「……」 あれから程なく、僕は病室を出た。 加納さんはもってあと数週間だという。 その間は、あの子が面倒をみる。 「……」 解放された。 ようやく、僕は自由を手に入れた。 「……」 なのに、僕はさっきからずっと駅前のベンチでぼんやりとして。 何かとても大切なことをやり忘れたような。 落ち着かない気分。 「……こうしていてもしかたない」 「帰ろう……」 ポケットに手をつっこんだまま立ち上がる。 手が何かにあたる。 通帳と判子のケース。 あの子に無理矢理持たされたものだ。 「……どうしよう、これ」 こんなモノ受け取れない。 僕はそこまでのことは、加納さんにしてないのだから。 「あの子に送り返そう」 そう決めて、歩き出す。 ――早く姉さんの顔が見たかった。 部屋に戻ると、姉さんはいなかった。 「買い物かな?」 電話してみようか。 いや、別に今すぐ何か用事があるわけじゃない。 僕が早く姉さんの声を聞きたかっただけだ。 「メールでいいか」 病院から戻ったと知らせる短いメールを打つ。 送信。 「……」 コタツに入りながら、ボンヤリと考える。 加納さんのこと。 家族のこと。 「どうすれば、良かったんだろう……」 僕に足りないものがあったのだろうか。 きっとあったのだろう。 今まではそんな風には考えなかったけれど。 僕は求めるばかりで。 愛されたいと思うばかりで。 『それって、本当は愛したいって事じゃないんですか?!』 愛そうという努力がまるで足りなかったのではないか。 「……今更だよな」 息を吐く。 もうすぐ彼はいなくなる。 僕には、もう何も。 「あ……」 メールが届く。 きっと姉さんだ。 すぐに読む。 『今すぐ陸橋に来て』 「……陸橋?」 どうしたんだ。 電話をしてみようかと思い、指が動きかけるがすぐに止まる。 胸騒ぎがした。 姉さんは元々そんなにメールは多用しない。 こっちがメールを出しても、電話で返してくるような人だ。 それが、あえてメールを使った。 僕は立ち上がると、すぐに上着を手に外に出た。 すっかり日の暮れた川べりの道。 風はひどく冷たく、体温がどんどん奪われるような感じがする。 恐ろしいほど静か。 誰も真冬のまっただ中に、こんなところに好んでは来ない。 「あ……」 雪でもじきに降るのではないかという寒空の下。 ペンキのはげかけた陸橋にもたれて。 「やあ、来たか」 「イズミ」 見知った女性が立っていた。 「思った以上に早かったね」 「瑠璃のことが、そんなに好きか? ん?」 嘲笑めいた笑みを浮かべながら、手の中では姉さんの携帯電話が踊っていた。 背筋が寒くなる。 本能が危険だと、最大限の警告音を今、鳴らしている。 「あんた……」 先日、出会った純血種。 そして、たぶん―― 「また会えて母さん、嬉しいよ」 「……やっぱり、あんたがそうなんだ」 「イズナ」 「あ?」 「あたしの名前だよ」 「まさかお前も、あたしを母さんと呼ぶ気はないだろう?」 「それとも、今からでも甘えてみるかい?」 「あの子みたいに……」 にやにやと口の端を吊り上げる。 「……悠のことか?」 悠の名前を出して、胸の中にどす黒い感情が浮かぶ。 目の前のこいつが。 僕の妹を。 「そうそう、あの子は昔から頭が少し足りなかった」 「ちょっと優しいことを言ってやったら、簡単に警戒を解いたよ」 「抱いてやるフリをして、殺した」 「何とも張り合いのない狩りだったよ」 「ありゃ、どの道長くなかったね。早めにいただいて正解――」 「うわあああああああああああああああああああっ!」 何の計算もなかった。 気がついたら僕は、右手の皮膚を硬化させて。 イズナと名乗る女に手刀を振るっていた。 だが。 「――ふ」 僕の攻撃は、簡単に女の異様に伸びたツメで弾き返されてしまう。 「見た目よりも、血の気が多いね」 「まあ、男はそれくらいのほうがいい」 「屈服させて、犯すのが楽しみだ」 「あたし好みの男に育ってくれて、母さん嬉しいよ」 「あははははははははは!」 女のカンに触る笑い声が、耳に響く。 「犯されるくらいなら、僕は舌を噛んで死ぬさ」 「あんたとなんてお断りだ」 女の動きを常に視界に入れながら、言葉を叩きつける。 「ご挨拶だね。まあ、お前の意志なんてどうでもいいんだ」 「雄の純血種は、今のところお前しか居ない」 「お前と交わらないと、あたしは純血種が産めないんだ」 「将来、狩る楽しみが居なくなっちまうんだよ」 自らの子をまるで玩具か何かのように。 めまいがするほど怒りがこみ上げてくる。 「あんた気が狂ってるんだ」 「そうでもないだろう」 「人間だって、食うために家畜に産ませて、育ててる」 「あたしはそれを全部自分でやってるだけだ」 「自分で食うために産んで、何が悪い?」 不機嫌そうに眉根が寄る。 赤い目が細められ、僕に射るような視線を送ってくる。 「あんたと禅問答みたいなことをするつもりはない」 「ああ、あたしもだ」 「お前も少なくとも200年は生きないとあたしのことなんか理解できないよ」 「あんたのことを理解できる自分になんか、死んでもなりたくない」 僕は硬化した右手を構える。 今ここで、戦闘になるのなら躊躇せず心臓を貫くか、首を落とす。 そこまでしないと、人魚は死に至らない。 「やれやれ、無駄なことを……」 「お前とあたしじゃ、今まで摂ってきた養分の量が違いすぎる」 「地力が違うんだよ。それくらいわかるだろう?」 めんどくさそうに息を吐く。 間違っても僕に殺される未来など想像もしていないようだ。 「それより、姉さんをどうしたか答えてもらおうか」 一歩踏み出して、睨む。 「殺して食った」 「――っ!」 一瞬で全身の毛穴から汗が噴き出る。 血の気が引いた。 こいつ……! 「冗談だよ、まだ殺しちゃいない」 「きゃははははは! 今のお前の表情! いいよ! お前、まともな人間みたいだ!」 「親子の絆、姉弟の情、男女の愛……」 「そういうものを信じている純粋な息子を絶望させてから、犯すのか……」 「子宮がうずくよ。繁殖期じゃないのに興奮してきたね……」 嘔吐したくなる。 今すぐ、目の前の生物をこの世から排除したい。 僕はそんな考えを必死に理性で押さえ込む。 「ついてきな」 「瑠璃に会わせてやるよ」 女は何の躊躇もなく、僕に背中を見せて歩き出した。 「……」 僕は黙って、ついていく。 今はそれしかない。 「兄っ、兄っ!」 「起きて、兄っ!」 「……え?」 妹に揺すられて、まどろんだ意識が覚醒する。 「……あ」 僕は視界に映った、悠の姿を見て。 「ゆ、悠……!」 「うわあっ!?」 強引に強く抱きしめた。 覚えのある感触、匂い。 涙が出るくらい、嬉しかった。 「どうしたの、お兄ちゃん」 「怖い夢でも見た? 子供みたい」 悠は微笑みながら、僕の背中を優しくさすってくれた。 「……ああ、すごく嫌な夢だった……」 「最悪だ」 「お前が死ぬなんて……」 「……」 「……ごめんね」 ぎゅっと僕の背中を抱きしめて、妹がぽつりと言葉をこぼす。 「え? な、何だよ、悠」 「お前、何も悪くないよ。悠が謝ることなんてないんだ」 「それ、夢じゃないから」 「こっちが、夢だから」 「なっ……?」 妹の体温を感じながら、僕は身体を硬直させる。 「あんまり、お兄ちゃんが悲しんでいるから」 「心配で会いに来た」 「でも、あんまり時間はない」 「早く、元気になって、お兄ちゃん」 「そんな……」 「そんな無理をいうなよ、悠……」 「お前がいなかったら、僕は……」 僕は強く妹を抱きしめながら、視界を滲ませる。 「お前と兄妹として過ごした時間なんて、ほんの数週間だったじゃないか」 「僕はお前に何もしてやれてない」 「お兄ちゃんらしいことなんて、何一つしてない」 「兄失格じゃないか……」 「僕は、もっと、お前に――」 幸せになってほしかったんだ。 「――そんなことないよ」 「お兄ちゃんは、私を大切にしてくれたよ」 「……何もしてないよ」 「美味しいご飯を作ってくれた」 「お話もたくさんしてくれた」 「私が落ち込んだら、ぎゅって抱いてくれた」 「それに」 「それに、私のために死のうともしてくれた」 「こんなに愛されたことなんてなかった」 「死ぬほど幸せだった」 「……悠」 紡がれる言葉に、涙が止まらない。 「私はね、お兄ちゃん」 「ちょっとだけホッとしてるんだ」 「え?」 「私、お兄ちゃんに死んで欲しくなかったから」 「私のために死んで欲しくなかったから」 「だから、ちょっとだけホッとしてる……」 「馬鹿……」 「だからって、お前が死んでいいってことないだろう……」 「……代わりたい」 「できることなら、お前の代わりに僕が死にたいよ……」 「ダメ」 「お兄ちゃんはまだ死んじゃダメだよ」 悠は僕の髪を優しく撫でながら、諭すように言う。 「お姉ちゃんを、助けてあげて」 「お姉ちゃんは、きっと私達以上に傷ついてる」 「一人で全部背負って、あの人と決着をつけるつもりだから」 「今度は、お姉ちゃんを守ってあげて」 「ね? はい約束」 悠は僕から身体を離すと、右手の小指を僕の方に。 「……」 「……わかったよ」 「でも、悠もひとつだけ約束してほしい」 「何?」 「もし来世というものがあるのなら」 「今度も、僕の妹になってくれ」 「もちろんだよ」 「私はずっと、お兄ちゃんの妹だよ」 嬉しそうに笑ってくれた。 「ありがとう」 僕も微笑む。 「じゃあ、指きり!」 「指きりげんまーん」 細く小さな小指を僕の小指に絡めて、妹は元気な声をあげる。 「ウソついたら」 その指から伝わる、頼りないくらい微かな体温。 「針せんぼーん のーます♪」 「指切った!」 その微かな温もりさえも。 今失った。 「……」 僕は一人、闇の中に取り残される。 たまらない寂寥感が僕を襲う。 今すぐ、悠の後を追いたい衝動に駆られる。 でも。 「ダメだ……」 僕は自分の小指を見つめながら、つぶやく。 僕はまだ死ねない。 自分の悲しみに押しつぶされて、自害するわけにはいかない。 約束したんだ。 それを果たすまでは、生きなければ。 「姉さん……?」 僕はそばに姉さんがいないことにようやく気づく。 よくよく考えれば部屋がキレイに片付いている。 姉さんが一人でやったのか。 ずっと二人で泣いて、そのまま寝てしまったのに。 「しまった……」 姉さんは、一人でどこに。 「姉さん!」 僕は夜の闇の中に、駆け出した。 「はあ、はあ」 息を切らして、アスファルトを蹴る。 くそ、失態だ。 姉さんを一人にするなんて。 「はあ、はあ」 悠の言う通り、きっと姉さんは僕以上に傷ついている。 瀕死の重傷をおわされた後、きっと、悠が惨殺されるところを目の当たりにしたのだ。 それは果たして、どれくらいの責め苦なのか。 「姉さん! 姉さんっ!」 万が一にも早まったことはしないだろうか。 僕はさっきまでの自分を棚に上げて、そんな心配をしていた。 「はあ、はあ……」 「……あ」 気づいて、足を止める。 川べりに小さな赤い火が、飛んでいた。 僕は息を整えながら、その赤い火を目指す。 「姉さん」 「あ……」 姉さんは僕を振り返る。 右手の指先には、吸いかけのタバコがあった。 「ごめんなさい」 「勝手に一本、もらったわ」 「……姉さんも吸うんだ。知らなかった」 僕は白い息を吐き出しながら、姉さんの方に近づく。 「まさか」 「吸ったの初めてよ」 「もしかしたら、落ち着くかもって思って」 「どうだった?」 「咳き込んだだけよ、最悪ね」 姉さんはそう言うと、地面にタバコを落とし踏みつけた。 赤く弱々しい光が、姉さんの靴の下で消える。 「姉さん、怪我は?」 「見ての通り。もうかすり傷一つないわ」 「本当に化け物よね、私達……」 自嘲気味に笑う。 「ごめん」 「僕がもっと早く帰っていれば……」 「……やめなさい」 「仮定の話をいくらしても、何も変わらないわ」 「それだけじゃない」 「え?」 「悠がああなった後、僕はしばらく何もできなかった」 「自分の悲しみに囚われて、姉さんに少しも気を回せなかった」 「言葉をかけることさえ、できなかったんだ」 「……ごめん」 僕はうつむいて唇を噛む。 「……」 「……仕方ないわよ」 「いきなり、あんな事になったら誰も冷静ではいられないもの」 「そんなことで、私は貴方を責めたりしないわ」 「でも、きっと悠には叱られる」 「夢であいつ僕に言ったんだ」 「姉さんを守れって」 「……」 「……そう」 「あの子、普段は私を怒らすようなことばかりしてるくせに」 「そのくせ、いつも私にくっついて来て……」 「お姉ちゃん、お姉ちゃんって……」 姉さんの表情が、悲しみに歪む。 「……もっと、あの子といっしょにいたかったわ……」 「……そうだね」 「僕達、もう少し家族でいたかったね」 たとえ人の理から大きく外れた僕達だったとしても。 短い日々の中、僕と姉さんと悠は、確かに家族だった。 家族だったんだ。 「イズミ」 姉さんは川の方に向かって踏み出す。 「イズミ」 「私は、近いうちにあの女とケリをつけるわ」 「貴方は、あのアパートを出て元の家に戻りなさい」 「その方が安全だから」 「もう、貴方が守るべき妹はいない」 「この先は、貴方の好きに生きなさい」 暗い水面を見つめながら、姉さんはそう言った。 「しないよ、そんなこと」 僕は姉さんの背中に向かって声を投げる。 「僕は姉さんを守らないといけない。だから、そばを離れるつもりはないよ」 「ダメよ、イズミ聞き分けて」 「絶対に離れない。悠と約束したんだ」 「夢の話でしょう? そんなの気にしなくてもいいわよ」 「嫌だよ。離れない」 「どうしてよ? 私を困らせないで!」 振り返った姉が、僕を睨む。 「……そんなの決まってるじゃないか」 「君は僕の唯一の家族で」 「たった一人の姉さんで」 「僕の大好きな人だからだ……!」 姉さんの前で立ち止まる。 「絶対に、放さない……!」 そして、強引に姉の身体を抱いた。 「イズミ……」 「ダメ……放して……」 言葉だけの抵抗。 僕はかまわず、姉さんを抱く腕に力をこめる。 「あ……」 「姉さん、聞いて」 「僕は覚醒した雌の君より、強くはないだろう」 「もちろん、何百年もの間、純血種を食い殺してきた母親の足元にも及ばない」 「そんなことはわかってる。わかってるんだ、僕でも」 「それでも、いざという時、姉さんの盾の代わりくらいにはなれる」 「……あ、貴方」 「僕は悠のために、死ぬ覚悟はしてたことは知ってるよね?」 「え、ええ……」 「だったら、どうして姉さんのためには死んだらいけないの?」 「僕が、悠と姉さんをそんな風に区別するわけないだろう?!」 「二人共、僕にとって……」 「自分の命よりも、ずっと……!」 背中に腕を回す。 抱きつぶすくらい力を入れた。 「う……」 「うわああああああああああああああああああああああっ!」 姉さんは爆ぜるように泣き出した。 僕は彼女を胸に抱きながら、心に誓った。 この人だけは、守り抜くと――。 「……くん」 「……こっち……」 「……あ」 「……ここだわ、ここ……」 「……やっと見つけた……」 「……お兄ちゃん……」 「おおー」 「おおおー!」 「……」 放課後。 今日もあたしは、部室でテーブルにつっぷしていた。 ただ、ぐでっとしていた。 せっかく来ていても、記事を書くどころか、皆と話すことすらほとんどしていない。 する気になれない。 イズミと別れてしまってからのあたしは、ただの無気力腑抜け娘だった。 部長とイクイクは、そんなあたしに何も言わないし、聞かない。 気遣ってくれている。 本当は、彼らもイズミの所在について知りたいだろう。 いつか、上手く話さないと。 でも、今はまだ。 「おおおおー!」 「……何を興奮してるんだ、高階」 「やっとツッコんでくれましたね! 遅いですよ、部長!」 「何だ、指摘されるのを待っていたのか?」 「意味がないだろ、言いたいことがあるなら、さっさと発言したまえ」 「部長ノリが悪いっす! それじゃあ私のモチベーションがあがりませんよ!」 「もっとこう、ハリセンでスパーン! って感じの勢いが欲しいっす!」 「何でやねーん! とか、そんなわけあるかい! みたいな感じで是非!」 「よし、資料が出来たぞ」 「完全スルー?!」 「当然だ」 「うわーん! 真奈先輩なら絶対やってくれたのに!」 「誰だ、真奈先輩って」 「……」 牧歌的な雰囲気に身を置く。 ここはあたしに残された、唯一の優しい場所だった。 だけど、イズミのいなくなった部室がだんだんと日常化していくのがたまらなく寂しかった。 ――あたしの社会復帰はまだ当分先のようだ。 「さて、次号の特集記事についての打ち合わせをはじめよう」 「いいかな? 諸君」 「はーい」 「あ、はい」 あたしは頑張って上体を起こした。 会議くらいは、ちゃんと聞かないと。 「まずこの資料に目を通して欲しい」 言われて出来立ての資料を手にする。 ん? 『人魚の恐怖再び』 「部長、これって……?」 人魚というキーワードに、あたしはちょっと動揺する。 「ん? 知らないのか? 川嶋くん」 「最近、起きてる怪事件のことだ」 「怪事件……?」 首を捻る。 「えー?! 川嶋先輩、ホントに知らないんですか?」 「ネットではすごい話題になってますし、学園でもその噂でもちきりです」 「あ、そうなんだ」 「ごめん、あたしも最近、情報に疎くて……」 ていうか、自分の殻に閉じこもりまくりだ。 イズミのいない世界に出たくなくて。 「それはいかんな、川嶋くん」 「ジャーナリストとして、常にアンテナは高く! しかし頭は低く!」 「実るほど頭を垂れる稲穂かな……! この言葉の精神で!」 「なるほど~」 「人に頭を下げまくって媚びまくれば、実りが多いってわけですね~」 「何でやねん!」 「そうそう! それっす! 部長はやればできるじゃないですか!」 会議は脱線模様。 いつもならあたしは苦笑しながら、二人を眺めているだけだ。 でも。 「あ、あの」 あたしはどうしても気になった。 「この人魚の噂について、詳しく教えてもらっていいですか?」 「……はあ」 会議を終えた後、あたしは一人屋上にいた。 最近、ここに来ることが多い。 イズミがふらっと、ここに戻って来ているのではないか。 ここでタバコの煙をぷかぷか浮かべているのではないか。 つい、そう思って来てしまう。 「また人魚が出た……か……」 部室から持ってきた資料をもう一度見る。 あたしが誘拐されたのを最後に、例の事件はいったん沈静化した。 犯人の相羽が死んだのだから、当然。 もっともこの事実を知ってるのは、もはやあたしだけだけど。 ところが、ここ数日再び、数人の人間が行方不明になったらしい。 ほんの短い間に、まるで神隠しにあったように姿をかき消す現象の多発。 「状況が似てることから、また人魚が行動を再開させたのではないかと、ネットでは騒がれている……」 似てはいる。 でも、もう相羽はいない。 だから、この噂は間違い。 だけど。 「……」 もしこれが本当だとしたら。 「会えないかな……?」 この犯人が、イズミや白羽瀬さんじゃないとしても。 何か繋がりはないだろうか。 もし、そうなら。 「……」 「いやいやいや!」 「ないないない! そんなわけないって! 危ないって!」 あたしはぶんぶんと頭を振る。 あんなに怖い目に合ったのに、またイズミ達以外の人魚と会おうとか、馬鹿じゃん。 「そんなこと、するわけ――」 その時、あたしの制服のポケットで電子音がした。 スマホかな? 「え? 何」 取り出す。 見ると、LINNが立ち上がっていた。 「あれ、起動した覚え――え?」 閉じようとした指先が、瞬時に止まる。 『こんにちは』 と一人のユーザーに話しかけられていた。 それは、別にいい。 ただ、そいつのアイコンは見覚えがあった。 でも、そんな。 「相羽……?!」 相羽司が、あたしに話しかけている。 今、この瞬間に。 心臓が高鳴る。 待て、落ち着け。 きっとなりすましだ。 でも、どうやって相羽のパスワードを知ったのか? いや、そんなことはどうでもいい。 それより、今、あたしは、どうすればいい……? 「……」 息を飲む。 返信も、何もできない。 怖い。 切っちゃおう。それしかない。 あたしは、そう決めて震える指で―― 『加納イズミに会いたい』 「――っ?!」 イズミの名前が出て、あたしは即座に固まってしまう。 『加納のLINNに繋がらない。メールの返事もない。だから、川嶋から伝えてくれ』 『明日、あの工場跡で待ってるって』 「……え?」 あの工場跡、という言葉に反応する。 あそこで起きたことを知ってるのは、あたしと、イズミと、白羽瀬さんと新田サン。 「あとは……」 途中で乱入してきた女の人と、相羽だ。 「あの女の人……?」 いや、あの人は確か純血種で、すでに成魚だ。 それに、イズミに生きてみろと言い残して去った。 今さら、会いたいなんてあるだろうか。 「そうじゃないとしたら……」 「本当に相羽が生きて……?」 生きていて、イズミに会いたがっている? 「そ、そんな……」 「ありえない……」 でも、ならば何故あの場所を指定できたのか。 「どうしよう……」 「イズミ、あなたなら、どうしたい……?」 イズミは相羽を好いていた。 ウソでも、友達でいてくれて嬉しかった、と言うほどに。 もし、相羽が生きているのなら。 きっとイズミは会いたいはずだ。 「イズミ――」 もう迷いはなかった。 指先が画面を滑って、文字を打つ。 『明日の何時?』 「……見つかってないよね……?」 「うん、よし」 旅館の玄関を超静かに閉めて、外に出る。 時間は午前五時半。 何て時間を指定するのか。 はっきり言って、こんな時間に一人であんな場所に行くのは怖い。 でも、あたしは行く。 ――イズミのために、何かできるかもしれない。 その考えが、あたしを突き動かしていた。 「……」 来た。 来てしまった。 二度と来たくはないと思っていた場所に自ら。 「だ、誰かいますか?」 おっかなびっくり声を出す。 案外、大きく自分の声が響いたことに、自分で驚く。 それだけ静かだということ。 耳を澄ます。 外の微かな風の音。 そして、あたしの呼吸する息遣い―― 「!?」 今、足音が。 近づいてくる。 「……あ、あう」 ビビりながら、周囲を見渡す。 どこ? どこから……。 「……くん」 あたしの視線の先の、積み上げられた木箱の陰。 そこで小さな何かが。 「あ……」 「……くんくん」 暗闇の中から、まるで浮かび上がるように、その少女は―― 「……あれ?」 「……加納イズミじゃない……わね?」 「……くんくん、匂い違うし……」 「あ、あなたは……?」 まだ十歳にも満たないような容姿の少女がいた。 目をつむって、鼻を鳴らしながら、こっちに近づいてくる。 「……わたしは相羽」 「相羽美月」 言って、少女は目を開く。 瞳が、赤く光っていた。 「相羽美月……」 もしかして。 「相羽司の妹さん……?」 「……」 相羽の名前を出すと、目の前の少女は足を止めた。 ぴくっと眉を動かし、あたしに射るような視線を送る。 「お兄ちゃんの知り合い?」 「え、ええ」 「お兄ちゃん、知らない?」 「え?」 「ここにお兄ちゃんの制服とか、荷物とかがいっぱいあったの」 「でも、お兄ちゃんだけいないの……変でしょ?」 「ねえ、お兄ちゃん知らない?」 淡々とした口調。 でも、それにはどこか切実な感情がこめられていて。 あたしは。 「あ、あなたのお兄さんは――」 ――ここで、殺されちゃったんだよ。 そんなこと、この年端も行かない子に、言えない。 どうしよう。 どうするべきなんだろう。 「お兄ちゃん、ずっと食べ物を運んできてくれたのに」 「ある日、突然戻ってこなくなっちゃったの」 「わたし、すごくすごく苦しかったけど、頑張ってお兄ちゃんを捜して歩き回った」 「そして、やっとここでお兄ちゃんの荷物を見つけて――」 「でも、お兄ちゃんは居ないから、自分で狩りを始めたの」 「思ったより簡単だった」 「わたしが子供だから、皆、きっと油断しちゃうんだね、ふふ……」 美月と名乗る少女は、唇の端を吊り上げて笑う。 空気が変わった。 あたしは、全身が総毛立つのを感じる。 まるで、猛獣と同じ檻に入れられてしまったような感覚。 「たくさん食べたら、楽になったけど、まだ足りないの」 「もっと食べないと、わたし死んじゃう」 「死んだら、お兄ちゃんを捜せない」 「そしたら、思い出したんだ……」 くすくすと美月は楽しそうに微笑む。 どうしてなのか。 「あ、ああ……」 まるで身体が動かない。 危ない。 この子が、最近の怪事件の犯人だ。 兄の事件を妹が引き継いだのだ。 そして、その渦中にまたあたしが。 「加納イズミって人がね、とても美味しそうな匂いをしてたの……」 「お兄ちゃん、もうすぐ連れてきてやるって言ってたのに……」 「どうしたのかな、お兄ちゃん……」 「ふふ、早く、加納イズミ、殺して持ってきてくれないかな……」 「……」 その時。 一瞬だけ、あたしは恐怖を忘れた。 いや、そうじゃない。 恐怖を別の感情が上書きした。 それは怒りの感情だった。 「……あなたのお兄さんは、もう来ないよ」 「……え?」 「相羽はね、あなたのお兄さんは、あなたのために戦った」 「イズミも、自分の妹とあたしのために戦った」 「……」 「……それで?」 美月の表情から、薄笑いが消えうせた。 「……後は、わかるでしょう?」 「ここに、お兄さんの制服と荷物、全部あったんでしょう?!」 「……はっきりとは、あたしだって言葉にしたくないよ……」 「……」 「……ウソ」 ぐらりと美月の身体が揺れた。 「……ウソじゃないよ」 「わたしのお兄ちゃんはとっても強いの。誰にも負けないの」 「わたしをいつも守ってくれて……」 「ねえ、本当のこと言って」 「言わないと、殺しちゃうよ……?」 「ウソじゃないっ!」 あたしは、半泣きでそう叫んだ。 こんなことでウソはつきたくない。 それはイズミの気持ちも、そしてきっと相羽の気持ちだって踏みにじる行為。 たとえ、殺すと言われても、それだけはできない。 あたしは、あたし達は。 かつて確かに友達だったんだ――。 「ウソだ!」 「ウソじゃない!」 「絶対にウソだっっ!」 「絶対にウソじゃないよっ!」 声をからして叫んだ。 あたしの涙声が古い壁や天井にぶつかり反響した。 「うわああああああああああああああっ!」 「ひっ?!」 突然、美月の爪が剣のように伸びる。 それが、あたしの肩口をかすめた。 「……このウソつき!」 「ウソつきウソつきウソつき!」 「お兄ちゃんは死なない!」 「わたしを残して、死ぬもんかああっ!」 「お兄ちゃんが死んだなんて……認めるもんか……」 「だって、お兄ちゃんがいなかったら、わたし生きてたってしょうがないっ!」 「絶対に絶対に、お兄ちゃんは死なないっ!」 美月は泣いていた。 まるで駄々をこねるように、むちゃくちゃに爪を振り回す。 「……っ」 ああ、あたし達はどうして、こんな風に出会ってしまったんだろう。 もっと、普通の生活の中で。 イズミと相羽、そして、この子と。 あたしはそんな時間が――。 ……ううん。 「……ウソじゃない」 「こいつ……まだ……」 違う。 それは、もう願っても与えられないと分かってるのだから。 あたしは、あたし達は、戦うしかないんだ。 イズミが、選択したように。 誰もが最後は、自分で決めることができると彼は言った。 それならあたしも。 そして、目の前のこの子も。 「あなたの、お兄さんは、死んだのっ!」 「――っ!」 気圧されるように、美月が一瞬たじろいだ。 「あなたを守りたかったけど、それができずにここで倒れたの!」 「最後まで、あなたのこと心配してたよ?!」 「それなのに、あなたは何? 自分の感情を振り回して、わめいてるだけじゃん!」 「そんな風に、逃げ回ったって何も変わんないよ! 変わりっこない!」 「あなたは、人を殺さないと生きていけないんだよね?」 「だったら、殺せばいい! 殺して食べて生きればいい!」 「お兄さんの分まで、必死で生きてみればいいじゃん!」 「それを、お兄さんがいなかったら死ぬ? ふざけないで!」 「生きたくたって、生きられない人が――」 「この世界に、どれだけ、いるか……!」 あたしの視界がじわりと滲んで、ゆがんだ。 「こいつ……」 目を見開く美月。 「……ふふ、そう」 瞳が、より一層輝きを増す。 「殺して、食べて、生きろ……」 「自分の立場もわきまえずに、よく言えたね……」 「そうだね、そうする」 「自分で言い出したんだもん、文句はないよね?」 薄笑いを浮かべながら、美月は例の爪の伸びた右腕を振り上げる。 その姿は、以前相羽がイズミにトドメをさそうとしていた姿に似ていた。 でも、あたしは人魚じゃない。 イズミのように、あの爪を受け止めることは出来ない。 ああ、あたし……。 ここで。 「……」 あたしは両目をぐっと強くつむった。 さよなら、イズミ。 あたし、あなたより早く死んじゃうみたい。 ごめんなさい、助けてもらったのにごめんなさい。 「イズミ……」 必死で彼の顔を心の中で思い描いた。 彼の笑顔を。 最後は、その笑顔といっしょに、あたしは―― 「――ダメだよ」 「こいつだけはダメだ」 「――え?」 耳と目を同時に疑った。 だって、あたしの傍らには。 もう会えることはないと諦めていた人が。 ずっと好きだった人が。 加納イズミがいた。 「イズミっ!」 また涙がこぼれた。 でも、それはさっきまでとは真逆の意味を持つ。 嬉しくて。 嬉しくて――。 「加納イズミ……」 「加納イズミいいいいいいっ!」 目の前の少女が真紅の瞳をさらに赤く燃やし、イズミに向けた。 「……」 イズミは臆することなく、その視線を受け止めた。 「お兄ちゃんを殺した?!」 「お前は、わたしのお兄ちゃんを殺したのかああっ?!」 「……」 「殺したよ」 「――っ!」 「君のお兄さんは、僕の友達だった」 「とても大切な友達だった……」 「でも、僕の一番大切な人達を手にかけようとした」 「これは僕の想像だけど、きっと君のお兄さんも本当はそんなことはしたくなかったんだと思う」 「でも、僕よりも何よりも、君の事が大切だったんだ」 「だけど、僕も譲れない」 「家族と直だけは譲れなかった」 「だから、君のお兄さんと戦うことを選んだんだよ」 「後悔も、懺悔も、言い訳もしない」 「きっと、君のお兄さんも、僕を恨んではいないだろう」 「……っ」 「君も戦え」 「!」 「戦って、僕を殺して、生きてみろ」 「でも、僕も簡単には殺されない」 「本気で、君を殺すつもりで、戦う」 「あ、あ……」 「うっ、あっ、ああああああああああああああああああああっ!」 興奮した美月が、伸びた爪をイズミに向かって振り下ろす。 「イズミ、危ないっ!」 「――っ!」 イズミはすぐに反応して、手刀で応戦する。 「ああっ!」 美月の長く伸びた爪が、折れて床に落ちた。 「全然だな」 「そんな頼りない爪では僕を貫けない」 「黙れ……」 「まだ成長過程の君に、純血種は殺せない」 「黙れ、黙れ、黙れえええっ!」 「――くっ!」 残った爪で応戦するも、美月の爪はイズミの言う通り、イズミには通じない。 ことごとく弾かれ、折られる。 「もう、終わり?」 「……ひっ」 「もっと抵抗してみろ」 「……うっ」 「もう、怖気付いたの?」 「それじゃあ、死んだお兄さんも浮かばれないよ」 「お前が……」 「お前が、お兄ちゃんの事を言うなあああああああっ!」 「……」 必死で戦う少女。 でも、イズミは無慈悲にその武器をひとつずつ潰していく。 容赦のない態度。 だけど。 「そんなことで、これから先、生きていけるか!」 イズミの態度は、まるで。 「君のお兄さんの分まで、生きてみろ!」 彼女に何かを教えようとしているようで。 「うわああああああああっ!」 少女が吼える。 もう分かっているのだろう。 彼には勝てないことを。 それでも、彼女は向かっていった。 「……ひっく」 「……ひっく、うう……」 彼らの命を賭けたやり取りを泣きながら見つめ、あたしは、悟った。 ああ、ここはどうしようもなく残酷な場所なんだ。 力のない者が、容赦なく食いモノにされる。 それは、人魚と人間の間だけのことじゃなくて。 あたしの生きるこの世界の、唯一のルールだった。 そんな中で、あたしは何を願い、何を犠牲にするのか。 最後に何をとるのか――。 「はあ、はあ、はあ……」 ついに全ての爪がイズミに叩き折られた。 「く……」 「……くそっ!」 美月は息を荒げて、悔しそうにイズミを睨む。 もうあがなう術はない。 だが、涙で濡れた赤い瞳は、まだ戦意を失ってはいなかった。 「……」 「……君は、今から、ここで僕に殺される」 「……殺されない!」 「お兄ちゃんが、お兄ちゃんが守ってくれた、わたしの命」 「お前なんかに、絶対に、渡すもんかあっ!」 「ああああっ!」 ――え? あたしもイズミも虚を突かれる。 美月はナイフを隠し持っていた。 イズミの顔面に向けて、投げつけた。 「――っ!」 反応の遅れたイズミはその攻撃を、まともに受けてしまう。 頬に鮮血が走った。 「――っ!」 一瞬だけ出来た、隙。 美月はその時、選んだ。 生き抜くことを。 「いつか、殺してやる!」 「絶対に殺してやる、加納イズミいいいいっ!」 「その時まで待ってろおおっ!」 捨て台詞。 悔しさと恐怖と悲しみをのせた咆哮が、反響した。 「……」 「……ああ」 イズミは頬を滴り落ちる血を拭おうともせず、扉の前に立つ美月に向かって。 「君も、それまで生きていられるといいね」 微笑した。 「……」 「ふん……」 美月は扉を閉じて、駆け出していった。 彼女は、イズミの前から逃げ出した。 そうすることは、本当は死ぬこと以上にツラかったはずだ。 でも、彼女は選んだのだ。 命を先に繋ぐことを。 「……」 「相羽……」 「え?」 「これ、相羽が使ってたナイフだ……」 イズミは床に残された美月の凶器を拾い上げる。 「アイツが最後にあの子を守ったのかな……」 イズミはそんなことを言いながら、寂しそうに目を閉じる。 あたしはそんなイズミを見て。 「イズミ……!」 どうしようもなく胸が苦しくなった。 それから、あたし達はしばらくお互い黙っていた。 話したい事はいっぱいあったけど。 でも、本当に話したい事はもうないのかもしれない。 だって、彼はもう選んでしまったのだ。 ――誰にも、それは覆せない。 彼の聖域だった。 「ねえ、どうしてあたしのピンチがわかったの?」 「久しぶりにLINNに繋げたら、相羽のIDで話しかけられて」 「ずっと無視してたけど、直が相羽とよくLINNやってるの思い出して」 「気になって見張ってたんだ」 「え? イズミ、あたしのことずっと見張ってたの?」 「うん」 「何だよー、じゃあ顔見せてくれてもいいのに」 「見せないし」 「だって、本当はもう会わないって決めてたし」 「ストーカーボーイのくせにナマイキ」 「ひどい」 「あはは!」 こんなとりとめのない話ばかりで、時間を埋めた。 その間、ずっとぎゅっと彼の手を握っていた。 そんなことで彼を引き止められるとは思ってはいないけれど。 今は。 今だけは……。 東の空が、無情にも明るくなっていく。 白い光が、夜の闇を切り裂く。 朝。 別れの朝。 「……」 あたしは立ち止まる。 「……」 イズミも立ち止まった。 そして、 繋がれた手が。 ゆっくりと―― 「嫌だ……」 「行っちゃ嫌だっ!」 彼の手をもう一度、握りなおす。 温かかった。 あたしにとって、世界で一番、温かくて優しい手。 この手を――放したくない。 「……」 「……直」 彼が困ったような笑顔になる。 「わかってる……」 「わかってるよ……!」 あたしは、イズミの決めたことの邪魔をしている。 「どうしても、無理なの?」 「ねえ、あたし、イズミのこと誰よりも好きだよ!」 「きっと、もうこんなに誰かを好きになれないよ!」 「それでも、イズミは行っちゃう?」 「イズミは一人で、行っちゃうの?!」 駄々をこねる。 まるでさっきまでの美月のように。 「……」 「うん、行くよ」 イズミは笑顔でそう言った。 「どうして?!」 「……」 イズミは少しだけ迷った顔をした。 でも、思い切って決心したと言わんばかりに表情を引き締めて。 朝陽に染まった顔をあたしに向けて、言った。 「君が好きだから」 「僕といることは、君のためにならないから」 「だから、僕は行くよ」 「ごめんね、本当ごめん」 「君にはツライ思いをさせてばかりだった」 「でも、僕は本当に君が好きで」 「大好きで……」 「だから――」 「……」 ああ……。 彼の手をつかむ、あたしの手から力が抜ける。 ズルイよ。 イズミ、そんなのズルイ。 そんなこと、言われたら――。 「……ひっく、うう……」 「うっ、うっ、ひっく……」 イズミの温もりが残った手で、涙を拭う。 でも、涙はとめどなく流れる。 とても、おっつかない。 「泣かないで、直」 「僕は君の笑顔が好きだ」 「ほら、うつむかないで、顔を上げて」 優しく頭を撫でられる。 ああ、そんなことされたら、また泣けちゃうのに。 あたしは彼の言う通り、顔を上げる。 そこには、早朝の空が広がっていた。 冬の冷たく張り詰めた、でも澄んだ空気が頬に当たる。 心地良い。 「……いい天気だね」 「うん」 「こんな天気の日によく、二人で屋上登ったね」 「そうだったね」 「もう二人で、あそこには行けないね」 「うん」 「でも、あたしさ、イズミ――」 その時。 あたしは、彼の手がもうあたしから離れていたことに気づく。 「え?」 見渡す。 誰もいない。 そんな。 「イズミ?!」 どこに行ったの? 「イズミ! イズミっ!」 あたし、あなたにひとつだけ。 「イズミいいいいいいいいいいいいいっ!」 どうしても、ひとつだけ伝えたいことが。 「あ……!」 あたしは、その時、気がついた。 遥か前方に、あたしの方を向いて手を振る男の子の姿を。 一瞬であんなところまで。 やっぱり、あたしとあなたは違うんだね。 そんなことを実感する。 でも、いい。 これが最後。 あたしは、あなたに。 「生ききって!」 「あたしと二度と会ってくれなくてもいいから!」 「いつか死んじゃうその瞬間まで!」 「あなたらしく! あなたの決めた通りに!」 「あなたのために、生ききって!」 声をからして、叫んだ。 あたしの声は、届いただろうか。 大丈夫、きっと届いている。 だって、ほら、イズミ、あんなに大きく手を振って。 「生きてえええええええええええええええっ!」 あたしは、思い切り大きな声を張り上げる。 彼への応援だ。 きっとこれから過酷な運命が彼を待っているのだろう。 でも、最後まで彼は彼でいてほしい。 あたしの大好きだった彼のまま、生きてほしい。 「イズミいいいいいいいいいいいいいっ!」 「生ききってえええええええええええええええっ!」 あたしはずっと叫び続けた。 朝陽の光の中、あたしに手を振り続ける―― その笑顔に、届くように。 「……」 「遅いっすね……」 あたしは、ケータイの時計を見ながら、息を吐く。 イズミも白羽瀬さんもちっともやって来ない。 最近は、そこそこ登校してたから、今日も来ると思っていたのに。 またサボり癖が再発したのかな。 「まったく、しょーのない子達だねぇ……」 「電話してみよーっと」 あたしは電話帳を呼び出してイズミに、 「おはよう、川嶋さん」 「え? 新田サン?」 ふいに話しかけられて驚いた。 コールしかけた指が止まる。 「どうして、新田サンがここに」 彼女の家は、こっちではないハズ。 「あの後、忘れ物に気がついて戻ったのよ」 「もう遅かったから、そのまま泊まっちゃったわ」 「あー、お泊りですか、楽しそうですね」 「どうかしら、あの部屋狭いし」 「それで、イズミと白羽瀬さんは?」 「休むそうよ、仕方ないわね、二人共」 新田サンが、やれやれといった顔をする。 「いけませんねえ、直さんと新田サンは真面目に登校するというのに!」 「あ、今から行って引っ張ってきましょうか?」 「え? あ、それはやめましょう」 「さんざん私が言っても聞かなかったし無駄よ」 「あの二人のために、遅刻するのも馬鹿らしいわ」 「ちょっとくらい遅刻したって……」 「ダメ」 ぴしゃりと言われた。 「川嶋さん、最近あの子達に感化されすぎよ」 「流されちゃダメ。もっと真面目に生きないと」 「はあ」 同じ人魚なのに、随分違うんだな。 あたしは、妙なところに感心した。 「学生の本分は勉強よ」 「さあ、行きましょう」 腕を取られて引かれてしまう。 「あ、はい」 仕方なく歩き出す。 まあ、部活には来るかな。 後で、メールでもしとこう。 「じゃあ、また後で」 「はい」 新田サンと教室に入って、すぐ席につく。 二人きりの会話はイマイチ弾まなかった。 あたしがどんな話を振っても、新田サンは「そうね」とか「ええ」とかぼんやりとした返事を返すのみ。 ……ひょっとして、あたし新田サンに嫌われてる? えー、それは嫌だなー。 マズイよ、それはマズイっすよ、直さん。 ちゃんと、お義姉さんとも仲良くしないと。 ヨメとして! 「――って、あたしまた先走っちゃったりなんかしたことを!」 机を連打した。 恥ずかしいぜ、あたし。 あー、イズミに会いたくなっちゃったな~。 「って、加納くんって、元々問題あったじゃん」 「転校早々、ケンカしたらしいしね~」 「……」 教室のそこかしこでは、まだイズミに対する嫌な噂が立っていた。 あたしも、女子の中では敬遠されている。 新田サンがかばってくれるから、表立っては何もないけど。 「皆、何も知らないくせに……」 あの日、確かにイズミは相羽を手にかけた。 でも、アイツは泣きながら言ってたんだ。 「殺されても良かった」って。 イズミは白羽瀬さんのことがなかったら、本当にあの場で相羽に殺されていたと思う。 友達のために死ねるって言える人、あたしはアイツしか知らない。 アイツは本当に馬鹿で、お人好しで。 ……本当に優しくて。 「今日は、来てないけど、このまま来なければいいのに」 「だよね~。退学になんないかな~」 「!」 ちくり、と心無い言葉があたしの胸に刺さる。 ひどいよ。 皆、イズミのこと何にも知らないくせに――。 あたしは席を立つ。 一言言ってやらないと。 「――川嶋さん」 声がした方を見る。 少し離れた席に座る新田サンが、じっとあたしを見ていた。 「新田サン……」 「……」 あたし達の視線は一瞬交差する。 新田サンは目を伏せて、首を小さく横に振った。 放っておけ、と言いたいんだろう。 「……」 あたしは、仕方なくまた席に座る。 納得いかない。 どうして、世間はこんなにも優しくないのだろう。 子供の頃は楽しいことばっかりだったのに。 何時の間に、こんなに理不尽で残酷な場所に変質してしまったのだろう。 ああ、あたしのセカイは、知らぬ間にヒドイ場所になってしまったよ。 イズミ。 あなたと話してる時くらいだよ。 あたしのセカイが輝いてるのは。 「イズミ……」 あたしはケータイを取り出す。 イズミにメールを打った。 『会いたいよ。放課後、部室絶対来てよ』 『直さん、超ブルーですよ、しおしおですよ』 送信。 「全員着席。授業をはじめる」 さて、今日も始まる。 倦怠感にまみれた、灰色の一日が。 あたしはケータイを机の中につっこんだ。 でも、授業中ずっと手放さなかった。 そうすることで、イズミと繋がっている気がしたから。 ――メールの返信は、来なかった。 ブルーな気分のまま、授業を終えた。 すぐに部室に飛んでいこうとしたら、担任に用事を頼まれてしまった、ガッデム! プリントのコピー300枚。 「うりゃー!」 「おりゃー!」 チョッ速で、こなす。 職員室の先生方が、唖然としていたが気にしない。 「だりゃりゃー!」 あたしも結構たくましくなったのかもしれない。 「失礼しまーす!」 ようやく終わって、職員室を飛び出した。 部室、一直線! 「はあ、はあ、はあ!」 スカートがめくれる勢いで、廊下を駆けた。 それどころではない。 早く! 早くイズミに会わないと! 直さんは、今、イズミ欠乏症なのです! 「はあ、はあ、はあ、はあ!」 何はともあれ、急げ急げ! 「はあっ、はあっ――イズミ!」 「あ、どもー」 「よう、どうした、そんなに息を切らして」 勢いよく扉を開けたその先に、あたしの求める人の姿はなかった。 白羽瀬さんもいない。 「……しょぼん」 あたしは、がっくりと肩を落とす。 「? どうしたんですか? 川嶋先輩」 「元気にやって来たと思ったら、急に落ち込んだり……変化の激しいヤツだな」 「何かあったんですか?」 「相談になら、いつでものろう」 部員の皆があたしに心配そうな顔を向けてくれた。 超ありがたいっす。 直さん感激っす! 「あ、その、えっとね」 「イズミはまだかにゃーって……」 はにかみながら、もじもじして言う。 「何だ、惚気たいだけですか」 「心配して損したな」 二人はあたしから、あっさり視線を外す。 超ひどいっす! 直さん泣きそうっす! 「の、惚気とかそんなんじゃなくて!」 「今日、イズミも白羽瀬さんも授業出なかったから、心配なだけだよっ!」 あたしはぶんぶん腕を振り回しながら、主張する。 「今日はまだのようですね~」 「はい、お茶どうぞ。お菓子もありますよ」 イクちゃんが急須で緑茶をあたしのマイカップに注いでくれる。 お茶受けにポテチを置いた。 「あ、うん」 あたしは席に座ったが、お茶にもポテチにも手をつけない。 イズミが気になった。 絶対、会いたいってメールしたのにな。 あたしはケータイを取り出して、メールアプリを起動する。 やっぱり返信はない。 「はあ~~~~っ……」 「何かあったのかな~~~~っ……」 ため息が出る。 あたしはつっぷして、頬をぺたんとテーブルにくっつけた。 「川嶋くん、一日加納に会えないだけで、そんなに心配することはないだろう」 「そうですよ、元々、カノー先輩はしょっちゅう休んでたじゃないですか」 「うーん、それはそうなんだけど~」 「一日、会えないだけで、何か不安になっちゃうんだよ、恋する川嶋さんと致しましては」 「おーっ、ついに、はっきりと認めましたね!」 「もう隠しても意味なさそうだし」 苦笑しながら、顔をあげる。 「だな、一年前からだから、随分長かったな」 「えーっ、そんなに川嶋先輩とカノー先輩、長かったんですか?」 「割と最近からだと思ってました!」 「ううん、割と最近だよ? あー、美味しい……」 イクイクの淹れてくれたお茶を堪能する。 「ん? だが一年前」 「あー、確かに噂になりました」 「でも、あの後、一回ダメになって」 ついポロっと言ってしまった。 何でだろう。 今、あたし結構弱ってるのかな。誰かにすがりたいのかな。 昨日、あんなことがあったから。 「復活愛ですか! すげーっす! 何か大人っす!」 イクちゃんがヤケに興奮していた。 「あはは、ないない。全然大人じゃない」 「あたしが、逃げちゃっただけだし」 「その言い方! ますます深い何かを感じます!」 「是非、そのあたりを詳しく!」 イクイクが手帳を開きながら、寄って来た。 「は? いやいやダメだよ! 恥ずかしいしみっともないから!」 ぶんぶんと手を振る。 「そんなこと言わずに、お願いしますよ~」 「私の恋のお師匠様になってくださいよ~」 「ラヴマスターっ!」 すがってきた。 誰がラヴマスターやねん。 「えー、あたしじゃ無理だって~」 「ていうか、イクちゃん、誰か好きな男の子いたの?」 「いるっす!」 元気に手をあげる。 ていうか、この子ちっとも物怖じしない。 「ほう、高階が恋をしたのか」 「これは興味深いな」 普段、浮いた話などひとつもない豪徳寺先輩も食いついてきた。 「そうですか? 別に全然意外じゃないと思いますけど」 「相手も、さもありなんって感じの人ですし……」 「ちなみに誰か聞いていい?」 「カノー先輩っす!」 満面の笑顔で、言ってくれた。 「うわーん! イズミだけはダメだ、この野郎!」 半泣きでライバルの頭をポカポカ叩いた。 「じょ、冗談ですよ! 本気にしないでくださいよ!」 イクイクは慌てて、あたしから離れていく。 「まったく……この子、油断ならないよ、ホントにまったく……」 あたしは唇を尖らせて、ポテチの袋を開封する。 ちょっとヤケ食いしたい気分。 「あはは、いやだなぁ~」 「カノー先輩が、私なんか相手にするわけないじゃないですか」 再びイクイクはあたしのそばに来て、ちょこんと座る。 ポテチをいっしょに頬張った。 「そんなことないよ、イクイク、イズミと仲いいし」 「いやいやあくまで先輩後輩って仲ですから~」 「それに可愛いし」 「マジっすか? 部長! 男性の目から見て、どうですか?」 イクイクが瞳を輝かせて、豪徳寺先輩を見る。 「上の下だな」 「いや、中の上か?」 冷静すぎるコメントをさらっと言っていた。 「何かイマイチ嬉しくないっす!」 だよね。 部長は清々しいくらい乙女心を理解していなかった。 まあ、それはいいとして―― 「……」 あたしは部室の扉の方に視線を移動する。 開かない。 来ない。 アイツが来ない。 こうして、皆と会話をしていても、頭の片隅ではあたしはイズミのことばかり気にしていた。 「はあ……」 またため息が出てしまった。 「部長、川嶋先輩がまたアンニュイな感じに……」 「これは重症だな……」 「はあ……」 結局、部活は早退した。 豪徳寺先輩やイクイクに心配をかけてしまった。 「ダメだな、あたし……」 よくよく考えたら、あたしは皆に甘えてばっかりかもしれない。 支えられてばかり。 情けない。 家路をたどる足取りも重くなる。 「……イズミ」 落ち込んだら余計に恋しくなった。 「……」 あたしは、ケータイを取り出して、またメールアプリを立ち上げた。 イズミからのメールは来ない。 おかしいな。 こういうことは、割とマメなんだけど。 「……もうかけちゃえ」 昨日、あんなことがあったからかけづらかったけど。 もうそんなこと言ってはいられない。 直接話をしよう。 元気な声を聞かせてくれれば、それでいい。 それだけでいい。 あたしはイズミの番号に電話をかける。 数回の呼び出し音を、じりじりとした気持ちで待つ。 早く出て。 早く早く! 『お客様のおかけになった電話番号は現在電源が入っていないか、電波の届かない――』 無慈悲なメッセージが流れてきた。 えー?! 「おのれ……」 あたしはケータイを切ってうめき声をあげた。 「もう、いい!」 「直接行っちゃう! 会いに行く!」 高らかに宣言をした。 そして、すぐに駆け出す。 「ちゃんと電源入れとけよーっ! もうーっ!」 悪態をつきつつも、あたしの足は一気に軽くなった。 イズミにもうすぐ会える。 それだけで、もう気分は弾む。 単純だなあ。 白羽瀬さんのアパートに到着。 あたしは早速、扉を叩く。 「イズミーっ! 白羽瀬さーん!」 「ミカワヤでーす! 奥さん、開けてくださーい!」 お約束のネタを盛り込みつつ呼び出す。 返事なし。 おや? いつもなら、白羽瀬さんが嬉々として、ドラ猫を裸足で追いかける若奥さんのフリをして開けてくれるのに。 「おーい、どうしたーっ!」 買い物にでも行ったのかな? となると、しばらくここで待ってなくては―― 「あ、開いた」 試しにノブを回したら、簡単に扉は開いた。 鍵もかけずに外出したの? 「無用心だにゃー」 でも、おかげで中に入れる。 「お邪魔しまーす」 靴を脱ぎ捨てて、早速コタツに入った。 冷たい。 当たり前だけど、スイッチは切れていた。 でも、てことはこの部屋を出てから結構時間が経ってるってことだ。 「二人とも、ドコ行ったんだろう……」 行くトコなんて、近所のスーパーかコンビニくらいしかないはずだ。 二人とも、基本的には引きこもり属性だし。 「ヒマだにゃ~」 コタツの台に顎をのせながら、息を吐く。 何かヒマをつぶせる―― 「ん?」 放置しっぱなしのペットボトルの下に封筒があった。 真っ白な、何の飾り気もない封筒。 『川嶋直様へ』と書かれていた。 「――え」 あたしは、その時。 ほとんど反射的に。 その中身を読まずとも――悟った。 「……うそ」 「まさか……そんな……」 封筒を持った手が、小刻みに震えだした。 「違うよ……絶対違う……」 「絶対に、違う……っ!」 理性のはじき出した答えを、感情で必死に否定した。 「……っ」 取り出した便箋は一枚だけ。 読むのが、怖い。 でも、否定したくて、読んだ。 『直ヘ』 『黙って君の前からいなくなることを、どうか許してください。』 『本当は最後にもう一度会いたかったけど、君の顔を見ると決心がぐらついてしまうから』 『君の泣き顔を見たくないから、黙って行くことにします。』 『君に伝えたいことは、いくらでも思いつくのだけれど、それでは便箋が足りなくなる。』 『だから、二つだけにしときます。』 『たくさん傷つけてしまって、怖い思いもさせて、ごめんなさい。』 『君の前からいなくなることを決心したのも、この理由が大きいです。』 『きっと君は平気だと言ってくれるでしょう。でも、だからこそ僕から決心しないといけないと思いました。』 『それから、あとひとつ、』 『僕を好きになってくれて、ありがとう』 『君との想い出は、僕にとって何よりも大切な宝物です。』 『この想い出だけで、僕は残りの人生を心安らかに過ごせます。』 『本当に、ありがとう。』 『君の幸せを、ずっと祈ってます。』 『どうか、どうか、お元気で。』 『さよなら。』 『加納イズミ』 「…………っ!」 手紙を読み終えたあたしは、すぐに立ち上がる。 「イズミっ! イズミっ!」 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、外に―― 「待ちなさい」 いつの間にか部屋に上がっていた新田サンに肩をつかまれた。 「放して! 放して!」 「放してええっ!」 「……何をするつもりなの?」 「イズミを捜すっ!」 「やめなさい」 「やめないっ!」 「どうせ見つからないわ」 「いえ、たとえ見つかったとしても、私は決してイズミと貴方を会わせはしない」 「どうして?!」 「どうして……?」 「貴方、わからないの?」 「イズミが……私の弟が、どんな気持ちでその手紙を書いたのか、わからないの?!」 「……っ!」 「でも……」 「イズミは……」 「イズミは、もうすぐ……!」 「もうすぐ……」 「ぐすっ……」 「……」 「……川嶋さん」 「あの子を好きになってくれて、ありがとう」 「あの子のために、泣いてくれてありがとう……」 「う……」 「うっ、ひっく、うっ……」 「うわあああああああああああああああああああああああああっ!」 あたしはその場で膝を折り、崩れ落ちるようにして座り込んだ。 「うわああっ! あああああああっ!」 「ああああああああああああああああああああっ!」 ただ泣いた。 泣くことしかできない。 何て、無力なんだろう。 世界で何よりも大切な、あなたが。 あなたが、一人で苦しんでいるのに。 あたしは、何もできなくて。 あんなに優しくしてもらったのに。 あんなに助けてもらったのに。 何も、返せなくて。 何も。 何も―― 「イズミっ……ぐすっ……」 「あっ、ぐすっ、ひっく、あっ……」 「イズミいいいいいいいいいいいいいいっ!」 あなたのために泣くことが、本当に価値のあることなのだろうか。 新田サンは、そのことであたしに礼を言ったけれど。 あたしには、わからない。 でも、もしあたしの涙で、あなたの苦しみがホンの少しでも和らぐというのなら。 あたしは。 「うわあああああああああっ!」 力の限り泣こう。 イズミ、届いてますか。 あたしは、今。 あなたのために、泣いています―― 「おお! イズミールに、白羽瀬さん!」 「おはー! 久しぶり!」 事件から一週間。 学園もそろそろ平常運転に戻ったとの新田姉さんの情報を信じて、僕達は登校してみた。 「川嶋、おはー!」 白羽瀬は元気に挨拶を返す。 「……」 僕は驚く。 直がまるで何事もなかったかのように、僕達に接してきたことに。 「あれ? イズミールにツッコミなし?」 「せっかくネタをフッたのに~」 「兄、空気読め」 女子二人が眉根を寄せる。 そっちのが大事なのかい。 「いやいやいや」 「そっちじゃないでしょ、お嬢さん方」 右手をふんぶん振って、二人を見る。 「えー? 何?」 「他にどんな話題があると?」 「いっぱいあるでしょ。僕達、人魚なの直さんにバレちゃったわけだし」 「もう今まで通りってわけにはいかないでしょ? 普通引くでしょ?」 「絶交まではいかなくても、避けるとか、気まずいとか、そんな微妙な空気のハズじゃん? 僕達」 熱弁をふるって、状況を説明する。 「いや、それはないけど?」 「へ?」 「学園には行かなかったけど、川嶋とは毎日LINNで色々話してたし」 「川嶋、私達のことちっとも怖がってないよ?」 「怖いわけないじゃん」 「あたし達、マブだぜッ! イエーッ!」 「イエーッ!」 白羽瀬と直は互いの手のひらを叩き合い、景気のいい音を鳴らす。 友情のハイタッチだった。 「……」 「ん? 何? イズミール? 呆然としちゃって」 「お前の無防備さに呆れてたんだ」 「無防備じゃないし! 直さんは度量がデカいんだよ!」 「ほらほら! イズミールも友情のハイターッチ!」 「お、おう」 勢いに押されて、やってしまう。 気恥ずかしい。 でも、それ以上に。 「兄、笑ってる。嬉しそう」 白羽瀬がニヤニヤして、僕の顔をのぞきこむ。 「は?」 思わず顔に手をあてる。 そんなに分かりやすくニヤケてたのか、僕。 「何だよ、イズミール、あたしと気まずくなるの心配してたのかよ~」 「そんなに、直さん好きかよ~。しょうがねぇ~な~」 直までニヤニヤしていた。 「ほーら、仲良くしてやんよ~」 僕の左腕に自分の両腕を絡めてきた。 「しょうがねぇ~な~」 白羽瀬は右腕を。 「いや、別にここまでしてくれなくても」 「気にすんなよ、加納ボーイ!」 「今夜は無礼講だし!」 「お前、絶対無礼講の意味わかってないよね?」 それに今は全国的に朝だ。 「はいはい、お兄ちゃん、朝から口うるさいの禁止禁止」 直に左腕を引っ張られながら歩く。 「お前がお兄ちゃん言うな」 「何だよ、白羽瀬さんだけとか、ずるいじゃん」 「こいつは本当の双子の妹なんだよ」 「らしいね、LINNで聞いたとき、驚いちゃったけど」 「でも、何か納得。似てるよね、二人」 「おうとも!」 微笑む妹。 「えー」 困惑する兄。 「兄、嫌そうだし!」 妹は僕の右肩に、ジャブを連打した。 「痛い痛い、冗談だって、白羽瀬」 「いや~、仲いいね」 「直さん、ちょっとジェラシーですよ~」 「あ、そうだ、直」 「え? 何?」 「イズミール言うな」 「めっちゃ時間差ツッコミだね!」 さて、教室。 「だって、相羽くんだけまだ見つからないし~」 「怪しいじゃん、ね~」 「しっ、聞こえちゃうっての!」 席に座っていると、そこかしこからあの事件に関する噂話が聞こえてきた。 公式には、僕と白羽瀬は直を助けたことになっている。 なのに、噂の内容はどちらかというと僕達にとって、攻撃的なモノだった。 僕達の日頃の行いを考えれば、こんなものか。 「兄――じゃなくて、加納くん」 白羽瀬が寄ってくる。 「何?」 「ちょっと来て」 手招きされる。 「いいけど……」 席を立ってついて行く。 「帰りたい」 「早っ」 もうギブアップかい。 「まだ一時限目も始まっていないというのに……」 登校した意味がまるでない。 「川嶋が誘うし、兄が行こうって言うから来たけど」 「やっぱここ嫌い」 「そんな事言ってたら、いつまで経っても慣れないぞ」 「あと、兄って呼ぶのもダメ。直と新田サン以外は知らないから気をつけないと」 「それもこれも、学園に来なければ解決じゃん」 唇を尖らせて、ぶーたれる妹。 「またそんな事を」 「頑張って登校して、友達いっぱい作れよ」 「別にいらないし」 つんとそっぽを向いたまま言う。 「人魚なんだし、そんなのいらないし」 「直や新聞部の部員とは楽しそうに話してるじゃん」 「本当は、お前にはそういう存在がもっと必要なんだよ」 こいつは極端にコミュ力が低い。 僕がいなくなった後、絶対苦労する。 今のうちに、少しでも矯正したい。 「必要ない」 「だって、兄がいるし」 「いや、だから――」 僕はもうすぐいなくなるんだよ。 「帰ろ帰ろ」 全部言葉にする前に、手を引かれた。 「こらこらこら!」 踏み止まる。 「苦しゅうない、近うよれ」 ぐいぐいと両手で強く引っ張ってくる。 「殿様かよ」 でも、屈しない僕。 「はあ、兄、我がままだな~」 「我がままなのは、絶対そっちだよ!」 ため息を吐きたいのはこっちだ。 「じゃあ、間とって、保健室でいいや」 「それって、間とってるの?」 甚だ疑問だ。 「行こ行こ、兄」 ルンルン気分(死語)で、白羽瀬妹は僕の手を引いて歩き出す。 「……今日だけだからね?」 結局、言うことを聞いてしまう。 僕もたいがい、妹に甘い。 保健室に入ると、暖房はガンガンに効いていたが誰もいない。 あいかわらず、ここの保険医は労働意欲が皆無だ。 「ベッドにル○ンダイブ!」 「白羽瀬、ル○ン言うな」 恐れを知らない若者め。 「兄ーっ! 兄も早くーっ!」 「布団! 布団!」 「枕! 枕!」 「ここはパラダイス!」 妹はベッドの上で、面かぶりクロールを披露する。 ハイテンションだった。 「お前、あんまり騒ぐと追い出されるぞ」 僕は丸イスに腰掛けて、文庫本を取り出す。 これでも読んで時間をツブそう。 「あ、何何、それ、何の本?!」 はしゃいでいた妹はすぐにこっちに寄ってきた。 子供のように興味の対象が、くるくる変化する。 「ただの小説だけど」 「お米屋さんが昼下がりに御用聞きのフリしてやって来て、奥さんの蜜ツボを狙う――って感じの?」 「エロ小説じゃないからっ」 何気に具体的な描写が嫌だった。 「読んで聞かせて!」 「絵本じゃないんだけど」 「だって、絵あるよ?」 いつのまにか僕の背中に張り付いていた妹が、指でページを指す。 「ラノベだし挿絵くらいあるよ」 「エロくないね」 「戦記モノだから」 「戦争イクないっ!」 「そうだけど、架空の世界ではいいの」 「空に黒い点があった」 「点は瞬く間に無骨なシルエットを持つ武装ヘリへと変化をとげた」 「機関砲に空対地ミサイルまで積んでいる」 「まさか、アレをここで撃つのか?!」 「落ち着かないから」 僕は軽く白羽瀬にデコピンを。 「あうっ! やられたナリ~♪」 わざとらしくオーバーに背中から引っくり返る。 パンツ丸見え。 「子供じゃないんだから、スカートで暴れるなよ……」 兄は君の将来が心配です。 「ねえねえ、兄」 僕の心配を他所に、妹はスカートがめくれたままモソモソと布団の上を這いずる。 「何?」 見ないように本に視線を移す。 「いっしょに寝よう」 「兄は本が読みたいんですけど」 チラッと横目で白羽瀬を見る。 「こっちで、寝ながら読めばいいじゃん」 「おいでおいで♪」 すでに布団に包まり、顔だけ出した妹がウインクした。 「さすがに、学園で女子と同衾するのはマズイでしょ」 見つかったら、停学モノだ。 「兄妹だし」 「ここでは、他人ってことにしてるじゃん」 「もうメンドーだし、ホントのこと言っちゃおうよ」 「それすると、僕達の生い立ちとかも説明しないといけなくなるし……人魚ってバレるよ」 「バレるとやっぱマズイかにゃ?」 「想像したくないくらいにマズイ」 「そう?」 「たぶん捕まって研究動物のように扱われる」 「下手したら、解剖とか」 「ひーっ!」 白羽瀬は脅えて、頭から布団をかぶってしまった。 「ふう……」 ようやく静かになる。 でも、そうなると少し眠くなった。 「僕も寝ちゃうか……」 文庫を閉じて、隣のベッドに寝転んだ。 「……」 ここでこうして寝転んでいると、かっての直とのことを思い出す。 甘い痛みが、胸を刺す。 でも、これも僕にとっては貴重な想い出だ。 大切にしまっておこう。 「すー、すー」 隣で妹が寝息を立て始めた。 その穏やかな寝息を聞きながら、僕も意識を闇に溶かした。 「……ん?」 腹の虫に起こされる。 「あふっ……」 布団をかぶったまま、欠伸をした。 あー、何かすごく腹が減ったような―― 「兄ーっ、兄ーっ!」 ん? 「起きてーっ! もう起きてーっ!」 白羽瀬が僕を揺すっているのに、ようやく気づいた。 「? 何慌ててるの?」 僕はもそもそと布団から顔を出す。 すると。 「――おはよう、イズミ君♪」 優しい笑顔を浮かべてた姉さんが立っていた。 けれど、こめかみの辺りには怒りの漫符が張り付いている。 超怖かった。 「……まったく」 人通りの少ない廊下の隅っこ。 僕と白羽瀬はそこでお説教されるハメに。 「せっかく出てきたと思ったら、そろって昼休みまで保健室で昼寝?」 「いったい何しに学園に来てるのよ……」 姉さんの僕達を見る目は終始ジト目だった。 「面目ない……」 まさか四時間も熟睡するとは思わなかった。 「姉! もしかしたら、万が一、私も少しは悪いかもだから、お兄ちゃんだけを責めないで!」 「ねえ、今、僕をかぱうフリして、自分の罪軽くしてない?」 「ち、兄鋭い」 舌打ちをする。 「何て卑劣な……!」 兄は妹のしたたかさに戦慄した。 「いくら携帯にコールしても出ないし……また事件に巻き込まれたかと思ってたのよ」 「出来たばかりの姉に、あまり心配をかけないで欲しいわね」 「ごめん、本当にごめん」 「うう、姉ごめん……」 白羽瀬と二人で頭を下げる。 「はいはい、反省したのならもういいわ」 「それより、二人とも、職員室に呼び出されてるから一応行っておきなさい」 「あの事件のことかな?」 「でしょうね」 「わかってるとは思うけど、充分注意して」 「間違っても正体がバレないように」 「うん、わかってるよ」 「解剖されたくないし!」 「――は?」 速攻で昼食を摂り、白羽瀬と職員室に行く。 予想通り、刑事らしき人がいた。 事前に直と口裏を合わせておいたので、何とか上手く話せた。 相羽と人魚のことに関してはウソをつくしかなかったが、仕方ない。 これも、平穏な日々を送るためだ。 「失礼します」 「はあ……」 白羽瀬と職員室を出た。 廊下に射す陽光はすっかりオレンジ色。 僕達は長く伸びた影を引き連れて、並んで廊下を歩く。 「肩こっちゃった」 「お互い、ああいう堅苦しい席は慣れてないからな」 「うん、途中で帰っちゃおうかって何度も思ったよ」 「それやると、却って心証悪くして、変な目で見られる」 「わかってるし」 「だから、我慢したし」 「偉い偉い」 頭を撫でてやる。 「えへへ」 目を細める。 その様子に、僕もつい顔がほころぶ。 「あ」 メールか。 立ち止まって、メーラーを立ち上げる。 「部活来ますか?」 高階からだった。 「誰から?」 「高階。部活来るかどうか聞かれた」 「行く?」 「う~ん、どうしようかな……」 行ってもいいけど、さっき職員室で大分MPを削られた。 さっさと帰りたい気も。 「あ、また」 悩んでる間に、再度メールが。 開く。 「部活来ますよね!」 「……」 さっきより文面が押し気味に。 絶妙なタイミングで送ってくるな、こいつ。 あなどれない。 「今度は?」 「また高階。強めに押してきた」 「じゃあ行く?」 「うーん……」 まだ悩む。 「おお」 間髪入れずにまたメールが届く。 開くしかない。 「部活でせーしゅんしようぜ!」 「……」 やはり高階だった。 今度は、某青春ゲーのように誘ってきた。 色々な手を使ってくる。 「また高階?」 「うん、よっぽど来て欲しいらしいな」 「やっぱ行く?」 「ここまでやられたらな。白羽瀬は?」 「兄が行くなら」 そう言って、笑んだ。 「じゃあ、さくっと顔出すだけでも」 「ういー」 二人で、部室の方へと進路をとる。 「こんちは」 「来たよ~、タカハシ」 白羽瀬と久方ぶりの部室へと足を運んだ。 「あっ」 「ね? ほらほら! やっぱりですよ!」 「……意外ね」 「……加納は、高階には甘いのを忘れていた……」 「は?」 部員プラスワンの方達が、妙な反応を。 「何? 皆、何してたの?」 「賭けだ」 「賭け?」 「貴方と白羽瀬さんが、今日、部活に参加するか賭けてたのよ」 「あーあ、イクイクにジュース奢んないと~」 「メールで誘うのは、思った以上に強力なのね」 「キャバ嬢の基本技だしな」 三人は渋面。 「えへへ、ごちそう様です♪」 一人は満面の笑顔。 「それで、あんなに必死だったのかよ」 何だか騙された気分。 「タカハシ、別に、兄――じゃなくて、加納くんに会いたかったわけじゃないんだ」 「帰ろう、白羽瀬」 「うん」 僕達は回れ右をする。 「ああっ!? カノー先輩、それは誤解っす!」 焦った声をあげた高階が、僕の背中にしがみつく。 「放せ、高階」 「どうせ、お前は僕よりジュースが欲しいだけのさもしい女なんだ」 冷徹に後輩を切り捨てる。 「違いますよ――っ! ジュースはついでですから!」 「ちゃんとカノー先輩にも会いたかったですよーっ!」 「ひいーん、あんまりイジメないでくださーい!」 両腕を僕の腹の前で交差させて、がっちりホールドする高階。 「本当にジュースはついで?」 「本当っす!」 「じゃあ、戦利品を僕と白羽瀬にも回してくれ」 「何と?!」 「ジュースはついでなんだろう? ん? 高階」 僕にくっつく後輩を、流し目で斜め上から見下ろす。 「く……わ、分かりました!」 「ちょうど三本ですから、二本はお二人に進呈します!」 「やたっ!」 白羽瀬が両手を上げて飛び跳ねる。 「高階はいい子だな」 優しく頭を撫でてやる。 「うおおっ!」 「何か奪われたのに、私満足ですっ!」 高階はふにゃとだらしなくくずれた笑顔になる。 「イズミ、イクイクにあんな事をっ!?」 「加納の方が、一枚上手だったようだな……」 「女から金をむしりとるホストを見ているようだわ……」 ひどい言われようだ。 結局、賭けはうやむやになり、そのまま談笑モードに移行する。 「あ、そう言えば、姉――」 「こほん」 「――じゃなくて、新田は何で、ここいるの?」 危なかった。 こいつはスキだらけすぎる。 「生徒会で決まったことを連絡に来たのよ」 「要は相羽の代打ね」 ふうと息を吐く。 「そういえば、相羽先輩って、生徒会役員でしたよね」 「委員長ってだけで、私にお鉢が回ってくるなんて、おかしな話よね」 「頼られてるってことだろう。それは悪いことではない」 「そうかしら」 「だよねー、新田サン、来年は生徒会長とかじゃない?」 「嫌よ、そんな面倒な役」 「あ、でさ、姉――」 おい。 「こほんこほん!」 「――じゃなくて、新田」 姉さんも大変である。 「連絡って何?」 「新聞部の活動、しばらく自粛しなさいって」 「え、新聞発行するなってこと?」 「そうじゃないわ」 「川嶋さんも危ない目にあったし、もっと安全なこじんまりとした内容にしなさいってことよ」 「以前、相羽も釘を刺しに来たでしょ? 再度の念押し」 「ここ、ちっとも言うこと聞かない人がいるから……」 部長の方をチラリと見る新田姉さん。 「ふむ、それは困ったものだな」 眼鏡のフレームを押し上げながら、僕を見る部長。 「いやいや、僕じゃないでしょ」 「いつも強行に突っ走ろうとするのは、部長だけですから」 「ん? そうかあ?」 「確かに、先陣を切るのは俺だが、お前達もすぐそれにのっかるじゃないか」 「あ、そうそう、イズミも何のかんのと言って、すぐ危ない方に行こうとするよね」 「ですよね~」 「新聞部の秩序は主に男子の皆さんが乱してます! これを機会に、お二人は猛省してください!」 高階が僕と部長を順に見て、めっ! と叱る。 何か和んだ。 「でも、高階も直も、危険だけど面白そうな方にすぐいくじゃん」 「同罪だろう?」 「それはたまたま話が、面白そうな方に転がるから、仕方ないな~って感じで同意してるだけだよ」 「もちろん、面白そうな方にそれとなく誘導はしますけどね!」 「そう! あたし達は自ら手は汚さないから!」 「ですです!」 「……何て狡猾な」 「女子怖い」 男子よりよっぽとタチが悪い。 「……どうやら、陰の黒幕がいるようね」 さすがの姉さんも、笑顔を引きつらせていた。 「何だよ、この部でマトモなの、私だけじゃん」 「新聞部の良心的ポジション?」 「ふ、照れる」 白羽瀬が勝手に自分を持ち上げて、勝手に照れていた。 「いや、お前はただ単にほとんど活動してないだけだろ」 「何だとお?! 人を怠け者みたいに言うなっ」 「こう見えても、私、加納くんの256倍は役に立ってるし」 ふふん、と鼻息も荒く胸を張る白羽瀬。 「でも、白羽瀬、記事書いたこともないじゃん」 「記事は書かなくても、皆の役に立ってるのっ!」 「どんな風に?」 「私がいることで、皆に癒しを与えてるし!」 白羽瀬が空中に大量の星をバラまいて、僕にウインクを。 「癒されね~」 僕はアホっぽい妹から視線を外す。 「何だとお?! 頑張って癒されろよ、この野郎!」 癒しを強制しだした。 さらに癒されない。 「あー、でも、白羽瀬さんって、何かマスコットっぽいよね」 「ですね~、ちっちゃくて、可愛いですよね~」 「わかってらっしゃる!」 白羽瀬が直と高階に握手を求めていた。 「……何ともゆるい部ね」 「でも、こういう部だから、加納君も、白羽瀬さんも続けられるのかしらね」 半分呆れ顔の姉さんが、肩をすくめる。 「なあに、しめるべき時にだけ、しめればいい」 「あとは自由だ。自由な精神がなくては、健全な報道などできん」 「右でも左でもない! 俺達は何者にも縛られず、常に真実のみを探求し、それを全世界に発信するのだっ!」 部長が熱くなってきた。 言ってることは割とカッコいいが、校内新聞で世界を相手にするのは無謀すぎる。 「はいはい。楽しそうでいいわね」 姉さんが適当な感じに合わせていた。 「じゃあ、姉も新聞部に入れば――」 「こほんこほんこほん!」 「新田先輩、風邪ですか?」 ……妹よ、またか。 「加納くん――じゃなかった、兄」 部活を終えて、帰路につく。 皆と別れて、今はもう二人だけだ。 「別に加納くんでもいいけど」 「むしろ、白羽瀬の場合、ポロっと言いそうだから、ずっと加納くんがいいかも」 並んで歩きながら、会話する。 「そんなの嫌だし」 ぷくっと両頬を膨らませる。 「何で?」 「せっかく兄なのに、加納くんとか変じゃん」 「兄、だいたい本当は加納じゃないし」 「そういや、僕達の本当の名字って、何なんだろう?」 というか、人魚に名字ってあるのだろうか。 「さあ? 私も覚えてない」 「私も、養子になった時のそのまま使ってるだけだし」 「白羽瀬も施設から、引き取られたんだよな……」 「うん」 「どうだった? 白羽瀬の家は楽しかった?」 「全然」 ぶんぶんと首を横に振る。 「だから、すぐ飛び出した」 「そっか……」 白羽瀬は多くを語らない。 それが却って、その家での生活のツラさを物語っていた。 「たまたま引き取ってくれた人がいい人なんて、奇跡じゃん?」 「新田姉は、すごく運が良かったんだよ」 「……そうだよな」 もう鬼籍に入っているが、姉さんの養父母は随分、姉さんと兄さんを可愛がってくれたらしい。 「私が道を誤らなかったのは養父母のおかげ」とさえ、姉さんは言っていた。 「もう、私達は何にも振り回されないし!」 「加納でも、白羽瀬でもないし!」 白羽瀬は僕の手を取る。 で、いきなり僕を基点にくるくると回りだす。 「おーい」 「僕は今、文字通り白羽瀬に振り回されてるんですけど」 「妹が兄を振り回すのはいいのだ」 「そうすか……」 兄はツライ。 「もう何にも、私は振り回されないし!」 「振り回されて、一人ぼっちになって、ションボリしないし!」 「私には、お兄ちゃんがずっといるし!」 「ね! お兄ちゃん」 「……」 白羽瀬の言葉に、僕はすぐには返事ができず。 だから。 「白羽瀬、目が回るからもうよせよ」 そんなことを言って、誤魔化すしかなかった。 「……」 回るのをやめた白羽瀬は黙り込む。 少し肩を落として。 「兄、ごちそう様でした」 「お粗末様でした」 二人で作った夕食を食べ終わる。 本当は僕が一人で作るつもりだったが、何故か白羽瀬が手伝うと言い出した。 今まで、面倒くさがって何もやらなかったのに。 どうしたんだ? 僕は首を捻りながら、食器を片付け始める。 「あ、私が片付ける」 「へ?」 白羽瀬の言葉に僕は軽い衝撃を受ける。 「私が洗うから、兄はお風呂に行くがよろし」 「いや、僕が洗うから白羽瀬が入ればいいじゃん」 「そんなことしない」 「何で?」 「自分、妹ですから」 意味がわからなかった。 「兄に洗物をさせておいて、のうのうと風呂に入るなんて、妹の風上にも置けなくない?」 「君は今まではそういう妹だったじゃん?」 「そんな遠い過去のことは、どうでもいいし!」 僕の記憶が正しければ、ついこの間のことである。 「とにかく、もう沸いてるから、兄入ってくる」 「あ、脱ぐの手伝う?」 言って、妹は何の躊躇もなく僕の上着をめくりあげる。 「わかった入る、入る!」 僕は逃げるように、脱衣所へ。 「……」 「ニヤリ」 「あいつ、急にどうしたんだ……?」 僕は服を脱ぎながら、考える。 女子としての自覚に目覚めたとか……? 「それなら、兄としては喜ぶべき……?」 引き戸を開けて、すぐにお湯を頭からかぶった。 ちょうどいい湯加減で気持ちいい。 「兄ーっ」 「は?」 僕は突然の事に、目が点に。 一糸まとわぬ妹が、元気にやってきたからだ。 「身体洗ったげる」 「いやいやいや!」 「恥ずかしいから!」 「兄妹じゃん」 「兄妹でも、僕らの歳でこんなことしないでしょ?」 「人魚なんだから、人の常識なんかどーでもいいし」 「だいたい何故お前まで裸なんだ?」 「サービス」 「うっふん」 「あっはん」 「セクシーっしょ?」 「ちっとも」 「何だとおっ?! これでもかーっ!」 背中から抱きついてきた妹が胸を擦り付けてきた。 小ぶりだが、弾力のある二つの山――いや、丘の感触が直接背中に。 「こらこら!」 「すりすり」 「離れて、妹」 「すりすりすり」 妹は執拗に僕の背に、自分の素肌をこすりつけて来る。 二つの可愛らしいポッチの存在を確かに感じる。 いかん、もう半勃している。 こんなのを見られたら、もう言い訳は―― 「兄、固くなってきたよね」 「勝手に股間をまさぐるなよ!」 もうバレていた。 「兄、ほら私でエッチな気分になってるし」 「もう、観念するのだ」 「これはただの生理現象だ」 「兄は感じていません」 毅然として言い放つ。 「ウソだあ」 「ほら、すりすりすり♪」 「ぐわっ」 ペニスがむっくりと起き上がる。 恥ずかしげもなく。 「ほらほら、お兄ちゃん、意地を張らないで」 「身体は正直なんだから」 「その台詞、妹に言われるのすっごいイヤだなぁ」 「いいから、兄ももっと楽しめばいいじゃん」 「妹とのフーゾクごっこ」 「フーゾク言うな」 妹と風俗ごっことか情けなくて泣ける。 「ていうか、ドコでそんな知識を身につけるの?」 「ネット」 「今度、フィルターを設定しよう」 「私、子供じゃないし!」 「いや、めっちゃ子供だろ、お前」 容姿だけでなく中身も。 「証拠に兄をイカせてやるっっ!」 「そんなのは証拠には――あっ、こらっ!」 「んしょ、んしょ、すりすり……」 石鹸まみれの胸板をまた擦り付けてくる。 「んっ、んっ……」 「はぁ、はぁ……」 「んっ、はぁ、はぁ……」 妹の吐息が微妙に荒くなってきた。 「悠、疲れたんだろう? もう止めて」 「ぜ、全然疲れていないし!」 「――お客さん、今日はお仕事お休みですか?」 「だから、フーゾクごっこはやめて、お願い」 僕の妹がどんどん残念な子に。 運命なのか。 「あっ、ん、はぁ、はぁ……」 「はぁ、はぁ、んっ、あ……や……」 「はぁ、やっ、んんっ……!」 「ゆ、悠、何か本当にツラそうなんだけど」 「ツ、ツラくはないけど……」 「けど?」 「おっぱい当たって、気持ちいいから……」 「私も、ちょっとエッチな気分に」 「兄のせいで」 えー? 「だったら、もうやめればいいでしょ」 「ダメっ……」 「お兄ちゃんを、イカすの……!」 「んっ、はぁ、はぁ、ん……」 「はぁ、はぁ、んっ、あっ……」 妹は色っぽい声を上げながら、僕におっぱいを強く擦り付けてくる。 マズイ。 そんな声を聞かされたら……。 「んっ、兄、こっちも、もっとしてあげる……」 妹は背中にくっつきながら、ペニスを握った。 「あっ、ちょっ……」 いきなり握られて、腰がつい引ける。 「あ、兄のぴくんって……」 「ぴくんって、なったよ? 兄」 「なってないし」 意地を張る。 「なったもん、絶対なったもん」 「もっと、ぴくんってさせたいし」 「頑張るし」 「頑張らなくてもいいから」 「んっ、あ、はぁ、はぁ、あっ、んん……」 「話聞いてない?!」 「はぁ、はぁ、あっ、ん、はぁ……」 「んっ、わ、私も、だんだん……」 「感じて、きて……あうっ!」 悠は僕の背にぎゅっとしがみつくように抱きついてきた。 その時、ペニスに握る手がカリの部分をにゅるりと刺激した。 「くっ」 身体が一瞬、震えた。 危ない。射精しそうになった。 「あっ、今のすごい反応……」 「兄のウイークポイント」 「しこしこする」 「しなくていいの!」 「――お客さん、故郷はどこなんですか?」 「どんな設定なんだよ」 「しこる、しこらば、しこる時!」 妹は僕にくっつきながら、小さな手で僕の性器を根元から擦り上げだす。 石鹸のぬるぬる感と、手のひらの温かみがあいまって気持ちいい。 もう完全に勃起した。 妹に勃起させられてしまった。 「ほら、お兄ちゃん、気持ちいいでしょ?」 「ほらほら、妹の手でイカしてあげるし」 「嬉しいでしょ?」 「嬉しくない。恥ずかしい」 「ふふっ、お兄ちゃん可愛い」 「ちゅっ」 背中やわき腹にキスをしてくる。 「ちゅっ、ちゅっ、ぺろぺろ……」 「んっ、ちゅっ、んっ、んん……」 「んっもちゅっ、お兄ちゃんの味……兄味……」 しっかり味わっている。 兄味って。 「悠、くすぐったい」 逃げたい。 でも、背中にしっかりとへばりつかれているので逃げられない。 「やん、お兄ちゃん、逃げちゃダメ」 「妹から逃げちゃダメっ」 「ほら、んっ、ちゅ、んんっ、ちゅっ……」 「あ、くっ……」 身体の敏感を舐められながら、亀頭をくにゅくにゅと弄ばれる。 手つきはどこかたどたどしい。 でも、一生懸命に僕のペニスを触っている。 妹の愛おしい手が、僕の性器に触れていた。 「はぁ、はぁ、ん……」 射精感を耐えるのがツラくなってきた。 「ゆ、悠……」 妹の肩に手をのせる。 「何? 兄」 「このままだと、本当に出るかも」 「うん、出して」 「本当にいいの?」 「気持ち悪くない?」 「そんなわけないし」 「私、兄の彼女だし」 「ほら、どこでも、舐めてあげるし……ぺろっ」 妹はペニスをしごきながら、脇を舐めてきた。 「ぐあっ」 「あっ、感じてる」 「今のはマジで感じてない、くすぐったいだけ」 「あれ? そうなん?」 「どうしたらいい?」 「兄、どうしたのイクの?」 小首を捻って聞いてくる。 無邪気にそんなことを聞かないで欲しい。 「……そのまま、くっつきながらしごいてくれればいい」 「そうしたら、自然にそうなるよ」 「わかった」 「んっ、んっ、あっ、ん……」 妹は再び、僕に身体を密着させながらペニスの根元から先端に向けて、手のひらを動かす。 「んっ、あっ、んっ、んんん……」 「あうっ、またおっぱい感じてきたし……」 「んっ、あっ、んっ……」 「あっ、ん、兄のおっぱいも、触っちゃうし……」 「あっ」 性器を刺激しながら、僕の乳首をこね回し始めた。 細い指が、艶かしく僕の胸の上を這いずる。 「んっ、あっ、んっ、んっ……」 「んっ、ちゅっ、ぺろっ……」 「あ、こら」 首筋を舐められた。 くすぐったいような、気持ちいいような複雑な感覚が走る。 「んっ、ちゅっ、んんっ、はぁ、はぁ……」 「はあ、はあ、兄……」 「んっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……」 後ろから僕の身体じゅうにキスの雨を降らせる妹。 甘えるように、ぎゅっと抱きついて一時も離れない。 「あんっ、はぁ、はぁ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ、ちゅっ……」 「お兄ちゃん、んっ、はあ、はあ、好き……」 好きと言われた瞬間、胸が高鳴った。 妹が、悠が可愛くて……。 「悠……」 「お兄ちゃん……」 僕は手を伸ばして、妹の頬に手をあてて撫でた。 「へへ……」 「ほっぺた、石鹸ついちゃった」 破顔した妹が、たまらなく愛おしい。 「悠は可愛いな」 「でしょでしょ」 「私の妹力は1000万パワーあるし」 身体をすりすりしながら、上機嫌の妹。 「妹力ってなんだよ」 「よくわかんないけど、そういうのがあるらしい」 「特に実妹だと高い」 「基準がよくわからないけど、まあいいや」 「んっ、あっ、あ、兄……」 「え? どうしたの?」 「わ、私、ちょっとヤバイかも……」 「イキそうだし……」 えー?! 「乳首だけでイキそうなの?」 「う、うん」 「エッチな妹だね」 「ち、違うし、私はエッチくないし」 「兄の背中気持ちいいし、いい匂いだからだし」 「別に、悠イッてもいいけど」 「ダメ、兄もイって」 「一人だと何か恥ずかしいし」 「何て勝手な理由なんだ……」 「いいから、兄もイって」 「しこしこスピードアップ!」 「あ、こらこら!」 妹が石鹸をいっぱいつけた両手で僕のペニスをくにくにといじり出した。 亀頭や睾丸を遠慮なく、揉むようにされた。 「あっ……!」 裏スジを指の腹で擦られた。 睾丸がぴくぴくと脈を打ち出した。 「んっ、あっ、んっ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「イッて、早く、ねえ、イッてよ……」 「悠も、もうすぐイッちゃうから……んんっ!」 甘い妹の声で、ねだられた。 ペニスは痛いくらいに硬度に達していた。 もうすぐ―― 「ゆ、悠……」 「僕、もうすぐ、出る……」 途切れ途切れの言葉で、そう伝えた。 「う、うんっ、イって、お兄ちゃん、イッて……!」 「はあ、はぁ、ん、あっ、わ、私も、もう……!」 「ああっ、お兄ちゃん、んっ、あっ、ひゃっ!」 悠は両手で、僕の性器を包み込むと高速でピストン運動を。 ああっ! 我慢できない。 僕の睾丸が、どくんと大きく脈を打つ。 「あっ、んっ、あっ、ああっ!」 「お兄ちゃんお兄ちゃん……!」 「あああっ……!」 「あああああああああああああっ!」 妹は僕の背中にくっついたまま、身体を振るわせる。 僕も大量の白濁液を、風呂場に放出した。 同時に、イったようだ。 「はぁ、はぁ……」 「兄の……熱い……」 妹はしばらく僕にもたれたままぐったりしていた。 「そのままだと風邪引いちゃうから」 「悠も身体を流して、湯船につかって」 「ういー、あ~、手ベタベタだし」 「ぺろっ、苦っ」 「舐めるなよ……」 その後、僕達は身体を洗いっこしていっしょに湯船で温まった。 「……」 部屋の灯りを消して、もう結構な時間が経った。 でも、僕は眠れなかった。 昼間に眠り過ぎたというのもあるけれど。 それよりも―― 俺の真横で寝てる妹が原因なのだと思う。 「……どうしたんだよ? 悠」 妹の頭を撫でる。 起こさないようにそっと。 「お前、今日、少し変だったぞ」 何だか急に甘えだしたような。 元々、そういう傾向はあったけど。 今日ほどのことはなかった。 妹とたくさん話せて、接することが出来て、僕は嬉しかった。 嬉しかったけれど。 「……あまりいいことじゃないよな」 悠にとっては、良くない。 「お前はさ、悠」 撫でながら、つぶやく。 「もうすぐ、僕を捕食しないといけないんだぞ」 「それってさ、殺して食べるってことなんだ」 「そうなったら、お別れだよ」 「また一人でやっていかないといけないんだ」 「お前が覚醒する日はもう遠くない」 「一ヵ月後か、一週間後か……」 「もしかしたら、明日かもしれない」 「悠、その時のために、お互い心の準備は――」 「やっと悠って、呼んだね」 え? 「起きてるし」 妹は両眼をゆっくりと開く。 「……ゆ、白羽瀬」 「どうして言い直すの?」 「私、悠だよ、お兄ちゃん」 「……知ってるよ」 「どうして、寝てるときだけ悠って呼ぶの?」 「……」 僕は答えない。 ただ黙って、妹の髪を撫でた。 「当てようか?」 「お兄ちゃん、私と微妙に距離取ってるよね……」 「違うか。取ろうとしてるって感じかな」 「当たりでしょ?」 じっと見つめられる。 暗闇の中で、瞳が。 じょじょに赤く。 「……お前、今目が……」 「気をつけてないとこうなっちゃうみたい」 「もしかして無理をしてるのか?」 「無理はしてない」 「ちょっとしか苦しくないし」 「それ、無理してるってことだろ……」 もう来ているのか。 覚醒すべき時が。 「大丈夫、全然大丈夫」 「このまま、ずっといけるよ、私」 妹は闇の中で、赤い弧を描いて、笑う。 「……どうして黙ってた?」 「言ったら、お兄ちゃん、何て言うの?」 「僕を食え」 「嫌」 はっきりと拒絶した。 「……お前、それどういう意味かわかってるのか?」 「死ぬってことだぞ?」 「死なない」 「私、頑張るし」 瞳がいつもの色に戻った。 「……雌の人魚は、つがいの雄を捕食して成魚になるんだよ」 「成魚になれなかったら、衰弱死する」 「それが僕達、純血種の生態なんだ」 「頑張るとか、そんなことで覆せることじゃないんだよ。遺伝子に刻まれていることなんだ」 「悠は僕を食い、僕は悠に食われる」 「そうやって、生命を未来に繋いで――」 「お兄ちゃんの命を犠牲にした後の未来なんて、私いらない」 悠の言葉は静かだった。 でも、そこには強い意志が感じられた。 「悠」 「ひどいじゃん……」 「こんなの、家族を殺さないと、私を殺すって脅されてるのと同じ……」 「私は、お兄ちゃんを殺すなんて、絶対嫌……っ!」 「そんなことするくらいなら、私が殺された方が、ずっといい……!」 「お兄ちゃん、私、絶対、お兄ちゃんを食べない……」 「絶対に、絶対に、食べないっ!」 「うわああああああああんっ!」 大粒の涙をこぼして、妹は泣きじゃくる。 「……悠」 「悠……!」 「……っ!」 僕はせりあがってくる嗚咽を必死でかみ殺す。 愛おしかった。 妹が愛おしくて、気が狂いそうだった。 守りたい。 お前のためなら、僕は喜んで命を差し出せる。 なのに、それはお前を悲しませる行為で。 「悠」 「お前を死なせたくない……」 「苦しんで欲しくない……」 「僕の願いはただそれだけなんだ……」 「……」 「でも、そう思うことさえ、僕のエゴなのかな……?」 「君に泣いてなんか、欲しくないのに……」 「こんなに泣かしてしまった……」 堪えきれず。 僕の頬を。 透明な液が、つたう。 「お兄ちゃん……」 「泣かないで……」 「悠だって、泣いてるじゃないか……」 「これは、嬉しいのも混じってるから」 「私のお兄ちゃんが、こんなにも優しくて……」 「泣いちゃうくらい、嬉しい……」 妹は身体を起すと、僕の上に覆いかぶさり、 「ちゅ……」 口付けを―― 「んっ、んっ……」 「ちゅっ、ちゅっ、ん……」 深く、甘いキスを何度も重ねる。 それはまるで強すぎる薬のように、僕の身体を痺れさせた。 頭がぼんやりとしてくる。 夢と現実の境界があいまいになる。 「ん……、ねえ、お兄ちゃん」 唇を離して、悠は僕をじっと見つめる。 「――何? 悠」 妹との唇の感触に未だ酔いながら、尋ねる。 「冬が過ぎて、雪が降らなくなって」 「春が来たら――」 「いっしょに、死のう……?」 「……」 「いいよ」 自分でも驚くくらい、すぐに言葉が出た。 きっと僕も頭の片隅で同じことを考えていたのだろう。 「それなら、約束通りずっとそばにいることになるし……」 「悠が、そう望むなら……」 僕は迷いはしない。 「お兄ちゃん……!」 「んっ、ちゅっ……」 もう一度強く抱き合い、キスを交わす。 「悠、悠……!」 「あっ、ああ……!」 未来への不安。 弱い自分。 そんなものを、見たくないモノ全部を、投げ出すように。 逃げ出すように、互いの身体を求めた。 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」 「悠、悠……!」 妹の身体は布団から出て冷え始めていた。 暖めるように、包む。 「ああ……」 「お兄ちゃんの匂い……」 「君の身体中に、僕の匂いをつけるよ」 「僕のものだって、印に……」 抱きながら、首筋に顔を埋めた。 「あっ、ん!」 「い、いいよ! お兄ちゃん、んっ、あっ……!」 「私は、お兄ちゃんのものだから……あっ、くぅんっ!」 悠は存外に強く感じていた。 僕にしがみつきながら、身体が震えている。 「悠、震えてる」 「怖い?」 「ううん、怖くない、怖くないよ……」 「何だか、わかんないけど勝手に身体が……」 「緊張しないでね」 「悠が嫌がることはしないから……」 ささやいた後、耳にキスをした。 「あっ、ああっ、ん!」 「お兄ちゃんが、優しい……」 「わ、私、そんな風に言われただけで……あんっ!」 妹を優しく抱きながら、耳たぶをアマガミした。 「あっ、あああ……!」 「あんっ、やっ、くすぐ……ひゃんっ!」 「で、でも、お兄ちゃんの、息が……こんなに近いし……」 「悠、好きだよ」 「あっ、やん、んんっ!」 「耳元で、そんな風に……あんっ!」 「んっ、あっ、はぁ、はぁ、お兄ちゃん……」 「お兄ちゃん、私、幸せ……」 「お兄ちゃんに、優しく愛されて……」 「悠、僕の悠」 「君が何よりも大切だ」 「自分自身よりも、ずっと――」 そう、あの時。 泣いてる君を笑顔にしたいと。 幸せな君の笑顔で、あの最古の記憶を上書きしたい。 それが、僕の唯一の望みだった。 「命をかけて、君を愛している」 「好きだ」 「わ、私も……んっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……んっ、ちゅっ、んん……」 「大好き、んっ、ちゅっ、んん……」 僕達は何度も何度もキスをした。 まるで、互いの唇をむさぼろうとするかのように。 貪欲に、求めた。 互いが互いを。 「悠、いい?」 僕は悠のブラに手をかけた。 「いいけど……」 「恥ずかしいし……」 「さっきは、あんなに僕にすりつけてきたのに」 微笑する。 「さっきは冗談ぽかったから、平気だったの」 「今、兄も私も超真面目だし……」 「すっごい照れるし……」 「照れてる悠、可愛いよ」 「あう」 悠が両手で顔を被った時、ゆっくりとたくし上げた。 小さな二つの丘が顔をのぞかせる。 「ううっ……超恥ずかしいし……」 「可愛いよ、大丈夫」 僕は妹の胸にそっと触れて、弾力を楽しみように揉み始めた。 「あっ、あああ……」 「んっ、あっ、はぁっ、んん……」 「やっ、ん、あっ、ああ……」 微かに色っぽい声をあげる。 手を口元にそえて、必死に耐えるようにしていた。 身体がこわばっている。 「悠、緊張しないで」 「声も出していいから」 頭を撫でながら、妹にそう言ってあげる。 「でもでも……」 「兄に、本気で感じてるの……」 「恥ずかしいし……」 「気にしないで」 「明日の朝、超テレそうだし!」 「それも気にしないでいい」 「変なこと言っちゃいそうだし……」 「どんな悠でも、僕は受け入れるよ」 「ほら、気持ちよくなって」 僕は妹の胸を揉みながら、乳首を口に含んだ。 「あああっ!」 「あっ、んっ、やっ、ああっ!」 「んっ、やっ、あっ、ああんっ!」 「お、お兄ちゃ……んっ、あっ、ああっ!」 「お兄ちゃんが、私のおっぱいを……吸って……はぁ、はぁ……」 「んっ、あっ、ああん!」 乳首を舌で刺激するたびに、妹は身体をぴくんと反応させた。 抱きしめてる身体を通じて、それを感じる。 胸が高鳴った。 愛おしさで。 僕は妹の乳首を優しく愛撫しつづける。 「あっ、やっ、んっ、んんっ……」 「あんっ、はぁっ、んっ、ああ……」 「はぁっ、んっ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 妹が僕の目の前で、身体をよじる。 もう耐え切れなくなって、乱れ始めた。 恥じらいと戸惑いに表情を染めながら。 その様子が可愛らしい。 「悠、もっと素直に感じていいんだよ」 「その方が僕も嬉しい」 手の中にすっぽり納まる妹のバストを、揉みしだく。 時折、乳首に舌を這わす。 「はぁんっ! んんっ!」 「あっ、んっ、やっ、んんっ、あっ!」 「やん、お兄ちゃん、先っぽは、ダメぇ……」 「あっ、お兄ちゃん、また私のおっぱい舐めて……あっ!」 「はぁん、んっ、ダメぇ、おっぱい感じすぎて……」 「あっ、ああああああっ!」 妹は背筋をぴんとそらした。 軽くイッたのかもしれない。 「悠、今、イッた?」 「はぁ、はぁ……」 「わ、わかんない……」 「そうかもだけど、わかんない……」 「私、そういうのなったことないから……」 「そうか」 それなら―― 「あっ!?」 「や、やん、兄、エッチだし……」 妹の下半身に手を伸ばした。 下着の上から、性器に触れた。 指の腹で、円を描くようにした。 「あっ、ああ……」 「やっ、あっ、んっ、ダメっ……兄っ……」 「そこは、あっ、やんっ、ああっ……!」 妹の反応が如実にエロくなる。 僕は股間においた手を放さない。 乳首を吸いながら、ワレ目のスジを擦りあげた。 「あっ、あああああっ!」 「ひゃん、ん、ああっ!」 「はぁ、はぁ、んっ、あっ、やん、あっ、ああ……」 「あっ! そ、そんなに擦っちゃ、ダメ……あっ!」 「パンツ、汚れちゃうし……あんっ、らめぇ……」 ろれつが回らなくなった。 それだけ感じているってことか。 僕はそのまま夢中になって、悠の乳首と性器を責めた。 「はぁっ、んっ、ああっ!」 「んっ、あっ、ああっ!」 「やんっ、んっ、あっ、はぁっ、はぁっ、んんっ!」 「あ、兄っ、兄っ!」 「んっ、あっ、あっ……!」 妹がきゅっと僕の頭を両手で押さえつけるようにして抱いた。 心臓の鼓動が聞こえた。 とくんとくん。 妹の生きている証の音。 その音を聞いているだけで、泣けてきた。 嬉しくて。 「悠、悠……」 妹をもっと感じさせたくて、僕は愛撫を続けた。 両方の乳首を交互に舐め、右手は妹の下着の中に侵入させた。 妹の花弁に直に触れた。 「あっ、やんっ!」 「お兄ちゃん、あっ、ああっ!」 「んっ、あっ、はぁ、はぁ、んっ、そんなにぐりぐりしないで……ああんっ!」 「ひゃっ、んっ、あっ、ダメぇっ、そんなとこダメぇ……あはぁ……」 「あっ、そこ、クリ……あはぁっ!」 「ダメぇっ、あっ、やっ、エッチぃっ、んっ、あっ、あああっ!」 「はぁ、はぁ、あっ、ん、あっ、やっ、ああっ、はぁっ、んっ、ああっ……あっ、あっ!」 「あっ、やっ、お、お兄ちゃ、んっ、く、来るっ、私……」 「あんっ、やっ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、な、何か、やっ、く、来るよぉ……」 「私の、な、中から、く、来るよ、あっ、やっ、あっ、んっ、あっ、あっ……!」 「あっ、ああああああ……!」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」 「あっ……!」 「あああああああああああああああああああっ!」 妹は身体全体を震わせながら、俺にしがみついた。 達したのか。 悠の性器に触れていた指は、もうぬるぬるとした液でべとべとだった。 「はぁ、はぁ……」 妹の心臓が、速く、激しく脈を打つ。 その鼓動に、僕自身の心臓の鼓動も重なる。 興奮していた。 妹の性と生に。 「お、お兄ちゃん……」 悠が僕の頭を撫でながら話しかけてきた。 「うん」 「私、イッたみたい」 「そうだね。良かった?」 「うん」 素直に答えてくれた。 こんなところが、可愛いと思う。 「それで、今度は私がイカしたい」 「兄を」 「そうなの?」 「そうだし」 「だから、起きてこっち向いて」 「うん」 「ちゅっ、ん、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んんっ……」 悠は僕の前に膝をついて座ると、僕のペニスに愛撫を開始した。 「ちゅっ、んん……」 「ぺろっ、んっ、ちゅっ……」 妹の小さな舌が、僕の性器の上を這う。 ぎこちなく。 「あっ、く」 強い刺激ではない。 でも、妹に性器を舐められているという背徳的な光景が、僕を興奮させる。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、んっ、ちゅっ、ぺろっ……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、んんっ……」 「ん、ちゅっ、兄、気持ちいい?」 いったん唇を離して、僕を見る。 「うん、すごくいいよ」 「よかった」 「続けるね」 「んっ……」 片手で髪をかきあげながら、亀頭にキスを。 「んん、ちゅっ……」 それから、周りを一周するように舌を動かす。 「あっ」 妹の舌が裏スジに。 「ん、ちゅっ……」 「兄、ここがいいの?」 裏スジを指でさすりながら尋ねてきた。 僕は無言で頷く。 「わかった」 「んっ、ちゅっ、ぺろぺろっ……」 「ぺろっ、ん、ちゅっ……」 「ちゅっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 悠がペニスの裏側を、根元から舐め上げる。 唾液が潤滑油になって、心地良い。 「んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ、ん……」 「んっ、んんん……」 細い指で、サオをしごきながら亀頭を咥えた。 刺激が一気に増す。 妹の生暖かい口の感触が、ペニスから伝わってくる。 何かに包まれているという感触。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、んんっ、ちゅっ……」 「ぺろっ、んっ、ちゅっ、んん……」 妹の舌は口の中で、僕の尿道に触れた。 瞬間、僕の腰が揺れる。 不意打ちのような刺激に、射精感が高まった。 「ぺろぺろっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、んん、ちゅっ……」 ここも僕の弱点とわかったのか、悠は尿道を執拗に舌で刺激してきた。 「あっ、く……」 睾丸が一回、脈を打った。 すると、悠はすぐに僕の睾丸を唾液で濡れた手で包むようにした。 優しくマッサージしはじめる。 「うわっ……!」 腰が震えてしまった。 それくらい気持ちがいい。 僕は妹の愛撫に翻弄されていた。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、ぺろっ、ん、お兄ちゃん……」 「はぁ、はぁ、お兄ちゃん、今、すごく切なそうな顔してる……」 「……いいの?」 「う、うん」 「もうすぐ出ちゃう?」 「そうかも」 「いつでも出していいから」 「私でイってね、お兄ちゃん……」 「んっ、ちゅっ、んんっ……」 悠は亀頭を咥えたまま、唾液で濡れた手のひらで、サオを強くしごきだした。 妹の小さな手のひらから伝わる体温が、無性に嬉しい。 一人でしないという事実。 他人の体温や息遣いが、僕を喜ばせた。 「ゆ、悠……」 奉仕を続ける妹の頭に手を伸ばして、撫でた。 妹は行為を続けながら、小さく頷いた。 その様子に、心がじんわりと温かくなる。 「ぺろっ、ちゅっ、ん……」 「んっ、ちゅっ、ぺろっ、ちゅっ、んっ、んんっ……」 「んっ、ちゅっ、お兄ちゃん……好き……」 「たくさんたくさん舐めてあげる……ちゅっ……」 まるでアイスキャンディーでも舐めるように、妹は僕の性器を夢中になって愛撫し続ける。 軽く握られた手は、上下にずっと動き、僕に甘い感覚を与える。 ずっとこうしていたい。 そんな風に思ってしまう。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「はぁ、はぁ、お兄ちゃんの温かいね……」 「悠の手や口もすっごく温かいよ」 「お互いの体温が、心地よすぎる」 「眠ってしまいそうなくらい」 「ふふ、眠っちゃダメだし……」 「お兄ちゃん、まだ私としてないし」 「そうだな」 「悠とつながりたい」 「でも、今すぐしたら、すぐ出ちゃいそうだ」 「だから、兄も一回出しておくし……」 「ほら、ほら、出して……」 僕の股間を妹がくにゅくにゅと撫で回す。 睾丸が、ぴくんと動く。 「お兄ちゃん、どんな感じ?」 「もうイキそう?」 「うん」 「もう少し強くしてくれたら出そう」 「それって痛くないの?」 「たぶん平気」 「そうなんだ」 「わかった。強くね」 「ちゅっ」 「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、んん……」 妹はぎゅっと握ったペニスの先端に、可愛らしいキスを何度もした。 「たまたまも、気持ちいいんでしょ?」 そう言って両手で、睾丸の裏側を擦りだす。 思わず腰が浮いた。 「あ、兄も悶え中」 「このまま、一気に、攻撃。ちゅっ、ぺろっ」 悠は僕の睾丸を触りながら、亀頭の裏側に舌を這わした。 「あっ、く」 声が漏れてしまう。 「んっ、ちゅっ、ぺろっ……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ、んっ……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ、んんっ……」 「ンッ、んんっ、んっ、ぺろっ、んんっ、んんんんっ……」 妹からの性的マッサージを受けて、僕のペニスはぴくぴくと脈を打つ。 興奮していた。 可愛らしい唇が、僕の汚れた器官に触れている。 妹の唇が、僕のペニスに触れている。 舐めている。 キスをしている。 「あっ、ゆ、悠……」 「悠、悠……!」 射精したいという信号が、男根から脳に伝わってきた。 精子が尿道を駆け抜けようとしているのがわかる。 「悠、そろそろだよ」 「顔を離して」 そう言って僕は、軽く妹の肩に触れた。 「んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、んっ、んっ……」 「ちゅっ、んっ、んんっ……」 でも、妹は僕のペニスから口を離さない。 懸命に奉仕を続けていた。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「はぁ、はぁ、お兄ちゃん、んっ、このままで、いい、よ」 「このまま、私の口に、んっ、ちゅっ、出して……!」 「ダメだよ、そんなの」 「悠が汚れる」 僕はシーツを掴んで射精をこらえる。 「んっ、ちゅっ、んっ、はぁ、はぁ……」 「いいから、お兄ちゃん、このままで……」 「出して、お兄ちゃん、出して」 「でも」 「私、お兄ちゃんの欲しいから……」 「んっ、ちゅっ、んんっ」 「んっ、んんんんっ……!」 「あっ!」 妹は僕のペニスを掴んで、愛撫を続ける。 僕は必死にせりあがってくる射精感に堪える。 が、もう時間の問題だった。 妹の愛撫に、僕は抗し切れず。 甘い痛みを伴った妹からの責めに、屈して。 「ゆ、悠っ!」 「んっ……!」 「んっんん~~~~っ!!」 僕は妹の口の中に、射精した。 驚くほどの量の精液が、尿道を通過して、悠の口を汚した。 「んっ、あっ、んんっ……」 「はぁ、はぁ……」 妹はようやく僕のペニスから手を放した。 とろんとした目で、自分の手についた白い液を見る。 「匂いすごい……」 「ごめん……」 何だか恥ずかしくなる。 「兄、謝ることじゃないし」 「そうだな」 「じゃあ、ありがとう」 「ふふ」 妹は精液のついたままの顔で、無邪気に笑った。 こんな猥褻なことをしているのに、その笑顔は限りなく無垢な印象を僕に与えた。 「じゃあ、お兄ちゃん」 「ひとつになろう」 「うん」 僕は妹に求められるまま、彼女を―― 「あっ……!」 妹の膣はとても小さかった。 僕の勃起したペニスが入るとは思えないほどに。 「あっ、痛っ、はぁ、はぁ……」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」 「きて、お兄ちゃん……!」 それでも妹に強く求められ、僕は拒めない。 拒みたくもない。 だから、痛みに耐える妹を目の当たりにしても、挿入を続けた。 「悠、力を抜いて」 「そうしないと余計痛いから」 「う、うんっ」 「リ、リラックスするし!」 「すーはー、すーはー」 「ヒッ、ヒッ、フー」 深呼吸していた。 でも、身体はまだガチガチのままだ。 「悠、ほら」 手を伸ばす。 「え……?」 「お兄ちゃんの手握ってごらん」 「あっ……」 小さな手のひらが僕の手を包む。 「兄の手、やわらかいし……」 「うん、悠の手もやわらかいね」 「ふふ」 「にぎにぎ……」 妹は嬉しそうに僕の手にその細い指を絡める。 「何も怖がらなくていいよ」 「お兄ちゃんは、ずっと悠の味方だ」 「どうしても痛いのなら、やめてもいい」 「全部、君の言う通りにするよ」 妹の指を握って、微笑する。 「あう……」 「兄が優しすぎて……」 「妹、どきどき……」 悠も微笑する。 「お兄ちゃん」 「うん」 「続けて」 「優しくするよ」 「うん……」 妹は僕の手を放す。 僕はゆっくりと腰を前に突き出す。 「あっ、ああ……」 「んっ、あっ、ああ……」 「あっ、んっ、んんっ……!」 妹はまたぎゅっと目をつぶって、身体を震わせる。 でも、さっきよりは抵抗感はない。 少しはリラックスできたようだった。 「はぁ、はぁ、んっ、あっ、あっ、ああ……!」 「あっ、んんっ!」 「お兄、ちゃんっ、はぁ、はぁ、お兄ちゃんっ……!」 「お兄ちゃんのが、入って……んっ、あっ!」 「あ、熱いよ、お兄ちゃん……」 「お兄ちゃんの、私のお腹の中で、燃えてるみたい……」 「はぁっ! ああっ!」 悠が少し腰を動かすだけで、強い刺激を感じた。 妹の膣壁は、四方から僕のペニスをぎゅうぎゅうと圧迫する。 カリが肉のヒダに撫でられる。 とんでもなく強い快楽に襲われる。 「んっ、あっ、はぁっ、はぁっ……」 「あっ、お、お兄ちゃんの、今、ぴくって……」 「私の中で、動いた……」 こんな微かな動きも伝わるのか。 ああ、僕達は本当に、今繋がっている。 「うん、悠の中が気持ち良すぎて、つい反応しちゃうんだ」 「そ、そうなんだ」 「よ、よかった……」 妹は本当に嬉しそうに破顔した。 胸がしめつけられように、痛くなる。 ふいに泣きたくなった。 悠が愛おしすぎて、泣きたくなった。 「悠、悠……」 僕は妹の膣の奥へと、ペニスを突き出す。 この子ともっと深く繋がりたいという欲求が、僕をかきたてる。 亀頭が妹のヒダを掻き分けて、子宮へと。 「あっ、ああああっ!」 「あっ、はぁっ、んっ、あっ、ああんっ!」 「やっ、んっ、あっ、お、お兄ちゃん……!」 悠の中から、あふれ出す愛液がぬちゅぬちゅとイヤらしい音を立てる。 その音が大きくなるにつれ、悠の声にも甘い響きが混じりだす。 妹は感じていた。 兄の僕とセックスをして、感じていた。 「悠、悠っ!」 僕は悠の膣壁に、亀頭を擦り付けるように腰を振った。 そんなに大きくは動けない。 小刻みな動作を、何度も繰り返した。 痛みにも似た快感が、ペニスから伝わり、背筋がぶるっと震えた。 「あっ! あっ! ああっ!」 「はぁっ、ん、あっ、ああっ!」 「ひゃっ、あっ、んっ、あああんっ!」 こっちの動きの方が、痛くないのか妹は本格的によがりはじめる。 顔は上気し、息を荒げ、瞳を潤ませる。 小さな乳房の先端も、ピンと可愛らしく勃起していた。 僕は妹を突きながら、乳首に触れた。 「あっ、やんっ!」 「ああっ、んっ、お、おっぱいは、あっ、ああんっ!」 「ひゃっ、んっ、ら、らめぇっ、あっ、ああっ、んっ、あっ!」 妹は恥ずかしそうに、嫌々と首を振る。 その様子が、可愛らしすぎて、また興奮した。 「悠、可愛い僕の悠……」 「感じてるね? こんなにおっぱい尖らして……」 「下もこんなに濡れて……音聞こえるだろう?」 「ああんっ! ダメぇっ、言っちゃダメぇっ……!」 「お兄ちゃんの、お兄ちゃんのイジワルぅっ……」 「いやっ、恥ずかしいよぉ……」 妹は涙目で、僕を見る。 はぁ、はぁと呼吸を乱しながら、僕をまっすぐ見つめていた。 それだけで、僕も顔が熱くなる。 まるで、初めて恋をした時のように。 その時、僕は唐突に自覚した。 僕は妹に恋をしているのだと。 「悠、好きだ」 「好き過ぎて、どうにかなりそうなくらいだ」 「好きだっ、好きだっ……!」 「悠っっ!」 「あっ、はぁ、んっ、あっ、んんっ!」 「わ、私も、好きっ……!」 「はぁ、はぁ、好きっ、好きっ、お兄ちゃん、好きぃっ!」 「大好きっっ……!」 妹はぽろぽろと涙をこぼしながら、僕の想いを受け止めてくれた。 幸せだった。 もう、何もいらないほどに。 「悠、悠っっっ!」 僕の下半身全体が、どくん、と脈を打つ。 「あっ……!」 同時に妹の膣が、ぴくんと蠢く。 「あああああああああああああああっ!」 僕達は唐突に、絶頂に達する。 腰が抜けるほどの快感だった。 一度出したばかりとは思えないほどの精液が、今度は妹の膣内に溢れ出た。 白と赤の混じった色をしている。 僕の精液と悠の破瓜の血だった。 「はぁ、はぁ……」 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「お、お兄ちゃん……」 妹は頬を流れる涙を拭おうともせず、僕を見て。 「大好き……」 また笑顔を見せてくれた。 「朝だぜっ!」 姉さんも悠のアパートに住みだして三日目の朝。 ちょっとした異変が起きた。 僕に。 「何っ?! それは新展開ということかっ?!」 「ドキワクだなっ!」 「いや、そんなに大げさなものでは――って、また君かい」 この妄想、自立性がすごいな。 「妄想言うなっ!」 まあ、自己主張の激しい妄想はさておき。 「さておかれた――っ!」 いいから、もう君は。 「……」 その日の休日、僕はめずらしく自然に早い時間に目が覚めた。 いや、ある意味、自然じゃないかもしれない。 でも、自然といえば自然で。 ……説明が難しい。 僕は上体だけ起こして、コタツ布団(姉さんが来て以来僕はコタツで眠っていた)に入ったまま周囲を観察した。 「すー、すー」 妹様は当然、まだご就寝中。 「遥か遠いその場所で~♪ 見守ってて~♪」 姉様は鼻歌まじりに台所で朝食の準備をしていた。 で、僕はというと。 「……」 コタツ布団をめくってみる。 「うおっ……」 やはり激しく%44勃起%0していた。 これが原因で目が覚めたのだ。 