鬱蒼と生い茂る森の中を、私は歩いていた。 暗く、深く、どこかの童話で迷子がさ迷っている不安げな場面に出て来る挿絵のような風景だ。 (……どんな子かしら……) わけもなくかき立てられる不安から逃れるように、私は数日前に掛かってきたあの電話のことを思い返す。 天秤瑠璃学園――――。 私が築いた学園は、少しばかりの魔法や不思議が見え隠れしながらも平穏な時間が流れていた。 学園長室の電話が鳴ったのは、そんないつも通りの穏やかな日の昼下がりだった。 ――……で、引き取っていただければと……。 「引き取る? 私の手元にですか?」 『遠く日本からおいでいただくのは大変申し訳なく思いますが……』 「いえ、私の方は……ですが、娘さんは急に見知らぬ土地へ行くことに――」 電話口の男性は私の言葉を遮るように、早口にまくし立てた。 『私どもの手にはもう、負えないのです! 家内はすっかり参ってしまい寝込んでおりますし、使用人も怖がって辞めていくばかりで……!』 『昨日もまた、暖炉の火が踊るように燃え上がって……あざ笑われているかのようだった……』 「……………………」 それは違う、と確信した。 きっと『それ』を起こした少女は、自分の力が上手く制御出来ていないのだ。 「……奇妙な現象は炎だけですか? 他には?」 『もちろん、それだけではありません!』 『辞めた使用人達に見られた現象ですが、最初は娘に対し怯えていたのに、ある日突然、人が変わったように娘をあやし始めるのです……』 「えっ……」 『どうしたのかと聞くと『怖がらないでと言われたら怖くなくなった』などと……これは娘が操ったのではないのですか?』 (暗示魔術……いえ、でもそれは術を学んでいなければ掛けられないはず……) それに、香草などの触媒も必要だ。 お屋敷の中から出たことがないという少女に出来ることではないだろう。 ということは――少女はそれを、己の魔力だけでやってのけたことになる……。 (強烈な暗示……いえ、もしかしたらそれ以上の……) 『もう限界なのです……身の回りで起きる奇妙な現象にも、突然人が変わる使用人達にも……』 「……………………」 『どうか私達夫婦を救って下さい、クラール・ラズリット! 希代の魔女よ……』 「………わかりました。娘さんは、私が引き取ります」 おそらく、いや間違いなく、少女は魔女だ。 そして己の力の使い方を知らない……。 このままでは少女は家族に疎まれ続けるばかりではなく、制御出来ない己の魔力のせいで更なる悲劇を引き起こしかねない。 そう思って私は、少女を引き取る決心をした。 「……こちらでございます」 山奥の森を抜けて、辿り着いた屋敷は、広大な敷地を持つ立派なものだった。 しかし少女はその中心にある豪奢な館ではなく、そこから離れた敷地の隅にある離れに住まわされているようだった。 案内してくれた使用人は、離れの扉の鍵を開くと、その鍵を私に押しつけるようにしてそそくさと逃げるように退去していった。 (みんな怯えているのね……) 無理もない話ではあるが、こんな環境でひとりぼっちで暮らしている少女のことを思うと不憫でならない。 「……こんにちは」 「……で、この時……この公式が………」 聞き覚えのある教師の声が、カリカリとペンを走らせる音の中でぼんやりと聞こえる。 (……授業中……だっけ………) 風景がぼんやりと霞んで見える。 自分がまどろんでいるのだろう、という自覚はうっすらとあるものの、意識をハッキリと覚醒させることは出来なかった。 (そんなに寝不足だったっけなぁ……) ちゃんと起きないと、教師に見つかったらまずい、ような気はする。 しかし、思考も上手くまとまらなかった。 「ふぁ……」 欠伸をかみ殺し、一度思い切りぎゅっと目を閉じて再び開けてみる。 「…………ん?」 手元のノートには、寝ぼけながらも何やら書き込んだ文字が並んでいた。 ――『もう会えないのかも知れない』 「……?」 焦点が合った文章に、違和感を覚える。 (なんだこれ……? 数学の授業じゃないのか?) さっき、かすかに聞こえた教師の声は、公式がどうとか言ってた気がする。 (もう会えないのかも知れない……? それに、こっちは……) ――『どうしても助けなければ』 どう見ても、数学の公式ではなかった。 (……これ………) (…………俺は……) ――また、あいつのことを………考えて…… (……何書いてんだ、俺………) 鳴り響いたチャイムの音に、はっと顔を上げる。 今度こそはっきりと目が覚めた。 「よし、今日はここまで」 「あ……あれ?」 目の前にいるのはクラス担任。 ……担当教科は英語だ。 (……何も書いてない……) さっき妙な書き込みがあったはずのノートは、真っ白だった。 (なんだ、夢か……って、待て。それはそれで今の授業の内容……) 何一つ記録してないじゃないか、俺。 もしかして、授業で出た和訳文か何かを夢の中では無意識に訳してたんだろうか。 (なんて書いてたっけ……) すっかり思い出せなかった。 しまったなー……。 「じゃーなー」 「うん、また明日ー!」 ほぼ寝ていたせいで忘れていたが、さっきのが最後の授業だったようで、クラスメイト達は三々五々に教室を出て去って行く。 「…………………………」 俺はその光景を、ぼんやりと眺めていた。 「…………………………」 ああ、そうか。 今までは、俺が居眠りしててぼーっとしても、あいつが声を掛けてくれてたからな。 烏丸小太郎。 俺が、この学園にやってきてすぐに出来た初めての友達で――親友だった。 人一倍怖がりのクセに一生懸命で、俺が冗談でつけた『おまる』なんてひどいあだ名もいつの間にか受け入れてるようなお人好しで……。 (……もう、いないんだよな) 寂しいとか、悲しいとか。 そういう感情なのか、自分でもよくわからない。 ただ――あいつが最後に見せた笑顔は、自分の決断も行動も間違ってなかった、と……。 (そう思ってたんだよな、おまる) 笑いさざめきながら教室を出て行く生徒達。 みんな、あの夜、本当は何が起きたのか知らない。 そうしなきゃならないんだ、と言って、おまるは自ら消えることを選んだ。 それを悲しむのは、あいつの決断を否定する事のような気もする。 だからと言って、やせ我慢しているつもりもない。 (まだ、よくわかんねーのかもな、俺も) おまるがいなくなった。 その事に、まだ慣れていないのかも……。 「どーしたのー、久我ってばぁ! ぼーっとしちゃってぇ?」 「お、おう。黒谷」 クラスメイトの黒谷真弥、そして一緒にいるのは吉田そあらだ。 「烏丸がいないと、やっぱり寂しい?」 「まるくんが調査に行ってる他の学園って、そんなに遠いの?」 「いや……まあ、遠いっちゃ遠いかな」 急にいなくなったおまるの事は、俺達以外の生徒は特査の調査で他の学園に行っている、と認識している。 「そっかー、やっぱ寂しいんだねー」 「……そうだな」 「え?」 「いや、そんなに……素直に肯定するとは思わなかった……」 「そ、そうか?」 おまるの事を思い出していたので、つい何も考えずに頷いただけなんだが。 「いやー、こりゃ重症だわ」 「う、うん、大丈夫? 久我くん」 「あ、いや、そこまで深刻な話じゃ……」 「なんかそのー、気晴らしとかしたいんだったら、付き合うからね?」 「ああ……ありがとう……」 なんか大事に思われてる。 「いやマジで、心配ないよ」 「そう? 本当に?」 「無理しないでね?」 「してないしてない」 「おい、早く帰寮しなさい」 「あ、はーい!」 「じゃあね、久我くん」 「おう、また明日」 見回りに来た風紀委員にうながされ、あたふたと教室を出て行く二人。 風紀委員の方は、顔見知りなので俺には何も言わず目顔で一礼して次の教室へ向かっていった。 (さて、俺も行くか……) 鞄を手に腰を上げ、教室を出る。 「おっ、鍔姫ちゃんも見回り?」 廊下に出ると、風紀委員のコートを羽織った壬生鍔姫に出くわした。 コートには風紀委員長を示す印が入っている。 「委員長代行はどう? 大変?」 「いや、幸いそうでもないよ」 本来、委員長だった聖護院百花先輩は、先日の事件の後に厳重に封印されたため不在である。 封印――というのは、実は人間ではなく学園側に与するホムンクルスであったためだ。 魔術によって作り出された人間そっくりの人形ホムンクルスは、生み出した主の命令だけが絶対であり説得も何も通じない。 もも先輩も、おまると同じく特別な任務のため学園外へ出掛けているということになっていた。 ちなみに同じくホムンクルスであった学園長も、事件後逃走して行方不明なので、海外出張中ということにしてある。 「やっていることは、今まで通りだしね」 「まあ、そうだな」 違っているのは理由だけだ。 これまで、この学園には夜の間だけ学園側が大がかりな魔術装置を使って召還していた『夜の世界』があった。 「……な……なんだ、これ……」 「え……こ、ここ、どこ?」 「移動したわけではありませんよ。同じ場所です」 「一体、この学園どうなったんだ?」 「時計塔の鐘の音と共に、学園には『夜の世界』が現れ校舎と一体化します」 「夜の世界ってなに!?」 「夜しか存在しない世界。裏の世界のようなものだそうです」 昼の生徒達は、夜の世界が来る前に放課後になるとすぐに寮に戻る規則になっていた。 その召還のために使われていた魔法陣に魔力を注ぐ役目――スケープゴートを担っていた魔女の一人がこの鍔姫ちゃんだったが……。 「スケープゴートの仕事はなくなったから、その分むしろ以前よりは楽だよ」 「そっか。あれは時間も掛かってたしな」 夜の世界を召還していた魔法陣は、モー子やおまるの魔力を借りて俺がこの手で破壊した。 夜の世界に通ってきていた生徒達――異世界から召還されているものと思われていた生徒達は実は、昼の生徒の身体に魂だけが憑依した存在だったのだ。 20年前、この学園で起きた謎の火災。 その被害者であり、現在も行方不明とされている過去の生徒達が、夜の生徒の正体だった。 学園長達は、昼の生徒を犠牲にしてでも、過去の生徒達を蘇らせようとしていた。 昼の生徒達の身体を完全に乗っ取ろうとする計画を知った俺達は、その阻止のため魔法陣を壊したのだ。 そして―― 「…………じゃあね……」 ……実は20年前の生徒の一人だったおまるも、あの夜に消えた。 その身体は、俺達が学園に来る以前から行方不明になっていた生徒、花立睦月のものだった。 花立はモー子の――鹿ケ谷憂緒の親友であり、彼女からの連絡が急に途絶えたせいでモー子は学園へとやって来て、その後入学した俺やおまると出会った。 しかし実はモー子が探し続けていた花立は、おまるに姿を変えてずっと目の前にいたのである。 おまるは、おそらくだが昼間もずっと夜の生徒を憑依させたままでいられる実験体として、花立の身体に憑依させられていたのだろう。 「みーくん? どうかしたか?」 「ん? ああ、いや……」 思わず回想にふけってしまっていたようだ。 きょとんと首を傾げる鍔姫ちゃんに、誤魔化すように苦笑してみせる。 「けどさ、遺品が湧いて出るのは相変わらずだから、結局忙しいよなと思って」 「ああ……。まあ、そればかりは仕方ないな」 学園の地下にある図書館の奥。 そこには『遺品』と呼ばれる数々の魔術道具が収められている。 この『遺品』は発動させるのに魔力を必要とするのはもちろんだが、魔力以外に体力だの睡眠だのを代償に取られる事がある。 そのため、遺品と知らず発動させてしまい、代償として体力を吸い取られ昏睡状態になってしまったりと、なかなか危険な代物なのだ。 しかも悩み事や困り事を抱えている人物がいると、その人物と波長の合う遺品が引き寄せられて勝手に宝物庫から出て来てしまう。 俺やモー子の所属する、特殊事案調査分室という部署は、本来そういった遺品を回収し封印するのが仕事の部署である。 「このところは、さほど大騒動になるような遺品が現れていないのが幸いだな」 「だな。この前のは勝手に花壇に水をやり続けるだけのじょうろだったし」 風邪を引いた園芸部員が、花壇の手入れを気にする思いに引き寄せられてきた遺品だった。 幸いじょうろはずっと花壇の周りをうろうろしていたし、無意識に召還してしまった生徒は病人で自室にいたため速攻片がついた。 いつもこの程度なら楽なんだが、大抵そうはいかないややこしいのが出てくるからな……。 そして遺品は夜の時間帯になると、活性化しやすいため、やはり生徒は少しでも離しておいた方がいいという事で元通り帰寮させることになった。 (まあ、その……宝物庫の結界、壊したの俺なんだけどさ……) そもそも学園側はなんでまず、あれを直してくれなかったんだろう。 そうすりゃ余計な手間は一つ減ったのになあ。 「みーくんは、もう分室へ?」 「ああ、今日はあいつも連れて行くから」 「そうか。私は風紀委員室へ寄って、報告を聞いてからになるから少し遅れるよ。すまないな」 「いやいや、仕事じゃしょーがねえよ。お疲れさん」 「ふふ。ありがとう。それじゃ、後で」 「ああ、じゃあな」 鍔姫ちゃんと別れて、俺はまず自分の部屋のある東寮へと向かう―― 「まだ寝てるか……」 自室へ戻り、鞄を床に置く。 ベッドの中では、妹の満琉がすやすやと寝息をたてていた。 あの夜――魔法陣をぶっ壊した夜に、満琉は突然その場に降って湧いてきた。 生来、とんでもない魔力の持ち主なのだ。 しかしその力をコントロール出来ていない。 (そのせいで………) ……色々と辛い事があった。 だから、あまり力を使わせたくない。 この学園からの入学案内も本来は満琉宛だったのだが、胡散臭いので俺が満琉のフリをして入学したのだった。 だが、あの夜、俺を心配していた満琉は遂に信じられない魔力を発揮して実家からここまで一瞬にして空間を飛び越え現れてしまった。 以来、ずっと俺の部屋に住み着いている。 ――と、いうか、ほぼ寝ている。 大量の魔力を使ったせいだろう。 満琉はここの生徒ではないし、学園側も満琉の存在を把握していないので、俺の部屋に隠して、体力を回復させていたのだ。 (けどまあ、だいぶ良くはなったし……) 気持ちよく寝ているところを悪いが、仕方がない。 「おい、満琉。起きろ」 「…………んー……………」 「ほれ、起きろって」 「ふぁ……あ、おにいちゃん……?」 目をこすりながら、満琉が身を起こす。 寝起きでぼーっとしたまんまの、とろんとした目が俺を見上げた。 見たところ、体調はさほど悪くなさそうだ。 「どーかしたのぉ……?」 「これから、分室に全員集まっての事情説明やら何やらあるけど一緒に行けるか?」 「…………………行く」 こくん、と頷く満琉。 「身体は大丈夫なんだな?」 「うん、行く」 急に降って湧いたように現れて以来、ほぼここで寝ていたので、ろくに挨拶もしていないのだ。 それは、人見知りのこいつでも少々気になっているらしい。 「じゃあこれに着替えろ」 「ん?」 「ここの制服だよ。普通の生徒はもう寮に戻ってていないけど、風紀委員はいるからな」 「一見してうちの生徒じゃないってバレるよりはマシだろ」 「…………………………」 「なんだ?」 「なんだ、じゃない」 「???」 「あ、ああ、悪い」 そりゃそうだ。 妹だから俺は全然気にならんけど、一応女の子なんだった、こいつ。 「じゃあ着替えたら出て来いよ」 「わかったよー!」 不機嫌そうな声を背に、そそくさと部屋を出る。 「……なんだ、もう戻ってたのか」 「あれ、静春ちゃん」 廊下に出ると、特査のパシリ――元は風紀委員だった――村雲静春がいた。 「……あいつは?」 「今、ここの制服に着替えてる。鍔姫ちゃんに調達してもらったんだ」 「制服か。それなら遠目には誤魔化せるか」 「なんだ、もしかして迎えに来てくれたのか」 「今日、分室に連れてくるって言ってたろ。オレは一応、風紀委員の巡回コース避けて行けるルート覚えてるからな」 「満琉には優しいな、お前」 「っ……へ、変な誤解すんなよ!? オレがここへ呼び込んじまったみてーなもんだから、それは責任あると思ってだな……っ」 「わかったわかった」 満琉が、体調が戻るまでは俺の部屋でこっそり休んでいるという話は、一応村雲や他のメンツにも話してあることだった。 そして具合が良くなったら、改めて挨拶に連れて行くと言う話も。 そろそろ大丈夫そうだ、と昨日話したので、村雲はわざわざ迎えに来てくれたのだろう。 (保護者的というか、なんというか……) 満琉から聞いた話では、あいつが急に学園に湧いて出る前に、村雲と夢の世界で会っていたらしい。 村雲は満琉のことを、遺品の化身か何かだと思っていたようだが、あまりにたどたどしい態度を見かねたのか相手をしてくれていたようだ。 (……根は真面目だからな、こいつ) 拾った猫を放っておけない感覚、みたいなもんなんだろうか。 「今、なんか失礼な事考えてなかったか」 「何も言ってないだろ」 「その沈黙が疑わしいっつってんだ!」 「気にしすぎだ、禿げるぞ」 「ふざけんなっ!?」 「まあ、でも礼はまだだったかな」 「は?」 「俺の定期検診の間、面倒見ててくれただろ。助かった、ありがとな」 「いそいそ迎えに来るお前だって、充分、気持ち悪いんだが」 「てめーを迎えに来たわけじゃねえよっ!?」 「……だ、だいたい、大丈夫なんだろうな? もう連れ出しても……」 「本人は大丈夫だって言ってるし、体調もだいぶ良さそうだからな」 「…………そうか」 満琉は事件が収束した後も、しばらくは目を覚まさず、目を覚ました後も寝ている時間の方が多い、といった状態だった。 どうやら回復したようだ、と思えるようになったのは一昨日辺りのことだ。 「まあ、ガキの頃からよく寝る子ではあったんだけどなあ」 「………幾つ違うんだ?」 「へ?」 「実際は、満琉といくつ違うんだ。てゆーか、お前いくつだ」 「二十歳」 「うはは、無理すんな」 「笑うなッ!! あーくそ、やっぱてめーに敬語なんか使わねー!!」 「そうしてくれ。喋るたびに笑っちまう」 「ちくしょう……どうりで最初っから態度がデケぇと思ったんだよ……」 制服に着替えた満琉が、部屋から出てきた。 俺と一緒にいる村雲を見ても、特に驚いた様子はなかった。 「よ、よお、大丈夫か?」 「え?」 「丸聞こえ、だったよ?」 「まー、扉の真ん前で騒いでたからなあ」 「とっとと行こうぜ。野次馬が集まってきても困る。黒谷とか」 「くそっ、行くぞ!」 ずかずかと先に行く村雲の後を追う。 村雲の案内で風紀の巡回ルートを極力避け、多少遠回りをしつつ特査分室へ向かった。 まともに建物の外へ出るのは初めての満琉は、物珍しそうに辺りを見回している。 「満琉、お前今日の挨拶と事情説明が終わったら、ちゃんと家に帰れよ」 「……え?」 「え、じゃねーよ。体調もそろそろ落ち着いて来たんだから、もう俺の部屋に隠れてる必要もないだろうが」 「………なんでぼくをのけ者にするの」 「のけ者とかじゃないっての。だいたいお前、自分の学校はどうするよ?」 「一応、体調不良で休むって連絡はしといてやったけど、いつまでも休んでいられないだろ」 「元から行ったり行かなかったりだから、今更別に問題ないよ」 「問題あるわっ! なんだその元から行ったり行かなかったりって?」 「なんで学校行かないんだよ?」 「うるさいなー! 人の大勢いる所は苦手って知ってるでしょ!」 「人見知りにもほどがあるだろ!? お前、未だにクラスメイト人見知ってんのか?」 「だ、だって、何喋っていいかわかんないんだもん!」 「……まあ……そういや最初、オレにもそんな感じだったな……」 満琉は、村雲が一緒にいたことを唐突に思い出したらしく目を丸くして自分の両手で口を塞いだ。 そして、恥ずかしそうにうつむいて、俺の身体の陰に隠れようとする。 「内弁慶全開だな、おい」 「うぅっ……、うるさーい……」 俺が相手だと遠慮なく騒ぐ、というのがバレたのが照れくさいらしい。 (最初に飛び込んで来た時、とっくにバレてるだろうってのは覚えてないのかねえ) 「うるさい! うるさい! うるさいっ!! お兄ちゃんのばかー!!」 「ほんとに何もわかってない!! ぼくがどれだけ心配だったのか、考えたことあるの!?」 あの時は興奮状態だったからな。 すっかり忘れてるらしい。 「…………………………」 村雲は村雲で、失言だったかなーと言うような顔で困惑してるし。 (はー、もう……とっとと帰ってくれた方が色々平和なんだが……) 帰りそうにないな、あの態度じゃ。 やれやれ。 「ふわー……」 地下へと降り、図書館へ足を踏み入れると、満琉は圧倒されたように書架を見回した。 そう言えば、俺達はもう随分と見慣れたが、初めて来た時は似たような反応だったな。 (リトは……見当たらないな。もっと奥の方かな?) いれば一応、挨拶くらいはしとこうかと思ったが、まあ、後でいいか。 「行くぞ、満琉」 はぐれたらたまらん、とでも思ったのか、満琉は小走りに俺の後をついてきて、きゅっと服の裾を掴んだ。 「ちーっす」 分室へ入ると、鍔姫ちゃん以外はもう既に全員揃っていた。 入って来た俺達を見て、さっそく手を振りつつ声を掛けてくれたのは村雲の姉のスミちゃん――村雲春霞だった。 スミちゃんは元は、普通の生徒としてではなく、鍔姫ちゃんより前に一人でスケープゴートの役目を請け負う形で学園にやってきていた。 そのため昼も夜も生徒に見つからないよう、人目を避けていたのだが、とある事件がきっかけで俺達と知り合い今では行動を共にしている。 「あ、ヒメちゃんはまだ?」 「壬生さんは風紀の仕事で少し遅れるってよ」 「そっか」 ちなみに鍔姫ちゃんとはそれ以前の事件で仲良くなり、今ではすっかり親友と言っていい間柄だ。 人数を数えながら室内を見回した欧風の美少女はハイジことアーデルハイト。 ドイツの名家ヴァインベルガー家のお嬢様だ。 ――と、いうことに表向きはなっているが…… 「ね、念のために聞いただけじゃない! いちいち毒吐かないと喋れないの!?」 ヴァインベルガー家に代々伝わる『魔女』の力――それはルイの眼帯に隠された義眼に宿っている。 それを守るため、ハイジのような表向きの当主をたてて本来の当主は隠しているのだという。 「相変わらずどっちがエラいんだかわかんないねー」 「ほっ、ほら見なさい! もうちょっと執事らしくなさい!!」 「ja」 一応、今のところ実は本当にルイの方が偉い、と知っているのは俺とモー子、それに村雲の本来の特査メンバーだけである。 「……ですが、そちらこそ、もう少し良家のご令嬢らしくしていただけませんか。無理難題なのは承知ですので、あくまでささやかな希望ですが」 ただ、ルイの口が悪いのは本来の当主だからというだけではなく、単なる性格なんじゃないか……と、しばらく付き合っているうちにわかってきた。 「……………………」 そして、主従のやりとりを少し呆れ気味に無言で見ているのが鹿ケ谷憂緒ことモー子。 最初に会った時は、お互いに第一印象最悪に近かった気がするんだが……色々あって、今は同じ特査の仲間であり、まあ、その、割と特別な存在だ。 「……満琉さん、体調は?」 不意に、モー子に声を掛けられて珍妙な声を上げる満琉。 モー子は、満琉の反応に珍しく困ったように目を丸くした。 「あ……すみません。驚かせるつもりは」 「いいいいえ、あ、あの、ごめんなさい」 「気にすんな。こいつが人見知りすぎなんだ」 「……………………」 「……?」 何か言いたげな感じではあったが、モー子は特に俺には何も言わずに目を逸らす。 いつもと様子が違う、というわけではない。 そこは公私をはっきり分ける性格というか、私情を挟まない真面目な性分なのだが……。 (相変わらず時々ややこしいな、こいつ) 実はモー子とは、なんとなく良い雰囲気――というか、かなりやわらかい表現をするといわゆる親密な仲になってしまっている。 ただしその間柄については『保留』ということになっていた。 一応、学園側の陰謀やら何やら、諸々の騒動をどうにかする方が先だろう……と、いう事だが、まあ、それだけじゃないような気はしてる。 (こういう時のモー子は、実は大抵ややこしい事考えてんだよなあ……) それがわかる程度の距離感ではある――と思う。 「あの、えと、だ、大丈夫、です」 「そうですか。無理をしないで下さいね」 「はいっ、あ、ありがとう……ございます」 もじもじしている満琉を、見つめる眼差しも、特にいつもと変わりないように見える。 別に信用出来ないと思っている風でもないし……なんだろうな、まさか俺にへばりついてるせいで妬いてる、とかなのか。 (それならちょっと可愛いけど) さすがにそれを追及してる場合ではない。 「あー、じゃあ茶ぁ入れるから座れよ」 「やけに親切じゃねえか、静春ちゃん」 「しーちゃん、怒鳴ると余計に怖がっちゃうでしょ」 「あ」 (なんだかなー。別に満琉も村雲も惚れてるとか、そういう雰囲気でもなさそうだけど……) 「どーぞどーぞ。ごめんねー、がさつな弟で」 「いえっ……あの、だ、だいじょぶ、です」 「がさつで悪かったな……」 ぶつぶつ言いながらも、お茶はきちんと入れてくれる村雲。 やっぱり保護者と借りてきた猫、って表現が一番近いような気がする。 村雲の入れてくれたお茶を飲んで、一息吐いていると鍔姫ちゃんがやってきた。 「やあ、遅れてすまない」 「いいえ、お疲れ様です」 「これで全員ね」 鍔姫ちゃんが着席するのを待って、モー子が席を立つ。 全員がモー子に注目した。 「一旦、状況を整理しましょう」 一同を見回し、全員が無言で同意を示すよう頷くのを見てモー子は改めて口を開いた。 「まず――この学園で最も大がかりな魔術。夜の世界の召喚、それは異世界を召喚していると学園側は主張していましたが……」 「これは実は、20年前の生徒達の魂を、今の時代の西寮の生徒の身体に憑依させ、降ろす儀式でした」 「その魔法陣を、俺達が壊した……」 「ええ、ですから夜の世界の召喚は、あれ以来起こっていません」 「……夜の生徒達も、現れていません」 少しだけ言いづらそうに付け加える。 風呂屋町眠子、七番雛先輩、射場久美子先輩、春日真由美――夜の生徒達の中には、いろいろな事件を通じて親しくなった人達もいた。 そして予想もしなかったことに、おまるもその一人だった……。 「そのうちの一人……烏丸くんの魂が憑依していたのは、行方不明だった花立睦月でした」 「鹿ケ谷さんは、そもそも彼女を探しにこの学園へ来たのだったな?」 「ええ、そうです。まったく連絡が取れなくなってしまったので」 「……まさか、ずっと目の前にいたとは思いませんでした」 おまるの姿が消えた時の、モー子の驚愕の表情は、今でも鮮明に覚えている。 (まあ、無理もないよな) モー子は、一度は花立睦月はもう死んでいるかもしれないと覚悟していたのだ。 それが実は……無事だった、とはいえ、あんな形で再会するだなんて。 「……私達はてっきり、夜の生徒達は20年前の火事で亡くなった生徒だと思い込んでいました」 「ですが――夜の生徒は、遺体すら見つからず行方不明扱いになっている生徒ばかりです」 「これはどういうことなのか……」 「死んでいないのではないか、そういう結論でしたね」 「可能性はあると思います」 「クラール・ラズリットは、時を操る魔女です。あり得るでしょうね」 クラール・ラズリット――この学園の創設者でもあり、ハイジの言う通り、希代の強力な魔女であったとされる女性である。 彼女もまた、20年前の火事で亡くなったと言われているのだが……。 「だけど、20年前の火事よりも前から召還してるんじゃなさそうって話だったよね?」 「ええ、それが可能なのであれば、火事で亡くなった他の生徒や、ラズリット本人も全員降ろそうとするのではないかと」 「行方不明になった生徒だけが、何らかの形で火事を免れ、召還されている……?」 「学園長達は、異常なほどそいつらの復活にこだわってましたね」 「そう、命じられたのでしょう。ホムンクルスは主人の命令だけが絶対です」 「学園長や聖護院先輩のようなホムンクルスの存在、それに夜の生徒達の魂を定着させるための、大量のラズリット・ブロッドストーン」 「あの魔石はラズリットにしか精製出来ない。やはりこの件には、クラール・ラズリットが深く関わっていると考えざるを得ません」 ラズリット・ブロッドストーンは、強力な魔力の塊でもあり、魔女ではない普通の人間でも複数の遺品を同時に操る事が出来るほどの力を持つ。 花立の身体に昼の間もおまるの魂を定着させるのに使用されていたのも、この魔石だった。 「……そうだけど、でも何故? クラール・ラズリットはそんな人道に外れた魔女ではないはずなのに……」 「昼の生徒達を犠牲にしてもいいだなんて、そんな風に考える人ではないのよ。本当なの」 ハイジの祖母は、生前のラズリットと親しかったのだそうで、ハイジはラズリットの事をある程度祖母から聞いているのだという。 そのため、祖母の友人がそんな非道な真似をする人物とは思えないようだ。 「うーん、だから、なんか事情があるか、その遺志を曲げられちゃうような事態が起きたか、なんかあったんじゃない?」 「そこも含めて、すべてを究明したいのです」 「何より、20年前の生徒達が本当にまだ亡くなっていないのなら――他にも何か、救う方法があるかも知れない……」 「うん、それは一番大事だ。射場さんや、ヒナさん、風呂屋町さん、春日さん、それに……烏丸くん。みんな助けられるかも知れない」 「助けると言っても、以前のようにまたここへ通えるようになるわけではないのでは?」 「そりゃそうだろ。20年も前の人間なんだから、いきなりこの時代に放り込まれても、向こうも困るわ」 夜の生徒として召還されていた時は、学園側に掛けられた暗示魔術のせいで、自分達が元いた時代と違う事に気づいていないようだった。 誰も、なぜか夜に学園に通っている事や、昼間どこで何をしているかなど普通なら不思議に思う事に疑問を抱かないようにされていたのだ。 「元いた20年前に戻すってのが、ちゃんと助けるってことだろ」 「助け出すことは出来ても、元いた時代に送り返す方法はないかもしれない、という事ですね」 「うわっ、そうか! その場合ってこの時代で暮らしてもらうしか、ない……?」 「うぅん……それしかない、のかな」 「行方不明のまま、よりはマシだと思いますけれど……」 「まだわかんねーだろ。助けて、20年前に戻す方法だってあるかもしれねーんだから」 「ま、今悩んでもしょうがないな」 「そうですね。そのためには、やはり重要なのは、20年前の火事の時に、本当は何があったのか、という事だと思います」 「それを調べるために、皆さんに協力して欲しいのです」 「ああ、勿論異存はないよ」 「私も!」 「……ja」 「へっ、当然だな。大体このまま放っといたら学園長達はまたやらかすだろ」 学園長達は、昼の生徒の身体を乗っ取る、という手段をまだ諦めてはいないだろう。 ホムンクルス故に、そう命じられたせいでそれ以外の方法が取れないのかもしれないが……。 「必ず、また仕掛けて来るでしょうね」 「だろうな。それを阻止する意味でも、真相を確かめないと」 「おい」 「手伝う!」 人見知りのくせに、この人数の前で自分から発言とは……。 こりゃ、本気で帰る気ないな。 「……そりゃあ心強いが、いいのかな。帰らなくて、大丈夫?」 「だ、大丈夫……です」 あまり大丈夫でもないんだが、無理矢理帰らせてもまた急に湧いて出そうなんだよな。 (しょうがねーなあ……) 不意に扉の開く音がして、はっとそちらを見ると―― 「遅くなっちゃってごめんね!」 「睦月!?」 飛び込んで来たのは、花立睦月だった。 モー子が驚いて腰を浮かせる。 (あれ、あの髪留め……) 前髪をとめている髪飾り。 おまると同じ位置だ。 それに合わせたのか、肩にかかるくらいに下ろしていた髪もひとまとめに括られている。 「元、『烏丸小太郎』の、現、花立睦月です! よろしく!」 ぺこり、と深く頭を下げて、ぴしっ、と敬礼してみせる。 そして堂々と言ってのけた。 「今日から特査でお世話になるね!」 「はい!?」 「お、お世話にって、お前……」 突然の宣言に、ぽかんとする一同。 モー子も聞いていなかった話らしく、唖然としている。 「………………………」 「あ…これ?」 俺の視線に気づいたのか、花立は指先で前髪の髪留めをなぞる。 「えっと、これは……烏丸くんの分まで頑張りたいからっていう、わたしなりの決意っていうか……」 「あと、こうしてれば、もーちゃん達もちょっとでも一緒にいる気分になってくれるかなって思ったんだけど……えーと……」 「……だ、だめだったかな? 余計寂しくなるんだったらすぐ外すよ!」 「――いや」 俺達が、思っていた以上に驚いた反応をしていたのだろうか。 段々とあたふたしていく花立の様子に、俺は思わず吹き出しそうになる。 「ありがとな。おまるも喜ぶと思うよ」 「そ……そっか! よかった!」 ぱああ…っと、音がしそうなくらい顔がほころぶ。 (この子も、複雑な立場だもんな……) 自分が無事に戻って来る事が出来た――そのために俺達はおまるを失った。 そのことを彼女なりに一生懸命受け止めて、色々と考えてくれた結果、こうなったのだろう。 「あの、睦月? それはいいのですけれど、さっきの……」 「ああ、そうだ。その前に花立……さん?」 「睦月でいいよ」 そう言ってから、花立はふと小首を傾げて言葉を続けた。 「あ、でも、烏丸くんのことは、おまるって呼んでたんだよね?」 「じゃあ、わたしのことは……うーんと……おむつ?」 「おまるよりエラいことになってるぞ」 「お、をつけるのが伝統かなって思ったんだけど」 「いや別に全部受け継がなくても」 「そうですよ! おむつは駄目です! 断じて駄目です!!」 「えー、でも元は愛称だったのに……」 何故かそこにはこだわりたいらしい。 「もっとマシなのがあるでしょう!?」 「元はといえば、久我が烏丸に妙なあだ名をつけたせいだろ」 「お、をつけたらもっと大惨事になる子が襲名するなんて予想できるか」 「そっか、じゃあ、わたしも名付けて貰えばいいんだね!」 「そうなるんですか!?」 「え、今のってそういう話じゃなかったの?」 「……もしかして、花立さんって……」 「天然、というヤツかな……」 「お前は人の事言えないだろ、春霞」 ……自覚なかったのか、スミちゃん。 「お、おう」 なんか俺が呼び名を決めないと、話が進まないような流れになってる。 「それでいいの? ずいぶん普通だけど」 「普通でいいんですっ!!」 「い、いいと思うぞ。可愛いし」 「うんうん、それでいいじゃない」 女性陣は、おむつだけは阻止すべき、という暗黙の了解があるようで口々に同意する。 花立も、それで納得したらしい。 よかった……。 「それで、です」 おむつが回避出来てほっとしたのか、ようやくいつものペースを取り戻したモー子が、こほんと咳払いしながら口を開く。 「睦月、あなた特査に入るつもりですか?」 「うん、そう言ったでしょ」 「どうしてです?」 「どうしてって、もーちゃん達は、これから20年前に何が起きたのか調べるんでしょ?」 「……ええ」 「それって、20年前の生徒――烏丸くん達が生きてるかも知れなくて……」 「助けられるかもって話だよね?」 「ああ、そうだよ」 「だったら、わたしにも手伝わせてよ!」 「わたしは……烏丸くんに助けてもらったようなものだから、今度はわたしが助けたいんだ」 「睦月……」 「ね? いいでしょ?」 「本当だったら、学園長の許可とかいるんだろうけど、今、いないしね」 「いないどころか敵だしな。許可出せるヤツいねーわ」 「でも……、あなたはせっかく無事に戻ってきたばかりなのに、これ以上魔術に関わるのは……」 「すとーっぷ!」 心配そうに語るモー子の目の前に、びしっと人差し指を突き立てて遮る花立。 「それは、もーちゃんだって同じだよね?」 「わたしのこと探しにここまで来てくれたんでしょ? その目的はもう果たしてるよね?」 「それでも、まだこの学園の魔術に関わって、首突っ込んで解決しようとしてる」 「それは……」 「自分のこと棚に上げるのは、よくない」 「……………………」 モー子が言い負かされてる……。 珍しい光景に、口を出すのも忘れて見とれてしまった。 「……ふふっ。あなたの負けね、ウシオ」 「どうやら、そのようだ。20年前の事件の真相を突き止めて、彼らを助けられるなら助けたいという目的も一致している」 「そうそうそう! さっすが壬生さん!」 ああ、そう言えば彼女は俺達より前からここの生徒だったんだから、鍔姫ちゃん達とは元から顔見知りなのか。 「…………………………」 「うぅ………それはそうですが……」 「もーちゃんがやるなら、わたしもやる! お互い様だよね?」 「やったー! ありがとーもーちゃん!」 「きゃあっ!? む、睦月っ、急に抱きつかないで……っ」 そう言いながらも、じゃれてくる花立を引きはがせないでいるモー子。 (なんか、こいつらの力関係わかった気がする……) 「――では、今後はこのメンバーで真相究明と解決に当たる、ということでよろしいですね」 「おう、いいんじゃね?」 「よろしくねー、花立さん」 「え? あ、はーい! えっと……」 「あ、そっか。私とかハイジちゃんとかは初対面だった」 「忘れんなよっ!?」 「あははー、花立さんがナチュラルに入ってきたから忘れてたわー」 「そういや、もう一人ほぼ初対面がいたな」 微妙に俺の陰に隠れるように斜めになっていた満琉の襟首を掴んで、まっすぐ座らせる。 「強烈に人見知ってるけど、いつもの事なんで気にしないでくれ」 「………あぅ」 ため息だか嗚咽だか、よくわからん謎の音を発して首をすくめる満琉。 「こんにちはー」 「じゃあ、改めてお互い自己紹介しよー!」 「それがよさそうだな」 「はいっ! じゃあ改めてー、初めまして花立睦月です!」 「もーちゃんとは親友でー、えーと、この前まで行方不明になってました!」 「実はずっといたのですけれどね」 「あっています。烏丸くんは他の夜の生徒とは違って、昼も憑依したままに出来る状態の実験体であった――と思われます」 そして、先日の蝕の日に夜の生徒達全員を昼の生徒に定着させようとしていた学園側の企みを、俺達が阻止した……。 「烏丸くんの分まで頑張りますっ!」 「ああ、共に頑張ろう」 「もう一つ確認したいのですが」 「なぁに?」 「先程のお話ですと、あなたが先にこの学園へ入学し、そして行方不明になったのでウシオがそれを捜しにやってきた、という経緯ですね」 「うん、そうだよ」 「睦月とは、ここに来る以前からの親友です。信頼が置けることは保証します」 (ああ、そういう事か) ルイ達はルイ達で、色々と内情が複雑だからな。 花立を本当に信用して大丈夫かどうかってことを確認したかったわけだ。 「……わかりました。ではフラウ、こちらの事情もお話ししておくべきかと存じます」 「そうね。お互い、隠し事はなしにしましょう」 「私はアーデルハイト。表向きはヴァインベルガー家の当主、ということになっています」 「表向き?」 「本物の当主は、こちらのルイの方なの」 「あれ、そーだったんだ」 「あんま驚いてなさそうだな」 「だってルイさん元から偉そうだから」 「ほらご覧なさいっ!!」 「だからこそもっと令嬢らしくしろと何度言えば――」 「はいはい、もめるのは後にして下さい」 「あ、ああ、そうね」 「失礼しました。では改めて――」 「ルートヴィヒ・リッター・フォン・ヴァインベルガーと申します。表向きは分家の出で執事と言うことになっております」 「私は、本物の当主を守るために表に立っているの。影武者、というのだったかしら、この国では?」 「ふえー……複雑なんだねー……。けど守るって、なんかに狙われてたりするの?」 「狙われている、というより背負っている物が強大すぎる故というところでしょうか」 そう言いながら、ルイは眼帯を手で押さえた。 「この目は義眼です。そしてこれは本物の魔女であった先祖の力を封じ込めた魔具なのです」 「当家は代々、これを受け継いできました。いわば、私は人工の魔女、というわけですね」 「フラウは表のヴァインベルガー家の生業である香水の調合に長けております」 「あっ! ヴァインベルガーって聞いたことあると思ったら有名な香水ブランドだ!」 「そうよ。でも市販されているのは普通の香水だけですけれどね」 「本当に受け継いできた秘伝は、魔術で調合したもの。感知をそらしたり、暗示を掛けたり、用途は色々ね」 「へー、すごーい!」 「俺達もさんざんな目にあったしなー」 「まったくだ……」 ハイジ達がここへ来た時の騒動を思い出し、俺達は少々疲れた気分になる。 あの時は大変だった……。 「過ぎたことでしょ。水に流して下さらない?」 「……もめている場合ではありませんからね」 「……と、いうわけですので」 「一言多いわよっ!!」 「はいはーい、じゃあ次は私でいい?」 もめそうになった主従を遮り、スミちゃんが元気よく手を上げる。 「村雲春霞です。元は、ヒメちゃんと一緒にスケープゴートやってました。私も一応これでも魔女でーす」 「スケープゴートって、時計塔の魔法陣に魔力を供給する係、だったっけ?」 「だったら、もう授業出れるはずだよな」 「あはははは、そのうちねー」 「やっぱまだサボってんな、コラ」 「だってー、今まで出てなかったのに、急に教室行くのってまあまあ勇気いるんだよー! そのうちちゃんと行くから!」 「まったく……」 「あ、それと、静春は私の双子の弟ね。はい、次しーちゃん」 「……あー、村雲静春。元・風紀委員だ」 「それだけ?」 「他に何か言うことあったか?」 「今は特査のパシリです、だろ」 「パシリ言うなっ!?」 「……ぱ、ぱしり?」 「何かあったの?」 「あれ、お前その辺は満琉に言ってなかったのか」 「その、わけ……聞いてない」 「う……」 「オレがやらかして、その罰として特査で働いて借りを返す事になったんだよっ!! それでいいだろ!?」 「まあ……長い話になってしまうのは、確かですからね」 「いずれ詳しくお聞かせ願いたいですけれどね」 「うぅ……後にしてくれ、後に」 「………わかった。じゃあ後で」 意外と聞く気満々だな、満琉。 「じゃあ、次は私かな?」 「壬生鍔姫、風紀委員長代行だ。一時はさっきスミちゃんが言った通りスケープゴートの役割のために風紀委員を抜けていたんだが――」 「元の委員長である聖護院百花先輩が、実は学園側のホムンクルスだったため封じられた」 「猫大好き」 「えーっわたしも好きだよ、猫! 可愛いもんねー?」 「み、壬生さん。春霞に乗せられないで」 「……今のは睦月のせいではないかと」 「猫可愛いじゃない」 「可愛いですけどね……」 「もーちゃんって、時々猫っぽいよね」 「は?」 「そう思わない、みっちー?」 「気まぐれでツンツンなとこがか?」 「久我くん、後で話があります」 「体育倉庫の裏にでも呼び出しそうな声で言うな」 「じゃあ、次、もーちゃんね」 「え、あ……自己紹介ですね、はい」 「……鹿ケ谷憂緒、2年です。この特殊事案調査分室のメンバーです」 「わたしが普通に生徒だった頃は、なかったよね? こんな部署」 「あなたの行方がわからないから、私が復活させたんです。放課後も校舎内に残れる肩書きを得るために」 後半は満琉の方を見て言ったので、満琉は慌てて頷いた。 「あと、甘いもの好き。すっごい好き。お砂糖入れすぎってくらい」 「その情報も不要かと思いますが」 「いいじゃん、可愛い所もあるよってこと!」 「…………………………」 諦めたようにため息を吐くモー子。 やはり、花立にはとことん弱いらしい。 「……じゃあ、最後は俺達だな」 「久我三厳。本当なら学園の案内が来たのは、妹の満琉の方だったんだが、胡散臭いんで代わりに俺が来た」 「なもんで、他の生徒には、俺の方が久我満琉だと思われてるんで、そういう事にしといてくれ」 「おっけー! わかった!」 「モー子と同じく、俺も特査の一員だ。俺はそれくらいかな?」 「年はどーしたよ、最年長」 「あ……、そう言えば」 「おいくつなのですか?」 「二十歳」 「ええええええ、そんなに上だったのぉ!?」 「……………………………」 「は……たち?」 「そんなに意外か?」 「堂々と制服着てるから、さすがにまだ十代かと思ってたんだが」 「うるせーよ! ギリギリ許容範囲だろ!?」 「あっはっはっは、まあギリセーフかなー?」 「いやいやいーから! 別に何も改めてくれなくてもいいから!!」 「……そうさせて頂きます。今更ですし……」 「……ja」 なんか予想以上に衝撃的だったらしい。 やっぱ成人式とっくに過ぎてるとは思われてなかったってことか。 「あー、それでまあ、これが満琉」 「固まってんじゃねえ。ほれ」 「…………久我、満琉……です」 「見ての通りのコミュ障だが、勘弁してやってくれ」 「他に言いようねーのか……」 「事実なんだからしょうがないだろ」 「……相当な実力の魔女だと、うかがいましたが」 「ああ、力はな。ただ使うとぶっ倒れるから、あんまりアテにはしないでくれ」 「が……頑張る、よ?」 「いいから無茶すんな。どうしてもって時まで大人しくしててくれ頼むから」 「そうして下さい。ある意味、あなたはこちらの切り札です。存在を知られていませんから」 「強大な力は敵に見つかりやすい。みだりに使うべきではないでしょう」 「………………わかりました」 納得したらしく、満琉は素直に了解する。 出来れば満琉には力を使わせないで解決したい所なんだがな……。 「……それでは、これで一通り自己紹介はすみましたね」 「何か質問は?」 「はい!」 「なんです?」 「えーっと……ごめんね、ちょっと失礼なことなんだけど、どーしてもわかんなくて……」 「ルイさんって、男性……でいいんだよね?」 ルイは一瞬ひるんだ顔になったが、仕方がないと思ったようで口を開く。 「……元は」 「元?」 「魔女の義眼を受け継いだ時に、身体も……」 「へ!? そ、そんなことになるの!?」 「普通はならないんだけど、ルイの適性がそれだけ高かった証でもあるのよ」 「そ、そうですかぁ……えっと、すみません。立ち入ったことまで聞いちゃって」 「いえ、お気になさらず。隠し事はしない、という約束でしたから」 「そっか、ありがとうございます!」 「……ところで、お二人はドイツへ戻らなくても大丈夫なのですか?」 「ええ。この件が片付くまでは滞在します」 「先程も申し上げたとおり、ここで引き下がるつもりはございません」 「そうですか。では頼りにします」 「……満琉は? どうすんだ?」 「もう少し体調が落ち着いたら家に帰らせるつもりなんだが……」 「ぼく、帰らないから」 「……って、言い張ってる」 「うーん、協力してくれるなら、そりゃもう心強いけどねー」 「うん、戦力としては確かに心強いからな」 「しかし、本来はここの生徒ではないし、元の学校はずっと休む羽目になるんだろう?」 「大丈夫じゃねーよ」 「外部の人間をこっそり滞在させるというのも問題ですが……ただ……」 「そもそも彼女の力はどういった能力なのですか?」 「わからん」 「わからない? まったく?」 「……う、うん」 「なんか、色々出来るよな。夢の中でオレに話しかけてきたり、ここまで飛んで来たり」 「あの、な、なんでも……出来るわけじゃ、ないよ? 出来ることと、出来ない事はあるし……」 「でも、力を使ってる時は、無意識っていうか夢中で……自分でも何をどうやってるのかは、その、何て言えばいいのか……わかんない」 「オレと、夢の中で会ってた時は? お前の方から話しかけてきたよな?」 「あれは……お兄ちゃんが、どうしてるのか気になってて、何とかして様子を知りたいって思ってたら、いつの間にかああなってた」 「……なるほど」 「魔女としての意見を言わせてもらえれば、彼女の力を頼るのは危険です」 「危険、というのは?」 「まず、能力を使った後に寝込むというのは、持っている魔力の強さに対して器が追いついていないという証拠です」 「私が前に力を使って倒れたのも、まさにこれが原因です。借り物の力を身体に慣らさず急に無理矢理使ったからああなったのです」 「そして、器になじんでいない力は、不安定で暴走の危険もあります」 「暴走………」 「そういうわけで、安易に協力を求めるべきではないでしょう」 「………………………」 思い当たる節があるだけに、沈んだ顔でうつむく満琉。 俺も、正直それが一番恐い。 だからこそ満琉をこの学園にやらず、正体を偽ってまで俺が来たのだ。 「うーん……そうだねー。安易にはまずいって私も思うけど……」 「しかし、相手も強いからな。聖護院先輩は封印したとはいえ学園長はまだ逃げてる」 「でも、彼女に頼って倒れるどころじゃない事態になったら……」 「そ、それはそうですが」 「急に、無理矢理使うのがよくないんでしょ? そうじゃない使い方を覚えればいいんだよね?」 「……そう言えば、制御方法を本人も知らないというのは一番危険なのでは?」 「確かに」 「ああ、そりゃあ制御できるようになるなら、願ったりだけど……って、おい、満琉」 ふと気が付くと、満琉はうつむいたままゆらゆらと船をこぎ始めていた。 「あらら……まだずっと起きてられる状態じゃないんだね」 「今日はここまでにして、もう寝かせてあげたら?」 「そうしましょう」 「久我くん、どのみち体調が落ち着くまでは、側にいてあげた方がいいでしょう。こんな状態で一人で家に帰すよりは」 「……だな。家まで送ったとしても、このまんま一人で放っておくのは怖いな」 満琉の件は、一旦保留ということで、しばらくは俺の部屋でかくまうことになった。 「これからしばらくは、学園内と寮内を調べて20年前の手がかりを探してみましょう」 「わかった。風紀委員室の資料にも何かないか見てみよう」 「お願いします。私達は消えた学園長の部屋を念入りに調べてみようと思います」 「私達は、少し試してみたいことがあるので、別行動を取らせていただきます」 「試してみたいこと?」 「なんなのよ、それは!?」 「ぬか喜びさせるつもりはありません。形になったら連絡しますので、お待ち下さい」 「……わかりました」 こういう態度の時のルイは、問い詰めても何も話さないことはもうわかっているので、モー子も深くは追及しなかった。 納得いかないらしいハイジは横でむくれているが。 「では皆さん。よろしくお願いします」 「おっけー!」 「任せて! 頑張ろうね!」 「ああ、なんとしてでも真相を突き止めよう」 「んじゃ、俺はひとまず満琉連れて戻るから」 「ええ、お大事に」 ……と、言うわけで、今日はひとまず解散ということになった。 眠ってしまった満琉をおぶって、寮へと戻る。 モー子は何やら見たい資料があるとかで図書館に残り、村雲もスミちゃん達に呼ばれて行ったので、なんとなく俺達二人きりだ。 学園内はもう風紀の見回りも終わり、誰の気配も残っていない。 さあっ、と夜風が音を立てて吹き抜けていった。 「……………ぅ……ん」 すやすやと寝息を立てていた満琉が、微かに身じろぐ。 「……ん? あ……お兄ちゃん……?」 「あれ、起きちまったか」 俺の方にもたれていた頭を上げて、きょろきょろしているのが気配でわかった。 「……ぼく、寝ちゃったんだ」 「いいから寝てろよ」 「会議は?」 「もう終わったよ。今日は解散」 「うー……ごめんね。ぼくが寝ちゃったからだよね」 「別にそうでもないさ。今日はもうあれ以上話すこともなかったろうし」 「…………そう?」 「ああ、だから気にすんな」 「……………………………」 満琉はそれには答えなかった。 無言で頷いた様子もない。 (あー、気にしてんな……) 役に立つ、手伝う、と言い切ったのに直後に寝落ちしてしまったのでバツが悪いのだろう。 なんとか言い訳したいが、上手い言葉が見つからなくて困っている……そんな沈黙だ。 「……お前さ、あんまり無理すんなよ」 「…………………………」 「別に仲間はずれだとか、のけ者だとかにしたいわけじゃない。わかるだろ?」 「………………それは……………うん」 「みんな……そんな人じゃない、のは……」 「だろ? だからそういう心配はしなくていいんだよ」 「それは、わかってる……つもり、だし……お兄ちゃんが何を心配してるかも、わかってるよ」 「………ああ」 ――――暴走。 ルイの言った危険性に、俺達は嫌と言うほど心当たりがありすぎる。 「でも……でもね、今一人で家に帰っても………」 「そーだなぁ……今回はたまたま夢で会ったのが村雲だったから良かったようなもんだろうし」 学園長だとか、洒落にならない相手と接触してしまう危険がないのかどうかは不明だ。 ホムンクルスでも似たような状況が起こりえるのかはわからないが、夢の世界に行った時、学園長もいたと聞いてるから無いとは言えないだろう。 「ただ、家からここまで一瞬ですっ飛んで来たのは、お前の意思だったわけだろ?」 「そこは我慢するってのは出来ないのか?」 「…………………それは、ずるい」 「ずるい?」 「むつきさんも、言ってたじゃない。自分のこと、棚に上げるのは、よくない」 「………………………………」 「こんなわけわかんない学園で、あんな変なの敵に回して、なんとかしようとしてる時点で――」 「お兄ちゃんだって、無茶してるし、ぼくに心配掛けてるんだからね?」 「それを、ぼくだけ我慢しろって、ずるい」 「……………ああ、そうか。そうだな」 困惑したモー子の表情を思い出して、苦笑する。 今の俺も、似たような顔をしてたのかもしれない。 おぶっているおかげで、満琉に顔を見られなかったのは幸いだったかもな。 「悪かった。そこは、お互い様だな」 「そ、そうだよ。だから無理なんだからね!」 「心配するななんて…………そんなの……」 「…………うん」 そうだな、無理だ。 俺だって、満琉に心配するなと言われても、それは出来ない相談だ。 「わかった。ならもう今すぐ帰れとは言わないから、無理に力を使おうとだけはするなよ」 「………わかってる」 「出来そう、ってちゃんと思わない時は、やめとく」 「ああ、そうしてくれ」 出来れば、一切使わせずにすませたい。 いや、そうしなければ……。 (もう、あんなのは御免だ……) ――それから、一週間ほどは、これといった進展も事件もないままに過ぎていった。 「うーん、手がかりないねえ……」 「そもそも、以前に20年前の手がかりを得られたのも偶然でしたから」 モー子が、机の上に置かれた可愛らしいイラストの入ったチラシのようなものを持ち上げる。 図書館の奥の倉庫から偶然出てきた唯一と言っていい20年前の手がかり――当時の学園行事のチラシだ。 「あの倉庫も徹底的に探してみましたが、やはりこれ以外のものは出てきませんでした」 「それだけ学園側が念入りに20年前の情報を隠したという事なのでしょうね」 「風紀の記録もだ。壬生さんがずいぶん念入りに調べてくれたんだがな……」 その鍔姫ちゃんは風紀の仕事で、今日はまだ分室へは現れていない。 ハイジとルイも、前回調べたいことがあると言ったきりなので、まだ調査中なのだろう。 ちなみに満琉は相変わらず、ほぼ寝ている。 「かなり隅々まで、徹底的に探したつもりなんだけどねー。何にも出て来ないね」 「そこまで知られたくないことって、何だろうな?」 「そうだよね。一番の大事は隠してないのに」 「へ?」 「なんか火事があって、生徒が大勢亡くなったんでしょ? これは一大事だよね。学園からしたら不祥事どころじゃないよね」 「うん、まあ、そりゃそうだね」 「でもそれ自体は隠さなかった」 「いやそりゃ、火事で生徒が死んだなんて、隠しようがなくね?」 「けど、行方不明の人達は遺体も何も見つかってないんだよね」 「ああ、だから生きてんじゃねーかって話になったわけだろ」 「うん、そう。じゃあ亡くなっちゃった人の遺体はなんで隠さなかったんだろう」 「え……?」 「全部隠して、謎の落雷があって校舎が燃えました、生徒が大勢行方不明です――って神隠しみたいな事件にはしなかったんだね」 「……神隠し……に、しなかった……?」 「つまり、不祥事そのものを隠蔽する意思はなかった……ということになりますね」 「単に、しなかった、じゃなくて、出来なかった、なのかもしれないけど」 「……………………………」 モー子の指先が形の良い顎のラインをなぞる。 めまぐるしく思考を巡らせている証拠だ。 「そこって何か重要なのかな?」 「うーん、わかんない。わたしは何か気になっただけなんだけど」 と、言いつつ花立はちらりとモー子の横顔を見る。 自身の思考の中を見つめていた瞳が、ふっと上げられ、俺達の方を向いた。 「……どちらだと思いますか。出来なかったのか、しなかったのか」 「ええ? んなもん、火事の原因も、行方不明の生徒を隠した張本人もわかんねーのに……」 「まず大前提として、行方不明の生徒達は20年間誰にも見つからず、夜の生徒として魂を降ろせる状態で隠されている模様です」 「これは尋常な魔術では無いと思います」 「そんなこと出来るの、やっぱり魔女だよね」 「クラール・ラズリットってヤツか? この学園作ったのもそいつなんだよな」 「いやでも、そのラズリット本人も火事に巻き込まれて死んでんだろ?」 「真っ先に亡くなったとは限らないじゃない、まだ生きてる人を隠すとか逃がすとかする暇くらいあったかも」 「そうですね、ラズリットの可能性はまだ否定出来ないでしょう」 「んー、そうか」 「そして、隠された人達をこの時代に無理矢理復活させようとしているのは、学園長達。これは間違いありません。確定です」 「――ここで最初の疑問に戻ります。火事そのものは隠蔽しなかったのか、出来なかったのか?」 「それは……」 「……出来なかったんだろうな」 「私もそう思います」 「どーして?」 「行方不明の生徒達を降ろそうとしてる学園長達はホムンクルスだろ」 「ホムンクルスは、主人に命じられた通りに動く」 「逆に言えば、『火事そのものを隠せ』という命令が無かったのなら、それは出来ないはずだ」 「んで、ラズリットは火事で死んでるから、その後で隠蔽工作とかしようがないし、結果的に出来ない、であってるだろ」 「ラズリットが、死ぬ前に学園長達に、そういう命令は出してなかったってことか」 「いえ、学園長達を作った主人がイコール、ラズリットであるかはまだ不確定ですが」 「ラズリット以外にあんなの作れるか?」 「その時代に、他に魔女がいなかったという証拠はまだないでしょう」 「んー、まあ、今ここにだって、私とヒメちゃんとルイさんと満琉ちゃんって、けっこういるよね」 「そーいや、そうか……」 「しなかったんじゃないか?」 「なんで?」 「全部隠蔽するってことはさ、ラズリットが死んだって事実までなかったことにするわけだろ」 「さすがにそれは、したくなかった…とかさ」 「あー、うん。なんか気持ちはわかるけど、逆に悲しすぎてなかったことにしたくなっちゃうってことはないかな」 「あれ、でも、火事の後、今いろいろやらかしてるのって学園長達なんだよね?」 「ああ、そう………あっ!!」 「……思い出しましたか。学園長達はホムンクルスですよ」 「そうか……あいつら命じられたことを、そのまんまやるんだったか……」 「火事そのものを隠蔽しろとは命じられなかったのでしょうね」 「まあ、ラズリットは火事で死んでるから、命令出来なかったのかもしれねーけど」 「いえ、学園長達がラズリットの作であるかどうかまではまだ未確定ですが」 「他にも魔女がいたかもしれない? あ、でも今もけっこういるしあり得るね」 「もし学園長達の主人が別の人でも、その人も火事で亡くなってるのかな」 「そんな気がするなー。火事を隠しなさいって命じてないっぽいってだけじゃなくてさ」 「何て言うか、今の学園長達が命じられてやってることって、後ろで誰かがずっと指示してる感がなさすぎない?」 「20年前から、夜の生徒を昼の生徒に降ろして、強引に蘇らせなさいと命令し続けている事になりますね」 「それは……なんていうか、人間味がなさすぎるね……」 「命令出来る主人はもういない、だからあんなとんでもない手段を止める奴もいないのか?」 「ハイタースプライトの騒ぎと少し似た雰囲気を感じませんか?」 「曖昧な命令のせいで、予想外の事態が引き起こされた、という」 「確かにな……」 「……まあ、今のはまだすべて推測にすぎませんが」 「そーだね。学園長達は命令がなかったから出来なかったって言い方であってると思うけど……」 「ご主人様の方は、不祥事全部もみ消せなんて酷い命令は、しなかったのかもしれないもんね」 「…………………………」 「ん? なに、もーちゃん?」 「いえ……。睦月、やっぱり、あなたにはかないません」 「??? なにそれ?」 「あっはっは、わかるわかるー! 花立さんいい人だー」 「え、ええ? そっかなぁ……?」 (こういう所、少しおまるに似てるなあ) シビアな推測をしてる所に、お人好し全開な事を言ってのけるあたり。 そして、それに弱いモー子が面白くて、ひそかに笑いをかみ殺す。 「……とりあえず、です!」 モー子はちらりと横目で俺を睨みつけてから、気を取り直したように宣言する。 「こう手がかりがないのでは、推測にすら限度があります」 「探せるところは、ほとんど探したしな。で、なんか他に手があるのか?」 「こうなれば最終手段です」 「なになに?」 「20年前の手がかりを得られそうな『遺品』がないか、リトさんに聞いてみましょう」 「本当に最終手段だな!?」 「私だって出来れば使いたくなかったですよ」 「代償だのなんだの面倒クセェからなー……」 「けど、そんな遺品あるの?」 「それは聞いてみないことには……」 モー子の言葉を遮るように、分室の電話が鳴った。 話の腰を折られても大して動じず、モー子がすぐに受話器を取り上げる。 「はい。特殊事案調査分室ですが――」 「………………………」 ルイは相変わらず、私の存在など感知すらしていないかのような態度で本を読みあさっている。 (……何を探しているのかくらい教えてくれてもいいのに……) それを教えてくれれば、私も探せるのだから、効率がいいはず。 なのにルイは、後ろからついてくる私に目もくれず書架の間を行ったり来たりしっぱなしだ。 これはただ単に、自分の考えが外れていた場合、他人――この場合は私だ――まで、その間違いに付き合わせるのが嫌なのだとはわかっている。 (でも、傍目には、私がまったく頼りにならないからとでも思われてるみたいじゃないの……) それを訴えた所で、どうせこの毒舌執事は、そんなもん知るか、としか言わないのでしょうけれど。 (おかげでここ数日、分室の方にも顔を出せてないから、向こうの進展具合もわからないままだし) 何かあればさすがに呼びに来るだろうから、おそらく何も進展はないのだろうとは思う。 けれど、書架の間を泳ぐ熱帯魚か何かみたいになっているルイの後ろをついて歩くだけの時間は、さすがにもう飽きた。 (さっき、コガが通りかかった時に、声でも掛ければよかったかしら) 彼はこちらには気づかずまっすぐに分室へと入って行った。 何も進展が無くても、多少話でもすれば気も紛れたかもしれないのに。 相変わらずの独り言が耳に届いて、思わず不満が声に出てしまった。 「何か言ったか?」 読んでいた本をぱたんと閉じながら、珍しくルイがこちらに反応する。 タイミング良く、本から目を離した瞬間だったせいだろう。 「ずっと何を探してるの? それくらい教えてくれないかしら?」 「言ってなかったか」 「一言も聞いてないわよ!」 さっさと歩き出すルイの後ろをついて行く。 「言ったつもりになってたの? それじゃあ今まで私が何もしてないのを見て、おかしいと思わなかったの?」 「気づかなかった……ああ、この辺かな」 また本棚に手を伸ばしたので、無視され始める前にとルイの顔を横からのぞき込む。 「何を探してるの? 教えてくれてもいいでしょ!」 「ネコを連れてくる方法」 「は?」 「教えたぞ。わかったら邪魔するな」 ぐい、と額を押されて押し戻された。 「………ねこ?」 なぜこの状況で、猫なのかしら。 猫と言えば――と、壬生鍔姫の顔が頭に浮かんだ。 (いや、まさか、この状況で彼女を喜ばせる方法を探してるわけがないわ) 20年前の事件を放り出して、そんな意味不明な行動に出るわけがない。 なにせルイだし。 (じゃあ何か理由があるのね。何かの魔術に必要だとか?) 使い魔とか、何かそういう魔術媒体として猫が必要で、それによって人間では探れない場所とか、何かを調べる手段を思いついているのかも。 (そうね、ルイのことだから、そういう搦め手的な作戦も思いつきそうだわ) しかも無理だった場合、とんだ骨折り損になりそうだから特査の人達に言わなかったのも頷ける。 それなら私は、ルイが調べ物をしている間に、どこかから猫を探してくればいいのでは。 「……ねえ、ルイ。だったら私、そっちに行った方が……」 「ああ、そうだな」 「でしょ? じゃあすぐに……」 「大至急だぞ。部屋にあったはずだろう」 「何を驚いているんだ。この間、破壊した魔法陣の写しは取ってあっただろう」 「それを取ってきてくれと言ってるんだ。行くと言っただろう、急げ」 「わ、わかったわよ!」 いつの間に猫じゃなくて魔法陣の話になったのか、さっぱりわからないけど仕方が無い。 「あら……ごきげんよう」 東寮へ戻ってくると、ちょうどロビーへ降りてきた黒谷真弥と出会った。 確か、久我三厳と同じクラスで噂話やなんかが大好きだという娘だ。 (……あ。噂が好きならもしかして……) 「ねえ、ちょっと聞いてもいいかしら?」 「ん? なに?」 「この寮で、猫を飼ってらっしゃる人っていないかしら」 「猫? いないと思うよ。一応ペットは禁止だから」 「そう……。だったら何か、猫を連れてくるというか、猫を呼び寄せる方法ってご存じない?」 「猫を? 飼いたいの?」 「ああ、その、私がではなく、欲しがってる人がいるの」 「そっかぁ。うーん、街に出られればペットショップ行けばいいだろうけど……」 「外出はちょっと」 「だよね。休暇の時期はまだだしね」 そういう問題ではないが、説明するとややこしいことになるので黙っておく。 「またたび? 植物よね?」 「猫が酔っ払うんだよ」 「ええ、知ってるわ。ハーブにもキャットニップという似た効果のものがあるの」 「へーっ、そうなんだ? またたび以外にもあるんだ、知らなかった!」 「うーん、でも、あいにく今キャットニップは持ち合わせがないのよね」 まさか猫を呼び寄せる必要があるとは思わず、香水の材料であるハーブの中には入っていない。 実家にはあるのに……。 (取り寄せてる暇はないわよね。この辺に植わってもなさそうだし……) 「他は、そうだねー、魚?」 「魚? エサで釣るということ?」 「……そうね」 というか、もしいたら……それこそ壬生鍔姫がそこに入り浸っているに違いない。 (ツバキがそういう行動に出ていないってことは学園周辺にはいないのね……) だからルイは、召喚術なのか何なのかわからないけど魔術的な手段を取ろうとしているのかしら。 (あら、でも、取って来いって言ってた魔法陣の写しって何に使うの……) 「え!? なに、どしたの?」 「ごめんなさい、私、お使いの途中だったの思い出したわ。すぐ行かなきゃ」 「あはは、そーだったんだ。じゃあねー」 急げと言われたのに、思わず猫の話に夢中になってしまった。 「……面白い人だなー」 「なんだろ、これ? 猫の置物?」 「かーわいい! アーデルハイトさんの落とし物かなぁ……?」 「――ああ、吉田さんでしたか」 電話は、クラスメイトの吉田そあらからだったらしい。 少し慌て気味の吉田の声が、受話器越しに漏れ聞こえてくる。 「黒谷さんですか? いいえ、来られてませんしもう帰寮時間はとっくに過ぎてますから、外には出ないのでは?」 『そのはずなんですけどぉ……』 「……どうしたんです。まさか、姿が見えないということですか?」 何となくモー子に注目していた俺達は、えっ、と顔を見合わせる。 黒谷が、いない……? 『そ、そーなんですっ! 帰ってこないし、寮の中探してもいないし……』 「落ち着いて、吉田さん。帰ってこない、というのは?」 『あっ、ごめんなさい! えっと、最初、ジュース買ってくるって部屋を出てったんです』 「ジュース……寮の一階ロビーにある自販機、ということですね」 『はい、そうです。なのに、やけに遅いからどうしたのかなーって見に行ってみたら、いなくて……』 『入れ違ったのかと思って部屋に戻ってみても、やっぱりいなくて、それで探してるんですけど、見つからないんです』 『心配しすぎかと思ったんですけど、寮から出るわけないのにどこいったんだろうって気になって、それで……』 「――わかりました。私達の方でも探してみましょう」 『すみませんっ! ありがとうございますぅ!』 「いえいえ、吉田さんは部屋にいて下さい。戻ってくるかも知れませんし、もう時間も遅いですから」 『はい、わかりました!』 「ええ、それでは」 「だいたい聞こえていたかもしれませんが、黒谷さんの姿が見えないそうです」 「んじゃ、すぐにその子探しちゃう?」 「お願いします。何事も無ければいいですが、この学園はとにかく油断できませんから」 すちゃ、と首元にぶら下がっているヤヌスの鍵を取り出しながらスミちゃんが言った。 ヤヌスの鍵は遺品の一つであり、頭に思い描いた場所、もしくは思い描いた人物のいる所に即座につながる扉を開く効果がある。 「だよねー。んじゃさっそく……って、あ、私じゃ駄目だ。その子の顔わかんない」 「あー、じゃあオレがやるわ。鍵一回くらいなら余裕だし持ってるし」 二本あったヤヌスの鍵は、元は学園長が持っていた分も俺達特査が入手しており、現在は村雲姉弟が一本ずつ持っている。 「そうですね、私も一度なら平気ですが村雲くんの方が安全でしょうね」 モー子は魔術耐性といって魔術が効きにくい体質を持つ代わりに魔力が低いのだそうだ。 鍵の一回使用分くらいはあるようだが、二回目以降となると近距離なら成功するかも、くらいになってしまうらしい。 俺に至っては、低いどころか魔力ゼロである。 花立も黒谷とは面識がないので、ここは数回は使っても平気そうな村雲に任せるのが無難だろう。 「んじゃ、しーちゃんお願い」 「わかった」 「黒谷の目の前に、急に扉が開いたらまずいよな? そーっとのぞくか?」 「一応、そうして下さい」 村雲は自分の持っていた鍵を取り出し、分室の扉の前まで歩いて行く。 魔力の強いスミちゃんなら、空中に扉を出現させる事も出来るのだが、村雲は慎重に扉を介することにしたらしい。 「……ん? 庭か?」 「庭?」 「庭園に、見えるんだが……あれ、誰もいねえぞ?」 「えー、そんなはずないよ」 「だって、ほら」 そう言いながら、村雲が、薄く開けていた扉を全開にする。 そこは確かに学園の庭園だった。 「……ほんとだ」 「人影は、ないですね……」 「なんでだろ? ヤヌスの鍵が反応したってことは間違いなくここにいるはずだけど」 「お前、ちゃんと黒谷の顔思い浮かべたんだよな?」 「んな初歩的なミスするかっ! 全校生徒の顔と名前は把握してるの知ってんだろ!」 「そうだよなあ……じゃあなんでだ?」 「……異常事態と見た方がいいですね」 「二手に分かれましょう。ここにつながったと言うことは庭園を探すべきですが――」 「この事態についてはリトさんにも聞いてみるべきだと思います」 「鍵がおかしくなってないかとか、なんか変な遺品が暴れてないかとか?」 「……最終手段ってやつだな」 「危険な方法ではありますが、学園内の捜索はもう手詰まりですから」 「そういうわけで、久我くんと村雲くんは、リトさんの所へお願いします」 「俺らが? 遺品の話ならモー子のが良くないか?」 「きみはいざとなったら、宝物庫へ入れますから」 「……なるほど。わかった」 「じゃあ、わたし達は庭捜し?」 「あー、挨拶して来よっか」 そう言えば、花立はリトとはまだ会ってないんだったかな。 「じゃあ私と鹿ケ谷さんで庭園だね」 モー子達は開いた扉から、そのまま庭園へと出て行った。 村雲が扉を閉め、鍵を抜いて普通の扉に戻す。 「よし、行こうぜ。静春ちゃん、花立」 「ちゃん言うなっ!!」 「あれ? 『むっちゃん』は?」 「えっ……あ、えーと」 そう言えば、そんなあだ名つけたな。 「おう、自分で命名しといてどうした」 「急に強気になるなっ! えーと、すまん、もうちょっと慣れるまで勘弁しといてくれ」 「むー、しょうがないなー」 「とりあえず早く行こうぜ」 「おっけー! 行こう!」 「がんばるよー!」 「……なんであんなにやる気まんまんなんだ」 「もともとやる気で特査入り希望したのに、ここんとこ何も進展なしだったからなあ」 「二人とも、早くー」 「へいへい」 「まあ、いいけどよ」 「リトー、いるかー?」 書架の間をのぞきながら歩いていると、奥の方の棚の向こうから、リトがふらりと姿を現した。 「ああ、リト。えっと、この子は、花立睦月って言って……」 「わーい、リトだー! やっほー」 「あら、花立睦月。久しぶりね」 「え? 知り合い?」 「そーいや、2年になる直前まで図書館に出入りしてたんだから、リト知らないって事はねーわな」 そうか、挨拶って久々に会うからって意味か。 「モー子も花立も上級生って、すぐ忘れるんだよなあ」 「オレもなんだがな……」 「お前は覚えてても一緒だからいいだろ」 「雑だな、扱いがっ!?」 「うーん、わたし久しぶりって感覚も微妙にないんだよね。意識無かったから」 「そうらしいわね。でも異常はなさそう」 「おかげさまでねー」 女子二人は、知り合いどころかけっこう仲が良さそうだ。 「それで、挨拶に来てくれたの?」 「うん、それもあるんだけど、ちょっと聞きたいこともあるんだ」 「なにかしら」 「まず確認なんだが、ヤヌスの鍵って誤作動すること普通はないんだよな?」 「あり得ないわね。もちろん、魔力が足りていなければ別だけど」 「うーん、じゃあ黒谷は、何故か姿が見えないってことになるのか?」 「扉が開いた瞬間、どっかにワープして行っちゃったとか? そんな遺品あるの?」 「瞬間的に、別の場所へ移動する遺品の中で最も汎用性が高いのはヤヌスの鍵よ」 「いやそれだと、黒谷がなぜかもう一本ヤヌスの鍵持ってることになっちまう」 「あの鍵って全部で何本あるの?」 「今この学園には二本のはずよ」 「春霞が持ってるのと、オレがさっき使ったやつだけだよな」 「実は三本あるなんてことはないか?」 「私の記録には二本となってるのだけれど」 「じゃあやっぱ、黒谷が持ってるわけねーよ」 「それに、鍵使ったなら、村雲くんが扉を開けた時はギリギリ後ろ姿とかは見えるんじゃない?」 「そうだな、既に移動した後なら、こっちの扉は移動先の方につながるだろ」 「んー、鍵の線はまあ薄いよな。そもそも二本しかないはずだし」 「じゃあ別の遺品なのかなあ」 「遺品とも限らないけどな。案外、見えにくいところで転んでただけなのをモー子達が見つけてくるかもしれないし」 「その程度の話ならいいけどな……」 「質問はそれだけかしら?」 「いや、もう一つ教えてくれ。実は20年前の火事の時、この学園で何があったのか知りたいんだ」 「ああ、それは知ってる」 リトは実は、特殊なホムンクルスだ。 彼女を作ったのは、先日の会議でも話題に出たクラール・ラズリットである。 抱えている巨大な本の方が本体なのだそうで、それは遺品の目録や学園の記録だという。 しかし、その記録は20年前の部分だけが魔術的なインクで塗りつぶされてしまっている。 何者かが、リトの記憶からも20年前に起きた出来事の真相を消し去ったのだ。 「だから、過去の出来事を探ることが出来るとかさ、そういう遺品って何か無いか?」 「あるわよ」 「あ、あんのか」 「相変わらずの即答だねー」 「で、それどういう遺品なんだ?」 「名前はアンブリエル。『双子のための思い出のペン』として作られた遺品で、条件さえクリアすれば過去を知ることが出来るの」 「使い方とか、色々詳しく」 「形状は二本の羽根ペンと、インク壺がセットになったもの」 「ペンと、インク?」 「これによって、過去の出来事を探ることが可能よ」 普段は箱に入っている、二本の羽根ペンと、インク壺の遺品だそうだ。 過去の人間の記憶を筆記することができるらしい。 「具体的にはどうやって使うの?」 「使用には、過去…貴方たちが探りたい時代にその場にいた人物の持ち物が必要になるの」 「持ち物ぉ!? ただでさえ手がかりねえってのに…」 「羽根ペンに魔力を込めて、ペン先で軽く持ち物を叩くの。それから羽根ペンを何かしら紙の上に置くと自動筆記を始めるわ」 「自動筆記って何を書くんだ?」 「その持ち主の、過去の記憶よ。これによって過去の出来事を知ることができる、ということ」 その遺品を使うには、探りたい人物の持ち物が必要らしい。 ペンに魔力を込めて持ち物を叩くと、過去の記憶が書き出されるということだ。 「危険とかないのか? 使うのに異常な魔力がいるとか代償とか……」 「適切っていうと?」 「決められた使用法の通りに使えば、ということ。魔力のない人が触れても動かないから勝手に発動する事はそもそもないはずよ」 「なるほど、危険性は低そうだな」 どうやら魔力がなければ動かないタイプの遺品らしい。 魔力以外の何かを吸い取られるということはなさそうだ。 「他に聞いた方がよさそうなことは……」 「うーん、遺品の危険性は低そうだけど……でも20年前の人の持ち物なんてあるかな? ただでさえ手がかりも何も出て来ないのに」 「んーー、そっちは後で考えるとして、まずはその遺品を手に入れとくか、箱に入った羽根ペンを探せばいいんだろ」 「宝物庫か……。てめーは、普通に入って出れるんだよな?」 「心配されるような事は何も起きねえよ」 「心配なんざしてねーけどな!?」 「はいはい、宝物庫にれっつごー」 「あ、リト。ありがとねー」 「いいえ。いつでも来るといいわ」 「ああ、後でもう一回、遺品の使い方詳しく聞きに来ると思う」 「そう。なら待ってるわ」 「ほほー、これが宝物庫かぁ」 図書館の奥にある階段を、さらに地下に降りた所。 そこに宝物庫はあった。 一見、薄ぼんやり光っているだけで、扉も何もないように見えるが―― 「うわ、本当だ。なんか弾かれる」 そーっと指先を近づけてみて、すぐさま手を引っ込める花立。 「それ以上近寄ると、吹っ飛ばされるぞ」 実際、おまるが一度吹っ飛んだことがある。 「おけおけ。下がっとく」 「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」 「いってらっしゃーい」 「早くしろよ」 学園長を追いかけて以来の宝物庫へと足を踏み入れた。 内部には封印の札が貼られた『遺品』がごろごろ転がっている。 「えっと、ペンとインク壺って言ってたか」 それらしいものがないかと、辺りを探してみるが、そもそも札で厳重にぐるぐる巻きになっているのが大半で中身がわからない……。 「……しまった。そういやそうだった」 しかも普段は箱に入っている、とか言ってたような気もする。 四角い形のは、ざっと見回しただけでも、そこら中に転がっていた。 どれにペンとインクが入ってるかなんて、当然見ただけではわかるはずもなかった。 「どうー? ありそうー?」 「すまん、封印の札のせいで形がわからん」 「んだよ、そりゃっ!?」 「お前だって忘れてただろ」 「自信満々に入ってったから、わかるのかと思うじゃねーかよ……」 ひとまず宝物庫から出ながら言うと、村雲はバツが悪そうにそっぽを向く。 「さすがに大きさとか、箱の形とか色とか聞かないと無理だな」 「んじゃ、リトに聞きに戻ろっか」 マヌケな話だが、俺達はすごすごと図書館へと戻ることにした。 「ええっ!? 違うの!?」 「ん?」 「お嬢様じゃねーか。何騒いでんだ」 声の方へ行ってみると、ハイジがルイに向かって何やら食って掛かっていた。 「――ネコって、にゃーって鳴く猫のことじゃなかったの!?」 「当たり前だろう。なぜこのタイミングで猫だ」 「何の話だ……」 まったく意味不明な会話に、思わず村雲が呟くと、二人はこちらに気づいた。 「モー子の判断で最終手段に出る事になった」 「……上等だ。で、あったのか」 「それでわかっちゃうルイさんがすごいよね」 「恐れ入ります」 俺達だけでなく、花立もいると気づいて、ルイは一応、執事らしい礼儀正しい態度に改める。 「ちょっと待ちなさいっ!! 最終手段って何!?」 「この学園で最終手段といえばラズリットの集めた遺品しかないでしょう。察しがつかない方が想像力に問題があると存じますが」 「もめないでよー。ルイさんってば敬語でも言ってる事のひどさ一緒だよねー」 「そうなのよっ!! 無駄に丁寧な分、腹が立つったら……」 「まあまあ、落ち着いて」 ……が、当の花立はルイの態度がどうだろうと、まるで気にしてなさそうだった。 「多分、丁寧なふりするだけ無駄だと思う」 「……そのようだ」 ハイジは花立に任せることにしたらしく、ルイは改めて俺に聞いてきた。 「それで遺品は」 「リトの話だとあるにはあるらしい」 「見つからないのか?」 「封印の札が邪魔で、どれがそうだかわからないんだよ。それでリトにもう少し詳しい形を聞こうかと」 そう言うと、ルイはふっとため息を吐いて肩をすくめた。 「バカだな。最初から相談すればいいのに」 「久我のバカは否定しねーけど、相談してどうにかなるのかよ?」 「静春ちゃん、後で話がある」 「もう少し詳しく遺品の形状と効果を説明してくれ」 「えーと、名前はアンブリエル、だったかな。二本のペンと、インク壷で、過去の事を調べられるって聞いたけど」 俺達のやりとりはさらっと無視される。 まあ、当たり前なんだが。 「ただし普段は箱に入ってるって言ってたぞ。それ聞いてどうするんだ?」 「その魔術道具を『呼んで』やる」 「へ?」 「以前、俺は無意識に遺品を呼び寄せてしまった事があっただろう」 「ああ、変なランプだろ。ホムンクルスが光を浴びると縮んじまうってやつ」 「形状や用途をきちんと意識すれば、意図的に遺品を呼び寄せる事も出来ると思う。――魔女だからな」 そう言ってルイは、すっと虚空に手を伸ばした。 不意に、何の気配も脈絡も無く、ルイの手の中にぱたり、と箱が現れる。 「箱?」 ルイは無造作に箱を開く。 中には――二本のペンと、インク壺。 「これか?」 「あー、これだー! リトが言ってた通り!」 「お前すげーな」 「まあ、別に魔女ではなくとも、この学園の中ならば普通の人間でも目的と波長が合えば呼べると思うが」 「……それでお前達は、これまでもさんざん苦労してきたんだろう?」 「ま、まあな……」 「苦労が増したのは、コイツのせいだけどな」 「不可抗力だっ!! 放っといたら、おまると花立の身体が大怪我してたんだよ!」 「窓から落っこちたのを受け止めようとして、銅像踏み壊したら、それが封印だったんだよね? もーちゃんに聞いた」 「銅像って踏んだら壊れるものでしたっけ……?」 「久我が馬鹿力なんだろ」 「うるせー。だいたい、学園もあの封印とっとと直せばいいのに放置するから……」 「改めて封印し直すとなると、この学園では大変なのではないかしら?」 「だろうな」 「? どういう意味だ?」 「複雑な魔術結界が多いからな、この学園は。それが互いに干渉したり影響しないよう、緻密に計算されて配置してある」 「銅像の結界とやらを直そうと思っても、他の結界に引っかかるので簡単には直せないんじゃないかということだ」 「はー、なるほどねえ」 「とりあえず、この遺品は渡しておくぞ。俺はまだ調べたい事がある」 「ああ、サンキュ」 ルイから箱を受け取り、とりあえず蓋を閉めておいた。 「でもこれ、20年前の人の持ち物もいるんだよね?」 「それを探す方がやっぱ手間だな」 「それも呼んだら、ぱっと飛んで来てくれればいいのにね」 「……あ」 「なんだ?」 「ルイ、もういっこ呼んで欲しい遺品があるんだが」 「………仕方ないな」 ルイは少々苦い顔をしつつも、了承の意を示してくれる。 「何を呼べばいい?」 「ハイタースプライト」 「あいつかよっ!?」 「適任だろ」 「なんだそれは?」 「懐中時計の形してて、開くと妖精が出てくるんだ。その妖精がなんでも探し物をしてくれる」 「あ、それも、もーちゃんに聞いたことある。そっか、妖精さんに探してもらえばいいね!」 「ちゃんと指示しないと大変なことになるけどな……」 「ふん、なるほどな……」 了承したルイは再び手をかざす。 今度もまた数秒もしないうちにルイの手元に懐中時計が現れた。 「これか?」 「これこれ、ありがとな」 「ルイさん、猫型万能ロボットみたいだねー」 「……………………………」 「あんなに優しくなくてよ?」 「あんなに丸くもないし抜けてもいないし、なんとかいう和菓子に異常に執着する趣味もない」 「やけに詳しいな、お前」 「留学先で放送されていたから…」 「ああ、傍らにいるのが非常に手間のかかるお調子者であるという部分だけは否定出来ないな」 「そっ、そうだね、うん。ごめん。なんか、ごめん」 「いやー、助かった。ありがとう、それじゃ」 「おう、リトにもう一回詳しく使い方聞きに行こうぜ」 「……待て。付き合おう」 「なんで?」 「調べ物は?」 「まだ途中だが、そちらの遺品の効果次第では必要なくなるかもしれないから、先に見てみた方が効率が良さそうだ」 「それに、どのみちそいつを動かすのには魔力が必要だろう?」 「ああ、それは確かにいる」 スミちゃんはモー子と一緒に、黒谷探しに行ってるし、鍔姫ちゃんもまだ仕事中だし、満琉はまだ寝てるし。 うちの魔女は全員出払ってるから、とりあえず妖精に捜し物を頼むだけでも、魔力が足りない恐れはある。 「じゃあ、一緒に来てくれ」 リトに改めてペンとインク壺の遺品の方の使い方を聞いて、特査分室へと戻ってくる。 使用方法に関しては、最初の説明以上に難しい点はなく、魔術に詳しいルイとハイジもいたので問題なく使用出来そうだった。 「ならまず、ハイタースプライトだな」 「ああ、頼む。なんせ20年前の生徒の持ち物がなかったら、ペンの遺品も使えないからな」 頷くと、ルイはさっさと懐中時計を開いた。 「はいはーい? 捜し物〜?」 途端に既に見慣れた感のある小さな姿が飛び出し、ふよふよとルイの頭の周りを飛び回る。 「探すよ〜なんでも探すよ〜!」 「わー、かわいいねー」 「見た目はな……」 「何探すの? ねえねえ?」 「20年前にこの学園にいて、学園で起きた火事のことを詳しく知っていそうな人物の持ち物、を探してくれ」 妖精のテンションにも動じず、ルイが淡々と捜し物の詳細を語る。 ルイの言ったことを復唱しながら、妖精はくるりと分室の中を大きく弧を描くように飛び回った。 「おい、これ大丈夫か? 情報量多すぎて混乱してないか?」 「遺品に情報量が多いだのなんだのなんて概念は無いと思うが」 「じゃあなんで、分室の中飛び回ってんだ?」 「俺に聞かれても知るか」 「20年〜20年だよ〜」 「あれ? 大丈夫?」 「何かごそごそしてますけど……」 「あったよー!」 「ええっ!?」 本棚の裏からぽーんと飛び出してくる妖精。 その両腕には、なにやらべろんとした端布のようなものが抱えられていた。 「はい、どーぞー」 そしてそれをルイの目の前に差し出す。 「なんなんだ?」 「……ゴムのようだが」 「ゴム……?」 「あっ、これ水風船じゃない? 破れちゃってるけど。模様とかも、そんな感じ」 「風船? ああ、そう言えばそうみたい」 お祭りなんかによくある、中に水を入れる風船。 確かに感触は風船のようだし、模様もああいう水風船に良くある柄のような気がする。 「なんで分室から出てくるんだ」 「わからんが、20年前の関係者がここにいたことがあるのだろうな」 「しかもなんで水風船なんだろうね」 「他には〜? 捜し物は〜?」 首を傾げる俺達の周りを、妖精がひらひらと飛び回る。 「他の持ち主で、同じ物があれば探してくれ」 「ああ、二ついるのか」 「ペンは二本あるからな。なければ一人分で仕方ないが、あるに越したことはないだろう」 「わかったよー!」 そして器用に両手でノブを抱えて回して出て行く。 「あいつ扉開けられるんだな……」 「そりゃまあ、あれだけ学園中飛び回って大騒動やらかしてくれたくらいだから」 「見つけたよー!」 「早っ!?」 今出て行った、と思った妖精が、速攻でまた器用に扉を開けて戻ってきた。 「今度は何かな?」 「はーい、捜し物だよ〜」 「……え?」 「……………………………」 妖精が引っぱってきたのは、なんとリトだった。 「えっ……リト? え? どういうことだ、これ?」 「……ハイタースプライト。確認するぞ」 「なーにー?」 「これは間違いなく、俺が頼んだ捜し物なんだな?」 「持ち物、って………」 「……遺品にとってはホムンクルスは物だ。そこに引っかかるな」 「あ、ああ、そういう意味なんだぁ……」 「私が必要なのかしら?」 「あー、すまん。聞いての通り、妖精に20年前の人の持ち物を探すよう頼んだんだ」 「ええ、それは理解しているわ。ハイタースプライトは正常に作動している」 「……だろうな。貴方は確か、クラール・ラズリットが制作したホムンクルスと聞いている」 「ええ、そうよ」 「そうか、リトはラズリットの持ち物っていう理屈になるのか」 ラズリットは20年前の火事で亡くなったという。 ルイの頼んだ捜し物の条件には、ちゃんと当てはまっているわけだ。 「えーと、リトを持ち物ってことにしても、このペンの遺品って問題なく動くの?」 「動くわよ」 「それなら、まあ……いいのか、これで」 「なんか複雑だけどな……」 「動かしてみるの?」 「いや、それはモー子達が戻ってきてからにしよう」 「ならハイタースプライトはもういいな」 「あれ〜? 捜し物は〜?」 「終わりだ」 「封印の札は?」 「ああ、オレが持ってる」 「なら頼む」 「探すよ〜? もっと探……」 ルイが懐中時計の蓋を閉じたので、妖精の姿はふっとかき消えた。 「ちょっと可哀相だけど、しょーがないんだよね?」 「魔術道具は不要なら封印しておくのが鉄則だ」 「だよねー」 しかも、過去にあの妖精のせいで起きた騒動の事を考えると、今の使用者がルイだとわかっていても野放しにするのはなんか怖いしな。 懐中時計を預かった村雲が、小さなポケットナイフで指先を切って滲んだ血を、複雑な紋様の描かれた札に塗りつける。 そしてその札を貼り、呪文を唱えて時計を封印する。 「……村雲静春が我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 「刻を、止めよ」 しゅうっ、と札が時計に絡まるように張り付き、遺品は封じられた。 これでハイタースプライトは、しばらくは誰かに呼ばれても出て来ない。 「ん?」 背後で何か物音がした気がして振り返る。 「あ、扉開いたままだったか」 風か何かで扉が揺れた音か――いや、ここ地下なんだから風はないな。 じゃあ何が…… 「きゃーっ!?」 「なんだ!?」 「ね、猫っ!?」 「うわっ、こいつどっから……あー、机の上走るんじゃねえっ!!」 開いた扉から入り込んできてしまったらしい猫が、ひょいと机の上に飛び乗った。 そして周囲の声に驚いたのか、ぴょんと飛び上がって、わたわたと駆け抜け逃げていく。 「あぶねっ!」 はずみで蹴散らされた遺品入りの箱が机から落ちそうになったので、俺は咄嗟に手を伸ばしインク瓶を掴む。 「割れたらどうしてくれるんだよ、もう……」 「無事だった。あれ、ペンどこいった」 「一本は掴んだ。ここだ」 「もう一本か? その辺に転がってないか?」 「こっちにはないみたいですけど……」 「あーん、どこに落ちたの〜? リト、ペンそっちに転がってない?」 「逃げてしまったみたいよ」 「猫か? そっちは別にいいよ」 「ペンが」 「え?」 「ペン先が、毛に絡まったのかしらね」 「………おい、待て」 「リト? 何の話してる……?」 「ペンでしょう?」 「毛に絡まった、というのはまさか……」 「猫にぶら下がっていたわよ」 「それを先に言え頼むからっ!?」 「だって聞かれなかったから」 ……そう言えば、花立が直接リトに聞くまで無反応だった……。 「これだから……ホムンクルスはっ……」 「ホムンクルスの行動原理にムカついてる場合じゃないだろう。ペンだよ、ペン!」 「さ、探そう! さっきの猫!!」 「あ……ハイタースプライト……」 「遅ぇよっ!? 当分使えねーよ!!」 「えーと、封印の札の効果って、三日くらい……だったか……?」 「この札、剥がしても駄目なの?」 「札は触媒に過ぎないから、剥がしたところで発動した魔術の効果は消えないわ」 「なぜこんな事になるんだ。毎回毎回、必要以上に事態がやっかいになる。なぜなんだ」 「なんで俺に詰め寄るんだよ!?」 「お前達の魂に何か問題があって、やっかい事を引き寄せているとしか思えなくなってきた」 「だとしても、今それが当たってるかどうか調べてる暇はないだろう!?」 「追いかけるぞ、猫!」 「おっけー! リト、猫がどっち行ったか見てた?」 「図書館」 「そりゃそうだろうなっ!?」 「その先までは目で追えなかったわ。見えないし」 「だよな……うん、そうだよな……。あーっ、くそ、また学園中探し回るのかよー!!」 なんか毎回、こうなるな。 ルイの言う通りかも知れない……。 「……見当たりませんね」 村雲さんと二人、庭園へ出て辺りを見回してみたけれど黒谷さんはおろか、人の姿はひとつもない。 「こっちにもいないよー」 「こちらもです」 もしや、植え込みや見えにくい場所に倒れてしまっているのではと、付近を捜索してみたが、やはり誰もいないようだった。 「ヤヌスの鍵は反応したのに……」 「なんかこう、瞬間移動する遺品か何かを作動させちゃって、制御できなくてぽんぽん飛び回ってるとか?」 「だとしたら、魔力が尽きて危険な事になってしまいますね」 「……でも、おそらく本能的に元いた場所へ戻ろうとはするでしょう。偶然東寮へ飛んで戻っているかもしれません」 「行ってみようか。戻ってればそれで遺品を封印しちゃえばいいし」 頷き、村雲さんとともに東寮へと向かう。 道中も、黒谷さんがいないか辺りを見回しながら進んだけれど、やはり見当たらなかった―― 「あっ、鹿ケ谷せんぱい!」 吉田さんの部屋を訪ねると、心配していたのだろう彼女はすぐに顔を出した。 「まーやちゃんは……?」 「ここまで捜しながら来たのですが、残念ながら見当たりませんでした」 「こちらにも戻っていないのですね……」 しゅんと、しょげた顔をする吉田さん。 無理もない。 彼女は本人はあまり記憶に残っていないとは言え、一度遺品に触れ発動させた経験がある。 魔力とは魂そのもののことなのだから、魂の奥深くにはその感触が残っているはず。 (黒谷さんが何か、異常な事態に巻き込まれたのではないかと本能的に感じているのかも……) 「どうしましょう? やっぱりわたしも探した方が……」 「いえ、それでは黒谷さんが戻った場合、彼女があなたを心配するでしょう」 「あなたはここで待っていて下さい。捜索は私達が」 ぺこん、と大きく頭を下げる吉田さん。 「特査全員で探していますから、任せておいて下さい」 「はいっ!! ありがとーございます!」 そう言って、吉田さんの部屋を後にする。 「……うーん、やっぱりヤヌスの鍵が誤作動したのかなぁ?」 「それは可能性が低いと思います。今まで意図した所と違う場所に出た事はないでしょう?」 「うん。そんなこと起きたことないけど……」 「でしょう? 遺品が本来と違う働きをした、という事例は今のところ一度も聞いたことがありません」 「庭園には遮蔽物も多い。大きな木の陰などにいて、死角になっていただけかもしれません」 「そうだね。最初、見つからないようにって、ちょっと慎重に開けたから、その間に移動してたのに気づかなかったのかな」 「……もう一度鍵を使ってみましょう」 「リトさんに一度なら確実に使えると聞いていますから大丈夫です」 「そっか。じゃ、はい」 村雲さんから鍵を借り、寮の玄関扉で試してみることにする。 鍵穴に鍵を差し込むと、まるで合っていないはずなのにすんなりと入り、回すときちんと開錠された音がした。 すうっと意識が軽く薄らいだ感触がした。 (魔力が吸い取られる感覚――これだけは何度経験しても慣れませんね……) 魔力は限界を超えて消費しない限り、尽きただけでは倒れる事はないと聞いている。 しかし人より魔力が少ないからなのか、魔力が減ったという事が、私にはいつも敏感に感じられた。 もう少しで尽きる、という身体からのシグナル的なものなのかもしれない。 ひとまず、ノブに手を掛け、扉を開いてみる。 「あれ? また庭?」 「これは……中庭ですね」 先程の庭園とは違う、学園校舎の間にある方の庭に出たようだ。 誰かがうっかり通ってしまわないよう、早々に扉をくぐり閉めておいた。 「黒谷さーん」 村雲さんが数歩先を歩きながら、黒谷さんの名を呼んでいる。 足が滑った。 そう思ったが、転ぶ事はなかった。 どすん、と身体に何かぶつかる感触が有り、視界が斜めになる。 「モー子!」 「……え?」 「おい、モー子大丈夫か? なんでふらついてんだ?」 「ふら……ついて……えっ?」 気づけば私は、斜めになった身体を久我くんにかばわれるよう抱きとめられていた。 ほとんど完全に彼の胸板に預ける格好で、言わば抱きしめられているような状態で、だんだん彼の体温が伝わって……きて…… 「? モー子?」 斜め上からのぞき込むように、私の顔を見下ろしている久我くんと目があった。 「――――――ッ!!」 鼓動があり得ない早さに加速している。 耳の奥に、うるさいくらいに自分の心音が聞こえて来た。 (一時保留! 一時保留っ…!!) 目を閉じて首を振って、胸の奥に封印していた何かが沸き上がってくるのを無理矢理押さえ込む。 何か――うっかり、その何か、に意識が触れそうになって、熱いものに触れた手のように自分の意識を無理矢理引っ込めた。 慌てて久我くんの身体を押すように身を離し、どうにか自分の足で立つ。 「大丈夫かよ? おいモー子?」 「大丈夫ですっ!!」 なぜこの人は……あんな体勢で、あの至近距離で、こんなに平然としていられるのか。 (年上だからですか。大人の余裕ですか。全然大人っぽくなんかないくせに……) 何故か無性に腹が立って、久我くんを無視するようにずんずんと先に歩く。 「おいこら、ふらついてたクセにそんな早足で歩くな」 「ふらついてなんかいません」 「じゃあなんだよ、さっきの千鳥足は」 「気のせいですっ!」 追いついてきそうになる久我くんから、顔を背けるようにして更に足を速める。 (耳が熱い……きっと赤くなってる……) そんなもの絶対見られたくない。 気づかれたら恥ずかしくて死んでしまう。 久我くんの視線が私を追い抜かないように、夢中で村雲さんの後を追った。 モー子は不自然なくらいの早足で、すたすたと先に歩いて行く。 とはいえ、歩幅が違うので、俺は置いていかれることもなくすぐに追いついたのだが。 (………バレてないつもりってのが……) 耳から首筋まで真っ赤になってる。 ついさっきまで、普段通りのモー子だったから、保留の件はちゃんと切り離してんだなと、内心感心してたんだが……。 さっきの体勢で焦ったせいで、色々と吹っ飛んだらしい。 (くっそ可愛いなぁ、コイツ) ちょっと身体が密着しただけで、この状態って……俺が思ってた以上に俺の事意識してたのかな。 とりあえず歩調を落とす。 モー子は俺に追いつかれまいとして、競歩のような動きになっているので、このままじゃ倒れそうだ。 (顔見てぇけどなあ……) それをやると、間違いなく走って逃げるか何かして大騒ぎになるに違いない。 今は我慢しよう。 「それで、黒谷は?」 からかいたい衝動を抑えて、わざと真面目な口調で話しかける。 「……まだ見つかりません。寮にも戻っていませんでした」 思惑通り、モー子はいつもの調子を取り戻して冷静に答える。 まだこっちを向かないと言うことは、顔は見せたくないらしいが、話は出来る状態になったようだ。 「先程、村雲さんに借りて、もう一度鍵を使ってみたところここへ出たのです」 「鍵使ったぁ!? お前が? 無茶するなよ魔力少ないってのに……」 「一回は平気だとリトさんから聞いてます!」 「でもさっき、ふらついてただろ」 「あれは鍵のせいじゃありません、ただ足が滑っただけです」 「じゃあなんで、まだ微妙にふらふらしてるんだよ。やっぱり無理したんじゃ……」 (あ、やべ) 心配になって、思わずモー子の肩を掴んで振り向かせようとしてしまった。 じたばた逃げようとするモー子を慌てて離す。 (もしかして、今ふらふらした感じなのは、まださっきの件で動揺してるだけか?) 確かにヤヌスの鍵1回分だけで、倒れるって事はないはずなんだよな……。 「……そして、ご覧の通り、ここには黒谷さんの姿はありません」 私は冷静ですが何か、と言いたげにモー子はわざとらしいほど平坦な口調で言った。 「異常な事態が起きているのは確かです」 「……遺品か」 「こちらがヤヌスの鍵を使って捜索しているなどと知るよしもない黒谷さんが、こうまで私達の目をかいくぐるのは不可能でしょうから」 「それ以前に、黒谷がかくれんぼする理由が思いつかないしな」 「そういうわけで、黒谷さんが何らかの遺品を発動させてしまった危険がありますから」 「魔力が尽きて倒れる事態になる前に彼女を探し出さなければなりませんが……」 「まともに探して見つかるとは思えなくなってきました。仕方ありませんから、この際ハイタースプライトなどの遺品を使う事も検討した方が……」 「あ……すまん。ハイタースプライトは無理」 「? ああ、ハイタースプライトが人物でも探してくれるかどうかは不明でしたが。リトさんにでも聞いてみたのですか?」 「いや違うんだ。ハイタースプライトはさっき使っちまって、村雲が封印したばっかりだから無理」 「何があったんですか!?」 さすがに驚いたらしく、モー子はぱっと俺の方を振り返った。 そして、目が合った途端、一瞬硬直する。 (あー、気づかないふり気づかないふり) まだ少々顔は赤いのだが、なんでもない風を装い、平静にモー子の顔を見返す。 「………………………」 それで、大丈夫と踏んだのか、モー子はそのまま背を向けずにいた。 ただし非常に機嫌は悪そうである。 (なんでこいつ平然としてんだって思われてんだろうなあ) 顔に出さないようにしてるだけなんだが。 なんとも思ってないわけないだろ、馬鹿。 「おう、スミちゃん」 「…………あ」 「ん?」 「えっと……お邪魔した?」 「いやその、なんか無言で見つめ合ってたみたいだったから」 「むしろ睨まれてたに近いぞ」 「そうです誤解です気のせいです!!」 「そ、そう?」 「それにさっきの聞き捨てならない話はなんですか。ハイタースプライトを一体何に使ったんですか?」 「はいたーすぷらいと……って何だっけ?」 「遺品です。懐中時計の形の……」 「あー、前に学園中の鍵持ってって大騒ぎ起こした妖精さんのことかな? ヒメちゃんからそんな話聞いた気がする」 「ああ、実は……」 羽根ペンとインク壺の遺品の件を、ざっと二人に説明する。 「……で、今はその逃げた猫を探してる」 「事情はわかりました……。それはハイタースプライトに頼むほかなさそうな捜し物だろうということも」 頭が痛そうに、モー子はこめかみを指先で押さえて首を振る。 「でもその猫は何なんですか……」 「なんでいつも、そんな事になるんだろうね」 「俺も知りたい」 「じゃあ、猫と黒谷さんと、両方探さなきゃいけないんだね」 「うん……あ、待てよ。猫の方はヤヌスの鍵を使えないか?」 「……無理だと思います。リトさんの話では、鍵が反応するのは『場所』か『人』だそうですから」 「ああ、そうか。猫は対象外か」 「多分そうだと思うよ。私、お友達の所でやってみたことあるけど駄目だった」 スミちゃんのお友達、というのは異空間にいるモンスター的な何か、としかいいようのない生物だ。 「そりゃあ……あれは人にはカウントされないだろうなあ……」 「だから猫も無理じゃないかな」 「そうっぽいな」 「しかし、もう一回使って中庭に出たってことは、黒谷は移動してるってことだよな」 「……それです。先程と違う場所に出たということはヤヌスの鍵は間違いなく反応している……」 「しかし黒谷さんはいない。ということは彼女は、こちらが発見しづらいくらいのスピードで移動していることになります」 「やっぱ瞬間移動な遺品?」 「それで飛び回ってんのか? うーん、黒谷なら面白がってやりかねないけどさ」 「制御できないだけかもよ」 「正直、それが一番困ります。むやみに魔力を消費し続けている事になりますから」 「だよな……。しまったな、妖精封じないで、蓋閉めるだけにしときゃよかった」 「それはそれで危険ですから、仕方がありませんよ。その処置は間違っていたとは思いません」 「だよねー」 『――特殊事案調査分室の皆さんにお知らせします』 「ん?」 「校内放送?」 『こちら風紀、お探しの案件が無事発見されました。至急東寮へお越し下さい――』 「えっ!? 見つかった!?」 「東寮って事は、黒谷さんの方だよね?」 「だろうな、猫なら分室に呼び戻すはずだ」 「……行ってみましょう」 急いで東寮へとやって来る。 スミちゃんは、黒谷が戻ったのなら一応解決という事で、一旦鍔姫ちゃんの所へ行った。 寮生ではないので、万が一出入りが見つかったらややこしそうなせいでもある。 「――ご迷惑をお掛けしました!!」 黒谷は、普通にひょっこり部屋に戻ってきたのだそうだ。 非常にバツが悪そうな顔で、ぺこぺこと俺達に頭を下げる。 「いや事件でも何でも無かったなら、よかったけどさ」 「うん、ごめん! 忘れ物思い出して、校舎に戻っただけなんだ……」 「無事でなによりでしたが、校則違反ですよ、黒谷さん」 「はいっ!! すみません!!」 「あ、あの、ごめんなさい。わたしが早とちりしちゃったせいで大事に……」 「そあらのせいじゃないよ。黙って行っちゃった私が悪いんだからさ」 「その前に、帰寮時間を過ぎてから外に出てはいけません」 「そ、そうでした……はい。ごめんなさい」 「そんな急いで取りに行かなきゃならん忘れ物って宿題か?」 「そ、そうそうそう! 提出用のノート机の中に置きっぱだったんだぁ」 「まあ、宿題も大事ですけどね」 「んなもん、休み時間にやりゃいいのに」 「きみの方針にも賛同しかねます」 「ですが、優先すべきはやはり校則です。今後は宿題よりは外出厳禁の方を優先して下さいね」 「わかりました! 宿題は諦めます!」 「ち、違うよ、まーやちゃん。忘れ物にも気をつけます、だよ」 「あ……そうでしたっ! はいっ!」 「仕方ない人ですね。吉田さん、忘れ物にも気をつけるよう見張っていてあげて下さい」 「はぁい!」 「うう……ごめんねえ……」 「ま、何事もなくてよかったな」 黒谷はどうやら、なんともなさそうなので、俺達はひとまず分室へ引き上げる。 ヤヌスの鍵をすり抜けた件は、黒谷が風紀委員に見つからないように走って移動していたので見失った、というところだろう。 「あとは遺品のペンだなあ……」 「それほど深刻な問題ではないでしょう」 「封印の札の効力は三日程ですから、それまで待てばハイタースプライトは使えます」 「一応、猫は探すとしても、三日後にはそれでどうにかなります」 「ま、それもそうか」 だったら、今のところ差し迫った問題は、特になくなったわけか……。 「…………………………」 「…………………………」 やばい、会話が途切れた。 事件のことで話すことが、特になくなったので、これといった話題がない。 というか、モー子が冷静でいてくれる話題が思いつかない。 (やばいやばいやばい……) 意識されてるんじゃないか、と思うとこっちまで無駄に緊張してきてしまう。 「………最近あれか」 「な、なんです」 適当なことを話しかけようと思って口を開くと、モー子は既に一言目を噛むレベルだった。 早いだろ、意識する速度が。 (いやでも……まあ……無理も無いのか) 女の子だしなあ。 ……と思った途端、余計なことを思い出しそうになる。 (いやいや、駄目だそれは。肌の感触とかそういうのは一番駄目だ俺) 「……なんなんですか」 「え?」 「そ、そちらから、話しかけておいて……なぜ黙るんです……」 「あ、すまん。思いつかなかった」 「……………………………」 ああ、また機嫌を損ねた。 モー子は口を尖らせて少しうつむいてしまう。 「言っとくが別に、からかってるわけじゃないからな」 「……………じゃあ、何ですか今のは」 「微妙な空気の沈黙が気まずいから、何か話しかけようと思って失敗しただけだ」 「っ………」 一瞬、目を丸くして俺を見返す。 しかしすぐに、さっと目をそらした。 (おー、赤くなってる赤くなってる) モー子は隠してるつもりらしいが、首筋まで赤く染まっているので丸見えである。 「そんな……ことを…………」 「ん?」 「そんなことを、はっきり口に出すのはどうかと思いますっ」 「失敗しましたって話か? 適当に嘘吐いて誤魔化した方が良かったか?」 「う、嘘までつけとは言いませんけど……」 「そうだろ、どうせバレるしな」 「え……」 「賢いもん、モー子。誤魔化せるなんて、思ってねえよ」 「……………………………」 言葉に詰まり、モー子はもじもじと両手を胸の前で組み合わせる。 「………それは、ずるいです」 「なんで」 「そういうのは、褒め殺しというんです」 「そうか? 素直な感想だけどな」 「……………………………」 「…………それに……そういうのは……」 「か、かしこさは、あまり関係ありません」 「? そういうのって」 「そういうのが、嘘かどうか、気づくのは、賢いとかそういうのじゃ、なくて………」 「……………………………」 今度はこっちが言葉に詰まる番だった。 モー子は、そういう事には極力触れてこないと思ってた。 「……嫌なもんなのか」 「え?」 「そういうの、推理力と一緒にされるのは」 「わ……私は……別に、久我くんの態度や言動を見て分析してるだけ、な、わけじゃ……」 「わかってるよ」 「……………………………」 「けど俺の言う賢いってのも、そういう意味だけでもないぞ」 「夢の世界で、俺がパニクってた時のあれは、推理とかそういうんじゃないだろ」 炎の悪夢を見て、完全に錯乱状態だった俺を、救い出してくれたのはモー子だった。 あれは、推理とか分析とか、そういうの以外の直感的な何かでとった行動だったように思う。 「あっ、あれ……あれはっ、久我くんが、……その、落ち着いてくれないと困るからっ……」 抱きしめて背中をさすってくれた。 そのことを思い出して、また照れくさくなったのか赤い顔をそらしてあわあわする。 (あーもー、可愛いなぁ……) 多分俺は、これが見たくて割と余計なことを言ってしまってる気がする。 駄目だな、もうちょい自重しないと。 「おーい、もーちゃーん!」 「睦月?」 呼び声と共に、手を振りながら花立が駆け寄ってきた。 「早くきてきて!」 「な、なんです?」 モー子の腕を取り引っぱっていこうとするが、ふと俺に気づくと、あっと驚いた顔をする。 「はっ!? ごめん!」 「え?」 「もしかしてもりあがってる感じのところだった!?」 「何を言い出すんですか睦月っ!?」 「ごめんね、もーちゃん! わたし気が利かなくて!」 「ち、違っ……」 「でも急いでるから! はい! じゃあみっちーも手をつないでー!」 「へ?」 花立はモー子の腕をぐいと引っぱって、俺の手に握らせる。 「一緒に行こー! れっつごー!」 「違うっ、違いますっ!! 睦月!! 話を聞いて!? 私と久我くんは…」 「なるほど、わかったよ!」 「まだ何も言ってません――!!」 「なんか急ぐみたいだし後でいいじゃん」 「久我くんっ!? ちょっと引っぱらないで、じ、自分で走れますからっ……!!」 「もう! 二人とも話を聞いて――っ!!」 「来たよー」 結局。 モー子の願いは聞き届けられること無く、分室まで引っぱってきてしまった。 「これで一応は揃いましたね」 ルイは、鍔姫ちゃんやスミちゃんもいるため、気をつかっているのか執事モードだった。 一応、というのは満琉は不在という意味だろう。 この時間だと確実に眠ってるので仕方が無い。 「なんだこれ、魔法陣?」 分室の机の上には、魔法陣の描かれた布が広げて置いてあった。 「……どういうことでしょうか」 分室に来るまでのあたふたした様子はどこへやら、きりっとスイッチが入ったらしくモー子は冷静にルイに尋ねる。 (やっぱ事件となるとさすがだなあ) さすがにもう、それを口に出すほど野暮じゃない。 からかってる場合じゃないので一時封印だ。 「その前に一つ報告だ。遺品をぶら下げてった猫は見つかってない」 「……みたいだな」 「その代わりにと言ってはなんですが、試してみたいことがあります」 「それは、先日おっしゃっていた調べ物の件ですか?」 「そうです」 「風呂屋町眠子が描いたというプリントを持っているそうですね?」 「ええ、ありますが」 「それを使って、どうにかもう一度、風呂屋町眠子を呼び出せないだろうかと考えました」 「風呂屋を!?」 「ここしばらくは、その方法を探していたんです」 「呼び出すって、前みたいに諏訪の身体に降ろすって意味じゃねーよな?」 「あれとは別の方法ですので、ご安心を」 風呂屋は以前は、西寮の生徒である諏訪葵の身体を依り代として夜の世界に召還されていたのだ。 「学園が使用していた西寮の部屋は、西寮自体に魔術的な仕掛けがしてあるので再利用するのは危険だと思います」 「……ですね。あの装置を起動していた時計塔の魔法陣も破壊してしまいましたし」 「なので、学園が使っていたものをアレンジして暗示を掛けない状態で呼び出します」 そのアレンジした物が、この机の上の魔法陣ということらしい。 「当時のことを知っていれば何か聞き出せるかも知れません」 「なるほどな……」 「その媒体にこのプリントを使用するということですね」 モー子はそう言いながら、自ら大切に保管していた風呂屋の書いたプリントを鞄から取り出した。 「これはおそらく印刷されたものですが、それでも大丈夫でしょうか?」 「元になった絵を描いたわけですから、因果的には呼び出せるはずです」 「依り代なしでも呼び出せるのか? それとも誰かの身体に降ろすのか?」 「人体には降ろしませんが、あなたのお姉さんには協力していただきます」 「はあ!?」 「このことだよ」 すっと、鍔姫ちゃんが人形を差し出した。 「それは……村雲さんが憑依していた、壬生さんの人形ですね」 「ああ、スミちゃん人形か」 「うん、そうだよ」 「なるほど。では……」 モー子が魔法陣の真ん中に、風呂屋の描いた絵のプリントを置いた。 「ここに置けばいいんだな?」 「ええ」 ルイに聞きながら、鍔姫ちゃんは人形をそのプリントの上に座らせた。 「原理を説明します。カスミの『物を操る魔女』としての力を、魔法陣を介して呼び出した風呂屋町眠子に一時的に流します」 「そして、風呂屋町眠子には、その力を使い、人形の中に入ってもらいます」 「理屈はわかったけどよ……それ、春霞は大丈夫なんだろうな?」 「大丈夫だよ。力は一時的に風呂屋町さんに貸してる状態になるから、その間は使えないけど、終わったら元に戻るって」 「そういうことです。特に心配はありません」 「風呂屋町に力が流れっぱなしとかには、ならねーんだな?」 「カスミの側に、そうしようという意思が無い限りそうはなりません」 「なぜなら風呂屋町眠子の側には、魔女の力を束縛できるような力は無いからです」 「そうか……わかった。まあ、信じる」 「んじゃ、はじめよっか!」 「はい。お願いします」 スミちゃんは魔法陣に手をかざし、集中する。 俺にはまったく見えないし感じないが、おそらく魔力を人形に流しているのだろう。 傍らで、ルイが何事か聞き慣れない言葉を呟いている。 呪文なのか、単にドイツ語で何か言っているのかも俺にはわからない。が―― 「……来ました」 ひょこん、とスミちゃん人形が小首を傾げた。 「風呂屋なのか?」 きょときょと辺りを見回し、俺に気づくと短い腕をひょいと上げて挨拶してきた。 「うわー…かわいい…」 俺達と風呂屋の会話を邪魔をしないようにか、花立は口許を手で押さえながら小声で呟く。 隣で鍔姫ちゃんも微笑みながら頷いていた。 「私達を覚えているのですね」 「特査分室ですよ。お久しぶりです、風呂屋町さん」 ひょこん、と人形の風呂屋は頭を下げる。 (本当に覚えてんだな……) 見た目は人形だが、仕草や声は間違いなく風呂屋そのまんまだった。 (こいつが、20年も前の生徒だったなんてな……) 懐かしさと寂しさが入り交じった、複雑な思いが交錯する。 「はれ? わたし、なんか小さいですよ?」 「すみません、人形の中に入っていただきました」 風呂屋はひょこんと立ち上がると、くるくる回って自分の姿を見下ろした。 「うわー、かわいいですね! なんだかおとぎ話みたいです!」 「こういうの好きそうだな、お前」 「うん、好きー!」 「ふふ、ありがとう。きっと人形も喜ぶ」 「風呂屋町さん、実はあなたにお聞きしたい事があるのです」 「20年前……いえ、昔、この学園で大きな火事がありませんでしたか?」 そうか、風呂屋には20年後の学園に来ていたなんて概念はそもそもないんだもんな。 モー子の問いに、風呂屋は、くいと首を傾げた。 「……………火事………………」 「覚えていますか?」 「…………………………………」 はしゃぎ気味だった風呂屋は、動きを止めて、しばらく黙り込む。 そして、やがてぽつぽつと語り出した。 「……集会。多分、全校集会か何かがあったんだったと思います」 「わたしたち、講堂にいました。みんな集まってたと思います」 「講堂って昔のだよね? 今とは場所とか違うのかな?」 「先日まで通っていた学園と、その時の講堂は違った感じでしたか?」 「えっと……見た目は一緒だった気がします。うん、この前まで通ってたのと同じです」 「そうですか。火事の前と同じように建て直されたようですね。それで、講堂に集められていて、その後は?」 「先生が来るのを待ってました。ざわざわしてて……それで……」 「……最初に、悲鳴が……誰かの悲鳴が聞こえて、びっくりして……」 「知ってる人の悲鳴でしたか?」 「うーん……わかんないです……。でも、女の子の声でした」 「それで、なんだろうと思ってそっち見たら、なんだか急に……身体の中が熱くなって……」 「身体の、中?」 「そしたら急に、目の前に火が……ごおって湧き上がってきて………………怖かった」 「…………………………」 「………その後は……覚えてないんです。気が付いたらもう、学園に通ってて、普通に暮らしてると思ってて……」 炎に巻かれた後の記憶はあまりないということか。 しかし、身体の中から熱くなって、というのは一体なんなんだ……? 「……みんな……普通に通ってたから………わたしも……に………してて………」 「風呂屋? おい?」 「やはり印刷ですね。長時間は無理らしい」 「もう、とどまれないのか」 「残念ながら」 「風呂屋町さん! その集会の直前でも、最中でも構いません、何かいつもと違うと思ったことはないですか?」 「………知らない、人が……」 「知らない人?」 「集会の最中、突然……本当に、突然思っ……誰か、知らない人が……いる……ここに、知らない人が…」 「唐突に、この場に、知らない人がいると思った、のですね?」 「そう……………」 こくん、と人形の首が頷いたと同時に、糸が切れたようにぱったりと倒れた。 「あ……戻った……」 スミちゃんが、かざしていた手を戻し、自分の掌を見る。 戻った、というのは魔力の事らしい。 「魂は還りました。これが限界でしょう」 「そっか………」 「もう呼び出せないってことか?」 「このプリントに宿っていた因果は今ので使い果たしました。もう無理です」 元々、直筆では無かったので、さっきの短時間が限度だったのだろうとのことだった。 「ですが、貴重な証言は得られました」 「まあな……しかし……」 余計に謎が増えた、とも言えるよな……。 ――翌日。 あの後は早々に解散となり、それぞれ部屋に戻って休んだ。 そして今日は休日である。 「…………………………」 目は覚めたが、時計を見るとまだ早朝だった。 少々ごろごろしていてもいいだろう。 隣では満琉もまだ寝息を立てている。 (……二度寝って気分じゃ無いけどな) さすがに昨日の風呂屋との久々の再会があって、そこまで呑気にはしていられない。 (どういうことだったんだ? 身体が熱くなってってのも奇妙だが……) 集会の最中、誰か知らない人がいた―― (そいつが放火犯なのか? 集会に紛れ込んで、生徒達に火をつけた?) しかし気になるのは、風呂屋の『突然、知らない人がいると思った』という言い方だ。 侵入してきたのに気づいた、という雰囲気ではないような感じだ。 見知らぬ人間が紛れ込んでることに、不意に気づき驚いた――そういう風に聞こえた。 (一体何があったってんだ……) 今こうして考えても答えなんか出ないのだろうけれど、気になって仕方がなかった。 (寝てんのも退屈になってきたな。分室行けば誰か……) 「あ、いけね。忘れ物してんじゃん」 「んー……?」 うっかり声に出してしまい、満琉が反応して寝返りをうつ。 「すまん、分室に鞄丸ごと忘れた。取ってくるわ」 これじゃ黒谷を笑えない。 宿題どころか全部置いてきてるぞ……。 「ふぁ〜い、いってらっしゃ……」 そう言って、満琉はまた眠りに落ちる。 この様子ならまだ当分寝てるだろう。 俺はベッドを抜け出して素早く着替えると、分室へと向かった。 「…………………………」 穏やかな空の色。 休日なので、屋上から見下ろす小道にも誰も人はおらず、とても静かだ。 考えをまとめるには、うってつけだった。 (とは言っても……風呂屋町さんのあの話、どう受け止めればいいのか……) 身体が熱くなり、急に目の前に火が出てきた。 そして、集会中に、急に知らない人がいた。 (言葉通りに受け止めると、何者かが講堂に侵入し火炎の魔術でも放ったと言うこと……?) しかし、何故か違和感があった。 どうもそれだけではないような、気持ちの悪い感覚がぬぐいきれない。 (きっと違う……違和感の正体を突き止めて暴かなければ、全貌は見えない……) 「たいへーん! もーちゃんたいへーん!!」 「睦月?」 泡を食った親友の声に振り向くと、睦月が屋上へ駆け込んできたところだった。 「どうしたの?」 「なんか! すごく! 猫だらけ!」 「……はい?」 「猫がいっぱいなんだよ!!」 「………!」 猫――もしかして、昨日のあれは……。 「行きましょう」 睦月の先導で屋上から階段を降りていくと、案内されるまでもなく、寮内は既に異常事態になっていた。 「こ……これは……」 廊下は、猫で溢れていた。 「ね?」 「……猫だらけ、ですね」 たまたま野良猫が迷い込んできた、などというのんびりした光景ではない。 猫カフェでもこんなに大量の猫はいるまい、と断言できる数の猫が廊下中をうろうろしていた。 にゃーにゃー鳴きながら歩き回る猫、全て悟ったような顔で座り込んでいる猫。 とにかく猫。至る所に猫。 「何が起きてるの、これ」 「これはおそらく、遺品……」 「猫だらけになる遺品?」 「いえ、人を猫の姿に変えるものなの。確か『シュトルム・カッツェ』と言ったはず。以前、一度処理したことがある」 そう言いながら、すぐさま使えるよう懐から封印の札を取り出しておく。 「もしかしたらこれを暴走させたのは……」 「え? もーちゃん何か心当たりがあるんだ?」 「ええ、でも後で説明するから。今は遺品を封印することを優先しなくては」 「いい、睦月。どこかに小さな猫の置物があるはず。けれど、それと目を合わせてはいけないから」 「目を合わせると……こうなっちゃう?」 「わかった!」 「……あっちの方が猫の数が多い。行ってみましょう」 「ねえ、もーちゃん」 「なに?」 「みっちーは呼ばなくていいの?」 「……今日は休日ですし、まだ部屋で呑気に寝ているかも知れないし」 「そうなの?」 「そうです。きっとそう」 「だいたい、あの人は年上のくせに子供だし、自分のことは何も言わないくせに他人には……」 「へー」 「……なに?」 「夫婦喧嘩みたいだね!」 「だって奥さんの愚痴みたいだったよ」 ――うかつだった。 置物に気を付けろと言ったのは自分の方なのに、慌てるあまり私は角を曲がる時その事をすっかり失念していた。 「――――!!」 置物――そう認識した時には既に遅く、ぱあっと目の前が真っ白になり、次の瞬間私の身体はもう適切な大きさの身体を失い、制服の中に埋もれていた。 慌てて制服の中から抜け出す。 もがいた手は、いや手ではなく前足は――まぎれもなく猫だった……。 「えっ!?」 背後で睦月が素っ頓狂な声を上げる。 「にゃーっ!!(来ないで!!)」 まだ角を曲がりきっていない睦月に向かって、そう訴えた。 「ええええっ!? あの、え? 猫? もーちゃん!?」 「にゃあ、にゃーっ!!(来ては駄目、置物があるから!!)」 「よ、よくわかんないけど、もーちゃんがその状態って事は……う、うん、わかった! その先は危ないんだね!!」 どうやら状況はわかって貰えたようで、睦月は足を止めたまま後ずさる。 (うう……情けない……) 以前、久我くんが考えなしに飛び出そうとした時には、あれだけ注意したのに……。 「にゃ、にゃなーお(すみません睦月。うっかりしていました。あなたは気をつけて)」 「うんうん、わかったよ!」 (通じてる? よかったさすが睦月…) 「……もーちゃん、その格好じゃ無理だもんね! おっけー、わたしが封印するよ!」 「目を見ちゃいけないんだよね。なら、これで……」 「にゃー!(ちょっと睦月! 危ない真似はしないで!!)」 「だいじょーぶ! ほら、手鏡持ってるから、これで映して見ればいいでしょ?」 睦月は胸ポケットから取り出した手鏡をかまえ、角の向こうを映してのぞく。 「あったあった! えーと、確か……もーちゃん、ナイフ借りるね」 睦月はちゃんと封印の仕方を覚えているようで、散乱した私の制服を探っていつも封印に使っているナイフを取り出した。 そして、親指の先に小さく傷をつけ、にじみ出た血を札に押しつける。 「花立睦月が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる!」 そして猫の置物に札を貼り付け―― 「刻を、止めよ!!」 呪文を唱え終わった。 ……が。 「にゃー!」 「あれ!? あれー!? みんな人間に戻ってない!?」 「にゃあ! にゃーにゃう!」 「え? なんで? どうして戻らないの? 呪文、間違えてないよね? これで封印出来たはずだよね?」 「うにゃあ、にゃー!」 「え、えっと、ごめん。もーちゃん……わかんないや……」 落ち着こう。 そりゃあ猫なんだから説明しようにも、いくら鳴いても通じないに決まってる。 (久我くん……) 一度、一緒にこの遺品を封じたことがある久我くんならわかるはず。 「あ、もーちゃん?」 「にゃーう!(待ってて睦月!)」 久我くんを呼んでくるしかない。 私は猫の姿のまま、廊下を駆け抜けた。 「にゃーっ!(久我くん!)」 玄関からでは扉が開けられないので、はしたないがベランダから飛び込ませてもらった。 「にゃっ!」 室内には久我くんの姿は見当たらなかった。 妹の満琉さんが眠そうな顔でベッドから顔を出す。 「にゃあ…」 「お兄ちゃんなら、特査の部室に行ったよ〜」 「にゃあ!」 分室に行ったのか。 ならそちらへ向かうしかない。 「にゃーん(ありがとうございます!)」 「どーいたしましてー……」 ……通じてた気がする。 魔女だからなのか、単に寝ぼけていただけなのか、わからなかった。 「えーっと、鞄、鞄……」 どこに置いたっけ。 最近、集まる人数が多いから邪魔にならないように部屋の隅に追いやってる事が多いんだよな。 「にゃー!(久我くん!)」 「わっ!? え、あ、猫?」 急いでいたので開けたままになっていた扉から、猫が飛び込んできた。 「にゃう、にゃー!」 机の上に飛び乗って、俺に向かってにゃーにゃーと鳴いてくる。 なんなんだ、急に。 「あ、お前、ペン持ってった猫か!? ちょっとこっち来い!」 手を伸ばしても、猫は逃げなかったが、前足で猫パンチ的な行動をしてきた。 「はいはい、遊んでんじゃないんだよ。ちょっと来いって、ほら」 「にゃっ…!?」 ひょい、と捕まえて持ち上げる。 リトは毛に絡まってるようだったと言ってたが、見当たらないな。 「割と毛、長いな。絡まって奥の方に埋まってたりしないか?」 「暴れるな暴れるな。ちょっと調べるだけだから」 じたばたする猫を抱いて押さえ、全身を撫で回してみるがペンらしき感触はない。 「足の間に挟んでたりしないか?」 (しませんから!!) 「あ、こら、尻尾邪魔。どけろ」 「……ないか。てか、こんな模様だったっけ、あの猫」 「あの猫とは違うっぽいな。すまんすまん」 「うー……にゃう……」 一度机の上に降ろしてやると、何かを訴えるような目で見つめてくる。 「なんだよ?」 「にゃーう(私です)」 「ははっ、引っぱるなって。人なつっこいやつだなあ」 「にゃー!(ちがーう!)」 「遊んで欲しいのか? あ、もっと撫でろってことかな」 「にゃあああ!!(違いますってばー!)」 「うわ、でけえ声。どうした、ん?」 「うううにゃう……」 「いい毛並みだなあ、野良じゃなさそうだな。ほーれ、気持ちいいか?」 喉の下に指を這わせ、そこから手のひら全体で背中をなで下ろしてやる。 「にゃー……」 「よしよし、可愛いなお前」 (ち、違う、違うのに……喉の下気持ちいい……じゃなくて!) 「にゃぁん……にゃ!」 「ん?」 ごろごろ言ってた猫は、急にひょいと机の上を横切り、普段モー子が座っている席に乗っかった。 「どうした? そこは猫の毛散らかすと怒られるぞ」 「………………………」 「……って、おい」 すました顔で、両手だけをちょこんと、机の上に乗せる猫。 なんだあの仕草。 「にゃー」 そして、俺の方をちらりを一瞥して、呆れたような声で鳴く。 「…お前……それ、もしかして……」 「トイレに行きたいのか? おい駄目だぞ、そんなとこでしちゃ。我慢しろ」 「フーッ!!」 猫は怒ったように毛を逆立てた。 「にゃっ! にゃっ! にゃーっ! にゃうにゃう!」 「猫って確か砂にするんだっけ。ま、外に連れて行けばいっか」 「腹が減ったのか? なんかくださいのポーズとか」 「にゃああーっ!」 「うんうん、『そうです!』って感じの鳴き声だな」 「そういう芸を仕込まれてるのか」 「にゃっ!?」 「すごいな、猫って芸覚えるもんなんだ…よしよし、じゃあ降りようなー」 「にゃあああ!!」 「いってえ!」 持ち上げようと手を伸ばすと引っかかれてしまった。 「どうしたんだいきなり。さっきはおとなしかったくせに」 「にゃん!」 猫はぷいっと顔を背けた。 『お前が悪い』とでも言いたげだ。 その椅子の上でそんな仕草をされると、何となく。 「……まるでモー子だな」 「にゃっ!」 びっくりした事に、俺の言葉に猫がこっくりと頷いた。 「え? マジでモー子の真似?」 「にゃあ!!」 今度はふるふると首を振る。 間違いない、この猫、俺の言葉が通じてる。 てことは、まさか……。 「……………モー子?」 「にゃ」 「マジか!? えっ、モー子? 本人? 本当に?」 「にゃー!」 ……本人らしい。 やっとわかったのか、と言いたげに呆れた目で見てくる。 ま、まあ、さんざん撫で回したりしたからな。 (……というか撫で回したどころか、足開いたりもしたような……) ……覚えてない事にしよう。 いやむしろ、忘れよう。保留中だし。うん。 「怒るなよ、わかるわけないだろ。どっからどう見ても猫なんだから」 「にゃー…」 「大体なんで……あっ! あれか? あの猫になる遺品?」 前にモー子と一緒に処理した遺品の中に、そんなのがあったはず。 「にゃう」 「あれかー……えーと、確かあれって一旦猫になったら元に戻すには……」 「……………………」 「………………キス、だったよな」 「……………………」 「……………………」 なぜかこの遺品の効力、キスで解けるという、作ったヤツ出て来い小一時間問い詰めてやる的な仕様だった、はず……。 「……ま……まあ、しょうがないよな」 「……………………」 「保留っつったけど、これはノーカウントで」 「……………………」 同意してるのか、渋々動かないのか、猫なので表情がまるでわからず不明だが、モー子は大人しくその場から逃げなかった。 (ノーカウント、ノーカウント。だって猫だし……意識するなよ、俺) 「……………………」 なんとなくだが、モー子の方も同じ様な事を考えて必死に冷静なフリをしている気がした。 「んじゃ……」 猫モー子を抱き上げて、ソファに座る。 モー子は、きゅっと目を閉じた。 (だ、だから、猫だってのに……なんで緊張してんだ、俺も……) あまりまごまごしてると、こっちも内心冷静でもないのがバレてしまう。 俺は自分を誤魔化すように、さっと素早く猫モー子にキスをした。 ふわっ、と手が触れていた部分の感触が変わり、見慣れたモー子の髪が目の前に広がる。 「ああ、戻った……な……」 「おかげさまで……………………え?」 しまった。 この遺品、服ごと変身する系じゃないんだった。 「あ…………」 抱き上げていたせいで、素っ裸のモー子が俺の膝の上にいる、という状態に……。 全裸のモー子が、あたふたと手で胸を隠そうと膝の上でもがく。 慌てすぎて、とりあえず膝から降りる、ということすら忘れているらしい。 (うわ、やべえ……) いかん、色んな事いっぺんに思いだしちまった。 撫で回したもんな、さっきも……。 この身体に、あんなこととかこんなこととか……。 「あっち向いて下さいと言ってるのが、聞こえないのですかっ!?」 「え、あ、お、おう」 目を逸らす――が、焼き付いてしまった裸体は脳内から消えてくれない。 (いやいやいや! 落ち着け俺!) 「ふ、服っ! とにかく服を、誰か、いえ、どこかから服をっ…!!」 「……何の騒ぎ?」 「え」 「あっ……」 騒ぎすぎたせいか、図書館から珍しくリトがひょっこり顔を出してきた。 そういや扉開いてたんだった……。 「…………………………」 「…………………………」 「…………………………」 さすがに驚いたのか、リトは無言で俺達の様態をしげしげと見つめる。 こちらも硬直したまま、声も出ない。 「……これは、不健全性的行為かしら?」 「違いますっ!! 断じて違いますっ!!」 「事故だ、事故。遺品のせいだ!」 「あら、そうなの」 「リトさん、すみませんが制服を貸していただけませんか……」 「いいわよ」 リトは自分の予備だという制服を持ってきて、モー子に貸してくれた。 ただし下着はサイズが無いのか持っていないのか、制服のみだったが。 つまりノーブラだしノーパンということで……。 「久我くん……インナーについての発言は一切しないで下さい」 「何も言ってないだろ」 「顔に書いてありますっ!」 「そんなに出てたか?」 「お、OKわかった、何も言わない」 これは本気だ。 下手につついたら大惨事確定だ。 黙っていよう……。 「あの、それとリトさん……」 「何かしら」 「この事は、どうか他の人には黙っていてもらえませんか…」 「わかったわ」 「本当ですか! 何があったのか聞かれても答えないでくれます?」 「このような場合は守秘義務に違反すると答えるわ」 「ありがとうございます……」 リトは嘘を吐かないだろうから――いや、つけないのかな――これは大丈夫そうだ。 「じゃあ私は図書館へ戻るわね」 「はい……お騒がせしました……」 「ありがとなー」 内心、俺もほっと胸をなで下ろす。 こんな事態、村雲あたりにバレたら何を言われるかわかったもんじゃない。 「あとは……他の生徒達です」 「へ?」 「猫になっていたのは私だけではありません。大量の猫で溢れてます」 「そ、そうなのか……」 思っていたより、とっくに大惨事だったらしい。 「行きましょう。東寮です」 モー子と一緒に東寮へと戻ると、花立と村雲。 それに至福の表情を押さえ切れていない鍔姫ちゃんが待っていた。 「あ、もーちゃん! よかったーやっぱり帰ってきたー!」 モー子に気づいた花立が手を振り駆け寄ってくる。 道すがら、さっきまでモー子は花立と一緒だったことは聞いていた。 「解決したのか、こっち?」 「ううん、まだ。とりあえず猫でも言葉は通じたから、部屋には戻ってもらったんだ」 「どうしていいかわからんから、うろうろしてるのが大半だったみてーだからな」 「そっか。ならもう後は………」 「後は?」 「どうやって戻すの? もーちゃん元に戻ってるってことはそんな難しくないんだよね?」 「キスです」 「キスって……」 「この遺品は幽閉された恋人と会いたいという願いが形になったものらしく、そのため最終的にはキスによって人間に戻……」 ものすごい勢いで鍔姫ちゃんが飛んで来て、モー子に詰め寄った……。 モー子が気圧されてる。 「ねねねね猫さん達にちゅーすればいいのか! いいんだな!?」 「あの壬生さん……落ち着いて……」 「全然落ち着いてませんよね!?」 「私は冷静だとも!!」 「残念ながら気のせいです、壬生さん!!」 なんかすごい宣言した、と思ったら意外にも花立が割って入って鍔姫ちゃんを止める。 「な、なんだ?」 「あのさ、さっき、もーちゃんが猫になった時に制服落っこちてたよね?」 「……脱げますから。猫になると」 「そーだよ。女の子はまあ、女同士だからまだいいとしても男子は……まずいよ」 「まずいです。非常にまずいです。しかも相手が、あの壬生鍔姫さんってそれはもう非常にまずいです」 鍔姫ちゃん、人気あるからなあ。 キスされたと思ったら、全裸で鍔姫ちゃんの目の前に出現……思春期の男子には、相当ショッキングな出来事になるに違いない。 「え?」 「えっ!?」 ぽん、と元気よく俺と村雲の肩に手を置く花立。 あれ、こいつ意外と鬼なのか? 「どしたの? 村雲くんだってまずいって同意してくれたよね?」 「し、した、けどな……」 やばい。天然だった。 ある意味鬼よりタチ悪いぞ、こいつ……。 そして傍らで、必死に般若になりそうな顔を取り繕ってる奴もいる。 「い、嫌なんだが……とか、言ってられないよなあ…」 「……くそっ、なんでこんな目に……」 「壬生さんにやらせるよりはマシでしょ?」 「わかってるよ……」 「おい、鹿ケ谷。キス以外での解決方法はなんかねーのか?」 「すべての魔力が放出されるのを待てば自然に戻りますが、個人差がありますし下手をすると一週間ほどそのままなことも……」 「そーだな……」 「おい、犠牲になるのはどっちか一人だけでいいだろ」 「ん?」 「じゃんけんだ」 「……しょーがねえな」 「行くぞ!」 「おう! じゃーんけん……」 「はっはっは、じゃあ頼んだ!」 「くそー……」 だから睨むなよ、モー子……。 好きで負けたんじゃねーっての。 『何でこんな時に限って負けるんですか馬鹿ですか気合いが足りないんじゃないですか』って、目で訴えてくるのはやめてくれ。 「えーっと、じゃあ男子は男子で集めて貰ってそっちでやってね」 「じゃあ静春ちゃん、男子俺の部屋に集めてきてくれ」 「俺が部屋訪ねて回るより早いだろ」 それに男子の部屋をキスして回るってのは、なんとなく心理的により嫌だ……。 「わかったわかった」 「くっそぉ……」 にゃーにゃーと鳴きながら、ぞろぞろ猫が俺の部屋に入ってくる。 「あー、待ってろ。全部揃ってからだ」 早く戻してくれと訴えているのだろう、俺の足下をぐるぐる歩き回っている。 「あ、ルイ」 どんどん猫が集まってくる奇妙な光景に釣られて来たのか、ルイが俺の部屋をのぞき込む。 「ちょっと遺品がな……これ全部、生徒だから今から戻してやるんだよ」 「ほう? どうやって戻すんだ」 「……キスすりゃ戻るんだと」 「メルヘンチックな趣味だな」 「メルヘンでも何でもねえよ! これ全部オスだぞ!」 