるよな?」 「……うん、ある」 「そういうので勉強したりはしないのか?」 「ディーエス持ってない」 「えー!? こんなゲームまみれなのに?」 「うん、お小遣い足りなくて。 まだほしいゲームあるし……」 「古いのか?」 「けっこう最近、89年くらいの……」 「古いよ!」 「あたし的にSYSTEM Ⅱ以降は最近かなぁ……」 「分かんない全く分かんない」 「……っと、さーできたぁ!! どう? どう??」 「どれどれ……?」 「……35点」 「ええぇーっ!!」 「『参上』の参はりっしんべん要らないから。 あと『臣下』は巨下じゃないですよ、お姫様」 「国産、細かい!!」 「そいつはどうも。 はい、今のを踏まえてもう一回」 「ううーーー!!」 「はぁ、はぁ……終わった……どう!?」 「おお、85点!? 違う問題なのによくできてる……」 「とーぜんよとーぜん!」 なるほど、さっき間違えたところはもう間違えない。さすがエリートさんだけあって、飲み込みも早い。 つまりは、単純にアメリカ暮らしが長くてまともに漢字に触れてなかっただけということか。 「こいつは楽でいいや。 次、こっから5ページ行ってみよう!」 「おっけー、楽勝っ♪」 「まる、まる……まる……っと! おおー、100点!」 「やった! パーフェクト!」 「この調子でやってりゃ、 来年には漢字マスターになれそうだな」 「あたし、優秀?」 「優秀優秀、さすが本部のエース」 「ふふーん、それほどでもー♪」 これもさすがと言うべきか、さっきまで苛立ってたのが、あっという間にニコニコしている。 「ねーねー国産、 まだ交代までちょっと時間あるし せっかくだから遊んでかない?」 俺に尋ねながらもやる気満々のお姫様は既にコントローラーを握っている。 「対戦?」 「100年早い」 「トナカイをナメんなよ。 反射神経の鍛えっぷりは半端じゃないぜ?」 「ば、馬鹿なぁぁ!?」 「ええー、もうー!?」 液晶テレビをワゴンに乗せ、ベッドに隣り合わせに座ってのガチンコ対決だ。 シューティングゲームの協力プレイで先に自機を全て失ったら負け──だったのだが、開始3分であっけなく全機使い果たしてしまった。 「これ、こんなに難しかったか? 弾幕が避けられん!」 「あ、難易度5にしてるからかなりキツイかも。 弾は打たれる前によける、これ基本」 「無茶な!」 「そうね、覚えてないとつらいかな? あたしの後ろにくっついてりゃいいわよ」 「トナカイがそんな真似できるもんか。 てえええええい!!」 「ぐあああっ!?」 「ま、せいぜいあがきなさい、おほほほほ」 「くっ……さすがはハドソン川の竜神、 さっきからノーミスとは……!」 「敵のパターン覚えてるだけよ。 記憶力ゲーだもん」 「なんだとぉ!? シューティングってのは反射神経と……」 「記憶力と指先の正確な動作。 国産は反射神経は抜群なんだけどねぇ?」 「むぐ……!」 ううっ、ゲームで遊んでも夜の特訓と変わらないこの扱い! 「ええい、要はボムのタイミングだ! 死ぬ前に打つっっ!!」 「おおー、正しい。 打ち尽くさないよーにがんばって」 「うわ、っと、たは……ぐあああっ!」 「ありゃ、残念」 「くそー、参った参った。 ぜんぜん勘が戻ってこねえ!」 「姫は慣れてるな……NY本部でも 先輩サンタを巻き込んで遊んでたのか?」 「まーね、ラブ夫が雑魚すぎたから」 ……あわれ、八大トナカイ。 しかし、この雰囲気は……悪くない。漢字ドリルが功を奏したのだろうか、今日は姫との距離が一気に縮まった気がする。 いいきっかけだ。俺は昔から気になっていた質問をお姫様にぶつけることにした。 「……本部で何があったんだ?」 「国産、コンティニュ」 「了解……話せないことか?」 言われるままに再プレイ。俺と姫はしばらく無言で、敵機の撃つ異常な量の弾を避けに避けまくる。 「あたしがどんな失敗したか知りたいのね」 「失敗……?」 「一昨年のイブだったかな。 ターゲットを欲張ってコースを外れたの」 その言葉に俺は口を〈噤〉《つぐ》む。姫は画面に集中したまま言葉をつなげた。 「ツリーのルミナが影響する範囲があるでしょ? その外にも子供がいるし、 窓辺に靴下がぶら下がってることもあるわ」 「まさか、リクエストにないプレゼントを?」 「まね」 ツリーの効果の及ばないところにももちろん人は住んでいるし、クリスマスは訪れる。 そんなとき、窓辺に吊るされた靴下にプレゼントを忍ばせるのは、親の役目だ。 俺たちの仕事は、あくまでツリーの効果範囲の中でリクエストを聞き、そして配ること。 そのエリアが世界中に広がればいいと願うことはあるが、自分から外へ飛び出していくことはしない。 それは、ルミナの力を借りるサンタの仕事ではないからだ──。 「……?」 ふと気がついた。 いつの間にか俺はお姫様とぴったり密着している。 「あ、こら、動くな!」 そっと身体を離そうとしたものの、コントローラーの手に当たってしまい、動かないように叱られる。 「リクエストしてプレゼントが届くのは 普通っていうか、つまり予定調和でしょ?」 「そうじゃなくて、 サンタなんて信じてない子に プレゼントを届けたかったの」 姫が画面を見つめたまま呟く。姫の自機は余裕で弾幕をよけてゆく。 「あたしにならそれができる……って、 なんか青臭いでしょ」 「すごいな、その発想はなかった」 「だから昔のことだって!」 姫くらいの実力があれば、ツリーの限界を超えたいと思うのだろうか? しかしそいつは確かに今の姫からは想像しにくい無茶な失敗だ。 あるいは姫がドライな割り切りを身に付けたのはその失敗がきっかけなのだろうか……? その日は午後の店番もつつがなく過ぎた。 「いらっしゃいませー、 きのした玩具店へようこそ!」 姫はいつもと変わらないニコニコ接客。しかし気持ちはニュータウンや温泉郷の攻略へ向かっているのだろう。 一人でも多くにプレゼントを届けることが姫というサンタのスタンスだ。 そのためには地道な下調べも厭わないし、夜通しの訓練もへっちゃらだ。全ては、プレゼントの配達数を伸ばすため。 その衝動は、出世や評価を求めてのことではないだろう。 それは、〈滑空〉《グライド》の速度をひたすら追及するトナカイにも通じる、シンプルな考え方だ。 自分の限界への挑戦がそこにある。 そして、自己満足を超えたところで自らの成長を確認したければ、結局は目に見える数字で量るしかない。 イブの夜にいくつのプレゼントを配達できたか?今年は去年よりも多く、来年は今年よりも多く……。 そんな考え方をしている俺と姫は、案外いいコンビになれるかもしれない。 「なるほどなァ……」 「……ようやく見えてきた気がするんだ。 お姫様が〈胸襟〉《きょうきん》を開いてくれたから」 「卑猥だね」 「乳頭的な意味じゃない。 日本語には比喩ってものがあって……いや、 そんなことはどうでもよくて、つまり姫は」 「お前さんがそう思うんなら、そうなんだろうよ」 ジェラルドにさらっとかわされて、次の言葉が出なくなった。 「あっさりしたもんだな」 「パートナーのあり方はそれぞれさ。 さて、マスターと俺はどんなパートナーに なるべきだろうか? 一夜限定で考えて」 「お酒を提供する人と飲む人ですね」 「酒の比喩はなんだい、ジャパニーズ?」 「もう寝ろってことじゃないかな?」 「ふーむ、ベッドの関係か……」 「訂正します。 お金を受け取る人と払う人ですね」 「後腐れがないって比喩かい、ジャパニーズ?」 「マスター、押さえとくんで逃げてください」 「はい、お言葉に甘えて」 今日も美樹さんにかわされたイタリア人はそれから一気にペースを上げはじめた。 「ええい、どんな熟女も三日で口説くこの俺が!」 「荒れてるなぁ。 と言いつつ、しっかり遊んでいるんだろう?」 「ああ、確かにこの町の旅行客は素晴らしい。 日本人の体型はまったく俺好みだ」 「旅行客を狙ってるのか。 ま、地元民と関係持つわけにはいかんか」 「旅人と商売女は基本だぜ? だから、地元民を口説くときは本気だってことさ」 「確かにここのマスターは 気立てもいいし、美人だし……」 「そうさ、あの後姿を見てみろ。 一見キュッと絞り込まれてるように見えて、 密かに垂れ始めているヒップラインが素晴らしい」 「…………」 「矯正下着を着けていても、実は乳首のトップが 下を向いているのもチャーミングだ」 「なんで分かる!?」 「分かるさ、俺ならな」 「ここで大事なのは、落ちきっていては駄目なのだ。 それはギブアップだからな。落ちそうで落ちない、 その絶妙な下り坂のラインが男を」 「どうぞ、私のことをそこまで理解してくださる お客様に、せめてもの気持ちです」 「マスター、分かってくれたか……ごふっ! げふっ、ごほっ、ぐへっ! げーほげほっ!!」 「このカクテル……ラー油とウォッカだ」 「青酸があれば一緒にステアしたんですけど。 ではごゆっくり、おほほほほ」 「なあ、あんまり女性を怒らすもんじゃないぞ?」 「げほっ、げほ……褒めたのに……」 「それでジャパニーズ、 お前さんのほうはどうなんだ、げほ……」 「俺のほう? あいにく女をひっかけてる暇はないよ」 「姫は可愛いかい?」 「な、なんでそうなる!? そういう対象じゃないだろう!!」 「ほう、日本人は少女趣味だと聞いていたが、 じゃじゃ馬姫はお好みでない……か」 「好みとか違うとか、そういう問題じゃなくて!」 「ならば、どんな女が好みだ?」 「お、俺?」 「俺はその……まあ好みっていうか、 そう、気立てが良くて優しければ……」 「そんだけ?」 「あ、あとは…… ん……まぁ、セクシーな感じの……」 「セクシー??」 「あ、ああ……セクシー」 「…………」 「…………」 「……ジャパニーズ、早くその荷物を捨てちまえ」 「は!?」 「聞いたことがあるぜ。 東洋の、いや日本では三十まで性交しなけりゃ 仙人になれるって風説があるんだろう?」 「ちょ、ちょっと待て、ミスタージェラルド? 俺はトナカイであって、仙人なんてものは」 「だったら何故守る!?」 「ま、守るって……俺にも、 その……女性経験のひとつくらい……」 「お前は童貞丸出しだ!!」 「ががーーーーーーーん!!!!」 な、何故バレた!?パラメータのダンディ値が足りなかったのか!? 「空を飛ぶことばっか考えてきたんだろう? その努力は認めるが、お前さんには トナカイとして決定的に欠けてるもんがある」 「そしてそいつはそのままお前さんの欠点だ、 ジャパニーズ!」 「お、俺の欠点……!?」 「そうだ! トナカイと言やァ、空! 酒! 女! それしかねェだろう?」 「あっ、うっ……ぐぐ!」 返す言葉がないとは、まさにこのこと。肩を落とす俺のグラスに、ほろ酔いのジェラルドが新しいスコッチを注いだ。 「りゃあああああああああッッ!!」 「ど、どーしたの、国産!?」 カペラに搭載された最新型のリフレクターを全開にして、夜空を裂いて疾走する。頭の中を回っているのはジェラルドの台詞だ。 「トナカイなら女遊びくらい覚えておけ」 俺に足りないもの……そいつは……! 「ちょっと国産! 今日ちょっと変よ!?」 「いい意味? 悪い意味?」 「ま、悪くないかな、迫力があるわ。 よーし、やる気もあるみたいだし、 限界まで鍛えてあげちゃおー♪」 「ああ、トナカイの限界を超えてやるさ!」 「(ふーむ、やっぱなにかあったな……)」 「うわ、殺風景……」 「悪うござんした」 「あ、やっぱり机の下は収納になるわよね。 うちと違ってお酒ばっかだけど」 「姫は飲ま……ないよな」 「うーん、キョーミないかな?」 「それにしても、お酒が恋人って感じね。 いかにもな独身ルームだわ」 「うぐっ!!」 「ん? どしたの、国産?」 「な、なにがだ……?」 「隠し事があったらスッキリ話すこと。 あたしは上司だしパートナーなんだからね!」 「分かってる! ああ、わかってるから こうして部屋にも来てもらったんだが……」 「恋のお悩みなら、 りりかる☆りりかちゃんにお任せよ@」 「女性経験ーーーー!?」 「ラブ夫にそんなこと吹き込まれたの!?」 「ジェラルドに言われる前からも、 それなりに気にはしてたんだが……」 「ふーん、国産って……そーなんだ」 「ばっ、みんなには内緒だぞ。 パートナーだと思ったから打ち明けたんだ!」 「はいはい、分かってますって♪ なるほどねー、ふーん……?」 「ジロジロ見るな。珍しくない!」 「で、ラブ夫の口車に乗せられた国産は、 恋がしたくてたまらなくなっちゃったと?」 「そ、それが……」 「ん?」 「実を言うと……」 「なぁに?」 「……そこまで意識したことがない」 「なーによ、それ!」 「性分なんだから仕方ないだろう。 けれどな……もやもやしてるんだ」 「もやもやがムラムラになって暴発するとか?」 「なんでそーなる!! 恋愛経験のなさが、トナカイとしての 弱点になってるんじゃないかってこと!」 「そっちこそなんでそーなるのよ! だいたいトナカイがサンタに恋愛相談するな!」 「姫が乗るって言ったんじゃないか!」 「あ……そーだった、ごめんごめん」 「でもさ、あたしの知る限り、 どこのトナカイも自力調達してたわよ?」 「とは言っても、店長の仕事もあるし、 こんなに忙しくちゃ出会いもないしな」 「女だらけの家に住んでるくせに?」 「そうは言われても子供ばかり……」 「子供!?」 「い、いや……年下。 言い直す、年下です、年下!」 「なによ、年下だからって何が悪いの?」 「悪いというか……なぁ?」 「同意を求めるな」 「じゃあ姫は、もしもお相手が透だったら?」 「あ、ありえない! あんな子供っっ!」 「………………」 「なによ、先輩サンタをばかにすんなー!!」 「してない、ぜんぜんしてない! けどさ……!」 「なんというか、身近でまともに『女性』を 感じる年齢なのはサンタ先生くらいだしなぁ……」 「あー、そー、サンタ先生ね*」 「ああ、確かに彼女には艶っぽいところがあるよ。 しかし、あのイタリア人がご執心だからなぁ……。 他人のテリトリーを侵すのはよくないだろう」 「テリトリーだかデミトリーだか知らないけど、 あんなラブ夫に先生が口説き落とせる わけないじゃん!」 「それに先生ってああ見えてすごいズボラだし! 気取り屋のラブ夫なんかと相性いいわけないし!」 「てことは……俺がサンタ先生を 口説けばいいってことか!?」 「誰がそんなこと言ったー!!」 「だいたい国産に口説きのテクニック なんて全然ないでしょ!?」 「しかし口説かなけりゃ恋愛は始まらん!」 「でも無理!! スキルゼロ!! 口説けるわけない!!」 「な、ならば……頼み込んでやらせてもらえと?」 「ば……!!」 「馬鹿ぁぁーー!! このエロトナカイ! 死ね、死ねっ!!」 「ぐああぁぁっ!!」 「もーいい、かえる!! 相談に乗って損したっ!!」 「うぐ……ぐ……なぜだ……姫!」 「しるかっ! べーーーーっ!!!」 「なんなんだ……一体?」 「恋愛相談に乗るなんて言っておいて、 いきなりキレるとは? ううむ……情緒不安定か!?」 うわ!?なんだか俺の脳裏でジェラルドが笑っている! 考えろ、俺の何がまずかった!?パートナーの気分をいたずらに害するのはトナカイ失格だぞ、中井冬馬!! わからん……しかし相手は、姫とはいえ女子。男の物差しをひとたび忘れろ冬馬。これが女心か? 女心ってやつなのか? 「………………」 「………………」 「…………は!!」 急にひらめいた。あくまで姫を女子と仮定したうえで……。 もしかして……俺は彼女のプライドを傷つけてしまっていたのだろうか!? ううむ……し、しかし姫だぞ?姫に、女子のプライド……??? う、ううーむ……分からん!謎は深まるばかりだ……。 「いっただきまーす!」「いただきます」 一夜明け、朝食のトーストにかぶりつく。朝からパンの日は、お姫様も御機嫌だ。 「国産、タバスコ取って」 「お、おう……!」 「……なによ?」 「べ、別になんでもないが?」 「…………?」 ついぎこちない反応になってしまうのはやはり昨夜のことが気になっているからか。 何とか周囲に怪しまれないようにとは思うが、意識すればするほど俺の目は姫へ向いてしまう。 「んー、今日も アスパラが美味しいですー♪」 「…………(ささっ)」 「何本食べてもやめられないですね♪」 「…………(さささっ)」 「…………」 すごい早業だ。よく観察してみると、お姫様は隙をみつけてはななみの皿へ野菜類を高速で移している。 「とーまくん、どうしました?」 「いや、美味そうだなと思って」 「はい、やっぱり硯ちゃんのお料理は最高です」 自分の皿のおかずが増えていることに気付かず、美味しくいただいているななみはなんとおめでたいサンタさんだろう。 「特にベーコンの焼き加減なんか完璧☆」 「そんな……普通にしてるだけです」 姫の好き嫌いを見逃しつつ食事に取り掛ろうとしたところで急に電話が鳴った。すぐに硯が立って受話器を取る。 「もしもし、きのした玩具店で……あ、透さん? はい、え? 緊急招集!?」 「……!?」 「なんだって?」 「サー・アルフレッド・キングからです。 サンタチームはただちにロードスター邸に集合!」 すぐにジェラルドとサンタ先生が迎えに来て、俺たちは3機のセルヴィでロードスター邸を目指すことになった。 「どうして現地集合じゃなくて、 セルヴィに乗っていかなければ ならないんでしょう?」 「何か考えあってのことさ、お嬢ちゃん」 「先生はもともとロードスター邸にいたのでは?」 「あたし? あははは、マンガ喫茶で寝過ごしちゃった」 「先生! セルヴィで遊びに行くのは……!」 「はいはい、ごめんなさいー!」 「……っ!?」 「国産! 右! よけて!!」 「なに!?」 姫の声にとっさに反応する。もやっとした光の塊を越すと、カペラの出力がわずかに落ちた。 「これは……」 「霧……しかも結構濃い。突っ切るわ!」 「あいよ!」 ロードスター邸へのコース上に突然の幕霧だ。緊急招集っていうのはこのことか? もちろん回避できなければ不時着するか、中空に漂うかの二者択一。 「左、回って! 次、上のコースから一気に急降下!」 「了解! コースの先は見えるか?」 「任せて! 機首左10度修正!! 違うっ! もちっと右! 全開で10秒、そこからクイックターン!」 「クイックターン? なんだそいつは、くっ……こなくそ!」 矢継ぎ早の指示に俺の反応がわずかに遅れる。あまりに急激すぎる状況変化にカペラがついていかない。 「危ない!! 今、かすったわよ! もう少しだから……上!」 「くあっ……上がれっ!」 機体を全力で持ち上げ、フルスピードのまま上のコースへ。 「どうだっ!? これで……切り抜けたか!?」 「はぁぁ……何とか……ね」 「って、ベテルギウスとシリウスは!?」 慌てて周囲を見渡して見る。手前の滑空に手一杯で、並んで飛んでいたななみたちにまで気を使う余裕がなかった。 後ろを振り返ると──なんてことだ!そこには、ななみのベテルギウスが、シリウスを引っ張っているのが見えた。 「シリウス、硯ちゃん! わたしに付いてきてください!」 「は、はいっ!」 「ありがとう、つかまるところだったわ」 「ジェラルドさん、霧を払います。 まっすぐ行けますか?」 「俺を誰だと思ってるんだい、お嬢ちゃん? 突っ込むぞ!」 「はいっ!!」 「……!?」 ななみが構えたわくわくロッドから七色の光が飛ぶ。 幕を張った霧に当たったそれはきれいな飛沫を飛び散らせながら、目の前の白いカーテンを弾き飛ばした。 「ルミナか、やるな……ななみ! なあ姫、今の見たか!?」 「…………」 「……姫?」 「悪天候のなか、ご苦労でした」 「あの、上空に霧が……」 「ニセコ! どーして予報がなかったの?」 「君なら分かるだろう、月守りりか」 「…………テスト?」 「左様、新しいパートナーとの連携を 抜き打ちでテストさせてもらった。 ベテルギウスもカペラも成果は上々である」 「やったぁ……!」 「よかったですね」 「…………」 ジェラルドの手を取って喜ぶななみと対照的に、姫が唇を噛む。 ああ、俺にだって痛いほど分かっている。脱出するのに精一杯だったカペラと、シリウスをフォローしたベテルギウスの差は──。 そうして、俺たちはうつむいたままサー・アルフレッド・キングの次の言葉を待った。 「諸君らの考案したオアシスのおかげで なんとか食い止められているものの、 今年のツリーは例年になく不安定だ」 「イブまでに障害が生まれるかもしれないが、 困難な事態に対処する力も見させてもらった。 今後のさらなる鍛錬を期待する」 「とりわけ、星名ななみ!」 「は、はいっ!?」 「君はサンタとして長足の進歩を遂げている。 イブまでにさらに己を磨きなさい」 「ありがとうございます、がんばりますっ!」 「…………」 屈託のない笑顔で喜んでいるななみと、その横で俯くことしかできない俺と姫。 こんな姫の姿は見たくない。それはひとえに俺の責任だ。俺が姫の指示に即応できていれば……。 「…………」 「…………」 ロードスター邸からの帰路、俺たちは無言だった。 近々テストがあることは聞いていた。毎晩の訓練にも力を入れていたつもりだった。 しかし、まだまだ半人前。 近頃の訓練が調子よく行っているからといって、俺は姫の言葉を忘れて、天狗になっていなかっただろうか。 後ろの姫は……今、どんな表情をしているのだろう? 「国産……しろくま湾に行って」 第一声目は絶対にカミナリだと思っていたが、姫の声は静かだった。 「……姫?」 「特訓……しよう?」 「ああ、その……さっきは俺が」 「……ごめん」 「?」 「あたしがもっと国産のペースを理解してれば カペラも余裕をもって動けてた……」 「そいつは違う、俺の反応が遅かった」 「違うわ、あたしの力不足。 トナカイを引き出すのはサンタよ。 国産のせいじゃない!」 「姫……?」 「くやしい……! あんなにコンビネーションを 完成させてるなんて……!」 ななみとジェラルドのことだ──。恐ろしいほどのペースで、ななみは成長を続けている。 「国産! 今夜から鍛えてあげる! 絶対あたしのレベルにしてみせるから、 だから付き合って!」 「もちろんだ、お姫様!」 ああ……これなんだ。 姫は負けず嫌いのくせに素直にこういうことが言える。これがエリートの月守りりかなのだ。 俺は、そんな姫のことが心のどこかで気になっているのかもしれない。 いや──今は訓練だ。余計なものは全てを忘れて彼女の期待に応えよう。 それが、トナカイの俺が示すことのできる唯一の誠意なのだから──。 「いっくわよー。 明日からは国産と二人で遅刻かな?」 「深夜の特訓だろう、慣れてるさ!」 「そーよ、削っていいのは睡眠時間だけ」 「そういうことなら徹夜の覚悟だって決める。 目覚まし代わりは俺に任せてくれ」 「頼りにしちゃおうかな? んじゃ、コンビネーションの基本から 叩き込んであげる!」 「ああ、カペラ発進だ!」 ──かくして俺と姫の秘密特訓が始まった。 リーダー選定レースは、いつしかななみが優勢になっている。 それをひっくり返すためには、俺のレベルアップと、なにより姫とのコンビネーションが必要だ──。 「国産、突っ込むわよーー!!」 「おう──了解だ!」 結論から言えば、あの抜き打ちテストは俺たちにとって大きなプラスとなった。 自分たちの克服すべきポイントが明確になり、いきおい毎晩の訓練も熱を帯びている。 姫は口こそ悪いが、欠点の指摘も、アドバイスもことごとく的確だ。 少なくとも、俺が訓練の師匠として彼女を受け入れることができるレベルで。 「んー、やっぱり遅い」 「まだか……直線の速度は カペラの限界値まで振り絞ってるんだが」 「うん、まっすぐはじゅうぶん速いわ。 問題は小回り……」 「ねえ国産、裏技教えてほしい?」 「裏技!? まだ裏技があるんだな!?!? ああ、ぜひ頼む!!! でもいいのか!? いいならぜひだ! ぜひ教えてくれ!!!」 「うるさいうるさいうるさいっ!! わかったわよ、もう! いきなりエキサイトしないでよね」 「クイックターン!?」 「そ、あたしの反射速度に対応するには 必須の技術♪」 「日本じゃ必要ないかと思ってたけど こうなったら出し惜しみはできないもんね」 「見て、具体的にはこういうこと」 りりかが砂の上に指で図を描く。 クイックターンというのは、セルヴィをルミナの流れに逆らわせて急反転させる高等技術だ。 ルミナの流れに沿って飛ぶ滑空とは全く逆のことをするのだから、失敗すればすぐに失速してしまう。 「大回りのターンをすることはあるでしょ。 流れに逆らうって意味じゃ、あれと一緒。 ただ瞬間の逆噴射で回頭するってだけよ」 「セルヴィの性能的には不可能だな」 「だから裏技。 サンタと息が合えば可能になるの」 なるほど、姫に言われると説得力がある。 「サンタとのコンビネーション、 逆噴射のタイミング、および 逆流するルミナの流れを読む判断力か……」 「そーゆーこと、国産にできるかな?」 おそろしく難易度が高そうだ。正直、今の俺には失速の未来図しか見えてこない。しかし……。 「できるさ。 できると思ったから教える気になったんだろう?」 「ちがうわよ。生意気なトナカイに レベル差を見せ付けてあげるだけ。 あー、早く国産が音を上げるとこ見たいなぁ」 「そうよ、最高速まで一気に上げて! 3、2、1で逆噴射!」 「3、2、1……」 「しょぼ!!」 「ほんとだ……」 我ながらあきれるほどのへろへろターン。残念ながら、俺の技術ではまだまだクイックターンは不可能だ。 ルミナを逆噴射させ急ブレーキをかけるところまでは可能だが、その後の反転タイミングが難しい。 そのおかげで、指導はダメ出しのオンパレード。 「いい国産、ルミナの流れに乗るっていうのは ツリーと意識をひとつにするってこと」 「ああ、4、5年前にそう教わった。 トナカイもツリーと感応するんだってな」 「黙って聞く! 反対に、流れに逆らうって いうのは、自分はこう進むっていう 強い意志をツリーにぶつけることよ」 「俺の意思……か」 「ツリーに寄り添うんじゃなくて、 ツリーと対話するんだってイメージして」 「対話か……難しいな」 観念的な話がトナカイは苦手だ。しかしこの修行は面白い。 姫と訓練をすることで、俺は八大トナカイのテクニックを知るチャンスを得たことになる。 新しい技術が自分の血肉になる感触。それはいつ味わっても心地がいいものだ。 この表現が正確かどうかはわからないが今の俺は、姫との特訓が楽しくて仕方がない。 「ツリーに認めさせるのよ、カペラを! てなわけで、もう1本!」 「了解っ!!」 「うわわ……やってますね」 「ああ、すごいな。 ま、こっちはのんびり行こうや」 「でも、ノルマまであとバルーン60個あります」 「全部やるかい?」 「やりますよー!」 「それならペース配分はお嬢ちゃんにお任せだ」 「あぅぅ、わ……わかりました!」 「んー、まだまだね……20点」 「くっそー……厳しい!」 「甘くしちゃ意味がないでしょ? ま、一桁じゃなくて良かったわ」 「ん? 国産、だいじょーぶ?」 「はぁ……はぁっ、急に足にきた」 「ふふふっ、明日からもーっと辛いわよぉ」 意地悪な口調で笑う姫だが、今の俺には、その言葉のなかにどこか励ましの響きを感じることができる。 訓練がきつかろうが、評価が辛口だろうが、姫が俺に期待を寄せているならがんばれる。それがトナカイって生き物だ。 さいわい身体も慣れてきた。睡眠時間が削られても、明日に持ち越さないくらいの自信はある。 「姫のためなら〜どこまでも〜♪ っと」 特訓が密度を増すにつれて、俺たち二人の関係は上司と部下から、師弟関係に近づいていった。 それは日常生活にも及ぶようになり……。 「エンペラーセットでポテトがサイズアップのL、 それにナゲットとイーグルバーガー? これだけ食って、よくあの体型維持できるな」 姫の昼飯の買出しは俺の仕事。最近ほらあなマーケットにオープンした新しいバーガーショップが姫のお気に入りだ。 「どれ、ちょっとやってみるか」 飯を持ったままアクロは無茶だ。自主練習ができるのは往路と決まっている。 「よーし、突っ込めーー!!」 「でもってクイックターン!」 ソリのないカペラが頼りない半円を描いて向きを変える。 「…………んー、こりゃひどい。 やっぱり鞭が入らないとダメかぁ」 「はいよ、スペースファイアーバーガーの エンペラーセット、おまちどう!」 「うむー、苦しゅうない」 こうしていると、まるで二人で姫と下僕ごっこをしているようだ。 しかし、目の前にあるクイックターンという餌がでかいせいか、あるいは師匠の所で鍛えられていたせいか、この程度の御用聞きはさして気にならない。 昼食からボリューム満点のジャンクフードだが、姫の場合、本人の訓練量が半端じゃないので、体重には跳ね返ってこないようだ。 それでも栄養バランスは色々心配なのだが。 「はむはむはむ……ん、どーした国産?」 喜色満面でハンバーガーにかぶりつく姫を見ていると忠告が野暮なものに思えてしまう。 「ふぁぁ……おはよーございます」 朝食前のひとときをリビングでくつろいでいるとななみが寝ぼけ眼で起きてきた。 クイックターンの特訓を開始してから、俺と姫は一番早く起きるようになったので、今や、ツリーハウス一番のお寝坊はななみになってしまった。 「おはようございます。 すぐに朝食の支度をしますね」 「おはよーすずりん、今日の朝食って何?」 「今朝は、焼き鮭とわかめのお味噌汁と 付け合わせ程度にほうれん草のおひたしと 納豆にしようかと……」 「そっかぁ、おいしそー!!」 「………………」 「………………」 これでもかと和食メニューを並べられて、急にもじもじしだしたお姫様は、不意にポンと手を打つと。 「あ、そーいえば! ルミナの観測しないといけないんだった! 国産、行くわよ!!」 「今から?」 「ととと当然! イブは待ってはくれないわ!!」 「……はぁぁ、危ないとこだった」 「ええとお姫様、 それで俺たちはこれからどうすると?」 「あ、ルミナの観測だったわね。 えっと、メインストリートへ──!」 「──繰り出すのは構わない。 だが、巻き添えで朝食を食いっぱぐれて しまったわけだが?」 「もー、しょーがないな! じゃあ朝食も一緒にしてあげるわ」 ──しょうがないって感じの声じゃないな、これは。 「さーて、さっそく腹ごしらえに♪」 「またエンペラーセットか」 「な、なに!?」 「いーえ、べつに」 どうやら偏食を隠しておくことがお姫様のプライドらしいので、そこは俺も尊重という名の放置を決め込むことにしている。 というわけで、スペースファイアーバーガーのあるほらあなマーケットに折れ込もうとしたところで……。 「おや、電話だ」 「誰から?」 「……透だ、なんだろう?」 「よくぞ参られた、皆の衆!」 「お招きにあずかりましてー!」 「うむっ、しばしそこで待ってくれたまえ」 透からの電話は、仕事ではなく夕食のお誘いだった。 サンタチームの労をねぎらうために、サー・アルフレッド・キングがとびきりのディナーに招待してくれたのだ。 このところ、店の経営は低空飛行ながら安定中。ルミナの分布もだいたい分かってきたし、難関のニュータウンも編隊飛行で攻略済みだ。 イブに向けての不安点はだいたい解消され、今はシャッフルで誕生した新しいペアのレベルアップを図っている最中だ。 今日のディナーは順調なサンタチームへのちょっとしたご褒美なのかもしれない。 「わくわく……どんなご馳走なんでしょうかー?」 「英国貴族のディナーだもんね、 なんかちょっと憧れちゃうなぁ……」 「硯も久しぶりに夕食当番から解放だな」 「はい、でも楽しみです。 少しでも味付けを覚えて帰れればと……」 期待に胸を膨らませる俺たちツリーハウス組に少し遅れて、ジェラルドとサンタ先生も到着した。 「よお、こんばんは。 庭園パーティーとは素敵な催しだ」 「楽しみ〜。立食パーティーなんて、 スカンジナビア研修以来かも」 「記念に今宵は無礼講だな、マイドルチェ」 「無礼講でセクハラはなしよ♪」 「はぁぁ……おなかがすきましたぁ」 「あたしもー……でもがまんする!」 「空腹は最高の調味料って言いますものね」 「あいや長らくお待たせした! それでは、今宵の食材をご覧いただこう!」 「おお……っ!」 ボスの背後──そこに、黒い幕で覆われた巨大な塊が姿を現した! なにやら物干し竿的なものに巨大な食材が吊るされている。こ、これは──!? 「す、すごっ!?」 「なんでしょう……どきどきしますね。 あのサイズは……」 「仔牛の丸焼きとか!?」 「それに勝るとも劣らぬ自然の恵みである! しかと見よっ!!」 「わぁぁ……っ!!」 ボスが黒い幕をばさっと取り除く。その中から現れたのは……! 「お、おばけだーーーーっっ!!!」 「ち、違いますよ、ななみさん! アンコウです、アンコウ!」 「へえ、深海魚か…… こいつは食えるのかい?」 「食べられるも何も、日本酒にはぴったりよ」 「左様、早朝しろくま港で揚がった珍味である」 「オアシスで漁港のほうを回ったときに、 地元の漁師さんにいただいたそうです」 「独りで食べるにはチト手に余るのでな」 話しながらもボスはバケツの水をひしゃくですくって吊るされたアンコウの口の中に流し込んでいく。 「な、なにをなさってるんでしょう?」 「まさか解体するのでは……」 「左様、我が〈大豆〉《だいず》〈長光〉《ながみつ》の切れ味、 とくと見るがよい! キェェェイ!!!」 「はわわ……」 「す、すげえ! うちのボスはただもんじゃ……あれ、姫?」 「…………(ぎく!)」 「どうしたんだ?」 「あ、あいたたた……お、お腹が急にー!」 「………………」 「いたたた……って、なんでそんな目で見る!?」 「食ってみろよ、けっこう美味いもんだぜ」 「ちがう、おなかが……」 「〈腹痛〉《はらいた》にはアンコウ鍋!! さあ、遠慮なく食してくれたまえ!!」 「もうできた!?」 「クイック&テイスティが漁師の基本! どうだね、月守くん?」 「あ、あはは……いただき……ます」 「では、みなさんのぶんは 僕が取り分けますのでー」 「いっただっきまーす! はふー、おいしいおいひい……!」 「こいつは暖まるな。 この時期におあつらえだ」 「身は思ったよりも淡泊なんですね。 んん、美味しい」 「ああ、こいつは美味い。 さすが漁港のある町は違うなぁ……ん?」 「……(きょろきょろ)」 「…………(投下!)」 見てはいけないものを見てしまった。姫が…………ななみの隙をついて椀に自分のアンコウを移している。 「食ってみりゃいいのに……」 「んー、さすがアンコウさんは大っきいですねー! あむっ……食べても食べても……なくならない はむ……はむっ……」 そして何も気づかずにりりかの分もおいしくいただいている、おめでたいななみ。 「……ミッションクリア、ゾーンL突破♪」 「なにが突破だ。 せっかくボスが作ってくれたのに」 「わわ、しーっ、しーーーーーっ!!」 「ふーん……」 「げげっ!? ニセコ!!!」 「リーダー適正報告。 月守りりかさん──偏食が著しい……と」 「わ、わ、わーーっ! ちょっと何書いてんの!? あたしちゃんと食べてたし、ほら!」 「食べたのはななみさんです」 「しっ、証拠あるの!?」 「食べてませんでしたよね、中井さん!?」 「食べてたでしょ、国産!」 「俺は何も見てなかったー(棒)」 「わぁぁ、なんだその棒読み! 口裏くらい合わせてよ!」 「やっぱり!」 「あわわ……う、うるさいうるさい! ニセコ、その閻魔帳貸しなさい!!」 「だっ、ダメですよ!」 「いいからよこせーーっ!」 和やかな鍋パーティーはどこへやら。テーブルの間を二人が駆け回る。 「りりかさん、減点! 大減点!」 「ニセコごとき逃がさないわよ、 くらえ、トラクタービーム!!」 「わわっ!! ロープを投げないで、ロープを!」 「はややぁ……りりかちゃん元気ですね」 「アンコウってスタミナ付くんですね」 「夜の鍋ってことかな、マイドル……ぐぅっ!」 「あら御免なさい、つい肘が」 「わ、わわっ、閻魔どろぼー!」 「消すとこ消したら返してあげるわよ!」 「さて宴もたけなわであるが、 このあたりで……」 「わーーーーーーーーっっ!!」 「〈哈〉《ハ》ーーーーーーーッッ!!」 「きゃあああっ!!」 「うむ、何事か!」 「それが、りりかさんが!!」 「ふむ?」 「あちゃー…………やっちまった」 「……ふむふむ、 だいたいのいきさつは心得た」 「………………ご、ごめんなさい」 「うむ、なかなか神妙でよろしい。 閻魔帳を盗もうとしたのは怪しからんが、 〈此度〉《こたび》は特別に許してつかわす」 「はぁぁ……よかった」 「そんな、サー・アルフレッド・キング!」 「ところで、和食が食えぬとな?」 「いっ、いえ、食べられるんですけど、 その、ちょっと合わないっていうか……」 「もういい、見栄を張るな、姫」 「みっ、見栄じゃないもん!」 「ならば、月守りりか! 〈此度〉《こたび》の一件を修行の好機と前向きに捉えるべし!」 「しゅ、修行ですか!?」 「左様、どのような悪癖も修行に励めば直るもの。 よって今日より〈暫〉《しばら》く、〈其許〉《そこもと》の洋食を禁ずる」 「洋食禁止!?!?」 「うむ、月守りりか! 堂々と和食を食らい、 その素晴らしさに目覚めるのだ!」 「ちょちょ、ちょっと待ってください! あの、さっき許すって!」 「修行である、励めい!」 「励んでください」 「ニセコ、うるさい!」 「で、でも……あの、 しばらくの間って……どれくらい?」 「期間は好き嫌いを克服するまで! 〈屹度〉《きっと》申し付けるもの也!!」 「そんな終身刑みたいな罰ゲームはいやぁー!」 ──かくして翌朝。 「うぇぇ……」 鮭の切り身、納豆、お新香、味噌汁に白米──。 朝食からテーブルに並んだコテコテの和食を前に姫がげんなりしている。 「支部からの指示があって、 しばらく和食尽くしだそうです」 「ふーむ、どうして和食なんでしょう?」 「……(ぎく!)」 アンコウ鍋をななみに食べさせて、ボスに怒られたいきさつは、幸いにしてこの二人にはバレてはいない。 「る、ルミナの感応力を高めるとか、 なんかご利益があるんじゃないか?」 同居生活をしていれば偏食が露見するのも時間の問題だと思うのだが、ここは姫のプライドに助け舟を出そう。 「そうかもしれませんね、それじゃ」 「いっただっきまーす☆」 「あ、そうだ、調べ物! 急ぎのがあったんだ!!」 「それでしたらノートパソコンを……」 「ううん、部屋のサンタ辞典が要るの。 ついでだから食事も部屋で済ましちゃうわ。 国産、付き合って!!」 「お、俺もか!?」 「ふー、危ないところだった……」 「朝食も持ってきたぞ」 「ありがと、じゃ食べて」 「は?」 「たーーべーーてーー!!」 「ボスが姫には和食をと……」 「食べてったら食べてーー!!」 「…………」 「そ、そんな目で見るなぁぁ! あたしは上司!!」 「……はいはい、お姫様」 硯の料理二人前程度なら軽いもんだ。それにこの展開も想定の範囲内──。 意外だったのは、姫がこんな露骨に駄々をこねたことくらいだ。 ななみたちの前では、あんな必死になって偏食を隠していたっていうのに……。 「どう、美味しい?」 「うん、さすが硯。 ちょっとくらい食べてみろよ?」 「いま食欲ないの!」 「いいのか? 朝飯抜いたら保たないぞ」 「NYじゃいつも抜いてたもん!」 「はぁぁ……」 「ひぁぁ……」 ま、そーなるわな。 実質、昨日の夜から何も食べてないお姫様は、昼飯時にはもうふらふらだ。 「ふぁぁ……」 「大丈夫か?」 「へぁぁ……」 「……了解だ、休んでくれ」 「とーまくん、りりかちゃーん、 もうすぐごはん交代できまーす」 「おう、サンキュ」 「さあ姫、そろそろ楽になっちまおう。 和食だって栄養は栄養だ、 我慢して食っちまえばすぐに力も……」 「国産! ルミナ観測よ!!」 「な、なに? これから昼飯だぞ?」 「今じゃないとまずい! しろくまの危機! 日本の危機!! さあカペラれっつごー!!!」 「わぁぁ、待て! わかった、わかったから交代まで待てー!!」 「着いたーーー♪」 「おい、ルミナの観測は?」 「うん、ここから観測しよっとーー!!」 「…………スペースファイアーバーガー?」 「きっとここからならルミナが見える。 すっごく見える! ちょー見える!」 「………………姫?」 「すみませーん、イーグルセット2つと ナゲットと、オニオンリングと……!!」 「全部テイクアウトでお願いします!」 「げげっ! ニセコ!?!??」 「12時50分 りりかさん、修行ボイコット──。 サンタとしての自覚に欠ける傾向あり」 「ちちちちがうのよ! これはみんなに買って帰ろうと思っただけで!」 「ですからテイクアウトにしましたが?」 「あう、あうぅ……!! あ、ちょ、ちょっと急用があったーー!! 国産もついてきて!!」 「すごいなしっかり監視してる」 「まるでスネーク2号だわ! 負けるもんか、進路変更! 駅前のバーガーTIMEに〈吶喊〉《とっかん》す……」 ──どしんっ! 「いたたっ、ちょっとどこ見て……」 「オー、プリティガール?」 「きゃーーーーーーー!?」 「駅前ハンバーガーショップ! トゥデイは満員御礼ネー?」 「い、いえ、あの、その……あたし!!」 「オー、オジョーチャン! 腰抜けマシタカー? バット、ノープロブレム!」 「あ、わわっ、いた、いたた……! ちょ、ちょっと、おじさまーーーー!?」 「HO−HOHO!!!」「わぁぁーーーーっ!!」 「はーーはっはっは! ぬるいわっ、腰が入っとらん!!」 「自業自得とはいえこりゃキツいな。 りゃあああーーーー!!!」 「うええーーーん!! きえええーーーーーーー!!」 「腹ペコのうえに 立ち木打ち300本ときては、 さすがのお姫様も形無しか」 「うるさいっ、こくさんーー!!」 「喝ーーーーーーーーーッッ!!!」 「ひぁぁ!? ご、ごめんなさいぃぃ……!」 「よぅし、あとはラビットジャンプで 切り上げてよし!」 「は、はい……ありがとうございます! ラビットジャンプって……う、うさぎ?」 「左様!! 館の周りを10周! 行くがよい!」 「し、死ぬ…………(がくり)」 「いけー! つっこめ国産ーーーっ! もうやけだ、わーーーーーーっっ!!!」 結局、夕食の鯖の煮付けも俺に食わせたお姫様は、断食状態のまま夜間訓練に突入した。 空腹を我慢するくらいなら好き嫌いを耐えたほうが楽だと思うのだが、そこがNYエリート流の意地なのかもしれない。 「逆噴射! 逆噴射! いっけー!」 「もらった、名古屋打ちっ!! ていていていていっ、800点げっとーー!!」 こんなボロボロ状態のくせに発揮するポテンシャルは普段以上ときてる。 「けどあまり無茶せんでくれよ」 「なんか言った!?」 「いや、なんでもない……ご随意に」 「うーーーがるるるる!」 恐るべし、小型肉食獣……。 「はにゃぁぁ……」 「ふにゃぁぁ……」 ──ぐきゅるるるる。 「………………ぐすっ」 「うぅぅ……ポテト、ハンバーガー、 フライドチキン……」 ──ぐきゅるるるる。 「負けない、負けない、ほしがらない。 でもナゲット、オニオンリング、 ホットドッグ……」 ──ぐきゅるるるる。 「……すん、すん」 「ひもじい〜! じーちゃんごはん、ひもじいぃぃぃ……」 「おなかうるさいバーガー……ひもじいポテト、 はらぺこチキン……」 「…………ぐすっ」 「大丈夫か、姫?」 「わきゃあああぁぁあああぁ!?」 「なななーに国産? 朝から暇ぶっこいてどーしたの!?」 「姫が外回りに出たいって言ってたんだろう」 「はれれ……そ、そーだっけ?」 ──ぐきゅるるるる。 「はうぅぅ……」 「わかった今日は休め、 休んでくれ、休んでください!」 「ふえ? なにが?」 「はらぺこ姫様、ふらついてますよ」 「へ、平気だもん!」 「声にもまったく生気がない」 「へいきだもん!!」 「ええい、さっさとお部屋にれっつごーだ!」 「へいきだしーーー!!」 そんなこんなで、ふらふら姫を部屋に押し込めてきたのだが、 「ふむ……昼飯までまだ間はある、か」 いくらなんでもあんな弱った姫を見るのは心が痛む。 「つまりこれは……久しぶりに俺が 料理の腕を振るう時が来たってことか!」 「ふんふんふーん♪」 キッチンに立つのは久しぶりだが、自炊は野宿生活で慣れている。 硯用にセッティングされたシンクまわりだが、なに、男の料理は細部にこだわらないものだ。まるで問題ない。 「ふんふんふーん、男のカレー♪」 はらぺこさんにはカレーが一番……というか、俺はカレーしか作れないのだ。 とはいえ過酷なテント暮らしを生き延びてきた俺のカレーは、味も栄養価もグンバツだ。 姫様にはこいつでガツンと元気になってもらって今夜からまたビシバシ鍛えてもらわないとな。 「さあお姫様、こちらをどうぞ」 「これ……あたしのために?」 「いんや、作りすぎちまってさ。 悪いが少し手伝ってくれないか?」 「国産……?」 「ははは、たまに料理すると 目分量が分からなくなって良くない」 「ばか……国産らしいけど。 でも、このカレーは国産っぽくない」 「どこが?」 「だって………………見た目 すごい美味しそうだし……じ……じゅるり」 「味も格別さ。 さあ、ボスにバレないうちに さっさと片付けちまおうぜ!」 「うん……国産……」 「それじゃ、一緒に……」 「いただきまーす☆」 「あーん……ぱくっ…………」 「ど……どうだ?」 「はむはむはむ…………ん……」 「…………………………」 「……………………」 「ああああーーーーーーーーーーー!!!!」 「からいからいからいたいーーーー!!!」 「ど……どうしたんだ……もぐ?」 「おおっ美味いじゃないか!!」 「はひ、はひ、はひぃ! うぅぅぅーーー水水水ーーーっっ!!」 「ど、どうしたんですか! りりかさん!?」 「か、か、か、カレーが……辛はひーー!」 「……カレー?」 「わーーーーーーーーっっ!?!?」 「どうもすみませんでしたっっ!!」 「ふはははは、洋食禁止のサンタクロースに カリィを振舞うとは不届き千万!!」 「しかし70倍相当の激辛カリィとあっては 小娘の舌も灼けようというもの! ぬしは罰ゲーム執行係であったか?」 「いえ、味付けはいたってノーマルに……」 「毒見したトールが寝込んでおるわっ!!」 「ええええ!? おっかしいなぁ……なぜだ!」 「ふむ……まあよろしい。 味付けについては好みの分かれるところ。 辛くとも美味なればなべて良し……」 よーく見ると白い口ひげに微妙にカレー色を滲ませたボスが腕を組む。 ボスにはお気に召していただけたようだが、とはいえ、命令違反は命令違反。 「……相方の空腹を見かねてしまいまして。 申し訳ありません!」 「ですが……その、 ちょっとくらいオマケはダメでしょうか?」 「ふむ?」 「その、オマケってのは俺にではなくてですね、 このまま空腹で訓練するのは危険ですし、 特にリーダー選定のテストが間近ですし」 「案ずることはない。 リーダーの選定はそれぞれのペアが しっかり馴染んでから行うつもりだ」 「つまり、まだ少し猶予があると?」 「アドベントまでに決着がつけば、それでよい」 アドベント──クリスマスの1ヶ月前。そんなぎりぎりまでリーダー不在のまま引っ張るつもりなのか……なんて強碗だ。 「中井冬馬!」 「は、はいッ!」 「一流のトナカイは どのようなサンタにも適応する」 「君は、星名ななみ、月守りりかと、 対極に近いサンタを相手に よくパートナーシップを築いているな」 「いえ、自分はまだまだです」 謙遜ではない。俺はボスに褒められるほど相棒としての絆を深められたわけではない。 「しかし、ただサンタに合わせるだけでは トナカイの役割は果たせぬもの……」 「……!!」 「これはロードスターではなく、 いちサンタとしての意見である」 「パートナーのスタイルはそれぞれのもの。 しかし心に留めておくがよい」 そうだ……確かに俺は……。 「お言葉頂戴しました、 サー・アルフレッド・キング」 冷や水を浴びせられた気がした。 ただサンタの言うことを聞いているだけでは、サンタに適応したとはいえない──。確かにその通りだ。 「ふむ、ならばトナカイとして君は何をする?」 「俺は……」 そうだ、相棒であるトナカイの俺がするべきことは……。 「責任をもって相棒の偏食を治してみせます!」 「うむ、期待する!」 「……遅かったのね」 「悪いな、待っててくれたのか?」 「ま、ま、待ってなんか……!!」 こんな時間までテラスに出ていた姫様がなにか言い返そうと口をぱくぱくさせる。 「口が辛くて眠れなかったの!!」 「朝のカレーが?」 「そそそうよ、あんなのカレーじゃない 毒物よ、毒物……いたたた!」 「すまん、姫も大変だったな」 「うー、国産のせいで 腕とか足とかバキバキだし」 俺と一緒に呼び出された姫はスパルタ訓練一式をこなしたあとに無事……とは言えない体たらくで解放されたのだ。 「とにかく国産はカレーの才能ゼロ!」 「うーむ、俺はいつもあの味付けなんだが……」 「客観性を著しく欠いた料理ね」 「客観性って漢字で書ける?」 「……!!」 「書けるもん!」 「よし、それなら……」 「うー……はっさん、きょうよう、えいご、 せっきょう……」 「そうそういい感じ」 「したづみ、ろうどう、おんしらず、おんしらず、 おんしらず……」 「ちょっと待て、どこにそんな問題が?」 「人が気にして待っててあげたのに恩知らず!」 「へええ、やっぱり気にしてくれてたのか!」 「ばか! そんなんじゃないもん!」 ふふふ、それでも真面目にテストに取り組むなんて姫様にも可愛いところがあるもんだ。 それに正答率もこの数日で驚くほど向上している。すべては才能ではなく、努力の成果だ。 ずっと知らん顔をしているが、姫様がゲームソフトの裏に自習用の漢字ドリルをこっそり隠していることを俺は知っている。 努力家のサンタさん……か。 ただ単に天才と言われるより、そのほうが俺にはよっぽど好感を持てる。 「……国産のバカ」 「ん?」 「何でもない!」 妙に不機嫌になって、再度問題に取り組む姫様を見ながら俺はふと思う。 苦手な漢字もこうして克服していけるんだから、偏食だってきっと大丈夫さ。 「じゃあ次は『ぎゅうにく』『とりにく』『ぶたにく』 こいつを好きな順番で漢字にしてみよう」 「なによその問題!」 「いいからいいから♪」 「とりとりとりとりトリアージ♪ にくにくにくにくにくじゅーはち♪」 早朝!キッチン!男の料理!! サンタさんが朝のスパルタ修行に出掛けているこの時間が料理の腕を磨くチャンスだ。 この俺が、カレー以外の料理を見事作り上げて、お姫様の食生活を改善してみせる。 ならば硯に弟子入りするのが手っ取り早いのだがそこはお姫様のプライドを優先して諦めた。 「つまりは我流! トナカイ流鶏肉料理で 姫様の和食嫌いを克服させるっ!」 昨夜の漢字テスト偽装アンケートでだいたい姫の好みも把握できた。 鶏肉ならば安いからいつでも冷蔵庫に入っている。失敬したぶんは、あとで自腹で買い戻しておこう。 「待ってろ姫様、とりにく推参〜♪」 手を休め、俺はふと思う。 こうやって偏食克服の食事を用意することにより、俺は以前よりもずっと真剣な気持ちで、正面から姫と向き合っているようだ。 姫の喜びそうな料理、姫のプライドを傷つけない提供方法、姫の身体にいい食材の工夫──。 1から10まで、考えるのは姫のことばかりだ。 サンタが偏食で困ることはない。サンタの掟に触れるわけでもない。 けれど、この偏食克服プロジェクトは確実に俺と姫との距離を縮めている。 「ボスが言いたかったのは、 きっとこういうことなんだな……」 一流のトナカイは、あらゆるサンタに対応する。 その答えが、きっとこの先にあるのだろう。 ──かくして。 「な……なにこれ?」 「晩飯だ!」 「これが?」 「美味そうな香りだろう?」 「……見た目は泥みたいだけど」 俺が用意したのは鶏の炭火焼だ。付け合せの野菜も今日のところは食べやすいジャガイモ中心で、姫の御機嫌を伺うことにした。 確かに見た目はよくないが、この食欲をそそる炭と鶏油の香りは自信作だ。案の定……。 「……ごくっ」 修行僧なみの断食をしてたお姫様が口の中をつばで一杯にしている。 「一応は和食さ。 これなら透も文句はないだろう」 「でも……国産の?」 「大丈夫、今日は俺が先に味見する!」 見た目は悪いが成功作。それを信じて鶏肉を口に運ぶ。 「もぐ……んぐ!?」 す、すごいぞ、こいつは……!! 「んぐ……ぐ……」 こいつは──塩だ!!!! これは塩の料理・鶏肉風だ。なぜだ、なぜこうなった……!? 想定外だ。いったいどういうことだ、我ながらここまでひどいとは! いや、味もひどいが、これを人に食べさせようとする行為自体が言語道断だ! 「わ、分かったわよ、食べるから!」 「ま、待った! だめだ姫、こいつは……」 「あーん、もぐ…………」 あああ……食っちまった!しかもあんなに大口でばっくりと!! 「……まずい!!」 「ううっ……すまん姫、俺の力不足だった……」 「ほんとに、まずいし辛いししょっぱいし! どーしたらこんな料理作れるのよ!」 「もぐ…………うぇぇ、しょっぱい」 「待て……なにやってる!? おい、やめとけ! 死ぬぞ!!」 「だってもったいないし! 国産食べられないんでしょ?」 「いやっ、その俺の分は……水で洗えばなんとか」 「ぱく……もぐもぐ……うぇぇ、不味すぎる……」 「お水!」 「は、はいはい!」 「むしゃ、もぐ……ごくごく……ぷは……」 信じられないことに、姫は俺の塩料理を水で薄めながら食べようとしている。 硯の和食は何も考えずに残していたはずなのに……なぜだ?やはり鶏肉か? 鶏肉パワーなのか!? これまた想定外だ。けれど、それだけに……俺の責任を感じる! 「国産が作ったんだから、 責任取って一緒に食べなさいよ」 「お、おう……そりゃもちろん! あむ……うえぇ……本当まずいな」 「うん、まずい……」 「まったく、どう工夫すれば ここまでまずくできるんだ」 お互いにまずいまずいと言いながら焦げた鶏肉を口に運ぶ。 そうだ、俺はもっと上手くならなければならない。〈滑空〉《グライド》も料理も──このお姫様の相棒になるために。 「だから、あたしが鞭を入れるタイミングを 先読みするの、いい、先読み!」 「声でタイミングとってたら、 遅れちゃうの分かるでしょ?」 「つまり、ルミナの流れから判断しろと?」 「そーゆーこと、 敵が弾を撃つ前に避けるのと一緒!」 食後はゲームをしながらコンビネーションの打ち合わせだ。 なぜゲームをしているかというと、どうやら姫様はこのほうが集中できるらしい。 「それさえマスターしてくれれば、 あたしの方も楽になるし……ていっ!」 「靴下の位置読みはどうしているんだ? コース取り次第でシビアになることもあるだろう」 「射つのはあたしに任せりゃいいの」 「あ、くそ……やられた」 「ね? 国産は操縦に専念する」 ゲームのほうはスーパーハード5面で痛恨のコンティニュー。 せっかくパワーアップしまくっていたというのに、へぼへぼのノーマル装備で再出撃だ。 「最初はあたしの影に隠れてて。 赤玉が出たら確実に取るのよ」 「すまん、頼む!」 「そのためにボム残してんだから気にしない」 「でも……けっこう上手くなってるわよ?」 「〈滑空〉《グライド》が?」 「ゲームが!」 姫には内緒だが、実はこの『鯖!鯖!鯖!』は子供の頃に散々遊んだゲームだったりする。 繰り返しやっていくうちにゲーム勘は戻ってくるものだが、にも関わらずどうやっても姫より先に全滅してしまうのが悔しいところ。 「次は姫よりスコア稼ぐ!」 「ほー、このRRK様に歯向かおうとは 身の程を知らないわね」 「トナカイの反射神経、なめるなっ!」 「残念、そこは左下しかスペースないの!」 「…………くっ!」 無念、記憶力では姫に勝てないのか……! 「あー、もう口のなかしょっぱい!」 「そいつはすまん」 「国産って、なんでも味付け濃すぎ! 味覚が単純なのよ」 「ジャンクフードマニアの姫に 言われるとは思わなかった!」 「誰がマニアよ! ちょっと好きなだけ」 「はいはい、そーゆーことにしましょうか」 せわしなくコントローラーを操りながら、話がいろんな方向に飛んでいく。 ゲームをしながらだと特に相手を意識しなくてすむせいか、昼間の営業時間よりも会話が弾む雰囲気だ。 「次はもうちょっと上手く作ってみせるさ」 「別に……料理なんて作らなくていーのに」 「相方なんだから、それくらいはするさ」 「部下!」 「部下でもしますよ」 「けど、あの味じゃあねえ……」 「次は調味料を半分にする」 「もっと減らしたほうがいいと思うけど」 ──ぐきゅるるる。 「──!!」 「まだ減ってるよなぁ」 「ち、ち、ちがうの! いまのはゲームのSEが……!」 「あーーーーーーーー!!!!」 「お、珍しい」 「鯖が落ちたぁ…………がっくり」 「鬼の〈霍乱〉《かくらん》ってやつか。 ほら、今度は部下の俺サマがお助け申し上げる」 「いらない、自力リカバリーする!」 「へいへい、ご随意に」 「………………」 「……で、サンタ先生を 口説き落とす件はどうなったの?」 「……なんだって?」 「言ってたじゃん、こないだ」 「ああ、そういえば!」 ジェラルドと酒を飲んだ後に、そんな相談をした覚えがある。姫の偏食のドタバタですっかり忘れていた。 「柄でもないことに手は出さないよ。 少なくともリーダーが決まるまでは、 お姫様と一蓮托生だ」 「ふーん、そっかそっか」 ──ぴと。 コントローラを操りながら、姫が身体を密着させてきた──。 え? どういうことだ!? 「国産にサンタ先生は無理よねー。 似合わないもん」 肩越しに姫の体温を感じる。だから、これって……どういうことだ!? 「えーっと……」 「わぁぁ!?」 「あはは、落ちたぁ! 国産残機あと3つ♪」 「そ、そういうやり口だったか、卑怯!!」 「なーんのこと?」 「ぐぐっ……二度は通じん!」 ええい、なんたる未熟。こんなお子ちゃまの色仕掛けに集中を切らすなんて……!! 「も……もう落とさせんっ!!」 「どーかなぁ」 イタズラな笑みを浮かべながら、姫が寄りかかってくる。愚かな、同じ手が二度通じるものか! 平常心平常心。いくら女子ったって限度があらあ。相手は姫だぞ、俺! 「あ、いま足見てたでしょ!?」 「え!? 見てない見てない! なんでそーなるんだ!!」 「うわ……!?」 「ふひひひひ……」 「うぎぎぎぎ……!!!」 「国産って本当に女の子と 縁がない生活だったのねー」 「な、何を根拠に!」 「うがあああああ!!!」 「もっとくっついてあげよっか? ほらほらー♪」 「や、やめろ! 寄るなっ!」 「ぎゃーーーーーゲームオーバー!!」 「ふひひひ……かーわいいな、国産は」 うぐぐ……な、なんたる屈辱!! 「入口のおそーじ終わりましたー」 「お疲れさん、中も終わったとこだ。 開店までひと休みしとこう」 今日も朝から開店準備。 ボス特製の早朝訓練を受けてきたというのに、ななみの元気は相変わらずだ。 「そーいえば、とーまくん、 最近はりりかちゃんと息ぴったしですね」 「そうかな、あいかわらずのギクシャクだぜ」 「そうですか? 訓練を見ててもノリノリですよ?」 「ノリノリ?」 「ノリノリです!」 「私もそう思いますよ。 お料理も作ってあげてるんですよね」 「た、たまにな……ほら、あいつ不規則だから」 二人の言うとおり、偏食騒動のおかげで、このところ姫と一緒にいる時間が飛躍的に増えた。 それに合わせて、お互いの距離感も自然なものになりつつある。 それにすぐ勘付くあたり、サンタさんといえども女子の嗅覚は凄いもんだ。 「ふーむ、しかし冬馬くんが手料理とは驚きです。 今度、ご馳走してもらえませんか?」 「おう、とびきりのカレーを作ってやる」 「わぁい!!」 「…………なんでしょう、少し嫌な予感が」 「国産! 反転時に意識ぶれてる! もっと思い切って逆噴射!!」 「おう、こうか!?」 「そう、そんな感じ! あとは逆流するルミナの流れを読むの、 できるでしょ?」 「もちろんだ!」 自分でも肌でわかる。 ほんの数ヶ月前とは比べものにならないほど俺の技術はレベルアップしている。 クイックターンの習得にはもう少し時間がかかりそうだが、コンディションは絶好調といっていい。 ここまで息が合えば、後は練習あるのみ。 睡眠時間を削っただけのことはある。いや、睡眠時間を削っているからこその集中力なのかもしれない。 「んー、でもこのパターンなら 反転中に射ってロスを減らせば……」 訓練の時の姫は相変わらず凄い。指示は的確だし、俺の技量にあわせた射撃方法まで考えている。 頼りになる──。いまさらながら、自分がどうして彼女の前に兜を脱いだのかを再確認する思いだ。 口ではどれだけ偉そうにしていても、姫はそいつに見合うだけの努力をしている。 俺は、いいパートナーにめぐり合えたのだ。感謝せねばなるまい。 「よい、よいっ……と、よしできた。 姫ー、お待たせ!」 感謝の形は目に見えるもので、だ。今日の夕飯は薄味を意識して、白菜のうま煮を作ってみた。 姫の偏食攻略もいよいよ野菜ステージに突入だ。そのかわり、食べやすいように牛スジと一緒に炊いてみた。 硯の邪魔にならないように部屋のカセットガスコンロを使う。こうすればみんなにバレる心配もない。 「……葉っぱ?」 「白菜」 「見た目は普通だけど……」 「味だってそこそこさ、うん、美味いぞ」 「本当? じゃ、いただきます。 ん……」 「…………」 ひと口目は、つい緊張してしまう。果たしてお気に召すだろうか? きっと、硯やうちのお袋なんかもそうだったんだろう。 料理を作る人の気持ちってやつを初めて理解できたかもしれない。 「ど、どーだ?」 「あ、今日のはけっこう食べられるかも」 「やった……あいてててっ!!」 嬉しくてガッツポーズをとろうとした矢先、上半身がビリッと痺れた。 「どーしたの?」 「あはは、勢いで背筋がつっちまった、いてて……」 「もー、なにやってんだか。 はい、つかまって……よいしょっと」 「す、すまない……いてて!」 「背中ね、ちょっと待ってて」 「へ?」 俺の様子を見て、姫が後ろへ回り込んでくる。 「こうやって……んしょ!」 「うあっ……くーっ!」 背中に膝を当て、ぐいっと引っ張られる。 「どう? へーき?」 「ああ……はぁぁ、サンキュ……」 固まっていた筋肉が伸ばされて、ずいぶん楽になった。 「うわっ!? 国産、肩パンパンじゃない!」 「ん、そーか?」 「わ、腰から肩甲骨にかけてもひどい。 これ重症よ、横になって」 「いいけど、姫はいったい?」 「はいはい、早くっ!」 「うわわ……!?」 「うぐぐぐぐぐ……うーーーーーっっ」 「ふっふっふ、どーお?」 「あぐぐぐぐ、ぎうーーーー!!」 「ここんとこ凝ってるわねー、 うりうりうり♪」 「うはぁぁぁぁ…………!」 うつ伏せになった俺の背中を、姫の足の裏が踏みつける。 「強い、強いって、うがぎぐ……げ!!」 「強くなんてしてないわよ、 痛いのは凝ってる証拠」 「そ、それは……そうかもしれ……げぼー!」 「あはははっ、大げさすぎ! ほら、ここはどう?」 「あ、そこは……はぁぁぁ……」 「んー?」 「気持ちいい……うぎ!? ぐあっ、あがっ!?」 「あれれ、痛い? じゃあ余計念入りにほぐさないと……」 「うがっ、ぎぐーーうぐぐ……っっ!!」 「泣いちゃダメよ〜、男の子でしょ?」 「だっ、誰が泣く……くくくっ……!!」 「このラブリープリンセスに 踏んでもらえるなんて なんて幸せな下僕なのかしらー♪」 「そういう趣味は……んがーーー!!」 「ん? きこえなーい?」 「そ、そ、そこは……うごっ、ぐげっ!」 容赦がない。徹頭徹尾容赦なく、足先が俺のツボを突いてくる。 「はぁぁぁ…………ぐったり……」 「はい、1ラウンド終了」 「はぁ……はぁ、はぁ、はぁぁ……」 「ふふっ、気持ちいーでしょ?」 なんてことだ、肩が見違えるほど軽くなった! マッサージなんて悪ふざけかと思ったら、本気で上手い。一体……なんなのだこれは!? 「どこで……はぁ、はぁ、覚えたんだ?」 「そりゃあ、子供の頃から じーちゃんの肩を……」 「じーちゃん?」 「あ、なんでもない、なんでもな……いっと!」 「おごぉ!?」 「ふっふっふ、それじゃあ第2ラウンドいこっか」 「待て、もうちょっ……ぎにゃああああ!!」 「こら、こっち見るな!」 「うぎぎ……なんで!?」 「なんでってその角度だと…… あー、もうなんでもないっ!」 「それにしても……よくこんなになるまで 放っておいたわね」 「そ、そんなに凝ってる感覚は なかったんだが……うぎぎ!!」 「あのね、凝ってなけりゃ痛くないの」 「そいつは……重症……おおおおおっ!」 「それに誤解しないでね、 べつに趣味で踏んでるんじゃないし」 「そ、そうなんですか……ぎぎ!」 「国産筋肉だらけだから、 あたしの指じゃ凝りまで届かないの。 だからこーやって……ぐりぐり♪」 「にゃーーーーーー!!!」 「ネコかあんたは」 「だって、ううっ、そんな……ぎにゃーー」 「国産、恥ずかしい声出ちゃってるよー?」 「ちょっとタイムストップお願いしますっ!」 「あはは、どーしよっかなぁ?」 「ひぎぃ」 だめだ何も考えられない。うめくばっかりの俺の背中に乗せられた姫の足裏が、凝りのツボを的確に突いてくる。 ううっ、なんたる経絡の達人。恥ずかしながら、つま先ひとつでダウンさぁ! 「みっともないとこ見せたくなかったら、 定期的にほぐさないとね。 よっ……っと」 「うぎぃ……以後、気を付けます」 「平気よ、相棒でしょ。 これから暇なときは踏んであげる」 「そ、それは……何か深刻な誤解を……ぎぃぃ!」 「まーったく、減らず口!」 「はぁ、はぁ…… 天国と地獄が同時にやってきたみたいだ」 「盆暮れみたいに言うな!」 ふと、つま先の力が少しだけ弱まり、同時に二人の会話が止まる。 ほんの少しだけ無言に包まれた後、また姫が体重をかけ始める。 今度はさっきよりも優しく、血流を行き渡らせるように。 「仕上げね……今度は気持ちいいわよ」 「はぁぁ……ほんとだ、天国だ……」 「………………」 「……ね、国産?」 「……んぁ?」 「あのさ……国産はあたしのこと……」 「あたしのこと、どう思う?」 「どう……って?」 「さ、サンタとしてよ!?」 「見栄っ張り」 「ぐさっ!!」 「あとうぬぼれ屋で目立ちたがりで いぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!!!!」 「ふーん!! もういいっっ!!」 「だが……尊敬はしている」 「……!?」 「姫と一緒にいると すごく高いところを目指している気になれるんだ」 「……八大トナカイ?」 「ああ、それもそうだし、 サンタ・オブ・ザ・イヤーのトナカイってやつもさ」 うつ伏せで顔を見られていないせいか、不思議と本音がすらすらと言葉になった。あるいは凝りと一緒に言葉も解されたのだろうか。 「姫といるときは、変な自信が出てくるんだ」 「と、とーぜんよ、エリートだし!」 「ああ……そうだよな」 背中の上でりりかの足が円を描く。ふにふにと淡い力で押し付けながら、俺の血流を優しく導いている。 「そ、それだけ……?」 「というと?」 「あー、や、やっぱりいい! なんでもない!! うりゃーーー!!」 「うぎーーーーー!!!!」 「はぁ……はぁっ……陵辱された……」 「気持ちよかったくせに?」 「身体は正直なんです」 「バカなこと言ってないで! 今日もやるんでしょ、漢字テスト」 「そうだった! 今日から6年生の問題だぞ。できるかなぁ?」 「あたし何歳だと思ってるのよ! できるに決まってるじゃん!」 「そりゃそうだ……いててて」 まあ50点くらいが合格ラインかな。マッサージの痛みにふらつきながら、俺は机の引き出しを開ける。 「えーっと、ここに問題用紙が……」 「これでもない、これでもないし……」 痛いもんだから動きも雑だ。違う書類をあちこちにがさがさとより分ける。 「あー、もー、がさつ!」 「いいんだよ、あとで片付けるから。 お、あった……」 「ほらー! 国産、何か落ちた!」 「悪い、取ってくれないか?」 「いいけど……ん? これなに? 写真……?」 ああ、そういえば机の中に以前つぐ美から渡された写真が……。 「……え!?!?」 「…………」 「なんでこれがここにーーーーーーー!!!!!」 「こ・く・さ・んーーーーー!!!」 「ここここれは違うんだ、 その、なんでもない!!」 「ふざけんなー! なんでそんな写真持ってんの!?」 「あの子に渡されたんだ、 この人が現れたら通報してくれって!」 「スネーク3号!?」 「誰が通報するか! もらったのはずーーっと前!」 「ずーっと机に隠してたの!?」 「い、いや……忘れてたんだ、 すっかり今まで、本当だって!」 「こら、返せーー!! 写真こっちよこせーーー!!」 「きゃ!?」「うわっ!?」 「あいたたた……た……」 「んぐ……!?」 もつれ合った俺たちは部屋の中で転倒し、気づけば姫の下敷きになっていた。 ふわっ……と、いい香り。 落ち着け、相手はサンタさんだ!!っていうか、俺の目の前にあるのは姫の……胸!? 「……!!」 香り一つで、俺の脳内は急激に姫の存在を意識してしまう。だが、なぜだ!? なぜ、密着した部分から伝わる体温がこんなに……!? 「このっ……離れて……」 べったりとくっついた状態で動き回るりりかに俺の全神経が反応してしまう。 「…………!?!?!?」 うわっ、姫の手が……股間に!? 「国産……?」 嘘だろう? 「………………」 俺の下半身は何かバグったのか知らないがその…………そういう状態になっており、 「………………」 「………………」 「わっ! うわっ!? なに今の!?」 慌てて姫が手を離す。俺も跳ね起きて、距離を……。 「ばかーーーーーっっ!!!」 「しねっ、しねっ、しねーーっ!!」 「うがっ! ぐえっ! うごっ!!」 「はぁ、はぁ…………! こ、この……発情トナカイっっ!!」 「うぅぅ…………」 「そ、そんな目で上司を見てたのね!」 「ち、ちがっ……」 「だまれ野獣ーーー!!」 「はぁ…………はぁ…………」 「なんてこった……姫を怒らせてしまった」 「どうしちまったんだ俺の身体は。 あんな年下のサンタさん相手に……!」 「………………わからん! 熱い!」 ふと足元の床を見ると、そこには……。 「う、うわっ…………!?」 慌てて写真を裏返しにして、俺は……おそらく生まれてから最長のため息をもらした。 「お姫様?」 「ひーめー?」 とにかく今回は写真を隠していた俺が悪い。そういうわけで、すぐに謝りに来たものの……、 「うーむ……怒ってるなぁ」 「頼むよ、写真だけでも渡したいんだ」 「……かして!」 「はい」 「かえれ!」 「いやいやいや、ちょっと話を」 「わーーっ、近寄るなレイプ魔!」 「国際的に人聞きの悪いことを言うな!」 「あの……漢字テストを……」 「もういい!」 「怒らないでくれよ、訳だけでも説明させてくれ」 「いらない、かえれ!」 いかん、このままではパートナーシップの危機だ。なんとか話だけでも聞いてもらいたいのだが。 「じゃ、じゃあまたゲームしよう。 今度こそ俺が勝つから! そうしたら話を」 「やだべー!」 「そんな、べーってことはないだろう」 可愛いけど……。 い、いや!!なにを考えてる、俺!? ……と、姫の部屋の前で押し問答をしていると。リビングにつながるドアが開いて、 「あれれ、とーまくんどうしました?」 「ああ、気にしないでくれ。 いまちょっと金髪さんの写真が……うわ!?」 「(入れ、ばか!!)」 「れれれ……??」 「あのー、りりかちゃん?」 「ごめーん! いま国産と作戦会議中ー!」 「おおっ、やる気ですねー! がんばれりりかちゃーん!」 「はぁぁ……単純ピンク頭でよかった」 「ええと……まずかった?」 「今までのことぜーんぶ ななみんに喋ろうとしたでしょ!?」 「……!」 「それは、まずいか……!」 「まずいわよ! リーダーの沽券に関わるでしょー!」 「そいつはすまなかった! 写真その他もろもろ含めて、申し訳ない!」 「もーいいわよ、分かったから」 写真を隠していたことよりも、下半身が反応してしまったことのほうが気恥ずかしくて、なかなか顔が上げられない。 そんな俺の戸惑いが伝わってしまったのか、姫もまた……。 「………………」 「………………」 なんとも居心地の悪いこの空気。 キッチリ謝るのは明日落ち着いてからにして、今日のところは早々においとましたほうが賢明かもしれない。 「……ごめんな、一晩反省する」 「ちょっっ、どこ行くの!?」 「どこって部屋に」 「そんなすぐ終わる作戦会議なんてないでしょ! せっかく体裁を取り繕ったんだから それっぽい雰囲気くらい考えてよねっ」 「面目ない……じゃあ、小一時間ほど」 あまり姫を刺激しないように、ドアの近くに腰を下ろして部屋の中を見渡す。 それにしても徹底的に趣味丸出しのラインナップ。並んでるものを見ても、こいつは男子の部屋だ。 俺って奴は、いくら女好きのトナカイだからってそんな姫のことを異性として意識するなんて……! 「…………国産?」 「な、なんだ?」 「はいこれ」 ポン、と放って渡された。こいつは……ゲームのコントローラー? 「暇つぶし、付き合ってよね」 「お、おう!」 「いっけーー!! レーザー装備!!」 「残念、そこはファイアー一択よ」 「な、なにぃぃ!?」 またしても『鯖!鯖!鯖!』の協力プレイ。スコアでは歯が立たなくても、今日こそは姫より長く生き延びてやろうと思うのだが。 「国産、次は絶対ワイドショット! よけーなアイテム取っちゃだめ!」 「無理だ! 無理! この緑の奴……避けきれんっ」 「ああっ、またレーザー!?!? ばかーーっっ!!」 「レーザーだって使いようだ! 当てりゃ正義!!」 「お? さすがトナカイの反射神経! サービスで80点をあげちゃおう☆」 「滑空もそれくらいサービスしてくれよ」 「してるわよ、おまけしまくって65点ってとこ」 「あと5点!」 「だめ」 「……60点台だと、まだ『国産』だよな?」 「ん?」 「ちゃんと名前で呼ばれるには、 あと何点いるのかなって思ってさ」 「あー、それかぁ……んーと」 「あと25点かな?」 「ちょっとハードル高すぎやしませんか?」 「これでも10点まけてるのよ?」 「……なんという〈完璧〉《パーフェクト》超人」 「いい方法があるわ。 いっそ『国産』に改名しちゃうとか!」 「ごめんこうむります……うわ!?」 「…………とほほほ」 「そういうわけで やっぱり国産は国産だったのであった──」 「駄目押しのモノローグを入れないでくれ」 いつものことながら、ゲーム中は不思議と会話が弾む。 さっきまでのギクシャクした空気も消え去りいつもの俺と姫に戻ったような気がする。 「それにしても悔しいなぁ、 なんでこんなに上手いんだ?」 「ふっふーん♪ 飛翔鯖とこれは初回パーフェクトゲームだし」 「なんですかそれは?」 「初プレイで全ステージクリアすること! これがRRKメソッドの真髄よ」 「1回目のプレイで全ステージ? どうすりゃそんなことが……」 「簡単よ、最初は他の人のやってるのを 見学して敵の配置を全部覚えるの」 「最初から最後まで全部?」 「そ。そうすれば1回目から敵のパターンは 全部分かってるから楽勝ってわけ。 イブの配達だって同じことよ、トナカイくん?」 「軽く人間の脳スペックを凌駕してますが?」 「天才りりかちゃんを舐めないでよね?」 「誰も舐めたり……」 う……!!気づいたらまた俺は姫と密着している!? 俺の鼻先で姫のドリルが揺れている。そして右肩に感じる、姫の体温……。 「…………え、エヘン!」 「ほこりっぽい? 機械が多いとこれがね……」 「ん、そうじゃない、そうじゃないんだが……!」 体温だけじゃない。体重と湿度、それに優しく香るちょっとだけ酸っぱいような女の子の匂い。 「……?」 「……エヘンエヘン!」 「…………」 「ははーん……」 「な、なんですかその笑みは?」 「なるほどねぇ……国産はやっぱり 上司サマをそういう目で見てたのね」 「こういう目?」 「白目になるな! もー、なにとぼけてんだか」 「とぼけるも何も……」 「しらを切るんだ?」 「なんのことだ? 白目もしらも切ってなんか!」 「あーもう見苦しい! 動かぬ証拠がここにあるんだから! 3発殴って煩悩退散!!」 「うわ!?」 「ぴぇぇ!?」 いきなり股間にパンチをもらった。しかも打ち込んだほうが悲鳴を上げてる! なぜなら──俺のその部分は……その!! 「なななななななによ今の!?」 「なな何って、え、えっと……!」 「そこで『ナニ』とか言うなオッサン!」 「ひどい! 二十代前半の健康系男子に向かって!」 し、しかし、姫がパンチを打ち込んだ部分が硬直していた事実は、覆い隠しようもなく……! 「ほ、ほ、ほらぁぁ! やっぱり発情してたじゃん、 このケダモノトナカイっっ!」 「トナカイはもともとケダモ……うぶっ!」 だめだ、このままだと追い込まれる一方だ。多少苦しくても、ここは何もなかった方向に意地でも方向転換をしなくては……! 「ここここれは、その! せせ生理現象!」 「やっぱりそうなんだ!」 「じゃなくて気のせい!!」 「硬かったもん!」 「錯覚!! 気のせい!! 勘違い!!」 「うぬぬぬぬ……逃げ切れるつもり? ふてぶてしーケダモノめ!」 「あああのな、さっきの状況を説明すると、 姫のパンチが俺のズボンの縫い目というか、 硬い部分に偶然当たっただけの話であり……!」 「その原因を男性心理に追い求めようとするのは、 ええと、その……いわゆるひとつの 気にしすぎといいますか……!!」 「そんなに言うなら見せてみなさいよ!」 「っっっっ!?!?」 勢いよく放たれた姫の一言に二人して硬直してしまう。 「み、見せろって……姫?」 「だだだだって仕方ないじゃない! 動かぬ証拠はそこにあるんだし、 見たら全部分かってスッキリするし!」 「し、しかしだな!」 「だからあたしはそのべつに変な意味じゃなくて 確認とか安全とかセキュリティとか、あーもう だからとにかく白黒はっきりつけるのっっ!」 「いやいやいやいや、 そこはカラーかグレースケールでいいと思う」 「うるさい! 白黒ったら白黒! 単純二値!」 まずい、売り言葉に買い言葉でおかしな方向に話が転がり始めている。しかもものすごい勢いで! 落ち着け、クールダウンだ!トナカイはこういうときクールにビシッと! 「いいいィまの話はなかったことにィ……」 「なにその裏声! いいわ、あくまでも逆らうなら、明日から 国産じゃなくてエロトナカイって呼ぶ!!」 「うゥら声じゃないしィ! とにかく落ち着け、落ち着けばわかる!」 「やだ! 変な目で見られてると思ったら これから安心できない!」 「俺のどこが変な目だ。相棒だぜ?」 「そこまで言うならいいわ……勝負ね!」 「勝負??」 「そ。 これであたしのスコア抜いたら許してあげる」 「う、ぐぐぐ……やる、やってやる!」 だめだ、もう逃げ切れない。これは退けぬ戦いだ!!ええい……ままよ、負けると決まったわけじゃ、 「…………」 「……弱」 ──かくして、最後の勝負でも敗れた俺には敗者としての然るべき宿命が待ち受けており、 「ほ……本気で脱げと?」 「悪あがきするな! 前にあたしの裸見たくせに!」 「いつ!?」 「ななみんの部屋で!」 「あ、あの時はまったく見てないから!」 「うそ! 見てた!」 「出会い頭にいいのもらって気絶してたんだ!」 「気絶するまでの一瞬で 脳裏に焼き付けたでしょ!?」 「そんな暇あるもんか。 ていうか姫じゃないかパンチ入れたの!」 「ええいうるさい! それに、よくよく考えると 国産の視線ってどっかやらしい!」 「あたしのこと見る時は いつも足もとから舐めるようにパンするし」 「してない&被害妄想&自意識過剰!!」 「こんな写真大事にとってたくせに!」 「あぐ!?」 「そ、それは、あの記者さんが……」 「見ながら変なことしてたくせに!」 「ザッツ妄想!!」 「どっちが妄想よ! 負けたのに男らしくないわよ」 う……ううっ、確かにそうだ。その条件で俺は勝負をして玉砕──!! し、しかし、いくらサンタとはいえ女の子の部屋で下半身を晒すというのは……。 いや、確かに負けたのは俺だ。そうなのだが、人倫的な問題が……! 往生際が悪かろうと、もう一度だ。もう一度、落ち着いた言葉で説得すれば……姫だってちょっと意地になってるだけなのだ。 「なあ姫、俺はトナカイだし、 サンタさんをそういう目で見ることはないよ」 「なら平気でしょ?」 うわぁ、痛快なほどに通じない! 「いやっ、でも! 裸になったら そういう雰囲気になるじゃないか!」 「なんない。 人間並みの自制心があれば絶対なんない」 そうなのか!?人間の自制心ってそんなに強固だったのか!? 「あー、もー、じれったい!」 すくっと立ち上がったりりかは、両手を交差させて変身ポーズを取り、 「マジカル☆リリカル☆ ホーリージングルフェノメノンっ♪」 「ふっふーん、これでどう?」 「すげえ、早着替え!」 「〈変身〉《ちぇんじ》って言って! エリートサンタだからできる必殺技よ!」 「そーゆーわけで上司命令! 今すぐ服を脱いで、証拠を改めさせること!」 「いや、しかし……」 「冬馬!!!!」 「は、はいっ!!」 思わずすくっと立ち上がり直立不動の敬礼ポーズを取ってしまう。 「……ぷっ! あははは、さすがトナカイ♪」 「あぁぁぁぁ!! なんだこの条件反射!!」 「くすくす……いいじゃない、 それだけ刷り込みがされてるってことよ、 とーまくん?」 「うぐっ……姫に名前で 呼ばれたというのに、この屈辱感!」 「ふふっ、で、どーしたの? 恥ずかしくなっちゃったのかな? ん?」 「ぐぐっ……分かった、分かったよ! こうなったら俺も男だ!」 男は男、女は女!付いてるものは付いてるし、ないものはなくて何がおかしい! ばさっと上着を脱ぎ捨てる。 「お? 本気?」 「当たり前だ!」 「へええ、覚悟決めたんだ。 ちょっと見直したかも」 笑わば笑えだ。一気にズボンも脱ぎ捨てた。 「……!?」 ええい、もう知ったことか!!こうなれば勢い!!もはや止められん!! 「ちょ、ちょっと国産!?」 「なんだ!?」 「あ、あ、あっちこっち脱ぎ捨てないでよね、 ひとの部屋なんだから」 「すまん、勢いだ!!」 「もう、勢いは分かったけど……」 「………………」 「よし、脱ぐぞ!!!」 「わ、わ、わーーっ! ちょ、ちょっと待って!」 「なんだ姫!!!」 「な、なによその居直りモード! 脱ぎゃ勝ちってわけじゃないんだから!」 「脱いでも勝たない、脱ぐぞ!!!」 「ぬ、ぬ、脱げばいいじゃ……」 「あ、でもちょっと待って!」 「すー、はー、すー、はー」 「い、いいわ!」 「脱ぐ!!!」 「ちょ、ちょっとまてー!!」 「なんだ!!!」 「せ、宣言しなくっていいから、 ちゃちゃっと済ませちゃって!」 「わかった脱ぐ!!!」 「どきどきどきどきどき……!!」 「どきどきどきどきどき……!!」 「…………は、早くしなさいよ!!」 「おうよ、うりゃーーー!!!」 「わ、わぁぁぁ!?!?」 「…………ごくっ!」 「ど、ど、どォぉぉだぁぁぁ!」 全裸!!そして胸を張る!! 胸を張れば何も恐るるものはない!!もちろん裏声なんか気にしない!! 「ば、ばか……っ ほんとに見せてどーするのよ……」 おや、姫はけっこう弱気だ。さては俺の覚悟に恐れをなしたか?なかなか可愛いところがあるじゃないか。 ふーむ、すったもんだのうちに、俺の下半身もすっかり通常モードに戻っている。気恥ずかしさはあるが、これで済めば笑い話だ。 「納得したかい、お姫様?」 「かっこつけるな、もう!」 「……姫?」 と、何を思ったか、姫は、親指と中指でひょいと俺の男性器を──つ、つまみ上げた!? 「ひ、ひめ!?」 「んー、ほんとだ……硬くない」 「おかしいな……さっきは……」 違う、おかしいのはこの状況だ!! まずい、まずいぞこれは!しかも、そんなところをつままれては身動きが取れないではないか!! 「……??」 い、いかん……!姫が俺の分身の前で首をかしげているうちに、本能という名の男性機能がむくむくと覚醒し……! 「わ、わ、わ……!?」 だ、だめだ!俺のワイルダネスが猛然と鎌首を──!! 「ちょ!? う、うわっ、なにこれ!?」 「い、いや……こ、こいつは!」 「あ……あ………………」 「え、ええと……姫?」 「り、り、り……」 「リアルタイムで 大っきくするなばかーーー!!!」 「ま、まてっ……これは男子の……」 「黙れドーブツ!!!」 「うぐっ! うがっ! 黙りたくない! 言いたい! すごく言い訳をしたい……!!!」 「ひとりで部屋でしてろーーーーっっ!!!」 「うがっ、うごっ……」 「うぐぐ…………服も着せてもらえずに……」 「早く着ろーー!!!」 「いっただっきまーす☆」「いただきます」 「…………(じろり)」 「い……いやぁ、美味い! 今日の朝食も格別だ! なぁ、姫!」 「つーん!」 「ぁぁ……ぉぃιぃ……」 お手上げだ、一夜明けても姫の御機嫌は直らない。こんなときの対処法はどうしたらいい……? 「はやや……どうしたのでしょう?」 「昨日の作戦会議がうまく行かなかった のではないでしょうか?」 「そ、それはよくないですね。 なんとかしてみましょう!」 「できそうですか?」 「あー、おいしいおいしい♪ とーまくんもりりかちゃんも どーしたんですかー?」 「ど、どうもしないが!?」 「そ、そーよ、普通だし」 「そんなことはありません!」 「……ぎく!」 「今日はまだ、おはようございます してないじゃないですか!」 「そ、そういえばそうですよね。 珍しいなぁーと思ってました」 「そ、そーだったっけ?」 「………………」 「…………国産おはよ」 「お、おう。おはよう!」 「ほら、いつも通りでしょ?」 「ふーむ……」 「な、何よぉ!?」 「でもご飯にお箸をつけてません」 ななみの言葉で、あらためてメニューを確認する。今朝は、ニシンの昆布巻きに、ちりめん山椒、それからワカメときゅうりの酢の物だ。 「あ、あ、そうだあたし、 今日も部屋で仕事があるんだった!」 「国産! あとで部屋に来て! 作戦会議、練り直すからねーー!」 「…………はぁぁっ」 「じー……」 「なななんだ!?」 「っと店の電話だ! これは出なきゃなるまいて!」 突然鳴り始めた店の電話にすがるように超速の反応でリビングから離脱する。 「はい! きのした玩具……」 「よう、ジャパニーズ。 悪いが手を貸してくれ」 「ジェラルド!?」 メンテナンス用工具を借り受けたいとジェラルドから電話をもらった俺は、地下格納庫の整備キット一式を積んで空に上がった。 届け先は〈白波〉《しらなみ》山地。しろくま温泉郷のさらに北に広がる山なみだ。 かつて、温泉郷を含むこの一帯は白波村と呼ばれていた。それが海側の熊崎村と合併して生まれたのがしろくま町だ──。 「さて、イタリア人は──と、あそこか」 「よォ、早かったなジャパニーズ」 「ちょうど外に出たかったところさ。 ベテルギウスの調子、どうだい?」 「おおむね良好だ。 そっちのペアこそ順調か?」 「ああ、毎日クイックターンの練習さ。 コツはつかめてきたんだが、 綺麗に180度ってのは難しい」 言葉に不自然な響きが滲まないように気を配りながら、トランクに収まった整備キットをジェラルドに手渡す。 ベテルギウスか──。夜間でも際だつ機体だが、陽を浴びて輝く真紅のボディは、見惚れるほどに美しい。 「クイックターンか……。 ま、なかなか使う機会はなさそうだが」 NY本部のように、摩天楼のビルが林立するエリアを縫うように配達をするのならともかく、 のどかなしろくま町にそこまでの技術は必要ない──というのがジェラルドの持論だ。 「どちらかと言えば、 高速飛行の方が役に立つんだがな」 「真空地帯攻略か」 「そういうことだ。 ま、この機体は反則だがね」 最新鋭のベテルギウスのリフレクターを覗き込んだジェラルドが、目を細めて笑う。 トナカイ同士の意見交換はそれぞれの空へのこだわりが見えてためになることばかりだ。 『暴れ鹿』の異名を取るジェラルドだが、その滑空スタイルは意外にも適応型だ。 自分のスタイルを貫くというよりは、場に応じて最適な滑空スタイルを選択する。あるいは、だからこそ八大トナカイなのだろうか。 「で、そっちのサンタさんの御機嫌は」 「今日はちょっと気難しいかな」 最近、ジェラルドの口から『お姫様』というフレーズがあまり聞かれなくなった。 姫の新しいパートナーである俺に、気を使ってのことかもしれない。 確かに今は、俺と姫がペアを組んでいる。しかしそれはわずかひと月程度のこと。 その前に姫とジェラルドは、NY本部で5年という月日をパートナーとして過ごしてきた。 「NY時代の姫って……」 「気になるか?」 「姫は今もNYに戻るために がんばってるんだ。そこで どんな風に過ごしてたか気になるよ」 実は根暗だった……いう話を前に聞いたが、それは姫の一側面を切り取ったにすぎない情報だろう。 「ん……そうだな。 NY時代からかなりのゲームマニアだった」 「新米の頃なんてのは、給料のほとんどを ゲームに突っ込んで、 ちょくちょく俺が飯をおごってやったりな」 「ああ、いかにも姫らしいな」 「わりと可愛いとこもあるもんでね。 ジャンクフードでご機嫌さ」 ジェラルドが姫を語るときの口調は、かつて相棒であったという以上にどこか保護者のようでもある。 それは姫がまだデビューしたてのひよっ子時代を知っているからだろう。 「ま、射撃のセンスは当時から図抜けてたがね。 それもゲームで磨いたんだろうな」 「プライベートは?」 「そこんとこは俺もノータッチだ」 「ま、それはそうか」 基本的にトナカイっていうのは個人主義だ。俺だってツリーハウスを任されていなければ、毎日空ばかり飛んでいただろう。 「日本へ来てからは射的も好きみたいだな。 そこの温泉郷でよくおごらされたぜ」 「ああ、小六さんのところな」 「お前さんも付き合わされてるクチかい? テキヤの親父といえば、俺が今泊まってる 白波ガーデンってホテルがあるんだが……」 「どうもそこの仲居とワケアリのようだ」 「へえ……テキヤさんに、 湯けむりのロマンスってとこか」 しばらくベテルギウスのメンテナンスに付き合ってからジェラルドと別れた俺は、温泉街のレトロなバーガーショップで姫にお土産を買うことにした。 透の監視の目がないのをいいことにこいつで姫の御機嫌を伺おうというわけだ。 と、そこへ…… 「よー、若ェの!」 「ああ、小六さん。 商売繁盛していますか?」 「ぼちぼちさあ。 狙撃手のお嬢ちゃんは元気かい」 「嫌ってほど元気ですよ。 今朝も朝食をぺろりと……(残して)」 「へえ、一緒に住んでるんだったっけ。 いいよなァ、家族みてェでよ」 「家族というより合宿ですよ。 そういや小六さんは……」 ちらり……と、小六さんが遠くを見る──。 「へへ、こんなやくざ稼業だ、 会わす顔なんざありゃしねえ」 「ま、兄ちゃんもたまには 家族に顔でも見せてやんな」 射的屋に客が入っていくのが見えて、小六さんは小走りに店に戻っていった。 後姿に手を振って、小六さんと別れる。 「家族……か」 家族の話になったとき、あのテキヤさんは少し遠い目で山のほうを見ていた。 同じ方向に、ジェラルドの泊まっているホテルがある。 なるほど……ワケアリってのはそういうことか。 「ねー、ななみんは国産のことどう思う?」 「はて、どうといいますと?」 「付き合い長かったんでしょ? なんとも思わない?」 「確かにサンタ学校では一緒でしたけど。 ふーむ、そうですねぇ…… いいトナカイさんだとは思いますよ」 「ちょっと暴走することもありますけど」 「どこがいい所?」 「むむむ、どこ……と言われましても……」 「ほら、一生懸命じゃないですか!」 「暑っ苦しいくらいにね」 「はぁぁ……」 「あらら……もうおなか減りました?」 「いいの、ほっといて!」 「でもとーまくんは、 りりかちゃんのこと褒めてましたよ? 俺より一生懸命だって」 「あたしの方が暑っ苦しいっての!?」 「はぁぁ……」 「……むむむ! りりかちゃん、そのイライラは!」 「──ズバリ、お腹減ってますね!?」 「減ってない!」 「はうぅ……(ぐきゅるるるる)」 「休憩終わりました。 りりかさん、どうぞー」 「あ、すずりちゃん、 りりかちゃんがお腹……」 「へーきだって!」 「…………ぅぅ」 「それでしたら、私が今から軽く」 「へーきへーき! 本当にだいじょーぶだから安心して」 「お疲れー。 悪いな、すっかり遅くなっちまった」 「あ、とーまくん! おかえりなさい!」 「あ、あー、あたし、ちょっと急用! 休憩入るねーっ!」 「…………?」「ふーむ……」 「おーい、お姫様?」 「いなーい」 「いるじゃんか!」 「いないわよ!」 「昼飯買って来たんだが」 「いらないー! 食欲ないし!」 「スペースファイヤーバーガーで 新メニューのスーパーフライセットだってさ」 「…………」 「…………」 さすがはスペースファイアーバーガーだ。あれほど堅く閉ざされていたドアがゆっくり開いて、姫が顔を覗かせた。 「…………」 「食おうぜ、今日は和食もナシだ」 「…………」 「それから、昨日の続き。 …………リベンジしないとな!」 今度こそ『鯖!鯖!鯖!』で姫より長く生き残る。 部屋の奥に鎮座するゲーム機を指差すと、諦めたように姫がため息をもらした。 「んー! おいしー! いい仕事してる!」 さっきまでのおかんむりはどこへやら。ハンバーガーを食べ始めたとたん、ななみばりの多幸感にダイブするお姫様。 思ったよりもドジな面が見えてきたり、いろいろと二人には共通点があるような気もするが、あえてそこは問うまい。 姫と並んでハンバーガーにかぶりつきながら、改めてゲームだらけの部屋を見渡す。 「そのカレンダーの×印は、 イブまでのカウントかな?」 「え? ああ、あれね……イブじゃないわ」 「NY復帰までのカウントダウンに 決まってるじゃない!!」 「来年は帰ってみせると?」 「とーぜん! そのためには国産は身を粉にして……」 「あれ、そういえば温泉まで行ってきたの?」 「ああ、ベテルギウスの修理工具を頼まれてね。 小六さんにも会ってきた」 「射的屋の?」 「そうそう、また来てくれってさ」 それから俺は少しだけ小六さんの話をした。家族に合わせる顔がないと言われたこと、ジェラルドの白波ガーデンの仲居さんの話──。 俺には、お袋に会ってこいなどと諭されたこと。それから、どこか寂しそうだった射的屋さんの横顔。 「もしも、その仲居さんが身内だって いうなら、俺たちが……」 「サンタはそんなことしないわ」 厳しい声で、姫は俺の言葉をぴしりと遮った。 「姫?」 「射的屋さんがくつしたに願いをかけない限り、 サンタの出番はないの」 正論ではあるが、とりつく島もない。少し過剰にも見える反応を目の当たりにして、俺は姫のNY時代の失敗談を思い出した。 くつしたを欲張ったときのこと──。ジェラルドから、その話をもっと聞いておけばよかった。 「………………」 気まずい空気が漂って、二人の言葉が途切れる。 「…………(じーー)」 いや、違った。姫が自分のぶんを食べつくして俺のハンバーガーに興味を持ってるだけだった。 「……食う?」 「うん!」 てっきり反発されるかと思ったら、姫はあっさりと笑顔になった。 俺が食いかけたバーガーを気にもせずにかぶりつく。 「…………」 なんだ……この感じは?? 別段珍しくないやり取りだというのになぜだか、『間接キス』なんて言葉が頭の中に浮かんでくる。 ど──どうしたんだ、俺は?おかしいぞ、落ち着け、落ち着いて見れば姫の様子はいつもと全く変わらないわけで……。 「…………」 俺は……少し眩しいものを見るような気持ちで姫の食事ぶりを眺めていた。 しかし──男の俺から見ても惚れ惚れするような食べっぷり。 しばらくそんな時間が過ぎたのち、食事を終えてナプキンで手を拭いた姫は不意に俺のほうを向き直り── 「……エロトナカイ」 「な、何でそーなる!?」 「それはこっちの台詞! 今、そーいう目で見てたでしょ」 「冤罪です!」 「どーだか? てい、ジャッジメントパーンチ!」 「うわ!?」 不意に伸びてきた拳が股間にクリーンヒットする。急所ではないが、腰が引けそうになった。 「……あれ?」 「ほらな……反応してません」 「…………無罪でした?」 「分かればよろしい」 「んー、てっきりそういう目だと思ったのに」 下心があったつもりはないが、さりとてどういう意味の視線かと問われると説明するのは気恥ずかしい。 「あのね、男ってのはそんなに年中……」 「──ッ!?」 拳がぐりっとめり込む。ビリッと、嫌な電流が脳に駆け上ってきた。 い、いかん……!これは後付けでヤバい!! 「むむむ無実が証明されたところで、 ま、まずは手を離してもら……」 「あれー?」 拳で押さえつけられていた部分に、血流が流れこんでくる。 勘の鋭い姫が、その変化に気づかないはずもなく。 「ち、ちがう、これはたった今……」 「そうよね、現行犯! あたしで反応したことに違いはないでしょ?」 ううっ、そう来るか!だが……無念、反論の余地がない。 「ど、どうもすみません……」 「だからケダモノだって言うのよ……もう」 「あの……ええと、お姫様?」 「なによ」 「まずは海より深く反省するので、 手を……離してもらえません?」 「え? あ、あわわ……!」 慌てて姫が飛びのいて、二人の間に不自然な距離が開く。 飲まれるな、落ち着け、そしてクールになれ俺のBパーツ。精神統一だ……ううっ、なのに邪念が。 「………………」 「………………」 「…………ね、ねえ」 「な、な、なに?」 「……現場検証」 「はい!?」 「ど……どうなってるか確かめないと!」 「いやいやいやいや!! 必要ないでしょう、今さらそれは!!」 「必要あるっ! こんな写真も持ってたし!」 真っ赤になった姫が自分のパンツ写真を突きつけてくる。見られたくないんじゃなかったのか!? 「それとこれとは……! いや待て、落ち着け、熱くなるな、姫!」 「だって悪いのどっちよっっ!? だらしない部下の教育は上司の仕事なの!!」 「マジカル☆リリカル上司命令!!」 「うぐっ!! その赤服で命令されると……!」 いまや師匠でもあるサンタの指示に、肉体は勝手に反応しそうになる──! 「だいたい国産言ってたじゃない」 「昨日の続き……したいんでしょ?」 確かに部屋に入るときに、俺は『昨日の続きをしよう』と言った。 言いはしたのだが、それはあくまでゲームの話であり──。 まさか、またもやこんな展開になるなんて!! 「し、知らないぞ。 どうなっても知らないからな」 「あ、あたしだって知らないわよ! 国産が理性失ったら殺すけど!」 「失うか!」 またしても互いに一歩も退けないムードで対峙する。とはいえ、俺だけ下半身裸なのはいかにも情けない格好だ。 ましてや、勃起した部分を姫に摘み上げられたうえでの口論なんて……。 「ううっ……本能が呪わしい」 「そーそー、大人しくしててよね」 「り、了解──じゃない!! もう見ただろう。確かめただろう。 このうえ何をするっていうんだ!?」 「昨日はきちんとチェックできなかったから、 サンタに欲情するトナカイの駄目生態を 念入りに調べ上げてやるのっ!!」 「はぁぁ……了解だ、好きにしてくれ」 「言われなくても…………(じぃぃ)」 「……ふーむ、なるほど……ここがこうなって」 「むむ…………変な形」 覚悟を決めてはみたものの、そこは悲しい男の本能──間近でまじまじと観察されて、下半身が熱を持ち始めてくる。 「あれ? あ、うわ……」 「ちょっと、なに興奮してるのよ!」 「……やむをえない生理現象は大目に見てくれ」 「そっか、これが駄目生態ね。 まったく見境ないんだから……」 見境がないなどと言われても、こんな状況じゃ10人中10人がこうなるって断言してもいい。 「ね、ねえ……どうして欲情するの? サンタのどこに反応するの?」 「だから!! サンタに欲情してるんじゃなくて、 手が触れてたら絶対にそーなるの!」 「じゃあ、あたしがレッドキングさんでも?」 「……!?」 「れれ? あはは……ちょっと縮んだ」 「男のサンタじゃ駄目ってことは、 やっぱりそーゆー気持ちがあるってことよね?」 「そ、それは……! ううっ、縮んで困ることになるなんて」 「前はサンタ先生がどうとか言ってたくせに、 女の子だったら誰でもいいんじゃないの?」 俺の狼狽ぶりに、すっかり余裕を取り戻した姫は、まるで審問官きどりで追求しようとする。 その間も、つん、つん……と、指先がペニスの裏側をくすぐるようにつっついて、俺から反論の言葉を奪い去ろうとする。 「それとも特定のサンタじゃないと 駄目だったりして?」 「そんな……ことは……!」 「……くすくす、そーみたいね♪」 くっ……なんてことだ。 姫の細い指につつかれているうちに、抗弁の余地すらないほどにすっかり硬く張り詰めてしまった。 「ふふふっ……パワーアーップ♪」 「い、言うな!」 「なーによ、びくびく跳ねちゃって」 サンタは上司──。姫に刷り込まれた上下関係がさらに俺の興奮を煽りたてようとする。 上司にこんなことをされてるというのに、俺はなぜ……! 「ん、変態………………」 もじもじしながら、姫の視線はその部分から離れない。 姫にしたって、こんなことは初めての経験だろう。笑顔の裏側でドキドキと激しく刻まれる鼓動が、俺の身体にまで伝わってきそうだ。 「こんなの勃たせて……ばかなんだから……」 異性への関心を満たそうとするように、姫は毒づきながらも、俺の肉体のあちこちをじっくり観察してくる。 単なる異質なものへの好奇心と言うには、額に汗を浮かべながら、息を荒くして……。 そうか、俺にとってはいささか意外だが姫も〈そ〉《・》〈う〉《・》〈い〉《・》〈う〉《・》〈こ〉《・》〈と〉《・》に興味があったのか……? 「……っ!」 い、いや待て! なに考えてる!そういう方向に想像を広げてしまったら!! 「うわ!? また巨大化した……」 「ひ……姫! ストップだ! これ以上は危険だ、やめとこう!」 「あー、逃げるの?」 「そうじゃない! そうじゃなくて!」 なにが危険なのか、はっきりと自分でも言い表すことができないのは、トナカイとしての絶対的な経験値不足ゆえか──! 「んー、うろたえてるばっかりで、 ちっとも発情してる感じはしないわね」 「そりゃそうだって、肉体は反応するかも しれないが、こんな状況で発情なんてことは ありえないし、だからそろそろ中止……」 「これでも?」 「うわっ!?」 俺の分身に顔を近づけた姫は細い左手で肉の器官の根元を押さえつけ、そのまま──指を上下に動かし始めた! 「ひ、姫……なにを……ううっ!」 「わわ、凄い反応!」 「よせ……そいつは……ッ!」 「ふーん、これって気持ちいいんだ」 だめだ、なにか別のことを、別のことを考え………………られるわけがない! 「どーお、発情した?」 「し、してない……」 「そーかそーか、してないかー♪」 「ううっ!」 それはおそらくイタズラ心からなのだろうが、姫はいつしか目の前で猛り立った男の中心部分をしっかりと握り締め、手首を返してしごき始めた。 「汗がにじんでる……ふふっ、寒いのに不思議」 「う……くっ! 姫……どこでこんなことを!」 「これくらい知ってますー。 サンタだからってバカにしないでよね」 「そんなことは……!」 「わ、すごい……もう必死ね」 そこで言葉が途切れた。 必死で歯を食いしばる俺の耳朶を自分の荒い息づかいが打つ。姫の息も釣られるように荒くなってきた。 衣擦れの音とふたつの呼吸──。俺の荒い呼吸に姫の息が重なっている。 「はぁ……はぁぁ…………」 「ん、んっ……ねえ、どうなの?」 「どうって……?」 「気持ちいい?」 「そ、そんなこと……!」 「下手?」 「き…………気持ちよくないって言えば嘘になる」 もう逃げ切れなかった。観念した俺が白状すると──姫は、嫌悪のかけらも見えない優しい笑顔をうなずかせる。 「ふふっ、ならいいけど……ん……」 「まったく……エロいんだから……」 どうしてだ……呟きながらも、姫の手ははちきれそうに高まった俺の局部をしごき続けている。 まだ、好奇心は尽きないのか。だとすれば……このまま、どこまで? だめだ、身動きができない。もじもじしながら手を動かす姫を見ていると頭がおかしくなりそうだ……。 「ん……ん………………んん……」 「……………………」 しゅっ、しゅっ、とサンタ服のこすれる音。 顔を赤くしながら、姫は手の中のペニスをじっと見つめている。 「まずいって……こいつは、もう」 もう……何なのだろう?俺の言葉を無視して、姫が顔を近づける。 唇とペニスの先端が触れてしまいそうになり、余計な気を回した俺は息を詰まらせた。 「ひ、姫は、その……嫌じゃないのか?」 「え?」 「だからその……汚いとか」 「ん……べつに……」 「だが、生殖器官ってのは……」 「ちょっと銃みたいでかっこいいし……」 「??」 そ、その発想はなかった。姫は赤い顔でそのぶしつけな銃モドキを見つめて、 「でも、ちょっとリアルすぎるかも……」 「あ、そうだ!」 ぽんと手を打った姫は、俺を解放して立ち上がると……。 「ふっふっふ……じゃじゃーん!」 何を思ったか、机の引き出しから、マジックペンを取り出してきた。 「ま、まさか……?」 「これでとっつきやすく変身しちゃおっか☆」 「ないないない! そんな無茶な……わ、わーーっ!!」 「へーきよ、顔料インク使ってるし!」 「問題がちがわぁ……こ、こら、姫!!」 「上司命令!!」 「うぐぐっ……!!」 かくして俺は姫の魔改造を経て──こんなことになってしまった!! 「はぁぁぁぁ……トナカイってのは、 トナカイってのはサンタの相棒でなぁ……」 「なにウジウジしてんだか、かわいいじゃん☆」 「か、かわいい……!!」 おおよそこんなシーンでは使われたくないその形容詞。 「あはは、似合ってる。 カペラ2号機ってとこね」 「ううっ……こんな辱めを受けるなんて」 「とか言って、勃ってるくせに♪」 「もういい……返す言葉も尽きた」 いくら反論しようにも、つつしみのない俺の分身が、全てをぶちこわしてくれる。 「ふふっ、国産は大人しくしてればいーの。 どれどれ……?」 再び、姫の指先がからみついてくる。すっかり牙を抜かれた俺は、腑抜けのようにその様子を眺めていることしかできない。 「ま、上司に欲情したお仕置きだもん、 これくらいしないとね」 トナカイのペイントのおかげか、すっかりその部分に慣れた様子の姫がキュッキュッとリズミカルにしごき上げてくる。 「あ……姫っ!」 「なーに? ふふふ……」 ふたたび痺れるような感触がせり上がってきた。観念するにしても、こいつはまずい。これは、紛れもなく──快感だ! 「そ、そろそろ潮時じゃ……!」 「だめ、もうちょっと見せて」 「姫の好奇心が強いのは分かるが、 俺にもその、事情が……」 「あ、出ちゃうの?」 「わぁぁ!! そんな露骨なこと言っちゃ駄目だ!!」 「なにムキになってんの? あたしだって立派なレディーだもん。 ふーん、そっかぁ……出しちゃうんだ?」 「いや、それは……」 「上司にしごかれて?」 「……!!」 「できないよねー、一人前のトナカイなら」 「う……ううっ!」 「だーめよー、がまんがまん♪ わ、なにこれ……透明なの出てきた」 「ん、ん……まさか、せーえき?」 「そ、それは精液とは別物で…… つまり、直接的な刺激を受けることによって 男性器というのは(略)」 な、なぜ俺はこんなところをいじられながら、サンタさんに男性機能を解説してるんだ! 「ふーん、へえー? ねばねばしてるんだ、ふふふっ♪」 「あ……うああっ!」 左手で激しくしごきながら、右の人差し指が敏感な傘の部分を這い回る。危険な快楽が、肩口までせり上がってきた。 「だめよー、がまんがまんがまんー♪ あ、こらこら、暴れないの……あん!」 「──!!」 なんてことだ──! 姫が顔を近づけたはずみに腰が跳ね上がり、白い頬に俺の先端部分がめり込んでしまった!! 「もー、なにやってんの!」 苦笑した姫は、さして気にした様子もなく、構わず左手を動かし続ける。しかしこっちは今の衝撃でもう限界だ──!! 「顔にねばねばついたじゃない、ばーか」 「す、すまな……っっ!!」 「あれ、出ちゃいそう? くすくす……ほんとに変態?」 「くっ……!」 歯を食いしばってこらえるだけで必死だ。こいつは下手な訓練よりもハードかもしれん。 今はもう、全身の筋肉を痙攣させながら、耐えることしかできそうにない──!! 「変態でいいなら、出してみたら? ほら、出しちゃえ、出しちゃえー♪」 「ケダモノだもんね? かわいーサンタさんの手でしごかれて 気持ちよくなっちゃうんだもんねー?」 「っ……ぐ……!!」 なんてことだ、自分が信じられん。 下半身から送り込まれてくる刺激に支配された俺の脳は、姫の挑発的な言葉すら、さらなる快感の素材に切り替えてしまおうとしている! あのプライドの高いエースサンタさんがトナカイの足元にひざまずいて、興味津々といった顔で男の劣情を観察している。 視覚と聴覚と触覚──さらに、ふんわりと立ち上ってくるこの匂いは、姫の汗の香りだろうか。 「なーんてね、ほんとは知ってるのよ。 出るなんて嘘でしょ?」 「い、いや、ほんとに……!」 「そう言えばやめてもらえると思った? 甘い甘い、あたしがそんな……」 「ギブ……ッッ!!」 「もーしつこい、いつまでお芝居……」 「わぁぁっっ!?」 姫の手から送り込まれ続けた電流が、ついに頭の芯を焼き焦がし、そこが──限界だった。 「ちょっ、うわ……だめ!!」 姫の台詞はそのまま俺の台詞でもある。頭の中でNOの指令を繰り返しながら、俺は全身の筋肉を痙攣させて、姫の手の中で果てていた──。 「わ、わわっ、きゃああ!!」 かすむ視界の隅には、目を丸くした姫の顔。 ああ、なんて光景だ。無垢の驚きを浮かべたその顔に、射ち出された精液がことごとく命中して弾ける。 「う……うぅぅ……な、なにこれぇ!?」 予告なしに決壊した俺の理性が姫の顔をべっとりと穢しているのだ。 痺れた頭の中──ケダモノの俺は、取り返しのつかないことをした後悔と同時に、姫のその姿に胸の高鳴りを覚えている。 「うぇぇ、あったかい……」 やがて──理性がおめおめと舞い戻ってくる。どうにか身を起こして、姫の様子を伺いながら、俺は、なんとか無難な言葉を探そうとした。 「だ……大丈夫か?」 「ううっ………………」 「………………」 「ティ、ティッシュで顔を早く……! なあ、ティッシュはどこだ!?」 「……ふ」 「ふ?」 「ふざっけんなー!!!!」 「ぐああああっっ!!!」 「最低限の自制も出来ないなんて、 ケダモノと一緒っっ! この半獣人! ライカンスロープ!」 「だ、だから途中でストップって……! うぐっ、ぐあっ、ぐががっ!!(がくり)」 かくして──ケダモノトナカイはため息の尽きない夜を迎えていた。 ……はぁぁ、なんてことだ。結局、あれから部屋から追い出された俺は、それっきり姫と顔を合わせていない。 夕食前に透から連絡があって、俺は急きょ、ベテルギウスの修理を手伝うために、ツリーハウスを留守にすることになったのだ。 姫と顔を合わせるのが恐ろしかった俺にとっては渡りに船の呼び出しではあったが、おかげで失態のフォローはできずじまいだ。 「それにしても……」 とんでもないことをしちまった。まさか、あのお姫様の前で……いや、顔に。 しかもその光景を思い出した俺の肉体は、あろうことか、再びむくむくと反応を──。 「──────!!!!!」 ズキズキと疼く下半身をもてあまして、ベッドの上を転げ回る。失敗だ、失態だ、変態だ──!! 信じられん──認めたくない!よもや相棒のサンタさんと一線を越えるなんて、俺は本当に見境ナシのケダモノなのか!? 「う…………うぐぐぐぐっ!!」 「おはよーございまーす!」「おはようございます」 「ああ、おはよう……」 「むむ? 珍しいですね、 とーまくんが朝から元気ないなんて」 「トナカイにだっていろいろあるさ」 だめだ、昨夜は全く眠れなかった。 元気がないのは、言うまでもなく姫とどんな顔して会えばいいのかいまだ定められずにいるからだ。 姫のお怒りも、今度ばかりは……。 「おっはよー!」 「あ、おはようございますっ!」 「あー、おなかすいちゃった。 おはよっ、国産♪」 「お、おはよう……?」 ──????どうした、なんだこのご機嫌は?昨夜、あれから何かあったのか──!? 「国産、今日も一日がんばろーね!」 軽やかに俺の前を通り過ぎ、洗面所に向かう姫を見送って、ただ目をぱちくりさせる。 「今日はりりかさん、御機嫌ですね」 「いいことでもあったんでしょうか? あれ、どうしましたとーまくん?」 「い、いやぁ……あはは! さ、飯食おう、飯!」 「国産、部屋に運んどいてー!」 「お、おう、お任せあれ!」 姫は……どうしたことか、すこぶる上機嫌。俺に対する態度にしたって、特別変化はないようだ。 二人の関係は、何事もなく無事に継続すると思っていいのだろうか──。 いや、継続というよりもむしろ全く頭が上がらなくなっているのではないか、俺は!? 「ふぅ……同調率・反射率ともに正常。 吹き上がりも上々か」 師匠の〈星石〉《スター》のおかげでカペラは今日も絶好調だが、どうやら俺の気持ちが少し微妙だ。 姫とあんなことになってしまい、これから先、どんな心積もりで接したものやら。 「うーむ……分からん」 分からないのは、今朝の姫の様子だ。 昨夜のことを一時の過ちと割り切ったのかずいぶんとさばさばしているが、俺の中にたまった感情は少し複雑だ。 それは……いつしか俺があのお姫様のことを……。 「いやいやいや!」 超高速で首を振る。気の迷いだ、ああ、そうに決まっている。 サンタとトナカイは相棒であって決してそれ以上の関係になるもんじゃ……。 「………………」 いっそジェラルドに相談を──と何度思ったか知れない。しかし、ここは俺の正念場だ。 この程度のニアミスを、自分で処理できなくてどうする! 空に酒に女──トナカイってのはどれにも飲まれちゃならないのだ! 「おーい、国産?」 「うわわ! 姫!!」 「なに驚いてんのよ、どお、カペラは?」 「あ、ああ……完璧に近い。 まったくいい機体だよ、こいつは」 「ふふふ、それなら安心」 「ど、どうした? 店の交代まで、まだだいぶあるだろう」 「あ、うん、そうじゃなくて、 今日の特訓の打ち合わせでもしとこうかなー と思って」 ああ、そうだ。俺たちは猛特訓の最中でもあったのだ。 クイックターンの習得と全般的な滑空レベルの向上を目指した特訓がもう1週間近く続いている。 さすがに成果もあがってきたところで、俺も姫も、今は特訓が楽しくて仕方がない……はずだったのだ、昨日までは。 「訓練メニューに変更でも?」 「まーね……いいから整備続けてて」 姫の言葉に甘えて、仕上げの調整に入る。測定器で同調率をチェックしながら、最適な位置に〈星石〉《スター》をセットするのだ。 「………………」 「………………」 整備の間じゅう、姫は黙って俺の隣にいた。とくに打ち合わせをするそぶりはない。 せっかちな姫がこんな風にしているなんて、ううむ……これは昨日のことが姫にも影を落としていると見るべきか。 心を乱しながら整備を続ける俺の隣でじっと様子を覗いていた姫は、ふいにこんなことを聞いていた。 「国産、あたしのことどう思ってる?」 「そ、そいつはどんな意味で?」 「変な意味で」 「な、何も思ってなんかない!」 「へぇぇー?? じゃあ、なんでそんなに顔真っ赤なの?」 「え!?」 そんなに赤いのか!?慌てて自分の顔を手で押さえる。 「あはははっ! ひっかかった♪」 「ひ、姫──!!!!」 ううっ……なんたる醜態!!トナカイの男心を弄んだお姫様が足をじたばたさせて笑い転げる。 「からかわんでくれ! まったく、人の気も知らんで……」 「ん?」 「あ、いや……気にしないで」 「なによ、人の気ってどんな気? 上司に隠し事は許さないわよ?」 「……………………」 「んー、話せないの? さてはなにかまた下心を……」 「お姫様の……」 「え?」 「お姫様の前に出ると、 自分でも不思議なんだが、ドギマギする」 「ちょ、国産……?」 「俺にもよく分からないんだ。 正直、少し戸惑っている。 だだ……」 「ただ……こいつは恋愛感情とは ちょっとばかり違うと思う」 「………………」 「あ、当たり前よ! まったく上司をどんな目で見てるんだか!」 「ま……でも、それがどういうことか 3年目の国産には分からないかー」 「姫には分かるのか?」 「もちろん!」 「つまり国産は、 あたしの魅力にタジタジってわけ!」 「!?!? そ、そうなのか!?」 「そーよ!」 それほどでもない胸を張りながら自信満々のご様子。反論したくても俺はこの手の話題はからきし苦手で、なんと言ったらいいものか……。 「ま、修行不足の国産じゃ仕方ないわ。 ここで一流のサンタの魅力を勉強できて よかったじゃない」 「それに……」 「そのあたりの面倒を見てあげるのも、 師匠の役目かなー?」 面倒ってなんだ!?そのあたりってどのあたり!?聞き返したいことは山ほどあったが、 「ん?」 「い、いや……」 間近に覗き込まれると、とたんに目をそらしてしまう俺の体たらく。 「…………♪」 「………………ううっ」 そして広がる沈黙の世界。なぜだか俺より姫のほうが余裕〈綽々〉《しゃくしゃく》だ。 なにか気の利いたことを言わなくては、あるいはまた、こないだのような展開になってしまったら……。 あれこれ思索が頭の中を行き交って、結局なにも言葉が下りてこない。 意味もなく工具をもてあそび、隣に腰掛けた姫の息づかいを聞きながら、俺はただただ目の前のカペラを見つめている。 「…………」 まずいぞ、この展開は昨夜の悪夢が……。などと考えてたら、慎みのない下半身が勝手にドギマギしはじめた! そういう意味じゃないぞ、ケダモノめ、そのドギマギは断じて意味が違うぞ! 