――この不思議な学園にもずいぶん慣れた。 子供にしか見えない学園長。 図書館にいる、物静かすぎる少女。 放課後は居残れない校舎……。 『下校時刻になりました。生徒の皆さんはすみやかに下校して下さい……』 今日も、傾いた日差しの中に帰寮をうながすアナウンスが流れる。 いつもは少し不安に駆られていたその声だけど、心が軽くなった今はもうあまり気にならない。 不思議は不思議だけれど、わたしの心にずっと住み着いていた心配事がなくなったから。 「ねえリト、ここに書いてあることに、間違いはないの?」 「……ええ、間違いないわ」 「魔力は遺伝しない。魂そのものがもっている力だから」 「そう……そうなんだ……」 「じゃあ、お母さんのあの不思議な力を、わたしが受け継いでいることはないんだね」 「ないわ。あなたの母親は力の強い人だったのね」 「うん、泣いてる子供をお母さんが撫でるとすぐに泣き止んだり……全然知らない子でもだよ?」 「すごく怒ってた酔ったおじさんが、お母さんに一言注意されただけであっさり素面に戻ったこともあるの」 「これってどういう力なのかなあ? 人の気持ちを操る魔術ってあまり本にも載ってないみたいなんだけど……」 「それは、心に立った波を凪ぐことが出来る力。感情を穏やかな状態に戻すのよ」 「感情そのものを自由に操るのはとても難しいの。遺品の力を借りなければ、普通は出来ない」 「本当!? なら、その……もし、わたしにもお母さんみたいな力があったとしても……」 「例えば、あまり友達とかに興味のなかった子にね……わたしはその子のこと大好きなんだけど」 「……そんな子に……わたしのことを好きになって欲しい、友達になりたいって思ったとしても、勝手にその力で仲良くなれたりはしないの?」 「無意識にそこまでの力を発揮した例は私は聞いたことがないわ」 「……そうなんだ……。じゃあ、何かの力のせいで仲良くなったんじゃないんだね! 本当に、本当に友達になれてたんだ……」 「あなたに友達がいるなら、その通りよ。あなたの中にそんな力は感じない」 「……ありがとう、リト! よかった、本当に……よかったぁ……」 この学園に来てみて、本当に良かった。 ふと心に浮かんで以来、ずっとわたしを悩ませていた事がきれいに解決してしまったのだから。 ――そうだ、早く連絡しないと。 わたしがここに来ると言った時、ずいぶん心配してたから。 手紙はずっと出していたけれど、戻って来る返事はやっぱり心配そうな文章ばかりだった。 ――ごめんね、結局心配かけて……。 次の休みには一度帰るって書こう。 それで久しぶりに、二人でケーキ屋さんのハシゴしてお茶して……。 胸を躍らせながら机に向かい、レターセットを取り出したその時だった。 突然まばゆい光が部屋中に広がる。 わたしはあっという間にその光に包み込まれていた。 ――なに? なんなの……? 声に出して問う暇もなく、意識が光に飲み込まれ 真っ白になっていった………… 『風紀委員会よりお知らせします』 『学園長室前の廊下で水漏れが発生しました』 『現在、原因の調査と修理のために廊下は通行止めとなっています』 『生徒の皆さんは近づかないようにお願いします』 『以上、風紀委員会からお知らせでした』 「うん。でも、まーやちゃん。あんなところに水道あったっけ?」 「ん〜、そうよね。学園長室の前って、確か水場なんて無かったと思うけど」 「うんうん、これは怪しいわね」 「またぁ。まーやちゃん、そんなことばかり言うんだからぁ」 「だって、変じゃない」 「こんな昼間から、お化けなんて出るわけないよぉ」 「そっかなぁ〜?」 「それにほら、水周りは幽霊が出やすいって昔から言うでしょ?」 「そ、そんなの知らないよぉ。だいたい、まーやちゃん。今自分であそこに水場は無いって……」 「とにかく怪しいのっ。そあら、ちょっと見に行かない?」 「だっ、駄目だよぉ。風紀委員さん達に怒られちゃうよ?」 「なーによー、つまんない」 「でも、本当に何だろうね?」 「だから、水漏れじゃないの?」 「あそこに水道は無いってば」 「どこか別の場所から漏れたのかも」 「まっ、単純にそうかもね。どっちにしろ、何か変なコトが起きたって久我達がなんとかするでしょ」 「特殊事案調査分室って、要するになんでも屋でしょ?」 「お化け退治から水道修理まで、なんでもお任せ! …………みたいな」 「そうなのかなぁ……?」 「まぁ、真相は気になっちゃうけどねー。後で久我達に探りを入れてみよっ」 「もう。ほどほどにね」 「あっ、ちょっと待ってください。この先は立ち入り禁止ですから……」 「あ……いや……」 「ああ、この人はいいんだ。久我満琉さんですよね?」 「あっそうか特査の……どうぞ。通ってください」 俺は軽く会釈をしながら、長いコートを着た風紀委員二人組の横を、するりと通り抜けた。 (久我満琉、ね……) そろそろ慣れるべきだとは思うのだが、下の名前を呼ばれると、まだどこか落ち着かないような気分になる。 まあ、自分の名前ではないのだから、当たり前だが。 