「……………………」 沈黙し、俺の顔と、部屋中の猫を見回すと―― 「見学させてくれ。猫が人に戻るところが見てみたい」 「……好きにしろ」 大笑いされた方が、いくらかマシな気がする。 この魔術オタクめ……。 「見学だ気にするな」 「物好きだな……」 「げ、起きたのか……。おい静春ちゃん、こいつ連れだしといてくれ」 「ああ確かに情操に良くないな。満琉、ちょっと起きて部屋出とけ」 「なに? なんでこんなに猫が……?」 「遺品のせいだよ。今から久我が、元に戻すから」 「お兄ちゃんが……?」 やれやれ、それじゃ苦行をとっとと済ますか。 「悪く思うなよ、お前ら? 俺だって嫌なんだぞ?」 足下にいた一匹を持ち上げた――途端に、モー子の拗ねた顔を思い出してしまった。 (なんで今出て来るんだ!?) いや、わかってるけど。 たとえオスでも他の奴とキスとか、嫌なんだろうなあとか察しがつかないほど馬鹿じゃないけど。 (いや違うこれはオスだし遺品のせいだし、決して浮気とかそう言うんじゃないから……) 必死にモー子の顔を頭から振り払い、深呼吸して覚悟を決めて―― 「だーーーめーーー!」 「満琉!?」 凄い勢いで扉が開き、満琉が飛び込んで来た。 「みんな、戻りなさーーーーい!!!」 カッ、と満琉を中心に閃光が瞬き室内に満ちた――と思ったら……。 「うわぁっ!?」 「え、あれ、戻ってる!?」 「うわぁぁぁ!! ふ、服っ!! 服ー!!」 俺の部屋は、全裸の男子生徒で寿司詰めになっていた……。 「……やりやがった……」 満琉の心配と、内心ほっとした気持ちとが入り交じって、俺は実に複雑な心境になる。 「あ、あの失礼しますっ!」 「わーい戻ったぞー!」 「前くらい隠せよ、お前っ!?」 男子生徒達は、あたふたと自分の部屋へと駆け戻っていった。 「どうどう、落ち着け満琉」 「うっわ、満琉がやったのか!?」 「お前、なんのために連れ出したんだよ、ちゃんと見張っとけよ」 「いや、遺品のこと説明した途端にすげー勢いで逃げられて……」 「……とんでもないな」 「だって! お兄ちゃんにそんなことさせられないもんっ!!」 「はいはい、ありがとーな……」 「これだけ大量の変身魔術を一瞬ですべて解くとは……参ったな。本当にとてつもない力だ」 ルイは本気でそこにしか関心は無いらしく、しきりに頷いている。 男子生徒達と入れ替わりに、モー子が部屋に駆け込んでくる。 「猫達が急に全員元の姿に戻ったのですが、もしや…」 「うん、満琉がやっちまった」 「……その、久我くんが、本来の方法で戻す前に……ですか?」 「ああ、俺は一匹も戻してない」 「そ、そうですか」 あからさまにほっとした顔をするな。 可愛いだろ。 「おい、まさかこの部屋にいた猫だけでなく、寮内すべての猫を戻したのか?」 「ええ、壬生さんの部屋に集めていた猫もすべて一瞬で戻ってしまいました」 「てことは、鍔姫ちゃんがっかりか」 「あ……」 「……ね、猫さん……猫さんが……」 「ど、どーんまい! いつか卒業して一人暮らしするようになったら、猫飼おう!! ね!?」 「で、結局、これ誰が発動させてたんだ? 突き止めてんのか?」 「え? 俺? えーっとそうだな……」 「学園長が俺たちを混乱させようとしてやった、とか」 「それならばそれで、もっとまともなやり方があると思いますが……この遺品はすでに何度か処理したことのあるものですしね」 「まあ、あやうく精神的なダメージをくらうとこではあったけどな。久我が」 「昨日のことをよく思い出してみてください。特査に猫が現れたときのことを」 「あのペンを持っていったやつだよな」 「その時、私たちは誰を探していました?」 「あっ、じゃああれが! 黒谷か!」 「満琉が無意識にやっちまったとか?」 「今までこのようなことがあったのですか?」 「……いや、ない。一回もなかった」 「それならば可能性は薄いのでは? それよりも昨日も猫が現れましたよね? そしてそれと同時に……」 「そうか、黒谷がいなくなったって騒ぎがあった!」 「昨日のこととかを踏まえると……黒谷、ってことか?」 「そうです。夕べ話を聞いた時にすぐにこの遺品のことを思い出すべきでした。もしも彼女が猫になっていたのなら――」 「ヤヌスの鍵で扉を開けても人の姿はなくても当然だし、走って素早く移動されたら気づかない」 「でも、黒谷は夜になって普通に寮に戻ってたんだろ?」 「あの時はおそらく最初に遺品に込めた魔力が切れて、自然に人間に戻ったのでしょう」 「っつーことは、今朝もう一度猫になろうとして、ミスって暴走させてああなった――ってところか」 「ええ、そうです。行きましょう」 「すいませんでしたー!!」 忘れ物騒ぎの時より深々と頭を下げて、平身低頭謝りまくる黒谷。 「お前なあ……」 予想通り、遺品を発動させていたのは黒谷真弥だった。 「……思ってたら、こんなことになってしまいました。すいませんでした……」 「忘れ物をした、と言ってた時はもう、一度猫になった後ですね?」 「はい……。猫の置物を拾って、気がついたら猫になってました」 どうしよう、と一瞬パニクったものの、こういう事態は特査に行けばいい、と思いついたという。 「でも、猫だし、言葉しゃべれないし……特査の部屋ってどんなんだろーってのもあったんで行ってみたんですけど」 「なんかその、思ったより驚かれちゃったんで私もびっくりして思わず逃げてしまいました」 「その後、どうやって人間に戻ったの?」 「部屋に戻ってしばらくしたら、なんというか自然に」 「んじゃあ、そのときはまだちゃんと上手く使いこなせてたってことかな」 「私達が訪ねた時、ちゃんと置物のことを言ってくれればよかったのに」 「ごめんなさいっ!! もう一回だけ遊んだら返そうと思ってたんですけど、まさか他の人まで片っ端から猫になるとは……」 「んで、特査に来た時、羽根ペン引っかけていっただろ。持ってないか?」 「羽根ペン? あ、なんか人間に戻った時、落ちてたあれかな?」 「ちょっと待ってて!」 そう言って黒谷は自分の部屋に戻ると、すぐに羽根ペンを手に戻ってきた。 「これ?」 「ああ、これだこれだ」 「はいどーぞ!」 「これで全部戻ったねー。よかったよかった」 「ええ、それはそうですが……黒谷さん」 「はい?」 「これはたまたま危険のないものでしたが、次もそうだとは限りません。ちゃんと気をつけて下さい」 「は、はい…」 「最悪、命を落とすこともあるんです。怪しい物を見かけたら、絶対に触らずすぐ特査に知らせること」 「はいっ!」 「私達は日頃そのために活動していますが、あなた方生徒が協力して下さらなければ、意味が無いのです」 「す、すみません……」 「もういいだろ、黒谷も十分反省してるって」 「してるしてる! 本当に!! さすがに悪いことしたなーって思ってる!」 「次に同じようなものを見かけたら?」 「もう二度と勝手に触ったりしません!!」 「ほら」 「……仕方ないですね」 「ん? ああ、前に約束したやつか」 以前、黒谷と吉田と、一度お茶会をやろうなどと約束したのだが、結局どっちかに用事が出来たのだったかで実現はしなかったのだ。 「そうだな、確かにまた今度とは言ってたし」 「でしょ?」 「放課後パーティーって……?」 「なんですかそのいやらしいパーティーは」 「いやらしいって何だよ。黒谷と二人きりじゃないからな、吉田も一緒だから」 「三人で何を!?」 「茶ぁ飲むだけだって!」 「……ほほう?」 「え」 「これはこれは、真弥ちゃんともあろう者が、鈍くてごめんなさい!!」 「ちょっ……黒谷さん……!?」 「すみませんねえ、旦那様を横取りしたみたいになっちゃって〜? そんなつもりなかったんですよ〜?」 にまにまとからかう気満々の表情で笑いながら言うと肘でモー子を突っつく。 「帰れ黒谷!! お前頼むからもう帰れ!!」 モー子が爆発寸前になってる。 俺は慌てて黒谷の背中を押して、その場から追い出した。 「誤解ですからね――――っ!?」 押し出された黒谷に向かってモー子が絶叫する。 「はいはーい、そうですね〜」 「帰れっつってんだろ!!」 「あっはっは、ごめんごめーん」 黒谷は笑いながら手を振って帰って行った。 「本ッ当に反省しているのでしょうね、彼女は!?」 「遺品の方はしてる。多分」 「多分では困るんですよ!?」 「いやいや、さすがに他の生徒巻き込んだってのは本気で悪いと思ってたみたいだしさ」 「睦月……お願いですから、蒸し返さないで……」 「あはは、ごめんごめん。まあ解決して良かったじゃない」 「ペンも見つかったしな」 「…………………」 ふう、とモー子は深々とため息を吐いた。 気持ちを切り替えているのだろう。 「特査分室に全員を集めてください。遺品を使ってみましょう」 まだ多少不機嫌そうではあるが、さすがの切り替えでいつものモー子に戻った。 「それでは、これから遺品を使って20年前の真実を探っていこうと思います」 分室にリトを含む全員が集合する。 いや、満琉は思いっきり力を使ってしまったせいでまた爆睡モードのため不在だが。 俺たちの目の前には、ようやく取り戻した羽根ペンと、インク壷が置かれている。 持ち主の、過去の記憶を書き出すことの出来る遺品、『アンブリエル』だ。 「――わかりやすいように、ノートを二冊用意しました」 モー子が机の上に黒と白の二冊のノートを置く。 リトの話では、遺品に筆記させる紙は別に何でもいいらしいので、羽根の色に合わせて用意したのだろう。 このノートに、過去の記憶を書き出していくということになる。 「20年前の人物。一人は学園の創始者でもあるクラール・ラズリット」 「これはリトさんの制作者でもありますので、遺品はリトさんを持ち物と認識するだろうという事で来て頂いています」 相変わらず、見た目は女の子なので持ち物という表現に違和感はあるが、仕方あるまい。 そして当のリト本人はまるっきり気にする様子はない。 ホムンクルスなので当然の反応なのだが…。 「もう一人は、ハイタースプライトが見つけたという、この水風船の持ち主。この人の素性は今のところ不明です」 「まずはどちらからです?」 「やはり、確実にキーパーソンの一人であろうラズリットからいきましょう」 「了解しました。なら始めます」 ルイは黒い羽根ペンを手に取り、そのペン先で軽くリトの腕に触れる。 「……失礼。これでいいのですね?」 「ええ、これで魔力を込めればいいわ」 「目安としてはどれくらいの魔力を込めれば良いですか?」 「わかりました」 ルイは黒い方のノートを開き、黒い羽根ペンをその上に置くと手をかざした。 魔力を注いでいるらしい。 すると、ふわりと羽根ペンが浮き上がりひとりでに文字を綴り始める―― いよいよ学園が完成する。 天秤瑠璃学園と名付けた。 これから学園長としてこの学園を守っていかなければならない。 責任の重さは途方もないけれどやらなければ。 入学希望の生徒も既に集まりつつある。 みな、幼い頃の私と似た悩みを持つ子供達。 魔女としての力を持て余し、苦悩している。 助けになれば、と思う。 強すぎる力は恐れられ、時には疎まれる。 それらを制御し、正しく使う術を教えることが私には出来る。 魔力と、そして魔術道具。 どちらも使い方を誤れば人を傷つけてしまう。 だけど、恐ろしいだけのものではないはずだ。 それを伝えていかなければ。 魔術道具はずいぶんと集まり、既にいくつもを地下に封印した。 なぜ封じるのか、そんな便利なものを――と言う人もいる。 けれど、ああいった道具に頼らずにいられることこそが本当の幸せではないだろうか。 生徒達に、魔術道具の使い方も教えるべきかどうかは、まだ悩んでいる。 でも、正しい使い方と、誤った時の恐ろしさは、やはり学んで欲しい、とも思う。 それを使わなければならない事態が起こらないようにすることが大切、ということとともに、教えるべきかもしれない。 そうして、子供達が魔術道具に頼らない道を選ぶ日が来ることを願おう。 あの道具達は、いずれ忘れられ本当に『遺品』となるかもしれない。 それならそれでいい。 遺品は、穏やかにひっそりと、歴史の続きを見守っている存在であればいいと思う。 私の魔女としての力。 収集した遺品。 すべてをこの学園に捧げ、守っていこう。 その決意として、ひとつ決めたことがある。 これから私はクラール・ラズリットと名乗ろうと思う。 それは遺品を整理し、封印し、守ってゆく人の名前だ。 「……学園出来たのっていつだ?」 「確か6、70年前ではなかったかと」 「昔すぎるだろっ!?」 「申し訳ない。どうやら魔力を込めすぎて過去に戻りすぎたようです……」 「らしくもないわね」 「初めて触れる魔術道具だったので。さじ加減がわかりませんでした」 「続けてもらっても?」 「ええ、大丈夫です。もう少し調整します」 そう言ってルイは、再びペンに魔力を込め直す。 私はまた選択を間違えたのかも知れない。 一体何が正解だったのだろう…。 しかし今更後戻りすることも出来ない。 覚悟を決めなければならない。 彼女のために。 私は、自分の信じることを為すしかないのだ。 ああ、でも……。 不安で仕方がない。 誰にも言えないけれど、不安でたまらない。 だけどそれは押し殺すしかない。 彼女のために。 彼女は私の不安を敏感に感じ取るだろう。 いや、もう感じ取っている。 いけない、それは彼女の心にも不安となってのしかかる。 私がしっかりしなければ。 彼女のために。 「……『彼女』って誰だろう?」 「この文章だけでは、さすがに見当も付きませんね」 「そうだね。大事な人ぽい、くらいしかわかんないね」 「後戻り出来ない…ということは、この少し前に何かあったのでしょう」 「もうちょっと戻れる?」 「やってみましょう」 今日、彼女が家に来た。 ようやくこの天秤瑠璃学園に、彼女を連れて戻ることが出来た。 ディーチェと呼ばれていた少女。 私は今日から彼女の母親になる。 私の差し出した手を握った彼女も、私のことを、おかあさまと呼んでくれた。 いえ、正しくは――。 おかあさまに、なってくれるの。 彼女は私にそう言ったのだ。 少女の姿をした古い陶器の人形を抱いて、私に手を引かれ、彼女はここへ来た。 この人形だけが、彼女の話し相手だったようだ。 どんなに寂しかっただろう……。 無事に引き取ることが出来て本当に良かった。 彼女は学園を見て、気に入ってくれたようだ。 これから彼女にいろんなことを学ばせてあげて、色んな物を与えてあげられればいい。 ああ、まずは一番大切な物をあげなければ。 『ディーチェ』というのは赤ん坊という意味のただの呼び名に過ぎない。 そう、彼女にはまだ『名前』がない。 なんと名付けてあげよう。 色々考えるけれど、彼女が気に入ってくれるかどうかが心配でなかなか決まらない。 どうしよう……。 「このディーチェ、というのがさっき出てきた『彼女』だろうか?」 「そうっぽいよね」 「とても大切にしている描写からして、同じ人のことのように感じますね」 「……少し休憩させて下さい」 ルイが珍しく疲れた声を出す。 「すみません、先を急ぎすぎましたか」 「そんなに魔力使うの?」 「いいえ。魔力は問題ないのですが、注ぐ量の微調整に神経を使うので……」 「針の穴に糸通す作業を延々やり続けてるみたいな感じか?」 「そういう事です」 「無理する前に言えばいいのに」 「心配してるのにっ!?」 「ああもう、騒ぐな。お茶いれてやるから待ってろ」 さっさと席を立っていた村雲が、既に湧かしてあったポットからお湯を注ぎ茶を入れる。 どんどん手際よくなっていくな、こいつ。 「ねえ、じゃあさ」 「ルイさんが休憩してる間に、こっちの白いペン、使ってみるね!」 「無茶すんなよ?」 「見てたから大丈夫だよ。こうだよね?」 「それで、こう……」 そして白いノートを開き、羽根ペンを置くと手をかざして魔力を注ぐ……。 きがついたら、ここにいた。 いつのまにか。 朝おきたら、おかあさまが『おはよう』と、言ってくれて、それがさいしょ。 そのまえのことは、しらない。 おぼえてない。 おかあさまは、わたしのことをディーチェとよんでいたけれど、なまえをくれるとおっしゃった。 だから、わたしはセディになった。 わたしはセディ。 わたしは、おかあさまがくれた、このなまえが、だいすき。 だって、おかあさまがよんでくれるから。 おかあさまは、わたしの手をひいて、きれいなおにわをあるいてくれる。 おおきなとけいを見につれてってくれる。 おかあさまだいすき。 「ディーチェ、だって!」 「これは……まさか、先ほどラズリットが引き取ったとか言う娘か」 「すごーい! 妖精さんすっごいの見つけてくれたんじゃない!?」 「まさか描かれていた人物がそのまま揃うとは……」 「大きな時計があるってことは、この学園だよな?」 「実際に今会ったらセディさん、かもしれないな」 「じゃあ続き行くよ!」 俄然色めき立ち、スミちゃんは気合いを入れて羽根ペンに魔力を込める。 火がたくさん迫ってくる。 みんなの悲鳴が聞こえる。 どうしてなの。 どうしてこんなことになったの。 お母様は私を抱きしめて、 『すべては愚かなわたしが起こした過ちなの。  ごめんなさい』 と、泣いていた。 わからない。 わたしにはわからない。 この火はお母様のせいなの、と聞いたら、そうだとうなずかれた。 お母様は泣いていた。 わたしは慰めてあげたいと思ったけれど、あなたは逃げなさいと言われた。 わたしにはまだやることがあるから、と、お母様は私をたくさんの火の中から外へと押し出した。 火が壁のようになって、お母様がみえなくなった。 みんなの悲鳴も聞こえなくなった。 お母様。 わからない。 どうしてこんなことになったの。 お母様。 お母様。 さびしい。 「これは…………」 最後の文字が書き込まれた後、しばらく誰も口をきけなかった。 息をのみ、時の向こうで踊り狂う炎を幻視しているかのような気分だ。 「お母様が……って、じゃあ、あの火事を起こしたのは……」 「クラール・ラズリットだった、と読めますね」 「そんな!」 「でもそんなことを軽々しくするような方ではなかったと聞いているし、何か深い事情があるようだわ」 「そんなことはわかっています。その深い事情が何なのかが問題なのでしょう」 「そうだけど……」 ハイジにとっては、ラズリットは尊敬する祖母の親しい友人だったそうだから、そんな恐ろしいことをしてしまった人物と思いたくないのだろう。 (しかしそうだとして、一体ラズリットは何で火事を起こしたんだ……?) 「……リトさん。念のために聞きますが、火事が起きた当日のラズリットさんの様子はどうでしたか?」 「……火事の起きた日は、私は会っていないからわからないわ」 「ずっと図書館にいたのですよね。つまり当日はラズリットさんは地下へは降りてこなかった」 「そうよ」 「それ以前はどうですか? 数日前とか。何か普段と変わった様子は?」 「さあ……私が覚えている限りは、特に変わったことは無かったと思うわ」 「この、ラズリットさんが引き取ったという女の子については? この図書館には顔を出したりしていましたか?」 「知っているわ。いつも、この部屋にこもっていたわ」 「この部屋!?」 「特査分室が、彼女の部屋だったのですか?」 「そうよ」 なるほど、だから水風船の切れ端はこの部屋から出て来たのか。 「火事の後、彼女はどうなりました? 無事だったのでしょうか?」 「わからないわ。火事の後、彼女を見たことは一度も無いから」 「そうですか……」 「けど、ここで『火の中から外へ』って書いてるってことは、火事からは助かってるよな?」 「生きてはいたみたいだけど……じゃあ、その後、何でリトに会ってないんだろう?」 「ここに住んでたなら、部屋に戻って来ればリトにも会うだろう、普通」 「うーん、……助かった後、学園には戻らなかったのかな?」 「続きがすっごく気になるよ!」 「だね。じゃあ続きを……」 「私も、もう大丈夫です」 「本当?」 「ja」 「……って、あれ? 動かないよ?」 「なぜです?」 「ていうか、なんでか魔力を受け付けてくれないみたい」 「どうしたんだろう?」 「……これです。インク切れだ」 「えーっ!?」 ルイがインク壺を手に取り、中を見せる。 確かにインクは底を突いているようだった。 「切れるのかよ、このインク!?」 「これも魔力を液体化したようなものでしょうから」 「これで使い尽くした、ということなのでしょうか、リトさん?」 「いいえ。インクは時間をおけば、再び自然にたまるわ」 「つまり……インク待ち?」 「そのようですね」 「うわー、焦らすなあ! なんだこの遺品!」 「だな」 じゃあ、今日のところはこれで解散、ということになり、ぞろぞろと分室を出る。 遺品による書き出しには思ったより時間がかかるらしく、いつの間にかすっかり夜になっていた。 以前はこの時間帯になると『夜の世界』が現れていて、たくさんの生徒たちが行き交っていたものだが、今はそれもない。 この学園にかかっていた魔術は解けてしまったのだ。 (静か過ぎるってのも、なんとなく落ち着かないな) 寮へと戻る道すがらそんなことを考えていると、花立がハイジに何やら話しかけた。 「アーデルハイトさんはどうしてこの学園に?」 「この学園に所蔵した遺品に、お祖母様の思い出の品が挟み込まれたままになっていて。それを回収しに来たの」 「そのおばあさんの思い出の品っていうのは、見つかったんですか?」 「ええ、見つかったわ」 そもそも、ハイジ達が学園に来た当初の目的は、遺品の中に紛れた祖母の思い出の品とやらを捜すことだった。 しかし、学園側の陰謀を知り、俺達に協力して国へ帰らず残ってくれている。 「まだお持ちなのですか?」 「いいえ郵送したわ。直接手渡せなかったのは残念だけど」 「そうですか……」 「大事なものなんですね」 「そりゃあね。ルイに日本行きを頼み込むほど大切なものだったんですもの。やはり直接お渡ししたかった気持ちはあるわね」 (……なのに、残ってくれてんだよな) 少しばかり、申し訳なさが胸を打つ。 ハイジ達の目的はもう既に達成されている。 それなのに寝覚めが悪い、だのなんだの理由をつけて俺達に協力してくれている。 (それはそれで本音なのかもしれないが、多分それだけじゃないよな……) 毒舌執事もお嬢様も、根はいい奴だってのはわかってるからな……。 「コガ」 「えっ?」 「ちょっと来い。話がある」 モー子達には、ちょっと散歩してから帰る、と言って先に戻ってもらった。 「……あのさ」 ルイよりも先に、口を開く。 なんとなく先に言っておきたかった。 「わざわざ付き合ってくれて、ありがとな」 「? 何の話だ」 「だって、お前らもうこの学園に来た目的は果たしてるだろ。なのに残ってくれててさ」 「ああ、そのことか」 ふっと執事の顔に苦笑が浮かぶ。 いつもの皮肉っぽいそれではなく、微妙にバツの悪そうな表情だった。 「そのことなら気にする必要は無い。俺達がここに来た本当の目的は捜し物じゃないからな」 「へ?」 「俺はヴァインベルガー家の現当主だが、実は本家の歴代当主達とは折り合いが悪い」 「歴代って……死んで代替わりじゃなくて、古株がたくさんいんのか」 「義眼を受け継ぐ性質上、魔力に耐えられる肉体年齢を過ぎたら交代だ」 「……なるほど」 「まあ、その仲の悪さを心配したドロテア――アーデルハイトの祖母が、一旦本家との距離を置かせるために俺を日本にやったというわけだ」 「はあ……。で、それもしかして、ハイジは……」 「知らん」 「だろうなあ」 あの子はどう見ても、本気でおばあさんの大事な物を探しに来たと思ってるようにしか見えなかった。 「なので、隠し事はなしと言ったが、アーデルハイトがいる時には話せなかった」 「わかった。なら俺もハイジには言わないようにしとくよ」 「頼む」 隠し事はなし、をちゃんと守ってくれるあたり、こいつも律儀なヤツだ。 「それにな……」 「ん?」 「天秤瑠璃学園には、ヴァインベルガー家も出資しているからな。今回の事件は完全な他人事でもないんだ」 「あ、そうなのか」 「あんな魔術が、直接出資していた学園で行われていたとなると当家の信用問題にも関わる」 「……まあ、そうなるよな。スポンサーは叩かれるだろうな」 「少なくとも、ヴァインベルガー家の魔術師としての名は地に落ちかねん」 「だからきれいさっぱり解決したいのは、こちらの立場としても同じだ。気にするな」 「わかった。なら遠慮無く頼らせてもらう」 「こき使ってくれて構わない。そのつもりで残ったのだからな」 そう言った後、ルイは少しばかり表情を引き締め真剣な口調で言った。 「……お前に、一つ聞きたいことがある」 「なんだ?」 「お前の妹、能力を使うときに眼が赤くなったりしたことはないか?」 「眼が?」 満琉が能力を使った時……。 (あの時の記憶は、正直俺も曖昧な部分はあるが……) 「いや、俺が覚えてる限りはないな」 「そうか…ならいい。懸念していたことではなさそうだ」 「どういうことだ?」 「……少し心配になってな」 「何が?」 「魔女の中には悪名高い伝説を持つ能力者がいるんだが、その能力者は必ず『赤い眼』を持っている」 「お前の妹がもしかしたらそうじゃないのかとも思ったんだが、赤い眼ではないのなら可能性は低いか……」 「前に言ってた赤い眼の魔女ってやつか? 確か、物理法則も捻じ曲げられるような強力な魔女とか言ってたような」 「でもお前の義眼も力使う時は赤くなってたよな?」 「『赤い眼の魔女』は通常の魔女より桁違いの魔力を持っている。だから使いどころを間違えると惨事を招くこともある、ということだ」 「まあ、必ずしも赤い眼だから災厄を招くというわけでもないが」 「そうか……」 実際、義眼とは言え赤い眼を持っているルイが悪い奴じゃないんだから、そういう事なんだろう。 「お前の妹の能力が何なのかはまだわからないが、かなり強い力なのに、コントロール出来ていないようだから少し心配になった」 「……………………………」 ――……えてる……燃えてる…… ――…………火……… ――うそ……こんな…… ――こんなの…… ――……ちゃん……ごめ……なさ…… ――……火が………いちめん、に…… ――……おにい……ちゃ………… ――……だよ、もう……お前は……な力…… ――……そんな力…… (あれは……あの力は……) 暴走。 ルイが前にも言った魔力の暴走……。 (……あるんだ。暴走した事が……) しかしなぜか、その言葉を音として発することが出来なかった。 ルイには魔術の知識がある。 あの時のことを話して、助言を請うべきなのは、わかっている。 ルイが信用出来ないわけでも、もちろんない。 なのに―― (……そうなのか? 満琉は本当に、ルイの言うような危険な魔女なのか?) 邪悪でなくても強すぎる力のために災厄を招く、そんな存在なのか……。 そうは思いたくなかった。 人見知りで、内弁慶で、困ったヤツではあるけど、普通の子のはずだ……。 「猫を元に戻した時見た限り、俺にも赤い眼には見えなかったがな」 「……そうだろ?」 ひどく安堵した気持ちで、ルイの言葉に頷いた。 「ただ、あの時は猫が人間に戻る瞬間に、一瞬気を奪われていたからな。見落としたかも知れないと思って確認したまでだ」 「俺も見た事は無いよ。満琉は――あいつは、普通の子だ」 「…………………………」 同意しかねる、か……。 それを否定出来る根拠は、もう俺にもない。 だけど……。 (……なんで魔女なんだろう。満琉は) あんな力、なければよかったのに。 ぶらぶらと寮に戻ってくる。 「あ……」 「ほう」 先に戻れ、と言ったのに、モー子が玄関先で不機嫌そのものの顔で待っていた。 にやにやと面白そうな目つきで俺達を見ながら、ルイはわざとらしく丁寧な口調で一礼し、先に寮へと入っていく。 「………………………」 モー子はそんなルイに、一瞥もくれず俺の顔を睨みつけている。 (ルイに、誤解すんなとか、違うとか、ツッコミもなしかよ……) こりゃ相当怒ってるな。 しかし、何をそこまで……。 「確認したいことがあります」 「なんだ?」 何を怒っているのかはわからないが、開き直って平静を装う。 「……………………………」 「なんだよ」 ますます不機嫌さを増した様子で、モー子は拗ねたように眉尻をつり上げた。 「……きみは、関係を一時保留にすると言いましたが」 さすがに動揺しそうになった。 まさかド直球にそこに踏み込んでくるとは。 「それは、他の人間に対しても適応されるのでしょうか」 「……へ?」 どういう意味だろう。 他の人間に対しても適応……? (あ、黒谷にからかわれたのを気にしてるのか?) 旦那様横取りしちゃってーとか何とか言って、遊んでたからな、あいつ。 俺にとっては完全にただのクラスメイトだし、黒谷もモー子の反応が面白くてつい、という風にしか見えなかったが。 あとそれから…。 「そーだ! こないだ出来なかった放課後パーティーさ、今度こそしよーよ」 「なんですかそのいやらしいパーティーは」 このあたりのことも気になっているのかもしれない。 元々はホームシック気味に見えた吉田を元気付けるために企画したものなのだが、もちろんモー子はそんなこと知りもしないだろうしな。 「どうなんですか。他の人にも適応されるものなのですか」 「そんなつもりはないけど」 「………そうですか」 「妬いたのか? 俺は、お前一人だけのつもりだけど」 瞬く間に真っ赤になって、モー子は叫ぶように言うときびすを返した。 「保留っ!! で! す! か! ら!!」 そう言って、逃げるように寮内へと駆け込んで行く。 「保留ねえ……」 どうやら思ってた以上に、モー子にとっては免罪符になってるらしい。 (案外、当たりだったかもな。保留) 保留、保留、と呪文のように唱えながら照れまくるモー子の姿を想像すると、そう思えた。 (……あの顔、そのうち正面から見てみたいな) ……これ本人に言ったら、学園が崩壊しかねん遺品が召喚されそうだから言わないけど。 今のところは。 「…………ん……」 ふと目を覚ましたら、真っ暗な部屋の中だった。 ぼんやりと浮かぶ、見慣れた天井……。 ああ、自分の部屋だ。 見知らぬ暗がりではなかったことに安堵する。 「ふぁ……まだ夜中だよね……」 どうしてこんな時間に目が覚めたんだろう。 お兄ちゃんも、お母さんもお父さんも、みんなまだ寝てるだろうに……。 (……お母さん………) 何故か、胸の奥に小さな違和感が芽吹いた。 なんだろう……。 少し不安になり、布団から起き上がる。 「…………………」 見回してみても、何事もない、いつも通りのぼくの部屋だった。 (変なの……) それでもすぐに寝直す気にはなれず、部屋を出てリビングへ向かってみる。 「……あら、満琉?」 「どうした、眠れないのか?」 リビングは明るく、両親はまだ起きていた。 「お母さん……お父さん……」 「なぁに? どうしたの?」 近づいていったぼくを、優しく微笑みながら母がぎゅっと抱きしめてくれる。 「おかあさん……」 ぼくもぎゅうっと抱きつき返す。 柔らかく髪を撫でてくれる感触。 お母さんの手だ……。 (ぼくは……ぼくは普通の子じゃなかったけど……) 「ははは、どうしたんだ。急に甘えたりして」 「怖い夢でも見たのかしら?」 お母さんもお父さんも、お兄ちゃんもぼくをとても大事にしてくれる。 (こんなに……幸せだった、のに……) 背筋に冷たい何かが走る。 そしてぼくは気づいてしまった。 これは……こんなことは、もうあり得ないことに。 「おかあ、さん……」 優しかった抱擁は一瞬でかき消えた。 「……お父さん………」 ぼくを見つめてくれていた父の姿もない。 すべてが、燃えていた。 何もかもが炎に包まれ、灰になっていく。 「……………お兄ちゃん……」 ――……やく、早く逃げろ……! ――お前だけでも……早く…… 「お兄ちゃん……っ!!」 ぼくを助けようとした、お兄ちゃんも……。 「ぼく……ぼくは……」 ぼくのせいだ。 ぼくのせいだ。 ぼくのせいだ。 ぼくのせいだ。 ぼくのせいだ。 ぼくのせいだ。 ぼくの 「ぼくのせい……で……」 気が遠くなりそうな、自分への嫌悪感が胸いっぱいに満ちていく。 これは夢だ。 もうわかってる。 でも、振り払うことが出来ず、ぼくはただ炎の中に立ち尽くした。 「ぼくの……ぼくのせいで……」 揺らめく赤い色の中に、違う色が見えた。 人が、いる……? 「だれ………?」 見覚えはない、と思う。 よく見えないけど……女の人、だと思った。 でもきっと知らない人だ。 「だれ? どうしてここにいるの?」 ぼくの夢のはずなのに。 ここにいた人達はみんな燃えたのに。 「………!?」 ――盗られる。 急にそう感じて、思わず後ずさった。 (盗られる? 何を……?) わからない。 でも何か、とても大事な何かだ。 「だめ……いやだ、来ないで!!」 「いやだ……いやああああああああああ!!」 「満琉?」 うなされていたのか、何事かうめいた満琉が、俺にしがみついてきた。 「……どうした?」 「……………………」 満琉は答えず、いやいやをするように首を振る。 そして更に抱きつき、胸に頭をこすりつけてくる。 「……………………」 微かに頷いた、ような気がした。 ぽんぽんと背中を叩いてやる。 「大丈夫、夢だろ。まだ早いからもう少し寝てろよ」 「……………うん」 ようやく、小さな返事があった。 (何の夢を見てたやら……) なんとなく、予想はついた。 俺も何度となく同じ悪夢を見たことがあるから。 「……おやすみ、満琉」 背中を撫でてやっているうちに、満琉はまた寝息を立て始めた。 「ふぁ〜あ………」 変な時間に一度起きたせいで、欠伸を連発してしまう。 のろのろした動きで制服に腕を通していると、ベッドの上でもそもそ動く気配がした。 「あ? 起きてたのか」 「…………うん」 半身を起こした満琉がこちらを見ていた。 なんとも不安げな表情をしている。 (夢のせいだろうなあ……) 着替えながら、横目で満琉の様子をうかがう。 やっぱりかなり元気がなさそうだ。 (参ったな……どうするかな) 置いていって大丈夫だろうか。 単に夢見が悪かっただけ、とはいえ満琉は精神的に不安定になっているとかなり心配な奴だ。 家からここまで飛んで来たくらいだから、不安が増すと何をしでかすかわからない。 俺の教室に降って湧くぐらいだったら、まだ可愛い方、というのが満琉の魔力だけに……。 「おい、起きてるか?」 「村雲?」 「あっ…ちょ、ちょっと待って」 さすがに寝巻きのままで応対することはどうかと思ったのだろう。 満琉は慌ててベッドから出て、自分の服を持ってシャワールームに飛び込んだ。 「なんだ朝っぱらから」 扉を開くと、相変わらずの仏頂面で村雲が立っていた。 ひょい、と室内を覗き、満琉の姿を目にとめると、少しだけ表情から険しさが消える。 「満琉も起きてたか、ちょうどよかった」 「なにが?」 「ほら、これ」 「……ヤヌスの鍵?」 村雲はポケットからヤヌスの鍵を取り出し、俺に投げて寄越す。 「春霞や壬生さんとも相談したんだがな。ここにいる間はこの鍵はあいつに持たせた方がいいんじゃねえかって」 ヤヌスの鍵は、現在こいつとスミちゃんが一本ずつ持っている。 以前は学園長が持っていたのを取り上げて、村雲姉弟が管理している形だった。 「え……ぼく?」 目顔で指された満琉が、きょとんとした顔をする。 「……なるほど」 満琉の魔力なら、鍵の使用は、ほぼ無制限なくらいに楽勝だろうし、ここと分室の行き来も他の生徒に見つからずにすむな。 「そりゃ助かるな。ありがとう」 「礼なら壬生さん達に言え」 「鍵って? 何の鍵?」 「ヤヌスの鍵って遺品だよ。扉に――いや、お前ならその辺の空間でも大丈夫か。とにかく差して回せば思った相手のいる場所に行ける」 簡単に使い方を説明して、満琉に鍵を渡してやる。 「へええ、じゃあこれで、ここからお兄ちゃん達のいる所にすぐ行けるんだ」 そう聞いて、少し不安が解消されたのか、満琉は割合いつも通りの雰囲気に戻った。 「そうだけど、何もないときは放課後に分室だけにしといてくれよ。他の生徒に見つかると面倒だからな」 頷き、満琉は村雲の方を見て、珍しく少しだけおずおずした様子の少ない笑顔を見せた。 「ありがとー、しずか」 「だからオレじゃねえってのに…」 「素直じゃねーなあ、静春ちゃん」 そう言い残して、村雲は逃げるように去って行った。 「……んじゃ、俺も行ってくるぞ」 ひらひらと手を振り、満琉はまたぼすりとベッドの中に倒れ込む。 あの様子なら大丈夫そうだな。 「腹減ったら冷蔵庫の物適当に食ってろよ」 「ふぁーい……」 「行ってきます」 と、俺も部屋を出た。 「あ、おっはよー久我!」 「おはよー」 「おう、おはよ」 教室に着くと、いつも通り黒谷と吉田がつるんで何やら話し込んでいた。 そして俺にもぽんぽんと肩を叩きながら、話しかけてくる。 「変な噂?」 こいつ、また妙な噂話仕入れてきたのか。 けどたまに遺品関連だったりするからなあ……。 「どんな噂だ?」 俺が食いついたとみるや、黒谷は目を輝かせて意気揚々と喋り出す。 「……なんだそりゃ? なりたい自分?」 「そうなのよー! 理想の自分っていうの? もっとおしとやかになりたい、とか、積極的になりたい、とか?」 「はあ、なるほど。つまり自分の思うとおりに性格が変わるってことか?」 「多分かよ」 「だって噂だもん。私もまだよく知らないのよねー、聞いたばっかだから」 「ふーん、なりたい自分ねえ……」 「久我だったら、どうなりたい?」 「俺? いや別に……」 これと言って思いつかないな。 自分の性格に、さほど不満は……ない、と思うんだが。 「特にないの?」 「うん、まあ、ないかな」 「モテモテになりたいとか」 「……それ性格か?」 「モテた記憶はないけどな」 「へー、そうなんだ? 割かしイケてると思うけどなあ」 「そ、そうか?」 「………」 「いや、別にお前が思ってるようなことは何もないぞ」 ここで肯定でもしようものなら、今度モー子と鉢合わせたときに何を言われるかわからない。 それに今は関係保留してるし、まるっきり嘘でもないだろう。 「ふーん……そっか。そうなんだー。ほー」 「何だよ」 「べっつにぃー?」 肯定しても否定しても、黒谷が喜びそうな展開になる予感がする。 となると、ここは何か他の話題で流すしかないだろう。 「だから、黒谷も割かしイケてると思うぞ」 「お前から言ってきたんだろ」 俺達のやりとりを聞いていた吉田が、眉尻の下がった困り笑顔を見せる。 「吉田はなんか、なりたい自分てあるのか?」 「でも、しばらくなれるだけで、ずっと変わってるわけじゃないみたいよ?」 「黒谷は?」 うーん、と腕を組む黒谷。 妙に真剣に、眉間にしわを寄せて考え込んだ。 「それ、性格じゃなくない?」 「でもアリかもよ? 私が急に英語ぺらっぺらになったら、みんなびっくりだよね?」 「そりゃびっくりだけどな」 「あ、じゃあ、ドイツ語の方がいいかな? あのお客さんの人達ってドイツ人だったよね?」 「あー、そうだね。ドイツ語でお話出来るね。それはちょっと楽しそう」 「どしたの?」 「み、見える人……って……」 「もちろん幽……」 「それ絶対幽霊じゃねーだろ。つうか、お前のなりたい自分ってそれでいいのか……?」 「大歓迎だけど?」 「そ、そうか……」 ふと、先日行った夢の世界の黒谷を思い出した。 やっぱあれが理想なのか……。 「おっと、チャイムだ」 「あ、黒谷」 席に戻ろうとした黒谷に小声で声を掛ける。 「ん?」 「面白がって保健室行くなよ? 猫の件で懲りただろ」 「わかってるわかってるって」 と、苦笑する黒谷。 「なんか軽いんだが、大丈夫か」 「大丈夫だって。久我にも心配掛けちゃったしね、もうしません」 「……ならいいけど」 「……ありがと、久我」 「マジかよ……」 まあ、でもそんな噂が流れたらそうなるか。 この学園の生徒、妙なことが起きまくるせいで変に耐性ついてる奴多いしな。 (ちょっと気になるし、放課後保健室のぞいて見るか) 「うわ、人だかり出来てる……」 噂は予想以上に広まっているらしく、保健室前の廊下には野次馬らしき生徒がたまっていた。 露骨に興味津々な奴から、さり気ないフリして保健室を横目に見ながら通り過ぎる奴まで色々と。 「――久我くん」 「あ、モー子。花立も」 その中に、モー子と花立の姿もあった。 この二人はもちろん、興味本位ではなく俺と同じく遺品の関与を疑っての事だろう。 「でも、一時的になんだろ? なんなんだその中途半端な願いの叶い方」 「さー? もーちゃんどう思う?」 「そうですね……」 小首を傾げ、少しのんびりした口調でモー子が口を開く。 「遺品が半端な発動をしていた例は、今までにもありましたから、その類かも」 「やっぱり遺品なのかな?」 「ただの噂、という可能性もありますし、そうであってくれた方が有り難いですけれどね」 生徒が大勢周りにいるので、下手に遺品の名前は言わない方がと思って言い直したんだろうけど。 「余計に謎の単語になってるぞ。なんだ白黒ノートって」 「えへへ、他になんて呼べばいいか、咄嗟に出て来なかった」 「けどあれの件があるから、今は変な騒動は起きないで欲しいよねー」 「そうね」 柔らかく微笑むモー子。 俺が相手の時とは、えらい違いだ。 (まあ、相手は親友なんだから当たり前っちゃ当たり前だけどな……) 『下校時刻になりました。生徒の皆さんはすみやかに帰寮して下さい』 チャイムと共に、おなじみの帰寮放送が流れる。 もう時間かー、などと言いつつも、生徒達はぞろぞろと保健室前を離れて行った。 「ベッド見ていくか?」 「ええ、もちろんです」 一般生徒のいなくなった保健室へ入る。 保険医の先生も職員室へ引き上げていったので、室内は俺達三人だけだ。 「睦月、室内の他の場所をお願い」 そう言うと、モー子はベッドに近づき、布団からシーツから子細に点検を始める。 花立はというと、きょろきょろと保健室内を見回しうろうろする。 「そうですね」 視線はベッドに向けたまま、点検の手を休めず返事をするモー子。 それでいて適当な相づち、という印象ではなかった。 「今日だけで十何人来てんだ……」 保健室利用者は、扉近くに置いてあるノートに、名前とクラス学年を記入する決まりになっている。 そのリストがあり得ない数だった。 「噂を聞いて、仮病使ってきた奴が大量にいたんだろうなあ……」 「こんな大勢ってことは、保健の先生も仮病っぽいのはすぐ追い返したんだろうね」 「特にないよ。バラバラ」 やっぱりモー子はこちらを見てもいないが、話だけはちゃんと聞いているらしい。 「そうですか。こちらも異常ありません」 「うん、普通のベッドだね。ベッドの下にも何も無し、と」 「マットレスの下も見てみましたが、何もないようでした」 「てことは、部屋とかベッドになんか異常が起きてるわけじゃないってことだね」 「ではなぜ保健室限定の噂なのか……」 「……………………」 モー子は思案顔ではあるが、気のせいかいつもより口調も表情も柔らかく見えた。 (やっぱ相棒がいるからかねえ……) 手慣れた感じといい、やりとりといい、昔からこの二人はこうだったんだろうな、といった印象だ。 (……モー子はずっと、花立を探していたからな……) 戻って来たのは喜ばしい話だ。 もちろんそう思う、けれど……。 (なんだろうな、この微妙な感じは) 認めたくないが、俺の中にほんの少しだけれど面白くない気持ちがある、のだろうか。 今まで、衝突しつつもモー子の隣にいたつもりだったけれど、やっぱり長年の相棒には勝てない、というか……。 (あー、不毛だな。こういうこと考えちまうのは……重症だな……) 「あ? いや、考え込んでた、悪い」 「何をです?」 「いやそりゃ、噂のことだよ」 本当のことなど言えるわけもなく、咄嗟に適当な事を言って誤魔化す。 「随分花立の手際がいいなって感心してたんだ」 本当のことなど言えるわけもなく、咄嗟に話を少しずらして誤魔化す。 「調査が手際良く進むのは良いことです」 親友を褒められて、モー子は少し誇らしげにも見えた。 複雑な感情を押し殺しつつ、話を戻す。 「それにしても、変な噂だよな」 「腹が減ったなーと思って」 本当のことなど言えるわけもなく、咄嗟に適当な事を言って誤魔化す。 「………大丈夫ですか?」 「え?」 「いや、そこまでじゃないから。大丈夫だって。悪い、どうでもいいこと考えてたな」 呆れられるかと思ったが、意外にも普通に心配されてしまった。 少し申し訳ない気持ちになりながら、話を戻す。 「それにしても、変な噂だよな」 「なりたい自分になれる、って何だろうな。一時的にでもそんなになってみたいもんかね?」 「んー、性格にコンプレックス持ってる人ってけっこういると思うよ? 人見知り、とかさ」 「それ、しばらくの間だけ治って嬉しいもんなのか?」 「人見知りが治ってる間に、気になる彼に告白タイム、とかかもよ」 「あー、なるほど……たとえ短時間でも使い道はあるもんだな」 「単純に、拡大解釈をして試そうとした人もいるのでは?」 「拡大解釈?」 「性格が変わるだけじゃないかも、と、苦手教科の小テストの前に天才になりたいと願ってみる、とか」 「あー……似たようなこと黒谷も言ってたな。英語がペラペラになったりしないかな、って」 「実際、遺品だったとしても、どこまでの変化が有効なのかは、まだ不明ですからね」 「なんだ今の間は」 「何がですか」 「一瞬、なんか頭に浮かんだだろ。ツンデレがすぎるからもうちょっと素直になりたいとか」 「どこがだよ」 「それを言うなら君の方こそでしょう。口の悪さを正してみようと思ったことはないのですか」 「俺は正直なだけだぞ?」 「村雲くんが聞いたら全力で否定してくれると思いますが」 「あれよりはマシだろ!? あいつの方がよっぽど口も悪けりゃ性格も歪んでる」 「良い勝負ですが。まさに類は友を呼ぶですね」 「誰が友だ、気色悪い」 「そういう所です」 「何が?」 「今の返し方、村雲くんに同じ事を言ったら、まったく同じ返答があると思いませんか」 「……………………」 「花立……笑ってないで、止めようとは思わなかったか」 「仲良しさんにしか、見えなかったよ?」 「………………………」 (こいつも、おまるが入ってただけのことはあるなー……) なんか変な焼きもち妬いてたのが、虚しくなってきた。 「ま、まあ、保健室には異常なし、ということで」 無理矢理、話を変えるモー子。 異論はないので突っ込まないでおこう。 例の、20年前の記憶を辿るペンとインクの遺品。 昨日確認した時点で、そろそろ再開出来そうなくらいインクが溜まってきたとの事だったので、今日また分室に集まる予定になっていた。 「ええ、行きましょう」 モー子がふわりとスカートを翻し歩き出す。 俺と花立はその後をついて行った。 保健室を引き上げ、分室へ向かう。 通りがかりに、一応とリトに保健室の噂について聞いてみた。 「なりたい自分に、なれる……」 「ええ、そういう遺品はありますか?」 「情報が少なすぎて、それだけでは判断出来ないわ」 「やはり、そうですか」 漠然としすぎてるもんなあ。 実際、噂だけで、なりたい自分になれましたって言ってる奴も見当たらないし。 「では、一緒に分室へ来て下さい。またあの20年前の記憶を綴る続きをお願いしたいのです」 「いいわよ」 リトを伴い、分室へと向かった。 分室には既に、ハイジとルイ、それに鍔姫ちゃんと村雲姉弟も揃っていた。 「…さて、どうするの? この前の続きからにする?」 「いえ、飛び飛びに再生させては手がかりを見逃す可能性がありますし……」 「時系列を整理したいので、古い順に書き出して行くのはどうでしょう」 「もちろん、意味がないかも知れませんし、余計に時間が掛かるかもしれませんが」 「そうだな。時間は掛かっても、何か大切なことを見落とす方がまずいと思う」 「私も賛成ー」 「なら、それでいいんじゃねーか?」 「うん、じゃあそれで行こうよ」 全員がモー子の意見に同意し、時系列順に追っていこう、ということになった。 「……少しおさらいしましょう」 モー子は、前回20年前の記憶を綴った二冊のノートを並べて見せる。 黒いノートと、白いノート。 「この白い方のノートに綴られた記憶は、セディと呼ばれる少女のものでした」 「『彼女』と呼ばれていたので、おそらく女性であることは間違いないでしょう」 「そしてセディの記憶に出てくる、お母様と呼ばれている人物は――こちらの黒いノートの記憶の主、クラール・ラズリットであると推察されます」 花立がひょいと手を上げ、モー子はそれを見て頷いた。 「これって日記みたいな文章ではあるけど、本当にそのセディさん達が書いてた日記そのものってわけじゃないんだよね?」 「彼女らの記憶が日記のような文章で綴られている――そういう解釈でいいと思います。そうですよね、リトさん?」 「ええ、それであってるわ」 「それにより、どうやらラズリットは20年前学園で起きた火災を引き起こした張本人かも知れない……という懸念が湧いてきました」 「……本当にそうなのかしら」 「わかりません。ですから、まずはこのラズリットの方――黒いノートの続きから書き出して行ってもらえればと思います」 「なら、私ですね」 「確かに使ったことがある人の方が失敗はないかもしれないな」 「では、お願いします」 「わかりました」 ルイは以前と同じように、黒い羽根ペンを手に取り、リトに触れさせる。 それから手をかざしペンに魔力を注いだ。 羽根ペンはふわりと浮き上がり、黒いノートに文字を綴り始めた……。 彼女が図書館に興味を示した。 彼女は少しずつ、ここでの生活に慣れ始め、最初の頃のようなたどたどしさは減ってきている。 『……これ、見てもいい?』 『これは? さわってもいい?』 最初はおずおずと、しだいに色んなものに興味を示し始めた彼女。 私が、 『ええ、いいわよ』 と答えると、嬉しそうに本を眺めたりジャムの蓋を開けてみたりしていた。 『だーれだっ』 『きゃっ? あら、驚いた』 『ふふふ……』 何をするにも、少しためらってからでなければ動けなかった彼女が、思いつきで私を驚かせようと背後から急に抱きついてきたりもするようになった。 そして無邪気に笑ってくれる。 その笑顔に、とても心が安らぐ。 もっと色んな事を教えてあげたい。 そう思って、図書館へ連れて行ってみると、とても興味を示してくれた。 嬉しい。 『これ、みんな読んでもいいの?』 『もちろんよ』 『……うれしい! とってもたくさんある……どれから読もうかなぁ……』 たくさん本を読んでみたい、というので、私が書斎に使っていた図書館の一番奥にある部屋を彼女に与えることにした。 『ここが、今日からあなたのお部屋よ』 『わたしの? わたしが使っていいの?』 『ええ。ここならいつでも好きなだけ本が読めるからいいでしょう?』 『……うん! ありがとう!』 本当に嬉しいらしく、彼女は自分の部屋になった書斎の扉を開けて、図書館をのぞいてみてはまた閉める、という事を繰り返しては微笑んだ。 ただ、一つだけ強く言い聞かせたことがある。 『いい? 魔術は軽々しく使ってはいけないの』 『かるがるしく……』 少し難しかったのか、彼女は首を傾げる。 『簡単に、思いつきだけで使ってはいけませんということよ』 『えっと……ちゃんと、考えてつかう?』 『そう。特に強い力はね。それを使う事によって、どうなるか、本当に使って大丈夫か、きちんと考えなければだめなの』 『……つよい、ちから……』 『あなたには、その力があるのよ。でもそれは自分のためだけに使うべきではないの』 そうして自己を肥大させ欲望に溺れ、自滅した魔女は多いのだ。 恐ろしいことに……。 彼女にはそんな風になって欲しくはない。 図書館には魔術に関する書物もたくさんあるから、気をつけなければならない、と言い聞かせた。 『……うん、わかった! きちんと考えてから使うようにする』 彼女は素直に頷いてくれた。 「どんどん具体的な感じになるね」 「そうだな。話した会話まで断片的にだけど書かれ始めてる」 「記憶が綴られている、ということはそれだけ印象に残っている会話、ということでしょうか?」 「注がれる魔力によって変化するのは、どれくらい過去にさかのぼるか、だけですよね?」 「ええ、そうよ。綴られる内容の具体性には魔力の量は関係ないわ」 「わかりました。続けて下さい、ルイさん」 「では、少し時間を進めます」 近頃彼女は、仕事中の私にお茶を入れてきてくれることが楽しいようだ。 『お茶ですよー』 『あら、ありがとう』 私がお礼を言うと、とても嬉しそうな、照れくさそうな表情で満面の笑みを浮かべる。 お茶をいれるというより、そうすると私が『ありがとう』と反応してくれることが嬉しいらしい。 読んだ本の感想を私に聞かせることも好きだ。 ある日、とても気に入ったらしい絵本を持って来て私に見せてくれた。 『あのね、この本に、おかあさま、って書いてあるの。ほら、このエプロンをしてるひと』 『ええ、そうね。優しそうなお顔ね』 『……そっくりだよ』 『え? 私に?』 『うん。優しそうなお顔も、ほら、こうやって良い子ねって、なでてくれてるところも』 『ふふ、嬉しいわ』 『うれしいの?』 『ええ、もちろんよ』 『……おかあさま』 『なぁに?』 『だいすき!』 そう言って微笑むと、私に抱きついてきた。 愛おしくて、ぎゅっと抱きしめ返して、絵本のように何度も髪を撫でてあげた。 彼女はますます本が好きになった。 たくさんの事を覚えたことを誉めると、とても喜ぶ。 『すごいわね。どんどん色んな事を覚えて』 『だって、覚えたよっていうと、おかあさまも嬉しそうなんだもん』 誉められたこと自体が嬉しいと言うよりは、たくさんの事を覚えたことに私が喜んでいるのが嬉しいのだという。 私に喜んで貰えることが嬉しい。 人に喜ばれることが、嬉しい。 彼女はそう言う。 『……でもね。それはとても大切なことだけれど、自分を大切にすることも大事にしてね』 『じぶんを?』 『ええ、そうよ。あなたは私にとっても大事な大事な娘ですもの。だから私のためにも、自分の事も大事にしてちょうだいね』 『……うん、わかった!』 彼女は微笑みながら頷いてくれた。 「……今のところ、平和だな」 「セディちゃん、良い子だねー」 「ja」 ふう、と静かに息をつき、ルイは肩を落とした。 微調整に神経を使うとこの前も言っていたが、やはりかなり気疲れするようだ。 それに比べて、スミちゃんの方はそこまで疲れた様子もなかったので、もしかして持っている魔力の差もあるのかもしれない。 「ここからは、交代にしましょう。交互に進めていけば、時期が重なるのがわかるでしょう」 スミちゃんが白い羽根ペンに手をかざす……。 おかあさまが、いろいろなことをおしえてくださる。 とても楽しい。 ここには、おもしろいものが、いっぱいある。 世界はとてもひろいのだと、おかあさまがおしえてくれた。 『とっても、ってどれくらい?』 『この学園よりずっと広い場所や大きな山や、海がたくさんあるのよ』 ここより、ずっとずっとひろいばしょもあるって。 『行ってみたい?』 『うん! ……でも、ひとりじゃ、いや』 『ふふ、寂しいから?』 『さびしい。おかあさまと、一緒がいい』 やさしいおかあさま。 きれいで、やさしくて大好きな、おかあさま。 わたしは、おかあさまとずっといっしょにいたい。 ずっとずっとひろいばしょにも、おかあさまといっしょになら、いってみたい。 だって、きっとそのほうが楽しいし、さびしくない。 「……うーん、まだ少しこちらの方が黒い方より前の話、かしら?」 「喋り方がこっちの方が幼い感じだよな」 「微妙にずれてはいるかもしれませんが、そう離れてはいないでしょう」 彼女はもともと色んな事を学ぶのが好きだったようで、どんどんと知識を吸収していく。 一般的な知識も身につけた。 これならもう、学園で他の生徒達と一緒に学ばせてあげても大丈夫だろうと、教室へ入れて授業を受けさせることにした。 『どうだった? 教室は』 『……んと、いろいろお話ししてくれるひとがたくさんいた、けど……』 『上手く話せなかったの?』 『……うん。でも、緊張してるんだね、って……みんな、優しかった』 『まあ、よかった。ならきっと、すぐに仲良くなれるわ』 最初は緊張して戸惑っていたようだったが、すぐに級友達と打ち解けたようだ。 『あのね、今日はお昼ごはんを屋上でみんなと一緒に食べたの!』 『あら、楽しそう』 『うん! とっても楽しかった!』 仲良く喋ってくれる子も、大勢出来たと、彼女も嬉しそうだった。 これなら、上手くやっていけそうで、安心した。 お母様が、一人で『学校』へ行ってしまうのがさびしい、と伝えたら、教室につれていってくださった。 教室、というところには、たくさんのひとがいた。 教室のひとたちは、さいしょ、わたしを見てふしぎそうにしていた。 でも、おかあさまが『この子も同じクラスの生徒で、あなたたちのお友達です』と言ってくれたら、すぐにみんな話しかけてきてくれた。 『よろしくね! 君、名前は?』 『………セディ、です』 『へえ、かわいいね!』 『セディちゃん、教科書は? 持ってる?』 『貸してあげようか?』 『お昼は? お弁当?』 『一緒に食べよっか!』 みんな、いっぱい話しかけてくれる。 とてもいい人ばかり。 みんな優しい。 学校は、楽しいところだと思う。 「お、こっちも教室に通い始めた」 「ほぼ同時期っぽいね!」 「いい感じになってきたんじゃない?」 ノートに見入っていたところに、突如電話のベルが鳴り響き、皆一様にはっと体を起こす。 「――はい、特殊事案調査分室です」 と、真っ先に我に返ったモー子が電話に出る。 「驚かせるなっつーんだよ…」 「しょうがねーだろ、依頼かも知れんし」 「……ドイツの? ええ、こちらに来られていますが……」 ドイツ、と聞いて、ルイとハイジがモー子の方に注目する。 ルイの方はなんとなく嫌そうな顔をしているように見えた。 誰からか見当がついてるってことかな。 「……はい、失礼します」 「私達に何か?」 「ええ、ドイツのお客様に電話が掛かってきている、ということでした」 「ここの電話は内線しか通じませんので、事務室まで出向いていただくことになりますが」 「なにかしら?」 「わかりませんが、何か緊急の知らせでも困りますので出てみるしかないでしょう」 (やっぱ、嫌そうだなコイツ……) 「……そうね」 「電話のある事務室とはどの辺りですか?」 「ああ、案内しよう。わかりにくいからな、この学園は色々と」 「助かります」 そう言って鍔姫ちゃんが案内することになり、三人は一時退席となった。 「もしかすると話が長くなるかも知れませんので、先に進めておいて下さい」 「そうね、後から読ませてもらえばいいことですし。では失礼します」 「ええ、行ってらっしゃい」 「……どうする? 続きやる?」 「そうですね。お言葉に甘えて、白い羽根の方は先に進めさせていただきましょう」 教室で、お母様のことを話している子がいた。 お母様といっても、わたしのではなくて、その子のお母様、そしてお父様のことだ。 『そうなの、すっごく朝寝坊でねー』 『お母様が、お寝坊するの?』 『うん、おかげで何度も遅刻しそうになったよ』 そのお話を聞いて、みんな笑っていた。 わたしも一緒に笑った。 『それじゃお弁当大変だね』 『大変だよ! 寝坊した時はパン買ってた。でもちゃんと起きた時はいつもお弁当にリンゴとかイチゴとかフルーツ入れてくれるの』 『へー、いいじゃん!』 『うちはパパがお弁当作るの趣味だったなあ』 『ぱぱ?』 『うちの親父は料理なんかしたことないなー』 パパ……お父様。 わたしには、お母様はいるけれど、お父様はいない。 どうしてだろうと思って、お母様に聞いてみた。 『あなたは他の人達と、少し違っているのよ』 『ちがうの?』 『生まれつき、他の人達とは少し違うの』 『……そうなの』 『でも、違うからといって、それを引け目にも負担にも思うことはないのよ?』 そう言いながら、お母様はわたしをいつものように優しく抱きしめて、 『あなたは求められて生まれてきたのだから』 そう言って下さった。 「文章がだいぶ、しっかりした感じになったよね」 「学園に通い始めて、ラズリット以外の人との会話も増えたせいでしょうね」 「続けるよ?」 「ええ、お願いします」 教室のお友達と遊んでいたら、お母様がとても浮かない顔をして帰ってきた。 心配になって、お友達にさようならを言って、お母様の所へ行った。 『お母様、どうしたの? 今日は、大切な人にお会いする日だって言ってたよね……会えなかったの?』 『……いいえ、会えたわ』 『じゃあ、どうしてそんな哀しいお顔なの?』 『ごめんなさいね、心配させて。喜んでもらえなくて、少し残念だったの、それだけ』 『喜んで……もらえなかった?』 『ええ、でも大丈夫よ』 そして、わたしを強く抱きしめて、 『あなたは必ず、わたしが守るから』 と言って下さった。 とても嬉しいけれど、お母様が哀しそうなのは、わたしも哀しい。 喜んでもらえないのは、とても哀しいこと。 わたしも、お母様に喜んでもらえなかったら、きっととても哀しい。 かわいそうなお母様。 「何かあったっぽい?」 「ラズリットが会いに行った誰かと、何かもめ事でもあったってことかな」 「リトさん、ラズリットさんの会いに行った大切な誰かというのに心当たりはないですか?」 今日は、お祭りというのがあった。 露店というお店がたくさんならんで、たくさんの食べ物や飾りや、おもちゃを売っていた。 とっても楽しかった。 お母様も、このあいだ哀しいことがあったみたいだけれど、お祭りは楽しそうだった。 元気になってくれたみたいで、よかった。 お母様と一緒に、いろんなお店をみた。 お友達にもたくさん会った。 『あそこのクレープすっごくおいしかったよ!』と教えてくれたので、お母様と一緒に食べた。 『……おいしい。お母様、これおいしいね!』 『ふふ、とっても甘いわね』 『うん!』 甘くて、やわらかくて、幸せな味がして、本当にすっごくおいしかった。 『お母様、あれはなぁに?』 『風船釣りね。やってみる?』 『うん、やってみたい!』 その後、お母様とふたりで、水風船というのを取って、とても楽しかった。 『見て、お母様! ひとつだけ取れたよ!』 『よかったわね。可愛い色ね』 『うん、とってもかわいい……』 かわいい色の風船。 お部屋に持って帰って、飾っておいた。 「……この水風船ってのが、これか」 妖精が見つけてきた、ゴムのような切れ端をつまみ上げる。 「大事な、思い出の品だったんだね」 「私はあまり、上手く取れませんでしたが」 「お祭りの定番だよな」 「学園祭の時、あったな。なんでか必ずあるんだよな、ああいうの。射的とか」 「やっぱ、ああいうのあった方がお祭りーって感じがして盛り上がるからじゃない?」 「大丈夫かよ?」 いやだ。 お母様が、しばらくわたしと一緒にいられなくなるかもしれない、って。 そんなのいや。 お母様と一緒にいられないなんて、寂しい。 泣いてしまったわたしに、お母様は、一人になるわけじゃないと言う。 『ひとりぼっちじゃないわ。あなたにはもう、たくさんお友達もいるし……』 『ちがうの、お友達はみんな優しいけど、でも、お母様がいないなんて、そんなのいや!』 『セディ、泣かないで……』 『だって、だって寂しいもの、お母様がいないなんて絶対にいやぁ……!』 お母様と一緒にいられないなんて、絶対にいや。 そんなの寂しい。 泣き止まないわたしに、お母様は、 『わたしも本当はあなたと離れたくないの』 と、もっと哀しそうな顔で言った。 離れたくない。 わたしも、お母様と離れたくない。 「どうやらこの辺りで、お母様――つまりラズリットに何かあったようですね」 「何があったんだろ? 続きに書いてあるかな?」 「じゃあ続けるよ?」 スミちゃんも気になるようで、すぐに羽根ペンに手をかざし魔力を込める。 火がたくさん迫ってくる。 みんなの悲鳴が聞こえる。 「待って下さい、これは……」 「あああ、これ前のと同じやつだね」 「ここで火事かよ……。結局、その前の、ラズリットに何かあったっぽい件の詳細は謎かよ」 「セディの記憶だけではどうやら、何があったかまではわからないようですね」 「あ、おかえりー」 扉が開いて、ハイジ達が戻って来た。 「ただいま」 「……遅くなりました」 ルイはえらく不機嫌そうだ。 その隣でハイジは心配そうな顔してるし……。 (そういや実家ともめてるとか言ってたなあ……) 電話は、実家からだったのかな。 「大丈夫だったのか? 何か急用?」 「それが……実は、実家からこちらには他の人間を派遣するから一旦戻って来るようにと既に何度か言われていたのです」 「既に? 何度か?」 「では、今の電話は?」 相当苛ついているのか、思わず口調が素に戻り掛けていた。 「だけって……、それ本当に一旦帰らなくて大丈夫なのか?」 「あの様子だと、ドイツに帰れば、もう日本へはしばらく戻れなくなるわ」 「それに、魔女であるルイが学園内にいることが、何より重要だと私たちは考えているの」 「時を操る魔女の力は強力ですが、能力の有効範囲の広さでは確実に私の方に利があります」 「他のヴァインベルガーの人間ではおそらく対抗できませんし、そうなると作戦の幅も狭まります」 「でもお前、前に能力使った後、すぐ倒れてたけど大丈夫なのかよ」 「支離滅裂です、フラウ」 「あー、お茶いれてやるから大人しくしとけ」 「言い返すなら、俺にすりゃいいのに、このドS」 「とにかくすごい、で片付けられる方の身にもなっていただきたい」 「うん、したした。聞いてた。わかった。大丈夫大丈夫、ハイジちゃん良い子」 「……あの二人なんとかなりませんか」 「ある意味最強タッグだから諦めろ」 「あなたも悪いぞ。いきなり八つ当たりするのはよくないんじゃないか」 「……………………」 ふい、と顔を背けるルイ。 お嬢様でストレス解消はどうやらマジだったらしい。 こいつの性格もだいぶ歪んでるよなあ……。 「おら、茶ぁ入ったぞ」 「上品にしてたら身が持たねえんだよ、ここは!」 「……話を戻してもよろしいですか」 「お願いします」 お嬢様が大人しくなっているうちに、矛先を変えたいらしいルイがすかさず頷いた。 「白いノートの方を少し進めさせてもらいました。前回の火事の記憶のところまで辿り着いたようです」 そう言って、さっきまでの白いノートを見せながら軽く説明する。 「……と、いうわけで黒いノートの方を進めてみていただきたいのです」 「わかりました」 ルイはすぐに立ち上がり、黒い羽根ペンに魔力を込めた。 図書館に通ううちに、彼女はリトにも興味を示し始めた。 『リトとも、お友達になりたいな』 期待に満ちた眼差しでそう言う彼女に、私は少し複雑な気分になる。 リトは級友達のような人間ではないからだ。 『リトとは、あなたが思っているような、教室のお友達と同じようにはなれないかもしれないわ』 『どうして?』 『リトはね、ホムンクルスなの。正確に言うと抱えている本の方が本体だから、その亜種というべきかもしれないけど――』 『ほむん……くるす?』 『あ、ごめんなさい。リトは、私が作ったお人形なの。人間ではないのよ』 『お人形なの? みんなとそっくりなのに?』 『ええ、そうなの。ホムンクルスにはね、魂がないの。だからみんなと同じように動くし、喋るけれど……』 『けど?』 『ホムンクルスというのはね、主が――作った人が道具と割り切って使えばとても有用なものだけど、そうでなければ主もホムンクルスも不幸になるわ』 『……難しいんだね』 『ええ、そうよ。だからリトとは普通のお友達にはなれないと思うけど――』 そうすると、彼女はホムンクルスそのものに興味が湧いたようで、図書館でホムンクルスについて調べるようになった。 リトと友達になろうとして、級友のようには行かず傷つくことを恐れていたが、違う方に興味が向いたようで少し安心した。 「……ん?」 ことん、と黒い羽根ペンがペン立てに戻った。 「ああ、インク切れのようです」 「またか……」 「仕方がありません。それより……」 「ああ、リトさんが出て来たな」 「そう言えばリトもラズリットさんが作ったわけだし、この頃も当然もう図書館にいたんだもんね」 「ええ、いたわ」 (そう言えば知ってるって言ってたもんな、『彼女』のことを……) しかし、自分の名前が出て来たことにも、リトは特に何の感慨もなさそうだった。 こういうところは、やっぱりホムンクルスってことなのか。 「この頃の、ラズリットさんに何か変わった様子はありませんでしたか?」 「……別に。普通だったと思うわ」 「では、この辺りは?」 モー子は、前回書かれた、ラズリットが何事か悩んでいた様子のページを開いた。 選択を間違えたかもしれない、とか、後戻り出来ない、とか書かれたものだ。 リトはノートに目を通すと、首を傾げた。 「よくわからないわ。『悩んでいる』なんて言っていた記憶はないわね」 「そうですか……」 「あの、火事でラズリットさんが亡くなったってことは、リトはそれ以来会ってないんだよね」 「ええ、そうよ」 「……寂しくない?」 「?」 不思議そうに小首を傾げるリト。 「寂しいって、どんな気持ち?」 「え? えーと、ひとりっきりだと、なんか哀しいとか切ないとか、そんな感じ?」 「……人と話すのは好きだけれど、誰も来なくて哀しいという気持ちはないわ」 「もしも私に魂があったら、そういう気持ちになるのかしらね」 「……なると思うよ」 やっぱり、リトには理解出来ないようだ。 そのこと自体が、何故か寂しいような気持ちにさせられ、みんな少し沈んだ顔になった。 「……ともあれ、ひとまず記憶の書き出しはまたインクが溜まるまでおあずけですね」 「焦れったい遺品ね、本当に」 「ああ、しかし仕方がないな」 インクが溜まるまではどうしようもないので、この日はこれで解散することになった。 「それじゃあ、私は戻るわね」 「ええ、ありがとうございました」 リトは図書館へと戻って行く。 「私達も部屋に戻りましょうか」 「ja」 「ああ、いいよ」 「ハイジちゃん達もどう?」 「せっかくですが、先ほどの電話の件で相談しておきたい事がありますので」 「そっか、残念」 ハイジ達主従は自室へ、リトは図書館へと戻って行った。 「じゃあ、みんなで私の部屋に……」 「ん?」 あらぬ所から鍵の音がして、空間が切り取られたように開く。 「……おにいちゃーん?」 そしてひょっこりと満琉が顔を出す。 今朝もらったヤヌスの鍵をさっそく使ってみたらしい。 「あ、満琉ちゃんだ」 「どうした?」 「おなかすいた」 「冷蔵庫の物好きに食えっつっただろうに」 「ああ、そうだな。たまにはいいんじゃないかな?」 「満琉ちゃんも-、ほらほら。一回出ておいでよー」 おずおずと満琉が扉の陰から出てくる。 「それじゃ、どうぞー」 スミちゃんが自分の鍵をポケットから出し、空中で無造作にヤヌスの鍵を回して、自分の部屋へと続く扉を開けてくれた。 「飯って何食うんだよ? 材料は?」 そう言いながら姉に続いて部屋に入っていく村雲。 なんだかんだで食事そのものには逆らわない辺り、姉に弱いな、こいつも。 ぞろぞろとみんなでスミちゃんの部屋へとお邪魔する。 「ここって配達来るの?」 「いや、来られたら怖いんだが」 「ここまでは無理だよー。門の所まで持って来てもらうんだよ」 そう言いつつ、スミちゃんは棚からカラフルなピザのチラシを出してくる。 「たまには食べたいじゃない。滅多にやってないってば、さすがに」 「そうですね……」 「あ、俺このハバネロソースついてるやつ」 「お兄ちゃん、辛いの好きだから……」 「好きという次元を越えている気がします」 「満琉ちゃんは? どれが好き?」 「好きなの選んでいいんだよ? この人数だからちょっと多めに頼んでもなんとかなるし」 「誰が雑な生き物だ」 「……大差ないですね」 「そもそもそれ、辛党ってレベルじゃねーぞ」 「じゃあ、チーズたっぷり系とかは苦手?」 「それも……好き」 「……おいしそう」 「これと、みっちーの頼む辛いソースのやつ両方食べればいいよね」 「壬生さんは?」 「私もチーズが良いなあ」 「なんで変態だよ」 「辛みって痛覚なんだぞ。そんな常軌を逸した辛さが好きってドM……」 「Mじゃねえよっ!?」 「俺が異常みたいじゃねえか」 「異常ですが」 「……やっぱりぼく達、変らしいよ? お兄ちゃん…」 「ちょっと辛いのが好きなだけで、なんだその言われよう」 「いやいや。じゃあ行ってくる」 鍔姫ちゃんは注文するピザのメモとチラシを持って電話を掛けに行った。 「主に久我くんのせいだと思います」 「村雲の方が騒いでなかったか?」 ぎゃあぎゃあ騒いでいるうちに鍔姫ちゃんが戻ってきて、30分で来る、と告げた。 そして―― 「いっただっきまーす!」 30分後、門まで行って受け取って来たピザを開いてようやく夕食となった。 「はー、この匂い! 久々〜!」 「うん、ピザなんて久しぶりだ」 「チーズいい匂いだねー」 めいめい、好きなピザを手に取り頬張り始める。 「おま……そ、それ全部掛けんの?」 「? 掛けるようについてるソースだろ」 付いてきたハバネロソースをピザの上に掛けていると、村雲が露骨に引きつった顔になった。 「好みの量だけ掛けて下さいって意味だと思うんだが……」 「じゃあ全部でいいじゃん」 「たのむから自分のにだけ掛けろよ! こっち来んなよ!?」 「かけねーよ! 子供かお前は!」 「子供だったらもう泣いてるわ! なんだそのおどろおどろしい色のソース!」 「仲良しだねえ、男子チームは」 「……睦月。後であなたの仲良しの定義について質問があります」 「あはは、あの二人いっつもああだよねー」 「おいこら、不穏な話してねーで、そっちのもちょっとくれよ」 「L一枚じゃ足りないの?」 「半分ハバネロで埋まってんだぞ!?」 「しょーがないなあ。どれがいいの?」 「どれって全部チーズだよな?」 「これが三種類のチーズのやつ、こっちがモッツァレラで、これが焦がしチーズとベーコンの」 「ベーコンのやつ」 「はいはい」 スミちゃんがベーコンの乗ったピザを一切れ村雲に渡す。 「満琉もこっちのも食うんだよな?」 「……ハバネロちょうだい」 「ほらよ」 「マジでそれ食えるのか……さすが兄妹だな……」 ハバネロ一色に染まったピザをはむはむ食っている満琉を見て、村雲――だけじゃなく周り中が少々困惑している気がする。 そうか、俺らの味覚ってそんなに奇妙なのか……。 「……お兄ちゃんは?」 「ん?」 「チーズいる? ポテトかナゲットもあるよ」 「おう、じゃあナゲットくれ」 「はい。これお手ふき。もっといるんだったら言ってね」 「んー、サンキュ」 「はふ……んー、チーズおいしー!」 「モッツァレラいいな。やみつきになりそうだ」 「デザートにティラミスもありますからね」 「もーちゃんのお楽しみだねー」 「鹿ケ谷さんはほんと甘い物好きだね」 「え、ええ。糖分は脳の働きに良いので……」 「大好きだよねー! 一緒にケーキバイキング行くと全種類制覇するくらい」 「睦月っ!?」 「全制覇とは……意外と食べるんだな、鹿ケ谷さん」 「量より胸焼けしないのかって言うところはツッ込まないの、ヒメちゃん」 「もーちゃん、全然平気だよ?」 「それで太らないってすごいわー」 「……おにーちゃん! ハバネロ垂れてきてる!」 「え?」 「ほらー、ズボンに落ちるでしょ! 受け皿あるから、ほら。手にも付いてる。一回拭いて」 「あ、ああ、はいはい」 「口の周りにもついてるしー! もー」 そう言いながら、満琉は手にした紙ナプキンで俺の口許を拭き始める。 「いや、それくらい自分で……」 逃れようとした俺の腕を引っ張って自分の方に引き寄せ、片腕でホールドすると更に口許のソースを丁寧に拭く。 「しがみつくなよ、恥ずかしい」 「なにが? 自分がソースこぼすからでしょ、ほら手は拭いたの?」 「お前にしがみつかれてたから拭けてない」 「じゃあ拭いてあげる。手、出して」 「はいはい」 「もー、でっかい子供みたい」 「言われてやんの」 「うっせえ!!」 「……ぁっ」 村雲が口を挟んだことで、皆がこの場にいるのを思い出したのだろう。 さっきまでの勢いはどこへやら、満琉は恥ずかしそうに黙り込んでしまった。 「………………………」 「ん? どしたの、もーちゃん」 「……それとも私の目が正常な判断力を失っているのかどうなのか……」 「じゃあ何?」 「うーん、すっごく仲が良い方だと思う」 「ですよね? やっぱり普通より……」 「それをやきもちって言うんだよ、もーちゃん」 あっちはあっちで何の話してんだ……。 ……静か。 しん、と静まりかえった広い図書館の中で、私は書架を見上げる。 「……………………」 静寂。 ここは、大抵の時間、それに満ちている。 破られるのは、あの分室の人達が訪れる時くらい。 その時は驚くほどいろんな音で満ちあふれる。 「………さびしい……」 それは、その差に似たものだろうか。 彼らがここにいる時は、色とりどりの音が踊る。 そしていなくなると、今のような無音になる。 この音のない静けさに似ているのだろうか。 ……でも、私はそれを哀しいとも辛いとも思ったことはない。 正直、哀しい、も、辛い、も、よくわからない。 寂しいと同じくらい、わからない。 だったら、寂しい、と、静寂が似ているかどうかも……考えてもきっと、わからないのだろう。 ――……寂しくないの? 花立睦月の言ったことを思い出す。 「…………………お母様」 クラール・ラズリット。 私を作ったひと。 お母様は、20年前からここを訪れていない。 火事で死んだ、と他の人達は言っていた。 だからもう、二度とここへは来ないのだそうだ。 お母様は、私を作ってくれた。 私と、お話ししてくれた。 「……楽しかった」 そう、楽しかった。 お話をするのは楽しい。 けれど、お母様はもういないから、お話をすることももうない。 ……それを、寂しい、と思ったことは、ない。 わからないから。 寂しい、という感情が私にはわからない。 私に魂があったら、寂しくなるのだろうか。 でも、それはそれで不便な気もする。 お母様がいなくて寂しい。 それは、哀しくて辛いことなのだそうだ。 なら、わからない方が良いのかも知れない……。 ――……寂しくないの? また、思い出した。 でもこれは、花立睦月じゃない。 別の誰か……。 ――ねえ、寂しくないの? ――わたしはひとりになって寂しいよ? そうだった。 昔、同じ事を聞かれた。 あの時も確か私は、わからない、と答えた。 そう言えば彼女は、今どうしているのだろう。 静寂が、途切れた。 小さな足音が聞こえる。 こちらへ近づいてくるようだ。 何気なく、そちらを見てみた。 「……あら」 「ごきげんよう。ちょうどあなたのことを考えていたわ」 にぎやかなピザ祭りのおかげか、夕べは満琉もうなされたりすることもなくぐっすりと眠ってくれて、今日は比較的平和な日だった。 ――そして、放課後。 「保健室? やっぱ何かあったのか?」 分室へ行こうとした所を、モー子達に出くわし調査だと同行するよう言われた。 「ええ、風紀委員から連絡がありました」 「保健室で寝てた生徒の様子が、おかしかったんだって」 分室の方は村雲が留守番に残ってくれているのだそうで、俺達は急ぎ保健室へと向かう。 「どうしました?」 「あれ、リトだよね?」 「えっ?」 睦月の指さした方向を見てみると、確かにリトだった。 「なんだ、珍しい。図書館から出てくるなんて何かあったのか?」 「聞いてみましょう。リトさん?」 「……こんにちは、鹿ケ谷憂緒」 「どうしたのです? あなたが地下を出るなんて珍しい」 「そうね。久しぶりだわ」 「何かあったのですか?」 「では何か用事が?」 「……いいえ」 「では別に用もなく、単に出て来てみただけ、ということですか」 「そうよ」 「珍しい事もあるもんだな」 「……そうね」 「ふーん、リトも散歩したい気分の時とかあるんだ?」 「散歩なのかしら。よくわからないけれど」 (なんだろうな。リトも昨日のことで何か思う所でもあったのか?) 記憶のノートに自分の名前が出て来たときは、別段変わった様子はなかったけど。 「……寂しくない?」 「寂しいって、どんな気持ち?」 やっぱり気になってはいたのかな。 「いいわよ。どこへ?」 「保健室です。遺品が絡んでいるかもしれません」 「わかったわ」 遺品なら、リトがいれば一発でどういう代物かわかる。 確かに来てくれるのは助かるな。 リトを伴い、保健室へやってきた。 異常があったということで、今はまた保健室は無人になっていた。 「……リトさん、何か遺品らしき物は?」 「…………………」 リトは無言でしばし室内を見回した。 「見当たらないわ」 「そうですか。先日調査した時も、それらしいものは何もなかったですしね……」 「あの時と、特に何も変わってないよなあ」 「だねー。うーん、じゃあ何が原因で様子がおかしくなったりしたんだろ?」 「このベッドで寝た奴の願望を叶えろ、みたいな?」 「この部屋に何もない以上、遺品絡みだとしたらそういう方向になるでしょう」 「え……」 気づけば、甘い匂いの煙が保健室中に広がっていた。 「ん………」 くらり、と目眩がする。 倒れた二人に手を伸ばそうとして、俺もそのまま……。 ……………………。 ……………………。 ……………………。 (……ん……あれ………) ぼんやりとしていた意識が徐々に戻ってくる。 「……!?」 自分が床に倒れていると気づいて、慌てて起き上がった。 「モー子!?」 すぐ近くに倒れているモー子の姿を見つけ、駆け寄った。 「おい、モー子起きろ!」 「………んっ………こ、久我くん……?」 よかった、気を失っていただけだ。 モー子は身体を揺さぶると、すぐに目を開けて起き上がる。 モー子がそう言って、辺りを見回したと同時にベッドの影から誰かが立ち上がった。 「睦月? よかっ………」 そう言いかけたモー子が絶句し、硬直する。 「なんだ? 花立も無事っぽいじゃないか」 「……………………違います」 「え? 違うって、花立………………」 ――違う。 立ち上がり、振り向いたのは花立ではなかった。 「ふわぁ、びっくりしたー」 「お……おまる!?」 「そんな……!!」 そんなバカな……。 いや、でもこれはどう見てもおまるだ。 「おまる……………」 「か………烏丸……くん……」 「保健室……だけど、あの、お前……おまるだよな?」 きょとん、とおまるは首を傾げる。 仕草も、声も――どう見てもおまるに見えた。 「みっちー? どうしたの?」 「あ……いや…………」 目の前の事実が受け止めきれず、どう返事して良いのかすら咄嗟に出て来なかった。 おまるは、消えたはずだ。 こんな所にいるわけがないんだ。 もし、いるとしたら、それは―― 「あの、それじゃあ……睦月は……」 「……へ?」 (そうだよ、花立は……) 素早く保健室内を見回してみたが、花立の姿は見当たらない。 ということは、また――この、おまるは花立の身体に乗り移っている事に……。 「あなたは睦月ではないのですね?」 「……………………そう、ですか」 「あの、どうしたの……? 二人とも、なんか……」 「……いや、えっとな。おまる、なんでここにいるかとか、覚えてるか?」 「………うーん……よくわかんない。なんか頭がぼーっとしてるし……」 「……記憶が混乱しているのでしょうか」 「みたいだな」 どうやら、この様子では自分が消えた夜の事も覚えてるのかどうか怪しいな。 (……その辺、詳しく話して聞かせるってのもどうなんだ……?) 自分はもう、この時代にいないはずの人間だなんてどう説明すればいいのか……。 (あの時は、おまるは偶然、暗示解除の魔法陣に乗ったせいで全部自分で思い出したんだったからな……) 「……………………」 ちらりとモー子に目配せすると、モー子の方も今すぐその話をするのは…と、思っているようで目顔で小さく頷いてきた。 内心、かなり動揺しているだろうが、ぐっとこらえる事にしたようだ。 「あー、遺品の調査だよ」 「あ、本当だ。いた」 リトも、俺達とは少し離れた所に倒れていた。 「リトさん? なんでこんな所に?」 「今日は珍しく図書館を出ているところを見かけたので、調査に付き合ってもらったんです」 「おい、リト。大丈夫か?」 「……………………」 「リト?」 「……ん………あら?」 揺さぶってみると、リトはすぐ目を覚ました。 そして身体を起こすと、きょろきょろと辺りを見回す。 「……リトさん?」 「えっ?」 「なんか……雰囲気違わない?」 「雰囲気? 私の?」 「うん、なんか……おれの記憶が混乱してるだけ?」 「いや、俺にもなんか違う気がする」 「リトさん!?」 「誰だお前」 「お、おれの知ってるリトさんと違う……」 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「あ、あの……」 俺達の戸惑った顔を見回し、リトはもじもじと――その仕草も普段のリトからは見たこともないのだが――上目遣いに困った顔をした。 「私、そんなに……いつもと違う、の?」 「全然違うぞ」 「あの、見た目は一緒なんだけど、なんか普通の子みたいな……」 「なんだ?」 「保健室で寝ると、性格が変わるというあの……」 「えっ!? あ、これが遺品……かもしれないやつの効果か?」 「遺品なの? 性格が変わる遺品?」 「リトさん、これは遺品のせいでは? 心当たりはありませんか?」 「ああ、そうだった。倒れる寸前に甘い匂いのする煙が充満してた」 「……匂いの事は覚えてるんですね?」 「そうですか……」 (あれ、匂いがした時はまだ花立だったはずだよな……記憶を引き継いでる? なんでだ?) ふと疑問に思ったが、モー子はそのことは追及せずにリトに向き直って質問した。 「あの煙が、遺品の出したものですか」 「煙を吸った者に強い暗示魔術をかける遺品、という認識でよいですか?」 「それは、最初の使用者が『自分にとっての理想の状況』みたいなことを願って使ったから、その効果がそのまま続いてるんじゃないかしら」 「そして、遺品と波長が合う人物が現れると、遺品は効果を発揮するんです」 「暗示にかかるのは、遺品と波長が合った人物のみですか?」 「いいえ、あの甘い煙を吸った人は誰でも暗示にかかっちゃいますね。近くにいる波長の合った人の暗示に影響を受けます」 「つまり、リトさんは波長があってしまった、と……」 「えへ、そうみたいです」 恥ずかしそうに肩をすくめて笑うリト。 うわあ、調子狂う……。 「……わかりました」 一通りの説明を聞いて、混乱は脱したらしく、モー子はいつも通りの凜とした顔つきに戻っていた。 「この遺品の効果が『暗示』だということは……一つだけ結論づけられることがありそうですね」 「なんですか、それ?」 「つまり……」 「えーと、とりあえずこのおまるは本物ってこと、とか?」 「本物?」 「なぜそうなるんですか。……効果は『暗示』なのですよ?」 「人が変わったようになる。ないものをあるように見せる……そういった効果でしょう」 「……あ……逆、ってことか……」 「睦月は消えていない。私はそう推察します」 「確かにな……」 「ふーん、烏丸くんじゃないんですか? じゃあ花立さん?」 「おそらくは」 「まあ、元々そうだったしなあ……」 「元々? あれ、そうだっけ……」 「……そうだったんだよ。おまるじゃない以上はもう言っちまうけど、お前は花立の身体に憑依してたから」 「……ええ。あなたが烏丸くんである場合、発動した魔術は私達が壊した魔法陣で行われていた魂の召還と憑依であるはずですから」 「でも、実際には香炉の遺品だった。それで烏丸くんがこの時代に現れるはずがないんです」 「……そっかあ」 モー子の説明を聞くと、おまるはさほどショックを受けた風でもなく腕を組んで頷いた。 「な、納得出来たのか?」 「んー、だって憂緒さんの推理が外れてた事ってないからそうなのかなって」 「……………………」 おまるらしい、気もしたけれど、このモー子に対する信頼感は花立らしくもある。 それに遺品の効果からしても、やっぱりこれは本物のおまるが憑依した状態じゃないというモー子の推理は正しいのだろう……。 「……花立は消え失せたわけじゃない、ってことか?」 「おそらくそうでしょう」 「烏丸くんの魂を呼び、降ろせるような効果の遺品ではないのであれば――」 「あなたはやはり、睦月なのだと思います」 「……………………」 「おそらくは」 「花立さん……おれが? うーん、そんな事言われても実感ないんだけど……」 「……でも、憂緒さんがそう言うなら、そうなんだろうね」 「納得しちゃうのね」 「……………………」 どうしてだろう。 自分が本物の烏丸小太郎じゃなかった、ということを、すんなり受け入れてくれた事が―― (なんか、少し寂しい……なんてな……) 「それは仕方がありません。遺品の効果ですから気にしないで下さい」 「いや……」 (でも、だとしたら……) ここに、おまるがいることを無意識にでも望んだ人間がいるってことになる。 でなければ、遺品の効果がこういう形で現れることはないはずだ。 (それって、どう考えても俺じゃないのか……) 自分にとって、理想の状況―― (……これが……?) おまるに戻って来て欲しい、と思わないわけじゃない。 この時代の人間じゃなかったと、頭では理解していてもまだ割り切れてないのかもしれない。 だけど、代わりに花立がいなくなってもいいだなんて、そんなこと望んでないのに……。 「……遺品はアバウトな願い方をするとアバウトな叶え方をする。例えばハイタースプライトのように」 「え?」 「睦月がまた烏丸くんに見える、というあまり望ましくない願いの叶い方になってしまったのは、おそらくそのためではないかと」 「あ、ああ……なるほどな」 「そうですねぇ。遺品と知らずに中途半端な発動の仕方をすると、そういうことはよく起きますよね」 「今までにも、よくありましたからね」 (……もしかして、俺、けっこう顔に出てたのかな) 複雑な気分だったのに気づかれて、気をつかわれてしまったのかも知れない。 「遺品の効果なのだとしたら、一時間ほどで元に戻るのでしょう?」 「なら気にすることはありません。そのままで大丈夫でしょう」 おまるは――花立なのかもしれないが――納得はしたけれど戸惑いも隠せない、といった様子で眉尻を下げる。 「……まあ、普通にしてりゃいんじゃね?」 ……どうしても、おまるにしか見えない。 その事で自分がどんな顔をしてるのか、動揺が隠せているのか自信が無くて俺は思わず目を逸らす。 「ところでリトさん、その遺品ですが室内に見当たりますか?」 「いいえ、だって香炉なんてないでしょう?」 「ああ、そうだな」 「……では、全員で」 おまる――いや、花立なんだが――を、一瞥し、問題ないだろうと判断したらしく、モー子はそう言った。 リトも含め、四人で保健室中をくまなく探してみることにする。 「こっちの棚は薬品ばっかりですー」 「ここは書類とか……うーん、香炉なんてないよ?」 「こちらの机の引き出しにもないようです」 「ベッドの下にも机の下にもないな」 「もう誰かに呼ばれて引き寄せられて、飛んでっちゃったのかもしれませんよ?」 「そうですね……。もうここにはないと見た方がよさそうです」 「ひとまず一度、分室に戻るか?」 「そうしましょう。この遺品の効果は一度しかないのなら、回収するにしろ、まずは大人しく暗示が解けるのを待った方がいいでしょうね」 そういうわけで、俺達は保健室から引き上げた。 「ねえ、学食って今何が人気あるんですか?」 「えーっと、日替わり定食がしょうが焼きの時は争奪戦になったりとか……」 「いやもう、壮絶すぎて怖いよ。ねえ、みっちー」 「まあ……女子で参加してるの運動部の上級生くらいかな」 おまるに話しかけられると、少しどきっとする。 花立なんだと納得しても、見た目はどう見てもおまるだからなあ……。 (けど、こっちがあんまり複雑な顔ばっか晒してんのもな……) おまるにしろ、花立にしろ、どっちにしろそういうのには気をつかう性格だ。 出来るだけ普通に話そうとは思うが……。 「そういうのやったことないんですもん」 リトがあまりに普段と違うので、これはこれで調子が狂う。 「おれは好きだけどなあ」 「もうちょい紅ショウガ多めでもいいと思うんだが」 「ふふっ、久我くんってそんなに辛い物が好きなんですか」 「だってうまいじゃん。ホットドッグとかももっとマスタードこんもり入れるべきだよな」 「食べた事はないんだ?」 「ないんですよー。学食にあります?」 「学食にはないなあ」 さっきからリトは、思いついたことを片っ端から喋る、という感じでずっと話し続けていた。 遺品の効果で変化した『理想の自分』がこれ、なのだとしたら……。 (リトはリトで、ホムンクルスである自分に何かしら思うことがあったってことなのかな…) 「……………………」 そしてモー子は、そんなリトを時折忍び見るようにしながら、何事か思案している。 「教室で食べたりするんですか? こうやって教科書で隠して」 「たまにそうやって食べてる人いるみたいだけど、けっこうバレるよ」 「俺はバレた事ないぞ」 「たまに」 「ふふふ、久我くんはなんだか得意そう」 「まあな。コツがあるんだよ」 「そしたらやっぱり、廊下に立たされるの? バケツは持つの?」 「いや、どうだろう……。おれは立たされたことないからわかんないや」 「さすがにそんな昭和の漫画みたいなことする教師は今時あんまりいないと思うぞ」 なぜかがっかりするリト。 リトの知識は、おそらく本で読んだことが大半なのだろうが、うちの図書館ってそんな事書いてあるような本まで置いてあるのか……? 「あれって?」 「えと、ほら……下駄箱にこう、入れとくってやつです。手紙とか?」 「ラブレター的な?」 照れくさいのか、少し頬が赤い。 普通の女の子にしか見えないな、しかもかなり恥ずかしがり屋な感じの……。 「うち下駄箱ないぞ」 「……あああっ!? そうだった!!」 さっきよりショック受けてる。 憧れてたんだろうか……。 「あ、だから、下駄箱じゃなくて、机の中って聞いたことあるよ!」 すかさずフォローするおまる。 ……こいつはこいつで、人の好い所とか、本物のおまるっぽいんだけどなあ。 (ああ、でも花立でも似たような反応はしそうだな…) 「朝早く来て、机に入れとくらしいよ。チョコレートとか」 「そ、そういう説もあるね……」 「理不尽だよなあ」 「……でも、チョコレートの三倍の重さって大した物にならなくないです?」 「いや、重さじゃないから」 勘違いが恥ずかしかったのか、リトは頬を赤く染めて笑って誤魔化した。 (マジで誰だこれ……) リトそっくりの別人なんじゃないのか、とさえ思えてきた。 急に話題変えてきたし。 そんなに照れくさかったのか。 「いつまでたっても宝物庫の結界がなおらないから、遺品で苦労しっぱなしでしょ?」 「そうだけど、俺は最初っからそうだったんで特に大変になったって感覚はないなあ」 「……誰かさんが銅像をへし折ってくれましたからね」 「だから事故だったんだつーのに! なあ、おまる?」 (あ………) 言ってしまってから、こいつは花立なんだった、と思い出したが、いつも通り頷かれた。 「……そうですね」 モー子も一瞬、表情を曇らせそうになったが、すぐに冷静に答える。 リトは俺達のやりとりを見て、楽しそうに微笑む。 (こういうのに、憧れてたのかな……) 普通の子みたいに、他愛もない会話して、笑って、じゃれあって……。 もしそうだとしたら、理解出来ないだけで本当は、寂しいという感情そのものはあるんじゃないだろうか。 自分だけが、俺達と違う。 一緒に笑いあえたり、ふざけあったり出来ない。 それが『寂しさ』だと知らないだけで……。 そうこうしているうちに、地下へと下りてきた。 「……あの、一緒に行ってもいいですか?」 「ん? 分室に?」 「……別にいいよな」 「ええ、構いませんよ」 嬉しそうに、リトは俺達の後をついてくる。 ……一時間ほどで効果は切れる。 リトのこの時間は、さほど長くはないんだ。 目録であるリトは誰よりもそのことを知っている。 だから、今は一人でいたくないのかもしれない。 「おう、どーだった?」 「あ、村雲くん、こんにちはー。お邪魔しまーす」 「村雲くんには、睦月に見えるんですね?」 「あ、そうか。こいつは暗示に掛かってないから、おまるには見えてないのか」 「あ……、そっか! おれ、烏丸小太郎じゃないんだった!」 「見ての通り、こうなった」 「り、理想の……状況?」 「……こいつ何言ってんの?」 「だから暗示なんだって。本当におまるなわけじゃなくて、そういう暗示」 「暗示って、お前……」 「違うどころじゃねえよ……」 「ただ、幸いなことに、暗示は一時間ほどで解けるのだそうです。なので解けるまで大人しくしていた方が得策かと思いまして」 「……だろうな。このまま校内出歩いたらそれだけで大騒ぎになるわ」 「あ、あはは……ですよねー」 「よかったねー、リトさん」 「……………………」 一時間、か……。 「ちょっと図書館行ってくる」 「調べたいことがあるんだよ、すぐ戻る」 そう言って席を立ち、俺は一人で分室を出た。 ぶらりと、並んだ書棚の奥の方へと足を向ける。 本当は調べたいことなんて、何もなかった。 ただ、なんとなくあの場でずっと話しているのは少ししんどいな、と思っただけだ。 (……やっぱ、俺なんだろうなあ……) 花立が、おまるに見えるのは。 しかも暗示ってことは、花立は自分をおまるだと思い込んでるだけってことになる。 それが花立の理想なわけがない。 だったら遺品と波長が合ったのは俺で、花立達はそれに巻き込まれただけなんだろう。 「――久我くん」 「え?」 不意に呼ばれ、驚いて振り向くといつの間にかモー子が後ろに来ていた。 「なんだ、どうした?」 「それはこっちの台詞です」 「え? ああ、調べ物のことか?」 「方便でしょう、それは」 「……………………」 やっぱりバレてたか。 なんか気をつかわれてる気はしたんだが、さすがにモー子は鋭い。 「それは当たり前でしょう。烏丸くんとは君の方が仲が良かったんですから、あの遺品の効果は君に反応しての物でしょうけれど……」 「…………自己嫌悪っつーのかな」 「花立にもお前にも、悪いことしてんなーってのは…」 「それは遺品のせいでしょう。さっきも言ったはずです、いびつな願いの叶い方だろう、と」 「あまり馬鹿にしないで下さい。きみが、睦月が消えて烏丸くんが帰って来ればいいだなんて……」 「そんな事を望んでるだなんて思うほど、私の頭は悪くありません」 「……ありがとう」 思わず苦笑いがこぼれる。 喧嘩腰な言い草だが、モー子なりに俺を慰めようとしてくれているのはわかった。 「心配掛けて、ごめんな」 「何がですか。君の見当違いを正そうとしただけです」 「嘘つけ、このツンデレ」 「わかりにくいデレだよなあ、本当に。俺以外には多分通用しないぞ」 「はいはい」 「ま、どうせ一時間で解けるって言うなら……あ、いや、そんなに待つことないのか?」 「は?」 「あの、前に使った暗示の解ける魔法陣。あれならすぐ解けるんじゃないのか?」 モー子は目を丸くし、そして悔しげに唇を噛んだ。 「私としたことが……失念していました。確かにあれならすぐにでも解けるかも知れません」 「あれどこにあるんだ? 確かスミちゃんの部屋のシーツに描いたんだよな?」 「アーデルハイトさん達が、管理してくれているはずです」 「あいつらか、じゃあ探すか。図書館にいそうなんだけどな」 「……そうですね。でも広いですから」 「探してみるか」 モー子と二人して、巨大な書架の合間をぬってハイジとルイの姿を探すが見当たらない。 「……いないな」 「んー、こんな時にこそヤヌスの鍵があれば一発なのになあ」 「そうですが、村雲さんか君の妹さんが持ってるのでしょう?」 「そうなんだよなあ……」 「なんかこう、思いっきり念じたら気づかないかな。あの二人魔女だし」 「そんな都合良く行きますか?」 「試しにやってみるか?」 「スミちゃん! もしくは満琉! 気づいてくれー!!」 「……………………」 「……………………」 「……来ませんね」 「だよなー」 「わかってたなら、なぜやったんです」 「試しにって言っただろ、試しにって。こんな気合いだけで気づくわけ……」 「お兄ちゃん?」 俺達の背後の空中に扉が開いて、満琉がひょっこりと顔をのぞかせていた。 「……………………」 モー子は唖然として、満琉を見つめている。 そりゃそうだろう、俺もまさか本当に来るとは思わなかった。 「なんか呼ばなかった?」 「呼んだ」 「やっぱり。呼ばれた気がしたんだ」 「うん、まあ、でかした」 「へ? なにが?」 「あー、満琉が魔女だから、じゃないか?」 多分、モー子はまた仲が良すぎじゃないのかとかなんとか考えてんだろうなあ。 「……?」 ちょっとからかいたい気持ちもあったが、満琉の目の前で喧嘩すると怯えそうなので我慢する。 「……さすがご兄妹ですね」 と、言いつつモー子の顔は微妙に複雑だった。 横目で睨まれている気がするが、気づかないふりをしておこう。 「で、なに? ぼくに用事?」 「おう、ヤヌスの鍵使ってくれ」 「誰に?」 「ハイジとルイ。どうせ一緒にいるだろうから、どっちでもいい」 「わかった」 「邪魔するぞー」 扉の向こうは、ハイジ達の自室だった。 普通に部屋にいたらしい。 「少しお邪魔してよろしいですか」 「ええ、どうぞ」 「何事です?」 「どうやら遺品のせいで、妙な暗示に掛かってしまったようなのです」 「それで、前に使った暗示を解く魔法陣を貸していただけないかと」 「構いませんけれど、妙な暗示って?」 「校内で噂になっていた『理想の自分になれる』とかいうアレですか」 「そう、それ」 「え、そんなことになってるの? お兄ちゃん別に変わってないけど」 見たい、とお嬢様の顔に書いてあった。 「あと、花立が、またおまるに見える」 「……面倒な事で」 「とりあえず魔法陣ですね。少しお待ちを」 ハイジは室内にあるクローゼットを開けて、中から魔法陣が描かれたシーツを取り出した。 「はい、どうぞ。あなた方も暗示に掛かっているのなら今ここで乗ってみればいかが?」 「そうさせて下さい」 ハイジとモー子とで両端を持って、シーツを床に広げる。 「乗るだけでいいんだっけ」 「ええ、そうよ」 それじゃあ、と俺とモー子は魔法陣の輪の中に足を踏み入れる。 「……………………」 「……………………」 「……これ、解けてんのか?」 「何も感じませんね……」 「? あなた達、本当に暗示魔術にかかってるの?」 「魔力の気配とか、何もしないけど」 「どう見ても、魔法陣は反応しておりませんから」 「反応していない? これでは解けない類の術ということでしょうか?」 「ja」 ルイは、机の上に並んでいた小瓶の一つを手に取ると、何のためらいもなく俺とモー子に振りかけた。 「魔術の形跡を調べる魔法薬です」 「遅えよ」 悪びれた様子もなく、ルイは続いて手にした容器に息を吹きかける。 中身は粉だったらしく、あっという間に部屋中に広がっていった。 さきほどハイジが歩いた跡だろう、床の上が一筋色づいている。 そして―― 「あ、なんか光ってる」 「これが形跡?」 俺とモー子の身体は、不思議な色の光りに包まれていた。 「やはり、何かしらの魔術には掛かっているようですね」 「この色は……!?」 「え? 何が?」 ハイジとルイは、俺達の放つ色を見て、かなり驚いている様子だった。 「何の魔術なのです?」 「結論から言います。これは、この魔法陣では解けません」 「これでは、解けない……?」 「でも、長くはもたないはずよ。このまましばらく様子を見た方が……」 「どういうことでしょうか?」 「これは暗示魔術ではありません。魂の上書きをしているのです」 「魂の、上書き……?」 「おそらくその遺品が『本人の意識を変える』という一点のみに特化したもののため、暗示に思えただけでしょう」 「その、魂の上書きとやらについて、詳しく教えて下さい」 「そもそも魔力とは人の魂そのものの力です。これはご存じですね?」 「ええ、以前にも聞きました」 「そして魔術は、魔力を消費して様々な現象を起こすものです。魂というものは、いわば魔術の起点であり、根源でもある」 「この遺品は、その魂に直接作用して書き換えを行っています。魔法陣などで媒介される暗示魔術とはまったく別物です」 「魂に作用する力は、魔術の中でも最も強力な力の一つよ」 「たとえば、魔女である、ということを魂に上書きすれば、本当に魔女のような力が使えるようにもなりますね」 「魔力そのものだから、魔女だと上書きされれば魔力も魔女ほどの力に変貌する?」 「そういうことです」 「言霊というのが、イメージとしては近いかも知れません。元の魂になかった概念――情報を上から書き加えていると思って下さい」 「存在しないはずのものが『存在する』と上書きされている。魔術で実現できることは魂の上書きによってほぼ現実になるのです」 「何でもできるってことかよ。それで、おまるがいるように見えたりもするのか?」 「あなた達の魂に『ムツキではなく、コタロウがいる』と上書きされている、ということです」 「ああ、リトも一時間程度で効果が切れるって言ってたしな」 「………」 「ええそうね。通常、魂に作用する力というのは、よっぽどの下準備と蓄積された魔力が必要だから…」 「そのわりには効果は短時間しかもちませんし、強力とはいえ、常識的な魔術師ならばまず手を出さない領域ですね」 「モー子、早く遺品の使用者を見つけないと」 「……待って下さい。ひとつ、おかしなことがあります」 「なんです?」 「『魂の上書き』と聞いて、何かこれまでのことに違和感を覚えませんか、久我くん」 「違和感……?」 「この魔術を掛けられた中に一人……」 中に一人……いや、モー子の口ぶりからして俺とモー子自身は含まれていなさそうだ。 となると残るは……。 「おまるのことか?」 「なぜそうなるんです」 「違うのか? おまるの魂って、なんかどっかから召還されてたからこの時代にはないはずだろ」 「というか、そもそもあれは烏丸くんではなく睦月だと思いますが」 「あ、そうか……」 上書きされてる魂は、そもそもおまるのじゃないんだな。 「………リトでしょう。あれはホムンクルスだったはず」 「そうです。上書きしようにも、彼女には魂がありません」 「あっ!」 そうだった……。 「……リトか! あいつはホムンクルスなんだから、魂は……ないんだ……」 「そうです。上書きのしようがありません」 「かかるはずのない術に掛かっている、事になりますね」 「……花立か?」 「睦月なわけがないでしょう。さっき、烏丸くんがいると上書きされていると言われたばかりじゃないですか」 「そして、睦月は『烏丸小太郎である』と上書きされている……」 「あ、そうか……え、じゃあ誰だ?」 「リトしかいないでしょう。上書きのしようがない」 「しようがない?」 「しっかりして下さい。彼女はホムンクルスですよ?」 「……あっ! そうか、魂がないんだ……」 「そういうことです」 「……じゃあ、リトはなんであんな事に?」 「ここはシンプルに考えましょう。魂はないから上書きは出来ない。となると、あれは演技だと言う事になりますね」 「演技!? あれが……って、リトにそんなわけのわからん真似する理由があるか?」 「……別人?」 「そう考えるのが妥当かと、私も思います」 「あの遺品について解説してくれたのもリトさんでした。そのとき、リトさんは『暗示魔術か』という問いにはハッキリと肯定しましたが……」 「それは真っ赤な偽りだった。遺品の目録であるリトさんには、遺品の内容を偽って伝えるなんてことは出来ないはず」 「そのことからも、私たちの前に現れたリトさんはやはり別人だという結論になります」 「……偽者なのか」 リトなりに、普通の子になってみたかったんだろうか、なんて思ってたのに……。 「でしょうね。偽者だとこちらが既に気づいていると知らせるのが得策かどうかもわかりません」 「じゃあ、どうする? というか、あのリトが偽者だとして、正体はなんなんだ?」 「……………………」 「満琉さん」 「しばらくの間、そのヤヌスの鍵を貸してもらえませんか?」 「……………………」 ヤヌスの鍵を使い、扉を開くと、分室で待っていた村雲達が一斉にこちらを見た。 「あ、おかえりー」 「おう、ただいま」 そう言いながら、俺達はぞろぞろと分室へ入り、扉を閉める。 満琉は先に俺の部屋へ戻したので付いてきていなかった。 「ずいぶん遅かったけど、二人とも何してたの?」 「ちょっと調べ物だよ。言っただろ」 「お帰りなさい、みなさん」 リトは村雲が入れたのであろう、紅茶のカップを持ってにこやかに俺達に話しかけてきた。 「人数増えたなあ。紅茶だけどいいか?」 「もちろんです」 「ええ、ありがとう」 「ふふっ、村雲さんのお茶、とってもおいしいですよ」 「調子狂うなあ、まったく……」 ぶつぶつ文句を言いながら、村雲は席を立ちいつも通りティーポットの前へ行く。 ハイジはしげしげとリトをながめていた。 「話には聞いてたけれど……本当にいつもと全然違うのね」 「そうみたいですね。自分ではよくわからないのですけれど……」 「ふうん……?」 小首を傾げた――と思ったら、ハイジはおもむろに手の中に忍ばせていた香水瓶をリトの顔に向けた。 唖然と、目を見開くリト。 ハイジが間髪入れずに香水を噴射する。 「ぢー!」 「えっ……?」 香水は、完全にリトに降りかかった――はずだった。 それなのに、リトの座っていた席には誰もおらず、香水はむなしくソファの背もたれに掛かっていた。 「いない!?」 「なっ!? ど、どういう……」 騒然となり、室内を見回す。 「い、いつの間に……」 リトは、一瞬にしてソファから離れた位置に何事もなかったかのように立っていた。 「なんだよ!? 何やってんだ!?」 「連発は出来ない! 取り押さえろ!」 「えっ? つ、捕まえればいいの?」 わけがわからないまま、一番近くにいたおまるがリトの腕を掴もうとするが、ひらりと身をかわされてしまう。 が――その時、リトの制服のポケットからひらりとハンカチのような物が落ちた。 床に落ちたそれには、魔法陣らしき紋様が描かれている。 そして、リトの姿は―― 学園長――九折坂二人に変わっていた。 「が、が、学園長……っ!!」 「ええ、お久しぶりです学園長」 全然目の笑っていない笑顔で言うモー子。 「まあ、そんなとこだ」 決定打はヤヌスの鍵だった。 満琉に借りた鍵で『学園長の居場所へ』と扉を開いたところ分室に出て来た、というわけだ。 「それに、変装して、遺品まで持ち出して何かやらかそうなんて物騒な知り合いは、あんたの他にいなくてね」 聞き慣れた高笑い――ではあったが、学園長の目はせわしなく俺達の間を行き来している。 見た目ほどの余裕はないのだ。 じりじりと、俺とルイが学園長を挟み、退路を断つように動く。 「ふふふ、仕方がないねえ……」 さっと懐に手を入れると、学園長は小さな壷のような何かを取り出した。 「香炉……!?」 「その通りっ!」 そう言った途端、室内は、ぼうんと吹き出してきた煙に包まれてしまった。 「きみたちは、九折坂二人に危害を及ぼすことができなくなる!」 「――――!!」 びくん、と硬直したようにルイの足が止まった。 「――上等だ! 俺達は二回目だから効かねえぜ、学園長!!」 減らず口を叩きつつ、学園長は身動き出来ないルイの脇をすり抜けていく。 「追うぞ!!」 「行ってきますっ!!」 動けずにいる村雲達に声を掛け、モー子も分室を飛び出してくる。 分室の外にまで流れ出した煙を手で払い、辺りを見回す。 「……あれ? どこ?」 「消えた……ようですね」 「くそっ、逃げ足早ぇな」 少し先まで追って行ってみたが、学園長の姿はもうどこにもなかった。 普通に走って逃げたのではなく、何らかの魔術か遺品かで姿を消して逃走したようだ。 仕方なく分室へと戻る……。 「ルイさん、ヤヌスの鍵を。もう一度学園長に反応するか試して下さい」 「わかりました」 これは危害を加えるには当たらないだろう。 ルイはヤヌスの鍵を取り出し、空中でひねった。 しかし、何も起こらない。 「ちっ……駄目です。反応がない」 「だろうな……」 消えて逃げた、ということは、ヤヌスの鍵では行けない場所へ逃げ込んだということだろうとは思ったが…。 「本物のリトさんも探してみてくれませんか」 「リトさんも……?」 「既に学園長にさらわれていた、のでしょうね」 「おそらく……」 「とりあえず、何が起きたのか説明してくれ。わけがわからん」 「ああ、そうですね。では……」 煙も晴れてきたので、ひとまず落ち着こうと言う事で着席し、モー子が経緯を説明した。 「学園長じゃないかって話になったのは、まあ、さっき言った通りだ。他に容疑者がいない」 「そして、ヤヌスの鍵で学園長の下へ、と試してみた所ここへ出たのです」 「なるほどな……」 「……そっかぁ。あのリトさん偽者だったのかあ……」 かなりしょげた顔で、おまるは肩を落とす。 多分、俺と似たようなことを考えていたのだろう。 リトは普通の女の子に憧れていたのか――と。 「そもそも保健室の噂も、学園長が仕掛けたものだったのでしょう」 「そんな噂が流れれば、あなた達は必ず調査に来るはずだものね」 「……私達に、睦月が烏丸くんに見えているのももちろん学園長の仕掛けたことですね」 「では、やはり睦月が烏丸くんだと思い込むようにされている、ということですね……」 「そういう魔術ですから」 「けど、学園長何しに来てたの? おれが――ていうか、花立さんがおれに見えるようにとか、リトさんの性格を変えてみたりとか…」 「一体何がしたいのかよくわかんないんだけど」 「睦月を烏丸くんに見えるようにしたのは、おそらく私たちにゆさぶりをかけるためでしょう」 そう言って、モー子は俺の方をちらりと見る。 まあ、確かに俺は向こうの思惑通りおもいっきりゆさぶられていたわけだが。 「リトさんの性格を変えたことについては……」 「探りを入れに、じゃないかな」 「でしょうね。性格が変わったように見せかけたのは、なるべく自分から話を聞いてこちらの状況を把握したかったのでしょう」 「そっか、リトさんっていつもは、聞かれたことにしか答えないもんね」 「単に思いつきというか、気まぐれじゃないのか?」 「そんな理由で、わざわざ自分から明らかに目立つような行動を取るでしょうか?」 「あ、そうか…つまり俺たちが何をしているのか、探りを入れにきたわけだ……」 「なるべく素の学園長に近い感じにして、演技なのを見破られないようにするため……とか?」 「しかし、一時間程経てば効果は切れてしまいますが」 「あ、そうか…つまり俺たちが何をしているのか、探りを入れにきたわけだ……」 「となると……一番知られちゃまずいだろう、満琉は先に部屋に帰したし……満琉の話ってしてないよな?」 喉まで出そうになった声を、飲み込む。 ふわり、と、本当に何の前触れもなく、俺の目の前にいたおまるは溶けるように消えた……。 「……あ、あれ?」 「睦月……」 「……………………」 「やはり時間が経てば戻るようですね」 「そうね、よかった」 「……………………」 わかってたはずなんだけどな。 おまるじゃないんだから、そのうち消えて元に戻るってのは。 だけど、あの時の――おまるが消えていった時のあの光景を、再び叩きつけられたかのような喪失感だけはずっしりと心に重く沈んだ。 「……話を戻しますよ」 「本物がいれば偽者だとバレるリスクも高くなる。あらかじめ連れ去っておくのは当然でしょうね」 「もちろん、それも一因だろうと思うのですが……」 「久我くんが宝物庫に入れる今、便利な遺品を持ち出されると困ると判断して連れ去ったのではないでしょうか?」 「リトさんの解説がなければ、初めて見る遺品は使い方も効果もわかりませんし――」 「たとえ宝物庫に入ることが出来ても、どれがどういう遺品なのかもわかりません」 「……いえ」 と首を振りながら、モー子は封印の札を取り出して見せた。 「宝物庫に入って、全ての遺品にこの札を改めて貼れば、少なくとも三日間ほどは遺品は反応しなくなります」 「使われて困る遺品にだけでも、札を貼って反応しなくする?」 「それだけでも、私達には『こういう力を持った遺品が欲しい』と念じて出て来なかった場合」 「それが存在しないからなのか封印されているだけなのかの判断すら出来ませんから」 「確かにそうね」 「とにかく……学園長は確実に動き出したようです」 「となると、こっちもこのままただ手をこまねいてるわけにはいかねえな」 と、言いつつ村雲が床から学園長が落としたハンカチを拾い上げた。 「これで姿を変えていたのですね」 「そのようね。変化を意味する印が刻まれてる」 ふと席を立ち、ルイはヤヌスの鍵を使って扉を開いた。 中に見えているのは寮の自室のようだ。 扉は開けたまま室内に消え、すぐに戻って来る。 その手には見覚えのあるランプが握られていた。 「なにそれ?」 「あ、確か……学園長が縮んだ時のやつか?」 「そうです。役立つだろうと思って、もう一度呼んで手元に置いておきました」 「ホムンクルスが縮んでしまう遺品――でしたね」 「そうよ。名前はピスキー・カプレット」 「暴走しない程度に、魔力も込めてあります。スイッチを捻れば誰でも使える状態です」 「これを使えばホムンクルスは縮む。仮に魔術で姿を変えていても、見分けることだけは出来るでしょう」 「なるほどな……」 「と言っても、これは対処法にすぎません。隠れ家の場所も一向にわかりませんし」 「そうね。こちらからも何か攻勢が打てればいいのだけれど……」 「うーん、出来ること出来ること……」 「……難しいな。とにかく隠れ家の手がかりでも見つけねーと……」 「……ひとつ、実現は難しいですが、有効な手はあるのですが」 笑いさざめきながら、生徒達がぞろぞろと歩いて行く。 みな、大きな荷物を持って、門の外へと向かっていた。 「あれー? 久我たちは実家に帰んないの?」 それを見送っていた俺達に、黒谷が手を振り近づいてくる。 吉田もいつも通り隣にいる。 「よお、おつかれさん」 「特査さんは居残りなの? 大変だね」 「あー、まあな」 「少し休みが皆さんとずれるだけですので、お気遣いなく」 「あ、ちゃんとお休みあるんですね。よかったー」 「風紀もなんですね、壬生先輩」 「ああ、特査と同じだよ」 「お疲れ様ですっ! お先に失礼しちゃいますけど…」 「はぁい! ありがとうございますー」 黒谷と吉田も、他の生徒達に紛れて校門を出て行った。 「………しっかし、まさか本当にやっちまうとはなー」 黒谷達を見送りながら、苦笑する。 「鹿ケ谷さんから話を持ちかけられたときは、私も驚いたけれどね」 と、鍔姫ちゃんも苦笑を返してくれる。 モー子と、風紀委員長代理の鍔姫ちゃんとで、学園の上層部――もちろん学園長とは別の残っている教師だ――に長期休暇を早めろと掛け合ったのだ。 そんなものを急遽前倒しにするなんて、前代未聞である。 一体どんな手を使ったのか、かなり強引に押し切ったところもあったようだが、とにかく実行に移され、今日、こうして生徒達は学園から出て行った。 「とにかく、これで西寮の生徒も全員帰郷したはずです」 そう、夜の生徒の依り代を一人残らず学園から立ち去らせる――これがモー子の案だった。 依り代である西寮の生徒がいなければ、さすがに学園長側のやりたい事は何も出来ないはずだ。 「その間がチャンスです。出来た時間で、20年前の謎を明らかにしてしまいましょう」 モー子の言葉に、俺と鍔姫ちゃんは頷いた。 「………ん………うぅ……」 (……満琉………?) 隣で寝ている満琉が、もぞもぞと身じろいで苦しげな声を出す。 (またうなされてるのか……?) 最近、ずいぶんと夢見が悪いようだ。 あちこちに遺品だの魔術だの封印だのがある、この学園の影響なんだろうか。 「よしよし………」 なだめるように背中を撫でてやる。 満琉は、ぼんやりと寝ぼけ眼でこちらを見た。 「あ、起こしちまったか?」 「………水のみたい」 「ん、ちょっと待ってろ」 ベッドから滑り出て、水場でコップに水をくんでやる。 「ほら、水……」 水を持って戻って来ると、満琉はまた目を閉じてしまっていた。 寝ちまったのか、と思って顔をのぞき込もうとした。 その時―― 「……!?」 満琉の上に、ぼんやりと人影が浮かび上がって来るのが見えた。 「なんだ……!?」 人影は揺らめく影のような、もやのような状態から、だんだんと鮮明になっていき、少女の姿になる。 「――――!!」 ぞくり、と背筋に何か薄気味悪いものが走った。 まったく見覚えはないはずの少女の姿に、俺は何故かひどく衝撃を受けている。 (………な……なんだ……誰だよ……) 薄く透けた少女は、眠る満琉へと手を伸ばし、覆い被さった。 (えっ……なんで……) 満琉に駆け寄ろうとしたのに、身体が動かない。 そして耳元では、あの忌まわしい音がする。 炎が――爆ぜる音。 (……なんで……なんで今……) 自分が炎に包まれているような感覚。 もちろんここには火なんてない。 なのに…… ――……いちゃん……おにいちゃぁん…… 理性で押し戻そうとしても、赤い波は容赦なく足元から噴き上がってきた。 (夢だ……これは、幻覚だろ……!!) わずかに残っている冷静な自分が、頭の奥で叫んでいる。 だがそれをかき消すかのように、ごうごうと炎は燃え上がるばかりだった。 気が遠くなっていく。 呼吸が速くなる。 額に滲んだ汗が頬へと伝ってきた。 (あ………あれは……) 炎の中に見える景色。 それはもう記憶の中にしかない家の中だ。 燃えつきてしまった、かつての家の……。 俺はこうやって、炎に巻かれた。 そうだ――ここに立ってた……。 異様なほど、自分が焼けていく時の記憶が鮮明になっていく。 (……そうだった……こうして……) (なす術もなくて……) (……あれは……誰だったんだろう……) 蘇ってくる記憶の通りに、炎の中に誰かがいるのが見えた。 両親でも、満琉でもない。 別の誰かが。 「まだ……まだ早い……」 少女の声がした。 あの人影――あれが……。 「まだ足りない……」 (あいつ、なのか……!?) 遠のいていた意識が、一気に現実へと帰って来る。 「お前……誰だ……!」 震える声を振り絞った。 人影――少女が、答えた。 「――……アンデル」 そう呟くと、少女は忽然と消えた……。 「……………………」 そして、あれほど荒れ狂っていた炎の幻影もすっかり消え去り、俺は薄暗い寮の室内に立ち尽くしているだけだった。 コップはいつの間にか取り落としてしまっていた。 満琉は、何事もなかったかのように、うなされもせず、すやすやと眠っている。 「――満琉……!!」 あの少女が満琉に覆い被さっていたのを思い出し、 慌てて駆け寄り、満琉を揺さぶった。 「満琉! 大丈夫か!?」 「……んん? なにー……?」 「なんともないのか?」 「なにがぁ…?」 「……水は?」 「みず?」 「飲みたかったんじゃないのか?」 「………しらない……」 ふるふる、と首を振ると、また目を閉じ寝息を立て始める満琉。 どうやら本当に何も異常はないようだ。 (なんだったんだ……さっきのは、夢だったのか…?) 気になり、しばらく様子を見ていたが、満琉には何の変化もなかった。 なんだったんだ……。 「いやあ、まったく申し訳ない……」 私は鏡をのぞき込み、首を捻る。 この鏡はもちろん遺品だ。 自分の顔をしげしげながめて悦にいる趣味は私にはないからな。 「私を助けるために、余計な力を使わせてしまいました。面目ありません、まったく」 「ああ、もちろん。香炉を使わざるを得なかったのも、失敗でした」 「あれはもっと、有用な使い方があったでしょうにねえ……」 残念だ。 実に残念だ。 まったく特査の連中はなかなかにしぶとくて困る。 「実に反省していますよ、うん」 心底反省しながら私は鏡を持ったまま、うろうろと大股に歩き回る。 その後を何か言いたげな視線が追ってきていたが、もちろん無視した。 「まあでも、おかげで状況も問題点もだいたいわかりましたからね!」 「やはり魔術師のドイツ人二人は、我々にとってアキレス腱となりますね、うん」 「正体がばれたのも、あの二人がいたせいだからなあ。まったく困ったものです」 「面倒くさいときに来てくれたものですよ、強引にでも断るべきでしたか……」 「そろそろ図書館へ帰してくれないかしら」 「うん?」 急に話しかけられたので、振り返ると、ずっと無視していた視線と目があった。 まあ別にあってもいいのだけれど。 特に問題はないからな。 「私の役目はあの図書館とお母様の集めた遺品の管理。ここにいたらそれが出来ないわ」 「きみが遺品についてあれこれ解説しなければ今すぐにでも戻してあげるのだが」 「それは無理。私は目録だから、聞かれたら答えるのも、私の役目よ」 「たとえば『完璧な未来がわかる』ような遺品の存在とか、尋ねられれば答えてしまうだろう?」 「完璧な未来がわかるという遺品とは、お母様の遺したもののことかしら?」 「そんなものを彼らに使われてしまうと、とても困るのでね」 「あれは自分で人を選ぶものだから、仮に私が存在を教えても関係ないわよ」 「なるほどぉ! それは便利だな! あははははははっ!」 「ま、諦めたまえ! 残念ながら!!」 「……帰してくれないかしら」 と言う、リトの視線は私からはずれた。 ふむ、私に言っても無駄と判断したのか。 まあ、それもよし。 どうせ意味のない選択だ。 「あなたがこの時の空間を開いて、元の世界へとつなげてくれないと私は帰れない」 おやおや。 私では無駄、ではなく一応どうすれば帰れるか把握しての判断だったようだ。 まあ、それが有益かどうかはともかく、ね。 思わず、歓喜の声を上げ手にした鏡をかかげ持ってその場でくるくると回ってしまう。 「やっと使えるようになった!」 「この遺品は起動に時間がかかるのが難点だねえ」 手の中で、鏡が光り輝き始める。 「ええ、そうね。その遺品は……」 「おっと、解説は不要だよ。なぜなら聞くまでもなく私はこれが何の遺品か知っているからだ!」 「そう」 不要と言われても、特に残念そうな様子もなく、リトは素直に口を閉じた。 「ふふふふふふ……」 鏡をのぞき込み、笑みが漏れる。 「これでようやく準備が整いつつある。もうすぐ反撃開始だ。ははははは……はーっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!」 「……ええ、着いたようです。聞いていたとおりずいぶんと山の中だ……」 「いえ、あまり手荒は真似はしたくありませんので、いざという時以外は使うつもりはありません」 「まずは充分な話し合いを。私は彼を守るために来たのであって、害するためではないのですから」 「……もちろん承知しております。当主の安全が最優先ですから……ええ……」 「学園側の動きは相当不審なもののようですからね……ああ、もう校門が見えました」 「では、そろそろ学園内に入りますので連絡はまた後ほど……」 「……ん、電波が悪いようですね」 「また連絡します」 (……急に圏外に……?) (魔術の形成に邪魔なものはあらかじめ排除してあるのか…) 「………!!」 聞き慣れた現実的な音に、一気に意識が覚醒する。 飛び起きて目覚ましを叩き、止めた。 時間を見ると、既に昼前だ。 そうか、寝過ぎないようにと思ってセットし直したんだったかな。 グラスを片付けて、寝直した時に……。 「…………あれは、夢…か……?」 火事の夢――そして、枕元に立つ少女。 「……………………」 隣を見ると、満琉が静かに寝息を立てている。 特に何の変化も、異常も見られない。 (あの人影……知らない女だと思ったけど……) 満琉の顔をのぞき込むように、そこに立っていた少女の人影。 (……アンデル、そう言ってたか?) 聞いたことのない名前だった。 でも――あの時……すべてが燃えたときの記憶の中に、なぜかあの少女がいたような……。 (顔……顔は……) 燃えさかる炎の向こう側にいて、はっきりとは見えなかった……と、思う。 しかし、満琉を見ていた少女と同じ人物であるかのように思えたのだ。 (……くそ、どこまでが夢なんだ……?) 炎の幻影。あれは間違いなく現実じゃない。 何度となく経験した忌まわしい記憶のフラッシュバックだろう。 なら、あの少女も幻影なのか。 火事の最中に見知らぬ誰かがいた、という妙な記憶が蘇ったせいで―― 「いや、待て……」 そもそも、あの時家の中に知らない少女がいたなんてこと自体が妙な夢なのか? そう言えば、魔術で呼び出した風呂屋が『火事の時知らない人がいた』とか言っていた。 それが無意識に気に掛かっていて、混ざったような変な夢を見たのかも……。 (でもそうなると、あの少女のイメージはどこから来たんだって話になるか……) 「んん……?」 ベッドに半身を起こしたまま考え込んでいると、寝ていた満琉が身じろいだ。 「ふぁあ……朝なのぉ?」 「あ、ああ。俺、そろそろ着替えて出るから」 「んー……」 ほとんどの生徒を帰してしまったので授業はない、とはいえ、居残っている俺達は一応自習はする、という建前になっている。 まあ、教室には行かなくていいんだが、さすがに寮でごろごろしてるのはまずい。 どうせみんな特査に集まってくるしな。 (だったら、頼らせてもらうか……) 幸い、頼もしい仲間がいることだし。 手っ取り早く身支度を調えると、俺は部屋を出て鍔姫ちゃんの部屋を訪ねた。 「鍔姫ちゃーん、いるかー?」 「ふぁ〜あ、おはよー」 「あ、スミちゃん。いたのか……ていうか、もうじき昼だぞ」 「あはは、ちょっとおしゃべりしてたら夜更かししちゃった」 それでそのまま、鍔姫ちゃんの部屋に泊まっていたらしい。 まあ、俺もついさっきまで思いっきり二度寝してたから人のことは言えないんだが。 「あー…ちょっと相談したいことがある」 「ちょっと待って。ヒメちゃん大丈夫ー?」 「ああ、すまない。もういいよ」 「じゃあ入って」 「あ、すまん。お邪魔します」 「いや、こちらこそすまない。ちょうど顔を洗ってたところだったんだ」 そう言いながら、鍔姫ちゃんは制服の上着に袖を通した。 「それで、何があったんだ?」 「実は、その……気にしすぎかも知れないんだけどな。妙な夢を見て……」 「夢?」 夜中に、知らない少女が部屋にいて、満琉に手を伸ばして何かしようとしていた――気がする、という曖昧な話をどうにか伝える。 「一応、満琉には何も変化はなさそうに見えるし、俺も夢だったか現実だったんだか、正直はっきり思い出せないんだけどな」 「うーん、でもそれは何だか気になるな。その少女は、全然知らない人だったんだな?」 「ああ」 「この学園の生徒? 制服は?」 「それがはっきり見えなかったんだ。なんか半透明っていうか薄くて」 「どうだろう……。それが俺にもイマイチ判断出来ないんだよ、ただの夢だったのか……」 「しかし夢じゃなかったら大問題だろう。満琉さんに何かしようとしてたんだったら……」 「そうなんだよな。だから、念のために満琉の様子を見て欲しいんだ」 「妙な気配がしないかとか、魔術的な形跡がないかとか」 「うーん、そうだね。幽霊じゃないとしても、遺品ってこともあり得るし」 「ただの夢だったら、朝っぱらから申し訳ないけどな」 「何言ってるんだ。それならむしろ幸いじゃないか」 「ああ。満琉さんはまだ寝てるのかな?」 「うん、部屋で寝てる」 「ならお邪魔しよう」 「私も行っていいよね?」 ……というわけで、鍔姫ちゃんとスミちゃんを伴って、もう一度自分の部屋に戻った。 戻ってみると、案の定満琉はまだベッドの中でまどろんでいた。 「……どうかな?」 二人の魔女は、真剣な眼差しで満琉の姿を見て、部屋の中を見回した。 「うーん……特に変な感じはしないな」 「そうだね。何も感じないよ」 そして、そう言って顔を見合わせて頷き合う。 お互いの認識にもズレがない、と確認し合ったようだ。 「そうか……」 「てことは、やっぱ俺の夢かな。悪かったな、手間取らせて」 「ああ、一安心だろう?」 「……うん、助かった」 スミちゃんは少し、満琉の顔をのぞき込むようにしてにこにこしながら独り言のように言った。 「昔?」 「しーちゃんも、昔はよく寝込んでたからね。なんとなく、ね」 「ああ……」 納得した、というように微笑む鍔姫ちゃん。 (あ、そうか……) そう言えばスミちゃん、そもそもは村雲の病気治すために学園に来たって言ってたな。 わざわざついてきてくれたのも、満琉の具合を心配してくれていたのか。 「とんでもない。このくらい、いつでも呼んでくれていいよ」 俺は特にぶつけられてる気がするんだが、さすがに姉に向かってそれは言わないでおこう。 「うぅ……ん? はれ? なに?」 話し声で目が覚めたのか、満琉が目を開けて、きょとんとした顔をする。 そりゃそうか、枕元に急に三人も人がいて話し込んでたら驚くわな。 「あっ、すまない。起こしてしまったかな」 「なんでもねえよ。寝てろ」 「お邪魔しました〜」 「??? なんかあったの……?」 「……何もなかったよ」 肩をすくめながら、苦笑する。 まったく取り越し苦労で良かった。 「お邪魔しました。満琉さん、おやすみ」 「行ってきまーす」 「えぇ〜待ってよぉ、起きれそうなのに〜」 「起きるのか? 大丈夫か?」 「うん、起きる」 「あ、えと、着替えるから待って……」 なぜか妙に嬉しそうなスミちゃん。 寝込みがちな子が起きてくる、というのが昔の村雲に重なるんだろうか。 (見た目は似ても似つかないけどな……) 「じゃあ廊下で待ってるよ」 廊下に出て、満琉が着替えるのを待って、一緒に特査分室へ行くことにした。 風紀委員はまだ校内にいるので、念のため満琉の姿を見られないようヤヌスの鍵を使う……。 「ちーす」 分室へ行くと、他の面々はもう集まっていた。 いつもの席にモー子、その隣に花立。 難しそうな本を開いているルイと、それを横からのぞき込んでいるハイジ。 そして俺達の姿を見て、条件反射のようにすぐさま席を立つ村雲。 「……おはよ」 「もう昼近いっつの」 「すまないな、お待たせしたかな?」 「ううん、わたしもさっき来たとこだよ」 わいわい言いながら、それぞれの席に着く鍔姫ちゃんとスミちゃん。 満琉は黙って俺の横にくっついて来る。 後半はスミちゃんではなく、おずおず座ろうとしている満琉に目を向けながら言う村雲。 「……チャイ?」 「インドのミルクティみたいなやつだよ。甘くて美味しいよ」 「村雲さんの差し入れです。美味しいです」 非常に満足げに、モー子がカップを傾けている。 そう言えばスミちゃん、部屋にいろいろ買い置きしてたな。 あれを分室に持って来てくれたのか。 「君はタバスコでもマスタードでも好きな物を飲んでいて下さい」 「さすがに飲み物だとは思ってねーよ!」 「花立さんそれ、辛い物好きな人じゃなくて太ってる人の意見だったと思うよ?」 「そうだっけ?」 「飲みたきゃ購買行ってレトルトでも買ってこい」 「満琉ちゃんどうする?」 「……じゃあ、その……チャイっていうやつ」 満琉も甘いものを飲みたい気分なのか、もしくはせっかく勧められたからなのか、興味が湧いたのか。 「私もー」 「なら私も同じので」 「久我のクセに一人だけ別かよ、面倒くせえ」 「いや別にそのチャイとかでもいいけどさ、すっげえ甘いんじゃねーの? 朝イチでそれはなー」 「お砂糖を入れなければ甘くはありませんよ?」 「シナモン入れても美味しいよ」 「……あ、じゃあそれで」 「シナモンなんてあったか? ああ、あるわ」 「いつの間にそんなに充実してんだ、うちのお茶は」 「ここにいる時間が長いのですもの」 ルイが相手にしてくれないからか、ハイジもこちらの雑談に混じってくる。 「お前も持ち込んでんのかよ」 「嬉しくねえ……」 と、言いつつやたら良くなっていく一方の手際で茶を入れる村雲。 板につきすぎじゃないのか、こいつ。 「誉めたのに」 「パシリだもんな」 「やめろ、どう考えても珍妙な味になる」 「……そろそろ話を進めてもよろしいでしょうかね」 ぱたん、と本を閉じつつルイが口を開く。 どうやら話は聞いていたらしい。 「そうしてくれ。なんか緊張感がどんどん失せていく気がする」 「こうしてると、異常事態の真っ最中って感じがしないもんねー」 「そうだよ、緊張しっぱなしだと、いざって時に集中力がもたないよ?」 「かといっていつまでもカレーは飲み物か否かを論じている場合でもないでしょう」 「……聞いてはいたのね」 「いやでも耳に入ります」 「それじゃあカレーもタバスコも一旦置いておいて、状況を整理しましょう」 モー子は、机の上に黒と白の二冊のノートを取り出して並べながら話し始める。 弛緩していた空気がすっと締まった気がした。 (いつの間にか、みんな切り替え早くなったなあ……) 真剣な話に入る時のスイッチの入れ方が似てきた、とでもいうか。 色々やっかい事を一緒に乗り越えているうちに、お互い呼吸が合うようになってきてるのかな。 「まずは、このノートの件の前に学園の現状を報告を兼ねて話しておきます」 「長期休暇を早める事により、西寮の生徒達には一足先に学園を出てもらいました」 西寮の生徒達は、20年前の魂を憑依させるための依り代である。 要は物理的に依り代を学園からなくしてしまえ、という強引な作戦だったが一応は上手くいった。 ……と、言いつつもモー子はなぜか微妙に不服そうな表情で花立を見る。 「西寮なのに居残っている人もいますが」 「えへへ」 「あ、そう言えば花立も西寮か」 「そうですよ。本当は睦月にも実家に帰ってもらうつもりだったのですけれど……」 要するに、モー子は良い機会だから危険な学園から花立を遠ざけたかったが、説得に失敗していた……ということだろう。 (……あのモー子が花立には口じゃかなわないっぽいからなー) おそらく俺以外の面々にもそういった事情は察しがついたらしく、ため息をつくモー子の姿に、皆、温かい目を向けていた。 「――とにかく」 気を取り直すように、モー子は肩をすくめ、机の上に置かれたノートに手を乗せた。 「西寮の生徒がいない今のうちに、過去の事を調べてしまいたいのです」 「この二冊のノートに綴られた二人の人物の記憶――表現が長くなるので、以降、簡潔に日記と呼ばせていただきます」 「正確には日記風に綴られた記憶ですが――その、二人の日記について、です」 「黒い方のノートに書かれた日記の主は、どうやらこの学園の創始者クラール・ラズリット」 「そして白いノートの日記は、彼女が引き取ってきた少女、セディのもののようです」 「引き取られた経緯や、そもそもどこの子供だったのかといった詳細は不明ですね」 「残念ながら。引き取って学園に連れて来た辺りのことからしかわかっていません」 村雲が入れた茶を無言で持って来て、俺達の前に並べる。 幸いちゃんとシナモンの香りがした。 村雲が席に戻るのを待って、モー子は続ける。 「セディはラズリットのことを『お母様』と呼び、とても慕っていたようですね」 「ラズリットさんの方も、すごく可愛がってたっぽいよね」 「二人の仲はとても良かったように読めるな」 「そうですね。そしてセディは学園に生徒として通うようになったようです」 「クラスにも友達出来て、仲良くやってたみたいだよね」 「そうです。なぜかラズリットは『しばらく離れなければならないかも知れない』などと言い出した様子ですね」 「その結果――なのか、どうかは不明ですが、ラズリットは『あやまち』をおかしてしまう」 「それが、火事?」 「火事そのものを指しているのか、『あやまち』が原因で結果的に火事になったのか、その辺りはまだわかりませんね」 「火事も、普通に起きたものとは思えません」 「同感です。セディも、突然火が出たという風に書いていますから」 「突然、か。やっぱり誰かが火を放ったんだろうか?」 「それってやっぱり、その場にいたっていう『知らない人』の仕業かな」 「集会の最中、突然……本当に、突然思っ……誰か、知らない人が……いる……ここに、知らない人が…」 「風呂屋もそんなこと言ってたな」 「生徒が『知らない人』っていうのだから、間違いなくラズリットではないわよね」 「自分も燃えちゃうもんね。