気づかれてはまずい。また上司命令が下ったら、俺はこのお姫様に逆らう自信がない──! 「…………」 「──っ!?」 突然肩に触れた感触に、びくっと背筋を伸ばしてしまう。 「ひ、姫……?」 「んー……くぅ……くぅぅ……」 「……姫?」 なんだ、寝てたのか。 「はぁぁぁ……」 思いっきり深いため息がもれる。本当に嫌な汗をかいた。 昨夜、俺は一睡もできなかった。強がってはいるけれど、ひょっとして姫も……? 「くかー……むにゅ……」 間近に覗き込んだ姫の寝顔は年相応の無邪気な表情で、 いつもこんな表情だったら、小六さんにも妹だって言えたかもしれない。 「んん……ん……」 寝やすいように肩の高さを調整する。肩を貸してしまった以上、作業は一時中断。今はお姫様の枕になっていよう。 ああ、そうさ。過激なスキンシップよりも今は、こういう距離が悪くない……。 「むにゃ……じーちゃん……むにゃむにゃ」 「……爺ちゃん?」 どのくらい経っただろう、ふいに姫が、がばっと目を覚ました。 「あ、あれ……寝ちゃってた?」 「そりゃもう、すやすやと」 枕係の緊張から解き放たれて俺はほっと息をつく。背中が凝ったのは、穏やかな時間の代償だ。 「やだ……! へ、変な寝言言ってなかった!?」 「変な寝言は言ってなかったが、 じーちゃんって誰だ?」 「!!!!!」 寝言を聞かれたのがよっぽど恥ずかしかったのか、声にならない悲鳴を上げて顔を染める。 「姫がお祖父ちゃんっ子だったとはな」 「うぅぅ……!! だ、だったらなに、問題ある!?」 「そうトゲトゲすることはないだろう。 せっかくだ、思い出話でも聞かせてくれよ」 「どーして国産にそんなこと!!」 「料理作る側としては気になるさ、 姫がじーちゃんのところで どんな飯を食ってたかとか」 「………………」 「ダメか……?」 「……本当に、聞きたい?」 姫が正面から俺を見た。その瞳に真剣な光が宿っていたので、俺も釣られて居住まいを正す。 「ああ、聞きたいな」 「そんなにあたしに興味がある?」 そういう問題だろうか──? 一瞬答えに詰まったが、立ち止まればすぐに正解が出てきた。 「そうだな、そう思ってくれて間違いない」 「…………そっか」 何かを決意するように息をついた姫は、それから少しずつ、過去を見つめるように語り始めた──。 「じーちゃん漁師だったんだ、 だからあたしは、ずっと魚ばっか食べてた」 「なんだって?」 じゃあ、あの偏食っていうのは!? 「美味しかったの、じーちゃんの魚……」 「美味しすぎて、もう他の魚を 食べる気がしなくなるくらい……」 姫が遠い目をする。突拍子もない理屈に思えたが、不思議とその言葉には説得力があった。 じーちゃん──か。 悲しい記憶を呼び起こしてしまうかもしれないが、俺はあえて聞くことにした。 「今、そのじーちゃんは……?」 「ん? ピンピンしてる」 「おい!!!」 「別に死んだなんて言ってないし!」 「ん、まあ……それはそうだが」 「死んじゃったのは両親のほう。 あたしが小さい頃だったから ぜんぜん覚えてないんだけど」 「…………」 いきなり深い部分に潜った話に、俺は黙って耳を傾けた。 「だから、 漁師をやってたじーちゃんとばーちゃんが あたしを引き取って育ててくれたってわけ」 「それって、愛媛の?」 「なんか文句ある?」 「いや、全く!」 「けど、じーちゃん家ってなんか知らないけど 借金がたくさんあってね、漁がないときは いっつも町へ出稼ぎに行ってたんだ」 華麗なるお姫様のイメージとは程遠い幼少時代だ。いや、だからこそ、いま彼女はお姫様になっているのかもしれない。 「仕送りはそんなに来なかったみたいだけど、 じーちゃん、クリスマスには必ず プレゼント持って帰ってきてね」 「しゃがれた声で、ジングルベール♪ って こぶしなんかきかせて歌っちゃったりして」 「………………」 「ま……そんなわけで、 けっこー幸せでしたって話!」 「そうか……それは、よかった!」 「わ! なんで国産が目真っ赤にしてんの!?」 「いや……ぐすっ、途中どーなるかと思ってさぁ! ほら、俺は親父死んだけど、家は金あったし、 お袋も元気だったしで、恵まれてやがるってな!」 「だからって国産が泣くことないでしょ! わぁぁ、もううざったい!! ばか!!」 「泣いてなんかいるか! 馬鹿にすんな!」 俺を見て、姫がくすりと微笑む。 「じ、じゃあ、あれか。 姫のゲーム好きはじーちゃんのプレゼントの」 「そういうこと、もうバッタ〈物〉《もん》ばっかりなの! ブレステが欲しいって言ったら、 デジコンベーダーなんて買ってきちゃうし!」 「なんだいそれは?」 「知ってるでしょ、79年発売のLSIゲーム」 「分からん分からん! 俺よりだいぶ年上だそのベーダーは!」 「名作よ、あたしの部屋にあるから、 今度やらせてあげる」 「まだ動くだけで凄い!」 「ま、貧乏くらい気にするなってこと。 それでも幸せなことはあるし、 だからあたしは、いまここにいる……」 照れ屋の姫とは思えないようなまっすぐな告白……。 故郷のことを話す姫の瞳はきらきらと輝いていて、俺は眩しい思いでそれを眺めていた。 「国産、いいわよ! そのままターン!」 「はいよ!」 姫の昔話がきっかけで、二人の間に横たわっていた奇妙な気まずさは消えてしまった。 姫の口から過去の話を聞けてよかった。俺はトナカイ、姫はサンタとして、訓練に迷いなく打ち込むことができる。 そんな二人のメンタルコンディションゆえか、今宵の特訓はまさしく絶好調。 「オッケー、いい感じ。 ななみん! そこのバルーンは上から狙って!」 「は、はいっ!」 「コースに添う形で撃てば、 流れに邪魔されなくなって命中率も上がる。 あとは読みのスピードね」 「な、なるほど……!」 「ははは、調子が出てきたじゃないかカペラさん」 「とーぜん!! 誰が鞭入れてると思ってるの? さーて、2周目いってみよーか!」 「おお怖ェ、お手柔らかに頼むぜ」 ジェラルドをも圧倒する滑空に姫はご満悦だ。こうも素直に喜んでくれると俺まで嬉しくなる。 「休憩5分ね! 水分補給したらまた上がるわよ」 「了解!」 冬も間近とはいえ、訓練中はかなりの汗をかく。 脱水にならないよう水分補給が必要なのは他の運動と同じことだ。 「んぐっ……んぐっ……ぷはーー」 二人でリビングに降り、スポーツドリンクのペットボトルを一気飲み。 「いける!?」 「ああ! 再出撃だ、お姫様!」 「あ、ちょっと待った!」 はやる俺の首根っこをつかんで、お姫様が自分のほうへと振り向かせる。 「何か?」 「曲がってる!」 直立した俺の前に立った姫は、めいっぱい背伸びをしながら、頭のゴーグルに触れる。 「……ほら、 ちゃんとかけないとカッコ悪いわよ」 「そいつは……恐縮です」 「そーそー、しっかりしたまえ!」 爪先立ちのお姫様にゴーグルを直してもらい、俺は、くすぐったいような嬉しいような複雑な笑顔を浮かべている。 少しどきまぎしたのは、姫の匂いが鼻先をかすめたせいだろうか。 「ま、でも今日のところは89点。 飲み込みは悪くないわね、国産?」 「あと1点か」 「ふふふっ、もうちょっとしごいてあげる!」 一瞬、変な意味で受け取りそうになった自分に無言で喝を入れて、俺たちはふたたび大空へ繰り出した。 「よーし──一気に上がるぜ!」 「お、早いじゃん!」 「名コーチのおかげでね!」 「ふふふ、あたしのパートナーに なれるだけの実力が付いたら、 NY本部のスタッフに推薦してもいいわよ」 「本気かい?」 「実力次第でね!」 えへん、と胸を張ってみせるお姫様。NY本部への推薦にも胸は躍るが、いまはそれより、やっとつかんだこの充実感が嬉しい。 「れっつごー! バルーン30個、目標タイム30秒!」 「早ェ!!」 「無駄口叩く前にいっけーーー!!!」 「はぁぁ……はぁ、よーし、完了!」 「おつかれー、国産!」 「……ってことは、まだ89点以下かぁ」 いったい『国産』からの解放はいつになったら果たされるのか。 いや……それも時間の問題のような気がする。それくらい、今の俺は絶好調だ。 「技術は相当いい線行ってたけど、 コースの取り方でちょっと減点かな」 「うーむ、いくつか失敗したのは覚えてる」 「ま、分かってるならいいでしょ。 問題は集中力かな?」 「そうか、かなり意識してたんだけどな」 「そーかなぁ?」 「よけーなことで気が散ってるんじゃない?」 「…………姫?」 「……で、なんでこんなことに なってるんでしょーか?」 「訓練の一環! 国産に落ち着きがないと困るからね」 「ほーら、ふふふ、元気元気☆」 「ううっ、俺が今日一日、 どれだけの集中力で 邪念を払拭してきたことか……」 「なによ、上司サマのご命令に不満でも?」 「そんなことは……う……くッ!」 あれこれと理屈を並べても、結局は前と同じ展開になってしまうのだ。 ならば、姫がなんと言おうと相手にしなければいいのだが、俺は俺で、姫が俺に対して抱いている感情に興味を持っている。 姫はどうして俺にこんなことを繰り返す? 単なるイタズラ心? おもちゃ扱い?まさか本気で上司として世話を焼こうとしているとも思えないが……。 面と向かって聞いてもはぐらかされるだろう。姫の反応から確かめるしかないのだろうが、しかし……。 「ケダモノさん?」 「な、なにを……?」 「どーしてそんな必死な顔してるのかなー?」 「それって、触られてるから?」 くすくすと笑いながら、姫様の細い指が先端をつつく。や、やっぱり遊ばれているのか……!? いまだ慣れていない刺激に再び腰が浮いてしまいそうになる。 「女の子だったら誰でもいいのかなぁ?」 「い、いいとか悪いじゃなくて、 何度も言ってるように、 これは健全な反応であって……」 これで3回目のスキンシップ。最初は反応の一つ一つにひるんでいた姫だが、今は俺の肉体の反応を無邪気に楽しんでいるようだ。 しかし、一線を越えてしまったことへの後ろめたさは拭いようがなく、俺の反応をぎこちないものにしている……。 確かに、単に好奇心からのことならもう満たせたはずだ。だのに、姫は……。 前回と同じ過ちを繰り返してしまうのではないかと、俺は気が気でないのだが、姫は、俺を落ち着かせると言っていた。 それはつまり……? 「年下に欲情するなんて変態ね」 「へ、変態じゃない! 世に奥さん年下の夫婦がいったい何組いると……」 「どーかなー? こんな風になっちゃってるし。 国産のおち○ちん♪」 「あ……!」 「あれれ、サンタさんがこんなこと言ったら 興奮しちゃう?」 俺の反応を確かめた姫は、悪戯そうににまっと笑い……。 「ふふふ……おち○ちん大っきい@」 「……!!」 「あははは、ホントに大っきくなった。単純!」 「お、鬼か……!」 「まーまー、怒らないの。 軽い冗談じゃない、くすくすくす……」 「そのかわりサンタが処理してあげるんだから 文句ないでしょ、ヘンタイトナカイさん?」 処理──!? や、やっぱり姫は、上司として本気で俺を落ち着かせようとこんなことを? た、確かにサンタの流儀はそれぞれと聞く。トナカイとのスキンシップも必要だ、だが、だがしかし……!! 危険すぎる冗談で笑いながら、俺の性器をしごきあげるお姫様。 これは、俺に気を許しているからなのか、それとも、もっと別の感情が……!? 「な、なんでここまで……!?」 「なーに、そのやらしい声?」 優しく、リズミカルに姫の手が上下する。俺のその部分で遊んでいるときの姫の表情は、いつもの姫とは少し違っていて……。 艶かしいような、大人びた笑みから、いつしか視線がそらせなくなってしまう。 「あはは、もう透明のねばねば出てきてる。 国産のえっちー」 だめだ、思考がまるっきりまとまらない!上司のサンタ様に抵抗できぬまま、俺はせめて言葉で状況を打破しようと試みる。 「姫……姫も……やっぱり、 男の身体とか……興味あるのか?」 「え!?」 「な、な、なんのこと?」 「だって、 そうじゃなきゃこんなこと……くっ!」 「そ、そんなことないってば! あたしは国産のために……!」 「………………」 「ま、まあ……年齢的に、こういう知識も 必要かなって思ったりもするけど……」 「つまり、 このスキンシップは向学心ゆえと?」 「そんな感じ……かな?」 照れた姫の顔の目の前に、熱く張り詰めた俺の切尖がある。 な、何度見てもこの眺めは危険だ!……本当に、危険すぎる! 「ふふ、だからヘンタイさんは遠慮なく 気持ちよくなっていいからね♪」 いいわけがない……と思う一方で、姫に恥をかかせてはいけない、というもうひとつの思いが俺の心をかき乱す。 ひとのことをヘンタイ呼ばわりしながらも、姫はその部分をまじまじと観察しながら、優しい指使いでしごき上げる。 「ねえ、裏のところって こんな風になぞるといいの?」 「──!?」 「へええ、こっちのほうも感じるんだ?」 こんなときも研究熱心な姫は、片手で俺自身をしごきながら空いた手の上に陰嚢を乗せて観察しはじめた。 「そ、それはさすがに恥ずかしいんですけど」 俺の反応にくすくす笑いながらも、姫は手のひらでその部分を転がしながら、感触を確かめている。 「キ○タマ……ふふ、なんか下品。 もうちょっと別の呼び名があってもいいわよね?」 「こ、こら……!」 言葉と裏腹に下半身がビクンと反応する。もちろん、目ざとい姫がその反応を見逃すはずもなく……。 「ねー国産、キ○タマ気持ちいい? くすくす」 「だめ!! 姫がそんな言葉使ったらダメだっ」 「あはは……国産の前でしか言わないってば。 それにおち○ちん丸出しじゃ説得力ゼロよ?」 頬を染めて笑った姫は、もっと俺の身体で遊ぼうとするように、雁の部分を引っ掻きながら指先を絡めてくる。 「あぐッ!? そ、それはちょっと刺激が……!!」 「なるほど……結構デリケートなのね」 「ふふふっ……くすくす……なんかすごい。 男って大変だよね……くすくす……」 ペニス越しに見える姫の笑顔は、悪戯な……というよりも、いつしか親しみを込めた暖かい笑顔に変わっていて、 その表情と、いきり立った自分自身とのギャップが、俺の羞恥を掻き立てようとする。 「ねえ、ぎゅーってしてこするのはどう?」 「あ、あ、あ……ッ!」 「おっと、裏コマンド発見? あたしもこのほうが楽しいかも♪」 俺の弱点を見つけ出した姫が、握る手にぎゅーーーっと力をこめる。 「ほらほら、かたーくなってきた♪」 さすがエリートさんだけあって、前に覚えた手の動きを忘れたりはしない。 すっかり慣れた手つきになった姫は、先端から滲む液体を手のひらで伸ばすようにして、俺の硬直に自然な潤滑油を加えていく……。 「ふふっ、しごきながらモミモミがいいかなぁ? ほーら、キ○タマもみもみ〜♪」 「だからそんなこと言っちゃダメだって、姫!」 「とか言って、嫌じゃないでしょ? バレバレなんだから」 「そ、そんなこと……くっ!」 変な意味じゃない、変な意味なんかじゃない。これはあくまでトナカイとサンタの変則的なスキンシップなのだ──。 そう自分を言いくるめた俺は、なんとか会話だけでも普通の流れにしようと懸命なのだが、姫の指先がそれを許してくれない。 「んー? なに見てるの?」 「自分のおち○ちん? それとも、あたし?」 「あ、う……!」 言葉で俺を動揺させてから、さらにリズミカルにしごき上げてくる。 「ふふふ……そっかー、 国産はあたしも気になるかー♪」 顔を真っ赤にしながら、姫が大人びた笑みを浮かべる。 な、なんだ……俺よりずっと下の、まだ子供みたいな姫だというのに、こういう時の表情は、まるで年上の女性みたいだ。 「ん、んっ……もう、カチカチにしちゃって……」 スピードを上げるにしたがって、姫の口から小さな吐息が漏れるのが分かった。 いくら指使いに慣れたとはいえ、ドキドキしているのは姫も同じはずで、その証拠に、まだ少しだけ手が震えている。 「んん……国産……」 「え、姫……!?」 「んー……」 嘘だろう……??深呼吸した姫の唇がペニスの先端に近づいてきた。ま、まさか……そ、それは!? 「おい……!? まずい、それはまずい、姫!!」 「ふふっ、なに期待してんの? 近くで見てるだけよ」 「そ、そうか……けど、そんな近くで……!」 「くすくす、見てるだけ、見てるだけー♪」 鼻先に赤く充血した先端が触れてしまいそうな距離で、姫が手首をスナップさせる。 そのたびに俺のペニスは摩擦の刺激に痺れて、快楽の悲鳴が脳になだれ込んでくる。 そいつをやりすごそうとした矢先、鼻先が先端にチョンとぶつかった──! 「ん?」 「う……うッ!」 「あはは、跳ねた♪」 「そっかぁ……手だけじゃ寂しいのかな?」 どこか陶然とした表情で手を動かしながら、姫は嬉しそうに呟いて、視線をペニスに落とした。 「ん……ふふふ」 なんてことだ……まるで蛇に魅入られた蛙のように、俺は姫の黒い瞳から視線をそらすことができない。 「でも……こんなに溢れてくるなんて…… 中はどーなってんだろう……」 覗き込んだ姫の鼻先に、ふたたび先端部分が近づいて、いつもより荒くなった息が敏感な部分をくすぐる。 「んー、先端部は唇みたいになってるのね」 「ひ、姫っ……」 「なに? どーしたの?」 顔が近すぎることを指摘しようと思ったが、紡がれた言葉の吐息が俺の背筋を痺れさせ声にならなかった。 姫の温かな吐息──。そいつが充血した先端を撫でて、根元の陰毛をくすぐる、その感触──。 あの姫の吐息、いったい姫はなにを想っているのだ──。くっ、頭の中がぐしゃぐしゃになりそうだ。 「あ、ふふふ……くっつきそうよ、ほら」 「くっついたらダメなんだって!」 動揺するトナカイをすっかり楽しんでいる姫は、俺の制止なんてお構いなしだ。悪戯な笑顔を浮かべてさらに唇を寄せてきた。 「見える……? ニアミスしそう、くすくす……」 時々、上目遣いでこっちを見上げて尋ねてくる。ペニスと俺の間を行ったり来たりするその瞳が少しだけ潤んできている……。 「んっ、はぁ、匂いしてきた……」 「す、すまん……」 「へーき、こういうもの……なんでしょ? んっ……っと……ふぅ……」 「ひ、姫……息が……!」 「本当……国産って……こういう時 かわいー声出す……んっ……ん……」 しごく手に力をこめて、姫が呟く。可愛いと表現されて屈辱感より先に背筋がゾクッと震えた。 「先っぽ……つるつるして…… はぁぁ……何かキレイ……」 上気した頬の温度さえ感じられそうなほど顔の近くまで性器を寄せ、じっくりと丹念に繰り返される上下運動。 今、姫に握られたペニスが跳ね上がったら、それだけで触れてしまいそうなほどの距離──。 「すごいね……こするたびに……ん、 おち○ちんの先からどんどん溢れてくる」 性器の呼称に頭が痺れる。先端からはまるで漏らしてしまったように、透明な粘液があふれ出している。 正直に言うと──自分でもこんなに出るものだとは思わなかった。それほどに、俺は興奮しているのか……姫に? 「えっちだ……すごいえっち……」 姫の声がわずかにとろみを怯えている。揺れる司会に、もぞもぞと姫が内股をすり合わせるのが見えた。 まさか、姫も──!?そんな想像が頭をかすめて、一気に快感が吹き上がりそうになる。 「……く……ッ!」 気を抜けば一瞬で果ててしまいそうな快楽の濁流を、腰のあたりで必死に食い止めた。 「はぁ、はぁ……んっ、はぁ……」 吐息を荒くしながら、姫はペニスと俺の反応を見比べている。 その瞳にゆれているのは好奇心と……ほかになにがあるのだ? 頬を染めた姫の顔がさらに近づき、先端は今にも唇に触れそうで……。 「ん……国産にちょっとサービス……@」 ふいに唇が開き、ピンクの舌先が現れた。 「れろ、れろっ……なんてね、舐めないけど」 これ見よがしに空中で舌を動かしてみせる。 半開きになった口元からうっすらとのぞく舌先の卑猥な動きが、俺の脳髓に火花を弾けさせた。 「それとも、舐めたほうがいいのかな?」 「んーー……?」 吐息を漏らす度に、口内で小さな舌が動く。時々唇を舐めるその舌が今にも俺の先端まで巻き取ってしまいそうだ。 まるで毒蛇の牙を見つめるように、俺は息を切らして姫の舌先を凝視している。 「国産ったら、なんか必死? ふふふ……ん、れろ……くすくす」 あと少し──ほんの数ミリ近づけば、姫の舌先が俺の先端に……! その恐れが期待に切り替わった瞬間、凶暴な爆発が体内で炸裂し、一瞬にして俺の堤防を決壊させた──。 「姫ッ──!!」 「うわ……んぶっ!?」 ズキンッッッ──!! と、尻骨のあたりから快感が突き上げてくる。気が付いた時にはもう精液が射ち出されていた。 「あ、あ、出てる……ん、んうっ!?」 またしても、姫の高潮した頬に向かって激しく射ち出された精液が襲いかかった。 「……っ、く……ッ!」 あ、あ、あ……まただ。ぶつかり、はじけ、さらさらした金髪と、悪戯っぽい面差しを粘液がどろどろに汚していく。 「あ、んうっ……熱っ……!」 あぁ……まただ、またやっちまった。いくら姫に促されたとはいえ、俺は途中から完全に快楽を楽しんでいた。 クールダウンした頭に理性が戻り、またしても本能に身をゆだねてしまった罪悪感が押し寄せてくる。 姫はきっと好意で俺の集中を高めようとしていただろうに、どうして俺はこんなにもこらえ性がないのか……! 「ん、もう……出しすぎ」 「す、すまない……俺は」 「……仕方ないか、そういう生き物なんだから」 「姫?」 どういうことだ!?こないだは烈火のごとく怒りだした姫がさばさばした笑顔で大人しく顔の精液をぬぐう。 「なに辛気臭い顔してるのよ、 あたしだって楽しんでたの、分かるでしょ?」 「え? た……楽しんで……?」 楽しんでた?姫が……い、いや、それは俺の妄想ではなかったのか? 「ま、ヘンタイトナカイ用の スキンシップってとこね。 エリートサンタに不可能はないわよ」 姫が人差し指のピストルで俺の眉間を打ちぬくジェスチャーをした。俺は……正直、言葉もない。 「そ……その……こうなったからには 変態は甘んじて受け入れる。 だが、姫が楽しんでたってのは……その」 「嫌々されるほうがいいなら、考えるけど?」 「いえ、すみません」 「くすくす、正直でよろしい。 けどみんなには絶対内緒だからね、 あたしたちの秘密特訓」 「そ、それはもちろん!」 こんなこと言えるわけがない。いやそれより、これからも姫はこの特訓(?)を続けるつもりなのか!? 「ふふふっ、ならもう一回する?」 「!?」 「だって……くすくす まだ出し足りないみたいよ、これ?」 精液まみれになった顔を放出直後のペニスに近づけて姫がいたずらな微笑を浮かべる。 なんてことだ……その笑顔に俺の視線も釘付けになって離れない。 次から次へと押し寄せてきた刺激に、胸が痛いほどドキドキ脈打っている。 そうだ……確実に今夜、俺と姫とのパートナーシップは何か別次元の扉を開けてしまったのだ。 そして、俺は……いや、恐らくは姫も、そのことを不快には思っていない。 「くすくす……明日からも たーっぷりしごいてあげる☆」 姫の言葉がダブルミーニングに聞こえてしまうのは、俺に邪念があるせいだろうか……。 そうして、さまざまな理由がからまって、俺の生活に、落ち着いた、それでいて濃密な毎日が戻ってきた。 あれは姫と俺の間のスキンシップであると完全に居直ったおかげか、今日は変にギクシャクすることもなかったし、 秘密を共有しているという意識がペアの絆を強めたのか、訓練においても極めて高い集中を保てるようになった。 そして、それより何より俺にとって嬉しかったのは……。 「んー、すずりん、今日もおいしー♪」 「あ、ありがとうございます!」 姫が、硯の和食を美味しく食べられるようになったことだ。 これは俺と姫の関係がどうとか、俺の手作り料理がどうとかいうのではなく、じーちゃんの思い出を吐き出して、姫の中でなにかが吹っ切れたのだろう。 夜のスキンシップはさておくとして、俺と姫との間に生まれた確かなパートナーの絆を感じることは、ほかの何より喜ばしい。 ななみ以上に手馴れた箸づかいで焼き魚の骨を取り分ける姫の姿にしばし見とれてしまう。 「…………」 「……!」 「…………」 な、なんだ……!?そんなに露骨に視線を逸らされるとこっちがドキドキしてしまうじゃないか。 違うぞ、俺と姫とはパートナー、トナカイとサンタ、あるいは部下と上司。 肉体の距離が一線を越えたとしても、そいつを忘れてはダメだ。 「?? どーかしましたか?」 「ななななっ、なーんでもない! ね、国産?」 「ああ、なんでもない。 美味い飯だなぁ、姫?」 「え、えへへ……そうね、おいしい」 「お、おう!」 「………………」 「なにか……?」 「なんでもない……ふふっ」 「(な、なにかありますよね?)」 「(わ、分かりませんけど……たぶん)」 姫、その笑顔はダメだ。うまくは言えないが、空気がいつもと違いすぎる! 「ねーねー、あとで秘密特訓しよっか?」 「わぁぁ、食事時にそんなこと言うな!!」 「食事中に??」「……別にかまいませんが?」 「い、いや……そうだった、了解!」 「ふふ……もー、馬鹿なんだから♪」 あああ、馬鹿め!どうやら冷静になれてないのは俺のほうだ。 しっかりしろ、トナカイが女子にリードされるなんて聞いた事がないぞ! 「あー、心臓に悪いっ!!」 午前の店舗営業が終わった俺は交代時間を利用して、姫の使い走りだ。 和食を克服したとはいえ、姫のジャンクフード好きは変わらない。 偏食が直ったことで、透の監視も解かれたし、ようやく大手を振ってハンバーガーを買いに行けるようになった。 その日は山の手地区にあるハンドメイドピザ&バーガーショップの『ムーンクラスト』に立ち寄った。 姫のリクエストどおり、ずっしり重いバーガー類を下げて帰ろうとしたところ。 「…………」 ボスだ──?どうしたんだろう、サンドイッチマンの服装をしているが、今日は珍しく弾けてない。 「あの……」 「おお、中井冬馬! 散歩かな?」 「ええ、買出しです。ボスはなにを?」 「うむ……」 頷きながらボスが指さす先には──。 「…………」 肩を落とし、意気消沈した様子で歩く更科つぐ美の姿があった。 いつかの追走劇以来、もうしばらく会っていない。久々に見たつぐ美は、少し痩せたように見えた。 「ツリーハウスを狙っていた記者さんですね」 「…………」 「うむ、そして問題は……」 「あ、カメラですか?」 「ええ、壊れてしまったとか」 姫が提出した報告書に、一通りの顛末は記載されている。彼女のカメラが不思議と修理不可能なことも。 「あれは、お祖父ちゃんの形見だそうです」 あの日以来、つぐ美はツリーハウスに姿を見せなくなった。 UFOの取材も今はしていないようで、それだけで、あれがよほど大切な物だったことは推測できる。 「特別製か……」 「は?」 「……私が直してやれたらいいのだが」 「スネーク!?」 「ああ、意気消沈って感じだったよ。 カメラがどうしようもないみたいでさ」 「ふぅん……」 カメラのこともそうだがつぐ美に関しては、あれ以来、姫との接触がないことのほうが気がかりだ。 一時は友達になりかけた二人だが、カメラとサンタの話ですれ違ったのを最後に、交流もぷっつりだ。 姫とレトロゲーム話で盛り上がるにしても、俺では分からないことが多すぎる。 あれだけ姫が楽しそうにしていた相手だ、できることなら仲良くしていて欲しい。 ……などと思案していたが、 「はい、次はうつぶせー」 「んがぎぐげ!!」 「あー凝ってる凝ってる。 今日も血の巡りが悪いわねー」 「はがぁ……っぐ! じ、じーちゃんにもこれを?」 「ずーっと昔はね。 はい、腰いっちゃおー♪」 「ひぎぃぃぃ!!」 「あーははは! 泣け、わめけー!」 「や……やりすぎ!!」 「いーじゃん、いーじゃん! 本当に世話が焼けるトナカイなんだから」 嬉しそうに呟くお姫様から、更に強い刺激が送り込まれてくる。 しかし……このマッサージのおかげで、ハードな訓練をこなせているような気もする。 「な、なあ……姫。 ボスならあのカメラを直せそうなんだ」 「え?」 「だからさ、せっかくだから 俺たちからつぐ美に一言……」 「サンタは願いを叶える仕事でも 誰かを救ってやる仕事でもないわ」 「……姫?」 「イブの夜にルミナの贈り物をする、 それでちょっぴり幸せを配るだけ。 それがあたしたちの仕事なの」 「そりゃわかってるさ。 でも、あの子はなにか……」 「困っている人がいたら救いたい?」 「ああ……もちろんだ」 「それが傲慢だっていうの。 ルミナで誰かを救おうだなんて 思い上がりもはなはだしいわよ」 「…………姫」 それは、たしかにひとつの正論かもしれない。 サンタはヒーローじゃない。ルミナの力で悪人を退治したり、自然災害を食い止めたりできるわけでもない。 NYでのエピソードを聞かされた俺には、姫がどうしてその言葉にたどり着いたのか、その気持ちだって痛いほど分かる……。 しかし……。 本当にあの子に力を貸してやりたいのは俺よりも、姫なのではないだろうか? ふと生まれた疑問は、しかし口から漏れることなく俺の心の中で小さくわだかまった──。 昼の交代時間を利用して、俺は山の手のブラウン通りまで足を伸ばした。 姫が知ったら怒るだろう。しかし、俺は姫と違ってサンタの仕事の範囲を割り切ることはできない。 姫を信頼しているからできることだ。俺が動いたからといって、そう簡単に揺らぐような姫じゃない。 しかしこれが、姫がなにか別の回答を導き出す手助けにはなれないだろうか。 それは同時に、ボスの言葉にもつながっている。 『ただサンタに寄り添うだけではいけない』 その言葉の意味を、字面ではなく実感として受け止めることができるだろうか。 「よっと……」 イチョウの陰に隠れ、並木道を歩く制服の群れからつぐ美の姿を………………いた!! 「…………」 下校中のつぐ美は昨日と同じように肩を落としていた。 いつも感情を封じているような彼女のあんな姿を放っておくなんてどうやら俺にはできそうにない。 さて、あとはどう声をかけたらいいものか。 呼び止めるタイミングを見計らううちに潮見坂まで来てしまった。 坂下から強く吹き上げる潮の香りが新鮮で、この道は嫌いじゃない。 「…………」 立ち止まったつぐ美は海の上に広がる青空を見上げて……。 どうやら携帯電話のカメラで空の写真を撮っている。その後姿はいかにも心細そうだ──。 「UFOでも撮れるかい?」 「……きのした玩具店の店長さん」 「久しぶりだね。 取材のほうは進んでる?」 「UFOは発見されていないからUFOなのです。 カメラに正体を解明されたらFOにしかなりません」 「それでもUFOを探しているんだ?」 「………………」 「更科さんってなんとなく硬いイメージがあるのに、 どうしてUFOとか怪奇現象なんだろう?」 「真実がそこにあるからです」 「オカルトの向こうに?」 「はい。 オカルトは私のライフワークですから」 「そうか……じゃあ、こだわるよな」 言葉が途切れる。つぐ美はしばらく俺の横顔を見上げていて、それから、僅かに視線を海へと向けた。 「……私の祖父も写真家でした……」 「以前、祖父のUFO写真が 新聞に掲載されたことがあるんです」 「それがすごく評判で 近所でも大騒ぎになっちゃって……」 「シャッターチャンスをつかんだのか」 「ええ、その祖父の写真、本当に夢があって。 だから私も夢がある写真、夢があるスクープを 追いたいと思ってるんです」 つぐ美が大切にしているカメラは祖父の遺品だった。きっとそのカメラで、彼女のお祖父さんはUFOを捉えたのだろう。 「ですが……カメラが……」 「……すまない」 「い、いえ、あれは私の不注意です」 「更科さん……」 俺は、本来の仕事の外側に足を踏み出そうとしている。 それは、ノエルの秘密につぐ美を少しだけ近づけてしまうかもしれない……。 「月守りりかの知り合いで、 機械修理の名人がいるんだ。 その人なら……直せるかもしれない」 「専門店でも直せなかったのに?」 「ああ、そういう道具ばかり直している人さ。 よかったらレトロゲームフェアの お返しをさせてくれないか?」 「………………」 「ここだっ!」 「ざーんねん、惜しい!」 深夜の自主訓練で、今夜も俺はクイックターンの練習だ。 あと少しというところなのだが、ステアリングの返しが甘いのか何度やっても姫からは納得の言葉が出ない。 「すまない、もう一回いいか?」 「もちろん! 今日はやけに気合い入ってるじゃない?」 「いつまでも姫様に おんぶに抱っこじゃ許されないだろ」 「ふふ、わかってるじゃん。 だったらスピーダーーップ!」 姫との上下関係が自然なものになり、居心地がよくなってもうずいぶんになる──。 しかし、このまま下僕でいるままでは、俺の意見をそのまま姫に伝えることができない。つぐ美のカメラの件がいい例だ。 このままではいけない。なんとかして姫と対等なパートナーに!そう思うからこそ、特訓にも熱が入るのだ。 「うーん、75点かな。 悪くはないんだけど」 「くそ……難しいな、 目の前に見えない壁がひとつある感じだ」 「限界突破かぁ……そうね、 なにか考えないと……」 「…………あ!」 「早いな! なにか名案でも?」 「分かったわ、 トナカイの修行効率を上げる方法!」 「飢えたトナカイにはご褒美の餌が一番!」 「……ご褒美??」 「そう、90点をゲットするまで射精禁止! どう?」 「はぁぁ!?」 「だからしゃせーきんし! 何から何まで我慢するっ!」 「ええと、我慢というのは ……男の生理的なやつを?」 「もちろん!」 「ああ……そいつはいい。 それくらいなら、お安い御用さ」 売り言葉に買い言葉のように胸を張る。いったんそう決めたからには、姫に認めてもらうまでは、一切の禁欲生活だ。 しかし……。 姫の楽しそうな笑顔を見ていると、禁欲の条件すらも、俺へのイタズラの一環に思えてしまうのはなぜだろうか……?? 速度をあげると、星が視界の隅を流れてゆく。自分が流星になったように感じるこの瞬間が好きだ。 「国産、ゴー!」 「了解だ、姫様!」 宵の空に全力でカペラを駆る──。 ルミナの流れを『読む』のではなく、流れに『合わせる』。 そうするとルミナの流れにも、水と同じような微妙な波やうねりがあるのが見えてくる。そうしてそこに、俺の意志をぶつけるのだ。 ──ここでターンする、いいか? コースのどこかに、それをなしえる流れがある。それはツリーとの対話であると同時に、ある種の戦いでもある。 そうして、ツリーの流れに乗るだけでは決して到達できない領域に足を踏み入れることは、ツリーの生み出す流れをさらに深く知ることにもつながる。 ツリーの意思と俺の意思。そこに姫の意思とカペラの〈星石〉《スター》がからみ、複雑な条件模様を描き出す。 「──行くぜ!!」 急ブレーキと同時に針路転換! 「──りゃあああああっ!!!」 「お!?」 それまでのベクトルを、ブレーキで殺すのではなく、方向転換のエネルギーにして一気に反転する。 姫と同時に体を傾け、重心を移動──。 その直後、強烈なGが襲い掛かり、星空が半円を描いた。 今までの、失敗ターンとは明らかに違う。まばたきした次の瞬間には、視界を包む星々の配置ががらりと様相を変えている。 180度回頭。さっきまで見ていたのと反対側の空だ。 「おおおーーー! とーまくんがひっくり返った!」 「ほう?」 「す……すごいです」 「へええ、さすが専門職は違うわねぇ」 いつしか回りで俺のターンを見守っていた同僚たちから、温かい通信が飛んでくる。 「……いい気になるには早いわよ?」 「分かってる、こっからはアベレージだな」 「そ、100回やって100回成功するまでは、 まぐれってこと、アンダスタン?」 「了解だ……お姫様!」 「ふぅ……ま、こんなもんか」 「へ、へえ……」 いきなり100回とはいかないが、立て続けに10回──。 一度コツを覚えれば、あとは微調整だ。この支部じゃ周りが凄すぎてかすんでしまうが、これでもスロバキアじゃエース候補と呼ばれていた。 「やるじゃない、国産」 「教官の腕がいいんだろう?」 「ふふーん、もっと言ってくれる?」 「その前に、今日の俺は何点だい?」 90点以上で、国産呼ばわりとはおさらばだ。この成功率の高さに思いっきり期待は膨らむが、 「そうね……89点!」 「なんで!?」 「荒っぽい」 「!!!!!!!」 あ、荒っぽいか……ハハハ、そりゃあそうだ。確かにソフトな〈滑空〉《グライド》なんて意識してる余裕はなかったさ……! 「あん、もう……そう落ち込まないでよ。 あと1点よ、1点!」 「その1点に再考の余地は?」 「えー、どうしよっかなー?」 教官の顔から、悪戯なパートナーの顔になった姫が、おまけする気なんてないくせに、俺をじらしてくる。 このごろは、こういった些細なじゃれ合いにも不思議に心が浮き立ってしまうことがある。 「よ、お二人さん。 いよいよ調子を上げてきたな」 「とーまくん、すごかったです。 さっきのぐるんってやつ!」 「ありがとう。 だがどうやら、まだ未完成の領域さ」 「最初はどうなるかと思ったが、 この調子なら手加減は要らないな」 「とーぜんよ。 リーダーの選定も取ってみせるから」 「ほう、そいつは楽しみだ」 「笑顔がひきつるところを見てあげる」 火花を散らすかつてのコンビを尻目に、こちらも旧パートナー同士でライバル宣言だ。 「ま、無理せずにやろうや」 「はいっ、楽しく対決です☆」 「こらーーーー!! そっち緊迫感がないっっ!!!」 充実した訓練がもたらすのは心地よい疲労感だ。俺はスポーツドリンクのペットボトルを手にテラスから夜空を見上げて、そいつを堪能する。 ときどき信じられなくなる。さっきまで、自分がセルヴィを駆って、あの高みを飛んでいたことが──。 それは、不快な錯覚ではない。そういう気分の時は、たいてい調子がいい。限界を超えた時に覚える離脱感のようなものだ。 調子がいいのは、言うまでもなくソリからビシバシ指導をくれる姫様のおかげだ。 最初はこのペアがどうなるかと危ぶんだが、やはり姫は一流だった──。 わずか数週間で、ボンクラの俺を自分の予想以上の地点まで引き上げてくれた。 「お姫様……か」 まただ。また、満天の星空に姫の顔が浮かんだ。 かつては星空とセルヴィのことだけ考えていれば満足した俺が、ずいぶんと変わったものだ──。 それは、姫が俺の新しい師匠になったから。師匠に全面的な敬意を払うのはスロバキアのころから変わらない……。 そう、確かに俺はそう思っていたのだが、ときどき、この気持ちが何なのか分からなくなる。 『この感情は恋愛ではない』 以前、俺は彼女にそう告げた。 あの言葉は本心だった。少なくとも、あの時はそう断言できた。 おそらくは今もそれは変わらないのだろうが、微妙な揺らぎが生まれているのを感じる。 部下でありながら保護者のような関係、さらには中途半端な形で性的なつながりを持ってしまったことが、俺の感情を揺さぶっているのだ。 姫が俺をどう思っているかは分からないが、少なくとも、俺にとって姫はもはや単なる仕事上のパートナーではなくなりつつある。 「………………」 そうしているうちに、いつしか俺の頭からはすっかり夜空とセルヴィが抜け落ちてしまう。 俺が姫に対して抱いている好意は、生徒がコーチに対して感じる一種の憧憬なのだろうか。それとももっと別の種類の──。 「どーしたの、国産?」 「うおっ!?」 「? ……なによ?」 「ああ、いや……ちょっと考え事さ。 もうすぐアドベントだ」 アドベント──イブの4週間前から始まるクリスマスの準備期間。 サンタたちにとって、それはイブの本番に向けた本格的な戦いの始まりを意味している。 「うん……リーダー選定のテストがあるなら きっとその前ね」 「そうだな、イブの準備が 本格的になってからじゃ遅すぎる。 ところで、ほかのサンタさんは?」 「もう寝た。 結構ハードだったからね、今日は」 「そうだな……オレたちも明日に備えて」 「備えて?」 「……姫?」 「備えて、なによ?」 「そ、備えて早く寝ないと……だろ?」 「ふーん?」 姫が意味ありげに顔を寄せてきた。なんだ、この至近距離はまずい! 俺は、一応というか律儀にというか、この数日、姫から下された禁欲令を守り続けている。 だから、こんな距離に迫ってこられると、ズボンの中で不用意な奴が不用意な状態にいきり立とうとし始めるわけで……。 「さささて、そろそろ部屋に」 「国産、暑いの?」 「い、いや……この汗は!」 「ん?」 落ち着け! 目を見るな!ここで変に挑発的なことを姫に言われたら、禁欲どころではなくなってしまう。 「ええと、姫……今日のところは」 「クイックターン習得のごほーび、 まだあげてなかったよねー?」 「……!!!」 ひ、姫!?このタイミングでなんてことを!くそ……なぜ息苦しい!? 「ごほーび、ほしい?」 「いや、欲しくないってこともないが、 ええとその、禁欲的なやつが90点で……」 「なにごにょごにょ言ってんの? じゃあ決まり♪」 「でもさ、訓練で疲れてる姫に そういうことをさせるのは……!」 「恐縮しちゃう?」 「い、いささか……」 「気にしなくていいわよ。 そのかわり、国産はこれから ずっとあたしの部下ってことで♪」 「あ、ああ……」 ──ちょっと待て、どうして俺はいま『その程度なら』なんて思った!? 「んふふふふ〜、出た出た♪」 ズボンのチャックを下ろし、俺のこわばりを解放した姫が、今日もまた目を細めて笑う。 「ほんと、毎日飽きずに元気よねー。 あはは、すごい……もうカッチカチ!」 「め、面目ない」 数日ぶりなんだが……と訂正しようとして、たいして意味がないことに気づいて口を〈噤〉《つぐ》む。いずれにしろ俺の肉体は相当ケダモノ仕様なのだ。 「いいっていいって。 野生動物はしょーがないもんね。 でも……ほんとはしてほしかったんだ?」 にんまりと楽しそうに微笑んだ姫は、わざと返答に詰まるような言葉で俺を追い詰める。 「んー? どうなの? 違う? あたしの手が忘れられなかった?」 「び、微妙に……」 「なにが微妙よ。 素直にならない子は好きじゃないなぁ?」 そうは言われても、正直な欲求なんて、自分ですら恥ずかしくて直視しかねる。 そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、姫の指先が裏の筋に沿ってこわばりをなぞり上げ、先端部分でくるくると円を描く。 「こないだの思い出して 一人でしたりしてないわよね?」 「そ、それは……」 俺が言葉を濁すたびに、姫は好奇心を燃え上がらせてしまうようだ。逃がさない、といった顔でくすくすと笑う。 「どうなのぉ? したかった? ねーぇ、どうなの?」 くるくる、くるくる……。姫の指先が俺の〈切尖〉《きっさき》でダンスしている。 「し、したくないかと言えば、嘘になる」 「なにそれ? なーんか持って回った言い方だけど、ま、いいわ」 「じゃーぁ、国産の上司でもあるりりかちゃんが、 気・持・ち・よ・く……してあげる@」 「あ、ふふふっ……ち○ちんで返事したよ?」 ヒクッと手の中で跳ねた俺自身を姫の指先がとらえ、上下に激しく動かし始める。 「ん、どーお、気持ちいい?」 すっかり慣れた手つきで、シュッシュッとリズミカルに……。まったく、俺より姫のほうがずっと落ち着いている。 「んっ、んっ……どうなの、くすくす?」 「……ッ!」 「どうなのよー? ちゃんと言わなくちゃだーめ」 「気持ちいいよ……お姫様……」 「そーかそーか……んふふっ、 ほんと単純ね……おもしろいな〜♪」 俺が降参するたびに姫は上機嫌になり、大人びた笑顔でこっちを見上げてくる。 実際の刺激そのものよりも、あの男勝りの姫様がすっかり愛撫の手さばきを覚えてしまっていることへの、ゾクゾクした興奮が先に立った。 「あ、息荒くなってきたね……ねぇねぇ? コレの近くにあたしの顔があると興奮する?」 「ほーらぁ……だめ、こっち見て。 ねー、ドキドキしちゃう?」 俺の反応をうかがった姫が、先端部分に鼻先が付きそうなほど顔を寄せてくる。 「なんてね……べつに答えなくてもいいけど。 こっちの国産が『はいっはいっそうですぅ〜』って 言ってるから……あはははっ♪」 「……っ!」 姫の言うとおり、俺の意思など全く無視した下半身が、ヒクンヒクンとお辞儀をしてYESを連呼している。おかげで俺は、まともに姫の顔を見られやしない。 「ねぇねぇ〜? ここがいいんだよねー? この出っ張りのところ、指でこーやって しこしこしこしこしこ〜って☆」 「あははっ、歯くいしばってる♪ もっとしちゃおっか? してほしい〜? うんうん、そーかそーか素直がいちばんよ♪」 もうやりたい放題だ。すっかり俺を弄ぶコツをつかんだ姫は、手の中のこわばりと勝手に相談して、しごくスピードを上げてきた。 「ほーら、もーっと気持ちよくしてあげよう。 ね? ね? ほら……ん、ん、ん、んっ、どぉ? ち○ちん痛くなる? それとも気持ちいーい?」 いったいどこで覚えてくるのか、俺ですら知らない手の動きを駆使して攻めてくるお姫様に、あっという間に射精寸前まで追い込まれてしまった。 「ひ、姫……!」 「あはははぁ……? なーにぃ、その顔? おかしいねーぇ? サンタさんの前でち○ちん 丸出しで、びくびくってしてるの、どーしてー?」 「……!!!」 「あん、じょーだんだってば、ヘコんじゃだめ! イジワル言ってごめんね……ふふっ、かわいい」 「姫はいつも、その……かわいいって言うのな」 「うん、国産ってかわいーわよ? 下手くそのくせに背伸びしてるとことか、 ち○ちんいじられて大人しくなっちゃうとことか!」 「──!!!」 「あぁぁぁ……うそうそうそ、じょーだんだって! んもう……分かってるくせに……」 「前に言ったでしょ? 国産のち○ちん、カッコいいって」 「そ、そうかな……分からないけど」 「ていうか……もう、ビッキビキで凶暴な感じ? どーせだから、もちょっと可愛くしちゃおっか?」 「こーやって、リボンで……」 「ぎゅーーーーーーーっっ!!」 「ぐああっ!?」 「ほーら、可愛い可愛い〜♪」 「こ、殺す気か!」 「あ、ごめん……! あ……あはは……痛かった? そりゃそうか。 わ、ほんとだ、先っちょ充血して真っ赤っか……」 「これ……痛い?」 「か……かなり!」 しかし俺の様子から姫はたいしたことがないと見抜いたのか、すぐに表情を崩し、 「んン……ごめんねー、痛かったよねー? ふふっ……じゃあ今度こそ、すっごーーーく 気持ちいいりりかちゃんのスペシャルサービス♪」 リボンの上から充血しきった俺の分身をきゅっ……と握りしめてきた。 「まだまだよ、最初はゆーっくり、やさしーく、 ほら、ん、ん、ん、ん……ん、ん、んっ……」 リボンに絞られたペニスを優しく上下に撫でさする。その度に、俺は腰が引けてしまいそうになる。 「次は、だんだん速く……ん、ん、ん、んっんっ んっんっ、ん、んっ、ふふっ、どーお? 息荒くなってきちゃったねー?」 「そ、その話し方……」 「え? お気に召さない? だって国産ってなんかイジメたくなるんだもん。 ふふっ……だからあきらめて感じちゃって」 俺の反論を封じ込めるように、姫の右手がどんどんスピードを増してゆく。 「ね? もういいかな? トップギア入れてほしい?」 言ってる最中から手の運動はどんどんスピードを増してゆき、俺はもう、ほとんど虫の息だ。 「ねーえ? どうなの?」 降参のつもりでうなずくと、姫は嬉しそうに白い歯をのぞかせる。 「よろしい……それじゃぁ……ん、ん、ん、 ん、ん、ん、ん、んっ! もっと速く! ほらほらほらほらほらほらほら……!!」 「あ、あ、あ……姫!」 「どーお? イッちゃう? イっちゃうの? サンタさんにち○ちんしごかれてイっちゃう?」 「…………!!!」 「ふふっ、いまさら恥ずかしがってもダメよ♪ はぁ、はぁ、はぁ……ん、ん、んっ、どうなの ん〜? イっちゃう? せーえき〈射〉《う》っちゃう?」 言葉を発したら、そこで決壊してしまいそうだ。俺は歯を食いしばりながら、必死で頭を振る。 「ふふ……いいけど、出るならもっと腰動かして? ほら、ほら、カクカクってしちゃって?」 姫の言葉に我に代えると、無意識に腰が動いていた。 顔がカッと熱く染まるが、もはや何ひとつ抵抗などできない。腰の動きを止めないまま、歯を食いしばる。 「あはは、国産カッコ悪い! くすくす……なんだろなー、もう、必死? なんて……ん、っと、疲れちゃった☆」 俺の呼吸が切迫したのに気づいたのか、姫が意地悪く手の動きを止めた。 「あ……」 「あれー? もっとしてほしかった? そうだよね……してほしいよねー? それじゃあね、リボン振って教えて?」 「あははっ……お辞儀してるー♪ ん……ふふっ……かわいいち○ちん」 認めたくはないが、姫のおもちゃにされるのが、苦痛どころか興奮につながり始めている。 そんな俺の戸惑いすら見透かしているのか、姫はますます楽しげに笑ってもどかしく反応する肉の器官を見つめている。 「いい子だったから、 今度は最後までしてあげる……」 ひとしきり、俺の反応を楽しんでから、再び姫のひんやりした指先が灼熱のこわばりをからめ取った。 「ん、ん、ん、んっ、ほら、どーかな? 気持ちいーい? ねえ、ん、ん、ん、ん、んっ!」 「ねえ、もう射っちゃいたい? 鯖のときも、国産ってピンチになると すぐボム使っちゃうもんね……ふふふっ」 「……く!!」 「くすくす、どーしたの? 出す? 我慢? ふふふ……くすくす……ん、ん、んっ」 こんな言葉に挑発されては、意地でも簡単に陥落するわけにはいかなくなってしまった。 せめて意地くらいは見せておきたい。もはや無駄な抵抗と知りながらも、最後の抵抗で必死に歯を食いしばる。 「あ、我慢してるの? 出したくないんだ?」 「そうじゃなくて!」 またもおあずけにされそうで、咄嗟に声が出る。姫はそんな俺の反応をお気に召したのか、手の動きをさらにアップテンポに切り替える。 「それじゃ、我慢しないで早く出しちゃいなさい。 ん、んっ……はぁっ、こんなことでサンタの手、 疲れさせちゃっていいのかなぁ?」 「す、すまない、もう少し……だから」 どうして謝ってるんだ!?頭が……灼けそうだ。 「くすくす……いいよ、 最後までって約束したもんね。 ほら、ほらほらほらほらほらぁ♪」 「こっちのボールのほうも揉んであげるね、 ほーら、おち○ちん気持ちいいね? ふふふっ……ん、ん、んっ……どう?」 「く……ッ、あァ……!」 「声裏返っちゃった? ふふっ、汗びっしょりよ。 ち○ちんいじられてるだけで国産びっしょびしょ」 「あ、だめ……だ!」 姫の言葉に頭の中が真っ白になる。腰の裏側で快感が弾け、全身が痙攣を起こす……その瞬間! 「ん、ぎゅうぅぅ……っ!」 「んぎ……あ、あァ!?」 リボンで左右から強く締め上げられた。全身の筋肉がひきつり、足先がヒクヒクと宙を掻く。 「なんて、ざーんねんでした♪」 「はぁ……っ、はぁ……はぁァ……ッ!」 痺れるような残尿感は射精を塞き止められたせいだ。姫が悪魔みたいに笑って充血したペニスを眺める。 「やっぱりイけないんだ……ふーん? ホースを絞められちゃったら当然かぁ」 「姫!! ひどい……!!」 「あン、ごめんごめん、ちょっと興味あったの。 ん、もう一回……カチカチにしてあげる……」 本当に悪魔だ!痛みに近い痺れが残っているうちから、姫はふたたびしごき上げようとする。 そうして、屈辱を感じながらも、あっけなく反応してしまう俺自身──。 「ふふっ、イきそびれちゃったね。 国産のかわいそーなち○ちん……」 「頼むから、姫、 もう生殺しは勘弁してくれ」 「ちがうわよ、今日はご褒美だから 射精しないようにコントロールしてあげてるの」 「ご褒美じゃなくて拷問!」 「ち・が・う! ご褒美よ? しょーがないな……リボン取ってあげる」 「はーい、痛くないからねー?」 しゅるっ……と戒めを解かれ、俺はようやく深く呼吸することができた。 「はぁ、はぁ、はぁ……な、なにが?」 「だからご褒美……前の続き、してあげる」 「続きって……姫!?」 ま……まさか!?目を見開いた俺の前で、姫のピンクの唇がゆっくり開いて……。 「ん……はむ……っ……」 熱く張り詰めた先端部分をはむっ……と挟み込んでしまった! 「うあ!? あ!? あ!? 姫!?」 「もご……なによ、嫌なの?」 「い、い、嫌じゃない……!! むしろ…………」 すごく嬉しい──。意識せずに洩れそうになった言葉をすんでのところで食い止める。 ばかな、俺はなにを……?その疑問は、目の前でペニスを含んだ姫の顔を見た瞬間、どこかへ消えうせてしまった。 「じゃ、じっとしてて。 ん、れろ、れろ……ん、れろ……んん……」 最初は舌先で触れるだけ、それだけでも俺には麻痺しそうなほどの快感だ。 「こーゆーことするの、国産が初めてなんだから 少しはありがたく思いなさいよね……ん、ちゅ」 う、嘘だろう……!?姫がこんなことまで……! とにかく刺激が強烈すぎる!姫に飲み込まれた先端部分から、脳を直接焦がすような電流が送り込まれてきた。 「ふーん、熱いね……ん、ん、んっ……ちゅ」 ついばむだけの軽いキス。それだけで全身から力が抜け落ちてしまいそうになる。 「ねーえ、これって気持ちいいの?」 「ーーーーー!!!」 「……って、聞かなくても分かるか、ふふ。 ふーん……ん、ん、んっ、ちゅ、変な匂い」 そして見下ろした視界には……姫が、あのエリートの姫がなんてことを!!俺の頭を駆け回るのはそんな言葉ばかりだ。 「んぁ、ん、れろっ、れろ……ちゅ、ちゅ、れろ、 ん、んっ、ん、ん、んっ……ふぅぅ……んっ」 これは果たして現実のことか……?先端部分の感触を確かめるように、姫はゆっくり、ゆっくりと舐めはじめる。 「なんだろ、ちょっとしょっぱい。 汗? ん、ちゅ、ちゅ……ん……んんッ」 腰が浮いてしまいそうな感覚を懸命にこらえる。いくら経験がないとはいえ、こんな一瞬で果ててしまっては男がすたる。 「ん、れろっ、れろれろ……ん、ちゅ、れろっ ねーえ、ほんとに気持ちいいの? ん、んむ……っ、ちゃんと答えなさいってば」 「き、決まってるさ、気持ちいいよ……」 「どれがいーの? れろっれろれろれろっ……これ? それとも、ちゅ、ちゅ、ちゅ……ちゅぅぅ、これ? ん、んむっ、んむっ、んむっ、んぽっ……どーれ?」 「さ、最初の……舐めるのが……」 赤面しながら素直に答えてしまうのは、姫が少し不安そうな目をして俺を見てるからだ。せめて自分は不安顔になるまいと、目に力をこめる。 「あー、これかぁ……んー、れろれろれろれろれろ、 れろれろれろ……んはぁ、ん、れろれろれろれろ、 ん、ちゅ、れろれろれろ……れろれろれるる……」 「あ〜? 息が荒いよ、国産? くすくす……れろ、 あ、先のとこつるつるなんだ……ん、れろれろっ ちゅちゅ、ちゅ……れろれろれろれろ……んんっ」 お互い見栄を張ってはいるが、こんな体験は初めてだ。余裕のポーズをとっている姫の声も、時おりうわずったり、つっかえそうになったりする。 「はぁ、はぁ……ん、れろれろれろれろ……んー、 れろっれろっ、ん、ちゅ、れろれろれろれろれろ れろれろれろれろれろ……ん、れるる、れるっ」 「あ、あ……ッ!」 「ふふっ、これでいい? んー、れろれろれろっ、 あたし上手かなぁ? どう? イっちゃう? んっ、んろろっ、んろっ、れろれろれろ……」 無言のまま、俺は首を縦に振る。姫は卑怯なのだ。いつもは厳しいくせに、こんなときだけ優しくする。 「あん、もうびしょびしょ……あたしの唾だよね、 ん、ちゅるっ……ん、んぶ……はむ……ちゅぅぅ、 ん、んむ……ん、んぐ……ん、んむ……」 やがて、姫の小さな唇が混乱したままの俺の先端をちゅるっと飲み込んで……、 「んぁぁ……ん、おひんひん……ん、んぐっ、んぶ ん、ちゅ、ちゅ……んじゅる、じゅるるる……ん、 ん、じゅるるーーーーっ……ん、んじゅる、じゅる」 いったいどこで仕入れた知識なのか、熱くたぎった先端部分をねっとりと舐め回し、音を立てて吸い上げにかかる。 「んん……そんなに難しくないかも、 ふふ、気持ちいーんでしょ? んちゅ、ちゅ、んぶぶっ……んぶっ、んぶっ」 あぁぁ……もう完全に飲み込まれてしまった。ペニスを口に含んだ姫の顔が焼き〈鏝〉《ごて》のような激しさで脳裏に焼き付けられる。 姫の温かい粘膜に包まれて、声が自然にもれる。唾の音がするたびに下半身が蕩けてしまいそうだ。 「んあっ、れろれろ……ん、んむーーっ、んむ、む、 じゅる……ん、んじゅっ、んじゅっ、んぶっ、んぶ、 んぷっ、んぷっ、はぷっ、んぶっ、んぷっ……」 必死に耐える俺を弄ぶように舌が裏筋をくすぐる。おかしい……なぜなんだ。姫は初めてなのに、どうしてこんなに上手いのか。 「ろうかな? ひゃんとできてるかな? ん、ちゅ、 んむっ、んぷっ、んぷっ、んぷっ……ん、んーっ、 じゅるる……んふーっ、んふ……んぶぶっ、ぶっ」 「ちゃんともなにも、 どうして、上手すぎる……」 「あ、あは……そっかぁ、ん、ちゅ、ちゅ、よかった んふふ、れろれろ……ん、ちゅ、じゅるるーっ」 俺の言葉に気をよくした姫の舌先がペニスの上をさらに積極的に動き回る。先端の切れ込みをえぐられて、また声が出てしまった。 「実はね、ん、ちゅ、ちゅ、ここ数日練習してたの、 特訓の成果なんだから……はむ、ん、んむーっ、 んじゅる、らから……あぃがたく、おもいなはい?」 「と、特訓……?」 「んー? ふふふ……んじゅるる、バナナとかぁ、 ん、んむっ、あとスプレー缶とかぁ、ん、れろ、 んじゅる、んぶっ、んぶっ……れろれろれるる」 「こーやって咥えて……はむっ、んぶっ、んむむ、 国産のらと思ってぇ……ん、ちゅ、ちゅ、ちゅ、 れろれろれろ……ちゅぱちゅぱしてたの」 「そ、そんなこと……あ、だめだ……姫!!」 姫がひそかにしていたであろう特訓を想像したとたん、臨界の高波が押し寄せてきた。 「んちゅ、ちゅ、あはは……もう出る? はぶっ、んぶっ、んちゅ、ちゅ、ちゅ、んちゅ、 ちゅるる……んぶっ、んぶぶっ、ちゅぶぶぶ……」 電流が全身を駆け巡る。のたうつ俺の反応を、きっと姫は楽しんでいる。その想像すらもが俺を追い詰めてくる。 やがて姫は、とどめのつもりだろうか、 「んぶっ、んぶっ……ちゅ、じゅるる……はぁぁ、 ねえ、国産……れろれろ……ん、ちゅ、ふふ、 国産のおち○ちん美味し……ちゅちゅ♪」 「姫!! そんなこと言っちゃ……!」 「んー? おち○ちんおいしー♪ ん、ちゅちゅ、 んふふっ……国産のち○こ……おいしーよぉ?」 俺が慌てたことでむしろ勢いづいた姫は、さらに言葉で刺激をしながら、張り詰めたペニスを根元からしごき上げてきた。 姫の手の中で、よじられ、ねじられ、跳ね返る。俺はいま、おそろしく情けない顔をしているだろう。それを姫は、包み込むような笑顔で見上げている。 「くすくす……おち○ちん美味しいな、 国産のおち○ちん、美味しくて感じちゃう♪」 「ばか……ふぅ……ッ、う、うーーッ!」 「ほーら、国産? こっち見て? あたしのほう見なくちゃだーめ。 あたしの目を見てイきなさい?」 「あ、あッ、く……ゥゥゥッ……!!」 サンタさんの指示が俺を解き放った──。身体の奥でわだかまった熱が突き上げてくる。最後の忍耐が決壊し、断末魔の悲鳴が喉を衝く。 「わ!? んむ……!!」 身体の奥底から突き上げてきた灼熱の濁流が射ち出される──。反射的に姫は、俺の先端を咥えていた。 「ん……んむ……んぐっ……んっ……!」 ひ、姫……なにをやって……!?うぁ、だめだ、なにも考えられない。 びゅるっ、びゅーーっ──と、俺の情欲が姫の口内をうがち、歯に当たり弾け、そのまま口腔の奥へと吸い込まれてゆく。 「んくっ……ん、んっ……ごく……ん、んーっ んふぅぅ……ん、ちゅ、ちゅーっ、んじゅーっ、 んじゅ……ずるるるるっ!」 「あ、うぅぅ……っ!!」 「ずるるるっ、ずびっ……ずるるっ、んずっ……ん、 ちゅ、ちゅ、ちゅ……んーーーっ、じゅるる……」 腰の砕けるような射精だった。遠くで姫が俺の欲望をすすり上げる音が聞こえる。 姫、姫、姫──!罪悪感と、それよりも強烈なわけのわからない感情が理性を麻痺させる。 「んぐっ、ん、んふっ、げふっ、ん、ん……んぐ、 ごくっ……ん、はぁぁ、ん、じゅる……ん、こくっ」 「はぁ、はぁ、はぁ……姫……」 「んくっ……ん、ん、んーーーっ、多いよ……ん、 んぐっ……はぁ、ん、ん……濃い……っ」 俺は、姫の口の中で果ててしまったのだ……。あんなに熱い塊を、姫に飲ませてしまった。自分でも驚くほどの射精を、ほとんど全て──。 「ぷは……たっくさん出たねー」 「まさか、飲んで……?」 「うん……えへへ、なんとなくね。 けっこう不味くなかった……アリかも♪」 「ひ、姫……」 ──嬉しい。 そう思ったのは、今度こそ錯覚ではないだろう。そうだ……俺に気を使ってくれる姫の言葉は確かにすごく嬉しけれど、 けれど……そんなに屈託なく笑われると、罪深いトナカイの胸がズキズキと痛んでくる。 「ね? ね? 国産は気持ちよかった? かわいー上司様のお口に射精するの……」 「はぁぁ……ああ、気が遠くなるくらい……」 「そっかそっかぁ♪ よしよし……だったらいいの。 ん、じゃあ……もうちょっとだけサービスね」 「──え??」 「はむ……ん、んっ、じゅるる……んむ、ん、 ふふっ、ん、んむむ……じゅるる、ちゅ、ちゅ」 「うァ!? あ、あ、ちょっとストップ!」 「なによぉ……んちゅ、んむ……やーだ、ん、 ちゅ、ちゅ、じゅるる……ほらほら、また 気持ちよくなってきた……ん、んっ……じゅる」 「ちが……それは気持ちいいんじゃなくて……!」 「ぷは……え? そうなの??」 「そう、いきなりは駄目なんだって。 そこ敏感になってるから……」 「ほんとに? ん……はむ……ん、んむ……ずびびっ」 「あう……うーーっ、だから!!」 射精直後の敏感な先端を、姫は遠慮なしに吸い上げてくる。 痺れるほどの刺激──こいつは痛みだが、姫がしたがっているのならもはや俺に耐える以外の選択肢はなかった。 「嘘ついてない? んむっ、んむっ、ちゅ、ちゅ んもんも……んぶっ、ん、んむっ、ちゅ、ちゅ じゅるるる……んじゅる、ちゅぅぅーーーっ」 「本当……っく、はぁ……ァ!」 「まだ硬ぁい……ふふ、んむ、んちゅ、ちゅ、ちゅ、 ご褒美もっとたくさんかな? ん、ふふっ、ちゅぅ、 どーしよっかなぁ……ん、ちゅ、ちゅ……じゅるる」 「ぷは……あれ、おーい国産?」 「………………**」 「ちょっとぉ、なにぐったりしてるの? 国産ってばぁ!」 「はぁ、はぁ、はぁぁ……はぁっ」 仰向けで空気をむさぼる。ハードな特訓より、よほど息が上がっていた。 「あ、あはは、ごめんごめん。 ほんとに痛いんだね、知らなかった」 「い、いいさ……次から覚えてくれたら」 「次!? どーして次があるのを計算に入れてるの?」 「え!? あ、あっ、そうだった!! す、すまん! そういう意味じゃないんだが!」 「ぷっ……くすくす! じょーだんよ、可愛い部下のためだもん、 ときどきならね……してあげる♪」 「姫……」 「お? うれしそーな顔」 見抜かれた──けれど、いまそこをごまかすのはフェアじゃない気がする。 「本音を言うと……嬉しい」 「え!? ちょ、ちょっとやだ……。 なに正直になってんのよ、ばか……」 「そーゆーとこ、ずるいんだから」 「そうかな。 けど……嘘じゃないよ」 「………………」 「………………」 「ねえ、国産……あ、あのさ」 「ん?」 「ご褒美……もっとほしくない?」 「──!?」 それは、なんのご褒美だろう。クイックターン習得の? ご褒美にまだ続きがあるのだろうか?いつしか俺の分身は力を取り戻し、あの痺れるようなくすぐったさも消えていた。 すると現金な肉体は、姫の提案をたちまち魅力的なものと受け止めてしまう。 言葉より先にヒクンと跳ねたペニスを見て、姫は楽しそうに白い歯をのぞかせた。 「ふふっ、そーかそーか。 じゃあご褒美にパンツ見せてあげよっか?」 「パンツ!?」 予想外の方向からのアプローチ。欲求の死角を突かれた俺は呆然と上司のサンタさんを見つめる。 「ねぇ……ぱんつ見たい?」 パンツ……っていうのは下着のことだろう。姫の下着姿を──見たい? 俺が? 姫の前で射精までしてしまったというのにそんなことは考えもしなかった。相手は上司様、しかもサンタクロースだ。 そ、それに、いくら姫が大人びて見えたとはいえ、こんなにお子様体型な女の子の下着姿など……。 いや、姫が魅力的なのは認めるとして、それはスタイルとか視覚的な情報ではなく、姫の性格とか……ええい、なにをこんがらがっているのだ俺は!? だいいち、姫の下着なら例の写真でもう見ている。なにをいまさら……!! し、しかし……。 「あたしの……ぱんつ」 しかし俺は、姫の申し出にうなずいていた。頭の芯を痺れさせているこの部屋の空気にもっと身をゆだねたい気分がほとんどだったと思う。 「んふ……いいよ、見せてあげる」 未成熟な姫の身体を見たとして、果たして俺は昂ぶるだろうか? かえって姫を傷つけてしまうようなことにならねばいいが……。 そんな疑問符を浮かべながらも、緊張した呼吸を整えるのにいささかの時間が必要だった。 と、そこへ……。 「──!!!!」 「くすくす……どーお、見える?」 「み、見える……って言うか!!」 予想外──サプライズとはこのことだ。パンツを見せるといっても、あくまでスカートをチラとめくる程度のことだとたかをくくっていた。 なのに姫ときたら、大胆にも仰向けになった俺の顔をまたいできたのだ。 あの写真と一緒の、背伸びした黒いショーツ。さらに大きく開脚したポーズのせいで、お尻も含めた腰まわり全体が俺の視界を埋め尽くす。 「エリートさんがなんて無茶を!」 「いいでしょ、 相手の意表をつくのも戦術のうち。 それに国産だって嬉しいくせに……」 「そ、それはそうだけど……」 「お?」 「い、いや……その!」 「ふーん、やっぱり嬉しいんだ……くすくす」 嬉しい──とは少し違う気がするが、確かに俺は興奮してしまっている。 お子様と決め付けてきた姫の露わになった下半身を目の当たりにして……。 「ん……いいわよ、見るだけだったら、 その代わり絶対に触っちゃダメ! わかった?」 「り、了解……」 嗅いだことのない姫の香り──。姫の下着から漂ってくる酸っぱいような少女の香りに頭がくらくらした。 「かわいいでしょ、このパンツ。 あたしのお気に入りなの……高かったんだから」 「あ、ああ……可愛いよ」 「ふふっ……今日はご褒美だから 前みたいに殴ったりしないわ。 だから、じーーーっと見ていいわよ」 「……ごくっ」 い、いや、何を生唾を飲んでいる。いったい何歳離れてると思ってるんだ!俺は正常だ……そう、俺は正常……!! などと念仏じみた文句を唱えながらも、俺の視線は確実に、姫の未成熟な股間に吸い寄せられてしまう。 「あ、すごい……国産のち○ちん跳ねた♪ びくんっ、って上向いたよ?」 「…………!」 「あぁ〜? すごい目で見てる。 ねー、あたしのぱんつで興奮した? ふふっ、そうなの、しちゃったんだ?」 再びこわばりに熱が宿りはじめる。そんな俺の反応をからかいながらも姫は心から楽しそうだ。 「こーら、なにじぃぃーーーっと見てんの?」 「ふふっ、もっと見たい? いいわ……近くで見せてあげるね……」 くすくすと笑いながら、姫がゆっくりと腰を落としてきた──。 「ん!? ン……っ!!」 ショーツが鼻先に触れ、姫のお尻が俺の顔に乗っかった。 「ん、んぐ……ッ!!」 視界が塞がれる。そうして顔に感じる姫の体重。や、やっぱり無茶しすぎだ──こんなこと! 「ん……ッ」 顔面にひんやりした感触が伝わる。弾力のあるすべすべの肌──姫のお尻。 「ん……んん……ッ、国産、どーお?」 顔を埋められてしまった俺は、姫の股間のほんのわずかな隙間から入ってくる空気で息をつなぐ。 その呼気に、濃密に混じってくる甘酸っぱい香り。これが姫の──少女の匂い。 「あ、すごーーい♪ ほら、見て見て、 国産のち○ちん、こんなに跳ねて踊ってる」 いったん腰を浮かせた姫は、呆然となっている俺の顔を覗き込むと、心から楽しそうな笑みを浮かべる。 「この……変態トナカイ。 こーしてやるから……」 ふたたび黒い下着が視界を覆う。視覚、触覚、嗅覚。三種類の刺激が幾倍もの興奮をともなって襲いかかってくる。 「恥ずかしくないの? 屈辱的なんじゃなーい? なのにどーしてこんなカチカチなのかしら?」 ずいぶんと意地悪な言葉だというのに、姫の声が弾んでいるせいで、ちっとも嫌味に聞こえない。 「国産、あたしのぱんつで興奮しちゃったんだよね? ドキドキしてるんだよね?」 だんだんと俺には姫の気持ちが分かってきた。姫は、俺が──そして俺の肉体が、彼女を女性として見ていることが、楽しくて仕方がないのだろう。 「ほら、国産のエッチな顔……見ててあげる」 ジェラルドはあの通りのトナカイだから、姫をそんな目で見ることはなかっただろう。だからきっと、俺の反応が姫には新鮮なのだ。 「ふふっ、いつも空で見る顔とぜんぜん違うよ? 上司のパンチラで夢中になっちゃってる」 こいつは『チラ』じゃない。辛うじて残っていた理性がそう突っ込んでいるが、下半身はもはや軽く触られただけで暴発しそうだ。 「あはは、ち○ちんの向こうに国産の顔がある。 ほんとに……変態なんだから……ん、んっ」 鼻にかかった声に導かれるように、視界を覆う姫のショーツに視線をこらすと……。 「……!!!!」 しどけなく開かれた姫の股間の中心部分の色の変化に視線が吸い込まれた。 こ、この……染みは!? 姫が──濡れているってことか……!? 「あん、あはは……またち○ちん踊ってる。 どうしたの? 目が必死よ? ねーえ?」 姫は自分の身体の異変に気づいていないのか、余裕の笑みを浮かべたまま俺を見ている。しかし目の前のショーツには余裕どころか……。 「ねえ、もう一回近くで見たい? クンクンしたい? 犬みたいに……匂いで興奮しちゃう?」 「ふふふ……行くわよ……あ、あれ?」 「ちょ、ちょっと待って……!!」 ようやく異変に気づいたのか、腰を浮かせた姫がキュッと内腿を閉じ合わせる。 みるみるうちに余裕の笑みが消えうせて、姫の頬が真っ赤に染まった。 「……あ、わわっ!?!?!?」 慌ててベッドから飛び降りた姫は、いまさら俺から少し距離を取って机にもたれた格好でこっちを見た。 「姫……?」 「う、ううん! べ、べつになにもないから!」 「な、なにが?」 「なにって……あ、あれ? やだ……なんかパンツがジメッとしてる!」 とっくに気づいていただろうに、ことさらなオーバーリアクションで姫がスカートの中に手を差し入れる。 「やだ……これ、国産のよだれ!!」 「は??」 「もう、パンツよだれでびっしょりじゃん! へんたい、このへんたいーーっっ!!」 「よだれ……いや、それは」 「うるさいうるさい、そーなのよっっ!! それよりいつまでそれ出してるの!?」 「うわ……す、すまん!」 慌ててズボンを引き上げて、ベッドから飛び起きる。 「はぁ、はぁ……と、とにかく! 今日はもう終わりっ! 終了! 閉店!」 さっきのは俺の唾液だったのか?そんなはずはない、姫は……さっき。 いや、問うまい、そして思うまい。そのほうがいい、きっと、そのほうがお互いの関係上もいいのだ! 「はぁ、はぁっ……分かった? ご褒美終了だからね」 「了解……!」 姫が終了と言えば、なにがあっても終了だ。俺が区切りのため息をつくと、姫は少し気を使ってくれたのか……。 「………………で、でもね」 「かわりに……あたしのパンツ思い出して しこしこしてもいいから……」 「ひ、姫っっ!!」 「ふふっ、じゃね……おやすみ国産♪」 「ありがとうございましたー!」 あんなことがあった翌日も、俺と姫は一緒に店番を担当し、いつもと変わらぬノリノリの好感接客だ。 さすがに起きぬけの挨拶ばかりは、お互い少し赤面をしてしまったが、仕事となれば気分も切り替わるものだ。 特に今日は客足もよく、かなり忙しかったことも幸いした。 ……のだが。 「………………」 「………………」 午後5時を回ったところで、とうとうお客さんの姿が消えてしまった。 「……はぁ」 照れ隠しのため息をつくと、間の悪いことにそれがハモってしまい、かえって気まずくなる。 まったく、こういう場面をキザに決めてこそのトナカイなのだが、どうやら俺はその道に関しては半人前もいいところだ。 「あ、あのさ……国産?」 「ん、どうした?」 自分の想像以上にナチュラルな返答ができたことに、少しだけ満足する。 「今日はテストあるの?」 「ああ、そういや木曜か。 あるある、訓練のあとでな」 「うん……そっか、わかった」 テストというのは、おなじみの中井式漢字ドリルだ。さすがお姫様は、早々と中学生レベルの問題に突入している。 ここまでくれば、透やななみを相手に恥をかくこともないのだろうが、そこに留まらないのがエリート様のプライドだ。 「不公平よね。 あたしが100点でもごほーびないのに……」 「え?」 「あ、んー、なななんでもないっ!」 いかん、なにやらまた妙な雰囲気になりかけたところへ……。 「うえーーーん!! りーりーかーちゃーーーん!!」 「わわわ、なんでもないったら!! じゃなくてどーしたななみんっっ!?」 「わたし、わたしもうどうしたらいいか わかんなくなっちゃってーーー!!!」 「なに……どうしたの?」 「席を外すよ。 俺じゃなくて姫にってことは、 サンタさんの話だろう」 「そっか……もうすぐリーダー選定だし」 「ねー、ななみん。 なにが不安なのか分からないけど、 サンタさんはいつも笑顔でしょ?」 「そ、そ、それが違うんですー!」 「わかったわかった。あたしでよかったら、 なんでも聞いてあげるから……。 ほら、泣かないの」 「うっ、ううっ……ち、違うんです、実は……」 「実は?」 「岬の洞窟がどうしても超えられなくてぇぇ!!」 「帰れ!!!」 「だ、だって、だって! なにやっても死んじゃうしー!!」 「物騒だな、何の話だ?」 「実は、りりかちゃんから 昔のゲームを借りたんですけど……」 「了解、そっちで存分に話してくれ」 「あうぅぅ、とーまくん薄情!」 「だいたい詰まるよーなとこじゃないでしょ! それに今は営業中! っていうか休憩時間に なにやってんだこのピンク頭ーーーー!!!」 「だって休憩時間しか できないじゃないですか……ぐすん」 「そ、それもそうか。 分かったわよ、 ちょっと持ってきたら見てあげるから!」 「はっ、はいー!!」 「営業中だぞー」 「お客さんきたら片付けるわよ。 今日はもうこないと思うけど」 「もってきましたー!!」 「ふむ、どれどれ……?」 「帰れ!!!」 「な、な、なんですかぁぁ!?」 「なによこれ!! 勝手にひとの名前使うな!」 「だ、だってキャラに愛着がわくじゃないですか!」 「だからっておかしいでしょ!?『ななみん』『すずりん』はいいけど『りりかん』ってなによ!?」 「か、かわいいと思ったのでー!!」 「あーもう全然センスわかんない。 で、この『とーまく』ってのは?」 「『とーまくん』ってつけようと 思ったんですけど、4文字までで……」 「『とーま』でいいじゃん! むしろ『となかい』で充分! で、パラメーターが……?」 「なるほど、勇者ななみん、魔法使いすずりん、 盗賊のとーまく…………##」 ──どがががががががががっっ!!! 「ぎゃあああああああああああ!!!!」 「なんだなんだどうした?」 「なんであたしが遊び人ーーー!?!?!?」 「に、似合うかと思ってぇー!!」 「むしろ正反対だバカっっ!! もーやだ! 貸さない!!」 「わーっ、抜いちゃだめですーっ! まだセーブしてないんですからぁぁぁ!!」 「うるさーい!! こんなパーティ闇の彼方に消し去ってやるっっ!」 「だだだだめぇぇーっ! いままでの苦労がぁぁ!!」 「レベル2パーティのどこに苦労があるかっ!! 地道に稼げ!! 先に行くな!! 僧侶を入れろ!! 我慢を覚えろっ!!!」 「ぐぅ……!!!」 「お二人さん・店で騒ぐな・暴れるな」 「うるさい5・7・5! 国産あんたどっちの味方!?」 「ど、どっちですか……!?」 「先に大人しく諦めるほうの味方だ」 「ほら、あんた諦めなさいよっっ!!」 「り、りりかちゃんこそーーー!!!」 「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!!!」 「えーと、頼むから隅でやってくれ」 ななみと姫──リーダーの座をめぐる二人のバトルは健在のようだ。 相変わらずの二人に眉を寄せながらも不思議と気持ちがホッと安らいでしまう。 同時に俺は、心のどこかで、いつしかななみよりもお姫様を応援している自分がいることに驚きを覚えていた。 「うーん……ゆうしゃ、ゆうしゃ……勇者……っと」 「それから、ん? けんじゃ……賢者? なんかこの問題狙ってない?」 「狙うもんか、一昨日作ったんだ」 「あ、そうだよね……んーと、次は……っと」 今日もハードな訓練が終わり、お姫様と漢字の特訓タイム。 とはいえ姫の漢字能力は〈進境〉《しんきょう》著しく、いまやすっかり優秀な生徒になってしまった。 姫に出す問題の中に、時々俺にも書けない漢字が紛れているのはここだけの秘密だ。 「はいっ、できました」 「お、おう……どれどれ?」 テストの最中は、あの唯我独尊のお姫様が敬語を使ってきたりするものだから、そのつど俺はドギマギさせられてしまう。 「まる、まる、まる……っと、 すごいな95点!」 「ああーー、ひとつ間違えた?」 「点の打ち間違いだな、残念」 「ううっ……く、くやしい。 次は100点とってやるから!」 「その意気その意気」 自分が成長することに関してはとにかくハングリーな姫の学習スタイルは近くで見ている俺にとっても勉強になる。 テストのあとは、寝るまでの時間を使ってゲームをしたり、店のキャンペーンを考えたり、あるいは訓練のメニューの相談なんかもする。 全ては姫がこのしろくま町のサンタチームのリーダーとなり、NY復帰の足がかりとするためだ。 最初は姫の話を聞かされる一方だったが、近頃は俺も意見を求められることが多く、そのつど俺は姫との距離が近づくのを感じる。 「いっけー、グラスホッパー!」 「うぬっ、てい、くそ……あ、あ、あ、 うわぁぁ……くそ、またやられた!!」 「あー、惜しいなぁ。 ちょっとパワーアップさせすぎかも」 「畜生、どうしても5面のボスが越えられん」 「それでも上手くなってるって。 今度ランク調節のやりかた教えてあげる。 んじゃ、あたしの番ね……」 ひとたび姫がパッドを持ったら、全クリアまでは見学モードだ。そのつもりで場所を明け渡そうとすると、パッドを置いた姫が急に身体を寄せてきた。 「くすくす……♪」 「ええと、姫の番では?」 「あたしが攻略するのは、 ゲームじゃなくて国産」 「姫……??」 「ふふっ…… どーせまた溜まってるでしょ?」 姫とのスキンシップは、いつしか生活の一部に組み込まれつつあった。 戸惑いはいまだ残るものの、それが俺たちのペアにとって悪い方向に影響を与えているものでないことは確かだ。 それに……気のせいだろうか。俺の性器が張り詰めるのを見るとき、姫はいつも本当に楽しそうな笑顔を見せる。 「あははっ……今日も元気元気♪」 「……ケダモノですから」 「ほんとにそうね、これを見る限り……」 「なーんて、くすくす…… しょーがないじゃん男の子だもん。 それじゃあ……いっただっきまー……はむっ」 「ん……んふっ、ん、ん、じゅるる……ん、んーっ ふふっ、んむ……ちゅ、ちゅ、かたぁい……♪」 屹立した男性器なんて、もうすっかり慣れた──と言わんばかりの気軽さで、姫が先端を口に含む。 あいにく俺はそこまで慣れてなどおらず、姫の唇と先端の接合部から目が離せない。 「ぷは……えらいぞー。 ちゃーんと綺麗に洗ってるわね……ん、 ちゅ、ちゅ、んむっ、ちゅるる……ふふっ」 「姫に汚れたのなんか 舐めさせられないって」 「つまり、さっきお風呂で期待して 洗ってたってことね?」 「んぐ!?」 「トナカイのくせに 上司のあたしにちゅぱちゅぱされるの、 期待しちゃってたんだー?」 見透かされた俺はもう、うなずく他にない。毎回、姫はこうやって俺を追い込んで優位を確保するのを楽しんでいるようでもある。 「そーかそーか、 この子はそんなに構ってほしかったか☆」 姫に意地悪な言葉を優しく囁かれると、見栄を張ろうとする気持ちも吸い取られてしまう。 俺たちは……それはもう極めて猥褻な行為をしているというのに、姫の笑顔には屈託がない。 それはこの部屋の空気も全く同じで、凶々しさや背徳感といった雰囲気はまるでなく、仲のいい二人がじゃれあっているといった按配だ。 「ふふっ、今日も国産の〈滑空〉《グライド》、悪くなかったよ。 だから、あっためてあげるね……ん……ちゅぅぅ」 「んちゅ、んぷっ、んぶっ……ん、ちゅ、ちゅ、 ふふっ……もう透明なの出てきてる……んー、 ねちっ、ねちっ、ほら、糸……んーーーんん」 あっという間に、熱い姫の粘膜に包まれて、たちまち俺はとろけてしまいそうになる。 敏感な先端部分を舐め回した姫は、わざと舌先で先端の切れ込みを叩いて、粘つく透明な糸を俺に見せようとする。 「国産のち○ちん……ん、んぶっ、んもっ、ん、 やーらしいねー、んじゅる、じゅるる、んん、 見境なしだねー、んむ、はぶ、ん、ん、んぐ……」 もうコツをつかんだとばかりに、最初から姫の愛撫はネットリと濃厚だ。はしたない音がするたびに俺の背筋を電流が駆け上る。 「さきっちょだけぇ……はむ、んむ、んむっ、んっ、 はむはむしてあげる……んじゅ、んむ、んん、ん、 ちゅ、ちゅ、んむむ……ぷは……あむっ、んーー」 「それからぁ……んー、れろれろれろれろれろれろ、 れるる、れろれるる……れるっ、れるっ、んろっ、 んろっ、んろろろろ……んふふ、れろれろれろ」 「あ、あ、あぁ……ッ」 「ふふっ、やーっぱこっちが効くんだ♪ んろっ、んろろ……れろれろれろ……れろろろ んー、れろれろ……はむっ、ちゅばっ、ちゅばば」 姫は張り詰めたペニスをかわいがりながら俺の表情を観察し、ひとしきり満足すると、ひたすらちゅぱちゅぱと楽しみはじめる。 「んーーーーふふふ……ちゅぶぶ、ずびっ、んぐ、 ずびびっ……んんー、えっちな音ぉ……んぶ、 じゅ、じゅるるる……ずずずっ、ずびびっ……」 そう、俺を楽しませるというよりも、自分が楽しくて仕方がないといった面持ちで……。 「ぷはぁぁ……ン、 あは……国産、いい顔してるね♪」 「はぁ、はぁぁ……はぁっ、それってどんな」 「ん? きもちよさそーな顔。 そりゃ、そんな顔になっちゃうよね。 上司様のお口えっち、堪能中だもんねー?」 口を離すと今度はリズミカルにしごき上げてくる。ペニスの向こうに見える姫の笑顔は驚くほどナチュラルで、俺も素直な反応を返してしまう。 「ねえ、国産……ないしょ話……」 「こんなときに?」 「うん……国産はさ、いまのカペラで 最強のペアになりたいと思わない?」 「姫……?」 「いいから聞いて……はむっ、ちゅっちゅっちゅっ、 あたしね、絶対にななみんに負けたくないの。 だから……ん、んむっ、ちゅぅぅ……ぷは……」 「そんな……ッッ!」 「国産にはもっともっと訓練がんばってもらって、 最強のトナカイになってもらわないと困るの、んむ、 わかるー? んー、れろれろれろ……ん、ちゅ……」 「わ、わ、分かる……けど!」 そんなところを舐めながら仕事の話なんかされてもこっちは混乱するばっかりだ。 「だからあたしの猛特訓についてきて! うまくできたら、ごほーびいっぱいあげるから、 ね、今日みたいに……れろ、ちゅば、ちゅぶぶ」 「されなくても……っ、ついてくって!」 「んむっ、んじゅるる……ほんとーに?」 「ああっ、本当だ!」 「れろれろ……んぷっ、んちゅ、んんっ、 れろっ、れろ……打倒、ラブ夫&ななみん?」 「も……もちろん!」 「ふふふっ……よーし、 感心な部下にはごほーびをあげるわね」 満足げに微笑んだ姫が、先端にチュッチュッとキスをしながら、唾液でぬめったペニスを勢いよくしごき上げてくる。 おそらくはファーストキスもまだだというのに、俺の野蛮な触覚をついばみ、舌をからめる。 「ふふっ……ん、ちゅ、ちゅるっ、ちゅ、ちゅ ん、ん、ん、んっ……ち○こ、気持ちいーい?」 「ひ、姫……っ!」 「んっ、んっ、んっ……ほらぁ、もうヌルヌル。 出ちゃうかなぁ? ふふふっ……あたし、 スティックさばきと連射には自信あるんだから」 「上手いのは知ってるから、 できれば焦らさないでほしい」 「じゃあ敬語♪」 「……焦らさないでくれますか?」 「うんうん、いいよ……☆ じゃあ、どぴゅぴゅーって出しちゃおっか? くすくす……出しちゃえ出しちゃえ☆」 「ん……ッッ!」 根元からキュッキュッと絞られるような愛撫に、たちまち痺れが背筋を駆け上ってくる。 「あぁ〜、もう先っぽから出てきてる。 国産のえっちなジュース……くすくす、ふふっ」 姫の吐息がペニスを包む。ぎりぎりまで緊張した括約筋が解き放たれようとする、そのとき──。 「とか言って、ポーズかけたりして」 「う、う……ッ!」 ──寸前で手を離された!!こらえきれずに下半身に伸ばした手すらも姫の手に押さえつけられてしまう。 「おおおー!? びたんびたんお腹に当たってる! そーかそーか、そんなに出したいんだぁ♪」 あ、悪魔だ……!!じたばたする俺を押さえつけて、姫はいかにも得意そうだ。 「おっ……お前、 ほんっっっとーーに意地悪だな!!」 「おまえ?」 「うぐっ……ひ……姫!」 ぎゅっと睾丸を握られて息が詰まった。小悪魔のお姫様は、そんな俺の反応が楽しくてたまらない。 「このあたしに向かって無礼者め。 このトラックボール 潰しちゃってもいいんだけどなぁ?」 「じょ、冗談!?」 「ごめんなさい、お姫様?」 「……い、言えるか」 「ごめんなさーい、おひめさまぁ?」 「うぐ……ううっ!」 ぎゅっと握られた姫の手の中で敏感な急所が悲鳴を上げている。こ、こんな……屈辱的な扱いを受けるなんて! しかし、本気で腹が立つのなら、姫の手を払って部屋を出ていけばいいだけのことだ。 だのにそれができないのは、つまり俺が姫のこんな一面ですら好ましく受け入れているからであって、 どんなにひどいイタズラをされても俺の視線は姫に釘付けになっているのだと気づかされてしまったからだ──。 「ううーー!! 失礼しました、お姫様ッ!」 「ちょっと台詞違うけど、ま、いっか。 あはは、うんうん、いい子ね……くすくす」 顔が焼け焦げるほどの羞恥が、そのまま姫への執着と好奇心に変わってゆく。この数日というもの、俺は姫の一挙手に釘付けだ。 「いーい? 国産のち○こは、あたしの物。 そのかわり、ちゃんと我慢してたら たーっぷり可愛がってあげるから♪」 そうしてまた、姫の優しい唇が限界まで張り詰めた俺のペニスを包み込む。 「ん、んむ、国産の変態ち○こ、かっちかちだねー、 かわいい上司サマの……はむ、お口に咥えられて んじゅ、ふふっ……ち○こびくびくしてる」 「ど、どこでそんな台詞を……」 「ないしょー、ふふ……んじゅ、じゅるるっ、 あはは、んろっ、んろっ、れるる……ん、 興奮してるくせに……んちゅ、んぁっ」 言われるまでもない。あの姫が、俺の欲望をしゃぶっているのだ。それも楽しそうに、いや……愛しそうに。 「ちゅむ、ちゅむ、ちゅむ、あ、そうら……んちゅ、 ぷはっ……ねえ、聞いてもいい?」 「な、な、何を?」 「国産も男だから やっぱりひとりエッチするの?」 「な、なぜそんなこと!」 「だってパートナーだし、かわいい部下でもあるし もっと国産のこと知るべきかなーって思ったの。 はむ……ねー、ろうなの?」 そこはむしろ、そっとしておいてあげるのが上司の愛情だと思うのだが……し、しかし! 「それにサンタたるもの、成人男子が何に幸せを 感じるのか、勉強しておくべきだと思わない? これってチャンスじゃない!」 「詭弁です」 「なによー、そんなの聞いてない。 どうなの? 教えてってばぁ」 口を尖らせた姫が、言うことをきかないトナカイのこわばりを凄い勢いでしごき始める。 「ん、ん、ん、ん、んっ! ほーら、イっちゃいそうじゃん?」 「──っく!」 「ふふっ、あと5回しごくまえに答えないと、 本気でイかせちゃうわよ? いっち、にー、さん、しぃ……」 ええい、それならいっそ……と腹をくくると、狙い済ましたように、4回半で手が止まる。 「く……くーーーーっ!! 悪魔!!」 「どう、ギブアップ? いまさら恥ずかしがらなくてもいいじゃん。 あたし、ぜんぜん気にしないよ?」 「俺が気に……ううっ!」 「照れてないで教えてってば。 国産に興味があるのよ? 本当だってばぁ……ねえ、週に何回するの?」 「そ、それは……ご想像にお任せする!」 つまらない、と言いたげに肩をすくめた姫は、ふいに質問の矛先を変えてきた。 「で、どんな風にしごくの? やってみせて?」 ううっ……そんな目で見られたら、いつまでも意地を張っている俺のほうがガキっぽく思えてくるじゃないか。 「逆らっても無駄?」 「うん、無駄♪」 声を弾ませた姫の視線は、さっきからいじめられて何度も果てそびれている俺の分身を凝視している。 これもおそらくは姫なりの情報収集なのだろう。俺の手の動きを、テクニックの参考にしようというのだ。 抵抗をあきらめた俺は、仕方なしに手を伸ばし、姫の目の前で張り詰めたペニスを握り締めた。 ズキン──と痺れが走り、そのままヤケクソにしごき上げる。 「わわっ、すごい迫力。 ふむふむ……なるほどね、 こうか……ふーん、思いっきりやるんだね」 やっぱり参考にしている。俺の真似をする姫の手つきがいやらしくて、息が詰まりそうだ──。 「これってさ、なに考えてするの? 本とか見て?」 「ケースバイケース」 「じゃあ、どんなこと想像するの?」 「そりゃ、その……異性とか……」 「なにその広いカテゴリー。 じゃあ……その中にあたしは入ってる?」 「……!!」 こないだ顔に乗られた記憶が生々しくて、とっさにうなずいてしまった。姫の表情がぱぁっ……と明るくなる。 「へぇぇぇ……そっかぁ♪ 国産はあたしのこと考えてしちゃうんだぁ。 ヘンタイトナカイの名に恥じないわねー♪」 「じゃあさ、じゃあ……昨日はした?」 「昨日って……」 「だから……あたしのパンツ思い出しながら、 ち○ちんから精液どぴゅーって出しちゃった?」 「だ、だめだってば! お姫様がそんなこと言っちゃ……!」 「でもそのほうが興奮するんでしょ?」 「うう……っ!」 そ、そうなのか……それで興奮しているのか?胸に手を当てて考えたいが、もはや俺にそんな余裕はまるでない。 「どーなのよぉ?」 「す、する……けど」 「じゃあ、あたしのこと思い出してしたのね?」 本当は『まだ』していない、というのが正しいのだがここで否定するのは姫に失礼な気もする。 俺が回答を迷っていると、姫はそれをイエスと解釈したようだ。 「ふふっ……それなら忘れないように もう一度、ちゃんと目に焼き付けて おいたほうがいいよね?」 「ほーら、国産の好きなぱんつ……どう?」 またしても、頭上に広がる姫の下半身──。 それは見てるこっちが照れくさくて顔をそむけてしまいそうになるほど、あからさまに開かれていた。 「どーぉ? 興奮する!?」 「ああ、するよ……もちろん」 しかも……今日の姫は最初から濡れていた。黒いショーツの中心に、性器の形に広がる染みが態度とは裏腹な姫の本心を表しているようだ。 「ち○ちんの裏側見られちゃうの、恥ずかしくない? ふふ、こーんな張り詰めてるの……丸見え」 口で俺を挑発しながらも、姫は欲情している。目の前に見える黒い染みからそんな姫の気持ちを想像するだけで、胸が痛いほど高鳴ってくる。 「ねーねー、また顔つぶしてほしい?」 顔の上で黒いショーツが踊る。あの布の向こう、じんわり広がった染みの中に、姫の恥ずかしい秘密が全て隠されているのだ。 「ねーえ? どうなの? あたしのぱんつで顔プレスされたくなーい?」 「あ、ああ……もう一度」 「あれ? 今日はずいぶん素直ね。 ふふっ、じゃあ、姫はかわいいって3回言って」 「了解──姫は可愛い、 姫は本当に可愛い、すごく可愛い」 嘘はついていない。だから思ったほどの抵抗はなく、言葉はすらすらと口からこぼれた。 そんなことよりも、俺は姫がいまどんな状態になっているのかを直接確かめてやりたかった。姫の秘密にじかに触れてみたかったのだ。 「はーい、よく言えました……ふふっ、いいわ、 そのまま……窒息させてあげる」 「んぐ……ん、んっ!」 「あン……んん……」 顔に広がる布越しの姫の弾力、匂い、そして湿り気。姫はもう気づいているのだろうか、いま、自分が濡れていることに……。 ショーツの染みが──姫の秘密が俺の鼻先に触れた。そう感じたとたん、俺は思いきり息を吸い込んだ。 「んぁっ!? あ、あれ……ちょ、ちょっと国産?」 「やだ……なに暴れてるのよ、苦しいの?」 どちらかというと、その反対だ。姫が逃げないように腰を抱きかかえる。 「あ、きゃ……ちょ、ちょっとぉ!」 「ん……ん、んッ」 鼻先が、それから顔全体が湿ったショーツに埋まる。酸っぱいような、しょっぱいような、姫の恥ずかしい匂いが俺の脳を痺れさせる。 「あ、あン……こら、吸っちゃだめ!」 そうは言われても、このままでは手が使えない。かわりに俺は、顔の下半分を下着に密着させ、柔らかい股間の肉に軽く歯を立ててみた。 「うぃッ?! ば、ばかっ、どこ噛んでるの!?」 聞きなれない声があがり、姫の匂いと味が口の中に広がる。さっきから頭の中は姫でいっぱいだ──。 それだけで射精してしまいそうになったのを、俺は懸命にこらえながら、再び歯を立てた。 「だめ、うあっ!? なに、変態……こら、噛んじゃだめ! きゃん、あん、やぁぁ、だめーーえ!!」 ショーツの上からの甘噛みを繰り返し──。姫の敏感な部分に歯を立てて、もぐもぐと愛撫する。 「んあぁ……あ、あ、ちょ、おかしいってば、 なにやってるの、うぁっ……頭だいじょーぶ!?」 めまいを起こしそうだ。じゅぐっ、じゅぐっ、と噛むたびにショーツの中からすっぱい果汁が染み出してくる。 「ひァっ!? んぁ、んぁァ……やぁン、んッ、 ちょっ……あ、あ、あはァァ……ぁ」 姫の声が蕩けた──まさか、感じている!?俺は信じられない気持ちのまま、姫の下半身を無我夢中で吸い続ける。 「ちょ、国産……あ、あ、あはぁぁ……だめ、んぁ、 あん、あん、あん、あんあんあんっ……あァん!」 「姫……ん、んんっ」 「なにしてるのよぉ! もうーーーーーへんたいぃぃ!」 みるみるうちに姫の声が粘り気を増してくる。愛撫をしながら俺は頭の中でかつて呼んだ男性雑誌のページを広げる。 そう、確かここが……おそらくクリトリスの部分だ。 「きゃううううっ!?!? んあっ、んひァ……あ、あ、あァ!?」 歯を立てた瞬間、姫の反応は予想以上だった。俺の顔に押し付けられた小さな股間が痙攣を起こす。 「やぁぁ、あ、あはぁぁあぁぁ……ッ!! はぁぁーーっ、はぁーーっ、 だめ……だめらって……だめぇぇ……!」 「やめ……あ、あァああぁあぁあぁああぁあぁ!!」 まるで別人の声──あのお姫様が、愛撫ひとつでこんなに豹変するなんて……! 信じられない光景を目の前に認めながらも、俺はブレーキを踏み忘れたように姫の弱点を執拗に攻撃し続ける。 「ううぁぁーーーぁぁ……あ、あーーっ、やだ、 こら、部下のクセに……あ、あ、あぁぁ……! へんたい……へんた、へんた、へんたいぃぃ……!」 俺が変態なら姫だって一緒だ。もじもじするお尻全体を抱え込み、濡れた黒い布ごしに舌先をねじり込ませてみる。 「んんんァ!? あ、あ、あ、あ、あ、 ちょ、ちょ、ちょっとストップ、ストーップ!」 慌てて姫が制止しようとするが、こんなところで簡単には止まれない。 「やめて、やめてってばぁ! なにしてんの! 触っちゃダメって言ったじゃん! あ、あーーっ、 はぁぁ、はぁーっ、はぁぁーっ、だめなの、だめ」 姫の唇から洩れたとは思えない艷っぽい声に耳を疑いながらも、俺は姫の弾力に意識を集中させたまま、一心に舌先を動かし続ける。 「やぁぁぁぁぁあぁぁ……こら、ばかーっ! やめてやめてやめてやめてぇぇ!!」 「もう……ぁぁぁァ、はぁ、はぁっ、はぁぁ…… ばか、ばかぁぁ、恋人でもないくせにー!」 「……お互い様」 姫のお尻が逃げようとする。押さえ込もうとした俺の指が滑って、ショーツの上からお尻の割れ目に食い込んだ。 「んィぃぃっ!?」 ──うわ!? ヌルルッ……と中に指先が飲み込まれた感触。筋張った男の指で浣腸された姫は、とたんに身体を痙攣させた。 「あ……あ、あ…………あッッ……!!」 ガクガクッと、黒いショーツの腰が震える。そうして、俺の頭上に小ぶりな下半身が落ちてきた。 「はぁぁぁ……あ、あ……あはぁぁぁ……ァァ」 ショーツの股間がジットリ湿っている。まさか……絶頂してしまったのか??姫は俺の顔の上でぐったりとうつ伏せになった。 頭がくらくらする。酸っぱさとアンモニアの混じりあったような姫の秘密の匂いを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。 「んァ……やぁン……ッ!」 下から鼻先でつつき上げると、姫の悲鳴に湿り気が混じった。 「あ……ひぁッ……ひぐ……ぅぅ……ンン……」 突っ伏した姫は、まるで全身が性感帯になってしまったようだ。舌先で軽く触れるたびに、信じられないような可愛い声があがる。 「ひぁぁ……あァぁ……」 やがて腰が持ち上がると、天井に向かって屹立したペニスの向こうに、ぐったりと脱力した姫の顔が見えた。 ぽーっと遠くを見るような、上気して蕩けた表情──薄く開いた唇からはよだれが糸を引いて垂れ落ちている。 初めて見てしまった──。女子が絶頂した直後の恥ずかしい顔を。 「ば、ば、ば、ばかーーーーっっ!!!」 「す、すまん、 すまんけど、勢いが!」 「だって、あんなこと……うぅぅ!! ど、ど、どーしてやめなかったのっ!?」 「そ……そりゃ、 お姫様が気持ち良さそうに見え……」 「ち……ちがーーーう!!!」 「ぐあああああっ!!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……つ、次同じことしたら、 ぜ、絶交するからね!」 「サンタがトナカイと絶交なんて……」 「じゃあパートナー関係も解除! と、とにかくもうだめなの!!」 そうして俺から距離を取ったお姫様は、ぴしっ……と胸もとに人差し指をつきつけてきた。 「つ、次は……容赦しないからね! 本当に容赦しないからっっ!!!」 「………………」 「な、な、なによ、その目はぁ!」 「ん……いやその、なんだ。 姫ってさ……思ったよりも大人なんだな。 艷っぽかった……」 「……!?!?」 「ば……ばか……」 「あっまーーーーい!! あまいあまいあまいっっ!! ピンクの食糧事情なみに甘々よっっ!!」 「あいよ、了解っっ!!」 「だから引き起こしのタイミングがまだ遅い! このポンコツ! ぼんくら! やる気出せっっ!!」 「イエッサー、お姫様!!」 次の夜から、姫のしごきは一段と激しさを増した。 上昇下降のタイミングからアクセルワークまで、これまで見逃してもらっていたケアレスミスまで徹底的に叩かれて、俺はもうボロボロだ……。 ひょっとするとHされたことへの照れ隠しで、特に厳しいのではないかとも思えたが、もちろんそんな野暮は口にしない。 ななみや硯は姫の物言いにハラハラしているが、今の俺にとっては、姫のそんなところも可愛らしく感じられる。 「なにニヤニヤしてんだっっ!!!」 「してません、師匠!!」 「じゃボサーッとするな! ほら、的が来た!!」 「了解! 半ひねりで交錯する!!」 「すごい、バルーン10個同時撃破」 「おー、若い若い」 「よぉ、なかなかだったぜジャパニーズ」 「まだまだよ、こんなやつ!」 「……だそうだ」 「りりかさん、お疲れ様でした」 「ん? ニセコ……わざわざどーしたの?」 「だからニセコじゃありません。 今日、サー・アルフレッド・キングから 洋食解禁のお達しが出ましたから」 「ほんと!?」 「ええ、パートナーと力を合わせて、 よく改善に勉めたということで──」 「やったぁぁーー!!!」 ソリの上で踊りあがった姫と、親指を立ててハイタッチがわりのガッツポーズ。 「ふーん、にやにや」 「なかよしさんですねー」 「ちょっと春には早いんじゃない?」 「なななななんのことっっ!!!???」 「さあ……なんのことでしょうか?」 「すずりんは気にしなくていいからっっ」 「……それにしても、 ジャパニーズにそんな性癖があったとはなぁ」 「……ぶっ!! な、な、なんのことだ!?」 「姫のことさ。好きなんだろう?」 「好きっていうか……そ、それは あくまでパートナーとしての感情であって」 「はっはァ、そいつは面白い。 トナカイが顔じゅう赤くしてどーすんだ?」 「ええと……酔ったかな」 「とぼけるな」 「──!!」 ジェラルドと酒を酌み交わせば、そんなことはすぐに見透かされてしまう。 「だ、だが……その、つまりだ。 俺たちはまだ全然そういう関係には なっていないというか……」 「その……ええと、なんだ、 最後の一線は守っているというか……」 「二線、三線目をエンジョイしてるわけか」 「す、少し親密になっただけだ!!」 「てことは……まだ童貞か?」 「あう……う……!」 直截的な問いかけに口ごもってしまうのは、悲しき未経験者の〈性〉《さが》だろうか。 「大事にするんだな、 あの感覚は人生で一度しか味わえないぞ」 前は「早く捨てろ」と言われた気がするのだが、ううっ……これはこれで説得力がある。 言うまでもなく、この元キューピッドは性の法典。女に免疫のない俺にとっては、神のステージにいる男だ……。 万が一、姫とそういうことになったときのために、少しでもアドバイスをもらうべきかもしれない。 「なあ、ジェラルド…… その、セックスって何だ?」 「……!?」 「えらいストレートな奴だな。 マスターが驚いてるじゃないか」 「お、お邪魔なようですからごゆっくり……」 「わわ、そ、その……今のは!!」 ううっ……周りが見えてなかったとは、俺としたことが……!!! 「ふぅ……で、なんなんだその質問は?」 「いまひとつ想像ができないんだ。 なんというか、フワフワしちまって」 「あははははははははは!!」 「わ、笑うなっっ」 「スポーツだよ、ジャパニーズ?」 「スポーツ!?」 「そうさ、スポーツと一緒だ。 相手の反応を見ながら自分の肉体と相談する、 そうして技を繰り出して、また相手の反応を見る」 「ふむふむ……確かに……」 「メモなんかとるな」 「わ、忘れると困るから」 「忘れるものか。 慣れればチェスを差すみたいにできるさ」 「……ごくり」 「チェス……そうか、将棋と一緒か……」 「将棋……ふーむ、将棋…………」 偉大なるジェラルドと別れ、夜のマーケットで酔いを醒ます。 その間も俺の頭の中にあるのは実戦のことばかり。そう、次にりりかに迫られた時に、どうやって男の〈沽券〉《こけん》を守り通すかということだ。 チェスならチェスの、将棋なら将棋の指導書がある。しかしいま頼れるのは、俺の脆弱な経験則のみ。 「うむむ……?」 ふと顔を上げた視線の先に、24時間営業をしている少々マニアックな書店のネオンが見えた。 「うーむ、なんでこんな本を売ってるんだ。 これは問題があるんじゃないのか? いや、ないのか、しかし……」 「むしろ、俺はなんでこんな本を買っているんだ。 トナカイにしちゃ俗っぽすぎやしないか……?」 「そもそもトナカイってのはやっぱり、 テキストなんかに頼らずとも女子を夢中にできる 伊達男でなくてはならないわけで……(ちらり)」 「ふむふむ……なに、歯を立てる? やはり、あのアプローチは正しかったのか!? つねるだって? 痛くないのか……ううむ!」 「むむむ……反応のいい場所ばかりを攻めるな!? 緩急のタイミングは……う、ううむ、こんな技が」 「……ぬぬぬ! なるほど!! さすがに専門の記者が書いてるだけあって 情報のひとつひとつに説得力がある……」 「たかをくくっていたが、こいつはすごい。 考えてみれば、人類が数十万年をかけて探求 してきた性の技術がここに集約されているのだ」 「こいつは歴史の積み上げた果てにある おそるべき攻略本だ……うむむ、なるほど」 「ごっはんーごっはんー♪ 夜食にケーキとレモネード♪」 「……はれ、とーまくんの部屋、まだ灯いてる」 「うむむ、勉強熱心ですね。 わたしも負けずに……!!(夜食のケーキを)」 またしても地獄の猛特訓でくたくたになった俺は、深夜、姫から呼び出しを受けた。 「あ、国産よくきたー♪」 「はいはい、今宵は何の御用でしょうか?」 くたくたの身体だが、笑顔いっぱいの姫の顔を見ると、少しだけ元気が戻ってくるような気がしてくる。 「とりあえず入って入って!」 姫に手を引かれて部屋に入る。ぎゅっとその手を強く握り返すと、姫の顔に、さっと紅が差した。 「な、なにこの手は?」 「ごめん、無意識で握ってた」 「無意識……か、ならいいけど」 「で、今日はなにしよっか? ツイン〈B〉《ビー》? プラス〈Β〉《ベータ》?」 「あ、漢字テストかな? コースの検討してもいいし……」 「それとも……」 「こないだの決着……つける?」 「決着……?」 「そう……決着♪」 思ったとおりの展開だ。呼び出されたときからこうなる予感はあったから、驚くにはあたらない。 「どんな勝負でも受けて立つよ、お姫様」 「なにその自信。 こないだ卑怯なことでちょっと やり返したからって、調子に乗ってない?」 「やだな、乗ってないって」 乗っていないからこそ、さまざまな教材から自主練を怠らなかったのだ。今日はその成果を実践するチャンスでもある。 「いいわ、今日は 国産が泣くまでやめてあげないから」 こんなやりとりから始まるのだから、確かにこれは愛の営みなどではなく、一種のスポーツ──勝負のようなものだ。 息を整えた俺をベッドに座らせた姫が、ズボンのベルトに手をかけようとする。 「待った、俺がされるだけ?」 「ってのはフェアじゃないか? いいわよ、パンツなら見せてあげても」 さすがはお姫様。姫のこういういさぎのいいところが、俺は好──。 いや……この好きは、あの好きではなく、別の好きだ。 息が乱れてしまった。チェスを思い出せ──チェスだ。 そう頭の中で念じながら、俺は姫のベッドに横になった。 「あ、でもひとつ追加ルール」 「なんでしょか?」 「……パンツ脱がすのは禁止だからね!」 言われるまでもなく、そこは俺が引いた一線でもあったのだが、しかしなぜに俺だけにハンデルールなのか? 「了解、お姫様」 まあいい、それくらいハンデがあったほうが勝負事は楽しくなるもんだ。 それに、なぜだろう?不思議と今夜は、姫に負けない気がする。そんな妙な自信があった──。 「じ……じゃあ行くからね……」 前回の反省を踏まえてか、今夜の姫は、恐る恐るといった感じで俺の顔をまたいできた。 「それにしても国産ってラッキーよね」 「あたしの部下になったおかげで、 こーんなキュートなサンタさんの パンツを毎晩見られるなんて……くすくす」 楽しそうに笑った姫が腰を落としてくる。すっかり鼻腔になじんだ、姫の秘密の匂いがツンと香ってくる。 恥ずかしながら、その匂いだけで肉体は反応し、姫の前で俺の分身が屹立を始めた。 「国産は脱がなくていいの、 あたしが脱がしてあげるから……」 姫がぎこちなくチャックを下ろして、勝手に俺のこわばりをつまみ出す。 「わ! なんでいじる前から勃ってるの? どんな勝負でも受けるとか言って、 国産も期待してたんじゃない?」 「この状況で勃ってなかったら失礼でしょ?」 「ま、いーけど……はぁむ……ん、じゅる」 今日はあたしがリードするの……と言わんばかりにいきなり亀頭を口に含んできた。粘膜に包まれる快感に、両足の筋肉が硬直する。 「姫だって……もう汗かいてるぞ」 「それは暑いから……ん、ん……じゅるるっ、 国産は声まで上ずってるじゃない……んっ、 んむ……ん……ちゅぅぅ……ん、んっ」 そうすることが当たり前であるかのように、目の前に突き出されたペニスを口に含む。 「んー、んふ……んむ、んもっ、んもっ、んっ、 ほーらフォルムチェンジ……ふふっ、はむ、 もごもごもご……んちゅ、ちゅ、ちゅぅぅ……」 それから姫は、楽しそうに吸ったりついばんだり、姫に反応した俺のペニスの状態を口の中で確かめる。 「んぷっ、んぷ、んぷっ……じゅぶぶぶ……ん、 ぷはぁぁ……どろどろ……ん、ん、ん、んっ、 聞こえる? ねちゃねちゃってやらしー音……」 右手が根元にからまってきた。俺の顔色を観察しながら、姫は唾液をたっぷりまぶしたペニスを激しくしごき上げてくる。 「ん、んっ、ほらほら……我慢できなかったら 意地張らなくていいよー? くすくす……ん、 あたしのパンツ見てイっちゃっていいんだからね」 「ま、まさか……始まったばかりなのに」 「でも、気持ちいい顔になってるわよ? ふふふ……ん、ん、んっ、その顔かわいー、 ほら、ほら……どお?」 か、顔に出ているのか!?確かに、開始早々落とされてしまいそうなところを、必死に踏みこらえているのだが……。 「先っちょ……舐めてあげるね。 んー、れろれろれろれろ……国産はこれ好きよね、 れろれろっ、ちゅぶ、んろっ、んろっ……れろろ」 舌の刺激ももちろんだが、この刺激的な構図にはいつまでたっても目が慣れない。とはいえまぶたを閉ざすのも卑怯な気がして、それもままならない。 「ぷは……ん……ねえ、こういうのはどーお?」 俺の切迫具合を確かめた姫は、いきなりペニスの先端を自分の頬に擦りつけた。 「ん……ふふっ、ん、ん、ん……」 熱く腫れ上がった先端が姫の頬にぺちぺちと当たり、すべすべした肌の感触が伝わってくる。 いつだったか、姫の頬にペニスが食い込んだときの衝撃が蘇ってきた。 「ん、んっ……ほら、ほっぺた……柔らかいでしょ? 国産の凶暴ち○ちんが、あたしの顔に刺さってるの」 「じ、実況するのは……!」 「反則じゃないわよね? ほら、カッチカチの ち○ちんが、生意気な金髪サンタの顔をえぐってる」 「生意気!?」 「……って、思ってるんでしょ? ほらぁ……どーお、ん、れろれろ……ほら?」 俺の気持ちすら見通してしまう生意気な姫は、頬でペニスをしごきながら器用に舌を這わせてくる。 「はぁ……んむ、ん……ちゅ、ちゅ、んむむ……! ふふ、もうすぐかなぁ? そのままリラックスしちゃえば?」 手と頬と口と──代わる代わるに攻め立てられ、このままでは何もしないうちにゲームオーバーになってしまいそうだ。 「あは……そうそう、大人しくしてなさいね。 ん……はむ、ん、ん、れろ、どーお?」 「はぁむ……ん、んむっ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、 んむむ……はぁぁ、んちゅ、ちゅ、んむっ、んぽっ んぷっ……じゅるる……んぷ、んぷ、んはぁぁ」 「くすくす……ひくひくしてんの、かーわいー♪」 反撃の手を伸ばそうとするたびに姫の腰が逃げていく。たちまち追い込まれてしまった俺を見て、姫はすっかり得意そうだ。 「あ、だめよ逃げちゃ。 イきたくないのー? イきたいよねぇ? あーん……はむ、ん、んっ、んふふ……じゅるる」 「じゅる……んじゅじゅ……じゅじゅじゅじゅーーっ んーーーー、んぽっ、ぷは……んぽっ、んぶっ、 んぽっんぽっんぽっ……はぁぁ、れろれろれろ……」 「ほら、ん……れろれろ……さっさと イっちゃいなさい……そしたらご褒美に 2回目も出させてあげるから」 楽しそうに弾む姫の声に、湿り気はまるでない。どうやら姫は、自分がリングに上がらないままゲームを終わらせようとしているのだ。 姫の腰がいつまでたっても下りてこないので、俺は自分から手を伸ばして姫の腰を押さえ込みショーツの中心部分に指先を押し当てた。 「あ……!?」 「やぁぁ……な、なに勝手に触ってるの……はむ、 んむむ……ん、んーーーー、んんーーン……」 指で触られたのをきっかけに、徐々に姫の瞳がトロンと潤ってくる。 非難じみたことを言いながらも、姫は特に抵抗をしなかった。俺に手を引かれるように同じリングに上がってくる。 「はぁぁ……んあっ、はぁ、はぁぁ……んむ、 んちゅ、ちゅ、ちゅ……んむむっ……ぷはぁ」 降りてきた腰の中心部分、ショーツの食い込みに指先を当てて左右に小刻みに震わせる。 「ひゃあぁっぁぁぁぁ……あ、あ、あーーーっ! も、もう……このっ、んむっ、んん、んっ!」 俺の指先に合わせて、姫の呼吸があっけなく乱れる。思ったとおり──姫は感じやすいのだ。 反撃に必死に耐える姫の仕草を見ていると、かえってこっちの胸が高鳴ってくる。 「もー、手癖の悪いトナカイはこーしてやる……、 んっんっんっんっんっ……ほら、ほら、イけっ、 イっちゃえ……!!」 焦った姫が、手加減なしの速さで右手を上下させる。ま、まずい……急にせり上がってきた。 「はむ……ん、ちゅ、ちゅ……ぷは、ほら、 イけイけ……イっちゃいなさい……」 容赦なく送り込まれてくる快感のなか、俺はジェラルドのアドバイスを思い出す。そう、チェスのように、チェスのように……。 「国産のち○ちん……すごい……ふふ、 ほら、脈打ってるの……んんぁ、硬ぁい……」 ……チェス無理だ!! のんきに考えている間も、姫はあの手この手で俺を射精に追い込もうとする。 だ、だめだ……このままじゃ……勝負にならない!俺は、苦し紛れに指先をショーツの股間からお尻の谷間へと動かす。 「んぃ!?」 「…………!」 「ちょ? どこ……あ、あ……ッ!?」 急に姫の動きが止まった。俺の指先はお尻の中心部に当たっている。確か、前も姫は……? ──ここが? 頭の中で攻略本を広げた俺は、指先を小刻みに動かして、姫のお尻──ショーツが紐のように細くなってるあたりをくすぐってみる。 「んぃっ……ひゃっ、や! あ! あ!!」 俺を限界まで追い込んでいた姫の右手が止まる。いや、ペニスからも離れて、必死に上体を支えている。 すっかり攻撃を忘れてしまった姫の様子を見ながら、俺はそのまま、おっかなびっくり愛撫を続けてみる。 「ちょ……いきなりどこ……あ、あ、 やぁぁぁぁ……っっ!!」 ゾクゾクッと肩口を震わせて、姫の力が抜け落ちた。上体が崩れ落ち、かわりにショーツに包まれたお尻がヒクンと持ち上がる。 「はぁぁ……ぁあ、や……やぁぁ、だめぇ……!」 予想以上の反応──まるで指先で姫の理性の櫓をぐらぐらと揺さぶっているようだ。 「ふーむ……守勢に回ると姫は弱いか」 「そんなこと……んくっ! あ、あ、あはァ、 ど、どこ触りながら言ってんのよぉ……」 「言ってほしい?」 「やぁぁぁァ……はぁぁ、ばかぁぁ……ァ!」 みるみる、ショーツに黒い染みが浮いてきた。姫が腰をもぞもぞと上下に動かすと、濃密になった匂いが鼻腔に染み込んでくる。 「あ、あ……もう、国産の指やらしい……んぁ、 あ、あァ、はむ……ん、もごもご……ん、ん、 ちゅ、ちゅばっ、ちゅぶぶ……」 「なにを口に咥えておっしゃってる、姫?」 姫と呼びかけながらも、俺は指先でパンツ越しに、お尻の穴とクリトリスをノックする。 「あ、あ、あ、だめ……んぁぁ、ちょっと、 それずるい……! あ、あ、あーーぁぁあぁ」 「姫に比べたら、軽く触れてるだけさ」 「う、ウソ……! ウソよ、すごく強くしてる」 「そう思うんならそれは……姫が敏感なんだ」 姫の素直な反応を見ているうちに、差し迫っていた射精感が遠のいていく。 無我夢中の惑乱が通り過ぎると、少し楽しくなってきた。あらためて見上げると姫のお気に入りの下着がぐっしょり染みている。 「あ、あ、国産……そのトントンっていうのダメ、 もうそれ禁止……だめよ、あん……そこばっか 触って……んぁぁ!」 駄目と言われるともっとしたくなるのは人情だ。そういえば、未経験なのに感度の良い女子は自慰の経験があると、攻略本に書かれていたが。 「んあっ、んァ、んぁ……もうっ!」 そう思うと、こないだの仕返しがしたくなる。それは姫の性に向けられた俺の好奇心でもある。 「これだけ感じやすいってことは、 姫も自分で触ったりする?」 「うぇぇ!? ば、ばか! するわけないじゃん!!」 「うーむ、外れたか」 ショーツの上から肛門に小指を突き立てると、姫の細い腰が半円を描く。 「んはァァ……ぁぁッ!」 「あ、あ、あ、だめ、そこくすぐらないで! 言う、言うから……ほんとに、ほんとに し、し、してない……ィィィッ!」 べつに尋問をしているつもりはないのだが、勝手に勘違いをした姫は、一人相撲の抵抗をしはじめた。 「ああン……も、もうしつこいぃ……ばか、あ、 あ、あ、そこばっかり……あ、あはぁぁ、わ、 分かったわよ、言うから……ちょっとストップ」 「おや、嘘ついてたのか?」 「ストップ、やぁぁ、だめだめ、ノックするの あ、あ、だめぇ……で、出ちゃう……パンツ 染みになっちゃうじゃん……ん、んぁぁ」 「んぁ、んんんぁ……ほ、ほんとは、ん、んあっ、 し、してる……」 なるほど、ほんの記事は正しかったようだ。ならば、そこから学んだ攻略法もまた……。 「なら、俺からちゃんと言えたご褒美を……」 「え? あ……あッ!?」 姫のお尻を抱えて顔の上に乗せた。ヌチッと湿った感触がして、顔じゅうに姫の匂いが広がる。 いつもなら押しつぶされるところだが、今日はショーツごしにクリトリスを前歯でカリカリとこすってやる。 「き……ィィィッ!?」 電流に撃たれたような悲鳴が聞こえた。姫の細い脚が俺の顔の左右でじたばたと暴れる。 こないだは全体をなんとなく歯で挟んだだけだが、今度はピンポイントに姫の弱点を狙ってみる──。 「やあぁぁあぁあぁ……あ、あ、あーーっ! そこっ、そこそこそこっ! そこだめーーぇぇ」 悲鳴が裏返るのを効きながら湿った黒パンツをカリカリ引っかいていると、姫は自分からお尻を押し付けてきた。 「きゃあっ!? いやぁっ! あーッ!!! だめだめ噛んじゃ駄目ぇ……あたしの大事なとこ あ、あ、噛んじゃだめだってばぁぁ……ンン!」 息が詰まる。姫の全身の筋肉がキュウウッと収縮した。 「だめっ、だめだめ……あ、あーーーっ、だめっ それ……あッ、あッ、あッ、あぃッ、あぃ、あぃ あぃッ! あぃぃぃぃィィィィィッ!!」 汗ばんだ両足が痙攣を起こし、やがて力を失う。 