いや朝立ちは男の正常な生理現象であり、何も恥ずかしいとは思わない。 だが、今回は尋常じゃない。 絶対サイズアップしてるぞ、コレ。 さらには、ただ固くなってるだけじゃなくて、どくどくと脈を打ち、そそり立っていた。 そう、まさに。 %44準備完了! いつでもどうぞお使いください!%0 っという感じであった。 そして、使うあてはない(泣)。 「何故……?!」 僕の意向を完全に無視して、一人いきり立つ息子を前に、僕は頭を抱える。 完全にテント状態になった下半身を隠し通して過ごすことはまず無理だ。 これは困った。 人前に出られない。 ていうか、このコタツからさえも出られない。 仮に出たら――。 「あ、兄っ! それは何でしゅか?!」 「イズミ、あんた朝から一体何を考えて……」 「だから、ナニなことなんじゃない?」 「サイテー」 「兄、サイテー」 「もうそれ切っちゃいなさい、イズミ」 「おお! 姉マジになった?!」 「僕、ピ・ン・チ!!」 僕は知らぬ間に窮地に立たされていた。 日常に潜む罠である。 どうする? 「すー、すー」 幸いにも悠はまだ起きていない。 「響かせ続けるから~♪」 姉は何も知らずに、朝食を作っている。 この機を逃してはならない。 背に腹は変えられないのだ。 ここは、さらっとトイレに駆け込んで。 (自分で処理してしまおう……!) 僕は両手の拳を握って決心した。 気合入れまくり。 まさか、気合を入れてオ○ニーすることになろうとは……。 「く……!」 今、僕の中でグラリと何かが揺らいだ。 たぶん、それはプライドとか矜持とか、そんなカッコ良さげな何かであった。 でも、今はそれどころではない。 姉と妹に、この有様を見られるよりはよっぽどいい。 見つかったら切られちゃうし。 よし、そうと決まれば。 「兄、おはー」 「ひいいいっ!?」 突然、背中からの妹の声がっ?! 兄は大いに脅えながら、振り返る。 「え? どうしたの?」 僕の反応に、悠の方も驚いていた。 「な、何でもない」 「悠、おはよう」 取り繕うように笑顔で挨拶。 「お兄ちゃん、よく眠れた? 最近コタツだけど寒くない?」 「うん、僕は平気だけど」 「電気入れなくてもそこそこ温かいんだ」 「へー」 「どれどれ♪」 悠が僕の隣に入ってくる。 僕の右腕に妹が身体をくっつけてくる。 いかん、絶対に悟られないようにしないと。 僕は鉄の精神力で平静を装う。 「本当だ、あったか~」 「お兄ちゃんの人肌あったか~」 さらにすりすりと子猫のように。 やらかい感触が! ふんわりと漂う髪の匂いが! 「……」 ↑もっこし↑ それだけで、僕の息子さんが如実に反応した。 ……妹に反応してしまった。 まぎれもなく変態である。 僕は心の中で、血の涙を流す。 「にゃ~ん」 僕が心の中で号泣してると、左側には起きだして来たマル美が擦り寄ってきた。 「にゃにゃにゃ~ん」 僕の左腕に甘えるように、顔を擦り付けてくる。 すると。 ↑もっこし↑ え? ええー?! 猫に欲情したのか? 僕。 雌なら何でもいいのかよ! ああ、誰か! 誰か早く! 誰か早く、このクズな変態を殺してください! 僕は額をコタツの台に接触させて、しくしくと泣き伏した。 「兄、どうして落ち込むの?」 「今すぐ死にたいです、妹」 「何でっ?!」 「介錯を頼む」 「切腹!? あれはグロいからやめようよ!」 「生きろよ~」 励まされる。 「しくしくしく」 でも僕はもう立ち直れない。 「うわっ、泣き出したし」 「お兄ちゃん、しっかり」 背中や頭を一生懸命撫でてくる。 優しい妹である。 そんな妹に欲情している兄の僕。 マジサイテーである。死ねばいいのに。 ますます落ち込む。 「うう、私の力だけでは足りない……」 「姉ーっ! 姉ーっ! 来てーっ!」 悠は台所に向かってヘルプを依頼。 「もう、お鍋を火にかけてるのに……」 「どうしたの? 何を朝から騒いでるの?」 お玉を手にした新田姉さんがやってきた。 ↑もっこし↑ 顔見ただけでかよ! もう何でもアリか。節操なさすぎ。 「姉、助けて!」 「兄が、超ダウナーなのっ!」 「は?」 「早く何とかしないと、自殺しかねないレベル」 「はあ?!」 いつもクールな新田姉さんも、さすがに目を丸くする。 「どうしたのよ、イズミ?」 パタパタと忙しない足音とともに近づいてくる。 「い、いえ、特に何も」 マズイ。 右には悠、左には姉さん。 そして、台の上の正面にはマル美。 我が家の女子全員に囲まれてしまった。 いや、猫は関係ない。落ち着け僕。 「風邪とか病気じゃないの? 熱は?」 ぺトッ、と僕の額に自らの額をくっつけてくる姉さん。 「――っ?!」 きめの細かい肌に直接触れられて、僕の体温は急激にアップする。 ついでに股間のアレの角度もアップする。 「ダ、ダメっ」 「姉さん、僕に触っちゃダメっ」 慌てて姉さんから離れる。 「? 何でよ?」 「姉さんを汚してしまうから」 「はい?」 「僕みたいな下衆野郎は放っておいてください……」 まともに姉さんの顔が見られず、目を伏せる僕。 「イ、イズミ君、何言ってるのよ? お姉ちゃんよくわかんないな……」 混乱した姉はいつもより、優しげに話しかけてきた。 その優しさが却ってツライ。 「しくしくしく……」 「泣くし」 「……これは、本当に変ね……」 姉妹は顔を見合わせて、考え出す。 「病院に行こう」 「そうね、それがいいわ」 「すぐに行くわよ、イズミ着替えなさい」 「うん、それがいい」 姉と妹に同時に腕を取られ引っ張られる。 早く立て、という意思表示。 え? 勃つ? じゃなくて、立つの?! 貴方達の目の前で、今からコタツから出ろと?! 「いやいやいやいや!」 「それはいらないから! 意味ないし!」 僕はかたくなに、コタツの中に居座り続けた。 今、股間のテントを晒すわけにはいかないのだ。 「何で意味ないの?」 「だって、僕達人魚じゃん?」 「人間の医者とか意味なくない?」 その場でもっともらしい理由をでっちあげる。 「いえ、診てもらうのは頭の中身だから」 「MRIで変なモノができてないか見るのは、意味があるわ」 「だそうです、兄!」 「MM○だそうです、キバ○シっ!」 「わざと間違えるんじゃない」 誰がキバヤ○かっ。 「いいから、ほら早く立ちなさい!」 姉さんは僕の左腕を強引に引っ張る。 「行くよ、兄っ!」 妹も右腕を強く引っ張ってくる。 「くおおお……!」 必死に抵抗。 僕は大きくなりすぎた不詳の息子をひた隠しに隠した。 「どうして、抵抗するのよ~?!」 「兄、立て~っ!」 姉妹は連携して、さらに力をこめて僕を起立させようとする。 だが、しょせんは女性の細腕。 たとえ二人がかりでも、男の僕には到底―― 「――はあっ!」 姉は覚醒して、裂帛の気合とともに僕の腕を引く。 「ちょっ?! それズルくない?!」 物言いをつけるが、もう遅い。 僕は姉さんの方に吸い寄せられるように、いとも簡単に―― ↑もっこし↑ 『!!?』 僕は決して他人様には見せてはならない凶悪なブツを白日の下に晒してしまった。 『…………』 姉妹が同時に固まった。 ああ……。 終わった。 何もかも。 『…………』 二人は同時に僕の腕を放す。 そして、僕から距離を取る。 ほんの二メートルほどの距離。 だが、それは僕には果てしなく遠くに感じられた。 「イズミ……」 重い重い沈黙を姉さんが破る。 顔がすごく赤い。 「はい……」 まるで罪状を聞く被疑者のような気持ちで、姉の言葉を待つ。 「……とりあえず、それ、何とかしなさい」 僕から視線を逸らしたまま、指だけで僕の股間を示す。 「ですよね……」 そう言うしかない。 僕はとてつもない敗北感を背負いながら、トイレの方に向かう。 「ん? 兄、どうやって何とかするの?」 悠が問う。 無垢な目をしていた。 「え? それは自分で――って、言えるかい」 危ねー、つい言うところだった。 「何だ、オナヌーか♪」 あっさりと。 それも無垢な目で言うのかい、お前は。 「とにかく、行ってくる……」 がっくりと背を丸めて、移動開始。 「ういー」 「兄、頑張れー」 「……何て爽やかじゃない朝なのかしら……」 「発情期?」 「そうよ」 朝食の後、そのまま家族会議が始まる。 議題は、もちろん僕の身体の変化についてだ。 「猫かよ?!」 「にゃ~」 コタツに入ってる悠は抱いてるマル美とともに声を上げた。 「人魚は覚醒前後に、生殖活動が活発になる習性があるのよ」 「イズミは覚醒前にはなかったみたいだから、後に来たのね」 「どうしたら収まるの?」 「三ヶ月もすれば」 「それまでは?」 「今のままね」 どうしようもない、と言われた。 「え~~っ……」 これから数ヶ月、こんな状態なのか。 うかつに外にも出られない。 僕はぱったりと、コタツ台につっぷした。 「うわっ、兄、またブルー」 「ブルーどころか、真っ暗だ」 「悲惨だね、よしよし」 妹に頭を撫でられる。 みじめだけど、ちょっと嬉しい。 「来ちゃったわね……」 「この間、話題にしたばかりでもう来るなんてね……」 はあ、と姉さんがため息をもらす。 「もしかして姉さんが前言ってた嫌なことって……」 「この事よ」 「まあ、予想通り貴方はそんなにひどくはないけど」 「いやいやひどいでしょ、これ」 不便なことこの上なし。 「何言ってるの? 全然軽いわよ」 「貴方は完全に自我を保ててるじゃない」 「たいていの純血種はね、発情期になると自分をコントロールすらできなくなるのよ」 「えー?! マジ?」 「そばに雌がいなかったら、間違いなく性犯罪者になって人間を襲うわね」 「兄、何てエロエロしい……」 妹にとんがった視線を向けられる。 「妹、そんな目で、兄を見ないで……」 肩身がせまい。 「一応言うけど、悠、雌も覚醒の前後で発情期はあるわよ?」 「ひどい場合は、痴女みたいになるからあんたも気をつけなさい」 さらりと。 「な、なんだってーっ!?」 「どうしよう?! キバ○シっ!」 僕にすがる。 「またそのネタかい」 だからキバ○シ言うな。 「とにかく、二人共性的ストレスはなるべく溜めないようにしなさい」 「身内が性犯罪なんておこしたら、目も当てられないわ」 やれやれと肩をすくめる姉。 「そりゃ犯罪を起こす気はないけど」 「身体は勝手に反応するし」 「うん、身体は正直だからね!」 兄妹そろって、姉を見る。 「イズミはトランクスじゃなくて、キツ目のボクサーパンツでも履きなさい」 「そうすれば、外でも目立たないでしょ?」 「すっごい窮屈そうだけど、それしかないのかな……」 仕方ないか。 このままでは学園にも行けないし。 「姉、姉! 私はっ?!」 妹が自分を指差しつつ尋ねる。 「ゆ、悠は自分で慰めるのを、たくさんするしか……?」 恥ずかしがりつつも、ちゃんと答える姉さんは誠実な人であった。 立派である。 「姉も、そうしたの?!」 食い下がる。 「え、ええ……」 真っ赤になりながらも、妹のために答える。 姉さん立派です。 「そうか……」 「姉も、一人で悶々としながら……」 「オナヌーを……!」 妹は瞳をキラキラさせながら、両手を広げてその場でくるくると回る。 「オナヌー言うなっ!」 姉は妹の頭を小突いた。 「兄っ、姉がいじめる~~っ!」 「当然でしょ、お前が悪いでしょ」 まったくこいつは。 まあそんなわけで、とりあえず会議の結論は出た。 さて。 僕は上着を手に立ち上がる。 「ん? どっか行くの?」 「うん、買い物」 すたすたと入り口に。 「何買うの?」 「キツ目のボクサーパンツ……」 言わせんなよ。 パンツを求めて町へ。 この寂れた感のある駅前も、さすが日曜の朝ともなるとそこそこ人はいる。 そして。 姉もいた。 「どうしてついてくるの、姉さん」 「監視よ」 「は?」 「万が一、発情した貴方が電車で痴漢でもしたら大変じゃない」 %44「ぜっ・た・い・し・な・い!」%0 一言ごと区切って、強く言い切る。 「冗談よ」 と真剣な表情で言っていた。 「その目は100パー信じてないよね?!」 泣きそうである。 「まあまあ、そんなに邪険にしないの」 「買いに行く途中で、一人でまたああなったら困るでしょ?」 「そりゃあ、困るけど……」 「けど何よ」 「仮に今ああなったら、姉さんはどうするつもりなの?」 「そうね……」 姉は髪をかきあげながら、しばし考え、 「他人のフリかしら」 「意味ないし!」 この人、絶対半分は遊んでる。 「冗談よ」 「だから、その目で冗談はやめて……」 もう何も信じられない。 「はいはい、もしああなったら、ちゃんとフォローしてあげるわよ」 「そのほうが貴方も、安心でしょ?」 「それはそうなんだけど……」 「何よ、不満そうね」 「いや、不満というか」 不満はないけど、姉さんといることで、却って下半身を不用意に刺激しないかという不安があった。 もちろん、そんなこと目の前の姉さんには言えないが。 「ほら、ぐずぐずしててもしょうがないわよ?」 「行きましょう、イズミ」 「あ」 ごく自然に腕を組んでくる。 衣服を通してだが、姉さんの腕と―― %44胸%0の感触が微かに伝わってきた。 で。 「……姉さんすみません」 「え? 何が?」 「こんな弟で……」 「は? 貴方、何を言って――」 小首を傾げながら僕を見る。 そして、その目は僕の身体のある一点でピタリと止まった。 「……ねえ、もしかして……?」 元々大きな目をさらに見開く姉さん。 「うん」 頷く。 「……貴方ねぇ……」 思いっきり嘆息する。 「だって、いきなり姉さんが腕組むから……」 「はあ? そのくらいで?!」 「姉さんは、若い男の性欲をナメてると思う」 加えて僕は今、発情期だし。 「……以後、気をつけるわ」 言いつつまだ腕は放さない。 嬉しいけど、困る。 「じゃあ、ちょっと姉さんはここで待っててくれる?」 僕は自分から姉さんの腕をゆっくりと解く。 「え?」 「自分で、鎮めてくるから」 僕の視線は改札口のそばにあるトイレに向いていた。 「なるべく早く済ますから」 言ってて自分で空しいけど。 僕は改札の方に。 「待ちなさい」 あ。 手を握られて、引き止められた。 「姉さん?」 「私も行くわ」 「は?」 意味が分からなかった。 「……今回は、私の責任でもあるし」 「それに、昨日私が何とかするって約束もしたものね……」 姉さんは、表情を引き締めてそんな事を言う。 でも、首から上は沸騰していた。 「ほら、行くわよ」 「万一、知り合いにでも見られたら言い訳できないわよ、早く」 再び腕を取られる。 「あ、ちょっと、姉さん?」 僕は強引に、姉さんに引っ張られて来てしまう。 男子トイレの個室に。 おい。 間違ってるよ、姉さん?! 「ほら、そこに座って」 でも、姉さんはまったく動じていない。 「あ、あの姉さん」 「いいから、貴方はリラックスしてなさい」 と、僕のズボンのチャックを下ろしながら言っていた。 「リラックスできるわけないよ!」 「こら、あんまり騒がない」 「いい? じっとしてて……」 「ん……」 「ちょっ……!」 衣服を乱した姉さんが、僕のペニスに口をつける。 「ちょっと、姉さん」 「ダメだよ、今の僕にそんなことしたら」 もう止まれなくなってしまう。 「ちょっとあまり動かないで」 「舐めにくいから」 「だから、舐めないでよ」 「貴方のって、結構大きいのね」 「話聞いてない?!」 「いいから、お姉ちゃんにまかせなさい」 「頑張って気持ちよくしてあげるから……」 「いや、だから頑張っちゃダメ……くっ!」 ぺロリと先端を舐められた。 それだけで身体が震えた。 「んっ、んっ……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ……」 「ちゅっ、んっ、んん……」 姉さんの舌が、僕のペニスのカリの部分に触れた。 腰が引いてしまうくらいの快感。 「ね、姉さん、マズイって」 「良くないの?」 髪を書き上げながら、上目遣いで聞かれた。 そんな仕草に、ドキリとさせられる。 「変ね、ここはこんなに元気なのに……」 指先でつつかれた。 「姉さんのそんな格好をみせつけられたら、元気になるよ」 クラスでも評判の美少女新田サンのエッチなお姿。 さらに僕の下半身をそんな風に。 興奮しないわけがない。 「じゃあ元気なままでいなさい」 「それを鎮めるのが私の役目だから……」 「んっ、ちゅっ……」 また小さな唇で僕のペニスを刺激する。 フェラ再開。 くわっ。 もう逆らえない……。 キレイな子だとずっと思っていた新田サン。 たまに怖いけど、優しい姉さん。 大好きな女の子。 ごめん、もう我慢できない。 「あ」 僕はフェラされながら、手を伸ばし姉さんの胸を揉んだ。 「こ、こら、エッチ」 「わ、私が集中できなくなるでしょ……あっ!」 僕の指先が乳首に触れて、姉さんは甘い声を上げた。 「ごめん」 「でも、やめられない」 僕はご奉仕をされながら、もにゅもにゅと姉のおっぱいを揉んだ。 「あっ、んっ、やっ、ん……」 「んっ、やっ、あんっ、ちゅっ、あっ、こ、こら、あっ……!」 「もう、お返しよ」 ぎゅっと睾丸をなでられた。 「くっ」 サオを触れられるのとはまた違った刺激が走る。 気持ちいいけど、恥ずかしい。 そんなところまで実の姉に触られて。 「んっ、ちゅっ、ぺろっ」 「んっ、んっ、ちゅっ、ぺろっ……」 「ちゅっ、ちゅっ、ん……」 玉を優しく撫でられながら。裏スジをペロペロと舐め上げる。 もう射精感が。 でも、耐える。 もっと姉さんとこうしていたい。 「姉さん、姉さん……」 前かがみになって、さらに姉さんの乳房をもみしだく。 「あっ、んっ……」 「ダメよ、そんなに、強く……んっ!」 言葉と裏腹に姉さんの声は甘い。 可愛い声だった。 「姉さんって、可愛いね」 「――なっ?!」 「ば、馬鹿……っ!」 ぎゅっと玉袋を軽くつねられた。 「痛い痛い姉さん痛い」 「……貴方が変なことを言うからでしょう」 「もっと行為に集中しなさい」 頬を染めた顔を向けられる。 ますます可愛い。 でも、またつねられるので黙っていた。 「ほら、どこが気持ちいいの?」 「言ってみなさい……んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、んっ、んん……!」 カリの裏側を舌先でペロペロと。 「そ、そこいいよ」 吐息まじりに答える。 「んっ、ちゅっ、ここは?」 亀頭にキスしてくれた。 「そ、そこも」 「じゃあ、こことか、ぺろっ……」 尿道に姉さんの舌先が! 「すごく、いいです」 「……貴方、どこでもいいんじゃないの?」 姉さんは呆れ顔だった。 「でも、本当にいいから」 「……」 「まったく、ウチの弟は……」 「見境なくエッチなんだから……」 「ケダモノ」 えー!? ショック。 姉にケダモノ扱いされた。 「違う。姉さんが、的確すぎるポイントをつくからだよ」 慌てて弁解する。 「そうかしら」 姉は未だ疑念を抱いていた。 「姉さんのテクニックがすごすぎるってことで」 「――なっ、テ、テクニックなんてないわよ」 「初めてなんだから」 「え? そうなの?」 「雑誌で読んで覚えていただけよ」 「私はまだ未経験なんだから……」 「信じられない」 「信じないと、かじっちゃうわよ」 にっこりと笑って、僕の息子さんに犬歯をあてる。 「信じました」 他に答えようがない。 「だから、貴方がもう経験済みだって知った時」 「ちょっとショックだったわ」 「弟を取られちゃったみたいで……」 「その嫉妬って変じゃない?」 「変じゃないわよ」 「姉ってそういうものよ」 「僕にはよくわからないけど」 「過去の女の事、忘れさせてあげるわ」 「姉さんがね……ちゅっ」 「くっ」 また甘い刺激が僕に注がれる。 姉さんは手で僕のペニスをしごき始める。 今までのねっとりとした感触とは違った強い刺激。 女の子の手で、自分のペニスをしごいてもらうなんて。 しかも、姉。 すごく悪いことをしている気持ちになる。 「ふふ、また大きくなったわね」 そう、でも僕はすごく興奮した。 背徳感がそうさせるのか。 「んっ、ちゅっ……」 姉さんはしごきながら、ペニスを先端からくわえる。 「んっ、んん……」 「んっ、ちゅっ、んんんん……!」 「ぺろっ、んっ、ちゅっ……!」 「んっ、はぁ、んっ、ちゅっ、ん……」 「ちゅっ、ぺろっ、んっ、んんっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ!」 亀頭が姉さんの口に包まれている。 生暖かい感触。 時折、もれる吐息。 全部がエロい。 興奮が天井知らずに高まっていく。 ああ、姉さん。 「あっ、ん……!」 僕はまた姉さんの胸を触りだす。 興奮してただ座ってるだけなんて、無理だ。 僕も姉さんに触れたい。 「あっ、んっ、ん……」 「あんっ、あっ、んっ、あっ……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ……」 「んっ、あっ、はぁ、んっ、あ……」 「ちゅっ、んっ、あっ、はぁっ、ん……!」 姉さんは悶えながらも、僕のペニスを放さない。 時折、色っぽい声をあげて身体を震わせながらもフェラチオを続ける。 「姉さんの乳首も立ってきたよ」 人差し指と中指でこりこりした乳首をつまんだ。 「ひゃっ!?」 「こっ、こら、イズミ、触りすぎ……あっ!」 「も、もう、そんなに胸を……あっ、やっ、あんっ!」 いやいやと姉さんのお尻が揺れる。 エロ可愛い。 「姉さんだって、僕の触ってる」 「僕だって触りたいよ」 言って、乳首をくにくにと。 「あっ、ま、また……」 「も、もう……馬鹿……っ」 羞恥で赤く染まった頬を膨らませた。 どきどきする。 僕の姉さんは可愛すぎた。 「続けるわよ?」 「う、うん。僕も触ってていい?」 「……好きにしなさい」 スネ気味にそう言って、再び僕のモノを咥えた。 ペニスが温かな空気に包まれたような感じ。 ぴくん、と姉さんの口の中で僕のモノが動いた。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅぱっ、んっ、ちゅっ……」 「ぺろっ、んっ、ちゅっ……んんっ……」 姉さんはとても丁寧に、舌を僕の性器にはわして、撫でる。 几帳面な姉さんらしい。 何をするにも、手を抜かない性格がよく出ている。 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ」 「ぺろっ、ん、んんっ……」 「んっ、ちゅっ、ぺろっ、ちゅっ……ねえ、イズミ」 「な、何?」 快楽に酔いしれていたところに、ふいに声をかけられた。 「……気持ちいい?」 「うん、いいよ。どうしたの急に」 「ずっと黙ってるから、不安になったのよ」 「初めてなんだから、上手くできてないかもしれないでしょう?」 健気だ。 「そんな心配しなくてもいいよ」 「姉さんみたいな子にこんなことされれば、誰だって気持ちいいよ」 「そ、そう?」 「さっきから、姉さんが可愛くて仕方ないんだ」 「――っ!?」 「ほら、また赤くなった可愛い」 つい頭を撫でてしまう。 「ば、馬鹿……」 「弟のくせに」 「ナマイキね」 「ちゅっ」 「あっ!」 不意打ち気味に、カリにキスされた。 「貴方こそ、今の声は何?」 「ふふ、可愛いわね、弟」 イジワルな微笑みだった。 「……お返し」 「あっ、きゃん!」 乳首を指の腹で擦り上げた。 「も、もう」 「私のおっぱいで遊ばないで」 「遊んでないよ、もてあそんでいるんだ」 「……もっとひどいじゃない」 「貴方、ちょっと変態かもね」 「弟にこんなことをしてる姉に変態と言われた」 「私は貴方のために泣く泣くやってるのよ」 「貴方とは違うの」 「こんなに、乳首立ってるのに?」 きゅっとつまむ。 「あっ、こ、こらっ」 「もう、変態」 と可愛い顔でにらまれてもあまり悔しくはない。 「ほら、おしゃべりしてないで、興奮して早く出しちゃいなさい」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」 「あっ、くっ!」 姉さんが、亀頭に激しいキスの雨を降らした。 腰が揺れた。 気持ち良過ぎた。 「ね、姉さん……」 睾丸がどくんと脈を打った。 抑えていた射精感が、さらに強くなる。 「ん?」 「がまんできない」 「出したいんだ」 「……わかったわ」 「いつでも、好きな時に出しなさい、んっ……」 言って姉さんは僕のモノを咥えて。 「んっ、ちゅっ、んっ……!」 頭を上下させて、しごく。 「あっ、ダメだ」 「このままだと、姉さんの口に……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「んんっ!」 僕の制止など聞こえないかのように、姉さんは僕のペニスにひたすら刺激を注入する。 ねっとりとした舌と口の中の感覚と、唾液のぬるぬる感。 「はぁっ、はぁっ、んっ、あんっ……」 加えてこの甘い声と表情。 こんなにキレイな姉さんに、こんなことをさせている。 新田サンが、僕のモノを咥えて、感じている。 その事実に、僕は―― 「新田サン、姉さん……」 腰を動かしながら、胸を愛撫し続ける。 少し汗ばんだしっとりとした女の子の肌。 蛍光灯に照らされて、なまめかしく光る口元。 揺れるお尻に下着が食い込んでいる。 僕は完全に姉さんにはまっている。 「姉さん……!」 「んっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ、んんっ!」 「ちゅっ、ちゅっばっ、んっ、ちゅっ、ちゅっ!」 「んっ、はぁっ、んっ、あっ、はぁっ!」 胸をこねくり回すように、愛撫し続けているせいか、姉さんも顔を上気させていた。 興奮してるんだ。 今すぐ、抱きしめたい衝動にかられる。 でも、せりあがってくる射精感は待ってくれない。 「あっ、くっ、姉さん……!」 僕は両手で姉さんの肩をつかむ。 「で、出るよ?」 「んんっ! ちゅっ、んんっ!」 姉さんは一瞬、僕と視線を重ねた。 「いいよ」と告げていた。 それで、僕のタガは外れた。 心臓が強く鼓動して、腰が揺れた。 睾丸が脈を打ち、精子を―― 「くっ……!」 「んんっ……!」 「んんんん~~~~っ!!」 僕は姉さんを白濁液で、汚してしまった。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「ふぅ……たくさん出たわね……」 指先についた精液を見て、微笑する。 「ごめん」 「馬鹿ね」 「いいわよ、貴方なら……」 僕達は衣服を整え、トイレの個室を出た。 水道で手を洗い、口をゆすぐ。 「さあ、行きましょう」 「あ、待って」 すぐに出ようとする姉さんの手をつかむ。 「どうしたの?」 「出る前に、その」 「姉さんを抱きしめて、キスしたい」 「……」 姉さんは僕の言葉を聞くと、頬を染めて。 「ほら、早くして……」 「他の人に見られちゃうでしょう……」 そんなことを言いながら、うつむいた。 「何ていうか……」 「大変お世話になりました」 トイレを出た後、僕は姉に頭を下げる。 「……」 姉さんは微かに頬を染めて、何ともいえない顔になる。 「……まあ」 「……そうね」 歯切れの悪い返答だった。 無理もないけど。 「おかげで、随分楽になった気がする」 「身体が軽くなったような」 軽く伸びをしてみる。 気のせいじゃない。マジで体調がいい。 「はっ!」 僕はその場で、後方倒立回転跳びを決めた。 「どうしていきなりバク転をするのよ?」 「今、すっごい高く跳べた」 「マジで絶好調みたい」 「アスファルトでやらない。馬鹿ね」 姉に額を軽くこづかれた。 「ごめん」 「でも、本当に調子がいいみたいね」 「どうしてかしら?」 「わかんないけど、思い当たるのはやっぱり」 「……私がさっきしたから?」 また姉さんの顔に朱色が射す。 「雌の粘膜とか、体液に触れるといいのかも」 「……ありえる話ね」 「そもそも、貴方の相手は私か悠なんだし」 「そうか、つまり私がしばらく貴方の相手をすればいいわけね」 「さすがにそれは、姉さんに悪いから……」 「いいわよ、別に」 「貴方の苦しみを和らげたいって、前に言ったでしょ?」 「だけど、女の子にこれから何度もあんなことをさせられない」 「あら、まだ私は貴方にとって女の子なの?」 「私は姉よ?」 「その辺は複雑なんだけど」 「姉さんが出来て、嬉しいと思う気持ちと」 「クラスメイトの新田サンと仲良くなれて嬉しいって気持ちがあって」 「そういう二つの気持ちがあるから、僕は君を――」 どんな風に好きなのか、わからなくなるんだ。 「……なるほどね」 「そうね、私にとっても貴方は弟でもあり」 「ちょっと危なっかしいクラスメイトの加納君でもあるわ」 「急にスイッチを切り替えたようにはいかないわよね」 苦笑する。 「うん」 「でも、どっちにしろ、好きなら大して問題ないじゃない」 「私はそう思うことにしてるわよ」 「まあ、そうだね……って、え?」 「姉さんも、どっちにしろ、僕が好きなの?」 「あ……」 「…………」 新田姉さんは、今まで一番顔を赤くする。 今にも湯気が出そうなくらい沸騰していた。 「――さ、さあ、もう帰るわよ」 ふいっと顔を逸らして、姉さんはスタスタと元来た道を辿り出す。 「え? 姉さん、買い物は?」 「これから私が毎日相手するんだから、もういらないでしょう?」 「でも、一応、買っといた方が」 「いらないわよ」 「毎日、朝昼晩、私がイジメてあげるわ」 「私の大好きな加納君をね」 にっこりと笑う。 でも、何故か指をぽきぽき鳴らしていた。 「マジでイジメられそうだ……」 やはり自分で処理した方がいいのかもしれない。 「はいはい、ウソよ、優しくしてあげるわよ」 「その代わり、今後は無粋なツッコミはやめなさい」 「うっす……」 半分脅えながら同意した。 「さ、帰りましょう」 また姉さんの方から腕を組んできた。 まあ、さすがに今は大丈夫だろう。 ありがとう。それから。 ――好きです。 僕は隣で微笑む女の子に心の中でそう言った。 次の日は予定通り、登校できた。 「やっほー! イズミ!」 「今日は来たね! 風邪はもういいの?」 「うん、もう平気だ。ありがとう」 元気な直の顔を見て、思わず笑みがこぼれる。 思えば、こいつの明るさには随分救われた。 「新田ガールも、復帰したし、あとは白羽瀬さんだけだにゃ~」 直は姉さんの座ってる席に、笑顔で手を振る。 「……」 姉さんも笑って直に手を振り替えした。 「おお! 新田サン、今日もキレイっ! 後光がっっ! 高貴な光が! うらやねたましいぜっ!」 まるで眩しいモノでも見たかのように、右腕で光を避けるようなポーズを取る。 オーバーリアクション。 「うらやむのも、ねたむのもやめい」 直の腕をつかんで、下げさせる。 「だって~。同じ女子としてやっぱ、いいな~って」 唇を尖らせる。 「直には直のいいところがあるよ」 「――え?」 「だから、自信を持って直らしくしてればいい。直は充分魅力的だ」 「ええっ?!」 「どうか、これからも君らしく明るく生きてくれ。僕はそんな君が好きだ」 最後かもしれないので、普段言えない事を言う。 「えええ――っ?!」 直は両手を頬にあて、一瞬で真っ赤になる。 「な、な、なんなんですか――っ?! それはなんなんですか――っ?! イズミいいっっ!」 荒ぶった直が僕の胸倉をつかんでがくがく揺する。 「え? な、何?」 「急にあたしのこと褒めたりして!」 「今まで、超がつくほど朴念仁だったくせにっ!」 「あげくに好き言うし!」 「好き言うし!」 「2回言わなくても」 「そこが大事なんだよ!」 そうすか。 「いや、友人としてって意味だよ?」 「わかってるよ! こん畜生!」 キレるなよ。 「直の明るさは今の時代、すごい貴重な資質だと思うよ」 「だから、これからも大切にして」 たまに心配になることもあるけど。 「うおおおおおおおっ! これ以上褒められたって、ダマされねぇぞおおおっ!」 「でも、デートならいつでもOKだっっ!」 前言撤回。 めっちゃ心配だ。 昼休み。 たぶん、いるかとアタリをつけて部室に向かう。 「よう」 「あ、カノー先輩」 予想通り、高階がいた。 「昼食は?」 「まだっす。これから購買にダッシュです」 「高階後輩、君はツイてる」 「え?」 「ここにたった今購買部から調達してきたお宝が」 僕は高々と白い紙袋を掲げる。 「おおーっ! マジですか?」 「高階の好きなヤキソバパンと栗入り小倉アンパン」 「なんと?!」 「ウーロン茶と食後のデザートにはマンゴープリン」 「怖いくらいに完璧な布陣?!」 「進呈しよう」 うやうやしく、両手で持って、後輩に差し出す。 「神、光臨?! あっ……」 高階はフラリと身体を揺らす。 「お、おい、どうした?」 心配して駆け寄る。 「嬉しさのあまりめまいが……てへ☆」 ぺロリと舌を出す。 「安い、安すぎるぞ、高階後輩」 「君はもっと上を狙える逸材だ。自分を安売りするな」 「過分なお言葉、恐縮です!」 「冗談はともかく、いっしょに食べよう」 「あざーす! では精算は後ほど」 「いや、おごるし」 「ええー、マジですか?」 「もしかして、それと交換で私とおデートしたいとかですか?」 「しますよ!」 満面の笑顔であった。 「だから、安売りしない」 困ったヤツだ。 高階と二人で談笑しながら昼食を摂る。 こいつとメシを食べるのは割りとあったが、二人きりは久しぶりだ。 姉さんと二人の時、直と二人の時、どれとも違う雰囲気。 でも、居心地はいい。 刺激は強くないけど、和むというか。 高階はホッとさせる空気を持つ子だった。 「カノー先輩」 「ん?」 ひと足先に食べ終わった僕を高階が見る。 「どうして、そんなに私を見るんですか?」 「え? あ、ごめん」 「いいですけど、食べてるところ見られるのはちょっと恥ずかしいです」 「高階の食べてる横顔見るの好きなんだ」 「ありがとうございます。すごいウソっぽいですけど」 割とホントなんだけど。 まあいい。 「カノー先輩」 こくんとパンを飲み込んで、またチラリと見られる。 「うん」 「前、ここで二人きりで、タバコ吸いましたよね」 「うん、僕は吸った」 「そして、高階は咳き込んだ」 「いやいや吸いましたから! ちょっとだけですけど吸いました!」 「じゃあ、吸ったことにしてもいいけど」 「吸ったんです!」 ムキになっていた。 むーと口をへの字に曲げる。 「はいはい、吸った吸った。そう怒んないで」 苦笑しつつ、後輩の頭を撫でてやる。 「あ……」 「えへへ」 へらっと笑んだ。 ご機嫌回復。 「あれって、二人だけの秘密ですよね?」 「うん、誰にも話してないけど」 「部長にも、川嶋先輩にも話してません?」 「してないよ」 「なら、いいです」 「どうして、そんなこと聞くの?」 「もしかして、あの時の事、誰かに変なこと言われた?」 「いえいえ、そーいうのはないです」 「仮にあっても、そんなの平気ですから、私」 ふふんと高階は胸を張る。 「そっか、ならいいけど」 ホッと胸を撫で下ろす。 タバコとライターを取り出した。 「あ、吸いますか?」 「うーん……」 高階はまだ食事中だ。 隣で吸って、煙まで食わすのは忍びない。 「そう思ったけど、やめた」 「金もかかるし、周囲には迷惑だし、本当はもう禁煙したいんだ」 「なら、それください」 僕の方に手を伸ばす。 「ん?」 「禁煙するんなら、いらないじゃないですか」 「あ、タバコとライターのこと?」 「ですです」 ずっと手を突き出したままの高階。 その手をじっと見る。 少しだけ迷った。 迷ったけど。 「うりゃ!」 掛け声とともに、喫煙セットを後輩の手のひらに載せた。 「何故にそこまで気合を」 「それなりに、決心がいるんだよ」 「持ってない方が、絶対禁煙できますよ」 「そうなんだけどさ」 ちょっとだけ未練。 「吸いたくなったら、イクイクと約束したなって思い出して、思い止まってください!」 「うい」 これは絶対禁煙せざるをえなくなった。 あ。 「高階、今思いついたんだけど」 「何ですか?」 「イクイクってあだ名、ちょっと卑猥だよね」 「カノー先輩が卑猥なだけっす!」 後輩は激しく引いていた。 「あ」 昼休み終了5分前のチャイム。 終わりか。 名残惜しいがしょうがない。 「さて」 僕はイスから立ち上がる。 「あーあ、楽しい時間はすぐ過ぎちゃいますね」 さらっと高階がそんなことを言う。 「……」 胸がしめつけられた。 ――そのくらい、嬉しかった。 「じゃあな、高階」 平気なフリをして、手を振って、扉の方へ。 「はい、また放課後に!」 また放課後に。 そうだな。 いつの放課後になるかはわからないけれど。 また、いつか、君と。 ここで会えたらいいな。 「じゃあな、後輩」 笑顔を作って、そう告げて、扉を閉じた。 良かった。上手く笑えた。 高階に対しては最初から最後まで、普通の先輩として振舞いたかった。 仮にこれが最後になっても、君の思い出の中では「そういえばちょっと変なカノー先輩って人居たな」って感じで。 「行こう」 僕は部室に背を向けて歩き出す。 胸の奥に微かな痛みを感じながら。 「おう、待たせたな」 放課後。 部活が始まる前に、部長と落ち合う。 「すみません」 「後輩のくせに呼び出したりして」 「かまわん」 「俺とお前の仲だ、気にするな」 眼鏡のフレームをくいっと押し上げつつ、微笑する。 絵になる仕草だ。 部長は黙っていれば、知的な雰囲気漂う美男子だ。 成績もいいし、スポーツも出来る、人脈も広い。 転入当初、トラブルメーカーだった僕は何度、この人に助けてもらったことか。 僕にとって唯一の後輩が高階で、この人は唯一の先輩だった。 「ん? 俺の顔になんかついてるか?」 「あ、いえ、すみません」 「で、話というのは何だ?」 「あえて部室を外したということは、高階や川嶋には聞かれたくないことなんだろう?」 「はい、直と高階にはまだ内緒にしておいて欲しいんですが」 「しばらく休部させてください」 「休部?」 「はい」 「お前と白羽瀬は、元々来たり来なかったりだったじゃないか」 「何を今更という感じだぞ?」 「今回は、来たり来なかったりという感じじゃなくて、しばらくずっと来れなくなりそうなんです」 「それと、白羽瀬はもう来れません。理由は出来れば聞かないでください」 「……」 僕の話を聞いて、部長は腕組みをして考え込む。 「なあ、あまり詮索はしたくないのだが」 「はい」 「もしかして、お前に良くない事が起きているのか?」 目を細めて尋ねられた。 真剣な表情。 いつも部室で楽しくやってる時とはまるで違う。 本気で心配してくれているのだ。 「……起きてます。でも」 「詳細は話せません。すみません」 ただ謝って、頭を下げる。 それしかできない。 「……何か俺にできることはないか?」 「……ありがとうございます」 「その言葉だけで、充分です」 「……」 「そうか……」 「わかった。休部を認める」 先輩は再び眼鏡のフレームを押し上げる仕草をしながら言った。 「すみません」 「何が起きてるのか知らんが、無茶はするなよ」 「お前は物事を白か黒か、はっきりさせようとする傾向が強い」 「だが、実際には灰色のモノばかりなんだ。この世の中はな」 「理屈で割り切れないモノばかりであふれている。それを認めないと世界が狭くなるぞ」 「僕、そんなに白黒はっきりさせようとしてましたっけ?」 「大分マシにはなったがな、入部した頃は酷かった」 「だから、揉め事ばかり起こしてたんだ、お前は」 「……その節は大変お世話になりました」 頭を下げるしかない。 「純粋すぎるんだな、お前は」 「それって、要は子供ってことですよね?」 「そうとも言う」 「キツいなあ」 「ははは! 良薬は口に苦しだ、受け止めろ」 二人で笑いあう。 何だか、気持ちが晴れ晴れとした。 ありがとうございました、部長。 貴方は僕にとって、本当にたった一人の先輩でした。 そう呼べる人がいて、良かったです。 「じゃあ、僕はこれで」 「今まで本当にお世話になりました」 もう一度だけ頭を下げて、僕は彼に背を向ける。 と。 「加納!」 部長が、僕に声を。 「いつでも戻ってこい!」 「お前の席はずっと残しておくからな!」 「俺が卒業するまでには戻って来いよ!」 振り返ると、部長は笑顔でそんなことを言ってくれた。 「また会おう、後輩」 「あ……」 「ありがとうございます……!」 僕は立ち止まり、答えた。 さよなら、先輩。 少しだけ視界が滲んだ。 「あ」 教室に戻ると、姉さんがいた。 「……」 自分の席に座り、頬杖をついて校庭の方を眺めている。 「姉さん」 呼びかけると、姉さんはゆっくりと僕の方を向く。 優しく微笑みかけられた。 「挨拶、全部終わった?」 「終わったよ」 「会いたい人、全員に会った?」 「会ったよ。姉さんは?」 「会ったわ。いつもと同じ、とりとめのない会話をして……」 「心の中で、さよならって言ったわ」 「そう……」 「……」 僕は姉さんの席の隣に座り、教室の黒板を眺めた。 さんざん見慣れた風景。 でも、もうすぐ見られなくなってしまう風景。 目に焼き付けるように、見つめた。 「……ここでやること、なくなっちゃったわね」 「うん」 「……もう私達、ここに居なくてもいいのね」 「うん……」 「……おかしいわね」 「最初は悠を見守るためだけに入学したのに……」 「ただそれだけのつもりだったのに……」 「こんな感傷的な気分になるなんて……」 「そういえば、貴方はどうしてここに入学したの?」 「加納さんに、どこでもいいから通えって強制されて」 「そうなの?」 「あの人、おかしいんだ」 「自分はロクに学園行けなかったから、僕には行かすとか」 「変なトコで、まっとうなフリして僕に言うんだ。酔っ払いながら」 「学園は卒業しとけって」 「後で絶対後悔するからって」 確か僕を引き取ってすぐの頃だったか。 酔って泣きながら、お前は俺のようになるなと繰り返していた。 あれは、何だったのだろう。 単純なようで、ややこしい。 子供のようで、大人で。 本当に奇妙な人だった。 「……イズミ」 頬に姉さんの手が触れていた。 「え? 何?」 「泣いてるから」 「泣いて……る?」 自分で頬に触れてみた。 指先が、微かに湿った。 「……僕まで感傷的になってるのかも」 照れ隠しに笑う。 「……」 「ねえ、イズミ」 「何?」 「好きよ」 「どうしたの、突然」 「そう言ってあげたくなったのよ」 「貴方の顔を見てたら……」 姉さんの両手が、僕の頬を包み込む。 「僕も好きだよ」 「姉さん」 「ねえ、イズミ……」 「私、このクラスで初めて貴方を見た時」 「どう思ったと思う?」 「どうだろう……わからないな」 「貴方は私のこと、どう思った?」 姉さんはゆっくりと顔を近づけながら、尋ねてくる。 「しっかりした子だなって」 「他には?」 顎の下に手を。 顔を上げさせられる。 「優秀だなって」 「それだけ?」 もう吐息がかかるくらいの距離。 「すごくキレイな子だなって……」 全部白状させられる。 言ってて顔が熱くなってきた。 「ありがとう」 姉さんは微笑する。 長いまつげ、澄んだ瞳。 微かに濡れた唇。 透き通った白い肌。 間近で見た姉は魂を抜かれるほど、美しかった。 心臓の鼓動が、どんどん早くなる。 「姉さん……」 「ん?」 僕の頬を撫でながら、じっと僕を見つめる。 「姉さんは、僕の事どう思ってたの?」 「……」 「内緒……」 「ん……」 僕が何か言おうとすると、姉はすかさずキスでそれを制した。 「ん、ちゅっ、ん……」 「姉さん」 僕は背後から姉さんの胸を愛撫した。 「ああっ……」 「ダメよ、イズミ……」 「こんなところで……」 「姉さんがキスするからだよ」 「もうおさまらないよ」 「お願い、姉さん」 胸を揉みしだきながら、囁く。 「あ、こら、やめ……んっ」 「んっ、ちゅっ、んん……!」 僕は姉さんの唇をキスでふさぐ。 そして、そのまま制服を脱がしていった。 「あっ、やっ、んっ、ちゅっ……」 「こら、イズミ……ダメ、あっ!」 「あっ、いやっ、ダメっ……ああんっ!」 言葉とは裏腹に、姉さんは僕に身体を預けてきた。 キスと胸の愛撫で、姉さんにも火がついてしまった。 僕はブラの上から形のいいバストをぎゅっとつかむ。 「ああっ!」 ぴくん、と姉さんが反応した。 「姉さん、もうすごく感じてるね」 「そ、そんなこと……」 「だって、ほら」 僕は姉さんのおっぱいの突起物を指でつまんだ。 こりこりともう固くなっている。 「そ、それは、ただの生理現象よ……」 「触れられれば、女の子なら皆……あっ!」 姉さんが話し終わる前に、愛撫を再開した。 手の中いっぱいに、姉さんのおっぱいの感触が伝わってくる。 後ろから責めると、こんな風にできるんだ。 僕は夢中で、姉さんの胸を揉む。 「あっ、やっ、んんっ!」 「あんっ、んっ、ダメっ、あっ……!」 「あっ、はぁんっ、ああっ……!」 姉さんの可愛い反応に、僕はより興奮する。 愛撫を続けながら、首筋にキスをした。 「あっ、やっ、くすぐっ……んんっ!」 「そ、そんなに舐めちゃ……あっ、んっ!」 「やっ、首は弱いから……んっ!」 「姉さん、これ取ってもいい?」 僕は姉さんのブラに手をかけた。 「はぁ、はぁ、や、ダメよ……」 「こんなところで、恥ずかしいわ……」 「恥ずかしがってる姉さんが可愛いからみたい」 「え? あっ! こ、こらっ!」 制止もきかずに、ブラをズラした。 姉さんの生のおっぱいが、教室で晒された。 「あっ、馬鹿っ、もう……」 「も、もし誰か来たら……あんっ!」 「んっ、やっ、あっ! はぁ、はぁ、やっ、ああんっ!」 「ダメよ、イズミ、こんな所で、おっぱい触っちゃ……んんっ!」 「あっ、ひゃっ、んっ、やっ、こらっ、乳首をこねまわさない――やっ、んあっ!」 僕の体重を預けたまま、姉さんが乱れる。 教室に、姉さんの色っぽい声が響く。 僕は後ろから、姉さんをぎゅっと抱きしめて、耳に口づけをした。 「ああっ!」 姉さんが僕の腕の中で、震えた。 「姉さん、好きだよ……」 「この教室で、姉さんとこんなことをしてるの夢みたいだ」 「はぁ、はぁ、わ、私も……」 「一年前、貴方とこの教室で会った時、まさか、こんなことになるなんて……」 「夢にも……んんっ!」 僕は両手で、姉さんの乳首をイジりながら耳たぶや、首筋にキスをし、舐めた。 姉さんの匂いを、思いっきりかいだ。 胸がどきどきする、女の子の匂いだった。 「あっ、やんっ、ん……」 「そ、そんなに強くしなくても……」 「あんっ、イズミ、激しい……んっ!」 「ごめん、僕、今すごく興奮してる」 「姉さんをもっと感じたい」 「んっ、そんなにくっつかなくても……あっ、んっ!」 「あっ、はぁ、はぁ、んっ、あっ、あんっ、も、もう……」 「あ、甘えんぼうね、今日の貴方……」 「んっ、ちゅっ……」 姉さんの方から唇を重ねてきた。 僕は胸を揉みながら、それを受け入れた。 「ちゅっ、んっ、んん……」 「あっ、んっ、ちゅっ、やっ、んっ、んんっ……」 「ちゅっ、んっ、はぁ、あっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 すっかり尖った乳首をきゅっと軽くつねった。 「あっ、やんっ、ああっ!」 「姉さん、可愛い……」 言って、頬にキスをする。 「も、もう、エッチね……」 少しだけ拗ねたように唇を尖らせる姉さん。 「ごめん、でも姉さんが魅力的だからだよ」 「……」 「馬鹿ね」 すでに上気していた顔をさらに朱に染めていた。 「姉さん、こっちは――」 「え? ひゃっ?!」 僕はスカートをたくし上げ、姉の下腹部に触れた。 下着越しに、性器を撫でる。 「あっ、やっ、あっ、んんっ!」 「こ、こらっ、ダメよ……」 「教室で、そんなところまで……ダメ……ああんっ!」 いやいやと姉さんの腰が引ける。 でも、僕は後ろから姉さんを抱きしめて、放さない。 構わずに、指の腹でスジを強めになぞる。 「ああっ! ひゃっ、あっ、あああっ!」 「あんっ、んっ、やっ、ああっ!」 「はぁ、はぁっ、んっ、やっ、あんっ、嫌っ、ダメえっ……」 「ダメよ、イズミ、あっ、やんっ、あっ、ああああっ!」 僕の指先は姉さんの下着に、湿り気を感じ取る。 濡れていた。 姉さんは僕の愛撫で、教室で愛液をしたたらせていた。 「姉さん、濡れてるよ」 「もう、今更とめられないでしょう?」 「なっ、何言って……あっ!」 「馬鹿っ、濡れてなんか……あっ、やんっ、ああっ!」 「あああっ! そんなに強くしないで!」 「ああああんっ!」 「はぁっ、はぁっ……」 「姉さん、姉さん……」 姉さんの艶っぽい吐息が、たまらない。 もっと姉さんを感じさせたい。 僕はいったん、下半身を愛撫する手を止め、 「姉さん、脱がすね」 「――え? ああっ!」 姉さんのパンツを下げた。 「ば、馬鹿っ……」 「もう……」 「恥ずかしくて死にそうよ……」 姉さん涙目。 「ごめんね、泣かないで」 「な、泣いてなんか……んっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んっ、んんんんっ!」 僕は姉さんにキスをしながら、性器に直接触れた。 指先にはぬるぬるとした感触が。 茂みをかきわけるようにして、膣口に指を近づけた。 「あっ、やっ、やっ、ん……」 「ダメっ、広げないで……あっ……」 「あっ、ああああっ!」 優しく膣口の周囲を撫でた。 くちゅっと、柔らかい。 「あっ、んっ、!」 「はぁっ、んっ、やっ!」 「あっ、やっ、んんっ! ひゃあんっ!」 「あんっ! ひゃっ、んっ、あっ! あっ! あっ!」 姉さんは今まで以上に強く感じていた。 僕は背中から姉さんに身体をぴったりとくっつけたまま、胸と秘所を愛撫し続ける。 時折、首筋にキスをしながら。 「あんっ、あっ、あああっ!」 「やっ、あっ、ダメっ、ダメよっ、ダメぇっ……」 「教室で、こんなこと……あっ、んっ!」 「んっ、あっ、ひゃあっ、んんっ!」 「姉さん、大丈夫」 「こんな時間、めったに誰も来ないから」 「はぁ、はぁ、だ、だからって……」 「やっ、んっ、んんっ!」 「あっ、やっ、はぁ、はぁ、んっ、あっ、あん……」 「あんっ、やっ、そんなに、そこを……あっ!」 「指入れちゃ……ああんっ!」 姉さんの性器はもうぐしょぐしょに濡れていた。 姉さんが感じてくれているのが嬉しい。 もっと気持ちよくなって欲しい。 「姉さん、どこが一番感じるの?」 僕は姉さんの身体を触りながら、聞く。 「――なっ、そ、そんなこと……」 「い、言えるわけ、あっ! な、ないでしょ……んんっ!」 「でも、言ってもらわないとわからないし」 「わ、わからなくても、あっ、いいの……!」 よがりながらも、姉さんは意地を張る。 こんな時でも、姉さんは頑固だった。 仕方ないなぁ。 「わかったよ」 「自分で探すことにする」 「さ、探すって――きゃっ?!」 僕は姉さんをイスに座らせると、花弁をぐっと押し開いた。 「あっ、やっ、ダメっ!」 「そんなとこ、じっと見ないで……」 「見ながら、触らないとよくわからない」 僕は両手の指で、姉さんの股間に顔を近づける。 「だっ、だから、知らなくてもいいって――」 「あっ、馬鹿馬鹿、そんなに近くで見ないで……」 「もうっ、エッチ、知らない……」 恥ずかしがる姉さんを愛でつつも、僕は性器に舌を伸ばす。 ちゅっと口づけを。 「ひゃんっ!」 「あっ、やっ、んっ、ああっ!」 「はぁ、はぁ、んっ、ああんっ!」 小陰唇を指で押し広げながら、粘膜っぽい部分にそっと舌をはわす。 ぴちゃっと愛液で音がした。 「あっ、あああっ!」 「やっ、んっ、あっ、ああっ!」 「あっ、ん、はあ、はあ、いっ、いい……あっ!」 姉さんの脚から力が抜けていく。 抵抗はほとんどない。 姉さんも、快楽に身をゆだね始めた。 「姉さんのピンク色でキレイだよ」 「ば、馬鹿、そんなこと言わないで……あんっ!」 「はぁ、んっ、あっ!」 「やっ、あっ、んっ……!」 姉さんの花弁から、イヤらしい蜜がさらにあふれてきた。 指にまぶして、膣に人差し指を当てる。 「あっ、やっ」 「な、何か当たってる……」 「僕の指だよ、姉さん」 「少しだけ入ってるけど、わかるんだ」 「あ、当たり前でしょ……」 「も、もう、あんまり見ないで……」 「見ないままイジったりしたら、かえって危ないよ」 「ちゃんと見て、傷つけないようにしないと……」 言ってつぷっと指を飲み込ませる。 「ああんっ! ば、馬鹿馬鹿あっ……」 「ううっ、恥ずかしくて、泣きそうよ……」 姉さんがこつん、と僕の頭に太ももの内側をぶつけた。 せめてもの抵抗か。 可愛いな、姉さん。 「気持ちよくなってね」 僕はゆっくりと愛液のあふれ出す花園に、指を沈めていく。 「あっ、あああっ!」 「やんっ、あっ、ダメっ……!」 「あっ、やっ、んっ、あっ、い、いい……!」 「イ、イズミっ、んっ、あっ、そ、そこ……ああっ!」 「ここ?」 「あっ、ひゃっ、んっ、あっ、ち、違う……」 「もっと奥?」 「ああんっ、やっ、あっ、ああっ! ち、ちょっと、あんっ!」 「い、いき、すぎかも……」 「もう少し手前……」 「あっ! ひゃあんっ!」 「んっ、ああっ!」 「あっ! あああああっ!」 姉さんが強く脚を閉じようとする。 僕の頭が、姉さんの太ももに挟まれた。 姉の体温を、両頬に感じる。 「今のところ?」 「そ、んっ、そう、よ……」 「あっ、あああっ!」 「じゃあ、ここを中心に」 空いてる手で、姉さんの太ももを撫でつつ、指をゆっくりと動かした。 「あっ! やっ、んっ、はぁっ、んんっ!」 「あっ、ああ……んっ、あっ、あああっ!」 「はぁ、はぁ……」 「イズミ、すごい……」 すごいのは見ていてもわかった。 膣口から、どんどん蜜が滲み出てくる。 姉さんの股間を伝い、イスや床にぽたぽたと落ちるほどに。 「すごく濡れてるね」 「あっ、だ、だって……」 「イ、イズミに見られて……触られて……」 「はぁ、はぁ、そう思っただけで、私……」 「あ、貴方のせいよ……馬鹿……」 「でも、僕は姉さんが感じてくれて嬉しいけどね」 「姉さんに気持ちよくなってほしかったから」 「今、姉さん、気持ちいいんだよね?」 「……」 「……言わないわ」 「エッチ……」 ぽかっと頭を軽く叩かれた。 僕の姉さんは素直じゃなかった。 そんなところも、好きなんだけど。 だから。 「もっと良くしてあげる」 僕は両腕で姉さんの腰をぎゅっと固定した。 そして、姉さんの花弁に―― 「――え? あっ!?」 舌を差し入れた。 愛液を舐め取るように、スジにそって顔を動かす。 「あっ、あああああっ!」 「あっ、んっ、やっ、あああっ!」 「やんっ、あっ、はぁっ、あっ、んっ!」 「あん、ダメっ、ま、待って、イズミ、待ってえっ!」 僕の舌は、やがて包皮に包まれた姉さんの一番敏感なクリトリスへ。 ぺろっと舐めた。 「あああっ!」 ぴくん、と姉さんが身体を揺らす。 太ももに力が入る。 まるで股間に顔を押し付けられるような格好だ。 「ね、姉さん、苦しい」 「力を抜いて」 「そ、そんなこと言ったって……」 「あっ、ダメ、しゃべらないでっ」 「貴方の息が、当たって……ああっ!」 姉さんはちっとも脚の力を抜いてくれそうにもない。 仕方なく、僕はクリトリスへの愛撫を続行した。 「あっ! んっ、ひゃっ! んっ、んんっ!」 「あっ、やっ、はぁっ、あっ、んっ、あっ!」 「んっ、あっ、い、いやっ、いくっ、いやっ……!」 「はぁ、はぁ、ダっ、ダメっ、イズミ、ダメっ……!」 「わ、私、あっ、や、あっ、もうすぐ……いっちゃ……ああっ!」 姉さんは小刻みにぴくんぴくんと腰を震わせながら、僕の頭を強く抑える。 絶頂が近いようだ。 僕は、イっていいという代わりに、より強く舌でクリトリスを舐めて刺激を与える。 「ああっ! んっ、ああああんっ!」 「ひゃっ、あっ、んっ、あっ、ああっ!」 「んっ、あっ、いっ、いっちゃう、いっちゃう……」 「ダメえっ、私、弟に……教室で……」 「エッチなことされて、いっちゃう……!」 「あっ、ああっ、あんっ!」 「あんっ、ダメなのに……!」 羞恥心からか、姉さんはなかなか達しようとはしない。 僕はいったん、姉さんのクリトリスを舐めるのをやめた。 「はぁ……」 「はぁ、はぁ……」 姉さんは自然に小休止に入る。 僕はすぐに姉さんのクリトリスに吸い付く。 「ひゃあっ!?」 ちゅっちゅっと音を立てて、キスをした。 「あっ、ああああっ!」 「あっ、あっ、あっ、あああっ、んんっ!」 「ああっ……い、いくっ、いくっ……!」 「ああああああああああああああああああっ!」 姉さんの身体全体が、脈を打つ。 そして、姉さんは甘い叫び声を教室に響かせて、絶頂に達した。 「はぁ、はぁ……」 ようやく僕の頭を抑えていた脚の力が抜けた。 僕は顔を上げて、姉さんの顔を見る。 「姉さん、お疲れ様」 「……はぁ、はぁ」 「……教室で、いっちゃった……」 「そうだね」 「……顔、見ないで、恥ずかしいわ……」 「ごめん、ちょっとやりすぎたかな」 「ちょっとじゃないわよ」 「まったく……」 ぷんすかと怒っていた。 でも、可愛いから和んだ。 「……次は貴方の番ね」 「え? でも」 「でも、じゃないでしょ」 「姉にだけ恥ずかしい思いをさせるなんて、許さないわよ」 「それに前をそんなに膨らませたまま、帰るつもり?」 姉さんはそう言うと、イスから立ち上がる。 「……」 「いいのかな?」 「今さら何を言ってるのよ」 「ああっ!」 「ね、姉さんっ……!」 姉さんの腰を抱きながら、僕はじょじょに姉さんの中に入っていく。 「あっ、んっ、んん……!」 「あっ、はぁっ、はぁ、んっ、あっ……!」 「やっ、んっ、は、入って、きてる……」 「貴方のが……弟のが、ああっ!」 机に手をついた姉さんが、わずかに腰を揺らす。 それだけで膣の壁が、僕のペニスをきつく掴む。 心地よい抵抗感に、興奮が高まった。 「ね、姉さんのここ、あいかわらず狭いね……」 「押し戻されそう」 「あっ、んっ、やっ、ダ、ダメっ……」 「抜いちゃダメよ、イズミ……」 「あっ、もっと、ああっ……!」 「わかってるよ」 僕は固くなったペニスをぐっと押し出すように、腰を前に。 亀頭にやわらかな壁が当たる。 「あっ、ああ……」 姉さんの膣の中のヒダだった。 「あっ、ん……!」 擦られていく。 「はぁ、はぁん、んっ、あっ……」 カリに触れると、身体が思わず震えた。 「あっ、ああああっ!」 姉さんの中は――気持ちよすぎる。 「ああ、イズミ、イズミ……」 切なげな声を上げて、形の良いお尻を振る。 挿入しながら、撫で上げる。 「あっ、やんっ!」 「あっ、ひゃっ、ああっ!」 「ああっ、イズミ……」 「エッチな触り方ね……」 吐息混じりの声が、色っぽい。 もっと聞きたい。 「姉さん、姉さん……」 腰をさらに前に押し出す。 そして、手を伸ばして、おっぱいを揉んだ。 揉みながら、腰を軽くスライドさせてピストン運動に入る。 「あっ、ああっ!」 「あっ、んっ、あっ、それダメ……」 「おっぱい触りながらは、ダメっ、あっ!」 「い、意識が、分散して……はぁんっ!」 「が、がまん、でき、なっ……」 「あっ、ああああああっ!」 胸との同時攻撃に、姉は弱いようだった。 膣の中のすべりが、さらに良くなった。 姉さんの愛液にまみれたペニスを、じょじょに強く擦り付けていく。 「ひゃっ! ああんっ!」 「あっ、んっ、くっ、はぁんっ!」 「やっ、あっ、あああっ!」 「イ、イズミっ、イズミっ! つ、強い、あっ……!」 「ああんっ!」 姉さんの乳首がこりこりに固くなる。 きゅっとつまんで、くりくりとイジった。 「あっ! ひゃっ! ダ、ダメっ……」 「おっぱいと同時は、あっ、ダメだから……」 「ああんっ!」 膣壁がぎゅっと縮んだ。 ペニスが締め付けられる。 ぶるっと僕の性器が、震えるように脈を打った。 睾丸がどくん、と蠢いた。 早く、精子を出したいと僕に訴えかけてきた。 僕はそれをぐっと堪えた。 まだだ。 まだ僕は出してしまいたくない。 姉さんと繋がっていたい。 温かな姉さんの中に、包まれていたい。 「あっ! あっ! ああんっ!」 「やっ、んっ、あっ、ああんっ!」 「んっ、あっ、やっ! あっ、ああ、イ、イズミ……」 「貴方の、震えてる……」 「どうしたの……?」 「姉さんの中が気持ちいいから、出そうになったんだ」 「はぁ、はぁ、んっ、い、いいのよっ……」 「貴方の出したい時に、い、いつでも、出して……」 「ね、姉さんなら、いつでもいいから……!」 「あ、ありがとう」 「でも、姉さんと少しでも長くこうしていたいんだ」 「姉さんと繋がってるって、実感できて」 「姉さんと、セックスしてる時、僕は――」 とても幸福な気持ちになれるんだ。 「あっ、んっ、あっ! ああっ!」 「わ、私も、よ、イズミ……」 「こうして、貴方と繋がってるの、すごく好きよ……」 「貴方とセックスするの、好き、よ……!」 「ああっ、イズミ、イズミ……!」 「好き、好き、好きいいっっ!」 姉さんは自分から腰を動かし始めた。 ペニスへの刺激が大きくなる。 透明な愛液が、ぴちゃぴちゃと音を立てる。 心臓が早く鼓動する。 「あっ、ああっ!」 いつも凛としていたキレイな委員長の新田サン。 「んっ、あっ!」 厳しいけど、とても優しい姉さん。 恋心が、憧れが、僕の胸を高ぶらせる。 ああ、僕は君が好きだ。 切ないほどに、どうしようもないほどに君が欲しい。 この渇きは、どうすれば埋められるのだろう。 「好きだよ、新田サン」 「好きだ、姉さん」 今、改めて告白を。 君と初めて出会った、この教室で。 「あんっ、あっ、あっ、はぁん!」 「好きよ、加納くんっ!」 「好きよ、イズミっ!」 「どっちの貴方も、愛してるわ……!」 「愛してる、愛してる……!」 姉さんが、淫らに腰を振りながら、僕に応えてくれた。 「姉さんっ!」 「僕も、愛してる……!」 心の底から、そう思う。 もうこの人しか、見えない。 「僕は、君のためなら死んでもいい」 「今、この場で捕食されてもかまわない」 「君が望むなら喜んで」 「君のために死のう」 想いを伝えた。 「ああっ、イズミ、イズミ……!」 「私の、可愛い弟……!」 「そして、最愛の人……」 「わ、私だって、貴方のためなら、死ねるわ……!」 「貴方を、守ってあげたいっ……!」 「私の、命かけて、守りたい……!」 「守りたいのぉっ……!」 姉さんは身体を快感に震わせながら、僕に愛を伝えてくれた。 大好きだ。 僕はより強く、姉さんの腰を抱えペニスを激しく突きたてた。 この人の中に触れたい。 誰もふれたことのない箇所に。 僕だけが、触れたい。 「あっ、あああっ!」 「ひっゃ、あん、んっ、んんっ!」 「イズミっ、イズミっっ!」 「んんっ、ダメぇっ、もう、私、あっ、やっ、あっ……」 「ま、また、イッて……!」 「ね、姉さん、僕も――」 睾丸が大量の精子を送り出そうとしているのがわかる。 限界はもうすぐだ。 机がぎしぎし軋む。 「いっ、いいわ、イッて、イズミ、イってぇっ!」 「わ、私といっしょに……!」 「イッてええっ……!」 「ね、姉さんっっ!」 「な、中にっ!」 「中に、出してええっ!」 どくん、と僕は腰全体が脈を打つのを感じた。 「ああっ……!」 「あああああああああああああああああっ!」 僕は姉さんの膣内に、大量の精子を送り込んだ。 ペニスがどくどくと、震えるように蠢く。 白い液があふれ、姉さんの花弁から、漏れ墜ちた。 自分でもあきれるくらい射精した。 「はぁ、はぁ……」 「イ、イズミ……」 姉さんは恍惚とした表情を僕に向けた。 「うん」 「愛してるわ……」 「僕も愛してるよ、姉さん」 「ふふ……」 姉さんは僕の言葉を聞くと、嬉しそうに破顔した。 衣服を整えて、帰ろうとした時。 携帯に着信があったことにようやく気づいた。 留守電1件。 反射的に再生させた。 短いメッセージは、事務的に僕にこう告げた。 加納さんの容態が急変した、と。 あれから三ヶ月経った。 色々悩んだ末、僕と姉さんは学園に復学した。 出席日数の関係で二人共補講を受けまくるハメになったが、何とか進級できた。 二人共、今日から海浜学園の三年生だ。 この記念すべき日に、僕は姉さんと、とある場所に足を運ぶ。 「あ……」 「いらしたんですか」 「うん」 「あの、僕も線香を上げてもいいかな?」 「……いけない理由なんてありません」 「どうぞ」 「ありがとう」 「……」 「……」 僕と姉さんは並んで、加納さんの墓前で手を合わす。 僕と聡子さんが金を出し合って立てた墓だ。 まっすぐのびる線香の煙は、天へと高く。 高く。 加納さん。 施設で引きとられて、三年あまり。 傷つけられたことも、たくさんあったよ。 逆に僕が傷つけたこともあったのでしょう。 お互い無愛想な男だったから。 だけど……。 それでも、僕がもう少し柔らかな心を持っていれば。 そんな風に今は思います。 貴方のしたことすべてが正しかったとはとても言えないけれど。 貴方は、死ぬ最後まで。 僕を、きっと。 息子だって。 「……っ」 「……っ、く……」 「イズミ……」 堪えきれず、落涙する。 まさか、僕が貴方のために泣く日が来るなんて。 おかしくて、本当に泣けてくる。 もっと優しくすれば良かった。 もっと話をすれば良かった。 愛していると伝えれば良かった。 そんな後悔の念と、見えづらくはあっても、確かにあった愛情に対する感謝。 今、僕は願う。 貴方への恩讐を胸に、心から願う。 その願いを言葉に紡ぐ。 「父さん、安らかに――」 また朝が来る。 悠と約束を交わしてから何度目かの朝。 また一日、春に近づいた。 今日は学園は休むことにした。 「ウザッ、情弱ウザッ」 妹はせっせと見えない敵と戦い、 「このコード指がつりそうなんだけど」 僕はギターと格闘していた。 平和といえば、平和な日々。 だが、僕達兄妹は毎日、破滅への階段を一歩、一歩上っていた。 僕も悠も、そのことには一切触れない。 まるで、何も問題がないかのように、振舞っていた。 演じていた。 「あ」 悠のPCがいきなり軽快な電子音を鳴らした。 「メールだね」 僕はギターを弾く手を止めて、妹を見た。 「うん」 「あ、Harukaだ」 例の悠のファンという女の子かららしい。 元を正せば僕が今、不慣れな演奏に四苦八苦してるのも彼女に新作動画を見せるためだ。 「……」 「何だって?」 「う、うん」 「Haruka、アメリカに行くって」 「何でまたそんなところに」 「あっちにいいお医者さんがいるんだって」 「だから、あっちで手術するらしい……」 「そうか……」 外国で手術。 その事実だけで、彼女がそうとう厳しい立場にいるのがわかった。 「いつ行くかは、向こうの病院の都合もあるからはっきりしないけど」 「できれば、それまでに新作見たいって」 「せっつかれちゃったか」 「兄、どうしよう?」 悠がノートPCの画面から目を離して、僕を見る。 不安げな表情。 「悠はどうしたいんだ?」 視線を受け止めて、問う。 「私は……」 妹は視線を画面に戻して。 「……」 じっと画面を見つめていた。 Harukaからのメールを読み直しているのだろう。 しばらく部屋に静寂が降りてくる。 僕は妹の言葉を待った。 「……Harukaが、旅立つ前に、新作を見せたい」 「そして、頑張ってって伝えたい」 「きっともう機会がないと思うから」 「それだけは、やっておきたい」 「……やらないと」 僕は妹の横顔を眺めた。 真剣な表情。 今まで見た妹のどんな表情よりも、大人びて見えた。 「必ず新作アップするって、書いてメール送ってあげて」 「いいの?」 「兄、頑張るから」 「……うん!」 妹はまるで花が咲くように、笑った。 景気のいい音を立てて、妹がメールを打ち出した。 さて。 「指つるとか言ってられなくなったな」 僕は再びギターを手にした。 悠に見てもらいながら、練習をした。 「はあ……」 どうも上手くいかない。 「ごめん、ちっとも上達しない」 「そんなことない」 「まだ始めたばかりだし」 「焦らずいこう」 「あ、お茶淹れるから、ちょっと休憩しよ」 とてとてと台所へ。 妹の優しさが身に染みる。 「でも、参ったな」 ああは言ったものの、今度動画で演奏予定の曲は結構コード進行が複雑だ。 ちなみに、悠、作詞作曲の完全オリジナルである。 才能がまぶしいぜ、妹よ。 「ほい、兄」 「にゃ~」 マル美といっしょに妹のご帰還。 「ホットミルクにはちみつ入れてきた」 「ありがと」 早速、手にして飲む。 ホッとする甘み。 「美味しい」 「でしょでしょ?」 得意げに胸を張る。 で。 「よっこいしょ」 実にナチュラルに妹は僕の膝の上に座る。 「何故座る?」 「甘えてみた。ごろごろ」 「ごろごろ」 一人と一匹が同時に甘えてきた。 「お前、いつも割りと甘えてるだろ」 「そっかな?」 「兄妹だってわかってからは特に」 「……嫌?」 「――と、上目遣いで聞いちゃったりする、上級テクニックをくらえっ」 「言っちゃったら意味ないでしょ」 台無しである。 「そう言いつつも、妹に甘えられて満更でもない兄、イズミなのであった――」 「勝手に僕の心理描写をしない」 「じゃあ、どう思ってるのか言ってみるし」 「正直に」 「うーん……」 「ちょっと重いな」 「しょ、しょうなんでしゅかっ?!」 妹はショックのあまり幼児退行していた。 「ごめん、うそうそ」 微笑しながら頭を撫でてやる。 「兄に弄ばれた……」 頬を膨らませながら、睨んでくる。 「訴訟するし」 えー。 「ごめんごめん、許して妹」 もっと頭を撫でてやる。 「うっ」 「そ、そんなことしたって、騙されないし!」 「でも、それとは別にもっと撫でて! 兄頼む!」 上から目線で懇願された。 「はいはい」 言われるがまま、優しく頭を撫でまくる。 「おお……っ!」 「至福キターっ!」 「ふにゃ~~っ……」 妹は全身から力を抜いて、軟体化していた。 ん? 僕のスマホだ。 「はい、もしもし」 妹を膝にのせたまま、ちゃぶ台のスマホに出た。 『イズミ、私よ』 「姉さん」 『また休んでるみたいだけど、どうかしたの?』 「え? あ、いや……」 なるべく悠と二で人いっしょにいる時間を多くしたいから――とは言えない。 姉さんにも、春になったら二人で死ぬことは話してない。 「ちょっとした仮病だよ」 ウソではない。 『……あんまり自堕落なのは感心しないわね』 『生活の乱れは、心を少しずつ蝕むわよ』 「わかった。なるべく前向きに検討するよ」 『……あんまり期待できそうにもない返事だけど、まあ今はいいわ』 『それよりイズミ、貴方に緊急事態よ』 『今すぐ、隣町の南山総合病院に行きなさい』 「え?」 『そこに、貴方の養父が入院したそうよ』 行方不明になっていた加納さんが見つかった。 警察から学園にその報が入ったらしい。 ずっと、自宅を空っぽにしていたせいだ。 正直あまり会いたくはないが、唯一の身内が行かないのは何とも体裁が悪い。 重い足を無理矢理、病院まで運んだ。 「……」 病室に入って、30分経過した。 僕は特に何もしていない。 会話もない。 加納さんはずっと眠っているのだから、当然だが。 「……」 僕はただ黙って、加納さんの顔を見る。 家に居た頃より、ずっとやつれていた。 白髪もシワも増えたような気がする。 無理もない。 僕は決して、加納さんにとっていい息子ではなかった。 そして、加納さんもいい父親ではなかった。 「だから、お互い様って思ってたんだけど……」 こうして、すっかりくたびれてしまった養父を目の当たりにして、僕は。 少しだけ、後悔した。 医者は、たぶんもう長くはないと僕に淡々と説明した。 絶対、ヤブ医者だ。 このくそ親父が、そう簡単にくたばるものか――。 「加納さん……」 手を伸ばして、ベッドに横たわる養父の手に触れた。 自分から、この人に触れたのは――たぶん初めてだ。 その事実に軽く驚いた。 僕は、まったく愛していなかったんだな。 この人を。 「あんた、こんなに痩せた手をしてたんですか……」 固く、ざらざらとした手触り。 この手の感触が、この人のこれまでの人生がどのようなものであったかを物語っていた。 苦労をしていた。 社会に虐げられていた。 この人の人格や能力は、周囲に誇れるものでは決してなかっただろう。 でも。 「……少しは幸せでしたか……?」 「……ツライばっかの人生じゃなかったですか……?」 手を擦りながら、問う。 傍目には、少しも幸せそうになど見えなかった。 誰にも認められず。 誰にも愛されず。 ただ、時間や体力を社会に搾取されるだけのこれまでなのではなかったか。 目の前の養父は、ただ目を瞑り沈黙を守っていた。 「とりわけ賢くも、容姿がすぐれてるわけでもない」 「特別な才能があるわけでもない、裕福でもない」 「社会的弱者だ」 「弱者だから、よってたかって強者に奪われ続けて……」 「そりゃ、性格だって捻じ曲がるでしょうね……」 「そんな人を愛してくれる奇特な人はいない……」 「その結末が、このベッドの上……」 僕は唇を噛む。 養父の手を握る手に、自然に力がこもった。 「……これじゃあ、不幸になるために生まれてきたようなものだ」 「希望なんて、最初からない」 「加納さん、あんた……」 「あんたにだって、したいことはあったはずだ……」 「幸福になりたかったはずだ……!」 ぎゅっと強く手を握る。 「それなのに……!」 「……イズミ」 !? 手を握り返された。 僕は目を見張る。 「起きましたか……」 「ツライでしょう? 眠ってた方がいい……」 掠れる声で言った。 「イズミ、俺は……」 「後悔していない」 「生きてきたことを後悔していない」 「……聞いていたんですか?」 「なあ、イズミ」 「死にかけてる今だからこそ、わかることがある……」 「自分のしたいことをするだとか」 「幸福になるだとか」 「そんなことは、全部ささいな事なんだ……」 「――え?」 「自分の人生を、見誤るな、イズミ」 「お前の人生の答えは、お前の胸の中にある」 「お前にしかわからないんだ」 「周囲に流されず、感情に囚われず」 「心の声に耳を傾けろ」 「俺はそうした。だから、俺は笑って死ねる」 「いいか、息子よ」 「後悔のないようにな」 加納さんはそこまで言うと、微笑してもう一度、僕の手を握った。 たいした力ではない、その微かな感触に。 僕は、ついに落涙した。 「ありがとうございます……」 「それから、すみませんでした……」 僕はその場に膝を折る。 そして、父の身体にすがりついた。 こみあがる嗚咽をかみ殺しながら。 「……」 病院を出て、駅に着いた。 でも、僕はアパートには戻らずベンチに座って、空を舞う雪を眺めていた。 ずっと、気持ちが落ち着かない。 焦ってもいた。 でも、その原因がまるでわからない。 たとえれば、宿題が終わらないまま夏休みが過ぎていくような。 だけど、今の僕には何が宿題なのかさえわかっていない。 『イズミ、俺は……』 『後悔していない』 『生きてきたことを後悔していない』 「……」 加納さんは死期が近づいている。 それを本人も自覚しているようだ。 春が来たら、自決するつもりの僕とある意味似たような境遇。 加納さんは、生きていたことを後悔しないと言い切った。 僕は、どうなのだろう。 「え……」 風の中に、微かに混じった匂いに気がついた。 「これは……」 血なまぐさい。 顔をしかめたくなるほどに。 でも、周囲を見渡しても他の人達は誰一人、そんなそぶりは見せない。 僕だけがわかるのか。 成魚として僕も成熟しつつあるようだ。 雌に食われる雄の成魚として。 僕はベンチを立ち上がる。 匂いの元をたどることにした。 「……ここか」 血の匂いに誘われて、こんな寂しい場所に。 誰もいない。 以前、ここに死体が捨てられていた。 それ以来、ただでさえ少ない利用率はダダ下がりらしい。 「ん?」 ベンチで何かが動いた。 小さな人影があった。 アレは――。 「はぁ、はぁ……」 「……っ、くっ、はあっ、はあ……」 ベンチにもたれかかり、息を荒げる少女がいた。 衣服のそこかしこが破れ、血だらけだった。 「!? 誰っ?」 少女は僕に気がつくと、攻撃的な視線をぶつけてきた。 「君は……」 僕はその子を知っていた。 「加納イズミ……」 そして、彼女も僕を知っていた。 「相羽の妹さん……」 相羽の話では、確かこの子も雑種の人魚だ。 「美月よ」 「相羽美月、一度自己紹介したはずだけど」 「ああ、そうだったね」 彼女の怪我は結構酷い。 なのに自己修復機能が働いていない。 それが、気になった。 「――それで、何よ?」 美月は僕の思考を遮るように、言葉を投げつけてくる。 「私を狩りに来た?」 「言っとくけど、手負いでも、簡単に狩られてあげる気はないから」 「遊び半分なら、やめた方がいいわよ?」 美月は口の端を吊り上げて、不敵に笑った。 「それだけの怪我をしてるのに、君は強いな」 腹が据わっている。まだ年端も行かない少女なのに。 「……いつか、どこかで教わったのよ」 「そうじゃないと生きていけないって……」 そう言って、彼女は薄く笑った。 「一つ、いや、二つ聞きたい」 「嫌よ、面倒だわ」 ぷいとそっぽを向かれてしまった。 「ただとは言わない」 「え?」 「寒いだろう? 缶コーヒーくらいおごるよ」 「……できれば、貴方の命が欲しいけど」 「今はそれで妥協してあげるわ」 「ありがたく思いなさい」 「……ありがとうございます」 「美味しい……」 「糖分を摂ったのは、久しぶりかもしれないわ……」 僕が買ってきた缶コーヒーを口にした、美月から水蒸気が立ち上った。 「やっと治癒が始まったね」 「栄養を少し摂ったからでしょうね」 「そんなに飢えてるの?」 「ええ、私、今、養分が足りないのよ」 「一時よりは落ち着いたけど、まだ全然足りてないわ」 「そうか」 「――それで、聞きたいことって?」 「缶コーヒー一本分くらいのことなら、答えてあげるわ」 「うん。でも、一つはもう答えてもらったかな」 「え?」 「最近の失踪事件は、君の仕業かって聞きたかったんだけど」 「……つまり、私がやったと判断したってこと?」 「ああ」 「残念だけど、半分当たりで半分外れね……」 口から白い吐息とともに、言葉を吐き出す美月。 「……どういうこと?」 「全部が全部、私がやったわけじゃないってことよ」 「私が狙うのは、幼児愛好者の変態の男だけ」 「私を襲うつもりが、逆に襲われる――ってパターンね」 不機嫌そうに吐き捨てて、缶コーヒーを口にする。 「随分、危険なコトをやってるんだな」 「相手がクズなら、心の痛みも軽減されるでしょう?」 「……」 美月の言葉に僕は黙り込む。 詭弁だと非難するのは簡単だ。 だが、彼女も人を食わねば生きられない。 僕が人を食わないで済むのは、たまたま純血種の雄だったからだ。 彼女を断罪できるヤツこそ、詭弁者だ。 「被害者には若い女性や子供もいるでしょう?」 「うん」 「そっちは、私じゃないわ」 「さっき私を襲ったやつが犯人よ」 「……もしかして、御堂イズナ?」 「何よ、知ってるんじゃない」 「僕の姉さんはそうあたりをつけていたけど、僕は単独犯じゃないって思ってた」 「だから、君と共謀したのかなって」 「やめてよ」 眉根を寄せる。 「誰があんな化け物と」 「一般の人から見たら、僕達も化け物だけどね」 「違う」 僕の言葉をはっきりとした口調で、美月は否定した。 「喜んで人を殺すアイツと、私をいっしょにしないで!」 「純血種は、雑種のようにしょっちゅう人を食べなくても生きていける……」 「なのに、アイツはただ楽しみのために殺してる……」 「アイツは危険だわ」 「いつか、私が逆に狩ってやる……!」 「おいおい」 驚いた。 この子は、腹が据わってるどころじゃない。 勇猛を通り越して、無謀だ。 「さっき殺されかけたんだろう?」 「そうよ」 「その様子じゃボロ負けだったんだろう? 命からがら逃げてきたんだろう?」 「失礼ね。お互い生き残ってるんだから、引き分けよ」 「絶対、向こうが本気じゃなかっただけだ」 「でも、私は大量の養分を補給しないとあとそう長くは生きられないのよ」 「あの女なら、私の心もそんなに痛まないし、何百年も生きてるから養分をばっちり蓄えているハズなの」 「それしか、私が生きる道は――ないのよ」 美月は降りしきる雪を見上げ、ぽつりとつぶやいた。 息を飲んだ。 圧倒されていた。 この子の強さと、生きることに対するまっすぐさに。 「……すごいな、君は」 「尊敬に値するといってもいい」 「な、何よ……」 「褒めたって、私は懐柔されたりしないわよっ」 「私は、隙があれば貴方だって狩るわよ。本気なんだから」 「もちろん、君がそうしたいならそうすればいい」 「でも、僕の命は、妹のものだから」 「簡単に君に狩られてやるつもりはないよ」 「……ふん」 「馬鹿じゃないの」 「いい? 加納イズミ、教えてあげるわ」 美月は僕に尖った視線を向けて言った。 「貴方の命は貴方の物よ」 「誰が何と言おうと、貴方の物なの」 「どう生きるのか、どう死ぬのかは、貴方が貴方のために決めなさい」 「それは権利じゃなくて――義務よ」 「……」 彼女の言葉のひとつひとつが心に突き刺さる。 「貴方、妹のため――なんて言って簡単に死んじゃいそうね」 「安易な死も、安易な生も罪よ」 「生者のために死んだ者達に対する冒涜だわ」 「簡単に諦めて死ぬことは、罪」 「ただ運命に流されて、無為に生きるのも、罪」 「私は、どっちにもならない」 「お兄ちゃんにも、そうあってほしい……」 「私達は、私達の生をまっとうするわ」 「生ききって、やるわ……!」 「帰るわ」 美月は立ち上がると、フラフラと出口の方へと向かった。 足取りがあやうい。 傷もまだ癒えきってない。 養分が、決定的に足りてない。 それでも、彼女は一人で歩いた。 「……」 僕は黙って、彼女の後姿を見守る。 「……」 「加納イズミっ!」 出口付近に近づくと、彼女は振り返り、僕の名を呼んだ。 「何?」 「二つ目の聞きたいことって、何よ?」 「……」 「相羽は――」 「相羽は、今、どうしてる?」 「……」 「生きてるわ」 「頑張って、生きてるわっ!」 彼女はそう叫ぶと、くるりと背を向けて立ち去っていく。 「……」 少しずつ遠ざかる小さな背。 「どうか……」 「……どうか、死なないで……」 「……朝です」 2月中旬。 部長が軽音部を紹介してくれたことで、事態は一気に加速する。 悠も僕も、彼らといっしょに夜遅くまで練習の日々だ。 学園の連中とはいつも反目し会っていた悠だが、彼らとはウマが合うらしい。 楽しそうに笑う妹をよく見られて、僕も嬉しいかぎりだ。 それにしても。 「君、今日は、随分大人しいね?」 「……自分、モブですから……」 「え? そうだったの?」 「だって、立ち絵ないし!」 立ち絵言うな。 「う~ん、う~ん……」 「兄、頭熱い……」 「風邪薬飲まないと……。あと栄養のあるご飯……」 「……」 「兄、お薬とご飯~」 「あ、うん、持って来てやるから」 目が赤い。 それに食欲は普通にあるようだ。 本当にただの風邪だろうか。 「はい、薬と水」 テーブルにトレイごと置く。 「さんきゅー」 「――っくん。あうっ、にぎゃいっ!」 妹は漢方薬に涙目になる。 「ご飯は今作ってるから、その間に熱計ってて」 電子体温計を手渡す。 「うん、わっ! 冷やっこい!」 脇にはさんだ体温計に身震いしていた。 「あんまり高くなきゃいいけどな……」 「あ」 「え? どうした?」 「何か、もう熱くない」 「は?」 「治った!」 「そんなアホな……」 いくら何でも効くのが早すぎる。 体温計が鳴って、悠はそれを抜き出した。 「見せて」 「ほい」 受け取って、見た。 36.0。 完全に平熱。それに―― 目はもう赤くない。 「良かった。今日も練習しないとだし」 「顔洗ってこよーっ」 悠は元気に、台所まで駆け出した。 「……」 僕は手のひらの上の体温計を見ながら、黙り込む。 そして、息を吐く。 アレは風邪じゃない。 それ以外の理由による身体の変調だ。 近づいている。 悠が覚醒するべき日が――。 昼休みに、全員で部室に集う。 昼食を摂りながらの進捗会議だ。 「もぐもぐ……っくん――それで、白羽瀬さんとイズミの練習はどうなん?」 「私はバッチリ」 「僕はションボリ」 「進捗に差異がありますね」 「予想通り、加納くんが足を引っ張ってるわけね……」 「面目ないです」 姉さんに睨まれて、肩を落とす。 「元々大してやってなかったんだから、仕方ないだろう」 「どうする? 今からでも軽音部の誰かにやってもらうか?」 「是非、そうしたい――」 「ダメでござる!」 全部言い終わる前に、妹に拒否られた。 「僕より上手い人がいるなら、そっちのがいいじゃん」 「ダメっ!」 「せっかく撮るんだから、ちょっとでもいい演奏で」 「ダメダメっ!」 「元々、僕、目立つの苦手で――」 「ダメダメダメっ!」 頑として譲らない。 「白羽瀬ガール、すっごいイズミにこだわってるね!」 「あやしいっす! 色恋沙汰の匂いがするっす!」 「白羽瀬さん、本当のところは、ど~うなんですかっ?!」 直はマイクに見立てた、シャープペンシルを悠の方に向ける。 「加納くんは、とっても信頼できる仕事上のパートナーです」 スキャンダルが発覚した芸能人のようにシラを切る。 遊んでいた。 「まあ、加納にこだわるのもいいが、撮影班はそれなりに金も手間もかけている」 「いい演奏を期待しているぞ」 「ちなみに、俺はフルハイビジョン対応のビデオカメラを新調した」 「あ、私もデジカメ買いなおしました!」 「貴方達、気合入れすぎです」 どんどん話が大げさになっていきそうだ。 「あはは! やっぱ皆で、何かやるのは楽しいね~」 「あ~、笑ったら、ノド乾いちゃった」 「イズミ、お茶!」 ずいっと持ち込みのマグカップを僕の方に。 「当たり前のように、僕をお茶くみにしないでくれませんか、直さん」 「ち、違うよ! あたしは別にイズミンをこき使ってるんじゃないよ?!」 「イズミンの淹れたお茶が一番美味しいんだよ! その才能を買ってるわけですよっっ! ワタクシはっ!」 「そんなわけで、お茶♪」 満面の笑顔で、再びマグカップをずぃっと僕の方に。 「インスタントのティーパックにそんなに差があるわけないだろ」 そう言いつつも、カップを手に立ち上がる僕。 「あ、私も欲しいし!」 「私もお願いできるかしら」 「加納、頼む」 「先輩、すみませんね~」 次々とマグカップが僕の目の前に置かれる。 皆、誰かが動くのを待っていたのかい。 しょうがないなあ。 「これだけ多いと、電気ポット一回で沸かしきれるかなあ」 とにかく集めて―― 「――っ!」 しまった。 ミスって、カップを落とした。 右手の親指の付け根を結構深く切ってしまう。 ぽたぽたと、真新しい血がテーブルに落ちる。 「かっ、加納くんっ!」 「イズミっ!」 「大丈夫?!」 悠と直、それに姉さんが真っ先に席を立ち、僕の手元を見る。 「たいしたことないよ……。痛てて……」 言葉とは裏腹に、痛みは結構鋭く強い。 すぐに手当てしないと――。 あ……。 マズイ。このままだと、もうすぐ始まってしまう。 「出血が止まらないみたいだな……。結構、怪我ひどくないか?」 「保健室に行きましょう! 私ついて行きますから!」 隣の高階と部長が心配顔で、席を立つ。 「だ、大丈夫だよ」 「足を怪我したわけじゃない。保健室には一人で行ける」 「皆は、このままここに居てくれればいいから」 部長と高階と行くのだけは避けないと。 「でも保健の先生、いるとは限りませんよ?」 「包帯、一人では巻きにくいだろう? 変な遠慮をするな」 二人は今にも、僕の腕を掴んで保健室に引っ張っていきそうな勢いだ。 「本当に大丈夫だから! じゃあっ!」 僕は逃げるようにして、部室を後にした。 「あっ、おい、加納!」 「ど、どうしたんでしょうね……」 「はぁ、はぁ……」 僕はハンカチで傷口を防いだまま、廊下を駆けた。 「……追っては来ないか」 振り返って、誰もいない廊下を見て安堵した。 危なかった。 自己修復するところをあの二人に見られるわけには行かない。 「やれやれだ……」 僕はようやく足を止める。 「あ痛たた……」 安心したら、また傷が痛み出した。 もうハンカチは僕の血を吸い真っ赤だ。 元は白いハンカチだったが、たぶんもうこれは使えない。 「もう大丈夫だから、さっさと治ってくれよ」 傷口に向かって、そんなことを言う。 現金なものだ。 さっきまで止めたいと思っていた自己修復を今は心待ちにしてる。 水蒸気が沸き立つのを―― 「……」 「……え?」 僕は、その時初めて、異変に気づく。 どんなに待っても、水蒸気は発生しない。 それどころか、出血はハンカチでは受け止められないほどの量に達し、指先を伝い赤い点となって廊下に落ちた。 「ど、どうして……?」 自己修復能力が、働かない。 僕の頭には、数日前に会った相羽の妹の姿が浮かぶ。 傷つき、消耗していた彼女も自己修復能力は微弱なモノになっていた。 今の僕は彼女と同じような状態だ。 「僕も消耗してる……?」 そんなことはない。 少なくとも、美月のように飢えてはいない。 「……」 考えても答えは出ない。 その間にも、廊下には僕の血が不規則な模様を描いていた。 「まずは血を止めよう……」 僕は保健室に行き、普通の人間と同じように治療を受けた。 その間も、そして、あの後も。 自己修復能力は機能しなかった。 「――自己修復できなくなった?」 「うん」 放課後、僕は姉さんに状況を説明することにした。 「じゃあ、その包帯の下は……」 「まだ治ってないよ。普通に怪我したまま」 僕は包帯を巻いた右手をぷらぷらと振って見せた。 「これって、何だろう? 姉さんは心当たりある?」 「……」 姉さんは少しだけ、表情に戸惑いの色を浮かべる。 「……あるわ」 そして、無理に押し出すように言葉を吐く。 「イズミ、貴方、成魚になったのよ」 「え? 今、この状態で?」 「能力が無くなったのに」 「イズミ、貴方は純血種の雄よ」 「純血種の雄の役割は何?」 「つがいの雌が成魚になるまで守ることと、成魚になるための養分になること……」 僕は遺伝子に組み込まれている『役割』を口にした。 「そうよ」 「貴方は、悠が成魚になるまで外敵から悠を守らなければならない」 「そのために、高い戦闘力と防御力を持っている」 「皮膚の硬化や、自己修復がそれってこと?」 「ええ、そう」 「でも、その能力はもうひとつの役割、捕食されるという立場で考えると却って障害になるわ」 「捕食しようとした雌より、雄が強かったら意味がないもの」 ここまで語られて、僕はようやく理解した。 「……雄が捕食を拒んで、雌に抵抗したらやっかいだから……」 「雌に捕食される頃に、雄は能力を失うんだね」 「そういうことよ」 「ユタカも、最後の頃はもう普通の人間と変わらなかったわ」 「純血種の雌どころか、雑種にも簡単に殺されるでしょうね」 「……」 僕の側の準備は整った、ということだ。 後は、悠次第。 「イズミ、悠の身体に変調は?」 「今日、一時的に熱を出した」 「すぐに下がったけど、その時は目が赤かった」 「それは今日から?」 「熱は今日、初めて」 「……まだ少し時間はあるようだけど」 「そんなに遠くはないわ」 「……そのつもりでね」 姉さんは寂しそうに目を伏せた。 「……わかった」 「ありがとう、姉さん」 「……お礼なんて」 口惜しそうに、姉さんは唇を噛んだ。 その表情で、僕は彼女の言外の気持ちを知る。 ――それだけで、充分だった。 「……」 「もう戻ろう姉さん」 僕は踵を返し、出口へ。 「待って……!」 背中から、姉さんに抱かれた。 柔らかく、温かい感触が染み込む様に伝わってくる。 「姉さん……?」 「ごめんなさい……」 「少しだけ、こうさせて……」 「うっ……」 「くっ、うっ……ぐす……」 姉さんは僕の背中にしがみつき、微かな嗚咽を上げる。 「……」 僕は肩に置かれた手に自分の手を重ねる。 姉さんの指は、驚くほど細く、華奢だった。 その指を包み込むように、握った。 そして。 「僕のために泣いてくれて、ありがとう」 「貴方の弟に生まれて、幸福でした」 「本当にありがとう、大好きな僕の姉さん」 ずっと秘めていた気持ちを言葉にした。 「イズミ……!」 「……うっ、くっ、あっ……」 「ああああああああああああああっ!」 「兄、手、もう大丈夫?」 「うん。心配しなくてもいいよ」 「水蒸気しゅわ~、で治っちゃった?」 「ああ」 帰り道。 妹と並んで、夕暮れの駅前を歩く。 僕が成魚になったことは話していない。 口には出さないが、悠も日々、不安と闘っている。 これ以上、心の負担を増やしたくない。 「兄ーっ!」 「見て見て! あれ見て!」 僕は隣を歩く妹が指を指す方を見る。 「路上ライブか」 駅前の横断歩道を挟んだ先の広場で、数人の少女達がバンド演奏をしていた。 そんなには上手くはない。 見物してる人も、ほとんどいない。 でも、彼女らはそこで生き生きと楽器をかき鳴らし、声高に歌っていた。 楽しそうだった。 「参考になるかもしれないし!」 「見に行こ!」 僕が返事をする前に、悠は僕の手を引っ張って、駆け出す。 「そんなに焦んなくても」 苦笑しつつ、妹のなすがまま僕は足を運ぶ。 「ひゃっはー!」 「かっちょいいー!」 「タテノリだぜーっ!」 妹は一人、その場でぴょんぴょん跳んではしゃいでいた。 バンドを見物している人達だけでなく、駅前を行き交う人達までも悠を見る。 ぶっちゃけバンドより注目されていた。 「悠さん、めっちゃ目立ってるから……」 もっと落ち着けという願いをこめて、妹の腕を引く。 「そんなこと言われても」 「音楽が鳴ったら自然に身体が動くし!」 以前の動画のように、踊りだす。 「ああ! 悠さん、またスカートが!」 めくれちゃってるから! 「こらこらこら!」 羽交い絞めにして、止めようとする。 「兄、何をするーっ!」 「スカートで飛び跳ねるんじゃないの!」 「やだーっ!」 両足をバタつかせ抵抗する妹。 「やだじゃないのっ」 「いーやー!」 「私のソウルフルなダンスは、誰にもとめられないのだーっ!」 さらにじたばたと暴れる。 余計にスカートが舞い上がった。ガッテム。 「あ、あの。ねえ、貴方達」 兄妹ゲンカをしているところに、演奏を終えたバンドの女の子達が寄って来た。 しまった。 「あ、どうも騒がしくしてすみません」 「もう僕達、行きますから。演奏の邪魔してごめんなさい。ほら、悠」 僕は妹の手を引いて、とっとと立ち去ろうとした。 「あ、いや、クレームとかじゃなくて」 「そっちの彼女――もしかして、YUUじゃない? 『歌ってやった』の」 「――え?」 突然の問いかけに、悠はきょとんとする。 「ああ、その顔やっぱりYUUだ! 皆! この子YUUだよ!」 「え? マジで?」 「あ、ホントだ~。うわ~っ、実物ちっちゃい! 可愛い!」 バンドの少女達がどやどやと集まりだす。 取り囲まれてしまった。 「皆、私知ってるの?」 目をぱちくりさせて、周りの少女達を見渡す悠。 「あったり前じゃん! あんたすっごい有名人だし!」 「メジャーデビューするって噂、アレガチなの?」 「手帳しかないけど、サインいい?」 ウソみたいだが、妹は完全にスター扱いされていた。 「……」 「……ふ」 「ふふふふふ……」 悠はにんまりと口の端を吊り上げて。 「どうよ、兄っっ!」 胸を張る。 というよりそらす。 「私の人気にたちどころに、驚いたでしょっ! ドヤッ!」 「いや、さすがにたまたまだろう?」 「所詮、パンツ姫だし」 「ユーは、私を怒らしたっ!」 「あ痛たたっ!」 背中にポカポカパンチを連打される。 「あはは! YUUって可愛いだけじゃなくて面白いね!」 「いいキャラしてるよね~!」 「あたし、もっとファンになりそう!」 妹は大絶賛されていた。 あばたもエクボ状態なのか。 「ね、YUU最近新作の配信ないけど、どうしたの?」 「あ、うん、今練習してるトコ」 「この兄と」 言って、ポンポンと僕の背中を叩く。 「それは楽しみだね!」 「へー、お兄さんだったんだ~」 「あたし、てっきり、彼氏さんかと~」 「あ、彼氏でもあるよ?」 「へ?」 あ、こら。 「いやいやいや!」 「ウチの妹、たまにアレなんで、あんまり気にしないでください」 とっさにフォローする。 「アレって何だよっ!」 「激おこぷんぷん!」 また激しく背中を攻撃されるが、あえて無視する。 「それで、お兄さん、次の動画はいつ撮るんですか?」 「良かったら、私達も見にいきたいし教えてくださいよ!」 「もうすぐ撮るとは思うけど、まだ練習が終わってないのと」 「撮影場所が決まってないのが理由で、まだ未定なんだ」 「決まったら教えるよ、良かったら是非――」 あ。 ここまで話して、思いついた。 「あの、今日出会ったばかりで図々しいんだけど――」 日が傾き、皆はそれぞれの帰路につく。 僕はしつこく家に連れて行こうとする直を何とか説き伏せて、白羽瀬のアパートへ帰還した。 スーパーの袋を抱えて、扉をくぐった。 「このこのこのっ……!」 「ただいま」 怒りながらPCを操作している家人の背に声を投げる。 「くだらないことつぶやくな、情弱ウザっ」 「あんたなんか、ネットからもリアルからも消えちゃえっ」 しかし、家人は僕に気づきもしない。 「おい、白羽瀬」 「しね、そしてしね」 「言葉遣い悪っ」 「お前のつぶやきはうんこレベル」 「女の子の会話かよ」 「人生は産廃レベル」 「もうやめとけっての」 僕は見えない敵と戦っている白羽瀬の頭上に、取り出したリンゴをひとつ置いてやった。 三つで二百五十円。 「ん?」 ようやく、白羽瀬は顔を僕の方に向けた。 「一時休戦して、夕ご飯にしよう」 「いや平気、もう勝ったから。おかえり」 リンゴを手に、にひひと笑う。 「そうですか」 勝ち負けの基準がまるでわからないけど。 「ふっ、また勝ってしまった……」 髪をかき上げて、遠い目をしながら、微笑。 気取ってるつもりなのだろうか。 「夕食作る。白羽瀬、お茶はまた紅茶?」 「モチのロン」 「ご飯には普通日本茶だろう」 「……しゃく、加納くんは、常識に囚われた、しゃくしゃく、つまらない人間だね」 リンゴを皮つきのままかじりつきながら、言う。 五月蝿いよ。 「もぐもぐ、それで、そいつの言うことが、ぱくぱく」 「とにもかくにも、ウザくてね、もぐもぐ」 「ぶっちゃけ、頭にうんこつまってるんじゃないかって、むしゃむしゃ」 白羽瀬とコタツで向かえ合わせになって夕飯を摂る。 「食事中に、うんこ言うな」 食欲が著しく減退した。 「ん? どうしたの?」 「私の顔に何かついてる?」 「頬に米粒ついてる」 子供みたいにかっこむから、こいつはすぐこうだ。 「ふーん、もぐもぐ」 取らないのかよ。 「ねえ、加納くん」 「何?」 「私の鳥カラ、一個あげる」 言って、箸でから揚げを僕の方に。 「あーん♪」 わざとらしく、甘ったるい声を出す。 「いらないし」 「なんだと、家主に逆らうのか、この野郎」 某二号っぽく言ってきた。 「やるかよ、そんな仲じゃないだろう」 「飼い主がペットにエサをやるのは自然じゃん?」 「誰がペットだ、誰が」 「ユー! そしてユー!」 箸を両手に一本ずつ持って、僕を指し示す。 ネットの誰かさんより、こいつの方が絶対ウザい。 「はぁ……」 「ため息つくし」 「キミがわかんないよ、マジで」 白羽瀬悠は―― 血を流して倒れてる怪我人をつついて喜ぶ酷いヤツで、 理由も聞かずに、手当てをして、部屋に泊めてくれるいいヤツでもある。 ……まるでつかめない。 「だから、最初に言ったじゃん」 「人魚だっちゅーに」 「もうその冗談は聞き飽きた」 曰く、白羽瀬は何百年も生きる伝承上の生物――人魚だという。 しかし、人魚は人を食らわなければ、成魚になれず、歳若く死ぬらしい。 白羽瀬は人魚の末裔で、まだ稚魚だという。 ……こんな脳内設定も中二的なアレとして、分類すればいいのだろうか。 「まるまる太らせた加納くんを、私は後で美味しくいただくのだ!」 「だから、食べれ」 「さいですか」 仕方なく、首を伸ばして白羽瀬の箸から、から揚げを口に。 「いやん、間接キス」 恥らう。 「何を今さら」 昨夜、白羽瀬は治療と称して、僕の身体を触りまくった。 強引にキスもされた。 無理矢理、股間も撫で回された。 ああ、母さん(いないけど)イズミは汚されてしまいました(泣)。 「はあ……」 遠い目をして、窓の向こうを眺める僕。 「黄昏てるし」 「安心していい、全部キミのせいだから」 「キスくらい、減るもんじゃないじゃん」 「女の子の台詞じゃねー」 昨日と今日で僕の女の子に対する幻想は壊されっぱなしだ。 「ねえ、加納くん」 「何?」 「いつ加納くん、食べていい?」 「いつでも」 投げやり気味に答えた。 「加納くん、マジこの世に未練なさすぎ!」 白羽瀬がめずらしく目を丸くした。 「別に急がなくてもいいんだけど。私まだ体調いいし、精神も安定してるし」 「したいこと、本当にないの?」 したいこと、か。 ひとつだけある。 「家族に会いたいかも」 「お母さんとお父さん?」 「僕を捨てた親のことは、正直どうでもいいんだけど」 「たぶん、僕には――妹がいた」 「たぶんいうし」 「あいまいだにゃー」 「僕のそばで妹が泣いていた思い出があるんだよ」 「それ以外は何も覚えてないけど」 その後の記憶はすべて施設時代以降のモノ。 幼かったのだ。 「ふーん、じゃあね」 「私が安定してる間は、妹ちゃん探してていいよ」 「おやすみ」 夕食をたいらげた白羽瀬は、すぐにごろりと横になった。 「すかー」 そして、もう熟睡していた。 「……風邪引くっての」 とりあえず、毛布をかけてやる。 「うーん、むにゃむにゃ……もう食べられないよ……」 お約束だった。 「でも、加納くんは食べる……」 「まだ言ってるのかい」 「ったく……」 箸を置いて、僕も横になる。 コタツの赤外線が、暖を与えてくれる。 「あふっ……」 あくびなんか出た。暢気なものだ。 昨日のあの状態から、よく持ち直した。 本気で、死んでもいいと思いかけていたのに。 今は妹への思慕が、胸にある。 大切なことを取り戻せた。 学園一の変人、白羽瀬との生活。 それは、不思議なことに僕を癒してくれていた。 「……」 放課後の弛緩した空気の中で、僕は机につっぷしていた。 というか、さっきまで寝ていた。 チャイムで目が覚めたのだ。 「終わった終わった~!」 「ねえ、この後どっか寄ってく?」 クラスメイト達は楽しげな会話を交わしながら、教室を後にする。 「あふっ……」 僕はつっぷしたまま、あくびをする。 とりあえず平和だった。 僕の発情期は、姉さんの毎日の献身的な行為により制御され、悠には覚醒の兆候はまだない。 仮初の平和。 いずれ近いうちに必ず終わる。 でも、それでも平和には違いない。 「精一杯満喫させてもらおう……」 そんな事をつぶやくと、また眠気が訪れる。 よし、このままもう一眠り―― 「おーい、イズミー」 「部活行こうーっ」 「……」 かしましい娘達が、二人も来てしまった。 「……了解」 仕方なく立ち上がる。 部室で寝るとしよう。 「ん?」 教室に姉さんがいないことに気づく。 「どうしたの? 兄――いやさ、加納くん」 「姉さ――新田サン知らない?」 「さっき教室出てったけど、ドコ行ったかまでは知らない」 「そっか」 委員長だし、忙しいか。 「むむ、何故イズミが、新田ガールの所在を気にしますか?」 直が眉根を寄せて僕を見る。 「え? あ、いやその……」 口ごもる。 「それにさっき、姉さんとか言ってませんでしたか?」 「ていうか、言ってましたよ?!」 厳しく追求される。 「いや、その、姉さんじゃなくて……」 「じゃなくて?」 「姐さん?」 「極道の香りが?!」 「新田怖いからね」 「怒らせたら、正座で説教だし」 「マジヤ○ザじゃん?」 僕のフォローのつもりか悠も姐さんの非難を口にする。 「……それは、貴方がいつも怒らすようなことをするからでしょう?」 「いやいや~、新田はいつもいつもどーでもいい細かい事を――って、いつの間にか背後に?!」 「あら、白羽瀬さんの頭って、とっても小さいのね~」 「簡単に握りつぶせそうよ~」 「ひいーっ!」 姐さんは悠の後頭部を片手でつかむと、ぎりぎりと力を加える。 鉄の爪であった。 「加納くーん! 私もう死んじゃうーっ!」 「死ぬ前に、どうしても言わなきゃいけないことが――っ!」 「え? 何?」 「加納くんが買ってきたプリン勝手に食べたの私――っ!」 「懺悔かい」 割とどうでもいいことだった。 「もう本人のいないところで、陰口は言わないこと」 「いい? 白羽瀬さん」 「わかったーっ! ごめんなさーい!」 「あと私はちっっっとも怖くないから」 「新田ガール、超優しいですーっ! すみませんでしたーっ!」 「わかれば、よし」 姉はようやく、妹の頭を放した。 「うわあーん、加納くぅぅんっ!」 泣きながら僕に抱きつく妹。 めそめそと顔を僕の胸にうずめてきた。 「はいはい、痛かったね、いい子いい子」 患部をいたわるように、撫でてやった。 「また加納君は、白羽瀬さんを甘やかして……」 「まあまあ、新田サン」 苦笑しながら、片手をひらひらと振って姉をなだめた。 「うわっ、知らない間に、三人がめっちゃ仲良しな感じに?!」 「ファミリー的な雰囲気を醸し出してますよ?!」 直さん、鋭いな。 「いやいや、三人だけじゃないから」 「直さんも、僕達のファミリーですから、いつでもカモンなんで」 微笑んで、必死にごまかす。 「え? そうなの?」 「直さんなら、当然ですよ」 「じゃあ、あたしも、イズミ兄ちゃんに甘えてもいいですか?」 「もちろんだとも!」 僕は最上級の笑顔を直に向ける。 「おこづかい、ねだってもいいですか?!」 「たかる気まんまんかよ」 途端に渋面に。 「あっ、やっぱりまだここでしたかっ」 「カ、カノー先輩!」 ん? 声がした方に視線を移すと、高階が息を切らして立っていた。 「どうした? 高階」 「た、大変なんです!」 「さっき、部室に教頭先生とか、偉い先生方が急にたくさんやってきて」 「先輩を捜してます! すぐ来てください!」 「僕を捜してる?」 何だろう? 「例の事件のことかしらね……」 姉さんが少し心配そうな表情になる。 「違います!」 「見つかったそうです!」 「先輩のお父さん! 行方不明の加納さんが見つかったそうです!」 ――え? ずっと行方不明だった加納さんが見つかった。 何でも県外の林道で倒れていたとか。 記憶がかなり混乱し、衰弱してるらしく、今は病院に入ってるらしい。 先生方は、「良かった、本当に良かったじゃないか!」と単純に喜びすぐに会いに行けと言う。 でも、僕は、ぶっちゃけ。 「会いたくねー……」 僕は駅のベンチに座って、一服しながら愚痴った。 そもそも行方不明になっても、捜索願を出してもいないのだ。 このままフェードアウトしてくれてよかったのに。 まったく、ロクでなしのクセに悪運だけは強いですね、加納さん。 「とはいえ、形だけは家族だ」 「一度くらいは顔を見せないと」 そうしないと周囲が五月蝿い。 色々と勘ぐられるのも嫌だし、それをきっかけに身辺調査とかされたら僕も行動しずらくなる。 捜索願を出さなかったことで、警察の僕に対する印象は悪い。 今は目立ちたくない。 例の事件といい、後ろ暗いことが、僕にもあるのだ。 「仕方ないか……」 僕は重いケツをようやく上げて、切符を買う。 総合病院のある隣町へ、ゴーだ。 病院に着いて、受付を訪ねるとすぐに部屋を教えてくれた。 607号室。 ぜいたくにも個室である。 加納さん、入院費払えるのかな。僕は知らないぞ。 部屋の前について、すぐノックした。 が、返事はない。 「……」 でも扉は開いていた。 「……入りますよ」 本当は嫌だったけど、意を決して僕は病室に入った。 「……」 中に入ってまず驚いた。 加納さんは、僕の知ってる加納さんではなかった。 全身やせ衰え、顔には皺がいくつも刻まれ。 白髪が驚くほど増えていた。 まるで、一気に歳を取ってしまったような。 「……加納さん?」 話しかける。 でも、反応はまるでない。 ぴくり、とも動かない。 手首につながれたチューブの中を半透明な黄色い液体が、等間隔で流れていくだけ。 「ねえ、加納さん?」 もう一度話しかける。 依然、無反応。 「……」 「……生きてるんですよね? 加納さん」 言葉を加納さんの耳にぶつけるように吐いた。 僕が黙ると再び沈黙が降りる。 微かな寝息。 そして、胸の伸縮運動。 生存を確認した。 「……話せないなら、来た意味ないじゃん」 「帰りますよ」 僕はすぐに反転して、扉を開けた。 すぐに出たい。 こんな所。 「……」 そう思っていたのに、何故か僕の足は途中で止まる。 もう一度、振り返ってベッドを見た。 老い先短い衰弱した老人が横たわっていた。 ……ただそれだけだった。 「イズミ!」 「え? 姉さん?」 病院から戻った僕は改札をくぐってすぐに姉さんの姿を目にした。 「どうしたの? 何かあった?」 小走りで駆け寄ってきた姉に尋ねた。 「私は何もないわ」 「何かあったのは、貴方の方でしょう?」 「うん、まあそうだね」 頬をかきながら苦笑する。 「会ってきた?」 「うん」 「何を話したの?」 「何も話せなかった」 「え?」 「すごく衰弱して、点滴したままずっと眠ってた」 「会話どころじゃない」 「もしかしたら、何か悪い病気なのかもしれないね」 「医者は何て?」 「検査待ち。まだ何もわからないって」 「でも、あの人アル中みたいなモンだったから」 「肝臓とかヤバいかもしれないね」 「そう……」 姉さんの表情が陰る。 「もう帰ろう」 「ええ」 姉さんと並んで、家路を辿る。 僕達は終始無言だった。 理由はわからないが、今の僕達には重苦しい見えない圧力のようなモノがかかっている。 姉弟そろって、うつむいて歩く。 陸橋に差し掛かる。 そこで、姉さんが立ち止まる。 「? 姉さん?」 僕も足を止めて、顔を上げる。 彼女を見た。 「……イズミ、一つ聞いていいかしら?」 「もしかしたら、答えにくいことかもしれないけど……」 姉さんの表情は、やはり精彩を欠いていた。 夕陽の淡い赤が、その印象をより一層強める。 「いいよ」 「姉さんになら、何でも答えられると思う」 「無防備ね」 薄く笑う。 「ダメだったかな」 「いいえ」 「嬉しいわ」 目が細められて、優しい弧を描いた。 「貴方が今日、会いに行った人だけど」 「うん、加納さんだね」 「ええ、その加納さんは……」 そこまで言って、姉さんは一旦言葉を切る。 「……」 逡巡していた。 「本当に何でも聞いていいんだよ、姉さん」 「え、ええ、そうだったわね」 困ったように微笑む。 そして。 「加納さんは、貴方を虐待していたのでしょう?」 「うん、虐待されてた」 シンプルに答えた。 「前聞いた話では、かなり酷い虐待だったみたいじゃない」 「そうだね」 「ぶっちゃけ犯罪的な行為もあったと思うよ」 「僕はあの人のおかげで、何度怪我をしたかわからないし」 「正直、あの人と離れてホッとしたくらいだ」 話していて、不意にタバコが吸いたくなった。 でも持っていないので我慢する。 「家を出ようとは思わなかったの?」 「この町にいたかったんだ」 「きっとこの町に、別れた妹の手がかりがあるって思ってたから」 「それを掴むまでは、絶対にここに残りたかった」 「引き取られた養父のところで問題があったら、また施設に戻されてしまう」 「たまに怪我をしたり、食事を抜くことくらい何でもなかったんだ」 「妹の手がかりを失うことに比べれば、何でもなかったんだ」 強い風が吹き、指先がかじかんできた。 僕は手を口元に近づけ息を吹きかけ、暖める。 「……つまり、イズミは」 姉さんは風に流れる長い髪を押さえながら、白い息を吐く。 「この町に残るために、虐待に耐えてきた」 「目的はただ妹に、悠に会いたかったから、それだけ」 「養父である加納さんに、愛情は感じてないのよね?」 「ないよ」 「笑っちゃうくらいに、まるでないよ」 加納さんに引き取られて三年。 僕は加納さんに対して、憎しみと哀れみ以外の感情は抱かなかった。 いや。 抱けなかった。 「……予想通りの答えね」 「ますますわからなくなったわ」 姉さんは肩をすくめて、また白い息を吐く。 「予想通りなのに、わからないの?」 「ええ、だって……」 姉さんは僕の方に、憂いを含んだ瞳を向けて。 「貴方がどうしてそんなに悲しそうな顔をしているのか、わからないわ」 「……え?」 姉さんが、何を言ってるのかわからなかった。 思わず自分の顔に、指先で触れた。 「……ねえ」 「何?」 「親って、何なのかしらね」 「……」 親か。 僕を殺そうとした母親。 僕を虐待した養父。 どちらも忌むべき存在であることは、間違いなかった。 できれば記憶から抹消したい。完全に忘れ去りたい。 でも、そう願うのは言い換えれば、彼らの事を強く意識しているからだとも言えた。 好意の反対は無関心のハズなのに。 ――親って、何なのかしらね 姉さんからの問いかけが、僕の心の深い場所に刺さった。 「……何なんだろうね」 「……」 その言葉を最後に、僕達はまた黙り込む。 もちろん答えは出なかった。 「部長にもまいるよね~」 放課後。 部活を適当にこなした後、直と帰ることになった。 こいつはすぐ自分ん家に連れて行こうとするから注意しなければならない。 心の中で身構える僕。 「ああっ! イズミ、何あたし警戒してんだよっ!」 「エスパーかい」 あなどれない。 「誰でもわかるよ」 「イズミ、すぐ顔に出るから」 「え? マジ?」 幼少の頃は、養護施設で過酷な生存競争を生き抜いてきた僕だ。 精神的駆け引きだって随分鍛えられていた。 そんなにわかりやすいはずは……。 「イズミ、今、眉の角度が普段より0.1度くらいあがってたから」 「お前の観察眼マジ怖い」 直から1メートル離れた。 「だから、そんなに身構えんな~」 直は1.5メートル距離をつめてくる。 さっきより近くなってしまった。 「あたし達、マブじゃん?」 ウインクしながら、親指を立てた。 「そうだな、部長にはまいるよな」 「今、話戻すのかよ! ていうか、マブスルーかよ!」 「直さん、イジメて楽しいのかよ!」 「前蹴り出すぞ! スカートだけど繰り出すぞ!」 軽く足を振り上げる。 短いスカートがひらりと舞った。 「やめろ、パンツ見えるぞ」 「大丈夫! ちゃんと見えない角度を計算してるよ」 ふふんと胸をそらす。 「昨日は見えた」 「――え゛っ?」 サッと直の顔色が変わる。 「白とピンクのストライプ」 「……」 「…………」 直は顔を瞬間沸騰させて、押し黙り、 「き、昨日はサービスデーです」 強がっていた。 「ゴチになりました」 両手をあわせて、直に礼を言う。 「やめろー! 