それでもいいと思ってたってことかな?」 「無理心中みたいなこと?」 「ムリシンジュウ?」 眉を寄せてハイジが首を傾げる。 「ああ、そう言えば、欧米には心中という概念がないのだそうですね」 「そうなんだ!?」 「どういうものなの?」 「たとえば、ラズリットさんを想ってる人がいて、でもフラれて、ラズリットさんの大事にしてる学園ごと全部燃やして俺も死ぬー、とか」 「間違ってません。正気で出来る行いではありませんから」 「だけど、そこまで思い詰めるような相手がいたなら、ラズリットさんの日記に一言も触れられていないのは不自然じゃないかな」 「あ、それもそっか」 と、モー子は白い方のノートをめくる。 ――『お母様、どうしたの? 今日は、大切な人にお会いする日だって言ってたよね……会えなかったの?』 ――『ごめんなさいね、心配させて。喜んでもらえなくて、少し残念だったの、それだけ』 そして、そう書かれたセディの日記の文章を指でなぞって見せた。 「喜んでもらえなくて、というのは言い寄られて困っている相手に対しての発言としては少し違和感を感じます」 「……実は娘がいるの、とっても可愛いのよ、って言ったら引かれたとか」 「それは引くと思うけど、そこまで親密になる前に言わない?」 「学園に通わせているってことは、引き取った事自体を周りに隠してるわけでもないしな」 「それもそうか」 「だいたい、その説があっていたとしたらこの後ラズリットがセディとしばらく離れなければならないという話が……」 モー子は開いたままのページの文章を指さす。 ――『あなたは必ず、わたしが守るから』 「どう見ても、ラズリットの中ではセディの方が優先されていたと受け取れます」 「それに『しばらく一緒にいられなくなるかもしれない』って言ってるってことは、ずっと離れるわけじゃないってことだよね」 「んー、ストーカー男が危ないから、セディさんだけ安全な所に隠したかったとかかな」 「しかし自分もいるその場で火をつけたって事は、自分も死ぬ気だったという事ではあるのか?」 「それとも脅かすつもりだけで全焼させる気はなかったんだろうか」 「……………………」 じっと黙って話を聞いていた満琉は、内容が火事についてになってから少し顔色が悪い。 (嫌な思い出しかないからな……) 少々心配だったが、魔力が暴走しかける、なんてことがあれば鍔姫ちゃん達魔女が気づくはずだ。 なら、今のところ、その心配はないのだろう。 「火をつける気がなかった、てのは遺品が暴走したとか、その手の事故ってことか?」 「使うべき遺品を間違えた、とかいくらでも理由は考えられますね」 「……そういう遺品がないか聞こうにも、リトがいねえからな……」 「そうです。今、一番の問題はそこです」 「遺品について聞けないばかりか、リトさんがいないとこちらの――黒いノートの記述を進めることが出来ません」 「早く溜まってくれないかなー?」 「今日の午後には溜まっていると思いますよ」 「今日の!? そんな早かったか?」 「前回はもっと時間が掛かったと思うが……」 「実は、以前の調査の時に使用した魔法陣の事を思い出しまして」 「魔法陣?」 「周囲の自然物などから魔力を集積して高めるというものです。久我くんは覚えていると思いますが」 「…………思い出した」 俺が強引に名前を聞き出されたとき、モー子が使ったあれのことだ。 「そうか、あれ使えばインク溜まるの早くなるのか」 「ええ、もっと早く思い出すべきでした」 「そうです。あの遺品の周りに描いておいてあります」 それで飛躍的にインクが溜まる速度が増すのだ、とモー子は説明した。 「なるほどー! じゃあもうすぐ溜まってるって事だね!」 モー子の声を遮るように、特査の電話が鳴った。 「はい、特殊事案調査分室……はい? 壬生さんですか?」 すかさずモー子が出て対応すると、鍔姫ちゃん宛だったようだ。 モー子から受話器を受け取った鍔姫ちゃんは、二、三何かを喋っていたが、すぐに電話を切る。 「すまない、風紀から呼び出しだ。ちょっと行ってくる」 「はい、お疲れ様です」 「トラブルみたいだが、水漏れがどうとか言っていたから遺品は関係なさそうだよ」 「そっか。行ってらっしゃい」 手を振って、鍔姫ちゃんは急ぎ足で分室を出ていった。 「さて――。とりあえず現状はそういったところです」 「リトが不在で色々と手詰まり。となるとやはり彼女の奪還を目指すべきですか」 「さすがにリトさんは酷いことされてないとは思うけど、早く取り返したいよね」 「リトの居場所って、あいつらの潜伏先だろうからな。それが見つかりゃ、打てる手立ても増えるんじゃねえか?」 「学園長も一緒にいるだろうから、捕まえて、リトを解放出来ればベストだよねえ」 「お前らの香水で、リトの痕跡を追いかけるとかは出来ないのか?」 ふと思いついて、ハイジとルイに聞いてみた。 しかし二人揃って首を横に振る。 「何か出来ないかとは思って、考えてはみたのだけれど……」 そう言いながら、ハイジは席を立ち、ちょっと待っててと図書館へ向かい、すぐに一冊の本を手に戻って来た。 「いい? もしも敵がクラール・ラズリット本人か、それに準じた能力を持つ魔女だとしたら――」 「その能力は、時を操る能力なの。この本には、時を操る能力について少しだけ解説されている部分があるわ」 持って来た分厚い本をめくり、机の真ん中に広げてみせる。 ……が、生憎、日本語ではないようで俺にはさっぱり読めない。 「ここ。現在の時間の流れとは断絶した空間を作ることが出来る、と書かれてる」 「現在の時間とは、断絶した空間……」 「……つまり、私達がヤヌスの鍵を使ってもつながらない?」 「そういうこと。『時を操る魔女』でなければ出入りは無理ね」 「ぶっ壊した魔法陣があった空間とも、また違う空間なのか」 「あの空間も同じ様に魔術で作り出した空間ではあるけれど、今のこの世界、この時間と断絶されているわけではないってことよ」 「なるほどね……」 「時間すら途切れた場所にあるとか、無茶苦茶だな…」 「今のところ、私達にはその場所へ行く術はない、ということですね」 「残念ながら」 扉をノックする音に、はっと会話が途切れる。 「念のため隠れてろ」 咄嗟に満琉に耳打ちし、満琉は素早くヤヌスの鍵を使って姿を消した。 「はい? どちらさまですか?」 満琉が隠れたのを確認してから、モー子が返事をする。 すぐに扉が開いて、風紀の制服を着た生徒がおずおずと顔を出した。 「お邪魔します。あの、お客様がいらっしゃってるのですが」 「依頼人ですか? 生徒はほぼ帰省したはずですが…」 「いえ特査にではなく、ドイツのお二人にです」 「えっ……」 「……………………」 ハイジは露骨に困った顔をして、ルイは表面上は顔色を変えなかったが明らかに不機嫌そうだった。 「この地下にお通ししていいものか判断がつかなかったので、とりあえず学園長室で待って頂いています」 「そうですか、ありがとうございます」 「それでは、自分は急ぎますのでこれで」 「何かあったのか?」 「ああ、鍔姫ちゃんも呼び出されてたやつか。念のために聞くけど、遺品関係なさそうなんだよな?」 「今のところはただの水道トラブルによる水漏れと聞いています」 「ええ、どうぞ」 「へ? あの……いいんですか?」 「邪魔にはならねーと思うから、こきつかってやってくれ」 「よろしくー」 「は、はい。では……」 と、スミちゃんは手の中に握り込んだ自分のヤヌスの鍵を村雲に押しつける。 「大丈夫かよ?」 「ヒメちゃん一緒だから平気だよ。じゃあ行ってきまーす」 「……で、客って心当たりは?」 「ありますとも」 「そう言えば、ドイツに帰って来るよう言われていたのでしたか」 「ええ、まあね」 「本家から誰か寄越してきたな……」 うんざりした口調で、ルイが言う。 風紀委員がいなくなったので、こちらも明らかに嫌そうな顔をしている。 「……わかってる」 嫌々ながら、といった態度で腰を上げるルイ。 ハイジの方もため息をつきながら立ち上がった。 「なら私達も行きましょう。残っていただいている事については無関係でもありませんし」 「そうだね。こっちが困ってるからお願いしてるんですーって言えば折れてくれるかもよ」 「だといいのですけれど……」 「ええ、行きましょう」 というわけで、俺達もついて行くことになった。 学園長室に一歩入った途端、ハイジは中にいた人物を見て絶句した。 「――Zu spat」 ちらりとルイ達を一瞥し、ソファに腰掛けていた男性が呟く。 座っていても、なかなかの長身だろうとわかる、眼鏡を掛けた淡々とした印象の男だ。 かちかちかち…と、何か音がすると思ったら、男性が立方体のパズルを回している音だった。 相当暇だったのかほとんどの面が揃っていた。 「………最悪」 その姿を見て、ハイジの斜め後ろでルイが舌打ちする。 誰が来ているかによる、と言っていたが、この表情はどうやら想像していた客人の誰でもなく予想外の相手だったようだ。 「……誰なんだ?」 ルイに聞ける状況ではないので、そっとハイジに近寄り小声で聞く。 「え、ええっと……」 そして、ハイジも何やら言いにくそうに目を泳がせる。 その気配を察したというわけでもないだろうが、男性はおもむろに立ち上がり、こちらを向いた。 傍らのテーブルに置いた立方体パズルは、いつの間にか全面完成している。 「ヴァインベルガー本家から参りました。アーリックと申します。そちらにいるルートヴィヒの兄に当たります」 「兄!?」 「……一応な」 あんまり似てないな。 ルイは元は男だったのが魔女の義眼のせいで身体が変化したらしいから、元は似てたんだろうか。 「特殊事案調査分室の方々ですね? 報告は聞いております」 「その通りですが……」 「ああ、あなた方にお手間は取らせません。私はその二人を連れ帰るだけのために参りましたので用がすめばすぐ去ります」 「失礼ながら、魔術師として私がお二人に引けを取っているとは思えません」 「それは、自分が代わりに残るから俺達だけ帰れと言う提案か?」 「馬鹿正直になんでも全部報告するからだ」 「……?」 ハイジとルイのやりとりを見て、アーリックという男は怪訝そうに眉をひそめた。 (あ、もしかして……) 「なるほど……。この方々には既に、すべて打ち明けてあるというわけか」 やっぱり。 建前上、執事のはずのルイが俺達の前でタメ口聞いてたから怪訝な顔をしたんだ。 「それも軽率な話だが、まあ、今は良いだろう。魔術知識が必要なら私でも良いのでは?」 取り繕う必要はないと判断すると、アーリックはすぐに敬語をやめた。 「報告は全て受けていると言ったはずだが?」 「ここで起きている事は、電話越しに聞いただけで全て把握出来るほど些細な問題じゃないんだ」 「みくびるなよ。相当特殊な場所であることくらいは一歩入った時点でわかった」 「その程度のことがわかった所で何になる」 「当主を残しておいては危険な場所だということは十分理解出来たさ」 「今来たばかりのお前が残るより、事態を見てきた我々の方がより効率的に動ける」 「第一、お前の提案では一時的に我々のどちらもここから去る事に……」 こりゃ平行線だな。 ルイとアーリックは見た目は冷静だが、お互い一歩も譲らないという姿勢で言い合いを続けている。 今のうちに、もう一度ハイジにこっそり質問した。 「あいつ、強いのか?」 「あの人には絶対に手荒な真似はしないで」 いつになく真剣な顔で答えるハイジ。 相当ヤバい奴らしい……。 「やれやれ。何が何でも連れて帰るよう言われているんだがな」 「ほう? 手段は問わないと?」 「ルイ!」 不穏な空気になりかけたのを察して、ハイジがルイを制するように声を掛ける。 「こんなところで荒事を起こす気はない。あいつが挑発してくるからだ」 「挑発したつもりはないんだが」 「充分そう聞こえたぞ」 「荒事は本意じゃないのはこちらも同じだ。まったく……」 ふう、とため息をつき、肩をすくめるアーリック。 「私も仕事を放り出してきているんだぞ。少しは事情を汲んでくれないか」 「つまり早くドイツに帰らせろと?」 「もちろんだ」 「なら協力しろ。我々を連れてドイツに帰る一番手っ取り早い方法は、今ここで起きている事態を解決することだ」 「……私まで今すぐ巻き込む気か」 「一番早く帰れる方法を提示したまでだ」 「……………………」 困ったように一瞬天井を仰ぎ、アーリックは腕を組んでしばらく考え、またため息混じりに言った。 「……少し考えさせてくれないか」 「構わんが、滞在時間が延びるだけだぞ。我々はそれ以外の条件で帰るつもりはない」 「わかったわかった。まったく言い出したら聞かん奴だな、昔から……」 そして、ソファの横に置いてあった荷物を持ち上げる。 「――客室は?」 聞かれたルイが、モー子の方を見る。 「東寮で良いのか?」 「あなた方の部屋の並びにある部屋で良いかと思います」 「わかった。なら行こう」 「あ、はい。……あっ、忘れ物ですよ」 と、花立は机の上に置きっぱなしになっていた立方体パズルを手に取りアーリックに差し出す。 「私の物ではありませんよ。もとから置いてありました」 「あれ? そうなんですか?」 「ええ、待っている間暇だったので遊ばせてもらっただけです。元に戻しておけばいいですかね?」 そう言って受け取った立方体パズルをカチャカチャと回し、色をバラバラにしていく。 どうやら元はまったく揃っていない状態だったらしい。 「多分、こんな感じだったと」 バラバラにしたパズルをテーブルの上に置き、アーリックは改めて荷物を取り上げる。 「はあ、もう……なんでこんなことに……」 ぶつぶつ言いながら部屋を出て行くハイジ達。 俺達も、学園長室に用はないのでぞろぞろと後を追い部屋を出る。 「……………………」 部屋を出た所で、モー子が立ち止まり眉根を寄せ学園長室を振り返った。 「ん? どうした、モー子?」 「あんなもの、学園長室で今まで一度でも見た覚えがありますか?」 「あんなって、さっきのパズルか?」 「……いや、ないな」 「まさか、遺品か?」 「念のため、回収しとくか?」 「そうしましょう」 俺はすぐさま学園長室の扉に手を掛け、開いた。 「……は!?」 そこは、学園長室ではなく、どう見てもどこかの学年の教室だった。 「これは……」 「いや待て。落ち着こう。もう一回……」 一度扉を閉め、もう一度開けてみる。 「……………………」 「……保健室、ですね」 とりあえず、学園長室――のはずが、保健室につながってしまった扉は閉めておく。 「としか思えませんね」 「なんでよりにもよってリトのいない今、こんなややこしそうなのが……」 「アーリックさん、でしたか。体調に何か異変は? 目眩がするとか、怠いとか」 「……『遺品』にあまり驚かれないのですね」 「アーデルハイトから、この学園については報告を受けていましたから」 「学園長についても危険人物だと聞いていましたので、学園の上層部には誰にも挨拶をしていません」 「……なるほど」 確かに、ちゃんと報告は受けて現状は把握していると言っていたのは本当らしい。 「おそらくそうでしょうね。タイミング的にもあれだとしか思えません」 「魔力を持って行かれてる感覚もなかったのか?」 「特に感じなかったな。微量すぎたのならわからんぞ」 「……まあ、そうか」 アーリックは、ルイ達の代わりなら自分でも、と言っていた位なのだから、魔術の素養は相当あるのだろう。 「おそらく、扉と扉のつながりをめちゃくちゃにしている遺品なのでしょうね」 「迷惑な遺品だねえ」 「……本当に迷惑な遺品だね」 「つまり、片っ端から扉開けて回るのか」 うんざりする話だが、仕方がない。 数は少ないが、学園内にはまだ風紀委員達も残っているのだから、この状態はとっとと解決してしまわないとパニックだろう。 学園長室を出る前に気付けばよかったのだが、あの時点では特に異常はなかった。 (もしかして、一度ドアを開け閉めしたのが発動の条件…だったのか?) まあ、今となっては気付いても遅いことだし、リトがいないので確認しようもない。 村雲がはっと手を打って、ポケットからヤヌスの鍵を取り出した。 「ああ、それなら一発じゃん」 「普通に学園長室につなげりゃいいんだよな。……よっと……」 村雲は鍵を空中に差し込む仕草をして回す――が、何も起きなかった。 「ん……? おい、反応がないぞ?」 「魔力を使ってる感覚もないですか?」 「まったくねーよ」 そう言いながら、村雲は今度は扉の前に行き、鍵穴に差し込んで試そうとしたが、駄目だったらしい。 「……駄目だ。そもそも鍵が入らねえ」 「それは完全にヤヌスの鍵が無効になっているってことよ」 「無効に? なんで?」 「この遺品のせいでか?」 「多分、今発動してるパズルの遺品の方が、ヤヌスの鍵よりも魔術道具として上位に当たるのだと思うわ」 「つまり、パズルの遺品の効果範囲内では、ヤヌスの鍵はどこへ行くことも出来ず、完全に無効化している、と?」 「だと思うわよ」 「うわー……めんどくさい……」 「仕方ありませんね。しらみつぶししかないようです」 「……だったら手分けした方が早いな」 「ええ、幸い人数はいますから三組ほどに分かれましょう」 「そうだな。扉を片っ端から開けて回るだけでいいんだろ?」 「村雲くん、札は持ってますか?」 「おう、持ってるぜ」 「では札を持っている私と村雲くんは組を分けた方がいいですね」 「ええ、もちろん。お願いしようと思っていました」 モー子は内ポケットから、いつも遺品を封じている札を取り出し、数枚ハイジに渡す。 ハイジは少し興味深そうに札を眺め、描かれている紋様を見て頷いた。 「ええ、ほんの一滴程度で充分です。発動には術者の真名を唱える必要がありまして……」 魔術師の家系だけに、札を見ただけである程度どういう魔術かわかるらしい。 手っ取り早くて良いな。 「――わかったわ。パズルを見つけたらすぐに封印して集合ね」 「ええ、お願いします」 「行きましょう、ルイ」 「ああ、無論だ」 「リスク?」 「あの遺品がまだ扉をめちゃくちゃにつなぐだけの力しかないとは判明してないだろう」 「……あー、前の楽譜やらランプやらみたいに飛び回る系だとか?」 「それだったら、捕まえるの男子いた方がよさげだね」 「お前はウシオと行けばいいだろう」 「俺とモー子?」 「あ、いーんじゃない?」 「オレも久我と二人は嫌だ」 「あたふたしてる場合か。ほら行け」 やけにさっさと扉を開くと、ルイは俺とモー子を扉の中に押し込む。 押し込まれた先は礼拝堂だった。 「もーちゃん、がんばれー」 「む、睦月? あなた何か誤……」 まだあたふたしているモー子が振り返ろうとしたせいか、押し込もうとしていたルイまで勢い余って扉のこちら側に来てしまう。 「あ」 「え……………………」 「ルイ――っ!?」 「……いないね」 「そりゃ、さっきどう見ても礼拝堂だったんだから、トイレにはいねえだろ」 「……………………」 「……………………」 「……悪かった」 「いや事故だろ。モー子がじたばたするから」 「いや、今のはわざとだ」 「はい!?」 「この三人で話したいことがあったので、多少強引に進めた」 「あ、そ、そうですか、それは良かったです」 「良かったのか」 強引に話を切り替えることで、冷静さを取り戻したようだ。 (まあ、ルイにしてはやけに強引だなとは思ったけどな……) 「ひとまず、近くに学園長室につながっている扉がないかだけ先に見てみよう」 すっかりいつもの調子になったモー子が頷いて、俺達は礼拝堂から移動することにした。 「……違うな。視聴覚室だったわ」 「こちらにも見当たりません」 何度か扉を行き来した後に廊下に辿り着けたので、あちこちの扉を開けてチェックしながら歩いてみる。 しかし学園長室に通じる扉は一向に見当たらなかった。 「なあ、ルイ」 「なんだ」 「俺達にだけ話したいって言ったけどさ、なんで俺とモー子だったんだ?」 「……前にこの礼拝堂で対峙した時、核心を聞かれても、顔色を変えずにうまく処理していたからな」 「アーデルハイトは秘密を抱えるには性格上非常に向いていないし」 「……それは同意する」 素直すぎるというか、真面目すぎるというか、とことん顔に出るタイプだからなあ……。 「それで、話したいことというのは?」 「もしかして……」 「この迷路を作り出してる、遺品のことか?」 「まあ、そうとも言えるが、それだけじゃない」 「お前の兄貴のことか?」 「それもあるんだが、本題ではないな」 「学園側……学園長たちのことか?」 「根本的にはそういうことだな」 「私もまだ、確信が持てたわけではありませんが――」 「今、風紀委員は壬生さんを含め東寮に集められている状態です。そして私達は迷路状態になった校舎内に閉じ込められている」 「二つのことが同時に起きるにしても、タイミングが重なりすぎているのでは――そういうことでしょうか」 「正解だ」 頷くと、ルイもまた違ったらしい扉を閉めてモー子と俺の方に向き直った。 「学園側に、何か進めたいことでもあるなら都合の良い状態になりすぎている気がする」 「……そりゃ、確かに。今なら風紀も特査も邪魔出来ないな」 「そうだな……いや、待てよ。その考えが正しいとしたら、ルイの兄貴は?」 「あいつが遺品を発動させたのは偶然じゃないってのか?」 「それがわからないから、わざわざ別れて意見を聞きにきたんだ」 「ああ、普段と変わりないように見える」 「元からああいう、生真面目というか堅苦しい感じの人なのか」 「当主よりも本家の意向を最優先にすべし、といった所では俺達以上だろうな。忠義というか、正直融通の利かない所はある」 「頑なに、ルイさん達を連れ戻そうとする態度は普段通りということですね」 「そうだ。しかし、先ほどの推論に当てはめると、この遺品のトラブルは偶然の結果として判断してしまって良い物かどうか……」 「もし我々が学園側の計略によって閉じ込められているとしたら、あのパズルにまつわる一連の行動は作為的なものと考える方が自然だ」 「となると、真っ先に鍔姫ちゃんが俺達から引き離されたのも怪しいのか」 「ええ、壬生さんなら嘘が見抜けますから、普段通りの態度が演技ならすぐにバレます」 「そういうことだ。彼女が呼び出された事から全て作為的なものだったら……」 「ただ、確証は持てない。だからお前達の意見を聞きたかった。どう思う?」 「はあ……当主を守らなければならないというのに、こんなわけのわからない空間ではぐれてしまうとは…」 ため息をつきたいのはこっちだ。 さっきからアーリックは、ルイの所在ばかりを気にして、扉を開けても真っ先にルイを探している。 「守りたいならちゃんと協力して下さる?」 「しているさ。ほら、またいない。学園長室でもない」 「ちゃんと、っていうのは本家の命令に逆らってでもってことです」 「さっきルートヴィヒが言っていた早く帰る方法、ということか?」 「そうです。わざわざあなたが来たということは、本家から多少力ずくになってでも連れ帰れと言われているのでしょう?」 「本家は当主を守りたいだけなのだ。それはわかっているのだろう?」 「……もちろんです」 ヴァインベルガー本家にとって、性別が変わるほど右目に適合したルイはとても貴重な存在だ。 少なくとも、これまでの記録ではそのような奇跡は一度も起こっていない。 だからルイの扱いについては多少は慎重にならざるを得ない。 少なくともこんなトラブルの中心に放置しておくべきではない存在なのだ。 「実際、私も一度は自分を置いて脱出するようルイに言いました」 「それは正しい。そして今、私がしようとしている事とまったく同じだ」 「何故その考えが途中からひっくり返されて、二人とも今この学園にこだわっているのか私には理解できないが」 「それは……」 「当主の身の安全が第一。そのはずだろう、お前だってそのために存在しているはずだぞ、アーデルハイト」 「……………………」 わかってる。 そんなことはわかってるけれど……。 (こんなの、放って帰れるわけないじゃない……) でも、そう言ってもアーリックには理解して貰えないだろう。 むしろ、当主を守る盾のはずの私が私情に流されるとは何事かとでも言われるに違いない。 「ええ、そうです、ね……」 「……駄目だ。食堂だった」 「こっちもだめー。どっかの教室」 がちゃり、と扉を閉めながら、花立がさすがに少々疲れてきたような顔をして戻って来る。 「この廊下はもう全部見たかな?」 「だな……」 片っ端から扉を開けるが、学園長室につながる扉は一向に見つからない。 本当に正解があるのか疑いたくなってくる。 「こいつが使えりゃなあ……」 無効だとわかっていても、ついヤヌスの鍵を取り出して空間に差してみる。 当然、反応はなく鍵は発動してくれないわけだが。 「しょうがねえ、他行くか」 「意外と元気だな……」 「ん? なにが?」 「さっきちょっと疲れた顔してたのに」 「……だろうな」 落ち込んでいたことすら、一瞬で忘れていそうな性格に思える。 正直、うらやましい。 「もーちゃん達とも会わないよねー。同じ所にはつながってくれないのかな」 「まったく見かけねえってことは、そうなのかもな」 「なんだ?」 「みっちーと満琉ちゃんって、すっごく仲良しじゃない?」 「そりゃ兄妹だからな」 「――だから、もーちゃんがほんのり心配してるんだよねー」 「なんで心配なんだ? 兄妹ならあんなもんだろ?」 「……そういえば村雲くんとこも仲良かったねえ」 「なんだそのしみじみした口調は」 普通、あんなもんじゃないのか。 特に変だと思ったこともないんだが……。 「それでね、もーちゃんに相談されてたんだよね」 「相談?」 「みっちーが『ここに満琉がいればー』って念じたら、満琉ちゃんが本当にヤヌスの鍵使ってひょっこり現れたらしいんだけど……」 「仲良すぎじゃないかなーって、もーちゃん心配らしいのよね」 「心配ねえ……」 それは心配とは違う何かなんじゃないのか。 鹿ケ谷は、久我が絡むと時々異常に慌てふためいたりしてるし、多分……。 (……待てよ。久我が念じたら唐突に満琉が現れたってのは……) あいつの魔力とんでもないからな。 もしかしたら、満琉ならこの迷路化した校舎内でも強引に突破出来るんじゃないのか。 (念じたら……) こっそりと、微かに手首に残っている以前満琉に付けられたアザに触れる。 もしかしてこれ、まだつながってんのかな。 だったらオレにも出来るかも……。 (……聞こえる、かな? おい、満琉?) 聞こえたらここに出て来い、と強く念じてみる。 (……………………無理か? いや、念じ方が足りないのかも……) (満琉――聞こえるか? 満琉……) (聞こえたらここに来てくれ! お前のくれたアザはまだ、ここにあるんだ……!!) (頼む……届け、届いてくれ! 届け、オレの声――――…!!) …………………………。 「どしたの、村雲くん」 「え」 「ものすっごいシリアスな顔して、手首押さえて……」 「……………………」 「なんか、おでこに第三の目でも開くのかってくらいマジ顔だったけど」 似たようなレベルの事を念じてた、けど……。 「……で、何してたの?」 「本当に?」 淡い期待だ、とはわかっていたが……。 やっぱ無理なのか。 ……冷静に考えると、そりゃそうだよな。 「変なのー」 「……………………」 何してんだ、オレ。 満琉呼べるかも、なんて勢いで花立に口走らなくて良かった……。 「壬生さんが呼び出された件、ルイさんのお兄さんが発動させた遺品の件、すべてが作為的なのかどうか…」 「……まだ何とも言えませんね」 ルイに意見を求められたモー子が、静かに首を振りながら答えた。 「明確に学園側とつながりがあるという言動も特になかったと思います。ただ……」 「確証が持てていなくても、現状を踏まえると何かある前提で動いていた方が安全だと思います」 「確かに、無条件に信用するにはタイミングが良すぎる気もするな」 「……ああ、そうだな」 「アーリックは、俺のスペアだ」 「スペア?」 「ヴァインベルガーの当主は代々、この魔女の義眼を受け継いでいる。それは話しただろう」 俺とモー子が同意の印に頷いたのを見て、ルイは言葉を続けた。 「俺に何かあった時、代わりに義眼を引き継ぐ役割を担っているのがあいつだということだ」 「だから、学園長室であいつを見た時、アーデルハイトはあそこまで驚いたんだ」 「まさか退避しろと散々言っている場所に、いざという時の義眼の器を送り込んでくるとは思わなかったからな」 「ヴァインベルガーの家が何故、そのような重要な人物をわざわざ寄越したのかはおわかりですか?」 「それはおそらく、本家の人間の中であいつが一番腕が立つからだ。俺が言う事を聞かなければ、力ずくでも連れて帰れとでも言われているのだろう」 「なるほどな……」 「兄である彼ではなく、あなたが義眼を先に受け継いだのは魔術の素養の高さであるとか、そういった理由ですか?」 「いや、そもそもアーリックと俺は血はつながってない」 「お二人とも、その義眼を受け継ぐ素養があるから、本家に入り義兄弟になった、ということでしょうか」 「まあ、そういうことだ。弟の俺が当主に選ばれたのは、あいつよりも義眼との相性が良かったから、それに尽きる」 複雑な家だなあ、ヴァインベルガー家。 それだけ、ルイが受け継いでいる魔女の義眼は強力で、守るべき物、ってことか……。 「……アーリックさんが、わざと私たちを迷路に連れ込んだと仮定して、なぜそのような事態になったのでしょう?」 「まあ、お前らをドイツに連れ帰りたいアーリックと、邪魔者を一人でも減らしたい学園側の利害はその一点では一致するよなあ」 「いや、さすがに利害の一致で学園側と手を結んだというのは考えられない」 俺の発言に、ルイは首を横に振った。 「アーデルハイトからの報告で、学園のやっていることは把握しているんだ。その上で協力するということは考えにくい」 「完全に犯罪ですからね。名門ヴァインベルガー家が荷担するとは思えません」 「ああ。本家の意向に反するのはもちろんだが、あいつの性格的にもそれはあり得ないと思う」 「そっか。学園長が何やらかそうとしてたのかも知ってるんじゃそうだな……」 「ヴァインベルガー本家の思惑は学園の問題よりも当主の身柄の安全を取りたい、という優先順位だけの問題だからな」 「それで敵に協力するのは本末転倒になる」 「そうなると可能性が一番高いのは……」 「ハイジの時みたいに、俺たちが遺品相手にどこまでやれるのか試してるのか?」 「何故そんな必要がある。別にアーリックは遺品を捜しにきたわけではないだろう」 「あ、そっか……」 「暗示ですよ、久我くん」 「前の時みたいに、学園長たち側に暗示をかけられてる…?」 「迷路で俺たちと別れて、ルイを無理やり連れて帰ろうとしているとか?」 「しかし、学園長室の遺品をどうにかしなければ、おそらく校舎から出ることは難しいだろう」 「うっ、それだと余計時間がかかるだけか」 「やはり暗示でしょうか」 「……だろうな。わざとこの迷路を作り出したのだとしたら、どう考えても俺たちの帰国は遅れる。あいつの目的にはそわない」 「その上で『遅れても問題ない』と判断したのだとしたら……」 「学園側とすでに交渉している可能性は高いな。先程も言った通りあり得ないことだが、それが成り立つ状況は暗示だけだ」 モー子の推測に頷くルイ。 しかし腑に落ちない、といった表情で続けた。 「少なくともホムンクルスに遅れを取るような腕ではないはずなんだが……」 「警戒していても、どうにもならなかったとしたら?」 「どうにも……あっ、あれか! 学園長逃がした時みたいな……」 香水は、完全にリトに降りかかった――はずだった。 それなのに、リトの座っていた席には誰もおらず、香水はむなしくソファの背もたれに掛かっていた。 あの時、学園長は一瞬にしてソファから消えた。 警戒していても、あんな風に瞬間移動でもしたかのように動かれたら……。 「それが一番可能性としては濃いな」 と、重いため息をつくルイ。 「つまり――」 モー子が、顎のラインに指先を走らせながら口を開いた。 「敵には時を操る魔女の力を持った何者かがいると考えられる。その人物がアーリックさんに力を使い、時を止める事で不意を突いて……」 「……アーリックさんに学園長達に協力するのが正しい方法だといった暗示魔術を掛けた、ということでしょうか」 「だとしたら、どうにか暗示を解かないとヤバイな。どうするよ?」 「ただ、現時点では仮説に過ぎません。偶然であるということも否定できないかと」 「まあ証拠はないしな……明確に敵と通じてるっていう言動をしたわけでもない」 「いや……もしアーリックが黒であるという言動をしたとしても、しばらくは気づかないふりをしていた方がいいだろうな」 「というか現状それ以外に対処しようがない。正面からまともにやり合える相手ではないし、何かしら策を考えなければどうにもならないな」 「もし準備が整っていない状態でやり合うことになったら?」 「その時は逃げるしかない」 「あいつそんな強いの? ハイジも手を出すなって言ってたけど」 「州警察の特殊部隊にしばらくいた。軽い気持ちで手を出せば肋骨あたり簡単に折られるぞ」 「魔術師とか以前にプロじゃねーか!?」 「まあどちらにしろ、まずは学園長室に戻ってあの遺品を封印しないと動きが取れません」 「確かに。永遠にさ迷う羽目になるな」 「冗談じゃねーよ……」 そう言いながら次々とドアを開けてみるが、学園長室につながっているものはひとつもない。 これだけ開けて当たりが出ないって、最初の部屋には辿り着けない仕様とかじゃないだろうな。 「あれ、まただ」 「なんです?」 「この迷路、ドアを開けたり閉めたりすると中の部屋が変わるけどさ……」 と、実際ドアを開閉しながら話す。 「ときどき、開閉しても中の部屋がさっきと変わらないときもあるんだけど、なんでだろな?」 リトがいれば、聞けばすぐ答えてくれるのだろうがいないものはどうしようもない。 「えっ?」 咄嗟に、閉じかけた扉をもう一度開ける。 室内はもちろん、開いたときと同じどこかの教室のままだ。 「そのまま、扉を閉じないで下さい」 そう俺を制して、モー子は手近にある別の扉を開けたり閉めたりし始めた。 何事か、とルイも手を止め、モー子の行動を見ている。 「……やはり」 「なんだ?」 「どうやら全ての扉が閉じた状態でないと、シャッフルはされないようです」 そう言って、室内に入ると教室の椅子をひとつ持って来て閉まらないように扉の間に挟む。 「ほら。この状態だと、こっちの扉はいくら開け閉めしても室内は変化しません」 「……ほう。つまり全部開けたままにしていればランダムに室内が入れ替わることはなくなるのか」 今までいちいち開けたら閉めてたもんな。 そうとわかれば、と俺達三人は片っ端から扉を開け放っていき―― かなり時間は掛かったが、ようやく学園長室を捕まえることが出来た。 「手間掛けさせやがって、ちくしょう」 「パズルは?」 「大人しくしてたっぽい」 立方体パズルは、アーリックが戻したときのままにテーブルの上に置いてあった。 「なら封印を――」 「いや、待て」 「なんで? もしかして西寮で何かやってるかもしれないんだろ? ならとっとと封印して西寮の様子見に行かねえと」 「それではアーリックが本当に敵側で、西寮へ向かう途中で攻撃された場合、対処できなくなる」 「……それは危険ですね」 「んじゃあ、ルイは確か遺品呼べたよな?」 「何か有用な物が?」 「名前は忘れたけど、ごつい金色の指輪みたいなやつで、名前を呼んだら呼ばれた奴が動けなくなるってのがあるんだが」 村雲が特査のパシリになる羽目になった事件で、あいつが使った遺品だ。 ……まあ、俺の本名がモー子達にバレる羽目になった事件とも言える。 「……ああ、ありましたね」 「あれ使えるんじゃね?」 「確か名前はサーペントと言ったはずです」 「そんな便利な物があったのか。それなら対策としては充分だな」 すっと虚空に手をかざし、ルイは念じるように目を閉じた。 ……が、何も降ってこない。 ルイも困惑したように目を開ける。 「呼べないのですか?」 「……反応がないな」 「あ、このパズルの遺品がまだ発動中だから反応しないのか? ヤヌスの鍵みたいに」 「いえ。遺品が、魔術道具としての序列で有効無効が決まるのは呼び出されてから、使用しようとした時のはずです」 「じゃあ呼び出すだけなら関係ない?」 「そのはずです。優劣には関係ないはずですから……」 「他のを適当に呼んでみる。ハイタースプライトで良いか」 ルイは再び手をかざしてみるが、懐中時計は現れてくれなかった。 「……駄目だな。やはり反応がない」 ハイタースプライトは俺達が使って村雲が封印したが、それから三日以上は余裕で経っているから、既に封印の札の効力は切れているはずだ。 「てことは、封印されてるのか?」 「そう……はからずも私が言ったことですね」 ――宝物庫に入って、全ての遺品にこの札を改めて貼れば、少なくとも三日間ほどは遺品は反応しなくなります…… 「確かに言ってたが、全部の遺品にってとんでもない量だろ……」 「三日間しか効かない封印の札をわざわざ使ったということは、遺品には邪魔をされたくないということでしょう」 「やはり学園側はこの三日間ほどで、何かをするつもりなのです。間違いなく何かが行われています」 「おい、やっぱすぐ西寮にいった方が……」 俺の言葉を聞いて、ルイは数秒だけ何事か考えて口を開いた。 「あと10分だけ時間が欲しい」 「10分?」 「それで2〜3時間ほどは魔女の力を使えるようになる。アーリックにも対処できるようになる」 「魔女の? あの、もも先輩を吹き飛ばした時みたいな力か?」 「ああ、そうだ。右目から身体全体に魔力を通すのに時間が掛かるからな」 右目――眼帯の下の義眼は、さっきも話に出た魔女の力が封じられている。 「そうか、急に使うと倒れるんだったな」 「身体が魔力に耐えきれないからな。そうなったら一撃で決着がつかなかった場合、危険だ」 「……他に手段はなさそうですね」 「それなら待つしかないな…」 無策で出て行って、全滅ってのはさすがに洒落にならない。 他のメンツは、まだアーリックが怪しいかも知れないって事すら知らないわけだしな。 なら焦っても仕方がないだろう、とソファに腰を下ろし大人しく10分ほど待つことにした。 「あー! もーちゃんいたー!」 開けっ放しの扉の向こうから、走って来る足音が聞こえたと思ったら花立が飛び込んできた。 「やっと辿り着いた……」 続いて、くたくたな村雲。 「お疲れ様です」 「ルイ待ち」 「もう後数分で、魔女としての力が使えるようになるそうです」 「そういうことだ。対抗手段は多い方が良いだろう」 かなり疲れた様子で、村雲は両手を伸ばして伸びをしながら身体をほぐす。 「ということですので、ルイさんの集中を邪魔しないようにしましょう」 ソファにルイだけを残し、モー子は俺達を手招きする。 そして、村雲と花立にも、どうやら宝物庫の遺品がすべて封印されているようだという事を話す。 「あれ全部かよ……よくそんな面倒なことやったもんだな……」 「ふん、同じ目に合ったのかと思ったら、ちょっとざまーみろとは思えるな」 「他に、方法がない……?」 花立の言葉をなぜか繰り返し、モー子はきゅっと眉間にしわを寄せる。 「ん? 何か思いついたの?」 「――待たせたな」 「お? チャージ完了?」 「ああ、封印してくれ」 と、ルイは立ち上がりながら立方体パズルを指さした。 「オレやろうか?」 「……お願いします」 どうやらモー子は何やら頭をフル回転させている様子なので、村雲が札を取り出しとっととパズルに札を貼り付ける。 「――刻を、止めよ」 「その手を切って血をつけなきゃいけないのが大変だね」 「慣れりゃそうでもねーよ」 文句を言いつつもすぐさまヤヌスの鍵を取り出し、適当に空中で回す。 「お、使える」 開いてみると、ちゃんと分室につながっていた。 パズルの遺品の効果は完全に消えたようだ。 「封印出来たぞー」 振り返ると、モー子はルイと何やら相談しているようだった。 「西寮に向かう前に少しだけ寄りたいところがあります」 モー子の提案でやってきたのは、かつて俺が踏み壊したあの銅像の前だった。 もちろん以前壊れたままの状態で、修復されていない。 「こんなのが折れちゃう勢いって、とんでもないね、みっちー」 「お前が降ってくるから――あ、いや、中身お前のおまるがだけど」 「あっははは。そういううっかりさんな所、やっぱり他人とは思えないかなあ」 「窓から落ちるって、うっかりですむレベルか……?」 「……………………」 微妙に気の抜けた話をしている俺達を尻目に、ルイは折れた銅像を子細に観察していた。 「かつてここに、宝物庫から遺品が飛び出さないように抑制するための封印があったのです」 それを俺が壊してしまい、その時から校内に遺品が現れる確率が爆発的に跳ね上がってしまった。 「どう考えても、宝物庫に入って封印の札をすべて遺品に貼るよりも、ここの封印を強力に修繕した方が早いでしょう」 「なのに学園はそうはしなかった…それには何らかの理由があるのではないでしょうか?」 モー子の話を、聞いていると示すためにか、ルイは時折頷きながら銅像の周りを一周する。 そして、台座までくまなく調べてみた後、モー子の方へ向き直って口を開いた。 「この銅像自体には、今は何の仕掛けも無いようだが……」 「おそらくポイントになる部分に魔術的要素の強いものを一定数配置した上で、その中心に封印を施すタイプだろう」 「ならば修繕しない理由はひとつしかない……同じように魔術要素の複数配置で行う、他の魔術の妨げになるからだ」 そう言えば、以前にもルイはそんな事を言ってた気がする。 モー子はそれを確認しに来たのか。 「そうだ。学園側にとっては、そちらの魔術の方が重要だ、ということだな」 悔しそうに唇を噛むモー子。 仕方ないよ、と花立がなぐさめている。 「この銅像をもう一回壊したら、その、他の魔術とやら、何とかできないのか?」 「これはもう今はただの銅像だから、意味がないな」 「うーん、そうか……」 「……他の魔術について、何か手がかりはないでしょうか?」 「この場所を通過するような形で、学園内のどこかに、魔術的なものがこっそりと配置されているはずだ」 「問題はどこにそれがあるのかだが……」 「通過するような形、って言っても、結局は学園のどっか、としか言いようがないよね」 村雲はそう言ってヤヌスの鍵をポケットから取り出す。 「鍵まだ使えるか?」 「まだいける。んじゃ……」 「ルイ――!!」 村雲が鍵を回すより早く、校舎の方からハイジの声が飛んできた。 「やっと見つけた! 無事か? 無事だな?」 ハイジとアーリックが、同時にルイに駆け寄って来る。 「ちょうどいい、この場ではっきりさせてしまおう」 アーリックの姿を見て、ルイはすっと前に出ようとした。 急いでモー子が近寄り小声で声を掛ける。 「推測がもし間違っていて、敵ではなかったらどうするんですか?」 「もちろん加減する、その時は数分気絶するだけだ」 「――下がってろ」 以前も先輩を吹き飛ばしたあれだろうと予想はついたので、村雲に素早く目配せしつつ言う。 村雲も、即座にただ事ではないと察したらしく花立を背後にかばう格好で数歩下がった。 ルイは逆に前に出て、俺達とアーリックとの間を遮るような位置へと移動する。 ルイがハイジに向かって鋭く言うと、ハイジの方もすぐさま従い距離を置く。 そして無造作に眼帯を剥ぎ取ると、その下から赤く輝く瞳が姿を現した。 「悪く思うなよ――」 どん、と空気が振動する音が聞こえた。 が、俺達の方にはもちろん、何の衝撃もなく――そして、アーリックもまた平然と立っていた。 「……なに?」 「今、お前は私を攻撃したのか?」 涼しい顔で言いながら、アーリックはルイにゆっくりと近づく。 ルイは一瞬動揺した顔を見せたが、すぐに俺に向かって叫ぶ。 そして自分はアーリックから目を離さずに、俺達から離れた位置へと移動した。 どん、とまたルイが衝撃波を放ったらしい振動だけが伝わってきた。 しかしアーリックはやはり平然と立っている。 「急げ! アーデルハイトを頼む!!」 走ってきたハイジの腕を掴み引き寄せると、俺達の方へ突き飛ばす。 「早く行け!!」 「おい! 村雲、鍵!!」 村雲は既に使おうと構えていたヤヌスの鍵を回転させ、扉を開いた。 「なんなのよ……!!」 (ルイは――無理か……!) アーリックがこちらへ近寄らないよう、ルイは今も義兄と睨みあったまま、じりじりと扉から離れて行く。 「仕方ねえっ……!!」 他全員も駆け込んだのを見て、扉を閉めた。 迅速な行動。 やはり、こういう時にはコガは頼りになる。 話しておく相手はあの二人にしておいて正解だったようだ。 (………しかし……) 事態は最悪だな。 何故、俺の攻撃がまったく効かないのか。 怪訝そうな俺に、アーリックは皮肉っぽい笑みを浮かべて見せた。 「お前は知らなかっただろうな」 と、言いつつ手袋を少しめくる。 そこには腕輪のようなものがはめられていた。 「これは、当主には絶対に存在を知られないようにしてある魔術品だ」 「魔術品……」 その言い草からして、遺品ではなくヴァインベルガー家の所有していた魔術道具なのだろうと知れる。 (しかも当主には隠してある、と……) おそらくヴァインベルガーの当主が一族に不利益な存在になったときのための、ヴァインベルガーの魔女封じに特化した魔術品か。 道理で俺の力がまるで効かないわけだ。 (つまり形勢は絶対不利……) とっとと自分も退避すべきなのだが、アーリックがその隙を与えてくれるかどうか。 「お前の疑問は晴れたと思うが」 「ああ、晴れた」 「それとも何か、他の理由でも……?」 質問しながら、アーリックはじわじわと距離を詰めてくる。 コガにも話したとおり、こいつ相手では接近されるとそれだけで不利だが……。 (話を聞く気はあるのか……ならば……) 「あの迷路を生み出すパズルの魔術道具、起動させたのは偶然か?」 「偶然? 偶然とは?」 「あれを遺品だと知らずに弄んでいたのか? ただの暇つぶしに?」 「そう言わなかったか?」 こちらの問いの意味がよくわからない、と言った雰囲気だ。 これは本当に知らないのか、それとも……。 「単に待ち時間が長かったからだ。それにあれは客用のソファの前にあった」 「何の疑問も持たなかったのか?」 「疑問とは?」 「なぜこんな所に、こんなものが、とか」 「特には。子供の遊び道具だろうと思い込んでいたからな」 「……『子供の』ね」 捕らえた、と思ったが同時に微かな期待が打ち消された失望感が沸き上がる。 「今のは失言だったな」 完全な失言、というほどではなかった。 ただ、これにどう反応してくるかによって、おそらく答えはわかる。 「……………………」 要は引っかけだったが―― 一瞬黙ったアーリックは、途端に地を蹴り一気に距離を詰めてきた。 「――ッ!!」 来る、とわかったが捌ききれず、その場に引き倒されてしまう。 「そうか。確かに報告には、学園長が『子供』だとは書いてなかったな。なるほど失言だった」 ……かかった。 これで完全にこいつは敵だとは知れた。 「学園長の見た目が子供だと知っている……つまり、お前は学園長に会ったことがある」 「さっき学園長室で、学園の上層部には誰にも会っていないといっていたのにな……」 アーリックが自らの意思でそんな嘘をつく理由はない。 やはり推察通り、暗示に掛けられて学園長側に協力するのが正しいと思い込まされている……。 (確定はしたが、状況は最悪だな……) 体術ではまるでかなわない。 もがく余裕もないほど完全に押さえ込まれている。 とはいえ役目上、こいつが当主である俺自身に直接的な危害を及ぼすことはおそらくない。 いまのところそれだけが唯一の救いであり、強みだが……。 どうにか――せめてこの事だけでも、特査の連中に伝えなければ……。 「心配するな、お前の正体――本当は当主であることについてまでは話していない」 「お前たちがた分の穴埋めはもちろんするが、私の目的はお前を無事にドイツに連れ帰ることだし――」 「わざわざ危険を増やすようなことはしない」 すっと右目に手を当ててくる。 腕輪をしていた方の手だ、と気づいて振り払おうと首を動かそうとしたが―― 「これの本当の使い方は、お前の能力を無効化することではないぞ、ルートヴィヒ」 「っ…! やめろ!!」 「ヴァインベルガーの始祖の名において永遠なる赤き瞳に命ず。――魔女に眠りを」 光が――義眼であるはずの赤い眼から光が急速に失せていくのが感じ取れた。 身体中に満ちていた魔女の力が、消えていく。 それと同時にすさまじい眠気が俺自身にも襲ってくる。 「……っ……う…………」 「ああ。お前は右目との同化が強いから、魔女の眠りの影響も強く受けるのか。これは好都合だったな、助かる」 「そのまま大人しく眠っていてくれ」 「――た、倒れてるよ!?」 「くそ、やっぱ駄目だったのか……」 一旦退避した俺達は、ヤヌスの鍵の力で当初行こうとしていた西寮に着いていた。 しかしルイが心配だというハイジをなだめ、俺が様子を見てくるからと中庭の見える渡り廊下へとやって来た所だった。 ちなみに鍵は村雲から借りた花立が使ってくれた。 俺はまったく魔力ないからな。 「どうする……?」 「ルイは、あいつからは『逃げるしかない』と言ってたからな……俺達にかなう相手じゃないのは確かだ」 「だから、どうにかルイだけ取り返して……」 「全力で逃げるってことだね!」 「それしかないな。なるべくルイの側に扉開けるか?」 「アーリックに勘付かれないように、そーっと鍵回してくれ。そしたら俺が後は何とかする」 「わかった。じゃあ行くよ……」 花立はなるべくそっと空中に鍵を差し込む仕草をして、ゆっくりと回した。 微かに鍵の音がして、扉が出現する。 ノブを握り一気に開いた。 「――邪魔するぜっ!!」 飛び込むと同時に、驚いて顔を上げたアーリックめがけて地面の砂を蹴り上げる。 「………!!」 咄嗟に腕で目をかばいながら、躍りかかってくる俺の気配にアーリックは俊敏な動きで後退り、構えを取る。 が、俺はもちろん攻撃する気などないので、倒れたルイを片手で強引に持ち上げ、きびすを返し扉に飛び込んだ。 「やった! 成功!!」 戻って来た俺達を見て、花立は鍵を引き抜き扉を消す。 「おし、ここも危ない。戻るぞ」 もう一度鍵を使い、花立が扉を開けてくれる。 「………コガ」 担ぎ上げたルイが、朦朧とした様子で口を開く。 どうやら、無理矢理眠らされるとか、そういった魔術でも使われたのかひどく眠そうだ。 「おう、大丈夫か?」 「……あいつは……やはり、敵側だった…」 眠りに落ちそうになりながら、ルイはうわごとのように呟く。 「そうみたいだな……」 「開いたよー」 花立が扉を開き手招きする。 ひとまず渡り廊下から西寮へと移動した。 「よし、完了!」 鍵を引き抜き、扉を消す。 西寮の中はすでに生徒達が帰省した後なので、誰もいない。 今のところ、見るからにおかしな所もないようだった。 「近くにいるはずだよ」 ハイジの声に、一度は意識を失ったかのようにうなだれていたルイが微かに顔を上げる。 「……ねむ、らされた……右目……」 「右目? 魔女の右目を?」 「強制……できる、魔術道具が……」 「アーリックが持っているのね? わかったわ、苦しいならもう喋らなくて良いから」 「………アーデルハイト…一人、でも……やれるな?」 ルイの言葉に、何度も頷いてみせるハイジ。 そこまで言うと、糸が切れたようにルイはくったりとうなだれ意識を失った。 「……………………」 「大丈夫なのか?」 「眠っているだけだから」 意外にしっかりした口調で、ハイジは答えた。 こんな事態になったら、もっとおろおろするかと思っていたのに。 しかし悔しげにきゅっと拳を握りしめ、 「でもわざわざ一人でもと言ったのだから、当分目は覚まさないということだと思うわ……」 と、切実な口調で言った。 「……そうか」 「ルイはどこか安全な場所に寝かせておかないと……」 「奪還しに来る可能性はあるな。眠ってるとは言っても」 「みっちー、担ぎっぱなしで大丈夫?」 「こいつ軽いから平気。西寮じゃ寝かせる場所もないしな」 「そうね……人っ子一人いないとは言えどういう仕掛けがあるかも……」 「学園側が何かやらかしてそうな仕掛けってのはまだ見つかってないのか」 「そうなの。みんなで探してるんだけど……」 ふと、ハイジは自分の言葉にはっとなった様子で首を傾げた。 「これだけ探しても西寮に何もないということは、ここじゃないということ……?」 「けど校舎の中はさっき散々歩き回ったけど特に変わったものはなかったよな。東寮だって風紀委員がいるはずだし……」 「……そうね……校舎も……」 「あれは別の空間……」 言いかけて、俺もはっと思い当たる。 「あれは、寮の地下だったのよね!?」 「ああ、油断した。突然扉のような物が現れてな」 「ふむ、それはヤヌスの鍵だね!」 「ヤヌスの鍵……ああ、それが迷路の中で使おうとしていた遺品か」 「ところで君、追いたいのはやまやまだと思うが、先にこちらの案件を片付けてはくれないだろうか?」 「構わない。どのみち一番の脅威はもう潰した」 「では、少し移動しようか」 「……………………」 「君は素晴らしいなあ! 味方側に引き入れられて、本当によかったよ!!」 「時間稼ぎもしてくれて助かった。おかげでほぼ準備も完璧に整ったしね!」 「……そうか」 「あの鏡の遺品、時間はかかるがそれに見合っただけの成果は与えてくれるねえ。はっはっは」 「鏡?」 「うん、我々にとって有益な人物を映しだしてくれる鏡があるのだよ! ひっじょーに起動に時間が掛かるのが難点なのだがね!!」 「……おっと、ここだここだ」 「ここは?」 「待つのはいいが、その後は?」 「多分聖護院さんを封印したのは、あの二人だと思うのだよ!! 同門の君なら解除もできるだろう?」 「……そうか。それは朗報だ」 「承ろう」 「よし、つながったぞ」 合流した俺達は、花立が返した鍵で村雲が扉を開いて、異空間へと入って来た。 「うわっ、すっごいねー……」 相変わらず不可思議な空間である。 ここはかつて夜の世界を作り出していた魔法陣があった場所だ。 空間全体が発光しているような明るい世界で、広すぎて奥がどこまであるかはよくわからない。 ちなみにこの場所には夕方というものが存在せず、急に電気が切れたように夜がやってくる。 「……重くありません?」 ルイは置いてくるわけに行かず、俺が背負ったままなのでハイジが気にしてくれている。 「全然。軽いもんだから大丈夫」 「こいつ馬鹿力だから心配ねーよ」 「……なら、お任せします」 「おう、任せとけ」 ハイジが言った通り、ルイは本当に眠っているだけらしく、苦しそうな様子もなかった。 「さて、仕掛けがどんなものかわかりませんが、とにかく急いで探してみましょう」 「そういうものがあったら私に教えて。術式を読めば、どういう種類の魔術かはわかるから」 「ただ、そんなにわかりやすい形とも限りませんからね」 「妙な銅像だとか、オブジェ的なものだとか……とにかく怪しいと感じた物はすぐに報告して下さい」 「わかった。じゃあ探そうぜ」 「迷子になるなよ」 捨て台詞を残して、俺とは反対方向へ歩いて行く村雲。 「……あの悪態の応酬はもう、エンジンを掛けるための儀式か何かだと思えばいいのかしら?」 「その認識であってます」 背後でハイジとモー子が何か不本意なことを言い合っていたが、聞こえなかったことにした。 「でっかいきのこー」 花立はきのこの森の中をのぞき込んでいる。 「これ、急に動いたりしない?」 「大丈夫だとは思いますが、不用意に触らない方がいいでしょうね」 「うん、わかった」 「睦月!?」 花立が急に悲鳴を上げて、茂みから転がり出てきた。 「どうした!?」 「変な生き物?」 「……げ、あいつら……」 以前、俺が風呂屋とここに迷い込んだ時にもいた変な生物だった。 花立とモー子の上げた声が聞こえたらしく、別方向に散っていた村雲とハイジも集まってくる。 「なんだよ。春霞の遊び相手じゃねーか」 「でも睦月は突き飛ばされたと……」 「攻撃してきたのか!? まさか!」 「……こちらまで来ようとはしないわね。ムツキ、あなた何をしていたの?」 「あそこの光ってる石に近づこうとしたら、突き飛ばされたんだよ」 「光ってる石?」 「あの変な生き物の向こう。ほらちょっと見えてるでしょ」 「……あの光は……!」 「……ええ。ラズリット・ブロッドストーンの光に似てるわ」 「睦月、どんな石だったか覚えていますか?」 「ストーンヘンジですか?」 「じゃあ確かめる必要があるな」 「村雲さんの言うことなら聞くのかな?」 「いえ、あれもおそらくホムンクルスでしょうから、既に学園側に命令されているとしたら、無駄足になるわよ」 口許をなぞっていた指を離し、モー子が微妙に俺の方に目線を向けながら言った。 「誰かが囮になって、あの生き物を引きはがしている間に何とかしましょう」 「まあ、そうなるだろうな……」 「な、何!?」 「これは――!!」 光は何かの法則にでも従うかのように地面に図形を描くよう伸びてきて、俺達の足元にまで広がってくる。 「魔法陣!? あの石からだわ!」 ハイジが足元を見回しながら叫んだ。 「何の魔術です!?」 「わからない! 範囲が広すぎて読み取れないわ!!」 自分の足元だけでもどうにか見極められないかとハイジは必死に目をこらしている。 「おい!! オレ達すっかり、魔法陣の中だぞ!?」 白く輝く光は速度を増し、恐ろしい広がりを見せ、最早その先端はどこまで行ったのかすらわからなくなっていた。 「逃げ場無しかよ……!!」 どうにかならないか、と辺りを見回すが、なすすべはなかった。 そして―― 描かれた図形から光が間欠泉のように噴き上がり真っ白で、何も見えなくなった……。 「はははは……はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!」 「ずいぶん待たせてしまったね……ふふふ」 「うふふ……ふふふふ……ふははははっ、ははははははははははははははっ!!!!」 …………………………………………。 ……………………。 ……。 ……鐘……あの鐘は…………。 夜の…………。 「…………っ!?」 耳に届いた鐘の音に驚き、勢いよく身を起こす。 「な……ここは……!?」 見覚えのある場所だ。 確か――そうだ、礼拝堂の地下だ。 かつて学園長達に閉じ込められたことがある場所だとすぐに思い出したが、一体いつの間に、なぜまたここにいるのかはさっぱりわからなかった。 「えっ……なぜ……?」 すぐ横でモー子が起き上がってきて、少し離れた場所には村雲もいた。 「ルイは……ああ、いるな」 連れ去られたのでは、と冷やっとしたが、ルイも俺の後ろに倒れていた。まだ眠っているようだ。 「久我くん!? ここは!?」 「なんで……? いつの間に……?」 「わからん、俺も今気が付いたんだよ」 あの時――蝕の日の夜のことだ。 俺達は気絶させられて、いつの間にかここに閉じ込められていて……。 「確かに、まったく同じ状況か」 「……外に出ましょう!!」 「ああ、確か天井が開いたはずだよな」 「あそこだな」 俺と村雲とで天井の蓋をずらし、押し開ける。 「気味悪いくらい、あの時と同じだな……」 「……まったくだ」 出てみると、やはりそこは礼拝堂で、呆然としたハイジと、わけがわからずきょとんとしている花立がいた。 「ああ、無事だ」 「引き上げて下さい!」 「よし、来い」 「おい、どうした? 村雲、ルイ頼む!」 「ああ!」 モー子の様子が尋常ではないので、村雲にルイを任せて後を追う。 「………まさか……!!」 モー子が開いた扉の向こうには、見慣れた――そして久々に見る夜の世界が広がっていた……。 「睦月、なんともないですか?」 「夜の生徒まで強引に召還されたわけではないようですね……」 「花立のままだよな。なら、まだ学園側が全部やり遂げやがったわけじゃないんだろう」 「……ひとまず状況を整理しましょう」 モー子は険しい顔つきながらも焦りを抑え、いつもの口調に戻って礼拝堂内へ戻った。 「これは単に、私達がさっきの異空間からここへ連れてこられただけとは思えないわ」 「同感です。それならルイさんは連れ去られていそうなものですし――」 「アーデルハイトさんと睦月だけが地下ではなく、ここにいたのも不自然です」 「……そこも、まるっきりあの時と同じか」 「あの時って?」 「前にも、私達は学園側の罠にかけられてここの地下に閉じ込められたことがあるのです」 「その時と同じ顔ぶれなのですよ。私、久我くん、ルイさん、村雲くん」 「そして、礼拝堂には、アーデルハイトさんと……烏丸くん」 「じゃあ、わたしが元に戻ってる以外は本当にまるっきりメンバーも同じなんだ?」 「……メンバーと状況が同じ、だけではないとしたら……」 「非常に嫌な推測ですが、そうとしか思えませんね」 「他の生徒達も『あの日』と同じ場所に移動させられているかもしれない、という……」 「帰らせた生徒達も全員ってことかよ!?」 「学園側が必要としているのは西寮の生徒ですから、西寮の生徒全員と見るべきでしょうね」 モー子は腕時計を確認し、小さく頷く。 「状況だけを、強引に『蝕の日』と同じに戻した――そういう事でしょうね」 「そんなこと本当に可能なのか?」 「ええ、ですが……」 モー子は俺が壊した銅像の前でルイと話した事を、かいつまんでハイジに説明する。 他の魔術要素に触れるから、この銅像は直さなかったのではないか――つまりもっと大がかりで重要な仕掛けが他にある、という話だ。 「その銅像というのは、ずっと昔からあるものなのよね?」 「ええ、そう聞いています」 「ということは……別の魔術要素もまたずいぶん古いものと言う事になるわね」 「壊れたものを修復出来ないと言う事は、ほぼ同時に、互いに干渉しないよう注意して作られたのでしょうから」 「それだけ以前から、ずっと魔力を溜め続けて準備していたのだとしたら、可能だと思うわ」 「万が一、不測の事態で西寮に生徒がいないって事態になっても対処出来るようにか」 「くそ、あれだけ苦労して阻止したってのに」 「それだけではありません。夜の世界が訪れていると言う事は、あの壊した魔法陣も……」 「元に戻ってるってのか!?」 「可能性は高いでしょう?」 「生徒だけ戻しても、仕掛けが無くては意味がないもの」 「………そうか……」 「学園はまた、同じ儀式をするつもりなのでしょう」 「ラズリットの石を、夜の生徒一人一人に埋め込んで永久稼働させるという儀式を」 「また真夜中までに魔法陣を壊さなきゃいけないってことか?」 いざとなったら、やるしかないが……と思ったら、ハイジは少し考えてから首を振った。 「いいえ、魔術の力が飛躍的に高まる蝕の日はもう終わってしまっているから……」 「あ、そういや……」 満琉も東寮の俺の部屋にいるはずだ。 あっちはどうなってんだろう。 「ひとつずつ確認していきましょう」 「まずはヤヌスの鍵が二つあれば別行動ができるので、満琉さんのところへ行くのが一番効率がいいかと」 眠っているルイを引き受けると、制服のポケットから村雲はヤヌスの鍵を取り出した。 「まだ4、5回だから、あと数回はいけると思うけど……」 「……きゃああぁああ……!!」 「悲鳴!?」 「廊下の方からだわ!」 残っていた風紀委員だろうか、と急いで廊下に出て悲鳴がした方へと走る。 「――――げっ…!!」 廊下の角を曲がった瞬間、思わず息をのむ。 「あ……!」 「えっと、おひさしぶりですぅ……」 もも先輩が、申し訳なさそうな顔でちょこんと立っていた……。 「聖護院先輩……!?」 「しまった……今の悲鳴は……!」 「罠か――!!」 慌てて周囲を警戒するも、遅かった。 「うわっ!?」 村雲が驚いた声を上げ、ほぼ同時に脱力したようにくずおれる。 「まずひとつ」 柱の陰に隠れていたらしいアーリックが、倒れる村雲の手からヤヌスの鍵を奪い取った。 もう片方の手には香水瓶……。 「アーリック……!」 苦々しげにハイジがルイの兄を睨みつける。 アーリックの方は涼しい顔のままだった。 (しかし、まずいな。これでなりふり構わず逃げろってのは無理になった……) 俺がルイを背負っている以上、村雲を抱えて走れるメンツはいない。 (なら、どうする……?) 魔術の知識的には、ハイジは逃がさないと。 眠っているとは言え、俺たちにとって強力なカードであるルイも渡すわけにはいかない。 だとしたら俺が前に出て、どうにか凌いでる間にハイジとルイを離脱させるのが先か。 落とさないよう、ハイジにもたれさせるような格好でルイを降ろして抱えさせる。 「コガ? どうする気?」 「お前らの知識は必要なんだよ。何が何でもここからは逃げてくれ」 もも先輩からも、アーリックからも目を離さないようにしてどうにかハイジ達を庇える位置へと動く。 「久我くん。無理はしないで……」 「わかってる。お前もな」 「そんなに怖い顔しなくても、大人しくしてくれたら何もしないよぉ?」 「今更、私達があなたを信用するとでも?」 (もも先輩と、アーリックに同時に来られると厳しいどころじゃないな。モー子が話して気を逸らしてくれてるうちに……) どうにかルイとハイジを離脱させないと。 どうする、と機会をうかがっていると、すっとアーリックが動いた。 「――!?」 反応出来る速さじゃなかった。 しかも、香水を吹き付けたのは俺でもハイジでもなく――花立だった。 「睦月!?」 「これで頼まれた件は終了だな」 アーリックは倒れてきた花立を抱きとめ、さっさともも先輩に渡す。 わたわたしながら、花立を受け止めるもも先輩。 封印されていたせいか、本調子でないのかまだ動きが少し鈍そうだ。 「睦月!! か、返して――」 「憂緒、近寄るな!!」 鈍そう、といっても相手はホムンクルスだ。 それに何よりアーリック。あいつは危険すぎる。 「……かなう相手じゃない。お前にまで何かあったら不利になるどころじゃないだろ」 「今はハイジを連れて逃げろ」 そう言いながら、俺はアーリックと向き合う状態へと移動する。 まず勝てないだろうが、とにかくこいつらを逃がす時間だけは稼がないと―― 「手加減はどれくらい必要かな」 「割と丈夫な方なんで、気にすんな」 死ななきゃ何とかなるだろ。 まだ鍔姫ちゃん達も満琉もいるんだから……。 ――お兄ちゃん……!! 「!? 満琉……?」 不意に、脳裏に満琉の声が響いた――気がした。 もしかして、また俺の危機を察したのか。 だったら………。 「――満琉!!」 ピシッ、と何かがきしんだような音がした。 「お兄ちゃんっっ……!!」 そして目の前で扉が開き、満琉が飛び出してくる。 「満琉!! やっぱり……!!」 「これは――止まっている……?」 モー子の声に、はっと気が付くと今まさに俺に向かってこようと地を蹴る構えのままアーリックが静止していた。 もも先輩の方を見ると、彼女もまた凍りついたように動きを止めている。 「まさか……! これはあなたの力!?」 「おい! しっかりしろ、満琉!!」 ぜえぜえと苦しげに息をする満琉を支える。 「久我くん、早く避難を!」 「ああ! 満琉頼む!」 とにかく手近に倒れていたルイと村雲をどうにか引きずるようにして満琉の開けた扉に飛び込む。 「あとは花立……ッ!?」 やばい、もう時間が動いてる! 急に移動していた状況に驚いたアーリックは、警戒するように一歩後ずさった。 が、これはもう近寄れそうにない。 「すまん、花立……!!」 「あの鍵、もう一本あったのか」 「……今、ドアを開けてたのって、誰だろ…??」 飛び込んで見ると、俺の部屋だった。 満琉はずっと大人しく部屋にいたらしい。 「ちょっとルイをこっちへ」 抱えていたルイを床に寝かせると、ハイジはその懐から香水瓶を取り出した。 「これは探知除けの香水よ」 そう言いながら、俺達全員にその香水を吹きかけて回る。 「探知というと、ヤヌスの鍵などの魔術からのですか」 「ええそう、これでヤヌスの鍵で追ってくることはしばらく出来なくなるわ」 「満琉は?」 意識はあるようだが、完全に疲労困憊といった様子でふらふらとベッドに倒れ込んだ。 「……ありがとな。寝てろ」 「んん………」 「村雲も気絶したままか」 「あの香水をもろに食らったのだから仕方ないわ」 「……睦月も、ですよね」 「害はないわよ?」 不安そうなモー子に、ハイジはなるべく柔らかい口調で諭すように言った。 「ええ……」 それでもやっぱり、花立を奪われたことの動揺は隠せないようで青い顔をしている。 (……満身創痍だな) 村雲はしばらくしたら目を覚ますだろうが、ルイはいつまでかかるかわからない。 満琉もあの様子では、また当分グロッキー状態だろう。 それに花立は学園側に連れ去られて……。 「……とりあえず、今は動いても仕方がないわ。せめてシズカが起きるのを待った方がいいのではないかしら」 「そうだな……。しかしこっちはどうなってるか、様子だけ見てくる」 満琉が無事にいたということは、学園側も東寮には何もしてないかも知れないが。 俺は立ち上がると、部屋を横切り扉へ向かった。 (……誰もいないみたいだな) 水道のトラブルがどうとか言ってたのは、もう解決したのか。 (人気がないって事は、東寮の生徒は無理矢理引っ張り戻されてはないんだな) さっきの場所を移動させる大規模な魔術の効果範囲には入っていなかったのだろう。 まあ、学園にとって東寮は別にどうでもいい、ということなんだろうな。 異常はなさそうなので、すぐに部屋へと戻る。 「……、おいどうした?」 部屋に戻ると、ハイジがヤヌスの鍵を持ったまま呆然と立ち尽くしていた。 「……反応がないの」 「誰の」 嫌な予感がして即座に聞き返すと、予想通りの答えが返ってきた。 「ツバキと、カスミ……」 思わず舌打ちする。 「二人は捕まってしまったということ、かもしれないわ」 「……リトと同じ場所って事か」 よりにもよって魔女二人。 満身創痍どころか瀕死に思えてきた。 「……どこへ行きます?」 「割と探されなさそうな場所……っていうと、分室は絶対駄目だしな」 「私達の部屋も、もう危険でしょうね。何か罠が仕掛けてあっても不思議はないわ」 「盲点?」 「既に捕らえられているのだとしたら、その人の部屋はノーマークではないかと」 モー子の案を採用して、勝手ながら鍔姫ちゃんの部屋を拝借することにした。 満琉ならベッド借りても怒られないだろうと、寝かせてもらっている。 「今、他に出来ることってあるか?」 「……以前壊した魔法陣が完全修復しているかは気になるわ」 「よし、なら様子だけ見てくるか。ハイジついてきてくれ」 「ええ、いいわよ」 「モー子、こいつら頼むぞ?」 「わかると思うわ」 「すぐ戻るよ」 「……本当に気をつけて下さいね」 相当気落ちしているのだろう。 モー子は、俺達のこともいつも以上に心配そうに見送った。 満琉の持っていたヤヌスの鍵でハイジが扉を開け、異空間へとつなぐ―― 「この上だな……」 「人の気配はないわね」 階段の下から様子をうかがってみるが、誰もいないようだった。 魔法陣のあった床は、見事に復元していた。 「あんなに苦労して壊したってのに……」 少々じゃない程度にはショックだ。 あの時点での陰謀は阻止出来たとは言え……。 「さっきの移動の魔術に同期して復元するようになっていたのかしら……」 ハイジは魔法陣をしげしげと観察しながら、独り言のように呟いた。 「あるいは『時を操る魔女』の力なのかも……」 俺もわからないなりに、魔法陣を見回してみる。 魔法陣そのものは、光を放ったりはしていない。 「あれって、起動はしてないんだよな」 「そうね。夜の世界を召還した後に止まったんじゃないかしら」 「今のうちに、前と同じように破壊できないかな……いや、あの時は指輪があったか……」 おまるが全力で―― それこそ、本当に自分が消えるのも構わず全力を注いでくれてやっと壊せたのだった。 あの指輪があったとしても、今の俺達にはおそらく魔力が足りないだろう。 「ルイが無事なら、何とかなったかも知れないけど…」 ハイジも悔しそうに唇を噛んだ。 満琉もまだ力を使えそうにないしな……。 「ううん、駄目よ」 首を振り、ハイジは言った。 「前にあった防衛プログラムは今は動いていない様子だけど、傷を入れた瞬間に警報が飛ぶ仕掛けは生きてるわ」 「傷を入れても向こうに知られるだけだし、すぐに直されてしまうわね」 「そりゃしょうがないな……」 「とりあえず、読めるだけ術式を読んでみるわ。差し迫った危険があるかどうか」 「ああ、頼む」 ハイジは慎重に魔法陣に近づき、足を踏み入れないよう注意しながらのぞき込む。 俺は誰か来ないか辺りを警戒しながら待った。 「――お待たせ」 ほどなくしてハイジが戻って来る。 「どうだ?」 「この状態では、今夜すぐに夜の生徒を永久稼動させる儀式を行うのは確実に無理ね」 「てことは、当面は大丈夫なのか」 「蝕の日になった時点で魔術が発動する仕組みになっていたでしょう。その組成が変わっていないの」 「だから蝕の日ではない以上は、今のところ大丈夫」 あの学園長が、呑気に数年待つとも思えないから、何かしら手を打ってくるんだろうが……。 今夜すぐにでも、というわけではないなら、まだマシだな。 しかし……。 「今までどおりだとすると、夜が明けたら昼の生徒に戻るはずだけどそれはどうすんだ?」 目が覚めたら、なぜかまた学園にいるというわけのわからない事態に混乱は必至だろう。 「アーリックが向こうにいるなら、眠らせる香を作ることができるわよ」 「準備が整うまで寝かせとくのか。パニック起こされるよりはそうしそうだな」 「ひとまず戻りましょう」 憂鬱な気分で、鍔姫ちゃんの部屋へと戻る……。 「……無事でしたか」 俺達の顔を見て、モー子はほっとしたように表情を和ませる。 「あー、くそ……」 そして、村雲も身を起こして頭を振っていた。 「あ、起きたのか」 「ええ、ついさっき」 「どこか具合でも? あの香水には害はないはずなのだけど」 「……胸くそ悪いだけだ、心配すんな」 「あんなの相手じゃどうしようもねえよ。あいつ元警官なんだってよ」 「どうりで……素人の動きじゃねーわけだな……」 「戻って来て早々に悪いのですが、ヤヌスの鍵を使っていただけますか」 「いいわよ。どこに?」 「分室です。遺品のペンを回収したいので」 「ああ、そうね。あれは貴重な手がかりだもの、持って来ないと」 「今は他に出来ることもありませんし、過去の謎を読み進めた方がいいでしょう」 「そうだな。インクはとっくに溜まってるはずだし」 「それに、分室には以前、村雲さんの部屋にあったラズリット・ブロッドストーンも保管してあります」 「スミちゃんの?」 「春霞の体調が悪くて、魔法陣に魔力注ぐ仕事に支障が出そうなら使えって渡されてたやつだよ」 「春霞はもうスケープゴートやってねえから、何かあった時のためにって特査に置いてたんだ」 「なるほどな。俺達だけじゃ魔力少ないから助かるな」 「なら、行きましょう」 「静春ちゃんはまだ寝起きだろ。こいつら見ててくれ」 いつもより覇気がない。 まだ全然、本調子ではなさそうだ。 「残念ね」 「何の話だ」 ふふ、と少しおかしそうに笑いをかみ殺しながらハイジはヤヌスの鍵を回した。 分室前の、図書館の奥へと出てくる。 図書館はいつも通りしんとしていたが、物静かなリトさえいないと思うと静寂が重く感じた。 「中に誰か待ち伏せてなければいいのだけれど」 「下がってろよ」 女子二人を下がらせて、まずは俺だけでそっと扉を開けてみる。 「……OK、誰もいない」 そっと扉を開き、先に足を踏み入れる。 大丈夫そうだ、とモー子を手招きした。 「迅速に回収だけしてしまいましょう」 そう言ってモー子は自分の席へと歩み寄り、遺品のペンとインクが入った箱を取り上げる。 ハイジは誰か来ないか扉の外を見張っていた。 「……石が……」 「ん?」 「ラズリット・ブロッドストーンだけ、見当たりません」 「だけ? 見つかって持ってかれたのか」 「ハイタースプライトか何か使って、石を捜させたって事はないか?」 「……それなら遺品は無視されますね。あり得なくはないですが……」 背後から小声で呼ばれ、ぎょっとして振り向いてみると―― 「黒谷!?」 ソファの陰から、黒谷真弥がひょっこりと立ち上がってバツが悪そうに頭をかいた。 あまりにも予想外の人物の登場に、一瞬思考が停止しそうになる。 声に気づいて振り向いたハイジも、唖然と目を丸くしていた。 「く、黒谷さん……なぜここに……」 「あ、あはは、こんにちは。えーと、鹿ケ谷先輩」 「ちょっ……なんでいるんだよ!? 帰省したはずだろ、お前も!!」 「いやー、長期休暇が前倒しされるなんていかにもあやしいと思ってさ!」 「戻って来んなよ……」 「……もう校門閉まってるよ」 「あ……」 「……夜、ですからね……」 そうだった。 夜になったら誰も出られなくなるんだ、この学園。 「黒谷……お前は、本当に……」 「……呆れた人ね」 「本当に反省してるんですね?」 「……………………」 深々とため息をつき、モー子は額に指を当てて目を閉じた。 おそらくどうにか家に送り帰す方法はないか、はかない望みを探っているのだろう。 そして、もちろん―― 「……置いていくわけには行きませんね」 そんな方法はなかった。 強引に門を突破させたところで、山奥の学園から最寄り駅までの移動手段がない。 バスなんてとっくに終わっているし、タクシーなんか呼びつけたら学園側にバレバレで黒谷の身まで危なくなるだろう。 「仕方ありませんから。ただし、絶対に私達の側を離れないこと。勝手に一人で出歩かないこと」 「確実に見るんですか……」 「はしゃぎだしたら物置かどっかに閉じ込めるからな。冗談抜きで」 意外と神妙な顔つきで、黒谷は頷いた。 尋常じゃない事が起きている、とわかっているというのはどうやら嘘ではないらしい。 モー子はおもむろに、ルイが置いていったランプを手に取り間髪入れずにスイッチを入れた。 「……? なんですかそれ?」 何も起こらない。 ということは、この黒谷は偽者でホムンクルス、という可能性だけはひとまず消えたわけだ。 「なんでもありません。でも後でもう一つ付き合ってもらわなければならない事があります」 「ちょっと模様の書いてある布の上に乗ってもらうだけです」 「はあ……?」 暗示を解除する魔法陣のことだろう。 何かしら学園側から暗示を掛けられていたら、それで無効に出来る。 「それでは、長居は無用ですね」 モー子は遺品の箱と、触媒の水風船の切れ端など、回収すべき品を確認しハイジに扉をつないでくれるよう目顔で合図した。 「驚かないでね、マヤ」 「? はい」 「……………………」 空中に扉が出現し、開けたら知らない部屋、という事態にさすがの黒谷も歓声を上げるどころか絶句したようだった。 「黒谷!? 何してんだ!?」 代わりに、というわけではないが黒谷の姿を見た村雲が仰天して声を上げる。 「それがな……」 軽く事情を説明すると、案の定村雲は頭を抱えた。 「お前なあ……微妙に問題児だなとは思ってたが、まさかそこまでするとは……」 「す、すみません……えっと、あの……」 黒谷は黒谷で、満琉やらルイやらが寝かされている状況や、そもそもこの部屋どこなんだ、といった疑問で頭がいっぱいのようだ。 しかし、さっきモー子に釘を刺されたせいか、ぐっと飲み込んだ様子で、 「ま、まあ、いいや。後で説明してよ久我」 とだけ言って大人しくなった。 言えない事も多いが、何が何やらのままで妙な推測されて変な行動起こされても困るしな。 「んじゃ、他に出来そうなこともないし、さっそくペン使うか?」 「あ、そうか。魔力か」 魔女は片っ端から行方不明か、倒れているか、だ。 「オレがやってみるか?」 「いえ、今日は、これ以上は魔力を使わない方がいいのではないかと」 「現状、私達の命綱はヤヌスの鍵だけです。今まともに動けるメンバーは無限に鍵が使えるわけではありませんから」 「確かに、村雲は今日かなりもう使ってるな」 「ここで完全に魔力を使い切ってしまうのは危険ではないでしょうか」 「……そうね。いきなりここが見つかってすぐ退避しないとって事にならないとも限らないし……」 「満琉? 起きてたのか?」 「無理をする必要はないのですよ?」 「本当にか?」 「なんかこう、こうなれー、っていう力を使うのはまだ無理だと思うけど、流すだけなら平気だよ」 「そんなに違うもんなのか? どっちも魔力使うんだろ?」 「具体的な術を行使するのと、単に魔力を注ぐだけとは、大いに違うわよ」 「術を成すには、ミチルが言うように具体的な結果をイメージして意思をコントロールする必要があるの」 「魔力を注ぐだけなら、そういう緻密なコントロールも特にいらないわ」 「そうなのか。なら……」 暴走する危険は少ないようだ、と理解する。 それに満琉は魔力は有り余るほどあるから注ぎすぎて倒れる、という心配もなさそうだ。 「……気をつけろよ。なんか変だと思ったらすぐやめるんだぞ?」 起き上がり、満琉はベッドから降りてきた。 黒谷は興味深げに満琉を見ていたが、やはり自重しているのか何も聞いてこない。 「では、お願いします」 モー子が白いノートを開き、白い羽根のペンを満琉の目の前に置いた。 そして遺品の箱に入れてあったらしい古びた水風船を取り出すと、改めて簡単に使い方を説明する。 「えっと……」 満琉はおずおずと羽根ペンに手をかざす。 途端にぐるぐると高速回転する羽根ペン。 「ミチル、もう少し加減して!」 「えっ? えっ? どうなってるの、これ?」 「注ぎすぎよ! 過去に戻りすぎて書ける事がないから変な動きしてるのよ!」 「そ、そっか。ええっと…これくらい?」 だんだんと羽根ペンの回転が収まってくる。 こいつ一瞬でどんだけ魔力ぶち込んだんだ……。 「もう少しね……すごく、細く流れてる水をイメージしてみて」 「水……」 「うーん、水滴でもいいかもしれないわ。一滴ずつ、朝露みたいに落ちるの」 「……うん。こう、かな……」 ハイジの言う通りにイメージが出来てきたのか、羽根ペンは妙な動きを止め、ふわふわと前に見た通り浮き上がってノートに文字を綴り始めた。 お友達と一緒に、講堂へ行った。 全校集会、というのがあるから。 そっとお母様の方を見ると、お母様はなんだかやつれたようなお顔で元気がない。 とても心配だった。 『どうしたの、お母様?』 『……なんでもないわ。心配ないの、あなたは、何も心配しなくていいのよ……』 『でも……』 『大丈夫。私が、絶対に守ってあげるから……』 じっと、お母様を見ていると、いつの間にか周りでお友達がみんなざわざわしていた。 『……ねえ、あれ誰だっけ』 『えっ、なに? あの子……』 『知らないよね?』 『誰だ? いつの間に……』 みんな口々に、よくわからない事を言っている。 どうしたの、と聞いても教えてくれない。 すると、お母様が苦しそうな悲鳴を上げた。 わたしはびっくりして、お母様のところへ行こうとしたけれど、突然目の前の人が火になってしまって行けなかった。 驚いている私の周りで、次々に他にも火になる人が現れて、みんな悲鳴を上げた。 わたしはどうしていいかわからず、お母様、と呼びながらおろおろしていた。 お母様、助けて。 お母様、怖い。 お母様……。 誰かがこちらに走ってくるのが見えた。 「これは、前に見た火事の場面の直前のようですね」 「そのようね」 「急に知らない人が、ってのも出て来たな。やっぱり唐突に誰か紛れ込んでることに気づいたって感じか」 「火になった、っていうのは建物じゃなくて人に火がつけられたってことか?」 「少なくとも、セディにはそう見えたようですね」 「満琉さん、もう少し進めてみて下さい」 学園は閉じられてしまった。 たくさん人が亡くなったり、いなくなったりしてしまったから、しばらく閉めなくてはならないのだと聞いた。 火が出たのは、雷が落ちたかららしい、という人もいた。 でもわたしは雷なんて見た覚えがなかった。 わたしは、お母様にいただいた図書館の奥のお部屋でずっとすごしている。 お母様はいないけれど……。 お母様は亡くなってしまったから。 あのたくさんの火の中で燃えてしまったから。 どうして、あんなことになったんだろう。 でも、お母様はさいごに、わたしにするべきことを教えて下さった。 いなくなったお友達の居場所も、すぐに見つけることができた。 あの時いただいた、この時間を切り取ったり、閉じ込めたりできる力のおかげだ。 だけど、お友達を助ける事は、まだできない。 お母様がそうしなさいと教えて下さったのに。 お友達を取り出そうとしたら、また燃えてしまうからこのままでは助けてあげられない。 どうすれば助けてあげられるんだろう。 お母様がそうしなさいと教えて下さったのに。 お母様……。 お母様、わたしはどうしたらいいの? 「いただいたとか言ってるけど、出来るのかそんなこと?」 「やはり20年前の生徒はどこか時間から切り離された場所にいて、セディはそれを助け出そうとしているように読めますね」 「ただ、取り出すと燃えてしまうというのが少し妙な表現ね」 「時間を切り離してあるなら、燃え続けているわけはないのだけれど……」 「火事の真っ最中で時間を止めてあって、そこから連れ出せない、とかか?」 「それだと学園内で延々と時間が制止している空間が出来上がっていることになってしまうわよ」 「それに『いなくなったお友達の居場所』と書かれていますから、やはり火災現場とは別の空間に逃がしてある風ですよ」 「そうか。そこから取り出すとまた燃え出すってことか? なんだそりゃ」 「わけがわからんが……そもそも、なんでさっきの火事の場面で、セディが魔女の力をもらった云々の話は出て来てないんだ?」 「……少し、内容が飛んでいる気がしますね」 「え? 行き過ぎ?」 「戻せますか?」 「あら、書き出しが止まらないわね……。最初に魔力を込めすぎたからかしら」 「ご、ごめんなさい」 「仕方ありませんよ。この遺品は制御が難しいようですから」 「とりあえず、このまま続きを読もうぜ」 少し疲れた。 一人きりで、お友達を助ける方法をずっとずっと探し続けている。 お母様はいない。 でも、お母様からの最初で最後のお願いでもあるのだから、必ずやり遂げなければならない。 図書館で調べ物をする日々が続く。 たまにリトにも聞いてみるけれど、彼女にもわたしが知りたい方法はわからないようだ。 でも遺品については何もかも知っているから、リトがいてくれることはとても助かる。 鏡の遺品の使い方も教えてもらった。 わたしが見つけたい人は映ってくれなかったけれど。 最後の遺品についても詳しく聞いた。 でもこれは、あの日出来た新しい遺品だから、あの日よりも昔に戻る事は出来ないのだそうだ。 それでは意味がない。 お母様がいなくなった、あの日より前に戻れないのなら、お母様はいないままだ。 リトに、あなたはお母様がいなくなって寂しくないのと聞いてみた。 けれどリトにはわからないようだった。 『寂しい? どうして?』 と首を傾げるだけだった。 『お母様に会えなくて、寂しくないの?』 『……わからないわ。寂しいというのが、私にはよくわからないの』 『哀しくもないの?』 『そうね。それもわからない』 彼女には心がないから、寂しいということがわからない。 わたしは、こんなに寂しいのに。 お母様がいないことが、寂しくてたまらないのに。 お母様がいない。 明日も、明後日も、ずっとずっとずっと、お母様はいない。 お母様に会いたい。 寂しい。 「最後の遺品?」 「でも、能力は彼女が受け継いでいるみたいよ? その力で無意識に何か魔術道具を生み出してしまった、とかかしら」 「構いませんよ。有益な情報は出ていますから、このまま読みましょう」 図書館に通い詰めるうちに、とてもたくさんの知識がついたと思う。 お友達を救う方法を探すため、魔術については特にたくさん学んだ。 だから、わたしも作ってみようと思った。 そうしたら少しは寂しくなくなるかもと思って。 最初は小さいものから始めてみた。 ずっとずっと動いていられる石も、あのいただいた力で作る事が出来たから、上手くいった。 『……おはよう』 『ちー』 『ふふ、可愛いわね。あなた』 『ちぃ』 白くて小さい、可愛らしい生き物が出来た。 生物図鑑で見て、気に入った生き物に似せて作ったら、とても上手くできた。 ちーちーと鳴きながら、私にすり寄ってくる。 可愛くて、少し寂しいのを忘れる事が出来た。 でも、やっぱり違う。 お母様に教わった通りに作ったはずなのに。 やっぱり、この子も違う。 お友達と違う。 お母様じゃない。 心がない。 リトと同じ。 寂しい、が、わからない子。 わたしと同じ気持ちになれない。 こんなに寂しいのに。 「これ、あのオコジョだよな?」 「ニノマエ君、のようですね」 「あれはセディが作ったのか」 小さい生き物だから、駄目だったのかも知れない。 わたしと同じように作ればいいのかも。 だからわたしは、また作ってみた。 わたしより、少し小さいけど。 この子はとても良く喋る。 あの子はちーちーとしか鳴けなかったけれど、この子はたくさん喋ってくれる。 そして、とてもよく笑う。 名前をつけてあげたら、喜んでくれた。 『ふひと! なるほど良い名ですね! 気に入りましたよ、お母様!! ははははは!!』 そう言ってずっと笑っていた。 わたしも嬉しくて、これで寂しくないと思った。 『二人は、いつも笑ってくれるね』 『ははははっ、お母様のためならばいくらでも笑っていられますとも!!』 『私の……』 『そうですよ! ははははははっ!!!』 でも やっぱり 違った。 『……嬉しい?』 『もちろん嬉しいですとも! お母様! お母様がそう望まれたのですから!!』 『そうじゃなくて……。本当に嬉しくなることはないの?』 『ええ、本当に嬉しいですよ? だってお母様は私が嬉しくなるようにして下さったのでしょう? ありがとうお母様!! はーっはっはっは!!』 ちがう わたしが何かしてあげたら、 ありがとうと言ってくれて、 微笑んでくれて、 抱きしめてくれた、 あのときとは違うと わかってしまった 色んなお話をして一緒に勉強して、 一緒に帰っておうちで遊んだり、 お昼ご飯を一緒に食べたあの子達とも この子は違った この子が笑うのは、わたしが笑って、と 言ったからだって わかってしまった 本当に嬉しいのじゃなかった だから、この子も 寂しいがわからない こんなに寂しいのに この子も違った どうしてちがうの さびしい 「………学園長………」 ニノマエ君の時点で、もしかして次は……とは思ったが、本当に登場するとやっぱり驚くな。 「あの人がいつも、やたらと高笑いばかりしてるのって………」 「そういうことだったみてえだな」 やっぱり、あの子達を助け出さなければならない。 それがわたしの使命。 だから、この子も、あの子達のいる、こことは違う時間の場所へ連れて行って教えてあげる事にした。 『何としても、この生徒達を助ける。それがわたし達の使命』 『わかりました、お母様!! はははは!!』 『ちぃ』 わかりました、と二人は頷いた。 もちろん。 だってこの子はわたしが作ったから。 わたしの言う事は全部聞く。 でも、ふと不思議そうに聞かれた。 『この生徒達は、お母様のご友人なのですか?』 『………そう。多分、そうだと思う』 『多分?』 『よく、思い出せないの』 わたしは、よく覚えていない。 わたしにもわからない。 ただ、ずっと昔に、わたしも誰かにそう命令していただいた気がする。 そうすれば寂しくなくなるはずだと、教わった気がする。 そうしなければ、また あんな さびしい この子も違う どうして さびしい さびしい 「忘れ、ちゃった……?」 「かなり時間が飛んだのかしら。でも、いくら飛んでも20年以内の事のはずよね?」 「……寂しすぎた、ってことじゃねーの」 「……………………」 なんとも言えない顔になり、ハイジはまだ動き続けている羽根ペンに視線を落とした。 二人のサポートをさせるために、もう何人か作る事にした。 その方が早く使命を果たせるはずだ。 『お母様、それなら提案が!!』 『なに?』 『学園を再開してはどうです?』 『学園を?』 『燃えないように取り出すためには、別の器があればよいのです! お母様が調べろとおっしゃったこの本には、そういう方法が書かれています』 『……それと、学園を再開することと、どう関係があるの?』 『ですから、器です。学園を再開して、生徒が集まればたくさん器が出来ます!!』 二人の言う通りだった。 わたしには、その方法は思いつかなかった。 その方法なら、あの子達を助けてあげられる。 だけど、そのためには集めた生徒達が代わりにいなくならなければならない。 それはよくないこと、と昔、誰かが言っていた気がする。 他人を巻き込むのは本意ではない、とか……。 でも、他の方法がないのなら仕方がない。 あの子達はどうしても助け出さなければならないのだから。 それがわたし達の使命で、そうしなけ 寂し ればならない。 どうして、そうしなければいけなかったんだっけ? 思い出せない。誰かが……。 よくは思い出せないけれど、でも絶対にやり遂げなければ。 それだけは覚えている。 『ただ、問題もあります』 『なに?』 『リトの知っていることは、いくつか邪魔です』 『邪魔?』 『20年前の事を、器となるべき生徒が知ってしまうと逃げてしまうかも知れないからですよ!!』 『……だから、邪魔……』 『そうです! 逃げてしまっては、お母様のなさりたい事がなせません!! これはよくない!!』 『そうね……』 邪魔は良くない。 だってあの子達を助け出す邪魔になる。 どうにかしなさいと命令したら、二人がどうにかしてくれた。 『リトは、消された事は思い出せないから、もう大丈夫ですよ!! はははははっ!!』 リトには心がないから。 寂しいも知らない。 リトも違うから。 だからあの子達はどうしても助け出さなければならない。 かつん、と小さな音を立てて羽根ペンが落ちた。 「インク切れのようね」 はあ、と誰からともなくため息をついた。 綴られた内容が内容だけに、何から口にして良いのかわからない、といった気分だ。 「どうやら……」 最初に話し出したのはやはりモー子だった。 「先ほども少し話しましたが、生徒達をただ『あの場所』という所から出すと身体が燃えてしまうようですね」 「火事の最中で止まってるんじゃねーんだよな。なら、出すと、火事の真っ最中に戻ってっちまうとか?」 「いえ、本当にラズリットと同じ時間を操る能力があるなら、強制的に元の時間に戻ってしまうなんて事はないはずよ」 「何か別の理由があるようですね」 「……俺としては、一番衝撃的だったのは学園長だけどな……」 「セディが作った、ようですね」 学園長がホムンクルスである以上、作った主人がいるのだろうということはわかっていた。 だけど、日記に思いっきり『作った』と出て来られるとやはりぎょっとしてしまう。 「でも、少なくとも私達の前に立ちはだかっている魔女はラズリット本人ではない事は間違いなさそうね」 「能力って意図的に、誰かに譲り渡したり普通は出来ないんだったな?」 「そうか、能力だけ受け渡すってのは、不可能に近いわけだ」 「敵がとんでもなく強いって一点だけは、変わってねえって事だな」 ぽつりと、満琉が言った。 ひどく哀しそうな顔をしている。 「寂しすぎて、耐えられなかったのでしょう」 「かわいそう……」 「まあ、確かに可哀想だとは思うがな。でもやろうとしてる事は間違ってる」 「……どうでしょうね。途中から明らかに正気を失っているようだから……」 「……そんなの、可哀想だよ」 「そうですね……」 しんみりと、動かなくなった白い羽根ペンを見つめる満琉。 羽根の下に、寂しい、という文字だけがぽつんと見えた。 聖護院さんが、寝かせてある花立睦月の様子を見て戻って来た。 手分けしながら、床に魔法陣を描いていく。 花立さんの周囲には既に無数の印と紋様と魔法文字が刻まれている。 もうじき完成する。 もうじき……。 「……………………」 手招きすると、すっと近寄ってきて魔法陣に手をかざして下さる。 「おお……!!」 魔法陣は光り輝き、明滅を始める。 そのまま、しばらく魔力を注がれる。 「別にわざわざ今日戻さなくても、朝になれば元に戻ってしまうのに…」 「まあそう言うな。お母様の望みなのだから」 「も、もちろんです! でもお母様、さっきの移動魔術の反動で体調もあまり良くないみたいで、ももは心配なのです」 「もちろん私も心配だとも!」 「どうしてお母様は、そんなにこの人にこだわるんですか?」 「さあ? 今となっては自分でもよくわからないみたいだったけれど」 「はあ、覚えてらっしゃらないのですね。例によって……」 「うん。ただ、以前に一度、ぽつんと無意識にかな、言ったのを覚えている。『クラスメイトだったから』と」 「あっ、光が消えます!」 「おお!! 成功したようだ!!」 静かに消えていった光。 これで、状況は整った。 「この生徒たちを、再びこの世に蘇らせるための儀式を!! はーっはっはっはっは……!!」 「……こちらでございます」 山奥の森を抜けて、辿り着いた屋敷は、広大な敷地を持つ立派なものだった。 しかし少女はその中心にある豪奢な館ではなく、そこから離れた敷地の隅にある離れに住まわされているようだった。 案内してくれた使用人は、離れの扉の鍵を開くと、その鍵を私に押しつけるようにしてそそくさと逃げるように退去していった。 (みんな怯えているのね……) 無理もない話ではあるが、こんな環境でひとりぼっちで暮らしている少女のことを思うと不憫でならない。 「……こんにちは」 声を掛けながら、離れの扉を開く。 中からは、返事もなく、物音も聞こえない。 「……………………」 室内に足を踏み入れると、一応は清掃されてはいるようだが、質素で生活感のない寂しい空間だった。 「……だぁれ?」 部屋の奥から、おそるおそる、といった様子のか細い声がした。 「あ……、こんにちは? 大丈夫よ、怖がらないで出て来て?」 「……………………」 物陰からおずおずと、可愛らしく少しくるくると巻いた長い髪がのぞく。 この地方独特の色素の薄い髪色が印象的だった。 「……怖がらないで、ディーチェ。あなたに会いに来たの」 「……ディーチェ……?」 「あ、ごめんなさい。案内してくれた人がそう呼んでいたから」 使用人達はそう呼んでいたのだ。 ディーチェとはこの地方で『赤ん坊』という意味。 つまり、この子には名前すらなかった。 赤ん坊の頃から奇妙なことばかり起こす娘に怯えるあまり、夫妻は名前というこの世で一番最初に我が子に与える贈り物さえ放棄していた……。 「ディーチェは、こちらの言葉で赤ちゃんのことよ。赤ちゃんってもう失礼だったかしら、あなたはもう大きいものね」 「……………………ううん」 ふるふる、と薄い色の巻き毛が揺れた。 「あれ、とか、あいつ…より……ずっと、いい……」 「……………………」 あの子――そう呼んでいたのは私に対しての建前だったようだ。実際はもっとひどい……。 「……ちかくに、いってもいいの?」 「ええ、いいわよ」 頷くと、少女は意外にもするりと躊躇いなく物陰から出て来た。 可愛らしい、陶器の人形を大事そうに両手で抱いている。 警戒心などまるでなさそうな、無邪気そのものの動きだった。 「………ふふ」 そして、すぐ近くまで来て私を見上げる。 少し釣り目で猫のような表情。 だが、私はその顔立ちよりも何よりも、真っ直ぐに私を映す瞳に釘付けになった。 ――赤い、眼。 つい先程までは、こんな色ではなかったはずだ。 「こわくないひと、はじめて」 「え……?」 「みんな、こわいって。わたしが、こわがらないでって、おねがいしたひとも、すぐいなくなっちゃうの」 「お願い……したのね。怖がらないでって、そしたら怖がらなくなった?」 「うん。でも、それは変なこと、なんだって。それで、すぐいなくなっちゃうの」 「……………………」 なんてこと……。 きっと魔女だろう、とは予想していた。 だけど彼女は普通の魔女じゃない。 私と同じ、赤い眼を持っている。 ――すぐに、連れ出さないと。 きちんと魔術について教えてあげなければ。 それがどれほど恐ろしく、強い力なのかを。 「……ディーチェ。あなたは、このおうちが好きかしら?」 「………すきじゃない」 ふるふる、と首を横に振る。 「ここには……だれも来ないし……。いつも、この子としか、おしゃべりしてない……」 ディーチェは、抱いていた陶器の人形のつやつやした髪を撫でながら呟いた。 「そう……。なら、私と一緒に、私の家にいらっしゃい」 「え……」 「その子も一緒に連れてくるといいわ。ね、私と一緒に行きましょう?」 「いっしょに……この子も?」 「ええ、その方が良いでしょう?」 「うん! ……あの、でも……どうして? わたしが、こわくない?」 「ちっとも。あなたはとても可愛いわ」 「……ほんとう? あの、あなた……は、えっと……」 「私はクラール・ラズリット。今日から、あなたの母よ」 「はは……おかあ、さま?」 「そうよ。一緒に行きましょう?」 「おかあさまに、なってくれるの? ずっといっしょに、いてもいいの?」 「もちろんよ。これからは、ずっと一緒よ」 「………おかあさま……」 差し出した私の手を、少女――ディーチェの幼い手がきゅっと握りしめた。 「……………………」 (ん……?) 見慣れた寮の天井――のはずが、微かな違和感を覚え、かすむ目を強引に開く。 目線だけで周囲を見回し、すぐに合点がいった。 (そうか、ここ鍔姫ちゃんの部屋か) 緊急避難させてもらって、結局そのままここで休んだのだった。 (みんなまだ寝てるか……) 隣を見ると、村雲が寝苦しそうに眠っている。 他は一応女子なので俺とコイツだけ少し離れた玄関近くで横になっていたせいだ。 (他は……) ベッドの上では満琉がすやすや寝息を立てており――こいつは早朝でなくても大抵寝てるが――少し離れた床の上ではハイジとルイと……。 (あ、そうか。黒谷もいるんだった) 持ち前の好奇心を駄目な方向に発揮してしまい、学園に戻ってきやがった黒谷真弥。 それに―― (……ん?) 一人足りない。 軽く腹筋だけで上半身を少し浮かす。 他の人間の陰になっていて見えないだけかと思ったが、やっぱり室内に見当たらないようだ。 (モー子……? どこだ?) 鹿ケ谷憂緒の姿だけが見えない。 音を立てないよう素早く立ち上がると、テーブルの上にメモが置いてあるのが目に入った。 ――『少し外の様子を伺ってきます 憂緒』 (モー子の字だな。よかった、自分で出て行ったのは確かか……) 花立のように連れ去られたわけではないらしい。 ただでさえ、鍔姫ちゃんとスミちゃんも、その線が濃厚なだけに過敏になっているようだ。 (どこ行ったんだか。一人でうろつくのも危険だろうに、まったく……) 村雲を踏まないように跨ぎ越えて、そっと扉を開けて鍔姫ちゃんの部屋を出る。 モー子のことだから、早々油断はしないだろうが、やはり少し心配なので探してみることにした。 (さて、あいつの行きそうなところというと……) この状況でのこのこ一人で分室へ行くほど、呑気な奴じゃない。 となると、あそこかな……。 「……………………あ」 もしかして、と思って上がってきてみた屋上で、モー子の姿を発見した。 手すりに肘をついて庭を見下ろしていたモー子は、扉の音に反応して振り向いた。 「……おはようございます」 俺だとわかると、安堵とも照れともつかない微妙な表情で呟く。 「敵ではなくて、ですか? それは扉から入って来た時点でわかっています。敵なら時間を操って不意を突く方が――」 「じゃなくて」 「……?」 言葉を遮られたモー子は、怪訝そうな顔をして首を傾げた。 「他にどういう意味が?」 「俺じゃない方が良かったか? ハイジとか静春ちゃんとか」 「……意味がわかりませんが」 「俺が一番マシだろ。自分で言うのもなんだけど」 「……………………」 とぼけてるのか、本気で察していないのか。 判断出来なかったので、ストレートに聞いてみることにした。 「花立のこと、考えてるんだろ?」 「……………………」 「だろうな……。まあ無理もないけど」 「……うかつでした」 ようやく吐息と共に吐き出されたのは、深い後悔の言葉だった。 「睦月が烏丸くんの器として相手方に必要なことは充分理解していたはずなのに……もっと気をつけておくべきでした」 「それはお前だけじゃないだろ。俺達全員、てっきりルイが最優先だろうと思い込んでた」 「仮に実家に帰らせていても、きっとあの移動魔術で引き戻されてただろ」 「それはそうですが……」 そう言いながらモー子は、辛そうな顔を見られまいとしてか面を伏せ、眼下を見るふりをして背を向けた。 (……あー、こりゃ見た目以上にこたえてるなあ……) モー子はあまり弱い面を見せたがらない。 表情こそ隠そうとはしているが、ここまで落ち込んだ様子を誤魔化せない状態というのは、よほど参っている証拠だ。 「…………モー子」 「えっ!?」 おもむろに、背後から抱きしめる。 華奢な肩を包み込むように両腕を回し、背中が俺の胸に密着するように引き寄せた。 「ちょっ……こ、久我くっ……!! なっ、あの、ほ、保留っ!! 保留はっ!?」 じたばた抵抗するが、所詮腕力では俺には到底かなわない。 身をよじるモー子を更に強く抱きしめて、耳元で諭すように言った。 「わかってる、今だけだから」 「……………………」 最初は困ったように、しかしやがて悟ったようにモー子は身じろぐのをやめた。 肩の力が抜け、少しだけ頼るように俺に体重を預けてくるのがわかる。 「……………………」 照れくさくはあるようだが、モー子は大人しく俺に抱きしめられてくれていた。 「……………………」 「きみも……」 「ん?」 微かな声が呟く。 「きみも、不安なのですか」 「……まあな」 鍔姫ちゃんスミちゃんは行方知れず、リトも不在、ルイは戦線離脱状態、そして花立まで奪われた。 正直、ここまで一気に追い込まれるとは思っていなかった。 見通しが甘かった――としか言いようがないが。 「……………………」 そっと、モー子が俺の手の上に自分の手を重ねてくる。 「こんなことしている場合じゃないのに…」 「落ち着くって大事だろ」 「それはそうですが……って、それじゃあ私がこうされて落ち着きを取り戻すとでも」 「俺は落ち着く」 「……………………」 きっぱり言い切ると、ほんのりと感じられていたモー子の体温が少し上がるのを感じた。 盗み見ると、頬が真っ赤になっている。 「そういうのは……ずるいです……」 「なんで?」 「な、なんでって……だって……保留って言ったのに、そんなことをはっきりと……」 ぼそぼそと文句を呟いてくるのが妙に可愛らしいので、思わず忍び笑いを漏らす。 「何を笑ってるんですか」 「いや、可愛いなと思って」 「――――ッ!!」 身じろぎかけたモー子の身体を、ぎゅっと抱きしめて抑える。 「こ、こ、久我くんっ……!!」 「逃がさない」 「久我くんっ……だから、こんなことしてる場合じゃ……っ」 「俺は落ち着くって言ったろ。支えてくれよ」 「……………………」 そう言うと、モー子はまた大人しくなる。 そして少しだけこちらに顔を向けて、拗ねた目で上目遣いに睨んできた。 「……ずるいです」 「俺の支えになってくれる気はあるんだ?」 「だ、だって、きみは……きみの力は必要ですから、落ち着いていてくれないと困ります」 「魔力ないのに?」 「力はあるでしょう。身動き出来ないルイさん達を運ぶのも、私では無理です」 「私に出来ないことが出来る人が、いてくれることは有用なことです」 「わざと事務的な言い方してるだろ」 「なっ……!?」 「なんで素直に、俺がいてくれた方が良いって言ってくれないかなあ」 「そ、そう言ってるつもりですが」 「なんか理屈つけてるじゃん。頼ってくれよ、もっと」 「……………………」 「……頼りにしていないわけじゃありません」 「それはわかってる」 「……………………」 「……例えばさ、さっきの質問もそうだ」 「さっき……?」 「今、ここに来たの俺で良かったろ」 「……………………」 「……きみが、この状況で落ち着くというのならそれはそれで有益な……」 「それだけ?」 「…………どうしてそんなに追及するんです」 「安心したいから」 「……………………」 「支えてくれるんだろ。俺にモチベーションくれよ。こう見えて俺だってけっこう凹んでんだぜ」 「……………………」 「モチベーションに、なるんですか」 「当たり前だろ」 「…………そんなに?」 少しだけ、期待とかちょっと嬉しい、といった感情が隠れている声だった。 「そんなに」 「……………………」 「……………………きみ……が……」 小さく息を吸い込む音。 そして俺の手に重ねられた手が、きゅっと手をつなぐように握りしめられる。 手の中に潜り込んできた細い指先を軽く捕まえた。 「きみが……いて、くれて……………」 「あのーイチャイチャしているところをほんとにすみませんが〜」 「っっっ!!!?」 真後ろから掛けられた声に、大慌てでモー子から離れて振り返る。 「く、黒谷……」 「なっ……な………な………」 モー子の方も、俺を突き飛ばさん勢いで身体を離し後ずさった。 「そうか、なら戻ろう」 あたふたしながら、モー子は競歩のような足取りでさっさと屋上から出ていく。 (参ったなー……見られてただろうな、今の……) しかし、いつからいたんだろう黒谷。 こっぱずかしい会話聞かれてなきゃいいけど。 (しかし、惜しいことしたな……もうちょっとでモー子が……) いや、んなこと考えてる場合じゃない。 俺も戻ろう。 「……………………」 「? どうかしたか?」 そう言って黒谷はにこっと笑うと、モー子の後を追ってたたたっと屋上を出て行った。 (なんか一瞬、妙に複雑な顔してた気がしたんだがな……気のせいかな) 黒谷はろくな説明をうけてないから、色々わけがわからず首を傾げることも多いのかもしれない。 こういうシチュエーションを目撃したとなると、いつもなら大喜びでぐいぐい追及してきそうなものだが、まあ、事態が事態だからなあ……。 (あいつも色々気をつかってるのかな……) 一旦部屋に戻ると、ルイと満琉以外はもう全員目を覚ましていた。 モー子とハイジが、魔法陣の様子を見たい、ということで村雲からヤヌスの鍵を借り、三人で異空間へとやって来た。 「……やはり、停止したままのようですね」 魔法陣は光を失ったままで、魔術の知識のない俺が見ても動いていないだろうというのは明らかだった。 ぐるりと魔法陣の周辺を見て回ったハイジが、完全に停止していると告げた。 「昨日はまだ動いていた警報も、もう切れているみたいよ」 「傷を入れると発動するという、あの警報ですか?」 「要するに、この魔法陣を使うつもりはもうないということか…?」 「でも、夕べ夜の世界を召還したのはこの魔法陣ではないのですか?」 「新しい組成のものを用意しないことには、この魔法陣だけでは夜の生徒を永久稼動させるのは無理よ」 「これはひとまず夜の世界召還を再開するためだけで、永久稼働用は別にあるのかな」 「そうね、永久稼働のための魔法陣は、これから用意するのだと考える方が妥当じゃないかしら」 「そうか。そりゃしかし相当手間だよな」 「その分、こちらにも多少は時間の猶予があるとも考えられるけれど……」 「そうね。あまり楽観は出来ないことは変わらないわね」 結局、この魔法陣はもう用済みになっている可能性が高いってのがわかっただけか。 それだけでも情報としてはないよりマシだが……。 (魔法陣……魔法陣か……) 「久我くん、何か?」 少し考え込んだ顔つきの俺を見て、モー子が尋ねてくる。 「いや、西寮に生徒を戻したのと同時に、一気に夜の生徒を復活させようとしなかった理由は何なんだろうと思ってな」 「しなかったのではなく、できなかったのではないでしょうか?」 「あの、定められた時間、その時にいた位置にすべての生徒を戻すという魔術はかなり規模の大きいものです」 「おそらく今の満琉さんのように、魔術の反動で具合を悪くしているのでは?」 「私もそう思うわ」 モー子の考えに、ハイジも頷いて同意を示す。 「たとえ『赤い眼の魔女』であったとしても、あんなことを実現しようと思えば長い準備期間が必要だし……」 「大きな負担も伴うわ。2、3日はまともに動けないと考えていいんじゃないかしら」 「なるほどな」 ハイジの説明を飲み込みつつ、モー子も新たに質問を投げかける。 「ええ、もちろん。定期的にこの異空間と学園内を見回れば、どこかに新しいものが書かれていれば察知できると思うわよ」 「ならちょいちょい見回りが必要だな」 「ああ、異空間のきのこの所の奴か」 「ええ、それです」 「……そうね。それは確かめに行ってみるべきでしょうね」 「ならついでに行って来ようぜ」 「そうしましょう」 ヤヌスの鍵は魔力温存、ということで徒歩できのこの森へと向かった。 ストーンヘンジのような仕掛けがあった、きのこの森の中へとやって来る。 「……一面に広がっていた魔法陣は見当たらないようですね」 地面に目を凝らしながらモー子が言う。 確かに、あの時足元に広がった紋様はもうどこにもなかった。 「あの瞬間だけ描かれるタイプで、永久的に刻み込むものではなかったみたいね」 「あいつらもいないな。スミちゃんの友達」 幸い、あの奇妙な生き物たちは、今はもう近くにはいないようだった。 「もう守る必要がないということでしょうか」 「そうかも。調べてみるわ」 邪魔する存在がいなくなったので、俺達はストーンヘンジのような仕掛けの側まで行き、ハイジが念入りにそれを吟味する。 跪いて仕掛けを見たハイジは、立ち上がりそう告げた。 「壊れているのですか? 停止ではなく?」 「元々、何度も使えるようなものではなかったということですか」 「そうだと思う」 そう言いながら、ハイジは周辺を見回した。 「……何も感じないのよね。魔法陣もそうだったけれど、魔術の気配が一切消えてしまってる」 俺とモー子も、不可思議な光景が広がる空間をつられたように見回す。 魔術の気配がない、というのが逆に不自然に感じるほどの景色なのだが……。 「前は何かしら感じてたのか?」 「これが完全に壊れていて、気配も消えていると言う事は多分そうだと思うわ」 ここで調べられることは他になさそうだ、と思い尋ねてみるとモー子が即答した。 「西寮の様子が見たいです」 「西寮の?」 「あー、あの子か」 以前、うっかりホムンクルスを作成出来る遺品を稼働してしまった西寮の生徒であり、風呂屋町眠子の器となっている子でもある。 ハイジとは事件の時親しくなって、その後も仲良くしているようだ。 「彼女の部屋なら、私達はほぼ面識があるのでヤヌスの鍵で行けますし」 「……そうね。おそらく眠らされているとは思うけれど、ちゃんと確認しておくべきでしょうね」 「ええ、お願い出来ますか」 ハイジは頷き、ポケットからヤヌスの鍵を取り出した。 (冷静だな、モー子) 確かに花立が部屋にいる可能性は低いだろうが、見に行きたいだろうに……。 それに、ハイジもやはり冷静だ。 諏訪とは仲良くしていたのだから、いろいろ思うとこはあるはずなのに。 (二人とも俺よりよっぽどしっかりしてるな……) ハイジがヤヌスの鍵を使って開いた扉から、そっと室内へと侵入する。 「……寝てるな」 ベッドの上で、諏訪葵が穏やかな表情で眠っていた。 「やっぱり香水だわ。深く眠らされているみたい」 「今は揺さぶったりしても起きないか?」 「なら、寝かせておくしかないな」 「……他の部屋の生徒も同様でしょうね」 せわしなく、モー子の指が自身の口許をなぞる。 ほとんど独り言のように呟いていた。 思考を口に出すのは、モー子にしては珍しい。 本当は、いないだろうとわかっていても花立の部屋を確かめに行きたいのだろう。 しかしそれはあまり意味のない行動だ、と自分に言い聞かせる意味もあり、わざと声に出して戒めようとしているのだと感じた。 (こういう所はさすがモー子だな……) 花立の部屋を見に行くくらい、俺もハイジも止めはしないのに。 立派だと思う。これがもし――花立とおまるが逆の立場だったら……さらわれたのが満琉だったら、俺は…。 (多分、ここまで冷静じゃないな) 「……眠りの魔術を破らなければ、移動させることは可能でしょうか?」 考えがまとまったようで、モー子はハイジに向き直り質問し始めた。 「それは、そうね……」 「しかし、どうやって連れ出すんだ? 西寮の生徒全員を部屋から出すってかなり難しいぞ」 「うーん……ヤヌスの鍵で、片っ端から部屋に入って運び出すしかないんじゃない?」 「時間掛かりすぎないか?」 「力仕事になるので、きみと村雲くんの負担は相当になりますが……」 「俺は大丈夫だけどさ。魔力もつか? 満琉が起きないと厳しいんじゃないか?」 廊下から聞こえた足音に、はっと会話を途切れさせるハイジ。 さっと目配せして、少しだけ扉から死角になる位置まで全員下がる。 「……見られても平気なんだよな?」 「感知阻止の香水が効いているから大丈夫よ」 ハイジ達の香水は優れもので、こちらから話しかけたりしなければ相手に見つかっても大丈夫という代物なのだが……。 (やっぱ、見られるのは心臓に悪いから思わず隠れちまうなあ) 廊下から顔を覗かせたのは、風紀委員の男子生徒だった。 「……異常なし、と」 室内を見て、諏訪葵がきちんとベッドで眠っているのを確認するとすぐに出て行く。 「……………………風紀か」 「巡回中のようでしたね」 休暇により風紀委員の多くも帰省していたが、例の魔術は俺達も移動していたように校舎内も範囲に入っていたため呼び戻されてしまっている。 そして、西寮の生徒が眠っているのを当たり前のように確認して行ったと言うことは―― 「彼らも暗示を受けていると見て、間違いないでしょうね」 「そうね……。アーリックと同じ状態だと思うわ」 「そうか、風紀委員室に一旦全員集合させちまえば一網打尽か」 それは既に行われた後、と見ておいた方がよさそうだ。 「参ったな。風紀も全員敵かよ」 「……これはまずいですね。定期的に見回っているとなると全員を連れ出す前に、風紀委員に気づかれてしまいます」 「そう、ね……うん。ヤヌスの鍵で片っ端からじゃあ時間が足りなさすぎだわ」 風紀委員がどれくらいの頻度で見回っているかは不明だが、あの様子では相当警戒はしているだろう、と話し合う。 「仕方がありません。一度、壬生さんの部屋に戻りましょう」 再びヤヌスの鍵を使い、鍔姫ちゃんの部屋へと戻る事にした。 「嫌です! どーーーーしても残る!」 何やら言い合いをしていたらしい黒谷と村雲が、虚空に開いた扉に気づいてこちらを向いた。 「……そっちどうだった?」 なんか疲れた様子の村雲が、肩をすくめながら聞いてきた。 「魔法陣は完全に停止していました」 留守番していた二人――満琉とルイは眠ったままだ――に、見てきた状況をざっと話す。 「……ちっ、風紀もかよ……!」 元同僚までもが、向こうの手に堕ちていると聞いた村雲は苦い顔で舌打ちした。 「落ち着け静春ちゃん。手駒にしてるからには危害が加えられる事だけはないからな」 「あら、理解はしてるのね」 「何がだよ?」 「コガが単にからかってるだけじゃないってこと」 「おい何の話だ」 「なんだよ?」 「ちゃん言うな」 「遅いわっ!?」 「残念ながら今のところ、どうにも出来ないわね」 女子達はもめている俺達を放置して勝手に話を戻しやがった。 仕方ないので俺と村雲も、互いに顔を背けるだけで口論をなかったことにする。 「非常にやっかいです。相手は普通の生徒ですからこちらも手荒なまねは出来ません」 「もも先輩みたいに、多少のことしても平気な身体ってわけじゃあないからな」 「一応、みんなそれなりに鍛えちゃいるがな。それでもなあ……」 「もちろん、手荒な方法を取る気はありませんよ。やむを得ないほどの緊急事態でなければ」 「……ああ。それはしょーがねえよ」 村雲にしても、姉のスミちゃんが囚われているだけに、いざとなれば風紀が相手でも強引な手段に出るしかないと覚悟はしているのだろう。 「……で、だ」 渋面を更にしかめつつ、村雲はくい、と親指で黒谷の方を指し示した。 「問題はコイツだよ」 黒谷は断固とした口調で村雲に向かって言い放つ。 「……いやだから、お前は風紀でも特査でもねーんだから……」 そう言われると、黒谷はハイジの方へと目を向けて妙に笑顔で言った。 「風紀でも特査でもない上に、お客さんですよね?」 「こちらは魔術の専門家として残っていただいているんですが」 「いや、お前は……どうだろう?」 「回数制限あるんじゃなかったでしたっけ」 「一回くらい大丈夫だっての!!」 「……そりゃ無理だけどよ」 「じゃあ、なんで、なんて愚問だよね」 「ああ、もちろん」 そう言われてしまうと、こちらとしても気持ちは嫌と言うほどわかるだけに強く言えない……。 「……どうしても、私達に任せて退避してはいただけませんか」 「先輩達が信じられないわけじゃないですよ。でも人手、足りないんでしょ?」 「正直、まったく足りていません」 「おいっ!?」 「これは誤魔化しようがありませんよ」 ほぼ諦め掛けているのか、モー子は苦笑しつつ肩をすくめた。 いつも楽天的な黒谷にしては殊勝な答えだった。 これはどうやら、危険性はちゃんと理解してると思って大丈夫らしい。 「急にいつものノリになるなっ!!」 「マジかよ……知らねーぞ、本当に……」 「まあ、猫の手も借りたいって言葉通りの状況なのは確かよ」 「そうですね」 黒谷の魔力がどれくらいあるのかはわからないが、ヤヌスの鍵なら魔力の低いモー子でも一回は使えるらしいので、最低でもその程度はもつのだろう。 今の俺達にとっては、それすら貴重なのは確かだ。 「黒谷さん、本当に私達の指示通りにだけ行動して下さいね?」 ぴしっ、と敬礼する黒谷。 村雲もこれは無理だとようやく諦めたらしく、深々とため息をついた。 モー子がそう宣言すると、黒谷も真顔になり、ちょこんと大人しく口を閉じて居住まいを正した。 邪魔はしません、というこいつなりの意思表示らしい。 「アーデルハイトさんの話では、こちらには少しだけですが時間の余裕があることがわかりました」 あれだけ大規模な魔術を使った以上、向こうも今の満琉のように休息が必要なはず、という件だ。 「この時間をいかに使うべきか、早急に判断せねばなりません」 「……何をするにしてもよ、反撃手段は欲しいんだよ」 「まあ、相手にアーリックなんてのがいる以上は力押しだけじゃどうにもならんな」 「まだありますか?」 「材料はまだ部屋にあるから、すぐ調合するわ。ちょっと待ってて」 ハイジは扉を開け、表に誰もいない事を確認するとそそくさと出て行った。 一人で大丈夫か少し心配だったが、この様子だとまだ俺たちが東寮にいるとは把握されていないはずだ。 「やっぱヤヌスの鍵使えないと面倒くせーな」 「仕方がありません。魔力は出来るだけ温存しなければ」 ほどなくして、ハイジは香水の材料を抱えて無事に戻って来る。 「……ひとつ悪い知らせがあるわ」 「なんです?」 「今、私達が使っている感知阻止の香水が、手持ちの材料ではもう新しいものが作れないの」 「げ、マジかよ」 「元々、ヤヌスの鍵対策のために少し複雑な手順をかけて作った香水だから、あまり量が作れなかったのよ」 「あと、どれくらい持ちますか?」 「このまま全員に使い続けたら、明日の夜あたりまでね」 「明日の夜……」 「そうなると、ヤヌスの鍵も俺達に反応しちまうようになるわけか」 「ええ、そうよ」 「その通りだけれど……」 少し考え込んだが、ハイジはゆるゆると首を横に振った。 「確かにルイがいてくれたら心強いけれど…アーリックを相手にするのはこの状況ではリスクが高すぎるわ」 「そうか、専門家だもんな」 風紀委員はどうやら、今はまた全員暗示を掛けられているようで丸ごと敵にまわっている状態だ。 「手近なところから、見回ってる風紀委員を一人ずつ減らしていくくらいならオレ達にだってできるだろ」 悩んだ様子で、モー子の方に意見を求めるハイジ。 モー子はしばし考えて、 「一人ずつ気絶させて連れ去り暗示を解く魔法陣に乗せて…という方法は可能だとは思いますが」 「それだとおそらくヤヌスの鍵を何度も使用することになります」 「ですが、私たちは魔女ではないので、ヤヌスの鍵には使用制限がありますね。……途中で破綻しないでしょうか?」 「……確かにそうだな」 「満琉も多分、まだ起きないだろうしな」 それにハイジも、今日は既に何度か使っている。 村雲も魔力は多い方らしいが、風紀委員を全員連れ去るのにどれくらいかかるかわからないだけにリスクが高すぎるか。 そしてそれに黒谷を手伝わせるというのも、切り札を枯渇させるだけになるような気もする……。 会話が途切れたところで、モー子が違う話題を切り出す。 「あの魔法陣、わざわざ復元したのに何故止まっているのでしょうか?」 「異空間のあれか? そりゃスケープゴートやってた二人が今はいねーし……」 「そこです。その壬生さんと村雲さんは推測ですが、今は向こうに囚われている、つまり手元にいるはずでは?」 「あっ? そうか……」 「あれだけ大きい魔法陣ならば、魔力を流し込んで『起動』させるのは相当の手間でしょう」 「だからこそ、スケープゴートも毎日魔力をそそぎこんで、魔法陣の力が途切れないようにしていた」 「私ならば、夜の世界と生徒を作り出すあの魔法陣は完全に停止したりさせずに、再利用しようとすると思います」 「ましてや、壬生さんと村雲さんも手元にいるのですから尚更です」 「春霞達を捕まえた時点で、修復するのには時間切れだった、とか?」 「いえ、昨日の時点ではまだかろうじて警報は生きていたわよ」 「久我くんの考えはどうです?」 「そうだな……つまり……」 俺はなんとなくモー子の言いたいことがわかった気がして口を開いた。 「鍔姫ちゃんとスミちゃんがいるのなら、魔法陣を停止させずに保持することも出来たはずだ」 「でもそれをしなかったってことは、つまり……」 「鍔姫ちゃんとスミちゃんの力を、あまり使いたくなかったんじゃねーかな」 「あら、でもツバキとカスミは、以前から毎日二人で魔力を流し込んでいたんでしょう?」 「毎日そんなことをしていて、しかも普通に生活していたのなら、それは二人にとってそれほどの負担じゃないはずよ」 「あ、そうなのか。ってことは、魔法陣を起動させ続けることは可能だったのに、それをしなかった……」 「西寮の生徒たちを引き戻す魔術とやらで、いっぱいいっぱいだったんじゃないか?」 「ほら、夜の生徒を永久稼動させる方法も、いっぺんには出来なかったんじゃないかって言ってただろ」 「それはそうだけれど、でも、ツバキとカスミがいれば、あの魔法陣を保持することは可能なのよ?」 「あ、そうか。ってことは、魔法陣を起動させ続けることは可能だったのに、それをしなかった……」 「あの魔法陣は、止めなきゃならない理由が何かあったということか?」 「かもしれない、ということです」 「図書館へ行きましょう。あの魔法陣がある異空間のつくりについて、少し調べてみるわ」 「いいのか? 帰りは?」 「そろそろここも危険かも知れませんから、いざという時は、ルイさんと満琉さんを即座に逃がせる状態にしておくべきかと」 「満琉さんなら、黒谷さんでもなんとか扉の向こうまで運ぶくらいなら可能でしょう?」 具体的に仕事を与えられたのが嬉しいのか、黒谷ははりきって答えた。 ひとまずハイジが図書館への扉を開き、その場で村雲に鍵を渡して移動することになった。 「気をつけてねー」 「はい。そちらも十分注意して下さい」 「んじゃ、頼むぞ静春ちゃん」 どうもハイジには妙な理解のされ方をしてる気がする。 けど今はそこを追及してる暇もないので、受け流してそっと扉の中をのぞき込んだ。 「……OK、大丈夫そうだ」 「では行きましょう」 図書館は相変わらず、しんと静まりかえっていた。 毎日ここを通り抜けて、分室へと通っていた日々がずいぶん昔のことのように思えてしまう。 モー子とハイジは、巨大な書架を見上げて話しながら必要な情報が載っている本を探す。 俺にはいまいちわからないので、周囲を警戒しておくことにした。 「これは? 魔法陣ではありませんが、このイラスト、あの装置の近くにあったきのこに似ていませんか?」 「読めますか?」 「……そうなんですか? 魔術の気配はしなかったのでは?」 「あれそのものが魔術的なものってわけじゃないのよ。でも植物の中では自然に含有している魔力の量が多い品種だったみたい」 「ええ、魔力の多いものを周囲に配置して自然に溜まる分も促進していたのね」 「では、あのきのこは魔術的に生やされたものではなく、どこか別の世界では自然に生えている植物なのですか」 「この地名の異世界が、異空間の構成にいくつか取り入れられていたら、魔法陣の方にも何か使われているかも」 「了解しました」 (大変だなあ……) 雲を掴むような話だが、今はどんな手がかりでも欲しいということなのだろう。 手伝いたいが、ラテン語とか言われたら魔術知識以前に俺にはお手上げだ。 仕方なく、死角から急に誰かが現れたりしないようにと他の本棚の間を見て回る。 「――――……!?」 ふわり、と視界の端を見慣れた色が横切った。 制服――女子の制服のスカートの色だ。 (誰かいるのか!?) まさか黒谷の他に残っている生徒でもいたんじゃないだろうな。 慌てて、大きな音を立てないように気をつけながら、制服が翻り消えた本棚の向こうへと駆け寄った。 「えっ……」 驚いた様子もなく、振り向いた姿。 いつも通り巨大な本を抱えたそれは―― 「リト!?」 「あら、お久しぶりね」 瓦解したはずの日常のままの姿で、何事もなかったかのようにリトは軽く微笑んだ。 「リトさん……!?」 俺の声に気づいたようで、モー子とハイジも駆けつけて来た。 「ほ、本当に……リトなの?」 また偽者では、と疑ったのだろう。 ハイジは少し警戒した様子で、足を止めリトの姿を上から下まで見回す。 どう見てもリトだが……いやしかし、リトもホムンクルスだから例の小さくなるランプの遺品では偽者かどうか確認出来ない。 モー子もまた、少し疑いの眼差しではあるが、冷静にリトに尋ねた。 「リトさん、いつ戻られたのです? 連れ去られていたのでは?」 「ええ、閉じ込められて困ったわ」 「どうやって抜け出したの?」 「出してくれたわ。壬生鍔姫と村雲春霞が連れてこられて、私は代わりに解放されたの」 「……どういうことでしょう? スケープゴートの二人とリトさんとではさらわれた理由が違うはずでは?」 「あの空間というのは、現在の時間の流れとは断絶した空間のことですね?」 「そうよ」 「ええ、そういうこと」 「つまり定員オーバーか」 「しかも、リトさんが戻った所で、遺品はすべて札を貼られていますしね……」 「九折坂二人もそう言っていたわ。『どのみち遺品は札を貼ってあるからしばらく使えないでしょう』って」 「そう話していたわよ」 「九折坂二人、聖護院百花、村雲春霞、壬生鍔姫、それからもう一人」 「もう一人というのは?」 「守秘義務……ですか」 「ええ、私はそれを破れない」 「そうでしたね……」 そう言えば、先日モー子に全力で口止めされていた時も、リトは『聞かれたら守秘義務に違反すると答える』と言ってたな。 (あれは本当だったって事か……) 強引に聞き出すことはおそらく不可能だろうとわかっているので、モー子もそれ以上は追及しなかった。 「ん? 待てよ、でも……リトがいるなら、あれだけは使えるんじゃないのか? 羽根ペン」 もちろん本物のリトなら、であるが。 しかし羽根ペンが正常に反応すれば、リトは間違いなく本物と言う事にもなる。 「……そうですね。ラズリットの記憶を辿ることは出来るはず」 「気絶させる香水は持ってきているから、何かあったらすぐ逃げるわよ」 「リトさん、申し訳ありませんが、お手伝い下さい」 「構わないわよ」 「満琉が起きてくれりゃいいが……」 ヤヌスの鍵は村雲に預けているので、徒歩で部屋まで戻るしかない。 幸い俺達は、感知阻止の香水があるが、リトが見つかったら一巻の終わりだ。 「とりあえず、俺が先行するからモー子はリト連れて付いてきてくれ」 特に何故、などと聞いて来ることもなく、リトは素直に俺達に従った。 (その行動に何の意味があるのか、とか、リトには関係ないって事か……) 理解はしていたはずだが、やっぱりホムンクルスだということを見せつけられると、どうしても複雑な気分になるな。 「……よし、行くぞ」 気持ちを切り替えるように口に出し、モー子とリトを連れて図書館を出た。 何度か風紀委員の姿を見かけはしたが、俺達は感知されない状態だけに大きな物音さえ立てないようにしていれば、移動はさほど困難ではなかった。 意外に早く鍔姫ちゃんの部屋に辿り着けたので、安堵しながら扉を開く。 入って来た俺達を見て、村雲が驚愕の声を上げる。 「お前、捕まってたんじゃなかったのか!?」 「ええ、そうよ」 「解放されたそうです」 「え!? 学園長たちが解放したってことか?」 「ですが、悪い知らせもあります」 「やっぱりか。捕まってるだろうとは思ってたけどよ……」 ヤヌスの鍵が反応しなかった時点で、それはほぼ確定的ではあった。 しかし魔女二人だけに、もしかしたら身動きは取れないものの何らかの方法で身を隠していてはくれないかと微かな希望を抱いてもいたが……。 (完全にそれもなくなった、と、わかりゃさすがにショックだわな) 「……まあ、リトだけでも戻ったのは朗報だ」 ふう、と息をついて村雲は気を取り直したように言った。 こいつはこいつで、意外と肝が据わってる。 (スミちゃんのことで暴走してたあの頃よりはちょっとは成長した……ってことかな) 「あれ使うんだろ、羽根ペン」 「ならオレがやるしかねーな」 「心配じゃないから。静春ちゃんがいないといざと言う時、ヤヌスの鍵が使えないから」 「満琉が起きてくれりゃあ……」 ごそごそ、と布団が動く音がして、満琉がこちらに寝返りを打ち目を開けた。 「あれ、起きた」 「枕元であれだけ騒げば、目も覚めると思いますが」 「す、すまん。大丈夫か、満琉?」 なんか急にもじもじし始めたと思ったら、満琉はリトの顔を見て戸惑った顔をしていた。 「……こんにちは」 「あっ、えっ、こ、こんにち……わ……」 「起き抜けに人見知るな。器用な奴だな」 「この人がリトさんですよ。いつもは図書館にいて遺品の管理をされているホムンクルスです」 「いなくなったって言ってたろ」 「……あー、なんか……そんな話してた……ような気がする……」 たまに起きてる時に話はしているが、大抵ほぼ寝ぼけてるからなこいつ。覚えてないか。 「リトさん、彼女は久我くんの妹さんで満琉さんです」 「久我、満琉? 同じ名前なの?」 「あ」 まったく驚きもせず、すんなりと受け入れるリト。 「……………………」 そんなリトを、怪訝そうに見つめる満琉。 「……わかった」 いつもなら寝てろ、という俺の態度が違うので、何かあったと悟ったのか満琉は素直に頷き起き上がってベッドから出て来た。 「――というわけで、リトが戻ったんで羽根ペン使いたいんだよ」 「……そっか」 ちらりと横目で村雲の方を一瞥する満琉。 こいつも、姉のスミちゃんがやっぱり捕まっていたと聞いて心配になったらしい。 それを察したらしく、村雲もリトに向かって改めて聞く。 「ええ、特に何も。眠っていたわ」 「なら当面そっちは大丈夫だ。悪いな、心配させちまって」 おずおずと首を振る満琉。 満琉なりに、力になりたいと思っているのだろう。 積極的に羽根ペンとインク入りの箱に手を伸ばし、自分で開いて黒い羽根ペンを手に取った。 「では、お願いします。無理をしない程度でいいですから」 モー子が黒いノートを開いて満琉の前に置く。 「……だいじょーぶ。前にやった時も、しんどくはならなかったから」 魔力を流すだけなら、負担はないという話だったからな。 「じゃあ……始めるね」 満琉はノートの上に羽根ペンを置き、手をかざして魔力を注ぐ。 一度やってみて、少しコツがわかったのか、今度は奇妙な動きをすることもなく羽根ペンは文字を綴り始めた―― 彼女がずっと大事にしていた、陶器の人形が壊れてしまった。 ここへ来る前から、大事に大事に抱きかかえていたものだ。 『わたしのせいだよね……うっかり落としちゃうなんて……』 さすがに落ち込んだ様子で、壊れた人形の欠片を綺麗な布の上に並べて涙を浮かべている。 『わざと落としたわけじゃないのだから、お人形だってわかっているわよ』 『お母様……うん、でも……』 『泣かないで。そんなに泣いていては、お人形も困ってしまうわ』 『……うん……』 どうしたものだろう。 人形は粉々になってしまっていて、とうてい元に戻せる状態ではない。 それに―― 魔術なら、復元は出来るかも知れない。 だけどそうしてしまっていいものか。 壊れても、魔術なら簡単に取り返しがつく。 そんな危険な思い込みを、彼女に与えてしまうかも知れない。 そう思うと、残酷なことかもしれないけれど、私には安易に復元してあげる事は出来なかった。 『……埋めてあげましょう?』 さんざん悩んだが、私はやはり壊れた人形と彼女を決別させることを選んだ。 安易に魔術に頼る子になって欲しくない。 失われたものを取り戻すことは、簡単なことではないのだと学んで欲しかった。 彼女と一緒に綺麗な布に包んだお人形を、庭の片隅に埋めて、お墓を作ってあげた。 『ごめんね……今まで、ずっと一緒にいてくれて、ありがとう……さよなら……』 手を合わせ、長い時間彼女は祈っていた。 その姿を、学園の級友達が見かけていたらしい。 『お母様、見て!』 久しぶりに見る輝くような笑顔。 彼女の腕には布製の人形が抱かれていた。 『あら、可愛い。どうしたの、その子?』 『お友達がくれたの! この子なら、落としても壊れないから、元気出して、って!』 『まあ、そうなの……』 『わたし、みんなに心配掛けちゃってた。だからみんなが相談してくれたんだって』 『……そう。よかったわね、素敵なお友達ね』 『ええ、お母様! わたし、嬉しい……』 彼女はきっと、新しい人形を得たことよりも、友達が彼女を気遣ってくれたことが嬉しいのだろう。 そっと学園での彼女の様子を見に行ってみた。 『よかったー、すっかり元気になったね』 『うん、ありがとう! 心配掛けてごめんね?』 『いいよ! 喜んでくれて良かったー』 『あの子とっても可愛いもの。ずっとね、枕元において夜も一緒なの。それでね……』 級友達に囲まれ、幸せそうに笑う彼女が見れた。 よかった。 やっぱり、少し哀しい思いをさせたけれど、私は間違っていなかったと安堵する。 「壊れちゃったんだね。かわいそう……」 ぽつりと満琉が呟く。 羽根ペンが先を促すように虚空でふらふらと揺れていた。 モー子がノートのページをめくると、羽根ペンは再びカリカリと記憶を綴り始めた。 ……哀しいことが起きた。 彼女に新しい人形をくれた、親しい級友の一人が、事故で家族を失ったという知らせが入ったのだ。 『どうしよう、お母様。とっても哀しそうなの』 『ええ……無理もないわ……』 『わたしが心配掛けちゃった時、はげましてくれたから、今度は私が何かしてあげたいの』 級友のことを気遣い、彼女もとても辛そうな顔をしている。 『だからね、わたしもお人形をプレゼントしてあげたらどうかしらって思ったの』 『……気持ちはわかるけれど、お人形では代わりにならないものもあるのよ』 『だめ……?』 『駄目じゃないわ。あなたの気持ちは嬉しいと思うけれど……お人形とは違うから……』 『……………………』 彼女は考え込んでしまった。 大切なものが失われた――そのことは理解しているのだろう。 だけど、自分と同じ方法でなぐさめるには、少し無理があるということまでは、まだよくわからないようだ。 『……今は、そっとしておいてあげた方がいいのじゃないかしら』 『お人形じゃ、だめなのね?』 