ぐったりした姫の腰を持ち上げさせると、恥ずかしそうに赤面した金髪さんの顔が現れた。 「はぁ……はぁぁ……はぁ、はぁ……ばかぁ」 「ちょっと刺激が強かったかな」 「あたり……はぁ、はぁぁ、あたりまえじゃない あ、あぁ、指で触るだけ……」 ほとんど経験がない女の子にはいきなりハードだったのかもしれない。今度は中指で割れ目に沿ってなぞり上げてみる。 「ん、ん、んーーっ!」 「こんな感じ?」 「あはぁぁ……はぁ、そ、そうなの……あ、あ」 姫の声がとろけだす。なるほど、ちょっと優しいのが姫の好みなのか。 「こっちのほうが好きかな?」 俺のペニスを握ったまま、姫はすっかり攻撃を忘れてしまったようだ。唾液で湿ったクリトリスのあたりで人差し指を回してみる。 「あ、あ、あぁぁ……そ、そう、そうなのっ!」 「ふーん、それなら、 サンタさんはいつから一人遊びを?」 「覚えて……あ、あ、あーーっっ、む、昔! ずーっと昔から!」 本当に経験がないのだろう。ビギナーの俺がちょっといじるだけで、すっかり姫はいいなりになってしまう。 これでは勝負になりそうもないが、だからといって手加減をしたら失礼な気もする。こうなれば全力で姫をおもてなしするのみだ。 方針を変えた俺は、股間にぎゅっと食い込んだショーツの上で指をドリルみたいに回して中を刺激した。 「ん、んぃぃぃぃ……ィィッ! そこ……あ、あ、そっちは……あぁぁ、 きゃあっ、だめだめ、クリはだめだって!」 「あぁぁ……ぁぁぁ……あはぁぁぁぁ…… やだ、やめて……変な音してる……んんぁ」 「してないさ」 「してるってば! にちにちにち……って……ううぁぁ……ぁ」 すっかり蕩けた声で反論する姫に構わずに指を動かし続ける。 「はぁ、はぁっ、はぁぁっ……だめ、あぁぁ 変になってきた……はぁ、はぁ、はぁぁァ……」 「後ろのほうが感じるかな?」 「え!? し……し、知らないッ!!」 「姫の好きなやり方を教えてくれたら、 試してみようと思うんだが」 「で、でも…………う、ううっ……」 迷う姫を促すように、お尻の穴をショーツ越しにトントンと叩く。 「……あ、あ、あ……はぁぁ……あ、あァ」 「はぁーっ、はぁぁーっ、だめだめ、 してる……してるの、そっち……してる」 「あのね、いじるの……いじるの好き……んぁ、 指でぐりぐりすると、あ、あ、あッ!! そ、 そう、そうやって……んぁぁ!」 声を詰まらせた姫がお尻を突き出してくる。そのまま指を回して、空いた手でショーツの染みの上を往復させてみる。 「うんっ、うん……はぁぁ、ま、前と一緒に いじるの……あ、あ、ちがう、クリのほう…… んんぁ、んんぁああーーーぁあぁあぁぁぁぁぁ」 「あはぁぁぁ……なんで、なんで国産にこんなこと 話してんのよ……あ、あたし変……んんぁ、変ッ、 おかしいよ……お尻……あ、あ、あッ!」 「でも、感じてる……」 「な、なによ、国産なんか……はむ、ん、んぶっ、 わらひのお口で……んじゅろろろ……んぶっ、 ん!? んーーーーーーッッ!! だめぇぇ!!」 「無理しないで、今日は俺に任せてみたら?」 「だめぇ……はぁ、はぁ、それされたら、んんぁ、 ほんとに駄目になる……うぅぅッ、だめぇ、 勝負にならないよぉ!」 あんなに大人びた態度で俺を誘惑させていた姫が、指先と歯の愛撫だけで、すっかりなす術なくなってしまっている。 「もうストップ! やめよ……んんぁ、あ、あ、 1回休憩……あ、あはぁぁ……駄目だってばぁ あーっ、だめだめだめぇぇ!」 「だーめ、もうすぐだろ?」 「ちがう、ちがうの……んんぁ、 そうじゃなくて、えっと、トイレ……」 「逃げるのはナシ」 俺のたどたどしい愛撫に、こんなにも反応してくれる姫と思うとなんだか胸の奥がズキンと痺れる。 腰を押さえ込んで布地の向こうにある姫の中心部を舐め続ける。 時に歯を立てると、腕の中の細い腰がそのたびに跳ね上がる。 「んぃっ、んぃぃっ、ぃぃーーーーーッッ!! あ、あ、あっ、あっ、だめそれ、それだめぇ! だめだめ……あ、あ、あっ……あーーッッ!!」 「んーっ、姫の味がする……ん、んっ」 「しない、しないよぉ……あ、あ、あ、あ、あ、 エロトナカイ、ヘンタイトナカイ、あ、あ、 だめ、トイレトイレトイレなのーーっ!!」 舌先でショーツ越しに敏感な突起を刺激する。攻略本に書かれていたイロハだけで、姫は簡単に陥落してしまった。 「ん……じゅるっ、ん、ん……んーっ」 「うィィ……ッッ! 舌で押すのらメぇ! それ反そ、ううァ、反則ーーっっ!」 「でも、腰震えてるぜ?」 「やぁぁ、とんとんしないで、そこ叩くのダメ、 ノックしちゃだめぇぇ……はぁはぁ、はぁぁ、 やぁぁ、気持ちいい……変になるからぁ!」 姫の股間に顔をうずめながら、俺は反応の一つ一つが嬉しくて仕方がない。 「あ、あ、もうだめ、ほんとに、あ、あ、あ、 もう攻撃ストップ……休戦……んぁ、んぁ、 あたし、あたしのヘンなのが出てきちゃう……」 もじもじと尻が左右に振られる。こいつは俺しか知らない、姫の隠された姿だ。 「だめッ、あ、あ……変になる……あ、あ、あ、 んあぁぁぁあぁぁぁ……はーーーぁあぁぁ」 腹の底から吐き出したような吐息とともに、ショーツの内側からトクトクと生暖かい粘液が滲み出してくる。 「あ、あ、あ、あはァぁああぁぁぁあぁ……ァ、 もうひらない……来た……来ちゃったぁ……! あ、あたし……ンぁ、えっちになったぁぁ」 そう宣言してから姫は自分からお尻を押し付けてぐりぐりと顔の上で回転させた。 ダンサーのように腰を回して、さながら俺の顔の凹凸を股間で味わおうとするみたいに……。 「んぁっ、あ、あ、あ、あ、あ……ああっ! もう知らない、国産が悪いんだから……あ、 あはぁ、はぁぁッ、はぁぁぁ……ァァ!」 腰が前後にグラインドを始める。俺はその上から、さらに舌先を遊ばせる。 「はぁッ、はひぁ……はぁぁ、でも、あ、あ、 だめ、だめっ……トイレ……あ、あ、あッ」 「ダメだってば、もう、あ、あ、あ……ァ、 イっちゃう、ほんとにイっちゃうっ!」 「んじゅる……じゅるるる……ん、ん……っ」 「あああーっ、だめだめっ、やっぱりダメぇぇ はなせーーー離してぇぇ、んああぁぁ、 あ、あーっ、あーーっ、ああああーーーっ!!」 「ふーむ、ここのポチッとしたのが弱点……と」 「ひぁぁァ!? だめ! そこいま摘んだらダメ! いまつねっちゃダメぇぇぇ!!」 ダメっていうのは、つねってくれということだ。そう解釈してクリトリスを布越しにキュッとつねると、 「うぎィ……ッッッッ!!!!」 ガクン、俺の上で姫の身体が跳ねた。 「だめって言ったのにぃぃぃ、あ、あ、あぃっ、 だめ、だめっ、もっとつねっちゃだめっ! あ、あ、あ、やはァぁああぁっぁっぁっぁ……」 感じてしまった姫の反応の一つ一つが、俺には可愛らしく感じられる。 姫は……自分の内側にある脆い一面を、俺の前にこれ以上なくさらけ出してくれたのだから、これが嬉しくない道理がない。 「うあっ!? ちょ、もうだめ、しびれるの、 あ、あーーっ、だめ、だめなの! だめだめッ、ダメだってばぁぁ!!!」 急にじたばたと暴れだした姫の身体を押さえつけ、誘われるままに何度も敏感な突起をつねってやった。 「くぁ……そこっ、あ、あ、そこそこそこそこっ! そこだめっ、そこ気持ちいいっ! あ、あ、あ、 あたしの……あ、あそこ……おま○こ……」 かじりつき、吸い上げる。姫は自分がなにを言っているかも分からなくなってしまったようだ。 「姫……」 トロッと粘った愛液が俺の脳をも麻痺させている。早く姫を絶頂に押し上げてやろうと、いつしか必死になって口を動かしていた──。 「やぁぁ、お願い、おま○こ噛んじゃだめぇ、 噛んじゃ……ひぐ……ぅ、うぅぅぅうぅぅ ぅううううぅぅぅううううーーーーーッ!!」 やがて──とうとう姫が昇りつめた。 細い体が鮎のように跳ねて、小刻みな痙攣が、さざ波のように繰り返される。そのとき──。 「あ、あ、あぁぁぁ……やぁぁーーーーーぁぁ!」 鼻先に熱を感じたと思ったとたん、暖かな湯気が俺を包み込んだ。 「あぐっ、ひぁ……はぁぁ、はぁぁーーーーーぁ」 姫だった──。姫は俺の顔をまたいだまま細い肩を震わせている。そうして下着の中に熱い染みが広がっていく──。 「あぁぁ……はぁぁ……だめ、だめ……はぁ、 はぁぁ……はぁ、でひゃったぁぁぁ」 「姫……?」 「うぅぅ……だ、だから言ったのにぃ、だから トイレって、んッ、ふゥぅぅぅ……ン……ンッ トイレって言ったのにぃ……」 姫の匂いが、濃密さを増して俺を包む。やがて、ショーツでは受け止めきれない量の水流が股の付け根から溢れだしてきた。 ショーツに口を押し当てたままの俺の顔に姫の情欲が生暖かい流れとなって降り注いでくる。 「ん……!!」 「あ、ご、ごめん国産! んあっ、あ、あ、はぁぁぁ……やぁ、もう最低、 あたし……もう最低……っっ」 さっきの「トイレ」コールは本物だったのだ。苦し紛れの言葉だと取り合わなかったせいで姫にひどい恥をかかせてしまった……。 恥──しかし俺は、姫を恥などとは思っていない。俺の拙い愛撫に感じて漏らしてしまったことに胸が熱く脈を刻んでいるのだから。 「はぁぁ……ぐすっ……恥ずかしい、あたし…… んぁ、エリートなのに……はぁ、はぁ、はぁぁ」 ぽたぽたと、顔の上に姫の暖かい液体が落ちてくる。やがてそれがシーツを濡らして──。 「ぐすっ……こ、国産が悪いんだから……! 国産がいけないの」 「そうだよ姫……ごめん」 腰を浮かせた姫はどうしたらいいか分からずに、べそをかいたままだ。 俺は、必死に排尿をこらえようとする姫の腰を、全て包むようにぎゅっと強く抱きかかえた。そのまま顔の上に導いてやる。 「ひぁ!?」 「ん……ん……ん、んっ、ずずずっ……」 「あ、あ、ええっ!? や……やぁぁっ!? こ、国産なにしてるの!? いまだめよ、あたしおしっこ……!」 「姫のなら可愛いもんさ。 だから最低なんて言うな」 こうなれば意地でも姫に恥はかかせない。それに、吐き出した言葉もあながち嘘ではなかった。 可愛いお姫様の生理現象くらい、トナカイの俺が受け止められない道理がない。 「こ、国産……あ、あはぁぁ……だめ、だめ 吸っちゃダメ……だめよぉ、あたし、あ、あ、 あたしそういうの……あはぁぁ、だめなのぉぉ」 姫の下半身が震え、ショーツの奥からまた暖かい液体が染み出してくる。 「はぁぁ……やだ、国産におもらし見られてる。 あたし、恥ずかしいところ見られてる……!」 細い腰が震えるのにあわせて姫の声も震えている──。 顔の上で小刻みに水流を解き放ちながら、姫は必死に俺のこわばりをからめとり、右手の運動を再開した。 「あぁぁぁ、すごい……ち○ぽ……んはぁぁ、 おもらししたら硬くなったぁぁ……」 「姫……!?」 「だって、はぁ、はぁぁ……こういうこと言うと 興奮するんでしょ? はぁぁァ、ん、ンッ、 国産……おち○ぽ気持ちいいんでしょ?」 俺の上でとりとめをなくしてしまったことで、姫はどこか吹っ切れたようだ。 俺よりもむしろ、自分自信を興奮させようとしているかのように、ふしだらな言葉を紡ぎ出す。 「あぁぁ……ねえ、国産っ、あ、あ、あ! あたし……んぁ、ん、あ、あ、あっ……!」 濡れたショーツに顔を密着させると、姫の粗相の匂いが俺の意識を覆い尽くす。まるで、姫の匂いに脳を犯されるように──。 「ううっ、んむ……はぁむ……ん、ん、んむ、 じゅるる……ん、んはぁぁ、はぁぁーっ、 あー、あーーーっ……!」 張り詰めたペニスを口に含んだ姫だったが、俺が軽く歯を立てただけで、あっけなくこわばりを口から放り出してしまう。 俺にまたがったまま、姫は未熟な性感を引っ掻き回されて、もう、どうしたらいいか分からないのだ──。 「ちょ、そこ……あ、あーーっ、 だめ、出ちゃう、またでひゃうぅぅ!」 喘ぎ声が裏返り、またしてもショーツの向こうに生暖かさが広がった。 「うっ……うぅぅぅーーーっ! やだ、出ちゃう……出ちゃうぅぅぅ!!」 クリトリスを歯で挟まれたまま、ふたたび姫が昇りつめる。 ぱたぱたと、新しい水滴が降り注いできた。ショーツの脇から漏れ出した生暖かい液体が、姫の股間から太ももまでを濡らしている。 「はぁ……はぁぁ……はぁーーっ……はぁ、 はぁぁ……こくさ……あ、あぁぁ……ん はむ……ん、じゅる……ん、んぷっ、ん」 「ん……姫……」 息継ぎをするたびに漏れ出してくる、姫の暖かな水流を吸い上げる。薄いアンモニアの香りに頭がくらくらしてきた。 俺の射精を口で受け止めた姫の顔が脳裏に浮かぶ。あのときのことを思い出すと、こっちが全てを受け止めきれなかったことが申し訳なく思えてくる。 なによりも、今、俺がいちばん姫の近くにいる。そう思うには充分すぎるほど、禁断の行為──。 そうして、どのくらい続いただろう。やがて、姫の身体の震えが収まり、小さな身体が俺の腹の上で力を失った。 喉を鳴らして、長い息をつく──。 「ぷは……もうやだ……こんなぐしょぐしょで、 あたし風邪ひいちゃう……ん、ンッ、はむ、 んじゅる……ンン」 風邪を引くと言われて、急に理性が戻ってきた。 「そうだな、着替えないと……」 「んぁ、まって……はむ、ん、んむむ、あたし、 まだこれしゃぶるの終わらないから……はぁン、 んむっ、ちゅ、ちゅ……んむ、れろれろ……」 「お姫様、その、優先順位が……」 「合ってる……んんむ……ん、じゅる……ん、 はぁ……はぁ、なによその目……ん、じゅる、 いまは国産のち○ちんが最優先なのっ!」 「そ、それは……その……嬉しいけど」 嬉しいが、風邪はサンタに禁物だ。いつまでもこのままじゃ、さすがに……。 「ぬ、脱いだほうがいいかな……?」 「それはそうなんだが……」 しかし、下は脱がないルールだったはずだ。いや、姫がそれでいいのなら……。 上司の指示を聞くモードに入ってしまった俺を、姫の潤んだ瞳が捉えている。 「姫……?」 「国産……ちゃんと答えるのよ」 「り、了解」 「あたしの……その……」 「その……?」 「すーー…………はぁぁぁ……」 「あ、あたしの……おま○こ、見たい?」 「──!!!!」 絶句した俺のかわりに、硬さを増したこわばりがペチッと姫の唇を叩いて返事をした。 まさかそんな言葉で誘われるなんて。惑いながらも、俺は姫のショーツに両手をひっかける。 「そ、それでは……失礼して」 「…………(ごくっ)」 姫が唾を飲む音が聞こえた。ショーツのゴムに指をかけると、ジットリと濡れた感触が指先に伝わる。 この向こうに──姫の秘密が隠されている。 その秘密の部分はおそらく、俺の執拗な攻撃を受けて、すっかり色づいてしまっているだろう。 頭の中でいろいろな光景を思い浮かべながら、俺もまた生唾を飲んで指先に力を加える──。 「あ……」 「…………!」 上のほうから白くて小ぶりなお尻の丘が現れた。急に姫の顔に不安の色が差した。 「……あ、あ、ちょっと待って」 「え?」 「や、やっぱりやめる……終わりっ!」 「なぜ!?」 あんなに決意したばかりだというのに、姫があっさりと前言をひるがえす。 もう少しのところでおあずけにされてしまいそうで、自分でもあきれるほど俺の声は必死だった。 「なんでって、 恥ずかしいからに決まってるじゃん!」 「俺と姫の間柄で!?」 「だから恥ずかしいの! バカっ! あ、あ、こら、脱がしちゃダメーーっ!」 「途中リタイアなんて姫らしくない」 「やぁぁ……もう! 時間かけるから恥ずかしくなるの! だめだめ、やっぱり見られるのやだからっ」 そうは言いながらも、姫の腰は逃げようとしない。つまり、ここでブレーキを踏むような姫じゃないってことだ……。 ひとりで納得した俺は、騒ぐ姫にかまわずショーツを丸め取るように下ろしてゆく。 すぐにお尻の穴が見えた。姫のいちばん敏感な部分は、キュッと閉じたままの姿を小さくすぼませていた。 「あ、あーっ、こら、聞いてよ、上司命令! あたしの命令なのっ、命令だってばぁ!!」 「悪いトナカイにはお仕置きが待ってるかな」 リラックスさせるように囁いた俺は、ひと思いに濡れたショーツを太ももまで下ろし、そのまま膝下に抜いてしまう。 「やっ、やぁぁあぁーーーーぁぁぁぁあぁぁっ!!」 「……っ!」 我知らず──喉が鳴った。 ぽたたっ……と、冷たくなった液体が落ちてきて、その向こうに姫の秘密が花開く。 「やだやだ、こら見るなっ! 見ちゃダメ、だめーーええぇ!!」 それは、俺にとって初めて肉眼で見る女性器だった。 生々しいとかグロテスクとか、そんな形容が全く不釣合いなほど、その部分は無垢に色づいていて──。 きらきらと輝いて見えるのは、姫の粗相が部屋の照明に照り返しているからだ。 その下で、意外にも毛の生えていない、つるんとした幼い性器が口を閉ざしている。 けれど、この無垢な器官が俺の鼓動をこんなにも早くしているのはなぜだろう。姫の情欲が、この中に凝縮されているからか──。 「あ……あぁぁぁ……見られてる……! な、なに凝視してるの? ど、どうせ……」 「これでおあいこかなと思ってさ」 「うそっっ! どうせ子供みたいだって思ってるんでしょ!」 「あいにく子供のを見たことがないから分からない。 けれど…………」 中心部分の扉はぴったり閉じているのに、クリトリスだけがツンと生意気に顔を覗かせている。そこにキスしたら姫はどんな声で感じてくれるだろう。 「姫のは……ちゃんとやらしいと思う」 「ほ、ほんと?」 「嘘かどうかは、 姫が握ってる奴に聞いてくれよ」 「え……あわゎ!?」 「そ、そうか…… このち○ちんを信じたらいいんだ」 『やらしい』というのは、どうやら姫にとって褒め言葉だったようだ。 俺の視線を避けようと、必死に閉ざそうとしていた太ももから力が抜け、太ももの間隔がわずかに広がった──。 「ん……なら、 ちょっとならいいよ……見ても」 「ほら……」 下着のない状態で、姫がまた腰を落としてきた。頭上に広がっていた姫の局部全体が降りてくる。 圧倒される俺の目の前には姫の濡れた性器がある。その上で生赤く色づいた肉の尖りが、次第に近づいて──。 「あ……」 馬鹿みたいに口を開けている自分に気がついた。凄い眺めだ……息が詰まりそうな、それでいて呼吸は乱れてしまいそうな──。 「いいよ……おま○こ、見ても……」 うっとりとしかけていたところで、またしても、姫の口から出たとは思えない、恥ずかしい言葉に意識がかき乱される。 「さっきから……それ放送禁止用語」 「だ、だって、男って こういうの興奮するんでしょ!?」 「またどこでそんなことを?」 「そ……それは…………本で読んだから」 本──か。人類の叡智ならば仕方がない。 しかし……なるほど。姫も俺のことを攻略しようと本に頼ったりしていたのだろうか。 そんな想像をしたとたん、胸の奥がドキッと疼いた。 視線を下ろすと、そこはすごい眺めだった。姫の顔と性器がひとつのアングルに収まって、俺のほうを向いている。 「……っ!」 姫の手にギュッと強く握られた分身が、早く爆発したいと自己主張を始める……。 下半身の欲求をひとまずやり過ごした俺は、あらわにされた姫の股の付け根に手を伸ばした。 「ひぅぅっ!?」 薄い肉のふくらみを左右から指で広げると、赤く充血した粘膜が眼前に広がる。 こ、これが──姫の……! 「ひ、広げる!? 普通!!」 「だって、姫の行儀よく閉じてるから」 「そ、そうなんだ……じゃあ仕方ないけど」 なにが仕方ないのか、きっと、姫自身もよく分かっていないだろう。日本語がおかしいのは俺だって大して変わらない。 「綺麗だ……」 姫に聞こえないように呟いた。 開かれた赤い粘膜が俺を見下ろしている。そこは全体的につるんとしているが、襞の連なりは複雑で、神秘的な形状をなしている。 「はぁ……はぁぁ……」 膣口というものは分かるが、あとはどこがどの部分なのか分からない。顔を近づけて、姫の奥深くまで覗き込む。 「やぁ……はぁぁ……ッ……ッ」 姫の息が詰まるたびに、複雑な赤い襞がヒクヒクと収縮を繰り返す。 俺と同じように、見られているだけで姫は感じてしまうのだ。相手が俺だからだと思うのは自惚れだろうか? おそらくは俺だけが知っている。姫の最深部──。 やがて──おもらしの水滴とは別の、トロッと粘り気のある透明な雫が、目の前に垂れ落ちてきた。 「姫……見られるの弱いんだ?」 「そ、そんなことないっ! あたしぜんぜん感じてないから……! そこ、濡れてるの、おしっこだし!」 「姫のおしっこは糸を引く……と」 「そ、それは……んあぁぁああぁァ……ぁッ」 返事を待たずに、俺は姫の敏感な赤い襞に口をつけてみた。 「ん、じゅる……ん、んっ……」 まるで俺の舌先に甘えるかのように、ぴとっと姫の粘膜が吸い付いてくる。 そのまま吸い上げると、ごく薄い塩辛さが舌の上に広がった。これが──姫の味なのか。 「んぃっ!? んぃぃーーーーーーーっ!! だめだめ、なに……あ、あ、そんな、 だめよ、そこ……そこキスしちゃだめぇぇ」 姫の悲鳴で気づかされた。果たしてこれは、俺のファーストキスになるのだろうかと。 どこにキスをしても、キスはキスだろうか。いや──しかし。 俺たちはキスをするような関係じゃなかったのに、こんな行為にまで足を踏み入れている。それは、お互いの好奇心が望んだことだ。 それでも……たとえ好奇心の関係だったとしても、今は少しでも姫のことを楽しませてやりたい。 赤い粘膜の内側に潜り込んだまま、そう思った。姫に楽しんでほしい、その気持ちは本物だ。 どうやら俺はいま、姫のためならなんでもしてやりたいのだ。部下ではなく、トナカイでもなく、俺として──。 「な、なに……?」 「……なんでもない、お姫様」 できるだけ優しく囁いて、初めてする舌での愛撫に取りかかる。 姫の大切な部分を汚れたままにはしておけない。まずは舌で丹念に舐め取っていくことにした。 「あ、あ……国産……あ、あ……はぁぁ……」 内腿から局部のふくらみに向かって、あるいはお尻の谷間を目指して、敏感な器官を避けるように舌を動かしてゆく。 しっとりとした姫の肌が張り付いてくる。その感触を楽しみながら、上へ、下へ──。 「はぁ……はぁぁ……あ、あ、舐めてる…… んぁ……あ、あ……あぁぁ……ァ」 ピンと張り詰めて自己主張をする肉の突起だけを外しながら、周りを丹念に舌先で愛撫すると、姫の腰がもじもじと動き始める。 気が狂うほど焦らされたあとで触れられると、何倍も気持ちがいい。それは、俺が姫から教わったことでもあるのだ。 「んぅぅーーっ、あ、あ、そこ、そこそこ、 あんっ……もう……あ、あ、そっち、そこ、 あ、あ、あぁぁ……」 もう少し、もう少し……そう言い聞かせるように、そこだけには触れないように、閉ざされた亀裂の中にも舌を忍ばせる。 「あ、あッ、そこ……はぁぁン……んんーー! あ、あん? ん……んんーーっ!!」 欲しいところになかなか来ないので姫がお尻をクイクイ持ち上げて誘ってくる。 きっと、姫に遊ばれていたときの俺も、こんな顔をしていたのだろう。優しく微笑んでくれた姫の気持ちが今は分かる。 「はぁぁ……ね、ねえ……ねえーーぇ!」 焦れた姫の声は、甘えるように潤んでいる。周りの肉を指で押し広げて、刺激を待ちわびている肉の突起をあらわにした。 「んぁ、あ、あっ!? だ、だめ……そんな広げちゃ……!」 「ここ……?」 ふっと息をかけてみる。それだけで姫の腰がカクカクンとだらしなく上下する。 「姫……3秒後」 「──!?」 セルヴィで指示を出すように言って心の中でカウントダウンをする。 ──3 ──2 ──1 そうして──外気にさらされてヒクンヒクンと痙攣を繰り返す突起の根元に唇を近づけて、 「……ん……じゅぅぅ……ッ」 「んぐ……! んィィィィィイイイィィぃぃぃぃぃ!!」 刺激を待ち焦がれていた情欲の芯に口をつけると、姫は絶叫に近い悲鳴を上げながら、最大速度で昇りつめてしまった。 粗相した残りの雫をあたりに飛ばして、細い腰がカクカクッ……と痙攣を起こす。 「あひぁああぁぁぁ、んあッ? あはぁ、 あへぁあぁぁぁ……へぁぁ、んはぁぁ……」 俺は絶頂したままの姫を押さえつけて、何度も何度も、敏感な肉の突起を根っこから上に舌でなぞり上げた。 そのたびに、姫の身体がおもしろいように跳ね、小さな身体が懸命に快楽をアピールする。 「あひぁぁ、あへぇぇ……だめェ……んぁぁ!」 姫の喘ぎがすっかりとろけている。完全に焦点を失った瞳にはもはや俺のペニスも映っていないようだ。 もっと、もっと──姫自身も知らない地点まで舌先で連れ去ってしまおうと、濡れて滴る赤い粘膜にディープキスをする。 舌の上に滲み出して広がる、俺しか知らない姫の味──。なぜだろう、こんな状態で俺は少し感動している。 「んひぃッ……あへぇぇぁぁあぁあぇぁあぁぁぁ、 あーーーぁぁ、ああぁーーーーぁぁ、だめぇ、 おま○こ……あ、あーーーーぁぁ……ァぁ……」 唇を離すと、膣口の上の粘膜に小さい穴が口を開けているのが見えた。 横にひしゃげた空洞から透明な雫がトクトクと滲み出している。 「あぁぁ……はぁぁ……ぁ?」 誘われるように小さな穴に唇をつけて、ストローで吸うように一気に吸い上げた。 「きィ……ッ!!? うああっ!? だめ、だめだめッ!! そんなのだめ、飲んじゃだめーーぇぇ!」 すじゅっ、じゅるるっ……と、音を立てて姫から流れ出す液体を口の中に集めていく。 「はひぁ……はぁぁ……あァ」 顔を上げると、充血した肉の芽をピンと立てた、子供みたいな姫の局部がある。サンタ服と粘膜の赤が、同時に目にしみた。 あのNYトップチームのエースサンタ、摩天楼のスペシャルシューティングスターが、俺の上で何もかもをさらけ出して喘いでいる。 また、感動に近い情動が心をくすぐるのが分かった。自分にできる限りの丁寧さで、もてなしをするように姫の粘膜に舌をからめ、吸い上げる──。 「ん、ん……ちゅ、ちゅ、じゅるるる……」 「あ、あぁ、そんな……んぃ、んぃぃっ、だめ イきそう、あ、あひァ……ひぁぁ、ひぃ、ひぃ、 んぃぃ、んぃ、ぃぃぃ……ッッ!!!」 姫の声が甘く弾ける。俺の上で姫は今日、いったい何回昇りつめただろう。 「い、い、いぁ、い、イぐ…………ッッ!!! うッ……うーーーーーーーーーーーーッ!! う……うはァぁ……はァぁぁ……はぁぁ……」 脱力する前に音を立てて吸い上げると、快楽にとろけた泣き声を姫が搾り出す。 「かはぁ……はぁっ、はぁ、はぁ……らめぇ あぁぁ……はぁ、はぁ、もうらめ……はぁぁァ」 荒く息をつく姫から視線を戻すと、開きっぱなしの膣口もぱくぱくと収縮を繰り返していた。 俺だけの姫──そんなフレーズが頭の中をぐるぐると回っている。 「はぁ、はぁ……あ、あ、あ、んぁぁァ……ッ やぁ、もうゆるして、だめになる……んんー!」 いくら繰り返しても飽きそうにない。ねろっ、ねろっ……と、舌先で丹念になぞると、ふたたび姫の情欲がトクントクンと溢れてきた。 「にゃぁぁぁ……やぁぁ、はひぁぁ……ぁぁ、 もう……はぁっ、だめ、だめだめだめーぇぇ!」 「ん……もう少し」 「あ、あ、あはぁぁ……ぁぁ、だめなのにぃ、 だめだって言ってるのにぃぃ……はぁぁーーっ」 「気持ちよくない?」 「ち、ちが……いいから困るのっ!」 正直にそんな事を言われると、こっちが照れてしまう。 感じている姫と同じくらい、俺もドキドキしているのだ。 「やぁン……んぁ、あ、もう、ぐしょぐしょ、 あ、あ……なんか垂れてるの……やぁ、恥ずかしい」 姫が逃げ腰になってもいいように吸盤のように吸い付いて、もごもごと口の中だけで粘膜のやりとりをする。 「んーーっ、だめだめ、そこ、中で舌だめーぇぇ、 いいっ、あ、あ、気持ちいいからやめて!! いいからやめてぇぇ!!」 「ん……美味しい、姫のここ」 中で舌を上下にうねらせる。たちまち狭い姫の入り口が、俺の舌を抜き取ろうとするかのように締め付ける。 「こくさ……ぁぁん、だめ、だめだめそこ感じるっ! あ、あ、あっ、舌ぐりぐりしちゃらめぇぇ! また変になるよ、なっちゃうから……んぎっ、ン」 アンモニアの匂いも愛液の匂いも甘酸っぱい体臭も、全てが姫なのだ。全てを飲み込んで自分とひとつにしてしまいたくなる。 「はぁぁ、ひぁぁ……らめ……もうらめぇぇ、 いじわる……国産のいじわるぅぅ……ッ!」 確かに、歯止めがきかなくなっているかもしれない。きっとこれは、好奇心の範疇を遥かに超えている。 少しでも姫と一緒になりたい俺は、姫の体温を顔全体で感じるほど強く押し付けて、粘膜にまみれてゆく。 「あぁぁン……国産、あ、あ、もう、ああっ、 ごめん、あたし……ち○ちんいじれない……、 もう無理、無理っ……あ、あ、あ、だめぇぇ!」 「今日は姫が気持ちよくなればいいの」 「うん……あ、あぁぁ……すごい、国産の舌、あ、 あ、あ、動いてる……あたしの中で動いてるッ、 あたしの恥ずかしいとここすってる……ぅっ」 俺なんかを本気で相手にしてとりとめをなくしてしまうお姫様の、恥ずかしい姿を見ていると顔がほころんでくる。 本当になんなのだろう、この感情は。姫に対する敬意と、好意と、執着と、反発。それらが混沌と、胸の深いところで渦を巻いている。 恋心──? ふとそんな言葉が浮かんだ。そうして頭の中が〈そ〉《・》〈れ〉《・》でいっぱいになる。 こんなことをしている最中だというのに、俺は初めて、そう生まれて初めて、強烈にその言葉を意識していた──。 姫のことしか考えられなくなり、姫のためならなんでもしたくなり、姫とひとつになりたくなっている──。 そうだ、この気持ちに言葉を与えるとしたらそれはきっと『恋心』なのだろう。 「はぁーーっ、はぁぁーーぁぁ、国産……あ、あ、 そこだめ……ぇ、あ、あ、こくさぁぁン……!」 刺激を求める姫のお尻が俺の顔の上で円を描く。どうしてこんな仕草が、こんなにも愛らしいのだろう。 熱病にかかった俺はもう、姫の反応のなにもかもが愛しくて、このままずっとこうしていたくなっている。 姫も俺に好意があるからこんなことを許しているのだろうか?そう想像するだけで、おかしいほど胸が熱くなる。 「はぁぁ……はぁぁっ……はぁ〜〜〜んンッ! あ、あ、出てきてる……んぁ、んぁ、はぁぁ、 なんかエッチなのあふれてる……」 俺がこんな気持ちになっていることをきっと姫は気づいていないだろう。 姫のおもらしを浴びながら、俺はこの自信家でありながら自信なさげな上司様に夢中になっていた。 どんな恥ずかしい姿も、声も、反応も、姫はなにひとつ恥ずかしがることはない。 心の中で囁きながら、熱く潤った膣口の奥で舌を回す──。 「好きだ、姫……」 性器の中でそう呟いた。声としては届かなかっただろうが、それでいい。俺は、自分自身にそう告白したのだ。 「あぐ……っっ……んひィ……ん、んぁ、 あん、あん、あ、あんっ、はぁぁ…… あたしのそこ……広がっちゃう……ンン」 もう20分近く、姫の中で舌を動かしている。やがて、姫の粘膜から満ち足りた口を離した俺は、照れ隠しにもっと下世話な言葉を囁いた。 「姫が……ち○こ美味しいって言う 気持ちが分かった」 「ばかぁぁ……はぁ、はぁ、お、おいしいの?」 「ん……じゅるる……ん、んっ」 イエスのかわりに、両手で押し広げた姫の秘密にキスをして、とめどなくこぼれる粘液を吸い上げる。 「あぁぁぁ……えっちな音してる、 あたし……はぁ、はぁ、もう、あ、あ、あっ!」 またしても粘膜が舌先を包み込み、締め付ける。姫の絶頂が舌先から伝わってきているのだ──。 「らめぇ……あ、あはぁぁ、んはぁぁ、 あたし溶けちゃう……ぅぅっ、溶けちゃうーっ」 「あ、あ、あっ、また、またイく……はぁぁン、 はぁぁーーーンン……イくイく……あ、あ、あ、 あ、あィ、あィ……ああぁーーーーッッ!!」 顔の上で汗ばんだお尻が跳ねる。それを捕まえて、今度は人差し指を舌の代わりに第一関節まで差し入れる。 「んひィッ……!?」 もっと、もっと姫をとろけさせる──。俺は細い腰を押さえつけたまま、クリトリスに丹念に唾液を塗りこんでゆく。 「はぁぁぁァーーぁあぁッ、だめだめぇ、 いまイッたの……イッたのにぃ……あ、あ、 あたしイっちゃったのにまたイく……ッ」 ながい愛撫で、姫の敏感な突起は炎症を起こしたように真っ赤に腫れていた。 そこを口に含み、姫が俺の先端をくすぐる時のように、舌先をくるくる回してやる。 「はふゥゥン……ふぅぅーーン、あーーン、あン、 あぁぁーーーンン……いい、いいぃ……すごい 頭へんになる、おま○こきもちいぃぃぃ……」 本当に頭がおかしくなりそうなのだろう。姫の言葉を証明するかのように、細い手足がひっきりなしに痙攣を繰り返している。 まだ痙攣を残したままの膣口で指先をヌポッヌポッと抜き差しすると、姫はよだれの糸を引きながら腰を振りだした。 「はぁぁぁぁ……いいぃ、舌ぁ……いいの…… おま○こ……はぁぁーぁ……おま○こ舐めて、 あ、あ、あ、あーっ、気持ちいい……ィ」 わざと恥ずかしい言葉で情欲を高ぶらせた姫が、指先を舌だと勘違いしたまま、無我夢中でペニスを口に含もうとする。 「はあぁ……んむ……はぁ、はぁぁ、あ、あ、 そんな、あ、あ、奥、あッ、奥っ!」 そのまま指先を奥まで潜らせてやった。舌ではできない運動で、螺子を巻くようにして熱い肉の隘路を押し広げてゆく。 たちまち姫はペニスを口から放り出して快楽の坂道を急上昇していく。 「んにィィィいぃッ!? うそうそ……あ、あーーっ、こんなのすごい! あ、あ、あ、かき混ぜて、あ、あーーっ!!」 指を回しながら口の中の突起に軽く歯を立てた。じゅわっと漏れ出した液体も残らずすすり上げる。姫の味と匂いに俺のこわばりもはちきれそうだ。 「あ、あ、あ、ああ〜〜ンッ! はぁぁーーーンッ、んぁ、んぁ、んぁ、あーーっ、 あたし、あたし……あ、あ、あたし壊れちゃう」 「んぶ……んちゅ、ちゅ、はぁぁぁァ! もっとして……国産、あたしのこと、 もっと、あ、あ、あ、もっとおかしくして!」 リクエストに応えるつもりで、反対の人差し指で肛門を圧迫してみた。恋人の頬をつつくように、優しく優しく力を加える。 「きゃうううっ! う、う、うーーーっ!!」 たちまち、ヌルルッ……と、またも第一関節まで簡単に受け入れられてしまった。 ここも同時に愛撫したら、姫はどうなってしまうのだろう。姫の恥ずかしい内側の粘膜を、優しく擦りあげる。 「あへぁぁあぁ……はぁぁーーーーぁぁ、 らめ、もうおかしく……あ、あ、あッ!?」 口から性器への長いファーストキスだ。いったいいつから俺は姫の中で舌を遊ばせているのだろう。 「あああっ、そこ、おま○こ……ひっかいて、 あ、あ、あ、もっとコリコリ……あ、あはぁぁ」 姫の小さな穴から液体が滲み出してくる。口をつけてそれを根こそぎ吸い上げる。そのまま唇をクリトリスに移動させ──。 歯の先で突起の先端をくるくると回してみる。 「はぎィ……ッッ! んぃぃーーッ! らめ、らめらめらめ!! だめぇぇーーー!! あたし、あたし……あ、あ、くるっちゃうぅ」 膣と肛門を指でいじられながらクリトリスを唇に挟まれ、舐め回される。三ヶ所を同時に刺激された姫は、もうなす術がない。 「あーーーぁぁぁぁ、ぎもちいいよぉ……! おま○こ……おま○こ溶ける……あぁぁぁ、 あたしおま○こ溶けちゃうぅぅ……!!」 「そこ、あ、あぁぁッ、だめぇ、そこくちゅくちゅ しないでぇ……んあァ、変なスイッチ入っちゃう、 おま○こスイッチ入っちゃうってばぁ……!!」 どこがそのスイッチなのだろう……?膣口の指を根元まで差し入れ、奥のほうでコリコリと弾力のある壁を擦ってみた。 たちまち姫の声がとろけだし、尿道口から暖かい液体がほとばしる。 「はぁぁ……はぁぁ〜〜ぁぁ……あぁぁ〜〜ん! 入っちゃったぁ……えっちスイッチ……あぁ〜、 入っちゃった……あはァぁあ〜ぁぁ……いいィ」 甘えた声で鳴いて、俺の舌におもねるように腰を突き出してくる。 「はぁぁ……おま○こ……やぁぁ、おま○こ…… はぁ、はぁ〜……すき、すき、おま○こぉぉ……」 そうして姫は俺の顔を濡れそぼった股間でぺたんぺたんとプレスしながら、おねだりの喘ぎを立て続けにもらした。 姫が──完全に落ちた。それは信じられない征服感だった。姫はもう俺の前で完全に我を忘れている。 姫の赤い口の中で、舌先が〈攣〉《つ》りそうになった。それでも俺は限界まで姫が好きだと言う愛撫を続ける。 「あ、はぁぁ……もう、あ、あン、 い……いつまで舐めてるのぉ?」 「舌が〈攣〉《つ》るまで」 「んぁぁァ!? だ、だめだめぇ……ああ〜ん! そんなにしたら、あたし狂っちゃう」 そんなことを言いながら、姫はお尻をぐいぐいと押し付けてくる。 乾きかけの愛液でべとべとになった顔が、姫の股間の濡れた皮膚に粘着して、顔を離すたびにぷくっと膨らんだ大陰唇が肉ごと引っ張られてくる。 「あ、あーーっ!? だめだめ、お尻の指、 あ、あ、回しちゃだめ、広がっちゃうぅぅ!」 「すごい、こっちの穴──食いしばってる」 「やぁぁ……だって、あぁぁァ、そうじゃないと怖い、 あ、あ、あ、あたしぐちゃぐちゃになるからぁ…… あ、あ、あっ、だめだめ、そっちは本当にだめー!」 お尻の穴からヌポンと引き抜くと、中で腸液にまみれた指先が、すっかりふやけていた。 「あァんッ! あ、あ……はぁぁ……はぁ、はぁ、 ん、んーーーン! んーーーンン!」 めろめろになった姫が期待するようにお尻を振るので、再び、ゆっくり中にねじ込んでいく。 「んぁぁぁ〜ァァ……はぁぁ、はぁっ、あぁぁァ、 お尻はダメなの、あたしお尻だめッ! あ、あッ、うッ、うぇッ、うぇ、うーぅぅぅッ!」 姫の粘膜に吸い付いた口の中に、次々と生暖かい液体があふれる。 愛液と体液の匂いに包まれたまま、俺は夢中で舌を使う。 「んあっ、あ、あ、あぇっ、んぇっ、んぇぇ!! やぁ、えっぢぃ! いじわるー! ばかーー!! あぁ、もう、もう、あたし国産に壊されるっ!」 もう壊してしまったのかもしれない。すっかり我を忘れた姫を、さらなる高みへと舌先で押し上げていく。 頭をクラクラさせる興奮は射精感につながっている。俺は頭の芯を痺れさせながら姫の粘液を口の中で転がした。 「んじゅる、んじゅ……じゅるる、ちゅぅぅ」 「あ、はぁぁーーっっ、はぁぁ、はぁーぁーーっ! やぁぁ、優しくしないで……クセになっちゃったら どうするのよぉ……ぁ、あ、あ、あはぁぁ……ァ」 口の中に含んだ性器全体を甘噛みすると、果汁のように染み出した愛液が口全体に広がり、姫らしい、だだっこのような喘ぎが耳を打つ。 「あん、あ〜ぁぁン、だめ、だめだったらぁ、 あ、あ、だめ、あたし出ちゃう! おしっこ出ちゃいそう……やぁ、あ、あ!」 「平気さ、さっきあれだけ出したんだし」 「でもだめぇぇ、あ、どいて、どいて、どけばかっ! あ!! あ、あ、違うの、ごめんなさい、あ、あ、 どいて、お願い、出ちゃうからぁぁ……ぁ」 大丈夫だというように、姫の粘膜全体を甘噛みする。同時にお尻の指をぐるっとねじると姫の声が裏返る。 「きゃぁッ!? い、い、いっ、いいいぃぃぃッ!! あはァァッ……だめッ、もぐもぐだめぇ! もうおま○こ噛んじゃだめぇぇ……っ!!」 「やめてやめて……あたしこんなの知っちゃったら、 あ、あ、あぁぁ……だめッ、もうっ……あぁぁ、 もうひとりじゃできなくなるぅぅ……ッ!」 いっそ、そうなればいい。そのたびに部下の俺を呼び出せばいい。心の中で思いながらクリトリスの上で舌を回す。 「はひっ、ひふぁ、あ、あ、あーーーっ!!! あぁぁ……だめぇぇ、もう……感じすぎるぅぅ」 根元を歯で摘んで、鋭くした舌先で何度もはじく。差し入れた指で下から押し上げて、クリトリスの逃げ道を塞いでしまう。 「りゃぁぁぁあ……りゃめ、りゃめっ! らめらって言ってるのにぃぃ……きゃう! う、うーーーーっ!」 周囲からじわじわ焦らして、最後にクリトリスの根元を軽く噛んでみると姫の身体が大きく弓なりに跳ねた。 「もうだめ、もうだめっ、あ、お尻、指だめぇぇ! おま○こヌブヌブだめぇ、クリ挟むのもらめぇ、 らめだって、らめ、らめ、あ、あ、あ、あッ!」 『だめ』と催促されたことを全て実行して、とどめに優しくクリトリスをかじってみた。誰より愛しい姫の顔が快楽に歪み、とろけだす。 「ぴィ……やにゃぁ、噛むのにゃめぇぇ! にゃぅぅ……う、うーーっ!! らめらめらめッ ひぐッ……噛むのぎもぢぃぃいぃいぃぃいぃッ!」 なきべそかきながら裏返った声を上げた姫が、俺の口の中で、舌の上で昇りつめていく。 「ひぎぅぅぅッ! だめ、出る、出る、出ちゃうっ、 国産の顔におしっこ出ちゃうーーっ! あん、あん、でもでも、あ、あ、ぎもちぃぃぃ!」 「んじゅる、じゅるるるっ、ん……ちゅぅぅ」 「あッ、ああぁぁーーーっ!! 出ちゃう、出ちゃう、出ちゃ……あ、あ、 そこかじったら出ちゃうーーーーーーっ!!」 「出るって、出ちゃ……あ、あ、あ、あっ、イく、 イクイクイクッ!! あッ、あーーーーーッッ!」 最後は俺の顔に股間を押し付け、ぐりぐりと円運動をさせながら、姫が体内の悲鳴を根こそぎ絞り出した。 同時にシャッ……と、あたたかい水流がほとばしる。 「いやぁぁぁーーーーーーーーーーーーンン!」 きらきらと、黄金の雫が目の前で跳ねる。姫が俺にだけ晒してしまった、なによりも恥ずかしい姿。 考えるより先に身体が動き、姫の水源──小さくひしゃげた粘膜の穴に唇を押し当てていた。 「ん…………ん……んくっ」 「やっ、やだ……うそ……あ、あ、直接……あぃっ いッ、い……いィィィィィァあああぁああぁああ ぁああぁあぁあぁああああああああッッ……!」 汗をジットリと浮かべた姫の腰がひくんひくんと波打って顔に押し付けられる。本人も無意識のうちに動いているのだろう。 「はァ……ッッッ!! うッ、う、うーーーーっ でひゃったぁぁぁぁ……ぁぁ……ぁあぁあぁぁ」 粗相したものをトナカイの口で受け止められて、涙目になった姫は恍惚と羞恥の波間を漂っている。 「ん……あったかい……」 「だめぇぇ、飲んじゃらめ……ぇぁあぁぁぁ…… 国産にあ、あぁぁ……飲まれて、あ、吸われてる、 おしっこ……汚いのに、ばか……あ、あ、あッ」 「でも、姫の味…………んん」 「うっ、ううっ……やだ、恥ずかしいのにまだ出る、 あたし、おかしくなってる……ううううっ、 ご、ごめんね、ごめん……ほんとに止まらないの」 俺の射精を受け止めたときの姫も、こんな気持ちだったのだろうか。自分の全てをこの人で満たしてしまいたいような……。 姫がこれまで感じたどんな快楽よりも今の愉悦が深いものであればいい。姫の粘膜のなかで俺はそう思う。 こんな感情は場違いだろうか?姫のおもらしを飲み下しながら、俺は少しだけ照れくさくなっていた。 「あ、あ、あ……変なの、恥ずかしいのに んぁ……死んじゃいたいのに……あはぁぁ、 あ、あ〜ぁぁ、あ、あ、あぃ、イきそ……ッ」 またしても息が詰まる。排尿の快感と、性感が、きっと姫の中でごちゃまぜになっている──。 「あ、あ、あ、あーーーーーーーっっ!!」 「うぅぅ……もうやだ、はぁぁぁーーーァぁぁッ イく……あ、あ、やだぁぁ、イっちゃうぅぅッ」 そうして、俺に腰をぺたぺたと押し付けながら、姫は立て続けに絶頂した。 「はぁ、はぁ……はぁぁ、くはぁぁ……ぁ、ぁ、 もうだめ……あ、はぁぁ……ン……ン」 さすがに体力の限界かもしれない。姫の全身から力が抜け落ちて、俺の上にへなへなとへたばってしまった。 「ご、ごめん……途中から……んぁぁ、はぁ、 ぜんぜんできなかったぁぁ……」 「いいさ、可愛かったし」 「やだ……な、なに言ってんの!? わわ……国産の顔びしょびしょになってる!」 「ん、ほんとだ……ははは」 「うそ、まさか……? お、おしっこ……ほんとに飲んだ?」 「聞くな、俺だって恥ずかしい」 「うぅぅ……な、なんでそんなことしたの!? って、あたしが言える立場じゃないけど、 でも……う、うぅぅ……恥ずかしいぃ……」 「恥ずかしいのはお互い様だろ。 俺だって、今日はずいぶん……」 「なわけないじゃん! 絶対あたしのほうが恥ずかしい!」 「はぁぁ……どうするのよ、 もう……こんなとこ見られたら、あたし……」 「こんなとこって?」 「あァぁあぁッ……そこじゃなくて、 きゃん、広げちゃだめ……あ、ほんとだめ、 だめ、あぃ、あぃ……イく……ッッ!!」 「あらら……じゃあラストに」 ちょっと刺激しただけで中の肉がうねうねと動き、軽く差し入れた指先がキュゥゥゥッ……と締め付けられる。 「んぁあぁぁ!? やぁぁんッ! だっておかしいの! あぃ、あぃぃ……うぁ、うぐ……ッッッ!!」 「んふーーーっ、ふぅぅ……んふ〜ン……ッ! くはぁっ……はぁ、はぁ……はぁぁぁ……ぁ」 「すごいな、このへん全部性感帯になってる」 「はぁぁ……国産がそうしたんじゃない、 んン……はァン……ばかぁ……」 「でも、俺は好きだけど」 「や、ばかぁ! へんたい! どーせあたしがこんな風になっちゃったの、 楽しんでるんでしょ! いじわる、悪趣味!」 こっちの恋心なんかお構いなしに暴走するお姫様のお尻を、ぺちんと叩いてやる。 「にゃぁぁっ!?」 「そうじゃなくて、 綺麗な身体だと思ったの」 「え? うそよ! だ、だって、そんなとこばっか見て……」 「こんなとこだって、綺麗だぜ?」 「あぅぅぅ……!!」 「照れくさいだろ、だからもっと言ってやる。 綺麗だよ、かわいいお姫様……ん、ちゅ……」 「ンあぁぁッ!? や、やっぱいじわる……ッ! んぁぁ……はぁぁ、はぁーーっ、だめだめ、 もうだめ、いつまでやるのぉ?」 「姫に信じてもらえるまで」 「なにそれ!? あはぁァぁ……国産……あとで、ううぁッ!? お、お、おおぉ、おぼえてなさ……ぁああぁっ!」 夜間訓練で俺をしごきまくっていたお姫様が、今夜は数え切れないほど絶頂して、見たことのない表情をたくさんさらけ出した。 姫が意地を張ろうと、あるいは素直に陥落しようと、どっちにしろ俺はこのサンタさんに釘付けなのだ。 二人の距離が日常へ戻るのを少しでも遅らせようと、尖りっぱなしの突起を口でつまんで、チュウチュウ吸い上げると、すぐに姫の声が潤んだ。 「んはァ……ぁぁ……ッ、はぁぁーーーっ、 はぁーっ、んぁぁ……だめらめ……らめぇ」 すがりつくように、あるいはやけくそのように、姫が俺のペニスをしごきはじめる。 それはずいぶんぎこちない動きだったが、俺自身が驚くほどのスピードで射精感が押し寄せてきた。 「はぁっ、はぁっ、はぁぁーーーぁぁぁ、もうだめぇ おま○こだめぇ……もう……えっち、えっちぃ! あたし……あ、あ、あたしおま○こ、えっちぃぃ」 刺激的な状況の連続攻撃に、もう触れられなくても射精してしまいそうなほど高ぶっていたペニスを姫の指先がしごきたてる。 「ねえ、ねぇぇ……国産もおねがぁい……あた、 あ、あたしに気持ちいい顔見せて……お願い、 見たいの、あ、あ、あぁ、舐めるのだめぇぇ」 「んっ……り、了解、イきそうだ……」 「うん、うん、出してぇ……! 見てるから、 国産の顔も、ち○ちんも、あたし見てるから! んぁ……あ、あ〜、だめぇ、あたしもイきそう……」 攻撃のつもりなのか、あるいはおねだりなのか、震える腰を持ち上げた姫は、濡れて開いた局部を俺の上に押し付けてきた。 「んぐ……!?」 「ねぇぇ、国産……んぁ、んぁぁ、ほらぁ、 あたしの……おま○こ見て、舐めてぇ、 あ、はぁぁ……ほら、ほら見て、おま○こ」 「お願い、あたしのおま○こ見ながらイッて。 あたし……国産にしか、これ見せないから……」 ずっと見続けてきた姫の粘膜がまたも視界いっぱいに広がる。 これはもう半分、姫の意地なのだろう。意地でも、俺を果てさせなくては終われないという、いかにも姫らしい負けず嫌い──。 「あたし、おま○こ見せたの国産だけだよ。 ち○こ舐めたのも、おしっこ飲まれたのも 国産だけだもん……だから、だからイッて……」 射精へ導こうとする姫の言葉が、脳を痺れさせる。付け焼刃の卑猥な単語よりも、『国産だけ』の宣言が心臓を貫くようだった。 「はぁぁ……ぁ、ねえ、国産……ねぇぇ、んんッ! あっ、あぁ〜〜ンッ……おねがい、おねがいぃ」 感極まったような声を洩らした姫が、俺の顔にタンッタンッと性器を打ち付けてきた。 「ンぁあぁぁぁ……ァァぁ、見られてる……ッ 国産に全部見られてる……んぁ、んぁ、んあッ あーーぁぁぎもちぃぃ……はぁ〜、いいぃ……」 ぺちんぺちんと、顔の上で姫の性器が踊る。そのたびにきらきらした粘液が俺の顔と姫の粘膜の間で糸を引く……。 「あぁぁ……はぁぁ〜ぁぁっ……ン、ンッ ねえ、あたし、国産のイくとこ見たいの、 国産のち○ちん……ち○ちん……んんンぅ」 近づいては遠ざかる姫の性器。その向こうに見えるのは、発情しきって焦点を失いかけているエリートサンタさんの瞳。 いずれにしろ押し寄せてくる放出の時をすこしでも先延ばしにしながら、俺はそんな姫の恥態を脳裏に刻み付けている。 「はぁぁぁ……ねぇぇ、とーまぁぁ……@」 冬馬──。その言葉がスイッチになって、大きなうねりが一気に押し寄せてきた。 「姫──姫ッ!!」 「はぁぁ……ッ、 あ、あ、あはぁぁ……出た……ぁ」 頭の芯が焦げ付いたようだ。目の前が真っ暗になり、姫の濃密な香りと情欲の打ち出される感覚だけが俺を支配する。 「んあぁ……あ、あ、出てる……せーえき……ん、 んむ、ちゅ、ちゅ、じゅるる……んぶっ、んぶぶ」 ためらいのない舌先が、射精の最中のペニスを巻き取って、白濁の液体にまみれる。 「はぁぁ……いっぱい……ん、んじゅる、ずびっ、 ずびっ、ずびびっ……ん、んぐ……もぐ、ん、ん んぶぶっ、んじゅ……んぐっ、ごく……ん、んっ」 「はぁぁ……あん、ちゅ……もう〜、こいつめ、 出しすぎよ……んじゅる……ふふっ、 飲みきれないじゃない」 熱い精液を喉に絡めながら、姫の笑顔が……俺には幸せそうに見えた。 「はぁ、はぁ、はぁ……はぁぁーーっ はぁーーっ、はぁぁーーーっ、 国産……どうだったぁ……?」 「き……気絶するかと思った」 「あはは、よかったぁ……! やられっぱなしじゃ、格好つかないもんね」 本当にそれだけだろうか。しかし、放出と同時に我に返った俺は、急に恥ずかしくなって姫の顔をまともに見られない。 「でも……すごかったな国産の……ん、 これ……はぁぁ〜ン……これすごい…… すごいの……ん、はぁぁ……ァ」 舌先で精液を巻き取りながら、姫の視線がトロンと蕩けだし、腰がもぞもぞと円を描きはじめる。 「姫?」 「あん!? やだ、またおかしくなってた?」 「い、いや……少しだけ」 「はぁぁ……あ、あたし……や、ヤバいかも。 ん、んぁァ……これって癖になりそう……」 「俺もだ、姫のこと大事なのに」 「あ、こらぁ! おま○こばっかり見ながら言わないで、 あたし……こっちだもん」 「姫だって、 俺の顔じゃないとこばっか見てる」 「ぎく!? こ、これは……恥ずかしいから……!」 「じゃ、一緒だ……ん、ちゅ……」 「きゃんっっ! もう……だめぇ、きりがないィ、 あ、あ、んあァ……はぁ……はぁぁ、だめよ」 「姫だって手、手!」 「んぁ、んぁぁ……だめなのにぃ……あ、あ、 はぁぁ〜ン……こ、国産って……あん、ん、 な、舐めるの…………すごく上手いね?」 「……もう少し続けますか、お姫様?」 「でも……あ、あぁぁ……はぁ、はぁぁ、う、うん、 ね、ねえ……あ、あ、あ……じゃあ、もう一回?」 「お望みとあれば、次は勝負抜きで」 「はぁぁ……うん……じゃあしよぉ……ん、んぁ、 あァ、あぁぁ、あぁぁぁ、でも……どうしよう あたし、ん、んっ……また漏らしたら……」 「飲むコツはだいたいつかんだので、 ご安心めされ」 「もう……ばかぁぁ…………」 姫も俺も耳たぶまで真っ赤に染まっている。純粋に運動をした暑さだけではない感情が、そこに滲み出しているかのようだ。 そうして──お互いの性器ごしに見つめ合いながら、俺たちはようやく、いつものように笑った。 「………………」 「………………」 「………………」 「よいしょ……っと」 「あ……うぅぅぅ……!!」 「まさかシミの形も合衆国とはなぁ……」 「ば……ばかぁぁ!!」 「ふぁぁぁ……んー! ちゅんちゅん、ちゅんちゅん♪ 今日もきたきた、いい朝だー♪」 「ふんふんふーん♪ あさのー♪ ごはんはー♪ ししゃも! たくあん! お・ま・め・さんー♪」 「……あれ?」 「りりかちゃんの部屋から水が……?」 「あ、雨漏り!?!?」 「りりかちゃーん!! たいへん、たいへんです! 外に水がぁぁぁ!!!」 「──!?!?!?」 「あ、開いてた。 あのですね、いま下に降りようと思ったら りりかちゃんの部屋から……!!」 「わぁぁぁぁぁーーーーーーー!?」 「な、な、ななみんーーーー!?!?」 「わわわわっ!? りりりりりりかちゃんがおね、おね、おね……」 「わあーーーああああ! ちがう、そーじゃないーっ!!」 「でででもっ!」 「ほんとに違う! おねしょじゃない!」 確かにおねしょではない、しかし……! 「忘れろ!!」 「無理です!!」 「ち、違うんだってば! これはおねしょじゃなくて!!」 「だめですよ、大家さんに殺されちゃいます! 早く外に干さないと!」 「わーっ、触るなーー!!!」 「……あれ?」 「うわ、これアメリカだ! すごいすごい、これはアートですっっ!! まさかりりかちゃんに新しい水芸が!?」 「うるさい、うるさいっ、なんでもないっっ!!」 「……はっ!? つ、つまりこれは、おしっこアートデビュー!? りりかちゃんが〈PN:〉《ペンネーム》〈月漏〉《つきもり》りりかさんに!?」 「ぎゃーー、だまれだまれぇぇ!!」 ──どしゅっ! がしゅっ! ぐしゃっ!! 「ぎゃああああああああああぁぁあぁぁ……!!」「なぜ俺までがああああああぁぁあぁぁ……!!」 「帰れもうばかーっっっ!!」 「あうぅ……うぅ……!」 「わ、忘れろ……忘れろななみ……(がくっ)」 「…………はぁっ」 「うぅぅ……なんでこんなことに なっちゃったんだろ」 「はぁぁ……どうして、なぜこの りりかる☆りりかちゃんともあろう者が!」 「このあたしが……あんなに、 あんなにエロエロになっちゃうなんて……」 「……はぁぁっ」 「あうぅぅ……もう信じらんない!! 大失態よ!!」 「国産トナカイ相手にあんな風になっちゃって、 あまつさえピンク頭にまで……!!!」 「うぁあああぁぁぁあぁあぁぁああぁぁ!!」 「見られた……おもらし見られたっ!! なんであんなときに限ってーー! アメリカ行ってからは1回もしなかったのに!」 「うぅぅぅぅ……ぜったい国産のせいだ、 だって、国産があんな風に舐めるから……!」 「お、奥まで舌入れたり……、 あんなとこ噛んだり………………」 「…………(もやもやもや)」 「…………(もやもやもや)」 「……って、わ、わっ、わーーーーーーっっ!!! なにいまの間!? で、出てけ、このエロ細胞! エロコンドリア!」 「ううっ、このあたしが……!! NYサンタチームのエースが!! この月守りりかともあろうものが……!!」 「あんな…………」 「………………(回想中)」 「はっっ!? わ、わ、わーーーーっ!!」 「だ、だめよっ! なんでこのあたしが トナカイなんてドーブツを相手に……!」 「うううっ……! しかもあんな放送禁止用語でなんて……く、屈辱!」 「しかも許せないのが、そうなっちゃったときって 国産のやつ、やけに余裕のある顔をして 年長者ぶってくるし……!!」 「あんな…………」 「………………(回想中)」 「わぁぁぁーーん!! 殺す、殺す、殺す! あのエロトナカイ殺すっ!!!!」 「呼んだかい、お姫様?」 「きゃあああっ……こ、国産!?!? ななななにしてたのっっ!?」 「店の窓拭きだ。 なんか騒がしかったようだが大丈夫か? 怪我でもしたんじゃないか」 「あ、あー! う、ううん……なんでもないっ@」 「(……ば、ばか!!!  なんでとびきりの笑顔作ろうとしてんの!?  バカなのあたし!?)」 「よーし、トライアングル フォーメーションでフィニッシュする。 後続機、遅れるな!」 「了解!!」 姫とのプライベートが急速に距離を縮めつつある最中であっても、訓練となれば完全に気持ちが切り替わる。 ここ数日──俺は絶好調といっていい。クイックターンの精度も確実に上がってきたし、スキンシップの賜物か、姫との呼吸も完璧だ。 なによりも、空が広くなったように感じられる。 「姫、ターゲットは5個だ。一気に決めようぜ」 「とーぜん!」 カペラの行動範囲が広がったことで、空が狭くなるのかと思ったら逆に広く感じられるようになった。 狭いコースを滑空するにしても、そこにはさまざまな小技を仕掛ける余地がある。 姫との特訓を繰り返すことで、そいつが見えるようになったということだ。 「れっつごー☆ ジェラルドさん♪」 「ターゲット来たぜ、お嬢さん」 「はいっ! 今日も召しませ、ガトーシトロン♪」 「こっちもよ、硯!」 「はい、当てます──……はァッ!!」 「ななみも硯もいい仕上がりだ。 こっちもいくぜ、お姫様!」 「OK、派手に決めるわ!」 「今宵もアナタのハートを狙い撃ち☆ 魅惑の反応弾・プラズマフラーーッシュ!!」 「……?」 光の輪が……4つ?姫がターゲットを外すなんて珍しいこともあるものだ。 「……くっ!」 「たまにはそんなこともあるさ。 次で決めようぜ」 「………………」 「どうした、姫?」 「え? あっ……うん、そうね、 ごめん……凡ミスしちゃって」 「姫?」 『ごめん』なんて訓練中の姫には似合わない台詞だ。連日の特訓で疲労がたまっているのだろうか。 もちろんそれは、姫の射線をフォローしきれなかった俺にも当てはまる。 今日までがむしゃらに特訓を繰り返してきたが、そろそろパフォーマンスを最大限に発揮できるちょうどいいペースをつかむ時期かもしれない。 「ふぅ……お疲れさん」 「……ん」 カペラを格納庫にしまって、姫とハイタッチ。いつもならパンと小気味のいい音を響かせるところだが、今日はいまいち湿った音がした。 的を外すなんて久しぶりなのだから無理もない。ここは自分の未熟を棚上げにしてでも、少し景気のいい話をしよう。 「なあ、俺が90点超えたら NY本部復帰の道も開けそうかな?」 「ん、そーね……」 「…………姫?」 軽口を諌めるでも、バカにするでもなく、全くのスルー……。 そのまま姫は汗を落としにツリーハウスの中に姿を消してしまった。 「さすがはエリートさん……ってとこか」 ターゲットひとつ外したことは、姫にとってそれほどショックだということだ。まだまだ、俺とはレベルが違う。 「そうだな、俺の面倒をみるので、 姫にもずいぶん負担をかけちまった」 ここまで育ててもらったからには、俺がしっかりしないとダメだってことだ。 姫との特訓は、日常の隅々までが血肉になる。それに報いるためにも、俺はもっともっと実力をつける必要があるのだ──。 「いらっしゃいませー☆ お、アイちゃーん!!」 「……こんにちは」 「おや、知り合いかい?」 「はい! こないだニュータウンの小学校まで おむすびさんのお供で行った時に お知り合いになりましてー」 「はじめまして……お姉ちゃんの知り合いです」 「アイちゃんっていうんです。 もー、照れちゃダメですってばぁ」 「きゃ、わぁぁ……もう、うっとーしーから 頭なでないでくださいー!!」 「お客さんにじゃれつくな、 迷惑してるじゃないか」 「本当です。 店長さんからも言ってください」 「またまたぁ、 アイちゃんとわたしの仲じゃないですかー。 それで、いつになるか分かりました?」 「ん……なんの話かな?」 「星の観察会?」 「ああ、今晩らしいんだ。 ななみのやつ、いつの間にかニュータウンで 小さなお友達を作ってたみたいでさ」 「ふーん……」 話しながら、姫のハイパージングルブラスターが落ち葉に次々に水の塊を命中させる。 水鉄砲での射撃訓練──。ここ数日の姫は、暇を見つけては自分を鍛えるのに余念がない。 「で、19時からそのアイちゃんの 通ってる学校だか児童館だかで、 星の観察会をやるっていうんでな」 「ななみんとラブ夫は お店と訓練が1日お休み──と」 「ん、まあそういうことだ。 しかし、あいつもしっかりしてきたよ、 なんだかんだ好き勝手やってるように見えて……」 「好き勝手やってるわね」 「まあ、そう言うなって。 どうやらアイちゃんって子はさ、 二人暮ししてるお父さんの仕事が忙しくて──」 「かわいそうな子なんだ……」 少し姫の物言いに距離を感じるのは、やっぱり、こないだの夜のせいだろうか。 たしかに、俺も姫もあの夜はおかしかった。良く言ってケダモノ、悪く言えば淫獣。 そして、俺が姫を見る目にも、あのときから変化が生まれて──。 「国産?」 「お、おう!」 「……何考えてたの?」 「いっ、いや、いやそのなんだ! ななみらしいな……ってさ」 「どこが?」 「ん……なんていうかな、 俺もあいつと長いわけじゃないから、 上手く説明しにくいんだが……」 「サンタの仕事ってのは、突き詰めてしまえば プレゼントのノルマを配りきることで、 俺たちトナカイはそのために空を飛んでる」 「けれどあいつは、競技みたいに配るんじゃなくて ひとりひとりの心に向けてプレゼントを届けたい、 みたいなことを考えてるんだと思う」 後ろめたい回想をしていたせいか、どうやら俺は少し饒舌になっている。 ななみのフォローをするつもりで、いつしか自分自身に語り聞かせるように、言葉を重ねていった。 「一つ一つにまごころをこめて、丁寧にって いうかさ……膨大なプレゼントのノルマを前に すると忘れてしまいがちだが、それって……」 「ひとつひとつ丁寧に配って、 それで漏れた子が出たらどうするの?」 「姫?」 「いるのよ、ルーキーさんの中にはね、 自分の手の長さも分からないで、 理想論ばっか言ってるサンタさん!」 いつもの憎まれ口かと思ったら、姫の目は存外真剣だった。 「あ、あたしはそんな安直なサンタの 尻拭いなんてしたくないから!」 自分の言葉の〈棘〉《とげ》に驚いたような顔をした姫は、プイと顔をそむけてテラスへの階段を昇る。 「おい、飯は?」 「今日はいらない」 「夜の訓練に〈障〉《さわ》るぞ」 「国産!」 「……姫?」 「覚えといて。 結局、あの子がしてるのは自己満足でしかないわ」 結局その晩、姫は久しぶりに夕食を抜いてしまい、ななみもアイちゃんの観察会に出かけたので、俺と硯は二人で寂しい食卓を囲むことになった。 「やぁ、美味いなあ……! この味噌漬けは相当なもんだ」 「きららさんに教わったんです。 ときどき、お昼に食材とレシピを 届けてくださるんですよ」 「へえ、俺と姫が店番してるころ?」 「そうですね、だんだんこのツリーハウスにも リズムみたいなものが生まれてきた気がします」 「ああ、まったくだな。 今日は珍しく二人になっちまったが」 と、二人の会話がようやく回り始めたところへ、 「すずりーん、頭痛薬もらうね」 「あ、はい……具合でも」 「ん、ちょっとね…… たいしたことないから平気」 「大丈夫か、1日くらい訓練……」 「んなことできるわけないでしょ! 食休みが終わったら、そっこー〈滑空〉《グライド》!」 「お、おう!」 その晩、ななみが戻ってきたのは、ちょうど俺たちの訓練が終わったタイミングだった。 「ただいま戻りましたー!」 「ななみさん、遅すぎます!」 「ああぅ、 とーるくん……いらっしゃいましたか」 久しぶりに訓練の様子を見にきた透が帰るところに、ちょうど出くわしてしまったのがななみの不運だ。 「町の人との交流も大切ですが、 夜の訓練には間に合うように帰ってきてください」 「あうぅ……す、すみません」 「まあいいじゃないか、 こっちもちょうど今終わったところさ」 「訓練のほうはいかがでしたか?」 「上々です。 シリウスもカペラもバルーンの撃墜数は 予想を10%近く上回っていますから」 「べ、ベテルギウスもがんばりますのでー!」 本当を言うと、姫も俺もいまいち息が合わずにストレスを感じる滑空だったのだが、キャロルの透には気づかれなかったようだ。 「そっちはどうだったんだい?」 「はい、行ってよかったです! 小学校で星を見る会だったんですけれど、 アイちゃんも喜んでくれまして!」 「アイちゃんっていうのは?」 「ちょっと難しい子……なのかな?」 「ううん、とっても素直な子なんですよ。 でもちょっとバリアーを張っちゃうところがあって なかなかお話できなかったんですけど」 「でも、今日一緒にいて、 なかよしさんになれました。 アイちゃんってとってもお父さんが好きで……」 家に帰ったばかりだというのに、ななみは靴も脱がずに、アイという女の子のことを熱心に話してくる。 スロバキアにいた頃の師匠は、ちょうどこんなサンタクロースだった。 卓越した技術に裏付けられたものではあったけれど、いつも、出合ったひとりひとりに心を砕いて、そのことで夢中になってしまうような人だった。 かといって、俺は姫の主張が間違っているとは思わない。 ひとりひとりに向き合うことと、より多くにプレゼントを配ること。 それはどちらも大事なことで、片方だけを選ぶ話じゃない。 問題は、ルーキーの俺たちがそれを両立できるかという話で、そうなると俺は、今は訓練に時間を使うべきという姫の側に立つことになってしまう。 けれど……理屈で考えればそうなのだが、出会った女の子についてきらきらした目で語るななみのことを、俺は否定したくないのだ──。 「へぇぇ、なるほど……それでななみさんは」 「はい。 アイちゃんが、サンタに手紙を書いてくれると 嬉しいんですけど……」 「これもなにかの縁だな、がんばってみろよ」 「はい!」 「……で、そうやってななみんに 選ばれた子だけが救われるんだ?」 「りりかちゃん!?」「りりかさん!?」 洗面所から顔を出した姫が割って入った。 「ななみん、神様にでもなったつもり?」 「そ、そんなこと……! ちがいますよ、わたしは……」 「じゃあ誰が決めるの? 当選者を」 「当選?」 「姫!」 「だって、ななみんの気まぐれで、 その子にだけボーナスつけてあげるんでしょ? 他の子を落として抽選するんでしょ?」 「わ、わたしは……そんな……」 「よかったね、そのアイちゃんって子、 ななみんと知り合えてラッキーよね?」 「…………」 「もうやめろ、言いすぎだ」 「………………」 「わかった、もう寝る!」 「…………あ、あの」 「………………」 「……気にするな、 金髪さん、ちょっと疲れてんだ」 「中井さん……」 「透、報告はお前に任せる」 「は、はい……夜分遅くまですみませんでした。 その、し……失礼します!」 泡を食った透がいそいそと帰宅する。報告はあいつに任せてしまったが、正直、そんなに心配はしていない。 近ごろ、透が姫を見る視線には、以前はなかった一種の憧憬が宿っているからだ。 それよりもななみだ。姫に正面からぶつかられた彼女のテンションのほうが気に掛かる。 「りりかちゃん……ちょっと困ってたみたい」 「そう思ったか?」 「うん……なんとなく、なんですけど」 ななみは今の口論よりも、姫の様子を心配している。本人がそれを知ったらどう思うだろうか。 「俺もそう思うんだ、なんていうか」 「焦ってるみたいで」 「……ああ」 相方の俺だけでなく、ななみにも気づかれているのなら重症だ。 しかし、どうして姫が焦る……? 「なにがあったのかな……りりかちゃん」 「俺にもわからんが……」 どうしたというのだろう。ついこないだまで訓練も絶好調で、二人のペアは順風満帆だったというのに……。 心当たりがあるとすれば、俺の実力不足か。あるいは……。 「…………!」 あるいは、俺たちが踏み越えた男女の一線の話だろうか? 思わず赤面してしまった俺の横顔をななみが不思議そうに見上げている。 「とーまくん?」 「ま、俺の相方さんのことだ。 あとでじっくり話をきいてみることにするよ」 「それから、姫の言ったことは気にするなよ。 お前はお前のサンタを目指せばいい。 それじゃあな」 「………………はて、とーまくん?」 「おーい、姫?」 「なにか用?」 「用……ってほどでもないんだが」 ひとっ飛び、駅前で買って来たバーガーTIMEの袋を見せると、姫は口を尖らせながらドアを開けた。 「今日は厳しかったな」 「言い過ぎたと思った?」 「俺には分からんよ。 ただ、あそこで切り上げたのは正解だろうさ」 「ななみんは?」 「ああ、あいつは大丈夫だ。 ケロッとしてる」 「そっか……」 どうしたのだ、姫はますます元気がない。リーダー選定へのプレッシャーかと思ったが、どうも違うような気がする。 ジェラルドも近頃、どうも上の空のように見える。上の空と言うよりも、なにかが気になって目の前のことがおろそかになっているようだ。 NY組の不調は、そのまま俺たちサンタチームの戦力低下に跳ね返ってくる。なにか俺にできるサポートがあればいいのだが。 「国産はどう思う?」 「さっきのことか?」 姫が無言でうなずく。ななみが模索しているサンタのスタイルについて、俺から言えることは、あまりない。 「そうだな……いろんなサンタがいるってことさ」 「……そうかもね」 姫は疲れているのだろう。ようやく浮かんだ笑みも、どこかぎこちない。 「ま、堅くならないで行こうや。 明日からネジの巻きなおしだ」 「ん……帰る?」 「ああ、そろそろ寝ないと。 おやすみ……」 「ん……」 おやすみを言って立ち上がった俺の袖をりりかの指がくい、と引っ張った。 「……姫?」 「ここで寝てったら?」 「は!?」 「へ、変な意味じゃなくて! Hなんてぜったいしないし」 「了解──にしたって、明日早いんだぜ?」 「命令よ……国産、部下なんでしょ?」 「国産、起きて、国産!」 「ん、ぁ……もう朝か」 驚いた。本当に何事もないまま、朝を迎えてしまった。 拍子抜けした顔でベッドに腰掛ける俺の隣で、姫はというと……すでに外出用のダウンジャケットに袖を通している。 「もうこんな時間か!? 目覚ましかけといたはずなのに」 「あたしが止めたの」 「そりゃまたどうして?」 「はい、支部からの指令」 携帯のメールを見せられる。差出人は──リトルニセコか。 「なになに──人手が足りないので、 明朝はバルーン敷設の手伝いをお願いします?」 「朝の修行も休みだって」 「ああ、そうか……」 透の奴が気を利かせてくれたな……。疲れている姫のために休暇を。 姫は訓練時間のロスを気にして口を尖らせているが、今日のところはゆっくり休んだほうがいいだろう。 「ボスの仰せじゃ仕方がないさ、 さっさと片付けちまおうぜ」 「あ、国産……その……」 「…………昨夜はごめん」 「俺じゃなくて、ななみにだろ」 「…………うん」 ニュータウンの高い空にふわふわと浮かぶバルーンを見上げる。 「ここであと3箇所……リモコン貸して」 「はいよ、しかしコース上に うまく乗せるってのも難しいもんだな」 「キャロル上がりのサンタなら 楽にやっちゃうんだけどねー」 「エリートさんには不慣れな仕事かな」 「それでもこなすのが プロなんじゃないの……っと、はいできた」 「おおー、さすがは姫」 「じゃあ次ね。 ……あ、ニュータウンの奥のほうだ。 いったん飛んじゃおっか」 「仰せのままに。 ところで今日の飯なんだが、 アジフライでどうかな?」 「うぅ、魚か……」 「だから、まずはイージーランクからさ」 「んー、そうなんだけど……魚かぁ」 「……あ!」 通りの向こうを見て姫が目を丸くした。振り返ると、彼女の目線の先に眼鏡の女の子が空を眺めている。 「ま、まさか……バルーン見られた?」 「大丈夫だろうが、ちょっと探ってみようか。 カメラの件もあるし」 「カメラ?」 「やあ、こんにちは」 「…………こんにちは。 今日は恋人さんもご一緒ですか」 「ここここここ恋人!?!?!?」 「ち、違う、ただの店員! 同僚!!」 「それは失礼しました。 で、なにか御用ですか?」 「ああ、こないだ預かったカメラだけど、 もう少し待ってもらっていいかな?」 「期待していませんから、お気になさらず。 思い出の品なのでそのまま返していただければ 問題ありません」 「カメラって……ひょっとして」 「ん、まぁ、そのうち話そうと思ってたんだが」 「ん……」 あれが壊れたのは自分のせいじゃない、って顔で、姫が口を尖らせる。 つぐ美を前にすると姫は対抗心を強くする。正体を探ろうとしている相手を警戒するのは当然なのだが、いまの俺にはちょっと過剰に見えるのだ。 「で、またあたしたちのあとを尾けてたの?」 「いえ、もうやめました」 「え?」 「今は別のものを追っています」 UFOの取材をやめたということか。しかし、そう語るつぐ美の表情に陰のようなものは浮かんでいない。 「別のものって? お化けとか? それとも恐竜の生き残り?」 「そんな低俗な記事は追いかけません」 「あぐ……!」 「いまの取材対象はオーロラです」 「オーロラ? このしろくま町で??」 ありえない──と、御伽噺の片棒をかついでいるトナカイが言うのもどうかとは思うが。 しかし日本でオーロラなんてものが……。 「(ツリーにそんな能力あるか?)」 「(…………どーかしら)」 「信じていただく必要はありません。 信じられない真実を映し出すから スクープは生まれるのです」 「それもしろくま七不思議?」 つぐ美が首を降って、視線をまた空に戻す。 「祖父が昔、オーロラを見たと言っていました。 その年の気候と、今年のしろくま町の気候が よく似ているというだけのことです」 「ふーん……似てる、か」 姫が並んで空を見上げる。 さすがサンタさんというべきか、つぐ美の、一見突拍子もない話を疑うでも揶揄するでもなく……。 その視線は、どこかに本当にあるオーロラをつぐ美と一緒に探しているかのように見えた。 まる一日の休暇をもてあました俺は、ツリーハウスのテラスからツリーに切り取られた遠い空を見上げる。 手には酒──というわけにもいかぬので、冷蔵庫から失敬してきたスポーツドリンク。 「ふーむ、贅沢な昼のひととき……と」 大きく伸びをして、木々のざわめきに耳を済ませる。 「………………」 ──なぜだろう、近頃、姫が変わってしまった気がする。 その変化がなんなのか。これといった言葉で明示することはできない。しかし笑顔の数が少し減ったような気がするのだ。 それはうかつに交わしてしまった肉体関係がよくなかったのかもしれないし、あるいは全く別の原因なのかもしれない。 お互いの距離感を間違えないように、わざとツンとした態度を取っているようにも見えるが、なにか大切なことを隠しているようにも見える。 「ふむ……」 あいにく俺は、そういった疑問を疑問のまま置いておくのが苦手な口だ。 言いたいことがあるのなら素直に話してほしい。これまでだって俺たちは、そうやって上手くやってきた──と思う。 だが、それくらいは姫も分かっているはずで、だからなおさら、今のもやもやした感じが気にかかるのだ。 バルーンの敷設から戻った姫は、透に休めと言われたのもきかず、裏庭で落ち葉を狙っている。 このところの姫の訓練ぶりは鬼気迫るものがあって、それについてもパートナーとしては気が気でない。 テラスから気を揉んでいる俺のところへ、汗をぬぐいながら姫があがってきた。 「おつかれさん。 ドリンク冷えてるぜ」 「ありがと」 隣のベンチにどさっと身体を投げ出す。相当疲れているのだろう、姫が背もたれを使うなんて珍しい。 「調子、どうだい?」 「ん、まあまあね……。 さてと、もうワンセットいきますか」 「無理するなよ、せっかくの休日なんだ。 ちょっとくらい休まないと……」 「そんなわけにはいかないって……」 「だから!! せめて、喉くらい潤してから……」 「………………」 「なあ……どうしたんだ、姫?」 「…………!!」 俺の一言に、姫は怖じたようだ。びくっと震えて、そしてゆっくりこっちを向く。 「な、なにが?」 そこで言葉が途切れた。姫は、どうやら俺に何かを隠している。疑問が確信に切り替わった。 そりゃあ、リーダー選定のために自分を磨きたがる姫の気持ちはよく分かる。しかし今の姫には、それとは全く別種の切羽つまった感じがあって……。 だから俺は言葉を探した。俺にしては珍しいほど、慎重に。 「……早くNYに帰らないとな」 「NYじゃなくていい……」 「……?」 「………………」 「俺に……話してくれないかな」 「え?」 「そん中に入ってるもの全部さ」 さらさらした縦ロールの隙間から姫の小さな頭をつんとつついてやる。 「俺にできることなら、なんだってする。 それが相棒ってやつだろう?」 「…………ばか」 欄干に腰をかけて、しばらく姫は黙っていた。 俺も黙って、その後姿を見守った。 姫は物思いにふけっているというよりも、俺に向かってなにから話せばいいのか、それを悩んでいるようでもあった。 「漁師のじーちゃん、まだ生きてるの」 それは唐突に、祖父の会話から始まった。そう、姫のじーちゃんは生きている、亡くなったのは姫の両親だ──。 「でも船の上で怪我をして、 もう漁には出られなくなっちゃった。 しばらく寝たきりになって」 「その看病が大変だったのか、 三年前にばーちゃんが死んじゃった」 姫は、普段は封じ込めている記憶の糸をたどろうとするように、どこかぎこちない口調で、故郷の話を続けている──。 「あたしがサンタになったときは、あんまり 詳しく話せなかったけど、外国に留学するって いうんで二人とも喜んで送り出してくれた」 「うん……」 「ばーちゃんが死んでから、じーちゃんは 漁師仲間の家に厄介になってるんだけど、 一人前になるまで帰ってくるなって言われたの」 一人前──?姫はもう一人前どころか……。 いや、それは本人が自分に向けて下す評価だ。俺は差し出口を挟まずに話の続きを待った。 姫にしては珍しく、この話は順序だてて整理されないまま、俺に向かって広げられた。 それはじーちゃんの話がまだ、姫の中でも決着していないことを明かしているようにも思える──。 「いまのあたしにできるのは仕送りくらい……」 「じーちゃんと一緒に食べた魚が美味しくて、 アメリカで食べた魚が全然アウトだったから、 結局魚は食べなくなっちゃった」 話がそれてきた。けれど、ここからまた別のステージへ、姫の物語はつながっているのかもしれない。 「小さいころね、 事故って寝たきりだったじーちゃんのために 浜鍋をもらいに行ったことがあるの」 「浜鍋って知ってる? 漁師が集まって、磯魚とか雑魚ばっかり 集めて大きな鍋をしてみんなで食べるやつ」 「美味そうだな」 「そーなの! 味噌で味付けしてるんだけど、 いろんな魚の旨みが混ざってて、 じーちゃんももちろん大好物で……!」 「けど……そのときは、 あたしの前で鍋がなくなった」 「漁師さんたちも悪気なんてないのに、 なんだか悲しくなって、あたし泣いちゃって けどもう残ってなんかいなくって」 「結局、じーちゃんに 鍋を食べさせてあげられなかった」 「だから、あたしは…… プレゼントの入らない靴下なんて ひとつも認めない」 「絶対に……認めないって決めたの」 ──話が飛んだ。 いや、飛んでいるように感じただけで、姫の中でその二つは強固につながっているのだろう。 それは、姫が数字にこだわる理由だった。言い換えれば、俺の前に打ち明けられた、姫の心の叫びでもあった。 「姫……」 「よくね、そんな夢を見るんだ。 夢を見るたびに刻み付ける。 もう二度とあんなことにさせないって」 「……なんてね、 ガキっぽいわよね、ガラじゃないし、 あはは……ま、それっぽい感じでしょ?」 笑顔にまぎらわして、姫は、今の話を忘れてくれと言っているようだ。 きっと、俺に話したことを姫は少し後悔している。もちろん俺は、せっかく打ち明けた姫を後悔させたまま送り出したくはなかった。 「……辛かったな」 「……!」 「…………国産なんか」 「国産になにが分かるのよ!」 ……ああ、この口下手め!姫にそんな顔をさせちまった。 相棒の、トナカイの俺がいながら、姫を泣かせてしまった。 姫に──俺がしてやれることはなんだ?俺はそんな姫をどうやって支えたらいい? 「あんたなんか、 なんにもわかってないくせに!」 「あたしのこと、 なんにもわかってないくせに!」 「ななみん! ごめんっっ!!」 「り、りりかちゃん……?」 「昨日はあたしが言いすぎた。 ほんと、ごめん!!」 夕食時、部屋から出てきた姫は、まっさきにななみに頭を下げた。 「い、い、いいですってば! わわ、そんな風に謝られちゃうと かえって申し訳ないですし……あの、その!!」 なにはともあれ、どうにか丸く収まったようだ。 「……(にこ)」 それまで気が気でなかった硯と俺はこっそりと目配せをして笑った。 透から連絡があったのは、そのときだった。 「ありえない、気まぐれレッドキング! 抜き打ちのリーダー選定なんて 聞いたことないわ!」 「今日一日、身体を休められて むしろよかったじゃないか」 「それはそうだけど……」 「心の準備が?」 「………………それもある」 「ま、そいつはみなさんご一緒さ」 「ううー、いよいよ来てしまいました」 「もうすぐアドベントだ、 いつ来るかと思ってたけどな」 「むむ……でも、ということはつまり、 新しいペアが馴染んできたと ロードスターさんも思ってくれたわけですね!」 「はは、前向きだね。その調子で頼むぜ」 「私は……リーダーになりたいなんて一言も……」 「ほんとにねー、ま、でも仕事仕事。 腕試しだと思ってやってみりゃいいのよ」 「うぅぅ……」 「じーちゃん、ばーちゃん……見てて」 小声で姫が呟くのが聞こえた。 やはりリーダーの座がかかっているだけあって緊張しているのはトナカイよりもサンタだ。 「ロードスターより、しろくまベルスターズへ」 「いささか急ではあるが、 これよりリーダー選定の最終テストを行います」 「今日までの諸君らの働きぶりは、まず見事。 三名ともそれぞれに個性的なチームリーダーと なりえるでしょう」 「そこで最終テストですが、 三つ巴の雪合戦にて勝敗を決してもらいます」 「もっとも、リーダーの要件は技術だけに非ず。 雪合戦の勝者がすなわちリーダーとは限りません」 「今日まで毎日積み上げてきた物の、 その最後の仕上げと思って、 のびのびと技を競いなさい……私からは以上です」 「いつもの〈武士〉《もののふ》モードじゃない。 本気でやれってことね」 「ああ、ゴキゲンだぜ」 「楽勝よ。 馬の勝負は互角、あとはサンタが決めるわ」 「互角?」 「そうよ、ベテルギウスはまだ完全復活していない。 上り調子の国産なら競り合えるわ」 「俺が……元八大トナカイと?」 「あたしが保証する、信じなさい」 「了解だ、姫……!!」 「七瀬です、試合開始は23:00ジャスト。 ルールは命中即リタイアで、範囲は無制限。 以上です」 「了解!」 「よーし、それじゃあ散開する。 少し気が早いが、ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!」 「国産、右上のコースに乗って……早く!!」 「ん、あっちか」 「そうよ、コース取りから勝負は始まってる。 このコースなら枝分かれが多くて カペラの運動性を活かせるでしょ」 「なるほど、頼りになる」 「とーぜん、師匠なんだから!」 「ああ、5秒前だ──4、3」 「2、1──れっつごー国産!!」 姫の鞭でカペラが夜空に躍り出す。急降下のコースを一気に下って──。 「迷ってるすずりんから落とす!」 「ああ、了解だ!!」 「硯! 上から来る!!」 「え? え? りりかさん!?」 「回避するわ、急降下、いいわね?」 「は、はい! 迎え撃ちます!」 「──遅いっ!!」 「きゃあああああっっ!!」 「やったか?」 「…………とーぜん!」 姫は緊張しているのか。いつもなら派手に技名を叫んでノリノリになるところだが……。 「10時方向のコースで再上昇する。 それでいいか?」 「悪くないけど……国産、ベテルギウスは!?」 「見失った」 「上から来るわ、急降下しておびき寄せる」 「了解!」 「クイックターンか?」 「読まれてる……けどそれしかないわね。 あのピンク頭が一発撃った直後が狙いよ、 回避行動からのクイックターン」 「ハイレベルだな、面白い」 すぐに背後から赤い光が迫ってきた。リフレクターを二基搭載したベテルギウスに直線の急降下で勝てるはずがない。 向こうもクイックターンは折り込み済みだがそれでも姫ならやってくれる──そう信じてタイミングを待った。 「プリンアラモード!!」 「来た!!」「行くぜ!!」 リフレクターの逆噴射で星空がぐるりと回る。あとはブレーキワークとステアリングさばきの見せ所!! 「疾い!!」 「……くっ!!」 「もらった──!!!」「──撃ち返せお嬢ちゃん!!」 「………………!!」 「………………!!」 一瞬ですれ違う。 ベテルギウスの吐き出したスノーフレークに視界を奪われたあとに残るのは、いつもと変わらない星の海──。 「──命中? やったのか……?」 「いや…………」 「やられたのか……俺たちが?」 「………………」 「あの、ななみに!?」 「ご苦労でした、結果は追って伝えます」 「イエッサー!!」 「ま、今回はちょっと調子悪かった」 「姫……」 「しかし……あん時はやれたと思ったんだが。 すまない、未熟だった」 「国産は悪くないわ」 「なに言ってんだ。 姫に対応しきれなかったのは俺の実力不足だ、 そこをごまかそうとは思わない」 「…………そっか、国産らしいね」 「そうさ、こうなりゃ仕方ない。 スペースファイアーバーガーで残念会でも……」 「ごめん、今日は先に帰る」 「え? けど姫……徒歩じゃ」 「たまにはくま電も悪くないし……ん、じゃね」 「姫……」 仕方が無いか……。強がっているが姫のことだ、本当は俺なんかの100倍も悔しいに決まっている。 しばらく……そう、姫の傷が癒えるまでゆっくり構えよう。そしてその間に少しでも鍛錬して技術を磨く。 それが俺に今できる最良のサポートだ。 「ふーむ……チトやばいな」 「……ジェラルド?」 「参った、またやられたよ。完敗だ」 「なにを言ってる、たかだか三年目のトナカイが 俺に肉薄するなんざ……いや、そうか、なるほど」 「なにがなるほどなんだ?」 「ん、まあ、なんだ……厄介な話だってことさ」 「なにが?」 「分からないのか?」 「………………姫のことか?」 「ふむ……腕は磨いても眼のほうはまだか。 いや、当事者ならばそんなものか」 「さっきからなんのことだ、 話が見えないんだが」 「つまり……だ」 肩をポンと叩かれる。 「まあ、そう自分を責めるなってことだ。 お前さんは上手くやってる……」 「……上手すぎるほどにな」 「…………!?」 「へいよ、あたりー!」 「…………」 「またまた、あたりだ!」 「…………」 「おいおい、かなわねーなー、今日も!」 「…………」 「…………どうしたんだい、お嬢ちゃん?」 「なんでもない」 「なんでもないつったって、 ちっとも楽しそうじゃねェじゃねーか」 「………………」 「仕事のストレスかい? まだ小娘みてーに若ェのに、大変なんだな」 「………………気が散る!」 「気が散っても当てちまうのが名人だろ?」 「それよりなあ、お嬢ちゃん、 この町でオーロラが出るって知ってるかい?」 「オーロラ……?」 「ああ、本当を言うとさ、俺がこの町を選んだのは いつかそいつが見れるんじゃねーかって思ってさ」 「昔の女房と約束したんだよ、 新婚旅行でオーロラ見せてやるってな」 「ま、熱海で済ませちまったんだが、 ぶひゃひゃ!!」 「………………おじさん元気だね」 「ふざけんな、不況でヒィヒィ言ってらぁ。 お、店長さんがいらっしゃったぜ?」 「姫?」 「あ……来たんだ」 「頼むから飯は食おうぜ。 ハンバーガー買って帰ろう」 「……りょーかい、あと地酒とね」 「ば、ばれたか!?」 「バレるに決まってるわ、 そっちがメインターゲットでしょ?」 「だから、今回はちょっと流れが悪かったの。 あんたの未熟じゃないんだから気にしない!」 「そんなわけがあるか! あのとき、俺のカペラは 確実にベテルギウスを食ってた。ただ姫の射線に 気が回らなかったんだ」 「それがあんたの分析? 素人もいいとこね!」 「目が悪いってジェラルドにも言われたよ。 だが、他に何があるってんだ!?」 「カペラの力だけで飛んでるんじゃないんだから、 紛れがあるっての! そんなんで自己評価勝手に落としてんじゃない!」 「国産は自分になんでも結び付けすぎるのよ。 だから視野が狭いって言ってんの!」 「じゃあ、どうしたらいいんだ!」 「場数をこなす! それだけ!!!」 「くそ……結局は経験か!」 ぐい飲みになみなみと注いだ『天熊舞』を流し込む。美味いんだか不味いんだかさっぱり分かりゃしない。 「あいつとの実力差も いいところまで縮めてるって言ってるじゃん。 今回のテストで全てが決まるわけじゃないし」 「……なんで俺が姫にフォローされてる?」 「駄々っ子だからに決まってるでしょー? まったくち○こだけは大人のクセして……」 「わぁぁ、女の子がそんなこと言ったらダメ!!」 「なに赤くなってんの?」 「だ、だって……そりゃ、照れるし!」 「ふーん……そっか。 じゃあお上品になってあげてもいいけど……」 ふふんと笑った姫が、ぴたっと俺の酒を指差す。 「それ、あたしにもちょーだい」 「姫が? 酒を!?」 「たまにはいーじゃん。 それ美味しいんでしょ?」 「ん……そりゃ美味いけど。 ええと……姫って飲酒経験あるのか?」 「そんなの楽勝楽勝。 NYじゃ毎晩へべれけだし!」 「そ、そうか……本当か?」 「本当だって! それから上司命令! ほら、ケチらないで〈注〉《つ》いでみよー!」 本当なら、薄いカクテルでも出したいところだが、温泉郷で買って来た地酒に目をつけられてしまった。 まあ、外で飲むわけじゃないから潰れたら部屋に放り込んでしまえばいい。 「かんぱーい」 「そーゆーわけれ!! リーダーの座を譲っても、しっかり結果出して NY本部復帰!! これまちがいない!!」 「…………いきなりべろべろだ」 「ええと……姫は酒飲むの初めてでしたか?」 「なーによー、文句あるってのぉ?」 「やっぱり初めてか!! どうすんだ、思いっきり1合行っちまったぞ」 「だいじょーぶらくしょーらくしょー。 お酒おいしーじゃん、あはははは」 「あーーーっとそれから、 今日はじーちゃんの話はなし!」 「お、おう?」 「あたしの生い立ちはぜーーーったい トップシークレットだからね、いい?」 「ああ、わかってますよ……お姫様」 「なーによー、その投げやりな返事は!? ちょっと国産、きーてる!?」 まずいぞ、カラミ酒だ。おまけに勝負に負けたあとのヤケ酒だ!話題だ。別の話題を持ってくるんだ……! 「そういえばゲームの話なんだが、 姫の好きなアフターバーガー2を やってみたんだが、あの4面ってのは……」 「………………」 「あ、いや、聞いた話によると スティックを右下固定で加速してりゃ……」 「………………」 「……姫?」 「………………」 な、泣いてる!? 「な、なんだ??」 一瞬、ドキッとした。これは……泣き上戸? 姫が!? 「な、なんでもないし!」 「なんでもないならいいが……」 いつものように大声でゲーム講釈をするのかと思いきや、姫はただ無言でぐい飲みを口に当てている。 「どうした、急に」 「コンシューマのバーガー2は 移植あんまりよくないし……」 「ええと……それで泣いてる?」 「泣いてないし!」 「……(うるうるうるうる)」 「おいおい、お姫様……」 「ねえ、国産は……あたしのことどう思う?」 「どう……って、前にも聞かれたが」 「……(うるうるうるうる)」 「あああ、わかった、分かりました!! 姫は頼れる上司様だ──知ってるだろう?」 「国産……」 ううっ、そんな目で見られたら。今の回答じゃおきに召さないとでも……!? 「………………」 「い、いや……そりゃ、俺はセルヴィの 裏技をほとんど姫から教わってるんだし」 「………………」 「姫のなんていうか、割り切りのいいところとか 決断の早いところも見習おうと思ってるし」 「………………」 「本当に、そういう意味で上司だと思ってるから。 その、変な下心とか、そういうのは全然ないし」 「それに何より俺は、こないだからその……」 「姫のことが……なんというか、好……」 「……くー」 「寝たんかい!!!」 「──無理だ、引き返せ!」 「やめろ、サンタはお呼びじゃないんだ」 「機体制御不能!」 「制御不能!」 「……っ!!」 「はぁ……はぁ……」 「…………」 「……いたた」 「頭……お酒か…………」 「………………くっ」 「ひとつ」 「ふたつ、みっつ……」 「…………はぁ」 「国産、まだ寝てるよね……」 「早く明けないかな……」 「…………?」 「…………!!」 「この空気……!!」 「来た……来たんだ……!!」 「すぐ国産起こして…………」 「………………」 「テンペストだって? このしろくま町に」 「あんたも感じてたんでしょ?」 「……先週あたりからな」 「しかし、俺でよかったのか?」 「国産の腕じゃ無理よ」 「そうかい?」 「………………」 「気づいてるんでしょ?」 「だいたいはな──強がりは姫の美点だ」 「嘘っぽいのはラブ夫の欠点ね」 「で、そんなに育ったか?」 「うん……もう抜かれてる」 「あのジャパニーズがねえ。 本人はまるで気づいていないぜ? 師匠を追い抜いてるなんてな」 「…………気づかせないように、 あたしがしてるのかも」 「責めるなよ、そんなことはない。 俺の評価でよければ聞くかい?」 「…………」 「訓練内容をトータルで見れば、 まだ姫のほうが上だ」 「そうかな」 「そうさ、ただあのジャパニーズは時々化けるのが 怖い。技術では姫が勝っていても、技術だけでは 到達のできない部分に手を伸ばしてくる」 「そのとき、あたしは足手まといだった」 「なんでも自分に結びつけるのが、 姫の悪いクセだって言わなかったか?」 「けど、このまま国産の足を引っ張りたくないの。 だってあたしは……」 「俺の目から見れば、姫だって似たようなもんさ。 初めて姫と組んだとき、似た感想を持ったぜ」 「……ばか」 「おい、姫……あいつを見ろ」 「…………!!」 「どうやら当たりだな」 「テンペスト──こんな町にも」 「ゴキゲンじゃないか、NYの借りを返せる」 「目があるわ!」 「行くか? この機体で……」 「無茶は承知。 完全なテンペストになる前に叩かないと イブが大変なことになるわ」 「了解だ、お姫様。 ベテルギウス出力最大!!」 「いい? ビビったら笑ってやるから!」 「ご期待には添えないぜ、お姫様!」 「ん……」 「なんだ、こんな時間に」 「午前3時? やれやれ、姫だな」 「さて何の御用ですかな……と」 「ん……透?」 「もしもし、俺だ」 「な、中井さん、大変ですっ!」 「どうした……ふぁぁ、こんな時間に。 ボスが風邪でもひいたか?」 「ベテルギウスが墜落しました!!」 「…………」 「りりかさんの乗った ベテルギウスが墜落したんです!!」 「なんだって!?」 「わっははははは……」「おほほほほ……」 「そらみろ、 間に合うって言っただろう、ばーさん」 「おやおや……おかえり、お姫様」 「プレゼント、買ってきたぞ」 「寒かったろう、早くあがりなさい」 「…………じーちゃん……」 「………………雪?」 「嫌だな、雪の夜は寒くなるんだ……」 「暮れの忙しい盛りに無理しやがってよォ……」 「急いで帰ってこなくてもよかったんだよ」 「忙しくないよ……あたしなんて」 「あたしなんて…………」 「はいはい、 おまえの好きな浜鍋つくってあるよ」 「どうした、起きてこっちに来いってんだ。 嫌な夢でも見てたんじゃねェか?」 「ううん……ただいま、じーちゃん」 「おかえり……お姫様」 「ただいま、ばーちゃん……」 「ただいま……」 「くそ……ひどい風だ」 「見えますか、とーまくん!?」 「だめだ、ノーズライトが届かない。 高度下げるぞ!」 「左のコースから降りてください!」 「分かってる……お前、腕上げたな」 「…………りりかちゃん」 「そっちはどう?」 「駄目だ、ベテルギウスならデカいから 海でも目立つと思ったんだが」 「まさか、沈んで……!?」 「透! 墜落したのは本当なのか!?」 「岬の岩礁地帯を探してみてください。 コースに流されたのかもしれません」 「わかったわ……まったくなんてことかしら。 セルヴィが墜落なんて……」 「それにどうしてジェラルドさんと りりかちゃんが……」 「………………」 その理由はあとでいい。今はとにかく、2人の無事が心配だ。 暗い夜の海。真っ黒な波──。 いま、俺の脳内を支配しているのは、海面に浮かんだ親父の機体の残骸だ。 あのときの恐怖が心の扉を開けて入り込もうとするのを必死に押さえつけながら、姫の姿を探す。 「シリウス、柊ノ木です! 機体の一部を発見しました!」 「すずりちゃん!?」 「やはり流されてたか。すぐ向かう」 「とーまくん! あそこ!! 右の海面!!」 ななみが大声を出す。荒波の打ちつける岩礁の近く、白い泡をかぶったベテルギウスが浮かんでいた。 「イタリア人──!」 ソリは見つからないが、ジェラルドがステアリングにしがみついている。 「カペラだ。 ベテルギウスを発見した! すぐに引き上げる。シリウス早く来てくれ!!」 「ジェラルドさん!?」 「ジェラルド!」 「…………やれやれだ、姫はどうした?」 「分からないのか!?」 「海上で分離した。 岬の北西……100mかそのあたりだ」 「高度は!?」 「ゼロだ」 その言葉で、最悪の予感がわずかに薄れる。ベテルギウスの墜落は、空中分解を回避した結果だと考えて間違いないだろう。 「どうしてジェラルドさんがりりかちゃんと?」 「そいつはあとでいい。 ななみ、硯、イタリア人を頼む!」 「行くわよ、カペラさん」 「ああ……!」 浜辺に運んだジェラルドの介抱をななみたちに任せて、ふたたび夜空へ飛び立つ。 心の中のどす黒い予感は、全て押さえ込んだ。姫と明日の朝、一緒に笑い話をすることだけを考えて夜のしろくま湾を抜ける。 「中井さん、サー・アルフレッド・キングが りりかさんの位置を特定しました。 岬の岩場あたりに反応があります!」 「生きてるのか!?」 「おそらく……ですが急いでください!」 「やったわね」 「急行する!」 ──波の雫に頬を打たれてあたしは目を覚ました。 懐かしい所から、引き戻されたあたしの頬に雪がはらりはらりと落ちてくる。 右足が凍るように冷たい。顔を上げて見てみれば、靴が波に洗われている。 起き上がろうとすると、右足がかじかんで感覚がなかった。 やっと、意識がはっきりしてきた。 あたしは……墜落した。ソリから落ちてしまったんだ。 あたしらしい。 取り返しのつかない失敗は、いつだってあたしの無茶から始まる。 ソリの残骸が、波を浴びていた。 NYに着任したときにもらった、あたしがエースになるために用意されたソリが、欠片になってあちこちに散らばっている。 ラブ夫からプレゼントされたもの。そうだ──ラブ夫は無事だろうか。 ベテルギウス──あたしを助けるためにラブ夫はまた無理をした。もし、機体が海に落ちていたら……。 暗い海に──そう、国産のお父さんみたいに。 繰り返される波の音があたしの耳を打って焦燥を煽りたてる。 身体を確かめる。よかった、冷えているほかは打撲くらいで大した怪我はしていない。 あの落ちかたを思えば、まるで──奇跡みたい。 このままじゃだめ。あたしが動かないとだめなんだ。 ラブ夫を助けなくちゃ。そのためには、まず高い所に移動。それからみんなに連絡──。 あ、ばかみたい。携帯電話落としてる。 じゃあ早くどこかへ──。 どこだろう、この格好でも怪しまれずにツリーハウスに帰れるとこ。 そんなところ……。 容赦のない寒さがあたしの身体を刺す。 繰り返し、繰り返し、打ち寄せる波の音。そのほかの音は、みんな雪に吸い取られているのか、ひどく遠い。 あたしのふるさと、いつも濃い潮のにおいがしていた愛媛の漁村みたい──。 けれど……。 けれど負けない! 誰のために?そんなの知らない。あたしは、負けない。 じーちゃんが入院した夜。 事故で入院して、お見舞いのあと家に戻って、ばーちゃんと二人で夜を明かした。 あたしを安心させようとばーちゃんは笑ってくれたけど、本当の笑顔じゃないのは幼心にもよくわかってた。 ばーちゃんも眠れないでいたんだ。なのに無理な笑顔を作ってほしくなかったから、あたしはひとりで我慢した。 ひとりで眠ることができずに、こんな波の音をずっと聞いていた。 早く、じーちゃんとばーちゃんのとこへ。 無理に浮かべた笑顔のところへ──。 本当でも嘘でもかまわない。あれは、あたしのための笑顔だったんだから。 かすかな波の音以外は何も聞こえない、いつ終わるのかわからない、長い夜。 ──もう、空はずいぶんと遠かった。 あたしだけでは、あの星空には行けないんだ。この浜も、どこまで歩けば終わるのか。 どうして、自分だけで飛んでいるなんて思っていたんだろう。 独りぼっちのあたしは、空どころか、この寒ささえどうすることもできなくて……。 あたしは……ただの……。 ま、負けるもんか……!あたしは、エリート……!マンハッタンのスペシャルシューティングスター! だったら燃え尽きてしまえばよかったのに。地に落ちた流星なんて、ちっとも輝けないのに。 それでもプレゼントを配りたい。寂しくて泣いているみんなに配りたい。 なのに……。 なのにあたしは、約束のひとつも守れなかった──。 震えながら空を仰げば、雪を降らせる雲の切れ間に星が見えていた。 あの雲を割って抜ければ、そこは──もう一面の星空。 そう、流れに乗って一気に加速すれば、カペラでも簡単にひとっ飛びに……。 けれど、いまここにあるのは海と、地面と、あたし。 他に誰もいない。あたしはひとりで震えている。 震えながらとぼとぼと砂浜に足跡を刻んでる、これがあたしの本当の姿──。 あたしは、絶対にななみんになれない。 なら、どうしてこんなところでサンタごっこをしてるんだろう。 誰に見せたくて、こんなにがんばっているんだろう。 「先生! そこだ!!」 「見つけたわ、赤い服!」 「姫……!!」 「先に降りる、先生は報告を!」 砂を蹴立ててカペラが着陸する。 ずぶ濡れのサンタ服を身にまとった姫は、目の前に降り立った俺の姿に、少し呆然としていたようだった。 「………………」 「姫!」 「………………」 「よかった、怪我はないか……!」 「………………」 「……姫!」 俺は両手をいっぱいに広げ、もう一度姫のことを呼ぶ。 「来いよ、ひとりじゃ風邪ひくぞ!」 「………………!」 引き寄せられるように姫が駆けてくる。 あわせて俺も駆け出した。 ああ、姫だ。気丈でも、生意気でもない、これが俺の好きな姫なのだ──! 砂浜の真ん中で姫の小さい身体を抱き寄せる。 「遅いわよ、バカ……!」 「ああ、ごめん……姫」 俺を置いて勝手に消えちまった姫を抱いて詫びの言葉をかける。 きっと俺が姫を受け止めそこなっていたんだ。それだけ分かれば、その先は今聞かなくていい。 俺の腕の中にいる姫だけが、いまは確かな存在なのだから──。 「あんたがいなかったら駄目なんだから!」 「あたし、あんたがいなかったら 空飛べないんだから!!」 「……以上のような理由で、 ジェラルド・ラブリオーラは完治まで 温泉郷で静養する運びになった」 翌日、ブラウン邸に呼び出された俺たちを待っていたのは、チームの主力が脱落するという笑えない報告だった。 「星名さん、災難だったわね」 「ジェラルドさんの傷はどうなんでしょう?」 「機体が岸壁に叩きつけられるのを、 身体でかばったようです。 命に関わる怪我ではないが、軽くもありません」 「本人は今年のイブが終わったら、トナカイを 引退するなどと言っているが、まあ元気です。 怪我の程度がよければイブに復帰できるでしょう」 「引退?」 「事故の責任ということですか?」 「まあ、そんなところでしょう」 「そんな……」 「…………」 「……大丈夫、辞めさせんよ」 ボスの言葉に俺たち4人はほっと胸をなでおろす。そう、4人しかいない。6人で当たり前だったチームが、今は4人。 りりかとジェラルド──最強の2人を欠いたしろくまベルスターズの面々は、どこか頼りなげにため息をついて顔を見合わせた。 「……痛むか?」 「ん、たいしたことはないな」 「深いんだって?」 「ベテルギウスのツノは長いからな」 「ずいぶん深く切ったようだな」 あの夜のことについて、なにより姫のことについて、ジェラルドに聞きたいことは山ほどある。 それのどこから手をつけたらいいものか、言葉を探していたら、反対に向こうから尋ねられた。 「姫の容態は?」 「さいわい軽症さ。 今日は大事をとって休養日だ」 「そうか……よかった。 それなら姫が…………」 「…………?」 なにか話しかけたジェラルドは途中で言葉を切って自嘲気味な笑みをもらす。 「いや……それでも、か」 言葉の意味が分からないのは、俺の知らない話が姫とジェラルドの間にあるからだ。 「なあ、どうして事故なんか。 機体の整備不良なんてことじゃないだろう」 「俺の責任だ」 「昨夜は──いつも静かな しろくま湾がやけに荒れていた。 そいつとなにか関係があるのか?」 「………………」 「なあ、どういうことだ、ジェラルド! なぜ姫とあんたが!?」 「ああ、このあたりでいい。 下ろしてくれ」 「まだずいぶん先だろう?」 「いいんだ、車を使う」 温泉街の入口でタクシーを待つ。 ジェラルドの宿まであと少しだが、カペラでホテルに乗り付けるわけにはいかない。 「なあ、さっきの話……」 「事故の経緯については、 ロードスターに報告を上げている。 じきに詳しい内容が降りてくるはずだ」 「あ、ああ……」 「姫にとって必要なことは姫が話すだろう。 悪いが、いま俺から言えることはなにもない」 車が来た。それだけ言ってジェラルドが乗り込もうとする。 「そんなはずがあるか! なにを隠している!?」 「ジャパニーズ」 振り返ったジェラルドが、俺の肩をポンと叩く。 「…………あとは任せたぜ」 「ふざけるな!! 俺が聞きたいのはそんな台詞じゃない。 どうしてあんたが辞めなきゃならん!?」 「…………」 「昨夜なにがあった? 姫とどうして事故に巻き込まれた?」 「なんでトナカイを辞める!? あんたほどの腕っこきに、 いったいどんな理由があるんだ!?」 このままじゃなんにも分からない。俺はタクシーのドアを強引に開けて中に首を突っ込んだ。 「待ってくれ。 俺はまだあんたの言葉を聞いてない!」 「──俺の過去は俺だけのものだ」 突き飛ばされ、乱暴に車のドアが閉じた。タクシーが走り出す。 「ジェラルド……」 3年目のトナカイに有無を言わせないだけの気魄があの伊達男の眼には宿っていた。 ジェラルドの過去……? タクシーに乗りそびれた俺はシートにもたれたイタリア人の後頭部が小さくなっていくのを、ただ眺めていた──。 「ただいま」 「あ、とーまくんお帰りなさい」 「姫は?」 「上で休んでます」 「そうか……」 「あの、中井さん……」 テラスに出ようとした俺を硯が呼び止めた。手には鍋の乗ったトレイがある。 「……おかゆを作ったんです」 「これ、よければ中井さんから……」 「ああ、ありがとう」 「あーん」 「あーん♪」 「んむ……はむはむ……」 さいわい姫はソリに守られて軽症だった。あちこちに痣はつくったが、大きな怪我はしていない。 それでも気力と体力の消耗が激しく、今日はほとんど寝てすごしていたのだが。ありがたいことに、いまの姫は元気に見える。 「ん……おいし。 和食に慣れといてよかったぁ」 「硯のお手製だからな。 俺のインチキ和食とは違うさ」 それにしても……。 「……軽傷でよかった」 「ラブ夫のおかげよ」 「ソリの脱落が防げないと分かった時点で 墜落覚悟で高度を下げたの。 だから分離してもあたしは無事だった……」 「そんなことだと思ったよ」 ボスからその話はなかった。おそらくはジェラルドが少し違う内容の報告を上げたのだろう。 「ねえ、ラブ夫の具合は?」 「ああ、元気なもんだ。 足をひねったんで、 しばらく〈滑空〉《グライド》はおあずけだがな」 なぜジェラルドがそれを語らないのか。格好をつけているだけなのか、それとも語りたくない理由があるのか。 今の俺にそれは分からないが、ジェラルドがなにを望んでいるかは少しだけ分かる。 「ジェラルドから姫に伝言だ。 あとは任せた……ってさ」 「…………!」 「そう……そっか……そうよね」 ジェラルドと姫の間にしか分からない言葉がある。そのことが俺の胸をチリッと焦がしている。 だから俺は、ためらいながらもおそらくは傷心の姫に切り出した──。 「あの晩……なにがあったんだ?」 拒絶されるのを覚悟しての質問。しかし姫の反応は、俺の予想と大きく違っていた。 「国産!」 「あたし……国産には隠し事をしたくない」 「話してくれるのか、姫?」 「うん、べつに隠すようなことじゃないから」 「──テンペスト?」 「そう、〈暴風雨〉《テンペスト》! 簡単に言えばルミナの暴発現象よ。 あの『霧』の厄介なやつだと思えばいいわ」 ニュータウンで俺たちを立ち往生させたルミナの霧──相当肝を冷やしたのを思い出す。 「名前くらいは聞いたことがある。 昨夜、海が荒れてたのはつまり──?」 「ルミナの異常が物理的な力を持ってるなんて 考えたくないでしょ?」 ツリーから流れ出すルミナに何らかの異常が発生すると、光の粒子はコースを形作ることができなくなり、沈殿して霧になったり、霧散してしまう。 しかし姫の語るテンペストの現象は、それらとは全く質がことなるもので──。 「テンペストが発生すると、 光の粒子が渦を巻いて荒れ狂う……。 サンタの力になるべき力が全部敵になるの」 「ああ、思い出した。 確かにサンタ学校で聞いたことがある、 テンペストが数年前にNYで……」 「……!?」 「そういうこと……あたしもラブ夫も、 あいつには借りがあるの」 テンペスト退治──。それは、姫とジェラルドがNYでやり残したこと。 姫がNYに戻りたがっていたのは、単に肩書きや名誉のためだけではなかったということだ。 「テンペストは神出鬼没。 次にいつ現れるかも分からないわ」 「でも、ここのツリーが不安定である以上、 またきっと現れる!」 「片やルミナの全くない真空地帯、 もう片方はルミナの暴走したテンペストか」 「そういう支部だったのね、ここは」 「ああ……確かに選抜チームが必要だ」 しかし、それでも俺は姫とペアを組んで、どんな難局でも乗り切ってやるつもりだ。それは今も変わることはない。 「……ごめんね、国産を呼ばなくて」 「いや、姫の判断は正しいよ。 経験のない俺よりも対処法を知っている ジェラルドと挑むのが、〈昨夜〉《ゆうべ》の正解だ」 それくらいは俺にもわかる。姫はほっとした顔になった。 「けど、予想以上だった……」 「テンペストはどうして発生するんだ?」 「ぜんぜん謎。 人々の気持ちの問題とも言われてるし、 ツリーのご機嫌とも言われてる」 「謎か……それでも、 そいつがこの町にいるのなら 対処する必要があるわけだ」 もともとルミナは人間に影響を与えるようなものではないから、テンペストが起きたところで、町の人々にとっては無関係といえる。 昨夜のように、多少高い波を起こしたりする程度なら、テンペストがこの町に災害をもらたすことはありえないだろう。 しかしそれでも、俺たちにとっては死活問題だ。 「覚えておいて、テンペストの勢いは ルミナの発生量に比例するの」 「それはつまり……1年で ルミナの力がもっとも強くなる日に?」 「そう、テンペストは 〈聖夜〉《イブ》に最大の猛威を振るうのよ」 「一度テンペストが暴発すると、暴風圏は飛行が 困難になるし、それまでサンタが地道に広げて いたルミナの効果範囲も一気に縮小しちゃうの」 「姫が遭遇したのは、 その暴発状態だったってことか?」 「ううん、あれはあたしたちが渦の中に 突っ込んでいっただけ。ほうっておくと 揺り返しみたいなのが襲ってくるの」 「ふーむ……しかし、 どうやってテンペストを探すんだ?」 「テンペストはルミナと同じで、普通の人には感知 されないわ。けれどサンタには、テンペストの 前兆がオーロラのような光として見えるの」 「オーロラ……!?」 「でも、しろくま町のテンペストくらい勢いが 強ければ、サンタじゃない国産にもオーロラが 見えるかもしれない……」 「じゃあ、こないだの更科さんの話は……?」 「……うん」 あれがテンペストの前兆──。姫はそれに気づいていたのだ。 「どうして話してくれなかったんだ?」 「だって日本に本当にテンペストが来るなんて 思わなかったし……」 「でも、どうしてあたしが この町に呼ばれたか分かったわ!」 決意を滲ませた声で姫が言った。 「NYの仇をしろくま町で……か」 「うん、今年のNYは平和みたい。 まるでテンペストが、 あたしを追いかけてきたみたいね」 姫はそうやってNY本部の情報もまめに集めていたのだろう。俺の知らないところで、姫は一人で戦っていた。 「本当はね、しろくま支部のリーダーなんて そんなに重要なことじゃないの。 頭を切り替えるわ──敵はテンペスト!」 「ああ、NYに帰る手間が省けたじゃないか。 俺たちでやってやろうぜ」 「もちろん!」 「ラブ夫のやつ、あたしじゃなくて 国産に託したのよ。面倒な仕事を」 「だから、姫から直接聞いてこいと?」 「あいつ、よけーなことばっか考えるんだから」 ジェラルドが俺に託した──。本当にそうだろうか。 いや、そんなことはどうでもいい。どうやって姫の力になるか、いま考えるのはそれだけだ──。 俺は姫の手を取る。その動きは、自分でも驚くほど自然だった。 「話してもらえてよかった。 ずっと気になってたんだ」 「あたしのこと?」 「ああ。リーダ選定のテストから……。 いや、その少し前からか、 姫の様子がおかしかったからさ」 「あ……!」 「うん……」 はっとした顔になった姫が、急にうつむいてしまう。 「姫?」 「……ごめん、国産」 「ほんとはね、あたしひとつ隠し事してる」 「……?」 「けど、これはあたしのことなの。 解決してから国産に話すから、 だから信じてくれる?」 正面から姫の目をのぞく。きらきらと澄んだ瞳が俺の視線を受け止めている。 ああ、それならば俺が姫に伝えることはただひとつだ。 「了解だ、俺が姫を疑うことはない」 「うん……」 粥のスプーンを置いて肩を抱いてやると、案外素直にもたれかかってきた。心臓がドキンと跳ね上がる。 「……ごめんね、 あたしがもうちょっと元気だったら 国産といちゃいちゃできるんだけど」 「な、なに言ってんだ! ほら、食事食事!」 「あはは、照れてる……」 「照れてません!」 「じゃあなんでスプーンがガタガタしてんのよ?」 「こ、これは……16連射の練習……」 「ふーん……? ま、そういうことにしてあげよっか」 「はい、あーん♪」 「あ……あーん」 無防備に開いた口からドキドキと目をそらしながら粥を運ぶ。それが災いして……、 「あっつーーーーーーい!!!!!」 「ばかトナカイっ、ちゃんと見ろっっ!!!」 「すまん姫ーー!!」 「……じゃあ、そのテンペストっていうやつが イブにも来ちゃうんですか?」 「現状の対策案は以下のとおりだ。 皆で検討しましょう」 「テンペストの力は 渦の中心部を基点として発生している。 それゆえに狙いはこのコアに絞られる」 「中心部を狙撃──ですか?」 「そう、渾身のルミナを撃ち込んで中和する!」 シンプルな解決法を提示したボスがぱちんと手を打ち合わせる。 「先日、テンペストに遭遇したベテルギウスは、 果敢に挑んだものの風力が強く、撃ち込まれた ルミナはコアを破壊するに至らなかった──」 「十分に成長したテンペストを制圧するには、 命中精度だけではなく、大量のルミナを操り、 射ち出すだけの能力が要求されるのだ──」 「…………」 「りりかちゃん……」 「テンペストにクリスマスイブを 妨げられることがあってはならない」 「過去にテンペストの観測例は 数えるほどしかないが」 「そのつどサンタたちは、自分たちの能力で 立ち向かい、あるいは地上から人海戦術を 用いてでもプレゼントを配ってきた」 「それは、今回も同じことだ」 「了解!!」 「月守りりか、 君とジェラルド・ラブリオーラの 独断専行はペナルティの対象だ」 「……すみません」 「よって、しろくまベルスターズのリーダーは、 正式に星名ななみくんに決定する。 月守りりか、君は──」 「……はい」 「君はリーダーではなく、 テンペスト退治の切り札だ。 そのつもりで力を蓄えておきたまえ」 「──!?」 「ボス!?」 「りりかさんの新しいソリも完成しました。 もともと支部にストックされていたものを 小型化したものです」 「くれぐれも無茶はしないように、 ……よろしいか?」 「は、はい! ありがとうございますっ!!」 ミーティングのあと、俺だけ居残りを命じられた。庭先でカペラを磨いていると、いつの間にか背後に立っていたボスから声をかけられた。 「──お待たせしたね」 手渡されたのは、つぐ美のカメラだった。 「やはり特殊な構造をしており、 私の手にも余ってな」 「ところがグリーンランド本部のスタッフが 九頭竜川支部に来ているというので、 ひとつ見てもらったのだ」 カメラを受け取りつつ、サー・アルフレッド・キングと差し向かいで立ち話をする。 「じゃあ、修理は無事に?」 「ああ、元通りだ」 「やはりサンタの手が入った品物だった。 その少女の祖父が、 かつてのサンタからもらったのであろう」 「サンタに縁があったんですね……」 「そういうことになるな」 「…………はい」 そうだ、サンタに縁のない子なんていない。それだけ分かれば、俺たちには充分だ。 「ただいま……お、やってるな!」 「はーい、 クリスマスセールの飾り付けですっ!」 「ななみさんとキャンペーンの アイデアも考えているんです」 「……姫がいない?」 「たぶん裏庭ですね」 「身体を動かしていないと 落ち着かないみたいで」 「やれやれ……傷が癒えるまでは 休んでろって言われたのに」 「25、27──飛んで32!!」 テンペストの再出現の可能性を考えて、姫は射撃訓練に余念がない。 怪我もまだ癒えていないのに無理しすぎだ。 「おーい、姫!?」 「あ、国産、ちょうどよかった。 地上じゃ訓練にならないから、 カペラに乗せてくれる?」 「もう少し傷が治ってからにしたらどうだ」 「そんなこと言われたって、 身体がうずいちゃって!!」 「ね、お願い!」 