恥ずかしいから、やめろーっ!」 真っ赤になって、ぽかぽか叩かれた。 「昨晩の僕のオカズになりました」 「いーやーっ! 生々しいこと言うなーっ!」 「それで、どんなシチュエーションを想像したんだーっ?!」 聞きたいのかよ。 「僕がコンビニの店長で、直が万引きした女性客」 「警察に知らされたくなければ……キミ、わかるよね?」 演技をしつつ、詳細に語る。 「ひいーっ! 愛のない設定じゃないですかーっ! やだ――っ!」 「しかも、ベタベタだ――っ!」 「はぁはぁ、それから……? ごくり」 「……ごくりじゃないだろ、川嶋」 「おう」 「よう」 背後から来た、相羽と超短い挨拶を交わす。 「川嶋、こんなところで恥ずかしい会話をするな」 「嫁のもらい手がなくなるぞ」 「えー、そんなこと……」 「チラッ」 「ん?」 直が僕に視線を。 「チラッチラッ」 「直、どうして僕にメンチ切るんだ?」 「ちげぇし! うわああああああああん!」 さめざめと泣いていた。 「こん畜生め! 昨日の夜、あたしにエッチなことしたくせに! このコンビニ店長!」 「……話がまるで見えんが、加納、川嶋を泣かすな」 「あと手を出したのなら、責任をとれ」 「そうだ! とれっ!」 いわれのない攻撃を受ける。 「してないって、直にそんなことするわけないだろう」 「オカズにしたってのも冗談だ」 「な、なんだって――っ?!」 「なんでしないんだよ、こん畜生めえええっ!」 したと言った時より、激しく怒っていた。 何でだよ。 「うわあああああん! イズミに弄ばれたあああああっ!」 また泣き出す。 絶対ウソ泣きだが。 「元気を出せ、川嶋」 「またLINNで相談くらいにはのってやる」 「あざーす!」 体育会系のノリで復活した。 「LINNか。僕やってないけど、皆やってるんだな」 「便利だからな」 「イズミもやろうよ」 「まあ、そのうちに」 あのアプリは、セキュリティがマジでザルなんだよな。 まあ、それより今月、携帯の金を払えるかも怪しいが。 「あ、川嶋、LINNに最近、変な噂流れてないか?」 「あー、流れてる流れてる。女子だけじゃないんだ」 「安っぽいホラーだからな、確かに女子が好きそうだ」 苦笑しつつ、相羽が自分のスマホを取り出す。 「お、早速、話題になってるな」 「どんな噂?」 特に興味はないが、話を合わせるように聞いた。 「これだ」 画面を見せてきた。 夕陽が反射して、見にくい液晶には―― 『人魚が人を食べてたよ』 「情弱ウザっ」 「ウンコレベルの書きこみすんな、トラフィックが無駄っ」 白羽瀬のアパートに戻ると、また見えない敵と戦っている女子がいた。 「ただいま」 「おかえり」 顔はパソコンの方を向いたまま、挨拶を返す。 「またネットの向こうの皆さんにケンカを売ってるのか? ほら」 スーパーで買った白羽瀬の好きなリンゴを差し出してやる。 「さんくす。だぁって、さー」 「またネット社会の最下層民達が、私の立てた高貴なスレをアホな書き込みで汚すから」 「スレッドなんか立てるなよ、ロクなことないから」 「あーいうのは、暇つぶしにたまに読むくらいが一番いいんだ」 「えー」 「そんな消極的なのツマンナイ」 「加納くん、もっと社会と関わろうよ」 そんなこと、お前にだけは言われたくない。 「む~っ、鎮火しないなぁ~」 頬を膨らませた白羽瀬は懸命に、キーボードを叩く。 頑張って、攻撃的な書き込みをする人間を追い出そうとしているらしい。 「どんなスレ立てたんだ?」 「これ」 パソコンの画面を指差す。 そこには。 『人魚だけど、何か質問ある? パート3』 アホなスレッドタイトルが目に飛び込んできた。 「こりゃあ、荒れるわ」 まさにゴミだった。 「えー、何でー」 「削除依頼だせよ」 「荒らしと同じこと、言うなーっ!」 むきーっと両腕を振り上げて、怒る白羽瀬。 「一発でウソってバレるスレッド立てても反感を買うだけだろう」 「ウソじゃないっちゅーに」 「人魚だっちゅーに」 ぶつぶつ言いながら、白羽瀬の指は高速でキーを叩いていく。 ちゃんとタッチタイピングだった。 めまぐるしいスピードで、どんどんスレッドが消化されていく。 ほとんど、こいつ一人が書いていた。 「はあ? 昨日、殺して食べたオジさんは美味しかったですか……?」 「また意味わかんない」 「私まだ誰も食べてないよ!」 怒りにまかせて、コタツを強打する。 ていうか、まだって言うな。 「何で、こういう煽りばっかなの?」 「今、人魚のことが噂になってる」 「え?」 ぴたっと白羽瀬の手が止まる。 大きな目を見開いて、僕の方を見た。 「僕も知らなかったけど、LINNでニ、三日前からちょっとした話題になってるらしい」 「オジさんが一人、若い女性が二人行方不明になって」 「三人とも、着てた服と下着だけが全部海岸で見つかった」 「その三人の失踪事件なら、テレビでもやってた」 「でも、何で、それに人魚?」 「服は食えないし、海岸で見つかったしって感じ?」 かなり苦しいこじつけだ。 まあこの近辺には人魚についての伝承がある。 何かあれば、人魚のせいだと言って騒ぐのがお約束なのかもしれない。 「裸で泳いでるかもしれないのにね」 「冬だから無理」 「あ、そっか」 「お前、めったに外でないから季節感ないんだろ?」 「えー、そんなことないもん」 「あ、加納くん、ダッシュでスイカ買ってきて!」 「何でだよ」 基本的なボケだった。 「もちろん、黄色いヤツな!」 「何で、それがもちろんなんだよ」 ちょっとだけひねってきた。 すぐに日が暮れて、とっとと夕飯にする。 今日はカレー。 「うおっ……!」 「ふおおっ……!」 「おっほぉうっっ!」 スプーンを両手に持った白羽瀬が、いきなり床で転げ回った。 「飯食いながら、悶えるなよ」 「エクトプラズム!」 「何故に幽体」 「違った。エクスタシー!」 違いすぎだ。 「美味しいっ!」 メシ粒を飛ばす勢いで叫んでいた。 「君っ!」 がばっと起き上がって、僕を指差す。 「何?」 「すまないが、これを作ったシェフを呼んでくれたまえ!」 食通を気取っていた。 「はいはい」 立ち上がって、僕は白羽瀬のそばに。 「私が作りました、お客様」 小芝居に付き合ってやる。 「やるじゃん!」 「これは少ないけど」 アメ玉を一個取り出す。 「マジ少なっ」 「んー、あま~」 「しかも、自分が舐めるのかよ」 意味ねー。 「ぺろぺろ、待て待て、慌てるんじゃない」 「まだ、ぺろぺろ、あわてるような、ぺろぺろ、時間じゃないっ」 アメを口にしたまま、腰を低くしてフットワーク。 バスケかよ。 「加納くん、こっちこっち」 手招きしてきた。 「何?」 「これを見て」 何ものっていない手のひらを、自分の顔の前で広げた。 「何もないじゃん」 「あるよ、あるって」 「ほら、よく見てみ」 「いやマジで何もないって、ほら」 僕は仕方なく、身を乗り出して白羽瀬の手の平をのぞくように―― 「ちゅっ」 したら、キスされた。 「んっ?!」 「ちゅっ、ちゅっ、ぺろぺろ」 「んっ、んっ、ちゅっ、んん……」 白羽瀬のキスは、拙いものだった。 とにかく、唇をくっつけて、舌で所かわまず舐めてくる。 でも、激しい。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ほら、もっと口開いて、加納くん……」 「ん……」 白羽瀬が無遠慮に、身体を預けてくる。 支えるために、腰のあたりを抱いた。 驚くほど、華奢で小さな身体をしていた。 「ちゅっ、んっ、ん……」 僕の口の中に、甘い球体が、送り込まれた。 白羽瀬から、口移しでアメ玉が。 「……これがしたかったのか?」 いったん口を離して、尋ねた。 その時、白羽瀬はすっぽりと僕の腕の中に納まっていた。 「違うし」 「加納くんと、キスしたかったから」 ――え? 「今度は、私にアメちょうだい」 「加納くんの方から、して」 甘えるように、腕をつかんできた。 「……」 「あ」 無言で引き寄せて、抱く。 「んっ」 そして、唇を重ねた。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「んっ、ちゅっ、んっ、んんん……」 舌を絡めあう。 唇を何度も押し付けあう。 何度も、何度も。 まるで、上手くはまらないパズルのピースを、強引にはめようとするように。 僕達は、互いの唇を夢中で、自分の唇で塞ごうとした。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んん……」 僕もそんなに経験があるわけじゃない。 でも、とても興奮していた。 白羽瀬の体温とか、匂いとか、身体の感触とか。 幼い舌使いとか。 「んっ、ちゅっ、んん、加納くん……ちゅっ……」 「ちゅっ、んん……はぁはぁ、ん……」 ――加納くんと、キスしたかったから。 そして、何よりあの言葉だった。 白羽瀬、お前はズルイ。 そんな風に、まっすぐに誰かに求められたら僕は抵抗できない。 一年前のあの時と同じ。 「白羽瀬……」 何度もアメ玉が、僕達の間を往復した。 「んっ、ちゅっ、んん……」 そして、気がついたら、もうなくなっていた。 「はぁはぁ……」 「加納くぅん……」 唇を離した白羽瀬が、涙目で僕を見た。 両手の手の平で、僕の顔を撫でながら。 「何?」 「唇が痛い……」 「僕もちょっと痛い」 「お前のキスは力任せすぎる」 「……嫌だった?」 「……嫌じゃないけど」 「良かった……」 目を細める。 その笑顔に、僕は見惚れた。 陳腐な表現しか思いつかないけど――可憐だった。 「加納くん」 「ん?」 「キスして」 「唇痛いんだろ?」 「痛くてもいいから、して」 「わかったよ」 「えへへ、ちゅっ」 「白羽瀬の方からしてるじゃないか」 「ごめん、待ちきれなかった」 「顔、上げて」 「あ、ん……」 「んっ、ちゅっ、んっ……」 「加納くん……加納くんっ……!」 白羽瀬は両腕を俺の背中に回して、抱きついてきた。 いや抱きつくというより、しがみついている。 それは男女の抱擁という感じではなく。 迷子になった幼子がようやく母親を見つけたような。 そんな切実さが、あった。 「白羽瀬」 僕はゆっくりと、唇を放す。 代わりに、優しく包み込むように、抱いた。 「あ……」 白羽瀬が小さく声を漏らす。 頭を撫でてやった。 「うっ……」 「ひっく、うっ……」 白羽瀬の声に、だんだんと嗚咽が混じり始める。 「ひっく、うっ、うっ……」 「うわああああああああああああああああああああああんっ!」 白羽瀬は僕にしがみついて、号泣した。 「うわあああっ! ひっく、ぐすっ」 「うわああああああああああああん!」 「……」 僕は黙って、白羽瀬を抱き続けた。 白羽瀬が泣き止むまで。 一時間後。 夕食を終えて、二人でゆるゆるとネットサーフィンをする。 某動画サイトでは、可愛らしいウサギ達がじゃれあっていた。 もふもふしていた。 超和む。 「……」 だが、白羽瀬はずっと憮然としていた。 もふもふなのに。 「……ねえ、加納くん」 「ん?」 「何で、さっき、私泣いたの?」 「僕に聞くなよ」 「何か、加納くんに泣かされた気がするし」 「めっちゃ理不尽だな」 可憐なあのコはもういない。 いつもの白羽瀬悠の復活だった。 白羽瀬が動画サイトを閉じて、某巨大掲示板の自スレをのぞいた。 「ん?」 ほぼ終了状態だったスレに、新規書きこみが。 『明日も、人魚は出るよ』 『スレ主?』 『違う。けど、オレは本物』 『ウソつき発見』 『ウソじゃないって』 『証拠プリィズ』 『明日、美合町で一人、狩る』 「……犯行予告かよ」 それもこの町で。 やはり人魚を話題にしてるのは、この界隈のヤツらか。 「ふ」 「ふふふ」 「ふふふのふ」 その書き込みを見て、白羽瀬はニヤニヤし始める。 「間の抜けた笑い方だな」 「不敵な笑み」 「いやいや」 手を振って否定した。 「ずっと捜してたヤツが、やっと出てきた」 「ねえ、加納くん」 「こいつ、見つけていっしょに殺そう」 「ごはーん!」 「加納くん、新しい朝が来たから、朝ごはーん!」 「ぐわっ」 僕の耳元で、白羽瀬は茶碗を箸で叩く。 めっちゃ耳障り。 「もう、そんな時間か……」 枕元の携帯に手を伸ばして、時間を見る。 4時23分。 ふざけんな。 「夢の中で、好きなもん食べてろよ……」 すぐ布団にくるまる。 「えー、もう眠くないー」 「ていうか、お腹減って、眠れないー」 再び茶碗をチンチン鳴らす白羽瀬。 やーめーてー! 「いいから、あと二時間は寝ろ」 「無理ー!」 「ごはんごはんごはん!」 白羽瀬は騒ぎながら、僕の上にのっかる。 身体をまたがれた。 「やめて、眠れない」 「だから、起きるのー!」 ゆさゆさと、身体を揺らす。 白羽瀬の弾力のあるお尻とか○○○○(自主規制)が、僕の下半身を刺激した。 「騎乗位だあーっ!」 きゃっきゃっとはしゃぎながら、さらに揺らす。 「女の子が騎乗位言うな」 恥じらいとかはないのか。 精神年齢一桁だろ、こいつ。 「お前、もうすぐ成魚になるんじゃないのかよ」 「なるよー」 「加納くんは、そのためにキープしてるしー」 縦ゆれしながら、答える。 白羽瀬はあくまで無邪気だ。 「じゃあ、僕は大人になった白羽瀬とは会えないな」 「え? 何で?」 ぴたっと動きを止めて、僕の顔を覗き込む。 「食べるってことは、殺すってことなんだよ」 いつか新田サンが言った言葉を、口にする。 「僕は死ぬから、もう白羽瀬とは会えない。お別れ」 「えー」 不満げな声を上げる。 「それは嫌」 「嫌と言われても」 「生きろよ」 「僕を食べるのやめるの?」 「……やめないし」 「やめると、私が死んじゃうし」 「じゃあ、僕が死ぬしかないじゃん」 「む~」 白羽瀬は不満げに唇を尖らせる。 「半分だけ食べる」 妥協案のつもりか。 「半分食べられても死ぬから、絶対に」 「えー、加納くん、弱ーい」 「生きろよ~」 ゆさゆさ 揺らしながらダダをこねる。 「身体半分食われて、生きられる人間なんかいない」 「う~ん、加納くんはやめようかな~」 腕組みしながら考え出す。 「他の人間、そういうのもあるのか……」 人のことをお持ち帰りのご飯のように言う、白羽瀬。 シュールだ。 「あーあ」 ぽすっと、寝返りを打つ。 新田サンの言ったことは本当なのだろうか。 白羽瀬は本当に人魚なのか。 そして、新田サンもそうなのか。 それとも、全部デタラメか。 いくら、考えてもわからない。 「どったの? ちょっと疲れてるっぽいよ?」 ずいっと顔を覗き込んでくる。 「顔、近い」 「そうだね」 言っても離れない。 さらに寄って来る。 「ちゅっ」 唇に、軽くキスをしてきた。 白羽瀬はキスが好きだ。 でも、それは男女の性愛的なものではない。 子猫が甘えるような、そんなキスだった。 「おやすみのキスか」 そっと目を閉じる。 「おはようのキスっ!」 ゆさゆさゆさゆさ! 「わかった、わかったよ」 結局五時前に起きるのか……。 「おはようございます」 「川嶋ーっ、ガッコ行こ~」 白羽瀬とともに、旅館かわしまに。 例の事件以来、毎日迎えに行って、いっしょに登校している。 毎朝、直はバタバタと忙しない足音を立てて、玄関に現れて。 笑顔で、おはようと。 「……おはよう、イズミくん」 現れたのは、直のお母さんだった。 直に似て、いつも騒がしいくらいの明るい人だ。 「……うっ」 なのに、今朝は青白い顔をして、うつむいていた。 声を出そうとすると、嗚咽が漏れる。 「ど、どうしたんですか?」 「イズミくん、直は――」 「加納っ! 聞いたか、川嶋の話っ!」 「ああ……」 僕は相羽を見て、こくりと頷く。 直が昨晩から姿をくらました。 僕と白羽瀬で、夕方、自宅に送り届けた後の話だ。 直の母親に、何度もおかしな様子はなかったかと尋ねられた。 もちろん、何も伝えるべき不信なところはなかった。 「家出ってことはないよな?」 「直がか? あいつの家族思いは折り紙つきだ」 「その辺の家出少女みたいなことは絶対しないさ」 そう、直が自ら家を出るような要因は何も思い当たらない。 「川嶋、誘拐された?」 「……言うなよ」 はっきり言葉にされると、余計に不安になる。 「でも、それなら捜さないと――」 「こら」 いつの間にか来ていた新田サンが、白羽瀬の頭を軽く小突いた。 「な、何だよっ」 「これはね、昨日、私達がやっていたようなお遊びじゃないの」 「本当の事件よ」 「安易に首を突っ込んだりしない。却って状況が悪くなるだけよ」 「……」 新田サンの言に、白羽瀬はうつむく。 白羽瀬は、教室に来る間ずっと無言だった。 いつもはあんなに饒舌なのに。 「……」 僕は無言で、立ち上がる。 教室の出口に向かって歩き出した。 「どこ行くんだ?」 僕は天井を指差して言った。 「屋上」 錆びかけた重い扉を開けて、屋上に出た。 すぐに、タバコを取り出して火を。 ――たまに、吸うと落ち着くんだ。 以前、高階にそんなことを言った。 「……落ち着かないし……」 むしろ、イライラは増すばかりだ。 「くそっ」 ほとんど残っているタバコを吐き捨てて、踏みつけた。 か細い煙が上がり、すぐに風に溶けた。 川嶋直が、今危険な目にあっているかもしれない。 そのことが、こんなにも僕を不安定にする。 「……勝手なもんだよな」 自分自身は、しょっちゅう直に心配をかけていたくせに。 逆の立場になると、こうも心をかき乱される。 妹さえ見つかれば、死んだっていい。 白羽瀬が、僕を食うというならそれでもいい。 そんな風にずっと思っていたのに。 僕には、案外まだ大切なモノが残されているのかもしれない。 「……」 川嶋直は、僕の友人で。 かつて、寂しい僕を救ってくれた恩人でもあった。 恋を教えてくれた。 女を教えてくれた。 人とは、何かを教えてくれた。 「……助ける」 静かにそうつぶやいた。 「それも、すぐにだ」 深く心に刻んで――誓った。 そうと決まれば、こんな場所でぐずぐずしていられない。 行動開始だ。 授業をサボって、部室にこもった。 ノートパソコンのキーを休みなく、叩き続ける。 情報を探した。 「何でもいい、手がかりを」 目ぼしい掲示板の書き込みから、ハッキングして手に入れた非合法な情報まで。 全部をテキスト化して、高速で読み込んだ。 昨晩から、今朝までのこの界隈の人の動きを。 「……何もない」 直の親は、今朝警察に捜索依頼を出したばかりだ。 ネットでは、まだ話題になっていない。 もう少し待つか? 「そんな余裕は、ない……」 犯人が、身代金目的の誘拐犯ならまだいい。 金を取るまでは、直の身柄は保証される。 だが、直を傷つけることが目的なら。 「……っ」 背中に冷たい汗が流れる。 どうする? 捜すしかない。 ネットがダメなら、足で。 僕は部室を飛び出す。 「あっ、いた」 「おい! 加納」 昇降口に向かう途中で、白羽瀬と相羽に会った。 「加納くん、どこにいたの?」 「部室だ。今は話してる余裕はない」 僕はそのまま二人を置いて走り去ろうとする。 「待て、落ち着け、加納」 相羽に肩をつかまれて、強引に引き止められた。 「放せよ!」 僕はすぐに、その手を振り払う。 「お、おい」 相羽が目を見開く。 「どうしたんだ? お前らしくもない」 「余裕がないって言ったろ」 「川嶋のことか? お前が何をするつもりなんだ」 「捜す」 「本気か?」 「本気だ。今からこの町中を歩き回ってでも、捜す」 「もう警察は動いてるんだろう? お前一人が捜してどうなるんだ?」 「たとえ一人でも捜してる人間が増えれば、見つけられる可能性は上がる」 「可能性が上がるなら、僕はそうする」 「それに、これはまだ世間的には事件と確定したわけじゃない」 「警察が動くのは、事件と決まってからだよ。きっとまだ動いてない」 「……」 相羽は僕の顔をじっと見つめる。 「はぁ……ったく、お前は……」 「わかったよ、俺も付き合う」 そして、面倒くさそうに息を吐きながら、そう言った。 「いいのか?」 「可能性が上がるんだろう?」 「ああ」 「じゃあ、やるしかないだろう。行くぞ」 笑って歩き出す。 「待って! 私も行く!」 白羽瀬が僕の腕を取る。 「私が川嶋見つけてあげる!」 「白羽瀬、悪いけどこれは昨日の遊びと違って、僕は真剣だ」 「きっとついてきても楽しくないよ」 「そんなの知ってるし」 「私も真剣だし!」 白羽瀬がぎゅっと僕の手首を。 ――え? 強い握力に驚く。 「まだ私の歓迎会やってない」 「川嶋は、それまで死んじゃダメっ!」 白羽瀬の瞳に微かに涙が浮かんでいた。 「……わかった」 「いっしょに直を探してくれ、白羽瀬」 「うん!」 やっと手を放してくれた。 血の流れが阻害されて、手首が青白くなっている。 「……」 「何をしてる、行くぞ、加納!」 「加納くんっ!」 「あ、ああ」 ――今は、直を捜そう。 僕は気を取り直して駆け出した。 「さて、誰がどこを捜す?」 「直は自宅から、そう離れてないコンビニに行って戻ってこなかったらしい」 「相羽は直の自宅から、コンビニまでの道をたどってみて欲しい」 「了解、お前は?」 「俺は白羽瀬とあの公園に行ってみる」 「例の事件の現場か……何もないといいがな」 「え? 私、加納君とセットなの?」 「三人で分担したほうが良くない?」 「それはダメだ」 新田サンの言ったことを信じたわけじゃない。 でも、白羽瀬を一人きりにすることに僕は抵抗を感じた。 「白羽瀬は僕といっしょに行動して」 「えー、でもー」 「それが嫌なら、新田サンに今から連絡して引き取ってもらう」 「ご無体な!」 白羽瀬は震えながら、相羽の背中に隠れた。 「白羽瀬、今は加納の言うこと聞いておけ」 「言い合いをしてる時間さえ惜しい。今の加納は頑固だぞ?」 「……わかったよ。ちえーっ」 「じゃあ、行こう。相羽、気をつけろよ」 「ああ、大丈夫だ」 「こう見えても、俺は空手二級だ」 「段じゃないのかよ」 「ははは! 面倒で道場通うのをやめただけだ。たいがいのヤツには負けないさ」 「なあ、相羽」 「ん?」 「これは、万が一だけど」 「《・》普《・》通《・》じ《・》ゃ《・》な《・》いヤツが出たら、すぐ逃げろよ」 「……」 相羽は一瞬、驚いたような表情をして、 「――わかったよ。じゃあな」 微笑んで、僕の前から立ち去った。 さて。 「白羽瀬、公園に行く――って」 いない。 「加納くん、遅いよ!」 白羽瀬はもう俺の十メートルほど先を行っていた。 「一人になるなって」 僕は急いで、白羽瀬のところまで駆けた。 平日の公園は閑散としていた。 というか、僕達以外誰もいない。 ――これなら、余裕で死体を捨てて逃げられる。 「……」 ダメだ。 今は変な考えにとらわれるな。 直を捜すことに集中しろ。 「加納くん! あっち!」 白羽瀬が俺の手を引く。 指でしめされた方向を見る――が、何もなかった。 「……ただ木が立ってるだけだぞ」 「違うし」 「匂うし」 「は?」 言われて、鼻から空気を吸い込んでみた。 僕には何も、感じない。 「風にのって、匂ってくる」 だが、白羽瀬はくんくんとまるで警察犬のように鼻を鳴らしながら俺を引っ張っていく。 砂場に到着。 「ここ」 白羽瀬が砂場の中央付近に立つ。 「……何が?」 どんどん不吉な予感が胸に広がる。 「川嶋の匂い、ここから」 「よせよ」 「悪い冗談だ」 「掘るよ」 躊躇する俺をよそに、白羽瀬はかがんで砂場を掘り始める。 「加納くんも早く」 急かされる。 「……」 仕方ない。 何も出ないことを祈りつつ、僕も白羽瀬の隣にしゃがんで、砂場に手を。 白羽瀬と並んで、しばらく砂場を掘る。 遠目にはいい年をした男女が、童心に返って遊んでるように見えるだろうか。 それならどんなにいいか。 「あ」 白羽瀬の掘る音が止む。 「出た」 「……何が?」 「……あんまり触りたくない」 「加納くん、のぞいて」 言われて、僕は白羽瀬の掘った穴をのぞく。 人の手首が埋まっていた。 「……く」 僕の心臓が、早鐘のように鳴った。 一瞬、血の気が失せる。 だけど。 「……太い」 「え?」 僕は砂場から、手首をつかんで引っこ抜いた。 一気に腐臭が辺りに広がる。 「わわっ!? よく触れるね」 「これは大人の男の手首だよ、白羽瀬」 「直の手首はこんなに太くない」 その場に投げ捨てた。 どさっと重量感のある音が周囲に響く。 「加納くん、川嶋以外、マジ、アウトオブ眼中だね!」 「後で、匿名で警察に電話すればいいさ」 「白羽瀬は、この腐臭を感じたのか? でも、直は関係ないよ」 「他所を探そう」 僕はそう言って、立ち上がる。 「待って」 「もうひとつ手首、この下にある」 「どうせ同じ男のだろ?」 「太いから、たぶんそうかな」 「いいよ、もうこの人は……」 「私も、別に手首はどうでもいいんだけど」 「手首、携帯持ってる」 「たぶん、見たことあるヤツ」 「どけ、白羽瀬」 僕はもう一度、穴に手をつっこんで。 手首だけになった男から、携帯を奪い取った。 「……」 「……電源もう死んでるな」 「これは買い替えだな……」 僕はそんな益体もないことをつぶやいた。 直のスマホの画面をにらみながら。 それから、僕と白羽瀬は相羽と連絡を取り合いながら直の姿を捜した。 放課後には、新田サンや新聞部の連中も協力してくれた。 でも、直の壊れたスマホ以外は、何も見つけられなかった。 『ネットにはまだほとんど情報はあがってないな』 『川嶋より、お前の見つけた手首のことがもう話題になってる』 『あ、お前、川嶋のスマホどうした?』 ――さすがに現場に置いて来た。 『中身は見たのか?』 ――電源が死んでた。 『そうか。でも、俺達じゃ指紋とったりして調べられないしな』 「……まあ、な」 相羽とLINNで直の捜索の打ち合わせをする。 今まで入れてこなかったアプリだが、相羽に勧められて入れた。確かに便利だ。 直のスマホが見つかったことで、事件性は認められるのだろうか。 ……もう手遅れなんじゃないのか? 焦燥感にかられて、もう何度も吐きそうになった。 『今日は遅い。もう寝ろよ』 『明日、また探そう』 ――ああ、悪いな。 『よく寝ろよ、じゃあな』 「……」 相羽とのチャットが終わると、更に気分が重くなってくる。 いつもは五月蝿い白羽瀬も、ずっと黙り込んでいた。 「白羽瀬、夕ご飯どうする?」 「……」 「……いらないかも」 「そうか……」 僕はLINNの画面を表示させたまま、スマホを投げ出した。 そのまま横になる。 直。 お前は今どうしているんだ。 無事なのか。 もう、お前に心配はかけないようにするから。 ちゃんと、まっとうに生きるように努力するから。 そろそろ元気な顔を見せてくれないか。 「く……」 唇を噛む。 畜生、後悔ばかりだ。 「……加納くん」 声に視線を、反射的に向けた。 白羽瀬がそばにいて、僕の顔をのぞきこんでいた。 「泣かないで」 「泣いてはいない」 「でも、涙でてる」 「あくびしたんだ」 「……強がりばっかだね、加納くんは」 優しく頭を撫でられた。 「……」 僕は目を閉じて、必死に歯を食いしばった。 泣き顔を、白羽瀬に見られないように。 「ねえねえ、見た? 今朝のバラバラ事件! アレすっごい近所じゃん!」 「あー、アレ……うん、知ってる……よ……」 「え? どったのミカリン、顔真っ青だよ?」 「あの被害者……隣のクラスの子……あたしの親友……」 「えええ――っ?! ウソっ!?」 「ひっく、ぐすっ、ひっく、どうして、あの子が……ひどいよ……」 「泣かないで! ごめん、ミカリン!」 「……」 週明けの学園は、朝から喧騒に満ちていた。 ここの生徒が、無残な殺人事件の被害者となったからだ。 『明日、美合町で一人、狩る』 一昨日の、掲示板の書き込みが、ずっと頭から離れない。 期せずして、その通りになった。 「……」 「……」 相羽と直も表情に精彩を欠いていた。 教室のそこかしこで、生徒が集まって事件について話をしている。 会話に、『人魚』とか『食われた』とかの言葉が。 こうして、都市伝説が生まれていく。 「場所、あの公園だってさ」 「帰るの、あと数時間ズレてたら、俺達が犠牲者だったかもな」 「よせよ」 僕は首を横に振る。 「僕と相羽がいたら、みすみすやられたりしない」 「単独犯ならな」 「そうなんだろ?」 確かネットニュースでは、そう書かれていた。 「……現場に残されてた足跡はひとつらしいんだけど」 「それだと犯行時間が足りないんじゃないかって」 「もう犯行時間とかそんなことまで公開されてるのか?」 「ソースはLINNだ」 「ガセくさいな」 単独犯で一人の人間を殺害して、バラバラにするのにどれくらいの時間がかかるのだろう。 1、殺害した後か、拘束した後、人気のないところに運ぶ。 2、鉈や斧を使ってバラす。 3、公園に運んで遺体を捨てる。 「車を持っていたとしても、軽く二、三時間はかかりそうだな」 「被害者の家族が、公園で遺体を発見したのは、彼女が家を出た三十分後だそうだ」 「それが本当だとしたら、時間が足りない」 「だから、犯人は一人じゃないって、皆言ってる」 「猟奇殺人を趣味にした危ない集団が、この町に潜んでるってことか……」 「それは……マジなら怖いな」 「うう、もうあたし外出るの怖いよ……」 直が半泣きで、うつむく。 「直、しばらく一人では絶対出歩くな」 「学園も、朝と帰り僕が送り迎えしてやる」 「え? で、でも」 「ん? 迷惑?」 「いやいやいやいや!」 「是非、頼みます!」 「不束者ですがよろしくお願いします!」 三つ指をつく勢いで頭を下げていた。 「じゃあ、今日の帰りからな」 「朝も七時四十五分くらいには迎えに行くようにするから」 「全裸待機で待ってます!」 「制服は着とけ」 「おい、マジにとるな、加納……」 「あはは!」 ようやく直の表情が明るさを取り戻した。 ホッとする。 「おはよう、良かった、加納君もういるのね」 扉を開けるなり、委員長の視線が僕を貫く。 「いるけど、何?」 「神藤先生が、呼んでるわ」 先日と同じことを言う。 「今から?」 「今からよ」 「……わかった」 「じゃあ、行くよ」 肩をすくめて、歩き出す。 「行きましょう」 「ついてくるんだ」 「ええ」 「ちなみに神藤先生は、屋上にいるわ」 笑顔でバレバレの嘘を吐く委員長。 「……了解」 「今話題の事件のことで、聞きたいことがあるの」 開口一番、新田サンは僕にそう言った。 「その前に、どうして僕に聞くのか、教えてほしいな」 「関係者の可能性があるからよ」 「何の?」 「バラバラ殺人事件の」 「僕はあの事件に何も関与してないよ」 「そうかしら?」 「僕の中に僕の知らない別人格でも潜んでない限りね」 「潜んでるのかもよ?」 「それは自分自身でわかることなのかな?」 「……」 新田サンは、一瞬険しい表情をして僕の目を見た。 いや、睨んでいた。 すごいプレッシャーをかけてくる。 「……」 僕はただまっすぐ、その視線を受け止めた。 心は、少しも揺れはしなかった。 「……わかったわ」 白い息を風に流す。 「責めるような言い方をして、ごめんなさい」 「別にいいよ。本当は白羽瀬のことが聞きたいんだろう?」 「察しがいいのね」 「人の顔色ばかりうかがって、生きてきたからね」 「……そう」 一瞬だけ、新田サンの表情が陰った。 「白羽瀬の何が知りたい?」 「ていうか、新田サンは白羽瀬と友達なんだろう?」 「え?」 「昨日、とても仲が良かったじゃないか」 「そう見えた?」 「少なくとも、嫌ってるようには見えなかった」 「……」 「ふふ、まだ甘いわね、私も……」 自嘲気味に笑う。 その笑顔はどこか疲れたような印象を受けた。 「気になることがあるなら、白羽瀬に直接電話するなり、メールするなりしてやればいい」 「きっと、憎まれ口を叩きながら、喜ぶよ」 それはアイツのためになることのように思えた。 「そうもいかないのよ」 「事情があるの」 「……そう」 「事情は何って、聞かないのね」 「聞かれたくないんじゃない?」 「そうね、出来れば」 「じゃあ、聞かない」 「ありがとう。ねえ、加納君」 「何?」 「今はあの子と、暮らしてるんでしょ?」 「……まあ」 少し迷ったが、正直に話した。 「もう手を出した?」 「出してないよ」 キスだけはしたけど。 どちらかというと手を出された側……のはずだ。 「今、目をそらしたわ」 新田サンの目がいつの間にか、三角に尖っていた。 「ソ、ソラシテナイヨ」 「…………」 半眼で睨まれる。 完全に疑っていた。 「まあ、今は、それはいいわ」 今は、をちょっと強調して言っていた。 後が怖い。 「昨日、あの子一人で出かけたりしなかった? 私達と別れてから」 「ちょっと待ってくれ」 「君は、白羽瀬が犯人だと思っているのか?」 「不本意ながらね」 「あいつに人をバラバラにすることなんかできない」 「あの細腕で、そんなことできるわけがないだろう」 「……まったくその通りだと思うわ」 「でも、今はまず私の質問に答えて」 「たとえ5分でも、あの子は貴方と離れて一人きりになったタイミングはある?」 「ないよ」 「風呂やトイレは当然一人だけど、同じアパートだ」 「僕に気づかれず、外には出られない」 「確かね?」 「ああ」 「……そう」 僕の言葉を聞いて、新田サンは肩の力を抜く。 途端に空気が弛緩した。 「新田サンは、本気であいつが人を殺めると思っていたの?」 「そうよ」 「前、あの子は危険だって言ったでしょ?」 「貴方、私の忠告を無視してるけど、せいぜい気をつけなさい」 「白羽瀬は変わってはいるけど、悪いヤツじゃないよ」 「悪いとは言ってないわ」 「人を殺すヤツなんて、最悪じゃん」 「自己の生命を維持しようとすることは悪いこと?」 ――え? 「食べなければ、自分が死ぬのよ。そして、食べるってことは」 「殺すってことと同義よ」 「それなら、食物連鎖の頂点に立つ、私達は皆、最悪ね」 「それは――」 君は、何を言ってるんだ。 まさか。 「予鈴ね」 「教室に戻りましょう」 放課後になった。 「……」 フラフラと廊下を歩き、部室へと向かう。 自動的に、習慣的にそうしてるだけ。 頭では違うことを考えていた。 「自己の生命を維持しようとすることは悪いこと?」 「食べなければ、自分が死ぬのよ。そして、食べるってことは」 「殺すってことと同義よ」 何故、あんなことを言うのか。 新田サンは、白羽瀬と何らかの浅からぬ関係にありそうだ。 そんな彼女が。 まるで。 考えているうちに部室の前に到着する。 またいつものように、自動的に扉のノブを握り、 いつものように、自動的に扉を開いた。 すると。 「おいっす」 いつもと違う光景が広がっていた。 「ん……?」 「ふみ……?」 普段聞きなれないアラーム音に起こされる。 「あふっ……」 僕は欠伸をしながら、のそのそと上体を起こした。 「ぶー、まだ6時半じゃ~ん」 「誰だよ~、こんな時間に目覚ましセットしたの~」 「ていっ」 悠はぶちぶちと文句を言いながら、目覚ましを止める。 「グンナ~イ」 で、さくっとまた布団に戻る―― 「こらっ」 前に、姉さんに止められる。 そう、姉さんは昨夜我が家に泊まっていったのだ。 「えー、何でぇ~?」 「学園に遅刻しちゃうでしょ」 「大丈夫。しないし」 「時間的に無理でしょ? 朝ご飯食べて、支度して……」 「今日は拙者、休みでござるがゆえ」 「にんにん♪」 「……あのねえ」 姉さんのこめかみがぶるぶると震えていた。 「にんにん、じゃないのっ!」 叱る姉。 「じゃあ、みんみん?」 首を傾げる妹。 「何て噛み合ってない姉妹なんだ……」 感心しつつ僕も布団をかぶる。 「こら! そこももう起きるの!」 「あ痛っ!」 フライ返しが飛んできた。 どうやら、朝食の準備の途中らしい。 「くんくん、あ、卵焼きの匂い」 悠が目ざとく鼻を鳴らす。 「そうよ、せっかく用意したんだから早く顔を洗って、食べましょう」 「ご飯ももうすぐ炊けるわよ」 「おおー、和食の朝!」 妹はハイテンションになって、その場でくるくる回りだす。 「わかりやすいヤツめ」 と言いつつ、僕もいそいそと起き出す。 自分以外の人が作った朝食なんて、何年ぶりか。 ちょっと心が躍る。 「顔洗ってくるーっ」 妹様はスキップしながら洗面所へ。 「ほら、イズミも起きて」 「うい」 拾ったフライ返しを返しながら、のっそりと立ち上がる。 「姉さん、おはよう」 一応挨拶。 「はいはい、おはよう」 「早く顔を洗って、髪をとかしてセットしなさい」 「セットまではいつもしてないんだけど」 「ダメよ」 ぴしゃりと。 「私の弟なんだから、しゃんとしてもらわないと困るの」 「学園で弟が女の子に笑われたりしたら、私が腹立たしくなるわ」 「学園では、今まで通りただのクラスメイトとして過ごすんじゃあ……?」 「もちろんそうだけど、それとこれは別よ」 「いい? これからは文武両道、質実剛健、眉目秀麗を目指してちょうだい」 「姉さん、人には向き不向きというものが」 「大丈夫よ」 「私の弟なんだから」 にっこりと満面の笑みで言ってくれた。 身内びいきも甚だしい。 「まあ、少しは頑張ってみるけど」 とはいえ、あの笑顔には逆らえず、一応努力を約束して僕も洗面所へ。 「ふいーっ、冷たーっ!」 洗面所では妹が水しぶきを飛ばしながら顔を洗っていた。 「お湯で洗えばいいじゃん」 背中に話しかける。 「湯沸かし器、調子悪い!」 「水、冷たいまま! ふ~っ、ごしごし」 妹は僕の寝巻きで顔を拭いていた。 「こらこらこら!」 「タオルないし!」 「あー、お腹空いたーっ! ごはんごはん♪」 妹は超大雑把に身支度を終えると、台所に直行した。 「このお子ちゃまめ」 悪態をつきながらも、僕はつい微笑んでしまう。 そんな朝だった。 「こんなに余裕をもって、学園に行くなんて何ヶ月ぶりだろう」 「私なんて、初めてだし!」 「あんた達ねぇ……」 兄妹三人で、朝の通学路を歩く。 天涯孤独だと思っていた数週間前の僕が知ったら、ひっくり返るくらい驚くだろう。 まさに奇跡の朝だった。 「兄! 姉!」 悠が僕と姉さんの間に走りこんできた。 「ん?」 「手、繋いで!」 承認する前に僕と姉さんの手をつかむ。 純血種、三位一体攻撃である。 いや、攻撃はしないけど。 「えへへ~♪」 妹はご満悦。 「しょうがないなあ」 ちょっと恥ずかしいが、妹の笑顔には逆らえず僕はそのままに。 「ダメよ、悠」 「手を放しなさい」 だが、姉さんは厳しい目を甘えん坊な末っ子に向ける。 「え~? 何で何で? 新田シスター」 悠がムーと口を尖らせて、姉を見る。 「あのねえ、私達が姉妹、兄妹なのは隠さないとダメでしょ?」 「人魚なのがバレないにしろ、私達がまっとうな人間でないことが周囲に知られるのはマズいことなのよ?」 「少なくとも学園では、今まで通りただのクラスメイトなの」 「こんな風に手を繋いでたら不自然でしょ」 と、手を繋いだまま言っていた。 どうやら本心では、姉さんも繋いでいたいらしい。 「姉、イジワル」 妹がしゅんとしてしまう。 「え? ち、違うわよっ」 落ち込む悠を見て、姉さんはとたんに慌てだす。 「昨日の夜、教えたでしょ? 私達はとにかく目立たないように生きないと危険なの」 「人間は私達を迫害するし、母親はあんな女だし」 「だから本当は目立たないように、私は貴方を陰ながらサポートするつもりだったのに……」 「え? ずっとお姉ちゃんだって言わないつもりだったの?」 「そうよ」 「それひどいし」 目を三角にして、妹は姉を非難する。 「し、仕方ないでしょ」 「ちゃんと普段、それとなく世話してあげたでしょ?」 「お説教ばっかだったし」 「それも妹を思うがゆえよ」 「姉の愛よ」 「姉の愛情、超歪んでるし」 「……何ですって?」 「あ痛たたたたたたたたたたたたたたっ!」 「姉の力強すぎ! 万力みたいだし!」 姉は妹の手を、握りつぶそうとしていた。 ていうか、姉さん、目が赤くない? 「兄、助けてーっ!」 妹が僕の手を引っ張って、助けを求めてきた。 「まあまあ姉さん、それくらいにしてあげて」 間に入る。 「……まったく」 覚醒状態を解除。 嵐は過ぎ去った。 「うう、ひどい目にあった……」 「兄、私達の姉は怖い」 「油断しちゃなんねぇ」 「お前はいつから田舎者になったんだ……」 この妹、面白い。 「ん~? 何~? 悠ちゃん?」 「誰に油断しちゃダメなの~? お姉ちゃんにも教えてくれる~?」 妹に優しく話しかける姉。 だが、瞳は紅蓮の輝きを放っていた。 「ひーっ! 覚醒しちゃダメだし!」 「ノーモア、覚醒!」 「荒ぶる姉よ、静まりたまえ!」 祈っていた。 「お前が、姉さんを怒らすからだろ」 「そうよ」 「イズミは大人しすぎるけど、悠は逆におしゃべりが過ぎるわね」 「もっと女の子なんだから、お淑やかにしなさい」 「えー?!」 妹は不満げな声をすぐあげる。 「そんな女、実際にはいないし」 「いるわよ」 「どこに?」 「ほら、ここに」 姉はこれ以上ないくらい、いい笑顔を咲かせて言い切った。 満面の笑顔とは、まさにこのことか。 「あ、今、魚跳ねた」 しかし、妹は寒い冬を越そうと頑張る健気なお魚に夢中だった。 「聞けよ」 「あ痛たたたたたたたたたたたたたたっ!」 「兄者、助けてーっ!」 「お前というヤツは……」 アホなやりとりをしながら、三人で学園に向かう。 しばらくは三人手をつないだままだった。 「あ……」 「おおっ!」 教室に向かう途中で、直と高階に会った。 「おはよう」 「おはおはー」 女子二人はいつもと変わらぬ調子で挨拶を。 「お、おはよ」 一方、僕はかなりぎこちなくなってしまった。 「おはようございます。ご無事で何よりです!」 「うん、おはよ」 目の前の二人も、普段と変わらず。 「……」 でも、直はちらちらと僕を何度も見ていた。 まあ、そうだよな。 「……」 「加納君、ちょっと用事いい?」 「いいけど、何?」 「川嶋さんを保健室に連れて行ってあげて」 突然、姉さんこと新田サンにそんなことを言われる。 「え?」 僕は首を傾げ、 「え?」 当人さえも目をぱちくりさせていた。 「貴方、顔色が悪いわ」 「無理もないわね。あんなことがあったばかりだもの」 姉さんは妙に神妙な顔で、何度もうんうんと頷く。 「は? いやいや、あたしは別に――」 「無理をしなくてもいいのよ」 笑顔で直の発言をさらっと遮る。 強引な姉であった。 「そんなわけだから、加納君が付き添ってあげなさい」 「ゆっくりでいいわ。一時限目の先生には言っておいてあげるから」 「あ、あたしの意向とは関係なしに、あたしのこれからが決まっていく?!」 直さんは100メガショックを受けていた。 「加納君」 直が驚いている隙をついて、姉さんが僕に寄ってきてそっと耳打ちをした。 「川嶋さんと話して来なさい」 「彼女色々と不安でしょうし、貴方が話すのが一番いいわ」 「彼女には色々見られているから、ある程度は本当の事を話すしかないと思うけど……」 「他の人には内密にして欲しいって念押しもね」 それだけ言うと、姉さんはスッと身を引いた。 そういうことなら。 どのみち、直とは話さないといけないし。 ……引かれてなきゃいいんだけど。 「じ、じゃあ、直、行こうか」 「あー、でも、あたし……」 直、逡巡。 「じゃあ、私が行くし! 身体超ダルいし!」 と、元気に挙手をする悠。 「白羽瀬先輩、あからさますぎで素敵っす!」 「だろっ?」 「はいはい、貴方は教室よ」 新田姉さんは無慈悲に悠の襟首をつかんで引きずっていく。 「いーやー! 私も保健室がいいのーっ!」 「保健室でお兄ちゃ――じゃなくて、加納くんと寝る――っ!」 「寝たいよ――っ! 加納くんと寝たいいいいいっ!」 白羽瀬妹は「僕と寝たい」を連呼しながら、廊下をずるずると引きずられる。 周囲の生徒達が何事かと妹と僕を交互に見やる。 「カノー先輩、注目の的ですね~」 「体裁が悪すぎる……」 こんな注目のされ方は嫌だ。 「あ、あのね、イズミ」 少し緊張気味の直に話しかけられる。 「あたし、特に気分とかは悪くないから……」 苦笑気味に笑う。 「あ、うん。そうだよね」 「でも、良かったら僕、直に話したいことがあるから」 「今から、少しだけ時間くれない?」 「もちろん、嫌だったら無理強いはしないけど……」 頑張って誘ってみた。 口調には出ないようにしてたが、すごく緊張した。 手汗がすごい。 「うん、いいよ」 「え?」 あっさり。 僕は耳を疑った。 「保健室は見つかるとヤバいし、屋上にする?」 「……いいの?」 「うん」 「何でいいの?」 「いや、あんたが誘ったんじゃん? 加納ボーイ」 手を取って引かれた。 「あ、うん、ありがとう」 引かれるまま歩き出す。 「おお! すげー気になりますけど、高階は空気を読んでついていくのはやめるであります!」 「頑張れ頑張れ! カノー先輩!」 エールを送られた。 アイツ絶対勘違いしてる。 「話って、やっぱ一昨日のことだよね?」 冷えた手を擦り合わせながら、直はいつもの明るい声を僕に投げた。 「うん、直にはもう少しちゃんと説明しようと思って」 「あ、そうだ。その前にあたし言わなきゃ」 「何?」 「助けてくれてありがとう、イズミ」 「……」 「え?」 驚いて、一瞬思考が停止してしまった。 「えって、何それ」 「どうして、あなたは意外そうな顔をしますか」 直は空中に?マークを浮かべて、首を捻る。 「いや、だって」 「お礼を言われるなんて思ってなかったから」 「は? そんなわけないじゃん」 「イズミはあたしの命の恩人なのに」 「ありがとう、は当然でしょ」 にこにこ。 直さんは上機嫌だった。 「……」 この期に及んで、ようやく僕は理解した。 直はちっとも引いてなかった。 「ひとつ聞いていいかな?」 「日舞を少々」 「趣味じゃないから」 「あはは、いいよ、何?」 「僕が人魚なのに、平気なの?」 「うん」 即答だった。 「怖いとか、戸惑うとかそーいうのは」 「まるでないんだな、これが」 頬をかきながら微笑する。 「あたしは、人魚がどういう生物なのかはまるで知らないけど」 「イズミがどういう人なのかは、めっちゃ知ってるし」 「そのせいかな、何だかふーんそうなんだって、感じ?」 「……」 「……そうか」 ほんの少し声が震えた。 それくらい嬉しかった。 「なんてったって、イズミの背中のド真ん中にホクロがあることだって知ってるんだぜ、この直さんは」 「僕も直のお尻に蒙古斑があるのを」 「やめろおおおおおおおおおっ! ってマジ?!」 「もちろんウソっす」 「ユーが言うと、リアルなんだから、やめろよおっ!」 威力のないショートジャブを繰り出してきた。 素直に叩かれておく。 「わかったわかった、ごめん」 「……ったく、もう~」 僕は自分が思い出した事、姉さんに聞いた事をかいつまんで直に説明した。 ただ、キツ目の事実や姉さんのことはボヤかしたり、嘘をついた。 そうしないと、きっと直まで思い悩んでしまう。 直をあまり巻き込みたくはない。 「そっか、相羽と違ってイズミも白羽瀬さんも純血種なんだね」 「だから、人やお仲間を食べなくてもいいんだ」 「そう」 「純血種は馬鹿みたいに長生きで、運動能力が優れてるだけ」 「それ以外は普通の人間と変わらない」 「良かった~。それを聞いて安心したよ」 「あの時、イズミが雄は雌のエサだって言ってたから、あたし気になって気になって」 「白羽瀬さんにイズミ食べられちゃう! なんて、馬鹿なことを」 ギクリ 僕の心の中で、そんな擬音が鳴り響く。 「ごめん、それも違うって思い出したから」 「僕達は普通の食事を普通にしてればいいんだ」 「それにしても、白羽瀬さん、イズミの妹さんか~」 「残念だったね、イズミ」 「は? 何で?」 「だって、最近仲良かったじゃん」 「でも、妹じゃあ、彼女にできないでしょ?」 「あー、まあね……」 本当は血縁者しか彼女にできないっぽいが、あえては言うまい。 「いいんだよ、だって、僕には――」 そう言って、直を見つめる。 「――え?」 「どうして、あたしを見つめるの? 直さんちょっとドキドキ……!」 「高階がいるから」 「スカートだけど、前蹴り!」 「あたっ!」 尻を軽く蹴られた。 「オノレー」 「冗談冗談」 尻をさすりながら、直から逃げる。 痛いけど、嬉しい。 たとえ仮初とはいえ、僕は日常に再び回帰できたのだから。 昼休み。 購買のパンでさっと昼食を済ませようと廊下へ出た。 「加納君」 「あ、姉――新田サン」 間違えかけて訂正する。 「ふふ、危なかったわね」 くすりと笑う。柔らかい微笑みだった。 「隙が多くて申し訳ない」 「貴方はまだマシよ」 「正直、白羽瀬さんの方が危ないわね」 「貴方を何度、お兄ちゃんと呼ぼうとしたことやら」 軽く嘆息。 「アイツの場合は元々変わり者と思われていたから」 「それで、却って目立ってないよ。大丈夫だと思う」 「そうね。あ、そういえばあの子、教室で見かけなかったわ」 「今日の昼は新聞部の女子で集まって食べるんだって。チャイムと同時に出てった」 「直と高階とは上手くやってるから、心配はいらないよ」 「……そう、ならいいわ」 口元を緩める。 妹に親しい知人がいることが嬉しいのだろう。 「で、貴方はどうするの?」 「購買でパン買って、どっかでテキトーに済ますよ」 「購買のパン……」 姉さんの眉根が寄る。 何やら、ご不満のご様子。 「前から思ってたんだけど、貴方の食事は貧弱すぎるわ」 「だから、そんなに細いのよ」 姉さんの視線が、僕の頭の先から足先までを瞬時に辿った。 「確かに標準よりは細めだけど、生活には支障はないし」 「そもそも、そんなに食べる事に執着がないんだ」 「貴方は何に対してでも、ほとんど執着はないでしょう?」 さくっと痛いトコをついてくる姉。 「そんなことはないって」 「僕にだって、執着してることくらいあるよ」 ちょっとムキになる。 「あら、そう? 何に?」 「妹」 「……」 姉さんの表情が微妙になった。 「妹に執着する兄なのね、貴方……」 あからさまに侮蔑の感情がこめられた目をしていた。 「いやいやいや!」 「変な意味じゃないよ! ただ単に大事って意味だから!」 慌てて弁明をする。 「そうかしら」 でも、姉はまだジト目だった。 「貴方、何のかんの言って、シスコンだから……」 えー?! 「決して、そんな事はないと思うんだけど」 「自覚がないのね」 「重症ね。困ったものだわ」 未だ半分線の入った目で見られていた。 「まあ、いいわ。とにかく学食に行きましょう」 「パンだけなんてダメよ。貴方は成長期なんだから」 「そりゃ、僕だって学食の方がいいけどさ」 「コレが」 親指と人差し指で輪を作ってみせた。 先立つモノがないのである。 慢性貧乏症候群の僕はまだここの学食で食事はしたことがなかった。 「私が出すわよ」 「何でも、好きな物を頼みなさい」 「新田サンには何回か奢ってもらってるし、さすがにそれは悪いよ」 「気にしないで」 「貴方の苦しみを和らげたいって、言ったでしょ?」 「それとこれとは、違うんじゃ」 「いいから、ほら」 「あ」 手を取られる。 「早くしないと混んじゃうわ」 強引に引っ張られる。 僕は姉さんに、半ば連行されるように廊下を歩き出した。 「あの……姉さん」 周囲には聞こえないような小さな声で、前を行く姉に話しかける。 「何?」 「ありがとう」 「……」 「姉も少しはいいものでしょ?」 「張り合ってたの?」 「冗談よ、馬鹿ね」 さて、学食に到着。 さすが、昼時の学食である。 テーブルというテーブルはすでに多くの生徒達に占拠され、料理を提供するコーナーでは給仕のオバちゃん達が矢継ぎ早に来る注文を、見事な連携で捌いていた。 「オバちゃん、A定食!」 「もうないよ! 日替わりにしときな! はい日替わり一丁!」 「オバちゃん、ラーメンとB定!」 「あんた太りすぎだから、そんなに食べるんじゃないよ! 素うどんにしときな! ほいネギサービス!」 ひどい接客だ。 ここでは客よりあのオバちゃん達が権力を握っているのか。 「加納君、私が席を取っておくから注文の方を頼んでいいかしら」 「了解。新田サン何食べるの?」 「そうね、ダイエット中だからD定食で」 そんなのまであるのか。 この学食あなどれない。 「じゃあ、行って来る」 「お願いね」 というわけで、列の最後尾に並ぶために移動する。 「あ」 「あ」 偶然にも悠も並んでいた。 「おいっす!」 右腕をしゅぱっと上げて、元気に挨拶してきた。 「ああ」 僕も軽く手のひらを振る。 「声が小さい! もう一度!」 えー。 「おいっす!!」 「お、おいっす」 兄妹で昭和の香りがするミニコントをするハメに。 「兄も今日は学食なん?」 「うん、姉さんに誘われて――って、お前、兄言うな」 自然すぎて一瞬気づかなかった。 「自分だって、今、姉さんって言ったじゃーん」 ぶーたれる妹。 「お前につられたの。白羽瀬が言わなかったら、僕も言わないの」 「とにかく、昨日決めたんだから、人前では言ったらメっ!」 「……メッ、て子供かよー」 ぷくっと頬を膨らませる。 「でも、兄っぽいのはいいかな~」 でも、すぐご機嫌に。 表情がころころ変わる。 こいつ、変わったな。 「はい! そこの小さい子! あんたの番だよ」 「おおっ」 そうこうしてる間に悠がオーダーする番に。 「注文は?」 「おフランス料理のフルコース、ディナーで!」 「お前、それ絶対ないだろう……」 あと今はランチの時間だ。 「はいよ! いつもの親子丼ね!」 「あざます!」 それでいいのかよ?! ていうか、オバちゃんにも通じてるし。 「はい、400万円の食券。兄、お先に~♪」 親子丼の載ったトレイを持って、悠はてこてこ歩いていった。 400万円って、お前もオバちゃんか。 あと、兄と呼ぶなとあれほど。 色々とツッコミたい。 「はい、次は兄ちゃんの番だよ!」 妹の先の発言について悶々と考えていると、ついに僕の番が来る。 「日替わり定食とD定食ください」 すっと食券を出して、スマートに注文した。 「え? あの子のお兄さんなのに、あんた普通だねぇ」 「オバちゃん、がっかりだよ~。あんた空気読めないと、社会に出た時苦労するよ、はい、日替わりとD定」 理不尽な事を言われた。 ……ここの学食は僕にはハードルが高いです、姉さん。 「ご苦労様。大変だった?」 「まあ、そこそこ」 僕は新田姉さんが席を確保しているテーブルに移動した。 トレイから姉さんの分の定食を、彼女の前に置く。 「じゃあ、いただきましょう」 姉さんはプラスチックの湯飲みに薄い番茶を注いで僕の方に。 「僕はまさにいただきますという感じだよ」 恐縮する。 これで新田姉さんに奢ってもらうのは何度目か。 近いうちに、お返しをしないと。 「もうそれはいいから」 「払えるほうが払えばいいのよ。気にしないで」 「ほら、冷めるから食べなさい」 「いただきます」 姉さんの方に手を合わせて、会釈を。 「いただきます」 姉さんも食べ物に手を合わせて、目礼。 礼儀正しい。 そんな姉さんが箸を取るのを確認してから、僕も箸を手にした。 かなり空腹だった。 むさぼるように食う。 「あ、これ美味しい」 「これも、すっごい美味い」 雰囲気はアレだが、ここの食事の味付けは僕の舌に合っていた。 ちょっと下品なくらいがつがつとかっこんでしまう。 「こらこら、そんなに慌てないの」 「ご飯は逃げないわよ。もう子供みたいね」 目の前の姉さんは、そんな僕を見て優しく笑んでいた。 「失礼します」 「ふう……」 僕は職員室の扉を閉めてから、息を吐く。 「何とかなった……のかな?」 そんなことを言いながら、廊下を歩く。 放課後に入ってすぐに呼び出されて、二時間ほど話をした。 相手は先生ではなく、警官だったが。 「加納くん」 「え? あ」 廊下の曲がり角に姉さんが立っていた。 壁にもたれながら、こっちを見てる。 「もしかして待ってたの?」 「ええ」 「警察には何を聞かれたの?」 何も説明していないのに彼女は状況を把握していた。 「何で警察と話してたってわかるの?」 「事件の後、初めて貴方が登校したんだもの。そして呼び出し。それしかないわよ」 「もっとも、放課後まで待ってたところを見ると、大した話じゃないと予想するわ」 「……お察しの通りって感じ」 僕は肩をすくめるしかない。 この姉には隠し事はできそうもないな。 「僕が直を助けに行った時、もう他には誰もいなかったって答えたら一応は信じてたよ」 「少なくとも相羽が見つからないことで僕を疑ってる感じはなかった」 「遺体もないし、そもそも貴方が彼をどうこうする動機はないものね」 「少なくともあの夜、貴方が過去を思い出すまでは」 「うん……」 ちくりと胸が痛んだ。 僕はアイツと戦ったけれどアイツの気持ちはよくわかった。 ――妹を守りたかった。 僕もアイツも同じ。それだけなんだ。 「……相羽」 「――え?」 「あ、ごめん」 「何でもないよ」 僕はあいまいな笑みを浮かべて、言いかけた言葉を飲み込む。 「……」 「……そう」 姉さんは何も聞かない。 聞かないでいてくれた。 新聞部に顔を出そうかと悩んだが、今日はやめることにした。 悠は行ってるみたいだったけど、相羽の事を考えたせいか気分がダウナー気味になってしまった。 陰気なツラをした僕が行っても、心配をかけるだけだ。 姉さんと帰ることにする。 「そういえば、新田サンは部活入ってないんだね」 「ええ」 「私がスポーツとかやるの、マズいし」 「運動神経良さそうなのに」 「私の場合、良すぎてマズイのよ」 「あー」 そういうことか。 つい本気を出すと人間じゃないことがバレてしまう。 「貴方も、もう覚醒したんだから、注意しなさいよ」 姉さんは近づいてきてそっと耳打ちした。 女の子の匂いがした。 ちょっとドキドキする。 姉なのに。 「う、うっす」 自ら距離を取る。 「……どうして逃げるのよ?」 睨まれる。 「いや、姉弟とバレると良くないでしょ?」 とってつけたような言い訳をした。 「会話を聞かれなければ平気でしょ」 「近づくのは、問題ないわ」 また距離をつめてくる。 僕の姉さんは、意地っ張りであった。 「だからって、無理にくっつかなくてもいいんじゃ……」 「無理にじゃないわ」 「私の意思でやってるのよ」 「だから、貴方も貴方の意思で私とくっつきなさい、加納くん」 「一見、僕の意思を尊重するように見せかけて、実は選択権がないよ?!」 一瞬納得しかけた。 やはり新田サンは新田サンであった。 「あら」 「あらじゃないから」 「ふふ」 「笑ってごまかすのはなし」 「ツレない子ねぇ……」 姉さんは渋々という感じで、僕と離れた。 それでもまだ近い。 クラスメイトというより、彼氏彼女くらいの距離だった。 「さあ、帰りましょう」 「うん」 まあ、いい。僕も姉さんと近いのが嫌なわけじゃない。 でも、今まで、同じクラスで学んでいたキレイな女の子と急に親密になってしまった。 そのことに戸惑っている。 確かに彼女は僕の姉さんなのだろうけど。 同時に、才色兼備の委員長である新田サンでもあるのだから。 「イズミ、貴方達、夕食はどうするの?」 周囲に誰もいないせいか、イズミと呼ばれた。 「僕が何か適当に作るよ」 「献立は姉さんと別れた後、スーパーに寄った都合かな」 「え? 貴方が作るの? 悠は?」 「アイツには料理なんて、無理だよ」 「……」 あ。 姉さんがわかりやすく渋面に。 「イズミ、私も買い物に付き合うわ」 「夕食も作ってあげる。三人で食べましょう」 「でも、そんなことしたら帰るの遅くなるよ」 「昨日も外泊したし、姉さん今日は早く帰った方がいいんじゃない?」 「構わないわ」 「どうせ私一人だし」 え? 「一人暮らしなの?」 「養父と養母はユタカが消えてから、急に身体が弱くなってね」 「二人共、去年ユタカのところに旅立ったわ」 「そうなんだ……」 「せっかく出来た家族だったけど、もう誰も残っていない」 「だから、今の私には貴方と悠だけなのよ」 姉さんが力なく微笑する。 夕陽が作り出した陰影が濃く強く、姉さんの表情に覆いかぶさる。 そのせいか、姉さんの笑顔はどこか寂しそうに見えてしまう。 「それなら、姉さん、今夜も泊まっていけばいい」 「何なら、悠が成魚になるまで居てくれても」 気がついたらそんな言葉が口をついて出た。 「いいの?」 「悪いわけないよ」 「きっと悠も喜ぶ」 「ふふ、どうかしらね」 「あの子は、ちょっと屈折してるから」 苦笑する。 「屈折なんて立派なもんじゃないよ、ただ素直じゃないだけだって」 「それに少なくとも、僕は嬉しいし」 「……え?」 目の前の新田姉さんが、目を見開く。 あ、しまった。 今のは、ちょっと恥ずかしかったか。 「……」 一方、姉さんは顔を赤く染めていた。 「……大人しい顔をして、さらっとそんなことを……」 「貴方、油断ならないわね……」 「違うよ、計算とかしてないし」 「そうかしら?」 「それはそうでしょ」 「僕が姉さんを口説くわけないし」 「あら、口説かないの?」 「それはそうでしょ」 同じ言葉を繰り返す。 「人魚は近親者が性交渉の対象なのよ? 教えたでしょ?」 「あ、そうか」 人魚の常識に従うと、僕は悠か新田サンしか口説けないのか。 それは……。 「急にはそんな風にはなれないよ」 「姉さんは、僕にとってやっぱり姉さんだ」 さっきドキドキした事は、とりあえず棚上げしとく。 「……まあ、そうかしらね」 「ユタカもそんな事を言ってたし……貴方達、本当に似てるわ」 「でも、貴方はユタカと違って覚醒してしまったから」 「あまり悠長なことは言ってられないかもしれないわ」 「え? それってどういう意味?」 「説明してもいいけど……」 姉さんは少しだけ考えて、 「やっぱり、やめておきましょう」 「嫌なことは知らない方がいいしね」 うわー、めっちゃ気になるそれ。 「えー、教えてよ、姉さん」 「うーん、でも、もしかしたら、貴方には来ないかも」 「淡白そうだし」 「意味がまるでわからない」 「自然の摂理よ。来たら来たで仕方ないわ」 「その時、また考えましょう」 「大丈夫。その時は姉さんが何とかするわ」 姉さんは風になびく長い髪を押さえながら、話題を打ち切った。 「はあ、じゃあ、とりあえずよろしく」 そう言うしかない。 「ええ、わかったわ、イズミ」 こっちはよくわからないよ、姉さん。 「さて、スーパーに行きましょうか」 「そうだね。そろそろタイムセールで刺身が安くなりそうだし」 「……貴方、すっかり主夫ね」 呆れられてしまった。 「そのつもりだよ」 「それが純血種の雄の役割だしね」 淡々と答えた。 気持ちは、昨日の夜に固まっている。 「……役割だから、そうするってこと?」 「そこに、貴方の意志は何もないの?」 「……昨日、相羽に殺されかけた時、全部、思い出したんだ」 「単に事象としての記憶が蘇っただけじゃない」 「僕が妹をどれくらい大切にしていたかとか」 「妹がどれくらい僕を慕ってくれていたかとか」 「そんな感情も含めて、思い出したんだ」 白羽瀬悠を守ることが、唯一の願い。 僕を食わねば、白羽瀬は間もなく衰弱して死んでしまう。 それなら、もう答えは出ていた。 「僕はアイツに捕食される」 「それは、僕自身の望みでもあるんだ」 「……そう」 新田サンは、口惜しそうに唇をかんだ。 「――純血種の男は、皆、同じようなことを言うのね」 「え?」 「何でもないわ、忘れて」 ここまで話して、思い至った。 新田サンは成魚だ。 過去に兄か弟を捕食している。 「何て酷い仕組みなのかしらね……」 「どうして、肉親限定なのよ」 「他の純血種でもいいなら、まだ救われるのに」 「それだと、同属殺しが増えすぎて、種が絶えてしまうんじゃないかな」 「……同じ家系内で、問題がクローズしてる方がいいってこと?」 「たぶん」 「貴方、随分冷静なのね」 「怖くないの?」 「もし、僕が怖いって言ったら、新田サンは僕を見逃す?」 「……」 目の前で、新田サンは眉を八の字にして、黙り込む。 「ごめん」 「意地の悪い質問だった、ごめん」 「……本当よ」 「貴方なんか、さっさと悠に食べられちゃえばいいわ」 ぷいと横を向く。 「……ごめん」 「……」 「……私も、ごめんなさい」 二人でうつむく。 どうも、この話題は良くない。 無理もない。 だって、彼女は捕食する者で、僕は捕食される者なのだ。 たとえ僕が納得してようと、場を暗くしてしまうのは当然だった。 「ねえ」 「ん?」 「加納くん、欲しいものはない? 私が買ってあげるわ」 「もうすぐ死ぬのに、何かを所有したいとかって思わないよ」 「それなら、したいこととか――あ」 「……貴方、経験はあるの?」 「ないなら、その……」 「え? 何の?」 「?! ……貴方、それを私に言わせる気なの?!」 目を剥いて怒った。 何故? 「いや何で怒るの、新田サン」 「だって、貴方が女の私にセック――」 「~~~~っ!」 言いかけて押し黙る。 「節句?」 「まさか素でわかってないの?! はぁ~~~~……」 出来たばかりの姉にため息をつかれた。 「あのー」 「何よ?」 じろりんと睨まれる。 「何だか、よくわからないけど僕が謝ればいいのかな?」 「よくわからないことで、謝らない!」 姉は激しく怒っていた。 「男がそんなに簡単にペコペコしない!」 テーブルを連打する。 お冷が倒れないか心配になった。 「だいたい、加納君はいつもいつも大人しすぎるのよ」 「もっと、しゃんとして欲しいわね、姉として情けないわ」 「はあ」 姉としてって。今なったばかりじゃん。 「はあ、じゃなくて、はい!」 「よくわからないことで、謝らない!」 「は、はい」 一喝された。 嫌だなぁ。 せっかくなら、優しい姉さんが良かったなぁ。 「――こほん、それでね」 「さっき聞きたかったのは、ね」 新田サンの頬がさっと朱色に染まる。 「どうして、赤くなるの?」 「五月蝿い」 「あ痛たたっ!?」 テーブルに載せてた僕の手の甲をつねってきた。 乱暴な姉だった。 「黙って、姉さんの話を聞きなさい」 「う、うっす」 ただ従うだけの僕。 完全に主導権は握られていた。 「加納くん、だから、私が聞きたかったのは」 「貴方が、その……」 「性交渉の経験が、あるのかどうか……」 「ああ、あれって節句じゃなくて、セックスのこと――」 %44「あ痛たたたたたたたたたたたたたっ?!」%0 さっきより強くつねられた。 「はっきり言わないの」 「恥ずかしいでしょ、馬鹿」 「う、うっす……」 頭を垂れる。 それにしても。 「新田サンが思ってた以上に、純情で驚いた」 「はあ? 何よ、それ」 「だって、僕の周りの他の子はもっとあけっぴろげって言うか――」 「スカートだけど、前蹴り!」 「パンツ♪ パンツ♪」 こんなんである。 「それ、その子達が変でしょ?」 「ぶっちゃけ、直と白羽瀬だけど」 「……」 姉さんは何とも言えない表情になった。 「加納くん、女の子は本来、もっと清純で慎ましやかなものなのよ」 「貴方に残された時間は短いけれど、それをきちんと学んでから逝きなさい」 「だから、学ぶにしても僕の周囲はそんな子達ばっかりで」 「私から学びなさい」 きっぱりと言い切った。 すごい自信だ。 「は、はあ」 「生返事ね」 「せっかく、これから貴方に色々教えてあげようとしている優しい姉さんに失礼だわ」 「それから、返事は、はい」 「はい……」 「それで、話を戻すけど」 再び頬をほんのりと染めながら、姉さんは言う。 「経験はあるの?」 「それって、重要なの?」 「姉としては、そうね」 「自分の弟が、異性を知らないまま死ぬのは忍びないでしょう?」 「それは、どうも」 一応、善意というか姉なりの優しさで聞いているらしい。 「一度だけなら」 正直に答えた。 「……」 ぴくっ、と新田サンの眉が跳ねた。 「ふうん」 何故か微妙に空気が悪くなったような。 「もしかして怒ってる?」 「ナマイキ」 えー。 してない方が良かったのか。 複雑だな、姉。 僕はごまかすように、コーヒーカップを口にした。 「……せっかく、私が教えてあげようと決心してたのに……」 「ごふっ!?」 姉の衝撃発言に、僕はコーヒー噴出しかけた。 「ちょっと、大丈夫? はい」 ハンカチを渡された。 口元を押さえながら、無言で受け取って拭う。 「姉さん、突然変なことを言わないで」 「何がよ?」 「家族で、教えちゃったらマズイでしょ?」 「え? ああ……」 新田サンはようやく納得したようだった。 「でも、人魚の性行為の対象は、基本近親者よ」 「………………」 「…………マジ?」 「ええ」 「人魚の場合、雌が捕食対象と性行為をして、その後、捕食、懐妊の順が一般的ね」 「だから、必然的に近親者が対象よ」 「つまり、加納くんの対象は、私か悠ね。もちろん人間ともできるけど、それはアブノーマルな行為よ」 「僕、アブノーマルだったんだ……」 お前は変態なんだよ、自覚しろよと言われているような気がしてちょっとブルー。 「まあ、知らなかったのなら、仕方ないわ」 「今後は、慎みなさい」 「う、うん」 イマイチ納得できないけど。 「じゃあ、そろそろ行きましょうか」 新田サンは伝票を手に立ち上がる。 「え? どこに行くの?」 「もちろん」 「私達の妹のところよ」 一年前―― 「……うおっ」 三月の屋上はまだ充分に寒い。 強風の日ともなれば、なおさらだ。 「ふう……」 とはいえ、学園じゃここでしか吸えない。 白い煙をたなびかせながら、僕は咥えタバコで歩いていく。 さて。 「っと」 給水塔のそばまでよじ登るために裏手に回る。 その方が扉から死角になって見つかりにくいらしい。 余裕のある時は、相羽はそうしてるという。 試してみることに。 と、 「――きゃっ?!」 「へ?」 直が――川嶋さんがいた。 「……」 「……」 しばし無言で見つめあう。 あの日、保健室で一夜を過ごしてから、僕達は何食わぬ顔をして教室に行った。 すぐ職員室に呼び出された。 で、その日の夕方、彼女に言われたのだ。 『全部忘れてほしい』と。 「や、やあ」 とりあえず、タバコを片手に間の抜けた挨拶をする。 他に何をしていいかわからない。 「ど、ども」 川嶋さんは微笑する。 でも、何だか固い半笑いだった。 戸惑いと気まずさの入り混じった空気が漂いまくっていた。 「どうしてこんなトコに?」 「な、何ていうか」 「一人になりに」 「ああ……」 職員室に呼び出されて以来、僕達は好奇の目にさらされていた。 僕は元々一人上等なので、ドコ吹く風と振舞っていられるが、彼女は辛いだろう。 胸が痛む。 「そういう加納くんは、一服しに?」 「うん」 「この上の給水塔の陰に行こうと」 「ここ、登れるんだ」 「相羽がそう言ってた」 「眺めいいのかな」 「相羽はいいって言ってたよ」 「……いっしょに登ってもいい?」 え? 一瞬、驚く。 あの日以来、川嶋さんはどちらかというと僕を避けていたから。 「……」 不安げな彼女の顔をつい見つめてしまう。 「や、やっぱりダメかな?」 「ううん、いいよ」 僕は承諾した。 「あ、ありがとう」 心底ホッとしたような表情。 今の僕でも、彼女にそんな顔をさせることができる。 それが嬉しかった。 「うわっ、高いね」 「うん、高い」 「マジ高いね!」 「うん、マジ高い」 川嶋さんと並んで座って、校庭を見下ろす。 野球部が声を上げてノックをする。 列をなした陸上部がトラックを走る。 それを尻目に、制服姿の学生達が大量に校門の方へと流れていく。 視界いっぱいに広がる放課後の学園生活。 それを俯瞰して眺めることは、何とも不思議な感覚で。 小さな非日常だった。 とはいえ。 「……」 僕は無意味に手の平の中でライターを転がし続けていた。 緊張している。 まさか川嶋さんと、こんな形で二人きりになるとは。 とにかく、落ち着かなければ。 「川嶋さん」 「は、はいっ!」 僕が声をかけると、川嶋さんはピンと背筋を伸ばした。 「吸ってもいい?」 喫煙のジェスチャー。 結局、ヤニの力を借りることに。 「あ、う、うん」 「ありがとう」 今朝、加納さんから無断でいただいたタバコに火をつけて、肺いっぱいに煙を吸い込んだ。 「……はぁ」 ため息とともに煙を吐く。 あまり緊張は緩和されなかった。 「あっ、あの」 「?!」 急に話しかけられて、今度は僕が背筋を伸ばす。 口にタバコがあるので、声は出せない。 「あたしも、一本いい?」 へ? 意外な展開。 僕とは違って、超真面目な川嶋さんが学園で喫煙したいとか。 「いいの?」 僕は口のタバコを手に移し、川嶋さんを見た。 「うん」 「あんまり――というか、全然身体には良くないんだけど」 「吸ってる人が言いますか」 それもそうか。 「ほい」 僕はポケットからタバコの箱を取り出し、一本立てて直の方に向けた。 「うわー」 「大人ー」 へらっと笑いながら、一本手にする。 無邪気な印象。 悪いけど、全然大人っぽくなかった。 もちろん、言うと怒られるので言わないけど。 「すぱー♪」 火のついてないタバコを咥えて、吸ってるフリをしていた。 マジ子供だった。 でも、そんな彼女を見ているのは楽しい。 ほっこりする。 「加納くん、ライター、プリーズ」 手を差し出してきた。 「あ、本気なんだ」 「当然じゃん」 「あたし、大人だし」 「タバコを吸えるのと大人になるのは、まるで関係ないと思うけど」 「でも、加納くんは大人じゃん」 「全然子供だよ」 「そうかな? 噂が流れても、平気って感じだし」 「あたしなんか、気にしちゃって、もう疲れちゃった」 「それは僕が男だから」 「不純異性交遊の噂とか、どう考えたって女の子の方がツライ」 「ごめん」 持ってるタバコをコンクリに押し付けて火を消しながら謝った。 「え? 何で、加納くんが謝るの?」 「君に迷惑をかけたから」 「迷惑かけたのはあたしだよ」 「加納くんは、一生懸命あたしを慰めてくれた」 「あたし、後悔してないよ」 「あの日、イズミとしたこと、何一つ後悔してない」 「不純かどうかはともかく、異性交遊はホントだし」 「噂が鎮まるまでは、じっと耐えてる」 川嶋さんは僕を見つめて、柔らかく笑った。 「今、イズミって呼んだ」 「え? そう?」 「心の中で呼んでるのが、つい出ちゃった」 「それダメじゃん、あの日のことは忘れるんだろう?」 「それなのに、君は後悔してないとか、変だよ」 「イズミは忘れて、あたしは覚えてるの」 「それズルイ。ていうか、またイズミって呼んだ」 「うーん、やっぱイズミって呼びたい。だからまた呼ぶ」 何て勝手な。 「僕は心の中でも、川嶋さんって呼んでるのに」 「イズミは他人行儀だね!」 「じゃあ、僕も呼び方は直に戻す」 「あははは! それはいいよ」 「でも、あの日のことは、イズミは忘れて」 「そうじゃないと、あたしがツライから……」 風に髪をなびかせながら、直は校庭に視線を移す。 憂いを帯びた横顔。 その顔を見ると、何も言えなくなる。 今でも好きだと、言えなくなる。 「……わかったよ」 「ありがとう、イズミ」 「愛してる!」 「はいはい、僕も愛してるよ」 本当にそう思っている。 でも、冗談にして笑うしかなかった。 「ねえ、そろそろマジでライター貸して」 「ほら」 火をつけて、差し出す。 「ごほっ! がほっ! ひい~~っ! 何これ~~っ!」 僕の隣で、煙にむせる直。 そんな彼女の様子を眺めながら、僕は悟った。 彼女と僕との距離は、あの夜の前に完全に戻ったと。 仲の良いクラスメイト。 部活の友達。 彼女がそう望むのなら、それでいい。 今、僕の初恋が終わった。 「はぁ……」 顔を上に上げる。 みっともないところを、好きな女の子に見せるわけにはいかない。 僕は心の中だけで静かに泣いた。 少し眠い。 意識が、ぼんやりとまどろむ。 微かに春の匂いを含む風に吹かれながら……。 …………。 ……。 暗い。 随分暗くて濁った泥水の中に、沈んでいるような感覚。 「……!」 「……ズミっ!」 誰かの呼び声。 誰だろう? 「イズミっ!」 「…………」 ぼんやりとした視界がじょじょに明確な像を形作っていく。 「……え?」 気がつくと、僕は悠の部屋にいた。 ベッドに寝かされていた。 「あ、目開いた」 「……やれやれね」 「悠、姉さん、僕……」 起き上がろうとする。 「イズミっ!」 「直? えっ? わっ!」 直はいきなり覆いかぶさってきた。 「イズミ! イズミ!」 「どうしたの? 直、落ち着いて」 「良かった! いつものイズミだっ! うわああああああん!」 僕の胸にしがみつき、泣きじゃくる直。 まるで小さな子供のよう。 「……直」 戸惑いながらも、彼女の背中を優しく撫でた。 「新田、兄、何も覚えてないみたい」 「そうみたいね……」 妹と姉は、何か思案しながら僕達を見下ろしている。 「覚えてないって、僕がどうしたの?」 「兄、凶暴化した」 「え?」 「正確に言うと、発情期に入ったのよ」 「発情期? 僕が?」 「そうよ」 「そんな犬や猫じゃあるまいし……」 「何を言ってるの? どんな生物にだって振り幅の差こそあれ、発情期はあるの」 「あんたも、覚醒してようやく本来の人魚としての身体リズムになってきたということよ」 「兄、大人になった?」 「そうとも言えるかもね」 「今夜、お赤飯炊く!」 「やめて、マジやめて」 すごく恥ずかしいぞ。 「イズミ、貴方はさっき、発情して川嶋さんを襲ったのよ」 「そして、その後気を失ったの」 「……」 姉さんの言葉に僕は、言葉を失ってしまう。 ……僕が、直を襲った……? 「あ、違う! 違うって、イズミ!」 僕の胸に顔をうずめていた直が、慌てて否定した。 「乱暴なんて、されてないって! 全然普通だよ!」 「ち、ちょっと激しかったかな~とは思ったけど、イズミはちゃんとあたしの身体を気遣って――」 笑う直。 でも、僕は見逃さなかった。 彼女の頬や、腕には無数の擦り傷が。 「直、君、いっぱい傷がある」 「た、たいしたことないよ、こんなの」 「その傷、僕が君に」 「違うよ」 「違わない。僕が君に乱暴をしてしまったんだ」 「違うって! イズミはそんなことしてないって!」 「ウソをつかないで、直。もしそうだとしたら、僕は――」 「本当に違うったら!」 僕の言葉をかき消すように、直が叫んだ。 「直」 「イズミは、何もしてない……」 「してないよ……」 「ひっく、うっ……」 「……」 もう僕は何も言えず、うつむいた。 「……川嶋これ」 悠がティッシュの箱を直に差し出す。 「……」 直は黙ってそれを受け取った。 「イズミ」 姉さんが視線で、僕に扉の方を示す。 ――外で話をしましょう そう目が言っていた。 直を送り届けて、今日のところは一旦解散する―― フリをした。 直の家から戻ってきた後、アパートの前で悠と二人で待つ。 「お待たせ」 すぐに帰宅したフリをした姉さんが戻ってきた。 「歩きながら話しましょう」 「……」 「……」 川べりの道を兄妹そろって歩いた。 こんな風に兄妹水入らずでいられる瞬間が、この僕に来ようとは。 ほんの数週間前は、一人だったのに。 人生とは何が起こるか、わからない。 「……」 先頭を行く姉さんが足を止める。 僕と悠もすぐに立ち止まった。 「――イズミ」 背中を向けたまま声を。 「何? 姉さん」 「川嶋さんと、別れなさい」 振り返って、まっすぐ僕を見据えて言ってきた。 「ええっ?! 何で何で?!」 僕よりも悠が驚いていた。 「やっぱりそうすべきなんだよね……」 「ちょっ?! お兄ちゃんも同じこと考えてたの?!」 「うん」 「川嶋のこと好きなんでしょ?! 別れちゃダメっ!」 悠が少し声を荒げる。 「……悠、貴方、何を言ってるの?」 「貴方が成魚になるためには、イズミを捕食するしかないのよ?」 「どのみち、イズミと川嶋さんは別れる運命なの」 「要はそれが何時になるか、というだけの話」 「それが、今だってはっきりしただけよ」 姉さんは淡々と事実を並べる。 「私、成魚なんてならないし!」 悠が姉さんに鋭い視線と声を投げつけた。 「だから、お兄ちゃんは死なないし! 川嶋とずっと仲良く暮らせばいいし!」 「……何を馬鹿なことを……」 姉さんは息を吐く。 「成魚にならなければ、貴方はもうすぐ衰弱死するのよ? 教えたでしょう?」 「私は死なないし!」 「いくら強がっても、私達の身体はそうできてるの!」 「試してもみないで、わかるもんか!」 「子供みたいな事を言わないで!」 二人が激しい口論を始めた。 「待って二人共」 「喧嘩したって、意味がないよ。もう結論は出たんだ」 「……そうね」 「どうして?!」 「たとえ悠が成魚にならなくても、僕の身体が、おかしくなってしまった」 「直にひどいことをしてしまう僕になってしまった」 「だから、もう……」 そこまで言って、僕は唇を噛んだ。 「そ、そんな……」 「そんなのって……」 「そんなのって……!」 「うわああああああん!」 悠はその場で、両手で顔を覆って泣き出した。 「……泣いてどうするのよ?」 「……他人のために泣いてる余裕なんて、悠にはないのよ?」 「だって、もうすぐ……」 「ぐすっ、ひっく……」 「嫌だ……もう嫌だ……こんなの……」 「お兄ちゃんが可哀想すぎる……」 「うわああああん!」 「……悠」 僕は妹のそばに寄ると、そっと頭を撫でた。 「……優しいな、お前は」 「うわああああああん!」 「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」 「うわああああああああああん!」 「……」 静かな冬の夜道。 僕は心優しい妹を抱きながら、心を決めた。 こいつを守る。 そして。 直を守る。 新しい朝が来る。 僕はごそごそとコタツから這い出た。 そろそろ朝飯をかっこんで、着替えて出ないと、遅刻だ。 「すかー」 だが、クラスメイトの引きこもり少女は当たり前のように、夢の中だった。 「おーい、白羽瀬」 布団の上から揺らしながら、声をかける。 「今日も休み? たまには学園行ったら?」 「お前も僕も、出席日数ヤバイってよ」 「……ふみ?」 「誰……? ユーは、誰ですかぁ……?」 しょぼしょぼした目を擦りながら、白羽瀬がのっそりと上体を起こす。 髪は寝ぐせつけまくり。 口元には、小さな涎のあと。 年頃の娘さんとは思えない有様である。 「お前、顔洗えよ」 「ういー……」 ふらふらと千鳥足で、台所まで移動。 大丈夫かよ。 「加納くーんっ」 台所でばしゃばしゃ音を立てながら呼んできた。 「何?」 僕は白羽瀬のいない間にと、制服に着替え始める。 ちなみに寝巻きは白羽瀬同様、学園のジャージ。 貧乏って悲しい。 「朝ごはんは何ーっ?」 「テキトーにコンビニでパンでも買って、食いながら登校の予定」 「何だとぉっ!?」 床じゅうに水滴を落としながら、白羽瀬が戻ってきた。 「お前、顔拭け、顔」 子供かっ。 「そんなことより、私のぶれっくふぁーすとの話だっ」 「朝食は一日の元気の元なんだよ! そんなんじゃダメダメダメっ!」 ぶんぶんと顔を振りながら、主張する。 だから、水滴が飛ぶから止めろ。 「そんなこと急に言われても」 「昨日の朝は加納くん、トーストとハムエッグ作ってくれたーっ!」 「昨日は、授業パスしたから余裕があったんだよ」 「今日も作ってーっ! パパ作ってーっ!」 「パパ言うな」 「悠、今朝は旅館風の和朝食がいいな! はぁと♪」 「可愛く言っても、お前の朝食はコンビニ飯だ。運命には抗えない」 はぁとじゃねーよ。 「抗ってやるっ!」 「ちょっ! こらっ!」 憤慨した白羽瀬は、僕に飛びついてきた。 僕は押し倒されるようにして、敷きっぱなしの白羽瀬のベッドに倒れた。 「ごはん、ごはん、ごはーん!」 首筋に顔を擦り付けながら、まだダダをこねる。 「今朝は時間がないから無理なの!」 「いーやーだー! 加納くんの作った朝ご飯食べたーい!」 「朝ごはん作ってくれないなら、加納くんを朝ごはんにしてやるーっ!」 「随分、重い朝食だな」 「本気にしてないな~っ。はむっ」 「ぐわっ」 耳たぶを甘がみされる。 「はむはむはむむはむはむはむ!」 「ふーっ! ふーっ!」 「ぺろぺろぺろ」 「ちゅっちゅっ」 途中から、あきらかに愛撫に移行していた。 「こらああっ!」 「ふっふっふっ、朝ごはん作ってくんないと、加納くんを食べちゃうぞ?」 「色々な意味で」 すりすりと身体を摺り寄せながら、股間を撫でてきた。 自宅で痴女発見。 「やめろ、変態」 「嬉しいくせに」 「襲われて嬉しいわけあるか」 「……」 白羽瀬は無言で、再び手を僕の下半身へと伸ばし、 「……このウソつきめ」 ニヤソと笑う。 「生理現象だっ!」 朝からする会話じゃない。 「とにかく、朝ごはん作ってから、学園に行って」 「私、朝ごはん食べたら、また寝るから」 「結局、またサボりかよ」 「私は誇り高き、自宅警備員だから」 こんなに自信に満ち溢れた引きこもりは初めて見た。 「はぁ、もうわかった。作るよ……」 遅刻確定だ。 「ごちそう様~っ」 「お休みなさーい」 公約通り、白羽瀬は朝食を胃に収めるとすぐにコタツで横になった。 「本当に、今日も休むのか?」 「うん、行かないし」 「僕は行くから」 「行ってら~」 僕は白羽瀬を残して、部屋を出る。 そして、そのまま駆け出した。 「おう、加納」 坂を登りきったところで、知ったヤツに会った。 「よう、相羽」 お互い軽く手を振り合う。 「何、今さら走ってるんだ? どうせ間に合わないぞ」 「え? まだギリで間に合うだろう?」 相羽はわざわざスマホを取り出して、僕に時計を見せてくれた。 始業三分前。 「アイツん家の時計はどうなってるんだ……」 確かまだ十五分くらい前だったのに。 ずっと引きこもっているから、その程度のズレは気にならないのか。 「ん? アイツって?」 自然に僕の隣に並んだ相羽がスマホをしまいながら尋ねてくる。 「あー、何ていうか」 返答につまる。 「知り合いだ」 めちゃくちゃボカして答えた。 「知り合いねぇ……まあ、いいがな」 相羽は後ろ頭をかきながら、流してくれた。 ――お前が言いたくないなら、それでいい。 空気を読みまくる相羽は、目でそう言っていた。 「それより、お前の親父さんまたキレたって?」 「ああ。新聞部の誰かから?」 「川嶋がLINNで愚痴ってきた」 「そんなことより、聞いてくれよ、相羽よ」 「イズミがあたしの誘い蹴ったよ! こん畜生めえぇっ!」 「泊めてくれる人なんか、絶対いないくせに! どうせネカフェか漫喫にいるくせにっ!」 「イズミのくせに、遠慮なんてナマイキだよ! 頼れよ! 水くさいよ! 直さん超がっかりだよ!」 「――と、いうわけで、もし、相羽ん家にイズミが行っても、旅館かわしまに行けって言って断わってね!」 「あ、何なら、相羽も来ていいよ! 旅館かわしまは、皆様のご来店を心より――」 「もういい。話さなくていい」 直は相羽に何を言ってるんだ……。 歩きながら、僕は白い息を吐く。 「面白いよな、アイツ」 「はたから見てる分にはな」 「で、今、お前平気なのか?」 少し真面目な声で聞いてくる。 「ああ」 「俺んトコだったら、いつでもいいぞ」 「川嶋じゃないが、遠慮はしなくていい。どうせ俺と美月しかいないんだ」 「ありがとう」 「でも、今回は大丈夫だ」 たぶん。 「さっき言ってた知り合いか? 信用できるのか?」 「できるというか」 「したいというか」 「微妙な評価だな……」 相羽は眉根を寄せる。 本当は、相羽のトコにやっかいになった方がいいのかもしれない。 白羽瀬は、悪いヤツではない。 が、やっぱりどうにもつかめない性格をしている。 でも、僕は白羽瀬との約束を、反故にしたくなかった。 そう、それは。 たぶん―― 「もう少し、今のとこにいるよ」 「本当にヤバくなったら、そん時は頼む」 「そうか」 「わかった。いつでも来いよ」 相羽は軽く僕の背中を叩いた。 「悪いな」 「気にするな」 「でも、たまにはマジで遊びに来いよ。美月もお前に会いたがっている」 「美月ちゃんか……。元気か?」 相羽には歳の離れた妹がいた。 そんなに話したことはないが、礼儀正しい、いい子だ。 ただ、少し虚弱だった。 「今はあまり元気とは言えないな」 「昨日俺が休んだのも、アイツを病院に連れて行ったからだ」 「なかなか熱が下がらなくてな。ずっと看病してたらこの時間だ」 「……」 両親がいないと、そうなるよな。 相羽は相羽で、僕にはない苦労を抱えている。 「そんな顔をするな。もう大丈夫だ」 「そうか、良かった」 「お前は、自分が死にたがりのくせに、他人の心配はするんだな」 「違う。別に死にたがってはいない」 「ただ生きるのが苦手なんだ」 「……よくわからん」 「おはよう」 「おっす」 一時間目と二時間目の狭間の休み時間。 僕と相羽は、そろって教室に顔を出す。 「おはやくないよ! おそようだよっ!」 早速、直が僕達を見つけて、席を立ちつかつかと近寄って来た。 「まだ午前だし、いいじゃん」 「そうそう」 僕達は顔を見合わせて、肩をすくめる。 「わーん! ちっとも反省してないよ、こいつらっ」 「このまったり系不良めっ」 えー。 「失礼だな、俺も加納も不良じゃないぞ」 「そうだよ、あんまり授業には出てないけど」 「そこがダメなんじゃん! 出ろよ! 歯食いしばって出ろよ! お前ら留年しちゃうぞっっ?!」 「そうは言っても、俺も加納も家庭環境が複雑だからな」 「え? そ、それは、そうかもだけどさ……」 「それに、僕達、割と低血圧だし」 「うむ、それが一番の理由だな」 「それは理由になんないよ! 起きろよ! 朝電話してあげても良いからっ!」 「加納君、相羽君」 ん? 背中で声。 振り返る。 新田サンが教室の入り口に、立っていた。 俺と相羽が通行の邪魔をしていたようだ。 「あ、ごめん」 「おっと悪い、委員長」 「いいのよ」 新田サンは長い髪を揺らしながら、僕達の前を横切り、 「……」 かけて、足を止めた。 ちらり、と僕を見る。 相変わらずの冷ややかな目線。 「加納君、貴方」 「な、何?」 少し戸惑いながら問う。 「いい匂いをさせてるわね」 「へ? そう?」 「ええ」 にっこりと笑う。 「女性用のリンスか、香水ね、たぶん」 「ぬわんだとぉっ!?」 あ。 そうか、今朝、白羽瀬が抱きついたから―― 「イズミっ! きさん! 他所の女と何しとるんやあっ! ごらあっ!」 「うおっ?!」 思考の途中で、直にがくがくと頭を揺さぶられた。 「ウチに来なかった理由はそれか――っ!」 がくがく! 「しけこんじゃたのかーっ! イズミ、女の子とラブなホテルに――っ?!」 がくがくがく! 「いーやー! もういないんや――っ!」 「あたしの知ってた純情で素朴なイズミンは、もうどこにもいないんや――っ!」 がくがくがくがくがくがくがくがくがく! 直、揺らせすぎっ。 「違う違う! しけこんでなんかいない」 興奮してる直の手を掴んで、止める。 「マジ?!」 「マ、マジっす」 「じゃあ、何で、そんな匂いさせてるの?」 「学園来る途中、派手目な水商売系の女の人とぶつかって――」 「あ? そんな女いたか――」 「ふんっ!」 皆の目を盗んで、相羽の腹にショートブローを打ち込む。 「ごふっ?!」 相羽は前かがみになって、腹を押さえる。 「相羽、どうした? 腹でも痛いのか?」 「席に座って、休めよ」 相羽を気遣うフリをしつつ、二人で席の方へ移動。 というか、ここから撤退。 「おまっ、細いくせに、力強すぎだ……」 「あと、ツッコミにしちゃ、激しすぎだぞ……」 ああいう時も、空気読んでくれよ、相羽。 「むー、何かごまかされた感じ~」 後ろで、直がぶつぶつ言ってるが今はスルー推奨だ。 放課後にでもフォローしよう。 「ああ、そうだわ、加納君」 「昼休み、職員室に行って」 「は? 何で?」 僕は立ち止まり、委員長を再び視界に。 「神藤先生が、用事があるって」 「随分困った顔をしてたわ。貴方、今度は何をやったの?」 「新田サン、今度も今までも、僕は何もしてないって」 「そうだといいわね」 「じゃあ、伝えたから」 新田サンは僕から視線を外すと、スタスタと自分の席へと歩いていった。 ――もう私の義務は果たしたから、後はご自由に。 という空気を醸し出していた。 「職員室か……」 行きたくはない。 下手なことを話せば、それがすぐに行政に伝わる。 そして、僕は加納さんの家を追われて、施設に逆戻りだ。 何とかそれは避けたい。 「やれやれだ……」 僕は席について、窓の向こうを眺める。 澄んだ冬空が広がっていた。 この空の下にいるのだろうか。 いてくれるのだろうか。 僕の妹は。 昼休みになる。 「もぐもぐ」 「ごっくん」 購買で買った菓子パン一つで昼食完了。 全然足りない。 でも、加納さん家を出て、金欠の身の僕だ。 これもやむなしか。 「あ」 そう思った時、気づいた。 部室には、確か備蓄が。 三ヶ月ほど前、ここで宴会をした。 どんな理由で開いたかは、忘れてしまった。 直に無理矢理呑まされて記憶がとんだ。 「あたしの酒が呑めないっつーのか、しゃわたりくん!」 「誰がしゃわたりくんか」 「いいから呑めよ! そして本音を語るんらっ!」 「僕、いつも正直じゃん」 「ほほう? じゃあ、イズミンが一番大切な人は誰れすかぁっ?!」 「やっぱ妹かなぁ」 「ウソだああああああああああああっ!」 「何でだよ」 直は酒乱だった。 ひどい思い出である。 とはいえ、その時の残った食料はロッカーにぶち込まれていたはずだ。 開く。 つんとすえたような匂いがした。 ちょっと嫌な予感。 「それでも、背に腹は代えられない」 僕は意を決して、ロッカーを漁る。 プリン。 カニカマ。 アタリメ(開封済み)。 輪ゴムで閉じてあるポテチ。 「く……」 出てきたブツは僕の期待を大きく下回った。 賞味期限どころか消費期限も危うい。 「あえて選ぶなら、コレか?」 アタリメ(開封済み)を手にした。 乾き物なら、そうそう腐りはしまい。 齧る。 「ぎぎぎ……」 「ぐぎぎぎぎ……!」 噛み切れない。 とても食い物とは思えない固さ。歯が折れる。 「しょうがないな……」 僕は制服のポケットから、ライターを取り出す。 乾きすぎた干物を炙った。 だんだん香ばしい匂いが立ち上ってくる。 もう、いいか。 再度、齧りつく。 「熱っ……まだ固っ……」 でも、食えなくはない。 ありがたくいただくことにする。 「あ、お早いですね」 扉から高階がひょっこり顔をのぞかせた。 「よう」 「こんにちは~。あ、何かいい匂い」 「食う?」 炙ったアタリメを差し出した。 「あー、それですか~」 「ひとつください」 「ひとつと言わず、たんと食え」 「どもども」 僕の隣に座って、アタリメを齧る。 「香ばしい、美味です」 「熟成してるからね」 ロッカーで。 「さて」 とりあえず、空腹は解決した。 「調査の進展はあった?」 取り出したタバコに火をつけながら尋ねた。 「フリョーですね~」 「そうかな」 「あまりにも動作が自然なんで、一瞬スルーしそうでした」 「たまに吸うと落ち着くんだよ」 「どうやって買うんですか? 私達に売ってくれるんですか?」 「相羽にもらったり、加納さんのを無断で拝借したりかな」 「やっぱりフリョーですねぇ~」 「高階が嫌だったら、止めるけど」 「嫌じゃないです」 「というか、ちょっと吸ってみたいです」 「フリョーですねぇ~」 高階のマネをして言ってみた。 「おまんら、許さんぜよ!」 架空のヨーヨーを手にして、気合を入れる高階。 スケバンなアレを気取っていた。昭和。 「ほら」 僕は吸いかけのタバコを口から放し、フィルターを高階の顔の前に。 「え? え?」 高階が目をぱちくりさせる。 で、赤面。 「これを吸えと?」 「うい」 「あー、やっぱそうですかあ~」 「一本まるっと吸いたいなら、新しいのでもいいけど」 「え? いやいや、吸います! それいただきます」 慌ててタバコを手にした。 「川嶋先輩、ごめんなさい!」 不意に直の名前が出る。 昔のことを思い出して、少し胸が痛んだ。 「すう~~~~っ」 思い切り吸い込んでいた。 「おいおい」 「んっ?! ごほっ! ごほっ!」 予想通り、激しく咳き込んでいた。 「馬鹿、最初はもっと軽く吸え」 背中をさすってやる。 「はあっ、はぁっ、どっ、どもっ」 「落ち着いたか?」 「はい、おかげ様で」 「感想は?」 「もう二度と吸いませんっ!」 「賢明だ」 吸わないで済むのなら、その方がいいだろう。 「返します」 「ああ」 高階の手から、火のついたタバコを。 また、すぐに咥えた。 「……すっごいフツーに吸いましたね」 「え? 何で?」 「あーいえ、何でもないです」 「それより、調査の報告を」 高階は表情を引き締める。 「ああ、すまん」 僕も自然に居住まいを正した。 「先輩の妹さんは、この中にはいませんでした」 僕が部室のプリンターからプリントアウトした紙を返しながら、高階はそう言った。 「……そうか」 僕は受け取った紙をその場で、丸めてゴミ箱に放り投げた。 「ストライク」 「今回は、所轄の某国家権力様のデータベースまでのぞいたから期待してたんだけどな~」 「ですよね、お父さん驚いてました」 「お前の先輩は、世界的に有名なハッカーか何かなのかって」 「有名じゃないけど、ハッキングは余技として持ってる」 「人捜しには、有効なんだ」 「もしかして、妹さんを捜すためだけに、身につけたんですか?」 「うん」 「カノー先輩って、生命力薄いわりに、そーいうとこはスゴイですよね」 「卒業したら、ウチに就職しませんか?」 「割とマジで、お父さん期待してます」 「探偵になれと?」 「高階興信所勤務ですよ、立派に正社員です」 「うーん、卒業まで生きてる自信ないしな……」 言って、テーブルに放置してあった空き缶にタバコの灰を落とす。 「またそういうことを……」 「手間かけて悪かった。高階のお父さんにも礼を言っておいて」 「調査費用はいつか必ず払うよ」 「いいんですよ、他の案件の合間にちょこちょこ聞き込みしただけって言ってましたし」 「何なら、ウチに就職して身体で返してください」 「陵辱展開か」 「ウチのお父さん、ガチマッスルです。観念してください」 えー。 「どうせなら、高階に陵辱されたい」 「いいですよ」 「まずは放置プレイからですけど」 「いきなり高度じゃん」 笑う。 高階とこうして叩く軽口は、楽しい。 でも、そろそろ時間だ。 僕は空き缶に吸殻をつっこんで、立ち上がった。 「どちらに?」 「職員室」 「呼び出しですか?」 「ああ」 「やっぱフリョーですね」 「違うっちゅーに」 苦笑しながら、扉を開けた。 「カノー先輩」 「ん?」 「妹さん、きっと見つかりますよ」 「何かあったら、またお父さんに頼んであげますから、元気出してください!」 「別に落ち込んでないよ」 ちょっと強がる。 顔に出てたのか。後輩に気を遣われてしまった。 「行ってくる」 「はい。あ、先輩、放課後、部活来ますか?」 「行くよ」 「やった!」 高階に手を振って、部室を後にした。 さて。 職員室。 「……」 なかなか扉を開ける気になれない。 「きっと加納さんのことなんだろうな」 肩を刺されたなどとは絶対言えない。 そんなことをしたら、僕は確実に加納さんの家を出ることになる。 この町にいられなくなる。 妹がいるこの町に。 「あら、もう来てたのね」 ん? 逡巡してる間に、新田サンが真横に立っていた。 ……気配を感じなかったぞ。 「良かった、間に合って」 新田サンはごく自然な所作で、僕の手を取った。 「さ、行きましょう」 勝手に歩き出す。 「は? いや、ちょっと待って」 手を引かれながら、委員長の背に声を投げた。 「何?」 歩きながら、ちらりと僕を見る。 「僕、職員室に行かないと」 「平気よ」 「いやいや、さすがに呼び出し無視はマズイでしょ」 「神藤先生、困ってるんだよね?」 「ああ」 僕の手を存外に強い力で引っ張りながら。 「あれは嘘よ」 と、委員長様はのたまった。 「何をしてるの?」 「早く」 まるで、突き飛ばすように僕の背中を押す。 「おいおい」 僕は面食らいながらも、屋上に出た。 新田サンは自らも、寒空の下に出ると、後手で素早く扉を閉める。 重い扉が閉まってしまうと、校舎からの雑音は消え失せる。 代わりに、強風が空気を切り裂く音と、ネットを揺さぶる音がした。 「……」 新田サンは、扉を背にして立つ。 それは、たぶん僕が出ようとするのを阻むためだ。 「……」 すごい目をしていた。 射抜くような視線。 まるで、これから僕とタイマンでもはろうかという顔だ。 「嘘を吐いてまで、僕と何の話がしたかったの?」 「どうやら、これから告白してくれるってわけじゃないだろうし」 しゃべると息が白く濁り、風に流れた。 「あら、期待した?」 薄く笑う。 「全然」 「そうよね、これまでほとんど話したことないし」 「貴方、私の事、避けてたでしょ?」 「あ、バレてた?」 新田サンのことは嫌いではなかったが、苦手だった。 彼女は優等生で、まっとうで、どんな人にも公正で。 基本的には、いい人だった。 でも、僕は彼女が苦手だ。 「気づくわよ」 「嫌ってる相手には、必ず嫌っているということが伝わるものよ」 「嫌ってはいないよ」 「むしろ、立派だと思ってた。僕や直と同い年とはとても思えない」 「でも、苦手なんだ」 「どうして苦手なの?」 「さあ? わからないよ」 「でも、バッタはカマキリとは絶対仲良くはしないだろう? そんな感じかな」 この場合、バッタはもちろん僕だ。 「食べられちゃうものね」 また口の端を吊り上げて、微笑する。 「もしかして、僕、今ピンチなのかな?」 「まさか」 「私は貴方を助けに来たのよ」 「意味がまるでわからないな」 「白羽瀬さんと付き合うのはやめなさい」 いきなり来た。 直球。 「どうして、僕が彼女と付き合ってるって、思うの?」 「同じ匂いをさせてるからよ」 「あの子、すごくめずらしい匂いをさせてるのよ。外国製の化粧品でも使ってるのかしら」 「めったに学園に来ないから印象薄いかもしれないけど」 「たまたま白羽瀬と同じシャンプーを使ってる女の人と、僕が付き合ってるのかもしれないよ?」 「ないとは言わないわ」 「でも、それより貴方が白羽瀬さんと親密な仲になったと考えた方が」 「……確率としては高いか」 「そうよ。単純でしょ?」 「時間が惜しいわ、さっさと認めて」 「付き合ってはない。割と頻繁には会ってるけどね」 嘘にならぬよう、同居がバレぬよう言葉を選んだ。 「あの子は危険よ。近づくのはやめなさい」 断言した。取り付く島もない。 それに普段と雰囲気が違う。 僕は圧倒されていた。 新田サンの醸し出す何かに。 「言いたかったのは、それだけよ」 「じゃあ」 くるりと背を向けて、扉を開く。 解放されるとわかって、僕は安堵した。 でも。 「仮に付き合ってるとしても、それは僕と白羽瀬の問題だ」 「新田サンに口出しはされたくないな」 僕は自分の考えを包み隠さず伝えることを選択した。 彼女がここで振り返り、僕をまたあの目で突き刺すとしても。 たぶん、腹が立ったのだ。 白羽瀬を悪く言われたことに。 「……」 新田サンは足を止めて、僕を一瞥し、 「……忠告はしたわよ」 そう言い残して、去っていった。 「はぁ~~っ……」 僕は大きく息を吐く。 ――白羽瀬悠は、マトモじゃない。 ――心が、壊れた狂人だ。 校内に流れている噂話が、勝手に頭の中で再生される。 新田サンも、この噂を信じているんだ。 「確かにおかしなところはあるけど」 自分は人魚だとか、僕を食べるとか言ってるし。 「ふぅ……」 タバコの煙を吐きながら、空を見上げる。 でも、あいつは僕を助けてくれた。 握った手は、温かかった。 信じたい。 そう、僕は信じたいんだ。 あの温もりを。 一人、指定された場所を目指す。 途中で、コンビニに寄って、カッターナイフを買った。武器だ。 相手はきっと武装してる、役になど立つまい。 ましてや、人外のハーフ人魚とやらなら、考えるまでもない。 蟷螂の斧。ただの気休めだ。 近くまで来た。 きっと相手も、身構えている。 一番、ヤバイのは不意打ちだ。 「……」 入り口が見えた。 ポケットの中のカッターナイフを握り締める。 足音をなるべく立てずに、僕は近づく。 中をのぞく。 そこに居たのは。 「ん?」 「あ、あんたは」 いつか僕がぶつかった女と、 「ひふみっ! ひうみっ! ひひゃひゃめっ!」 「う……」 床に転がされた直と、気を失っている相羽だった。 「これは、めずらしいところで……」 「まだこの町に居たのかい? バカだねぇ」 「ただでさえ、短い命をもっと短くしたいのかい?」 目の前の女はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。 「あんたの仕業だったのかよ……」 僕はポケットの中のカッターナイフを握ったまま、ゆっくりと女の方へと近づく。 「ん? 何持ってるか知らないけど、刃物なんかよしときな」 「あたしには意味ないからね」 「つーか、あんた、あたしに殺されたいの?」 「自分で呼んでおいて、随分な言い草だな」 「あ?」 女のまなじりが、跳ね上がる。 「さんざん恨みは買ってきたあたしだけどね」 「身に覚えのないことで、ガタガタ言われるのは好きじゃないよ」 「あんたのそばに二人、転がってるじゃないか」 「それが証拠だろう?」 「……ふん」 女はつまらなそうに、鼻を鳴らす。 「ウゼーな、だから、人間は嫌いさ」 「馬鹿ばっかだ。マジ殺したくなるよ」 「なあ、お前もそう思う――だろっ!」 「――ぐっ!」 女が気を失った相羽の顔面を蹴る。 「――っ!」 瞬時に頭に血が上る。 気がついたら、僕はナイフを手に、女に向かっていた。 「馬鹿がっ」 女の爪が突然、伸びた。 長さにして、一メートルはあろうか。 しかも、鉄のように硬い。 それが、まるでフェンシングの剣のように、僕の―― 「――ごふっ?!」 僕の喉を貫きかけて、かすめた。 とっさに身体を捻ってかわしたのはまさに僥倖。 たが、僕はそのまま体勢をくずして、膝を折る。 喉から、鮮血がほとばしり、床を赤く汚した。 「ひふみっ!」 「あ、あんた……」 人じゃない。 「おや、まだしゃべれるのかい」 「大したもんだ! ははははは!」 嘲笑めいた笑い声が、廃倉庫の中に響く。 ち、マジにいた。 怪物めいたヤツが、いた。 「ふん、まだ養分は足りてるんだけどね」 一歩、人外が僕に近づく。 「そんな、美味そうな血の匂いをさせられると――ん?」 「この匂い……」 人外の足が止まる。 「そうか……お前、そうなのか!」 「くくく……」 「はははは! これは傑作だ! そういうことか」 「まさかまだ生きていたとはね、でも、大丈夫だ」 「どのみち、お前はもうすぐ死ぬ」 「そういう運命だ。残念だったね」 「まあせいぜいそれまで、頑張って、生き延びてみな」 「《・》イ《・》ズ《・》ミ」 「……な?」 人外の女は、最後に僕の名前を呼んで立ち去った。 頭が混乱する。 何故、僕の名前を知っていた? ――お兄ちゃん、***て! 泣いてる妹の顔が、浮かんできた。 何かを言いかけていた。 何を? 「ひふみっ!」 耳に届く直の声で、我に返った。 「な、直」 僕は喉を押さえながら、直に近づく。 「遅くなって、ごめん」 「今、ほどくから」 僕は力を振り絞って、直のさるぐつわを解いた。 「イズミ危ない!」 ――え? 「――ッッ?!」 背中にいきなり激痛が走った。 「――なっ、な……?」 僕は突然の事に、なすすべもなく、床にぶっ倒れた。 新しい血が、床に広がる。 「がほっ! ごほっ!」 更に口からも血を吐き出しながら、僕はようやく視界にとらえることができた。 「よう」 僕を刺した、相羽を。 「お、お前……? ごふっ、がはっ!」 「驚いた、まだ生きてんのかよ」 「脊髄を思いっきり刺したつもりなんだけどな」 悪びれる風もなく、言う。 「イズミっ! イズミいいいぃっ!」 直の涙声が遠くに聞こえた。 意識が、半分死んでいる。 「どうして……」 「お前が……僕を……?」 滲む視界に、相羽を映しながら、何とか声を絞り出す。 「川嶋をさらったのは、俺だ」 その言葉に、心臓が、跳ね上がる。 聞きたくない。 聞きたくないよ。 「……嘘……だ……」 か細い声で、反論する。 「相羽は……そんなことは……」 必死で擁護する。 友達を。 自分を刺し殺そうとした相手を。 僕は、矛盾していた。 「するんだよ」 冷たい一言で、僕の願いは一蹴された。 「生きるためなら」 「たった一人の家族のためなら」 「家族……」 その言葉に、一人の少女の顔が頭に浮かんだ。 「美月ちゃんか」 「ああ」 僕を刺したナイフを振って、血を飛ばしながら相羽の目は厳しさを増す。 「あいつの身体が最近おかしくてな」 「いくら食っても養分が足りないんだよ」 「何人食っても何人食っても終わらないんだ……」 「そんな妹のために、俺は毎日人間狩りさ」 「泣かせるだろう?」 「……直だけじゃないのか」 「そうさ」 「お前と美月ちゃんがハーフ人魚で、ここ最近の事件の犯人ってわけか……」 「嫌だが、そういうことだ」 「もっとも狩ってるのは俺だけだ。美月はもう起き上がることもままならないんだ……」 「何で、アイツがこんな目に……!」 相羽の声が、震えた。 「……お前達の事情と境遇には、同情してもいい」 「それはどうも」 「だが、何故、直なんだ?」 「ただ食いたいだけなら、わざわざ友人を選ぶ必要はないはずだ……!」 「違う」 相羽は僕を見下ろしながら、目を微かに細めた。 「元から友人じゃない」 「ただの捕食対象だ」 「……そこまで言うのかよ」 奥歯を噛んだ。 いない。もういない。 僕の友達は、消えてしまった。 「悪いな、こんな男で」 「それに、欲しかったのは、川嶋じゃなくて」 「お前だ」 「僕……?」 「お前のウイークポイントはこの女だろう? 加納」 「現にこうして危険を承知で、のこのこやって来た」 「……」 相羽の言葉に僕は黙り込む。 「本当はな、俺は最初、白羽瀬に目をつけていたんだ」 「だが、アイツにはあの新田が、成魚が常に目を光らせていた」 「でも、ある日、ラッキーなことに見つけることができたんだ」 「もう一人、純血種の稚魚を」 「……それが、僕だって言うのか?」 「そうだ。お前自身や新田は気づいていないようだが、俺の妹は鼻が利くんだ」 「お前を見るなり、教えてくれたよ」 「お兄ちゃん、ご馳走がいるよってな……!」 「……僕は人間だ」 「喉をえぐられても、平気で会話してるお前がか?」 ――お兄ちゃん、**いで! 言うな。 言わないでくれ。 もう少しで。 「やめて! 相羽っ!」 「あたし達、友達だったじゃん!」 「困ってることあるなら、相談に――」 「相談だあ?」 「だったら、俺と美月を純血種か人間にしてくれよっ!」 相羽の怒鳴り声が、壁に響く。 その声には、確かに残っていた。 友人だった頃の相羽の感情が。 「しかし、さっきは驚いたぜ」 「いきなり、知らない純血種に襲われるとは思わなかった」 「まあ、お前が追っ払ってくれたがな」 「礼を言うよ、加納」 「お前は、最後までいいヤツだったよ!」 「――がふっ! ごふっ!」 傷ついた喉に蹴りをもらった。 傷口が開く。 過去の傷口が、開く。 ――お兄ちゃん、**いで! そして、 ――お兄ちゃん、*ないで! 過去のすべての記憶の扉も、 ――お兄ちゃん、死なないで! 今、開いた。 「恨むなら、運命を恨め」 「俺や美月が、雑種として生まれた運命」 「お前が、純血種として生まれた運命」 相羽は逆手に持った刃を。 「殺さなければ、生きられない俺達の運命を……!」 僕の心臓に。 「イズミいいいいいいいいいいいいっ!」 「――っ!?」 「……悪いな、相羽」 寸でのところで、僕は相羽のナイフを素手で受け止めた。 手は切れなかった。 皮膚を一瞬で、硬化させたから。 ぎりぎりと力で相羽を押し返しながら、ゆっくりと立ち上がる。 「こ、こいつ……?」 「ついさっきまで……」 「思ってた……」 「このまま殺されても、いいって」 「な……?!」 「お前はさ、こんなことをしなくても良かったんだ」 「いつもみたいに、話してくれれば良かったんだ」 「加納、悪いけど、俺の妹のために死んでくれって」 「そう言ってくれたら、たぶん僕は」 「……!」 「お前は、僕の友達で」 「そのお前が、妹のために、僕を殺したいって言うのなら」 「そうしないと生きられないと言うのなら」 「お前のために、死んでもいいって、思ってた……」 「お、お前……」 相羽の顔から、血の色が引いていく。 表情が歪む。 僕は空いた手で、相羽の肩をつかむ。 でも、それは敵意を伴ったものでなく。 今までと同じ。 親友とのコミュニケーション。 「でも、思い出しちまった……」 「ずっと忘れてたのに……」 自然に僕の両の目から、温かなモノがあふれ出す。 「生きなきゃ、俺」 「約束したんだ」 妹と。 アイツと。 「は、放せ……あああっ!」 僕の指が、相羽の肩に食い込む。 肉を絶ち、骨を砕く。 「ぐあああああっ!」 「純血種の雄は、つがいの雌が成魚になるためのエサだ」 「そして、同時に、稚魚の雌を守る保護者でもある」 「……僕の妹を狩るつもりだったと言ったな?」 「本当に悪いな、相羽」 「先に逝ってくれ」 「ぐはっ!」 相羽が口から大量の血を流した。 僕の左腕が相羽の胸を貫通したからだ。 生暖かな感触がした。 「畜生、畜生……」 「俺は……ただ美月を……」 「畜生……!」 「……相羽」 「今まで、ありがとう」 「ウソでも、友達になってくれて、嬉しかったよ」 「……」 「くそ……」 「どうして、お前なんだよ……」 それが相羽の今際の際の言葉となった。 僕に支えられるような体勢で、相羽は事切れた。 そっと、友だったその亡骸を床に寝かす。 すぐさま、その身体からは、大量の水蒸気が出てくる。 「……イズミ、相羽の身体が……」 「死んだ人魚は、水になって空気に溶けて消える」 「骨も残らない」 「……そうなんだ」 「帰ろう、直」 「もう、外は怖くないよ」 「う、うん」 僕は直と並んで、倉庫を出た。 手にはまだ微かに、相羽の身体の感触が残っていた。 でも、それもやがて消えてしまう。 「く……」 そう思った時、僕はようやく相羽のために泣けた。 「……」 直を送り届けた後、僕は駅前に一人で居た。 身体の傷口からは僕も相羽同様、水蒸気が噴出し、みるみるふさがった。 「マジ人間じゃないな……」 それは、もういい。 いや、それでいい。 そうじゃないと、僕は役目を果たせないのだから。 「加納くん!」 え? 「白羽瀬」 「加納くうぅんっ!」 「ちょっ?!」 白羽瀬が遠慮なしのスピードで飛びついてきた。 押し倒されるように、雪が降り積もった歩道に横になる。 「馬鹿馬鹿!」 そんな僕の顔を白羽瀬が覗き込んでくる。 「心配したっ!」 「ごめんごめん」 「心配した心配した!」 「だから、ごめんってば」 「もう帰ってこないかもって、思って……」 「それに、そんなに血だらけで……」 「加納くん、死んじゃうじゃん?!」 「死んだら、私ともう、会えないじゃん?!」 