『そうね、哀しいけれど。お人形は、やっぱりお人形であって家族とは……人とは違うから』 『人とは、違う……。うん、わかった』 頷いてくれたので、少しだけ安堵する。 私はどうしても外せない用事があって、海外出張へ出掛けなければならなかった。 だから彼女に、どうにか理解してもらおうと―― 私がいけなかったのだろうか。 『やっぱりお人形であって――』 私の説明が。 『家族とは……』 私が焦りすぎていたのか。 『人とは、違うから』 まさか、あんなことになるなんて。 「何か起きたみたいだぞ」 「つ、続き……気になる」 「焦っては駄目ですよ? また時間が飛んでしまうかも知れません」 「うん、頑張る……一滴ずつ、一滴ずつ……」 自分に言い聞かせるように呟く満琉。 ルイも言っていたが、微調整には神経を使うらしいから、膨大すぎる満琉の魔力は余計に調整が難しいのかも知れない。 それでも羽根ペンは、おかしな挙動は見せず滑らかに動いていた。 ようやく長い出張が終わり、学園に戻ってくる事が出来た。 久しぶりに彼女に会えると思うと、胸が高鳴る。 なのに―― 『お帰りなさい、お母様!!』 満面の笑顔で駆け寄ってきた彼女。 もちろん私は、彼女を抱きしめて応えた。 『ただいま。良い子にしてた?』 『もちろんよ、お母様。ふふ、実はね……』 『あら、なあに?』 やけに楽しそうな笑顔だ。 てっきり落ち込んでいた級友が元気を取り戻してきたとか、そういった報告なのかと思った。 『お母様に、紹介したい子がいるの』 『私に? 学園のお友達ならみんな知っているけれど違うの?』 『ええ、違うわ! ほら、あの子よ』 そう言って彼女は背後を指さした。 そこには彼女の級友達の姿があり――その中に一人だけ見慣れない顔があった。 『そうよ、お母様。あの子よ。すぐわかった?』 ……その時の私の衝撃をなんと表現すればいいのだろう。 それは人間ではない、と私には一目でわかったからだ。 魔女の血の成せる業。 その子が身にまとう魔術の気配で、それと知れた。 でも――この違和感は何? 『まさか……この子……』 『お友達よ。ほら、みんな仲良くしてくれてる』 『なんてこと……! どうして……あの子はホムンクルス、よね……?』 『すごいわ、お母様! 見ただけでわかるのね? ええそうよ。私が作ったの!』 『……………………』 『お母様? どうしたの、お母様?』 『どうして……なのに、どうして……あの子の中に魂が見えるの……!?』 ホムンクルスに魂はない。 それは、魔術が芽生えた太古の昔からある常識であり、そうでなくてはならない規律でもあった。 なのに―― 『わたしが、つくったの』 ああ、聞きたくなかった。 半ば悟ってはいたけれど、彼女の口から誇らしげに発せられたその言葉を。 『作ったのよ、お母様』 『あなた……あなたが……?』 『ええ、だって、魂がないと、お人形と同じなのでしょう?』 お人形と同じ――お人形とは違うから――人とは違うから――自分がかつて彼女に言い聞かせた言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。 『だから、魂を持ちなさいって、そう言いきかせてあげて、わたしが作ったのよ』 『なんてこと………』 目の前が真っ暗になりそうだった。 彼女は魂を――つまり、命そのものを作り出してしまったのだ。 魔術によって。人工的に。作為的に。 そんなことは未だかつてどんな魔女でさえ成し得たことはない。 いえ、為そうとした事もないだろう。 それは自然に逆らうことだから。罪だから。 『お母様……? どうしたの、お母様?』 『ああ……どうして……』 『お母様? ねえ、喜んでくれないの? あの子はお人形とは違うのよ?』 『駄目よ……!!』 強い口調で言った私に驚いた様子で、彼女はびくっと身をすくませた。 言って聞かせなければ。 これは絶対にあってはならないこと。 泣かせてしまうかも知れないけれど、これだけは絶対に―― 『いい? あの子と同じ様なホムンクルスは二度と作ってはいけません』 『どうして……?』 『それは罪なのよ』 『罪……』 『あるはずのない命を、人の手で生み出してしまうなんて、あってはならないの』 『……よくわからない……』 『そう……そうね。理解するのは難しいと思うわ。でもお願い、お母様と約束して? 同じ様なホムンクルスは二度と作らない、って』 『……………約束……』 『お願い。約束してちょうだい』 『………わかった。約束します』 『ありがとう……………………良い子ね』 おそらく、彼女はまだ何が罪なのかまでは理解出来ていないだろう。 でも教えていかなければ。 長い時間が掛かっても、自分が何をしてしまったのか理解させなければ……。 (なんか変だな……) 上手く言えないが、奇妙な違和感を感じる。 モー子は気になっていないのだろうかと横目で見てみるが、考えていることはうかがい知れなかった。 「このまま読み進めましょう」 これは、気づいてはいるかもしれないが、何かしら元から他に考えがある様子だ。 「ねえ!!」 内容がよくわからなくて退屈していたのか、窓の外を見ていた黒谷が、急に振り返って声を上げた。 「うわ、なんだよ急に?」 「何!?」 慌てて窓の外を見てみると、確かに風紀委員たちが寮の周りを取り囲んでいる。 「これは少しまずいですね」 「感知阻止の香水は掛けてるとはいえ、しらみつぶしに探されるとヤバイか」 「……なら、春霞の部屋へ行くか?」 「そうですね。一旦ここは移動した方が良さそうです」 ヤヌスの鍵で、村雲が時計塔にあるスミちゃんの部屋へと扉を開いた。 他の面々も腰を上げて、扉の中へと移動する。 やけにでかい鞄を大事そうに抱えて、村雲達に続く黒谷。 まあ、帰省する所だったんだから荷物は多いだろうけど正門であった時あんなでかい荷物だったかな。 部屋から着替えでも取ってきたんだろうか。 「あ、そうだ。ハイジにも移動したって知らせとかないとな。俺行ってくるわ」 スミちゃんの部屋に入ったモー子に声を掛ける。 「徒歩で大丈夫ですか?」 そう言い残し、俺は鍔姫ちゃんの部屋の扉から廊下へ出た。 図書館でハイジを見つけて移動を告げると、一度戻るとついてきたので一緒にスミちゃんの部屋へとやって来た。 「う……それが……」 「また暴走してしまいまして」 羽根ペンは、ノートの上に転がっていて動く気配がない。 どうやらまた高速回転してしまったので、慌てて止めていたといったところらしい。 「ごめん、なんか上手く、一滴ずつが出来なくなっちゃって」 「あら……。場所が変わったせいかしら?」 「ここが通常の空間と異なる場所なせいでしょうか?」 「なら少し休めよ」 困惑した様子で、満琉は少ししょげている。 「この場所に慣れりゃ大丈夫なんだろ。なら焦らなくていいって」 「……ん。ありがと」 大人しく頷き、満琉はスミちゃんのベッドの端に背中をもたれさせた。 そして室内を見回す。 とりあえず慣れよう、と、この場所をながめてみているらしい。 「……そっちは? 図書館には何か手がかりはあったのか?」 「残念ながら芳しくはないわ。『あの異空間自体が魔力によって形成されている』ってことくらいかしらね」 「そういうこと。あの変な生き物、あれはきのことは別の世界にいるはずのものだったの」 「なるほど。あちこちから有用な存在を持って来て構成していたわけですね」 「大がかりなこったな」 「だから、あの異空間自体を全部使って、それで蝕の日の代替にしようとしているのではないかと思うのだけど…」 「そうなるよう、色んなものを配置して、空間自体に自然に発生している魔力を高めてある?」 「そうですね……」 ハイジの説明を聞き、モー子は眉根を寄せて考え込んだ。 またしても手詰まり、といった空気が室内の雰囲気を重くする。 それを察したのか、黒谷が身を乗り出す。 「ねえ、じゃあちょっと休憩しようよ!」 「うん? ……って、お前なんだそれ」 黒谷は、後生大事に抱えていた巨大な鞄を引き寄せ開いたかと思うと、ごそごそと食べ物を取り出して並べていく。 パンだの紙パックの牛乳だの、サラダだの、次から次へと食料が出て来る。 「どうしたんだよ、これ?」 「この牛乳パック、寮の食堂のじゃねーの」 「そりゃそうだけどよ」 「お? 気が利くな、お前」 目の前に飯を出されると、急に空腹感が沸き上がってきた。 よく考えたら、けっこう長い時間、何も食ってなかったということを唐突に身体が思い出した感じだ。 「そうねえ、空腹で動けなくなっても意味がないし」 「確かに、いただくべきですね」 「んじゃありがたくいただくか。ほれ、満琉も来い」 「じゃあ、いただきます」 「いただきます………」 なぜかモー子がちらりと俺の方を見て、小さく目顔で招き寄せる。 「なんだ?」 パンを選ぶふりをしつつ、少しだけモー子の方へと身体を寄せる。 「辛くありませんが、これも食べて下さい」 「なんで」 「だってきみは……人より食べないと……」 ああ、そうか。病気のせいで大量に食わないといけない俺の体質を心配してくれてるのか。 それに気づいたのか、黒谷が更に鞄からごっそりおにぎりを出して俺の前に山積みにする。 黒谷が俺の病気のことを知ってるはずがない。 それで驚いたらしく、モー子は目を丸くして、思わず聞き返してしまったようだ。 「ああ、まあな……」 複雑な顔でモー子は言った。 なんでモー子が礼を言うのか、と聞かれたらどうするのかなんてことにさえ頭が回らなかったようだ。 しかし黒谷は大して気にした様子はなく、どういたしましてーなどと言いつつ、自分もサンドイッチを頬張った。 (なんだかなー。モー子また妙な事考えてなきゃ良いけど……) 「あら、ウシオ。食事はもういいの?」 黒谷さんの持ち込んでくれた食料で、手早く食事をすませると、満琉さんに休息させるためしばらく休みと言う事になった。 しかしハイジさんは、気になるからと時計塔の上の扉から魔法陣の様子をうかがいに行き、私もじっとしているのが少し焦れったく、彼女の後を追って来た。 「やはり魔法陣には変化はありませんか?」 「ええ……」 「……そうですか……」 何事もないのは良いことだ。 なのに、どうにも気が休まらない。 「……どうしたの?」 「なんだか落ち着かないわね。ウシオらしくないわ」 「……………………」 なんてことだろう。 アーデルハイトさんに気づかれるほど、今の私は平静を保てていないらしい。 「なんなの? 気になる事があるなら話してみてよ」 「わかってるわよ、そんなの」 「事件のことなら、あなたが逡巡する理由がないし、まだ確信がないだけなら単に黙ってるでしょう?」 「……事件に集中出来ないような何かがあるってことよね?」 「謝ることないじゃない」 「でも、そんな場合じゃないのに」 つん、とすました顔で目を逸らしながら言うアーデルハイトさん。 (……優しい人) 本当は、私のことを心配しているなんて事が知られるのも照れくさいのだろう。 つい微笑ましく思えてしまって、口許がほころぶ。 だから――いつもなら、なんでもないと誤魔化してしまうであろう事がさらりと口からこぼれだしてしまった。 「……黒谷さんが……」 「うん、マヤが何?」 「あの、こんな話をしている場合ではないのですが、でも……気になったことを放置しておくと他に集中できなくて……」 「わかってるったら。言い訳は良いから早く話しなさいよ」 「い、言い訳ではなく」 「言い訳でしょ。マヤがどうかしたの? 早く言いなさいったら」 「……………く、詳しすぎるのではないかと」 「詳しいって、何が? 魔術のことや学園のことはほとんど何も知らない子みたいだけど?」 アーデルハイトさんが無言なので、呆れられたのかとあたふた饒舌になってしまう。 「つまり、マヤはコガの事を必要以上に観察してやしないかってこと?」 「そう、そうです。そういうことです。必要以上に、です。やはりそう見えますか?」 「いえ、別に」 「え……そうですか……?」 「……それは……確かに、そう……ですね」 「他に何か心当たりがある行動とかあるの?」 「ただ?」 「彼女の久我くんを見る目が、ただのクラスメイトに対するものではない気がして…私の考えすぎでしょうか? アーデルハイトさんにはどう見えます?」 アーデルハイトさんは、首を捻りつつ真剣に考えてくれている。 これまでの事を思い返して吟味してくれているようだ。 「……私としては、特に変わったことはないように思うわ」 「そ、そうですか」 そう言われた途端、気が抜けたような安堵のため息が言葉と一緒に漏れてしまう。 「ではやはり私の主観が間違っているということですね」 「うーん、そうね。気にしすぎじゃない?」 「はい?」 「命……短し……」 そして、ふふっ、といたずらっぽく笑うアーデルハイトさん。 「こう見えて、コイバナって嫌いじゃないの」 「はいはい。誤解誤解」 「あんまり大きな声出すと、みんなが驚くわよ?」 「…………ありがとうございます」 耳たぶまで熱い。 自分がどれだけ真っ赤になっているのか、考えたくもなかった。 「……もっと自信持っていいと思うけど」 「えっ?」 「あなた、自分が思ってるよりチャーミングよ?」 「……………………」 きれいなウィンクまで見せてくれて、アーデルハイトさんはさっさと階下へ下りていった。 (どうしよう…本当にこんな時に、私ってば一体…) 少しクールダウンしないと戻れない。 それでも――思ってるよりチャーミング、という彼女の言葉が胸の奥で暖かい何かになって芽生えた気がして……。 (……ありがとう、アーデルハイトさん) 私は、自分で思っているよりもずっと幸せな環境にいるのかも知れない。 すうっと深呼吸して。 私は、みんなが待つ階下へとしっかりとした足取りで戻る事が出来た。 「おう、おかえり。満琉がもう大丈夫そうな気がするってさ」 「そうですか。お待たせしました」 あわあわと頬を薄く染めながら、満琉さんは両手と首を同時に振る。 「頑張ってねー」 満琉さんを囲んで励ます彼らを見ながら、自分でもごく自然に久我くんの隣に腰を下ろした。 満琉さんが手をかざすと、ふわりと黒い羽根ペンが浮き上がる。 「あ、出来そう……」 「よしよし、落ち着けよ」 「いい具合に調整出来てるわ。そのまま続けて」 「うん」 そして、羽根ペンはしっかりとノートに文字を刻み始めた。 今日は学園でお祭りがあった。 楽しそうに遊ぶ彼女たち――級友や、そしてあの子も――を見ていると複雑な気持ちだ。 『あのクレープ屋さん、すっごく美味しかったよ』 『本当?』 『行ってみて! おすすめだから!』 『ありがとう、じゃあ行ってみるね。……さ、行きましょう?』 『はぁい』 あの子を連れ、彼女は級友達にすすめられた店へと向かって行った。 私はそれを遠巻きに見守るしかできない。 彼女があの子を、そしてあの子が彼女を、お互いに大切に思っているのは痛いほどわかる。 だけど、彼女は普通の子ではない。魔女だ。 それも赤い眼の……悪名高き『災厄の魔女』。 このまま放置していいのだろうか。 生まれてしまったものは仕方がない。 一旦はそう思ったけれど……。 「……あれ? お祭りってあの水風船のあれだよな?」 「そう、だよね」 「ラズリットとセディって、一緒に行ってはしゃいでたんじゃなかったか?」 「…………先を読み進めてみましょう」 モー子は何かを察している様子で、満琉に促した。 『……あの子はただ命令に従うだけのホムンクルスとは違うでしょう?』 私は彼女に、根気よく彼女の作り出してしまった子について語って聞かせた。 『ええ、違うわ。自分で考えて何でも出来るし、嬉しいことも哀しいことも、みんなわかるのよ』 『それはとても凄い事よ』 『そうでしょ?』 『でもね、同時に恐ろしいことでもあるの』 『……どうして?』 『自分で考えられると言う事は、間違ったことも思いついてしまうと言うことでもあるの』 『それは……間違った事なんて、わたしが教えないわ、お母様』 『でもあなたは、既に間違いを犯してしまっているのよ。あの子を作り出すという間違いを……』 『間違い……そんな、だってあの子は……』 『……普通の子ではないの。それはわかっているでしょう?』 『……うん』 『だから、親としてまだ未熟なあなたが、あの子を教えるのは危険かも知れない』 『危険?』 『そう、だから、あの子がもう少し成長するまで――いえ、あなた自身も成長するまで、あなた達は少し離れていた方がいいかもしれない』 『……!! そんな……!!』 予想通り、彼女は大変なショックを受けたようだ。 溺愛、と言っていいほどあの子を愛しているのだから無理もない……。 だけど、このままではやはり危険だ。 『あの子には魂がある。でもやっぱり、あの子はホムンクルスでもあるのよ』 『……………………』 『つまり、あなたの命令ならばなんでも聞いてしまう、ということ。でも自分で考える力もある』 『それは……』 『なら、あなたの願いを叶えるために、間違った方法を思いついて、それを自分の判断で実行してしまう可能性もあるということなのよ』 『……………………』 『わかる? あの子は、とても危険なホムンクルスなのよ』 『言わないで! あの子は違う……ただのホムンクルスとは違うの、お人形じゃないの!!』 『…………そうよ、ただのホムンクルスじゃない。あの子は……』 『セディよ! あの子にはセディっていう名前があります! お人形じゃないの!!』 彼女がつけてあげた、という名前。 それこそが、あの子が人形ではない証しだとでもいうように彼女は叫んだ。 『喜んでくれたわ……。名前をつけてあげたら。だからわたし、あの子はお人形じゃないんだって、わかったの……』 すすり泣きながら、彼女はうずくまってしまった。 「だと、思ってたんだが……どういうことだ、これ?」 「やはり?」 「この日記の記憶に出て来る人物二人は、ラズリットと、セディ、この二人であると私達は考えていました」 「けれどそれは間違いだったようです。このラズリットの日記に出てくる『彼女』とは、セディのことではない。別人です」 「別人……」 「確かに、『彼女』と呼ばれている子が別人の名として『セディ』と言ってる、わね」 モー子は、白い方のノートを取り出し、ぱらぱらとめくると綴られた文章を開いて見せた。 「この辺りを読んだ時から、何かおかしいと思っていたんです」 モー子の開いたページに目を落とす。 ――リトに、あなたはお母様がいなくなって寂しくないのと聞いてみた。 ――けれどリトにはわからないようだった。 ――『寂しい? どうして?』 ――と首を傾げるだけだった。 「火事の後の話だな」 「ええ、よく思い出してみて下さい。私達がリトさんに火事の後のことを聞いた時――」 「火事の後、彼女はどうなりました? 無事だったのでしょうか?」 「わからないわ。火事の後、彼女を見たことは一度も無いから」 「リトさんは、火事の後、彼女にあったことは一度もないと言いました」 「あ……!!」 「……会ってるし、しゃべってるね」 「ええ。ですからラズリットの日記に出て来る彼女と、白い日記の記憶の主はやはり別人と言う事になります」 「つまり、こうね。白い日記の記憶は『彼女』のものではなく『彼女』が作った特殊なホムンクルス『セディ』のもの」 「くっそ、紛らわしいな……!!」 「じゃあ……この『彼女』って誰?」 「それがまだわかりません。先を読み進めてみましょう」 「そうね、『彼女』が何者でこの先どうなったか知る必要があるわ」 真剣な表情になり、満琉が手をかざす。 黒い羽根ペンが浮き上がった。 今日は全校集会がある日だ。 私も急ぎ足で講堂へと向かう。 『……? 何……?』 しかし近寄ると講堂内からただならぬ声が聞こえてきた。 悲鳴だ、と気づき急いで駆け込んだ。 『なっ……火事……!?』 私が飛び込んだ時、そこは既に火の海だった。 でも、この炎は―― 気配ですぐに気づいた。 これは彼女の力だ、と。 強大すぎる魔力が暴走したのだと……。 『いやあああ……!!』 『熱い……たすけて……』 はっと我に返り、炎に包まれ苦しむ生徒達に駆け寄る。 『……いけない、魂が……!!』 この炎は、彼らの魂を傷つけている。 いや正確に言えば、彼らの魂そのものを力の源として炎と化している。 彼女が、よりにもよって魂そのものを操る事の出来る『災厄の魔女』だったために――その力の暴走がこんなことに……。 ――私の力では治せない。 咄嗟に、持てる力を振り絞り時間を切り裂いた。 『みんな、ここへ……! 逃げて、この瞬間から逃げて……今は、それしか出来ない……!!』 苦しむ生徒達を、片っ端から切り裂いた空間へと押し込む。 炎は私の手にも燃え移り、衣服や髪を焦していったが構っていられない。 『たすけて……たすけ、て……』 『逃げるのよ、さあ、ここに!! 時間を止めるから……燃えないように止めておくから、逃げて!』 既に倒れてしまって動かない生徒もいる。 でも、まだ助かる子だけでも……。 それに彼女は? 彼女はどこにいるの? ああ、生きていて――お願い……。 『お、かあ……さま……』 私の祈りが天に通じたのか、放心状態で炎の中に佇んでいた彼女を見つけた。 私を見て、ふらふらと近寄ってこようとする。 『駄目よ! あなたまで炎に巻かれてはだめ!』 『お、お母様、わたし……わたし…!!』 『落ち着いて! 今、みんなを助けられるのはあなただけなの!』 『みんな……でも、みんな燃えて……』 『大丈夫、私がここではない場所で時間を止めておいたから。だからあなたは、みんなを助けて』 『助かる? みんな助けられるの?』 『ええ、あなたの力なら……だから落ち着いて。まずはこの力の暴走を抑えるのよ!』 『……わ、わかった』 彼女は必死の表情で、自らの力を押さえ込もうと集中する。 既に建物に燃え移ってしまった火は不可能だが、これ以上の発火は抑えられそうだ。 『……ぁさまー……おかあさまぁ……』 『セディ!!』 はっと彼女が声のした方を向く。 彼女の作った少女が、彼女の姿を求めて泣きながらさ迷っていた。 『だめ、来ては駄目! 逃げなさいセディ!!』 『お、おかあさま、でも……』 『逃げて、お願い! あなただけは……!』 『どうして……おかあさま、どうしてこんなことになったの……』 『……ごめんなさい。すべては、愚かな私のせいなの……』 『おかあさまの……? この火は、おかあさまのせいなの……?』 『ええ、そうよ……。だから、お母様は自分のすべきことをしなければならないの。あなたは逃げなさい』 逡巡していたセディは、ぽつりと尋ねた。 『……どうしても?』 その時の彼女の顔を、私は永遠に忘れないだろう。 悲しみと、苦痛と、後悔が入り交じったこの世の終わりのような表情。 肯定してしまえば、彼女もやはりホムンクルスなのだと――間違って魂を与えられてしまった、歪で哀しい人形なのだと認めることになる。 それでも―― 『どうしてもよ、セディ。逃げなさい』 彼女は、セディを救う一番確実な方法を選んだ。 『さようなら…………おかあさま』 逆らうことの出来ないセディは、大粒の涙を流しながらそう言い残し、炎の海に背を向けた。 『ごめんなさい……』 泣きながら、その背中を見送る彼女。 『わかったわ……お母様が、危険だってわたしに言い続けていた意味が……やっと……』 『もういいのよ……』 炎が燃え移るのも構わず抱きついてきた彼女を、思わず抱きしめそうになり慌てて離す。 『お人形なら……泣かなかった。あんな風に泣かずに、ただ逃げるだけだったのに……』 魂を与えられたが故に、どんなに哀しくても辛くても逆らうことだけが出来ない。 一緒にいたい、そう告げることも出来ずに、ただきびすを返し、彼女を置き去りにするしかなかった。 『わたし……わたしは、なんて……残酷なことをしたの……』 『わかってくれたのなら、もういいの。さあ、みんなを助けるためにもう少しだけ頑張って』 『お母様……』 はあ、と息をつく音に我に返る。 満琉が目を閉じて、深くため息をついた音だった。 「疲れたか?」 「……違う」 小さく首を振る。 少し、涙ぐんでいるようにも見えた。 「休憩しますか?」 気遣うモー子にも、満琉は同意せず、もう一度羽根ペンに手をかざした。 「ごめんね。もう大丈夫」 「……………………」 「続けるよ」 すっと、黒い羽根ペンが動き出した。 彼女と力を合わせ、どうにか炎を鎮めることが出来た。 魔力により生み出された炎だったから、その分だけはなんとか抑えられただけで、建物に燃え移ってしまったものはまだくすぶっている。 『はぁ……はぁ……お母様……』 暴走、そして鎮火と、力を使い続けた彼女はぐったりしてしまっている。 『しっかり。あなたはもういいわ。これ以上力を使ってはいけない』 『でも、まだ火が……』 『これ以上力を使えば、いくらあなたでも魂の力を使い切って命を落としてしまうわ。あなたにはまだ逃がした生徒達を助けてもらわなければ』 『どこにいるの? すぐに……』 『今は駄目よ。魔力が充分に回復してから助けましょう。大丈夫、時間は止まっているから』 『……うん、わかった』 そう、彼女だけが頼りだ。 私の魔力はもう――尽きようとしている。 残りの小さな炎を消すだけで、おそらくすべて尽き果ててしまうだろう。 それでも―― 『おかあさまぁ……!!』 『セディ!?』 炎が治まったかに見えたせいだろう。 逃げたはずのセディが、彼女を捜しに戻って来てしまっていた。 『きゃっ……!!』 高熱で歪んだ床につまづくセディ。 そこへ、鈍く軋んだ音が天井から響いてきた。 『――だめ!!』 セディめがけて、焦げた梁が落下してきた――かに見えたが、それは弾き飛ばされるように明後日の方向へ転がった。 『あ………』 ぐらり、と彼女の身体が揺れる。 『そ、そんな……』 『……おかあさま……?』 倒れた彼女に駆け寄り、抱きおこす。 その身体は、あまりにもあっさりと、あっけなく冷たくなっていく。 『……そんな……今ので……』 『おかあさま? どうしたの、お母様!?』 不穏な気配を察したのだろう、セディも起き上がり動かない彼女に泣きすがる。 『お母様! お母様!!』 『しっかりして! あなたは死んではいけない、あの生徒達はあなたにしか救えないのよ!!』 『……………………』 私とセディが泣きながら揺さぶっても、彼女の目はうつろなままで返事をしてくれない。 『お母様……どうして? ねえ、お返事して……』 『……………………』 『お母様どうなったの? お母様は……』 ……救えない。 彼女の魂はもう、この世から離れようとしている、と私は悟った。 ………これはもう、どんな魔術でも救う事が出来ないのだと―― 『……あなたを救える魔力は、私にももう残っていない。だから……』 そう言いながら、私はうつろな目の彼女の額に手を当て、残り僅かな魔力を注いだ。 『せめて、ほんの少しの時間稼ぎと、未来に希望を託して、あなたの意識をこの魂にとどめます』 『なに、してるの?』 『あなたのお母様が、いつかまたこの世に戻って来てくれた時、あなたのことを思い出せるようにしているのよ』 『お母様、どこか行くの? 帰って来るの?』 『いつになるかは、わからないけどね……』 もう私には、これしか方法がない。 彼女の魂の中に、彼女が生きていたこの時間を刻み込んでおくことしか。 いつか彼女の魂がどこかに生まれ変わった時、私との約束を思い出してくれるように―― 『お……母様……』 私の魔力のせいだろう、彼女の目に、少しだけ光が戻った。 『いい、よく聞いて。私の力を、この子に複製してちょうだい』 『セディ……に……?』 魂そのものを操る事が出来る、彼女ならば――彼女にしかできないことだ。 私の魂から『時を操る力』を消し去り、代わりにセディの魂に書き写す。 セディの魂は彼女自身が作り出したものだから、きっと上手く定着するはずだ。 『時を操る力がないと、助けるべき生徒達がいる場所へ辿り着けないからよ』 『お母様……は……?』 『……私にはもう、ここにいられる力が残っていないの。わかるでしょう?』 『お母様……ごめんなさい……』 『いいのよ。あなただけが悪いわけではないわ。さあ早く私の最期のお願いを聞いて?』 『……はい、お母様』 いつも私にお茶をいれてくれていた、私の話を聞いてくれていた彼女のままの口調で答え、彼女は弱々しく私に手をかざした。 私の中から、急速に力が失われていくのを感じる。 『セディ……ここにきて……』 『はい、おかあさま』 彼女の手がセディに触れ、その部分がふわりと淡く光る。 私から失われた力は、今、セディの中に宿った。 『よかった……これで、あの生徒達は救える……』 『お母様……ラズリットお母様……ごめんなさい、わたし……』 『あなたが悪いわけではないって言ったでしょう? 私も、いけなかったの。あなたにもっと、ゆっくり色んな事を教えてあげれば良かった』 私は急ぎすぎたのだろう。 彼女があまりにも、色んな事をすぐに覚えてくれるから。 優秀な彼女が誇らしくて、嬉しくて。 急ぎすぎてしまったのだろう……。 すうっと、意識がどこか遠くへ浮かんで漂っていくような不思議な感覚に包まれる。 『お母様……? お母様が、なんだか透きとおって見える……』 『……私は、いなくなるわ』 私の魂にはもう、再びこの世に戻って来られる力もないだろう。 このまま、私という存在は消えるのだ。 『でもいいわね、約束してね? きっとあなたのお友達を助けるって』 『うん……約束する……。ね、セディ? きっと助けるわよね』 『約束? うん、約束する』 頷くセディと、彼女を見て、私は目を閉じた。 意識が霧のように流れていく。 消えるのだ。 『……さま……お母様……』 まだ微かに彼女の声が聞こえる。 ああ、だったら――彼女たちにせめて、私に残された霧の一粒のような微かな力を……。 ――残して。 私の、遺品を。 『お母様……!』 ――さようなら、アンデル。 「……アンデル……?」 あの子の名前だ。 満琉の顔をのぞき込んでいた、あの少女。 そして俺の火事の記憶の中にいた、あの……。 「………?」 満琉はまるで覚えていないらしく、不思議そうに首を傾げていた。 「……もう、動かないみたい」 満琉が、かざしていた手を下げる。 「そうでしょうね。ラズリットは消滅してしまったようですから……」 「うん……」 「……………………」 しばらく、誰も何も言えず、ただラズリットのこの世での最期の記憶をぼんやりと眺めていた。 クラール・ラズリットという人は、俺達の敵どころか20年も前にこの世から消滅していた……。 (ラズリットは、とにかく生徒達を助けようとしていただけだったんだな……) でもそれは、彼女が一番望んでいなかった、それだけは回避しようとしていたであろう形で伝わってしまっているとしか思えない。 学園長達のあの執拗な執着、それにセディの記憶。 ――間違って魂を与えられてしまった、歪で哀しい人形―― ラズリットの言葉が頭をよぎる。 そしてその人形だけが、この世に取り残されてしまったのだ……。 「あの……」 おずおずと黒谷が手を上げる。 「ご、ごめん。全然わかんないんだけど、誰か説明して?」 「……そうですね。私達も一旦情報を整理する必要があります」 「そうね。ラズリットとセディ二人だけの話だと思っていたわけだし、三人いるって事をふまえて考え直さなきゃ」 ようやく、重苦しい空気が少し和らいだ。 「では、黒谷さんにもわかるように、最初からおさらいします」 「まずは――この遺品のことですが」 と、モー子は黒谷に、何か縁のある品物があれば、その品の持ち主の記憶を日記のように書き綴るものだと説明する。 「そして、最初のこの日記。ラズリットが『彼女』を引き取って連れてきた記憶です」 「この『彼女』とは、先ほどの最後の日記によると 『アンデル』という少女だったようです」 「『災厄の魔女』?」 「強大すぎる力を持つが故に、災いを招くと言い伝えられている魔女の事よ。必ず瞳が赤いのが特徴」 「なるほど……」 「最初の方からラズリットが『彼女は普通の子じゃない』って言ってんのはその事だったんだな」 「そのようですね」 「そして……アンデルとラズリットは互いに信頼し合い、しばらくは穏やかに暮らしていたようです」 「でも、やはり未熟な魔女でもあったアンデルは魂を持つホムンクルスというあり得ない存在を作り出してしまう……」 「それが、セディね」 モー子が、白い方のノートの、セディの記憶の最初のページを開く。 「今読み返してみると、これはホムンクルスが目覚めた瞬間だったのですね」 かつて消滅した小さなホムンクルスを思い出しているのだろう、ハイジは感慨深げに言った。 「リトさん、セディはラズリットさんが不在の間に作り出されたようですが、アンデルは自力で製造方法を調べていたのですか?」 「ええ、図書館でホムンクルスの本を何冊も読んでいたわ」 「これは作り出した、という彼女の弁を信じて大丈夫なのでしょうか?」 「どういう意味だ?」 「最期に彼女は、ラズリットの魂の力をセディに移し替えています。こういう風に、無意識にどこかから魂を呼び込んでしまった可能性は?」 「それにどっかから持って来たなら、目覚めた時の反応ってここどこ? になるんじゃないか?」 「……そうですね。同意します」 おそらくモー子も、その可能性は低いと思っての確認作業だったのだろう。 素直に頷き、話を先に進めた。 「アンデルは、セディとしばらく離れた方が良いと持ちかけられ、精神が不安定になってしまったようですね」 「その結果が、火事か……」 「ラズリットが、彼女の力の暴走によるものと断言しているから、間違いないでしょうね」 「生徒達の魂は、その暴走により発火し、傷ついてしまったようです」 「それをラズリットが、時間を止めた空間に押し込んで燃えないように助けてるわけか」 「ここの、取り出すと燃えてしまうって意味がやっとわかったな」 「ええ、時間が止まっている空間からただ取り出したのでは発火が抑えられないのでしょう」 「やっぱ、この後死んだのか……?」 「つまりアンデルも死んでしまい、セディだけが残されてしまったせいで……」 「……間違った方法で助け出そうとしている」 ラズリットが恐れていたとおりのことになってしまったのだ。 「学園長や聖護院先輩は、セディが寂しさを紛らわせるために、あるいは手伝わせるために作り出したホムンクルスだったようです」 「ここを読んでみて。ほら」 驚く黒谷に、ハイジが白い日記でセディが学園長達を作り出したくだりを開き見せる。 あの辺りはセディの精神がかなりおかしくなっているだけに、黒谷も眉をひそめた。 「……九折坂二人なら可能ね」 「なら、というのは?」 「私には出来ない。私は目録だから、その役割から外れたことは出来ないの」 「ここへ付いてくる、とかは可能なのか」 「そうか。遺品についての解説が仕事なんだから、役割として矛盾してないのか」 「ええ、そうよ」 「……ラズリットさん……哀しいだろうね」 「……そうね」 それをアンデルに理解させた時、アンデルも自分も命を落としてしまった……。 「セディはその魔力を使い、ラズリットにしか作れないはずだったラズリット・ブロッドストーンをも作り出した」 「作り出した学園長達が延々と稼働してんのもラズリット・ブロッドストーンの力だろうな」 「普通なら、動かし続けるだけの魔力が必要ですからね」 それもかなり、大量にいるはずだ。 以前、諏訪葵が生み出してしまった小さな人形サイズのものでさえ、魔力だけでは足りず血を触媒に魔力に変換して動かしていた。 「そして、学園長の提案によりセディ達は学園を再開し、夜の世界を生み出してしまいます」 「夜の世界?」 「この学園が、放課後になると全員帰寮させられていたのはそのせいなのです」 今更隠しておくのも意味がないので、モー子は黒谷にも夜の世界について説明した。 「そういうことだ」 「彼の器だったのは、連絡が取れなくなっていた私の友人で花立睦月という生徒です」 「……まさか消えたとは言えないだろ」 「……消え、ちゃったんだ……」 「あいつは自分が消えるってこともちゃんと理解してたよ。その上で夜の生徒を完全に定着させる儀式を俺達と一緒に止めたんだ」 花火大会の夜、本当は何があったのかを説明する。 黒谷は見たこともないほど神妙な面持ちで聞いていた。 と、言いながら村雲は日記の最後の方のページをめくり首を傾げる。 「ラズリットの方の記憶には、風呂屋町の言ってた 『知らない人』ってのは出て来ねーな」 「ああ、そう言えば。ラズリットが来た時はもう火が回ってたみたいだから、もう『知らない人』とやらはいなかったのかな」 「そいつ、アンデルが暴走したのと何か関係あんのかな」 「何とも言えないわね……。その不審者のせいで驚いて力が暴走したって可能性はないとも言えないけれど」 「そうですね。『知らない人』に関しては判断材料が少なすぎるでしょう」 「うーん、そうだな……」 「ひとまず、わかったことはこれくらいかしら?」 モー子は沈んだ表情で口を開く。 それはおそらく、俺達全員がずっと頭にあったが口に出せなかったことだろう。 「魂の修復が出来る『災厄の魔女』がいなければ、夜の生徒達は救えません」 「……………………」 「そう、だな……」 何か手がかりが得られるかと思って、ここまで記憶を再生してきたが、結論は非情なものだった。 (アンデル、か……) 俺が見た、あの幻影のような少女は本物のアンデルだったんだろうか。 (……くそ、変な汗が滲んで来やがる) なぜかあの少女のことを思い出そうとすると、俺自身の火事の記憶が蘇ってきてしまう。 あの時、あの少女がいた気がする――そのあり得ない記憶のせいだろうか。 夢かも、幻覚かも知れないが、俺はアンデルと名乗る少女を見たことがある。 それは今、この場で告げるべき話だろう。 なのに――なぜか、舌が凍りつく。 (なんか暗示でも掛けられてるのか? いやそれなら暗示解除の魔法陣に乗ったことがあるんだから解けてるはず……) そんな上澄みだけに掛けられた魔術じゃない。 もっと根の深い何かだ――そういう確信だけはあるが、それが何なのかわからない。 (……おまる。お前を助けられるかもしれない奴を知ってるはずなのに……) もどかしいが、どうしても口に出せずにいた。 「……だとしても、です」 意を決したようにモー子が言った。 「たとえ救えないとしても、学園側の計画は阻止しなければなりません」 「ああ……もちろんだ」 言う事を聞かなかった舌が、嘘のように動く。 「それは、おまるの意思でもあるんだからな」 アンデルの呪縛から解き放たれたようだった。 あの記憶にさえ触れなければ、大丈夫らしい。 伝えられないもどかしさは残るが……。 (いや、もしかしたらモー子なら……) 黒谷も、おまるのことはちゃんと覚えている。 あいつがもう、戻って来られないかも知れないことも、今理解した。 それでも、やはり学園側の計画は阻止すべきだと、全員が同意する。 「……もう図書館に戻ってもいい?」 「ああ、そうですね。長い間ありがとうございました」 「いいえ、それじゃあ」 「ええ、なあに?」 「どうして?」 「いや、なってないならいいんだよ」 「……なっていた方がよかったのかしら」 「それは……どうだろうな……」 なっていたら、それはアンデルの最期の後悔と同じ状態なのではないだろうか。 リトにはどうすることも出来ないのに、辛い気持ちだけが宿る、という。 それとも、哀しいとすら思えないことの方が残酷なんだろうか……。 「もういいかしら」 そう言いながら、さりげにモー子の方へちらりと視線を投げる。 モー子はすぐに察してくれたようで、 「私も行きます」 と、立ち上がった。 リトを無事図書館へと送り届け、地下通路をスミちゃんの部屋へと戻る。 「……どうかしたのですか?」 何か話があるのだろう、とモー子は二人きりになった所で切り出してきた。 「ああ……」 じわり、と背中を嫌な汗が伝う。 しかしさっきのように呪縛のような重たさは感じなかった。 「夢かも知れないんだがな」 そう言って、途切れがちに真夜中に見た幻覚のような半透明の少女の話をする。 満琉に覆い被さっていて、誰だと問うと、アンデルと答えて消えた。 たったそれだけの意味不明な記憶だ。 「わからん。ただ満琉に手を伸ばしてたのは確かだ」 しかし満琉には、あれから変わった所もないし、満琉はあの時のことを覚えていないようだ。 正直ただの夢だったのかも知れない。 「満琉さん自身が、『災厄の魔女』であるという可能性は?」 「……俺も、一応それは考えた」 思わず顔が歪む。 一番あって欲しくない可能性だからだ。 「満琉の目は赤くない。だから違うとは思うんだが…」 「そうですね。でも、満琉さんはまだ自身の力を使い切れていません」 「ああ、だから赤い眼が発動してないだけって可能性もあるだろうな」 しかし、たとえもし満琉が『災厄の魔女』の力を持っていたとしても―― 「満琉は、自分の力をとても扱い切れてない。魂の修復なんて繊細そうな作業が出来るとは思えない」 「……そうですね」 「……これ以上満琉に、力を使えとも言いたくないしな……」 「暴走の危険は充分にわかりましたから、私もそれは同感です」 アンデルの引き起こした火事――満琉がもし赤い眼を持っていたら、暴走すれば同じ事が起きる。 (いや……もう起きてる……) 「何とも言えない状況ですね…」 一瞬目の前に炎の幻影が見え、目眩がしそうだったがモー子の声に救われる。 (あの時も……) 夢の世界で悪夢に飲まれそうになった時も、モー子が支えてくれた。 あの記憶が、また襲ってこようとする悪夢から俺を守ってくれていた。 「……わかりました。いたずらに満琉さんに期待が掛けられても申し訳ないですし……」 「ああ。あいつ自身の耳に入ったら、なんとかしようとしかねん」 「ですが、アーデルハイトさんには話しておいた方が良いのでは?」 「いや……」 自分でも無意識に首を振っていた。 「ハイジなら魔術にも詳しいが、やっぱり曖昧すぎるし、とにかく満琉が知り得る可能性は極力抑えたいんだ」 「悪いな。モー子だけは特別だから、許してくれ」 ぷい、と頬を染めて顔を背けるモー子。 本当にからかいたかったわけではないので、少し申し訳ない気持ちになる。 (本当に……なんでハイジにまで言えないかな。モー子がいれば……) いや、それでも背筋を走る悪寒が酷くなるばかりで舌が動かない、という予感しかしない。 どうしても悪夢は俺に、これ以上の話をさせないつもりらしい。 「もう……。ずるいです……」 ぶつぶつ言いながら先に歩いて行くモー子。 ごめんな、とその背中に呟いた。 戻って来ると、満琉が白いノートの真新しいページを開いて待っていた。 「おかえり」 「これは、水風船だから、リトさんがいなくても出来るでしょ」 「念のためにセディさんの記憶も、もう少し再生してみてはという話になったの」 「……確かに。彼女が今どこで何をしているかわかれば、手がかりになりますね」 「じゃあ、やっていい?」 「まだ大丈夫なんだな?」 「……わかった。なら頼む」 「ん。じゃあやるね」 満琉は白い羽根ペンをノートの上に乗せ、手をかざして集中する―― 燃えてしまった校舎は、新しく建て直した。 生徒達の住む寮も出来た。 『新入生も大勢集まりましたよ、お母様! さあ儀式を始めましょう!!』 二人は愉快そうに宣言する。 長い長い時間を掛けて、時間の止まった場所にいる生徒達を呼び戻す仕掛けが出来たのだ。 その間に、何度も生徒達は入学し、卒業していき、今いる生徒はもう何番目だったか……。 『カーニバァル!! 来たれ、夜の世界よ!! はははははっ! はーっはっはっはっは……!!』 二人の笑い声が木霊する。 そして一生懸命描いた魔法陣が動き出した。 ――夜が来た。 『おはよー!』 『おはようございまーす』 時の止まった場所にいた生徒達が、夜の学園にやってくる。 『成功ですよ、お母様!! ほらほら、みんなやって来ましたよ!!』 『……うん。普通に通ってきてくれた』 『ええ、不審に思わないようにとのお言いつけでしたので暗示が掛けてありますから!』 『……守らなきゃ』 この生徒達を、守らなきゃ。 だって約束だから。 『守る? そうですね、昼の生徒に万が一気づかれては色々面倒なことが起きそうです』 『二人、わたしも学園に行く』 『ほほう、生徒としてですか? そう言えばお母様も昔は一緒に通っていらしたとか!』 『そう……だったかしら』 『確か、ずいぶん昔そのようなことを言われましたよ。それはそれで学園にもすぐになじめそうで良いことでしょう!!』 二人が私の制服を持って来てくれた。 初めて着る気がしなかった。 『お似合いですよ、お母様!! はははは!!』 『二人、あなたも学園にいて』 『私も生徒ですか?』 『……ううん。もっと色んな事を決められる方が良いわ。邪魔をした子を捕まえたり』 『ふうむ、なるほど?』 『どんな役目が良いかしら』 『本によると、そういうのは風紀委員というのがやる仕事らしいですよ!!』 『風紀委員……でも、それも生徒よね。他には?』 『生徒以外となると、それはもう学園長でしょう! 学園の総責任者です!!』 それはいいかもしれない。 教師も二人の言う事を聞くようになる。 それなら、と二人に学園長になりなさいと命じて、風紀委員というのは百花に任せる事にした。 『学園長か! 良い響きだ!! はははは、気に入りましたよお母様!!』 『そう、良かった』 『もももです〜。ふーきのお仕事、頑張ります〜』 『そうしたまえ! 風紀委員長の聖護院百花さん!!』 『はぁい! お任せ下さい〜!』 私も生徒になるから、今日からは二人のことを学園長と呼ばなければ。 二人にはニノマエをつけて、必要な時はこの子を通じて連絡しなさいと言った。 『わかりました、お母様!! 仲良くやろうなニノマエ君! はっはっは!!』 『ちー』 『じゃあ、私は行くから』 『あ、お待ちをお母様。お母様の素性は決してバレないようにとのお言葉でしたが』 『……そうよ』 『では、今のお名前は名乗らない方がよいのではないかと愚考します! セディなる生徒が昔にもいたと気づかれては危険ですから!!』 『そう。なら名前が必要ね』 『他の生徒と似た名前がよろしいでしょう。つまり日本語のお名前です』 日本語。 確かに、二人も百花も日本語だし、私も同じように名づければいいのだろう。 『どんな名前が良いかしら』 『お母様のセディというお名前は、どういう意味なのです?』 『……誰かに呼ばれたの』 誰だっただろう。 それを考えると、胸が苦しくなるからあまり考えたくないのだけれど。 『そう、確か……赤ちゃん。最初はディーチェと呼ばれていた……』 『ほほう? チェコ語ですね』 『そこにセドミーを足して、セディ』 『セドミー? ふむ、七という意味ですな』 『ええ、そう。七番目の赤ちゃん』 ああ、それがいい。 だって――が、つけてくれた名前だから……意味くらいは残して…… おかあさま …… 『思いついた』 『お名前ですか?』 『うん。七番雛、にする』 「雛さん……!?」 「おい、嘘だろ……」 夜の生徒の一人――あの夜、おまる達と共に消えたと思われていた七番雛先輩。 「あの人が……セディ……?」 さすがのモー子も息をのんでいる。 「てっきり普通の夜の生徒だとばかり……」 「そりゃそうだろ。わかるわけねえよ、そんな素振りも何もなかったろ」 「……………………」 めまぐるしく思考を回転させているらしく、モー子はすぐには答えず指先で顎をなぞる。 「ヒナさん……射場さんといつも一緒にいた、あの人が……」 「夢の世界にもいたよな、確か」 「学園長もいたぞ。それに魂があるならいても不思議はねーだろ」 「そうだな……」 「何度か会ったのに……変な気配は感じたことなかったわ」 ようやくモー子が指の動きを止め、俺達全員の顔を見回した。 「誰か、ヒナさんが『自分から意見を言った』ところを思い出せますか?」 「自分から……?」 「特に顕著だったのは、アーデルハイトさん達が来たばかりの頃、夜の生徒に色々尋ねてみた時のことです」 「みんな、どこに住んでるんだ?」 「学園のに決まってるだろ。生徒はみんなそうじゃないか」 「ヒナもです」 「学園に来る前はどこに住んでたんだ?」 「来る前? 寮から来ましたよ?」 「ヒナもです」 「大抵は、誰か――主に射場さんに追随するだけで、積極的に何か意見したという印象がまるでありません」 「そう言えば……」 「それは、ホムンクルスだから?」 「ホムンクルスの特性でもあり、自分の正体を悟られないよう、うっかり口を滑らせることを避けていたとすれば?」 「……そうか。セディなら本当は夜の世界のことも自分達が何者かも全部知ってるから……」 「他の生徒の意見に同意するだけで、自分からは極力喋らずにいたってことか」 「考えてみるべきでした。あれだけ夜の生徒に執着しているのですから……」 「自分ならどこで見守るか。夜の生徒達の中に紛れて共にいることが一番に決まっていたんです」 モー子は沈痛な眼差しを床に落とす。 「西寮の生徒が、夜になったら誰に変わっているか、それを調べるべきでした」 「そうすれば、夜の生徒の中にたった一人、依り代がいない生徒がいることは発覚していた……」 ――――七番雛。 彼女だけは、他の誰を器にすることもなく、最初から静かにひっそりと学園に存在していたのだ……。 「……………………」 眠っている。 壬生鍔姫と村雲春霞は、何も知らずにぐっすりと安らかに眠っていた。 あのドイツ人の香水は本当によく効くらしい。 「まだ……少し足りない……」 魔力をたくさん使うと、身体が疲れる。 もらいものの力だから。 身体がまだ元に戻っていない。 もう一度、目を閉じてじっとしていよう。 そうしたらまた、――にいただいた力を使えるようになる……。 (……誰だったかしら……) 誰かにもらった。 それだけは覚えているけど……。 ――どうか、助けて……。 誰かの声がした。 懐かしい――私はこの声を知ってる。 「わたしの……お母様の力も、あなたに……託すから……」 「おかあさま……」 「……お母様、いえラズリットが時間を止めた空間に送った生徒達を、どうか助けて……」 「たすける……わたしが……?」 「ええ、そうよ。お願い……もう、あなたしかいないの……」 「お母様は? お母様はどうなるの?」 「わたしは、もう……いかなきゃならないの。だからセディ、お願い……お母様の、最期のお願いを聞いて」 「お願い……なの?」 「……………………」 「命令よ。セディ」 「……わかりました、お母様」 「ありがとう……ごめんなさ……い…」 「お母様? お母様……どうしてそんな哀しそうなお顔するの?」 「いいよ、命令聞くよ? だってセディはお母様に作っていただいたんだもの。だから、ね……」 「……お母様? ねえ……お母様、お返事して? 哀しい顔しないで……お母様……」 「お母様……おきて……お母様ぁ……いやぁ、ひとりにしないで……おかあさまぁ……」 「おかあさま……おかあさま……」 ――あれは、誰だっただろう……。 『命令』だったことは覚えている。 でも、他のことは……。 「……………………」 思い出そうとすると、だめ、と頭の中で自分の声がする。 そして、胸がとても痛くなる。 だから思い出せなかった。 「……でも、命令だから」 私は、それを守らなければ。 どうしても、守らなければいけない。 「……………………」 もうじき、守れる……。 ――との約束が果たせる。 命令が……。 「これは、もういらない」 髪を束ねていたものをするりと外した。 ぱさ、と音がして髪が落ちる。 眼鏡も外した。 覚えていないけど、こうだった気がする。 あの人――あの命令を下さった人と一緒にいた頃、私は、髪なんて束ねてなかった。 ……思い出せないけれど。 「待ってて……もうすぐだから……」 ―――――― おかあさま …… 「絶対にそんなことが起こるはずない。もしもあるとしたらそれは奇跡だ」 「――だけど、奇跡はわたしの目の前に現れた」 懐かしいざわめき。 今では学園長になっている二人が用意してくれた私の机に腰掛け、教室の中をぼんやりとながめる。 懐かしい――何が懐かしいのだろう。 それはすっかり忘れてしまったけれど、クラスメイト達の笑いさざめく声は耳に心地よかった。 「ねえ、昨日の宿題さあ――」 「お昼どうする? 屋上でも行く?」 「誰かー、英語のノート見せてくれー」 普通の会話……。 彼らは20年前に時間の止まった部屋からここへ来ていることを知らない。 窓の外が夜なことにも疑問を抱いていない。 自分の身体が、実は他の人間を器としているということにも、もちろん気づいていない。 「なに、ぼーっとしてんの?」 「え……?」 この子は――確か、射場久美子。 このクラスの生徒の一人だ。 そう言って私の目の前にキャンディを差し出す。 「……ありがとう」 受け取ると、久美子はにこっと人なつっこい笑みを浮かべた。 「なんだ、普通に喋るじゃん」 「……?」 「いっつもそうやって一人で黙ってるから、なんか気になっちゃって」 「あはは、ごめんね。おせっかいで」 「……ううん」 ――よろしくね! 君、名前は? ――へえ、かわいいね! ――……ちゃん、教科書は? 持ってる? ――貸してあげようか? ――お昼は? お弁当? ――一緒に食べよっか! ふと、昔どこかで聞いた会話が浮かんできた。 あれは――…… 「えーっと……七番さん? 七番、下の名前なんだっけ」 「……雛。七番雛」 「ヒナかー。かわいい名前だね」 「……………………」 「ねえ、ヒナ。よかったらお昼一緒に行かない?」 ……その日から。 私と射場久美子は友達になった。 久美子はあまり喋らない私を、気にせず誘ってくれる。 教科書を忘れた、と言って見せてと頼ってくれる。 お昼ご飯を一緒に食べてくれる。 「ヒナは黙ってても、あたしの話ちゃんと聞いててくれるしさー」 「なーんか、一緒にいて楽なんだよね。気をつかわないっていうかさ」 「……ヒナも」 「そう? あたし楽?」 「うん……。クミちゃんといるの、楽しい」 「そっかー、よかったぁ」 にこにこと、太陽のような笑顔で頷いてくれる。 ……嬉しい。 彼女が笑うと、とても懐かしくて、嬉しい気持ちになる。 だけど、同時に胸の奥がちくちくする。 久美子は私を他のクラスメイトと同じ、普通の子だと思っているから……。 「……ヒナは、普通じゃないから」 「普通じゃない? どこが?」 「作られたの。お母様に。本当は人形だけど、お母様が特別に魂を作ってくださったの」 「……えーと、人間じゃないってこと?」 「そう……」 「そう言えば、昔、学園長からそんな話聞いたことあるなあ、ホムなんとかって人形の話」 「そう。そのホムンクルス」 「ヒナが? へー、普通の人間にしか見えないよ。あ、だから無口なのかな? なるほどー」 「………それだけ?」 「? 何が?」 「嫌じゃない?」 「なんで? ヒナはヒナだろ。お人形だろうが卵から生まれてようが、関係なくない?」 「卵……は、近いかも。最初は丸いフラスコで作るから」 「そうなんだ!? へー、すっごいなー。あたし、そんな面白い子と友達なのか! なんか楽しー!」 久美子は、本当に気にしなかった。 お人形だと話した次の日からも、いつも通り教科書を見せてと頼まれて、お昼は一緒にご飯を食べて、放課後も一緒に帰った。 何にも変わらなかった。 あの頃と、同じ。 もう思い出せない、思い出そうとすると頭が痛くなる遠い昔と……同じ。 思い出せないのに、どうしても蓋を開けられない私の中の古い記憶――思い出達が、喜んでいる。 これを取り戻したかったの――と。 ――様はもういないけれど、でも、――様との約束だから。 「………約束」 そう、約束だから、どんな方法でも良いから果たそうとしていた。 でもきっと、それだけじゃなかった。 「ヒナー、行くよー」 「……待って、クミちゃん」 「はー、今日も宿題多いなあ。明日授業中寝そうだわ」 「寝てたら、起こしてあげる」 「あはは、いつもありがとねー」 「……ううん」 朝になれば、久美子は久美子じゃなくなる。 本当の、この時代の生徒の姿に戻る。 どの子が久美子の器なのかは知ってる。 だけど、その姿を見ると決まって胸が痛くなる。 その子に話しかけることも出来ない。 私は夜の生徒だから、昼間の生徒達には姿も見られてはいけない。 久美子なのに――話す事も出来ない。 「じゃあね、ヒナ! また明日ー」 「……うん」 「……やっぱり、これじゃ駄目」 「それはお母様の『約束』とは違う! 命令が果たされていません! それはいけない!! 実によろしくありません!!」 「……そうね」 「しかし幸い、夜の生徒として暮らしてもらうことには成功しています! このまま夜の世界を完全な形で存続させましょう!!」 「…………西寮の生徒は?」 「いなかった、ことに……」 「ええ、だって邪魔ですから」 「……そう……そうね」 「そうでしょうとも! はっはっは!!」 「約束だもの……だからいいのよね。あの子は、クミちゃんとして暮らせば……」 そうしたら私も、あの懐かしくて嬉しい気持ちのままでずっといられる。 違う――リトも、二人も、みんなやっぱり違う、違う子ばかりの中で寂しい気持ちでいなくてもいい。 「わたしは、そんな奇跡を失いたくない。もう二度とそんな奇跡は起こらない」 「だからわたしは――完全に取り戻すための計画を、必ず成功させなければいけない」 ことん、と白い羽根ペンが自らペン立てに戻る。 「あ………」 「……動かないみたい」 「インク切れのようですね」 モー子が傍らのインク瓶を持ち上げ、底から透かすようにして見る。 中身はきれいさっぱり空だった。 はあ、と誰からともなくため息をついた。 「……覚えてなくても……」 ぽつりと、最初に呟いたのはハイジだった。 「幸せだった頃が帰ってきたみたいな感覚になっちゃったんでしょうね」 「そうですね……」 セディとして暮らしていた頃――射場さんとは、その頃から友達だったのかどうかわからないが、かつての記憶とは重なったのだろう。 だからこそ、約束以上に、彼女たちをどうしても取り戻したいという理由が生まれてしまった。 「くそっ、こっちだって夜の生徒を助けたいってのは同じなのによ……」 口惜しそうに村雲が、自分の膝に拳を叩きつける。 「何か……ないのかな。他に、助ける方法って何か……」 ノートに書き出された文章に目を落としたまま、満琉が独り言のように言う。 「ヒナさん達は、散々探したようですからね。20年もの間……」 「そうね。あんな強引な手段以外に何か方法があれば、ヒナ――いえ、セディは説得出来そうな気もするけど」 「けど、その方法がなあ……」 「見つからなかったからこその、この手段なのでしょうね」 「じゃあ、どうしようもねーのか……やっぱり……」 その先は言葉を濁した。 みんな同じ事を思っているだろうから。 20年前の生徒を真に救い出す方法は、ないのではないかと。 (おまる……お前を救う方法って本当にないのか…?) こんな狂った計画に固執してしまうほど、どうしようもなく助けられないものなのか。 「……ですが、学園側の計画は計画として阻止しなければ……」 「そりゃそうだろ。でねーと、西寮の生徒はいなかったことになっちまうんだろ?」 「どちらかしか救えない、ってことか」 「……今のところは……そういう状況ですけれど……」 「わかってるさ。それでも、あんな計画は止めるしかない」 おまるだって、そう望んでいたんだから。 もしかしたら、俺達のやることで、20年前の生徒達は本当に火事の犠牲になった――という結果になってしまうのかもしれないが……。 (もしそうなら、あいつ、死んだことになるのかなあ……) まるで実感が湧かない。 ついこの前まで、馬鹿なこと言い合いながら一緒にやってきたのに。 それこそ射場さんと雛さんのように。 「……悩んでいても仕方がありません。こうしている間にも学園長達は動いているでしょうから」 「とにかく、計画を阻止する方法をまず考えなければ」 モー子の言葉に頷いて、ハイジは新しく調合し終わったのであろう香水瓶を取り出し俺達に配る。 「気を失わせる香水よ。ただしやっぱりアーリックのような相手には充分な武器とは言えないわ」 「ああ、肝に銘じとく」 「ないよりマシだろ。場合によっちゃ風紀も相手にしなきゃなんねーからな」 「それで、えーっと、どうするの?」 「ひとまず、私はもう一度魔法陣の様子を見てくるわ」 そう言い残しハイジは席を立つと階段の上の通路へと向かった。 しかし、すぐに慌てた足音と共に戻って来る。 「大変よ!!」 「どうしました?」 血相を変えながら俺達に駆け寄ると、ハイジは階段の方を指さしながら叫んだ。 「扉のつながっている場所が変わってるの!」 「場所が……!?」 一瞬、言われた意味がわからなかったが、すぐさま立ち上がったモー子に続き、俺達も階段を駆け上がってみた。 「これは……!!」 モー子が開いた扉の向こうは、一面の草原だった。 この光景には見覚えがある……。 「あ、ここ、俺が風呂屋追いかけて飛び込んだところか?」 風呂屋がヤヌスの鍵で騒動を起こした時のことだ。 あいつの姿を見つけて、俺が追いかけて飛び込んだのが確かこの草原だったはず。 「では、あちらに見えている塔のようなものの上が魔法陣のあった場所でしょうか」 「ああ、あれだな、螺旋階段だ。確かにあのてっぺんに魔法陣がある」 「前回、扉の接続を切ってもこちらが復元したせいで今度は違う手を使うことにしたようですね」 「物理的に遠くしたってことかよ」 「まあ、結構な距離だが、行けなくはないな」 「……あの魔法陣から遠ざけるようなことをした以上、やはり魔法陣は何らかの形で使用されるのでしょうか…?」 モー子の呟きにハイジは頷いた。 「そうね。完全に修復して同じ事に使う気なのかはわからないけれど」 「前みたいに、この扉を元通りの位置につなぎ直す事って出来ないのか?」 「それは無理。空間をつなぐ魔術自体には何の変化もないの。おそらく異空間側の組成で座標を変えたのだと思うわ」 「だから、こちらからはどうしようもないわね」 「そうか……」 無意識に苦い表情になりながら、目の前に広がる草原を見つめる。 しんと静まりかえっていて、前にはわらわらといた変な生き物たちも今はいない。 不気味なほどの静寂があるばかりだった。 「とにかく、魔法陣の様子が気になるわ。歩いて行けないことはないから、見に行ってみた方が良いわね」 「……そうですね。ヤヌスの鍵を使えば早いでしょうけれど魔力は温存したいところですし」 「なら、一人じゃ危ないから俺も行くわ。敵側の奴がいるかもしれないし」 「大丈夫ですか?」 「そーっと覗いてヤバそうだったらすぐ戻る」 「感知阻止の香水はまだ効いているから、覗くだけなら大丈夫だと思うわ」 「……では、お願いします」 「ええ、ルイをお願い」 何かあったらすぐ逃げる、とお互いに確認し合い、俺とハイジは草原を歩いて魔法陣へと向かった。 「……前はここにも化け物がいたんだが、いなくなってるんだよな」 風呂屋とここに迷い込んだ時に、上へ行くのを邪魔してきた怪物だ。 幻の火を噴いてくるのでやっかいだった。 しかし、ヤヌスの鍵を温存するのにこのところ、この辺りを徒歩で移動していたが、ああいった怪物のような奴らは見当たらない。 「生き物は排除したんじゃないかしら」 うんうん、と頷きつつ塔の上部を見上げながらハイジが言う。 「なんで全部追い出したんだろうな?」 「この空間は魔力で作られているから、生き物が放つ波長が何らかの魔術の邪魔になるってことかしらね?」 ハイジにもはっきりとは理由はわからない、ということだった。 とにかく魔法陣を確認しよう、と階段を上る。 あの化け物がいないお陰で、俺も何事もなく上ることが出来るのだが今ここでする話でもないので黙っておいた。 (あいつの炎、幻覚なんだけどどうしても発作起きるからなー…) 階段からそっと覗いてみるが、魔法陣の周囲には誰もいないようだった。 するりと魔法陣に近寄るハイジ。 一見、魔法陣は前に見た時の通り沈黙しているように見える。 「どうだ?」 「……変わってないわ。どういうことかしら……?」 「やっぱり動いてないのか」 「ええ。じゃあなぜ、わざわざ扉のつなぎを変えたのかしら」 しげしげと魔法陣を見下ろしながら、その周りをぐるぐると歩き回るハイジ。 「こっちが手を出しても知らせが飛ばない状態になってるんなら、今のうちに何か仕掛けられないか?」 「うーん、そうね……」 「何かで削るとかして、傷を入れて使えなく出来ないか? シャベルとかスコップとかで」 「だったら、これはどう?」 と、ハイジは懐から小さなナイフを取り出した。 香水の調合用に植物を削ったりするのに使うものだという。 「あなたの力ならなんとかなる?」 「やってみる。刃こぼれさせたらすまん」 「いいわよ。それは魔術道具でも何でもない普通のナイフだから代わりはあるわ」 「わかった」 「ん……駄目か……」 硬くて刺さりそうにないので、削れないかとごりごり刃を立ててみるが、まるで傷がつかない。 こんなもん、よく叩き壊せたな、俺。 それだけ遺品の力が凄かったって事か。 「無理?」 「ああ、まったく削れそうにないな」 しかし、そうなるとやっぱり遺品の魔力込みじゃなければ物理的にぶち壊すのは不可能そうだ。 「やっぱ無理だわ」 俺は諦めて、ハイジにナイフを返した。 ハイジは受け取り、ナイフの代わりに何やらケースを取り出す。中にはチョークが入っていた。 「傷を入れるのが無理なら、書き足して意味を変えるしかないわね」 「それはバレないのか?」 「目立つものを描けばすぐに見つかってしまうでしょうから………小さく、目立たないもので、阻害できるもの……」 考えながらハイジは、魔法陣の側に跪いてチョークでさらさらと何か文字を足す。 「再起動したときに防衛的な機能が発生しないように妨害する仕掛けをしておくわ」 「起動した魔法陣にちょっかい出しても警報が飛ばなくなるって事か?」 「ええ、気休め程度だけどね」 「何もないよりはマシさ」 チョークをしまいつつ、ハイジは立ち上がる。 俺達は再び階段を下り、草原を横断してスミちゃんの部屋へと戻った。 「おかえりー。とりあえずご飯にしようって話になってるよー」 戻って来ると、黒谷がまた鞄から食料を取り出して並べている所だった。 「おう、そういや腹減ったわ」 「ええ、そうしましょう」 輪になって床に座り、めいめい適当にサンドイッチやらおにぎりやらを頬張る。 「なんかさ、気持ち悪ぃくらい向こうの動きがねーよな」 「確かにな、アーリックが現れた後はこれといって……まあ、扉のつなぎ方を変えただけか」 「あれだって、私達を魔法陣に近づけなくするには不完全すぎるわ」 「もしかして誰か待ち伏せでもしてんのかと思ったら、何もなかったしなあ」 「魔法陣はじっくり見たけど、やっぱり何の変化もなかったのよね」 「では、あの扉の細工はただの応急処置なのか気休めなのか……」 「……時間稼ぎにしては短すぎる。実際、久我くん達はあっさり行って戻って来ましたから……」 フルーツサンドを手にしたまま、モー子が眉根を寄せ考える。 「……何かを待っているのでしょうか」 「待ってるって、学園側が?」 「ええ。動きがないのも、対策が中途半端なのも、それ以上に何か大きな事をやる時期を計っているせいではないかという気がするのです」 「あの魔法陣には特に変化は見られなかったから、そうかもしれないわね」 「扉をつなぎ替え、私達の注意をあの魔法陣に向けることにより、そうして自分達が待つ何かの方を邪魔されないようにした……とか」 「あり得るわね」 「それならこっちもただ黙って待ってるより何か行動を起こすべきじゃねーのか?」 「もちろんです。ただ問題はどのような行動を起こすべきかということです」 「アーデルハイトさん、魔法陣は現状では壊せそうにないのですか?」 「ええ、無理ね」 頷くと、ハイジは一旦手にしたメロンパンを置いて語り始めた。 「まず、前にやった、破壊の魔法陣を周囲に描く方法は、魔法陣が起動していない今は使えないわ」 「魔法陣の力を逆流させるものですから、起動していない今は当然出来ないと言うことですね」 「そう。それにさっきコガが試したのだけれど、人の力だけでは傷を入れることも不可能だったわ」 「ナイフ借りて削れないかやってみたんだけどな、全然無理だったわ」 「お前の馬鹿力で無理なら、どうしようもねーな」 「小さなナイフだったから、もっと別の道具なら少しくらいは傷つけられるかも知れないけど……全部壊すのは無理ね」 「それに、さっきの話で、そもそも学園側があの魔法陣を本当にまた使うのかも怪しくなったから壊しても意味があるかどうか」 「そうですね。他の所に新しい魔法陣を用意している可能性もありますから……」 「……………………」 モー子は更に難しい顔になり、考え込む。 無意識にフルーツサンドを口に運んでいるのは、フル稼働している脳が糖分を欲しているのだろうか。 「……アーデルハイトさん。ひとつ思いついたことがあるのですが」 やがて、顔を上げたモー子は何故か微妙な表情を浮かべていた。 「何? 言ってみて」 「もしかすると、私は馬鹿な提案をしているのかもしれませんが……」 「なんでもいいわよ。この際出来そうなことは全部検討すべきでしょ」 「ええ、そうよ」 「あの異空間自体を全部使って、それで蝕の日の代替にしようとしているのでは、とも」 「蝕の日に代わるほどの魔力となると、あの異空間丸ごとには充分匹敵するでしょうからね。そうだと思うわ」 「で、それが何なんだ?」 「では――あの異空間そのものを壊すことは出来ないでしょうか?」 「……へ?」 「そうすれば結果的に、異空間にある魔法陣も消えてなくなるはずでしょう。蝕の日の代替とやらも出来なくなります」 「そうね、その手があったわ…!」 ぱん、と手を打ってハイジが同意する。 「魔法陣が駄目なら異空間ごと壊せばいいのよ!!」 「そっちは出来るのかよ? その方が大規模っぽいけど」 俺の質問に頷きつつ、ハイジは図書館であの異空間について調べた内容を説明し出した。 「あの異空間は、魔力そのもので出来ているのだけれど、普通はあんな風に固定した状態には出来ないの」 「異空間のどこかに、異空間全体を支えて魔力を留めている仕掛けがあるはずよ」 「魔力を固定する装置、ですか」 「ええ。そうね……あの大きさなら複数あるはずだわ」 「その仕掛けを壊せばいいのか?」 「そうしたら異空間は支えを失って崩壊するはずよ」 「どうやって壊すんだ?」 「待ってて。私がそのための魔術薬を作るから。あなた達はその間に仕掛けがどこにあるのか、いくつあるのか探してちょうだい」 「わかりました。仕掛けはどのような形かわかりますか?」 「ラズリット・ブロッドストーンは使われてるはずよ。あんな空間を支え続けるためにはずっと魔力が必要だし」 「おそらく小さな魔法陣――魔力を留めて支える術式を描いた陣と、ラズリット・ブロッドストーンじゃないかしら」 「了解です。探しましょう、みんなで」 「おう、今ならまだ香水のおかげで誰かに鉢合わせしても見つからねーんだろ? 急ごうぜ」 「異空間広いからな。けっこう時間掛かるぞ」 「手伝うよー、それくらいなら!」 「いえ、ここを無人にするのも危険かと。ルイさんは残していくしかありませんから」 「なら手分けして、交代で行くか? 夜通しになりかねんから休憩もいるだろ」 「なるほど、さすが静春ちゃん。元風紀」 「では誰かしら留守番しながら交代で行きましょう。アーデルハイトさん、その破壊するための薬をお願いします」 「ええ、任せて」 ハイジがこっそり自室へ戻り、必要な材料を持って帰ってきたところで、俺達は手分けして仕掛け探しに奔走することになった。 ――翌日。 ほぼ夜通し探し回ったおかげで、仕掛けらしきものはどうにか発見出来た。 「仕掛けは全部で4つ」 モー子が紙にさらさらと簡単な地図を描きながら一同に話す。 俺達は例によって黒谷の食料で朝食をとりつつ、地図に見入った。 「異空間の真ん中の塔を中心に東西南北――実際の方角は不明ですが、とにかく四方に1つずつありました」 「ラズリット・ブロッドストーンらしき石が埋め込まれています。これが異空間を支える仕掛けだと思われます」 「幸い、捜索の際にも誰にも出会わなかったので見張りもいないものと思われます」 「まさに今のうちだな」 「この仕掛けを壊せば、異空間は支えを失い、やがて崩壊していく――そうですね?」 「ええ。相手が何してるかわからない以上時間はないわ。今すぐ破壊に行きましょう」 そう言ってハイジは小瓶を四つ並べた。 「これを使って」 昨晩、夜通し作っていた仕掛けを破壊する薬、とやらだ。 「これは、瓶が二重構造になっていて、この紐を引くと上の瓶の栓が外れて下の薬と混ざる仕組みになってるの」 「混ざるとどうなるんだ?」 「爆発するわ」 「爆発ぅ!? これ爆薬なのかよ!?」 「爆発と言っても物理的なものではないのよ。魔力を分解するような爆発を引き起こすと考えてくれればいいわ」 「じゃあ俺達が爆発に巻き込まれたりってことはないんだな?」 「物理的な爆発はほとんど大したことはないから、慌てて逃げなきゃならないほどの威力もないし大丈夫よ」 「私達は安全ということはわかりました。魔術的な威力はどの程度なのですか?」 「あの巨大な魔法陣みたいな大がかりなものや、ラズリット・ブロッドストーンは壊せないけど小さな仕掛けだけなら充分壊れるはずよ」 「だから、仕掛けを壊して埋め込まれているラズリット・ブロッドストーンを外してしまえば支える魔力はなくなるわ」 「なるほど、わかりました。石を回収すればこちらの魔力にも余裕が出来ますね」 「一石二鳥だな。よし行こうぜ」 「ん……行くの……?」 「あー、お前は今回はいい。寝てろ」 「私お留守番? うん、いいけど」 「適切な人選だと思います。黒谷さん、留守をお願いします」 「はーい」 「あ、鍵どうする? オレらはばらけるならこっちに持たせた方がよくねーか」 「確実に使える満琉さんに持っていてもらうのがいいのでは? いざとなったらそれで脱出して下さい」 「んー……そうだな。その方が安心っちゃ安心だけど」 「誰か来たらすぐ逃げろよ?」 ふらふらしながら手を出す満琉に、村雲がヤヌスの鍵を手渡す。 「黒谷、多分ルイはお前が担ぐしかねーだろうけど、大丈夫か?」 「それくらいなら構わないわよ。ルイだって文句は言わないでしょう」 「は、では黒谷真弥、精一杯善処します!」 「よろしくお願いします」 「では行きましょう。一人一つずつ瓶を持って。引っ張る紐はこれね」 「ん、わかった。じゃあ誰がどこ行く?」 「ここからだと、一番距離があるのはここなので久我くんお願いします」 「おう、任せろ」 「村雲くんはこちらに、私はここへ向かいますのでアーデルハイトさんは比較的近いこちらへ行ってなるべく早く戻って下さい」 「わかったわ。私とウシオが一番足は遅いでしょうから、それでちょうどいいわね」 「んじゃ行くか」 「行ってらっしゃーい」 「気をつけてね……」 ぼんやりした顔で手を振る満琉と、それをさりげに支えてくれている黒谷に手を振り返し、階段を上った。 お兄ちゃん達は、異空間へと向かって行った。 手伝いたいけど、もう身体に力があんまり入らなくて、ものすごく眠い。 「大丈夫? 横になる?」 「……ん……だいじょぶ、です」 多分、横になったらまた当分起きられなくなってしまう。 そしたらお兄ちゃんに何かあっても役に立てない……。 帰れって言われたのに、無理矢理残ったくせに結局役立たずじゃあ意味がない。 「じゃあ、ここにもたれなよ。はい」 そう言って黒谷さんは、ぼくをベッドの縁にもたれさせてくれた。 「……ありがとう」 「? ……うん」 「じゃあ、ちょっとうろうろして食べ物取って来るよ! もう残り少ないんだ」 「え……あの、でも、危ないかも……」 「……そっか」 「久我、よく食べるもんねー」 あはは、と笑いながら黒谷さんは食料を入れていた大きな鞄を持ち上げる。 (そうだ、お兄ちゃん……食べないと身体がもたないし……) 黒谷さんは心配だけど、お兄ちゃんの身体のこと考えたら、食べ物は絶対いる。 でないと、お兄ちゃんが死んじゃう……。 「あの……くろだにさん、気をつけて、ね?」 「かーらーい、ものっと」 そう言いながら、黒谷さんは手近にあった紙にメモを取ってくれているようだ。 「他には?」 「えっと、スナック菓子……とか」 「なるほど、お菓子ね。それも辛い方が良いのかな、ハバネロ的なのとか」 「……うん」 優しい人だ。 なんとなく口許が緩むのを感じて、ちょっと恥ずかしくなって膝を抱える。 (お兄ちゃんいつも……こんな人達と、ここで暮らしてるんだね……) あんなに頑張って、学園長達のことを止めようとしてる理由が、改めてわかった気がした。 「あはは、そうだね! 今朝も迷わずフルーツサンドだったしねー」 「うん……」 「……満琉ちゃん優しいね」 「えっ」 「んー、他の人のも、って……ちゃんと気をつかってるから」 「え、あの……ぼく……あ、あんまり役に立ってない、から……」 「そんなことないよ! 満琉ちゃんって、すごいんでしょ? 切り札的な事言われてたじゃん!」 「それは、あの……力だけ、は……」 「でしょでしょ? それに日記だってさー、満琉ちゃんがいないと大変みたいだし。すっごい役に立ってるじゃない」 「……そ……そうかな……」 「そうそう! もっと自信持ちなって!」 「……………………うん」 「ふふ、ちょっと笑った」 「え……」 「あなた、きっと自分が思ってる以上にみんなに頼りにされてると思うよ」 「……………………」 「さて! 私もお役に立ちに行きますか! じゃあちょっとだけ待っててね!」 「あ、うん。き、気をつけて……」 「うんっ! 行ってきまーす」 「……………………」 黒谷さんは、大きな鞄を担いで部屋を出て行った。 「……大丈夫かな……」 「ふんふんふ〜ん♪」 私が機械の点検をする姿を、お母様は椅子に深く腰掛けぼんやりと見ている。 いつ以来だろう。 お母様はずっと生徒として学園に通っていらしたから、こんな風に長い時間を共に過ごすのは何年かぶりだ。 それは『嬉しい』ことらしい。 そして離れてしまうことは『寂しい』のだそうだ。 私にはよく理解出来ないが、お母様が『嬉しい』というのだから私も嬉しいに違いない。 「よしよし、問題ない! なーにも問題ないのだよ、はっはっはっは!!」 プラネタリウムのような機械をなでなでと撫で回し、私はお母様を振り返った。 「できた! できましたよお母様!!」 「……………………」 お母様の視線が私と機械を往復する。 「これであとは、投影機を指定の場所にセットするのを待つだけですよ!! はははははっ!!」 小さく、こくりと頷くお母様。 「……大丈夫ですか、お母様? 体調はどうです?」 「……だいぶ落ち着いてきたみたい」 「そうですか! それはよかった!!」 ここへと降りてくる足音に気づき、そちらを見ると味方にした例のドイツ人だった。 「おやおや、その様子ではまだ客人達は見つからないのかな?」 「風紀委員にも協力してもらったが、まったくどこへ行ったのか……」 そうため息混じりに言いながら肩をすくめるドイツ人。 「魔術の痕跡を調べる薬も使ってみたんだがな、途中で消えてしまっていた」 「ふむ、それはおそらくヤヌスの鍵で移動したせいだろうね」 「おかげで足で探すしかなくなった」 「ご苦労だったねえ。はっはっは。しかし……これだけ長い間見つからないと言う事は、風紀が見回らない場所に潜んでいると考えるべきか……」 「――!!」 「ん?」 椅子にもたれていたお母様が、急にびくりと身を起こした。 「それをすぐに持って来て」 「……?」 私にでも彼にでもなく、虚空に向かってそう言ったお母様に怪訝そうな目を向けるドイツ人。 「ああ、あれはね。私達に言ったのではないのだよ」 「では誰に?」 「私がいつも首に巻いていたオコジョがいただろう? ニノマエ君だ。あれは今、お母様が使っていてね」 「今は聖護院さんが一緒にいるはずだから、そちらで何かあったのだろうね」 「……つまり、あのオコジョは遠距離での通信手段なのか」 「そういうことだ。お母様が私達の状況を把握し指示を出すため特別に改造されたホムンクルスなのだよ」 「なるほどな…」 ほどなくして、空中に扉が出現し、開いたかと思うとニノマエ君が飛び込んでくる。 「大変です〜!」 その後ろから転がるように聖護院さんも現れた。 「何があったんだい、聖護院さん?」 「こんなものを風紀委員が拾ったって報告がありまして〜もらってきました〜」 聖護院さんは手にしていた紙をばっと開いて、私達に見せる。 「辛いもの、スナック菓子、ハバネロ的な?」 「何のことだ」 慌てて裏返すと、そこには地図のようなものが描かれていた。 「何の地図だ?」 「笑い事なのか?」 「ふふふ、君には朗報だよ。お客人が直接来るかはわからないが、この印の場所のどこかで待てば、行方を知る者は現れるだろうね」 「それは朗報だ。で、この場所にはどうやって行く?」 「聖護院さん、ヤヌスの鍵を」 「はいっ! この鍵をお貸しします〜行きはももがつなげますから、帰りはこれでここに戻って来ていただければ問題ないかと〜」 「この場所か、私の顔でも思い浮かべながら鍵を回せば扉が出現するよ」 「……承知した」 「では〜開きますね〜」 聖護院さんがヤヌスの鍵をひねり、出現した扉を開ける。 扉の向こうには一面の草原が広がっていた。 見える範囲には、特査の面々やお客人の姿はないようだった。 「では、どうぞ〜。お気をつけて、です〜」 「ああ、借り受ける。ありがとう」 ヤヌスの鍵を受け取ると、ドイツの彼はふと足を止め私の方を振り向いた。 「地図についていた×印の場所には何があるんだ? そこは守った方が良いのか?」 「ふむ?」 ついでに働いてくれようと言う事らしい。律儀な御仁だ。 「うーむ、いや、どちらでもいいよ。君の都合を優先してくれたまえ」 「そうか。なら余裕があればということにしておく」 「では、自分は西寮の警備に戻ります〜。一時間ほど後に合流しますので〜」 「うむ、頼んだよ。しっかりなニノマエ君!」 「………」 ニノマエ君の声は、お母様の声なので、今は何も喋らない。 「行って参ります〜!」 ぴし、と敬礼して聖護院さんはニノマエ君を連れて去っていった。 再び、私とお母様だけになる。 「…………二人」 「少し眠ります」 私は足早に礼拝堂へと駆け上がった。 「確か倉庫に……っと」 あったあった。冬場ここは少し冷えるので、膝掛け用にと毛布が常備されているのだ。 「うん、しょ……ふう」 私の小さい身体では、なかなかの重労働だ。 「まあ、お母様のためだ。このくらい大したことではないのだよ、はっはっはっは」 倉庫を閉じて、駆け足で地下へと戻る。 お母様は椅子に座ったまま目を閉じ、すやすやと寝息を立てておられた。 無理もない、お疲れなのだ。 この所、魔力を大量に使ってばかりいる。 「ささ、お母様これを。あったかくして眠って下さい」 眠っているお母様の身体を毛布で包む。 もうじき、すべて上手くいくのだから。 「あった、これだな」 俺が指示された場所は、湖の側だった。 湖の畔ぎりぎりの草むらの中に、ラズリット・ブロッドストーンらしき石が埋まっている。 「紐を引いて……ほいっと」 ハイジから渡された小瓶の紐を引き抜き、小瓶を石が埋まっている辺りに放り投げた。 軽い爆発音がして、薬は上手く爆発してくれた。 ハイジの言っていた通り、物理的には本当に大したことはないようで、音もおそらく周りに敵がいてもさほど気づかれる心配はなさそうだ。 「どれどれ……あっ!?」 仕掛けに近寄ると、吹っ飛んだ仕掛けから外れたらしい光る石がころころと転がって湖に水没してしまった。 「うわ、しまった……」 慌てて駆け寄ったが、既に沈んでしまった後らしく、のぞき込んでも石は見えない。 「……ここ、かなり深かったよなあ」 前に風呂屋を助けに湖には入っているが、素潜りで取りに行ける深さかどうか。 しかも水中にも生き物は何もいないとは限らない。 下手に潜って行って変な生き物に遭遇しました、なんてことになったら大惨事だ。 「仕方ないな……ここのは諦めるか」 俺以外の三人が首尾良く持ち帰ってくれることを祈ろう。 ……村雲に馬鹿にされそうな気がするのだけが、ちょっと気に障るが。 「……上手くいきましたね」 アーデルハイトさんの薬は、ちょうどよく調合されていたようで地面に埋まっていた石は爆破の衝撃でぽんと飛び出してきてくれた。 草の上に落ちた石をそっと拾い上げる。 魔力の塊――ラズリット・ブロッドストーン。 「……少し小ぶりですね」 この石は、込められた魔力の量によって大きさが比例するらしく、元々大きさはまちまちだったが、これは比較的小さいもののようだ。 こんな広い空間の支えだから、表面に見えている以上に巨大だったらどうしようと少し思っていたのでその点では安堵する。 「あくまで固定するための支え――いわば楔のようなものだから、でしょうか」 この空間そのものを形成しているわけではないから、留め具としてはこれ4つで充分なのだろう。 「……間に合わなかったか」 「――!!」 さく、と草を踏む音がして、ルイの義兄が現れた。 (よかった、私には気づいてない……) 感知阻止の香水のお陰だ。 至近距離まで来られる前に身を隠したので、物音も聞かれずにすんで気づかれなかったのだろう。 「……この匂いは、破壊薬か。アーデルハイトが関わっているのは間違いないようだな」 (……アーデルハイトさんを探して回っていたようですね……ここへ来たのはたまたま…?) いや、さっき彼は、間に合わなかった――と言っていた気がする。 仕掛けの破壊を阻止出来なかった、という意味だろう。 (つまりこちらの策に、学園側は気づいているということ……?) どうしよう。じっと隠れているのは得策じゃない。 この人はアーデルハイトさんを探しているのなら、ここが空振りとなればすぐに他の人達が向かった場所へ行くかも知れない。 (しかもあれは、確か魔術の痕跡を調べる薬のはず…) アーリックさんの取り出した小瓶には、見覚えがある。 アーデルハイトさん達も使っていたものだ。 痕跡を調べられたら、私もすぐに見つかってしまうだろう。 (どうするべき……? 音を立てないようにこの場を離れるか、それとも……) 数秒で答えは出た。 私だけ見つからずにすんでも、他の場所へ向かわれては爆破が阻止されてしまうかも。 (他の三人の所へ、この人を行かせてはいけない――……!!) そう判断し、私は木陰から飛び出した。 「お前は……」 こちらから音を立てたので、案の定アーリックさんはすぐに気が付き私を追ってくる。 (すぐ追いつかれる……!!) わかってはいたが、私の脚力では話にならない。 それでも、この人は私が引きつけなければ。 「……っ!!」 気絶させる香水を取り出し、振り向き様に思い切り噴射した。 「……吸い込まなければ効かんよ、香水というものは」 無表情にそう言いながら、目の前をさっと手で払うアーリックさん。 「アーデルハイトではなかったが……まあいい。ルートヴィヒの居場所は知っているだろう?」 「教えるわけがないでしょう…!!」 もう、逃げても無駄だ。 わかっていたが、こちらを追わせるためにあえて走り出した。 「――――…!!」 首の後ろに衝撃を感じた――そう思った瞬間、意識が深い闇に飲み込まれていく。 「悪いな。手加減はしたぞ」 アーリックさんのその声を最後に、私の思考はふっつりと途切れた。 「え……?」 やけに慌てて、黒谷さんが帰ってきた。 部屋に飛び込むなり、ぼくに両手を合わせて謝るポーズで頭を下げる。 「どうしたの……?」 「購買部の近くでさー、風紀委員に見つかりそうになっちゃったのよ。スナック菓子の袋って、がさがさ言うから聞こえちゃったみたいで」 「……そ、そんなに、無理してくれなくてもよかったのに……」 「あー。満琉ちゃんのせいじゃないよ? 私が選ぶの夢中になっちゃって油断したのがいけないんだから」 「なんとかその人にはバレずに逃げられたんだけどさ……メモした紙も落としちゃったし……」 「……あと、つけられてない?」 「わかんない! だからここ危ないかも知れないから、ちょっと移動しよう!」 「上の異空間ってののドア、多分久我たちが戻って来る時にも使うだろうから、中に入ってドアの近くで待ってたらどうかな?」 「……そっか。それなら、部屋の方に誰か来てもすぐには見つからないね」 「うん、最悪階段の上まで来そうだったら必殺ヤヌスの鍵しかないけど」 と、黒谷さんは、ばたばたと階段を駆け上がり扉の向こうに鞄を放り出して戻って来た。 「よいしょ……う、く……やっぱ引きずっちゃうかな、足……」 「……大丈夫? ごめんね、ぼく手伝えなくて……」 「へーきへーき! ……満琉ちゃんこそ大丈夫? 動ける?」 頷いて、よろよろとベッドに手をついてなんとか立ち上がる。 少しふらついてしまうけど、歩けそうだ。 「じゃあ満琉ちゃん、先に行って。私が先だとルイさん落っことしたら満琉ちゃん巻き添えにしちゃうし」 壁に手をつきつつ、どうにか階段を上る。 扉を開けて外に出ると、向こうからしずかが走って来るのが見えた。 「……くろだにさん、手伝ってあげて」 「手伝うって? 何があった?」 「ぼくらのご飯、取りに行ってくれてて、風紀の人に見つかったかもって。だから、念のためにこっちに…」 「わかった、お前はここで待ってろ」 たどたどしいぼくの説明をみなまで聞かず、しずかは階段を駆け下りていった。 そして、すぐにルイさんを担いで上がってくる。 「いやー、助かったわ。ナイスタイミングですよ村雲先輩」 「まったく無茶しやがって……。大人しくしてりゃ良いのに出歩くなよ」 しずかは黒谷さんを叱りながら、ひとまずルイさんを地面に降ろす。 「で、でも……ご飯ないと、困る……」 ぼくも結局、止めなかったのであわあわとフォローするとしずかは困った顔になった。 「いや、そりゃそうだけどよ」 「ごめんなさい! 多分後はつけられてないと思うんだけど……」 「しょーがねえなあ。飯は手に入ったのか?」 「はい! それはなんとか!」 「なら、チャラでいいか。どのみちずっとあそこにいてもいずれ見つかっただろうしな」 「はっ、ありがとうございます!」 「よかった……」 「満琉、お前は歩いて大丈夫なのかよ?」 「うん、だいぶ楽になったから」 まだふらふらするけど、歩けるし、気が付いたら寝ちゃってるってことはなさそうだった。 「……ごめんね」 「何が」 「ぼくがもっとうまく力を使えてたら、きっとこんな風に隠れなくてもすむのに……」 「ばーか、何言ってんだ。誰もそんなこと気にしちゃいねーよ」 「そうだよー。満琉ちゃんのせいじゃないってさっきも言ったじゃん」 「うん、でも……」 「なんだよ、こいつ。ずっとこんな事言ってんのか?」 「んー、ちょっとね」 「あのなあ、満琉。お前が上手いこと力使えねーからって誰もお前を責めたりしねーよ」 「う、うん。それは……わかってる」 「お前のお陰で助かったことだって、何度もあるんだからうじうじ悩むな」 「大体……んなこと言ったら、そもそもお前を巻き込んだのは、オレのせいみてーなとこあるんだから……」 「しずかのせいじゃないよ。話しかけたのは、ぼくの方だし」 「だったら、お互い様でいいだろ。お前もオレのせいだと思ってねーなら、オレだってそうだ。多分他の連中だってそうだろうよ」 「そりゃそうだよー。久我だって、村雲先輩のせいで妹がーなんて絶対思ってないって!」 「うん、お兄ちゃんそんなこと思わないよ?」 「待てコラ! なんでオレがなぐさめられてるみてーになってんだっ!?」 「だって気にしてるみたいだったから」 「満琉がうじうじ言うからだろがっ!!」 「ご、ごめん。もう言わない」 「本当だな? もう悩むなよ?」 「……うん」 「よし。じゃあ大人しく休んどけ。まだ顔色白いぞ」 「………はぁい」 言われたとおり、大人しく座る。 「なんだかんだ言って、村雲先輩って面倒見いいですよねー」 黒谷さんは、にまにましながらぼくとしずかの顔を見比べた。 「駄目なの?」 「駄目に決まってんだろっ!?」 「何を騒いでるのよ、こんなところで……」 「あ」 いつの間にか、ハイジさんが戻ってきて呆れ顔でぼくらを見回していた。 「すみませーん! 私のせいなんです!」 「何かあったの?」 ぼくたちはハイジさんに事情を説明しつつ、お兄ちゃんと憂緒さんの帰りを待つことにした。 「……なんで満琉達がいるんだ?」 「あ……お兄ちゃん」 「あら、早かったわね。一番遠くに行ったのに」 手を振るハイジや黒谷に手を上げて答えつつ、何故か扉の前に固まっている仲間の元へ駆け寄った。 「おかえりー」 「何してんだよ、お前ら?」 「……ごめん」 「何やらかした」 「えっと、食料調達に行ったら風紀の人に物音聞かれたんで慌てて逃げ帰ってきました」 「なんで大人しくしてられないんだ、お前はっ!?」 「う……そ、そうか。もうないのか?」 それで満琉も、食料調達を止めなかったのか。 俺が病気のせいで大量に食わないとヤバイからな。 しかもそれをちょっと責任感じてるので、黒谷をフォローしてるらしい。 「あとは、酢昆布とチーズ鱈とさきいかだけになってた」 「なんでそんな酒のつまみ大量に持って来てんだよ」 「保存食的にはいいいかと思って。でもさすがにこれだけじゃ、もたないでしょ?」 「……もたないな」 「まあ、どーせ、春霞の部屋もいずれは調べられてただろうからな」 「そうね、仕方ないわね」 「すみませんでしたぁっ!! ありがとうございます、みなさん!!」 「……で、モー子は?」 「まだだよな?」 「うん……最初に帰ってきたの、しずか」 「やけに遅いわね?」 「オレと距離は変わらなかったはずだろ。遅いよな…」 「何かあったのか……?」 何か発見して調べている、とかならいいんだが。 しかしそれなら、詳しいハイジを呼びに戻って来そうなものだし……。 「コガ、異空間の壁はだいぶ不安定になってるわ」 周りを見渡しつつ、ハイジが言う。 「この感じだと、ウシオの分の含めて仕掛けは全部壊れてると思うわよ」 「爆破には成功してるのか」 「じゃあ……どうしたんだろ……」 「……………………」 敵側の誰かに見つかったんだろうか。 それで身動きが取れず隠れているのか……。 (……最悪、捕まったって可能性もあるんだよな。くそっ……) 「とりあえず鹿ケ谷は心配だけどよ、一旦ここから離れねーか? もしかすると風紀委員が乗り込んでくるかもしれないんだろ?」 「そうね……じゃあウシオの担当していた方に移動しましょう。もしかしたら戻ってくるウシオと鉢合わせするかもしれないしね」 「……そうだな」 「な、なんだ!?」 急に、異空間全体に地鳴りのような轟音が響き渡り始めた。 「崩壊が始まったの……?」 「あっ……あれ……みんな、あれ見て!!」 黒谷が上を指さして叫ぶ。 指は、螺旋階段の上――頂上の魔法陣の更に遥か上を指していた。 「な……なんだよ、ありゃ……」 「…………歯車……?」 遥か上空に浮かんでいた、巨大な歯車のようなものが、轟音と共にゆっくりと、しかし確実に降下してきていた……。 「……………………」 (……ここは………?) 両手両足を縛られ、床の上に転がされているようだ。 確か――アーリックさんに遭遇してしまって、結局気絶させられたのだったはず。 覚えているのはそこまでだった。 (……捕まって、連れてこられたというところでしょうね……) 周囲を見回してみると、見覚えのある場所だった。 二度も閉じ込められた、礼拝堂の地下だ。 (でも……あの機械は何……?) 以前はなかった、奇妙な機械が置いてある。 「おやおや、お目覚めのようだねえ! はっはっはっは!」 「学園長………」 私が意識を取り戻したと気づいた学園長と、アーリックさんが近づいて来た。 「……何のことでしょう?」 「これだよ、これ!」 学園長はばさっと、私に見えるよう手にした紙を広げてひらひらさせた。 (あれは……異空間の地図……!?) 仕掛けの位置を記した、私が描いた地図だ。 学園長はこれで、私達の行動を掴んだのか。 でも、なぜあれが、学園長の手に……。 「あの異空間を壊してしまおうと思ったようだねえ?」 「……何のことです」 内心の動揺を抑えつつ、しらを切る。 相手にこちらの情報を与えるべきじゃない。 こちらの行動に関しては何も話さない方が良いだろう。 「はっはっは! 健気だねえ、実に健気だ!! 感動してしまうよ、はははははっ!!」 ひとしきり高笑いを上げると、学園長は地図を置いて小さな箱を取り出した。 (!! あれは……!!) かつて私達が捕まえ封印した遺品の一つだ。 箱から飛び出した羽根が刺さると、使用者の質問に3つだけ何でも答えてしまう。 私自身、それを久我くんに使用したこともある……。 「さてさて、答えてもらうよ?」 無造作に箱を開く学園長。 ふわり、と羽根が舞い私の頭に刺さった。 「聞きたいことはドイツのお客人のいる場所で良いかな」 「ああ」 「では鹿ケ谷さん、教えてくれ。アーデルハイトさんとルイさんはどこにいる?」 咄嗟に唇を噛んだが無駄だった。 自分の意思とは無関係に、言葉が漏れてしまう。 「……アーデルハイトさんは、異空間に。ルイさんは村雲さんの部屋です」 「村雲さんの部屋、というのは?」 「ああ、これで行くと早いよ」 途端に扉が出現する。 逃げて、と叫ぼうかと思ったが、それはアーリックさんの警戒心を煽るだけだと自重する。 「……おや?」 「無人のようだな」 (誰もいない……気づいて逃げてくれた? いえ、それにしては早すぎる……) なら何かあって、全員で隠れ場所を変えたのだろうか。 それならそれで、この場合はむしろ幸いだ。 「ふーむ、どこかへ移動したのかもしれないね。けれどそれを答えなかったということは、彼女は行方を知らない」 「仕方ない。異空間とやらでアーデルハイトを探すか」 村雲さんの部屋への扉を閉じ、学園長は再びヤヌスの鍵を使って異空間へとつないだ。 「では鍵は預けておくよ。ああ、そうだ、ついでにこれも持っていくといい」 コルウス・アルブスの箱もアーリックさんに渡してしまう学園長。 「君の魔力なら2、3回は使えるだろう」 「一時間か」 「そうだ、それにそこの彼女を他の場所へ運びたいから、15分ほどしたら一度ここへ戻ってきてほしい」 「承知した」 頷き、アーリックさんは扉の向こうへと去っていった。 (一時間ほどでなくなる……どういう意味だろう? 私達が支えを壊したと知っている? でもそれにしては落ち着き過ぎじゃ……?) 嫌な予感がする。気が気でなくなり、冷や汗が額や首筋に滲むのがわかった。 「ふふふ、鹿ケ谷さん。顔色が悪いよ?」 学園長はにこにこと、無邪気なくらいの笑顔で私に話しかけてくる。 「……………………」 好都合――その発言には引っかかったが、それこそ引っかけかも知れない。 「何のお話かわかりませんが」 高笑いしながら、私を見下ろすと学園長は芝居がかった仕草で両手を広げた。 「もうすぐ巨体を浮かせるだけの魔力が供給されずに、『歯車』が降りてくるよ!!」 (歯車……?) そう言って学園長は、丸い形の機械のもとへ向かうと、そこから円盤状の物を取り出した。 「ほーら、これだよ!!」 投影機というのは、あの機械のことだったようだ。 そしてそこから取り出した円盤には、びっしりと細かな文字や紋様が描かれている。 (あれは……魔法陣……?) 円盤には魔法陣が彫り込まれているようだった。 ということは、投影機というのは、この円盤に彫られた魔法陣をどこかに映すと言う事か。 「これが何かわかるかな? ふふふ、頭の良い君のことだからすぐに理解出来るさ!」 「これはあの、君達が壊してくれた魔法陣とベースは同じものさ。夜の生徒達を召還し出現させる組成さ!」 「特殊加工されたラズリット・ブロッドストーンを使用し、夜の生徒を半永久的に西寮の生徒の体に定着させる式が組み込まれているのだよ」 「ここまでは今まで通りだが、今回はきちんと前の反省をふまえて改善させてもらったよ!!」 「ほら、この部分を見てくれたまえ。君も少しは知識があるからわかるだろう?」 眼前に突き出された円盤の、学園長が指さした部分に描かれている魔術文字の示すもの―― 「…………魔力の吸収……」 「その通り! ははははは、さすがは鹿ケ谷さんだ!!」 「君達が支えを壊してくれたおかげで、あの異空間は今、実に不安定になっている!!」 「つまり魔力が流れやすい状態になっているわけだ。魔法陣の起動と共に、異空間自体の魔力を瞬時にすべて魔法陣に流し込み吸収させ――」 「……魔術が即発動する仕組みになっているのだよ。ははははは、完璧だろう!?」 (異空間全てを、吸収……) それは一体どれほどの魔力の量だろう。 しかも私達があの異空間の支えを壊さなくとも、どのみち学園側は最初から異空間自体を吸収させ消滅させるつもりだったのだ。 (後手どころじゃない……完全に空振りだった……) 悔しさに、ぎゅっと拳を握りしめる。 そんな私を意にも介さず、学園長は意気揚々と喋り続けた。 「さらにさらに、こちらを見てくれたまえ!」 「魔法陣の中のこの部分の暗示の記述により、魔術の発動と共に、この学園内の人間は夜の生徒の真実と西寮の生徒たちの存在を忘れてしまう」 「つまり最初から西寮の生徒は夜の生徒だったと思ってしまうというわけだ! はーっはっはっははっはっは……」 「それだけの知識があるのなら、どうして!」 ついに、堪えきれず叫んでしまった。 「どうして、他の方法を探そうとしないのですか!? どうしてこんな手段を!」 「おやおや、急にどうしたのだね? 他に方法はないと前にも言わなかったかな?」 「……20年前の火事のこと、調べました」 「火事? 20年前の?」 「ええ。あなた方が蘇らせようとしているのはあの火事で行方不明になった生徒……でしょう?」 「……………………」 学園長は、一瞬ぽかんとした顔で私をまじまじと見つめた、かと思うと―― 「ははははははっ!! 調べた!! 火事を調べたのかい、はーっはっはっはっは!!」 心底愉快そうに、爆笑した。 「……それを知ればどうにかなるとでも思ったのかな? どうにも出来なかったから、私達はこの方法を考え出したのだよ!!」 「『災厄の魔女』は存在しない! 何度か魔術で探したが見つからなかった!!」 「死んだ魔女の魂は生まれ変わるが、その生まれ変わった人間が魔女としての能力を目覚めさせるかどうかはまた別の話なのだよ……」 「私達は何度も何度も探したさ! 無数の案内状を送り、帰って来る鳥の数に一喜一憂した」 「鳥……」 学園からの案内状を開封した時、飛び立ったという鳥のことだ。 満琉さんの案内状がそうだったと、久我くんから聞いていた。 あれは――『災厄の魔女』を探すためのものだったんだ……。 「鳥だけじゃない。何度も何度も魔術探知をして『災厄の魔女』の生まれ変わりを探したさ。20年前の生徒達の魂を救える魔女をね!!」 「しかし……救い主はついに現れなかった」 「……………………」 「結果、我々はこの結論に辿り着いたのだよ。すなわち――」 「夜の生徒達を救うか、西寮の生徒を救うか。どちらかを選ばなければならない」 「そして私たちは夜の生徒を選び、君たちは彼らを見捨てた。そういうことだよ」 呆然と見上げる俺達の頭上から、歯車はなおも轟音を立てて降りてきている。 「な、なんかやばいんじゃないの?どうするの?」 「ハイジ、なんなんだあれは? どうなってるんだ?」 「……おそらく、だけど」 歯車を凝視しながらハイジが答える。 「異空間の支えが無くなった事で、魔力が足りなくなって浮いていられなくなったのではないかしら……」 「つまり異空間の崩壊現象のひとつなのか……?」 ふと、モー子との会話を思い出す。 魔法陣についてさんざん談義していたことを。 (何故、魔法陣を停止させたのか……扉が魔法陣から遠ざけられたのは……) (学園側は何かを待っているのでは……) 待っている――――何を? 最初から決まってる。奴らが待っているのは夜の生徒達を蘇らせる時、だ。 だったら―― 「待ってたのは、これか……!?」 「! この状況が、そもそも学園側の狙いだったということ?」 「どういう意味だよ?」 「わざわざ異空間の扉を端っこに移動させたのは、異空間が壊れるとわかってたから、だとしたら?」 「扉の移動は時間稼ぎじゃない、退避だったのよ。歯車が降りてくるのに物理的に邪魔になるからどけたんだわ」 「この異空間は、最初から壊すつもりだったのよ!」 「最初から……?」 「異空間ごと壊す、という手段に対して何も対策していなかったのもそのせいよ。壊されても良かったのよ」 「じゃ、じゃあ、どうするんだよ? 支えは壊しちまったし、敵の思うつぼって事だろ?」 「……………………」 どうするべきだ。 モー子がいてくれたらすぐさま何か提案してくれただろうが……。 (……あの歯車……学園側が待っていたのがあの歯車が降りてくることなら……) あれを放置しておくのが一番危険か。 懐に入れた、攻撃用の香水の存在を確かめると、オレは歯車を見上げた。 「嫌な予感がする。あの歯車が降りてくるだろうと考えられる螺旋階段の頂上へ向かおう」 もしかすると、モー子も……無事ならそこへ向かっているかも知れない。 「そうね、近づいてみないとあれが何なのかもわからないし……」 「……行くか」 「わ、私も行く!」 「おい、黒谷……」 「なんでだよ!?」 「なんか手伝えるかもしれないでしょ。頭数は多い方がいいじゃないですか」 「危険よ?」 「何が起こるかわからないなら、ヤヌスの鍵っていうの貸してよ。邪魔しないし、危なくなったらすぐ逃げるから!」 「それだと、満琉とルイが……」 「ぼ、ぼく……ルイさんは、ぼくが見てる」 「満琉?」 「一人でも大丈夫……少しくらいなら……」 「……………………」 なんかやけに一念発起してる。 何かあったんだろうか。 「本当かよ? 無理してねーか?」 「してない」 (大丈夫かな。そもそも鍵は村雲かハイジに持っててもらった方がいいんじゃ……) 黒谷じゃあ、咄嗟に使い慣れてないし。 それに満琉も――いや、なんか妙に決意固めてて言っても聞きそうにないモード入ってるけど。 「……でも、あの、一応どこか……もうちょっと目立たない所に運んでもらえると、嬉しいかな」 「……わかったわ」 「ハイジ、いいのか?」 「ええ。ミチル、ルイのことお願いするわ」 「う、うん」 「でも、いざとなったらあなた一人で逃げて」 「たとえ相手側に捕まったとしても、アーリックがいる限りルイが危害を加えられることは多分ないはずよ」 「……わかった」 「意外だな、お嬢様。ルイの方が優先じゃなかったのかよ」 「そうか……」 ハイジまで決心してるようじゃ、もう満琉に任せた方が良さそうだな。 「ならルイを運ぶか」 「どこか、隠せる所あるか?」 「そうだな……」 ルイを担いで、以前風呂屋とここに迷い込んだ時に一晩過ごした木のうろへと運ぶ。 「ここなら、ぱっと見にはすぐ見つからないだろ」 「ちょうどよさそうね」 「なあ、異空間はゆっくり消滅しかけているんだろ? この場所に二人を置いといて時間切れになったらヤバくねーの?」 「空間と共に消滅するとかそういうことはないわよ。外にはじき出されるだけ」 「ああ、なら大丈夫か」 「満琉、じゃあ大人しくしてろよ」 「……うん。お兄ちゃん達も気をつけてね」 満琉はごそごそと木のうろに潜り込んだ。 「行くか」 「おう、歯車確かめに行こうぜ」 「私達の攻撃手段は限られてるわ。慎重に、気を引き締めていきましょう」 「はいっ!」 黒谷は、預けられたヤヌスの鍵をぎゅっと握りしめた。 アーリックさんが移動してからしばらくの間、私は礼拝堂の地下で縛られたまま何も出来ずにいた。 (あの円盤……細かい部分はわからなかったけれど、吸収を示す印だけは学園長がわざわざ見せてくれた…) あの印と、発動を示す印の間に、ほんの小さな傷でも入れることが出来れば、魔法陣の即時発動を止められそうなのだけれど。 (だけどさすがに、投影機から目を離してはくれない……きっと油断している今がチャンスなのに……) それに隙を見つけられたとしても、私を拘束している手錠はほどけそうになかった。 他に何か出来そうなことはないだろうか。 例えばこれをどうにかして久我くんたちに伝えると言ったことは…? ――しかし、結局、何も出来ないままに時間が過ぎ、アーリックさんが戻ってきてしまう。 「やあやあ、おかえり! 空振りかな?」 「ああ……。かなり広いせいでな。アーデルハイトはおろか人っ子一人会わなかった」 (よかった……) その言葉を密かに耳にしながら、内心ほっとする。 まだみんな無事なようだ。どこに隠れているのか気になるけれど……。 「この鍵を無効化する香水の効力が切れるまで、待つしかないな」 ため息をつきながら、アーリックさんは学園長にヤヌスの鍵を返した。 「おお、ちょうどよかった! 鹿ケ谷さんを運んでくれたまえよ!!」 「わかった」 「暴れないでくれよ。手荒な真似をしないといけなくなる」 「……………………」 そうなると、骨の一本や二本は無事ではすみそうにない。私は諦めて、大人しく動かずにいた。 「では、鹿ケ谷さん。この鍵で宝物庫の前へ扉を開いてくれたまえ」 「……?」 学園長は担がれた私の手に、ヤヌスの鍵を握らせてそう言った。 (なぜ私に……?) すでに、探知阻止の香水の効力が切れていると仮定して―― ここで私が久我くんの元へ、と念じて鍵を使ったらどうするつもりなのだろう。 (……いえ、無理だわ。アーリックさんと聖護院先輩……それに鍵で突然現れたのでは久我くん達の方にとっても不意打ちも同然……) どこにいるかわからない彼らを、いたずらに危険にさらすだけになりかねない。 「……………………」 真意が読めず躊躇していると、急かしていた学園長は急に素に戻って首を傾げた。 「まあ、やりたくなければ他の方法にするだけだから、どちらでもいいんだけどね?」 「……………………」 他の方法とはなんだろう。 そもそも何故、私に鍵を使わせたいのかすらわからないので、見当も付かない。 「……宝物庫、ですね」 逡巡したあげく、鍵を使っておくことにした。 他の方法とやらよりは、ヤヌスの鍵という見知った遺品を使うだけの方がマシかもしれない。 「ご苦労!!」 私が鍵を使うと、さっと鍵を取り返し、学園長は扉を開けた。 扉は宝物庫の前にきちんとつながっていた。 当然ながら、ここには誰もおらずしんと静まりかえっている。 「じゃあちょっと試してみよう。鹿ケ谷さんを聖護院さんに渡してくれたまえ」 学園長は、さっさと宝物庫へ入り込みながら指示を出す。 アーリックさんから私の身体を受け取り、ふらふらと抱えながら宝物庫に近づく聖護院先輩。 「えっ……ちょっと……!!」 弾かれる――宝物庫の扉の衝撃を予感し、思わず目を閉じた。 「………え………?」 一瞬、ばちん、と静電気のような小さな衝撃は感じたものの、私は弾かれることなく宝物庫内に担ぎ込まれていた。 「あははは、驚いたようだねえ鹿ケ谷さん!」 既に宝物庫内にいた学園長が、愉快そうに目を丸くしている私の顔をのぞき込んだ。 「この結界はね、内在している魔力に反応してるんだ。だから魔力を完全に使い切った直後なら、実は人間でも通ることが出来るんだってさ!」 「リトに聞いたから間違いないよ。一時期、彼女を預かっていたからねえ?」 「久我君は以前、どうして宝物庫に入れたんだい? 彼はホムンクルスなのかい?」 「あの結界は人間の内在している魔力に反応しているから、『魔力がほぼゼロになる一瞬なら人間でも通ることができる』わ」 「ほほう? つまり魔力を使い切れば、誰でも通ることは可能なのか!!」 「そうね、誰でも通れるわ」 「だから、ヤヌスの鍵を私に……」 一回きりなら私でも使える。しかし私も魔力は人より少ないからその一回でほぼ使い切ってしまう。 容量を大幅に超えて魔力を使うと、うっかり遺品を発動させてしまった場合のように倒れてしまうが、使い切るだけなら大丈夫。 そう思って、ヤヌスの鍵なら、と言われたとおりにしたのだが……。 それが他の方法、ということか。 ならば、あの場であがいても無駄だったのだろう。 「……!!」 私は、ようやく学園長の真意に辿り着いた。 「そろそろいいかな? 聖護院さん、試してみようか」 聖護院先輩は、私の身体を抱えたまま、今度は宝物庫から出ようとする。 「きゃっ!!」 「うわあぁ!」 すると、今度は扉が反応し、私の身体が弾かれて聖護院先輩もバランスを崩し尻餅をつく。 「これで君は、少なくとも遺品が復活するまで決して外には出られないよ! はっはっは!!」 「……………………」 だから、私の魔力を奪ったのだ。ここを私の檻にするために……。 (確かに、ここなら遺品の力でも使わなければどうやっても出られない……!) そして遺品はまだすべて封じられている。 「え……ええ……」 どうしよう、とめまぐるしく思考を働かせる私に、聖護院先輩は、普通の生徒に接するように声を掛けてくれる。 「学園長〜、当分外に出られないですし、手錠、外してあげてもいいですか? これとっても痛そうです〜」 「………………いえ」 あまりに普段と変わらない態度に、わかってはいても戸惑ってしまう。 (元は、優しい人なのに……) 歪んでしまった約束のせいで、この人もあんな非道な計画に使われている……。 「さ、これで大丈夫ですよ!」 「終わったかい? では戻るとしよう」 学園長は宝物庫の外へ向かって歩きながら、肩越しに私に言いのこす。 「ではでは〜」 「……………………」 学園長らが去り、私は一人宝物庫の中に取り残されてしまった。 周りには封印の札にくるまれた無数の遺品。 これらが使えるようになるまでには、まだ二日かそこいらはかかるだろう。 (どうしよう……久我くん……) 無駄だろう、とわかってはいたが出口に向かってみる。 「あっ……!!」 結界は無情にも、私の通過を拒みはじき返されてしまうばかりだった。 「魔力なんて……ほとんどないのに……」 回復したといっても、ヤヌスの鍵を一度使うほどの力すら戻っていないだろう。 だからもし、封印が解けたとしても私に使える遺品なんて限られているはず。 (あ……でも………) そうだ、異空間の仕掛けを壊した時に回収したラズリット・ブロッドストーン。 急いで制服の内ポケットを探ると、石はまだそこに入っていた。 (これには学園長達も気づいてなかったみたい……これなら……) 小ぶりな石だが、遺品を使うには充分だろう。 でも、動かせる遺品はまだない。 (どこかに……もう封印が切れかけてる遺品はないの? 早めに封じられて使えるものは……) 探し回ってみたけれど、そう都合良く封印の札の効果が切れた遺品は出て来なかった。 (待つしかないの? 遺品が使えるようになるまで……でも……) それではきっと、間に合わない。 絶望的な状況の中で、私は一人唇を噛み締めるしかなかった。 「……今んとこ、上には人の気配はないな」 慎重に、螺旋階段を上っていく。 俺を先頭に、ハイジ、そして黒谷を挟んで最後尾に村雲。 「下からも誰も来てねーぜ」 「まだ学園長達も、ここには来ていないのかしらね」 「……………………」 俺は、なぜか不安なような落ち着いているような、自分でもよくわからない感覚に囚われていた。 不安は、モー子がいないせいだ。 戻って来ないなんて絶対におかしい。 やっぱり捕まったのかという心配と不安。 だけど、なぜかそのせいで焦って取り乱すと言ったほどの動揺はなかった。 (なんなんだろうな、まったく……) 黙って考え込んでいても答えが出ず、俺は後に続く三人に疑問を投げかけた。 「なあ……モー子どうしたと思う?」 「……どうした、って……」 「やっぱ、何かあったんじゃねーの。最悪の事態じゃなきゃいいけど」 「捕まってるかな……」 「黙って戻って来ない、というのはウシオらしくないわ。それなら戻れない状況にあると考えた方がいいでしょうね」 「だよな……」 感知阻止の香水の効力はまだ切れていない。 つまりこちらからも、ヤヌスの鍵でモー子の行方を捜すのは無理ということだ。 「……お前、意外と冷静だな」 「お前だって立場は同じだろ」 スミちゃんと鍔姫ちゃんも、あれ以来戻って来ていないのだ。 「同じってか……まあ、似たようなもんだけどよ……」 (スミちゃん達も、モー子と同じ場所にいるんじゃないだろうか。つまり敵の手に……) 考えているうちに、螺旋階段の最上階に近づいた。 歯車はかなり近くまで降りてきている。 「近くで見ると、やっぱデケぇな……」 「黒谷、お前は階段で待機してろ。何かあったらすぐ満琉の所に戻って連れて逃げてくれ」 「わかった!」 黒谷は強く頷き、一人階段に止まる。 俺と村雲とハイジの三人は階上へと踏み込んだ。 「……!!」 そこにあった人影に、俺は足を止める。 「あ、来た」 「やあ、やっぱり来たのか」 俺達を見ても、驚きもしなければ喜びもしない、スミちゃんと鍔姫ちゃん。 「春霞……壬生さん……」 「これは……」 例によって暗示か、と思った時、覚えのある香りが鼻をついた。 以前、花立がおまるに見えてしまうという妙な現象を引き起こした、あの香りだ。 「暗示の香の匂いだわ。あの二人に使ったようね」 「やっぱりかよ……」 「一時的に魂の上書きをしているから、暗示解除の魔法陣じゃ駄目。しばらく気絶させるしかないわ」 「ま、無事で良かったけどな。ちょっとそこ通してくれるか?」 「すまない、みーくん。それは駄目なんだ」 「うん、私達、あの歯車を守らなきゃいけないんだよね」 「……まあわざわざ暗示かけてるんだから、そうだよなあ……」 「ちっ……よりにもよって……!」 「守るって、あの歯車は一体なんなの?」 「大事なものだよ」 「大事って、どう大事なんだよ」 「知らないけど大事なんだよ」 「……おい、駄目だぞこれ」 「わかってる」 「守って、どうするの?」 「あの歯車を再び天へと浮き上がらせるのが、私達の役目なんだ」 「……だから魔女の二人なんだわ。何かわからないけれど歯車のために魔力がいるのよ」 小声でハイジが耳打ちする。 「参ったな。俺達はそれを止めたいんだけど」 「みーくんの頼みでもそれは出来ないよ。相手が誰であろうと、私達は歯車を守らなければならないからね」 「……一旦気絶させるしかないようね」 「しばらくすれば元に戻るんだよな?」 「一時間ほどでね」 ハイジはいち早く香水を取り出して構えた。 「スミちゃんは下がっていて」 「頑張ってね!」 「おいおい、三対一だぞ?」 「だから何だ? それ以上前に出て来るなら誰でも容赦しないよ」 「……二人とも、出来たら取り押さえて。私が気絶させる香水を掛けるから」 「しょーがねえなっ……!!」 こちらに目配せしながら村雲が地を蹴る。 同時に俺も踏み出し、鍔姫ちゃんに迫る。 「おっと。みーくんはやっぱり早いな」 ――が、俺達の手は虚しく虚空を掴む。 鍔姫ちゃんはまるで俺達の動きを予期していたかのように、すっとバックステップで下がっただけで身をかわしていた。 「読まれてる……!?」 香水を構えていたハイジも、俺達が空ぶったのを見て慌てて下がる。 「村雲、後ろに回れ!!」 これはやばい、と村雲に叫び、俺はハイジと鍔姫ちゃんの間に入るよう鍔姫ちゃんの前に回り込んだ。 「ぐっ……!」 どん、と横腹に強い衝撃を覚え、はっと見ると鍔姫ちゃんの蹴りが命中していた。 「久我!?」 「手加減はしないよ、悪いけど」 二撃目が来る前に、咄嗟に下がる。 追撃は来なかった――が、代わりに背後に回り込んでいた村雲の方へ肘撃ちが飛んでいた。 「おわっ!?」 村雲がかろうじてかわしたのを見て、俺は鍔姫ちゃんの死角へと回ろうとした。 しかし、やはりすぐさま彼女の視線は俺の動きを捕らえる。 「しーちゃん邪魔しないの!」 「げっ、春霞てめえっ!?」 村雲の制服が、見えない何かに引っ張られているかのように後ろへたなびいている。 スミちゃんの力で捕まえられているらしい。 「村雲……しばらく大人しくしていてくれるか?」 「――――!!」 ふらり、と鍔姫ちゃんが村雲の方へ向き直る。 俺にはまるっきり背を向けた格好だ。 「鍔姫ちゃん、やめろ!!」 かわされるだろう、とは思ったが、背後から飛びかかった。 「――無駄だよ」 すっと鍔姫ちゃんの身が沈んだ――かと思ったら、俺の身体が宙を舞っていた。 「きゃああっ!?」 やばい、ハイジめがけて投げたのか……!! 「っ……く……!!」 咄嗟に身体を捻り、直撃を避ける。 おかげで中途半端な受け身しか取れず、一瞬息が詰まった。 「おい、久我!?」 「コガ!? 大丈夫なの?」 立ち上がりながら、腰をさする。 幸い骨や筋には異常はないようで、ダメージはさほどでもなかった。 「いや、さすがにここまでじゃなかったぞ。まるっきりオレ達の動き読んでるじゃねーか……」 「環境のせいよ、周りで高位の魔術が何度も行われたせいで影響を受けて、能力が伸びているんだわ!」 ハイジは俺達に警戒を促すよう叫び、自分も鍔姫ちゃんへの牽制に香水を吹き付ける。 「これは息を吸わなければ効かないから平気だよ?」 しかしそれも、彼女にはお見通しの動きであるようで難なくかわされてしまった。 「ハイジ、下がれ! あんまり近づくな!」 攻撃を食らわないよう鍔姫ちゃんに近寄り、ハイジの方へは行かせないよう動く。 完全に動きを読まれているだけに、鍔姫ちゃんを捕らえるどころかこちらのほうが防戦一方だ。 (くそ、どうにか……一瞬で良いから不意を突かないと……) 俺も香水を構え、じりじりと隙をうかがう。 「えっ――」 不意に、あらぬ場所に扉が開いた。 「ハイジ!!」 「ええ!!」 すかさずハイジが鍔姫ちゃんの顔めがけて香水を吹き付ける。 「ああっ!? ヒメちゃーん!!」 「手間掛けさせやがって……」 「黒谷、でかした!」 「えへへ〜」 階段に隠れていたので、鍔姫ちゃんもこいつの存在は認識していなかったのだろう。 「……って、ちょっと……あれ何?」 「へ?」 黒谷は俺達の背後にある巨大な歯車を見上げ、驚愕の表情を浮かべた。 歯車は完全に降りてきていた。 「……あれは……!!」 そしてその上に―― 「裂けてる……?」 かつて、満琉がやらかしたような空間の亀裂のようなものが広がっていく。 「よいしょお〜っ!」 空間の裂け目から、緊張感のない声と共に飛び出して来たのは、学園長ともも先輩だった。 何やら大きな機械を片手で抱えている。 そして、続いて―― 「……雛さん……」 髪を下ろし、眼鏡も掛けていないので一瞬誰かと思ったが、その顔は間違いなく七番雛先輩だった。 「……………………」 雛さんは、俺達にはまるで興味がないらしく、足元の歯車を見下ろしている。 「なんか……雰囲気違うな……。元からそんなテンション高い人じゃなかったけどよ……」 「ああ……」 射場さんの傍らで、のほほんと立っていた七番雛さんとは明らかにどこかが違う。 「――雛さん!」 「……………………」 その名前には反応するらしい。 雛さんは俺の声に、ちらりとだけ一瞥をくれた。 「おい、てめーら! 今度は何をしでかすつもりだ、あぁ!?」 「はーっはっはっは! 今更何を言っているのかな? 夜の生徒達を助け出す儀式に決まっているじゃあないかね!!」 「てめーらのやり方じゃ、助けるうちに入らねーよ!」 「非人道な儀式を、あくまで強行するというなら断固阻止します!!」 「ふふふ、それならこちらは断固強行させてもらうまでさ。はーっはっはっは!!!」 「さあー、聖護院さん、ちゃっちゃっとやってしまおーう!」 「はいです〜、んしょ、んしょ……」 もも先輩は、抱えていた機械を歯車に取り付けようとしているようだ。 「何をしてるの!?」 「何をもなにも……んっ?」 ハイジの声にこちらを見下ろした学園長が、顔をしかめた。 「あれっ……おやおや、なんてことを……」 そして、気絶しているスミちゃんと鍔姫ちゃんを交互に見て、しょげたような顔になる。 「ひどいことをするなぁ、君たち! その二人にはこの歯車を持ち上げてもらおうと思っていたのに……」 「勝手なこと言ってんじゃねーよ!?」 「……問題ありません」 「ええっ!? そんな、また無理をされてはよろしくありませんよ?」 「……………………」 心配そうに言う学園長を目で制し、雛さんはすっと手を軽く動かす。 音もなく、俺達のすぐ側に歯車の上にあるものと同じ様な亀裂が現れた。 そして、こともなげに、ふらりと亀裂の中から学園長らを従え現れる雛さん……。 「うわっ!?」 「……おい、学園長」 あえて雛さんは無視して、学園長に尋ねる。 「……モー子はどこだ? その裂け目の向こうにいるのか?」 「待って! 何するの!?」 ハイジが悲鳴のような声を上げる。 はっとハイジの視線の先を見ると、雛さんが両手を歯車へとかざしていた。 「う、浮かんだ……!?」 歯車はあっという間に浮かび上がり、天空へと昇っていく。 「あれ、雛さんがやってんのか!?」 「そう……らしいわね……」 魔女二人を使って浮かせようとしていたらしいが、それを一人であっという間にやってのけたのか。 雛さんへ駆け寄ろうとしたハイジの前に、もも先輩が立ちはだかる。 「どいてくれ、もも先輩!!」 「待て、久我! そいつはうかつに近づいて良い相手じゃねーんだよ……!!」 「……っ、そ、そうだったわね」 悔しそうに、村雲の言葉に従い一歩下がるハイジ。 「そんなにヤバいのか? 今はあの音叉も持ってないのに」 「身体能力を強化されたタイプのホムンクルスなんだと思うわ。動きも力も尋常じゃないの」 「……そうか」 ハイジと村雲は確か、前にもも先輩と一度やり合っている。 ここは忠告を聞くべきだろう。 「春霞達のこと、頼む」 「村雲くん…そんな怖い顔されたら、もも哀しいですぅ…」 「生憎、ムカついてるもんで」 「仕方ないですねぇ〜」 もも先輩は肩をすくめ、ぽてぽてと呑気な足取りで俺達に近づいてくる。 「――! 村雲、下がれ!!」 無造作に振り回しただけのようなもも先輩の腕が、咄嗟に飛び退いた村雲の顔をかすめる。 「あら、避けられちゃいました」 「避けないと顔の形変わってるでしょうよ」 「くっそ……! 風圧だけで目が痛ぇってどんなだよ……!」 目元をこすりながら、村雲が体勢を立て直す。 「無理にでも通らせてもらいますよ!」 「だめです〜!」 もも先輩の横をすり抜けようとした俺に、もも先輩が掴みかかる。 (力負けしてる……!?) この小さい身体で、俺よりパワーも上なのか。 ホムンクルスの身体能力ってどうなってんだ。 「寝ててもらいます〜!!」 引き寄せた俺に、もう片方の拳を叩き込もうと振りかぶるもも先輩。 「――――!」 俺も残った片腕で致命傷だけは避けるべく、顔をガードする。 急にもも先輩がバランスを崩し、躓いた。 「久我、早く離れろ!!」 「助かった……!」 後ろに回った村雲がもも先輩に足払いを掛けたらしい。 「ずるいもクソもあるかぁっ!!」 「あなたこそ寝てなさいっ!」 そこへハイジが追い打ちとばかりに香水を吹き付けるが、これは避けられてしまった。 ひとまずもも先輩の間合いから逃れ、掴まれていた腕を確認する。 (無事だけど……すげえ痕ついてる…) 本気出したら握りつぶされるんじゃないだろうか。 「歯車が……!!」 近づけずにいたハイジが、空を見上げ叫んだ。 歯車はぐんぐん上昇し、元あった位置まで戻りつつあった。 「……村雲、お前が行け!!」 捨て身の勢いでもも先輩に突っ込み、香水を噴射する――と見せかけ、掴みかかる。 その横を、村雲が駆け抜けようとしたが―― 「ぐっ……!!」 もも先輩を掴む前に、彼女のひたすら重い拳が腹にめり込んでいた。 「はいはい、帰って〜」 そして村雲も、猫の子でもつかむように軽々と持ち上げられ、放り投げ返されてくる。 「だ、大丈夫!?」 「っ……は、ぁ………生きてた……」 よろよろと後ずさり、さすがに片膝をつく。 鍔姫ちゃんの蹴りは鋭かったが、力は女の子だけにさほどでもなかった。 しかし、もも先輩は……まるで重機だ。 「あ……」 「わぁ〜、戻りましたぁ〜」 「そうだよ、歯車は再び天に還ったのだよ! ははははは、はーっはっはっはっは!!」 歯車は既に、完全に元の位置に戻っていた。 間に合わなかったのか……。 やはりあの歯車を押し上げるのは並大抵のことではなかったのか、気を失っているようだ。 「ああ、お母様!」 慌ててもも先輩が駆け寄り抱きとめる。 「だ、だいじょうぶです!」 学園長のその声に呼応するかのように、歯車に取り付けられた機械が動き出した。 「なんだあれ……」 「投影機さ! カッコいいだろう!? ははははははははははははははは……!!」 学園長が投影機と呼んだ機械から光が放たれ、天空に巨大な魔法陣を浮かび上がらせた。 「……魔法陣が……」 「投影……こういうこと……!!」 いつも以上に大げさに両手を広げ、天に広がる魔法陣を見上げながら学園長が叫ぶ。 「ふざけんなっ!! 誰が諦めるかよ!!」 「そうよ、発動だけは止めてみせるんだから……!!」 「んん〜? 何を言ってるのかなぁ? あの魔法陣はもう放っておいても発動するのだよ!!」 「なに……?」 「!! ……ほ、本当だわ……」 「もう動いてんのか!?」 「あの光の色は、魔法陣全体に魔力を行き渡らせる色よ……あの魔法陣は、生きてる……」 空に描かれた巨大な魔法陣を見上げ、ハイジは悔しげにぎゅっと拳を握りしめた。 「ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!」 勝ち誇った学園長の笑い声が、異空間全体に響き渡った。 「もう魔女もいらない、何も必要ない、あとは勝手にあの魔法陣がこの異空間すべてを吸収し、即座に魔術を発動させるのだ!」 「残念だったね特査の諸君! この計画はこれにて無事達成終了だ!! 私たちの勝ちだよ!!」 「さあいよいよ! すべてが蘇る! 西寮の生徒たちは、すべて夜の生徒へと生まれ変わる!! 大いなる復活だ!」 「あはははははははは! ははははははははははははははははッ!!!」 完全に勝利を確信したその態度に、俺達は呆然と空を見上げるしかなかった。 「ふふふ……ふふ………」 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「? 学園長、変です……」 「……………………な、なんだ?」 「……?」 「起動の魔力は全体に行き渡っているはずなのに光の色が変わらないわ。もしかして魔力が足りない……?」 きょろきょろと魔法陣を観察していた学園長は、ある一点に気づいて驚愕の声を上げる。 「なんだ? あの影は?」 「……不自然な影があるわね、確かに。ほら、あそこ」 ハイジも指さしてくれたので、俺達にも何のことだかようやくわかった。 魔法陣の一箇所に、染みでもついているかのような黒い影が出来ている。 「あそこだけ光ってねーな」 「じゃあ、今あの魔法陣は異空間とか吸い込んでないのか? まだ?」 「そうなるわね」 「魔法陣の板にはあんなものはなかったはずだが……何故……!?」 「まさかレンズに傷が?」 「取り付ける時にチェックしたとも! 傷などなかった!!」 「――マヤ! お願い!!」 はっと、真っ先に我に返ったハイジが叫ぶ。 意図するところは即座にわかった。 俺と村雲は同時に駆け出し、俺は鍔姫ちゃんを、村雲はスミちゃんを抱え上げる。 「ここー!!」 黒谷がヤヌスの鍵で目の前に扉を開いていた。 「逃げ込んで、早く!!」 「いかん! 聖護院さん、逃がすな!!」 もも先輩は追ってこようとしたようだが、気絶した雛さんを抱えていたためおろおろしている。 その間に俺達は扉へ飛び込み、脱出した。 「ど、どこがいいかわかんなかったから、とりあえず地下なんだけど……」 「上出来よ」 逃げ込んだ先は、地下の図書館の中にある倉庫だった。 「……ハイジ、どうして退いたんだ? あれ放っておいて大丈夫なのか?」 ひとまず鍔姫ちゃん達の確保が先かと、ハイジに従ったがあの大空に映し出された魔法陣は気になる。 「空に浮かんだ魔法陣は、魔力によって出来ている異空間を吸収して、その魔力を使う仕組みだったようなの」 「その吸収が、なんでか出来なかったみてえだな」 「ええ、そうよ。原因はわからないけれど魔法陣の一部が上手く照射されていなくて発動しなかったのね」 「あの変な影か」 「あれがたまたま、魔力の吸収を意味する文字の側に出来ていたから……即座に異空間を吸い上げて発動する事が出来なかったのね」 「即座にってことは、完全に吸い上げてないわけでもないのか?」 「とてもゆっくりにはなってると思うけれど、徐々に異空間を吸い込んではいると思うわ」 「だからこの先、異空間はだんだん小さく狭くなっていずれは消える」 「んで、吸い込みきったら、魔法陣が発動するわけか」 「そうよ。発動する魔術は、以前のものと同じ、西寮の生徒を器に夜の生徒を完全に召還して定着させる」 「異空間が吸われ尽くすまで、どれくらい時間がある?」 「ざっと見た感じだと、あと15〜6時間はかかりそうだったわ。だから一旦退くべきだと思ったの」 「半日以上か……なるほどな」 「カスミ達をあのままにしておくのもどうかと思って」 「確かにな」 「おかげで取り返せたけど……しかし、あの歯車も相当な高さにあるしなあ……」 「それもよ。どのみちあの場では、モモカにも邪魔されてるし、あの高さまで行くのは無理だったわ」 「なるほど、わかった」 「じゃあ、ルイさんと満琉ちゃんもこっちに呼んだ方がいいよね?」 「ああ、呼びに行こう。ヤヌスの鍵ってまだ使って大丈夫か?」 異空間の木のうろ、などという場所にいるため徒歩では時間が掛かりすぎる。 「いいよー。行こう」 「いや、誰でも良いんだが。お前、今日けっこう使ってるけど平気なのかよ?」 「大丈夫だよ。猫の時も平気だったでしょ?」 「まあ、それもそうか……」 「……じゃあ、お願いするわ」 「おっけー、じゃあ行こう!」 黒谷が開いてくれた扉で、満琉とルイを迎えに再び異空間へと戻った。 幸い、満琉達は誰にも見つからなかったようで、木のうろで待っていた。 俺がルイを抱え、地下倉庫へと戻ってくる。 「満琉ちゃん大丈夫?」 「うん。じっとしてたから、だいぶ良くなったみたい」 「よかったねー」 満琉の体調も、心配するほどではなさそうだ。 後は……。 「……ハイジ、まだ感知阻止の香水は効いてるからヤヌスの鍵ではモー子は探せないんだよな?」 「ええ、まだ無理ね」 「『絶対に出られないある場所』ってどこのことなんだ……」 「なんか学園長がそんなこと言ってたな」 「どっか、思い当たる場所ないか?」 「意味深な言い方よね。ずいぶんと自信ありげだったし」 「……魔法陣を何とかするなら、鹿ケ谷を先に取り返した方がいいかもな。あいつならなんか思いつくだろ」 「そうしたいんだよ」 モー子なら、何かしら手段を思いついてくれるんじゃないか……結果は空振りだったとは言え、異空間丸ごと壊すというのもあいつの思いつきだ。 ああいうのは一番得意だからな、モー子。 「出らんないってことはさ、やっぱり鍵の掛かった場所なんじゃないの?」 「いや違うだろ」 「なんで?」 「鍵さえあれば出られるんだから、絶対に出られない場所とは断言出来ないじゃないか」 「んー、そっか」 「学園長のあの態度からして、そんな簡単な場所じゃねーよなあ……」 「それなら基本的には、ヤヌスの鍵が通じない場所だと考えた方がいいんじゃないかしら」 「確かにな……」 「ヤヌスの鍵があれば、だいたいは出られるんだし、こちらが鍵を持ってることは向こうも承知の上のはずだしね」 「てことは、リトが閉じ込められてたっていう、時間の流れとは断絶した空間…とやらはどうなんだ?」 「そこなら、時を操る魔女しか絶対に出入り出来ないんだろ?」 「いや、そこも考えたけどな。やっぱ違うんじゃないか?」 「リトが解放された理由は、その空間に多数の人間を入れておくと負担になるからだっただろ」 「え、でも、春霞と壬生さんは出て来たわけだから…」 「それでも、特殊な空間だから出入りに魔力を使う可能性はあるわ」 「ああ、そうか。歯車の所で大量に魔力使うかもしれないんだったら、余分に使うのもなんだな」 「だろ。実際、雛さんの様子もかなりキツそうだったし」 「じゃあ学園の外にいるとか!」 「いやそれ、出られないとは言わないだろ」 「……あれ? そっか」 「わからないわね……私達のまだ知らない空間が他にもあるのかしら……」 「ん…………」 「あ、壬生さん!」 床に寝かせていた鍔姫ちゃんがうめき声を上げ、身じろぎながら目を開けた。 「待て。暗示は解けてるか?」 「あれから時間は経ってるし、ミチルを呼びに行ったりしてる間に効果は切れてると思うわよ」 一瞬身構えたが、鍔姫ちゃんは敵対する様子もなくバツが悪そうに頭を下げた。 「……すまない。迷惑を掛けたみたいだな」 「ああ、よかった。解けてるみたいだな」 「壬生さん、大丈夫ですか? もうあの、変な歯車守ろうとか思ってません?」 「魂に上書きする暗示だもの、仕方ないわ」 「ああ、もう解けてるならよかったよ」 「ありがとう、みーくん。すまないな、思いっきり蹴ってしまって」 「いや、もう平気だから気にすんな」 「こいつ頑丈ですから」 「まあな……」 しかし、もも先輩の一撃は実はまだ地味に痛いんだが。さすがホムンクルスだな。 「ところで…何の相談だったんだ? 鹿ケ谷さんは?」 「それが……」 モー子は捕らえられたらしい、という件と、学園長が妙な事を言っていたことを説明する。 「……………………」 「何か思い当たることでも?」 「いや……なんとなく、勘なんだが……鹿ケ谷さんは地下にいるような気がする」 「地下?」 「ああ、でも、本当に勘だよ? 今、なぜかそう思っただけで」 「……でもツバキは魔女よ。しかもさっきの様子じゃ相当能力が伸びているわ」 「鍔姫ちゃんの勘なら、信じてみる価値はあるよな」 「探してみようぜ!」 (……私は、なんて無力なんだろう) 異空間を崩壊させる方法も、結局は無駄足でしかなかった。 みんな危険を冒してくれたのに。 (いつ……暗示魔術が発動するの……) 学園長が見せつけてきた、あの円盤。 発動すれば、私も暗示に掛かり、西寮の生徒達のことを忘れてしまうのだ。 そして、その西寮の生徒達の中には……。 「睦月……」 私の、大切な友人がいる。 (私は、あなたのことも忘れてしまうの……?) その時を、ただここで待つしかないのだろうか。 (でも、まだ……久我くん達が……) 彼らを信じたい。 どうにか学園長達を阻止してくれると、信じたいけれど……。 ここに一人でじっとしていると、絶望に蝕まれていくのがわかる。 ――私たちは夜の生徒を選び、君たちは彼らを見捨てた…… (見捨てた……今、大切な仲間だと思っている烏丸くんを結局見捨てようとしている……) 誰かを犠牲になんてしたくない、というのが彼の望みではあった。 そしてそれは、自分達の願いでもある。 (なのに……今の私は……) その願いすら叶えられない。 彼を見捨てざるを得ないかもしれない、そこまで決意したのに、結局は……。 (学園側の動きを読み切れず、ここまで追い詰められてしまった) それは、彼らを見捨てるという事に対しての負い目があったからだろうか。 このまま学園側の儀式が成功すれば、烏丸くんは戻って来る……何もかも忘れてあの頃に戻れる……。 (そんな……そんな風に、心のどこかで思っている…? だから推理が鈍ったの……?) だとしたら、私は何て弱い人間なのだろう。 西寮の生徒を、睦月を見捨てようとしたのは、私の方だったことになる。 「私……私は………」 ――――久我くん。 一度はあんな啖呵まで切ったクセに…… 「よくなんか、ありません!」 「睦月と引き換えに烏丸くんを失って、それで私が本当に喜ぶとでも思っているんですか!」 自分でも思っていた以上に、烏丸くんが消えてしまった事に動揺しての失言だった。 私は、ずっとそれを引きずっていたんだろうか。 「……久我くん……ごめんなさい……」 一番辛いのは彼なのに。 今、彼は何をしてるだろう。 きっと帰ってこない私を心配しているに違いないけれど……。 (……優しい人だから) 何気なく、座り込んだ足元に転がっていた札にくるまれた遺品を指先で弄ぶ。 (ああ……でも……) 私がここで、何も出来ずただ夜の世界が訪れるのを呆然と待っていたりしたら。 何もかも忘れて、あの頃に戻れば、なんて酷いことを思ったなんて知ったら……。 「……怒られるでしょうね」 彼は、助けられないかもしれないとわかっても、それでも親友の最後の意思を継ぐことを選んだのに。 「……………………」 「何をしてるの! 途方に暮れてる場合じゃないでしょう、鹿ケ谷憂緒!!」 ぱん、と自分の頬をはたいた。 くよくよしてる暇があったら、何かこの現状を打破する方法を考えるべきだ。 (そうよ、でないと……) きっと、久我くんにも烏丸くんにも、怒られる。 そして多分、睦月にも。 「俺は落ち着くって言ったろ。支えてくれよ」 (……せめて、支えになろう) ここから出られなくても、私の知ったことを伝えることくらいは出来るかもしれない。 (考えて……何か出来ること……。今の私でも出来ることを……) まだ自分は夜の生徒のことを覚えている。 それは魔法陣が、まだ発動していないという証拠なのだから。 (役に立ちたい……久我くんを支えたい……お願い、しっかりして私……) ここから出る方法か、誰かに知らせる方法。 もしくは、遺品の封印を解く方法……。 「………?」 何かないか、と見るとも無しに宝物庫の中を見回していると、ふと視界の隅に光が見えた。 「何か光ってる……?」 宝物庫の奥で、何かが小さな光を放っている。 「遺品……!?」 封印が解けたものがあるのかも。 私は慌てて立ち上がり、光のもとを探した。 封印の札に巻かれた遺品の下に、埋もれるようにその箱はあった。 「遺品……なんでしょうか。ここにあるということは、おそらくそうなのでしょうけど……」 自分でも無意識のうちに、いつもの口調で一人呟いていた。 持ち上げてみると、はらり、と箱の底にくっついていた封印の札が落ちる。 きちんと貼れていなかったのか、効力を発揮した様子すらない。 学園長達もこの数は大変だっただろうから、一つくらい不備があったのかも。 「でも、さっきさんざん探した時はこんなものなかった……」 どこか別の場所にあった遺品で、封印されていなかったのだろうか。 それが私の思考に惹かれて現れたのかもしれない。 それなら私にとっては、この上ない幸運だ。 (どんな遺品かはわからないけれど……) 今は、どんなものにもすがりたい。 それに遺品は、必要としている人の気持ちに惹かれてくるものだ。 これが急に光ったと言う事は、私にとって役に立つ遺品である可能性はあるはず。 「……………………」 意を決して、遺品の小箱を開けてみる。 「あ……」 美しいオルゴールの音色とともに中から現れたのは、複雑な紋様が刻まれた、ふわふわと揺らめく青い光だった。 まるで人魂ようだ、と思ったけれど不思議と怖さは感じない。 『あなたが、呼んだの……?』 「えっ……は、はい、そうです」 まさか話しかけられるとは思わず、目を丸くしながら慌てて頷いた。 『この遺品は、特別な遺品……。切実で純粋、そして未来を切り開こうとする強い意思に応えて現れる』 「未来を……」 私は切り開きたいと、願っていた。切実に。 やっぱりその思いに反応して発動したのか。 『あなたの望みは何ですか?』 「……ここを出て、そして誰かを犠牲にしようとしている計画を止めたいのです」 考えながら、簡単に状況を説明した。 学園側は20年前の生徒を蘇らせようとしている事、西寮の生徒はその犠牲にされかけている事、そして自分は捕らえられ閉じ込められている事。 「仲間は、そのために戦ってくれています。私も彼らと一緒に……みんなを助けたい」 ゆらり、と人魂は頷くように揺れた。 『あなたは、ラズリット・ブロッドストーンを持っていますね?』 異空間で拾ったそれは、内ポケットに入っている。 『それを、箱の中に入れてください』 「……わかりました」 石を取り出し、言われるままに箱の中へと入れる。 『……少し魔力が足りないようですが、それはここを出てから補充しても間に合うでしょう』 『もうひとつ。この遺品を使うためにあなたが捨てなければならないものがあります』 「捨てなければならないもの?」 『それはあなた、自身の存在です』 鍔姫ちゃんの勘に従い、俺達は手分けして図書館に出てモー子の姿を探した。 念のためハイジだけは、風紀委員に見つかった時の護衛にと、満琉とルイについてくれている。 「こっちはいねーぞ」 「こっち側もですー!」 「いないな……やはり、勘は勘でしかなかったかな…」 「いや、鍔姫ちゃんの勘は当たるから。それに図書館広いし、倉庫とかも……」 自分でそう言って、はっと気づく。 「そういえば鍔姫ちゃんは『地下』って言ったよな」 「ん? ああ」 「それって本当に、この図書館や特査分室のことだったんだろうか?」 「……すまない。わからないんだ、ふと浮かんだだけだから」 「俺たちがいたのは図書館の倉庫…そこからさらに 『地下』ってことなんじゃないか…?」 「さらに?」 「宝物庫だよ、行ってくる!」 急いで宝物庫へと降りる階段へ向かう。 そちらにいた黒谷が、 「下、探したけど誰もいなかったよ?」 と声を掛けてきた。 「いや、下にいるんだ!」 「……久我」 「……ねえ、そんなに心配? 鹿ケ谷先輩のこと…」 いつになく真剣な表情で、そう言いながら俺を見上げる黒谷。 「どうしたんだよ、黒谷……お前……」 さすがに、あまりにいつもと様子が違うので何と言っていいかわからず口ごもってしまう。 「あ……ごめんね! なんでもないよ!」 黒谷は急に我に返ったように、ぱっと手を離していつものように笑う。 「そんなに気になるなら、一緒に行くよ」 「お前、何…………」 「――みーくん!」 俺が慌てて走り出したせいで気になったのか、鍔姫ちゃんと村雲も集まってくる。 「なんだ、そこ黒谷が見たんじゃないのか?」 「見たんだけど、どうしても気になるって」 「鍔姫ちゃんは地下って言ったからな。ここから更に地下なら宝物庫だろ」 そう言って、俺は宝物庫への階段を駆け下りた。 黒谷の言った通り、そこには誰一人いなかった。 (あとは宝物庫の中だけど……モー子はそもそも入れないし……) 「……やっぱりいないか?」 「ああ……」 ふと、何か小さな音楽のようなものが聞こえた気がした。 「……何の音だ?」 「なんか鳴ってるな」 「オルゴール……? 宝物庫からか?」 中で遺品でも発動してるのかも知れない。 「少し待っててくれ。中を見てくる」 「へ? あ、そうか、お前入れるんだっけ」 「ああ、行ってくる」 普通の人間なら弾かれる結界。 モー子も当然入れないはずだから、ここにいるわけはないのだが……。 なぜか妙に胸騒ぎがする。 (この音のせいか……?) 微かに聞こえるオルゴールの音はしかし、不安を煽る類のものではない。 むしろ、どこか懐かしく優しい音だ。 なぜだろう、と疑問に思いつつ、俺は宝物庫の中へと足を踏み入れた。 「――――憂緒!」 宝物庫の真ん中に、彼女がいた。 小さなオルゴールのような箱を手に持ち、座り込んでいる。 オルゴールの中にはラズリット・ブロッドストーンが入っているのが見えた――が…… 瞬く間に石は砕け散り、光の塵と化した。 (……! おまるの時と同じ……) おまるが消えた時、転がり出てきた石もああやって砕けた。 それがさっと頭をよぎり嫌な予感に襲われる。 「おい、モー子! どうしたんだ!?」 急いでモー子に駆け寄ると、モー子はなんだか呆然としている。 「久我……くん……」 「ああ……ああ……今、ようやくわかりました……!」 放心していた瞳に、明らかな理解の色が広がっていく。 「何故、気が付かなかったのか……!」 「何がわかったんだよ? ……いや、その前に大丈夫なのか?」 座り込んでいるモー子の背中を支えるように抱き、話しかける。 「……っ!? モー子、お前……!」 背中に回したはずの自分の手が、かすかに輪郭だけ見えている。 モー子の身体が、うっすらと透けているのだ。 「ちょっと待て、お前一体何をしたんだ! 本当に大丈夫かよ!」 しかし、モー子は何をしたのかという俺の問いには答えてくれなかった。 「大丈夫です……大丈夫。私は頑張りますから…だから……」 「モー子……!?」 「久我くんも、頑張って……」 ふっと、見覚えのある――いや、限りなくあの時に似た光景がまた目の前で起きた。 「………あ……」 笑顔を見せたモー子の姿が、ふわりと光のように俺の腕の中で消えたのだ………。 「……モー子…………」 一体、何が起きたんだ。 なんでモー子までもが、あの時みたいに――おまるみたいに消えるんだ。 (どこへ消えたんだ……どうして……) 大丈夫、とモー子は言ったけれど……。 あまりにも、あの夜とそっくりな光景に、俺はしばらくその場から動くことが出来なかった……。 リトはいつものように、図書館の書棚の間をゆっくりと歩いていた。 本の海を泳ぐ熱帯魚のように。 「……………………」 ふと、足を止める。 何かの気配に気づいたように、あらぬ方向へとその目が向けられた時―― 大きな光の珠が、ものすごい速度で彼女の視界を横切った。 「……………………」 しばらくぽかんと光を見上げていたリトは、ぽつりと呟いた。 「……暖かい力を感じる……お母様……」 光はそのまま書架の波間をぬって、上へと昇っていき、消えていく。 水中から飛び出して行くかのように。 (……わからない……) 「……気持ちはわかるけれど、お人形では代わりにならないものもあるのよ」 「だめ……?」 「駄目じゃないわ。あなたの気持ちは嬉しいと思うけれど……お人形とは違うから……」 家族を失ったお友達に、わたしは何をしてあげられるのか。 最初は、皆がわたしにそうしてくれたように、人形をプレゼントすればいいのではないかと思った。 わたしはその時、とても嬉しかったから。 (だけど……違うのね……) 人形では代わりにならない――お母様のその言葉は小さな棘のようにわたしの心をちくちくと刺し続けていた。 どうして代わりにならないのか。 わたしは、あんなに傷ついて悲しんでいるお友達の役に立てないのか。 考え込んでも『どうして』が浮かんでくるばかりで答えは一向に出てくれなかった。 「……………………」 見上げた空は、恐ろしいほど晴れ渡っていた。 まるで、雨を降らせる黒い雲は、みんなわたしの心に移り住んでしまっているみたい。 ふう、とため息をつきながらまた俯いてしまう。 遠くからは他の生徒が楽しげに笑う声が途切れ途切れに聞こえて来ていた。 この庭園には今は、わたし一人……。 (………お花……) 目の前にはきれいなお花がたくさん咲いている。 お花ならどうだろうか。 きれいなお花をたくさん摘んであげたら、彼女の心の慰めになるだろうか。 (……ううん……多分違う……) 何故かは上手く言えないけれど、それはやっぱり『代わりにならない』気がした。 「あれ? なにしてるの?」 「あ……」 「……なんか、元気ないね」 心配そうにわたしの顔をのぞき込む。 眼鏡の奥の大きな瞳に、わたしの顔が映った。 ……確かにわたしは、お世辞にも楽しそうとは言えない顔をしていた。 「何かあったの?」 彼はいつも誰にでも優しくて、クラスでもみんなに慕われている人だ。 そうだ、彼なら―― この悩みを相談してみようか。彼なら何か、良い答えを教えてくれるかも知れない。 「あの……この前、彼女の家族が事故で亡くなったでしょう……?」 「……ああ、うん」 「それでね、わたし……わたしのお人形が壊れたとき、みんなが新しいお人形をくれたでしょ? だから……」 「わたしも、彼女にお人形をプレゼントしたら元気になってくれるかなって思ったの。でも、お母様が……お人形じゃだめだって……」 「うーん……そうだねえ……」 「やっぱり、だめなのね。お母様も、お人形じゃ代わりにならないものもあるって」 「そうだね、代わりには……ならないよね。家族だもんね……」 「だから、わたしは慰めてもらったのに、わたしには何か出来ることはないのかしらって、思ってて……」 「そっかぁ……んー……そうだなぁ……」 彼は真剣な表情で首を捻り、一生懸命わたしの悩みについて考えてくれているようだった。 いつもそうだ。誰かに何かを相談されると、自分のことのように考え込んでくれる。 だからみんな、彼のことが好きなのだろう。わたしも。 「……やっぱりさ」 しばらく考えていた彼が、顔を上げる。 「こんなときは、一人より誰かに側にいて欲しいんじゃないかなあ?」 「誰かに……?」 「うん。何かをプレゼントする、とかじゃなくってさ、側にいて……支えるなんて大げさかも知れないけど、寂しくないように、一緒にいるんだ」 「寂しくない、ように」 そう言われて、ふと思い出した。 お母様が迎えに来て下さる前――ずっとひとりぼっちだった頃……。 ああ、彼女は今、あの頃のわたしのような気持ちでいるのか……。 「そう……ね。ひとりは、寂しいわ」 「そうだろう? だから、おれ達で少しでも元気づけてあげられればいいかなって思うよ」 「……そうね。うん、わかった!」 頷き、わたしは立ち上がる。 「ありがとう、――くん!」 「あは、元気になった! よかったねー」 嬉しそうににこっと微笑んでくれた彼に手を振り、わたしは走り出した。 そうだ、必要なのはお人形じゃない。 側にいてくれる、誰か。 ――人間。心を持った人が必要なんだ。 色とりどりの花の咲く花壇の横を駆けながら、わたしは沸き上がる思いに心を躍らせた。 (そう――だから、リトのような子でも駄目なんだわ) リトは、見た目は人と区別がつかない。でも心はない。お人形と同じだ。 (だったら、心があれば……!) (心を作れば――魂を作ってあげれば、お人形じゃなくなる……) あの子達――リトのようなホムンクルスは、ずっと側にいられる。何年でも、何十年でもずっとずっと側に。 そしてわたしなら、魂を操る魔女のわたしなら、あの子達に魂を作ってあげることが出来る……! 誰かのために、誰かを喜ばせるために、この力は使うべきだ。 お母様だってそうおっしゃっていた。 (ああ……やっとわかったわ……!) わたしのこの力の使いみち。 誰かを喜ばせるために使う方法。 「見ていて、お母様……わたし、やっとわたしの力をどう使えばいいのかわかったわ……!」 はっと我に返ると、そこはほの暗い宝物庫の中だった。 辺りを見回すが、そこらにあるのは、封印の札を貼られ沈黙した遺品の数々だけだった。 「モー子…………」 さっきまで、腕の中にいたはずのモー子は、やっぱりどこにもいない。 あれは、幻じゃなかったはずだ。 モー子の華奢な身体の感触も、体温も、まだ微かに腕の中に残っている。 何度か触れたことのある、覚えのあるぬくもり。幻なんかじゃなかった。 「どこへ消えたんだよ……?」 立ち上がり、改めて見回してみたが、モー子の姿も誰の姿もない。 「――…だったんだ? あの光?」 「わかんない……の方に……」 「でも……じゃあなかっ………から……」 宝物庫の外から、うっすらと他の面々の声が聞こえた。 そうだ、いつまでもここで呆然としてる場合じゃない。 沈んだ気持ちを振り払い、俺はひとまず宝物庫から出た。 「あ、みーくん。どうだった?」 「……モー子が……いたんだけど、消えちまったんだ」 「消えた!?」 「なんかオルゴールみたいなもん持って、しゃがみ込んでて……」 「オルゴール? 遺品か?」 「だと思う。宝物庫の中だし、ひとつくらい封印しそびれたのがあったのかも……」 「……さっき、光の珠のようなものが、すごいスピードで宝物庫から飛び出して来たんだ」 「そうそう! びゅーんって、ここ通り抜けて飛んでった!」 「光の、珠?」 「鹿ケ谷さんは、君に何か言わなかったか?」 「……言ってた。確か……」 思い出しながら、モー子の言葉を復唱する。 ――『大丈夫です…大丈夫。私は頑張りますから…だから久我くんも、頑張って』……。 「それなら、大丈夫だと思う。あの光、嫌な感じはしなかった」 「あの光が、その、鹿ケ谷だったってことですか?」 「……そのものだったかどうかは断言出来ないけど、多分ね」 「……………………そうか」 鍔姫ちゃんが、嫌な感じはしなかったというなら、ひとまずは安心して良いのかも知れない。 彼女の勘は信頼出来る。 しかし―― (どこへ飛んで行ったんだとか、どういう遺品なんだとか……) 心配なことは山ほどあるし、そもそも目の前でモー子が消えたという現実に対して気持ちの整理が追いつかない。 「みーくん、心配なのはわかるが……鹿ケ谷さんには何か、しなければならないことがあるんだと思う」 「そのためにここを離れたんだろう。彼女が大丈夫だというのだから、それを信じよう?」 「ああ……そうだな」 「ひとまずは、私達だけで戻ってどうするか相談しよう」 村雲までがそんな事を言うので、思わず吹き出してしまった。 「ありがとよ、慰めてくれて」 「うっせぇ! 慰めたわけじゃねえっ!!」 「その調子なら大丈夫そうだな。戻ろう」 「はーい」 「……あ、そうだ」 「なんだよ?」 「ちょっと分室寄ってくる」 「なんで?」 「まだ何か残ってないかと、あと前に見つからなかったラズリットの石が戻ってないかとかチェックしときたいんだ」 「ラズリット・ブロッドストーンか……。そういやなんでなくなったのか謎だったな」 「羽根ペンの遺品とかはなくなってなかったからな。学園側が奪ったなら、石だけってのは変な話だから別件だと思うんだよ」 「そうか、わかった。気をつけてな」 「ああ、すぐ戻る」 鍔姫ちゃん達に背を向けて分室の方へ歩き出す。 なぜか一瞬横目に見えた黒谷が、微妙に複雑な顔つきをしていた気がしたが……。 (……なんなんだ? あいつ時々、なんか妙だな……) 少し気になり、小声で黒谷を呼び止める。 「なあ、黒谷。お前さっきから何か変じゃないか?」 「へっ? 変……?」 「心配ごとがあるとか、いや、何か気づいたことでもあるんだったら……」 「いやいやいや、何もないよ! っていうかこんな状況だったら普段通りにしてる方がおかしいでしょ!」 「いや、まあそうかもしれないけど」 「そーだよ! なんか変に見えるんだったら、ちょっとテンパってるだけだと思う!」 「……そうか。まあ、何もないならいいけど」 「ないない。ごめんね心配させて!」 ひらひらと軽い調子で手を振り、黒谷は鍔姫ちゃん達の後を追って行った。 (……確かに異常な状況といえばそうだし……さっきのも俺の気にしすぎかな……) これ以上、考えていても仕方がないか。 ひとまず分室へ行こう。 「……………………」 当たり前だが、分室には誰もいなかった。 いつもモー子が座っていた席も、かつておまるがいた席も……。 (そういや、最初の特査メンバーって、今残ってるの俺だけだな……) おまるは消え、モー子も行方知れず。 ついこの前まで、騒々しいくらいここで普通に過ごしてたのに。 「……なんとか分室って、なんですか?」 「特殊事案調査分室、です」 「と、特殊…じ、あん?」 「なんですか、それ」 「言葉の通り、この学園で起こる特殊な事案を調査・解決するための部署です」 「特殊……」 「……って、さっきみたいな……?」 「そうです」 「特殊すぎませんかっ!?」 「その意見は肯定します。が、仕方ありません」 最初はずいぶんぎくしゃくしてたけど…… 「お待たせ―」 「お、サンキュ。おまる」 「はい。憂緒さんはサンドイッチ。みっちーはチリドッグだよね。村雲先輩はバターロール……」 「ありがとうございます」 「わりーな」 なんだかんだで上手くやってたのにな。 (なんか、ずーっとあんな調子が続くもんだと思い込んでたなあ……) 『なんだよー、みっちーらしくないなあ!』 「おまる……?」 いかにも、おまるがいいそうな台詞が耳の奥で聞こえた気がした。 もちろん分室の中にはおまるの姿など無い。 幻聴――いや、もしあいつがいたら、という俺の妄想か……。 励まされたい、と思ってるんだろうか。 (ああ、正直……かなり疲れはたまってるからな……) おまる、俺は出来る限りのことはやれてるのかな。 「……ありがとな」 妄想だろうと幻だろうと、二人にそう言われると不思議と背筋が伸びる気分だった。 (そうだな、モー子は大丈夫と言ったんだ。俺にも頑張れって) だったら戸惑ってる場合じゃない。 こうなったらもう、腹をくくるしかないんだ。 (任せろよ……もうこれ以上学園側の好き放題にはさせねえ……) ふうっ、と深く息を吐いて、気持ちを整える。 ひとまず、ラズリットブロッドストーンを探してみるが、やはり分室にはないようだ。 「やっぱ、誰かに持ち出されたか。しかし誰がいつの間に……?」 気にはなったが、今ここでは調べる手段もない。 他にめぼしいものはなさそうだし、一旦みんなの所へ戻ろう。 「お兄ちゃーん?」 「あれ、満琉?」 図書室で別れたはずの村雲と、それに付き添うように満琉が分室に入ってくる。 「なんだよ、すぐ戻るって言ったのに」 「やっぱり心配だって言い出したんだよ」 「だってぇ……」 「しょうがないな……あ、お前、一人で歩いて大丈夫なのか?」 「そうか、ならよかった」 満琉が少しでも回復したのは幸いだな。 「だったら、とっとと対策練らないとな」 「……てめーこそ、ちょっとマシな顔になってんじゃねーか」 「へ?」 「さっきまでひでぇ面だったぞ」 「……って、しずかが言うから気になった」 「……………………」 村雲に言われるくらいだから、相当酷い顔をしていたらしい。 「そりゃ悪かった。もう大丈夫だから、心配すんな静春ちゃん」 「ふふふっ……」 「おいこら、笑うな」 ささっと俺の後ろに隠れながらも、満琉は含み笑いをかみ殺している。 「チッ……てめーのせいだぞクソ久我」 「お互い様だろ静春ちゃん。さ、行くぞ」 「ちゃん言うなっつってんだろーが、この脳筋ッ!!」 「あははははは」 「だから笑うなぁっ!?」 「静かにしろよ見つかるだろ」 「誰のせいだよ!?」 「ご、ごめん、静かに静かに……行こ?」 「……ちくしょう」 (行ってくるな、おまる) 今はもういない相棒に声を掛け、俺は分室の扉を閉めた。 図書館内の倉庫へと戻ると、他の面々は床に腰を下ろして休んでいた。 満琉も歩ける程度には回復しているおかげで、さほど辛そうな様子は見せず木箱の縁にもたれて座る。 「あ、おかえりー」 「おう、スミちゃん。起きたのか」 スミちゃんも目が覚めたようで、暗示も無事解けているようだ。 「うん! ごめんねー、大迷惑かけちゃって!」 「いやいや、しょーがないさ」 「まずは状況整理だな」 全員が腰を落ち着けたのを見て、鍔姫ちゃんが口を開いた。 「アーデルハイトさん、あの歯車と魔法陣について今わかっていることを話してくれ」 「わかったわ」 鍔姫ちゃんに促され、ハイジが語り始めた。 「あの空に浮いた巨大な歯車に投影機がセットされていて、そこから魔法陣が空に照射されている――ここまではいいわね?」 一同が、同意を示すように頷いたのを見てハイジは続ける。 「投影機にセットされている魔法陣の方に何かトラブルがあったみたいで、空の魔法陣には妙な影が出来ているわ」 「これのせいで、本来異空間そのものから一気に吸収されるはずの魔力は微量ずつしか吸われていない」 「完全に吸われて魔術が発動するまでには残り14〜5時間といったところよ」 「つまり、それまでにどうにかして魔術の発動を止めなきゃならないってことだね」 「そういうことよ。問題はどうやって止めるか、ね」 「投影機ってのを止めるなり壊すなりすりゃいいんだよな? あの歯車の上ってヤヌスの鍵では行けねーかな」 「んー、どうだろうな……」 ヤヌスの鍵――俺は、以前リトからヤヌスの鍵について説明された時のことを思い出す。 「これはヤヌスの鍵。使用者が頭に思い浮かべた場所に一瞬で行くことが出来る遺品よ」 「リトが言うには、思い浮かべた場所に行くことが出来るって話だから、思い浮かべられない場所には行けないんじゃないか?」 「歯車の上か……思い浮かべろと言われると確かに、ちょっと具体的には浮かばないな」 「そもそも、あの上に実際に乗ってみた人はいないから、発動しないんじゃないかしら?」 「一応試してみる?」 と言いつつ、スミちゃんが鍵を取り出した。 「一番、歯車の上の方、はっきり見た人って誰になるのかな」 「魔力ないからな。しかも歯車の上の方なんてそんなまじまじ見てないしなあ」 「私も歯車より投影機が気になっていたから……」 「私も暗示に掛けられていたか、その直後かだからな……」 「んー、じゃあ私が使ってみようか。あの場所は何回も行ってるし……」 スミちゃんが空中に鍵を差し込み回してみる。 ――が、何も起きなかった。 「あー、やっぱ駄目だね。反応無し」 「投影機を思い浮かべても駄目なんだよな? 場所ではないし人でもないから」 スミちゃんから鍵を借りて、ハイジも同じように試すが、やはり扉は出現しない。 「無理だわ。やっぱり、投影機では場所とはみなされないようね」 「てことは、ヤヌスの鍵であの上まで行くのはオレ達には無理か……」 うーん、と全員腕を組んだり首を傾げたりしつつ頭を悩ませる。 魔法陣は空中に描かれている以上手の出しようがない。 大元になっている投影機を止めるか壊すしか魔法陣を消す手段はなさそうだが……。 「あの、以前に使った魔力を花火として打ち上げる薬なんだが、あれはまだ作れるのかな」 「ええ、あれなら……どうして?」 「なんとか、その衝撃で投影してる機械をずらすことは出来ないだろうか?」 「そこまでの威力出せるんですか?」 「じゃあそれやってみようよ!」 「そうね、機械の位置をずらせば魔法陣は歪んで術式が正確に発動しなくなるはずだわ。ちょっと待ってて、材料を取って来るから」 「いやそれなら、もうみんなで行こう。そろそろ分散しない方がいいと思う」 「……そうね。魔術薬を作ったら、もうそのままその足で歯車の所へ行きましょう」 「んじゃ、そうしよう。満琉、歩けるか?」 そういうわけで、東寮のハイジ達が滞在している客室へ向かうこととなった。 魔女であるスミちゃんと鍔姫ちゃんが戻ってきたので、ヤヌスの鍵が気兼ねなく使えるのは有難い。 風紀委員たちが見回っているかもしれない。 音を立てないようにそっとハイジたちの部屋へとドアを開いてもらった。 「……ない!? 荷物が……」 部屋に入るなり、ハイジは愕然とした声を上げテーブルの近くへと駆け寄った。 「えっ? 荷物無いの?」 「なくなってるわ! 私のも、ルイのも全部!」 「学園長達の仕業か?」 「……きっとそうね。これ以上私に魔術薬を作らせないよう、アーリックが持ち去ったのだと思うわ」 「ちくしょう、先手打たれたか……」 「……どうするの?」 「となると、ここはヤバイな。近くに風紀委員が多すぎる」 「やっぱり地下に戻る?」 「すまない、無駄足になったな」 「あいつも暗示魔術のせいだろ」 しかし、ハイジの薬の材料が無くなったのはかなり痛手かも知れないな……。 「感知阻止の香水ももう残り少ないし……やっぱりアーリックを何とかしないと…」 「とりあえず戻って、他の方法を考えようよ」 ここに長居してもいいことはないので、再び図書館へと戻る。 倉庫の外でも何度か風紀委員を見かけたが、まだ探知阻止の香水の効果は切れていないようで発見された様子はなかった。 とはいえ、もうそろそろ時間の問題らしい。 みな、一様に難しい顔をして何か手はないかと考え込む。 満琉や黒谷まで眉間にしわを寄せて首を捻っていた。 「なあ春霞。いっそ、お前の魔力で投影機そのものを動かしちまうって無理なのか?」 「んー、ちょっと難しいかなあ」 困り顔でくるりと視線を天井へ向けるスミちゃん。 「人形のスミちゃんを遠くからでもすんなり操れたのは、それを作ったヒメちゃんとの相性が良かったからだし……」 「相性は悪くても、実際に自分の手で触れば操れると思うけど、それだと結局、投影機の所までどうやって行くのって話に戻っちゃうし」 「……そうか」 「やっぱり、あの上まで行く手段がないと色々難しいのか」 「しかも、必ず学園側の見張りが近くにいるはずですものね」 「そうだな……近くまではヤヌスの鍵で行けても、見張りの目をかいくぐってあの歯車の上までとなると…」 「はいっ!」 「なんだ?」 それまで黙っていた黒谷が、急に思いついたように手を上げた。 「私、まだよくわかってないんだけど、あの投影機ってのの光を遮っちゃえば、魔法陣って動かなくなるのかな?」 「……そうね。あの機械から魔法陣の紋様が照射されているのは間違いないから」 「仮に一部でも、肝心な部分、たとえば発動を司っている印なんかが投影されなくなれば止めることは出来ると思うわ」 「なんか方法思いついたのか?」 「だったらさ、その遠くからでも操れるって言う人形をなんとかしてあの歯車の上まで持っていけば……」 「その人形を動かして、投影機のとこまで行ってもらって、光を遮っちゃえばいいんじゃない?」 「それならいけるか!?」 「待って。まずその人形をどうやって歯車の上に乗せるの?」 「春霞の魔力で飛ばせたりしないのか?」 「うーん……10mくらいなら何とかなるかもだけど、あの距離はきついかなあ……スミちゃんには『飛ぶ』ってイメージがないし……」 「みーくんが投げても……届かない?」 「俺もさすがにあの距離は無理だと思う」 「えー、実は……こんなものがありまして」 ざわつく俺達に、黒谷はごそごそと取り出したチラシのような物を広げて見せた。 「なんだこれ? ペットボトルロケット?」 「そう! これすごいんだよ、よく飛ぶやつは高度100mくらい行くんだって!」 「それなら届く、か?」 「届きそうですけれど……これ、材料はどうするの? 発射台とか書いてありますけれど」 「あ、ペットボトルロケットのキット、学園入り口の郵便受けに届いてるはずだから取りに行かないと」 「あんのかよ!?」 「なかったら言い出してないよ、こんなの!」 「学園で何通販してんだ、お前はっ!?」 「あはははははは」 笑って誤魔化しやがった。 とにかく、材料があるなら取りに行こう、ということで俺が護衛として黒谷とともに学園の入り口へ向かうことになった。 ちなみに鍔姫ちゃん達は制作に必要な道具の調達に行ってくれている。 「まったく、そろそろ分散しない方がなんて話してたとこだってのに……」 「仕方ないじゃない。正門まであの人数でぞろぞろ移動はさすがに目立つよ」 「まあ、アーリックは香水効いてても見つける手段あるらしいからなあ……」 「それより、ルイさん早く隠そうよ」 「おう」 俺の背には、眠り続けるルイが背負われている。 一緒に連れ回すより、どこかに隠しておいた方が安全じゃないか、ということになり鍔姫ちゃんの部屋のシャワールームに隠すことになったのだ。 何故鍔姫ちゃんの部屋になったのかと言うと、スミちゃんが……。 『あそこなら鍔姫ちゃんの作った人形がたくさんあるから、いつでも自分が人形に乗り移って様子を見ることが出来る』と主張したためである。 ハイジもそれなら、と納得したので俺が担ぎ出してきたというわけだ。 念のため、黒谷はヤヌスの鍵を預かってはいるが、彼女は魔女ではないので、魔力温存のためなるべく徒歩で移動する。 「よし、ルイ隠してくるからスミちゃん人形拾っといてくれ」 鍔姫ちゃんの部屋にお邪魔して、シャワールームへと向かう。 ついでに作戦に使用するスミちゃん人形も回収してくる手はずになっていた。 「えーと、どれかな?」 「あ、そうか。お前知らないんだったな。えーっと……ああ、それだ、その枕元のやつ」 「これ? おっけー持っとく」 「おう、頼む」 シャワールームの壁にルイをもたれさせるように座らせて、扉を閉めておく。 部屋の中を覗いても、ここまでは見えないからひとまずは大丈夫そうだ。 「よし、行くぞ」 「らじゃー」 スミちゃん人形を大事そうに抱いた黒谷が答え、ついてくる。 まだ香水は効いているとは言え、出来るだけ目立たないようこっそり移動して寮を出た。 「どーでもいいけど、お前なんでペットボトルロケットのキットなんか通販してたんだ? そんな趣味あったのか」 「私じゃないよー。実家に帰ってる時、親戚の子に頼まれたんだよ」 「なんで学園に届くようにしたんだよ?」 「送り先書く時、間違えてここの住所書いちゃったんだよねー」 「単なる間違いかよ!?」 「あはは、実はそれを思い出して取りに戻ったっていうのもあるんだよね。でも戻ってみたらえらいことになってて忘れてた」 「まあ……それどころじゃないな……」 「うん、まさかこんな大変な事になってるとは思わなかったよ」 「だろうな」 しかし、何が幸いするかわからないな。 黒谷がさっきのアイデアを思いついたのも、キットの通販を頼んでいて、しかも間違って学園宛てにしていたせいだろうし。 (こいつが何で急に戻って来たのか、微妙に不思議だったんだが、ペットボトルのせいだったのか) なんとなく色々納得した。 「あ、でも、それなら俺達が使っちまって良いのか? 親戚の子のは?」 「それはまた頼めばいいよ。今度はちゃんと家に届くようにするし」 「そっか」 「それにさ、私まだ、ちゃんとよくわかってないとは思うけど、久我たちにとってはあれを止めるのが大事なことなんでしょ?」 「……ああ」 こいつなりに考えてくれたんだろうな。 さっきもずいぶん考え込んでくれてたし……。 (ありがたいとは思う……けど……) 「……ねえ、そんなに心配? 鹿ケ谷先輩のこと…」 あれはなんだったんだろう。 モー子を探しに地下へ下りようとした時の、こいつの変な態度……。 その後も、時々気になる様子を見せていた。 本人は『なんか変に見えるんだったら、ちょっとテンパってるだけ』と否定していたけれど……。 (だからって、別に行動があやしい、とかじゃないんだよな……) 黒谷から、悪意や敵意というものは感じない。 遺品のランプを向けても縮まなかったことからホムンクルスでもない。 その後暗示解除の魔法陣にも乗ってもらったから、暗示にもかかっていないはずだ。 だからどちらかというと、俺が気になっているのは黒谷自身の、精神面での問題なんだろう。 (いや、でも……本人があれ以上何も言わないって事は気にしないで欲しいって事なんだろうな……) ――これ以上は踏み込まないでおこう。 無事にキットを回収して戻ると、鍔姫ちゃん達も工具類を持って来てくれていた。 「技術室からいろいろ拝借してきたよ」 「これだけあれば足りるだろ」 「はい、カッターとはさみと、あと両面テープね」 「これを図面通りに組み立てればいいのね?」 「うん、そう。手分けした方が良いかな? 本体組み立てと、こっちの羽根作る人と」 「……けっこう難しそう」 「じゃあ、私羽根作る」 「んじゃこっちは本体だな? まずはペットボトルの底を切るのか」 キットの組み立て図を見ながら、わいわいと制作に取りかかる。 端から見たら、学園の危機を救おうとしている図には絶対見えないだろうな……。 「…ツバキ、ちょっといいかしら」 「うん? なんだい?」 他の面々がペットボトルに夢中になっているのを見て、ハイジがこっそりと鍔姫ちゃんに声を掛けた。 俺は聞くとも無しに聞きながら、ペットボトルロケットの制作を手伝う。 ……とはいえ、そこまで手先が器用なわけではないので、いつの間にか組み立て図の読み上げ係になっていたのだが。 「マヤの案はもちろんいいと思うのだけれど、いざという時のために他の方法も用意しておくべきだと思うのよ」 「それは確かに。何か他に投影機をどうにかできるような案があるのか?」 「投影機のことではないの。ルイのことよ」 「何とかしてアーリックの暗示を解いてルイを目覚めさせることが出来れば、他の有効な手段も取れるようになるわ」 「しかしどうやって暗示を……?」 「そのために、あなたに協力して欲しい事があるのよ。方法は……」 「……なるほど。しかし、それなら私が……」 「いいえ、あなたは……だから、いざという時のために……」 「……ふむ、となると正確なところを調べた方がよさそうだな」 「ええ、だから図書館に……」 だんだん小声になってきたので、聞き取れなくなってきた。 「おい久我、次は?」 「ん? ああ、エンジンタンクは取り付けたんだな? じゃあポリエチレントップってやつだ」 「これか。これを反対側につけるんだな」 「ビニールテープは?」 「ここ、はい」 「ごめんなさい、少し図書館で調べ物をしてきていいかしら」 「いいよー、こっちは手が足りてるし」 「ありがとう。それじゃ行きましょう」 「ああ。ちょっと行ってくるよ」 ハイジと鍔姫ちゃんはそう言って、倉庫を出て行った。 「よし、出来たぞ。春霞、羽根は?」 「出来たよー」 「羽根つけるスカートってやつも出来たよ!」 「んじゃ、これ合体させれば完成か」 「意外と簡単だったね」 そろそろ完成、というところでハイジと鍔姫ちゃんが戻ってくる。 「やあ、ずいぶん進んでるな」 「おかえりー。そっちは? 調べ物すんだ?」 「ええ、すみました」 「何を調べてたんだ?」 「……私はこれから、アーリックを倒しに行こうと思います」 「はあ!?」 「おい、何する気だお前」 「陽動がてら、動ける風紀委員の数を減らして、アーリックの暗示を解くわ」 「解くわって、簡単に……」 「そうみたいだけど、大丈夫なの?」 「ええ。このまま隠れ続けていてもどうせヤヌスの鍵で見つかるわ。だから誰かが陽動をしなければ全員発見されてしまう」 「そりゃそうかもしれないが、ハイジ一人だけでやるってのか?」 「『一人しか使えない方法』ですし、この中では私が一番勝算がある…と思うわ」 そう言ってハイジは、鍔姫ちゃんと目を合わせて頷き合う。 どうやら手段とやらは見つかっているようだ。 ヤヌスの鍵で東寮付近まで送ってもらう。 「ありがとう。私はここで暴れておくから」 「気をつけて」 「ええ、そちらもね」 東寮の前には、数人の風紀委員が巡回していた。 ……ルイがいるのは東寮のツバキの部屋。 私がここで暴れていれば、まさかその目と鼻の先にルイがいるとは逆に思わないはず。 「何をしてらっしゃるの? 私はここにいてよ?」 わざと声高に言ってのけると、風紀委員達はぎょっとした様に一斉に私を見た。 「なっ…いつの間に!?」 「取り押さえろ!!」 殺到してきた彼らに向かって香水を吹き付ける。 もちろん気を失わせる効果のある物だ。 「応援を! 応援を呼べ!」 「よくってよ。どんどん数を増やすといいわ」 それだけ、動ける敵が少なくなる。 私にとってはむしろ好都合だった。 ふと、背後に殺気を感じてするりと横に避ける。 「ええっ!?」 後ろから掴みかかろうとしていたらしい風紀委員の手が空を切った。 半身を捻って、その顔にも香水を一吹き。 「おい、大人しくしろ!」 「申し訳ないけど、拒否させていただくわ」 簡単に近寄れない、と見たらしい風紀委員達は、付近から駆けつけてきた他の面々と、私の周りに円陣を組むよう取り巻いた。 そして包囲網を徐々に狭めてくる。 以前にも風紀委員達とやり合ったことはあるが、ここまで統制は取れていなかった。 向こうもそれだけ本気だと言うことだ。けれど……。 「……無駄よ、そんなことしても」 私は気にせず、そのうちの一人の方へ向かって歩き出す。 「!? なめないでよね…!!」 私に近づいてこられた風紀委員は、むっとした顔で飛びかかってきた――が、寸前でかわし香水で片付ける。 「おい、どういうことだ……?」 「う、動きが、完全に読まれてる……!?」 そう、今の私には、少し集中すれば彼らの動きが手に取るようにわかった。 ――左手にいる風紀委員の魂がざわりと揺らめく。 それを感じ取った瞬間、香水瓶をそちらに向けて噴射する。 「――――ッ!!」 私に向かって一歩踏み出していた風紀委員が、香水の直撃を受けて倒れ伏した。 「そんな馬鹿な…!!」 「馬鹿なことかどうか、身をもって確かめてみればどう?」 「…………!!」 ひるんだ様子でじり、と後ずさる風紀委員。 その背後から―― 「あら、やっとお出ましなの」 わずかに苛立った表情のアーリックが、コートを翻しながら歩いてきた。 風紀から連絡を受けて飛んで来たのだろう。もちろん私はこれを待っていた。 「まず聞こう。ルートヴィヒはどこだ?」 「それを私が、今のあなたに教えると思うの?」 「ならば、無理矢理にでも聞くとしよう」 コートの中から、箱状の何かを取り出すアーリック。 (あれは……?) 見たことのない物だった。だけど今の『無理矢理にでも』という発言からして……。 (遺品……? それもこの状況ではかなり危険なしろもの、よね) ならば、ためらっている暇はない。 一気に地を蹴ってアーリックに迫ると、香水を噴射した。 「ふん……」 そんなものは予想していた、とばかりにアーリックは軽く横に身をかわし避ける。 しかし、その『どこに避けるのか』という動きは今の私には予測可能だった。 「そこね!」 避けた方向へ香水を吹き付ける。 「っ!?」 虚を突かれたアーリックは、両腕で顔を覆いながら猫科の野生動物のような動きで飛び退った。 さすがの瞬発力―― 香水だけは食らわなかったようだけれど……。 手にしていた遺品らしき箱は、ガードと引き替えに取り落としていた。 すかさず、無事でいた風紀委員が拾おうと駆け寄るが―― 「邪魔しないで」 「はうっ!?」 その動きは私には見えていたので、さっさと香水で無力化した。 (残っている風紀委員はあと三人……どうする、遺品は拾うべき?) でもそれには私の方に生じる隙が大きすぎる。 風紀委員はともかくアーリックはそれを見逃してはくれないだろう。 気にはなるけれど、あの箱は今は無理して拾うべきではない、そう判断した。 「……驚いたな。どういうことだ」 アーリックは警戒心を露わに、私の挙動を見守っている。 私の動きが、明らかにいつもと違うために、驚いているのだろう。 「何の策も無しに、あなたの前に堂々と現れると思った?」 答えながら、私は香水瓶を持った手をすっと右へ向ける。 そちらにいた風紀委員が、慌てて半歩下がった。 (感じる――魂が揺らぐのを、どこから攻撃が来るか全部わかる……) 頭では理解していたが、実際に体験してみるとやはり魔女の力は想像以上だった。 (さすがね、ツバキ……) 「そのために、あなたに協力して欲しい事があるのよ」 「方法は、以前カスミがネコにやったように、私にパスをつないであなたの力を貸して欲しいの」 「……なるほど。しかし、それなら私が直接アーリックさんと対峙した方が早くないか?」 「いいえ、あなたは魔女だし貴重な戦力だから、いざという時のために残っていて欲しいのよ」 「……ふむ、となると正確なところを調べた方がよさそうだな」 幸い、パスをつないだままにする方法はすぐに調べがついた。 おかげで今、私はツバキの魔女としての力で彼らの動きを読むことが出来ている……。 「どういう手段かはともかく、動きを読んでいるのは確かなようだな」 「……………………」 無言で微笑むと、アーリックは肯定と受け取ったらしく風紀委員達に手を振って下がらせる。 そして、おもむろに眼鏡を外した。 (……!) アーリックの眼鏡は実は伊達だ。 こちらが香水を使うのに、ゴーグルの役割になるそれをわざわざ外すということは……。 眼鏡の縁ほどの死角すら消し去りたい時。 つまり相手が強敵だと、確信した時だ。 私は強敵だと認識されたらしい。 正確にはツバキの能力が、だけど。 「お前達は手を出すな」 「は、はい……!」 自分達の手には負えないと悟った風紀委員達は、素直に後ずさっていく。 この辺りはさすがに賢明だ。 こんな事態でなければ、彼らは頼りになる生徒達の味方なのに……。 「わかっているのか、アーデルハイト」 おそらく相当険しい物になっているであろう、私の視線を正面から受け止めて、アーリックが言う。 「ルートヴィヒが倒れているということは、現在の当主の代理は私なのだぞ?」 「それでも向かってくると言うことは、主への反抗……つまりヴァインベルガー家自体への反抗と取っても構わないのか?」 そうならば、容赦はしない――アーリックの目が、全身から発せられる気配がそう語っていた。 けれど、不思議と私の心は落ち着いていた。動揺も焦りも感じない。 「ルイがあなたに当主の座を託すというのなら、私は従いましょう」 「けれどそうではない。あなたは無理矢理ルイを眠らせただけ。私の主はルイであって、決してあなたではない」 「……………………」 「私は、あなたよりも自らの主であるルイの意思を尊重します」 「いつか、ルイは何故そんなにこの学園にこだわるのかとあなたは言いました」 「確かに私たちは当事者というわけではない。けれど魔術師としての誇りや仁心、友人への敬意がそうさせるのです!」 「敬意、とはな……プライドの高いお前の口からそんな言葉を聞けるとは。こんな状況でなければ、もう少し喜ばしい気分で聞けただろうが……」 「ええ。こんな状況でなければ、ね……」 どういう状況であるか、アーリックは本当の意味ではまだ理解さえしていない。 暗示が解けない限りは。 「――――!!」 ふっと、アーリックの魂が揺らいだのを感じ、後へ飛び退きながら香水を放つ。 「ふん、やはり駄目か」 凄まじい速度で間合いを詰めかけたアーリックは、身を沈め香水をかわしていた。 そしてさっと手で払い、霧散させる。 「しかし、身体能力まで変わっているわけではなさそうだな」 (……もう見切られてる。さすがの把握能力ね…) 確かに、感知能力は魔女のものだが、私の身体そのものは私のままだ。 (早めに決着をつけないと、スタミナでは絶対かなわない……) 防戦一方では駄目だ、と前に出ようとするが、アーリックの動きは素早くすぐさま間合いを外されてしまう。 私に『読まれている』ことを計算に入れて、安全な位置へと動いているのだ。 「…っ!!」 「どうした、逃げるだけか?」 更にカウンターでこちらを捕らえようと動き、それは予測出来るものの避けるのが精一杯だった。 (避けることは出来る、だけど……こちらの攻撃が当たらないことには……) 先読みが出来ていてもなお、私の動きでは、アーリックの速さが捕らえきれない。 最初から実力差はわかっていたけれど、それでもどうにかしなければ……。 (待って、思い出して。確か昔、ルイと話していた時……) あれはまだ、日本へ来る前。 ドイツの屋敷でのこと―― 「ルイは、あの人に勝ったことあるの?」 「そもそも本気で正面からやり合おうと思ったこともないが……まあ、勝ちたいなら逆上させることだな」 「逆上? 怒らせるってこと?」 「あいつみたいなタイプは、感情的にして、冷静な対処力を失わせた方が隙も生まれる」 「わざと怒らせるような失礼な事を言うのはどうかと思うけれど……」 「あんなの相手にそんな甘いことを言ってられると思うのか。どれだけおめでたいんだ。脳の代わりにタンポポでも詰まってるのかお前の頭は」 「なっ……!」 「ふむ、タンポポは失礼だったな。タンポポに。お前よりは物を考えていそうだ」 (……なんか余計なことまで思い出したけど……いいわよ、やってやるわよ!) 香水瓶を握りしめる手に、力がこもる。 やらなければ勝てない――それはルイの言う通りだ。なら、やるしかない。 「あ…あなたはルイの代わりに当主にでもなるつもりなの!」 そんな事はあるはずもない。 アーリックはヴァインベルガー本家に恩義を感じているし、真面目な人だ。 ルイがどれだけ本家にとって、大切な存在なのかもわかっている。 そんなことは百も承知だけれど―― 「スペアが本物に取って代わろうとするなんて、おこがましい!」 「……なんだと?」 ぴくり、とアーリックの眉が不快そうに跳ね上がった。 「私を愚弄する気か!」 (効いてる……!) 「っ……!!」 寸前で避けた回し蹴りが、目の前を通過する。 挑発の甲斐があったのか、アーリックは手数を増やし、どんどんと間合いを詰めてくる。 だが、今の私には当たらない。 (まだ隙がない……もう少し……もっと、冷静さをそがないと駄目……!) いっそ、もっと引きつけて避けようのない距離で香水を吹き付ければ……。 「当主に選ばれなかったクセにっ……! 調子に乗らないでちょうだい!! あなたは所詮、ルイの代役に過ぎないのよ!」 「……アーデルハイト…!」 「今回のこと、チャンスだって思ったんじゃないの! 本当はルイを、守る気なんてないんでしょう!」 「………そうだな」 「……えっ?」 一瞬、アーリックの魂が奇妙な揺らぎ方をした――気がした。 けれど、それ以上に彼の放った言葉に私は気を奪われる。 「スペアが本物に取って代わるためには、まず本物を消さなければならない」 「な……」 「この時、この状況を待っていた! ルートヴィヒを殺し、兄の私がヴァインベルガーの当主になる!」 「なんてことを……!!」 頭が真っ白になる。 ルイを、殺す? 何を言ってるの、この人は―― 「させないわよ、そんなことっ!!」 香水を噴射したまま、アーリックめがけて走る。 状況は一変した。駆け引きしている暇なんてない。この人を、何が何でも止めなければ! その時、ゆら、と攻撃の気配を感じたが―― 「あうっ……!?」 どん、と腹部に鈍い衝撃が走った。 目の前には、冷静なままのアーリックの顔。 反応が一瞬遅れた私に、蹴りを命中させていた。 「う………く……」 地面に倒れ伏し、うめくしか出来ない。 身体に力が入らない……。 (あれは…一瞬見えた、魂の奇妙な揺らぎは、もしかして………) 「ところで、先ほどの発言は方便だ」 「……………………」 やっぱり…。あれは嘘をついている揺らぎだったんだ。 「別にルートヴィヒを殺す気も、当主に成り代わる気もないから安心しろ」 「あ………」 そう、そういうこと。わざと煽られて逆上させられたのは私の方だったのだ。 アーリックは最初から、私の意図に気づいていた。 (悔しい……こんなにあっさり、手玉に取られるなんて……) 屈辱で身体が震える。せっかく力を貸してもらったのに……。 「お前は良くも悪くも情が深すぎる」 アーリックは私を見下ろし、手にした箱の蓋を開いた。 ふわり、と箱の中から小さな羽根が出て来て、私の頭に刺さった。 (なに……これ……?) 「ルートヴィヒの居場所は?」 「………東寮……ツバキの部屋の……シャワールームよ」 自分の意思に反して、口が勝手に動き答えてしまっていた。 そういう遺品だったのだ、と悟ったが、もう遅い。 「はっ!」 「それから寮を巡回している風紀委員に連絡して、該当の部屋を探させてくれないか。私も今から向かう」 (ルイ……! ごめんなさい、どうか無事で……) ハイジが出て行った後、俺達はペットボトルロケットの制作を続けていた。 「本体はもうじき出来るな。あとは、発射台とかいうやつか?」 「こっちは図面通り組み立てるだけみたいだから、すぐだろ」 「あ、あのさ……ちょっと思ったんだけど」 「なんだ?」 「もしさ、アーデルハイトさんが負けちゃった場合、執事さんのあの居場所ってすっごくヤバくない? なんか自白剤的な香水とかで喋らされたりとか」 「あ……」 「香水はどうかわからんが、遺品にはあるな。ヤバイのが」 「あるなあ……」 「だったら、面倒かもだけど一旦アーデルハイトさんの知らない場所に移動させておいた方が良くない?」 確かに、真実を言えなくなるような香水があったくらいだから、自白剤的な香水もないとは言い切れないだろうな。 そもそも遺品にはあるんだし。 「とりあえず、村雲さんの部屋にでもさ」 「いいよ! なんかヒメちゃんの人形ひとつ貸してもらって、一緒に置いててくれれば様子見れるし」 「ああ、もちろん構わないよ」 「じゃあ、ぱぱっとやっちゃおう」 スミちゃんはヤヌスの鍵を取り出し、さっさと鍔姫ちゃんの部屋のシャワールームへダイレクトに扉を開いてくれた。 「はいどーぞ」 「じゃあ私は人形を取って来る」 「おう、頼む」 俺は眠っているルイを抱え上げ、一旦扉のこちら側へと運び込んだ。 「お待たせ。これでいいかな、スミちゃん」 鍔姫ちゃんは、三毛猫のぬいぐるみを持って戻って来た。 「いいよー。相変わらず可愛いね!」 「わかった」 「はーい、じゃあ私の部屋へっと」 「……おっけー、誰もいないよ」 「村雲さん、ベッド使わせてもらっても?」 「良いよ。床に放り出すのかわいそうだもん」 「ありがとうございまーす。久我ちょっと待ってて」 そう言ってそそくさと先に入った黒谷が、ささっと手早くスミちゃんのベッドを整え始める。 (あー、男の俺が、女の子のベッドまじまじ見るのも悪いかな) ちょっと目を逸らして待っていると、黒谷は意外にも丁寧にベッドメイクをしている。 こいつ、こういうの苦手なタイプかと思ったらそうでもないんだな。 「おっけ、いいよ」 「おう」 黒谷は掛け布団を持ってスタンバッてくれているので、素早くルイをぬいぐるみと一緒にベッドに寝かせる。 「……これでよし、と」 布団を掛け、ぽんぽんと叩いて整える黒谷。 その手際の良さに、なぜかふとモー子の姿を思い出してしまい慌てて首を振る。 (あー、もう……アホか俺は……) 落ち着け、モー子はここにはいない。 ちょっと息のあった動きしてくれたからって、黒谷をそんな目で見てどうする。 (モー子がいなくなったからって、そこまで精神的に参ってるってのか……) いや、いい加減に気持ちを切り替えるべきだ。 これから先、いちいちこのざまでは話にならないだろう。 「どしたの? 帰るよ、久我」 「あ、ああ」 「………」 「おかえり。ロケット、完成したよ」 「発射台も出来たぞ」 「わー、やったー! 上出来だね!」 「………かっこいい」 「満琉、こういうの好きなのか」 そう言えば、子供の頃も俺にくっついてばかりいたから男の子のオモチャで遊んでること多かったからな。 今でもこういう物、けっこう好きなのか。 「……ハイジちゃんどうしたかな。戻って来ないけど……」 「まだ東寮の前で暴れてるのか?」 「それにしちゃずいぶん長くないか?」 「ヒメちゃんわからない?」 「わからないな、今私の能力は全部彼女に流してしまっているから」 「あー、そっかぁ」 「様子見に行くか?」 「……いや。もしアーリックとやり合ってたら、俺達には手が出せないからな」 「うん、かえって足手まといになりかねない」 「気にはなるけど、ハイジのことは本人に任せて、俺達はとっととこいつを打ち上げちまった方が良いと思う」 「……だな。とにかく魔法陣さえなんとかしちまえば、こっちの勝ちだしな」 「よし、じゃあ行こう!」 「はーい」 スミちゃんがスミちゃん人形を持ち、村雲が発射台を抱え、黒谷はペットボトルロケット本体を持って立ち上がる。 「あとはこれかな?」 「あ、そうです。その空気入れ」 そして、満琉までおずおずと立ち上がった。 「おい、無理すんなよ?」 「してない!」 本当だろうか。一応、もうふらついてもいないようだし……。 (向こうには、もも先輩もいるかも知れないからな……満琉がいてくれるのは心強いが……) 「本当に大丈夫なんだね?」 「だ、だいじょぶ、です」 「だったら、来てもらった方が……多分、魔法陣止められるのこれが最後のチャンスだよ」 「……………………」 スミちゃんの言う通りだ。 これが最後のチャンスかも知れないのに、満琉を温存しすぎて失敗したとあっては、いくら後悔してもしきれないだろう。 「なんかあったな、そーいうの。すごい魔法の薬とか温存しすぎて、使いそびれてゲームクリアしちまうってやつ」 「そうそれ! ラスト…なんとか病!」 「へえ、そんな病気があるのか」 「壬生先輩、それ多分真面目に聞かない方がいいやつです」 「え? そうなのか?」 「ばっちり知ってんじゃねーか……」 「………そうだな」 (……覚悟は、決めたしな) いざとなったら、満琉はなんとしてでも俺が守ってやればいい。 「わかった、ついて来い」 念のため、ハイジが戻って来た時のことを考え、ルイを移動させたことと、自分達は異空間へ向かうというメモをこっそり残していくことにする。 「……これでよし。さあ、行こうか」 「そうだな、その手前の踊り場辺りに開いた方がいいんじゃないか?」 「わかった!」 スミちゃんがヤヌスの鍵を取り出し、空中に扉を開く。 「ん? なんか変な感触?」 「あれっ? 階段の下に出ちゃった」 「直接乗り込めないように、細工でもしてんのか?」 「かもしれないな……」 「仕方ない。それなら階段を上るしかないな……。何かあるかもしれないから、充分気をつけて行こう」 ペットボトルロケットやら発射台やらを手分けして持ち、俺達は螺旋階段を駆け上がった。 「……げっ!」 先頭を走っていた俺は、見覚えのある巨体に気づいて立ち止まる。 「な……なんだあれ……?」 「なんで復活してんだ、あいつ……」 以前、風呂屋とここへ迷い込んだ時にいた怪物だった。 幻の火を噴く、俺にとってはトラウマ発生器のような忌まわしい存在……。 「あんなもの、いなかったのに……」 「生き物はみんないなくなってたんだよね? 呼び戻したのかな?」 「あー、それでさっき階段の下にしか出られないようになってたのか。この番犬がいるから」 「そういや地獄の番犬ってのも、火ぃ噴くんだったなあ……」 「噴くのかよ、こいつも!?」 「大丈夫だよ! この怪物、火を噴くんだけど偽物で、火に当たったら階段の下に戻されるだけだから!」 一度会ったと説明しようかと思っていたら、スミちゃんも知っていたらしく先に解説してくれた。 「あとどこかに停止ボタンがあったはず…えっとこれだったかな」 前にも押した緊急停止ボタンをスミちゃんが押してみるが、怪物は平然と居座ったままだった。 「……あれー、駄目だ」 「停止装置は無効になっているのか」 「そうみたい」 「でも、火は偽物なんだよな?」 「うん、そのはず」 「だったら強行突破出来ないか? おい、ちょっと発射台持っててくれ」 「おう」 発射台を受け取ると、村雲は階段を駆け上がり怪物に近づいていった。 「あっつ!!!」 「本物じゃねーか、春霞ッ!!」 「ええー!? 前は偽物だったんだよー!」 「うわ、本当だ。制服が少し焦げてる」 「……本気モード、ですね」 「どーすんだ、あれ……」 「…………どうしよっか」 「……………………」 落ち着け、と自分に言い聞かせようとするが、身体が言う事を聞かなかった。 「……消火器とか持ってくる?」 「消せねーだろ、噴いてる本体なんとかしねーと」 「ううん、どうしたものかな……」 悩み、議論しているみんなの声はまだ聞こえているのに俺は何一つ発言も出来ないでいる。 喉がからからに渇き、手は小刻みに震えていた。 (それどころじゃないだろ、しっかりしろよ俺……あの火は、あの火事の火じゃない……) それはわかっているのに。 何もかもが燃えつきた、あの火事の炎じゃないと。 なのに、怪物が本物の炎を吐き出した瞬間から、俺の身体はすっかり硬直してしまっていた。 ――――…ちゃん……おにいちゃぁん…… (満琉………逃げろ……) 火の勢いはどんどん増していた。 既に赤い舌が天井を舐め、辺り一面に黒い煙が充満している。 両親は――もうどこにいるのかすら、わからなかった。 (満琉、どこだ!? 返事しろ!!) 妹だけでも。俺は必死に、満琉の姿を探していた。 ――――逃げて……お兄ちゃん…… ようやく見つけた満琉は、放心状態で炎の中に佇んでいた。 不思議と、その周辺だけが燃えていない。 (馬鹿、お前こそ逃げろ!!) ――――…お兄ちゃんだけでも……… (だめだ……くそ、満琉……逃げろぉ……!) どうにか満琉に近づき、無理にでも引きずり出そうと思うが炎の勢いが強すぎて思うように動けない。 (満琉……逃げ………) 煙を必死で振り払い、もう一度満琉の姿を見つけようと痛む目を凝らす。 「……………………」 (え……誰だ………?) 満琉ではなかった。 まったく知らない、見たこともない少女が、ぽつんと焼け落ちてきた柱の向こうに立っていた。 (なんで、こんなところに、人が……) 呆気にとられるのと、頭上に嫌な音が響いたのとが同時だった。 ――――おにいちゃあ……ん…… 悲鳴のような、満琉の声。 ――――だめ……おにいちゃん……… ――――しんじゃだめ……だめ………! 「おにいちゃん……」 はっと我に返ると、心配そうな満琉が上目遣いに俺を見つめていた。 「お兄ちゃん?」 「あ、ああ。大丈夫だ」 満琉のおかげで我に返ることが出来た。 嫌な汗が滲んではいるが、なんとか動けそうだ。 「――あの怪物は、この階段までは追ってこないんだな」 「そうだね、ここのフロアを守るのがお仕事だからじゃないかな」 怪物対策について論じていた鍔姫ちゃんが、何事か思いついたようで真剣な顔で頷いた。 「それなら、誰かがひきつけているうちに、残りの全員が上への階段を上がってしまえばいい」 「やっぱそれしかなさそうですね」 「本当ならその役は私が適任なんだが…残念ながら、今は魔女の能力を流してしまっているせいで、そんなに勘が働かないからな…」 「駄目だよ! ヒメちゃんにそんな危ないことさせられないし、他の人達だって……」 「何の音だ?」 何か、階段にごつんごつんぶつかっているような音が、下の方から近づいてくる。 不審に思い、全員が会話を止めて注目していると―― 「ハイジちゃん!?」 「あ、ああ、よかった! いた……みなさん手伝って下さる!?」 消火器を幾つも抱えたハイジが、必死に階段を上ってくる所だった。 慌てて迎えに行って消火器を受け取る。 「大丈夫か!? どうしたんだ急に?」 汗だくのハイジが、息を整えながら答えた。 「ああ、あれ見て来たのか。アーリックは?」 「……ご……ごめんなさい、実は勝てなくて……一度捕まってしまったの」 「ええ!? 大丈夫だったのか!?」 「そんなこと構わないさ。よく無事で戻って来てくれたよ」 「まったくだ、よく逃げられたな」 「アーリックはすぐに行ってしまって、風紀委員だけだったから隙を見て逃げられたのよ」 「あの、私、遺品のせいでルイの居場所を話してしまったの。メモには移動させたって書いてあったけど無事かしら?」 「ああ、それなら心配ない。ルイなら今はスミちゃんの部屋だ」 「そう、ありがとう。それなら安心だわ」 「ただ、今誰もついてねーんだけど」 「それは仕方ないわ」 「大丈夫か? なんなら付き添いに戻るか?」 「……いえ、いいわ」 「いいのか?」 「ええ、私もあなた達と一緒に行きます。アーリックを止められなかった今、マヤの策にかけるしかないものね」 ハイジの決意は固いようで、迷いなくそう答えてくれる。 それなら、とハイジも加えて一緒に向かおうと言うことになった。 「……で、この消火器は何で?」 「ツバキがずっとパスを切らないでいてくれたから……感情が流れてきたの。何か火を消す物がいるんだって感じたの」 「そうだったのか! それならパスをつないでおいてやっぱりよかったよ」 「結果オーライだね!」 「そう言って下さると、気が楽ね。ありがとう、ツバキ」 そう言ってハイジは鍔姫ちゃんの手に触れる。 「どういたしまして。役に立って良かったよ。…ああ、これはすごいな」 「そうね。とても幻想的。これがあなたの力なのね」 「??? 何が?」 「あ、いや。そうか。スミちゃんたちには見えてないのか。パスを切る時に、なんだか綺麗なんだ」 「へえ、そうなんだ。私が風呂屋町さんとつないでたときは、そんなことなかったなあ。いきなり切れちゃったからかな?」 どうやら、流してもらっていた魔力を返していたらしい。 「とりあえず、これで怪物を煙に巻くくらいは出来そうか?」 「怪物?」 「あれ。火を噴くのよね」 「……消火器でなんとかなる生き物に見えませんけれど……」 「目くらましにはなるさ。これでひるませながら、なんとか突破しよう」 「そういうのは男の仕事でしょう。壬生さん達はロケットの材料運んで下さい」 「うん、それにヒメちゃんに力が戻ったなら、安全なルートを勘で探して誘導してくれた方が良いと思う」 「あ、あの……お兄ちゃんは、火が……苦手で……」 おずおずと手を上げ、満琉が意見する。 「そうなのか、じゃあ……」 「いや……」 苦手だから、といっても、ここは俺と村雲が目くらまし役をやるのが一番適任だ。 それに―― 「誰かを犠牲にして蘇ったって……嬉しくないよ! そんなの間違ってるよ!」 「だめだよ……言ったじゃん、こんなの止めないとって」 「おれがいたら、その代わり誰かが助からないんだよ……」 あいつは、自分が消える事をわかってて、それでも行動したんだ。 (なぜ、それが俺に出来ない……?) トラウマがあろうがなんだろうが、俺が適任なんだから引き受けるべきだろ。 「…………大丈夫だ。やらせてくれ」 「本当に、大丈夫なんだな? みーくん」 「ああ」 「……わかった」 鍔姫ちゃんは、それじゃあ、と俺に消火器を渡してくれた。 「お兄ちゃん!」 「任せろ。もう大丈夫だから」 「……………………」 「ほら行け」 心配そうな満琉の背中を押し、みんなの方へと向かわせる。 「き、気をつけて……ね?」 「満琉のこと頼むよ」 逡巡しながらも、満琉も鍔姫ちゃんについて行った。 「おし、油断すんなよ」 「そりゃこっちの台詞だ」 俺と村雲は消火器を構え、怪物の方へとじりじりと近づく。 怪物は、俺達に気づいたらしく、威嚇するようにうなり声を上げてきた。 「――行け、みんな!!」 ばしゅっ、と勢いよくノズルから白い煙が吹き出し、目の前が真っ白になる。 怪物が咆吼を上げ、ごおっ、と嫌な音が響く。 白い煙の合間から、赤い色が揺らめいた。 火だ、と思った途端動悸が速くなる。 「くっそ、意外と一本尽きるの早ぇな!」 悪態をつきながら、村雲は二本目の消火器を持ち上げすぐさま噴射する。 俺もいつの間にか尽きていた消火器を放り出す。 「――こっちだ! みんな姿勢を低くして……」 遠くで鍔姫ちゃんが誘導する声がする。 「……抜けたよー! しーちゃん達も早く来てー!!」 「よっしゃ! 行けるか、久我?」 「あ……ああ……」 答えるが、身体の震えはかなり酷くなってきている。 何度も目の前まで迫った炎のせいだ。 熱気が――あの熱さが、至近距離に感じられるたび動悸が速くなり、手が震える。 (くそっ……落ち着けよ、俺……!) 「ちっ……久我! 先に行け!!」 そう叫ぶと、村雲は空になった消火器を怪物めがけて投げつけた。 苛立った声を上げ、怪物が村雲の方を見る。 「走るぞ!!」 「……無茶するなよ……!!」 駆け出した村雲に続いて、俺も必死に足を動かし階段を駆け上がった。 「うわっ!?」 ――が、視界の端にいた村雲の姿が不意に消える。 はっと立ち止まると、村雲は転がっていた消火器のコードに足を取られ膝をついていた。 そこへ、最初から村雲に目を向けていた怪物がぐわっと口を開き、炎が噴き出す―― その光景が、まるで走馬燈か何かのように、やけにゆっくりと見える。 村雲の絶望的な表情までもが、はっきりと目に映った。駆け寄っても間に合わない。 このままじゃ―― 「――――満琉!!」 思わず、満琉の名を呼んでいた。 その瞬間何もかもが静止する。 時間が止まった――いや、ひどく緩やかな流れになっているのか。 ゆらゆらと村雲の目前で赤い光が揺れている。 (満琉の力が途切れないうちに……!) 途切れた瞬間、あの炎は襲ってくる。 それでも、この状況で村雲を助けられるのは俺しかいない。 自然に身体が動いていた。 あれほど恐ろしかった炎めがけて走り、落ちていた消火器を拾うと怪物の口めがけて投げつける。 そして村雲を担ぎ上げ、一目散に階段へと走った。 「う……え!? な、なんだ!?」 背後で炎が荒れ狂うのと、村雲が驚きの声を上げるのが同時だった。 間一髪。満琉の力が切れる前に、俺たちは怪物のフロアから脱していた……。 「はぁ………はぁ………」 駆け上がり、ひとまず村雲を降ろすとどっと汗が吹き出して来た。 息を整えようにも、動悸が治まらない。 「おい、大丈夫なのかよ……?」 「お、おにい、ちゃ……」 近寄ってこようとした満琉も、またふらついて近くにいたハイジに支えられている。 「……………………」 それに声を掛けようと口を開くも、まだ声を出せるような状態ではなかった。 ぜえぜえというかすれた呼吸音しか出て来ない。 (くそ……情けねえな……) 震える手で、なんとか額を流れ落ちてくる汗だけを強引にぬぐった。 黒谷が駆け寄ってきて、座り込んでいる俺の背に手を回しさすってくれた。 「しっかり……落ち着いて……」 「あ……ああ……」 優しく、背中を撫でる感触。 この感じ――ひどく落ち着く、懐かしい感触。 荒かった息が、だんだんと静まっていく。 (この……感触……) 「大丈夫……もう大丈夫です……」 「……………モー子」 「!!」 思わず呟いた途端、目の前でびくりと震えた黒谷を見る。 黒谷は目を丸くしてこちらを見返していた。 (え………この表情……) どこかで見た。いや、どこか、も何も――いつも、何度も見た顔だ。 この表情は……あいつの…… 「まさか………」 「……………………」 「お前………モー子か……?」 そう言った瞬間、どこからか緩やかなオルゴールのような音色が聞こえてきた。 「えっ、なに?」 そして、ふわふわと明るい色をした人魂のような光が現れる。 『……あなたは過去を変え、遺品の発動よりも未来に辿り着いた……』 人魂のような光は、黒谷の前に漂い来ると、穏やかな声でそう告げる。 『……どうやら私は、役目を終えたようですね』 「……………………」 『あなたの望みがかないますように』 黒谷は無言で、懐から箱――オルゴールらしき箱を取り出した。 「その箱……お前……」 ぱさり、と消えた箱の下にあった布が床に落ちる。 「魔法陣?」 布には魔法陣が描かれていた。 「あ………」 すうっと、何度か見たゆらぎが黒谷を包み込み――次の瞬間、俺の目の前にいたのは……。 「モー子!!」 「……ただいま帰りました」 少し照れくさそうな表情の、モー子だった。 「えええええ!? く、黒谷さんは!?」 「あれは、私です。ご心配おかけしました」 「え、ずっと? ずっとお前だったのか?」 「はい」 「は……はい、じゃねーよっ!! お前、どれだけ心配したと思ってんだ!!」 「怒らないで下さい。大丈夫だと言ったじゃないですか」 「あんなんでわかるかぁ!?」 「わかられては駄目だったんです。自分の正体が過去の時間の人達にばれたら、その時点で『過去へ戻れる』魔術は解けてしまうのですから」 「ですから黒谷さんのふりをするしかなかったし、誰にも言えなかったんです」 「過去へ戻れる魔術……? 今のがそういう遺品だったの?」 「そうです。さあ、急ぎましょう。もう時間がありません」 モー子は階上を指さした。 「いや、そうだけどよ……」 「説明なら歩きながらでも出来ます」 「わかったわかった! じゃあ本物の黒谷はちゃんと家に帰ってるんだな?」 「ええ、もちろんです。彼女の名誉のためにも言っておきますが、勝手に学園に戻るなどという非常識な行動は取っていません」 「とか言いながら、一番やりかねない奴選んでるあたりが鹿ケ谷だよなあ……」 「……それは否定しません」 「しかも、お芝居上手だねー。全然わかんなかった」 「わ、わりと必死でした」 そこは少々照れくさいらしく、ちょっと口ごもった。 まあ、いつものモー子のテンションとは真逆に近いキャラだもんな……。 「じゃあ、ペットボトルを通販していたのは最初から歯車に打ち上げるためだったのか?」 「ええ、こっそり通販の特急便で申し込みました」 「抜け目ねえな……」 「他には? 魔法陣に何故か変な影があるけど、あれも?」 「私です。礼拝堂の地下に忍び込んで、魔法陣が描かれた円盤に細工しました」 一度捕まった時、学園長に円盤を見せられたことがあるらしい。 そのせいで目立たずバレないよう効果的に妨害出来そうな場所をなんとなく把握していた、とモー子は説明した。 「いつの間にそんなことを……」 「あっ、もしかして食料取りに行ったっていう時?」 「そうだったの。じゃあウシオがいなかったら、魔法陣が照射された時点で私たちは負けていたのね……」 要するに、あの宝物庫から脱出するためにモー子は 『過去に戻れる遺品』とやらを使い……。 黒谷のふりをしてずっと俺たちのことを影からサポートしてたってことか。 分室からラズリットの石が消えていたのも、あの時黒谷の姿をしたモー子がすでに回収した後だったのだろう。 「理屈も行動もわかった。わかったけどな……」 「みーくん、すっごい心配してたもんねー」 「……ですから、それはご心配おかけしましたと最初に」 「わかってんだよ! わかってるんだけどな!」 「けど、なんです?」 「それでも心配だったってことだよ」 「面倒くせえ奴だな」 「うるせえっ!!」 「……………………」 微妙に困った顔でそっぽを向くモー子。 ちくしょう、ほっとしたせいで調子狂う。 (ああ、もう。それどころじゃないんだよ。それより魔法陣だろ……) 「とりあえず『保留』にして下さい。魔法陣が先です」 「………わかった」 「なんか急に納得したよ?」 「二人にしかわからない何かがあるんだろう」 「あら、秘密のワードかしらね?」 聞こえてるっつーの……。 「東寮を隅々まで探しましたが、執事さんはおられませんでした」 「そうか……」 「すみません。お嬢様にまで逃げられた上に……」 「いや、そちらは私も少し手加減をしすぎた。気にするな」 「は…」 「協力してもらって、すまない。では」 風紀委員に礼を言い、廊下を歩き去る。 「……………………」 屋上から、時計塔を見上げる。 アーデルハイト達の手持ちの材料から逆算すると、そろそろ感知阻止の香水の切れる時間のはずだ。 「一度試してみるか」 預かったままのヤヌスの鍵を、コートのポケットから取り出す。 虚空に差し込み回してみると、鍵に魔力が流れ込んだのがわかった。 遺品は発動したらしい。 「ほう、ようやく効果が切れたな」 予想通りだ。出現した扉のノブに手を掛けて回す。 「ここは……」 一度見たことがある部屋だ。 またここに隠れ場所を戻していたと言う事か。 室内に足を踏み入れると、すぐにベッドの上で寝息を立てるルートヴィヒの姿を見つけた。 「他の者は留守か。それは好都合」 一応、室内をざっと見回して観察する。 おかしな気配はないようだ。 (私を倒そうとあれだけ準備していたアーデルハイトがここを知らなかったと言う事は、相当慌てて移動させたのか) すぐにはルートヴィヒの姿が見つからないよう、偽装する暇もなかったとみえる。 (予定より大幅に時間を食わされたがな。とっとと連れて帰るか……) 随分苦労したが、これでようやくドイツに帰れそうだ。 眠るルートヴィヒを連れだそうと、ベッドに手をつき―― (……………………?) ふっ、と水面に浮かび上がるような感覚を覚え、意識が戻った。 右目の義眼から、また全身に魔力が行き渡っていくのがわかる。 (どうなったんだ、俺は……?) そうだ、確かアーリックと戦って……義眼の魔力はその時のままなのか……その後は一応アーデルハイト達と合流出来たはずだが……。 記憶はそこで途切れていた。 「……………………ん…」 目を開けると、どこかのベッドに寝かされているのがわかった。 「ここは……!?」 飛び起きて、周囲を確認する。見覚えがある。 村雲春霞の部屋だ、と気づきひとまず安堵した。 「……で、お前は何をしている」 傍らに、呆然と立ち尽くす義兄に向かって言う。 室内には他に人はおらず、自分とこの男だけのようだった。 「シーツを見てみろ」 ため息と同時に吐き出したような声だった。 こいつが、こんな声を出すのは珍しい。 おかげで、見てみる前に大体何が起きたのか察しはついた。 「……魔法陣。暗示解除か」 ベッドから降りて布団を剥いでみると、布団の下に重ねてあったシーツには魔法陣が描かれていた。 自分達が保管していた、以前使用した暗示解除の魔法陣だ。 「考えたのはウシオだな…」 ふっと笑みが漏れる。眠っている俺の身を餌にしてアーリックを罠に掛けたのだ。 そんなことを思いつくのは、彼女しかいない。 「これで暗示が解けたお前が、魔女の眠りを解いてくれたというわけか」 「……すまん。申し訳なかった」 自分達を迎えに来たはずが、まんまと敵の術中に落ちていたのはさすがにバツが悪いらしい。 ずいぶんと殊勝に頭を下げてきた。 「暗示は仕方がない。敵には時を操る魔女がいるんだ」 「そのようだ。魔女らしき人物にも会ったんだがな…」 「なら、今からでも俺達に協力しろ。この学園が何をしでかしているか懐まで入って全部見てきたのだろう」 「ああ、見て来た。だからこそ役目は放棄出来ない」 「おい……」 「わかるだろう、お前には。ここまで危険な場所に当主を滞在させるわけにはいかん」 「……………………」 舌打ちしそうになり、寸前で堪えた。 頑固な奴だとわかっていたはずだが、ここまでか。 「不祥事の責めは負う。それは当然だ。しかし役目と本家を裏切ることは出来ない」 「当主は俺だぞ」 「もちろんわかっている。だが、当主を早急に無事に連れ戻せ、というのが本家の命令だ」 「お前こそ、自覚しているはずだが。お前はこれまでの当主とは違う」 「……………………」 「性別まで変わってしまうほどの適性があるんだ。本家は、ここでの騒動でお前を失ってしまうことを何より恐れている」 「そういうつもりなら眠らせたまま連れ帰れば話は早かったはずだろう。どうして俺を目覚めさせた?」 「これがあったのでな」 そう言いながら、アーリックは手にしていた小さなメモを見せた。 ――Fairness 「……『公正』?」 ドイツ語でそういった意味だ。 「これが掛け布団の下に置いてあった」 「それで、俺を起こしたのか? 公正に?」 「暗示を受けてしまった私が、お前を眠らせたまま連れ出すのは、確かに公正ではないと思ったのでな」 「ふん……」 これもおそらくウシオの仕業だな。 アーリックがそういった行動に出ないよう、一応の手を打っておいたというところか。 (しかし、こいつの頑固さはさすがに計算外だっただろうな。……俺もだが) アーリックには俺の能力が効かない。 前の戦いでも使われた、こちらの能力を無効化する腕輪がある。 (間接的な力の使い方なら、どうにかなるかもしれんが……) しかしそんな暇を与えてはくれないだろう。力尽くで言う事を聞かせるのは無理だ。 性格上、どう説得しようと、意志を曲げることもないだろう。 (となると――) 息をつきながら、肩をすくめる。 他に方法はなさそうだ。 「わかった。今すぐドイツに帰ろうじゃないか」 「……ずいぶん素直だな」 「他に選択肢がない以上、仕方がない」 「アーデルハイトはどうする」 「置いていく。……当主の俺さえ帰れば問題ないんだろう?」 少しだけ考え、アーリックは頷いた。 さて……。 (……あとは本家をどう説得するかだな) 「よし、もうすぐ頂上だ」 「誰かいるかな?」 「気配はする……みんな気をつけて」 階段を上りきり、俺達はようやく歯車の浮かぶ頂上へと辿り着いた。 そっと顔を出して様子をうかがってみる。 「……揃ってやがるな」 どこから持ち込んだのか、椅子の背にもたれ休んでいる雛さん、それを見守る学園長ともも先輩。 揃い踏みである。 「学園長はともかく、もも先輩が厄介だな」 一旦、階段の下へ退避し、少し声をひそめて状況を話し合う。 「ここからは打ち上げられない?」 「ペットボトルロケットは、ある程度広さのある平地でなければ打ち上げにくいです。階段の上では広さが足りないでしょう」 「聖護院先輩さえどうにか動きを止められれば、なんとかなるか?」 「香水で無力化するしかないわね」 「それはオレ達でやるか」 「では、私が隙を見て打ち上げます。村雲さんは人形の制御のために待機を」 「うん、わかった!」 「満琉、大丈夫か?」 「ん……なんとか……」 ふらついていた満琉だったが、どうにか気絶するまでは至っておらずなんとかついて来ていた。 「無理しないで下がっていてくれ」 「うん……ありがと……」 「それじゃあ、香水を」 「おう、じゃあ行くぞ」 俺と村雲、ハイジ、鍔姫ちゃんが香水瓶を受け取り、一斉に螺旋階段の頂上へと駆け上がる。 いつも通り高笑いしていた学園長だが、俺の後ろに立つモー子の姿を見て笑みを消す。 「ほ、ほう? 抜け出したというのかね……」 どうやら、それは予想外だったらしく珍しく動揺した表情になった。 もも先輩がすっと立ち上がり、勢いよく俺達めがけて飛び出して来た。 もも先輩めがけて一斉に香水を噴射する。 慌てて転がるように後退するもも先輩。 「近寄らせませんよ、委員長」 「う、うぅ〜……壬生さぁん……どうしてそんないじわるするんですぅ〜?」 「いじわるなわけあるかっ!!」 「邪魔しないでくださーい!」 「邪魔してんのはアンタだよっ!!」 半べそをかきながらも、間合いを詰める隙をうかがうもも先輩を、四人で香水瓶を構え牽制する。 「ぢー!」 「ニノマエ!?」 しまった、あいつの存在忘れてた。 足元を凄い速さで白い影がすり抜けていったと思ったら、オコジョはあっという間にモー子達のいる後衛にまで突入していた。 「うわっ、なんか来た!」 「ちぃー!」 飛びかかられそうになったモー子がぎりぎりで避けると、オコジョはその足元に置いてあった空気入れに飛びつき階段の下へと落としてしまう。 「あっ……!」 空気入れがないと、ペットボトルロケットは発射出来ない。 あのオコジョ、それを理解して……いや、指示してるのは雛さんなのか? モー子は発射が不可能と見るやすぐさま、手にしていたロケットとそれに乗せる人形をスミちゃんへと渡す。 「このロケットなら直接触れていますし、『飛ぶ』イメージですよね!」 そうか、もう空気じゃなく魔力でなんとかする気なのか。 だったら―― 「鍔姫ちゃん! スミちゃんを手伝ってやってくれ、ここは俺達が!」 「わかった!!」 「壬生さん、香水を!」 代わりに駆けつけたモー子に香水瓶を渡すと、鍔姫ちゃんは急いでスミちゃんの元へと走っていく。 「スミちゃん、私の力も使ってくれ!」 「大丈夫…花火だってあげたし…私の力ならできるはず…」 スミちゃんはロケットに必死で魔力を込めている。 それに手を添え、魔力を渡す鍔姫ちゃん。 (あれだけは邪魔させるわけには……) 「見よう見まねだけど……行くよっ!」 スミちゃんが思い切りよく、両手でペットボトルロケットを放り投げた。 「いっけぇええ――――!!」 「くっ……かなり消耗するな……!!」 そんなスミちゃんを支えるように、鍔姫ちゃんもロケットに向かって手をかざす。 やったことのない浮遊を、ぶっつけ本番でやっているのだ。 制御の方法も何もわからないだけに、魔力の消耗が激しいらしい。 「あっははははは! なるほど、なるほど! よく考えたね! 見事だよ!!」 飛んで行くロケットを見上げ、大笑いする学園長。 笑いながら懐から何かを取り出した。 何だ、と注目するが遠くてよく見えない。 学園長は高らかに笑いながら、スミちゃんの方を指さした。 「村雲春霞!!」 びくん、と身を震わせ、スミちゃんが硬直する。 その周囲には魔法陣が浮かんでいた。 「!! あれは……!!」 見覚えがあった。 俺達も一度食らったことがある、あの遺品だ。 「サーペント……!!」 以前、村雲に使われた、名前を呼ばれると身動き出来なくなるやつだ……。 「スミちゃん!? スミちゃん、しっかり!」 「う……う、ごめん……」 「ロケットが……!」 スミちゃんの制御を失ったロケットが落ちてくる。 しかしそれは、歯車めがけていただけに俺達よりもかなり前方に―― 足を踏み出す間もなく、もも先輩が落下点に潜り込み受け止めてしまった。 「あーっはっはっはっは!」 呆然とする俺達を見下ろし、学園長が哄笑する。 「さあさあ、他に何か方法は考えていないのかな! この遺品、あと二人までなら拘束できるが、それは君らに策があるのかによるね?」 「まあ、順当に考えたら魔女である壬生さんは無力化しておいた方がいいかなあ?」 「くそっ……」 策なら、いま尽きているところだ。 おそらく今、あのはるか上空の投影機をどうにか出来る力を持っているのはスミちゃんだけだ。 どうにかサーペントを取り戻して、スミちゃんを解放しないことには……。 「――策ならあるとも」 背後で聞き覚えのある声がして、ふらりと姿を現したのはルイだった。 「ルイ!?」 それに、ルイと共にアーリック。 あの様子では暗示も解けたのか。 「……!」 それに気付くと、学園長はすぐさまサーペントをはめた指をルイ達の方へ向ける。 学園長はルイの本名を知らないかもしれないが、あれは確か『呼ばれる側の認識に反応する』遺品のはずだ。 それが愛称でも、自分のことを呼ばれていると感じてしまえば、効果は変わらないはず――― 「――」 「え……?」 その瞬間、時間が音を立てて軋んだ――気がした。 時が止まったのかと錯覚するほどに、ひどくゆっくりと流れている。 「これは……! 満琉が力を使ったのか!?」 何が起きたのか、と辺りを見回す。 満琉はきょとんとしており、こいつの仕業ではないらしい。 その満琉が見つめている視線の先を追ってみると、光の塊のようなものが、学園長の方からゆっくりとルイ達の方へ伸びていっていた。 「なるほど、名前を呼ぶ声に魔術を乗せているのか」 そう呟くと、ルイは無造作に自分に迫って来ていた光の塊をさっと手で払う。 するときらきらと光の粒が舞い、消えた。 「魔術だけを、払ったの……?」 「魔術だけを?」 「束縛するという遺品の効力だけを払い落としたのよ」 「て言うか、ルイ……お前も時間止めたり出来たのか」 「止めていない。これは魔女がその能力を発動する時に見ている、非常に緩やかになった時間だ」 「魔女が力を使うときにこうなるってことか?」 「能力による。俺の力は『音』だから、音を捕らえようと能力を発揮するとこうなる」 「音速を捕らえるというなら、それは遅くなるでしょうね……」 「俺が波長を合わせているから、お前達も認識出来ているんだ。時間が止まっているわけではない」 「時を操れる魔女はラズリットだけだもの。普通の魔女には時の流れそのものを遅くするなんて無理よ」 「え、じゃあ満琉がやってたのもこれか」 「ぼ、ぼく、時間止めたり出来ないよ…?」 「おそらくミチルは無意識に味方と認識している相手には波長を合わせてしまっていたんだろう」 ようは制御出来てないって事か。 だろうなあ……。 「…ルイ、それにアーリック!!」 急に学園長の声が響き、ぎょっとして振り返る。 時間は再び、元通りの速さで流れ始めていた。 「………んん!?」 「悪いが、それは効かんぞ」 「でしたらぁっ! ももが止めまーす!」 物理的に処理する気満々のもも先輩が、ルイに向かって猛然と駆け寄ろうとする。 が、それに匹敵する素早さで、アーリックがもも先輩の眼前に飛び出して来た。 慌てて足を止めるもも先輩。 「『声』という音を引き金にする遺品が、ヴァインベルガーに効くわけないだろう。原理としては、こういう事かな?」 「九折坂二人」 先ほどのスミちゃんと同じように、びくりと痙攣したかと思うと動きを止める学園長。 「聖護院百花。それから――七番雛」 片っ端から名を呼び、硬直させていく。 「遺品無くても出来るのか……」 「さっき実際に見たところだしね。音を操る魔術である以上、ルイの守備範囲よ」 「スミちゃん、大丈夫か!?」 サーペントが封印されたことで、スミちゃんの方の拘束が解けたらしい。 それなら、ともも先輩に駆け寄りペットボトルロケットを奪い取る。 「げっ、握りつぶされてる……」 わざとなのか、手加減出来なかっただけなのか不明だが、ロケットはとても飛び立てる状態じゃなさそうな無残な姿になっていた。 「そんなぁ……」 スミちゃんは『飛ぶ』というイメージが大切だと言っていたから、ロケットの見た目は思った以上に影響する…はずだ。 「何故ここにいるんだね? ドイツへ帰るのではなかったのか!?」 動けない学園長は、アーリックに向かって何事かまくしたてていた。 「たとえ暗示が解けたとしても、それが唯一の目的だったはずだろう!?」 「――待ってくれ。先に本家へ戻ると連絡を入れておこう。この門の外なら、衛星電話がつながるはずだ」 「うん? ああ、そうだな」 「……ああ、私だ。唐突だがヴァインベルガー家当主としての意向を告げる」 「おい」 「天秤瑠璃学園にて進行している計画は極めて危険だ。放置しておくべきではない。これを見捨てて逃げたとあっては当家の名が汚れる」 「……………………」 「したがって、ヴァインベルガー家の名誉に賭けて阻止する。これは命令だ。なんなら親族一同招集してうかがいを立てろ」 「……お前、最初からそのつもりで」 「……議論している暇はないと言っているだろう。このままでは魔術師としてのヴァインベルガー家は滅びるぞ」 「どこまで融通が利かないんだ、お前ら……わかった、代わりに他の条件を何でも飲んでやる!! どっちが得かくらい計算できるだろうが!!」 「本家は納得したぞ」 「半ば脅してなかったか」 「気のせいだ。戻るぞ」 「……条件というのは?」 「……………………」 「……後継ぎをつくれって話か」 「わかっているなら、聞くな」 「よく説得出来たわね」 「ちょっと!? なんで無視するのよ!?」 わめくハイジを放置して、ルイはさっさとモー子の側へ近寄る。 「空に浮かぶ歯車の上にある、魔法陣の投影機を壊さなければ、魔術が発動してしまうのです」 と、言いながら、俺が取り返した壊れたロケットをルイに見せるモー子。 「なるほど」 「今ので理解出来たのか」 「こいつを飛ばしてカスミが人形を操り、投影機とやらの照射を妨害する策だったのだろう?」 「……あってる」 こいつの頭も大概どうなってんだ。 「で、どうする?」 「ペットボトルロケットは潰れてしまいましたからね……」 「こ、このままでも……頑張ればなんとか……飛ばせる、かも」 「でもスミちゃん達、もう魔力ないだろ。あ、そうか、でも今はルイがいるから魔力は分けてもらえるんじゃ……」 そう言ってルイの方を見やると、緩く首を振られた。 「必要ない」 「必要ないって何が」 「つまり歯車自体を破壊すれば、投影機も落ちるということだろう?」 「ええ、その通りですが」 「お前の力ならば可能だろう、ルートヴィヒ」 「ああ」 躊躇いなく、空に手を伸ばすルイ。 ぶん、と空気が震えたような音がした。 「お前が? そんなこと出来るのか?」 「まあ見ていろ」 「あっ……歯車が揺れてる?」 「――!! 何をしている!?」 「共振だ。ルートヴィヒが発している音の振動に、歯車が共鳴している」 ゆらゆらと揺らめいた後、みし、ぴし、と嫌な音を立て、歯車にひびが入る。 細かい破片らしきものがぱらぱらと降ってきた。 「やめろ! やめたまえ!!」 学園長は必死に叫ぶが、もちろんルイがそれに応えるわけもない。 「音だけであんなに壊れるもんなのか?」 「声でグラスを破壊するのと原理は同じね。外部から同じ振動を与え続けて大きく変形させ、破壊を起こすの」 「なるほど、音は、空気の振動ですからね。赤い眼の魔女ならばそういう現象も起こせると言うことですね」 「すげえな……」 ぎしっ、とひときわ大きな音が響き、歯車の中央に亀裂が走った。 「あああああああ……!!!」 学園長が絶望の叫びを上げる。 「やめたまえ!! 君たちはそれでいいのかね烏丸君達を見捨てて友達を見捨てて!! 久我君!! それでいいのかね!?」 「う、ううぅ〜……だめぇ……」 「……………………!!」 もも先輩と、雛さんもどうにか呪縛から逃れようともがいているようだが、動けずにいた。 「どうする?」 手はかざしたままで、ルイは視線をこちらに向け俺に問う。 答えは決まっていた。 「……壊してくれ」 「久我君っ!!!」 「生憎だな。それはもうさんざん悩んで、腹くくってきたことなんだよ」 「う……うぅ……」 「ここに烏丸くん本人がいても、彼の答えも同じだったでしょう」 「……………………」 降ってくる塵の量がどんどん増えていき、やがて歯車そのものの形が崩れ始めた。 「ああぁ、投影機がぁ〜!!」 「! 落ちてくるぞ!!」 支えを失った投影機が、ぐらり、と揺れ、そのまま塵の中を通過し床へと落ちてきた。 「これで……止まった……」 「………そんな……………」 床に転がった投影機を前に、学園長が全身から力が抜けたような声を出す。 「が、がんばったのに……ずっとずっと、がんばってきたのにぃ……」 「……………………」 べそをかくもも先輩の横で、雛さんは恐ろしいほど暗い目をして黙って唇を噛んだ。 「これでもう大丈夫……………………」 「あ……あれ?」 勝利を確信して、一斉に空を見上げた俺達が見たものは――くっきりと映り続ける魔法陣だった。 「なんで!? 投影機落ちてきたよね!?」 「確かにあそこに転がってる……じゃあなぜ……」 「……焼き付いてやがる…!」 「焼き付いている? 魔法陣がですか?」 「長時間照射されたせいで、魔力で出来ている空自体に焼き付いてしまった…ということ…?」 「あれは壊せねーのか?」 「俺の力は固有振動数のある物には効くが、魔力で出来た異空間は無理だ」 「時間を掛ければ魔力は吸い取れるかも知れないけれど……もうそんな時間は……」 「は…………はは……ふふふふふ……」 言葉もなくうなだれていた学園長が、再び狂気の笑みを浮かべ声を上げた。 「運命だよ、これは!! 運命!! ご覧下さい、お母様!!!」 「魔法陣は無事ですぅ〜! よかったぁ〜!」 「……………うん」 「ははははは!! どうやらやはり私達の勝ちのようだねえ!! はーっはっはっはっは!!」 「くっそ……こんなのアリかよ……!!」 「あれを、消す……方法……」 「ふはははは、あるわけないだろう!? そーんな都合の良い方法が!?」 「音では、消せない」 すっと、雛さんがルイを見る。 「もちろん、香水も」 「い、言われるまでもないわよ!」 そして次に、スミちゃんを見た。 「空間に焼き付いている以上、人形を操ってもどうにもならない」 「う……」 「嘘が見抜ける? それも役に立たない」 「くっ……!」 そして、最後に少し離れた場所にいる満琉の方を見る。 「……あなたはそもそも魔力が操れないようね」 「………………」 「そう。もう誰にも、邪魔出来ない……」 満琉は、ふがいなさそうに俯いた。 「その通りです、お母様!! 今! ここに! お母様の『約束』は成就するのですッ!!!」 「いくら赤い眼の魔女と言っても! 魔女の能力には得手不得手がある! 最後はこんな結果になるなんて!!」 悔しいが、雛さんの言うとおりだ。 今の俺達の戦力で、あの魔法陣を消し去ったり止めたりする方法はない……。 「ははははははは! あはははははははは! なんという結末だ!!」 「どうやら運命の女神は我々に味方し、夜の生徒を蘇らせろと言っているようだね!」 「……ッ…!」 誰もが声を失い、呆然としている。 「……そんな、もう打つ手がない……なんて」 いつだって冷静で、ほんの小さなヒントも見逃さずに解決策を探してきた。 そんなモー子が、小さく囁いた。 モー子だけじゃない。ルイも、ハイジも、スミちゃんも、鍔姫ちゃんも、村雲も――。 誰かが誰かの弱点を補いながら、いつだって立ち向かってきた。 (許せねえ) 運命だとか、結末だとか。 (そんなもののせいで、こんな) 「……あってたまるか」 「久我……くん?」 「許せねえんだ、俺は」 たとえ光が一筋も見えなくても。 指さしてあざ笑われたとしても。 俺は、最後まで抗う。 「――そんな運命、受け入れてたまるか!」 思わず叫び返した、その時。 ふわり、と目の前にいつか見た少女の姿が現れた。 「っ!?」 「え……誰……?」 はっと周りを見ると、俺と満琉以外、誰一人突然現れた少女に注目している者はいない。 それどころか、少女の姿が見えてすらいない様子だった。 「………あんたは……」 「……………………」 少女は無言で自分の襟元に手を入れると、細い鎖を摘みペンダントを取り出した。 あの石は―― 「あ……」 はっと気が付くと、いつの間にかさっきまでいた場所とは違うどこかに立っていた。 「あれ、ここ……?」 「見覚えが、あるな」 「アーデルハイト、無事か」 「ええ……」 「なんだここは?」 「……前にも来ましたね」 「……………………」 「ああ……」 どうやら俺以外も全員いるようだ。 足元では、学園長ともも先輩、それに雛さんが気を失っているようで倒れている。 「ここは……夢の世界か……?」 どこかで見た記憶がある、と思ったが、以前、遺品の力で入り込んだ夢世界の風景のようだ。 しかし、前に来た時よりどこか薄暗いというか、憂鬱な雰囲気だった。 「……あんたは」 そして、目の前には、くっきりとした姿であの少女が立っている。 少女は切ない眼差しで、倒れたままの雛さんを見つめていた。 「それは……モルフェウスの石……」 ああ、そうか。少女が首からさげているペンダントの石。 どこかで見たと思ったら、モルフェウスの石だ。 見たい夢が見られるという遺品。 以前、クラスメイトの吉田そあらがこれをうっかり発動させてしまった騒動があった。 「いつか必要になると思って、お借りしていました」 そう言えば、夢の世界なのに俺も他の連中もきっちり意識を保ってるみたいだな。 前に来た時は、ハイジの香水の力を借りたのに。 「あなた方が今、意識を保てているのは、この夢を作ったわたしがそう望んだからです」 まるで俺の疑問に答えるかのように、少女は答える。 「……あなたは?」 「アンデル。もう名前はご存じですよね」 「――! あの日記の……!!」 「そうです。あなた方が遺品で綴ったあの日記で、クラール・ラズリットに『彼女』と呼ばれていたのが、わたし」 「ええぇ!? 本人!?」 「で、でも……亡くなったのでは……?」 「……ええ」 こくり、と静かに頷くアンデル。 「本当のわたしは、20年前にあの火事で死にました。ですから――」 首元のモルフェウスの石を摘んで持ち上げ、アンデルは語る。 「この夢の遺品で、あなた達の前に姿を現すかどうか、最後まで迷っていました」 「けれどもう、ほぼ時間切れです。他に方法はありません。これが最後の機会だと思い、出て来たのです」 「最後の機会、とは……?」 「どちらかを選んで下さい」 ちゃり、と音がして、アンデルが指を離したモルフェウスの石が鎖を鳴らし、揺れる。 「運命とやらを覆すことを選ぶか、選ばないか。今ここで、あの魔法陣を壊せる力を求めるか。求めないか」 「たとえそれが苦しみを伴う行為であったとしても…」 「……………………」 その問いに、俺達は顔を見合わせる。 どういう意図なのか、答えたら何かをしてくれるのか、真意を測りかね全員が戸惑っていた。 すっと、モー子がアンデルの方へ進み出る。 「私たちは誰も犠牲にならない方法を求めています。あなたの言う苦しみというのが、具体的に何を指しているかによります」 「わたしの言う苦しみとは――優しい嘘を捨て、隠されていた真実に向き合うことです」 ぞくり、と背筋に思わず声が出そうなほどの寒気が走った。 (なんだ……?) 寒気の理由がわからず、途方に暮れる。 「それならば、私に異論はありません」 「うん……もう誰も犠牲にならないんなら」 「みんな助けたいからね。20年前の生徒達も含めて」 「もちろん、俺たちにも異存は無い。そうだな? アーデルハイト」 「ええ」 「当主に従います」 満琉も、こくこくと無言で頷いていた。 「……ああ、そうだな。これ以上犠牲が出ないなら…」 寒気の理由は気になったが、アンデルに背く理由もない。俺も同意した。 「それでは、ひとつずつ、順序立てて、今から真実を話しましょう」 全員が同意したのを見て、アンデルは静かな口調で話し始めた。 「わたしがお母様――ラズリットに引き取られて、この学園にやってきたことは、日記を読んでご存じですね?」 「ええ、知っています」 「そして、20年前の惨事を引き起こしてしまったことも――」 わたしは、図書室のわたしの部屋で一人途方に暮れる。 思いつきは良かったはずなのだけど、ホムンクルスに心を与えるという魔術は実際に試みてみると思いの外困難だった。 「どうしてかしら……」 ソファに腰掛け、何度も読んだホムンクルス制作の魔術書のページを繰り返しめくる。 「……作り方は間違ってない」 だけどさすがに、心を持ったホムンクルスの作り方なんてどこにも書かれていなかった。 だからそこだけは、わたしが独自に考え、何度もやってみるしかなかったのだ。 お母様は、大事な御用があって海の向こうへ行ってしまっているので教わることが出来ない。 でも、戻って来るまでに完成させて驚かせる、というのは心躍ることだったので、わたしは意気込んで制作を始めたのだけれど……。 「みんな、心が消えてしまった……」 ホムンクルスが目覚める前は、確かに魂の揺らめきが感じられていたのに、目を開けた途端それは儚い夢だったかのように溶けて消えてしまうのだ。 それどころか、心を支えきれなかったかのように器である身体ごと弾けて消えてしまった子もいた。 「………今度こそ……お願い」 部屋の片隅には、誕生の時を待っている新しいホムンクルスが眠っていた。 ガラスに似た、つるんとした薄い膜の向こうで目を閉じ静かに誕生の時を待っている子に、わたしは一心に祈るよう魔力を注いだ。 この子で七番目。 消えないで――今度こそ、心を受け止めて。 「ただのお人形じゃない……あなたには心があるの、魂があるの……」 ほんのりと暖かい、魂の揺らめきが薄い膜を通して感じられる。 それはまるで、寒い日に遠くに見えているお家の窓灯りのような、嬉しくて待ち遠しくて、愛おしい暖かみだった。 「そう、それはあなたのものよ。あなたの魂。わたしが、あなたにあげる……だから……」 ゆらり――魂が揺れた。 聞こえてる。 この子にはわたしの声が届いている。 「いらっしゃい、ここへ。その心を持ったまま……わたしの側へ来て……」 ぱぁん、と膜が弾けた。 内側に満ちていたはずの水はきらきらした霧になって消えていき、そこには生まれたての『彼女』だけが立っていた。 よかった、消えなかった……。 わたしは心から安堵する。 自然と口許が喜びでほころんだ。 「………おはよう」 「……………………」 きょとん、とした顔で彼女は首を傾げた。 「気分はどう? ディーチェ」 かつてわたしが呼ばれていた、赤ちゃんを意味する言葉で呼んでみた。 「…………きぶん……」 小首を傾げたまま、ぽつりと呟く。 そして、一生懸命考えた風に、たどたどしく答えてくれた。 「えと……あったかい、です」 「暖かい?」 「おかお……」 おずおずと、わたしの顔を細い指が指し示す。 そして彼女は、可憐な蕾が花開くように微笑んだ。 「……やさしい、おかお。だから…えっと、なんだか…あったかくなりました」 「……………………」 全身に鳥肌が立つ。 一瞬にして水面の奥に取り込まれたように視界が揺れた。 「どう、したの……?」 少し驚いたように、ディーチェはわたしの顔をのぞき込んだ。 「おかあ、さま…………ないてるの?」 「ごめんなさい、大丈夫よ……」 「ないてるの? かなしい、の?」 おろおろと困り顔で、わたしに手を伸ばしてくるディーチェ。 愛おしいその手を握り抱きよせた。 「ううん、違うの。嬉しいの……とっても、とっても嬉しいのよ……」 間違いない。この子には心があった。 わたしの笑顔を見て暖かい気持ち、と言った。 わたしが涙をこぼすのを見て戸惑った。 「うれしい? おかあさま、うれしいの?」 「ええ……嬉しいの、あなたが生まれてきてくれて。とっても嬉しいのよ……」 「うれしい……わたしも、うれしい!」 ぎゅっと、ディーチェはわたしに抱きつきながら満面の笑顔で見上げてきた。 「おはようございます、おかあさま」 「おはよう、ディーチェ」 ――こうして、彼女はわたしの元へやってきた。 元気をなくしたクラスメイトへの贈り物のつもりであったが、結局わたしの手元に置いた。 失敗を繰り返している間に、ずいぶん元気を取り戻していてもうわたしの手助けは必要なさそうだったからだ。 それに、成功したとはいえ、ディーチェの魂はわたし自身初めて作ったもので、すぐに手放して大丈夫なのかという不安もあった。 だが、ディーチェは短い間に色んな事を覚え、どんどん成長していってくれている。 「もう『赤ちゃん』じゃないわね。ディーチェじゃなくて、ちゃんとした名前をあげなきゃいけないわ」 「なまえ?」 「ええ、そうね。……あなたは七番目の子だから……セドミー……『ディーチェ』に『セドミー』を足して、セディ、にしましょう」 「セディ……」 「そうよ、セディ。今日から、あなたの名前はセディよ」 「……うん! ありがとう、おかあさま!」 嬉しそうに、セディはわたしに飛びつき、首に手を回してくる。 わたしも声を上げて笑いながら、セディを抱きしめた。 ああ、やっぱり――。 この子はお人形じゃない。 こんなにも喜んでくれるなんて、本当に心があるんだ……。 成功した、その確信はあったけれど、わたしはまだ少しどこかで不安に思っていた。 セディが嬉しそうなのは、単にわたしの真似をしているだけだったらどうしよう……。 本当に、心から喜んだり、笑ったりしてくれているのだろうか……。 ずっとずっと心の奥で蟠っていた不安が、きれいに晴れていった。 「おかあさま、だいすき!」 「ありがとう……わたしもよ、セディ」 セディは純真で、素直で、とても優しかった。 わたしのことを大好きだと言ってくれる。 わたしが笑うと、自分も笑って嬉しいと言ってくれる。 わたしはセディが愛おしくてたまらなかった。 もう、この子を手放すなんて考えられなくなっていた。 「……ねえ、おかあさまは、いつも朝からどこへいってるの?」 「学園に授業を受けに行ってるのよ。お勉強してるの」 「わたしも、いっちゃだめ?」 「お勉強したいの?」 「うん。おかあさまといっしょに、おべんきょうしに行きたい」 どうやらセディは、昼間わたしがいなくて寂しいのと、色んな事に興味を持ち始めたので、授業に対しても好奇心を抱いてそう言い出したようだ。 わたしもセディと出来るだけ一緒にいたい。 教室に連れて行ってみることにした。 「おはよう、みんな」 「おはよー! ……あれ? その子誰?」 「見たことない子だね〜?」 「アンデルちゃんの親戚かなにか?」 「新しい命よ。わたしが作ったの」 「へ!? つ、つくった?」 「えと、あの、え……? そんな急に、こんな大きな子が? なんで?」 「どう見ても、おれ達とそんなに年変わらないみたいだけど……」 「……えっと……」 クラスメイト達はひどく驚いた様子で、ざわざわと戸惑いの声を上げるばかりだった。 「……………………」 (同じ年くらいの子が突然現れるのはおかしなことなの……?) このままじゃ駄目。 セディが怖がってしまう。 学園は楽しい所なのに理解してもらえなくなる。 「――この子は、みんなと同じクラスメイトよ。ここで一緒にお勉強する。そうでしょう?」 キィィン、と張り詰めた音が響いた。 使ってしまった……。 みんなの魂が一瞬凍りついたように揺らめくのを止め、さっと書き換えられるのを感じた。 否――わたしが、書き換えたのだ。 セディは普通のクラスメイト、何もおかしなことはない、と。 「………あ、あれ? えっと……」 「……何の話してたっけ」 「お友達が増えたのよ」 そう言って、まだ困惑気味のセディをわたしの後ろから手を引いて前に出す。 大丈夫、と目で語ると、セディはおずおず頷いて、みんなにぺこりと頭を下げた。 「……こ、こんにちは」 すると今度は、クラスメイト達はまったく戸惑った様子も見せずセディに笑いかけてくれた。 「よろしくね! 君、名前は?」 「………セディ、です」 「へえ、かわいいね!」 「セディちゃん、教科書は? 持ってる?」 「貸してあげようか?」 「お昼は? お弁当?」 「一緒に食べよっか!」 「え……えっと、ありがとう」 セディもようやくほっとした表情で顔をほころばせた。 (よかった、これで大丈夫……) わたしも胸をなで下ろした。 だけど―― 「なんてこと……! どうして……あの子はホムンクルス、よね……?」 ……お母様は、喜んで下さらなかった。 「それは罪なのよ」 「あるはずのない命を、人の手で生み出してしまうなんて、あってはならないの」 「そう……そうね。理解するのは難しいと思うわ。でもお願い、お母様と約束して? 同じ様なホムンクルスは二度と作らない、って」 喜んでくれないばかりか、ひどく哀しそうなお顔でわたしにそう言い聞かせるのだった。 どうしてだろう。 セディはこんなに素直で良い子なのに。 「お母様、どうしたの? 今日は、大切な人にお会いする日だって言ってたわよね……会えなかったの?」 「……いいえ、会えたわ」 「じゃあ、どうしてそんな哀しいお顔なの?」 「ごめんなさいね、心配させて。喜んでもらえなくて、少し残念だったの、それだけ」 「喜んで……もらえなかった?」 「ええ、でも大丈夫よ」 わたしはセディを強く抱きしめながら、誓う。 「あなたは必ず、わたしが守るから」 だから――お母様が、セディとはしばらく離れた方がいいかもしれないと言い出した時……。 あんなにも、動揺してしまった……。 「言わないで! あの子は違う……ただのホムンクルスとは違うの、お人形じゃないの!!」 「そうよ、ただのホムンクルスじゃない。あの子は…」 「セディよ! あの子にはセディっていう名前があります! お人形じゃないの!!」 あんな風に、お母様に対して声を荒げるなんて。 そのまま、仲直りも出来ないままに、わたしはかき乱された心を抱えたまま……あの日を迎えてしまった。 ――全校集会の日。 生徒達はみな、講堂へと集まっている。 わたしもセディと共にクラスメイト達と先生が来るのを待っていた。 (どうしたらいいの……セディと離れるなんてやっぱり嫌……) クラスメイト達は、みんな楽しげに他愛もない話をしている。 セディもその輪に加わってはいたが、やっぱりわたしの顔色が冴えないので少し心配そうにしていた。 (ああ、いけない……セディに不安を与えてしまっては……) 初めて教室に連れて行った時のことを思い出す。 戸惑ったクラスメイト達の顔。 そして、怯えたセディの顔。 すっかり学園を気に入って、クラスメイト達と仲良くなったのに、今更あんな風に不安な顔をさせてしまってはいけない。 あれも、わたしが魂を書き換えたからなのだけど。 本当はそうじゃないのに―― (……あれも、いけないことだったのかしら……) セディの存在は『自然なことではない』のだそうだ。 だったら、セディのためにみんなの魂を書き換えたあのことも――? 「……え? 君、誰?」 「えっ……」 「あれ? どこのクラスの子?」 「え…ていうか、いつからいたん…だっけ……?」 「ど、どうしたの、みんな……」 「――ッ……!?」 セディを見て不審そうにするクラスメイト達。 おろおろと戸惑うセディ。 魔術が、解けた。 わたしが不安に陥ったせいで、学園中にかけていたわたしの魔法が解けてしまったのだ。 「だ――だめ……!!」 「誰だよ? そっちのクラスの奴?」 「え、ううん。見たことないけど」 「どうして……? みんな、どうしたの?」 「いや、どうしてって……俺、君のこと知らないんだけど……」 「やめてぇ……!!」 セディを傷つけないで。 わたしはありったけの力を振り絞り、再び彼らの魂を書き換えようとした。 それが……わたしの、最後の過ちだった……。 「そこにいるの誰?」 「ねえ、なんか急に知らない子が――」 上手くいかない。 不安定になったままのわたしの心は魔術を上手く操れなかった。 「お、お母様……こわい……」 「やめ……やめて……お願い!! その子を傷つけないでぇっ……!!」 叫んだと同時に、自分の中から恐ろしい勢いで魔力が吹き出すのがわかった。 それは自分でも止めることが出来ず、ただただ不安定な心が瓦解していくにつれ広がっていくばかりだった。 「ひっ……!?」 「きゃあああぁっ!?」 「………え……」 「ひぅっ!? いや、あああぁ……!」 わたしの周辺で次々と炎に包まれる生徒達。 その炎は、わたしが書き換えようとした魂が、暴走した魔力に耐えきれず傷つき燃え上がっているものだと瞬時に理解する。 「あ……や、やめ……やめて……」 慌てて魔力を抑えようとする。 だけど荒れ狂った力は言う事を聞いてくれなかった。 「いやぁあ!? 誰か、誰かぁ――!!」 「お母様……おかあさまぁ……」 「たすけ、て……あつい……」 生徒から噴き出した炎は瞬く間にあちこちに燃え移り、講堂中が炎に包まれていく。 わたしは、わたしが引き起こした『厄災』の真ん中で、もう悲鳴すらあげることも出来ず放心していた……。 「……これが20年前の真実」 長い語りを終え、アンデルはそう締めくくった。 伏せ目がちな表情に、抱えきれないほどの後悔と贖罪が滲み出ているようだった。 「わたしは、ただ魔力を暴走させたわけではなく、自分の都合のいいように『魂の改ざん』を行ってしまったために、あの火事を起こしてしまった」 「わたしの力は、魂を操る能力……。魂そのものに働きかける力。でもそれは暴走すれば魂を傷つける」 「だから、人はその能力を持った魔女を『災厄の魔女』と呼んだの。わたしはその名の通り、災厄をもたらしてしまった……」 なんとも言えず、俺達は無言でアンデルの姿を見つめた。 「……わかりました。これでようやく、20年前に起きたことの真実が……」 そう答えるものの、モー子は少し不思議そうにアンデルを見ている。 (俺もひとつだけわからない。どうしてアンデルは今この話を……? 必要だったのか? 何にだ?) おそらくモー子の抱いた疑問もそれだろう。 そう思っているとアンデルは、少しだけ目線を上げ俺達を見回した。 「何故こんな話をしたのか、不思議に思っているのね」 「……その通りです」 「きっとすぐにわかる」 きれいな色の瞳に、哀しい色が浮かんだ。 「わたしがこの話をしたのは、思い出してほしかったから」 その視線の先にいたのは――満琉だった。 「……………………」 「満琉?」 明らかに様子がおかしかった。 満琉は真っ青になりがくがくと震えていた。 いつもの魔術を使った後の体調不良とも違う、心の底から震えているような……。 「おい、満琉? どうしたん……」 満琉は悲鳴を上げ、一目散に俺達の側から走り去っていく。 その姿は一瞬にして、夢の世界の奇妙な風景の中に溶けるように消えてしまった。 「満琉!?」 振り向くと、アンデルだった。 「あなたでは駄目なの。理由は後でわかります」 「え……?」 俺にそう告げるとアンデルは次に、俺以外のみんなに向かって言った。 「わたしが解放しない限り、この夢は終わらない。満琉はこの夢の世界のどこかにいるはずだから探してあげて」 「あ、ああ! そりゃすぐに探すけどよ……」 「手分けしよう。あの様子は、ただ事じゃなかった」 「任せて、みーくん! きっと見つけてくるから!」 「私達も行くわよ!」 「ja」 「……従うと承知したからな。手を貸そう」 次々にそう答え、四方に散っていくみんな。 「では私も――」 「あなたは残って」 「? なぜです?」 「必要だから」 「………わかりました」 不思議そうにしながらも、ここではアンデルの言う事を聞いた方がよさそうだと判断したのか、モー子は素直に止まった。 (満琉……一体どうしたんだ……) 「満琉ー! おーい!!」 ぐるりと辺りを見回してみるが、夢の世界は相変わらず気まぐれにすぐ風景を変えてしまい、安定してくれない。 これは作り主であるアンデルにもどうしようもないのか、あえてそうしているのか……。 (どこ行きやがったんだ……) しばらく走り続けてみたが、満琉の姿は見当たらない。 立ち止まり、はあ、と息をつき呼吸を整える。 (……満琉の行きそうな場所……) 遊園地や、公園、海岸といった様々な風景が蜃気楼のように現れてはすうっと消えていく。 どこもぴんと来なかった。 騒々しい場所は苦手だろう、という事くらいは推測がつくが……。 (家、とかか? いやでもあいつは、久我がいなくて寂しいもんだから学園まで飛んで来たくらいだし……) ――飛んで来た。 そうだ、あいつに最初に会った場所。 満琉をまだ遺品の本体かと勘違いして、何度か語らっていたあの場所はどうだろう。 「……って、どっちだよ」 いや、夢なんだから、あの場所へ向かっているんだと思い込めば辿り着くのかも知れない。 「――満琉!」 当たりだった。 走り抜けた先に、あの場所が出現し、満琉はそこで一人うずくまっていた。 「見つけた……おい、探したぞ」 「っ……ぅ、く……うぅ……」 駆け寄り、ぽんと肩に手を置く。 そして気が付いた。 「……満琉……お前、泣いて………」 満琉はうつむいて、ぼろぼろと涙をこぼしながら止まらない嗚咽を上げ続けていた。 オレが来るまで、ここでずっと泣いていたらしい。 「………どうしたんだよ」 「……………………ぅ……ぼ、ぼく……」 しゃくり上げながら、オレにと言うより見えない何かに懺悔するような口調で満琉は呟いた。 「お……思い、だした……ぜんぶ……」 「思い出した? 何をだ?」 「うぅっ……ひっく……」 「泣くなよ。……聞いてやるから」 「その……抱えてんの、辛いんだろ。思い出したってやつ」 「…………う………ぅ、ん……」 ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま、満琉はこくんと頷いた。 「……話せよ。今更、何聞いたってそんなに引きゃしねーよ」 「……………………」 「さっきのアンデルの話でも、充分衝撃的だったんだ。もう耐性ついてる」 「………ぼく……ぼくも、なんだ……」 「ん?」 「ぼくも……同じこと、したんだよ……!」 堰を切ったように、満琉が叫ぶ。 「ぼくも、あの人と同じことしたんだ! だから、燃えた……みんな、ぼくが、ぼくが……燃やしちゃったんだ……!!」 「お前が…燃やした……?」 「うちの、火事……お父さんも、お母さんも……お、お兄ちゃんの身体も……」 「……………………」 火事――久我が、あれほど炎が苦手になったのは……。 「ぼく、だった……ぜんぶ、ぼくのせいだったんだ……思い出した……」 ――たとえそれが苦しみを伴う行為であったとしても…… ――優しい嘘を捨て、隠されていた真実に向き合うことです…… アンデルの言葉が脳裏に浮かぶ。 あれは、このことだったのか……? 「ぼく……ぼくも、あの人と……同じように……魂を、かきかえて……」 「魂を!? お、お前にも出来るのか」 「……………………しずか」 満琉は、ひどく暗い沈んだ目でオレを見上げた。 「ぼくが、何を書き換えたと思う?」 「……………………」 答えられずにいると、満琉はぽつりぽつりと語り始めた。 久我家で、その時何が起きたのかを―― ……まだ満琉が幼い頃。 ふと夜中に目が覚め、なんとなく両親のいる気配のするリビングへ向かった。 「……あら、満琉?」 「どうした、眠れないのか?」 「お母さん……お父さん……」 「なぁに? どうしたの?」 「おかあさん……」 ――少し前に、そんな幼い頃の懐かしい思い出を夢に見た、と満琉は言う。 「……でもね……」 「それは、嘘の記憶だった。……ううん、本当にあったことだけど、その前に起きたことを、ぼくは思い出から消してたんだ……」 (お母さん達……まだ起きてる……) リビングからは灯りが漏れていた。 満琉がそっと近寄ると、中から両親の会話が聞こえてきて―― 「……そうね、あの子のためにも……」 「ああ、今の私達は、満琉のような子とどう接して良いのかまだ理解出来ていない……」 自分のことを話している。 そう気づいた満琉は、なんとなく足を止め、廊下で両親の話を聞いてしまった。 「しばらく、距離を置いて真剣に考えた方がいいのかもしれないわね……」 距離を――幼いながらに、それが自分はここからどこかへ行かなければならない話だと理解した。 「ああ、誰にでも相談出来るわけじゃない。もっと私達でよく話し合って決めるべきだが……」 「……田舎の叔母は、しばらく満琉を預かっても良いって言ってくれてるわ」 「そうか……。なら、その言葉に甘えさせてもらおう……」 自分は家から出される。 なぜ自分だけなのか、両親は自分のことが嫌いなのか。 この変な力のせいで自分にいてほしくないのか……。 おそらく両親は、満琉が疎ましかったわけではないだろう。 普通ではない力を持って生まれてしまった満琉に対し、何をしてやれるのか、どう接するべきなのか、それを真剣に話し合おうとしたのだろう。 そのために満琉を一時的に、親戚の元へ預けようという相談だったのだろうが、幼かった満琉にはそこまで理解出来なかった……。 (――――いやだ) (行きたくない。ぼくここにいたい。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんと一緒に。ずっとずっとここにいたいよ) 「あれ、満琉起きてたのかよ」 「おにいちゃん……」 「早く寝ろよ、こんなとこでぼーっと立ってないで」 妙な時間に目が覚めたせいか、兄は不機嫌そうだった。 その態度が、満琉をさらに追い詰める。 (いやだ、いやだ、いやだ……) (……きらいにならないで。ぼくを嫌いにならないで……) 不安と寂しさのあまり、満琉は無意識に魔力を発動させてしまっていた。 (みんな、ぼくのことをだいすきで。大事にしてくれる。そうだよね……?) 「そうだよね……」 「……あら、満琉?」 「どうした、眠れないのか?」 「お母さん……お父さん……」 「なぁに? どうしたの?」 「おかあさん……」 母は、何事もなかったかのように満琉を強く抱きしめてくれた――そうだ。 「なんか二人して、目が覚めたみたいでさ」 「お兄ちゃん……」 「ぼく……どこにも行かなくていい……?」 「まあ、何を言ってるの? 当たり前でしょう?」 「お前は大事なうちの子だよ。どこにもやるわけがないだろう」 「うん……よかった……」 「なんだよ、変なこと言い出すなあ。お前は、俺の大事な妹だろ……」 「だから……だから、お兄ちゃんが異常なくらいぼくのことを心配してくれるのは、ぼくがそう書き換えたからだ!」 魂の、書き換え―― 久我のあの態度が、妹に執着する姿が偽物? にわかには理解出来なかった。 「そのうえ、ぼくは…自分でやったくせに……これは偽物なんだって……ぼくは悪いことしたんだって……」 罪悪感と空しさで、心を不安定にした。 あの日のアンデルのように。 「……怖くて……いつか魔法が解けるんじゃないかって……そしたら、ぼくはやっぱり追い出されるんじゃないかって…そしたら……」 火事が、起きた。 アンデルが暴走させたのと同じように、生徒達が燃え上がったように……満琉の両親も……。 「みんな……みんな、燃えちゃった……お父さんも、お母さんも……家も……お兄ちゃんも」 「で、でも久我は……」 「……つくったの。身体、燃えちゃったから……だから、お兄ちゃん病気なんだよ……ぼくが、無理矢理作り直したから……」 「……………………」 「思い出した……全部……。ぼくが、燃えてる家の中で泣いてたら……あの人が来た……」 「あの人って、アンデルか?」 「うん……。ぼくの手を握って――忘れていてって……言った」 ――優しい嘘。 満琉のせいじゃない。 満琉がすべて燃やしたなんて哀しいことは忘れていなさい、とアンデルは満琉の記憶を封じていった……。 「だから…だから、全部忘れてた! ぼく、全部……ぼくのせいなのに……! 何もかも忘れて、ずっと今まで忘れてて……」 「それは、お前のせいじゃねーだろ! アンデルがそうしたんなら……」 「でも! でも、ぼく……どうしたらいいの……全部ぼくのせいだったのに、お兄ちゃんに何て言えばいいの…!? わからないよ……!!」 そう叫び、満琉はまた顔を伏せて泣きじゃくった。 「……………………」 掛ける言葉を探すが、なかなか見つからない。 一体、オレにどう語りかける事が出来るのか。 (こんな重い……重すぎるもの背負った奴にオレは何が言える……?) 久我なら、と思いかけて、はたと思い出した。 アンデルは、即座に後を追おうとした久我を、引き留めていた。 ――あなたでは駄目なの、と。 (そうか。今の久我じゃ何を言っても、満琉にとっては自分が書き換えた嘘でしかないんだ) だったら……。 オレにしか言ってやれないことが何か……。 (……考えてみりゃ、オレと久我は似てるんだよな) だいぶ前から思ってはいたが、なるべく考えないようにしていたこと。 あんなのに似てるとか冗談じゃないと思って気づかないふりをしていた。 (片方が魔女でなく、片方は魔女。オレと春霞と――久我と満琉は、同じだ) だから、オレが満琉を見つけられたんだろうか。 他の誰でもなく。 アンデルは最初から、オレにこの役目を振るつもりでいたのでは――そう思えてきた。 「……満琉」 泣き続けている満琉に、意を決して声を掛けた。 「春霞もさ、魔女だろ。オレは……だから、春霞のことがちょっとうらやましかった」 「……?」 まだしゃくりあげながらも、満琉は不思議そうに顔を上げた。 「ガキってのは、ほら、不思議な力とか、特別なーとか、そういうのに憧れるもんだろ」 「だから、双子なのになんで春霞だけって、拗ねたこともあったよ」 「……………………」 「……でも、春霞は、オレが病気になって倒れた時、そんな馬鹿な弟を助けるためにこの学園に来て、スケープゴートになったんだ」 「たった一人で、壬生さんが協力してくれるようになるまで、ずっと一人で時計塔に隠れて暮らして、魔力を捧げ続けてくれた」 「……………………」 満琉はもう泣き声は上げず、黙ってオレの話を聞いている。 まだ涙は頬を伝っているけれど、半狂乱になっていたほどの動揺は静まりつつあるようだ。 「……だからさ。もし今の、春霞に対するオレの気持ちが、あいつに書き換えられたもんだったとしても…」 「オレが、春霞に助けられたことは事実だし、変わらねーだろ」 「……………………ならない、の」 「当たり前だろが。どこに嫌いになる理由があんだよ」 「だって……勝手に……」 「それは……、だから、つまり……オレのことが好きすぎてやらかしたってことだろ」 顔が思いっきり赤くなるのがわかった。 さすがにはっきり言うのは照れくさい。 でも、春霞はオレのことを大事に思ってる。 そのことはオレみたいな単細胞にだってわかってる。 「だから別に、呆れはするかもしれねーけど、怒る気にもなれねーし嫌いにもならねーよ」 「……久我も、そうだろ」 「おにいちゃんも……?」 「ああ。こんだけ一緒にあれこれやってりゃわかる。あいつの今までの態度やら行動やら見てりゃあ……久我は、そういうやつだ」 「……………………」 「謝りゃ、許してくれるさ」 「……でも、ぼく……ぼくは……お父さんとお母さんを……」 「そりゃあ……取り返しはつかねえけどな。それだけはお前が一生背負っていくしかねーけど」 「……………………」 「でも、もう忘れたくはねーんだろ?」 「う、うんっ……!」 満琉は、大きく頷いた。 大粒の涙がまた、ぽろりとこぼれ落ちる。 「もう、いやだ……全部忘れて、ぼくのせいなのにみんな忘れて、ぼくだけ平気で生きてるのなんて……そんなのはもう、いやだ……」 「……だったら大丈夫だ」 「だいじょうぶ……?」 「お前がもし、辛いからもう一回全部忘れたいなんて言い出す奴だったら救いようがねーけどな」 「忘れたくねえなら、自分がやらかしたこと全部背負っていく覚悟があるって事だろ」 「……………………覚悟……ぼくに……?」 「ああ。出来るだろ。もう二度と忘れないで、魔力の使い方もちゃんと勉強してさ」 「……勉強は、したい。あんなこと、もう……やだし……」 「ならそうすりゃいいじゃねーか」 「それで……いいのかな。お父さんと、お母さんは……死んじゃった、のに……」 「お前が書き換えた久我の魂を元に戻して、謝って、そんで生きていくことが、亡くなった両親には一番嬉しいんじゃねーのかな」 「……………………」 「子供が幸せに生きてて、嬉しくねえ親なんていねーよ」 一瞬、ぽかんと目を丸くした満琉は…… 「うっ…、う……しずかぁ……!!」 「おわっ!?」 思いっきりオレに飛びついてきて、声を殺してすすり泣き始めた。 「こ、こら満琉ッ!? おいっ!?」 「ううっ…、うっ……く……うううう……」 「わかった! わかったから!! 落ち着けっての! なんでさっきまでより泣くんだよッ!?」 「だって……だってぇ…」 「ほら落ち着け、行くだろ謝りに?」 「うっ、うっ……うんっ……」 「ならもう泣くな。書き換えちまった久我の魂を元に戻して、謝ればいいんだよ。オレもついてってやるから」 「うん……あ、ありがと……うくっ」 「そうしねーと、何も始まらないからな」 こくこくと頷く満琉。 立ち上がり、オレが手を差し出すと素直に掴まって一緒に歩き出した。 アンデルは大丈夫だというが、俺はまったく落ち着けなかった。 満琉はどうしているのか……。 「満琉さんに、一体何が起こったのです?」 そわそわする俺の様子を心配してか、モー子がアンデルに尋ねてくれる。 「あの子は思い出したの。暴走を鎮めるためにわたしが封じていた記憶を」 「封じていた……?」 「どういう記憶です?」 「あの子は……わたしと同じ過ちを犯してしまったの」 そうしてアンデルは、かつて満琉も少しの誤解から両親と俺の魂を書き換えたのだ――と話した。 「あなた達は、自分を愛していると。とても大切にしていると、刻み込んだの」 「そんな……そんなもん、わざわざ書き換えられなくたって……!」 「……それが、全てを思い出した満琉さんには久我くんの本当の気持ちなのか、書き換えられた偽りなのか区別出来ない――そういう事ですか」 「そう」 「……………………」 だから、俺では駄目だと止めたのか。 偽りなんかじゃない、と俺は思う、けれど……。 (魔女の……力か……) その威力も脅威も、俺には否定出来ない。 何度も目の当たりにしたし、満琉自身が力を使う所も見ている。 「そしてあの子も…わたしと同じように力を暴走させて……」 「……あの……火事………」 あれが満琉の力の暴走だったことだけは、俺も覚えている。 でもまさか、満琉が書き換えた魂が燃え上がったものだとまでは知らなかった……。 そして、両親も家も、すべて燃えつきた。 だからと言って、俺には満琉を責める気などない。 制御出来ない力の暴走だったのだから。 たとえそれが、魂の改ざんなどという理由だったとしても、満琉はそれがもたらす最悪の事態など知らなかったのだから……。 (満琉……それを全部思い出したなら、満琉は今、どうなって……) 生きていることすら嫌になってはしないか。 それが一番不安だった。 アンデルはまた、それを感じ取ったのか、ゆるゆると俺に向かって首を振った。 そして虚空に目を向け、何かを探るような表情になる。 「安心して。満琉は泣いているけれど、無事でいるから。もう辿り着いた人がいるわ」 「誰かが見つけてるのか!?」 「ええ、他の人の気配がする。だからもうきっと大丈夫」 「離れていても、満琉さんの様子はわかるのですね」 「わたしの作った夢だから。だいたいのことなら把握出来るわ」 「満琉は……まだ戻って来そうにないのかな」 「もう落ち着いたようだから、少しすれば戻って来ます」 「そうか……」 少しだけ安心する。 誰かはわからないが、仲間が満琉の側にいてくれているらしい。 そのことで、だいぶ落ち着くことが出来た。 「……話の続きをします」 俺が安堵したのを見て、アンデルは改めて俺とモー子に向き直り話し始めた。 「わたしは、火事を抑えるために限界を超えた力を使い果たし消滅しかかっていました。そのことは日記で読んだのだったかしら」 「……ええ。読みました」 「その時、お母様――ラズリットに魔力を分け与えられて、かろうじて魂の消滅の危機からは救われたの」 「でも、命は落としてしまった」 「普通、その場合新しい命として生まれ変わるのですよね?」 「ええ、そうなったわ。ただしラズリットの能力でわたしとしての意識を魂の中に宿したままで、生まれ変わったの」 ――せめて、ほんの少しの時間稼ぎと、未来に希望を託して、あなたの意識をこの魂にとどめます… 日記に綴られていた、ラズリットの言葉を思い出した。 あれはアンデルの意識を生まれ変わっても保つために行われた魔術だったのだ。 「しばらくは、生まれたての新しい命の中でわたしの意識も眠っていました。わたしとしての記憶や能力が目覚めたのは、何年か経ってから……」 「それは、普通はそうはならないのですか? ラズリットの能力があったから?」 アンデルの意識が目覚めた時には既に、新しい命としての本来の人格が形成されていたのだ、という。 アンデルは、時々魔力で実体化することの出来る、不安定な幽霊のような存在になっていたそうだ。 (俺が見たのは、それか……) 夜中に、満琉の顔をのぞき込んでいた半透明の姿を思い出した。 「そのような存在になって、まず初めにわたしが考えたのは『災厄の魔女』としての力をどう抑えるか、ということでした」 「それは、新しい命の中で既に魔力が目覚めつつあったから。幼い頃から目覚めてしまっては、またわたしのように暴走するかもしれない、と……」 「考えた末、わたしは苦肉の策とも言える方法を選びました」 「……苦肉の策?」 「すぐ側にいた妹と『パス』をつなぎ、能力と魔力をすべて流して制限を掛けるということ」 「え……!?」 「妹に……そ、それは……!」 「……結果的に、魔女としての能力を弱めることには成功しました。けれど……」 「じゃあ、それじゃあ満琉は…!!」 「……そう。あの子の力が不安定なのも、使った後に体調を崩すのも、その力が自分のものではないから…」 「……………………」 「…………久我くん、なのですか。本当は……あの力の持ち主…あなたの生まれ変わりなのは、満琉さんではなく……」 「ええ――。久我三厳、あなたよ」 「俺、が………」 「何故あなたは満琉のことを秘密にしたいと思っていたのか。満琉は普通の人間なはず、そうさせてやりたいと強く思っていたのか……」 「それは、あなたが無意識のうちに知っていたからです。本当にそうなのだ、と」 「満琉は普通の子であり、魔女ではない。それこそが真実であると」 「……………………」 「あなたがどこか他人と一定の距離を取ろうとしていたのも、本当に危険な力の持ち主なのは自分なのだと無意識に理解していたから」 「……そう、でしたか」 学園に来てすぐの頃――俺は自分の本当の名すら、モー子達に強引に聞き出されるまで言えずにいた。 あれも……これも……全部、本当は俺が……。 「では、久我くんの魔力がほぼ皆無なのは、すべてを満琉さんに流しているから……」 「その通りよ。常に満琉へと流れている。だからあなたには魔力がない。ホムンクルスだからではないわ」 そう、誤解したこともあった。 人間では通れないはずの、宝物庫の結界を通り抜けられたからだ。 「……ごめんなさいね」 アンデルは哀しい目で俺を見つめ、謝罪の言葉を口にした。 「あなたこそが『災厄の魔女』なの。もう一人の、わたし……」 「……………………」 全身の力が抜けそうになるのを、両手を握りしめてかろうじて堪える。 だったら、俺は――満琉が犯してしまった過ちも、あの力も全部本当は俺のもので…… 「俺の方、だったのか……何もかも燃やしていたかも知れないのも……!」 それを俺は、知らずに全部満琉に背負わせていた。 俺が満琉の立場だったら同じ事をしでかさなかったなんて自信は微塵もない。 いやきっと、暴走させて何もかも燃やして、満琉さえ助けられたかどうか―― 「きみが自分で満琉さんに押しつけたわけではないでしょう!」 モー子は、震える俺の背に手を回し、優しく撫でさすってくれる。 「きみのせいではありません……自分を責める必要なんてないんです……」 「……………………」 「そう……。すべては、わたしのせいです」 深い後悔の色を滲ませ、アンデルが再び俺に頭を下げる。 「魔力を抑えるつもりが、結果的にまた同じ事を引き起こしてしまって……」 「いいえ、それ以前にあなた達の意思を確認せずそんな方法をとっていたことは、本当に申し訳ないと思っています」 「……他に、方法はなかったのですか」 「目覚めつつあった魔女の力を抑える方法は、何もなかったの」 そうしたら、いずれ俺であろうと満琉であろうと、強大すぎる力を持て余していただろう、とアンデルは言った。 「……あなたなりに、久我くん達を守ろうとはしたのですね」 「そのつもりだったわ。失敗してしまったから言い訳にはならないけれど……」 「……わからねえ、とは言わないよ」 モー子のお陰で、少しだけ落ち着いた俺は、アンデルに向かって言った。 アンデルはかすかに驚いたような目をする。 「あんたは俺だから、なのかな。必死に足掻いてくれたんだろうなってのは、なんかわかるんだ」 「……………………」 「まあ、その…どうせなら、満琉に背負わせるんじゃなく俺のままにしといて欲しかったとは思うけどさ…」 「そうだったら、今の満琉より力強いままだったんだよな。じゃあもっと酷い結果で、隣近所だの街中だのまで燃やしちまったかもしれないわけだ」 「…………その可能性は高いです」 「ああ、だったら……うちの親も、他人様に迷惑掛けてたら、さすがに許してくれなかったかもしれないな」 そういう親だった。もしも真相を聞いても、満琉を恨んだりしないだろう。 むしろ、そんなに寂しがらせたなんて、ごめんね――と、謝るような気がする。 「だから……。これで良かったんだ、とはさすがに言えない。それじゃあ満琉が可哀想すぎる。本当は俺が背負うべきだったんだから」 「でも、あんたが、出来る限りのことをしようとしてくれたんだろうってことは……理解出来てるつもりだよ」 「………ありがとう」 泣き笑いのような表情で、アンデルは微笑んだ。 「わたしは……どうしても、あなたを守りたかった。そして、わたしが傷つけた生徒達を助けて欲しかった……」 「すべては身勝手なわたしの犯した過ちから始まったことです。勝手なことばかり言って……本当にごめんなさい」 「でもわたしはそのために、お母様に意識を留めていただいたから……約束を守るために……」 「――! あ、あなたの……そうか、あなたの力があれば……!!」 「おまる達を……救える……!?」 唐突に思い出した。 あまりの真実に自分のことで精一杯だったが、そうだ、俺達の目的はそもそも―― 「救って、くれるの?」 アンデルは真剣な眼差しで、俺とモー子の顔を交互に見つめた。 「あなたは災厄の魔女としての力を、恐れず扱いきれる自信がありますか?」 「俺に……自信……」 「この力は、これまで不幸しか呼んでいません。人の魂はとても繊細なもの。扱い方を間違えれば、助けるどころか全てを失うことになる」 「……………………」 ――…おにいちゃん……おにいちゃぁ…ん…… 脳裏にあの火事の光景がよぎる。 ――にげて……おにいちゃん…… (あの力を……俺が背負う……) ラズリットの元で学んだアンデルでさえ、暴走させ悲劇を招いた力を、俺が……? 俺に、扱いきれるのか……。 (助けられるのか……?) 「止めちゃ駄目!」 「みっちー、駄目なんだよ…!! 壊さなきゃ…!」 (あの時みたいに、お前が、ここにいてくれたらな…) 「……っ!?」 不意に、背中からぎゅっと抱きしめられた感触に我に返った。 「きみなら出来ます!」 「モー子……」 「それでも不安だというのなら。私がきみを支えますから。烏丸くんの分も一緒に」 「……………………」 「……やりましょう。私達も、一緒に背負いますから……」 「その辛さは、私達みんなで背負っていきましょう」 ああ、そうだった。 あの時、モー子も俺の側にいてくれた。 俺を支えてくれた。 じんわりと胸に暖かいものがこみ上げてくる。 (俺は……なんで今まで……) 見ないフリをしてきたんだろう。わかってるフリをして……。 自分が、どれだけこの華奢な少女に甘えてきたか、初めて思い知った。 救われていたのは、きっと俺の方だ。 認めるのが怖くて、気恥ずかしくて、ずっと自分を誤魔化していたのかも知れない。 「……………………憂緒」 抱きついている細い手を取って離させると、くるりと振り返る。 「えっ?」 そして――驚いている顔に手を添えて、キスをした。 「!?!??」 当然のように、一瞬にして真っ赤になるモー子。 