いつものお姫様モードではなく、正面から真剣に頼まれては嫌とはいえない。 結局押し切られた俺は、姫を乗せて夜空へ舞い上がった。 今夜訓練をする予定はなかったので、標的用のバルーンの準備はされていない。 白波山地に向かい、木々の梢を標的に見立てることにする。 ハーモナイザーの同調率をわざと低下させてルミナの暴風域を想定しての模擬訓練だ。 「もっと突っ込んで!!」 「まだだ、早いって!」 「ジャストタイムよ、急げ!!」 「くそ……っ!!」 「あ、もー、やっぱり遅い!!」 「大丈夫だ、ここで溜めて……」 「てええええいい!! ストレートクラッシャー!!!!」 「ヒット! いいぞ、さすが姫……!」 「…………」 「タイミングの微調整だな。 次はもう少し粘ってやってみよう。 再アタックするぞ!」 「う、うん……!」 姫の調子はまだ悪い。まだ体調が戻っていないのだろう、命中はしたが、ルミナの勢いが弱いのだ。 あの程度の威力で、果たしてテンペストに太刀打ちできるのだろうか。 姫が無口なのは恐らく無理だと悟っているからだ。今は下手に声をかけるよりも、このまま姫の調子が上がるのを待ったほうがいい。 「国産! もっと〈機体〉《こいつ》揺らせる!?」 「リフレクター制御でできなくもないが、 まだ難易度を上げるには……」 「じゃあやって!」 「…………了解」 どうした姫……。 テンペストが現れたからって、どうしてそこまで焦る。 気がはやっているばかりじゃ、ルミナを充分に練ることはできない。それくらいはトナカイの俺だって知っている。 「当たれぇぇっっ!!!」 「よぉ、更科さん!!」 「…………こんにちは、早いですね?」 「ああ、写真見せてくれるって聞いたからさ。 新しいオーロラは見えたかい?」 「いえ……そう簡単には」 つぐ美が海上の空を見つめた。小型のデジカメを通して景色を眺めている。 あまり画素数も高くなさそうな、本当に間に合わせのカメラだ。 そんな彼女の前に姫が修理が終わったばかりの一眼レフを差し出した。 「店長が知り合いに頼んで修理してもらったの」 「こないだは……カメラ、ごめん」 「…………」 「……いえ、 取材活動にリスクはつきものですから」 口ではそう言いながらも、つぐ美は大事そうに抱えた一眼レフをのぞきこみ、しばらくファインダーの世界に入り込んでしまった。 「で、オーロラの写真っていうのは?」 「これです……10月の頭ごろに」 「…………!」 つぐ美がL判でプリントした写真を何枚か広げてみせる。 確かにそこには、星空の中、オーロラのような光が映っていた。 「これを……そのカメラで?」 「はじめは心霊現象かと疑ったのですが、 オーブとは性質がずいぶん異なるようでしたので」 「………………」 姫が写真を食い入るように見つめている。 オーブってのは良くわからないが、つまり、これがテンペストなのだ。姫の反応からみて間違いないだろう。 かつてサンタから贈られたカメラ。つぐ美の一眼レフにはルミナを感知する特別な仕掛けがほどこされているのかもしれない。 「これって……この場所?」 「はい、ここから しろくま湾方向の空を写したものです」 「昔、ここで祖父がオーロラの写真を撮りました。 空一面がきらきらと輝いていて……」 かつての思い出を話すつぐ美の横顔は、姫のそれと似ているようだ。 「ですが町の人の目には オーロラが見えなかったようで、 祖父はほら吹きと呼ばれていましたが」 「それでも、写真は残っている」 「ですから私が記事にするのです」 短いやり取りだったが、前に彼女と話をした俺には、つぐ美が記者になった背景がようやく見えてきた。 おそらくお祖父さんのカメラには他にも怪しげなモノがいくつも写っていたのだろう。 そうして彼女はオカルトを追い始めた。 つぐ美が祖父のカメラを持って、不思議な現象を追いかけているのは、絶対といっていいほど祖父を信じているからだ。 「俺たちも探しているんだ、このオーロラを」 「店長!?」 「どういうことですか?」 「ち、ちょっと待ってね!!」 「どーゆーこと!? そんなことまで話しちゃっていいの!?」 「彼女だって お祖父さんの名誉を守りたいんだ」 「言ってるじゃん! サンタは個別の人生相談なんて……」 「それに、彼女はこの町を 取材してきた記者さんだ。 こんな心強い味方はいないだろ?」 「知らないから、どーなっても!」 かくして俺たちはつぐ美の案内で、オーロラの写真が取れそうな場所を回ってみることにした。 かつて写真が撮れたポイント、気象条件、そいったデータは全てつぐ美の頭にある。 俺と姫は、彼女のあとにくっついて町を回るだけだ。 「んー、ないなぁ。 本当にこんなところでオーロラ見えたの?」 「見えたとは言っていません。 見えるのではないかという場所を 案内しています」 「うぐぐ……それはそーなんだけど」 「なにが目的で オーロラを探しているのですか?」 「え!? そ、そんな噂を聞いたから 見てみたいだけっ!」 「それにしては熱心ですね」 「そんなことないもん、 観光気分〜ってやつ?」 「…………ふっ」 「あ、あ、あーっ!! いまちょっと笑った!!!」 「おいおい、 案内してもらってるのにもめるなよ」 「ふ、ふん……! つぐみんだって、実はオーロラが 宇宙人の交信だとか信じちゃってない?」 「そんなことはありません。 それならむしろ貴女のほうが……」 「ま、まだ疑ってるの!?」 「今日も下着は黒ですか?」 「!?!?」 「答えなくてもけっこうです。 真実はレンズが写し出しますから……」 「きゃあああああ、 どこ撮ってるーーー!?!?」 「……どうやら今日は無駄足のようでした」 「はぁ、はぁ……歩きすぎ」 「記者さんってのはタフだなぁ。 足で記事を取るってのはこういうことか」 「歩いているだけなら楽な話です」 「…………」 「電話、つぐみんじゃない?」 「分かっています。 もしもし、更科です。 ……は、はい、はいっ!」 おや、つぐ美が珍しく冷や汗をかいている。 「はい、はいっ、いえ、その今日はオーロラは、 は、はいっっ! 明日のちびっこアスレチック、 はい、すぐにそちらの記事も、はい、はいっ!」 「なんだ、えらいぺこぺこしているが」 「すみません、オーロラはもう少し……ううっ、 は、はいっっ!! 失礼しますっっ!!」 「ふーん……?」 「な、なんですか?」 「いまの、こわーい上司様??」 「…………それが何か?」 「なるほどねー、つぐみんにも苦手なものが あったんだ。ね、ね、鬼デスクってやつ? 記事没ったりするの?」 「オーロラのかわりに さきほどのパンツ写真の掲載を検討します」 「わ、わあああ! じょーだんだってばぁ! ていうか、そんなの現像するなっっ!!!」 「だいたいいっっつもUFOとか ミステリー現象とか、そんなのばっかり 狙ってるのって子供っぽくない!?」 「精神年齢の判断材料になるとは思えませんが」 「しろくま日報ってどんな新聞よ!」 「毎朝届いていませんか? あ、新聞は文字が多すぎてお読みになれない」 「そ、そんなことないもんっっ!!! そんなオカルト新聞のひとつやふたつ」 「しろくま日報とは関係ありません。 UFOや心霊現象の取材は依頼よりも プライベートでやっています」 「趣味でオカルト大好きって……!」 「──!!!」 「あ、て、店長! そろそろお店戻らないとまずいよね」 「ん? あ、ああ……」 「じゃあ急いで帰ろ! つぐみん、また今度案内して!」 「はい…………?」 つぐ美と分かれた俺たちは、超特急でカペラをスタンバイさせて夜のしろくま町へと踊りだした。 「前兆があったのか?」 「うん、間違いない! こっち……山のほうから気配がしてきた!」 「気配って?」 「化け物の気配!」 俺にはわからないが、姫にはそう感じられるのだろう。 となれば、この先は姫の直感が頼りだ。ニュータウンの真空地帯を迂回して、田園地帯から白波山地へと入る。 果たしてそこには、ゴーグルを通さなくても見えるほどのルミナの歪みが存在していた。 「こいつがテンペストか!」 「まだ小さいわ」 「小さいって!? こいつがか!?」 目の前にあるのは、竜巻のように渦を巻いたルミナの輝き。 そいつが大地から昇龍のように雲の向こうへと立ち上っている。 こいつが姫の討ち洩らしたテンペスト……! 想像以上の迫力に唾を飲んだ。確かにあの晩、姫が俺を選ばなかったのは正解だ。 「行くわよ、国産! 小さいうちに叩いてやる!!」 しかし正体は分かっている。トナカイはこれしきでケツをまくったりはしない。 「こちらカペラ── しろくま支部、応答をたのむ」 「私だ、何があった?」 「ボス!? は、はい! 白波山地、温泉郷より南東10キロの地点に テンペストを確認しました」 「ほう、それで!?」 「月守が言うには、 まだテンペストの規模は小さいとのこと。 コアの破壊を試みてもよろしいでしょうか?」 「待ちなさい!!」 「いや……了解した。 そのかわり、危険を感じたら すぐに離脱するように──」 「了解!!」 「姫、許可が出た。 一気に片付けてやろうぜ!!」 「とーぜん!!」 「いいわね、昨日の訓練と一緒。 コアに向かって射線を確保して!」 「了解だ……来るぞ!!」 暴風の中に突っ込んで行く。すぐに横殴りの風を感じた。 風ではなく、この圧力が光の粒子なのだ。 「制御を奪われないで!」 「ハーモナイザー同調率低下! くそ……テンペストの影響か!」 テンペストの圏内に入ると、サンタはルミナを自由に操ることができなくなる。 それはセルヴィも一緒のことで、ハーモナイザーの同調率が低下すると、機体の制御が格段と難しくなった。 「どう、ビビった?」 「まさか、姫のカミナリのほうが怖いぜ」 「いいわ、 渦に飲まれないように中心部を覗いて!」 「了解! くそ、油断したら一気に引きずられるな!」 「うん。 だから……新人サンタには任せられないのよ」 ちらりと姫の矜持がのぞいた。俺は機体の自由を奪う暴風の機嫌を伺いながら、なんとかカペラを前に進める。 「く……ここまでだ、狙えるか?」 「揺れが……くっ!」 「国産、もうちょっと寄せてってば!!」 「待ってくれ、 リフレクターはめいっぱいだ! ハーモナイザー同調率さらに低下!!」 「く……!!」 「無理か──これ以上は危険だ! ボスからも言われている、引き返そう!」 「逃げるっての!? ターゲットの目の前にいんのよ!」 「姫……!?」 「駄目だ、目の前にあっても 届かないものは届かないんだ! 俺より姫のほうが分かってるだろう!?」 「だ……! だから負け犬なのよ、あんたは!!」 「なに!?」 「行くときは行く!! いま勝負しないでどーするのよ!!」 「いま引き返しても、こいつはどんどん成長して 手がつけられなくなっていくわ! ちょっとの無茶くらい乗り越えてみせなさい!」 「だが!!」 「渦に乗って突っ込めば届く!!」 無茶だ……!自殺行為──いや、捨て身のギャンブルか。 「姫、考え直せ!!」 「あんたがボーっとしてる間に 100万回考えた!!」 「けれどこいつは」 「トナカイが指図するな!!!」 「…………姫…………」 「…………い、行くの!? 逃げるの!?」 「………………」 「…………わかった、一度渦に乗る!! ワンチャンスだ! 飲み込まれる ぎりぎりで離脱すればいいんだろう?」 「そう、できる!?」 「できなきゃとっくに逃げてる! 頼むぜ、姫!!」 「……!!」 カペラの逆噴射を解除して渦の流れに乗る。姫が小さく悲鳴を上げたような気がした。 「落ち着け!」 「落ち着いてる!!!」 「頼む、姫! あんたの仕事だ!!」 「わ、分かってる……!!!」 焦る心を必死に鎮めているのが分かる。それでも狙いは定まったようだ。 「分かってる、分かってるから、 ──いっけぇぇぇ!!!!!」 さすがは姫だ。荒れ狂うルミナの暴風すら計算に入れて、テンペストのコアに一分の狂いもなく……! 「やった!」 「いや……弱い!!」 「なに!?」 射ち出されたルミナが暴風に巻き取られ、渦の内側ではじけ、テンペストに同化する。 ルミナの力が弱すぎたのだ。しかし、あの稲妻みたいなりりかの一撃が、どうして……!? 「姫、どうしたんだ、なぜ弱い!?」 「弱くなんか……! ウソ、ウソよっっ!」 「つかまってろ!! 離脱する!!」 「うそだ……!!」 「く……機体制御不能!!!」 「うそだ!!!」 「この……っ、まだだ、 まだ、リフレクターは生きてる!!」 「うそだあああっ──!!!!!」 暴風に弾かれた。 失速したカペラはコースからも外れ、きりきりまいで地上に吸い込まれる。 「きゃあああ!!」 「まだだ、落ちるかよ!!」 ハーモナイザー同調率回復!!ここからだ、リカバーしてみせる!! 「──!?」 「──!?!?」 一瞬だけ、目が合った。 地上からカメラを構えていたつぐ美がいた。それが事実か見間違いかわからないまま、 俺たちは、きりもみ状態のまま、黒々とした森へと吸い込まれていった──。 「………………」 「………………」 「はぁぁ……いいにおい〜」 「フレンチトーストにしてみたんです」 「んー、せっかくの洋食なのに りりかちゃん……」 「……大丈夫でしょうか? サンタクロースが民間人に正体を知られたら」 「ど、ど、どーなっちゃうんでしょうか!?」 「わ、私も噂でしか……その、 二度とサンタとして空を飛べないとか、 あるいは1週間トイレ掃除とか……!」 「なんですかそのペナルティの落差は」 「じゃ、じゃあ、ななみさんはご存知ですか?」 「わ、わたしも風の噂でちらほらと……。 その、正体がバレたらノエルが崩壊するとか、 あとはおしっこするところが腫れちゃうとか……」 「…………………………」 「どうなっちゃうんでしょう!?」 「でも……とーまくんが一緒なら、 きっと平気です」 「そ、そうですよね! 私たちもちゃんと食べて お店の営業に備えないと」 「さささんせいですっ!!」 「おーい、姫ー?」 「寝てるのか? 朝だぞー」 「おーはーよー!」 「…………はぁ」 ……駄目か。 夕べから姫は、頭痛がすると言って、自室にひきこもったままだ。 無茶な突入を強行したばかりでなく、サンタとしてありえないミスまで犯してしまったのだ。 俺だってそうとうヘコんでいる。カペラはなんとかここまで飛ばしてきたが、正直、夕べから食欲は全くなかった。 ましてや、あのエリートさんだ。今頃どんな心境でいるのだろうか。 「朝飯だぞ、一緒に食おう」 「姫らしくないぜ。 なに、あのくらい取り返せるミスさ!」 よりによって、サンタの秘密を追いかけていた新聞記者にセルヴィの飛行シーンを目撃されたのだ。 励ますためにそう言ったものの、俺もこの先どうなってしまうのか分からない。 俺にわかるのは、一度、つぐ美に会っておいたほうがいいということくらいだ。 姫を欠いた朝の修行のあと、俺はボスに昨夜の顛末を報告した。 白波山地でテンペストの撃退に失敗したこと。想像以上に暴風の力が強く、カペラの制御を失ったこと──。 コースアウトしたままニュータウン上空まで流され、つぐ美にその姿を目撃されたこと──。 俺の報告を、ボスは瞬き一つせずに聞いている。 「事情は了解した」 「……申し訳ありません。 本当なら月守が報告するべきなんでしょうが、 昨夜の疲労から寝込んでしまいまして」 「許可を出したのは私だ。 月守くんにも気にしないように伝えてください」 「ボス……」 「しかし彼女にはしばらく休養が必要だ。 おそらくは心身のバランスを 欠いているのでしょう」 「そう思われますか?」 「君の報告を聞く限り、そうだろう。 本来の彼女ならば打ち損じはなかった」 「──!」 「あ…………ありがとうございます!」 救われる思いだった。早くボスの言葉を姫のところに持ち帰ってやりたい。 そうして、一度ゆっくり休んでからやり直すのだ。より強大なテンペストが出現したときに、今度こそ退治できるように。 とにもかくにも俺がするべきは、つぐ美に会って、昨夜見たものを聞きだすことだ。 いったいなにを見たのか。記憶はどこまで残っているのか。 最悪の場合はサンタの秘密をサー・アルフレッド・キングから伝えてもらう必要が出てくるかもしれない。 サンタクロースはあくまで御伽噺の住人だ。もしもつぐ美が写真をメディアに広めたら、俺たちはどうなってしまうのだろうか……。 「店長さん」 「わっ!?」 昨夜、一緒に見て回ったあたりをぶらついていると、つぐ美のほうから声をかけられた。今日もやはりオーロラを探していたらしい。 「ええと……」 「今日もオーロラは出そうにありません」 次の言葉を迷う俺に、つぐ美が微笑で答えた。 二人並んで駅前まで場所を移す。その間もつぐ美の口から昨夜の話はまるで出て来ない。 「今日は学校のあと、熊崎城址公園まで ちびっこアスレチックの取材がありました」 「地域の催し物かぁ」 「ええ、カメラの調子がよかったので助かりました」 「そ、そうか……そいつは……よかった」 ぎこちなくなりかける口調をどうにか修正して話をつづける。 「ええと、オーロラは?」 「まだ、見つかりません」 「じゃあ、えっとUFOとかは?」 「いえ……」 「…………」 「…………」 じっと見られる。確かに昨夜、彼女の瞳はコースアウトした俺たちをとらえていた。 その話を向こうから切り出すつもりはないのだろうか。 俺の焦燥を感じ取ったのか、ふいにつぐ美は、全く別の話をはじめた。 「私は昔から祖父に懐いていたのです。 祖父は写真が好きで、 とても自由気ままに生きる人でした」 なんの話をしようというのだろう。しかしつぐ美がこんな話を自分からするなど、珍しいことだ。 「しかし両親は私に英才教育を施したかったようで、 奔放な祖父を邪魔者にしていました」 「子供の私は、 両親の期待に沿いたいと思っていたので、 次第に祖父を疎ましく思うようになって……」 「やがて祖父の家に足を運ぶこともなくなり、 疎遠のまま祖父は他界しました」 「………………」 「しかし……私は結局、 中学受験に失敗してしまったんです」 「そのとき、落胆した私を慰めてくれたのは、 祖父の遺した写真でした」 「どんな写真?」 「ふふ……」 昔の事を思い出したつぐ美が、思わず笑みをこぼす。彼女のこんな笑顔を見たのは初めてだ。 「…………失礼しました」 「それらはほとんどがくだらない写真でした。 UFO(っぽい光)とか カッパ(らしき人影)とか……そんなものばかり」 「でも……それが私を元気付けてくれたんです」 「だから、 君もそんな写真を追っかけていたんだな」 単に祖父の名誉のためではなかった。そこには、彼女の暖かい記憶があるのだ。 「…………わかりません。 私がどうしてUFOや超常現象を 追いかけようと思ったのか……」 「真実は全てファインダーの中にあります。 けれど私の真実は、写真よりも思い出の中に あるのかもしれませんね……」 含みのある言葉を最後に、つぐ美がうつむいた。 いつも取材取材の彼女が、今は俺に少しだけ心を開いてくれているのが伝わってくる。 「月守さんはどうしているのですか?」 「彼女は…………」 「……彼女は、とても落ち込んでいる」 「仕事で致命的なへまをやらかしちまったんだ。 それがショックで、 今日は朝からずっと部屋にいる」 「……そうですか」 「更科さん──」 そのとき、俺がどうしてそう思ったのか、自分でも分からない。 けれど俺は、つぐ美に頭を下げていた。 「更科さん、月守に会ってくれないか?」 「え?」 「君から一言かけてくれたら、 負けん気の強い彼女のことだ きっと元気に顔を出してくれる気がする」 もしもつぐ美が、部屋に閉じこもった姫に昨夜のことを問い〈質〉《ただ》したら、きっと大変なことになる。 それでも俺がつぐ美を連れて行こうと思ったのは──、 ──そう、祖父の話をしている彼女の目が姫によく似ていたせいかもしれない。 「あ、とーまくん、おかえりなさ……」 「いいっ!?」 「ただいま、お客さんだ」 「お邪魔します」 「この上の部屋なんですよ」 「知っています、 何度も取材に足を運びましたから」 「…………新聞記者さん?」 「ど、どういうことなんでしょう?」 「おーい、月守さん?」 「……だめか」 「部屋の中に?」 「ああ……」 「分かりました」 肩を落とした俺のかわりにつぐ美がドアの前に立った。 小さく深呼吸をして、細い腕でドアをノックする。 「月守さん、聞こえますか? 更科つぐ美です!」 「…………」 「今日、私はあのカメラを持って、 ちびっこアスレチックの取材に行きました!」 「一日中外で取材をして、 今日もオーロラは撮れませんでしたが、 綺麗な夕日が撮れたんです」 「だから…… あのカメラは、もう大丈夫です」 「………………」 ドアの向こうで姫は黙って聞いている。それくらい、俺にだって分かる。 姫はどんな顔をしているのだろう。どんな顔でつぐ美の言葉を聞いているだろう。 「……月守さん」 「月守さん、りりかさん!」 「私はこのカメラでオーロラを撮ります。 絶対に撮ります! だから、そのときは写真を見てください!」 「………………」 ──沈黙が応える。 つぐ美はドアの前から離れて、俺の正面に立った。 「私の言葉は全て伝えました」 「ああ……ありがとう、本当に」 結局、姫は部屋から出てこなかったが、不思議と俺はほっとしていた。 それは、つぐ美のノックが姫の心の奥に届いたという確信めいた思いがあったからかもしれない。 「なあ、更科さん……教えてくれ。 君はゆうべ……」 「…………」 一瞬、口ごもったつぐ美は、キャリングケースから1枚の写真を出した。 「昨夜ニュータウンで写したものです」 星空の写真だ──。 手ブレで白い光が流れている。それだけの写真だった。 「レンズに映ったものだけが真実です」 「更科……さん」 「では、失礼します」 軽く頭を下げたつぐ美の姿が足早に森の入口へと消えていく。 俺は、小さくなっていく彼女の後姿に黙って頭を下げた。 「機体制御不能!」 「制御不能!」 「制御不能!」 「……!!!!」 「はぁ、はぁ……はぁ…………」 「はぁ……」 「起きなくちゃ……」 「早く、この部屋から出なくちゃ、 そうじゃないと…………」 「………………」 「みんな心配するから……」 「おはよう」 「おはようございます!」「おはようございます……」 「……だよな、 まだ部屋から出てこないか」 「き、きっといつものお寝坊さんなんじゃ?」 「そ、そうですよね、りりかさんなら いつもあと1時間くらいは……」 「……おはよ」 「!!!!」 「お、おはよう!」 「りりかちゃん……だいじょうぶ?」 「うん……」 更科さんの言葉が届いたのか、リビングに顔をのぞかせた姫だったが、その足取りはどこか元気がなかった。 いつもはキビキビしている姫だが、今朝のそれは──そう、ぽてぽてと歩いているという表現がしっくりくる。 「迷惑かけてごめんなさい……」 ぺこりと、姫が頭を下げ、俺たちみんなが顔を見合わせた。 「い、いや、全く迷惑とかじゃない。 更科さんには見られてなかったんだ!」 「あのあと写真を見せてもらったんだが、 俺たちを写そうとした写真にはなにも 写っちゃいなかった」 「ほら、彼女の口癖知ってるだろ?」 「──レンズに写ったものだけが真実です」 「そう、それだ!!」 「…………」 「そういうわけで、全く問題なかったんだ! 俺たちの取り越し苦労さ!」 「うん……」 うなずいて微笑む姫にいつもの勢いはまるでなく、そう、まるで背骨が抜けてしまったようだった。 姫が部屋から姿を現したのに時をあわせて、慌しい日常が戻ってきた。 ボスに謝罪&経緯報告をしたり、お店の準備や後片付けをしたり、 調子のおかしい姫もまた忙しい作業のただ中に放り込まれる。 しかし、俺の心配はどこへやら──。 「いらっしゃいませー」 「こちらの商品ですか? お子様へのお土産には最適だと思います」 「はい、プレゼント用のラッピングですね かしこまりました!」 今朝の様子がおかしかったので、仕事にも不調を引きずるのではないかと心配したが、さすがは姫、見事な復活だ。 プロ根性で感傷をねじ伏せて、立派にフロアスタッフの仕事をこなしている。 今朝は気まずかったのだろうが、このぶんなら、夜の特訓のころにはすっかりいつもの姫に戻っているだろう──。 「りりかちゃん、元気みたいですね」 「ああ、ほっとしたよ」 いくらか落ち込んでは見えたが、姫はいつも以上にきっちりと日常の業務や雑用をこなしていた。 今日は客足もよく、処理能力の高い姫がお店を回してくれるので正直なところ、助かった。 そんなこんなで、いつもながらのローテーションで俺と姫は休憩時間に入る──。 さてと、姫にはたっぷり美味い物を食ってもらって元気を取り戻してもらわなくては……。 「姫、昼飯なんだが 今日はマーケットあたりで……」 「……あれ、姫?」 「ふむ、どこへ行った……部屋かな?」 「姫……?」 姫はテラスにいた。 「……………………」 ぽけーっとした顔で空を見上げて。 「……………………」 「……………………」 ほかには何もしていない。姫はただ、空を見ていた。 「………………はぁ」 ため息をはさんで、首が痛くなるんじゃないかと心配になるほど空をただ見上げている。 「……………………」 「…………姫」 俺は、なにか声をかけようと迷い、結局、なにも声をかけられずにリビングに戻ることにした。 今の姫にかけてあげられる言葉を、俺も少し探さなくてはならなそうだ。 「りりかちゃんが?」 「ああ、やっぱり相当ショックみたいだ」 「りりかさん……。 私たちの誰より実力があるのに」 「だから余計にさ、 しばらくそっと見守ってやってもらえるか?」 「は、はい……」 「私、なにか元気の出そうな メニューを考えてみます」 「ああ、ありがとう」 「りりかちゃん、ごはんですよー!」 「うん……わ、すごいね」 「今日は特別にローストチキンです。 あとポテトを素揚げしてみました!」 「おおー、豪勢だな! こいつはパワーつきそうだ」 「うん、美味しそう」 「りりかちゃん、わたしのじゃがいも、 よかったらあげますー」 「ななみんダイエットしてるの?」 「えへへ、そんな感じです」 「ありがと、でもいいわ。 あたしここ数日寝てばっかだったから これ以上食べたら太っちゃうし」 「あ、そ、そーでした! あははは……バカですね、わたし!」 「まったくお前は昔っからそうだ!」 「くすくす……」 よかった、姫が笑っている。体調管理もいつもどおりちゃんとしてるし、 俺たちのわざとらしい芝居にも付き合ってくれているし、いや、むしろ昔より周りに気遣いもしている。 だのに、なぜだ……姫が遠い。 「よーし、姫! ここから再始動だ、行こうぜ!!」 「りりかちゃん、 がんばってきてくださいー!」 姫にとっては久しぶりの夜間訓練。ジェラルドが負傷中なので、今夜のななみは地上で見学だ──。 「うん……」 ひらり、カペラに接続されたソリに姫の細い身体が乗る。 姫に自信を取り戻させるのは、空をおいて他にない。 俺の知る限りの全てのサンタを凌駕する華麗なる射撃能力。 その感触を姫自身が思い出せば、ちょっとのスランプなんかはすぐに吹き飛んでしまうだろう。 ミラーの向こうに赤いサンタ服を確認してペダルに足をかける。 「高度800まで一気に上がる!」 ふわりと機体が宙に踊りだす。このまま一気に空の高みまで──! 「りりかちゃん!?」 「なに!?」 ミラーに姫の姿が無い。慌てて見下ろすと、姫は裏庭に転がっていた。 走り寄ったななみが慌てて助け起こす。俺もカペラの着陸と同時に駆け出して、仰向けの姫を抱き上げた。 「姫!!!」 「いた……た……」 離陸と同時に地面に落ちたのだ。怪我はない。 「りりかちゃん……?」 姫よりも、横で見ていたななみが青ざめている。 本来、ソリはサンタの力によってルミナに包まれている。 だから、その上に乗るサンタは寒さも感じないし、ソリから転落することもありえない。 もし、それができなかったのであれば、それは──。 それは、姫がルミナと感応する能力を失ってしまったということだ。 「そっか……」 「どういうことだ!?」 納得したように微笑む姫に俺は声を荒げた。 ──そんな風に笑うな!胸を突いた言葉を奥歯で噛み潰す。 もたつくカペラを心配したシリウスが降りてきた。 「それはきっと、 まだ調子が出ていないんですよ」 「そうですよ。りりかちゃんには お休みの時間が足りないんです!」 「………………」 事情を聞いたサンタたちは口々に姫を慰めるがサンタ先生の表情は深刻そうだ。 「とにかく、あれね。 ななみんがかわりにカペラに乗ってくれたら とりあえずは解決よ」 「でも……」 「訓練に穴をあけちゃダメでしょ?」 「わ、分かりました……がんばります!」 「そーそー、その意気」 「姫は少し休んでくれ」 「うん、そうさせてもらう。 じゃ、がんばって、しろくまベルスターズ♪」 そうして、俺はななみを乗せて空に上がった。姫の赤いサンタ服がどんどん小さくなり、やがて〈樅〉《もみ》の森に飲み込まれる──。 「…………」 「あ……」 「………………雪」 「………………」 「すごいな、みんな……」 「………………」 「……………………ぐすっ」 「うぅぅ……っ、 ぐす……、う……っ……!」 「はぁっ……ぐす……うぇぇぇ……」 「うぇぇぇぇ……んっ、ひっく、ぐすっ、 うっ、う……うわぁぁぁぁぁぁぁん………!!」 「…………」 「………………」 眠れない。頭の中が姫の寂しそうな笑顔に占領されている。 姫の気持ちを汲んで、今夜の訓練はいつも以上にハードなものになった。 戻ってきた俺たちを、姫は穏やかに迎えた。ソリの格納も手伝ってくれて、ななみや硯の慰めにも素直にうなずいていた。 だけど……その後、気がついた時にはもう、姫は自分の部屋に消えてしまっていた。 NYのサンタチームというのは世界のトップチーム。 そこのエースということは、つまり、世界最高水準のサンタといっていい。その姫がどうしてこんなことになったのか。 いや原因はあとでいい。それよりも今は姫のことが心配だ……。 「…………だめだ、眠れん」 姫の様子を見に行こう。寝ていてくれれば、それでいい。 身を起こし、着替えを始めると、その途中でノックの音がした。 「………………」 「姫!? どうした、こんな時間に」 「なんでもないんだけど……あ、あのね」 「マッサージ……疲れてるでしょ?」 「……ん、しょっと」 「あうっ、うぐぐ……いてててて!」 「やっぱり凝ってるね」 「そりゃあ、仕事ですから……あうち!」 姫の的確なツボ攻めに身体が悲鳴を上げる。マッサージをしてもらってよかった。 姫は、きっとなにかしてあげたいと思っていたのだ。好きなようにやらせたら声にいつもの元気が戻ってきたような気がする。 「ん、ここは?」 「あうううっ、そ、そこです!」 「ふふっ……じゃあ、この……奥!」 「うぐーーー!!」 今日の姫は、いつものように踏みつけるマッサージではなく、手で優しく揉み解してくれる。 それでもツボに入ると悶絶するほどに効く。これが、じーちゃん秘伝のマッサージなのだという。 「昔はね、よくじーちゃんにしてあげたんだ」 「本当にちっちゃいころだろ、よくできたな」 「物覚えはよかったからね……はい、おしまい」 「……ありがとう、楽になった」 「ん、よかった……」 姫の笑顔が少しぎこちない。瞳は笑っていなかった。 「ねえ……国産?」 「他にさ……他にできることある?」 「いや、もう充分」 「でも、なにかない?」 「なんでもするよ、あたし、なんでも……」 「ひ、姫……!?」 立ち上がった姫は、自分からスカートを下ろし、上着も脱ぎ捨てた。 「国産、疲れてるよね。 だったら寝てるだけでもいいし。 おしゃぶりだけだったら……」 「姫!」 「…………!!」 びくっと、姫の表情がこわばる。泣きそうな顔だった。 「今日のところはやめとこう、な? でも、気持ちは嬉しい……本当だ」 できるだけやさしい口調で、俺は姫のおでこにキスをした。 「……うん」 「ご、ごめんね……いきなりで、なんか」 そそくさと服を着る姫の仕草が、なんだかとても胸を締め付けた。 「姫……なにか 話したいことがあるんじゃないのか?」 「ううん……大丈夫、おやすみ」 寂しそうに姫が部屋を出て行く。 なにか声をかけてやりたかったが、それが姫を壊してしまいそうで、なにも言えなかった。 俺は黙って見送って…………………… いや、だめだ。立ち上がって姫のあとを追った。 「──姫!」 「国産……!?」 駆け寄って、小さい身体を抱き寄せる。姫は抵抗せずに俺のするように任せた。 「無理をしないでくれ……頼む」 「国産……」 「いまだってそうだ、 姫は……泣きそうじゃないか」 「………………」 歯を食いしばる姫と視線を合わせる。俺が言えること。嘘ではなく、誓えること。 「なにがあっても俺が一緒にいる、 いつだって!」 「…………!」 「ほんとに……」 「本当だ」 「ぜったい……?」 「ああ、絶対いる!」 俺の腕の中で、姫の表情がみるみるほころんで行く。 「……うん」 よかった──心の底からそう思った。 「ありがと……本当に、ありがとう」 「よしてくれ、姫が礼を言うなんて」 「うん、わかった……おやすみ」 「ああ、おやすみ」 笑顔のまま姫が階段を上り、自分の部屋に戻っていく。 ほっとしたら眠気が襲ってきた。これで、全てが良くなってくれたらいい。そう思って俺も部屋に戻った。 その晩、俺は物音に目を覚ました。 ツリーハウスの上のほうで、なにやらゆさゆさと梢の揺れる音がする。 「トリめ、また何かやってるな」 眠い。とにかく明日だ。 明日からもう一度、打倒テンペストに向けて、俺たちは………………。 夜の間も雪は降り続け、一夜明けたら外は銀世界だった。 まるで全てが生まれ変わったような朝──。それは外の景色だけではなかった。 「おっはよー!」 「──!!」 「あー、おなか減ったー! すずりん、今日の朝ごはんなーに?」 「あ、え、えっと、オムレツを!」 「わお! やったぁ!! じゃあすぐ顔洗ってくるね!!」 「…………元気です」 「ああ、元気だ……」 「さすが中井さんですね!」 「う、うん……」 狐につままれたような気分だが、姫はすっかりいつもの元気を取り戻したようだ。 「いらっしゃいませー!」 挨拶の声は、一点の曇りもなく晴れやかで、 「おそーじおそーじ……っと♪」 客がいない時は、細かくあちこち見回り、掃除し、品物を整頓して。 もともと仕事熱心な姫だが、時としてそれは自分が優秀だと示すために見えることもあった。 しかし今の感じは明らかに違う。 「とーまくん……りりかちゃんに、 何かしたんですか?」 「何かって……別に……」 あのときの台詞をななみの前で繰り返す勇気は無い。窓の外、雪はまだ降り続いている。 「お客様、雪が降っていますので、 お足元にお気をつけください。 ありがとうございましたー!」 「雪だってのに、お客さんもよく来てくれるな。 床が濡れやすいから手分けしてモップかけとこう」 三本のモップを、ななみと硯と自分とで分ける。 「あたしは?」 「姫は接客があるから……いや、 それなら結露した窓拭きを頼むよ」 「うん、冬馬くん」 「冬馬くん!?」 「……あ!!」 「えっと、その……あ、あはは……」 みんなが固まる中、姫は顔を赤くして俺を見て、それから信じられないことを言った。 「あのさ、えっと……その、 あたしも……冬馬くんって呼んでいい?」 「姫……」 「(す、すずりちゃん!?)」「(な、ななみさん!?)」 「そ、そいつは構わないが…… 俺、90点とったかな?」 「点数なんてもういいの……ね?」 みんなの前だというのに、姫が赤い顔で俺を見つめてくる。 こ、こういうとき、どんな顔をすればいいんだ!?わけもわからずに、俺も見つめ返してしまう。 「………………」 「………………」 「横、見てみろ」 「……え?」 「……どきどきどきどきどき」 「わわわ!? あ! あ、あたしちょっと 倉庫の在庫チェックしてくるねっ!!」 「な、なんだあれは……(どきどきどき)」 「でも、さすがはとーまくん!」 「そうですね、 りりかさん元気になってよかった」 「ああ、本当にそうだ」 姫の丁寧なマッサージが効いたのか、体は軽く、絶好調だ。 俺は肩をぐるぐると回しながら、モップがけに取り掛かった。 「おー、わりと積もったな」 雪かきは男の仕事だ。熊手を持って外に出ると、後ろで店のドアが開く音がして、 「冬馬くん、どこ行くの?」 慣れない、ぜんぜん慣れない。そのうち耳になじむのだろうか? 「ああ、雪かきをな」 「じゃああたしもやるっ」 「いいって、力仕事だぞ」 「なに言ってるの、 NYじゃみんなでやってたもん」 店に戻ってスコップを手に戻ってくる。 「ね、やろう!」 「敵わないな。 わかった……雪かぶるなよ」 「だいじょーぶだいじょーぶ!」 「ふぅ、こんなもんか……熊手ってのは 屋根の雪を降ろすのに便利なもんだな」 「ていうか……上手だよね、冬馬くん」 「よしてくれよ、照れるって」 むしろ照れるのは後半の『冬馬くん』。 「ほんとにそう思うよ。 ね、お店のほうヒマみたいだから 雪だるま作らない?」 「そうだな、じゃあお客さんが来るまで」 「やったぁ!」 「んしょ……っと、 ふぅ、これでコクピット完成……っと」 「……なんで雪だるまで宇宙船なんか」 「宇宙船じゃなくてファイアー・レオン! 戦闘機の親戚だから冬馬くんも好きでしょ?」 「よくわかりません」 「うー、男の子のロマンなのに」 それでも店のオブジェとしてはなかなかカッコいい。 「にしても、さすが姫だな。 ゲームがからむと集中力が半端ない」 「ゲームだけ?」 「いや、仕事もか」 「ふふふ……そのとーり! あ、でも姫はもうやめて」 「え?」 「え、えっとね……」 「それより……りりかって呼んでほしい」 「……!?」 一瞬驚いたが、あ、なるほどそういう意味か。 「はいはい、りりか様」 「様もいらない!」 「……!?」 「り、りりか……?」 「うん、冬馬くん!」 「え、えへへ……ちょっと照れるね」 「ちょっとどころじゃない」 「ほんとだ、顔真っ赤……んふふ。 ねーねー、とーまくん?」 にまっと微笑んだ姫が顔を寄せてくる。 「とーまくんがそういう気分になったら、 あたし…………いつでもいいからね」 「何がですか?」 「きゃあああああぁあぁあっっ!?!?」「うわあああああぁあぁあっっ!?!?」 「ずいぶん仲がよろしいですね?」 「りりりりリトルニセコっっ!?」 「だからリトルをやめてください!」 「な、なにか届け物か?」 「サー・アルフレッド・キングに言われて 様子を見に来たんですけど……」 「………………(じろり)」 「な、な、なんだ……!?」 「いえ……べつに!」 「あ、あ、あたしそろそろお店に戻るっ!」 「あ、ああ、あとから行くから!」 はぁぁ……変な汗かいた。いや、平常心だ、平常心──。 「で? 様子って言うのは?」 「りりかさんですよ。ソリから落ちたと聞いて サー・アルフレッド・キングも心配しています」 「あ、ああ、そいつは失敬」 俺は今朝からの姫の様子を透に話した。 「なるほど、昨日は相当落ち込んでいたのに、 今日は元気になって意欲的にお店の仕事を している……と」 「なにがあったんでしょう?」 「さ、さあ……そいつは」 「ふーん……」 「なんだその目は!」 「いえ、中井さんの趣味が よくわからなくなりました」 「なんでそこに話が行く!!」 「でも……」 「いらっしゃいませー!」 「……よかったですね」 遠くから姫の明るい声が聞こえてくると透もほっとした表情を浮かべた。 「透は、うちの姫様が元気ないほうが 安心できるんじゃないか?」 「そうですね、 りりかさんは強烈ですから」 「あ、それからもうひとつ、 サー・アルフレッド・キングからの 指示があります」 「なんだ?」 「今日は僕がお店に入りますので、 りりかさんと一緒に休暇を取ってください」 そう言って書類を差し出してくる。 「この休暇申請に サインしていただければ大丈夫です」 「あーん♪」 「はむっ……むしゃむしゃ……! んー! おいしー!!」 俺のおごりのハンバーガーに姫がかじりつく。 どこに連れて行こうかいろいろ悩んだ末に、結局いつもどおりの温泉郷。それは姫がここに来たがったからでもある。 「本当にここでよかったのか?」 「もっちろん、ぜんぜんおっけー♪ ごはんは美味しいし、空気はきれいだし♪」 ごはんといってもハンバーガーだ。 姫は小鳥のヒナみたいに俺のコートの袖口をつまみ、離れないようについてくる。 「ほらほらケチャップついてる」 「え、やだ!?」 「あ……ふふ、それじゃあ、取って?」 「とっ…………!!!」 「ねえ、とってー、とーまくーん?」 「わ、分かった……ほ、ほら、顔」 「ん……」 姫の頬についたケチャップを指先でぬぐう。 手についたケチャップはナプキンで拭くべきかあるいは俺が舐めるべきか、姫に舐めさせるべきなのか……? 「……ふふっ」 姫は俺がどうするか観察してる。ええい、と口の中に指を放り込んだ。 「……おいしい?」 「お、おいしい……」 「にひひ……♪」 ちょんちょんと跳ねるように近づいてくる。 「ねーねー、もっとくっつこー?」 「もっと?」 「だってデートなんでしょ?」 「デートなんですか?」 「違うの?」 「リフレッシュのための外出というのは……」 「それってデートじゃん♪ えへへ……ぴとー」 「なあ、ひと目がさ……」 「あー、不純な交際に見えちゃうかな? 店長さんつかまっちゃう?」 「……!!」 「くすくす、そんな顔しなくてもだいじょーぶよ、 もし捕まったらアイシテルって証言してあげる」 「もちろんお芝居でね♪」 ううっ、トナカイがサンタ相手にドキドキさせられっぱなしだ。 「アイシテル……Iしてる……。 そっか、あたしたちって、 アルファベット的にはそのいっこ手前かも」 「なに!?」 「Iの手前はHでしょ? へー、アルファベットってよくできてる」 「昭和の恋愛手引書みたいなこと言わないの。 姫と俺は上司と部下ですよ」 「姫?」 「あーうー! りりかと俺は……!」 「じゃあ、上司ちゃんのいうこときいて! ちゃんと腕組んで歩くことっ!」 「り、了解!」 「あはは、うそうそ! ねえ、冬馬くん、あたし射的やりたい!」 「なあ、姫……りりか…… その冬馬くんって違和感ないか?」 「え?」 姫は少し思案するような顔をして、それから照れくさそうな笑顔になる。 「えへへ……ないよ」 「なんでそこで笑うの!?」 「ん……なんでだろー、えへへ……」 「あのさ……気になってたんだけど」 「なに?」 「りりかは昨夜のあれ…… 俺が告白したと思ってるか?」 「……!」 姫の表情がこわばる。俺が話そうとしているのは今日のデートの前提であると同時に、今後の二人の関係に関する話でもあった。 もちろん、俺に姫を失望させるつもりはない。きっと喜んでくれると信じて言葉を続ける。 「あれさ……そう思ってくれると嬉しい」 「冬馬くん……」 「………………」 「なんてな、慣れないことはするもんじゃないな」 「さ、射的屋行こうぜ」 「うん……!」 「あたーーーりぃ! すげえもんだ、食ってけるよ」 「えへへ、鍛えてますから」 「確かに食ってけるな」 「そーそー、サンタの仕事なんて射的と一緒よ」 「そりゃ頼もしい」 「サンタ? ああそうか、 おもちゃ屋のサンタクロースか」 「あたし、似合うんですよ♪」 「へええ、そいつは夢があっていいなぁ」 おもちゃ屋の素性を知ってる人の前ではさらっとサンタと口にできるハートも姫らしい。 「なあ……サンタクロースって奴ァ 本当にいるんかな?」 「さあ? わかんない」 「さて……と、 急いでツリーハウスに戻って テンペスト対策の射撃訓練だ」 「あたし、もうちょっと遊んでく」 「おいおい、待ってくれ。 カペラチームはソリに乗るとこから始めよう、 俺はそのつもりだぜ?」 「うん、ありがと……」 ──急だった。 急に、姫の表情が翳った。気がついた俺がビクッとたじろぐほどに。 「でも、今日はちょっと調子悪いみたい。 上を見ても……コース、ぜんぜん見えないんだ」 温泉郷の夜空を見上げた姫が、ぽつりと呟く。 「!?」 「みんなをただ送るだけってのも、ちょっとね」 「………………」 「わかった……! じゃあまた夜だ、先に寝るなよ」 「うん……マッサージの準備してるから」 「ああ、それじゃあな」 姫の顔を見るのがつらい。けれど一緒にいてやりたい。 矛盾する気持ちを抱えながら、俺はくま電の駅に向かう。 「…………」 「あ、冬馬くん!!」 「どうした?」 「もし……あたしが……」 「え?」 「…………」 「ううん、なんでもない! またあとでね!!」 「ああ、いってきます」 「いってらっしゃーい!」 「………………」 「………………はぁっ」 その日の深夜。 姫が部屋から帰ったあと、俺は身体の火照りをまぎらわそうと、ネーヴェまで足を伸ばすことにした。 今日は雪空だ。しろくま町は十二月に入るとドカ雪が降る。 「あらおもちゃ屋さん、いらっしゃいませ」 「マッカラン、ダブルのストレートで」 「あらまぁ、珍しいですね」 運ばれてきた酒を一息にあおる。喉を灼いて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。 おかわりに飲み慣れたロックをもらって、ちびちび舐めながら、姫のことを考えた。 さっき、俺の部屋に忍んできた姫のことを……。 いつものように、俺の体調を気にしたり、ドリンクを差し入れたり。そしてマッサージ……そこまではよかった。 けれど姫の手はマッサージの途中で俺の下半身に伸びてきて。 「冬馬くん、こっちも溜まってるよね」 もちろん、姫を抱くことに抵抗はない。けれどあのときの姫は、自分を卑下するような表情をしていた。 やけになって自分を壊そうとしているみたいだった。 俺は、できれば……最初はお互いに幸せな気持ちで結びつきたい──。 だから俺は、姫が服を脱ぐ前にその手を取って、こう言った。 「俺さ、願掛けで禁欲することにしたんだ」 「願掛け?」 「ああ、その願いをかなえるまで、 ちょっとの我慢さ」 口からでまかせだった。話しながら、俺の下半身がガチガチに緊張していた。けれど姫はそれがテンペストのことだと思ったようだ。 「そ、そっか。 やだ……あたしちょっと変だったかも」 照れながらごまかして姫は部屋を出て行った。俺の身体の心配をしながら。風邪を引かないようにとか念を押しながら……。 「……はぁ」 ──罪悪感。 それは姫についた嘘がもたらしたものだ。 そして罪悪感などより遥かに大きな危惧。姫は、いったい自分をどうしたいのだろう。 俺は姫の変化に戸惑うばかりで、その向こうにある本当の姫が見えてこない。 「よぉ、ジャパニーズ」 「ジェラルド!? どうした、もう動けるのか?」 「ああ、安静にしていれば動いても平気だ」 「どうすればその矛盾を飲み込めるかな」 「酒だよ酒、こいつが全てを解決してくれる。 マスター、名誉の負傷兵に 愛のこもったボトルを出してくれ」 カウンターに肩を並べてジェラルドと飲んだ。ひさしぶりのアルコールだと言って、イタリア人がさも美味そうに喉を鳴らす。 「無理もないな。 空も酒も女も断たれたら、生きてはいけないか」 「本当のことを言えば、お前に会いに来た。 姫とはどうだい?」 「どう……ってのは?」 「ふふん、その様子じゃまだ無垢な少年か?」 「……!! そ、それなりには進展はしている」 「やれやれ手順の多い男だな。 しかしそれが少女趣味の醍醐味でもあるか」 「だからそのレッテルを貼るな! 俺は、た、たまたま……姫とフィーリングが……」 「そういうことにしておくさ。 しかしあの姫が男に興味を持つなんざなぁ」 「……姫は、たぶん寂しかったんだ。 だから近くにいた俺の手をにぎった」 「握られた側の感想がないな」 「そうだな、戸惑いと……それから」 「…………嬉しかったよ」 「ふーむ、本気になったか」 「本気だから悩んでんだ」 「……分かったよ、ジャパニーズ」 「お前さんには 話しておかなくちゃならんことがある」 「あんたが俺に?」 「そうだ、俺だけのものにしそこなった、 俺の過去についてさ……」 新しいウィスキーをグラスに注ぐ。そうしてジェラルドは、自分の過去について話し始めた。 「昔、キューピッドの称号を持っていたトナカイが、 若い女のサンタとペアを組んでいた──」 「彼女は本部からも将来を嘱望された有望な 新人だった。あと少し経験をつめば、 文句なく一流のサンタになれただろう」 「いわば開きかけた蕾だった、 ちょうど……姫くらいのな」 「トナカイとはいいペアだったと?」 「ああ、そうなるかと思われていたよ。 ところがそうはいかなかった」 「サンタは一流未満でも、 対するキューピッドは超一流だった」 吐き捨てるようにジェラルドが言った。 「つまりだ、有望ったって新人は所詮新人だ。 八大トナカイとの技倆の差は、訓練を重ねる たびに、残酷なほど浮き彫りにされてゆく」 「空を飛ぶたびにそれを突きつけられてきた彼女は、 やがて自信を失い、足手まといになっていった」 他人事ではない。少し前の俺がまさにそうだった。姫との差が埋まらずに自分を追い込んでいた……。 「キューピッドは見込みのある後輩を鍛えるつもりで、 次々にプレッシャーをかけていった」 「しかし、その重圧に押しつぶされた彼女は、 自分ばかりを追い詰めるようになり、 無茶な訓練を繰り返してはぼろぼろになっていった」 「……しまいに」 言葉を切ったジェラルドがスコッチを流し込む。 「しまいに彼女は〈機体〉《セルヴィ》と同調できなくなった」 「どうなった!?」 「前の愛機──アルデバランの試作型が暴走した。 しかも間の悪いことに山岳地帯。クライマーの 難所として知られる絶壁が目の前だった」 「機体制御不能──」 それは、俺たちトナカイがもっとも恐れる言葉だ。機体制御不能! 「コースを外れたアルデバランは絶壁に一直線だ。 激突、大破、墜落――そうなる寸前に……」 「彼女は……最も適切な方法を選んだ」 「…………!」 俺には分かる。ルミナの乱れで暴走したセルヴィを立て直すにはどうするか。 最も簡単にして適切なのは、乱れの原因を取り除くこと。 ――つまり、サンタが……『ソリを降りる』こと。 「バックミラーから彼女の姿が消えた。 俺はすぐにコントロールの復活した アルデバランを急降下させた……」 ジェラルドらしい瞬時の判断だ。逆噴射と同時に機首下げ、失速から一気に急降下。 「思い返しても、 あれは俺のトナカイ人生で最高の機動だった。 再現しろと言われてももう無理だ」 「だが……間に合わなかった……」 握るグラスの中に、小さな波紋が立った。 「……積雪が幸いして彼女は一命を取り留めた。 しかしその傷は深く、 サンタとしての将来はそこで断たれたのさ」 「見舞いに訪れた長老サンタに 彼女はこう答えたよ――」 「私の判断は正しかった。未熟なサンタよりも 才能を持った八大トナカイの生還こそが 優先されるべきであるのだから……」 空になったグラスをジェラルドが睨みつける。その瞳は遥か過去を見つめている。 「あのとき……落ちてゆく彼女は微笑んでいた。 分かるか? 重いくびきから解放された、安堵の顔だ」 「風にあおられて大きく膨らんだサンタの衣装が、 まるで赤い花のようだった……」 「そうしてキューピッドは、 八大トナカイの称号を返上したのさ」 「彼女は、それほどまでに……」 「ま、相当無茶な訓練を繰り返していたからな。 俺に『暴れ鹿』の通り名がついたのもこの頃だ」 ジェラルドは自嘲気味に笑って新しいウィスキーをグラスに注ぐ。 「──その二年後だ。 NY本部に配属された俺の前に 可愛いお姫様が現れたのはな」 「デビュー直後の姫か」 「ああ、姫は完璧な新人だった。 射撃もライディングも正真正銘の天才だ。 鍛えればどこまで伸びるか見当もつかない」 「だからかな、 俺は姫を彼女みたいにはしたくなかった」 「今度こそ、姫を真の一流に育てたい。 それが俺にできる、あの赤い花へのつぐないだ」 「つまりはその足も、つぐないの内なのか」 ジェラルドは苦笑して、まだ包帯がまかれている足を軽く動かしてみせた。 俺は、姫とジェラルドの関係にわだかまりを感じた自分のことを恥じながら、グラスを掲げた。 「パートナーとして心から言わせてもらう。 姫を守ってくれて、本当にありがとう」 「パートナー……か、うらやましいね」 「……?」 「俺は──どうやら姫を恐れていたようだ。 下手に深入りすると、前の彼女みたいに しちまうんじゃないかってな……」 「確かに俺たちはNYで最高のコンビだった。 だが、ふたりの関係は ソリの上にしかなかったような気がするよ」 「ジェラルド……」 「あるいは……そいつが姫を 少し歪めてしまったのかもしれない」 「いや……これは関係がなかったな。 今は気にするほどのことじゃない」 「それはあんたの責任じゃないだろう。 ペアの形はそれぞれだ」 「そしてベテルギウスは少なくとも NYトップの実績を残してきた……」 「しかし……」 「──?」 「その歪みってやつと、 姫がルミナを見られなくなったことに 関係があるなら……」 「ルミナが? どういうことだ?」 俺は姫がテンペスト撃退に失敗したことと、ソリから転落したいきさつを説明した。 そして今、姫はルミナのコースを感じることができなくなってしまったのだと。 ジェラルドの反応は大きかった。割れそうなほどにグラスを握り締める。 「とうとう捕まっちまったか……!」 「捕まる? なんの話だジェラルド?」 「……ジャパニーズ」 俺の質問には答えないまま、ジェラルドが顔を寄せてくる。その目からアルコールの濁りは消えうせていた。 「姫がどうして数字にこだわるか、 お前さんはいつか知りたがっていたな?」 「あ、ああ……」 「だったら教えてやる、姫の抱えた暗がりをな」 「一昨年のイブだ。俺と姫は例年通り、 過密といっていいほどの配達エリアを抱えて 四苦八苦していた」 「慌しい日常の中で、姫はひとりの少女と出会った。 彼女は重い病気を患っていたが、 毎年のイブを楽しみにしていた」 「姫は──そうだな、 言うなれば彼女に入れ込んでしまったのだろう」 アイちゃんという女の子に入れ込んだななみに姫が投げかけた厳しい言葉を思い出す。 「それ自体は悪いことじゃない。事実、その年は 姫にとって急成長の年でもあった。エースの座を 射止めたことで心技ともに充実していたんだ」 「だが、姫にとって 三つの不幸がここにやってくる」 「一つめはテンペストの発生だ。 俺たちはその対策に追われて配達も困難になった」 「二つめは……その少女はイブの朝に他界した」 「──!」 動揺した俺の目をジェラルドが覗き込んでいる。 「姫はそれが信じられなかったんだ」 「靴下がどこにも見つけられないことを 自分のせいだと決め付け、 テンペストを突っ切って配達を強行した」 「しかし、目的の家に靴下はつるされておらず、 そこには家族の悲しみだけがあった」 「分かるか、サンタはお呼びじゃなかったんだ。 彼らの悲しみに土足で踏み込む権利は 俺たちにはない──」 「そのことに姫は激しく動揺し、 結果は──あわやの大事故だ」 「俺はソリからのルミナ供給を強制遮断し、 テンペストの渦の中に飲み込まれた」 「幸いだったのは 機体がベテルギウスだったことさ。 エース機の性能に救われた」 「さいわい事故は起きなかった。 独断専行のペナルティで日本に飛ばされはしたが、 そのくらいはどうでもいいと思っている」 一度言葉を切ったジェラルドは少し迷っているようだった。しかし逡巡の末に話を先に進めた。 「──そして第三の不幸だ。 同じころ、日本では姫の祖母が亡くなった」 「姫はイブが終わるまでは……と 見舞いを引き伸ばしていた。 その結果、家族の死に目には会えなかった」 「その日から、姫の心を支えるものは 己の技術だけになったのさ……」 「姫の正しさを証明できるものが それだけになってしまった」 「──そいつは、サンタクロースと言えるかい?」 「…………」 「知らなかった……俺は」 「気に病むことじゃない。 お前さんはよくやっていた。 こいつは、俺のしでかしたことなのさ」 「お前さんと一緒に訓練をするようになって、 姫はずいぶん落ち着いて見えたよ」 「有望なトナカイを育てるのが楽しかったんだろうな。 姫の心を預ける場所が他にできたと思った」 「だがな……」 「なんだ?」 「お前は予想以上に上手くやったのさ。 つまり、姫を追い抜いちまった」 「……!!」 「嘘だろう、俺にそんな能力は……」 「ところがそいつがあったのさ。 俺だって目を疑ったよ。 姫がカペラに振り回されてるんだからな」 「いつだ!?」 「気づかなかったのか? リーダー選定テストの前からだ」 確かに、姫との呼吸が合わなくなっていた。だから俺は必死で訓練に打ち込んだ。 「こいつはお前さんの才能の話じゃない。 姫の指導が良かったのだと思っている。 あとお前さんとの相性が抜群だった」 「それでも……想像できるだろう? いまの姫は、中井冬馬の足手まといなんだ」 「……!!!」 「ば、馬鹿なことを言うな!! どうして姫が……俺の…………」 言葉が弱くなったのは、心当たりがありすぎたからだ。 目頭が熱くなってくる、どうして……姫は!! 「そこをリカバーできないのが姫の弱さだ。 俺はついにその部分に触れることができなかった」 「弱さ……」 「ああ、姫は弱い。 それは姫にとってサンタの暮らしもまた 孤独の延長だったからだ」 「つまり……姫もまた、 俺の被害者だったってことさ」 それは偏った考え方だが、ジェラルドにとっては十分すぎるほどの真実だった。 そうして今度は彼が、空を捨てようとしている。 「だったら大丈夫だ!!」 大声で言って、ジェラルドの腕を取った。 「……なにが大丈夫だ?」 「あんたさっき言っただろう。 姫があんたに取り残されたのは、 あんたが超一流の天才だったからだ」 「けどな……」 「〈凡骨〉《ぼんこつ》の俺なら、きっと姫を支えられる!」 「…………」 「そうか……」 ジェラルドと笑って乾杯をした これといった言葉はなかったが、俺たちはお互いに笑顔でウィスキーを飲み干した。 それから俺たちはしばらく、戦闘機や女のことなど他愛もない話をした。 ジェラルドは酒を過ごし、珍しく酔っているようだった。 言葉には出さないが、彼もまた自己嫌悪にさいなまれているのだ。 姫と自分とが、真のパートナーにはついになれなかったという……。 「おい、ジャパニーズ」 最後の一杯を注いだジェラルドが俺の目を見た。 「どうしたらお前みたいになれるんだ?」 「あんたが言うなよ」 俺たちは笑いあい、グラスを傾けた。 実力も立場も経緯も異なるが、姫を支えたいという気持ちはふたり一緒だ。 同じ酒を同時に流し込む。 初めて、この有能なトナカイと向かい合って話すことができた。 先の不安はあるが、その夜はそのことが俺にはひたすら嬉しかった。 店を出ると、雪がしんしんと降り注いでいる。これは明日も積もりそうだ。 夜の雪のなか、俺はほろ酔いでツリーハウスに戻った。 夜明けまではまだ間があるから少しは眠れそうだ。そんなことを思いながら雪を踏んでいると。 「くけーーー! くここここっ!!」 「おう、トリよ! なにを夜分に騒いでいる?」 「ここっ、こここっ!!」 「まだ刻を告げるには早いぞ? ん? なに? 家が物置にされた!?」 「なんだ、来いっていうのか? わかったわかった……!」 「くこここ!!」 「上!? カペラを使えって!? お前ほんと無茶言うよなぁ」 しぶしぶカペラを引き出して、ほろ酔いのままツリーのてっぺんを目指す。こんなのバレたら始末書物だ。 ここの天狗部屋が、いまのトリの住処だ。それが乗っ取られたとは……? 「ここっ、こここっ!!」 「やれやれだ、野鳥に巣でも作られたか?」 人が住めないほど狭い天狗部屋。その奥に手を差し入れてみる。 「ん? この感触は……服?」 引きずり出して見ると、それはサンタ服だった。 「──!!」 言葉を失った。 二股に分かれたこの帽子は、NYで最新のサンタファッション。 そして……綺麗に畳まれたサンタ服の上には間違いようもない、ハイパージングルブラスター。 「……く!」 あの時の音だ! 昨夜、寝た後に聞いたツリーをゆさゆさと揺らすような音。 姫が……。姫がこいつをここに押し込んだんだ。 姫は道具を捨てた。つまり、姫はサンタを……? 目頭が熱くなる。 だめだ!!俺は絶対にこいつを受け入れちゃならない!! 心の中でそう叫びながら、俺は姫のサンタ服とユール・ログを大事に持ち帰ることにした。 雪はそのあいだもしんしんと降り注いでいた。 「ゆっきだー、ゆっきだー、やっほっほーい♪」 外に出ると、純白の雪化粧で目が痛いほどだった。木々も地面も梢も、全て雪をかぶっている。 「うわ、積もったな……」 「すっごい……真っ白……」 気がつけば、俺の後ろにりりかが立っていた。当たり前のように、俺の肘あたりの袖をちょこんとつまんでくる。 「えへへ……」 「な、なんですかこの手は?」 「オプション」 「む?」 「オプションだから、 とーまくんの行くところに引っ張られちゃうの」 そう言って、俺のあとにぴったりと密着するようについてくる。 申し訳ないが、非常に動きづらい。 「……………………」 「…………だめ?」 「だめじゃない」 「えへへー♪」 なんて無邪気な顔で笑われると、もうなにも言えなくなる。 こないだまでの凛々しくてわがままなお姫様は、いったいどこへ行ってしまったというのか。 「このまま積もりそうだな」 「きゃ……あわ……あわわっ!」 ──べしゃっ。 袖を握られてるのを忘れて階段を下りようとしたら、引っ張られた姫が前のめりに雪の中へ突っ込んでしまった。 「ご、ごめん」 「あうぅぅーー、さーむーいー!」 「オプション付きは敏捷性が低下するな、ほら」 手を差し出そうとするが、姫はそれを受け取ってくれない。 「だめ」 「どうした、風邪ひくぞ」 「でもだめなの」 「どうして?」 「だって、おひめさま……だし」 「はい?」 「お姫様だっこで助けて? そうじゃないと風邪ひいちゃうの」 「ぬぬぬ……わ、分かった! いくぞ……」 姫の小柄な身体など、なんということもない。ただ少し照れくさいだけだ。 俺が手を回すと、姫もぎゅっと抱きついてきた。 うわ、手が冷たい!?こんな寒いのを我慢してだだをこねてたのか!? 「よいしょ……っと、どうだ?」 「ふふふ……おっひめさまー! ぎゅーーっ!!」 ぎゅーーーっと、思いっきり抱きつかれる。姫、俺の姫はいったいどこへ……!? 「あ、あゎゎ……っ!」 「め、目の毒です……よね」 「わ、わぁぁ……大注目の的だ! 姫! やっぱりだめ、降りろ!」 「やん、ぎゅぅぅぅぅーーーーーっ!!! あ、あ、たいへん、ロックかかっちゃった!」 「ロック!?」 「うん、裏コマンド入れないと手が外れないの! どーしよう、とーまくんっ!」 「どうやって入れる!?」 「えっとね、たしか…… 上上下下左右左右ちゅっちゅ☆」 「なんだそりゃあ!?」 「だから、おでこおでこ、くちびるくちびる、 右ほっぺ左ほっぺ、2回ずつちゅーしてぇ、 あとは…………!!」 「……え、えへへ、ないしょ!」 「なぜ内緒!?」 「だ、だって……外じゃ言えないもん」 「あぐぐぐ……なっ、ななみー!!!」 「は、はいっ!?」 「ちょっとロック解除してくる。 すぐ戻るから遊んでてくれーー!」 「は、はーーーーいっ!」 「……ロック?」 「はぁ……はぁっ……」 いくらなんでも唇はまだ早い。というわけで顎へのちゅっちゅで妥協してもらったのだが……し、しかし……。 「やっほーーーっ! とーまくん、こっちこっちー!!」 「こちとらいろんな意味で疲労困憊だ! なんでいきなりそんな元気になるか!」 「しらなーい! ねえ、雪合戦やろーよ!」 「雪合戦!?」 雪合戦と聞いて一瞬心ときめいたが、姫が言ったのは地上でやる普通の雪合戦のことだった。 「いっくよー、ななみん!」 「どんとこい、りりかちゃ……ぶぎゃ!」 「や、やりましたねー! てい、ていっ、てーーいっ! とーまくん、後ろを頼みます!」 「俺が!?」 「あっはっは、あまいあまーい! すずりん、あたしが弾幕を張るから狙撃して!」 「私が!?」 なぜか「俺&ななみ」VS「硯&りりか」という異色タッグで本格的な雪合戦になってしまった。 「物量で押し切るわ! 雪玉生産、いそいでっ!!」 「は、は、はいっ!!」 「あーーーっはっはっはっは!!! 連射ワイドショットーーー!!」 「きゃああああ、りりかちゃんめー!」 「伏せろ、前に立つな!!」 いつしか白熱の色を帯びてきた雪合戦だが、俺がなによりうれしいのは、落ち込んでいた姫が元気になったように見えることだ。 それが変な裏コマンドの仕業であったとしても、それは本当に嬉しいことだった。 空元気だってことは分かっている。本当のりりかは、まだ寒い海を前に途方に暮れているはずだ。 おそらくこの元気は、天狗部屋に押し込まれたサンタ道具と関係があるのだろう。 ルミナの流れが読めなくなったりりかは、もうサンタではいられないと思って、サンタの道具を片付けたのだろうか──。 「ジャパニーズ、 お前はコールガールを買ったことがあるか?」 「あると思うか?」 「こいつは愚問だった。 なら御伽噺だと思って聞いてくれ」 「いいか、これはこの世の真理のひとつだ」 「──娼婦の身上話に耳を傾けてはいけない。 どういうことか分かるか?」 「金をせびられる?」 「ちがうちがう、いいか? 娼婦なんてのはどいつも苦労しているんだ、 だから身の上話はご法度なのさ」 「はぁ……」 「気のない返事だなぁ、 いいか、俺はサンタの話をしてるんだぜ?」 「というと?」 「つまりだ、娼婦の苦労話なんかを聞いていれば 嫌でも向こうの本音が垣間見えてしまう」 「夢のかけらもありゃしない、金、金、金の女を 見せられて、気持ちは萎えるし心は荒むだけだ」 「ふむ……」 「ところが、こっちがハッピーな気分で 楽しんでりゃあ、自然と女も乗ってくる。 そうしてお互いにつかの間の夢を見られるのさ」 「分かるか、ジャパニーズ?」 「ああ……なんとなく分かったよ。 つまり、幸せは〈心〉《ここ》にある?」 自分の心臓を親指でつつくと、ジェラルドは満足げにうなずいた。 そう、サンタというのは発光する存在だ。サンタは自らの心に光を灯し、周りにそれを振りまくことができる。 その光を見た人の心の重石を取り除き、荒んだ人の心にもルミナの光を届けることができる。 ジェラルドの言葉を借りるなら、それは、サンタがハッピーな気分で楽しんでいるからだ。 しかし──今の姫は、その光がくすんでしまった。 「つかまったっていうのは、そのことか」 「そうさ、姫がサンタの資格を失うのだとしたら、 それは技術の問題じゃない。ハートの問題だ。 それを取り戻させるのがパートナーの役割さ」 「あんたには……無理だったのか?」 「姫は俺に涙を見せないよ」 つまり姫は、しろくま湾に墜落したあの日、俺の前でだけ涙を見せたのだ──。 「あーーっ、こしゃくな! 敵が塹壕を掘り始めました! とーまくん、とっこーーー!!」 「おうよ、任せとけ!! いっくぜ、悪いが硯から落とさせてもらう!」 「ま、負けない……やぁぁーーっ!!」 「うお!? くはっ!? へえ、やるじゃないか大和撫子さん!」 「がらあきっ! てーい!!」 「甘いっ、わざとだぜ! こっから反撃──」 「やああーーーっ!!」 「ぶべっ!?」 「ありゃ……?」 「き、貴様、味方に何するかー!!」 「あわわわ、手が滑ってつい……! わぁぁーーっ!! ごめんなさい、ごめんなさいってば!」 「うぐぐ……獅子身中の虫め! 怒りの鉄槌ーーーー!!」 「はぎゃっ!? う、うーーーっ!!」 「なんですか! 謝ったのに、とーまくんーーっ!!」 「雪玉には雪玉が雪合戦のマナーだぜ!」 雪まみれのななみが、同じく雪まみれの俺に応戦をしてきて、気づけばチーム戦がバトルロイヤルになっていた。 「ななみん、ロックオン!!」 「きゃーーーーーーーーっっ!!」 生き生きと雪にたわむれるお姫様。いったい何が彼女から光を奪ったのか。俺の存在か、それとも別の──。 いつだったか姫はななみに「サンタは神様じゃない」と言っていた。 姫の言葉は正しいし、間違っている。あのとき──アイちゃんと遊んでいた時だってななみは神様になろうとしていたわけじゃない。 『縁のあった相手に、まごころを尽くす』 ななみがしているのは、それだけなのだ。救ってやるのではなく、ななみにできることを、ただやっている。 「冬馬くん、もらったぁ!!」 「させるかっ!!」 俺と姫の間を雪玉が飛び交う。 ──救い。──救済。その言葉にとらわれているのは、たぶん姫のほうだ。 NYでプレゼントを届けられなかった苦い思い出が姫の中にはわだかまっている。だから姫こそが、救いを求めているのだろう。 そうして迷いながら走っているうちに、姫は御伽噺の登場人物でなくなろうとしている。ルミナに応えてもらえなければ、サンタは無力なのだ。 しかし、俺がそれを指摘することは酷だろう。おそらくは姫も、とっくにそんなこと気づいている。 「……うげっ!?」 「やったぁ! 冬馬くん撃破!!」 さすがに百発百中の攻撃精度だ。しかし願わくば、姫の口からは『国産撃破!』と言ってほしい。 そうだ、俺は……いまの『りりか』では嫌なのだ。 「行くぞお姫様!!」 「あー、姫って言った!」 「姫は姫だ! くたばれっ!!」 「甘いわよ! てーーーーいっっ!!!」 「もがっ!?」 「冬馬くん、どこに行くの?」 「……海までさ」 「海?」 「ああ、ちょっと姫と話したいことがあるんだ」 「話……」 「………………」 「ねえ……どうして姫って言うの?」 「…………」 「今のあたしじゃ……やっぱりダメ?」 「そうじゃない、そうじゃないんだ」 「じゃあ、りりかがいいよ! ううん『ブタ』でも『奴隷』でも『肉便器』でも あと、それから、えっと……!」 「やめるんだ、姫」 「ね、ねえ、とーまくん! ねえ、今誰も乗ってないから、 ここ…………触っても見られないよ」 「姫……?」 「お願い! あたしのこと嫌いじゃなかったら指入れて。 次の駅までずーっとかき回して……」 「バカ、嫌いなわけあるか……」 「んァあ!? はぁァ……とーまく……ん、んっ! はぁぁ、んぁ、んぁ……いィ……ィィィィッッッ!」 ドロドロだった。すぐにクチュクチュクチュッと粘膜が泡立って、姫が全身を痙攣させて昇りつめてしまう。 「はぁ、はぁぁ……はぁぁーーーァァ……ッ、 禁欲……早く終わるといいね……はぁぁ、 ほ、ほんとに、いつでもいいから……あたし……」 こんな風にしないと、もう姫は自分を認めてやれないのだろうか。 全身を使って俺に尽くそうとする姫は、まるで、必死に今の居場所を守ろうとしているようでもあった。 ──こんなみじめな姫の姿は見たくない。──こんなみじめな姿を姫は俺だけに見せてくれる。 相反する二つの気持ちが俺を引き裂いてしまいそうだ。 苦くて愛しい、姫の身体を抱き寄せた。 俺がりりかを今でも姫と呼び続けるのは、〈道具〉《ユール・ログ》を捨てようとした姫もまた立派なサンタだと認めてやりたいからだ──。 すぐに電車は海岸に到着した。 白い浜辺に、灰色の海原。カモメの一羽も姿を見せぬ、世界の果てのような情景。雪空の下、俺たちは無言で波の音を聞いていた。 ここは姫が事故を起こした場所。そうして俺と抱き合った、思い出の砂浜だ。 けれど、俺はこんな気持ちでここに来たくはなかった。電車の中で、姫の哀願に応えてしまったのは過ちだったのではないかと思えてくる。 あの事故を境に俺たちはずいぶんと変わってしまったと思う。 俺はトナカイとして飛躍的なレベルアップを果たし、姫はルミナと感応できずサンタを辞めようとしている。 「ジェラルドに アムステルダム本部から召喚状が来た」 「え?」 「昨夜、飲みに行った時に聞いたんだ」 「ここで事故を起こしたものの、 テンペストを単機で退け、同僚の命を 救ったことが評価されたらしい」 「今年のイブが終わったら、 オランダに移ることになるかもしれないってさ」 「……そうなんだ、よかった」 「ああ、あとは本人がトナカイを辞めなければ」 「ラブ夫は、きっとまたキューピッドになれるわ。 あたしなんかに構わなけりゃ、もっと早く……」 そんな言葉を出させてしまうのが、ジェラルドのプレッシャーなのだろうか。 「あいつ、何気に教官役も上手いみたいだしね。 おかげでななみんなんて、すごい成長してるし」 「……ななみんだったら、 もう先導機くらい任せられるかもしれないなぁ」 「あたしと違って素直だから、 冬馬くんも、きっとやりやすいよ」 「やめろよ」 「………………」 「姫はさ、他と自分を比べたりしない奴だったろ?」 「……勝ってるうちは比較なんてしないわ」 言葉がとぎれ──波の音が意識の中に入り込んできた。 姫は海の向こうを見つめている。太平洋の先にあるのはアメリカ西海岸。姫のいたNYはさらに大陸の彼方にある。 潮のにおい。砕ける波。姫が育った、愛媛の漁村に似た景色。 「波の音……」 「ふるさとを思い出すか?」 「………………」 「とーまくん……あのね、 あたし、その話はちょっとやなの」 「けれど、俺はその話をしたい」 「とーまくん……」 「そんな従順なお芝居なんかより、 俺が聞きたいのは姫の話だ」 「お芝居──!?」 「そ、そんな……あ、あたしのどこが……」 「違うのか?」 「ち、違うもん……違う……」 「…………」 「ち、違う、違う……違うわよっっ!!」 「お芝居なんかじゃないもん! あたし本当にそうなりたかったんだもん! なんでウソだって決め付けるのっっ!?」 「ひどいよ!! あたし……あたしもうそれしか……」 「姫……」 泣きながら反論する姫を抱き寄せてやる。すぐに声が小さくしぼんでいった。 「う、ううっ……!」 「ようやく、姫の言葉が聞こえてきた」 「とーま……くん?」 「俺は、笑ってる姫も好きだけど、 怒ってる姫も好きなんだ」 「…………」 「うん…………わかった……」 「……………………」 「あの、とーまくん……」 「…………ありがとう」 少しふっきれたような笑顔になった姫が、また海面に視線を落とす。 そうしてしばらく、姫は過去の自分となにかを話しているかのようだった。 「…………二年前、あたしは」 「大事なプレゼントを届けられなかった」 「ジェラルドから聞いた。 そうして、お祖母さんが亡くなって」 「…………そうよ、あたしは ばーちゃんの旅立ちを看取ってあげられなかった。 じーちゃんのそばにもいてやれなかった」 「きっと寂しい思いをさせたんじゃないかって、 なんであのとき、意地張ってテンペストなんかに 突っ込んだんだろうって」 「そう思えば思うほど、 なんのためにサンタになったのか わからなくなっちゃった……」 微笑を浮かべて静かに言葉を結んだ姫は、それから──ふいに大きな声で叫んだ。 「あたしは月守りりか!! NYのエース! ハドソン川の竜神!! スペシャルシューティングスター!!!」 「だけど……! あたしは誰も救ってなんかやれなかった!! あたしに力なんてこれっぽちもなかった!!」 「だってそうよね! サンタの仕事なんて縁日の射的と一緒だもん! あたしに出来るのは的当て、それだけだから!」 「……姫」 「でも、あたしには他にできることなんてないから 今でもおめおめとサンタをやってる! だからせめて訓練だけは誰よりもがんばったの!」 「けれど……けれど、 それもできなかったら、あたしには……!」 「姫には俺がいる。 ジェラルドもいるし、ななみや硯がいる」 姫の言葉をさえぎり、小さい手のひらを握り締めた。 「ちがうよ、冬馬くん……!」 「違わない。 俺たちは誰一人として姫を裏切らない。 じーちゃんと同じだ」 サンタの仕事なんて縁日と一緒──。 そう思ってしまうから、姫はしろくま町に飛ばされてきた。それは姫自身がいちばん分かっているはずだ。 サンタに必要なのは、なにもないところに夢を形作る力だ。光を生み出す心の力だ。 姫は自己満足を嫌う。しかし、なにひとつ自分に満足できない者が他人に幸せを配ることができるだろうか。 仕事の理念なんかにとらわれず、ななみのように、出会った人に素朴な気持ちで幸せを届ける──。 そうして自分も相手も嬉しい気持ちになる。幸せな御伽噺に必要なエネルギーはそうやって生み出されるのだ。 姫はそこに背を向けて、懸命に力を振り絞ってきた。しかしそこにあるのは消耗だけだ。姫の心はまるで回復されず、ほったらかしだった。 「俺の話、してもいいかな」 海を見る姫の手をぎゅっと握りしめる。そうして俺は、これまで誰にも打ち明けたことのない話を姫に聞かせた。 「俺も親父を事故で亡くした」 「……うん」 「俺は姫と違って、通夜にも葬式にも出席した。 黒いブレザーを着て、大勢の人と一緒に 親父の最後を見送ってやったんだ……」 「…………」 「けれど……一度も泣けなかった」 「俺は誰よりも親父を尊敬していたし、 親父が大好きだった」 「けれどその事故はあまりに急で、 俺はただ呆然と、別世界の出来事を覗くように 葬儀の席に座っていたんだ」 「セレモニーホールで坊さんがお経を唱えている間、 俺は退屈で献花台に咲いたユリの花を数えていた」 「そんな親父を不幸だと思うか?」 姫はしばらく考えていた。波の音を聞きながらじっと考えて、それから首を左右に振った。 「……わかんない」 このままどこかへ消えうせてしまわないように、姫の肩を抱き寄せた。 「すぐには無理なことがあるんだ──。 そのとき俺はそれを勉強した」 「無理?」 「そう、すぐには無理だったんだ──」 「けれど、毎年命日が来るたびに、 自衛隊のニュースをテレビで見たときに、 母親の小さい背中を遠くから眺めるときに」 「あるいは空から青い海を見下ろしたその一瞬に、 俺は……親父のことを思い出す」 「……冬馬くん」 「そうして、愛する人を失った悲しみや寂しさが 胸の中にゆっくりと積み重ねられていくんだ」 「──そう、こんな雪みたいに」 「………………」 「それは冷たくない」 「その悲しみは冷たくないんだ。 暖かい雪のような悲しみだって、俺は思う」 「俺はそうやって、毎日、毎年、 一生をかけて親父を弔っていくんだ」 りりかがぎゅっと手を握る。渾身の力で、何かをこらえているように。 「だから、大丈夫……姫は大丈夫だ」 「……う……っ」 りりかの目からぼろろっと涙がこぼれた。 「ぐすっ……うっ……ううっ……!」 泣きながら、姫は強く強く、俺の手を握る。 「ううーーーっ、う、ううっ、ぐすっ……」 細いロープにしがみつくように、強く、離れないように、この空から落ちてしまわないように──。 「でも……あたしわかんない!! もう、本当のことがなんなのか、 ぜんぜんわからないの!」 姫はもがいている。その深い迷路の中で、ひたすら光を追うみたいに──。 「でも……信じたいよ」 「あなたのこと…………信じさせて」 俺の手を握って姫は泣いた。 それは細く小さい泣き声。けれど姫の懸命の叫びでもあった。 あたしは、月守りりか──! 姫が姫であり続けるためにこれまで費やしてきた努力と歳月。 その全てを手放したくはないと、自分が自分であることを捨てたくないと、俺の手をぎゅっと握り締めて姫は泣いた。 天狗部屋に隠された衣装の話はもうしなくていい。姫の気持ちは、痛いほどに伝わってきたのだから。 だから俺は姫を支える。 姫が姫であり続けられるよう、俺にとって最良のパートナーを失わないように……。 「ん……ちゅ、ん、んんっ……はぁぁ……ぁ」 ──ファーストキス。 性的な接触を何度も繰り返してきた俺たちが、これまで踏み越えることのできなかった唇の触れあい。 それは恋の入り口であり、決意のようなものでもある。 「はぁぁ、ん、ん……ちゅ、ちゅ……んんっ」 吐息を交換し、唾液を交換する。やわらかい唇をついばみ、姫とひとつになる。 何度も何度も、繰り返し愛撫するように、唇で姫を受け止めると、いつしか俺たちはひとつに融けあっている。 「冬馬……く……んむ、ん、んーっ!」 『冬馬くん』──を塞ぐように舌を絡めた。 姫の舌が怯えたように俺を受け止め、そのまま小さい身体が小刻みに震える。 「はぁ……はぁっ……でも、禁欲は……」 「してないさ」 手をつないでいるだけで温かい。凍てついた海の風を受けても、姫の身体はこんなにも温かいのだ。 行きのくま電の中で、確かに姫は自暴自棄になっていたのかもしれない。 しかし俺は思う。あのとき、姫は自分自身を俺に受け取ってもらおうと懸命だったのではないかと。 俺が自分自身を姫に捧げたように、姫も自分の全てを俺に贈ろうとしてくれた──。その気持ちが人と人をつないでいるのだ。 「うぎ……ッ! んくッ……あ、あ……はァっ……ッッ!」 姫の中に入る──。 小さい小さい姫の身体が、俺の全てを包み込むように口を開き、うねり、飲み込んでゆく──。 未知なる苦痛にこわばった姫の顔はやがて幸せそうに蕩けだした。 「あ、あ……あぁぁ……冬馬……くん……ン」 苦痛と快楽と幸福と希求。さまざまな感情の狭間で、姫の肉体は揺さぶられそうして俺を求めてしがみついてくる。 俺もまた、姫を受け止めながら、かけがえのない姫という存在にしがみついている。 人の出会いもまた、ひとつの贈り物だ。 勇気を出して手を伸ばせば、そしてその手を受け取れば、繋がった場所から温かい感情の交流がはじまる。 たとえ姫がそれを信じられなくなったとしても、それは確かにあるのだ──。 「姫……」 「あン……や、やだ……見ちゃ恥ずかしい……」 「ンむ……ん、ちゅ……ん、ん、んっ……」 唇で蕩けだす。凍てついた心がほどけ、姫の熱情が立ちのぼる。 姫はなにも間違っていない。姫の目指したサンタの姿もひとつの正解だ。 ただ、自分を信じる強さが折れてしまっただけなのだ。 「ん……ちゅ、んむ……冬馬くん……ん、ちゅる、 ん、んっ、冬馬くん、冬馬くん冬馬くん……ッ」 だから俺がその答えになる。 姫のしていることは正しい、と承認する。 「可愛いよ、姫……」 「やだ……そ、そんなことない……ん、ンッ!」 「本当さ、誰よりも可愛い」 「は、恥ずかしい……ん、んあっ、んむ……ン、 ちゅ、ちゅ、あ、あぁぁ……冬馬くん、んん、 とうま……ん、んぁぁ……」 「はぁぁ……ん、んむ……ちゅ、ちゅ……ん、ン だっこして……ぎゅーーーーーってして……ん、 んぁ、あ、あ……はぁぁッッ」 いつか、姫の正しさを証明するためにカペラの翼が必要になる。 ──そのときが、きっと訪れる。 「だから、俺から離れるな」 今宵、俺は何があっても姫と離れないことを誓う。 誓いとは祈りだ。俺もまた姫に祈っている──離れないでくれと。 「はぁぁ……ん、んっ、んむ……ん、んッ……ン」 だから繰り返しキスをする。 「らめ……んぁ、ん、ちゅ、ちゅ……んぅぅッ」 姫の心を凍てつかせる〈氷柱〉《つらら》が全て解けるまで。粘膜と粘膜をすり合わせて、姫とひとつになる……。 「国産と一緒にいるあたしを……あたしは好きだ」 姫が、そう思えるまで──。 目を開ける──。 酒の残らない、清々しい朝だ。窓からの冷気が、眠っていた頭を覚醒させる。 ──窓? 開けっ放しにしたのではない、早起きした姫が、外の空気を招き入れたのだ。 「おはよう、国産!」 窓から射しこむまばゆい光が、その輪郭を縁取る。 国産──。 俺は笑っただろう。嬉しくて笑ったのだ。俺を見る姫も笑っている。 朝日を浴びた姫の笑顔には、昔と同じ、自信に満ちた輝きが浮かんでいた──。 「ええと、こいつが上の棚で……と」 朝の日課を一通りこなしたあと、店長さんの大仕事はクリスマス商戦を控えた棚卸しタイムだ。 「んしょっと……んぐぐ、重い……!」 俺がひとりで大量の在庫と格闘していると。接客の落ち着いた姫がひょっこり顔を出した。 「お、上のほうは落ち着いたかい?」 「うん、手伝っていい?」 「ありがたい、そっちを頼むよ」 「はーい♪」 姫は、まるっきり昔のままに戻ったかといえばそうでもない。 相変わらず、俺のあとをヒヨコのようにちょこちょことくっついてくることもあるし、なかなか服の袖を離してくれないこともある。 しかしそれは些細なこと。もっとも変わったのはその目の輝きだ。 「重いから気を付けろよ」 「わかってる……んしょっ……きゃっ!」 「な?」 「ううう……これしきのダンボール! このあたしの手にかかれば! んぎ……ぎぎぎ!!」 「おお……すごいすごい、さすがはお姫様」 「はぁ、はぁ、はぁ……! レッドキングに感謝しなくっちゃね。 無駄に筋肉ついちゃったし!」 「そんな姫も好きだぜ」 「え!?」 「わ、わ、わぁぁぁ!! や、やめてよ、ばかっ……!!」 「二人しかいないんだから、 照れることないだろう?」 「だ、だからって昼間はだめ! 変なスイッチ入ったら困るじゃん……もう!」 電車の中で俺を誘惑しようとしたときのような追い詰められた濁りは、姫の瞳のどこにもない。 「姫……」 「な、なに?」 「焦らずにゆっくり始めていこう。 まだイブまでは時間がある……」 「………………」 「わ、わかってるわ……」 「それならいいんだ」 「………………」 「あの……さ、今日のランチさ……」 「うん?」 「……あたしの部屋で一緒に食べよ?」 「いいぜ、それまでに片付けちまおう」 「うんっ!!」 「はぁぁ……いいなぁ、りりかちゃん」 「すっかり元気になりましたね」 「うん、それに、 なんか素直だし、可愛いし!」 「可愛い?」 「うん、すごく可愛くなってます! うむむむむ……なんでだろ? すずりちゃんはそう思いませんか?」 「い、言われてみれば……そうですね」 「はぁぁ……わたしたちも 恋をするべきなんでしょうか?」 「ふふ……しばらくはおもちゃが恋人ですね」 「ですよねー……はぁぁぁ」 「ほらほら、コンティニュ、コンティニュー♪」 「はいはい、お姫様」 日常生活が元に戻るのに合わせて、俺と姫のプライベートな時間も時計の針が半月ほど逆戻りしたようだ。 義務教育ぶんの漢字をサラリとマスターしてしまった姫と、勉強後のゲームタイム。最近は姫おすすめのゲームを片端からプレイしている。 今日も『魂吐羅 〜デクストラ・アベニュー〜』の2Pモードで姫の足を引っ張っているところだ。 「いっくわよー! 死にたくなけりゃホーミング取って、れっつごー!」 「姫は?」 「あたしはマシンガン一択で一斉掃射! あーーっはっはっはっは♪」 「うおお、すげえ……」 ゲームに熱中した姫を見るのも久しぶりだ。姫に突き刺さっていた氷の棘は、もはや全て解け落ちてしまったように見える。 こうして近くにいることの自然さ、姫が自分の腕の中にいることの自然さについつい俺の表情は緩んでしまう。 「あ、だめー! 右に行くな! 右だけは禁止!」 「え? うわっ……戻された!」 「…………面目ない」 「はぁぁ……しょーがない子だなぁ」 「子ってこたぁないだろう?」 「そっか……ふふふ、そうだね。 国産は大人だもんね……」 意味深な言葉でぴとっと密着されると何度も身体を重ねているというのに胸の鼓動が早まってしまう。 「にしし……このどぎまぎ感は 大人っぽくないけどねー?」 「……純粋って言ってくれ」 先にゲーム疲れをした俺の隣で、姫は飽きずに昔の携帯ゲーム機を持ち出して3Dシューティングゲームに熱中している。 「やりすぎは目に悪いぞー」 「国産、オジサンくさい」 「ぐさっ!!」 「ねー、こくさぁん。 あたし喉渇いたなー♪」 「はいはい、コーラでいいか?」 「お、分かってるー」 「ふぅ……やれやれ、 よくゲームにあんだけ集中できるもんだ。 あれが若さってやつか」 「ううっ……なんて言い出した時点で、 俺のオッサン化現象が始まっている気がする」 姫の買い置きコーラのペットボトルとグラスを持ち出して、自分は軽くビールを2缶。 ドリンクを持って部屋に戻ると、ベッドにねそべった姫の格好が、なんだか凄いことになっていた。 「く……あたしのレッドライトニングに 倒せない敵はないわ! くらえ……最強バルカン!!」 「おーい、持ってきたぞ」 「ああぁぁ! こら、気が散る! そこ置いといて!!」 「なんて言い草だ」 コーラを机の上に置いて、ビール缶を片手にうつ伏せになった姫の足元に腰を下ろす。 「……それにしても」 「なんか言ったー?」 「ちょっと無防備過ぎやしませんか?」 いつもながらの大人っぽい黒パンツは、姫がごろごろ寝返りを打ってるうちに紐のように細くなって、つるんとした尻がほとんど丸出しだ。 「んー、何が?」 「何って……」 ちょっとイタズラ心を出した俺は、キンキンに冷えたビール缶を剥き出しのお尻に押し当ててやる。 「ぴゃああっっ!?」 「な、なにするのよ、ばか! 死んだじゃん!」 「風邪ひきますよ?」 「ん……なによ!! せっかくひとがサービスしてあげてるのに」 「サービス?」 「だって国産、つまんなそうなんだもん。 ちょっとした目の保養よ……くすくす」 「……わざと見せてたの?」 「だ、だから! そういうことをいちいち確認するなっ」 「す、すまん」 どきまぎさせられながらも、ついつい視線がゲームをする姫の尻に吸い寄せられてしまう。 「ん、なーに?」 「い、いや……すごいな、赤ちゃんみたいだ」 「なにィ!?」 「ち、違う、変な意味じゃなくて、 肌がつるつるでさ……」 「あン……ふふふ、えっち……」 そうは言われても、光沢を浮かべる姫のお尻に見とれてしまう。 おまけにどうやら俺の反応は筒抜けなのだろう。姫は『店の仕事でお尻の筋肉が凝ってる』などと言っては、わざとこっちにお尻を向けてくる。 ううっ、白い光沢と黒いショーツが眩しい。しかしこのまま見ているというのも……。 「……!?」 いや待て、凝ってるってことは……? 「……ごくり」 「…………?」 姫は──まさか俺を誘っているのか?いや待て、落ち着け。こいつはオスの本能が早合点をしているだけかもしれないのだから。 できることなら姫がどういうつもりか確かめたい。が、しかし……それを聞いてはいかんのだと言われたばかりだ。 いちいち姫の意思を確認するなんてのは野暮の骨頂だ。つまりそいつはトナカイの恥ってことでもある。 だが……このまま姫の下半身を見ながらただ黙っているのも大人としてどうかと思うし。 むむむ! ここはむしろ、めくれたスカートを元に戻してやるべきか!? い……いや待て、それこそ危険だ!!それは姫に魅力がないと言ってるのと同じ意味になるんじゃないか? 「国産、息荒いよ? ……くすくす」 うぐぐ……こっちの気も知らんで。いや、知っているからこの反応なのか。わ、わからん。 姫が落ち込んでいるのなら、いくらでも慰めてやれるのだが、こんな日常のテンションからそういう行為に誘うってのは思ったよりも難しい。 考えてみれば、今日まで俺はずっと姫にリードされていたのだ。しっかりしろ、このままでは男がすたる。 ひとつ決心した俺は、ごくっと唾を飲んでからビールを置き、無防備な姫のお尻に両手を伸ばした。 「たいして腕はよくないが、 マッサージのお返しくらいはな……」 「ん……ッ、あん……」 ぷにっ……と手のひらに抵抗を感じる。同時に姫の甘ったるい声があがった。 ああ──よかった、姫は嫌がっていない。 安心感に背を押された俺は、ゆっくりと揉み始める。 それにしてもこの手触りは──。柔らかさと弾力がないまぜになって、いったいこれのどこが凝っているというのか。 ついついウットリとしてしまいそうになるのを理性で押さえつけながら、俺は生真面目なマッサージで姫のお尻を揉み解してゆく。 「あん……もー、こいつほんと電池食いすぎ!」 携帯ゲームに文句を言いながらも、姫は揉みやすいようにお尻を突き出してきた。 「ん、はぁ……ん…………はぁ、はぁ……」 肉の半球を左右からギュッと寄せて、そのままこね回して手を離す。 ぷるるんっ……と、肉の弾力が目の前で解き放たれ、姫のお尻がプリンのように震える。 「地上攻撃! ていっ……あ、あんっ」 最初はマッサージのつもりで手を動かしていたが、途中からはだんだんと、弾力のあるお尻の肉が手の中で形を変えるのが楽しくなってきた。 「ンあ、ん…………あ、あぶな! んんッ」 だんだん姫の意識がゲームから離れていくのが分かる。 「……国産、マッサージしてるの?」 「ん? ああ、うん……」 「そっか……ん、んっ、けっこう上手かも」 「相性がいいのかな」 「なに言ってん……ンあ、あ、あァ!? ちょ、ちょっとぉ……!」 二つの丘を両手で左右に掻き分ける。紐のようになったショーツの中心から色素の乗ったお尻の穴の〈皺〉《しわ》がはみ出してくる。 「やだ、広げちゃ……あン、 そんなマッサージないってばぁ! あん、ん、んっ……あんんっ……ン」 そのまま広げたり閉じたり、二つの美しいふくらみを歪ませるたびに姫が鼻にかかった悩ましい声をもらす。 「あンッ、もー……その手つき、やらしーよ?」 黒いショーツからチラリチラリとのぞく、姫のもっとも恥ずかしい排泄器官──。ここが弱点だってことくらい、もう分かっている。 「ん、はぁ……あ、あ……ん、んぅ……んっ ん……はぁぁ……ん、んっ……ン……ン」 視線を下ろすと、黒いショーツの股間に愛液の染みが広がっていた。 「はぁぁ、ん……んっ、ん……いいよ、 けっこう気持ちいいかも……凝りがほぐれるの」 「それは何より」 「うん……もう少し強くてもいいかな……ん、 んッ……んーーーんン……ん、んっ、ん…… はぁぁ……ふふふっ、こーふんしちゃう?」 「ああ、もうしてる」 「やだ、いつもみたいにごまかさないの? もー、えっち……くすくす……」 ぐっしょりと湿った布が、俺の手の動きに合わせて複雑な形の皺を浮かび上がらせる。 「揉まれながらゲームできるのか?」 「とーぜん、これくらいの揺れでやられるほど、 んんッ……はぁぁ……RRK様は下手じゃないの、 っととと……危ない危ない」 「邪魔になるならやめるけど」 「ばか……誰もそんなこと言ってないし」 目の前でプルプルッと震える小高い肉の丘。そこから指先を下らせて、股間の筋に沿ってゆっくりなぞってみた。 「んああっ!?」 姫の悲鳴のあとを追って、ニチッと湿った感触が伝わってくる。 「や、やだ……まさか濡れてる?」 「かなり……ぐしょぐしょ」 「きゃあ! あ、あうぅぅ……ち、違うのよ、これ汗だから!」 「分かってますとも」 言いながら俺の指先は、隆起から落ち窪んだ股間の染みの上をチクチクと往復している。 「んああっ!? こ、これって……本当にマッサージ?」 「もちろん」 「はぁぁ〜ぁぁ……な、ならいいけど……」 濡れてる部分を隠そうとする姫の中心部分を差し入れた人差し指でしばらくニチニチと往復していると、 「はぁぁ、あ、あ……はぁっ、あ……ぁぁ」 次第に我慢ができなくなってきたのか、姫の腰が左右に小刻みな運動を始めた。 「ん、んっ……はぁぁ、ん、んっ……国産の手 なんか……あん、痴漢っぽいよ」 「姫も痴漢にあったりするの?」 「な、ないけど……そんな雰囲気がしたの、ん、 んぁ……はぁぁ……広がっちゃうってばぁ」 指先でなぞるついでに黒い布を摘み上げると、姫が腰を振るのに合わせて、色づいた肛門が見え隠れする。 「あ、あっ、食い込んじゃう……」 「ストップ、動かないで」 ショーツの隙間から差し入れた人差し指で、姫の感じやすいすぼまりに触れてみた。たちまち、小さな肩がビクッと〈竦〉《すく》む。 「え……!? やぁぁッ……ちょっ……直接!?」 「あぁぁーーーーゲームオーバー!!」 「わ、すまん……しかし姫らしくもない」 「そんな……世界を代表する スペシャルシューティングスターが こんなことであっけなく……あ、きゃあ!」 姫がショックを受けている隙をついてぐっしょり湿ったショーツを下ろしてしまう。 「うわっ!? ちょっ、こら!! 全滅したの国産のせいなんだからね! あ……あッ、ばか、脱がすなぁ……!」 「濡れたパンツだと風邪ひくからさ」 自分でもらしくないと思うほどとぼけた言い訳をして剥き出しになった姫の下半身に指先を伸ばす。 「あ、あ、あ……やぁぁっ、んあっ、あ、あ!」 お尻の谷間を下ると、既にその部分は透明な粘液でテラテラと輝いていて、俺の指先をヌルッと迎え入れる。 「んァぁ……ぁぁァ……はぁっ、どこ触ってるのよ! ぜんぜんマッサージじゃないじゃん! ん、んッ! このヘンタイ、エロトナカイーーー!!」 虚勢じみた抗議も、姫にされると微笑ましい。姫の中は熱く潤っていて、指先が火傷してしまいそうだ。 そのまま指先を奥まで潜らせて、ぬちっとかき回す。それだけで姫は腰くだけになってしまった。 「やぁぁン……あん、そんなとこ凝ってないのに、 はぁぁ……あーーぁぁぁっ! んあぁぁ、はぁァ、 あ、あ、あはぁぁぁ……んあっ、あ、あ、あ!」 いまだ不慣れな俺の愛撫にも姫は全身を震わせて反応をしてくれる。 「可愛いな、もうヌルヌルになってる」 「な、な、なってない、感じてないってば! あ、あぁぁ……はーーぁぁぁ、んはぁぁ、 感じてない……ん、はぁ、はぁぁ〜ンン……ッ」 「その声で?」 「にゃぁぁ!? ち、ちが……はぁン、はぁぁ〜ン、 か、感じるわけないじゃん、だって国産下手だもん んぃッ!? や、あ、あ、あ……あぁぁ〜ンッ!」 負けず嫌いで意地を張っているというよりは、わざと俺を挑発して、もっと激しくいじられるのを待っているようだ。 「うーむ、下手かぁ」 「にゃうううっ!? ひゃぁぁぁ……ぁーーぁあァ! な、なに!? うああっ、なにそれっ!?」 中に差し入れた中指を小刻みに上下に動かして、ざらざらした粘膜の周りをトントン叩いてみる。それだけで簡単に姫の声が裏返った。 「あ、あーーっ、だめだめっ、そこ、あ、あ、あ、 そこだめ、だめ、だめ、ノックしちゃだめぇ!」 「実は俺もよく練習してるんだ。 姫に気持ちよくなってもらうために」 「うそ……あ、あ、あァ……ぁあぁぁぁッ!! うあああーーっ、ああーーっ、ああ〜んンっ!」 あまり一気に追い詰めてしまっても姫を楽しませてやれないんじゃないか、そう思って今度は外側を念入りに愛撫する。 「あ、あ、こら……だめ、やめて……んいィ、 だめだめっ、引っ張っちゃだめっ! やぁぁーん、あたしの伸びちゃうってばぁ!」 その声を受けて、俺はふたたび中に指をねじ入れていった。 「え? え? また中ぁ!? あ、あは……ぁぁぁあぁああぁぁあっ! はーっ、はーーーっ、はぁぁーーっ、入ってるぅ」 「あ、あ、あ、あっ、だめ、くちゃくちゃ言ってる、 やだ、聞いちゃだめぇ、音聞かないで……ん、んっ」 姫は今日も『だめ』という言葉で指示を出してくる。言われた通りにしてやるだけで、すぐにも昇りつめてしまいそうだ。 「やらしいなぁ、姫のここ」 「こ、ここって?」 男の口からそんなことを聞いてどうするのだ、そうは思ったが耳元に口をつけて囁いてみる。 「ここ……姫のま○こ……」 「ン──ゥッ!?!?!? あ、あ、あーーっ、だめ……イく、イくッッ!!」 言葉に興奮したのか、耳が敏感だったのか、ともあれ身をよじった姫が、腰をカクカク上下に動かしはじめた。 「まだ第一関節なんだけど」 「知らない……ッ、あッ、あッ、イくッ、あ、あ、 あぃ、あぃ、あ、イクイクイク──ッッ!!!」 「あ……はぁぁぁああぁあぁあぁぁあぁぁぁ…… ぁぁあぁ……ぁあぁ……ぁぁ……ぁぁ…………」 指先をちょっと挿れられただけで絶頂してしまった姫が、ベッドに突っ伏して荒い息をつく。 「はぁぁーーっ、はぁーっ、はぁぁ……も、もうっ、 痴漢トナカイ……ちかん……あ、はぁぁ……ぁぁ」 言いがかりをつけてくる姫の反応が、懐かしくも可愛い。 「痴漢痴漢なんて言ってると、 その痴漢を好きな自分自身が空しくなるぞ」 「なぁ!? だッ、誰が好きだなんて……!」 「違うの!?」 「こ、国産はどーなのよっ!」 「俺は姫が好きだ」 「あうぅ!?」 「あ、あ、あたしは……そんなの知らないっ! だってあたしは1度も好きなんて言ってないし!」 「あれ、とーまくん好きって……」 「あッ、あれは……その、お芝居だし!」 「ほう、騙してたと?」 「そそ、そーよお人よしさん!」 すべすべの尻を撫で回すと、姫の腰が浮いてくる。 「なるほどなるほど」 姫が虚勢を張っていると、お互い分かった上でのおままごとだ。 「そういう嘘をつく上司さんは」 「上司さんは……?」 「お仕置き!」 「ふぃぃ──ッ!? あ……あぐ……ッ、ッ、あ……はぁッ……!」 ──パチンッ! 心地よい音がすると同時に姫の呼吸が止まった。いまにもイッてしまいそうなほど、瞳の焦点が定まらない。 「もう一回……」 「あ、ま、待って、待っておねが……」 「あ、あーーーーーーーーーーーっっ!!」 ──凄い。 驚くような反応だった。バチンッ──と、空気の裂ける音がしたと同時に、姫はベッドに身体をのたうたせて絶頂してしまった。 「はぁぁーーーっ、はひーーーっっ、ひっ、 ひぁぁ……はーーーっ、はぁぁーーーーっ……」 ビクッ、ビクッ……と痙攣をおこす二つの隆起がみるみる赤く染まってゆく。 「あ、あ、あ……ッ! はぁぁぁ…………ぁぁぁーーぁぁああぁ……ッ」 その上を優しく撫でてやるだけで、姫はふたたび軽い頂へと昇りつめてしまった。 「はぁぁ……ン、はぁ〜ン、はぁーーっ…… あたし……イっちゃった、イっちゃったぁぁ……」 「姫はお尻の外側も内側も好きなんだな」 「ちがう……好きじゃない! あたしそんな変態じゃないし、ちが……う!?」 「ひぐっっ──!!」 「う……うッ…………はぁぁ〜ッ、はぁーっ、 はぁ、はぁ、あ、あ、もうやぁぁ……、あン、 だめ、許して……あ、あ、あァン……あんっ」 平手の三発で、完全に姫は戦意喪失してしまった。優しく癒すように表面を撫でて、囁きかける。 「後学のために質問。 姫は叩きながらどこ触られるのが一番いい?」 右の中指をツンと尖ったクリトリスにあてがう。 「ここ?」 「あ、あ、あ、あ、だめ、イっちゃう……」 そのまま指を上げていって、次は膣口……。 「こっち?」 「あん、あンンッ……!?」 さらに指を上げて、最後は姫の弱点である肛門へ……。 「それともここ?」 「んう……ぅぅっぅううううぅうぅ……ッッ!!」 「どこ?」 「え? えっと……く、クリトリス……かな?」 「ダウト、どう考えてもここだ」 姫の嘘を暴くように、肛門に立てた指に軽く力を入れてみる。 「ひにゅんッ!?」 ぬぽっ……と、お尻の穴に第二関節まで飲み込まれてしまった。 「やんッ、あん、あん……だめぇ!」 引っ張ると、今度は姫が肛門を食いしばって離してくれない。もこっ……とお尻が隆起して指を追いかけてくる。 「しらな……にィィぃッ!?」 奥まで押し込んでから引き抜くと、ぬぽんっ……と音がして指が抜けた。それをまた狭いすぼまりに突き込んでみる。 「んぇぇッ……んはっ、はぁぁ〜ン、んんっ、 んひっ、んひ、んんんーーーンッ!」 ぬぽっ、ぬぽっ……と抜き差しをしているうちに姫の声のトーンが変わってきた。 「んぁぁぁぁぁぁ……はぁーーぁぁぁッ、 はぁ〜ンッ、ああ〜んッ、んはぁ、んぉぉ、んぃ、 んぃっ、んぃ……いぃぃぃーーーーーやんやんッ」 「んいぃぃーーっ、んぃっ、んぃっ、 あ、あぃ、あぃ、あぃ、あぃ、ぃいいいいいっ イくイくイくッ……そこばっかほじったらイくッ!」 中で指を回すと、徐々に姫の肛門が広がってゆく。 「だめぇぇ、広げないで! あたしのお尻広げちゃやだぁぁ!」 「やだ……あたしイっちゃう! お尻いいの、お尻の穴……気持ちいいィッ!!」 「あーーっ、ああああーーーーァァッ! だめ、だめぇぇ、おぢりぎもちいいぃぃ……」 「姫、かわいいよ」 「やだ、こんなの可愛くないってば、エロいだけ! あ、あ、あお尻エロいぃぃぃィ、 あたしお尻エロくなっちゃう……あ、あぁ〜ンッ」 「んぃぃーーーっ!!」 破裂音とともに姫が魚のように跳ねる。 「あ、あ、もう指だめ、ほんとに指はだめぇぇ!!」 ならば……と広げた姫のお尻の穴に舌先を遊ばせてみる。れろっと舐めると、汗のしょっぱい味がした。 「きゃううぅぅ……舌もだめーーぇぇぇ!!」 指と舌でお尻の穴をいじられて、姫はほとんど我を忘れている。 「あ、あ〜んン……国産にお尻の穴舐められてる。 あたし、お尻の穴広げられて舐められてる……!」 「あ、あッ……だめ、だめよ国産、 そこ……はぁァ……ぁぁあぁぁ、 汚いよ? 汚いところなのよ?」 「にゃーーーっ!! あ、あはぁぁ……あたし、だめッ お尻ぶたれて感じてる……ッ」 「あ、あ、あ、待って、ポーズして!!」 ふいに姫が抵抗をはじめた。足をじたばたさせて、俺を蹴り落とそうとする。 「あ、だめ、ストップ、ほんとにダメ!! ダメなの、あ、あ、あ、限界だから!!」 「どうして?」 「そ、それは……あ、あ、あ、早くどいてぇぇ!」 大人しくさせようとぺちんと叩いただけで姫は絶頂した。 「やぁぁーーーーっ!!」 「あ……あァ、あはぁぁぁぁぁ……ぁぁ……」 プシャァァァッ……と液体のほとばしる音がして白いシーツにグレーの染みが広がった。 「ばかぁぁぁ……見ないれ……んぁぁァ…… あ、あ、止まらにゃい……ぃ……」 首をぷるぷる振って恥ずかしがるが、水流はまるで止まる気配がない。 「こいつはまた洗濯だな」 「うううっ……うぇぇぇん……やだもう死にたい また……またもらしちゃったぁぁ……」 「俺の前なら恥ずかしくないよ……ん」 いつかしたように姫の赤い粘膜に口をつける。鼻から下で弾ける飛沫を、そのまま受け止めた。 「ちょっ、こ、国産……!? あっ……ぁぁぁぁぁ……吸っちゃだめぇぇ……」 「んじゅる……ん、じゅる……ん、んっ」 「はあぁああぁぁあぁン……はぁぁン……やぁん、 んぃぃっ、あ、あ、また飲んでるの? ばか、変態……あたし、あ、あ、感じるぅぅ」 姫は自分からお尻を浮かせると、俺の顔に押し付けてきた。 「あ、あ、だめぇ、おしっこ……おしっこぉぉ、 はぁぁァ……おかしいよ、あ、あ、あたしたち、 ほんとに……変なことしてるよ?」 「姫に死なれるくらいならなんてことないさ」 「ばか、おもらしで死ぬわけないでしょ。 もう……あ、あ、あ、ちょっと、お尻……!?」 びしょびしょになった姫の股間に舌を遊ばせながら、お尻の中の指を小刻みに動かしてみる。 「ふぇぁぁああぁぁぁァ!? あ、あーーっ、あはーーーっ、あああーーっっ!」 悲鳴を上げた姫の身体が跳ねてぐったりと力を失った。 「はぁぁーーっ、はぁーっ、はーーーっ」 顔を上げると、姫はすっかり虫の息で荒々しく酸素をむさぼっていた。 「はぁぁっ……イッたぁぁ……んぁ、はぁ、はぁ、 すごいイっちゃった……はぁぁ、はぁっ、はぁ、 国産にイかされちゃったぁ……」 俺の視線のすぐ先で、キュッとすぼまったお尻の穴が誘うようにヒクヒクッと動いている。 「はぁ……はぁぁ……こ、国産?」 「ん?」 「ね、ねえ……挿れてみる?」 「挿れるって……姫!?」 「だって国産、すごく挿れたそうにしてるもん」 それが婉曲なおねだりだという事はもう分かっている。俺はベッドに膝をつき、姫の亀裂に向かってこわばりを突き出した。 「はぁ……ンッ!?」 先端がめり込んでゆく。一思いに突き込もうと思ったそのとき……。 「んぎ……ィぃッ!!」 「姫、大丈夫か?」 「い、いたた……う、うーーっ」 「はぁ、はぁ……おかしいな、 こないだは平気だったのに……ん、ぎッ!」 思ったより強い抵抗。それに姫の生々しい悲鳴を聞くと、それ以上腰を進められなくなってしまう。 「ま、待って、もう一度……がんばるから」 「…………いいよ、無理はしないほうがいい」 姫の頭にポンと手を載せる。 「ふーむ、前はすんなり入ったのに 日によってコンディションが違うんだな。 人体ってのは不思議なもんだ」 「…………」 「こないだも痛かったもん……」 「ま、まさか我慢させてた?」 「うん……けっこう」 「す、すまない。 そうか、俺のと姫とじゃサイズが……」 「あ、あっ! で、でもね……大丈夫!」 「無理するなって」 「無理じゃないの、あ、あのね……えっと、 た、ためしに……こっちでしない?」 信じられないようなことを言った姫が、自分でお尻の肉を左右にぱくっと割り広げた。 その中心で、さっきまで俺の指を飲み込んでいた姫の肛門が赤く充血して震えている。 「ほら、ここ……たぶん気持ちいいよ?」 「しかし……姫!?」 「いいの、あたしは……あ、あたしは……ここに、 はぁーっ、はーーっ、ここ、挿れてほしい……」 姫があんまりお尻の肉を広げるものだから、綺麗にすぼまっていた肛門が横にひしゃげている。 こんなところで……!?だが、肛門をいじられたときの姫の反応は本物だった。 俺を受け入れようとしている、姫の第三の粘膜。そこに視線が吸い込まれてしまう。 「し、しかし……いいのか?」 「うん……あ、あのね、きっと……きっとあたし ここ挿れられたらおかしくなるの……」 「だから……」 「だから、めちゃくちゃにして!! あたしのことぐっちゃぐちゃにして、 身体の内側から国産の物にしちゃって……!」 「──!!」 俺の物に……?ああ、そうだ……姫が──それを望むのなら。 胸のうちからこみ上げる喜びを押し殺して、俺は姫のお尻を左右から支える。 「ご随意に、お姫様」 「ばか……格好ついてないよ」 「あぅ……」 俺の切尖をあてがわれ、姫が不安そうな声を出した。 「力を抜いて……」 せめて、少しでも苦しくないほうがいい。そう思いながら、じわじわと体重をかけていく。 「あ……う、ぁ、ぁあ、ああぁ……あああッ!」 指のときと同じだ。俺はあっという間に、ヌルルッ……と飲み込まれてしまった。 「うァああああああぁああぁああぁッ! あッッッ……はァぁあああああああああ!!!」 姫の処女を奪ったときよりも、ずっとスムーズな感触があったにも関わらず、姫の反応は激しかった。 予想以上の反応に一瞬ひるんだが、一気に抵抗を突き破って押し込んでいく。 「うあああっ、あ、あ、あーーーっ、なに、 あうっ、すごい、あ、あ、あぐぅぅぅッ! なにこれすごいいいぃぃぃぃいぃぃぃ!!」 「いぐっ、い……ぐぐぐ……ぎひッ! んぎ、 んぎぎぎぎ……うーーーーーぐぐぐぅぅぅぅぅ」 「や、やめよう!」 「待って、だ、だ、だいじょ……ぅぅぅぅうーーー! だいじょぶ、大丈夫……ほんとに楽勝……ううぅ、 うえっ、うえぇぇ……うううーーーーっっ」 「泣くほど痛いんじゃ無理だって」 「違う、ちが……うぅぅぅ……ほんとはしたいの、 あたし……うぎ…………ん、んぁぁ……あとちょっと ちょっとだから、ちょっとで広がるから……ぁぁ」 「だめ、命令……そ、そう、命令だから、お尻から 抜いちゃダメ! 気持ちよくならなきゃダメっ! あたしのこと……離しちゃダメだからっっ!」 「姫……」 分かったと言うかわりに、ゆっくり、できるだけゆっくり、姫を傷つけないように腰を送る。 「んぎっ、ん、んふぅぅぅーーーーっ! ふーっ、 ふーっ、ふぅぅーーっ! はふぅぅぅ……! んひっ、う、ぐ、ぐ……ぅぅぅぅーーーぅぅぅ」 「もう駄目になったら?」 「ギブって言う! ぅぅぅううぅぅ……あ、あ、あ、 ちょっと、入ってきた……あ、あ、あぁぁぁッ」 「あはぁぁーーーーーぁぁぁ……うはぁあぁぁぁ、 あーー、あーーーーーー、あーーーーーぁぁぁ」 しばらくはうなるような喘ぎを洩らしていた姫だが、徐々にその声が甘く蕩けだしてきた。 「あーーーぁぁ、はぁぁ……はぁぁ〜ン、はぁぁ、 あーーーン、すごい、おしり……ぎちぎちぃ」 「すごい……本当に入った……」 あの姫の小さなすぼまりに、猛り立ったペニスが半分以上も埋め込まれている。 「ね……だからぁぁぁ……あ、はぁぁぁぁ…… 大丈夫って……う、うぐぅぅぅ……うぅぅ、 言った、言った言ったから、イッた……からぁ!」 さらに腰を進ませて、姫のお尻を串刺しにしていく。 「ひぎゅんっ!? んぎゅ……うぅゥゥゥッ!」 途中の引っ掛かりを越えたら、一気に根元までペニスが埋め込まれた。腸の奥まで貫かれた姫の腰が痙攣を起こしている。 「あェァぁあああぁぁあぁぁ……あぇっ、あぇぇっ! んぎ……ひいぃぃぃぃ……う、うぐっ、はぁぁ、 あーーー、あはぁぁーーーーーァァ……!」 また姫の声が動物じみたうなりに戻る。だらしなく口を開いて、よだれがぽたぽたと枕に落ちる。 「あ、あーーーっ、はぁぁ、うぐ……ンぁぁぁッ!」 本部のエリートサンタさんとは思えないような格好で、姫は俺に全てを投げ出している。 抜き差しのたびに姫の細い身体がたわんで、ベッドがギシギシと悲鳴を上げた。 「あ……うぁぁ……ン、あ……ぅぅぅ……ッ! んン……んーーーーーんッ……んぁ、んああぁぁ」 あまり大きく動かすと本当に姫を壊してしまいそうだ。奥まで差し入れたまま、小刻みに動かすと次第に姫の声が甘く蕩けてきた。 「はぁぁぁ……あ、あ、あーぁぁぁぁッ、はぁぁ、 ンぁ……ンぁぁッ……んあっ、あ、あ、あ……ぁ」 「んぉぉ……んあッ、んーーーッ、はぁぁ、んあっ、 ね、ねえ……あたしの……ンッ、おしり……はぁ、 はぁ、はぁ、はぁ……う、ううっ……」 「姫、気持ちいいよ」 「ふぁ、ほんと?」 「ん、姫に握り潰されそう……」 「あ、ふふ……んはぁァぁぁ……あたしはね、 もうだめ……頭とろけちゃってる……の……」 「あ、あは……ねぇぇ……ちょっと、んァぁ、 す、少し緩めてみるね……ん、ん……んぅぅ、 んッ、ん、んーーーーーーっ!」 つま先を突っ張らせて姫がいきむと、括約筋が動いてペニスが押し出されそうになる。 「ど、どう?」 「ああ、ありがとうお姫様……」 良かれと思ってやってる姫に優しく囁いて、再び腰を奥に進めてみる。 「ひぐ……ゥゥぅああああああぁあぁあぁーーーっ! あがっ! えうっ! しゅごい、口から出ちゃいそ、 う、うはぁぁぁ……はぁぁーっ、はぁーっ」 小刻みな出し入れから、激しいストロークへ移ると姫の反応はさらに大きくなる。 「あ、あーーっ、んぐぐ……ん、んーっ、あぁぁ、 はぁぁ、はーぁぁぁ……んぐ、ぐ……ぅぅぅ」 いつまでもこの体勢では苦しそうだ。俺はつながったまま姫の身体を抱え上げて、自分の上に座ってもらうことにした。 姫の軽い身体をひょいと持ち上げ、つながったまま、膝の間にゆっくりと下ろす。 「んあ!? あッ、あ、あァーーーーっ!!」 抱え込む形でより激しく腰を突き上げると、姫はすぐに甲高い喘ぎで応えてきた。 「あ、あ、あっ、これすごい、すごいッ、 すごいの国産っっ、あ、あ、あーーっ!!」 上からのしかかるよりも、こっちのほうがお姫様は感じやすいようだ。俺は少し安心して、下からの突き上げを強くした。 「はぁっ、はぁ……ぁぁぁああぁああぁぁッ! ねえっ、ねえ……もっと、もっとして! あたし……あ、あ、あ、きもちいぃぃぃ!」 指で姫の性器を広げると、手のひらに尿と愛液の混交した液体が落ちてきた。 「あ、あ、あーーっ、はぁぁ、ぁ、あ、あ! お尻、お尻すごい……入ってるぅぅッ! んぁ、んぁ、んあっ、あ、あはァァッ!」 「姫のここ……すごく尖ってる」 「え? あん……ちょ、あ、あ、尖ってなんか! んぇぇッ……あ、あ、あーーーっ!! はひぁ、はひゃあぁぁ……らめぇぇぇ!」 クリトリスを指先で転がすと、すぐに姫の呂律がおかしくなった。 「やぁぁ、んぁっ、しょこ……そこしょこしょこぉぉ あ、あーっっ……んあぁぁ、おしり、あ、あ、あぐ、 広がっちゃう、あ、あ、あたし変になるっ!」 敏感な突起と、敏感なすぼまり。手と腰を休めずに、姫の敏感な部分を両方とも刺激しつづける。 「んあっ、あうっ、うっ、うーーーっ、はぁァ、 んあ、ん、ん、ん、んあぁぁ……あはぁぁ……! もっと、あ、あ、もっと、もっと貫いてっ!」 指を回すたびに、どんどん新しいネバネバが垂れ落ちてくる。 「あはぁぁっ、やぁぁ……だめ、だめだめ! あん、あん、あぐんッ、ん、んぃ、んぃぃッ! そこくりくりしないで……しないでーぇぇ!!」 「国産、あ、あ、ずるいよ、あたしこっち向きじゃ なんにも……あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あっ」 「あ、あ、あ、あぐッ、あんあんあんあんッ!! ずるい、国産のち○ちん……あ、あ、ずるいー!」 文句を言っても、直腸を深く突かれると、たちまち姫は我を忘れてしまう。 「はひぁ……んあ、あぃ、あぃぃぃっ、いーっ……、 ん、んあ……はぁっ、はぁ、ん、んっ……ん…… くはぁぁ、はぁぁ……しゅご……いぃぃ……」 興奮した腰の動きに、苦しそうな喘ぎ声をもらす。 「ううぁ、あはぁぁぁぁっ、あーっ、あーっ、ぁぁあ! あ、あーっ、あはぁぁっぁぁぁぁ!!」 「苦しい?」 「ちが、ちが………あ、あ、あッ、でも声が、あん 声がおかしくなってる、うぁァ、んあ……あァーっ、 あぐっ、あはぁっ、あへぁぁっ、あえぁぁぁ!」 どうやらお尻のスイッチで姫のほうが動物のようになってしまったようだ。 ショーツとおそろいのブラを外すと、なだらかな姫のふくらみが現れる。 「あん……そ、そこ……あ、あ、あッ!」 胸のふくらみは小さいけれど、先端でピンクの乳首がいかにも敏感そうに尖っている。 「はぁぁ……だめ、胸も敏感なの……あ、あ、あッ え? あ、ちょっと……あ、あーーっ!!」 背後から手を回して姫の乳首を転がしてやるとお尻がキューーーッと締まってきた。 「だめだめ……あ、あぃ、あぃぃぃっ、いーっ……! ん、んッ、んあ……はぁっ、はぁ、はひィ、はぁン、 あン、あン……すごい、おち○ちん……うぅぅっ」 「やぁ、あ、あ、い、息出来ない……あ、はひ、 ひっ、はぁ、あ、あ、あ…………はぁぁーっ」 姫の小柄な身体を抱きかかえて、上下に揺り動かした。姫の穴だけを使うように勝手にペニスにこすりつける。 「あッ……やん、やだ、ゆすらないで! これじゃあたし、国産のオナ……道具みたい、 あ、あ、あーーっ、だめぇ、あたし使っちゃだめぇ」 「いやぁぁ、あーっ、んああっ、あーっ、ああぁぁぁ あぃ、あぃぃ、あいっ、いっ、いっ、いっ!!」 「すごいっ、すごいっ、あァーーっ、すごい……いい、 あぃ、あぃ、いひぃぃぃ……イク……あァーーっ!」 足を抱えられたまま身体を上下に揺さぶられて、道具のように扱われた姫はすぐに絶頂した。 「あ、あーーーーーーーぁぁぁあぁぁぁぁッ!!」 絶頂と同時にシュッと黄金の輝きがほとばしり、俺の手を暖かく濡らしながら床に落ちる。 「出ちゃう出ちゃ……ううぁ!? あぁ……ぁ、出ちゃったぁぁ……ぁぁッ」 ぱしゃぱしゃと床に向けて放物線が描かれる。