「そんなの……ひっく、そんなの、絶対、許さない……!」 「うわあああああああああああああん!」 「泣くなって」 ああ、お前は泣いてばっかりだ。 あの頃から、何も変わらない。 こみあげてくる愛おしさに、胸が苦しくなる。 「大丈夫」 「僕はどこにもいかないよ」 だって、君を守るのが僕の役目だから。 兄の役目だから。 白羽瀬、君は僕の妹だ。 やっと見つけた。 やっとめぐり遭えた。 「本当にどこにも行かない?」 「ああ、行かないよ」 そう。 僕は君のそばにいるよ。 いつか―― 「兄~っ」 「起きて~」 「朝ごは~んっ」 「……ん?」 身体の振動で、覚醒する。 目を開くと、妹が両手で僕の肩を揺すっていた。 「おはよ」 布団に身体を横たえたまま、微笑した。 「うん、おはよ」 「今日は悠が先に目覚めたね」 「えへへ、そうだね」 「最近、温かくなってきたから起きやすいかも」 「……そっか」 「朝ご飯できたよ」 「え? 今朝も悠が作っちゃったの?」 「当然だし」 「大怪我をした兄に、炊事なんてやらせない」 妹は手を伸ばして、包帯を巻いた僕の手に触れた。 表情が暗い。 「大怪我ってほどでもないって」 そっと、妹の手をにぎってやった。 「兄、無理しないで」 「本当に大丈夫だって」 「かばいながらやれば、何でもできる」 「ギターだって、ちゃんと弾けてるだろう?」 「そうだけど」 「でも、できる限り無理はさせたくないし」 「私は兄を守る!」 「セーブ・ザ・兄っ!」 握った拳を高く掲げていた。 「ありがとう」 「じゃあ、起きて顔洗って、それから悠の作ってくれた朝ご飯にしよう」 僕は身体を起こして、台所へ。 「あ、その手だと顔洗うの大変」 「私が洗うし!」 追いかけてきた妹が、背後でなんか言っていた。 「は?」 「おりゃ、おりゃーっ!」 妹は嬉々としながら、僕の顔面に水をぶっかけてくる。 「いいから! そんなことしなくてもいい――がふっ?!」 水が気管支の方に?! 「うりゃうりゃうりゃーっ!」 「ごほごほっ! 悠さん、水が鼻に! 息が! 呼吸が!」 何気にピンチな僕である。 「カユイところはございませんか~っ?」 「髪はいいから! ていうか何でシャンプーしてるの?!」 「……いただきます」 「はい、どうぞだし♪」 結局、妹に顔だけでなく上半身全部洗われてしまった。 なので、朝食はちょっと冷めていた。 それでも、やはり妹が作ってくれた朝食は最高である。 「うん、美味しい」 「良かった。あ、そだ」 「ぴっこーん!」 「兄、私、思いついたし!」 「え? 何を?」 「兄、その手で食べにくいから、私が食べさせてあげるし!」 「でも、僕ちゃんと食べてるけど?」 茶碗と箸を持ってる手を妹に見せる。 「兄、あ~ん」 妹は満面の笑みを浮かべつつ箸で漬物をつまんで、僕の方に寄せてくる。 この子、話聞いちゃいねー! 「いや、そんなことしなくても」 「あ~~ん」 ずいっ、と箸を前に。 「いやいや、だからね」 「あ~~~~ん!」 ずいっ 「いやいやいや、だから、そんなことは――」 「あ~~~~~~~~ん、だし!」 ずずいっ 妹が笑顔で突き出しすぎた箸が、僕の眼球に。 「ぐわっ?!」 僕は目を押さえて、後ろに転倒する。 「目が! 目が!」 「うわあっ?! 兄、ごめん!」 「傷は浅いし! しっかり!」 妹が慌てて駆け寄ってくる。 騒がしくも、楽しい時間。 こんな朝は、あと何日あるのか。 もう春はすぐそこまで来ていた。 「いや~、皆、白羽瀬ガールのライブいよいよ、明日だよ~」 「腕がなるし!」 「準備、結構ぎりぎりだったわね」 「では、明日現場でバタバタしないように、最終確認をしよう」 授業が終わって、関係者が全員部室に集まる。 これが最後の会議だ。 「まず告知及び宣伝の方だが、高階、何か問題はないか?」 「ないっす!」 「作ったチラシ1000枚、全部配り終えました!」 「『歌ってやった』の生放送枠も抑えましたし、LINNでもしゃべりまくりました!」 「結構。では、次は撮影班だが」 「機材の習熟はできたわ」 「あと、一応どんなイメージの動画にするか、コンテを3パターン作ったから」 「後で、皆で目を通して意見をちょうだい」 姉さんは分厚い紙の束を三つ、テーブルの中央に置いた。 「三つも書いたの?」 「すごっ……」 「おお~」 僕と直、それに悠が一冊ずつ手にして読む。 ちゃんとラフイラストが描かれた、本格的なコンテだった。 姉さん、こんな技も持っていたのか。 「このA案がいいし!」 悠が高々と自分の持ってるコンテを掲げる。 「でも、ちょっとだけラスト変えたいかも」 「どうしたいの?」 「最後は、歌い終わった私が華麗に大空に舞うの!」 「皆、びっくりだし!」 「イリュージョンな感じで!」 鳥のように、両腕を羽ばたかせていた。 「あ、それいいっすね!」 「生放送でそれできたら、神だよね~」 「いや、それできたら人間じゃないでしょ。無理でしょ」 人間じゃないけどさ。 「うむ、コンテの内容についてはこの後、検討しよう。次は設営班」 「はっ!」 直が背筋をピン! と伸ばして起立する。 「明日の駅前広場、午前10時の予約はちゃんと取れているのを確認済みです!」 「機材の運搬は、軽音部の男子が手伝ってくれます。全て順調です! 大尉殿!」 敬礼していた。 「そうか、わかった」 「座りたまえ」 「うおおおっ! ノーリアクションはキツイでありますっ!」 川嶋二等兵が、目の幅の涙を流す。 「さて、では肝心の」 部長の視線が、僕と悠の方に。 「白羽瀬と加納、お前達の準備は?」 「ばっちりだし!」 妹は右手でピースサインを。 「私としては、どちらかというと加納君の出来が心配なんだけど……」 「あ、私もです!」 「あたしもあたしも!」 超心配されていた。 「加納くんも、ばっちりだし!」 今度は両手でダブルピースサイン。 「本当か? 加納」 「腕前以前に、その包帯で弾けるのか?」 「指には包帯してませんし、一曲だけ何とか頑張りますよ」 「本当に一曲のつもりなんですね」 「一曲だけだと、せいぜい5、6分で終わりじゃん!」 「その方がボロが出なくていいって」 「……何とも後ろ向きな発言ね」 「何人見に来るかわからんが、それなりの人数が集まるかもしれん」 「そうなった場合、さすがに5分で解散とはいかないぞ」 「そうなったら、軽音部と白羽瀬に後は任せますよ」 「加納くんも、エアギターで参加していいし!」 「それはカッコ悪いから勘弁して」 包帯を巻いた両手を合わせて、拝んだ。 「うむ、かなりの突貫作業だったが、何とかなりそうだな」 「皆、本番は明日だ。残りの作業はなるべく早く終えて、今日は早く帰るように」 「では、次はコンテの検討に入ろう」 「あ、YUUじゃん! YUUーっ!」 「やっほー!」 部活を終えて駅前に来ると、あの子達がいた。 悠は呼ばれて、すぐ彼女達のところに駆けていく。 「もう身体平気なの?」 「うん、もう元気だし!」 「明日、やれるんだ! 良かったね!」 「うんうん、皆も来て欲しいし」 「もちろん行くっての!」 楽しそうに談笑する女子達を少し離れたところで見守る。 僕は肩に背負ったギターケースを、地面に下ろした。 「……」 僕は視線を小刻みに動かし、周囲を見渡す。 息を鼻から吸い、不信な匂いがないか気を配る。 制服のポケットに手を突っ込み、四日前に買ったナイフを握った。 神経を尖らせていた。 イズナとやりあって以来、屋外にいる時はずっとこうだ。 「五日後は、明日だけど……」 もしかしたら、演奏中に仕掛けてこないか。 あの女の性格を考えると、充分ある。 広場を下見しておこうか―― 「兄ーっ!」 歩きかけて、止まる。 「皆とお茶するし! 兄も来てーっ!」 妹様に呼ばれてしまった。 そばを離れるのは、良くない。 たとえ他の人間といっしょだろうと、店の中だろうと目は離せない。 「わかったよ」 「ごちそう様でした!」 「お粗末様でした」 帰ってから、二人で鍋をやった。 悠が好きなので春になる前に、もう一度食べさせたかったから。 「すっごく美味しかった!」 「それは良かった」 今夜の調理は僕がやった。 最初は悠がやると言ったが、頼み込んでやらしてもらった。 明日は、大事な日だ。 僕ができることは、何でもしてあげたい。 「兄、いつお風呂入る?」 「僕は悠が入った後でいい」 「いっしょに入ろ」 擦り寄ってきた妹が、僕の腕に抱きついた。 「うーん……」 考え中。 「やっぱ、今夜はやめよう」 「何故に?」 「エッチな気分になると困るでしょ」 「今夜は体力温存して、早く寝ないと」 「でも、その手だと洗いにくいじゃん?」 「私のフィンガーテクで、さっぱりしたほうが良くない?」 手をわきわきする妹。 「お前、僕に絶対エロいことするつもりでしょ」 「うん♪」 ちょっとは隠せよ。 「とにかく、僕は洗物してるから、悠が風呂に行って来なさい」 「えー」 不満顔。 「言うこときいたら、明日悠に何かプレゼントしてあげるから」 「兄、マジ?!」 「うん、マジ」 「明日演奏終わってからな」 「入ってくるぜ!」 悠は風呂場へ駆けていく。 いつか何かプレゼントしたいと思っていた。 僕は妹に何かをあげたことが一度もない。 明日はちょうどいい機会だ。 さて。 ――え? 今、何かが割れた音が……。 鏡か? 悠が割った―― 「うわああああああああああああああああっ!」 「なっ?!」 僕は自分の喉元を狙ってきたツメを、横に跳んでかわした。 床を転がりながら、僕は視界に捕らえた。 瞳を赤く燃え上がらせた妹を。 「あああああああああああっ!」 ツメを振るいながら、吼える。 狙いも何もない。 ひたすら空間を切り裂くように、腕を動かす。 「悠……?」 今までと、違う。 ただ単に目が赤いだけじゃない。 自我を。 「――失っている?」 「はあ、はあ、はあ……」 妹は苦しそうに息を荒げ、僕をにらみつける。 「……くん」 「……ふ」 鼻を鳴らして、口の端を曲げて笑う。 「くくく……」 「……見つけた……」 「私の、だ……」 「私の……私だけの……」 「あはっ、嬉しい……」 「あはっ、あはっ、あはっ……」 「あはははははははははははははははっ!」 寒気がした。 似ていたから。 今、目の前にいる妹の姿は御堂イズナに、僕達の母親に―― 「ああああああっ!」 「くっ!」 鋭いツメがさっきまで僕が立っていた空を切る。 こんな狭い部屋では、逃げ場がない。 どうする? 「あああっ!」 思考している間にも、当然攻撃はくる。 悩んでるヒマはない。 戦うか。 逃げるか。 そのどちらかしかない。 「ああっ!」 「ぐっ!」 妹のツメが頬を掠めた。 「……」 戦うか、逃げるか。 だが、戦ってどうする? 今、ここで妹を殺すのか? 逃げてどうする? このまま妹を見捨てるのか? 「それは絶対にできない……」 明日、悠は歌うんだ。 歌わせてやるんだ! 何とか、正気に……。 「悠、お前、歌いたいんだろう?」 僕は悠のツメに警戒しながら、半歩前に出る。 「……」 「あと少しだ。明日じゃないか」 「思い出すんだ。僕と練習しただろう?」 「……あはっ、ははは……」 「病気の友達のために歌いたいって言ってたじゃないか!」 「お前は、僕の妹は、そういう優しい子なんだよ……」 「その時の気持ちを思い出せ! 悠!」 「ああああっ!」 「っ!?」 僕は妹の姿が一瞬、視界から消えた。 動きが尋常じゃない。 本当にまるで、あの女のよう。 右?! 「ああああっ!」 悠は僕との距離を、難なくゼロにすると、そのまま僕の身体にタックルを仕掛けてきた。 「――くっ?!」 僕は無様に床に倒れるしかない。 すごい力だった。 まるで、体格のいい屈強な男に突き飛ばされたような感覚。 そして――。 「あはっ! あははははははっ!」 馬乗りになった悠が、僕の上で笑う。 まるで勝どきをあげるように。 「悠……!」 すぐにでも、跳ね除けなければ。 悠の体重は軽い。可能なはず―― 「……愛してる」 妹は右手を伸ばし、僕の頬を優しく撫でた。 ――え? 「だから……」 妹は赤い目を、僕に向けて。 「私とひとつになろう」 「なっ……」 「お兄ちゃん……」 「貴方の命が、欲しい……」 妹の瞳は物悲しい光を宿していた。 「愛してる、愛してる、愛してる……」 「愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる……!」 「お兄ちゃん、愛してるっ!」 「あ……」 その時、僕は確信した。 悠は決して、正気を失ったわけじゃない。 これは、もう一つの悠の願望。 人魚の雌として生まれた妹のごく自然な願い。 僕といっしょに死にたいと考えた悠と、僕を捕食しひとつになることで共に生きたいと考える悠。 ずっと二人の悠が、一つの身体の中でせめぎあってきたのだ。 捕食は、彼女なりの愛情表現で。 僕とともに、悠久の時を生きる唯一の手段だった。 「……」 僕の身体の力が、自然に抜けた。 逆らえなくなった。 捕食が妹の望みだと言うのなら。 僕は……。 「優しく、するから」 「少しも痛くないよ、お兄ちゃん……」 悠は顔を僕の方に寄せて、僕の首筋にそっと口付けを。 「……ん、ちゅっ……」 「ちゅっ、んっ、んっ……」 首筋の辺りで、ぴちゃぴちゃと水音がした。 血を吸われている。 いつのまに首に傷をつけたのか。 頭がほんやりと、痺れたようになってくる。 血を多く失ったからか。 このまま気を失ってから、捕食されるのならそんなに苦しくはないだろう。 僕は、もう死ぬのか。 それなら、最後に。 妹に、伝えたい。 「悠……」 僕は僕の身体にしがみつき、首筋に強く唇を押し当てる妹の髪をそっと撫でた。 「僕の分までなんて、言わない……」 「お前は、お前の人生を」 「どうか後悔のないように……」 「お前の人生を……」 「……」 僕の言葉を聞いて、悠の頭がぴくりと揺れた。 「お兄ちゃん……」 「何?」 「お兄ちゃんは……後悔はない?」 「……そうだな」 「案外ないな」 「お前と再会できたし」 「短かったけど、いっしょに暮らせた」 「……お兄ちゃん……」 「あ、でも、最後にお前と演奏はしたかったかも」 「あんだけ練習したのに」 「お前の歌にあわせて、弾きたかった」 「……」 「……そう、だね」 「……私も……」 不意に悠は僕の身体に覆いかぶさるようにして、倒れた。 まるで電池の切れた、玩具の人形のように。 「悠?」 「おい、どうした? 悠!」 僕は慌てて上体を起こして、妹の身体を抱き起こした。 「悠! 目を開けて、悠!」 頬を軽く叩いて、肩を揺する。 「ん、んんっ……?」 「え? 兄?」 妹はすぐに目を開いた。 いつもの悠の瞳だった。 「良かった……!」 泣き出したいほど嬉しかった。 目の色なんて、どっちでもいい。 僕はお前が、元気ならそれでいい。 「あ、あれ? 兄、ひどい怪我してるし!」 「それに、部屋めちゃくちゃ……」 「どうして?!」 妹はうろたえ始める。 「何でもないよ」 「何でもないから、心配しないで悠」 「そんなわけないし! こんなの誰かが―ー」 そこまで言って、悠は息を飲む。 「……私なんだ?」 「違うよ」 「違わない、だって、私とお兄ちゃんしかいないし!」 「私が……私がお兄ちゃんを……!」 「ぐすっ、怪我させちゃったんだ……!」 「違う」 僕は涙をこぼす妹を抱きしめながら、ウソをつく。 「私だ! 私がお兄ちゃんにひどいこと……」 「ごめんなさい、ごめんなさい!」 「お兄ちゃん、ごめんなさい!」 「うわああああああああああああああん!」 「……悠」 「くそ……!」 最後のコードを乱暴に、弾き終わる。 悠がどうしても一人にして欲しいと言うので、ギターを持って外に出た。 「気晴らしにもならないや……」 吐いた息が、白く染まった。 見上げた夜空から雪が舞い降りてくる。 包帯を巻いた手のひらを差し出して、小さなかけらを受け止めた。 雪を見ると、悠に拾われた時のことを思い出す。 まだ、妹とは分からなかった頃、悠は無邪気に僕を食べると言っていた。 もしかしたら、あのまま兄妹とはわからず悠に食べられてしまえば良かったのではないか。 そうすれば、僕はあんなに妹を苦しめずに済んだのに。 妹と再会しようしたと僕は、間違っていたのだろうか。 「……」 手のひらに舞い落ちた雪のかけらをじっと見つめる。 少しずつ形を変え、それはじょじょに溶けて消えていく。 雪は消えるもの。 冬はいつか去るもの。 それが当たり前。 そして、生物もいつか死ぬ。この世界から去っていく。 それも当たり前。 何百年も生きる生物もあれば、すぐに死んでしまう生物もある。 生命の長短は、存在価値としての優劣の差なのか。 一週間の間、精一杯、夏を歌う蝉には価値はないのか。 季節が過ぎれば、枯れてしまう花には価値がないのか。 若くしてつがいに捕食される生物には、価値は―― 「――イズミ」 「12時。約束の日だ」 「――?!」 闇からの声に、虚をつかれた。 「……っ!」 いきなり後頭部に鈍痛が走った。 僕はギターを手にしたまま、その場に膝を折り、倒れた。 「しま、った……」 景色が霞む。 意識が闇に飲み込まれていく。 悠。 悠のところに戻らないと――。 別れの日は、唐突にやってきた。 いつかは来るものとわかっていたけれど、それはやっぱり突然すぎて。 まさか、こんなところであの女に見つかるなんて。 不覚。 私をかばって深手を負ったユタカは、もう長くない。 もう、今しか機会はない。 私が覚醒する機会は、今、この瞬間しかない。 だけど。 私は。 私は―― 「できない!」 「ごめん、ユタカ……私にはできない!」 最後の最後に、躊躇してしまった。 弟を捕食することを。 「ダメだ、約束したじゃないか、瑠璃……」 「君は、僕を捕食して、覚醒するんだ……」 「これ以上、僕達みたいな不幸な子達が産まれないように……」 「君は覚醒して、あの女を……!」 「それが、それだけがたった一つの僕達の願いだったはずだ……」 「ユタカ……」 「わかってる、わかってるわよ、そんなの……」 「だけど……!」 とめどもなく涙が流れる。 その涙が弟の頬も濡らした。 「ほら、もう時間がない……」 「あの女が、ここに来る」 「僕はこのザマだ、もう時間の問題だ……あの女と渡り合うことはできない……」 「君も今のままでは、確実に捕まって殺される……」 「覚醒するんだ……!」 「今、この場で僕を……!」 ユタカは血走った目で、私を見つめる。 今すぐ、自分を捕食しろと急かす。 そうしなければ、私自身もこの場であの女に殺されてしまうと。 「……」 できることなら、死を選びたかった。 こうまでして、生き延びて、どうなるというのか。 できれば、ここで弟といっしょに―― 「――っ!」 ああ、それなのに、どうして。 私の身体は思いとは真逆の行動を。 私は右手をユタカの心臓の上にのせて―― 「瑠璃……」 ユタカが嬉しそうに笑った。 ……そうか。 ……やっぱりこれでいいのね。 弟の笑顔を見て、私もようやく、笑顔になって。 涙でぐちゃぐちゃの歪んだ笑顔を作って―― 「さよなら」 「――っ!」 跳ねるように、起き上がる。 ここは――。 「……夢?」 周囲の闇に目が慣れる。 ここは悠の、妹の部屋だった。 「すー、すー」 隣では悠が安らかな寝息を立てていた。 私はまるで正反対。 寝汗で、背中が気持ち悪いくらい濡れていた。 「――姉さん?」 コタツで眠っていたイズミが声をかけてくる。 私のせいで起こしてしまったようだ。 「イズミ……」 「……少し、いい?」 弟を誘って、外に出た。 さすがに寒い。 が、汗ばんだ身体には心地いい。 二人で並んで、闇の中を往く。 「姉さん」 「ん?」 「これから、どこに行くつもりなの?」 弟のその問いは、私に強い不安感を投げつけた。 私はこれから、ドコに向かっていくのだろう。 望まぬまま、こんな世界に産み落とされて。 弟を犠牲にしてまで、生き延びて。 「……」 「さあ、どこかしらね」 「……嫌な夢でも見た?」 「……懐かしくて、とても悲しい夢をね」 「……」 イズミは何も言わない。 それでもたぶん気づいてはいるのだろう。 私がユタカのことを思い出していた、と。 「……イズミ」 あんな夢を見たせいだろうか。 「何?」 私は、とても弱っていた。 「私は、ね」 だから、ずっと胸に秘めておくつもりだったある事を。 「うん」 吐き出して、楽になることを選んでしまった。 「あの女を」 「私達の母親を――」 「殺すつもりよ」 本日の授業も無事終わる。 放課後。 今日は、久しぶりに部室に顔を出すことにした。 「今日はめずらしく全員集合だな」 「ですよね~。めずらしいですよね~。おサボな先輩達がいますから~。チラッ」 「だよね~。若干二名ほどいるよね~。チラッチラッ」 高階と直が擬音を発しながら、僕と悠に視線を投げつけてきた。 「見られてるし」 「もしかしてあるいは気のせいかもしれないけど、責められてるかも?」 「いや、100パー責めてるでしょ」 こいつ、ホントに空気読めないな。 「いやいや、責めてはいないんですけどね」 「やっぱお二人とも、できればもっと来てほしいです」 「ごめん、最近忙しかった?」 「いや、超ヒマ」 「はい、超ヒマっすね!」 女子部員二人が笑顔で親指を立てた。 「じゃあ、別に私達がいない日があってもいいじゃーん、イクイク~。ササシマ~」 「川嶋だよっ!」 「ごめん、ササハマ~」 「川嶋だってばよ! ていうか、遠くなってるし!」 クラスメイトの名前さえ平気で忘却する白羽瀬さん、マジパネェ。 「いやいや~。やっぱ、カノー先輩と白羽瀬先輩がいらした方が面白いですから」 「そうだな」 「俺としても加納が来てくれないと、男は俺一人になってしまう」 「精神衛生上、あまりよろしくない」 部長が息を吐きつつ、眼鏡のフレームをくいっと上げる。 ちょっと疲れた顔をしていた。 「えー?! それどーいう意味ですか?!」 「だよねー! あたしとイクイクの二人で両手に花だったじゃないですかーっ!」 「ハーレム展開だったじゃないですかーっ!」 「現代に蘇った大奥じゃないですかーっ!」 『何がご不満なんですかーっ?!』 声をそろえて、新聞部女子二人がぎゃあぎゃあと抗議していた。 「そうやって、自分でハーレムとか大奥とか言っちゃうのがダメなんじゃないかな」 「ああ、正直ウザイ」 『100テラショック!』 ドコで覚えるんだ、そういうボケは。 「ああ、この雰囲気和む~」 「ゆっくり昼寝ができるし」 悠は口をむにむにさせながら、テーブルにつっぷした。 やる気ゼロだな。 「あー、これこれ、そこの白羽瀬殿」 「今は一応、部活タイムなわけですから~」 「すかー」 「寝つき良過ぎ?!」 「あははは!」 「まったく……」 三人娘のやりとりを見ながら、部長も苦笑する。 優しい空気が流れていた。 その中に身を置き、僕も少しだけリラックスする。 ここは僕にとって、精神安定剤的場所だった。 加納さんの家で不当な扱いを受けても、ここで仲間達と過ごせば、何とか日々をやり過ごすことができた。 彼らに感謝だ。 「皆、ノド乾かない?」 「奢るよ、僕、何か買って来る」 「え? マジ? いいの? イズミ」 「お金、大丈夫ですか? カノー先輩」 「無理をするなよ」 「最近はほとんど金使ってないから、平気です。何がいい?」 席を立ちつつ、皆を見る。 「じゃあ、自分はレモンティーで!」 「ウーロン希望!」 「悪いな。コーヒーのブラックだ」 「私はミルクセーキ!」 「了解。白羽瀬起きてたの?」 「すかー」 「おい」 もしかして寝言か? 何て抜け目のないヤツなんだ。 「じゃあ、行って来る」 「あ、運ぶの手伝おうか?」 「ありがとう。でも、寒いから待ってて」 「行ってらっしゃーい」 皆に軽く手を振り、ドアを閉める。 さて、購買だ。 「レモンティーとウーロンとブラックコーヒー」 「あと、ミルクセーキ、っと――」 硬貨を投入しようと小銭入れを見る。 あ。 10円足りなかった。 「ありゃ」 「仕方ないな」 制服のポケットに手をつっこみ、札の入った財布を―― 取り出そうとするのと同時に、携帯が鳴った。 が、取り出すのに手間取ってる間に静止した。 せっかちだな。 「……ん?」 ようやく取り出す。 通知はされていたが、知らない番号からのコールだった。 「……」 少しだけ迷って、かけ直す。 『はい、南山総合病院でございます』 加納さんの入院してる病院からだった。 「……」 「……はあ」 またここに来てしまった。 検査結果が出たので、至急来て欲しいということで渋々やって来た。 身内は僕しかいないから、こうなってしまう。 迷惑な話だ。 「……はあ」 ため息しか出ない。 正直、困惑していた。 だって、僕に言われても困るのだ。 「加納さん」 「加納さん、悪いけどちょっと起きてもらえませんか?」 ベッドの上でずっと置物のように固まっている老人に話しかけた。 「加納さん」 何度も呼びかける。 が、彼はぴくりとも動かない。 点滴注射を腕に刺したまま、停止していた。 「……」 小さく息を吐く。 僕は彼に伝えなければならないことがあった。 でも、これでは伝えられない。 「まったく……」 「どんだけ、僕に手間をかけさせるんですか」 遠慮なしに、悪態をぶつけた。 彼と同居していた頃から、それは変わらない。 お互い、負の感情をぶつけ合っていた。 それは、ある意味とても正直な付き合いではあった。 僕は施設にいた頃、本音を晒したことなど一度もなかった。 そんな思慮の浅い、無様で、無防備なことはしない。 するはずが、ない。 「……僕にどうしろって、言うんだよ……」 「本当に僕しか身内いないのかよ……」 「親はともかく、兄弟とか親戚とかさ」 一人もいないとは思えない。 加納さんは僕のように施設で育ったわけではない。 きっと、遠縁の人間くらいはいるはずだ。 「……捜して連絡しないとな」 別に親切で言ってるんじゃない。 さっさとこの目の前の老人と縁を切りたかっただけだ。 血縁者を見つけ出して、押し付けてしまいたい。 僕は、もう。 「あんたの顔なんか、見たくもないんだよ……」 僕はイスの足を軽く蹴った。 何かに当たらなければやってられない。 「くそ……」 目の前で、衰弱している加納さんを睨む。 目やにや鼻水で、顔は汚れまくっていた。 口元にはよだれが乾いた跡が。 ここの病院は何もしないのか。 身体も拭かず、ただ定期的に点滴を打つだけか。 これは生かしてるんじゃない。 ただ死なないようにしてるだけだ。 「……ったく」 個室についてる洗面所に行き、ハンカチに水を含ませる。 それを固くしぼって、またベッドのところに戻った。 「みっともないんだよ、あんた……」 「いい年して……。毎日愚痴りながら、ダラダラ生きて……」 悪態をつきながら、顔を拭いてやった。 拭いた後、ハンカチはゴミ箱に捨てた。 洗って使う気になんかなれない。 「……はあ」 作業を終えた後、また嘆息する。 加納さんはあいかわらず、ただの置物だ。 顔だけ若干マシになった。 「……帰ります」 いくら待っても起きそうにもない。 それに、本来僕が伝えることでもない。 やっぱりそんな役はごめんだ。 「親戚の人、探して来てもらいますよ、加納さん」 「そうしたら、僕はもうさよならします」 「一応食わしてもらったし、これが最後のご奉公ってことで」 「じゃあ」 本当に言うべきことは言わず、ノブを回す。 加納さんの親戚がすぐに来れば、もう僕はここには来ない。 これが最後になる。 「……」 僕は廊下に出る直前、もう一度加納さんを振り返る。 「――あっ」 加納さんは目を開けていた。 力のない瞳で、僕を見つめていた。 「……」 どれくらいの時間だろうか。 数秒か。あるいはもっとか。 僕には無限に感じられる時間が、流れた。 身体も、思考も硬直していた。 彼は何も言わない。 ただ、だまって僕を見ているだけ。 いや、もしかしたら僕を認識すらできていないかもしれない。 それくらい感情の存在が希薄な表情をしていた。 「……失礼します」 不快なモノを封印するかのように、扉を閉じた。 「はあ、はあ……」 息が苦しい。足が震えた。 僕はどうしてしまったのか。 「くそ……」 「僕をどこまで、苦しめるんだよ、あんたは……!」 吐き捨てる。 めまいがするくらいの憎悪の感情をこめて。 「く……」 足を引きずるようにして、歩き出す。 どうしてだろう。 胸の奥が押しつぶされそうに苦しかった。 ほとんど何も考えられずに、自動的に電車に乗ってここまで戻った。 ふらつく足取りで改札を出る。 最悪の気分だった。 今にも倒れそうだ。 「……イズミ?」 知った声に、反応して視線を。 「ど、どうしたのよ? 貴方」 「あ、姉さん」 姉の顔を見て、少しだけホッとする。 「どうして、そんな青い顔を……」 「そんなに酷い?」 「どこか悪いの?」 「たぶん、身体は平気」 無理に笑って言った。 「身体以外は?」 「死にかかってる」 また笑って言った。 「笑い事じゃないでしょう?」 「ほら、私につかまりなさい」 姉さんは近寄ってくると、僕を支えるように抱いてくれた。 彼女の身体の感触が、存在感が僕を安堵させる。 僕は、今ひどく他者を求めていた。 「家まで少しあるから」 「あの喫茶店で休んでから、帰りましょう」 「温かい物を飲むといいわ」 「身体は大丈夫だよ、歩けるよ姉さん」 「それでも、身体を休めなさい」 「身体が休息を取れば、心も幾分マシになるものよ」 「そうなの?」 「ええ」 「皆が考えている以上に、心は身体に従属しているのよ」 「マトモな精神状態を保ちたければ、身体を大切にすること」 「覚えておきなさい」 「……うん」 彼女の温もりを感じながら、頷いた。 「さあ、行きましょう」 「――落ち着いた?」 「うん、少しマシになったかも」 姉さんと差し向かいで、お茶を口にする。 ざわつき、震えていた心がようやく、安定しだした。 「ほら、休んで良かったでしょう?」 姉は微笑を浮かべる。 「うん、でも」 「でも何よ?」 「休んだおかげというより、姉さんといるから落ち着いたような気がする」 「……」 「……そ、そう」 姉さんは少しだけ口ごもる。 「……」 そして、それをごまかすようにティーカップを口にした。 その様子が何だか可愛らしい。 「で、イズミ」 「うん」 「今日も病院に行ったんでしょう。何があったの?」 カップを放して僕を見つめる。 「特に……」 「ウソを言わない」 「何もないのに、あんなにしゅんとしてるわけないでしょう?」 「あー、まあ、うん……」 「何か酷いことでも言われたの?」 「それはないよ」 「今回も言葉は交わさなかった」 「少しも回復してないの? 経過は?」 「……今日、元々は病院に呼び出されたから行ったんだけど」 「らしいわね。悠がそう教えてくれたわ」 「たぶん、加納さんはもう回復はしない」 僕は本人にも伝えていないことを姉さんに言った。 「……」 姉さんはぴくりと眉を少し動かし、 「そう……」 短くそう答えた。 「本人には伝わってるの?」 「告知するかは、家族に判断を委ねたいって」 「家族って」 「今のところ、僕しかいない」 「戸籍上は、僕は息子だ」 「……」 姉さんは黙って、また一口、紅茶を飲んだ。 「……それで、どうするの?」 「いえ、貴方はどうしたいの? イズミ」 「……」 「……あの人の死に水を取るなんて、ごめんだ」 「そりゃ、世話になったってのもあるよ。三年近く食わしてもらったし、学園にも通わせてもらった」 「でも、それは全部、あの人が世間体を保つためだ」 「世間体を保てなくなったら、あの人は僕をそばにおいて置けなくなる」 「虐待してストレスを発散する相手がいなくなるんだよ」 「僕は三年間耐えた。そしてあの人はストレスを発散した。フィフティフィフティだ」 「この後の面倒まで見る気はまるでないね」 そこまで一気に話すと、僕もお茶を飲んだ。 カップの中身は少しだけぬるくなっていた。 「それなら、もう病院に行くのはやめる?」 「その前に加納さんの縁者を捜して、連絡はするよ」 「その人に加納さんを引き渡して、それでもうあの人とはおさらばだ」 「嫌ってる割には、最低限の事はするのね」 「変かな?」 「いえ、変じゃないわ」 「それで貴方の中の気持ちの整理がつくのなら、それでいい」 「それにしても、ショックだったのね」 「え?」 「だって、あんなに青い顔してる貴方初めて見たわ」 「ショックというか……」 その辺は上手く言えない。 僕は加納さんがどうなろうと、そんなことはどうでもいい。 それでも、動揺していたのは間違いない。 「……正直よくわからない」 「目の前で、衰弱した人を見てると気が滅入ってくるんだ」 「それで、変な責任押し付けられそうになって、気分が悪くなったんだよ、きっと」 そう自分を強引に納得させた。 「……」 「……そう」 「……」 会話が途切れた。 あまり弾むような話題でもないから仕方ない。 それでも、僕は姉さんに聞いてもらえて随分楽になった。 「ねえ、イズミ」 姉さんが沈黙を破る。 その表情は少しだけ曇っていた。 「何?」 「昨日の夜、私が言ったことだけど」 「それは、僕達の母さんを、姉さんが――」 殺すと言ったことか。 「理由をちゃんと説明してなかったからしたいの」 「悠がいない時がいいから、今いい?」 「悠には話さないの?」 「本当は貴方にも話さないつもりだったわ」 「でも、私、昨日は貴方に甘えちゃって……」 「ごめんなさい。お姉さんなのにね」 姉さんは目を伏せて、そんなことを言う。 「姉さんだからって、弟に頼っていけないなんてルールはないよ」 「僕だって、何度も話を聞いてもらった。それで随分救われたんだ」 「もっと頼って欲しいな」 「ていうか、頼れ」 最後は少しおどけて言った。 「ふふ」 「ありがとう」 「私は親には恵まれなかったけど、弟と妹には恵まれたわ」 「姉さん、悠のこと可愛がってるもんね」 「あら、貴方も可愛いわよ?」 「そ、そう?」 面と向かって言われるとさすがに照れる。 「何なら言葉だけじゃなくて、行動で示してあげるわよ?」 姉はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。 「そ、それはまた今度で」 焦る。 途端に姉のペースになってしまう。 「じゃあ、話すけど」 姉さんは表情を少し引き締めた。 「イズミ、私は――」 「あの女は自分がいつか捕食するために子を産むの。弄び、いつか自分で食らうために子を産む」 「純血種の人魚の数は少ないわ。だからたくさん捕食したければ、自分で作ればいいっていう考えよ」 「――狂ってるわ」 「私はあの女の行為を止めたいの。私達のような者をこれ以上、増やさないためにも」 「でも、言ってわかるような人ではない」 「いくら止めても私の目の前であの女は、イズミ、貴方を捕食しようとした」 「だから、私はあの女を――」 話を終えた後、姉さんと並んで家路を辿る。 「……」 僕も姉さんも、店を出てからは何も話さない。 ただ二人共互いの身体に寄り添うようにしていた。 姉さんの考えは理解できた。 親殺しなど、社会の倫理観からは大きく逸脱している。 でも、母親がそもそもまっとうな思考を持っていなかった。 何百年も生き続けると、生物はここまで残酷になれるのか。 自分の子供さえも、平気で手をかける。 僕もそして、姉さんも。 母親になぶり殺されるためだけに生まれてきたのか―― 「……」 「……」 部屋に戻ってからも、僕達は口を開かない。 どうしようもない無力感に囚われていた。 二人共コタツに入って、じっとしている。 え? ふいにコタツの中で、姉さんが僕の手を取る。 「……イズミ」 姉さんの顔を見る。 ツラそうな表情をしていた。 僕の胸が痛む。 「何? 姉さん」 「やっぱり、貴方に話すべきじゃなかったわね」 「ずっと悠と距離をとっていたのも、あの子を巻き込まないためだったのに……」 「ごめんなさい。貴方は貴方で色々抱えているのに」 「……姉さん」 「あ」 僕は姉さんの手を両手で包む。 「そんな顔をしないでほしい」 「こっちまで、ツラくなる」 「イズミ……」 「いいんだよ、僕は平気だから」 「加納さんのことだって、悠のことだって、自分で全部納得して行動してる」 「それより、僕は姉さんのことが心配だ」 「私は……平気よ」 「僕は悠に捕食されたら、そこで終わるけど」 「姉さんは、まだずっと生きなきゃならない」 「きっと、姉さんの方が大変だ」 「……」 「そうね、生きてる方が大変よね……」 「それに貴方とは、もうすぐお別れなのね……」 姉さんは僕の手を強く握る。 痛いくらいに強く。 「悠には、姉さんと仲良く協力してって言っとくよ」 「二人で、どうか幸せになって」 「馬鹿、まだそんなことを言うのは早いわよ……」 「やめてよ……」 「ぐすっ……」 姉さんの声が微かに震えた。 「ごめん」 「泣かすつもりはなかったんだ。ごめん」 僕は姉さんの身体を抱き寄せる。 頭を撫でながら、ごめんを繰り返した。 「い、いいわよ、そんなにしなくても……」 「もう泣いてないわよ、放しなさい」 「嫌だ」 「どうしてよ?」 「姉さんとこうしてくっついてるの好きなんだ」 ぎゅっと彼女の小さな頭を胸に押し付けながら、僕は微笑んだ。 「……」 「……ふふ、そう」 「でも、少しだけ力を緩めて」 「ごめん、苦しかった?」 言われた通りに腕の力を抜く。 「違うわ」 「こんなに近いと、キスできないでしょ?」 「え? あ」 気がつくと、もう姉さんの両手が僕の頬に添えられていた。 「ん……」 「ちゅっ……ん……」 戸惑う暇もなく、唇を奪われた。 「ん、ちゅっ……」 「ちゅっ、ふう……」 姉さんは慈しむように、何度も優しく僕の唇に唇で触れた。 「イズミ……」 何度も何度もキスをした後、姉さんは潤んだ瞳を僕に向ける。 「姉さん、僕……」 「ふふ、興奮しちゃった?」 「そりゃそうだよ。発情期なんだし……」 「エッチな子ね、ん、ちゅっ」 「あ」 姉さんは僕の頬や首筋にもキスをしてくる。 身体が火照る。 心臓の鼓動が、どんどん速くなる。 「姉さん、これ以上されると……」 「僕、また自制が利かなくなるから……」 「自制しなくていいわ」 「私を抱いて、イズミ……」 「あ」 姉さんは僕を抱きしめると、そのまま体重を預けてきた。 僕は姉に押し倒されたような形になる。 「私の初めてを、貴方にあげる」 「すごく優しく慰めてあげるから……」 「貴方も、私を優しく慰めて……」 姉さんのその一言で、僕はもう完全に姉さんに白旗をあげた。 「んっ、ちゅっ」 「ちゅっ、んっ……」 僕が黙っている間にも、唇による愛撫は続く。 応えるように僕も姉さんの身体を撫でる。 「……姉さん、その……」 身体全体に姉の感触を感じながら、か細い声を絞り出す。 「……ベッドに行く?」 「うん……」 「あっ、ちょっと、そんなに慌て――あっ」 「あっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 姉さんが服を脱ぎ終わるのさえ待てない。 すぐに抱きついて、唇を奪った。 「姉さん、姉さん……」 「好きだ……」 つぶやきながら、ぎゅっと抱く。 華奢な細い身体が、僕の腕の中にすっぽりと納まる。 背中に腕を回して、くっつく。 「ふふ……」 「どうしたの? そんなにしがみついて……」 優しく姉さんも僕を抱き返してくれた。 それがたまらなく嬉しい。 「どうもしないよ」 「ただ姉さんが好きなだけ」 「あら、可愛いことを言うのね」 「いつもはもっとナマイキなのに」 「エッチなことをしてると、貴方は素直になるの? ふふ」 からかうように微笑んで。 背中をぽんぽんと叩かれた。 「僕、そんなにナマイキだったかな」 「あまり自覚はないんだけど」 「ナマイキというより、妙に大人ぶって見えるわね」 「無理してない?」 「……ずっと長い間、心を許せる人なんていなかったんだ」 「そのせいかな」 「そう……」 「でも、今はいいのよ」 「お姉さんに甘えなさい」 「そう言われると、甘えづらいな」 「簡単よ」 「ほら、もう一度キスしましょう」 「うん」 「んっ、ちゅっ」 姉さんの方からキスしてくれた。 柔らかい唇の感触と、髪の匂いに頭がくらくらする。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、んんんっ……」 「んっ、ちゅっ、んんっ、ちゅっ……」 深く深く唇を重ねる。 舌を絡め合い、抱きしめあう。 強く強く。 姉さんと少しでも、たくさんくっついていたい。 僕は姉さんの細い腰を抱きながら、息の続く限りキスをする。 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ……」 「ふふ、イズミはキスが好きなのね」 「息が苦しくなっちゃったわ」 「あ、ゴメン……」 少し夢中になりすぎた。 「いいのよ、謝らなくても」 「私も好きだから」 「ほら、今度は貴方から」 「いいの?」 「しなさい」 「姉命令」 「キスを強要する姉なんだ」 「ふふ、そんな姉さんは嫌?」 「わかってるくせに聞かないで」 僕は姉さんを再び抱き寄せる。 「あっ、ん……」 今度はついばむように、キスをたくさん。 「ちゅっ、んっ、ちゅっ、ちゅっ」 「ちゅっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ」 「んっ、んっっ、ちゅっ……あ……!」 キスをしながら胸に触れた。 ゆっくりともみしだく。 「あっ、ああ……」 「んっ、ちゅっ、あっ、あん、んっ、んん……」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ、ああ……」 「あっ、んっ、やっ、ん……」 「姉さん、乳首とがってきたよ」 両方の手のひらの中に、突起を感じた。 指先で、つまんだ。 「あっ、ああっ!」 「はっ、やっ、んっ、んん……!」 「あんっ、ダ、ダメよ、そんなにイジったら……ああんっ!」 ぴくん、と姉さんが僕の腕の中で震えた。 可愛い反応に、僕はさらに興奮する。 「姉さん……」 首筋に顔を埋めるようにした。 「あっ……」 「イズミ……」 姉さんは僕の背中に回した腕に力をこめた。 僕はより姉さんと密着して、首筋に唇をはわす。 「あああっ!」 「んっ、く、首は……やっ、ああっ!」 「やだ、すごく、私……感じて……ひゃんっ!」 僕の背中に必死にしがみつく姉さん。 ぺろぺろと姉の首筋を嘗め回す。 鼻腔に女の子の甘い匂いがいっぱいに広がった。 ああ、姉さん。 「好きだ」 ぎゅっとだきしめながら耳元でささやく。 「あっ、ん……」 「わ、私も……好きよ……んっ!」 「あっ、やっ、ダ、ダメよ、耳に息をかけない――ああんっ!」 「姉さん姉さん……」 「好きだ、大好き」 耳のすぐそばで、何度も好きだと伝える。 「あっ、いやっ、あっ、んん……」 「こ、こんなの……初めて……はぁ、はぁ……」 「私、今、すごく、幸せよ……」 「貴方が好きって、言ってくれたから……」 姉さんは胸を押しつぶすようにして、僕を強く抱きしめた。 近い。 互いの心臓の鼓動が聞こえるほどに。 「何度でも言ってあげるよ」 「姉さん、好きだよ」 「愛してる」 言って、姉の耳たぶをアマガミした。 「ああっ!」 「んっ、あっ! はぁっ、あっ、わ、私もよ……」 「貴方が好きよ、イズミ……」 「誰よりも愛してるわ……」 「可愛い、私の弟……」 「ずっと、ずっと、愛してるわ……」 「たとえ貴方が死んでも、愛し続けるわ……!」 「んっ、ちゅっ……」 姉さんは強引に自分の唇を僕の唇に。 僕は唇が痛くなるくらいの激しい口づけを。 それを受け止めながら、僕は再び姉さんのおっぱいに触れた。 「あっ、んん……」 「はぁ、はぁ、んっ、ああっ!」 両手で、姉さんの生乳をもみしだく。 姉さんは、僕の愛撫を受け入れて、感じてくれた。 「僕も死んでも、姉さんを忘れないよ」 「キレイな僕の姉さんのことを、目に焼き付けて……んっ」 乳首に口づけをした。 「あっ! あっっ!」 「あっ、んっ、あっ、あっ、やっ、んっ、はぁんっ!」 「んっ、はぁんっ、やっ、あっ、あんっ!」 「やっ、そんなに強く吸っちゃ……ああん!」 「姉さん、感じてる姉さん、すごく可愛いよ」 「もっと感じて欲しい」 ちゅっちゅっと両方の乳首を嘗め回した。 「ひゃああん!」 「やっ、あっ、ダメっ、そんなに乳首ばっかり……」 「やん、ダメぇっ……」 いつもとは違う甘い声が部屋に響く。 「姉さん」 「あっ、ん……」 胸を揉みながら、再び唇を重ねた。 「あっ、んっ……」 「はぁっ、んっ、ちゅっ、んっ……」 「はぁっ、はぁっ、んっ、んっ、ちゅっ……」 舌を何度も絡ませる。 お互いむさぼるように、求め合った。 二人の唾液が混じりあい、顎を伝って落ちる。 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ……」 「イズミ、イズミ……」 「好きっ、好きよ……」 「ちゅっ、んっ、はぁっ、はぁっ、ん……ちゅっ」 「愛してるわ……あ……っ!」 唇を離した後も、左手で胸の愛撫は続く。 右手は―― 「あ……」 僕が股間に触れると、姉さんは如実に反応した。 一瞬、身体がこわばる。 「力を抜いて、姉さん」 「あ、ん……」 色っぽい吐息を吐いて、姉さんは緊張を解く。 僕はゆっくりと、姉さんの下腹部に指をはわす。 「あっ、ああ……」 「んっ、やっ、ああ、ん……」 「あっ、あっ、んっ、嫌っ、んっっ!」 下着越しに膣に触れた時、再び身を固くする姉さん。 「緊張しないで」 「優しくするから」 「そ、それはわかってるけど……」 「触られたこと、ないから……」 「そうか、姉さん経験ないんだったね」 「……わ、悪い?」 軽く拗ねたような口調。 「悪くなんてないよ」 「ごめんね、怒らないで」 軽くキスをする。 「あ、ん、ちゅっ……」 「な、何よ、キスでごまかされ――」 「あっ、ひゃっ!」 僕は下着の隙間から、指を滑り込ませ直接、姉さんの性器に触れた。 薄い茂みの奥に。 くちゅっとした感触がした。 濡れていた。 「あっ、やっ、恥ずかしいから……」 「あまり、そこは……触らないで……あっ!」 「あっ、はぁん、んん……」 目の前で姉さんがよがり始める。 「姉さん、すごく色っぽいよ」 「初めてなら、濡らさないと痛いから、たくさん触ってあげる」 僕は姉さんの腰を左手で抱きながら、右手で秘所を愛撫し続ける。 指の感触を頼りに小陰唇に触れ、やがてスジを探り当てた。 指の腹で、ゆっくりと擦り上げるようにした。 「あっ、んっ、やっ、はぁっ、ん……!」 「やっ、あっ、んっ、はぁっ、んっ、やん、んっ!」 「あっ、ダメっ、ダメよっ、あっ、やっ、んんっ!」 姉さんの身体がぶるっと震えた。 「あんっ、やっ、いっ、いっちゃ、あっ、んっ、いっちゃうっ!」 「ああっ! ダメっ! もういっちゃう、いっちゃ――」 姉さんは僕の背中に回した腕に力をこめた。 ぶるっと震える。 「姉さん、いいよ」 僕も姉さんをぎゅっと抱いた。 「ああっ――!」 「ああああああああああああああああああああっ!」 姉さんはのけぞるように背筋をそらした。 僕は強く力をこめて、そんな姉さんを押さえ込むように強く抱く。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「大丈夫?」 「はぁ、ええ……」 息を切らしたまま、僕を見る。 「気持ち良かった?」 「……」 「……聞かなくてもわかるでしょ?」 照れていた。 可愛い姉さんだった。 「……次は貴方ね」 「ほら、もうこんなに固くして」 姉さんは僕の股間を撫で回して、言う。 「エッチな姉さんだ」 「貴方だって、触ったじゃない」 「おあいこよ、ほら」 少し強めに握られた。 「あっ」 思わず声が漏れた。 「……貴方も、もう濡れてる」 「……いいわ」 「ひとつになりましょう、イズミ」 姉さんはそう言うと、僕をベッドに寝かした。 「あっ、ん……!」 姉さんはゆっくりと姉さんの膣に、僕のペニスを挿入していく。 「姉さん、初めてなんだから無理しないで」 「僕が上の方が楽なんじゃない?」 「へ、平気よ……」 「姉さんにまかせ……あっ!」 充分濡れてるはずだが、やっぱり少し痛そうだ。 「んっ、やっ、んん……」 「あっ、やっ、ひゃっ、んんっ!」 「はぁっ、んっ、やっ、んんっ、あっ……!」 姉さんの中は狭い。 その中を押し広げるように、亀頭が進んでいく。 「くぅっ」 温かくぬるぬるとした感触が、心地よい。 何より姉さんと繋がっているという実感が、たまらなく嬉しい。 「あっ、んっ、やっ、んん……!」 「はぁ、はぁ、んっ、ああ……!」 姉さんはまだ懸命に痛みに耐えていた。 「姉さん、少し休んだ方がいいよ」 「はぁ、はぁ、大丈夫よ……」 「んっ、くっ……!」 「どうやったら、痛みが和らぐのかな」 もっと濡れればいいんだろうか。 だったら。 「ひゃんっ?!」 僕は手を伸ばし、姉さんのクリトリスに触れる。 それは包皮から小さな顔をのぞかせていた。 愛液で濡れた指先で、そっと撫でる。 「あっ、はぁっ! やっ、あっ、んんっ!」 「んっ、ダメっ、やっ、あんっ、そこはダメよぉっ……!」 「ああっ、ダメだったら……ああっ!」 姉さんの声に、甘い響きが戻ってきた。 僕はもっと責めることにする。 「んっ、あっ、や、やだっ、あっ……!」 「ち、力が抜けて……んっ、んんっ!」 「はぁ、はぁ、いやっ、イズミ、ダメよ……」 「でも、姉さん痛いのおさまってきたでしょ?」 「濡れた方がいいから続ける」 問答無用で、姉のクリトリスをイジりつづける。 「あっ、やっ、そんな、あっ!」 「んっ、あっ、はあっ、んっ!」 「んっ、んあっ!」 姉さんのよがり声が大きくなる。 愛液もみるみる溢れて。 すると、ズルッと、僕のペニスが深く姉さんの中に。 「ああんっ!」 「あっ、くっ、はぁっ!」 「くあっ……!」 姉さんの膣の中のヒダで亀頭が撫でられた。 腰がぶるっと震えるくらい気持ち良かった。 「はぁ、はぁ……」 「は、入ったの……?」 「うん、痛くない?」 「そんなにはないかしら……」 「もっとひどい怪我をしたことだってあるもの」 「そんな無茶はもうしないで、姉さん」 「こんなにキレイな身体を傷つけないで」 「……ありがとう……あっ!」 僕が少し動いたせいで、姉さんの膣の中のペニスが動いた。 「あっ、ああ……!」 戸惑いと羞恥が入り混じったような声。 姉さんの腰が揺れる。 「くあっ!」 言いようのない性的な刺激が、ペニスに伝わる。 姉さんの膣壁に抱かれたような。 「はぁ、はあ……」 「イ、イズミ……」 「動く、わよ?」 まだ肩で息をしている姉さんが、僕を見下ろしながら言った。 「平気なの? 無理しないで」 「え、ええ、平気だから」 「私の中で、イズミに出して欲しいしね……んんっ!」 姉さんは腰をゆっくりと上下に動かし始める。 カリが無数のヒダに、撫でられる。 愛液のぬるっとした感触とあいまって……。 「あっ、ああ」 声が漏れてしまうくらいの快感だった。 「あっ、はっ、んっ、ああっ!」 「んっ、ひゃっ、あっ、んんッ!」 「あんっ、はぁっ、はぁっ、あっ、んんっ!」 「あっ、はぁ、はぁ、んっ、あ……」 「あんっ、あんっ、ああっ!」 姉さんの声にも快楽の色が混じり始める。 「姉さん、すごくいい……」 僕は姉さんの太ももに手を置き、そっと擦るように撫でた。 すべすべだった。 きめが細かい。 「あっ、んっ、やっ……」 「イズミ、貴方の触り方、イヤらしい、わよ……」 「ごめん」 でもやめない。 「あんっ、もう、あっ、やっ!」 「まるで、弟に、エッチなイタズラを、されてるみたいよ……んっ!」 「ひどい」 「げ、現に、エッチなことしてるじゃない、あっ!」 「お姉ちゃんと、エッチしてるじゃないっ」 「あっ、んっ、ほ、ほら、こんな固くして……んんっ!」 僕は今、姉さんとセックスしてる。 言われて、その事実に軽く驚く。 人ならば、許されない行為。 でも、僕達にとってはこれが自然なことで。 姉弟だから、なのだろうか。 こんなに身体がなじんでいるのは。 こんなに気持ちいいのは。 「姉さんだって、弟の僕の上にまたがって腰を動かしてる」 「僕だけが悪いんじゃないよ」 僕は姉さんの動きに合わせて、自分でも腰を突き上げるようにしてみる。 自分でも動きたい。 「ああっ……!」 「あっ、やっ、そ、そう、そうね……」 「私も、貴方を、弟を求めてるわ……」 「好きよ、貴方が好きよ、イズミ……」 「貴方を思うと、いつも切なかったの……」 「貴方が笑うと、私も嬉しくてつい笑うの」 「貴方がツラそうにしてたら、抱きしめて慰めたくなるわ……」 「貴方に触れるたびに、胸が苦しくなって、もっと触れたくなって……」 「キスしたくなって……」 「エッチな事も……」 涙目の姉さんが、息を荒げる。 「好きよ、私、貴方が好きよ……!」 「あああああっ!」 「姉さん、姉さん!」 「僕も姉さんが大好きだよ」 「僕といっしょに……!」 僕は姉さんの花弁を自分のペニスで突きながら、叫んだ。 「はぁ、はぁ、あっ、ああっ!」 「イズミっ、イズミっ!」 「ひゃうっ、あっ、あっっ!」 「あっ、ああああああっ!」 姉さんが痙攣したかのように、身体を震わせた。 同時に膣壁が、ぬるっとした感触をともない、僕の性器を強く包み込んだ。 「好き、好き、好きっ!」 「姉さんっ。愛してる!」 「わ、私もっ、愛して――んんっ!」 僕は抑えていた性を、姉の性器に解き放つ。 「ああああああああああああっ!」 僕と姉さんは同時に果てた。 「はあ、はあ……」 「イ、イズミ……」 「……気持ち良かった?」 「うん」 射精後も、僕は姉さんの中に入れたままだった。 姉さんとつながったまま会話する。 「そう……」 「ふふ、良かったわ……」 姉さんはつながったまま、僕の胸に倒れこんでくる。 僕は受け止めて、姉さんをぎゅっと抱いた。 「……ふふ、悠のベッド汚しちゃったわね」 「そうだね、後でシーツ洗わないと――」 と、その時。 「ただいまー♪ ――って、おいっ!」 「私のベッドで、兄と姉がっ!」 「ラヴラヴピロートークをっ?!」 しまった。見つかった。 「……」 「バレちゃった」 「だね」 「悠だけ、仲間外れなのも可哀想ね」 「来なさい、悠」 「はっ?!」 「お姉ちゃんとお兄ちゃんが可愛がってあげるわ」 「いやいやいや! 私、兄と姉好きだけど、突然そんなこと言われても――」 妹は目を白黒させていた。 「人魚なら普通だから、拘らないの」 「ほら」 いつの間にか姉さんにつかまって、妹は衣服を脱がされる。 「のおおおおおおっ!」 「は、初めてなのに、こんな格好っ?!」 「貴方が抵抗するからよ」 「ほら、貴方も、お兄ちゃんに女にしてもらいなさい」 えー。 「あうう、恥ずかしい……」 僕に性器を丸出しにして、妹は恥じ入っていた。 「悠のここ、小さくて可愛いわ」 姉さんが悠の幼い花弁を指で押し広げるようにした。 「はうっ!」 ぴくん、と悠の身体が若鮎のように跳ねる。 「悠、どうする?」 「悠がイヤなら、僕は無理強いはしない」 「……」 「そう言いつつ、兄の股間元気だし」 「こ、これは生理現象なのっ」 仕方ないだろう。 美少女が二人、そんな格好で目の前にいたら。 「……兄、してほしい」 「いいの?」 「さっき、兄と姉が仲良くしてて、私ちょっと嫉妬したし」 「私も、入れてほしい」 「イズミ、人魚は近親者と交わるのが普通だから」 「悠も、愛してあげて」 「うん、わかった」 「悠、力を抜いて」 「あっ! ああっ!」 僕のペニスが妹の膣口に入る。 それだけで、悠はのけぞった。 「ひゃっ、あっ、んっ、んっ、ああっ!」 「あっ、んっ、くっ、はぁっ、はあっ、ん……!」 「悠、大丈夫?」 「う、うん……」 「思ったよりも、痛くない……」 「痛いというより、熱い感じ……」 「ゆっくりするから」 「う、うん」 「お兄ちゃん、来てっ――ひゃっ!」 僕は悠の腰を掴むと、挿入を再開する。 つるつるの悠の尻を撫でる。 可愛い。 ペニスを挿入しながら、身体を寄せて悠の背中にキスをした。 「あっ!」 そのままぺロペロと背中を舐めた。 「あぅっ、やっ、んっ、んんっ!」 「やんっ、兄、それダメっ……」 「どうして?」 ぐちゅっと悠の膣からイヤらしい音が。 愛液がしたってきた。 「今のされると、身体がぴくってなるし……」 「何だか、エッチな気分になるし……」 「それって感じてるってことだよ」 「痛くないように、感じた方がいいよ、悠」 僕はペニスを悠の膣に擦り付けながら、背中をちゅっちゅっと唇で愛でた。 「ひゃあああああああんっ!」 「そ、そんなエッチなことを、兄がぁ……!」 「兄、変態だし!」 糾弾された。 「お前は……」 エッチの最中にそれはおかしいじゃないか。 もう容赦なくエロいことをする。 僕はペニスを挿入したまま、指先でクリトリスに触れた。 「はわっ、わあああっ!」 「あわっ、はぁっ、やっ、くうんっ!」 「ひゃっ、ひゃんて、ことを、兄っ……!」 「いやあんっ、姉、兄がエッチすぎるぅ……」 妹はとろんとした目になりつつ、姉に助けを。 「あら、悠、でも貴方とても気持ち良さそうよ」 「ほら、そんなに緊張しないで、力を抜いて」 「全部、私達にゆだねて、ね?」 「んっ、ちゅっ……」 姉さんは躊躇なく、妹の唇に吸い付いた。 「んんっ?! ひゃあんっ、はぁ、んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 「お、お姉ちゃん……んっ……」 「お姉ちゃん、お姉ちゃん、ちゅっ、ちゅっ……」 一瞬戸惑った妹も、すぐに姉さんのキスを受け入れた。 それどころか自分から求めている。 「んっ、ちゅっ、ん……」 「可愛い悠、んっ、ちゅっ……」 「もっと、お姉ちゃんに甘えなさい……んっ……」 「ん、うんっ、お姉ちゃん……」 「好き、お姉ちゃん好きっ……!」 見目麗しい女子二人が、エロく絡み合っている。 僕の性器はその様子を見て、さらに固くなる。 「悠、お兄ちゃんも忘れないで」 「好きだよ、悠」 腰を振りながら、クリトリスを軽くつまんだ。 「ひゃあああっ! あんっ、あんっ!」 「う、うんっ、私もっ」 「お、お兄ちゃん、好きっ!」 「好き好き大好きっ!」 「あっ、あああああっ!」 悠がぴん! と背筋をそらす。 「くっ……!」 膣が突然しまって、僕も精液を搾り取られる。 狭い分、刺激が強い。 あっという間に妹にイかされてしまった。 「はぁ、はぁ……」 姉さんの後、すぐに妹とセックスをしてしまった。 すごい経験をしてしまった……。 「イズミ、何をしてるの?」 「え?」 「次は私でしょう?」 「えー、そんなにすぐできるかな……」 「早くして……」 「貴方と悠のを見て、私……」 姉さんの性器から、愛液がとろとろと。 興奮していた。 「姉、エッチだね」 妹が嬉しそうに笑う。 「ナマイキね、ちゅっ」 「あっ、ちゅっ、んん……」 姉妹がまたキスを交わす。 仲がいいところを見せ付けられる。 「姉さん、いくよ」 僕も参加することにした。 姉さんの膣にペニスをあてがう。 「あっ、あああ……!」 「あっ、んっ、はぁ、んっ、んん……!」 「ひゃあっ! あんっ!」 「お姉ちゃん、ちゅっ……」 僕とセックスをしている姉さんの唇に、妹が吸い付く。 「んっ、ちゅっ、んっ、んんっ!」 「はぁっ、やっ、あんっ、んっ、あああんっ!」 「ちゅっ、んっ、悠……、イズミ……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、あんっ!」 姉さんは僕達兄妹に責められて、嬉しそうに乱れる。 色っぽい姿。 僕のペニスは2回出した後とは思えないくらい、固くなっていた。 「お姉ちゃん、お姉ちゃん……ペロッ、ちゅっ……」 「んっ、んん……」 姉さんと接続している僕の目の前で、妹のお尻が艶かしく動く。 僕は妹の性器にも触れた。 舌で。 「ひゃんっ!」 「ぁっ、そこ、やっ……」 「お兄ちゃん、舐めちゃダメえっ……!」 妹にクンニをしながら、姉とセックスする。 とんでもなくイヤらしいことをしている。 甘美な妄想が具現化したような、状況だ。 僕は夢中で、姉を犯しながら、妹の花弁を舐め続ける。 「ああっ! んっ、ひゃっ!」 「あんっ、んっ、んんっ!」 「あっ、ああ、イズミっ、イズミっ!」 「お、お姉ちゃん、お兄ちゃんっ!」 「姉さん、悠っ!」 兄妹、姉弟で身体をむさぼりあう。 インモラルな交わり。 でも、これ以上密度の濃い交わりもないだろう。 ああ……。 僕は意識をとろけさす。 「あっ、あんっ!」 「ああっ、やっ、あんっ、はぁっ!」 「やん、らっ、らめぇっ……もう、らめぇっ……!」 「お兄ちゃん、お姉ちゃん、私、いっちゃうよぉ……!」 「ああんっ!」 「んっ、あっ、ああっ!」 「わ、私もよ、悠……!」 「イ、イズミ、お願い、いっ、いっしょに……!」 姉さんの膣が僕のペニスを締め付ける。 僕は腰を回転するようにして、姉さんの中をかき回した。 「あああっ!」 悠のクリトリスをアマガミした。 「ひゃあんっ!」 「んんっ!」 びくんびくんと、ベニスの根元あたりが痙攣する。 精子が尿道を通り、亀頭の先端から放出される。 刹那。 「あっ!」 「ひゃうっ!」 姉妹がそろって、声を上げ、 『ああああああああああああっ!』 同時に絶頂に達した。 「おおー」 扉を開くと、温かな日差しに迎えてもらえた。 本日から、3月。 暦の上ではもう春だけど、実際にはまだ肌寒い。 でも、今日はいい感じ。 よし、計画遂行だ。 あたしは、周囲に誰もいないのを確認して、移動する。 「とう!」 そして、上へ。 「やっぱ、高ーい!」 「でもって、怖ーい!」 校庭を見下ろしながら、高さにビビる。 イズミといっしょの時は平気だったのに。 「やっぱ、一人はツライにゃー」 愚痴る。 一人の時くらいは許してほしい。 これでも、周囲に人がいる時は明るく振舞っているのだ。 以前のあたしからは想像できないくらいの強さ。 自分で自分を褒めてあげたい。 「はあ~~~~っ……」 深いため息を吐く。 「あー、もうー!」 「直さん、気分はブルーっすよーっ!」 こんな時、イズミならどうしたのかな? やっぱタバコかな……。 「ん?」 あたしは給水塔に書かれた、落書きに気づく。 それは雨水にさらされ、かすれがすれだったけど。 かろうじて読めた。 『ナオスキ』 「……これ?」 誰が書いたんだろうとは思わない。 そんなの一人しか思い当たらない。 酔狂にもこんな所に上って、タバコの吸殻で落書きをするヤツなんて。 「バーカ……」 「どうして、こういうことしますかね、君は……」 「せっかく、最近は泣かなくなってきたのに……ぐすっ……」 「馬鹿……」 あたしは泣きながら、スマホを取り出した。 こんなことをした罰だ。 嫌がらせをしてやろう。 今まで一度も、返事は来なかったけれど。 もう彼はこのメールを読んではいないのだろうけど。 「スパムをくらえ!」 速攻でメールを打った。 『ちゃんと生きてますか?』 「うりゃーっ! 送信!」 無駄と分かりつつ、送ってやった。 通信料金の無駄遣いだけど、これで気は晴れた。 スマホをしまう。 「さて」 そろそろ、降りようか。 部活にも顔を出さないと―― 「あれ?」 「誰だろう……」 「おう」 「やあ」 相羽と短い挨拶を交わして、学園へと向かう。 こんな風にこいつと学園に通うのも、もうめずらしくない。 どちらかが寝坊でもしないかぎり、自然と鉢合うようになった。 日常の風景。 「ふぁっ……眠いぜ……。寝不足だ……」 「また深夜アニメか」 「違う、美月の勉強に付き合ってたんだ」 「あいつ、身体弱くてほとんど学校行ってないからな」 「ああ、あの子か」 一週間ほど前に会った少女の顔が脳裏に浮かぶ。 相羽の妹。確か九歳だったか。 「病気は何なんだ? 治りそうなのか?」 「どうかな」 言えない、か。 あまり立ち入らない方がいいみたいだ。 なら、空気を読んで、すぐに話題を切り替えよう。 「なあ」 「ん?」 「さっきから、気になってたんだけど、お前から漂ってくるこの匂いは何だ?」 「香水だ」 「何で男が、そんなものを……」 「何言ってるんだ、古いなお前」 「古くたって、僕はそんなもの振りかけたくない」 「美月が選んでくれたんだ」 「魔除けには、これが一番だとよ」 意味がわからん。 「おいっす!」 「よう」 「おはよう」 しばらく歩くと、僕達二人に川嶋さんもアドオンされる。 彼女の家――旅館『かわしま』は意外に近所にあるらしい。 彼女もいつの間にか、朝の登校メンバーに加わっていた。 これも日常。 三人で人通りの少ない朝の道を、並んで歩く。 「加納、何か面白い話ないか?」 「あるよ」 「え? 何々?」 「昨日、加納さんが酔っ払って風呂で溺れて死にかけて」 「あははははは!」 「いや、それ笑えないだろ?! 川嶋も笑っちゃダメだろう?!」 「僕はどうして、あと三分遅く発見しなかったんだと、めっちゃ悔やんで」 「あははははは!」 「だから、笑えねぇよ! ていうかマジなのか冗談なのかわからねぇよ!」 相羽は意外に生真面目な男だった。 「あ、そうだ」 「面白い話といえばさ」 「あ、今度は川嶋さんの話? 何?」 「もう最近さ、ヤバいんだよね~」 朝の空気を息で白く染め上げながら、川嶋さんが笑顔で言う。 「何が?」 「ウチの旅館の経営」 「面白くないだろ?! 大変だろっ?!」 「あははははは!」 「加納、お前笑ってんじゃねー!」 「あははははは!」 「川嶋、お前、どうして笑えるんだよ?!」 今朝は相羽がツッコミ担当のようだった。 「まあ、元々、去年父さんが無理に始めた商売だしさ」 「ダメなら、またフツーのサラリーマンに戻るっしょ」 形のいい眉で、笑顔を描きながら、川嶋さんが能天気に言う。 「でも、今はそのフツーのサラリーマンになるのも大変らしいよ?」 「だよな。特に俺らの親の年代、再就職とかかなりキツイぞ」 「ええ?! マジすか?」 「加納さんも、しょっちゅう仕事辞めるけど……マトモな職場がないせいもあるみたい」 「今は社会全体がブラックなんだよ」 「希望は前の世代が、全て食い尽くした」 「残ったのは絶望だけだ」 嘆息交じりに、相羽が言葉を落とす。 「僕達の未来は暗いぞ、ひゃっほー!」 「ひゃっほー!」 「いや、だから何で明るいんだよ、お前らは……」 相羽はげんなりした顔をしていた。 「冗談はともかく、川嶋さんの旅館は少し心配だね」 「あ、そうだ。校内新聞に宣伝でも、載せてみたら?」 「ああ、それはいいかもな」 「いや~、でも地元の人がわざわざウチに泊まりにくるかな~?」 「ウチの生徒の家族じゃなくても、その知り合いがくるかもよ?」 「どうせ、ダメ元じゃん」 「そ、そっか!」 「うん、今日、部長に頼んでみるっ!」 川嶋さんがぐっと拳をにぎって、天に向かって突き上げる。 子供っぽい仕草だが、彼女がやると嫌味じゃない。 「新聞載ったら、話題にもしやすいからな」 「俺も親に話してやるよ」 「相羽、今日はいいヤツじゃん!」 「川嶋、今日はって言うなよ……」 「ふう……」 昼休みになって、菓子パン一個を胃に放り込み、昼食終了。 足りない分は、煙でまかなうことにした。 「いい天気だなぁ……」 煙をぷかぷかさせながらまったりとする。 この学園で吸うのは初めてだ。 学園で吸う一服は、何故か美味い。 「ここにも慣れてきたってことだよな」 施設を出る時、僕はこの町に来ることを切望していた。 それは、ここが僕の生まれ故郷のはずだからだ。 僕はこの町のそばにある海辺で拾われた。 妹と、ともに。 だが、妹は別の施設に入って以来連絡がとれなかった。 手紙を書いても返事は来ない。 電話をしても出ない。 直接会いに行くことはできなかった。 その程度の交通費さえ、施設は渋ったから。 時間が経つにつれ、不安になった。 本当は妹なんていなくて、僕は一人だったのではないか。 ひとりぼっちだったのではないか、と。 そして、そうこうしてるうちに月日が流れ―― 「こら」 あ、ヤバっ。 僕は慌てて、タバコを吐き出して足で踏みながら、声の主を―― 「何だ、川嶋さんか」 ホッと胸を撫で下ろした。 「何だじゃないし」 口をへの字に曲げたまま、こっちに近づいてくる。 「用事?」 言いつつ、ライターで新しいタバコに火を。 「用事は特に――って、新しいの吸うなっ!」 丸ごと没収された。 手にはライターのみ。 意味がない。 「ひどい」 「ひどくないよ、この不良ボーイ!」 「誰にも迷惑はかけてないじゃん」 「校則に違反してるの!」 「校則って、意味あるのかな~」 ひとつ息を吐いて、ライターをしまう。 川嶋さんとこれ以上言い合いをしてまで、吸いたいわけじゃない。 諦めて、空を見上げながらネットにもたれる。 「ねえ、加納くんってさ」 「うん」 「ちょっと謎だよね」 「え? そうすか?」 「そうすよ」 「この間、取材で色々答えたじゃん」 「え~、あの答えウソっぽいじゃん」 「ウソなんてついてないし」 「じゃあ、好きな食べ物、ふ菓子ってマジですか?」 「マジっす」 「最高じゃん、ふ菓子、甘いし、デカいし、安いし」 「安いし」 「安いのがポイントですか?!」 「うい」 施設時代は今よりも輪をかけて貧乏だったのだ。 少ない金でいかに、満足度をあげるかがポイントである。 「じゃあ、この好きな場所、押入れってあるけど?」 「狭いトコって落ち着くんだよ」 「そこで寝ることもあるし」 「ロボかよ! 猫型かよ!」 なかなかシャープなツッコミだ。 「じ、じゃあね」 「好きな異性のタイプって――」 「カ○ウ姉妹の妹」 「何で?! 胸?! やっぱ胸?!」 「うーん、名前的に親近感?」 「あと、やっぱコレ?」 人差し指と親指で輪っかを作る。 「金目当てかよ?!」 「でも、お姉さんの方はちょっと怖そうだし……」 「聞いてないよ、そんなことまでっ!」 「まあ、ふ菓子以外は、全部テキトーに書いたんだけどね」 「やっぱ、ウソじゃん!」 むきーっ! と直さんは怒っていた。 「ごめんごめん」 「でも、本当のこと書いても、面白くないじゃん?」 手のひらでライターを転がしながら言う。 「うーん、面白いとか、面白くないとかじゃないんだよ」 川嶋さんは僕の隣に立ち、同じように空を見上げる。 「ただ、知りたいんだよ、あたし」 「加納くんのこと」 「え?」 僕の手からライターが落ちた。 でも、僕はそれを拾おうともせず、隣の女の子を見た。 「えへへ」 照れたように、笑う。 「なんてね」 で、舌をぺろりと出した。 「何だ」 「今ちょっとビビりましたよ、川嶋さん」 「いやいや、マジっすか、さすがの加納くんでもビビりましたか?」 「そーいう思わせぶりはやめてよ」 「慣れてないんだ、そっち方面は」 ようやく僕は屈んでライターを手に。 「ふーん、そうなんだ」 「加納くんは、恋愛関係に不慣れっと……」 手帳に書いていた。 「メモんないで」 「メモります。メモりまくります」 「何でだよ」 「うーん、新聞部部員としての性かな~」 「だから、また加納くんに取材しちゃおうかな~」 「僕はもういいよ」 「目立つのは、好きじゃない」 「なら、新聞に載せないなら、いい?」 「いいよ」 「そう、じゃあ、ひとつめの質問です」 「加納くんは、ね」 「今、好きな子、いる?」 「白羽瀬と加納がまだ着いていないだと?!」 「はい、川嶋先輩から連絡がありました!」 「家からの方が近いから直接行くと言っていたんだがな……」 「二人に連絡はしたのか?」 「それが電話もLINNにも出てくれません!」 「軽音部の連中はもう広場に着いている。俺と高階は、今から自治体の人間と話をしなければならない」 「迎えに行っているヒマはないぞ」 「はい、それで川嶋先輩と新田先輩が、迎えに行ってくれました」 「私達は予定通り、自治体の人と会ってほしいとのことです」 「新田くんの指示か?」 「はい」 「彼女はしっかりしている。信じてもいいだろう」 「よし、俺達は予定通り、自治体の担当者と会うぞ」 「そのために、わざわざ休日に制服を着て来たんだからな」 「了解です!」 「白羽瀬さん!」 「悠!」 「……あ」 「ひっく……川嶋と……姉……」 「ぐすっ……」 「ど、どうしたの?」 「そ、そうだよ、泣いたりして……」 「うっ、ぐすっ、うう……」 「いったい、どうしたの? 泣いてるだけじゃわからないわよ?」 「そうだよ! こんな時こそ、イズミお兄ちゃんが――って、あれ?」 「イズミがいない。あれ? どこどこ?」 「うわあああああん!」 「ゆ、悠?!」 「うわああっ、泣かないでよ~っ、もうこんな時に何でイズミ居ない――」 「お兄ちゃん、ずっと帰ってこない……」 「え?」 「私、昨日、お兄ちゃんに、ひどいことしちゃったから……」 「私のこと嫌いになっちゃったんだ……」 「だから、きっともう帰ってこないんだ……」 「うわあああああああああん!」 「白羽瀬さん……」 「悠……」 「……」 「う……」 頬に感じる冷気に、暗闇から引き戻された。 まだ意識は混濁している。 それでも、目を開く。 僕の目に映ったのは、薄汚れた床と壁。 そして、場違いな場所にあるソファーに腰掛ける―― 「お目覚めかい?」 「……あんたか」 「ふふ、そう睨むんじゃないよ」 「酒が不味くなるじゃないか……んっ……」 イズナは高価そうなワインを、ラッパ飲みしていた。 「んっ、んっんっ……」 唇から、たらたらと赤い液体が垂れても気にせず、あおる。 「……っく、はぁ……」 「大した酒じゃないね。こんなものただのアルコール入りのブトウ汁じゃないか、ったく……」 不機嫌な顔をして、イズナは酒瓶を床に放り投げた。 それは倒れている僕の顔面のすぐそばに落ちて、割れた。 周囲にアルコール臭が漂う。 「……危ないだろう」 「いつまでも、そんなところに寝ているからさ」 「別に縛り上げてるわけでもないんだ。さっさと起きたらどうだい?」 「言われなくても……」 僕は床に手を突き、身体を起こす。 ――え? 視界が、ブレる。 足に力が入らない。 「なっ、く……!」 身体が重い。 熱があるわけじゃない。 それどころか、身体は冷たい。 なんだ? これは。 ただ立ち上がるだけに、どうしてこんなに……。 「……イズミ、お前はもう限界だ」 「あ?」 震えながらも何とか立ち上がった僕に、イズナが鋭い視線を投げかける。 「純血種の雄は、雌に捕食されるための存在だ」 「何があろうとこれは覆らない。身体に組み込まれた遺伝子レベルのお前の運命だ」 「お前は日増しに衰弱する」 「つがいの雌が捕食しやすいように」 「お前は、生き過ぎたんだよ」 「たとえ捕食されなくても、あと数刻の命だろう」 「……」 「……そうか」 「おや、思った以上に冷静だね」 「泣き喚くのを期待していたんだけどね」 「僕は別に長く生きたいって、思ってたわけじゃない」 「ただ単に長く生きたいだけなら、単細胞生物でいいじゃないか」 「たとえ短い命でも、どちらかを選べと言われれば」 「次の人生でも、僕はまた僕を選ぶ」 「悠の兄を選ぶ」 「ほう、なかなかの覚悟だ」 「なら、今から念仏を唱えるがいい」 「待つまでもなく、私が今から切り裂いてやる……」 「バラバラのお前の四肢を、悠の目の前にぶちまけてやるよ……」 「その後、悠は私の腹の中さ……」 「くくく……」 「……悠にはまだ手を出してないんだな?」 「ああ、計画変更だ」 「思い出したのさ。私が本当に憎いのは、あんた以上に、悠なんだ……」 「瑠璃は成魚になった。しょせんわたしと同類だ。だから、見逃してもいい……」 「だが、悠は……」 「一番ツライ苦しみを味わわせてから殺さないと、気がすまない……!」 「どうして、そこまで実の娘を憎むんだ?」 「あんたは悠に酷いことをしたが、悠はそんなことはしてないだろう」 「まるで理解できない」 「はっ、分かってもらおうなんて、思ってないね」 「私は嫌いなんだよ、お前達が」 「いっしょに死のうなどと、薄ら寒いことを言ってるお前たちがね!」 イズナの呪詛の言葉が倉庫いっぱいに反響した。 僕は息を吐く。 やはり避けられないのか。 立っているのさえ危うい状態で。 もう能力なんて、ほとんど枯れてしまって。 勝ち目はまるでないのだけれど。 目の前の女は、僕の妹を殺すと言った。 それなら、僕のやるべきことはひとつ。 「……僕の妹を、狩ると言ったな?」 僕は意識を集中し、右腕の指先を。 「絶対にさせない」 わずかだが、硬化させた。 「たとえ、母親と刺し違えてでも……」 終わらせてやる。 あんたの長い長い憎しみに満ちた日々を――。 「あ! 部長! 白羽瀬先輩来ました!」 「待ちかねたぞ! ん? 加納はどうした?」 「それが……」 「お兄ちゃんは、私のせいで……」 「うわあああああああん!」 「お、お兄ちゃん?!」 「そ、その話は後! 部長、イズミはドコに行ったかわかんないの!」 「何てことだ……。もう時間はないぞ」 「とりあえず、無理矢理、白羽瀬さんだけ引っ張ってきたんだけど……」 「仕方ない。ギターは軽音部のヤツに代わりを頼もう」 「そうですね。時間もないし……」 「だけど……」 「私、歌わない! お兄ちゃんいないのに、歌えないっ!」 「うわあああああああああああああん!」 「うっ、肝心のボーカルがこれじゃあ……」 「困ったな……」 「ぐっ……!」 イズナの攻撃を受けるたびに、僕は転倒する。 「はぁ、はぁ……」 一撃ごとに身体じゅうの骨が軋む。 気を許せば硬化した指先が、すぐ元に戻る。 序盤から、もう戦いとは言えない状態だった。 一方的な虐待そして、虐殺。 「ははは! どうした、イズミ!」 「私を狩るんだろう?」 「寝ているヒマなどないはずだ。ああっ!?」 「くっ!」 イズナは容赦なく、僕の顔面を蹴り上げる。 口じゅうに広がる血の味を感じながら、僕は転がされる。 遊ばれていた。 その気になれば、いつでも殺せる。 目の前の女の思考が、一挙手一投足から読取れる。 隙だらけなのに。 身体がマトモに動けば反撃できるのに。 僕は、ロクに立つこともできず、壊れた玩具のように転がされるだけだ。 「くそ……」 歯を食いしばって、立ち上がろうとする。 「そうだ、立て」 「妹を守るんだろう?」 「それには、私を殺すしかないんだぞ?」 「お前が息絶えたとき、お前の妹も死ぬと知れ」 「……く」 「うわあああああああっ!」 力任せに、手刀を振るった。 「は、どこを狙ってるんだい」 「まるで見当違いだ」 「そうか、お前、もう目が……」 見透かされた。 そう、さっきから目がどんどん霞んでくる。 血を流しすぎた。 「……ち」 それでも、気配がする方にひたすら手刀を。 だが、手ごたえはない。 風切り音が、空しく鳴るだけだ。 「……終わったな」 「もういいだろう?」 「これも運命だ。受け入れろ……!」 膝裏に蹴りをもらった。 僕は赤く生臭い血の溜まった床に、沈んだ。 「はぁ、はぁ……」 暗い。 イズナの姿がよく見えない。 くそ……。 このまま、むざむざ殺されるのか。 僕は何のために生まれてきたんだ。 何のために生きてきたんだ。 妹を守ることもできず。 『――お兄ちゃん、死なないで!』 悠。 僕の大切な妹。 僕は、 お兄ちゃんは、 お前が大好きで。 恋心なのか。 家族の情愛か。 あるいは遺伝子に刻まれた運命なのか。 いや。 そんなことは、どうでもいいんだ。 お前の笑顔が見たい。 歌いたいのなら、歌って欲しい。 命を賭しても、お前のために。 僕は。 僕は―― 「……イズミ」 「わかるか? 今、あたしのツメがお前の喉に触れている……」 「少しでも、動いたらお前は死ぬ……」 「……」 「……馬鹿な子だよ」 「……あたしなんかの子に生まれるから……」 「……」 イズナの声が震えていた。 顔はよく見えない。 でも、泣いているように。 「すまないね、狭了な母親で……」 「大丈夫だ、お前は天国に行けるだろうよ」 「私と違ってね……」 「あ、あんた……?」 「おしゃべりが過ぎたようだ」 「心配するな、すぐに悠もお前のそばに送ってやる……」 「――さよなら、イズミっ!」 「――っ!」 「そ、そろそろ時間です!」 「思った以上に見物客も多いです! とても中止だなんて言える雰囲気じゃありません!」 「そ、そうだよね、ざっと100人くらいは来てるよね……」 「熱心な広報活動が裏目に出たわね」 「やるしかないわ」 「しかし、白羽瀬くんが……」 「うっ、ぐすっ、うっ……」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「ごめんなさい……」 「ぐすっ……」 「……とても歌える精神状態じゃないですね……」 「白羽瀬さん……」 「困ったな……。加納の代理はいても白羽瀬くんの代理はいない……」 「悠」 「来なさい、歌うのよ」 「い、嫌っ、無理……!」 「お兄ちゃんが、居なきゃ歌えない! 歌わないっ!」 「甘えないで!」 「――っ?!」 「ビ、ビンタ一閃……」 「新田ガール、すごっ……」 「イズミが居ないと歌えない? そんなはずないでしょう」 「イズミよりずっと上手い子がギターを弾いてくれるわ。ちゃんと演奏はできるのよ」 「だ、だけど、私は」 「お兄ちゃんと……!」 「イズミはここにいないわ」 「それでも、貴方は歌うのよ」 「イズミがどうして、姿を消したのかは私達にはわからないけど」 「誰がいようが、いまいが、そんなことはお構いなしに、人生は進んでいくの」 「その時、その場所で、やれることを全力でやりなさい」 「それが他者の命を犠牲にして、生きながらえた者の義務よ」 「一生懸命、生ききりなさい」 「義務を果たさずに逃げる者を私は軽蔑する」 「もし、貴方が逃げたら、私ももう二度と貴方と口を利くこともないでしょう」 「……お、お姉ちゃん……」 「大丈夫よ」 「今から私がイズミを探しに行くわ」 「あの子は絶対、貴方を嫌いにはならないでしょう」 「信じてあげなさい」 「……」 「そうですよ! 白羽瀬先輩、歌ってください!」 「白羽瀬くん……!」 「歌ってよ! 白羽瀬さん!」 「悠、歌いなさい」 「……」 「私……」 「私……!」 殺されると思った。 逃げなければ、喉を裂かれあっと言う間に絶命する。 だが、僕の身体はまるで言うことを聞かない。 「――さよなら、イズミっ!」 「――っ!」 僕は目をぎゅっとつぶり、妹に詫びた。 約束を果たせなかったことを。 目の裏には、悠を初め、たくさんの人達の顔が浮かんでは消えた。 直、姉さん、高階、部長。 優しかった、好きだった人達。 そして、最後に浮かんだのは―― 「――何?!」 薄れる思考の中で、浮かんだ友が。 「何をしている? 加納!」 「――え?」 「こんなところで、終わるのか? お前はそれでいいのか?!」 相羽が。 相羽司が絶命寸前の僕を救ってくれていた。 「き、貴様……!」 相羽はイズナのツメを素手で握り、それを僕から引き離していく。 「悪いね」 「こいつは俺の数少ない友人でね……」 「あんたの気まぐれで、殺されたりしちゃあたまらない」 「退くか、俺とやりあうか選んでくれ」 「――ちっ!」 イズナは舌打ちをしながら跳び退き、僕と相羽から距離を取った。 「おら、立て、加納!」 「寝ているヒマはないぞ!」 「生きたかったら、さっさと立て!」 イズナを見据えながら、相羽の叱咤が僕に飛ぶ。 「あ、相羽……」 僕は身体を起しながら、相羽の背を見る。 「ど、どうして……?」 「どうして、お前が……」 「美月から、話を聞いた」 「それから、お前の事を張っていたんだ」 「匂いを感じなかったか? 迂闊だな」 「ち、違う」 「僕が聞きたいのは、そういうことじゃない」 「どうして、お前が、僕を……」 震えた声で、その背に尋ねる。 「僕を、助けるんだ?」 「死ぬかもしれないんだぞ?」 「お前には何のメリットもない」 「そうだな、俺には何のメリットもない」 「それどころか、下手すりゃ二人そろって、この化け物のエサだ。死亡確定だ……」 「まったく、馬鹿な話だ……」 「だったら……!」 「……」 「……あの時」 「え?」 「俺が、川嶋をさらった夜、お前言ったじゃないか……」 「俺はお前のダチで」 「俺のために死んでもいいって、言ってくれたじゃないか……!」 「あ、相羽……」 「それなら、俺が――」 「お前のために、命を張ったっていいじゃないか……!」 「お、お前……」 視界が滲んだ。 相羽はまだ、僕の友達だったんだ。 「……ふ、死にかけのイズミに雑種の加勢が加わったところで……」 「格の違いを教えてやるよ」 「あたしが何百年生きてきたと思ってるんだい? 青二才が!」 「死ぬのが怖くて、だらだら生きてきただけだろうがああ!」 相羽は取り出したナイフで、イズナのツメを弾き返す。 「ああっ!」 「はっ!」 一見、二人の攻防は拮抗しているかのように見えた。 いや、運動神経は相羽の方がいい。 「おおっ!」 「ち……」 わずかながら、相羽が有利に見える。 「俺もさんざん、人を殺して食ってきた……!」 「だが、それは俺と妹が生きるためだった!」 「純血種で、成魚のあんたは、無理に人を食う必要も、ましてや子供を食う必要なんかないだろう?!」 「何故、加納や白羽瀬を狙う?!」 イズナの攻撃を巧みにかわし、間隙をぬってナイフを繰り出す。 「……く」 遂にイズナの肩に、相羽のナイフが届く。 イズナは流れ出る鮮血をものともせず、相羽と僕をにらみつける。 「ふん……」 「血を分けた親子だろうが、兄妹だろうが」 「必ずしも、愛し合えるわけじゃない……」 「人を愛するにもね、才能ってモノが必要なのさ……」 ニヤニヤと目の前の女は嫌な笑いを口元に貼り付けて、続けた。 「あたしに言わせれば、お前もイズミも、そして悠も恵まれているんだよ……」 「殺したいくらいに、妬ましい……」 「……あんたが、俺達を妬ましいだと?」 「雑種の俺や、捕食されるしかないイズミを、あんたが?」 相羽がナイフを構えたまま、疑問を口にする。 「……そ、そうか」 「そういうことか……」 僕はフラフラと歩きながら、相羽より前に出る。 「お、おい」 「大丈夫だ、相羽」 「母親が愚痴を言いたいというなら、息子が聞くべきだろう?」 「……」 「ふっ、お前は」 相羽は微笑して、一歩下がった。 「……」 僕は満身創痍の状態で、再びイズナと対峙した。 「あんたのつがいの雄は――」 「……」 「あんたに捕食されることを拒否したんだな?」 「!?」 「本来なら、あんたを守るべき雄は、あんたを守りもせず」 「捕食も拒否して、あんたから逃げようとした」 「一番、愛してくれるはずのつがいに、あんたは捨てられた」 「そうなんだな?」 「……」 「……ふ」 「ふふ……そうさ……」 「あたしの兄貴は、どうしようもないクズでね」 「あたしの身体は求めるくせに、いざとなったら何もしない」 「あたしを守るどころか、あたしに守られるような腰抜けで」 「あたしが、成魚になる頃には、尻尾を巻いて逃げ出したんだ」 「だから、見つけ出して、殺して食ったよ」 「命乞いする兄を、泣きながらあたしを罵倒する兄をあたしは食ったんだ」 「一度たりとも、優しくなどしてもらえなかった……」 「……」 「……」 イズナの告白に、僕も相羽も黙りこんだ。 「なあ、イズミ、あたしはね、今まで誰にも愛してもらったことなんてないんだよ」 「何百年と生きてるのに、一度たりともだ」 「……可哀想な母だろう?」 「……」 「イズミ死んでおくれよ……」 「この哀れな母のために死んでおくれ……」 「……」 僕は一歩、前に踏み出す。 構えもせず。 両手はだらんと下げたまま。 「加納!?」 「そうかい、わかってくれたかい」 「さよなら、イズミ!」 振り下ろされる母親のツメを―― 「――なっ?!」 僕はさらに一歩前に出て、肩で受け止めた。 「――求めるだけなのか?」 「母さんは、この何百年もの間、求めるだけだったのか?」 「何……?」 「愛して欲しいと、ただ求めるだけの人生だったのかと聞いている」 「お前……」 「誰だって、本当は求めている」 「好きになってほしいって、求めている」 「それでも、多くの人達はままならなくて」 「気づかなかったり、心ならず踏みにじってしまったり」 「そんなことの繰り返しで、毎日少しずつ傷ついて」 「傷つけて……」 「それでも――」 「それでも、心の中で泣きながら生きてるんだよ!」 僕は肩に食い込むツメを掴み、力任せに抜き取る。 痛みが走る。 が、嬉しい。 この痛みさえ、僕が生きているという証。 逃げなかったという証。 「僕の真実をひとつ教えてあげるよ」 「僕は子供の頃、貴方に愛されたかった」 「っ!」 「そして」 「母さんを愛していた」 「あ、あ……」 「僕をこの世に産んでくれた貴方を愛していた」 「それでも、日々の虐待が少しずつそんな気持ちを削り取った」 「でもね、母さん」 「僕は、あの日、母さんに殺されかけたあの日でさえ」 「貴方を、憎みきれなかった」 「憎みきれなかったんだ――」 「怖くて泣きながら逃げた、あの瞬間さえ」 「僕は」 「そして、きっと姉さんも、兄さんも、悠も――」 「貴方を――」 「貴方を愛していた……!」 「あ、あ、あ……」 「そんな……あ、あたしは……」 「あたしは……!」 「ああっ、うわっ、あっ……」 「うわああああああああああああああああっ!」 母は僕の目の前で膝を折り、爆ぜるように泣き出した。 「……」 僕はそんな母を黙って、見下ろした。 終わった。 終わらせることが、できた。 僕は、大きく息を吐いた。 「……やれやれ」 「壮絶な親子喧嘩だったな、加納……」 「……ああ」 僕は相羽に笑ってみせる。 そして、足を引きづりながら窓辺の方に向かう。 そこには、朝陽の光で出番を待つ相棒が―― 僕のギターが立てかけられていた。 「え、えっと、お、お集まりの皆さん、た、大変お待たせしましたっ!」 「よ、ようやく、準備が整いました! マ、マジお待たせっす!」 「川嶋先輩かみまくってますね……」 「どれだけ緊張しているんだ……」 「と、突然司会役をすることになって、ぶっちゃけ、直さん、頭真っ白っす!」 「これというのもイズミが急に――こん畜生めえっ!」 「川嶋さん、川嶋さん!」 「時間ないし、もう始めようよ!」 「あ、そ、そうだね!」 「そ、それでは、ボーカルの白羽瀬悠さん、はりきってどうぞっ!」 「こ、こんにちは」 「白羽瀬悠です」 「今日は、集まってくれてありがとうございます……」 「……」 「……この歌は」 「今はここにいない大好きな人のことを想って作った曲です」 「本当は今日はいっしょに、演奏するつもりでした」 「でも、今、その人はここにいません」 「だから、本当はさっきまで、私、歌えないって……」 「だけど、私のこの歌を聴きたいって思ってくれてるのは一人じゃない」 「もうすぐ外国に行く友達にも聞いてもらいたい」 「それに、歌いたいのは私で」 「これは私の歌で……」 「それなら、私は歌わないとって思うから」 「……」 「きっと、どこかで聴いてくれてるって信じて……」 「いつか、いっしょに演奏できるって信じて……」 「聴いて下さい」 「悠久恋歌」 「相羽」 「よう、久しぶりだな委員長」 「……その怪我は」 「ちょっと、お前ん家の親子喧嘩に付き合ってね」 「!? もしかして、イズミはあの女に」 「ご明察だ。今、加納は一人倉庫の中だ」 「あの女は?」 「この町から出て行くとよ」 「え?」 「もう無益な殺生はしないと言っていた」 「息子に命がけで叱られて、ようやく悟ったんだろう」 「……イズミがあの女を……」 「今は無理でも、新田もいつかは母さんって呼んでやりな」 「……いったい何が」 「あ、いえ、そうだわ。イズミを……!」 「もうしばらく、そっとしておいてやれ」 「演奏の邪魔だ」 「――え?」 「っと……」 「血で滑って、上手く操作できないな……」 壁にもたれながら、スマホを操作する。 ブラウザを起動して、ネットに接続。 『歌ってやった』のサイトを開く。 『こ、こんにちは』 『白羽瀬悠です』 いた。 僕の妹が話している。 間に合った。 僕は壁にもたれながら、ギターを弾く準備をする。 『本当は今日はいっしょに、演奏するつもりでした』 ごめん。 もう、僕はそこまで行けない。 さっきから全然血が止まらないんだ。 だから、ここで弾くよ。 『だから、本当はさっきまで、私、歌えないって……』 おい、それはダメだぞ。 僕を失望させないでくれ。 『だけど、私のこの歌を聴きたいって思ってくれてるのは一人じゃない』 『もうすぐ外国に行く友達にも聞いてもらいたい』 『それに、歌いたいのは私で』 『これは私の歌で……』 『それなら、私は歌わないとって思うから』 よし、いい子だ。 『きっと、どこかで聴いてくれてるって信じて……』 うん、聴いてる。 僕はお前の歌を聴いているよ。 『いつか、いっしょに演奏できるって信じて……』 ああ、いっしょに演奏しよう。 お前には届かないけれど。 僕の胸に刻み付ける。 それを、胸に、僕は逝く。 『聴いて下さい』 さあ、いこうか。 『悠久恋歌』 妹の声を合図に、僕の指はコードを奏で始める。 スマホから流れてくる音に合わせて、僕のパートを。 もう何百回と練習した曲だ。 目をつぶったって弾ける。 その証拠にほら、もう、ほとんど目が見えないのに。 こんなに上手く、弾けている。 悠の歌声が、壁に反響して響く。 キレイな声だ。 悠、お前は本当に歌が上手いな。 もっと、歌ってくれ。 もっと、皆に聴かせてくれ。 僕にとっては、これが最後の歌だけど。 お前は、もっと先にいける。 その事が、今、たまらなく嬉しい。 お前に僕の命を託そう。 ここからは、自分の力で。 一人で歩いていけ。 とてもツライことなのかもしれないけれど。 そうやって、僕達は命を渡されて。 渡して――。 最後の小節が終わる。 もう指の感覚がない。 でも、弾ききろう。 どんどん暗くなっていく視界。 リフレイン。 余韻を残して、曲が終わる。 やった。 弾ききった。 「……悠」 さて、最後の仕事だ。 僕はアプリを切り替え、LINNを起動した。 妹に、今の居場所をメッセージで知らせないと。 後で、悠がここに辿りつけられるように。 僕の躯を見つけられるように。 僕が溶けて消えてしまう前に、命を渡せるように。 よし、何とか書ききった。 あともう少し。 最後の言葉を……。 ああ、もう指先もほとんど動かない。 長い文章はもう打てない。 『ありがとう』 『愛してる』 あとは―― 『兄――っ!』 え? またアプリをブラウザに切り替える。 『兄――っ!』 『兄――っ! 兄――っ!』 『あ――――――に――――――――――っ!』 妹が、僕を呼んでいた。 「悠……」 涙がこぼれる。 今すぐにでも、駆けつけて抱きしめてやりたい。 でも、それはもう叶わない。 だから、僕は思いのたけを。 最愛の妹に。 僕は。 僕は、君と―― 一年前―― 「加納イズミです」 「家庭の事情でこんな時期ですが、転入することになりました」 「どうぞ、よろしくお願いします」 黒板の前に立った僕は、最大限に無駄をそぎ落とし、簡潔にまとめた自己紹介をした。 「……」 「……」 無反応、無関心。 覇気のないクラスだった。 静かに過ごせそうなところは、僕好みだけど。 「では、空いてる席に」 一番後ろの隅っこの席を、担任が目線で示す。 「はい」 僕は真新しい制服に、窮屈さを感じながらそこに向かって歩く。 「ふ……」 途中で、ガタイのいい男子が僕の足を引っ掛けようと、足首を出してきた。 稚拙な。 僕はその足首を、思い切り踏んでやる。 「いてぇっ!」 「あ、ごめん」 僕は気づかぬフリを演じて、頭を下げる。 「ああ?! てめぇ、わざとだろう!」 血の気が多いのか、ガタイのいい男子はすぐに立ち上がって、僕の胸倉をつかんだ。 「本当に気づかなかったんだよ、マジだって」 「通路にはみ出るほど、足の長い人がいるなんて思わなかったんだ」 僕は肩をすくめて、大仰に首を振る。 「こいつ……!」 あ、キレた。 さっきのはちょっとわざとらしすぎたか? 「乾、何をやっておる?」 背中で、担任の声がした。 「ち、覚えてろよ……!」 突き飛ばすように、手を放す。 「嫌だなあ、ホントにわざとじゃないのに」 と、シラを切ったまま席まで歩く。 この間も、他の生徒達は声ひとつあげない。 スーパー無関心。 心にぶ厚いバリアーでも張っているのか。 前言撤回。 あまり、ここでは心安らかに過ごせそうもない、ダメだ。 無反応、無関心、それに無感情だった。 「……」 席に着くと、隣の女子がちらっと見てきた。 「……」 見返す。 「!?」 すぐに視線を外された。 慌ててる様子が、少し可愛らしかった。 ほっこりした。 殺伐とした心が癒される。 「さて」 鞄を置いて、イスを引く。 イスには無数の画鋲が、セロテープで貼り付けてあった。 「……」 陰湿な。 「……」 僕は無言でイスを戻す。 「え?」 僕は机に胡坐をかいて座った。 教室を出ても良かったが、初日でそれは負けっぽい気がする。 さすがに、教室のそこかしこでざわざわと声がした。 「加納、お前……」 「これでいいです」 「いや、しかし……」 「授業をどうぞ」 「……」 隣の女の子が、呆けた顔で僕を眺めていた。 これが僕と川嶋直の出会い。 後に直はこう僕に語った。 『イズミのお尻が無事で本当によかったよ!』 ……誤解を生む言い方をしないでほしい。 「ぐわっ!」 「い、いてぇっ!」 僕にケンカを売ってきたクラスメイト達が、目の前で盛大に倒れる。 三人のうち、二人をやった。 一人のヤツには、顔面に思い切り拳を叩きいれて、もう一人のヤツは股間を蹴り上げた後、鳩尾にかかとを。 ケンカでは僕は容赦しない。 特に多人数で、一人を狙うヤツらとか。 反吐が出る。 「もう、立たないの?」 倒れてる男子の顔をのぞきこむ。 「ひっ、ひいっ!」 「さっき、僕のこと殺すって言ったよね? 君」 足裏で、ケツをつつく。 「僕、まだぴんぴんしてるんだけどな」 完全に戦闘不能になるまで、やめない。 半端なことをすると、またしばらくして同じことになる。 もう嫌だと、身体にしみこませるためにも徹底的に。 「か、勘弁してくれよっ!」 「畜生っ! 乾! お前のせいだからなっ!」 倒れたまま、男子達は首謀者の生徒を涙目で睨んでいた。 「……」 もう彼らは、僕には手を出さないだろう。 恐怖を植えつけた。 そう判断した僕は、首謀者の生徒を見た。 「さて」 「残りは、君一人だ」 「く……」 「元々は君と僕だけのいざこざだったのに、君が彼らを巻き込んだんだ」 「やろうよ、僕が気に入らないんだろう?」 「く……」 「くそがああああああっ!」 吼えた。 僕は両腕を上げて構え、体重を後ろに移動した。 いつでも、蹴りを放てるように。 「――は?」 逃げた。 首謀者であるところのガタイのいい乾君は、大声を張り上げた後、扉を開けて出て行ってしまった。 おい。 「てっ、てめえっ! 乾っ!」 「ま、待てよっ! ふざけんなっ!」 続いて舎弟と思わしき二人もフラフラとした足取りで後を追う。 「……」 「弱っ」 ここで逃げちゃいかんでしょ、乾君。 男としての最低限の矜持とか、そういった類のものはどうなるのか。 「最低の気分だ……」 後ろ頭に、両手を組んで空を見上げる。 「つまらないヤツらを殴ってしまった……」 「だから、無理に学園とか行かなくてもいいって、働くって言ったのに、加納さんと来たら」 「妙なところで、真面目なんですよ、普段はロクデナシのくせに」 夕空に向かって、愚痴を吐いた。 加納さんは、僕の保護者で。 酔うとすぐに刃物を振り回す性格破綻者で。 すぐに仕事を辞めるこらえ性のない人で―― ん? 足音に目線を、扉の方に。 「はぁっ、はぁっ……」 「あ、あれ?」 隣の席の子が、立っていた。 大きな目をもっと大きく見開いて、周囲を見渡す。 「……」 「……っ」 つい僕も彼女を見てしまって、視線が交差した。 でも、それだけ。 もう帰ろう。 僕は彼女をその場に置いて、歩き出す。 「あ、あ、あのっっ!」 横切る瞬間、話しかけられた。 震えた声で。 「……何?」 目だけ動かして、顔をチラ見した。 「ひっ!」 彼女は一歩、後ろに下がる。 脅えさせてしまった。 そんなに怖い顔をしていたのか、僕は。 「あ、ごめん」 僕は立ち止まって、頭のてっぺんに人差し指の指先を当てて押す。 「な、何してるんですか?」 「マッサージ」 「どうして、今そんなことを?」 「少しは落ち着くかなって」 「そこ押すと落ち着くんですか?」 「どうかな、加納さんが言ってたことだからなあ」 「加納くんのお知り合いの加納さん?」 「あー、いや」 「一応は、僕の親なんだけど」 書類上は。 「……親なのに、加納さんと呼ぶんですか?」 首を捻っていた。 「用は何?」 話題を変える。 僕の家庭の事情なんて、話したくはない。 「あ、う、うんっ」 「加納くん、乾くん達に連れて行かれたから、その」 「彼らなら、先に降りていったよ」 「用があるなら、早く追いかけないと帰っちゃうかも」 「ち、違くて! 乾くん達に用はなくて!」 「え?」 「か、加納くん、大丈夫かなって……」 「こ、こんなタイミングで来ても、遅いかもだけど……」 「ごめんなさい……」 しゅんとうつむく。 「……」 「…………」 どうしよう。 僕は、今どうすればいい? どうやら、このお隣さんは、僕を心配してここまで来てくれたらしい。 だけれども、荒事に首を突っ込む勇気がなかなか持てず、ぐずぐずしていた。 で、ようやく自分を奮い立たせてやって来たら僕しかいなくて、戸惑っている。 意味のない行為だった。 「乾君達は、僕が叩きのめした」 「叩きっ?!」 「ああいうヤツらは、ナメられるとウザイんだ。だから、最初に徹底的にやった」 「ザ・バイオレンス!?」 「好きでやったんじゃないよ」 「でも、教室で毎日のように、絡まれるのも嫌だからね」 「で、でも、加納くん」 「何?」 「それだと、皆、表立って加納くんはイジメないけど……」 「無視されるって?」 「う、うん」 「無視されるのはいいよ、別に」 「え?」 「一人でいるのは別に苦痛じゃないから」 「つ、強いんだね、加納くんは」 「慣れの問題じゃないかな」 「ちょっと羨ましいかも」 力なく笑う。 意外な言葉だった。 何の苦労もなく優しい人達に囲まれて生きているのだろう。 僕は初めて彼女を見た時、勝手にそう感じていたから。 「心配してくれてありがとう」 「でも、僕は平気だから」 「君はもう僕の事は何も気にしないで」 背を向けて立ち去ろうと歩を進める。 彼女は僕と関わらないほうがいい。 下手をすれば、彼女までクラスで浮いてしまう。 それは、避けたい。 「あ、あのっ」 背中に声。 「何?」 振り向かずに言葉を返す。 「あたし、川嶋」 「川嶋直!」 「……」 一瞬だけ足を止める。 でも、また歩き出す。 「また明日!」 「……」 僕は軽く手を上げて振った。 黙ったまま、背を向けたまま。 「ふふ」 川嶋さんは何故か嬉しそうに笑っていた。 少し変な子なのかもしれない。 朝になる。 昨夜は、一晩中荒ぶる加納さんの相手をしていて寝不足だ。 転入二日目にして、休みたくなった。 が。 『また明日!』 「……行くか」 「行ってきます」 布団でいびきをかく加納さんの即頭部をマジ蹴りしてから、僕は玄関を出た。 「あふぁ……」 欠伸をかみ殺しながら、たらたらと川沿いの道を歩く。 朝陽がまぶしくて、涙が出る。 「よう」 「?」 声に顔を上げると、見知らぬ男子が爽やかな笑みを浮かべていた。 「……」 僕は自分の後ろを振り返る。 「いや、お前に挨拶したんだが……」 「え? そうなの? マジで?」 「マジだ」 「何でそんなに驚く?」 「挨拶をすることはあっても、されることはほとんどないし」 「は? そうなのか? 家族は?」 「僕に家族の話を振るな」 眉根を寄せて、吐き捨てる。 「わかったわかった。覚えておくよ」 「で、さ」 「ん?」 「君、誰?」 「ははは! そうか加納もあのアニメ好きか!」 「最近のは全然観てないけど、あの年代前半には魂のこもった作品があったね」 「何ていうか、哲学がある」 「俺もそう思う。あれは傑作だ」 「ラストの主人公の正体がわかった時なんか、身体が震えたね」 「あれ、放送された内容が過激すぎて、ブルーレイでは直されているんだよな」 「僕は絶対、放送時のが良かったと思うね」 「何?! そうなのか? どう違うんだ?」 「うーん、一言では説明しづらいんだけど」 「よし、じゃあ、放課後、話に付き合ってくれよ、な!」 「相羽くんーっ、ちょっといい?」 「おう」 「あ、ちょっと……」 相羽司は勝手に僕との約束を取り付け、勝手に他のクラスメイトの方に。 明るいヤツだ。それに真性にいいヤツっぽい。 あんなヤツがこのクラスにいるとは、驚きだ。 「ふふ、そんでさ~」 「ええ? マジ?」 クラスのあちらこちらでは、笑い声が響く。 穏やかな空気が流れていた。 「……思っていたよりは、悪くないかもしれない」 乾みたいな嫌なヤツがいて、相羽みたいないいヤツもいる。 社会とはそういうものか。 僕は肩の力が抜けるのを感じた。 「お、おはよう、加納くん」 自分の席のそばに行くと、お隣の川嶋さんが微笑してくれた。 「ああ、おはよう」 軽く挨拶をして、イスを引く。 イスに画鋲はなかった。 誰かが取ってくれたようだ。 「うん、悪いことばっかじゃないよな」 気持ちが軽くなる。 さて、教科書をしまうか。 「ん?」 机の奥で、嫌な音がした。 中をのぞく。 腐った惣菜パンがねじこまれていた。 「……油断した」 やはり、ここは戦場か。 「そろそろ思春期を迎えるというのに、拓郎の妹に対する偏愛は留まることを知らない」 「まさに浴場で欲情――」 「はい、そこまで、次は――」 (超眠っ……) 四時間目、現代文の授業中。 僕は必死に睡魔と戦っていた。 昨晩、荒ぶる加納さんと夜を徹して戦っていたせいである。 (ま、まぶたが……) 勝手に下がる……。 さよなら、リアル。 こんにちは、夢の世界。 僕は早々に、戦いを放棄して机につっぷした。 「ん?」 「か、加納くん、加納くんっ!」 「ふあっ……?」 誰かが僕の腕をつつく。 誰? 「転校生の加納イズミ君、読んでみてくれる?」 「ほら、加納くん、起きないと! 加納くぅんっっ!」 さらに強くつつかれる。 「だから、誰だよ?」 僕は半開きの目に映った手を―― 掴んだ。 「ひゃっ?!」 「おお……」 つるつるで、すべすべの手だった。 触ってて気持ちいい。 握る。 「えっ?! ちょっ、ちょっと……!」 こね回す。 「あっ、やっ、えっ、ええ~~~~っ?! やっ、や~んっ!」 女の子の困惑した声が聞こえる。 「え? どこかで微妙にエロい声が……」 「イヤらしいのは、君でしょ? 加納くんっ!」 「あ痛っ?!」 脳天に激しい痛みが走った。 勢いで、額を机に痛打してしまう僕。 二重にいてー。 さすがに覚醒した。 「おおお……」 顔を上げようとするが、頭に何か重いモノがのっかっているようだった。 起きれない。 腕をあげて、それをつかむ。 「ねえ、加納くん……」 「川嶋さんだけでは飽き足らず、私の手まで握るの?」 現代文の山下柚木先生(通称ゆずちゃん)の怒りに震えた声がした。 「へ?」 そのままの体勢で視線をお隣さんへ。 「あはっ、ははは……」 バツが悪そうに、はにかんで笑う川嶋さん。 左手を僕の右手でつかまれたまま。 「あ、ごめん」 パッと放す。 「ど、どうも」 「いえいえ、こちらこそ」 間の抜けた会話だった。 ちなみに、まだ顔は机につっぷした状態。 ゆずちゃんのエルボーが、未だ僕の脳天にのっかっていたからだ。 「加納くん」 「はい」 「私の手も放してくれる?」 「それはいいんですが」 「何よ」 「先生もその肘を上げていただけると助かります」 「いいわよ、その代わり教えて欲しいことがあるの」 「僕に答えられることなら」 「川嶋さんの手の感触はどうだった?」 「すべすべでした」 「ふむ、で、私の手は?」 「ちょっとガサついてますね」 「はーい、次は相羽くん、読んで~」 僕の頭に肘をかけたまま、授業を再開するゆずちゃん。 「うっす」 「ちょっ! まっ!」 正直者は馬鹿を見る。 生き辛い世の中だ。 放課後の学食は、思った以上に賑わっていた。 安い紙コップのジュースを手にして、用もないのにたむろする生徒達。 普段なら僕が避けて通るような人種だ。 「……あいつ遅いな」 でも、今日だけは僕もその喧騒の中に身を置いていた。 「よう」 ようやく待ち人がやって来た。 「遅いよ」 イスに腰掛けたまま、相羽を見上げる。 「あんまり来ないんで、約束忘れたのかと思った」 「悪い悪い」 「こいつを誘うのに、時間がかかってな」 ん? 「ど、どうも~」 相羽の背中に隠れた川嶋さんが、はにかんだ笑顔をのぞかせる。 「え? どうして?」 「どうせなら、女子がいた方がいいだろう?」 「そりゃ、まあ……」 男二人きりでダベってるよりはいいかもだけどさ。 ぶっちゃけ、何を話していいのかわからない。 「これでも、気を遣って、加納のお気に入りの川嶋をチョイスしたんだ」 「何でそうなるんだよ」 「手、すべすべだったんだろう?」 「うぐぅ」 それを言われるとツライ。 「あ、あの~、お邪魔なら、あたしはこれで……」 おずおずとおっかなびっくり話す川嶋さん。 知らない家に預けられた子猫のようだった。 「あ、いや、別に邪魔とかじゃないよ」 「ていうか、昼間はごめん。僕寝ぼけてて」 「え? いいよいいよ! もうそんなこと」 「授業中にも、謝ってもらったよ。もうそんなに気にしなくてもいいから」 「そう言ってもらえると助かるよ」 「だから、もう気にしないでったら~」 にこにこと感じのいい笑顔。 昨日の一件といい、いい子だとは思う。 でも、きっといい子すぎて、損をするタイプだ。 「ふっ、俺の計算通り、いい雰囲気だな」 「後は若い二人にまかせて、俺は退散するか」 「何でそうなる」 お見合いかよ。 「まあそんなわけで、お前も座れ、川嶋」 相羽が僕の隣に。 「う、うん」 相羽に即されて、川嶋さんは僕の正面に腰掛ける。 「転校生、せっかくだし、この学園のことを教えてやる」 「入学する時、パンフなら読んだけど」 「サボりやすい授業とか、サボっていても見つかりにくい場所とか」 「サボりばっか!?」 真面目っぽい川嶋さんは目を丸くした。 「あ、それ助かるな」 「加納くんもノリ気?!」 さらに驚く。 「ん? 何を驚いているんだ川嶋」 「加納は見た目は大人しそうだが、中身は絶対不真面目だぞ」 「何でだよ、僕は真面目だっちゅーに」 「真面目なヤツが、転校初日で、三人相手にケンカするのかあ?」 「売られたらしょうがないじゃん」 「しかも、圧勝らしいじゃないか」 「何で、そこまで知ってるの?」 「誰でも知ってる。クラスじゃあ、今、その話題で持ちきりだ」 「乾は柔道部の副主将で、影響力があったからな」 「激弱かったけど」 ていうか逃げた。 「水面下じゃあ、お前を無視してハブにしようとかたくらんでるらしい」 「そうなの?」 僕は正面で地蔵のように固まっている川嶋さんに話題を振った。 「え? いや、えっと、そんな」 「女子では、そーいう話は出てないよ?」 「ん? でも椎名が何か言ってくるんじゃないか?」 「椎名って誰?」 「乾の彼女だ。ウチのクラスにいるだろ? ほら、あの汚い金髪のケバイ女」 「あー、あの気の強そうな……」 「そういえば、今日、加納くんのこと、何度か睨んでたよね」 「あたし、そばにいてハラハラしちゃって~」 「近眼なんだと思ってた」 「本人、全然気にしてない?!」 川嶋さん驚愕。 「暢気なヤツだな、恐れ入る」 「イジメとか、割と慣れてるんだよ」 「慣れるなよ、そんなもん」 「お前も施設に入ればわかるさ」 あそこの苛烈な生存競争に比べれば、こんなのワケはない。 「何にせよ、俺はそんなくだらないものには加担しないがね」 相羽が、ふん、と鼻を鳴らして腕組みをする。 「え? いいの? 今度は相羽がイジメられない?」 「ふざけるな、俺は乾なんか最初から眼中にないね」 「最近調子にのってたから、近いうちにシメようと思ってたくらいだ」 「もしかして、乾より、お前のが悪くない?」 「だ、だよね~」 「そんなことはない。俺は素人衆には手は出さないからな」 「極道さんを気取るなよ」 余計、怖いだろ。 「加納くん、しばらくは大人しくしてた方がいいよ」 「本当はさ、皆だって加納くんのこと嫌いなわけじゃないし」 「乾くんとか、椎名さんが飽きたら、そのうち、収まるよ」 「別に僕、自分から目立つことはしてないんだけど」 「いや、目立ってるだろ、授業中に川嶋の手握ったりして」 「アレは仕方なかったんだ」 キリッとした顔で言い放つ。 「あ、あはは……」 川嶋さんは苦笑し、 「どう仕方ないと、授業中に女子の手握るんだよ……」 相羽は嘆息してしまった。 「と、とにかくさ、しばらくは大人しい加納くんでいこうよ!」 「女子の方は、あたしがそれとなくフォローしとくから! ね?!」 立ち上がって、身体を前のめりに。 めずらしく川嶋さんが強く主張してきた。 「う、うん、わかった」 思わず同意してしまった。 「よ、よかった~。ホッとしたよ~」 胸に手をあてて、大きく息を吐く。 本気で心配してくれていたようだった。 いい子だ。川島さんマジ天使。 「まあ男共は、ホッといてもいいだろう」 「どうせ、乾の影響力はガタ落ちだ。言うこと聞くヤツもそうはいない」 「うん、男はどうでもいいや」 「お前、わかりやすいな……!」 「あはは!」 その後は三人で、とりとめもない話題に花を咲かした。 相羽は思った以上に、ディープなアニメマニアだった。 「第二十六話の作監は、山崎さんだからな! 加納! あの回は神回だったろう?!」 「いい回とは思うけど、作画監督を話数ごとに言われても」 川嶋さんは、最初の印象とは違い結構おしゃべりだった。 特に食べ物の話題になると、瞳を輝かせて何でも食いついてくる。 「だから、午前中に喫茶店に入ると、コーヒーに自動的にトーストとゆで卵がついてくるんだ」 「マジすか?! めちゃめちゃお徳じゃないですかっ!」 楽しい。 同世代の人達と仲良く話しをするというのは、こんなに楽しいことだったのか。 友達なんて、いらない。 今までずっとそう思ってきたし、僕は根本的には一人でいたい人間だ。 それでも。 「加納! 今度映画行こうぜ! マジカルしおりん劇場版! 美月のヤツ、最近いっしょに行ってくれねーんだよ」 「何故に妹を、萌えアニメ観賞に誘うですか?!」 「相羽って、変態だね」 「そして、シスコン!」 「ちげーよ!」 「あはははは!」 「あはははは!」 僕は彼らを拒むことはできなかった。 「あふぅ……」 昼休み。 机につっぷしながら、欠伸をする。 僕がこの学園に転入して、二週間が経過した。 