驚きと戸惑いと、そして微かな嬉しさが入り交じった何度か見たことがある表情。 ――俺の、好きな顔だ。 「お前、本当に俺のこと好きだな」 その可愛らしい顔を見返すと、含み笑いが漏れてしまう。 「はあ!? こんなときに一体何を言ってるんですか! そっ、そんなこと……」 「ないか? 俺はお前のこと好きだよ」 「……っ!!」 はっきりと言ってのけると、モー子は更に真っ赤になり絶句した。 視界の隅で、アンデルが微笑ましい顔でモー子の横顔をながめている。 「好きだよ」 「っ……な、なに……なにを……いきなり、あの、そんなっ……ほ、ほ……」 「保留は、終わりだ」 「……………………」 「いつか終わらせなきゃならないだろ。ちゃんとしないと」 「なっ、なんで今っ……!!」 「使いこなしてみせるから。すげえ力なんだろうけど、ちゃんと使いこなして、解決してみせるから」 「……………………」 「そんな馬鹿でかいこと支えろってのに、保留にしたままなんてのは、ずるいだろ」 「……お、終わってからで……そういうのは全部終わってからで良いですっ……!!」 「そうかぁ?」 「そうですっ!!」 凄い速さで何度も頷きながら、モー子はちらちらと横目でアンデルを気にする。 アンデルは柔らかな笑みを浮かべたまま、黙ってモー子を見ていた。 彼女は、安堵している―― 俺にはそれがわかった。 あなたには、支えてくれる人がいるのね――と、安心しているのだと。 「おーい、いたぞー」 遠くから村雲の声がして、見てみるとおずおずした様子の満琉の手を引いてくる所だった。 「……お帰りなさい」 すぐさま平静を装い、モー子が答える。 切り替え早くなったな。 「おかえり、満琉」 「……………………」 満琉は、真っ赤に泣きはらした目をしていた。 申し訳なさそうに口を開きそうになり、また閉じるという仕草を繰り返し、もじもじする。 「ほら、もう決めたんだろ」 「う…うん………」 村雲に促され、満琉はようやく真剣な顔で上目遣いに俺の目を見た。 「ごめ……ごめんなさいっ……!!」 「………いいよ」 「え?」 「アンデルから聞いた。俺の方こそ、色々背負わせてて悪かったな」 「え? え? 背負わせ……?」 「何の話だ?」 「あれ、もしかして満琉はここまで知らないのか?」 「知りません」 「先に言えよっ!?」 「だから何の話だよ?」 「あー、満琉。お前のその力な、本来俺のだったらしいんだ」 「………………へ?」 アンデルから聞いた、パスをつないで魔力を流していたという件をかいつまんで説明する。 「はあぁ!? なんだそりゃ!?」 「だから満琉はずっと不安定だったんだよ」 「……………そ、そうなんだ」 「なんでそんなややこしい事を……」 「事情があってのことですから」 呆れている村雲に、モー子が色々と解説を加えてくれる。 その間に、俺は満琉に向き直った。 「だから、全部自分のせいだとか、色々背負い込むなよ。お前だけのせいじゃないんだ」 「……お兄ちゃん………」 「起きちまったことは仕方ない。父さん達だって、許してくれるよ」 「………………本当に、そう思う?」 「ああ。お前に悪気がなかったことも、ただ寂しかっただけだってことも、俺も父さん達もわかってるからな」 「……………………」 じわあっ、とまた涙が目に浮かぶ。 それを止めるように、くしゃっと前髪をかき上げるように頭を撫でた。 「泣くなよ。もういいから」 そう言って、ぎゅっと俺の胸にしがみつく満琉。 暖かな何かが、満琉の手を伝って流れ込んでくるような感じがした。 「消えて…全部。ぼくがついた嘘……みんな、お兄ちゃんの中から、消えて……」 すうっ、と焦燥感のようなものが抜け落ちていくのがわかった。 満琉の境遇に対する焦り、何が何でも優先しなければという強迫観念のような何かが……。 (……ああ、だけど) 消えたのは、それだけだった。 「変わってないな」 「え?」 「相変わらず、お前は可愛い大事な妹だ」 「……………………」 「これは別に、お前の落書きじゃなかったみたいだぞ」 「……おに……おにいちゃ………」 「だから、心配すんな」 しばらく呆然とした眼差しで俺を見上げていた満琉は―― 「うっ…、う……うわああああああああああああああああああ…あああぁん……っ!!!」 「お、おい?」 堪えていたものが全て決壊したかのように、俺に抱きついてくると全力で泣き出した。 「お兄ちゃん……!! ごめんなさい、お兄ちゃん……っ、おにいちゃああん!!」 「わかったわかった。よしよし」 「うっ、う……ううっ……ふえぇ……」 「あーほら、泣くなってのに」 「うっ、うん……うん……、っく……」 泣きじゃくる満琉の頭を撫でていると、アンデルが近くに寄ってきた。 「……あなた達をずっとつないでいた魔力のパス。それを今から切ります。いいですね」 「ああ、いいぞ」 「……………………」 しゃくりあげながら、満琉もアンデルを横目に頷いた。 「それをもって、二人は正しい元の姿へ戻ります。つまり満琉は普通の人間に、あなたは――災厄の魔女に」 「……やってくれ」 こくりと頷き、アンデルは俺と満琉にすっと手をかざした。 すると、俺達二人の間に光の帯のような、道のようなものが浮かび上がった。 「……きれい」 アンデルは微笑み、その光を撫でる。 音もなく、光は満琉から俺のほうへと満ちてくる。 「これで、お前は……」 「……うん」 アンデルの指先から、光が零れて落ちた。 ひらり、ひらりと舞い、そして消えてゆく。 ずっとずっと昔、俺は似た光景を見た気がする。 ――そうだ。それは朝の光の中で一瞬だけ咲く花。 何かでその花を知り、いつか見てみたいと思ったんだ。 光の花弁はささやかに輝きながら散り行く。 「お兄ちゃん…ありがとう」 「……」 俺はアンデルを見つめた。 アンデルも俺をまっすぐ見つめ返し、頷いた。 「……それでは、この夢の世界ももう消します」 すうっと意識が浮かび上がるような感覚。 (ああ、これは――……) 目が覚める時の浮遊感だ、と思い出した。 アンデルは、と意識を巡らせると、佇んで寂しそうに雛さんを見つめていた。 「……何か、声かけなくていいのか?」 「……………………」 アンデルは寂しげな眼差しのままで、黙って首を振り微笑んだ……。 「……あ」 気づけば、俺達は全員もとの異空間に立ったままだった。 「え? 戻った?」 「あれ、いつの間に……」 「……どれくらい夢の世界にいたの?」 「数秒といったところだ」 懐中時計を取り出しつつ、ルイが言った。 ほんの数秒、意識を失っていただけのようだ。 「学園長達はまだ寝てるな」 「好都合だろう」 学園長ともも先輩、雛さん達だけはまだ倒れて眠ったままだ。 (!? これ、が……!?) ぶわりと強大な力が流れ込んでくるのを感じた。 満琉に流れていた魔女の力が戻って来たのだ、とすぐに悟る。 「みーくん、ものすごい力を感じるぞ…?」 「ん? ああ、元は俺のだったんだ。満琉から返してもらった」 「近くにいるだけで、びりびり来るよ!」 「……満琉、気分は?」 「全然平気。すっごくすっきりしてる」 「そりゃよかった」 「久我くん、魔法陣が!!」 空を見上げると、魔法陣は輝きを増している。 「もうかなり、魔力を吸収しているわ。早く止めないと!」 「……雛さん達に、事情説明してる暇はなさそうだな」 「後で良いだろ!」 「しかしあれ、どうやって……」 魔法陣を見上げ、この力をどうぶつければ壊れるのかと思案する。 そこへ、ふわりと半透明のアンデルが現れた。 「お?」 だが気づいているのは俺だけらしい。 俺にしか見えていないようだ。 「この力は魂そのものを操る力。そして魔力は魂の力。あなたならば、空間ごと、直接壊すことが出来ます」 そう言いながら、アンデルは空に向かって手を伸ばした。真似しろって事か。 「こうか?」 「手加減はいらないから、初めての腕ならしにはちょうどいいでしょう?」 「久我くん、やれますか?」 「――任せろ」 「お兄ちゃん……目が……」 「え?」 「赤い、よ?」 目の奥が、熱い。 視界こそ変わらなかったが、何故か俺の目は燃えるような赤に染まっているのだろうとわかった。 俺は溢れかえる力が暴れ出さないよう、深く息を吸い抑え込んだ。 思い切り伸ばした手を、空間ごと魔法陣を引きちぎるように動かしてみる。 「うわっ!? す、すご……」 「崩れてきた!!」 魔法陣は引き裂かれ、一部が崩れ落ちる。 「……いや、待て。修復速度が速い」 冷静な声でルイが告げる。 よく見ると、引き裂いた部分が凄い速さで再生していた。 「どこかに魔法陣の要が何箇所かあるはずよ!!」 「要?」 「全部を壊していたんじゃ間に合わないわ。要の部分を狙って!」 「わかった! どこだそれ!?」 「わかった、私の魔力使って! ヒメちゃん!」 ペットボトルロケットの打ち上げの時、魔力を使い果たしていたらしい鍔姫ちゃんに、スミちゃんが魔力を流し込む。 今の俺には、彼女たちの間に流れる魔力もはっきりと感じ取ることが出来た。 「きっとヒメちゃんなら、それがどこかわかるはずだよ!」 「ああ…ありがとう!」 スミちゃんの、わずかに残った魔力を受け取った鍔姫ちゃんが空を見上げる。 「――見えた! あの魔法陣の揺らぎがわかる。三箇所ある!」 「どこだ、鍔姫ちゃん!?」 「左上の――鈎印の横、それにそこから斜め下の外周の縁!!」 鍔姫ちゃんの指示を聞きながら、要とやらの場所を目で探す。 (しかしあの復元速度だと……) 三箇所を順に破壊している間に、最初の一箇所が復元してしまうかもしれない。 (少し大きめに壊した方がいいか? それで間に合うか?) 「コガ! ――復元は俺が抑えておいてやるから早くしろ!」 逡巡している俺を、ルイが怒鳴りつける。 「……助かる!」 「急げ。もうお前しか……」 「――――やめて!!!」 悲鳴のような声に、はっと目を向けると、いつの間にか目を覚ましていた雛さんがよろよろと立ち上がろうとしていた。 「やめて! それを壊さないで! お願いだから!」 雛さんの手に、力が収束していくのが見えた。 最後の力を振り絞って、時を止める気だ。 「黙って見てろ!」 びくっ、と俺の声に反応し雛さんの動きが止まる。 「夜の生徒は、俺が救ってやる!」 「……………………」 「みーくん、あとひとつは真ん中だ! 魔法陣のちょうど真ん中!!」 「――わかった。ありがとう鍔姫ちゃん」 改めて魔力を込め、鍔姫ちゃんの告げた要の箇所めがけて手を伸ばす。 「まず、ひとつ――」 めりめり、と軋んだ音を立て、空から引きはがされるように崩れる魔法陣。 左上がめくれたように崩れてきた。 隣でルイが手をかざし、魔力を魔法陣の傷めがけて注いでくれている。 修復しようとする力に、ルイの振動する力がぶつかっているのを感じる。 「それに、ここか」 外周の縁に手を掛けるイメージで、引きはがす。 「……………………」 音を立てて裂けていく空間を、雛さんは黙って呆然と見上げていた。 「……これで、最後だ」 振りかぶり、魔法陣の中心に魔力を込めて拳を叩き込むよう突き上げる。 ひときわ激しい音がして、魔法陣の中央から稲妻のような亀裂が走った。 亀裂が他の2箇所の綻びに到達すると、更に深い溝になる。 「……………………」 切ないような、虚しいような雛さんの眼差しは、崩れ落ちていく魔法陣をじっと見ている。 彼女が20年かけて築いた魔術は、今音を立てて崩壊しようとしている。 それでも、雛さんはもう動かなかった。 「……終わった。もう修復も追いつかない」 すっと、ルイが手を下げる。 「終わったの……? 本当に?」 「ああ……ほら、全部崩れ落ちてくる……」 「本当だ……」 光を放っていた部分は空から崩れると、光の塵のようになって消えていく。 そして、魔法陣の光は徐々に失われ―― ただの瓦礫と化した残骸が、ばらばらと降りそそぐばかりになった……。 「おい、退避だ。この空間ももう崩れる」 「そうだった! そういや最初からここ壊れるんだったじゃねーか!!」 「鍵鍵! あっ、私じゃない!?」 「預かったままでした、お返しします」 「学園長達はどうする?」 「担いで行くよ。置き去りってのもなんだし」 「……仕方ないな」 「どこ行く!?」 「ひとまず、学園長室へ。この人達の処遇をどうするか話さなければ」 「わかった!」 スミちゃんがヤヌスの鍵で開けてくれた扉に、みんな次々と走っていく。 「ヒナさんも早く!」 「え……」 「早く来いって!」 学園長を担ぎ上げながら声を掛けると、雛さんは戸惑った顔をしながらも大人しくついてきた。 「ふう……」 とりあえず学園長をソファに放り出す。 その隣に、アーリックがもも先輩を降ろした。 「もう、何とかなるか…?」 その様子をどこかぼんやりとしたように見ながら、ルイが尋ねて来た。 「ん? ああ」 「そうか。後は任せた……」 「ルイ!」 そう言い残すと、ぱたりとその場に倒れる。 どうやら限界だったらしい。 「まったく無茶をする…!!」 じっと目を凝らすと、確かにルイの魔力はほぼ尽きているのが見えた。 「あ。鍔姫ちゃんとスミちゃんもだよな。休んでてくれ」 「ふぁ〜い……ありがとー」 「そうさせてもらうよ……」 二人もくたくたとその場に座り込む。 「さて………」 「……………………」 「お話ししなければなりませんね」 「……わたしに?」 「ああ。俺達はな――さっき、夢の世界でアンデルに会ってきた」 「アン………デル………」 「あなたの、お母様です」 「……………………」 「思い出せないのか?」 「……わからない……聞いたことはある、と思う。でも……」 どうやら日記の通り、雛さんは長い孤独の果てにセディとしての記憶をほぼ失ってしまっているようだった。 (だから、声をかけなかったのかな……) アンデルは雛さんを寂しそうに見るだけだった。 自分のことを覚えていないと、知っていたからか。 「なら、まず先に言っておく。俺はあんた達が捜していた『災厄の魔女』だ」 「災厄の……」 「俺の力で、夜の生徒の魂を修復出来る。だからもう、あんた達はあんな馬鹿な儀式をする必要はないし、俺達に争う理由もないんだ」 「……………………」 雛さんは、俺の言葉をゆっくりと咀嚼するよう飲み込み、理解しようとしているようだった。 「夜の生徒がいる場所に案内してくれないか? 俺が必ず助け出すから」 「あなたにしか入れない場所だと聞きました。お願いします、私達も彼らを助けたいのです」 「助ける……助け、られる?」 「ああ、だから案内してくれ」 「……………………」 雛さんは、不思議な顔つきで俺の目をじっと見つめてきた。 「それは、命令ですか?」 「へ?」 「よく、覚えていないけど、わたしのお母様は『災厄の魔女』だったはず……あなたがそうだというのなら、今は私の主はあなたなのでしょう?」 「だから、さっきもあなたが黙ってみていろ、と言うので従いました」 あれは、そういう事だったのか。 やけに素直に言う事聞いたと思ったら……。 「なんてことだ……!!」 がばっ、と勢いよくにぎやかな人が飛び起きた。 学園長の勢いで目が覚めたらしい、もも先輩までもが起き上がってぽかんとする。 「お母様の、お母様!? 久我君が!?」 「そう」 「では、お母様は久我君に従うので?」 「な、なんか文句あんのか?」 「あるはずなかろう! お母様の決定ならば私達は喜んで従うのみだよ!! ははははは!!」 「ももも、お母様の言う通りなのですぅ」 学園長ともも先輩は、あれだけ妨害しまくってきたのに、別人のように素直に二人並んでちょこんとソファに腰掛け大人しくしている。 「ま、まあ……面倒がなくて良いけどな……」 この二人は正真正銘のホムンクルスなのだ。 雛さんの決定に従う、というのは何らおかしな行動ではない。 調子は狂うけどな……。 「改めて、ご命令を。主」 雛さんは、二人が落ち着いたのを見て、俺の方を見て言う。 「いや……。これは命令じゃない」 「命令じゃ、ない?」 俺の言葉に、戸惑う雛さん。 「君は人形じゃない。魂があるし、心を持ってる。自分が正しいと思うことを、自分の意思で選ぶんだ」 「……………………」 雛さんは、しばらくぽかんとしていたが、やがてぽつりと呟いた。 「わたし……わたしは、夜の生徒を助けなければ、ならない……」 「助けたいんだよな?」 「……はい」 「誰かに命令されただけじゃなくて、射場さんや風呂屋や、春日や……おまる達を…助けたいんだよな?」 「……そう…射場……射場、久美子……」 「思い出したのですか?」 「友達だったよな。仲良しの」 「……………………」 戸惑いしかなかった瞳の奥に、すっと違う色が浮かぶのが見えた。 それは、理解だった。 「くみ…くみちゃん……! ずっと、ずっと友達だった……昔から……」 「いたの、ずっと側に……くみちゃんは、わたしのこと、人間じゃなくてもいいって……気にしないって…」 「……良い友達じゃねーか」 「助けたい?」 「――助けたい、です」 雛さんは、はっきりとそう言い切った。 命令でも、思い込みでもない、間違いなく彼女の意思そのものの言葉だった。 「助けよう。俺達をそこへ連れて行ってくれ」 「……みんなは、無理」 「あ、そう言えば、時の止まった空間はあまり人数がいると負担になるのでしたね」 「そう」 「何人くらいなら大丈夫なんだ?」 「…………三人か、四人。それが限界」 「なら、任せるわ」 「ああ、特査に任せよう」 「……じゃあ、ぼくも待ってる」 ハイジと、休んでいる鍔姫ちゃんがほぼ同時にそう言ってくれた。 「では――」 「ああ、特査メンバーで、だな」 「おう」 自然と、俺とモー子、村雲が雛さんの側に集まる。 「わかった。じゃあ開ける」 雛さんはすっと指先で空間をなぞる。 そこに細い裂け目が出来たかと思うと、ふわりと広がる。 「……入って」 手招いて、雛さんが先に入って行く。 俺達三人は後に続き、裂け目に足を踏み入れた。 薄暗く、不思議な空間だった。 空中には、立方体の結晶のようなものがたくさん並んでいる。 「あの中に、みんながいる」 「この立方体の中にですか? 夜の生徒がいるのですね?」 「そう」 「……………………」 俺は意識を集中し目を凝らす。 「ああ、いるな。確かに」 箱の中には眠っている人の気配と、それに傷ついた魂の震えのような揺らめき。 「西寮の生徒の数より、ひとつ多い。人数はあってるな」 素早く数を数えていたらしい村雲が言う。 西寮の生徒数。そして残り一つはおまる。 「しかし……この数か。出来りゃいっぺんにどうにかしたいが魔力足りるかな?」 「そういえば」 「ん?」 「儀式に使うはずだった、大量のラズリット・ブロッドストーンがあるはずですよね?」 「必要? なら持って来させます」 「ぜひ頼む」 雛さんは頷き、少し小声で何事か呟いた。 ニノマエ君を通じて学園長ともも先輩に回収を頼んだ、と言う。 そう言えば、日記でもあのオコジョは連絡用とか書いてあったような。 「西寮の生徒の部屋にあるから」 「なるほどね」 待つほどもなく、大量のラズリットブロッドストーンを抱えた学園長ともも先輩が駆け込んできた。 「やあやあ、待たせたね!!」 「お持ちしましたぁ〜」 しかも、その後ろから―― 「睦月……!?」 花立が続いて飛び込んできた。 「おわっ!? こら、ついてきてはいかんと言ったじゃないか!!」 学園長のことなどさらりと無視して、花立は一目散にモー子に駆け寄り抱きついている。 「会いたかったよぉ〜!!」 「睦月、よかった……無事で……」 「なんで花立まで……?」 「儀式が行われなかったせいで、西寮の生徒はみーんな目覚めてしまっていて、今大騒ぎなのだよ!!」 「帰省中のはずなのに、急に学園にいたのでパニックなのですぅ」 「そりゃそうだな……」 「みなさんを実家に戻らせてあげて下さい。魔術でなくて、普通にでいいので」 「……そうして。二人、百花」 「はっ! もう一度帰省させればいいのですね、わかりましたぁ!!」 「行ってきますぅ〜」 「変な手段使うなよ!? 普通にバスで帰らせるんだぞ!!」 「承知しているとも! はーっはっはっはっはっは…」 「……大丈夫。命令だから、あの子達は言われたとおりにします」 「わかりました。なら任せましょう」 雛さんは、学園長達が残していったラズリットの石をひとつ拾い上げた。 俺も一つ手に取ってみると、石の中には何か紋様が彫り込まれているようだった。 「この状態で使えるのか?」 聞くと、雛さんは懐からもう一つラズリット・ブロッドストーンを出してくる。 「この核になる石と、同期して動くように魔術式を組み込んであります」 「なるほど、それに連動しているのですね。では、他の石を夜の生徒達の元へ置けば……」 「ええ。全ての石を同期させ、全員の魂を同時に修復することが出来るかも知れない」 「箱の中に入れりゃいいのか? じゃあやっちまおうぜ!」 「わかった、手伝うよ!!」 花立も元気よく手を上げる。 それじゃあ、と全員で石を箱の中に入れて行く作業に取りかかった。 「よいしょ、っと」 「すんなり入ってくれますね」 「ねー、これならすぐだよ!」 正直、花立はまだ何が何だか把握出来ていないだろうに、そんなことは後回しだとばかりにくるくるとよく動く。 「入れ終わったぞ」 「こっちもー」 「……………………」 俺も順番に石を入れながら、ずっと気になっていた箱の前まで来た。 (……よう、おまる) 最初にざっと見回した時、どれがおまるだか、俺にはすぐにわかった。 「これで、全部のようです」 「……わかった」 雛さんから預かった核になる石を軽く額の前にかざすと、俺は心の中で彼女の名前を呼んだ。 (――アンデル) 「ここよ」 ふわり、と気配が傍らに現れる。 (俺は、今のところちゃんと力を制御出来てるかな?) 「ええ」 (そうか……) アンデルは、俺自身だ。 彼女が頷いてくれるなら、俺は上手くやれているのだろう。 「……………………」 アンデルの姿が見えていないモー子達には、俺が単に集中しているだけに見えているだろう。 長いこと黙って動かないので、少し心配そうに魂が揺れているのを感じた。 (……どうやったら治せる?) 「壊れ物を扱うくらいに優しく、そっと包み込むように、魔力を流し込んで。傷を塞ぐイメージで」 (わかった。やってみる) 「それじゃあ……」 (あ、待てよ) 「なに?」 (雛さん……セディと、話さなくて良いのか?) ふわっと、またアンデルが首を振ったのがわかった。 「あなたがさっき言ったことは正しいわ」 (俺が?) 「あの子は人形ではない。ホムンクルスではあるけれど、魂を持った、限りなく人に近いものです。あの子にはもう、主は必要ない……」 その言葉を残し、アンデルの気配は消えた。 ……それが彼女の決断なら、俺はもう何も言わないでおこう。 すうっ、と大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。 (そっと包み込んで……傷を癒すイメージで……) 核となる石に魔力を注ぎつつ、アンデルに言われたとおりにイメージする。 目を開けて、核となる石を見た。 石はほのかな輝きを放ち、それと共鳴するように箱の中からも光が漏れていた。 「同期しています……」 「上手くいってるのですね。頑張って、久我くん…!」 「ああ……」 中に溢れた光を、そこで傷ついている魂を包み込むよう誘導する。 震えるような傷に触れ、光で包み込む。 すうっと、傷跡が消えていくのを感じた。 (もう少し……ほんの小さな傷も、全部、溶けて消えてくれ……) もう少し、核の石に意識を集中し、魔力を注ぐ。 「…? 久我くん、何か石の明滅が激しくなりましたが……」 「……一度に魔力を注ぎすぎてる。少し抑えて」 「わ、わかった……」 焦りすぎたか。 深呼吸して少し力を抑える。 思っていた以上に、制御が繊細で難しいようだ。 (繊細って、俺にはほど遠い言葉だな…) とはいえ、出来ませんでしたですむ話じゃない。 気を引き締め直し、石に意識を集中する。 「久我くん……頑張って……」 背後からモー子の祈るような声が聞こえる。 (ああ……約束したもんな) 使いこなしてみせる、って。 お前が支えてくれるなら、俺は―― ふ、と目の前の箱から懐かしい気配を感じた。 (待ってろよ、もうすぐだ……) 魔力は荒れ狂うことなく、核を通じてすべての箱に染み渡っていってくれた。 もうすぐ、また会える。 そう思った瞬間――ぱあっ、と核の石と、そしてすべての箱がいっせいにまばゆい光を放った。 一瞬、部屋中が光に包まれたかのようになり、光の中に浮かんでいるかのような感覚になる。 「……………………」 やがて光は少しずつ収まっていき、室内が見えるようになった。 「……………やっと会えたな」 「…………………………んん…」 膝を抱えた格好でうずくまっていたおまるが、身じろいで目を開けた。 ぱきん、と澄んだ音がして、箱から転がり出てきたラズリットブロッドストーンが砕けて消える。 「……! ラズリットの石が!」 石は次々と転がり、次々と割れていく。 「限界まで魔力引き出したからな……」 「大丈夫なのか?」 「ああ。雛さん、他の箱も開けてくれ」 雛さんはこくりと頷くと、近くの箱に手を掛けた。 少しおそるおそる、という手つきで、糸をほどくように箱を開いていく。 これまでは開けた途端にまた魂が燃えだしてしまっていたそうだから、内心緊張しているのだろう。 「………燃えない……」 開いた箱の中にいる生徒を見て、雛さんが驚きと喜びがまざったような声で呟いた。 「みんな……出て来て……。大丈夫よ、もう、誰も燃えない……」 雛さんは次々と箱を開けてまわる。 「……へ? ここどこだ?」 「ふわあぁ……ねむい……」 箱の中の生徒達は目を覚まし、きょとんとした顔で表に出て来る。 そして、俺の目の前の箱も。 ふにゃ……と、おまるは目をこすりながら箱から出て来た。 「………あ……みっちー……?」 「よお」 ……色々話したいことはあるはずなのに。 何も出て来なかった。 「烏丸くんっ……!!」 モー子と村雲が駆け寄って来る。 そしてその向こうでは、雛さんが射場先輩の元へ駆けていくのが見えた。 「寝ぼけてやがるよ、こいつ」 「しょーがないだろ、20年寝てたんだから」 ようやく色々思い出したらしく、おまるは驚愕の声を上げあたふたと俺達の顔を見回した。 「あれ? おれ、なんで? 消えたよね?」 「その身体もお前のだよ。心配すんな」 「……おれの?」 「ええ、烏丸くん。久我くんが、傷ついていたあなたの魂を癒したんです」 「もう誰にも憑依してねーから、安心しろ」 「みっちーが? 本当?」 「まあな」 「おれ、もう誰の身体も乗っ取ってないの? このまま起きてて良いの?」 「えっ?」 「えへ、初めまして。花立睦月です!」 「あなたの魂を降ろしていたのが睦月の身体だったんです。だから見つからなかったんです」 「烏丸くん何も悪いことしてないじゃん。むしろわたしを助けるために、消えるってわかってて力を使ってくれたんでしょ?」 「えと、あの、はい……それは……」 「わたしを助けてくれて、ありがとう!」 「ど、ども」 花立から差し伸べられた手を、おまるは照れくさそうに握り返した。 「……睦月。もしかして、そのために無理矢理学園長についてきたのですか」 「だって、夜の生徒がみんな助かるって言ってたからさー」 「律儀な奴だな……」 「でも、あの、みんなありがとう。色々頑張ってくれたんだよね? ここに来るまで」 「まあ、色々ありました」 「ありがとう……。なんかまだ夢みたいだ」 「もう夢じゃねえよ」 ぽん、とおまるの肩に手を置いて思いっきり握ってやる。 と、言いつつおまるは俺の手を捕まえ―― 「え?」 割とあっさりと肩から引きはがした。 「そんな力強かったのか、お前!?」 「そうだよ。だから体力ある方だって言ったじゃん」 「そ、そうか……」 前は身体が花立だったから、妙に非力だったのか。 「ふわぁ!? 久我くんだー!」 「あ、先輩ー」 わいわいと騒いでいた生徒の輪の中から、これまた懐かしい声が聞こえた。 「よお、風呂屋」 「おはようございます、ふたりとも」 「おはよーございますー!」 「なんか、先輩達が助けて下さったって、みんなが言ってるんですけど」 「……ありがとね、あんた達」 雛さんとともに、射場先輩が現れる。 「雛から聞いたよ。なんか色々迷惑掛けたらしいね、この子」 「……ごめんなさい」 「ああ、いえ、もうすんだことですから」 「ええ……この通り、すべて上手くいきました」 「そうみたいだね」 「すごぉい……! 久我くん達が、わたしたちを助けてくれたなんて……!」 「ありがとうございますっ!!」 他の生徒達も、みんな口々に俺達に向かって礼を言い頭を下げてくる。 照れくさくなり、全員でいやいやいやと恐縮するばかりだ。 「はぁあ……やっぱり王子様……悪い魔法から救ってくれるなんて、やっぱり……!」 「ね、ねこちゃん??」 なんか一人違う方向に感動してるのがいるけど、気づかなかったことにしよう。 「……あのさ、で、おれ達これからどうしたらいいのかな」 「あ、それは……」 「元の学園に帰るわけにはいかないんだよね、ヒナ?」 「……あっち」 射場さんの問いに、雛さんはすっと部屋の奥の方を指さした。 「扉?」 「あれは、この空間をラズリットが作った時の、特別な扉。過去につながっている扉」 「つまり、20年前か?」 「そう。あの扉から出れば、この時の止まった部屋から出ていないくみちゃん達は、元いた20年前の世界に帰れる」 「へえ、そうなのか」 「私達がくぐっても駄目と言う事ですね」 「……通れない。他の時代にいたことがあると、時間が通してくれないから」 「わたし達、夜の学園に通ってましたけど、あれは大丈夫なんですか?」 「魂だけ、召還されてたから、平気。かりそめの滞在だったから」 ということは、何か間違ってこっちの時代に連れ出したりしてたら大惨事だったのか。 そんなことにならなくて良かった、と胸をなで下ろす。 同じ事に気づいたらしいモー子もほっとため息をついていた。 (でも、これで本当に……) あの扉をくぐったら、本当にお別れなんだな。 「……あのさー、おまる」 「うん?」 「数学のノート借りて良いか?」 「あー、助かるわ。所々寝てたらしくて何も書いてないところが……」 「もー、みっちーはいつもそれだなぁ」 あはは、とおまるは呆れたように笑う。 この顔も、もう見納めか……。 「……でも、心配いらないよね。憂緒さん」 「はい?」 「なんか、おれが寝てる間に前よりもっと仲良くなってない? そんな気がするんだけど」 「おおっ、さすが元わたし! 鋭い!!」 「わー、やっぱりぃ? なんかふたり並んだ時雰囲気違うなーと思ったんだー」 「えっ、あの、な、ち、違うって……え?」 「意外とよく見てんのな、烏丸」 「村雲くんまで何ですかっ!?」 「いいじゃねーか、心配させるより」 「……………………」 「ま、そうだな」 「だよね? おれ、安心してていいんだよね?」 「……ああ。安心しろ」 「……………………」 照れくさいのを誤魔化したいが、結局何も言えない……といった様子で、モー子は赤くなったまま俯いた。 「……じゃあ、これでお別れだな」 「うん……」 名残惜しくはあるが、おまる達は20年前の人間だ。 元の時代に戻った方がいいに決まってる。 「うう……寂しいですけど……」 「ええ、お元気で」 「ありがとうございました。先輩達のこと、絶対忘れませんから!」 「それは嬉しいですが、春日さんは、忘れ物にも気をつけて下さい」 「ありがとうございますぅ……さようならぁ……」 「ねこちゃん…あんまり泣かないで……」 それに夜の生徒達もみな、少し名残惜しそうに部屋の奥へ向かう。 「あっ、あの…! 久我くんっ!!」 一旦、春日と共に扉へ向かいかけた風呂屋が、意を決したようにたたたっと俺の元へ走って来る。 「なんだ?」 「なんか、あの、き、記念? 記念に何かもらっちゃ駄目、かな……」 「何かって?」 「パンツ?」 「脱げと!?」 「……それ以前に、こちらの時代の物を持ち込むのは無理だと思いますが」 そんなすごい目で睨んでやるな、モー子。 怯えてるだろ。 「うう、そうですよね……ごめんなさい……」 「まあその、元気でやれよ」 「は、はいっ! みなさんもお元気で!!」 悪い奴じゃないんだけどなあ……。 「あんま20年後の学園に通ってたとか言うんじゃねーぞ」 「あはは、わかってるよ。てゆーか誰も信じてくれないって」 「……戻ったら、ほんの少ししか時間経ってないから」 「ん、わかった。火事現場から逃げ出してきたふりしてりゃいいよね?」 「ん? 雛も、一緒に戻らないの?」 「……ヒナはもう、あの扉をくぐれない」 「あ…そっか」 「ごめんね……」 「きゃっ!?」 射場さんは、思いっきりぎゅうっと雛さんを抱きしめた。 「いいよ、ずっと友達だから。離れてたって、ずっとね」 「……くみちゃん」 「忘れないよ、ヒナ」 「……………わたしも………」 つう、っと雛さんの頬を、涙がつたう。 人形であったなら、決して流れることのない感情がこぼれて落ちた。 「さよなら、ヒナ」 「……さよなら、くみちゃん。大好き」 「知ってるよ。あたしもさ」 「……それじゃあ」 雛さんが、過去への扉を開けた。 さよなら、ありがとう、と幾重にも声が重なり、夜の生徒達は順番に扉をくぐっていく。 その向こうはまぶしく、俺達の目には何の風景も見えない。 「……じゃあ、おれも行くね」 「ああ……」 「お元気で、烏丸くん」 「じゃあな」 「ありがとねー!」 「うんっ、それじゃあ……」 「おまる」 「ん?」 「もし…俺たちのこと覚えてたら……」 そんなこと本当に可能なのかわからないけれど。 元の時代へ戻ったとき、未来の記憶なんて残ってるかどうかわからないけれど……。 「20年経ったら、会いに来てくれよ」 「――うん! 約束!」 満面の笑顔で頷くおまる。 「みんなも元気でね!」 「おう、お前もな!」 そして手を上げて大きく振りながら、過去への扉へ向かって駆けていった。 「……またねー!」 そして――過去への扉が閉ざされた。 「…………またな」 ――――翌日。 夜の生徒達を無事送り返し、やれやれと一息つくと俺達はよほど疲れがたまっていたのか全員昼まで爆睡していた。 「……しかし、ずいぶん急ぐんだな」 「終わったらすぐ帰るって、ずっと言い続けてたから仕方ないわ」 「寂しくなりますね」 「ざーんねん。もうちょっとゆっくりお茶とかしたかったなー」 「わたしもー。せっかく帰ってきたのになあ」 事後処理が落ち着いたと見るや、ハイジ達ドイツ組は早々に帰国しなければというので、慌てて見送りに来た所だった。 「ごめんなさいね。私だってもう少しのんびりしたいのですけれど……」 「飛行機は既に手配済みです」 「……これだもの」 肩をすくめ、両手を広げてみせるハイジ。 その仕草に、花立たちは吹き出してしまう。 「あっはっは、しょーがないねー」 「忙しいもんね、お嬢様」 「ふふふっ…」 「もう、何よ? 本家のご機嫌取ったら、また遊びに来てあげようと思ってたのにやめようかしら」 「あーっ、うそうそ! また来て!」 「……うん、来て」 「うんうん、とっておきのお茶用意しとく」 「……本当?」 「ほんと、ほんと!」 「諏訪さんも実家から戻った頃に、また来るといいよ」 「……そうね、そんなに言うなら来てあげてもよくってよ?」 わざとお嬢様口調で言いながら、髪をかき上げてみせるハイジ。 「あははは、様になってるぅー」 「当然よ、本物ですもの。ふふっ」 「あはははは…」 女の子達は楽しそうに笑いあっている。 アーリックは少し呆れ顔でいたが、何も言わなかった。 「……おい、ちょっと来い」 「ん?」 ずいぶん黙り込んでるなと思っていたルイが、小声で俺を呼ぶ。 少し歩調を緩め、ハイジ達と距離を置くとルイは珍しく少し焦りを滲ませながら言った。 「お前の力で、俺を男に戻せないか?」 「男に? んー、出来るのかなあ」 「頼む」 「俺としては、まだ慣れてないしあんまり力は使わないようにしたいんだが……」 「死活問題なんだ、頼む」 なんか必死だ。 そこまで言うのなら、と集中してルイの魂をまじまじと見てみる。 「……………………どうだ?」 「うわ、こりゃあ……」 「なんだ」 「混ざり合ってる。他の人間とは明らかに違うよ」 「混ざり合って……?」 「ふたつの魂が、なんていうかマーブル状? みたいな感じで混ざってるんだよ」 「……………………」 「これだけきれいに混ざりあってたら、ちょっと手を出すのは無理…そうな気がする……」 「そ……………そうか………」 ルイは、地獄の底から響くような声で言い、目に見えて落ち込む。 「帰りたくない……。何故あの時俺はあんなことを約束したんだろう…あの時の自分を殴りたい」 一体何を約束したんだ。 どうやらルイには、帰国したらよほど恐ろしいことが待っているらしい。 (気の毒だけど、あれは魔女の力でも引きはがすの無理そうだよなあ……) 強引に上書きしたらしたで、何が起きるか見当も付かないし。 やはり危険なことはしない方がいいだろう。 「? なんだ?」 「頑迷に従うだけが忠義だと思うなよ、この石頭。ホムンクルスかお前は。学園長の親戚か」 「おい、なんだ急に……」 「自分の意思というものがないのか、この唐変木。命令に従うだけで良いなら猿でも出来るぞ。それで有能なつもりか?」 「つ、つもりも何も私は本家の意向をだな……」 「臨機応変という言葉を知らないのか? 有能が聞いて呆れる。結局最後は力押しのクセに。しかも敵の手駒になるとは、とんだ切り札だな」 「『敵に捕まり暗示をかけられるなどという失態は犯しませんが』などとどの口が言ったのやら。とっくに失態が服着て歩いてる状態だったくせに」 「そっ…それは……」 痛い所を突かれ、アーリックは言葉に詰まる。 だからといってルイの罵詈雑言は止まらず、ねちねちと責め立て続けていた。 「……おい、どうしたんだ執事は」 「なんか知らんが、帰国したら色々面倒なことが待ってるらしい」 「八つ当たりか」 「まあ、そっとしといてやれ」 「わ…私は……、ただ本家の意向に従おうとして……」 「それはホムンクルスとどこが違うんだ。お前本当に人間か。人類のプライドはないのか」 「……………………」 「はいはい、もールイもそれくらいにしなさい!」 「ja」 ようやく気が済んだのか、ルイはふんと義兄から顔を背けて口を閉ざした。 そう言えば、実際には当主ってルイだから、これって当主直々に罵倒されてることになるのか。 そりゃまあ、凹むわな……。 「ほら、帰るわよ! 元気出して、アーリック!」 「……はい」 「ふん」 思い切りうなだれたアーリックを、引きずるようにして正門を出て行くハイジ。 「それではみなさん、ごきげんよう」 「……またな」 「失礼します……」 「まったねー!」 「元気でねー、また来てねー!」 「いつでもいらして下さい」 ハイジは元気に手を振りながら、ルイとアーリックは肩を落としながら去っていった。 「……行っちゃった」 「さあ、戻ろうか。私達ももう休暇だから帰り支度をしないと」 「なんでオレが!? オレだって自分の支度あるんだぞ!」 「しーちゃん男の子だから早いでしょ! 女の子は色々と荷物が多いの!」 「まったく……」 「ぼくらも、帰るの?」 「まあな。久しぶりに家の掃除もしないと、埃たまってるぞ」 「はぁーい」 とはいえ、満琉は身一つで飛んで来たから荷物なんかないし支度ってほどのもんもないか。 「あっ、そーだ! 満琉ちゃん、夕べ言ってた服、なんなら持って帰る?」 「………いいの?」 「いいよー」 「待て。なんだ服って」 「私の着てない服、あげるって話」 「いいな、私も見に行っていいか? スミちゃんの服は可愛いからな」 「わー、わたしも見せてー!」 「もっちろん、いいよー」 「……言っとくが、春霞けっこうな服持ちだからな」 「俺のトランクで足りるのかな……」 「段ボールに詰めて送れ。絶対その方が早いから」 「………そうする」 「もーちゃんは?」 「あ、私は……持って帰る本の整理をしないと」 「そっかぁ」 「気が向いたらおいでよ。お茶しよ?」 「……………………」 満琉はスミちゃんの部屋に遊びに行ってしまい、なんとなく部屋に戻る気にもなれず分室へ来た。 まあ、俺の荷物なんか大した量じゃないし、夜でもいいよな。 (ハイジ達も帰っちまって……ずいぶん静かになるな……) ――あの騒々しくも、楽しかった日々は二度と帰ってこない。 この部屋で過ごした時間も……。 「あ……」 「モー子」 扉が開き、モー子が顔を出す。 「……お茶、入れましょうか」 「頼む」 俺の顔を見て、少し笑う。 多分、俺と同じ様な気分だったのだろう。 モー子の入れてくれたお茶を飲みつつ、ふたりきりで少し話した。 「一番の騒動は片付いたとは言え、遺品の封印はそろそろ全部解けますからね」 「だよなー」 俺の踏み壊した銅像の修復は、残念ながらまだ手つかずだった。 雛さんが言うには、不可能ではないが、非常に繊細な作業になるので時間が掛かるそうだ。 「具体的に言うと、あなた達の進級までに終わるかどうかわからない」 「……つまり、特査の任務は継続するしかないという事ですね」 「はっはっは! すまないなー」 「あんた絶対反省してねーだろッ!?」 「無理。九折坂二人には、そんな概念はないわ」 「主が反省しろと言うなら、するよ?」 「もももですぅ〜」 「どうする?」 「……無駄だから、いい」 結局、いなけりゃいないで色々不便だったし学園の業務も安定するということで、学園長達も雛さんの管理の下、元の仕事に戻っている。 「ま、仕方ねえな。乗りかかった船だし」 「そうですね」 「……てゆーか、モー子。お前、特査の仕事嫌いじゃないだろ」 「久我くんこそ」 「はは、まあな」 なんだかんだで、騒々しい日常が懐かしい。 のほほんと平和なのも悪くないが、俺はどうやら、妖精だの楽譜だのが飛び回っているような日常の方が性に合っているらしかった。 (……あの頃みたいな……) そう言えば、あいつは今頃どうしてるんだろう。 20年後ってことは、もう結婚して人の親になっているかもしれない年だ。 ……まるっきり想像着かないけど。 「………なあ、モー子」 「なんです?」 「あいつ、覚えてるかな」 「……………烏丸くんですか?」 「うん。覚えてたら、会いに来てくれって約束したけど……」 「どうでしょうか…」 ことん、と手にしていたカップをテーブルに置き、モー子は首を捻った。 「彼らにとって、私達は、本来あり得ないはずの『未来の記憶』ですから」 「だよな。それって残るのかな」 「こればかりは、ヒナさんにもわからないようでしたからね」 「そうだな……」 でも雛さんも、もし会えるなら会いたいだろうな。 射場さん達に……。 「でも……」 「ん?」 「覚えていてもらえたらいいな、と思います」 「………そうだな」 戻ってすぐは忘れていても、いつか……。 ふと思い出してくれれば。 ほんのつかの間、友達だった連中のことを。 「――はい?」 控えめなノックの音に、モー子が反射的に答える。 が、すぐに休暇中で生徒はほぼいないはず、と不思議そうな顔になる。 (村雲とかならノックなんかしないし、風紀委員か?) いやしかし、それなら何かのトラブルだろうから、あんなおずおずした調子でノックしてる場合じゃないはず……。 (まさか……) なんとなく懐かしい予感がして、俺は思わず席から立ち上がった。 「……えと、こんにちはー……」 「へ? 吉田?」 扉が開き、こそっと顔を出したのはクラスメイトの吉田そあらだった。 予想外の顔に、一瞬ぽかんとする。 吉田は、遠慮がちに扉の隙間から身体を滑り込ませるように室内に入ってきた。 「……なぜ、吉田さんがここに?」 「何してんだ、お前」 「あっ、あの、ごめんね! お休みなのになんか突然押しかけたりして!」 「何か困った事でもあったんですか?」 「えっと、それが……その……」 何故か吉田は、非常に言いにくそうに言葉を濁し、もじもじする。 「何かあったなら遠慮無く話して下さい。休暇中に戻って来るなんてよほどの事でしょう?」 「よほど、といえばよほど……かもしれないんですけど、その、実は……えーと……」 何事だろう。モー子に目配せするが、さすがのモー子もちょっと見当がつかない、と言った顔でこっそり首を傾げて見せた。 ―――その時。 まるで、光にうたれたように、突然に。 (――――あ) 唐突に、思い出した。 いつだったか、雑談混じりに吉田が言い出したあの話―― 「あ、そーいえば、まるくんて次男だったりするのかなぁ?」 「小太郎って次男につける名前なんだって。パパがそう言ってた」 (もしかして……!) 「えーとね、なんて説明したらいいのかなあ……あ、あれ?」 あわあわしている吉田の横を通り抜け、勢いよく分室の扉を開く。 「うわあぁっ!?」 「こら、逃げるな!」 悲鳴を上げ、慌てて扉の陰に隠れようとした人影を捕まえて強引に部屋に引きずり込んだ。 「逃げない逃げないっ! ちょっとびっくりしただけだってば!」 あたふたと両手を振るその顔は―― 「………おまる……! やっぱりお前か!」 「……えへ、久しぶり……」 すっかり成長して大人びてはいたが、面影はちっとも変わっていない。 おまるは照れくさそうに、昔通りの顔で笑った。 「烏丸くん!?」 「何を吉田に説明押しつけようとしてんだ」 「あああ、だ、だってー!」 「もー、本当だよパパ! 自分で説明してよね!」 「………パパ!?」 「う、うん……、まあ……」 「うちのパパです。すみません先輩、びっくりさせちゃって」 「ぱぱ……え、あの、烏丸くんの、娘さんが、吉田さん?」 「そーです」 「あ、苗字が違うのはね、おれが婿養子だからで……」 「んなもん、だいたいわかるわ」 「うう……みっちー、すぐわかったの?」 「なんか吉田が前に、小太郎って次男の名前ってパパに聞いたとか言ってたの思いだした」 「あはは、そっかー」 「……吉田さんは、烏丸くんが父親だと気が付いていたのですか?」 「まさかぁ!!」 ぶんぶんと吉田は両手を顔の前で振る。 「まさかクラスメイトがパパの若い頃だったなんて、いや同じ名前だなーとは思ってたけど、だってそんなの気付くわけないよね!?」 「う、うん、だと思う」 「……というわけです」 「そ、そうですか」 モー子はすっかり毒気を抜かれたようだったが、すぐに眉間にしわを寄せて考え込んだ。 「でも明らかに今の烏丸くんにも昔の面影がありますし、それでわからなかったということは何らかの歪みが発生したということ…?」 「それとも単に吉田さんの性格の問題なのか……」 「あ、パパ。わたし、部屋に置いてある服取ってきて良い?」 「ああ、行っておいで」 「それじゃわたしは失礼しまーす」 もしかして気を利かせてくれたのかな。 モー子はというと、延々と頭を悩ませている。 「んな、難しい話なのかね?」 「だって烏丸くんがこの学園にいた段階で、吉田さんはもう存在していたんですよ!?」 「そんなに不思議?」 「不思議じゃないんですか、烏丸くんは?」 「だってさあ」 おまるは、あっけらかんとした口調でにこにこと人の良い笑みを浮かべて、言った。 「みっちーや憂緒さん達が、おれのこと助けてくれないわけないもん。だから、そあらもちゃんと生まれてくるって決まってたんだよ」 「……………………」 「あ、だからね? おれ全部覚えてたんだけど、昔のおれがいる所に来ちゃったらなんかまずいことになるかなと思って……」 「だから、今まで来なかったんだ。思い出に首突っ込むのも嫌だったし。えっと、色々手伝わなくて、ごめんね?」 「……………………」 「諦めろ、モー子。おまるはこういう奴だ」 「?」 「わかってただろ、昔から」 「???」 「……もう、それでいいです」 ふう、とため息をついて、モー子は困った顔で笑い出した。 「本当に……しょうがない人達」 「そういう所が気に入ってるクセに」 「……………………」 「……ええ、気に入ってます」 「えっ!? 憂緒さんが素直に認めた!?」 「なんです、その意外そうな顔は」 少し照れくさそうにおまるをにらむモー子。 「あはは、ごめんごめん。だっておれの知ってる憂緒さんってそういう時いつも誤魔化してたから」 「そ、そうでしたか?」 「うんうん、よかったねみっちー。ついにデレ期が来たんだね!」 「なんですか、その怪しげなワードは……烏丸くんらしくない……」 「そあらに教えてもらったんだよ」 「あいつ、父親に何教えてんだ……」 「え? 使い方間違ってる!?」 「いや多分間違ってない」 「久我くんまで何ですか!?」 「なーんだ、合ってるんだ。よかったー」 「知りません! 私はそんな奇妙な期間に突入した覚えはありませんから!!」 「へへへ、懐かしいなー、この雰囲気」 「……そうだな」 またこの部屋で、揃って会えるとはな。 おまるの奴は、年を取っても中身はまるで変わってないみたいだし……。 「……特殊事案調査分室。いたら至急来て欲しいって風紀の人が」 「はい?」 「あれ、何かあったのかな」 「クソ久我ぁ――!! 早く手伝っ……うわあああ飛び回るんじゃねーこの骨格標本ーッ!!」 「……完全に何か起きてるな」 「遺品のようですね」 「では」 「特殊事案調査分室、出動します」 一連の事件が終わって、しばらく経った後――。 特例として生徒達に出されていた早めの長期休暇も終わり。 学園にはまた生徒達が戻ってきて、以前の賑やかさを取り戻していた。 「あ、壬生さん。校内の見回りですか?」 あれから夜の世界はもちろん完全になくなり、学園生活は少しだけ変わった。 夜になって生徒達が寮へ帰る事は変わっていないけれど、以前ほどの厳しさはなくなっている。 おかげで、放課後には風紀委員も少しだけ自分の時間が作れるようになっていた。 「わかります。特査も落ち着きましたが、夜になるとやはり色々気になりますね」 「そうだな」 夜の時間がなくなった今も生徒達を寮へ帰すのには理由がある。 壊れてしまった宝物庫の結界を再構築している最中のため、遺品が飛び出して暴走する危険があるからだ。 「はい。久し振りに家でゆっくりできました」 「はーい。それじゃあ、失礼します」 「失礼しまーす」 学園長や聖護院先輩は創造主――ヒナさんの正しい指示により、元の役職に戻ってきっちりと学園を運営している。 すべてが終わった学園は平穏そのものだった。 「あちらも、もう心配する必要はないようだ」 「ええ、そうですね」 「はい。それでは」 「………」 壬生さんの後姿を見送りながら、いつのまにかため息をついてしまっていた。 何もかもが、綺麗に解決した。 なのに。 ひとつだけ、気になっていることがある。 (……久我くん……) 結局、休暇中はバタバタしていて彼には一度も会えていなかった。 新学期が始まったから、流石にもう学園には戻って来ているはずだ……。 (別に他意はないんです……仲間ですから) (身体は大丈夫なのかとか、何をしていたのかとかそういうことが気になるだけであって……) 気が付けば、いつのまにか歩き出してしまっていた。 彼の教室に向かって、だ。 「………」 無意識な自分の行動に一旦足を止めてしまう。 けれど、やはり彼がどうしているのか気になって、再び歩き出した。 (何も連絡をよこさなかったのが悪いんです。特査の業務だってまだあるんですし) (顔を見て近況を聞くくらいは、おかしなことではないはずです。ええそうこれは特査としての業務であって、別に特別なことでは) いよいよ目的の教室の前まで来ると、一旦立ち止まって深呼吸をする。 別に緊張しているわけじゃない。 ただ、連絡もせず私達を放っておいたことにきちんと抗議すべきだから、落ち着かなければいけないだけ。 ――そこに、彼の姿はなかった。 「あ……れ?」 狭い教室の中を見回すが、どこにもいない。 そして、いつも座っていたであろう席には、代わりに。 「……」 彼の妹の満琉さんが座っていた。 緊張した表情の満琉さんは俯いて身体を硬くしている。 彼女がここにいるということは、つまり……。 「あ……あの、えっと……」 「その、ぼく……あ! ええと、わ、わたしはあの…」 「謝らなくてもいいよー。まーやちゃん、いつもこんなだから」 「いつも……?」 「えー。そういうの学園的にアリなの!?」 「そうなんだ! じゃあ、これからは満琉ちゃんがクラスメイトだね」 真弥さんとそあらさんに声をかけられ、満琉さんは必死に自分の言葉で答えようとしていた。 彼女もあの事件を乗り越えて、今までと変わろうとしているのかもしれない。 「あれ……? うしおさんだ」 「あ、本当だ。おはようございまーす」 「鹿ケ谷せんぱい、どうしたんですか?」 彼の席に座る満琉さんを呆然と見つめていると、話していた三人がこちらに気が付いた。 それに何となく居心地が悪く感じてしまうのは、どうしてなのだろう。 「あ……」 彼はいなかった。 身代わりをしていたはずの『久我満琉』の席には、本物の満琉さんが座っていた。 元々学園へ招待されたのは満琉さんだったのだからこれは、本来の状態に戻っただけの話……。 (でも、それじゃあ……) 満琉さんが学園に来て、あのクラスに通うことになった。 それはつまり……久我くんが学園からいなくなるということだ。 (別に…考えられなかったことではありませんし…普通の状態に戻っただけのことです) ひとまず自分に正論を言い聞かせてみるが、納得は出来なかった。 (……だからってなんの相談もなく決めるなんて、そんな身勝手な。私とのことは一体どうするつもりなんです) (……仲間だ何だの、相談しろだの、最初の頃は口うるさく言っていたくせに…また自分のことは棚にあげて…!) 「お前、本当に俺のこと好きだな」 「はあ!? こんなときに一体何を言ってるんですか! そっ、そんなこと……」 「ないか? 俺はお前のこと好きだよ」 「……っ!!」 「好きだよ」 (あれは一体! なんだったんです! 一体! どういうつもりだったんです!) (休暇中に顔を見せるどころか連絡も一切せず、挙句の果てに相談なしで学園からいなくなり、私を放置…) (久我くんなんか……もう……!) もやもや考えているうちに、気付けば授業は終わっていた。 すっきりしない気持ちを抱えたまま特査分室に来ると、部屋には村雲くんと睦月がすでにいた。 ここにいるのが、今の特査のメンバーだ。 久我くんも特査の一人だったはずだけど、これから一体どうなるのか……。 本人がいなければ、それもわからない。 「彼ならいませんでした。教室には満琉さんが代わりにいましたよ」 「久我くんの代わりに、彼女が学園に通うことになったようです」 「元々、学園への招待は満琉さんが受けたものです。今の状態が本来のものということでしょう」 「ここに満琉さんがいてももう危険はない。彼がそう判断して、満琉さんが通えるようにしたのではないかと思います」 「あいつ本当、極度のシスコンだな……」 「知りません」 「でも満琉ちゃんが来たってことは、みっちーは……」 「どうするのか、一言も相談を受けていませんから」 「つっても、連絡くらいしてくるだろ」 「…………」 「……あ」 「あ、連絡とかなかったの?」 「ええ……」 「おい、花立……」 「ん?」 「これ以上、やめとけ……」 「……んー」 「………」 考え方を少し変えてみよう。 彼が何をしようと、私には関係のないこと。 どうせ好きなことをするのだから、彼のことは深く気にするだけエネルギーの無駄だ。 ひとまず、彼のことは置いて、私は私のすべきことをする。 「そうだね。平穏そのものだよ」 学園長たちは、完全に結界が修復されるのは随分先だと言っていたけれど……。 結界が再構築され始め、遺品が倉庫から飛び出すことも減ったのかもしれない。 風紀委員と同じように特査の仕事も減り、これからは比較的平穏に過ごせるに違いない。 「じゃあ、今日はすぐ帰れそうだな」 「この様子だとそうなりそう」 「ふう……」 睦月と村雲くんが言ったように、何も起こらず時間だけが過ぎていった。 「じゃ、そろそろ帰るわ」 「うん。じゃあ、またねー」 「んー。お疲れ」 「もーちゃん、わたし達も帰ろう」 「……」 「ごめんなさい、睦月。……先に、帰ってもらってもいい…?」 「ん…なんとなく、そんな気分で…」 「ええ、わかってる。ありがとう」 考えごとなんて、本当はなかった。 もしかしたら、睦月はわかっていて、何も言わずに一人にしてくれたのかもしれない。 誰もいなくなった特査分室で、私は一人、いつもの席に座っている。 「…………」 「久我くんなんか…もう知りません…」 そう言いながらも、彼のことばかりを思い出してしまう。 どうしてあんな、自分勝手な人のことを考えてしまっているのだろう。 「……はぁ」 こんな状態で寮になど戻れるわけがない。 もう少しだけ、ここで気持ちを落ち着けてから帰ろう。 そう思って私は、目の前の机に突っ伏しゆっくりと目を閉じた。 少し眠ってしまうかもしれないけれど、それでもかまわない。 それはそれで、きっとどこかすっきりするのではないだろうか。 ――そんな期待を込めながら。 「………」 ふわりと、優しい感触がする。 やはり私はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。 どこか夢うつつのまま、ゆっくりと思考が動き出してゆく。 「……ん……?」 これはどういうことだろう。 誰かの指先で、頬に触れられている……? 何となく予感を感じながら、私はゆっくりと顔をあげる。 扉を開いてそっと分室の中に入ると、やはりモー子はそこにいた。 うたた寝をしているみたいだ。 穏やかに眠っている姿を見つめていると、自然と手がのびて、白くて柔らかな頬をそっと撫でてしまう。 「……ん……?」 「……あ」 「…………」 モー子はぼんやりした顔で俺をしばらく見ていたが、やがて表情を驚きへと変えた。 「え……!」 「あ……悪い、勝手に触って。その、久し振りだからつい……」 「…………」 口をぽかんとあけたまま、凍りついたように止まっている。 やっぱり、いきなり触るのはまずかったかもしれない。 (久我くん、どうしてここに、それに制服じゃない……スーツ??) 「その、起こすつもりはなかったんだ」 (いつもは着崩しているから、きちんとネクタイを締めているのはなんだか新鮮……これはこれで似合ってますね…) (いえ、そうじゃなくて!) 「いや、その……怒ってる……?」 (そうじゃないでしょう、今考えるべきは別にスーツを着る必要などないのにどうして彼がそのような格好をしているか……) (は! この脈絡のない突然の展開は…! まさか!) (まさかまた……! いつもの……! あのどうしようもない夢の一環……!) 「だからその、悪かったって。な?」 「おーい。モー子ー、聞いてるかー?」 「…………」 「ふーん」 あ、ヤバイ……これは怒っている。 やっぱり勝手に触ったりしないで、ちゃんと起こしてからにすればよかった。 「白衣やメイドの次はスーツですか。なんですか? またコスプレですか」 「え? いや、これには一応理由がな」 「別にききたくありません」 「うっ……」 取り付く島もない。 最初はぼーっとしていたから、寝ぼけているのかと思ったけど……。 (それに、これではまるで、私が久我くんの色んな服装を見たい願望があるようで!) (本人に似合ってるとかぜったいに言いませんけど!) モー子は不機嫌で不本意そうだ。 これは確実に、これまで連絡しなかったことを怒っている。 「え? 何の話だ? だから、俺はだな……」 「ええ、ええ。わかってます。これまでのパターンだとそうなんです」 「待て、パターンってなんだ。何の話なのか説明してくれ」 「別にきみには説明なんて必要ないでしょう。いつものことですから」 「だから、いつものことってなんだよ」 人の話を聞いてるのか聞いてないのかよくわからん状態だ。 やっぱりこいつ、寝ぼけているんじゃないだろうか。 「とにかく、もう遅いから一旦寮に戻らないか」 「いやです」 「触らないで!」 手を取って立ち上がらせようとした途端、それを払い除けられてしまう。 ちょっとショックだ。 ……いやでも、完全に怒っているという雰囲気でもない気がする。 どちらかというと、何かに必死になっているような…? 「だめです。今日はだめです! これまでは流されましたが、今日こそ流されませんから!」 「いつもきみの思い通りになると思ったら、大間違いですからね!」 「……えーと」 もしやこれは、勝手に触ったこととか、連絡してなかったことを怒ってるんじゃないのかもしれない。 じゃあ、一体モー子は何に対して不機嫌になっているのか。 さっきから、いつものことって言われるのも心当たりがないしな……。 「久我くん。そこに座りなさい」 「え? あ、はい……」 なんとなく言い返すこともできず、言われたままソファに座る。 そんな俺をモー子はじっと見つめていた。 「言うべきこと……ですか」 「え、えーっと……」 この場合、俺は何を言うべきなんだろう。 これ、どうしたらいいんだ……。 少し考えて、俺はとりあえず細かいことから謝っておくことにした。 そ、そこどうでもいいのかよ!? 忙殺されて連絡できないこと、結構気にしてたのに!? 「きみは覚えていないかもしれませんが、これまで何度もここを…この大切なところをスルーしてきたんですよ」 「う、うん…?」 「でも今日は違います。妥協はありません! きみがちゃんとするまで、私は許しません!」 「うーん、まあそういうのは大事だとは思うけど…」 「では、早く」 「……?」 モー子が何を言ってるのか、さっぱりわからない。 とりあえず俺に対して何か不満を持っているのだけはわかるんだが……。 「ヒント? そんなものが必要なんですか」 「や、その、指標というか…方向性というか……」 「きみはこれから何をしようとしていますか? その行動をとる前に、人間としてすべき当たり前のことがあるでしょう」 「私は何もかも否定する気はありません。ただ、きちんとした手順を踏めと言っているのです」 「えー…要約すると?」 「いつも先延ばしにしている結論を言えばいいんです」 なんだ? 本当になんの話をしてるんだ? これから何をしようとしているかって、寮に帰ろうとしているだけの話なんだが……。 そんな戸惑いが表情に出たのだろう。モー子は俺の顔を見るなり、さらに不機嫌そうになった。 「あ……」 「もう! どうしてきみは、いつもいつも!! そんなのばっかり!!」 「ちょ、ちょっと待て! こら!!」 怒った様子のモー子はクッションで俺のことを殴り始めた。 痛くはないけど、これが続くのはちょっと勘弁して欲しい。 「どうして! そんなに頑なに! 何も言わないんですか! 出し惜しみですか!」 「まさか! あんなどさくさで! 一言ちらっと言ったから! もうオッケーみたいな! そんなことを! 思っているんじゃ! ないですか!!」 「もう一生! 言わないつもりじゃ! ないでしょうね!! そんなの!!」 「え? へ!?」 クッションで俺を殴りながら、モー子の声が荒くなる。 「ちょっと待て、ほんとに最初からわかるように説明…ぶっ!」 「もう!!!!」 「……っ!」 わけがわかっていないままの俺の前に、モー子が勢いよく足を踏み出した。 思わずその足をまじまじ見つめ、それからモー子を見上げる。 ……すごい、怒ってる。 「え……」 「それとも好きじゃないんですか? 好きでもないくせに、あんな酷いことしたんですか!?」 「あの……え、え……? い、いや、お前のことは好きだけど……」 あ、今一瞬だけ嬉しそうな顔になった。 しかしモー子はすぐに我に返ったように首を振って、声を張り上げる。 「な、なんとか…?」 「私は本気です、大真面目です。きみがきちんと私に告白するまで、今日は絶対に譲りません」 「お、おい……」 ずいっと身体を近付け、まっすぐ俺を見つめてモー子が言う。 「久我くん、さあ早く」 「いや……」 こうして身体を近付けて見つめられると、どうしても意識してしまう。 今まで会えなかった分、久し振りの距離だ。 (それに……なんだよ、この羞恥プレイ…こいつこういう事言うタイプじゃないと思ってたけど…) それとも、連絡もせずに放置していたせいで、ここまで思いつめてしまったのだろうか。 それはそれで、俺のせいではあるよな……。 「…わかった」 「えって何だよ。お前にここまではっきり言われて断れるわけないだろ」 少しだけ多めに息を吸い込み、吐き出す。 こうやって待ち構えられるとむずがゆくなるような感情が襲ってくるが、逃げ出すわけにはいかない。 「俺は」 「俺はお前が……モー子が、好きだ」 「連絡も出来ずに今日まで待たせてしまったことは反省してる。悪かった」 「モー子?」 黙って見つめていたモー子は安心したように息を吐いた。 その表情には謎の達成感と、幸福感があふれている気がした。 (ようやく……ようやく久我くんがちゃんと、私……私のことを、私を……好き、好きだって…!) (長かった……! ここまで辿り着くのに、夢の中とはいえ一体何度流されてきたのか…!) (――はっ、でもまさか、ここから落とし穴があるのでは…) 「この状況でそんな誤解を招くような発言できるか。異性として好きってことに決まってるだろ…」 モー子はかみ締めるように何度か頷く。 そこまで喜んでもらえると、俺も言ったかいがあるというものだ。 そして、さっきまでの不機嫌はどこへ行ったのか、ぱっと明るい顔で言い放った。 「はぁ!?」 じっと見つめながら言われると、邪険にもできず、言わないという選択肢もなさそうで……。 「……好きだ」 「私のことが?」 「…そうだよ。お前のことが好きだ」 心底嬉しそうに、そしてそれを隠そうともせず、モー子はうんうんと頷く。 (くっそ……可愛いな…) 「あの……もっと、次は手を握ったりとかしながら言ってください……」 「まだやるのか!?」 「いや、もう二度とって、別にこれくらいいつでも言うけど」 一瞬、モー子は期待に満ちた目で俺を見た。 しかしすぐに目的を思い出したのか、表情を引き締める。 「それはそれ、これはこれ!」 「お、おう」 「じゃ、じゃあ、手を握りながら耳元でささやいてください」 モー子、そういうのが好きなのか……。 さらにむずがゆい衝動が沸き起こってくるが、不快というわけではもちろんない。 (ころっと流される俺も俺だな) 「あ……」 そっと指を絡ませながら手を握り近づくと、モー子がまた恥ずかしそうに、けれど期待している顔をする。 だから、その顔はズルイっつーのに……。 「モー子、好きだ」 「……はい……」 「好きだよ」 「……っ」 「もう一回…お願いします」 「いいけど。なんか、今日は随分甘えてくるんだな」 素直に言われると嬉しいもんだ。 いつもこのくらい素直だったら、何度でも言うんだけど……今日は本当にどうしたんだ。 「好きだぞ」 「……」 微笑みを浮かべ、俺の手を握り返しながらモー子が身体を擦り寄せる。 久し振りの柔らかな感触に、心臓の鼓動が早くなる。 それに、なんだかいい香りもする……。 (これは……やばいかな……) 久し振りすぎる接触のせいか、なんだかちょっと……ムラムラする。 でも、しょうがないよな……好きな子がこんなことしてきたら、男としては自然な反応だ。 「あのさ、モー子。ちょっと、いいか?」 「なんですか?」 「あ……い、いいですよ」 「え? あ、いや、大丈夫か、意味わかってるか? その、エロい気分って意味だぞ」 「わかってます、それくらい」 怒るかと思ったのに、予想外の答えに驚いてしまう。 少し恥ずかしそうに頬を染め、モー子はチラチラとこっちを見つめてまた身体を擦り寄せた。 「私だって、きみがここに現れたときから覚悟はしていましたから……こういうことになるんじゃないかと」 「こんなところで、いいのか? 寮に帰ってからでも……」 「これまで散々ひどいことをして来たきみが、今さらそれを言うのですか?」 まあ……確かにいつ誰が来るかもわからない病室でもしたことがある。 場所の問題っていうなら、前の方が大問題のような気もする。 校内で事に及ぶのが気にならないわけじゃないけど、しばらく会ってなかったし、モー子は可愛いし、いいって言ってるし……。 もういいか、という気持ちがむくむくと沸きあがってくる。 「モー子……」 「あ……」 しっかりと抱きよせて顔を覗き込むと、頬を真っ赤にしたモー子も俺をしっかり見つめる。 赤くなった頬も、少し潤んだ瞳も。 (なんか……可愛くて仕方ないな) 久し振りの感触を確かめると、やっぱり自然に頬が緩む。 「あ、あのっ!」 「何?」 「お願いがあります」 「やっぱやめよう…とかじゃないよな」 (今日の夢の感じなら…素直に甘えてしまっても……いいですよね……?) 「…い、いつもみたいにいじめたりしないで……優しくして欲しいのですが……」 モー子は頬を染めたまま、恥ずかしそうにそう言った。 一瞬、言われた意味がわからずに呆然としてしまう。 (それ今までの全部ひどかったってことか?!) 「ご、ごめんな」 「いえ…わかっていただければ、いいんです」 「今日はその、ちゃんと優しく、するから。もし駄目だったら、ちゃんと言ってくれ」 おずおずと抱きついてくるモー子を抱きしめ直す。 するとまた身体を擦り寄せ、幸せそうに微笑まれた。 (俺、そんなにいじめてたか……ちょっと、反省しよ……) そのままモー子の身体を抱え上げ、膝の上に座らせる。 「キス、するぞ……」 「あ……」 そして触れるだけの口付けを繰り返すと、モー子はそれをただ大人しく受け入れていた。 何度も唇を触れ合わせ、深くなりすぎないように注意する。 「……ん、んっ」 「ん……」 「久我くん……」 そんな軽い口付けを数回繰り返し、そっと目を開けてモー子の顔を見つめる。 そこにあるのは、どこかうっとりしたような、嬉しそうな表情。 どうやら、キスするのは好きなようだ。 「モー子……」 「ん……ん、あっ! あ……ん」 もう一度唇を重ねて、今度は舌先を差し出してそっと唇を舐めてみる。 ほんの少し驚いたように身体を震わせたモー子だったが、手のひらを動かして強くしがみつく。 そして、モー子も同じように舌先を差し出して唇を舐め始めた。 「あ……ん、んっ。ん、ふぁ……」 「んん……」 「ん……久我くん、んぅ」 差し出された舌先を軽く絡ませ、小さく音を立てて動かす。 恥ずかしそうにしながら、モー子も真似するように舌を動かしてくれる。 舌先を離して唇を重ねると、それも同じように真似してくる。 それが可愛くて嬉しくて、胸の奥が熱くなる。 「はあ、あ……ん、もっと……」 「ん? いいのか……」 「うん……んっ」 ねだるように唇を押し付けながらモー子が頷く。 そういえば、こんな風に素直にねだられるのはこれが初めてかもしれない。 そう思うと、なんだか余計に嬉しくなる。 「ん……モー子」 「は、んぅ……ん、んんぅ、ん」 唇を重ねて舌先を絡め、濃厚な口付けを続ける。 終わらない口付けに頬を緩め、そっと背中や首筋を撫でてみるけどやっぱり抵抗はない。 「はあ……はあ……あ、あぁ」 「大丈夫か?」 「は、い……平気です」 「わかった、それじゃあ……」 口付けたまま更に手のひらを動かし、鎖骨の辺りを撫でてから唇を離してじっと見つめる。 「久我くん……?」 「服、脱がせるぞ?」 「……ん」 少し恥ずかしそうだったけれど、モー子は素直に頷いてくれた。 ゆっくりと、モー子の服を脱がせて行くと、白い素肌が晒される。 恥ずかしげなその表情に思わず息をのみ、驚かせないようにそっと頬を撫でて、それから耳元を指先でなぞる。 「……んっ」 「優しくするって約束したからな、俺が嫌なことしたらそう言ってくれよ」 「は、はい」 頷いた姿を見つめ、手のひらを動かして胸元から腕を何度も撫でる。 手のひらに吸い付くようなその感触に、懐かしさを感じる。 そして同時に、こうしたかったんだと実感する。 「もっと触ってもいいか」 「はい。もっと、優しくがいいです」 「わかった。もっとな」 優しく……と、改めて考えながら触るのは難しいけど、嫌がられないようにゆっくりゆっくり……。 「ん……ん、んぅ……」 腕から胸元へ手のひらを移動させ、下着の上から胸を揉む。 何度もゆっくり揉み続けると、モー子が小さく身体を震わせた。 「どんな感じ?」 「す、少しくすぐったいです」 「くすぐったいだけ?」 「何か、むずむずするような……そんな……」 恥ずかしがりながら、それでも素直に俺の行為を受け入れ答えてくれるのが嬉しくてたまらない。 「直接触りたくなってきた」 「いい、ですよ」 「ん……ありがとう」 ブラを少しずらして胸を晒す。 また、モー子が恥ずかしそうな表情を浮かべて視線をそらし、それだけで興奮が増すのがわかった。 その表情と仕草を見つめながら、直接胸に触れて揉み始める。 「あ……あ……」 柔らかな感触を直に受け止めるよう、ゆっくり優しく、気持ちよくなるように手のひらを動かす。 伝わる感触とモー子の反応に、どんどん興奮して行くのがわかる。 もっと触れたいと思うと同時に、指先を動かして乳首を軽く摘んでみる。 「やっ……!」 だが、モー子が驚いたように声を上げたので、すぐに手を離した。 「嫌、だったか?」 「あ……い、嫌じゃない、ですけど……もう少し、そっと……お願いします」 「わかった。そっとだな……」 「……んっ」 言われた通りそっと、指の腹で乳首を優しく撫でる。 今度は嫌がる素振りを見せなかったから、そのまま何度も指先を動かして刺激を与え続けた。 「ん、あ……はあ、は……」 指先の動きに合わせてモー子が何度も震える。 伝わる感触に耐えているようだったが、どこか落ち着きなくそわそわした様子で俺を見つめる。 「いつもと違いすぎて……ど、どうしたらいいのか」 「何だそれ。やっぱり、いじめて欲しいってことか?」 「ち、違います! 今のままが…いいです……」 俺の問いに慌てて首を振ると、モー子の頬がまた赤くなる。 このままどこまで恥ずかしそうになるのか、わざといじめて確かめてみたくもなるけど……今日は我慢だ。 「だって……いつもみたいのだと、途中からわけがわからなくなってしまうし……」 「モー子……」 素直に伝えられる言葉が、俺としたいって思ってくれてるからだとわかって嬉しくなる。 無理やりとか流されてじゃなくて、本当にしたいって思ってるんだよな。 「じゃあ、次は下も触っていいか?」 「はい……あっ」 宣言してからゆっくりと胸から手を離し、モー子の返事を聞いて下着をずらして秘部に触れる。 既に少し濡れているのが感触でわかり、そのままそっと指先を動かす。 「あ……あ、んっ! ん、んん……」 何度も軽く触れるだけで、モー子は身体を震わせて恥ずかしそうに視線をそらす。 音を立てるようにゆっくり愛液を指先に塗りつけてから、秘部の奥へ慎重に進ませる。 「あ、はあ……ん、んぁあっ!」 「痛くないか?」 「へ、平気です。ただ……わ、私だけこんなに余裕がなくて情けなくて……んっ」 「別に、余裕がないのはお前だけじゃねえよ」 「え? あ、あっ! あの、久我くん……」 恥ずかしさに震えるモー子の手を取り、肉棒を触らせる。 その感触に気付いて驚くモー子だったが、俺の手が離れてしまっても、そのまま引っ込めようとはしなかった。 「こ、久我くん、ここ……こ、こんなに」 「ああ。だから、お前だけじゃないって……んっ」 「ちゃんと興奮してくれてる……? 嬉しい」 「当たり前だろ。……好きな相手とこんなことしてるんだからな」 「はい……あ、あっ。久我くん……んっ」 互いに触れ合いながら、しばらく手を動かす。 刺激を受ける度に身体が震え、もっとしたいと伝えるように手のひらの動きは大きくなっていく。 「はあ、は……久我くん……きもちいい……」 「モー子……ここ、舐めていいか?」 「え? なめ……え?」 増していく興奮が抑えられずじっと見つめながら聞いてみる。 けど、モー子はよくわからないようにきょとんとした顔をしていた。 聞き方が悪かったか……それなら。 「だから、ここ……舐めたい。いい?」 「ひゃ! あ、ぁああっ! ふぁ、あっ……そ、そんなとこ、なんで、あっ!」 指先で秘部を何度も撫で、愛液をかき出しながら聞いてみるとモー子は戸惑った様子で震える。 それでもそのまま、何度も指先を動かしてじっと見つめながら聞いてみる。 「嫌か? 気持ちよくなって欲しいと思って」 「はあ、はあ……ア、あっ! だ、だって、そんなところ……んっ」 「もっとよくなって欲しいから……いいよな?」 「ん、ぁあ……あ、い、いい、です……」 何度も刺激を与えながら聞くと、戸惑いながらではあるがモー子が頷いてくれる。 「それじゃあ……」 「ふぁ……んっ! んんっ」 秘部に顔を近付け、舌先を差し出してゆっくり舐め上げる。 あふれる愛液をすくい取るようにし、刺激を与えすぎないようにゆっくり舐めて行くとモー子は敏感に反応した。 「ん……んぅ! ん、はあ……はあ……」 「ん……モー子、声聞きたい」 「や、あ……そんな、恥ずかしい、ですから……」 顔を上げて見つめながら言うが、恥ずかしさで真っ赤になったモー子は首を振るだけだ。 恥ずかしがってるのはわかるけど、それでもやっぱり声が聞きたい。 そう思いながら舌先を何度も動かし、指を秘部の奥へと進ませる。 愛液があふれる秘部はねっとりと指を締め付け、その感触に思わず笑みが漏れた。 「ふぁあ、あ……あ、んっぅう!」 「ん……ん、んぅ……、ん……どんな感じか教えてくれよ」 「ど、どんなって……あ、ああ、奥まで……そんなに、んぁあっ」 指先を進ませて奥をかき回し、いやらしく愛液の音を立てる。 あふれる愛液を舌先ですくい上げながら、何度も秘部の入り口やクリトリスを舐め回す。 「はあ、は……あっ! そんなに、しちゃ……あ、ああっ! だ、め……んっ」 「なんで? 気持ちよくない?」 「ち、違います……き、気持ちよく、て……ああっ!」 聞かれた言葉に必死に答えようとしているのが可愛くてたまらなかった。 優しくしようと思っていたのに、モー子を見てるとやっぱりいじめたくなってしまう。 「もっと奥がいい……?」 「ん、あああ! あ! お、く……気持ちいぃ、ひ、ぁあ!」 「じゃあ、もっと……んっ」 望まれるまま、深い部分で指を動かすと、内側がひくつき強く締め付けられる。 感じてくれているとわかって嬉しくなって、更に奥まで指を届かせ、すぐに引き抜いて刺激を与える。 「は、あっ! そ、んなにされたら、あ、ああっ!」 「んんっ……よくなってくれたら、それでいいから」 「あ…そんなこと、言われたら私…私、あふぁあ!」 刺激を受ける度にモー子の身体がびくびく震える。 指を締め付ける強さも増し、愛液もどんどん増えていく。 抜き差しする指先の動きを早くし、更に刺激を与え続けていると、モー子が大きく身体を震わせた。 「もう……もう、ダメ! わ、私、これ以上は……あ、ああっ! ふぁぁああっ!!」 「……んっ!」 大きく震えた全身と、内側で強く締め付けられた指先、秘部からあふれる愛液。 くったりと力が抜けたようになりながら呼吸を整えるモー子を見つめ、絶頂を迎えてしまったのがすぐわかる。 「大丈夫か……?」 「はあ、はあ、はあ……だ、大丈夫……私も、久我くんに何か……」 全身から力が抜けたままの状態で、モー子が俺に愛撫しようとする。 「んっ、ちょっと……待て……」 「あ、あの、久我くん……だって、さっきからしてもらってばっかり……」 流石にそれを抑えさせて、身体を抱きよせる。 驚いた様子のモー子だったが、大人しく抱きしめられていた。 「それよりも今は、モー子の中に入れたい…いいか?」 「あ……は、はい」 抱きしめた身体を膝に座らせ、既に大きく反応している肉棒を濡れた秘部に擦り寄せる。 「あ……んっ。久我くんの、もうそんなに……」 「そりゃ、モー子のあんな可愛い姿見たらな」 「だ、だって……それは、あの」 「気持ちよかった?」 「あ、あぁっ! あ、んっ、んぅう……」 腰を軽く突き上げて肉棒を擦り付けながら聞くと、モー子はしっかり抱きついたまま頷いてくれた。 素直な反応が嬉しくて頬がまた緩む。 そのまま、何度も肉棒を擦り寄せると、まるで待ち切れないというように秘部がひくつき愛液があふれる。 「はあ、あ……あ、んっ。そうでなければ、あ、あんな風には……ああっ」 震えながらしがみつくモー子は更に愛液をあふれさせ、肉棒が擦り付けられるだけで感じているんだとわかる。 それもまた嬉しくて、何度も腰を揺らして肉棒を擦り付ける。 「それなら、良かった……モー子、ちょっと掴まってろよ……」 「ふぁ……あっ! あ、んんっ!!」 抱きしめた身体を少し持ち上げて腰を軽く浮かせ、肉棒の先端を秘部に寄せる。 しばらく先端を擦り付けてから、中へゆっくり肉棒を進ませて行く。 「ふ、あ、あぁ……はあ……!」 ねっとりと締め付ける感触に包み込まれ、背中がぞくりと震えた。 それに、抱きつくモー子の身体も柔らかくて気持ちいい。 「痛くないか?」 「だ、大丈夫ですから……もっと、奥まで……」 「わかった」 もっとと望まれている事が嬉しくなる。 一気に奥まで進ませたくなるが、それを抑えてゆっくり最奥まで肉棒を進ませ動きを止めた。 「はあ、は……んっ。いっぱいに、なってる……」 「ああ。中、すっごい気持ちいい……」 「ん……嬉しい……久我くんも、よくなってくれてるのなら」 「そうだよ」 「そう、なんですね……良かった」 安堵したような声に、背中がまたぞくりと震えるのがわかった。 「あのさ、モー子…ひとつ俺からもお願い、いいか?」 「んっ……な、なんですか、久我くん……」 「いや、ちょっと聞きたい事があってさ」 「聞きたい事……?」 「うん。さっきから、俺ばっかり言ってたけど……モー子は言ってくんねーの?」 「え……あ、あの、何をですか……」 強く抱きしめたまま耳元で囁くと、戸惑ったような声が聞こえる。 「だから……好きだって、モー子からも聞きたい」 「あっ……! あ、あの、そ、それは……」 「言いたくない…? 俺にあれだけ言わせたくせに?」 「ち、違います。そ、そんなわけないじゃないですか……あ、あっ!」 「じゃあ、聞かせて」 腰をゆっくりと動かして、奥の深い場所を肉棒の先端で擦りながら囁く。 戸惑いながらしっかり抱きつき、全身を反応させる姿が可愛くてたまらない。 「俺は憂緒が好きだよ」 「あ……ひゃ、あっ! あ、そ、そんな……そんなの……」 「ん? どうした……」 「こんな時に名前で呼ぶの……ずるいです……」 「だって、呼びたくなったから。なあ、憂緒……言って?」 一旦動きを止め、じっと見つめたままもう一度聞いてみる。 一気に憂緒の顔は赤くなるが、目をそらさずこちらを見つめたままだ。 「あ……あ、私も久我くんが……す、好き……」 照れくさそうに言われた瞬間、全身が震えるのがわかった。 おまけに肉棒も反応して、憂緒の中で脈打つ。 「あ、あっ! や、やだ……な、中で今、びくって」 「仕方ねーだろ。お前に言われたらこうなるんだよ」 「ん……うん……久我くん。私……嬉しい……」 頬を真っ赤に染めて笑みを浮かべながら憂緒が身体を擦り寄せる。 その身体をしっかり抱きしめ、ゆっくりと腰を突き上げて肉棒を何度も奥へ辿り着かせていく。 「あ、ふぁあっ! あ、んっ、んんっ!」 「はあ……憂緒、ん……」 何度も奥まで肉棒を届かせ、先端で内側の深い部分を擦る。 その度に中がひくつき、肉棒を締め付けながら愛液をあふれさせる。 もっと激しく……と思うけど、優しくして欲しいという言葉を思い出してそれを必死に抑えつける。 「あの……大丈夫、ですから……」 「もっとしていいのか?」 「ん……して、ください」 「わかった……んっ」 「あ、きゃあっ! あ、ふぁぁぅ!」 恥ずかしげに頷いた憂緒を抱きしめ直し、また奥深くまで突き上げる。 奥まで肉棒が届く度に締め付けは強くなり、びくびくとした反応が大きくなる。 「この辺が、いいんだっけ……んっ」 「あ、あっ! わ、わからない、です……あ、あぁっ! そんなの、んっ!」 わからないと言いながら、反応は大きくなるばかりだ。 一番反応がよくなる場所へ肉棒を突き上げ、締め付けられる感触を楽しみながら、何度も腰を揺らす。 「どこがどうなってるか教えてくれよ? 憂緒が喜ぶ事、今日はいっぱいしたいから」 「ふぁ、ああっ、あ……! どこが、なんてそんな……わ、わからなくて……んぁっ!」 何度も腰を突き上げ、肉棒の先端を奥へと届かせる。 その度にまたねっとり締め付けられ、愛液があふれるいやらしい音が響く。 反応のよくなる場所を狙ってまた突き上げ、そして腰を引いて、また突き上げてを何度も繰り返す。 「ふぁあっ! あ、ああっ! 久我く、ん……んっ! 奥、熱くて……私っ、あ……あ……っ」 「憂緒……可愛い……」 「は……ひあっ! あ、そんな、言わないで……んっ」 「だって本当に可愛いから」 「だ、ダメ……だめ、です。そんな、あっ! あぅ」 強く抱きしめ直し、耳元で囁くように告げると憂緒が声に反応して震える。 それがまた可愛くて、もう一度囁いてから音を立てて耳元に口付け腰を大きく突き上げる。 「んっ! んんっ……み、耳も、だめ……あっ!」 「だめ? でも……憂緒、すごく気持ち良さそう」 「は、あ……はあ、は……だめ、そんな耳元で…んっ」 囁く度に憂緒の身体が何度も震え、耳まで赤くなる。 可愛くてたまらなくて、自然と腰の動きが大きくなっていく。 もっと優しく大事にしたいのに、感じて震える姿を見ていると我慢ができなくなる。 「ふぁあっ! あ、あっ、あんぅ! 久我くん……んぁあ! 久我くん!」 「憂緒、ホント可愛い……んぅ」 「あ……! そ、そんなこと、言われたらわ、たし……は、ふああ、あっ! あ、ああっ!」 腕の中で震える憂緒の姿をじっくり見つめ、強く締め付けられる感触をじっくり味わう。 何度も何度も、憂緒が高く声を上げる場所を狙って肉棒を突き上げ、衝動のままに動きを大きくする。 「はあ、はあ……はあ、ああ……! あ、だめ、だめ……こんな、激し……ひ、ぁあっ!」 大きく激しくなる突き上げに憂緒はされるままになり、強く抱きつきながらまた肉棒を突き上げた。 そのあまりに強い締め付けに、思わず表情が歪む。 だけど、もっとその強さを味わいたくて、しっかりと身体を抱きしめ直してまた奥深くへと腰を突き上げた。 「は、ひぁああ! あ、あぁあっ! 久我くん! ん、んぁああっ!!」 びくりと大きく、憂緒の全身が震える。 その瞬間、肉棒は今まで以上に強く締め付けられ、そのまま達してしまいそうになる。 でも、流石にこのままじゃ……。 「んっ……憂緒……!」 「あ、あ……ふ、ぁあっ! あぁあああっ!!!」 憂緒の身体を抱きしめたまま、必死で腰を引いて肉棒を引き抜き、目の前の肢体目掛けて精液を放つ。 震える肉棒から飛び散る精液を受け止めながら、二度目の絶頂を迎えた憂緒は息を整えていた。 「はぁ、はぁ、あ……あふ……久我くんのが、こんなに……」 「悪い、身体にかけちまった……」 「べつに……中に、出しても良かったのに……」 「え、ええ!?」 うっとりした表情を浮かべながら意外なことを言い出す憂緒にただ驚くしかない。 それに、そんな風に言われたらまた我慢ができなくなる。 ……ただでさえ久し振りなのに。 (物足りないな……) 「はぁ…」 ちらりと見ると、憂緒はまだ余韻にひたっている感じだ。 「……なあ」 「なに…?」 「もう一回したい……」 「っ……、も、もう……」 「やっぱりだめ?」 「だめだなんて言ってません……」 「え……じゃあ」 「いい……ですよ」 困ったような、それでいてどこか嬉しいような恥ずかしそうな顔をしながら、憂緒はそっと頷いてくれた。 「ありがとう、憂緒」 憂緒の身体をゆっくりソファに寝かせ、その上に覆いかぶさり顔を見つめる。 うっとりしている憂緒の頬を撫でてから、もう一度中に肉棒を進ませた。 「あ……あっ! んっ」 「憂緒……」 絶頂を迎えたばかりの身体はあっさり俺を受け入れてくれる。 また奥まで肉棒を届かせてから、憂緒の手をぎゅっと強く握り締める。 「あ……ふふ。久我くん……」 微笑みを浮かべた憂緒は嬉しそうに何度も手を握り返してくれる。 それが嬉しくて、俺も何度も手を握り返して憂緒を見つめた。 「ホントお前……可愛すぎる」 「う、また、そんな風に突然……」 「本当のことだから仕方ないだろ」 「あ……あぁあっ!」 そのまま少し腰を動かすと、愛液があふれる音が聞こえる。 おまけにねっとりした感触はさっきより増していて、それをもっと感じたいと思ってしまう。 その思いのまま、何度も腰を動かし音を響かせる。 「ん……んぅ! ん、ぁあ……あっ」 腰を動かしてまた肉棒を奥まで届かせる度、憂緒が全身を震わせる。 動く度に音は大きくなって、それに気付いているのか憂緒は顔を真っ赤にする。 「憂緒……さっきから、中ずっとぐちゃぐちゃいってるけど、気付いてるか?」 「んんっ……そ、そんなこと言わなくて、いいですから」 「ああ、気付いてたんだ」 「だ、だから、言わないで……あっ!」 わざとゆっくり腰を動かし、肉棒を何度も出入りさせる。 その度にまた音が聞こえ、出入りする肉棒の動きと音に反応するように締め付けは強くなる。 「ん……もう少し、激しく動いていい……?」 「それは、いいんですけど……キスもして欲しいです」 「お前はまた……そんな可愛いこと言う」 「そ、そんなつもり……あ、んっ」 恥ずかしそうな姿を見つめながらゆっくり腰を動かし、唇を何度も重ねた。 触れるだけの口付けを何度も繰り返すと、憂緒も自分から唇を押し付ける。 「はあ、は……んっ、んんぅ……」 「憂緒……んっ」 触れるだけの口付けは少しずつ深くなり、腰の動きも早くなる。 舌先を絡ませた口付けを続けながら、何度も奥まで肉棒を届かせて先端で深い部分を擦る。 「ふ、ぁあっ……あ、はああ、あ……っん! 久我くん……んっ!」 名前を呼ばれるだけで背中がぞくぞくする。 もっと求めて欲しくて、名前を呼んで欲しくて、また唇を重ねて腰を深くへと突き上げる。 「あ、ああっ! ふぁ、あ……あ、奥まで……んぁあ!」 「ああ……憂緒に、もっと喜んで欲しいから……」 「ふぁあ、あ……あっ! ん、んっう!」 激しくなる動きに耐えるように憂緒が手を握る力を強くする。 それを和らげるように動きをゆっくりにすると、表情が和らぎ優しい笑みを浮かべて見つめられた。 「……憂緒?」 「好き……」 「え? え、あの……」 「どうして、驚くんです? さっきは、言って欲しいと言ったのに」 「い、いや、だってそんな……」 あまりにも不意打ちすぎる言葉に動揺が隠せない。 だけど、笑みを浮かべながら伝えられる言葉は嬉しくてたまらないものだ。 「だって、きみにあれだけ言わせておいたんですから……」 「そうだったな」 「久我くん……好きです……」 「俺も、憂緒が好きだよ」 「あ……久我くん……」 「……憂緒、好きだ」 囁くように伝えてから、また大きく腰を突き上げた。 震える身体の奥深くへ肉棒をまた届かせると、憂緒の身体が大きく反応する。 「あ、あぁあっ!! そんな……いきなりぃ!」 「もう、無理……お前が可愛すぎる」 「そんなこと、言われたら……また、あ、ふぁあっ!」 「憂緒……好きだ、好き……!」 「久我くん……んっ! 好き……好き! 好きです!」 「ああ……」 しっかりとお互いの感触と熱を確かめ合いながら、腰を何度も動かして肉棒を出入りさせる。 触れ合い伝わる感触も熱も、全てをひとつにしたかった。 憂緒も俺を求めるままに腰を動かし、お互いの動きを意識しながら身体を揺らす。 「久我くん……久我くん好き……好きっ」 「俺も一緒だから……憂緒……好きだ、好き……」 「ふぁあ、ああっ! あ、あ、んああ……一緒、嬉しい……! もっと……ん、あっ!」 「ああ、もっと一緒に……」 激しくなる動きに合わせて締め付けは強くなる。 その締め付けに耐え切れず、肉棒は何度も脈打ち背中が震える。 限界が近いのはお互いにわかっていた。だけど、その動きが止められない。 「憂緒……このままじゃ、んっ!」 「うん……んぁ、あっ! 久我くん……もっとぉ…!」 「……っ!?」 うっとりした表情を浮かべた憂緒が俺の体に脚を絡ませる。 それがどういうことか、わからないわけがない。だけど、いいのだろうかと戸惑いが浮かぶ。 けれど、そんな戸惑いを察するように憂緒は微笑む。 「今度は……この、ままぁ……!」 「……ったく!」 「ふぁあああっ! あ、ああ、や……も、お……あ! だめ、だめぇえっ!」 「……っく!」 「あ、ああぁああっ!!!!」 ぞくぞくした感触が訪れ、抑えきれない衝動が駆け巡る。 そしてモー子が、しっかりと強く手のひらを握って大きく震えた。 瞬間、全身が大きく震え、憂緒の中で肉棒が大きく脈動する。 脈動する肉棒からあふれた精液は憂緒の中に注ぎ込まれ、それを受け止める身体が小さく震える。 「あ、ああ……あ……」 「悪い……」 「大丈夫……ですから……」 うっとりした様子の憂緒は嬉しそうに微笑んでいた。 そんな表情を見つめたら、謝る方が悪いんじゃないかとすら思ってしまう。 「好きだよ、憂緒」 「はい……。私も、久我くんが好きです」 「ああ……」 微笑みを浮かべる憂緒を見つめて唇を重ねると、その微笑みがまた大きくなった。 事が終わり、恥ずかしさから急いで後片付けをする。 もうかなり遅い時間になってるし、誰も校内に残っていなかったとは思うが流石に色々まずいだろう……。 「…………」 「おーい。モー子、大丈夫か?」 まだぼんやりした様子のモー子は心ここにあらずといった感じだ。 これは、羽目を外しすぎてやり過ぎたかもしれない。 いくらこいつが可愛かったからって、これからはもう少し自制心を持たなければ……。 「…………」 「お前本当に大丈夫か? 歩いて帰れるか? 無理そうだったらおぶってくけど」 「……おかしい」 「え? な、何が」 俺の問いに答えずモー子は何度も瞬きを繰り返す。 一体何がおかしいのか、俺にはさっぱりわからない。 「そろそろだと、思うのですが……」 「いや、なんの話だ?」 「……なぜ」 「モー子ー? どうしたー」 「おかしい……」 モー子は首をひねって独り言を呟くばかりで、俺にちっとも答えてくれない。 これは何か……また話の通じないモードになっている気がする。 「大丈夫かモー子。一体、さっきから何がおかしいんだ」 「…………」 「…………」 なんとなくだけど、このおかしな状況の原因は掴めた気はする。 するのだが……。 これは……。 何を言えばいいというのか。 「…………」 「…………」 モー子がこちらに視線を向ける。 しばし見つめ合うが、お互いに何を口にすればいいかわからず黙ったままだ。 しばらく俺が黙っていると、モー子の身体がぷるぷる震えだした。 「………」 「あ、あの……どうしてスーツを着ているのか、聞いてもいいでしょうか……」 「あー。ええと、俺な、魔力の扱い方をちゃんと基礎から学ぶために、学園に滞在することになったんだよ」 「おまるたちを助けた時はわりとスンナリやってたけど、どうもあの時はアンデルが陰で助けてくれてたみたいでさ」 「すっかり落ち着いた後、気付いたら、またあんまりうまく魔力を制御できなくなっててな……それでちゃんと勉強しようかと」 「でも、学生のままってのは無理があるし、建前上は学園長の秘書扱いってことになって」 「学園長の……秘書……?」 「そう。だからそれらしい格好をするようにって、このスーツをもらったんだ」 「あ、あの、それで……その? それを?」 「そういうこと。ああ……、本当はちょっと前に戻ってたけど、その……連絡できなかったのはごめんな」 「正直、やること多くて自分のこと以外手が回らなかった」 説明を聞いたモー子の身体は、引き続きぷるぷると震えている。 おまけになんだか耳まで赤くなってるし……これは、怒ってるんじゃないな。 やはり……これは、つまり……。 「モー子……お前、もしかして夢だと思ってたか…?」 「どーしてそれを最初に言わないんですかっ!!!」 俺がそう言った途端、モー子はびくりと大きく反応してクッションを投げつけて来た。 慌ててそれを受け止めて顔を見つめると、モー子は涙目になっている。 「いや、説明しようとしてたんだぞ?! それをお前が聞かなかったんじゃねーか!」 「で、でも、もっとこう、なんというか! 誠意ある対応を!!」 「聞きたくないって言われたらしょうがないだろ」 「そ、そんなことは! そんな、ことは……」 「心当たりあるんじゃん」 「あ、ありません! い、いつもの夢と同じように脈絡なく出て来るからです! しかもそんな格好で! いつも好き勝手してるのに!」 「それなのに今日だけ妙に優しくて! そんなの、夢だと思うじゃないですか! だから久我くんのせいです!」 「俺のせいなの!?」 「きみが制服を着てないから悪いんです!!」 「あの、とりあえず落ち着け……」 「う、うううう……」 一先ず言いたいことを言わせてやると、モー子は涙目になりながら黙ってしまった。 これ以上はあんま刺激しない方がいいだろう。 しばらく黙っているとモー子も落ち着いたようで、まだ恥ずかしそうな表情のままだったが立ち上がった。 「……も、もう、帰りましょう」 「そうだな、そうしよう」 (ああもう……消えてしまいたい……! 全部現実だったなんて……! あれもこれもそれも! みんな! ああぁぁ…!) 「……」 ものすごく気まずそうにしているモー子を連れ、二人で寮までの道を歩く。 何を話せばいいのかと思案して、余計なことを言うと怒らせるだけだと判断して黙っておくことにする。 「あ、あの、久我くん……」 「なんだ?」 黙っていると、モー子の方から声をかけてきてくれた。 でも、その声は随分と恥ずかしそうだ。 「あ、ああ。まあ、流石にあんな場所ではな。ちょっとおかしいとは思ってたよ」 「あんな思いっきり誘われてそんな風に頭回るか! 俺もテンパってたんだよ!」 「わかったわかった」 「…お前、いつも俺とああいうことする夢見てんの?」 「あ、うん。そう…だよな」 「……」 見たこと自体は否定しないんだな……。 まあ、これを言うと本気で泣きそうだから黙っていよう。 俺が答えると、またモー子は黙ってしまう。 やっぱり何も言わない方がいいだろうと、俺も黙って隣を歩く。 「……はあぁ」 「…………」 「はあぁあぁぁ……」 歩きながら、モー子は何度もため息をつく。 そんな姿を見つめて少し考えて……モー子の手を強く握った。 「ひっ!」 「憂緒……好きだぞ」 手を握りながら言うと、モー子は驚き目を丸くし、それから顔を真っ赤にした。 まるで一人百面相だ。 「放っておくような形になったのは本当に悪かったと思ってる……ごめん」 「まだ、ちゃんと謝ってなかったよな」 俺の顔をじっと見つめるモー子は、慌てたように視線をさ迷わせ、おろおろし始める。 しまいには空いている方の手で自分の甲をつねり、表情を歪めたりしはじめた。 もしかして、夢じゃないって確認してんのか……。 「お前、本当に可愛いな」 さっきは優しくって言われたけど……こんな風に慌ててるのを見ると、やっぱいじめたくなるな。 そう思いながら顔を近付けると、それだけでモー子が震える。 そんな姿を見つめてくすくす笑い、耳元に唇を近付ける。 「憂緒ちゃんは耳元でいっぱい好きって言って欲しいみたいだから、これからは一日一回は言ってやるからな」 「……!」 「おお……耳まで真っ赤だ」 ニヤリと笑いながら言った途端、モー子が慌てて顔を離した。 「いてぇっ!!!」 そして、頬に勢いよくモー子のビンタが飛んで来る。 避けることもできずにそのビンタを受け止めると、モー子は顔を真っ赤にしたまま先に歩いて行ってしまった。 「おーい! モー子、待って待って。悪かったって」 「し、知りません!」 「そんなこと言うなって……ったく!」 「!!!!!」 慌てて追いかけて隣に並び、もう一度手を握る。 真っ赤になった顔を見つめると、その顔がますます赤くなった気がした。 「好きだよ」 「もうビンタは勘弁」 また動き出した手のひらを掴んでモー子を見つめる。 怒ったような困ったような、でも恥ずかしそう顔。 ああ、この顔が好きなんだなと改めて思った。 「もう、あんまり……からかわないでください」 「善処する」 「まったく、きみという人は……」 ホッとしたような呆れたような微笑み。 そんな顔を見たら、やっぱりからかうのはやめられそうにないなと思ってしまう。 仕方ないよな……好きなんだから。 「ニヤニヤしていないで、帰りますよ」 「はーい」 「手は……もうちょっとだけ、このままでいいです」 「はいはい」 ……その手紙が届いたのは、ある晴れた日の午後のことだった。 家族はみんな出かけていて、家には俺一人。 何をするでもなく、ぼんやりと外を見ていた時だ。 「……なにか届いたのか?」 ポストを覗くと、一通の封書が入っていた。 「入学案内……俺に?」 ――久我三厳 様。 確かに俺の名前が書いてある。 でも、差出人である学園の名前にはまるで心当たりがない。 不思議に思いながら封を切ると…… 『私立天秤瑠璃学園』『Libra Lapis Lazuli』 と記されたマークが表紙に印刷されている、学園の校舎らしき建物を写したパンフレット。 それから、入学手続きのための書類が入っている。 「誰かと間違ってるのかな……ん?」 『あなたの力を貸してください』 あなたの……俺の力。 『もしも私たちの願いを叶えてくれるなら、あなたの望みを叶えます』 俺の望み……それは。 (あっ……) ふわりと、いい匂いが鼻先をくすぐった。 そして手紙からあふれ出した淡い光が姿を変えて、青い鳥になった。 青い鳥は、くるりくるりと、頭上で弧を描く。 (……………………) ――手を伸ばそうとすると、青い鳥は遠い空の向こうへと飛び去って行った。 俺の力。 俺の望み。 それは……。 「ただいまー! お兄ちゃん、お土産にプリン買ってきたよ!」 「あ、ああ、うん」 「どうしたの? そんなびっくりした顔して」 「なんでもない」 ふう、と大きく息を吸って目を閉じる。 あの手紙には、俺の力が必要だと書いてあった。 妹以外、誰も知らないはずの、俺の『魔女』の力のこと――。 「どうして、って顔をしているわね」 「……ああ」 「運命、か」 俺の望み。 この力が何故俺に宿っているのか。 これから先、どうなっていくのか……満琉や、家族と暮らしていくために。 普通の、幸せな時間を過ごすために、俺はどうすればいい。 「いつかわたしとあなたは、離れなければいけないでしょう」 「アンデル……それって」 アンデルの言葉が心の中に響いてくる。 俺は、決めた。 少し遠いかもしれない、この学園へ行ってみよう、と。 「あれか」 その学園は、唐突に姿を現した。 山道を延々と歩いていると、突然視界が開けて、その建物が目の前に見えたのだ。 入学案内といい、人を驚かすのが趣味なのか。 「結構でかいな」 呟きながら、校門に近づいてみる。 「ここで間違いないよな……?」 胸ポケットから生徒手帳を取り出してみる。 そこに書かれた学園名に間違いはない。 ――久我三厳 ページを開くと、氏名と学籍番号が並んでいた。 「本当に、これだけでいいのかよ」 いきなり送りつけられた案内書に従って申し込むと、すぐに入学受理の返信がきた。 この生徒手帳もそれと一緒に届いたもの。 ちょうど学期が切り替わる時だったからスムーズに転入できたけど、もし間違いだったらシャレにならない。 「冗談でしたーってのはナシで頼むぜ」 校門に近づくと、ひときわ存在感を放っている尖塔が目に入る。 塔の先端には、鈍く光る鐘が見えた。 「あれは……時計塔?」 どんな音がするんだろう。 俺はその鐘を見上げながら、学園内へと足を踏み入れた。 どこか古めかしい雰囲気の校舎をぐるりと周り、ずいぶん端っこまで来てしまった。 時間が早いせいか、他の生徒はほとんど見当たらない。 のんびりと歩きながら、あちこち見回していると―― 「なんだあれ」 校舎の前にぽつんと銅像が建っていた。 よくある、この学園の創立者の像、とかだろうか。 なにげなくそこへ足を向けた時だった。 「……懐かしい空気」 (えっ!?) 一瞬、どこから聞こえてきたのかわからなかった。 すぐ近くで囁かれたような気がしたのに、そばには誰もいない。 「……いま、俺に……」 「……」 「いま、俺に話しかけたのは……あんたか?」 離れた場所に立っていた女の子は、ただまっすぐこっちを見ていた。 彼女の周りだけ時間が切り取られているように、空気が澄んでいる。 「あっ……」 どれくらい、沈黙していたかわからない。 俺が次の言葉を発する前に、彼女はすっと姿を消した。 「あの子も、ここの生徒だよな……たぶん」 「ひゃああっ、いたた!」 「こ、今度はなんだっ?」 振り返ると、今度は別の女生徒が地面にしりもちをついている。 「えーっと、あなたが久我三厳って子かな」 「あ、ああ。そうです。……大丈夫?」 俺はひっくり返ったままの女生徒に手を貸した。 「は……はい、どうも。よろしくお願いします……」 「今日は平和を守りつつ、あなたを迎えにきたの」 「それは助かる、迷いそうになってたから」 ……委員長っていうからには、上級生なんだろうか。 なんだか、とんでもないことに巻き込まれてる気がしてならない。 けど、この風紀委員長って人の後をついていくしか、俺に選択肢はなかった。 「ふふふ、ついに時が来たようです」 「ちー」 「ぢぃ」 「……あれが『災厄の魔女』」 「ちい?」 「ちいー」 「……ちぃ!」 「その悲しい出来事は、小さなボタンのかけ間違いがいくつも重なって、起きました」 「人とは違う、魔女の力。その大きな力が起こしてしまった事件。いくつもの魂が、時の狭間に閉じ込められてしまいました」 「そして……すべてを取り戻すことができるたったひとつの希望」 「希望の名は、『災厄の魔女』。彼はすべてを救う者の魂を受け継いでいました」 「幼い頃に自分の中の『災厄の魔女』を目覚めさせた彼は、成長し、この場所を守るものの願いのためにやってきました」 「『災厄の魔女』は、希望でした。希望は、時に囚われていた魂を救い出してくれました。そして――」 「……これは、たくさんの物語のなかの、あったかもしれないひとつ」 「誰かが夢見た、その先のお話……かもしれません」 チャイムの音とともに、教室の中にざわめきが広がる。 俺も皆と同じく、椅子から立ち上がり思い切り伸びをした。 「んーっ」 「きゃっ!」 伸ばした腕の先に、クラスメイトの顔があった。 「わわ、ごめん! 大丈夫だったか?」 「うん、ぶつかってない。私も急いでたから……ああ、もう行かないと」 彼女のほかにも、バタバタと移動する生徒はたくさんいる。 放課後、部活に行ったりバイトしたり――てのは、どこにでもある風景だけど。 この『天秤瑠璃学園』は少し違う。 「ん?」 「ちーちちっ」 「よう、相変わらずもふもふしてるなあ」 ニノマエ君が持っている小さなメモに書かれていたのは、学園長からの呼び出しだった。 「わかった。すぐ行くから」 「ちぃ」 この学園の『違う』ところ。 それは魔術があたりまえのように存在していることだ。 魔術の素質を持つ子たちは放課後、人知れずその力を生かすための科目を受ける。 制御だったり、うまい使用法だったり―― ここは、人とは違う『力』とともに生きる術を学ぶ場所なのだ。 (……俺は、どうするかな) 不思議な手紙がきてから、半年……。 俺と、俺の中にある『災厄の魔女』の力で、あるひとつの事件を解決した。 それが、俺がここに来た理由だった。 (これからのこと、考えないとな) 「やー…平和だねえ」 「お! いらっしゃーい、久我君」 「急に呼び出しなんて、なんかあったんですか。やけにまったりしてるけど……」 学園長も、もも先輩も、湯気のあがる湯呑を口にしている。 どこからどう見ても、のんびりしたお茶会だ。 (まさか、ヒマだから話し相手になれとかじゃないよな) ……未だこの学園長のやることは掴めない。 仕方なく、俺もポットからお茶をついで、座ることにした。 「久我君どうだい、もうこの学園には慣れたかな」 「へ? ま、まあ……」 あまりに普通の質問に、思わず気が抜けてしまった。 「ど、どうも……」 なんだろう。 この人がこんなことを言うと、後でとんでもないことが待っているのかと思えてならない。 「それでね、そろそろ考えてはくれまいかと思ってねえ」 「考える?」 最初の手紙……ああ、そうだった。 『もしも私たちの願いを叶えてくれるなら、あなたの望みを叶えます』 手紙にはそう書いてあった。俺がこの学園の望みを叶えるかわりに――と。 「……!」 「魔女の力を持ったまま普通の世界で暮らすのは大変だと、知っているからね」 胸の奥で、強く心臓が鳴っている。 魔女の力。恐ろしい力。 それがいつも、自分の奥底にある。これから先、俺が命ある限り、それは変わらない……はず。 「唐突すぎる問いかけだったかい?」 「いや、そんなことは……ない……です」 もしも俺のこの力を消すことができたら。 この力があったことさえ忘れてしまえるのなら。 そんなことを考えたのは、一度や二度じゃない。 (だけど――) 「三厳。それは悪いことではないと思うわ」 アンデルが、俺のそばに立っていた。 誰にも見えないけれど、彼女は俺の中の『鍵』だった。 (力がなくなったら、何も心配せず暮らしていける。それは一番幸せで楽かもしれない) (でも、知りたいって思うんだ) 「聞いているわ。まっすぐ三厳の心が響いてくるから」 「いつかわたしがいなくなる日が来ることこそ、あなたのためなのでしょう」 「でも、そのためにはわたしがいなくなっても…… 『力』とともに生きていけるようにならなくては」 答えは、もう俺の中にあったんだろう。 俺もアンデルに頷き返し、すっと息をのんだ。 学園長が驚いた眼差しで俺を見つめている。 「俺は、この力をきちんと自分の中に融合させたい。普通の世界に戻るためにも、そうしたいです」 「はい」 魔術書の勉強か。 一体どんな内容なんだろう。 「えっ!? ここで勉強するっていうのは――」 「……はあ」 「ため息をつくとは、珍しいわね」 アンデルが苦笑している。 廊下から見える景色は、数十分前と何も変わっていない。 俺だって、何ひとつ。 (だったらいいな) 授業を終えるチャイムの音が鳴った。 いつものように、教室にざわめきが広がって―― 「久我君、こっちこっち」 「うわー……すっごいな、ここ」 「ははは、確かにこんな場所はなかなか目にしないだろうねえ」 天井近くまでそびえたつ本棚には、古い本がびっしりと詰まっている。 図書館と呼ばれてはいるけれど、俺が知っているものとはケタ違いだ。 まるで映画の中の、魔法使いの部屋そっくり――って。 (ああ、そうか。魔法使いがいそうってのは当たりなんだよな) 「……なんですか」 学園長が不敵な笑みを浮かべている。 「はあ??」 「おーい! リトぉ、この間言っていた件なんだが、今日からお願いできるかな」 「……はい」 図書館の、いくつも連なる本棚の奥から聞こえてきた。 囁くような、不思議な声だ。 それから、軽やかな足音。 「彼女は……リト。この場所にあるすべてを記憶する役目を務めている」 色素の薄い肌や髪。 なのに、瞳だけは夜に向かう夕空みたいに深かった。 「……懐かしい空気」 あの日に見た女の子だった。 「九折坂二人から聞いているから」 「……え」 いま、この子……学園長のことを呼び捨てにしていた。 学園長はいつも通りの様子だ。 彼女……リトは俺や他の生徒たちと同じ制服を着ているけど、生徒じゃないんだろうか。 「それじゃあリト、後は頼むねえ」 「わかったわ」 あっという間に学園長は去っていってしまった。 「えーっと、よろしくお願いします……って、何からすればいいんだろ」 「そこに座って」 「は、はい」 言われた通りに席につくと、リトがペンやノートや、古くて分厚い本を持ってやってきた。 「この本? わかった……」 教科書とは呼びがたい、古びた一冊の本。 開いてみると、今まで見たこともない文字がびっしりと並んでいた。 「嘘だろ、これ、読めるようになるのか?」 「最初は辞書をひきながら読むといいわ。でも、そのうち魂がそれらを読み解くの」 「……?」 「もちろん最初はできない。魔術書が簡単に解読されては、困ってしまうもの」 「ま、まあ……そうだよな」 この本、いきなり噛みついてきたりはしないだろうな。 俺がおそるおそる手を伸ばしている様子を、リトはじっと見つめていた。 「大丈夫。ここにあるものは、すべて把握しているから」 「ははは、そうだよな」 「あくまでも、ここにあるものは」 「…………」 それだけ言って、リトは俺の真向いに座った。 辞書は幸いにして俺でも読めるものだ。 だが、見慣れぬ文字を辞書片手に読むのは予想外に大変だった。 「えーっと。これって、『火薬』? いや、違うな」 「よく末尾を見てみて。わずかに文字のしっぽがはねているでしょう?」 「少し待っていて」 一瞬だけ思案した後、リトは立ち上がり書架の間を歩き出した。 「きっとこっちの本のほうが、役立つわ」 慣れた手つきで脚立を引いて、リトはその上に乗った。 きっといつもこんな風に高い場所にある本を取っているのだろう。 「あ、言ってくれれば俺が――」 「……っ」 「っ、おい!!」 俺のせいかもしれない。 いつもと違うのは、俺がここにいるってことだから。 リトの足が、わずかに脚立から外れて、伸ばした手が少し傾いて、落ちる。 「……!」 「いててて、本って結構ダメージくるんだな」 「……久我三厳、怪我はしていない?」 「…………」 リトは黙ったまま、床に落ちた本を拾うために膝を折る。 俺も同じように、そばに跪いた。 「魔術の勉強なんて初めてだし、なかなか覚えられなくて迷惑かけそうだし。それくらいしないと」 なんとなくこぼれた言葉だった。 けれどリトの眼差しは、まっすぐ俺を映していた。 「まだ何も知らないってことは、たくさん知ることができるわ」 「なら、いいんだけどな」 古い書物と、埃と、それからリトという子と。 こうして、俺の天秤瑠璃学園での新たな日々が始まった。 「大丈夫……? 足元、気をつけて」 「おう、埃落ちるかもしれないから、ちょっとどいてた方がいい」 埃で真っ白になった表紙の本を抱えながら、俺はバランスをとった。 脚立の一番上で、さらにつま先立ちしないと取れないほど背の高い本棚から引き抜いたものだ。 「しかしすっごい古い本だな。長い間誰にも触られていないようだけど」 「……そう。覚えたのはもう、ずいぶん昔」 「これも読んだことあるんだ」 リトの唇の端がほんの少しだけゆるんだ……気がした。 彼女はこの場所にあるものをすべて記憶している。 って、学園長は言っていたけれど。 (まさかな。リトがすごく魔術に詳しいって意味でそう言ったんだろう) 黄ばんだページには、また解読しづらい文字たちが並んでいた。 「うわ……また原文読み解くところからか」 「辞書は、ここにあるわ」 「わかってるけどさ、いや、頑張るわ」 「いいのよ」 「えっ……?」 「わからないことは、私にも聞くといいから」 「あ、ありがとう」 俺が本を読み解く間、リトも別の書物に目を通している。 そして不思議なことに、俺が何かにつまったりすると、リトは顔をあげてこっちを見ているのだ。 「どこが、わからないの?」 「えっと、ああ……ここ。この図が必要な器具ってことだよな」 「そう。この魔女はかつて偉大な力を持っていたけれど――」 リトが少し顔を傾けた時、髪が流れた。 大きな目が瞬きする。 それでもリトはずっと、俺の方を見つめたままだ。 「……? 説明、難しい?」 「そうじゃなくって、いや、大丈夫」 「良かった。覚えなければいけないことがたくさんあるから、混乱しているように見えて」 混乱しているのは、嘘じゃない。 放課後、こうやって魔術書の勉強を始めてもうどれくらいだろう。 リトは少しとっつきにくいところがあったけれど、決して人を邪険になどしない。 むしろ言葉がそっけないだけで、すごく親切だ。 だけどこの微妙な距離感は一向に縮まらない。 (俺、こんなに人と話すの苦手だったっけ……) 「次。少しページを飛ばして341ページを読むと理解しやすくなる」 「え? さんびゃく……なんページ?」 「341ページ。だけど」 ぱたん、とリトが本を閉じた。 「少し疲れているようね」 「そんなこと――」 俺が話しかけるよりも先に、リトは部屋の奥へと入っていった。 この古い図書館にひとつだけ似つかわしくないものが、そこにある。 リトは電気ケトルのスイッチをオンにした。 貴重な書物の多いここでは、火はご法度だ。 「久我三厳、あなたはどの種類の茶葉がいいのかしら」 「あっ……! これだったのか?」 「……これ? そんな銘柄はないけれど」 「名前! 俺の名前のことだよ」 「……?」 「あのさ。ひとつ頼みがあるんだ」 「もう、魔術書の勉強は飽きた?」 「違う違う、飽きるわけないだろ。そうじゃなくって、俺の名前。リトも他の皆と同じように呼んでくれないか」 「皆と同じ……」 コポコポとお湯の湧く音だけが聞こえてくる。 「それは、私にはわからないの」 「え……? なんでもいいよ。久我でも、三厳でも。俺だってリトのこと呼び捨てだしさ」 「私の知っているケースからでも、いい?」 「ああ」 リトの眼差しがゆっくり左右に動いて、はっと止まった。 「うん」 熱湯の中の泡沫と同じように、胸の奥から何かが湧き上がってくる。 ほんのわずかな距離の変化が、そうさせた。 リトは相変わらず、いつもと同じ顔でカップにお湯を注ぎ始めていた。 (……なんだ、もしかして壁作ってたのって、俺のほうかよ) 「……?」 「なあ、俺実はさ……聞いてみたいなってことが何個かあるんだ」 「お役に立てれば、嬉しいわ」 「どこにもいないわ」 「そうなのか?」 「ええ。ずっとここにいる」 「じゃあもう通常授業は全部やったんだ……すごいな」 「時間はたくさんあったから」 「それでも、もう出なくていいなんて。頭いいんだな」 「ずっとここにいるから」 別に怒っているわけではないはず。 最小限に絞られた言葉は、他の誰とも違う、リトの独特のリズムだ。 「あ、あともうひとつ。あのな」 ずっと、こうして話せたら聞いてみようと思っていたことがあった。 俺が初めてこの学園へやってきた時。 あの時リトが囁いていた言葉は―― 「な!?」 「……っ」 「もも先輩、落ち着いてください! 何があったんですか?」 弾丸のように図書館に飛び込んできたもも先輩は、二つ折りになって呼吸している。 「私がお役に立てるなら、言ってちょうだい」 もも先輩はリトから手渡された一冊に手を伸ばした。 分厚い本をめくる真面目な表情は、普段とは全く違っていた。 (……遺品?) リトの声は、そう言っていた。 「ふ、ふせろっ!!」 とっさに、俺はふたりの腕を力いっぱい引っ張った。 反動で床に転げた俺たちの上を、鋭い風が走り抜ける。 「んっ……」 「きゃあああ」 何か、が飛んでいた。 そいつが図書館の書架や壁に何度もぶつかるたび、分厚い本が上から落ちてくる。 どこから飛んでくるかわからない本から身を守るため、俺たちは一歩も動けなかった。 「あれが――『遺品』!?」 魔術書を学ぶなかで、その名は聞いていた。 人の願いや望みに惹かれてやってくる、魔術道具。 この学園の創設者である、クラール・ラズリットが世界中から集めたそれらは、『遺品』と名づけられて封印されている、と。 「ま、ままままって! 動かないでええ!」 唸り声のような風音をたてて、何かが図書館内を飛び回っている。 「……いけない、あれは何かを探すモノ。早く止めないとすべてを食べてしまう」 リトが立ち上がり、本の嵐の中に踏み出そうとした。 「待てって! 危ない……!!」 リトにとってここの書物は、何より大事なものなんだ。 俺の声なんて届くはずもない。 もも先輩が立ち上がり、上着のポケットから何かを取り出し掲げた。 「ひゃあああ!」 「聖護院百花、一度離れたほうがいい……危険よ」 「……っ!」 瞬間、俺にはなにもかもがゆっくりに見えた。 一冊の分厚い本。 それが、いま振り返ろうとしているリトの頭めがけて飛んでいる。 (このままじゃ……このままじゃ、リトに) 思わず腕を伸ばした時、頭の中に文字が浮かんだ。 どこの国のものかすらわからなかった、魔術書の中の言葉。 「……あ」 文字が集合し単語となり、意味を成していく。 魂の奥からすんなりと音に変化していく。 「こ……久我三厳が我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 「どうして、知ってるの……!?」 「早く、札を」 リトがもも先輩から受け取った紙で、するりと俺の指先を撫でる。 そこからはわずかに血が滲んだ。 「刻を、止めよ!」 それが、何を意味するのかわからなかった。 どうしてその言葉を叫んだのかさえも。 ただ気が付くと、室内を吹き荒れていた唸り声のような風が止んでいた。 「うそ……っ」 「なんなんだ、なんだよ一体」 「ふ、ふーいん? さっきの、やつが?」 もも先輩がぶんぶんと頭を振る後ろで、リトが本を拾いながらため息をついた。 「『蝕』の影響がこんなにも大きく出るとは……」 「じゃあ、さっきみたいな事が起こりやすいってことかよ」 もも先輩が、いきなりぐったりと肩を落とす。 「お、お疲れ様……です」 あんな出来事が毎日だなんて、そりゃ疲れるな。 もも先輩、そんなに体力あるようになんて見えないし。 「と、いうわけでですね。ふふふふ」 「えっ」 「ええ、助かるわ」 がっつりと、もも先輩の手が俺の腕を掴んでいる。 「じゃ、さっそく、いっちゃいましょー!!」 「……ちいちい」 学園長に促されて、俺ともも先輩は並んで座った。 「は!? ちょっと、ちょっと待ってください、もも先輩」 「ほう、なるほどー…」 俺だけが置いてけぼりにされている。 だが、わかる。 ふたりの話の真ん中にいるのは、俺、らしい。 「ふうむ。ふむふむふむ」 「ちー……ちちち」 「質問! 質問させてください、学園長!」 「ん? どうぞ?」 「……あ」 「聖護院さん。説明してなかったんだね」 ぺろりと舌を出すもも先輩にため息をついた後、学園長はいっきに話し始めた。 「……何するとこなんですか、そこは」 たたみかけられた唐突な話を、俺は必死で整理する。 でも、何度めぐってもゴールはひとつしかない。 「で、さっきみたいな状態のモノを、止めなきゃなんないと」 「どーしてもですか」 「……もしかして、もう決定してたりするんですか」 「…………」 うん、と答えるしかない空気が俺に覆いかぶさってくる。 「なんだよ、俺まだまだ勉強すること山積みのはずなのに……」 「……ふふふ。そう凹まなくたっていいんじゃないかしら?」 その声がどこかお気楽そうに聞こえてならない。 走ったり吹っ飛んだり痛い目にあう体の持ち主は、俺なんだけどな。 「これは、おそらくあなたにとっていいことよ」 (ほんとかよ……) 「ええ、きっと」 もも先輩の思いつきから、俺が『特査』という役目についてから、恐ろしいほど毎日が慌ただしくなってしまった。 図書館で魔術の勉強をする――のが俺の目的のひとつなのに、なかなか進んでいない。 (これも俺のためになるって、アンデルは言ってたけど、本当かな) 生徒たちでざわめく廊下を抜けて、図書館へと向かう。 昔は『特査』だけの部屋があったらしい。 今は俺一人だから図書館の一角が『特査』の居場所扱いになっている。 ――その時。 俺の目の前に、ニノマエ君が転がり落ちてきた。 「うわわわわ」 ニノマエ君が俺の首に巻き付いてぐるぐると動き回る。 くすぐったくてたまらず、思わず身をよじってしまった。 「ちょ、やめてくれ、なんだよ」 「わかんねーってば」 「あああー! いたー!!」 もも先輩が、ぶかぶかの制服を揺らして走ってきた。 この状況は、たいがいやっかいな展開を予感させた。 「は、はあ……いつものことですね」 「……え?」 もも先輩もさすがに真面目な顔になって、一息ついた。 「今回は、別々の『遺品』が同時多発的に現れたの。こんなこと初めてだよ…風紀委員で一部はなんとかできたけど、ひとつすごく危険なのがあって」 「一体、どんな遺品なんですか?」 「光のボール。すごいスピードで飛び回る感じ。影響を受けた生徒は無事回収できて介抱してるけど、遺品自体はまだ封印できていないの」 「なるほど……わかりました。どこにいるんですか?」 「風紀委員たちが礼拝堂に追い込んでるよ」 「じゃ、このまますぐ向かいます」 幸い封印に必要な札はいつでもポケットに入れてある。 しかし、走りだそうとした俺の腕を、もも先輩が掴んだ。 「ヤバい?」 「最初に影響を受けたコも、追いかけてた風紀委員も倒れたんだ。あの『遺品』は、人を狙って飛んでくる、それでね」 「光のボールにぶつかると、魔力をぎゅううっと吸われちゃうみたい。それで、どんどん大きくなるのかも……」 ここまで真剣な口調は初めてかもしれない。 もも先輩の後輩たちが倒れたってのも、あるのだろう。 「わかりました。気をつけます。もも先輩、倒れた人たちちゃんと看てあげてください」 俺は強く頷き、礼拝堂に向かった。 「あ、久我さん! こっちです。あそこの中に……」 「きゃあ!!」 「おっと……やべえな。俺一人でも行けるし、あんたは下がってな」 「は、はい、お気をつけて」 「うわ、さっむ……なんだこりゃ?」 礼拝堂の中は、まるで巨大な冷蔵庫のように冷えていた。 もちろんクーラーなんか入ってはいない。 ここに飛び込んだ『遺品』の仕業だ。 「どこだ! とっとと封印するから出てこい!」 「うわわわっ」 ものすごいスピードで、バスケットボールぐらいの球体が飛んでいく。 もも先輩や風紀委員の子が言っていた特徴と同じだ。 光を放つ球体は、壁にぶつかるたびにバウンドしている。 「光のボールにぶつかると、魔力をぎゅううっと吸われちゃうみたい。それで、どんどん大きくなるのかも……」 「ほんと、アレにぶつかったらシャレになんねーな」 (……おわ、びっくりした。その話、本当?) (了解、すぐ封印する) 封印に使う札を取り出し、遺品に思いっきり投げつける。 この動作にもだいぶ慣れてきたもんだ。 「よっしゃ!!」 遺品に札が貼りついたと同時に、俺は指先を噛んだ。 「久我三厳が、我が血と言霊とともに古き盟約の――」 言葉に呼応して、体の奥深くが熱くなる。 後は集中して、札を貼り付けるだけ…… 「……っ」 「なんだあっ!?」 光の球体が深呼吸するようにふくれあがり、札を弾き飛ばした。 「三厳! 気をつけて」 アンデルの声と同時に、気づいた。 魔力を注ぐ途中だった札が、びゅんと俺に向かって飛んできている。 「くっ!!」 両手を前に出し、ギリギリのところで札を掴むことができた。 紙とは思えないほど固く、アンデルが叫んでくれなければ怪我していただろう。 「一度貼りついたヤツが剥がれるなんて……初めてだ」 「気を抜いてはいけません!」 はっと顔をあげると、球体は反動をつけるようにゆらゆら漂っている。 「俺に向かって来るつもりなのか!?」 「三厳、手を! 『干渉して』みましょう」 頷き、腕を高く掲げる。 実体のアンデルの手と絡みあってひとつになる。 (わかった!) 俺にできるのは集中し、自分の中にある力を暴走させないことだけだ。 ただひたすらアンデルを信じ、魔女の力を使った。 「うまく……いった?」 しん、と静まりかえった礼拝堂の中。 さっきまで感じていた冷たい感覚すらない。 遺品は空中でぴたりと固まっている。 この場に存在する時間そのものすべてが、停止しているように見えた。 が、実際には、『止まって』いるわけではない……らしい。 「走って、三厳。わたしは封印に関する知識には疎いから……!」 「はあ……はあ……はあ……」 図書館に飛び込むのが、マナー違反なのはわかってる。 言葉も出ないほど息があがってしまった。 しかし、一刻を争う事態だ。 「リト、ごめんな……ちょっと困ったことになって」 少し待ってみても、返事がない。 「リト……? いないのか?」 リトがこの場所にいないなんて、初めてのことだ。 もちろん、ずっとここに座りっぱなしだなんてわけないだろうけど。 (困ったな、俺ひとりで調べてたら間に合わない) 封印に関する本がある場所は、リトにだいたい聞いている。 だが遺品の種類を調べて、対処方法を調べてとなると膨大な本の数になってしまう。 「時間いっぱいまでやるか、いっそ力技でいくしかないか――」 「ん?」 並びたつ書架の奥から物音がした。 「良かった! ちょっと急ぎで聞きたいことが……」 「あ……久我君」 まさかの出来事だった。 なぜ、こんなところで、とか。 一体何が起こったんだ、とか。 頭の中でそんな言葉がグルグル回っている。 「うわ、ご、ごめ」 「な、なに、かあった?」 「誤ってお茶をこぼしてしまったから」 「調べてみると、なるべく早く水洗いしたほうが良いとあったから」 リトはそのままの格好で、俺に話しかけている。 もちろん、何もかも見えたままで。 「久我君、さっきとても急いでいる足音が聞こえたわ」 「ごめん……」 「いいえ、久我君が特査として働くと決まった時から想定していたことだから」 「あ、あのな」 「用件は、なにかしら」 「えっ……」 「急いでここへやってきた、理由よ」 真面目に、いつもと何も変わらない口調で。 俺は、もしかして、からかわれているのか? いや、まさか、リトがそんなことするわけない。 「私のやるべきことを、教えて」 「そ、その、封印がうまくできない……『遺品』が……現れて」 リトがじっとこっちに視線をやっていて、俺も逸らすことができなかった。 「人の魔力吸ってでかくなるやつで……ふ、札を貼りつけても……吹っ飛ばしてきて……」 「そうね、その事例に近いものは――」 「ちょっと待った! 今、全部口で説明しなくていいから! どこの本に載ってるか教えてくれればいいから!」 「そう? ならあの記録書に確か記述があったはず。第27番書架の3段目ね」 「…………」 「案内するわ」 「ちょ、ちょっと待って!」 リトは傍らにあった服に袖を通すことすらなく、そのままの姿で歩き出した。 「いやいやいや! だからほんとにちょっと待ってくれ!」 「時間がないのでしょう」 「そんな恰好のままで、ダメだってば!」 「……ひゃっ」 慌てて、俺はリトに向かって制服を投げ渡した。 「こっちの方が優先事項……ということ?」 「あ、ああ。頼む」 「わかったわ」 「これで、大丈夫?」 「あ、ああ……うん……」 見慣れた格好に戻ったリト。 だけど、俺の心臓はやけに早く脈打っていた。 リトはというと、さっきの事などまるでなかったような態度だった。 「あった。この書物の……ここ」 「本当だ、確かにこんな感じになったんだ」 そのページに描かれていた図は、礼拝堂の中で暴れまわっている『遺品』とそっくりだ。 「それなら、札を張り付ける前に予備封印術が必要ね」 俺が頷いていると、リトははっと顔をあげた。 「力を使っている、のね」 「ああ、でも長くはもたない」 「なら私も、行くわ」 「えっ……!?」 「この書物を久我君が読み解いていては、きっと間に合わないから」 「う……確かに……」 「だから私がそばで、必要な情報を教えます」 予想外な申し出だった。 俺にはリトが図書館を離れることが、想像できなかったのだ。 「リト?」 「…………」 リトの眼差しは、どこか遠くを見ているようだった。 寂しいとか、恐いとか、そんなたったひとつの言葉では表せない色だった。 「あっ…」 俺はリトの手をぎゅっと握った。 冷たい指先から、かすかな力が伝わってくる。 不器用な、ささやかな、リトの感触だった。 「走るよ」 「はい」 俺はリトの手を取り、走り出した。 「間に合った……か?」 「……」 礼拝堂は、外から見る限り被害があるようには見えなかった。 風紀委員たちが人払いをしてくれているおかけで、誰かが扉を開けた様子もない。 「ああ、時間を止めている――っぽい」 「本当に!? やべ、もうそろそろ効力が切れてきたのかもな」 リトは頷くと、礼拝堂の扉に手を伸ばした。 「待て! 危ないから俺が開ける。中にいる『遺品』、やっかいなんだ」 「……危ない? でも、それは久我君も同じじゃないかしら」 「同じじゃないって」 俺は重い扉に手をかけ、息をのんだ。 「もし開けたとたんに動き出したら……リトはそのまま逃げてくれよ」 空気がキンと固まっていた。 幸いにも、俺とアンデルがこの場所にかけていた魔術はまだ生きていた。 だけど、その効力が弱まりつつあるのは、俺の中に流れる何かが感じている。 「久我君、この魔術が場を支配している間は予備封印術は使えない」 「ってことは、時間が元のように動き出す瞬間が勝負ってことか」 「ええ、その時ならばおそらくあの『遺品』も本来の能力を発揮できないと思うから」 「了解」 リトが俺の横に並ぶ。 光の球体を二人で見上げたのはどれくらいの時間だったろう。 わずかに、輪郭がぶれたのを俺たちは見逃さなかった。 「この言葉を、心の中で鎖を生みながら囁くの」 「……わかった」 リトが手にした書物を開き、その言葉を指さす。 「私が言葉にすることができないから、間違わないようにだけ気をつけて」 球体のぶれが次第に大きくなり、俺たちを取り巻く空気の温度が一気に下がった。 「……動き出した」 緊張が体中から溢れだしそうだった。 リトは冷静に、そばで俺のすべきことを示してくれる。 (イメージ、鎖、アレを捕獲する感じ……) 封印用の札を手にしたまま、俺は集中し、リトに教えられた通りに言葉を囁いた。 「なかなか上手になっているわね」 (……え?) 「気を逸らしてはだめ。さあ、力を放って!」 見えざる力が俺の腕を動かした。 一瞬、鎖のようなものがすばやく飛び交ったように見えた。 「魂の魔術の干渉が、完全に消えたわ」 光の球体は、確かに何かに縛られている様子だった。 俺は札を投げ、再び封印の言葉を口にする。 「……刻を、止めよ!」 視界が閃光に飲まれて真っ白になる。 俺は隣に立つリトに手をのばした。 そこに、間違いなくリトは立っていた。 ゆっくりと、視界がいつもの光景を映しはじめ―― 「封印、成功したようね」 近づいてみると、光の球体はなくなり、代わりに小さな指輪が転がっていた。 これが『遺品』の本当の姿だったのだ。 「だいじょおぶー!?」 「リトが手助けしてくれたから、なんとかなったんだ」 もも先輩は心底びっくりした顔で、リトを見つめていた。 「もも先輩?」 「ちょ、ちょっと待って、もも先輩」 俺が止めるよりも先に、もも先輩は走り出していた。 「さっそくー、学園長に、報告してくるねええー!」 「ああ……また……リト、ごめんな」 「何についての、謝罪?」 「なんだか、巻き込んでしまったからさ」 「聖護院百花の分析は、かなり正しいと思うわ。『蝕』の前後は何が起こるかわからないから」 「それって……OKってことなのか」 「対策案としては、とても良いことね」 こうして、俺とリトが初めて一緒に『遺品』を封印した日は終わった。 そして、リトとともに駆け巡る日が、始まったのだ。 もう放課後に、図書館へ足を運ぶことは、俺にとって当たり前になりつつあった。 だいぶ慣れてきたせいか、分厚くて読みづらい魔術書を前にしてもげんなりすることは少なくなってきている。 「こんにちは」 「今日もよろしくな」 「ええ。今日こそ一冊読み終えられるといいのだけど……」 リトがわずかに苦笑する。 俺も同じ表情を浮かべるしかない。 ここ数日、『遺品』が発生することが続いていて、俺とリトは何度も封印のため奔走していた。 その瞬間、聞こえてきたのは駆け寄ってくる足音だった。 どうやら今日も、勉強どころではないようだ。 「ちぃ、ちちちちっ」 「が、学園長!?」 学園長が直接やってくるなんて。 俺は首を傾げつつ、椅子から立ち上がった。 「どうして学園長が、わざわざここに?」 「『遺品』が現れたんですか」 「ぬいぐるみ型の遺品なんてあったのか」 俺がそう呟くと、学園長は『そうではない』と手早くそのぬいぐるみについての情報を説明してくれた。 ぬいぐるみ自体は卒業生の忘れ物であって遺品そのものではない、と。 「『遺品』に影響された生徒のほうは私でなんとか手配した。大事になるまえにちゃちゃっと封印に向かってくれるね?」 「ちゃちゃっとって……まあ、わかりました」 「ちっちちちー!」 やってきた時と同じく、学園長は嵐のように立ち去っていった。 「ああ、やっかいなヤツじゃないといいな」 リトとともに現場にかけつけると、物陰からひょっこりと顔を出すぬいぐるみがいた。 どうやらあれが今回の『遺品』らしい。 ――イタイ、イタイ。イッショ。 『遺品』の叫び声は、まるで超音波みたいだった。 鼓膜どころか、脳みそまで揺さぶられる感覚が走った。 ――アレモ、コレモ、ソバニイテヨ。 「久我君!」 「やべっ」 リトの頭をかばいつつ、その場に伏せる。 勢いよく飛んできたのはリボンやブローチといった細々したものだった。 ぬいぐるみは、柔らかい手足を器用に使い、それらを自分の身につけていった。 「……ぱっと見は可愛い見た目だけど、やばいな」 「あの人形はただのもの。中に宿っている『遺品』がこれらを起こしているの」 「一体なんのために、ガラクタ集めてるんだ」 俺は学園長の言葉を思い出した。 あのぬいぐるみは、ここを卒業した生徒の忘れ物だと。 もし、『遺品』があのぬいぐるみに込められた思いとシンクロしていたとしたら…… 「最後に、持ち主だった人を呼び寄せてしまうってことか」 「そのままならいい。けれどあの『遺品』は魂を食べる性質を持っているの」 リトが『遺品』の特徴を分析し、俺に教えてくれる。 ぬいぐるみに引き寄せられて飛んでくる物にさえ注意すれば、今回の封印は難しくなさそうだ。 「リト、怪我しないようにな」 「わかったわ」 少しずつ距離をつめて、封印に必要な札を思い切り投げつける。 幸いなことに、一発でぬいぐるみの背中にぴたりと貼りついてくれた。 ――コレハ、イラナイ、イラナイ! 「……うっ、耳やられそうだな」 ――オイテカナイデ、イッショ、イタイ! 「我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる!」 「……刻を、止めよ!」 ――オイテカナイデ! 「……っ」 ぱたり、とぬいぐるみが倒れた。 さっきまで辺りに張りつめていた『遺品』の空気はもうどこにもない。 「成功したな」 「そうね……」 リトは地面に転がるぬいぐるみを不意に抱きあげた。 封印さえ施せば、ただの古ぼけたぬいぐるみだ。 「それは念のため回収して、学園長にでも調査してもらうか」 ふわりと、涼しい風が屋上を駆け抜けた。 リトは帽子を押さえて、空を仰いだ。 「……空、こんな色をしていたの」 「もうすぐ日が暮れるな」 「私の知っている中で、一番綺麗と思う色よ」 頭上は見事な茜色に染まっている。 リトは黙ったまま、ずっと空の色を見つめ続けた。 俺はそんなリトを見ながら……リトの瞳がこの夕空に似ていることに気付いた。 ――変化は、ゆるやかに訪れていた。 俺やリトがこんなにも忙しない毎日を送ることになった原因……『蝕』。 簡単な魔術書は一人でももう読める。 『蝕』について簡単に記された箇所を、ある日俺は目にした。 (数年おきに発生する。封印魔法が弱まる。そのために様々な異変が起きる) (……だが、期間はそう長くはない。力の流れを正しく知ることで、対処は可能) ――期間はそう長くない。 この学園の中で、その『期間』はどれほどの長さを示すのだろう。 「久我君、来ていたの」 「ああ、うん。ちょっと気になった本見てたんだ。今日は何を研究する?」 「どうしたんだ?」 珍しく困った素振りを見せたリトは、俺を奥の方へと手招きした。 「わ、どうしたんだ、これ」 奥にある背の高い書架のひとつ、上半分が空いている。 そしてそこに入っていただろう本が床に積んであった。 「昨日、風紀委員が誤ってここで言ってはいけない言葉を口にしたの」 「呪文みたいな?」 リトは言いながら、あるものを指さした。 書架の端に置いてある脚立だ。 しかしいつも見かけるものよりもずいぶん小ぶりのものだった。 