敏感すぎる肉の突起をつまむと、ぴゅーーーっと放物線が遠くまで伸びた。 「あぁぁぁん、だめ……遊んじゃ……ん、んっ」 「姫、お尻の穴食いしばって」 「してる、さっきからしてるもん! あ、あはァぁッ!? あ、あ、あ、あーっっ! だめ、ずぼずぼされたら……あン、あたしッ!」 キュウウッと締まる括約筋を貫くように、思いっきり腰を打ち付けていく。 「あァっ、あっ、あはぁぁぁーーーーぁぁ! やだ、なにこれ……!? あ、あ、だめっ! やだやだ、ほんとにしてるみたい!」 「なにを?」 「い、言えないわよばかっ! あぅああぁぁァ……ッ、あはぁぁーっ!」 「あっ、はぁぁーーーぁぁ……ああぁぁ! 違うの、ちが……あーーぁぁぁ、トイレで あ、あ、出してるみた……いなのぉ!」 肛門で抜き差しされながら姫は排尿を続ける。排泄を錯覚しているくせに気持ちよさそうだ。 「はぁぁーーーぁぁ……あぁぁ、へんなの、 あぅ、ううぁ、おしり、おしり熱いっ! 熱くて、熱くて気持ちいいィィ……!」 中の締め付けがきつくなり射精しそうになるのをこらえて腰を送る。 「はぁぁ……ぁぁ……ッ」 やがて姫の水流が勢いを失い、ぱたたたた……と床に点々と跡を残す。 「あはぁぁ……う、うっ、また出ちゃった…… あたし、あ、あ、あ、あたし汚い……ううぁ、 んあっ、んあぁぁ! あーーーーっっ!」 「言ってるだろ、汚くないって……ん」 背後から耳たぶを噛んでやる。 「ひゃううっ!?」 「俺の姫だ……」 「あ、あ、こくさん? あ、はぁ……ぁあぁあァッ、 んぁ、んぁ、んぁぁ、んぁぁ、んぁぁーーァァ!」 声に泣きくずりが混じっている姫は、俺がさらに上下運動を強くしたら再び感じ始めた。 「あ、あーーっ、ほんとに好き? 国産、あたしのことほんとに好き? お尻の穴でイっちゃう上司がすきなの?」 「姫にどんな趣味があっても関係ないよ、 俺は……姫が好きだ」 「こ、国産……」 ラブラブな空気を突き破るように腰を送る。 「あぁ、あへぁぁーーっ、あたしも国産好きっ! 国産好きっ、好きなの、好きだからもっと突いて! あたしのこと壊して! めちゃくちゃにしてっ!!」 「壊さない、俺が姫を守るんだ」 「ちがうの、だめっ、あたし、 そうじゃないと本当のこと言えないから!」 カクカクッ、と姫の両足が踊る。 「だから国産が壊してっ、ひどいことして! お願いっ、あたしのことやっつけて!」 「姫……!」 「んあ、んあ、あぁーーァ、お尻きもちいいっ! 国産のカッコいいおち○ちんで お尻いじめられるの気持ちいいっ!!」 我を忘れた姫が、言葉で自分を辱めようとする。めちゃくちゃなことを言ってるようで、その言葉に姫の本音が剥き出しで詰め込まれている。 「好き! これ好きっ! ンぁ、ン、ううぁ、 あ、あたし……あたしお漏らししちゃう……! またもらしちゃうぅっ!」 ぶっ、ぶぶっ──と、結合部から空気の鳴る音が聞こえ始めた。その音を耳にして姫の声がほとんど絶頂に近づく。 「はぁぁーーぁぁ……あたしヘンタイになる……っ、 国産専用のヘンタイになる……ぅぅぅ!」 奥で腰を回す。それだけで姫の視線が焦点を失う。 「あァ、あァ、あァァ……まだ、まだイかないの? あ、あーーっ、すごい、とーまくんでいっぱいィ、 あ、あぐっ、あ、あ、もうだめ、あ、もうだめっ!」 快楽の波にさらわれた姫は、『国産』と『冬馬くん』を取り違えたことにも気づかぬまま、小さい身体を震わせて喘ぎ声を絞り出す。 「だめだめだめ……あへぁ……クリトリスきもちぃぃ、 お尻、お尻の穴きもちぃぃ……ィ、あ、あーーっ! ねえ浣腸してっ、ち○こで浣腸…ンあ、ンーっ!」 姫は懸命に、俺の劣情をかき立てようとするように、いつもは絶対に使わないような言葉で全身の快感を露わにする。 「ま、まだ……もう少し……最後は一緒だ」 「うん、うんうんっ! じゃあイく! いつでもとーまくんの時にイくからっ! あたし……イク、イクイクイク……ッッ!!!」 そんなことを言いながらも姫は、俺の射精を待たずにひとりで昇りつめてしまう。 しかし絶頂と同時に、姫の内側の筋肉がキュゥゥゥッ……と締め付けてきた。 「姫……イくぞ……ッ!」 息も絶え絶えな姫に意識を重ねるようにして、そのまま真っ白な頂まで一息に駆け上がった。 「あっ、あぐ、あーーーーーーーーーーッ!!!」 どくっ、どくっ──と、姫の中に熱いマグマを解き放つ。 「あはぁぁ……あーぁぁ、あーーーっ! はぁぁ……はぁーーーぁぁぁ、すごい、あついぃ」 射精の勢いで姫の股間からまた水流がほとばしる。まだ尿が膀胱に残っていたことのほうが驚きだ。 「はぁぁ……ぁぁ! やぁぁ、おしっこ止まらないぃ……」 「そんな姫も好きだよ……」 「やぁぁ……そんなこと言われたらイっちゃう、 あ、あ、あん! いじわる……ぅぅ!」 荒い息と一緒に頭を痺れさせる。姫のお尻の中はきつすぎて、なかなか最後まで射精が終わらなかった。 「あぁぁ……はぁぁーーっ、すごいぃぃ……ィ、 お尻の中……あ、あ、いっぱい……出てるぅ、 んぁ、んぁっ、だめ、動いちゃ、あ、あ、あっ」 「だめだってば……あ、あーーっ、うそっ、んあっ、 だってどぴゅどぴゅーーってしてるのにぃ! あ、あーーっ、それ、それそれすごいっっ!!」 「はぁぁぁッ! あたしイくッ、お尻でイっちゃう! ねえ見て、国産っ、あたしのイく顔見てぇ! 国産だけのあたしを見てぇぇ……っ!」 机の上の鏡に映った姫の顔が、みるみる快楽に濁っていく……。淫らな表情をこんなにも愛しく感じたことはない。 「らめッ、そこ……あ゛ーーーーーっ!! あぁぁ……あ゛ァァあぁあぁぁぁっっ!!」 放出の終わらないペニスを突き上げると、またしても姫は小柄な身体をじたばたさせて昇りつめてしまった。 「あ、あ……ひどい、あんなに水溜りになってる あたしのお部屋、おしっこの臭いついちゃうぅ」 立ち上るアンモニアの薄い香りに、俺も姫も酔っていた。 それでも顔を真っ赤にする姫の恥じらいが可愛くて、抜かずに腰をゆすると、またも簡単に感じ始める。 「はぁぁ……あぁ、あぁぁ……すごい、あ、あ、 はぁぁン、あん、あ、あ、やぁぁ、 クリ……いじっちゃやぁ……!!」 同じリズムでクリトリスをくるくると転がし、姫の息が上がってきたところで、トトトン……と小刻みに叩いてみる。 「やぁぁ……らめ、押さないれ……! えっちスイッチ押しちゃだめぇ! あ、あ゛あ゛ーーーーーーっっ!」 こらえきれなくなった叫び声に合わせて、姫の股間から生暖かい液体が吹き出してくる。 「あ、あ、あァ〜んんっ、んあ、それ、それっ、 あァーーん、あんっ、そこっ、そこそこそこ! あ、あはぁぁあぁぁぁぁーーぁぁァ!!」 「んひ……ッ、あだじ……イイぃぃィィッ!! お尻いいッ! おま○こもいいィ! あーーーーっ、あはぁぁーーっ、好き、すきぃ!」 えっちスイッチとやらの入ってしまった姫が、俺以外の誰にも見せられない顔で喘ぎ悶える。 しかしこのままではきりがない。放出を終えたペニスを抜いてやろうと腰を引くと……。 「んあっ、あ、あ、あァーーっ! あ、あ、だめだめぇ……待って、まだ抜かないで!」 「どうして?」 「だ、だって抜いたらイっちゃうから……あ、あァ、 ほんとに、あ、あ、イく…………ッッ!」 「平気さ、ほら」 言葉とは裏腹にイジワルな心が芽生え、ゆっくり、中の粘膜をこすれるように抜いてやる。同時にクリトリスを軽く指で弾いてやった。 「ひぎ!? あァ……あ、あ……あはァあぁぁあぁ……ッ!!」 「はァっ……ンはぁぁ……ッ!」 姫の小さな膀胱に残っていた最後のおしっこがまるで精液のようにビュルッと飛びだした。 「はぁ、はぁぁ……はぁっ、 はぁぁ、はぁぁーーーぁぁ、はぁっ、はぁーーっ」 しばらく痙攣のおさまらない姫は、俺の上で恍惚となって酸素を貪っている。 上を向いていたペニスからも、ドロドロの精液が垂れ落ちてきた。 「あ、ティッシュだめ……」 「え?」 「だったら……舐めさせて……」 「ごくっ、ごくごくごくごく……ごくっ! ぷはぁぁーーーーーっっ!!」 コーラを一気に飲み干して、水分補給をする。汗と尿と体液と、とにかくなんでも外に出してしまった姫には水分が足りない。 12月だというのに、部屋は汗の蒸気でむせかえるような生暖かさだ。 「はぁぁ……おいし。 ん、おかわり……ん、んぐっ、んぐ……ぷはぁぁ」 コーラを飲みつくしたあとは常温で保管されていたスポーツドリンクの2リットルペットボトルを喉を鳴らして飲み下す。 「はぁぁ……ちょっと落ち着いたかな」 「そりゃ、たくさんお漏らしするわ」 「ぐさっ!! こ……国産のいじわる!!」 姫の粗相した液体をタオルで拭き取りながら見上げると、ピンクの性器から内腿に、愛液が糸を引いて伝っているのが見えた。 「やん、えっち……」 俺の視線を感じた姫が、ささっと下半身を隠す。あれほど濃密に絡み合ったあとだというのに、そんな些細な仕草に俺はドキッとしてしまう。 「部屋……におっちゃうかなぁ?」 「すぐ拭いたし、よく換気すれば大丈夫さ。 布団は……まあ、朝になったら干さないと」 「うぅぅ……またななみんに笑われるー!」 「次からは風呂場かな?」 「そ……そうなっちゃうよね? うぅぅ……なんでおもらしなんて……」 「それだけ姫の身体は敏感なんだな。 考えかたを変えれば、 ラッキーだって思うこともできるさ」 「うぅ……」 「俺もビールだけじゃ辛いな。 姫のもらうぞ……ん、んぐ……」 「あ、あ、あ!」 「……なに?」 「だって……間接キスっ!」 「な、なにを今さら!!!」 「そ……そうなんだけど、 ちょっと……恥ずかしいかも」 「ん……」 つい、ビンの口をぬぐって返してしまう。それにしても……。 「な、なに?」 「……綺麗だな」 「え?」 「姫の身体がさ」 「わ、わ、なに言ってんの!?」 あのイタリア人に少女趣味だと笑われようと、姫の身体は美しいと思う。 「恥ずかしい?」 「は、恥ずかしくなってきた……。 やん、うわっ……見るなぁぁ!」 恥ずかしがった姫がおなじみの変身ポーズをとり、きらきらっ……と早着替えをすると──。 久しぶりに見るサンタ服の赤が、俺の目にしみる。 「おおっ……!」 いつものサンタ服──いや、良く見ればそいつは見習い用のレプリカサンタ服だ。しかもNY本部仕様。 いくら気恥ずかしいからって、そんなものまで持ち出さなくてもよかろうに。俺はそんなに変なことを言ったのか? 「だいいちいまさら 尻の穴の形まで知ってるのに」 「ぎゃーーーーっっ!! なに言ってんだーーー!!!!」 「いてっ、いてて、照れるなって!」 「国産がデリカシーなさすぎなの! もう……ばか……本気で恥ずかしいじゃん」 頬を膨らませた姫が可愛い仕草でもじもじする。 「…………ね、ねえ、国産?」 「なんですか、可憐なお姫様?」 「がるる! いじわる!」 「そうじゃなくて……! ねえ……何か足りないと思わない?」 「何か?」 「ねぇぇ……分からない?」 「……?」 「だって……ほら……」 もじもじと内腿をすり合わせた姫が俺に背中を向けてベッドに四つんばいになり、両足をゆっくり広げて中を見せる……。 「…………お尻だけでいいの?」 「あ、あ、あーーーっ!! あはぁぁ……あ、あ、あ、あーーっ!!」 かくして二度目の挿入。俺は背後から姫の手を手綱のように取って、上半身を宙に浮かせたまま突き上げる。 「ああぁぁ……すごい、すごいよ国産っ! 国産のち○こ……あ、あ、奥にぃぃ!」 「やぁぁ、そこそこそこっ! んィぃぃぃッ……あ、あ、トントンしてるっ! 奥ノックしてるっ、ぶつかってるっっ……!」 愛液ですっかり潤っているのか、さっきはきつくて痛がっていた姫の中にも容易に抜き差しができてしまう。 「あ、うーっっっ、あ、すご……あ、あーっ、 あーっ、すごい、あーっ、あぁぁぁァァ!!」 姫も乱れきっているが、周辺の粘膜が生き物のようにからみついてきて、こちらもすぐにイかされてしまいそうだ。 「あ、あ、あーーっ、すごい、しゅごいっ! ち○ちん……やぁぁっ、だめ、だめーーーっ! イく、イくイくッ! イくーーーッ!!」 あっという間に一度目の絶頂が訪れ、姫の身体がぐぐーーっと大きく反り返る。 「んはァ……ぁぁあぁぁあぁあぁっ! あーーーっ、だめだめ、許して、あ、あ、また あ、はぁぁーーっ! ああーーーんんっ!」 間をおかずに腰を動かすと、姫はすっかりとろけた声でペニスを哀願する。 「お尻だけじゃ物足りなかったんだな、 ほら……こっちでも思いっきりイッていいから」 「うん、うんっ、嬉しいっ! あ、あ、あ、気持ちいいッ……はぁぁ、 国産のち○ちん……あん、あん、あーーっ!!」 いきなり切羽詰った声をあげる姫に俺の理性もすっかり揺さぶられている。 「んぃぃぃッ! あ、あーっ、あァァーっ! あたし国産に操縦されてるっ! あ、あ、あっ! 国産のち○こで操縦……あ、あーーーっ!!」 「ち○こで操縦して、あたしのこと、あ、あっ、 しつけて! 国産の好きにしつけてっ! はーーーっ、はぁぁーーっ、イくッ、イくーッ!」 赤裸々な気持ちか、あるいは気の迷いか、刺激的な言葉を次々と投げかけてくる姫を、浅く深く、何度も突いて絶頂させる。 「んァぁ、だめ恥ずかしい……イきそう……あ、あぃ、 国産あたし、い、イィ、い、いっちゃ……!! いィ……ぐぅぅぅぅぅっっ……!!」 「はぁーっ、はぁーっ、はぁ、あ、あ、うあっ、 まだ……? あ、あぁ、はぁぁっ……あ……」 果てても許さずに2回目に突入した。小刻みに腰を動かすたびに甘えた泣き声があがる。 「ううぁ、あ、あーっ、あ、あ、あ、あひぃ、んぁ すごい、すごい国産の大きい……あ、あ、んぁ!」 ぱちゅん、ぱちゅん……と、二人の結合部から肉のはぜる音と愛液の弾ける音が同時に聞こえてくる。 「あぁぁー、とーまくんっ……あそこ、おま○こっ、 あ、あ、すごいの、わけわかんない……ィィィ!」 またしても呼び名が「とーまくん」に戻っていた。姫の視線がドロッと濁って焦点を失う。 「はふぁぁァァッ! やぁぁ、感じすぎちゃ…… あぐっ! う、うーっ! んぁぁーーっ!! そこは……あ、だめ、だめそこはぁ……ァ!」 腰を深くねじ込むと、大股開きの結合部から、透明な液体がピュッと跳ね上がった。 「おま○こ、おま○こっ、とーまくん好きッ! おかひくなっちゃ……うッゥゥゥーーーーっ! うーっ、んぁ、あぃ、あぃ、あぃぃぃっ!!」 「好き、好き、好きっ! あーっ、そこ、だめだめ、 だめなの、気持ちいいからっ! やめ、きもぢ……ィィ……あァぁあぁぁァーっ!」 奥でぐりぐりと腰を回すと、姫の一番深いところが俺の先端で押し込まれ、えぐられる。 そうしているうちに姫はすっかり我を忘れて、「好き好き」連呼しはじめる。 「好きぃ、国産……あ、あーっっ、好き、好きぃ、 おま○こ……あ、あ、気持ちいぃ、おま○こいいっ! もっとして! もっと……あ、あはぁぁあぁぁッ!」 「あ、あ、大好きっ! ん……イく、またイっちゃう、 おま○こイッちゃう! あ、あーーーっ、おま○こ、 とーまくんのち○ちんでま○こ……イく……ッ!」 姫の温かい体内でこすられ、今にも射精してしまいそうだ。意識がふっと暗くなってきた。 「く……イくぞ、姫っ!!」 「好きです、好きっ、あ、あ、いく……い……ッ! うぁあぁあぁああああーーーああ……あーっ! あーーっ、いグ……ぅううぅぅぅうぅぅッッ!」 射精の直前、頭がキーンと震えた。姫の尻に打ち付けて下半身の緊張を解き放つ。 「か……はぁぁァ……ッ!! はぁ、はぁっ! んぁ、はぁぁ、すごい……あ、好き……はぁぁ…… 中……いっぱいぃぃ……はぁ、はぁぁ……ぁぁ」 小さな身体が痙攣と硬直を繰り返す。やがて、マストのようにピンと張った姫の上体がずるずると力を失っていった。 「う……うぅぅ……!」 「はぁぁ……さすがにやりきった感があるなぁ」 「うーうーうーっっ!! ずるい、国産いっつもずるい!!」 「な、なにがだ!?」 「だ、だって、あたし感じやすいの知ってて、 ぜんぜん手加減してくれないし!」 「華麗なるお姫様は手加減とか嫌だろう?」 「あぅぅ……で、でもでも! あたしぜんぜん勝てないんだもん! 国産はいっつも挿れりゃ勝ちって……んぐ!?」 うるさく騒ぐ口を、唇で塞いでやると、姫の身体からくたくたっ……と力が抜けてしまう。 「ふぁぁ……ンぁ、ん、ちゅ、んんーーン、 んっ、んあっ……あ、あ、んちゅ、ちゅ、 ん、れろれろ……んじゅる……ちゅぅぅぅ」 「ぷは……はぁ、はぁぁぁ……ァ」 敏感になった姫の身体は、ただのキスだけでびくびくと痙攣を起こしてしまう。 「勝ち負けは気にしちゃだめ、お姫様」 「はぁぁ、ふぁぁぃ……わかりまひたぁ……」 「はぁぁ……ん、国産の……好き、んむっ、ちゅ」 愛液まみれのペニスを嬉しそうに舐めしゃぶる。姫は俺の……分身をすっかり気に入ってしまった。 「はァぁ……んむ、ん、ん、んちゅ、んんむ、 んっ、じゅるる……ちゅ、ちゅーーーっ」 「ぷは……ほら、綺麗になった……ふふっ」 うっとりとした姫の瞳の中には、まだ情欲の炎がくすぶっている。どうやら今夜はまだ終わりになりそうもない。 「ん……ふふっ、今度はあたしの番……」 「ね……朝までしゃぶらせてくれる?」 「はぁぁ……すっかり朝になっちまったな」 「結局寝なかったねー、ふんふんふーん♪」 「お姫様、元気だね」 「ふふっ、だって愛されてるもん♪」 「ば、ばか!」 「いーじゃん照れなくっても! あ、ななみん、すずりん、おはよーっ!」 「──!!!」 「お、お、おはよう……ございますっ」 「な、なに? どーしたの?」 「どーしたって……ねぇ?」 「あ、あ、あははははは……!!」 「えー、なによ、なにか隠してる? あれ……国産までどうして青ざめてる?」 「そりゃ……青ざめるだろう」 「え……?」 「──ぎ、ぎくっ!?」 「ま、ま、ま、まさか! 昨夜って、なにか変な物音とか声とか 聞こえてたりした!?!?」 「き、聞こえてたって…………ねぇ?」 「あ、あ、あははははは!!」 「お、お幸せにーーっっ!!」 「わ、私たち、気にしませんから、平気ですから!」 「ち、ち、ち、ちがうのっっ! ちがうのよ、あれはそういう声じゃなくて!」 「どれがどういう声ですかっ!?」 「あわわ……え、え、えっと、そう!」 「あれはエロゲーの声!!」 「エロゲー!?!?!?」 「……ばか」 「そそそそそんないかがわしいものまで!?」 「あうぅぅ、どっちにしろ墓穴だったーー!!」 ──その6時間後。 「………………」 「………………」 「………………」 「…………♪」 「え、ええと……いただきます!」 「きゃあああああああ!!」 「な、な、な、なんだ!?」 「だだだだめですーー! 食事中にいったいなにを いただこうっていうんですかー!」 「飯だ!!」 「はぁぁ……そ、そうですね……てっきり」 「てっきり何かな」 「あ、い、い、いえ……なんでもっ!」 「んー? どしたの二人とも♪」 「……いいですね、りりかちゃんは毎日楽しそうで」 「え? えー、そんなことないってば! ねー国産? ふふっ、ふふふふふ……」 「朝の〈団欒〉《だんらん》とは程遠いこの緊張感が なにを源泉としてるか気づいてらっしゃるか?」 「あたしそんなラブラブしてるつもりないけど?」 「やめろ、ラブって言うな! 俺たちはラブじゃなくてパートナー……」 「ごまかしても分かってます」 「ラブラブ……されてますよね」 「……………………」 「頼むから犯罪者を見るような目をしないで!」 「……………………」 「もぐもぐ……あー、おいしい。 今日もお仕事がんばらないとねー♪」 「……うう、動じてないなお姫様」 「り、りりかちゃん……大人です」 かくして、姫が自信を取り戻し始めた頃──。その手紙は前触れもなくツリーハウスに届いた。 「ふんふふーん♪ アイスもなかー♪ ふふふふーん♪ バニラシェイクー♪」 「ご機嫌だな、なにやってるんだ?」 「今週分のリクエストの集計です。 サンタさんに手紙を書こうキャンペーンの!」 「おー! けっこう集まってるみたいね!」 「抽選で3名様の願いを叶えます──だっけ?」 「5名様です。 応募アンケートが実現可能なリクエスト ばっかりだといいんですけど……」 「無茶なお願いされても聞けないもんね」 「どれどれ、一眼レフのカメラがほしい? 色違いの6Vメダモンがほしい? 昭和30年代の国鉄制服帽がほしい?」 「最後のは誰のリクエストか分かった」 「このくらいなら、 なんとかプレゼントできちゃいそうかな」 「そうですねー、ペンキ屋さんのは ちょっと難しそうですけど……おや?」 「なに?」 「りりかちゃん、これ……」 「なにこれ?」 折り畳まれた手紙をななみから受け取った姫が中の文面に目を通す。 「──プレゼントのリクエストを実際に 書き記すことによる言霊実験の一環として、 この試みに意義を見出しました……?」 「えらい前置きが長い人もいるんだな」 「私からのリクエストは以下の通りです……」 「──オーロラの写真が撮りたい」 「姫、そいつは」 「………………」 姫が手紙を裏返す。そこに書かれている名前は、見なくても分かっている。 ──更科つぐ美。 つぐ美からの手紙を受け取った姫は、黙って何度も、何度もその文面を読み返していた。 「はー、あついあついー♪」 訓練の汗を湯船で流すと、1日の終わりを感じる──。 姫はまだソリに乗れるほど回復してはいないが、それでもハイパージングルブラスターで根気よく裏庭の枯葉を撃っている。 俺が近くにいることが、少しでも姫の復調につながってくれるといいのだが。 リビングのソファーで順番待ちをしている俺の隣に、風呂上りのりりかが腰を下ろした。 「国産、次いいよ」 「ああ、ありがとう」 「ななみんとすずりんは?」 「先に休んだよ、 今夜もハードだったからな」 「そっか……」 「ん……」 周りをキョロキョロ見回して、本当にひと気がない事を確かめた姫が身体を乗り出してくる。 「ん……ちゅっ、ちゅ、んむ……ん、れろ んふ……ん、ちゅ……ちゅぅぅ……」 「ぷは……ぁ……あ、あはは、 キス……え、えへへ……くすくす……」 パジャマのまま俺の膝にまたがった姫がすりすりと身体を寄せてくる。 「ねーぇ、国産? 早く国産もシャワー浴びてきなよ」 ふわっと香るシャンプーと石鹸の匂いが心地よく鼻腔をくすぐった。 シャワーを浴びて仕事の汗を流してしまうと、姫の誘いに抗う自信がない。なので俺は、その前に引っ掛かっていたことを聞いてみた。 「姫が……本当に帰りたいところは どこなんだろうな?」 「どうしたの、いきなり?」 「姫のことばかり考えてるんだ。 帰りたいのはNYか? それともじーちゃんのいる故郷なのかな」 「………………」 「あたし、日本はそんな好きじゃない」 「そうか?」 「だって、クリスマスの夜が明けたら、 すぐに全部なかったことにして お正月の準備をするような国よ?」 「そいつは確かに余韻に欠ける」 前の任地だったスロバキアなんかでは、クリスマスツリーやイルミネーションが2月まで飾ってあったりした。 正月はあくまで暦の上でのニューイヤーであり、1年をしめくくるのがクリスマスだったのだ。 「そうか、NYか……俺も鍛えないとな」 「今の国産ならすぐよ」 「姫がそう言うなら信じてみるよ」 「そう、あたしに任せて……あん?」 姫の華奢な身体を引き寄せ、また唇を重ねる。 「一緒に入る?」 「う……うん……お風呂なら、 声出ちゃっても平気よね……?」 ──翌朝、サー・アルフレッド・キングのもと、イブの配達についてのサンタ会議が開かれた。 「……ですから、市街地は去年と同じように 二つに分けてみたらいいんじゃないかと」 「ニュータウンはどうなるんでしょうか?」 「ニュータウンだけは特別エリアとして 別枠で考えることにしましょう」 「……あたしが飛べれば」 「月守くん、サンタに焦りは禁物です」 「……はい」 「人員の増援を国内の支部に打診中です。 皆さんには例年と変わらぬ心積もりで イブに臨んでいただきたい……む?」 「サー・アルフレッド・キング!!」 「なにかねトール。 今はサンタ会議の最中です」 「す、すみません! ですが、その……テンペストが!」 「む……」 「出たの!?」 「とうとう……」 「とーるくん!」 「はい、前回と同じ熊ヶ崎灯台付近で ルミナの異常を観測しました! 規模はかなり大きくなっています!!」 「よし、至急現地に向かう。 いま動けるトナカイは?」 「サンタ先生だけです」 「とーまくんは?」 「それが……中井さんは先に現場に」 「ニセコ、どうして行かせたの!?」 「それが、間近で収集したデータがあったほうが 攻略の役に立つだろうからって……」 「うん、それがトナカイというものだ」 「……どうぞ」 「失礼します。 御用ですか、サー・アルフレッド・キング?」 「こいつはひどいな、コースがぐちゃぐちゃだ」 透から報告のあった、テンペスト出現地点の熊ヶ崎灯台付近。 現地へ向かう途上も、ルミナの流れは乱れに乱れていた。 「こいつが……テンペストか」 「中井さん! シリウスが応援に向かっています。 状況はどうですか?」 「コースが乱れていて迂回路の連続だ。 光の渦は見えるが、なかなか接近できない」 今にも落ちそうなつり橋を渡るがごとき〈滑空〉《グライド》。それでも、姫に徹底的に鍛えられた今の俺には脅威というほどではない――。 「カペラのデータをそっちに送る。 検討材料にしてくれ」 「助かります。 中井さん──無茶しないでくださいね」 「ああ、分かってる」 とは言ったものの、こいつは……! 「くそ……コースジャンプを決めようにも この流れの中じゃ……!」 それでも無理をしてコースからコースへ飛び移る。鞭を入れるサンタがソリに乗っていればたやすいが、カペラ単機ではちょいと危なっかしい。 「よし、もう後戻りはできない。 頼んだぜ、相棒……!」 「てぇぇぇ……ッ!!」 「く……ッ!?」 ガクンと機体が揺れた。まさか、こいつは──渦? 機体後部のリフレクターが制御を失う。このままでは飲み込まれる!! 乱れたコースを飛び越えたつもりだったが、もはやここはテンペストの魔手の内側だったのだ。 「カペラだ! 渦に入った!!」 「くそ、駄目か……!」 気づけばカペラはすっかりテンペストに囚われていた。 激しく流れるコースの光がわずかに湾曲しているところから、これが渦の一部分であるということはかろうじて分かる。 しかし全体像は……とても目視しきれない。 あたりでルミナがごうごうと逆巻き、荒れ狂いながら、中心部へと流れている。 あいつに巻き込まれたら一気に海面に叩きつけられるだろう。 「聞こえるか、半径2km──いやそれ以上だ!」 木の葉のようにもてあそばれる愛機を必死に制御しつつ、通信機に向かって叫ぶ。 「──さらに成長し、強力になってゆく模様!」 こいつが……本物のテンペストか!しかもイブにはさらに成長するだと!? こんなものを放置していたらひどい損害だ。これまでに何度も飛んできたコースが一夜にしてめちゃくちゃに荒らされてしまう。 「行けるか……出力最大!!!」 予想以上に流れが強い。俺は全力で脱出を試みるが、いかんせんカペラの出力では……! 「くそっ……行け、どうしたカペラ!!」 渦の流れに乗りつつ、少しずつ外縁へ……という基本的な脱出法を試みているのだが、 外へ出るどころか、渦の中へ落ちこまないようにするだけで精一杯。さっきからアクセルペダルはベタ踏み状態だ。 だめだ──打つ手がない。このままでは、ルミナの真空状態となった渦の『目』に飲みこまれる……! 「親父……!!」 海水が巻き上げられてくる。なんて力だ。ルミナが自然現象に干渉するなんて! 「……姫、待ってろ!」 最新鋭のアルデバランと同型のリフレクターを搭載したカペラ改が、じりじりと引きずられる。 是非もなしか!俺が腹をくくろうとしたその一瞬。 「国産──!!!」 「中井さん!!」 「ふー、まったく急がせるんだから!」 「シリウス……!?」 ──姫だ。 渦の向こう、シリウスのソリに、硯と並ぶ姫の姿があった。 まだソリに乗れないはずの姫が、必死になって木枠にしがみついている。 「危ないぞ、姫!」 「それはこっちの台詞! なにやってんの、国産!!」 「テンペストを甘く見ちまってな、このざまだ!」 「もう、ばか!!」 「すまない……姫がいないと始まらないんだ」 「──!?」 「ば……ばか!」 「なに言ってるのよ。 だってあたしは……もう……」 「大丈夫よ、月守さん。あなた乗れてるわ」 「あたしが……!?」 「本当です、私も感じます……りりかさんの力」 「あたしの……力?」 「はい! できます、りりかさんなら」 微笑んだ硯が、赤く畳まれた衣装を渡す。姫が天狗部屋にしまいこんだ、あのサンタ服だ。 「すずりん……」 「…………わかった……ありがと!」 姫がその場でターンを切る。 一瞬──姫の周囲に赤色が渦を巻いたかと思うと、そこには……。 「姫──!」 「りりかる☆りりか……華麗に見参!」 ああ、確かに姫だ──。それは久しぶりに見る、凛々しいお姫様のサンタ姿。くそ……目が熱くなってくる。 「先生、シリウスを渦の外周に寄せて!」 「了解よ、エリートさん」 「国産、行くわよ!!」 「どうする!?」 「テンペストを消滅させる! 2分でいいわ、持ちこたえて!」 「了解だ!」 ──ハイパージングルブラスター! そいつを両手に構えた姫がソリに両足を踏みしめて立ち上がる。 「渦の中心をのぞくわ! よろしくね、月守さん!!」 「任せて! 国産、射線を空けて!」 「了解──!」 姫に必要なあと2分──2分でいい。カペラよ、もってくれ!! 祈るようにアクセルを全開にする。リフレクターの反射限界まで、スノーフレークを撒き散らしながらカペラが震える。 姫の構えたハイパージングルブラスターの向いた先にはテンペストの渦──!! ルミナの凝集したテンペストの核にブラスターのルミナ弾を撃ち込み、飽和状態にして内から瓦解させる! 「国産──ごめん!」 「どうした!?」 「昨夜のこと、嘘になりそう。 決まったの、あたしの帰るところは……!」 「なんでもいい! 派手に決めてくれ!!」 「うん……!」 ハイパージングルブラスターに光が集まってくる。姫の操るルミナが、中心部に凝縮を始める。 その光が背後から俺を照らすほどに〈眩〉《まばゆ》く輝き──。 「ブラスター投下! いっけぇぇーーーーーっっ!!!!」 前回とは比較にならないほど眩しい二本の光条が、テンペストの中心に吸い込まれる。 ──命中! さすが完璧なコントロール。姫のブラスターはコアの中心を射抜き、弾けた! 直後──ものすごい衝撃がカペラを襲う。 「く……っ!!」 「なんてパワー! 煽られるわ……もう、このっ!!」 「うわあああああああああっ!」 「だめ、つかまって!!!」 「りりかさぁぁぁぁぁんっ!!!」 硯の、彼女があげたとは思えない絶叫が背後から耳に刺さった。 「──!!」 俺は背後のシリウスを振り返らなかった。クイックターンの応用──逆噴射からの急速回頭! ネーヴェで聞いた話を思い出す。やることはシンプルだ、ジェラルドの生涯最高の機動を上回ればいい! アクセルペダルを蹴っ飛ばし、一気にカペラを急降下させる。 「姫────っ!!」 果たして姫がそこにいた。光の海の荒れ狂う上空、ルミナの渦に翻弄される赤い花が咲いていた だが──!!! 「俺ならば、届く──!!!!」 カペラは最大出力で激流を抜けた。なにがテンペストだ、師匠の組み上げた機体にはこれしきの障害など! 「手を伸ばせ、俺の手を握れっっ!!」 「国産──!?」 「ここだお姫様! 姫のそばには必ず俺がいる!!」 「だから──俺の手を握れ、姫!!」 「…………姫!」 「国産……!」 「ああ……つかまえた」 姫は──確かに俺の手を取った。 ふたりをつなぐ手のひらから、ギュッと熱い温もりが伝わってくる。 俺の手の中に、誰よりも愛しい姫がいる──。 「離すなよ、そのまま地上に降りる」 「うん……!」 片腕で宙吊りになった姫の足元でルミナが恐ろしい渦を巻いている。 けれど、姫の瞳の中にある輝きはテンペストのルミナよりも眩しく、俺の視線をとらえて離さない。 雪まじりの冷たい風に、りりかの髪がなびく。 ボスの修行の賜物だ。二人をつなぐ手の力が抜け落ちたりはしない。 俺と姫の命は、この腕の中でつながっている。 だから俺は、ありったけの思いをこめて、姫にこう言った──。 「──おかえり」 たった一言。 しかし、ずっと言いたかった一言を、崩れてゆくテンペストの上空で解き放った。 姫の潤んだ瞳からこぼれた大粒の涙がルミナの流れに溶け込んでゆく。 その頬で弾けた水滴は、きっと、俺の涙だ。 ふたりの涙がとけあって、風に流される。俺は手の中の姫を、強く、強く握りしめる。 「最高のサンタになるわ。 この日本の、しろくま支部の──」 俺とつながった姫は、最高の笑顔を浮かべて、そう言った。 新しい涙が姫の頬で弾ける。 それは海からの暴風に煽られ、ルミナと一緒に宙空できらきらと輝いた。 姫がサンタの力を取り戻してから数日後、傷の癒えたジェラルドは、アムステルダム本部の召喚を受けて、オランダに立つことになった。 「サー・アルフレッド・キングへの 挨拶は済ませたんだ。 これ以上の見送りなんて必要ないぜ?」 「みんながあんたに文句を言いたいんだとさ」 「ううぅ……ジェラルドさんが いなくなると寂しいです……」 「長距離の〈滑空〉《グライド》になりますから 気をつけてくださいね」 「向こうで生涯のパートナーに出会えるよう 祈っててあげるわ」 「くれぐれも本部での素行には注意してください」 「やれやれ……最後まで口やかましいね、 リトルニセコ?」 「り、りりかさんの真似しないでくださいっ!」 おかしそうに笑ったジェラルドが、それから静かな笑みに戻って姫のほうを向き直る。 「…………これは、お姫様」 「ラブ夫……!!」 「姫の晴れ姿で送られるとは、光栄だな」 「ラブ夫は……あたしの元パートナーなんだから、 絶対にアムステルダム本部でもエースになるのよ!」 「おいおい、あそこには 八大トナカイが3人もいるんだぜ?」 「そんなの、ラブ夫が負けるわけないでしょ」 「ははは、5年前と変わらんな。 彼女をよろしく頼むぜ、ジャパニーズ」 「任せてくれ」 「あたしが国産をよろしくするの! いーから、さっさと行け!」 ツンと顔をそむけた姫が、ジェラルドに見せつけるように俺と腕を組む。 「寂しくても泣くなよ、りりかお嬢ちゃん」 「べー、誰が泣くか!!」 『姫』から『りりかお嬢ちゃん』へ、ジェラルドが呼び方を変えたとき、姫はさらに強く俺の腕を握った──。 「行っちまったな……」 「うん……」 俺と姫を乗せたくま電が、規則正しいレールの音を響かせている。 ──喪失感。 そう、ジェラルドの欠落は恐ろしく巨大な喪失感だった。俺にとっては目標の喪失、姫にとっては……。 「あのね、あたし……」 「…………国産と一緒で幸せ」 「え?」 予想外に心細そうな姫の言葉に驚いたところで、手をぎゅっと握られる。 「一緒に飛ぼうね……空」 姫はいつからこんな自然に、自分の弱さを出せるようになったのだろう。 いつからこんなに眩しい表情で誰かにすがることができるようになったのだろう。 俺はその手を引き寄せて抱きしめたいのを辛うじてこらえ、かわりに力強くうなずいた。 「ああ……そうだな、お姫様」 「……けど」 「……?」 すっかり二人の世界に入ってしまっていたが隣の席ではななみと硯が顔を赤くしてこっちの様子を窺っている。 「けど……キスは夜までお預けでいいかな」 「……ばか!」 「どうもありがとうございましたっ、 またお越しくださいませー☆」 「ふう……さすがクリスマス商戦だ。 こんな店にも余波がやってくるもんだな」 「ほんとにね、忙しい忙しい……っと」 このところ、きのした玩具店の店番は、すっかり姫と俺のふたりでするのが当たり前になっている。 ななみと硯はイブの割り当てエリアのデータ整理やプレゼントの配達経路を頭に叩き込むので、毎日部屋におこもり状態だ。 姫は、先日からのスランプが響いて、イブに自分の割り当てをもらっておらず、こうして店番専門となっているわけだ。 「ふーむ……うーん、むむむ……!」 それでも姫はただ店の仕事をするだけでは物足りないらしく、頭の中でテンペストの攻略法なんかを考えては、うなっている。 忙しいが平穏な日常──。しかしみんな分かっている。 イブの夜にもう一度、本物のテンペストが押し寄せてくることを。 姫の一撃でもテンペストは完全に崩れなかった。光の渦を形成しない状態で眠ったまま、しろくま町のどこかに潜伏しているのだ。 あるいはもうテンペストに再生の力は残されておらず、このまま何事もなくイブが終われば、それが最高だ。 しかしそれが分からない現段階ではテンペストの復活を考慮しないわけにはいかない。 「オーロラ……か。 そういえば、更科さんに会ってないな」 「…………」 「今の内に伝えておくことはないかな」 「うん、イブのあとでいいわ」 そんなことを言いながら、姫はつぐみが送ってきたリクエストの手紙をお守りのように持ち歩いている。 つぐ美の願いに向き合うことで、ルミナが身体に満ちるのを感じられる──。姫はまるで、そう言っているかのようだ。 「こんにちは、きのした玩具店です」 「おう、透か……どうした? え? ボスが俺たちに……ああ、了解だ」 「なに?」 「わからん、頼みごとがあるそうだ」 「イブの前にロードスターが頼みごと?」 さっそくカペラでブラウン邸に向かうと、ボスは武者修行(?)の真っ最中だった。 「でぇぇぇりゃあああああああァァ!!」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》!!」 「〈雷霆十字撃〉《サンダークロス》!!」 「〈魔神堕滅獄〉《サタンクローズ》!!」 「か、帰ろっか……」 「無茶言うな。 というか、カッコいいじゃないか!」 「やっぱ、ななみんが言ってたとおり、 オジサマフェチ……」 「違います!」 「うむ、足労をかけた!」 「うぅぅ……やっぱりブシドーモード入ってる」 「ふむ……両名ともなかなかの剛健! 総身から気の充実を感じるぞ、まずは見事見事!」 「恐縮ですが、今日はいったい?」 「うむ、月守りりか──〈其許〉《そこもと》に用がある」 「あたし!? な、な、なんでしょうか……??」 「君に対テンペストの特別任務を与える。 イブは宿敵の纖滅に全力を尽くすように──!」 「え? え? ちょっと待ってください! でも……それでは配達の人手が!!」 「心配御無用、配達には合力を頼んでおる。 九頭竜川と屋久島から合わせて3組、 加えて星名くんの新しいトナカイをな……」 「チームが倍増!? すごい、それだけいれば ニュータウンも充分攻略可能だ」 「それに、こいつもな……」 ボスが背後のオアシスを顎で指す。 ここ数日はサンドイッチマンに扮したボスがオアシスを引いてニュータウンを訪れているようだ。 「じゃあ、あたしは……」 「うむ、カペラにはテンペスト撃滅の 遊撃隊としての働きを期待しておる!」 「やったな、姫!」 「は……はい! 必ずテンペストを仕留めてみせます!!」 「さて、頼みというのはここからだ。 テンペスト対策に関連した話になるのだが……」 ボスに招かれる形で、俺と姫はいつもの執務室に顔をだした。 イブが近いだけあって、いつもの部屋がどこか物々しく感じられる。 執務机の前に立ったボスは、俺たちの背後──窓の外を眺めながら、白い〈顎〉《あご》ひげを撫でた。 「現在、私とトール、それにサンタ先生とで、 次のテンペスト発生地点を予測しています」 「はい……」 テンペストの発生地点──その予想がつけば、他のサンタたちの配達に深刻な障害となる前に決着をつけることが可能になる。 「しかし、今年のテンペストのデータだけでは 情報が不足しており、なかなか狙いを絞り込む には至っておりません──」 「やはり難しいのですか……?」 小さくため息をついてから、ボスは大量の資料が並べられている本棚に歩み寄り、古びた1冊のファイルを抜き出してきた。 新聞記事ばかりを集めたファイル──。昔のしろくま日報のスクラップだ。そのひとつをボスが指し示す。 地域情報の紙面の片隅に小さな見出しで、『しろくま町にオーロラ?』と書かれていた。 「──!!」 しろくま町の住人がカメラでオーロラらしき光をとらえたという内容が、メルヘンな空想話のような論調で紹介されている──。 「……ボス、こいつは俺たちが!」 ブラウン邸を辞去した俺たちは、すぐにつぐ美に連絡を入れ、その足でくまホールの町立図書館に向かった。 「ボスも粋なはからいをしてくれる」 足取りは軽い。俺も姫も、こいつは最初から自分たちの果たすべき仕事だったのだという確信を持っていた。 「オーロラの記録?」 「うん、そういうの取ってないかなぁ?」 「…………なぜ、それに興味を持ったのです?」 「え、えっと……それは……!」 「………………」 「……つぐみん、あのね本当は」 「月守!?」 なにか意を決して話そうとした姫をつぐ美が手を上げて制止した。 「空想のお話は結構です」 「つぐみん……?」 「オカルトの取材はもう、やめましたから」 そう言ってつぐ美は、修理の終わった祖父の一眼レフを大切そうに撫でた。 「そういった記録でしたら自宅にあります。 ご一緒にいかがですか?」 つぐ美の家はニュータウンの中でも比較的落ち着いた一角にあるずいぶんと大きな家だった。 いったん家に入った彼女がしばらくして古いファイルを持って現れる。 「……どうぞ」 「わぁ、ありがとう!」 かつて、テンペストがこの町に現れた時の記録だ。さっそく姫が中のページを確認する。 なかなか達筆な字で記されているのは、彼女の祖父が書いたものだからだろう。 「おじいちゃん……か」 「……何か?」 「ううん……あたしもおじいちゃんっ子だから。 こういうのって、なんかいいよね。 昔に戻るみたいで」 「姫……」 「オーロラは、本当にありますか?」 「うん、あるわ。 きっといい写真が撮れる」 「……そうですか」 姫の強い言葉に、表情の薄いつぐ美の顔がほろりとほころぶ。 「そのまま、並んでください。 ええ、店長さんがもう半歩右へ……」 つい人前で『姫』と呼んでしまった俺を、姫とくっつかせようとする。 「わ……な、なに!?」 「ふふふ、人物写真の練習です」 「つぐみん……笑った?」 「これは、幸せそうなカップルを見て 頬が緩んだだけです」 「……!!!」 「ししししあわせってなななななにが!?」 「証拠写真は焼き増しして お送りします……ふふふっ」 つぐ美から受け取った資料のファイルをブラウン邸に届け、ツリーハウスに戻ると、ななみと硯が台所でなにやら格闘していた。 「ふむ……むむむ?」 「…………少し違いますね」 「うぬぬぬ……」 「なにやってんの!?」 「きゃあああ!? りりりりりりかちゃん!? な、な、な、なんでもないんですー!」 「なんでもないわけないじゃん。 ななみんが料理のお手伝い?」 「あ、あははは……それが……」 台所の隅をななみが指差す。そこには姫の身長ほどもある発泡スチロールの箱が置かれていた。 「なに、この棺桶みたいなの?」 「サー・アルフレッド・キングのところへ 熊崎漁港からたくさん魚が届いてきたので、 おすそ分けをいただいてしまいまして」 「そんなこんなしているうちに、 とーるくんから連絡があって」 「今夜、助っ人のサンタさんたちが来るので 合同訓練をすることになりましてですね」 「そこで、この魚でみなさんのお夜食を 作れないかと思いまして……」 「へええ、そりゃあ面白いな。 なにを作るんだい?」 漁港直送の魚尽くしか。成り行きで少し和食をかじった俺にも、わくわくする展開だ。 「そ、それが……」 「あ、あはは……」 「なによ?」 「浜鍋ーー!?」 「はい、前にりりかちゃんからお話を聞いたので、 いっぺん作ってみたいなーなんて思ってまして」 「とりあえず試作してみようと インターネットで調べてみたのですが……」 ななみと硯が顔を見合わせる。 「味付けをどうしたらいいか 悩んでしまいましてー」 「ん……ちょっと味噌が強いか?」 「はいぃ……お味噌汁にするのは違う気がしますし」 「でも、あんまり薄いと 今度は魚の生臭さが出てしまって」 発泡スチロールの中に入っているのは、普段店に並ばないような磯魚から、アジ、サバまでさまざまだ。 「うぅぅ……味付けって難しいです」 「私の味付けは大人しくなってしまって 磯魚の風味に負けてしまうんです」 「あとは足しても引いても なかなかいい具合になってくれなくて」 「とほほ……これはもう、 完全に北大路に入り込んでしまいました」 「袋小路ね」 「キンヤさんに謝れ」 「あぅぅぅ……なんですか、 その息ぴったりのコンビネーションは!」 「もう、仕方ないな、 あたしがやるから貸して!」 「りりかさん?」 硯からおたまを受け取った姫が、鍋のスープの味見をする。 「ん……確かに、すずりんのは上品すぎかも。 わかった! こーなったら、 あたしがじーちゃんの浜鍋を再現してやるわ」 「おおっ、さすがりりかちゃーん!」 「わぁぁ、こら抱きつくなっ!」 魚介を食べるたびにじーちゃんの味と比べてしまいしまいには偏食になってしまった、かつての姫。 それは、ばーちゃんを看取れなかった心の棘にもつながっていたはずだ。 もう、あそこには戻れない。ひとかどのサンタになるまでは、絶対に戻れない。そんなこだわりが、ずっと姫を縛っていた……。 けれどもう大丈夫だ。今の姫にルミナを操れないはずなんてない。 「よし、魚は俺とななみでさばこう。 下ごしらえだけでも一気に済ましちまおうぜ」 午後8時──しろくま湾の上空で、助っ人メンバーとともに合同訓練が行われることになった。 浜鍋との格闘を終了し、しろくま海岸から空を見上げる俺達のところへ、コースに乗った三機のセルヴィが編隊を組んで近づいてくる。 「ふーん、腕はまあまあ。 コース選びは悪くないわね」 「よ、よく分かりますね」 「とーぜんよ、プロだもん」 「シリウスが2機と、最後尾はカノープスか」 「………………」 「あれ、硯ちゃん緊張してます?」 「大丈夫よすずりん。 この町のことは、あたしたちが 誰よりも分かってるんだから!」 「は、はい……そうですよね!」 「わくわく……! どんなサンタさんなんでしょうか?」 「ミラコフ……ミラコフか!?」 「よぉ、トーマ! ずいぶん苦戦しているようじゃないか」 「……誰?」 「ヨーロッパでとーまくんの 同僚だったトナカイさんです」 「そうか、助っ人にお前がいたのか」 「心強いだろう? しかしお前とまた組むなんてな」 「組むのは俺とじゃないぜ」 「そういや聞いたぜ? お前、あのハドソン川の竜神とペアを 組んでるらしいじゃないか、出世したな!」 「へえ、知ってるのか?」 「当たり前さ、ちょっとした有名人だぜ。 摩天楼のスペシャルシューティングスターだろ?」 「……だってさ」 「ふーっふっふ、とーぜんよ!! しろくまの夜空を華麗に駆ける愛の使者! りりかる☆りりかちゃんとはあたしのこと!」 「おおおお、君が本物か!? 最年少でNYのエースになったって?」 「イエスイエース♪ わざわざ九頭竜川から救援ごくろうさまですっ☆」 「へええ、かわいいなぁ。 ね、トナカイ服にサインくれない?」 「はいはーい、お安い御用です♪ ええと、ミラコフさん江……と」 「ふわぁ……りりかちゃん人気者です」 ミラコフのあとから、シリウスの助っ人トナカイやサンタたちがわらわらと姫に群がってくる。 ……とても、俺の彼女と紹介できる空気じゃなさそうだ。 「んー、気持ちよかったー☆ ひさびさにサインねだられちゃった」 「……人気者なんだな」 「だからアイドルって言ってたじゃん」 「まさかそのアイドルに おもらし癖があるなんて……うげっ!」 「はーーっ、はぁーっ、はぁーっ! な、な、な、なに言ってんのよバカ国産!!」 「う、うぅ……っ、なにもこんな本気で」 「本気になるに決まってるじゃん! ん……あれ? ひょっとして妬いてる?」 お怒りモードからいたずらな笑顔に切り替えた姫が顔を寄せてくる。 「(バカね……心配しないで、  あたしは国産だけの物よ……)」 「ひ、姫……!!!」 「あはは、赤くなった♪」 「ふーん、仲いいんだな……」 「あああああ、いや、なんでもない!!」 はぁぁ……つい口が滑ってしまった。いくら焦ったからとはいえ軽率だった。ううむ。 「それにしても、 ななみんの新トナカイ遅いわね。 着任初日から遅刻なんてたるんでる!」 「そういや、もう8時回ったな」 「あ、あれかな!? 来ましたよ!!」 コースの先に目を凝らしていたななみが叫ぶ。灯台の向こうから、赤い光が近づいてきた。 「むー! 生意気。 泣くまでしごいてやるから!」 「赤い機体? ななみ、お前の新パートナーって シリウスじゃなかったか?」 「はて、そのはずですが……」 「よう、調子はどうだい?」 「ラブ夫!?」「ジェラルドさん!?」「ジェラルド!?」 「しろくま町に熟女の歓声、 アムステルダムに熟女の悲鳴、 そう、ジェラルド・ラブリオーラだ」 「なにしに来たーー!?」 「ご挨拶だな、ピンクのお嬢ちゃんの トナカイをやりにさ。 それから姫の卒業を見届けにね……」 「チ、チワス……ジェラルド君……」 「なによその気まぐれモード!? ほら、助っ人さんも恐縮してるじゃん!!」 「俺たちの割り当ては真空地帯か テンペスト攻略だ。 病み上がりで大丈夫なのか?」 「ダメだって言うのに聞いてくれないんです! これで怪我の完治が遅れたら、 本部勤務なんて……」 「どーすんのよ、 来年からのアムステルダム本部!」 「気が変わったんだから仕方がないだろう。 コトワザにあるだろ、何て言ったかな……」 「ああ、鬼・大爆笑ってやつだ」 「よォーーしッ! 5機編隊で地獄のニュータウンを冷やかすぞ! 遅れるなッ!!」 かくしてしろくまベルスターズ+助っ人サンタの合同訓練が行われた。 編隊を率いるジェラルドは、さながら水を得た魚だ──。 一方、カペラだけは彼らとは別メニューで渦の中心部への接近を想定した逆噴射とターンの訓練にいそしむことになった。 「じゃあな、 りりか嬢ちゃんとジャパニーズは課外授業だ」 「出戻りがえらそーにしないの! 最後尾にでもくっついてれば?」 「あいにくだが、俺が引いてるのは、 我らしろくまベルスターズのリーダー様だぜ?」 「そそそ、そんなジェラルドさんっっ!」 「うぎぎぎ……国産! クイックターン! 見送りはここで充分よ!!」 「まあ熱くなるな、お姫様」 「つーん!」 かくして2時間後──。 ご機嫌斜めのお姫様にめいっぱいしごかれた俺と、ノリノリのジェラルドに思いっきり振り回された助っ人チームが合流しての夜食になった。 「はふはふ……んー、おいしいですっ!」 「まだ行き渡っていない人はいませんか?」 「はーい! おかわりがまだ来てませんー!」 「ななみさん、後にしてくださーい」 訓練もひと段落したところで、親睦もかねてみんなで姫の浜鍋をつつく。 「ん……完璧♪」 姫の(じーちゃんの)味付けはどうやら外国人の舌にも合うらしく、発泡スチロールいっぱいの魚も無事に処理された。 「りりかちゃん、やったー! お鍋あっという間に完売です!」 「楽勝よ、楽勝♪ それよりリーダー?」 「は、はいっ?」 「あたしが別行動することになったんだから、 チームまとめるのはリーダーしかいないわよ。 きっちり……配達してきてね」 「はい、了解ですっ!」 姫の口からリーダーと呼んでもらえたななみが、嬉しそうに頬を染める。 こっちはこっちでテンペストと対決経験のあるジェラルドから攻略法を収集中だ。 「いいか、ジャパニーズ、 最初の暴風さえしのげば奴は絶対に弱くなる。 それまでは無理に仕掛けるな」 「どうやってしのぐ?」 「逆噴射だ」 「失速するぞ」 「させるのさ」 「……大胆だな」 「ははは、俺は暴れ鹿だぜ? 奴は俺の標的だったんだがな、 こうなれば特別に分けてやる」 「中井さん、りりかさん! サー・アルフレッド・キングから 連絡がありました」 「貸していただいた資料から、 テンペストの発生位置の予測が立ったようです。 場所は……熊崎城址公園上空!」 「ニュータウンか!?」 「面白いじゃないか、 地獄の真空地帯にルミナの暴風雨か──!」 「気を引き締めてください。 あのテンペストは……」 「大丈夫よ、あたしたちを誰だと思ってるの?」 「たち……か、なるほどね」 ジェラルドが肩をすくめる。俺は少し誇らしく気恥ずかしい気持ちで姫にトナカイ服の袖をつままれていた。 「ふーっ、いよいよって感じだな」 「うん、待ち遠しいわね」 「姫の晴れ舞台だ」 「だから……あたしたちの!」 「ん、そうだな……」 見つめ合い、そうして唇を重ねる。もう俺たちの間でこれは自然な行為。時として、舌をからめてしまうことすらも。 「ん……ちゅ……んん……れろろ……んじゅる、 ん、んふ……ん、ン……ン……ぷはっ」 「ふふふ……ちょっと照れるね」 「ま、まあな、 そのうち照れなくなるんだろうけど」 「やだ、そんなの!」 「はいはい、姫の魅力に俺は参りっぱなしですよ」 「あー、なにあしらってるのよー!」 「なあ、姫……」 「今年は残念ながらプレゼントの配達はできないが、 それでも……がんばろうな」 「ううん……平気よ、だって」 「?」 「ううん……今度話すね。 さ、早く帰ってお風呂入ろっ!」 「……もしもし、つぐみん?」 「はい、どうしましたか?」 「極秘情報。 イブの夜、カメラ持って氷灯祭の取材に来て」 「でね、そこからニュータウンの空を見てほしいの」 「……なにが起きるんですか」 「サンタさんがプレゼントをくれるんだって」 「サンタクロース……?」 「………………」 「それで……私にできることは?」 「祈ってて、いい写真が撮れますように……って」 「こちらカペラ── 現在しろくま町ニュータウン上空異常なし」 「雪が少し舞っているくらいだ。 真空地帯の拡散収縮ともに確認されず」 「あと30分。 いよいよパーティーの始まりね」 ああ、いよいよだ。ついに今年のイブがやってきた。 ノエルが1年の活動を締めくくる記念の日。そしてこのしろくま町では、昔から続いている氷灯祭の日──。 そして、俺たちしろくまベルスターズが迎える最初の晴れ舞台! 「姫、通信──ななみからだ」 「ななみんから? おーい、どうしたの?」 「りりかちゃん、とーまくん! 作戦変更です!」 「変更ってなにが?」 「さっきサー・アルフレッド・キングさんから 指示がありまして、もし公園にテンペストが 現れたら、ニュータウンの東側に集合だって!」 「全機?」 「ううん、わたしと硯ちゃんとりりかちゃんだけです。 フォーメーションを使ってみるって」 機首をニュータウン方向へ向けると、すぐにベテルギウスとシリウスのスノーフレークが風に乗って流れてきた。 編隊に合流する。 「で、フォーメーションって?」 「前にやった訓練と一緒です。 私たちが編隊でカペラを運ぶんです」 「無茶よ、危ないってば!」 「だからやるんじゃないか。 うちのお嬢さんもなかなか大胆だぜ」 「公園に着いたあとは任せるからね。 月守さん、カッコいいところ見せちゃって♪」 「みんな……!」 「いよいよかぁ、 これが終わったら念願のこたつ生活ね♪」 「ぜひ〈同衾〉《どうきん》願いたいな」 「あいにく足の踏み場もないの、ごめんなさいね」 ななみとジェラルドのベテルギウスを先頭に、6機のセルヴィがルミナを切って飛翔する。 「今年もパーティータイムの到来だな、トーマ」 「そうだな、何事もなけりゃあ最高だ!」 「どうした? 騒動好きなトーマ先生らしくないぞ」 「新しい任地で俺も丸くなったのさ」 軽口を叩きながらニュータウン上空を旋回する。せっかくのイブだというのにルミナの乱れは、かなりのものだった。 これを想定して訓練を重ねてきた俺たちは、一糸乱れず、初期配置の場所を目指して夜空を滑る。 カペラ以外の5機のセルヴィは、これからニュータウンに5方向から突入と離脱を繰り返す。 以前の訓練のようにフォーメーションを組まないのは、助っ人サンタさんに訓練をする余裕がなかったからだ。 それでもセルヴィが5機あればニュータウン程度の配達エリアなら充分に配りきれるだろう──。 「──奴さえ出なければ!」 姫の言葉に気持ちが引き締まる。一年で最もルミナが活性化するイブの夜。 その濃いルミナが、乱れ、荒れて、特定の方向へ乱流となって流れてゆく──。 これは予兆だ。おそらく……奴は現れる。あとは、それがいつかということだ。 ななみと硯がニュータウンに突入してからでは合流が間に合わないだろう。そうなればカペラ単機で立ち向かうことになる。 「ロードスターより、上空各機へ。 テンペストが出現しても気を取られることなく、 焦らず着実に配達を遂行してください」 「サンタ各員はイレギュラーが発生しても動揺せずに 受け持ちの配達を完了させるように」 「危なくなったら下を見なさい。 私はそこにいる──!」 見れば、ルミナの欠けたニュータウンの暗がりにぽっと蛍のようなオアシスの光。 「私がいるからには1機たりとも落とさせはしない。 例年通り、確実に全ての配達を終了されたし!」 「了解!」 「それでは、今年が最良のイブであるように願って、 ──ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ!!」 そうしてリーダーのななみが、一息おいてサー・アルフレッド・キングの訓示を引き継いだ。 「2009年・しろくまベルスターズ──! パーティーオープンです!!」 ななみたちがニュータウンに突入してゆく。上空に残ったカペラは、しばらくテンペストの出現があるかどうか哨戒する。 「国産!」 「はいよ、お姫様」 「──カペラと飛べてよかったわ」 「どうした、気が早いぜ」 「盛り上がってる時じゃなきゃ、 こんなこと言えないでしょ?」 「違いない」 姫の声は落ち着いている。もう安心して姫に任せられる。いま、姫の心を乱すものはなにもない。 「あのイタリア人にも見せてやろうぜ、 姫の華麗なる復活劇をさ」 「望むところ!」 このカペラとともに、姫の翼は再び輝きを取り戻すだろう。 テンペストの撃破は、それを遣り残したジェラルドへの贈り物でもある。 「上空各機! 気をつけてください。 ニュータウンの真空地帯が 急速に拡散しています!!」 「ベテルギウスだ──状況を頼む」 「周囲のルミナが吸い取られています! コース断絶! すごいエネルギーです!」 「……来たわね」 「ああ、俺たちの仕事だ」 正真正銘、最大パワーのイブのテンペストだ。こいつを撃破して、今年の仕事納め──。 「りりかちゃん、合流です!」 「大丈夫?」 「当たり前だ、誰だと思ってる?」 「助かる! 助っ人さんたちの手前、速攻で決めたい! 引っ張ってくれ」 「了解! 1分待ってね!」 「待たせたな」 「シリウス、到着です!」 「行くわよ、目標はテンペスト」 「トライアングルフォーメーションです! カペラは右翼でルミナを温存してください」 「うん、任せる!」 「そーと決まれば! みなさん、れっつごーーー!!!」 「………………」 「会場からニュータウン方向の空を……」 「…………あれは?」 「…………彗星?」 「カペラ、風が強い! 大丈夫か?」 「ああ、問題ない、もうすぐ抜けるぞ!」 「あ、あ……前っ!!」 「…………!!!」 真空地帯の途中からルミナが吹き荒れ始めた。そしてその先に──! サンタ全員が息を呑んだ。 これが……。 これが、真のテンペストだ! これまで何度か経験したテンペストとはスケールが違う。 天まで届く大渦、ルミナの竜巻。その威容はまさに『イブの魔王』。 「……でかい」 あいつを消滅させるのが、今夜の任務だ。俺は、隊列の前に出るべく、じわじわとカペラを加速させた。 「楽勝よ、あたしたちなら!」 「ああ、姫!」 肩越しに振り返る。カペラに接続したソリの上で、最高のパートナーが最高の笑顔を浮かべていた。 「あれが……テンペスト……!」 「いかんな……トール! ありったけのバルーンを上げる!」 「はいっ!!」 「テンペスト移動! 山のほうへ向かってる!」 「逃がすな!」 「ここで仕留めないとねっ!」 「霧もひどい──そろそろ限界だ。 ベテルギウス、シリウス、離脱してくれ。 あとはカペラの仕事だ!」 「ちっ……潮時か! 任せる!!」 「期待してるわ、ベストカップルさん!」 編隊が分かれ、ベテルギウスとシリウスが離脱する。 低空からボスのオアシスを経由して、彼らが向かうのは本来の割り当てであるニュータウンの配達地域──。 しかし……! 「厄介だな……暴風圏が広い!」 「まずいわねー、これって」 カペラのために先頭を切ってルミナを消費したベテルギウスとシリウスは、テンペストの渦を抜け出すことができずにいる。 仲間の機体が2機ともジリジリと引き込まれそうなのを必死に立て直している。 「姫!!」 「急いで突っ込むわ! 渦の力を弱めてやる!!」 「了解──!!」 アクセルペダルを踏み込むと、リフレクターがうなりを上げる。 そのままコースの残骸を飛び石のように通過して、まともにテンペストの暴風圏に突っ込んだ──! 「く……ぉぉぉぉッ!!」 ビリビリビリビリッ──機体が震える。 ものすごいパワーだ。カペラは〈傾〉《かし》ぎ、揺れ、もてあそばれ、ともすれば転覆しそうになる。 そのたびごとに、まるで質量があるのではないかと疑いたくなるような、テンペストの光の衝撃が来る。 「く……っそぉぉぉ!!」 俺はステアリングに、姫はソリの手すりに、必死にしがみつきながらコアを目指した。 「国産!!」 「大丈夫だ! まだ行ける!」 「機体制御不能!! あん、まずいわね……!」 「りりかちゃん!」 「カペラ、こっちはタンク残量わずかだ! 急いでくれ!」 「急いで、急がないとみんなが!!」 「ああ、だが……この野郎ッ!!」 暴風、暴風、暴風──!機体の制御を許さないルミナの暴走がカペラを今にも包み込もうとしている。 こいつさえ抜ければ、コアは目の前だが、しかし──ベテルギウスとシリウスが! ふわり──。 ふいに、黒い塊が目の前を流れていった。同時にボスからの通信が入る。 「ベテルギウス、バルーンだ!」 「ななみさん、バルーンを!」 「は、はい!! いちごシュートっ!!」 「ルミナが……!」 「やれやれ……間一髪だ」 「気流の計算も完璧ね。 さすがサー・アルフレッド・キング」 「りりかちゃん、こっちは大丈夫です! あとはテンペストを!!」 「あ、ありがと……ッ!!」 こっちはこっちで、無茶な特攻をして相当流れの速いところに機体を突っ込ませてしまった。 このままでは渦の中へ飲み込まれてしまいそうだ。やむなし──いったん後退するか。 「姫、ソリにつかまれ! いったん退がる!」 「だめよ! そんなんじゃ鞭も入れられないじゃん!」 「しかし!」 「前を向いて!! 押し込むわ! でもって一気に突っ切る!!」 「了解!!」 「テンペスト──負けるかあぁぁぁぁぁっ!!」 姫のソリから信じられない量のルミナが流れ込んでくる。 姫が暴風化したルミナを取り込んでいるのだ。師匠が贈ってくれたあの〈星石〉《スター》でなければ処理しきれないところだ。 「来た──カペラ最大出力!」 姫の鞭で、一時的にカペラの出力が跳ね上がった。このタイミングを逃すまじと、俺はアクセルを踏み込む! 「りりかちゃんっ!」 「バルーンです!!」 ななみと硯の射ち出したルミナが、カペラの前方を漂うバルーンに命中した。 ぱぁっ……とルミナの光が広がり、新しい力がカペラに流れ込んでくる。 「ありがと……みんな!!!」 「暴風だ、来るぞ!!」 強烈な第一波が押し寄せてきた。カペラが横倒しになぎ倒される。 「うあああああああっっ!!」 「く……こんなのがあと2、3回来たら!」 「その前に破壊するわ!! 前進して!!」 「姫……!?」 「いま引いたら駄目なの!」 「あたしの弱さがテンペストを呼んだのよ! だからこいつは、しろくま町まで 追っかけてきた──あたしはそう信じる!」 「だからもう……今年で終わりにするの!」 「わかった。 真実を決めるのは姫だ──行くぜ!」 渦を巻いた第二波にカペラが翻弄される。いくらリフレクターが光を反射しても、圧倒的すぎる暴風が行く手を阻む──! 「くっ! 遠い……!!」 「こうなったら……」 「だめだ、無駄弾を撃つな!」 「でも……!」 「姫は絶対妥協するな、道は俺が拓く!!」 暴風の中に潜む緩い流れを読め!そこに俺の意思をねじ込むのだ! アクセルペダルを踏み込んだ。 「そうだカペラ! 翼を俺に──姫にくれ!!」 「とーまくんっ!!」 左右でバルーンが破裂して、ルミナが機体をとり包む。 「姫、鞭だ!」 「うん──いっけぇぇぇ!!!」 姫の鞭と同時にリフレクターを全開にする。流れの早い渦から機体が抜け出した。 「──上空!」 「抜けたっ!!」 「やった、とーまくん!!」 「姫、射撃姿勢!!」 ステアリングでリフレクターを操作する。 ──逆噴射! 「クイックターンだ!」 「失速するわ!」 「そうだ、ジャパニーズ!」 「行けぇぇぇっ!」 ガクン、機体が失速した。同時にルミナの渦に巻き取られる。 逆噴射でルミナの制御を停止した機体がテンペストに飲み込まれていく。 ぐるぐると木の葉のように翻弄され、飲み込まれる中心部分は──ヤツのコアだ!! 「姫! 見えたぜ!」 木の葉のように舞うソリの上で、姫は両足を踏みしめた。 両手のハイパージングルブラスターを正面に固定する。 「楽勝──!」 汗だくになった姫の瞳は、ただ、ただ、テンペストのコアを凝視している。 そこに映るのはNYの苦い過去──。 暗い漁村の海──。 絶望の中で見上げたしろくま町の雪景色──。 「ななみん、すずりん……」 「先生、ラブ夫……」 「それに……国産!!」 光が宿った。 それは姫自身が発した光──! 姫がルミナを完璧に操った光だ。 「この光があれば……あたしは負けない!!」 迷いのない光の粒子がハイパージングルブラスターを飾る。 狙う先にあるのは、光を制御できずに荒れ狂うテンペスト。 それは不安定なツリーのもたらした災厄であると同時にかつての姫の姿でもある──。 「決着をつける!! 国産のくれた翼で──あたしの!」 左右のブラスターに光が満ちる。 カペラは自由落下に近い軌道で渦の中に飲みこまれていく。 「国産──あたしと一緒に来てくれてありがとう」 「国産と一緒の2ヶ月──最高だったわ」 「あんなものは最高じゃない。 俺たちはこれから最高になるんだ」 「うん……!!」 「ラストだ、もう一発……かましてやる!」 思いっきりアクセルペダルを蹴りつけた。クイックターンの技術の応用だ。何度も練習した。 ──逆噴射! 衝撃が機体を襲う。しかし──暴風が一瞬凪いだ。 テンペストの渦のなか姫のブラスターが眩しいほどに輝く。 「つぐみん、見える!?」 「いまだ、姫!!!」 「最高の一枚をプレゼントするわ!」 ハイパージングルブラスターから、強烈な光がほとばしった。 光の帯が、テンペストを真っ二つに貫く。 「どうだ……!?」 息をのむ。カペラは、落下し続けている。 コアが……光った。背後に、太陽が出現したようだった。 閃光とともに、渦が崩れ──輝いた! 雪片を思わせる幾何学的な形をした破片が、無数に飛び散る。 それらが、飛び散った先の空間でまた分裂し、そうして──しろくまの夜空に光の花が咲いた。 光が――。 光がふくらみ、ふくらみ、さらにふくらんで、きらめきながら、イブの夜空を埋め尽くして。 「オーロラ……!」 視界の端から端までを埋め尽くし、星々を覆い隠して膨大に広がる、淡くきらめく光の波──。 どこまで続いているのか、俺たちの場所からは見渡すこともできない。 揺らめく光の波、光の幕が、どこまでも、どこまでも……。 「……カペラ、再起動!」 イブの魔王のルミナを再利用するのだ。光とともに飛び散ったオーロラをカペラの力に変えてやる。 「かかった! リフレクター動作正常、 ハーモナイザー……同調率99%!!」 地面がぐんぐん迫る。だが、絶対に間に合う──!! 「国産!」 「ああ、イブはここからだ!」 「なにあれ…………すごい、オーロラ!?」 「ふん、珍しがることじゃないんだよ この町は妙なことが起きるもんなんだ」 「うわ……あれってイリュージョン? しろくま七不思議!?」 「……きれい…………」 「おい、見てみろよ、あれ……!」 「綺麗なもんじゃねえか……なあ、 俺がよ、お前に見せたかったのはこいつなんだ」 「ああ……こいつさ、奇跡のオーロラだ」 「国産……下を見て!」 「ああ……氷灯祭だ……」 「見てるかな……」 「見ているさ……ほら」 ルミナの輝きは普通の人には見えない。しかし、オーロラを作るほどのルミナの異常発生だ。 だから、きっと見えている。地上のみんなにも、イブの空を彩る光の洪水が。 サンタにとっては迷惑な障害だが、これだってツリーのもたらした奇跡のひとつだ。 この町に来るずっと前から、姫の心にいたのは、看取れなかったばーちゃんと、プレゼントを届けられなかったNYの少女──。 ただ技術を高め、くつしたを狙うだけでは、姫の願いを叶えることはできなかった──。 サンタもくつしたも、絶対の存在にはなれない。 けれど、くつしたに縛られなくても姫は、人は、誰かに何かを届けられる──。 「…………」 「おじいちゃん……」 光の描き出すまばゆい模様を見上げながら、つぐ美はファインダーを目から外していた。 奇跡のオーロラをその目に焼き付けようと。その奇跡を、フィルムではなく、彼女の記憶に焼き付けようと……。 輝くルミナの帯を引いて、その頭上をカペラが越える──。 「りりかちゃんすごいっ☆ ハッピー・ホリデーズ!」 「りりかさん! ハッピー・ホリデーズ!」 「ハッピー・ホリデーズ! あとの配達、お願いね!!」 「りょーかいですっ!!」 光の帯を貫いて、六本の彗星が西の空へと消えてゆく。 その光が、そのきらめきが、つぐ美の瞳をたしかにとらえる──。 「赤い服……!」 生涯に一度だけのオーロラと、尾を引いて飛ぶ彗星。そしてきらきらと眩しい光の粒子──。 「メリー・クリスマス……!」 地上の灯火と空のプリズム。光に満ちた視界の中でつぐ美は叫んだ。 お祖父ちゃんのカメラを手にしたまま、七色にゆらめく奇跡のオーロラに向かって、 寡黙な彼女は精一杯の声をあげて──叫んだ。 「メリー・クリスマス!!!」 「はぁ、はぁ……はひぁぁ……」 「おいおい、もうギブアップか? 鍛え方が足りないな、坊や」 「ちがいます、ジェラルドさんの お土産が多すぎるんです……!」 「なにを言ってる、まだまだ足りないくらいだ。 お、このランジェリーなんか熟女好みだろう?」 「ししし知りませんっ!」 「はぁぁ……っ、全く理解できない。 元八大トナカイって、やっぱり普通じゃない」 「ご挨拶だな、 俺ほど明朗な伊達男もそうはいないぞ?」 「どうしてアムステルダム本部を蹴って、 シチリア支部に行くのか全く分かりません! それに、このお土産の量も!!」 「はははァ……人生経験が足りてないぜ、坊や」 「だってわかんないですよ! アムステルダム本部のほうがずっと やりがいがあるんじゃないですか?」 「そいつは俺次第さ……おい坊や、上だ」 「え……?」 「……わぁ!」 「カペラめ……また速くなったな」 「でも、お正月から訓練ですか?」 「ちょっとはしゃぎすぎだな。 そーゆーの、好きなんだろうよ」 「でもジェラルドさんは少し見習って くれたほうがいいと思いますけど!?」 「いくら俺の世話を焼いてくれても 結婚はしてあげられないんだぜ、お嬢ちゃん?」 「ぼ、僕は男です……っっ!!」 「見た? いまの」 「ああ、透のやつ災難だな」 「案外、好きで懐いてたりしてね?」 「また怒られるぞ」 「あはは……国産だって懐かれてたじゃん」 「……で、俺はまだ国産なわけ?」 「いま何点だっけ?」 「……89点」 「惜しいなぁ……あと1点なのに、ふふふっ」 恋人同士になってからも、姫には国産と呼ばれるのがいちばんしっくり来る。 りりかではなくて、姫、冬馬ではなくて、国産。 お互い、そう呼び合うことがいちばん自然で、居心地のいい距離感になっていた。 いつか、この距離が変わる日は来るのだろうか?そのとき俺たちの関係はどう変わってゆくのだろう。 「なぁ、姫……明日、デートしようか?」 「へ……? な、なに? いきなり!!」 「姫と……行きたいところがあるんだ」 「どこ?」 「普通のとこ」 イブの翌日から町は装いを変えた。 赤と緑のクリスマスカラーをあっさり脱ぎ捨てて、門松と、〈注連〉《しめ》飾りと、鏡餅の季節。 駅前のしろくま壱番館では歳末商戦が加熱し、人混みはさらにせわしなく流れてゆく。 気ぜわしい、純和風のお正月。スロバキアともNYとも違う、日本にしかない光景だ。 「はずーーーーれぇぇ!! おしいな、お兄ちゃん残念賞だ!」 「……ん? おーい、おもちゃ屋のお二人さんよ!」 「あけましておめでとうございます」 「おめでとうございまーす☆」 「おいおい、見違えちまったな。 お嬢ちゃんかい?」 「……見違えたってさ?」 「ふっふっふ、とーぜん! あたしに似合わないファッションなんて ありえないんだから!」 「ね? ね? 可愛い彼女を持つと気が気じゃないでしょ?」 「可愛い彼女を持ったらそうなるんだろうな」 「どういう意味よ! せっかく気合入れてきたのにー!」 「ああ、可愛いよ……」 「そ、それならいいけど……! ふふっ……ほんとにかわいい?」 「それじゃ、和風りりかちゃんで、 国産のハートも狙い撃ち……ばきゅん☆」 「あとは、硯に破魔矢。 ななみにわたあめ……か」 「あ、あーー! こら、無視するな!」 「聞いてるさ。 姫は……愛媛のじーちゃんに?」 「うん、健康祈願のお守り」 「……今度、お前のじーちゃんにも会わなきゃな」 「え?」 「だろ?」 「あ、で、でも…………大丈夫かな、 うちのじーちゃん、ひねくれてるよ?」 「爺さんの相手は慣れてるよ」 「うん…………」 「ね……国産?」 「なんですか、お姫様」 「お正月だから、 上司様がお年玉あげる♪」 「お年玉!?」 「そう、あたしからのお年玉は……」 俺のハートに向かって人差し指を突き出した姫がトリガーを引く。 「+1点よ、冬馬くん♪」 うっすらと東の空が明るくなり始めた頃―― 「…………」 いつもより早めに目が覚めた私は、眠気覚ましにテラスに出ていた。 「…………」 眠りが浅かったのも、きっと胸の中に沈む心配事のせいだ。 「中井さんとペア……か」 冷たい朝風に身体が震える。 けれどこの震えはきっと、ただ寒いからというだけじゃない。 「……中井さん、か」 先生に代わる、私の新しいトナカイ。 そのことを聞かされた時、私の頭の中は真っ白になっていった。 サンタ学校での実習の時だって、先生以外のトナカイと組んだことがないのに。 そ、それに〈男性〉《中井さん》とペアなんて……。 「っ……!」 ア、アレはあくまで噂話のハズ!先生だってそう言ってたしっ!! 「……はぁ」 「……先生」 先生は私のために切っ掛けを作ってくれた。私が今の自分から変わるために。 でも……。それでもやっぱり、私は……。 「どうしたら、いいのかな……?」 「こーけこっこーーーーーー!!」 「こーきょおおっっおぉぉーーーー!!」 「……んー……?」 「…………」 「…………朝か」 ……1時間の寝坊。 「いつも通りの朝なら、 とんでもないことになっていたな……」 ボスの都合で朝の鍛錬が休みだからって、少し気を緩めすぎたか。 年長者であり店長の俺が寝坊なんて皆に示しがつかない。 何より今日は新生ペアを組んで初日。尚更、気なんて抜いてられない。 「さて、と」 その新しい相棒はどうしてるかな。 リビングに入ると、ふんわりと朝風がご飯の香りを運んでくる。 キッチンを覗きこんでみると、硯が一人黙々と朝の支度をしていた。 ジャガイモの皮をむきながら鍋を確認。テキパキと輪切りにして、その中へ放り込んでいく。 味噌を目分量ですくい取る辺り、手馴れた感じだ。 「おはよう、硯」 「……?」 「あ、おはようございます。中井さん」 「ななみ達はまだ?」 「はい。多分寝てるんじゃないかと……。 朝の鍛錬もお休みですし」 「そういう硯は早いな。 休みの時くらいゆっくりしても……」 「朝の支度がありますから。 自分の仕事くらいはちゃんとしたくて」 「なるほどな。 ちなみに、今日の朝メシは……?」 カウンターの向かい側から顔を寄せ、火に掛かった鍋を覗きこむ。 「――ッ!!」 「硯?」 「す、すす、すみませんっ! 鍋蓋を落としてしまって……ッ!」 足元からフタを拾い上げると、彼女は背中を向け、食器棚に向かった。 「ぐっっどもぉーにーーん! いやー、今日も良い天気ですねー!」 「おはようさん。 朝から元気いっぱいだな」 「とーぜんじゃないですかぁ! ぽっかぽかお日様に当たったら、 誰でも元気100万倍ですよー!」 「その割にそちらさんは、 こっくりこっくりしてるぞ?」 「ふぁぁあああ〜……んん。 おふぁよ〜〜……」 「だいじょーぶです! 朝ごはんをお腹いっぱい食べれば、 眠気だって吹き飛びます!」 「硯ちゃんも、おっはよーーございますっ!」 「おふぁよぉ……ふぁあああ……んん」 「おはようございます。 ななみさん、りりかさん」 「今日の朝ごはんはなんですか?」 「えっと……今日はご飯とジャガイモのお味噌汁」 「それからブリの照り焼きに大根の和風サラダ。 ほうれん草のお浸しに、リンゴです」 「おおぉぉ〜! 朝から気合いが入った献立ですねーー!」 「うぅぅ〜! 何だか、わたしもみなぎってきましたよー! ぱっぱとお顔洗ってきまーす!」 「やれやれ……。 元気というより、あれじゃ騒がしいだな」 「くすくす。 ななみさんはあれくらいがいいと思います」 「違いない」 「こっちはもう少し時間が掛かりますから、 中井さんも先に済ませてきたらどうですか?」 「そうだな。そうさせてもらうか」 「……はぁ」 「ああぁぁぁああぁ〜〜〜……」 「……はぁ」 「……さっきから何なんだ。 聞いてるこっちまで気の抜けそうな雄叫びは」 「はっ! す、すみません。 退屈のあまり、つい……”」 退屈になったら、あんな間抜けな声が出てくるのか。 「……そーいえば、 りりかちゃんの姿が見当たりませんけど」 「金髪さんなら朝飯を済ませた後、 ジェラルドと一緒に外回りに出たぞ」 不安定なルミナの流れを調べると言って、有無も言わせずに外へ出ていってしまった。 「ううぅ〜……退屈ですぅ」 「嘆いててもしょうがないさ。 それに俺達が沈んでたら、店の空気も悪くなるぞ」 「はっ! そ、そうでした!! おもちゃ屋さんなんですから、 楽しい雰囲気を作らないとダメですよね!」 「そういうことさ。 それと手持ち無沙汰なら硯を手伝ってやってくれ。 こっちは台帳のチェックで手が離せなくてな」 「りょーかいしました!」 「すずりちゃーん! お掃除なら私もお手伝いを――」 「中井さん。商品棚の掃除、全て終わりました」 「ぐああっ!!」 「? ななみさん?」 「出鼻を挫かれただけだから、気にしないでくれ。 しかし随分と丁寧に掃除してくれたな」 ぴかぴかに磨き上げられた床にはチリ一つ落ちていない。 店内が綺麗になるのは良いことだが、同時に掃除しかすることがないような気がして少し悲しくもなったりする。 「……ん?」 ふと、レジ傍にある商品棚に目が留まる。 その棚からはがらん、と商品が撤去され、脇のダンボール箱に丁寧に仕舞われてあった。 「そこの棚はどうするんだ?」 「新商品を並べようと思いまして」 「新商品!?」 「きゃっ」 「新商品ってこの前届いた あの新しいおもちゃのことですよね!?」 「は、はい。 折角取り寄せたものを 仕舞ったままにするのは勿体無いですから」 「ということは売り場作りですねー! わたしもお手伝いしていいですか?」 「はい。よろしくお願いします」 「りょーかいです! 商品は倉庫に仕舞ってるんですよね? わたし、取ってきまーっす!」 「ヒマそうにしたり、 いきなり慌ただしくなったり忙しいヤツだな」 「くすくす……そうですね」 倉庫へ降りていったななみを見送って、硯と顔を見合わせる。 瞬間、ピクリと硯の肩が小さく震えた。 「……ッ!」 「? どうした?」 「えっ!? あ、い、いえその……えっとっ」 「な、ななみさん一人じゃ大変でしょうから 私も手伝ってきます!」 「……?」 「硯ちゃん硯ちゃん。 このおもちゃはどこに並べたらいいですか?」 「ある程度まとまりを作ってもらえれば、 ななみさんの好きに並べてもらって大丈夫ですよ」 「むむむっ! それはわたしのセンスにお任せってことですね!」 「む!」 「商品が足りないですね。 もう一回倉庫確認してきますー♪」 「こんちわーっす♪」 「あっ……いらっしゃいませ、さつきちゃん」 「お、いらっしゃい」 「お疲れさま、硯。 冬馬さんもお疲れさまです♪」 「おう。さつきちゃんもお疲れ。 この時間に来るなんて珍しいな」 「バイトまでまだ時間があったんで、 遊びに来ちゃいました♪」 「んん? 何やら忙しそうな様子。何してんの?」 「新商品が届いたから、その売り場を作ってるの」 「ほぉほぉ、なるほど。 棚替えの最中ってわけだ」 「ふむふむ……ほぉほぉ……」 てきぱきと玩具を飾りつける硯。それをさつきちゃんが覗き込むように眺める。 「ほー……やっぱり手馴れてるね」 「床にも棚にもチリ一つ無し。 陳列も丁寧でかつ、ゴールデンラインを意識」 「さらにレジ前にはついで買いを狙って、 低価格なおもちゃを並べてある、と……」 「さっすがは硯! よく分かってるー」 「そ、そんな……。 大したことじゃありません(モジモジ)」 「いんやいんや。 こーいうことは分かってても、 自然にできる人は少ないんだから」 「流石は本職持ちの両親に 鍛えられただけはあるねー」 「本職? もしかして硯の実家も……」 「はい。おもちゃのメーカーさんで、 直営店もあるんです。 とっても有名なんですよ?」 「名前は確か……えっと……んーと……、 なんだっけ?」 「名前ですか? 名前は……」 「すみません。 少しお聞きしたいんですけれど……」 「あ、少々お待ちくださいっ。 ごめんね、さつきちゃん」 「……有名っていうわりに、 ぱっとは名前が出てこないんだな」 「ど、ど忘れしちゃっただけですっ。 でも本当に大きな会社なんですから!」 「でもそうなると、 硯は正真正銘良家のご令嬢ってことだな」 「え? 冬馬さん、硯のこと知ってたんですか?」 「いや、短い付き合いなりにそう思っただけさ」 「っしょ……っと。 さつきちゃん。いらっしゃいませーー♪」 「こんにちはー、ななみちゃん☆」 こいつも同じお嬢様なはずなんだが……。どうしてこうも違うのか。 「むっ……何やら、 物凄い失礼な目で見られてる気がします#」 「気のせいさ」 「いっ、いらっしゃいませーっ!」 「あっ、こ、この玩具ですかっ? こちらはその、天然木を使用した 立体パズルとなってまして……」 「んー……随分と苦戦してるなぁ、硯」 「本人も接客は苦手だって言ってたからな。 その分、裏方作業は熱心にやってくれてるが」 「あははは” やっぱりそうだったかぁ」 「やっぱり?」 「んまぁ……昔を知ってる身としては、 硯が接客をこなしてる姿がピンと来なくてですね」 「昔の硯ちゃんってどんなコだったんですか?」 「んー……一言でいうと物静かだったかな。 清楚とか文学少女とか、 そんな言葉が似合う女の子だった」 「文学少女か……。 確かにそんな雰囲気がするな」 俺の視線に気づいたのか、接客を終えた硯が近づいてきた。 「皆さん、何の話をされてるんですか?」 「硯の話をしてたんだよ」 「私の……ですか?」 「例えば、一人家で過ごすのが寂しいから、 両親が帰ってくるまで公園で 本を読んで過ごしていたこととか」 「あとは時々遊びまわってるグループを 羨ましそうに見ていたこととか」 「ほぉほぉほぉ……。 硯ちゃんたら寂しがり屋さんだったんですね」 「ち、ちが……っ!! さつきちゃんも止めてよっ、そんな昔の話……!」 「照れることないじゃん。 実際、あの時の硯ったらホント可愛くて――」 「さっ、さつきちゃん!!」 「なははは、ジョーダン。 ごめんごめん♪」 「もぉ……(ぷくー)」 頬を膨らませる硯の頭を、よしよし、とさつきちゃんが撫でる。 アンバランスな構図だが、さつきちゃんを前にした硯は年相応の表情を見せていた。 「おおぉ……、 頬を膨らませて拗ねる硯ちゃん」 「なんだか可愛いですねぇー」 「な、ななみさんまで……もぉ」 「とまあ、毎日一人過ごしてるから、 なんだか私も放っておけなくなっちゃって」 「だから友達と協力して、 硯を私達のグループに巻き込んだんだ」 「一人だった私に一緒に遊ぼうって。 少しだけ強引に、私の手を取ってくれて」 「こんな所で一人で見てるより、 皆と一緒に居たほうが楽しいからって」 「あの時は、本当に嬉しかった」 「べ、別にそんな大したことしてないんだけど”」 「ん?」 「あ、わたし出てきますねー♪」 「ななみちゃんはホントいつも元気ですね。 硯も見習わないと!」 「はっ、はい!」 「あのー……硯ちゃん。 ホリーズの弥生さんって人から 電話なんですけどぉ」 「母から、ですか? 急にどうして……」 「? 親御さんからか?」 「は、はい……多分。 すみません、少し失礼します」 「ゆっくりしてってね、さつきちゃん」 「うん。ありがとー♪」 「それにしても さつきちゃんは硯と本当に仲が良いんだな」 「もっちろん! 硯とは友情とか親友なんて目じゃないくらい 強い絆で結ばれてるんですから」 「実際、こうして硯と再会することもできましたし」 「? 連絡を取り合ったりしなかったんですか?」 「親の都合で全国を転々としてましたから。 だから、ちゃんとした連絡先もなくて」 「しろくま町に来て落ち着いたんですけど、 その時には硯の連絡先も分からなくなっちゃって」 「そうだったのか……。 確かに、偶然で片付けるのは無粋だな」 「そーいうことです! 分かってますね、冬馬さん♪」 「ははは! それにしても、 ななみちゃんってホントに甘い物好きだねー」 「モチのロンです! それに糖分は重大な栄養素なんですよ!」 「だから毎日摂らないとダメなんです!」 「確かに言ってることは正しいが、 何か違うような気がするぞ」 「ははは」 「それならお近づきの印として、 ななみちゃんにイイモノを進呈しましょう!」 風船のように膨らんだカバンに手を入れると、1冊の薄い本を取り出してみせた。 「はい!」 「これは……」 「しろくまムックシリーズVol.454! 『しろくま町洋菓子のお店TOP50』!」 「しろくま町で洋菓子を扱ってるお菓子屋さん50店を ランキング形式で網羅したガイド本だよ」 「おおぉぉ……!! 写真もくっきり綺麗で、 美味しさが伝わってきます!」 「さらにさらに! 写真の下のシールを剥がすと、 そのお菓子の匂いがするようになってるの!」 「くんくん……っ! ほ、本当です! なんて素晴らしい本なんですかっ!!」 「他にも和菓子シリーズやイロモノシリーズまで 数多く取り揃えてるからよろしくねー!」 「むむぅぅ……! これはコレクションしないといけませんね……!」 「やっぱり君はムックの行商人だな」 「それにしても……硯のやつ、遅いな。 何かあったのか……?」 「きっと近況報告とかしてるんですよ」 「お母さんからの電話なんですし、 そっとしておいてあげましょーよ」 「そうだな。 ……ところでさつきちゃん」 「なんですか?」 「バイトがあると言ってたが、 時間は大丈夫なのか?」 「へ?」 商品として飾っていた時計を見やる。既に彼女が来てから1時間ほど経っていた。 「あっ、あああああぁぁぁぁーーー!! もっ、もうこんな時間だったんですかっ!?」 「硯は……ええい、まだ戻ってこないかっ。 この際しょーがない!」 「今日はホントありがとーございました。 とっても楽しかったです!」 「硯によろしくって伝えといてくださいっ。 それじゃ!!」 嵐のように去っていった。 「いやー、パワフルな人でしたねー」 「硯とは似ても似つかないくらいな」 文字通り、お互いに容姿も性格も正反対なのに、どうしてあそこまで噛み合っているのか。 ……なんだ、この震動は? 「も、もももしかして地震ですかぁっ!?」 「心配するな。 揺れだって小さいし、放っておけば――」 「ひぁあああっ!?」 「な、なんだぁっ!?」 「アンタたちぃぃぃぃぃいいいい……っ!!!」 「り、りりりりかちゃんっ!? ど、どどどどど、どうしたんですかぁっ?」 「たこやきに続いて、 今度はなーにを企んでんのよー!! このピンク頭ーーー!!」 「きゃああああああー!?」 りりかはななみの襟元を掴むと、そのままガクガクと前後に揺さぶり始めた。 「なっ、ななななな、 なんのことですかぁぁーー!?」 「とぼけるんじゃないわよー! ネタはもうピッチピチで新鮮なモンが 上がってんだからー!」 「と、とりあえず、まずは落ち着けって……」 「それとも国産っ、 アンタの仕業かぁぁああっ!?」 「どうしてそうなるんだ!」 「落ち着けよ、お姫様。 二人とも本当に知らないようだぞ」 「何の話か全く見えてこないんだが……」 「裏庭に出てみるといい。 ちょいと派手なことになってるぜ」 「裏庭に……?」 「こ、これは……っ!」 ジェラルドに促されて中庭へ向かうと、唖然とする光景が広がっていた。 ツリーの側には大型のトラックが停まり、運転手と思われる男が積み荷を降ろして、小高い山をいくつも作っている。 「な、なんですかっ、このダンボールは!! またレッドキングさんからの サプライズですか!?」 「そんな話は聞いてないがな。 それにあの積み荷には『ノエル印』がついてない」 「……本当だ」 ジェラルドの言う通り、積み上げられているダンボールには、組織の物だと示すモミの木のマークがない。 つまりこれらの荷物は全て、ノエル以外から搬入されたものということになる。 「中身は一体何なんでしょうか?」 「……少し調べてみましょーか」 「おいおい。 勝手に開けたりしたらややこしく――」 「あーー!」 「どうしたっ?」 「これってば、あのワニ婆が言ってた 仮面ライガー竜ドラゴン変身ベルトじゃない!」 「こっちにはディーエスにピーエヌピー……! パケモンの最新作まで入ってます! CMでやってましたよ、これ!」 「なに!?」 中身は発売されたばかりの新商品?一体何がどうなってるんだ、これは。 「荷物は以上になります。 ここにサインもらえますか?」 「ち、ちょっと待ってくれ。 荷物を降ろしてもらってからで悪いが、 住所を間違ってないか?」 「え? でも『きのした玩具店』ってここですよね?」 「た、確かにそうだが……」 「なら間違いありませんよ。 全て『きのした玩具店』宛てのお荷物ですから」 伝票を確認してみると、確かに『きのした玩具店』と記載されている。住所も間違っていない。 搬入元は……HOLLIES? 「……ホリーズ? いつの間にあの会社と懇意になったんだ?」 「知ってるのか?」 「〈HOLLIES〉《ホリーズ》って言えば、 玩具業界の最大手で有名じゃないの」 「玩具の製造から小売りまで一手に手掛けてる会社さ」 「ほー……で、どうしてそんな大企業から こんなに荷物が届くんだ?」 少なくとも、こっちは連絡を受けていない。あの透が連絡をし忘れるなんて想像できないが……。 「きゃああああぁぁぁぁっ!!」 「す、硯?」 「なっ、中井さんっ!! その納品書見せてもらえませんかっ?」 「えっ、あ、ああ……」 分厚い束を作っている納品書を取り上げると、硯はペラペラと物凄い勢いで目を通し始めた。 「そ、そんな……っ、 本当に送ってくるなんて……!」 「もしかして何か知ってるのか、硯?」 「そ、その……この玩具、 全部両親から送られてきたものでして……」 ……両親? 「じゃあ、〈HOLLIES〉《ホリーズ》っていうのは……」 「り、両親が経営している玩具メーカーです……」 「こりゃ驚いたな……。 まさかお嬢ちゃんが大企業のご令嬢だったとは」 「あぅ……」 「でも、どうして急に こんなに荷物が届くことになったんだ?」 「じ、実は……」 『客寄せには新商品!』というりりかのアドバイスを参考にして、両親の所へいくつか商品を発注した硯だが。 それを受けた両親は、遠いこの地で頑張っている娘に気を利かせたつもりらしい。 送られてきた商品は〈全て〉《・・》きのした玩具店への『差し入れ』でお店に役立ててください、ということだそうだ。 「こ、これが全部……」 「差し入れ、ですかぁ……」 ななみ達と揃って、積み上げられたダンボールを見上げる。 これだけの玩具が『差し入れ』とは……。何というか俺達とは格が全然違う。 「はは。 お嬢ちゃんの両親は、 随分とスケールがデカいじゃないか」 「す、すみません……」 「謝ることはないさ。 両親だって硯を心配してやったことだろ」 「けど、一体どうしたもんかなコレは」 「どうするかって、 返品するしかないんじゃないか?」 「んー……それしかないよなぁ」 どれも話題の新商品ばかりだから、客引きとして役立てることはできる。 だが、ただでさえ客足も伸びず、倉庫は有り余る在庫で圧迫された状態だ。 これ以上、物を詰め込んだりすれば、文字通り倉庫がパンクしてしまう。 「とりあえず、 透には知られないようにしないと……」 こんな惨状を見たりすれば、卒倒しかねない―― 「なっ」 「何ですかこれはああぁああぁぁああーー!!」 キーン、と透の甲高い声が空を貫き、風が吹いたみたいに草木を揺らす。 「と、透っ! なんでここにっ!?」 「お店の様子を見に来たんです! 本部にも報告を入れなければいけませんからっ」 「そ・れ・よ・り・もっ!! このダンボール箱の山は一体何なんですか!? キッチリ分かるように説明してください!!」 「あー……その、これはだなぁ……――」 「あ、新しく発注した商品ですっ!!」 「おい!!」 「はっ、発注って……!? まさかっ、これ全部……ですか?」 「違うぞ透、落ち着け。 これには深い事情があってだな……」 「うーーん……!」 「と、透さんっ!?」 「お、おいしっかりしろ透!!」 その後、何とか復活してみせた透のもと、俺達は小言を受けつつ、返品作業をこなすこととなった。 仕入れに関しては、透の厳しいチェックが入ることになったのは言うまでもない。 「ふぅ……」 いつもなら楽しいはずの料理。 手は勝手に動いてくれるのに、心は晴れず溜め息ばかりが漏れてしまう。 頭に引っかかるのは昼間に起こしてしまった大きな失敗。 こうしている間も、中井さん達に返品作業をさせていると思うと、皆の所へ行ってしまいそうになる。 「……だ、だめっ。 私は料理当番なんだから……!」 だからせめて、この後の料理と夜の訓練で挽回していかないと……! 「……はぁぁぁ」 チクチクと透から小言を聞かされながら、返品作業と閉店作業を終わらせた頃、景色は夕闇色に染まりつつあった。 「ううぅ……お腹空きましたぁ〜」 「とーまくぅん……、 わたしのお腹と背中くっついちゃってませんか?」 「安心しろ。 自慢のお腹も背中もぽっちゃりしてるぞ」 「直球過ぎます! もう少し言い回しに気を使ってください」 「っていうか、客も来ないのに こんだけ忙しいってのもどーなの?」 「二人が玩具で遊んでなけりゃ、 もっと早く終わってたかもなぁ」 「うぐっ!」 硯の実家から届いた人気商品の数々だが、客寄せにもなるし、全て返品するのはもったいないとこの二人から意見が上がったのだ。 そして透を説得し続けた結果、『少しだけなら』と妥協してくれたのだが……。 「決まった瞬間に新商品で遊び始めるなよ。 子供じゃあるまいし」 「し、しょうがないじゃないですか! 新しいおもちゃがあったら興味も引きますし、 手に取ったら、遊んでしまいます!」 「それはおもちゃ好きなら誰でも同じ。 とっても当たり前のことだと思うんです!」 「いわば、これは本能!! おもちゃが大好きなサンタの本能なのですよー!!」 「言ってることは、まあ分からんでもない。 が、無い胸を張って言うほどのこともでないな」 「はうっ! ……って、無い胸ってどーいうことですかぁ!!」 「お……!」 「はぁぁ……」 リビングに入ると、色とりどりの料理がずらりと並べてあった。 所狭しと敷き詰められた大皿小皿からは湯気とともに香ばしい匂いが立ち昇っている。 食欲をそそられるその香りにお預けを食らっていた腹の虫が騒ぎ始めた。 「はぁぁぁ〜〜〜……。 いいにほいですぅ〜〜」 「た、確かにっ……! あ、やばっ。お腹鳴りそう……!!」 「きゅー!!」 この鳴き声は……。 「トリ? お前、いつの間に降りてきたんだ?」 「夕飯時だから? お前もこの香りに釣られたクチか」 「くーるるー!」 「あ……皆さん、お疲れ様です。 その、私のせいで迷惑をかけてしまって……」 「誰も気にしてないさ。 そもそも硯のせいじゃない」 「そうですよ! それよりそれより! 今日の晩ごはんはなんですかー?」 「今日はご飯に鶏肉と大根の味噌汁。 わかめときゅうりの和風サラダ」 「あとは大根と白菜のお漬物に、 豆腐ハンバーグおろしポン酢がけです」 「は、ハンバーグ!!」 「もうすぐ出来上がりますから、 テーブルで待っていてください」 「りょーかいしましたぁー! はんばーぐはんばぁ〜〜ぐぅ♪」 「その前に二人とも、ちゃんと手を洗ってこいよ」 「はっ!!? そ、そうでしたー!」 「わ、分かってるわよ、そんなこと!」 「しかし、随分と豪勢にしたもんだな」 「皆さんの手を煩わせてしまいましたから。 お礼というか、お詫びというかその……」 「そんな風に考えなくてもいいんじゃないか?」 「え?」 「さっき皆と相談してな。 客寄せとしていくつか商品を 残しておくことにしたのさ」 「それにあの二人も楽しそうに 玩具を弄り回していたし」 「ほ、本当ですか……?」 「ああ。 きちんとプラスになったんだしさ。 それでいいじゃないか」 「……はい!」 「よし。 んじゃ、俺も手を洗ってくる」 「分かりました」 「いっただっきまーーす!」「いただきまーっす!」「いただきます」 「きゅっきゅきゅっきゅー!」 「あーむ……もぐもぐもぐ。 ん〜〜! おいしーーですー!!」 「ちょっ!? ええいピンク頭! 少しは落ち着いて食べなさいよーっ!!」 「す、すみませんりりかちゃん! でも、ご飯が美味しすぎて お箸が止まらないんですー!」 言い訳を繰り返しながらも、ななみの箸はヒュンヒュンと風を切って、ご飯を口に運んでいく。 作法やら上品なんてものは、どこぞの彼方に置いてきたと言いたげだ。 「もぐもぐ……」 一方、硯はゆっくりとした身ごなしで食事を進めていく。 遅いというより優雅だ。動作一つ一つに上品さが滲み出ていた。 「んぐ、もぐもぐ……んー♪ 硯ちゃん、おかわりお願いしまーっす!」 「はい」 「しかし、これだけのボリュームだと カロリーだって相当なモンじゃないか?」 「大丈夫ですよ。 全部食べてもカロリーは 一日の三分の一になるよう計算してありますから」 「はむはむ……もぐもぐ。 んー、こっちのサラダも美味しいですねー! おかわりお願いしまーす!」 「え? あっ、はい」 「このハンバーグって豆腐……だっけ? 全然そんな風には思えないんだけど」 「ハンバーグの食感が出るように、 豚肉のミンチも混ぜてありますから」 「普通のハンバーグよりも カロリーは抑えられていると思います」 「へぇ〜……はむ」 好き嫌いの激しい彼女もこれなら食べられるのか、ぱくぱくとハンバーグを口に運んでいく。 「硯ちゃん硯ちゃん! あなざーわんぷりーずです!」 「えぇっ!? は、はい」 「はむはむ……。 やっぱ、すずりんを料理当番に推して正解ね!」 「しっかりカロリー計算され、かつ美味い。 これなら安心して食べられるな」 「ありがとうございます」 「おっかわりーー!」 「ってそこのピンク! いくらなんでも食べんの早すぎるわよ! 一人で何杯食ってんの!?」 「まだ四杯目ですよー」 「ヨンハイメ!? しかもまだ!? アンタいくら食う気だーー!!」 「心配しなくても食べ過ぎません。 ちゃんと腹八分に抑えますから♪」 「ちなみにその腹八分まで、どれくらい食うんだ?」 「んー……あと四杯ほどですね」 「あ……だから腹八分なんですね」 「ツッコんでおくが、 上手いこと言ってないからな、硯」 「わ、私はそんなつもりじゃ……!」 「はむはむもぐもぐ!」 「あ、あの、ななみさん。 カロリーは抑えていますけど、 そんなに食べられてしまったら……」 「だいじょーぶです! 全然問題ありませんよ、硯ちゃん!」 「食べたら、その分運動すればいいんです! 訓練だってあるんですからモーマンタイ!」 「そ、そうでしょうか」 「そーなんです! む・し・ろ! 訓練に備えて食べないと ちゃんと力を発揮できないじゃないですか!」 「! た、確かに……っ」 「わたしが食べ過ぎてるんじゃなく、 皆さんが食べなさすぎなんです!」 「だから硯ちゃんも、 ちゃんと食べておかないとダメですよ!」 「わっ、分かりました! 私もちゃんと食べて……もぐもぐ!」 「いやいやいや$ すずりんもそこで丸め込まれちゃ――」 「はぐはぐもぐもぐ!」 「ああぁぁぁああーーー!! あたしのハンバーグがぁぁーー!?」 「もぐもぐっ……もぐもぐっ」 「こーなったら……国産! アンタの肉をよこしなさーーい!」 「おぉぉい! 俺の分をかっさらうな!」 「んぉ? とーまくん食べないんですか? それならわたしも……」 「だから人のを取るな! 俺の分がなくなって……っておい!」 言ってるうちに皿にあったはずの〈主菜〉《ハンバーグ》は綺麗さっぱり消え去ってしまっていて。 勿論おかわりなんてあるわけもなく、俺だけ侘びしい夕食となってしまった。 かくして賑やかな夕食を済ませた後、俺達は日程通り、訓練をこなすために裏庭へ。 支度を整えて家の裏手に回ると、シリウスとベテルギウスが並んで停まっていた。 「おっ、やーっと来たわねぇ」 「遅くなってすみません。 ……もしかして、お邪魔でしたか?」 「そんなことないわよ。 別に密談を交わしてたわけでもないし」 「……つれないな、マイドルチェ。 俺はこんなにも恋焦がれてるというのに」 「はいはい。 ところで肝心のリーダーの姿が 見当たらないようだけど?」 「え?」 「あ、ホントだ」 「一緒に出てきたもんだと思ったのに……」 「硯ちゃんなら何か用意があるらしくて、 少し遅れるそうですよー」 「用意? 一体なんの?」 「さあ……? わたしも待っててくださいとしか 聞いてなくて――」 「すっ、すみません……っ。 皆さん、お待たせしてっその……っ! はぁっ……はぁっ……はぁぁっ」 「時間になってないからだいじょーぶよ。 まずは息を落ち着けなさい」 「は、はいぃ……っ、 はぁ……はぁっ、はぁ……」 サンタ先生は声をかけながら、激しく肩を上下させる硯の背中を優しく摩った。 「落ち着いた?」 「は、はい。 大丈夫です……はぁ」 「ななみから聞いたけど、 一体何の用意をしてたんだ?」 「じ、実はその……。 私なりに訓練スケジュールを立ててみたんです」 「その場その場で決めるより、 予定を立てておいた方が 時間も有効に使えると思って……」 「へぇ〜、やるじゃない。すずりん」 「リーダーらしいじゃないか」 「そ、そんな……」 「それじゃあ、 早速だけど硯が立てたスケジュールを 説明してもらいましょうか」 「は、はいっ!」 「そっ、それでは! 本日の訓練スケジュールをお話しますっ」 「ほわぁ……! これが『ぶりーふぃんぐ』って いうものなんですね!」 「まあ、そうだな」 たかだか夜の自主訓練にはオーバー過ぎる気もしないでもないが、形から入ることも重要ということか。 「まずは訓練に入る前に、 二人一組になって準備体操を行います」 「しっかり身体を解しておかないと、 危ないですからね!」 「体操が終わったら、ウォーミングアップとして ツリーハウス近辺で軽い飛行運転」 「その後、教官役のりりかさんによる 簡単な講義を行ってもらいます」 「内容に関しては、 りりかさんにお任せしますので、 よろしくお願いします」 「よろしくお願いしますっ!!」 「まっかせなさーい。 このあたし! 月守りりかがアンタ達を 一流のサンタにしてあげるわ!」 「講義の後は、 りりかさんとジェラルドさん主導のもと、 30分ほど配達訓練を行っていきます」 「やれやれ。 自主訓練にしては 随分と充実した内容になってるじゃないか」 「ううぅ〜、気合いが入ってきましたぁー! がーんばりますよーーー!!」 「配達訓練が終わった後は……――」 ……30分後…… 「……以上が本日のスケジュールになります」 「おーけーおーけー! それじゃ、そろそろ訓練に……」 「続けて、さきほど説明しました 訓練ごとの時間割ですが」 「だああ!!」 「え? あ、あのりりかさん……?」 「す、すずりん。 もしかして、まだブリーフィング続くの?」 「? はい」 「ちょっとそのメモ見せてくれないか?」 「は、はい……」 受け取ったメモ帳を開いてみると、日付から始まって訓練の開始時間から内容まで事細かに書き記されてあった。 まるで学生が授業中に取ったようなノート。いや、それ以上の密度だ。 「気合い入ってるわねぇ……」 「はぁぁ……。 わたし、分刻みのスケジュールなんて 初めて見ました」 「も、もしかして、 これだけじゃ不十分でしたでしょうか!?」 「いやいや、これだけ組めれば上出来さ。 上出来なんだが……」 「流石に一から説明してると、 ブリーフィングだけで訓練が終わっちゃうわよ?」 「あ」 「今気づいたみたいだな」 「あははは。 やっぱりこうなっちゃったかぁ」 「前にも言ったでしょ? 予定を立てる時は、 もっとざっくばらんでいいんだって」 「は、はい……」 「日程自体はちゃんと立ってるんだ。 軽く弄れば十分使えるものだと思うぞ」 「んー……そうね。 時間もまだあるし、 軽く打ち合わせしちゃいましょうか」 「す、すみません……」 「初めてなんだからしょうがないわよ。 次からはあたしも一緒に考えてあげるから」 「それに一人でここまで考えたのは凄いと思うぞ。 次はもっと上手くできるようになるさ」 「はい、ありがとうございます……」 こうして、しょげてしまった硯を慰めることからスタートした夜間訓練だが。 キャリアのあるサンタ先生と教官役を申し出たりりかのフォローもあって、訓練そのものは上手くいった。 しかし訓練をこなす間、硯の浮かない表情は晴れることがなかった。 「さて、硯はどこに……?」 「…………」 硯を探してテラスに上がると、サンタ服のまま空を見上げる彼女の姿があった。 「…………」 「硯」 「! な、中井さん……!」 「こんな時間までどうしたんだ? 早く寝ないと朝の鍛錬に響くぞ」 「……はい」 手すりに身を預ける硯の隣に並び、同じように夜空を見上げる。 「……そう気を落とすなよ。 リーダーになってまだ初日じゃないか」 「始めからなにもかも上手くいくなんて、 そうそう無いんだからさ」 「はい……」 「……中井さんは、 どうして私がリーダーに選ばれたと思いますか?」 「急にどうした?」 「私は……、 自分がまとめ役には向いていないと思ってます」 「お店のことでも皆さんに迷惑をかけましたし、 さっきの訓練だって……」 しゅんと硯の身体が小さくなる。 「そんなことないさ。 プレッシャーをかけるつもりはないけど、 俺はお前を頼りにしてるぞ」 「え……?」 「お店では皆が働きやすいように 率先して動いてくれてるし、 飯のことだって、俺達のことを考えてくれただろ?」 「少なくとも、 ななみや金髪さんの二人じゃあそこまでは無理だ。 硯にしかできないことじゃないか」 「私にしか……できない」 「リーダーを重く受け止めるなよ。 少し力を抜いて簡単に考えてみたらどうだ?」 リーダーの仕事といえば、ボスへの報告ぐらいだ。それも普段は透がしっかりこなしてくれる。 今の〈硯〉《リーダー》の役目は、簡単な指示を与えたりする、皆のまとめ役だろう。 ……まあ、あの二人をまとめるには、相当な気力と根性が必要になってくるとは思うが。 「ぷっ……くすくす」 「? なんだ急に笑い始めて」 「そ、そんな言い方、 幾らなんでも二人に失礼です……っ」 「……もしかして口に出してたか、俺?」 「はい。それも最初から……くすくす」 「……頼むから二人には黙っといてくれよ。 バレたら何されるか分かったもんじゃない」 「くすくす……はい」 「先生とサー・アルフレッド・キングが お前を選んだんだ。 ……もう少し自信を持っていいんじゃないか」 「それにキツいと思ったら、 今日みたいに俺達がフォローしてやるからさ」 「中井さん……」 「まっ、かと言って 馬車馬みたいに扱き使うのも勘弁な?」 「くす……分かりました」 「それじゃ、お休み。硯」 「あ、あの……!」 部屋に続く階段を昇ろうとして、踏み止まる。 「どうした?」 「今日はその……ありがとうございました。 色々と助けてもらって」 「気にするなよ。 それに助けるのは当然だろ」 「え?」 「俺はお前の〈トナカイ〉《相棒》だからな。 相棒のフォローも仕事の範囲内さ」 「あ、相棒……ッ!!」 「……硯?」 「っ! な、なんでもありません! お休みなさいっ!!」 「あ……っ」 引き止める間もなく、逃げるように階段を駆け上がってしまった。 「……しかし、一体どうしたもんか」 フォローするとは言ったが、今の硯だと俺達の手を借りずに、自分一人で仕事をこなそうとするだろう。 パートナーを組んで初日。彼女の様子を見て何となく予想できる。 「なにやら事情もあるようだし……」 共同生活初日に俺達はペア解散を知らされた。 だが硯は先生以外の人間と組むことを全く考えていなかった。 俺に対して微妙に距離を置いているのも、そこに絡んでるのかもしれない。 「それでも……」 抱えている事情が何であろうと、硯のトナカイとして仕事はきっちりこなす。 それがプロのトナカイってもんだからな。 「はぁ……はぁ……っ」 荒い呼吸も激しい鼓動も収まらないまま、化粧台の椅子に腰を落とす。 鏡に映った私の顔は見るからに真っ赤に染まっていた。 「(きっと変に思われた……)」 「あんな噂……聞かなければよかった」 異性同士のペアは――になりやすいなんて。 あの時に興味本位で聞かず、耳を塞いでいたら。 ……そうしたら、ここまで意識することなんてなかったのに。 「……パートナー、か」 中井さんの言葉が脳裏を過ぎる。 こんな未熟な私をパートナーと認めてくれている中井さん。 「……もっとしっかりしないとっ」 せめて中井さんの足を引っ張らないように。 「ああぁぁぁああぁ〜〜〜……」 「……はぁ」 「またやってるのか$」 「分かってるんなら止めなさいよ。 側であんな声上げられてたら、 こっちまで気が……ふぁぁぁ」 「言ってる側からアクビが〈伝染〉《うつ》ってるぞ」 「うっ、うるさいわね!」 「二人とも、硯みたいに手を動かしてれば、 気も紛れるんじゃないか……」 「ん……ふぁぁ」 「……流石に毎日同じことやってたら退屈もするか」 「っ! す、すみません……」 「はぁ……お客さん、 なかなか来てくれないですねぇ〜」 「平日の昼間なんだ。 そう簡単には来てくれないさ」 おまけに町の中心部からも、住宅地からも外れた深い森の中だ。 周りには樅の木しか立ってないし、交通の便だってお世辞にも良いとは言えない。 「こんにちはー」 「お、いらっしゃい。大家さん」 「いらっしゃいませー」「い、いらっしゃいませ……」 「いらっしゃいましたよー。 近くを通ったから様子を見に来たんだけど」 「まっ、ご覧の通りさ」 「ははは……みたいですね$」 「このままじゃ、 本当に家賃が払えなくなってしまうかも」 「ちょっ、脅かさないでくださいよ!」 「冗談だよ。 が、このままじゃマズイのは事実だ」 実際は〈ノエル〉《本部》から家賃は出てるから、大家さんへの支払いは問題ない。 ……が、そこに日々の生活費は含まれていない。 なのでお店が上手くいかないと極貧生活を余儀なくされることになる。 「……本格的にテコ入れを考えないとまずいな」 「テコ入れ?」 「――というわけで! 第3回『きのした玩具店を繁盛させよー会議』を ここに発足したいと思います!」 「まあ会議するのはいいとして……」 「何なのよ、そのおバカな名前は#」 「分かりやすくていいじゃないですか」 「お店の名前といい、センス無さすぎー! ここはあたしがグレイテストな会議名を――」 「まあまあ、りりかちゃん。 それで早速だけど、 お店の宣伝ってどうしてるんです?」 「今はななみさんがサー・アルフレッド……っ、 さ、サンドイッチマンさんと一緒に呼び込みを」 「サンドイッチマン……?」 「あーあー! メインストリートで よくパチンコの宣伝してるあのオジサンかぁ」 「あとは案内用の看板とチラシを少し……」 「とは言っても、 看板は店先と森の入り口の二箇所だけだけどな」 「チラシも今は町役場前にある掲示板に 1枚しか貼れてません」 「むー……確かにそれはちょっと厳しいねぇ」 「要はお店のアピール力が、 まだまだ足りてないってことでしょ?」 「ここはクール&ハイパーかつ スタイリッシュな看板とチラシを用意して――」 「ですがその、今の売り上げでは 看板を増やすこともチラシを刷る余裕もないです」 「うっ」 「わたしがサンドイッチマンをもっと頑張ります!」 「だが、ななみ一人じゃ宣伝効果は薄いぞ。 一日中町中を歩き回らせるわけにもいかないし」 「あぅ」 「なら人数を増やしてみたら?」 「こー言っちゃアレですけど、 もう一人くらい宣伝に回しても 何とかやっていけると思うんだけど……」 「それじゃありりかちゃんもぜひ一緒に!」 「んー……それは構わないけど、 一体あたしとアンタでどーするつもり?」 「まずはお客さんの注目を集めるために、 わたしとりりかちゃんで大道芸を――」 「全力でお断りします☆」 「こんにちはー♪ 新聞の集金に伺いましたー……?」 「いらっしゃいませ、さつきちゃん」 「いらっしゃいませー☆」 「こんにちは」 「おおぉ!? これまた皆さん勢ぞろいで……」 「もしかしてお邪魔でした? 何だったら時間を改めてくるけど……」 「いや、大丈夫だ。 気を遣わせてすまん」 「いえ、それならいいんですけど……。 皆さん揃いも揃って何かあったんですか?」 ……ここは一つ、お客さんからアイデアを貰ってみるか。 「実は……」 「硯?」 「ふぇぇっ!?」 「えっ、えっと……あの、あのっ、そのぉ……!」 「? 一体どうした……」 「ひあっ!?」 「なっ、なんでもないですっ! すすす、すみませんっ!」 「…………」 多分、俺と同じく彼女に相談しようと思ったのかもしれない。 ちょっとタイミングが悪かったか。 「…………」 「それでどうしたんですか?」 「あ、ああ。実はな……」 「ふむふむ……なるほど」 「要はいかにお金をかけず、 このお店を宣伝するかってことですよね?」 「そういうことだ。 ここは一つ、お客さんの意見も聞かせてほしい」 「んー……なら口コミとかどうです?」 「口コミ?」 「はい。元手もかかんないですし、 ぱっとチラシを配られるよりは、 耳に入りやすいんじゃないかなーと思って」 「なるほど……」 「なんでしたら、配達ついでに 〈玩具店〉《ここ》のこと話しておきましょうか?」 「ほ、本当ですか、さつきちゃん!?」 「うん。 粉物企画を提案して失敗させちゃったし、 そのお詫びってわけじゃないけど……」 「あっ、でもあまり期待しないでね? 大した宣伝はできないと思うし……」 「それでも十分さ。 無茶にならない程度でお願いできるか?」 「うん。まっかせといてください!」 ドン、とさつきちゃんは頼もしげに胸を叩いて応えてくれた。 「それじゃ私も商店会の会報に それとなくお店のことを書いといてあげるよ」 「二人ともありがとう。よろしく頼む」 「よ、よろしくお願いしますっ」 「…………」 夕食の時間。 いつもより早めに支度を終えて、皆が戻ってくるまで訓練の予習を済ませる。 けれど教本の内容が、まったく頭の中に入ってくれない。 「……はぁ」 またやってしまった……。 ダメだと分かっているのに、身体が勝手に距離を置こうとしてしまう。 中井さんの足を引っ張らないようにって、昨日決めたばかりなのに……。 「……だめだめっ、弱気になったら。 先生だってもっと強気になりなさいってっ」 「で、でも強気って……一体どうしたら」 閉店作業を済ませて、ななみ達より一足早くリビングに戻ると、硯がテーブルの上に本を広げていた。 「…………」 「はぁ……」 「お疲れさん、硯」 「ひゃあああッ!?」 「うぉっ!」 「あ……お、お疲れ様です。中井さんっ」 「お、おう。驚かせて悪いな。 集中していたようだけど、なに読んでたんだ?」 「あ。こっ、これです」 横から覗き込もうとするとすっ、と硯は俺から距離を取った。 俺が見やすいように気を遣ってくれたのか、それともただ避けただけなのか。 そんな事を頭の片隅で気にしつつ、目を落としてみると、簡素なデザインがなされた本があった。 「これは……、 もしかしてサンタ用の教本か?」 「はい。 部屋の片付けをしてた時に見つかったもので、 少し読み返してたんです」 「ああ、あるある。 少し古い雑誌とか見つかったりすると ついつい読んじゃうよな」 「くすくす。そうですよね」 「……でも、そのワリには 随分と真剣に読んでたようだが?」 「そ、それはその……っ、 思わず懐かしくなってしまって」 硯はそう言うが、きっとこの後の夜の訓練に備えて復習していたのだろう。 「それにしても、随分と使い込んでるな」 きっと何度も何度も読み返したのだろう。 表紙はボロボロに擦り切れていて、本の角が開いていたり、ススに塗れているところもある。 それに表紙の端は閉じ切らず、くるんと丸みがついていた。 「大事に扱ってきたつもりなんですけど……」 「照れることなんてないさ。 教本なんてボロボロにしてナンボなんだから」 「は、はい……」 「ここでの共同生活には、 大分慣れてきたみたいだな」 「は、はい。何とか。 