たまに乾とその取り巻きっぽいヤツらが嫌がらせをしてくるが、「屋上行く?」と一言尋ねるとすごすごと逃げ出す。 それに相羽がそばにいる時は何もして来ない。 そして、相羽は最近ウザいくらい寄って来る。 なので、僕のニュースクールライフは概ね平和であった。 「えい!」 「えいえいえい!」 ん? 前から川嶋さんの声が。 顔を上げる。 「やあっ!」 「はっ!」 黒板の前で、川嶋さんが掛け声をあげつつ板書された文字を消していた。 日直なのか。 「うりゃあ!」 「とうとう!」 必死に背伸びをして、高い箇所に書かれた字を消そうとしている。 でも、届かない。 四時間目の数学の先生、背高いからあんなとこにまで字が。 「ううっ……」 「こ、こうなったら……!」 川嶋さんは両手に黒板消しを装着。 そして、黒板の前で大きく膝を折る。 まさか。 「うりゃーっ! 必殺! 垂直跳び!」 思いっきりジャンプしていた。 スカートも思いっきり翻る。 「ぶっ?!」 思い切り吹いた。 やめて! こんなとこで、おパンツ解禁はやめて! 「川嶋さんっっ!」 慌てて立ち上がり、僕は黒板の方へ。 「ん? 何々? 加納くん?」 膝を曲げ、二回目のジャンプ体勢に入ってる川嶋さんが、僕を見上げる。 「何々じゃないし」 そのまま彼女の頭を押さえる。 「うおお! ジャンプできねーす!」 「しなくていいの」 「えー? でも~」 「でも、じゃありません」 「だって~」 「だってでもないの!」 僕は君のお母さんか。 「そうしないと、あたし、字消せないし~」 「パンツ見せてまで、消さなくてもいいでしょ……」 %44「――パン!?」%0 サッと一瞬で、川嶋さんの顔が赤くなる。 「見たな?!」 今さらスカートを押さえながら、睨んでくる。 「見たぞ」 「じっくりと?!」 「良いモノをありがとう」 手を合わせて、お礼を。 「うわーん! 拝むなー! あたしのパンツ拝むなー!」 涙目になっていた。 からかいすぎたか。 「ほら、それ貸して」 「あ」 僕は黒板消しをひとつ、川嶋さんの手から取る。 そして、黒板を消し始めた。 「い、いいって! 加納くん、悪いから」 「気にしなくていいよ、これくらい」 「でも」 「いいから、川嶋さんは手の届くとこを消して」 「高いとこは僕が消すから」 言いながら、高い箇所の文字をさっさと消していく。 「ご、ごめんね」 「謝ることなんかない」 「パンツの観賞料だと思ってもらえれば……」 「うわあああん! 観賞言うなああっ!」 泣かしてしまった。 僕はどうも一言多い。 反省。 放課後である。 「今日は、どうしようかな……」 特にやることもなく、校内をフラつく。 家に帰ってもタチの悪い酔っ払いとケンカするだけ。 かといって、バイトをする気にもなれない。 さりとて、ボッチの僕がどこかの部に入部するなどありえない。 まあ、それはいいとして―― 「川嶋さんは、僕に何か用なの?」 まさか保健室までついてくるとは。 「ひゃっ!?」 呼ばれて、飛び跳ねるようにして驚く。 「ささっ!」 そして、そのまま身長計の後ろに隠れた(つもりらしい)。 「いやバレてるから」 「いないです」 「いるから、身体はみ出てるし」 「遠まわしに、直さんは太ましいボディだって言われたー!」 言ってない言ってない。 「そんな細いトコに隠れられるわけないでしょ」 「ほら、もう諦めて出てきなさい」 手招きする。 「シャーっ! キシャーっ! フカーっ!」 威嚇された。 猫かい。 「出てきたら、飴あげるから」 「冬季限定柚子味」 手のひらに乗せて、差し出す。 「……」 川嶋さんもゆっくりと、手を出して―― その手を素早く掴んだ。 「つかまえた」 「にゃーっ! しまったあああっ!」 「観念して、出てきなさい」 引っ張り出す。 「ひいーんっ! いーやーっ!」 「加納くんが、強引にあたしをベッドに誘うーっ!」 「誘ってない」 「でも、ちょっとどきどきするーっ!」 「しなくていいから」 「直さん、今日は一生忘れられない日にっ!」 「めっちゃ忘れていいから」 アホなやりとりをしながら、川嶋さんを物陰から引っ張り出した。 「ああ……直さん、超緊張です!」 「緊張しなくていいから」 「それは優しくしてくれるっていうこと……?」 上目遣いになっていた。 何を優しくするというのか。 ていうか、この子面白い。 「何で僕をつけてるの?」 「え? いやいやいや!」 「つけてなんかないよ! それは誤解というものですよ!」 「もう加納くんたら、自意識過剰ボーイなんだから~♪」 えー。 マジかよ、僕が痛いヤツだったのか?! 「じゃあ、僕が廊下にいた時も、校庭にいた時も」 「学食にいた時も、屋上にいた時も」 「すべて、川嶋さんもたまたまいただけだと?」 「イエス!」 親指を立てて、ウインクする川嶋さん。 「今、保健室にいるのも?」 「イエス! イエス!」 両腕を上げて、その場でくるくる回る。 はしゃいでいた。 「そうだったのか……」 「ごめん、僕、痛いヤツでした……」 「反省して、これからは貝のように閉じて、ひっそりと暮らします」 言って、ベッドの布団を被る僕。 「え? いやいやいや! それは困ります!」 「もっと色々動き回って、素の加納くんを見せてくれないと!」 せっかくかぶった布団を剥ぎ取られる。 「あ、取らないで」 「今から、人に言えないようなことをしようと思っていたのに」 「あっさり君は何言うの?!」 「川嶋さんのことを考えながらしようかと」 「やめて! でも、ちょっとだけ嬉しいかも!」 本当に面白い子だった。 「まあ、今のは冗談なんだけど」 さくっと起き上がる。 「素の僕を見たいって、どういうこと?」 「うっ」 後ずさる。 「やっぱり、僕のことつけてたんでしょ?」 「白状しなさい」 「ひゅ~、ひゅ~♪」 下手な口笛を吹いてごまかしていた。 「言わなかったら、僕にも考えがあるよ?」 「え? な、何?」 「何をするおつもりでしゅか?!」 動揺のあまり幼児化していた。 「もちろん、今から川嶋さんのことを考えながら――」 再び布団をかぶる。 「ちょっ?!」 「直さん、はぁはぁ」 わざとらしくゴソゴソと音を立てる。 「やめろー! ちょっと嬉しいけど、やめろーっ!」 時間つぶしに川嶋さんと楽しく遊んだ僕だった。 で。 「新聞部の取材?」 「うん、そう」 学生手帳を片手に、目の前の川嶋さんはこくこくと頷いた。 新聞部所属の彼女は、僕の日頃の行動を知りたくて、尾行していたらしい。 「何でまた、僕なんかを……」 転校生という以外何の特徴もないのに。 「またまたまた~。そんなご謙遜を~」 「いやマジに不思議なんだけど」 「でも、加納くん、今全校ですっごい注目されてるんだよ?」 「え? マジ?」 もしかして、実は加納くん、高評価ですか?! 「うん、マジ」 「女顔だけど、キレると危険な不良ボーイとして有名だよ♪」 「悪評じゃん!」 がっくりとうなだれる。 「え? いやいやいや! 悪評ばっかじゃないよ! 人気もあるよ!」 直さん慌ててフォロー。 「可愛い男の子好きな、男子の間で!」 「BLじゃん! 変態じゃん!」 フォローになってなかった。 両手で頭を抱える。 泣きそう。 「ああ、ごめんごめん」 「本当に悪い評判ばっかじゃないよ! ほら相羽くんとかも加納くんのこといいヤツって褒めてるし」 「……一応確認するけど、相羽はBL枠じゃないよね?」 「たぶん」 「たぶんすか」 アイツと映画行って大丈夫なのだろうか……? ちょっと不安になる。 「そんなわけで、次の校内新聞で加納くんの紹介記事を載せたいの」 「本当は、普段の加納くんを調査してから、取材しようと思ってたんだけど、見つかっちゃったし」 「もうここからは切り替えて、突撃取材モードでいきますよ!」 「ちなみに拒否権は」 「あたしで、はあはあしてもいいから拒否しないで!」 涙目だった。 しょうがないなあ。 泣く子には誰も敵わない。 「じゃあ、ちょっとだけ」 「やたっ! じゃあ、行こうか♪」 川嶋さんは満面の笑顔になると、立ち上がる。 「え? ここじゃないの?」 「うん、せっかくだし、新聞部の部室で答えてよ」 「発行責任者もいるし、お茶も出せるし、ね?」 「まあ、どこでもいっしょだしいいけど」 流される僕。 何でかな、この子に言われると逆らう気がなくなる。 「じゃあ、行こう」 「うん」 言われるがまま、保健室を後にする。 「ここ」 川嶋さんが校舎三階の、一番隅にある部屋の扉を指差す。 『愛がなければジャーナリズムじゃないのさ』 と標語? が書かれたポスターが貼ってあった。 そのポスターには、眼鏡をかけた男子のイラストもそえられている。 少女漫画チックな耽美な文学青年風である。 無意味に、もう一人の男子と泣きながら半裸で抱き合っていた。 「……」 そのポスターの前で、つい立ち止ってしまう。 「ん? 何?」 「遠慮なく入ってよ」 「いや、その、これって……」 耽美なポスターを指差す。 「あ、その眼鏡の人、ここの部長」 えー。 この半裸眼鏡の人が。 「そのイラストあたしが描いたの! 結構イケてるっしょ?」 「君が描いたんかい」 ちょっとめまいが。 「どうしたの? さあ、入って入って」 躊躇してると、川嶋さんに背中を押された。 「わかったよ、押さないで」 腹をくくって、扉を開けた。 「ん? 誰だ、君は――」 「あ、半裸眼鏡の人」 目の前にいた男子を見て、思わず口から言葉が飛び出る。 「半裸ではない! そしてもちろん男色の趣味もない!」 眼鏡男子は、言ってもいないことまで訂正した。 きっと、ここを訪れる人皆に言われているのだろう。 「……川嶋くん、やはりあのポスターは剥がさないか?」 「あれを貼って以来、俺は一部の生徒に汚いモノを見るような目で見られているんだ……」 「部長、大丈夫です! 一部の女子には大好評ですから!」 「その一部は絶対、特殊すぎる御仁だろう?!」 「さらにはほんっっっの一部の男子には、超絶に受けてて――」 「やめろ! マジで怖いから、やめろ!」 「即時、没収だっ!」 部長さんは、高速で部室を出てポスターを剥がしてまた戻ってきた。 「ちえーっ、しょうがないなぁ、また新しいの描かないと」 「あ、そだ。次は部長と加納くんの絡みでいこうかな」 「やめて!」 僕は早くもノートにラフを描き出した川嶋さんを、慌てて止める。 「川嶋くん、俺ならまだいいが、部外の生徒に迷惑は――ん?」 部長さんは、言葉の途中で口をつぐみ、 「そうか、君が――」 「はい、新入部員さんです!」 「はあ?!」 急展開に素っ頓狂な声をつい上げてしまう。 「いやいやいやいや!」 「何を言ってるのですか、川嶋さん」 ぶんぶんと右手の手のひらと首を、真横に振る。 「僕は取材を受けに来ただけでしょ?」 「それはついでです」 「その後、我が部に勧誘する気満々でした! そっちが本命です!」 えー。 「それなら、そう先に言ってよ……」 「言ったら、入ってくれた?」 「入らないけど」 「でしょ? だから、まずはウチのテリトリーに誘い込みました!」 ええー?! 罠にハメられた。 「うむ、よくやったぞ、川島くん」 「いやいや、部員が無茶したら、止めてくださいよ」 「その常識のあるところも気に入った!」 「そういう貴方達は非常識なんですけど?!」 話が通じない。 一番困るパターンだ。 「でも、加納くんは、まだ部活ドコにも入ってないでしょ?」 「入ってはいないけど」 「ウチの学園、クラブ活動必須だから、このままだと先生に変なトコに無理矢理押し込められちゃうよ?」 「変なトコって?」 「寝技ばっかりやってる柔道部とか」 「それに、コートのないテニス部とか」 「あと、盗撮が見つかって廃部寸前の写真部とかな」 「うわあ……」 ロクなのがない。 「加納くんってさ、のんびりやるのが好きでしょ?」 「ウチはかなりゆるゆるだよ」 「放課後の時間つぶしには、ちょうど良くない?」 「……」 今の川嶋さんの言葉で、僕は理解した。 彼女は、いつも放課後つまらなそうにしてる僕を知っていたんだ。 それで、居場所を与えてくれようと。 「ウチ、今部員、あたしと豪徳寺部長しかいなくって、困ってたんだ」 「でも、ごめん、ちょっと強引だったかな?」 あくまでも、自分の都合だと言う川島さん。 そこには決して押し付けがましいモノはない。 僕のためにしてくれたことなのに。 負けた。完敗。 僕は心の中で、両手を上げた。 「川嶋さん、豪徳寺先輩」 「僕は正直、社交性も協調性もないダメなヤツだけど」 「少なくとも、やるべきことはちゃんとやるよ。それは約束する」 「え? それはつまり――」 「うん、お世話になることにする。よろしくお願いします」 二人に頭を下げた。 「おお、そうか! 歓迎するぞ、加納くんとやら!」 「やった! いえーっ!」 川嶋さんが、高く片手をあげて、僕の方に。 「いえーっ」 僕も手をあげて、彼女と手のひらを合わせる。 ハイタッチなんて初めてした。 「こんな半端な時期に新入部員がやってくるとは、幸運だな」 「よろしく頼むよ、加納くん」 豪徳寺先輩も柔和な笑みを浮かべて、手を差し出してくる。 「とんでもない。こちらこそよろしくお願いします」 手を取りもう一度、頭を下げる。 「あと、後輩なんで呼び捨てでいいです、加納で」 「ん? そうか?」 「だが、転校早々、クラスメイトを保健室送りにしたヤツを呼び捨てにするのはなぁ」 「すみません、それマジで勘弁してください」 知らぬ間に悪い評判が広がっていた。 「ははは! 安心しろ。俺はお前の事を悪く思ってなどいない」 「降りかかる火の粉は払わなければならん」 「男なんだから、そういうこともある。当然だ」 「ご理解していただけて助かります」 「だが、今度からは俺に相談しろ。俺で力になれることなら動いてやる」 「――え?」 「こう見えても、新聞部の部長だ。各方面に顔は利く」 「毎回ケンカしていたらお前も身がもたないだろう?」 「さすがにそこまでしていただくわけには」 「入部の礼だと思ってくれ。お互い様だ」 「ですが」 「ふ、気にするな、加納」 「俺はな、真のジャーナリストを目指して、この部で日々精進しているんだ……」 「そんな、俺が後輩一人守れないで――」 「どうしてジャーナリズムの正義を守れるというんだ……!?」 「うおっ!?」 先輩の眼鏡が、不自然にまばやく光った。 光源は?! 辺りを見回してしまう僕。 「おお~っ! 部長カッコいいであります!」 「ははは! 当然だよ、川嶋くん!」 「ご褒美に、超耽美なポスター描きますね~!」 「いや、それは気持ちだけで!」 「遠慮すんな!」 「素直に嫌なんですっ!」 「出来ました!」 「超早っ!」 「部長のネクタイを引っ張りながら、ドヤ顔で迫る加納くんです!」 と、川嶋さんもドヤ顔でノートを掲げる。 「こっちにまで火の粉が?!」 「加納、降りかかる火の粉を払え! ノートを奪え!」 「ういっす!」 立ち上がって、川嶋さんの方へ。 ノートに手を伸ばす。 「ひいーっ! やだーっ!」 「これから清書なんやーっ!」 「清書しなくていいから!」 「どうせならもっと普通に描けっ!」 「めっちゃ普通やん!」 「どこがだよ?!」 三人で笑いながら、部室でふざける。 「……」 ふいに泣き出したい衝動に駆られた。 もちろん、泣きはしない。 この空気を壊してなるものか。 だから、僕は心の中でそっと泣いた。 そんなこんなで、新田サンを伴い、帰宅する。 「ただいまー」 「あ、今、開ける~」 「にゃ~」 白羽瀬と子猫がパタパタと足音を鳴らし、僕達を出迎える。 「兄、お帰り――へ?」 「にゃ?」 一人と一匹の視線が、僕の隣に立つ新田サンに集まる。 「こんにちは」 「何で何でぇっ?!」 白羽瀬は両手でビシッと新田サンを指を指す。 「あら、そうね」 「もう暗いし、こんばんは、よね」 「違うし! そーじゃないし!」 「私のテリトリーに、どうして、あんたが来るのっ?!」 「きしゃーっ! ふかーっ!」 逆毛を立てて威嚇していた。 「猫かい」 アホな妹の姿を見て、嘆息する。 「お兄ちゃんはわからないのかっ?」 「私の野性のカンが、この冷血女は危険だと告げているのに?!」 「僕は文明人だから」 「野性を取り戻さないとダメだしっ! そうだ、最近までノラ猫だったマル美なら――」 「ごろごろ♪」 「いい子ね」 マル美は新田サンの足元に擦り寄り、すっかり懐いていた。 「野性失われた――っ?!」 白羽瀬は涙目でかぶりを振っていた。 「とにかく、寒いし上がらせてもらうわね」 新田サンはマル美を抱き上げると、スタスタと茶の間へ。 「のおーっ! 第一次防衛ラインを突破されたし!」 玄関先で、むきーっと両腕を振り上げる白羽瀬。 「お茶淹れてやるから、白羽瀬もコタツ入ってろよ」 ぽむっと頭の上に手のひらを乗せる。 「何、のんきなこと言ってんの、兄っっ!」 「私達の愛の巣に、あんな危険人物がっ!」 「何で、連れてきた――っ!」 背中をポカポカと叩かれるが、放置する。 あと愛の巣じゃないし。 「ねえ、寒いからそこ閉めてくれないかしら」 新田サンがコタツでマル美を抱いて、雑誌を読みながら言った。 超くつろいでいた。 「おみゃーの家じゃ、にゃーしっ!」 半端な名古屋弁でツッこんだ白羽瀬はドカドカとわざと足音をさせて、新田サンの横に行く。 「まあ、そんなに興奮しないで座りなさい」 「はい」 自分の隣にスペースを作る新田サン。 「……」 「……つーん、だし」 と言いつつも、隣に座る。 素直じゃないが、白羽瀬も新田サンが嫌いではない。 僕と新聞部の部員をのぞけば、唯一まともにコミュニケーションがとれる相手だ。 きっと本音では好きなのだろう。 「ふふ」 新田サンは優しい微笑みを浮かべて、白羽瀬を見つめる。 「……な、何だよぉっ」 白羽瀬は警戒していた。 「何でもないわ」 「あら、貴方髪キレイね」 髪を撫でるフリをして、白羽瀬の頭を撫でていた。 「なっ、何をしゅるんでしゅかっ!?」 動揺のあまり幼児化していた。 「いいじゃない、可愛がってるんだから」 「ほら、お姉ちゃんに甘えていいのよ」 新田サンは白羽瀬を背中から抱き寄せる。 「ひーっ! 加納くん! 新田、変だしっ!」 「ヘルプヘルプ!」 ジタバタしながら、僕の方に手を伸ばす。 「可愛がってもらいなよ」 せっかくの姉妹水入らずを邪魔する気はない。 「お茶淹れてくる。ちょっと待ってて」 僕は台所へ。 「ゆっくりでいいわよ」 「さあ、悠、こっちにいらっしゃい」 「可愛がってあげるから♪」 「のおーっ! 兄、私を見捨てた――っ!」 「ひーっ! 新田に犯されるーっ! 助けて、アンちゃーん!」 「攻略される――っ! フラグ立っちゃう――っ! 兄者――っ!」 居間の方でどたんばたんと音がする。 「随分騒がしいな、今日は」 でも、それはきっと白羽瀬にとってはいいことのはずだ。 いや、白羽瀬だけじゃない。 きっと、僕や新田サンにとっても。 僕はヤカンでお湯を沸かしながら、そんなことを思う。 それはともかく。 「白羽瀬、フラグ言うな」 「――え?」 「新田が、私の本当のお姉ちゃん?!」 「そういうことになるらしい」 「昨日、兄が出来たばっかりなのに?!」 「良かったな、もうお前は全然寂しくないぞ」 親指を立てて、ウインクしてやる。 「いやいやいや!」 「突然すぎだし!」 納得していないようだ。 やはり力技では押し切れないか。 「じろり」 妹は擬音を口にしつつ、新田サンに視線を。 「にらまないの」 姉は落ち着いたまま、その視線を受け止める。 「私、お兄ちゃんいたことは、おぼろげに覚えてたけど」 「お姉ちゃんいたなんて、全然記憶にないし」 「それに、一年前から会ってるのに、このタイミングで言うのも変じゃん?」 「何か腑に落ちない」 白羽瀬は隣に座る新田サンに半眼を向けたまま、唇を尖らせる。 戸惑っているのと同時に拗ねてもいるように見えた。 「貴方や加納くん――イズミの幼い頃の記憶が、あいまいになった理由には、ひとつ心当たりがあるわ」 新田サンはそう言うと、僕の淹れた紅茶を一口、口に含む。 僕の最古の記憶。 それは、僕が大怪我をして、その僕に悠がすがって泣いているところ。 そこから先はまるで記憶のフィルムが紛失してしまったかのように、施設に預けられたところまで飛んでいた。 もしかしたら、新田サンはその間に起きたことを知っているのか。 「新田サン、それは……」 「教えるし!」 僕と白羽瀬が同時に食いついた。 「単純な話よ」 「忘れたかったんでしょうね、当時の貴方達が」 「だから、忘れちゃったのよ」 えー。 「いや、新田サンさすがにそれは……」 「納得いかないし!」 「人は――まあ、貴方達は人魚だけど、ツラ過ぎる過去を意識的に忘れて捨てることがあるのよ」 「心を守るための防衛手段として、脳がそういう機能を持っているの。戦争とか殺人事件を体験した人にはたまにあるのよ」 「でも、僕も白羽瀬もあの頃、戦争も殺人も体験してないよ?」 「そうだよ! 当てはまらないし!」 「いいえ」 瞬時に、変化した。 「貴方達は、あの時体験したわ」 新田サンの声が。 硬質なガラスのように、冷たく。 「イズミ、今から十年くらい前、貴方は一度死にかけたわ」 「喉に大怪我をしたのよ」 「喉に大怪我……」 そこは僕の記憶と合致している。 「悠を庇って、貴方が代わりに怪我を負ったの」 「わ、私の代わりにお兄ちゃんが?」 「そうよ」 「あの頃の貴方達は、本当に仲のいい兄妹だったわ……」 「私と私のつがいの弟も、呆れるくらいにね」 「新田サンのつがいの弟……」 「それって、私達のお兄さんじゃん!」 「ええ、人魚は常につがいで生まれるんだから当然でしょ?」 そうか。 僕と白羽瀬には姉だけでなく、兄もいたのか。 あまりに多くのことが一度にわかって、僕はすっかりそのことを見落としていた。 「それで、話を戻すけど」 「イズミと悠を襲ったあの事件はあまりにも、幼い貴方達にはショッキングだった」 「だから、二人共、あの事件を契機に忘れてしまったのね」 新田サンは再びティーカップを口に運ぶ。 「……」 新田サンの話に白羽瀬は考え込んでしまう。 「いや、新田――姉さん、ちょっと待って」 「何? イズミ」 「まだ僕は納得できない」 「まだ色々隠してるでしょ?」 「……」 僕の言葉を聞いて、新田サンは目を細める。 「僕と白羽瀬がその事件を契機に、記憶を失ったとしても」 「その後、どうして離れ離れになってしまったの?」 「姉さんと兄さんも、その場にいたんだろう? 僕達は少なくともその事件まではいっしょに暮らしていたはずなんだ」 「それが、どうしてバラバラになったの?」 「全部知りたい、話してよ」 「……一応言っておくけど、愉快なお話じゃないわよ?」 「だろうね」 「一度、自分で記憶から抹消したような事件だ」 「ロクな話じゃないのは、想像がつくよ」 「ええ、その通りよ」 「だから、これ以上は話さないつもりだったんだけど……」 「話すし!」 白羽瀬は、力のこもった瞳を新田サンに向けた。 「私をかばって、お兄ちゃんが大怪我したのに」 「私、今まで忘れてたなんて……そんなのひどいじゃん!」 「妹失格じゃん! 私そんなの嫌!」 「白羽瀬……」 「そろそろ名字で呼ぶのはやめようよ」 「お兄ちゃん」 にっこりと微笑む。 「……ふぅ」 新田サンはティーカップを置いて、ひとつ息を吐く。 「十年近く離れていたのに、貴方は未だにお兄ちゃんっ子ね、悠」 「いいわ、話してあげる」 「貴方達も、あの頃よりは強くなったようだし」 「私は少し過保護なのかしらね……」 姉さんは小さく肩をすくめて、苦笑気味に笑った。 「気遣ってもらってたことには感謝するよ」 「早く話して、新田――お姉ちゃん!」 「……」 悠にお姉ちゃんと呼ばれて、姉さんは軽く驚いたような顔になる。 でも、すぐに微笑した。 「イズミ、悠」 「あの日、貴方達を傷つけ殺めようとしたのは――」 「貴方達の母親よ」 「ふぅ……」 口から煙を吐き出しながら、たらたらと一人で川べりの道を歩く。 夜風は身体を刺すように冷たい。 でも、ちょうどいい。 頭を冷やしたかった。 姉さんの話では、僕達の母親というのはひどく残虐な性格をしていたらしい。 人を人とも思わず、平気でなぶり殺すような人だったという。 何百年も生きている成魚は、だいたいそうなってしまうものだと姉さんは言っていた。 生命に対する感覚が鈍くなり、他者の痛みがわからなくなる。 そうして、僕達の母親は伝承上の残酷な神のような存在になってしまったのだ。 「……だからって、戯れに殺されそうになっちゃ、子供はかなわない」 迷惑な話だ。 殺すために産んだのか、と思えて仕方ない。 この話を聞いて、さすがの悠も落ち込んでしまった。 失敗した。 僕一人で、話は聞くべきだった。 「歩きタバコはやめなさい」 「あ……」 後ろからの声に、視線を水平に戻して振り返る。 姉さんが、いた。 「ごめん」 すぐに火を消す。 「……」 姉さんはじっと僕を見つめる。 「何?」 「……大丈夫?」 「何が?」 「あの女のこと、ショックだったでしょ?」 姉さんは、母親のことを説明する時、「あの人」とか「あの女」と呼称した。 それだけでも、姉さんの「あの女」に対する感情がわかる。 「ショックはショックだけど」 「元々、親にはそんなに期待はしてなかったし」 「捨てられたと思ってたんだものね」 「子供を捨てる親なんて、ロクなもんじゃないとは思ってはいた」 「施設を出た後の養父も、最悪だったしね」 「加納さんって、人ね」 「何をされたの?」 「殴る蹴るの直接的な暴力」 「罵倒する無視するの精神的なイジメ」 「食事を食べさせないとかの虐待」 「あとは――」 「もういいわ……やめて」 「それ以上聞くと、その人を殺したくなるから」 「僕もそうだったよ」 苦笑する。 「悠も施設を出た後、白羽瀬って家をすぐに飛び出して、その後は一人で生きてきたらしいわ」 「そう……」 「私達は親という存在には恵まれない運命のようね」 「親なんかいらないさ」 「そもそも、望んで生まれてきたわけじゃない」 「……そうね、反論はしないわ」 「悲しいことに反論する言葉を私も持っていないわ」 姉さんがうつむく。 「……」 「……」 僕達はしばらく黙り込む。 耐え難い沈黙が、のしかかってきた。 それは僕達の人生の重みだった。 「……結局、捨てられたんじゃなくて、逃げてきたんだよね、僕達」 沈黙を払拭したくて、とにかく話し出す。 「ええ、幼い子供四人で、必死に抵抗して、命からがら逃げたのよ」 「それから貴方と悠は、それぞれ別々の施設に引き取られ」 「私とユタカは、子供の居ない夫婦に拾われた」 「兄さん、ユタカっていうんだ」 「ええ、貴方に似ているわ」 「容姿も、どこかのんびりした性格もね」 姉さんはフッと口元を緩める。 「僕はのんびりはしてないと思うけど」 「ふふ、ユタカもよくそう言って苦笑いを浮かべていたわ」 「本当に、悲しくなるくらい似てるわ、貴方達……」 目をふせて、言葉を落とす。 僕とよく似ていたという兄は、あの事件の日、一番、母親と戦ったらしい。 兄がいなかったら、きっと僕は死んでいたのだろう。 ありがとう、兄さん。 それから、今まで忘れててごめん。 「ユタカは二年前、私の血肉になったわ」 「つがいの私に自ら命を捧げて」 「逃げちゃってもいいのよって、何度も言ったんだけど」 「最後まで、私を守り抜いて」 「……っ」 「……」 言葉が出ない。 本当は弟に生きて欲しかった姉。 だが、弟は姉に生きて欲しかった。 そして、結局、遺伝子に刻まれた運命に従い、捕食し、捕食された。 本当に、言葉がない。 僕はただ兄の冥福を今さらながら祈るだけだった。 「悠に貴方を捕食しないといけないって教えようと思ったけど、今日はやめとくわ」 「今はあの女の事で傷ついているから……また折を見て」 姉さんが風になびく髪を押さえながら言う。 疲れた顔をしていた。 「何なら、僕が話そうか?」 「どうして?」 姉さんが少し目を見開く。 「姉さん、辛そうだから」 「……」 「ふふ」 姉さんは一歩踏み出し、 「馬鹿ね」 僕に近寄ると、僕の背中に腕を回した。 「食べられちゃうのは貴方なのよ」 「私より、自分の事を心配しなさい」 ぎゅっと姉さんの腕に力が入る。 「たとえ、食べられちゃうとしても、心配なものは心配なんだ」 「僕が、姉さんの心配をしたっていいはずだよ」 抱かれたまま、言葉を吐く。 姉さんの長い髪の匂いが、鼻腔をくすぐった。 悠とも、直とも違う匂いだった。 どこか郷愁を誘うような、優しい匂い。 「……貴方、本当に、ユタカに似てるわね」 「物言いは穏やかなのに、頑固で」 「でも、救いようがないくらい優しくて……」 「救いようがないって……」 それは褒めてるのか微妙だ。 「イズミ、今から、私は大切なことを話すわ」 「よく聞きなさい」 「うん」 姉の温かな体温に包まれながら、小さく頷いた。 「貴方達は、これからとてもツライ目に合うわ」 「そんなにツライの?」 「私とユタカが二年前に通ってきた道よ。私は誰よりも、わかってるつもり」 「……そうか。そうだね」 「たとえ、運命は変えられなくても」 「少しでも、貴方や悠の苦しみを和らげてあげたい」 「ユタカが、私を守ってくれたように」 「今度は、私が貴方達を守る……」 「あの女にも、決して邪魔はさせないわ」 「イズミ、私は貴方を救うことはできないけど」 「せめて、最期の時まで、穏やかな気持ちでいて欲しいと願ってるわ」 「私はそのためなら、何でもするつもりよ」 「……」 「ありがとう」 僕は姉さんの言葉に、胸の奥が暖かくなるような感覚を覚えた。 家族にここまで、優しくされたことはなかった。 母親には殺されかけ、養父の加納さんには毎日辛く当たられた。 家族愛なんて、幻想だとずっと思っていた。 でも、姉さんは僕のことを守るとまで言ってくれた。 愛おしい。 目の前の、この人が愛おしくてたまらない。 「……あの、姉さん」 「何?」 「僕の方からも、抱き返してもいい?」 「……」 姉は一瞬、ぽかんとした顔をして、 「……いいわよ」 「いちいち聞かなくても、いいに決まってるでしょ」 「でも、昨日まではただのクラスメイトの女の子だったし」 「複雑なんだよ」 「あら礼儀正しいのね」 「でも、いいのよ、貴方なら」 「うん、じゃあ」 言いつつも戸惑いながら、そっと腕を彼女の背中で交差させた。 「……ねえ、もっと強くしてもいいのよ」 「これで充分だけど」 「私が充分じゃないのよ」 「馬鹿ね、察しなさい」 「ご、ごめん」 叱られて、ぎゅっと抱く。 「きゃっ」 姉さんが僕の腕の中で、声を上げた。 「痛かった? ごめん」 「違うわ、あ、腕、緩めないで」 「しばらく、このままでいて」 「うん……」 姉さんの身体は、思ったよりもずっと細い。 あと少し力を入れたら、折れてしまいそうなほどに。 この細い体で、彼女は今までどんな過酷な日々を過ごしてきたのか。 姉さん、あなたは僕を守ると言ってくれたけれど。 僕は、悠同様、あなたも守りたい。 今は亡き兄と、同じように―― 「あ、いたいた。いたよ!」 「本当だ、変わってない! 10年も経つのに」 「おーい! YUU!」 「あ……」 私は、聞き覚えのある声に、ギターを弾く手を止める。 「いやっほー! 久しぶり!」 「まだここで弾いてたんだね! もうとっくにメジャーデビューしたのかと思ってたよ」 「う~ん、誘いはあるけど……」 全部断わってる。 だって、人魚だってバレるとマズいし。 ちょっとだけ残念だけど。 「何言ってんの! 安易に商業主義に染まらないのが、いいんだって」 「そっか~。さっすが、アーティストだよね!」 勝手にいい感じに誤解してくれた。 「ねえねえ、あの曲聴かせてくれない?」 「だよね! ネットに流れてるの聴いて久しぶりに聞きたくなっちゃって」 「ネット?」 「うん、これ」 スマホで10年前ここでやったライブの動画を見せられる。 もう『歌ってやった』のサイトはない。 誰かが保存した動画がネットに放流されたんだろう。 でも。 「これ……」 「ギターの音が……」 2つある。 重なっている。 よく聴かないとわからないけれど。 1つは当日、軽音部の人が弾いた音。 もう1つは――。 「あ、気づいた? 何か素人っぽいギターも混じってるしょ」 「変だよね~。ツインギターじゃなかったのに……え? YUU、どうしたの?」 「うっ、うう……」 「ひっく、うっ、うう……」 気がついたら私は泣いていた。 ああ……。 お兄ちゃん。 お兄ちゃんは約束を守ってくれてたんだね。 10年も気がつかなくて、ごめんね。 私は歌う。 お兄ちゃんのギターの音色に耳を傾けて。 同じコードを同時にたどりながら。 聴こえていますか? 貴方の妹は、ちゃんと歌ってます。 生きてます。 貴方からもらった命と共に――。 春風が桜の花びらを運んでくる。 その中で、私は貴方を想いながら歌い続ける。 ずっとずっと歌う。 この風にのって、遠くまで届け。 天国にまで届け。 貴方に届け。 悠久の時を越えて、届け。 貴方のための―― 恋の歌。 「……ん」 カーテンの隙間から、差し込む陽光に覚醒させられた。 朝か。 また一日、春に近づいた。 そう思うと、胸の奥が微かに震えた。 恐怖か? 違うと思う。 悲しみ? 近いけどこれも、違う。 それなら、いったい。 「兄、おはよう」 「おはよう」 いつの間にか悠も目覚めていた。 「今、何時?」 「聞いて驚け、6時前だ」 「おお~っ」 「目覚ましなしで、この時間に起きた」 「奇跡を体験」 「まさに」 ここ数日、ギターの練習と最低限の家事以外は何もしてない。 食う寝る遊ぶ。自堕落な日々。 僕達は今、確実にダメ人間の世界ランカーだった。 「兄、兄」 悠は寝転びながら、僕を見上げる。 「ん?」 「今日、どうする?」 「どうしようかな」 このままだと、きっと昨日と同じ今日だろう。 そして、昨日は一昨日と同じ昨日だった。 起伏がない。 それって、どうなんだろう。 春までの貴重な時を、無駄にしてないのかな。 「刺激が欲しいかも」 「違う体位試したいってこと?」 「違うっ」 枕でエロ妹に折檻をする。 「あははは!」 叩かれながらも笑う妹。 「兄はエッチッチだからにゃ~」 ごろごろとベッドの端から端まで転がって、移動する。 「そんなことはないっ」 「でも、体位は試してもいい」 ウイットに富んだ朝のジョークを飛ばす。 「お、おう……」 でも、妹は若干引き気味だった。 カーテンを開けて、窓ガラス越しに冬空を見上げた。 澄んだ空が、高い。 引きこもり生活が長いと、空の高ささえ忘れてしまう。 「……」 外の世界の空気でも、吸いに行ってみるか。 「悠」 「何? お兄ちゃん」 「今日は学園に顔出してみないか?」 「だから、絶対おかしいって。犯人見てないわけないし!」 「あの人達、何か隠してるっての~」 「しっ、声大きいよ」 「今日、加納くんと白羽瀬さん来てるっ!」 「あっ、ヤバっ」 一週間ぶりの教室。 いったん収束していた事件の話題が何故か再燃していた。 「……」 「……」 僕と悠はその手は全部聞かないフリ。 総スルーだった。 「おはよう、二人共」 「やっと風邪治ったね! おはー♪」 教室の隅にいた僕と悠のところに、姉さんと直が。 「おはよ」 「おはろー」 悠と微笑して挨拶を返した。 「ちょうどいいわ」 「貴方達に話したいことがあるの、いいかしら?」 「僕はいいよ」 「私も」 「じゃあ、行きましょう」 「行ってら~」 直が僕達に手を振る。 「あら、川嶋さんもよ」 「ありゃ、あたしが聞いちゃってもいいの?」 「ええ」 「いえ、むしろ貴方に一番聞いて欲しいわ」 「――え?」 姉さんに連れられて、四人で屋上に。 「寒っ!」 「ひいーっ! 川嶋~っ!」 寒風に吹き飛ばされそうになった悠が直に抱きつく。 「ああ~。温い~! すりすり」 「あたしも温い~! すりすり」 女子二人が抱き合って暖をとっていた。 「やっぱ川嶋が一番温かい……」 「お肉も柔らかいし……」 「お肉って言うな!」 「離れろ、小娘!」 無下に振りほどく。 「いーやー! 私のウインドシールドがああっ?!」 風よけかい。 二人はきゃーきゃー言いながら、屋上を駆け回る。 雪にはしゃぐ子犬のようだった。 「二人共、今は静かにしなさい」 「話が終わったら、いくらでもじゃれてていいから」 姉さんが白い息を吐きながら歩み寄り、二人の首根っこを捕まえた。 そして、ずるずると二人をこっちまで引きずって来る。 委員長はこんな時まで大変だ。 「うわ~、捕まったでごさる~」 「のお~っ、食われる~」 「……あんた達ねぇ」 「姉さん、目赤いから」 早く人間に戻って。 「……まったく」 すぐにノーマルカラーに。 「やれやれだ……」 「じゃあ、寒いし、本題に入るわ」 「最近また起こってる失踪事件のことは知ってるわね?」 「へ?」 「また起きてる?」 僕と悠が顔を見合わせて、首を捻る。 「イズミも白羽瀬さんも知らないの?」 「最近、またこの近辺で、人が何人か行方不明になってるの」 「テレビでもニュースやってるし、ネットでも話題になってるよ」 「今ちょっと外部からの情報に疎くてさ」 ここのところ、僕も悠もテレビもネットも全然見なくなっていた。 ただ二人でいっしょにいて、二人で会話をした。 お互いの存在だけで、心をうめるように。 「前回の事もあるし、私も少し独自で動いてみたの」 「といっても、知ってる雑種達の動きを少し観察したくらいだけど」 「うわっ、まだ人魚っているんだ……」 直があわわとビビりだす。 「数人だけどね」 「特に交流を持ってるわけじゃないわ。監視対象って感じね」 「妙なことをしたら、いつでも無力化できるように」 「無力化……」 「兄、新田が怖い!」 「狩られるし!」 悠が僕の背中に隠れる。 「あのねえ……私はこれでも穏健派なのよ」 「向こうが害をなさない限り、基本不干渉」 「もし、何かしてきた場合は……?」 「もちろん狩るわ♪」 「ひいーっ!」 妹はさらにビビってしまった。 「どうして怖がるのよ?」 いや、怖いから姉さん。 「とにかく」 「連中は、目立ったことはしてなかったわ」 「だけど、一つだけ妙なことがわかったの」 「妙なこと?」 「ええ、一人消されてたの」 「消されたって、まさか……」 「そう、殺されていたのよ」 「ひいーっ!」 「兄、新田は鬼のよう」 「鬼姉」 妹は僕の背中にへばりつく。 「私がやったんじゃないわよっ」 「それに悠、あんたイズミに甘えすぎっ」 姉さんは僕の真横に立つと、妹の頬を引っ張った。 「いひゃい、あねひゃいっ!」 乙女にはあるまじき顔を晒しながら、悠は声をあげる。 「口は災いの元よ、覚えておきなさい」 「それと、兄妹だからって、あまりベタベタしない」 姉さんはようやく悠の頬を放す。 「うう、ひどいめにあった……」 「きっと私、顔ゆがんだ」 「兄、私の美少女ぶりに姉が嫉妬」 「お前、今、口は災いの元って言われたばかりなのに……」 学ばないヤツである。 「で、新田サン」 「その犯人に心当たりはあるの?」 「あるわ」 「私の予想では今起きてる失踪事件の犯人もこいつよ」 「相羽の時より、ずっと手馴れてる」 姉さんの声色に緊張の色が混じる。 「雑種とはいえ、人魚を殺すなんてこと、そう簡単にはできっこないわ」 「でも、犯人はそれをやってのけた。ほとんど証拠も残さずに」 「そんなことができるのは、純血種……」 そこまで聞いて、僕は息を飲んだ。 この町で存在を確認されている純血種は、僕と、 姉さんと、 悠。 あとは――。 「そう、イズミと川嶋さんが会った雌の純血種」 「特徴からして、同一人物でしょうね」 「御堂イズナ」 「私達の母親よ」 「はあ……」 「ふう……」 「あ、どったの二人してため息とか」 「元気ないね」 「まあ……」 放課後、直に誘われて部室に来た。 だが、僕も悠も明るく談笑という気分にもなれない。 「やっぱ新田サンの話が原因だよね」 「全然会ってなくても、お母さん犯人とかキツイよね……」 直の声まで沈みがちになる。 「うーん、キツイというか……」 「直の言う通り、もう会わなくなって随分経つから」 「母親は優しいはずだ、みたいな幻想は抱いてなかったけど」 「でも、やっぱ微妙」 「だな」 悠と顔を見合わせて、こっくりと頷く。 「でも、おかしいね、イズミも白羽瀬さんも新田サンも皆いい人なのに」 「そのお母さんだけが、怖いことしてるなんて」 「親子といっても個別の人格を持つ他人だよ」 「長くいっしょに暮らしてなければ、人格はさらに差異が出て当然じゃないかな」 「それにお母さんはもう何百年も生きてるらしいし」 「きっと私達とは、もう色々違っちゃってる……」 頬杖をつきながら、悠がぽつりとこぼす。 「うん、たぶん全然違うだろうな」 もうすでに何百年と生きていて。 これからもきっと何百年も生きる生命体。 悠久の時を生きる母。 息子である僕ですら、戯れに殺そうとした母。 僕は、貴方を理解できない。 するつもりもない。 「あ、カノー先輩と白羽瀬先輩! ちゃんと生きてましたね!」 「二人共、強制はせんが、できればもっと顔を出せ。心配するだろう」 「高階が」 「部長だって心配してたじゃないですか?!」 「一気に騒がしくなったな」 思考を一時中断。 愛すべき後輩と先輩のご登場だ。 「五人そろったの結構ぶりですよね~」 「うん、二年ぶり」 「さらっとボケるな、白羽瀬。ツッコむタイミングが難しいぞ」 「ですよね、白羽瀬のボケはいつもツメが甘い」 「なんだとおっ! そんなことないし」 「私のボケのタイミングは、フツーだし! 世界標準だし!」 「グローバルスタンダードっすか、白羽瀬さんマジパネェっす」 「何て頭の悪い会話なんだ――って、あれ?」 「どうした? 加納」 「タバコとライターなくて」 「それ、私が兄――もとい加納くんからぼっしゅーとしたじゃん」 「あ、そうか」 「へ? イズミ、今禁煙中?」 「そうなるかな」 「ち、何だよ~、前、あたしがやめたらって言ってもシカトだったのに~」 「直さんの言うことはきけなくても、白羽瀬さんの言うことはきくのかよ~?」 「どうなんだよ、ああん?」 「やさぐれるなよ」 「そういえば、私が言った時もやめなかったですよね?」 「そのへんどうなんですか? あはん」 「何故、そこで悶える」 「間違えちゃいました! てへり」 「こいつ、絶対計算だ!」 「だよね~。萌えキャラ演じるのあざとすぎっ!」 「あざといのイクない!」 「そうだ、イクない!」 「もっと自然な萌えを!」 「ナチュラルな萌えを!」 「ぶー! ぶー!」 「ぶー! ぶー!」 「シュプレヒコールの嵐だな」 「政権交代か」 「何かよくわかんないけど、めっちゃ逆風っす!」 「あははは!」 弛緩した空気が、僕達を包む。 何の意味もなくて、無益で。 生産性も、何もない。 でも、僕はこんな時間がたまらなく好きだ。 もし、ずっと母さんのそばにいたら、こんな時間を得ることもなかったろう。 どんなに長く生きられても、きっと得られなかったろう。 「……」 部室の部屋の隅にかけられたカレンダーが目に入る。 今は2月。 春まで、そう遠くはない。 「ねえ、兄」 「おいおい」 僕も悠も手にはコンビニの白い手提げ袋。 ジャンケンで負けたおかげで、買出しの帰り道だ。 「学園では兄って呼ぶの禁止」 「今、人いないじゃん」 「広々空間」 手提げ袋を持ったまま、その場でくるりんと一回転する。 「まあ、そうだけど」 「悠はよくポロッと言っちゃうからなあ」 今までよく誰にも追及されなかった。 「あ」 「え? 何?」 「今、兄だって、白羽瀬じゃなくて、悠って呼んだ」 「悠はギリギリセーフじゃない?」 「えー」 「兄、ズルイ」 頬を膨らませて、胸にこつんと頭突き攻撃をしてくる妹。 「それに兄もいいけど、たまには加納くんって呼ばれるのも悪くない」 「クラスメイトっぽいし」 「兄はクラスメイトプレイがお好みなん?」 「違うし。プレイじゃないし」 本当にクラスメイトでもあるだろ。 「じゃあ、プレイしに行こう」 「私について来い。兄――じゃなかった加納ボーイ」 てこてこと歩いていく白羽瀬ガール。 よくわからないがついて行く。 ついて行くと、屋上に到着した。 「あ、加納くんも荷物置いて置いて」 悠はコンビニ袋を入り口付近に置いて、ネットの方にてこてこと歩いていく。 とりあえず、僕も荷物を置く。 「いったい、何が始まるんだ?」 悠のところへ僕も小走りで。 「じゃあ、設定を話すから」 「はい?」 妹様が何か妙なことを言い出したぞ。 「私が学園のアイドル的存在なのに、それをちっとも鼻にかけない優等生でお金持ちの美少女で」 「加納くんは、そんな私に恋焦がれる何のとりえもない容姿も成績も平均的な、超平凡なクラスメイトね」 にっこり笑って、悠は妄言を吐いていた。 「えーと……?」 「悠さん、日本語でOKだよ?」 優しく言ってやる。 「日本語だし!」 キバを剥いて、キレた。 「平凡な何のとりえもない主人公が憧れの美少女に告白して、何故か、意味まっっったくわかんないけど、脈絡もなくOKされたりするじゃん!?」 「そんな甘じょっぱい青春ラブストーリーを、加納ボーイにプレゼントしてあげるって、妹の心遣いだよっ!」 「兄っ、空気読め! エアリード!」 クラスメイトの白羽瀬さんは、ありがちなラブコメ展開を厳しく糾弾した。 怖れを知らないヤツめ。 若さゆえの過ちか。 「甘じょっぱいじゃなくて、甘酸っぱいだよね?」 とりあえず細かい部分の訂正から。 「そんなんどうでもいいし!」 「エアリード! 兄、エアリード!」 両手を動かして、空中にある架空の台本のような物を読むジェスチャアーをする。 あれがエアリードの動きらしい。 「白羽瀬の作り出す空気を読むのは、僕にはハードルが高すぎる……」 「では、ご理解いただけたところで!」 「え? 僕全然理解してないよ? ていうかハードル高いって言ったよね?」 %44「ご理解していただけたところで!」%0 強引に進めるらしい。 妹は暴君だった。 「――あ、やっと来てくれた。もう、加納くん、5分遅刻だよ!」 「自分から呼び出しておいて、女の子を待たせるなんて……もう、いけないんだぞっ!」 「それで、用事って何? ふふっ♪」 目の前の妹が、妙な小芝居を始めた。 兄、困惑。 「えーと……?」 「お薬いる?」 穏やかな微笑を浮かべつつ言う。 「病気ちゃうし!」 「クラスメイトラブプレイ中なのっ!」 「兄、エアリード!」 また例の動きを。 何か洗脳されそうで嫌だなぁ。 「それで、用事って何? ふふっ♪」 「続けるのかい」 しょうがない。 「えっと、僕、前から君のことが――」 「君のことが――」 「……」 ここまで言って押し黙る。 思っていた以上に精神力を削られる。 「ん~? 前から、私が~?」 「何なのかな~? 悠、胸がドキドキっ!」 でも、目の前の妹はノリノリであった。 「す、す、す――」 どもりまくり。 「しゅき、でした!」 思いっきり噛んだ。 「……」 「…………ぷっ」 悠は口元を抑えながら、身体をくの字に曲げる。 肩が震えていた。 「……ぷっ、くっ、くく……」 それでも悠は、こみ上げる笑いに耐えながら、何とか上体を起こし、 「か、加納くん、わ、わ、私も……」 涙目で、半笑いであった。 「わ、私も、しゅきっ! きゃははははは!」 「しゅっきって、何、しゅっきって……!」 「きゃはははははははは!」 悠、大うけ。 「悠も言ってるじゃないかっ」 「もう帰る」 頬を熱くなるのを感じつつ、反転する。 「え~っ? 待ってよ~、加納く~ん♪」 「私も、加納くんのこと、しゅきだから待って~♪」 背中から抱かれる。 「しゅき言うな」 「しゅきしゅきしゅき~♪」 「加納くん、大しゅき~~っ!」 「ちゅっちゅっ」 僕の身体をまさぐりながら、首筋にキスの雨を降らせる。 「ちょっ、くすぐったい」 「加納くん、加納くん……はあはあはあ……」 息を荒げながら、手がだんだん下半身の方へ。 「変態かっ」 平凡な主人公が憧れのクラスメイト美少女に、性的イタズラをされているの図。 最初の狙いからあきらかにズレていた。 「加納くん、ほらもう形だけの抵抗はよして」 「形だけじゃないんだけど」 「観念して、もう何もかも、私に委ねるのだっ」 「僕が告白したはずなのに、どうしてお前のが積極的なんだよっ?!」 「両思いになったんだよ!」 「展開が早すぎるだろ」 「しのごの言わずに、素直になって」 「加納くん、エアリード!」 「こんな空気読めるかっ」 「えい、スキあり!」 「うわっ!?」 悠に足を払われテバランスを崩す。 「あっ? わあっ!」 そして、僕をしっかと抱きしめていた悠もいっしょに倒れる。 「あ痛たた……」 僕は地面に手をつく瞬間、悠が怪我をしないように、庇った。 結果的に、下敷きになって背中をしたたか打つ。 「んっ、ちゅっ……」 「は?」 何故か下半身に生温かい感触が。 「ちゅっ、んっ、くちゅ……」 見ると、悠は勝手に僕のモノを取り出してしゃぶっていた。 お尻を僕に突き出して。 「悠、ちょっと」 困惑してお尻をペチペチと軽く叩く。 「あん♪」 「兄、いつのまにそんな高度なテクを!」 「違うプレイじゃないから」 妹の残念な思考に、兄はがっかりした。 「こんなとこで、君は何をしてるんですか」 「何って……」 「シックスナイン?」 「はっきり言うな」 本当に残念だ。 「どうして、僕達はこんなとこでそんなことをしてるのかと聞きたいんだけど」 「愛の営み」 「マジで展開速いよね」 「いいから、加納くんも私にエッチなサービスして」 「加納くん、我慢しなくていいし! ほらほら~」 腰をふりふりする妹さん。 スカートの中の、パンツに包まれたお尻が可愛らしく揺れた。 ……制服の悠とエッチをするのもいいかも。 「あっ、んっ! んんっ!」 「あん、お兄ちゃ……加納くん、エッチ……」 あくまで加納くんとのプレイのつもりなのか。 わかったよ。 「白羽瀬の、ここキレイだな」 そう言って、パンツをズラして性器をむき出しにした。 「ああんっ! やっ!」 「加納くん見ちゃいやあ……」 自分で僕の顔をまたがったのに、嫌と言われても。 そう思いつつ、僕は白羽瀬の花弁に口づけをした。 「ひゃうっ! んんっ!」 「あっ、やっ、あっ、んっ、んんっ!」 「あっ、はぁ、はぁ、ダメえっ……加納くぅん……」 クラスメイトの白羽瀬が、僕の愛撫で甘い声をあげる。 僕もだんだん興奮してきた。 「ダメって言っても」 「もうこんなになってるじゃないか、白羽瀬」 両手でくぱっと小陰唇を押し広げる。 白羽瀬の蜜が、糸を引いて垂れた。 僕は白羽瀬の薄い茂みを撫でながら、もう一度性器に唇を当てた。 「あっ、ああっ!」 「んっ、んっ、あっ、はぁっ!」 「あっ、んっ、やっ、はぁっ、んっ、んんっ!」 白羽瀬がぴくんぴくん、とお尻を震わせる。 その動きが直接、僕にも伝わってきた。 「感じてるね、白羽瀬」 「可愛いよ」 言って、押し広げた性器の中に舌を差し込む。 「あっ、やっ、んっ、ああっ!」 「んっ、あっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 「はぁ、んっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 小さな手でぎゅっとペニスを握る感触がした。 僕に愛撫されながら、白羽瀬もフェラチオを再開した。 以前よりも、大胆に亀頭を口に含んでいる。 舌先が、忙しなく裏スジの部分を蠢いた。 「んっ、ちゅっ、んっ、んんっ……」 「あっ、んっ、ちゅっ、んんっ、ちゅっ……」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ、んんっ……」 「あ、くっ……」 白羽瀬の舌使いに酔いしれる。 すぐにでも発射してしまいそうだ。 妹にあんまりにも速くイカされてしまうのは、避けたい。 僕は責める方に集中することにする。 「あっ、んっ、やっ、はぁ、はぁ、あっ、か、加納くん……」 「はぁっ、んっ、やっ、き、急に強く、あっ、ああっ……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ、あっ、やんっ、あっ、ああんっ……!」 「あっ、しゅ、集中して、加納くんの……できないよっ……」 「ああっ!」 白羽瀬はよがりながらも、僕のペニスを放さない。 一生懸命なとこがいじらしい。 ついイジワルしたくなって、また責める。 クリトリスを濡れた指で触れた。 「あっ、はぁんっ、ああっ!」 「あっ、あっ、ああっ、あんっ!」 「あっ、んっ、くっ、はぁっ、ああっ、はぁっ!」 「加納、くんっ、あっ、やっ、そこは、あんっ!」 「ああん、そんなに剥いちゃ……あっ、はぁっ、んんっ!」 「やっ、あっ、あっ、ああ……」 白羽瀬は僕の責めに、脱力した。 僕にすっかり身体を預けている。 「イキたいなら、イッてもいいよ、白羽瀬」 「い、いやっ、それはダメだし……」 「イクなら、加納くんもいっしょだし……!」 「んっ、ちゅっ、んっ、んんっ……!」 「ちゅっ、んっ、んんっ、あっ、んっ、はぁ、ちゅっ」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ、ぺろっん、はぁ、はぁ……」 「か、加納くん、加納くん……っ!」 白羽瀬は執拗にカリや裏スジを責めてくる。 舌だけでなく、唇で優しく揉むようにアマガミをしたり。 「あ」 気持ち良すぎて、股間が勝手に震えた。 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「加納くん、今ちょっとぴくって……」 「気持ちよかった?」 「あ、ああ」 「白羽瀬のテクはすごいな」 目の前のお尻を撫でながら言った。 「ひゃっ!? 急にお尻撫で回して!?」 「兄、痴漢」 「何でだよ」 「それに今は加納くんでしょ」 「ううっ、陵辱される私だし……」 してないしてない。 「じゃあ、優しくしてあげる」 軽くクリトリスにキスを。 「あっ、あああっ!」 「あっ、んっ、んんんっ!」 「んっ、はぁん! やっ、あっ、ダ、ダメっ、イカされちゃうし……」 「か、加納くんも、イって……んっ……」 「ちゅっ、んっ、はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「んっ、んんんっ……」 「はぁ、はぁ、んっ、んんっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅ、加納くん、加納くぅんっ……」 「ちゅっ、んっ、んっ、んん……!」 白羽瀬は手でサオの部分をしごきながら、深くペニスをくわえ込んだ。 セックスとはまた違う強い快感が、僕の中でせりあがってくる。 「白羽瀬、白羽瀬……!」 僕はぐっと力を入れて、花弁を押し開き舌を差し入れた。 「ああっ!」 白羽瀬の腰が激しく上下した。 でも、僕はがっちりとお尻を掴んで放さない。 そのまま白羽瀬の奥を何度も、何度も責めた。 「あっ、はっ。ひゃうっ!」 「あんっ、んんっ!」 「あっ、んっ、ちゅっ、んんっ! んっ、ちゅっ……」 白羽瀬は身体を震わせながらも、僕のペニスを咥え愛撫する。 「んっ、ちっゅ、んっ、んんっ、ちゅっ、んんっ!」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ、か、加納くんっ、加納くんっっ……!」 「あっ、やっ、ん、はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ、加納くん……!」 何度も甘い声で僕の名前を呼ぶ。 「な、何だ? 白羽瀬」 射精感を無理に抑えながら、返事を返した。 「わ、私……!」 「私、もうすぐ……!」 「お兄ちゃ……加納くん、も、い、いっしょに……んっ!」 「私といっしょにイってぇっ……!」 「わかった、白羽瀬」 「僕も、もうすぐだから」 「う、うんっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ、んんっ……!」 「んっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、ちゅっ、へろっ、ん、ちゅっ、んっ、んんっ!」 白羽瀬が亀頭を頬張り、首を上下させる。 強い射精感が、睾丸から沸き立つ。 もうすぐ限界だ。 白羽瀬にも、イッてもらわないと。 僕は愛液と唾液でベタベタのクリトリスを強めに舌で舐めて、唇で挟んだ。 「んんっ!?」 白羽瀬は身体をよじらせ、カリをぎゅっとにぎった。 「くっ……!」 僕は背筋に電流が流れたような、感触を受ける。 精液が尿道を通り、亀頭の先端へと送られた。 「んっ! んんんんっ!」 「んんんんんん~~~~~~~~っ!!!」 僕の精液が、白羽瀬の口内を汚す。 そして、膣からは大量の愛液があふれ出した。 ひくひくとイヤらしく膣口が痙攣したように動いていた。 可愛くて、ちゅっとキスをした。 「あっ、やん」 「イ、イッた後に、触るのダメ……!」 「超くすぐったいから……」 「ごめん、わかっててやった」 「……イジワル」 口をへの字に曲げて、にらんでくる。 「ごめん」 「お詫びに、もっと舐めて――」 「にゃぎゃーっ!」 猫が威嚇するような声で、叱られた。 「もう、加納ボーイは元気だね」 「だったら、もっと、してあげる」 妹――白羽瀬は、立ち上がって制服の上着をはだける。 「おい、寒くない?」 「寒いし」 「でも、すぐ暖まるし」 白羽瀬再び、僕のそばに身を寄せた。 「ほら、どう?」 白羽瀬は胸に僕のペニスを擦り付けて、マッサージを始めた。 まだ未発達の双丘に、くにくにと。 「うわっ……」 「何だか、犯罪的だ……」 「え? 何で?」 「白羽瀬はただでさえ幼く見えるというのに」 「特に幼いところを使ってるのが、何とも」 「特に幼い言うなっ!」 憤慨する。 「大きければいいというものじゃないし」 「ちゃっちゃいほうが、好きな人もいるし」 わずかな膨らみで、僕の性器を刺激する白羽瀬。 「んっ、んん……!」 一生懸命なところが、可愛らしい。 そして、いじらしい。 「悠――白羽瀬」 「え? あ」 僕は愛撫をしている白羽瀬の顔を上げさせて、唇を重ねた。 「んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、んんっ……」 「んっ、加納くん、加納くんっ……」 白羽瀬の頬が見る間に朱に染まる。 もう何度もキスしているのに。 いつも赤くなる。 「お前は本当に可愛いな」 髪を撫でながら、頬にもキスをした。 「あ、あう……」 「あんまり、そう言うことを言わないで」 「どうして?」 「私、力抜けちゃうし」 「そうするとご奉仕できない」 「加納くん、今は私の豊満なおっぱいに集中して」 夢見がちなことを言う白羽瀬。 「豊満なじゃないからできない」 「……将来、豊満になる私のおっぱいに集中して」 少しだけ現実を見据えたようだ。 「わかったよ」 言って寄せてあげた胸に触れた。 「あっ、んっ、こ、こらだし……」 「んっ、ダメっ。わ、私がするの……」 「私が、加納くんの……」 「んんっ、んっ!」 乳首がペニスに触れて、白羽瀬は身体をぶるっと震わせた。 「あっ、んっ、んん……」 「んっ、んっ、んんっ、んん……!」 「はぁ、はぁ、んっ、ど、どう? 加納くん……」 「き、気持ちいい? 私のおっぱい……」 上目遣いで尋ねてくる。 そんなに強い刺激があるわけじゃない。 でも、ペニスに感じる白羽瀬の体温がたまらなく心地いい。 「うん、いいよ」 「なんだか、ほっこりする」 「ほ、ほっこり……?」 白羽瀬が眉根を寄せる。 「エッチいことをしてるのに、それは違う気がするし」 「そうじゃなくて、もっとエッチな気分になってほしい」 「ほら、おっぱいでくにゅくにゅしてあげるし……」 白羽瀬が乳房を強めに押し付けてくる。 小ぶりだが弾力がある壁が、ペニスをぎゅっと包んだ。 「んっ、あっ、んんっ……」 「加納くんっ、加納くぅんっ……」 「あんっ、おっ、おっぱい、また擦れて……」 「あっ、んっ、ああっ……!」 「はぁ、はぁ、んっ、あっ、んっ、あっ、ああ……!」 「んっ、あっ、はぁっ、ん、はぁっ、はぁっ、んんっ……!」 「か、加納くん、いい……?」 「うん、だんだん感じてきた」 「白羽瀬のおっぱい、気持ちいいな」 頭を撫でる。 「えへへ」 嬉しそうに、目を細めた。 こんなにエロいことをしているのに、こんなに無邪気に笑う白羽瀬。 せつない気持ちになる。 強く保護欲を刺激された。 「んっ、はぁっ、はぁっ、んっ、はぁっ……」 「加納くんっ、加納くうんっ……」 「私も、何だかっ」 「感じてきた……」 「おっぱい擦れて、エッチな気分になった?」 「う、うん……!」 「白羽瀬はエッチな子だな」 言って強引に、またキスをする。 「あっ、んっ、ちゅっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、やんっ、加納くん、んっ、ちゅっ……」 「わ、私、エッチじゃな……んっ、ちゅっ……」 「でもこんなに先っぽ尖らせて」 乳首にちょん、と指先で触れた。 「ああっ!」 「ダメぇっ、加納くん、ダメぇっ……」 「わ、私が加納くんを、気持ち良くするのぉ……」 「んっ、んっ、はぁ、はぁ、んっ……」 「あっ、んっ、んっ、んんっ……」 白羽瀬は再び僕のペニスを強く、胸で刺激しだす。 時折、舌でカリや尿道の辺りを嘗め回す。 僕の感じそうなところを、的確に責めてきた。 何度か身体を重ねた者だから、できることだ。 「し、白羽瀬……」 またペニスの根元辺りがムズムズしてきた。 射精の前兆。 「はぁ、はぁ……ん? どうしたの?」 「出そう?」 「う、うん」 白羽瀬の髪を撫でながら、頷いた。 「ふふ、ほら、私のおっぱいでもいいでしょ?」 「そうだね」 「小は大を兼ねる、だし」 「そうかなぁ」 それについては賛同しかねた。 「はぁっ、はぁっ、ほらっ、加納くん、イっていいし」 「我慢しなくても、いいよ!」 白羽瀬が裏スジの部分を、強く擦り上げる。 「はぁ、はぁ、イって! イって!」 「加納くんっ、加納くんっっ!」 「はぁ、はぁ、んっ、んんんんっ!」 「ああっ……!」 僕は精液を、白羽瀬の胸や顔にぶちまけた。 本日、二度目の射精。 睾丸がひくひくと、痙攣していた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「加納くん、すごい……」 「二度目なのに、こんなに……」 白羽瀬は自分の身体についた精液を見て、息を吐いた。 「思春期男子の性欲はスゴイんだよ」 「みたいだね」 「ケダモノだね」 つんつんと大人しくなったペニスの先端を白羽瀬はつつく。 「わっ……」 「え? 何?」 「もう固くなってるし!」 「ええ?!」 言われて見ると、確かに僕の下半身は節操なしに再び、かまくびをもたげて立っていた。 勃っていた。 「……どうする?」 「どうしよう?」 「……もう一回する?」 「出来れば、次は白羽瀬とつながりたい」 「……」 一瞬、白羽瀬は押し黙り、 「……いいよ」 と頬を染めて言ってくれた。 「あっ、あんっ……!」 白羽瀬にネットを掴んで、お尻を突き出してもらった。 僕は後ろから、小さな花弁にペニスの先を押し当てた。 「あっ、んっ……」 「あ、当たってるし……」 「はぁ、んっ、あっ……」 白羽瀬はすでに充分濡れていた。 薄い茂みからは透明な液が、したたり太ももをつたって落ちるほどだ。 膣口にぐりぐりと亀頭を当ててマッサージしてみた。 「あっ、んっ、やっ、あっ……」 「いやん、兄……加納くん、んっ……」 「焦らしちゃ……いや、だし……」 腰を振って自らねだってきた。 「わかった」 「挿入れるよ」 僕はペニスを握って、ぐっと白羽瀬のヴァギナに。 心地よい抵抗を、亀頭に感じた。 「あっ、ああっ!」 「はぁっ、んっ、あっ、ああっ!」 「んっ、あっ、はぁ、はぁ、あっ、いっ、いい……!」 「あん、やっ、か、加納くん、のが……どんどん入って……」 「わ、私の壁を、押し広げて、お、奥まで……」 「あっ、熱い……加納くんの、熱いよぉ……!」 白羽瀬はふるふると小刻みに身体を震わせる。 ペニスを通して、その振動がわかった。 僕はいったん、侵入を止めてかき混ぜるように腰を動かしてみた。 「あっ、ああっ!」 「はぁっ、んっ、あっ、ああっ!」 「か、加納くん、それ、ダメっ、あっ!」 「感じすぎ……んんっ!」 「はぁ、はぁ……」 「悠――いや、白羽瀬」 「白羽瀬の中は、あいかわらず狭いな」 「それにヒダが絡んできて、僕のにまとわりつく感じだ」 「もう放さないって……」 腰をまた、ぐっと前に。 「ひゃっ! あっ!」 「あっ、んっ、ああっ!」 「やっ、やっ、お兄ちゃ……加納くぅんっ……」 「そんなこと言わないで……」 「エッチな話されると、私……」 「されると何?」 白羽瀬の腰を持ち、亀頭で膣壁を擦りながら聞いた。 「あああっ!」 「やっ、んっ、はぁ、はぁ、今の、今のナシ……」 「中で、ぐりぐりしないで……ああんっ!」 「感じてる白羽瀬は本当に可愛いな」 「もっと可愛いところが見たい」 カリでヒダを強く刺激するように、腰を前後に動かした。 「あんっ、あっ、ああっ……!」 「はぁっ、んっ、あっ、ああっ……」 「あっ、はぁっ、んっ、やああっ……!」 「お兄ちゃん、あんっ、それ、やっ、あんっ、んんっ!」 「加納くんじゃないの?」 「あっ、も、もう、そんなのこだわって……」 「いられなっ、あっ、んんんっ!」 クラスメイトの白羽瀬さんは、妹の悠に戻ったようだ。 「我慢しなくていいから、イってもいいよ?」 「こういうのも好きだろう?」 僕は腰を前後させながら、妹の胸を揉んだ。 こりこりの乳首をつまんでやる。 「ああああっ!」 「い、今、おっぱい、ダメぇっ……!」 「り、両方同時は、ダメだよぉ……」 「あんっ、あんっ、んっ」 「お兄ちゃん、あっ、ん……」 「はぁ、はぁ、お兄ちゃんのエッチ……!」 じゅぷじゅぷと妹の花弁が、卑猥な水音を鳴らす。 僕は妹の胸をゆっくりと揉みながら、ペニスをさらに置くへと押し進めた。 ヒダの生温かい愛撫が、たまらない快感を生んだ。 腰が熱くなってくる。 「悠、悠……」 「今、僕達、すごく繋がってる……」 ぎゅっと両方の乳房をつかんで、腰を振りながら言った。 「う、うん……!」 「わ、私とお兄ちゃん、今、す、すっごい繋がってる……」 「繋がってるよぉ……!」 妹が背筋をぴんと反らした。 ぐっと膣がしまる。 「あっ、あ……」 思わず射精しそうになった。 必死に耐えた。 まだ達したくはない。 妹と繋がっているこの感覚を味わっていたい。 「はあ、はあ……」 ペニスを悠の膣の中でいったん止めた。 動きを止めると、僕のペニスが脈をうっているのがわかった。 いや、悠の膣が震えているのだろうか。 「んっ、あっ、んんっ……」 「お、お兄ちゃんの、どくんどくんって……」 「はあっ、はあっ、も、もう出ちゃうの……?」 甘えた声を出しながら、僕を振り返る。 「出そうだけど、まだ出さないよ」 「まだ悠と繋がっていたいから」 「う、うん」 「わ、私も同じ……」 「お兄ちゃんと繋がっていたい……」 妹は涙の浮かんだ目を細めた。 その笑顔が、愛おしくてたまらない。 ああ、君ともっとセックスしたい。 身も心も溶かすような。 僕は再び、ペニスを動かし始めた。 「はぁっ! あああっ!」 「あんっ、んっ、あああっ!」 「あんっ、んっ、あっ、お、お兄ちゃん……!」 「激しい……あっ、んんっ!」 「んっ、あっ、くっ、ああんっ!」 「はぁんっ、あっ、やっ、すごいっ、んっ、ああっ!」 「お兄ちゃん、すごく、いいっ……!」 「お兄ちゃんとの、セックス気持ちいいよぉっ……!」 「僕もいいよ、悠」 「君の全部が、可愛くて愛おしい」 妹の愛液が大量にあふれ、垂れて地面に落ちる。 エロい光景だ。 もっと見たくて、両手でお尻を広げるようにした。 「ああんっ! やんっ!」 「お尻をそんな風にしないでぇっ……!」 小さな菊座が、顔をのぞかせる。 僕は指先で、その可愛らしい穴に触れた。 「ひゃあっ!」 途端に妹が激しい反応を見せた。 「あんっ、ダメだよぉ、お兄ちゃん……」 「そんなとこ、エッチとは関係ないよぉ……」 嫌々とかぶりを振る妹。 その様子が殺人的に可愛い。 「そんなことないよ、悠」 「ここで、する人達もいるらしいし」 くにゅっと人差し指を浅く沈めてみた。 愛液のせいで、簡単に入っていく。 「ああん! そんなのダメダメぇっ……!」 「そこには、入れちゃダメエっ……!」 「人のすることじゃないしぃっ……!」 「僕達は人魚じゃん」 妹のアナルを触りながら、腰を振り続ける。 「いやあんっ! それでもダメえっ……!」 「お兄ちゃんの変態……!」 お尻をはげしく振って抵抗してきた。 やりすぎたか。 「わかった。ごめんよ悠」 「もうここは触らないよ」 そう言って、最後にちょんとアナルをつついた。 「うう、そう言って触ってるし……」 「私も、今度、兄の触るし! ああんっ!」 よがりながら怒っていた。 「わかったわかった」 「ごめん、もう怒らないで、悠」 「ここからは、ちゃんと真面目にするから」 僕は再び妹の腰を抱えると、ピストン運動の速度を速めた。 「あっ、あっ、あっ!」 「あんっ、んっ、あああっ!」 「はぁんっ、んっ、あっ、ああっ!」 妹が身体全体を震わせた。 妹のヒダが強い刺激が、僕のペニスに送り込む。 腰が抜けそうな快感。 生温かい、妹の中に身体全体が包まれているような錯覚をしてしまう。 「悠、悠……!」 僕は妹の身体を執拗に求めた。 腰を振りながら、両手で胸を強く揉みしだいた。 「あっ、あああ――っ!」 「はぁんっ、あっ、ああっ!」 「あっ、ああああっ!」 妹が色っぽい声をあげる。 校舎に聞こえてしまうのではないかという大きな声だった。 でも、そんなことはかまっていられない。 僕は今、妹とセックスをしているのだ。 最愛の妹と。 他の事なんて、どうでもいい。 「あんっ、はぁ、はあっ、あっ、ああっ!」 「お兄ちゃん、はぁ、はぁ、あっ、お兄ちゃんっ!」 「そ、そう、も、もっと、わ、私を求めて……!」 「もっと、私にエッチなことしてっ!」 「私を、あっ、汚してっ!」 「私を犯してええぇぇっ!」 ぎゅっと妹の膣が僕のペニスを強くしぼる。 強く抱かれるように。 ああ、僕は妹に抱かれている。 強く求められている。 わきあがってくる射精感と幸福感がシンクロした。 「ゆ、悠っっ!」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんっっ!」 「好き好き好き好きいいいっっ!」 「愛してる……!」 「ああっ……!」 「ああああああああああああああああああっ!!!」 僕達は同時に、絶頂へと導かれた。 「はあ、はあ、はあ……」 「はぁ、はぁ、はぁ……」 僕達はしばらく繋がったまま、息を弾ませていた。 白い息が風に流されていく。 まだペニスが小さく脈を打っていた。 悠の膣もぴくぴくと小刻みに震えていた。 「悠……」 「お兄ちゃん……」 性器で繋がったまま、僕達はどちらともなくキスを交わした。 「ん、ちゅっ……」 「んっ、んんっ、ちゅっ……」 「はぁ、はぁ、んっ……」 あれだけ激しいセックスの後なのに、僕達のキスはまだ互いを強く求めるようなむさぼるようなキスだった。 「悠、ん……」 何度も何度も妹の唇に吸い付いた。 愛し過ぎて、やめられない。 「あ、ん、ちゅっ……」 「んっ、あっ、お兄ちゃん、んっ……」 「お兄ちゃん、んっ、ちゅっ……」 妹も僕に応えるように、自ら唇を押し当ててくる。 「ちゅっ、んっ、お兄ちゃ……」 「あ……」 妹がキスをやめて、僕を見上げる。 「何?」 「もう固くなってる……」 「え? あ」 妹と繋がっていた僕のペニスは、また本格的に勃起しだした。 「ごめん……」 恥じ入る。 僕の愚息は元気すぎだ。 「いいし」 「お兄ちゃんが求めてくれるの嬉しいし」 「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ」 「ふふ、照れてるお兄ちゃん、可愛い」 「ねえ、お兄ちゃん」 「もう一回しよ……?」 「また連絡するわ」 「うん」 「何か困ったことがあったら、何でも私に相談するのよ」 「うん」 「じゃあね……イズミ」 ――え? 「ま、また明日ね!」 新田サンは、赤くなった顔を隠すように僕に背を向けて駆け出していった。 照れていた。可愛い姉さんだ。 「おい」 「……」 人がいない時は、姉さんって呼ぼうかな? 「おいっちゅーに」 いや、でもそれは僕が恥ずかしい―― 「直さん一日ほっといて、きさん何デレデレしてますかあっ、こらあっ!」 「あ痛たたたたたっ!」 いきなり耳に激痛が?! 引っ張られながら、横を見る。 「あたしが超心配して、町中イズミを訪ねて三千里も歩いたというのに……!」 「あからさまなウソをつくなよ」 「うっさい! この遊び人ボーイ!」 「痛い痛い! 直、痛いから!」 「そんな健気な直さん放置して、委員長ガールとおデートかよ?! おめでてーな!」 「おデートなんかしてねー」 「ウソつけっ!」 「何か困ったことがあったら、何でも私に相談するのよ」 「うん」 「じゃあね……イズミ(はぁと)」 「――なんて、ラヴな会話してたじゃん! こん畜生ーっ!」 「はぁと、は言ってないだろっ」 直フィルターを通すとそう見えていたのか。 「おめー、どうして、今日、学校来ないんだよーっ!?」 両手で襟首をつかまれ、揺らされる。 「いや、それは……」 お前に会いづらくて。 会うのが、怖くて。 「あたし、すっごくイズミに会いたかったのにっ!」 ――え? 直、お前……。 「僕に会いたかったの?」 「そうだよ!」 「何で?」 「何でって……イズミ、昨日、あたしを命がけで助けてくれたじゃん!」 「あの時、気が動転しちゃって、あたしちゃんとお礼も言えなかったけど……」 「だから、今日、直接会って、言おうって!」 ぎゅっと襟首をつかみながら、身体を寄せてくる直。 女の子の匂いがした。 直の髪の匂い。 「……引いてないの?」 「え? 何が?」 「僕、人じゃないんだよ?」 「相羽と同じ人外なんだよ。怖くないの?」 「うん、怖くないよ」 「どうして……」 「だって、イズミはイズミじゃん」 「怖いわけ、ないよ」 こつん、と僕の胸に頭をぶつけてきた。 「……直」 一瞬、直を抱きしめたい衝動に駆られた。 が、耐える。 「このお人よし」 代わりに悪態をついてしまう。 「うっさいな、いいじゃんよ」 「ていうか、イズミ顔赤~い」 「照れてんのか? ういヤツめ!」 「お前がくっつくから熱いだけだよ」 「離れろよ」 バックステップで後退する。 「そんなこと言って、ホントは嬉しいくせに~」 すぐに寄って来て、くっついてくる。 「別に嬉しくないっ」 意地を張る。 「すりすり~。おお~、イズミ胸固ーい!」 「手つきがイヤらしいぞ」 「そんなことないって、はぁはぁ……」 「変態かっ」 路上で身体をまさぐられる。 「あはははっ! ほら、全然怖くなーい」 「わかったから、もう離れて!」 呆れた。 川嶋直は、僕が思っていたよりもずっと、懐が深かった。 今朝、あれほど悩んだのが馬鹿らしくなる。 まったく、こいつは……。 「ありがとう、直」 いっしょに帰り道を辿りながら、つい礼の言葉が口から出た。 「いや、それ、あたしが言いたいことなんだけど」 「僕も言いたかったから、いいんだよ」 「そう? いいけど、じゃあ、あらためまして」 こほん、と直は一度咳払いをして、 「イズミ、ありがとう」 「イズミが来てくれた時、本当に嬉しかった」 「あの時、あたし、すっごい怖かったんだけどね」 「イズミが助けに来てくれた時、それ以上に嬉しくて」 「怖くて泣けて、嬉しくて泣けて」 「もう、どうすりゃいいのって、感じだった」 「たぶん、相羽は最終的には、直は傷付けなかったと思うよ」 「そうかな?」 「うん」 「そう思ってあげて」 「イ、イズミ……」 「……お人よしはどっちなんだか」 「ていうか、イズミ、相羽ラヴかよ! こん畜生っ!」 いきなり胸をポカポカ叩かれた。 何故キレる? 「理不尽な暴力反対!」 「理不尽じゃないもん!」 「実家に帰らせていただきます」 直から離れて、歩き出す。 「こーらー! 置いていくな!」 すぐに追いついてきて、隣に並ぶ。 いつもの、僕達の距離。 驚くくらい、あっさりと僕達は、僕達の日常に回帰した。 でも。 「ねえ、イズミ」 次に発した、直の言葉で。 「もし、あたしが、ね」 別の意味で、僕達の日常は破壊されることになる。 「……」 すぐに、そうだと言わない自分に驚いた。 言おうとした瞬間、一人の女の子の顔がふいに浮かんで―― 「……怖いって思うのは当然よ」 「でも、加納君、私は――」 「違う、そうじゃない」 「白羽瀬を衰弱死させるつもりはない。僕は捕食されてかまわない」 「ただ」 「――ただ?」 「……好きな子がいたんだ」 「僕は、その子に言わないといけないことがある」 「今までありがとう」と。 「さよなら」と。 そして―― 「もちろん、今すぐに悠に捕食される必要はないわ」 「あの子の覚醒が始まるまでは、今まで通りの生活をしていればいい」 「そう」 ある程度の時間はあるわけか。 「でも、いつその時が来るかはわからないから」 「なるべく早く気持ちの整理をつけておきなさい」 「わかったよ」 「悠にも心の整理をしてもらわないといけないわね」 「あの子、随分加納くんに懐いてるじゃない。心配だわ」 「あ、加納くん、悠は人魚についてドコまで正確に把握してるのかしら?」 「あいつ、誰でもいいから人を食えば成魚になれるって思ってる」 「この近辺の一般人レベルだよ。ちゃんと正しいことを教えないといけない」 「それは、私がやるわ」 「キミが姉って、バラしていいの?」 「仕方ないわ。貴方にこれ以上負担をかけたくないもの」 「結構、危険だけど……任せなさい」 「助かるよ、姉さん」 「……そう呼ばれるの、ちょっと照れくさいわね」 「でも、悪くないわ」 「僕も、今朝そう思ったよ」 「兄さんって呼ばれたの?」 「お兄ちゃんだった」 「ふふ、そう」 コーヒーカップを手にした新田サンは柔らかく笑った。 地球は回っている。 僕達の都合とか、そんなのはおかまいなしに常にくるくると。 昨夜発覚した衝撃の真実の数々。 驚きのイベント群。 そんなのまったく、 「知ったこっちゃねーのです!」 と日常は今日も顔をのぞかせる。 何故、幼女? まあ、それはともかく朝、到来。 「行ってきます」 「えー?! マジ行くの? 加納くん」 マル美にネコ缶をやっていた白羽瀬が僕の方を見る。 「にゃん?」 ついでにマル美も僕を見た。 「行くよ」 「行かないと、留年になるし」 「私達に、留年とか関係ないじゃん」 「人魚だし」 「それを言っちゃあ、おしまいよ」 「相……犯人は加納くんが、狩ったんでしょ?」 「ああ……」 相羽の名前を出されると、ちくりと胸が痛む。 きっと僕はずっとこの痛みと共に生きるのだろう。 「それなら、もう私、学園用事ないし」 「たまに夕方、部活だけ行けばいいもん」 「勉強は?」 「言わせんなよ、恥ずかしい」 恥ずかしい理由なのかい。 「そもそもだったら、何で学園入ったんだよ?」 「制服着たかったし」 「めちゃくちゃどうでもいい理由だな」 わざわざ学費を払ってまですることだろうか。 あ。 「お前って、金とかどうやって工面してんだ?」 こいつも僕同様、天涯孤独だったハズだ。 「株とか」 「マジすか」 「マジっす」 不敵に笑う。 「色々試したけど、これが一番効率的だった」 「そうか」 色々とひとくくりにした部分が気になった。 きっと、こいつも金には苦労はしたはずだ。 「今までのこと、加納くんに全部話すよ」 「だから、加納くんも全部話して欲しいな」 「あんまりゆかいな話はないけどね」 「だよね~」 顔を見合わせて、苦笑する。 僕達は限りなく似た者同士だった。 「じゃあ、僕は学園行ってくるから、夜話そう」 「ええー?! 妹放っといて、マジ学園かよ~」 ぶーたれる。 「直のフォローだけはしときたいんだよ」 「アイツ、かなり怖い思いさせたし」 「……」 「ん、わかった」 白羽瀬はすぐにこくんと頷いた。 「いい子だな」 頭を撫でてやる。 「子供かよ、もっと撫でろよ」 怒りながら喜んでいた。 器用なヤツ。 「行く」 「行ってら~、お兄ちゃん」 「にゃにゃ~ん」 お兄ちゃんという呼称に、ちょっと戸惑いながら玄関を出る。 でも、悪くない。 いや、むしろいい! 自然に足が軽くなる。 「……」 だが、ここまで来て僕の足は途端に重くなる。 直の家に行き、声をかけるならここから駅前方向に。 学園で待つなら、このまままっすぐだ。 「……」 どっちにも行けない。 僕は直の前で、人ではない自分の姿を晒してしまった。 今になって、怖くなる。 貴方の友人は人外です、と知って彼女がどう思うのか。 「フツー引きますよねー……」 「引きまくりですよねー……」 足が勝手に止まる。 僕はずう~んと、落ち込んだ。 さっきまで、足が軽いと思っていたのがウソのよう。 鉛のごとく重い。 ついでに、気も重い。 「はあー……」 嘆息。 以前なら、こんな時、後ろから友達が声をかけてくれた。 「よう、どうした?」と笑って肩を叩いてくれた。 「……」 泣きそうになる。 でも、歯を食いしばって、耐えた。 過酷な運命に翻弄された彼のために泣くことは許されても、彼を失った痛みのために、僕自身のために泣くことは許されない。 殺した僕には、許されない。 「はぁ……」 とにかく歩き出した。 重い足と重い心を引きずりながら。 「結局、サボってしまった……」 直と会う勇気が持てないまま、陽が暮れた。 僕は改札そばのベンチに座って、ただ人の流れを眺めている。 携帯電話には、いくつか連絡が入っていたみたいだけど見てもいない。 直からの絶縁状でも混じってたらと思うと見れない。 ヘタレですみません。 「こら」 ん? くわえタバコのまま顔を上げる。 「制服で何を堂々と吸ってるの?」 目尻を吊り上げた新田サンが、いつの間にか目の前に。 「没収」 口からタバコを取り上げられた。 「横暴だ」 「昨日、どうしてすぐに私に連絡しなかったの?」 「えっと……」 何から話せばいいのやら。 「川嶋さんと今日、話をしたわ」 「貴方が、彼女を助けたんですってね」 「どんな風に助けたとかは、聞いた?」 「ずっと気絶してたから、わからないの一点張りよ」 「目が覚めたらイズミがあたしを助けに来てました! 直さん超感激っす!」 「そればっかりよ」 「そう」 「学園は貴方と連絡を取りたがっていたわ。警察も動いてるらしいし」 「今頃、貴方の家に行ってるんじゃない?」 「加納さんの家には、もう誰もいないけどね」 もうあそこは僕の家ではない。 「ねえ、相羽は?」 「……」 「……あいつは、もう帰ってこないよ」 「……」 「ちょっと動かないでね」 「え?」 僕が返事をする間もなく、新田サンは僕の両肩をがっしとつかむ。 「……」 僕の首筋に鼻先を寄せてきた。 「ちょっ、新田サン?!」 「暴れないで」 「嗅ぎにくいじゃない」 「嗅がないでよ!」 改札を通り過ぎる人達の視線が痛い。 「まったく、最近の若いモンはっ……!」 「ママー、あのお兄ちゃん達、何してるのー?」 「しっ! ダメよ、まおちゃん、早く行きましょう!」 アレなカップルと思われてしまった。 「……やっぱり」 「……はあ」 僕に顔をくっつけんばかりにすり寄って来た新田サンが、ようやく離れてくれた。 何故かがっくりと肩を落としている。 「勝手に人の匂いを嗅いで、勝手に落ち込まないで欲しい」 「落ち込みもするわよ」 「大失態ね」 「よく分からないけど、自分をあんまり責めないで」 「優しいのね」 「嫌いじゃない人にはね」 「ありがとう」 「ねえ、加納くん、貴方とお話がしたいわ」 「これから付き合ってくれる?」 「どうせ断わっても、騙して連れて行くんだよね?」 今までの行動から推察する。 「……」 「まさか」 笑顔で否定。 一瞬の間が怖い。 「いいよ、付き合うよ」 「金はないけど」 「奢ってあげるわよ」 「ありがとう、マスター」 「……」 あいかわらず愛想のない店主は、新田サンのお礼の言葉も完全にスルー。 コーヒーカップを二つ置いて、とっととカウンターへ戻った。 「……あ、美味しい」 口にしたブレンドの味が、身に染みる。 香りもいい。ホッとして肩の力が抜けた。 駅の改札でずっと凍てついていた僕は、自分で思っていたよりも、ずっと疲弊していたようだ。 「前はしゃべっていたうちに、冷めちゃったものね」 「ゆっくり味わって、一息つきなさい」 「……どうも」 さらに砂糖を足して、飲む。 身体が糖分を欲していた。 「いい香り」 新田サンも比較的リラックスして、コーヒーを味わっていた。 店内に流れているのは、十年くらい前に流行ったポップス。 特に好きな曲だったわけじゃない。 でも、郷愁を感じてしまう。 「ねえ」 新田サンは半分くらい飲んだカップを置いて、僕を見た。 「何?」 「貴方も、人魚なのね」 「うん」 「隠してたの?」 「違うよ、僕も昨日知った」 「……ウソでしょ?」 「ウソじゃないよ、本当に昨日、思い出したんだ」 「相羽に教えられたってのもあるけど」 「彼が今どこにいるか、貴方は知ってるの?」 「……アイツは白羽瀬を狩るつもりだったと、僕に言った」 「だから、僕が先にアイツを狩った」 「妹を傷つける可能性がある以上、仕方なかったんだ」 「……」 新田サンは大きな目をさらに見開いて、僕を見つめる。 「……貴方が、悠のつがいの……?」 僕は黙って首肯した。 「……ううっ」 新田サンは頭を抱えて、テーブルにつっぷした。 うう、と何度もうめき声を上げる。 「ど、どうしたの?」 「……死にたいわ」 えー?! 「何で、いきなりそうなるの?」 「駄目すぎる自分が嫌になるわ……」 「君が駄目なことなんてないだろう?」 「こんなにそばに純血種がいたのに、気づかないなんて、駄目すぎるでしょ……」 「それも弟よ」 「でも、僕はまだ能力に目覚めてなかったというか……。自分でも忘れてたし」 「ていうか、僕、君の弟ってことになるのか」 「今、気づいたの?」 「うん」 「貴方もたいがいよね……」 新田サンはジト目になった。 「しょうがないじゃん、一度に色々あったし……」 カップを手にして、攻撃的な視線をかわす僕。 「相羽は泳がせていたのよ」 「彼が悠を狙うなら、いつか彼の妹ともども狩るつもりだったわ」 「それは言い換えれば、白羽瀬を狙わなければ、見逃すつもりだったってこと?」 「……」 新田サンは目を伏せて、 「……そうね」 「彼が知らない人間を狩ってる分には、何もしないつもりだったわ」 「私は別に正義の味方じゃないもの」 「大切な人以外のために、危険を冒すつもりはないわ」 「……そうだね」 「たぶん、誰だってそうさ」 誰に対しても同じくらい優しくはなれない。 たとえ、表面上は公平に振舞っても、心の中では残酷な順列づけがなされている。 それを責めることなんて、きっと誰にもできない。 「それで、加納くん」 「うん」 「貴方、悠に――」 「……」 新田サンは、言いかけて口をつぐんでしまう。 「……食われるつもりがあるか、どうかを聞きたいんだよね?」 代わりに僕が言った。 「え、ええ」 「僕は――」 三人でハメを外しすぎた次の日。 「ううっ、う~ん……」 「うう~ん……」 妹が寝床でうめいていた。 「どうしたのかしらね……」 「どこが苦しいの?」 「頭、熱い。ぼーっとする」 火照った顔で言っていた。 「大丈夫か?」 「ほら、熱測ってみろ」 体温計を取り出す。 「う、う~ん……」 でも受け取らない。 「脇にはさむだけだから」 「う~ん、超メンドクサイ……」 「兄、代わりに自分の測っといて」 「意味ないし」 しょうがないなあ。 僕は悠の上着を少しだけはだけさせて、体温計を。 「姉ーっ、姉ーっ!」 「何よ?」 「兄がまた私にエッチなことを赤ちゃんできちゃういやんやめて!」 「しないし」 フザける元気があるのなら大したことはないか。 ともあれ、妹の脇に体温計を差し込む。 「ううっ、兄に強引に衣服をはだけさせられ……」 「そして、固いものをねじ込まれた……」 「意図的にエロく表現しないの」 陵辱物かよ。 げんなりする。 「測れたみたいね」 「悠、体温計返して」 つまんで引き抜く。 「ひゃうっ!」 「兄、くすぐったい」 睨まれる。 「え? ごめん」 「このテクニシャンめ」 どういう意味か。 とにかく体温を確認する。 36.7度。 超微熱。 「兄ゴールドフィンガー!」 僕は軽く妹の額にデコピンを食らわせる。 「何故に――っ?!」 手足をバタつかせて騒ぐ妹。 「どうしたのよ?」 「ほとんど平熱だし」 「……確かに」 姉も体温計を見て、息を吐く。 「う~っ、でも、頭熱いのはホントだもん」 「もっといたわれ!」 と元気に言っていた。 絶対、大したことない。 「市販の風邪薬でも飲んでおきなさい」 「今日は学園を休んで様子を見ましょう」 「私が付いていてあげるから」 「え? 姉さんも学園休むの?」 「人魚が病気なんてめったにないから、一応ね」 微笑する。 優しい姉であった。 「えーっ?!」 なのに、妹は不満顔。 「せっかく今日は一日中ネット三昧だって思ってたのに……」 おい。 「あんた、やっぱり学園行く?」 姉は両手の拳で妹のこめかみを挟んでグリグリと。 「痛い痛い痛い――っ!」 「熱よりこっちのがツライ――っ!」 姉に押さえつけられて、妹は手足をバタつかせながらベッドに沈む。 寝かしつけてるというよりは、寝技をかけているようであった。 「もう何がなにやら」 今夜は何か栄養のつくモノを作ってやろう。 そんなわけで、本日は一人でご登校。 「あ、イズミ、おはー」 「おはようございます、カノー先輩」 「おはよう」 直と高階に手を振り挨拶を。 「あれ? 今日は一人でご出勤?」 「最近、白羽瀬先輩といっしょのことが多かったですよね?」 「白羽瀬は風邪で休み」 「ありゃりゃ、そうなんだ」 「お気の毒ですね~」 「アイツ元々よく休んでたし珍しくはないけどな」 「今日は新田サンも休むって、LINNで言ってたし」 「心配だね。風邪流行ってるのかな」 「そ、そうかもな」 すまん、直、姉さんは、悠の看病で休むだけだ。 心の中で心優しい友人に詫びる。 「私達も気をつけないといけませんね」 「あっと、もう授業ですね!」 「では、先輩方、また放課後に!」 しゅたっと敬礼のポーズをする後輩。 「あ、僕、今日は行かないかも――」 悠の様子が気になるし。 「また放課後にっ!」 一歩踏み込んで来て、念を押してきた。 『お前、また休むとかフザけたこと言ってんじゃねーぞ、ああんっ!?』 ――と、言外の意味をつい読取ってしまう僕であった。 「お、おう……」 後輩の笑顔が怖い。 「ほら、イズミあたし達も教室行かないと」 「あ、うん、またな高階」 「はい、また~」 白羽瀬妹と新田姉さんのいない教室。 退屈だった。 いる時もそんなにしょっちゅう話してたわけじゃないけど、いつも存在は気にかけてた。 つい席の方を見てしまう。 ……寂しん坊ですか、僕は。 放課後、部室に行く。 本当はパスしたかったが、今朝の高階後輩の眼力に屈した。 「あははは!」 あいかわらず部室は騒がしい。 「おほほほ!」 僕は特にすることもないから、パラパラと文庫本をめくっていた。 「きゃははは!」 本当に部室は騒がしい。 「おひゃははは!」 ……いや直が騒がしい。 「では、また明日な」 「お疲れ様でした~」 「お疲れ~」 「お疲れ、お休み」 三人に手を振り、別れた。 「結局、最後まで付き合ってしまった……」 「夕食の買出ししないとな」 スーパーの方に足を向きかけて――止まる。 もしかしたらもう姉さんが済ましてるかもしれない。 一応、確認しとこう。 スマホを取り出して、姉さんにコールする。 「……おかしいな」 いつまで経っても姉さんは出ない。 あ、やっとだ。 「もしもし、姉さん――」 『ただ今留守にしております。ピーッという発信音の後にお名前とご用件を――』 留守電に切り替わった。すぐ切る。 「どうしようかな……」 しばし考える。 「ダブっても冷蔵庫に入れとけばいいか」 冬だし、一日や二日で傷んだりはしないだろう。 「この時間なら、タイムセール品もまだ残ってるよな」 方針は決まった。 僕は食材を求めて、意気揚々と歩き出す。 「……ちょっと買いすぎたか」 両手に下げたエコバッグが重い。 思いの外、タイムセールで肉や魚が安くなっていた。 「1割引」と印刷されたシールの上に「3割引」のシールが貼られていたり。 常識的に考えて、買うしかなかった。 群がる主婦の皆さんに混じって、お宝をゲットした。 「……これで姉さんと悠に美味い物作ってやれるな」 美味しいと微笑む二人が目に浮かぶ。 心が躍る。 主婦のいや主夫の喜びである。 「ただいま」 アパートに戻ってきて扉を開けた。 次の瞬間。 僕の両手から、買ったばかりの食材が落ちる。 「え……?」 一瞬、訳がわからなかった。 「うっ……」 そこには、血だらけで倒れている姉さんと―― 千切れた誰かの手首が転がってた。 「……」 あまりのことに、僕の思考は停止する。 いや、停止させた。 その先を、考えたくない。 僕はその場に電池の切れた玩具の人形のように、座り込む。 吐きそうになるくらい生臭い匂いが、鼻につく。 血の匂い。 勝手に涙が、流れた。 「……姉さん……?」 「姉さんっ! 姉さんっ!」 座り込んだまま、床に伏してる姉を呼んだ。 「……」 「……う」 「イ、イズミ……?」 身体中から水蒸気を噴出しながら、姉さんが顔をあげた。 苦悶の表情。 人魚でなければ、間違いなく死んでいた。 それくらいの怪我を負っていた。 「大丈夫?」 「大丈夫? 姉さんっ!」 すぐにでも駆け寄って介抱したい。 でも身体があの場に行くことを拒否していた。 アレのそばには行きたくない。 アレは決して。 違う。あの手首は決して……。 「イズミ……」 混乱する僕の耳に、姉さんのか細い声が届く。 「ゆ、悠が……」 嫌だ。 姉さん、嫌だよ。 頼むから、頼むから―― 「悠が、あの女に……」 「狩られたわ……」 「――っ!」 姉さんの口から、僕の一番聞きたくなかった真実が語られる。 僕は何度か口をパクパクと動かすが、声が出ない。 身体を上手く制御できない。 「はあ、はあ……」 大きく息を吸い、吐く。 「はあ、はあ……」 「……ウ」 ようやく、声を取り戻す。 「……ウソだ」 「そんなの、ウソに決まってる……」 「アイツは僕を捕食して、僕よりもずっと長く生きるはず……」 「悠久の時を生きれるはずなんだ……」 「それが、僕より早く……?」 「悪い冗談だよ、姉さん……」 僕は溢れ出る涙を拭いもせず、かぶりを振る。 受け入れがたい真実を否定した。 僕は悠を守るために、今まで生きてきたんだ。 施設での理不尽な生活に、加納さんの虐待に耐えてきたんだ。 友人を、相羽を殺してまで、守ってきたんだ。 それが、こんな、 あっけなく……。 「事実よ!」 でも、逃避しようとする僕の思考を姉さんの激高が許さない。 「床を見なさい、イズミっ!」 「見えるでしょう?! そこにあるでしょう?! あの女が食い残した」 「悠の手首が……!」 「……っ」 姉の放ったその一言が、僕の心を叩き割った。 ああ、そうなのか。 僕の妹は、悠は。 ずっと大切に思っていた家族は。 もう。 もう居ないんだ――。 『――お兄ちゃん、死なないで!』 悠。 『死んだら、私ともう、会えないじゃん?!』 『そんなの……ひっく、そんなの、絶対、許さない……!』 『うわあああああああああああああん!』 悠悠悠。 悠っっ! 「うわっ、あ……」 「あっ、うっ、ああ……」 「うわああああああああああああああああああああっ!」 僕はその場で、号泣した。 「――はあ?」 「……ごめん、イズミ。もう一回言ってくれる?」 次の日。 白羽瀬に拾われて、もうしばらく生きられることになった僕。 何の気もなしに昨日の出来事を皆に話した。 「いや、だから、そんな大したことじゃないんだけど」 「昨日、家で肩を刺されて――」 %44「めっちゃ、大したことじゃん!」%0 耳元で叫ばれた。 「イズミは、どーして、そんな事、平然と話してるのかなあ?」 「馬鹿なのかな? マジでお馬鹿なのかな? かな?」 クラスメイトの川嶋直は僕の耳をつかむと、ぐいぐいと引っ張った。 「痛い痛い痛い!」 「そーいう時は、すぐにあたしに連絡してって、いつも言ってるじゃん!」 「電話しろよ! 速攻駆けつけるからっ!」 「あー、いや、でも」 「でも、何?」 「真夜中に電話なんて、マナー違反だし」 「あんたの存在自体が、マナー違反だっ!」 えー。 「イズミ、いつか本当に大変なことになっちゃうよ?!」 「もっと自分を大切にしなさい!」 ぷんすかという感じで、クラスメイトは怒っていた。 ちょっと涙目。 「直、泣くなよ、何だか僕が悪いみたいじゃん」 「悪いんだよ! 連絡くんないユーが100パー、悪いんだよ! ていうか、何でこんなに危機感がないの、この子?!」 「うわーん! 部長からも、何とか言ってくださいよ~」 マジで泣かしてしまった。 すまん、こんな僕ですまん。 「まったく……」 部長は言葉と共にため息を吐く。 「毎度のこととはいえ、本当に困ったものだな」 「ですよね」 「他人事みたいに言うなっ! あんたのことだからなっ!」 子供のように叱られた。 「警察には行ったのか?」 「行きませんよ、加納さん、今度こそ、逮捕されちゃいますよ」 「加納さん?」 「部長、イズミ、お父さんのことそう呼ぶんです」 「見事に冷え切ってるな」 額に手の平を置いていた。 「いやいやいや、そんなことはないですよ」 「あんなんでも、一応、恩人ですから」 身寄りのない僕を施設から貰い受けてくれたのが、加納さんだ。 3年近く食わしてもらった。その意味ではまさしく恩人。 ……ちょっと精神が不安定で、酒に溺れて、まれになりふり構わず刃物を振り回すのがタマに傷だが。 「家を出るのが一番なんだが……」 「それは無理なんで」 天涯孤独の僕に他に行くところなどない。 だから、加納さんのご機嫌を窺いながらずっと生きてきた。 子供の頃から、ずっと。 特に悲しくはない。 そんな感覚、もうとっくに失くした。 「ねえ、イズミ、またしばらく相羽ん家?」 「え?」 今回のようなことの後は、僕の唯一の友人――と呼べるかもしれない相羽司の家にニ、三日転がり込む。 冷却期間を置けば、加納さんは元の普通の人に戻る。万事解決。 それがいつものパターン。 『いい? 加納くん』 『今から、君は私のモノだよ?』 でも、先約を思い出した。 「いや今回は、もうあてがあるんだ」 「はい?」 直は首を傾げる。 「アイツん家のやっかいにならなくても、今回は大丈夫」 親指を立てて、爽やかに笑う。 「何言ってんの、大丈夫なわけないじゃん」 「あと、何故に爽やか系を気取りますか」 直はまっすぐ伸ばした人差し指で、つんと、僕の頬を軽く突き刺してきた。 「気取ってないし、素だし」 「えー、ウソだぁ~」 まだぐりぐりとしつつ言う。 「だって、僕、よくクラスの女子に言われるし」 「何て?」 「加納くんは、なんか透明で、淡い感じがするって――」 「存在感ないって、言われてるだけじゃん」 0.2秒で爽やかな僕を否定された。 少ししょんぼりである。 「あ、ごめん、落ち込まないで」 「イズミンの存在が希薄なのは、前からじゃん」 誰がイズミンか。 「それより、ウチに来なよ、イズミン」 「お前んトコは親がいるだろ、無理」 「平気だって、ちゃんと説得するし」 「それに部屋ならいっぱい空いてるよ」 「それはお前ん家が旅館だからだ」 「しのごの言わずに泊まれよおっ! ウチがつぶれたらどうすんだよおっ!」 涙目で強引に誘ってきた。 もしかして単に空いてる客室をうめたいだけ? 「営業活動なら、もっと金を持ってるヤツを相手にして」 しっしと直を追い払うジェスチャーをする。 「ウソウソ、タダでいいから、来なって~」 「今夜焼肉やろうよ、お肉食べれば、元気になるよ!」 「ん? 具体的には身体のどの部分が元気になるんだ?」 「その後、加納と何をいたす気だ? 川嶋くん、その辺りを是非、詳細かつ克明に――」 「スカートだけど、前蹴り!」 直が振り上げた右足の甲は、的確に部長の弱点をとらえていた。 ていうか、全男性の弱点をとらえていた。 ちなみに、白とピンクのストライプだった。 「ぬおーっ! ヤバいっ!」 「俺の子孫繁栄がヤバいっ!」 部長は股間を押さえつつ、身体をくの字に曲げていた。 「イズミ、今夜焼肉やろうよ、お肉食べれば、元気になるよ!」 そんな部長を完全に無視して、会話を戻す直さん、マジパネェっ。 僕はまたひとつ、女性の怖さを知った。 「す、すみません、遅くなりました……!」 息を切らしつつ、後輩の高階郁美が扉を開けて、顔をのぞかせた。 「よう」 「あ、カノー先輩、どうもですっ」 「昨日、お休みだから心配しました! お元気そうで何よりです!」 「実は、昨日死にかけてた」 「うおーっ! またですかーっ?!」 頭を抱える。 「てへ」 おどけてみた。 「てへ、じゃないから」 直に背後から、スリーパーホールドをかけられた。 「チョーク! チョーク!」 ジタバタと騒ぐ。 そのたび、直の胸の感触が、僕の背中に。 こいつは女としての自覚が足りない。 「カノー先輩は、生命力に欠け過ぎてますからね~」 「そうかな」 「はい、毎朝公園でゲートボールしてるウチのおじいちゃんより、儚げです」 マジかよ。 「ちなみに、家政婦さんにしょっちゅうセクハラして嫌われてます」 「来年九十なんですよ! すごいでしょ!」 「カノー先輩は、ウチのおじいちゃんを見習うといいと思います! あ、今度紹介しましょうか?」 「ガチで会いたくないし」 強いのは生命力じゃなくて性欲じゃないか。 「だいたい、先輩はどうして死に急ぐんですか?」 「誤解するな、別に死にたいわけじゃない」 「そうなんですか?」 「生きるのがあんまり好きじゃないだけだ」 「あんまり変わってなーい!」 再度、頭を抱えていた。 そうかな。 結構、違うと思うんだけど。 「まあ、とにかく、1週間ぶりに、我が新聞部、全員集合だ」 部長が眼鏡のエッジを指で押し上げながら、言う。 「ここは、一つ、パーッとやろうじゃないか!」 「おおう! 部長、宴会ですか?」 「やた!」 女子二人がハイタッチ。 「もちろん、次回発行する、新聞についての会議だ」 『えー』 女子二人が同時に不満げな声をもらす。 気が合ってるな。 「――失礼」 ふいに扉がまた開く。 見知った顔が、そこにはあった。 「あ、新田サン」 「こんにちは、川嶋さん」 と、直に挨拶をしつつも、新田サンの視線は僕に。 「何?」 「加納くん、貴方、今日教室いた?」 「いないけど」 「授業は出ずに、部活にだけ来たの?」 「うん」 「……まあいいけど、落第はしないようにね」 嘆息されてしまった。 「貴方と白羽瀬さんは、出席日数結構ギリギリよ、気をつけなさい」 「ありがとう」 そんなことまで把握しているのか。 委員長って大変だな。 「白羽瀬さんは、まだ元気にならないのかな」 「みたいね」 クラスメイト達がそろって神妙な顔つきになる。 直も新田サンも、まっとうで健全な心を持った人間なのだ。 僕や白羽瀬とは違って。 でも、その精神のあり方を、僕は好ましいとは思う。 「あいつ、すごく元気だったけど」 だから、つい口が滑った。 「会ったの?」 「うん」 「いつ?」 「昨日の夜」 「僕が駅前で倒れてた時、助けてくれた」 「助けた? あの子が?」 けげんそうな表情に。 「それだけ? 他には何もされなかった?」 「うん」 さすがに拾われたとは言えない。 「へー、めずらしいね」 「白羽瀬さんって、絶対人助けなんかしない人だって思ってた」 「そうね」 えらい言われようだぞ、白羽瀬。 「イズミ、倒れてても、つついて笑ってると思ってた」 「そうね」 ……直さん、当たりです。 次の日の朝。 僕のLINNに、高階からメッセージが届いた。 昨晩、相羽が失踪したと。 ――嘘だろ? タイプする僕の指は震えていた。 『嘘じゃないです』 『私、もう怖くて何が何だかわからなくて……』 「……っ」 僕の手から、スマホが零れ落ちた。 「……どうしてだよ」 「どうして、僕からばっかり奪うんだよ?」 怒りに任せて、拳をコタツ台にぶつけた。 「わあっ?!」 「か、加納くん、どうしたの?」 コタツで船をこいでいた白羽瀬が、飛び起きる。 「くそっ!」 僕は立ち上がって、部屋を飛び出した。 「加納くん?!」 %44「直おおおおおおおおおおおっ!」%0 %44「相羽ああああああああああっ!」%0 走りながら、叫んだ。 友人――と呼んでも良かった人達の名前を。 「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおっ!」 「誰なんだよっ!」 「出てこいよ!」 「殺すんなら、僕にしろよっ!」 「それとも、僕が殺してやろうか?!」 「出てこいよ! 殺してやるから!」 「殺す殺す殺す!」 「直や相羽を傷つけたら、絶対殺すっ!」 「世界中、探し回って、追いつめて殺すっ!」 「うわああああああああああああああああっ!」 「はあ、はあ……」 「くそ……」 どんなに怒りに心を支配されても、体力は有限だ。 僕は十分もしないうちに、疲れ果てて肩を落として歩くだけの存在になる。 あれだけ、叫び吼えていたというのに。 何て、無様。 機械音が、電車が間もなく来ることを告げる。 飛びこんでしまえ。 心の内で何かが囁いた。 それは、僕の弱さ。 ツライことから逃げようとする、もう一人の自分だった。 線路の上で、足が止まる。 ――お兄ちゃん! ****! 「……」 少しだけそこに立ち尽くした後、再び歩き出した。 まだ、ダメだ。 直のことも、相羽のこともまだ終わってない。 そして、妹のことも。 泣き顔以外のお前の顔を僕は知らない。 そんなのって、兄として悲しすぎる。 「もう少しだけ」 そう、もう少しだけ――。 あがこう。 「加納君?」 「ああ、君か……」 背中からの声に、振り返った。 「……貴方、何て酷い顔してるのよ」 「ご挨拶だな」 「そんな血走った目をして、貴方、今から誰か刺すつもり?」 「直と相羽をさらったヤツなら、それもいいな」 「全然食べてないんでしょ? 白羽瀬さんから聞いたわ」 「白羽瀬……ごめん、アイツを一人にしちまった」 「悪いけど、しばらく君が見守ってやっててくれ」 「今、僕にはアイツにも優しく接することができるか、自信が持てない」 「白羽瀬さんは、今は新聞部の連中といっしょに行動してるわ」 「そう。夜はちゃんと戸締りして、外に出ないように言ってやって」 「ちょっと、貴方、帰らないつもり?」 「時間が惜しいんだよ」 「あてもなく捜したって、無駄よ」 「だったら、どうするんだよ!?」 ついデカイ声が口をついて出た。 「……」 でも、新田サンは表情を変えず僕を見つめ続けた。 「ごめん……」 「今は、誰にも優しくできる自信がないんだ」 僕は新田サンに背を向けた。 「待ちなさい」 「これを預かったの。持っていきなさい」 新田サンはコートのポケットから何か取り出して、差し出した。 僕のスマホだった。 「充電済よ」 「せめて連絡はとれるようにしておいて」 「あの子をあんまり心配させないで」 「……」 黙って受け取る。 僕はそれをポケットにねじこみながら、雑踏の方へと歩き出す。 「……」 「……え?」 「この匂い、悠……いえ、違う……」 「どういうこと……?」 「加納君、貴方……」 「……くそっ」 ごみ箱を蹴り飛ばす。 一日中、足を棒にして町を歩き回った。 だが、何の成果も得られなかった。 相羽の家の近所にも行き、隣人を訪ねたが、嫌な顔をされただけ。 妹の美月ちゃんもいなかった。 両親もいないのに、どういうことだ。 まさか、彼女もさらわれたのか。 「何人、消えれば終わるんだよ……」 手詰まりだ。 もう素人の僕では、これ以上は無理なのか。 いや。 まだ諦められない。 友人をそう簡単に諦められるわけがない。 「何か新しい情報は……」 一縷の望みを託して、スマホを取り出す。 LINNには、高階や白羽瀬からメッセージが届いていた。 どれも、一度帰って来いというものだ。 「ダメだよ……」 帰れない。 直や相羽がツライ目にあってるのに、僕だけ帰れない。 吐く息が白い。 気づかなかったが、今夜はヤケに冷え込む。 雪が降るかもしれない。 かじかむ手で、必死にスマホを操作した。 ロクな情報がない。 一番、多いのは僕が見つけた手首の男についてだった。 そんなのは、どうでもいい。 イラつく自分がわかる。 くそ。 『こんばんは、今ドコにいる?』 その時、誰かがLINNで話しかけてきた。 何だこいつ。 無視だ。 「なっ…?!」 相手のアイコンを凝視した。 それはスマホで撮影したらしき画像だった。 ――さるぐつわをされて、縛られている直の。 「こいつ……」 スマホを持つ手が震えた。 ここでしくじることは許されない。 めまいがするほどの怒りの感情を無理矢理、制御してタップした。 ――そのアイコンの子は、今ドコにいる? 『まずはこっちの質問に答えろ』 ――美合公園だ。 『割と近くにいる』 ――会わせろ。 『いいとも、ただし一人で来い』 ――相羽司もいるのか? 『いる』 ――何が目的だ? 『生きることだ』 ――どういうことだ? 『どんな生物にも養分は必要だ』 「……養分」 その淡々とした答えに、僕は薄ら寒いものを感じずにはいられない。 『一応言うが、お前のスマホの動作は、送り込んだ常駐アプリで常に監視している』 『簡単には駆除できない。誰にも連絡するな』 ――用意周到だな。 『二十分以内に、一人で来い』 地図情報が送られてきた。 ここに来い、ということか。 ――わかった。 僕がそう答えると、相手は沈黙した。 「……」 僕はスマホをしまうと、タバコを取り出し吸った。 約束の場所は、僕も知ってる場所だった。 人を呼びに戻る時間はないが、一人でここから向かうなら十五分あればいい。 これが最後の一服になるかもしれない。 大きく、肺に煙を吸い込んで、僕は、 「行くぞ」 次の日。 僕は直にせがまれて、実に八日ぶりに学園に来た。 放課後に。 学習という意味では、まるで意味がなかった。 でも、事件のことを聞かれるのは鬱陶しい。 教室に居場所のない僕は、屋上に逃げてきた。 「ふぅ……」 取り出したライターで、タバコの先に火を点ける。 「はぁ……」 煙を吐き出しながら、昨夜のことを思い出した。 僕は直とよりを戻した。 だから、全部話した。 僕自身のことも、悠や新田サンのことも全部。 人魚のことを本当に洗いざらいすべて説明した。 それでも、直は僕を受け入れてくれた。 ……泣きたいくらい、嬉しかった。 「……」 「……あ」 ボンヤリしてたら、手からタバコがポロリと落ちた。 「うおおお……」 もったいない。 が、もうどうしようもない。覆水盆に返らず。 仕方なく、もう一本取り出す。 「おーい」 「ん?」 振り返ると、扉の近くに直が立っていた。 「むせるくらいなら、吸わなきゃいいじゃん」 こっちに近寄りながら言う。 「吸うと落ち着くんだよ」 「あー、前、そんなこと言ってたね」 「ストレス解消」 「あたし前、イズミにもらって吸ったけど、かえってストレスたまったよ」 「そんなこともあったね」 微笑しながら、僕は口にタバコを咥える。 「はい、没収」 でも、すぐ取り上げられた。 「何で?」 「吸ってたら、できないじゃん」 「何を?」 「んっ……」 「!?」 直はいきなり唇を押し付けてきた。 「んっ、ちゅっ……」 「ちゅっ、ん……」 「ん、あっ……」 僕が少し動いたら、唇が離れてしまった。 「イズミ、逃げた~」 不満げな声を上げて、じろりんと睨んでくる。 「逃げてないよ」 「急にくるから、身体の向きとか合わなかっただけ」 「じゃあ、合わせようっと♪」 言って、軽やかな足取りで僕の真正面に来る。 「ぎゅーっ!」 擬音つきで、強く抱きしめてきた。 「……」 顔が熱くなる。 身体も熱くなって硬直する。 「ほら、キスしてよ」 顔をあげる。 満面の笑みの直さん。 「何と一年ぶりだよ!」 「さっきしたから、もう一年ぶりじゃなくない?」 「イズミからのキスはまだじゃん」 「どっちからとかって、意味あるの?」 「あるある、超ある」 「超すか」 体重を預けてくる直の身体を支えながら苦笑した。 「だから、してよ」 「んー」 目をつむって、顔をあげる。 受け入れ態勢はばっちりであった。 僕はそっと彼女の唇に、自分の唇を重ねた。 「んっ、ん……」 「んっ、ちゅっ、ん……」 「あっ、んっ、ちゅっ……」 「はぁ、はぁ、イズミ……!」 一旦、唇を離した直は、僕にさらに強くしがみつく。 「イズミ、イズミ……」 鼻先を僕の胸元に押し付けるようにしてくる。 切なく、甘えたような声で何度も名前を呼ばれて、心臓の鼓動が速くなってくる。 「直」 直の背中に両腕を回して、僕は彼女ともっと密着する。 「イズミ……」 「あ~、どきどきする……」 「ねえ、直」 「ん?」 「僕、タバコくさくない?」 「そんなにでもないかな。ちょっとはするけど。何で?」 「直が嫌ならやめようかなって」 「どっちでもいいよ」 「あたしは、イズミならどっちでもいいから」 「ありがとう」 お互い抱き合ったまま会話する。 「イズミはあたしの匂い好き?」 「うん」 「あたしってどんな匂い?」 「シャンプーの匂い」 「それってあたしの匂いじゃなくない?」 「直は髪が長いから、どうしても髪の匂いが強いよ」 「体臭はわかりづらい」 「体臭って言うな!」 「まったくこの子は……えいっ!」 「あ痛たたたたっ!」 制服の上から太ももをつねられた。 結構痛い。 でも、まだ抱きしめたまま離れない。 「直さん、ひどい」 「イズミがムードないからだよ」 「しかえし」 「――え? ひゃっ!?」 耳たぶにキスをした。 「ち、ちょっと、くすぐっ……ひゃうっ!?」 アマがみ開始。 「あっ! ちょっ! あっ、こらあっ! んっ!」 「ん? どうしたの?」 と、息を吹きかけながら、尋ねる。 「ああん! こんなのって、エッチすぎっ! あっ、やんっ!」 「はぁっ、はぁっ、やっ、んっ……」 「あんっ、はぁっ……んんっ!」 直の声がだんだんマジになってきたようだ。 そろそろやめないと、ヤバいかも。 「あんっ、やっ、はぁはぁ……イズミ……」 だが、直の色っぽい様子を見てるとやめられない。 あ。 マズイ。 「はぁ、はぁ……え?」 直も気づいてしまったようだ。 僕の下半身事情に。 