「脚立、新しいものをいま取り寄せていて、あの高さのものしかないのよ」 リトは、最後まで説明しないうちに脚立を用意し始めた俺に驚いていた。 「本の並べ方は教えてくれよな」 「え、ええ。助かるわ」 リトの手渡す本を、一冊ずつ丁寧に棚へ戻してゆく。 それを何度も何度も繰り返し、やっと床に積まれていた本たちが姿を消した。 ようやくいつもの光景になった図書館で、俺とリトは机に向かった。 「本当にありがとう」 「リトって、本が大好きなんだな。前から思ってたけど、今日改めてわかった」 「大好き……?」 「うん。本を持つ時も渡す時も丁寧でさ、大事にしているのが伝わってくるっていうか…」 「…………」 リトは突然押し黙って、俯いた。 「リト…?」 「人は、大好きと思ったものを丁寧に扱うのね」 「そりゃ、そうだよ。大事なんだから。リトだってそうだろう?」 「ではなぜ……大事と思ったものを永遠に守ろうとしないの」 「どうしたんだ? 俺、何か悪いこと言ったかな」 「いいえ。わからないの」 リトはわずかに首を横に振り、言った。 「丁寧に扱ったものを、永遠に守らないことの矛盾が、まだ私にはわからない」 こんなリトを見たことなかった。 もしかしたら。もしかしたら、俺のせいだろうか。 リトが過ごしていた時間を『遺品』と向き合うことに使わせている、俺のせいだろうか。 「リト……」 「私は書物を大好き、と思ったことはないわ」 「永遠に守るもの。私と同じもの。そう思っているだけ――」 俺は、その時にやっと気づいた。 リトのそばに積んである本の陰に、あのぬいぐるみがあった。 一旦学園長に預けたはずだが、リトの所に戻ってきたのだろうか。 もう封印の影響も切れた、ただの古ぼけたうさぎだ。 それは、かつて誰かの『大事なもの』だった。 「いくら調べても、この現象の原因をうまくまとめられないの」 リトは微笑んでいた。 悲しいとも、困ったとも感じさせない顔だった。 「……そんなの、どこにも書いてないよ」 「えっ?」 俺にだって答えられない。 好きと思ったものを、嫌いになってしまうこと。 忘れてしまうこと。 「ごめん。なんか、いろいろ巻き込んで、本当に……」 俺の心の奥底に湧いてきたものに、意味と名前をつけたとしても。 すぐリトには伝えられない。 「俺も同じ。わからない」 もしもわかったら、俺はどうするんだろう。 本能とか、衝動とかにも近いものを、リトに差し出したらなんといわれるだろう。 俺がいま一番大事にしたいものが、この時はっきりわかった。 変わらない毎日が――この、図書館で過ごす日々が、永遠に続いてほしかった。 こうして、リトとともに学園を駆けまわることにも慣れて。 俺の横にリトがいてくれることが当たり前になっていって。 ずっと前から、こうだったような気すらしてきて。 ――だけど。 (やっぱり、変わってきてるよな) ここ数日間、俺が特査として呼び出しをかけられる回数が減ってきていた。 「ここしばらく君たちには頑張ってもらったからね」 俺ともも先輩が今日ここへ呼び出されたのも、特別な理由があるからではないようだ。 学園長室の、のほほんとした空気とか、美味しそうなお茶。 それらはほんの数週間前の俺の目の前にあったものだった。 「ちょっと、質問してもいいですか」 「どうしたんだい?」 少しだけ迷ってから、俺は尋ねた。 「あ、はい……」 普通に返事をしたつもりだったけれど、学園長はカップを置くと俺の顔を覗き込んできた。 「そんなんじゃないですよ」 その言葉が、学園長の本心なのかはわからない。 (俺は……俺は何を思ってるんだ) 心の奥からかすかに湧いてくるものの正体はわかっていた。 俺は、リトとともに駆け回る日々がなくなってしまうことが、少し怖い。 『蝕の日』の影響がなくなったら、前のように図書館で勉強する日々に戻るだろう。 もちろんそこにもリトは、いる。 「…………」 「どうしたの? なんだかヘーンな感じ〜」 「ちょっとぼんやりしてただけです」 学園長のいつものおどけた口調に、俺はちゃんと笑顔を返せただろうか。 そんな風に思うのは、初めてだ。 だから俺は気づかなかったのかもしれない。 俺が、特査として向き合ってきたモノが、どうやって生まれてきたのかを……。 その日は、朝から時々背中に寒気を感じていた。 昼すぎには顔のあたりがやけに熱く火照り始めた。 年に一度かかるかどうかというほどの、風邪にかかっていると気づいた時だった。 教室中の声が歪んで聞こえて、視界がブラックアウトした。 目が覚めたのは、自分の部屋だった。 少し気怠かったけれど、不思議と不快感はない。 額に手をやってみると、熱はまだあるのに汗はかいていなかった。 「目が覚めたようね」 「……え?」 ふと視線を巡らせると、リトがベッドの傍らにいた。 手元には水の張った洗面器があって、リトはその中でタオルを絞っている。 「やっと熱が下がりだしたようだわ。汗が止まったから」 「もしかして、ずっといてくれてたのか」 「いつもの時間に来ないから、聖護院百花に聞いてみたの」 「ああ……俺いきなりぶっ倒れたのかな」 「幸い近くにいたクラスメイトが支えてくれたそうよ。怪我はないわ」 「そっか。めったに風邪なんて引かないのに、倒れるとはな」 「疲れていることもひとつ。それから、魔力による影響もあるかもしれないわね」 驚いて思わず起き上がりそうになった俺を、リトが諌めた。 「熱が下がったとしても、まだ起きるのは良くないわ」 「は、はい……」 ここはリトの言う通りにしておこう。 再び体を横たえると、リトがおもむろに立ち上がった。 「……ん?」 リトはやや大きな鞄を持ってきているようだ。 それを椅子の上で開け、何かを取り出している。 「なにしてるの?」 「熱が下がったから、次のものを作ろうと思っているの」 「次?」 リトが取り出したのは、弁当箱ほどの木箱だった。 何が入っているんだろう、と聞く前に…… 「えっえっ……リト、それ……なんだ」 「材料よ」 最初は、何かの葉っぱや枝のようなものが出てきていた。 だけど次第に雲行は怪しくなってくる。 ずいぶんと足の多いシルエットや、小さなカエルの声が聞こえてきたのだ。 「ちょっと待って、材料ってまさか……なあ」 「薬よ。あまり匂いはしないように作れるから安心して」 リトは俺の事などおかまいなしに、わけのわからない材料をどんどん混ぜはじめた。 「きちんと量も材料も守っているから。それに文献も確かなものよ」 不満げな俺を納得させるように、リトは一冊の本を目の前に掲げた。 魔術と植物に関する記述――というタイトルだろうか。 見るからに不吉そうな、毒でも染み込んでいそうな装丁だ。 「ありがたいけど……たぶんよく効くんだろうけど……さ」 「ええ、とてもよく効いたようだわ」 「……え?」 リトはベッドサイドを指さした。 そこにはひとつのカップが置かれている。 そっと覗いてみると……謎の生物の、小さな足が一つ残っていた。 「そっちは熱を下げるための調合だったの。古いレシピだけれど、効果が確実ね」 ……確かに、熱は下がっている。 下がっているけれど、少しばかり納得がいかなかった。 (はあ……味がわからなかっただけマシか) こぽこぽと、湯が沸く音がした。 リトの横顔を見てみると、どことなく満足げだった。 「どうぞ。回復が早くなるわ」 「う……うん、そうだな……」 カップを覗いてみると、幸い色味は真っ黒で中身がわからなかった。 しかしあの過程を見ていると……やっぱりなかなか飲みづらい。 「熱いかしら」 「いや、そうじゃないけれど」 俺が口ごもっていると、不意にリトがカップを口にやった。 「え、ちょっと、リト!!」 「……こくこく」 細い喉がふるふる揺れて、あの薬を飲みこんでゆく。 「平気よ。どうぞ」 リトは自分の唇をつけたカップを俺のほうに再び差し出した。 ここまでされたら、飲むしかない。 「いただき…ます」 「うう……なんかちょっと、感触が……」 「カップをいただくわ」 「それは、意識のない状態で飲む方法を使ったの」 「なにそれ、どんな……」 「ここに図解があるわ」 リトの開いたページには、思いっきり口移しをしている図があった。 「そう。効率的だから」 顔が熱くなったのは、また熱が上がってきたからではないと思う。 (なんだよ、そういうのが初めてってないよな……せめて意識がある時であってほしかった…) そんなことを思ううちに、さっきの薬が効いてきたらしい。 「あと一眠りで、きっとよくなるわ」 体から力が抜けていく。 「確かにあの薬、効くみたいだな……」 「ふふ、調合に間違いはなかったもの」 リトはそのまま、俺の部屋にいてくれた。 ずっと座らせているわけにいかないといっても、リトは微笑むばかりだ。 それどころか、緩やかな眠気に包まれた俺の傍らで、ずっと本を読みながら起きている。 (リト、いつ眠るんだよ……) 声にする前に瞼が重くなった。 (ずっとそばにいてくれて、ありがとな) 不思議と、リトは俺の心を読むように立ち上がって灯りを消した。 本を読むのに必要なほどの小さなランプだけを残して、部屋の中は静かな闇に包まれていった。 真夜中すぎ。 金属が触れ合うような音に俺は目を覚ました。 「リト、大丈夫か」 「ええ。ずっとここにいたわ」 「――なんだ、今の音は」 「久我君、何かがおかしい気がする。これを見て」 リトは持っていた魔術書を俺の前に掲げた。 なめした革でできた表紙に刻印されている文字が、かすかに震えているように見える。 「この書物は植物学と魔術に優れた魔女の血が含まれているの」 「まさか、その血って……」 「ええ。魔女の血は半永久的にその命と力を宿しているわ」 魔女の血とやらが反応するということは――『遺品』が現れたのかもしれない。 俺はベッドから立ち上がって、上着を羽織った。 「もう大丈夫なの?」 音のした方へ飛び出てみたが、何かが壊れた様子はなかった。 こんな時間のせいか、人気もない。 それは幸いだったが、もう一つ気になる点があった。 「あれは、なんだ」 「魔力の軌跡……と呼んでいるものよ」 巨大ななめくじが這った跡というのが、正しいかもしれない。 わずかに光る帯が、そこらじゅうに残っていたのだ。 「このタイプは、危険かもしれない。特殊型の『遺品』の特徴なの」 リトはやや緊張しながら、手短に遺品について教えてくれた。 どうやらここに現れた『遺品』は、いつものとは成り立ちが違うらしい。 「なんでそんなのが、急に……」 その時だった。 どん、と体に衝撃が走った。 リトが思いきり俺の腰のあたりに飛び込んできたのだ。 一瞬よろけた時に、俺はそれを見た。 「リト、危ない……っ」 耳鳴りのような金属音を出していたのは、ガラスの筒だった。 二の腕ほどのガラス管の中で、何かが揺れている。 目をこらすと――それは小さな芽を出している種だった。 「リトっ!!」 ガラス管は、リトの頭上で破裂した。 まるで中から破裂したように、四方八方にガラスが飛び散る。 思わず閉ざした目を開けると、リトがその場で倒れていた。 「リト!! 怪我はないか!」 リトの背中に乗っていたガラスを払いのけ、慌てて抱きおこす。 ぱっと見た限り、転んだ時のかすり傷くらいしか見当たらなかった。 「良かった。リト…」 「こんなのどうでもないって! それよりさっきのやつ、どこにいった」 俺は上着のポケットに手をやり、そこに封印用の札があることを確認した。 間違いなく、あれは『遺品』だ。 こんな真夜中に現れるとは思わなかった。 「さっきのガラス管の中にいたのが、たぶん本体だと思う」 「…………」 「早く探さないと……なんかヤバい気がするんだ」 辺りを見回しても、『遺品』の気配はなかった。 恐ろしく晴れた夜空が、頭上に広がっている。 もしもこんな時でなければ――きっとリトと一緒にこの夜空を見上げていただろう。 「……こ…が……くん」 「リト?」 気付いた時には、リトはもう二つ折りになり、苦しげに肩を揺らしていた。 「はあ……は……はあ……はあ……」 「……リト!」 ついに地面に横たわったリトの体が、大きく痙攣した。 そして俺は――信じられないものを目にすることになった。 「ん……っくふぅ……んん」 最初、俺は何かがリトの体を縛りつけているものだと思っていた。 それさえ解ければ、リトを助けられるかもしれないと。 だが、違った。 「近寄らないで!」 リトの体の中を、何かが蠢いている。 それはコンクリートを蝕む植物に似ていた。 わずかな隙間から内部に浸食し、いつしかそれを縛りつけるように育っていくもの。 「これが……遺品なのか……?」 「ええ……気づくのが……遅れてしまったの……私の中にいるものは……遺品……プロイオス」 「す、すぐ取ってやるから、いま、すぐ……っ!」 「……触れてはだめっ……この『遺品』は……んんっ」 リトが仰け反り、何度も小さな嗚咽を漏らしている。 その度に俺はすぐさま駆け寄り、リトの体を侵しているものをすべてを薙ぎ払いたい衝動に駆られた。 「……はっ…はあ……この『遺品』は、今までのものと……違う…久我君…わかるでしょう……」 俺は、小さく頷いた。 『遺品』の種類や性質については、リトが様々な知識を教えてくれた。 『遺品』は、生前残された思いに沿った働きをする。 その願いに近いものに引き寄せられ、力を持つ。 「でも、おかしいじゃないか! こんな…まるでリトを食おうとするような…」 涙がこらえきれなかった。 体を蝕まれ、苦痛を受けているのはリトなのに――…。 「そう…そうよ…この『遺品』は…あうっ……く、未来を…望んだ未来のために…運命を変えたがってる……みたいね…」 「望んだ未来……? リト、何を望んだんだ。それを叶えるためになんでもするから…だから、リト……」 リトは、その瞬間だけ――微笑んだ。 ほんのわずかな、一瞬だけの笑顔。 その意味すらわからずに、俺は叫び、手を伸ばした。 「……くっ」 はだけたブラウスの下に、リトの白い胸が見えた。 恐ろしく冷たく、そして――あの茎のようなものが蠢いていた。 「……だめっ……あ、ああ…っ」 「久我君…聞いて…いつものように『封印』するの…それでいい」 「何を……え……?」 俺には、リトの言葉が理解できなかった。 封印の仕方も、言葉も、全部わかっている。 だけど――。 (俺が封印すべき『遺品』は、どこだ?) 「魂を作り出す力は……ないから…器がすべて呑み込まれた時よ……間違えてはだめ……」 「何言ってるんだよ、リト、なあ」 「私の……声が聞こえなくなった瞬間が……合図だから……くっうう……」 リトの体の中で這い回るものが、次第に上へ上へと向かっている。 爪をたて、引きはがそうとしても、リトの体を傷つけてしまうばかりだ。 「なんでだよ……なんでリトがこんな目にあうんだ…」 「それは…ね…久我君……魂がないから」 「リト?」 音が消えた。耳の奥の鼓膜を震わせる音の一切が、消えていた。 「ホムンクルスの私には、魂がないから」 聞こえるのは、俺の中を流れる血流の響きだけだった。 「ふっ…うう……はあぁ……あ……っ」 リトの喉から、苦しげな息が吐きだされた。 荒い呼吸音。時々混じるかすかな嗚咽。 声が、リトの声が聞こえない。 「――嫌だ」 唐突に、理解した。 この『遺品』は魂のないものを器にして、乗っ取るのだ。 器を完全に支配したとき、それ自身が、『遺品』となる。 「嫌だ」 リトのものでなくなった肉体を、俺に、封印しろというのか。 「嫌だ……リト!!」 「――み…つよ…し」 瞬間、かすかにアンデルの声が聞こえた気がした。 すべての温度が放たれたような感覚だった。 何かを願う隙間すらなく、けれど強大な力が噴出している。 「…………」 『災厄の魔女』と呼ばれた力と初めて向き合った時と、少し似ていた。 願いというにはあまりにも強すぎる、欲望に近い魔術の力。 そこには呪文もなく、形式もない。 「リトーっ!!」 「…………あっ」 「……久我…君」 瞳が開き、聞きなれた声が唇から零れている。 俺は手を伸ばし、リトの体に触れた。 「ふっ……くすぐったい」 肌の下にある鼓動が、伝わってくる。 リトが生きているという証が、俺の指に溶け込んでくる。 「……良かった」 「どうしてそんな顔、しているの?」 「何かしたのかしら………久我君にそんな顔をさせること……」 「違うよ、リトは悪くない、大丈夫…」 「いいえ。嘘だと久我君の顔が言っているわ。心配をかけたのね」 「……」 抑えきれず涙を流した俺の目元を、リトが拭ってくれた。 「お願いだから、自分を封印してくれなんて言わないでくれ」 「……」 「ずっと一緒にいる時間を壊したくなかったから、伝えられなかったんだ」 「……どうしたの」 「一緒にいたい。俺はリトのことが好きなんだ。やっと気づいた。ずっとこう言いたかったんだ」 「……久我君」 一呼吸ぶんの、わずかな間が俺にはとても長かった。 「私も、同じよ」 柔らかい手のひらが、俺の頬に触れた。 優しい声が答えてくれた。 「どうされました? お母様」 「今放たれた力…これは何? 魔術と呼ぶにはあまりにも……強すぎる」 「そんなことができるのは――まさか」 「もしもそうなら……少し考えなければいけない……」 お互いの気持ちを確かめ合ったリトと俺は、これまでとは少し変わった日々を送っていた。 恋人同士……と言っていいのかどうかはわからない。 ちょっとした空き時間に図書館や中庭でデートのようなことをするのがほとんどだ。 少しむずがゆい気持ちもあるが、リトと過ごしたこの数日は穏やかで楽しいものだった。 「なあ、リト」 「なにかしら?」 「リトは俺と会うの、いつも同じ場所でいいのか? どこか行きたいとことかないかなと思って」 「ま、まあ俺もそうだし、そう言ってもらえるのは嬉しいけど……」 「何か新たな希望があれば、ということ?」 「そうそう」 「俺の部屋? 前に一回来たことあるだろ? そんなのでいいのか」 「いいや、構わないよ。それじゃあ、今度遊びに来てくれ」 「ふふ。ありがとう」 約束をした翌日、早速リトが部屋にやってくる。 リトが俺の部屋にいる……それだけでどこか少し緊張してしまう。 「別に面白いものはないと思うけど……前と同じだし」 「あなたの部屋だという事実が大切なのよ」 「ありがとう」 お茶を用意して、二人で他愛のない話を続ける。 毎日のように話をしているはずなのに、こんな意味のない、普通の話をするのは珍しい。 (それとも、これがリトとの距離が縮まった、ってことなのかな――) ふと会話が途切れた瞬間、リトは顔をあげて俺をじっと見つめていた。 「な、なんだ?」 「図書館にある本に書かれてあったことを思い出したのだけど……」 「ん? 何が書いてあったんだ」 「恋人同士は、肌と肌の触れ合いで愛を確かめ合うと」 「え、え!?」 「けれど、愛を確かめ合うことと、不健全性的行為との違いが私にはわからないの」 「恋人同士が肌を合わせることと、不健全性的行為に違いはあるのかしら?」 「え、えっと……」 いきなりの質問に、一瞬混乱する。 こういう時はなんて答えるのが正解なんだ……? 悩みながら考える俺を、リトは真剣な表情で見つめていた。 これは、ちゃんと考えて答えてやるべき…な気がする。 「どう違うのかしら?」 「ええと、やっていることは同じかもしれないけれど……お互いが心から望んでいる…というか…」 「……そう」 リトの表情は俺の答えに納得しているのかどうかわからない。 でも、これ以外にどう説明すればいいのか、俺には見当がつかなかった。 「それじゃあ、私たちの関係も不健全には当たらないから、何も問題はないということね」 「え! ちょ、ちょっと!?」 そう言うなり、リトはいきなり俺に抱きついてきた。 あまりに突然のことに驚き、身動きが取れなくなる。 そんな俺を気にした様子もなく、リトは抱きついたまま身体を擦り寄せながら見つめてくる。 「どうしたんだ……突然」 「こうしたくなったのだけれど、不健全性的行為にあたるのだとしたらできないと思ったの」 「でも、あなたが違うと言うからこうして……」 やけに積極的になったリトにされるがまま、どうすればいいかわからない。 戸惑っていると、リトは更に身体を押し付けてくる。 「ちょ、ちょっと、あの、あ……!」 「……あ」 そのまま、リトの身体を支え切れずに押し倒されるような体勢になってしまう。 「あの、な……」 「…………」 上に乗ったまま、リトはじっと俺を見つめている。 その視線に捉えられて、身動きがとれない。 どうしたらいいんだろうか……。 「確か……本にはこう……」 「これが男性器なのね……」 俺の声を無視するようにリトはズボンと下着をずらすと、そのまま肉棒を取り出してまじまじと見つめ始めた。 まじまじと見つめられて照れくささがないわけじゃない。 でも……。 「一緒にいたい。俺はリトのことが好きなんだ。やっと気づいた。ずっとこう言いたかったんだ」 「私も、同じよ」 俺はリトの事が好きだし、リトもそうだと言ってくれた以上、抵抗するのもおかしい……のか? (いやいや、いくらなんでもそれは) 「あの、そんな見て楽しいものじゃないと思うんだけど」 「そう? 自分にはないものは興味深いものだから」 「ああ、そう……」 「やっぱり、本だけで知るのとは全然違う」 この先、何をするつもりなのか、この状況なら嫌でもわかる。 でも、このままで本当にいいのか少し不安だ。 「なあ、リト……本当にいいのか?」 「いい……とは?」 「いや、だからその……不健全性的行為……」 「私と久我君の場合は不健全にはあたらないのよね?」 思い出しながら答えると、リトが少し不思議そうな表情をした。 さっき自分でそう答えたせいで、改めて言われると何も答えられなくなってしまう。 「まあ、そうだけど……」 「だったら、大丈夫。ここを、舐めればいいのよね?」 肉棒を見つめたままリトは笑みを浮かべて聞いてくる。 「な、舐め?!」 「舐めればいいと思うのだけれど、違った?」 「違……わないけど、違うから! いきなりそんなことしなくていいから」 「久我君は、こういう事を私にしてほしくはないと言うこと?」 「いや……してほしくないわけじゃ…ないけどさ。リトは…こんな突然でいいのか」 「突然じゃないわ」 少し、いつもよりはっきりと、リトは否定した。 「突然じゃないの。久我君。この数週間。私はずっとあなたのことを考えていたの」 「どうしたら、私のこの感情を、余さずあなたに伝えられるのか。あなたと話しながら、考えていたの」 「………」 「そうしたら、本に、このようにすることが書いてあって、私は」 「わかった、わかったよ」 「じゃあ」 「ああ、そうだよ。じゃあ、頼む……」 「ええ、わかった」 嬉しそうな表情を見つめて断れるわけもなく、その髪を撫でながらお願いをすると、リトは小さく頷いた。 「ん……んんっ……」 「……っ!」 舌先を差し出したリトが、先端をゆっくり舐め始める。 それだけのことで、思わず背中が震えて肉棒が反応してしまう。 「ん……あ、びくって震えた……」 「そ、そりゃなあ……」 「もっと、ということかしら……ん、んんぅ……」 「は、あ……」 先端を舐めていた舌が動き出し、ゆっくり根元へ移動する。 ねっとりと移動していく舌先の動きに身体の震えは抑えられず、何度もぞくぞくしたものが通り過ぎていく。 (こんな時も……本は抱えたままなんだな……) 「あ……大きくなってきたわね。んんっ。こう、した方が……は、んむ、んっ……いいのかしら」 「いや、あの……んっ」 「ん……それとも、違う方法があるの? は、あ……んむ、は、む……あ、びくってしてる」 硬くなり始めた肉棒に興味津々といった様子で、リトは何度も舌を這わせて色々報告してくれる。 正直それは恥ずかしいんだけど、リトがそうしていると思うと興奮もする。 「はあ、ん……ん、んっ……ちゅ、ちゅ……」 「先の方もたくさん、んっ……舐めたりした方がいいのよね。ふ、んぁあ……はあ、は、んんっ……」 根元へ移動した舌先がまた先端へ戻って来る。 そして、リトは舐めるだけでなく軽く口付けては、様子をうかがうように視線を向ける。 感触だけじゃなくて、その表情もたまらないものがあった。 「んう……ん、はぁ、んむ……んっ」 「ねえ……ん、んっ……ここは、舐めると……は、んむ、どうしてこう、なるの? んんっ」 「え!? ええ? え、えっと……生理現象というか、その……えーっと……」 「興味深いわ……きっと、もっと強くした方がいいのね。んんう……」 「……っ!」 舐められる度に肉棒は脈打ち、背中はぞくぞくと震え続ける。 また舌先で先端を舐められると、今度はとろりと透明の精液があふれ出す。 それを見たリトは軽く精液を舐めとり、じっと俺を見つめた。 「何か、苦いものが出て来た」 「あ、ああ……」 「ん、んんっ……これが、精液……?」 「…っ、いや、それはまだ……違うやつ…」 「そう、なの……精液が出るまでには、まだ刺激が必要ということなのね……?」 あふれ出る液体を何度も舐め取り、舌先を動かすリト。 肉棒を舐められ、液体をすくい取られる度に全身は震えて吐息が漏れる。 リトが与えてくれる刺激が、俺の全身を刺激してとまらない。 「は、あ……そう。それ、気持ちいい」 「わかった。んっ……んっ……」 「はあ、は……あ、んぅ、んんっ……これで、いいのね……ん、ふ……んむ」 頷いたリトはまた舌先を差し出して、肉棒を根元からしっかり舐めあげる。 舌先の動きに合わせて肉棒は脈打ち、また液体があふれ出す。 「ずっと、止まらないのね。んんぅ……ん、ちゅ、ふ……は、ああ、はあ……」 「ちゅう……ちゅ、んんっ、ん、んっ……は、ふ……」 あふれた液体をまたすくいあげると、リトは一旦舐めるのを止めて上目遣いにこちらを見つめた。 「ね、え……ん、んっ。……舐めるだけで、いいのかしら?」 「え……」 「本には、もっと違う方法も書いてあったわ」 「あ、ああ……」 どんな方法かなんて聞くまでもない。 いや、聞いたらリトはすごく丁寧に説明してくれるだろうし、それはそれで興奮しそうだけど……。 「そっちは、試してみなくていいの?」 「そっちって……」 「説明した方がいいかしら?」 「いや、わかってるから大丈夫だから」 「そう……私としては、そっちも試すとどうなるのか気になるんだけど」 じっと見つめられると、もっとして欲しいという欲望が湧いてくる。 それを口にしていいんだろうかと迷いがあるけど……正直なところ、して欲しい。 「できるなら、咥えて欲しい、けど……」 「ここを咥えればいいのよね?」 「あ、ああ……」 じっと俺を見つめたまま、リトが舌先で先端を軽く突くようにする。 それだけで、また肉棒が脈打ってしまう。 その舌先の動きに、リトに咥えてもらいたいという欲求は更に大きくなる。 「でも、苦しかったらすぐに口から出していいから。無理はするなよ」 「わかった、無理はしないわ。それじゃあ、やってみるわね」 「ああ」 「は、んむ……ん、んんぅ……」 「……うっ!」 「んぅ……らいじょうぶ……?」 咥えられただけで思わず声が出てしまう。 そんな俺を見上げ、リトが少し心配そうな表情を浮かべた。 「大丈夫。気持ちよくて、ちょっと声が出ただけ」 「そう……良かった。それじゃあ、もっと……んっ、んんっ」 「……!」 俺の返事を聞くと、リトは更に強く肉棒を吸い上げ始めた。 根元までしっかり咥えた肉棒を強く吸い上げ刺激を与える。 「……は、んっ……ん、ちゅ、ちゅう……ふ、んむ、……んんっ」 「はあ、は……んぅ、んっ……さっきより、んっ……びくびく、してきたわね」 「は、あ……」 「はむ……んんぅ、んむ……! んっ、ふぁあ、ちゅ、ちゅう……は、んむっ!」 何度も音を立てて吸い上げられ、その度に肉棒は震えて液体がさっき以上にあふれ出す。 あふれる汁をすすり、また強く肉棒を吸い上げるリトがこちらを見つめる。 「大丈夫だから……そのまま、もっと……」 「んんっ……わかった、もっと。ふ、んむぅ……ん、ちゅ、ちゅう……ふ、あ! はああ……は、んむ」 頭を撫でながら言うと、吸い上げる勢いが強くなる。 俺をもっと気持ちよくしようとリトが頑張ってくれてるのだと思うと嬉しくてたまらない。 「は、んむ……んんっ! ん、ふ……ふぁあ、あっ……んっ!」 「すごい……こんなに、何度も……んっ、反応して…。はあ、はあ……」 リトは何度も強く吸い上げながら、時々口内で舌先を動かして肉棒を舐めまわす。 刺激が与えられる度に身体を震わせ、肉棒が脈打ち、とろりとした液体がどんどんあふれ出す。 「んっ、こんなに……あふれるものなのね……。ん、んんぅ、は、ふあ……」 「本で知るよりも……んん、んっ、有意義で、わかりやすい……は、んむぅ」 肉棒を見つめて感心したように見つめ、そのすべてを受け止め強く吸い上げる。 そのままの状態でリトは視線を動かし、俺を見つめた。 「どう、かしら……はあ、んむ、んっ! ちゅ、んっ……うまく、できてる?」 「は、あ……気持ちいいよ、リト……」 「ん、ふぁぁ……よかった、んっ……は、んむぅ」 嬉しそうに微笑みを浮かべてから、リトがまた肉棒を強く吸い上げた。 強くなった刺激に腰が震えてしまう。 そんな俺の様子に気付き、リトは強弱をつけながら何度も肉棒を吸い上げ、舌先を動かす。 「はあ、はあ……あ、んぅ、んっ……ちゅ、ちゅぅ……ふ、あっ」 一生懸命肉棒を咥えてくれるリトの髪を撫でながら、何度も息を漏らす。 びくびくと肉棒が脈打ち続け、呼吸はどんどん荒くなる。 「リト……もう、いいから……」 「ん、んっ……? ろ、して? は、んんむ、んっ」 不思議そうにしたまま、リトは肉棒を離そうとしない。 それどころか、更に強く吸い上げて刺激を与えてくる。 その刺激にも震え、また腰が震えて肉棒が脈打ってしまう。 「あ……! だから、あの……口、離してもいいから」 「あ、んっん……精子、が出るのよね。久我君のなら、見てみたい……んっ」 「え、あ……!」 「だから、もっと……は、んむぅ! ん、んっ……は、あ……はあ、んむっ!」 そう答えたリトはまた強く、何度も肉棒を吸い上げた。 その瞬間、今まで以上に全身が震え、腰を大きく跳ねさせてしまう。 「……っ!」 「……んっ! ん、んんっ」 そしてそのまま、リトの口内に勢いよく射精してしまう。 口内いっぱいに広がった精液を受け止めたリトは表情を歪めるが、音を立てて精液を飲み干す。 「は、んむ……ん、んっ……!」 「お、おい……大丈夫か?」 「ん……ん、ふ……あぁ」 精液を飲み干したリトは顔をあげると、微笑みを浮かべて俺を見つめる。 「大丈夫よ、心配しないで……」 「いや、でも……」 「本も汚れていないし。すべて口で受け止めたもの」 不安そうにしている俺を見つめるリトは、精液の味を思い出すようにしながら口内で舌先を動かしていた。 その、ちょっとした様子すら可愛くて、更に俺を刺激して仕方ない。 「本に書いてあった通り不思議な味……でも、あなたのものなら悪くはないわ」 「…………」 「もう一度くらい、やってみたいかも……ふふ」 微笑みながらそう言うリトを見つめていると、また肉棒が反応してしまう。 そんな肉棒の変化に気付いたリトはまた笑みを浮かべた。 「……ふふ……」 身体を起こしたリトがじっと俺を見つめていた。 そんなリトを見ているだけで、身体はまた熱くなっていく。 「リト……入れたい……」 「私ももっと、久我君と愛を確かめ合いたいと思っていたところ」 「ああ、それじゃあこっち……」 「……うん」 リトの手を引いてベッドへ移動し、ゆっくりと服を脱がせる。 リトは、いつも持っている本だけはどうしても手放そうとしたがらなかったので、持ってもらったままだ。 そして俺も服を脱ぎ、リトの身体に覆い被さった。 「じっとしてて」 「ええ、わかった」 頬を撫でてからゆっくりと、リトの秘部に肉棒を擦り寄せる。 小さく音が響き、ねっとりした感触が伝わった。 今までの行為だけでリトも濡らしていたんだとわかり、なんだか嬉しくなる。 そのまま、ゆっくり腰を動かして濡れた秘部に肉棒を擦り付けてみる。 「ん……んんっ」 「大丈夫か?」 「平気よ……でも、少しヘンな感じ……」 戸惑ったような表情を浮かべてリトが俺を見つめる。 不安になっているんだろうかと一瞬動きを止め、リトの様子をうかがう。 「嫌ならやめるから、その時はすぐに言ってくれればいい」 「大丈夫よ。嫌な感じはしないから」 「そうか、それじゃあ」 もう一度腰を動かし、何度も肉棒を擦り付ける。 擦り付ける度にリトの秘部はいやらしく音を立て、奥から更にじわりと愛液が滲み出る。 「ん……んんっ……あっ」 それに伝わる感触に震えてリトが小さく声を出すのが、たまらない気持ちになる。 もっとその声を聞きたくて、また腰を揺らして肉棒を擦り付けた。 「はあ、は……あ、ああっ……」 俺の動きに合わせてリトの声が震える。 その姿と声が嬉しくて、もっとリトを感じたいと思う。 「もっといい……?」 「ん、いい……もっと、したいようにして……」 「ああ、わかった。ありがとう」 リトのその言葉に反応して身体が震えた。 じっと見つめながら腰を揺らし、手のひらをそっと動かす。 リトの胸をゆっくりと揉み、その表情を見つめる。 少し戸惑ったような表情をうかがいながら、胸を揉みつつ腰を揺らして秘部に肉棒を擦り付け続ける。 「ふ、あ……はあ、は……んっ」 柔らかな膨らみをゆっくりと揉みしだき、何度も肉棒を擦り付ける。 リトはそんな俺の動きに反応し、戸惑ったような表情を浮かべて声をあげる。 嫌なんだろうかと少し不安になったけど、リトの秘部からは更に愛液があふれて肉棒のすべりをよくしていた。 「は、あ……はあ、あ……」 「どんな感じ?」 「まだ……よく、わからないわ……でも、嫌じゃない」 「そうか、良かった」 嫌じゃないということだけでもわかって安心する。 そのまま何度も胸を揉み、秘部にも刺激を与える。 「ふぁあ……あ、あっ……はあ、は、んっ」 リトの唇から甘い声が漏れる。 それだけで興奮は増し、もっとリトを感じたくなってしまう。 そう思うままに手のひらを動かし続け、胸を揉みながら乳首を摘みあげる。 「ひゃ……! あ、あっ」 「あ……痛かったか?」 「あ、ああ……ち、違うの……んっ」 「ん? それじゃあ、気持ちいい?」 「え、あの、あ……」 乳首を摘みあげてくりくりと刺激しながら聞いてみると、リトが落ち着かない様子で視線をさ迷わせる。 初めて見る表情に驚くけれど、痛みを感じている様子はない。 「こ、これが、気持ちいいということなのかしら……」 「嫌な感じはしないんだよな?」 「ええ、それはないわ。あ、ああ……でも、あ、んっ」 戸惑い落ち着きのなくなるリトが可愛くてたまらない。 もっと色んな表情が見たくて、もっと甘い声が聞きたくなる。 「ど、どうしたら……こんなの、初めてで……あ、ああっ……は、んっ!」 胸を揉んだまま、肉棒をまた秘部に擦り付ける。 愛液の量が増えたせいでいやらしい音が響き、ぬるぬるした感触が大きくなっている。 「あ、あっ……ふぁあ、あっ! こんなの、ああっ!」 「大丈夫だよ。可愛いから……このまま、身を任せて」 「この、まま……ふ、あっ、あ……んっ」 何度もゆっくり胸を揉み、乳首を摘む。 その間も腰を動かし、秘部に肉棒を擦り付けるのをやめない。 リトの甘い声と、愛液の音がいやらしく響く。 「はあ、は……あ、あんっ……あっ」 俺の言うことを素直に聞き、戸惑っていた様子のリトも落ち着き始めたようだった。 しっかりとしがみつき、戸惑いがちに見つめる瞳を見つめ返して耳元に唇を近付け、そっと囁く。 「リト……このまま、入れたい。いい?」 「私の中に……?」 「ああ、そうだよ。だめ?」 「ううん……いいわ。来て」 「ありがとう、リト」 一旦、愛撫を止めると身体を抱きしめ直す。 腰を軽く持ち上げ、秘部に肉棒の先端をあてがいそのままゆっくり中へ進ませる。 「……んっ!」 「ん……!」 ゆっくりと秘部の中へ進んで行く肉棒は強く締め付けられ、リトは辛そうに表情を歪める。 愛液で充分に濡れているけど、中はやっぱり窮屈で、おまけにリトはとても辛そうだ。 「リト……」 「だ、大丈夫……だから……」 「大丈夫って言われても……」 「本当に大丈夫……だから、もっと」 「……わかったよ」 辛そうにしているリトの頬を撫でてから、ゆっくりと腰を動かして更に肉棒を進ませる。 締め付けられる感触を受け止めながら奥まで進もうとするけど、中々先に進めない。 それに何よりも、リトが辛そうなのが気になった。 「はあ、は……あっ、あ……」 奥に進む度に締め付けは強くなり、愛液がじわりとにじみ出るのがわかる。 リトの呼吸に合わせてゆっくり肉棒を進ませ、少しずつ奥に進んでいく。 「リト……」 「は、んっ……ん、平気よ……」 「ああ……」 心配しているのが伝わってしまったのか、リトは無理に答える。 そんなリトの身体をそっと撫で、また更に奥へと肉棒を進ませていく。 ゆっくりゆっくり、リトを気遣いながら肉棒を進ませ、時間をかけてようやく根元まで入れることができた。 「あ、はあ……はあ……」 「リト、全部入ったよ」 「全部……私の中に?」 「ああ、わかるか?」 「あっ! あ、んっ……!」 ほんの少しだけ腰を揺らしてみると、リトが辛そうに声を漏らした。 慌てて動きを止めて、じっとその表情を見つめる。 「心配、しないで……私なら平気だから」 いじらしい言葉に胸がじんわりと温かくなった。 もっともっと、リトに優しくしてやらないといけないという思いが大きくなる。 さっき、胸で感じていたことを思い出し、そっと触れてゆっくり揉んでみる。 「あ……あ、あっ」 すると、リトはやっぱり甘い声をあげ始めた。 いきなり動くと辛いかもしれないから、このまま胸を揉んで少しずつ慣れてもらった方がいいかもしれない。 「無理だと思ったらちゃんと言ってくれよ? リトがつらいことはしたくないから」 「んっ……大丈夫。久我君とこうして、ひとつになれていることが嬉しいから」 「リト……」 「これが……愛を確かめ合うということ、なのね」 「ああ、そうだよ」 ひとつにつながり合っている秘部と肉棒を見つめてリトは少し嬉しそうに微笑んだ。 その表情を見つめて俺も笑みを浮かべ、さっきと同じように胸を揉む。 「んんっ、ん、あ……あ、はあ……」 胸を揉むだけで秘部の奥まで反応してひくつき始めていた。 愛液はまた奥からあふれ、強いだけだった締め付ける感触が変わり始めたのがわかる。 そのまま、小さく腰を動かして内側を軽く刺激してみる。 「あ……! あ、んっ……んんっ」 「大丈夫か? 無理ならやめるから」 「大丈夫……痛いとか、辛いんじゃないから……」 「え、と……じゃあ、もっといい?」 「ええ……自分の身体じゃないみたいで、少し不安なだけだから」 「大丈夫。無理はさせない」 「うん……」 頷いたリトを見つめてから、ゆっくり腰を動かす。 ねっとりした感触を伝える秘部内から肉棒を引き抜き始めると、また締め付けが強くなる。 その感触を受け止めたまま、また奥へ進ませていく。 「あ……ふぁ、ああ……あっ!」 愛液があふれる音を立てながら、リトの中で肉棒を出入りさせる。 締め付けられる感触といやらしい音、それにリトの甘い声が俺の全身を刺激して止まらない。 何度も何度も腰を動かしていると、リトの表情が次第に変わり始める。 辛いだけの表情は消えて、感じているようなうっとりしたものになっていた。 「はあ、は……あ、ああっ! ん、奥まで……」 「ああ、届いてる。わかるか?」 「わかるわ……奥まで、いっぱいに……あ、ふぁあっ」 「……んっ!」 「ひ、あ……あ、ふぁあっ、あっ!」 奥まで届かせた肉棒をぎりぎり引き抜き、また奥へと戻してを繰り返す。 いやらしく愛液の音を響かせながら、リトの中は肉棒を締め付けて離さない。 強いだけの締め付けはすっかりなくなり、いつのまにかねっとり絡み付くような感触に変わっていた。 「はあ、は……あ、ああっ」 「リト……平気か?」 「え、ええ……身体が、ヘンな感じ……だけど、もっと……あ、ああっ」 「わかってる。もっと、するから」 「ふぁああっ! あ、あっ」 そう答えながらまた奥まで突き上げるとリトの身体が大きく反応し、締め付ける力が強くなった。 気持ちいいということに戸惑いはあるみたいだけど、慣れないなりにそれを受け入れているようだ。 「はあ、あ……あん、んっ、んん……すごい、こんな風になるなんて……ああっ」 「ん……」 「本で知るのと……全然違う……あ、ふぁあっ」 「そりゃ、実際にやってみた方がいいだろ」 「ええ……本当にそうね……」 リトにもっと感じて欲しくて、負担にならないように気をつけながら何度も腰を動かす。 でも、深いところまで届かせると負担になるような気がしてしまう。 だから、なるべくやりすぎないようにゆっくりと。 「ふぁ、あ、ああ……はあ、はあ……」 「ん……もっと……」 「久我君……あなたは、気持ちいい? これは、私だけ?」 「いいや、違うよ。俺も同じだ。リトとひとつになれるのが、こんなに気持ちいいと思わなかった」 「ああ……良かった。そう思ってくれて、嬉しい……ああ、ふぁあっ!」 答えるリトを見つめてまた腰を動かし、肉棒を出し入れさせる。 肉棒が動く度に何度もリトは震え、奥から愛液がどんどんあふれ出す。 その愛液をかき回すように何度も腰を動かし、内側を何度も刺激させる。 「ふぁあ、あ、はあ……あ、あっ! あ、ぁあんっ」 「ん……」 「久我君……」 「リト、どうした?」 名前を呼ばれて動きを止めると、リトは俺を見つめて微笑んだ。 「もっと、好きに動いていいから」 「……え」 「まだ、私に遠慮してくれているんでしょう……もう、平気だから好きに動いて」 「でも……」 「あなたが好きなようにして欲しいの」 「リト……」 言われた言葉が嬉しくて胸が高鳴る。 でも、本当にいいんだろうかという戸惑いが消えない。 それに気付いたのか、リトは俺の腕を軽く引いてまるで先を促すような動きをする。 「ねえ、お願い……もっと、久我君を感じさせて」 「本当にいいんだな?」 「ええ、勿論」 「そうなったら優しくできないかもしれないぞ」 「そんなの構わないわ」 微笑みを浮かべたまま言われてしまうと、拒否し続けるのもおかしい気がしてしまう。 「じゃあ…後ろを向いてくれるか…?」 「ええと……どうすればいいかしら」 「あ、一旦、中から抜くから」 「わかったわ」 肉棒を引き抜くと、リトが座ったまま背中を向けてくれる。 すべすべしてそうな、綺麗な背中だった。 「ちょっとだけ、腰をあげてみて」 「こう……?」 何となく後ろからのしかかってしまうのは気が引けて、そのままの状態でもう一度肉棒を進ませると、またねっとりした感触に包まれる。 「ん、んっ……」 「は、あ……」 肉棒が奥へ進んで行くと、さっきと違いリトは最初から気持ち良さそうな表情を浮かべた。 それが嬉しくて、そのままゆっくり進ませて行く。 「はあ、あ……あ、さっきと、なんだか違う……」 「ああ、そうだな」 「向きが変わるだけで、こんなに……変わるものなのね……あ、あっ」 「はあ、あ……」 「ん……おなかの中、ヘンな感じ……あっ、ふぁあっ」 体勢のせいで中々深い部分まで辿り着けないまま、ゆっくり腰を揺らしてみる。 愛液のいやらしい音が響き、リトがまた声をあげる。 だけど、なんだか少し物足りないような気もする。 本当ならもっと深くまでリトとつながりたい。 「はあ、はあ……あ、ああっん」 「ん……んっ……」 ゆっくりした動きを繰り返すけど、やっぱり物足りなさが大きくなってしまう。 そんな俺に気付いたのか、リトがどうしたの? と視線を向けている気がした。 「もうちょっと、深くリトとつながりたいんだけど……」 「深く……? あ、ん……確かに、さっきの方が奥まで久我君を感じられたわ」 「ああ、だからちょっと……いい?」 「ええ、もっと感じられるのなら……いいわ。どうするの?」 「それじゃあ」 リトの了承を得て、腰をしっかり掴む。 そのまま、勢いよく腰を突き上げるとさっきと同じように最奥まで肉棒が届くのがわかった。 「は、あ……ふ、ぁあっ!!! あ、ぁああああっ!!!」 「……っ!」 その瞬間、リトが大きく身体を震わせて大きな声をあげた。 そして、奥まで突き上げた肉棒が大きく強く締め付けられる。 「あ、ああ……はあ、あ……」 震えながら声を漏らすリトが絶頂を迎えたのだとすぐにわかった。 でも、こんなにあっさり絶頂を迎えるとは思わず驚いてしまう。 絶頂を迎えたばかりのリトは身体の震えが止まらないようで、戸惑った様子で俺を見つめる。 「リト……大丈夫か?」 「い、今のは……何? 身体の奥まで震えて、自分が自分でなくなったみたいな……」 リト本人も絶頂を迎えたことに驚いているようで、その表情は戸惑いでいっぱいになっている。 「それがイクってことだよ」 「さっきのが……ああ、そうなのね。すごく不思議な感覚……でも、なんだかもう一度感じたいような……」 「それじゃあ、もう一度しようか。今度はリトの中でイキたいから」 「え……あ、あっ!」 そのまま、もう一度リトの腰を掴んで大きく動き始める。 「ふ、ぁあああっ! あ、あっ!」 「……んっ!」 絶頂を迎えたばかりの秘部は敏感になっているのか、突き上げられる度にリトは大きく震える。 おまけに中は愛液でとろとろになっていて、今まで以上に締め付けが気持ちいい。 「ああ、ふぁっ! さっきより、あ、あっ! すご、い……ふ、ああっ!」 「ああ……!」 大きく身体を反応させるリトの身体をしっかり支え、何度も大きく腰を動かす。 奥まで届く肉棒は強く締め付けられ、そしてリトが大きく甘い声を出す。 何度も同じ動きを繰り返し、何度も奥まで肉棒を届かせる。 締め付けられる度に肉棒は脈打ち、先端からとろとろと汁があふれるのがわかる。 「はあ、あ、ああっ……こんなに、すごい……なんて! あ、ふぁっ!」 「ん……リト……!」 「本で知って、想像していたのと……全然ちが、あ、ああっ!!!」 大きく腰を引き、すぐに突き上げて奥まで届かせる。 そのまま先端で深い場所を擦ると、それにも反応して内側がひくつき強く締め付けられる。 愛液はあふれて止まらず、ぐちゅぐちゅといやらしい音を立て続けた。 「リト……んっ!」 「はあ、はあ……あ、ああっ! 奥、もっと……欲しいの、あなたがっ」 「ああ、わかった。もっと……だな」 「ふ、ああっ! あ、そう……そこ、奥! あ、ああっ!」 リトに望まれるまま奥まで突き上げる。 その度にリトは大きく反応し、大きく声をあげる。 一度絶頂を迎えたせいか、さっきまでの戸惑いは既にない。 今はただ、俺の突き上げるままに声をあげ、そして震えている。 「はあ、はあ……ああ、ぁあっ! あ、んぁあ! あ、ふああ!」 「もっと……?」 「う、ん……もっと、いい? 奥まで、たくさん……あ、ああっ!」 「勿論、いいよ。たくさんだな」 「ふあああっ! あ、ふぁあっ! あ、あっ!」 身体を揺らす度、リトが甘い声を漏らし、肉棒を強く締め付けながら愛液をあふれさせる。 その声をもっと聞きたくて、もっとリトを感じたくて、何度も腰を突き上げる。 あふれる愛液は互いの身体まで濡らして、その肢体を更にいやらしく見せる。 「はあ、あ、はあぁ……こんなに、欲しくなるなんて……あ、あっぁ!」 「それだけ……愛し合えてるんだよ」 「ああ……! そうなのね! これが……だから、こんなにも深くまで……欲しくて! あっ!」 あふれる愛液をかき回すように、また深い場所を肉棒の先端で擦る。 反応はまた大きくなり、それに気をよくすると、今度は角度を変えて肉棒を突き上げる。 「ひ、んぁあ! あ、ああっ!」 「はあ……あ……!」 「さっきと、ちが……あ、ああっ!」 角度を変えるとそれに敏感に反応してリトが震えた。 気付いてもらえたことが嬉しくて、また何度も角度を変えて突き上げる。 「ひ、あぁっ! あぁあっ! また、あぁあ!」 「ん……次は、奥まで……!」 「ひあああっ! ああ、ぁぁああっ!」 また肉棒を引き抜くと、今度はまた奥深くまで突き上げる。 びくりと大きくリトの身体が反応し、肉棒が強く締め付けられて脈打つ。 「ん、んぁあ……あ、あ……もう、これ以上……あ、ふぁあっ! 私……あっ!」 「ああ……俺も、そろそろ……」 「んっ! ふぁあ……イキそ、う……? あっ!」 「……んっ!」 リトの反応に合わせるように、強く腰を掴んで勢いよく腰を突き上げ、深い場所まで肉棒を突き立てた。 瞬間、リトの全身が今まで以上に大きく震える。 「……ひ、ぁああ! ふぁ、あ、あぁあああっ!!!」 「……っ!!」 びくびくと全身を大きく震わせ、リトが大きな声をあげながらまた絶頂を迎える。 そして、大きく強く締め付けられた肉棒が脈打った。 そのまま、耐え切れずに深い場所で埋めたまま勢いよく精液を吐き出すしかなかった。 「あ、ああ……あ……!」 「はあ、はあ……あ……!」 互いに絶頂を迎えた身体を震わせながら、呼吸を乱して視線を交わらせる。 「久我君と……最後まで、ひとつだったのね」 「ああ、そうだよ」 「嬉しい……」 恍惚とした表情を浮かべながら、リトが嬉しそうに呟く。 その姿を見つめながら、思わず微笑みを浮かべていた。 その夢を見るのは、二度目だったような気がする。 俺は普通にこの学園にいて、友達がたくさんいて、すごく賑やかな毎日を送っている。 だけど、リトだけがいなかった。 探して探して、やっと見つけて―― 「用もないのに私のところへ来るのは初めてじゃない、久我みつ――」 「……あっ」 目を開けると、自分の部屋だった。 指してくる光がまぶしいから、朝なんだろう。 「おはよう、久我君」 「あ、ああ……おはよう……リト」 ここにリトがいることを受け入れるのに、数秒かかってしまった。 リトは一瞬だけ不思議そうな顔をしつつ、そっと椅子に腰かけた。 「こういう本を読むのは、初めてだわ」 「何を読んでるの?」 手元を覗くと、いつも持っている重厚な本の間にもう一冊挟まっていた。 薄くて、写真がたくさん載った料理レシピ本だ。 「確かに……リトがこういうの読むのは意外だ。てか、あの図書館にあるの、こういう本」 「いいえ」 そうだろうな。あの作りの図書館に料理本コーナーはなかったはずだ。 リトの髪に触れると、くすぐったそうな微笑みが返ってきた。 (リトがこうしてそばにいてくれる未来がきて、よかった) あの日、リトを失いかけたことで心を通じ合わせられたけれど。 そのせいなのか、リトとつながらない未来の夢を、何度も見てしまう。 「そうね」 リトはほんの少し前まで、図書館から出ようとして戸惑いを見せたことがあった。 それなのに、今は俺の部屋で過ごす時間をたくさん作ってくれている。 恋人…になったのだから、と言ってしまえばそれだけかもしれないけれど。 「本があるから楽しいのではないもの」 「……そうなんだ。意外だな」 リトの一言は、時々俺の胸の奥まで突き刺さってくる。 だけど不思議でもあった。 俺は、きっといつの間にか、リトを好きになっていた。 だけどリトが俺をここまで好きになるのは、何故なんだろう。 (なんて、聞けるわけないよな) 俺はリトの隣に座り、ページをめくる指をぼんやりと見つめた。 また週が明ければ、魔術の勉強を図書館で始める。 さすがにその時ばかりは、リトは前と変わらず冷静に厳しく指導してくれていた。 「――ありがと」 俺の心を見透かすように、リトが言った。 『蝕』が終わり、『遺品』たちが騒ぐ日々も過ぎ去った。 それでも、変わらず――俺とリトの毎日は、ともにあって、続いていくと思っていた。 誰だって信じ続ける、あたりまえの、ささやかな幸せだったから。 「これはどういうことでしょうね……」 「ちいー…ちちち……」 人気のない、地下宝物庫。 普通の人間が決して立ち入ることのできない場所だ。 足元には割れたガラスのようなもの、壊れた時計、古ぼけた鏡……アンティークな品々が散らばっている。 だが、ただのアンティークではない。それぞれに役割と名と、封印が存在していた。 「ちい!」 「考えられるのはただ一つ……」 「……はあ。やはり、何か大きな干渉があの日に起こったようだね」 「かんしょう?」 「これは――近々厄介なことになりそうだな」 「はあー! つっかれたー」 手についた泥を水道で流してから、思いっきり伸びをする。 今日はいつもの授業がなく、代わりにクラス全員で中庭の掃除をすることになった。 とはいえ、元々よく整えられた場所だから、みんなのんびりと話しながら、雑草を抜いたりゴミを拾ったりするくらいですんだ。 クラスメイトたちが教室や、他の場所へと向かうなか、俺も校舎のほうへ足を向けた。 「久我君……!」 「えっ……今から行こうと思ってたのに」 リトが、俺の方に向かってやってきた。 「ちょうどさっきまで学園長室にいたから」 「へえ、珍しいな。何の用だったんだ?」 「わからない。少しお茶をいただいただけ」 そうやって笑いあいながら、図書館に向かおうとした時――。 「三厳、そこで止まりなさい」 ふっと、耳元でアンデルが囁いた。 (え? どうして……) 「久我君、どうしたの」 アンデルの声が聞こえないリトは、不思議そうにしていた。 「その子の手もしっかり握ってあげて。とても大変なことが起こるわ」 俺はすぐさまリトを引き寄せ、強く肩を抱いた。 まさかあの日みたいな『遺品』がリトを狙っているのだろうか。 それとも、もっと別の……。 「何が起こったの」 校舎の方からガラスの割れる音が聞こえてくる。 それも一枚や二枚ではない。不快な音は連続した。 「わからない、でも、このまま動かないでくれ」 「……?」 アンデルの警告が正しかったことは、数秒後にわかった。 「くっ!!」 「きゃっ……!」 音もなく、匂いもなく、透明で巨大な何かが俺たちの目の前を猛スピードで通り過ぎていった。 ただ、それが通ったであろう場所にあった木々が、なぎ倒されている。 きっとあのまま歩いていたら、俺もリトも巻き込まれていただろう。 「アンデル、こりゃなんだよ。何が起こってるんだ」 返事はない。 「俺の声、聞こえてないのか。なあ、これって……」 「久我君、ここにいたんだね。無事でよかった」 振り向くと、学園長が立っていた。 その後ろにはもも先輩や、風紀委員たちがずらりと並んでいる。 「はい! 寮に誰もいないかもちゃんと確認できました」 もも先輩は後輩たちを率いて、校舎のほうへ足早に向かっていった。 「学園長……これは何なんですか。さっき変なものがこのあたりを」 「どこへ?」 「ついてくれば、わかるさ」 連れてこられた場所は、いつもリトと過ごしている図書館のさらに地下だった。 地下宝物庫、と呼ばれているらしい。 俺が初めて来る場所だった。 「あ……はい」 学園長から手渡されたのは、小さな鍵だった。 不思議な感覚だ。何かが断ち切られたような……。 学園長について、宝物庫の中へと入る。 「ありがとう久我君、さっきのものを受け取るよ」 「……? ええ、返しますね」 結局この鍵は扉を開けるわけでもなく、ただ俺が持っているだけだった。 俺たちの前に立った学園長は、いつもの軽い口調は放たなかった。 どこか威厳じみた空気さえ、まとっている。 「この学園に危機が迫っている。設立以来初めての、未曽有な危機だ。君たちだけでなくここに通うすべての生徒に降りかかるような、ね」 「ここにあるものは全て、強い魔術で管理されている。そうしなければいけないモノたちばかりだから」 「だが、ここ最近管理のために記されたラズリットの『刻印』が薄れてきたのだ。前代未聞だ。何故だと思う?」 「わかりません……」 学園長はいっきにそう話してから、手鏡をひとつ持ちリトに差し出した。 「リト、この遺品の名と、元となった魔女の系譜を教えてくれるか」 初めてだった。 リトが、遺品のことで言葉に詰まるのは。 本人にも何が起こったのか、わかっていないようで、リトはきょとんとしている。 「……どうしたのかしら……」 「やはり、そうか。リトの存在意義が薄れている」 「リトの意義が薄れることによって『遺品』たちを定義するラズリットの刻印も薄れてしまう」 「『遺品』の封印は緩み、さらに学園に仕掛けられた魔術自体も、小さな穴をふさごうとして歪んでしまうんだ」 リトがいなければ、この学園が成り立たない。 その意味はおぼろげながらも理解できた。 だけどひとつだけ納得がいかなかった。 「なぜ、刻印とやらが……薄れたんですか」 「…………」 「君は、知らないほうがいい」 絶句してしまった。 言い返す言葉を見つけられないでいると、学園長が何かを呟き始めた。 俺の耳には判断できない、何かの言葉だ。 「……やはり、そうなのか」 学園長がリトの目をまっすぐ見据えている。 「こうなる前に、私はなんとかしなければいけなかったのかもしれないね」 すっと、学園長の右手があがる。 足元にうっすらと文字が浮かびあがった。 何かの魔術が、俺と、リトにかけられようとしているのか……? 「……三厳」 一瞬だった。 ふっと、誰かに右手を持ち上げられた気がした。 すると次の瞬間には、何かが起こっていた。 「本来ならばこういう使い方はよくないのだけれど」 はっと目の前を見ると学園長が何かを話しだそうとするポーズのまま、固まっていた。 ずっと前に『遺品』を止める時に使った、魂に干渉する魔術が使われたのだ。 「この魔術……初めて見たわ」 「リト! リトは動けるのか!?」 「そう、みたいね」 アンデルの声は、やはりリトには聞こえていないようだ。 (許せない……?) 「あなたから選択肢を奪うこと」 ――選択肢。 それは、さっき学園長が話していたことと、つながっている? (……話してくれ) 不思議そうにしながらも、リトは何かが起こっているのを察して黙っていた。 「あの子が特殊な『遺品』に襲われた日に言った言葉を覚えているかしら」 どきんと、心臓が鳴る。 あの日、リトが言ったこと――それは。 「私には、魂がないから」 (でも、乗っ取られなかったじゃないか) 「ええ。それは、三厳がそばにいたから」 俺が、そばにいたから? 知らず知らずのうちに、体が震えていた。 そんな俺を守るように、リトが寄り添ってくれた。 「リトにはあの日、魂が生まれた。それを作ってしまったのはあなた。わたしとあなたの中にある力は『それ』を生んでしまうほど強いの」 (まさか……そんな……) 「三厳。あなたが作ったのだから、その魂が…リトが君を愛するのは当たり前なのよ」 (……っ!!) 「それが、魔女の作り出す魂なのだから」 ぐらり、視界が歪んだ。 深く大きな穴の中を、落下し続けるような。 リトは俺の手を包んで、心配そうに見つめていた。 その優しさや、笑顔や……。 恋人として何度もつながった体でさえも、俺が望んだ結果で。 (リトが感じている心じゃ、ないのか) 俺はようやく、学園長の眼差しの本当の意味を知った。 俺から選択肢を奪う。 それはきっと、俺とリトの記憶をまっさらにしてしまうことだったんだろう。 (何もなかったように。すべてを……) 「久我君?」 俺はリトを見つめた。 リトも俺を見つめ返してくれている。 「リト、ごめん……」 「なんのこと?」 「私もよ。久我君は私の大事な人だわ」 俺の心を鏡のように映してくれていたから、心地よかったんだろうか。 だからリトと過ごす時間は、何にもかえがたいほど、楽しかったんだろうか。 「いや、違う」 「……?」 「リトは、本当に優しくて、とてもいい子なんだ」 ぎゅっと、リトを抱きしめる。 とくとくと脈打つ心音が伝わってくる。 何もかもが、愛おしかった。 (アンデル、俺は選ぶよ) 「……そう」 (そうしたら、リトは何もかも元に戻るのか) 「残念ながら、記憶がどう干渉されるのかはわたしにはわからない」 「ただ、作られた魂を取り除くことができるのは、三厳。あなた自身だけよ」 アンデルが、耳元でその方法を囁く。 俺が頷くと、すっと気配が消えた。 「……リト」 俺は両の手で、リトの頬を包んだ。 夕空を落としこんだような瞳は、まっすぐ俺を見ている。 「ここへ来て、リトに会えてさ…そんな偶然の重なりに、感謝してるんだ。きっとこれからもずっと」 「これからもそうだわ」 俺は小さく、首を振った。 「あの時リトを救えて本当によかった。だから後悔はしていない」 「……」 「でも、リトがリトのままでないのは、苦しい」 リトの瞳が、潤んでいる。 悲しいと訴えて揺れている。 「私は…おいていかれるの?」 「おいていかないさ、何も変わらない。俺の心も、リトの思いも」 零れそうになる涙を、そっと拭う。 「きっとまた同じところへ……戻るはず。俺は信じてる」 「……うん」 「ずっとそばにいる。でも今度は、リトが俺の心の中にやってきてくれるのを待つよ」 「……うん。わかったわ」 瞳を閉じたリトを抱き寄せる。 仄かな甘い香りも、柔らかな唇の感触も、忘れることなんてできない。 俺は、選んだから。 リトのことをずっと覚えている。 俺が、リトにしてしまったことも、すべて――。 時間が動き出した。 同時に、リトの体からふわりと柔らかな光が湧き上がった。 儚く美しい光は一度だけ宝物庫の中をぐるりとまわり、掻き消えた。 学園長にとっては、瞬きほどの時間だったのだろう。 それでも、この場に起きた異変にすぐさま気づいたようだ。 「まさか、久我君――君は!」 「学園長。俺、思いつきました。保留にしていた『叶えてほしい願い事』」 リトは俺の腕の中で、眠っていた。 ゆっくりとした呼吸音が聞こえてくるから、きっとすぐに目覚めるだろう。 「俺の願いは、リトが偽りの魂を持った日からの、リトの記憶をすべて、消してください」 授業を終えるチャイムの音が鳴った。 いつもと同じように、教室にざわめきが広がってゆく。 俺は席を立ち、歩き出した。 「……よう、今日もよろしくな」 「そこに座って」 「了解」 リトは数冊の書物を俺の前に置き、開いた。 魔術の歴史や解説、力のコントロール方法。 『遺品』たちのざわめきが治まり、平穏な日々が戻ってきて―― 俺は以前のように、図書館でリトの助けを借りながら魔術を学んでいる。 「では、126ページ。この図の解読を」 「ああ、やってみる」 「わからないことは、質問して」 書物を読みながら、時折視線をあげてリトの横顔を見た。 あの時――リトの中から偽りの魂を除くことを選択した日から、もうずいぶんたっている。 リトの中で何が起こっているのかは、俺は敢えて聞かなかった。 「…………」 「どうしたんだ?」 「……どういう意味?」 「なんとなく。一瞬、リトがぼんやりしていたように見えたから。疲れてるのかなって思ったんだ」 リトはきょとんとした後、少し微笑んで首を振った。 「平気。疲れただなんて思っていないわ」 「ならよかったけど」 「ただ、外はいまどんなお天気なんだろうと思ってしまっただけ」 ふとした、リトの呟きだった。 けれどそれは俺の心を大きく揺さぶった。 初めて会った時とも違う、偽りの魂を持っていた時とも違うリトが、そこにいた気がした。 「じゃあ、ちょっとさ、散歩でもしようか」 「どうして……?」 「理由なんてない、なんとなく。それに天気もわかるし」 「……っ」 図書館から外へと続く扉の前で、リトの足が止まった。 俺はそんなリトを一度だけ見たことがある。 『遺品』の封印を行うために、礼拝堂へ一緒に向かった時だ。 (俺が『魂』を作り出してしまう前のリトだ) 俺は、あの日と同じようにリトの手を取った。 ……けれど。 一歩も踏み出さないうちに、リトは俺の手を離した。 「リト?」 驚いたような顔を見せて、リトはくるりと振り返った。 急ぎ足で書架の間に紛れたと思ったら、今度はきょろきょろとあたりを見回している。 「何を調べているんだ?」 「言葉の意味を探しているの」 リトは分厚い本を手にとっては、ページをめくっている。 俺はそんなリトの指先を、ずっと見ていた。 「とても近いけれど、違う…」 その本は書架に再び仕舞われた。 リトは小首を傾げて、棚に並ぶ本の題名を目で追っている。 「手伝うこと、ない?」 「ええ。少しだけ待っていて」 ここにある書物の内容は全部把握しているというリト。 そんなリトがこんなにも手に取る本に迷う姿は、初めてだ。 「あっ……」 「……『懐かしい』」 リトの囁きは、俺を貫いた。 懐かしい。 それは、俺が初めてリトと会った時に聞いた言葉だ。 「書物の記憶ではなかった…どうして忘れていたのかしら」 「大切な人が言ったんじゃなかったっけ」 「えっ……?」 「ずっと前に、リトがそう言ってた」 「いいえ」 思いがけない返答に、俺は戸惑った。 「そうではないわ。これは、私の記憶のようです」 「リトの……?」 思いを巡らせるように、リトは少しだけ黙ってから言った。 「この言葉を知ったのは、確かに大切な方の囁きだったわ。でも意味は教えてくれなかった」 「少しだけ微笑んで、首を小さく横に振って……黙ってしまったから」 リトの瞳の中にある時間は、ずっと遠くを指している。 「だけど私の記憶が、知っていると言うの」 「懐かしい、の意味を?」 リトは微笑んでいた。 何かを掴もうとしているかのように開いていた手のひらが、俺には小さな花に見えた。 「意味なのかしら。それとも……感覚の再現を言葉にしようとしているのかもしれないわ」 「温かいものに似ている。それから、柔らかいような、すぐ壊れてしまうような意味を持っている」 「……ああ」 「そんなものたちが、さっき私の手に浮かんだ」 俺はリトの手に、そっと自分の手を重ねた。 冷たく細い指。指先だけがほんのりと熱を宿している。 「それを『懐かしい』と呼ぶのは正しいことかしら」 「そうだな。きっと、あってる」 「……そう、良かった」 「俺もリトとたぶん同じものが、ここにあるよ」 リトの指が少しだけ動いた。 この手を俺は何度も握っていた。 『遺品』を追うために駆け巡った日々。 愛しいと思ってから、そばにいたいと思いながら、つないだ日々。 強く、何度も俺とリトは手をつないだ。 それはほんの数日前まで、俺とリトの間にあったものだった。 「しばらくこのままでいてもいいかしら?」 「えっ……」 「そうしていたいと、思ったから」 「ああ、俺もそう思ってる」 無理に握りしめることはしない。 手の中にあるものが壊れやすいことを知っているから。 この時間が、たくさんの偶然の糸を手繰り寄せた先にあるものだと知っているから――。 「ふぁああああ」 今日は特査の方でも何もなかったし、久々に夜もゆっくり眠れそうだ。 そろそろ寝て、明日に備えるか……。 「ん? 誰だ……」 こんな時間に人が来るなんて、何かあったんだろうか……。 遺品に何かあったとしたら寝てる場合じゃないな。 「はい、今開ける」 「……はあ」 「あれ、ルイ?」 扉を開けると、そこには呆れたような表情のルイがいた。 「どうしたんだ?」 「あのバカが、またバカをやらかした」 「え? ハイジに何かあったのか!?」 「他にどのバカがいる」 「ちょ、ちょっと詳しく話を聞くから中に……」 「いいから、お前はまず俺達の部屋へ行け。アレは、俺ではどうしようもできない」 「え!? ちょっと待て、そんな状況で俺が行ってなんとかできるのか?」 「お前が適任だ。俺がそう判断した。さっさとそこを出て、俺達の部屋に向かえ」 「お、おい! ルイ!!」 わけがわからず混乱している間に、ルイは俺を部屋から引っ張りだし、入れ替わりに中へと入って行った。 「ちょっとルイ!?」 「いいからあのバカのところへ行ってやれ。俺はこれ以上もう知らん」 「悪いが今夜は俺が部屋に泊まらせてもらう。あとの話は本人から直接聞いてくれ……」 「おいおい、マジかよ……」 鍵を閉められた扉は開かず、部屋には入れない状態だった。 おそらくあの様子じゃ、ルイからこれ以上話を聞くことはできないだろう。 (仕方ないな……) このまま部屋の前でじっとしてても仕方ないし、とりあえずハイジのところに行ってみるか。 (ここだっけか……) 夜中に女の子一人だけの部屋に来てしまっていいんだろうか……と思わなくもない。 でも、ルイが行けって言ってたし、どうやら何か起こってるみたいだし。 「よし」 「だ、誰?」 「ええっと、俺……久我だけど。どうしたんだ? 何かあったのか」 「コガ……?」 「ああ、そうだ。ルイに言われて来た」 「……鍵、開いてるから入って」 部屋の中からはハイジの声が小さく聞こえた。 よっぽど何かあったのかと心配になっていると中に入っていいと返事があって少しだけ安心した。 「お邪魔します……」 「…………」 中に入ると、部屋の真ん中にハイジが座り込んでいた。 しかも、ドアに背中を向けてうずくまっているせいで、背中しか見えずに一体何がどうなっているのかわからない。 とりあえず少し近付いて、話を聞いてみないことにはどうにもならなそうだ。 「どうしたんだ?」 「コガ……」 声をかけるとハイジは少しだけこちらへ振り返った。 その目は涙目になっている。 「こ、香水が……実験で暴発して、私……ど、どうしたらいいのか……」 「ん? ん?」 「こ、こんなことになるなんて、全然…お、思ってなくて……う、ううう」 混乱しているらしいハイジはそこまで言うと、泣き出しそうなのを必死に堪えた。 だけど、さっきの説明だけじゃ全然何が起こったのかわからない。 わかるとしたら、香水の実験中に何か起こったらしいということくらいだ。 「悪い、ハイジ。何がなんだかさっぱりわからん」 「う、ううう……」 「もう少し詳しく教えてくれないか?」 「だけど、うっかり混ぜてはいけない種類の液同士を混ぜてしまって……一瞬で液体が気化して、それを思い切り吸い込んで」 「そ、それ、大丈夫だったのか?! 副作用とかは」 「う、ううううう……」 俺が聞いた途端、ハイジの顔はみるみる真っ赤になった。 そして、俺から視線を外すと自分の身体を抱きしめるようにして俯いてしまう。 「は、ハイジ? どうしたー、おーい」 「……が」 「え?」 「……と、とまらないの」 「え? なにが?」 「う、うう……ぼ、母乳が出て……止まらないの……」 「…………え」 「…………」 聞き間違いだろうかと思った。 いや、そう思い込みたかった。 だが、ハイジは俯いたまま動かないし、よく見たら耳まで真っ赤になってるし。 「は、はぁ!? ど、どーすれば止まるんだそれ!?」 「ぜ、全部出さないと……止まらない……」 「全部……出す……?」 「いいから、お前はまず俺達の部屋へ行け。アレは、俺ではどうしようもできない」 「……!」 そうか、ルイのあの煮え切らない言葉と、部屋を乗っ取られたのはこのせいか! 確かに手に負えないかもしれないけど、母乳を出すって……。 そんなもん丸投げしてあいつは! 「巻き込んでごめんなさい、コガ。でも、ルイは私のために貴方をここに来させてくれたのよね」 「いや、あの……」 「あ、あの、自分ではうまく絞り出せないので、手伝って欲しくて……」 「あ、あの、それは……えっと……」 つまりハイジの胸を揉んで母乳を絞り出すってことなんだけど、本人は自分が言ってることの意味に気付いてるのか!? いや、それ以前にルイはこうなることがわかってて俺に頼みに来たのかよ。 「コガ……?」 「いや、えっと……」 ハイジは俺が助けてくれるものだと思っているようで、また振り返ってじっと俺を見つめる。 「どうかしたの?」 「な、なんでもない。手伝えばいいんだよな? その、でも乳搾りなんてやったことないし……」 「あ……そ、そうよね。ごめんなさい、私……変なお願いを」 「いや、あの謝らなくても……」 「でも、こんなこと頼める人は他にいなくて……でも、無理ならひとりで頑張るから……」 まだ涙目のまま困っているハイジを見てると、やっぱ無理とは言えない。 ここはやれるだけやってみて、早く助けてあげるしかない。 「む、無理じゃない。やるだけやってみる」 「じゃあ、その……胸、出してくれる。とりあえず、やってみるから」 俺の言葉を聞いてハイジは更に赤くなった。 だが、意を決したように身体ごと振り返ると、そっと服をずらして胸を露出させた。 「…………」 「これは……」 胸を露出されると、乳首からは少し母乳がにじみ出ていた。 そのせいか、ハイジの胸がいつもより余計に大きく見えるような気がした。 これは、なんというか……すごいな。 まじまじ見つめていると、ハイジは恥ずかしそうに視線をそらす。 「ご、ごめんなさい、コガ……こ、こんなことさせてしまって……」 「い、いや、あの……それは全然……」 「こんなことになるなんて思ってなくて」 「普通は思わないだろ。じゃあ、その……ゆっくりやってみるけど、痛かったら言えよ?」 「は、はい……ひ、あっ!」 痛くないようにそっと胸を掴み、軽く握ってみるとそれだけで勢いよく母乳があふれ出した。 そのまま、母乳を搾るように何度か軽く握ってみたけど、痛みは感じていないようだ。 「もう少し強く……」 「あ、あぁ……あ……」 少し力を強くして、胸を揉むようにしながら搾ると何度も母乳があふれて大きな胸を濡らしていく。 「あ……んっ、ん……」 「…………」 何度か強めに胸を揉んで母乳を搾りだしているが、その度にハイジが少し声を漏らす。 大丈夫そうに思えたけど、もしかすると痛みがあるのかも。 「ハイジ、痛かったか?」 「だ、大丈夫……だから……」 「そうか?」 「は、はい。だから、続けて……」 あまり大丈夫そうには見えないし、少し痛みがあるような気がするんだけど……。 でも、止めたからって元に戻るわけじゃないんだよな…母乳を全部搾り出さないといけないんだし。 「わかった。でも、我慢できないようならすぐに言ってくれよ」 「はい。わ、わかってます……」 「じゃあ、続けるから」 「んんっ……はい」 何度も何度も強く胸を揉んで母乳を搾り出す。 でも、出しても出しても更にあふれて止まりそうにない。 もしかして、胸の大きさに比例して母乳量も多いとかそういう……。 「はあ、は……あ、んっ」 「……」 それに、ハイジの声をよく聞いてみると段々と甘い声になって来ている。 もしかしてこれ、痛いんじゃなくて感じてるのか。 「はあ、はあ……あ、あっ……」 頬を真っ赤にして声を漏らし、母乳をあふれさせている姿を見ていると悪戯心が沸いてくる。 試しに一度、ぎゅっと強く思い切り胸を揉んでみる。 「あ、あぁあっ!!」 するとさっきより勢いよく母乳があふれ、ハイジも突然の刺激に我慢できないように大きく声を出した。 「こ、コガ……な、何を……」 「もしかして、母乳が出ると気持ちいいのか? 自分じゃうまくできないって、気持ち良すぎるから?」 「ひゃ! あ、ああ! ち、違っ……違うの! そ、そうじゃなくて!!」 俺が聞いてみるとハイジは真っ赤になって首を横に振った。 でも、必死に否定しているところを見ると、さっきのは正解ってことみたいだ。 「ち、違うの! そういうのじゃなくて、あの、できないっていうのは、あの!」 嘘が見え見えなのが可愛くてたまらない。 こんな姿を見てると、なんだか意地悪したくなるよな。 そう思いながらじっとハイジを見つめ、胸を何度も強く揉み、母乳を搾り出してやる。 「は、んぁあ! あ、あぁぅ!」 「なんで? どう違うんだ? ほら、今もすごく気持ちよさそうなのに」 「ふぁ、ああっ! あ、あ、ちが……違うの、これは……ぁああ!」 違うと言いながらハイジの声は更に大きくなり、強く胸を揉まれて母乳をあふれさせる度に身体を震わせる。 「は、ああ! あ、あ……コガ、んっ!」 与えられる刺激に抵抗することもできなくなったのか、言葉すらつなげず声を我慢することもできなくなっていた。 刺激を受ける度にハイジは身体を震わせ、何度も喘ぎ声を漏らす。 「あ、はあ……はあ、はあ……あ、こんなの私……ああっ」 あまりの気持ちよさに表情がぼんやりし始めたハイジを見ていると、ふと思いついたことがあった。 胸を揉む手を少し動かして、指先で乳首を摘んで扱くように母乳を搾ってみる。 すると、今まで以上に勢いよく母乳が搾り出され、胸をたっぷり濡らしていく。 「すごいな、どんどんあふれる」 「ひゃああ! あ、ああっ! ふぁあああっ!!! だめ、コガだめぇ!!」 胸を揉みながら乳首を刺激する度に母乳はどんどんあふれ、ハイジの反応も大きくなる。 その反応のよさに何度も何度も乳首を扱き、母乳をあふれさせては濡れた胸を揉みしだく。 「ふぁああ、ああ……コガ、あ! だめ、だ……め、あ、ぁああっ! ふぁあああああっ!!」 調子に乗って乳首を扱いていると、今まで以上に母乳があふれて飛び散り、顔を真っ赤にしたハイジが身体を大きく震わせた。 あまりの反応に驚き手の動きを止め、ハイジをじっと見つめる。 「え……もしかして、イッちゃった?」 「はあ、はあ……はあ、コガの、いじわる……」 顔を見つめながら聞くと、恥ずかしそうに答えられる。 そのあまりの可愛さにもっと意地悪をしたくなってしまう。 それに、まだ全部出し切っていないみたいで、ハイジが身体を震わせる度、それに合わせるようにどんどん母乳があふれていた。 「う、うう……まだ、止まらない……」 「なあ、ハイジ……それ、なんかもったいないし飲んでもいい?」 「え!? の、の、む? え? ぼ、母乳を?」 「そう……いいよな?」 「あ……ん、少しだけなら……」 「うん。ありがとう」 驚くハイジだったが、じっと見つめたまま聞くと顔を真っ赤にしたまま胸を俺に突き出した。 可愛い表情といやらしい仕草に思わず笑みを浮かべ、そっと乳首を舐めてみる。 「ん……」 「は、ああっ!」 「ん、んっ」 片手で胸を揉みながら、乳首を何度も舐めまわす。 その刺激にハイジは身体を震わせ、その度にまた母乳があふれて胸を濡らす。 ハイジの反応と柔らかな感触、それにあふれる母乳の甘さににやりと笑みが漏れる。 「ハイジ……」 「は、はい、んっ……」 「ミルク、甘くておいしい」 「そ、そんなこと、言わないで……」 「でも、本当だし」 目を見つめながら言うとハイジがまた恥ずかしがる。 けど、恥ずかしがりながら興奮しているみたいで、身体は震えてまた母乳があふれる。 その姿を見つめてから、今度は軽く乳首に吸い付く。 「んんっ! ん、んぅ!」 「んん……」 乳首を吸うとその分だけ母乳があふれ、口いっぱいにその味が広がっていく。 わざとちゅぱちゅぱ音を立てて吸い付くと、ハイジは恥ずかしさと刺激で身体をまた震わせる。 「ふぁあ、ああ! あ、音……や、だあぁ……」 「んんっ……でも、この方がよく…出てくるから」 「あ、あ! ふぁ、あっ……コガ、は、恥ずかし……あ、ああっん!」 明らかにさっきよりも興奮した様子でハイジは震え、おまけに母乳の量も増えている。 どれだけ出てくるんだろうと思うけど、今ならもっと出てきてもいいと思ってしまう。 「はあ、は……んっ」 「ふぁあ、あっ! あ、んんぅ! コガ……そんなに強くしちゃ、あっ!」 「でも、全部……ん、出さないと……」 「あんっ! んぁあ! あ、そ、そうだけど……あ、ああ……」 胸を何度も揉み、音を立てて乳首に吸い付き母乳を吸い上げているうちに身体が熱くなってきていた。 いつも以上にやわらかく感じる胸に、いやらしく漏れる声、それに甘い母乳。 これで興奮しない方がどうかしてるんだから仕方ない。 「ふぁあ、あ……はあ、コガ、ああっ……!」 「なあ、ハイジ……ちょっともう、我慢できない」 「え? がま、ん……」 不思議そうにしているハイジの脚に、軽く下半身を擦り寄せる。 既に反応している肉棒の感触に気付いたハイジは驚いた様子だったが、すぐにもじもじと俺を見つめた。 「ハイジの中に、入れたい」 「あ……コガ、私も……おっぱいだけだと、我慢できない……」 「うん。じゃあ、こっちきて」 「はい」 さっきから感じまくっていたせいか、ハイジの方も欲しくなっていたようだ。 素直に言うことを聞く姿が可愛くて、興奮は更に増していくようだった。 「あ、ぁああっ!」 「んっ……!」 窓際に移動し、ハイジの後ろから一気に肉棒を挿入する。 さっきの乳搾りで既に興奮していたハイジの秘部はぐしょぐしょに濡れ、難なく肉棒を受け入れて強く締め付けた。 「ふぁあ、あ……! あ、コガぁ、あ、ああっ!」 「ああ、わかってる……んっ!」 「は、んっ! 奥まで……あっ!」 すんなり中に入った肉棒は奥へ進む度に愛液がねっとり絡み付き、強く締め付けられる。 ねっとりした感触を受け止めたまま、鷲掴みにした胸を揉みしだいてまた母乳を搾る。 「ふぁああ! あ、あぁっ! また、胸! あんっ!」 胸を強く揉むと母乳があふれ、窓にかかってとろりと垂れて白く汚していく。 おまけに母乳を搾る度に内側はひくつき、肉棒を締め付ける力が強くなる。 「ふぁあ、あ…! コガぁあ、あっ! 気持ちいい……!」 「ああ、そうみたいだ……ミルクが出る度、すごい締め付ける」 「は、ひぁあ! あ、あっ! また、いっぱい、ああっん!」 何度も強く胸を揉みながら母乳を搾り出し、その度に窓が白く濡れる。 締め付けはどんどん強くなり、肉棒は膣内で何度も脈打つ。 「はあ……俺も、気持ちいい……」 「ふぁあ、あ…はあ、はあ……! ん、んっ! おっぱい、こんなに……だめぇ!」 締め付けられる感触をもっと受け止めたくて、胸を揉み乳首を扱いて母乳を更にあふれさせる。 手のひらいっぱいにぬるぬるした感触が伝わって、いつも以上に胸が柔らかく感じられる気がした。 それに、何度も締め付けられる強さがたまらない。 「はあ、あ、ああ……コガ、おっぱいばっかり……」 「だって気持ちいいし」 「わ、私、こんなのいや……」 「ん? じゃあどうして欲しいんだ。ミルク全部出さないとだめなんだろ」 「ん、んん……だってぇ」 胸を揉み母乳を搾り続けていると、それだけで我慢できなくなったのかハイジが自ら軽く腰を揺らし始めた。 何をして欲しいかはそれだけでわかるのに、どうしても意地悪をしたくなる。 「教えてくれないとわからないなあ……ハイジ、どうして欲しい?」 「お、お願い、コガ……動いて欲しいの。中、もっとぐちゃぐちゃにして……」 「ハイジはえっちだなあ……」 「こ、コガが教えてくれないとって言うから! ああ、あっ!」 素直に答えたハイジが可愛くて、胸を強く揉み母乳を搾り出しながらゆっくり腰を動かし始める。 「ふぁああ……! あ、ああっ、中がいっぱい……ひああっ!」 「んっ! ちゃんと教えてくれたから、いっぱい……んっ!」 何度も母乳を搾り、腰を動かし奥へと突き上げる。 愛液のねっとりした感触にあふれた膣内に肉棒を突き立てると、締め付けは更に強くなる。 その締め付けをもっと感じようと、何度も何度も大きく腰を動かし奥へ届かせた。 「ふぁあ! あ、ああっ! コガ、ふぁあ、あっ! すごい、いっぱい……!」 「……んっ!」 「あ、んっ! こんな、の! 身体全部……おかしくなっちゃ……ふぁあああっ!」 胸とは違う直接的な刺激のせいか、ハイジの声はますます大きくなり、身体の反応もよくなる。 締め付けは更に強くなって、あふれる愛液の量もどんどん増えていた。 腰を動かす間も胸を揉むのを忘れず、母乳を何度も搾り出す。 「ふぁあ、あっ! はあ、は……! ん、あっ……だめ、だめぇ! すぐに……イッちゃう! あぁん!」 母乳をあふれさせた胸を白く濡らし、膣内で肉棒を強く締め付けながらハイジが首を振る。 その姿と感触に肉棒がまた脈打ち、先端からあふれ出す精液の感触に背中が震えた。 「いいよ、イッても」 「ふぁ、あああっ! あ、コガぁ! あ、ああ……もう本当に私……あ、んっ!」 今まで以上に手のひらに力をこめて胸を揉んで母乳を搾りだし、勢いよく肉棒を奥へと突き立てた。 「は、ひ……や、あもう、だめ…ダメぇ! ふあ! あぁああああっ!!!」 胸への刺激と激しい突き上げに耐え切れず、残っていた大量の母乳をあふれさせながらハイジは大きな声をあげて絶頂を迎えた。 びくびくと震えるハイジの中で肉棒は強く締め付けられるが、何とか堪えてそのままじっとする。 「はあ、はあ……はあ……」 そのままの状態で何度か胸を揉んでみるが、もうさきみたいに母乳があふれることはない。 もしかして、もう全部出たのかもしれない。 「こ、コガ……ありがとう。もう、全部出たみたい…」 「そうか。それなら良かった」 「でも、コガがまだ……」 「え? あ、おい!!!」 微笑みながら頷くと、ハイジは少しだけ不満そうな表情をした。 そして、すでにほとんど脱げていた服を全て脱ぎ捨てると、強引に俺の身体を押し倒した。 「お、おい……」 「だって、コガも気持ちよくなってくれなくちゃ……」 「……!」 「今度は、私がいっぱいコガを気持ちよくするの」 俺の上に跨ったハイジは、脚をM字に開くとまた自分の中に俺の肉棒を進ませていく。 「ん……んっ!」 「はあ、は……!」 さっきイッたばかりのハイジの中は、まだひくつきが治まらない。 そのせいで何度も締め付けられて、肉棒は脈打って先端から薄い精液があふれ出すのがわかった。 「あ、ああ! コガ、中でびくびくして……あ、ああっん!」 肉棒を奥まで進ませたハイジは自ら動き出し、深い部分へと何度も俺を導く。 ハイジが動く度に内側は何度もひくつきねっとり締め付けられ、肉棒が何度も脈打った。 「はあ、はあ、あ……! あ、んんぁ! 気持ちいい……あっ!」 「……んっ」 「コガも、ちゃんと気持ちいい? 私ばっかりじゃ、ダメなの……あ、ああっ! あ、ふぁあっ!」 「ん、ちゃんと……んっ!」 「あ、はあ……はあ、嬉しい……! いっぱい、もっと気持ちよく……!」 ハイジが身体を動かす度、母乳の残った大きな胸が揺れて身体だけじゃなくて視覚まで刺激される。 中で肉棒を脈打たせ、声を漏らす俺を見つめてハイジは嬉しそうに笑みを浮かべる。 「コガ……あぁあ、あっ! すごい、中でびくびくして……あ、あんっ!」 「ん、んっ! ハイジ、あんまりしたら……っく!」 「あ、あっ! もっと、したいの……コガと一緒に気持ちよく……んっ!!」 何度も身体の上でハイジが動き、肉棒が締め付けられる。 その感触に震えながらハイジを見上げると、相変わらず大きな胸が何度も揺れていた。 それを見つめてニヤリと笑みを浮かべ、上半身を起こしてその胸を掴んでまた乳首に吸い付く。 「ハイジ……んっ」 「あ、んぁああ! コガ、あ! だめ、だめぇ!」 「ん? なんで?」 突然の刺激に驚きびくびくと震えたハイジの全身から力が抜け、肉棒を深くまで咥え込むように腰を落としてしまう。 深くまで届いた肉棒はまた締め付けられ、その締め付けに合わせるように腰を突き上げ肉壁を突く。 「は、ひああ! ああ、あっん!! コガ、ああっ!」 真っ赤になって首を振りダメだと言ってる割りには、乳首に吸い付く度に反応はよくなっていた。 まるで快感が連動しているように、乳首に吸い付く度に締め付けは強くなっていく気がする。 「も、もう吸っても、出ないから……!」 「ん、んっ……ちょっと、掃除してるだけだから」 「掃除って、あん!」 乳首に強く吸い付きながら、残った母乳を何度も舐め取る。 口いっぱいにハイジの味が広がるような気がして、興奮が増すのがわかった。 何度も乳首に吸い付き舌を動かして舐め回しながら、腰を突き上げて繰り返し奥へ肉棒を届かせる。 「はあ、は、あ! あ……ぁあっ! 奥まで、いっぱい、あんっ!!」 「んっ……」 「あ、ホントに……ダメぇ! あ、ああっ! コガぁあ!」 刺激を与えられ続けてすっかり全身から力が抜けたハイジの身体を支え、何度も下から突き上げる。 乳首に吸い付くのをやめ、奥まで何度も大きく突き上げるとハイジはされるままに身体を揺らす。 「あ、ふぁあっ! 激し……こんな、あ、ああっ!」 「わ、私がっ……コガに、してあげたかったのに! あ、ああっ!」 「ん……もう、十分。それより、もっとハイジをよくしてやるから」 「ひ、んぁああっ! また奥、いっぱい来て……あ、だめ、ふぁあっ! あ、あ、ふぁあっ!」 深くへ突き上げる度に締め付けは強くなり、奥からは愛液があふれて止まらない。 絡みつく感触をしっかり受け止め、何度も腰を揺らす。 肉棒は何度も締め付けられて、あふれる精液は内側を濡らして止まらない。 とっくに限界が近付いているのはわかっていた。 だけど、もっとハイジを感じたくて仕方ない。 「はあ……ハイジ!」 「コガ、ああっ! 私また、また……あ、だめ! こんなに気持ちいいの、あ! ヘンなのっ!」 「変じゃないよ、可愛い……」 「あ……そ、そんな風に言われたら、ふぁあっ! あ、あっ! やだ、も……すぐに、あ、ひああっ!」 また胸を掴んで揉みながら、大きく腰を突き上げた。 瞬間、強く肉棒が締め付けられ、ハイジの身体が大きく震える。 「あ、あぁああ! や、もう……ダメぇええ! イッちゃうぅ!!!」 「いいよ、今度は一緒に……!!」 「ふ、あ! あ、ぁああ……コガぁ……あ、ふぁああああっ!!」 そして、また大きく腰を突き上げた瞬間、強い締め付けに耐え切れず、ハイジの中いっぱいに勢いよく精液を注ぎ込む。 精液を受け止めたハイジは震えながら二度目の絶頂を迎えた。 「ああ……コガ……!」 「ハイジ……」 「…ガ…コガ………」 「ん……」 「コガ!!!」 「!??!?!」 「え!? あ……」 「もう。ようやく起きたのね」 ハイジの大きな声で目を覚まして周りを見る。 既に日は高くのぼり、朝になっていた。 窓から差し込む朝日がまぶしい。 「早く起きないと、学園に遅刻するんじゃないの?」 くすくす笑い、楽しそうに笑いながら言うハイジを見つめているとふと昨日のことを思い出した。 「あ、ああ……そうだ! ハイジ、もう大丈夫か?」 「大丈夫って、何が……?」 「何がって……もう母乳は止まったのか? 後遺症とかそういうのは??」 「……は?」 俺がまくし立てるとハイジはきょとんとした顔をした。 だが、母乳という単語を聞き取ると眉間にしわを寄せた。 「何を言うのコガ? 母乳ってどういうこと? 全然意味がわからない」 「え……ほら、だって昨日の夜、実験に失敗して母乳が止まらなくなったって言ってただろ」 「……え」 「それで、俺に搾り出すのを手伝ってくれって」 「あ、あ、ああああ……!」 俺が説明するとハイジの顔がみるみるうちに赤くなる。 ……あれ? 「な、ななななな何をヘンな夢を見ているのよ! バカ! ばか! コガのばか!!!」 「え……えええ、夢……!?」 「いつまでも寝ぼけていないで、早く顔を洗ってきなさい!!」 真っ赤になってしまったハイジに叱られ、わけがわからなくなってしまう。 「夢? え、じゃあルイは? なんで俺はここにいるんだ?」 「はあ……昨日、寮の部屋の鍵をなくしてしまったんでしょう。覚えていないの?」 「だから、比較的広くてベッドも余っているこの客室に泊めてあげることになったんでしょ!」 「そ、そうだっけ……?」 なんか、そうだったような、そうじゃなかったような……。 あれ、おかしいぞ。なんかいまいち思い出せない。 「呆れた。鍵を忘れた時に他に何か置き忘れてしまったのかしら」 「いや、あの……すいません」 「鍵は今日改めて、ハイタースプライトを使って探すことになっているじゃない。それにルイは……」 「おい、目が覚めたのか」 「ほら、ちゃんといるでしょう。今は朝食の準備をしてくれていたの」 ふたりで話していると、ルイが奥から顔を出した。 姿が見えなかったのは俺の部屋にいたからではなく、朝の支度をしていたからなのか。 じゃあ、やっぱりアレは全部夢で、鍵をなくした俺が疲れて色々忘れてるだけなのか……? 「お前、大丈夫なのか? 鍵を探して疲れすぎていたとしか思えんな」 「いや、あの……」 「そんなことだからおかしな夢を見るんだ」 そう言った途端、ルイはニヤリと面白そうに笑った。 さっきの会話は丸聞こえだったんだと気付いて、一気に恥ずかしくなる。 「お、おま……聞こえて……!」 「あれだけ大声で喚かれて聞こえないわけがないだろう。ふたりとも無駄に声だけはデカイ」 「まあ、効果はともかく、アーデルハイトの性格的に実験失敗はありえない話じゃないな」 今度はハイジを見つめてニヤニヤ笑い、見つめられたハイジがまた真っ赤になる。 「そ、そんなことしないわよ! そもそもコガのせいでー!!」 「いやあ、お前は何をしでかすかわからないからな。さっきの話が元で妙な気を起こすかもしれないだろう」 「妙な気って何よー!!!」 「あの、なんか……本当、すいません……」 一連の事件が綺麗に片付いた後。 自分の魔力の制御を完璧にするため、俺は勉強がてら学園長の秘書として学園に滞在することになった。 そして、一応昼間は普通に秘書として働いているのだが……。 「久我君、お茶が欲しいのだが」 「それくらい自分でやってください」 「まったく……わかったから、座っててください」 「はいはい」 魔力の扱い方や、魔術書を使った勉強を徹底的にやりたいんだが、秘書としての仕事が案外多くて、意外に忙しい。 というか、学園長が細かい雑用まで色々押し付けてくるから忙しいんだが……。 まさか雑用で走り回る時間がこれほど多いとは思わなかった。 「あ、砂糖は控えめ、ミルクは多めで頼むよ」 「注文が多いな……」 「久我君、ま〜だ〜?」 「はいはい。もうちょっと待ってくださいね」 それに、あれだけ敵対していた学園長と、こうして以前と変わらず接することになるのも少し驚いてる。 以前と変わらずというか、むしろ以前より好意的なような気もするかな。 まあ、それも創造主である彼女の正しい指示があるからなのはわかっているが……。 「はい。コーヒーが入りましたよ」 「おお〜。Dekuji! とっても嬉しいよ」 「それ飲んだら、やらなきゃいけないことをちゃんと終わらせろよ」 「もちろん、わかっているとも」 「本当かよ……」 「自分でやってください!」 「ぶーぶー。少しくらいは構ってくれても良いものを」 「……はあ。俺、そろそろ図書館に行きたいんだけど」 「何言ってるんですか。秘書として手伝うのはこの時間までって約束だったでしょう?」 時計を指しながら言うと、学園長は上目遣いでもじもじし始めた。 とても、嫌な予感がする。 「だって、明日の理事会で必要な書類が、まだ全然用意できてなくて……」 「……は?」 「明日の理事会に必要な書類が、用意できてない」 「はあ……そういうのは、ちゃんとやっとけよ……で、どれなんだ」 「本当に全然かよ!!!」 文句を言っても仕方ない。 さっさと終わらせて、早く図書館に向かおう。 「よーやく終わったぁあ……!」 夜遅くなったが、何とか書類を仕上げることができた。 でも、まさかこんなに時間がかかるとは思わなかったな……。 「おおー! さすがは久我君だ! 本当に助かったよ。Dekuji!」 「なんとか終わったからいいようなものの……」 「大体これ、三日前にやってますか? って確認した書類だろ!」 「うむ。確かに聞かれたねえ。覚えているよ」 「あんた、その時には『やってる』って答えたよな? なんでやってない!」 まったくもって、申し訳なさそうに見えないし、反省の色も見えない。 ちっとも反省してないなこれは……。 「次から絶対に手伝わないからな。ちゃんと自分でやるんだぞ!」 「なんだと! それは困るぞ!!」 「なっ!!」 俺に反論しながら、学園長がいきなり飛び掛ってくる。 あまりに突然のことに驚き、身構えることすらできなかった。 そのまま、学園長は俺に抱きつき身体を擦り寄せ、上目遣いに見つめてくる。 「んーわからないかなー! 君に構って欲しかったんだよ?!」 「そんなもん、わかるか!」 「せっかくの! 秘書なのに! オフィスラブの一個も! ないなんて!! 寂しい!!!」 わけのわからないことを言いながら、学園長は俺に頬ずりをする。 離れる気は一切ないらしく、抱きつく力は強くなる一方だ。 「だーかーらー! サービスだと言ったではないか〜」 抱きつき身体を擦り寄せたまま、学園長は股間の辺りを撫でまわしてくる。 「そういう事を言ってるんじゃない!」 なんとか強引に学園長の身体を引き離し、向かい合わせになってじっと見つめる。 でも、その目は何かを期待したように輝いていた。 「はあ……あのな、ふひとちゃん」 「なんだね? 久我君」 「それはそれ、これはこれ! 仕事はちゃんとしろ」 「じゃあ、おしおきプレイということで!」 「…………はあ」 割と真面目に言ったつもりだったんだが、全然聞いちゃいない上に目がキラキラしている。 これはつまり、俺に対して反省の態度を取らなくてもいいと思ってるってことか。 「わかった。そういうことを堂々と頼んでくるとはいい度胸だ」 ふひとちゃんの身体を引き寄せてうつぶせの状態にして膝に乗せて座り、スカートをめくって下着を一気に引きずりおろす。 「何をするのだね、久我君! なんかそれは違う! や、やめたまえ!」 膝に乗せられ動けない状態になったふひとちゃんは、焦ったように身体をじたばた動かす。 でも、その身体を押さえ付けて逃げ出せないようにする。 「何って、おしおきだろう。おしおき」 「こ、こういうことを期待したのではない! おろしたまえ!」 「ふひとちゃんが言い出したんだから、ちゃんとおしおきは受けないとなあ」 「だ、だから、こういうことではないと……」 「はいはい。それじゃ、じっとしてて」 「ひっ!!!」 暴れる身体を押さえ付けて、まずは一発尻を叩く。 驚き動きが止まったところに、もう一度平手を入れるといやいやと首を振られた。 「い、痛い! 痛いじゃないかぁ!」 「そりゃ、痛くしてるから。痛くないなら、おしおきにならないだろう」 「さ、さっきから言ってるが、おしおきと言うのは…」 「ひゃっ! あっ!!」 「黙ってないと、余計に痛くなるぞ」 「い、いじめだ! こんなのは子供に対するおしおきではないか!」 「子供みたいなナリしてよく言うな」 「ぴゃっ!」 何度も尻を叩き続けていると、じんわりと赤くなり始めていた。 赤くなった尻をじっと見つめて、もう一度平手を入れる。 「も、もう、わかった! わかったから!」 「まったく信用ならないな」 「信用ならないとはどういうことかね!」 「仕事サボってた人が言うからじゃないですか」 「な、何故だ! 今はこんなに必死にお願いしているではないか」 「日ごろの行いが悪いと、いざという時に信用してもらえないんですよ」 「ひゃあっ! ま、またっ!」 「しかし、いい音で鳴りますね」 「ちっとも嬉しくない!」 「せっかく、ご希望のおしおきをしてあげてるのに?」 「だから、私がして欲しいのはこうではな……」 「ふああっ!!!」 「ん……」 何度も尻を叩いていたが、よく見ると秘部の辺りが濡れて来たような……。 「まさか、ふひとちゃん……叩かれて気持ちよくなってきたのか?」 「う、ううう……そ、そんなことはない」 「本当に? その割りには……」 「ひぁあっ!!!」 「ほら、声がどんどん変わって来たぞ」 「ち、ちが……う……うう……」 違うとは言うが今まで以上に愛液はあふれ、ふひとちゃんの声も感じているような甘いものになる。 不意に手を止めてじっと見つめてから、そっと尻を撫でてみた。 「ふあぅ! ああぁ…あ……っ!」 赤くなったお尻を撫でると、ふひとちゃんが震えながら声を出す。 痛みではなく漏れる声にニヤリと笑みを漏らしてから、もう一度大きく尻を叩く。 「ひゃぁあ! あ、あっ! そ、それは……ず、ズルイ!」 「何が?」 「ふぁああっ!」 尻を叩いてからもう一度撫でると、やっぱりまた甘い声が漏れてくる。 そのまま、また赤くなった尻を撫で回して様子をうかがう。 「はあ……はあ、あ……。久我君、や、やめ……」 「ああ、やっぱりこっちの方がいい?」 「ふぁあっ! あ、ああ……も、もう、やめたまえ…」 「やめろって言われてもなあ……本当にやめていい?」 「そ、それは、あの……そうでは、なくて……」 「ああっ! あ……あ……」 「ほら、こんな声になってるし……それに、これはおしおきだから」 「う、うう……で、でも、お尻じゃなくて……もっと違うとこをいじって欲しい……」 とうとう観念したのか、素直におねだりをし始めた。 少しうっとりした様子のふひとちゃんは、俺を見上げてもじもじする。 その間も、秘部からは愛液があふれて止まらない。 「それじゃあ、おしおきプレイにならないんじゃないのか」 「だから、おしおきはもういいから……だから…あっ! ああっ」 もじもじしたままのふひとちゃんのお尻を、またゆっくり撫でまわしてみる。 叩かれて敏感になっているのか、随分と反応がいい。 今まで以上に震えて声を漏らし、愛液がまたあふれるのがわかった。 「こ、久我君! んっ……わ、私が悪かったから! も、もうしないからっ!」 「そうは言ってもなあ……」 「ひ、んぁあ! あ、も、もう本当に……」 「本当になんだ? 言ってみろ」 「はあ、は……あっ! あ、ふぁぁっ」 叩いた直後の尻をまた撫で回し、わざと甘い声を出させる。 震えるふひとちゃんは、答えることができないままいやいやと首を振る。 その姿を見つめてから、また大きく尻を叩く。 「ひああ! あ、ああ……こ、これから……ちゃ、ちゃんとしますからぁ……」 「本当だな? 約束できるか?」 「す、する! ちゃんとするからぁ……!」 お尻を撫でまわしながら聞くと、必死に何度も首を振られる。 震えて顔を真っ赤にする様子を見つめて手を止めてじっと見つめると、物足りなさげに身体を揺らされる。 「ほ、本当だから普通に……普通に、して欲しい……」 「わかった。それじゃあ、まずは服を自分で脱いで」 「は、はい……」 言われた通り、ふひとちゃんは素直に服を脱いで全裸になった。 恥ずかしそうにもじもじしているけど、愛液はあふれたままだし、その表情は明らかにこれから起こることに期待している。 「こ、これでいい?」 「ああ、上出来。ちゃんと言うこと聞けるんじゃないか」 「そ、それはだな……む、むう……久我君は意地悪だ」 「意地悪じゃない。おしおきだからだ」 「もういいから……早く……触って欲しい……」 「ふーん……そうかあ……。じゃあ、どうしようか」 恥ずかしそうにしているふひとちゃんを見つめながら、これからどうしようか考える。 あそこまで迷惑をかけられたんだから、もうちょっと反省してもらわないと……。 「そういえば、さっきサービスするとか言ってたよな」 「ああ、そうだとも……」 「具体的にはどうするつもりだったんだ? やってみて」 「わ、わかったから……早くっ!」 焦れたように俺の身体を押し倒し、秘部を俺の顔に向けるような体勢でふひとちゃんがその上に跨った。 「んんっ……久我君……」 脚を大きく開いて跨った状態で、ふひとちゃんが肉棒を必死に舐め始める。 根元から先端へ舌が移動していき、ねっとりした感触が伝わる。 「は、あ……はあ、んっ、んぅ……んむ」 「そうそう。上手じゃないか」 「んんっ……ちゃんと、頑張るからぁ……あ、んっ」 肉棒の上で舌先を何度も移動させ、先端を軽く咥えて吸い上げられる。 その刺激に思わず小さく身体が震えると、ふひとちゃんは先端を何度も吸い上げ始めた。 「んっ、んん……ん、ちゅぅ……ちゅ、んっ」 「はあ……あっ……」 「んう……久我く、ん……んっ」 既に濡れている秘部は物欲しそうにひくつき、まるで俺を誘っているみたいだった。 肉棒に吸い付いているだけで感じているのか、ひくつく秘部からは愛液があふれ出す。 「ん……それじゃ、サービス足りないんじゃない?」 「は、はい……あ、んっ……んっ」 一瞬強く先端を吸い上げられた。 その強さにびくんと身体が震え、肉棒も脈打つ。 俺の反応を確かめるようにしながら、ふひとちゃんは何度も先端を強く吸いあげる。 「ふぁあ……ああ、はあ……は、んむぅ……」 先端を吸い上げるのをやめたかと思うと、今度は根元の方を舐め始め、また先端へ戻って行く。 ねっとりした感触が移動していく度に背中は震え、肉棒は脈打ち先端からは薄い液体がにじみ出す。 「はあ、はあ……久我君……んっ、久我君……」 「うん、なんだ?」 「だ、だから、あの……」 望まれていることはなんだかわかっている。 だけど、ここで素直にやっちゃうと、また次も反省しない気がするからな……。 「ちゃんと教えてくれないとわからないな」 「ほ、本当に悪かったと思っているから……お、お願いだから許してください……」 「ふぅん……」 一旦舐めるのをやめると、ふひとちゃんは涙目でこっちを見つめて来た。 その表情は本当に反省しているように思えるものだけど……どうしたものか。 「ほ、本当に反省しているんだ! だから、あの、あの……」 「本当に反省した?」 「は、んぁ!」 顔を少し動かして、秘部に軽く息を吹きかける。 敏感になっているせいか、それだけでふひとちゃんは声をあげていた。 その様子に小さく笑みを浮かべ、また数回息を吹きかける。 「ひぁ! あ、あぁっ……あ、やっ! そ、そういうのじゃ、なくてっ」 「んー? でも、随分気持ちよさそうだけど」 「だ、だって、それは……あ、はあっ!」 「じゃあ、やめようか」 「ふ、あ……はあ、はぁ……」 息を吹きかけるのをやめると、安堵したようなため息が聞こえた。 「ちゃんと反省したんだな」 「した! 次から本当にちゃんとする!」 「絶対だな」 「ぜ、絶対です!」 あまりにも必死な様子に思わず笑ってしまいそうになる。 けど、それを必死に堪えて頷く。 「それじゃあ……」 「ひぁ! あ、あぁっ!」 既に濡れている秘部に指を這わせ、ゆっくりと撫でていく。 指先に絡まる愛液の感触を擦り付けるように、何度も何度も秘部の上で指先を往復させる。 「ふぁあ……あ、あっ! ああっ……!」 「すごいな……ちょっと触ってるだけなのに」 「んんぅ! ふぁあ、あっ……」 軽く何度も触れるだけで、愛液はあふれて止まらない。 伝ってくる愛液を、秘部に塗りつけるようにしながら指先を動かし何度も軽い刺激を与える。 「ふ……はぁ、は……あ、あぁあっ……!」 秘部は何度もひくつき、愛液はどんどんあふれる。 指先を濡らして、太ももまで濡らしていく感触に笑みを浮かべて少しだけ指を進ませる。 「ひ、んぁあ! あ、ああ……あ、ふっ」 奥に進んだ指先は締め付けられ、愛液があふれる音が響く。 浅い部分で抜き差しをすると、いやらしい音が更に大きくなり、ふひとちゃんがまた震える。 「はあ、は……あっ! んぅ……や、あ……久我君、そ、そうじゃ……なくてぇ……」 「ん? 何が?」 これだけでは物足りないようで、秘部をひくつかせ、中で指を締め付けたまま、ふひとちゃんがじっと俺を見つめていた。 「こ、久我君……た、頼むからそれだけじゃなくて…」 「ええ……何が不満なんだよ、せっかくしてるのに」 「う、うう……だ、だって、あの……その……」 わかっているのに、気付かない振りをして意地悪に言ってみる。 すると、ふひとちゃんは困ったように首を振り、無意識に腰を揺らして自ら刺激を求めようとする。 それにこたえるように、指先をまた少し奥へ進ませると締め付けが強くなる。 「ふぁ、ああっ!! ……あ、あっ……も、っと……あ、んっ!」 「もっとねえ……」 おねだりする声に答えながら、奥へ進ませた指で内側を数回擦ってみる。 「ひ、んぁあ! あ、あっ!」 指が動く度にふひとちゃんの反応は大きくなるが、すぐに内側を擦るのをやめてゆるゆると指先を抜き差しさせる。 すると、秘部の中は物足りなさにひくつき始めた。 「はあ……は、あ……お、お願いだから、もっと……し、して……!」 「ん……まったく、ふひとちゃんは欲張りだな」 「だ、だって、これだけじゃ……」 もじもじしながら見つめられると、どうしても意地悪したくなってくるな。 少し考える振りをしてから、ニヤリと笑みを浮かべてふひとちゃんを見つめる。 「わかった。じゃあ、どっちが先にイクか勝負しようか」 「勝負……するの?」 「そう。ふひとちゃんが勝ったら、普通にしてあげる」 「よ、ようし、わかった。負けないから」 「それじゃあ、スタートな……んっ」 俄然やる気になったふひとちゃんには悪いんだけど、最初から負けるつもりなんかない。 顔を少し動かし、まずは秘部に軽く口付ける。 「は、ひああっ! あ、ああっ!」 「……んっ、んっ」 口付けるだけでふひとちゃんは大きく身体を震わせ、秘部からはまた愛液があふれてきた。 指先を引き抜いてその愛液を舌先ですくいとり、そのまま何度も割れ目を舐めまわす。 「ふぁあ…あっ! あ、ぁあっ! 久我君! んっ!」 「んん? ん……はあ、気持ちいい?」 「ん、ぁあ! ああ、気持ちいい……すごい、あっ!」 「でも、これは勝負だからな……ほら、口が動いてないぞ……んんっ」 「は、んむぅ……んっ! んっ!」 舌先を動かし愛液を舐めとる度にふひとちゃんが震え、必死に肉棒を咥えて舐め始める。 その様子を眺めながらまた舌を少し奥へ進ませ、引き抜いた指先でクリトリスを擦り、浅い部分を舌先で何度もかき回す。 「ふ、ぁあっ! ふぁ、あぁっ! あ、それ! あ、あっ」 舌先を動かす度に愛液はあふれ、中で軽く締め付けられる。 締め付けられるまま、更に奥まで舌を進ませるとねっとりした感触が大きくなる。 「んっ……ここ、いい?」 「う、んっ……んっ! そ、こ……は、ひぁ! もっと、あ、あっ!」 「ふぅん……んっ」 反応のよくなる部分を狙い、そこで何度も舌先を動かす。 内側を擦るように舌先を動かし、愛液をかき出して音を立ててすする。 その音にも反応し、ふひとちゃんは震えて内側をひくつかせた。 「久我君……んっ! そ、そんな音、立てられたら……は、ふぁああ……っ」 「ん? わかった、この音がいいんだな」 「あ! あぁあ、あっ! ち、違……は、ひっ!」 わざと音を立てて愛液をすすり、内側を擦るように舐めまわしながら舌先を軽く抜き差しさせる。 反応は更に大きくなって、ふひとちゃんはすっかり肉棒を咥えるのを忘れてしまっているようだ。 「はあ、はあ……は、あ……あぁあっ……! 久我君……久我君……!」 「ふひとちゃん……んっ、口は……?」 「ふ、あ……あ、あ……んむ、んっ……んっ」 意地悪に言うと、ふひとちゃんはまた必死に肉棒を咥えた。 その姿を見て小さく笑みを浮かべ、手のひらをゆっくり移動させる。 「ふ、ひぁあっ!? あ、ああっ! そ、そこ……や、ああっ!」 移動させた指先で、お尻もいじってみると反応が今まで以上に大きくなった。 そのまま、舌先をまた秘部にねじ込みつつ、お尻をいじり続けると中で舌が強く締め付けられる。 「や、やだ! や、あっ! あぁあ、あっ! 久我君……だ、だめ! だめぇ!!」 「んぅ! ん、ふ……」 「そ、そんなのは…は、反則だ、あっ! ふぁあっ!」 指先を動かしながら、また愛液をすすって内側で舌を動かす。 音を立てて刺激を与えるとふひとちゃんは何度も震え、舌が強く締め付けられた。 あふれる愛液を受け止め、また舐めあげて、指を動かしてお尻をいじり続ける。 「は、ぁあっ! あっ……そんな、あ、いっぱいされたら、あ、ふぁあ!」 「ん……んっ…ふひとちゃん、口……」 「ふぁあ……あ、ああぅ……う、ふぁあ、あ、んぅう……」 刺激を与えたまま、また口が動いていないことを伝える。 だけど、ふひとちゃんはそれに答えることも肉棒を咥えることも、もうできないようだった。 「……ったく。ん…」 「あ、あっ! またぁ、あっ! あ、はぁ……は、ひああっ! あっ、んぁあ!」 されるままになり、動けなくなっているふひとちゃんの秘部に吸い付き愛液をすする。 秘部を舐めたまま指を何度も抜き差しすると、目の前でびくびくと身体が震え始めた。 「あ、ああ……あっ!」 「ふ……あぁ、ふぁああああっ!!!」 そして、秘部をひくつかせて全身を大きく震わせ、おまけに潮吹きまでしながらふひとちゃんは絶頂を迎えてしまった。 「ああ……あ、ふぁあ…はあ、は……あ……はあ……」 「あーあー。俺の顔にまでかかったぞ」 「あ……ああ、ご、ごめんなさ……あ……」 濡れた顔を拭いながら言うと、小さな声が返ってくる。 まだ震え続ける身体は余韻に浸っているのか動きそうにない。 けれど、絶頂を迎えた秘部はひくつき、愛液はまだとろとろとあふれ続けていた。 「あーあー。結局、ふひとちゃんの負けだな」 「だ、だって……あ、あんなことされたら……無理ぃ」 「そっか、無理か」 「は、ひあ! あ、ああっ! だ、だめ!」 ひくつく秘部にまた唇を近付け、音を立てて何度も口付ける。 さっきより、刺激は緩やかになっているみたいだけど敏感になっているふひとちゃんは大きく反応する。 「ひ、んぁあ! また、そんな……の、あっ、ふぁっ」 これ以上するとまた感じ始めそうだと思い、舐めるのをやめて口元を拭う。 すぐに刺激がなくなったことに安心したのか、ふひとちゃんは身体をぐったりさせる。 「ん……まあ、勝負は勝負だから俺の勝ちってことで」 「え? へ? あ、ああっ!」 「それじゃあ、おしおき続行」 驚くふひとちゃんの身体をうつ伏せにして机に押し付け、その背後から覆い被さる。 「ひ、ぁあああっ!」 「……っ」 そのままの状態で一気に肉棒を秘部の奥まで届かせると、ねっとりした感触に強く締め付けられた。 絶頂を迎えたばかりの身体は敏感になっているのか、たったこれだけのことでふひとちゃんは全身を震わせる。 「や、いやぁ……や、ああっ! だめ、ダメぇ! いまは、だめ、だから……!」 「はあ……だめって言われてもね……」 「だ、って……こんな、の……さっきイッたばっかり……ひ、あ!」 ほんの少し動くだけで肉棒は締め付けられ、奥からはどんどん愛液があふれる。 「こんなでダメだって言われても説得力がないんだけど」 「ほ、本当にだめなんだ……だめ! ちょっと……あ、ああっ!」 少し腰を動かし、内側を肉棒で何度も擦る。 軽い動きにもかかわらず、締め付けはどんどん強くなり、ふひとちゃんはびくびく震えて声をあげる。 「はあ、は……あっ! あ、ふぁあっ……こ、こんな、こんなのっ……あっ!」 その様子を見つめながら、軽く腰を前後させて肉棒を中で動かす。 あふれる愛液の量は増え、締め付けは少し強くなる。 「久我君……久我君……! はあ、は、あっ! あ、ああっ……!」 「ん……気持ちいいんだな」 「だ、だから、あの! あああっ!」 また少し腰を動かし奥へ何度も肉棒を届かせて、愛液をかき回して内側を擦る。 「は、ひぁあっ! ふぁあ、あ……久我君、んぅ! ん、ぁあっ!」 「うん。どうした?」 「だ、だから…だめ、待って! 待っ…ひ、ああっ!」 「だめ。俺が待てない」 「ひ、う! あ、や、ああっ! ま、た……激し……ひ!」 ふひとちゃんの言葉を聞かず、また身体を押し付けて今度は激しく動き出す。 激しくなった動きにふひとちゃんはがくがく震え、されるままになってしまう。 「は、はあ、ああっ! あ、ふぁあっ! は、ひ……い! やああ、あっ!」 押し付けた身体は何度も大きく反応し、肉棒を奥まで届かせる度に内側がひくつく。 だめだと言う割りにその中は俺を締め付けて離さず、まるでもっととねだっているようだ。 「久我君! 久我く、う、ふぁああっ! あ、あっ! 待って、ま……あ、あっ!」 「素直にもっと欲しいって言えばいいのに」 「だ、だから、今……あ、まだ! だめ、ちが……は、んっ!」 「はいはい。もっとだよな」 「あ、ああっ! は、ひぁああ!」 動けないようにしたまま、何度も何度も肉棒を出入りさせ続ける。 締め付けられる肉棒は脈打ち、先端から薄い精液が何度もあふれて止まらない。 「……はあ、んっ」 「ふ、ぁあっ! あ、あ……こ、がく……う! あ、ああっ! ふぁ、あああっ!」 「ん……? どした……」 「ふぁああ、ああっ! はあ、あ……あ、う! う、ふぁあっ……や、ああっ」 何かを伝えようとしているのに、ふひとちゃんの唇からはあえぎ声しか聞こえて来ない。 少しやりすぎかと思わなくもないけど、これもおしおきプレイの一環だ。 「も……も、あ…あ、ふぁあっ、あっ! ふ、ああっ」 また奥まで肉棒を突き上げた瞬間、ふひとちゃんの小さな身体が大きく震えた。 そして、ねっとりした感触に包み込まれた肉棒が締め付けられる。 その感触を受け止めながら、また奥深くへと肉棒を進ませ突き上げる。 「は、あっ! あ、はあぁあっ! は、ひぁああああぁぁあぁぁっ!」 「んっ……」 「あ、ああっ! は、んぁあ……!」 奥深くまで突き上げた瞬間、ふひとちゃんが呆気なく絶頂を迎える。 けれど、びくびく震えた身体を押し付けたまま、更に肉棒を動かし奥へ進ませる。 「は、あ! あ、ひぁあ……あ、な、なんで……まだ、あっ! あっ!」 「だって俺、まだイッてないし」 「は、ひいぃ! ひ、ぁあっ! あ、ふぁあっ……む、り……むりぃ……!」 「うん。でも、俺はしたい」 「や、や……あ! やら、や、ああっ! あ、あっ!」 絶頂を迎えたばかりの身体は敏感になっているのか、軽い動きにも反応して震え続ける。 ふひとちゃんが震える度に肉棒も締め付けられ、その感触にたまらず息を吐く。 「は、んぁああっ! ああ、あっ! ふぁ、んっ!」 あふれる愛液を音を立ててかき回し、角度を変えて内側の色んな部分を先端で擦る。 軽く動いているつもりなのに、ふひとちゃんは敏感に反応して声を出し、そして肉棒を締め付ける。 「は、ん! んぁああっ、あっ! らめ……らめぇ…! こんな、ああ、あっ」 「でも、まだ中で締め付けるんだけど」 「そ、そんな……の、ああっ! 君が、あ、うごくからぁあ……あ、あっ!」 「もっと動けばいいのか?」 「ひ! あ、あっ! ちが……あ、あぁああっっ!」 ニヤリと笑みを浮かべてからまた激しく腰を動かす。 すると、ふひとちゃんはまた身体を震わせて軽く絶頂を迎えてしまった。 それでも気にせず腰を動かし続け、締め付けられる肉棒を脈打たせる。 「はあ……は、あ……このまま、中に出そうか……」 「あ! あ、ふぁ! は、ひ……い、あ! だ、めぇ……だめぇ!」 「何が? すっごい気持ちよさそうなのに」 まただめだと主張する姿に背中がぞくぞく震えた。 嫌がる身体をまた押さえ付けて、更に奥まで進ませて先端で内側の深い場所を擦る。 「だめ……! だ、からぁ! あ、ああぅ! いま、あっ、そんな……ふぁあ! ふぁ、ひ! あっ!」 「ほら……ふひとちゃんも気持ちいいだろ」 「ひぁあっ……あ、ああっ! ……からぁあ、ああっ、こんな……な、かぁ…だめぇ!」 またいやいやと首を振られるが、それを無視して激しく腰を動かした。 愛液の音を立て、角度を変えて先端で内側を擦り、何度も何度も深くまで突き上げる。 「ひ、んっ! んっぁああああっ! ああっ!!」 「はあ……っ」 「あ、ああっ! また……ま、たぁ! あ、あ、あああっ!」 奥から愛液が更にあふれ、肉棒の締め付けが強くなった。 その強さに全身を震わせながら、更に奥まで届かせるように肉棒を深くまでねじ込む。 「ひ、んぁあああっ! あ、あぁああああっ!!」 「……んっ!」 また、ビクリとふひとちゃんが大きく全身を震わせて絶頂を迎えてしまった。 そして、強く締め付けられた肉棒は大きく脈動し、そのまま中で勢いよく精液を飛ばす。 「ふ、あ……あ……はあ、あ……ああ……!」 精液を全て注ぎ込み、肉棒をそのままにして呼吸を整えながら自分の下で震える姿をじっと見つめる。 もう何度も絶頂を迎えているせいか、その身体はぐったり震えるのみだ。 けれど、ふと我に返ったのか俺に視線を向けて小さく首を振る。 「あ……あぁあ……! あ、らめ……」 「どうした、ふひとちゃん?」 「ぬ、抜いて……離れてぇ……!」 「なんで?」 「ひ! あぁっ!」 突然言われても納得できず、中に肉棒を埋めたまま軽く腰を動かして聞いてみる。 すると、ふひとちゃんはその軽い刺激にも反応して震えた。 「だから、なんでだめなの?」 「だ、だめ、だからぁあ……あ、あっ! ほ、ほんとうに……だめ! ああっ!」 抜いて欲しそうにじたばたされても、既に力が残っていないのか身体はちっとも動いていない。 その身体を軽い力で押さえ付けたまま、また腰を軽く揺らす。 「ひぁああ! あ、あぁあっ! や、らぁああっ! あ、あぁああっ! らめぇ! らめぇえ!」 「いやあ、そんな風に言われると余計にこのままにしたくなるな」 腰を揺らし続けるとふひとちゃんの身体ががくがく震える。 今までと違う反応に調子をよくし、また奥まで腰を突き上げてみた。 「ひ、んぁああ! あ、ああ! も、も……れ、ちゃ……あ、ああっ!」 「ん……」 「ひ、い…い、ふ…うう……っ! は、あああ……」 びくんと全身が震えた瞬間、ふひとちゃんは涙目になりながら漏らしてしまった。 黄色い液体がびちゃびちゃと辺りにあふれ、机の上を伝って床にまで流れる。 「あーあー。こんなところでお漏らしか」 「う、ううう……う、ああぁ……」 軽く腰を揺らしてやると、残っていた分もすべて出てしまったようだった。 恥ずかしそうに顔を赤くし、最後まで出し切ったふひとちゃんは小さく息を吐く。 「だらしないなあ……後でちゃんと掃除しないと、学園長室に来た生徒に不思議がられるぞ」 「だ、だれのせいでぇえ……」 「そりゃ、ふひとちゃんのせいだろ。ちゃんと仕事をしないから」 「う、ううう……」 「それに、おしおき希望はふひとちゃんが言い出したんだろう」 しれっと答えると、ふひとちゃんが更に涙目になった。 けどまあ……ちゃんとしてなかったのは事実なわけだし、おしおきプレイを言い出したのも本人だしなあ。 「君のおしおきプレイは……ひ、ひどすぎるぅ……うう……」 「どうしたの、もーちゃん? 急に大きな声出すからビックリしたよ」 「す、すみません……ちょっと酷い夢を見てしまっただけだから……」 「本当? 顔が真っ赤だよ。熱とかない?」 「ほ、本当に大丈夫。ごめんなさい、心配させてしまって」 「大丈夫ならいいんだけど……」 「ええ。少し落ち着けば大丈夫だから」 「それにしても……睦月だけでは飽き足らず、学園長まで……! しかもあんな……! ぅうぅぅ……!」 「……ん?」 「ふぁああ……あー。疲れたーー」 「……!」 「あ、みっちーお疲れ様」 「きみは一体、どれだけドSなんですか!!」 「え!? な、なんの話だいきなり!?」 「……う」 目を閉じているのに、まぶた越しに眩しさを感じる。 あまりに眩しくて我慢できず目を開けると、そこは真っ白な空間だった。 「…………?」 どうしてこんな場所にいるのかちっともわからない。 それに、ついさっきベッドに入って寝たばかりの気がするんだが……。 まだ頭がはっきりしないせいか、状況がよくわからない。 「……っ!」 ぼんやり考えていると突然視界が開け、目の前に現れた景色に驚き目を見開く。 まさか、またここに来る事になるとは……。 「マジかよ……」 ここは間違いなく遺品――モルフェウスの石の力で作られた夢世界の中だ。 「待てよ」 という事は、また誰かが遺品を暴走させて、俺もそれに巻き込まれたって事かもしれない。 だとしたら、のんびりしてる場合じゃない。 遺品を発動させた人物を探し出してなんとかしないと、また大事件になる。 ……とは言っても探すあてどころか、遺品を発動させた人物の心当たりもない。 一先ずは状況把握と、他に誰か巻き込まれていないか調べた方がいいだろう。 じっとしている場合じゃない。 以前と同じように、この場所を色々調べてみるべきだな。 しばらく歩いて周囲を調べてみた。 だが、特に何かがある事もなく、誰と出会う事もなかった。 俺だけが巻き込まれたって事なのか、それともこれはただの夢なのか……。 でも、夢にしては意識と思考がはっきりしすぎている。 前はハイジの香水の力で意識を保つ事ができていたが、今はそれがないのにそれができている。 やっぱり、これがただの夢だと思えない。 「あ……」 考えながら歩いていると、あからさまに不自然で怪しいドアに遭遇した。 何もない場所に扉だけがポツンと立っているのは見るからに怪しい。 ここに何かありますと主張されているようなもんだ。 ……とは思っても、調べず放っておくわけにもいかない。 特査としては、こうもあからさまに不思議なものを放置できないからだ。 それに、この扉の向こうに誰かがいる可能性もある。 「よし」 こうして考えていても仕方がない。 意を決して、ゆっくり扉を開けてみる事にした。 「……え」 そっと扉を開けると、そこは見慣れた寮の自室だった。 思わず夢世界と、扉を開けた先にある自室を何度も見返す。 けど、何度見ても寮の自室で間違いない。 でも、夢世界は昼なのに、扉の向こうは暗くどう見ても夜になっている。 「なんなんだ……」 明らかに普通じゃないこの状況は、やはり遺品が発動しているとしか思えない。 だけど、前に遺品が発動して夢世界に巻き込まれた時と少し雰囲気が違うような気が……。 もしかすると、モルフェウスの石じゃない別の遺品か? 「……」 何の力が働いているのかはっきりしないが、とりあえず部屋に入ってみるか? モルフェウスの石じゃないなら、部屋に戻れば夢から覚めるかもしれない。 「ん?」 「……んぅ」 「なんだ……」 「はあ……は、ふぅ……」 部屋に入ろうかと思っていると、何か声が聞こえてきた。 しかも、明らかに普通じゃない声だ。 ……誰かいるのか? 「ん……なの……のにぃ」 何かあってからじゃ手遅れになる。 遺品が発動しているならなおさらだ。 迷ってる場合じゃない。すぐに何が起こってるか確かめないと。 急いで部屋に飛び込み、声の聞こえた方に移動する。 だが、そこには俺の想像を遥かに凌駕する姿があった。 「はあ、は……あ、ああぁ……」 「んんぅ……久我くん。久我くんのにおい、いっぱい……はあ、はふ……あっ!」 俺のベッドの上に、眠子がいた。 しかも何故か、手には俺のパンツを持っている。 「ん、あっ! あ、ここ……気持ちいい……!」 「久我くんのにおい、すごい……あ、ああぁっ! ドキドキして……あ、ふぁっ!」 俺のパンツを手にして匂いを嗅いだまま、眠子が声をあげる。 しかもよく見ると、その周りにもパンツが落ちている。 (もしかして、こいつ勝手に出して来たのか……!?) 「久我くん……んっ! こんなの、勝手に……ふぁあ、あっ! だめ、なのにぃ……!」 「あ、んぁあっ! で、も……とまらないよぉ…あ、ここ……くちゅくちゅって! あんっ」 スカートは穿いているものの、胸元ははだけて胸は見えてるし、パンツも脱げてるし……。 あられもない姿に身体は硬直し、思わず息をのむ。 こんな事になっているとは微塵も思っていなかっただけに、どうすればいいかわからない。 「久我くん……久我くん……! こんな、いっぱい久我くんのにおい……はあ、はあ……は、あっ!」 「んんぅ……久我くんのにおい、ドキドキして、こんな……あ、どうして……」 「こ、ここ……きゅんってなって……ふぁあっ! あ、あっあああ、あ!」 スカートの中で指先が動いているのか、小さく身体が揺れる度に眠子の声は大きくなる。 もう片方の手は一旦パンツを離して胸を揉み、指先が軽く乳首を弄っていた。 自分の身体に刺激を与えながら、眠子は頬を真っ赤にして何度も声をあげる。 「身体、へん……なのに、こんな……あっ! ふ、あ……はあ、久我くんのにおい……いっぱい」 「んんぅ……んっ! 胸も、ここも……きゅんってする……の、ああっ! どうして、こんなの……は、あぁっ!」 このまま見てちゃ……いけない気がするんだが……。 「ふぁああ……あっ! あ、んっ、んぁあっ! 久我くん……におい、いっぱいぃ……!」 眠子の姿から目が離せなかった。 秘部は既に濡れているのか、指先が動く度に小さく、くちゅくちゅと音が響く。 その音と漏れる声に神経が高ぶり興奮していく。 「あ、あっ! ここ……くちゅくちゅって、して……あ、ぁあっ!」 「んぁあ! あ、あっ! どうして、こんなに気持ちいいのぉ……あ、ふぁぁっ!」 「はぁ、はあ……は……あっ……! こんなのダメぇ……久我くんのぱんつ……勝手に、んっ! ふ、あ……あっ!」 ダメだと口にしながら、眠子は何度も俺のパンツに顔を近付け匂いを嗅ぐ。 そして興奮したように指先を何度も動かした。 胸を揉みながら指先で秘部の浅い部分をかき回し、いやらしい音を響かせ続ける。 「あ……ふぁあっ! あ、ああっ……ここ、いっぱいくちゅくちゅして……奥、とろとろに……んぁあっ!」 「は、あ……はあ、はあ……! 久我く、ん……んぁあっ! あ、ごめん、なさい……! ふ、あんっ!」 謝罪の言葉を口にしているのに、眠子の動きは止まらない。 それどころか、胸を揉む手を更に動かして指先で乳首を摘み始めた。 「は、んぁあっ! あ……胸、も……気持ちいぃ! ひ、あっ!」 「あっ! あ……ふぁ、ぁあっ! 身体、全部気持ち……くて、ヘンになっちゃ……あ、あ……ど、して! こんなぁっ!」 高ぶる気持ちを抑えられないように、眠子の動きは激しさを増す。 軽く動くだけだった指先は、いつの間にか秘部の奥に進んでいた。 そして、自ら中をかき回し愛液をかき出し、乳首を摘む指先の力を強くしている。 「は、あ、ああっ! こ、こんな気持ちいいの……あ、あっ! すごいぃ……ひ、んぁああっ!」 「久我くん……久我くん、好きぃ! 好き、いっぱい……ふぁあっ!」 奥まで進んだ指先を飲み込む秘部は、とろとろと愛液を増やして音を大きくする。 そして、刺激を受ける乳首は真っ赤になっていた。 「久我くん! わたし、こんな……あ、ああ、ふぁぁあぁぁっ!」 ベッドの上で痴態を晒す眠子に名前を呼ばれる度に心臓は高鳴り、興奮が増しているのがわかった。 黙って見ていていいのか? って気持ちがないわけじゃない。 でも、もっと見ていたいなんて思ってしまう自分もいる。 「は、ひぁあっ! 久我くんのにおい……いっぱいで、こんな……ドキドキして……止まらない、あっ!!」 「あ?? あ、ふぁあっ! ヘン……身体、なんか……あっ! 奥の方……は、ひぁぁあっ! あ、ああっ!」 絶頂が近付いているようだが、眠子はそれに気付いていない様子だった。 ただひたすら、愛液のあふれる秘部に指先を進ませ音を大きくし、乳首を摘んで刺激し続ける。 「は、ひ……ひあ、ああ、あっ! ふぁあ、あ……わ、たし……もう、あ……あ、奥が……あ、ふぁあっ!」 「ひ……ん! んぁああああっ!!!」 強く乳首を摘みあげ、指先を奥深くまで進ませた瞬間、眠子の身体がびくびくと大きく震えた。 そして悲鳴に近い声をあげながら、絶頂を迎えてしまう。 そのまま、眠子はぐったりと身体を倒れさせた。 「はあ、はあ……はあ、は……ふ、あ……」 「……眠子」 ベッドに寝転んだままの眠子に覆い被さり、そのまま間髪入れずに唇を塞ぐ。 「あ! あ……久我くん、久我く……んっ!」 見られていた事に気付いていなかった眠子は相当驚いたようだったが、相手が俺だと気付くとすぐに抱きついてきた。 そしてそのまま、自分から何度も唇を重ねてうっとりした表情を浮かべる。 「ん……んんっ。久我くん……」 「眠子……んっ」 「うん……ん、ちゅぅ……は、んぅ」 口付けを受け入れる眠子の表情は、どんどんとろんとし、元々力の抜けていた全身から更に力が抜ける。 その身体をしっかり抱きしめるようにしながら唇を何度も重ね、舌先を差し出して唇を開かせる。 「……あっ! あ、ふああ……」 「んんっ」 「あ……あ、ふう……っ。ん、ああ」 眠子は素直に唇を開き、その隙間から舌先を進ませた。 そのまま互いの舌を絡ませて音を立てて吸い上げると、抱きしめる身体が震えるのがわかった。 しっかり抱きしめたまま、何度も音を立てて舌先を吸い上げてキスを繰り返す。 「んっ! んぁあ、あ……ちゅ、ぁあ……あっ」 「眠子……」 「久我くん……んっ……あ、ふ、ふぁあっ」 何度も舌を絡ませて口付けてから、そっと唇を離す。 目の前にはうっとりした表情で頬を染める眠子の顔。 その頬を撫でると、眠子は嬉しそうに微笑んだ。 「嬉しい……久我くんがいる……。夢みたい……」 「ああ、そうかもな」 「ん?」 うっとりしていた眠子だったが、自分の手を見て慌てたような表情になる。 何故なら、その手には俺のパンツが握られていたからだ。 ……そういえば、そうだったな。 「あ、ああの! あの! こ、これはなんて言うか、ですね! あの、えっと!!」 「俺のパンツだな」 「そうだな。間違いなく俺のだ」 「あの! ついうっかり、ぱんつを見つけて、あの! あの!!」 「うっかりか……」 「べ、別に夢だから怒られないかも〜とか、そんな事を思ったわけじゃないです!!」 「そうか。夢だから、好き勝手していいと思ったんだな」 「ひあ! あ! そ、そうじゃないです!! す、好き勝手だなんて!」 どうも、パンツを持ってる言い訳をしているようだが、全く言い訳にすらなっていなかった。 それに、こうして慌てる姿を見ていると悪戯してやりたくなる。 というか……あんな姿を見てキスまでして、何もしないなんて選択肢はないよなぁ。 「眠子は悪い子だなあ」 「え!?」 「人の部屋に入ってパンツを勝手に取り出すんだもんな」 「こ、これは! あの! へ、部屋に落ちてたんです! 違います! か、勝手に出したんじゃ……」 「まだ言い訳するんだな。じゃあ、悪い子にはお仕置きだ」 眠子の身体を抱きしめたまま起き上がりベッドに座る。 そして背中を向けた状態で膝の上に眠子を座らせ、取り出した肉棒を一気に秘部へと突き立てた。 「……っ! ひ、んぁあああっ!!!」 「んっ……!」 「あ……あぁっ! 久我くん……んっ!!!」 突然秘部に挿入された肉棒の感触に眠子は驚き、膣内は何度もひくつき肉棒を締め付ける。 強い締め付けに思わず眉間にしわが寄るが、絶頂を迎えたばかりの膣内はねっとり肉棒を締め付け続けた。 「あ、ああっ! おっきぃ……んぁ、中……いっぱいにぃ!」 自分の指とは違う太さと大きさに、眠子は苦しそうに声を出す。 けれど、その声と締め付けが更に俺を刺激し興奮させていた。 しっかりと背後から抱きしめたまま、軽く腰を突き上げてみる。 「んぁあ! あ、ああっ! 奥、まで……! 届い……ひああっ!」 「ああ……んっ」 「ふぁあ、あっ! ひ、んぁああっ! あ、あっ!!」 軽い突き上げを繰り返すだけで眠子は声をあげ、身体を何度も震わせていた。 さっき一度絶頂を迎えたばかりだからか、眠子の身体はかなり敏感になっていた。 軽く腰を突き上げるだけで全身が震え、声も大きくなる。 「久我くん! んくぅ……んっぁあ! あ、身体、すごい……気持ちいぃ! ひ、ぁあっ!」 「そんなにいい?」 「うん! ん、んぅ! こ、こんな、なるの……ど、してぇ……!」 「そりゃ、さっきのせいだろ……んっ」 「さ、っき……ひ! んぁああっ!」 答えながらまた腰を突き上げる。 すると、やっぱり眠子の身体は大きく反応し、膣内で肉棒が強く締め付けられた。 膝の上で震える様子を見つめながら、耳元に唇を寄せる。 「なあ、眠子……」 「は、い! は、ああ、はあ……はあ、久我くん…?」 「さっき、なんで俺のパンツ嗅いでオナニーしてたんだ?」 「ふ、え……? お、なにー?」 「そう、オナニー」 「おなにーって……な、なんですか……」 腰の動きを止め、耳元で囁きながら聞いてみる。 だが、眠子はよくわかっていない様子で、とろんとした表情を浮かべたまま不思議そうに俺を振り返る。 もしかして、さっき自分がしてた事がなんなのか理解してないのか。 それはそれで、興奮するかもしれない……。 「久我くん……?」 「さっきひとりで弄ってただろ。あれはどうしてだ?」 「え、えっと……」 「ここ……自分で触ってただろ?」 「ひああっ! あ、あんっ!」 腰を突き上げながら聞いてみると、眠子はまた身体を反応させてこくこく頷く。 その姿があまりにも可愛くて、もっと悪戯したくなる。 けど、我慢して動きを止めて耳元でまた囁く。 「なんで? 俺に教えて」 「んん……そ、それは、あの……」 「うん。どうしてだ?」 「ぱんつの匂い、嗅いでたら……久我くんの事を思い出して、なんだかムズムズして……」 「それから?」 「前に触ってもらったのを思い出して……そしたら、いつの間にか自分で触ってて……」 「そうかあ。そしたら、あんな風に気持ちよくなっちゃったんだな」 「は、はい……そ、そうですぅ」 恥ずかしそうにしながら、それでもちゃんと答えてくれる。 もじもじしながら頬を染め、時々こちらに視線を向けて様子をうかがう姿はたまらなく可愛い。 こんな姿を見て、これ以上じっとしているなんて無理な話だ。 「あ、あの……久我く……ひあ! ぁあ、ああっ!!」 「んっ!」 「ああっ! や、んぁあ! ま、た……動いたら、わたしっ! ひあっ! あぁんっ!!」 しっかりと身体を抱きしめ、勢いよく腰を突き上げて肉棒を膣内深くまで届かせる。 突然の突き上げに眠子は驚き声を大きくし、また全身を震わせ始めた。 その身体目掛けて何度も大きく腰を突き上げ、膣内で肉棒を脈打たせてねっとりした肉壁を何度も擦る。 「ふ、んっぁああ! あ、あっ! 久我くんっ! あ、は、んぁ! 激し……ですぅっ!」 「眠子が可愛いから……っ!」 「ふ、え!? え、う……ふぁあぁ! そ、そんな事、言われたらわたしぃ……!!」 「ふ、うああっ! あ、また奥っ……気持ちいいっ! んん、んぁあ!」 腰を突き上げていると、眠子の胸が大きく揺れる。 その胸をじっと見つめ、手のひらを動かして鷲掴みにする。 「ふ、にゃぁああ! あ、ああっ!」 柔らかで大きな膨らみを確認するように手のひらを動かし、何度も胸を揉みしだく。 その刺激にも反応するように膣内はひくついた。 「ふああぁぁ! そんな、一緒にしちゃ……あ、んぁああっ!」 「一緒にしたらどうなるんだ?」 「ひっ……ああぁあっ! あ、ああっ! 気持ちよく……なっちゃう! あっ!」 「もう気持ちよくなってるだろ。ほら、こっちも」 「あ、ああっ!! そ、そうですけ……ど、あ、あふぁっ!」 さっき自分で乳首を摘んでいたのを思い出して、指先で軽く乳首を摘みあげてやった。 すると更に反応は大きくなり、膝の上でのけぞるように身体が跳ね上がる。 「こうするのがいいんだっけ……」 「ふ、ああっ! あ、ああっ! や、んっ! 胸、そんなの……気持ちいいっ」 「そうか。やっぱり、こうがいいんだな」 「ふぁあっ! は、はあっ……気持ちいいぃ! いっぱい、胸のとこぉ…あっ!」 胸を揉み乳首を摘みあげて扱くように指先を動かしたまま、腰を何度も突き上げる。 指先の動きと奥への突き上げに眠子は反応し、奥から愛液があふれ出してくるのが伝わってくる。 「気持ちいいのは胸だけか?」 「ひんっ! ん、んぅう……か、身体ぜんぶぅ……ふ、ああっ! 久我くん……!」 「全部か、わかった」 「ふあ! あ、あ……ふ、にゃああん!!! また、そんなの……激し……いっ!」 耳元で答えながら乳首を強く摘み、奥まで届かせた肉棒の先端で肉壁を擦る。 膣内は何度もひくつき、締め付けは更に強くなる。 その刺激を受けて肉棒は脈打ち、先走りがどんどんあふれた。 「はあ……ん、眠子……」 「久我くん……久我くん、好き……! 大好きぃ……あ、ふぁあっ! あ、わたし……あ、の……ん!」 何か言おうとするのをわざと遮るように大きく突き上げる。 すると、やっぱり眠子は驚き言葉を止めて身体を反応させた。 それが可愛くて、何度も何度も大きく腰を突き上げて、奥深い場所まで肉棒を届かせた。 「ふぁああ! あ、あぁっ! 奥、そんなにいっぱい……ひあ! あ、あ! 久我くん!!」 「ん? どうした……んっ」 「わ、わたし……キス、したい……」 「キスねえ……」 「ひゃ!」 視線をこちらに向けて見つめられるが、わざと意地悪に答えてうなじにキスをする。 一瞬驚き首を振る眠子だったが、そのまま何度もキスを続けると小さく身体を震わせる。 「んっ! あ、あぅ……ちが、うのにぃ」 「ん? ちゃんとキスしてるだろ」 「ひゃ! あ、ああっ! そ、そうじゃないです……あの、あの……」 「それに、ほら……んっ。キスしたら、眠子も気持ちいいだろ」 「ふ、あっ! あ、うん……ん! ちゅうって、あ、ああっ! 気持ちいい…あっ!」 うなじや肩、耳の裏に何度もキスして胸を揉み、乳首を摘む。 肉棒を突き上げなくても眠子は震え、膣内をひくつかせて反応する。 ねっとり絡みつくような感触を受け止めながら、また腰を突き上げてやる。 奥まで届いた瞬間に腰を引き、また突き上げてを繰り返すと、眠子の身体は敏感に震え続けた。 「はあ、は……あっ! あ、んぁああっ! あ、ああっ……久我く、ん! ん、んぁあ!」 