まだ驚かされる所は沢山ありますけど」 「ななみも金髪さんも、毛並みが違うからな。 違うところがあって当然さ」 性格も違うし、生活様式も全く違う三人が一つ屋根の下で暮らすことになったんだ。トラブルが起こって当たり前だ。 「あの二人とも随分と打ち解けたようだし」 共同生活初日はお互いに分かり合えてない事もあってか、ささいな部分で衝突を繰り返していたが。 最近じゃ食事の時は賑やかになっても、反発し合うことは無くなりつつある。 もっともぶつかり合うのは、もっぱらななみとりりかの二人だが。 「はい。 最近はななみさんから、 夕食のリクエストを受けるようになりましたし」 「少しずつですけど、 段々りりかさんの好きな食べ物も分かってきて……」 クスクスと楽しそうに笑いながら、硯は二人との近況を話してくれた。 年相応の笑顔を見せながらも、ピンとした姿勢にきちんと揃えられた脚など、気品に満ちた仕草を見せてくれる。 「……けど、お嬢様っぽいとは思ってたけど、 まさか本物のご令嬢だったとはな」 「……ヘン、ですか? 私がサンタをしているなんて」 「すまん。そういうわけじゃないんだ」 「ただ硯がお嬢様だって聞いて、 印象通りだったってことが言いたくてさ」 「…………」 ふと、今の硯の表情が、あの時のものと重なって見えた。 「私は……先生じゃないと駄目なんです」 「……そう言えば、 俺とコンビを組む前にさ、 パートナーについて話しただろ?」 「……っ!」 「あれは一体……硯?」 どういう意味だ、と言葉を続けようとして俺は思わず口を噤んだ。 さっきまで笑顔を見せていた彼女が俺を避けるように顔を俯けていたから。 「すずり――」 「おっつかれさまでーーす♪ はぁー、お腹空きましたぁ!」 「おつかれー」 「あっ……お、お疲れ様です。 ななみさん、りりかさん」 硯は俯けていた顔を上げると、仕事を終えた二人に駆け寄っていった。 二人を労う彼女の顔には、さっきまで見せていた暗い色は残っていなかった。 「――予定通り、掘割町上空に侵入。 早速10時方向から的が2つ、来るぞ!」 「はっ、はい!」 ――夜、一日の締めとして皆と一緒に飛行訓練に勤しむ。 この日は町を三つのエリアに分けての配達訓練をこなしていた。 「……っ!」 「ふぅ……」 「気を抜くのはまだまだ早いぜ。 次、2時方向からバルーン2つだ!」 「えっ……あッ!!」 「……っ!」 「あ……っ!」 「すまん、今のは俺が急ぎ過ぎた。 一旦上昇して別ルートから再突入する」 「はっ、はい!」 「……っ!!」 「し、しろくま通り近辺、全てクリアですっ!」 「了解だ。 このまましろくま駅を抜けて金石町に突入する! 残り時間と的の数は?」 「あっ、あと6分と10秒です! 的は……30!」 「……ちょいと厳しいな。 よしっ、このまま最短距離で金石町を目指す。 少し飛ばすぞっ」 「えっ!? な、中井さん待っ――きゃあっ!!」 「状況終了だ。 ひとまずはお疲れさん、硯」 「はっ、はい……はぁ……はぁぁ」 結果は思ったよりも振るわなかった。 率で言えば担当エリアの4割程度しか、配り切れていない。 「す、すみません、中井さん。 私が合わせられなかったせいで……」 「いや、今回は全面的に俺が悪かった。 時間配分を間違えて、 最後は硯をせっつかせてしまったしな」 元々俺のコース取り自体も悪かった。硯を振り回すようなルートを飛行しては、彼女が満足に配達できるわけがない。 「一旦休憩を挟んで、 次は少しスピードを落としてやってみよう。 飛行ルートもこっちで一から見直す」 「わ、分かりました」 サイドミラー越しに硯の様子をうかがっていると、彼女の背後から眩い光が射し込んできた。 「あれは……」 「あっぷるぅー……」 「ぱーーい!!」 「みっしょんこんぷりーと!」 「はーい、ごくろうさま。 にしても、星名さんのワザ名って 随分と甘ったるいのねー」 「はい! わたし達サンタは幸せを届けるんですから。 だから、まずわたし達が幸せにならないと!」 「なーるほど。 配達の合間にお菓子を食べてるのも、 デザートの名前を叫ぶのも、そのためか」 「さっ、せんせー! イケイケドンドンですよー!」 「んー……しょうがないわねぇ」 「本当は休憩挟みたいトコだけど、 もうひとっとびしましょーか」 「二人ともやるなぁ……」 ななみと先生の抜群なコンビネーションにただただ感心するしかなかった。 二人はお互いに相手の動きに合わせ、息の合った連携を見せながら先頭を滑空するりりかに追随していく。 「…………」 鏡に映る硯の顔には、不安の色が色濃く浮かんでいた。 まるで母親を求める子供のような、寂しそうな目で小さくなる先生の背中を見つめている。 「落ち込んでる場合じゃないぞ、硯」 「え……?」 「このままじゃ先生達に置いてかれちまう。 俺達だって負けてられない」 「な、中井さん……」 「休憩を挟もうと思ったが、 その前にもう一回、飛んでみよう」 「えっ……あっ、はい!」 硯が不安がってるんだ。相棒の俺がここでしっかりしないでどうする! 「と思うものの……一体どうしたモンか」 あれから休憩を挟みつつ、硯と個別訓練を重ねてきたが、一向に成果を上げることが出来なかった。 カペラの飛行速度を上げていけば、硯がついていけず的を把握することが出来ない。 だがスピードを落とせば、今度は時間内に配達を済ませることが難しくなってしまう。 「…………」 そもそも連携云々以前に、硯とまともに息を合わせられてない気もするし、何よりも一番引っかかるのは……。 「硯のヤツ……、 どうしてあそこまで縮こまるんだ?」 飛行訓練の最中、硯は怯えたように身体を震わせて的を見逃すことが多々あった。 少なくともニュータウン攻略の時……。いや、先生とペアを組んでいた時はあんな姿は見せなかったのに。 (俺の〈滑空〉《グライド》が荒すぎるのか?) ななみにも似たようなこと言われたし、もう少し気をつけた方がいいかもしれない。 「…………」 「ん?」 リビングに入るなり、テーブルに突っ伏している硯の姿が目に留まった。 小さく丸まった肩が上下する度に、空気が漏れるような音が耳に吸い込まれてくる。 「硯……?」 「すぅ……すぅ……」 覗き込んでみると、硯は両腕に顔を埋め、小さな寝息を立てていた。 その脇には広げられたままのスケジュール帳とキャップがついていないペンが転がったままだ。 きっと教官役のりりかと相談していたのだろう。あちこちに赤線が引かれ、所狭しと新しい予定が書き込んである。 「すぅ……すぅ……」 「……本当、頑張ってるな」 接客が苦手だからと言って、その分、力が物を言う裏方作業ばかりこなし。 分担した家事の中でも手間のかかる調理を引き受けていれば疲れないはずがない。 本当ならこのまま寝かせてやりたいところだが……。 「硯。おい……起きろ、硯」 「すぅ……っん……う……?」 肩を叩いたり、揺さぶること数秒。眠りが浅かったのか、閉じていた瞼がゆっくりと開いていく。 「ん……んっ、な、かい……さん?」 「正解だ。 こんな所で寝てると風邪引くぞ?」 「え……あっ、わ、私……眠って……ッッ!!」 「す、硯っ?」 「あ……っ!! すっ、すす、すみませんっ! 思わずうとうととしてしまって……!」 「ねっ、眠気覚ましに顔を洗ってきますっ!」 「あ、おい……!」 「……ひょっとして」 あまり考えたくなかったが、ここまでにそれらしい傾向があったわけだし……。 「俺……ひょっとして避けられてる?」 「うぅぅ……」 蛇口から流れる冷たい水で、何度も何度も丁寧に顔を洗う。 よ、よりにもよって中井さんに、寝てる所を見られてしまうなんて……っ! 「あああぁぁぁぁ……」 思わず身体から力が抜け、洗面所にもたれかかってしまう。 き、きっと変な風に思われたに違いない! 「こ、これからどう顔を合わせれば……っ!!」 「……ふぅ」 いつもなら一服代わりの寝酒も今日ばかりはなかなか進まない。 代わりに口から零れるのは、アルコール分の混じったため息ばかり。 「間違いなく……避けてたよな」 単に寝顔を見られて恥ずかしかったのかもしれないが、それでもあの反応は過敏な気がする。 「……嫌われてる?」 もしそうだとしたら原因は先日の硯達の着替えを覗いてしまった件だろう。 硯は『もういいです』って言ってくれた。でも実は、今でも根に持っているとか? 「……あー、くそっ」 ダメだダメだ!考えれば考えるほど、出てくる答えがネガティブになってくる。 酒を飲めば切り替えられると思ったが、ちっとも美味く感じられない。 「……風に当たろう」 「…………」 手すりに背中を預けつつ、頭上の空を見上げる。 沈んだ気分がそうさせるのか、視界に広がる夜空が少し曇って見えた。 「……ふぅ」 「大の男がため息ばっかりつかないの」 「こんばんは♪」 「先生……こんな時間にどうしたんです? 硯の様子でも見に?」 「いいえ」 「あなたの様子を見に来たのよ」 「俺の?」 「そっ」 小さく頷きながら歩み寄ってくると、そのまま俺の隣に肩を並べた。 「結構、硯に苦戦してるみたいね」 「……分かります?」 「そりゃあ、目の前であれだけため息つかれたらねぇ」 「あれだけ?」 「さっきのでちょうど二桁よ。 それもアタシが見てたところだけでね」 つまりテラスに下りてから先生に会うまでの間ってことか。 気づかないところで、そんなに漏らしてたのか……。 「……良かったら相談に乗るわよ?」 「え?」 「これでも先生だからねー。 それに教え子のことで悩んでるんなら、 尚更放っておけないわ」 グータラを自称する先生だが、この時ばかりはとても頼もしく見えた。 「硯に避けられてる……ねぇ。 少しオーバーに考えすぎじゃない?」 「俺もそう思いたい。 けど、あれだけ露骨に距離を取られるとな。 それに……」 「それになに? 硯に何かやましいことでもあったりするの?」 「……そんなことないですヨ?」 「最初の間を問い質したいトコだけど……」 「少なくとも嫌われてるってことはないだろうから 安心しなさい」 「どちらかと言うと、 意識するあまりどう接したらいいのか、 分からなくなっちゃってるってトコかしら」 「? 分からない?」 「元々、硯は人見知りの激しいコなのよ。 口下手だったしね」 「それに異性と接する機会もほとんど無かったから、 緊張してるんだと思うわよ?」 「緊張か……」 言われてみれば、硯に話しかける時、彼女の表情が硬くなっていたような気がする。 「多分、硯が異性とまともに接したのは 中井さんが初めてだと思うわよ?」 「俺が……初めて」 「そっ。 硯にとって初めてのオトコノコなのよ。 あ・な・たは」 「からかわないでください。 にしても、硯とは本当に長い付き合いみたいですね」 「まあねー。 あの子が通園帽を被ってた頃から一緒だったし」 「そんな昔から……」 「当時、私が保母を勤めていたところに あの子が入園してきたのよ」 「さっきも話した通り、凄い人見知りでね」 「最初は話しかけても頷くだけで、 声も聞かせてくれなかったわ」 「昔の先生と硯もそうだったんですね」 「まぁーね」 「でも根気よく声をかけるうちに 硯から話しかけてくれるようになってねー」 「まっ、今もこうして硯の先生をしてるけど、 今までの下積みがなかったら、 多分ここまで来れなかったかもしれないわね」 硯との出会いを話す先生は、終始懐かしそうに優しく微笑んだままだ。 同時に俺は二人の間にある絆の強さを感じずにはいられなかった。 硯が全幅の信頼を寄せる先生からバトンを受け取ったんだ。 次は俺が先生の分まで背負うつもりで硯を引っ張ってやらないと。 「ふぅ……何だか相談に乗るつもりが、 昔話になっちゃったわね」 「いや、良い話を聞かせてもらった。 ありがとう」 「あら? 今の話で何か得るものでもあったの?」 「ああ。いつまでも しょぼくれてらんないなって」 小さく息をついて空を見上げる。 さっきまで曇って見えた空だが、少しだけ雲が晴れたような気がした。 「はぁぁ……あーあ、今日もヒマねー」 「ぼやくなよ。 いつお客さんが来るか分からないぞ」 退屈そうに呟く金髪さんを宥めつつ、ハタキを片手にホコリを落としていく。 掃除をする際は部屋の奥から始めて、出口で終わるようにする。これが効率よく掃除するための鉄則らしい(硯談)。 「へぇぇ……。 国産ってば、ちょっと見ないうちに 随分と掃除上手になったじゃない」 「多分褒められてるんだろうが、 かなり複雑な気分だな$」 「んむぅ……。 やっぱあたしに裏方は向いてないわねぇー」 「自分から引き受けたんだろうに。 何なら今から広報部長さんと交代してくるか?」 「――ぶえーっくしっ!」 「おや、どうしました星名くん。 風邪でも引いてしまいましたか?」 「ずずず……。 どうやら誰かがわたしの噂をしたみたいです」 「はっ!! 噂されるということは、 わたし達のことが 話題になってるということじゃないですか!」 「今頃はきっと お店はお客さんでごった返しているはず……! やっぱり継続は力なり、です!」 「うむっ、その通りだ! 何事も続けなければ結果は出せん!」 「はい! ……よぉぉーーっし!! この調子でジャンジャン お店を盛り上げていきますよーー!!」 「いらっしゃーい、いらっしゃいませーー! あなたのまちのハッピースペース♪ きのした玩具店ですよー!!」 「イラサーイ、イラサイマセー! ヨッテラッサイミテラッサーーイ!!」 「――ってな具合で 一緒に盛り上がってるんじゃないか?」 「あたしにはムリよ。 だって笑いはななみんのポジションだもん」 「酷い言い草だな」 「いらっしゃいませー♪ きのした玩具店にようこそー☆」 ついさっきまでの気だるい表情から一変して花開いたようなハッピースマイル。 流石はベルスターズきっての演技派。切り替えが早い。 「……ん?」 しかし肝心のお客さんの姿が一向に見当たらない。 一体どこに……? 「どこ見てんのよ。 もっと視線を下げて下げて」 言われた通り、視線を下げてみると……いた。 小学生くらいだろうか。髪をツインテールにした女の子が不安げな面持ちでこちらを見上げていた。 「こんにちは♪ 何を探しにきたのかなー?」 「…………」 「ん? ごめんね。 もう1回教えてくれる?」 「……ぬ、ぬいぐるみ」 「ぬいぐるみ?」 聞き返すりりかに、女の子は小さく頷いた。 「どんなぬいぐるみだい?」 「……クマさんの」 「そっか。クマさんのね? ……国産!」 「はいはい」 えっと、クマのぬいぐるみ……っと。商品棚に並べてある小さなテディベアを手に取ろうとして―― 「……それじゃない」 「え、違う?」 「じゃあ、こっちかな?」 りりかが別の棚から取ったぬいぐるみを見せるも、女の子は小さな顔を横に振った。 「じゃあこっちか?」 「……(ふるふる)」 「これでもないか……。 国産、他にぬいぐるみって」 「生憎、ぬいぐるみ専門店じゃないからな。 さっき見せた分しか……」 「……ないの?」 俺達を見上げるつぶらな瞳にじわりと小さな雫が浮かんでいく。 「どっ、どどどどどうすんのよ国産ッ!? 早く何とかしないと泣いちゃうわよっ!!」 「お、俺に言われたって どうしたらいいのか分からん!」 「ぐすっ……うっ……っ」 「中井さん。 商品の発注をお願いしたい……」 「? どうしたんですか?」 「す、すずりんっ! ちょうどいいところに!!」 「え?」 「このコがぬいぐるみを探してるんだが、 ここに置いてないものらしくてなっ。 それで……」 「うっ……くっ、ぐす……っ」 「……すみません。ちょっといいですか」 状況を理解してくれたのか、硯は台帳を俺に寄越すと、袖で顔を拭う女の子へ近づいていく。 そして目の前にしゃがみこむと、両手を優しく取り、覗き込むように顔を傾げた。 「……何を探してるのか、 もう1回教えてくれるかな?」 「……く、クマのぬいぐるみ」 「そっか。 どんなクマさんか分かる?」 「っ……ん、んと……」 終始その小さな手を握りながら、硯は女の子の頭を愛しそうに撫でる。 女の子の言葉に頷いて相槌を打つ彼女は、とても優しい笑顔を見せていた。 それは普段、俺達に見せる笑顔とは違う、相手を穏やかにさせるようなふんわりとした微笑み。 次第に落ち着き始めたのか、女の子の声から嗚咽が消え始めていた。 「ちょっとだけ待っててね」 女の子から手を離すと、その場から立ち上がり倉庫へ下りていく。 そしてすぐに戻ってきた彼女の手には、逆立ちした白熊のぬいぐるみが収まっていた。 「これかな?」 「うん!」 すっかり泣き止んだ女の子に頷き返し、硯はぬいぐるみに手早くラッピングを施すとそれを手渡した。 「それじゃ、いこっか」 「行くって……」 「どこへだ?」 「あ……」 揃って入り口から外を覗いてみると、男性に手を引かれて、大きく手を振りながら森の外へ小さくなる女の子と、 手を振って二人を見送る硯の姿があった。 「……ほっ」 「お疲れさん、硯。本当に助かった。 俺達だけじゃ多分どうにもならなかった」 「い、いえ。そんな……」 「それにしても、 どうして子供一人で買い物させたのかしら? 別にそんなことしなくても……」 「買い物を経験させたかったそうなんです。 妹さんの誕生日が近いらしくて、 お姉ちゃんとしてプレゼントを用意させたいと」 「幸い仕入れ分が残ってたんですが、 発注が終わった後に出そうと思ってたので……。 迷惑をかけてしまって」 「いや、結果的に迷惑かけたのはこっちさ。 しかし随分と手馴れたモンだったな」 「え?」 「ホントホント! 接客は苦手ですなんて言っといて、 全然そんなことないじゃない」 「あ……ちっ、違うんです!! いえ、接客が苦手なのは本当なんですけど、 さっきは相手が子供でしたから……ッ!!」 「そ、それにアレはただ、 せ……先生の真似をしただけでして、その」 確かに彼女の師である先生は保母の経験を持ってるって言ってたな。 だが、少なくともただの真似事で、あの優しい笑顔は絶対に作れないと思う。 本当はそこまで言いたかったが、彼女が本当にオーバーヒートしそうだから、自重することにした。 「たっだいまーー! 広報部長・星名ななみ、 ただいまツリーハウスに帰還いたしましたー!」 「おかえりなさい、ななみさん」 「は〜〜い♪ みんな頑張ってるかしらぁー」 「先生まで……。 こんな時間に珍しいわね」 「駅前で出会ったんです。 何でもここに用事があるそうでして」 「アタシのことなら気にしないで。 ただ忘れ物を取りに来ただけだから」 お構いなくと片手を振りつつ、先生はキョロキョロと棚を見回し始めた。 「それで成果はどうだったの?」 「もーバッチリですよ! 今日なんて女の子連れの男の人に、 ここの住所を聞かれたんですから!」 「女の子連れの男性か。 その人なら昼間、店に来てくれたわよ」 「ホントですか!?」 「ああ。硯が対応して ぬいぐるみを買っていってくれたんだ」 「な、中井さんっ!?」 「へぇぇ〜……硯が接客ねぇ。 ちなみにどんな風にしてたのかしら?」 「物凄い丁寧な接客だったぞ。 俺だったらもう1回来たいって思うくらい」 「最後のほうじゃ女の子に懐かれてたし。 『お姉ちゃんバイバーイ』って言われてたよね?」 「で、ですからアレはその……ッ たまたま上手くいっただけで!!」 「その割には妙に手馴れてたよな。 それに『お姉ちゃん』って呼ばれて、 硯もまんざらじゃなさそうだったし……」 「なっ、中井さんっ!!」 「分かった分かった。悪かった。 これ以上は話さないようにするから」 「……ぜ、絶対ですよ?」 「……ほぉほぉ、硯が子供のねぇ」 「と、ところで先生ッ! 忘れ物は見つかったんですかッ?」 「えっ? あ、そうだそうだ。 あの辺にディーエスのソフト置いてなかった?」 「ソフト……ですか?」 「『実況パラレルプロ野球』ディーエス版って ゲームなんだけど」 「――ッ!!!」 俺達はほぼ同時に先生から顔を逸らし、互いに顔を見交わす。 ――コクリ。 アイコンタクトで確認し合うと、先生に背を向け、円陣を組むように顔を寄せ合った。 「(なあ、あのゲームソフトってもしかして……っ)」 「(た、多分先生のものだと思います……!)」 「(ど、どどどどどうしましょうっ!?)」 「(どうしようって、どうしようもないわよ!  ソフトはワニ婆が  持ってっちゃったんだから!)」 「? 一体どうしたのよ? 円陣組んだりして」 「な、なんでもないわよっ! あ……あたしは見てないけど」 「わ、わわわわ、わたしも知らないです!!」 「す、すみません……!」 「ん〜……おっかしいわねぇ。 確かここら辺に置きっぱなしにしてた気が するんだけど」 「じ、自分の部屋を探してみたらどうです? 別のケースに仕舞ってあるかもしれないし」 「……そうねぇ。 面倒臭いけどしょーがないっかぁ」 「あ……先生。 良かったら夕食、ご一緒していきませんか? これから支度するところですから」 「いいの? それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかなー」 「はい。ぜひそうしてください」 柔らかな笑みを浮かべて、先生をリビングに案内しようとして。 「ぁ……!」 硯と目が合う。瞬間、彼女の笑顔はあっという間に、朱色で塗り潰されていった。 「そっ、それじゃ夕食の支度してきますねっ!」 「…………。 んじゃ、アタシはお先に寛がせてもらうわねー」 先生は手を振りながら、硯を追いかけるようにリビングに続くドアをくぐっていった。 テラスからリビングに下りると、食欲をそそる香辛料の匂いが香った。 「♪〜♪〜♪♪〜〜」 香ばしい匂いが仄かに漂う中、ななみは鼻歌を歌いながら手前のカウンターからキッチンを覗き込む。 硯は鍋の中を掻き混ぜながら、そんな彼女の相手をしていた。 「今日は……カレーか」 「も、もしかしてお嫌いでしたか?」 「いや、大好物だぜ。 それに得意料理だし」 「え? とーまくんも料理できるんですか?」 「レパートリーは非常に少ないけどな」 「けど、俺が作るカレーとは少し違うような……」 「なにか特別なカレールーを使ってるとか!」 特別なカレールーか。硯なら一箱数千円の高級ルーとか……。 「いえ。普通に市販されてました くまっくカレーですけど……」 「そんなに違いますか?」 「ああ。 少なくとも俺が作るカレーと匂いが違う」 端的に言えば、硯の作っているカレーの方が美味しそうだ。 「なにか特別なことでもしてるのか?」 「い、いえ。 そんな特別なことは何も……」 鍋を掻き混ぜていた手を止めると、硯は棚からガラス製の容器を取り出し、小さじで中身を掬い取った。 「それは?」 「砂糖ですが……」 砂糖?カレーに? 「どうしてカレーに砂糖なんだ? 香辛料なら分かるけど」 ななみも同意見なのか、隣でコクコクと頷いている。 「その……砂糖を入れると、 カレーの旨味や辛味が より美味しく感じられるんです」 「他にも中井さんの言う通り香辛料。 あとはコクを深めるためにバターと、 香り付けのニンニクを入れてあります」 「へぇぇ〜」 正直カレーなんて簡単に作れる料理と思ってたが、随分と奥が深い。 が、それよりも料理のことになると普段よりも多弁になる硯が印象的だった。 「あ、あとは……――」 時々どもりながらも一生懸命に俺達の質問に答えてくれる硯。 それが嬉しくて、俺も自然にどんどん彼女に話しかけていった。 「むぅぅ……」 「むむぅぅぅぅ〜……」 「おっっそーーい!!」 「ああぁっ……っと!」 「ナイスキャッチだ、硯」 ななみが立ち上がった拍子に倒れそうになった椅子を硯が慌てて支えてくれる。 「りりかちゃんも先生も遅いです! 私の中の獣を抑えるのももう限界ですーー!」 ぐぅぅ〜〜〜〜〜〜〜 「確かに抑えられてないな」 獣っていう割には、あまりにも情けないうめき声だが。 「おっ、落ち着いてください、ななみさん。 もう少し待っていれば……」 「いや〜、白熱したバトルだったわー」 「先生、遅すぎですよー! 今まで何してたんですか〜?」 「月守さんのところよ。 いやー、あの子もなかなかのゲーマーね。 いい趣味してるわー」 「道理で姿が見えなかったわけだ」 店仕舞いした後、揃って消えたと思ったらゲームをしていたわけか。 「りりかさんはどうされたんですか?」 「まだ部屋に閉じこもってるわよ。 もうちょい時間がかかるから、先に食べててって」 「お、今日はカレー? 久しぶりねぇ〜」 「先生の分も、ちゃんと別に用意してありますから」 「さっすがは硯! よく分かってくれてるわねー」 「別に? なんでわざわざ……」 「あとで教えてあげるわよ」 「お待たせしました、先生」 「ありがとー@」 「こ、これは……っ!」 「またとんでもないのが出てきたな……。 もしかしなくても、これが?」 「はい。先生専用の特別超激辛カレーです」 「わ、わたし、唐辛子がそのまま浮いてるカレーなんて 生まれて初めて見ましたよ……!」 「奇遇だな。俺もだ」 「それじゃ改めて……いただきまーす♪」 「え゛っ!?」 行儀よくカレーの前で手を合わせると、切り分けるようにスプーンでカレーを掬う。 そのまま何の〈躊躇〉《ためら》いも見せず、かぷっ、と口に運んでいってしまった。 「もぐもぐ……んー、 もうちょっと辛くても良かったかもね」 パクパクとカレーを口に運ぶその様からは、とても辛そうなカレーには見えない。 何より先生と同じく辛党を名乗る身としてはぜひとも食べてみたい。 「なあ硯、俺にも同じカレーくれないか?」 「あ、あの……食べられないと思ったら すぐに止めてくださいね?」 「無理をするとその……命に関わりますから」 「関わっちゃうんですか!?」 「それと水はできるだけ控えてください。 飲むと逆にツラくなります」 「と、とーまくん止めたほうがいいですよ! カレー食べるのに命賭けるなんて……!!」 「止めてくれるな、ななみ。 男には絶対に引いちゃいけない時があるのさ」 「ノリノリねぇー。 だいじょーぶよ星名さん。 そんなに辛くないから♪」 「というわけで、いただきます!」 まずは一口目!早くも汗が滲んでくるのが分かった。 続けて突き刺すような痛みが舌と喉を襲う。滲み出た汗が止まらなくなってくる。 こ、これは……辛いなんてもんじゃない!! 「熱い! けれど美味い!」 「でしょでしょー! 二人も遠慮しないで食べればいいのにー」 「まったくだ。 こんなに美味しいのに」 もりもりと頬を膨らませる俺達を前に、彼女達は唖然としていた。 「それにしても 硯は家のことなら何でもできるんだな」 料理だけじゃない。洗濯や掃除など、家事に分類される作業は一通り完璧にこなすんだから驚きだ。 「はぐはぐ……ふぉんとれす! ふぉなふぃふぉんなとふぃて、 ほんけいしふぁす」 「物を含みながら喋るな。 何言ってるのか分からんし、汚いぞ」 「んぐんぐ……んーっ、ぷはー! 同じ女として尊敬すると言ったんですよー」 「そ、そんな……。 あ、ありがとうございます」 「けど、ここまで上達するには やっぱり時間がかかったんじゃないか?」 「よく分かりません……。 確かに元々料理するのは好きで、 よくやってましたけど」 「それにこれくらいのことなら、 先生の所でずっとこなしてましたし」 「ん?」 俺達の視線に気づいたのか、先生はカレーから顔を上げてみせる。 すると硯は水出しポットを手に取ると、先生のコップに注き始めた。 硯がコップから手を引くと同時。先生の手が入れ違い、それを口に運んでいく。 何気ないやりとりだったが、タイミングがピッタリな辺り、二人の長い付き合いを感じさせた。 「まあ、こーいうのもなんだけど、 アタシって家事はてんでダメなのよね」 「だから、硯についつい甘えちゃってねー」 「気が付いたら、身の回りのこととか 全部任せっきりになっちゃってたのよ」 「ほら。アタシってばグータラじゃない?」 「……硯はどう思う?」 「ええぇっ!? あ、いや、その……え、えっと……」 「す〜ず〜りぃ〜〜。 そこは『そんなことありません』って 否定するところー」 「はっ! す、すみませんっ! で、でも先生、片付ける片付けるって言って ゲームばっかりじゃないですか」 「あー……」 「あはははは♪」 「すずりー、そこのリモコンとってー」 「後片付けー? 分かった分かった。あとでするからー」 「あははははー♪」 今の二人のやりとりで、ものぐさ先生の私生活が想像できてしまう。 というか、想像というにはあまりにもリアル過ぎてイヤになるぞ$ 「幾らなんでも、それは語弊があるわよー。 アタシだって片付けぐらいできるもん」 「何でもかんでも押し入れに押し込むのは 片付けとは言いません!」 「とまあこんな感じで、 硯は家事に関してはちょこ〜っとだけ厳しいから。 あまり怒らせないようにね?」 「この子ってば……怒ると怖いんだから」 「せ、先生っ!!」 「へ、そうなんですか? とてもそうは見えませんけど……」 「だから怒ると怖いのよ。 硯が怒るとねぇ……」 「ご飯のおかずを1品減らしたりするんだから!」 「えっ、えええぇぇぇえーーー!? そ、それは恐ろし過ぎますぅーーぅ!」 「というか、 それってピンポイント過ぎません?」 どちらかって言うと、ななみ専用のお仕置きって感じだが。 「要はその人に合わせて 最も効果的なお仕置きをするってこと」 「アタシも片付けができなかったから、 1週間ゲーム禁止令を受けちゃって……」 「グータラというかものぐさというか、 ただの子供じゃないですか。 なあ、硯?」 「えっ? あ、はい……あっ」 「硯ってば、ひーどーいーぃ」 「おっはろー♪ いやー、久々にアツくなれたわー!」 夕食時間も半ばを過ぎた頃、妙に清々しい笑顔を浮かべながらりりかが降りてきた。 「アツくなったじゃないです! こんな時間まで何してたんですかー?」 「ごめんごめん。 久しぶりにハイスコアを更新しちゃってさ。 なかなかやめられなかったのよ」 「おっ、今日はカレー? オーケーオーケー! ナイス判断よ、すずりん!」 「すぐに用意しますから、 少し待っていてください」 「ついでにアタシのもおねが〜い」 「はい」 「お待たせしました」 「アタシのはどっちー?」 「先生のは――」 硯が指差そうとした矢先、さっと伸びたりりかの手がカレーを掻っ攫った。 「っ!!」 「いっただきまーーす!」 「り、りりかさんダメです!! そっちは……ッ!!」 「あー……ぱくっ」 「あっ」 「もぐもぐ……んー、美味しーー@ やっぱりすずりんの料理はホント……ガジッ」 何かを齧ったような音が聞こえた直後、ぴょこっとりりかの口から噛み切れた唐辛子が飛び出した。 よ、よりにもよって、唐辛子を丸齧りしたのか……。 「ん〜? なによコレ……っっ!?!?」 ぎゃああああぁああぁああぁあぁぁぁっっ!! 「ぎゃああああぁああぁああぁあぁぁぁっっ!!」 「り、りりかさーーん!!」 「と、とーまくん……。 人って本当に火が吹けるんですねー……」 「みたいだな……」 「ワザとだったりして。 夕飯に遅れた月守さんへのお仕置きとか」 「そ、そうなんですかぁ!?」 「ち、違います!!」 「……こんなところか」 真っ黒になった雑巾をバケツに放りつつ、ピカピカになったカペラを見下ろす。 最近、店のことや夜の訓練やら忙しくて、まともに洗車してやれなかったからな。 「…………」 夕食後、気分転換にこなしたカペラの洗車。 新車同様に綺麗になった〈カペラ〉《相棒》だが、俺の胸はモヤモヤしたままだ。 「先生の言う通り、 確かに嫌われてないとは思うが……」 けれど、彼女が俺のことをどう思っているのかよく分からない。 かと言って本人に直接聞こうと思えば、パニくって答えてくれないだろうし。 「んー……」 「ココっ!!」 「ん?」 「ここっ! くるーくるー!」 「なんだトリか。 こんな時間にどうしたんだ?」 いつもならツリーハウス頂上の小部屋で寝てるはずなのに。 「くるくる! ここっ、くーるるーくる!」 「裏庭に誰かいる? 寝ぼけてるんじゃないか?」 「くるる! くるくる! ここっ、こーこー!」 「いてッ、痛いってッ! わーった、わーったから! 見に行けばいいんだろ、見に行けばっ」 「くるくる! ここっ、くるーー!」 「あれは……」 広い星空を泳ぐ一筋の光。 流れ星かと思ったが違う。 あの光は間違いなくルミナだ。 「……どうやらお前の言う通り、 誰かいるみたいだな」 「くっく!」 「あれは……」 「……ふぅ」 「硯……?」 ユール・ログを片手に佇んでいる。 もしかしてこんな時間に一人で訓練か……? 「きゅっきゅきゅーー」 「っ!? 待てトリ!」 「ぎゅっ!? ぐぅぅーー!!」 「このバカ!! いきなり出ていこうとするなって!」 きっと硯のことだ。驚いて調子を崩すに決まってる。 「…………」 だが、硯は俺達に気づいた様子はない。 彼女の目はぶれることなく、ツリーハウスを見上げていた。 「あれは……」 ツリーハウス最上階にある小部屋。 その軒下には靴下が吊るされていて、夜風に揺れている。 まさかこの距離から狙うつもりか……? 〈本番〉《イブ》を想定しているにしては、あまりにも距離がある。 「すぅ……――」 「…………」 静かに呼吸を整えて、その目で小さな的を見据えながら。 硯はゆっくりと光の弦を引き絞った。 真っ直ぐに的を見澄ます瞳に迷いはない。 微動だにせず弓を構える姿に思わず見蕩れそうになってしまう。 「…………っ」 小さな呼吸音すら消え、彼女の周りが静寂に包まれていく。 張り詰めた空気。たった数十秒が1時間にも感じられる中で。 「……!」 ――静かに矢が放たれた。 一筋の鋭い光線は、折り重なる枝葉の隙間を潜り抜けて。 まるで当たることが決まっていたように、小さな靴下に吸い込まれた。 「……はぁぁ」 溜め込んでいた息を吐き出した瞬間、静寂な空間が音を取り戻していった。 「…………」 「きゅー……」 「お前も見惚れてしまったか?」 「ここっ!!」 「……ふぅ」 「こんな夜遅くまで精が出るな。硯」 「ッ!?!?」 「お疲れさん」 「きゅっきゅきゅー♪」 「な、中井さんっ!? それにサンダースまでどうして……!」 「裏庭に誰かいるってトリがな。 それで様子を見に来たんだ」 「……じゃあ、もしかしてずっと……?」 「ああ、少し見学させてもらった。 集中してたようだし、 邪魔するのも悪いと思ってさ」 「綺麗だったぞ、硯。 思わず見惚れてしまった」 「っ!! き、綺麗だなんてそんな……っ」 「はぅ、あぅあぅ……っ」 「しかし、改めて見ても凄いな」 硯が狙った場所から見上げると、彼女が狙っていた靴下が辛うじて見える。 ここから距離もある上に、入り組んだ枝葉が的をより小さいものにしている。 だが見ていた限り、彼女が射た矢は全て靴下に命中していた。 それも明かりがまともにないこの状況で、だ。 「なあ硯。もう一回やってみせてくれないか?」 「えっ?」 「も、もう一回ですかっ? そんな何度も見るほど珍しいものじゃ……!」 「謙遜するなよ。 この状況であんな小さな的を射るなんて そうそうできない芸当だぜ」 「きゅきゅ! きゅっきゅくるー!」 「トリだって言ってるぞ。 もう一回見せてくれってさ」 「くるっ!」 「うぅぅ……わ、分かりましたっ!」 「そ、それじゃあ……行きますっ!」 夜風に靡く的に向けて構える。 けれど、じっと見ている中井さん達の視線が気になってしまって、集中することができない。 「(お、落ち着いて柊ノ木硯!  いつも通りにっ、いつも通りに……!)」 ゆっくりとルミナが弓を包み込んでいく。 けれどいつもなら淡い光を放つそれは強弱をつけ、不安定に明滅を繰り返していた。 「(よ、余計なことは考えないっ。  今は矢を射ることだけに集中……!)」 しかし光は収まらないまま六角形の結晶を作り始めていく。 「っ! だ、ダメ……!!」 「……雪だるま?」 「くーくー」 「……え?」 「あっ、あああぁぁぁぁっ!? ちち、違うんです! これじゃないんです!!」 「も、もう一度……」 「さっきより凛々しくなったな、雪だるま」 「くー」 「きゃああああぁぁぁっ!!!」 「うぅぅ……」 「わ、悪かった硯。 ちょっと緊張させてしまったな」 「くるくる。くるー」 「いっ、いえ……。 サンダースもありがとうございます」 ぽんぽんと肩を叩くサンダースと、そんなトリに礼を言う硯。 微妙にシュールな光景だ。 「それにしても、 いつもこんな遅くに訓練してたのか?」 「はい。 流石に毎日というわけにはいきませんが」 「熱心なのは結構だが、 オーバーワークは感心しないぞ?」 「大丈夫ですよ。 調子が優れない時はちゃんと休んでますから」 「それに今の訓練量じゃ、私には足りません」 「足りない?」 「今のままじゃ本番で中井さんの……、 皆さんの足を引っ張ってしまいます」 「……だから時間を作って、 自主訓練を日課にしていたのか?」 硯は小さく頷いた。 「私はまだまだ未熟ですから。 本当ならもっと訓練しないといけないのに……」 ぎゅっ、と胸元で拳を握り締めながら、彼女は視線を頭上へ向けた。 硯の目は無数の煌きを浮かべる濃紺の空へ。俺と彼女の間を冷たい夜風が吹き抜けていく。 空を見つめる彼女は思いつめたように真剣で、でもどこか心細そうだった。 「? それは?」 「これ、ですか?」 ポケットから取り出したのだろうか。彼女の手には、可愛らしくデフォルメされたサンタの人形が収まっていた。 その人形を見ているとどことなくある人物を連想させてくれる。 「ここに来る前に、先生から貰ったんです。 こうしてると落ち着くことができて……」 「ほー……なんというか、 微妙に先生っぽい人形だな、それって」 「くすくす。 やっぱり中井さんもそう思いますか?」 俺が考えている以上に大切なものなのだろう。人形を見つめる彼女の眼差しはとても優しい。 「…………」 だから俺はそんな彼女に少しだけ寂しさを覚えた。 今の硯が信頼し、頼りにしているのは目の前の俺ではなく、元パートナーであり師である先生だと分かったから。 「先生って言えば、 あの人、硯の保母さんだったんだってな?」 「知ってたんですか?」 「少しだけな。 以前、先生と色々話す機会があって、 その時に教えてもらったんだ」 「まっ、俺としては付き合い云々よりも、 あの先生が保母だったってことに驚かされたが」 「確かに普段の先生からですと、 そう見えないかもしれませんけど……」 「私達の間じゃ大人気だったんですよ? とても優しくて面倒見もよくて」 「面倒見が……良い?」 三度の飯よりも酒とテレビ、ゲームが好きと公言するあのグータラ先生が? 「その先生がサンタさんだって分かった時、 私、本当に驚いてしまって……」 「そう言えば、 硯はどうやって先生がサンタだって知ったんだ?」 「先生が私の所に来てくれたんです。 その、イブの夜にサンタとして」 「私……どうしてもサンタになりたかったんです」 「自分なりに色々調べて、 サンタさんに手紙を書いて、それで……」 「……驚いたな。俺とほとんど同じじゃないか」 「同じ、ですか?」 「俺もサンタに手紙を出したのさ。 『トナカイになって空を飛びたい』ってさ」 「学校の図書館とか利用してさ。 どうしたらサンタに会えるのかって、 朝から晩までずっと調べて」 「あ、私もそうです!」 「自分なりに沢山資料を集めたりして……。 とは言っても、絵本ばっかりだったんですけど」 「あとプレゼント用に、 新しい靴下をおろしたりしてな」 「サンタさんが来てくれるまで、 寝ないでずっと待ったりしてました」 「サンタさんの顔を見た時は、相当驚いただろ?」 「それはもう」 「絵本に出てくるようなヒゲのおじいさんじゃなくて、 担任の先生がやってきたんですから」 「やっぱサンタと言えば髭だよな。 その点、ボスは正統派で……」 「どした?」 「その……中井さんって サー・アルフレッド・キングのような人が 好みなんですか……っ?」 「なぜそんな話になる!?」 「だっ、だってその……、 ななみさんが教えてくれたんです」 「中井さんの嗜好は非常に特殊だけど、 偏見の目を持たずに接してあげて、と……」 「硯までななみ達に毒されないでくれ!」 「中井さんは……」 「ん?」 「どうしてトナカイになろうと思ったんですか?」 「え?」 突然の問いに思わず言葉が詰まる。 そんな俺の反応を勘違いしたのか、硯は表情を曇らせていった。 「あっ……す、すみませんっ。 いきなり変なことを聞いてしまって」 「いや、別にヘンなことじゃないさ」 「ただ硯から俺のことを聞いてくるなんて、 初めてだなって思ってな」 「……そうでしたか?」 本人にその自覚は無かったらしい。 また少し距離が縮まった気がして胸が温かくなってくる。 「……前にも話した通り、 俺はパイロットだった親父と空に憧れて トナカイになった」 「……けど、本当はそれだけじゃない」 「俺は……吹っ切りたいのさ」 「吹っ切りたい……?」 「時々思い出してしまうんだ。 夜の海に墜落した親父のことをな」 何年経っても決して色褪せない。 目を閉じればバラバラになった親父の機体と、光の届かない暗い海と波間。 「俺はそれを吹っ切るために飛んでる。 勿論、空を飛ぶことが好きってのもあるけどな」 「そうだったんですか……」 「そういう硯はどうしてサンタに?」 「わ、私は……」 今までと打って変わって、硯の表情が曇り始めていって。 優しかった目は、どこか思い詰めたように真剣になっていた。 「私には……プレゼントを 〈届けなければいけない〉《・・・・・・・・・・》人がいるんです」 「届けなければいけない……?」 こくり、と彼女は言葉なく小さく頷いて、小さな口を閉ざす。 それがこれ以上の問いを拒絶している気がして、俺も突っ込んで聞こうとは思わなかった。 トナカイになってから、今まで色んなサンタを見てきた。 サンタになった人間は当然として、これからなろうとする人間も、全ての人間が努力家だった。 けれど……。 『プレゼントを届ける』その一点のために、ここまで努力するサンタを他に見たことがない。 だから……。 「……その人は、 硯にとってかけがえのない人なんだな」 「……はいっ」 「――さて、と」 「中井さん?」 「ちょっくらカペラ取ってくるから、 ここで待っててくれ」 「え?」 「どうせなら実戦形式でやったほうが、 訓練になるだろ?」 「やっ、やっぱり、 私の訓練に付き合ってもらわなくても……!」 「いーや、こればっかりは俺も付き合わせてもらうぜ」 「こここ、ここっ!!」 「さ、サンダースまで……”」 「ケチつけるつもりはないが、 一人で射的訓練しててもしょうがないだろ?」 「地上からプレゼントを配るわけじゃないんだ。 ちゃんと飛行訓練もこなして、 飛びながら射られるようにしないと」 「うっ……」 「それに俺達はペアなんだ。 なのに一人で訓練するなんておかしくないか?」 「ペア……」 『ペア』という中井さんの言葉が、すぅっと私の胸を軽くしてくれた。 これからは私の訓練に付き合う。言外にそう匂わせる中井さんがとても心強い。 けれど同時にパートナーとして彼の足を引っ張りたくなかった。 だから私は―― 「ょ……く……し……す」 「? なんか言ったかー?」 緊張する身体を落ち着けて。 こ、今度こそ……! 「よ、よろしくお願いしますっ!」 「おう。こちらこそ、よろしくな!」 「きゅっきゅきゅー!」 「んじゃ早速だが、まずは軽く流していくか」 「は、はい!」 冷え込みが厳しくなった頃、俺達は訓練を切り上げ、部屋に戻ろうとしていた。 「今日は本当にありがとうございました。 こんな遅くまで訓練に付き合ってもらって……」 「いいさ。 それに最後は硯を付き合わせる形に なってしまったしな」 自分が思った通りの〈滑空〉《グライド》が出来ず、何度も硯を乗せて飛行を繰り返したのだ。 訓練を切り上げたのは、ミラーごしに硯の大きなあくびを見たから。 「無理に付き合わせて悪かったな。 疲れただろ?」 「っ! そっ、それはもう言わないでください……っ!!」 恥ずかしそうに顔を背ける。そこに俺に対する硬さは残っていない。 お互いに話し合えたことが良かったのかもしれない。 「それじゃお休み、硯。 しっかり休むんだぞ」 「あ、あの……っ、中井さんっ!」 「ん?」 「そ、その……」 「――す、すみませんでしたっ!!」 いつにも増して緊張した表情のまま、硯は俺に向かって深々と、それこそ地面に頭をくっ付ける勢いで頭を下げた。 「お、おいっ、急に何だか分からん! というか、まずは頭を上げてくれっ!」 「は、はい……」 「それで、いきなりどうしたんだ?」 「え、えぇっとその……っ、 私……中井さんに謝りたくて……」 「俺に?」 「私……仕事でも訓練でも、 中井さんには助けてもらってばかりなのに」 「それなのに私……お礼も言わず、 避けるようなことばかりしてしまって」 「……ああ、それでか」 「このままじゃダメだって思ってたんです。 でも……か、顔を合わせようとすると……っ」 「ついつい避けてしまった……と」 硯は小さく頷くと、そのまま顔を隠すように俯いてしまう。 さらり、と揺れた前髪の隙間から申し訳なさそうな顔が覗いて見えた。 「別に気にしてないさ。 先生にも聞いたが、 今まで異性に慣れてなかったんだろ?」 「そ、それもあるんですけど、 でもそれだけじゃないんです……」 「? というと?」 「せ、先生が言ってたんです」 「と、トナカイとサンタのコンビが異性同士だと、 そのまま……こ、恋人に発展することが多いって」 「……ああ。 そんなジンクス聞いたことあるな」 サンタは俺達トナカイとコンビを組んでプレゼントを配達して回る。これが基本的なスタイルだ。 それが〈異性〉《男女》だった場合、仕事上の付き合いから恋人関係に発展することが多いというジンクスが一時囁かれた。 俗にいう『つり橋効果』ってヤツだが、実際にコンビを組んだ同士が結婚することもあって、特に女性の間で話題になっていたが……。 「わわ、私……男の人とは 授業時間ぐらいしか話したことなくて……っ!」 「く、訓練の時も先生以外の人と 組んだことありませんでしたから……っ」 「だ、だからその……っ、 私……どうしたらいいか分からなくてっ」 ……全てはサンタ先生のせいか$ 「いくら何でも考えすぎだって。 コンビを組んだからって 何でもジンクス通りになるなんてないから」 「は、はい。 先生にもそう言われました……っ」 「根拠のない噂に振り回されて、 中井さんには迷惑ばかりかけて……」 「そんなの気にしてないさ。 それに男と組むのも初めてだったんだろ?」 純真な硯なら、噂を真に受けてしまうのも分からなくはない。 「ゆっくりでいいから、 これから慣れていってくれればいいさ」 「……はい。ありがとうございます」 どこか安心したように、ふんわりと柔らかな笑みを浮かべる。 ななみのような快活な笑顔とは違う、上品という言葉がぴったり当てはまる微笑みだ。 「あの……どうかしましたか?」 「っ!」 不意に頬が熱くなるのを感じて、思わず距離を取る。 「なっ、なんでもないッ」 や、やばかったっ!気づかないうちに、硯に見入ってしまってたっ。 「?」 「あっ、それからさ……」 「はい?」 「そろそろ、 俺のことも名前で呼んでくれないか?」 「え? で、でも……」 「年上とかそんなことなら気にするな。 先生だってそう言ってただろ?」 「それにコンビを組んでる仲なんだ。 いつまでも俺に遠慮しないでくれよ」 「……わ、分かりましたっ。中井さ――」 「とうま」 「す、すみませんっ! と……ととっ、ととと……っ!」 「と、とうま……さん……っ」 「名前を呼ぶだけで、 そんな恥ずかしがってどうする$」 「す、すみません……はぅぅっ”」 「というわけで、ワンスモア」 「ええぇぇぇっ!? も、もう一回ですかっ!!?」 「繰り返さないと慣れないだろ? ほらもう一回もう一回」 「ううぅぅぅ……っ!」 「……ふぅ」 硯と別れた後、部屋に戻った俺は、開放した窓から夜の風を浴びていた。 「……届けなきゃいけない人、か」 目を見れば分かる、硯の強い決意。いや、強すぎるといってもいいくらいだ。 だからだろうか。あの時の硯は少し危うく見えた。 「……ちゃんと見ておかなきゃな」 先生に代わって。 それが硯のパートナーであり、俺のトナカイとしてのこれからの仕事なんだ。 「おはよーございます。 おねぼーとーまくん♪」 「……ななみ?」 いつも通り身支度を整えてリビングに下りると、そこには珍しくななみの姿があった。 「驚いたな……。 今日は随分と早いじゃないか」 この日、いつも行われる朝のスパルタ鍛錬は多忙なボスの都合で中止された。 サンタ達にとっては久しぶりののんびりとした朝だ。てっきりぐーすか寝てるものだと思ってたが。 「あったりまえじゃないですか! いくらお休みだからといって、 生活リズムを崩すわけにはいきませんからね」 「というか、とーまくんが気を抜きすぎなんです。 もう何時だと思ってるんですか!」 「何時って……まだ8時前じゃないか。 十分に早い時間だろう」 「それに、まだお寝坊さんが残ってるようだし――」 「グッッモーニーーン! えぶりばでぃーー!」 「なっ!?」「えっ!?」 「なっ、なによ……?」 「り、りりか……なのか?」 「は? あたし以外の誰に見えんのよ? もしかして寝ぼけてんの?」 「……ななみ!」 「はい!」 「雨は……!」 「……降ってませんね」 「どーいう意味だごらああぁぁーーー!!」 「きゃあああぁぁああぁぁああーーー!!」 「ったくもー!! 二人してホンっトーに失礼よね!!」 「す、すみません。 でも痛すぎです。りりかちゃん」 「しかし、金髪さんまで早起きしてくるとは……」 「あたしだって早起きぐらいするわよ!」 「ちょーっと時間かかっちゃったけど、 こっちの時差にも慣れてきたトコだし」 「ちょーっとじゃなくて、『かなり』だろ? 帰国子女っていうのも分かるけど、 日本語は正しく使おうぜ?」 「うぐっ……ぎぎぎぎー!」 そんな他愛のない話をしていると、朝の支度を済ませた硯がキッチンから顔を覗かせる。 「おっ、おはようございます。 な……冬馬さん」 「……えっ?」 「おう、おはよーさん。硯。 今日も朝から豪勢だな」 「い、いえ、そんな。 簡単なものばかりですから」 「…………」 「あとは並べるだけか……俺も手伝うよ」 「え? だ、大丈夫ですよッ。 ここは私一人で十分で……」 「遠慮するなよ。 それに二人でやった方が早いだろ?」 「……すみません。 それじゃあお願いします」 「おお、任せとけ」 「むぅ……」 「いっただっきまーーす!」「いただきまーーす」「いただきます」 テーブルには白いご飯と豆腐と卵の味噌汁。さらにホッケの開きとお浸し。 そしてテーブルの中央には、玉葱とキュウリのツナサラダがこんもりと器に盛ってある。 「あっ、と、冬馬さん。 そのお浸しはお醤油をかけた方が 美味しくなりますよ」 「おお、ありがとう」 「い、いえ」 「ふーむ……」 「あ、あの……冬馬さん」 「ん? ……ああ、コレか」 「はい、ありがとうございます」 手元に置いたままだった共用のドレッシングを硯に手渡してやる。 「ふ〜〜ん……」 「? どした?」 「……べっつにー」 「?」 「冬馬さん、おかわりは……」 「あ、頼むよ」 「はい……どうぞ」 「じ〜〜〜〜〜〜……」 「ごちそうさまでした」 「ごめん、すずりん! 今日だけ後片付けお願いしていい?」 「かまいませんけど……何か用事ですか?」 「ちょっとだけ、国産と話があってね。 ぱっぱって済ませちゃうから!」 「俺に?」 「そうよ。 というわけでこっち来なさい」 「お、おいっ。急に一体……」 「いいから!」 「?」 「さて……。 とっとと白状してもらいましょーか」 「(コクコク!)」 「白状って……何をだよ?」 「とぼけようとしても、 そうは問屋はオイシイですよ!」 「卸さない、だ。 良いこと言ったみたいな顔するな」 「シャラーーーップ!! ピンク頭は隣で黙ってなさい!」 「さあ、さっさとゲロんなさい。 ……すずりんと何があったの?」 「何がって?」 「とぼけないの。 いつの間にかお互い名前で呼び合ってるくせに」 「今までの硯ちゃんだったら、 どこかとーまくんに遠慮してたのに……。 一体どうしたんですか?」 「……あー、そういうことか」 「まあ、何というか、 お互いに誤解が解けたって言えばいいか」 「誤解……ですか?」 「詳しいことはまた今度話すさ。 それよりも、そろそろ店の準備をしないと」 「あっ、ちょっと……!」 「あ、皆さん。 お話はもう…………?」 「じぃ〜〜〜〜……」 「…………$」 「あ、あの……何かあったんですか?」 「なんでもないさ。 それよりも俺も片付け手伝うよ」 「は、はい」 「っと……」 今にも破れそうなくらい、膨らみきった買い物袋をテーブルに下ろす。 いつものように硯と買い出しをこなし、家に戻ってきた頃、辺りは夕闇に染まりつつあった。 「それにしても、また買い込んでしまったな」 残っていたはずの材料をメインにするつもりで買い出しに出たはずなのに、気づけば風船みたいにぱんぱんな買い物袋が4つ。 「す、すみません。 あまりに安かったので、つい……」 「まっ、それを言うなら俺も同じさ」 テーブルに並んだビニール袋の中には、酒瓶で破けそうになっているものもある。 まさか地方酒の販売会に遭遇するとはな……。ついつい財布の紐が緩んでしまった。 「それで、今日は一体何をご馳走してくれるんだ?」 「新鮮なシロザケが手に入りましたから、 久しぶりに魚料理にしてみようと思ってます」 「鮭のムニエル、大根おろしであっさりソテー。 あ、ハーブを使ってステーキ風にするのも……」 ごくり。 呪文のように口にするメニューどれも〈酒菜〉《さかな》にぴったりなものばかり。 これはもう、こちらも極上の酒で迎えてやらねばなるまい! 「あとは……あっ、す、すみませんっ! すぐに支度しますから」 「もしもし……あ、先生。 どうかされたんですか?」 「え……い、今からですか?」 先生に対しては明るい表情を見せる硯が、表情を暗く曇らせていくと、伺うようにこちらへ視線を向けてきた。 「どうかしたのか?」 「その……先生が、 今からロードスター邸まで来てほしいと」 「来てほしいって……今からか?」 夕暮れを迎えたこの時間に呼び出しとは、なんだか穏やかじゃないな。 「なんでも急な用件らしくて。 電話では話しづらいことだって……」 「なら考えるまでもないな。 行ってくればいい」 「で、ですけど夕食の支度が……」 「多少遅れたって大丈夫さ。 それにいざという時は俺がやっておくから」 「と、冬馬さんが……ですか?」 「まったく作れないってわけじゃないんだ。 いざとなったら皆にはカレーでも食わせるよ」 「……分かりました。 それじゃ先生、今からそっちに行きます」 「いえ……はい、分かりました」 「それじゃあ後はお願いします。 出来るだけ早く帰るようにしますから」 「ああ、用件が済んだら連絡してくれ。 こっちから迎えに行くからさ」 「ありがとうございます。 じゃあ、行ってきます」 足早に外へ出ていった硯と入れ違いに、ななみとりりかがフロアから顔を出してきた。 「あれ? もしかして今、 硯ちゃん出ていきませんでした?」 「さっき先生から呼び出しを受けてな。 ロードスター邸に顔を出しに行った」 「ええぇぇっ!? じゃあ夕飯どーすんのよぉ!!」 「時間も時間だし、そう遅くはならないだろ。 少しぐらい我慢しろって」 「むぅ〜〜……はぁぁ。 先生からの呼び出しならしょーがないっか」 「そういうことさ。 ほら、さっさと店仕舞いしようぜ」 「はぐぅぅ〜〜……」 「エネルギー切れですぅ。 もぉ動けましぇぇぇん……」 「午後8時……。 幾らなんでも、すずりん遅すぎない?」 「用事に手間取ってるんだろ。 相手はあのグータラ先生だからな」 「ううぅぅ……硯ちゃん硯ちゃん。 早く帰ってきてくださぁ〜〜い」 「そろそろ帰ってくるさ。 遅くなるようなら連絡してこないわけ――」 「国産、電話よー」 「硯ちゃんからですか!? きっとそうですよ! これから帰るって電話ですよ、きっと!」 「俺はそこはかとなく、 イヤな予感しかしないんだがな」 「もしもし、きのした玩具店で――」 「す、すみませんっ中井さん!」 受話器の向こう側からはいい具合にテンパった硯の声。 相当混乱しているのか、呼び方も以前の『中井さん』に戻っている。 「オーケーオーケー。 まずは深呼吸でもして落ち着け」 「は、はい……すぅぅ……はぁぁ。 すぅ〜……はぁぁ……」 「で、どうしたんだ?」 「え、えっとその……すみません! 先生との用件がまだ片づかなくて、 遅くなりそうなんですっ」 「で、ですから、申し訳ないんですが ご飯は先に皆さんで済ませてください」 「分かった。 こっちは心配しなくていいからな」 「どうだったんですか!?」「どうだったの!?」 「あー……その、なんだ。 硯はだな……」 「硯ちゃんはっ!?」「すずりんはっ!?」 「……遅くなってしまうそうだ」 「ががぁぁあああーーん!」 「もーダメです。 今、全ての夢と希望が〈潰〉《つい》えてしまいました」 「サンタがそんな物騒なこと言うなよ」 「ったく。腹が減ったのは分かったから、 その情けない腹の音を少しは抑えてくれ」 「今のは私じゃありませんよぉ。 とーまくんじゃなかったんですか?」 「俺だって違うぞ」 ななみと顔を合わせ、首を傾げる。となると有り得るのは……。 「……! なっ、なによぉ……!!」 「じぃ〜〜〜〜〜〜〜〜ぃ……」 「うっ、うぐ……っ」 「し、しょうがないじゃないのよっ! あたしだっておなかぐらい空くわよ!!」 「あっ……ダメ」 ぱたり、と壁に手をついて身体を支えるも、月守もヨロヨロと床に座り込んでしまった。 「おなかすいたーー」 「こーなったら……国産! アンタが責任とりなさーーい!!」 「は?」 「料理当番のすずりんがいない以上、 そのパートナーである国産! アンタが何とかするべきものよーー!!」 パートナーである俺が、か。確かにりりかの言うことも分かる。 それに俺が料理できると分かれば、硯も……。 「よし分かった。俺に任せておけ」 「え??」 「なんだその反応は?」 「あたしはバーガータイムまで パシってもらおうと思ってたんだけど」 「そう言えば、 とーまくんって料理できたんですよね」 「前に話した通り、簡単なものならな。 それも男臭い料理」 硯の鮭料理が食えないのは残念だが、今はそんなことも言ってられない。 「この際だから、男臭くても何でもいいわ。 それで何を作ってくれるの?」 「硯直伝! 家庭で作れるうまからカレー……」 「きゃーーっかぁああ!!」 「却下却下きゃーーっか!! カレーだけは絶対にダメ!! 断固絶対許さないんだからーーー!!」 「お前さっき何でもいいって――」 「カレーだけはダメなのもうムリなの絶対! 唐辛子なんて丸齧りしたくないし、 火も吹きたくないのよぉーー!!」 「お、落ち着いてくださいりりかちゃん!」 「カレーコワイカレーコワイ……ガクガクブルブル」 どうやら先日の夕食で、深いトラウマを刻んでしまったらしい。 「よしよし……りりかちゃんは 何か食べたいものとかありますかー?」 「……チャーハン」 「チャーハンですかぁ……いいですねぇ。 卵と一粒一粒絡んだ黄金色のパラパラご飯。 美味しそうですぅ……じゅるり」 「水を差すようで悪いが、 作り方は知ってるが、作ったことはないぞ」 自炊する時は基本長期間保存が利くカレーばっかり作ってたからな。 「モーマンタイですよ! チャーハンなんて 具材刻んで炒めるだけじゃないですか!」 「それにこの際だから、ちゃっちゃと作って レパートリーに加えちゃいなさいよ」 どうやら目の前のお姫様がたはチャーハンを食べる気満々のようだ。 「まったく……どうなっても知らんぞ」 「さてと……まずは適当に具材を刻んで」 「……こんなもんか。 次にフライパンに油を敷いてご飯を投入、と」 「ああっと……卵を溶かないと」 卵を割って溶き卵にし、油に浸ったご飯に流し込んでいく。 さらに刻んだ具材を放り込んで、味付けに塩コショウを適当に振りかけて。 「あとは満遍なく火を通せば完成、と」 確かテレビで見た時は、鍋を大きく振って混ぜていたな。 「確かこう……手首を」 「うおぉぉっ!? 火柱がっ!?」 油の量を間違えた!?いや、テレビでもこれぐらいは上がっていた! 「……これは会心の一食かもしれないぞ!」 「待たせたな、お嬢ちゃん達」 「ワクワク♪ ワクワク♪」 「おーそーいー。 チャーハンに時間かけすぎよー」 「そう言うなよ。 ホラ、出来立てのホヤホヤだ」 「……ナニコレ?」 「なにって……チャーハン?だ」 「なんで疑問系なのよ!?」 「チャーハンって……こんなのでしたっけ?」 りりかがレンゲ片手に怒鳴る一方で、ななみは観察するようにチャーハン?を凝視していた。 「失敗作……とかじゃないのよね?」 「そんなわけないだろ。 正真正銘、俺特製のチャーハン?だ」 「確かに見てくれは悪い! それは俺も認める。 だが味のほうは折り紙つき(のはず)だ」 「だから今は黙って食ってくれ!」 「ほらほら、りりかちゃん。 とーまくんもこう言ってるんですから、 食べてみましょーよ!」 空腹に耐えかねたのか、渋々といった感じでチャーハン?と向き合う。 そのまま二人はレンゲでご飯を掬い……。 「あーむ……」 「んんっ!?」 「どうだ!!」 「ぶーー!!」 「おいこら!! なんだその非常に分かりやすいリアクションは!?」 「はぁぁ……」 ようやく夕飯の後片付けを終えた俺は、椅子に腰掛けるなり、溜め息を漏らした。 「す、すみませんっ。 ただいま戻りましたっ!」 「お、おう。おかえり。 随分と時間がかかったな」 「その、少し込み入った話になってしまって……。 ご迷惑をおかけしましたっ!」 「かまわないさ。 メシはもう済ませたのか?」 「はい。先生の所で……あっ!」 「今日は本当にありがとうございました。 夕食の支度を引き受けてもらって……」 「あー……そのことなんだが」 「はい?」 「……頼む! 俺にも料理を教えてくれないか?」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「え?」 「実はあれから夕飯を作ったには作ったんだが……、 失敗してしまってな」 「失敗? そんなに難しいものを作ったんですか?」 「いや、簡単なチャーハンさ」 「作ったことはなかったんだが、 作り方は知ってたからやってみたんだが……」 「失敗してしまった……?」 「ななみ達が言うには、 油をそのまま飲まされた気分だったらしい」 「あ、油を……$」 油の量を間違えたせいか、米は卵ではなく油でコーティングされ、ベチャベチャになってしまっていた。 確かに自分で作っておいてなんだが、食べられたものじゃなかった。 「結局、ななみは買い置きの茶菓子。 金髪さんは残っていたスライスハムで ご飯を済ませてしまって……」 「冬馬さんはどうされたんですか?」 「……自分で作ったモンを残すなんて、 そんなマネできないだろ……うぷっ」 「だ、大丈夫ですか?」 「あ、ああ……すまん硯。 引き受けておきながら、この体たらくだ」 「俺がもう少し上手くやれれば、 ラクさせられたんだが……」 「え……?」 「あ、あの……っ、 そ、それって、もしかして……私を……?」 「あー……いや、なんだその」 知らず知らず滑っていた自分の口。硯の顔を見ていられなくなる。 「あ、あの……冬馬さん」 「あ、ありがとうございます……。 その……私のこと、考えてもらって」 「あ、ああ……。 まっ、カッコついてないけどな」 これでまともな晩飯を用意できていれば、硯の礼も素直に受け止められただろうけど。 「だ、だからさ……頼むっ。 俺にちゃんとした料理を教えてくれ!」 両手を膝につけて、硯に向かって深く頭を下げる。 「…………」 「……わ、分かりました! 私でよければ、お教えしますっ」 「本当か!?」 「は、はい。 明日の朝食から手伝っていただけますか?」 「了解だ。 よろしく頼む、先生!」 「せ、先生は止めてくださいっ!」 「そっ、そそそっ、それではっ! これから朝食をつつ、作りたいと思いましゅ!」 「そ、そんな硬くならないでくれ” 俺まで緊張してしまう」 「は、はいっ。 すぅ……はぁぁ……すぅ……はぁぁぁ」 「それで、今日は何を作るんだ?」 「えと……最近和食が続いてしまったので、 今日はパンをメインに洋食にしようと思います」 「パンですかー……。 具沢山のサンドイッチとかいいですよねー♪」 「そお? あたしはハムサンドとか シンプルなヤツが好きだけど」 「それとカボチャのポタージュスープに シーザーサラダ。 あとはデザートにリンゴを」 「カ、カボチャ? ……ふ、ふーん。中々美味しそうじゃないの」 「っていうか、今日の献立って 明らかに料理初心者の国産を気遣ったメニューよね」 「そんなつもりはなかったんですけど……」 「というかそこ、さっきからうっさいぞ」 顔を上げれば朝の支度を整えたななみとりりかがキッチンを覗き込んでいた。 昨夜の夕飯から一夜明けて、二度とあんな不甲斐ない真似をしないようにと、硯にお願いした料理教室。 それが今日から始まるとあってか、二人の目は興味津々とばかりにキラキラしていた。 「なーによー。 こっちはアンタのこと心配してあげてんのにー」 「面白がってるの間違いだろ。 冷やかしならお引き取り願おうか」 「はいはい。 まっ、期待しないで待っててあげるわ〜」 「とーまくんファイトです! 楽しみにしてますからねー♪」 「よし! それで、まず何をしたらいいんだ?」 「え、えっと……」 「じゃあスープは私が作りますから 冬馬さんはまずサラダをお願いします」 「分かった」 「そっちに剥いたジャガイモがありますから、 それを八等分にして水に浸してください」 「了解。任せとけ」 「っ! だ、ダメです! そんな持ち方じゃ、指を切ってしまいます!」 「こ、こう指を丸めて、 中指の関節に包丁の腹を当てて……」 「なるほど……こうか?」 「そっ、そんなに力を入れなくても 大丈夫ですからっ」 「んむ……中々上手くいかんな」 切れば切るほど、ジャガイモの形がいびつになっていく。 自炊でカレーを作っていた時は、切り口なんて拘ってなかったからな。 「すみません……。 私、人に教えたことがあまりなくて」 「単に俺がぶきっちょなだけさ……っと。 よし、ジャガイモ終わったぞ」 「じゃ、じゃあ……えっとっ、 そこのボールに卵を割ってもらえますか?」 「コレにだな? 分かった」 予め用意されていた卵を取り、ボールの中へ割っていく。 「その後、そこに牛乳大さじ1杯と 塩コショウを少し振りかけて……」 「少し……と」 「そ、そうです。 そのまま卵を溶いて……」 「こうか?」 「は、はい! お上手ですよ」 「まっ、これぐらいはな」 「……うん。あの様子だと大丈夫そうね」 「そうですね」 「……で、何をどうしたらこうなったワケ?」 「それが俺達にもよく分からん」 慌ただしい朝食の支度が終わり、テーブルは色とりどりの料理で埋め尽くされていた。 ハムとソーセージのミラノサンドにカボチャのポタージュスープ。 余り物のツナを加えたシーザーサラダに、ソーセージのオムレツ。そしてウサギを模して飾り切りされたリンゴ。 サンドの形がいびつだったり、オムレツに焦げた部分が見受けられるが、初めて作ったにしては上出来な部類だと思う。 しかし問題はそこではなく―― 「す、少し分量を間違えてしまって……」 「いや、少しじゃないからコレ。 明らかにあたし達だけじゃ食べきれないし」 「はぅぅ……」 「とっても大きなオムレツですね! 食べ応えがありそーです!」 「こんなレコードみたいなオムレツ、 あたし初めて見たわよ」 彼女の言う通り、一品一品がジャンボサイズになってしまった。 一体どこで分量を間違えたんだ? 「だいじょーぶですよ、りりかちゃん。 わたしに任せといてください!」 ぽん、とななみは自信満々に胸を叩いてみせる。今回ばかりは大食らいな彼女が頼もしく見えた。 「というわけで……いっただきまーっす!!」 「いただきまーーす」 「…………(ゴクリ)」 「……ちょっと食べづらいんだけど$」 「! す、すまんっ」「! す、すみませんっ」 「まったく……あーむ」 「ど、どうですか?」 「もぐもぐ……んぐ」 「……39点!」 「さ、さんじゅうきゅうてん…………」 「辛口な評価だな」 「初めて作るメニューだから、 形がいびつだったりするのはしょうがないけど……」 「なんというか……ちぐはぐしてるのよね。 同じ料理なのに場所によって微妙に味も違うし」 「そうですか? とっても美味しいと思いますけどぉ」 「アンタは何でもいいだけでしょ!」 ぎゃーぎゃーと騒ぐななみ達をよそに、見てくれの悪いオムレツを切り分けていく。 「…………」 口に運ぶたびに塩辛かったり、逆に砂糖が効きすぎて甘くなっている所もある。 味がちぐはくしている、か。確かにりりかの言う通りだ。 硯と一緒に作ったはずなのに……。 「んー……なぜだ?」 「さーてっと! みんな、今日も張り切っていくわよー!」 「了解!」 ――深夜。 朝食に続いて、微妙な夕飯で腹を満たした俺達は一日の締めとして夜の訓練をこなす。 放たれた光の矢がバルーンを貫き、内包されていたルミナが夜空へ広がっていく。 「よし、いい感じだぞ硯」 「はい……ッ! と、冬馬さん! 皆さんから遅れてしまってます!」 「っ! しまった!!」 アクセルペダルを踏み込み、先頭を滑空する真紅の影を追いかける。 「どうした、カペラの坊や。 〈御眠〉《おねむ》の時間にゃまだ早いぜ?」 「ぬ、抜かせ! まだまだこれからだぜ」 「鞭が入ってないから遅れちゃうのね。 すずりんっ、もっとしっかり鞭を入れて!」 「は、はい!」 「国産もすずりんの息をよく読んで!」 「分かってる!」 サイドミラーに目をやり、相方の様子をうかがう。 彼女は真剣な面持ちで、夜空を流れるルミナを読み取っていた。 「……冬馬さん!」 ……ここだッ!! 足に力を込め、深くペダルを踏み込む。 瞬間、リフレクターの振動とともにマフラーからの排気音が大きくなって―― 「うおぉっ!?」 「きゃああああっ!」 「なにやってるかーー!!」 ――早朝。 「セェェェェェーーーーィィッ!!」 「せぇーーーーい!!」 「せぇぇぇーーーい!!」 冷え込んだ朝の空気の中、威勢のいい声がこだまする。 久しぶりにサンタさん達と一緒に、俺もボスの訓練に参加したのだが……。 「次ッ、左正拳中段突き100回っ!! セィヤァァァァァーーーー!!」 「せぃやーーー!」 「セィヤァーー!!」 ……判断を早まったか。 明らかに以前よりも、訓練量がレベルアップしてる。 おまけに掛け声が小さければ、大きくなるまで同じことを繰り返させるときた。 「せ、せぇぇぇーーーい!!」 顔を横に向けると、そこには鋭い眼光を放つサー・アルフレッド・キング。 そして緊迫した空気の中、掛け声を上げながら拳を突き出す硯達の姿が見えた。 「また声が小さくなってきたぞっ! もっと腹の底から声を出さんかぁっ!!」 「おっ、押忍!」 「押忍っ!」 ……一体何が足りないのか―― ここ数日、事あるごとにそんな問いが俺の中で渦を巻くようになっていた。%K パートナーとしてお互いに名前で呼び合うようになってから、彼女と過ごす時間は格段に増えた。%K ぎこちなさは抜けないものの、彼女と会話を交わす時間も着実に増えた。%K 料理が下手な俺のために、時間を割いて料理を教えてくれている。%K 以前と比べても彼女と過ごす時間は増えて、上手く行っているはずなんだ。%K %O なのに……、一向に息を合わせることができない。%K お互いに合わせようとするほど、どこかズレて、離れていくような感覚。%K もしかして硯一人で訓練を続けていたから、俺に合わせるのが難しいのかもしれない。%K %O 「……と……さん、……ま、……ん」 だから、少しでも練習量を増やそうと、こうして、硯達の早朝鍛錬に参加したのだが―― 「――冬馬さんっ」 「……!」 「す、硯?」 「あの……どうかしたんですか? ボーっとされてたみたいですけど……」 「大丈夫だ。 少し考えごとをしてただけだからさ」 「なら、いいんですが……」 「ほら、余所見してるとボスに扱かれるぞ」 何にしても、今手を止めるわけにはいかない。 訓練を重ねていれば結果は出るだろうし、きっと硯も慣れてくれるだろう。 何より相棒として、彼女を不安にさせるわけにはいかなかった。 「――さあっ、行くぞ硯!」 「は、はい!」 私の勘違いが払拭されて、冬馬さんと打ち解けてから数日―― 日に日に縮まっていく冬馬さんとの距離。 それに反して私達の足並みは揃わず、時間が経つに連れバラバラになっていった。 「冬馬さんっ。 次、公園周辺にバルーン2つです!」 「了解だ! 東側から降下、ギリギリまで近づくぞ!」 続けざまに放った2つの流れ星が星空に光の筋を描き出す。 しかし、いずれも狙った的から外れ、暗闇の中へと消えていってしまった。 「っ……」 「焦るなよ。 急いで撃つ必要ないからな」 「は、はい……!」 いつの間にかこみ上げていた焦りや苛立ちを呼吸で押さえ込む。 そして、もう一度弓を構えようとして―― 「――リリカルアサルトブレイカー!!」 「――いちごショート!」 「助かった。ナイスフォローだ」 「本番を想定した訓練なんだから、 とーぜんでしょ」 「それにしても、どーしたのよすずりん。 最近、調子悪そうだけど……」 「以前の硯ちゃんなら、 間違いなく当てられた距離でしたよ?」 「そ、それは……」 「…………」 「ねぇ〜、そろそろ休憩しなぁ〜い? かれこれ、1時間以上飛びっぱなしなんだし」 「お姫様、彼女がお疲れのようだ」 「んー……仕方ないわね。 ここで一旦、休憩としますか」 「助かるわー」 「……すみません、冬馬さん」 「いや、俺の〈滑空〉《グライド》が悪かった。 フォーメーションも崩してしまったしな」 硯は俺がフォーメーションに沿って飛行することを計算してルミナを撃ったはずだ。 しかし俺が崩したせいで、計算した軌道でルミナが飛ばなかったのだろう。 「まだ時間はあるんだ。 焦らず、ゆっくりやっていこう」 「はい……」 焦らずに?ななみ達にこれだけ水をあけられてるのに? 古株ペアのりりかは当然として、先生とペアを組んだななみも、メキメキと腕を上げていっている。 最近じゃ、苦手だった射撃も上達して、りりかと的の奪い合いになることもあった。 「……っ」 知らず知らず、握っていた拳を解いて、苛立っていた自分を落ち着かせる。 「とりあえず、今は休もう。 休憩が終わったら、次はやり方を変えて――」 「はいはーい。 二人とも、そこまでよー」 「……先生」 「二人とも、今日はここまでにしときなさい」 「え……?」 「どういう意味ですか?」 「意味もなにもそのまんまよ」 「今日のところは訓練を切り上げて、 お休みしなさいってこと」 「で、でも先生……!」 「今のまま訓練を続けたって、何も変わんないわ」 「……それはあなた達がよく分かってるんでしょ?」 「だから、今日はここまでにして 明日また頑張りなさい」 「……わかり、ました」 その時、硯は小さな顔を俯けていてどんな顔をしているのか分からない。 ただ、彼女の声はか細くて今にも泣き出しそうに小さく震えていた。 「あの、ここで大丈夫ですから……」 「……そうか。 まっ、今日はもう何も考えずにゆっくり休め。 明日からまた頑張ろう」 「はい。おやすみなさい……」 「なんで上手くいかないかな……」 決して手なんて抜いてない。それは硯だって同じはずだ。 なのにどうして息も合わず、ここまでズレてしまうんだ? 「……っ」 考えれば考えるほど分からなくなって、苛立った気持ちがこみ上げてくる。 「……くそっ」 ため息とともに吐き捨てて、思わず頭を掻き毟った。 「はぁ……もう寝ちまうか」 寝てしまえば、少なくともこのイヤな気持ちはリセットできるはずだ。 「――とーまくん」 ……ん? 「お疲れさまです♪」 「ななみ……。 お前訓練はどうしたんだ?」 「もうとっくに終わりましたよ。 一体何時だと思ってるんですか?」 「何時って……」 気が付けば、夜風は止んでいて、周りも眠りについたように静まり返っていた。 硯の部屋も点いていたはずの灯りが消えている。 ……少し、物思いに耽りすぎたか。 「こんな所でボーっとしてたら、 カゼ引いちゃいますよぉ?」 「そんなヤワな作りはしてないさ。 で、お前はこんな時間に何してるんだ?」 「とーまくんを捜してたんです。 その、お願いしたいことがありまして……」 「お願い?」 「ちょっと行きたい所があるんですけど、 実は、その……くま電が終わっちゃってまして」 「行きたい所?」 「温泉郷です! その、久しぶりに足湯を満喫しようって」 「なるほど。 それでカペラを出してほしいと」 「正解です! さっすがとーまくん!」 「全然嬉しくない。 それに頼むなら、先生に頼めば……」 「先生は見たいテレビがあるって、 訓練が終わるなり早々と……」 「帰ったのか$」 まあ見たいテレビがあるってのは、先生らしいって言えばらしいが。 「だからですね、とーまくん! 運転手……お願いできますか?」 拝むように彼女は両手を合わせると、上目遣いに俺を見た。 ……気を遣わせたか。 先生に言われて訓練を中断してから、ななみが心配そうに俺達を見ていたのを知ってるし。 「……分かった。 カペラ出してくるから、外で待ってろ」 「ホントですか? ありがとーございます♪」 「気にするな。 こっちもいい気分転換になりそうだ」 本当は硯も誘いたい所だが、もう寝てしまったみたいだし、次の機会にしとくか。 「おっっっそい!」 格納庫からカペラを引っ張り出してくるなり、いきなり怒鳴りつけられた。 「なんだ。二人も一緒だったのか」 「なーによぉ# 一緒に行ったらダメってのぉ?」 「そんなこと言ってないだろ。 で、ジェラルドはそれに付き合わされたと……」 「お姫様がどうしてもって聞かなくてね。 それに浴衣美人とのワンナイト・ラブも悪くない」 なるほど。メインはそっちか。 「準備万端ですよ、とーまくん。 いざ、しろくま温泉郷へGOです!」 「…………」 「およ? どーしたんですか?」 「いや、こうしてお前を後ろに乗せるのって 久しぶりだなって思ってな」 「……そうですねー。 まだ一ヶ月しか経ってないのに」 振り返っても、硯と過ごしたことばかり。ななみと組んでいたことが、昔のことのように思える。 「……さて、この一ヶ月でとーまくんが どれだけ腕を上げたのか見せてもらいましょーか」 「あん? スピード恐怖症のクセに ヤケに口が回るじゃないか」 「そんな大昔の話をしないでくださーい。 わたしだって、先生と組んで成長したんですから」 「ほぉー……随分と吹くじゃないか。 だったら、その成長ぶりを見せてもらおうか」 「望むところです!」 「あーあ、たかだか温泉街に行くだけなのに、 なーにムキになってんだか」 「なら、先頭は譲ってやるかい?」 「ジョーダン!! 国産なんかに負けんじゃないわよ、ラブ夫!」 「はいはい」 「ふぅー……。 ああぁ〜、あったまりますねー」 「はぁぁ……確かにねぇ。 いつもより広々してるし」 湯船に浸かったまま、りりかは気分良さそうに湯気立つ湯に足を泳がせた。 普段なら注意されるところだが幸いにもここには俺達以外に人はいない。 「んー……なんか貸し切りみたいでいい感じ♪ 次来る時は、この時間帯がいいかもね」 「さんせーです!」 「ところでジェラルドはどうしたんだ?」 温泉街に到着するなり、ジェラルドの姿はいつの間にか消えてしまったのだ。 「さあねー。 今頃、温泉街でも練り歩いてんじゃないのぉ」 「有り得るな」 こうして話をしてる間にも、どこかの女性と一夜限りの恋愛を楽しんでそうだ。 「それにしても、とーまくんの〈滑空〉《グライド》、 本当に速くなりましたね。 びっくりしちゃいましたよー」 「そ、そうか?」 「はい♪ 私も腕を上げたつもりでしたけど、 まだまだだなって思っちゃいましたから」 俺の上達を認めてくれたななみに、すぅ、と胸がすくのが分かる。 沈んだ気分も不安も消えて、肩の荷が下りたように楽になった。 「…………」 「? どーしたんですか、りりかちゃん。 そんな怖い顔して……」 「別に」 「――まさに両手に花だな。ジャパニーズ」 「ジェラルド……」 一風呂浴びてきたのか、どこかすっきりした様子だ。 「お隣失礼するよ、お姫様」 「ちょっとラブ夫っ、 アンタ、今まで一体どこに行ってたのよ?」 「……やはり良いものだな。 湯上り美女というものは」 「あーはいはい、言わなくていいわ。 何もかもぜーんぶ分かったから」 「……さっきから随分とご立腹だな、お姫様。 気に入らないことでもあったのかい?」 「…………」 ……ん?りりかのヤツ、今俺を見なかったか? 一瞬、彼女と目が合うも、興味なさそうに湯船に浸かる自分の足に目を落とした。 「……しかし、少し見ない間に 随分と荒っぽくなったな。ジャパニーズ」 「荒っぽい?」 「ああ。まるでどこぞの新人トナカイだ」 「柄にもなく、俺も昔を思い出してしまったよ」 「なっ……!」 「後ろに乗ってるサンタなんて、 ただの飾りだって思ってんじゃないの?」 「そんなこと……っ!!」 「熱くなるなよ、ジャパニーズ。 お姫様もそう煽ってやるな」 「……ふん」 「…………」 硯がただの飾りだなんて、そんな風に考えたことなんて一度もない。 ただ俺は硯を支えようと思って……。 「まっ、必死になるのも分からんでもないさ。 お前さんはあのお嬢ちゃんに 入れ込んでるようだしな」 「だが、少し生真面目過ぎるぜ」 「え……?」 「言っただろ? トナカイはもっと気楽にやるもんなのさ」 「…………」 あれから何も反論できないまま、俺達は温泉郷を後にした。 『ただの飾り』っていうりりかの言葉が今も耳鳴りみたいに残ったままだ。 俺にとって、硯は……。 「……もっと相方を頼れって。 ジェラルドさんは そう言いたかったんじゃないですか?」 「ななみ……?」 「わたしも……最近のとーまくんは、 何だか一人で飛んでるように見えましたから」 「…………」 相方を……硯を頼れ、か。 「……なあ、ななみ」 「なんですか?」 「お前にとって、トナカイってなんだ?」 「そんなの決まってます。 頼りになるパートナーさんですよ」 「いつも側で支えてくれて、 わたしを助けてくれる大切な人です」 「……そうだよな」 俺にとってもサンタは……、硯は大切なパートナーだ。 足りない部分を補ってくれて、折れそうになった時は支えてくれる相棒。 俺は硯を支えようと思う余り、知らないうちに彼女を軽んじてしまっていたのか。 「(先生の代わりだとか、難しく考えすぎてたのか)」 「……ななみ」 「なんですかー?」 「ありがとうな。 今度、しろくまアイス奢ってやる」 「ホントですか! ぜーったいですよーー!」 「おう!」 頭上に広がった綿菓子のような雲を眺めつつ、活気に溢れている大通りを歩く。 本当なら硯と話をしようと思ってたんだが、何やら彼女は用事があるらしく家を出ていた。 夕方までには帰るという話なので、俺も気分転換を兼ねつつ、お気に入りの酒を求めて外に出たわけだが……。 「……中々見つからないな」 ――銘酒『赤ハナ』どんな酒豪でも一杯口にすれば、鼻の先まで真っ赤になるというお酒だ。 酒屋を巡ってかれこれ30分。俺が求める酒はどの店も扱っていなかった。 「……温泉街まで足を伸ばしてみるか」 幸いにもまだお昼を迎えたばかり。今から向かっても、夕暮れまでには帰れるはず。 そう思い、踵を返そうとして―― 「とーーまさーん!」 この声は……。 「はぁっ……はぁぁ……! こ、こんにちは……はぁぁ!」 「おう……って、何かあったのか? 息切れなんてして」 「つ、ついさっきまでっ、 はぁ……っ、戦場に、いましたから……はぁぁっ」 「戦場?」 「コレです!」 トートバッグに手を入れるなり、折り畳んだ紙切れを突きつけるように広げてみせた。 「『食欲の秋!  スーパーガイエー秋のゲリラ特売祭』? ……あー、なるほど」 「そーいう冬馬さんは、 こんなトコで何してるんですか?」 「さつきちゃんと同じさ。 『赤ハナ』っていう酒を探してるんだが……」 「赤ハナ? んー……聞いたことないなぁ」 「そんなに珍しい酒じゃないんだがなぁ……」 「良かったら私が知ってるお店も回ります? もしかしたら、その中にあるかもしれませんし」 「いいのか?」 「はい♪ 荷物持ちを引き受けてくれれば十分です@」 「ちゃっかりしてる」 「ありがとうございました」 「パンはこれで以上……っと。 次は……と」 「おいおい……まだ続けるのか?」 さつきちゃんに付き合って30分ほど。既に彼女のバッグは大容量ボトルの醤油から、洗剤などの日用品でぎっしりだ。 それなりの量になるとは思ってたが、まさかこれほどとは……。 「特売日は限られた日しかありませんから。 だから買える時に買っておかないと」 「だから、そんな入念に準備してるんだな」 彼女が手にしているチラシには、ボールペンで事細かに情報が書き込まれていた。 さらにタイムセールの開始時間に合わせた効率の良い店の回り方を聞かされた時は舌を巻いてしまった。 「買い出しをしていたら、 自然と覚えちゃいますよ。 家のことは全部一人でやってますし」 「全部?」 「お母さん、仕事で家を空けることが多いですから。 だから家のことをしてる時間がなくて」 「ご両親は共働きなのか?」 「お父さんはいないんです。 ずっと昔に別れちゃいまして」 「……悪い。変なこと聞いたな」 「え? あ……き、気にしないでください! 私が勝手に話したことなんですから!」 「そう言えば、 今日は硯と一緒じゃないんですね?」 「ああ。何か用事があるらしくてな。 朝から外に出かけてる」 「ふーん……あっ、そうだ。 硯とは上手くいってますか?」 「? なんだいきなり?」 「えっと……この前お店に行った時、 硯ったら冬馬さんに対して、 なんか余所余所しかったですし」 「だから何かあったんだろうなって。 それでちょっと気になっちゃいまして……」 「心配しなくても上手くやってるよ。 仕事中もそれ以外の時でもな」 「ホントですか?」 「ああ。 料理を教えてもらうついで、 一緒にメシを作ったりな」 「……え?」 「す、硯に料理を教えてもらってるぅぅ!?」 「なんだ? 男が料理を教わることが、そんなに珍しいのか?」 「いやいや。 私が驚いたのは、料理を教えてる硯のほうです」 「仲直りしたと聞きましたけど、 いつの間にそんな仲に進展しちゃったんですか?」 「そんな仲って……。 さつきちゃんが想像してるようなモンじゃないぞ」 「硯はいつも仕事を抱えてるからな。 助けになれればと思っただけさ」 「なるほどなるほどー……。 まっ、そういうことにしておきますね♪」 「しておくって、おい……」 「それでスゴイと思いませんでした? 硯の華麗な包丁捌き」 「包丁捌き?」 「はい。 何せ輪切りからみじん切り、皮むきまで ぜーんぶ包丁一本で済ませちゃうんですから」 「特に千切りなんて切っ先が見えないくらい すっごく速いし。 あそこまで来たら、もう職人技ですね」 「…………」 硯との距離をもっと詰めたくて料理の手ほどきを受けてきたつもりだったが。 振り返ってみれば、ただ習っていただけでちゃんと向き合えてなかったのかもしれない。 「今日はありがとうな。 結局、最後まで付き合ってもらってさ」 「気にしないでくださいよ。 こちらこそ、大した力にもなれず……」 「そんなことないさ。 ご覧の通り、美味そうな酒も見つかったし」 あれから、さつきちゃんと一緒に店を巡るも、目的の『赤ハナ』は見つけられなかった。 しかし、収穫が無かったわけではなく代わりに『九連宝燈』という日本酒を見つけることができた。 何でも『アガったら死ぬ』なんていう麻雀の役に〈肖〉《あやか》って『死ぬほど美味い』と強気に銘打った酒だ。 「あ、あとコレを冬馬さんに……っと」 「これは?」 「硯の好物・水ようかん! これさえあれば、硯はあなたの思うがまま!」 「というわけで、はい♪ お店の皆と一緒に食べてください」 「いいのか?」 「どーぞどーぞ! 元々差し入れるつもりで買ったものですから」 「……分かった。 なら、ありがたく貰っとくよ」 「んじゃ、私はこれで。 また遊びに行くんでよろしくー♪」 「おう。気をつけてな」 「さて、と……俺もそろそろ帰るか」 「…………」 床に転がったクッションに荷物を置き、ベッドに腰を下ろした。 程よく乳酸を溜め込んだふくらはぎがジンジンと痛みを訴えてくる。 そのままベッドに横になろうとして、袋の口から覗く水羊羹が目に入った。 窓辺から顔を出してみると硯も戻ってるのか、枝葉の隙間から部屋の明かりが漏れている。 「……顔を出してみるか」 「……考えてみれば」 ここに来てそろそろ一月経つが、硯の部屋を訪ねるのって初めてだよな……。 ガラにもなく胸がドキドキしてくる。ワケもなく緊張してしまう自分がいる。 「硯」 「硯?」 ……いないのか? 扉を叩いていた手が、自然と下のドアノブへと伸びていく。 「入るぞー……」 「〜♪〜♪〜♪」 「…………」 ……模型? 「〜♪〜♪〜♪」 楽しそうに鼻歌を歌いながら、一つ一つパーツをランナーから切り離していく。 しかし硯がプラモデルを組み立てるなんて、……ちょっと意外だな。 「〜♪〜♪〜♪」 背中から硯の正面に回るも、硯は俺に気づかずプラモデルに集中している。 非常に微笑ましい光景ではあるが、そろそろ俺に気づいてもらわないと……。 「硯」 肩を軽く叩きながら、呼びかける。 「〜♪〜♪〜♪」 「すずりー」 「〜♪〜♪ …………?」 「…………」 「よっ」 「…………」 「はわわぁっ!?!?」 「うおぉっ!?」 「と、トトッ、冬馬サンッ!? どっどうしてここに……!」 「あー……勝手に部屋に入ったのは謝る。 でも、ノックはちゃんとしたからな?」 「は、はい」 「硯にちょっとした野暮用があったんだ。 あったんだが……」 「?」 「……また日を改めようか? なんか立て込んでるようだしさ」 「っ!!」 「だ、だだ、大丈夫です! すぐに片付けてしまいますから!!」 「だだだ、だからその! へ、部屋の外で待っててくださいっ!」 「お、お待たせしました……」 「じゃあ、改めてお邪魔します……っと」 「それでさっきの野暮用というのは……?」 「ああ。訓練のことで少しな。 あと、さつきちゃんからの差し入れを届けにきた」 「さつきちゃんから、ですか……?」 ぶら下げていたビニール袋を掲げてみせる。 「水羊羹だ。皆で是非食べてくれってさ」 「水羊羹……」 ……ん?今、硯が喉を鳴らしたような気が。 それに硯の目がさっきからビニール袋に釘付けになってる気がする。 「…………」 「あっ……」 「…………」 「あぁぁ……」 顔の位置まで掲げた袋を右へ左へ揺らすと、釣られて硯も右へ左へ。まるで待ち遠しそうにご飯を見る動物みたいだ。 ……なるほど。好物どころか、大好物なわけか。 「……悪い。 水羊羹と思ったら蒸し羊羹だったわ」 「ええぇっ!? ……そ、そんなぁ」 「冗談だ。 しかし、さつきちゃんの言った通り、 本当に好きなんだな、コレ」 「あッ……そ、それはその……あぅぅ」 ようやく自分の様子に気づいたのか、火がついたみたいに赤くした顔を俯ける。 「……お、お茶用意しますねッ」 いそいそとお茶を用意する硯の傍ら、ぐるりと室内を見回してみる。 硯が過ごす部屋は、俺が想像していた異性の部屋とは少し……かなり違った。 和風調な鏡台に、床に敷かれた畳とコタツ。 棚には目を見張る量の料理本の数々。 年頃の女の子が過ごすにしては随分とスッキリした部屋だ。 「お待たせしました」 「おお、ありがとう」 「どうかしましたか? さっきからキョロキョロしてますけど……」 「あー、悪い。 珍しくてついつい見入ってしまってな」 「珍しい、ですか?」 「女の子の部屋なんて初めて入ったからさ。 俺はもっとこう……ゴッチャリした部屋を 想像してたんだが」 「物が多いと落ち着かないんです。 だから必要のない物は置かないようにしてて」 「俺も似たようなモンさ。 自分の部屋で狭っ苦しい思いなんて したくないからな」 「しかし、硯がモデラーだったとはな。 道理で手先が器用なわけだ」 「その……昔から工作とか、 何かを作ることが好きだったんです」 「父も仕事柄、よく模型を作ってまして。 それでその……私も」 「そっか。硯の実家も玩具屋をやってるんだもんな。 模型全般も弄り慣れてたわけか」 「で、でもそんな大したものは作れませんよ? 〈ヒケ〉《・・》の処理だって、まだまだ甘いですし」 「ヒケ?」 「ああぁぁっ!! な、なんでもないですっ!」 「……? ところで、 さっきからずっと気になってたんだけどさ」 「ここには何があるんだ?」 壁沿いに据え付けられた棚。その一部の箇所には、まるで人目を避けるように垂れ幕が下がっていた。 「えっ……ああああぁぁぁぁっ!? そ、そこはダメっ、捲っちゃダメですーっ!!」 「え?」 「な、なんだコレ……」 「あっ、その、えっえっと……!」 「すっげーーじゃねえか!」 「……え?」 垂れ幕の下から現れたのは、寺院に城といった、古建築模型だった。 その出来はどれも精巧で目を凝らせば凝らすこと、模型の繊細さが際立って見えてくる。 それに建物だけでなく、周辺の情景も丁寧に表現されていた。 まるで実在する建物を、風景ごとそのまま縮めてしまったような、そんな風に思わせる出来栄えだ。 「コレ全部、硯が作ったのか?」 「え……あ、はい」 「はぁー……ここまで精巧に作れるモンなんだな」 というか、ここまで来るとただ手先が器用なだけじゃないような気がするぞ。 「……あ、あのっ」 「なんだ?」 「……ひ、引かないんですか?」 「引く? どうして?」 「だっ、だって私……女なのに、 こんな城とか寺の模型とか作って、その……」 「いや、全然。 ここまでできるんだから、 むしろ自慢していいと思うぞ?」 「ほ、本当ですか……?」 「ああ。だからもっと胸を張れって」 「……あ、ありがとうございます」 「しっかし……本当に細かくできてるな。 この屋根なんてまるで本物みたい――」 「本物ですよ。 それは『こけら〈葺〉《ぶき》』と言って、 平安時代から使われた屋根葺手法の一つなんです」 「ヒノキやエノキなどを薄く削いだものを 重ねて使っているんですけど、 この建物には〈椹〉《さわら》の木を使っています」 「ほーほー……。 じゃあ、この障子ももしかして……」 「本物の和紙ですよ。 サイズに合わせて紙を切って、 障子のりで接着してあります」 「サイズが小さいですから、 何度も失敗してしまったんですけど……」 その後も、細い指先で模型を指しながら、硯はとても丁寧に解説してくれた。 俺との距離も気にせず、熱心に話す硯は、本当に楽しそうに活き活きとしていて、とても可愛らしい―― 「……えっ!?」 ぴたり、と唐突に、それこそ時間でも止まったように、硯が固まった。 「どした?」 「うぁっ、あ……あぁ、あの……!!」 「す、硯?」 「ごっ、ごめんなさいっ!!」 「そ、その……お、男の人にっ か、可愛いなんて言われたの、初めてで……ッ!!」 「え……も、もしかして、 俺また口に出してたのか……?」 「は、はい……っっ」 硯はうなじまで赤々と染めながら小さく頷いたきり、深々と顔を俯けてしまった。 部屋に来てまだ時間も経ってないが、硯の新たな一面をたくさん知ることができた。 きっと硯は色々な一面を見せくれたんだと思う。ただ、俺がちゃんと見ていなかっただけで。 「…………」 「そ、そのっ、 お茶のおかわり入れてきますねっ」 「硯」 照れ隠しにお茶を入れに逃げようとする彼女を呼び止める。 「な、なんですか?」 「さっき、ちょっとした 野暮用があるって話しただろ? そのことなんだが……」 「はい」 「今日の夜さ……。 もう1回、俺に付き合ってくれないか?」 「え……?」 身に染みるような夜風を身体に受けながら、きらきらと輝く光の軌道を〈滑空〉《グライド》する。 空を覆っていた綿雲も今はすっかり消えて、地上の町並みが星のように煌いていた。 「さて、これから〈本番〉《パーティ》のリハーサルなわけだが……、 もうちょっとリラックスしたらどうだ?」 「……っ」 「……聞こえてるか?」 「ひゃあっ!?」 機体を軽く揺さぶってやると、後ろから冷たい風に乗って甲高い声が飛んでくる。 「と、冬馬さんっ!」 「すまんすまん。 けど、緊張し過ぎだぜ。 訓練なんだから、もっと軽い気持ちで行けって」 「で、でもっ、 訓練だからと言って気を抜くわけには……」 「だからって、そんなガチガチじゃ力も出せないだろ。 程ほどでいいんだよ」 「程々……り、了解しました」 「よし。 ルートを算出するから、ちょっと待ってくれ」 幸いにも今日のツリーはご機嫌なようで、〈光〉《ルミナ》の流れも穏やか、カペラの出力も安定している。 「……よし。 まずは漁村を抜けて、海岸沿いから攻めていこう」 「あの辺りは家も少ないし、 ひとまずは夜空のドライブでも楽しんでくれ」 「は、はいっ……!」 「緊張しすぎるなよ。 リラックスしていこうぜ」 熊崎港に止まる数隻の漁船を眺めつつ、旋回。海岸沿いに伸びる光の軌道に乗り入れる。 夜色に染まった海は小さく波打ち、磯の香りを含んだ風を運んでいた。 「これより右に旋回して市街地に入るぞ。 準備はいいか、硯?」 「はいっ……!」 「ちぃーっと硬いが、良い返事だ。 スピードは抑えていくから、 自分のペースでやってみな」 「り、了解しました」 「しろくま通りに突入っ。 このまま住宅地に西側から乗り込むぞ。 的の数はっ?」 「カリヨン塔近辺に7つ、 公民館周辺の8つ……計15個です!」 「了解だっ」 「……届いてっ」 「くっ……!」 「……っ!」 「落ち着け、硯。 そんなに緊張すると また雪だるまを作ることになるぞ?」 「か、からかわないでくださいっ!」 「からかってなんかないさ。 ほら。まずは深呼吸だ」 「すぅぅ……はぁ……」 「それで、さっき打ったタイミングより もう一呼吸おいてみな?」 「もう一呼吸……」 「余裕を持てってことさ」 「分かりました」 「一呼吸おいて……」 眩いルミナの輝きが、風に揺られるバルーンを撃ちぬき、七色に瞬いた。 「当たった……!」 「上出来だ。その調子で焦らずに行こう」 「はい!」 しろくま通り沿いの住宅地を抜け、硯の呼吸が読めるようになってきた頃、彼女の射撃はノリに乗っていた。 芳しくなかった命中率も上がり、今ではニュータウン攻略訓練の際に見せてくれた、長距離射的を披露し続けている。 「おしっ! 今ので市街地近辺は終わりだな。 次はこのまま山の手でもう一仕事……」 「その前に一度海岸沿いに引き返してもらえませんか? ここに来るまでに見逃してしまった所があって」 「了解だ。 ここから徐々にテンポアップしていくぞ」 「はいっ。お願いします!」 「――我が家にご到着だ。 今日はお疲れさんだったな、硯」 「はい。 冬馬さんもお疲れさまでした」 喜びを隠し切れていない笑みと、節々に喜悦の色が滲んだ、彼女の労いの言葉。 それだけで、疲労で重かった身体がすっと軽くなった気がした。 「今夜は絶好調だったな。自己新記録だぜ」 海岸沿いからしろくま駅までのエリアを利用した配達訓練。 そこで硯は時間に大きな余裕を残して、全ての的に矢を命中させた。 予想以上に時間が余ったので、訓練の後半はドライブ感覚でこなせたぐらいだ。 「はいっ! 私もこんな結果出せたの初めてで」 「これも全部、冬馬さんのおかげです」 「そんなことないさ。 元々、硯にはそれだけの腕があるんだ」 「ただ……今まで俺がそれを潰してたんだ」 「……どういうことですか?」 「パートナーが先生から俺に代わってからさ。 硯はずっと不安だっただろ?」 考えれば、そんなの当たり前だ。気心の知れる先生から、何も知らない俺とコンビを組むことになったんだから。 彼女にとっては突っ放されたようなもので、きっと心細い思いをしていたはず。 「それに硯の話を聞いて思ったんだ。 先生に代わってお前を支えてやらなきゃなってさ」 「冬馬さん……」 「そんな気持ちばっか先走ってしまって、 大切なことを忘れてたんだ」 「大切な、こと?」 「俺達はパートナーだ。 お互いに支え合って助け合うものなんだ」 「けれど、今までの俺は そんな当たり前のことができてなかったんだ」 「あ……」 「すまなかった!」 硯に向かって深く深く頭を下げる。 「使命感とか義務感にかまけて、 ちゃんと硯のことを見ることができてなかった」 「……私も、同じです」 「え?」 「冬馬さんの言う通り、最初はとても不安でした」 いつも側にいてくれた先生がいなくなって。 先生に頼りっぱなしだった私は、どうしたらいいか分からなくなって。 「でも、こうして接して……話を聞いて、 冬馬さんも頑張ってるのが、 ようやく分かったんです」 「だから私……足を引っ張りたくなくて。 もっとしっかりしなきゃって」 「……なんだ。硯も俺と同じだったんだな」 「そうですね」 ただ向き合う方向が微妙にズレていただけで。 「硯……」 冬馬さんが、私に向かって右手を差し伸べてくる。 「これからは二人で頑張っていこう。 もうお互いに、独りで頑張ろうとしないでさ」 「……はい」 私も冬馬さんに向かって手を差し出す。 手のひらが軽く触れ合った後、しっかりと私の手を握ってくれた。 「……冬馬さん」 「なんだ?」 「ありがとうございます」 私のことを考えてくれて。 「……それは俺のセリフなんだが、 お互い様ってことにしないか? 実際そうだったんだしさ」 「くすくす、そうですね」 この人とだったら……。冬馬さんとだったらきっと……。 先生と同じように受け止めてくれると。私はそう思った。 「こぉぉぉ……けこっこぉぉぉおおお!!!」 「Zzz……Zzz……」 「くっくぁーどぅぅぅるどぅぅーー!!」 「Zzz……んーー……Zzz」 「ぐーるるー……」 「Zzzz……Zzzz……」 「くーー!!」 「ッッだああああぁぁぁぁぁああああ!!!」 「おっそよーございます、とーまくん……」 「ってどーしたんですかぁ、その額の傷!?」 「聞くな。それと喜べ。 今日の晩飯は七面鳥だぞ#」 「ギョーーー!!」 ええい、暴れるなこのトリ!遠慮無しに突っつきやがって! 人間の頭蓋骨はな、お前が思ってるほど硬い物じゃないんだぞ!? 「ぐっもーにーーん♪」 「……って、随分と乱暴な起こされ方したみたいね$」 「分かるか?」 「その頭の傷を見ればねー。 まっ、寝坊した国産の自業自得だと思うけど」 「むしろ起こしてくれたトリに 感謝した方がいいんじゃない?」 「こけーこけー」 「そうかそうか、トリ。 タンドリーチキンの方がお好みか#」 「ギョー! ギョー!!」 「でも実際、 寝坊なんて褒められたもんじゃないわね」 「それについては謝る。 最近、疲れが中々抜けなくなってきてな」 ここ最近は通常通りの夜間訓練に加えて、硯との深夜の秘密特訓も平行してこなしていた。 一日にこなす訓練量が文字通り倍になって今まで一晩寝ていれば抜けた疲れが、残っていることが多くなってしまった。 「ところで硯はどうしたんだ?」 「んー……。 多分、まだ寝てるんじゃないですか?」 「寝てるって……硯が?」 「はい。今日はわたしが一番のりでしたから♪」 「……珍しいな。 規則正しい硯がまだ起きてないなんて」 まあ、これが金髪さんなら至極当然。納得できる範囲なんだが。 「……おいコラ# なんで二人してあたしを見んのよ!」 「あっ、すまん」 「つ、ついうっかり……$」 「うぎぎぎぎぎ……!!」 「まっ、遅いと言っても いつもより少し寝入ってるだけだろ」 「鍛錬までまだ時間はあるし、 寝かせといてもかまわないさ」 「そうですね」 「こらーー! あたしを無視すんなーー!!」 「おっっっそい!」 「そろそろ出ないと、 レッドキングの鍛錬に遅れちゃうわ!」 「も、もしそんなことになったら……!!」 「〈迅雷十字斬〉《サンダークロス》か……。 もしくは竹刀で尻百叩きとかか」 「ひぃっ!?」 「おっ、脅かすな!!」 ばっ、と両手で尻を隠すななみとりりか。どうやら想像させてしまったらしい。 けれど、この時間になっても硯が起きてこないのは確かにおかしい。 ここのところ通常の夜間訓練に加えて、俺との秘密特訓もこなしてたからな。 ひょっとしたら、その疲れが抜けず、体調を崩してしまったのかもしれない。 「もーダメ! これ以上は待ってられないわ!」 「あたし達は先に行ってるから、 あとからすずりんを連れてきて!」 「はっ!? ちょ、ちょっと待ってくれ!! 何で俺が……!!」 「パートナーなんだから当たり前でしょ! ほらっ、ななみん急がないと!!」 「はっ、はい! とーまくん、よろしくお願いします!」 「あ、おい!」 いつも以上にドタバタとした朝。 にも関わらず硯は起きてこない。そもそもその気配すらなかった。 「ん〜〜……」 とりあえず様子を見に行ってみるか。 「硯、起きてるか?」 「…………」 何度ドアを叩いても返事はない。 ただの寝坊だったらそれでいい。けれど体調を崩していたら? しかしいくら子供とはいえ、異性の寝顔を覗き見るというのは……。 「ええい、止むを得まい!」 べ、別にやましい気持ちなんてないぞ?今は緊急事態なんだからな! と、強引に自分を納得させつつ、俺はドアノブに手をかけた。 「硯……?」 「…………」 「…………」 部屋に踏み込むなり、俺を出迎えたのは幸せそうに熟睡する硯の寝顔だった。 あーあ、涎まで垂らしちゃってからに。 硯は普段から物静かでしっかりした子だ。 だから時々非常に大人びて見えたりするも、目の前で眠りこけている彼女は年相応の女の子だ。 うん……かなり可愛い。 「…………」 ……ってイカンイカン!なに寝顔を凝視してるんだ、俺は。 寝坊と分かった以上、さっさと起こしてやらんと。 「硯、起きろ……硯」 「すぅ……すぅ……んんっ……」 「ん……?」 「…………?」 「おはようさん。目は覚めたか?」 「…………?」 「…………!?」 「体調を崩したのかと思って心配だったんだが、 ただの寝坊だったみたいだな」 「〜〜〜〜ッ!!!!!」 「きゃぁぁああああぁぁぁぁあああぁあぁあああ!!」 「どっ、どどど、どうして冬馬さんがっ!?」 「と、とりあえず落ち着け!!」 「べ、べべ別にやましい気持ちなんて これっぽちもなくてだな!!」 「いつまで待っても、 硯が起きてこないもんだから、 心配になって様子を見に来ただけで……!」 「し、心配……?」 未だに状況を把握できていないのか、硯は口をぱくぱくさせていた。 その拍子に零れていた涎が糸を引きながら膝へ落ちていく。 「……っ!!」 慌てて口を隠すも既に遅く、落ちた涎はズボンのシミになっていた。 「あっ……うっ、うぅぅ……!」 「?」 「ち、ちちち違うんです!!」 「こっこれはその決して涎とかじゃないんです! え、ええぇっと……そ、そのっ」 「!」 「みっ水をこぼしてしまったんです!」 「水?」 「はい! 昨日はとてもとても寝苦しい熱帯夜で、 喉が渇いてしまってそれで(略)」 硯自身も苦しい言い訳と分かってるのか、話が進むに連れて大粒の涙を浮かべる。 「だっだからその……その……っ」 「す、硯?」 「……ふぇぇぇ。やっぱり誤魔化せませんー」 「あっ、あああぁぁぁっ! す、すまんっ! 何だか分からんけど、とにかくすまん!!」 や、やっぱり心配だったとはいえ、勝手に部屋に入ったのはまずかったか!? 「…………」 「…………$」 ……き、気まずい。 あれから何とか泣き止んでくれたのだが、硯はさっきから部屋の隅でうずくまったまま。 どんよりと暗いオーラに覆われた背中からは哀愁を漂わせていた。 「あー……その、 勝手に部屋に入ったのは悪かった」 「本当はななみかりりかに 様子を見てもらうよう頼みたかったんだが」 「……み、見たんですよね?」 「見たって……?」 「そ、その……わ、私の涎、です」 「ヘン、ですよね……。 この歳になって涎を垂らしてるなんて」 あー……そういうことか。 「ずっと治したくて……。 マスクをして寝たり、口にテープ貼ったり、 色々試したんですけど……」 「でも、治すことができなかった、と」 こくり、と硯は小さく頷いた。 「だから、せめて知られないようにって。 人前では絶対に寝ないようにしてたのに……」 「あ……っ!! すっ、すす、すみませんっ! 思わずうとうととしてしまって……!」 「ねっ、眠気覚ましに顔を洗ってきますっ!」 だからあの時、怯えた様子で俺から逃げたのか。 しかし……。 「流石に気にしすぎじゃないか? 涎を垂らすなんて大したことじゃないだろ」 「大したことあります!」 「涎を垂らすなんて……。 そんなの、カッコ悪いじゃないですか」 「そうか? 少なくとも涎を垂らして寝てる硯は、 結構可愛げがあったが」 「か、かわ……っ!」 「かっ、からかわないでくださいっ!」 「ははは。 それで体調は大丈夫なんだな?」 「あ……は、はい。 すみません。心配をおかけして」 今回の寝坊は間違いなく、連日続けていた秘密特訓が原因だろう。 翌日に響いてしまったら元も子もない。次からはちゃんと練習量をコントロールしないと。 「あ、あの……冬馬さん」 「ん?」 「そ、その……できれば皆さんには……えっと」 「ああ、安心しろ。 言いふらすようなことはしないさ。 それよりも……」 「それよりも?」 ちらりと部屋の時計を見る。すると硯も倣うようにして時計に目を向けた。 「…………っ!!」 きゃぁぁああああぁぁぁぁあああぁあぁあああ!! 「きゃぁぁああああぁぁぁぁあああぁあぁあああ!!」 「あああぁぁっ、どど、どどどうしましょう!! まっ、まさかこんな時間まで寝ていたなんて……!」 「早朝の鍛錬がっ! サー・アルフレッド・キングがぁっ!!」 「落ち着けよ、硯。 今更慌ててもしょうがない。 どっちにしても遅刻は確定なんだから」 「で、でも、でも……どうしたらっ」 「それに遅刻するのは俺も同じさ。 だから潔く一緒に怒られようぜ」 「と、冬馬さんも……ですか?」 「まっ、俺も硯を特訓に付き合わせていたからな。 硯一人が怒られるようなことはさせないさ」 「それにお陰で珍しいものも見れたし。 むしろお釣りが出たようなもんさ」 「〜〜っ! と、冬馬さんっ!!」 その後、俺は茹蛸になった硯を宥めつつ、ロードスター邸へ向かった。 しかし、当然の如くボスの鍛錬には遅刻。硯と揃って尻竹刀を言い渡された。 硯とともに痛い思いをしてしまい、彼女と夜の秘密特訓のスケジュールを見直すことになったのは言うまでもなく。 硯と互いに謝り倒しつつ、俺は彼女との奇妙な連帯感を抱くこととなった。 「はい。1万円お預かりします」 「3910円のお返しになります。 お確かめくださいませ」 「ありがとーございましたー♪」 「あ、ありがとうございましたっ」 「……ふぅぅ」 ようやくレジ待ちの列を消化し終えて、思わず安堵の息が漏れた。 平日の昼下がり。 普段なら閑静な店内が、少ないながらもお客さんで賑わっていた。 「おままごと用の玩具ですか? でしたら、こちらがオススメですよ!」 「お子様の安全を考えて無塗装・無着色。 安心して遊べるよう、 てってーてきに拘って作られております!」 「積み木をお探しでしたら、 こちらなんてどうでしょうか?」 「日本ではあまり知られてませんが、 何でも自由に形が作れてしまうもので、 『究極の積み木』って呼ばれてるんですよ♪」 ななみもりりかも、朝から接客に追われている。 硯と打ち解けてからというもの、ななみの広報活動とさつきちゃんの口コミも効果を出し始めた。 繁盛……とまではいかないものの、着実に客足を伸ばしてきている。 ななみは当然として……、さつきちゃんにも何か礼をしないとな。 「ねえ国産。 一度すずりんにしっかりと接客指導したいんだけど」 「硯にか?」 「この店も軌道に乗り始めたし、 平日でも忙しくなってきたでしょ?」 「このままだとあたしとななみんだけじゃ、 お店を回せなくなる日も出てくるわ」 「……確かにな。 二人ともいつも店にいるとも限らんし」 特に広報部長のななみは、店の宣伝のために外回りに出ることが多い。 「だから、もっとすずりんにも 接客してもらわないといけないんだけど……」 何故か歯切れ悪そうに言葉を切ると、月守は売り場に目を向けた。 「いっ、いらっしゃいませお客様!」 「お子様用のパズルですか? そ、それでしたら、ここ、こちらとか」 「あぁっ!? も、申し訳ございません!!」 「だ、大丈夫ですか硯ちゃん!」 「……確かに、あのままだとまずいな」 「でしょ? せめてあたし達がいなくても、 一人で接客できるようになってほしいし」 「分かった。硯には俺から話しとく」 「お願いね」 「りりかさんの接客指導……ですか?」 「ああ、店も少しずつ忙しくなってきたし、 硯にも接客してもらうことが増えると思うんだ」 「それに接客は苦手だって言ってただろ。 だからこの機会に克服してみないか?」 「克服……」 「……分かりました。 やってみようと思います」 「本当か?」 「はい。 私も……このままじゃいけないって ずっと思ってましたから」 「いらっしゃいませー☆」 「いらっしゃいませー♪」 「いっ、いらっしゃいませー……””」 「だーめだめだめ! 挨拶ぐらいでドモらないの! 顔だって引き攣っちゃってるし」 「そんなにアガらないで、 もっとリラックスしていきましょ! リラックス♪」 「は、はいっ」 「それじゃあ、もう1回行くわよ?」 「(来たわよ、すずりん!)」 「っ!!」 「いらっしゃいませーー!」 「いいっ、いらっしゃいませーっ」 「こんにちはー♪」 「儲かってるー?」 「先生にきら姉……?」 「珍しい組み合わせですね。 二人してどーしたんですか?」 「私はお店のことが気になって、ちょっとね。 最近用事が重なっちゃって、 ここの様子も見れなかったから」 「そしたら、 森の入り口で三田さんとばったり出くわしちゃって」 「アタシもきららさんと同じよ。 皆のことが気になって様子を見に来たの」 「で、その本音は?」 「この前買ったゲーム全クリしちゃってねー。 何かオススメのゲームな〜い、月守さん?」 相変わらずフリーダムな人だ。ある意味、トナカイらしいが。 「色々と話を聞いてるよ。 森の中に珍しいおもちゃ屋があるって 評判なんだから」 「ホントですか!?」 「うん。 たまーに品薄の超人気商品を扱ってる 穴場のお店だって」 「ま、まあな。 まがりなりにも、一応チェーン店だし」 実際は、商品を発注する際に、客引きとして硯の実家から新商品を取り寄せてもらっているのだが。 これが思ったよりも効果が高く、客足を伸ばす一因となっていた。 「最初は一体どうなるかと思ったけど、 上手くやってるみたいで良かった良かった」 「これで私も枕を高くして眠れるよー」 「そいつは良かった」 「はぁぁぁぁ……」 「どーしたの? そんな大きなため息ついちゃって」 「そ、それはその……”」 「すずりんは今、接客実習の真っ最中なのよ」 「接客?」 「そっ。まがりなりにもリーダーなんだし、 仕事の選り好みをさせるわけにもいかないでしょ?」 「本当なの?」 弟子のことを一番よく知る先生も、きっと想像できなかったんだろう。驚いた様子で聞き返していた。 「は、はい。 私も……このままじゃいけないって 思ってましたから」 「……そう。偉いわよ、硯」 硯の頭を撫でる先生の手は遠目でも分かるくらい、優しさに溢れていた。 しかし褒められた硯は頬を染め、決まりが悪そうに縮こまっていた。 「それじゃあ早速だけど、 弟子の接客ぶりを拝見させてもらおうかしらねー」 「え?」 「指導も大事だけど、 こーいうのは実践の積み重ねが物を言うと思うのよ」 「……え? え?」 「んー……確かにそうかもしれないわね。 すずりん物覚えはいいから、 実践の中に放り込んだほうが早いかも」 「『獅子はわが子をニンジンの谷へ突き落とす』 ですね!」 「〈千尋〉《せんじん》な」 というか、硯当人をそっちのけにして何だか物騒な方向に話が進んでるぞ” 「そうねぇ……きららさん。 もし時間があるなら協力してほしいんだけどー」 「え、私ですか? 別にいいですよ」 「あ、あの……」 「決まりね♪ じゃあ硯、あなたの成長ぶり。 アタシにも見せてちょうだい」 「……わ、分かりました」 「い、いいっ、いらっしゃいませっ!」 「こんにちは。 知り合いの男の子にプレゼントしたいんですけど 何かオススメとかありますか?」 「お、男の子ですか? そっそそそそそれでしたら……」 「――こっ、こちらとかいかがでしょうかっ!!」 「――ちょっ!?」 よ、よりにもよってそれを勧めるのか!? 「へ? 何かおかしい所とかあるんですか?」 「おかしいも何も、きら姉にアレは地雷よ!」 硯がきららさんに取り出してみせたのは、入荷したばかりの〈ワニ〉《・・》の形を模したプルトイだ。 しかし硯は構わずに、懇切丁寧に商品を説明し始めた。 「こ、こちらの玩具は数年前にドイツで 行われたデザイン大会で大賞を取った 人気の(略)」 「……も、申し訳ないんですけど、 出来れば室内で遊べるものがいいんですが〜#」 「し、室内でですかっ? そ、それでしたらその……えと……っ!」 「こ、こちらはいかがでしょうかっ!」 「(――だからどうして、そのチョイス!?)」 パニクっている硯が持ち運んだのは、またもやワニを模したパズルだった。 「こここちらのパズルは猿やライオンなど、 複数の動物を組み合わせて作る、 ワニ型のパズルとなってましてっ」 「……す、硯ちゃん緊張するのは分かるけど、 もう少し落ち着いて? ね? ね?」 「(ちょっとどうすんのよ国産っ!  きら姉明らかに怒ってるわよ……!!  というか自分に言い聞かせてるわよ、あれ!)」 「(ど、どうするって、  聞くなら俺よりそこの元凶に――)」 ……って、いない!?さては空気を読んで逃げたなっ!! 「あーあー! なるほど! 鰐口さんとワニの玩具をかけてたんですね!!」 「バカっ、ななみお前……!!」 「アンタが起爆スイッチ押してどーすんのよぉぉお!」 