「……イズミくぅ~ん……」 直さんは僕に半眼を向けてきた。 「な、何でしょう?」 「コレは、何ですか?」 太ももを硬度を増した僕のブツに擦り付けながら聞いてきた。 「いや、何と言うか……」 恥ずかしくなって視線をそらす。 「こっちを見なさい!」 ぐいっ 直さんは両手で僕の顔をしっかとつかむと強引に、自分の方を向かせる。 僕の真正面のめっちゃ近い位置に、口をへの字に曲げた直の顔があった。 「さあ答えなさい!」 「こ・れ・は、何ですか?!」 再度、僕のモノに直の身体を押し付けながら問われた。 もう逃げ場はなかった。 「ウチの息子が大変ご迷惑を……」 謝罪した。 「もう、本当にイズミは……」 「年中思春期なんだから……!」 「人を生まれながらの変態みたいに言わないで」 「ここ、ツライの?」 「ツライってほどじゃないけど」 「本当?」 「本当」 「うーん、でも、イズミ気を遣ってたまにウソつくしな~」 「そう言いつつ、身体を押し付けるのはやめて」 「あ、またぴくってなった」 「観察もやめてよ……」 恥ずかしくて、顔がマジ火照ってきた。 「……」 「ねえ」 「ん?」 「……鎮めてあげよっか?」 ――は? 「何を?」 「だから、コレ」 「おーい」 弄ばれてるやん、僕。 「ダメ?」 「普通ダメでしょ」 「でも、一年前、あたし達、エッチしたじゃん」 「したけど……」 「彼女に遠慮なんて、良くないな~」 「良くないですよ~」 「こらこら!」 君は何を勝手に下ろしてるの?! 「どう?」 僕のモノを触りながら、そんなことを聞いてくる。 「ど、どうって……」 「気持ちいい?」 無邪気に笑いながら。 「……そんなこと聞かないで」 「何で?」 細い指先で、カリのところをマッサージしながら。 「恥ずかしいじゃん」 「あ、イズミ、今赤くなった」 「可愛いねえ~」 「直さん、ちょっとキュンときちゃったですよ……」 こすこすと亀頭を指の腹でさする。 「あっ、それヤバイ」 「ヤバイって、ことはいいってことだよね?」 さらに強めに擦りだす。 「勝手な独自解釈はやめて」 「いいから、そんなに恥ずかしがらなくていいじゃん」 「もう一回、エッチした仲だよ、あたし達」 「でも、こんなこと直にさせるなんて」 「良心がとがめるというか……」 ずっと同じ教室で勉強をしたり、談笑したりしてきた女の子。 隣の席の、可愛い子。 気がついたら好きだった女の子。 そんな子に、こんなエロ行為をさせているという事実に僕は。 興奮していた……! 変態である。 「すみません……」 「ちょっ、何で落ち込んでるの?」 「女の子にエッチなことされてるのに?」 「でも、こっちは元気だけど!」 直はサオの部分を優しく撫で回しながら、驚愕した。 そんなことを言われても、下半身には人格はないのだ。 「ほらほら、もっと元気になれ~」 「ちゅっ」 「あっ」 油断したら、キスされた。 僕の性器に、直の唇が。 「んっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……」 「へろっ、ちゅっ……」 睾丸の裏を撫で回しながら、サオを舐め上げられる。 「な、直、舐めなくても」 息を小刻みに吐きながら、声を出す。 ダメだ。本気で僕興奮してきた。 「でも、濡れてたほうがやりやすいし」 「イズミもその方が気持ちよくない?」 「僕、風呂に入ってもないのに、汚いよ」 「そんなことないけど」 「いや、むしろ直さん興奮?」 「変態かい」 僕達は変態カップルだった。 まあ、こんなところでこんなことしてるし。 「イズミのここが濡れてきてくれたら、それでいいんだけど。ちゅっ」 親指の腹で、亀頭を擦りつつ先端に口付けを。 その瞬間、身体が震えた。 「男は女の子みたいに濡れないよ」 「一年前は濡れてたよ?」 ペニスを握ったまま、いつもの笑顔で見上げてくる。 日常と非日常が入り混じった光景だった。 「アレは精液だろ。精子じゃん」 「射精したからだよ」 「今は射精しないの?」 「射精したら、男はいったん終わった感じになるよ」 「愛撫されてる途中は、そんなに濡れないかな」 「ふーん、女の子と違うね」 「直は、あの時よく濡れてたよね」 「おっ、思い出すなよぉっ!」 「あっ!」 ご機嫌ななめになった直が、今までより速くピストン運動を。 僕のペニスは、どんどん硬度を増す。 直の唾液のおかげですべりも良くなった。 快感が、せりあがってくるような感触。 「んっ、ちゅっ」 「んっ、ほら、気持ちいいんでしょ?」 「イズミのここ、ぴくぴくってなってきたよ?」 言葉の通り、直の温かい手の中で僕の性器は脈を打つ。 僕の意思とは関係なく、勝手に直からの愛撫によろこび、震えていた。 「……」 恥ずかしい。 どんどん顔が熱くなる。 「あ、イズミ真っ赤だ」 「何だよ……すごい可愛いんだけど……」 「こんなに可愛いイズミが見られるなんて……」 「もう、毎日これやんないと……!」 くにくに 「しゃ、しゃべりながらも、一度も手が止まらないね、直」 「えへへ、イズミが感じてるのが可愛くて」 「何だかやめらんない」 イジメられてる。 直さん、Sっ気が出てきた。 「ほらほら、こことかは?」 「あ、こら」 尿道の入り口を指先でつんつんと。 その刺激が、背筋にまで一瞬で流れた。 ヤバかった。 出たのかと、思ってしまった。 「あ、ここすっごくいいっぽい」 「い、いや、そんなに良くないよ?」 「ほう、つまりいいと」 ニヤリと。 「直さん、僕の話聞いて」 「つんつん」 「ちょっ! ダメだって」 尿道に固執するのはやめて! 「ちゅっちゅっ」 「つんつんつん」 尿道の入り口にキスをして、つつきまくられた。 ダメだというのに、この子は話を聞いちゃいない。 心臓の鼓動が、はっきりと速くなった。 呼吸が荒くなる。 「直、もうダメだって」 「これ以上されると、出る」 「え? 出さないの?」 きょとんとした顔で見られた。 「出さないと気持ちよくないんでしょ?」 「いや、もうこれで充分」 「ウソだあ~」 にまにまと笑いながら、また亀頭を手のひらでくにくにと。 「あっ、こら」 「ここは、やめてなんて言ってないじゃ~ん」 「身体は正直なんですよ~」 「ほらほら、イズミちゃん、素直になりなって~」 「ぐあっ」 人差し指と中指で輪っかを作り、カリを刺激してきた。 「ふふ、イズミ、またぴくんって」 「可愛いんだから~」 「愛してるよ~」 睾丸を撫で回しながらじゃなかったら、感動的な台詞なんだが。 「んっ、ちゅっ」 「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」 まるで愛しいペットか何かを愛でるように、亀頭に口付けをする直。 もう無理だ。 僕は理性を一時的に手放した。 「な、直……」 手を伸ばし、頬に触れた。 つるつるした手触り。 「ん? 何?」 「裏スジのあたりも触ってほしい」 「裏スジって……」 「この辺」 直の手を取ってサオの裏側に触れさせた。 「ここがいいんだ」 「うん」 「彼女にこんなところを触れなんて強要して」 「イズミはもう立派な変態さんですね」 満面の笑顔だった。 「もう何とでも言って」 「ケリをつけないと、もう止まれないよ」 「ふふ、ついにあたしのテクニックの前にイズミも屈したね!」 「そうだね」 「直の強制エロ行為に、僕はもう……!」 顔を覆って泣きマネを。 「強制言うな!」 いや半分くらいは強制でしょ。 「裏スジ撫で撫で」 「くっ」 背筋が反り返るくらいの快感。 睾丸が脈を打つ。 思わず声が漏れた。 「あっ、痛かった?」 「ごめん、平気?」 心配した直が手を止めて、僕を見上げた。 「あ、平気。別に痛くないよ」 「今のは気持ちよかったせいだから」 「そ、そっか」 「じゃあ、続けるね」 「う、うん」 「あはは、そんなに構えないでよ」 「優しくするから」 「今回、僕めっちゃ直に主導権握られてる……」 「前はイズミがあたしを好きにしたし、いいじゃん」 「好きにしたって……これでも優しくしたつもりだったんだけど」 「ああ、うん、嫌だったって意味じゃないよ」 「でも、たまにはこっちから優しくしてあげたいんだよ」 「好きな男の子には」 「ありがとう」 「続けるね」 「うん」 さっきより幾分力が抜けた。 「うわぁ、温かくて、ぴくぴくしてる……」 再び親指の腹で裏スジを、撫であげる。 最初はゆっくりと。 だんだんと速くなる。 「気持ちいい?」 「う、うん……」 気持ちよくて、たまらない。 学園の屋上で、好きな女の子に下半身を愛撫される。 そんなシチュエーションも、とても興奮する。 背徳感というか。 「あ、少し……」 「え?」 「イズミも、濡れてきた……」 亀頭の先端から、カウパー液が出てきた。 焦らされるように、刺激を少しずつ送り込まれて。 マスターベーションのように自由自在ではないけれど。 少しもどかしいような、くすぐったいような性的な行為。 他人にされるというのは、まるで違う。 他者の体温。 言葉。 匂い。 感触。 そんな要素が、よりいっそう僕を興奮させる。 「な、直」 「うん」 「もう少し、強くして欲しい」 「ふふ、おねだり?」 「うん、おねだり」 「もう、このエッチめ!」 「こんなことをしてる女の子に言われたくないよ」 「あはは、それもそうか」 「はい、これくらい?」 しごく手が速くなる。 「あっ、く……!」 のけぞりそうなくらい気持ちいい。 「イズミ、なんか切なそう……」 「そんな顔されると、あたしまで……」 「はぁ……」 僕のペニスをしごきながら、直まで色っぽい吐息を吐く。 「直さんも、感じてきちゃった?」 髪を撫でる。 ふんわりと直の髪の匂いが漂う。 「う、うん」 「どうしてだろう……?」 「あたしは、髪しか触られてないのに……」 「何か、あたしもエッチな感じ……」 「敏感な女性は、匂いや髪を触られただけでも感じるんだって」 「そ、そうなんだ……」 「つまり、直はエッチな子ってことで」 「うわん、そんなことないもん」 ペニスを擦りながら言われても。 「もう、そんなイジワル言ったら――」 「痛くする?」 「ここでやめる♪」 えー。 「それは悪魔の所業だ……」 こんなに勃起させておいて、それはないよ。 「ふふっ、イカせてほしい?」 にやにやと笑いながら、僕のペニスをぐっと強く握り締める。 「うん」 「じゃあ、ちゃんとお願いしてみて♪」 女王様を気取りだした。 しょうがないなぁ。 「えーと……何て言えば」 「どうか、この僕の可哀想なオチ○チンを直さんの白魚のような指で……」 「どうか、この僕の可哀想なオチ○チンを直さんの白魚のような指で」 「絶頂へと導いてください」 「絶頂へと導いてください」 「そして、その後、口汚くののしりながら踏んでください」 「そして、その後、口汚く――って、それはいらない」 「僕で遊ばないでよ」 「きゃはは、やっぱりイズミは素直で可愛いな♪」 「うん、もうイカせてあげるね」 「ちゅっ、ぺろっ、ちゅっ」 「あ」 直は口に含んだ唾液を僕の亀頭にまぶすように、口付けを。 とろとろと、直の唾液と僕の透明なカウパー液が混じりあい、サオを伝って直の手を濡らす。 直は優しく、根元から僕のペニスをしごき上げる。 「く……」 勃起したペニスはどんどん角度を上げ、天へと頭を上げる。 直の手のひらの熱と、すべすべの感触が、すごく気持ちいい。 セックスとはまた違う、「つくしてもらってる感」が何とも心地いい。 女の子にここまでしてもらって、いいんだろうか。 「熱いね、イズミの」 「そ、そう?」 話しかけられても、どもってしまう。 快楽のせいで、すぐに反応できない。 「うわぁ、イズミ、今すごい顔してる……」 「ど、どんな顔?」 「イジメたくなるくらい可愛い顔」 「微妙だよ、それ」 「やん、本当に可愛い」 「直さんキュンキュンですよ」 「イッた後、キスしてね」 「い、いいけど……」 もう会話に集中できない。 そろそろ―― 「あっ」 「今、たまたまがぴくんって」 たまたまって。 「イズミ、もうイキそう?」 直は僕のペニスを愛撫しながら尋ねてきた。 「う、うん」 くすぐったさを凝縮したような気持ちよさに震えながら、返事をした。 「イズミ、いいよほら」 「ここがいい? ほらぎゅってしてあげるよ」 直はカリのところをはさむように握ると、素早くしごく。 制御できない射精感が、僕の中からせりあがってきた。 「直、もう出る……!」 「いいよ、イズミ、イって……!」 「イズミ、イズミ……!」 「イって……!」 「くっ、あっ……!」 僕は腰を震わせて、精を放出した。 精液が、直の手を白く汚した。 「……いっぱい出たね……」 でも、直は嬉しそうに笑ってくれた。 「気持ちよかった?」 「お蔭様で……」 照れる。 というか、何か申し訳ないような気持ちになる。 「じゃあ、約束」 直は立ち上がって、手を拭うとそんなことを言って。 「ちゅっ」 僕に抱きついて、キスをしてきた。 事が終わって、僕と直は衣服を整える。 「あ、行こう、イズミ」 直が腕を組んでくる。 「ん? どこ?」 隣の彼女を見る。 「もちろん、あたし達の場所に!」 「こんにちは~」 「こんちは」 僕と直、二人で部室に赴く。 随分と久しぶりな感じがする。 はたして、そこには。 「おおおっ!?」 「おおおおおおおっ!?」 「うおおおおおおおおおおおおおおっ?!」 興奮した高階がいた。 「ど、どうしたの? 高階」 ちょっと怖い。 一歩下がる。 「カーノー先輩、生きてたああああああっ!」 「よくぞ、ご無事で……!」 後輩は半泣きで俺に飛びつくと、胸に顔をうずめてきた。 「えええええっ?!」 「ちょっ……!」 うろたえる。 「どうして、無事ならすぐ連絡くれないんですか~っ?!」 「直からいってると思って」 「電話で直接してくださいよー!」 「顔を見るか、声を聞くかしないと安心できないですよ~!」 「ひーん! 先輩のオタンコナスーっ!」 僕の胸でしくしく泣きじゃくる高階。 「ご、ごめん、ごめんね高階」 「色々と大変で気が動転してたんだ。許してくれ」 頭をいい子いい子してやる。 「おおおっ!?」 「おおおおおおおっ!?」 また高階が興奮しだした。 少しニュアンスが変わった気はするけど。 「こらあっ!」 「お前ら何、堂々とイチャラヴってるんやああっ!」 「離れろーっ!」 直に肩を掴まれて、高階は僕から引き剥がされる。 「のおーっ! もうちょっとだけーっ!」 両腕をバタつかせながら、騒ぐ。 「ご慈悲を~~っ!」 「まだカノー先輩スメルを堪能してませ~ん!」 匂いフェチかよ。 僕の周りにいる女の子は皆ちょっと残念である。 「もっとカノー先輩をくんかくんかしたいっす~~!」 ……本当に残念だよ、高階。 僕は誰にも見られないようにそっと涙を拭いた。 「おい、騒がしいぞ。廊下にまで声が――」 %44「おおおっ! 加納っ!!」%0 %44「お前、生きていたのか?!」%0 騒がしいと言っていた先輩が一番騒がしかった。 「先輩、こんちはっす」 「ていうか、僕の無事は直から聞いてますよね? どうして、ここでは僕は死んだ設定になってるんですか?」 「当然だ。自分の目で確かめたモノ以外はすべて疑ってかかる」 「それがまっとうなジャーナリストのあり方だっっ!」 拳を握って力説していた。 そして、やはり眼鏡が不自然な光を放つ。 「ただの猜疑心のカタマリじゃないですか……」 そんな殺伐とした部は嫌だ。 「とにかく、よく生きていた、加納!」 乱暴に肩を抱かれた。 「そう簡単に死にませんて」 「え~、でも、先輩いつも死にたがってたじゃないですか~」 「死にたいんじゃなくて、生きるのが苦手なのっ」 「難儀な人ですね~」 高階がやれやれと息を吐く。 「大丈夫だよ! もう絶対あたしがイズミは死なせないから!」 「そう、イズミ、あなたは死なないわ」 「あたしが守るもの! キリッ!」 使命感に燃えた直さんが、どっかで聞いたようないい感じの台詞を言い放つ。 口でキリって言わなければ、カッコ良かったと思う。 「川嶋先輩、どうしたんですか?」 「昨日、アニメのブルーレイでも観たんだろう」 「納得しました!」 「うわーん! あたしそこまで単純じゃないやい!」 泣きながら、僕の腕にポコポコパンチを打ち込む。 何で僕やねん。 「何にしろ、加納がようやく戻ってきたんだ」 「今日という日はスペシャルデーだな!」 「つまり、今から宴会ですね!」 「あ、それいいですね!」 「確かロッカーに前回の残り物が……」 僕はごそごそとロッカーの中を漁る。 「そんなの漁んなくていいよ! いったいいつのなの?!」 「ちょっとカビ生えてるけど、たぶんこれいけるって」 元々はブルーじゃなかったブルーチーズを見つけて、テーブルに載せる。 「食中毒確定的な感じのブツが?!」 高階がテーブルから後退した。 「……加納、俺は前から思っていたんだが……」 「あえて……あえて、今、お前に言おう!」 「え? 何ですか?」 「お前は物を大事にしすぎだっ!」 「物を大事にしすぎ?!」 軽くショックを受ける。 まさか物を大事にして注意されるとは。 「皆で、買出しに行きましょうよ~」 「異議なし」 高階と先輩が部室の扉に移動する。 「ほら、イズミも、いつまでもロッカー漁ってないで、あたし達も行くよ」 シャツの襟首をつかまれて、引っ張られた。 「ういー」 仕方なく同意する。 全員で学園そばのコンビニへ移動する。 かごにスナック菓子やら、ジュースのペットボトルやらの食料をこれでもかと放り込む。 紙皿や紙コップ、割り箸なんかも忘れない。 「おでん欲しい人いますかー?」 全員手をあげる。 「じゃあ、全種類いっちゃいます!」 豪気である。 大量の物資を抱えて、部室に戻る。 「うりゃーっ!」 「とりゃりゃーっ!」 テーブルからこぼれ落ちるくらいの量の食料が所狭しと並べられる。 「よし、食え! 好きなだけ食え、加納!」 「お前は細いから、もっと脂肪をつけないとこの冬を乗り切れないぞ!」 「冬眠前の熊っすか」 「ああ! カノー先輩は今の細マッチョのままがいいっす!」 「お腹は固いままで!」 「おお~っ! これこれ!」 高階が寄ってきて、勝手に僕の腹筋を撫で回す。 まあいいが。 「うひょひょひょ……」 変態か。 「こらー! イズミ、何、イクイクとイチャラヴってんだ!」 「え? 僕が叱られるの?」 「隙があるから悪いんだい!」 えー。 「じゃあ、高階、隙あり」 指先で高階のほっぺたをつつく。 「おおおっ!? 何かこっ恥ずかしいです!」 「でも、アリです!」 高階は満面の笑みでサムズアップした。 「こらああっ! イズミン、何してるんやこらああっ!」 ええー。 「だって高階が隙があるから」 「うっさい! このセクハラボーイめ!」 「熱々のおでんを食らえ!」 部室のコンロで再加熱した白滝を、箸で強引に僕の口に。 「熱っ! マジ熱っ!」 たまらず逃げる。 「こらーっ! 逃げんな、浮気者~~っ!」 「あたしの愛情のこもったおでんを食らえ!」 箸と皿を持って直が追ってくる。 「コンビニおでんに愛情も何もないんじゃ」 逃げながら言い返す。 「あたしの愛情のこもった手作りコンビニおでんをくらえ!」 言い直していた。 「矛盾してる?!」 「昨今の食品偽造問題を絡めたギャグのようだな」 「ナイスだ! 川嶋くん!」 豪徳寺部長が、直に賛辞を送った。 「あざーす!」 礼を言いながらもまだ追ってくる。 「あざーす、じゃないし!」 落ち着いて食えない。 「あはははは!」 「ははははは!」 そんなこんなで、久しぶりに部室で騒ぐ。 僕と直と部長と高階の四人。 それは、僕がまだ人だった頃の、ベストメンバー。 そんな人達とのつかの間の、触れあいは甘美なまでに楽しくて。 僕から一瞬、過酷な運命の存在さえも忘れさせた。 「すっかり遅くなっちゃいましたね~」 「うむ、職員に叩きだされるまで居たからな」 「まあ、たまにはいいじゃないですか、ねえ、イズミ」 「うん、そうだね」 白い息を吐く直の言葉に首肯した。 「次は、白羽瀬くんも加えたフルメンバーでやろう!」 「うーん、でも、アイツほとんど学園来ないし」 「それは先輩もじゃないですかあっ!」 「元気なら、明日からはちゃんと後輩に会いに来てくださいよ~」 高階がむーと口を尖らせる。 しまった、墓穴を掘ったか。 「ごめんごめん」 ごまかすように、高階の頭を撫でた。 「おおおおっ!?」 「また、こいつは~!」 「イズミはイクイクをゆーわくすんなっ!」 「のわっ?!」 背中に強めの掌底をいただいた。 つんのめって、コケそうになる。 で、高階の身体に寄りかかって耐えた。 「おおおおおおおっ!?」 高階は顔を上気させて、騒いだ。 「しまったーっ!」 「はーなーれーろー」 直に羽交い絞めにされて、高階から離れる。 「いや~、今日はカノー先輩分をいっぱい吸収しました~」 「甘露でした~っ!」 高階は夢心地状態でふにゃっとダラしなく笑う。 肌がつやつやしていた。 「では、そろそろ帰るとしよう」 「高階、危ないから送ってやる」 「どうもです! ちなみに部長は危なくはないのですか?」 「当然だ」 「それは私が女だからですね?」 「……すまん、それはどういう意味か説明してくれないか? 高階……」 部長は肩を落として、うなだれた。 未だBでLな疑惑は晴れていないようだ。 「では、また明日です!」 「じゃあな」 二人は僕と直に手を振ると、雑踏の中にまぎれていく。 「お疲れ様でした」 「おつー」 そんな二人の背中を、僕と直は見送る。 「……」 どんどん小さくなる彼らの後姿。 不意に思った。 僕は、あと何度彼らと会えるのだろうと。 何度、言葉を交わせるのだろうと。 もしかしたら、今日が最後だったのかもしれない。 それなら、僕は。 「ありがとう……」 つい、そんな言葉が口をついて、出た。 僕と接してくれて、ありがとう、と――。 「イズミ」 温かいモノが、僕の手に触れた。 隣に立つ直の手だった。 ぎゅっと握ってくる。 「大丈夫、また会えるよ」 「明日も明後日も、会えるよ」 僕の思考を見透かした直が、微笑んで言った。 「……うん」 僕は直の手を握り返す。 その時、気づいた。 直の手が微かに震えていることに。 「礼を言うよ、加納」 「お前は、最後までいいヤツだったよ!」 「――がふっ! ごふっ!」 傷ついた喉に蹴りをもらった。 傷口が開く。 過去の傷口が、開く。 ――お兄ちゃん、**いで! そして、 ――お兄ちゃん、*ないで! 過去のすべての記憶の扉も、 ――お兄ちゃん、死なないで! 今、開いた。 「恨むなら、運命を恨め」 「俺や美月が、雑種として生まれた運命」 「お前が、純血種として生まれた運命」 相羽は逆手に持った刃を。 「殺さなければ、生きられない俺達の運命を……!」 僕の心臓に。 「イズミいいいいいいいいいいいいっ!」 「――っ!?」 「……悪いな、相羽」 既の所で、僕は相羽のナイフを素手で受け止めた。 手は切れなかった。 皮膚を一瞬で、硬化させたから。 ぎりぎりと力で相羽を押し返しながら、ゆっくりと立ち上がる。 「こ、こいつ……?」 「ついさっきまで……」 「思ってた……」 「このまま殺されても、いいって」 「な……?!」 「お前はさ、こんなことをしなくても良かったんだ」 「いつもみたいに、話してくれれば良かったんだ」 「加納、悪いけど、俺の妹のために死んでくれって」 「そう言ってくれたら、たぶん僕は」 「……!」 「お前は、僕の友達で」 「そのお前が、妹のために、僕を殺したいって言うのなら」 「そうしないと生きられないと言うのなら」 「お前のために、死んでもいいって、思ってた……」 「お、お前……」 相羽の顔から、血の色が引いていく。 表情が歪む。 僕は空いた手で、相羽の肩をつかむ。 でも、それは敵意を伴ったものでなく。 今までと同じ。 親友とのコミュニケーション。 「でも、思い出しちまった……」 「ずっと忘れてたのに……」 自然に僕の両の目から、温かなモノがあふれ出す。 「生きなきゃ、俺」 「約束したんだ」 妹と。 アイツと。 「は、放せえええええええええっ!」 恐怖の感情がこもった相羽の叫び声が、響く。 一瞬、僕はためらってしまう。 刹那。 「相羽あああああああああああああああっ!」 怒号とともに、空気を切り裂く音が僕と相羽の耳に届く。 「――っ!」 僕と相羽は、反射的に身体を離す。 その間隙をついて。 まるで、最初からそこにいたかのように―― 「し、白羽瀬さん?!」 「はぁ、はぁ……」 僕と相羽の間に、白羽瀬悠が――妹が立っていた。 「……」 血の色をした瞳に、激情をたぎらせ、相羽を見据える。 「白羽瀬……」 「今、話しかけないで……加納くん……」 「集中力が、とぎれると……私……ヤバイから……」 肩を大きく上下させながら、白羽瀬は伸ばしたツメを構える。 そのツメの先端は、相羽の喉を狙っていた。 「……覚醒してもいないのに、これだけの力があるのか……」 「見ろよ加納、こいつのツメが掠っただけでナイフの刃が真っ二つだ……」 相羽は真っ青な顔で、刃を失ったナイフを手につぶやく。 「……ったく、純血種の雌ってのは、どれだけ化け物なんだよ……!」 相羽は折れたナイフの柄の部分を、白羽瀬に投げつける。 「――?!」 消耗している白羽瀬の反応が、遅い。 「危ないっ!」 「ちっ!」 僕は腕を伸ばして、白羽瀬の顔面に飛んできたそれを、手刀で叩き落した。 「――くっ!」 皮膚を硬化するヒマがなかった。 新しい血が、また床に点々と落ちる。 「加納くんっ!」 白羽瀬が僕の方に駆け寄る。 「白羽瀬、僕にかまうな! それより相羽に隙を――」 見せるなと、叫ぼうとした。 その時。 「ああああああああああああああっ!」 相羽が助走なしに、一気に出口まで跳んだ。 10メートルほどの距離を軽々と。 「なっ?!」 目を見開いて、扉の前に立つ相羽を見た。 人魚はこんな芸当もできるのか。 どこまで、人外なんだ。 「……」 相羽は目を細めて、僕達をしばらく見る。 僕も黙って、彼の視線を受け止めた。 「――じゃあな」 相羽は扉から出て行った。 「……」 もう、お前と笑って話す事はないんだな。 さよなら、相羽。 さよなら、親友。 彼の背中を見送る時、僕の胸が痛んだ。 「……加納くん」 「ん?」 「……相羽、行っちゃったね……」 「ああ……」 「……良かった」 白羽瀬はフラフラと身体を揺らしながら、力なく笑う。 「お、おい」 「……殺さずに……済んだ……」 「加納くんの友達……殺さずに……」 「……っ」 白羽瀬はまるで糸の切れた操り人形のように、いきなり膝をつき、身体を床に―― 「白羽瀬っ!」 頭を打つ前に何とか抱いて支えた。 「ふふ……」 「くすくす……」 気を失ったはずの白羽瀬は僕の腕の中で、何故か嬉しそうに笑っていた。 「……馬鹿」 「何笑ってるんだよ……ったく……」 僕は腕の中の妹に悪態を吐く。 そっと、目にかかる前髪を避けてやる。 「……お兄ちゃん……」 直を家に送り届けた後、僕は白羽瀬とアパートに帰る。 「うーん~~……」 白羽瀬はまだ目を覚ましていない。 なので、僕の背中にのせての移動である。 怪我は人魚脅威のメカニズムでもう完治した。 でも、空腹。 そして、雪は降る。 さらに、背中には妹。 「キツっ」 体力の限界はとうに超えていた。 これなら直の言葉に甘えて、旅館かわしまに泊まれば良かった。 でも、何ていうか僕達、人外だし、ちょっと気まずい。 そんなわけで、妹を連れて逃げるようにここまで来たわけだが。 「まいった……」 あ、向かい風が。 足がフラつく。 「山なら遭難じゃないですか……」 「へー、ソウナンだ~」 「うん、ソウナンですよ――って、起きてたの?」 足を止めて、首を捻る。 「えへへ」 妹がひょっこりと笑顔をのぞかせる。 「身体の調子は?」 「割といいかも」 「でも、目がまだ赤いし」 「マジで?」 白羽瀬は慌てて目を片手で擦る。 「いや、そんなことしても直んない――」 「どう?」 パチッと開いた瞳は、ノーマルに戻っていた。 「何故、直る?!」 「そんなの気合だし」 マジかよ。 便利というか適当な身体だ。 あ、そうだ。 「元気なら、降りて歩いてもらってもいい?」 「うーん、うーん、うーん……」 「持病のしゃくが……」 あからさまに仮病だった。 「しょうがないな……」 苦笑しつつ、そのまま歩くことにする。 身体はキツイが、妹に甘えられるのは悪くない。 いったい、何年ぶりだろう。 背中から伝わってくる体温に、つい笑みがこぼれる。 「白羽瀬」 「うん、何?」 「お前、本当に人魚だったんだな」 「前から言ってるし」 「人魚、ウソつかない」 「相羽はつきまくってたぞ」 「あいつは雑種だから」 「もしかして、前から気づいてた?」 「うん、最近からだけど」 「相羽、キツ目の香水使ってたから、最初は全然わかんなかった」 「けど、私、最近鼻が利くようになったから、それでわかった」 「でも、放っておいた」 「どうして?」 「……」 白羽瀬は少しだけ間を置いて。 「加納くんと仲良さそうだったから」 「……そうか」 「ありがとう、白羽瀬」 「いいってことよ」 ぽんぽんと後頭部を軽く叩かれる。 きっと今、こいつはドヤ顔に違いない。 「でも、加納くんが人魚なのは全然わかんなかった」 「さっき、あそこで相羽に襲われてるのを見るまでわかんなかった」 「匂いも全然しなかったし」 「加納くん、隠してた?」 「隠す気なんてなかったけど、完全に忘れてた」 「能力を使ったのも、たぶん十年ぶりくらいだし」 「えー? 何で? どうして忘れたの?」 「そんなのフツー忘れないし」 「細かい事情は、もう僕にもわからない」 「でも、きっと忘れたかったんだろうな」 「母さんに殺されかけたことなんて」 「だから、きっと忘れて捨てちゃったんだ」 お前の事以外は全部。 「え……」 僕の言葉に白羽瀬が息を飲む。 僕達はしばらく黙り込んだ。 靴裏で道路の雪を踏みしめる音だけが沈黙を埋めていた。 やがて、僕は静かに足を止める。 そして、背中の白羽瀬に。 「――覚えてないか?」 「子供の頃、姉さんや兄さんといっしょに母さんから逃げ出したこと」 「……え? え?」 背中で戸惑う白羽瀬の声。 「僕が大怪我して、お前すごく泣いてた」 「早く逃げないと、危ないのにお前、僕から離れなくて」 「あの時から、お前は優しい子だった」 「……それって……」 「やっと、会えたよ」 「生きててくれて、本当に良かった」 「悠が、生きてて、本当に、良かった……」 懐かしい呼び名を口にした。 みっともないくらい声が震えた。 我慢してたのに、涙が。 「……お兄ちゃんなの?」 「加納くんが、私のお兄ちゃんなの?! ねえ、本当に?!」 背中の上から、白羽瀬が僕の顔をのぞきこもうとする。 とっさに避けた。 「避けるし! 何で?!」 「ごめん、今はダメ」 泣き顔を妹に見られたくはない。 「どうして?! 加納くん、私のお兄ちゃんなんでしょう!?」 「顔よく見せて! 私も思い出したい!」 「とうっ!」 白羽瀬は僕の背中から、強引に飛び降りた。 すぐに正面に回りこんでくる。 「兄ーっ!」 はしゃぎながら、抱きつこうとしてくる。 「とりゃ」 それを避ける僕。 「わあっ?!」 頭から雪につっこむ妹。 でも、すぐ起き上がる。 「避けるしーっ!」 「感動の対面なのに――っ!」 白羽瀬は頬を膨らませて、また飛びつこうとじりじりと距離をつめてくる。 「感動って、お前まだ思い出してないじゃん」 「どうして、そんなすぐに受け入れられるんだよ」 顔を見られないようにしながら後退しつつ、反論する。 「だから、思い出したいんじゃん!」 「私だって、家族居るはずだし」 「ずっとずっと、会いたいって思ってたし!」 「それに――」 白羽瀬は、舞い散る雪の中。 頬を赤く染め、白い息を吐き出しながら。 「私、加納くんに、家族になって欲しかったし!」 「加納くん、好きだし!」 「――えっ」 白羽瀬の言葉に、僕は一瞬足を止めてしまう。 「隙アリ!」 「ぐわっ」 タックルをかまされる。 無様に後ろに倒れながらも、白羽瀬が怪我をしないように支えた。 「わっ、兄泣いてる」 「見ないで、恥ずかしい」 思わず顔を両手で覆う僕。 「えー、何か可愛い」 「キスしそう。していい?」 無邪気に言う。 「それ、完全に性犯罪じゃないですか」 「初めてじゃないし、いいじゃ~ん」 「お前、さっき僕を兄と認めたんじゃないのか」 「兄は普通、妹とキスしません」 「兄兼恋人に決まってるじゃん」 「言わせんなよ、恥ずかしい」 えー。 困惑する。 「加納くん」 「うん」 「これからずっと私といっしょに居てくれるよね?」 「だって、お兄ちゃんで恋人」 「これ以上の絆はないよ」 「めっちゃ背徳なんだけど」 「でも、もうキスしたし」 「アレはお前が強引に……」 「パンツも見せ合ったし」 「アレもお前が強引に……」 言っててちょっと情けなくなった。 全部、妹からかよ。 「加納くんが、家に戻らない間、すごく寂しかった」 「色々考えちゃった。もし加納くんがこのまま帰らなかったらどうしようって」 「そうしたら、どんどん不安になって、気がついたら加納くんを捜してた」 「匂いを辿ったら、相羽に殺されかけてる加納くんがいて……」 「あとは無我夢中」 「加納くんを助けたいって、それだけだった」 「私、そばに加納くんがいないともうダメみたい」 「好き、本当に好き」 「だから、お願い」 「これからも、ずっとずっと」 「私と、いっしょに――」 「悠」 僕は腕を伸ばし、正面にある顔にそっと触れた。 頬をつたう涙をぬぐってやる。 「大丈夫」 「僕はどこにもいかないよ」 微笑して、言った。 「本当にどこにも行かない?」 「ああ、行かないよ」 そう。 僕は君のそばにいるよ。 いつか―― いつか君が僕を殺す、その瞬間まで―― ――現在。 「ねえ、イズミ」 次に発した、直の言葉で。 「もし、あたしが、ね」 別の意味で、僕達の日常は破壊されることになる。 「――まだイズミの事、好きって言ったら、怒る?」 「――は?」 思わず、呆けた声をもらしてしまう。 「イズミ、まだあたしのこと好き……かな?」 「――好きなら、付き合って欲しい」 「ま、待ってよ、直」 「君が言ったんだよ、あの日の夕方」 「全部、忘れてって」 「うん……」 「お父さんの言うことに逆らうのは、やっぱり無理だって」 「直が泣いて、謝るから、僕は」 あの時、何も言えなかったんだ。 止められなかったんだ。 「あたし達、学園に泊まっていったん家に帰ったでしょ」 「あたし、あの時、お父さんに土下座されちゃって……」 「俺が悪かったって、何度も何度も床に額を擦り付けて、謝る様子見て、あたし」 「やっぱり、この人を嫌いになれないって……そう思ったの」 「家族のために、あたしが犠牲になるしかないのかなって」 「……僕はそんなの嫌だったよ」 「本当は、直の家に行って君をさらってドコかに行きたかった」 「あはは、ロマンチックだね」 「茶化さないで、本気でそれくらい思いつめてたんだ」 「ご、ごめん」 「いったい、急にどうしたの?」 「急じゃないよ、ずっと前からイズミに謝りたかった」 「謝って、今でも好きって言いたかった」 「直が今でも僕を好きって……ウソみたいだ」 「さっき、付き合ってって言ったじゃん」 「そうだけど……」 僕は人じゃない。 純血種の人魚。人外の化け物だ。 「親戚のオジさんと婚約するのは、もちろんやめたよ」 「お父さんもわかってくれた。あたし好きな男の子がいるって言ったらわかってくれた」 「本当はね、去年の秋にはイズミに告白しようって決めてたんだ」 「でも、怖くて」 「イズミにすっごい怒られるんじゃないかとか」 「もう他に好きな子、できちゃったんじゃないかとか」 「もしかしたら、イズミから言ってくれないかな、なんてズルいことも考えたり」 「そんなことばっかり考えてたら、どんどん時間が過ぎて……」 「ごめんね、こんな女の子で」 「でも、好きなの」 「イズミが、もしまだあたしを好きでいてくれるなら」 「付き合って、イズミ」 「……」 嬉しくないわけがない。 一昨日までの僕なら、今、この場で直を抱きしめていた。 そう、一昨日までなら。 「直、それは無理だよ」 「どうして?」 「やっぱり、他にもう好きな子が」 「違う」 直の言葉を遮った。 「君は大きなことを故意に無視してる」 「僕は、もう普通の人みたいに、生きれない」 「誰とも恋愛とか、もうできないよ」 全部言って、唇を噛んだ。 「……イズミが人魚だから、あたしと付き合えないってこと?」 「そうだよ」 「きっと大丈夫だよ! イズミ全然人間じゃん!」 「一年前から、そうだったよ! あたし達と何も変わりないよ!」 「それは……まだ覚醒してなかったからだと思う」 「僕は、昨日、相羽と闘って思い出したんだ」 「自分が何者で、何をすべき存在なのか」 「僕はね、直」 「双子の妹を守り、食われるために生まれてきたんだよ」 「妹は白羽瀬だった。きっともうすぐアイツも覚醒して人魚の本能に目覚める」 「そして、僕を食らうよ」 僕は直に向かって、真実を語った。 同時に、自分に言い聞かせた。 心が揺れてしまわないように。 ちゃんと妹を最後まで守れるように。 「……」 「……答えて」 でも直は、僕を睨む。 「え?」 「イズミ、あたしの質問に答えてないよっ!」 眉根を寄せて、潤んだ瞳で。 「答えたよ」 「全然答えてないよ!」 「何に?」 「あたしが今でも好きかって、聞いたじゃん!」 「答えてよ、イズミ!」 そう問われて、思い出す。 『白羽瀬を衰弱死させるつもりはない。僕は捕食されてかまわない』 『ただ』 『――ただ?』 『……好きな子がいたんだ』 『僕は、その子に言わないといけないことがある』 口をついて出そうになるその言葉を。 僕は、必死に飲み込んだ。 「……そんなこと答えたって、今さら意味ないじゃないか」 「言ってよ!」 「……」 今、この場で直を振ればいい。 そうすれば、終わらせられる。 頭の片隅で、理性がそう囁いた。 「ぐす……イズミ……」 でも。 かつて、『ずっと守る』と決めた女の子を突き放すことなんか。 自分の気持ちにウソをついてまで、理性を優先することなんか。 「……ごめん、言えない」 僕はそんな中途半端な態度しかとれなかった。 「……」 「……ぐすっ」 直はうつむく僕を見て、一度だけ鼻を鳴らすと、 「あたしこそ、ごめん……」 腕でごしごしと涙を乱暴に拭った。 「そ、そうだよね!」 「イズミ、色々あったのに、突然こんなこと言われたら、わけわかんなくなるよね! うんうん!」 「ごめん、あたし、焦ってた。イズミの気持ちも考えず、本当ごめんね!」 直は自分の感情を、作り笑顔で無理矢理押し殺す。 ずきりと胸が痛む。 僕は両手の握りこぶしをぎゅっと握った。 「じ、じゃあさ、一週間後! 一週間後返事ちょうだい!」 え? 「いや、待ってくれ直」 「僕は、もう誰とも付き合えないって」 「あー! あー! 聞こえなーい!」 直は両耳を塞いだまま、首をぶんぶん振る。 力技で情報をシャットアウトしていた。 「返事は一週間後の放課後!」 「そばの公園のベンチで待ってるから、そこに来て」 「いや、だから――」 「おっと、ウチの手伝いしなきゃ! じゃあねー!」 直はまるで逃げるように、僕の前から駆け出して行った。 ていうか、逃げたんだけど。 「直、僕は、行けないよ?」 走り去る直の背中に向かって叫んだ。 「待ってるから!」 「来るまで待ってるから!」 直は振り返らずに、そう返してきた。 「……」 「……馬鹿」 「どうして、君は僕を、困らせるんだ……」 僕は雑踏に消えていく直の背中を見つめながら、そうつぶやいた。 「あ、お帰り」 アパートに帰ると、妹が笑顔で出迎えてくれた。 「ただいま……」 でも、僕は短く挨拶しただけで、すぐにコタツにもぐりこんで横になる。 「どしたの? 顔色悪くない?」 白羽瀬が心配そうな顔をしてすぐ寄って来た。 「何でもない……」 「風邪とか……熱はないね」 僕の額に手を当てながら、首を捻る。 「もう僕は風邪なんか引かないよ」 「覚醒しちゃったから」 「あ、そっか」 「熱出るわけないや」 白羽瀬は僕の額に触れたまま笑う。 「白羽瀬」 寝転がったまま、白羽瀬を見上げる。 「うん」 「ていうか、まだ名字で呼ぶの?」 「そう言えば、そうだな」 「白羽瀬は、最初に養女になった時の名字なの」 「すぐ逃げたけど」 「どうして逃げたの?」 「養父のジジイ、身体目当てだったから」 「よくあるパターンだけど、サイテーだな」 「でも、戸籍は抜いてないから、そのまま」 「そうか」 「ツラかったな」 手を伸ばして、妹の手の甲を撫でてやる。 「ふふ」 妹も僕の頭を撫で始める。 お互いを慰めあう。 「悠」 「うん」 「僕、女の子に好きって言われちゃったよ」 「お~っ! 兄、やるじゃん!」 さらに強く撫でられる。 「喜ぶなよ」 「え? だってメデタイじゃん」 「お赤飯たこうよ」 「いや、それは違うと思う、妹よ」 それはともかく。 「僕は誰とも、もう恋愛はしない」 「え?」 「僕は君に捕食されないといけないから」 「誰も好きにならないし、好きになってもらっても……応えられない」 「……」 僕がそう言うと、悠はとたんに表情をゆがめる。 「やだ」 「そんなのやだっ!」 「やだって言っても」 「私、お兄ちゃん食べないよ」 「絶対食べないから、安心して」 「ぐすっ、そんなのお兄ちゃんが可哀想すぎるよ……」 悠は僕にしがみつき、泣いた。 小さな身体を震わせて。 僕は悠の背中を、優しく撫でながら何度も「ありがとう」と言った。 誰も悪くない。 なのに、どうして誰もが傷つかなければならないのだろう。 僕は妹を抱きながら、少し滲んだ蛍光灯の光を見つめ続けた。 「朝だぞーっ! 朝――っ!」 幻聴にたたき起こされた。 朝が来てしまった。 まったくもって、本当に僕の都合とか関係なしにやってくるな、こん畜生。 時の流れというか、日常というのは無体なものだ。 「うっさい! さっさと起きて日常に回帰しろっ!」 「日常サイコー! 日常やっほー! 日常ふぁんたすてぃーっく!」 わかったから朝から騒ぐなよ。 ていうか、また君かい。 「おはよう、お兄ちゃん」 寝癖まみれの髪のまま、妹がベッドの上で挨拶をしてくる。 「ああ、おはよう……」 僕も上体だけ起こして返事を。 で、またすぐごろんとこたつ布団の中で寝転がる。 「あれ? また寝ちゃうの?」 「そうじゃないけど、慌てて起きなくてもいいし」 「学園は?」 「あー」 少しだけ考える。 「パス」 ぼふっと枕に顔をうずめながら言った。 「兄がパスってめずらしいね」 「何かあったの?」 ――直と顔を合わすのがツライから。 とは、言えない。 「事件のことで色々聞かれるのウザいじゃん」 適当な理由を口にした。 「ああ、そっか」 「じゃあ、しばらくお休み?」 「どうかな」 「もしかしたら、このまま辞めちゃうかもな」 「……」 僕の言葉を聞くと、悠はしばらく黙り込んだ。 で。 「兄、元気ない……」 自分までしゅんとしていた。 「そんなことないよ」 「私、何かしようか? 元気がでること」 「え? そんな特技あるの?」 顔を起こして、妹を見る。 「朝フェラとか」 妹様は満面の笑みで、そう申された。 おいたわしや。 「……何か余計ぐったりしてきた……」 というか、がっくりした。 布団をかぶってマジ寝モードに移行する。 「何で?! 兄落ち込むし?!」 エロ行為をすれば男は皆元気になるとか思わないで、妹よ……。 「三日後の朝だぜっ!」 ご説明あざーす! 「お兄ちゃん、朝ご飯作った」 「ありがとう、悠」 学園を休みだして、三日目。 最近は、僕を気遣ってか悠が食事を用意してくれるようになった。 「僕がこんな身体じゃなかったら……」 「それは言わない約束だし」 ド定番のお約束を二人で演じる。 小芝居兄妹。 あ。 僕の携帯メールだ。 手にして開く。 「……」 送信者だけを見て、携帯を置いた。 「あれ? 読んでなくない?」 「うん」 「もしかして、川嶋?」 「うん」 「読んであげろよ~。可哀想じゃん」 「だって……」 怖い。 もし読んで心が揺れないか。 直に対する気持ちが、兄としての義務を放棄させようとしないか。 「兄に、告ったのって川嶋?」 「え? どうして?」 「バレバレだし」 ニヤニヤと笑う妹さん。 「私が川嶋の話振ると、いつも動揺してたし」 えー。 「マジっすか、兄、ポーカーフェイスじゃなかったですか?」 「全然だし」 ええー。 「私のことなら気にしなくていいからさ」 「川嶋と付き合っちゃいなよ! YOU!」 両手の人差し指で、ズビシッと指される。 「どんどん恋愛しちゃいなYO! どんどんエロいことしちゃいなYO!」 ラップ調で言われても。 「エロくないと売れないYO! プロデューサーが怒るYO!」 「お前、朝からテンション高すぎ」 プロデューサー言うな。 「お腹減ったし、もう食べよう……」 話を無理矢理打ち切った。 「うい~」 とことこと悠は台所へ消える。 「はあ……」 ため息を落とす。 学園を休みだしてから、直から届いたメールは10通を超えていた。 全部、返信していない。 それが、僕の答え。 「ごめん」 「ごめんな、直……」 「一週間後の朝だYO!」 君までラップ調かい。 「おはよう、兄者」 「ああ、おはよう」 今日もどんよりとした気分で、目覚める僕。 「もう一週間休んじゃったね」 「……一週間」 今日は、直との約束の日だ。 夕方、公園で待っていると直は言っていた。 「私、今日、新田と会うし」 「ああ、そんなこと言ってたな」 新田サンが、悠に人魚についての知識を教えるという。 おおまかな事はもう僕から教えてあったが、彼女は成魚だ。 雄の僕には知らないことも、悠に教えてくれるだろう。 「兄も来る?」 「え?」 「新田、学園終わってから、喫茶店でパンケーキ奢ってくれるって」 「……学園が終わってから」 放課後、か。 「いや、やめとくよ」 「お姉ちゃんと二人で仲良く話して来い」 「そう? わかった」 「仲良くできるかはわかんないけど」 「まあなるべく仲良くして」 「ういー、朝ご飯の準備してくるね~」 てこてこと台所へ。 ぼんやりと僕はその後姿を見守る。 ……どうして、僕は悠と新田サンに会いに行かないんだろう? ――直と会うつもりか? いや、それはダメだ。 直の顔を見てしまったら、僕は……。 「行って来るし」 「うん、車に気をつけて」 「はーい♪」 悠は新田サンに会いに行った。 「……」 そして、僕はコタツに入って寝転がっていた。 しん、と静まり返った部屋。 静か過ぎて、何だか落ち着かない。 「ネットでもしようか……」 緩慢な動きで、ノーパソを立ち上げる。 アプリが次々と立ち上がり、ガジェットの一つが僕に時間を教えてくれた。 17:06 もう放課後だった。 「……」 僕はマウスを持ったまま、固まった。 落ち着かない。 直、君は公園で僕を待っているのか。 この寒空の下、一人で僕を待っているのか。 来るはずのない僕を待っているのか。 「……」 ブラウザを起動もさせずに、電源を落とした。 そして、僕は立ち上がった。 「はぁ、はぁ」 会うつもりはない。 来てるかどうかを、そっと隠れて確認するだけだ。 「はぁ、はぁ、はぁ」 なのに、僕はどうして。 どうして、こんな息を切らして走っているんだろう。 公園に到着。 僕は呼吸を整えながら、ベンチの方を見る。 いた。 直、どうしているんだよ……。 あ、ヤバっ。 見つかる! 「……」 直は視線をグラウンドの方に移す。 どうやら、見つからなかった。 「……」 どうしよう。 あの様子じゃあ、直は当分帰らない。 女の子がこの寒いのに、こんな寂しい場所に一人なんて。 出て行って、帰るように言うべきか。 でも、直の顔を見てしまったら。 僕は……。 「はぁ……」 夕映えの空を見上げながら、白い息を吐く。 どうやら直との根競べになりそうだ。 冬の陽は、早く沈む。 空はみるみる青みがかった闇色に変化していく。 一気に気温が落ちる。 「寒っ」 木枯らしに身を縮こませながら、直の方を見た。 「……」 うつむいて両手を擦り合わせながら、ベンチに座っている。 一時間くらいは経った。 たまに立って、周囲をきょろきょろと見てはまた座る、を繰り返している。 僕を捜している。 「ごめん……」 胸が苦しい。見ていられない。 今すぐ飛び出して、直を抱きしめたい衝動に駆られる。 でも、ダメだ。 僕には、もうその資格はない。 そんなことをしても、却って直を苦しめるだけだ。 「!?」 不意に僕のスマホが鳴り出した。 取り出して、画面を見た。 『川嶋直』 見ると、直はスマホを手に電話をかけていた。 で、周りを見渡している。 ヤバい! 慌てて切った。 「……」 直は一瞬、身体を固まらせた後、しょんぼりとうなだれた。 まるで、頭に重しでものせたように、頭を下げて、ずう~んと落ち込んでいた。 でも、ベンチを立とうとはしない。 肩を落としたまま、座り続ける。 僕を待ち続ける。 僕はもう泣きそうだった。 僕がここに来てから三時間ほど経過した。 青みがかった闇は、いつの間にか漆黒へと変貌を遂げ、完全に夜。 微かな星明りと淡い電灯の光だけが頼りだった。 「今日は特別冷えるな……」 底冷えがする。 僕の身体はすっかり冷え切っていた。 夜空に雪が舞いだした。 どうりで寒いわけだ。 直は? まだベンチに座っていた。 寒いのだろう、微かに身体を震わせながら。 「……馬鹿」 「どうして……そんなに……」 「馬鹿……、直の、馬鹿っ……」 僕の声は、途中でかすれがすれになる。 視界が、にじんでくる。 彼女を温めてやりたい。 それが出来たら、どんなにいいか。 ……くそ。 もう限界だ。 もう、これ以上、直をあのままになんか出来ない。 僕は木の陰から―― 「……」 出ようとしたら、直が電話に出た。 「……」 しばらく話し込んでいる。 「……」 やがて会話を終えると、直は大きな白い息を吐き出し、ベンチから立ち上がった。 そして、とぼとぼと背を丸めて歩き出す。 こっちに来る。 「……」 僕は息を殺して、隠れたまま直を見ていた。 「イズミ……」 「……ぐすっ、イズミ……」 直は公園の出口に立つと、僕の名前を何度か呼ぶ。 ベンチの方をじっと見つめる。 頭や肩に雪が付着するのも厭わず、しばらく立ち尽くしていた。 「……」 が、やがて公園を出た。 「……」 「直……」 僕は夜の闇の中に消えていく直の後姿を黙って見送った。 気持ちがひどく落ち込む。 僕はその場に屈んで、息を吐く。 そこには薄っすらと降り積もった雪の上に直が残した靴の跡が残っていた。 指先で触れてみる。 「冷たっ」 指が射すように痛む。 「……」 それでも、僕はしばらくそうしていた。 「ただいま……」 冷え切った身体を無理矢理動かして、何とか帰還する。 「おかえり~。って、うわっ!?」 「イズミ、お邪魔してる――貴方、どうしたのよ?」 妹と姉が同時に驚きながら、玄関に立つ僕を見た。 「え? 何?」 「何じゃないし! 兄、唇、紫じゃん!」 「顔色もひどいわ……貴方、この雪の中何してたのよ?」 「えっと……」 「公園でしばらく立ってて、その後道にうずくまってた」 「何でそんなことを……」 姉が呆れ顔で嘆息した。 「お風呂沸かすから、ちょっと待ってて!」 「お兄ちゃん、解凍しないと!」 悠が駆け足で風呂場へ。 解凍って、冷凍食品かい。 「雪をはらって、早く暖まりなさい」 「うん」 言う通り、身体じゅうについた雪を払って、コタツに入った。 「はい」 新田サンがお茶を淹れてくれた。 「ありがとう」 ありがたく、いただく。 「ねえ、イズミ」 「何?」 「川嶋さんに、告白されたって聞いたけど」 「うん」 こくん、と頷く。 「……そう」 新田サンは目を伏せて、僕から視線を外す。 「心配しなくていいよ」 「え?」 「もう、カタはついたから」 「それは――」 「さっき終わらせてきた」 「直は、もう僕を待ってはいない」 「僕達は、もう終わったんだ」 「……」 「……わかったわ」 新田サンは目を伏せたまま、そう答えた。 「お風呂沸いた!」 「入るがよろし!」 戻ってきた悠が僕の腕を取って、引っ張る。 「うん、ありがとう」 妹に急かされて、立ち上がる。 「お兄ちゃん早く早く♪ じゃあ、新田は私達が上がるまで待ってて♪」 「ええ、わかったわ、なるべく早く――って、あんたも入るつもりなの?!」 姉びっくり。 「言わせんなよ、恥ずかしい」 妹は両手を頬に当てて、身体をくねらせた。 「……恥ずかしいなら、いっしょに入らなければいいでしょ?」 「イズミは今、傷心してるんだから、一人にしてあげなさいっ」 「だから、私が慰めるんじゃん」 胸を張ってドヤ顔になる妹さん。 「……いっしょにお風呂に入って、どうやって慰める気なのよ? あんた……」 姉はこめかみの辺りをひくつかせながら、問うた。 「言わせんなよ、恥ずかしい……!」 またもじもじしだす。 でも、嬉しそうでもあった。 「恥ずかしいならしないのっ!」 まさに正論であった。 「すー、すー」 「ん……」 「……」 悠と新田サンの寝息を意識の端にとらえながら、僕は部屋の中の闇を見つめていた。 今日は兄妹全員そろって初めていっしょに夕食を摂った。 そして、悠にせがまれて新田サンもこの部屋に泊まる。 つかのまの安息――のはずなのに僕は、どこかうわの空で。 「……直」 直の姿が頭から離れない。 目を閉じたら勝手にまぶたの裏に彼女の姿が浮かぶ。 たった一人で、寂しそうにしてた彼女が。 寒さに震えていた彼女が。 ……僕をずっと待っていた彼女が。 「……」 目を開ける。 ダメだ、眠れない。 起き上がって、窓にかかってるカーテンを開けた。 窓の外は存外に明るかった。 雪明り。 また降り出したのか。 「……」 雪を見ていると、また直のことを思い出してしまう。 苦しくなる。 彼女に謝りたかった。 彼女に許してほしかった。 彼女に。 彼女に―― 彼女に――会いたかった。 「……」 僕は上着を手にして、そっと部屋を出た。 何の目的もなく、雪の中を歩く。 誰もいない、駅前をふらふらと。 音もなく降り続ける雪。 「……」 手のひらを広げて、その上に舞い落ちる雪を見つめる。 体温がどんどん失われるのがわかる。 もしかしたら人魚は保温能力が低いのかもしれない。 覚醒した後、こんな風に身体のわずかな変化に気づくことがよくある。 「やっぱり、もう僕は」 戻れない。 直と出会った頃には。 僕は白い息を指先に吹きかけながら、歩き出した。 あてもなく歩いていたら、公園にたどり着いた。 今度は中に入ることにする。 直の座っていた、あのベンチに―― 「……」 その時、僕は。 きっと、幻を見ていた。 直が、いた。 スマホを見ているのか、手元の辺りがぼんやりと光を放っている。 ああ……。 君は、いったいどれだけそこにいたんだ……? 心が、割れた。 そこから、直に対する想いがとめどもなくあふれてくる。 どこまでも、お人好しで。 だから、危なっかしくて。 でも、とびきり優しい彼女を、僕は放っておけなくて。 今も――放っておけなくて。 僕は彼女の前に立ってしまった。 「へへ、こんばんは」 「こんばんは、じゃないよ」 「……どうしているんだよ?」 「イズミと約束したから」 「してない。君が勝手に待つって言ったんだ」 「あれからのメール全部、無視したろ?」 「来ないって、わかるだろう?!」 興奮してつい声がでかくなった。 心配なんだ。 僕はどうしようもなく、この子が心配だった。 「でも、来てくれた」 「イズミは来てくれたじゃん」 嬉しそうに破顔した。 「馬鹿……」 「君は馬鹿だ……」 「僕には、もう……」 君にそこまで想ってもらう資格はないのに。 決壊しそうな涙腺を、必死に守って、言った。 「あんまり馬鹿馬鹿言わないでよ」 「……でも、こうしてイズミが心配してくれるなら」 「あたし、馬鹿のままでいいかな」 「……っ」 言葉につまる。 僕は、もう何も言えなくなる。 「好きだよ、イズミ」 「好き、大好き」 「こんなに誰かを好きになったことなんて、なかったよ」 「……」 僕は唇を噛み締めて、彼女の言葉を心に刻む。 「いつか、イズミ言ってたよね?」 「あたしの心と身体をどうするかは、あたしの自由だって」 「最後の最後は、自分で決められるって」 「売り渡すかどうかは、あたしが決めていいはずだって」 「だから、あたしは自分で決めるよ」 「たとえ、どんなに辛くても」 「あたしは、貴方を――」 「ずっと好きだよ」 直は立ち上がり、僕を抱きしめる。 冷えた身体。 そして、僕の身体もすでに冷え切っていた。 「二人共、身体冷たいね……」 「うん、そうだね」 「こんなにそばにいるのに、暖められない……」 「それでも、二人でいることに意味はあるのかな……?」 「何も与えられない僕でも、君を抱いてもいいのかな……?」 僕は直に抱かれながらも、彼女を抱き返すことを躊躇していた。 両腕は、だらりと下がったまま。 「それは、イズミが自分で決めないと」 「あたしは決めたよ」 「貴方はどうしたい?」 僕を抱きながら笑む。 「……うん、そうだね」 自分の事は自分で、決められる。 それは言い換えれば、自分で決めなくてはいけないということ。 直は決めた。 僕といると。 そして、僕は―― 「直」 君といたい。 たとえ、どんなに短くとも。 可能な限り、君と同じ時間を共有したい。 「あ……」 そう伝える代わりに、僕は直を強く抱いた。 「あさー!」 あんなことがあっても、当たり前のように次の日はやってくる。 「そんなの当たり前当たり前当たり前当たり前だっ!」 「時間は常に流れてる! ノンストップ!」 「さあ、君も日常に回帰しろ! ご飯食べて、出勤だ――っ!」 いや、働いてないし。 「いつまで空を眺めてるの?」 あ。 背中からの声に振り返る。 「イズミ、朝食よ」 「簡単なモノしかないけど、食べなさい」 姉さんはトレイに乗せたトーストや、ハムエッグをテーブルに置く。 「うん」 正直、食欲なんてまるでない。 それは姉さんだって同じだろう。 でも、戦うというのなら体調は万全にしないと。 「いただきます」 無理にでも胃に食物をつっこむ。 「……」 僕と同じ考えなのか、姉さんも顔をしかめながらも懸命に咀嚼していた。 「……」 「……」 二人とも黙々と、朝食を口に運び、少し噛んで飲み込むのを繰り返す。 静かだった。 妹がいない食卓は、胸がえぐられるくらい静かで寂しかった。 「ごちそう様」 「お粗末様」 ほぼ同時に二人共、食べ終わる。 「コーヒーお代わりいる?」 「ありがとう。でも、いらない」 「そう」 短いやり取り。 その後、またすぐ沈黙が訪れる。 会話が弾まない。 仕方ないけど。 「姉さん、今日からあの人を捜すんだよね?」 僕から話題を振ることにした。 「いえ、今日は普通に学園に行くわ」 「まだ学園行くの?」 意外だった。 少なくとも、決着がつくまではもう行かないかと思っていた。 「イズミ、あの女と戦う以上、最悪の事を想定しないといけない」 「……それは二人共殺されるってことだよね?」 「そうよ」 姉さんは小さく頷く。 「だから、今日は学園に行って、自分の今までの生活に一応のケジメをつけましょう」 「貴方にも、友人がいるでしょう」 「最後に顔を見て、お話をして」 「心の中で、お別れを言っておきなさい」 「……最後の登校か」 「場合によっては、ね」 「そうならないように、最善を尽くすよ」 「ええ」 「さあ、着替えて行きましょう」 「うん」 僕は立ち上がって、制服を手に。 「あ」 ここまで話して、僕は唐突に思い出した。 僕にはつけなければならないケジメがもう一つあったことを。 「ごめん姉さん、悪いけど先に行って」 「え? どうしたの?」 「学園以外にも、僕はやらないといけないことが一つある」 「手間取るかもしれないし、まずこっちを片付けちゃうよ」 「いいわよ、いっしょに行ってあげるわ」 「ドコで、何をするの?」 「加納さん家」 姉さんと二人で加納さんの家に行く。 家じゅうひっくり返して、親戚の連絡先を捜した。 予想通り住所録などというきちんとしたモノなんてない。 「……ったく、あの人は」 そばに居なくても、僕をイラつかせてくれる。 「こうなったらもう手当たり次第よ」 「郵便物をあたってみましょう」 「わかった」 姉さんの指示に従い家捜し再開。 黄色く変色した葉書を四枚発見。 ……もう夕方じゃん。 差し出し先は九州、奈良、島根、愛知。 「見事にバラバラ……」 「いいから連絡してみましょう」 「電話番号がわからない人には電報を」 「うん」 とにかく手かがリは手に入れた。 もうここを出よう。 「私は電報の手続きをするから」 「貴方は連絡を」 「わかった」 姉さんは手際よく仕切ってくれて超助かる。 では、僕は。 加納さんの縁者にTEL。 『もしもし?』 「あ、もしもし、僕、加納イズミと申しますが――」 『ああ?! 加納だあっ?! お前、あのくそジジイの知り合いか?!』 「え? 知り合いというか、形式上は息子というか」 『息子おっ?! なら、アイツに貸した金代わりに返してくれよっ!』 えー?! 「父がもしかして、ご迷惑を――」 『迷惑も何も、あの男は親戚中の嫌われ者だっ! 皆縁切ってんだよっ!』 ああ……。 やはり加納さんは昔からロクデナシだったんですね。 頭が痛くなってきた。 「え、えっとですね……」 僕は加納さんの現状を簡単に説明した。 『あの男がどうなろうが知るかっ!』 大声を張り上げて、電話を叩き切られた。 「……」 僕はスマホを持ったままがっくりとうなだれる。 「? どうしたの? イズミ」 電報の手続きを済ませた姉さんが、僕を見て少し驚く。 「い、いや」 「ちょっと今の人は加納さんと昔トラブってたみたいで」 「イズミの話だとかなり問題のある人みたいだし、それはあるわね」 「あと残り二人にかけてみるよ」 奈良と愛知。 「そうね、九州には電報を打ったけど、遠いからあまり期待は出来ないしね」 「次は、奈良の女の人に……」 『は? 加納? ちょっとやめてくれない。名前も聞きたいないわ、あんな人』 「……」 速攻切られた。 おおーい、加納さん。 あんた、どんだけ嫌われてるんですか。どんな人生歩んでたんですか。 勘弁してくださいよ。 「ああ、もう……!」 頭を抱える。 「イズミ、また?」 「……うん」 こっくりと頷くしかない。 「困った人ね……」 姉さんもため息を吐く。 「ぶっちゃけメゲそうだよ」 自分が悪いわけじゃないのに悪し様に文句を言われる。 まるで企業のクレーム担当者だ。 「次は私が電話してあげましょうか? イズミ」 「いや、さすがにそれはダメ」 「そう? 遠慮しなくてもいいのよ」 「一応、息子は僕だし」 気を取り直して、スマホを握る。 これは僕の問題だ。 僕がやらないと。 「頼むぞ、愛知!」 気合を入れて、最後の連絡先に電話をかける。 『はい、どちら様ですか?』 「あ、もしもし、僕、加納イズミと言います。実は――」 『加納? ああ、あの加納さん……』 『昔、私を酔わせて、イヤらしいことをしようとした……』 ぐわっ。 何やってんだ、加納おおおおおおおおおおおおっ! 僕は心の中で、絶叫した。 『で、その加納さんがどうかしたんですか?』 とてもとても冷めた声で聞かれる。 「は、はい、その……」 手短に状況を話した。 『私が、あの人の面倒をみると思います?』 「……思いません」 『わかっていただいて何よりです。では』 さくっと切られた。 当然である。 「あのセクハラ親父は……!」 嘆く。 たとえ形だけとはいえ、あれが僕の父親なのかよ。 「……ダメだったみたいね」 「加納さんが、いかにロクデナシか再認識したよ」 全然そんなこと認識したくはなかったが。 「これで九州がダメなら全滅ね」 「この分じゃあ、そっちも絶対ダメだろうね」 嫌われまくってるからな。 死に水どころか、お通夜にだって来ないだろう。 「やれやれね……どうする?」 「僕は……一応、病院に顔を出してくるよ」 家族は誰も来ないと医者に報告だけはしとこう。 「そう」 「わかったわ。行きましょう」 「え? 姉さんはいいよ」 「今から学園に行っても、仕方ないでしょ」 「それなら、家で休んでてよ」 「……一人で、あの部屋に居るのはツライのよ」 ふっと姉さんの表情が陰る。 「あ……」 「ご、ごめん」 「じゃあ、いっしょに」 手を差し出す。 「ええ」 力なく笑い、僕の手を取る姉さん。 「行こう」 僕はわざと姉さんの手を強く握り締めて、歩き出す。 病院に着くと、姉さんには待合室で待っててもらい僕は担当医と会った。 加納さんの状態はもはや末期で、手のほどこしようがないと言われた。 終末医療を勧められ、家族にも早く会ってもらえと急かされた。 「家族は僕しかいません」 そう伝えた。 僕だって家族などとはとても呼べない存在だけど。 医者は悲しそうな顔になり、「そうですか」と言っただけだった。 「失礼します」 またここに来てしまった。 もう二度と来ないと思っていたのに――来てしまった。 僕もたいがい煮え切らない男だ。 「今日、加納さんの親戚に連絡取ってみました」 あいかわらず反応のない加納さんに話しかける。 もう慣れたが、居心地の悪さは変わらない。 「貴方、随分嫌われてるじゃないですか」 「こっちが文句言われちゃいましたよ」 「借金して返さなかったり、女性に変なことしようとしたり」 「ドコまで、腐ってるんですか」 語気を強めて言う。 言ってて少し嫌になる。 父親を叱るハメになるとは。 たとえ、形式とはいえ僕の父親なのに。 立派でいてくれとはいわないけど、もう少しマシだっていいじゃないか。 つくづく親には恵まれない。 「誰も加納さんの面倒をみようとはしてくれません」 「もちろん、僕も嫌です」 「自業自得ですよね」 「貴方は、ここで一人寂しく死ぬんです」 そう言った瞬間。 微かに加納さんの肩が揺れたような気がした。 気のせいか。 眠っているんだからな。 「肝臓がもうダメみたいです」 「あと、肺にも転移して……いや腸が先だったのかな」 「どっちにしろ、もう手遅れだそうです」 「身体だけは健康で、何十年も病院に行ってなかったそうですね」 「それがアダになっちゃいました」 「もう年なんだから、年に一回くらい健康診断を受けていれば……」 「……」 「僕がこんなこと言うのも変ですね」 「あんたが大嫌いなのに」 「それに、あんただって……」 そこまで言って、口を閉ざす。 加納さんのまぶたが。 「……」 開いた。 「……目が覚めましたか?」 加納さんは何も言わない。 もしかしたらしゃべれないのかもしれない。 彼は点滴の繋がった自分の腕を、呆けたような顔で見つめていた。 事態を把握できていないのか。 「加納さん、ここどこかわかりますか? 病院です」 加納さんはきょとんとした顔で、僕の方を見つめるだけ。 「林の中で倒れていたのを発見されたんです」 「どうして、そんなとこ行ってたんですか?」 「頭の怪我だって、まだ癒えてなかったのに……」 加納さんは、じっと僕を見つめていた。 いや、見てはいないのかもしれない。 視線を感じない。 ただこっちを顔が向いてるだけ。 「……会話にならないですね」 「まったく……」 すごく疲労した気がする。 いつもそうだ。 加納さんは、いつも僕を精神的に追いつめる。 気にしなければいいのに、といつも思うのに。 何故か僕はこの老人に囚われてしまう。 「……帰ります」 もう逃げ出したくて、そう言った。 「何かあったら、ナースコースすればいいですから」 加納さんはピクリとも動かない。 自分のことなのに、まるで興味がないという風に。 その様子に僕は苛立つ。 「ほら、このボタンです」 僕は壁からコードが延びている、手のひらサイズの機器を強引に彼に握らせる。 加納さんの手はごつごつとしていた。 長年の肉体労働で擦り切れた、消耗しきった手だった。 「苦しかったり、痛かったりしたら、これを押すんです」 「いいですか? これを押すんですよ?」 小さな子供に言い聞かせるように、何度も同じことを繰り返す。 加納さんは困ったような顔をして、笑った。 媚びたような笑顔。 それが、僕をさらに苛立たせる。 うんざりだ。 もう、うんざりだ。 「……」 僕は彼の手を放すと、病室の出口に向かった。 「さよなら」 僕はそう言い残して、乱暴に扉を閉めた。 どうしてだろう。 こんなに不安になるのは――。 待合室の姉さんに声をかけて、病院を去る。 もう二度とここには来ないだろう。 さよなら、加納さん。 帰り道、姉さんに公園に誘われた。 今日はもう用事もないので、誘われるがまま足を運んだ。 「はい」 缶コーヒーを手渡される。 「うん、ありがとう」 受け取ると、缶は火傷しそうなくらいに熱かった。 両手でお手玉をするように交互に持つ。 「本当はあの店が良かったんだけど」 「まさか、お休みなんてね」 「シャッターには不定休ってあったけど」 「変な喫茶店よね」 微笑しつつ缶を開ける。 姉さんはレモンティーだった。 「やっと少し冷めた」 僕も続いて缶を開けて、中身を口にした。 甘味が強い。 胃に温かい液体が落ちてくる。 少しだけ、ホッとした。 「はあ……」 ひとつ息を吐く。 そして一気に飲み干した。 「ほい」 空き缶を投げる。 キレイな放物線を描いて、缶はゴミ箱に吸い込まれた。 「少しは落ち着いた?」 「幾分は」 「良かったわ」 「貴方、いつもあそこに行くとツラそうになるから……はい」 姉さんは飲み干したレモンティーの缶を僕に手渡した。 「えい」 もう一度投げる。 今度も、見事ゴミ箱に入った。 「上手いのね」 「球技は割りと得意なんだ」 「知らなかったわ」 「貴方、あまり球技大会で活躍してなかったわよね?」 「球技は得意だけど、団体競技は苦手」 「なるほどね」 苦笑されてしまった。 「ねえ、イズミ」 「うん」 「私達、知らない事多いわね」 「そうだね」 「子供の頃、散り散りになっちゃったから」 「その頃から、ずっといっしょにいれば、僕は今よりはまっとうだったかもしれないね」 「今はまっとうじゃないの?」 「大分屈折してると思う」 「幼少期に愛情を知らずに育ったから?」 「かもしれないね」 「そう、じゃあ」 夕陽を背にした姉さんが僕に近づく。 手を伸ばして軽く僕の頭に触れた。 「何?」 「頭を撫でてあげようと思って」 「でも、貴方、私より背が高いから」 「さすがに今さらしなくてもいいよ」 「私がしたいのよ。させなさい」 命令された。 「……こうすればいい?」 頭を下げる。 「……何か謝られているみたいで嫌ね」 「ほら、こうしなさい」 「あ」 引っ張られて引き寄せられる。 僕は顔を姉さんの胸に埋めるようにした。 「ほら、いい子いい子」 おどける様に髪をくしゃくしゃと。 「姉さん、これ何か恥ずかしいんだけど」 「そう?」 「でも、止めないわよ」 「ほら、お姉さんに甘えなさい」 さらに強く顔を胸に押し付けて、頭を撫でる。 姉さんとくっつけてすごく嬉しいんだけど。 それ以上に、子供みたいで恥ずかしい。 「やっぱ恥ずかしいよ、姉さん」 そう言いつつ無理に離れようとはしない。 お姉ちゃん子の僕である。 「ふふ、はい、いい子いい子」 姉さんはめっちゃ僕を可愛がる。 ぎゅっと胸を押し付けてくる。 これでもかと髪を撫で、耳元で「いい子ね」を連発する。 「うう……」 周囲の目が気になった。 「はい、おしまい」 やっと開放された。 「もう……」 ジト目で姉を睨んだ。 「あら、せっかく愛情を注いであげたのに」 「反抗期かしらね」 しれっと姉はそんなことを言う。 「反抗期なんて、生活に余裕のあるヤツの贅沢品だよ」 生きるのに必死ならそんなヒマもない。 反抗どころか、媚びへつらえる機会の方が増える。 そうして、屈折した人間ができあがるのかもしれない。 僕のように。 風が吹いて来た。 せっかく温まった身体がすぐに冷えてしまう。 「そろそろ帰りましょうか?」 「うん。今日はごめん」 「何が?」 「本当は最後の学園の日にするつもりだったでしょ」 「ああ、別にいいわ、一日くらいズレても」 「明日で最後よ」 「うん、でも、全部終わったらいっしょに復帰しようよ、姉さん」 「……そうね」 姉さんは寂しそうに微笑した。 「あ痛た……」 「高階、もうちょっと優しくやってくれない?」 「すっごく優しくやってますよ」 「怪我がひどすぎるんです! 絶対後で病院にも行ってくださいよ」 「わかったわかった」 とりあえず手当てがしたくて、保健室に駆け込んだ。 偶然にもキズバンドをもらいにきた高階がいて、包帯を巻いてもらうことに。 「一応、消毒して薬を塗っておきました」 「でも、本当にこれだけじゃダメですよ?」 「たぶん、レントゲンで骨を診て、傷口は縫わないとダメだと思います」 「あんまり大げさにはしたくないんだけど」 「そんなこと言ってる場合じゃないです」 「五日後の演奏だって、それだと怪しくないですか?」 「でも、まあ一曲だけだし」 「わざわざあそこまで準備して、一曲で終わるつもりですか?」 「白羽瀬先輩って、ネットでは有名なんですよね? アンコールとかありそうですよ」 「その時は、軽音部のギターの子に代わってもらうさ」 どうせ一曲しかマトモに弾けないし。 「まったく、いきなり流血したカノー先輩が入ってくるからびっくりしましたよ」 「いったい何があったんですか?」 「だから、そこは黙秘権」 「その一点ばりですもんねぇ」 「法治国家って素晴らしいよね」 「はぁ……治療にきたら、逆に治療するハメになるし」 「そういえば、高階の怪我は?」 「これっす」 右手の小指に小さな裂傷が。 「紙で切ったっぽいね」 「ご名答です。チラシ折ってて、それで」 「もしかして、白羽瀬悠ミニライブの告知チラシとか?」 「ですです」 にっこりと笑う。 「……」 「ありがとう、それから怪我させてごめん」 「え? いやいやいや! それほどのことでは」 「ていうか、白羽瀬先輩のこと、めちゃ面倒みてますね、カノー先輩」 「ぶっちゃけ好きなんですか?」 「うん、好きだよ」 ごく自然に言葉が出た。 「うわあ~~っ……!」 「ぬわあ~~っ……!!」 「くわあ~~っ……!!!」 後輩は頭を抱えて、身体をくねくねしだす。 「何故悶える?」 「も、悶えてるんじゃないっす!」 「ショックを受けてるんですよ! 100テラショックです!」 テラっすか。 「聞きたくなかった……」 「君が自分で聞いてきたんでしょ」 「あはは、まあそうなんですけどね」 へらっと笑いながら頬をかく。 「ありがとうございます」 「ん?」 「引導渡してくれて、良かったです」 また笑んだ。 さっきと何の変わりもない笑み。 強いな。 たぶん、高階は僕なんかより100テラ倍くらい強い。 「……」 「なあ、高階」 「何ですか?」 「僕、実はさ、人魚なんだ」 「はあ?」 さすがに目を点にする高階。 「世界には正義の人魚と悪い人魚の二種類がいて、皆が知らないところであくなき抗争を繰り広げているんだ」 「マジっすか」 「カノー先輩、更生して下さい」 「いやいや、僕は正義の方ですから。ジャスティス側ですから」 「やたら正義を主張する人は信じるなって、おとーさんが言ってました」 「素晴らしいな、高階父」 「自慢の父ですから」 胸を張っていた。 「そんなわけで、僕は日夜正義のために戦ってるんだけど」 「お疲れ様っす!」 「もし、高階に何かあったら正義なんかほっぽり出して、僕すぐに助けに行くよ」 「……え?」 「本気でそう思ってる」 「……世界の正義はいいんですか?」 「そんなものより、可愛い後輩の方が大事だ」 「自分、優先度すげー高いっす!」 「もちろんだよ、超高いよ」 「でも、白羽瀬先輩よりは低いんですよね?」 「……」 「……ごめん」 頭を下げた。 「いやいやいや!」 「そんなマジにとらないでくださいよ!」 「ちょっとカノー先輩って、いいなって、思ってた程度ですから!」 「何だ、そうなの?」 マジになってしまった。 ちょっと恥ずかしい。 「さすがカノー先輩、自意識過剰で素敵です!」 褒め殺された。 「ひどいよ、イクイク」 泣きそう。 「あははは!」 僕達の会話を遮るように、チャイムが鳴った。 昼休み終了の予鈴だ。 「じゃあ、僕、行くわ」 僕は丸イスから立ち上がった。 「あ、どちらに?」 「早退して、病院行って来る。あ、皆に連絡頼むよ」 「了解です!」 「じゃあ」 「はい! お大事にしてください!」 僕は保健室を後にした。 「……」 「……カノー先輩……」 「う、ぐすっ……」 「うっ、ひっく……」 「うわああああああああああああああん!」 高階の忠告を素直に聞いて、駅前の個人医院に行く。 奇跡的に骨には異常がなかった。 だが、血小板が極端に少ないと驚かれた。 入院を勧められたが、やんわりと断わって病院を出た。 僕にそんなヒマはない。 「……」 雑踏の中を歩く。 「……ん?」 奇妙な匂いを感じた。 成魚になったせいか、僕は鼻が利くようになった。 この匂いは……。 「人魚か……」 人魚が放つ特有の匂いが、鼻につく。 知ってる匂いだ。 でも、誰かは特定できない。 「……」 足を止めずに、軽く振り返る。 人ごみの中に目を凝らした。 見知った顔は、ない。 「こらっ」 「うわあっ?!」 背後からいきなり肩を捕まれた。 慌てて、飛びのきながら背後に視線を。 「驚きすぎよ、イズミ」 姉さんだった。 「ご、ごめん」 「ちょっと、今ぴりぴりしてて」 「みたいね」 「遠くからでも、張り詰めた匂いが漂ってきたものね」 「匂いで、そんなことまでわかるの?」 「ええ、もっとも私は鼻は利かないほうだけど」 「それでも、今の貴方はわかりやすいわ」 「そうなんだ」 さっき僕が感じたのは自身のそれだったのか。 あるいは、目の前の姉さんのか。 「高階から、貴方がひどい怪我をしてるって聞いて、捜してたのよ」 「携帯で良かったのに」 「携帯って、これの事かしら?」 姉さんは上着のポケットから取り出した端末を僕に見せた。 僕のスマホだった。 「教室に置いたまま、居なくならない」 「悠も心配してるんだから、後で連絡を入れてあげなさい」 携帯を嘆息しつつ、僕に差し出す。 「面目ない……」 受け取って、制服のポケットにしまう。 保健室からまっすぐ外に出たせいだ。 携帯しない携帯電話ほど無意味な物もない。 「それで、その怪我はどうしたの?」 「それについては、黙秘――」 「一応言うけど、話さなかったら、貴方の怪我が増えちゃうかもしれないわよ?」 笑顔で恫喝された。 さすが新田姉。 超法規的存在である。 「実は校舎の屋上に、雑種がいてね」 ウソをつく。 「え? あんなところに?」 僕がイズナにやられたと言えば、きっと姉さんは激昂してイズナを狩りに行くだろう。 イズナは姉さんも食うと言っていた。 ――行かしたくはない。 「僕はもう能力の大半を失ってるから、追っ払うのに苦労したんだ」 「私の知らない雑種が、この町に……」 「どうだろう、姉さんの知ってるヤツかも」 「ヤツらには、私のテリトリーに入ってくるなと厳命してあるのよ」 「入ったら、容赦なく狩るってね」 「そう、じゃあニューフェイスの可能性もあるね」 「後で、そいつの特徴を教えてちょうだい」 「わかった」 仕方ない。 適当にでっちあげるしかない。 ごめん、姉さん。 「そもそも、イズミはもう人魚と戦うなんて無茶はしないの」 「成魚になった雄は、もう……」 「わかってるよ、姉さん」 「心配してくれてありがとう」 「じゃあ、僕、悠のところに戻るから」 手を振って、歩き出す。 あまり話してるとボロが出る。 早々に退散。 「あ、ちょっと」 「……」 「……代われるものなら……」 「……そんなわけには、いかないわね……」 「もう私一人の命じゃない……」 「そうよね? ユタカ……」 「朝――――――――――――――――――っ!」 夜が明けて、今日も日常がやってくる。 朝食を食べて、学園に行ってのいつもの日常様である。 「Oh! Yes!」 「グッモーニン! ミスターカノー!」 「プレゼン、デイッ! プレゼン、モーニン!」 「HAHAHAHAHAHAHA!」 でも、僕と悠はあっさり、そんな日常を無視することにした。 「な、なんだって―――――――――――っ!」 擬人化された日常が頭を抱える。 この日常、テンション高すぎ。 「むくり」 文字通りむくりと起き出した白羽瀬が、隣の僕を見る。 「兄、おはー」 で、挨拶。 「おはよ」 「ていうか、寝癖ついてる」 めっちゃ髪跳ねてる。 「おおう」 自分で触れて、驚く。 「たちどころに、直してくる!」 勢い良く立ち上がる妹。 「今日は学園行かないし、出かけるのは夕方だよ?」 「そんなに焦んなくても」 「ダメ、淑女的な意味で」 「そんなわけで、お湯沸かして兄」 「手間のかかる淑女だ……」 言いつつも、起き上がる僕もたいがい甘いけど。 ヤカンに水道水を注ぎ、ガス台にのせて火を点ける。 湯沸かし器の調子が悪いから、いつもこうだ。 僕が来る前から、こうだったがメンドーで放置していたらしい。 そのうち修理しないと。 「いただきまーす」 「いただきます」 そろって朝食を摂る。 炊きたて御飯、卵焼き、納豆、味噌汁、焼き魚はシャケ。 即効で作った浅漬けも用意した。 「ぱくぱくもぐもぐむしゃむしゃぱりぱり!」 妹は夢中でかっくらう。 「慌てなくていいから、ゆっくり食べて」 「……んっ! ……んんっ!」 頬袋をパンパンに膨らませたまま元気に頷く。 リスかい。 「――っくん、ぷはあ~」 番茶を飲んで、ようやく声が出る。 「やっぱ、朝は和食だぜ~」 ご満悦。 それだけ喜んでくれれば、作ったかいもある。 「もっと食べたかったら、おかわりして」 「味噌汁も残ってるし、シャケも焼いてあげる」 「うーん、でも、あんまり食べると太るし」 「白羽瀬は、少しくらい太ってもいいよ」 「そうかにゃあ?」 「ああ、お前、平均より身体ちっちゃいだろう」 出会った頃、白羽瀬は出来合いのモノばかり食べていた。 今までずっと一人暮らしで、偏った食生活だったのだろう。 「もっと太ましい方が、兄は好み?」 「いや、僕の好みとかそーいうんじゃなくて」 「――兄はデブ専っと」 メモっていた。 「ちがうし!」 兄はテーブルを叩いて、そんな性癖はないと主張した。 「じゃあ、何専?」 「何専でもない。フツーです」 「兄、ノーマル」 箸を置きながら、真実を語る。 「ウッソだあ~」 だが、にまにまと猫口で笑う白羽瀬さんは僕の言を一蹴する。 「私の見るトコロ、加納くんはノーマルなんて、ありえない」 「兄、もっと自分に素直に」 「何を根拠に」 「妹である私のパンツに、毎日のように触れてるし」 「それは白羽瀬が自分で洗濯しないからでしょ……」 羞恥心とかそういうのが欠けているのだ、こいつは。 お子様め。 「最近、お気に入りが一枚足りないんだよね~」 「チラッ」 「取ってないし」 チラッじゃない。 「にゃあ~」 僕達が騒がしくしたせいか、マル美も目を覚ました。 「……ふー、にゃう、にゃう!」 ごそごそと悠の布団の中から、這い出てくる。 口に《・》僕《・》のパンツを咥えていた。 「……」 「……」 途端に家族の食卓は水を打ったように静かになる。 「あの、白羽瀬さん……」 「な、何でしょう?」 「何故に僕のパンツが、貴方の布団から出てくるのですか……?」 「ワ、ワタシニ、イワレテモ、シラナイシ?」 目を逸らす。 あからさまに怪しかった。 「妹、変態!」 テーブルを連打して糾弾する。 「な?! 違うし! 誤解だし!」 「ちゃんとした理由あるし! 兄、聞いて!」 妹は前のめりになって、無実を訴える。 「一応、聞こうじゃないか」 「私、加納くん――兄があんまり家に帰ってこないから、ずっと寂しくて……」 「うん、寂しくて?」 「何か少しでも、兄の存在を感じられるアイテムはないかと捜しました」 「そりゃあ、もう捜しました」 「これでもかと、捜しまくりました!」 力説する。 熱がこもっていた。 「そして、ついに見つけたのが――」 「……パンツっすか?」 「イエス! イエス! イエス!」 妹は満面の笑顔で親指を立てた。 「そこはせめて、シャツとかそのあたりに落ち着こうよ!」 涙目で妹に正しいヒロインとしての有様を提言する。 ああ、予感はあったけど、また残念で、駄目な妹だった……。 「三代目が生まれてしまった……」 うなだれながらつぶやく。 「誰が、何の三代目かっ」 「ていうか、誰?!」 そこはあえて言わない。 あえて無視する何とやら。 「とにかく、僕はもういるんだから返しなさい」 言って、マル美が引っ張ってきたパンツを回収する。 しわしわだった。 いったい何日間持っていたのか。 「で、兄」 「何?」 「私のパンツは?」 「だから、僕は取ってないよ!」 「えー?」 妹は瞳をぱちくりさせる。 本気で疑ってたのかよ。 凹むなあ。 「――兄、シスコンだけど、パンツには興味なしっと」 またメモっていた。 「僕、シスコンじゃないって」 「――兄、シスコンだけど、パンツには興味なしっ!」 「兄、シスコンだけど!」 「シ・ス・コ・ン・だ・け・ど!!」 譲らない。 どうしても僕をシスコンということにしたいらしい。 「はいはい、もうそれでいいよ」 折れる。 そうしないと延々とこの話は続きそうだ。 食事も終わったし、そろそろ片付けるか。 「僕、食器の片付けやるから、白羽瀬はテレビでも見てて」 僕は食器をトレイに回収して、立ち上がる。 「はーい♪ あ、そうだ」 「私も家事する! 洗濯するよ!」 白羽瀬が嬉しそうにぴょんと飛び跳ねた。 「いいけど、僕のパンツ取るなよ」 「ナ、ナンノコトー?」 めっちゃ怪しかった。 ……後で枚数は確認しよう。 「このこのこの!」 「パンツ姫言うな、エロ房、巣に帰れ!」 「情弱乙~」 「はあ? それ草不可避だし!」 食事と家事以外、僕達はずっとこの部屋に二人でこもっていた。 白羽瀬はあいかわらず見えない相手と戦っている。 先日上げた『歌ってやった』の新作動画にコメントが多くついていたらしい。 「あんまり荒ぶるな、妹よ」 僕は隣で雑誌をめくりながら言う。 「だって、こいつら全然わかってないし!」 「ゲージツがわかんないヤツばっかり」 白羽瀬はぷりぷり怒りながら、乱暴にPCのキーボードを叩く。 「何て書かれたんだ?」 ノートPCの画面をのぞいてみる。 『パンツ姫、あいかわらず可愛い。でもギター下手すぎ』 『ギター、素人丸出しワロタ』 『YUUなら、もっと上手いヤツと組めるはずなのに~』 「叩かれてるの僕じゃん」 前撮ったヤツ、アップしてたのか。 「ムカつくっしょ?」 「全然」 「何で?!」 「下手のは自覚してるから」 興味を失った僕はごろんとコタツで横になる。 「え~? 加納兄、淡白すぎ」 「兄も、もっと荒ぶれよ~」 揺すられる。 落ち着かない。 「妹、やめて」 「寝られない」 「寝るのダメっ」 さらに揺すられる。 「今からリベンジだし」 「は?」 僕は揺すられながら、妹の顔を見上げる。 「今から、もう一曲、動画撮る」 「加納兄のすーぱーギターテクを見せてやれ!」 「兄、コード三つしか知らないんですけど」 「うんうん、お兄ちゃん、コード三つしか――って、うおおおい!」 両手を頬にくっつけて驚愕していた。 ム○クかよ。 「前回、どうやって弾いたの、兄?!」 「え? まあ弾けるトコだけ頑張って……」 「あとはテキトーにエアギターで」 「どうりで、何か音寂しいと思った――っ!」 今それに気づく、お前もたいがいではある。 「そんな腕前で、歌姫の私とユニット組んでたのかーっ!」 「兄に、騙された!」 「痛い痛い!」 「僕がやりたかったんじゃない! お前が強引にやらせたの!」 ポコポコと背中を叩かれながらも弁明する。 「練習や! それしかないし!」 「えー」 「えー、って何なんだよ! 嫌なのかよ、兄っ!」 「うん」 さくっと答えた。 「怠惰な兄に、鉄槌をっ!」 白羽瀬は背後から、僕の顔に両腕を絡めてきた。 と思ったら、素早く僕の右足に、自分の両足も。 「くらえ、ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック!」 STF!? ドコでそんな高度な技を?! 「あ痛たたたたたたたたたたたたたたっ!」 身動きが封じられて、抵抗できない。 「ギブギブ!」 必死で床をタップする。 「兄、私と練習する~?」 技をかけながら耳元でささやく。 甘えたような妹ボイス。 くすぐったいけど、可愛い。ちょっと嬉しい。 でも、顔面はギリギリと容赦なくしまる。 天国と地獄である。 「するする!」 「するから、リリース早く!」 「兄は妹に全面的に従います!」 タップしながら、無抵抗を約束する。 「おお~、兄、素直~」 「私の真心が通じた」 いや暴力に屈しました。 「ご褒美にすりすり~」 「あ」 腕を緩めた代わりに、頬ずりしてきた。 「ちゅっちゅっ」 そしてキスに移行する。 小鳥がついばむように、僕の頬に唇を接触してくる。 「白羽瀬、ちょっと……」 恥ずかしい。 妹とこんなことをするのは。 「ん? 何?」 「僕達、兄妹だしあんまりこういうのは……」 「兄妹で恋人だから、いいのだ」 「いやいや」 「人魚なんだから、人間のルールなんか知らないし」 「ほら、兄、ぎゅ~~~~っ!」 「うおっ!」 白羽瀬が背中から、思いっきり抱きついてきた。 嫌でも心臓の鼓動が勝手に速くなる。 頭でいくら妹とわかっていても、一昨日まではクラスメイトの白羽瀬悠として付き合ってきた。 変わったところはあっても、いいヤツだし、可愛いトコもあるし、好感を持っていた。 それに異性としてまるで意識してなかったと言えば、それはウソになる。 「加納くん」 「え?」 以前の呼び方に、またドキリとする。 クラスメイトの白羽瀬に抱きつかれてると思ってしまう。 「前みたいにキスして」 白羽瀬の顔がすぐそばに。 「……僕からしたんじゃない」 まともに目を合わせられない。 「白羽瀬からしたんだよ……」 でも、目を逸らしたくない。 相反する感情に、戸惑う。 「違うし」 息がかかるような距離。 「最初は私からだけど、加納くんもあとからしてくれた」 キレイな形の眉を八の字にして、拗ねる。 そんな表情が――たまらなく愛おしい。 「そうだっけ?」 白羽瀬の顔を見つめながら、髪を撫でてやる。 そうせずにはいられない。 「うん」 「僕は何て軽はずみなことを……」 「反省してるし」 本当はほとんどしてない。 「ねえ、加納くん」 「うん」 「大好き」 「ありがとう」 「お礼じゃなくて、返事が欲しい」 「……」 そう言われて、顔が一気に火照った。 直接、言葉にするのは、やっぱり恥ずかしい。 だから。 「あ……んっ」 答えなくてもいいように、悠をの顔を引き寄せて、互いの唇をふさいだ。 「んっ、ちゅっ、ん……」 「もう、加納くん、ズルい……んっ、ちゅっ……」 「ちゃんと、好きって、言って欲し――んっ、ちゅっ……」 「んんっ、ちゅっ、んん……」 僕は腕を白羽瀬の背中に回して、彼女の唇に強く深くキスし続ける。 不思議な感覚。 すごく興奮している一方で、心はどこか穏やかで。 春の柔らかな陽の中で、昼寝をしているような安らぎを感じる。 「んっ、ちゅっ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」 「好き、好き、大好き……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 好きと何度も続ける妹。 そう言われるたびに、切なさと愛おしさが増してくる。 僕は、この子をずっと捜していて。 やっと巡り会えて。 「悠」 「あ……」 唇を離して、妹の首筋に鼻先を押し付けた。 甘がみしながら、ぎゅっと抱いた。 「ああ……! お兄ちゃん、お兄ちゃん!」 「そんなことされたら、私、もう――」 「――もう何よ?」 「そりゃあもちろん、兄とめくるめく耽美で官能的な世界へゴー! ――って、おほおうっ!?」 白羽瀬はヒロインとしてはどうかと思われる奇声を発し、驚きを表現した。 「に、新田サンですか?!」 「見れば分かるでしょ」 新田サンは腰に手をあてて、床の上で抱き合う僕達を見下ろす。 汚物を見るような目。 まさに上から目線であった。 「駅前で待ち合わせだったんじゃあ……」 「ちっとも来ないから、迎えに来たのよ」 「今、何時だかわかってる?」 「それとも色ボケの加納君は時計もまともに見れないのかしら?」 新田サンは自分のスマホを取り出し、現在の時刻を僕に突きつける。 PM 4:57 30分近く遅刻していた。 ていうか、待ち合わせ場所に行ってないから、それ以前の問題である。 「何か言うことは?」 「誠に申し訳ありません……」 陳謝した。 「えー?! お兄ちゃん、今日、私達が会うのって新田なの?!」 「そうだけど」 「何で、新田なのっ?! 私、用ないし!」 憤慨しながら、白羽瀬は僕の背中に回した腕に力を入れる。 「……」 新田サンの眉尻がぴくりと角度をあげる。 「用あるって、大事な用」 「ないし、ないし!」 さらにしがみつくように抱かれる。 「…………あ、あんた達ね……」 「いいから、落ち着いて、新田サンの話を――」 「いーやー!」 ぎゅ~~っ! と僕にくっつく白羽瀬さん。 「あんた達、いいかげんに離れなさいっっ!」 ついに雷が落ちた。 で、5分後。 「……」 「……」 僕と白羽瀬は並んで、新田サンの前に座っていた。 正座で。 「――ふぅ……」 「やっと、落ち着いて話ができそうね」 一方、新田サンはお茶を飲んで一息つく。 リラックスしていた。 「うう、兄、私どうして、自分の家でこんな目に……」 正座をしながら白羽瀬がぶつぶつ文句を垂れる。 「僕に問わないで、妹」 「だいたい兄が、私にエッチなことするから……」 「なっ?! 最初にしてきたのはお前じゃん!」 「つーん! 私はキスしただけだし」 「キスは欧米ではただの挨拶だし、エッチくないし」 「それなのに、兄が私に禁じられた遊びを……!」 ええー?! 「ひどい! 冤罪だ!」 「僕の方こそ、妹に誘惑された! 弄ばれた!」 「イタイ妹に、無理矢理卑猥なこと……!」 嘆く。 「イタイって言うな!」 「ていていていていっ!」 「痛い痛い! 妹、痛い!」 兄妹ゲンカが始まった。 「ふんっ!」 「あうっ!」 「あたっ」 新田サンが放ったアラレ(お茶請け)二つが、僕と白羽瀬の額にクリーンヒット。 「あ~、もう! あんた達はいいかげんにしなさい」 「ちっとも本題に入れないじゃない」 「ていうか、加納くん」 「え? 何?」 「白羽瀬さんに、お兄ちゃんプレイを強要するのはやめなさい」 えええー?! 「してないから! 僕はそこまでの領域には踏み込んでない!」 必死に反論。 「どうだか」 だが、委員長はベリークールな瞳を僕に向けたままである。 「加納くん、性癖バレちゃったね」 僕の肩を叩きながら、大仰にかぶりを振る白羽瀬。 「今、ここでそういうボケはやめい」 シャレにならない。 「……はあ、まったく暢気なものねえ、貴方達は」 「今日、学園は大変だったのよ」 「ん? そうなの? 新田」 「当たり前でしょ」 「ずっとさらわれていた川嶋さんがようやく戻ってきたのよ」 「しかも、助けたのは貴方達だって言うじゃない」 「それなのに、肝心の貴方達はいないし……」 「代わりに川嶋さんは、一日中職員室よ」 「聞いた話だと、警官も来ていたらしいわ」 そこまで一気に話すと、新田サンは再び湯飲みを手にした。 「加納兄、何か学園大変なことになってる」 「うん、それは予想してた」 「だから、直には悪いけど、今日は僕達は登校をやめといた」 直には人魚に関することだけは頼み込んで口止めしておいた。 誰も信じないとは思うが、そんなことを話せば直までも白い目で見られてしまう。 それだけは避けたかった。 「――で、川嶋さんは気を失っていたから、よくわからないの一点張りだったけど」 「私には、本当の事を教えてくれると思っていいのかしら?」 「もちろん、話すよ」 「姉さん」 「――え?」 「――え?」 僕は新田サンに状況を説明した。 事件の犯人が相羽だったこと、僕自身も人魚であったこと。 そして、悠が僕の捜していた妹であったこと。 「……加納君が、人魚で白羽瀬さんの本当のお兄さん……?」 「うん」 「らしいよ」 「え、えっと……」 「ち、ちょっと待って」 「そんな、いくらなんでも……」 普段慌てることなど微塵もない、クールビューティー新田女史が狼狽していた。 無理もないけど。 「加納君」 キッとにらまれる。 「な、何?」 「ちょっと顔を貸しなさい」 「え? ――って、わあ」 返事をする前に、コタツ越しに胸倉をつかまれて引っ張られた。 「……くん」 で、僕の首筋に鼻先を思い切り寄せていた。 匂いを嗅いでいる。 「ちょっ……!」 「こらあ! 新田!」 「勝手に私の兄スメル嗅ぐな! 減るし!」 「減るかよ」 あとスメル言うな。 「……」 「……何よ、貴方」 ようやく顔を離した新田サンが、目を三角にして言う。 「私や白羽瀬さんとそっくりの匂いじゃない! 今まで隠してたの?!」 「いや隠してたわけじゃ」 「私は貴方を信頼して、全部話したのに!」 「弟に気づかないなんて、私、どれだけ間抜けなのよ!」 がくがくと揺すられる。 「ムキーッ!」 そして首を絞められる。 加納イズミ、生命の危機だった。 「違う違う! 君に隠し事なんてしてない!」 「僕自身も、昨日思い出したんだよ! それまでは完全に忘れてた!」 呼吸困難に耐えながら、説明した。 「新田! 落ち着くし!」 「加納くん死にそうな顔してるし!」 「――え? あ」 「ご、ごめんなさい」 ようやくリリースされた。 「はあ、はあ……」 「兄、平気?」 「背中さする? お茶欲しい?」 「あ、ありがと」 妹の淹れてくれたお茶を飲んでようやく、人心地つく。 「……悠、すっかり懐いてるのね」 「兄妹ってわかったのは、昨日なんでしょう?」 「兄妹とか関係なく私加納くん、ラヴだし」 「ていうか、今、新田にファーストネームで呼ばれた」 「いいじゃない、私は貴方の姉なんだから」 「え? そうなん?」 僕の方を見る。 「らしい」 「驚きの真実が、次々と……」 「メモらないと混乱する」 手帳を取り出す。 「兄は、シスコン」 「はあ?」 「声に出して読むな」 あとそれは誤解だ。たぶんきっと。 「こうなったら、色々と話さないとね……」 「私が知ってることを話すわ」 「貴方達も知りたいでしょう?」 「うん」 「姉、頼む」 「……順応性の高い子ね……」 それから、新田サンは僕達に多くのことを話した。 僕と悠は今から10年前に、母親に捕食されかけたこと。 それを新田サンともう一人いた兄が助けてくれたこと。 僕と悠の多くの記憶があいまいなのは、その事件が精神的疾患の原因となっているせいだろうと。 そして、僕達の命の恩人である兄は、もう亡くなっていた。 新田サンが成魚になるために、二年前に捕食したからだ。 新田サンの話が終わる頃、外はすっかり夜の闇に染まっていた。 人通りの多い場所まで、送ることにする。 「あの子、随分ショックを受けていたわね……」 「仕方ないよ」 「本当にショッキングなことばっかりだったし」 ああ見えて、白羽瀬は結構繊細だ。 落ち込んでしまっても無理はない。 「一度に話しすぎたかしらね」 「そうかもしれない。でも」 僕はそこで一旦、言葉を区切って、新田サン――姉の目をじっと見る。 「なるべく早く話したかったんだよね?」 「姉さんが、ユタカ兄さんを捕食したことを」 「そのためには、全部話すしかなかったんだ。違う?」 「――そうよ」 僕の視線をまっすぐ見据えて答える。 逃げはしない、という強い意志を感じた。 「姉さんが成魚になるためには、ユタカ兄さんを捕食しなければならなかった」 「そうしないと生きていけなかった」 「それは、つまり――」 「ええ」 「私と同じ純血種の雌である悠は」 「貴方を捕食しないと、生きていけないということ」 「ごく近い将来、私と同じように、肉親を犠牲にする運命にあるということ」 「……私は一刻も早くそれを伝えるべきだと思っていたの」 「悠と貴方のためにね」 「……そうだね」 僕は白い息を吐く。 僕自身は、もうそのことは分かっていた。 白羽瀬が妹であることを思い出した瞬間から。 「イズミ」 「何? 姉さん」 「貴方、どうするつもり?」 「……どうもしないよ」 「僕は、何があっても妹を守りたい」 「その気持ちは、過去を思い出した今でも変わらない」 「白羽瀬が望むなら、僕は――」 喜んで、殺されよう。 「……わかったわ」 「強いのね」 「そんなことはないよ」 「怖くないってわけでもないんだ」 「ただ妹が死ぬのは、僕自身が死ぬより嫌なだけ」 「……ユタカも同じようなことを言ってたわ」 「純血種の雄って、同じようなメンタルになってしまうものなのかしらね」 「案外そうかもしれない」 「……悲しい習性ね」 「そうかもね」 「でも、生き残る方が、ツライってこともあるんじゃない?」 「……」 姉さんの表情が陰る。 彼女はユタカ兄さんを捕食してから、どんな気持ちで生きてきたのか。 僕には想像すらできない。 「……帰るわ」 「送ってくれてありがとう」 「お休みなさい。じゃあ」 僕に背を向けて歩き出す。 「あ……」 その寂しそうな後姿に胸が痛んだ。 「待って、姉さん」 つい呼び止めてしまう。 「何?」 足を止めて、振り返る。 「元気出して」 「……」 「ええ」 姉さんは、微笑してくれた。 「ただいま……」 いつもより遠慮気味に扉を開く。 「あ」 コタツでPCをイジってた白羽瀬とすぐ目が合う。 「お帰り、お兄ちゃん」 「あ、う、うん」 白羽瀬は僕を見るなり、破顔した。 少しは元気が出たのか。 ホッとする。 「夕ご飯どうする?」 「買い物してきたから、僕が作るよ」 「メニューは?」 「白菜と豚ばら肉の鍋」 「兄、サイコー!」 「マル美も、ほら、ばんざーい!」 「にゃっ?」 膝の上の猫の前足を取って、おどける。 妹と子猫が戯れる光景に、ほっこりした。 「じゃあ、僕鍋の用意するから、白羽瀬は風呂沸かしてくれる?」 「ういー」 てこてこと風呂場へ向かう。 「……」 白羽瀬は、もういつもの白羽瀬だった。 彼女は、どう思ってるのだろうか。 もうすぐ僕を捕食しなければならないということを。 「頬を伝う、この涙~♪」 鼻歌が聞こえてくる。 夕食の準備、風呂掃除。 妹と過ごす何気ない普通の日常。 でも、それは僕にって、とんでもなく貴重で、愛おしい時間だ。 「噛み締めないとな」 「この瞬間を」 そして、幸せな想い出を胸に、僕は――。 「にゃあ?」 「ん?」 足元でマル美が僕を見上げていた。 どうしたの? という風に。 「大丈夫」 僕は屈んで、猫と同じ視線の高さになってつぶやいた。 「僕が居なくなった後も、あいつをよろしくな」 「にゃあ~?」 「駅前の広場?」 「動画をそこで撮るの?」 「イエス!」 次の日。 早速、直と姉さんに早速、計画を話す。 「あそこなら、結構いい絵が撮れると思って」 「うん、場所も広いし、いいんじゃない?」 「でしょでしょ♪」 この計画を話してから悠はずっと上機嫌だ。 あそこで生演奏をしている動画をアップしたら、きっとHarukaは喜んでくれるだろうと。 「ロケーション的にはいいと思うけど……」 姉さんが心配顔になる。 「ああいう場所で演奏するには、自治体や役所の許可が必要なハズだわ」 「人気のある場所は、きっと予約がいっぱいよ」 「撮影がずっと先になってしまうんじゃない……?」 「ふふん、その問題はすでに解決済みだし!」 悠が鼻の下を人差し指で撫でながら、ニヤリと笑む。 「え?」 「昨日、知り合ったバンドの子達が来週に予約を入れてて、それを譲ってくれたんだ」 「へー、いい人達じゃん!」 「それどころか、仲間に声かけて見に来てくれるらしいし!」 「神光臨じゃん!」 「私のファンは、皆マジ天使だし!」 「ハンドインハンド! LOVEは地球を救う!」 「今年もとりあえずマラソンで感動だっ!」 「イエーッ!」 二人が無邪気に盛り上がる。 とりあえずって言うな、妹よ。 「場所の問題についてはいいみたいね」 「それにこれで日時も確定したし」 「あとは、白羽瀬さんとイズミ次第だね!」 「頑張るし!」 悠がガッツポーズしてみせる。 「イズミの方は? 弾けるようになった?」 「たどたどしいけど、一応ね」 そんなに出来は良くないが。 「包帯してるからじゃない? ていうか怪我はどうなの?」 「川嶋、加納くんの怪我はもうないも当然だし!」 「え? あ、ああ~、そっかそっか~」 悠の言葉に、直も人魚の治癒能力について思い出したようだ。 「……」 姉さんは目を伏せて黙り込む。 僕も何も言わなかった。 「撮影班の準備も出来てるし、あとは……あ、そうだ!」 「せっかくだし、告知しようよ! 見てる人多いほうが盛り上がるし、動画もカッコよくなるよ!」 「ポスター作って貼ったり、ビラ配ったりしようよ!」 「おお~っ!」 「そうだ、告知を号外出してやろうよ! 新聞部らしく!」 「イイネ!」 そう言って親指で直の胸をつつく悠。 「SNSサイトのボタンかよ?!」 放課後、部長と高階も交えて、会議を行う。 「そうか、ついに場所と日時が確定したか」 「ええ、駅前の広場を来週確保しました」 「うわあ~、もう逃げられませんね~」 「逃げる気など、まるでないし!」 鼻息も荒く妹は、不敵な笑みを浮かべる。 「すごい自信だね! イイネ!」 立てた親指で悠の胸をつつく直。 「復讐された?!」 「う~ん、イマイチダネ!」 「こん畜生めええええっ!」 僕の隣で、貧乳VS巨乳の対決が始まった。 無益すぎる戦いだ。 「それで、豪徳寺部長、号外で告知の方はやるの?」 「うむ、もちろんやる」 「この豪徳寺清正の知識と執筆技術、全てを結集して、素晴らしい記事を書いてやろう!」 「この記事を読んだ全ての生徒が、白羽瀬の歌を聴かずにはいられないくらいのな!」 「ステマだっ! ステマですよ、皆の衆!」 「部長の一世一代のちょーちん記事、超楽しみっす!」 「君達、歯に衣着せなさすぎ」 もうちょっとソフトに表現してくれ。 「撮影機材も調達済みだし」 「あとは……」 姉さんが、僕の方を見る。 ――後悔のないように。 優しげなまなざしが、そう言っていた。 僕は頷いて見せた。 「じゃあ、私と加納くんは今から軽音部行って、メンバーと練習ね」 「うん」 僕と悠はそろって、席を立つ。 「では、俺は記事の執筆の準備に入ろう」 「必要な資料は、私が集めて整理してあげるわ」 「部長はその間、草案を練っていれば効率的でしょう?」 「おお、助かる。さすが新田くんだな」 「まるで、優秀な秘書が出来たようだ」 「ふふ、どうも」 部長と姉さんはすぐにノートパソコンに向かうと作業に入る。 「か、川嶋先輩、自分達は何をしましょう?」 「そ、そうだねぇ、えっと、えっと……」 出遅れた高階と直がきょろきょろと部室を見渡す。 「そ、そうだ! 部長と新田サンにお茶を――」 「お茶淹れてきました~」 直の横をトレイを持った高階が、さくっと通り過ぎた。 「うわああんっ! イクイクずるーいっ!」 「ははははっ!」 「ふふっ」 「くすくす」 皆の笑い声が、部室に響く。 「……」 僕はまぶしいものでも見るように、皆を目を細めて見つめていた。 「加納くん」 出口に立つ悠に即される。 「うん、もう行く」 僕は、その場を後にした。 軽音楽部との合同練習は、スムーズに進行した。 ギターの上手い女の先輩が一人居て、彼女が親切に指導してくれたおかげだ。 怪我の影響も、思ったほどはない。 これなら、何とか悔いの残らない演奏ができそうだ。 練習を終えて、帰宅の途につく。 「あ、兄、今日もやってる」 「へえ、頑張ってるな」 広場では、昨日出会った子達がまた演奏していた。 今日も人はまばらだ。 それでも、あいかわらず彼女達は楽しそうだ。 「観てっていい?」 「もちろん」 「わーい、やっほー♪」 手を振りながら、てこてことバンドに近づいていく悠。 「YUUじゃん! やっほーっ!」 「有名人キタ――っ!」 「今日も可愛いな、この野郎♪」 「えへへ」 ちょうど曲と曲の狭間だったので、彼女達は遠慮なしに悠に話しかける。 悠は嬉しそうに、彼女達と談笑していた。 「……」 悠は随分、明るくなった。 出会った頃は、学園では変人扱いで皆に疎まれ、避けられていた。 そして、悠も彼らを拒絶していた。 でも、今は違う。 クラスでは相変わらずだが、悠は教室以外の世界を獲得し、変わった。 「成長したってことか」 僕だけを頼りにしていた妹はもういない。 心に安堵と寂しさが去来する。 「おおーい! 兄ーっ!」 「ん?」 突然、呼ばれて考えるのをやめる。 「何?」 僕は少し離れたところに立ったまま、妹を見る。 「今から、この子達歌うから!」 「いっしょに聴こう! 兄、ここ! カムヒア!」 ぶんぶんと腕を振る。 何事かと、周囲の通行人たちの視線が、僕達に集まる。 「わかったから、そんなに騒がないの」 やっぱりあんまり成長してない。 早くも前言撤回だ。 「いいから、早く――っ!」 「兄、兄、兄――っ!」 飛び跳ねながら、叫ぶ妹様。 「だから、スカートで飛び跳ねるなと、お前あれほど」 僕はげんなりしつつも、妹の方へ。 「遅ーい!」 「兄、もっとちゃっちゃっと走って走って走っちゃって!」 さらにぴょんぴょんと。 スカートはひらひらと。 さあ、パンツ姫のご光臨だ。 「こらこらこら!」 慌てて駆け出す。 「ほらほら、兄!」 「早く来ないと演奏が――あっ」 「あ、馬鹿」 目の前で妹が足を滑らした。 「うわああっ!?」 妹は大胆なポーズで空中に、両足を投げ出し、見事に背中から地面に着地した。 「ちょっ、YUU!」 「すごい音したけど、大丈夫?!」 バンドの子達が、いっせいに道端で大の字になっている悠を取り囲む。 僕もすぐにその輪に加わる。 「おい、悠、おい!」 「う、う~~ん……」 僕はぎゅっと目を瞑り、うめく妹を抱き起こす。 「どこが痛い? 頭打ったりはしてないか?」 「あ、頭は……」 「打ってない……」 あ……。 目が。 「あ、あれ? YUU、貴方……」 一人の子が気づいた。 ヤバイ! 僕は速攻で悠の顔を僕の胸に押し当てて、隠した。 「はわ?」 「そ、そうか、ちょっと痛いか!」 「え? そんなにでもないし……?」 「それなら、一応、大事をとって、今から病院に行こう!」 まったくかみ合わない会話してから、僕は悠を抱きかかえて立ち上がる。 「わわっ?!」 いわゆるお姫様だっこ。 「お兄さん、YUUそんなにひどいんですか?」 「それなら、私達も付き添いに……」 「いや、たぶん平気だから」 「あくまでも一応だから! それじゃあ!」 僕は悠を抱えたまま、その場から駆け出した。 「あ!? ちょっ、お兄さん?!」 「はぁ、はぁ、はぁ……」 妹を抱きかかえたまま、全力で駅前から離れた。 「兄っ! 兄っ! お兄ちゃんっ!」 「どうしたの?! 何慌ててるの?!」 僕の腕の中で、妹が困惑していた。 周囲を見る。 もう、人通りは、ない。 「……はぁ、はぁ、もう大丈夫か……」 僕は息を弾ませながら、ようやく足を止めた。 「急に、悪かった」 妹をそっと下ろす。 「いいけど、どうしたの?」 「今、お前、目が赤い」 「え?」 「直や姉さん以外の人に見られるのは、マズイだろ?」 「そ、そっか。ごめん」 妹はごしごしと腕で、目を拭う。 瞳をノーマルカラーにするためのいつもの儀式だ。 「どう?」 顔をあげる。 え? 「戻ってない……」 「ウソ?!」 「本当だよ、赤いままだ……」 青みかがった闇の中で、悠の目は真紅の光を放つ。 妖艶な美しさをたたえた、蠱惑的な色。 でも、それは決して人が宿すことのない瞳の色だった。 「うう~~っ!」 妹は何度も何度も目を擦る。 まるで、けがれを洗い清めようとするかのように。 「お、お兄ちゃん……!」 顔を上げる。 僕は無言で、首を横に振った。 「そ、そんな……」 「どうしよう……」 「どうしよう、全然戻んないし……!」 「私、もう成魚になっちゃうの……?」 「嫌だ。まだ私まだ歌ってないのに……」 「約束果たしてないのに……」 「もう、無理なの……?」 「怖いよ……」 「どうしようお兄ちゃん……」 「怖いよぉ……!」 悠がぽろぽろと涙をこぼし始める。 妹が泣いている。 僕の最古の記憶が、再生されて幼い悠の姿が、頭をよぎった。 僕にすがりつき泣きじゃくる妹の姿が。 忘れかけていた胸の痛みを思い出す。 僕は、君には。 君には何があっても。 泣いて欲しくない。 「泣かないで」 「大丈夫だから、落ち着いて、悠」 僕は妹の肩の上に手を置き微笑して見せた。 「で、でも……!」 「今、悠は成長期なんだ、だから体調が不安定なんだよ」 「疲れたり、栄養が足りなかったりすると、変化が起きるんだ。雑種でもそうらしいしね」 「今夜は栄養を摂って、ゆっくり眠ろう。そうすれば、明日には戻ってるよ」 「……」 妹は涙で濡れた赤い瞳で僕を見上げる。 悲しそうな目。 痛々しくて、見ていられない。 「お願いだから」 「泣かないで……」 「あ……」 僕はそっと妹を抱きしめる。 震える身体を包み込む。 「絶対に、お兄ちゃんが守ってあげる」 「君が約束を果たせるように」 「君が歌えるように、僕が……」 「だから、悠は安心して」 「お、お兄ちゃん……」 「お兄ちゃん……!」 妹が僕の背中に腕を回す。 「ずっと、いっしょだよ」 「……うん」 「私は絶対にお兄ちゃんを食べない……」 「演奏が終わって、春になったら……」 「いっしょに……!」 「ああ……」 妹の身体の温もりを感じながら、以前の約束を思い出す。 春になったら、いっしょに死ぬという約束を。 それは妹の望み。 妹がそう望むなら、それは僕の望みも同然だ。 なのに――。 ――お兄ちゃん、死なないで! あの頃の妹との約束を違えるようで。 僕の胸は痛んだ。 空から雪が舞い落ちてくる。 春なんて、来なければいい。 ずっと、雪が振り続けてくれればいい。 僕は妹を抱きながら、そんなことを願った。 「……」 「ち……」 「……食わないだと?」 「ふざけたことを言ってくれる……」 「まあ、いい……」 「生きたくないヤツは死ねばいいさ」 「生きる者の糧になってね……」 「くくく……」 「ただいま、帰りましたー」 学園から帰ると、いきなり加納さんが荒ぶっていた。 「いやいやいや! 加納さん、それはおかしいですから!」 「暴れても問題は解決しませんよ! もう少し落ち着いてですね……」 「あ! それ危ないですから! 包丁はしまって!」 ダメだ。 酔っ払って泣きながら「俺は悪くない、社会が悪いんだ」を繰り返すのみ。 話しがまるで通じない。 このままでは、殺されるので緊急離脱。 「はぁはぁ……」 危険な酔っ払いを振り切って、こんなとこまで逃げてきた。 