「やっぱり、こういうのがいいんだな」 「ふぁあっ! あ、あっ! ち、違うの……あ! でも、あっ! ふああっ!」 本当は眠子がどうして欲しいのかわかってる。 でも、わざと気付かない振りをして、背後から口付けたまま腰を突き上げ胸を揉む。 そうすれば、眠子は余計に感じて答えられなくなる。 わかっていながらやるんだから、意地悪にもほどがある。 とは自分でも思うけど、眠子が可愛いんだから仕方ない。 「ひ、んぁあ! あ、あっ! 久我く、ん! 奥……ま、たいっぱい気持ちよくて……あ、ふぁあっ!」 「ん? いいよ、このまま……んっ!」 「ああっ! や、だぁ! また、身体…あ、ふぁあっ! んぁあ! あっ! 久我くんっ! んっ!」 震える身体をしっかり抱きしめ腰を突き上げる。 愛液のあふれる膣内深くへ肉棒を突き上げ、また引き抜いて突き上げ、先端で最奥を擦る。 ひくつく膣内で締め付けられ、肉棒は脈打ち刺激と興奮が増した。 「ま、たぁあ……! あ、ふぁあっ! や、んぅっ! わたし、また……あ、ああっ!」 「んっ……」 胸を鷲掴みにしながら身体を抱きしめ、勢いよく奥まで肉棒を届かせる。 瞬間、眠子の身体が大きく震えた。 「久我く、んっ! ふ……んぁあああっ!!!」 そして、眠子は大きな声をあげて二度目の絶頂を迎えた。 びくびく震える身体をしっかり支え、奥まで届かせた肉棒を膣内で脈動させる。 絶頂の締め付けに一緒に達してしまいそうになったが、ぐっと堪えて息を吐く。 「ふぁ、あ……あ、ああ……身体、またぁあ……」 「気持ち良かったか?」 「は、あ……はあ、あ……。ん、気持ちよかった……けど……」 「ん? どうした」 絶頂を迎えた身体をもじもじさせながら、眠子がちらちらこちらを見つめる。 まだ物足りないんだろうかと思ったが、どうやらそうではないらしい。 「わたし……キス、したかったです…」 「あー……」 そう言うと眠子は真っ赤になって視線をそらしてしまった。 その姿を見て、また可愛いと思ってしまう。 ……いや、そうじゃないよな。 そういえば、意地悪するだけして、ちゃんとキスはしていなかった。 ちょっと、悪い事をしたかもしれない。 「わかった。それじゃあ」 「あっ!」 つながったままの状態で眠子の身体を抱きあげ、ベッドに押し倒してキスをする。 「あ……んっ」 「ん……」 「ん、んっ……久我くん、久我くん……」 「うん……」 俺がキスをすると、眠子は嬉しそうに腕を絡めて抱きつき、自分からもキスをする。 互いの身体を寄せ合い、何度も唇を重ねる。 触れるだけの感触なのに、眠子は幸せそうな表情を浮かべていた。 そして、絶頂を迎えたばかりの膣内はそれに反応するようにまたひくつく。 「ん……ちゅう、気持ちいい……んっ」 「そればっかりだな……ん」 「んう……だって、本当に気持ちいい……んっ」 「わかった」 「ふぁ……あ、あんぅ……ん、ちゅぅ……ちゅ」 繰り返されるキスに全身が反応していた。 唇を重ねて、身体を抱きよせて……触れ合うだけなのに、興奮はまた高まる。 「ん……ん、あ……あ、あの、久我くん……」 「ん?」 「あ、あの、あの……わ、わたしだけしか、気持ちよく……なってないですよね?」 「あー。まあ、うん」 幸せそうにキスをしていた眠子だったが、膣内の感触に気付いたのか恥ずかしそうにこちらを見つめた。 確かにまだイッてないけど……改めて言われると照れくさい。 「あの……す、好きに動いて、いいです……」 「え……あ、いや。でも、そういうわけには」 「だ、だって、さっきはわたしがいっぱい気持ちよくなったから……久我くんにも気持ちよくなって欲しいです」 恥ずかしそうに、だけどはっきり俺を見つめたまま眠子が言った。 そのあまりのいじらしさ、可愛らしさに背中がぞくりと震える。 このままむちゃくちゃにしてしまいたくなりそうだ。 だけど、そういうわけにもいかない。 じっと見つめて頬を撫でると、眠子は不思議そうに俺を見つめた。 「久我くん…? わたし、ヘンな事言いましたか?」 「……ったく、お前は」 「え? え! だ、だって……あれ」 「……好きになんて言ったら、どうなるかわかってんのか?」 「あの……ど、どうなっちゃうんですか?」 「さあ、どうなるんだと思う?」 「え……あ、あんぅ!! んっ!」 またキスしながら、今度はゆっくり動いてみる。 肉棒の感触がわかるようにわざと焦らすようにゆっくり突き上げて、腰を引く時もゆっくりと。 動きに合わせて秘部の奥から愛液があふれ、ねっとりした感触と共に音が響く。 「ふ、ああ……あっ! あ、久我くんっ……」 「ん? 好きに動いていいんだろ」 「で、でも! でも、あの、こんなの…あ、ああっ!」 はっきりとわかる感触が恥ずかしいらしく、眠子は真っ赤になってしがみついて来た。 だから、わざとゆっくり動いたまま、唇や首筋、肩や鎖骨にもキスしていく。 「んんぅ……ん、ふぁあっ! あ、ああ……」 キスする度、眠子の表情がうっとりしたものになる。 その表情を見つめて思わず微笑み、また腰をゆっくり動かしていく。 「久我くん……久我くんは、ちゃんと気持ちいいですか……?」 「ああ、気持ちいいよ」 「あ、ふふ……良かった。また、わたしだけなのかもって、ちょっと思ったから」 「まあ……眠子が良くなってくれると俺も嬉しいんだけどな」 「え……!? あ、あっ!」 また唇にキスをしてから、ゆっくり上半身を動かす。 そのまま、今度は乳首にキスをすると眠子が驚いたように声をあげた。 「こっちもキスしたくなった……んっ」 「ふぁ! あ、ああっ……キス、いっぱいでわたし……!」 音を立ててキスをしてから乳首を咥えて吸い上げる。 わざと音を立てると眠子の頬が真っ赤になった。 そのまま何度か吸い上げてから乳首を離し、舌先を差し出して見せ付けるように舐めてみる。 「んっ……ん、さっきのとこっちと、どっちがいい?」 「あ、ふぁあ……は、あ……さ、さっきのも、今のも……気持ちいいですぅ……」 「ん、そっか。良かった」 「ひゃん! んぁああぁ!」 反応を確かめて笑みを浮かべ、また乳首を吸い上げてやる。 その間も腰を動かすのはやめず、何度も奥まで突き上げて膣内に刺激を与える。 「ふ、ぁあぁ! あ、あぅ……か、身体、ヘンになっちゃ……あ、ああっ!」 「う、あ……あんっ! ふ、にゃああっ! またいっぱい、気持ちい……く、んっ!」 乳首を吸い上げ口内で舐め回し、時々軽く甘噛みする。 刺激が変わる度に眠子の反応も変わり、それに合わせて肉棒も締め付けられ脈打つ。 何度も先端を奥まで届かせる度にねっとりとした感触に包み込まれ、先走りがあふれて止まる事がない。 「久我くん……あ、あんまり、ダメです……。また、いっぱい気持ちよくて、わたし……」 「いいって言ってるだろ。だから、もっと……んっ」 「は! んぁあ、あっ…! やあ、あ……また、全部、あ! 気持ちよく、あぁあっ!」 二度もイッてるせいか、眠子の反応はよくなるばかりだった。 キスをするだけで、軽く腰をつきあげるだけで全身を震わせ、そして嬉しそうにしがみついてくる。 「久我くん……久我くん…! ん、好き……好きです、好き! 好きぃ!」 「ああ、俺も眠子の事が……」 「うん…! ん、一緒! あ、ああっ! 嬉しい、わたし……いっぱい、久我くんが! あ、ふぁあっ!」 上半身を移動させ、震える身体をしっかり抱きしめて見つめる。 視線が重なった瞬間、互いに唇を求めるようにキスしていた。 そのまま愛液のあふれる膣内深くへと肉棒を突き上げ、包み込まれる感触に震える。 「はあ…はあ、はあ……眠子……っ」 「久我くぅ……う、ふぁあっ! こがく、ん……!」 「眠子……お前、ホント可愛い……んっ」 「嬉し……あっ! こんなに、いっぱいぃ…わたし、わたし…ふぁあっ! ああ、あっ!!」 互いの感触を確かめるように抱きしめあい、キスをする。 何度も何度も膣内深くまで突き上げる肉棒は与えられる感触に答えるように脈打ち続けていた。 限界が近付いているのがお互いにわかる。 だけどもっと感じたい、もっとこうしていたい。 「久我くん……久我くん、わたし……わたし、もう!」 「ああ、わかってる。俺も……も、すぐ……」 「ふ、あっ! あ、はあ……はあ、は……も、だめ、また! あ、ああっ!」 「んっ……眠子っ!!!」 しっかりと抱きしめ、勢いよく深い場所まで肉棒を突き上げる。 「ひ、あぁあっ! あ、もう……もう、わたしっ!! ふぁ、ぁああああっんっ!!!」 瞬間、眠子は大きく身体を震わせ、三度目の絶頂を迎えた。 そして、膣内で今まで以上に強く肉棒が締め付けられる。 「……っく!」 そのあまりに強い締め付けに耐え切れなかった。 しっかりと眠子を抱きしめて肉棒を突き上げたまま、全身が大きく震える。 「はあ、は……!」 「あ、ああ……あ……。中、いっぱい……久我くん…」 そのまま、膣内いっぱいに精液を吐き出す。 ぎゅっと強く身体を抱きしめると、眠子も力なく抱きついてくる。 互いの感触を受け止め、そのままもう一度キスをした。 なんだ? と疑問に思うけど、なんだかふわふわして幸せな気持ちだ……。 「久我くん……大好き……」 「ああ……」 「久我くん……」 眠子の声が心地いい。 それに、伝わる体温や重さも気持ちよく……て……。 ……眠子……。 はっと目が覚めると、そこにあったのは見慣れた部屋の天井だった。 少し顔を動かしてみるが、隣に眠子の姿はない。 ベッドの周りは昨晩寝た時と同じで、変わった様子は何もなかった。 起き上がって窓に目を向けると、カーテンの隙間から明るい日差しが入り込んでいた。 もう朝になっているらしい。 「はあ……」 思わずため息を吐き出し頭を抱える。 一体、あの夢はなんだったんだ……。 (疲れてんのかな……) それにしても、疲れてるからってあの夢はないだろう。 確かに眠子はパンツに執着していたが、流石にあの夢は失礼だ。 ちょっと、眠子に申し訳ない気がする。いかんなあ…。 「はあ」 もう一度ため息を吐き出し、時計に目をやる。 時間はいつもより少し早いが二度寝する余裕はなさそうだ。 顔を洗ってさっぱりすれば、気持ちも切り替わるだろう。 「よし……」 「……ん?」 立ち上がって洗面所に向かおうとベッドに手をつくと、何かが触れた。 なんだろうかと持ち上げて確認してみると、それは見覚えのある自分のパンツだ。 「…………」 これ……夢の中で眠子が持ってたやつと同じやつじゃ……。 しかも、周りをよく見ると床にもパンツが2枚あった。 もちろん、それも俺のパンツだ。 いや……ちょっと待て。 この2枚も、夢で見たパンツと同じじゃないか? 「なんで俺の……はっ!」 嫌な予感がして、慌てて自分のパンツを確認してみたが、ちゃんと穿いたままだ。 うっかり脱いだとかじゃなさそうだ。 「え……? ええ???」 じゃあ、なんでパンツが……まさかさっきのは……。 いやいやいや、そんなはずは……。 意識がはっきりしていた気はするし、身体もちょっとだるいような気もするけど、確かにあれは夢だ。 夢に違いない。 だって、たった今目覚めたばかりだし、ここに眠子はいない。 いや、でも……。 この全身に残っている気がする眠子のぬくもりや感触。 それに、ふわふわした幸せな気持ちはなんだ? 「本当に……夢だったのか……?」 授業が終わって放課後になると、いつものように図書館に向かう。 その途中、退屈そうな表情をしたもも先輩を見つけた。 とぼとぼ歩きながら、時々ため息をつく姿が少し気になる。 「もも先輩」 「あ、久我だ〜。どうしたの? 今日も図書館?」 「そうだけど……もも先輩なんかあった? どっか調子悪いとか?」 「え? そんなことないよぉ」 「でも、いやに元気がないみたいだから」 「あー。それはね、ふーき委員の仕事がないからぁ〜」 「あ……」 『蝕』も終わり、風紀委員の仕事は随分落ち着いているのだろう。 もも先輩はその頃、かなり忙しく飛び回っていたから、急に仕事がなくなったようなもんだ。 「だからねぇ〜。最近は毎日、何しようかな〜って考えてるの」 「で、何をしようか浮かびました?」 「全然〜。何していいかわかんないんだぁ」 「なるほど」 漠然と何をしていてもいいなんて言われると、難しいのかもしれないな。 まあ、俺だっていきなりすることがなくなって、自由に好きなことをしろって言われると困る気がする。 「おお〜。久我君に聖護院さんではないか」 「あ、学園長〜。こんにちは」 「どうも。学園長がこんなとこうろうろしてていいんですか? 仕事は?」 「学園長もですか……」 「この間までは、ピンチの連続で色々やることがあったんだがねえ。それも解決してしまうとヒマでヒマで……」 わざと大げさに言っているのか、それとも本当にヒマなのか、この人の場合は判断が難しい。 でも、もも先輩も手持ち無沙汰なところを見ると、本当に何もすることがないんだろう。 「つまり、ふたりは本来の仕事がなくなったから、毎日ヒマでやることもなく、ひたすらうろうろしていると」 「うん。そうなの〜」 「胸を張って言うことじゃないでしょ……」 「でも本当に何もすることがないんだよぉ」 「そうだとも。今じゃ夜に寝ないと時間が余って仕方がないのだよ」 「ん……寝ないと時間が余る……?」 変な言い方をするなと引っかかる。 ふたりはまるで、寝る時間を取っていなかったとでも言いそうな様子だ。 「なあ、今は夜に寝てるんでしょうけど、今までって夜はどうしてたんです?」 「夜? え? 夜にもお仕事だったよぉ」 「そうだとも。色々忙しかったからね」 「いや、そうじゃなくて。寝ないと普通は身体持たないだろ」 「え? なんで!?」 「簡単なことだ。魔力の足りているホムンクルスは特に寝る必要もないのだよ」 「ホムンクルス……あっそうか……」 リトに『作りものの魂』を一時的に入れてしまい、それを消しさった後。 俺は学園長たちから、ホムンクルスについて、一通り教わった。 そして実についでと言わんばかりに、学園長ともも先輩……彼女たちの正体も明かされたのだ。 「じゃあ、学園長たちにはラズリット・ブロッドストーンが入ってるから……」 「なるほど、そういうものなのか……」 ふたりは寝る必要がないから、この魔術だらけの学園の番人としてもうってつけだったってわけだ。 「まあヒマだと言い続けて仕事が増えるわけでもないので、何か新しい楽しみでも見つけなければね」 「そうですよねぇ〜」 「まあ、頑張って何か見つけてくれ。俺は今日も図書館で魔術書を読むよ」 「うむ! 君は頑張って勉強したまえ」 「いってらっしゃいですぅ〜」 「ああ、じゃあな」 ふたりと別れて、また歩き出す。 振り返ると、顔を突き合わせて何か話をしていたけど……ホムンクルスにとっての楽しみってなんなんだろうな。 「……うーん」 歩きながらふと思ったが……もしかして、リトも夜は寝ていないんだろうか? あのふたりが寝る必要がないなら、基本的にはホムンクルスであるリトも同じかもしれない……。 図書館に来ると、リトはいつもの場所にいた。 今日も勉強に来たと伝え、今の俺に必要そうな魔術書が置いてある場所に案内してもらう。 リトはいつもと変わらず、ただ静かで穏やかだ。 「なあ、リトっていつもここにいるけどさ……いつ寝てるんだ?」 「寝ていないわ。どうしてそんなことを聞くの?」 本を選ぶリトの姿を見つめながら、さっき浮かんだ疑問を口にしてみる。 するとリトは立ち止まり、俺をじっと見上げて小首を傾げる。 その表情はいつもと何も変わらないのに、俺の問いかけが理解できないと言っているように見えた。 「いや、なんか気になって……」 「魔力の足りているホムンクルスには、特に睡眠が必要がないから。眠ったことはないのよ」 「学園長とかも同じこと言ってた」 「あら。だったら知っていたんじゃない」 「だから、ちょっと気になったんだって」 リトは更に理解できないという顔をしたような気がした。 でも、気がするだけでやっぱりその表情はあまり変わっていない。 「なあ、もしかして今まで一度も寝たことないのか?」 「ええ、ないわ」 「一度も……?!」 「だって、必要のないことだから」 「まさか、ホムンクルスが寝られなかったとは……」 「それは違う」 俺の言葉を否定すると、リトはふるふると首を振った。 それから、いつもと変わらない表情でもう一度俺を見上げる。 「え? だって一度も寝たことないって」 「眠ったことがないだけ。眠れないわけではないわ。意味が違うの」 「あ、なるほどそういう……」 「じゃあ、寝てみればいいじゃん」 軽くそう言ってみると、リトは困ったような表情になった気がした。 それから、図書館の中をぐるりと見回して、もう一度俺を見上げる。 「私には、自分の部屋もベッドもないから、眠る場所がないの」 「あ……」 言われてみればその通りだった。 リトはいつも図書館のどこかにいたけれど、自分の部屋に戻ったのは見たことがない。 部屋も、ベッドも、用意されて無かったのなら。 確かにこの場所で試しに寝てみようとは思えないだろう。 「リトも寝てみたいとは思ってるんだよな?」 「ええ、一度くらいは」 「じゃあ、俺の部屋に泊まってみるか?」 「久我君の部屋に?」 「俺の部屋ならベッドがあるし、そこで一度寝てみたらいいんじゃないかと思って」 「それじゃ、決まりだな」 図書館での勉強を終わらせて部屋に戻ってから、少しだけ掃除をした。 リトは今日すぐに来ると言っていたから、なんだか少しソワソワして落ち着かない。 (落ち着け……落ち着け、俺……何も初めてじゃないんだし……) (いやリトはあの時のことは覚えてないはずだし……) 「……あ」 以前のことを思い出すと、余計に落ち着きがなくなるような気がした。 (なんで思い出すんだよ俺のバカ!) 「お邪魔します」 「お、おう……適当に入ってくれたらいいから」 「うん。ありがとう」 いつもと何も変わらず、平然とした様子でリトは部屋の中に入って来る。 でも、その手にはいつもの本と一緒に紙袋が持たれていた。 「リト。それ、何持ってるんだ?」 「これ……?」 小首を傾げながらリトが紙袋を持ち上げると、軽い音がした。 でも、中に何が入っているのか見当もつかない。 「久我君の部屋に泊まることを、九折坂二人に話したら『お泊りセット』を用意してくれた」 「何を考えてるんだあの人は……」 「何が入ってるかは聞いていないけれど、折角用意してもらったから持って来たの」 「ふうん……パジャマとかが入ってんのか」 「多分……中を見てみるわ」 「おお……」 「パジャマ……?」 紙袋の中からはもこもこの可愛いパジャマが出て来た。 学園長、もしかしていろいろ気をつかってくれているのだろうか。 「じゃあ、着替えるから」 「ちょっと!!!」 「……ん?」 リトはいきなり、躊躇なく制服を脱ごうとした。 慌ててその手を止めると、不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げながら見つめられる。 「あっち! あっちで着替えて! シャワールームの方!」 「どうして? 別にここでも……」 「俺が気にするから! あっち!」 「……そう」 不思議そうな表情を浮かべたままのリトの背中を押し、なんとかシャワールームに連れて行く。 パジャマも一緒に渡すと、リトはようやくそこで着替えるのだと納得してくれた。 「はあ……なんか、こっちが慌てるよな……」 シャワールームの扉越しに、リトの着替えの音が聞こえていた。 意識しすぎないように、慌ててベッドの方に移動した。 「着替えたけど……」 「あ……!」 しばらく待っていると、着替えを終わらせたリトが出て来た。 「結構似合うな……」 「そう? よくわからないわ」 「似合ってるって。よし、じゃ俺も寝る準備をすませちまうから……」 学園長に借りておいた寝袋を床に広げ、少ししわを伸ばす。 普段使ってないって言ってたけど、今晩寝るくらいならこれで充分だな。 「何をしているの?」 「何って、寝袋広げてるんだけど。俺、これで寝るから」 「どうして? ベッドはちゃんとあるんだから、それは必要ないと思うのだけど」 「いや、ベッドで寝るのはリトだから」 「何故? スペースはあるように見えるし、二人で一緒に寝ればいいと思うわ」 リトはまた不思議そうな顔をして小首を傾げる。 そんなリトの顔を見て俺は眉間にしわを寄せるしかできない。 「それでも一緒には寝ないの」 「どうして?」 「それは、だな……その……」 制服姿以外のリトを見るのは初めてなせいか、なんだか妙に落ち着かない。 それに、学園長が持たせてくれたというパジャマは可愛くて、リトにすごく似合っている。 似合っているのだが、そのせいで余計に緊張するというか……。 「久我君……どうしたの?」 「え!? え、何が?」 「なんだか、いつもと様子が違うから」 「いや、あの……リトのその格好が可愛いなと」 「そう? 気に入ったなら、着てもいいわよ」 「ちょっと!!!」 小首をかしげたリトは、そう答えるなりパジャマを脱ぎだそうとしてしまう。 そんな俺には構わず、リトはまた不思議そうな表情を浮かべた。 「いや、俺が着たいんじゃないから。だから、脱がなくていい」 「そうなの? それならいいけど」 「あのな、男ってのは好きな女の子がそんな格好して一緒に布団に寝てたら色々暴走するものなの」 「色々暴走……」 そっと『好きな』という言葉を混ぜてみたが、リトは無反応だった。 (まあ、別にそれはいいんだよ……わかってたことだ……それより現実問題として!) 「そう! 暴走する! だから、別々に寝るの」 「だったら、暴走しないように今ここで性行為をすませてしまえばいいんじゃないかしら」 「……?!」 思いがけない発言に何も言い返せなくなり、思わず固まってしまう。 そんな俺をじっと見つめるリトの顔は、まるでなんでもないことを言っているようにちっとも変わらない。 「だってあなたと私は、性行為をしたことがあるのでしょう?」 「?!??!」 しれっととんでもない発言をするリトに、固まってしまう。 リトは、いつも胸に抱いている本を少し掲げた。 「そういう記録が、この本の中に残っていたわ。記憶はないけれど、自分で書き込んだものかどうかくらいは、わかるもの」 「そ……それは……」 「だから、あなたがしたいのなら、いいわよ」 「う、うん……いや……」 本当にいいんだろうかと迷い続けている俺を、リトはいつもと変わらない顔で見つめ続けている。 (本当は……) (本当はあの時からずっと、君に触れたかった) それだけ考えると、ついに理性が崩れ落ちた。 「じゃあ、あの……素股にしよう」 「……? あなたがそれでいいなら」 「そういうことをするのなら……脱がなければいけないわよね」 「え! あ、待った待った」 またリトがパジャマを脱ごうとしたので慌ててそれを止めると、パジャマのチャックが中途半端に下がったままで胸が見える。 それに俺がドキドキしていても、リトは不思議そうな顔をしたままだ。 「どうしたの?」 「いや、それは可愛いからそのまま着てて欲しい」 「そうなの? じゃあ、このままにしておくわ」 「だから、こっちだけ……」 「……うん」 「ちょっと、じっとしてて」 「わかったわ」 じっとしているリトの背後に立ち、パジャマの下と下着だけをゆっくり脱がしていく。 言われた通りじっとしたままのリトは、パジャマを脱がされても気にした様子がない。 「このまま、じっとしていればいいの?」 「ああ……えっと、しばらくそのまま」 「ええ」 目の前でリトの白い肌が晒されている。 白くて柔らかそうなお尻を見ていると、それだけで興奮してくる。 思わず唾を飲み込むと、想像以上に大きな音が出た気がして少し慌てる。 「久我君……? これから、どうするの?」 「え! あ、ああ、えっと……」 改めて聞かれると照れくさくなるけど、このままリトを見ているだけで満足できるわけがない。 そっと自分のズボンと下着をずらしてリトに腰を近付ける。 「ん……」 軽く反応している肉棒を、リトの太ももで挟んでもらう。 柔らかい感触に背中が震え、肉棒の反応はすぐに大きくなってしまう。 「はあ……」 「ん……前にしたことと、違うような気がする……」 「だから、あの……今日は素股だけ」 「これがそう?」 「……はい」 聞かれたことに頷くだけで恥ずかしい。 でも、ベッドの中で妙な気持ちにならないためだ……リトもいいって言ってくれたし……。 「じゃあ……」 「あ……あ、あ……」 リトの身体をしっかり支え、ゆっくり腰を動かし始める。 太ももに挟まれた肉棒はそれだけで小さく脈打ち、たまらなく恥ずかしい気持ちになってしまう。 でも、伝わる感触が気持ちよくて、腰を動かすのが止められない。 「……ヘンな感じ」 「ん……ごめん……」 「どうして謝るの?」 「いや、なんとなく……」 「……っん!」 ゆっくり腰を動かし肉棒を刺激させ、時々角度を変えて先端でリトの秘部をなぞるようにしてみる。 すると、リトは身体を小さく震わせて反応を見せる。 その小さな声と反応がなんだか嬉しくて、何度も腰を揺らしてはリトの秘部を刺激してみる。 「あ……あ、んっ」 「ん……嫌? だったら、やめるけど……」 「いやじゃないわ……平気……」 「じゃあ、まだこのまま」 「ええ……あ、んっ」 腰を動かし肉棒を脈打たせ、リトの秘部を何度も擦る。 次第に感じ始めたのかリトは甘い声を漏らし、そして秘部も濡れ始めてくる。 「はぁ……は、あ……あっ……」 濡れた秘部を肉棒の先端で軽く擦ると、愛液のあふれる音が小さく響く。 その音と伝わる感触、漏れるリトの声に興奮がどんどん増していく。 「リト……」 「ふぁ、あ……あ、気持ち、いい……」 「うん。俺も……」 「ん……一緒なのね……」 囁くように答える声に頷き、首筋にそっとキスをするとリトが震えた。 その反応が嬉しくて、もっともっとしたくなる。 腰を揺らして肉棒を刺激したまま、手を動かしパジャマの隙間から手を入れてそっと胸を揉んでみる。 「あ……そっち、も……!」 「だめ? 触りたくなったから」 「ううん、いい……したいこと、して、いいから」 「ありがとう」 胸を揉んだまま腰を動かし、太ももの柔らかな感触と、濡れてひくついている秘部の感触を楽しむ。 どこもかしこも柔らかくて、気持ちよくて、全身いっぱいにリトを感じているようで、妙な嬉しさがこみ上げてくる。 「はあ……」 「ん、ん……びくびくって、熱い……」 「ごめん……気持ちいいから……」 「うん……んん、ん、あ……っ」 リトの息が荒くなり、漏れる声も多くなる。 いつもと違う表情でいつもと違う声を出すリトの姿と、伝わる感触にたまらない気持ちになっていた。 もっと感じたい、もっとリトに触れたい、それだけでいっぱいになってしまう。 「……はあ、あ……」 「もっと……いい、から……あぁ」 「ああ……もっとしたい……」 まるで気持ちを見透かすような言葉に頷き、リトの身体をまさぐるように何度も撫でる。 手のひらにおさまる胸を揉みながら乳首を摘み、その間も、腰を動かし肉棒を太ももの隙間から出入りさせるのを止めない。 刺激を受ける肉棒の先端からは透明な液体があふれ、愛液と交じり合ってリトの太ももをいやらしく濡らしていた。 「あ……んっ! ふぁああ、あ……!」 小さく身体を震わせながら、いつの間にかリトも腰を揺らしていた。 もっととおねだりしているようなその動きに合わせ、腰を揺らして肉棒で秘部を擦る。 濡れてひくつく感触に息を漏らし、じっとリトを見つめる。 すると、視線に気付いたようにリトも俺を見つめた。 「久我……くん……」 「うん……ん……っ!」 少し潤んだ瞳で見つめられ、名前を呼ばれるだけで心臓の鼓動が早くなってしまう。 「ど、しよ……身体、奥熱くて……あ、ああ……」 「ごめ……ん、もう……俺もヤバイ……」 「え……あっ! あ、あっ!」 リトの表情と声、その両方に刺激されて我慢できなくなる。 しっかりと身体を抱きしめ、今まで以上に大きく腰を揺らして肉棒を動かした。 「あ、ああっ! あ、んんっ……!」 「……ん!」 濡れた秘部に何度も肉棒を擦り付け、いやらしく音を響かせる。 俺の動きに合わせてリトも声を漏らす。 震えるリトを抱きしめ何度目か腰を揺らした瞬間、耐え切れずに互いの身体が大きく震えた。 「あ、あぁあ……!!」 「……くっ!」 びくりと震えた肉棒から精液が飛び散り、リトの着ているパジャマや太ももをどろどろに汚していく。 リトも同じように絶頂を迎え、全身を震わせながら甘い吐息を漏らしていた。 「はあ……はあ……」 「は、あ……」 どろどろになった太ももに挟まれている肉棒はまだ物足りなげに脈打っている。 どうすればいいだろうと思っていると、リトもまた物足りないのか腰を揺らして俺を見つめる。 そんな表情を見つめていると、これだけで我慢なんて無理だと思ってしまう。 「ごめん、リト……もう一回」 「うん……いいわよ」 「じゃあ……」 そのままの状態でまた腰を揺らそうとすると、リトはふるふると首を振った。 「リト、どうした?」 「前と同じのがいい……」 「え、前と同じって」 「だめかしら……あれがいい。とても、心地よかったと、書いてあったから」 こんな格好で小首を傾げながら見つめられ、ダメだなんて言えるわけがなかった。 それに、俺ももう一度、リトの中を感じたいと思っていた。 「わかったよ。じゃあ、このまま……」 「あ、ああ……っ」 背後からリトの本を持っていない方の片腕を引き、濡れた秘部に肉棒を擦り寄せる。 軽く擦り付けるだけで秘部はまたひくつき、奥からは愛液がどろどろあふれてくる。 その愛液を押し返すように、秘部の中へゆっくり肉棒を進ませていく。 「……んっ! ん、あ……」 奥に進んで行く度、肉棒はねっとり強く締め付けられ愛液が絡み付く。 けど、リトは少し辛そうで、このまま動くのが不安になる。 「大丈夫か……?」 「んん……わからない……」 「悪い……」 首を振りながら答える姿に罪悪感がこみ上げる。 けど、同時に辛そうなリトの表情に興奮もし、ゆっくりだが何度も腰を動かす。 「あ……あ、んっ! んっ……」 腰を動かすとリトはまた辛そうに声を漏らす。 秘部の中も、まるで肉棒を拒絶するような締め付けで、思わず動くのを我慢して、リトの様子をうかがう。 するとリトも俺を見つめて瞳を潤ませていた。 「平気か? 無理そうだったら……」 「大丈夫……平気……」 どう見ても大丈夫そうには見えず、動かずじっとしながらリトの肌を撫でる。 すべすべした白い肌の感触に興奮は高まり、思わずそのまま動いてしまいたくなる。 「本当に? 無理してるんじゃないのか」 「ううん。していないわ」 「そっか……」 大丈夫だと言われても不安になる。 気遣いながら少し動いてみると、リトは小さく息を漏らして身体を大きく震わせた。 それに驚き、また動きを止めてしまう。 「あ……あ、あっ……」 「本当に平気なんだよな?」 「ん……大丈夫」 「じゃあ、動いてもいいか」 「動いていい……」 「わかった」 「は……んっ! ん、ああぁ……!」 ゆっくり腰を動かし、秘部から肉棒を出入りさせる。 さっきの素股も気持ちよかったけど、秘部の中の感触はそれ以上だった。 すぐにでも激しく動いて、もっとその感触を味わいたいと思うけど、あの辛そうな顔を思い出すと動けない。 だから、リトを気遣いながら、ゆっくり動き続ける。 「はあ……は、あ……はぁ、はぁ……」 ゆっくりした動きでも、リトは甘い声を漏らしながら身体を反応させる。 肉棒が奥まで届くと締め付けは強くなり、先端で奥の深い場所を擦ると愛液が更に増える。 「あ、んっ……ん、んぁあ……!」 少しずつでも反応してくれるリトが嬉しくて、何度も何度も肉棒を奥へ届かせる。 ぎりぎりまで引き抜き、一気に奥まで届かせ、角度を変えて先端で肉壁を擦るようにする。 「あ……んっ! そ、れ……気持ちいい……」 「どれ……? んっ」 「ふ、あ……あ、あっ!」 リトの反応に気をよくし、何度も腰を突き上げ奥深くへと肉棒を届かせる。 突き上げられる度にリトは全身を震わせて肉棒を締め付け、愛液を増やしては秘部からいやらしい音が立つ。 「どこがいい? 教えて」 「あ、はあ……はあ……奥、がいい…んっ!」 「もっと奥か……」 「ひ、ぁあっ! あ、ああっ!」 リトに言われるまま、奥へと何度も肉棒を届かせてやる。 奥へ届くと締め付けはまた強くなり、肉棒は脈打ちまた先端から薄い液体があふれる。 その汁を擦り付けるように先端を動かし、深い部分を刺激させるとリトはまた大きく反応した。 「あ! あ、あっ! そこ! それ……好き、あっ!」 「わかった……ここ、な……」 「は、んぁあ……あ、あっ! そう、あ……んっ!」 何度も奥を擦り、液体と液体を交わらせる。 大きくなったリトの反応は止まらず、何度も震えながら肉棒を締め付け続けていた。 たまらない刺激と反応に、腰の動きが止められなかった。 いやらしい音が響き、強く締め付けてくる秘部へ肉棒を何度も出し入れさせ、その奥を刺激する。 「あ……あ、ふぁ、あっ! ん、んんっ!」 「はあ……リト……!」 「ん……ん、ぁあ! あ……はぁ、は……」 不自由な体勢ながら、それでもリトは快感を求めようとしているのか自ら腰を揺らしていた。 もっと奥まで欲しがっているのかと、更に腰を突き上げて肉棒を深くまで届かせる。 「……んっ! ん、ぁあ……あ、はぁ……はあ」 「もっと……?」 「ん……もっと、きて……」 「わかった……もっと」 「は! ひぁ、あ、ぁあ……あっ……!」 何度も角度を変えて突き上げ、肉棒の先端で秘部を擦る。 愛液はまた更にあふれ、秘部はひくつき肉棒を締め付け続けていた。 たまらない感触に呼吸は荒くなり、腰の動きはどんどん早くなっていく。 「はあ、はあ……は、あぁ……あ、あっ」 「……んっ」 「あなたも……気持ちいい? 一緒?」 「ああ、リトと一緒だ」 「そう……よかった……」 嬉しそうにそう言うリトに全身が大きく反応してしまう。 もっと一緒に、もっとひとつになりたいという思いが大きくなる。 その思いをそのままリトにぶつけるように、また深くへと肉棒を届かせて全身を揺らす。 「ふぁあっ! あ、あぁ……奥、いっぱい……んっ」 「ん……もっと、奥まで……リト……!」 「ん、んっ……んぁあ! あ……!」 全身を揺らされるリトがびくびく震える。 その身体をしっかり支えながら、濡れた秘部へ何度も肉棒を突き上げていく。 「は、ああっ……あ、はあ、は……あ、あっ」 「リト……んっ……」 あふれる愛液をかき回し、ひくつく秘部を肉棒で刺激する。 揺さぶられる背中を見つめていると、胸の奥からリトを思う気持ちがこみ上げてくるようだった。 そのまま、上半身を軽く動かして首筋にちゅっと軽く口付けると、それにも反応してリトが声を出す。 「ふぁあ……あ、あっ! あ、んっ」 「ん……これも、好き?」 「ん、んっ……好き、だから……もっと」 「ああ、わかった。もっと……んっ」 何度も首の後ろに口付け、その間も腰を動かして肉棒を出し入れし続ける。 秘部をかき回し、愛液の音をいやらしく立てる度、肉棒は強く締め付けられた。 それはまるで、今すぐにでも中に出してくれとおねだりされているようだ。 気のせいだとわかっているのに、また大きく腰を突き上げ、肉棒を深い部分へ辿り着かせて、先端で肉壁を擦る。 「あ……あ! 奥、熱くて、あ……ふ、ぁあっ!」 「俺も……」 「はあ、はぁ……あ、もう…あ、んぅ! んっ」 深い場所まで肉棒を届かせ愛液を何度もかき回し、秘部の奥深くをまた大きく突き上げた瞬間、リトが背中を仰け反らせる。 「あ……あ、ひぁ、ああっぁ!!」 そのまま、リトはビクッと大きく全身を震わせ、声をあげながら絶頂を迎える。 瞬間、秘部の奥まで届かせた肉棒が今まで以上に強く締め付けられる。 その締め付けに耐えられず、奥に届かせたままの肉棒を大きく脈動させた。 「……っ!」 「は……ん、んんっ……」 そのまま、リトの中いっぱいに精液を吐き出し全てを注ぎ込む。 けれど、おさまり切らなかった精液は秘部からあふれ出し、リトの身体をどろどろと汚していった。 「はあ…はあ……」 「ホント、ごめん……」 「謝ることじゃないのに」 「でも……いや、うん。ありがとう」 小さく礼を伝えると、リトが少しだけ微笑んだ気がした。 「………ごめん……」 行為を終わらせてふとパジャマを見ると、精液がついて汚れているのに気が付いた。 おそらく、素股の時にでも俺が汚したんだろう……。 「パジャマ……」 「汚れちゃってるわね」 「……折角、学園長が貸してくれたのにな」 「いいわ、裸で寝るから。そういう格好で眠る人もいると、本に書いてあったもの」 「そ、それは絶対ダメ! やめてくれ」 「どうして?」 「いや、その……またしたくなったらヤバイから」 「……別にいいのに」 「いや、リトが良くても俺がダメだから……」 「……そう?」 「そうなの」 何とか言いくるめて、もう一度制服を着たリトと一緒にベッドに入り、隣同士に並んで寝転ぶ。 狭いベッドの上だから、勿論肌は触れるし、少し横を向けばリトの顔が間近にある。 この距離に緊張はするけど、服も着てもらったことだし、さっきしたばかりだからこれ以上何かしようって気は起こらない……かも。 「ほら……あらかじめしておけば、暴走することもないわ」 「うーん……そうだけど、いいのかなあ……」 「いいのよ」 「あのな、リト……」 「何? なにかおかしなことを言った?」 あまりにもはっきり答えるリトに、思わず眉間にしわを寄せる。 こんなリトを放置しておくと、とんでもないことになりそうな気がしてならない。 「こんなこと言うのもなんだけど、他の奴とああいうことはしちゃダメだからな」 「わかっているわ。だって、あれは特別な人とすることですもの」 「……う、うん。まあ、そうだけど」 少しドキっとしてしまったけど、意味をわかって言ってるのか怪しい感じがする……。 「ふふ……寝ないの?」 「……寝る」 「初めての経験だわ……確か眠る前にも挨拶があるのよね」 「ああ、そうだよ。おやすみ、リト……」 「初めての挨拶ね……おやすみなさい……」 おやすみを言いながら手を握ると、少し嬉しそうな様子で返事をしたリトが、指先を絡めて手を握り返してくれた。 その温かくて柔らかい感触を確かめ、離さないようにと思いながら、もう一度リトの手を強く握った。 「ん……ん、んぅ」 「ん、ちゅぅ……ちゅ、んっ……」 「は、ああ……あ、あんぅ、スミちゃん……」 「うん、んっ。ヒメちゃん……んっ……」 柔らかな唇の感触が伝わり合う。 スミちゃんの唇と触れ合って、舌が絡み合って、伝わる感触すべてが気持ちよくてたまらない。 「んんっ……もっと、ちゅうって…んっ、んぅ」 「あ、あっ! はあ、は……スミちゃん、ん」 「んう……は、んむ……」 「ん、ちゅっ……ちゅう、は、んぅ」 「ヒメちゃん……んっ」 名前を呼ばれてぼんやりし、一旦唇を離す。 目の前のスミちゃんも同じようにぼんやりしていて、見つめているともう一度口付けたくなってしまう。 (頭が、ぼーっとする……でも、どうしてこんなことに……) (確か、良い香りのアロマを手に入れたからとスミちゃんが私を誘ってくれて……) 「お疲れー」 宝物庫に変わった様子はなく、今日の夜は特に何も起こらないだろうという判断になった。 おかげで今日は早めに部屋に帰れることになった。 「じゃーオレも帰るわ。春霞もちゃんと戻れよ」 「鍵を使えばすぐだもん! しーちゃん、またねー」 「はいはい。じゃあな」 「じゃあ行こっか、ヒメちゃん」 「ああ、そうしよう」 「ん?」 みんなそれぞれ部屋に戻る中、鍔姫ちゃんとスミちゃんが一緒にどこかに行くようだった。 「ふたりとも、こんな時間からどこかに行くのか?」 「私の部屋だよ。ハイジちゃんにお願いして、アロマオイルを調合してもらったの」 「明日は学園がお休みだから、ヒメちゃんとふたりでアロマを炊いてお泊り会するんだ〜」 「スミちゃんが誘ってくれたので、お邪魔させてもらう事にしたんだ」 「へえ、なんか楽しそうだな」 スミちゃんも鍔姫ちゃんも楽しそうだった。 女の子同士ならではの楽しみって感じで、なんだか微笑ましい。 「じゃあ、みーくんも一緒にお泊り会する?」 「す、スミちゃん!!」 スミちゃんの突然の爆弾発言に思わず大きな声が出た。 でも、驚いたのは俺だけじゃなかったらしい。 鍔姫ちゃんも驚き少し顔を赤くしている。 「さ、さすがにそれはちょっと……お泊り会は女子だけで楽しんだ方がいい!!」 「そーお?」 「ああ、そうだ。なあ、鍔姫ちゃん!」 「そ、そうだな! うん、そうだ!」 「そっかー。じゃあ、みーくんが来る時はしーちゃんやみんなも呼んで、大人数だね」 「ああ、そうだな」 それって、いつもここにいるのと何も変わらない気がするけどな……。 「それじゃあ、私とヒメちゃんも行くね。ばいばーい」 「ではまた。おやすみ、みーくん」 「ああ、おやすみ」 俺が手を振っている間に、スミちゃんはヤヌスの鍵を取り出して部屋へと帰って行った。 「俺も帰って寝るかあ……ふあ〜っ」 「ヒメちゃん、座って待っててねー」 「ああ、わかった」 スミちゃんは部屋に戻るとさっそく小さな箱を取り出し、中からアロマの入った小さな瓶を出した。 嬉しそうにウキウキしている様子を見ていると、私まで自然と笑顔になってしまう。 「うわあ! これ、瓶も可愛いよ!」 「本当だ、可愛い! 香りも楽しみだ」 「ハイジちゃんにはね、私のイメージに合う香りでってお願いしたの」 「へえ……スミちゃんの。それなら、とてもいい香りになる気がする」 「えへへ、そうかなあ。そうだといいなあ」 「見てみてー! このために、アロマポットも新しく買ったんだよ!」 「スミちゃんが買いに行ったのか?」 「ううん。メモを渡して、しーちゃんに買って来てもらったの」 「そうか、村雲が……」 ウキウキした様子のスミちゃんはアロマポットを用意して準備を整える。 火を灯して上皿に軽く水を張って、後はオイルを垂らすだけだ。 でも、スミちゃんの手はそこで止まってしまった。 「どうしたんだ?」 「んー。どのくらいオイルを垂らせばいいのかなあって」 「なるほど。普通なら数滴で十分だと思うのだが……」 「す、スミちゃんそんなに入れて大丈夫なのか!?」 「そ、そういうものなんだろうか」 だが、アーデルハイトさんが調合してくれたとさっきスミちゃんは言っていた。 もしかしたら、魔法の効果があるかもしれない気が…。 「あ! いい香りがしてきたよ」 「あ……確かに」 大丈夫なのだろうかと不安に思っていたが、部屋の中にはとても甘く、そして優しい香りが漂ってきた。 スミちゃんは瓶を置いて香りを楽しむように鼻を動かす。 「すごーい。こんなにいい香り初めて!」 「そうだな。私も初めてだ……それに、スミちゃんにぴったりな香りだと思う」 「うふふふ。本当? 私ってこんなイメージなんだ。嬉しいなあ〜」 「あ! ヒメちゃん、お茶をいれるね。今晩はふたりでいっぱい話そう」 「ああ」 スミちゃんはすぐにお茶を用意してくれた。 部屋に漂う甘い香りとお茶の美味しさに、心がとても穏やかになるようだった。 「みーくんも来ればよかったのにね〜。そしたら、もーっと楽しそうだったのにな」 「ふふふ。でも、女の子に挟まれると緊張するんじゃないのか」 「えー。みーくん、その程度で緊張しない気がする」 「そうだろうか」 でも、スミちゃんが言うように、この場にみーくんがいるのも楽しかったかもしれない。 (スミちゃんがいてみーくんがいて、3人で一緒に……) そんな風に考えていると、なんだか頭と目の前がふらふらしてくるような気がした。 もしかしたら、疲れのせいで眠くなっているんだろうか。 でも……いつも、もう少し遅くまで起きているし……。 ぼんやりした頭で考えていると、目の前でカップが倒れる音がした。 慌てて顔をあげると机の上にカップを倒して紅茶をこぼしてしまっていた。 「ヒメちゃん、大丈夫?」 「あ、ああ……すまない、大丈夫だ。少しこぼしただけで、制服は濡れていないから」 「スミちゃん、申し訳ないがキッチンからタオルを借りるよ」 「うん、わかった。一緒に行かなくて平気?」 「大丈夫だよ。ありがとう」 席を立ってキッチンに向かい、タオルを探す。 (風紀委員長の代理業務も慣れて来たと思っていたが……やはり疲れているのだろうか……) そんなことを考えていると、頭の中がまたぼうっとしてしまいそうだった。 いつもはこんなことはないのに……。 「ふう……」 スミちゃんに誘われて嬉しかったが、遅くまでおしゃべりをするのは無理かもしれない。 こんなに頭がぼんやりするなんて思わなかった。 (スミちゃんには申し訳ないが、お茶を飲んだら休ませてもらった方が心配もかけないだろう) 「っ!?」 そう思っていると、スミちゃんのいる方から大きな音が聞こえてきた。 途端に頭が冴え、音の方へと走り出していた。 「スミちゃん! どうしたんだ!?」 「んんぅ……ヒメちゃん……」 戻ってみると、スミちゃんが床の上に倒れていた。 慌てて抱きあげて見つめると、頬が少し赤い気がした。 「ヒメちゃん……」 「具合が悪いのか? ……! もしかして、さっきのアロマオイルが」 「えへへ……ヒメちゃんの抱っこだあ……」 「……?」 意識はあるようだけど、スミちゃんはどこかふわふわしているように見えた。 それに、頬を赤くした表情はなんだか少し緩い。 「スミちゃん、とりあえずベッドに……」 「ヒメちゃぁ〜ん」 どうしたらいいのだろうと思っていると、スミちゃんが突然私に抱きついた。 驚きのあまり、そのまま後ろに手をつくように倒れかける。 「……!?」 瞬間、指先に何かが当たった。 視線を向けると、さっきスミちゃんが持っていたアロマオイルの入っていた箱があった。 「ヒメちゃん〜。ヒメちゃん、うふふ〜」 「す、スミちゃん、ちょっと待って……」 「う、うん。それは、いいから……」 嬉しそうに抱きつかれると、なんだか頭がくらくらする。 それに、甘い香りがさっきよりも強くなっているような……。 「そ、それどころじゃない……!」 慌てて首を振り箱を拾い上げると、中から一枚の紙が落ちて来た。 「さっきの説明書……? ちゃんと入っていたのか」 「ヒメちゃ〜ん。ヒメちゃんぎゅうして〜」 「………」 部屋に漂う甘い香り、さっきからふらふらする頭、いつもと違うスミちゃん。 全部が合わさって、なんだかとても嫌な予感がした。 「ま、まさか……!」 嫌な予感がしてその説明書を広げると、そこには成分等が細かく記されていた。 そして、その一番下にはアーデルハイトさん自筆の注意書きがあった。 「甘い香りを出すために、少し興奮作用のある薬草を配合しています」 「効果の強い薬草ですので、アロマは少量ずつ炊くようにしてください」 「アーデルハイト・リッター・フォン・ヴァインベルガー」 「は……そういえば、さっき……」 「んー。どのくらいオイルを垂らせばいいのかなあって」 「なるほど。普通なら数滴で十分だと思うのだが……」 「す、スミちゃんそんなに入れて大丈夫なのか!?」 「えへへ〜、ヒメちゃん〜」 「ス、スミちゃんんんんん!!!!」 一瞬でこの状況と原因が理解できた。 つまり、アロマオイルを大量に使ってしまったせいだ。 「こ、これはどうすればいいのか……ひとまずオイルを炊いている蝋燭を消さなければ」 「ヒメちゃん……」 「え?」 立ち上がろうとした瞬間、スミちゃんが腕の中で身じろぎした。 驚き動きを止めると、スミちゃんの手がすっと動いて私の手を握る。 「ヒメちゃん……大好き」 「ん……」 「んんっ」 スミちゃんの身体が動いたと思った瞬間、顔が近付き唇が重なり合っていた。 触れ合うだけの優しい感触。 それだけなのに、全身が大きく震えた気がした。 「ちゅ……ちゅ、んぅ……んっ」 「あ……ん、んっ!」 何度も何度も、スミちゃんの唇が私の唇に触れる。 柔らかな感触が伝わる度に、頭の中がどんどんクラクラし始める。 こんなのだめなはずなのに……。 「んんぅ……ん、ヒメちゃん……」 「あっ!」 「ん、ちゅぅ……」 驚き身体を動かせずにいると、スミちゃんが私の唇を舐めた。 今までと違う感触に思わず声をあげると、唇の隙間から舌先が進んで来た。 「あんっ!」 「ん、ふぁあ……はあ、は……んっ」 「んっ! ん、ぁあ……」 ねっとりした感触が口内に進んで行く。 何度も唇が重なり合って、口内を舐め回されて……。 (頭が……どんどん……) スミちゃんの感触と吐息、それに部屋に充満するこの香り。 なんだか、全部が私の身体を刺激しているような気がした。 もう、何がなんだかわからない。 「ん……ん、スミ、ちゃん……」 「あ……ヒメちゃん……!」 ゆっくりと舌を動かし、口内にあるスミちゃんの舌と絡ませる。 すると、スミちゃんが嬉しそうに口付けてくれて、絡ませた舌先が動き出した。 「ん……ん、んぅ」 「ん、ちゅぅ……ちゅ、んっ……」 「は、ああ……あ、あんぅ、スミちゃん……」 「うん、んっ。ヒメちゃん……んっ……」 柔らかな唇の感触が伝わり合う。 スミちゃんの唇と触れ合って、舌が絡み合って、伝わる感触すべてが気持ちよくてたまらない。 「んんっ……もっと、ちゅうって…んっ、んぅ」 「あ、あっ! はあ、は……スミちゃん、ん」 「んう……は、んむ……」 「ん、ちゅっ……ちゅう、は、んぅ」 「ヒメちゃん……んっ」 名前を呼ばれてぼんやりし、一旦唇を離す。 目の前のヒメちゃんも同じようにぼんやりしていて、見つめているともう一度口付けたくなってしまう。 「ん、んっ……はあ、は……んっ」 「あっ! あ、ふぁ……あん」 ぼんやりした考えを振り払うように、スミちゃんが強く舌先を吸い上げた。 その刺激に全身が震え、さっきまでの考えはすぐにどこかに飛んで行ってしまう。 そんな事を考えるより、今はもっとスミちゃんとこうしたい。 「ヒメちゃん……ん、好き、好きよ」 「ああ……ん、私もスミちゃんが」 「うん。一緒だね……ちゅ、んっ、嬉しい」 また何度も何度も口付けを繰り返す。 伝わるこの柔らかな感触を離したくはないのに、スミちゃんが不意に唇を離した。 「スミちゃん……?」 「ヒメちゃん、私もっとキスしたい。ねえ……もっとしよう?」 「スミちゃん……私は……」 「ねえ、ダメ? ヒメちゃんとキスがしたいの……」 目の前でスミちゃんの大きな瞳が潤んでいた。 そんな目をされると、胸が痛くなる気がする。 でも、どうしてだろう……。 (あぁ……頭がぼーっとして思考が働かない……) 「ねえ、ヒメちゃんは私とキスしたくない?」 「そんなことは、ない……私もスミちゃんとキスしたい……」 「ああ、嬉しい……! ヒメちゃん、大好き」 「んっ! ん、ぁあ……」 答えを聞いたスミちゃんは嬉しそうにまた唇を重ねる。 重なり合うだけの感触はすぐに深くなって、また舌先を絡ませ合う。 「んっ、んっ……ちゅ、んっ、ふぁ……」 「んぅ……ん、はぁあ…は、んぅう」 何度も何度も口付けを繰り返しているうち、身体から力が抜けていくような気がした。 そのくらい、スミちゃんとの口付けは気持ちいい。 「はあ…はぁ、あ……ヒメちゃん……」 「ん? スミちゃん、どうしたんだ」 「私、なんだか身体が熱くなってきちゃった…」 「あ……」 「ねえ、ヒメちゃん、脱ごうよ」 「え? あ、ああ……」 そう言うなり服をはだけさせたスミちゃんの胸が目の前に現れ、戸惑っている間に私も服をはだけさせられてしまう。 スミちゃんのあまりに綺麗な肌に、思わずまじまじ見つめていると、スミちゃんは恥ずかしそうに目をそらした。 「ヒメちゃん、あんまり見たら恥ずかしい……」 「ごめん……でも、あんまり綺麗だから」 「ふふ…嬉しい。ああ、ヒメちゃんも綺麗」 私も恥ずかしくてたまらないはずなのに、スミちゃんに見られていると思うと嬉しくなる。 「ん……もう一回、ちゅうって……」 「んんっ……ん、うん……」 「ん、んっ、ちゅ……んっ」 「んぅ……はあ、は、あ」 「んう、ヒメちゃんのおっぱい触っていい……?」 「ひあ! あっ!」 答える前にスミちゃんは手を動かし胸を揉み始めていた。 その優しい触れ方に思わず声をあげると、スミちゃんは何度も胸を揉んでくれる。 「は、ふああ……あ、ああっ……」 「ヒメちゃん、私のも触って」 「ああ、そうだな……ん、一緒に」 「あ、んっ!」 誘われるまま、スミちゃんの胸に手をのばす。 そっと触れると、手のひらいっぱいに柔らかな感触。 その感触があまりにも気持ちよくて、何度も何度も撫でるように胸を揉む。 「スミちゃんのおっぱい、やわらかい……」 「ん、んぅ……ヒメちゃんのおっぱいは、すごぉく可愛いよ」 「そんな……ああ、あ……」 「あんっ……ん、ふぁ、んう」 お互いに胸を揉みながら、また何度も唇を重ねる。 手のひらと唇に伝わるふたつの柔らかい感触。 もっともっとそれが欲しくなって、何度も唇を重ねて、胸を揉んだ。 「はあ、は……あ、あぁあ……おっぱい、気持ちいい……」 「ん、うん……私もだ……あっ!」 「うふふ…ん、ちゅぅ……ここも、きゅってしたら気持ちいい?」 「ふぁあ、あ……あっ! あ、んぅ」 胸を揉むだけだったのに、軽く乳首を摘まれて全身が震える。 驚き動きが止まると、スミちゃんは何度も乳首を刺激する。 「あ、ふふ……ヒメちゃん、ここ気持ちいいんだ」 「あ、あっ! あ、スミちゃん、そこ……そんなにだめっ! あんっ!!」 「ん、でも……ヒメちゃんのこんな可愛い姿見たら、止められない……んんっ」 「は、ひぁあ! あ、んぅ! だ、ダメだ…スミちゃ、ん!」 「ダメなら、じゃあ……こっち」 「ふあっ!!」 くすくす笑ったスミちゃんは手のひらを動かし、ゆっくり下腹部へ移動させた。 そのまま指先が軽く秘部に触れると、驚くほど大きく身体が反応してしまう。 「あ……ねえ、ヒメちゃん気持ちいいの? ここ、すごく濡れてるよ」 「そ、そんな事言わないでスミちゃん、んぅ……!」 指先が軽く動くだけで全身が震えていた。 恥ずかしくてだめなのに、ほんの僅かな刺激にさえ感じてしまう。 「ヒメちゃん、可愛い。ねえ、恥ずかしがらないで」 「だ、だって、こんなの……あ、あ…!」 「大丈夫……ほら、私も触って」 「スミちゃん……」 戸惑い震えている私の手を取り、スミちゃんは自分の秘部を触らせた。 指先に伝わったのは、同じような濡れた感触。 驚いてじっと見つめると、スミちゃんが恥ずかしそうに微笑む。 「私も一緒だよ」 「う、うん」 「ねえ、ヒメちゃん。私のここと、ヒメちゃんのここ……合わせたら、もっと気持ちよくなれるかなあ?」 「え……そ、そんなこと、どうやって……」 スミちゃんの提案に身体が小さく跳ねた気がした。 驚きと戸惑いが隠せない。 だけど、熱くなった身体は抑え切れず、スミちゃんの言う通りにやってみたくなる。 「んーと…こう、してみるとか……」 「う、わっ!」 スミちゃんにあっさり倒され、片足を抱えるようにして高く持ち上げられる。 秘部は晒され恥ずかしいはずなのに、興奮のせいかまた身体が熱くなる。 「ヒメちゃん、じっと……んっ!」 「は、あぁあっ!」 ゆっくりとスミちゃんが腰を近付け、秘部が触れ合った。 瞬間、全身にまるで電気が走ったような衝撃を受ける。 驚き思わず腰を引くと、スミちゃんは不安そうな顔をした。 「あ! あ、ヒメちゃん……だ、大丈夫?」 「あ……大丈夫、スミちゃん……。少し、驚いただけだ」 「良かった。気持ち悪かったらすぐにやめるから、その時はちゃんと言ってね?」 「うん……」 頷きながらつないだ手を握るとスミちゃんも握り返してくれる。 その力強さに安心していると、秘部を擦り合わせるようにスミちゃんが腰を動かし始めた。 「ひ、ぁああっ!!」 「あんっ! あ、ああぁっ……こ、これ、すごい!」 秘部が触れ合い、濡れた音が響く度に全身に強い衝撃が走る。 さっきの一瞬の衝撃なんて、目じゃなかった。 身体の奥まで熱くなって、もっともっと感じたくなる。 「はあ、は…あ、はあ、あっ! ヒメちゃん……ヒメちゃん!」 「ん! スミちゃん、気持ちいい! あ、あぅ!」 何度もスミちゃんは腰を動かし、秘部を重なり合わせる。 その度にいやらしい音は大きくなって、スミちゃんの呼吸も激しくなる。 もっとスミちゃんと感じたくて、もっとしたくて、私も気付けば一生懸命腰を揺らしていた。 「ヒメちゃん! ヒメちゃん…あ、あっ、ふぁあっ!」 「スミちゃん! 一緒に、いっぱい……あ、ああっ」 「うん。一緒がいい……二人で、いっぱいがっ!」 「ん! スミちゃんと……一緒だから、こんなに、いっぱい!」 激しい快感、部屋に満ちる甘い香り、目の前のスミちゃんの表情。 全部がお互いを刺激して、もっともっと欲しくなってしまう。 「スミちゃん! はあ、は……あ、あっ!」 「ヒメちゃん好き……大好きぃ……!」 「ああ、私もスミちゃんが! あん! あ、んっ!」 触れ合う秘部がひくつき、もっととおねだりしているようだった。 恥ずかしいはずなのに、今はスミちゃんをもっと感じたい。 何度も腰を動かしお互いの秘部を擦り合わせて、強く手を握り合う。 「んんぁあ! あ、ああっ! ヒメちゃん、私……身体の奥が! あああぁ!」 「わ、私もスミちゃん! 二人で、一緒に…!」 「は、ん! ん……一緒に、ヒメちゃん! ヒメちゃん!」 「んぁあ! あ、ああっ、スミちゃん! もう、あ!!!」 「ふあ……あ、ひぁああああっ!!!」 また腰を動かして秘部を擦り寄せた瞬間、びくびくっと全身が大きく震えて絶頂を迎えてしまった。 目の前のスミちゃんも同じように全身を震わせて絶頂を迎え、すぐにぐったり力が抜けていく。 お互いの身体を支え合うように倒れ込み、荒くなった呼吸を整える。 「はあ……気持ちよかったね、ヒメちゃん」 「ああ……」 「ヒメちゃん、すごく可愛かったあ」 微笑みながら言うスミちゃんを見つめていると、胸が熱くなる。 それに、また身体の奥から熱いものがこみ上げてきて……。 「スミちゃん、今度は私が気持ちよくしてあげる」 「え!? あ、ああっ! ヒメちゃん!!」 さっきとは違い、今度は自分から腰を揺らして秘部を擦り合わせる。 私が動き出したことに驚き、スミちゃんは全身を震わせた。 「あ! ああ、あっ! そ、そんなに激しく、しちゃ! あんっ!」 「スミちゃん可愛い……もっと、気持ちよくなって! んんっ!」 絶頂を迎えたばかりの身体は、腰を動かす度に敏感に反応していた。 スミちゃんも私も何度も身体を震わせて、ひくつく秘部からは愛液があふれて止まらない。 「ふああっ! あ、あ、ああ……! ヒメちゃん、すごい! さっきより、あんっ!」 「はあ、はあ……! スミちゃん、もっと……よく、なって! んっ!」 「ひんっ! んぁああ! あ、だめ! だめぇ…また、すぐにっ! あぁあ!」 「ああ、あ…んっ! 私も、いっぱい!!」 大きく腰を動かして秘部を擦り合わせ続ける。 濡れた秘部が触れ合う度に音が立って、いやらしい音に耳まで刺激されていた。 「ヒメちゃん! ヒメちゃん好き、大好き! 好き!」 「私もスミちゃん! 大好き!」 「うん! 一緒…私達、ずっと一緒だよ…はあ、はあ……」 「あ、あん、嬉しい……スミちゃんとずっと一緒に、あ、あっ!」 身体だけではなく、心まで一緒になっているようだった。 それが嬉しくて、もっと一緒になりたくて、必死に腰を揺らす。 いやらしい音を更に響かせて腰を揺らして秘部を重ね合わせ、強く手を握り締めた。 「ふぁ、あああ! あ、やああ! ヒメちゃん! ヒメちゃ……あ、ぁああぁっ!!!」 「あ、ふぁうああ! スミちゃん! スミちゃん!!」 もっと一緒にと思っていたのに、スミちゃんの秘部がひくついた瞬間、全身に大きな刺激が伝わる。 そして、秘部からあふれる熱い感触に震えながら、二人同時に大きな声をあげて絶頂を迎えてしまう。 「あぁ……! ダメだ……頭が真っ白になる…」 勢いよく身体を起き上がらせると、ベッドの上だった。 「え……あ、あれ……さっきのは、夢か…??」 呆然としながら、さっきのはなんだったのかと思い出す。 確か、スミちゃんと鍔姫ちゃんがお泊り会をすると言っていて……。 状況を理解すると、自分が見てしまった夢に嫌悪する。 (あんな夢を見るなんて、何考えてんだ俺は……) 「はあ……あ!」 ぐったりとヘコんでいたのだが、ふとある違和感に気付く。 しかもこれは、気付きたくなかったタイプのやつだ…。 「………」 まさかと思いつつパンツの中をそっと覗くと、そこには夢精の跡……。 「あ、あああああ……」 「この歳で……最悪だ…!」 落ち込んでても仕方ない。 情けないけど、とりあえずパンツを穿き替えないことには……。 「みーくん、起きているか!?」 「……っ!!!」 「大変なんだ、遺品が暴走して……! みーくん!?」 着替えなければと思っていると、部屋の外から鍔姫ちゃんの声が聞こえた。 まさかの本人の登場に驚いてしまうのだが、同時に頭に蘇ってしまうあの光景……。 「はあ、は…あ、はあ、あっ! ヒメちゃん……ヒメちゃん!」 「ん! スミちゃん、気持ちいい! あ、あぅ!」 「みーくん! みーくんどうしたんだ!??!」 「……は! まさか遺品が!」 「みーくん待ってろ、すぐに扉を開ける! 持ちこたえてくれ!!」 「え…え!? あ! ちが! 鍔姫ちゃん! 違う!」 「今は来ちゃダメだあああああああ!!!!!」 学園は落ち着きと平和を取り戻し、しばらくしてから宝物庫の封印も完璧に修復された。 おかげで風紀委員と特査分室は以前のような不思議な事件に関わることもほとんどなくなった。 他の生徒達と変わらず、私達も普通の学生らしい日常を送っていて――。 気付けば、あっと言う間に月日が過ぎていた。 卒業を間近に控えての長期休暇に入り、私は所用で外出することになった。 (そういえば、この辺りは久我くんの家の近くだったような……) 以前教えてもらった彼の家の住所が頭をよぎる。 おそらく、少し歩けばすぐに着くほどの距離……だと思う。 (突然訪ねるのは迷惑になるでしょうか……でも……) 最近、出張などで中々会えなかったこともあり、足を向けたくなる。 (そうだ、電話かメールをすれば突然押しかけて驚かせることもないのでは) そこまで考えて、ふととある記憶が蘇る。 (あ、あれは夢です! 夢……だけど……) もし久我くんが長期休暇中に、私には隠れて誰かとあのようなことをしていたら……。 (いえ! あれは夢です! それに、久我くんはそんなことをする人じゃありません!) そう、別に久我くんが浮気していると心配になったわけじゃない。 少し近くまで来たから挨拶をするくらいは問題ないはずだ。 少し挨拶をして、満琉さんの様子もうかがって……それなら何もおかしなことはない。 考えている間に久我くんの家らしき場所に辿り着いていた。 表札も『久我』と書いてあるし、まず間違いないだろう。 「………………」 けれど、インターホンを押す勇気が出て来ない。 (もしも……あり得ないとは思いますが……万が一、本当に浮気をしていたら……私はどうすれば……) そのような場面を少し想像してしまい、恐ろしくなって首を振ってかき消す。 そんなことはないとわかっているのに……どうして、こんなにも不安になるのか。 彼に大きな不満があるわけでもない……と思う。そのはず。 (でも…もし他の女の子が、彼のことを好きになってしまったら……?) それに関してはあり得ないことではないだろう。 以前に会った看護師の伏見さんともすごく仲が良さそうだったし――彼は関係を否定していたが……。 あと実際、『久我満琉』として学園に潜り込んでいた頃も、クラスメイトの生徒たちとも仲良くやっていたようだし……。 年上の余裕というものなのだろうか、もともとそういう性格なのか、妙な気安さがあるというか……。 (とにかく……いつ、誰に好意を寄せられてもおかしくないというか……!) そうすると、例えば私が今すぐこの家に乗り込んだとして、あり得ない光景が待っている可能性もゼロではない。 このインターホンを押した瞬間に……。 (……いえ! 迷っていたって、真実には辿り着けない。それなら……) 「えっと……まずはどこからやりゃいいんだ……」 「……! はいはい、ちょっと待って」 腕組みをしながら考えていると、玄関のインターホンが鳴る。 慌てて考えるのをやめて、玄関に向かった。 「はいはい! お待たせしまし……た」 「あ、あの、こんにちは……」 「も、モー子?! え? 何、お前どうしたんだよ」 扉を開け、そこに立っていたのがモー子だったことに驚く。 (な、何故少し慌てた様子なんですか! もしや……不安が現実に!?) けど、モー子の方も少し驚いた様子なのはどういうわけだ。 いやまあ、今はモー子が来てくれて助かった。 「いやでも、よかった! ちょっと上がってくれ、モー子!」 「え? ええ? あの、私はちょっと挨拶をしに来ただけで……?」 「いいから、こっち」 リビングまで来たモー子は本や紙が散らばる部屋の状況を見て、驚いたように目を丸くする。 「な、なんです……これは……」 「いやあ、色々あるんだよ」 「料理の本に……これはレシピをプリントアウトしたものですか……まさか、料理を作るんですか?」 「そうなんだよ……まあ、昨日のことなんだけどさ…」 「満琉が飯作ってくれてるのを待ちながら、食べる準備をしてたわけだ」 「満琉〜、準備できたぞ。飯できたか?」 「まだ! もうちょっと待ってよ」 「そうは言っても腹減った……」 「いきなり自炊って言われてもなあ」 「たくさん食べるんだから、自分で美味しいもの作れるようになった方がいいじゃない」 「それに、学園にいる間はちゃんとカロリー計算したごはん食べてないでしょ?」 「なんで知ってる」 「お兄ちゃんのことくらいわかりますー」 言われた通り学園にいる間は適当にしか食べてない。 一応、気をつかってそれなりの量は食べているつもりだが、栄養面となるとまた別の問題だろうし…。 「まあ、確かに自分でできた方がいいんだろうけど…」 「じゃあ、明日さっそくやってみよう!」 「え? いきなりそれは無理だろ」 「大丈夫だよ。カレーとかビーフシチューだったら、箱の裏に作り方が書いてあるから!」 「それ見てできるもんか?」 「うん! それに包丁の使い方とか食材の切り方とかは、本やネットで調べれば大丈夫」 「材料はだいたい冷蔵庫の中に揃ってるし、買い物に行く必要もないよ」 「そうか……じゃあ、まあやってみるかなあ」 「ぼく、明日は予定があって出掛けるんだ。だから、帰ってくるまでに晩ごはん作っといてね」 「わかった。ま、やってみる」 「というわけで、このざまだ」 「な、なるほど。理解しました」 「でだ……良かったら、一緒に晩飯作ってくれ」 「あ、いいの! じゃあこれエプロン。服汚れたらなんだし使ってくれ」 「わざわざありがとうございます。ところで、何からすればいいんですか?」 「冷蔵庫から材料出して、野菜を洗うとこまではやった。で、次はそれを切る……んだけど、切り方がイマイチわからん」 「それではまず、料理ごとに適した切り方を調べないといけませんね」 そう言いながら、モー子はエプロンを身に着け、部屋中に散らばった本や紙を拾い集めて目を通し始めた。 一人じゃいちいち調べるのに手が止まってたけど、モー子が手伝ってくれれば何とかスムーズになるような気がする。 「ところで何を作るんです?」 「ビーフシチュー」 「なんだよ、くし切りって……」 「本に写真付きで載っています。このように切るようです」 「よし、とりあえずやってみるか」 狭いキッチンに二人で並び、料理をするんだが……色々使い慣れないし、上手くできるかどうか……。 ふと、モー子の方を見ると包丁を握って眉間にしわを寄せて立っていた。 「……包丁を握って、まな板に対して平行に立ち、足を半歩後ろに引き……」 ……大丈夫かこいつ。 「大丈夫か、モー子? なんかプルプルしてんぞ」 「は、話しかけないでください! どうすべきか忘れてしまいます」 「あ、ああ、わかった。じゃあ、まずは野菜の皮むきして、それから切るんだな」 「皮むき!? え、えと、それは包丁でですか……?」 「皮むくやつ……えっと、ピーラーあるからそれで」 「では、包丁は一旦置いて……」 「俺、じゃがいもむくから、モー子はにんじんな」 とりあえず野菜の皮をむき、次はそれを切って行く。 よく切れる包丁だから、力を入れすぎなくてもいいって満琉は言ってたな。 「こんな感じかな……」 やってみれば、案外普通にできるもんだな。 まあでも、まだ野菜を切ってるだけだし……。 「ん……」 「押して……切る……」 隣を見ると、モー子がまたぷるぷる震えながら、危なっかしい手付きでにんじんを切っていた。 「おい、大丈夫か? お前危なっかしいぞ」 「だ、黙ってください! 集中できなくなります」 「いやだって、ホント不器用っぽいから」 「ぶ、不器用とは何ですか! これでも一生懸命やってるんですから! 大体、手伝えと言ったのはきみなのに、その言い方はないじゃないですか!」 「その手付きは見てたら怖くなるだろ……。お前に怪我して欲しくないんだよ」 「あ……ご、ごめんなさい……心配されてたんですね」 怒ってたかと思うと急に恥ずかしそうに赤くなって…。 毎度のことだが、いきなりそんな顔するのはずるいだろこいつは。 こんな顔されるとこれ以上何も言えなくなる。 「あ、いや……俺も悪かったって。あ、あんま力入れなくても切れるから大丈夫だぞ」 「そ、そうなんですか? わかりました……」 「まあ……慎重にやろう」 なんとか野菜を切り終わり、箱の裏や本の説明を読み次の作業を続ける。 切り終わった野菜を軽く火を通してから煮込むとあったがその『軽く』がわからなかったり……。 どの程度煮込むかもわからなかったけど、なんとかビーフシチューっぽいものはできそうだ。 「ふぅー」 「はあああ……」 弱火で煮込んだままの鍋からは、美味そうなビーフシチューの香りが漂っていた。 途中で失敗することなく、なんとか完成まで辿り着いた。 ため息をつき、無事ここまで辿り着いた達成感に包まれる。 「これで、あとはこのまま煮込んでおけば完成ですね」 「はあ……ありがとうな、モー子」 「いいえ、私は何も……」 「何言ってんだ。モー子が色々調べてくれたからだろ。助かった」 「お役に立てたなら良かったです」 そう言いながらモー子はエプロンを外すと丁寧にそれを畳み、そっと俺に差し出した。 「ん?」 「晩ごはんも無事にできたようですから、そろそろ失礼しますね。元々、長居するつもりはありませんでしたし」 「え、まだいいだろ。せっかく一緒に作ったんだから、お前も食べてけよ」 「それに、この量は満琉と二人じゃちょっと多いしな」 「ああ、そうしてくれ。せっかく久し振りに会ったんだし」 笑みを浮かべながら言うと、モー子は恥ずかしそうに頷いた。 だから、こういう顔は反則だって言うのに……無意識なんだから手に負えない。 「満琉さんは、まだ帰って来ないんですか?」 「そうだな……帰るって言ってた時間はまだ先だな」 「そうなんですね」 落ち着かずにソワソワした様子のモー子が、なんだか可愛い。 きょろきょろ視線をさ迷わせる姿は、まるで拾って来たばかりで場に慣れない仔猫みたいだ。 「あのさ、ちょっとやってみたいことがあるんだけどいいか?」 「なんですか? 私にできることならやりますが……」 「じゃあ、これ……もっかいつけて」 答えながら、さっき返してもらったばかりのエプロンをもう一度モー子に渡す。 「これはもう使いませんが……」 「いいから、つけてるとこが見たいんだよ」 「は、はあ……」 不思議そうな表情をしながら、モー子がエプロンをつけてくれる。 「モー子ぉー」 「きゃっ! な、何をするんですか!!」 その姿を改めてまじまじ見つめると思わず頬が緩み、そのまま勢いよく抱きしめた。 「だってお前、可愛いし」 「……んっ」 「あ……あ、んんぅ……!」 抱きしめた身体をやんわりと撫で、顎を軽く持ち上げて上を向かせる。 そして、そのまま唇を重ねてすぐに舌先を口内へと進ませ、ゆっくりかき回す。 「ん……ん、んっ!」 ねっとりした感触を楽しむように舌先を動かし絡ませ、口内で何度も音を立てて動かす。 驚いた様子のモー子だったが、口付けを続けるうちに身体から力が抜けて強くしがみついてくる。 「んんぅ……ん、ふぁ……」 「……んっ」 舌先の動きに合わせるように、モー子もおずおずと舌を動かし絡ませる。 その表情を盗み見ると、うっとりしながら頬を染めていて、たまらない気持ちになった。 腕に軽く力を入れてモー子の身体を引き寄せ、更に舌先を動かし口付けを深くしていく。 「ふぁ……あ、はあ……んっ、んぅ」 口内を何度も舐め回し、唾液の音を立てて口付けを続けた。 そっと唇を離して見つめると、モー子はまだうっとりしていた。 「モー子……」 「久我くん……あの、どうして急に……いえ、あのだめだというわけではないのですが……その……」 「……ホントは料理作りながら、ちょっとムラムラしてた」 「え? ええ!? え、あの……え?」 「モー子のエプロン姿が新鮮だったから……ちょっとこう、なんていうか……」 正直に答えるのが何となく恥ずかしくて、ぼそぼそと答えるとモー子はそれを聞きながら真っ赤になった。 それがまた可愛くて……ムラっとくるんだよなあ……。 「それにほら、色々……したいこともあるわけでさ」 真っ赤になったままのモー子をもう一度抱きしめ、ゆっくり身体を撫でていく。 少し驚いた様子だったけど、抱きしめられたモー子に抵抗はない。 そのまま手のひらを動かし、ゆっくり服を脱がし始める。 「ちょっと、久我くん! んっ……な、何を……」 「何って、わかるだろ……んっ」 「きゃ! あ、んっ」 耳元で答え、そのまま口付けるとモー子が反応する。 力が抜けてきたのを確認しながら、少しずつ服を脱がす。 「あ、あの! こ、こんなの本当に……あ、あっ!」 口付け、全身を撫でながら服を脱がしていくと、モー子の身体からは力が抜けて抵抗されなくなる。 それがわかっていながら、そのまますべて脱がしてエプロンだけの姿にしてやった。 エプロン一枚だけの状態になったモー子は、顔を真っ赤にしながら俺を睨みつけていた。 「し、信じられません……こんな、こんなこと……!」 「いやでも、やってみたかったし……」 「やってみたかった?! 満琉さんがまだ帰って来ないからと言って……!」 「いや、本当にまだ大丈夫だし。帰って来る予定の時間までかなりあるから」 「そういう問題ではありません……!」 俺が答える度にモー子は怒って、更に睨みつけてくる。 でも、その表情すら可愛くてたまらない。 「一体何を考えているんですかきみは……!」 「何って、この格好になったらさすがにわかるだろ?」 「そ、それは、その……」 「ほら、わかってるじゃん」 俺が聞き返すとモー子は恥ずかしそうに頬を染めてもじもじする。 その姿がやっぱり可愛くて、今すぐにでもどうにかしてやりたくなる。 けど、モー子はすぐにはっと我に返るとまた俺を睨みつけた。 けど、そのモー子に答えずに黙ったまま、じっと見つめ続ける。 「どうして黙っているんですか」 「…………」 「な、なんとか言ったらどうなんです」 「…………」 「久我くん……だから、何か言ってください」 黙ったままの俺に耐えられなくなったらしく、モー子は更に顔を赤くする。 そんな表情を見つめてニヤリと笑みを浮かべる。 「いやあ……ホント、可愛いなあと思って」 「へ?! え、あ! あ、あの、な、何を!」 「だってその格好のモー子すごい可愛いし、よく似合うなあと思って」 「こ、こんな格好で褒められても、う、嬉しくなんかありません……」 嬉しくないと言いつつ、その顔はまんざらでもなさそうなんだよな。 こいつ本当にわかりやすい上に可愛い。 「そんなこと言いつつ、嫌でもなさそうだけどな」 「だからといって、嬉しくなんてありません……」 「本当に? 俺はモー子が可愛くて嬉しいけど」 「う、うう……そ、そんな風に言われても……」 「……嬉しい?」 「……っ!」 わざと怒らせるように聞いてみると、真っ赤になりながら睨まれる。 この格好でこの表情のモー子は本当にヤバイ。 色んなところが刺激されてしまう。 「きみが何を考えているのか……私には本当にわかりません」 「それじゃあ、もっとわかりやすくしてやろうか?」 「え……ひ、あっ!」 モー子の手を取り、ズボンの上からいきなり肉棒に触れさせる。 裸エプロン状態のモー子を見て興奮していたせいで、既に肉棒は硬く大きく反応していた。 「な、あ……あ! ど、どうして、あの! え!?」 その感触に気付いた途端、モー子は驚き目を丸くする。 触れられた肉棒は小さくぴくんと反応して、またモー子を驚かせる。 「ひっ! な、なにを……!」 「しょうがないだろ……お前可愛いんだし、その格好エロいし」 「だ、誰がさせたと思っているんですか!」 「そりゃ俺だけど……」 驚きながらそれでもモー子は手を離そうとしない。 その表情と触れられる感触に嫌でも興奮は増し、これだけじゃ我慢できなくなる。 とは言っても、最初からこれだけで我慢するつもりはなかったけど……。 「なあ、モー子……もっとだめ?」 「も、もっとって……何を言い出すんですか。こんな格好までさせた挙句にもっとなんて……」 「だってほら、こんなモー子見てるとさ……」 「可愛くてたまんないし、もっとして欲しくなって当然だろう」 「だ、誰のせいで……こんな格好、好きでしているのでは……」 「わかってる。俺がお願いしたからだろ」 「それは……そうですけど……」 「で、モー子が俺のを触ってくれてると思うと、また興奮するわけだよ」 「ま、またそういうことを!」 「でだ……そんなやらしくて可愛い格好をしているモー子に、俺はもっと色々して欲しいと思っている」 じっと見つめながら言うと、モー子はまた恥ずかしそうに頬を染めた。 俺に褒められて照れてる辺り、こいつは本当にわかりやすい。 「……そんな、色々と言われても」 「だから、ほら……こうしてさ……」 「きゃ! あ、あっ!!?」 じれったくなり、一旦モー子の手を離すとズボンの奥から肉棒を取り出しそのまま握らせた。 「き、きみは本当にいきなり……な、何を……!」 「さっきから言ってるだろ、モー子にもっと色々して欲しいって」 「だからって、い、いきなりこんな……ことは」 そう答えつつも、モー子は肉棒を握ったまま離さない。 直接触れられると、余計に欲が出てそれ以上を望みたくなる。 「なあ、モー子……もっと、してくれるか?」 「もっとって言われても……ど、どうすればいいのか……」 「そのまま、ゆっくり上下に手を動かして」 「ゆ、ゆっくりですか」 言われるまま、モー子は素直に手を動かし始める。 ぎこちない刺激にまた肉棒が震え、モー子が驚き身体を震わせる。 そのひとつひとつの表情、仕草や動きに興奮が増してしまう。 「ん……モー子、そのまま」 「は、はい……このまま、ゆっくりですよね……」 手のひらが動く度に肉棒は脈打ち、背中がぞくぞく震える。 我慢できず、先端からは既に透明の精液があふれていた。 それに気付いてモー子は更に恥ずかしそうにするが、それでも手を離さず肉棒を扱き続けてくれた。 「んん……」 「久我くん、あの……これだけで、いいですよね」 「え……そんな、の……」 戸惑いながらモー子は何度も手のひらを動かす。 あふれた精液で手のひらは少し濡れ、その感触が余計に刺激を大きくしていた。 これだけで我慢ができるわけがない。 でも、モー子はここで終われると思っているんだろうか。 「これ以上なんて、そんなのは……あの、満琉さんも帰って来るかもしれませんし」 「まだ大丈夫だって言っただろ。だからさ、モー子……ちょっと、舐めてみて」 「え!? な、なめ……る?!」 俺の発言に相当驚いたのか、モー子の手のひらの動きが止まる。 そんな姿を見つめ、にやりと笑みを浮かべた。 「そう。舐めて欲しいんだけど」 「む、無理です! そんな、これ以上なんて私……!」 「本当に無理? 絶対?」 「ぜ、絶対です……できません……」 「でも、して欲しい。憂緒……頼むよ」 「……う。うう」 名前を呼んでじっと見つめると、肉棒を握ったまま憂緒は黙ってしまう。 その間も、肉棒は物足りなさに脈打ち、手のひらの中で何度も震える。 その感触を受け止めながら、憂緒がじっと俺を見つめた。 「わ、わかりました……ちょっとだけですからね」 「わかってる。ありがとう、憂緒」 「じっとしててください……」 「ん、んっ……」 「……っ!」 ゆっくりと舌を差し出し、憂緒が肉棒を舐め始める。 ねっとりした感触が伝わり、肉棒がまた脈打ち精液があふれた。 その精液も舐め取り、何度も舌先が動く。 「んんぅ……ん、ふ……」 「もっと、下の方から」 「は、はい……は、んむ……んっ」 言われた通り、根元からゆっくり舐めあげ、そのまま先端を軽く舐める。 ぎこちない刺激だけど、それが逆に興奮してしまう。 舐めていた先端から舌を離すと、またさっきと同じように舌を根元へ移動させて先端まで舐めていく。 「ん……憂緒、気持ちいい」 「んんっ……は、んぅ、ん、ちゅぅ……んっ」 「そう。そんな感じ」 褒めながらそっと髪を撫でると、それが嬉しかったのか舌先の動きが大きくなった。 何度も肉棒の上を往復しながら舐め続け、時々唾液の絡まるいやらしい音が響く。 目の前の憂緒の表情と、伝わるぎこちない感触、そして漏れる吐息や声。 そこにあるすべてが、俺を刺激して掴まえたまま離さない。 「はあ、は、ん……んっ、んっ、んぅ」 先端をゆっくり舐めていた憂緒が、そのまま口内いっぱいに肉棒を咥え始める。 俺が言い出さなくても咥えたことに驚くが、それ以上に嬉しさの方が大きくなる。 「ん……そのまま……」 「んんっ……ん、ふぁあ、はあ、はあ……」 「憂緒……!」 「んっ……久我く、んっ、んぅ、ちゅぅ、んふ」 軽く肉棒を吸い上げながら、憂緒が顔を動かす。 その動きに合わせて腰を動かし、奥の方へと突き上げてみると憂緒が驚き震え、咥えるのをやめてしまう。 「は、んっ! んんぅ……ちょ、調子に乗らないでください」 「だって、憂緒の口気持ちいいから」 「だからって、さっきみたいのは……!」 「じゃあ、さっきみたいにしなきゃいい?」 「それなら、別に……」 「わかった。じゃあ我慢するから……もっとして欲しい」 「わかりました……ん、んっ」 少しこっちを警戒しながら、憂緒はまたゆっくり肉棒を舐め始める。 根元から舌先を移動させ、先端まで辿り着くとまた咥えて吸い上げ始める。 「んっ、んぅ……ん、う、んんっ」 「は、んっ……」 「はあ、は……あ……! あ、んっ!」 すぐにでも腰を動かして、喉の奥まで突き上げたくなる。 だけど、そうすると憂緒に本気で泣かれそうだし、さっき約束したから……とりあえずじっとしておこう。 「はあ、は、ぁあ……んんぅ、んっ!」 何度も必死になって咥えた肉棒を、音を立てて吸い上げる。 ぎこちない動きも少しずつなくなり、肉棒を舐めながら器用に吸い上げてを繰り返す。 「ちゅ……んっ、んぅ! ん、ふ、ふぁあ、はあ」 「……んっ」 「んんっ……ん、ん、久我くん……はあ、は……」 「……んっ」 動くのを我慢してじっとしていると、憂緒が何度も肉棒を吸い上げ舌先を動かしていく。 伝わる刺激は徐々に激しくなり、肉棒は何度も脈打つ。 「はあ……憂緒……!」 「んっ……んんぅ、んっ」 「ん……ごめんっ」 「あ! ん、んんっ!」 じっとしているのも我慢の限界で、思わずまた腰を動かし憂緒の中を何度も肉棒でかき回してしまう。 「ふぁあ! あ、ああっ…あ、んぁあ! ん、んっ!」 「……っ!」 「んう……んっ」 それでも憂緒は更に肉棒を吸い上げ、舌を動かして刺激を続けてくれる。 その動きに合わせて何度も腰を動かし、口内深くへ届かせる。 「んんっ……んぅ、は、ふあ……はあ、は……!」 ねっとりした感触に今まで以上に強く吸い上げられた。 その瞬間、背中がぞくりと震えてこれ以上耐えられなくなる。 「……憂緒っ」 「え……あ、あっ!」 びくんと脈打った肉棒を勢いよく引き抜いた瞬間、そのまま憂緒の顔いっぱいに精液を吐き出す。 顔いっぱいにかかった精液に気付き、憂緒は驚いたような表情をして俺を見上げた。 「あ……あっ!」 驚きどうすればいいのかわからず、呆然としている様子すら可愛くて仕方がない。 それが俺の出した精液まみれの顔なんだから、たまらない気持ちになって当然だ。 「憂緒……もっと」 「え……え、あの、こ、久我くん」 そのまま憂緒の身体を立ち上がらせ、背後から足を持ち上げてしっかりと抱きしめる。 まだぼんやりしているのか、憂緒はされるままの状況だ。 「久我くん……?」 「大丈夫か? 無理そうならやめるけど……」 「あの、大丈夫だと……思います」 「わかった」 やっぱりまだぼんやりしているようで、俺の言うことに素直に頷いているのが可愛くてたまらない。 抱きしめたまま手を動かし、そのままそっと秘部に触れてみる。 「ひ! あ、あああ……!」 秘部は既にしっかり濡れて、少し触れるだけで憂緒は身体を震わせて声をあげ始めた。 濡れた秘部で指先を何度も動かし、音を立てて浅い部分をかきまわす。 それだけで何度も秘部はひくつき、奥からは更に愛液があふれて止まらない。 「はあ、は……あ、ああっ……!」 「なあ……俺のを舐めてるだけで、エッチな気分になった?」 「う、うう……」 「答えてくれないとわからないんだけどなあ」 恥ずかしさのせいか、それともまだぼんやりしているからか、憂緒は言葉をはっきり口にしない。 でも、指を動かせば身体は反応するし、愛液はもっとあふれていやらしく音を立てる。 あふれる愛液を擦り付け、更に秘部の奥へ指先を進めていく。 「ふぁあ、あっ! あ、ああっ……久我くん!」 「ん……中、すごいな……」 「はあ、は……あ、んっ……! そんな、ことぉ……あ!」 奥に進んだ指先が強く締め付けられ、愛液がねっとり絡みつく。 「すごいな……こんなに濡れてると思わなかった」 「……そ、んなの私のせいじゃ……あっ! ふぁあ、ああっ!」 「そうか? 俺はまだちょっと触ってるだけなのにな」 「ふ、あ! あ……はあ、は、んぅ……」 少し指を動かすだけで愛液は増え、締め付けは強くなった。 その締め付けに合わせるように何度も指先を軽く抜き差しすると、その度に伝わる感触が強くなる。 「なあ、憂緒……ここ、入れていい?」 「あ、あ! ふぁあ……あ、ん」 指を動かしたまま聞いてみると、憂緒は震えて反応してしまい答えられそうになかった。 だから、指先の動きをゆっくりにしてもう一度耳元で囁くように聞いてみる。 「憂緒の中に、入れていい?」 「……ん」 囁く声に反応して少し身体を震わせた憂緒は、中に埋めた指を締め付けながら無言で頷いてくれた。 一旦指を引き抜き、濡れた秘部に肉棒を擦り寄せる。 それだけで秘部はひくつき、また奥から愛液をあふれさせていた。 「このまま、じっとしてて……」 「あ……あ、んっ!!」 「……んっ」 「は、んぅ……あ、んん!」 ゆっくり肉棒を進ませると、指先と同じように強く締め付けられた。 だけど、その感触はさっきと桁違いだ。 ねっとりした柔らかさに包み込まれ、肉棒は何度も脈打ちまたじわりと液体があふれ出す。 「はあ、はあ……あ、んぅ! んん、んっ……」 片手で胸を揉みながら、腰をゆっくり動かして様子をうかがう。 不安定な体勢が心配なのか、憂緒は不安そうに俺を見つめる。 「どうした?」 「あ、あの、このままじゃ転んでしまいそうですから……あんまり、激しくしないで欲しいんです……」 「ん、わかった。じゃあ、ゆっくりな」 「あ、ふあ! あ、あっ」 頷き答えてから、しっかりと身体を支えてゆっくり動き出す。 引き抜いた肉棒をゆっくり奥へ進ませて、深い場所で先端をぐりぐりと肉壁に擦り付ける。 びくりと反応する内側で強く締め付けられ、あふれる愛液が肉棒に絡み付く。 「あ、はあ……は、あ……は、んぅ……」 「んんっ……」 伝わる感触を受け止めながら、何度もゆっくり腰を動かし、角度を変えて深い場所へと突き上げ続ける。 奥で何度も軽く突き上げ、それからゆっくり引き抜きまた奥へ届かせる。 「ひあ! あ……あ、また奥! ふあ、う、ああっ!」 突然深くまで突き上げられると憂緒は震え、中で強く締め付けられた。 いつもと違うゆっくりな動きも、これはこれでお互いを深くじっくりと感じられていいかもしれない。 そう思いながら、何度も憂緒の身体を触り、深くまでゆっくり突き上げる。 「はあ、はあ……あ、久我くん……んっ! あ、また……奥、あ、ああっ!」 「ん……もっと? んっ……」 「久我く、ん! ふぁあ、あっ……!」 胸を揉み、時々乳首を摘み上げて軽く腰を揺らす。 刺激を受ける度に憂緒の全身が震え、おまけに中で肉棒が強く締め付けられる。 その締め付けが気持ちよくて、何度も腰を揺らしながら全身を撫で回し、何度も胸を揉みしだく。 「あ、あの、久我くん……んっ……」 「ん? どうしたんだ」 ゆっくり全身を愛撫しながら腰を突き上げていると、急に憂緒が照れた様子で俺を見つめた。 もじもじ身体を揺らされる度に肉棒は締め付けられ、憂緒の中でまた何度も脈動する。 「あの、ちょっと体勢を……あの……」 恥ずかしげに小さな声で呟かれ、この体勢では物足りなさを感じているんだと気付く。 思わずニヤリと笑みを浮かべて、耳元に唇を寄せてキスをする。 「ひあ! あ、ああ……な、何をするんですか」 「ん? そろそろ激しくして欲しくなったんだなあ……と思ったら嬉しくなった」 「な、何を言うんですか。違います! ずっとこんな格好だから疲れているだけです」 「ふうん……疲れてるだけねえ」 「そうです。だから、このままじゃなくて……」 「どうしようかな」 「ひ、あぁあっ!!」 答えながらわざと、大きく激しく腰を突き上げた。 途端に憂緒は全身を震わせて大きく声を漏らし、中で強く肉棒を締め付ける。 その強さに笑みを浮かべたまま、しっかり身体を支えて何度も大きく腰を突き上げる。 「ふぁあっ! あ、ぁああっ! あ、だめ……あ、あんぅ! こんな、激しい……あ、あっ!」 だめだと首を振りながら、それでも憂緒は全身を震わせて俺を受け入れ感じていた。 疲れているからと言っていたけど、身体の反応は素直で嬉しくてたまらない。 それに、わざと激しく意地悪にしたせいか、さっきより締め付けも強くなっている。 「んんっ……んっ」 「は、ひああ! ああっ、あ……久我くん、んんっ! こんな、あぁっ! 何度もだめ、あっ!」 「そっか、だめか」 「ひ……あっ!」 憂緒が言う通り動きを止めてじっと見つめる。 激しさがなくなったせいか、憂緒はまたもじもじと身体を動かして俺に視線を向けた。 「だめなんだろ?」 「だ、だからって、こんな……急に……」 「だったら、もっといい?」 「……それは、あの」 動かずじっとしたまま聞いてみると、戸惑ったような表情で視線を向けられる。 「こ、こんなのは、ひどいです……」 「じゃあ、もっとしてもいいってことな」 「え! あ、ぁあ……ふああ!!」 しっかりと身体を支え、また勢いよく何度も奥へと突き上げる。 憂緒はまたされるままに全身を震わせ、大きく身体を震わせて感じ始めた。 肉棒を深くまで突き上げ、先端で深い場所を何度も擦る。 その度に内側はひくつき肉棒は強く締め付けられ、憂緒は震えて声を出す。 「はあ……あっ! あ、ふぁああっ! あ、久我くん……久我くん……!」 「ん……んっ! わかってる……」 「はあ、は……あ、また奥が……あ、あぁあ…んっ!」 角度を変え、何度も腰を突き上げて奥を刺激する。 憂緒はやっぱりその度に大きく反応し、肉棒を強く締め付けて離さない。 「いつもより……興奮してない?」 「そ、そんなこと、は……あっ! ふぁあっ、う……あ、ああっ!」 「本当? すっごい気持ちいい」 「あ、あ……! は、んぁあっ……」 声にも反応しているのか、中の締め付けが強くなった。 その強い締め付けに肉棒はまた脈打ち、深い場所で震える。 ぞくぞくと背中を通り抜けていく感覚に震えながら、また憂緒の身体をしっかり強く抱きしめる。 「憂緒……!」 「あ……はあ、は……久我くん……!」 「もう、これ以上……ヤバイ」 「ふぁあ、あ……そんなの、わからな…あ、ああっ!」 強く抱きしめたまま、今まで以上に大きく深く、肉棒を突き上げた。 その激しさに憂緒は脚を震わせ、立っているだけで精一杯になる。 震える身体をしっかり支え、何度も何度も腰を動かし肉棒を最奥へ届かせた。 「は、あ! あ、あぁあ……や、ああっ! こ、こんな、あ、ああ……! も、私……私っ…!」 「……っく!」 奥深くまで届いた肉棒を受け止めた憂緒が全身を大きく震わせ、そして中で今まで以上の強さで締め付けられる。 「あ……ふ、あ……ああぁぁああっ!!」 びくびくと、抱きしめる身体が何度も震えた。 そして、腕の中で憂緒が絶頂を迎えると同時に、締め付けられて震えた肉棒から精液があふれる。 「はあ……はあ……」 「あ……ああ……っ!」 恍惚とした表情を浮かべる憂緒をしっかり抱きしめ、深く埋めた肉棒をそのままに最後まで精液を注ぎ込む。 「憂緒……」 「久我く、ん……んっ……」 最後まで精液を受け止めた憂緒はうっとりした表情を浮かべる。 その表情を見つめて笑みを浮かべ、耳元や首筋に口付けるとまた身体が震えた。 「んんっ……ん、くすぐったい……」 「だって、そんな可愛い顔するから」 「そんなこと、ないです……」 「だから、そういうとこが可愛いんだって……」 答えながら何度も口付けていると、またしたくなりそうだから……程ほどで我慢しとかないとな。 リビングでいたしてしまった後片付けをすませて、モー子に服を着させて一先ず落ち着いた。 「はあ……裸エプロンって、やっぱり男の浪漫なんだな」 「ううう……」 さっきのことを思い出して満足していると、モー子が恥ずかしそうに真っ赤になっていた。 ちょっと、調子に乗りすぎたかもしれない……。 「あ、いや……悪かったって。ちょっとテンション上がっちゃって」 「――どうしてあんなものでテンションが上がるんですか!」 「だからさっきも言っただろ、男の浪漫だって」 「まったくもって、理解不能です」 「いやそりゃ、自分の彼女にあんな格好してもらったらテンション上がるに決まってるだろ」 「な……!」 俺の答えを聞いたモー子は真っ赤になって絶句してしまった。 そんなにヘンなことを言ったつもりはないんだけどな。 「き、きみはそんなことばかり……」 「だって本当のことだし。あ……そろそろシチューもいい感じになってるんじゃないのか」 「……はあ。そうですね」 「満琉が帰って来る前に、ちょっと味見してみるか」 俺が立ち上がると、呆れた様子だったモー子も立ち上がってくれる。 二人で一緒に鍋をのぞき込むと、ビーフシチューは美味しそうに完成しているようだった。 モー子が小皿に少しだけ取り分け、俺に差し出してくれる。 「味見なんですから、ほんの少しだけですよ」 「わかってるって……ん、美味い! モー子も味見してみろよ」 口にしたビーフシチューは想像よりもずっと美味かった。 小皿を渡し食べるようにすすめると、そっと口をつけたモー子は表情を明るくする。 「……あ、本当」 二人で協力して作ったという状況もあるのかもしれない。 それとも、まだモー子が一緒にいてくれているからだろうか? ただのシチューが、こんなに美味しく感じるのは。 「美味しい、です」 モー子も同じように感じているのか、ふわりと柔らいだ笑顔を見せた。 「…………モー子」 「久我くん…? 何ですか?」 じっと顔を覗き込まれて、少し落ち着かなさそうにモー子が小皿を返してくる。 「ん、いや、ちゃんと作れて良かったと思って」 「そうですね。満琉さん、とても驚かれそうですね」 「苦労した甲斐があるってもんだな……次に一人でできるかは疑問だけど……まあ、それはそれだ」 「何度か反復すれば、きみならすぐに覚えられますよ」 「………」 (何だか……こんな風に会話していると、本当に久我くんと一緒に住んで、実際に生活しているような気に……) (っ! もう、私は何をおかしなことを考えて…! これはたまたま偶然こうなっただけで、彼にそういう意図はないし、多分気付いてもないし!) (いない……さっきまで隣にいたと思ったのに、一体どこに……) 「…………」 (浮かれていたのはやはり私だけだったようですね……ええ、ええ。わかってました。いつもこうですから) (でも、もう少しだけ新婚家庭な気分に浸らせてくれてもいいじゃないですか。あんな恥ずかしい格好までさせられて……久我くんのばか) 「なあ、モー子」 「…………。なんですか」 「な、何いきなり怒ってんだよ」 「別に怒ってません。いつも通りです」 「まあ、いつも通りっていや、いつも通りっぽいけどさ……」 「うーん……」 「久我くん?」 俺の出す妙な雰囲気を察したのだろうか。 モー子は少し表情を和らげ、不思議そうにこちらを見た。 居心地が悪くなったが、気を取り直して少し姿勢を正す。 「あのな」 「はい?」 「もう少し後で言うつもりだったんだけど。なんかこう……今の方がいい気がしたというか」 「何でしょうか」 「ちょっと座って」 そんなに長い話でもないのだが、立ちっぱなしもなんだと思って着席を勧める。 「俺はまだ魔力も完全にコントロールできないし、勉強だって多分まだまだ足りない」 「だから、あの学園から出るのはまだ先のことになると思う」 それだけ言うと、モー子はだいたいどのような主旨の話なのか察したようで、少し体を強張らせる。 「そう、ですね。久我くんは勉強不足がすぎると、学園長がたまに嘆いておられます」 「あのやろ……あ、いや、今は学園長のことはいい」 「俺はまだ学園に残るけど、お前は卒業して進学するよな」 「……はい」 「念のため聞くけど、別にちょっと離れたからって俺は別れる気はないが、お前もないよな?」 「あ、当たり前です! そんなこと、考えてません」 「そうか。良かった。それだけ確かめておきたかったんだ」 俺がそう言うと、モー子も少しほっとしたように力を抜いた。 「あの学園は携帯が通じませんから……そうなったら電話で連絡を取るしかありませんね……」 「あとは休日に、二人の予定が合いそうなら会えるかどうか、くらいでしょうか……」 そう言うモー子の声は、どこか寂しそうな響きも混じっているように聞こえた。 「そうだな。やっぱり、学園にいる時と比べると、一緒にいられる時間は減っちまうな」 「それは……でも、仕方ありません……」 「まあ、俺がさっさと完全に魔力をコントロールできるようになればいいんだけど」 「早くそうなってくれないと困ります」 「へえ、やっぱ困るんだ?」 「わかってるって。……ちょっと、手、出せ」 「手を? 何故です」 「いいから」 モー子の左手を引っ張り、その薬指にそっと隠し持っていたものをはめる。 さっき、思い立って慌てて部屋から取ってきたものだ。 「……えっ」 突然指輪をはめられたモー子は、かつて見たことがないほどに目を丸くしていた。 その表情を見つめて思わず少し笑ってしまう。 驚くだろうと思っていたけど、ここまでとは思わなかった。 「サイズはどうだ? 大きかったり小さかったりなんてことは……」 「えっと、あの……問題ありません。ぴったりです」 「それは良かった。うろ覚えだったからちょっと心配だったんだけどな」 「あの、久我くん……こ、これはあの……」 これをどういう意味に受け取っていいのか、まだ分からない様子で尋ねてくる。 「卒業したら離れることになるから……その代わりにこれを私にくれるという……意味、でしょうか?」 「それはまあそうなんだけど」 「だ、けど?」 「それだけならわざわざこんな場所にはめないだろ」 「え……あ……あの、あの……!」 「もちろん今すぐってわけじゃないが」 「俺がちゃんと自分の力を把握して、完全に制御ができるようになったら」 「お前と結婚したい」 俺の言葉を聞いてもまだ、モー子は驚きぽかんとしたままだった。 だけど、すぐに言葉の意味を理解したのか顔を真っ赤にすると、おろおろしながら視線をさ迷わせる。 「あ、あの、久我くん、その……わ、私……は、あの」 「それは俺の気持ちだ。だから婚約指輪のつもりで用意した」 「っ……」 「お前が卒業してお互い離れることになっても、お前への気持ちはずっと変わらないと思う」 「ちなみにだが、俺の病気の件については、ちゃんと魔力を制御できるようになったら自力で治せるらしいから安心してくれ」 「それで……」 「まだはっきり答えが出ないようなら、それでもいいんだけど。答えは?」 「あの……こ、答えは、あの、その」 「久我く、ん……! わ、私……私も……」 「うん。私もなに? ちゃんと言ってくれよ」 しっかり見つめて言うと、モー子の目が潤み始めた。 そして、モー子は今にも泣き出しそうなのを堪えるようにしながら、微笑みを浮かべる。 「私も、気持ちは変わりません……久我くんと…一緒になりたい…です……」 微笑みながらそう言うモー子を見つめ、胸の中があたたかくなった。 「少し時間はかかるかもしれないけど……俺を待っててくれるか?」 「はい……でも、あまり長く待たせないでくださいね。本当は……ずっと、そばにいたいんです」 「わかった。なるべく早く頑張るよ」 「ええ、期待しています」 素直に頷いてくれる姿に、これまで以上に努力しなければならないと思う。 こいつをあんまり待たせるわけにはいかないからな。 「……あ、そうだモー子」 「はい。なんですか?」 「今日はまだ言ってなかったよな」 嬉しそうに微笑むモー子の頬を撫で、囁くようにそっと伝える。 「……好きだよ。愛してる」 「っ……はい。私も……あなただけを、愛しています」 「…………」 放課後になり、いつものように特査分室へ向かう。 今日は何が起こるのか……。 最近は遺品絡みの騒動は起こっていないから、何もなければそれが一番いい。 けれど、この学園ほど平穏と程遠い場所はないから、何も起こらないとは言い切れない。 「ん……?」 「もー! 遅いよ、もーちゃん!」 「え? え、睦月……でも、いつも通りの時間ですよね。一体何が遅いの?」 「何言ってるの! いいから早く着替えなきゃ!」 「え? ええ?? き、着替え?」 「ほら! 走って走って!!」 部屋の中に入ろうとした途端、睦月に腕をつかまれ強く引っ張られる。 わけもわからぬまま腕を引かれ、睦月と一緒に走り出すしかない。 「ど、どこに行くの睦月!」 「何言ってるのいつも行ってるとこだよー!」 「い、いつも……?」 いつもと言われても心当たりは全くなく、ただ睦月に連れて行かれるしか私にできることはなかった。 「ふう……」 特査分室の扉を開けて、久我くんが部屋に入ってくる。 それを待っていた私と睦月は、慌てて立ち上がり、並んで声をかけるのだった。 「おかえりなさいませ、ご主人様!」 「ぉ…ぉ…おかえりなさい…ませ…?」 何がなんだか全くわからない。 そして、久我くんはこんな状況にもかかわらず、いつもどおりの、まったく普通のテンションで私たちを見ている。 (な、何故!? 何故いきなりメイド服を着せられているのですか!? 何故、睦月は疑問を持っていないのですか!?) 「もーちゃん、ちゃんと大きな声でお迎えしなきゃだめだよ!」 「お、大きな声で?」 「そうだよ。ほら、もう一度!」 「う、うう……お、おかえりなさいませ…ご主人様…」 「もう……やっぱり声が出てないなあ」 「二人とも、ただいま」 何か言うのかと思ったら、出てきた返事がこれだ。 (久我くん! どうして、この状況に対して何のコメントもしないんですか! そこはつっこむとこでしょう!?) (しかも私がこんな格好をしているのに……こんな、こんな……!) よくわからないこの状況も、久我くんの反応も腹立たしい。 あとご主人様と言わせられるのも。 まったくどうしてこんな状況になっているのだろう。私は久我くんに仕えた覚えはまったくないのに。 「お茶をいれますから、奥の椅子に座って待っていてくださいねー」 「ああ、わかった」 睦月に言われるまま、久我くんは私の専用席に遠慮なく座る。 まるで最初から、久我くんがそこに座っているのが決まっていたよう。 「あ……そこは、私の……」 「ん? どうしたモー子」 「い、いえ、ですからその席……は……」 「もーちゃん、わたしはご主人様の肩を揉むから、お茶のご用意を!」 「え!? わ、私が!?」 睦月が久我くんの肩を揉む理由も、私がお茶を用意しなければいけない理由もわからない。 ぽかんとしていると、睦月は久我くんの肩を揉みながら困ったような顔をしてしまう。 「そーだよ。ほら、早く早く……コーヒーのいれ方わかるよね?」 「そ、それはわかりますけど、でも、あの……」 「じゃあ、そっちはお願いね」 「え……あ……は、はい……」 私に指示を出した睦月は久我くんの肩を揉んだままだ。 困ってしまい睦月をじっと見つめると、視線だけで 『早く』と急かされているようだった。 (どうして私がこんな事を……でも、睦月が言うんだから何か深い深い理由が……) 「もーちゃん、どうしたの? コーヒーだよ」 「どうした、モー子。いれてくれないのか」 「わかりました。コーヒーですね……ぶ、ブラックですよね?」 「ああ、そうだ。俺の好みがよくわかってるじゃないか」 「好みも何も、きみはいつもブラックではありませんか」 「もーちゃん! ご、主、人、様! あとちゃんと敬語使わなきゃだめだよ! ご主人様なんだから!」 「えっ…あ、は、はい……」 「別に少しくらいはいいのに」 「だめですよご主人様。オンとオフの切り替えはきっちりしないといけないのです」 「う、うう……」 「それじゃあ、もーちゃんにそっちはお任せするから、肩揉みが終わったら、わたしはお茶菓子の用意をするね!」 釈然としないまま、私はコーヒーを用意することになってしまった。 村雲くんが入る前は自分で入れたりもしていたので、もちろん入れること自体は問題なく出来るのだが……。 「ご、ご主人様……コーヒーが入りました……」 ――ソーサーの上にコーヒーの入ったカップを置き、さらにそれをトレイで運ぶ。 そんなことは今までしたことがない。 「う、ううう……」 (カップだけ持つのとは全然違う…手の揺れが全部伝わってしまう…!) おまけに私は何故かこんな格好をさせられているし、何故か久我くんのことをご主人様とか呼ばされているし。 ただコーヒーを運ぶというだけの事のはずなのに。 複雑な気持ちと羞恥心とかが混じりあって、自分でもよくわからない精神状態になってしまっている。 「もーちゃん、平気? 代わる?」 「だ、大丈夫です。こ、声をかけられると……しゅ、集中力が途切れます……」 「う、うん……わかったけど……」 「おいおい、大丈夫か?! 緊張しすぎだ、モー子」 「そ、そうは言いますけど……あの……」 コーヒーを運ぶだけで緊張してしまっている私に、久我くんが声をかけてくれる。 心配してもらっているのだと思えば、少しはその緊張も……。 「お前、こういうのヘタなんだから、無理せず花立に頼めばいいのに」 「な、なんですか! その言い方は! まるで私が何もできないみたいじゃないですか!!」 「何怒ってんだ、事実を言ったまでだろうが」 「だだだだ大丈夫ですから!! 久我く……いえ、ご、ご主人様はそこに座っていてください!!」 「本当に大丈夫かぁ?」 「だ、大丈夫ですから……あと、少しでそちらまで行けま……あ……!」 「ひゃああ!! もーちゃん! ご主人様!!」 「あ、ああああっ!!!」 「あっつ! 熱い! あちぃ!!!」 「ご、ごめんなさい! ごめんなさい、久我くん! ど、どうしたら、ああ、ああ……!」 「大変! ご主人様のズボンびちょびちょだよ!」 「え、ええ!??!? は、早くズボンを脱がさないと火傷して……!」 「そうだね! 早く脱がしてあげなくちゃ!」 濡れてしまったズボンは、確かに股間の辺りが染みになっていた。 私のせいで久我くんが火傷をしてしまったらと思うと気が気ではない。 「え!? え、い、いや、それは、あのちょっとまずくないか!?」 「何を言うんですか! 早く脱がないと大変なことになりますから!」 「そうですよ! ほらほら、ご主人様早く!」 「お、おう、う……」 ズボンだけでなく下着まで濡れていた為、一気に全てを脱がせることになってしまった。 でも、あのまま火傷をされていたら大変だし……。 「うわああ……」 「……! む、睦月は見てはいけません!」 「え、でも……見ないと綺麗にできないよ? それにもーちゃんは見ていいの?」 自分は何度かもう見たことがあるから……なんて、睦月に言えるわけもなく。 とにかく私は勢いでその場を誤魔化そうとしてみる。 「私が拭くので大丈夫ですから!」 「いやいや! せめて自分で拭くから!」 タオルを取り出すと、久我くんは困ったような表情を浮かべていた。 そんな姿を見ていると、なんとなく意地悪したいような気持ちになる。 いつもいつも意地悪ばかりされているから、時にはやり返したい気分になっても仕方がないだろう。 「いいえ! 私のミスです。ですから、私がやります」 「いやだってお前……」 「ですから、じっとしてください。今、タオルで……」 「………。わかったよ。お前に任せる」 もっと嫌がるかと思ったのだけれど、久我くんは意外に素直に引いてくれた。 睦月の前にいつまでもこんなものを晒しておけないし、私としても助かる。 けれどそっとタオルを押し当てようとすると、何故か久我くんはそれを制した。 「……でも、タオルじゃなくて舌がいいな」 「は!?」 思わず顔を上げると、久我くんが少しニヤニヤした様子で私を見つめている。 私がコーヒーを零したから……それとも、意地悪したい気持ちがバレたのか……。 どちらにせよ、そんなことができるわけがない。 「聞こえなかった? 舌でコーヒー、舐めとってくれよ」 「聞こえているから聞き返したんです! そんなことできるわけないでしょう! もう自分で拭きなさい!」 言い返しながら思わずタオルを投げつける。 すると、そのタオルを拾いながら、睦月がそっと私の顔を覗き込んだ。 「もーちゃんはしたくないんだね?」 「え、え?」 「だったらわたしがやるね。ご主人様の命令だから」 何事もなかったかのように、にこりと笑って睦月はそう言った。 「え! えええええ?!??! だ、だだだめ! 睦月はそんなことをしちゃだめだから!」 「でも、ご主人様の命令だから」 「命令だからって言ってやっていいことと悪いことがあるんです! これはやっちゃいけないタイプの命令なんです!」 「でも、わたしたちご主人様のメイドだし。命令はちゃんと守らなきゃいけないんだよ?」 「だいじょーぶ大丈夫! もーちゃんが無理ならわたしがかわりにやるから! ね!」 「大丈夫なわけありません! それに、睦月にそんなことはさせられませんから、私一人でしますから!」 「え、そうなの? したくないんじゃなかったの?」 「し、した…したくは……」 必死に久我くんの方をチラチラと見て助け舟を要求してみるが、彼はニヤニヤ笑っているだけで何も言ってくれない。 (くぅう…久我くんのばか…! 睦月を引き合いに出させるなんて、卑怯です! 最低です!) 「したくないんだったら、無理しなくてもいいんだよ! わたしぜんぜん平気だから!」 「……………したいです……」 「そ、そう…? なの? もーちゃん大丈夫…?」 「大丈夫ですから! ちょっと下がっていてください! ほんとに私は大丈夫ですから!」 頑なに譲ろうとしない睦月を下がらせ、一歩前に出て久我くんのものを見つめる。 そっと見上げると、まださっきの意地悪そうな表情でじっと見られていた。 「じゃあ、モー子頑張って。舌でな」 「わ、わかってます! ……んっ」 ゆっくりと唇を開き、舌先を差し出してそっと舐め始める。 その瞬間、口いっぱいに広がったのはコーヒーの苦い味。 「に、苦い……」 「それで終わりか? それじゃあ、コーヒーは落ちないぞ」 「わ、わかって、ます……んう、ん」 もう一度舌先を近付けて、根元からゆっくり舐めあげる。 舌先を動かす度に伝わる苦味が、辛くてたまらない。 久我くんは、どうしてこんなものを美味しいと思うのか理解もできない。 「ん、んぅ……んう……」 それに、舐めていると段々熱を帯びてくるし、硬さも増しているような……。 「もーちゃん、そんな辛そうな顔して無理しちゃダメだよ。やっぱり一緒に頑張ろう?」 「えっあの……そんな、一緒にはしなくてもいいですから……」 「どうして? 二人でした方が早くすむよ」 「で、でも、あの……睦月は……」 「いいから、一緒に……んっ」 「……あっ!」 私が止めるのも聞かず、睦月は舌先を差し出して久我くんのものを舐め始めてしまった。 しかも、舐めていることも、コーヒーの苦味も気にしている様子がない。 「ん……んんっ、んぅ……ん、ちゅ……」 「む、睦月……だから、こういうことはあなたはしてはだめ……!」 「はあ、ん……ほら、わたし平気だよ…? んむ」 「……んっ。うまいぞ、花立」 「う、んぅ……ん、ご主人様が喜んでくれるなら……はあ、は……んっ」 (久我くん…! 睦月にされて、あ、あんな顔をするなんて……!) 「……っ! わ、私も、やりますから!」 睦月だけにやらせるわけにはいかない。 もう一度顔を近付け、舌先を差し出してまたそれを舐め始める。 苦味は相変わらずで辛いけれど、睦月がしているのに私がしないわけにはいかない。 「ん……んぅ。ん、はあ……はあ……」 「んっ、んんっ……ちゅ、ちゅ、んむ……」 「はあ……二人とも、ん……もっと……」 「ふぁあい、ご主人様ぁ……ん、んっ」 「んん……は、は、い……」 私が先端を舐めると、睦月は根元を熱心に舐めていた。 睦月のようにできればいいのに、苦味が引かないせいで控えめにしか舐められない。 それでも先端を必死に舐めて、時々顔を少し移動させて舐める場所を変えたりする。 「は、んんぅ……んっ、ん、ちゅぅ……」 「……んっ!」 「あっ! い、痛かったですか?」 先端の方を何度も舐めていると、久我くんがビクンと震えて声を出す。 驚き顔を上げてじっと見つめ、恐る恐る聞いてみると、久我くんは笑みを浮かべながら私の頭を撫でてくれる。 「あ……」 「大丈夫。気持ちいいから、そのまま続けて」 「わ、わかりました。続けます…よ…?」 「ご主人様……どうしたら気持ちよくなるのか、わたしにも教えてください」 「む、睦月はもう充分よくやってると……」 「え? そうかな。でももーちゃんと一緒にならもっと頑張れるもん」 顔を上げて同じように尋ねた睦月の頭も撫で、久我くんは優しい笑みを浮かべた。 「じゃあ、モー子は先端の、カリんとこを舌先を使って舐めて、花立は舌全体でアイスを舐めるように下から舐めてみて」 「わ、わかりました。先端ですね」 「わたしは下からゆっくりですね」 久我くんはそういうのが好きなのか、と思って先端に目をやってから、ようやく気付いた。 出された要求は、すでにコーヒーを舐めとるものから逸脱してしまっている。 なんとなく、そんな気はしていたけれど……。 でも、今ここにいるのは私一人ではないのだ。やはり抗議しておくべきだろう。 「………あの」 「どうしたのもーちゃん?」 「いえ、あの…もう手段と目的が入れ替わってしまっているような気がするんですが。私だけならともかく、睦月まで巻き込むのはどうかと…」 久我くんは私の話を聞いているのかいないのか、にっこり笑うと言い放った。 「それじゃあ、頼む」 「頑張りますね、ご主人様……は、んむ……んっ」 「む、睦月! だからちょっと待って! 久我くんも止めてください!」 「……んっ…もーちゃんは、しないの?」 「…うぅ、それは……私は……」 「別にどうしても嫌だって言うんなら、しなくてもいいけど」 「っ、嫌ですけど! どうしてもって言うほどでもないですから! わかりました! すればいいんでしょう!」 半ばやけになりながらも、久我くんの要望どおり先端に顔を近づける。 「んんっ……ん、ちゅ……ちゅぅ、ん、ふ」 ようやくコーヒーの苦味はなくなっていた。 舌先を何度も動かして先端を何度も舐めて、久我くんが言うカリの部分を刺激するように口付け舐める。 「は、ん、んんぅ……ん、また……苦い……」 折角、苦味がなくなったのに先端からまた苦いものがあふれる。 でもこれも舐め取らなければいけないと思い、必死に吸い上げていく。 「はあ、はあ……ん、んんぅ。ん、ふぁ」 「ちゅ…んぅ。んん、ご主人様、気持ちいいれふか?」 「ああ、二人とも上手だからな」 そう褒めながら、久我くんがまた頭を撫でてくれた。 その程度で少し嬉しくなってしまい、また必死に先端に吸い付き舌先を動かした。 すると、久我くんのものがびくびくと脈打って、先端からまた苦味があふれる。 「は、んぅ……ん、全部……ん、んぅ」 「もーちゃん、わたしも頑張るね……は、んむ、ん、ちゅぅ……っ」 「はあ……あ!」 睦月と二人で必死に舌を動かし、久我くんのものを舐め続ける。 先端を舐めるとまた脈打ちながらあふれる苦味をすくい取り、睦月も必死に根元を舐め続けていた。 吐息がかかり、触れ合いそうなほど近い睦月のうっとりした表情と、むせ返るような久我くんのにおい。 「ふぁあ……あ、ん、んっ……! は、んむ」 「あ、んぅ……ふ、あぁ……ん、ちゅぅ……ちゅ」 どう考えてもおかしいのに、睦月の表情や、このにおいのせいか頭がくらくらしてしまう。 それに、私がこうすることで、久我くんが反応してくれることがやっぱり嬉しくて……。 「はあ、はあ……は、んんぅ! ん、ちゅぅ……ふ、はぁっ、あんっ」 「んっ、んんっ……ん、ちゅぅ、ちゅ…はあ、はんっ」 「はあ……モー子、花立……っ!」 呼吸を荒くした久我くんのものが、びくびくと何度も脈打つ。 もっとだろうかと思いながら睦月と視線を合わせ、今まで以上に舌先を動かしものを舐めあげる。 「二人とも……もう!」 「え……」 びくりと一瞬、久我くんのものが震えた。 「……んっ!」 「……ひ、あっ!」 「きゃっ!」 目の前のものが震えた次の瞬間、顔いっぱいに勢いよく精液を飛ばされてしまった。 「あ……ああ……」 「ふあぁ……」 「な……なんてことするんですか!! 私はともかく、睦月にまでこんなものを!!」 「こんなものってお前な……」 「ああ……睦月大丈夫? 今すぐ拭いてあげるから!」 「ふふふ。もーちゃんもわたしもべたべた……お揃いだね」 私の心配を気にもとめず、睦月は無邪気な笑みを浮かべている。 「も、もうちょっと気にして!」 「もーちゃん、どうしたの?」 「どうしたのじゃないです……もう……」 零したコーヒーを拭き取るために用意していたタオルで、汚れた睦月の顔をぬぐう。 すると、睦月もポケットからハンカチを取り出して私の顔を拭いてくれた。 「とにかく、これでコーヒーは拭き取れたんですから、久我…ご主人様は早くズボンをはいてください」 「あ、いや。うーん……」 久我くんの返事は釈然としない。 良くない雰囲気だ、と何となく私は思っていた。 何か彼が、またとんでもないことを言い出すのではないか……。 「二人とも、悪いんだけど……」 「どうしました、ご主人様?」 「またちょっとムラムラしてきた……」 「は、はい!?」 次から次へと、一体何を言い出すのか理解が追い付かない。 しかも、また当たり前みたいな顔をして……。 「おさまらないから、ちょっと相手をしてほしいんだけど」 「はぁ!? 相手ってまさか……」 「えー? わかるだろ? はっきり言ってほしい?」 「いりません! ふざけないで下さい!」 「わかりました、ご主人様。これもメイドの務めですから……私を好きにしてください」 「ええええええっ!!??! 睦月!?」 「ああ、わかった。ありがとう花立」 「それじゃあ、机に手をついてこっちにお尻向けてくれるか」 「はぁ〜い」 そして、睦月もまた当たり前のように久我くんに答えると、言われた通りに机に手をついて立つ。 「だだだめだめだめです! そんなの、絶対にだめ! 久我くん! いい加減にしてください!」 「なんだよ、お前はしたくないんだったら、花立に頼むからいいだろ」 「いいわけないでしょう!! 睦月は私の親友なんですよ!? そんなことさせられません!」 「わたし大丈夫だよ? これもメイドのお仕事だもんね」 「その認識は間違ってるから! こんなのお仕事じゃないから! 久我くん! 睦月を止めてください!」 「……うーん、でもなあ…こう盛り上がっちゃったものは収まりがつかないというか」 「もう! わかりました! わかりましたから! 私がしますから!」 慌てて私も睦月の隣に並び、恥ずかしいけれど久我くんに向かってお尻を突き出す。 「こ、これでいいでしょう! だからもう睦月は巻き込まないでください!」 「もーちゃん、わたしのこと心配してくれてるの? 大丈夫だよ? もーちゃんこそ無理しなくても」 「そうだぞ、嫌なら無理にしなくても」 「ぅうぅ、もう〜!! いやじゃないです! 無理じゃないですから!!」 「ほ、ほんとに? 大丈夫なの?」 「本当です…大丈夫ですから…だから、睦月とは……」 こんなこと、睦月にさせるわけにはいかないし、それに久我くんにもしてほしくない。 もうこうするしか、二人を納得させる方法がないのだから、仕方がない。 私は羞恥心を必死に押し殺して、久我くんに言った。 「わ、わたしを好きにしてください……」 「わかったよ、モー子がそれでいいならそうさせてもらおうかな」 そして、突き出した私のお尻を軽く撫でる。 「……っ…」 「うーん、何か今日はこのままがいいかな」 「え…?」 「え? え、ふ、あぁあっ!」 何かを呟いたと思ったら、彼はいとも簡単に私のお尻を覆っていた編地を破り割いてしまった。 そして、下着の一部をずらすと私の割れ目を指先で軽く突き始める。 「ふぁっ! あ、あっぁあっ」 「ん……モー子、もう濡れてるじゃないか。俺のを舐めながら濡らしてたのか?」 「あ、いや……ふぁ、あっ! そ、そんなこと、言わないでくださ……あっ!」 「別に恥ずかしがらなくてもいいんだけどな。そういうとこも可愛いし」 「は……ひぁ! あ、ああっ……」 指先を動かされ、軽く撫でられるだけで全身が震えてしまう。 恥ずかしくてたまらないのに、久我くんの指先の動きに反応してしまう自分がいる。 「これだけ濡れてたら、大丈夫だな……じゃあ」 「……あ! あ、んんぅ!!」 指を引き抜いた久我くんは、遠慮することなく一気に私の中に自分のものを進ませた。 「んん……モー子……!」 「はあ、あ……あ、あ、ふぁあ……!」 「すごい、もーちゃん。ご主人様のが全部入ったよ」 「あ、あああ……だめ、睦月……だめ、こんなの……見ないで……!」 「お? モー子、見られて気持ちいいのか?」 「な、何を言って……は、ひああ!!」 私が言い返す前に、久我くんは腰を揺らして奥へと突き上げてきた。 何度も何度も身体を揺らされ、奥の深い場所まで硬い感触が届いて、お腹の内側が熱くなる。 「はあ、は……あ! あ、あぁあっ!」 「モー子……はあ……」 「ふぁあ、あっ! あ、ぁああ、奥まで……こんな、ああっ!」 「もーちゃん、可愛い……」 「だめ、睦月……こんな! こんなの、あぁっ! あ、ふぁあっ!」 睦月の前でいいようにされて、こんな恥ずかしい姿まで見られているのに……。 抵抗できず、されるままになってしまう。 おまけに奥まで届く感触は私の身体を熱くして、恥ずかしくてたまらない筈なのに、ひどい快感を与えている。 「んん……! 奥、また締まったな」 「ま、た! そんなこと……あ、ふぁ、う! いや……嫌ですっ!」 「嫌なわりには……また、締め付けるけどっ」 「ふぁああ! あ、ああっ! や、そんな……意地悪、あっ! あっ!」 「もーちゃん……すごい、気持ちよさそう……」 「ん……花立も、我慢できなくなってきたか?」 「え?! あ、ああっ!」 「あ、ふぁあっ……あ、ご主人様の指がぁ……!」 「んん……? 花立も気持ちよくなりたいよな」 「ふぁあ、あっ! あ、ああ……もーちゃんと、一緒に……あ、んっ!」 「ひ…う、ふああっ! あ、あっ…なに…! ……あ、あっ!」 何度も突き上げられ、全身の震えが止まらない。 身体の深い場所が熱くて、気持ちよくて、もうこれ以上は身体がおかしくなりそう。 「ご主人様ぁあ……ふぁあ、ああっ! あ、あっ、気持ちいぃ……ひ、あっ!」 「ん……素直でいい子だ……」 「あ、ああっ! む、睦月にまで……な、何を! あ、あっ!」 「もーちゃん……もーちゃんと、一緒にわたしも……ふぁあっ!」 いつの間にか、睦月も同じように声をあげていた。 乱れて頬を真っ赤にする睦月を目の前にして、頭が余計にぼうっとしてしまう。 それに、久我くんの激しさは止まらなくて、奥までまた何度も硬さが届いて……。 「モー子……もっと、欲しい?」 「はあ、はあ……あ、あっ! こんなに、たくさん……や、ああ……はあ、ああぅ」 「じゃあ、もっとだな……っ!」 囁くように言いながら、久我くんがまた腰の動きを早くする。 何度も奥まで届き、そして内側を擦られるような激しさ。 久我くんのものも脈打ち、奥で何度も熱い感触を伝えてくる。 「ん……モー子も、もう少しで…」 「ふ、ぁああっ! あ、あぁあ! 奥まで、そんな……あ、ああっ!」 「そのまま、イッていいから」 まるで私のことならすべてわかっているとでも言いたげに、久我くんが今まで以上に深い場所を突き上げてきた。 その激しさに、為す術もなくされるがままになるしかない。 「こ、これ以上はだめぇ……! こんな、ぁあ、あっ! こんなのは、私……もう、もう……っ!」 「俺も……もう、すぐ……!」 「あ、ふぁあっ! ああ、あっ! ご主人様ぁあ……あ、もーちゃん! あ、わ、わたしもぉ……!」 奥まで届く感触に全身がまた震え、身体中を大きな快感が通り抜けた。 「ふぁ、あぁあ……ああぁぁあぁっ……!!!」 「ん……モー子っ!」 「ふぁあ、あっ! あ、あぁあっ……!!」 瞬間、耐え切れずに大きく声を出しながら達してしまうしかなかった。 そして同時に、私の中で久我くんのものが大きく脈打ち、勢いよく熱い感触が注ぎ込まれた。 「ふぁあ、はあ……はあ……」 「あ……ああ……」 「はあ……はあ……」 睦月も一緒に達してしまったようで、うっとりした表情を浮かべて呼吸を整えていた。 「ああ……モー子、すごく気持ち良かったぞ」 「んんっ……! あ、そんなこと……」 満足げに言いながら久我くんがものを引き抜き、お尻をそっと撫でる。 それにも身体は反応して震えてしまい、引き抜かれた勢いで中にあふれた感触が外に漏れ出す。 「はあ……ぁふ……」 でも、その感触はどこか気持ちよくて、なんだかずっと、このままぼんやりしていたいような……。 そんな気分になっていて、私はその瞬間だけ、隣にいた睦月のことを完全に意識の外に置いてしまっていた。 「はぁ……ご主人様ぁ……わたし、なんだか体がおかしいです……じんじんします…」 「ああ、わかった。じゃあ、じっとしてそのまま力抜いててくれるか」 「はい……こうですか……」 「……え…? 睦月…?」 「はあ……んっ」 「んんぅ……ん、ご主人様ぁ……っ」 「え! あ、あっ!」 ぼんやりしている間に、久我くんは睦月の中に自分のものを入れようとしていた。 腰を揺らして気持ちよさそうな顔をして、睦月も少し緊張しているけど嬉しそうで……。 意識は一気に覚醒し、慌てて身体を起こそうとするけれど、先程の余韻のせいでしっかり動かない。 「だ、だめ! だめです、そんな! だめ! 浮気です! ひどいです! しかも睦月になんてっ!」 「ああ、なんだモー子、まだ足りなかったか?」 「ひ! あ、あっぁっ!!」 必死に訴えているのに、久我くんは何を思ったのかいきなり私の中に指をねじ込む。 そのまま動かされると、いやらしく音が響いて、おまけに全身が敏感に反応してしまう。 「ふぁ、ああ! あ、ああっ……ち、違います……あ、あんっ! そうじゃなくて…ひゃんっ!」 「違うってわりに、いい反応だけどな」 「はあ、あ……はあ、はあ……っ!」 私の中で動く指先は、さっき出されたばかりの精液をかき回して、何度も音を立てる。 奥まで届く指先は敏感な部分を探り当てて刺激し、耐え切れずにまた大きく声を出すしかない。 「中で出したばっかだから、ぐちょぐちょだな」 「はあ、はあ……あ、あっ! や、だ! いや……き、きみのせいじゃ……ないですか…っ!」 「だから、責任もってもっと気持ちよくしてやってるんだろ」 「ふぁああっ! はぁ、あぁんっ…! うぅんっ、ふぁ…」 また奥まで指を入れられ、深い部分をかき回された。 中で指先がばらばらに動き、内側に触れる度に今までと違う刺激が伝わる。 「ご主人様ぁ……」 「ああ、ごめんな待たせて。それじゃあ、花立も」 「んんっ! ん……はあ、あ……!」 「ん……ちょっと、きついな。大丈夫か?」 「だ、大丈夫です……はあ、はあ……」 私の中で指を動かしたまま、久我くんは睦月の中にものを入れていた。 睦月はどうやら初めてのようなのに、こんな……こんな状態で……。 「無理はするなよ」 「大丈夫……ん、もーちゃんも、一緒だから……」 「睦月、だめ……あ、あっぁ! ひぁぁっ、ああっ、ああっ!」 辛そうな表情を浮かべたまま、睦月が私を見つめる。 その表情を見つめていると、久我くんがまた指を動かして中をかき回して来た。 睦月に答えることもできず、また大きく声をあげて震えることしかできない。 「ん……んん……」 「ご主人様……あ、んっ! んっ……!」 「辛いなら止めるから、言っていいんだぞ」 「へ、平気です。このままで、大丈夫ですから」 「じゃあ、わかった」 「あ、あっ! そんな……こと、あ、んっ!」 睦月の中に、何度も久我くんのものが出入りする。 気遣うようなゆっくりした動きに、睦月も徐々に慣れて来たのか、聞いたことのないような甘い声が聞こえる。 「はあ……は、あっ……あ、ああ!」 「んっ! 中……段々、よくなってきた」 「ふ、あぁあっ! あ、こんな…の、初めて…あっ! 中、すごい……っ!」 「久我く、んっ! ふぁあ、あっ、あっ!」 「モー子もちゃんとしてやるから……ほら」 「ひぁあっ! あ、あぁあっ、あんっ」 こんなことはだめなのに、言葉を口にしようとすると中をかき回されて何も言えなくなってしまう。 「はあ、はあ……あ、ふぁあ……」 「花立……随分、よくなってきた……」 「ん……わたしも、中……気持ちよく、あ、あっ! だから、好きに動いていいですからぁ……」 「ああ、わかった。それじゃ、遠慮なく……」 「は、ひぁあ! あ、ああっ!」 睦月の言葉を聞いた久我くんが、私の中をかき回したまま、激しく腰を動かし始めた。 睦月の中からも聞こえるいやらしい音に、嫌でも身体が反応してしまう。 「睦月……あ、あ! こんなこと、あっ!」 「あ、ふぁぁあっ! ご主人様、もーちゃん……あ、んっ!」 「んっ……花立の中も……気持ちいい…」 「はあ、は……嬉しい、です……! ん、あ、ああっ」 久我くんに突き上げられる睦月を見つめながら、指先で中をかき回され続けて全身を震わせる。 久我くんの動きに合わせて、私だけでなく睦月も震えていた。 まるで、二人一緒に突き上げられているような錯覚を覚えながら、何度も身体を揺らされかき回される。 「はあ、は……あっ! あ、ぁあっ! これ以上、もう……あっ! ああぁっ!」 「ふ、ぁあぁう! あ、わたし、も……も、う、こんなの……あ、ああぁっ!」 睦月と一緒に全身を震わせて、いやいやと首を振る。 そんな姿を見つめた久我くんは、更に私を責めたてようと指先の動きを激しくした。 そして睦月も、大きく突き上げられて身体を震わせる。 「あ、あっぁあっ! もう……わたし、このまま……あっ! ふぁああっ!」 「久我く、んっ……んぁああっ! あ、また……また、私……あああぁっ!!!」 びくりと、また全身が大きく震えた。 そして、耐え切れずにまた絶頂を迎えてしまう。 睦月も同じように全身を震わせながら絶頂を迎え、くったりと力を抜く。 「……ん! やば……またっ!」 私たちより少しだけ遅れて、今度は久我くんが身体を震わせた。 今にも睦月の中に、射精しようとしているのだとわかって、私は必死に声をはりあげた。 「だ、だ、だめ! それはダメです! 絶対、絶対だめ!! 久我くん、お願いですから! それだけは!」 「……ったく、しょうがないな。わかったよ」 「あ! ひ、ぁあぁっ!」 達してしまいそうになった久我くんは、睦月の中からものを引き抜くとまた私の中に突き入れる。 今まで以上に熱く、ねっとりした感触に一気に全身が震える。 そのまましっかり腰を掴まれ、何度も激しく動かれる。 「ふぁあっ! ああ、ぁあっ! ふ、ぁあっ! っ!」 「ん……! モー子の中で、出すぞ……!」 「ふぁあ、あっ! あ、ひぁああっ……あ、気持ちいぃ……あ、あっん!」 激しく奥まで貫かれて、今までの余韻に浸ることすらできない。 ただ、久我くんのしたいままに動かれ、激しい快感を与えられ続ける。 それを受け止めるだけで必死で、何もできなくて、ただ身体が大きく何度も揺れる。 「モー子……んっ! 出る……!」 「あ、ふぁあっ! あ、ああっ、んっく、んぁ、ああぁんっ!」 びくんと大きく、私の中で久我くんのものが脈打ったのがわかった。 「……ふ、ぁあああぁぁっ!」 そして、一番深い場所まで突き上げられた瞬間、中いっぱいにまたあふれる熱い感触。 「……はあ、はあ」 「ああ……あ……またぁ……! あっ、熱いの……」 中いっぱいに注ぎこまれるけれど、おさまり切らずにその熱はあふれ出して行く。 そして、ゆっくりと太ももを伝うその熱の感触……。 「よかったねもーちゃん…いっぱい出してもらって……ご主人様気持ちよかったってことだもんね」 「はぁぁっ、あぁっ……いっぱい…あふれて…あぁ…ぁぁ…」 「あ、あれ……」 きょろきょろと周りを見渡すと、よく見慣れた特査分室の中だ。 どうやら、私はまたうっかり居眠りをしていたらしい。 「はあ……あ……」 私は一体、なんて夢を……! 自分だけならいざ知らず、睦月まであんな風にしてしまうなんて……!! 「あ、もーちゃん。ここにいた」 「睦月!! ごめんね、睦月!」 「え? 何? どうしたの、もーちゃん」 「私、酷い夢を見て! ほんとうにごめんね!」 「大事な睦月にまであんなこと……私は最低です、うう……」 「うう……睦月ぃ……」 「おーい、花立。モー子いた……か。ああ、いたのか」 「……っ!!」 睦月のあとから、しれっと部屋に入ってきた久我くんに、むくむくと怒りが沸きあがってくる。 ほんの少し残った理性がちらりと理不尽だとは言っていたけれど……。 「まったく、寮に戻ってないから心配したんだぞ」 「き、きみが全部悪いんです!!!」 「ええ!? 俺、今来たばっかなんだけど!?」 「きみのせいです! きみが悪い!! きみが止めないから! 助長するようなこと言うから!」 「いきなりなんだよ。なんにもしてねーだろ!?」 「真弥と〜」 「そあらの〜」 「時計仕掛けのレイライン、おさらいコーナー!」 「吉田そあらでお送りしてますっ」 「でも怖い目にあった方がきっと出番増えるよ?」 「そ、それより、おさらいだよまーやちゃん! ちゃんとお仕事しないと!」 「はーい。そーでしたー。このコーナーは、時計仕掛けのレイライン、黄昏時の境界線あーんど残影の夜が明ける時のおさらいコーナーとなっていまーす」 「未プレイの人はネタバレだらけになりますので、お気をつけくださいね」 「さて、主人公、久我三厳君は、不思議なメッセージが添えられた天秤瑠璃学園からの案内状を受け取り、この学園にやってきました!」 「学園は魔女と呼ばれる、膨大な魔力と、不思議な力を持った特殊能力者を探していたのです」 「本当はそのメッセージを受け取ったのは、久我くんじゃなくて、久我くんの妹さんだったんだけど……」 「つまり魔女は久我の妹だったわけね」 「久我くんは、妹さんのことを心配して、身代わりに学園に来たんだよね」 「そうして学園にやってきた久我くんですが、クラスメイトの烏丸小太郎君を助けるために中庭の彫刻を踏み壊しちゃいました…」 「その彫像はなんと、この学園の所蔵する不思議なアイテム『遺品』の封印だったのです!」 「封印を壊してしまった久我くんとまるくんは、責任をとるため特殊事案調査分室というところで、遺品のトラブルを解決することになりました」 「こうして三人は、特査としてだんだんと結束を深めつつ、いろいろな事件を解決していくのでした!」 「夜の世界では、その時間にしか現れない、夜の生徒たちが学園に通ってきていました」 「この秘密を守るために、放課後になると風紀委員が校舎を見回って、私達一般生徒を一人残らず寮へと帰していたんだよね」 「でも特査のメンバーは、夜の生徒達からの相談も受け付けているので、この秘密を知っています」 「一般生徒とは違う、特別扱いってわけねー。うーらやましいー」 「でもいろいろ怖い目にあうんでしょ…」 「焼肉…!?」 「そうこうしているうちに、最初は仲が悪かった鹿ケ谷先輩と久我も、だんだんお互いを認めていく感じになっちゃいました」 「うんうん、仲がよくなるのはよいことだよね」 「やったね! 特査の仲間がさらにふえたよ! 元風紀委員の村雲静春先輩も、いつのまにか特査に入ることに!」 「壬生鍔姫せんぱいや、村雲せんぱいのお姉さんも、特査に入っているわけではないけれど、いつでも協力してくれます」 「そんなこんなで、久我は妹の名前を借りているということが学園にバレることもなく、順調に学園生活を送っていたわけです」 「順調…なのかな…」 「色々探してみるものの、手がかりは見つからず……どうしたものかと思っていたら……」 「しかし! そこに忍び寄る! 新キャラの影!」 「ドイツからやってきた、アーデルハイトさんとその執事さんだね」 「二人は昔からある魔術師の名家の人間で、かつて天秤瑠璃学園に寄贈した魔術道具の中に忘れられたあるものを回収しにやってきました」 「確か、アーデルハイトさんのおばあさんの大切なものだったんだよね」 「けれど遺品を保管してある宝物庫には、人間は入ることができなくて。仕方なく遺品が自ら現れるまで待つことになっちゃったの」 「待っている間に、『夜の世界』っていう珍しい現象の起こるこの学園のことを、いろいろ調べていたみたい」 「そして……とある重大な事実に、気が付いてしまうのです」 「一方、特査のメンバーも、ふとしたことから20年前に起こった火事について、学園側が詳細を隠そうとしていることに気付きます」 「お互い、力を合わせて調べたところ、久我くんたちは学園のとんでもない計画を知ることになりました」 「なんと、夜の世界で、夜の生徒たちとして召喚されていたのは、20年前の火事で犠牲になった生徒たちだったのです!」 「そして、犠牲になった生徒たちの魂の入れ物として、西寮の生徒の体が使われていました!」 「わたしとまーやちゃんは東寮、だから勝手に身体をのっとられたりしてないけど…クラスメイトにも西寮の子はいるよね…」 「うん。朝になったら魔術が解けて西寮の生徒達は元に戻るんだけど……でも、学園の狙いは、夜の生徒たちを完全に復活させることだった」 「西寮の生徒達を犠牲にして……」 「そう、西寮の生徒と、夜の生徒を完全に入れ替わらせるための計画をすすめていたんだ」 「それに気付いた久我くんたちは、何とか阻止しようと奔走します。アーデルハイトさんたちも、そんなことは許せないと協力してくれます」 「そしてついに、夜の世界を呼び出していた魔法陣を破壊することができました!」 「最後の最後で、ずっと特査で一緒に頑張って来た烏丸が、魔力の使いすぎで倒れてしまったの」 「まるくんは、自分が20年前の生徒だったことを思い出した、と言います。計画のテストケースとして、昼間の普通の生徒として生活していたのだと」 「元の身体の持ち主を助ける、と、烏丸は消えていきました」 「そして残ったのは、花立睦月……鹿ケ谷せんぱいの探していた大切なお友達だったのです…」 「彼らを助けるためにも、久我くんたちは、20年前の火事について詳しく調べることにしました!」 「一方、逃亡した学園長は……こっそりと計画の再起をはかっているのでした…」 「じゃあこれから『時計仕掛けのレイライン 朝霧に散る花』を楽しんで下さいね! わたしも精一杯がんばるよ!」