「冬馬さん」 倉庫の整頓を済ませ、フロアに戻ってみると、先生と話していた硯が駆け寄ってきた。 「おお、お疲れさん。 今日は大変だったな」 「さ、流石に、少し疲れました……」 〈大家〉《きらら》さんにワニの玩具を勧めた時は、一時はどうなるかと思ったが、その後、硯は何とか持ち直してくれた。 お互いに顔見知りとあって、最後には硯もリラックスした様子で接客をクリア。 まだまだ拙い部分はあったが、月守からは及第点を貰うことができた。 そして、大家さんを見送ったのが今からほんの10分ほど前なのだが……。 「硯ちゃんも初めてで緊張したんだし、 しょうがないって。あっはっは#」 本人はああ言って流してくれたが、青筋が立ったあの笑顔はしばらく忘れられそうにない。 「ま、ゆっくりこなしていこう。 数をこなせば慣れるだろうしな」 「が、頑張ります……!」 「それでどうした? 俺に何かあったのか?」 「えっと、そろそろ買い出しに行こうと思いまして。 それで冬馬さんにご一緒してもらおうかと……」 「もうそんな時間だったのか……」 窓から床を照らす陽光もいつの間にか茜色に染まっている。 道理で客足が鈍ったわけだ。 「その、もし仕事が残ってるんでしたら、 無理にとは……」 「いや、いいタイミングだ。 仕事も一段落したところだったしな」 「……ふぅ〜〜〜ん」 「はふぅ……ん? 先生、どーしたんですか? そんなニヤニヤして」 「ねえ星名さん。 ここの買い出しって、 いつもあの二人がこなしてるの?」 「んー……最近はそーですね。 硯ちゃんがよくとーまくんを誘ってますよー」 「ふぅぅ〜〜〜〜ん」 「……!」 「どうしたんですか?」 「いや……なんだか寒気が」 「んふふふふ〜♪」 「どうしたんですか、先生?」 「んー……ちょっと見ない間に、 随分と明るくなったなって思っただけよ」 「これも中井さんの影響かしら?」 くっくっと笑いながら、いい玩具を見つけたと言いたげに、ちらりと横目で俺に視線を注ぐ。 さっきの寒気の正体はこれか! 「……?」 一方、硯は隣で首を傾げていた。 「……ど、どういうことだ?」 「だってこのコったら、 普通にあなたを買い物に誘ったじゃない。 以前の硯なら考えられないわよ?」 「となったら、 中井さんとの間に何かあったって思うじゃない?」 「そっ、そそそーなんですか、硯ちゃんっ!? 一体いつの間にそんな間柄に!?」 「ちっ、違いますっ、誤解です!! 私はただ、荷物持ちとして冬馬さんに……!!」 「あー、ダメよダメよすずりー。 本人の前でそんな言い方したら」 「中井さんが傷ついちゃうわよ?」 「えッ……」 「おいっ!? なんでそこで俺が出てくるッ!!」 しかも、そんな言い方したら硯が……! 「あっ、や……ち、違うっ、 違うんです冬馬さんッ!!」 「に、荷物持ちは荷物持ちなんですけど、 決してそれだけじゃなくてその……!!」 「と、とりあえず落ち着け! それ以上墓穴を掘ろうとするな、なっ?」 「っ! はいっ。 す、すみません……はぅぅ」 「ぬっふっふっふっふー♪」 「ふ〜〜ん……」 「……なッ、なんだよっ?」 「べっつにぃ〜〜?」 「く……ッ」 「あ、あのっ、とーまくんっ」 「ど、どした?」 「そ、それで結局っ、 とーまくんと硯ちゃんは何かあるんですか!?」 「しつこい!」 「ったく……先生達にも困ったモンだ」 「は、はい……」 冷やかしからようやく解放された頃、西の空には赤紫が射しつつあった。 夕食時も近いとあって、マーケットに立ち並ぶお店には、絶え間なく客が出入りしている。 「それで夕飯の献立とか、 もう決まってたりするのか?」 「いえ、これといって特にはまだ……」 「じゃあさ、鍋にしてみないか?」 「お鍋、ですか?」 「最近、冷え込んできただろ。 ここで一つ、身体が温まるものが食べたい」 「それに皆で一つの鍋を突っつくのも、 楽しそうでいいんじゃないか?」 「……そうですね。 お鍋でしたら家に余ってる材料も使えますし」 「決まりだな。 じゃあ、適当に鍋の材料を集めていくか」 「はい」 「きゃっ」 反射的に手を伸ばし、雑踏に跳ね飛ばされそうになった硯の手を掴んだ。 そのまま腕を引っ張り、側に引き寄せる。 「あっ……」 「大丈夫か?」 「はっ、はいっ……」 「あまり離れるなよ。 はぐれたりしたら大変だからな」 「わ、分かりました……っ」 硯が側についていることを確認し、ごった返す通りを掻き分けようとして腕を引っ張られた。 顔を向けてみると、ぎゅっと硯の手が俺の袖を掴んでいた。 「す、硯……?」 「そ、その……はぐれたりしたら大変です、から」 「だから……ちゃんとくっついてますっ」 「……そ、そうだな。うん、そうだ」 言い出しておきながら照れくさくて、俺はそれ以上硯を見ていられず、押し寄せる人集りに目を向ける。 さっきまで肌寒かった風も、火照った顔を冷やすのにちょうど良かった。 「あら、硯ちゃんに店長さん。 いらっしゃいませ」 鍋の材料を買い揃えた後、俺達は調味料を求めて顔馴染みのネーヴェを尋ねた。 「こんにちは、美樹さん。 またいくつか調味料を分けてほしいんですが」 「いいわよ。 硯ちゃんが欲しがってたオイルも 手に入ったから、一緒に持っていって」 カウンターを間に挟み、美樹さんと硯は親しげに雑談を交わす。 その様子からは、初来店の際のオドオドっぷりをまったく感じさせなかった。 「……驚いたな。 いつの間に名前で呼び合う仲になったんです?」 「硯ちゃんにはご贔屓になってますから」 「マーケットじゃ手に入らないものも、 ここだと扱ってくれるので、 無理を言って分けてもらってるんです」 「そうだったのか」 「それに仲が良いって言っても、 店長さんほどでもないと思いますよ?」 「?」 「お、こんな時間に会うとは珍しいな、 ジャパニーズ」 この声は……。 「そりゃこっちのセリフだぜ。 酒を嗜むには少し早いんじゃないか?」 「〈bere〉《ベーレ》に時間は関係ないさ。 それに美女との語らいに、酒は付き物だろ」 なるほど。酒というよりも美樹さんが目的か。 「冬馬さん、少しいいですか?」 「ん、どした?」 「ん? ……ほぉ」 「その調味料を一つと、 それからこっちの料理酒も頂けますか」 ジェラルドに軽い挨拶を済ませた後、硯と揃ってずらりと並べられたボトルに目を配った。 美樹さんと交渉しながら、彼女は次々と調味料を手に取っていく。 「あと、そこのオリーブオイルも一緒に……」 「ん? 待て硯。 そいつはまだ家にあったぞ?」 「え、そうでしたか?」 「まだ容器に半分以上残ってたぜ。 一昨日の夕食にも使っただろ?」 「……あ」 「そうそうなくなるモンじゃないし、 使い切った後でいいんじゃないか?」 「そうですね」 「ふふっ」 吹き出すような笑い声に顔を向けると、美樹さんが微笑ましそうにこちらを見ていた。 「美樹さん?」 「いえ、本当に仲が良いと思って。 いつの間にそんな仲になったんですか?」 「は?」「えッ!?」 「今更とぼけるなよ。 さっきから見せ付けてくれてるじゃないか」 グラスを傾けていたジェラルドも、面白いものを見たような目をしている。 その視線の先に目を合わせてみると、そこには確と俺の袖を握る硯の手があった。 そういや、人ごみではぐれないよう袖を掴ませていたが……。今の今までそのままだったのかッ!! 「あ……ッ!!」 「いやこれはだな……!」 「そんな隠そうとしなくてもいいじゃないか。 照れるこたぁないぜ、ジャパニーズ」 「え、ええとそのっ! 私と冬馬さんはそんな……ッ!!!」 「そんなに慌てることないじゃない。 好きな人の側に居たいと思うのは当然のことよ?」 「すっ、すき……!!!」 「お前も男ならちゃんとエスコートしてやれ。 女性の機微に反応できないようじゃ、 男として三流だぞ?」 「だから俺と硯はそういうのじゃなくだな……ッ! なッ、なあ硯……!?」 「ふぇッ!?」 「あッ……はぅ……あぅあぅあぅ……ッ!!」 「とりあえず落ち着けっ。 リラックスするには深呼吸だ。な?」 「は、はひ……すぅー……はぁぁ……」 「おいおい。 見つめ合うなんざ、見せ付けてくれるな」 「見つめ合う……ッ!?」 「ジェラルド! あまり余計なことを……!」 「……きゅう」 「す、硯ッ!?」 「ふむ……少しからかい過ぎたか?」 「ごめんなさいね、店長さん。 お詫びにいくつかオマケしちゃいますから」 「は、はい……。 ありがとうございます」 まったく……ジェラルドはともかくとして、ノーマークだった美樹さんにまでからかわれるとは。 「きゅぅぅ……」 「はぁ……やれやれだ」 かくして、いつもより体力を使って買い物を済ませた俺達は、散歩がてら海岸沿いを歩いていた。 夕飯までまだ時間はあったし、硯が落ち着いてくれればと思ったのだ。 「しっかし、少し調子に乗ってしまったな。 金銭的にも量的にも」 久々にぎゅうぎゅうに詰め込まれた買い物袋をぶら下げることになってしまった。 薄く延びた白いビニール袋には、『鍋用 〈高級〉《・・》黒豚肩ロース』と印字されたラベルが浮かんで見える。 「今日はお値打ち品が多かったんです。 それにお鍋ですから、量も必要だと思って……」 「まっ、たまにはいいと思うぞ。 店だって順調だしな」 「それにこれだけ買っとけば、 しばらくは買い出ししなくて済むだろうし」 「はい」 さっきまで硬かった表情が少しだけ解れていく。 けれど夕焼けに紛れて、硯の頬は未だ赤みを帯びたままだ。 「……あんま、深く気にするなよ」 「え?」 「先生や美樹さん達にからかわれたこと、 気にしてるんだろ?」 「そ、それは……」 「なんなら、 俺の代わりにななみ達に任せても――」 「だっ、大丈夫です!」 「っ!」 「と、冬馬さんは男の方ですし、 力もありますから、 荷物持ちに向いてると思うんですっ」 荷物持ちか……。まあ最初っからそのつもりだったが。 何故だろう。それがちょっとだけ寂しく感じてしまう。 「そ、それに……」 「家で料理ができるのは、 私と冬馬さんの二人だけですから」 「だから、こうして同じ話題でお話ができて、 とても楽しいんです」 「……っ」 にこり、とはにかんだように笑う硯に、全身の血が顔に集まっていくのが分かった。 恥ずかしさやら嬉しさやら、胸の中で綯い交ぜになっていく。 ……ってあれ、なんで俺、こんなに嬉しくなってるんだ? 「? どうかしましたか?」 すっ、と硯がさらに顔を寄せる。潮風に靡く髪から仄かに甘い匂いが立った。 「い、いや……す、少し、 近すぎやしないか、ってさ……」 「へ? あ……っ!!? ご、ごご、ごめんなさいっ!」 「え、えと……だ、だからその……、 代わってもらわなくても大丈夫ですからっ」 「わ、分かった……っ。 俺で良ければ付き合うよ」 「…………」 「え?」 緩やかな風に紛れて、硯の声が聞こえたような気がする。 けど、隣の硯は顔を俯けたまま。 何となく照れ臭くなってしまって、俺は硯に話しかけられないまま、赤紫が強くなった海岸の空へ顔をそらした。 「そ、そろそろ戻らないかっ? 時間も時間だしさ」 「そっ、そうですねっ! 皆さんも待ってるでしょうからっ」 ワタワタとお互いに取り繕いつつ、ツリーハウスに戻ろうとして。 「あ……」 ピタリ、と硯が踏み出そうとした足を止めた。 「さつきちゃん……?」 「え?」 硯の視線を追いかけてみると、確かにさつきちゃんの姿があった。 けど、今の彼女からは笑顔が消え、一人遠い目で夕日を映す赤い海を見つめている。 その手には封筒とおぼしきものをくしゃくしゃに強く握り締めていた。 「…………」 「さつきちゃん」 「っっ!?!?」 「な、なんだ硯かぁ〜……」 「驚かさないでよ、もぉっ!!」 「ご、ごめんなさい」 「こんにちは、さつきちゃん」 「あ、冬馬さんこんにちはー」 「そいつは手紙かい?」 「え……あっ」 握られていた封筒を指差すなり、彼女は慌てて、それを背中に隠した。 「う、うんっ……まあ、そんなトコ。 昔の友達からちょっと、ね」 「そーいう硯達はー……って、 あーあー、そんなに沢山買っちゃってまぁ」 「あぅ……」 俺達の両手にぶら下がった買い物袋と顔を俯ける硯に苦笑する。 そんな笑顔が似合う彼女なだけに、さっきまで浮かべていた表情が頭に引っかかった。 「……さつきちゃん」 「ん?」 「何か、あったの?」 「んー……。ちょっと、ね」 俺の問いを代弁した硯に、さつきちゃんは困ったような笑みを見せるだけで、それ以上答えてくれなかった。 「ところで、 さつきちゃんはこれからどうするんだ?」 「んー……。 とりあえずしろくま通りに ご飯食べにいこうかと」 「外で済ませちゃうの?」 「今日は色々あって流石に疲れちゃってさ。 だから簡単に済ませようかなって」 笑顔を見せるさつきちゃんだが、そこには普段は見せない疲れの色がある。 何となく今の彼女を放っておけなくて、気が付けば俺は口を開いていた。 「だったら、ちょうどいい。 俺達もこれから夕飯なんだ。 食べに来ないか?」 「え?」 「今日は鍋にしようと思ったんだが、 ご覧の通り、少し買い込み過ぎてな」 「俺達だけじゃ食い切れないだろうし、 それに鍋は大人数で食った方が楽しいしな」 買い物袋をさつきちゃんに見せつつ、硯に目配せする。 こちらを見上げる硯に頷くと、意図を読んでくれたのか頷き返してくれた。 「なんなら泊まってって。 久しぶりにゆっくり話もしたいし、ね?」 「それはとても嬉しい提案だけど……、 お邪魔にならない?」 「迷惑だなんて、そんなことないよ」 「遠慮するなよ。 それにさつきちゃんには まだきちんとお礼をしてないからさ」 「お礼?」 「玩具店を宣伝してくれたお礼さ。 だから、そんなに遠慮してくれるなよ」 「……ありがとうございます!」 「うん! そこまで言ってくれるなら、 今日はお世話になろっかな」 にっ、とはにかんだ笑みを見せてくれる。そこには、さっきまであった暗い雰囲気は綺麗に消え去っていた。 「ただいま」 「ただいま戻りました」 「おっかえりなさーい♪ っておわっ! すっごい荷物ですねー!」 「そんだけ買い物してたら、遅くもなるか」 「すみません。 ついつい買い込んでしまって……」 「お邪魔しまーす♪」 「おりょ、さつきちゃん!」 「こんな時間にどうしたの?」 「買い物帰りに偶然出会ってな。 お礼も兼ねて、夕飯に誘ったんだ」 「さつきちゃんには まだお店の宣伝を手伝ってもらったお礼を してませんでしたから」 「はっ、そうでした! さつきちゃん、この度はホントーに! ありがとーございました!」 「そ、そんな改まらないでってば! ホントーーに大したことしてないし」 「むしろ、私はななみちゃんの活躍の方が 大きかったと思うけどね」 「そ、そうですか?」 「あんまり褒めないでやってくれ。 調子に乗ってポカやらかすからな」 「そーそー。 抜けてるクセにすぐ調子に乗っちゃうからね、 コイツ」 「二人とも酷いです! 私はそんな間抜けじゃありません! ねぇ、硯ちゃん?」 「へっ!? え、えとその……」 「なんでそこでドモるんですかー!」 「ははは」 「それですずりーん。 今日の夕飯はなーにー?」 「冬馬さんと決めてお鍋にしました。 新鮮なお肉と野菜が沢山手に入りましたし」 「肉!?」 目を見張るりりかだが、袋の内側から透けてみえる豚肉のパックを見るなり、表情を強張らせた。 「……ちょっと国産」 「みなまで言うな。 店も順調だし、俺が許したんだ」 「……それならいいけど」 「それほどかからないと思いますから、 皆さんゆっくりしててください」 「りょーかい♪」 「楽しみにしてますねー」 「あー。ちょっと待って、硯」 「はい?」 「せっかくだから私も手伝うよー」 「そんな……。 さつきちゃんはお客さんなんだから、 ゆっくりしてて」 「だーめ! 泊めてもらうんだから、これくらいさせてよ!」 「それに二人でやった方が早いし。 なにより楽しいじゃない、ね?」 ちらり、と硯がこちらを見る。 小さく頷いてやると、彼女は安心したように小さく微笑んだ。 「……ありがとう。 それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」 「おっけー♪」 「じゃあ、私は鍋のダシを取るから、 さつきちゃんは材料の下準備をおねがい」 「りょーかい! おかずはどーしよっか?」 「お鍋に合うもので。 あとはさつきちゃんにお任せします」 「じゃあ適当に作っちゃうからねー」 「おねがいします」 普段のポジションをさつきちゃんに譲り、手持ち無沙汰になった俺は、二人の料理風景を眺めていた。 キッチンの中で飛び交う硯とさつきちゃんの話し声。 しかし、そんな二人の顔はお互いを見ておらず、視線は常に支度を進める手元に落ちている。 「すずりー。それちょっと貸してー」 「どうぞ。 あっ、さつきちゃん」 「ほいほい」 「……凄いな」 まるで何かで繋がってるみたいに、相手が欲しがってるものを渡していく。まさに阿吽の呼吸だ。 お互いに信頼し、助け合う二人には、トナカイとサンタに通じるものがある。 「(……俺も精進しないと)」 「えっと、それでは皆さん……」 「いっただっきまーーす!」 「しかし、随分と豪勢な夕飯になったな」 食欲を掻き立てる匂いを感じながら、様々な副菜で埋め尽くされた食卓を見渡す。 そしてその中央では具沢山に煮立った土鍋がぐつぐつと白い湯気を放ちながら鎮座していた。 「久しぶりにさつきちゃんと一緒に料理したので、 何だか楽しくなってきてしまって」 「気が付いたら、 こんなことになっちゃってました”」 「いや、むしろちょうど良かったぜ。 なんせ――」 「もぐもぐもぐ……ごっくんっ! はむはむ……!」 「はむはむ! んぐ……もぐもぐ!」 「二人があの調子だからな」 「はぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐ!」 「あ、あの……っ、 そんなに慌てて食べなくても、 まだまだ沢山ありますからっ」 「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ!」 「二人とももっと落ち着いて……って、 聞こえてないかー」 「はふはふはふっ!」 「もぎゅもぎゅ! ぱく、はふはふっ!」 ごく自然に伸びた二組の箸が、立ち上がる湯気の中で交差する。 二人の箸の先端は煮え立った鍋に沈む一切れの豚肉にぴったりと定まっていた。 「――むっ!!」 「ぐぐぐ……っ! り、りりかちゃん……ッ、 すぐ近くにお肉がありますよっ?」 「ぎぎぎ……ッ、 そーいうアンタの傍にだって肉あるじゃないっ。 だからコレはあたしに譲りなさい!」 「イヤです! こっちのお肉の方が大きいじゃないですかッ!!」 「それはあたしだって同じよー!」 「おいおいおい。 いくら何でも行儀が悪すぎるぞ!」 「ぐぐぐぐぐぅ……!」 「うぎぎぎぎぎ……!」 二人とも、聞こえちゃいない。 箸と箸の激しい打ち合いに、火花……もとい肉汁が飛び散る。 豚肉を巡る戦いは鍔迫り合いから、肩や肘をぶつける肉弾戦に発展しようとして―― 「あっ、このお肉煮えてるよー」 「ああぁああぁああぁああぁぁぁぁああっ!!」 「あ、あの、さつきちゃん。 このお肉はお二人が……」 「別にいいんじゃないか? 早いもの勝ちさ」 「そーそー。 だから遠慮せずに食べちゃいなさい♪」 「なっ、なななななんということをーー!」 「いや、煮過ぎると硬くなっちゃうし。 せっかく良いお肉使ってるのに勿体ないじゃない」 「そーじゃなくて! どーしてあたしのお肉を掻っ攫う!?」 「だって、二人とも食べようとしないんだもん。 掻っ攫うなんて人聞きの悪い」 「うっ、ううぅぅ〜……!」 「というか大体だな、金髪さん。 お前は肉ばっかり食いすぎだ」 「というわけで硯……やれ!」 「す、すみません……りりかさん。 でも野菜もちゃんと食べてくださいね」 「ああああぁぁぁああああーーっ!! な、なんであたしだけーー!!」 「いや、ななみちゃんはちゃんと野菜も食べてるし」 「バランスよく食べないと大きくなれないぞ?」 「……八重原さんだって、 あたし達とそんな変わらないじゃないですかー」 「そうなんだよねー。 だからりりかちゃんには 私みたいになってほしくないんだー#」 「というわけで硯、やりなさい!」 「すみません、りりかさん。 でも煮えた野菜も甘くて美味しいですから」 「うわぁ……」 硯の箸が音もなく凄まじい速度で動く。 見る見るうちにりりかの受け皿に野菜の山が築かれていった。 「ぎゃあああああぁあぁぁああああぁぁぁっ!!」 「……ふぅ」 「あれ? とーまくん、もうストップですか?」 「これでも十分食ったつもりなんだけどな。 そういうななみは?」 「インターバルです!」 胸を張って言うことか。というか、まだ食べるつもりか$ 火が止まった鍋の向こうでは、苦い顔をしながら野菜と格闘するりりかと、彼女と一緒に白菜を口にする硯がいた。 「もぐもぐ……んっ、ん……んぐっ! っはぁぁぁ……た、食べきったわよ!」 「んじゃ、次はホウレン草っと……」 「えっ!?」 「あの……食べられないのでしたら、 無理しなくても」 「た、食べられるわよ! むしろドンと来なさいって!」 「上手くいってるみたいですね」 「? いきなり何の話だ?」 「何って、硯ちゃんのことですよー」 促されて、もう一度真向かいに目を向ける。ちょうどりりかが白菜を口に運ぼうとし、硯がそれを応援してる所だった。 「硯ちゃんも以前より、 沢山笑ってくれるようになりましたし」 「? 皆とは普通に打ち解けていたんじゃないのか?」 「時々、肩肘張った所があったんです。 特に訓練の後とかは妙に思い詰めたりしてて」 「だから、わたしもりりかちゃんも 心配してたんですけど」 「別に特別なことはしてないぞ。 ただ基本に立ち返って頑張ろうと言っただけで」 「じゃあ、硯ちゃんにとっては それが特別なことだったんじゃないですか?」 「…………」 「もしかしたら硯ちゃんにとっては、 とーまくんそのものが特別だったりして」 「そりゃ一体どういう意味だ?」 「とぼけないでくださいよー♪ 最近の硯ちゃんってば、 とーまくんのことよく目で追ってますよ?」 硯が俺のことを……? 「……あ」 ふと顔を向けると、硯と目が合った。 「あぅぅ……」 「りっ、りりかさんっ。お肉まだ残ってますよ」 ……まさか本当に? 「顔が真っ赤ですよー。 もしかして照れてます照れてます?」 「かっ……からかうなっ#」 「あいたっ」 「そんなことよりいいのか? そろそろ戻らないと肉が無くなるぞ?」 「えッ!?」 食卓に視線を戻してみると、りりかが口直しとばかりに、残っていた肉を鍋に投入していた。 「あーー!! りりかちゃんズルイです! わたしの分も残しておいてくださいよー!」 〈食卓〉《戦場》に戻るなり、ななみとりりかは肉を巡って、熱いバトルを繰り広げ始めた。 しかし硯は二人を止めようとせずに、どこか遠い目で別の方向を見ていた。 そんな彼女の視線を追いかけてみると……。 「…………」 「さつきちゃん……?」 チャームポイントの笑顔を消して彼女はぼーっとあらぬ方向を見つめていた。 その先にあったのは、ぽつんと飾られたぬいぐるみが一つ。 白ヒゲを蓄えた老年のサンタクロースとソリを引くトナカイをデフォルメしたものだ。 「どうかしたのか?」 「……え、あ……ッ。 な、なんでもないですよっ」 どこか取り繕ったような笑顔を浮かべて、さつきちゃんは席を立った。 「そっ、そうだ! デザート冷やしてあったんです」 「もう出来上がってると思いますから、 持ってきますね!」 「……?」 ――宴もたけなわを迎えて。 「はふぅ……もぉお腹いっぱいですぅ」 ななみは幸せそうに食後の余韻に浸り。 「うぅぅぅ……ぐったり」 山盛りの野菜との死闘を繰り広げたりりかは、カーペットでぐったり力尽きていた。 「食わせておいてなんだが……大丈夫か?」 「うぷっ……もぉあたし、白菜もホウレン草も 怖くないわよぉ……!」 凄まじい偏食持ちのりりかにしては本当によく頑張ったもんだ。 「皆さん、お待たせしました」 「いよいよ、デザートの時間でーす♪」 「デザート!?」 「椅子を倒すな。 お腹いっぱいじゃなかったのか」 「ちっちっちー。 勉強不足ですねぇ、とーまくんは」 「女性にとってスイーツは別腹なのですよ☆」 「調子に乗って食ってると、 いつか体重計に乗れなくなるぞ」 「ソリにも乗れなくなっちゃったりして」 「二人して不吉なこと言わないでください!」 「どうぞ、冬馬さん」 「ありがとう」 ななみもりりかも、硯からデザートを受け取っていく。 冷気で白く曇ったガラス製の器には、生クリームが敷かれ、その上にさいの目に刻まれたメロンが貴石のように輝いていた。 「はぁ〜……綺麗なモンねぇ」 「完熟メロンを使ったクリームソルベです」 「冷たくておいしーーれす!」 「って、ちょっとななみん! 少しは目で味わうことを覚えなさいよ」 「楽しんでますよー! 私が食い意地張ってるみたいに 言わないでください」 「って言いながら、あたしの分を取るなーー!」 「……ふふ」 「? 急にどうした?」 「いえ、こうして晩御飯を一緒に食べてると、 硯とのお泊まり会を思い出しちゃいまして」 「くすくす。私もです」 「お泊まり会?」 「はい。 昔、よく硯の家に泊まりがけで遊んでたんです。 私達で特別な日を作ったりして」 「雛祭りとかクリスマスは当たり前。 あとは『私達が友達になった日』とか、 『初めてお泊まり会をした日』とか」 「そ、そんな所まで話さなくても”」 「まっ、お泊まり会って言っても、 同じベッドで一緒に寝るだけなんですけど、 それがとても楽しくて」 「中々寝付けなくて、ずっとお喋りしてたよね」 「その結果、ちゃんと起きれなくて 硯のお母さんからよく大目玉を貰っちゃってたし」 「大目玉?」 「母は生活習慣にはとても厳しい人で……。 寝坊する度に朝食を抜きにされてました」 それでも、今となっては良い思い出と言いたげに、二人はとても楽しそうに話してくれる。 「初めてお泊まり会をしたのは、 クリスマスイブなんですよ」 「二人でサンタさんに会おうって、 寝る前に手紙を書いたりしたんです」 「え……あ、うん。 確か、そうだったね」 「クリスマスですかぁ。 いいですよねぇ……クリスマスケーキに ローストターキー……じゅる」 「ってまた食い物の話!? アンタにはそれしかないのかー!」 「りりかちゃん失礼です! 頭の中にはもうお店用クリスマスイベントが いくつも出来上がってるんですよ!」 「出来上がってるって……まだ一月以上先の話だぞ?」 「それまでに全部忘れちゃうわよ、きっと」 「だろうな」 「だ、大丈夫ですっ。 あとで私がちゃんとメモしておきますから!」 「そしてクリスマスと言えば、 サンタクロースですよ!」 「? ななみちゃんはサンタを信じてるの?」 「あったりまえじゃないですか!」 「もしかして皆も?」 「まあね」 「冬馬さんも?」 「ああ。 小さい頃にプレゼント貰ったことがあるしな」 「そっかー……」 「私は居ないと思うんですよね。 サンタクロースなんて」 「え……」 「さつきちゃんは サンタさんを信じてないんですか?」 「まあ、ね。 さすがにもうそんな歳じゃないし」 「で、でも私達だってサンタを見たじゃないですか。 それにプレゼントだって貰って……」 「んー……それなんだけど。 あの時のサンタって、 どこかで見た顔をしてたんだよね」 「多分、知り合いの人が コスプレしてくれたんだと思うんだ。 私達のためにさ」 「……」 「あー……夢のない話しちゃってゴメンね! 別に皆を否定してるとかじゃないし」 「あっ、それでさ。 お泊まり会で思い出したんだけど――」 「…………」 「……硯?」 「ッ! と、冬馬さん……?」 「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」 「だ、大丈夫です。 少しぼーっとしてしまっただけですから」 「いや、でも……」 「わ、私ちょっとお手洗いに行ってきますっ」 「硯……?」 「おっじゃましま〜す♪」 「ほほぉ〜。 ここが硯の部屋ねぇ……どれどれ」 「そんなに見回しても 大したものはないけど……」 「いやー、硯の部屋に入るのって初めてだからねー。 ついつい気になっちゃって」 「はー……相変わらず器用だねー。 こんなの作っちゃうなんてさ」 「それくらいなら、誰でも簡単に作れるよ。 さつきちゃんも試しに作ってみたら」 「あームリムリ。絶対ムリ! 硯みたく器用じゃないからね、私は」 「むぅ〜……同じ女とは思えないぐらい、 物が少ないお部屋だねー」 「さつきちゃんもそう思う?」 「まあ逆に私の部屋が ごっちゃりしてるって事なんだろうけど……?」 「……私〈も〉《・》?」 「冬馬さんにも同じことを言われたの。 スッキリした部屋だなって」 「す、硯ってば、冬馬さん部屋に入れたのっ!?」 「はい。 お店のこととか、よく相談したりするし」 「はぁぁぁ……。 硯ったら、しばらく会わないうちに 大胆になって……」 「なにか言った?」 「ううん! なんでもないですよー」 「どうぞ」 「ありがと。 …………?」 「どうしたの?」 「ん……硯ったら、まだ持ってたんだって。 このぬいぐるみ」 「当たり前だよ。 さつきちゃんから初めて貰ったプレゼントだもの」 「……捨ててくれればよかったのに」 「さつきちゃん?」 「なんでもない。 まあ、物を大事にするのは良いことだよ」 「なるほどー……。 社会勉強のために知り合いが経営してる このおもちゃ屋で研修させてもらってる、と」 「は、はい」 「でも、よく許してもらったね。 実家からは距離があるし、 何より男の人と一つ屋根の下で……」 「ななみさんとりりかさんも一緒だし、 そこまで意識してないよ。 それに知り合いだっているんだから……」 「知り合いって、 硯が『先生』って呼んでるあの人?」 「うん」 「……こういう聞き方もアレだけど、頼りになる?」 「はい。とっても」 「ならいいんだけど。 それにしても……む〜〜」 「どうかした?」 「いや、あの先生とは 昔どこかで会ったことがあるような気がして……」 「き、きっと気のせいだよ。 ほら、世界には自分と似た人が三人いるって言うし」 「気のせいかなー……」 「…………」 「……硯?」 「! は、はい?」 「……さっきからどうしたの? 心ここにあらずって感じだけど……」 「えっ……あ、その……」 「悩み事とかあるなら、聞くよ?」 「……っ」 「硯?」 「……大丈夫だよ。 少しぼーっとしちゃっただけだから」 「……もしかして冬馬さんのこと考えてたりした?」 「? どうしてそこで冬馬さんが出てくるの?」 「だって、 最近の硯ったら冬馬さんと良い感じじゃない」 「……良い感じ?」 「買い物はいつも一緒。 お店を覗けば、二人そろって仕事中」 「それにいつの間にか、 硯ったら冬馬さんと名前で呼び合ってるじゃない」 「それは冬馬さんが、 そう呼んでほしいって言ったから――」 「何より」 「冬馬さんのことになると 硯ったら楽しそうにしてるからねー」 「楽しそう……? ……よく分からないけど」 「じゃあ質問を変えましょう。 硯って冬馬さんのこと、どう思ってる?」 「ど、どうって……。 最初はどう接したらいいのか分からなくて、 少し苦手な人だったけど」 「実はとても優しくて……。 私、いつも助けてもらってばかりで」 「だから、私もついつい甘えちゃって」 「それでそれで?」 「一緒に料理もするようになったんだけど、 冬馬さんったら、未だに包丁に慣れてくれなくて、 見てて危なっかしいの」 「それなのにジャガイモの皮むきに挑戦して、 何度も指を切っちゃうから、 絆創膏が手放せなくなって……」 「んふふふふ〜〜」 「……? ど、どうしてニヤニヤしてるの?」 「いやぁ〜、なんというか……、 硯にも春が近づいてきたんだねぇー」 「春……?」 「ちっ、ちちちがいますっ!! と、冬馬さんとはそういうのじゃなくて、 私はただ純粋に……っ!!」 「はいはい。 んじゃ、そろそろ寝よっかなー。 もう時間だし」 「ま、待って! ちゃんと話を聞いてよ! さつきちゃん! さつきちゃんってば!!」 ――翌朝。 「大変お世話になりました! このお礼は必ず!」 「気にしないでくれ。 世話になってるのはこっちのほうなんだからさ」 「また遊びに来て。待ってるから」 「ありがと! あ、それと……」 %XS16「頑張ってね。応援してるから♪」%XE 「っ! さ、さつきちゃんっ!!」 「あはは! それじゃーねー」 森の外に向かって小さくなるさつきちゃんを見送る。 そんな彼女の背中に向かって、硯は見えなくなるまで手を振り続けていた。 「それにしても、 昨日は遅くまで盛り上がってたみたいだな」 「き、聞こえてたんですかっ!?」 「そりゃあれだけ賑やかだったらな」 「聞き耳を立てるつもりはなかったんだが、 ちょくちょくと聞こえてくるもんだからさ」 「あ、あぁぁっ、あぅ……はぅはぅぅ……ッ」 「ち、ちなみに……どこまで聞きましたか?」 「そんなに大したこと聞こえなかったぞ?」 「ただ、何となく 俺のことを話題にしてるのは分かったが」 「!」 「? ど、どうしたんだ硯?」 「し、してませんっ!! そそそんな……っ、スキとかキライとか、 そんな話してませんからっ!!」 「? 何がスキキライなんだ?」 「〜〜〜ッ!!! ちっ、違いますッ、何でもありません!」 「お、お店の準備がありますしっ、 私先に戻ってますからッ!!」 一方的に会話を切り上げた硯は、逃げるウサギのように家の中へ駆け込んでいってしまった。 「……?」 なぜか恥ずかしそうだった硯の反応に、俺は首を傾げるしかなかった。 窓から射す光が夕焼けに染まる頃、俺は硯と一緒に夕食の支度を進めていく。 鍋の様子を見る彼女の隣で、野菜をぶつ切りにしていく。 切り口が整った辺り、我ながら上達したと思う。まっ、それでも硯には遠く及ばないが。 「よーし。 野菜の下ごしらえは終わったぞ。 次は?」 「ありがとうございます。 じゃあ、サラダお願いしていいですか?」 「材料は?」 「お任せします」 「了解だ。 期待していてくれ」 「はい、楽しみにしてます」 さて、昨日は硯が凝った和風サラダを作ったから、今日は思い切ってシンプルにいこう。 「(手抜きじゃないぞ手抜きじゃない)」 そう言い聞かせつつ、まずキャベツ、ニンジンを千切りにして冷水にさらして。 その間にドレッシングを作りつつ、サラダに振り掛ける〈縮緬雑魚〉《ちりめんじゃこ》を炒めて。 「……というか、俺が作るのって、 どうしてこうツマミみたいな物になるのか」 「冬馬さんが食べたいって 思ってるからじゃないですか?」 そうかもしれない。 「おつかれさまですー♪ 今日も商売繁盛♪ だいせいこーです!」 「おつかれー……」 「おつかれー☆」 ……って先生? 「閉店間際にやって来られたんですよ。 なんでもお願いがあるらしくて」 「お願い、ですか?」 「硯の手料理が恋しくなっちゃってねぇ。 私にもご馳走してもらえるー?」 「分かりました。 すぐに用意しますね」 「しかし、先生……」 「んー? なによー?」 「いつものことながら、 そのどてらはどうにかならないのか$」 「むっ、私の一張羅にケチつける気ぃー?」 「い、一張羅って……$」 「それにしても……」 にんまりと目元口元に笑みを浮かべて、先生は楽しそうに俺と硯を交互に見やった。 「? なんですか?」 「んにゃ、ちょーっと見ないうちに、 硯と仲良しこよしやってると思ってねー」 「その様子なら、 訓練の方もさぞかし調子良いんじゃない?」 「そ、それは……その」 「まあな。 自分で言うのもなんだろうが、かなり調子いいぜ」 「と、冬馬さんっ!?」 「ほぉ〜〜……。 自信ありげじゃないの」 「無かったら最初から言わないさ。 次の訓練の時にでも、披露してやる」 「言ったわね? なら言葉通り、 その自信のほどを見せてもらおーじゃないの」 「上等だ」 「あらあら。 面白くなってきたわねー」 「…………」 「――お疲れさん。 今日はもうこれぐらいにしておこう」 「はい」 「お前もお疲れさん。 きっちりメンテしてやるからな」 カウルを叩きつつ、〈愛機〉《カペラ》も労ってやる。 「……あ、あのっ、冬馬さん。 やっぱりもう一度――」 「いや、今日はもう止めた方がいい。 訓練し過ぎて明日に支障が出たら困るだろ?」 「あぅ……」 一度、寝坊という形で支障を出した硯はしゅんと身体を小さく縮こまらせた。 ぽん、とうな垂れた頭に手を置き、優しく頭を撫でてやる。 「! あ、あの……冬馬さん……?」 「心配しなくても大丈夫さ。 今まで通りにやれば結果は出せる」 「少なくとも俺は、 硯の技量が劣ってるとは思ってないぞ。 相棒っていう贔屓目抜きにしてな」 あとは俺と硯の心構え次第だ。 「はい……ありがとうございます」 「今の硯に足りないのは訓練でも経験でもない。 自分に自信を持つことだ」 秘密特訓を重ねて数日。訓練をこなす毎に、硯は実力を伸ばしている。 なのに彼女は自信を持とうとしない。 だから皆の前で実力を発揮できれば……。それが硯の自信に繋がってくれるはずだ。 「俺達の力を見せ付けて、 皆をあっと言わせてやろうぜ」 「は、はい!」 「前回話した通り、 今日は予定を変更して〈滑空〉《グライド》の 訓練を行っていくわ」 「ルールはシンプルよ。 既に打ち上がってる的用のバルーンに 時間内により多く命中させればいいわ」 「分かった」 「アンタの大口かハッタリなのかどうか、 見せてもらうわよ?」 「ああ。約束通り、思う存分披露してやるさ」 「……っ」 「変に意気込まなくていいぞ。 リラックスだぜ、硯」 「はい……!」 「天候、視界ともに良好、問題なしだ。 そっちの準備は万端か?」 「は、はいっ。 いつでも大丈夫です……!」 「良い返事だ。それじゃあ――」 「どいたどいたー!」 ペダルを踏み込もうとした矢先、サイドミラーが真紅のボディーを捉えた。 ステアリングを切って横に躱す。 直後、真っ赤な機体が弾丸のように隣から抜き去っていく。 「チンタラやんない! もう勝負は始まってるわよ!」 「まずは1つ目!」 「扇射纖滅!! ファランクスビーム!!」 扇状に撃ち出されたルミナが、夜空に無数の光跡を描き出す。 「ファーストアタックいただき! このまま攻めて攻めて攻めまくるわよ!」 「はいはい、お姫様」 夜空に浮かぶ無数の光の帯。その上で軽やかに真紅の機体が躍る。 文字通り荒馬のように飛び跳ねるベテルギウス。 しかし、金髪さんはその動きにぴったり合わせ、次々とバルーンを撃ち抜いていった。 「す、凄い……!」 「見蕩れてる場合じゃないぜ。 俺達も打って出ないとな!」 グリップをしっかりと握り直し、ゆっくりとペダルを踏み込む。 木の枝のように無数に別れて伸びる光の流れ。 その中でもより流れが速いコースを〈梯子〉《はしご》してカペラを加速させていく。 追い風に乗ってベテルギウスとの距離を詰める。 そして狙うべき〈バルーン〉《的》が2つ、視界に入った。 間違いなく、金髪さんはあの2つの的を狙っているはずだ。 「見えたぜ、硯。 お前の腕であの二人を驚かせてやれ!」 「はいっ」 的までの距離は、りりか達のおよそ2倍。 だがこの距離は既に硯の射程距離内だ。 静かに弓を引き、1本の長い矢が形成されていく。 硯は止めたように息を静め、その目で真っ直ぐに的のみを見据えて―― そして――放った。 「続けていくわよー! ハイパーブラスター……!」 「えっ……!?」 「もう一つ……っ!」 さらに立て続けに一つの流星が放たれ、月守が狙っていた的を貫く。 「――う、ウソぉっ!?」 ゴーグル越しに驚愕した金髪さんの顔が見える。ちょっとだけいい気分になった。 「いい感じだぜ、硯」 「金髪さんを驚かせたところで このまま、くま電を跨いで市街地に突入だ」 「さらにスピードを上げていくからな。 ちゃんとついて来てくれよ?」 「はい!」 「うぬぬぬぅぅ……! こ、このあたしが獲物を横取りされるなんて……!」 「……あの距離から一発で仕留めるか。 お嬢ちゃんもなかなかやるようになったじゃないか」 「一皮剥けたって感じね。 あの国産が自信を見せるわけだ」 「あたしもうかうかしてらんないわね。 ……ラブ夫、少し本気出すわよ」 「様子見に留めるんじゃなかったのか?」 「予定変更よ」 「あたしはチームの教官であり、 皆が超えるべき〈壁〉《・》だもの」 「上には上がいるってことを教えてあげないと」 「やれやれ、こっちにも火が点いたか……。 了解だ、お姫様」 「凄かったですよ、硯ちゃん!! あんな遠いところから、命中させるなんて!」 「そ、そんな大したことじゃ……」 「謙遜することないって。 流石のあたしも、あんな距離から狙えないし。 もっと自慢していいと思うわよ」 「あ、ありがとうございます」 月守達との〈滑空〉《グライド》訓練を終えた後、すぐさま硯は注目の的になっていた。 結局、彼女には及ばなかったものの、それでも俺達は今まで訓練をこなしてきた中で、一番の結果を残すことができた。 「あの遠距離射撃はホントカッコ良かったです! 後でわたしにも教えてくれませんか!」 「は、はい。私でよければ」 ななみとりりかに挟まれて、照れ臭そうにしつつも嬉しげな硯に、こっちも嬉しくなってくる。 「――少し見ないうちに、随分と上達したわね」 「先生……お疲れさまです」 「お疲れさまー」 先生は労うように微笑むと俺の隣に並び、盛り上がっているサンタ達を見る。 きっと先生の目は俺と同じで、話題の中心になっている硯を見ているだろう。 「あの子はね……」 ふと、先生が口を開いた。 「硯は、今までアタシ以外の人間と ペアを組んだことが無かったのよ」 「え?」 「だから、あなたと組ませた後、 最初はどうなるかって ヒヤヒヤしてた部分もあったんだけど……」 「…………」 「まっ、今のあなた達を見てたら、 そんな心配もすることなかったわね」 硯を見守る先生の表情は終始柔らかく、とても優しいものだった。 「これからも硯のこと、よろしく頼むわよ」 軽く俺の肩を叩いて、先生は今だ賑やかな硯達の輪の中へ入っていく。 先生にも褒められたのか、ここからでも分かるぐらい灯りが点いたみたいに硯は赤くなっていた。 「……先生以外と組んだことがない、か」 「私は……先生じゃないと駄目なんです」 「先生じゃないと駄目、か……」 先生とじゃないと力が発揮できないとか?いやでも、最近は息も合うようになってきたし、訓練の結果だって上々だ。 そもそもトナカイとして、俺と先生は何が違うんだ? 「…………」 「――お疲れさまです、冬馬さん」 気づかないうちに俯けていた顔を上げると、輪の中心にいた硯が目の前に立っていた。 「おう、お疲れさん。訓練再開か?」 「いえ、あと5分ほど休んだ後、 もう一度飛行訓練を行うということです」 「ならもう少し休めるな」 愛機のシートにもたれかかる。 すると、硯はごく自然に隣へ並ぶと、同じようにカペラに身体を預けた。 「……なあ、硯。 一つ聞きたいことがあるんだが」 「何ですか?」 「……以前、硯は言ってたよな。 『私は先生とじゃないと駄目なんだ』って」 「あれって……どういう意味なんだ?」 「そ、それは……」 さっきまで見せていた笑顔が消え、一転して硯は緊張したように身体を強張らせた。 「……あー、答えづらいならいいんだ。 誰にだって秘密ぐらい――」 「――今はまだ、待っていてもらえませんか」 「え?」 「訓練中に話すことじゃないですし、 その……気持ちの整理とかあって……」 「だからもう少しだけ時間をください。 必ず……必ずお話しますから」 「そ、そんなに畏まらなくていいって。 俺の方もいきなり過ぎたしさ」 「……雪?」 「あ……ッ」 「硯?」 「…………」 ぎゅっ、と彼女の手が胸元を握り締める。 チラチラと舞い落ちる小さな結晶。それをどこか怯えた様子で見つめる硯が俺の中で妙に引っかかった。 「Zzz……」 「とーまくんっ! とーーまくーーん!!」 「とーまくんとーまくんっ!! 起きてくーだーさいッ!!」 「うおぁっ!? なッ、なんだぁッ!?」 じ、地震かっ!?動転してる頭で必死に状況を整理しようとした時、物凄い力で身体が引っ張り上げられた。 「こっちですこっちっ!!」 「な、ななみっ……おいこらっ!? 引っ張るなって……いてぇッ!!」 階段や手すりに身体をぶつけながら、外に連れ出されると、鼻先に冷たいものが降りかかった。 「……雪?」 「はい!」 空から舞い散ってくる粉雪を、ななみは嬉しそうに見上げている。 降り始めて随分経ってるのか、テラスの木床には幾つもの水滴が浮かんでいた。 「それでわざわざ俺を起こしてくれたのか?」 「はい! とーまくんも喜ぶかと思いまして♪」 「そうかそうか」 そのちっこいピンク頭に手を載せて―― 「ああああぁぁぁぁ〜〜! 潰れます! 顔が潰れちゃいます! 何かでちゃいますー!」 「こっちもな、お前に引っ張りまわされて 身体中凹むくらいぶつけられたんだぞ? だから、これでチャラだ」 「あうっ! ううぅっ、折角教えてあげたのにー」 「ふぁぁ……ちょっとぉ。 朝っぱらからうっさいわよー」 「おはよーございます、りりかちゃん! ほら雪ですよ、雪!」 「はいはい。分かってるわよ、そんなこと。 そんなにはしゃがないの」 ななみに倣うように、月守も灰色の空を見上げる。 しかし、その表情はななみとは対照的にプロの顔つきをしていた。 「……おかしいわね」 「そうか? 別に普通の雪じゃないか」 「あたしが言いたいのは、 何でこんなに早く雪が降るのかってことよ」 「まだ11月に入ったばかりなのよ。 最近は天候そのものが安定してないし……」 確かにりりかの言う通り、天気予報も当てにならないくらい、ここ数日の天気は移り変わりが激しい。 秋らしい暖かな日が続くかと思えば、急に冬場のような冷え込んだ日がやってきたり。 「考え過ぎじゃないか? 初雪だって俺達がここに来た時に見られたんだ。 こういうこともあるさ」 「それに、秋の天気は変わりやすいって言いますし」 「……そうだといいけど」 「皆さん、どうかされたんですか?」 「あっ、おはよーございます!」 「見てください見てください! また雪ですよ雪っ」 「…………」 「……あれ? 楽しくないんですか?」 「……どうしてですか?」 「だって雪ですよ雪! こー嬉しくなってきたり、 やる気に満ち溢れてきたりしませんか!?」 「い、いえ……それほど」 「きっとすずりんもおかしいと思ってるのよ。 ここのところ、天候も不安定だし……」 「雪が降るのは……分かってましたから」 「分かってた?」 一体どういうことだ?天気予報でそんなこと言ってたのか? 「…………」 青を塗り潰した灰色の雲からは千切れ落ちるように雪が降ってくる。 だが、硯は落ちてくる雪を見ても、ななみのように喜んだり、月守さんみたいに不審がる様子もない。 ……もしかして、硯は―― 「硯は雪が嫌いなのか?」 「はい」 即答か。彼女にしては、ヤケにはっきり答えてくれる。 「雪が降ることは、 良いことばかりじゃないですから」 「確かに規模が大きくなると、 色々と弊害が出てくるからな」 雪が降れば、それだけで視界が低下するし、風が伴えば機体のバランスを取るのが難しくもなる。 ルミナに守られているとはいえ、天候からの影響を全て防げるわけじゃない。 「それに硯は寒がりだからな。 だから、雪が好きじゃないんだろ?」 「…………それだけじゃありません」 「雪は冷たくて……怖いですから」 「怖い……?」 「はーーくしゅっ!」 「まったく……。 小粒の雪で、はしゃぎ回るからよ」 「ずるるっ……面目ないです。 ぶるるるるるっ」 うっすらと両肩を濡らしたななみとりりかがリビングに下りてくる。 ななみははしゃぎ過ぎだが、やっぱり俺達にとって降雪は喜ぶことだろう。 けれど硯は怖いと言った。彼女のあんな反応を見たのは初めてだ。 まるで雪の恐ろしさを知っているような、そんな風な口ぶりだった。 暇潰しを兼ねてマーケットにやってきた頃、空を覆う雲は濁りを増していた。 冷え込んだ風が吹き抜ける中、マーケットは沢山の買い物客で賑わい、熱気に包まれている。 そんな中、ちっこい女の子がテキパキとした動きで店先を巡り歩いていた。 「むぅぅ……」 「さつきちゃん」 「んん〜……ん?」 「あ、冬馬さん。こんにちはー。 今日はお休みなんですか?」 「まあな。そっちは買い出しの最中か。 相変わらず凄い量だな」 「こんなの、まだまだ序の口ですよ。 あっ、すみませーん! このカボチャ、一つくださーい!」 彼女の両手にはこれでもか、というくらいに膨らんだ買い物袋がぶら下がっていた。 袋の口からは今にも中身が零れ落ちそうになってるのに、これで、まだ序の口というか$ 俺は両手を伸ばして、さつきちゃんから買い物袋を取り上げた。 「冬馬さん?」 「折角だから付き合うぜ。 それで、次はどこを回るんだ?」 「い、いいですよそんなのっ”」 「遠慮しなくていいぞ。 これだけの量を一人で持ち歩くなんて骨だろう」 「でも冬馬さんだって、たまの休日でしょ? わざわざ私に付き合わなくても……」 「こっちはその休日を持て余してるのさ。 だから手伝わせてくれないか?」 「冬馬さん……」 「もっとも迷惑って言うなら、 無理にとは言わないが……」 「め、迷惑だなんてそんな……。 それじゃあ、お願いしてもいいですか?」 「ああ、任せとけ」 「しかし、いつ見かけても さつきちゃんは忙しそうにしてるな」 「それはそうですよ。 実際に忙しいんですから」 「普段から一体何しているんだ?」 「平日は学校ですね。 それ以外はバイトと家のことを少し」 「朝は新聞配達からこなして、 帰った後は朝ご飯の支度をして学校に行って」 「帰ってきたら、そのまま夕刊の配達。 それが終わったらお風呂を沸かして、 御飯を済まして」 「あとは学校からの課題を片付けて、 お休みして……で、朝刊の配達って感じ」 「感じって……」 俺達以上にハードな一日じゃないか。 「お母さんは仕事で忙しいですから。 家のことはできるだけ私がやるようにしてるんです」 「それは感心するが……ちゃんと休めてるのか?」 「休めてますよ。 いくら私でも、そんな毎日働けないですし」 「そりゃそうだろうけど……」 「でも、イヤって思ったことは無いですよ。 身体を動かすのは〈性〉《しょう》に合ってますし」 「それに忙しくしてた方が、 何も考えずに済みますから」 「…………」 何でもなさそうに笑いながら話すも、さつきちゃんの顔はどこか寂しそうに見えた。 しかし何と言っていいか分からず、俺はただじっと聞くことしか出来なかった。 「あー! つまんない話してごめんなさい。 テンション下げてしまって」 「……そんなことないさ。 さつきちゃんが働き者だっていうことは 良く分かった」 「けど、休む時間もちゃんと作れよ。 もし倒れたりしたら皆心配するんだからな?」 「そうならないように、気をつけます♪」 「本当にここでいいのか?」 「はい。 この後、ちょっと用事がありますから」 「そうか。 まっ、何かあったらウチに来るといい。 いつでも歓迎するからさ」 「ありがとうございます♪ それじゃ!」 「……何も考えずに済む、か」 ……さつきちゃんには、何か忘れたいことでもあったのか? 「ただいま」 「……?」 リビングに入ってみると、人の姿は見当たらなかった。 そろそろ夕飯の時間だというのに、硯の姿が見えないのはちょっと珍しい。 「もしかして部屋か……?」 一応、様子を見に行ってみるか。時間を忘れて〈模型〉《趣味》に没頭してないとも限らないし。 思い立った俺は螺旋階段に足を運び、テラスに続くロフトへ上がる。 そしてドアノブに手をかけて―― 「――そっか。 中井さんに打ち明けようかどうか迷ってる、か」 「……はい」 扉の向こうから聞こえてきた話し声に、俺は押し開こうとした手を止めた。 「……大丈夫よ、硯。 中井さんだったら、何とかしてくれるかもよ?」 「そ、そうでしょうか……?」 「彼は逆境に燃えるタイプだろうし、 むしろ余計にやる気を出してくれると思うわ」 「少なくとも、 今よりも悪い方向に変わることはないわよ」 「だから安心しなさい」 「…………はい」 「…………」 それ以上、話が聞こえないように、俺はそっと忍び足でその場から離れた。 あの扉の前に留まっていれば、きっと硯が隠していることも分かっただろう。 だが、彼女は時間がかかってもちゃんと話すと俺に約束してくれたのだ。なら俺は彼女が話してくれるまで待つべきだ。 「……カペラのメンテでもするかな」 「ただいま」 「あっ、お帰りなさい。冬馬さん」 「おかえりなさーい」 愛機のメンテナンスを終え、リビングに戻るとちょうど硯がキッチンに入っていて。 そして彼女とは対照的に、彼女の師匠は携帯ゲーム機を手にして、ゴロゴロと横になっていた。 「完全に寛ぎモードですね、先生。 こんな時間にどうしたんです?」 「硯の手料理が恋しくなってきてねー。 久しぶりに夕飯をご馳走してもらおうと」 「それで私が先生を誘ったんです」 「なるほど」 「ごっはんー、ごはんー♪ ごはんが涙をファラウェ〜♪ おー!!」 「星名ななみ、ただいま戻りましたー! 今日の晩御飯はなんですか〜〜♪」 「まったく……帰ってくるなりゴハンゴハンって アンタの頭にはそれしかないの?」 「お帰りなさい。 ななみさん、りりかさん」 「おかえりなさーい」 「およ? こんな時間にどーしたんですか、先生?」 「(どーせアレよ。  今から家に帰ると、  見たい番組に間に合わないとか)」 「(い、いくらなんでも、  流石にそれは無いんじゃないかと……)」 「丸聞こえだぞ、二人とも」 「まあ、見たいテレビがあるのはホントだけどねー」 「いや、そこは否定するところじゃないかと」 「今日はごちそーさまでした、硯。 さらに腕を上げたわねー」 「ありがとうございます。 また食べに来てくださいね」 「でも、本当にいいんですか? 何ならボスの所まで送っていきますよ」 「だいじょーぶよ、そこまでしてくれなくても。 この時間ならまだ電車も残ってるし」 「それにお気に入りのお酒も切れちゃったから、 マーケットにも寄らないといけないしねー」 「あ、あの……先生」 硯が帰ろうとした先生を呼び止める。 お腹でこまねいている手は、今にも先生に伸びていきそうだった。 「大丈夫よ」 やんわりと小さく微笑みながら、先生はぽん、と硯の頭に手を置いた。 「あなたが話してもいいと思ったんでしょ? ならその気持ちを大切にしなさい」 「中井さんだったら、 ちゃんと受け止めてくれるわよ」 「……分かりました」 「よし。 じゃ中井さん、あとはお願いねー」 「……さて、と。じゃあ俺達も戻ろうか。 いつまでもここに居たら、身体が冷えるからな」 「……あ、あのっ、冬馬さん」 「どうした?」 「その……明日の訓練の後、時間をいただけますか? お話したいことがあって」 「……分かった。訓練後だな」 「はい……よろしくお願いします」 小さく頭を下げて、硯は一足早く家へと戻っていった。 一体、何を話してくれようとしているのか。 ただ相当な勇気を出さないと、俺に話せない内容だとは分かる。 けれど、硯が何を話してくれようと俺は彼女を受け入れるつもりでいた。 「ゆーきやこんこん、あーられやこんこん♪ 降っては降ってはずんずんつーもる♪」 「いい感じで降ってくれてるわね。 雪中訓練なんて理想的じゃないのー」 「積もりもしない淡雪ですけどね。 てっきり夜までに止むものと思ってましたけど……」 鬱蒼と広がる森林に丸く切り取られた空からは絶えず雪が散り落ちてくる。 風が吹けば消えてしまいそうな淡雪は、例年よりも早い冬の到来を知らせるように、降ったり止んだりを繰り返していた。 「雪中訓練なんて気合いが入ります! 今日はもぉ、ガンガン訓練していきましょー!!」 「本音を言えば、 雪の量がもっと多ければよかったんだけど……。 まっ、無いものねだりしてもしょーがないか」 「硯ちゃんも今日は……硯ちゃん?」 「……っ」 振り向いてみると、見るからに緊張した硯が小さく震えていた。 皆と向き合っているはずなのに、厳しく強張った顔は全く反応してくれない。 「こら、硯」 「ひゃあああぁぁっ!?」 「いくらなんでも緊張しすぎだぞ、硯」 「と、冬馬さん……」 「こういう時は深呼吸だって言っただろ。 ほら、息を大きく吸って吐いて」 「すぅぅ……はぁぁぁ……」 「コンビを組んで初めての雪中訓練だ。 硬くなるのも分かるが、力は抜いていこうぜ」 「は、はい……!」 「そっちの準備はもう大丈夫かしら?」 「大丈夫か?」 「はい……」 俯けていた顔を上げ、硯が小さく頷く。 若干まだ緊張が見られるが、訓練をこなすうちに解れるだろう。 「――それじゃあ、皆行くわよ!!」 「……っ!」 「はぁ……っ」 「気を抜くなよっ、すぐに次が来るぜッ」 「っ! はいっ」 「あっ……!!」 「慌てるな。 このまま左からアプローチするから、 そこを撃ち抜いてやれ」 「はい!」 「今度こそ……ッ」 「命中しました、冬馬さんっ!」 「ばっちり見せてもらったぜ。 一旦上昇するぞ」 「どうした? 今日は何だか集中できてないようだが」 「うぅ……す、すみません」 スコアそのものは決して悪いものじゃない。ただそれほど遠くはない距離から、的を外してしまうことが多いのだ。 「今日はいつもより冷えるからな。 寒さで身体が硬くなってしまったか?」 「い、いえ。そういう訳じゃ……」 「まっ、訓練は始まったばかりだ。 リラックスしていこうぜ」 「そのうち、身体も温まってくるだろう」 「はい……」 「あ……!」 冬の冷気を帯びた夜風に紛れて、か細い硯の声が耳に届く。 「ん……?」 サイドミラーに目を向けると、硯の視線は星空のように瞬く町並みに向いている。 ……あれは、さつきちゃん? 「私は居ないと思うんですよね。 サンタクロースなんて」 「……さつきちゃんにも、届けてやりたいな」 「え……?」 「プレゼントだよ。 さつきちゃんにも欲しいものはあるだろうしさ」 「ッ……!?」 「……少し吹雪いてきたな」 この程度ならどうってことないが、緊張気味な硯には厳しいかもしれない。 少しペースを上げて、早めに片づけたほうが良さそうだ。 「硯、今より少しペースを上げて……」 「ぃ、いや……っ」 「硯……?」 「硯? おい、硯っ……!」 「いやあああぁぁぁぁああぁっ!!」 「ふ、吹雪っ!? 急になんで……っ!!」 穏やかだった夜風は一瞬にして、獣のような唸り声を上げる吹雪に変わり、俺達を飲み込んでいく。 「と、冬馬さん……っ!」 「っ!? 硯っ!!」 思わず後ろを確認する。硯は自分の両手で震える身体を抱き締めていた。 カペラとソリの周囲で激しく暴れ回る白い結晶。それに混じって、見覚えのある七色の粒子が突風に流されていった。 「コレは……っ!」 ただの吹雪じゃないっ!? 「しまっ――」 耳元で唸り声を上げた突風が機体を煽り、光の軌道からカペラを突き飛ばした。 「……っ!」 ステアリングを握り直し、風に流される機体を安定させる。 だが、失速を続けるカペラに機体を支えるだけのルミナは、もう残ってはいなかった。 「諦められるかよ……っ!」 それが何かと判断する前に、しがみ付いているだけだった両手が動いた。 横殴りの吹雪が視界を白く染める中、ステアリングを思い切り横に切る。 吹雪に振り回されるだけだった機体が、流されるようにその端先を変えた。 「……っ、う……っ」 「っ……とーまくんっ」 「……ななみ?」 「正解ですっ。 あっ、あと今出してる指の数、分かりますか?」 「1」 「…………良かったぁ」 「いちいち大げさだな」 オーバーリアクションなななみに苦笑しつつ、身体を起こそうとして。 「ぐっ……」 拍子にズキっと身体のあちこちから悲鳴が上がり、思わず顔が引き攣ってしまう。 「だ、大丈夫ですかっ?」 「これぐらい慣れっこさ。 それより……」 「硯ちゃんだったら、 先生に付き添われて、部屋で休んでます」 「とーまくんが庇ってくれたおかげで、 ケガもありませんでしたから、安心してください」 「……そうか」 突然、発生した猛吹雪。あれからいち早く異変を察知した先生と一緒にすぐに駆けつけてくれたらしい。 墜落した先は、住宅地から離れた山の中。硯を乗せていたソリは無事だったが、代わりにそれを庇ったカペラは半壊。 損傷した機体の傍に気を失った俺と、泣きながら呼びかける硯の姿があったと言う。 「硯ちゃん、とーまくんにずっと謝ってました。 『ごめんなさい』って」 「……硯が謝る必要なんて全くないけどな」 あの吹雪は突発的な自然現象で、墜落したのは俺の失態だ。 「それで金髪さんとジェラルドは?」 「二人なら、レッドキングさんの所に 事故の報告と調査に出かけてますよ」 「あの吹雪か」 俺と硯を墜落に追い込んだ猛吹雪。 あれは、去年のイブに起こった吹雪ととてもよく似ている。 けど、今俺がすることは、あの吹雪について考えることじゃない。 「……っと」 「? もしかして硯ちゃんの所ですか?」 「ああ、顔でも見せて安心させてやらないとな」 「肩、貸してあげましょーか?」 「いいよ。 カッコつかないだろ、それじゃ」 「あら」 テラスに出ると、ちょうど先生が洗面器を片手に硯の部屋から降りてきていた。 「……またでっかい絆創膏くっつけちゃって。 もう起きて平気なの?」 「はい、俺の方は。 硯はどんな様子です?」 「ようやく寝息を立ててくれた所よ。 多分、疲れちゃったんでしょうね」 「……そうですか。 なら日を改めたほうがいいですね」 「悪いけど、そうしてくれる? しばらくはゆっくり休ませてあげて」 「念のため、アタシも側についてるから」 「……それがいいでしょうね」 ななみの話によれば相当取り乱していたようだし。硯も先生が傍に居てくれれば、安心できるだろう。 「店のことなら心配するなって、 硯に伝えておいてください」 「分かったわ。 それから、あなたももう休みなさい。 事後処理は月守さん達に任せてあるから」 「大丈夫ですよ。 俺はそんな大したケガじゃ……」 「うっぐぅ……!!」 「なぁ〜にが大したことない、よ。 あなただって軽くないケガしてるんだから、 しっかり休みなさい」 「わ、分かりました……つぅぅっ」 「あっ、それから……」 「な、なんですか……?」 「硯を守ってくれて、ありがとう」 「……相方を守るのは、当然のことですから」 「はぁ……素直じゃないんだから」 「は?」 「まっ、いいわ。 さっさと身体を休めなさいよ」 「……俺も休むか」 「おはよーさー……」 母屋に踏み込むなり、ツンと焼け焦げたような臭いが鼻をつく。 「な、なんだ……この臭いっ?」 その臭いに思わず鼻と口を塞いでいると、真下の方から何かぶちまけたような音が飛んできた。 「あーーっ!!」 この声は……。 「なんてモン混ぜてんのよ、アンタはーー!!」 「だ、だってッ、 朝に糖分を取ると元気が出るんですよー!」 「だからって、ケチャップの代わりに チョコクリームなんて塗りたくるなー!」 「…………”」 「ぎゃーー! レンジが爆裂ーー!!」 「い、一体何を温めようとしてたんですかぁっ!?」 「ゆで卵を作ろうと思って、卵を……」 「そんなの入れたら、 爆発するに決まってるじゃないですかー!」 「わ、分かってたんなら、 最初にそう言いなさいってのー!」 「……一体何をやってるんだ?」 リビングに下りてみると、何をこぼしたのか焦げた匂いに混じって、強い刺激臭まで漂ってきた。 「あー……酷い目に遭ったわ$」 「でも、その甲斐あって、 なんとか出来上がったじゃないですか」 「二人とも、大丈夫か?」 「やや、とーまくんっ!? ダメですよ、ちゃんと寝てなきゃー!」 「ただのかすり傷さ。 この程度でいつまでも寝てるわけにはいかないだろ」 「大体、スロバキアで過ごしてた頃は あの程度の墜落なんて日常茶飯事だったんだ。 だから大したことない」 「大したことないって……まったく。 アンタに限ったことじゃないけど、 トナカイってタフよねー」 「これぐらいタフにならないと、 トナカイなんて勤まらないのさ」 「それで、そういう二人は こんな朝早くから何をやってたんだ?」 「何って……見て分かんないの?」 「ああ、さっぱりな」 「りりかちゃんと朝ご飯を作ってたんですよ」 朝ご飯……? 「……その割には、 随分と凄惨なことになってるみたいだが」 「細かいことは抜き!」 細かいことなのか? 「すぐに用意しますから、 とーまくんは座って待っててください」 「じゃじゃじゃーーん☆ お待たせしました! りりかちゃんとの渾身の合作料理です!」 「名づけて、ハイパーミラクルハンバーガーよ!!」 目の前に出されたのは、見てくれも極めて普通。どこにでもありそうなハンバーガー。 それ故にパンの間から垂れる半透明のソースが異様だ。なんだこの色は? 化学反応でも起こしたのか? 「…………」 しかし、折角二人が俺のために作ってくれたんだ。例えどんなものだろうと食べないわけにはいかない。 「……いただきます」 「……(ごくり)」 「…………美味い」 「ウソっ!?」 ちょっと待て。二人とも、なんだその反応は? 「きっとアレですよ! チョコクリームといちごクリームを混ぜたのが 良かったんですよ!」 「違うわよ! あたしがチョイスしたおかめソースが ハンバーガーの味を引き立てたんだから」 「……そんなものを混ぜて、 どーしてこんな美味しいものが出来るんだ」 「それにしても……、 あれだけの事故だったのに、 軽いケガで済んで良かったわね」 「少し大げさじゃないか? こうしてピンピンしてるし」 「無事に済んだからってお気楽過ぎなのよ。 現場を見せられたこっちは、 冷や汗モンだったんだからね」 「……そんなに酷かったのか?」 「一歩間違えてたら、大事故よ」 「下手してたら、 アンタはここにいなかったかもしれないんだから」 「落ちた先が山の中だったことが幸いね。 枝葉と雪でぬかるんだ土がクッションになって 衝撃を和らげたんだと思うわ」 「あと、上手いタイミングで切り離したからか、 すずりんのソリも大きな損傷も無かったし」 「あの突然の吹雪の中だったのに、 よくあそこまで冷静に対処できたわね」 「今回はあたしも90点をつけてあげる」 「ジェラルドさんも褒めてましたよ。 大したヤツだって」 「そりゃどうも、光栄だ。 それで昨日の吹雪だが……」 「なーんにも分かんなかったわ」 「あれから調べてみたけど、 ルミナが不安定な所が確認できただけで、 他に異常は無かった」 「ツリーがらみのトラブル……。 現状だとその判断しか下せないわね」 「……そうか」 「…………?」 「どうしたんですか?」 「いや……」 さっきまで、ロフトに誰かが居たような気がしたんだが……。 「……まさかな」 やっとの思いで部屋に戻った直後私は扉の前にしゃがみ込んだ。 「…………」 「一歩間違えてたら、大事故よ」 「下手してたら、 アンタはここにいなかったかもしれないんだから」 私のせいで、危うくあの人を……。冬馬さんを失うところだった。 呆然としていた頭が、ようやくその事実を認識し始めた。 「……ん、な……ぃ……」 気が付けば謝罪の言葉が口をついていた。 「ごめんなさい……ごめんなさいっ」 「ごめんなさい、冬馬さん……ごめんなさいっ」 ようやく持てそうだった勇気は、私の指の隙間から砂のように零れ落ちていった。 ななみとりりかお手製の朝食を済ませた後、いつものように開店準備をこなしていく。 けれど、いつも側で仕事をしている硯はいない。なぜかそれが寂しく感じられる。 「おはようございます」 「おはようさん。 悪い、発注リストなら まだできてなくてだな……」 「かまいませんよ。 今日は別件で伺いましたから」 「別件?」 「あなた方の様子を見に来たんです」 「本当ならすぐに伺うべきだったんですが、 事後報告が忙しくて……すみません」 「気にしてないさ。 それに大したケガでもなかったしな」 「それで硯さんの方は……」 「今は部屋で休んでる」 「ついさっき先生が来て様子を見てるから、 何かあっても大丈夫なはずだ」 「それほど大きなケガもないって話だから、 すぐに復帰してくれると思うが……」 「そうですか……良かった。 何はともあれ、二人とも無事で何よりです」 「サー・アルフレッド・キングも とても心配なさってましたから」 「一度、二人で顔を見せに来てください」 「ああ、分かったよ」 「それと、今日は硯さんに代わって、 僕もお店を手伝いますから」 「ありがとう。助かるよ」 「……(じー)」 「……”」 開店してから既に1時間ほど。りりかの監視するような視線に晒されながら仕事をこなしていた。 最初は何か文句でもあるのかと思ったがどうやらそうではないらしい。 声をかけてくるわけでも、仕事を頼みに来るわけでもなく、ジロジロと見張るように俺を見るのだ。 「ありがとうございました」 「……ふーん」 「なんだよ、さっきから」 「別に。 ただ、真面目に仕事してるって思っただけよ」 「当たり前だろ。 何がおかしいって言うんだ?」 「あたしはてっきり、 すずりんの事が心配で心配で 仕事も手に付かないだろうって思ってたんだけど」 なるほど。だから朝からじっと見ていたのか。 「見くびるなよ。 確かに硯のことは心配だけど、 それで手を抜いていい理由にはならんだろ」 「今の俺にできることは、硯が心配しないように 店をしっかりと回すことだからな」 「……へぇ〜、分かってるじゃないの」 「こーんにちはーー♪」 「あ、いらっしゃいませー☆ さつきちゃん!」 「はいっ、こんにちはー! ちょっと顔を出しに来たんだけど……」 「あれ、硯は?」 「硯なら体調を崩しちゃってな。 少しの間、店番を休むことになったんだ」 「えっ、体調を崩したって……、 だ、大丈夫なんですかっ?」 「ああ、少し疲れちゃったみたいでな。 すぐに元気になるだろうってさ」 「なんなら、様子見ていくか?」 「……ううん、止めときます。 私が顔を出したら、きっと気を遣わせちゃいますし」 「そうだ! 良かったらコレを使ってください!」 「……ヤケにまた分厚い本だな」 「しろくまムックシリーズVol.4989 『究極の風邪対策! くまっく療法!  〜風邪に負けない体を作るために!〜』」 「この本に病例から対処法まで ぜーんぶ書いてありますから」 段々とムック本じゃなくなってるぞ、このシリーズ。ここまで来たらもう辞書じゃないか。 「それじゃ、私は集金の途中なので。 硯にはお大事にってだけ伝えておいてください。 それでは!」 「嵐のように去っていきましたね……」 「彼女なりに気を遣ってくれたのさ」 しかしサンタ先生がついてるとは言え、朝から顔を見てないとやっぱり心配になってくる。 店が終わった後、もう一度先生に様子を聞いてみるか……。 「あ……降ってきちゃいましたね」 「朝から空がグズってたからな」 けど、なぜだろう。いつもと同じ雨のはずなのに嫌な感じがした。 朝飯のお礼に夕飯の片付けを引き受けた俺は、静まり返ったリビングで一人皿を洗っていた。 蛇口から流れる水音に混じって、弾けるような雨音が耳に入ってくる。 「……ふぅ」 口を開けば、さっきからため息ばかり。 その原因は昨夜のあの吹雪。 透によると幸いにもハーモナイザーやリフレクターなど駆動系に損傷は見られず。 破損したウィングやカバーを交換すれば、飛行には何の問題もないとの事だった。 「しかし、今考えれば他にやりようはあったかもな」 吹雪の規模は違うが、似たような状況は一年前にも経験している。 金髪さんには珍しく褒められはしたが、ジェラルドだったらもっと上手く対処したはずだ。 「……まだまだ未熟だな、俺も」 それに硯のことも心配だ。ここ数日、彼女は部屋に篭りっきりで様子を見ることもできなかった。 硯に付き添っていた先生は大丈夫だと言ってはいたが……。 「寝る前に、様子を見に行ってみるか……」 「――冬馬さん」 「……硯?」 顔を上げると、そこにはぽつんと硯が立っていた。 ずっと横になっていたんだろう。身に着けているパジャマがヨレヨレになってしまっている。 「……おはようさん。 ゆっくり休めたみたいだな」 「はい……」 一瞬だけ目が合う。瞬間、硯は怯えたように顔を俯ける。 さらり、と揺れる前髪。その隙間から泣き腫らしたように赤くなった双眸を覗かせた。 「もう起きても大丈夫なのか?」 「……はい。 心配をおかけして、すみませんでした」 きゅっとパジャマの裾を掴んだまま、それっきり彼女は口を噤んでしまう。 「……もしかして、 何か話したいことでもあるのか?」 「…………ッ」 「……場所を変えようか」 きっと自分の中で整理をつけたのだろう。硯はあの言葉の意味を話してくれるのだと思った。 結局、事故が起こってからは顔を合わせられず、うやむやになってしまっていたし。 けど、いつ人が来るか分からない〈リビング〉《ここ》じゃ、話すに話せないのだろう。 「まだ雨が降ってるからな。 格納庫ぐらいしか場所は無いが――」 「……冬馬さん」 「ん?」 「私とのペア……解消してもらえますか」 「――次っ、左から〈目標〉《ターゲット》2つっ。 右から3つだっ。備えてくれよ!」 「は、はい……っ!」 「く……っ!」 「あ……ッ」 「すまんっ、今のは俺のミスだっ。 ……思ったよりスピードが出ないな」 「次は今よりも、もう一呼吸置いて……」 「冬馬さん……」 「まだだっ、諦めるなっ」 「っ、もう……――」 「……っ!」 「……またか」 「私とのペア……解消してもらえますか」 「今のままでは続けても、 私とのペアは機能しないでしょうから」 「……短い間でしたが、ありがとうございました」 「……参ったな、ったく」 硯からのコンビ解消を申し出されて数日。 その時の硯の言葉が、今だに俺の耳にこびりついたままだ。 ……突然起こったあの猛吹雪。それはケガだけでなく、俺と硯の間にも大きな溝を刻んでいった。 噛み合っていた呼吸は崩れ、今や結成当時……いや、それ以上にバラバラだ。 今はまだ硯とコンビを組み続けているが、この結果が続けば彼女の言う通り―― 「……いや、今は考えないでおこう」 朝っぱらからこんな陰気な気分に浸るわけにはいかない。 ちゃんと切り替えていかないと。 「あ。おはよーございます、とーまくん」 「おう、おはようさん」 顔を洗ってきたのか、洗面所から現れたななみに挨拶を返しつつ、リビングを見回す。 「すずりんだったら、 一足早くレッドキングの所に出ていったわよ」 「なんだって?」 「先生が迎えに来たのよ。 軽いミーティングがあるんだって」 「……そうか」 「さっ、あたし達もさっさと行きましょ。 ほら国産、ハリーハリー!」 「はいはい。 そう急かさないでくれ」 「……避けられてる、か」 本当なら、硯とすぐにでも話がしたいが、無理に事情を聞こうとして、日常生活に支障をきたしても困る。 「硯からちゃんと話が聞きたい……」 何とか折を見て、彼女を捕まえないと。 ななみ達をボスのもとへ送り届けると、ミーティングを終えたのか、サンタ先生が硯を連れて外に出てきた。 「おはよう、硯」 「ぁ……」 「……おはようございます、中井さん」 ……ついに、名前で呼ばれなくなったか。 「あ、あれ……?」 「……すずりん?」 「あちゃー……」 「おはよう、サンタ諸君」 「おはようございます!」 「うむっ、朝から気合いが入っているようだな。 実に良いことだ」 「その気合いに応え、本日の鍛錬は5割増しで行こう。 ビシビシと鍛え上げてやるぞ!」 「いやーーー!!」 「がっはっはっは!」 「サー・アルフレッド・キング、 鍛錬の前に彼女達に連絡事項があるのですが」 「ああ、そうでしたね。 では先生、お願いします」 「今日からしばらくの間、 現状のサンタとトナカイの組み合わせを変更して、 訓練を行っていきます」 「へ、変更……ですか?」 「なぜ、急にそんなことをするんですか?」 「今、皆は当たり前のように組んでるけど、 いつも同じ人間とコンビを組めるとは限らないわ」 「相方が事故、急病で動けなくなれば、 別の人間とコンビを組まなければならないんだから」 「あ、なるほど! 確かに言われてみれば……」 「今回の措置は万が一の事態が起こってしまっても、 対応できるようにするためのものだ」 「組み合わせに関しては追って知らせる。 それまでは、現在のペアで過ごしてもらって結構」 「……仕方ないわね。まあ、あたし達には 必要ないことだと思いますけど」 動けなくなったら、か。まさに今の俺と硯のことだ。 もしかして先生は……。 「次! 竹刀素振り100本! 小童どもっ、戦場を駆ける〈武士〉《もののふ》の如く 竹刀を振るうのだ!」 「は、はーい……っ」 「いちっ!」 「い、いーちっ……!」 「そんな軟弱な打ち込みでは、蚊も殺せぬわ! もっと気合いを込めんかぁぁああ!!」 「はっ、はいッ!!」 「もう一度ッ、いちィィイッ!!」 「いーちっ!!」 「はぁ……いつ見ても凛々しいわねぇ」 「先生」 「……あ、あら。姿が見えないと思ったら。 今日は鍛錬に参加しないの?」 「……少しいいですか?」 「?」 「さっきの組み合わせの話ですけど 本当は今の俺と硯のことを配慮しましたよね?」 「随分と直球で聞いてくるのねー」 「否定はしないんですね」 「非常時に備えて……というのも本当。 たまたまタイミングが重なっただけよ」 先生はこちらには顔を向けず、白熱する朝の鍛錬光景を見学していた。 素振りという準備体操が終わると、硯達は竹刀から木刀に持ち替えて立ち木打ちをこなしていく。 「はぁ……はぁ……き、きぇーーぃ……」 「あの事故の後、硯の側についてたんだけど」 「あのコ……、 あなたとのコンビを解消したいって言ってきたわ」 「……面と向かって言われましたよ」 「でも、それはアタシの一存では決められない。 だから――」 「緊急時を想定した、 ペアの交換訓練を考えたってわけですか」 ご明察、と言いたげに先生は頷いてみせた。 「……あの子なりに責任を感じてるのかもね」 「責任? そんなの感じる必要なんてないでしょう」 吹雪の一件は誰にも防げない災害だ。誰も責められることじゃない。 なのにどうして硯が、思いつめなければいけないんだ? 「それで、あなたはどーするの? ……硯とのコンビ、解消したい?」 「本気でそれを聞いてるなら、 先生には人を見る目が無かったことになりますね」 「なら見る目は確かだったわけだ」 「アタシも、あなた達を解散させるつもりはないわよ」 「ただ、硯にも事情があってね。 もう少しだけ見守ってあげてちょーだい」 「……どんな事情か聞いても?」 「それはアタシの口から言うことじゃないわ」 きっぱりと言い切って、先生はそれっきり口を閉ざしてしまった。 「事情、か……」 「ありがとーございましたー♪」 時間もお昼を過ぎた頃、店内に残っていた最後の一人を見送る。 レジ番をしながら、俺は帳簿に店の売り上げを書き込んでいた。 売り上げを示す赤い折れ線は右肩上がり。数値も開店月の先月を上回っている。 いつもなら、売り上げを記録しながら、〈彼女〉《・・》と一喜一憂していたんだが―― 「…………」 その当人はこちらに興味を見せず、一人で床掃除をこなしていた。 終始口を開かず、人を寄せ付けないぐらい仕事に集中している。 見守っていてくれ、と先生はそう言ったけど……。 「……駄目だよな、このままじゃ」 「そんな眉間にシワ寄せて、どーしたんですか?」 「おおーーっ!! 売り上げがまた上がってるじゃないですか!」 横から帳簿を覗き込むなり、ななみがぎゅうぎゅう、と顔を寄せてくる。 吸い付くような柔らかい肌が、無遠慮に俺の頬に押し付けられた。 「お、おい、くっつき過ぎだっつーの! 離れろって!」 「いいじゃないですかぁー♪ ケチケチしないでわたしにも見せてくださいよー」 「あとで幾らでも見せてやるからっ。 だから今は離れてろって……!」 「……っ」 「んん? どーしたんですか、硯ちゃん?」 「……何でも、ありません」 「休憩、先にもらったわよー」 「了解。ななみ、先に行ってきていいぞ。 俺は後で硯と一緒に……」 「すずりんだったら、 ついさっき買い出しに出かけたわよ」 「買い出しって……こんな早くからか?」 まだ昼前だぞ?いつもなら夕暮れ時に出かけてるのに……。 「八重原さんと約束があるんだって。 少し遅くなるって言ってたわよ」 「約束……?」 「え? もしかして聞いてなかったんですか?」 「初耳だ」 「おっかしいわねぇ……。 すずりんのことだから、 アンタには伝えてあるモンだと思ってたのに……」 「まっ、単に伝え忘れただけだろ」 ……きっとななみ達から伝わるようにしたかったんだな。 ここ最近、硯とまともに会話した記憶が無い。仕事の報告ですら最低限なものだ。 仕事中も手を貸そうとすれば、以前よりも強く遠慮するようになった。 まるで私に構わないでください、と言いたげに。 ……それが少し寂しかった。 ――夜。 「…………」 「…………$」 「はいはーい。 今朝も話した通り、 しばらくはこのペアで訓練していくからね」 「…………」 「んーー? どーしたの、すずりぃー?」 「……な、なんでもありません」 「それじゃ、始めましょーか」 「……まさか、アンタと組むことになるなんてね」 「そんなあからさまに、イヤそうな顔するなよ$」 俺の新しいパートナーは金髪さん、か。となると、硯のパートナーは……。 「短い間だろうけど、よろしくな。お嬢ちゃん」 「よ、よろしくお願いします……っ!」 いつもの調子を崩さないジェラルドに、硯はガチガチに緊張していた。 あんなに硬くなってたら、力なんて発揮できないってのに。 「……っ」 「ん……?」 今、硯がこっちを見ていたような気がした。 まるで助けを求めるような、そんな目をしていたような―― 「……あたしの話を無視するなんて、 いー度胸してるじゃないのぉ#」 「っ! わ、悪いっ」 「……まあいいわ」 「丁度いい機会よ。 この際だから、徹底的にアンタを鍛えてあげるわ。 徹・底・的にね!」 「お、お手柔らかに頼む”」 ……目の前のことに集中しよう。今の俺は硯のではなく、月守りりかのトナカイだ。 相手がどんなサンタでも対応できてこそ、プロであり一流のトナカイってもんだからな。 「遅い遅いおそーいっ!! そんなのんびり操縦してどーすんの!!」 「すっ、すまんっ!」 「流れに乗り切れてない! ただペダルを踏めばいいってモンじゃないわよ!」 「っ、了解ッ!」 背中で金髪さんの激を受けながら、オーロラのように輝く光の軌跡を駆け抜ける。 だが、いまいちスピードが乗り切らない。それどころか―― 「動きが荒っぽいわよ! もっとスピーディにかつ丁寧に!」 「ムチのタイミングが一呼吸ズレてる! ちゃんとあたしの呼吸を読んでるのかーー!!」 「…………#」 「すまんっ!」 両腕を組んで怒りを露わにするりりかに深々と頭を下げる。 結局、彼女が満足のいく〈滑空〉《グライド》をこなせず、終始怒鳴られながらの訓練となってしまった。 いや、それどころか、トナカイとして最低限の飛行が出来ていたかどうかも怪しいところだ。 「……どんなサンタにも対応できてこそ、 プロであり一流のトナカイ」 「アンタが一番そう言ってたことじゃないの?」 「……その通りだ」 彼女の言葉に反論する余地もなく、ぐうの音すら出ない。 「ま、まあまあ。りりかちゃん。 まだ訓練も始まったばかりじゃないですかー」 「きっととーまくんは 硯ちゃんの色に染められちゃってるんですよ」 「だから、りりかちゃんと なかなか呼吸を合わせることが……」 「だったら、 今からあたしの色に染め直してやるわよー!」 「……硯の色に染まっている、か」 本当にそうなのかもしれない。 「……こってりとお姫様に絞られてるようだな。 あのジャパニーズ」 「…………」 「……気になるのかい?」 「え……?」 「訓練中も、 ちらちらとアイツのことを見てただろう?」 「そ、それは……っ!」 「はは。お嬢ちゃんは素直だな。 ウチのお姫様にも見習わせてやりたいところだ」 「あぅ……」 「はぁ……」 結局、あの後も訓練は思うようにいかず、相方のりりかを怒らせたり、呆れさせたりして終わってしまった。 トナカイとしてあるまじき失態。これが本番だったらと思うとゾッとする。 「…………」 最近、硯のことが気になって頭から離れない。 離れない故に、仕事も訓練も手につかない俺がいる。 ……硯は一体何を隠しているのか。どうして俺には話してくれないのか? 彼女が一人で解決しなきゃいけない問題だから?それとも、単に俺が信用できないから? 一人で悩みを抱える硯が心配で、何も話してくれない硯に思わずイライラする。 「……っ」 寂しさや悲しさ、そして苛立ち。それらが綯い交ぜになって、胸の中で渦を巻いていく。 どんな時でも冷静でいられるよう訓練を重ねたはずなのに、この感情をコントロールすることができなかった。 「……あーくそ、ダメだっ」 こんな気分じゃ、まともな思考なんてできやしない。 ……空でも飛べば、気も紛れるか。 濃紺の雲が夜空を包む中、地上のしろくま町は星空のように煌いていた。 ペダルを強く踏みしめて、黒い夜空に星屑を散りばめていく。 「……っ」 アクセルペダルを踏み込み、機体を一気に急降下させ―― そのまま一度宙返りを決めて急上昇。逆宙返りを加えて、雲間をすり抜ける! 冷たい夜風が頬を撫でながら、後ろへと流れていく。 いつもなら、空を飛んでいれば嫌な気分は吹き飛ぶはずなのに。 胸の中では未だにモヤモヤした、言いようのないものが沈んだままだ。 夜風とルミナの光跡の赴くままに飛んでいると、いつの間にか海岸に出ていた。 「……そういや、硯と組んでから 初めて連携が取れたのってこの辺りだったな」 それまでは雪だるまを作ったり、的に当たらなかったりと散々な結果ばかりだったか。 山の手に伸びる光の流れに乗り入れて、メインストリート上空を滑る。 「ここで金髪さんのド肝を抜いたんだっけ」 りりかが狙おうとしていた的を、長距離から硯が先に命中させたのだ。 あの時のりりかの驚きぶりは、今でも忘れられない。 気が付けば、硯のことばかり考えている自分がいた。 空を飛ぶことを楽しめない自分と、一人でいることが寂しいと思う自分がいた。 「きっと、とーまくんは もう硯ちゃんの色に染められちゃってるんですよ」 「……そういうことか」 失ってからその気持ちに気づくなんて、精々映画やドラマの中だけのモノだと思ってたが、そうじゃなかったらしい。 違うのは、俺はまだ硯を失っていないということ。まだ手を伸ばせば届くところにいる。 「ただ硯にも事情があってね。 少しの間、見守ってあげてちょーだい」 「何もせずに、ただ見守ってやるだけで……。 それで良いのか?」 硯の事情がどういうものかは分からない。 しかし、簡単に打ち明けられるものじゃない事は分かってるつもりだ。 「……さん……さんっ……!」 だからサンタ先生が言ったことも分かる。分かるが……。 「……聞いてんの……さん!」 俺は本当に硯から話してくれるのを待っているだけで―― 「――いい加減にしろぉお!!」 「ぐおぉッ!?」 「……なんだ金髪さんか。どうした?」 「どーした、じゃないわよ。 こっちはさっきからずっと呼びかけてんのに$」 「そ、そうだったのか? それは悪かった」 どうやら気づかないうちに深く考え込んでしまっていたようだ。 「まあいいわ。 それで朝頼んどいた件、やっといてくれた?」 「……頼んどいた件?」 「新商品が届いたから、 値段設定とPOPを用意してって言ったじゃない」 「……あ」 「はぁ……。 その様子だとまだみたいね」 「わ、悪い。すぐに片付けるから」 「あたしがやっとくからいいわよ。 それよりアンタ……本当に大丈夫なの?」 「疲れてるんだったら、休んでもかまわないわよ?」 「いや、大丈夫だ。 それとありがとうな」 「? なにがよ」 「なにって、心配してくれたんだろ?」 「……ムリに働いてもらっても、 倒れられたりしたら、こっちが困んのよ」 薄らと頬を染めつつ、そっぽを向くと月守はそのまま仕事へ戻ってしまった。 「ただいま戻りました」 周りが夕焼けに染まろうとした頃、買い出しを済ませた硯が戻ってきた。 「硯ちゃん、おかえりなさーーい」 「こんちゃーっす♪」 「さつきちゃんもいらっしゃいませー☆ どーぞごゆっくりしていってくださいね」 「うん、ありがとねー」 「あ……」 「……(ぺこり)」 硯と目が合う。しかし、彼女は視線をそらすと軽い会釈だけを返してフロアから出ていった。 「…………」 「……ねえ、冬馬さん」 「ん?」 「硯……何かあったの?」 「……どうして?」 「硯……最近、ずっと寂しそうな顔してるから」 「理由を聞いても『何でもない』って言って、 話してくれないし」 「あんな硯、見たことないから 心配になって付いてきたんですけど……」 「……なあ、さつきちゃん。 店が終わった後、時間を貰っていいか? ちょっと話したいことがあってな」 「かまいませんよ。 私も聞きたいことがありますし」 「お待たせしました。 ブラックと、オレンジジュースです」 「ありがとうございます」 「それで、今日はさつきちゃん? 本当に店長さんは相手に困ってないのね」 「俺が毎日とっかえひっかえしてるような 言い方は止めてくださいよ”」 「ふふっ、ごめんなさい」 口元を隠して上品に笑いながら、美樹さんはカウンター裏の厨房へ戻っていった。 「わざわざ足を運ばせて悪いな」 「全然平気ですよ。 ちょうどバイトも終わったトコですし」 「それにこうして 冬馬さんにご馳走してもらいましたから♪」 上機嫌に笑いながら、さつきちゃんはストローに口をつけた。 「それで冬馬さんは何か知ってるんですか?」 「……思い当たる節はある」 上目遣いに俺を見るさつきちゃんに、濁して答える。 心配してくれる彼女には申し訳ないが、本当のことを話すわけにはいかない。 「けど、それが原因なのかどうかは 俺にも分からないんだ」 硯が何を隠しているのか分からない。俺にも話してくれないんだから。 「俺は……硯のことをもっと知りたいし、 自分のことも知ってほしいんだ。 もっとちゃんと分かり合いたいと思ってる」 「……冬馬さん、もしかして」 「気づいたのは、つい最近だけどな」 ぽっかりと胸に穴が空いたような消失感。それを埋めるように、硯のことを考える日も増えた。 気づかないうちに、硯は俺の中で大きなものになっていた。 「だから硯が自分から話してくれないなら、 俺から踏み込んでいこうと思ってる」 「ほっとけないんだよ。 何でもかんでも一人で抱えようとする硯がさ」 「…………」 「……きっと、 硯も本当は冬馬さんに全部打ち明けたいと 思ってるはずですよ」 「ただ、硯は昔からずっと臆病でしたから」 「臆病?」 「きっと冬馬さんに話すことで、 何かが変わるのを怖がってるんだと思います」 「例えば……冬馬さんに嫌われちゃう、とか」 「そんなことあるわけ――」 「だから……その言葉を硯に伝えてあげてください」 「冬馬さんから迎えてくれれば、 硯もきっと心を開いてくれますから」 大丈夫です、と言いたげに彼女は優しい笑顔を浮かべ、はっきりと言い切った。 「……ありがとう、さつきちゃん。 今ので踏ん切りがついた」 「いえいえ。 その代わり、ちゃんと硯と仲良くしてくださいよ?」 「ああ。 しかしさつきちゃんは 本当に硯のことをよく知ってるんだな」 「それはそうですよ。 なんたって、硯とは赤い糸よりも ずっと強い絆で結ばれてるんですから♪」 「赤い糸よりも強い絆、か……」 俺も硯とそんな絆を結べるだろうか。 「――よし! 今日のところはこの辺で切り上げましょーか」 「皆さん、お疲れさまでした」 「……さて」 金髪さんを乗せていたソリを切り離しカペラに跨る。 訓練をこなした直後とあって、身体も機体もいい塩梅に温まったままだ。 「――とーまくんっ」 機首を上げ、空へ飛び出そうとした時、部屋に戻ったはずのななみ達が駆け寄ってきた。 「もしかして、今日も残って訓練ですか?」 「軽く流してくるだけさ。 訓練って言うほどのものじゃない」 「毎日明け方まで飛び回るのは 軽く流すとは言いません!」 「……知ってたのか」 ななみの言う通り、ここ数日、夜の合同訓練とは別に単独での飛行訓練をこなしていた。 訓練時間だけで見れば彼女にとっては軽いものじゃないのかもしれない。 「このまま続けていたら、 身体を壊してしまいますよ?」 「いちいち大げさだぞ。 軽く空をグライドしてくるだけさ」 「で、でも……。 そんなムリして毎日続けなくても……」 「ははーん……。 あたしとも連携が上手くいかないモンだから、 ヤケになってるんでしょ?」 「いや、そういうわけじゃない」 「そもそも俺はムリをしてるつもりも、 ヤケになってるつもりもない」 「これは俺が必要だと思ってやってることだ」 「随分と熱くなってるじゃないか」 「ガキっぽいとでも言うか?」 「まあ青臭くはある……。 が、ウジウジ悩んでいるよりはよっぽど良いさ」 「ま、お嬢ちゃんに心配かけさせないようにな」 「……っ」 「理由はどうあれ、その姿勢は褒めてあげるわ。 精々精進しなさい」 「……無理と無茶はしないでくださいね!」 「ああ、分かってる」 ゴーグルを下ろして空を見上げると、薄いレンズを通して光の帯が浮かび上がる。 グローブを締め直し、ステアリングを握り締める。 「……それじゃあ、行くかっ」 「……ふぅ」 「――おつかれさまー」 「先生……?」 「こんな遅くまで自主訓練なんて、 いつからそんな真面目になったの?」 「気分転換にグライドしてきただけさ。 そっちこそ、こんな暗がりで何を?」 「涼んでたのよ。 さっきまで軽く引っ掛けててねー」 親指と人差し指で輪を作り、それを口元に運ぶ仕草をしてみせる。 なるほど……酒か。 「思ったより飲み過ぎちゃってねー。 アルコールが抜けるまで、 こうして風に当たってたワケよ」 夜風を受け止めるように、先生は背筋を伸ばしながら両手を左右に広げた。 まだ酒を入れて時間が経ってないのか、その顔色は仄かに赤みが差している。 「んー……でも、ちょーどよかったわ」 「何がです?」 「ヒマ潰しの相手が見つかって。 ちょーっと寂しかったのよねー」 ……これは逃げられそうにないな。 「……分かりました。 その前にコイツを仕舞ってきますから、 そこで待っててください」 その後、俺は酒が抜けきるまで、先生の相手を務めることとなった。 話題は専ら彼女の弟子である硯のこと。アルコールが残っていたこともあってか、先生はいつもより饒舌だった。 硯の〈サンタ道具〉《ユール・ログ》の扱いが上達したことや、飛行時に自分から指示を出してきたことに、驚かされたり感心しっぱなしだった、など。 側で見ていた俺からすれば他愛のないことだが、先生は硯の成長を自分のことのように喜んでいた。 「ぶるる……うぅぅー” 流石にちょっと寒くなってきたわね」 「帰る前にコーヒーでも飲んでいきますか?」 「おかまいなくー。 アツアツの熱燗がアタシを待ってるから@」 まだ飲む気だったのか$ 「……それで、硯とはあれからちゃんと話はできた?」 「いや、まだ……」 「……そっか」 「やっぱり今の硯には、 ちょっとハードルが高すぎたかな……」 「ハードル?」 「自分のことだから、 本当はあのコの口から話してほしかったんだけど」 「これ以上、隠しておくわけにもいかないしね」 それまでだらけていた雰囲気を引き締め、先生は真剣な面持ちで俺を見る。 「だから代わりにアタシが話すわ。 それがあのコの師としての責任だろうから」 「――大丈夫ですよ」 無意識のうちに口を割って出た言葉が、先生を制止させた。 「……?」 「硯と約束したんです。 時間がかかっても必ず話すって」 「だから、 それは俺が硯の口から聞かせてもらいます」 「…………」 「それに二人で一緒に頑張ろうとも約束したし、 いざって時は俺が硯を引っ張っていきますから」 「……そう」 「すみません。 先生のカッコいい所取ってしまって」 「ホントーよ、もぉー。 あーあ、柄にもないことして損しちゃったわ」 薄らと頬を赤く染めながら、先生はどこか照れくさそうに笑った。 「んーー……っと。 それじゃそろそろ帰るわねー」 エンジンに火が入ったシリウスに跨り、先生は背筋を大きく伸ばした。 「アルコールはもう抜け切ったんですか?」 「そりゃーもぉ。 誰かさんのおかげですっかりねー」 「はいはい。 気をつけて帰ってくださいね」 「――硯がテラスで待ってるわ」 あまりにも唐突な先生の言葉が、部屋に戻ろうとした俺の足を止めた。 「この後ね、ちょっとだけ話でもしようと思って 硯を待たせてあるのよ」 「本当はあなたに事情を全て説明してから、 一緒にあのコの所に向かうつもり だったんだけど……」 「アタシが居なくても、心配なさそうだしね」 「先生……」 「あのコのこと……お願いね、中井さん」 店先で先生を見送った後、彼女が待っている場所を真っ直ぐ目指す。 自然と速くなる歩みに身を任せて、螺旋階段を昇っていく。 ……いた。 サンタ服のまま手すりに身体を預け、硯は一人で夜の空を見上げていた。 「硯」 「――ッ!! と、冬馬さん……!!」 「おっ、久しぶりに名前で呼んでくれたな」 「……!」 恨めしそうに俺を見た後、彼女は手すりの向こう側……空に視線を戻した。 黙って硯の隣に並ぶ。ちらっと俺を見るも、何も言ってこない。 「……先生なら、ここには来ないぞ」 「……そうですか」 「驚かないのか?」 「……何となくですけど、 そんな気がしていましたから」 こちらを一瞥もしない。彼女の目は頭上で淡く光る月に捕らわれていた。 寒々とした空気の中、紺青の空には星に混じって、ぽっかりと満月が浮かんでいた。 輪郭までくっきりさせながら、白く淡い光で地上を照らし出している。 硯はそんな月を、遠い目で見つめていた。 「……冬馬さん」 「ん?」 「空って……こんなにも遠いものだったんですね」 何かを求めるように、硯の手が空に浮かぶ満月へ伸びていく。 けれど月を見る顔は、まるで何かを諦めたように暗く曇っていた。 「そんなことはないさ。 俺達にとって空は、もう手の届く所にある」 幼い頃、見上げるだけだったあの空は、今や俺達の居場所の一つだ。 「あの空が遠いって……。 お前がそう思うんだったら――」 諦めたように下がっていく硯の手をしっかりと掴まえる。 「と、冬馬、さん……?」 「俺が、お前を連れて飛んでやる」 硯を半ば強引に月夜のドライブに誘い、冷え込んだ空を飛び回る。 天候は快晴。頭上では〈皓々〉《こうこう》と照る明月が浮かんでいて。 地上では星空を映したように光に満ちた町並みが鮮やかに輝いている。 「月と町の明かりに彩られた夜のしろくま町。 まさに俺達ならではの光景だな」 「けど、硯には 俺よりももっと綺麗に見えてるんじゃないか?」 サンタはトナカイである俺よりも、より敏感にルミナの流れを感知できる。 きっと硯の目には電気の明かりだけでなく、ルミナの光に包まれた町並みを一望しているはずだ。 「…………」 しかし後ろからの反応は無い。……無理やり誘ったし、それも仕方ないか。 サイドミラーに映る硯は寂しそうにしながら夜景から目を背けていた。 「……少し高度を上げるからな。 しっかり掴まっとけよ、硯」 「あ……」 高度を上げた先で待っていたのは輪郭をよりはっきりさせた満月。 足元に伸びる光の軌道は月の光と溶け合って幻想的な輝きを見せていた。 「ここからなら、硯の手も届くんじゃないか?」 「…………」 ほっそりとした硯の腕がゆっくりと月に向かって伸びていく。 それを見届けつつ、俺は口を開いた。 「それで訓練の方はどうだ? 今はジェラルドと組んでるんだろ」 「……っ」 「あいつのことだから、 上手い具合にリードしてくれてると思うが……」 「そ、それは……」 「……俺の方はもうダメダメだ。 最近はあの金髪さんに怒鳴られっぱなしでさ」 「…………」 「――硯の色に染まってる」 「え?」 「金髪さんと息が合わないのは、 俺が硯の呼吸に馴染んでしまってるからだって、 ななみに言われてさ」 「その通りだって思ったよ。 短い間だが、硯と一緒にここまで来たんだから」 「…………」 「話してくれないか? 硯の胸のうち……隠してることをさ」 「っ……わ、私は……何も隠してなんて……!」 「なら、どうして急に解散したいなんて言ったんだ?」 「あ、あれは……い、言ったはずです。 あのまま続けてもペアとして機能しないから――」 「じゃあどうしてあの時、泣いてたんだ?」 「ッ……そ、それは」 「約束しただろ? これからは二人一緒に頑張っていこうって」 「……!」 「何でも一人で抱えて頑張ろうとするなよ。 俺が側にいるんだから」 「あっ……ぁっ、わ、私は……っ」 平静だった硯の声が小さく震える。 「……ほ、本当に、私で……いいんですか?」 「俺はお前じゃなきゃダメなんだ」 ぎゅっとコートの背中を掴み、縋るように身を寄せる硯にはっきりと答える。 俺にとって硯はもう、ただの〈サンタ〉《パートナー》じゃない。 そんなものを抜きにして、彼女は俺にとって大切な人なんだ。 「この先どんなことがあっても、 俺は誰よりもお前を……柊ノ木硯を信じてるから」 「冬馬、さん……っ」 「……ぐすっ、うっ……っ……」 「うっ、くっ……うあぁ……ぁ……っ」 「うっ、うぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」 心のうちに溜め込んでいたものを全て吐き出すような大きな泣き声。 硯の涙を背中で受け止めながら、頭上で優しく照らしている月に誓う。 トナカイとしてだけでなく、男として硯を支え、守っていくと。 不意にさっきよりも寒々とした冬を思わせるような冷気が吹き付けてくる。 「雪……!」 頬に冷たさを感じた直後、身を切るような風が厚い雲を呼び寄せ、月を覆い隠していく。 「あの時の吹雪か……っ!!」 刻一刻と風が強くなる中、速度を落としつつ機体のバランスを保つ。 ここ数日の自主訓練と、金髪さんのシゴキはしっかりと俺の力になっていた。 背中で泣きじゃくる硯を庇いながら森の中へと高度を下げていった。 「……落ち着いてきたか?」 「っ……(コクリ)」 目じりに浮かぶ涙を拭いながら、硯は小さく頷いた。 彼女の嗚咽が収まり始めた頃、降り続いた雪が穏やかさを取り戻しつつあった。 空を見上げる。 濁った煙色の雪雲は夜空を隠し、綿を千切ったような雪を落としてくる。 「寒くないか?」 「……大丈夫です」 不自然に俺から距離を取りながら、硯は木の下で雪を凌いでいた。 けれど、そんな言葉とは裏腹に薄っすらと白く染まった肩を小さく震わせている。 「……ったく」 「あっ……!」 「寒がりなくせして、こんな時まで強がるなよ」 「……ごめんなさい」 腕の中でしゅん、と硯が小さくなる。 「しっかし、どうしたモンか……」 空を覆う分厚い雲に晴れ間は見当たらず、降り続く綿雪は足元を白く染め始めていた。 吹く風の勢いは穏やかなものだが、いつまた天候が荒れるかも分からない。 そんな状況で〈滑空〉《グライド》を行うという選択肢は無かった。 「ひとまず雪が止むまで待とう。 寒いだろうが、少し我慢してくれ」 「……大丈夫です。 冬馬さん、とても暖かいですから」 腕の中に収まっていた身体が、ぴたり、とさらにくっ付いてくる。 触れた硯の肩から、小さな震えが収まっていくのが感じ取れた。 「……雪も、もう少しで止みますから」 「止む……か。 どうして断言できるんだ?」 「そ、それは……」 「私が、雪女だから……」 「ゆき、おんな……?」 「今こうして降ってる雪も、 一年前、ツリーハウスに墜落する原因になった あの吹雪も……」 「冬馬さんをケガさせたあの吹雪も、 全部、私が起こしてしまったものなんです」 彼女の言葉を肯定するように、穏やかだった風がその勢いを増した。 「――私には、少し変わった特技があるんです」 「特技?」 硯は小さく頷くと、雪を舞い散らせる夜空を見上げた。 「分かるんです。 いつ雪が降ってくるとか、 その雪がどれくらい積もるのか、とか」 「空の機嫌が良い時に『お願い』すれば、 雪を降らせることもできました」 「それって……」 「私はルミナを使って 雪を呼ぶことができたんです」 自身の体質について知らされたのは、先生に弟子入りしてからだと、硯は言った。 修行を重ねればいずれは雪の量を増やしたり減らしたりとより思い通りに扱うことができるかもしれない。 先生からそう聞かされた時、彼女は自身の体質がとても誇らしく感じたそうだ。 「それからはサンタの修行にも 一段と集中して取り組んでいきました」 「この力があれば、人をもっと喜ばせることができる。 もっと人を幸せにできるんだって……。 そう思えたんです」 「でも……修行を重ねるに連れて、 私は自分の体質を持て余すようになったんです」 きっとそれは硯のルミナに対する感応性が上がっていったせいだろう。 しかし、彼女が扱えるルミナの量は変わらないから、より強く感じるようになったルミナを扱い切れなくなったのだ。 「その結果が、 一年前に起きたあの猛吹雪だったのか?」 「はい……」 小さく頷いて、硯はそのまま顔を伏せた。 「体質が『暴走』に変わってから、 先生はそれを生かす訓練から、 抑える訓練に内容を切り替えました」 ぎゅっ、と白くなるほどに強く握り締められた硯の小さな手。 その隙間からは、先生から貰った人形が覗いてみえた。 「……私はずっと先生と一緒だと思ってました」 「私は……、 一人じゃ何もできない未熟なサンタですから」 「私は……先生じゃないと駄目なんです」 ……あの時、硯が言ったことはその言葉通りの意味だったのか。 「だから、冬馬さんと組むことになった時、 本当にビックリしたんです。 一体どういうつもりなのかって」 実際、俺とのコンビが決まった後、すぐに先生に詰め寄っていたしな。 「先生は大丈夫と言いましたけど、不安でした。 他の人と……それも男の人と組むなんて 初めてでしたから」 「なにより……、 あなたを巻き込んでしまうって。 それがとても怖かったんです」 硯の態度が余所余所しかったのは、単に異性に慣れていないだけじゃなかったのか。 「でも、冬馬さんと生活をともにして……、 パートナーとして訓練を重ねて思ったんです」 「この人となら大丈夫……。 先生と同じようにやっていけるって、 そう思えたんです」 「けど……」 小さな笑顔がゆっくりと曇っていく。 「私が浮かれてしまったせいで、 ただ巻き込むだけでなく、 冬馬さんにケガまでさせてしまって……」 「吹雪と墜落したことは関係ない。 あれは俺の技量不足が招いた結果だ」 「それにケガだって、 俺もお前も大したことなかったんだ。 だから……」 「……一歩間違えれば大事故。 冬馬さんもここには居なかったかもしれない」 「……聞いてたのか」 顔を伏せながら、硯は小さく頷く。 ななみ達から事情を聞いていた時、テラスに誰かいたような気はしたが、やっぱり硯だったのか。 「このままコンビを続ければ、 また冬馬さんに迷惑をかけてしまうから。 だから……」 「コンビを解消しようって言い出したのか」 「でもさ……それはお前の本音じゃないだろ?」 「っ……そ、それは……っ」 もし、それが硯の本音ならば、あの時、泣かなくてもよかったはずだ。 「俺のためだとか、そんなことはどうでもいい。 俺はお前の本音が知りたいんだ」 「わ、私は……っ!」 「私だって……っ、冬馬さんと一緒がいいっ、 一緒に空を飛びたいんです……!」 小さな嗚咽とともに、搾り出すような小さな声が吐き出された。 「でも……駄目なんですっ」 ぽろぽろと大粒の涙が、薄っすらと積もった雪に斑点を刻んでいく。 「もし、また冬馬さんがケガをしたら……、 トナカイを辞めてしまうことになったらって」 「ずっと、頭から離れてくれなくて……!」 「硯……」 「雪女の私じゃ――」 小さな手を取って、その唇を奪う。 「っ……!?」 ぴくり、と柔らかな唇と握った指先から、震えと強張りが伝わってくる。 それでも唇を離さない。 「ん……ふ……」 硯からの抵抗はない。 腕の中で強張った小さな身体は、緊張したように小さく震えている。 「ん……ちゅ……ん、んん……」 やがて、硯の身体から力が抜け始め、その身を俺に預けてきてくれた。 両腕と触れ合った身体で、心地よい体温と柔らかさを感じ取る。 「は、ぁ……」 硯の吐息を感じつつ唇を離すと、涙に濡れた目が俺を捉えた。 何をされたのか思い出したのだろう。硯は両目を見開いて俺を見る。 「と……ま、さん……?」 「雪女なんて言って、自分を貶めるなよ」 「俺から言わせてみれば羨ましい限りだぞ?」 「うら、やましい……?」 「だってそうだろ?」 「やりようによっては、 この雪を自由に操ることができるんだ」 「それは他のヤツにはできない、 硯だけのモノのはずなんだから」 「冬馬さん……」 「それに俺だって何もしないわけじゃない」 「お前が不安にならないだけの技量を……、 どんな吹雪でも乗りこなす腕を身につけてみせる」 「だからお前も、もっと俺を信じてくれ」 目じりに浮かぶ大粒の涙を指先で拭い、真っ直ぐに見つめながら硯に訴える。 「雪女だろうが、なんだろうが関係ない。 俺はお前じゃなきゃダメなんだ」 「あっ……わ、私……は」 「私は?」 じっ、と硯の目を見つめて、答えを待つ。 少しの沈黙の後、硯は頬を赤く染めながら、俺を見つめ返した。 「わ、私も……冬馬さんと、一緒に居たいです」 手を優しく握り返しながら、硯は小さな声で、しかしはっきりと答えてくれた。 そこには、俺も初めて見る、硯の心からの笑顔があった。 「はぁ……」 「…………?」 「…………」 「ふぅ……」 「冬馬さん……」 「……ねえ、ななみん。 何か今日のすずりん、おかしくない?」 「やっぱりそうですよね。 朝からずっとため息ばっかりですし……」 「たまーに指で唇を撫でたり……」 「す、少し色っぽかったですよね”」 「……はぁ」 「……重症ね」 「とーまくんなら何か知ってるかも……」 「丁度いいタイミングで起きてくれたわね、アイツ」 「硯の様子がおかしい?」 「そうなんです。 朝からずっとため息ばっかりで……」 「相方のアンタなら何か知ってるかと思ってね」 どれどれ……。 「……はぁ」 「……確かに」 二人の言う通り、硯はいつもと様子が違っていた。 普段ならテキパキと動く両手も、ゼンマイ仕掛けの玩具みたいに鍋を掻き回すだけ。 その動きも緩慢で、今にも止まってしまいそうだ。 「……はぁ……」 「……ヘンでしょ?」 「あ、ああ……”」 しかし硯がああなった原因に心当たりはある。というか、もうアレしか無いよな……。 あの後、空が穏やかになるまで、硯と二人で風雪を凌いでいたのだが。 以前よりも明らかに甘えてくる硯に、完全に絆されてしまった。 正直言って緊張しっぱなしだった俺は、何回唇を合わせたのか思い出せない。 ただ同じ唇とは思えないくらい柔らかくて、仄かに甘かったことだけは覚えている。 というか緊張しすぎだったな。最後は硯に押し切られてしまったような……。 「――とーまくん?」 「っ!? お、おう?」 「ぼーっとしてどうしたんですか?」 「い、いや何でもない。 とりあえず、声でもかけてくるわ」 「あっ――」 知らず知らずのうちに胸が高鳴っていく中、向かい側からキッチンを覗き込む。 「おっ、おはようさん、硯」 「あ……」 「っ……お、おはようございます、冬馬さんっ」 硯は一瞬表情を和らげた後、緊張したように顔を強張らせた。 硯も昨日のことを意識しているのはほぼ間違いない。 ここは年上らしく、硯の緊張を解してやらないと。 ……って何だこの匂いは? 「……何かコゲ臭くないか?」 「そ、そう言えば……」 「……って硯っ、火ッ、火!!」 「え……」 「あ、あああぁぁぁっ!?!?」 慌てて火を止めようとするも、もう遅い。 火にかかっていた味噌汁は完全に煮立ち、グリルからは焦げ臭い匂いとともに黒い煙が立ち昇っていた。 「あー……」 「す、すみません……」 「やってしまったのはしょうがないさ。 俺も手伝うから、さっさと片付けてしまおう」 「は、はいっ」 「……ふぅ」 「すみません。 少しお聞きしたいんですけど……」 「……はぁ」 「あ、あのー……」 「えっ、あっ、もっ申し訳ありません! 何かお探しですか?」 「――1976円のお返しになります。 お先に1000円の……」 「あの、 私が渡したのは1万円札だったはずですが……」 「え……あっ、も、申し訳ございませんっ! お先に6000円のお返しになりますっ”」 「……むぅ」 「…………」 「……ね、ねえすずりん」 「……? なんですか、りりかさん」 「さっきからずぅ〜〜っと、 同じ棚から商品を出したり仕舞ったりしてるけど、 何かあるの?」 「……あっ、い、いえっ、何もないです……」 「……まあいっか。 それでくまっく人形の黄門様バージョンって もう残ってなかったのよね?」 「はい。ですから 昨日2ケースほど発注しておきました」 「え、発注してたのっ? 発注リストに無かったから、 さっき国産に2ケース発注してもらったんだけど」 「そんなはずは……。 リストを見せてもらっていいですか?」 「あ……! す、すみませんっ!! 私の記入ミスですっ! 発注数と残り在庫を書き間違えてしまってッ!」 「とりあえず落ち着きなさいって。 〈売れ残り〉《デッドストック》になる物でもないし、 4ケースほど増えても問題ないわよ」 「すみませんっ。 次がないように気をつけます」 「……むぅ」 「……なんかさ、朝より酷くなってない? すずりんの様子」 「ですね。 とーまくんは大丈夫だって言ってましたけど……」 「肝心のその国産は、外に出てていないし」 「やっほー♪」 「こんにちはー」 「あ、いらっしゃいませー@ さつきちゃん、きららさん」 「硯の様子を見に来たんだけど……もう大丈夫?」 「そ、それがですね……」 「……ふぅ」 「やっほー、すずりー♪」 「…………」 「もしもーし?」 「…………」 「ち、ちょっとぉ……。 私を無視しないでよー…… 寂しいじゃないのよー」 つんつん。 「……あっ。 いらっしゃいませ、さつきちゃん」 「……んん?」 「? どうしたの、さつきちゃん」 「……うん、元気そうで何より! もう無理しちゃメッ! だからね」 「硯が倒れたって聞いた時、 ホントに血の気が引いたんだから」 「ご、ごめんなさい。 身体だったらもう大丈夫だから」 「ん! でも元気そうで安心したよ。 仕事のジャマしちゃってゴメンね」 「……ふぅ、冬馬さん……」 「ねえ、二人とも。 硯……何かあったの?」 「まさに心ここにあらずって感じだけど……」 「わたし達も全然分からなくて……。 今朝からずっとあの調子なんです」 「……はぁ」 「……おかしい」 「これは由々しき事態よ。 すずりんがあのままじゃ、 お店そのものが機能しなくなるかも……」 「それ以前に仲間として放っておけません! ここはわたし達が相談役になってですね!」 「私も付き合うよ。 相談相手は一人でも多い方が良いだろうし」 「じゃあ、お店が終わった後にでも聞いてみよっか」 周囲が夕焼けに染まり、吹き抜ける風が冷え込み始めた頃。 「♪〜♪〜」 店の雑務が一段落した時、楽しげな鼻歌が流れてきた。 「♪〜♪♪〜♪〜」 そのまま耳を傾けてみると、上機嫌に掃除をこなす硯の姿。 何か良いことでもあったのか、その足取りはとても軽やかなものだ。 「何か良いことでもあったのか?」 「どうしてですか?」 「さっきから楽しそうに 鼻歌を歌ってるもんだからさ」 「っ! ……わ、私……歌ってたんですか?」 「ばっちりとな。 なかなか上手いもんじゃないか」 「や、止めてくださいっ!」 「ははは。 それじゃ、そろそろ買い出しに行くか?」 「はい」 「二人ともちょっと待って」 エプロンを仕舞って店を出ようとすると、ななみとりりかが道を塞ぐようにやってきた。 さらにその後ろには、なぜか大家さんとさつきちゃんの姿まで。 「? 全員揃って一体どうした?」 「あー……悪いんだけど、 今日のところは国産一人で行ってくれない?」 「俺一人? なんでまた……」 「硯ちゃんにちょっとお話があるんです!!」 「私と……ですか?」 「もしかして全員?」 全員が同時に頷く。 「……分かった」 同性同士でしか話せないことか。確かに男の俺が混ざるわけにはいかないな。 リビングに連れてこられるなり、なぜか皆さんに周りを囲まれることになった。 「あの……皆さん、どうされたんですか?」 「それはこっちのセリフよ。 すずりん、朝から様子がヘンよ?」 「ヘン……ですか?」 「仕事中、ずっとため息ばっかりついてたじゃない。 集中できてなかったみたいだし」 「何か悩みがあるんでしたら話してください。 及ばずながら力になりますから!」 「……っ!」 「ん?」 どうやら私は、分かりやすいくらい悩んでいたらしい。 ある意味、ちょうどいい機会だ。ここは一度皆に相談して意見を貰っても……。 そう考えて、即座に首を振った。こんな恥ずかしいこと相談できるわけがない。 「だ、大丈夫ですっ。 ただその……休みすぎで、 身体がついてきてないだけで……!」 「そう言う割には、 さっき『悩み』のところで反応したよね?」 誤魔化そうとして、一瞬で看破されてしまった。 「それは……そのっ、 み、皆さんに話すほどのことじゃなくて”」 「……あーあー、なるほど。 そーいうことかぁ」 「? 何か分かったんですか?」 「うん。多分、アレのことだと思う」 「アレ……ですか?」 「だから……」 「ふむふむ……あーあー。 確かにそれは簡単に話せないことですね」 「あ、あの……?」 「いーよいーよ、みなまで言うな。 全部分かったから」 「は……?」 とても優しい、慈愛に満ちた眼差しでさつきちゃんは私の肩を叩いた。 「別に恥ずかしがることなんてないよ。 私だって重くてツラい時があるし」 「え、えっと……?」 「それに遅れることだってよくあるから。 だから、そんなに悩まなくても大丈夫だよ」 「むしろ気にしすぎると、 それだけでアレが遅れちゃうことだってあるし」 「アレ……?」 