中腰で息を整える。 まったく、困った人だ。 あれで素面に戻ったら、泣きながら土下座して謝ってくるから、またタチが悪い。 形だけでも謝罪は謝罪。 責められなくなるのだ。 「今夜は、帰れないなあ……」 酒が抜けるのは、きっと明日の昼ごろだ。 今、帰ったら命がいくつあっても足りない。 肩を落としてとぼとぼ歩く。 「ドコに泊まるかなぁ……」 相羽の家は妹さんが寝込んでいるから、行けないし。 「あ……」 ふと、旅館かわしまの文字が頭に浮かんだ。 財布を取り出して、中を確認。 136円。 「……詰んだ」 王手飛車取り。待ったなし。 「終わったわー」 野宿する場所でも探そう。 切ないなぁ……。 「こんなもん?」 さんざん歩き回って、河川敷に出る。 ここくらいしか見つからない。 見渡す。 生い茂る雑草。 投棄された錆だらけの自転車。 ダンボールハウスの残骸。 「こんなもん……?」 ちょっと気分が鬱に。 まあ、一晩だけの辛抱だ。 「うお……」 腹の虫が栄養をよこせと主張しだした。 さりとて、財布には136円のみ。 「しょうがないなぁ」 どっかで超短期のバイトでもないか探そう。 僕は坂を登りだした。 「よろしくお願いしまーす」 「新装開店です! 是非ご来場くださーい」 ティッシュ配りの職を得た。 たまたまパチンコ屋が新装開店していてラッキーだ。 一時間で750円。三時間やれば2250円。 一食分くらいにはなる。 ダンボールにはぎっしりポケットティッシュがつまっていたが、ようやく半分くらい減った。 「おう、兄ちゃん」 「あ、お疲れ様っす」 僕に仕事をくれたスキンヘッドのおっちゃんに挨拶。 見た目は完全にヤ○ザだが、何も聞かずに僕を雇ってくれたいい人である。 「ティッシュ追加だ!」 目の前のダンボールが一気に五箱に。 「う、うっす」 やるしかない。 三時間で終わるか微妙だが。 ちなみにティッシュが残ると、バイト代が減らされる。 世知辛い。 「おう、兄ちゃん、バイト代だ」 「あ、どうもありがとうございます」 「兄ちゃん、根性あるな! まさかこんなに配れるとは思わなかったぜ!」 「おかげで、フラフラですけどね」 「また頼むわ! 兄ちゃん」 僕に茶封筒と余りモノのティッシュを渡すと、おっちゃんは肩で風を切って去っていく。 周囲の人達は、ビビって道を開けていた。 茶封筒を渡す時、おっちゃんの手が目に入ったが、小指と薬指が消失していた。 マジヤ○ザだった。 「さて」 多少は懐も暖かくなった。 「何か食うか……」 スマホの画面を見ると、もう十時を回っていた。 遅い夕食だ。 「ん?」 スマホを取り出したタイミングでちょうど着信が。 『川嶋直』 「……」 川嶋さんか。 『今、好きな子、いる?』 今日の昼休み聞いたあの言葉が蘇る。 結局、あの後は何も答えられず。 僕達は気まずい空気のまま、教室に戻った。 川嶋さんからのコールは続く。 出ないと。 なるべくフツーに。 いつもの僕で。 「もしもし」 『……』 返事なし。 あれ? 「もしもし、加納だけど」 「川嶋さん?」 『……』 『ぐすっ』 鼻をすするような音がした。 『うっ、うっ、ひっく……』 嗚咽混じりの声。 「ちょっと、川嶋さん?」 途端に心配になる。 『ご、ごめん……』 『ごめんなさい……』 「どうしたの?」 『な、なんでもないよ』 「そんなわけないよ、ちゃんと話して」 『ほ、本当、本当だってば』 「泣いてるじゃん」 『な、泣いてなんか……』 『うわーん!』 マジ泣きしてしまった。 「何があったの? ねえ、お願いだから話して」 『ぐすっ、ほ、本当に、何でもない……』 「意地張んないで」 「僕でできることなら、力になるよ?」 『うわーん!』 「また泣くし」 『加納くんの優しさが身に染みるっすー!』 嬉し泣きかい。 「会おうよ、川嶋さん」 『ぐすっ、へ……?』 「今、家に居るんだよね? 家の前で会おうよ」 「え? あ、その、えっと……」 ん? ヤケにクリアーに声が聞こえる。 真横を見た。 「あ」 「あ」 携帯を片手に涙ぐんでいる川嶋さんと目が合った。 「……こんばんは」 「……う、うん、こんばんは……」 お互い電話を切りつつ、挨拶を交わす。 真っ赤な目が痛々しい。 胸が痛い。 「これ使ってよ」 さっきまで配ってたポケットティッシュを渡す。 「ありがと」 「たくさんあるから、足りなかったら言って」 「どうして、そんなにたくさんあるの?」 「バイト先の気のいいおっちゃんがくれたんだ」 「さっきまで、配ってたから」 「加納くん、バイトしてたんだ」 「やむにやまれずにね――あ」 ようやく思い出した。 今、僕は限界まで腹を空かしていたのだ。 「うおおお……」 急にフラつきだす。 倒れそう。 「だ、大丈夫?」 「ごめん、僕超腹へり」 「そ、そうなんだ、あ」 途端に川嶋さんまで、千鳥足に。 「ど、どうしたの?」 「ご、ごめん……」 「あたしも、夕食前に家飛び出しちゃったから……」 「いっしょに何か食べよう」 「ごめん、あたしお財布忘れました……」 「奢る」 「え? いいの?」 「二人で、2386円以内なら……」 「へい! チャーシュメン、タマゴトッピング二丁お待ち!」 「あざっす」 「ど、ども」 僕達は親父からすぐにどんぶりを受け取る。 「いただきます!」 「いただきます!」 そして、わき目もふらずにどんぶりをかっ食らう。 ずぞぞぞぞ! と派手な音を立てて、麺を一気にすすりこむ。 欠食児童のように、夢中になって食う。 僕達は二人共、それくらい空腹だったのだ。 「うめー!」 「うまいぞおおおおおおおおおおおおおっ!」 川嶋さんが、冬空に向かって吼えた。 「うん、美味いな」 「親父さん、おかわり」 もう空のどんぶりを置いて、追加オーダー。 「おお、早いね、兄ちゃん」 「あ、あたしもいいっすか?!」 「おうともよ」 「おじさん、あたしもお願い!」 「はっはっはっ、いい食べっぷりだね、お姉ちゃん」 薄汚れた野球帽をかぶった親父さんは、ニコニコ笑いながら麺を二玉ズンドウ鍋に放り込む。 「だって美味しいんだも~ん」 「こんなに美味しいラーメン、生まれて初めてだよ!」 「嬉しいことを言ってくれるねぇ。へいお待ち!」 早い。 話しながらも手は勝手に調理を続けていた。 匠の技だ。 「お姉ちゃんのどんぶりには、チャーシューおまけしといたからな」 「へへ、どうも♪」 「あ、ズルいな」 「ははは! やっぱり可愛い子にはサービスしたくなるのが人情ってもんよ!」 「兄ちゃんがうらやましいな、可愛い彼女、大事にしな!」 「ごふっ!?」 「ごふっ!?」 二人同時に咳き込む。 「ん? どうしたい?」 「いや~、まあ~、ねえ?」 はにかんだ笑顔を浮かべて、僕を見る。 「うん、まあ、ねえ?」 僕もそう返すしかない。 「えへへ~」 「彼女かあ~」 「そう見えちゃいますかあー!」 「加納くん、あたし達そう見えちゃうってさー!」 「うきゃー!」 「痛い、痛いよ、川嶋さん。あ、スープこぼれるから!」 パシパシ肩を叩かれる。 どんぶりの中のスープが波を打つ。 「ねえねえ、イズミン」 「いきなりフランクっすね」 「はい、あーん」 箸でチャーシューを僕の方に。 「どんぶりの中に入れてくれれば」 「それじゃあ、意味ないじゃん! 口を開けるがよろし!」 「開けないし」 「あたしのチャーシューが食べられないって言うのかっ?!」 「酔っ払った迷惑な上司かい」 「ほい、あーん」 どうあっても諦めないのか。 しょうがないなあ。 「あ、あーん」 観念する。 「うわっ、ホントにした」 おい待てこら。 「純真な僕を騙したな……!」 やさぐれる。 ずぞぞとヤケ食い。 「あはは、ごめんごめん」 「ほい、ホントにあげるね」 僕のどんぶりにチャーシューを二切れ入れる。 「二つもいいの?」 「あー、いや、その」 「ちょっと気になっちゃって……」 「ボディが太ましいこと?」 「うわあああん! やっぱりそう思ってた!」 「川嶋さん。あ、スープこぼれる!」 また叩かれる。 「加納くんのイジワル!」 「ごめんごめん!」 「……」 「ふ、青春ってヤツはまぶしいねぇ……」 腹を満たしたところで、再び駅前に戻る。 もう人がほとんどいない。 「川嶋さん、送っていくよ」 「え?」 「さすがに、もう帰らないとマズいだろう?」 「う、うん」 うつむいて、急に元気がなくなる。 帰りたくないっぽい。 「――川嶋さん」 「君が話したくないならって思って、僕何があったのか、まだ聞いてなかったけど」 「でも、本当は教えてほしいんだ」 「僕は何も力のない子供だけど、そんな僕でもできることはあるかもしれないよ?」 「聞いちゃ、ダメかな?」 できるだけ優しく話したつもりだった。 本当に力になりたかった。 もう泣いてるこの子の顔なんて見たくない。 「……」 「……加納くん」 「加納くん……!」 僕の胸に頭をくっつけてくる。 少しだけ迷ったけど、彼女の背中に腕を回した。 強くはしない。 彼女の華奢な身体をそっと包み込むように。 「帰りたくない……」 「帰りたくないよぉ……!」 川嶋さんは、僕の胸の中で泣きじゃくる。 守りたい。 この子を守りたい。 そんな気持ちが、僕の中でまた強くなる。 「わかったよ」 「今日は帰らなくていい」 頭を撫でながら、言った。 「……ぐすっ、で、でも……」 「僕にまかせて」 「さ、行こう」 手を繋いで、そのまま歩き出す。 「あ……」 「う、うん」 川嶋さんはついてきた。 僕の手を強く握り返して。 川嶋さんと手を繋いで、夜の町を歩く。 加納さんの家にはもちろん戻れない。 夕方に目星をつけた場所は、さすがに女の子には酷というもの。 でも、僕にはあてがひとつだけあった。 ちょっとヤバイが、女の子に野宿をさせるよりはいい。 「加納くん、どうして学園に……」 「ごめん静かに」 僕は人差し指を唇に当てて、川嶋さんを見る。 「……」 こくこくと頷く川嶋さん。 さて。 「たぶん、ひとつくらいは……」 僕は校舎の周囲を回りながら、一階の窓をひとつひとつ確認する。 「も、もしかして……」 「あ、開いた」 やっぱり施錠忘れがあった。 僕は素早く桟に手をかけると、身体を持ち上げるようにして体重を移動して校舎に侵入する。 猫のように静かに。音ひとつ立てない。 すみません不法侵入です。 「う、うわあ……」 「加納くん、怪盗みたい……!」 川嶋さんは僕の一連の動作を見て、口をあんぐりと開けていた。 「次は君の番だ」 窓から腕を伸ばしながら言う。 「ええー?!」 「しっ、用務員さんに見つかるから、静かに」 「ご、ごめん」 慌てて両手で口をふさぐ川嶋さん。 「早く僕の手に掴まって」 「ううっ、あたしに出来るかな……」 「出来ないと野宿確定」 「ひいーっ、それは嫌であります!」 「勇気を出して」 「う、うん!」 「や、やあっ!」 勢いをつけて、川嶋さんは窓の桟によじ登る。 その腕をつかんで、僕は中に引っ張る。 「うう、スカートなのに……」 「大丈夫、誰も見てないし」 「加納くんが見てるじゃん」 「ここからだとパンツは見えないって」 「ひーん! それでも恥ずかしいのっ!」 「あとちょっと、頑張って!」 僕は全力で彼女の腕を引っ張った。 「きゃあっ?!」 「ぐわっ?!」 川嶋さんを抱きかかえた体勢のまま、後ろに盛大にコケた。 後頭部と肩に鈍痛が走る。 「ご、ごめん!」 「加納くん、ごめん! ごめんなさい!」 「い、いいよ」 「川嶋さん、僕は平気だから、そろそろ降りて」 川嶋さんに押し倒されたような体勢で、会話する。 「え? あ」 「ご、ごめんなさい!」 パッと跳ね上がるように、起き上がる。 僕も後ろ頭を撫でながら立ち上がった。 「あ、あうう……」 川嶋さんはうつむいていて、僕の方を見ない。 でも、僕の上着の袖口をつかんでいた。 「行こうか」 「う、うん」 「でも、どこ行くの?」 「寒いし、毛布とかあるトコ」 「よし無事到着」 僕達はついに真夜中の保健室に到達した。 ミッションコンプリート。 「どうして鍵が開いてるんだろ?」 「この学園の保険医の先生、ズボラなんだよ、ほら」 机にのってるここの鍵を手にして、川嶋さんに見せた。 「何故にそんなことまで知ってますか?」 「僕とか相羽、ここの常連だから」 「常連って、お店じゃないんだから……」 川嶋さんは笑った。 思いっきり苦笑気味だったが。 「ここで早朝まで時間つぶして、人が来る前に撤収すればいい」 「野宿よりよっぽどマシだろう?」 「ま、まあね」 「さあ、もう寝よう」 「ねっ、寝るでありますか?!」 「だって、もう疲れたでしょ?」 「う、うん……」 「僕、こっちの通路側のベッド使うから、川嶋さんはそっちね」 「あ、う、うん」 「毛布は一つしかないか……しょうがないから、川嶋さん使って」 「え? そんなの悪いよ」 「女の子は冷やしたらダメ」 押し付けるようにして、渡した。 「あ、ありがとう」 「お休み、川嶋さん」 「いい夢を」 「あ……」 そう言って、僕は慌ててシーツを引っかぶる。 背中を彼女に向けて寝転んだ。 緊張していた。 すぐそばに川嶋さんが寝ているなんて。 決して、彼女に対して邪な気持ちは抱いてはいない。 彼女は、大切な僕の―― 「……加納くん、寝ちゃった?」 「まだだけど……」 彼女に背中を向けたまま、返事を返した。 「少し、お話してもいい?」 「うん」 「ありがとう」 「あ、もし、聞いてて眠くなっちゃったら、寝ちゃっていいからね」 「そんなことしないよ」 「あたし、今日、学園から帰ったらね」 「お父さんに、いきなり、変なこと言われちゃった」 「お父さんに変なこと?」 「婚約しろって」 「はあ?」 あまりに急なことに思わず、彼女の方を見てしまう。 「あ、こっち見てくれた」 微笑む。 こんなことがそんなに嬉しいのか。 僕がただ君を見ただけで。 ――胸の奥が苦しい。 「前、ウチの旅館の経営がヤバいって言ったじゃん?」 「うん」 心臓の鼓動が速い。 それを悟られぬように、務めて平静なフリをする。 「あれ、本当にすごくヤバイみたい」 「それは……大変だとは思うけど」 「だからって、川嶋さんが婚約することとは何も関係ないよね?」 「それがあるんだよ」 「ごめん、話が見えない」 「ウチの旅館に融資してもいいって人がいてね」 「遠い親戚のオジさんなんだけど」 「その人はお金持ちなの」 話の流れから、何だか嫌な感じがしてきた。 「もしかして、融資する条件として、川嶋さんと将来結婚したいとか」 「ぴんぽーん」 「いや、明るく言ってる場合じゃないだろう?」 そんなの身売りみたいなもんじゃないか。 「川嶋さんは、そのオジさん、好きなの?」 「好きも何も会ったことないし」 「ていうか、二十も離れてるし」 「……」 絶句した。 川嶋さんが、借金のカタに二十も歳の離れた男と結婚する? そんなの……。 「その話を聞いて、お母さんはすっごく怒って、お父さんと大喧嘩」 「お母さんはまともで良かったよ」 「お父さん泣きながら、何度もあたしに謝って、これしか方法がないんだ、って」 「お母さんは、お父さんをすごくののしって、もう離婚とか騒いで」 「あたし、その様子見てたら、すごく悲しくなっちゃってね」 「制服着替えもせずに、飛び出しちゃった」 月明かりに、川嶋さんの微笑が浮かぶ。 薄っすらと目には涙が。 ツラくなる。 そんな風に笑わないで。 それは僕が好きな笑顔じゃないよ。 「お金がないって、ツライね」 「うん、ツライ」 「人が変わっちゃうよ」 「あんなに強かったお父さんが泣いちゃうんだもん」 「それに、すっごく優しいお父さんだったのに……」 「あたしを……」 「ぐす……うっ、うっ……」 川嶋さんが膝を抱えて、身体を震わせる。 「……金で何でも買えるって思ってるヤツが多すぎるから」 「……そうだね」 「実際、割と何でも買えるんだけど」 「うわっ、それ言っちゃいますか」 「それでも、僕達の心と身体をどうするかは、僕達の自由だ」 「最後の最後は、自分で決められる」 「売り渡すかどうかは、僕達が決めていいはずだ」 「川嶋さんは、自分で決めていいんだ」 「僕はずっと貧乏だったけど、選択は自分でしてきたよ」 「君にも、それはできる」 「加納くん……」 「僕がついてる。勇気を出して」 「どうか後悔のないように、生きて」 「う、うん」 川嶋さんはこくりと頷く。 「……ふふ」 そして、微笑した。 「何?」 「いや、何ていうか」 「加納くんがめずらしく真面目に語るから」 「噴出しました」 「酷いっ」 シーツをかぶって、泣き伏した。 「ああ、ごめんごめん」 「冗談だよ、すごく嬉しかったよ」 「だから、顔見せて」 「嫌だ、もう寝ます」 拗ねたまま背中を向けた。 「あーもう、僕がついてるって言ったのに~」 「イズミン、こっち向いて~」 立ち上がった川嶋さんに、身体を揺すられた。 「いいから、もう寝ようよ」 「朝になっちゃうって」 「眠りたくなーい! もっと加納くんとお話したーい!」 さらに揺する。 ぎしぎしとベッドが鳴っていた。 「嫌」 「嫌であります」 意地を張る。 「何だとー」 「これならどうだー!」 「え? ちょっ?!」 毛布をかぶった川嶋さんが、僕の上に覆いかぶさってきた。 「へへ♪ これでもう直さんを無視できまい」 「すりすり、すりすり頬ずり攻撃!」 「こらこらこら!」 シーツ越しに彼女の身体の感触と、熱を感じる。 焦る。 ベッドでクラスメイトの女子に抱きつかれるとか、ヤバイ。 「川嶋さん、マズイって離れて」 「あ、加納くんの身体冷たいじゃん」 「やっぱり毛布いるって」 「でも、ひとつしかないし」 「直さんといっしょに寝ればいいんだよ」 「女の子と添い寝とか無理」 「うふふ、妹キャラじゃないけど、添い寝!」 「話聞いて!」 話してる間にも、川嶋さんはどんどん擦り寄ってくる。 せまいベッドには逃げ場はない。 観念して、川嶋さんに捕まる。 「えい」 「!?」 ぎゅっと抱きしめられた。 柔らかくて温かな彼女の身体。 髪の匂い。 興奮しないわけがなかった。 「……ねえ、加納くん」 「何? 川嶋さん」 僕を押し倒したような体勢で、顔をのぞいてくる。 「……そろそろ、さ」 「うん」 「察してよ」 「……だけど」 「うん」 「流されてない?」 「ないよ」 「後悔するんじゃない?」 「加納くんがするなら、諦めるけど?」 「僕は――するわけがないよ」 「良かった」 「加納くんにお前なんか全然タイプじゃないよ、すぺぺっ! って言われたら、あたし泣くし」 「そんなこと言うわけない」 すぺぺって。 「僕は、今まで君より親しくなった女の子はいない」 「本当?」 「うん」 「それって、好きってことだよね?」 「うん」 「ちゃんと言ってくれる?」 「川嶋さんが好きです」 「川嶋さんは、もう卒業しようよ」 「直だよ」 「直さんが好きです」 「まだ固いにゃー」 「呼び捨てで」 「直、好きだよ」 「来たっ!」 目を><にして、震えていた。 「今、胸にずぎゅんって、来たーっ!」 はぁはぁと息を荒げていた。 「直、愛してる」 「くおおぉぉぉ……!」 打ち震える。 「直は僕の天使だ」 「うおおおおっ!」 悶える。 「直の瞳は1000万ボルト」 「いや、それは言いすぎ」 素に戻る。 「ていうか、直さんで遊ばないように」 「すみません……」 押し倒された体勢で、謝罪する。 「じゃあ、ね」 「あたしも、言うよ」 はにかんだ笑顔を作って、川嶋さん、いや、直は。 「イズミ、大好き」 胸を撃ち抜かれた。 それは今までの人生で、初めて受けた告白で。 僕を無力化するのに、充分だった。 「直」 「イズミ……」 直の顔が近づき、 「んっ……」 唇を重ねた。 生暖かな感触と吐息。 僕は異性とここまで激しく強く接触したことはない。 「んっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、ん……」 何度もお互いの唇を、強くぶつけるように求めた。 呼吸をするのを忘れるほどに、求め合った。 やがて苦しくなって、口惜しそうにいったん離れる。 「川嶋さん……」 「直だってば」 「ごめん」 「いいけど」 「何か照れくさい」 「ダメ。イズミは直って呼ばないとダメ」 「呼ばないとキスしちゃうぞ」 「してほしいから、呼ばない」 「呼んでもしてあげる」 「うわっ」 「何?」 「今の嬉しくて恥ずかしい」 「二人しかいないよ」 「僕からもキスしていい?」 「聞かなくてもいいし」 「好きにして」 「じゃあ、ぎゅっと抱きながらキスしてもいい?」 「だから、聞かなくていいし!」 「直」 「あ……」 背中に両腕を回した。 「直、直……」 そして、そのまま抱きしめる。 信じられないくらい、温かい。 泣きそうだった。 「よしよし」 僕に抱かれながら、直は僕の背中を優しく撫でてくれた。 「イズミ、あたしね」 「いつかこうしてあげたかったんだ、イズミのこと」 え? 「イズミのこと優しく抱いて、撫でてあげて」 「今までよく頑張ったねって、一人で辛かったねって」 「そう言ってあげたかったんだ……」 「あの日、屋上で貴方を見た時から」 「……やめてよ」 「これ以上、僕が直を好きになったらどうするんだ」 「なればいいじゃん」 「なっちゃいなよ」 こつん、と額を僕の額にぶつけてくる。 「ていうか、キスはまだですか?」 「待ってるんだけど」 「あ」 「はい」 顔を上げて目を瞑った。 「好きだよ、直」 「君をずっと守りたい」 「いや、守る」 そう言って、彼女の顔をゆっくりと引き寄せた。 「んっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「好き、イズミ好き……」 真夜中の保健室で、何度も何度もキスを交わす。 もう止まらない。 身体の核の部分が熱を持ったようになって、どうしようもない。 直が欲しい。 今すぐに、欲しい。 「直」 「あ……」 僕は後ろから直を抱きしめる。 自然に胸に手が。 「あ、ん……」 「やっ」 びくっとなって、すぐ手を引っ込めた。 「ご、ごめん」 「え?」 「え?」 お互いきょとんとしてしまう。 「……どうしたの?」 「今、嫌って言ったから」 「え? 言ってないよ」 「小さい声だけど、言ったよ」 「えっと、それは、つい口に出ただけだと思う……」 「つい?」 「だ、だからね」 ぐいと腕をつかまれて、また直の胸の上に置かれた。 「イズミのテクニックで、つい口から声が漏れただけですよ」 「このテクニシャンめ」 背中を預けてきた。 「そんなのないってば」 「緊張して、頭が爆発しそうだ」 「そう言えば、手汗すごいし」 「ごめん、すぐ拭く」 「いいって、別に嫌じゃないし」 「……本当に慣れてないんだ」 「みたいだね。あたしもだけど」 「でも、初めは皆、きっとそうだよ」 「あんまり手馴れてたほうが嫌だな。そっちのが直さんショックですよ」 くすくすと笑う。 「僕に身体をゆだねてくれるのなんて、たぶん君が最初で最後だよ」 「え?」 「僕は、人に好かれないんだ」 「だから、ずっと一人で生きて、一人で死ぬんだって思ってた」 「その歳でもうそんな風に」 「だから、今が……」 ウソみたいで。 夢みたいで。 「イズミ」 「ん……」 あ。 「ちゅっん……」 不意打ち気味に、唇を奪われた。 そして、髪を撫でられる。 優しく、優しく。 涙出るくらい、それが嬉しかった。 「一人じゃない」 「一人じゃないよ、イズミ」 「うん」 「二人だね」 「うん」 「続けていい?」 「いいよ」 「直」 僕は彼女の首筋に顔をうずめながら、乳房を揉んだ。 「あっ、ああ……」 「んっ、はぁっ、はあっ……」 「あっ! んっ、くうんっ、あんっ」 「イズミ、あっ、イズミ……」 「直……」 直の胸の形をなぞるように、そっと指先をはわす。 「あっ、ああ……それ、あっ……!」 うなじに何度もキスをする。 「あっ! はぁっ! んんっ!」 「直、直……」 後ろから抱きしめながら、何度も名前を呼んだ。 まるで母親にすがりつく幼子のように。 僕は母に甘えた記憶は、ひとつもない。 母を嫌う子供などいない。 きっと、母が僕を嫌って遠ざけたのだろう。 「イズミ、んっ、はぁっ、あっ、あんっ!」 「はぁはぁ」 息を荒げて、直を力いっぱい抱きしめた。 やっと見つけたのだ。 僕を受け入れてくれる人を。 何があっても、放したくない。 「イズミ、あん、はあん、んっ、ちゅっ、んんっ!」 直の大きな乳房を下着越しに愛撫しながら、また口付けをした。 今度の口付けは深い。 お互いの舌が遠慮なしに絡まりあった。 「んっ、ちゅっ、んっ、んっ、ちゅっ……」 「イズミイズミ……んっ、ちゅっ、んんっ!」 「はぁはぁ、んっ、ちゅっ、んっ」 僕は直の唇を貪る。 貪欲に、彼女の唇を求めた。 「好き、好きっ……イズミ、好きっ……ちゅっ、ん……」 直は全部受け入れてくれた。 好きだと、何度でも言ってくれた。 「直、僕も好きだ……」 何十回も繰り返したキスの後、再び胸を。 こりこりとした感触があった。 「あっ、ああ……!」 そこに触れると直が、如実に反応した。 僕は彼女の下着に手をかけて、ズリ下げる。 「あ……」 直の豊かな乳房が露出した。 もう乳首はピンと立っている。僕の愛撫で感じていたのだ。 指先で、そっとつまんだ。 「あっ、やん、やっ……」 「今のは声出ちゃっただけ?」 「そ、そうだよ」 「言わせないでよ、恥ずかしいからっ」 ちょっとだけ拗ねた。 「じゃあ、触るね」 「ん……!」 指の腹で直の乳首を撫でた。 まるで意志を持っているかのように、強く固くなっている。 元気な感じ。 くにくにと擦る様に、いじった。 「あっ! はあっ! んんっ!」 「はぁっ、んっ、あっ、ひゃっ、んんっ!」 「んっ、あっ、やっ、はぁっ、あっ、ああ……!」 乳首を刺激するたびに、直は身体を強く揺らした。 僕の胸に背中を預けてくる。 ふわっと髪から、女の子の匂いがする。 僕は直の乳房を持ち上げるようにして、揉みながら耳にキスをした。 「ああっ! あんっ、はぁっ! やっ……!」 「んっ、はぁっ、耳は、あっ! イズミ、んっ! ああ……」 「やんっ、そこは、反則……ひゃうんっ!」 直の反応が大きくなった。 微かに汗ばむ肌が色っぽい。 「直、可愛い……」 愛撫を続けながら、耳元でささやいた。 「あっ、耳元でしゃべんないで……」 「くすぐったい?」 「ち、ちょっとだけ、でも、何かそれ以上に……あっ、しゃべってる時まで胸触って……あっ!」 「今さら、やめられないよ」 「直の反応が可愛すぎて、やめれない」 「あんっ、また耳元で、可愛いって言った……」 「嫌なの?」 「……すごい嬉しい」 「イズミに触ってもらって……あっ、ん! 可愛いって……はぁっ、あっ!」 「夢みたいで……」 「解けちゃいそう……」 「僕の直、大好き」 「あっ、あ……」 「絶対、君を放さない」 「あうう……」 直は恥じ入りながらも、言葉で感じていた。 「ん……」 耳たぶをアマガミしながら、乳首をきゅっとつねった。 「ひゃあああんっ!」 ぶるっと、直の身体が一瞬震えた。 その様子に、僕はより一層興奮した。 下半身が、痛いくらいに硬度を増していく。 「直、その」 「……あ」 僕の片手は、直の太ももに触れた。 しっとりとした、乳房とは違った肌の感触が、手に伝わってくる。 「あ、ああ……」 「直の声、すごく色っぽい」 「ううっ、つい漏れちゃうんだって……」 「そんなとこ触られるの初めてだし……」 「すごいすべすべしてる」 「こうしてるだけで、どきどきする」 言って、直の太ももを撫でる。 「ひゃっ、あっ、くぅん……!」 「そ、そんな、じっくり触んなくてもぉ……!」 そんな直の言葉は無視して、僕の指先は彼女の白い肌を何度も刺激する。 「はあ、はあ、ダ、ダメだってば……」 「もう、イジメないで……」 「直の反応が可愛くて、やめられないんだ」 「もう可愛いなら、可愛がってよぉ……!」 「今でも可愛がってるつもりなんだけど……こうすればいい?」 今より強く後ろからぎゅっと抱く。 「あ……」 「直」 そして、首筋や頬にキスの雨を降らした。 直が可愛くてたまらない。 直の身体ならどこだって、キスできる。 「あっ! ああんっ!」 「イズミ、イズミいっ……!」 「気持ちいい?」 「う、うん……」 とろんとした目を向けてくる。 「良かった」 「ね、ねえ、イズミ」 「ん?」 「もう少し、違うトコを」 直はもじもじしながら、小さな声で言う。 「……さ、触ってもいいよ?」 蚊が鳴くような声だった。 見ると、直の下着の中央ははっきりとわかるくらい濡れていた。 「さっきから、どんどん切なくなってくるの……」 「イズミに触ってほしくて……」 「でも、ずっと太ももで止まってるから……」 「もしかして、直さんじらされてますか?」 拗ね気味の声。 でも、甘えてる声。 「じらすとか、そんな余裕は僕にはないよ」 こっちだっていっぱいいっぱいだ。 「じゃあ、触るね……」 太ももの上をずっとさ迷っていた僕の手は、ゆっくりと移動して。 やがて直の花弁に下着の上から触れる。 「あっ……!」 触れるか触れないかの微妙なタッチだった。 でも、直は如実に反応した。 そんなに敏感な箇所なのか。 女の子の一番、感じるところであるのは知っている。 でも、それは知識として知ってるだけだ。 加減というものがまるで分からない。 「これくらいだと痛い?」 少し強めに摩ってみた。 「あああっ!」 ぴくん! 直が背筋をそらして反応した。 「ごめん、強すぎた?」 「さ、最初はもう少し優しく……」 照れた様子の直。 直には悪いが、その様子は殺人的に可愛くて。 一瞬もっとイジメたくなる。 でも、そんなケモノじみた自分の衝動は必死で押さえ込んだ。 この子には優しくしたいんだ。 「う、うん、優しくする」 声がうわずってしまった。 「イ、イズミの様子がちょっと変……」 「そんなことないよ、ごくり」 「ひーん、つば飲み込んだ! エッチっぽいよ!」 「エッチっぽいのはしょうがないじゃん」 こんなことをしてるんだから。 僕は片手で胸の愛撫をしながら、直の性器を下着の上から撫で上げた。 「ああっ!」 直がすぐに反応して、身体を震わせた。 やっぱりここは敏感なんだ。 強くはできない。 僕は円を描くように、直の股間を擦る。 「あっ、ああああ!」 「んっ、あっ、はぁっ、んんっ!」 「ひゃんっ、んっ、あっ、はあんっ! はぁはぁ……」 「イズミ、ダメ……あんっ!」 「直」 僕は愛撫を続けながら、彼女の頬に口づける。 何度も何度も。 愛おしさを証明するかのように、キスの雨を降らせる。 「んっ、あっ、あっ、ひゃっ、んっ、あんっ!」 「はぁはぁ……イズミ、イズミ……!」 「唇にも……」 言われてすぐに、唇を唇で塞いだ。 「んっ、んっ……」 「ちゅっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 「イズミ、イズミぃっ……もっと……」 甘えるような声で、求められる。 死んでもいいくらい、嬉しかった。 何度でも、キスするよ。 君が求めてくれるなら。 「直、直……!」 直のスリットを下着の上から、強めに擦りながら口付けを続ける。 ぶるっと直は身体を震わせながらも、僕に身をゆだねる。 唾液で濡れた口元が、イヤらしく月明かりの中で光った。 「んっ、ちゅっ、んっ、イズミ……イズミ……」 「はぁっはぁっ、んっ、ちゅっ、んん……」 「あっ、あああっ!」 股間を愛撫する指先に湿り気を感じた。 少し粘性がある。 「直、ここ」 「濡れてきた」 撫で回しながら、ささやく。 「はぁはぁ、い、言わないで……」 「恥ずか、しいから……言っちゃ、嫌あ……」 僕の愛撫に感じながら、首を横に振る。 そんな仕草も可愛くて。 また彼女の身体にぴったりと、自分の身をくっつけてしまう。 股間が固いのはもうバレてる。 恥ずかしさよりも、直に触れることを優先する。 「イズミ、はぁっ、んっ……」 「あ、当たってる……」 「うん」 「直のせいで、こんなになったよ」 「お尻に当たってる……」 「エッチなんだから、イズミは……」 「直のこんな姿を見て、エッチにならない男なんていない」 「僕はこれでも理性は強い方なんだ」 「今、あたしに、こんなにエッチなことしてる人が何を言う」 「だって、君が」 「あたしが?」 「……」 優しすぎるから、可愛すぎるから。 魅力的すぎるから―― 「言ってよ」 「また今度ね」 「今さら、何を照れてますか」 「照れてないし」 と言いつつ照れ隠しに、愛撫再開。 「あっ! こらっ、こんなごまかし方……ああんっ!」 「はぁっ! んっ、あっ、はぁっ、んっ、やっ、あっ!」 「ダ、ダメっ、あたし、どんどん……」 「あ、溢れて……!」 直の性器から愛液が染み出てくる。 下着の下の直のカタチが、薄っすらと透けて見えた。 エロい光景。 夢中で、恥丘にそって指を這わす。 くちゅと音がした。 「あっ、も、もうこれ以上、触っちゃ……!」 「はぁんっ! あっ! やっ! あっ、あああ……!」 「直、可愛くてエロい……」 唇を顔に近づける。 「はあ、はあ、んっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 強く唇を吸い合いながら、直の性器を触り続けた。 身体全体が心臓になったかのように、鼓動し続ける。 僕は完全に直との行為にハマっていた。 「イズミ、ん……」 「あ……!」 直が後ろに手をのばして、痛いくらいに勃起した僕のペニスを制服の上から触れた。 恥ずかしい声が出てしまった。 「可愛い声が出たね」 「き、急に触るなよ」 「自分はあたしのさんざん触っといて何言いますか」 そう言われると何も言い返せない。 「うわ~、何か温かい……」 手のひら全体で擦られ、持ち上げるようにされ、最後には軽く握られた。 「イズミ、これ大きすぎない……?」 「ふ、普通だよ」 「ドコまでが、何なのかわかんない」 さわさわと撫でるというか、イジられる。 「くっ」 「あ、また可愛い声」 「直さんのフィンガーテクニックで感じてますね?」 「女の子に触られたことなんてないから」 「あたしが初めてなんだね」 「うん」 「ふふ、あたしがイズミの初めてだ」 「嬉しいの?」 「うん、だって初めての相手なら、絶対忘れないでしょ?」 「なら、君も僕を忘れないの?」 「そんなの当たり前だよ」 「……直」 後ろからぎゅっと抱きしめた。 「ん?」 「直の初めてが欲しい」 「いいよ」 「絶対忘れないから、君も僕を忘れないで」 「もう、どうして、お別れみたいな言い方するかな?」 「ずっと守ってくれるって言ったのに」 「……」 「そうだね」 そうか、君は知らないのか。 たとえ二人が望んだとしても、別れなければならないことはある。 僕と妹が生き別れたように。 人生は時に、信じられないくらい残酷だから。 だから、忘れないでって言える時に言わないと―― 「怖いんだ」 「え?」 「ごめん、何でもないよ」 「今、たぶん、僕不安定なんだ」 「あたしがいるのに?」 「そうだね、ごめんね」 「ひとつになろうよ、イズミ」 「うん」 「これ以上ないくらい、貴方のそばに居たい」 「居続けたいの」 「直」 「イズミ、ん……」 どちらともなく口付けを。 何度もついばむように。 互いを愛しむように。 そして―― 「あ……!」 「あっ、あっ、ああっ!」 僕は直をベッドに寝かせると、直の膣口に亀頭を接触させる。 ほんの少し入り口を広げて、推し進めた。 「あっ! んっ! はあんっ!」 「いっ、やっ、はあはあ……」 でも、それだけで直は痛そうだった。 「……やめる?」 彼女が心配で、腰を止めた。 「や、やめないし……」 「ほら、イズミ来て」 「そんな痛そうな顔を見せられて、続けられないよ」 「痛くないよ」 「ウソだ。無理しないで」 「僕なら、別にいいんだ」 「ダメっ!」 「あ、あたしは、絶対にイズミを拒否しないっ!」 「受け入れる! 受け入れられるからっ!」 「ひとつになりたいの!」 「あたし、イズミとひとつに……!」 涙目で睨まれる。 強い意志を伴った視線に、圧倒された。 「ごめん」 「僕が、直の初めてが欲しいって言ったのにね」 「中途半端な覚悟で、ごめんね」 「もう、やめるなんて言わない」 「行くよ、直」 「うんっ……!」 僕は再び彼女の両足をぐっと抱えて、ペニスを彼女の花弁に強く―― 「はあっ!」 押し当てる。 直の膣は十分に濡れていた。 でも、未経験の彼女の膣は狭い。 「あっ、はあ、んっ、ああ……」 「イズミ、あっ! んっ! くうんっ!」 「く、来るよ……」 「イズミのが、あたしの中に……! わ、わかるよっ!」 「僕も感じるよ」 「直の中、温かい」 粘膜を通して伝わる直の体温。 熱を感じる。 押し返そうとするヒダの感触が、心地よい抵抗になって、すぐに射精しそうになる。 でも、必死に耐えた。 「イズミのも、温かいよ……」 「ううん、熱い……」 「火傷しそう」 「もう少し入れるよ」 「うん、来て」 僕はさらに直の奥へ。 「あっ! はあんっ!」 「痛っ! あっ! やっ、んんっ!」 直はシーツを握り、痛みに耐える。 頬を涙が伝う。 処女膜が裂け、血が出ている。 まぎれもなく、僕は直を傷つけていた。 どうして、神様はこういう風に女の子の身体を創ったのか。 気持ちいいだけではダメなのか。 「直……」 もうやめないと言ったけど、やはり躊躇してしまう。 「イズミっ、はあ、はあ、あっ! んっ!」 「もっと深く、あたしの……!」 「早く、イズミっ!」 「……」 ツラそうな直を見て、罪悪感が胸に広がる。 「馬鹿っ! 今さらためらわないでよ!」 「あたし、イズミのこと好きだって言ったでしょ?!」 「イズミもあたしのこと好きなんでしょ?!」 「だったら……!」 「あたしに忘れて欲しくないんでしょ?!」 「もう、さっさと……!」 「あたしを、貴方のモノにしちゃってよおおおっ!」 膣がぎゅっと僕のペニスを圧迫した。 決して放さないというかのように。 彼女の気持ちが、染み入るように僕に伝達した。 せりあがる射精感。 それを堪えて、僕は、 「直っ!」 直の膣壁に、自分の亀頭を強く擦りつける。 強い快感が、来た。 裏スジを直のヒダになめられるように、撫でられる。 「ああああああああっ!」 「はぁっ、はぁっ、んっ、はぁっ!」 「んっ、あっ! はぁっ、ああっ! イ、イズミっ! イズミっ!」 「んっ! はあっ! あああっ!」 何て気持ちいいんだろう。 好きな女の子との性交は、何もかも忘れてしまいそうなくらい気持ちいい。 理性さえ飛びそうだ。 「直っ! 直っ!」 僕は性器の先端で、彼女の膣内を味わいながら、両手をその豊かな乳房に伸ばした。 「ああっ!」 指が彼女の柔肌に吸い付き、埋もれる。 揉みしだく。 「はぁっ! あっ! やっ!」 「んっ、んんっ! はぁっ、はぁっ!」 「あっ、おっぱい、そんなに、あっ! やっ!」 直のヴァギナからさらにとろとろと愛液が溢れてくる。 「直も気持ちよくなってる?」 滑りがよくなって、さらにペニスの動きは速く激しくなっていく。 「あっ、んっ、はあっ、う、うん!」 「す、少しだけ、痛くなくなったかもっ!」 「もっといっしょに気持ちよくなろう」 「う、うんっ!」 「イズミ、もっと、もっとあたしのこと触って……」 「イズミが触ってないところ、ドコにもないように……」 「全部、貴方の印をつけて!」 直のその言葉に従うように、僕は直と結合したまま彼女の身体をまさぐりだす。 胸を触っていた右手は、直の素肌を流れるように移動してじょじょに下へ。 腹を撫でて、へそをつつき、 「あっ、んっ、はあっ……!」 そっと下腹部へ。 「ああっ!」 僕のモノをのみこんでいる下の唇の上に、半分顔を出したクリトリスが。 指の腹で撫でる。 「はあっ!」 ほんの少し触れただけで、直は腰を揺らす。 僕は強い反応に驚いた。 「ここがいいの?」 「はあ、はあ……」 じっと涙が浮かんだ目で、見つめられた。 いや少し睨んでるかも。 「う、うん……」 こっくりと頷いた。 「ていうか、知ってるくせに……馬鹿……」 顔を両手で覆って恥らう。 「恥ずかしがる直が可愛くて、つい」 「ほ、褒めたって、許してあげないっ」 「良くしてあげるから、許して」 「え? あ?! ひやんっ!」 会話の途中で、直のクリトリスをつまんだ。 そのまま愛液で濡れた指先で、何度もイジメた。 「あっ、ああ……!」 「ダ、ダメぇっ、そこは、あんっ、あああっ!」 「イズミ、んっ、あんまり、そこは、イジっちゃ……くぅっ!」 「でも、すごく気持ち良さそうだよ」 「直の声、色っぽい」 「僕のも、そのせいでまた大きくなったかも」 しばらく止めていたピストン運動をまた始めた。 カリの部分が、直の膣に刺激されて、腰が震える。 直の膣に飲み込まれている自分のペニス。 生々しい光景だった。 イヤらしすぎて、非現実的な感じさえする。 相手がいつもいっしょだった女の子だなんて、思えないくらいに。 「んっ、あっ!」 「今、イズミのが、中でぴくってなった……」 「直がイヤらしいから、興奮したんだよ」 「イ、イヤらしくなんか……ああんっ! あっ!」 「少し動いただけでも、わかっちゃうんだね」 一旦、止めて直の顔を見る。 「うん、わかるよ」 「イズミのが、形とかも……色はわかんないけど」 「もう直の中に入っちゃったからね」 「今度ちゃんと見たい」 「それは、恥ずかしいからダメ」 「ズルイ、自分はあたしのいっぱい見たくせに……」 拗ねた口調。 でも、顔は微笑んでいた。 「直」 「ん?」 「もう動いても平気かな?」 「正直言うと、このままでいるのはもう限界かも」 「出しちゃわないと、もう耐えられない」 「いいよ」 「イズミ、あたしで気持ちよくなって……それから」 「あたしに、刻んでよ」 「イズミの存在をはっきりと」 「うん」 「痛かったら言って」 「ふふ、たぶん言わないけど、ありがとう」 「動くよ、直」 僕は直の脚を抱えなおすと、腰を再び動かす。 「はあっ! あっ! あんっ!」 「イズミっ! んっ! はあっ! ああっ!」 「あんっ! はあっ! あっ! はあっ、はぁっ、あっ……」 直は再びシーツを掴んで、艶かしい声をあげる。 痛みだけではなく、甘い響きが混じった声。 「イ、イズ……ミぃっ……」 「はあっ、好き……好きぃっ……あああっ!」 「大好きいっっ!」 身をよがらせながらも、必死で僕に気持ちを伝えようとする。 そんな直が愛おしくてたまらない。 「僕も好きだよ……」 「こんなに、他人を好きになったことはない……」 きっと。 これが僕に許された最初で最後の恋なのではないか。 そんな気さえした。 瞬間、僕の目から涙がこぼれた。 「イ、イズミ、あっ、ああっ!」 「泣かないでっ! あっ! はあんっ!」 「直っ! 直ッ!」 「イズミっ! おいで! こっちに……!」 直はシーツを手放し、僕の方に両腕を差し出した。 僕は彼女と繋がったまま、直の身体をぎゅっと抱きしめた。 「イズミっ! あっ、ひゃあっ!」 「んっ、ちゅっ、んんん……」 「ちゅっ、んっ、んんっ、はぁっ、はぁっ……!」 抱き合いながら、唇を重ねた。 僕のペニスは、直のヴァギナに深く埋まったまま。 これ以上、繋がれない。 僕達は、それでもまだ執拗にお互いの身体を強く抱く。 もっと繋がりたい。 近くに。 そんな考えに取り憑かれたように、身体をぴったり重ねて、性器を擦り合わせ続ける。 「はあっ、はあっ、んっ、あっ、ひゃあっ!」 「あっ、ああっ! んっ、あっ! あっ、はあっ!」 「んっ、あっ、やっ! ちゅっ、んっ、イズミ、イズミィッ!」 「来るっ! な、何か、あたしの奥の方で、あっ! あああああっ!」 直が僕の中に強い爪を立てた。 膣がペニスを食いちぎらんばかりに、縮まる。 「ぼ、僕も、もう出るっ!」 「直の中に、出すよっ!」 「うん、来てっ! イズミ来てっ! はぁっ、んっ、あっ! ひゃあっ!」 「あっ! あっ! あっ! やっ! いっちゃう! もう、あたし、あっ、あっ!」 「イズミ、あたし、いっちゃうっ! 怖いっ! イズミっ!」 爪がさらに背中に食い込む。 僕は痛みに耐えながら、直をぎゅっと抱いて、言った。 「直」 「大丈夫だよ」 「僕がずっと守るから」 抱きながら耳にキスをした。 「ああああああっ!」 「イズミっ! イズミっ!」 「好き好き好きいっ!」 「直っ!」 睾丸が脈を打つ。 僕は直と強く抱き合いながら―― 「――ああっ?!」 「ああああああああああああああああああああああっ!」 直の中に、射精した。 「ああっ、ああ……」 「イズミの……」 「熱い、ね……」 「やん、まだ出てるよ……」 僕はペニス全体が脈を打ち、尿道を精液が未だ通過していくのを感じながら、直の身体に折り重なるように倒れた。 真っ白だ。 全部リセットされた、そんな気分だった。 胸に落ちるのは、一人の女の子と本当に愛し合えたという幸福感と、その瞬間が、もう通り過ぎてしまったという寂寥感。 「……どうしたの?」 直が優しく僕を抱く。 「すごく……」 「幸せだった……」 「そうだね」 「あたしも、幸せ」 「ずっとあのまま繋がっていたかった」 「一瞬じゃなく、ずっと……」 「うん」 「あたしもそう思ったよ」 「ありがとう」 「君が好きだよ、直」 「うん……」 「あたしも好きだよ」 「このまま、イズミとどっか遠くに行って二人で住みたいな」 「そうだね、そうなったら幸せかもしれない……」 視界が急に暗くなる。 身体が闇に解けていくような気がした。 「……眠いの?」 「うん……」 「眠っていいよ、イズミ」 「ずっとこうしていてあげるから」 「今までツラかったんだね、もう大丈夫だから」 「ゆっくりお休み……」 意識が、霞んでいく。 このまま朝が来なければいい。 僕はそう願いながら、意識を手放した。 だが、当然残酷にも朝はやって来る。 そして、僕達は――ただの友人に戻る。 夢の時間は終わった。 次の日。 今日の放課後は、新聞部の皆と特集のために調査をする。 だから、今日の午後は身体が空かない。 なので。 「行ってくる」 「絶対すぐに戻って来て! ギター取ってきたら速攻戻ってきて!」 「わかったわかった」 僕は朝のうちに、用事を済まさなければいけなくなった。 結局僕は動画で、下手なギターを披露するハメに。 コードを押さえるので精一杯なんだけど。 まあ、どの道もう加納さん家には行かなければならない時期だ。さくっと終わらそう。 駆け足で、加納さんの家を目指す。 「――っと」 「あ、すみません」 焦りすぎたのか、女の人にぶつかってしまった。 「いや、今はあたしもちょっとボンヤリしてた」 「あんたは怪我はない?」 「はい。僕は平気です」 「それは良かった。――ん?」 ぴくん、と目の前の女性の眉が微かに跳ね上がった。 「……ふん」 鼻を鳴らす。 まるで、周囲の匂いを嗅ぐように。 「あんた、変わった匂いをさせてるね」 「そうですか?」 「ああ」 言われて、自分の腕や肩を鼻に近づけてみる。 特に何も感じない。 「あんたじゃわからないよ」 くくく、と口の端を微かにつりあげる。 「鼻は結構、いいはずなんですけど」 「それでも、人には限界ってものがあるだろう?」 「それは、そうですけど」 「ふふ、今朝は、あたし気分がいいんだ」 「だから、忠告してやるよ」 「忠告?」 「身近にいる女に気をつけろ」 「出来れば、このまま逃げろ。この町を出ろ」 「え……」 「若い身空で、まだ散りたくはないだろう?」 「それでも、頑張ってせいぜい九十年くらいか……」 「頑張って生きな。人間あっと言う間に、老人だぞ?」 「あははは!」 何ともファンキーな女性は、高笑いをしながら雑踏に消えた。 「……」 呆気にとられた。 いったい何なんだ。 でも。 ようやく僕は身体の異変に気がついた。 僕は、今――全身が震えている。 立っていられない。 僕は、道端で膝を折って座り込んだ。 「ごほっ! がほっ! ごほっ!」 激しく咳き込む。 喉が、たまらなく痛い。 咳をしながら、思わず喉に手を当てた。 喉は――あった。 当たり前のことに、安堵する。 「……本当に、何なんだよ……?」 その後、落ち着きを取り戻した僕は加納さんの家へ行く。 「ぎちぎちじゃん」 ポストに無理矢理つっこんである新聞を、強引に引き抜いて捨てる。 まずは、自分の部屋へ。 白羽瀬との約束を守り、埃だらけのギターケースを回収。 さて。 「ご無沙汰してまーす」 挨拶をする。 だが、僕は大いに困惑する。 ――加納さんは、姿を消していた。 「あ、来ました来ました!」 「やっほー!」 「十分遅刻だぞ、加納、白羽瀬」 集合場所にはすでに部員達は集まっていた。 学園を出て、一旦アパートに戻った僕と白羽瀬は遅刻してしまった。 「すみません」 「まあ、大目に見てくれたまえ」 素直に謝る僕の隣で、白羽瀬はふんぞりかえった。 どうして社長風なんだよ。 「加納と白羽瀬は待ち合わせていっしょに来たのか?」 「あれ? カノー先輩、白羽瀬先輩と付き合ってるんですか?」 「な、なんだってーっ?!」 高階はきょとんとし、直はアスキーアート張りに驚いていた。 「まったく全然これっぽっちも付き合ってない」 「うわっ、完膚なきまでに否定しましたね」 「白羽瀬と付き合うくらいなら、僕は死を選ぶ」 「そ、それほどまでに」 「何だと、この野郎!」 「こんな美少女を捕まえて、何を言うかっっ」 「ていていていっ!」 肩を連打される。 ウザイが、放置だ。 「俺は加納はさっさと彼女でも作った方がいいと思うがな」 「そうですか?」 「好きな女が出来れば、お前も少しはこの世に執着するだろう?」 「それもひとつの手ではあるかもしれませんね」 「ん? その気になったか?」 「何なら、俺の知り合いの子を紹介してもいいぞ」 「え? マジですか?」 意外にも嬉し恥ずかし展開になってきた。 「海浜学園、二年の川嶋直っす!」 「同じく一年、高階郁美っす!」 「知ってるし」 完全にお約束だった。 「おーい」 「もう捜そー、人魚捜そー」 白羽瀬が、僕のそばに来て袖口を引っ張る。 まるで幼い子が、父親を遊園地に連れて行けとせがむような仕草だ。 「あー、はいはい」 「じゃあ、皆、そろそろ行こうか」 「ういー」 「あ、部長、二班くらいに別れませんか? そのほうが効率いいですよ」 「うむ、高階の言う通りだ」 「だが、安全を考えて女子のみの行動は禁止とする」 「よって女子三名を、俺と加納、どちらかの班に割り振ろう」 「わかりました。僕もそれでいいですよ」 「いや、俺は良くないぞ、加納」 え? 「よう」 「おはよう」 振り返ると、相羽と新田サンが立っていた。 「どうした、二人そろって」 「どうしたじゃない」 「俺が止めたのに、お前らまだ事件を調査するらしいじゃないか」 「ああ、それか……」 ちらりと新田サンを見る。 新田サンは微かに口元をほころばせた。 彼女が話したようだ。 「えっと、つまり、相羽と新田サンはあたし達を止めに来たの?」 「いいえ」 「逆よ。手伝うわ」 「は?」 「それはまた、どうして……?」 「だって、お前らどうせ止めたってきかないだろう?」 「それなら、私達も協力してあげるから、さっさと終わらせましょうって話」 「それは、さすがに悪いよ」 「だ、だよね~」 「相羽だけでいいし」 「白羽瀬さん、話があるの。二人だけで向こうに――」 「いやーっ!」 あっという間に連れさらわれた。 口は災いの元だ。 「とにかく、俺も委員長も、もう来ちまったんだ」 「それに俺だって、こういうのに興味がないわけじゃない」 「人手は多いほうがいいだろう? 遠慮はしない方向で頼むぜ、親友」 相羽が笑顔を浮かべる。 白い歯に朝陽が反射して、輝く。 ウソみたいに清涼感が漂っていた。 「うわーっ、キラキラだあっ!」 「絵に描いたみたいな爽やかボーイめ」 「ああ、よく言われる」 自画自賛かよ。 「相羽先輩って、面白いですねえ」 「それにいい人です」 「サンキュー。どう? 付き合ってみる?」 「どうもです。付き合いません」 「ははは、ダメだったぜ、加納」 フラれても爽やかな相羽であった。 「ふむ、ではせっかくだし相羽君と新田君の厚意に甘えるとしようか」 「相羽が来たんで、三つに分けられますね!」 「どうやって班分けしましょう?」 「そうだな……」 調査対象は大別して、以下に分けられる。 1、事件の現場を調べること 2、事件について聞き込みをすること 3、この町の人魚伝承について掘り下げて調べること 以上。ちょうど三つだ。 現在、男三人、女子四人。 「2、2、3で分けるってことか」 「二人チームのとこ、デートみたいじゃん!」 「そうですね、事件とは別の意味でちょっと危険かもです」 「川嶋が俺を押し倒すかもな」 「しないし!」 「そうですよー、相羽先輩、さすがに失礼ですよー」 「ははは。悪い、冗談だ」 「川嶋が押し倒すのは、加納だったな」 おい。 「いやいやいや! 相羽先輩、それじゃあ何も変わってないですよ!」 「川嶋先輩、本気で怒っちゃいま――」 「……イズミなら、強気で押せば、きっと……いや、でも、うーん……」 「計画練ってる?!」 えー。 僕は直さんから、少し距離を取った。 「あ~、もう、割と冗談だってば~」 笑顔で近づいてくる。 割りとっすか。 「はい、くじを作ったわ」 「これで恨みっこなしでしょ? 時間がもったいないわよ」 「そうだな、では使わせてもらおう」 「誰がどの班になっても、男子は紳士的に振舞ってくれ。女子を困らせるなよ」 「了解っす」 「当然ですよ」 わいわい言いながら、班分け開始。 で、結局―― こうなった。 白羽瀬と直は部長と、事件の現場に。 相羽と高階は、事件の聞き込みに行った。 つまり僕達は、人魚伝承調査班だ。 「行きましょう、加納君」 「あ、うん。まず近所の神社だね」 「神社? 何しに?」 新田サンは眉根を寄せる。 「あ、知らない? この近所の瑞穂神社は人魚が祭ってあるんだ」 「しかも、何と宝物として、人魚のミイラが奉納されてて――」 「あれ、偽者よ」 いきなり調査終了なことを言い出す新田サン。 「いやいやいや」 「ちょっと待って、これを見てよ」 僕はスマホに保存しておいた人魚のミイラの画像を彼女に見せる。 それは上半身が猿のように毛むくじゃらで、下半身が鯉のような尻尾を持つグロテスクな生物の死体。 何とおぞましい。身震いする。 「……」 でも、新田サンはスーパー冷めた目で、画像を流し見るだけ。 画面をタップする指の緩慢な動きが、彼女の心情を如実に物語っていた。 「ね? ほら、こんな摩訶不思議なブツが実際に神社にあるんだよ」 「これは是非、実際に行って神主さんに話を――」 「これ猿と鯉の剥製をくっつけただけよ」 「ああ! そんなこと言ったら、行く理由が……!」 「元々ないから」 さっくりと言い放つ。 無体だ。 「加納君だって、本気で信じてたわけじゃないんでしょう?」 「まあ……ね」 ひとつ息を吐きながら、返してもらったスマホをしまった。 しょせん、こんなのは遊びだ。 近所の山がピラミッドでもUFOの基地でもないのは分かっている。 人魚のミイラが、猿と鯉のニコイチなのも承知の上だ。 それでも。 「こんな下らないネタでも、たとえ一瞬でも、皆と盛り上がれれば」 「楽しいかなって」 苦笑ぎみに笑って、言った。 「……そう」 そんな僕を新田サンは、微かに目を細めて見る。 「馬鹿みたいだって、思ったろ?」 「いいえ」 「無理しなくていいよ」 「本当に思ってないわ」 「何なら、神社行く?」 「付き合うわよ」 「あー、まあ、もういいかな……」 さすがにもう行く気にはなれない。 「ごめんね、可愛くなくて」 「新田サンは何も間違ってないよ」 「だから、君が謝るのはおかしい」 「ありがとう」 「どういたしまして」 肩をすくめる。 さて。 これから、どうするか。 「神社に行かないとなると、ぶっちゃけ行く場所はもうないな」 「いや、図書館で、文献でも当たってみようか」 区立図書館は、電車で行けば十分くらいだ。 自然に、僕の足が改札の方へ。 「待って」 「え?」 新田サンに肩をつかまれて、立ち止まる。 「そっちじゃないわ」 「何が?」 「私達の目的地よ」 意味がわからなかった。 「目的地って?」 「さっき私、行きましょうって、貴方を誘ったじゃない」 「私の誘い、蹴るの?」 ジト目でにらまれる。 この子も白羽瀬とは違うタイプのマイペース娘だ。 「でも、皆は調査してるしさ」 「一応、仕事はちゃんとしたいんだけど」 「もちろん、調査の一環よ」 「人魚に詳しい人の話を聞かせてあげるわ」 「マジっすか、委員長」 「委員長はウソはつかないわ」 「その発言がすでにウソだよね?」 前、先生が呼んでるって二度騙された記憶が。 「いいから、寒いし行きましょう」 「私は、今日貴方と話すために、この寒空の下、わざわざ来たのよ」 「これ以上、手間をかけさせないで」 強引に手を取って引かれる。 やれやれ。 マジマイペースだな。 あ。 「ねえ、新田サン」 「何よ?」 「さっき僕と話すために、ここに来たって言ったよね?」 「そうよ」 「班分けで、違う班になってたらどうするつもりだったの?」 「誰がくじを作ったか覚えてる? 加納君」 「え?」 「はい、くじを作ったわ」 「これで恨みっこなしでしょ? 時間がもったいないわよ」 最初から仕組まれていたのか。 「何て狡猾な……」 「ありがとう」 にっこりと微笑む。 その笑顔に、僕は恐怖を感じるのだった。 「……ねえ、新田サン」 「何?」 「ここは喫茶店じゃないかな?」 「そうよ。加納君は何にする?」 視線はメニューの文字を追いながら、聞いてくる。 「温かければ、何でも」 「ここは、ブレンドがお勧めよ」 「じゃあ、それで」 「マスター」 新田サンが手を上げると、カウンターでグラスを拭いていた白髪の男性がのっそりと顔を向けてくる。 「ブレンド2つ」 「あと、パンケーキも2つ」 白髪の男性は、何も言わずにまたグラスを拭き始めた。 「無愛想でしょ」 「でも、料理はとっても上手よ」 「パンケーキはどうして?」 「私、昼食抜きだったのよ、付き合いなさい」 「ここのすごく美味しいから」 ああ、それでまずはここで腹ごしらえってことか。 「で、この後はドコに行くの?」 「ドコって?」 「人魚の詳しい人に会えるんだよね?」 「もう会ってるわ」 ――え? 新田サンの言葉に思わず前のめりになりそうになった時、白髪の男性が音もなくやって来て、コーヒーとパンケーキを置いていった。 「……」 僕は黙って、男性の背中を指差し、新田サンを見る。 ――あの人? 「……」 ――違う、違う。 と無言で首を振る新田サン。 そして。 「加納君、白羽瀬さんが人魚だって信じてる?」 「……信じてない」 少しだけ考えて答えた。 そうかもと思った瞬間は確かにあった。 でも、僕の目の前にいた白羽瀬は、ずっと人間の範疇に納まっていた。 「でしょうね」 「でも、これから私が話すことは、とりあえず今は信じて」 「そうじゃないと、今から貴方に話す時間が無駄になってしまうわ」 「努力はするよ」 そう言って、コーヒーカップを手にした。 「私は人魚よ」 「……」 口に運びかけたカップが停止する。 ついでに、僕の思考も停止した。 「信じて」 「いや、無理でしょ」 「努力してくれるって言ったわ」 「言ったけど、僕にも限界が」 「加納君、限界は超えるためにあるのよ」 強い力のこもった目で、見つめられる。 「……」 その瞳を見返す。 務めて、感情を廃して、彼女を観察した。 意識して、瞳孔を開く。 新田サンのほんのわずかな心の動きさえも読取れるように。 施設時代、身につけた僕の生き残るためのスキル。 「……すごい目をするのね」 「え? そう?」 「まるで、今から解剖される昆虫のような気分だわ」 「ごめん」 「自分では、どんな顔してるかわからないから」 「で、信じてくれるの?」 「話を聞いてもいいかなって程度には」 「イマイチって感じね」 「君は悪い人ではないけど、油断もできない人だ」 「悪いけど、無条件に全部受け入れるのは、無理だよ」 「僕は臆病者なんだ」 「以前、私のこと嫌いって言ってたしね」 新田サンはカップをスプーンでかき混ぜながら苦笑した。 「嫌いとは言ってないよ」 「苦手って、言ったんだ」 「それ、どう違うの?」 「猫が大好きな、猫アレルギーの人っているだろう? あんな感じ」 「ふうん」 「遠まわしに告白されちゃったわ」 「たとえ話なんだけど」 さくっと否定した。 「わかってるわよ」 「少しも動揺しないのね。可愛くないわ」 「可愛くないのはお互い様だろう?」 「そうだったわね」 ふぅと、息を吐く。 「ひとつ、どうしても気になることがあるんだけど」 「何?」 「君が人魚であるとして、どうして僕に正体を明かすかがわからない」 「君にはデメリットしかないと思う」 「どんなデメリット?」 「僕がそのことを周囲に言いふらしたら、あまり愉快なことにはならないだろう?」 「言いふらすの?」 「しないけど」 「なら、問題ないわ」 「それでも、万が一、言いふらしたらってリスクは常につきまとう」 「そんなささいなリスクにこだわって、大切なモノを失ったらどうするの?」 「大切なモノ?」 「白羽瀬悠」 「私の大切な妹よ」 「……」 またさらっととんでもないことを言ってくれた。 「同級生じゃないか」 「人魚の見た目と年齢は一致しないわ」 「つまり、君は僕や白羽瀬より、年上ってこと?」 「ええ」 「どのくらい上なの?」 「もちろん、内緒よ」 「そこは気にするんだね」 変なところで人間くさい。 「ちなみに、私達の母親は寛永二年に生まれたらしいわ」 「マジすか」 江戸幕府の頃じゃないか。本当なら歴史の生き証人だ。 「それと悠は、見た目と年齢は一致してるわ」 「あの子は稚魚だから、まだ人間と同じ」 「新田サンは成魚なの?」 「……そうなるわね」 何かをはぐらかすように視線を外して笑う。 「それだと、君は人を食べたってことになるんだけど?」 伝承では、人魚の稚魚は人を食って成魚になり、悠久の時を生きるという。 白羽瀬もそう信じている。 「いいえ、私は人を殺めたことは一度もないわ」 「でも、成魚なんだろう?」 「そうよ」 「それだと、話が合わない」 「加納君、この町で一般に信じられている伝承にはいくつか誤りがあるわ」 「人魚は人を捕食しなくても生きていける」 「もちろん、捕食してもいいけど、それは生きるためじゃなくて、ただの遊びよ。狩り」 「狩り……。人間狩りか」 「ええ」 人間狩り。 その言葉に、僕は戦慄した。 「人魚には二種類の種族がいる。伝承はこの事実を無視して、二つの種族を混同してできているわ」 「二種類っていうと?」 「ひとつは、私や悠みたいな、純血種」 「もうひとつは、人間と人魚の間に生まれた混血種。人間と人魚のハーフね」 「ハーフは、身体を維持するのに莫大な養分が必要だから、たいがい二十歳くらいで死ぬわ」 「だから、死にたくないハーフは養分を求めて、大きな獲物を常に狙っている」 「つまり」 「人を、好んで狩る」 「……」 「……新聞にのせる内容としては、割と面白いね」 「今、多発してるバラバラ殺人事件は、養分を大量に必要としているハーフ人魚です――って感じかな」 「その通りよ」 「犯人が、私や悠でない以上、残る可能性はハーフよ」 「純血種はめったにいない。でも、ハーフはそれなりにいる」 「純血種は戯れに、気に入った人間と交わるから」 「行きずりの性行為か。随分俗っぽい話だね」 「当然よ。現実は小綺麗なファンタジーじゃないわ」 「馬鹿で無責任な純血種が生み出した、哀れな生物」 「それが、人魚の混血種。雑種」 「あ、でも、これ……雑種だ」 「雑種のくせに、私の狩場を荒らすとか……」 「くすくすくす……」 雑種という言葉に、記憶が引き出された。 嘲るような、白羽瀬の言葉。 見下す笑顔。 息を飲む。 混乱してきた。 「……顔色が悪いわ」 「急に色々話しすぎたわね、ごめんなさい」 「これ以上は、無理ならそう言って」 「いや、いい」 「続けてくれ」 「いいの?」 「まだ、一番大事なことを聞いてない」 「君は、重大な秘密を僕に明かした」 「そうね」 「僕に何を期待してるんだ?」 「妹を守りたいの」 「それに協力して欲しい」 白羽瀬を守りたい? どういう意味だ。 「ハーフにとって一番の養分は、人ではなく人魚よ」 「でも、成魚となった人魚の身体能力はとても高くて、雑種程度では歯が立たない」 「だけど、稚魚の悠なら別」 「悠はまだ、人魚本来の能力をほとんど発揮できない」 「私がハーフなら、まっさきに悠を狙うわ」 妹の身を案じて、今一番そばにいる僕の協力を仰いでるってわけか。 でも、まだ疑問は残る。 「もし、新田サンの言うことが本当なら、成魚の君がそばについて守ってやればいい」 「どうして、そうしないの?」 「そうね、もっともな意見だわ」 「でも、それはできないの」 「そもそも、あの子は私が人魚なのも、姉であることも知らないわ」 「だから、同級生のフリをして見守ることしかできないの」 ふっと寂しそうに笑う。 「事情は……」 「知らない方がいいわ」 「知っても、貴方の危険が増えるだけだし……」 言って、新田サンはようやく、コーヒーカップに手をつけた。 「苦いわ。冷めちゃった」 そして、苦笑する。 その笑顔は、同世代の僕達と何も変わらない。 普通の女の子の笑顔だった。 「わかった」 「要は、白羽瀬がヤバそうなヤツにやられないように、ガードすればいいんだろう?」 「目の前でそんなことがあれば、頼まれなくても、僕はそうするよ」 人魚だろうが、人間だろうが。 白羽瀬が危険な目にあってて、見過ごすつもりはない。 「ありがとう」 「でも、絶対戦おうなんて考えちゃダメよ、貴方にとってヤツらは規格外の存在なんだから」 「もし不幸にも出会ってしまったら、あの子を連れて一目散に逃げなさい」 「そして、すぐに私に連絡して。それが貴方にお願いしたいこと」 「わかったよ」 「万が一にも、そんな化け物が現れたらそうさせてもらう」 「巻き込んでごめんなさい。でも、貴方も悪いのよ」 「警告したのに、悠と離れないから」 「行くところがなかったからね」 「でも、加納君、私がハーフを狩ったら、近いうちには出なさい」 「悠が不安定になった時、絶対、貴方を襲わないという保障はない」 「不安定になるの?」 「成魚になる時期が近づくと、稚魚は攻撃的になるの」 「稚魚でも、ただの人間の貴方よりは強いわよ」 「人間の女の子の生理みたいだな」 体調をくずして、イライラするってことか。 「ほぼ同じね。でも、いったんそうなると成魚になるまで、その症状は続くわよ」 「そうなると、本当に危険だから、その前に……」 新田サンはフォークを手にして、パンケーキを切る。 そうか。 当たり前のことではあるけど、僕はいつまでも白羽瀬とは暮らせないのか。 あ。 「もうひとつだけ聞きたいんだけど」 「……」 パンケーキを咀嚼しながら、こくんと頷く。 「稚魚の人魚は、どうやって成魚になるの?」 純血種は人を食べなくても生きていけると言っていた。 つまり、無理に人を捕食する必要はない。 ならば、何をもって稚魚は成魚になるのか。 「……」 僕の質問を聞くと、新田サンの眉がぴくっと動く。 そして、フォークを静かに置いた。 「純血種の人魚で、成魚になれるのは雌だけなの」 「純血種の人魚は必ずつがい――男女の双子で産まれるんだけど、生き残るのは雌だけ」 「雄はどうなるの?」 「雄は養分よ」 「養分……」 それは―― 「そう、私達、純血種の雌人魚はね、産まれた時から宿命づけられてるの」 「兄か弟を、殺して食べる事をね」 次の日の朝。 「ううっ……」 洗面所で鏡をのぞいた妹がしょんぼりとうなだれつつ戻ってきた。 瞳の色がまだ赤かったからだ。 「心配するな。昨日よりは戻ってる」 「そ、そう?」 気休めだ。 でも、落ち込む妹を見て本当の事なんか言えない。 「とりあえず、今日は学園休もう」 「皆には、僕が連絡しとくから」 「う、うん」 「ほら、まだ早いから寝とけ」 「はあ……」 そして、また朝が来る。 「あううっ……」 妹が頭を垂れて、洗面所から戻ってくる。 「まだウサギみたい……」 「もうちょっとだって、焦るなよ」 「昨日よりは、赤くないって」 「そ、そうなの……?」 「私、自分ではあんまり変わってなく見えるけど……?」 ぎくり、とする。 「そ、そんなことないし」 「大分戻ってるし」 焦って、悠のような口調で否定する。 「今日も学校行けない……」 「何か、身体もダルいし……」 「連絡しとくよ」 「はあ…………」 朝。 「ぐすっ、お兄ちゃん……」 「戻んないし……」 三日目。 ついに妹が泣き出してしまった。 「どうしよう……?」 「う、うん……」 弱った。 いくら栄養を摂らせても、身体を休めても一向に改善しない。 もう成魚になる準備が悠もできてしまったのだろうか。 だとしたら……。 「悠、身体のダルさは?」 「ちょっと悪くなったかもしれない……」 「食欲もあんまりないし……」 人魚の雌は成魚にならない場合は、衰弱死する。 僕の背中に、嫌な汗が流れる。 「……このままだと」 悠は来週、演奏に参加はできないかもしれない。 あと5日もつ保証なんてどこにもない。 「あ、兄」 「その手、血が」 「え?」 悠の声に包帯を巻いた手のひらを見た。 血が滲んで赤く染まっていた。 「な、治ったんじゃなかったの?」 妹が眉根を寄せて僕を見上げる。 もう、隠しようがない。 「ごめん、僕、もう治癒能力使えないみたい」 「それどころか、ずっと良くならないんだ」 普通の人間より回復が遅い。 ちっとも傷が癒えない。 「そんな……」 悠は僕の血だらけの右手を取る。 「そんな……!」 またぽろぽろと涙をこぼした。 その雫が、僕の手に。 「悠、手が汚れるから」 「そんなのいいし!」 「お兄ちゃんの血、全然汚くないし!」 「そうか」 「ありがとう、悠」 怪我をしていない左手で、頭を撫でた。 小さな頭とさらさらの髪の感触に、愛おしさがまたこみあげてくる。 「包帯取り替えて、薬ちゃんと塗ろう」 「少しは効き目あるんでしょ?」 「うん、多少は」 「薬箱もって来るし!」 妹はフラつく足で部屋を移動する。 「僕が自分でやるから、悠は休んで――」 「あったし!」 「兄、手出して!」 聞いちゃいない。 妹は僕のために必死になってくれていた。 「はい」 素直に右手を差し出した。 もう包帯は面積の半分くらいを赤くしていた。 「んしょ、んしょ……」 慣れない手つきで包帯を外し、 「ん……」 「あ」 「ん、ちゅっ……」 妹は僕の手の傷口を舌を使って、消毒し始めた。 「んっ、ちゅっ、ぺろっ」 「んっ、ちゆっ、ぺろっぺろっ……」 妹は僕の血を何の躊躇もなく舐めとった。 まるで小さな子供が、アイスクリームを与えられたかのように。 夢中になって、僕の傷口を癒そうとした。 「……痛いの、少しはなくなった?」 「うん、もう全然痛くないよ」 「まるで魔法みたいだ」 「ふふ、良かった」 あ……。 「悠、お前、鏡見て来い。早く」 「え? でも、お兄ちゃん、薬塗って、新しい包帯巻かないと」 「それは後でいいから。ほら」 「あんまり見たくないのに……」 渋る妹を強引に立たせて、いっしょに洗面台のところに。 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」 「いつもの私、キタ――――――――――――っ!」 鏡を見るなり、妹は大声で叫んだ。 「寒っ……」 悠が復調したので、学園に来た。 でも、僕は授業をサボって、屋上に。 せっかく学園に来たというのに、この有様だ。 「まあ、いいか」 僕も悠も、ここに知識を習得に来てるわけじゃない。 「想い出を作れれば、それでいい」 悠に頼んで返してもらったタバコに火をつけて咥える。 もうすぐ逝くのなら、健康に気を使っても仕方ない。 「はあ……」 白い煙を吐きだす。 久しぶりだと、何か違和感がある。 「マズっ……」 あんまり美味くない。 身体から、ニコチンが抜けてしまったのか。 「ふ、こんなところで授業をサボって喫煙か」 「スレた青春を満喫ってところかい?」 今、空から声が――。 「っ!」 頭より速く身体が反応した。 僕は、その場から飛びのくようにして移動する。 「おっ?」 音もなく、真上から女が降って来て着地した。 「何だ、反応できるとは思わなかったよ……」 「ただの腑抜けになったかと思っていたら、なかなかどうして」 前に立つ女が、目を眇めて僕を見て、微笑した。 声色には嘲笑めいたモノが混じっていた。 「御堂イズナ……」 僕はタバコを吐き捨てて、そうつぶやく。 彼女から目を離さない。 離した途端、殺される。 そう感じていた。 「おや、私の名前を覚えていたのかい」 「あまり、子供の前で名前を名乗る機会はなかったと思っていたんだがね」 「……覚えてなんかいなかったさ」 あんたのことなど。 「姉さんに教えてもらったんだ」 「ああ、瑠璃かい……」 「余計なことを……」 「アイツは悠と違って、見込みがあるから殺さずにきたが……」 「最近のアイツの行動は目にあまるものがある。近いうちに、悠同様、食っちまうか」 ――食っちまうか。 当たり前のように、投げ出された言葉に慟哭した。 僕は微かに身体の重心を移動させる。 「……姉が弟の心配をして、何かを教えたりするのは自然なことだろう?」 「家族なんだから」 「は? 家族?」 女は目を見開く。 本気で驚いているようだった。 「……やれやれ、若い人魚は人間にかぶれ過ぎていけない」 「見た目は似ていても、本質はまるで違うということが、どうしてわからないのかねぇ……」 女はまるで僕など警戒もしてないという風に肩をすくめる動作をする。 「人間のフリをして、情深く装ったって生きにくくなるだけさ……」 「周りの人間共は次々に年老いて、死んでいく」 「自分だけがとり残される」 「やがて、いつまでも若い身体を持つあたし達は、奇異の目を向けられ……」 「恐れられ、つまはじきにされ、迫害される」 「数十年もすれば、どんな人魚でも気づくんだ」 「しょせん、一人なんだよ」 「あたし達は、ね」 口の端を曲げて、笑った。 「……」 「……つまらないよ、あんた」 「あ?」 「それが、あんたの核心だったなんて」 「思ってた以上に、凡庸で陳腐だった」 「本当にがっかりだ」 僕は懐から、タバコとライターを取り出す。 隙ができても、かまわない。 バカらしくなったのだ。 《・》こ《・》ん《・》な女に警戒とか。 「――何が言いたい?」 僕がタバコを吸いだしたのがよほど気に入らないのか。 それとも、底を見透かされたのが悔しいのか。 女は攻撃的な声をぶつけてきた。 「要は寂しさに耐えかねたってだけだろう?」 僕は吸いかけのタバコを手に、女の尖った視線を受け流す。 「一人で寂しいからって、世を拗ねてるだけだ」 「誰かに助けて欲しいけど、誰も助けてくれないって拗ねてるだけだ」 「何百年も生きてきて、たどり着いたのが、そんなあんたなのかよ」 「あんたに食われた命達が、哀れで涙が出そうだ」 「……貴様」 「あんたのために死んだ、あんたのつがいも、きっとあの世で嘆いているさ」 「貴様あああああああああああああああああっ!」 言葉と同時にツメが飛んできた。 「くっ!」 後ろじゃなく、僕は前に跳んだ。 この動作のためにあらかじめ、体重を移動させ溜めを作っておいたのだ。 「――なっ?!」 「ああああああああっ!」 硬化させた左手で、首を狙った。 手刀一閃。 切り落とすつもりだった。 この場で、この瞬間で、ケリをつける。 母親殺しの罪を背負ったとしても、かまわない。 ――それくらいの覚悟がなければ、僕達の運命は変えられない。 「――ぐっ!」 女の首を完璧に捕らえた。 いけると、思った。 でも―― 「ああっ!」 女はその場に踏みとどまり、逆に僕に必殺のツメを――。 「っ!」 左肩を掠めた。 制服が裂け、すぐに鮮血が流れ出す。 だが、まだ幸運だった。 あと一歩、イズナが深く踏み込んでいたら……。 「……ふん、そういうことかい」 「ヤケに饒舌だと思ったら、私をわざと怒らして……」 「最初から、この一撃を狙っていた……」 「……」 僕は呼吸を整えながら、女を見据える。 「純血種の雄は、つがいの雌が成魚になるためのエサだ」 「同時に、稚魚の雌を守る保護者でもある」 いつか相羽に吐いた台詞を再び口にする。 「……あんたは、さっき、僕の妹を狩るつもりだと言った」 「させない」 「僕は妹を守る」 「あんたを、この場で狩る」 意識を集中させながら、イズナの隙をうかがう。 次の狩るための最適な手段を必死で考える。 「いいね……、たいしたもんだ……」 「お前の目を見ているだけで、その覚悟のほどが伝わってくるよ……」 「でも、少し甘かった……」 「皮膚の硬化がほとんど出来てなかったぞ……?」 「焦ったのかい? それとも……」 イズナの射すような視線が、僕の真新しい肩の傷口に注がれた。 「……治癒が始まらないな?」 「……」 「そうか、お前もう……」 「ふふ、だから硬化も甘かったか……」 「ははは! 悲しいな! イズミ!」 「せっかくの覚悟も能力が伴わなければ何も為せない!」 「何かを変える事も、何かを見届けることもできない!」 「……」 「お前は、もう詰みだ」 「投了するがいい」 「そうすれば、苦しまずに――」 「一思いに、殺してやるよおおおおおおおおおおおおっ!」 ツメが伸びた。 僕の喉を一気に裂くつもりだ。 あの夜の再現。 「ちっ!」 硬化させた左の手のひらを広げて、庇う。 「馬鹿がっ! このまま、もろとも――!」 思った通り、イズナは僕の手のひらを穿ち、そのまま喉にツメを貫通させるつもりだった。 僕は痛みに耐えながら、その手を。 「ああああああっ!」 頭上に掲げるように上げた。 「?!」 僕の手とツメで繋がっているイズナの右腕も当然、上へ。 イズナの虚を突いた。 僕が左手を庇うと思っていたのだろう。 「ああっ!」 空いている右手に意識を集め、出来うる限りの硬化を。 それも人差し指と中指にだけ。 硬化箇所をより限定させれば、それだけ硬度は増す。 僕は、硬化させた二本の指で。 イズナの両眼を。 「っ!」 だが、一瞬遅く、僕の右腕はイズナの手のひらで受け止められてしまう。 硬化に時間がかかりすぎた。 くそ。 これで、僕は両手を押さえられたも同然だ。 「……目潰しとは、エグイことを考えるね……」 「成魚になる前のお前にだったら、やられていたかもね……」 「ふふ、こんなに活きのいい雄を食らえば、私の寿命もまた延びる……」 「あんたに食われるくらいから、この場で自決するさ……」 「それなら、それでいい。あんたの骸をこの場で胃におさめるだけさ」 「それで、寿命はまた延びる……!」 もう僕の左手は使えない。 右手を必死につっぱって、イズナとの距離を取ろうとする。 だが、イズナの力は尋常じゃない。 握力だけで、指が握りつぶされそうだ。 「ぐあっ……!」 指先の感覚が、ひどく冷たい。 鬱血していた。 「ふふ、よく味わえイズミ」 「死んだら、痛みさえ感じないんだ」 「生きてるうちに、感じておけ……!」 ぎりぎりと、右手の指にさらに圧力が。 「ぐああああっ!」 指が、折れ―― 「折れるのはそっちだ……っ!」 右手の硬化を解いた。 指がますます圧迫を受ける。 「うわあああっ!」 代わりにツメで貫かれた左手を硬化させた。 「何だと?!」 イズナのツメはもう抜けない。 硬化された僕の手に絡み取られてしまった。 左手を捨てる覚悟で、思い切り振った。 イズナの右手のツメを全て折った。 「――っ!?」 イズナは、後ろに跳んで僕との距離を取った。 ツメは雌の純血種の、武器であり象徴。 それを半分、失ったことのショックは大きい。 「……貴様……」 「……」 「ふ」 「ふふ、そんなにしてまで守りたいのか……」 「……あんたにだって、つがいの兄か弟がいたんだ」 「守ってもらっていたんだろう?」 「……だったら、わかるはずだ」 「……」 「……ふ」 「お前を食うのは後回しにしよう……」 「まずは悠を捕食する」 「なっ?!」 「妹を失った悲しみに、お前を叩き込んでやる……」 「それだけはさせない……!」 両手から流れ出る血で、無数の赤い点を地面に描きながら僕はイズナの方へと。 「ツメが再び生えそろうまで、お前達兄妹の命は預けておいてやるよ」 「五日後だ、イズミ」 「お前の妹の命日が決まった」 「早く絶望してるお前の顔が拝みたいものだな……!」 「させるかっ!」 僕は右手を硬化させながら、再びイズナに手刀を―― 突然、目の前からイズナの姿が掻き消えた。 「なっ?!」 彼女の動線すら、見えなかった。 僕は周囲を見渡す。 その時、ふいに聞こえた。 「はははははは!」 「お前は、退屈しないね、楽しいよ」 「またな、イズミ!」 「ははははははははははは!」 遥か遠く、眼下。 校庭に立ち、僕を見上げるイズナを見つけた。 「……化け物め」 僕はフェンスのネットを掴みながら、そうつぶやく。 ついに、あの女と全面対決になった。 たとえ、誰であろうと悠を狙う者は倒さなければならない。 妹を守る。 それは、僕の最古の記憶にも刻まれた誓い。 でも……。 「僕は、悠を守りきれるのか……?」 急に力が抜けて、膝を折った。 相手は何百年も生き続ける、成魚の雌。 おそらくは、最強の知的生命体。 一方、僕は治癒能力も、皮膚の硬化能力も失いつつある。 戦闘力はもはや雑種にさえ劣る。 四面楚歌。 そんな、言葉が頭に浮かぶ。 「それでも……」 「それでも……!」 五日後には、悠は歌うんだ。 友達のために。 それを邪魔はさせない。 僕は血まみれの指先で、ネットを掴んだ。 また、立ち上がるために―― 「ふんふんふ~ん♪」 「お味はどうかな……」 「うむ、完璧っ」 「よし、兄を起こしに――」 「わあっ!」 「……ん?」 何かの破壊音に起こされた。 「――悠?」 布団から起き上がって、台所の方に―― 「今、来ちゃダメっ!」 行く前に悠がやってきた。 「どうしたの?」 「お皿割っちゃった」 「まだ片付けてないから、危ないし」 しゅんと肩を落として妹が言う。 「え? 悠は怪我は?」 僕は悠の両手を取って、見た。 「わ、私は平気だし」 ちょっとあわあわしだして、妹が首を振る。 「それは良かった」 「僕が掃除機かけるから、悠はここにいて」 「おお~」 「兄は今日も優しい」 「すりすり」 抱きついて擦り寄ってきた。 「にゃあ~」 マル美もマネをして、足元に。 「はいはい、まずは掃除機やるから離れて」 「ほら、マル美抱いてて」 「うん♪」 「おいでー」 「にゃん」 マル美を抱いて、てこてこ歩く。 昨夜のことがウソのよう。 とりあえず仮初の平和だった。 「うわっ、また炎上してるし!」 「このこのこのこのっ!」 「ニートちゃうしっ!」 「ググれ、カスっ!」 「にゃあ~?」 悠の作ってくれた朝食を食べた後は、のんびりと過ごすことにした。 悠は見えない敵と格闘し、僕はテレビを見て過ごす。 学園には、行く気があまりしない。 二人でいる時間を、少しでも長くしたい。 「わっ、メールいっぱい」 「未読356件」 「それ、もう読むの無理じゃん」 何日放置してたんだ。 「そのうち、スパム353件」 「ほぼスパム?!」 ……何て物悲しいんだ。 兄は心の中で、妹のために泣いた。 「でも、二通は、知らない人」 「貴方のために、生ズワイガニお徳セット、ご用意致しました!」 「通販サイトのダイレクトメールじゃん」 スパムみたいなモノだ。 「兄、今、割り切った交際が人妻達の間で大ブームらしい」 「エロサイトからかい」 それはもろスパムじゃないか。 「あとは……Harukaから」 「誰? 友達?」 「私の音楽仲間」 「パンツ姫関連か」 「そんな姫いないし!」 じろりんと睨まれる。 僕は肩をすくめて、その視線を受け流す。 「う~ん、何々? こんにちは、YUU」 「最近、あんまり動画アップしてないね、どうかしたの?」 「YUUの歌、好きだし残念だよ。いつも楽しみにしてるから」 「色々、そっちも大変かもしれないけど、頑張って新作上げて欲しいな、待ってるよ」 「Harukaより」 「え? 今のメールマジ?」 「悠のファンっぽいじゃん。あ、自演?」 「自演違うし!」 「この子、前から私によくメール送ってくれるの! 私のファン一号なのっ!」 「パンツ姫にマトモなファンがいたとは……」 しかも女の子からみたいだし。 「ふふん、兄、私を見直した?」 「この子、きっと音楽のセンスないんだな」 「スーパー妹アタックル!」 「あたっ?!」 いきなり立ち上がった妹にフライング・ボディアタックをぶちかまされた。 僕は無残にも、妹の下敷きに。 「Harukaは音楽学校に通ってる子で、そこの特待生なのっ!」 「私の友達ナメんなっ!」 馬乗りになって揺すられる。 「う、うっす。すんませんした」 素直に謝罪する。 「まったく、ウチの兄ときたら……」 ぶつぶつ言いながら、PC操作再開。 「返信しよっと、えっと、Haruka、うぃーす!」 「うぃーすって……」 その挨拶でいいのか、妹よ。 「いつも、メールくれて、ありがとう」 「本当はもっとアップしたいんだけど、相方の」 「ギターの兄が下手だから、今特訓中なの」 いつのまにか僕のせいになってる。 「でも、もうすぐすっごい動画を撮って、アップするから」 「楽しみに待っててね」 「あ、それから身体早く、良くなるといいね」 「私もHarukaのために祈ってるから、頑張ってね」 「YUUより」 「送信」 妹の文面は、とても優しかった。 Harukaという子が本当に好きなのだろう。 「悠」 「何?」 「今のHarukaって子、病気なのか?」 「……うん」 とたんに悠の表情が暗くなる。 「頭が痛くて、ずっと病院に通ってたけど」 「つい最近検査して、ちょっと難しい病気って分かったんだって」 「そうか……」 彼女の文面からはそんな厳しい状態に立たされている様子は微塵も感じられない。 きっと強い子なのだろう。 「最近、メールの来る頻度が減ってるし」 「文章も短くなってる」 「少し心配……」 妹が肩を落とす。 その様子を見てると、僕もいたたまれない気持ちになる。 「……」 僕はリモコンでテレビを切ると立ち上がる。 上着を手にした。 「どっか行くの?」 「駅前の本屋」 「今日はまだマガヅン売ってないよ?」 「漫画雑誌じゃないって、ギターの教本買ってくるよ」 「え?」 「すっごい動画撮りたいんだろう?」 「あ……」 「春まであれば、一曲くらいなら何とかなるんじゃないかな? 甘い?」 照れ隠しに頬をかきながら、言う。 「ううん! お兄ちゃんなら、何とかなるよ!」 「大好き!」 「妹ジャンプ!」 飛びついてくる。 「感激するのは、見事弾けるようになってからにしてくれよ」 「特訓しる! 山篭りしる!」 いや山は関係ないだろ。 「とにかく、行ってくる」 「あ、私も! 私も行くし!」 平日の昼間は、さすがに空いてるかと思っていたら意外に込んでいた。 「えーっ、それって、マジ~っ?」 「マジだって、ガチでそう言って告白したってさ、あいつ」 僕達くらいの年代の男女も割りと普通にいる。 彼らは学園はどうしたのか。 まあ、おかげで僕達が目立たなくていいんだけど。 さて。 「思ってたより時間かかったな」 「いっぱいあったから、選ぶのに時間かかった」 「でも、これ結構難しそうだな」 立ち止まって、買った本を開いてみる。 メジャー、マイナー、このあたりはまだいいとして。 ディミニッシュ? オーギュメント? マイナーセブンフラットファイブ? バトル物アニメの必殺技のような言葉がズラズラと。 「悠さん……」 「何?」 「兄には、無理かも」 「諦めるの早っ!」 「初めて知る用語が多すぎる」 本を閉じて、ため息を吐く。 「でも、兄パソコンとか得意じゃん」 「あっちのが、難解な言葉が多いよ?」 「そうかなあ」 アッチ系は何となく感覚で、理解できるんだけど。 「撮る曲は一曲だし」 「全部、覚えなくてもいいよ」 「兄なら、コツさえつかめば大丈夫! 私の兄だし!」 「悠は音楽得意だもんな」 兄妹なら同じ素養があると思いたい。 とにかく妹がこんなにはりきっているんだ。 何とかやり遂げたい。 春までに。 僕達がこの世界にいるうちに――。 「兄、兄」 ん? くいくいと上着を引っ張られて、妹に目線を。 「どうしたの?」 「お腹減った」 片手で腹を押さえながら、妹が僕を見上げていた。 「もうそんな時間か」 駅舎の壁に貼り付けてある時計はちょうど正午を指していた。 「たまには外食しよ」 「そうだな、それもいいか」 「そうしよう」 「やた!」 飛び跳ねて喜ぶ。 そんな様子が可愛らしくて、ついニヤけそうになる。 完全にシスコンだ。 ……まあ、今更か。 「悠は何か食べたいものある?」 妹と手を繋いで、歩く。 ゆっくりと。 彼女の歩幅に合わせて。 「う~ん、そうだにゃ~」 悠は僕の手をぎゅっと握って、嬉しそうに言った。 「兄におまかせっ!」 「そういうのが一番困るんだけど」 「何で? おまかせなんだよ?」 「そう言いつつ、悠、絶対文句言いいそう」 ぶらぶらと繋いだ手を揺らしながら、隣の妹を見る。 「そんなことないし」 「私、そんなに我がままじゃないし!」 憮然とする妹様。 ならば。 「じゃあ、ラーメン小次郎」 「え」 妹が目を見開く。 「え」 僕は首を傾げつつ、同じ言葉を返した。 「彼女との初めてのデートで!」 「彼女との初めての外食で!」 「ラーメン小次郎!?」 「チャーシューましましアブラ多め?!」 「いやオプションは言ってないでしょ」 行ったことあるのかい。 ていうか、これデートだったのか。 「却下でござる!」 「自分、淑女ですからっ」 「淑女だって、ラーメン小次郎くらい食わしてやれよ」 美味しいのに。 「じゃあ、ツケ麺」 「変わってないし?!」 「兄、センスない」 ええー。 一刀両断にされた。 「何てわがままな妹兼彼女なんだ……」 その理不尽な態度につい愚痴る。 「違う」 「兄が、あまりにも非常識なだけ」 「もっとフツーに発想して」 「フツーねえ……」 僕は繋いだ手をさらに大きく揺らしつつ考える。 「兄、兄、兄~♪ 兄デート~♪」 妹も僕に合わせて、腕を大きく振りながら妙な歌を歌っていた。 被った帽子の耳がぴょこぴょこ動く。 今日は風もなく、温かい。 小春日和。 そんな中、僕は妹と並んで駅前を散歩するようにのんびりと歩く。 僕がずっと望んでいた幸福が、今ここにあった。 「あ、兄、兄」 手を引かれた。 「何?」 「いい匂いがする」 「僕には何も感じられないけど……ああ」 悠は鼻が利くようになったとか言ってたな。 「パンケーキの匂い」 「兄、お菓子っぽいけど、いい?」 「僕はいいけど……あ、そうか」 その店なら心当たりがある。 「僕、その店たぶん知ってる」 「おお~」 「僕もお腹減ったし、行こう」 「うい!」 僕は悠の手を引き、商店街の方へと歩いていった。 店長がパンケーキを二つとホットコーヒーを置いていく。 何も言わない。相変わらずの無愛想ぶりだ。 だが、テーブルの上に置かれた料理はすごく美味そうだった。 「うわあ~お♪」 「すっごい美味しそうだよ、兄っ!」 悠は嬉々とする。 手にはフォークとナイフを持って、すでに身構えている。 「冷めないうちに食べよう」 「うん、いただきまーす!」 「いただきます」 僕達は温かな湯気のあがるパンケーキにナイフを入れた。 断面からさらに新しい湯気が浮かび、柔らかな小麦の匂いが立つ。 加えてバターとシロップの甘い香りも鼻腔をくすぐる。 空腹が刺激された。 早く食べたくて、焦ってフォークをつきたてる。 「ふわっふわっふわっ!」 悠も慌てたのか、目の前で頬を膨らませて、目を白黒させていた。 「お冷飲め、お冷」 「ふぅん! ――んくっ、んくっ……」 「ふう~。はあ~」 悠はコップ一杯のお冷を一気に飲み干すと、大きく息を吐く。 「大丈夫か?」 「舌ちょっと、ヤケドしちゃった」 「痛いか?」 「平気平気、私達はすぐ直るし」 「それより、兄、これすっごく美味しいね!」 妹、ご満悦。 良かった。 「そんなに気に入ったんなら、もっと食べていいよ」 「ほら」 妹の前に皿を置いてやる。 「え? 兄は?」 「兄は平気だ」 「それはダメだし」 「兄も普通より痩せてるから、もっと食べたほうがいいし」 「お腹すいても、これ吸うとまぎれるんだよ」 タバコとライターを取り出して、テーブルに置く。 「えー」 「健康に悪い」 「これはぼっしゅーとだ!」 喫煙セットを持っていかれた。 ていうか、古いなあ。 「とにかく、兄の分は兄がたちどころに食べて」 皿を戻されてしまう。 「わかったわかった」 もう一度フォークを手にして、パンケーキを頬張る。 「兄、美味しい?」 「うん」 「へへ」 妹が、嬉しそうに笑んだ。 「それでね、その時タカハシと川嶋がね」 「高階だから、高階」 昼食後も、僕達はここで談笑していた。 居心地が良くて、つい居座ってしまう。 気がつくと、もう外は夕闇に染まっていた。 「随分、長居しちゃったな」 「悠、そろそろ出るか?」 「うん」 二人でようやく、席を立つ。 僕は財布を取り出しながらレジへ。 「長々とすみませんでした」 レジで置物のように固まっていた店長さんに、そう言う。 「すっごく美味しかった!」 妹は仏頂面の店長にぶんぶん手を振った。 「……」 「また、どうぞ……」 終始沈黙を守っていた店長が、ささやくように言った。 驚く。 この人の声、初めて聞いた……。 「兄、私、お風呂掃除するーっ!」 「そう? じゃあ僕は夕飯の準備を――」 「しゃああああっ!」 台所に行きかけたところを、猫化した妹に背中を叩かれる。 「何をするのですか、妹よ」 「兄は夕食の準備よりも、やるべきことがあるし」 「兄に、夕食の準備より大切なことなどない。キリッ」 「キリッ、じゃないし! あるし!」 「これこれ!」 悠は部屋の隅に転がっているブツを手にして、 即興で明るいフレーズをかき鳴らす。 「ギターか……」 ちょっと暗い気分になる。 帰ってから少しイジってみたが、どうにも音がブレるというか決まらない。 自信がない感じの、頼りない音しか出ない。 それが、何だかすごく僕の気持ちをメゲさせた。 「いきなり落ち込むし」 「自分の音を聞くともっと落ち込む自信はある」 「そんな自信はいらないし」 その通りだった。 「思った通りに弾けば、いいよ」 「それがお兄ちゃんの音だし」 「はい。レッツプレイ♪」 半ば押し付けられるようにギターを渡された。 「わかったよ」 いつまでも逃げてもいられない。 春は、いずれやってくるのだから。 弾こう。 「これが、今の僕の音……っ!」 「暗い……」 楽器は正直だった。 さんざん迷ったあげく、もう一度だけ病院に行くことにした。 何故か姉さんが行くことを勧めてくれた。 今度は、僕一人だけで行くことにする。 「失礼します――え?」 「……」 意外なことに来客が。 僕と同世代の女の子。 「あ、あの……」 「秋月聡子と申します」 イスに腰掛けたまま、会釈してくる。 「加納イズミです」 「……」 僕の名前を聞いたとたん、眉尻が跳ね上がる。 「貴方が、加納さんの息子さんですか」 責めるような声色だった。 「戸籍上は」 「……」 さらに視線の攻撃的な色合いが強くなる。 「秋月さんは、どうしてここに?」 「呼ばれましたから」 「私にこの電報を打ったのは、貴方じゃないんですか?」 彼女はそう言って、白い用紙を取りだす。 シンプルなデザインの台紙。 そこには姉さんの考えた簡潔な文面が印刷されていた。 「君が九州の……」 「はい、母は伯父さんの妹にあたります」 「妹といっても、随分歳が離れてるみたいでしたが……」 「みたいでしたが?」 「母は二年前に他界しました」 「それ以来、私は伯父さんから経済的支援を受けて、全寮制の学校に入ってます」 「加納さんが、君に支援……」 信じられない。 いつも金がなくて、ピーピー言ってた加納さんが。 僕以外の人にも、経済的支援を? 「本当に何も知らないんですね」 「もっとも、私も伯父が養子をとっているなんて知りませんでしたけど」 秋月さんはチラリと加納さんの方を見る。 加納さんは、あいかわらず点滴をしつつ、ベッドに張り付いていた。 前回見た時より、痩せて見えるのが気になった。 「今は眠ってますが、ついさっきまでは私と話してました」 「加納さん、話せるの?」 「筆談も交えてですけど……貴方は話してないんですか?」 「一方的に話しかけるだけかな」 「返事がないから」 「返事がないのは、貴方のせいじゃないですか?」 「え?」 「イズミさんには、会話する意思は、本当にあったんですか?」 「……」 僕は少しだけ押し黙り、 「そうだね、たぶんなかった」 「伯父をここに放置して、大して顔を出してないみたいですね」 「どういうつもりなんですか?」 「加納さんの面倒なら、看護士さんがやってる」 「最低限のですけどね」 目の前の少女は、ふん、と鼻を鳴らす。 「君は僕が加納さんに対して冷たいのが不服なようだね」 「はい、端的に言ってそうです」 「なら、僕も端的に言おう」 「僕は加納さんに対して、カケラも愛情を抱いていない」 「こうして、たまに顔を出すのも億劫なくらいなんだ」 「書類上親子というだけで、無償の愛なんて生まれやしないよ」 「君に連絡を取ったのも、さっさとこの役目から解放されたかったからだ」 「……」 僕の話を聞いて、秋月さんはますますしかめっ面になる。 「貴方、三年近く生活の面倒をみてもらっておきながら……」 「感謝の気持ちはないんですか?」 「加納さんは、僕を虐待して日々のウサを晴らしたかっただけだよ」 「――なっ?!」 「君は遠く離れた九州で、金だけ受け取っていたから、この男の本性がわかっていないだけだ」 「この人は、君が思ってるようないい人じゃない」 「親代わりだから、食わせてもらったからというだけで、愛せない」 「愛したくても、愛せない」 僕は加納さんに対する心情を、吐露した。 でも、それは目の前の少女に対してではなくて。 そばで死にかけている老人に向かって、そうしたかったのかもしれない。 「……伯父とイズミさんの間にどんなことがあったのか、私は詳しくは知りません」 「でも、私にとってはいい伯父です」 「私は三歳の頃に父を亡くしました。そして母も不慮の事故で――」 「そんな私にここまで良くしてくれたのは、加納の伯父さんだけです」 「……血が繋がっていれば、また違うのかもしれないね」 「あるいは物理的に距離が離れていたから、嫌なところは知らずにすんだのかもしれない」 「結局、僕は加納さんと適切な距離が保てなかったんだろうね」 「……」 「そんな、悲しいこと……」 秋月さんの表情が曇る。 「……ごめん」 「君を怒らせるつもりも、悲しませるつもりも、僕にはない」 「そうだね、君に言っても仕方ないことを言ってしまった」 「せっかく、君は加納さんをいい人だと思っていたのに……」 僕は拳を握り締める。 どうしてだろう。 どうして加納さんが絡むと、僕は。 「……さっきまで、伯父と話していたんですが」 「貴方のことを、とても心配してました」 「え?」 「イズミはちゃんと食べているのか」 「学校には通っているのか、金は足りているのか」 「そんなことばかりを、私に言ってました」 「……ウソだ」 「本当です」 「あとは、肩の怪我のことを」 「貴方を傷つけてしまったと、泣きながら……」 肩の怪我。 僕が白羽瀬に拾われた夜。 加納さんは、僕の肩に怪我をおわせた。 そして。 僕は。 「加納さんが……」 「え?」 「僕の肩の怪我のことを心配してた?」 「はい」 「自分の頭の怪我のことは……?」 「何も言ってません」 「……」 どうして? ベッドの方を見る。 目をつぶった加納さんは、何も答えてくれない。 「イズミさん、これを」 秋月さんはポシェットから、二つ小冊子のようなモノを取り出した。 青色と赤色。 「どうぞ」 青色の方を差し出された。 受け取る。 店番号 ××× 口座番号 ××××××× 加納イズミ様 通帳だった。 「これは……?」 「加納さんの家に行って、私が取ってきました」 「判子はコレです」 秋月さんは100均で買ったような簡素な透明ケースを取り出す。 そこには安物っぽい三文判が入っていた。 それも押し付けられるようにして、渡された。 「確かに渡しましたよ」 赤い通帳を持ったまま、秋月さんが言う。 「いや、こんなの受け取れないよ」 「だいたい、僕は口座なんかもってない」 「そんなの加納の伯父さんが作ったに決まってます」 「それはわかるけど、どうして僕の名前で」 「加納の伯父さんは、毎月決まった額を、私とあなたの口座に振り込んでいたそうです」 「……」 「中を確かめてみてください」 「きっと500万円くらいあるはずです」 「ええ?!」 思わず声を上げてしまう。 あのいつも金がないって愚痴ってた加納さんが、そんなに。 「私の口座にも同じくらい入ってました」 「イズミさんもお金で苦労されているのなら、わかると思います」 「私に援助をし、イズミさんの学費と生活費を捻出し」 「自分自身も食べていき、なおかつ1000万円貯める事が」 「どれくらい大変か……」 「それは……わかるよ」 通帳を開く。 毎月、毎月10万円もしくは15万円。 几帳面に振り込まれていた。 僕の名前の通帳に。 「加納さん、あんた……」 決して要領のいい人ではなかった。 短気ですぐ問題を起こすから、職場を転々としていた。 そんなあんたが、どれだけ無理をしたらこんなに。 あんた、一体何なんだよ……。 「加納の伯父さんは、もし自分に何かあったらこれをあなたに渡してほしいと言ってました」 「お通夜もお葬式もいらないそうです」 「焼いて無縁仏として扱ってくれれば、充分だと」 「……この金で墓でも何でも買えばいいだろう」 「元は自分の金じゃないか、何で使わないんだ?」 「私もそう言ったんですが、それは頑として聞き入れてくれませんでした」 「これは、お前達の金だと」 「……」 「……く」 通帳を持った手が震えた。 「僕をさんざん傷つけた加納さんと、僕のためにせっせと貯金した加納さん」 「まるで別人じゃないか……」 「こんなの今さら、もらったって……」 「僕は……!」 ベッドにもらったばかりの通帳と判子を投げつけた。 こんなものいらない。 僕はもうあんたには頼らない。 「……あなたの気持ちがわからないわけではないです」 秋月さんはベッドに散らばった通帳と判子を拾い、テーブルに置く。 「ですが、あなたが三年間、加納の伯父さんと暮らしてきたことは事実です」 「そして、あなたのために、お金を貯めていたことも事実です」 「……何が言いたいの?」 「加納の伯父さんの全てを、否定しなくてもいいのではないですか?」 秋月さんがまっすぐ僕を見据える。 「もちろん、酷いことや嫌なこともされたでしょう」 「加納の伯父さんも、あなたを疎ましく思ったことがきっとあったと思います」 「でも、それは本当の親子の間でも普通にあることです」 「憎んだり、ケンカしたり、嫌ったり、それは普通にあることじゃないですか」 「……僕には普通の親なんていた時期はないんだ」 「親に優しくしてもらったことなんて一度もない」 「だから、君の言うことはよくわからない」 「何かをしてくれたから、愛するわけじゃないんです」 「たとえ嫌いでも、どうしようもなく心配になったりするんです」 「私は、ずっとそうでした」 「さっき、私の父は幼い頃、亡くなったと言いましたよね?」 「ああ」 「すみません、ウソです」 「本当は、私と母を捨てて、他所に女の人を作って逃げたんです」 「最悪でしょう?」 「ああ、悪いけどそう思う」 「それでも、私はたまらなく父に会いたくなる時があるんです」 「会ってぶん殴ってやりたくなるんです」 「それは憎んでるからじゃない?」 「そうかもしれません。でも、きっとそれだけじゃないんです」 「会いたいんですよ……。単純に……」 秋月さんの瞳が微かに潤む。 「私は父の面影を、加納の伯父さんに見ているのかもしれません……」 「それって、きっと失礼なことなんでしょうね」 「……ごめん、僕にはわからない」 「だって僕は、きっと君より遥かに屈折してるんだ」 「今だって、目の前で養父が死にかけてるのに、まるで悲しくないんだ」 「酷い人間だろう?」 「……私には、貴方がそんなに複雑な人には見えません」 「どう見えるの?」 「拗ねてるように見えます」 「まるで、小さな子供のように」 「え……」 「イズミさん、あなた」 「本当は加納の伯父さんに愛してほしかったのではありませんか?」 「な……」 「そして、あなたも加納の伯父さんを愛したかったんじゃありませんか?」 「そんなことは、絶対にないよ」 僕はただ食わしてもらえれば、それで良くて。 加納さんのことなど、少しも。 「でも、あなた、さっき言いました」 「愛したくても、愛せない、って」 「それって、本当は愛したいって事じゃないんですか?!」 「あ……」 彼女の言葉に、僕は軽い衝撃を受けた。 僕は。 僕は――。 「だったら……!」 「……やめてくれ」 僕は弱々しく右手を振る。 「……頼むから、もうやめてくれ……」 僕は両手で、顔を覆う。 混乱していた。 不安になる。 足元の地面が、いきなり崩れ立っていられなくなったような感覚。 「……」 秋月さんは押し黙る。 加納さんはあいかわらず、微かな寝息を立てて生死の間をさまよっている。 そして、僕はただそこに立ち尽くしていた。 僕の妹は泣き虫で。 いつもいつも、泣いていた。 だから、僕が致命傷を負ったあの日もずっとそばについて、泣いていた。 ――ほら、僕はもうダメだから。 ――ここからは、お前一人で行くんだ。 そう伝えたかった。 けれど、あいにく僕の喉は深くえぐられていて声は出せない。 ぽつ、と僕の頬に妹の涙の雫が。 ひとつ。 また、ひとつ。 僕の頬に―― 「……ん?」 頬を濡らしていたのは、涙でなく雪だと気づいた。 「身体の感覚が……」 ない。 確か最初は寒くて、それがじょじょに痛みに変わって……。 そのうち何も感じなくなった。 「さっきの……?」 「走馬灯……?」 うわっ。 本当に見るんだな。 いったい、いつの頃の思い出なのか。 アイツといっしょに居た頃だから、三つとか四つくらいのことだろう。 「とんでもない大怪我をしてたみたいだけど……」 確か喉を声帯ごと失って。 いや、さすがにそれは記憶違いだろう。 そんなことになっていたら、絶対にあの時、死んでいる。 ……今ではなく。 「おーい」 ――え? 「おーい」 細い指先で顔をつつかれた。 え? 「生きてる?」 かがんで、行き倒れ状態の僕の顔をのぞきこんでくる。 ちなみに、指はまだ俺の頬をついたままだ。 「……白羽瀬……?」 「こんばんは、生きてたね」 「何とか」 「うわ~っ、すごい血出てる♪」 白羽瀬は僕の肩の傷口を見て嬉しそうに笑う。 イカれていた。 「君も生きてたんだね」 白い息を吐き出しながら、こっちも憎まれ口を返す。 白羽瀬悠は、僕のクラスメイトで現在不登校中のまっさい中。 あまりに学園に来ないので、死んだという噂も流れていた。 「私が死ぬわけ無いし」 ぐりぐり 「あ痛たたたっ!」 回転運動をする人指し指から、逃げ出すように顔を背ける。 さすがに、これは痛い。 「何で、こんなトコで寝てるの?」 「ここ道路。轢かれちゃうよ」 やっとつつくのを止めてくれた。 「轢かれてもいいし」 「それ死ぬし」 「……いっそ、このまま全部終わらせられれば、どんなにいいか」 「何で?」 「生きるの、しんどい」 「あー」 何となく納得したような顔をする。 「じゃあ、さ、加納くん」 「何?」 「目潰しやって、いい?」 満面の笑顔で、ピース(目潰しのポーズ?)をしつつ言いやがった。 「嫌だよ」 身体をひねって、白羽瀬に背を向けた。 「どうせ、死ぬんだから、いいじゃん」 すぐにまわりこんでくる。 うぜー。 「キレイな死体で発見されたいんだ」 「それで凍死狙いなの?」 「うい」 「でも、この辺、ホモのホームレスの縄張りだし」 「は?」 「加納くんの死体はたぶん、そいつにさんざん死姦された後、精液まみれのままバラバラに切り刻まれて――」 「……他所で、死ぬことにするよ」 白羽瀬の発言を遮るように、身体を起こす。 が、すぐにまたぶっ倒れる。 肩に負った傷が、開いた。 「あ、痛た……」 「自分じゃなくて、誰かに刺された?」 「自傷行為の趣味はないよ」 「血止まんない? 手当てしないの? あ、お金は?」 「もちろん無い」 「親は? あ、加納くんの場合、保護者だっけ?」 「保護者が刺した」 「うわっ、悲惨」 と笑顔で言っていた。 あいかわらず、ひどいヤツだ。 「加納くん、今めっちゃ不幸だね!」 「放っておいて」 「それで、自殺?」 「自殺じゃないけど……いや、そんなもんなのかな……」 上手く頭が回らない。 「……」 白羽瀬はあごの下を指で撫でながら、少しの間思考する。 で。 「加納くんの保護者は、加納くんがいらない」 「そして、加納くん自身も、加納くんがいらない」 「だから、ここに命を捨ててる」 「これで、合ってる?」 「だいたいは」 「それなら」 白羽瀬は手を伸ばし―― 「私が拾う」 僕の手を、つかんだ。 「――はあ?」 思わず、声を上げて見た。 真正面にあるクラスメイトの顔を。 「くすくす」 白羽瀬は笑っていた。 でも、その瞳に宿る光は、冷たく、 降りしきる雪よりも、ずっと冷たく光っていた。 「いい? 加納くん」 「今から、君は――私のモノだよ?」 舌なめずりするような、ねっとりとした視線。 ――白羽瀬悠は、マトモじゃない。 ――心が、壊れた狂人だ。 学園で流れている数々の噂が、頭をよぎる。 「……」 でも、僕は彼女の手を握り返した。 温かい。 ――人は壊れていても、温かい。 「君の好きにすれば、いい」 「ふふ、いいモノ、拾った♪」 ぶんぶん、と握った手を無邪気に振る。 まるで捨て猫か、何かを拾ったようにはしゃぐ。 「くすくす」 白羽瀬の真意が計れない。 本当に僕を所有したと思っているのか。 けど、まあ、いいさ。 壊れているのは、きっとお互い様だ――。 「行ってくる」 「絶対すぐに戻って来て!」 「はいはい」 日曜の早朝。 僕はかねてからの懸案事項を片付けることにした。 9時から白羽瀬の人魚探索にも付き合わねばならない。 さくっと終わらそう。 「お邪魔しまーす」 自宅の戸を開けた。 加納さんの家。 家出三日目にして、ようやく戻った。 僕は風呂場へ。 風呂桶には加納さんが入っていた。 「すみません、三日も家を開けて」 加納さんは何も言わない。 「突然ですけど、僕、この家を出ます」 加納さんは何も言わない。 「でも、妹を捜すためには、もう少しこの町にいないとダメなんで」 「もうしばらく、加納さんの養子は継続ってことでお願いします」 加納さんは何も言わない。 「勝手ですよね、すみません」 「でも、加納さんも随分勝手でしたし、お互い様ってことで」 加納さんはやっぱり何も言わない。 元々無口な人だが、三日前にもっと無口になってしまったのだろうか。 「じゃあ、また来ます」 早々に出てくる。 厳重に戸締りをして、ポストに無理矢理つっこまれていた新聞や郵便物を取り出した。 全部捨てる。 また三日くらいしたら、きっといっぱいになるだろう。 また捨てに来ないと。 用事は片付いた。白羽瀬のアパートに戻ろう。 「あ、いた」 「え?」 帰る途中で、白羽瀬に会う。 「遅いし」 「まだ二十分くらいしか経ってないよ」 「お腹減ったし」 「だから、戻ったらご飯すぐ作るって言ったじゃん」 「……戻んないかもって、思ったし」 唇を尖らせる。 理由はわからないが、拗ねているようだ。 「戻るよ」 「白羽瀬には、世話になった」 「黙ったまま、いなくなったりはしない」 「ほほう」 「それは酋長な心がけで」 「それ、殊勝だから」 「首相? 総理?」 「違うし」 まあ、いいけど。 「朝飯急いで作るよ」 「何がいい?」 「ずき家の牛丼!」 「素直にずき家に行こうよ……」 「人多いし」 「そうかあ?」 ここは寂れた町だ。 休日の駅前といえど、大して人出はない。 「今数えたけど、十人もいるし」 「数えられる時点で少ないからね、白羽瀬」 「人ごみに酔いそうだ~」 ふらふらと蛇行する。 「お前、引きこもりすぎだから」 「人がゴミのようだ~」 「何でやねん」 遊んでるだけかよ。 「届け、こ~の声、遠く離~れていても~♪」 歌うし。 ちょっと恥ずかしいので、距離を置く。 「あ、加納くん、私から離れちゃダメ」 「危険だから」 タタッと小走りで、戻ってくる。 「穏やかな休日の朝なんだけど」 「何言ってるの?!」 両腕を上げて、大仰に驚く。 「私達はこれから人間狩りをしている人魚を、逆に狩るんだよ?」 「危険が危ないに決まってるじゃん!」 「ほら、手繋いで」 左手を差し出される。 えー。 「いや、それはちょっと……」 躊躇う。 部屋で二人きりで、何かするのとはわけが違う。 少ないとはいえ、人目がある。 「照れてるし」 「繋がなくても、離れないから大丈夫だって」 そもそも僕は人魚狩りを本気でするつもりなどない。 白羽瀬のお守りについて来ただけだ。 「む~~っ」 ぷくっと白羽瀬の頬が膨らむ。 「いいから、黙って繋げっ」 「あ」 強引に手首を掴まれた。 「行くよ、加納くん」 「うおっ」 僕を引っ張りながら、走り出した。 意外に力が強い。 足も速い。 止められない。 コケないように、ついていくので精一杯だ。 「にゃにゃにゃにゃにゃ――――っ!」 「猫かよっ」 「わんわんわんわんわんわんわんっ!」 「それを追っかける犬?」 「ぶるるるるるるるるるるるるるんっ!」 「あ? えっと車?」 「野良猫と野良犬を追っかける保健所の車!」 「酷っ!」 夢も希望もないオチだった。 ともあれ、白羽瀬と町じゅうを駆け回るハメになる。 当たり前だが、無駄骨とわかってる作業に身は入らない。 テキトーなところで、早く切り上げたい。 「飽きた~」 「えーっ?!」 まだ三十分経ってないぞ。 期待以上に早い展開だった。 「じゃあ、もうアパート帰るか?」 僕はありがたいけど。 「む~、それもな~」 「万一、本当に今日出たら後で悔しいし~」 「絶対出てこないから、安心して帰れよ」 「どうして、言い切れるの?」 「人魚なんていないし」 「いるし」 自分を指差す。 「お前、足あるじゃん」 「下半身、魚の人魚なんていないし!」 急に怒り出す。 「人魚が魚っぽいなんて、ファンタジー世界の話だし!」 「そんな規則はないし! 偏見だし!」 「だいたい下半身、魚類だったら色んな人達がっかりだよっ?!」 「ねえ?」 誰だよ色々な人達って。 ていうか、誰に同意を求めているのか。 「そもそも企画も通んないじゃん?」 「白羽瀬、企画言うな」 お前は形にとらわれなさ過ぎる。 「もっとちゃちゃと見つけて、さくっと狩りたい~!」 架空の携帯ゲーム機を操作するしぐさをしながら言う。 モン○ンかよ。 「犯行予告にあった美合町ったって二人で見張るには広すぎる」 「時間帯もわかんないし、顔もわかんないヤツを見つけるなんて無理ゲーすぎだろ」 「あんな書き込みに、振り回されても――」 「あ、いた」 ――え? 唐突に白羽瀬が僕の背後――公園の奥の方を指差す。 反射的に振り返った。 「……誰もいないけど」 「ここからは見えないだけ」 「でも、匂いが漂ってきた。絶対いる」 「あ、でも、これ……雑種だ」 「雑種のくせに、私の狩場を荒らすとか……」 「くすくすくす……」 白羽瀬の表情が一変した。 目を細め、獲物が潜むという場所を睨む。 口の端を不気味に吊り上げた。 戦闘態勢に入った猛禽類を思わせるオーラをまといながら、ゆっくりと歩を進める。 足音はしなかった。 白羽瀬の後を追いながらも、背筋に冷たいモノを僕は感じた。 「加納くん……」 僕の方を見ずにつぶやく。 「何だ?」 「生き物を殺したことはある?」 「あるけど」 「私もあるよ、でも、昆虫とかそんなのばっかり」 「普通は皆そんなもんだろう」 そう、普通は。 「でも、私はいずれ、成魚になるために人を食べないといけない」 「食べないと、私が死んじゃうし」 「だから、もうそろそろ経験しないと」 「経験……」 「大きなモノを」 「殺す、経験」 気づいた。 白羽瀬の身体は小刻みに震えている。 この寒いのに、汗が額を伝い、 呼吸が乱れ、白い吐息が、口から漏れる。 「……」 ――ヤバイかもしれない。 僕は二つの意味で、そう感じた。 ひとつは、白羽瀬の精神状態について。 元々、どこか壊れたヤツだったが、今はそれに輪をかけて悪化している。 冗談抜きで、病院にでも連れて行くべきなのか。 そして、もうひとつは―― 「はぁ、はぁ、はぁ……」 僕自身が、感じ始めてしまったことだ。 あそこに、《・》得《・》体《・》の《・》知《・》れ《・》な《・》い《・》何《・》かが、本当に潜んでいるかもしれないと。 「――っ!」 白羽瀬の足が、地を蹴る。 「待て! 白羽瀬!」 僕は白羽瀬の腕を掴み――損ねた。 「ちっ」 仕方なく、白羽瀬が飛び込んだ先の草むらに、僕も駆けこんだ。 濃い緑の匂いがした。 そこに。 「にゃあ?」 子猫が捨てられていた。 「にゃあにゃあにゃあ♪」 「にゃあにゃあみゃあ?」 「みゃみゃにゃあっ!」 ベンチに座って子猫と戯れる白羽瀬。 もう何時間もそうしてる。 予想外のゲストの登場に、殺伐としたイベントはなしくずし的に終わった。 「ほら、白羽瀬」 買ってきたホットしるこを渡してやる。 「おー、さんくす!」 「あったかーい♪ ほらマル美もあったかーい♪」 「どうしてマル美」 「ほら、この子、尻尾まん丸」 白羽瀬が子猫を抱き上げて、お尻の方を僕に向けた。 その子猫の尻尾は、変わっていた。 ウサギの尻尾のようにちょこんと丸い毛玉状になっていた。 「あー、これ、切られちゃったのかも」 「生まれつきじゃないの?」 「わかんないけど、そういうのたまにいるし」 そういうのが趣味な人間もいる。 とかく、この世は弱者には残酷だ。 「そっか」 白羽瀬は再び、子猫を自分の膝の上に。 優しい手つきで、短い尻尾を撫でていた。 「にゃあにゃあ~」 子猫は暢気に、白羽瀬の膝の上で目を細くして鳴いていた。 感心した。 お前、人間怖くないのか? 「あら」 「おう」 聞き覚えのある声に顔を上げる。 「相羽、新田サン」 「緊急退避!」 白羽瀬が子猫を抱いたまま、ベンチから駆け出す。 「逃げないの」 「わぁっ!」 だが、新田サンに襟首を掴まれた。 「はーなーせー!」 じたばたと暴れる。 でも、新田サンは白羽瀬を捕まえたまま、リリースしない。 「どうして逃げるのよ」 「イジメるし」 「誰がよ、失礼ね」 「行け! マル美! 冷血女を倒せ!」 子猫を新田サンに差し向ける。 「あら、可愛い」 「にゃあ~」 「いい子ね」 「ごろごろ」 子猫はすっかり新田サンに懐いていた。 「裏切り者――っ!」 白羽瀬は目の幅の涙を流し、悔しがる。 「随分ゆかいな彼女だな、加納」 「ゆかいなのは認めるが、彼女じゃない」 女子達とは少し離れたところで様子を眺める僕と相羽。 「あれ、そうなのか?」 「彼女に見えたか?」 「んー……」 しばし考える。 「どっちかというと、保護者か」 「近いな」 いつの間にか、そんな感じになってしまった。 家主はあっちなんだが。 「そうか。それなら、俺も川嶋に悲しいお知らせをしなくて済む」 「直には、あんまり色々言ってほしくないな」 「ん? 何だ? やっぱ川嶋好きか?」 ニヤニヤと笑っていた。 「好きだけど?」 それが何か? と言う顔で、聞き返した。 「はあ? そんなはっきり言い切っていいのか?」 「あ、もしかして友達としてとか、そんなオチか」 「え? 女の子として好きだったよ?」 何か問題でも? という顔で言った。 「はあっ?! マジで?」 「うん」 「いや、待て。それだと話が――あ、いや今、好きだったって言ったな? 過去形か」 「うん」 「何だよ、俺の知らない事がまだあるんだな……」 「女の子って、秘密好きだから」 「OK。今度、川嶋を問い詰めてやる」 「あんまり、イジメないでやってくれ」 苦笑しながら、白羽瀬と新田サンの方を見る。 「だから、このままだと貴方、留年しちゃうの!」 「明日から、ちゃんと学園に来なさい」 「嫌っ」 「嫌であります!」 「~~っ!」 「あ、今の新田、顔超怖い」 「は?」 「般若顔」 「……」 「痛い痛い痛い! 肘はやめてっ!」 ケンカはしてるが、仲が良く見える。 「白羽瀬さんと付き合うのはやめなさい」 「あの子は危険よ。近づくのはやめなさい」 あの時のあの態度からは、今の彼女達は想像できない。 僕は白羽瀬とも、新田サンとも二年に進級してから知り合った。 彼女達の間にも、何か他人にはうかがい知れない何かがあるということか。 まあ、当然か。 秘密くらい、誰にでもある。 無論、僕にも。 あ。 「相羽」 「ん?」 「お前、新田サンと付き合ってたの?」 「そう見えるか?」 「見えないけど」 「じゃあ、そういうことだ」 「なるほど。それがお前の秘密か」 「いや、マジでたまたまさっき会っただけなんだが……」 呆れられてしまった。 マジで違うようだった。 その後、四人でたわいもない話をしながら駅前まで、歩いた。 談笑しながら、クラスメイト達と歩く休日。 僕らしくないくらいフツーのせーしゅんで、自分でも驚いた。 そして、後になって僕は知ることになる。 この短い青春タイムが、如何に奇跡的なバランスによって成り立っていたかを――。 「ほら、あそこだ」 女に連れてこられた場所は、相羽が使っていた工場跡だった。 「……」 姉さんは、その中にある薄汚れたソファーの上にいた。 まるで無造作に放り出された荷物のように、寝かされていた。 「姉さん!」 大声で呼びかける。 「……う」 「……うっ、く……」 姉さんは苦しそうにうめき声をあげる。 「遠慮することはない」 「そばに行って介抱してやりな」 イズナは不敵な微笑みを浮かべて、自分は窓際まで歩いていく。 「姉さん……!」 僕は姉さんのところに、駆け寄った。 「あ……。くっ……」 苦悶の表情。 「はぁ、はぁ……」 不規則な呼吸。 どこかおかしい。 体調を崩してる……? 「姉さん、しっかり! 姉さん!」 頬を軽く叩いた。 はっきりとわかるくらい、姉さんの肌は熱かった。 体温が、異常に高い。 「……っ」 姉さんの眉がぴくりと反応し、 「あ……」 「イ、イズミ……?」 姉さんは両の目を開けて、僕を見上げる。 まるで眩しいモノでも見るように目を細めて。 「……気がついた。良かった……」 少しだけ安堵する。 だが、気にかかることが。 瞳が。 赤い。 「イズミ、貴方……どうして、ここに……?」 「あの女に案内されたよ」 「え……?」 「ようやくお目覚めかい」 「のんきなお嬢様だ」 「……くっ!」 姉さんはツラそうに、息を荒げながらも上体を起こす。 攻撃的な視線を、声の方に。 「貴方……!」 殺気立っていた。 「ふっ」 窓際に立ち、月明かりの中で女は薄く笑う。 姉さんの殺意を、意に介さない。 「……どういうつもり?」 「何が?」 「どういうつもりで、私をまだ生かしてるのか聞いているのよ!」 鋭い声が、天井にまで響く。 あれだけの高熱に身体を冒されて。 たぶんそうとうまいっているはずだ。 「私に情けをかけたの?!」 「馬鹿にしないでっ! 後悔させてやるわ……!」 「殺す……!」 姉さんは、激昂し、無理に立ち上がる。 「おやおや……」 「お前は見所があるから、あたしの後継にって思ってたんだけどね……」 「――貴方、何を言ってるのよ?」 「あたしの命だって、長いが永遠ではない」 「生きるのに飽きることもあるだろう」 「あたしだって、たくさんの命を食らって生きてきたんだ……」 「種を残したいって思うのも、自然だろう?」 「あいにくね……」 「私は、人魚を根絶やしにしたいのよ……」 「……」 姉さんの言葉に目の前の女は、露骨に顔をしかめる。 「……何言ってるんだ、お前」 「あたし達ほど、強く、賢く、長く生きられる種はないんだぞ?」 「悠久ともいえる長い進化の時間。その果てに、ようやくたどりついたのが、あたし達なんだよ」 「自然の摂理に逆らうな、瑠璃」 「ほら、そこにいる弟と交われ、子を産め」 「そして、劣等な子は食って殺せ。優秀な子種だけを残せ」 「遺伝子の要求に素直になりな」 「あたしのように」 「貴方のように……?」 二人の赤く、尖った眼光が、互いの顔に照射される。 空気が張りつめる。 「私に貴方のように生きろって、言うの……?」 「ふっ、ふふふ……」 肩で息をしながらも、姉さんは口元を緩める。 「――何がおかしい?」 「反吐が出るわ」 「何?」 「私達がまるで究極の生命体だとでも言うような口ぶりね」 「だから、どんな残酷なことをしても許されると……?」 「どこまで醜悪なの、貴方」 「遺伝子の要求に従う? 何よそれ? 貴方の理性はどこにいったの?」 「いい機会だから、教えてあげるわ」 姉さんは一歩ずつ、女の方に近づき、 細く白い指先で、女を指差して、 「貴方は自分の欲望に負けて、何百年もみじめな姿を晒して、ただ他者の命を消費し続ける」 「気のふれた、臆病で、強欲で、屈折した」 「《ばばあ》婆よ」 姉さんのツメが戦闘形態に変化する。 「……ふ」 「それが、お前の答えか……」 「悠も、ユタカも、イズミも、そしてお前も」 「全部失敗だったか……」 「それとも、人と長く係わりすぎたせいか……」 「……まあいい」 「今から教育しなおしてやるよ……」 「一応、お前の母なのだからな……」 女もツメを伸ばす。 純血種、雌の成魚同士の戦い。 おそらくは、地上最強生物同士の戦い。 「待って、姉さん」 だが、僕は二人の間に割って入る。 「イズミ」 「姉さんは体調が万全じゃない」 「僕がこの女を足止めするから、姉さんは逃げるんだ」 僕は今度は両手の皮膚を硬化させて、身構える。 視界にあの女をとらえつつ、両腕を広げて姉を庇う。 「貴方……」 「ははは! いい判断じゃないかイズミ」 「そうとも、今の瑠璃では、あたしに敵いやしない」 「ましてや、雄のお前などではどうにもならん」 「だが、瑠璃の捨石くらいにならなれる。そうすれば瑠璃が生き延び、あたしを殺す希望が残るわけだ」 「いいね、賢い子は母さん、大好きだよ……」 「ふふ……さんざん犯した後、なぶり殺してやるよ……」 じりっと女が一歩踏み出す。 「……く」 思わず下がりたくなる。 それくらいのプレッシャーだった。 まるで放し飼いの猛獣の前に立たされているような。 息苦しいくらいに、心臓が早く鼓動する。 死を覚悟してなお、怖い。 「……冗談じゃないわ」 「家族を殺されて、私がどんな思いで今日まで生きてきたと思ってるの?」 「この上、むざむざ弟まで殺させるものですか……!」 「どきなさい、イズミ」 姉さんは僕の腕を掴んで前に出ようとする。 「ダメだ、いかせない」 「だいたい、姉さんどうして、一人でこの女とやりあってるんだよ」 「約束が違う」 「……貴方を失いたくなかったのよ」 「これ以上、家族を失うなんて耐えられなかったの。ごめんなさいイズミ」 姉さんは話しながらも、目線はあの女に張り付けたままだった。 そして、僕の腕を力づくで下ろそうとする。 ギリギリと僕の腕に負荷がかかる。 すごい力だ。硬化しているのに、痛い。 「私が親を殺してるところを、貴方に見られたくないわ」 「貴方こそ逃げなさい」 「大丈夫よ、全部終わらせたら、また会いましょう」 姉さんの瞳がより強い赤を放つ。 血の色。 完全にスイッチは切り替わった―― 「言ってくれるじゃないか、瑠璃」 「だがお前の身体は、まともじゃない。何故だかわかるか?」 「……」 「この数年間、人も人魚も食わなかったからだ」 「成魚になっても、数年に一度は養分を大量に摂取しないとダメなんだよ」 「だから、ちょっと能力を覚醒させただけで、そのザマだ」 「さっき一度やってわかっただろう?」 「今のお前じゃ、お話にもならない」 「黙りなさい……」 じりっと女に詰め寄る。 お互いの間合いのギリギリに到達した。 「瑠璃、お前の今のその身体が、遺伝子の要求に逆らった結果だ」 「理性なんてものはな、欲望を叶えるための道具に過ぎないんだよ」 「お前は、理性で自分の身体に組み込まれたシステムまで越えられると勘違いしている」 「愚かな娘だ……」 「おしゃべりは、もうたくさんよ」 「そうだな、いくら言葉をつくしてもお前には伝わらないようだ」 「その身体に教えてやろう」 「貴方の長すぎた人生、今日で終わりにしてあげるわ」 「死に水をとってあげるわ、母さん」 「ほざけ、この出来損ないが……」 「イズミ、いい? すぐに逃げるのよ!」 「ふっ!」 女のツメが一気に伸びて――姉さんではなく僕の喉元を狙ってきた。 「はっ!」 姉さんがとっさにそのツメをなぎ払うようにして、防いだ。 「ほう、読んでたのか? いい反応じゃないか」 「……相手は私よ、私を――」 「狙いなさい……!」 女のツメを強引に右腕で押し返して、姉さんは間髪入れずに距離を一気につめる。 そのまま左腕を掬い上げるように、高速で振り上げた。 ボクシングのアッパーのような、動作。 突如として伸びたツメが、女の喉を――掠めた。 「……くっ」 ぽたりと鮮血がしたたり落ちる。 女の喉から、体液が床に落ちて、赤いシミをいくつも作る。 「……な?」 女は自分の血を見て、驚いたような顔をする。 「これは……?」 「何を驚いているの?」 「自分の血がめずらしい?」 「今まで、自分が一方的に傷つけるだけだったから、わからないのね」 「傷つけられるということが、どういうことかって……!」 「……ち」 「調子に乗るなよ、瑠璃……」 女は喉を押さえながら、鋭い視線を姉さんにぶつける。 「お前の覚醒時間が極端に短いことは、さっきの戦闘でわかっている」 「二年前から、数えてお前とやるのは四度目だ」 「今まで全部、あたしが勝った。お前は無様に倒れるか逃げるかのどちらかだった」 「あたしがトドメを刺さなかったから、生きてるんだよ、お前は」 「あたしのお情けで、何とか今日まで生きながらえてるんだ」 「忘れたわけじゃあるまい……」 「初めて、貴方と戦った時……」 「ユタカを殺された時のことは、今でも夢にみるわ……」 「私は、貴方を必ず殺す……!」 「そのために、今日まで、生き、て……っ!」 「――姉さん?」 姉さんの顔色が、極端に悪い。 肩で息をしながら、足が震えている。 まさか、もう覚醒時間の限界が――? 「瑠璃、お前は覚醒状態のコントロールさえ、ロクにできない……」 「見込みはあるのに、本当に惜しいよ」 「もっと人か人魚を食っていれば、そんなことには――」 「……黙り、なさい……」 「私は、かならず、貴方を……」 「ユタカの仇を……」 「……さっきから黙って聞いていたら、まるでユタカが死んだのはあたしのせいだって口ぶりだね」 「……違うって言うの?」 「違う」 「何故なら、ユタカを捕食したのは他の誰でもない」 「お前だからだ」 女はニヤニヤと嫌な笑いを口元に貼り付けて、言う。 「……っ」 姉さんが、一瞬ひるんだ。 「お前は、あたしに自分の罪をなすりつけようとしているだけだ」 「……あ、貴方が私とユタカを襲わなければ、私はユタカを捕食はしなかった!」 姉さんはさらに瞳を真紅に燃やす。 「貴方が、私の弟を……!」 「殺す……」 「殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」 「あっ、あああ……!」 「ああああああああああああああああああああああっ!」 怒りの咆哮。 全身を震わせる。 近づきがたいほどの圧力を感じる。 寄る者は全て、あのツメで貫かれ引き裂かれる。 「姉さん、待て」 「今、これ以上身体に負荷をかけるのはヤバい」 「覚醒状態を解いて」 「ふん、無駄だよ、イズミ」 「これが純血種の雌の正体さ」 「いいか瑠璃、お前はさんざんあたしに言いたいことを言ってくれた」 「あたしも、ずっとお前に言ってやろうと思っていたことを、この際だから言ってやる」 「ユタカを殺したのはお前だ」 「……っ!」 女の一言に姉さんは、眉尻を跳ね上げる。 怒っているのか、笑っているのか。 もはや判別ができないような、獰猛な表情で女との距離をつめていく。 「お前がそこにそうして立っていられるのは、ユタカがお前の血肉になってくれたからだ」 「何を自分は被害者のような顔をしている?」 「瑠璃、お前はあたしに罪をなすりつけて、罪悪感から逃れようとしているだけだ」 「自分の背負った運命と向き合おうともしない、ガキだ」 「何が理性だ、笑わせるな」 「イズミも聞くがいい。お前の姉はな」 「ただの卑怯者で臆病者の――」 「……」 「――弟殺しだ」 「ああああああああああああああああああああああっ!」 その言葉が合図となったように。 二人は互いの命をツメで狩りに行く。 「あああっ!」 「はっ!」 休む間もなく、剣戟にも似た音が四方に響く。 「ああっ!」 「ちっ」 何とか止めなければ。 姉さんの様子がおかしい。 俊敏な動きは、野生動物そのもの。 確実に女の急所を狙うそのさまは、武術の達人のような冷静さ。 あきらかに女を圧倒していた。 だが、危うい。 いつ、割れてしまうかわからない薄氷の上に立っているかのように。 「姉さん、やめろ!」 僕は姉さんの背後に回って―― 「ああああっ!」 「――っ?!」 姉さんのツメが僕の鼻先を掠める。 避けなければ、確実に皮膚がえぐられていた。 僕がわからない……? 「あああああああああああっ!」 僕が立ち止まると、その動作の延長で身体を反転させ、姉さんは再び女に攻撃をしかける。 新しい傷が、女に刻まれた。 「……ち」 「どうやら、完全にイカれちまったようだね」 「こうなると、こっちの分が悪い」 「イズミ」 姉さんを睨みながら、女は僕に話しかけてきた。 「お前は貴重な純血種の雄だ」 「種を残すまで、死ぬんじゃないよ」 「無駄死には許さない」 「どの雌でもいい、交わって、捕食されて、種を残せ」 「それが、お前にとっての生だ」 「お前の生をまっとうして、それから死ね!」 「はあっ!」 「――っ?!」 女は僕達の前から、姿を消す。 消えた。 「あああっ!」 姉さんが、天井に向かってツメを振るった。 跳んだのか。 女は空中で一回転し、無事に着地する。 一気に出口までの距離をゼロにした。 予備動作なしで、10メートルは跳んだ。 僕なんか足元にも及ばない身体能力。 あれが何百年と生きた人魚なのか。 「さよなら、子供達」 「運命に抱かれて、見事生ききってみな」 女は奇妙な捨て台詞を残して、走り去る。 「ああああああああああああっ!」 だが、姉さんがそれを許すはずもない。 すぐに駆け出す。 「ダメだ! 正気にもどって、姉さん!」 僕は貫かれるのを覚悟で、姉さんを追い肩を掴む。 「ああっ!」 反転した姉さんは、ツメでなく―― 「ぐあっ!」 歯を僕の肩口に食い込ませる。 「はぁ、はぁっ……! ……がっ」 「ね、姉……さ……ん?」 姉は僕の肩に食いついたまま、咀嚼を始めた。 捕食。 純血種の雌の本能、雄の捕食が唐突に始まった。 「目、目を覚まして……」 「姉さんっ!」 「はぁ、はぁっ……! ……がっ!」 必死に姉に呼びかける。 だが、姉さんはまるで反応しない。 「ぐっ! あっ、ああああっ!」 気を失ってしまいそうになる激痛が、僕を襲う。 身体の一部が、文字通り引き裂かれている。 「あ、ああ……」 死。 僕は死を覚悟した。 その瞬間、身体から力が抜ける。 今まで必死に支えていたモノが一気に崩れ落ちる。 この場で、僕を捕食すれば姉さんはまともに戻るかもしれない。 そして、僕は妹のところに行く。 それは、悪いことでは―― 刹那。 僕の頭に。 点滴のチューブだらけで、衰弱したあの人の姿が浮かんだ。 もう生きていたって何もいいことなどないのに。 死んだほうが楽なのに。 それでも、愚直に生きようとしているあの人の姿が。 「ダメ……だ……」 「僕は、まだ」 死ねない。 悠とも約束した。 姉さんを守ると。 それは、今ここで命をくれてやることでは決してない。 それは逃げだ。 僕は、まだ。 生きるぞ―― 「あああああああああっ!」 叫び声を上げる。 右手を硬化させながら、姉さんの喉に拳を打ち込んだ。 「――ぐぐっ!? ああっ?!」 ぐちゃっと肉が嫌な音を立てて噛み切られ、血しぶきが周囲に散った。 左肩の肉を大きく欠損する。 だが、姉さんを引き剥がすことに成功した。 「……っ」 姉さんは僕から一旦、距離を取り、僕を赤い目で威嚇する。 その間に、食いちぎった僕の肩の肉を飲み込む。 「……姉さんの愛情表現は激しすぎるな……」 「せいぜい噛む程度にしてくれないと……」 「今の姉さんを外に出すわけにはいかないんだ……」 「大人しくしてくれない?」 流れ出る血を無視して、姉さんに詰め寄る。 左肩からは早くも水蒸気が吹き出てきた。 だが、さすがに今回の怪我の修復には時間がかかる。 この戦闘の間、左肩は死んだ。 「……っ」 姉さんは、後退する。 手負いの僕を必要以上に警戒しているようだ。 「覚醒状態を解くんだ、姉さん」 「気絶させてでも、止めてみせる」 「今の姉さんを外に出したら、確実に人を襲い、食う」 「それを後で知って、どれだけ姉さんが悲しむか、僕にはわかる」 「絶対にそれだけはさせない」 「僕は、君を守る」 「僕も、死なない」 「不完全な僕達だけど、まだ生きてる」 「僕は、姉さんと二人で――」 生きたい。 「っ!」 「――くっ?!」 攻撃が来ると、一瞬判断した。 だが、違った。 視界から、姉さんは掻き消え―― あの女と同じように、もう出口付近に移動を終えていた。 しまった。 僕には一気にあれだけの距離をつめるほどの跳躍力はない。 「……」 姉さんは僕に背を向けて、走り去った。 外に出てしまった。 「くそっ……!」 僕も後を追う。 全速で走った。 でも、左腕が動かなくて、スピードが出ない。 このままでは――マズイ。 姉さんが、人を殺してしまう。 工場を出て、四方を見渡す。 姉さんの行方を捜す。 見つからない。 すでに、遠くに行ってしまったのか。 「姉さん……」 鼻に神経を集中させた。 雑種の相羽の妹は、匂いで人か人魚を見分けたという。 ならば、純血種の僕にも同じ芸当ができてもおかしくはない。 「……」 風にのってくる匂いを嗅ぎ分ける。 微かに覚えのある匂いを感じる。 「これ……か?」 何度か身体を重ねたおかげで、僕は姉さんの匂いを覚えていた。 風上の方へ、駆け出した。 いた。 陸橋のそばに佇んで。 でも、少し様子がおかしい。 鉄橋の陰に隠れるように―― ――え? 「あれは……」 踏み切りの向こう。 若い男女が、こっちに向かって歩いてくる。 狙っている。 姉さんは、あの二人を捕食するつもりだ。 「逃げろっ! こっちに来るなっ!」 大声で、叫びながら駆け出す。 姉さんがあの二人を傷つける前に、何としても。 肩の痛みに耐えながら、僕は懸命に走る。 「ああああっ!」 「ひっ?!」 「なっ?! なんだこの女?!」 「ああああっ!」 「くそっ……!」 このままでは間に合わない。 姉さんが人を殺してしまう。 もし、人をこれ以上殺めてしまったら、きっと姉さんはその重荷に耐えられない。 心が壊れてしまう。 させない。 何としても、あそこに。 あと、およそ10メートル。 一瞬で。 あの二人のように。 僕は。 悠。 妹よ。 僕に、お兄ちゃんに。 力を貸してくれ――! 「あああああっ!」 身体全体を投げ出すようにして、跳んだ。 着地の事も何も考えていない。 ただ、姉さんのところにまで届けと祈って。 ありったけの負荷を足にかけて、僕は夜空を舞った。 「おおおおおおっ!」 「――っ?!」 重力も加えた渾身の一撃も、姉さんには弾き返されてしまった。 それでも、ギリギリ間に合った。 「はぁ、はぁ……」 僕は姉さんと、襲われかけた男女の間に着地する。 「ひ、人が降って来た……」 「ど、どうなってるんだ……」 僕の後ろで、二人はまだぐずぐずしていた。 「早く逃げて!」 姉さんから一瞬たりとも、目を離さないようにして叫ぶ。 「あっ、いや、でも、あんた」 「死にたくなければ、さっさと逃げろ!」 一喝した。 「ひっ!?」 「いやあっ!」 二人分の駆け出す音を背中で聞く。 最悪の事態は、回避した。 だが―― 「……」 目の前で、姉さんが赤い瞳で僕を睨みつけていた。 まだ覚醒状態が、解除されない。 ……どうすればいいんだ。 「姉さん、頼む正気に……」 「――っ!」 「くっ!」 ツメを間一髪、かわした。 「ぐっ、あっ!」 今度は2回続けて、小刻みな攻撃が。 右腿をえぐられた。 ……僕の反応が鈍くなってる? いや、違う。 攻撃は見えていた。 でも、脚が動かなかった。 そうか、着地の時、足を―― 「ああっ!」 「――ぐはっ!?」 3度の攻撃が、全部命中した。 しかも、全部足を狙われた。 もう、ロクなスピードは出ない。 それどころか。 「はぁ、はぁ……」 僕は、膝を折ってレールの上に真新しい血をたらし、不規則な模様を描く。 身体のあちこちから水蒸気が吹き上がる。 もういくつ怪我を負っているのか把握していない。 「……」 姉さんはツメを構えながら、近づいてくる。 もう僕が抵抗できないと知っている。 至近距離で、確実に僕を殺すつもり―― 「あ……」 僕の思考に、機械音が割り込んでくる。 もうすぐここに電車がやって来る。 「姉さん、ここはもう危ない」 「移動しないと……」 「――っ!」 「くっ!」 振り下ろされたツメを、身体を捻って避けた。 「ああっ!」 「姉さん、やめろっ!」 線路の上を転がりながら、移動して何とか致命傷から逃れる。 いつまでもつんだ。 きっと、あと数回。 「っ!」 「くっ!」 気がつけば、陸橋の中央あたりにまで来ていた。 レールの上なんかを這いずったせいか、身体のふしぶしが痛む。 だが、それよりも、もう体力がない。 心臓がもっと酸素をよこせと、鳴り響く。 治癒能力により、却って早く消耗してるんだ。 くそ。 ここまで、か。 「ああああっ!」 僕が呼吸を整えるヒマなど、姉さんが与えるハズもない。 最後となる、一振りが、振り下ろされる。 「このおおおっ!」 僕は気力をふりしぼって、姉さんのツメを素手で受け止めた。 指が今にも切り落とされそうなほど、ツメは鋭利な刃物だ。 しかも、皮膚の硬化も間に合わなかった。 寝転んでいるので、力も入らない。 そして、相手は最強の純血種の雌―― 相羽の時よりも、ずっと分が悪い。 「あああっ!」 姉さんが力で押してくる。 「くっ、ううう……」 もう耐えるしかない。 だが、いつまで持ちこたえられるのか。 きっとあと数分で、僕の手のひらごと、姉さんは僕の顔面を貫く。 そして、機械音と、遠くから感じる振動。 マズイ。 このままでは、たとえ姉さんに貫かれなくても、二人共鉄の塊に轢かれて御陀仏だ。 「姉さん、このままだと二人共死ぬ!」 「早く安全な場所に……」 「ああああっ!」 姉さんは、完全に理性を失っていた。 僕を殺すことに、全ての神経を注いでいる。 僕の声など、届かない。 畜生……。 これが僕と姉さんの終わりなのか? 嫌だ。 僕はもっと生きなければいけない。 たとえ、この先がどれだけ苦難にみちていようと、僕は。 僕の生の、今よりも、先を。 「あああああっ!」 僕は指を失う覚悟で、姉のツメを強く握り、引き寄せた。 「――っ?!」 今まで押し返していた僕が急に、逆方向に力を加えた。 姉さんは、バランスをくずし前のめりになる。 僕は右足を前に突き出し、足裏を姉さんの腹に当てた。 蹴ったのではない。 狙ったのは、後方に投げること。 「あああああああああああああっ!」 巴投げの要領で、姉さんの身体を移動させる。 強く投げすぎても、いけない。 線路と線路の間の空間に。 「――っ!!」 水音がした。 やった。 姉さんは、助けた……。 ああ、僕も逃げないと。 でも、もうまるで力が入らない……。 あと数メートル身体を転がせば、助かる。 でも、その数メートルが、今の僕には途方もなく遠い。 「相羽……」 僕は君を犠牲にして、ここまで生きてきた。 こんなに早く終わって、すまない。 「悠……」 ごめん、僕は君との約束をこれ以上は果たせそうにもない。 姉さんを、もっと守らないといけなかったのに。 「姉さん……」 僕は、貴方が――。 僕が薄れ行く意識の中で、最後に認識したのは、激しい電車の振動と―― 「イズミ……!」 誰かの、微かなつぶやきだった。 雪が舞っていた。 地面にこうして、寝転がって舞う雪を眺めるのは二度目か。 最初は、加納さんに肩を刺されて。 駅前で、悠に拾われて―― 「お兄ちゃん」 「あ……」 「えへへ」 悠が微笑する。 久しぶりに見た笑顔。 泣きたくなるほど、嬉しい。 「よう」 「おひさだね。お兄ちゃん」 「ああ、お前がいなくなってからそんなに経ってないのに」 「気分的には、何年も会ってないみたいだよ」 「お前の抜けた穴は、一生うまりそうにもない」 「おお~、私、愛されてるじゃん!」 「当たり前だ」 「僕も姉さんも、お前を愛してる」 「100回殺されて、お前が生き返ってくれるなら僕は喜んで殺されるよ」 「……ありがとう」 目の端に微かに涙の粒を浮かべて、笑う。 僕は思わず手を伸ばして、その涙を拭おうとした。 でも、全身が痛くて腕があがらない。 「痛っ……」 「あ、無理しちゃダメだよ、お兄ちゃん」 「お兄ちゃん、すごく頑張ってたから」 「身体ボロボロにして、お姉ちゃんを守ってたから」 「はっきり言って、これ以上ないくらい必死だったよ」 「お前とも約束したし」 「姉さんにこれ以上、誰も殺して欲しくなかったし……」 「おかげで、僕はこの有様だけどね」 「前にも言ったと思うけど」 「生きるのしんどい」 「……」 「じゃあ、お兄ちゃん」 「ん?」 「もう、こっちに来る?」 悠は僕の髪を優しくなでながら尋ねた。 「……もし、僕がそっちに行ったら、悠は嬉しい?」 「うん、嬉しいよ」 「でも、それ以上に悲しいかも」 「どうして?」 「お姉ちゃんが一人になっちゃう」 「それに、お兄ちゃんには、その、上手く言えないけど」 「今より、先を見てもらいたい」 「今より先にハッピーエンドがあると?」 「うーん……」 悠は微妙な笑顔になる。 「ハッピーかどうかは、本人にしかわからないし」 「超バッドエンドの可能性もあるし」 「怖いこと言うなよ」 「でも、私はもう目指せないし」 「けど、お兄ちゃんは目指せるし」 「私の分まで、完走して欲しいな」 「超バッドかもしれないのに?」 「うん」 「何気に厳しいな、お前」 「見守ってる」 「声は届かないし、触れる事もできない」 「でも、本当に見守ってるから……」 「何があっても、お兄ちゃんのこと見守って、想ってるから……!」 「だから、お兄ちゃん……!」 ぽたり、と悠の、妹の涙が僕の頬に落ちる。 冷え切った身体に、その温もりがしみこんでくる。 「わかったよ」 「わかったから、泣くな」 「お前の分まで、目指してやるよ」 「ハッピーエンドでもバッドエンドでも、いいさ」 「最後の最後に何があるのか見極めてやる」 「うん……!」 妹がようやく笑んだ。 だから、僕も安堵して。 ようやく―― 「イズミっ!」 「イズミいいいいっ!」 「……?」 僕はぼんやりと霞む意識のまま、目の前の人の顔を見る。 「イズミ……?」 ああ、そんなに泣いて……。 キレイな顔をそんなに歪めて。 「姉さん……」 僕は痛みに耐えながらも左腕をあげて、姉さんの頬をつたう涙を拭った。 「イズミっっっ!」 強く乱暴に抱きしめられた。 また身体が痛む。 でも、今はその痛みが嬉しい。 「良かった、姉さん」 「覚醒から、戻れて……」 「貴方のおかげよ……」 「私、貴方の身体の一部を……」 「捕食したから……」 「ああ、そっか……」 僕の左肩の肉が養分として姉さんの身体に摂取されたから。 それで、回復できたのか。 「……ごめんなさい」 「いいよ」 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 「本当にいいんだ、姉さんが無事なら」 「必要なら、これからだって僕の一部をあげる」 「それで、姉さんが楽になれるのなら、僕は平気だ」 「……」 「……ダメよ」 「そんなこと、許されるわけないじゃない……」 「僕は許せるよ」 「……ウソよ、そんなの」 「ウソじゃない」 僕は姉さんの身体を強く抱く。 ウソじゃないとわかって欲しくて。 「イズミ、貴方、私を本当に許せるの?」 「許せるし、愛してる」 「……どうして?!」 「どうして、貴方を殺そうとして、あげくに捕食しようとした私を許せるの?!」 「そんなの……ありえないわよ……」 「ぐすっ、私はもう生きていたくないわ……」 「私を殺して……」 「ねえ、私を殺してイズミ、そうしないと、私……」 「いつか、貴方も、ユタカのように……!」 姉さんが僕の胸に顔を埋めて泣く。 ずっと苦しんできたんだ。 弟を殺して、今日まで生きてきた。 心優しいこの人が、平気でいられる筈はない。 だから、伝えよう。 僕と兄の気持ちを。 「姉さん、人はね」 「自分を殺そうとした相手でも、愛することはできるんだよ」 「え……?」 「僕も、つい最近知ったんだ」 「そんなことができる人を、つい最近知った」 「その人に教えてもらったんだ」 「僕が殺し損ねたあの人に……」 僕の言葉に姉さんが、肩を震わせる。 「……イズミ、貴方……」 「白状するよ」 「僕は、悠に拾われた夜、加納さんに刺された」 「でも、それだけじゃない」 「僕も、加納さんの頭をなぐって、大怪我をさせた」 「殺意はあったよ」 「だって、加納さんが倒れても放置して、家を出たし」 「カケラほども、心配しなかった」 「でも、あの人も頑丈で死にはしなかった」 「家に戻った時、頭に包帯巻いて風呂に入ってるのを見て、ぎょっとした」 「こいつ不死身かよって」 「……」 「もうあの人とは、それで切れたって思ってた」 「でも、今度は病気で倒れてまた再会だ」 「正直怖かったよ、殺そうとした相手と会うのは」 「でも、あの人は」 そこまで話して、僕の目から、 「あの人は、僕にされたことを、誰にも言わず」 自然に、涙がこぼれた。 「それどころか、僕の生活の心配までして……」 「自分が死んだ後の当座の生活費まで……」 声が震えた。 僕はあの人を利用していただけだった。 なのに。 「姉さん、加納さんは」 「自分を殺そうとした僕を愛してくれてた……」 「人はそんな、とんでもないことができるんだ」 「ユタカ兄さんも、姉さんを絶対に恨んでない」 「きっと、死ぬ瞬間まで、姉さんを愛してた」 「僕も同じだ、今までもこれからも」 「たとえ、姉さんが何度、僕を傷つけても」 「僕は姉さんのことを愛してるって、断言できるよ」 「あ、あ……」 「ずっと、ずっと言ってあげたかったんだ」 「でも、上手く言葉にできなかった」 「自分がこんな風に愛されてたって、わかってやっと言えた」 「姉さん、もう自分を責めないで」 「僕も兄さんも、貴方を――」 ぎゅっと姉を抱き、言った。 「心から、愛してます……」 「……ユタカ」 「……イズミ」 「うっ、ひっく……」 「ぐすっ、うっ……」 「うわああああああああああああああああああああああああああああ!」 降りしきる雪の中、泣きじゃくる姉さんを抱きながら、僕も泣いた。 もうすでにここにいない人達。 その心の痛みを、苦しみを、真にわかることなど出来ないだろう。 それでも、彼らのために流す涙は決して無意味ではないはずだ。 彼らの残した想いの上に、僕達の想いを積み重ねて、その先に僕達の目指すものがあるのだから。 彼らの心は、僕達と、共に。 悠、そして、ユタカ兄さん。 どうか、見守っていて。 僕と姉さんは、これからも生きていきます。 今は亡き愛しい貴方達の想いを胸に抱いて―― 「兄、兄ーっ」 「朝だし、起きるし」 「ぐわっ」 耳元で不快な不協和音が鳴り響く。 いやがおうにも、目が覚める。 「おはよ……」 「おはーっ、兄」 目がウサギ状態の妹が、箸と茶碗を持って立っていた。 「おはよ、妹」 「今朝は和食希望」 「それは見ればめっちゃ分かるけど……」 じっと妹の顔を見る。 「え? な、何?」 「何故、兄は朝から妹を凝視するですか?!」 「エッチなのはいけないと思います!」 と言いつつ、嬉しそうに俺の布団に入ってくる。 「悠、目が赤いよ」 腕にくっついてくる妹を見ながら言った。 「え? おおう」 こすこすと右腕で、目を擦る。 「直った?」 顔を上げて、僕を見上げる。 「うん、直った」 「いつもの可愛い私?」 「いつもの可愛い僕の妹だ」 「えへへ」 にこにこと笑う。 「さて、ご飯作ろうか」 「あ、待って待って」 立ち上がろうとするのを腕を掴んで引き止められる。 「どうしたの?」 「やっぱり、もうちょっとだけ、こうしてたい」 「そうか……」 「わかった、そうしようか」 「わーい♪」 妹は両腕でぎゅっと僕の身体に抱きついてきた。 僕は妹の背中を撫でながら、窓の外の方を見る。 昨日は雪が舞っていたが、今日は青空が広がっていた。 あと雪は何回くらい降るのだろう。 もう立春も過ぎた。 暦の上では、春は訪れている。 「すー、すー……」 「……寝ちゃったの?」 僕は妹の寝顔に問いかけた。 「う~ん、寝てない……よ……」 と、寝言で返してきた。 矛盾している。 「さて」 僕は妹を起こさないようにそっと起き出す。 朝食の準備をしておこう。 悠が目を覚ましたら、ちょっと驚くくらいの豪華な朝食を――。 朝食の後は、今日も学園をサボってギターの練習だ。 Harukaが日本に居るうちに動画をあげなければならない。 「ねえ、兄」 「ん?」 悠がPCを操作する手を止めて、僕を見る。 「病院に行かなくていいの?」 「うん、九州から遠縁の人が来てくれたから」 「毎日は行かなくてもいい」 「そう」 「でも、なるべく行ってあげるといいと思うよ」 「わかった、そうする」 「うん、そうして」 「情弱、乙!」 悠は再びPC操作に戻る。 僕も練習再開―― 「悠、イズミ」 扉の向こうから聞こえてくる声に、指を止める。 「あ、姉だ」 「いるんでしょ? 開けなさい」 「何だろう?」 「学園行けってことじゃないかな」 「え~~っ?!」 「思い切り嫌そうだね」 「せっかく、兄が上手くなってきたのに」 「今日は私の歌や、他の音とも合わせてみるつもりだったし」 「中断したくない」 「そうは言っても」 「ちょっと何をしてるの?」 「早く開けなさい!」 扉の向こうの新田姉はこっちが出るまで立ち去る様子は微塵もない。 「姉さんも頑固だし、簡単に諦めるとは思えないけど」 「兄、ここは居留守」 「気配を消して」 「――んっっ!」 「ん~~~~っっ!」 妹は両手で口を押さえて、押し黙る。 「いや、息はしていいんじゃない?」 「んんっ!」 『兄、話しちゃダメ!』 とホワイトボードに書いて、掲げる悠。 ドコにあったんだ、それ。 「……? おかしいわね? いないのかしら?」 でも、悠の作戦は効果があったのか、姉さんはあんなことを言い出した。 「んっ!」 『逃げ切れそう!』 悠はホワイトボードを片手に、その場でくるくる回りだす。 はしゃぐなよ。 「悠、イズミ、本当にいないの……?」 ちょっとシュンとしたような姉さんの声。 罪悪感を感じる。 「……」 『やっぱり出た方が良くない?』 今度は僕がホワイトボードに書いて、悠に見せた。 「んんっ!」 『兄! あれは姉の作戦だから!』 『えー? それはないって』 『兄は、女がわかってない! 無防備すぎ!』 『でも、姉さんかわいそうじゃん』 『姉はガチで強い女だから! 私はそれを知っているし』 お互い交互に、ホワイトボードに意見を。 筆談の応酬である。 「……何か物音がするような……?」 びくっ。 姉さんの声に、僕と悠はピタリと動きを止める。 瞬時に、僕達の間に緊張感が走った。 「……くんくん」 (ヤバイし! 姉、匂い嗅ぎだしたし!) (居留守バレたら、お説教だし! 折檻だし!) (だから、僕は出ようって……) (どうしよう兄?!) (気づかなかったフリして、出るしかないでしょ) (居留守しようとしてたことがバレるよりはずっといい) (ラジャー! よしさりげなく出るし!) 「アアッ! モシカシテ、アネガキテルカモダシ!」 「お、おう……」 妹、わざとらしすぎ! 「悠? いるの? いるなら、早く開けなさい!」 「ハーイ、ダシ~」 とてとてではなく、ぎくしゃくと扉の方へ向かう妹。 出来の悪い二足歩行ロボのような動きだった。 「ド、ドウゾダシ~」 冬だというのに、額に汗を浮かべた悠が扉を開ける。 「……おはよう」 外には仏頂面の姉が、立っていた。 「お、おはよう、姉さん」 「オハヨウダシ~」 兄妹そろって出迎える。 「もう、ずっとノックしてたのに、どうして開けないのよ?」 不機嫌な姉がズカズカと部屋に上がってくる。 「ご、ごめん、僕と悠も気がつかなくて」 「ソ、ソウダシ~」 二人ですっとぼける。 が。 「? 悠、あんた何で、そんなに緊張しているのよ?」 鋭い姉が早くも悠に疑問の目を向ける。 「ナ、ナンノコトデショウ?」 悠はさっと姉さんから視線を逸らす。 「怪しいわね……」 「あんた、ほら、まっすぐお姉ちゃんの顔を見なさい」 姉さんはがっしと妹の肩を両手でつかみ、顔をのぞきこもうとする。 「ノ、ノーッ!」 「ト、トラスト、ミー!」 「アンド、アニ、ヘルプ、ミー!」 ダラダラと冷や汗を流しながら、妹は必死に姉から逃れようとしていた。 「……どうして、そんなに嫌がるのよ?」 「ますます、怪しい――何よ、これ」 あ。 姉さんは床に転がっていたブツを拾い上げる。 さっき使っていたホワイトボードであった。 「ちょっ! 姉待って!」 「それを読んではダメだしっ!」 「そこには、破滅の呪文が!」 「――兄、話しちゃダメ……?」 「――逃げ切れそう……?」 「――姉はガチで強い女だから、私はそれを知っているし……」 姉さんの声にだんだん怒気が加わってくる。 どうやら状況を理解しつつあるらしい。 「悠、イズミ……」 「あんた達っ……!」 地上最強生物の逆鱗に触れてしまった。 「ひいーっ! やっぱり破滅するしーっ!」 「私と兄が――っ!」 ですよねえ。 「まったく……」 「居留守を使ってまで、学園を休もうとしないの」 「自堕落な生活をしてると、心が荒むわよ」 結局、姉に引きずられるようにして登校する。 「うおおっ! 姉、強引だし!」 ていうか、悠は本当に襟首を掴まれて、姉さんに引っ張られていた。 猫かい。 「ほら、悠、もうちゃんと自分で歩いて」 「だって~」 「せっかく、兄が調子良かったのに~」 「練習したかったのに~」 妹は頬を不満げに膨らませる。 「練習?」 ピタっと姉さんの足が止まる。 「貴方達、何を始めたの?」 「あ、うん。実は――」 僕は姉さんに、僕と悠が今『歌ってやった』の新作動画を撮ろうとしていることを簡単に話した。 で。 「みっともないから、やめなさい」 サクッと切り捨ててくれた。 「何を言うかだし!」 「妹ビーム!」 妹は激おこで、両手を交差して光線的な何かを姉に照射しようとした。 無論何も出ないが。 「動画って、以前観たけど、アレでしょう?」 「悠が制服着て、歌って、踊って、パンツ見せてる……」 「そう、それ」 「違うし! そうだけど違うし!」 涙目で両手をぶん回しながら、残像が残るほどの超高速で右往左往。 某ユルキャラもびっくりの敏捷さだ。 「……姉として恥ずかしいから、やめなさい」 「歌いたいなら、カラオケに行けばいいでしょ」 「カラオケじゃダメなの! Harukaが聴けないし」 「誰よその子」 「悠のファンの女の子だよ」 「その子がもうすぐ外国に行くから、それまでに新作をアップするって約束をしたんだ」 「悠にファン? しかも女の子?」 「信じがたいわね……」 「あんなワイセツ動画で……」 「ワイセツ違うし!」 「モザイク入ってるし!」 「いや、だから、それが却って良くないと」 前にも言ったけど。 「おおっ! 朝からおそろいですな! シスターズアンドブラザーズ!」 朝から騒いでるところに、直がやって来る。 「ああっ! 川嶋いいところに!」 「ひしっ!」 妹は口で擬音を発しながら、直にすがりつく。 「え? 何?」 「白羽瀬ガール、どうしたん?」 目を白黒させつつも、直は悠をちゃんと抱き返していた。 優しいヤツだ。 「ううっ、ウチの鬼姉が……」 涙ながらに話し出す。 「……悠ちゃん、誰が鬼姉なのかしら?」 もちろん、姉はきっちり釘を刺す。 笑顔なのが却って怖い。 「うう、ウチの優しいお姉様が……」 ちゃんと言い直していた。 「うんうん、新田ガールが、どうしたの?」 こんなグダグダの会話を嫌な顔一つせず聞く直さん、マジ天使。 「私のゲージュツ作品を、馬鹿にするし……!」 「え? 白羽瀬さんの芸術作品って?」 首を傾げる。 「悠の配信してる音楽動画のことだよ」 「ああ、あのパンツの――」 「お前も敵だっ!」 「演奏の動画?」 「白羽瀬先輩、そんなのやってるんですか?」 放課後。 直の呼びかけで、新聞部プラスワンによる緊急会議が開催された。 「うんうん。でさ、今度新作を撮るって話だから」 「あたし達も協力して、すっごいいいの撮っちゃおうよ!」 「どうせ、今、活動自粛中でヒマしてるじゃん?」 直はヤケにノリノリだ。 基本、お祭り騒ぎが好きなヤツだからな。 「おお~! 皆が協力してくれるなら、絶対、今までよりいいの出来ちゃうし」 「Haruka喜ぶし! それにせーしゅんな感じ!」 「おー、せーしゅんですか! いいですね~」 「タカハシ、いえーっ!」 「高階です、いえーっ!」 軽いノリでハイタッチをする。 「何だか大げさなことになってきた」 未だ練習中の僕としては若干腰が引ける。 「私は今ひとつ、賛同しかねるわね……」 姉さんも腕を組みながら一つ息を吐き出す。 「どうして!?」 「だって、あんたの動画パン――」 「~~~~っ」 頬を染めて押し黙る姉さん。 「? 新田先輩、パンがどうかしたんですか?」 「……追求しないで、高階」 「? はい、でもどうして、赤くなって……?」 高階は空中にクエスチョンマークを浮かべつつ、首を捻る。 「俺は今まで白羽瀬の動画を観たことがない」 「参考までに、見せてくれるか?」 「いいよ」 「ここに入ってる」 白羽瀬は自分のスマホを取り出して、ちゃっちゃと再生の準備をする。 「ちょっと!? みっともないから、やめな――」 姉さんは慌てて止めようとする。 「ほい、眼鏡」 だが、悠はあっさりとスマホを部長に渡す。 「拝見する」 「あ、私も見たいです!」 未見の二人と悠が画面をのぞきこむ。 「いいか、再生するぞ」 「……」 「……」 鑑賞中。 「…………」 「…………」 まだ鑑賞中。 「……………………」 「……………………」 そして終わる。 二人は何とも微妙な表情をしていた。 「どうだった?」 悠だけが自慢げに胸を張る。 勝利をすでに確信した顔であった。 「なあ、白羽瀬……」 「うん何々?」 「ワイセツ動画の撮影に協力するのはちょっと……」 「違うし!」 「後輩ビーム!」 悠はおかんむり状態で、再び光線的な何かを部長に照射しようとしていた。 やはり何も出ないが。 「あー、でも次のはそんなに跳んだり跳ねたりするような曲じゃないらしいよ?」 「うん、だから、スカートはめくれないと思う」 「あら、そうなの?」 「それなら大丈夫そうですね」 「そうか。なら協力は可能だ」 「モザイクが入るような動画を上げるのは、我が新聞部の汚点になってしまうからな」 「ですよね。出来ればない方がキレイだし」 「えー?!」 「それって、○○○的にはどうなの?」 「白羽瀬、それヤバイから、全部伏字だから」 暴走する若者である。 「では、全会一致で、我が新聞部アンド、新田ガールは!」 「白羽瀬さんの新作動画撮影に協力するってことにあいなりました!」 「はい、拍手~っ!」 「白羽瀬先輩、おめでとうございます!」 「何でも言ってくれ。協力する」 全員で悠の方を向いて、拍手を。 「え?」 「え? え?」 悠は何故か急にうろたえ始めた。 「か、加納くんっ!」 「何?」 「私、何か拍手されてるし!」 「変な感じ! ムズムズするし!」 うろたえる。 こいつは今まで学園では冷たくされてばかりだった。 こういうのには慣れてないのだろう。 「白羽瀬、皆がお前に、いや僕達に協力してくれるんだ」 「ちゃんとお礼を言おう」 「う、うんっ! わかったし!」 「み、皆っ!」 妹はキリッと表情を引き締める。 そして、部室にいる全員を見渡し―― 「あざーす! あざーす!! あざああああすっっ!!!」 妹は体育会系のノリでお礼を言った。 「どうしてネタに走るのよ……」 そして姉は深いため息を吐いた。 「僕からもお礼を言います。皆、ありがとう」 「僕に出来ることがあれば、お返ししたい。言ってくれ」 立ち上がって、頭を下げた。 「イズミ、いいってことよ!」 「あたし達、マブじゃ~ん、ゆくぜ番長!」 直は僕のそばにやってくると、いきなり僕と右腕を組む。 「友情のバ○ームクロス!」 「直、それ知らない、誰も知らない」 いつの時代の生まれか。 「う~ん、私は何かしてほしいです」 「カノー先輩の身体で払ってください!」 「わかった。僕を好きにしてくれ」 制服の上着を脱ぎだす。 「ひいーっ! 冗談です! 冗談!」 「すみませんでした~!」 後輩は顔を真っ赤にして、脱兎のごとく逃げ出した。 「勝った」 「勝ち誇るな」 「すみません」 あいかわらずの僕達だ。 「さて、目的ははっきりしたが、問題は山積みだ」 「白羽瀬、お前はどんな動画を撮りたいんだ? まずはそれを教えてくれ」 「うーんと……」 悠は腕組みをしつつ、しばし考えて。 「超かっちょいい感じ?」 超あいまいな答えを提示した。 「ま、まるでイメージが伝わってこない……」 「……白羽瀬さん、どういうのがかっちょいいの?」 「ん? 何ていうかさ」 悠はその場で無意味に、戦闘ヒーローのようなポージングをしつつ、説明する。 「こう、未来に向かって走る的な――」 「俺達の冒険は、これからだ! みたいな?」 「それ連載打ち切られてるじゃん」 ちっともかっちょよくはない。 「演奏はどこでやるんですか?」 「私の家」 「それ、少しもカッコ良くないでしょ?!」 姉さんが驚愕する。 「あと、バンドのメンバーとか他にいないの?」 「僕のギター以外は、録音された音源を再生して使う」 「……あの~、白羽瀬先輩、カノー先輩」 「大変言いづらいんですけど、ここはお二人のためにあえて言わせてください!」 申し訳なさそうに高階が手をあげる。 「何? 高階」 「ぶっちゃけショボいっす!」 目を><の形にして、後輩が勇気を出して苦言を呈した。 「言うなーっ!」 「わかってたこと、言うなーっ!」 悠は両耳を塞いで、皆に背を向けた。 「ああ……盗んだチャリで、走り出したい!」 そして、反社会的な妹になってしまった。 「ああ、高階が本当のこと言うから……」 「イズミもわかってたのかよ!?」 「それなら、直しなさいよ……」 直さんと姉さんは、二人して僕達を睨んだ。 「ふむ、演奏をする場所は、できればライブハウス、最低でも音楽室を使え」 「動画なんだろ? ロケーションは大事だ」 「は、はあ」 「でも、ライブハウスはさすがに無理なんで」 予算的に。 「まあ、場所はいざとなれば外でもいいじゃん」 「アーティストの路上ライブのPVっぽくなるかもだし」 「それ! それいい!」 「そのアイデア採用! いいぞ川嶋! 建設的意見!」 「タカハシは破壊的意見だったけど!」 「うわああん! 何かデスられてるっす!」 今度は高階が背を向ける。 入れ替わりが激しい。 「できれば、ギター以外も生演奏がいいわね」 「その方が、見栄えもいいでしょう?」 「じゃあ、ここにいる皆で」 「さすがにそれは無理でしょ……」 近場で捜そうとしすぎだ。 「俺の友人に、軽音部の部長がいる」 「メンバーを借りられないか、頼んでみよう」 「え? マジですか?」 「ああ、たぶん嫌とは言うまい」 「おお~、何か一気にグレードアップじゃん!」 「じゃあ、私達は録画班ってとこね」 「生放送もやるから! 新田、カメラブレないように気をつけて!」 「え? 私がカメラなの?」 「いいですね~。あ、これ新聞の記事にもしましょうよ」 「新聞部も便乗して、これで復活だね! さすがイクイク計算高い!」 「もっと自然な萌えを!」 「計算じゃないっす! あと萌え関係ないっす!」 高階が涙目で抗議した。 「あ、そうだ、部長」 「ん? 何だ?」 「軽音部の人に、是非ギターも頼んで――」 「ダメだあっ! とうっ!」 「あ痛っ?!」 言いかけた瞬間に、背中にチョップ攻撃を食らう。 「ギターは加納くんが弾くったら弾くったら弾くのっ!」 ビシバシと空手チョップが炸裂する。 「わかった! わかったから!」 どうやら素人同然の僕が軽音部の人とセッションしなければならないらしい。 ……ちょっと気が重い。 次の日。 ちょっと勇気を出して登校してみた。 結果は―― 「いや、だから、相羽君だけ見つからないなんておかしいじゃん」 「何か危ない感じだもんね~、タバコ吸ってるし」 「ていうか、保護者の人も行方不明らしいじゃん。何であの人の周りばっかこんなこと起きるのよ?」 「……来るんじゃなかった」 予想以上に、空気が悪い。 とはいえ、相羽を手にかけたのは事実だ。 仕方がない。 僕はどんなそしりも甘んじて受けるしかない。 「……」 「……」 直と悠は、教室に入ってからずっと僕の席のそばにいた。 噂話をするクラスメイト達に、攻撃的な視線を送り続けている。 そんな直達を無視して、噂は尾ひれをつけて拡散していく。 「犯人も捕まってないし、怖いよね」 「案外近くにいるんじゃない? あはは」 「だよね~。保護者の人も、危なくない?」 「ちょっと! やめてよ!」 たまりかねた様子で直は、つかつかと噂する女子達に詰め寄る。 「直」 「川嶋」 驚く僕と悠を尻目に、直は女子達のところで足を止め、かみつくような勢いで口を開いた。 「イズミはあたしを助けてくれたんだよ! どうして変な風に言われなきゃいけないの?!」 「無責任なことを勝手に話すのはやめて!」 「え~? だってね~」 「川嶋さんはずっと気絶してたんでしょ? 何があったかはわかんないじゃない?」 「だよね、証拠ないじゃん」 「ね~」 三人のクラスメイトが半笑いで、直を見ていた。 「そ、それは……」 直が口ごもる。 僕を庇いきれない。 本当の事は、言えないからだ。 言えば、僕が人魚であることが発覚してしまう。 「ほらほら、何か言ってみなさいよ」 「あ、もしかして、加納君に脅されて、川嶋も助けてもらったってことにして――え?」 教室中に乾いた音が響いた。 時が止まったように、教室が静まり返る。 「え……?」 頬を叩かれた女子は何が起こったのかと、目を白黒させていた。 そして、叩いた直は涙目で、その女子を睨んでいた。 「イズミを悪く言うなっ!」 「ちょっ……あんた、私を……?」 「イズミを悪く言うなあっ!」 「ひっ?!」 直がクラスメイトに飛びかかる。 二人の女子は床に倒れて、もみ合いを始めた。 「な、直!」 「川嶋ストップ!」 僕と悠はすぐに直とその女子の間に入った。 何とか引き離す。 「うう、ぐすっ、ううっ……」 「イズミは……イズミは、悪くないもん……」 「イズミは、あたしを本当に助けてくれたっ!」 僕に押さえられながらも、直は涙声で、僕をかばう発言をする。 「直……」 「川嶋……」 直の声が、静かな教室の中に響く。 「外に出よう、直」 「う、うん、ぐす……」 僕は直の肩を抱いて、教室の出口に向かって歩き出した。 「あ、待って、私も行く!」 悠もすぐに僕達を追ってくる。 「なっ?! 川嶋待ちなさいよ!」 「そうよそうよ! 逃げるの? 謝んなさいよ!」 「うっさい! あんたらマジで殺すぞ!?」 「ひっ?!」 「待って」 校舎を出ると、すぐに呼び止められた。 三人で振り返る。 新田サンだった。 「新田、おはー」 「おはよう、姉さん」 悠といっしょに姉に挨拶を。 「あのね……おはようじゃないでしょ」 「教室に入ったら、いきなり泣いてる子がいるし」 「何かと思ったら、貴方達が原因らしいじゃない」 「復帰早々、何をしたの?」 「何をしたというか、むしろされたというか」 「私達悪くないし! あいつらが兄と川嶋、イジメるから!」 「文句あるなら、私があいつら狩るし!」 悠がその場でファイティングポーズを取る。 「川嶋さんがいる前で、物騒な事言わないの!」 「――あまり馬鹿言ってると……!」 「やるかー!」 「姉さん、目が赤いから!」 慌てて姉妹の間に割って入る。 この二人の姉妹喧嘩はシャレにならない。 「あの、ごめんなさい、新田サン」 「あたしが、悪いの。あたしが馬鹿やったせいで、二人を巻き込んじゃって……」 「それに、あたし、もう新田サンのことも、知ってるよ……?」 「――え?」 「姉さん、実は――」 「……そう、そういうこと」 「ウチのクラスの連中にも困ったものね」 「程度が低すぎて、思わず殺したくなるわ」 「ころっ?! KILL?! ひいーっ!」 直が慌てて僕の背中に隠れる。 「ちょっ?! 姉さん、抑えてよ!」 「それじゃあ悠と同じじゃないか」 「冗談よ、イズミ」 とてもいい笑顔で言っていた。 本当かなあ。 「ちぇっ、冗談か~」 悠がぶちぶち文句をたれていた。 この姉妹怖い。 「学園内では、あの事件の噂が色々流れてるけど」 「何故か、イズミに対して良くないモノが多いの」 「……相羽については本当だけどね……」 僕は自嘲気味につぶやく。 「イズミ、貴方は純血種の雄よ」 「人間の価値判断で自分を計るのは無意味なの」 「というより危険だわ、すぐにやめなさい」 きっぱりとした口調で姉さんが言い切った。 「……」 僕の背中にくっついていた直の手に力が入る。 強くしがみつく。 「……」 そんな直を見て、姉さんは微かに目を細めた。 「イズミ」 「何?」 「貴方、川嶋さんとは終わったって言ってたわよね?」 「私には、今の貴方達はそうは見えないわ」 「おまけに、私の正体までバラして……」 「どういうこと?」 「お、終わってないよ!」 僕の背後から出てきた直が声を上げた。 「あたし、イズミから色々聞かされたけど、それでもイズミが好きなの!」 「諦めきれない! どんなに悲しいことがあっても、この想いは止められないの!」 「だから、全部承知した上で、イズミに好きって言った!」 「そうしたら、イズミも受け入れてくれたの! 全部教えてくれたの!」 「だから、お願い、認めて!」 直はその場で、深々と頭を下げた。 「……」 姉さんは、直のことをしばらく黙ってじっと見つめた。 そして。 「川嶋さん」 「は、はい!」 「私には、正直理解できないわ」 「悲しいことがあるとわかっていてもいいなんて」 「少なくとも、理性ある人の判断じゃないわね」 手厳しい。辛辣。 やはり新田サンは新田サンであった。 「姉、ひどっ!」 さすがの悠も驚いていた。 「あうあう……」 直は激しくへこんでいた。 「でも、イズミの姉として言わせてもらうわ」 「――弟を好きになってくれて、ありがとう」 姉さんの眉が、優しい弧を描いた。 「え……?」 「勝手なお願いだけど、どうか」 「どうか、一時でもイズミの心を癒してあげてほしい」 「お願いします」 今度は姉さんが、直に頭を下げる。 「あ……」 直の瞳にじわっと大粒の涙が浮かぶ。 「わ、わかりました!」 「お義姉さん!」 感涙した直が、がしと姉さんの手を両手でつかんだ。 「いや、さすがに義姉さんは早いでしょ……」 姉は困惑しつつ苦笑した。 始業開始のチャイムが鳴った。 「あ、もう授業だ」 「教室戻りづらいにゃ~」 「皆でどっかで、サボるか」 「それだっ!」 「私一応委員長なんだけど……まあ、いいわ。そうしましょう」 四人で校庭をのんびり歩く。 今日は割りと温かい。小春日和。 厳しい冬の日々に訪れた、小さな休息。 思えば、僕の毎日はずっと冬だった。 そんな中、君が。 君が――。 四人で外に出て、姉さんの好きな喫茶店でずっとダベっていた。 マスターはあいかわらず無口で何も言わないし、他の客は来ないしで大層居心地が良かった。 気がつけば、外はもう夕闇に染まる。 鞄を回収しにだけ学園に戻って、そのまま帰ることに。 でも。 「もうちょっと、いっしょにいたいにゃ~」 直がそう言うので、帰ってからまた会うことに。 そんなわけで、僕達は再会して川べりの道を散策。 「いや~、お義姉さんにわかってもらえて良かったよ~」 「違う、お義姉さんは違う」 まだヨメに来てないでしょ、君。 「細かいことはいいんだよ!」 「細かくはないと思うけど」 苦笑しながら、隣を歩く僕。 「あはは、でも、何か意外だった」 「絶対反対されると思ってた」 「反対は反対なんじゃないかな、たぶん」 「え? そうなの?」 「僕達のやってることって、姉さんの目的からは逆行してるから」 「……新田サンは、どうして白羽瀬さんを成魚にしたいの?」 「……どうしてって」 雌が雄を養分にして、悠久の時を生きる。そして、またいつか、つがいの子を産む。 そのつがいの子達も、同じことを繰り返す。 愛する肉親を犠牲にして、次世代に命を繋ぐ。 それが、僕達、純血種に与えた唯一の生殖方法。 「僕達という種が、そういうシステムの中でしか生きられないから……かな?」 自信なさげに答えた。 借り物の言葉だから、当然だ。 「……」 直は口をつぐむ。 納得はしていないようだった。 色々な疑問はある。 ――「種」としてそうだからといって「個」としてそれに従う必要はあるのか。 ――そうまでして「種」を残す理由は何か。 ――そもそも、生き延びるのに値する「種」なのか。 ……一生かかっても、答えは出そうになかった。 「それって逆らえないのかな」 「DNAを書き換えないと無理じゃないかな」 「僕達の設計図にそう書かれているから」 「……」 また黙り込む。 唇を噛んで、目を少し潤ませていた。 直のそんな顔、見たくはない。 話題を変えよう。 「直、あれ見て」 川の方を指差す。 「え? 何?」 「今、魚が跳ねた」 「こんな寒いのに?」 「ちょっと降りてみない?」 「いいけど、イズミ子供みたい」 くすりと笑う直。 そう、それでいい。 「行こう」 「うん」 コンクリート製の急な階段を降りて河川敷に降り立つ。 「あ、結構眺めいい」 直はものめずらしそうにきょろきょろと周囲を見る。 「ここに降りたの一年ぶりだな」 ちょっと懐かしい。 あ。 「これまだあったなんて」 見覚えのある家電マークのついたダンボール箱が、雨に濡れてべコべコになっていた。 砂まみれで、超汚れている。 「僕、前、このダンボール使って」 靴先でつつきながら、言う。 「一晩明かそうかと思って……懐かしいな」 「はあ?! 何でそんなことしようとするんですか?!」 「その日は加納さんが、特に荒ぶった日で」 「正直、マジで刺されるかと」 「だから、そーいう時は、あたしに教えてって!」 「でも、その日、ちょうど直も家出してた」 「え? まさか、あの日?」 「うん、あの日」 今からほぼ一年前、直と学園に泊まった日のことだ。 僕達が、初めて身体を重ねた日でもある。 「あの日、イズミも大変だったんだ」 「僕より直の方が大変だったんじゃないかな」 「いやいや! あたしの親、さすがに子供に包丁はむけませんから!」 「イズミのが、大変に決まってるじゃん!」 「そうかなあ」 後ろ頭をかく。 「誰が聞いたって、そうだよ!」 「まあ、でも、僕は慣れてるし」 「そんなこと、慣れないでよ……」 「うう、直さん、何だか悲しくなってきた……」 「あ」 直は後ろからぎゅっと僕を抱く。 「イズミ」 「うん」 「貴方を、幸せにしたい」 「それ逆でしょ、男の役目でしょ」 背中の温もりを感じながら、僕は苦笑した。 でも、本当は嬉しかった。 油断したら、泣いてしまうほどに。 「今どき、そんなことにこだわりますか」 ぐいぐいと胸を押し付けながら、言ってくる。 「今どきとか、そういう問題じゃない」 「男はそうしたいものなの」 「女だって、好きな男の人を幸せにしたいんだよ?」 「……」 「ありがとう」 「でも、僕は君のおかげで、充分幸せだから」 「――え?」 「君がいなかったら、恋なんてしなかった」 「きっとほとんどの純血種の雄は、恋愛感情なんて理解しないまま死んだんだ」 「僕は、恵まれている」 「ありがとう、直」 「……」 「……ぐす」 直が声をしゃくり始める。 「泣くなよ」 「ぐすん、ぐすっ、うええええっ!」 本格的に泣き出してしまった。 「直さん、泣かないで」 「だって、だって!」 「イズミが、ひっく、泣かすようなこと、言うから……!」 抱き潰されるくらい、強く抱かれた。 温かい。 最近、覚醒したせいか寒さに弱くなった。 その身体に、直の体温は甘美なほど温かく気持ちいい。 抱き返したい。 ――そして、この女が壊れるほど激しいセックスがしたい。 え? いきなり思考に差し込まれたドス黒い欲望に、僕は身を固くする。 何だ? 今のは? 急激に血流が速くなった。 おかしい。 何だか、僕の身体が―― 「……どうしたの? イズミ」 急に黙り込んだ僕を心配したのか、直が僕の顔をのぞきこむように、僕の正面に移動した。 僕の視界に、直の姿が――獲物の姿が映る。 「……っ!」 自分の思考に、身の毛がよだつ。 だが、そんな反発心も、だんだんと何かに削り取られていく。 身体が、獲物、何かに、女、のっとられ、欲しい――。 「――くっ!」 頭を両腕で抑えて、何度も振った。 だが、そんなことでは何も変わらない。 渇く。 激しい渇きに、身体じゅうが、支配されていく。 「イ、イズミ? ねえ、どうしたの?」 「顔、真っ青じゃん! どっか苦しいの? ねえ、イズミっ!」 直(獲物)が僕の腕をつかんで、(無防備にも)その場で立ち尽くす。 ――今すぐ、この女を蹂躙しろ。 しない! ――この女はお前に惚れている。性交して何の問題がある? 好きにすればいい。 それは違う! ――違わない。この女も本心ではお前と性交したいだけだ。お前という雄に盛っているだけなのだ。 違う! 彼女はそんな子じゃない! ――たまたま、お前という雄と初めて身体を重ねて、情が移り勘違いしただけだ。所詮、肉欲に操られているんだ。お前達は。 違う! 違う! 違う! 今にもくずれ落ちてしまいそうな理性を必死で、立て直す。 僕は爪がくいこむほど強く、拳をにぎった。 でも、その理性が僕に告げた。 もうすぐ僕はこの強い性衝動に支配されてしまうだろう、と。 「な、直」 僕は僕の腕をつかむ直の手を振りほどく。 「イ、イズミ?」 「逃げるんだ……!」 「今すぐに僕から離れるんだ! 早くっ!」 「な、何言ってるの? そんな苦しそうなイズミを置いて、どっかに行けるわけないじゃん!」 「早くいっしょに病院に!」 「僕のことはいいから、早く僕から離れるんだ!」 「嫌だよ! そんなこと絶対にできないっ!」 直は僕の願いとは反対に、僕に抱きついてしまう。 「くっ……」 直の身体の感触と、髪の匂いが、僕からさらに冷静さを奪う。 マズイ。 きっと、あと数秒も、もたない。 このままでは、僕は直にひどいことをしてしまう。 傷つけてしまう。 嫌だ。 「それだけは、絶対に嫌だ……!」 「きゃっ?!」 僕はつきとばすようにして、彼女の身体を無理矢理遠ざけた。 背を向けて、フラつく身体で歩き出す。 直が離れないのなら、僕から離れるしかない。 だが。 「――っ?!」 足が言う事を聞かずにもつれ、僕は派手に転倒してしまった。 身体の制御が、できなくなっている……? まるで、そうはさせないと、もう一人の自分に言われたような気がした。 くそ。 頭がはっきりしなくなった。 僕の意志が、消え―― 「イズミ! 今、頭打ってない?! 大丈夫? 見せて!」 直の声と靴音がした。 「イズミ、どうして……」 涙声を出しながら、彼女が手のひらで、僕の顔に触れた。 素肌と素肌の接触。 「っ!」 僕の中の性衝動が、弾ける。 ――この瞬間、僕の意志は完全に駆逐されてしまった。 「直っ!」 「きゃっ?!」 僕は直を力任せに突き倒す。 そして、強引に上着をたくしあげた。 「あっ、いやっ!」 「はぁ、はぁ……」 僕は恥ずかしげもなく、自分の興奮しきった下半身を自ら晒した。 それを直の豊かな胸に挟む。 「イ、イズミ……?」 「ど、どうしたの、突然こんな……」 「はぁ、はぁ……」 彼女の問いに答えず。 「はぁ、はぁ、はぁ……!」 僕はただ快楽をむさぼる。 ペニスに彼女の胸を使って性的刺激を送り込む。 ダイレクトに伝わる、直の体温。 しっとりとした肌。 最高の自慰行為だ。 「あっ、ま、待ってよ」 「こ、こんなの変だよ……やめて……ぐすっ……」 「いやっ、どうしたの? こんなのイズミじゃ――あっ!?」 僕が突然、乳首をつまむと、直は如実に反応した。 「抵抗はしないで……」 「君を傷つけたくないから」 「イ、イズミ……あああっ!」 勝手すぎる台詞を吐いて、そのままパイズリを再開した。 直の豊かな胸を揉みながら、ペニスを胸の壁で包み込む。 腰を振って、直のバストを蹂躙する。 ああ、最高だ。 気持ちいい。 「直、お前のおっぱい、男子がよくじろじろ見てるよね……」 「それって、どうなの? 嬉しいものなの?」 直の胸を揉みしだきつつ、僕は眼下の女の子に尋ねる。 「はぁ、はぁっ、え? そんな、どうして、今そんなこと……」 「答えてよ、直」 両方の乳首をきゅっとつねる。 「あっ! やっ、おっぱい、つねらないで……」 「質問に答えてよ」 「い、嫌だよ、見られるの……」 「大きいの気にしてるのに……エッチな目で見られて……」 薄く涙が滲んだ瞳で見上げられた。 僕はますますサディスティックな興奮を感じる。 「そうなんだ? でも、直は――」 ぐにゅっと強く胸を掴んでペニスに押し当てる。 「ああっ! ダメぇっ!」 「部室でも、教室でもよく僕に抱きついて胸を押し付けたりしてるよね?」 「アレはいいの? エッチじゃないの?」 「だ、だって、それは……あっ、んっ、やっ!」 「ダメっ、胸、そんなにイジっちゃ……あっ!」 「しゃ、しゃべれないよ……ああんっ!」 「ダメだよ、直」 「ちゃんと答えてくれないと」 「ほら、答えて」 指先で直の乳首をこね回してやる。 「あっ、やっ、ダメっ! それダメっ!」 「こ、答えるよ! 答えるから……!」 直の言葉に僕は指の動きを止めた。 「はぁ、はぁ……だ、だって……」 「イズミは……特別だし……」 「どう特別なの?」 「……」 「好き……だから……」 視線を外して、恥ずかしそうにつぶやく。 頬が微かに染まっていた。 可愛い。 こんなに可愛い女の子を犯せるなんて。 そう考えただけで、ペニスの硬度が増した。 「ありがとう、直」 「僕、嬉しいよ」 僕は直のおっぱいに、性器をこすりつけながら礼を言った。 「ううっ、イズミ……」 「どうしちゃったの……?」 涙目で僕を見上げる。 心はまるで痛まなかった。 「ねえ、直、舐めてよ」 「……え?」 「聞こえなかったの? 直に僕の、舐めてほしいんだけど」 言って、先端を彼女の唇の方に向けた。 「うう……ぐすっ……」 「やだ……こんなの嫌だよ……イズミ……」 「早く」 「――っ」 僕の冷たい声が、直を緊張させる。 「……っ」 「……ちゅっ、んっ……」 直は舌を伸ばし、ようやく行為を始めた。 僕の手は相変わらず直の胸でペニスのサオを包み込むようにしている。 直の舌と胸から得られる快楽に身を震わせる。 最高だ。 この女、最高だ。 「んっ、ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 「ぺろっ、ちゅっ、んっ、はぁ、はぁ……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「ほら、もっと強く舐めてよ」 「刺激が弱すぎるよ、それじゃあいつまで経っても終わらないよ?」 直の胸をぎゅっと掴んで、上から尖った声で言った。 「ううっ……んっ、ちゅっ……」 「んっ、ちゅっ、んん……」 「んっ、ちゅっ、んんっ、ちゅっ……」 直は怯えたように、身体を固くしながら懸命に僕に奉仕した。 ねっとりとした舌の感触が、亀頭を通して伝わってくる。 ぬるぬるとした唾液が潤滑油となって、滑りがよくなる。 「はぁ、はぁ……」 「いいよ、直、気持ちいい……」 「お前の胸、エロくてすごく興奮するよ……」 力任せにぐにぐにと直のおっぱいを弄ぶ。 「あっ、痛っ、んっ、あっ、嫌あ……」 拒絶の声にも、甘い響きが混じってくる。 胸を愛撫されて、感じている。 ――そう、しょせんは盛っているだけだ。 ――言葉とは裏腹に、この女も悦んでいるんだ。 ――もっともっと乱暴に犯せ。 内なる声が、僕の頭の中で響く。 ああ、言う通りにしてやるよ。 どうせ、僕も、直も逆らえない。 それなら、気持ちいい方が―― 「直、ほらもっと舐めてよ」 ぐいっとペニスを唇に押し当てる。 「んっ、ちゅっ、んっ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「んんっ、ちゅっ、はぁはぁ、んっ……」 「ちゅっ、んっ、ぺろっ、ちゅっ……」 「はぁ、はぁ……」 「もっと、舐めて」 快楽を求める気持ちは止まらない。 僕は強制パイズリを続けながら、直にフェラチオを続けさせる。 「んっ、ちゅっ、んん……」 「んっ、んんんっ、はぁ、はぁ……」 「ぺろっ、ちゅっ……」 直は献身的ともいえるフェラを、必死に続ける。 ぎこちない動き。 当然だ。まだ直はほとんどこういった経験がない。 そのウブな感じが、とてもいい。 嗜虐心が刺激される。 「ほら、もっと強く……」 強引に口に押し込む。 「ううっ!? んっ、んん……!」 「歯は立てないで」 頬を軽く叩いた。 「んっ! んんっ!」 直が苦しそうな声を立てた。 頭の片隅で、すぐやめろと声がした。 誰? ――気にするな。 ――理性も、情緒も、心の痛みも、全部捨ててしまえばいい。 ――快楽だけでいいじゃないか。 「はぁ、はぁ……」 僕は心の中に住む獣の言う通りに、腰を振った。 身を焦がすような性欲。 これを解消しなければ、僕は死んでしまう。 そんな強迫観念に僕は追い立てられていた。 「んっ、ちゅっ、んっ、んんっ!」 「んっ、あっ、はぁっ、あっ、んっ」 「あっ、んっ、ちゅっ、んんんっ……!」 直は僕の乱暴な行為に耐えながら、僕に奉仕し続ける。 なんて、健気な。 愛おしい。 高ぶる射精感とともに、胸の奥が熱くなる。 「あっ、ああっ……!」 肉欲と思慕の交じり合った、強い衝動が背筋を駆け抜ける。 「で、出るよ、直……!」 「ん?! んんんっ!」 「んんんんんっ~~~っ!」 僕は遠慮なしに、直の口内に射精した。 勢いだけでも、どんなにたくさん精子を吐き出したかわかる。 睾丸がまだどくどくと脈を打っている。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「イ、イズミ……」 顔じゅうを僕に汚された直が僕を見上げる。 ああ、可哀想に。 でも、魅力的な女に男が興奮するのは仕方ない。 君が悪いんだ。 それに君だって、僕に欲情したんだろう? ああ、そうか。 僕だけが気持ちよくなったらダメだよね。 それなら。 「きゃっ!? な、何?」 僕は直を押し倒すと、下半身に手を伸ばした。 「直、ごめん」 「僕ばっかり気持ち良くなってごめんね」 「次は、君の番だよ」 「同じように、舐めてあげるから……」 「あっ、ダメ……ひゃっ!」 僕は直の性器に直接、唇で触れた。 直の性器はぴったりと閉じていた。 まだ一度しか経験がない。それも一年前だ。 まっさらだ。 可愛い小さな陰裂に胸が高鳴る。 夢中で舐める。 「あっ! 嫌っ!」 「そんな、こんなところで……ダメェ!」 「誰か来ちゃうよぉ! やめてぇ!」 直が足をバタつかせて抵抗する。 だが、男の力には敵わない。 僕は好き勝手に、直のヴァギナにキスの雨を降らす。 「あっ! あっ、はぁ、はぁ、あっ、いやあ……」 「ダ、ダメだったら……ああんっ!」 「あっ、ああああああっ!」 「可愛い声だね、直」 「ここと同じだ、直はどこも可愛い」 指で直の花弁を押し広げた。 「やっ、やだっ!」 羞恥で顔を赤く染め上げる直。 そんな様子もたまらなく可愛くて。 「少し濡れてるね」 「だって、イズミが舐めたから……」 「そうかな? 僕だけのせい?」 「そ、そうだよぉ……」 「確認してみよう」 「確認って……」 「味でわかるよ」 僕は再び直の股間に、顔をうずめる。 「あっ、ダメっ! んっ、あっ!」 直の制止も無視して、僕は舌で彼女のピンク色の膣内を愛撫する。 ぴちゃぴちゃと唾液の音をわざと鳴らして。 「あっ、んっ、やっ、はぁ……」 「くっ、んっ、やっ、あん……」 「はあ、はぁ……んっ!」 直の開いたヴァギナから蜜がにじんでくる。 僕は舌先で、それを舐めとる。 「直、これは直の愛液だよ」 「女の人が発情した時に出す液」 「直、今エッチな気分なんだよね?」 「そ、そんなことないよ……」 「でも、僕にここを舐められて濡れたんだよ」 「直が自分で濡れたんだ」 「い、言わないで、イズミ……」 消え入るような声でつぶやく。 「気持ちいいって、言って」 「や、やだよ」 「イズミのイジワル……」 「素直じゃないな」 「ここは、こんなにひくひくしてるのに」 言って、むき出しの小陰口に指をはわした。 「ああっ!」 「ほら、こんなに濡れてきた」 「気持ちいいんだよ、直」 「こんなとこで、僕に性器をなめられて感じてるんだよ、君は……」 「ううっ、ひどいよ……」 「もう、いじめないで」 「どうしちゃったの? いつもの優しいイズミに戻ってよ……」 「お願いだから……」 鼻を鳴らしながら、直が泣き出してしまう。 一瞬、心が軋んだ。 すぐにでも、やめてあげないと。 大好きな女の子にどうして、僕はこんなにひどいことを―― 「く……」 頭が痛み出す。 精神が分断されそうだ。 だが、すぐに獣じみた性欲が鎌首をもたげる。 逆らえない。 人魚の雄の血が命じる。 もっと、目の前の女を―― 「……直、ごめん」 そう言うのが精一杯だった。 「――え? あっ!」 再び直の性器を愛撫し始める。 せめて、優しく。 そう思ったが、僕の中の獣はそうはさせてくれない。 「あっ、あっ、ああっ!」 「あっ、くっ、んっ、ひゃっ、んんっ!」 「はぁ、はぁ、あっ! やっ! ああんっ!」 直がより強く感じるように、弱点を容赦なく責めた。 包皮に包まれたクリトリスを、むいてさらけ出す。 舌先でつつくように、舐めた。 「ああっ!」 「ダっ、ダメ、そこダメ……っ!」 「やっ、あっ、くうんっ」 「あああああっ!」 直の反応が大きくなる。 やはりここが一番弱いのか。 僕はぷっくりと膨らんだクリトリスに、キスをした。 「ああん!」 「イズミ、ダメぇっ……!」 直の抵抗は言葉だけだった。 声には、艶っぽい響きが加わり、花弁は雌の匂いを漂わせている。 充分濡れている。 僕は人差し指をゆっくり、直の膣に沈めていった。 「あああっ!」 とろとろの直の膣は僕の指を容易く飲み込んだ。 僕はゆっくりとかき混ぜる。 「あっ、やっ!」 「イズミ、んっ! あっ!」 直は指一本で、激しく悶え始めた。 目の前で女の子が、僕の指先でよがっている。 ああさっき出したばかりなのに。 また勃起するよ、直。 「可愛いよ、直」 「僕、また興奮してきた……」 「ああっ!」 下からゆっくりと舐め上げていく。 直の太ももが、ぴくんと痙攣したように震えた。 そんな反応も可愛らしい。 膣口に指を差し入れたまま、クリトリスを唇ではさんだ。 「ああんっ!」 「んっ、あっ、はぁっ、やっ!」 「は、恥ずかしいから、そんなに……触らない……くうんっ!」 「ダメっ、そんなあっ、あ……!」 「はぁ、はぁ……」 直の吐息もすっかり色っぽくなった。 もう抵抗らしい抵抗はない。 僕の愛撫を受け入れて、快楽に身をまかせつつある。 それでいい。 抵抗されると、今の僕は乱暴なことをしてしまう。 少しだけ、僕の身勝手に付き合って。 成魚の雄の本能に―― 「最初は閉じてたのに、もうすっかり開いたね」 「直のここ」 指で性器を突きながら、僕は直の顔を見た。 「うっ、だって……」 恥ずかしそうに視線を逸らす。 ああ、可愛い。 直、君は本当に可愛いよ。 その照れた顔が、僕をより高ぶらせる。、 もっと、君の可愛いところが見たい。 僕は膣から、指を離し―― 「ひゃっ?!」 代わりに、直のアナルに触れた。 「そ、そこはダメっ!」 「汚いよ! イズミ、やめてっ!」 「月並みな言い方だけど」 「君に汚いところなんて、ないよ」 「ほら、こんなに可愛い小さな穴だ」 つぷっ、と指を、アナルに。 「ダメえええええええええええええっ!」 恥ずかしがる直。 やっぱり可愛い。 大丈夫だよ。 痛くはしない。 君の愛液で、滑りもいい。 軽く人差し指を出し入れする。 「あっ、ああ……」 「やっ、あっ、んっ……」 「はぁん、んっ、やっ、あっ……」 僕の指に合わせて、下半身が揺れる。 花弁からは蜜がしたたる。 「気持ちいいんだね、直」 「お尻でも、気持ちいいんだね?」 「し、知らないっ……」 「そ、そんなこと、知らないもん……」 「ううっ、イズミの馬鹿……」 拗ねたような口調で言う。 「本当に可愛いな、直は」 「ずっと、君の様子を見ていたいくらいだ」 「でも、それだと可哀想だから」 「そろそろイカしてあげる」 僕はアナルを指の腹で愛撫しながら、再び膣に口を近づける。 「あっ?! あああああああっ!」 むきだしのクリトリスにキスをして、舐めた。 「あっ、はぁっ、んっ、あっ、ああっ!」 「んっ、あっ、やっ、はぁ、んっ、あっ!」 「あっ、やっ、あああっ!」 直は太ももで僕の頭を挟み込む。 痛いくらいの力で、押さえつけられる。 直の股間に顔を埋めながら、僕は再び勃起しながら彼女の性器を嘗め回した。 イヤらしい匂いが、鼻につく。 直の愛液の匂い。 肌に付着した唾液が乾く匂い。 直の体臭。 五感すべてで直を味わう。 直を味わっている。 ああ……! 直……! 「あっ、はぁ、はぁ、んっ、あっ……」 「ひゃっ、ダ、ダメっ! もうダメ! いっちゃう、あたしいっちゃ……」 「あっ、はっ、んっ、あっ、いっちゃういっちゃうよぉ……」 「イズミっ、イズミっ……!」 「あっ……!」 「ああああああああああああああああああああああああああっ!」 直は絶頂に達した。 花弁から、潮を吹く勢いで愛液があふれる。 顔にもろにかかった。 雌の強い匂いが、した。 もう、限界だ。 僕のペニスは痛いくらいに膨張していた。 結合したい。 僕は、もう今すぐ。 直とセックスしたい……! 「あああっ……!」 僕は直を立たせると、強引にバックで繋がる。 「直、すごくいいよ……」 尻の肉を両手で、押し開くようにしてペニスを膣に。 「あっ、ああっ、あっ!」 直の膣壁が、僕のペニスに心地いい圧迫を与える。 すぐにでも、奥に入れたい衝動を抑えてゆっくりと進む。 直の中のヒダをひとつひとつ味わうように。 「あっ、んっ、あっ、あああ……」 「やっ、んっ、は、入って……」 「はぁ、はぁ、イズミのが、入ってきて……!」 「ひゃっ、んっ、ああああっ……!」 直が甘い声をあげる。 その声でさらに興奮が高まる。 僕は直の膣内を進みながら、尻を撫でる。 小さなキズひとつない、肌。 少しだけ汗ばんでいる。 両手の手のひらを広げて、ぎゅっと握るように揉んだ。 「あっ! や、やだっ……」 「イズミの触り方、エッチだよ……」 そう言ってヒップを揺らす。 そんな仕草が、男を興奮させるのに。 「エッチなことしてるんだから、当然だよ」 「直も、僕の性器の感触が伝わってるだろう?」 腰をくいっとひねってみた。 「ひゃんっ!」 「ダ、ダメっ……」 「今のダメっ……」 感じるポイントに当たったのだろうか。 膣内がきゅっと閉まった。 「ダメってことはないだろう」 「感じてるのに」 同じようにペニスで、直の中をかき回す。 「あああっ!」 「やっ、あっ、かき回しちゃ、ダメぇっ!」 「そ、そんなの、あっ、んんっ!」 「ひゃっ、んっ、あっ、はぁ、んんっ!」 可愛らしい声を上げて、直が鳴く。 僕はもっとその声が聞きたくて。 ペニスのカリを擦り付けるように、直の中へ。 「あっ、ああんっ!」 押し戻されそうになる。 抵抗が強い。 「直の中、狭いね……」 「一年前以来だから、ほとんど処女だよね」 「でも、これだけ濡れてれば痛くはないよね?」 ぐぐっと押し開くように、進んでいく。 直の膣に包まれた生暖かさに酔いしれながら。 女性の膣の中は、僕達が生まれる前にいた場所だ。 男は本能的に、膣に戻りたがる。 愛しい女の膣の中に。 「はあ、はあ、はあ……」 「んっ、あっ、ひゃっ、あっ、んん!」 「やっ、ぁっ、イ、イズミ、イズミっ!!」 直がぶるっと身体を震わせた。 膣圧が上がって、ペニスを強く刺激する。 「あっ……!」 突然の刺激に、射精感が高まる。 ぐっと堪えた。 「直、急に締め付けないで」 「まだ出すつもりじゃないんだ」 「はぁっ、そ、そんなこと言ったって……」 「じ、自分で、コントロールできないよ……」 「そうか、無意識なんだ」 直自身も身体の反応に戸惑っていた。 「意識しないで、あんなことができるなんて」 「直はエッチな女の子だね」 僕は柔らかな直の尻を撫で回しながら言った。 「うう、違うよ……」 「あたしはそんなエッチな子じゃないもん……」 「でも、こっちだって」 僕は手を伸ばして、直の乳房をぎゅっと後ろから揉む。 「ひゃっ!?」 ぴくん、と直の背筋が伸びる。 「ほら乳首も立ったままだよ」 「あっ、やっ……」 「おっぱい触ってなかったのに、ずっと立ってたんだ」 「直がエッチだから」 「ああ、イズミ、イヤっ……」 「イジワル言わないで……」 「優しくして……」 お尻を振りながら、懇願される。 唾を飲み込んだ。 扇情的すぎる光景だった。 直は生まれながらにして、男を興奮させるのが上手い。 すぐにでも精子をぶちまけたくなった。 「わかったよ」 「優しく、突いてあげるからね」 僕はぐっと腰を突き出す。 「ああっ!」 「直、直っ!」 「あっ、やっ! んんっ!」 「んっ! くっ、あんっ、あっ、や、こ、こんな……やんっ!」 「違っ、んっ、や、優しく、なっ……ああんっ!」 僕は激しく自分のペニスを、直の膣壁に擦り付ける。 優しくするつもりだったけど、無理だ。 こんなに興奮させておいて、それは無理だよ、直。 「あっ! やっ! んっ! ダメっ!」 「イ、イズミ、もっと、ゆっく……はぁんっ!」 「あっ、ああん!」 「はぁ、はぁ……」 「はぁ、はぁ、はぁ……!」 盛った獣のように、腰を打ち付ける。 ぐちゅぐちゅ、と直の膣から淫らな水音がなり響く。 粘膜がこすれるたびに、快感が。 「ああんっ!」 「ひゃっ! あっ、あああ……!」 「はぁっ、はぁっ、ああああああっ!」 直も息を荒げながらも、だんだんと染まっていく。 性の快楽に。 いくら言葉で嫌と言っても、溢れる愛液と反応でわかる。 僕達は、今、ただの盛っているだけの動物だ。 本能のまま。 ただの雌と雄。 「あっ、やっ、んっ、ああっ!」 「イズミっ、イズミぃっ!」 「直、いいだろう?」 「僕といっしょに、気持ち良くなろう」 理性なんか捨てて―― 成魚の雄の本能が、そう命令する。 「直、可愛いよ」 「僕のペニスを飲み込んでいる君のぱっくり開いたアソコとか」 「目の前でぴくぴくしてるアナルとか」 「はぁっ、はぁっ、ああっ! いやっ!」 「そんなエッチなこと言っちゃいやあっ!」 「あっ、あああっ!」 「直が恥ずかしがってるところが、すごく可愛いんだよ」 「もっと、恥ずかしがって」 挿入しながら、僕はぐっと菊門を両手の指で押し開く。 「いやあああああっ!」 「ほら、指が入った」 「ああん! そんなあっ……!」 「あっ、あっ、あ……」 「あああっ!」 人差し指が第一関節まで沈んだ。 愛液のおかげで、するっと入った。 ペニスとシンクロさせて、ピストン運動をさせる。 「ひゃああああああっ!」 直の膣が再び閉まる。 搾り取られるような感触。 僕の睾丸が脈を打つ。 精液を直に注ぎたいと、脈を打つ。 「もう我慢できない」 「直、いくよ」 「君の中で、出すよ」 そう言うと、僕は直の腰をしっかりと押さえて、腰の動きを早めた。 「え? あっ!」 「あああああああっ!」 「ひゃっ、あ、んっ、あっ!」 「ダ、ダメえ、イズミ……!」 「中は、あっ、やっ、はぁんっ!」 「直っ、直っ!」 「あっ、あっ、イズミ……!」 「直っ……!」 「ああっ……!」 背筋に電流が走る。 尿道を大量の精子が走る感覚がした。 「ああああああああああああああああああっ!」 直の膣壁が僕のペニスをぎゅっと抱きしめる。 異性に強く求められ、抱かれているような心地よさを感じる。 「ああ……」 射精後の脱力感に身を委ねた。 じょじょに薄まっていく。 僕の中の獣の存在が。 満たされたから、本能が引っ込んでいくのか。 ああ、僕は直に何てひどいことを……。 理性が働き出すと同時に、悔恨の念が滲んでくる……。 そして、意識が―― だんだんと―― 「直……」 「本当に……」 そこまで口にするのが精一杯で。 僕は―― 「イズミいいいいいいっ!?」 夕闇の中、素肌を茜色に染めた直が叫ぶ。 ――ごめん。 口さえ開けない僕は、心の中で彼女に詫びた。 ぽつ、と僕の頬に妹の涙の雫が。 ひとつ。 また、ひとつ。 僕の頬に落ちる。 妹が、泣いている。 僕のために泣いている。 ……誰かが、自分のために泣いてくれた。 それは、とても幸福なこと。 だから、僕はその瞬間、満たされていた。 酷い怪我をして、今にも死にそうだったけれど。 喉を母さんにえぐられて、死ぬほど痛かったけど。 ――え? ――《・》母《・》さ《・》んに? 「おい」 「にゃ~」 「おおーい」 「にゃ、にゃ~」 「……っ」 即頭部に走った鈍痛で目が覚めた。 視界には、鮮やかな白が広がる。 「おいっす」 制服を着た白羽瀬が僕の顔をまたいだまま、挨拶をしてきた。 ちなみに子猫が、白羽瀬の足元でじゃれている。 先日、白羽瀬が拾ってきたのだ。 「……おいっす」 とりあえず、挨拶を返した。 って、この白、お前のパンツかよ。 「加納くん、ガッコ行こう」 「え? もうそんな時間?」 枕元のスマホに手を伸ばす。 5時43分。 「グンナイ、ガール。いい夢を」 僕は白羽瀬の白パンに向かって、そう囁くと再び眠りに。 「パンツに挨拶するし」 「ていうか、私のパンツ見て、無反応すぎじゃね?」 「お前のパンツなんて、もう見飽きた」 この数日の間、何度見たと思っているんだ。 「え? それズルイっ」 「私はあんまり加納くんのパンツ見てないのに」 「僕はガードが固いんだよ」 「見せて見せて!」 「朝から変態なことを言うな」 「きゃっきゃっ」 白羽瀬は子供のような無邪気な声を上げつつ、僕の布団を容赦なく剥いだ。 「パンツ♪ パンツ♪」 はしゃぎながら、躊躇なく僕のジャージの下に手をかける。 「こらこらこら!」 抵抗する。 今度こそ貞操のピンチだった。 「えー、いいじゃんいいじゃん、パンツくらい見せたって~」 「加納くんも、さんざん、私のパンツ見たんじゃ~ん」 「好きで見たんじゃないっ」 「お前が風呂から上がっても、パンツだけでうろうろするからだろ」 「だって身体熱いし」 「熱くても我慢するの。風邪引くぞ」 「人魚は風邪引かない」 「だから、ユーのパンツは私のモノ」 「文脈が全然繋がってないよ?!」 「それ、ずるずる~」 「こらーっ!」 話してる隙に、下げられてしまった。 また一つ僕は大切なモノを失った。しくしく(泣)。 「……ほほう」 吟味すんな。 「安物だね」 「黒系統なのは汚れを目立たなくするためと見た!」 「冷静に分析しないで」 「大丈夫大丈夫、心配ないって、加納くん」 「人間大事なのは中身だよ!」 めずらしく白羽瀬が、まっとうなことを言った。 「パンツの」 「パンツの中身かよ」 早くも前言を撤回するしかなかった。 「放課後、いっしょに買い物に行く?」 「加納くんのパンツ買いに。私、お金出してあげるし」 「いや、それは……」 「イズミが白羽瀬さんにパンツを買ってもらったそうですよ! 皆の衆!」 「え~、マジですか~っ?!」 「サイテーね、ありえないわ」 「イズミはもう魂まで、女に隷属しちゃったんだよ!」 「あやつは、悲しいことに男としての最低限のプライドさえも売り渡してしまったんですよ! 汚れちまったんですよ!」 「まさに、汚れちまった悲しみにですよ! こん畜生ーっ!」 「えーっ、先輩、汚れちゃったんですか~っ?!」 「どうして、加納君、まだ息してるのかしら?」 妄想の中で、知り合いの女子達が僕を責め立てる。 特に新田サンが辛辣だった。 直接言われたら、泣きながら窓から飛び降りるレベルだ。 「それだけはダメだ、白羽瀬っ」 パンツは、パンツだけは男の子の聖域なんだ! 僕は急に上体を起こした。 「わあっ?!」 勢いで白羽瀬が大またを開いた格好で、後ろにひっくり返った。 白羽瀬の白パンも全開になる。 「いやー、加納くん、何するのおおおっ!」 わざとらしく白羽瀬が叫ぶ。 「私を布団に押し倒して、パンツ見て何するのおおおっ?!」 「何もしないし」 げんなりした顔で言い放つ。 「嘘だーっ! ズボン脱いで準備万端のくせにーっ!」 「脱がしたのお前、お前だからっ」 「いやーん♪ 犯されるーっ♪」 「何で嬉しそうなんだよ……」 「中は、中はいやーっ♪」 「五月蝿いよ」 すっかり目が覚めてしまう。 最低の朝だった。 「ちぃーす」 「おはよ」 朝、白羽瀬を伴って、教室へ。 「え……?」 「あのコ、マジ……?」 教室の中の空気が一変した。 予想はしていた。 一部では、狂人とまで噂される白羽瀬。 こいつの復帰をやはりクラスメイト達は歓迎しなかった。 「……」 白羽瀬は教室の中を見渡し、 「加納くん」 僕の制服の袖口を引っ張って、たった今入った扉から廊下に出た。 「どうした?」 「いっしょにサボろ」 袖口をつかんだまま言う。 「今、来たばっかなんだけど」 「あそこ、やっぱ嫌」 「ムカつくし」 「それに、怖い」 「お前でも怖いモノがあるのか」 「あるに決まってるし」 ムッと口をへの字に曲げる。 「ありまくりだし」 「だけど、復学を希望したのは白羽瀬自身だぞ?」 ――昨日の放課後。 「おいっす」 「――はあ? 白羽瀬?」 どうして、お前がここに。 「喜べ、加納」 「新入部員だ」 「えー……」 僕は顔中に縦線を入れて、肩を落とす。 「何故に落ち込む?」 「いや~、こんな時期に新入部員ってすごいですよね~」 「イズミ、白羽瀬さん、例の事件について調べたいんだって」 「そう、でも私一人では大変」 「だから、この部を利用しようと」 「お前、本音言い過ぎ」 入部早々波風を立てるなよ。 「ははは! いいではないか、加納」 「俺はこういうはっきりとした目的を持ったヤツは好きだぞ」 「サンキュー、眼鏡」 「部長の豪徳寺だ。出来ればそう呼んでくれ」 「わかった、眼鏡」 「わかってないし」 「はははは! 面白いな! 気に入ったぞ白羽瀬」 「わははは! こやつめ」 握手した手を互いにぶんぶん振っていた。 マジでお互い気に入ったようだ。 「おー、部長と白羽瀬先輩、いきなり仲良しですね~」 「私とも是非、仲良くしてください」 白羽瀬に手を差し出す高階。 「生命線長っ!」 「手相見んなよ、意味わかんないよ」 「あははは! お、おかしっ、きゃははははは!」 高階は白羽瀬と握手しながら、腹を抱えて笑っていた。 ツボに入ったようだ。 今日の新聞部はいつになく、騒がしい。 「え、えっと、白羽瀬さん」 そんな賑やかな雰囲気の中、おずおずと直が白羽瀬に話しかける。 「あたし、クラスメイトなのに今までほとんど、白羽瀬さんとしゃべれなかったけど……」 「改めて、今から仲良くしてって、ちょっと図々しい……かな?」 直が躊躇いがちに手を差し出す。 その手は微かに震えていた。不安なんだろう。 白羽瀬、そいつはいいヤツだからどうか、受け入れて―― 「結婚線がないっ!」 「なんだと、この野郎っっ!」 じゃれあうように、ポカポカパンチを繰り出しあう。 仲良くケンカしていた。 僕はホッと胸を撫で下ろした。 さて。 これで、とにかく。 引きこもりの白羽瀬は新聞部の仲間になった。 「そうだけど」 「あんまり、あそこが居心地がいいから、私勘違いしてた」 「勘違い?」 「学園って、楽しい場所なのかもって」 「どこにでも嫌なヤツもいればいいヤツもいるさ」 「もう少しすれば、直や新田サンも来る。そうすればお前をちゃんと受け入れてくれる」 「そうかな」 「そうだって」 「でも、私は加納くんがいれば、それでいいし」 「え? ちょっ……」 さらっと何を言うんだ、こやつは。 「いっしょに保健室でサボろ」 「私、超眠い」 欠伸をしながら、僕の手を引く。 「眠いのはあんなに早く起きるからだ」 仕方なく、手を引かれるままついていく。 あーあ、これで一時間目サボり確定。 「ねえ、加納くん」 僕に背を向けたまま、声を投げてきた。 「何?」 「妹ちゃん、見つかりそう?」 「どうかな……」 「早く見つかるといいね」 「そうだな」 「そうしたら、私も早く、加納くんを食べられるし」 「結局、それかよ」 「くすくす」 振り向いて笑う。 一瞬、胸が痛いくらい切なくなる。 白羽瀬の笑顔は、それくらいどこか儚げで。 強い保護欲にかられる。 「なあ、白羽瀬」 「ん?」 「お前、もっとみんなの前でも笑えよ」 そうすれば、きっと。 「なして?」 「皆、お前を好きになってくれるから」 「……」 一瞬の沈黙の後、 「いらないし」 白羽瀬は短く、そう答えた。 そんなわけで。 「ほら、加納くん、反応遅いし」 「この手のゲームは苦手なんだって」 僕達は保険医がいないことをいいことに。 「あ、やっぱ次男捕まった! 加納くん、加納くんっ! ○○の次男やっぱ他人のクレカぱくったって!」 「女性誌なんて置いてあるのかよ、この保健室」 保健室で栄華を極めまくった。 「お腹減った~。加納くん、ダッシュでコンビニに買出し行ってきて~」 「しょーがないな。何欲しい?」 「おでん! ダイコンとタマゴ!」 「僕はロールキャベツがいいな」 「アレは洋食じゃん! 邪道だっ!」 「邪道じゃないっ! ロールキャベツはもはや立派な日本食だっ!」 「仲間外れいくないっ! ロールキャベツに謝れ!」 %44「いくないのは、お前らだああっっっ!」%0 「うわあっ?!」 「うおっ、直?!」 突然現れた直に僕と白羽瀬は思わず後ずさる。 「おうおうおう! お前ら、元気なら教室戻ってこいよ! 学校来てる意味ないじゃんよ!」 「全然、戻ってこないから超心配して来てみたら、おでん談義かよ! 平和だなっ!」 「こっそり忍び足でのぞきに来たら、ごらんの有様だよ!」 「何故に忍び足」 まずそれが気になる。 「ちぇっ、おでん食べた後、加納くんも食べようと思ってたのに」 「ちょっ……!」 お前は直の前で何を言うんだ。 「イ、イズミを……性的な意味で……食べる……だとっ?!」 真っ赤になった直が、目をくわっと開けて僕をにらむ。 「性的は言ってないだろっ」 慌てて訂正する。 「ああ……あのウブで可愛かったイズミンは、やっぱりもういないんや……!」 「汚れちまったんやー! 悲しみなんやーっ!」 がっくりと膝を折って、床に手をつく直さん。 orz状態。 「いやいやいや!」 「僕と白羽瀬はそんなんじゃあ――」 言いかけて、今までの白羽瀬との行為を思い出す。 キスとか。 パンツとか。 「……」 「…………」 僕はそっと口を閉ざす。 「うわーん! 否定しろーっ!」 涙目で叩かれる。 すまん、こんな僕ですまん。 「おー、加納くんが修羅場ってる」 「しゅらしゅしゅしゅ」 「意味がわからん」 お前が元凶なのに。 「と、とにかく、授業は終わっちゃったけど部活はまだやってるし、行くよ!」 「はーい、二人共きびきび歩いてくださーい!」 僕と白羽瀬は直に背中を押される。 「グッバイ、マイオアシス……!」 約七時間居た保健室に別れを告げる白羽瀬。 「元気なうちに、またきっと来るから……!」 「元気なら、来んなよっ!」 当然のツッコミだった。 「あっ、お疲れ様です」 「おう」 部室に入ると、いつもの高階と部長に加えて。 「お邪魔してるわ」 「よう」 新田サンと相羽までいた。 「げっ」 白羽瀬は新田サンを見るなり、回れ右した。 「こらっ」 だが、すぐに新田サンに制服の襟元を捕まれる。 「いーやー!」 「犯されるーっ!」 「女の子が、そういうことを言わないの」 「私、今日学校来たじゃ~ん」 「何も悪いことしてないじゃ~ん」 「そうね偉いわ」 「でしょでしょ?」 「ちゃんと授業に出てればね」 新田サンは白羽瀬の襟をぎりぎりと締め上げる。 「のおおおおおおっ!」 白羽瀬は両腕を振って暴れるが、新田サンは涼しい顔のまま。 すごい。 あの白羽瀬が完全にやりこめられていた。 「ほら、いらっしゃい」 「別人格になるくらい、ねちねちとお説教してあげるから」 とてもいい笑顔で、怖いことを言っていた。 えー。 「ぎゃーっ!」 暴れる白羽瀬。 だが、実力差は歴然。 新田サンは白羽瀬を引っ張って、部室の隅に移動。 「だいたい貴方はね……」 「まったく貴方はね……!」 「だから貴方はね!!」 「しょぼ~ん……」 こんこんと説教をする新田サン。 ちなみに白羽瀬は、イスの上で正座をさせられていた。 「何て気の毒な……」 思わず涙を誘う光景だ。 「何を他人事のように言ってるの、加納君」 「白羽瀬さんが終わったら、次は貴方よ」 ええー?! 「いっしょになってサボったんだから当然でしょ?」 「マイ、ガッ!」 頭を抱える。 やだなあ、人格変えられちゃう。 「あ、そうだ、ねえ、相羽」 「ん?」 「相羽はバスケ部じゃん。どうして、ここにいるの?」 「本日はバスケ部員じゃなくて、生徒会役員としてここに来た」 「そういや、お前そんなのやってたな」 「内申が良くなるからな」 「気持ちいいくらい、俗物ですね~」 高階も気持ちいいくらい容赦ない。 「で、その役員さんのご用向きは?」 「新聞部が、今度特集で例の事件を取り上げると聞いた」 「いかにも」 「今ホットな話題だからね! 地元の人魚伝説に絡めてめっちゃ力入れてやるよ!」 「白羽瀬先輩も、それが目的ですしね~」 「おうとも!」 正座したまま、白羽瀬がこっちを見てサムズアップ。 「まだ話は終わってないわよ、私を見なさい」 でも、すぐ新田サンに両手で頬を挟まれて、強引に顔の向きを変えられる。 「ひーん!」 子供のように扱われていた。 「……大変盛り上がっているのは、わかった」 「乞うご期待!」 「……すまん川嶋、俺は特集記事の差し替えを依頼に来たんだ」 「ええーっ?!」 「何でですか?!」 「危険なコトに、首をつっこむなだとさ。以上だ」 「生徒会がか?」 「教職員の皆々様方だ」 「生徒会じゃなくて、学園の意向か」 「ああ、何故か俺がお前達に伝える役を仰せつかった」 「それくらい、自分で言えないのかねぇ」 面倒くさそうに、相羽が後ろ頭をかく。 「……納得いかんな」 「たとえどんな組織だろうと、我々の知る権利を妨げることは出来ないはずだ」 部長は指先で、眼鏡のエッジをくいと押し上げる。 「そもそも、そのような不当な圧力に屈していて、真実の追究ができるわけがないっ!」 「俺は俺のジャーナリズム精神に賭けて、特集記事の差し替えは断固断わるっ!」 部長は眼鏡をまばゆく光らせながら、相羽の依頼を蹴った。 「おお~っ!」 「眼鏡カッコいい!」 白羽瀬が部室の隅からエールを送る。 「ジャーナリズムねえ……」 一方、新田サンは冷ややかな視線を送る。 「む、何か言いたいことがあるようだな、新田君」 部長は新田サンのコールドアイを真正面から受け止めた。 「あるわよ」 「言ってみたまえ」 「いいの?」 「もちろんだとも」 「どんな意見も真摯に受け止める用意が、俺にはある」 「それがジャーナリズムの基本だ」 「私はたとえ上級生相手でも、歯に衣を着せないわよ?」 「眼鏡、こいつマジ冷血だから!」 「誰が、冷血なへび女よっ!」 「ひぎゃーっ! へび女は言ってないし!」 新田サンは白羽瀬のこめかみに、情け容赦のないエルボー攻撃を入れていた。 マジアルテミットだった。 「……」 「ちょっとだけオブラートに包んで言ってくれると、助かります……!」 「弱っ!」 理想が暴力に屈した瞬間であった。 嫌だなあ。実社会の縮図を見てるようだ。 「で、新田先輩は何が言いたいんですか?」 「高階、先週発行した、校内新聞の特集は何だった?」 「はい! 衝撃の真実! 増尾山はピラミッドだった! ――です」 ちなみに増尾山は、この学園のすぐそばにある。 休日はよく家族連れがハイキングに行く、穏やかな山だ。 「その前の特集は?」 「隠された謎がついに解き明かされる?! 迫り来る人面猫の恐怖! ――です」 部員総がかりで捕まえてみたものの、ただの不細工な老猫だった。 「その前は?」 「封印された伝承が今解き放たれる?! 増尾山は前方後円墳だった! ――です」 増尾山大活躍。 「ここの新聞って、ただのタブロイド紙でしょう?」 「タブロイド紙ですねぇ~」 あっさり部員が認めていた。 「どうせ、もともといいかげんなんだから」 「ジャーナリズムとかややこしいこと言ってないで、もっと安全なトコロで、妥協しておきなさい」 「いやいやいや! 待ってくれ、新田君」 「一見遊びに見えるかもしれないが、これでも我々なりに調査をして科学的な裏づけをとり、記事にしているんだ」 「決して安易に刺激的な事件に飛びついているわけでは――」 「豪徳寺先輩、増尾山って、UFOの秘密基地らしいわよ?」 「何いっ?! すぐに調査しなくては!」 部長、簡単すぎです。 「――まあ、そんなわけだから、人魚の方は勘弁してくれ」 「他にも面白いことはあるって、じゃあな」 相羽は言いたいことを言って、部室を出た。 危険だから止めろ、か。 道理ではある。 人魚はともかく、バラバラ殺人事件の方はヤバイ。 直や高階もいるし、ここは安全策をとろう。 「部長、相羽と新田サンの言う通り、今回はやっぱりやめておきましょう」 「今は外をうろつき回ること事態が危ない」 「犯人が捕まるまで、大人しくしておいた方がいいと思います」 「賢明ね」 新田サンが微笑する。 「加納くんの腰抜け」 白羽瀬には非難された。 「うむ、確かにウチには女子部員もいるからな」 「俺一人なら、構わないが他の部員を巻き添えにはできん」 「眼鏡、眼鏡! 私も平気だし!」 「眼鏡と私と加納くんの三人でやろうよ!」 勢いよく挙手をする。 自動的に僕もチームに入っていた。 「いやお前が一番危ないだろ。お菓子に釣られてさらわれるだろ」 「くす、様子が目に浮かぶようね」 「何おうっ!」 白羽瀬が新田サンに、パンチを繰り出す。 新田サンは、それを上半身の動きだけで、余裕で避けていた。 プロボクサーか。 「あのー」 ゆっくりと高階も手を上げる。 「何? 高階」 「もし、調査するなら、私も混ぜて欲しいかもです」 「はあ? 何で?」 意外な言葉に、聞き返す。 「いや~。単純に面白そうっていうか、調査してみたいって思って」 「血ですかね? 探偵を親に持つ者の」 ぺろりと舌を出す。 「タカハシ、偉いっ!」 「ありがとうございます。高階です」 「えーっ、イクちゃん、すごーい、勇気あるね」 「川嶋先輩も、やりましょうよ」 「うう、調査はしたいんだけど、やっぱちょっと怖いかも……」 「大丈夫ですよ、いざとなったら、カノー先輩が異能力を開放して助けてくれますから」 「ないから、封印された能力とかないから」 「そして、それがきっかけで愛が芽生えるのです」 「マジかよ!」 「何、そのヒロイックファンタジー」 「皆、調査はまずどこから、やろうか?」 「こらこらこら!」 こいつ簡単にのせられすぎだ。 「うーん、どうも意見が割れてるようだな」 「ここは民主的に多数決をとろう」 「では、今回の特集は人魚特集のままでいきたいと思う者は挙手をしてくれ」 「はい」 まず部長が手を上げる。 「モチのロン!」 白羽瀬は両手を上げて、 「血が騒ぎますね~」 高階も嬉々として上げた。 「……」 そして、直はさっきから横目で、僕の様子をうかがっていた。 「直は反対か?」 「イズミ次第です!」 「何で」 「ちょっと怖いけど、イズミがやりたいなら付き合ってもいいかなって」 「僕は、別に……」 興味はないと言いかけて、押し黙る。 白羽瀬がいた。 この危なっかしい暴走娘を、放置しておくことは―― くそっ。 「……はあ」 僕はため息を吐きながら、右手を上げた。 「なら、あたしも」 最後に直も、挙手。 「満場一致ですね」 「うむ、では、全員の意志として、我々海浜学園新聞部は」 「権力にも、暴力の恐怖にも屈せず、例の事件と人魚の謎について調査をする!」 「やったーっ!」 僕を含めた新聞部部員全員が手を叩いた。 全員でも五人だから、疎らな印象だ。 「……まったく」 「呆れた。もう帰るわ」 唯一、手を叩かなかった新田サンは、渋面をさげて部室の出口に向かう。 そして、僕とすれ違う瞬間、そっと囁いた。 「あの子のこと、お願いね――」 特集の内容が確定したので、まずは資料を集めることに。 図書室の人魚関係の本を読む。 ネットで関連サイト、及び例の事件についての書き込みを閲覧。 膨大な文章量。 五人がかりでも、まるで時間が足りない。 気がついたら、夜の帳はとっくに落ちていた。 「じゃあ、先輩方、また明日ーっ!」 高階を乗せた黒塗りの高級車が、砂煙を舞い上げて颯爽と走り去る。 「ブルジョワだっ!」 「タカハシ、金持ち!」 「興信所というのは儲かるんだな」 「みたいですね」 浮気調査が主な業務内容とか言ってたな。 そんなに、たくさんの人が不貞なことをしているのか。 夢も希望も、愛もない世の中だ。 「そうだ、白羽瀬君の歓迎会をやらなければな」 「あ、そうですね!」 「え……」 白羽瀬がきょとんとした顔をする。 「白羽瀬君、何かしたいことはあるか? 何でも言いたまえ」 「あんまお金のかかるのは無理だけどね!」 「え? えっと……」 白羽瀬の視線は落ち着かず、泳いでいた。 で、僕を見る。 ――いいの? という顔をしていた。 「言うだけ、言ってみろよ」 背中を押す。 「じ、じゃあ、カラオケ……」 「了解だ」 「じゃあ、今度、皆で行こうね!」 その後、雑談しながら、家路を辿った。 部長と別れ、直を家に送り届け、白羽瀬と二人でアパートに。 「にゃ~」 子猫がすぐに白羽瀬に向かってすっとんできた。 白羽瀬はすぐに抱き上げてやる。 「ねえ、加納くん」 「ん?」 「何?」 「アイツら、何かたくらんでる」 「アイツらって?」 「眼鏡達」 「何でそう思うんだ?」 「私に優しすぎる」 「きっと裏がある」 「私を食べる気かな?」 「そんなことを言い出すのは、お前だけだ、馬鹿」 ぴん! とデコピンをしてやった。 「あうっ!」 後ろに大きくのけぞる白羽瀬。 「だから、言ったろう」 「え?」 「嫌なヤツもいればいいヤツもいるんだよ」 「あの部にいる人達は、基本的に善人だ」 少々、世間ズレしてるところはあるが。 いや……。 いい人であることが、すでに世間からズレているのだろう。 「そうか……」 「加納くんの周りには、いいヤツが多いかも」 「そうかな」 「私も含めて」 「もう少し謙譲の美徳とか、そういうのを発揮しようよ」 泣ける。 「カラオケ楽しみ」 「初めてだし」 「へえ」 意外だった。 白羽瀬は歌が結構上手い。 風呂場からもれ聴こえる歌声はなかなか良かった。 「ヒトカラでもやって鍛えているのかと思ってたよ」 「えー?」 「そんな寂しいことはしないし」 「お前、発言に気をつけろ」 今、確実に何人かを敵に回した。 「私がやってるのは」 白羽瀬がポチっとノートパソコンの電源を入れる。 「コレだし」 言って、液晶を指差す。 とりあえず、僕は画面をのぞきこむ。 そこには某有名動画サイトで、ノリノリで歌っている白羽瀬の姿が。 学園の制服を着て、 アップテンポの歌を、完全に入り込んで、ノリノリで、 スカートを翻しまくりの、パンツ見せまくりで激しく踊りながら白羽瀬は歌っていた。 コメント数は10万を超えていたが、ほとんどがパンツについて言及しているだけ。 「……おい」 こめかみを押さえながら、パンツ娘を見る。 「え? 何?」 「私が実は、ネットではちょっと有名な歌姫と知って、驚いた?」 「パンツ姫の間違いじゃね?」 「何だとおっ!」 「だって、コメントのほとんどがパンツと草じゃん」 「民度の低いヤツらのコメは無視でいいんだよ!」 「ほら、この再生数を見て! 神動画認定!」 「皆、歌聴きたいんじゃなくて、パンツ見たいだけだよ」 悲しいことに。 「そんなことないもん!」 「たまに目元と股間には、モザイク入れてるし!」 「かえってワイセツに見えるよ!」 「あ、そうだ。久しぶりに新しい動画撮ろうっと」 「加納くんも出て♪」 「パンツ姫と共演なんて絶対に嫌だ」 「パンツ姫言うな!」 必死に抵抗したが、結局、家主の命令には逆らえない。 僕は後日、バックで何かやる人として白羽瀬の『歌ってやった』の動画に出演することになる。 ……どうか、直や相羽がこの動画を見つけませんように。