「…………っ!!! ち、ちちちちがいますっ!! それなら一週間前にもう……うぅぅっ!!」 「な〜にぃ〜? ヤケに楽しそうじゃないのー」 「せ、先生……」 「チャイム押しても出てこないから、 勝手に入ってきちゃったけどー……」 「で、一体何があったの?」 「ほぉほぉ、硯が悩みを……ねぇ」 「朝からずっとため息ばっかりで、 仕事も手についてなかったんです」 「それですずりんに話を聞こうと思ったんだけど……」 「…………」 「……ふーむ。 ところで、中井さんは居ないの?」 彼の名前を聞いた瞬間、私の身体は反応するように勝手に震えた。 「とーまくんなら、 ついさっき買い出しに出かけましたよ」 「ふ〜〜ん……」 「あ、あの……私はもう大丈夫ですから、 買い出しに出かけてもいいですか?」 「買い出し? それなら国産に任せたじゃない」 「そ、その……今日は買うものが多くて、 冬馬さん一人だと絶対に大変ですからっ」 早く行かないと、冬馬さんが買い物を終えてしまう。折角の二人きりになれる時間なのに。 「だったら代わりにアタシが行ってあげるわよ。 ちょうど中井さんにも用があったし……」 「だっ、ダメですッ!!」 「え?」 「あれあれ〜〜? どぉしてダメなのかなぁ?」 「あっ……!!」 「その目……恋する乙女の目ね」 「っ!」 「こ、恋ッ!?」 「相手は誰……って、 まっ、一人しかいないわよねぇ」 「あっ、あうあぅ……」 「硯をイジメないでくださーいっ!!」 「ごめんごめん♪ いやー、硯もそんな歳になったのねぇ」 「はぅぅ……」 「ど、どういうことですか硯ちゃん!?」 「そ、それはその……ッ」 「落ち着いて、星名さん。 それはこれから硯が話してくれるだろうから、ね?」 「あうぅ……」 「なるほど……。 要は恋人になったのはいいけど、 それからどーしたらいいのか分からない、と」 「こ、恋人……こいびと……コイビト……」 「……はぅぅ」 「ありゃりゃー……。 相当参ってるみたいね$」 「そ、その……男の人と付き合うなんて、 私初めてで……」 「だ、だから……どうしたらいいのかっ”」 「うーん……手を繋いで歩くとか?」 「もしくは店長さんとデートとか」 「でも硯って 冬馬さんとよく買い出しに出掛けたりしてるし……」 「か、買い出しってデートだったんですかッ!?」 「そ、それじゃあ私は 今までずっと冬馬さんとで、ででデートに……!!」 「はいはい。 とりあえず落ち着いて、すずりん」 「分からないなら、 中井さんと一緒に学んでいけばいいじゃない」 「と、冬馬さんと……恋愛のお勉強」 「はいはい硯ちゃん。戻ってきてー」 「……はっ! す、すみません!!」 「で、でも……学べと言われても、 一体何をどうすればいいのか……」 「……しょうがないわね。 じゃあ、コレを使いなさい」 「これは?」 「……三田先生の恋愛五輪書?」 「大体のことはそこにまとめておいたから。 困った時にそれを開きなさい」 「……ありがとうございます」 「それじゃあ、硯も困ってることだし 早速開いてみましょーか」 「受け取ってすぐに開くのも、 何だかありがたみに欠ける気が……$」 「とか言って、きら姉も気になってるんでしょ?」 「そりゃまあ少しはね」 「というわけで硯ちゃん! お願いします!」 「はい」 「なになに〜……? 相手をデートに誘う方法に、 ごく自然な流れで手を繋ぐ方法ねぇ……」 「それにキスまでの流れも、 事細かに分かりやすく書いてありますねー……」 「なんだか少女漫画チックな気もするけど……$」 「はぅ……あぅあぅ……っ」 「? どったの硯?」 「そ、そんな……っ、 人前でキスだなんて、そんなの……大胆過ぎますっ」 「硯ちゃんはホント純情よねぇ……」 「他のページはどうなってるんですか?」 「次は〜……ぶはぁっ!?」 「ちょっ、ちょっとなによこれ! 1ページ前からレベルアップし過ぎーー!!」 「わっ、わわわわわー!! ちょっ……えっ、ええぇぇぇええっ!?」 「う、うわー……。 いくらなんでも、これはちょっとぉ……」 「きゃ、きゃああああっ!? ほ、本当にソレもコレもしちゃうんですか……!?」 「……?」 「たあああッ!!」 「あーー!! 折角作ったのに、なんてことすんのよー」 「そ、そそそそっちこそっ!! 何も知らないすずりんに なんて事教えようとしてんのよー!」 「何言ってるのよー。 今時の女の子の間じゃ、 これぐらいがグローバルスタンダードじゃない」 「硯を一緒にしないでください!」 「あの……さっき読んだんですけど、 〈ふぇらちお〉《・・・・・》って何ですか? ふぇらがもと何か関係があるとか……?」 「そんなワケないでしょ。 それはね、男の子の――」 「教えないでくださーーい! 硯ちゃんもそんなこと聞いちゃいけません!」 「なーんーでーよー。 生徒の疑問に答えるのが先生ってモンでしょー」 「ただ面白がってるだけじゃないですかー!」 「――とまあ、悪ふざけはこれくらいにして」 「今さらっと悪ふざけって言いましたよね?」 「おほんっ。 分からないなら分からないでいいのよ、硯。 分かる人に聞けばいいんだから」 「お互いに学んで、それを教え合っていく。 これも恋愛のやり方の一つだと思うわよ?」 「お互いに学んで、教え合っていく……」 「いい話だと思うんですけど、 先生が言うと微妙にいかがわしく 聞こえる気がします」 「まあ、確かに」 「うんうん」 「いかがわしいってな〜によぉ? あなた達は一体ナニを想像したのかしら?」 「そ、それはその……!!」 「あ、あたしは別に何も……ッ!」 「すずりー。 皆からも教えてもらいなさい。 イロイロと知ってるみたいだから」 「よ、よろしくお願いしますっ」 「ふぅ……タイムセールを回ってるうちに、 凄い量になってしまったな」 「……ん?」 「この69っていうのは、なんの数字なんですか?」 「きゃああああぁぁっ! そんなこと聞いちゃだめですよーー!!」 「そ、そんなの私は知らない! 知らないったら知らないんだからー!」 「こ、こーいうことはあたし達より、 年上のきら姉に聞いたほうがいいわよっ」 「そこで私にパスっ!? え、ええっとそれはそのぉ……。 ななみちゃんパス!!」 「ええええぇぇぇぇえええ!!!」 「あいつらは……$」 「おいお前ら、もう少し静かにできないのか。 外までまる聞こえだぞ$」 ――ぴたっ。 それまで外にまで響いた喧騒が水を打ったように静まり返った。 「……(ギロッ!)」 「……ッ$」 怒りにつり上がった8つの瞳にいきなり睨みつけられる。 「誰のせいだと思ってんのよ!」「誰のせいだと思ってるんですか!」 「……なんで俺が怒鳴られるんだ$」 「Zzz……」 「…………」 「Zzz……んー……」 「……さん。……てください」 ゆさゆさと布団の上から優しく揺さぶられる。 「ん……?」 「……すずり?」 「おはようございます」 「……なんで、硯がここにっ?」 「朝食ができたので、起こしに来ました」 「いつもの時間になっても下りてこないので、 少し心配になってしまって……」 「あー……」 窓の外では、既にお日様が眩しいくらいの光を放っている。 新しい酒が手に入ったモンだから、少し飲み過ぎてしまったな。 「わざわざ起こしに来てくれたのか。 忙しいのにすまなかったな」 「いえ。そ、それに……」 「それに?」 「冬馬さんを起こすのは……、 その、こ、恋人の役目だって……」 「こ、恋人……?」 「そ、その……あ、あの時、 こ、告白してその……き、キスだって……」 た、確かに……今考えたら、相当恥ずかしいことを言ったような気がする。 あの時は緊張とか何やらで恥ずかしさなんて吹き飛んでいたし。 けどあの時の言葉に。そして今のこの気持ちに嘘はない。 「と、冬馬さん……?」 「そ、そうだなっ、うん。 俺と硯はその、こ、恋人同士だ……っ!」 「っっ……っ! は、はい……こ、恋人……はぅぅ」 ……こ、これが恋人の空気ってヤツなのかっ。な、なんとまあ甘酢っぱいっ! 「そ、それでその……、 こ、恋人同士では朝に……、 特別な挨拶をするみたいなんですっ」 「特別?」 「そ、それは……お、おはようの……ごにょごにょ」 「?」 「で、ですから! お……お、おはようの……」 上目遣いに俺を見る。何となく、彼女が求めているものが分かった。 「ん……っ」 本当に軽く唇を触れ合わせる。 「はぁ……」 離れた拍子にさらりと揺れた髪から、甘い匂いが鼻を撫でていった。 「……こ、こういうことか?」 「は、はい……」 両手をモジモジさせながら、こくり、と硯は小さく頷いた。 「は、早く下りてきてくださいね。 ご飯が冷めてしまいますから……!」 「……っはぁぁっ! はぁぁ!!」 知らず知らず、俺は緊張のあまり息を止めていた。 起き抜けだっていうのに、胸はバクバクと高鳴りっぱなし。 まさか硯が『おはようのチュー』を求めてくるとは!なんて大胆な子に……!! 「……と、とりあえず、 顔の火照りを何とかしないと」 このまま下りたら、ななみ達にイロイロと邪推されかねん。 「いらっしゃいませー」 太陽も真上に差し掛かった頃、店にはちょくちょくとお客が見え始めた。 さつきちゃん曰く、接客がとても丁寧だと、店を訪れた人々が話題にしているらしい。 結果、評判を聞きつけた新たなお客さんが来店するようになっていた。 「何かお探しですか?」 「もしよろしければ、 ご案内させていただきますよ?」 りりかの接客指導から数日。硯の接客は手馴れたものになっていた。 商品の説明は丁寧でとても分かりやすい。また保母の経験を持っている先生の影響か、子供への対応も上手い。 自然と彼女の接客は客の間でも評判になり、彼女個人にリピーターがつくようになっていた。 「ありがとうございました」 「硯の接客も随分とサマになってきたな」 「そりゃ、あたしが指導したんだもの。 あれくらいトーゼンよ」 「でもでも、それだけじゃないと思いますよ? ……ちらり」 「ああ、多分それもあるかもねぇ。 ……ちらり」 「な、なんだよ。 二人してニヤニヤと……」 「恋の力ってスゴイんですねー♪」 「やっぱり好きな人ができると変わるモンなのねー」 「な、なんでそれを……っ!?」 「前に一人で買い出しに行かせた時あったでしょ? その時にイロイロとねー」 ……あの騒がしかった夜のことか!あとイロイロって何だ!? 「とは言っても、硯ちゃんも恥ずかしがって、 あまり話してくれなかったんですけど」 「そ、そうか……。 二人が興味津々なのは分かった」 「けど、硯をからかうのは止してくれ」 彼女は恥ずかしがり屋だからな。きっと仕事にならなくなる。 「分かってるわよー。 そーいうアンタ達も 仕事中にイチャイチャしないようにねー」 「あとあと! わたし達にも、もっと優しくしてくださーい」 「ぐぐっ……お、おのれ……っ!」 硯をからかえない代わりに、俺を弄り倒すつもりか……!! 「あ、いらっしゃいませ♪」 「おおー! 気持ちの良い挨拶ね、すずりー」 「今日はどうしたの?」 「新しいムック本ができたから、 バイト先まで取りに行ってきたの」 「んで、帰りにちょっと足を伸ばしてみたってわけ」 その言葉通り、華奢な肩から下がったバッグはパンパンに膨らみきっていた。 「私のことは別にいいから。 硯は自分の仕事に集中してて」 「うん。 さつきちゃんものんびりしていって」 「いらっしゃいませー」 「相変わらず凄い荷物だな」 硯と入れ替わりに、さつきちゃんに声をかけつつ隣に並ぶ。 「硯の様子を見に来たのか?」 「はい。余計な心配だったみたいですけどね」 視線の先では硯がお客さん相手に親身に対応していた。 「冬馬さん」 「ん?」 「硯のこと、よろしくお願いしますね? 泣かせたりしたら許しませんから!」 「ああ、任せとけ」 「うん!」 俺の返事に、さつきちゃんは満足したように満面の笑みを浮かべた。 「それから冬馬さん。 あとで少し時間を頂いてもいいですか?」 「……少し聞きたいことがあるんです」 「聞きたいこと……?」 「硯とはどこまでラブラブしてるんですか? あの子の親友としてとても気になるんですが!」 「なっ!?」 「それだったらあたしも、 教官として参加しないわけにはいかないわね。 主にチームの風紀を乱さないために」 「わたしも聞きたいです! 主に硯ちゃんの仕事仲間として!」 「やめろ!!」 「……はぁ」 ……ったく。今日は酷い一日だった。 あれからさつきちゃん達に強引に約束を取り付けられた後、尋問レベルで硯との馴れ初めを追求されてしまった。 彼女達の質問に答える度にキャーキャー騒がれたり、からかわれたり。 さらに昼飯の最中に、硯から『あ〜ん』されて、冷たい視線に晒されたり。 ……女三人寄れば姦しいとはよく言ったもんだ。 ベッドに身を投げて、天井に浮かぶ無数の木目を眺める。 「……硯」 気がつけば、自然と彼女の名前が零れ出ていた。 脳裏に浮かんだ硯は、俺の呼びかけに笑顔を見せてくれる。 優しいその笑顔が、俺の胸を痛いくらいに高鳴らせた。 これが……。 「これが恋ってヤツか……!」 でも、俺は恋人として硯にどう接したらいいんだ? 一緒にメシの仕度……?いや、それはもうとっくにやってる。 なら毎日の買出し……。これも既に日課になっているものの一つ。 「……情けない」 硯を不安にさせないよう、皆の前では見栄を張って余裕を見せてきたが。 「一人になると、このザマだからなぁ……」 硯の恋人としてどうしたらいいのか、さっぱり分からない。 「先生かジェラルドに相談でもして……」 ん? 「こ、こんばんは……っ」 「す、硯か……どうした?」 「え、えと……あ、あの……」 なぜか、硯は恥ずかしそうに顔を背けたままだ。 小さく開いた胸元からは、薄っすらと紅葉色に染まった肌が覗いている。 「……こ、これっ、読んで、ください……っ!!」 隠すように後ろに回していた両手を、ずいっと突き出してくる。 小さく震える指先には、淡いピンク色の封筒が収まっていた。 こ、これって……まさか……っ!! 「…………っ!」 硯は恥ずかしそうに顔を伏せたまま、手紙が受け取られるのをただ待ち続けていた。 お、落ち着け……落ち着け俺っ!今はただ手紙を受け取るだけだろうがっ。 「あ、ああ……っ」 「しっ、失礼します……っ!!」 手紙を受け取ると同時に、硯は文字通り脱兎の如く、階段を駆け下りていってしまった。 「――っはぁぁっ!」 扉を閉めると同時に、緊張で止まっていた呼吸が再開される。 長方形のピンク色の封筒。折り返し部分には可愛いハート型のシール。 「ラブレター……だよな。どうみても」 でも、どうしてこのタイミングに?俺達はもう恋人同士で……。 「と、とりあえず読んでみるか……」 ベッドに腰を下ろし、俺はハートシールで止められた折り返しをゆっくりと開いた。 %LC突然、このような手紙をお送りしてしまって申し訳ございません。%K %LCでも、これ以上自分の気持ちを抑えきれなくて。%K %LC冬馬さんに私の気持ちを知ってほしくて筆を〈執〉《と》りました。%K %O %LC思えば、冬馬さんのことをこんな風に想う日が来るなんて思ってもいませんでした。%K %LC初めて顔を合わせた時から、私は一方的に冬馬さんを避けていたのに。%K %LC今では寝ても冷めても。冬馬さんのことが頭から離れてくれません。%K %O %LCいつの間にか、あなたに声をかけられるだけで、自然と頬が緩んでしまうようになってしまって。%K %LC側にいることが当たり前になってきて、姿が見えなかったら、あなたのことを探すようになっていました。%K %O %LCそして私を受け入れてくれたあの夜は、 私にとって一生の思い出になりました。%K %LC強く抱き締めたままキスしてくれて。泣くしかなかった私の涙をぬぐってくれて。%K %LC最初はとてもびっくりして……。でも、嬉しくて幸せな気分で気持ち良くなって。%K %O %LC最近は、冬馬さんに抱き締めてもらいたいとか、キスしてもらいたいとか。%K %LCそんないやらしいことばかり考えてしまっています。%K %O %LC冬馬さんのことを考えれば考えるほど、どんどんあなたのことを知りたいと思うようになって。%K %LCあなたのことを知れば知るほどどうしたらいいか分からなくなるくらい、あなたのことが好きになっていく自分がいて。%K %LC毎日が楽しくて、とても幸せなものだと感じるようになりました。%K %O %LCできればさつきちゃんと同じ……、それ以上の強い絆で結ばれたらと思っています。%K %LCもし同じことを考えてくれているなら、嬉しく思います。%K %LCこれからもパートナーとしても恋人としても末永くよろしくお願いします。%K %O %LC追伸……。%K %LC大好きです、冬馬さん。%K %O 「…………」 封筒に収められていた便箋には硯の俺に対する想いがぎっしりと綴られてあった。 「ただのラブレターじゃなかったな……」 改めて硯の俺に対する感情を知ると同時に、俺がどれだけ彼女に惹かれているか再認識させられた。 まさに恋人冥利に尽きる、だ。まさか硯にこんなに想われていたなんて……。 「……っ」 手紙を読み終えてから、胸の高鳴りがなかなか収まってくれない。 硯に会いたい。会って抱き締めたい。抱き締めてキスしたい。 そんな想いが胸を叩きながら、俺の中でぐるぐると駆け巡っている。 しかし、まだやることはある。それは……。 「ま、まずは手紙の返事だよな? でもどう書けば……」 その夜、俺は硯の手紙と彼女に対する想いに振り回されるのであった。 「〜〜〜〜〜〜!!」 冬馬さんに恋文を渡し、部屋に戻ってから私は枕に顔を埋め、唸り続けていた。 「(つ、ついに渡してしまった…っ!)」 内容の構想に半日。執筆にはさらに半日もかかった手紙を……。 「…………」 「……はぅぅぅ”」 自分で書いたにもかかわらず、思い出しただけで顔から火を噴きそうだった。 で、でも大丈夫なはずっ。何回も推敲して何度も読み返しましたし……。 「はぅ……あぅあぅ……!!」 自分で書いておきながら、恥ずかしくなってきて、何故か部屋中を転がってしまう。 「うーうーうー……!!」 「うぅぅぅ〜〜……はぅぅぅぅ……!!」 「あぅっ!?」 「いたっ、いたたた……っ」 勢い余って壁に顔をぶつけた。 ジーンとした痛み。そのおかげですっと頭が冷静になってくる。 「……」 「……ちゃんと、読んでくれたかな」 冬馬さんの反応が気になって、その夜、私は夜更かしをすることになってしまった。 「あああぁぁっ、違う違うっ! こんなんじゃないっ!」 歯の浮きそうな言葉が並んだ便箋をクシャクシャに握り潰し、放り捨てる。 今や机の周りには、スランプに陥った小説家の部屋みたいに、丸められた便箋があちこちに転がっていた。 「ダメだ……」 持ち慣れてない万年筆を転がして、机に突っ伏す。 今まで数えるほどしか手紙を書いたことのない俺に、ラブレターの返事はハードルが高かった。 俺にも硯に伝えたい想いは沢山ある。が、なかなかそれを文章に起こすことができない。 「我ながら文才の無さが腹立たしいな、おい」 気が付けば、窓の向こうからは白い陽光が射し込んでいた。 「おはよう」 「あっ、おはよーございます♪ とーまく……んん?」 「ん? んんー?」 「何か良いコトでもあったんですか?」 「なんだ、いきなり?」 「だって顔がニヤけてますから」 「……本当か?」 思わず両手で頬を撫でる。ななみはコクコクと頷きながら、 「ニヤけてます。 これ以上無いってくらいはっきりと」 「ふぁああ……はよー」 「おっはよーございますっ、りりかちゃん!」 「おはようさん」 「……朝からなにニヤニヤしてんのよ。 気持ち悪いわねー」 「おい! いくら何でも気持ち悪いはないだろ」 ペタペタと両手で顔を触る。むぅ、自分ではやっぱり分からんな。 「あ……」 「……っ」 ぱっ、とすぐに視線を逸らした硯の頬は、仄かに桜色に色づいていた。 「……またニヤけましたね」 「一体何があるってのよ?」 「さてっ、顔でも洗ってくるかな」 「あっ!」 「ふぅ、危ない危ない”」 蛇口から流れる冷たい水で、気持ちとともにゆるんだ顔を引き締める。 昨日の今日だ。ラブレターを貰ったなんてことがばれたら、皆に弄り倒されるのは目に見えてる。 用心しておかないと。 「んーー……」 左腕で頬杖をつきながら、トントンとボールペンで机を叩く。 目の前に広げられているのは、店の帳簿と未だに真っ白な一枚の便箋。 昼時を迎えた店内からは客足が引き、外部から切り離されたように静かだ。 ななみ達はリビングで昼食の最中。 だからこうして仕事の傍ら、ラブレターの返事を考えることができるわけだが。 「んーー……」 帳簿をつけながら考えているせいか、なかなか『これだ!』というものが浮かばない。 「こうして手紙を書いている間も、 お前への思慕の念は炎のように激しく……違うな」 「そんな回りくどくしなくてもいいんじゃないですか? ストレートに『好きだ!』とか」 「それじゃたった三文字で終わりじゃないか。 ありがたみも何も無いだろうに」 「でもダラダラ長くしても、 逆に伝わりづらいと思いますけど」 「バランスってことか……難しいな」 ……ちょっと待て。俺は今、誰と話をしてる? 「? どーしたんですかぁ?」 「……いつからそこに居た?」 「えーっとですねぇ……、 『お前を抱き締めたあの夜から、  寝ても冷めても硯のことばかり考えて――」 「もういい、みなまで言うな。分かったから」 「それってラブレターですよね?」 「……ああ、そうだよ。 正確に言えば、その返事だけどな」 「なるほどなるほど。 ラブレターを貰ったからニヤニヤしてたわけですね。 ホント見せつけてくれますねー」 「う、うるさい# それと分かってると思うが……」 「だいじょーぶですよ。 これでも口は固い方ですから♪」 チャックしました、と言いたげに、ななみは指先で唇を撫でた。 「それにしても、 随分と苦戦してるみたいですね」 「まあな。 ラブレターの返事なんて初めて書くし……」 ななみの視線もあるせいか、一向に頭も働かずペンも進んでくれない。 「なあ……お前だったら、 どんなラブレターを貰ったら嬉しい?」 「わたしですか? わたしは気持ちがこもっていたら、 何でも構いませんけど」 「気持ちか……」 「そんなに難しく考えなくても いいんじゃないんですか?」 「手紙にこだわらなくても、 気持ちが伝わりやすいと思う方法で 返事をすればいいと思いますけど」 「……気持ちが伝わりやすいと思う方法か」 「しろくま公民館上空を通過。 このまま掘割町住宅地に入っていくぞっ」 「はいっ!」 「良い返事だ――期待してるぜっ!」 「行きますっ!」 夜空を吹き抜けるルミナの層を貫いて、長い尾を引いた光の矢が、米粒のように小さな的へ命中していく。 ペアを交換しての訓練が終了してから、俺達は休んでいた分を取り戻すため、連日連夜訓練をこなしていた。 今やユール・ログの飛距離と命中率に関して言えば、硯はメンバーの中でも飛び抜けつつある。 俺との呼吸もピッタリ……いや、それどころか訓練を重ねるごとに、より一体になっていくのが分かるぐらいだ。 「――冬馬さんっ、 残り5件で掘割町クリアですっ!」 「了解だ。 ならこのままメインストリート沿いに 金石町に向かうぞ」 「お願いしますっ」 しかし、目の前に立ちはだかる問題が多いのも事実。 ニュータウン上空の真空地帯の攻略。 そして硯の雪を呼ぶ体質の改善。 どちらも一筋縄ではいかない厄介な問題だ。もっと気を引き締めていかないと。 光の帯を何度も乗り換えて、山の手付近に広がる住宅地に差し掛かる。 そう言えば……。 あの場所で俺は硯と……。 「きゃっ、と、冬馬さんっ?」 「わ、悪いっ。 少しぼーっとしてたっ」 何考えてるんだ、俺は!今は余計なこと考えずに集中しろっ! 機体を加速させ、機首を眼下に広がる地上へ下げていく。 「…………」 サイドミラーに弓を構える硯が映り、自然とそちらに目が行ってしまう。 真剣な目で的を見据える彼女からは、手紙を渡そうと縮こまっていた姿は想像できない。 しかし口下手な硯が、あんな大胆に想いを綴ってくるとは……。 「……っ」 文面に綴られた言葉を思い出し、思わず頬が緩んでしまいそうに―― 「っ……!?」 白い弓から放たれた流れ星のような光。それは的を大きく外し、夜の空気へ溶け込んでいった。 「すっ、すまんっ!」 下がっていた機体の高度を修正する。しかし鏡に映った硯の表情は不安げに曇っていた。 「あの……もし疲れてるんでしたら、 今日はこの辺りで……」 「いや、問題ない。気を取り直していこう」 「…………」 「はぁぁぁぁ……」 カペラのメンテをこなす間も、俺の口からはため息ばかり零れていた。 「ったく……」 訓練中だって言うのに、なんて醜態を晒してるんだ、俺は。 結局、自主訓練は散々な結果で終わってしまった。それも全部俺が犯したヘマのせいで。 硯はちゃんと切り替えてやってるっていうのに、俺と来たら……。 「冬馬さん」 「おっ、おう、硯か。 どした、何か忘れ物でもしたのか?」 「いえ……その、冬馬さんのことが気になって」 「俺の?」 「訓練中、調子を崩されたみたいですから。 それでその」 「あー……悪い。 余計な心配かけさせたな」 「余計だなんてそんなっ。 それで……身体は大丈夫なんですか?」 「ああ、全く問題ない。 どちらかというと、俺の意識の問題だな」 「意識……ですか?」 「ああ。なんというかその……」 「?」 「ずっと……頭から離れてくれないんだ。 その、硯のことがさ」 「……え……っ!?」 「お前のことばっかり考えていて、 俺がちゃんと切り替えることが出来なかったんだ。 すまなかった」 「それと手紙、ありがとうな。 硯の気持ち……全部伝わってきた」 「い、いえ……そ、そんな……っ」 淡い電灯の下、火が点いたように硯の顔が真っ赤に染まっていく。 そういう俺の顔だって、きっと真っ赤に燃えているはずだ。 息苦しさを感じるほど、バグバグと胸が激しく脈打つ。 落ち着け……。返事の内容なんてとっくに決まってるだろ。 恥ずかしさを押し殺して、真っ直ぐに硯を見つめる。 「俺も……硯のことが好きだから」 「……へっ、ぁ、あ……あのっ、え……?」 「本当はちゃんと手紙で返そうと思ったんだ。 けど、その……なかなか上手く書けなくてさ」 「だから……俺が伝えやすくて、 一番気持ちが伝わる方法で返事をさせてもらった」 「あっ……あぅっ、あの……」 「あ……!」 「俺の気持ち……ちゃんと伝わったか?」 「は、はい……っ!」 こくり、と大きく頷く。弾みで甘い匂いが鼻腔をくすぐった。 瞬間、俺は硯の小さな身体を抱きよせていた。 「と、冬馬さん……!?」 「だ、抱き締めちゃいけなかったか?」 「! いっ、いえ……そんなこと、ありません」 胸元に重みが加わる。硯が俺に身体を預けてきてくれた。 「あ、あの……冬馬さん」 「な、なんだ?」 「その……先生から教えてもらったんですけど」 「こ……恋人同士の間では、 き、キスで気持ちを確かめ合うそうなんです……っ」 「じゃあ……俺達も確かめてみるか?」 何となく硯の言いたいことを理解して、俺はそう言葉を返した。 「あ……は、はい……っ」 「ん……っ」 互いに唇を触れ合わせて、感触を伝え合う。 「んふ……ん、ん……ちゅ」 「ん……」 「ふ……んっ、んん……んっ」 硯が一生懸命に唇を押しつけてくる。 華奢な身体をより強く抱き締めて、俺も唇を擦りつけていく。 「んふ……んっ、とうまさん……んっ」 「硯……」 「んん……んっ……ちゅっ、んぅ……ッ」 息が続かなくなったのか、苦しそうに眉を寄せる硯から顔を離す。 「ん、ん……っはぁ……」 「はぁ……はぁ……はぁぁ」 「だ、大丈夫か硯?」 「あ……は、はい」 頬を赤く染めたまま頷いて、ふと表情を和らげた。 「……くすくす」 「どうした?」 「……先生の言う通りでした」 「好きな人とキスすると、幸せになるって……」 「冬馬さんは……どうですか?」 「ああ……俺も同じだ」 近くで見つめ合うだけで、唇に触れるだけで胸が温かくなってくる。 「良かった……」 幸せそうに微笑んで、硯の指がさっきまで触れていた唇を撫でる。 その仕草に彼女が愛しくなって、俺はもう一度唇を重ねた。 「んん……ン、んッ……」 すらりとした硯の身体を捕まえて、柔らかい唇をついばむ。 「んん……あむ」 「んむっ……!?」 な、なんだコレ……ッ! 「んんー……ッ!」 すぐに顔を離そうとして――できない。 さっきまで硯を抱き締めていたはずなのに、気がつけば俺が硯に抱き締められていた。 「んンッ……んっ、んく……んっちゅ……!」 「むぐっ! ん……んく……んッ」 「んっんっ……んふ、んちゅ……んー……ッ!」 ぐいぐいと訴えるように唇を押しつけられ、ぬるりとした何かが口の中へ入ってくる。 「んんー……っ、ん、ちゅっ、ん、ん……ちゅっ」 「す、すずり……んっ」 「んむ……んっ、んちゅ、んっんっ……んじゅっ」 もごもごと彼女の舌が動くたび、くすぐったさに似た刺激に背筋が震える。 「んっ、ちゅ、んふ……んっんっ、ちゅ……っ」 こ、これが本当のキス……!? これと比べたらさっきのキスなんて文字通りただのママゴトだ。 「んぐっ……ん、んちゅ……んん……んーッ」 「んんっ、ン……ちゅっ、ちゅ、ちゅっ……んんっ」 ふわりとした唇と粘膜をくすぐる舌に段々と意識がぼーっとしてくる。 「ん、ん……ちゅっ、んく……んっ、んー……」 「んはぁ……とうまさん、んー……んっ、ちゅっ」 「んっんっ……んぢゅっ、んちゅ……ちゅ、んんっ」 だ……駄目だっ、負けるな中井冬馬っ。 年上として、ここで押し切られたらいけないような気がする! 「んふっ……んっ、んちゅっ、ちゅ……んん……?」 唇を合わせたまま、硯と目が合う。同時に口内を泳いでいた舌が動きを止めた。 見計らって縮こまっていた舌を伸ばし、硯のそれにからませる。 「んんッ!? ンッ、んンっ、んぐ……んんーっ!」 逃げようとする硯を抱きよせて、硯に習った通りに硯の舌と執拗にからめあう。 「んんっ、んっんっ……んちゅっ、んっんっ、 んぐ……ん、ちゅ、んちゅ……じゅる……」 「んはっ……とうまさ――んんッ、んちゅっ、 んっんっ、んーッ……ちゅっ、ん、んんぅ……!」 ジンジンと身体が熱くなってくる。目の前にいる硯のことしか考えられない。 「んーっ、んふっ……んっんっんッ……んちゅっ」 「ちゅっ、じゅる、んむっ……んんぅ、ちゅっ」 唇を強く押しつけて舌をからめあったまま、硯の口内へ潜り込ませる。 「んんーッ!? んぁ、んぁ……んちゅっ、んんっ」 「んく……んんっ、ちゅっ、じゅるる……んんーッ」 今までのお返しに舌を追いかけながら、彼女の口の中を動き回る。 はり合わせた唇の隙間から、にちゃにちゃとねばついた音が漏れていた。 「んんァ……んちゅっ、ちゅ……んふっ、んんッ」 「んぁ、んん……んぐっ、んんッ、んんー……ッ!」 硯の呼吸が段々と大きく荒くなって、コートを握り締めていた手がトントンと胸を叩く。 「んん――んはぁぁぁ……っ!」 擦りつけていた唇を離す。白い糸を引きながら硯が遠ざかっていく。 「はぁーっ、はぁぁ……はぁぁ……はぁぁ……」 「はぁ……はぁぁ、はぁ……っ。 さ、流石に少し長すぎたな……はぁ」 「はっ、はい……はぁ、はぁぁ……」 けれど、キス1つでこんなに気持ちいいとは……。クセになってしまいそうでマズい。 「んくっ……んはぁ……はぁ、はぁ……はぁぁ」 「はぁぁ……大丈夫か?」 「はぁぁ……はぁぁ…………はぁ」 呼吸を落ち着かせた硯が、強い眼差しを俺に向けた。 その表情はまるで何かを決意したように、硬く強張っている。 「……硯?」 「っ……」 俺の呼びかけに、きゅっと目を閉じる。 そのまま両手を胸元に当て、ゆっくりと服のボタンを外し――!? 「ちょっ、ちょっと待てッ!! ストップ止まれ! フリーズだ!!」 「ひゃわあっ!?」 「さ、流石に性急すぎるぞ硯! ソコに至るまでには、 もっとこう色々と手順を踏んでだな……!」 「で、でもフレンチキスをするのは そういう合図だって……」 「一体どこでそういうことを知ったのか、 問い詰めたいところだが……」 「何でもかんでも その情報通りに従うことなんてないぞ?」 「…………」 「……ただ従ってるわけじゃないです」 心外だとばかりに怒ったように。いや、彼女は間違いなく怒っていた。 「わ、私だって本当は…… 恥ずかしくて、逃げ出したくてたまりません……っ」 「でも……こうしたら、 冬馬さんに喜んでもらえると思ったから」 「それに……早く、 冬馬さんのものにしてほしかったから」 「硯……」 「そ、それとも……私に、そんな魅力ありませんか?」 綺麗な瞳が不安げに揺れる。 彼女の暴走はただ一生懸命に俺に応えようとしてくれただけだったのか……。 硯がたまらなく愛しくて、俺は彼女を、強く強く抱き締めた。 「んぁ……冬馬さん……」 すっと硯の身体から力が抜け、その身を委ねてくる。 彼女の重みを心地よく感じながら、俺は紅葉色に染まった頬に唇を寄せた。 「んっ、んー……んむ、んじゅるっ、ん……」 「――ぷはっ、はぁ……はぁぁ……」 「はぁ……はぁ……っ、はぁぁ……っ、 とうまさん……っ」 乱れた呼吸に合わせて、さらけ出された胸元が上下に動く。 白かった肌は桜色に変わっていて、早くもうっすらと汗をかき始めていた。 「…………っ」 「やっぱり寒いか?」 「ち、違います……っ」 「へ、変なんです……っ!」 「ヘン?」 「そのっ、さっきから胸がドキドキしっぱなしでッ」 「身体の力も抜けてくれないし……っ、 わ、私……ど、どうしたらいいのか……っ!」 「大丈夫だ」 自然と身体が動いていた。 震える硯をぎゅっと抱きしめる。ここは年上の俺が安心させてやらないと。 「大丈夫だから、俺に任せとけ」 「はっ、はい……!」 「ん……っ」 頬に手を添えて、もう一度口づける。 「ん、ん……ちゅっ、ふっ……んっ、ん……」 ふわりとした唇をついばんで、そのまま頬と首すじ、うなじにもキスしていく。 「と、とうまさん……んん、あっ……んぁァ」 一本一本しなやかに伸びた髪は、指に引っかかることなく滑り落ちていって。 なびいた拍子にふんわりとした彼女の甘い香りが鼻を撫でた。 「硯の髪、サラサラしてて気持ちいいな」 「んん……ほ、本当ですか?」 「ああ、 いい匂いだってするし、ずっと触っていたい」 「なら、これからは好きな時に触ってください」 「冬馬さんに触ってもらえると、 私も嬉しくて、その……気持ちいいですから」 「硯……っ」 堪らなくなって、再び硯と唇を重ねる。 「んふっ……ちゅっ、んぁっ、んー……」 「ちゅっ、ちゅ……んっ、ん、んぁ、ちゅっ」 「硯……」 「んぁっ、とうまさ……んんっ、んッ、んぁ、あっ」 手と指で髪をいじりながら、口元から顎、ほっそりとした首へ唇を滑らせていく。 「ひぁっ、あっ、んーっ、ン……んん……ッ」 ほんのりと赤くなった胸元に顔を寄せる。硯がくすぐったそうに小さく跳ねた。 そのまま顔を押しつけると、薄い生地に包まれた胸が押し返してくる。 「んんぅ……んはっ、あっ、あぁっ……!」 文字通り、吸いつくような肌に頬を寄せながら、しっとりと汗ばんだ胸元に口づけていく。 「はぁ……あっ、んぁっ、んっ……んくっ、 んふっ、んんー……ッ!」 ついばむたびに硯が身をよじる。拍子に汗と硯の匂いが鼻先をかすめる。 「んんぁ、あ……んふぁっ、く……ふっ、 やっ、く、くすぐったいです、とうまさ……んぁ!」 構わずに汗の浮かぶ胸にキスしながらはだけたコスチュームの隙間に手を差し入れる。 途端、びくりと硯の身体に力が入った。 「あ、の……とうま、さん……?」 「下着、取るな?」 「ぁ……はっ、はい……!」 頬を染めながら、硯は小さく頷く。 それをしかと確認して、両手を服の中へ差し込んでいった。 「くふ……んンッ、んぁ……あっ、あ……やんッ」 「……っ、と……!」 た、確かブラジャーって後ろのホックで留めてあるんだよな……? 頭ではそう分かっているのに、両手が思うように動いてくれない。 「……っ!」 思わず焦ってしまって、手が乱暴なものになっていく。 「んぁッ、んんッ……と、とうまさん……ッ?」 「ま、待ってくれっ。もう少しで……っ」 「お、落ち着いてくださいっ。 そんな乱暴にされたら、下着が……ッ!」 「っ! す、すまん……っ」 何やってんだ、俺は。これじゃ我慢の利かない子供じゃないか。 酷い自己嫌悪に陥りつつ手を離そうとして何かに引き止められた。 「す、硯……?」 硯の手が俺の手を掴んでいた。 「ッ……い、いいですか?」 そのまま導くように背中に回していき、ホック部分を触らせた。 「ぶ、ブラはここのホックで留まってますからっ、 こっ……こうして捻ってもらえれば……っ」 ぷちっと小さな音とともに、指先でホックが外れた。 「……っ」 同時にぷるんと大きな膨らみが目の前にまろび出る。 うっすらと汗ばんだ二つの乳房は硯の呼吸に合わせて、小さく震えていて。 服に引っかかった先端は、その在り処を知らせるように布地を押し上げていた。 「あ、あの……冬馬さん。 私の身体、どこか……変でしょうか?」 「ど、どうして?」 「だ、だって……さっきから、 じっと見てますから……だから、その」 「あ、いや……、 綺麗なもんだから、つい見惚れてしまってた」 「き、綺麗だなんて、そんな……」 「触っても、いいか……?」 「は、はい……どうぞ」 聞き逃しそうな小さな返事を確認して、そのたわわな膨らみに手を重ねる。 「んくっ……んっ、んぁ……っ、 ほ、本当に触って……んんっ……ッ」 胸の鼓動を感じながら手に力を込める。くにゅり、と手の中で膨らみが形を変えた。 「んんッ……んっ、んはっ、 と、とうまさ……んんッ、んあ、あっ」 柔らかくハリのある乳房は指を沈める度に元に戻ろうと押し返してくる。 その感触が気持ちよくて思わず何度も手に力を込めていく。 「んくっ……うぅッ……!」 「わ、悪いっ、痛かったか?」 「だ、大丈夫です……。 少しひりっとしただけですから」 「すまん。次はもっと気をつけるから」 気を取り直して、今度は下からすくうように手を添える。 「ふぁぁ……んっ、んぁ、あ……んく、ん……ッ」 手の中に収まりきらない膨らみは、力を込めるたびに指の間から零れ落ちそうだ。 「はぁぁ……んぁっ、んっ、ん、くっ、んぅ……ッ」 「気持ちよさそうだな、硯。 段々、顔がとろけてきてる」 「そっ、そんな……んはっ、んぁ、あ……っ、 やぁっ……と、とうまさん……んぁ、んぁ……!」 普段は大人しく、物静かな硯がこんな顔をするなんて思いもしなかった。 「んん……あっ、んぁ……んくっ……んんっ」 「んはっ……あっ、あん……んっ、んんっ、 と、とうまさん……んんーッ」 「硯……」 「冬馬さん……んっ、ちゅ、んふ……ちゅ、ちゅっ」 名前を呼ぶ硯に顔をよせると、硯のほうから唇を触れ合わせてきた。 「んふっ、ん……ちゅっ、とーまさ……んんっ、 ちゅっ、とーま、さんんっ、んー……ッ」 甘ったるくなった声にキスで応えながら、服の下で尖っている先端に指を伸ばしていく。 「んんッ!? んぷッ……んあぁっ!!」 指先で軽くくすぐってみると、硯の喉が大きくのけぞる。 「んあっ! あ、あ……んぁっ、あぁッ」 「はぁぁっ、あっ、ん、ん……そ、そこっ、 あぁ……ばっかり、いじっちゃ……ああぁっ!」 「そこって?」 「んふぁッ?! んぁ、あ、あ、あ……んんー!」 くにくにと摘んだり引っ張ったり。膨らんでいた乳首がさらに硬くなっていく。 「んむっ、ン……ちゅっ、ん、ンっ、じゅっ、 ふぁ……んぁっ、んんーッ、んちゅ……んんッ!」 柔らかな唇と胸に夢中になっていると、硯が俺の手首を握り締めてきた。 止めてという意思表示かと思えば違った。もっとと言いたげに、胸に押しつけてくる。 「んっ、んく……んちゅっ、んんぁ……っ、 ちゅっじゅる……んぁ、とうまさん……んちゅ」 乳首ごと押し潰すように胸を揉みながら、お留守になっていたもう一本の手を下へ滑らせていく。 下半身を覆うタイツは既に汗ににじみ、肌の熱気を帯びていた。 「んっ、ん……ちゅっ、んんッ、んく……っ、 んはっ……あ、あ、んぁっ、んっ、ん……ッ」 じわりと湿ったタイツの上から太股に手を這わせると、ぶるっと硯の身体が震える。 「んちゅ……んっ、んぁ……あっ、 はぁ……そ、そこは……とーまさ……んんーっ」 指先を太股の外側から内側へ滑らせ、閉じた太股に手を潜り込ませていく。 ぎゅっと太股が手を締め付けて、硯の手が息苦しそうに胸板を押してきた。 「ん、んちゅッ、はぁぁぁ……ッ、 はぁ……はぁぁ……」 からみあっていた舌が離れ、キラキラと銀の糸が垂れ落ちていく。 「はぁぁ……あ、あの……冬馬さん……」 「はぁ、はぁ……どうした?」 「そ、その……下は、どうしますか?」 「した?」 「た、タイツ……なんですけど」 「ぬ……脱いだ方がいいですか? それとも……と、冬馬さんが……っ」 「俺が?」 「――や、破きますかッ!?」 「……なんだって?」 今、硯の口からとんでもないことを聞いた気が……。 「だ、だからその……脱いだ方がいいですか? それとも、冬馬さんが破いて……」 「それ、誰からの入れ知恵だ?」 「せ、先生です。 その……世の男性は女性が履いている タイツやストッキングを破くのが大好きだって」 ……ったく、あのグータラ先生は$ 「だ、大丈夫ですっ! 替えでしたら部屋にありますし……」 「一体何が大丈夫なんだ$ そもそもそんな乱暴なことしない」 思わずため息を漏らしながら、両手をストッキングの端に引っ掛ける。 「ッ!! そ、そこまでしてもらわなくても、 自分でできますから……ッ!」 「いいからいいから。 ほら、腰を上げてくれないか?」 「うぅぅぅ……は、はいっ……」 べったりと汗で貼りついたタイツをするするとずり下げていく。 「んんッ……はぁ、はぁぁ……んぁ、あぁ……っ」 硯の堪えるような吐息が、ヤケに大きく聞こえる。 ……いや違う。これは俺の息だ。 服を脱がせるという行為に興奮して、俺の呼吸も荒くなっていた。 「……っ」 タイツを半分ほど引き下げる。すらりと伸びた脚と股間を覆う最後の一枚が露わになった。 既に布地は湿り気を帯びていて、その奥にあるものを透き通していた。 「はぅぅ……」 「んあぁっ!?」 「とっ、とうまさ……んんっ、んぁっ、あっ、 んくっ、やん、ん……んふっ、あぁぁぁぁーっ!!」 下着越しに指を泳がせると、タイツに包まれた爪先がぎゅっと丸まる。 「はっ、はっ、ん……んぁっ、あ、あぁっ、 うくッ、うぅ……んんッ、ん、んーッ……!」 ショーツの上から奥に向かって指を押し込んでやる。 「うぅぅーっ、うあっ、んんー……だめっ、ダメッ、 そんな、グリグリだめですッ……んんあぁぁッ!」 指の動きに合わせて白いお尻がぶるぶると震える。 それがまるで誘っているように思えて、何だかたまらなくなってくる。 「はぁっ、はぁ……んっ、はぁぁ……っ、 と、とうまさん……?」 「コレも取ってしまうな」 「えっ……あっ、待って……ッ!!」 「やあぁぁ……ッ!」 聞こえないフリをして下着を取り払うと、じっとりと濡れた女性器が目の前に現れた。 「(これが硯の……っ)」 初めて見る女性のそこに思わず釘付けになる。 ぬめりを帯びた硯の股間は呼吸に合わせて小さく花開いていた。 まるでそれ自体が呼吸をしているような……、別の生き物のように見えてしまう。 「やああ……ッ! あ、あまりじっと見ないでください……っ。 こんな、汚いところ……っ!」 「全然汚くなんかないぞ。 本当とても綺麗だし……」 「だッ、だめですッ!! そ、そんな所に顔を近づけちゃ……ッ!!!」 「なら、少し触らせてもらうな」 「さっ、さわっ!?」 ピンク色の亀裂に手を伸ばし、濡れたふくらみを指先で撫でていく。 「んんッ……んーー……っ!!」 スジに沿って指を上下すると、愛液がにじみ、ぬめりが強くなっていく。 「と、冬馬さんっ、やぁ、そんな……んんぅッ! いじっちゃ……んあっ、あ、あ、あっ!」 「(……こんな小さな所に、入れるんだよな……?)」 硯の乱れた呼吸に合わせて、うっすらと開いた口から雫が垂れてくる。 そこにそっと指先を添えた。 「んんーーッ!! んくっ、うぁ、あ、あ、あ……ッ」 ゆっくりと硯の奥へ指を差し入れる。幾重にも折り重なった襞が包み込んでくる。 「はっ、はっ……ああぁぁ……っ、 んん……んぁ、んぁ、はあぁぁぁ……っ!」 「(す、すげぇ……ちゅっちゅって吸いついてくる)」 「ふあぁぁっ!!」 指の動きに合わせて、華奢な腰が跳ね上がり、襞が動きを押さえるように締め付けてきた。 「んぁッ、んぁッ……んんッ、あっ、やっ、あぁッ、 と、とうまさんッ……んっ、んっ、んく……ッ!」 折り曲げたまま、手首を返す。粘ついた音を立てながら、狭まった膣内を優しく掻き回していく。 「ああぁぁッ! あッ、んふっ……んっんっ、 んはぁぁ……あ、あ、あっ……あぁぁッ」 指だけでも身震いするくらい気持ちいいのに……。 「(ここに入れたら、どうなるんだ……?)」 思わず想像して、血が集まった下腹部が痛みを訴えた。 荒っぽくなる呼吸を必死に落ち着けて、さらに奥へと指を押し進めていく。 「んんッ! んぐ……うあッ、あッ、くぅぅ……!」 「っ。だ、大丈夫か?」 「はぁっ、はぁ……は、はい……ッ、 んっ、あっ、はぁぁ……ッ」 「(優しく……優しく……)」 傷つけないようにゆっくりと指を引き抜いて、ゆるゆると浅い所で抜き差ししていく。 「んぁぁ……ッ、あんっ、ん、んっ、んく……ッ」 入り口を広げるようにして優しく掻き回すと、隙間からどろり、と新しい雫が垂れ落ちてきた。 「はぁぁ……んくっ、んんッ、ん、んっ、 と、冬馬さん……とうまさん……んんっ!!」 「これぐらいがちょうどいいんだな」 「んああッ! あっあっ、はあぁぁぁ……! だめっ、だめだめっ……んんっ、んあああっ」 吐息に混じって硯の声が段々と蕩け始めた。 少しだけ指の動きを大きくすると、ピチャピチャと小さな水音が上がった。 「んくっ、んぅッ……と、とうまさんッ、んっ、 おっ、おと……やぁっ、んぁっ、んん……んぁぁッ」 「ん? どうかしたか?」 「いやッ、やぁっ、んぁっ、んっ、んー……ッ は、はずかし、ぃ……ですからぁ……ああぁぁ」 「俺しか聞いてないんだ、いいじゃないか」 「うあぁっ、はぁぁ……そ、んな……っ、 ぃ、いじわる……んんぅっ、んあ、あ、あんっ!」 硯の訴えを軽く聞き流して、絶え間なくからみついてくる粘膜を指全体でなすっていく。 「んあっ、あッ、んぁ、んんーッ……んくぅぅ、 うあぁ……はっ、あっ、あぁぁ……あ、あんっ」 じん、と頭の芯が痺れるような感覚を覚えながら手を動かしていると、すぐ上で小さく膨らんだ蕾が震えていた。 ひょっとしてこれが……。空いていた手で軽く触れてみる。 「ひッ!? あああぁぁッ!!」 膨らんだ突起をいじるたびに、汗に濡れた顎が跳ね、細い喉をのけぞらせた。 「ん、んっ、んく……ふっ、んん……ッ、 ふあぁ、あんっ、んぁ、あ、あっ、ああぁぁ!」 硯の反応を見ながら、ぷっくりと尖っているクリトリスを軽く摘む。 「んあああぁぁーッ!! だめっ、そこだめぇぇーーッ!! んあああぁ、あ、あ、あああぁぁ!!」 指先で刺激を与える度、ピクピクと腰を小さく震わせる。明らかにさっきまでと反応が違った。 「んんーーッ! んぁっ、あっ、やぁっ、んんっ、 んぐ……んんっ、んぁ、ん、ん、んんーーッ!」 下唇を噛みながら、硯は顔を横に振る。 膣襞を擦る指を速めつつ、少し強めにクリトリスを擦り上げていく。 「んんんんーーー!? あぐっ……んふッ、ン、ンっ……んむッ、 くッ、うぅ……んあーーッ!!」 「我慢しなくていいから。 硯の可愛い声、もっと聞かせてくれ」 「んむッ、んん……ッ! んくっ、んふっ、はあぁぁ……! ふあぁぁッ、あ、あっ、ああぁぁっ!」 突起を摘んだ指を軽く捻ると、硯の濡れた唇から甲高い声が上がった。 「うあぁッ、あっ、ああんッ、んぁ、あぅ、 んんぅーッ……んくっ、んあっ、あっ、あぁーッ!」 膣内で指を泳がせて、指先でクリトリスを優しく擦っていく。 既に手は絶え間なく零れてくる愛液で濡れ、動かすたびにぬちゃぬちゃと音を立てていた。 「はあぁぁッ、あ、あ、あぁぁッ! やっ、やめて……もぉやめてぇ……あああぁっ!!」 「可愛いぞ、硯」 「あああァァあぁ……そ、そんなのッ、 嬉しくないぃ……んぁあ、あ、あ、あ、あッ!!」 愛撫の力加減がようやく分かり始めた頃、硯の喘ぎが徐々に切羽詰まったものになり始めた。 「うああぁぁっ、あん、あ、あ、ああァァッ! んんぅっ、んっ、んーッ、ふあっ、ああぁーーッ!」 「いやっ、やぁぁ……ッ、んぁ、あ、あッ、 いっ、いやッ……なんかッ、来る……ッ、 うぅぁ、あんっ、ああぁぁーッ!」 激しい喘ぎ声を上げながら、汗に濡れた硯の手が、押しのけるように手首を押さえつけてくる。 「とうまさんッ、んあッ、やっ、やぁッ……ッ! こわぃぃ、ひッ……やっ、やぁぁ……ッ、 んんッ、んうぅっ、ぃやぁぁ……ッ!」 怯えるように全身をビクビクさせながら、硯が切羽詰まった声を上げる。 どこか泣き出しそうに見えた硯の顔に、俺はそっと唇を押しつけた。 「んん……ンっ、ちゅっ、んぁ、んっ、ちゅっ、 んちゅ、んんッ……んふ、ちゅ、ちゅ……ぷぁっ、 はぁ、んっ、んぁ、あっ、あっ、あぁッ!」 そして顔を離すと同時に、折り曲げた指先で強めに引っかきながら、充血したクリトリスを転がしていく。 「んああぁぁーーッ! んぁ、あっ、あくッ、んぐぅ……ああぁ、 あっ、あ、あッ……くっ、うゥゥ…ッッ!!」 「んぐッ……んうぅぅ……んんんンンーーッッ!!!」 黒地に包まれた爪先がぎゅっ、と縮こまり、汗に濡れた肌がガクガクと小刻みに震える。 「うあッ……ッ、あッ……は、ぁ……あッ」 「――はぁぁぁッ……ぁっ…………はぁぁぁ……ッ、 はぁっ、はぁ……んふぁぁ……はぁっ……はぁぁぁ」 力を失った硯は小さく痙攣しながら、ぐったりとシートの上に身体を脱力させた。 「ふぁっ、はぁ……はぁぁ……ふあぁぁ……、 あっ、はぁぁ……はぁぁ……んく、はぁぁー……」 「硯……」 「んぁ……あ、とうまさん……」 汗の匂いを感じながら顔を寄せる。硯はうっとりと蕩けた目で俺を見た。 「はぁぁっ、はぁぁぁ……。 今のが……『イク』というものなんですね」 「みたい、だな。 すごく気持ちよさそうにしてたし」 「そ、そうですか……?」 「ああ。 見てるこっちもドキドキするくらいエロかった」 「ッッ……んんぅっ……ッ!」 顔を伏せようとする硯。その顎に手を添えて逃げられないように唇を重ねる。 「んんっ……ンっ、んッ、ちゅ……ちゅ」 「んぁ……ちゅっ、んふ、とうまさ……んふ、 んはぁ……んむっ、ん、んー……」 手を握り合って舌を絡め合ううちに、身体が密着していく。 「あ……っ」 「硯?」 「あ、あの……お、お腹にその……」 「お腹……あ」 気づかないうちにパンパンに膨らんだ下腹部を、硯のお腹に擦りつけていた。 「あッ……す、すまん……ッ!」 「い、いえ……」 「怖いなら、止めるか……?」 強引に進めるなんてことはしない。一番大事なのは硯の気持ちなんだから。 けれど硯はそれに頷かず、顔を横に振って真っ直ぐに俺を見た。 「す、少し怖いですけど……。 でも……冬馬さんと一つになりたいですから」 「だから、続けてください」 「はぁ…………」 脱力気味な硯をシートに寝かせる。 そしてベルトに手をかけ、狭苦しい空間からペニスを開放した。 「あ……ッ」 硯の視線を受け止めて、彼女の上に覆いかぶさる。 「あ、あの……冬馬さん、その……」 「分かってる。 できるだけ優しくするから」 そう言い聞かせるも『できるだけ』のところに、我ながら余裕の無さが伺いしれた。 それでも硯は安心したようで、顔を綻ばせて頷いてくれた。 「行くぞ……?」 「っ……(コク)」 ペニスの先端を入り口にあてて、ゆっくりと腰を突き出していく。 「んんッ……ッ!」 「くっ……!」 しかし先端が触れた瞬間、ぬめりに負けて滑ってしまう。 裏筋を擦られる快感に身震いしながら、割れ目に向かって腰を進めるも、愛液や先走りに負けて中々上手くいかない。 「うく……つッ……」 ただでさえのぼせそうなくらい、昂って敏感になってるのに、このままじゃ入れる前に終わってしまう。 「ま、待ってください、冬馬さん……」 「硯……?」 進めようとした腰を止めると、硯は縮こめていた両手を下半身へ伸ばした。 さらに腰を寄せると、両脚を今よりもさらに左右に開いていく。 「ん……んん……ッ」 両手が割れ目に添えられると、目の前でゆっくりとそこを押しひらいた。 「んんッ……はぁ……ッ。 こ、ここです……分かります、か……?」 「あ、ああ……ッ」 晒されたピンク色の粘膜と中央から愛液をこぼす小さな入り口。 そこに先端をあてがう。 「あの、冬馬さん……」 「ん?」 「手を……握ってもらえませんか?」 「手を?」 「冬馬さんに握ってもらえると、 安心できると思いますから……」 「いいぞ。ほら……」 手のひら同士を重ね合わせて、互いに強く握り合う。 「硯……」 ゆっくりと腰を押し進める。ペニスがゆっくりと硯の中へ飲み込まれていく。 「んんッ……うァッ、あ……あッ……!」 ペニスが一枚一枚襞を掻き分ける毎に、硯の口から苦しそうな声が吐き出される。 「ううゥッ、うぐッ、んんッ……んんぅぅ……ッ!」 指一本でも窮屈だった硯の中をゆっくりと押しひらいていく。 「はっ、あッ……アッ、う……く……うゥゥ!!」 「くッ……うぅ……っ」 硯は男の俺には想像できない苦痛と戦いながら、俺は今まで感じたことのない快感を押し殺して、一つになっていく。 そしてペニスが硯の中に半分ほど埋まった時、先端が隔たりのようなものに阻まれた。 「んぐっ……んぁッ、アッ……あ、ああぁ……ッ!」 苦痛に歪んだ表情と握り返す硯の手が、どれほどの痛みなのかを教えてくれる。 「はっ、はぁ……はぁっ、あッ……ぐぁ……ッ!」 「……硯、深呼吸だ。 息を整えて、力を抜いて」 コクコク、と、硯は痛みに眉を寄せながら大きく頷いた。 胸元が大きく膨らみ、長い吐息がこぼれる。苦痛で縮こまっていた身体から力が抜け出て、ペニスを締め付けていた膣内が緩む。 ごめん、と心の中でつぶやいて、俺は一気に腰を突き進めた。 「んぐッ……ううあッ、ああああぁぁッ!!」 グン、と硯の身体が痛みにのけぞる。 隔たりを貫いたペニスは、根元まで硯の中に飲み込まれていた。 「……ッはぁッ、あッ、はぁ……はぁぁ……ッ」 「硯……」 「はぁ……はぁぁ……はぁッ、ああぁ……ッ、 はぁぁ……とうまさん……」 「……よく頑張ったな。全部入ったぞ」 「ほ、本当ですか……?」 「ああ」 汗で肌に貼りついた髪を払い、火照った頬を撫でてやる。 俺と硯の下腹部はぴっちりと一つになったみたいにくっ付き合っていて。 その結合部からは愛液に混じって、初めての証が一筋の赤い線を作っていた。 「でも痛かっただろ。ごめんな」 赤くなった目元を濡らす涙を指で拭い取る。少しでも痛みを感じる間を減らそうと思ったのに、失敗してしまった。 「ち、違うんです……。 これはその……冬馬さんと一つになれたって 思ったら、嬉しくなって……それで」 本当はツラいはずなのに、眉を寄せながらも笑みを崩そうとしない。 そんな彼女がとても愛しくて、唇と頬にそれぞれキスをする。 「ん……はぁぁ……。 冬馬さん……私は、大丈夫ですから」 「……分かった。 ゆっくり動くからな?」 「ッ……は、はい……」 絡め合った手を握り返し、ゆっくり腰を引いていく。 「んくッ……んふっ、んッ、んぅぅ……くぅッ」 痛みに驚いたように収縮する膣内から愛液と赤い液体がまとわりついたペニスを引き抜いていく。 「んはっ、あっ……アッ、ぐっ……んーーッ!」 お腹を撫でながら、抜けそうになるまで引いた腰を押し進めていく。 「うっ、ぐ……ッ」 硯の中を突き進めると、歓迎するように粘膜がからみついてくる。 「あッ、んィッ、んん……とうま、さん……、 はっ、はっ、あッ……気持ち、いいですか……ッ?」 「ああッ……くっ、すげえ気持ちいい……ッ」 「はぁ……よかった、んんッ……あっ、あくっ、 もっと気持ちよく、なって……ん、いッ、あぁッ」 腰の動きに合わせて、ぎゅっと痛みを訴えるように中が収縮する。 怖いくらいの快感に歯を食いしばりながら、ツンと上を向く乳房に手を被せた。 「んふぁッ、あ……はっ、あぁ……ッ」 ふくよかな乳房に指が沈み、汗をにじませた肌がはりついてくる。 「んぁッ……は、あっ……あん、ん、んッ、 うくっ……うっ、うあ、あッ……あうぅっ」 「くぁ……うっ……!」 指に力を込める度、乳房が歪に形を変え、膣襞がペニスを締め上げてくる。 「はぁッ、アッ……んんッ、くぁッ……あァァッ!」 根元から搾るように揉みしだくと、ぷっくりとふくらんだ乳首が小さく震える。 俺はツンと尖っている先端を口に含んだ。 「ふあぁぁぁ……!! あっ、は……あ、あ、んん……ッ、 はぁぁ、あ……あん、ん、んっ」 しこった乳首を吸い立てると、汗に混じってミルクにも似た甘みが口に広がる。 「ひぁッ、ん、んぁッ、 だッ、だめです……んんーーッ!」 「んんーっ、そんな吸っちゃッ……ふぁッ、あっ、 胸が、伸びちゃう……んぁ、あ、あッ、あ!」 唇ではさみながら舌先で乳首を弾くと、ブルリと押しつけられた胸が揺れる。 「ひあぁッ、んぁ……ん、んッ、んく……ゥゥッ、 あひっ、あぁ……とうまさんっ、ん、んんーッ!」 「うくっ……んあッ!!」 口全体で硬く尖った乳首を味わっていると、硯の熱い膣襞が、本来の柔らかさを取り戻していく。 ただ締め付けるだけだった襞。 それが一枚一枚まるで生きているみたいに、ペニスに吸いつき、しごいてくる。 「うあぁッ、あっ、はぁ……あっ、あぁッ、 とうま、さんッ……んはっ、あ、あ、あぁ……」 「うッ……くっ、ぅぅ……ッ!」 身体の奥で燻っていたモノが大きく、強くなっていく。 「ぐ……はっ、あぁぁ……ッ!」 口から思わず情けない声が漏れる。 歯を食いしばり、吐き出しそうになる声を必死に飲み込む。 「はぁ、あ……あっ、んぁ、あッ、あッ、 んんぅ、んぐ……うあッ、あ、あ、んんーッ」 「くっ……うぅッ、はっ……!」 硯の甘い喘ぎが。ペニスを締め付ける膣内が、身体の下で身体を捩じらせる姿が。 身体の下で喘ぐ彼女の一つ一つの仕草が、俺を追い詰めていく。 「うあぁッ、あ、う……ん、ん、ンンッ……、 んぁぁ、はぁ……あっ、あぁ、はぁぁ……」 「ぐ……ぅっ、硯……ッ!」 必死に堪えていたナニかが、より大きくより強くなって背筋を駆け上り、頭を真っ白に染めていき―― 俺の中で何かが決壊した。 「ぐッ……あぁッ!」 知らないうちに硯の奥へ突き込んでいたペニスが、膣奥に精液を吐きかけていく。 「はっ、あぁ……出てっ……はっ、あ、 冬馬さんの、いっぱい……はっ、ぁぁ、あぁぁ……」 ぶるりと汗に濡れた身体を戦慄かせて、お腹の奥で精を受け止めてくれる。 しかし硯の粘膜はもっとと言いたげに、ペニスにからみついたまま、なすってくる。 「くっ、うぅ……す、硯……ッ!」 「んんーッ!? んあっ、あ、あぁ……ッ、 やっ、あ……と、冬馬さんが、中で大きく……ッ!」 「す、すまん……。 一回じゃ満足できそうにない……ッ!」 「えッ……うあッ、あああぁぁッ!」 ズンッ、と少し強めに腰を突き上げる。反り返った喉から裏返った声が上がった。 まだまだ味わい足りなくて、柔らかく解れた膣襞を引っかいていく。 「んぁ、んぁッ、あっ、うあっ、ああーッ! うんんッ、ん……んんッ、んふぁ、ああぁッ!!」 繋がり合った下腹部は愛液やら精液が混ざり合ったもので、漏らしたみたいに濡れていて。 腰を打ち付けるたびに、ピチャピチャと粘ついた水音が鳴り響いた。 「んああッ、あっ、あぅ、あん……んふぁッ、 あぁぁ……とうま、さんッ、とうまさん……ッ」 切なげに俺を呼ぶ硯に顔を寄せると、自ら身体を軽く起こして唇を重ねてくる。 「ん、んッ……ちゅ、ちゅっ、んっ……んふっ、 ふあ……んぷっ、ちゅ……ちゅ、ん、んっ……」 絡めあった手を握り締め、お互いに身体を密着させてキスを繰り返す。 「ちゅっ、ちゅる……んふっ、んッ、んくッ、 じゅる……ちゅっ、んッ……んちゅっ、ちゅ」 垢抜けつつある硯のキスを味わいながら、まとわりつく粘膜をこすりたてていく。 さっき吐き出したばかりだと言うのに、早くも腰の奥が甘い痺れを訴えてきた。 「うぅ……ちゅ、じゅる……んちゅ……んッ!! んふぁッ! あぁッ、ああぁぁぁッ!」 お腹をこすり付けるように腰を揺らすと、コリっとしたクリトリスが下腹部を擦る。 瞬間、もぎとるように離れた唇から、悲鳴めいた声が上がった。 同時にペニスにはりついた膣壁がはげしく蠢き、ペニスを締め付けてくる。 「あッ……んんッ! ん、んふッ……ンンンッ! んぐっ、うぅ……うぁッ、あ、あっ、ああぁぁっ!」 「くぅ……ッ、 硯がこんな大きな声を出すなんて、 思わなかったぞ……ッ!」 「あうぅぅ……ッ!! んふッ! んっ、んーッ、んぐっ、んむぅ……ッ!」 「だから声は抑えなくていいから……っ」 「んぅぅぅーッ!! んーっ、んちゅっ、じゅる、んッ、 ふっ……んくっ、ちゅ、ちゅる……ん、ん、ちゅッ」 ぎゅっと一の字を結んだ唇をこじ開けて、舌を絡めて唾液を啜り出していく。 「んふああッ、あ、あ、あッ、ん、んぁぁっ、 あはっ、はぁ……くっ、ふあッ、あ、あぁッ!」 「それっ、はぁ……だめッ、だめです……ッ こすっちゃ……あっ、あッ、んあぁぁッ!!」 「そんなこと言ったって、 自分で腰を動かしてたら、説得力ないぞ……ッ!」 「ふあぁぁッ! う、うそ、ウソ……ですッ、そんな……ぁぁッ、 あっ、や、やああぁ……ッ!」 「うそじゃないって……ホラ」 腰を止め、空いていた手で抱き寄せるように硯の頭を上げさせる。 まるで快感を貪ろうとしているみたいに、華奢な腰が俺の腹部に擦りついていた。 「あッ……はぁァッ、あ、あ……ッ、 私の腰、ほんとに動いて……んんーーッ!」 「うぐッ……あッ!」 唐突にペニスに包み込んでいた膣襞がギュゥゥ、と強く締め付けてきた。 「んあッ……んあ、はっ、あッ、あぁぁッ、 はぁっ、うあッ……んぁっ、あ、あ、あァァ!!」 まるで吹っ切れたように、擦りつけてくる硯の腰の動きが大きくなる。 それに合わせて腰を強く押しつけていく。 「やぁぁッ、あーッ、あ、あッ、んああーッ!」 「あんっ、んッ、こ、声が止まらなぃ……ああぁぁッ、 はしたない、のにぃ……やっ、あっ、ああァッ!」 「っう……くっ、はぁ……ッ!」 わんわん、と地下室に反響する喘ぎ声に、硯の粘膜が蠢き、奥へ奥へと招き入れようとする。 「ふあッ、あッ! んっ、んぁ、んぁ、うぁぁッ! んふっ……くあッ、あんッ……んッ、んぁぁーッ!」 下腹部だけだった痺れは、いつしか頭の芯までジンジンと焼き始めていた。 頭が真っ白になる感覚。それを下唇を噛んで抑え込みながら、奥へ誘い込んでくる膣奥を突き上げていく。 「うぐッ……んぁぁッ! はァァッ、あ、ああァ、 あくッ……はっ、んあっ、あ、ああぁぁーッ!」 絶え間なく送られる強い快感を、髪を振り乱しながら受け止める硯。 痛いくらいに強く手を握られる。からみあった硯の指先は真っ白に染まっていた。 「あッ、ああぁッ! んぁ、んっ、んああぁーっ」 「んぐッ、うぁぁッ、んんぁっ、あ、ああぁぁッ!」 自分のものじゃなくなったみたいに、硯に激しく腰を打ちつけていく。その度に隙間から吹き出た愛液が飛沫を上げた。 「うああぁッ! あ、あッ、あァ、はあぁぁッ! とうまさんッ、んんッ……わ、たしッ、 またっ、またぁ……ぃく、んぁ、ああぁぁッ!」 「お、俺も……もぉ……くぅッ!」 今にも腰の奥に抱えていたものがひび割れそうになる中、渾身の力で何度も何度も腰を突き上げる。 拍子にゴリ、と先端が何かを擦り上げた。 「かはっ……あっ、あ、あッ、ああー!」 「ぃくっ……んんぅぅッ、うぁっ、あああぁぁッ! イク、いィ……んんーーッッ!!」 「んあっ、あっ、ああっ……、 ああああああああああぁぁぁッ!!!」 一度目とは比べ物にならない、意識が飛んでしまいそうなくらい、強い快感に目が眩む。 「く……ぅぅ……うああっ!」 頭の中が真っ白に染まりきろうとした瞬間、激しい動きにペニスが硯の中から抜け落ちる。 瞬間、凄まじい勢いで吐き出された白濁が、硯の胸元からお腹へ降りかかっていった。 「はっ、あ……うぁ……はぁ、あ……はッ」 「はっ……はぁぁぁぁ……はっ、あぁぁ……ッ、 あ、はぁ……はぁぁぁ……はぁ、はぁ……」 「はぁぁぁ……はぁ……はぁ……」 激しい脱力感に見舞われながら、崩れ落ちそうな身体を片手で支える。 その下で硯は虚ろになりながら、ぴくぴくと小刻みに身体を痙攣させていた。 「はぁぁ……す、硯」 「はっ、あぁぁ……はぁぁぁ……。 あぁ……とうまさん……」 顔を寄せると、彼女の瞳に光が戻る。まるで吸い寄せられるように唇を合わせてきた。 「んん……ちゅっ、ちゅ……ん、はぁぁ……」 「……大丈夫か?」 「はい……。 まだ少しお腹が震えてる感じがしますけど……」 「お腹か……この辺か?」 「そ、そうです……んんッ」 白濁に汚れた下腹部を優しく撫でると、ピクン、とくすぐったそうに身体が跳ねた。 「んふぁぁ、あッ……はぁぁぁ……」 小さく開いたままの膣口から、どろり、と白く濁った愛液が零れ落ちる。 「んっ……冬馬さん……」 両腕を伸ばしてくる硯を抱きしめる。 「……大好きです、冬馬さん」 お互いの鼓動を伝え合いながら、甘ったるい告白にキスで応えた。 室内に溜まった熱気が冷めつつある頃。 俺は硯を抱きしめながら、そろって気だるい余韻に浸っていた。 「あの……冬馬さん」 「どうした?」 「一つ……お願いがあるんですが」 硯からお願いか……珍しいな。 「なんだ?」 「やっぱり、私にも書いてもらえませんか……?」 「書く? 一体なにを?」 首を傾げていると、身体を横にした硯が上目遣いに俺を見た。 「その……冬馬さんからのラブレター。 やっぱり私も欲しいんです」 「あっ……”」 「へ、返事が貰えたのは嬉しかったです」 「でも……私も冬馬さんの気持ちを 形にしたものが欲しくて……」 握り締めた俺の手を胸元に引き込み、指を曲げたり伸ばしたりと落ち着かない。 遠回しにもう一度告白してほしいと言ってるようなモンだからやっぱり恥ずかしいんだろう。 「だめ……ですか?」 ……その上目遣いは反則過ぎるぞ。 「……分かった。 ちゃんと手紙にして返事する」 「はい。楽しみにしてます」 ぎゅっ、と握り締めてくる硯の手を握り返しつつ、早くも俺の頭は手紙の文面を考え始めていた。 「あやしい!!」 「いきなりどーしたんですか、りりかちゃん?」 「アレよアレ!!」 「お疲れさん。 射的の腕、さらに上がったんじゃないか?」 「そうでしょうか? 自分ではよく分からないんですけど……」 今一つ自分の力を計り切れていない硯だが、その腕が上がっているのは、側で見ていた俺が良く分かってるつもりだ。 飛行訓練では、その飛距離と命中率を活かして配達率をめきめきと上げてきている。 負け越しだった雪合戦も最近は勝率も上がって、巻き返す勢いだ。 「このまま行けば、あの二人だって目じゃないぜ」 「がっ、頑張りますッ!」 「適度に力を抜きつつ、な」 グリグリと頭を撫でてやる。すべすべとした髪の感触が心地よい。 「あ、はい……リラックス、ですよね」 気持ち良さそうにうっとりと目を細める硯。 俺は抱き締めたいという衝動を必死に抑え、彼女が満足するまで頭を撫で続けた。 「相変わらず見せつけてくれますねー」 「あれほど訓練中にラブラブするなって 言ってるのに……って、 今注目するのはソコじゃないわよ!」 「最近のすずりん……凄いのびしろだと思わない?」 「確かにスゴイですよねー! 雪合戦なんて、 もう怖くて硯ちゃんの正面に立てないですし」 「視界に入ったら、すかさず打ってくるしね。 配達訓練だって的を取りこぼしても すぐにフォローしてくれるし」 「コンビが元通りになってから、 急に腕を上げましたよね、硯ちゃん」 「そのとーりよ。 はっきり言って異常よコレは」 「きっと先生かレッドキングから 何か特別な訓練を受けてるに違いないわ! もしくはチートよ! チート!」 「ちーと? ちーとってなんですか?」 「おほん……まあ、その辺のことは置いといて。 ななみんだって、 すずりんが腕を上げた理由知りたいでしょ?」 「それはもちろん!」 「あれだけ腕を上げることができる〈ナニ〉《・・》かがあるなら、 それはあたし達全員で共有すべき財産よ」 「なぜなら、あたし達はチームなんだから」 「チーム……そうですよね! うん、わたしもそう思います!!」 「決定ね。 早速、あの二人から話を聞いてみましょーか」 「特別な訓練方法……ですか?」 「最近の硯ちゃんてば、 物凄い勢いで腕を上げてるじゃないですか」 「だから、何か特別なこととかしてるのかなー、 とか思っちゃいまして」 「良かったらわたしにも教えてくれませんか?」 「……ベツニソンナトクベツナコトハシテマセンヨ?」 「(……今、魚のように目が泳ぎましたね)」 「あの……?」 「……(じ〜〜)」 「え、えっとその……”」 「あっ、いっ、いらっしゃいませー」 「……あやしいですねぇ」 「特別な訓練?」 「そーよ。 最近、随分と調子良さそうだから、 何かやってるのかなって思って」 「……別になにも」 「硯は勉強家だからな。 お前さんのテクニックを盗んで 自分のものにしてるんじゃないか?」 「……じーー」 「な、なんだよ……?」 「何か隠してない?」 「……そんなことないぞ」 「ならなぜ、あたしから目をそらす?」 「そらしてなんかないさ。 ただ飛んでいた虫を追いかけただけで」 「…………」 「…………」 「お話中すみませんっ。 冬馬さん、少し手を貸してほしいんですが」 「分かった……という訳だ。 別に特別なことなんて何もしてないぞ」 「……あやしいわね」 「……それでどうだった?」 「何か隠してるのは間違いないと思います。 わたしの質問にずっと目が泳いでましたから」 「りりかちゃんの方はどうでしたか?」 「ほぼクロね。 ただガードが固すぎ。 こっちのカマかけにも乗ろうとしないし」 「なんにせよ、 あの二人からこれ以上話を聞くのは困難ね」 「じゃあどーするんですか?」 「……これよりプランBに移行するわ」 「ぷらんびー?」 「スニーキングミッションよ!!」 %LR%XS4025:30%K %O 「…………」 「りりかちゃ〜ん」 「しーーっ! 声が大きいわよっ」 「はっ! す、すみませんっ、サー!」 「それにしても遅かったわね。 一体何してたのよ?」 「準備に手間取ってしまいまして……。 あ、コレどうぞ!」 「……アンパンと牛乳?」 「張り込みにこの二つは欠かせません!」 「刑事ドラマの見すぎー! ……でもまぁ、ありがたく貰っとくわ」 「ところで、ホシは本当に来るんですかね?」 「絶対に来るわよ。 あの二人が倉庫で話してたのを聞いたんだから。 間違いないわ」 「ちゅーー……んぐっ。 流石はりりかちゃん、 アンパンと違って食えない人ですね!」 「それ褒めてんの?」 「もう大絶賛ですよ! でも、気づかれないでしょうか?」 「平気よ、あたしこーゆーの得意だから。 ナイフ縛りで最高難度でクリア。 ノーキルノーアラートだって達成したし」 「そんじょそこらの蛇よりも優秀よ、アタシ?」 「おおぉー……。 何だかよく分かりませんけど、凄そうな響きです!」 「っ!」 「来たわよ……!」 「行くわよ、ななみん」 「あっ、待ってくださ……んぐっ!?」 「なにやってんのよ、アンタはっ!」 「はぶぁっ!? っはぁぁ……はぁ、た、助かりましたー」 「まったく……さっさと行くわよ」 「な、なんか、こうして歩いてると、 夜の森って、き……気味悪いですよねっ」 「そぉ? 別に大したことないじゃない。 っていうか、アンタくっつき過ぎだから」 「し、しょうがないじゃないですかっ! 怖いんですからぁ!」 「なら、帰ればいいじゃないのよ」 「ううぅぅ……。 わたしもついてきたことを後悔して――」 「ひぃぃぃぃぃっ!?!?」 「んなっ!? い、いきなり何よっ!!」 「さ、さささささっ、さっきっ、 ああぁっ、ああああっ、 あそこがキラって! キラって!!」 「あそこ……?」 「……何もないじゃない」 「そ、そんなはずありません!」 「た、確かにあの鬱蒼とした草やぶの隙間から ギラギラした二つの鋭い目が わたし達を舐めるように見てました!!」 「あの目はきっと、 妖怪『ナズキグライ』に違いありません!」 「ナ、ナズキグライ?」 「さつきちゃんに貰った 『図説! しろくま妖怪大辞典』に 書いてあったんです!」 「その昔、日本は稀に見る大飢饉で、 食べ物にとても困っていたそうです」 「食料難に喘いだ人々は、 少しでも空腹を満たすために スズメやカラスなどの鳥を乱獲して……」 「一時は鳥の屍骸で 沢山の小高い丘が作られていたとか……ぶるぶる」 「き、気持ち悪いわね……」 「そんな鳥達の怨念が集まって生まれたのが、 ナズキグライだと言われています」 「ナズキグライは、 自分達を殺した人間達に復讐するため、 今も日本中を飛び回っているそうです」 「……まっ、まあ作り話としては在り来たりな所よね」 「さっきも話した通り、 ナズキグライはわたし達人間を狙って、 草やぶに身を潜めているらしいんですけど……」 「もし目が合ってしまったら、 絶対にこっちから目をそらしたり、 隙を見せたりしたらいけないらしいんです」 「もしそんなことをしてしまったら、 その瞬間……ぶるぶるぶる」 「……(ごくっ)。 ど、どうなるってのよ……?」 「そのストローみたいに鋭いクチバシを突き刺して、 脳みそをチューチューと 啜り出してしまうそうなんですー!」 「……っ!!」 「……ふ、ふ〜ん。 作り話としてはそれなりの出来ね。 60点ってトコかしら」 「だからウソなんかじゃないですー! さっき、あの草やぶからわたし達を狙って――」 「ひぃっ……!」 「りりかちゃん?」 「びっ、ビビってない!! ビビってなんかいないわよ!!」 「ほっ、ほら! 早くしないとすずりん見失っちゃう!」 「あっ、待ってくださいよー!」 「随分と奥まで来たわね……」 「裏にこんな場所があったなんて……。 で、すずりんはこんな所で一体何を……」 「り、りりかちゃん……」 「はいはい。 国産もいるわね……。 それにセルヴィまで持ち出してる」 「どーやら、特別な訓練っていう アタシの睨みはアタリのようね……」 「り、りりかちゃんってばぁ……!!」 「……ったくもぉ。 さっきから何なのよぉ?」 「あ、あそこ……っ!」 「…………!!」 「あ、あれですよ……! さっき話したナズキグライですっ!!」 「なっ、なんてモン見せてくれんのよ!! あたしまで巻き込まれたじゃない!」 「隙を見せないでくださいッ! 脳みそチューチューされちゃいますよ!?」 「ひぃっ!?」 「ギョーーーー!!」 「出たあああぁぁぁぁぁあああああぁぁーーッ!!」 「ひあっ!?!?」 「な、なんだぁっ!?」 「ぶるぶるぶるぶる……」「がたがたがたがた……」 「な、ななみさんにりりかさん……っ!」 「二人とも、どうしてここが……!?」 「くるくるーー!!」 「トリまで……どうしてここに?」 「くるるくる、くるるー。 ここっ、こーこーここー! こけ、ここけーー」 「なに? 夜な夜な出掛ける俺達が気になってついてきた?」 「くるるーる!」 「それじゃあ、そちらのお二人も……」 顔を向けると、何があったのか、二人は半泣きになりながらコクコク頷いた。 「で……どうして、半泣きで抱き合ってるんだ?」 「――おほんッ!」 「さて二人とも……。 神妙に白状してもらうわよ」 横たわった木の幹に座らされるなり、デンッと金髪さんが仁王立ちになった。 「どうしてこんな夜遅くに、 こんな薄気味悪い所で訓練してたの?」 「に、日課の自主訓練ですっ。 いつもは私一人で行ってたんですけど……」 「一人で訓練しても意味がないだろ? だから俺も付き合わせてもらってたんだ」 「ふ〜ん……。 でも、それだけじゃないでしょ?」 「えッ……!?」 「〈普通〉《・・》の自主訓練なら裏庭でやればいいじゃない」 「でも、こうして人気の無い場所を選ぶってことは、 他に何か隠してることがあるんでしょ?」 「そ、それは……」 鋭く図星を突かれて、硯は文字通り身を縮こまらせた。 「……なあ硯。 いい機会だし、皆にも全部話してみたらどうだ?」 「え……?」 「いつまでも隠しておくわけにはいかない。 それは硯も分かってるだろ?」 「は、はい。でも……」 「大丈夫さ。 二人ならきっと受け入れてくれる」 見つめてくる硯に頷き返し、ポン、と押すように軽く背中を叩いてやる。 「な?」 「……はい」 一息おいて、硯は表情を引き締めると、りりか達に向き直った。 彼女の真剣な雰囲気に気づいたのだろう。二人も軽く姿勢を改める。 「実は……」 「『雪を呼ぶ体質』……か」 「一年前のあの猛吹雪は、 すずりんが起こしたものなんて……、 にわかには信じがたい話ね」 「そうだと思います。 他の人が聞けば、突拍子もない話でしょうし」 「本当は……体質をちゃんと制御できてから 皆さんにお話ししようと思ってたんですが」 「で、その体質をコントロールできるように、 二人でずっと訓練を続けていた」 「人気の無い場所で隠れて訓練してたのは、 あたし達を巻き込まないようにするため」 「そういうことね?」 「はい」 「……なるほど。 よーやく合点がいったわ」 「どういうことだ?」 「ずっと疑問だったのよ。 どーしてアンタ達二人が あんな急成長を遂げたのかって」 「それも当たり前よね。 あたし達の倍近い訓練をこなしてたんだから」 うんうん、と両手を組みながら、月守は満足そうに何度も頷いた。 「……すみませんでしたっ。 本当なら、もっと早くお話して 謝らないといけないことなのに……!」 「…………」 「ななみ?」 それまで傍観者に徹していたななみが視界に入った。 しかし、彼女は顔を俯けたまま反応しない。その小さな肩は小刻みに震えていた。 「……あの一年前の猛吹雪は、 本当に硯ちゃんが起こしたんですか……?」 「ッ……はい」 「待ってくれ、ななみ。 さっきも話した通り、あれは――」 「すぅぅぅぅっっごいじゃないですかぁ!!」 俺の弁護を華麗にスルーして、ななみは硯の手を掴むなり、ブンブンとそれを上下に振り回した。 硯を見るその目はとっっても、と溜めて言いたくなるぐらいキラキラしている。 「……え、な、ななみさん?」 「え? じゃないですよ!! 雪を呼ぶなんて凄すぎじゃないですか!! わたし、初めて聞きましたよ!」 「す、凄い……ですか?」 「だってそうじゃないですか! イブ当日に雪を降らせて、 ホワイトクリスマスを演出できたりするんですよ!」 「逆に雪が多い時とかは、 止ませたりして天気を良くしたりとか!」 「どうやって雪を呼ぶんですか? 訓練したら私にもできるようになりますかね!?」 「あ、あの……っ、 怒って、ないんですか?」 「? どうして怒るんですか?」 「こらぁ、ピンクヘッドッ! こっちの話がまだ終わってないのよ!」 「きゃあああぁぁぁー……」 「まったく……」 後ろからななみを引き剥がすなり、両腕を組むと再び俺達と向かい合った。 「二人とも、言いづらかったのは分かるわ。 でもね、そーゆーことはもっと早く言いなさい!」 「体質を制御してからって言ったけど、 もし本番までに克服できなかったらどうするの?」 「す、すみませんっ!」 「すまんっ」 二人揃って深々とりりかに頭を下げる。 「逆に早く話してくれたら対応策も検討できるし、 こうしてフォローする人間も増やせるでしょーに」 「は、はい……」 「え?」 「りりか……?」 「だーかーら、 あたしがフォローしてあげるって言ってんのよ」 「わたしだってお手伝いしますよ!」 「い、良いんですか?」 「腕の良い教官が一人必要でしょ?」 「二人ですよ、りりかちゃん。 一人数え忘れてます!」 「アンタは頭数に入ってないからいいのよ」 「りりかちゃん酷い!」 「…………」 軽く叩くようにして、手のひらを硯の頭に乗せる。 「冬馬さん?」 「もうちょっと早く話せば、 お説教を受けずに済んだかもな」 「……そうですね」 「よし。それじゃ早速だけど、あたしが NYにいた時にやってた制御訓練があるから、 それを試してみるわよ」 「よろしくお願いします♪」 「お、お願いしますっ」 「しろくま町ジオラマセットが2つ、 コインNゲージしろくま鉄道が4セット……と」 朝からミーティングに出掛けている硯に代わって、在庫チェックとクリスマスセールに合わせて、発注作業を片付けていく。 〈本番〉《クリスマスイブ》まで残り4週間。通称『アドベント』と呼ばれる期間に入ってから俺達の周りは徐々に慌ただしくなり始めた。 待降節、降臨節とも呼ばれるこの期間から、イブに備えてノエルの活動もより活発になっていく。 特にリーダーである硯はパイプ役の透とともに、ボスの所とツリーハウスを往復する毎日を送っていた。 「俺も手を貸してやりたいが……」 サンタの仕事はからっきし駄目な俺が手伝っても、足を引っ張ってしまうだけだろう。 ならせめてそれ以外のところで、彼女にかかる負担を減らしてやらないと。 「……これでよし、と」 「♪〜♪♪〜〜♪〜♪〜〜」 「♪♪〜♪〜〜♪〜♪♪〜〜」 作業を一段落させてフロアに上がると、ななみが上機嫌に歌いながら、ツリーを飾り付けていた。 その側では金髪さんが両腕を組んで、ななみの作業を見守っている。 「♪〜♪♪〜〜♪〜♪〜〜」 「♪♪〜♪〜〜♪〜♪♪〜〜」 「さーて、いよいよ主役たるあたしの出番ね!」 それまで指示役に徹していたりりかが、ななみと入れ替わりに脚立に登り始めた。 その手には頂上に飾る一番星が。 「あーッ!! 見つからないと思ったら隠してたんですねー! ずるいですよー!!」 「まーまーいいじゃない。 〈次〉《・》は譲ったげるから」 「もー……約束ですよー!」 その『次』ってのは、多分、来年のクリスマスのことだろうし、あの様子だとななみも気づいてないな。 「これで……かんせー!!」 「お疲れさん。ひとまず1本目は完成だな」 「え、もう1本あるんですか?」 「倉庫に1本残ってたぜ。 あれは多分、店先に飾る分だな」 「でも、オーナメントはもう残ってないわよ?」 「それじゃあ、このツリーから少し拝借して……」 「それはダメ!」 「どうして?」 「この『ハイパーイルミネーションツリー』は、 この形で完成してるの」 「だから一つでもオーナメントが欠けたら、 『ハイパーイルミネーションツリー』じゃ なくなっちゃうわ!」 「むぅぅ……じゃあどうしましょーか」 「買ってくるしかないだろ。 いいさ。俺が行ってくる」 仕事も一区切りしたところだし、息抜きにはちょうどいい。 「ついでだ。 他に何か必要なモンがあるなら教えてくれ。 まとめて買ってくる」 「ったく……。 本当に遠慮なしに頼みやがったな」 軽い気持ちで買い出しを引き受けたことを後悔しつつ、かさばった荷物に目をやる。 両手にはツリー用のオーナメントと、それとは全く関係ないお菓子が詰め込まれた袋がぶら下がっていた。 こんなに沢山買わせて、あんな小さなツリーにどんだけ飾りつける気なんだ? 「……ん?」 あれはさつきちゃん……か? 彼女はいつもの装いで、とある店のショーウィンドウ前で足を止めていた。 「さつきちゃん」 「…………」 「さつきちゃん?」 側に近寄ってみても、彼女は気づかずにショーウィンドウの前に立ち尽くしたまま。 ガラスの向こうには煌びやかに輝くツリーと、電飾が施されたプレゼント箱が並べられている。 「…………」 「さつきちゃん」 「ひゃああっ!?」 「と、冬馬さんッ!? 驚かさないでくださいよっ、もー!!」 「悪い悪い。 こんなトコでぼーっとしてどうした?」 「えっ……あっ、いえ。 もうクリスマスなんだなぁって思いまして」 「確かにどこもかしこもクリスマスムード一色だな」 道沿いに軒を連ねる商店は、どこも電飾の準備が進められていて。 クリスマスケーキの予約を知らせる立て看板や、サンタ帽を被った店員が行き交う人々に呼び込みをかける姿もある。 「他人事みたいに言ったらダメですよ。 おもちゃ屋にとっても稼ぎ時だと思いますけど?」 「まあな。 店にはりつく分、それなりに稼がせてもらうさ」 広報部隊の涙ぐましい努力のお陰で、今や『きのした玩具店』は町の中でもある程度の知名度を持つようになっている。 クリスマスシーズンが終わるまでは、それなりに客足が見込めるだろう。 「それでさつきちゃんの方は 何か予定でも入ってたりするのか?」 「私ですか? 別にいつもと変わりませんよ」 「変わらない?」 「なんにも無いってことです。 お母さんも仕事で忙しいし、 私もバイトがありますから」 「だから、私にはクリスマスなんてないんです」 俺から視線を外したさつきちゃんは、電飾が施された街路樹を見上げる。 それはまるで自分の手には届かない、どこか遠いものを見ているようだった。 「さつきちゃん……?」 「まっ、貧乏ヒマ無しってことですよ♪」 ピントが外れたさつきちゃんの瞳が俺を捉え、にこりといつもの快活な笑顔を見せる。 その笑顔はさっきまでの暗い表情を一瞬にして塗り潰していった。 「ありがとうな、さつきちゃん」 「? いきなりどうしたんですか?」 「硯のことで相談した時、 俺の背中を押してくれただろ。 本当に感謝しているんだ」 あれが無かったら、きっと今の硯との関係は無かった。 「そんなの気にしないでください。 大したこともしてないですし」 「それに私も自分の気持ちを抑えてる硯が、 見てられませんでしたから」 表情を和らげて、さつきちゃんは灰色に覆われた空を見上げる。 「私は……怯えて想いを伝えられずに、 ずっと後悔してる人を知ってますから」 「硯にはそんな風になってほしくなかったから……」 「……それはさつきちゃんの実体験によるものか?」 「ッ……はい。 私にも昔好きな人が居たんですけど……、 って何言わせるんですか!!」 「ははは、すまんすまん。 しかし硯にいい土産話ができたな」 「ちょっ、やめてくださいよ! 絶対に話しちゃダメですよっ、ダメですからね!?」 冗談じゃなかったのか、割と必死なさつきちゃんをのらりくらりと躱す。 そんな中、彼女には似つかわしくない、今にも泣き出しそうな顔が頭から離れなかった。 「はっ、はっ……」 ルミナの観測も兼ねた綿密なミーティングが終わった頃、空はうっすら夜色に変わり始めていた。 思った以上に遅い帰りに知らないうちに足を速めていく。 今日は冬馬さんが一人で夕食を用意するから。それが楽しみで仕方なかった。 「一体何を作ってくれるのかな……?」 「……?」 前方を横切った影に足を止める。 影は真っ直ぐに階段を降りると、薄暗い砂浜を前に腰を下ろした。 「……あれは」 「……12、13、14……じゅうご……」 「……さつきちゃん?」 「うきゃあああっ!?」 「ひゃあっ!?」 「な、なんだ硯かぁ……はぁぁ。 驚かさないでよ、もぉーっ!!」 「ご、ごめん” そんなつもりじゃなかったんだけど……」 「はぁーーあ……。 なーんか、今日は驚かされることが多いなぁ」 「? 何かあったの?」 「昼間に、偶然冬馬さんと出会ったんだけど、 その時に硯と全く同じことをされちゃってさー」 「おかげで街中で悲鳴を上げちゃったんだ……はぁ」 「そ、そうだったんだ……ふふ」 「わ、笑うなよー!」 「ごめんごめん。 それでこんな時間にどうしたの?」 「ん……まあ、ちょっとした息抜きにね」 「息抜き?」 「バイト、少し増やしたんだ。 だからかな……流石にちょっと疲れちゃって」 そう答えたきり、静かな夜の海を前に、両手で抱えた膝に顔を埋めてしまう。 その表情は見覚えがあった。 昔、私に相談を持ちかけた時と同じだったから。 「…………」 「息抜きするなら、もっといい場所があるよ?」 「え?」 「今から私達の所に来ない?」 「どうぞ」 「ありがと♪」 「しかし硯も随分と押しが強くなったねー。 いいって言ってるのに、 強引に家まで引きずっていくんだもん」 「冬馬さんとさつきちゃんを見習ったから」 「私はあんなに強引じゃありませーん」 「それで何があったの?」 「……別になーんにも。 さっきも言ったでしょ? バイト増やし過ぎて疲れちゃったって」 「嘘だよね、それ」 「……!」 「……前にさつきちゃんは 私に『昔から変わってない』って話したでしょ」 「でも、さつきちゃんも変わってないよ」 「そうやって 何があっても無理に笑おうとするところ」 「……」 「昔、お父さんとお母さんのことを話してくれた時も そんな顔してたんだよ?」 「……やっぱり硯には分かっちゃうか」 「幼なじみだからね」 「……今ね、お父さんがこっちに来てるんだ」 「お父さんって……さつきちゃんの?」 さつきちゃんは小さく頷いた。 「ご、ごめんなさいっ! そんな時に私、強引に誘って……っ」 「いいよいいよ。 それにちょうど良かったしさ」 「よくない! すぐにでも家に戻って――」 「今は」 「今は……どっちの顔も見たくないの」 「さつきちゃん……」 「それに尋ねてきたって言っても、 仕事で近くに来たから、 ついでに足を伸ばしただけなんだよ、きっと」 「だから、私達に会いに来たわけじゃないの」 「……」 「お母さんもお父さんの顔を見るなり険悪になるし、 口を開けば言い合いばっかり」 「別れてから随分経つのに、 いつまでそんな下らないことしてるのよって……」 「…………」 「……ごめん! なんかヘンな空気にしちゃったね」 「そ、そんなこと……」 「あーあー! 明日も早いし、もう寝よ寝よ! ね?」 「……うん」 電気を消して、並んで横になる。 「すぅ……すぅ……」 「ごめん、さつきちゃん……」 あの時、私がもっとしっかりしていれば、あんな顔しなくてすんだはずなのに。 「(だけど……)」 今年は……必ず届けるから。 必ず、さつきちゃんを笑顔にしてみせるから。 「だから……もう少しだけ待ってて。 さつきちゃん」 「ありがとうございました」 硯の応対を受けた最後のお客が『ありがとう』と言葉を残して店を後にする。 店内が喧騒から解放されると、硯はレジ番に戻るなりカウンターに本を広げた。 「…………」 硯がさつきちゃんを連れてきたあの夜から、明らかに様子が変わっていた。 常に教本を持ち歩くようになった彼女は、今みたいに仕事や家事の合間など少しでも時間ができれば勉強を始める始末。 それだけでなく深夜の自主訓練では積極的に教えを請うたり、時間を延長したりとより訓練に没頭するようになった。 以前よりもさらに私的な時間を削って貪欲に知識と技術を高めようとする硯。 ななみ達も感化されて、より訓練に身を入れていくなど、硯の頑張りは良い方向に働いている。 けれど今の硯は余裕がなく、闇雲になっているだけのように見えて、疑念と不安が拭えない。 「ふわ……っ」 「冬馬さん、あの……ぁッ!」 「おっとッ」 何もないところでバランスを崩した硯を慌てて受け止める。 「す、すみません……っ」 「大丈夫か? 足元がフラついてたぞ」 「大丈夫です。 そこで足を引っ掛けただけですから」 「…………」 何となく真に受けられない返答を聞きつつ、間近にある彼女の顔を覗き込む。 ふわり、と硯の香りが鼻先をかすめる。雪のように白い肌が程よく色付いていた。 顔色はそれほど悪くはない。それに良く見ると……。 「あ、あの……冬馬さん?」 「もしかして化粧をしてるのか?」 「は、はい……いけませんでしたか?」 「いや、硯が化粧なんて珍しいと思っただけだ。 よく似合ってる」 「あ、ありがとうございます……」 頬を赤く染め上げて、艶めいた瞳が俺を見つめる。 「…………」 何を勘違いしたのか、硯は唇を差し出すように顎を軽く上げた。 「(まっ、待て待て! 仕事中だぞっ!)」 でも今は二人きりだ、と俺の中の悪魔が囁きかける。 そうこうしているうちに半開きになった桃色の唇が近づいてきて―― 「――随分とまあ見せ付けてくれるわねぇ」 「!?!?」 「せ、先生ッ!?」 「イチャつきたいのも分かるけど、 仕事中にラブラブするのは感心しないわよー」 「ヤるならベッドの上だけにしときなさい」 「べ、ベベ、ベッド……ッ!!」 「来るなりセクハラですか先生$ お目当ての品ならまだ入荷してませんよ?」 「えー……それは残念。 ま、本当は硯に渡すものがあって来たんだけど」 どこからともなく分厚い書類袋を取り出すと、それを硯に手渡した。 「あ、あああ、ありがとうございますッ!」 「今のは?」 「最新のルミナ観測データと、追加分のリクエストよ」 「わざわざ持って来てくれたんですか」 「あなたにもちょっと用があったから。 そのついでよ」 「俺に?」 「硯のことなんだけど……、 あのコ、ちゃんと休んでる?」 「どういうことです?」 「硯ったら、最近朝から晩まで働きっぱなしなのよ」 「サー・アルフレッド・キングの 朝の鍛錬が終わった後、 町のルミナを確認して回ってるみたいだし」 「夜は夜で飛行ルートとリクエストを チェックしてるし」 「それ、本当ですか?」 「ホントーよ。 毎晩毎晩、硯から電話がかかってきてねー。 おかげでこっちも寝不足で……ふぁぁ」 「硯だけ帰ってくるのが遅いと思ったら、 あいつ……そんなことまでしてたのか」 間違いない。硯はきっと焦っている。 着実に〈本番〉《クリスマスイブ》は近づいているのに、一向に訓練の結果を出すことができてないから。 「そんなことまで……? 他に何かあるの?」 ……先生にも話しておいたほうがいいな。 「実は……」 「自主特訓、か……」 「アタシ達の知らない所でそんなことしてたとはね。 そりゃあのコだって疲れるはずよ」 「それはこっちも同じですよ」 俺達の知らないところで、それだけの仕事を掛け持ちしてたとはな。 今、先生から聞いた内容だけでも彼女一人でこなすべき仕事量じゃない。 「特訓はしばらく休ませる。 それからあいつが抱えていた仕事を 俺達に回してもらえませんか?」 「その判断が妥当でしょーね。 本番までに倒れられたら元も子もないし」 「ちょっと国産! いつまでサボってるの……お?」 「何やら不穏な空気ですね。 何かあったんですか?」 「ちょうどよかった。 硯のことなんだが……」 「訓練を中止するって……どうしてですかッ!!」 「わわわわわぁぁ!? お、落ち着いてください硯ちゃん、 せっかくのスープが零れちゃいますよー!」 「ッ……す、すみません……っ」 「中止するって言っても、 俺達だけでやってる深夜の自主訓練だけさ」 「要は最初に皆で決めたスケジュールの形に 戻すということだ」 「な、納得できませんッ。 本番までもう時間がないのに……!」 「かと言って今のペースで訓練を続けたら、 本番までに絶対に倒れるぞ?」 「だっ、大丈夫ですッ。 ちゃんと休息もとってますし……」 「ちゃんと休んでるヤツは、 仕事中にあくびもしないし、 足元をフラつかせたりはしない」 「っ……」 「……それに今のまま続けても、 きっとすずりんの力になんないわよ」 「え……?」 「ちゃんと集中できなきゃ、 時間を増やしてもムダに体力を浪費するだけだし」 「休む時はしっかり休む。 体調管理も大切な仕事のうちって、 教えの書にもあったでしょ?」 「で、ですけど……!」 「焦っちゃダメですよ。 ここで倒れちゃったら、 今までの苦労が全部パァになっちゃうんです」 「そうならないためにも、 今はゆっくりと休んでください、ね?」 「……分かりました」 俺達の言葉を受け入れてくれたのか、硯は表情を歪めながらも小さく頷いてくれた。 しかし胸元に置かれた手は、何かを堪えるように強く握り締められていた。 「ん……」 「んん……」 「……っ(ブルッ)」 急に冷え込んだ部屋の空気に、ぶるりと身体が小さく震え上がる。 微かに開いた窓の隙間からは風が吹き込み、下手な口笛のような音を奏でていた。 「道理で冷えるわけだ」 白く曇ったガラスの向こうでは、チラチラと大粒の雪が舞い散っていた。 「……硯」 目の前に広がる冬の光景にふとパートナーのことが脳裏を過ぎる。 寝てる間に天候が変わったと言えばそれまでだ。以前の俺ならそう片付けていた。 けれど湧き上がった不安はそんな答えに納得せず、どんどんと膨れ上がっていく。 部屋の灯りは点いていない。 しかし夜にも関わらず、カーテンが開けっ放しになっていた。 「……!」 居ても立ってもいられなくなって、俺は引っ掛けてあったジャケットに手を伸ばした。 薄っすらと白くなった砂利道を急ぎ足で進んでいく。 向かう先はツリーハウスの裏の森。その奥に俺達が秘密特訓に利用していた空き地がある。 刻一刻と増していく雪の勢いに、胸に湧いた不安も大きくなっていく。 徐々に目的の場所が見え始めた時、木々の隙間に赤い影が見えた。 「あのバカ……!」 「はぁ……はぁ……ッ」 空き地に駆け込むと、硯は空に向かって弓を構えていた。 だが的を見据えているはずの瞳はどこか虚ろで、ユール・ログを構えている手は小刻みに震えている。 「ッ……くっ、う……っ」 夜風に流されるように、硯を包んでいたルミナが散り散りになっていく。 それでも硯は体勢を整えると、もう一度弓を構えようとした。 「硯……!」 「! と、冬馬さ……ッ」 「硯ッ!!」 地面へ崩れ落ちた硯を起こす。 腕の中に収まった硯の身体は以前よりも小さく、軽く感じられた。 雪のように白い肌からは血の気が引いて、仄暗い森の中でも分かるくらい、蒼白に染まっている。 「……くっそッ!」 約束を破って無茶した硯にか、それとも、彼女が無茶することを見抜けなかった間抜けな俺自身にか。 自分でも分からないまま悪態をつき、枯れ葉のように軽い硯を抱きかかえた。 「――カゼと過労ってトコかしらね」 裏庭で倒れた硯を部屋に運んだ後、俺は急いで先生に連絡を取った。 事情を説明すると先生は文字通り飛んできて、こうして硯の様子を見てくれていた。 「少し熱っぽいけど、 これくらいならゆっくり寝かせれば大丈夫よ」 洗面器に浸してあったタオルを絞ると、寝息を立てている硯の汗をふき取っていく。 「……あら」 「どうしたんです?」 気になって、俺も隣から硯の寝顔を覗きこむ。 「…………」 静かに寝息を立てている硯。その目元には薄く隈が浮かんでいた。 そして先生の握っているタオルには、微かに白っぽい汚れがついている。 「きっと隈を隠そうとして、 やり慣れてない化粧をしたのね」 「……だから化粧をしてたのか」 顔を拭き終わった後もう一度タオルを濡らし、それを硯の額に乗せる。 とても手馴れたその様子は、まるで我が子を看病する母親のようだ。 「……随分と慣れてますね」 「これでも保育士の資格を持ってるからねー。 これぐらいできて当たり前よ」 「それにこのコをこうして看病するのも、 初めてのことじゃないし」 「よくあった、ってことですか?」 「そーいうこと」 「…………」 「今はあなたが……みんなが側にいるから、 こんな無茶はしないと思ってたんだけどね」 まるで独り言のように話しながら、先生は柔らかな手つきで硯の顔を撫でた。 「……一体、硯はなにをそんなに焦ってるんだ?」 「硯は……見習いの頃に一度、失敗してるのよ」 「失敗?」 「イブ当日に一件だけ……、 一人の子供にプレゼントを届けられなかったの」 「想定外の猛吹雪とチーム内の連携ミス……。 いろんな要因が重なって起こった事故なんだけどね」 「吹雪って、もしかして硯が……?」 考えたくないことだが、硯の体質が暴走した結果ということも有り得る。 けれど先生は顔を横に振って、俺の予想を否定してくれた。 「むしろあのコはよく頑張ってくれたわ。 天候を少しでも抑えようと、 必死に体質をコントロールしてくれた」 「ただ硯の力が及ばないくらい、 吹雪の規模が大きなものだったのよ」 「硯は見習いで突発的な事故だったんでしょう。 それなら責任なんて……」 「そうね。 でも、プレゼントを届けられなかったことは 硯にとって変わらない」 「そしてその事実は、このコを深く傷つけた」 搾って軽く水気を取ったタオルを硯の額に乗せると、慈しむように頬に手を添えた。 「それからよ。 硯が自分の体質を怖がるようになったのは」 「……自分の体質が 過去の失敗を思い出させるから、か」 硯は同じ失敗を繰り返したくなかったんだな。 だから訓練にも仕事にも、過剰なくらい力を入れてこなしてきたのだろう。同じ思いをしないために。 「それにもう一度、 そのコに配れるチャンスが巡ってきたんだもの。 ……頑張っちゃうはずよね」 「え……?」 「この町にいるのよ。 硯がプレゼントを届けられなかったコがね」 「あなたもよく知ってるコよ」 「俺が……?」 「ん……んん……?」 「お、目が覚めたみたいね」 「せん……せい……?」 「大丈夫か?」 「……とうまさん……?」 「さて……と。 じゃ、後は任せるわよ。 アタシも眠くなってきちゃって……ふぁぁ〜」 さっきまでのシリアスさはどこへやら、先生は大きなアクビをしながら立ち上がった。 「あとは、若いモン同士に任せるわ。 色々と話さなきゃいけないこともあるだろうしね」 「ここは……私の部屋?」 「ああ。 あの後、俺がここまで運んできたのさ」 「運んだ……?」 「裏庭で倒れたこと、覚えてないか?」 「あ……ッ」 その時の状況を思い出したのか、はっ、とした顔を見せた。 そして居た堪れなさそうに顔を俯けると、チラチラと様子を伺うように俺を見つめる。 「あ、あの……?」 「なんだ?」 「お、怒ってます……よね?」 「良かったな。 そう見えるなら、お前の目は正常だ」 「あぅ……」 しゅん、とまるで怒られた子犬のように硯は小さくなった。 「硯」 「は、はいっ」 伏せていた顔を上げさせて、俺は親指に引っ掛けていた中指でその白い額に照準を合わせる。 「はぅッ!」 「い、痛いです……」 「心配かけさせた罰だ。 もし俺があの場所に来なかったら どうなってたと思ってる?」 「そ、それは……」 過度に働いて身体に負担をかければ、免疫力と同じでルミナに対する感応力も弱まるのは俺達の間じゃ常識だ。 そうなってしまうと、ルミナによる防寒性も下がって寒さを防ぎきれなくなってしまう。 そんな状況で倒れてしまったら……。想像したくもない事態に、俺も厳しくなる口調を抑えきれなかった。 「すみません……」 「……#」 「あうッ……ど、どうして」 「散々心配かけさせておいて、 そんな嬉しそうな顔をするからだ#」 「ご、ごめんなさい……」 「……ったく」 涙目になりながら赤くなった額を押さえる硯。その頭を優しく撫でてやる。 「まっ……たいした事がなくてよかった。 何かあったかいモンでも作ってくるから、 ちょっと待ってろ」 「はい」 「待たせたな、ホラ」 「これは……ホットレモン、ですか」 「ああ、あったまるぞ」 立ち上る湯気に混じって、浮かべたレモンのスライスからほんのりと香りが漂っている。 片栗粉でとろみをつけたお湯にレモン汁とはちみつを混ぜた俺お手製のホットレモンだ。 「……美味しいです」 「教えてくれた先生の腕が良いからな」 照れる硯から座布団を借りつつ、彼女の側に腰を下ろす。 「……先生から聞いた。 お前がそこまで無茶をする理由」 「え?」 「一人だけ……、 プレゼントを届けられなかった人が いるんだってな」 「それは……」 「その人って……さつきちゃんじゃないか?」 「……ッ!?」 「正解みたいだな」 「そ、それは……」 「本当なら、硯から話してくれるまで 俺は待ってるべきなんだろうが……」 本番が近づいている中、この事態に陥った以上そんな悠長なことも言ってられなくなった。 「教えてくれないか、硯。 お前がそこまで頑張ろうとするワケをさ」 「…………」 「……分かりました」 1秒が1分、1時間に思えるような長い沈黙の後、意を決したように硯は口を開いた。 「どうして相手がさつきちゃんだって 分かったんですか?」 「先生から話を聞いたって言っただろ? その時に色々とヒントを出してくれたんだ」 「この町に住んでいて、 かつ俺もよく知っている子ってな」 「そしたら直感的に さつきちゃんが頭に浮かんだんだ」 「さつきちゃんが?」 「ああ。 振り返ってみれば、 それらしいフシもあったからな」 「……そうでしたか」 観念した、と言いたげに表情を柔らかくすると、閉ざしていた小さな口を開いた。 「……冬馬さんの言う通り、 私はさつきちゃんに プレゼントを届けなければいけないんです」 俺から視線を外して、硯は手元のマグカップに目を落とす。 その表情は『サンタになりたい』と初めて語ってくれた夜と同じ、思いつめたように真剣なものだ。 「さつきちゃんは、私がサンタとして 初めて幸せにしたいと思った人でした」 「当時、私は訓練でも結果が出せず、 サンタとして伸び悩んでいた時期にありました」 「何をやっても上手くいかなくて、 次第に訓練そのものが苦しくて、 ツラくなってしまって……」 「スランプってヤツか」 「多分、そうだと思います。 一時はサンタを辞めたいって……。 そう思ってしまったぐらいですから」 「そんな時、さつきちゃんが 『サンタさんに会いたい!』って私に話したんです」 「プレゼントをくれたサンタさんに お礼が言いたいって」 「まあよくある話だな」 本部に送られてくるリクエストには、『サンタに会いたい』など、そう言った内容の物もたまに混ざってくるらしい。 しかし姿を見せることができないサンタはその代わりとして、プレゼントと共に手紙など書き置きを残していくのだ。 「さつきちゃんに喜んでほしくて、 私はサンタに会える方法を話したんです。 一緒にサンタさんに会おうって」 「そのためにお泊まり会を提案したら、 さつきちゃんは喜んで賛成してくれました」 「それが私とさつきちゃんの 初めてのお泊まり会になったんです」 「イブに向けてサンタさんに手紙を用意したり、 新品の靴下を用意したりして……。 本当に楽しかった」 「なるほどな……でも大丈夫だったのか? 聞いてる限り、勢いで約束したようだが」 「最初は先生に怒られると思いました。 姿を見られてはいけないのに、 サンタに会えるって約束したんですから」 「でも、先生は快く協力してくれたんです。 私達の所には直接手渡ししてあげるって」 「……イブの夜、先生はプレゼントを届けに 私達の所に来てくれました」 「その時のさつきちゃんの はしゃぎっぷりは本当に凄くて……」 「どこに住んでるのか、とか、 やっぱりソリに乗って来たのか、とか。 好きな食べ物は、とか」 「ぬいぐるみのお礼もそっちのけで、 先生に色んな質問をぶつけていました」 「ただサンタに会いたい一心でしたから、 他にリクエストを考えてなくて……」 「先生も困ってしまった、とか?」 「……そ、その通りです」 「けど、そんな私達に先生は笑いながら、 コレをプレゼントしてくれたんです」 綺麗に整頓された引き出しから、硯はあるものを取り出して見せた。 それは雑貨店などでは売っていない、ノエル印のついた特別製のレターセットだ。 「なにかお願いごとがあったら、 次はこの手紙を使ってね……って」 「サンタと対面したさつきちゃんは本当に嬉しそうで、 先生が去った後も夜通しお話をしっぱなしで」 「嬉しそうに話してくれるさつきちゃんに 私も胸が温かくなって幸せな気持ちになれたんです」 「もっと幸せにしたい。 ずっと笑っていてほしい……って」 「それからは訓練も上手くいくようになって、 私も徐々に自信が持てるようになりました」 「学校でも友人が増えて、 毎日がとても充実したものになりました」 前を向いていた硯が顔を伏せる。それまで明るかった声のトーンが低く落ちていく。 「だから……さつきちゃんのことを ちゃんと見ることができなかったんです」 「……どういうことだ?」 進級とともに修行過程も大詰めを迎えた頃、さつきの様子が変わり始めたという。 いつものような明るい笑顔が鳴りを潜め、空元気と暗い表情を見せるようになったのだ。 また友人が帰った後も、家に帰ろうとせず、一人で夜遅くまで外で過ごしたり、硯の家に泊まったりすることが増え始めた。 「さつきちゃんは、自分の家を避けていたんです」 原因は両親の間で生まれた不和。 顔を合わせれば不平不満を並べ立て、激しく感情をぶつけ合っていたという。 「久しぶりにお泊まり会をした夜、 さつきちゃんはずっと泣いてました。 お父さんとお母さん、いつも喧嘩してるって」 「このままじゃ、二人が居なくなるって。 私の前で泣きじゃくったんです」 さつきちゃんが泣いたのは、後にも先にもその時だけだと硯は話してくれた。 けれど彼女は決して、自分の気持ちを両親に伝えようとしなかったという。 きっと聞き入れてくれないから。拒絶されるのが怖かったから、と。 「子供だった私にできたことは、 サンタにお願いするよう勧めるぐらいでした。 絶対に力を貸してくれるって」 硯の説得もあって、さつきちゃんは手紙にありったけの思いを託した。 同時に、硯は以前よりもより真剣に訓練に取り組むようになる。 全てはさつきちゃんのために。さつきちゃんの涙を止めるために。 まさに硯が倒れることになった今の状況だ。 その時の硯に並々ならぬものを見た先生は、彼女にイブ当日の配達を任せることを決めたという。 「あなたがさつきちゃんの背中を押してあげなさい。 先生はそう言ってくれたんです」 そして―― 「――もう少しでお目当ての場所に到着するわよ。 準備はオーケーかしら?」 「(ごくり)……はっ、はい……!」 「あらあら……ガチガチね$ そんなに緊張しなくてもだいじょーぶよー」 「ここまで上手くやってきたじゃない。 普通なら、こうはいかないわよ」 「もっと自分の腕を信じなさい、硯」 「……はい!」 「……ッ」 「……少し吹雪いてきたわね」 「タイムリミットも近いことだし、 ちゃっちゃとお届けしちゃうわよー♪」 「はい!」 「ッ……マズったわねッ。 まさかこんな短期間で大荒れになるなんて……!」 「せ、先生ッ……!?」 「どうしたの、硯ッ?」 「み、見つからないんですッ。 さつきちゃんの光……さつきちゃんの光がッ!!」 「見えない……ッ! どこッ、どこなの、さつきちゃん……ッ!」 「落ち着きなさい硯ッ!! 大丈夫、大丈夫だから……ッ!」 「さつきちゃんっ……さつきちゃんッ……!!」 「いやあああぁぁああぁッ!!」 「――私はさつきちゃんの光を、 願いを見つけることができませんでした」 その後、さつきちゃんの両親は離婚。 母親についていくことになった彼女は、卒業を待たずに引っ越しすることになったと言う。 「その別れ際に、あのぬいぐるみを〈預かった〉《・・・・》んです」 それまで俯いていた硯の視線が、部屋の隅に置かれている棚へと向けられる。 そこには古ぼけたサンタとトナカイのぬいぐるみが大事そうに飾ってあった。 両親からのプレゼントであり、さつきちゃんが大切にしていたぬいぐるみ。 けれど彼女は引越し間際、まるで思い出と決別するように、硯に押し付けていったと言う。 それを『預かった』と主張するのは、いつか彼女に返そうという意思の表れなのだろう。 さつきちゃんの願い……。彼女が大好きだった頃の両親に戻った時に。 「さつきちゃんがサンタを信じなくなったのは、 全て私のせいなんです」 「私があの時、 ちゃんと届けられていれば、きっと……」 「今のような形にはならなかったはず……か」 コクリ、と硯は小さく頷き、そのまま顔を深く俯けてしまった。 「だから、私は誓ったんです。 さつきちゃんに必ず届けるって……っ」 ギュッと膝の上に置かれた両手が、ズボンの生地を強く握り締める。 さらりと揺れた前髪の隙間から、強い決意を帯びた瞳が爛々としていた。 「……硯が必死になるのは分かった。 倒れるまで訓練していたことも納得できる」 「でも……それが硯が望んでいた形なのか?」 「…………え?」 「そうやってツラい思いをして、 身体壊しながらプレゼントを配ろうとして」 「それが硯がなりたかったサンタなのか?」 「お前はそれで、サンタとして幸せなのか?」 「そ、それは……」 これ以上ないくらい見開かれた目が、まるで逃れるように俺から逸れていった。 「――というわけで。 今日からしばらくの間、 硯には店内業務と訓練を自粛させることにした」 「しばらくって……そんなに体調が悪いですか?」 「いや、幸いにも軽い疲労とカゼで済んだ。 二、三日ゆっくり休めば回復するだろうよ」 「ただ本番も近いからな。 万が一のことを考えて強引に休ませた」 「それは分かったけど……、 すずりんを一人にしていいの?」 「大丈夫だ。 仕事の合間にでも様子を見に行くし、 ちゃんと寝てるように釘も刺しておいた」 「硯を休ませたのは俺の独断だ。 皆には迷惑をかけると思うがよろしく頼む」 「なーに言ってんのよ。 体調を崩した人間を休めるのはトーゼンでしょ」 「そのフォローも仲間として当然のことです♪ わたし達が硯ちゃんの分まで頑張りますよー!」 「すまん。よろしく頼む」 「いらっしゃいませーー☆」 結局、硯は俺の質問には答えてくれなかった。 いや、答えられなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。 「さつきちゃんがサンタを信じなくなったのは、 全て私のせいなんです」 「……誓ったんです。 さつきちゃんを笑顔にするって……っ」 ――さつきちゃんに幸せを届ける―― 今の硯は手段ばかりに目が行っていて、本来の目的が見えていない。 けれどこればかりは俺が手を貸せる問題じゃないと思う。 答えを見つけられるのは、硯自身しかいないんだから。 「信じてるからな、硯」 ゆっくり休むようにと冬馬さんに強く言われ、私は朝から床についていた。 身体に残っていた倦怠感は消えつつあるけど、不思議と身体を起こす気にはなれなかった。 「…………」 「それが硯が望んでいた形なのか?」 「それが硯がなりたかったサンタなのか?」 「……私がなりたかったサンタ」 冬馬さんに聞かれるまで、そんなこと考えたこともなかった。 さつきちゃんにプレゼントを届けるため。 今までの私はただそれだけを考えて、修行に修行を重ねてきたんだから。 「…………」 「はい」 「おはよーございます、硯ちゃん♪」 「おはようございます」 「お昼の用意ができたんで呼びに来たんですけど……。 ご飯、食べられそうですか?」 「まだ体調が優れないなら、 部屋までお届けしますけど……」 「大丈夫です。 身体のほうは大分ラクになりましたから」 「ふむふむ……うん、顔色もバッチリですね! 安心しましたー」 「それじゃ、ちゃっちゃと下に降りましょう! 早くしないと、 とーまくん特製のお昼が冷めてしまいますよ♪」 「はい」 「いっただっきまーーっす♪」 「いただきます」 「あーん……もぐもぐ。 んーー! ご飯のパラパラ感がたまりません〜@」 「はぐはぐ……。 けど、国産も随分と料理が上手くなったもんよねー」 「一月前には目も当てられない、 カオスなチャーハンをお見舞いされましたからね」 「シャラーップ! 気持ち悪くなるから思い出させないで!」 「…………」 「……およよ? どーしたんです、硯ちゃん? さっきからお箸が進んでませんけど」 「ちゃんと食べないと、 体力が付きませんよー(もぐもぐ)」 「い、いえ……その」 「お店のことならだいじょーぶよ。 国産が居るし、すずりんの代役として ニセコも手伝いに来てくれてるから」 「そ、そうじゃないんです。 ただ……少し考え事をしてしまって」 「考え事?」 「お二人はどんなサンタになりたいかって、 考えたことありますか?」 「はぐはぐ……んぐっ、がつがつ! どんなサンタ……ですか?」 「はい」 「わたしはですね……、 昔ながらのサンタになりたいんです」 「昔ながら……?」 「はい。 今みたいにアイテムを使ってじゃなくて、 一人一人に直接プレゼントを渡していって……」 「そうやって、 ちゃんとプレゼントを届ける人と 向き合えるサンタになりたいんです」 「……りりかさんは?」 「あたしはより多くの人に……、 世界中の人達にプレゼントを届けられる サンタになるわ」 「一人でも多くの人を幸せにする。 あたしにとって、 それがサンタの使命だと思ってるから」 「……二人とも、すごいですね」 「で、急にそんなことを聞いてどーしたのよ?」 「えっ? あ、その……。 少し気になってしまって……」 「硯ちゃん……?」 「……食器、片付けてきますねっ」 ななみさん達がお店に戻った後、私はテラスの手すりに身を預けていた。 「……私がなりたい、サンタ……」 「私は……どんなサンタになりたかったんだろ?」 それが思い出せない。 頭の中ではさつきちゃんのこと、そして昔の失敗ばかりが蘇ってくる。 「――す〜ず〜りぃ〜!」 「ひゃあッ!?」 「おおっ! 可愛い悲鳴を上げてくれるじゃない。 うりうりぃ〜」 「ひぁッ! あぅ……んんッ、 や、止めてっ……止めてくださいっ!」 「お、驚かさないでくださいッ、先生!」 「な〜によぉ〜〜。 久しぶりのスキンシップなのに、 そんな嫌がることないじゃないのよー」 「す、すみません……って誤魔化されません! 流石にむ、胸を触るのはやり過ぎです……っ!」 「ちぇー」 「それで今日はどうされたんですか? ミーティング用の資料でしたらまだ……」 「違う違う。 新しい観測データが収集できたから、 持ってきてあげたのよ」 「〈聖夜〉《イブ》まで秒読み段階に入ったし、 そろそろ配達コースも検討し始めないとね」 「データは中井さん達に渡しておいたわ。 確認するなら完全に快復してからになさいよ?」 「……っ」 「そー焦らないの。 今のあなたじゃ何やっても集中できないでしょ」 「……はい」 「…………」 「それで身体のほうはもう大丈夫なの?」 「はい。心配をおかけしました。 熱ももう平熱まで下がりましたし」 「むしろ身体を動かせないことが 逆にちょっとつらくなってしまって……」 「身体を動かせないのがツラい、か……。 それならちょうどよかったかもね」 「え?」 「次の休みなんだけど、 ちょっとアタシに付き合ってくれない?」 「気分転換にもなるだろうし、ね?」 「気分転換……?」