今持っている生徒手帳に記された『久我満琉』という名前は、俺の名前ではない。 本当の名前は、久我三厳という。 同じ苗字があらわす通り、俺は久我満琉の兄だ。 わけあって素性を誤魔化して、満琉の代わりにこの私立天秤瑠璃学園へ通っている。 そのことと関係があるともないとも言えるが、ある出来事をきっかけに、俺は少し面倒な仕事に携わっていた。 特殊事案調査分室。 通称、特査。 この大層な名前が今、俺がこの学園で所属している組織の名称だ。 特査の仕事は簡単に言えば、学園内で起きる問題を一般生徒に気付かれないよう秘密裏に処理することだ。 何故秘密にする必要があるのかと言うと、それはつまり……この学園が、普通の学園ではないからだ。 ―――この学園では、まだ魔術が生きている。 「ああ、鍔姫ちゃん」 息を切らせて走ってきたのは二年生の壬生鍔姫。 彼女は元々、さっきの二人組と同じ風紀委員だった。 色々あって風紀委員は辞めることになったが、今では一人の生徒として何か問題が起きる度に俺達に協力してくれている。 「この先が現場だろ?」 「ああ。放送でも注意を呼び掛けたが、興味本位の生徒が近づかないように、付近の階段は風紀委員が封鎖している」 「来る時に会ったよ」 コートを着ているという服装からしてもそうだが、この学園の風紀委員は少し変わっている。 今回のように特査の仕事のサポートもしてくれるが、一番大事な役目は、放課後になったら生徒達を直ちに寮へ戻らせることだ。 理由は、夜になると普通の生徒に見られては困るものが現れるからなのだが――。 「それで……巻き込まれた生徒はどうしてるんだ?」 「音楽室に隔離だ。使用者はすでに気絶していたので、保健室に運ばれた」 「へぇ、なんか、今日の風紀委員は手際がいいな」 「風紀委員長が自ら指揮をとられているからな」 「えっ? 委員長……?」 「どうした?」 「そういや、風紀委員長っていたんだったな」 「それはそうだろう」 存在は聞いた事あった気がするけど、見た事はない。 ふ〜ん。これまでは鍔姫ちゃんが、風紀委員の前面にずっと立っていたからな……委員長は何をしてたんだ? 「で、その委員長って誰なんだ?」 「聖護院さんという三年生だ。知っているか?」 「いや、知らない……って言うか、すげえ仕事の出来そうな名前だな」 「実際出来るよ。それに、私や村雲が立て続けに委員を抜けてしまっただろう? それもあって、頑張ってくださってる」 「なるほどね。村雲はともかく、鍔姫ちゃんが抜けたのは痛いだろうからな」 鍔姫ちゃんは軽く笑い、本題に入ろう、と真剣な表情を浮かべる。 「……ああ。使用者が気絶したってことは、すでに魔力は尽きて、代償を払ってる可能性が高い状態ってわけか」 「とっとと遺品を止めないとな」 「うん」 『遺品』とは、この天秤瑠璃学園が秘密裏に所蔵している魔術道具のことだ。 学園の創設者クラール・ラズリットによって世界中から集められたらしい。 遺品は種類によって様々な効果を発揮するが、扱うためには使用者の魔力が必要だ。 魔力が足りないと、何らかの代償を求められる。 今回の場合は使用者が気絶しているので、代償は体力か、睡眠か、精神力か、そのあたりだろう。 そういうある意味危険な品なので、本来は学園の地下にある宝物庫で厳重に管理されているのだが、しばしば外部に漏れ出てしまう。 これは遺品が、力を必要としている人間の元へ引き寄せられる性質があるからだとか。 とにかく、そういった遺品の回収が俺達特査の主な任務の一つだった。 「うわあああ! こっち来んなあああ!!」 「……!」 「おまる?」 「だってえええええええ!!」 二人の男子生徒が全力で廊下を駆けてくる。 小柄な方は烏丸小太郎。 同時期に特査に入ったクラスメイトで、俺の本当の素性を知る一人だ。 もう一人は村雲静春。 どう見ても、風紀を乱す生徒としか思えない、元風紀委員だ。ちなみに一応先輩でもある。 「……って、あれか。遺品は」 「そのようだな」 「あっ、久我! おせーぞ、てめぇっ!」 「みっちー!」 二人を後ろから追いかけているのは、ひらひらと宙を舞う古びた楽譜だ。 かなり異様な光景だが、これまでにも特査の仕事で幾つもの奇妙な事件に遭遇した俺は、もうある程度慣れっこだ。 「くっそっ、速ええっ!」 「追いつかれるうううっ!」 廊下を走る二人が階段の手前に差し掛かる。 よし、この辺りだな……。 「おい、村雲。そこで止まれっ」 「ばっ……なんでオレが!? おい、烏丸! お前が止まれっ!」 「すみません、無理ですっ! おれは止まれませんっ!」 「なんでだよっ!? オレだって……」 「早く止まれって! 止まらねえとスミちゃんに言いつけるぞ!」 「て、てめっ……卑怯だぞ!?」 村雲のちょうど頭の上まで来たところで、楽譜がまばゆい閃光を放った。 「あっ、あっ……ああ……」 「村雲先輩……大丈夫ですか?」 「……」 「こ、校歌かよ……」 魂の抜けたような顔で高らかに校歌を唄う村雲。 その頭上で、楽譜が楽しげに舞っている。 事前に聞いていた話だと、この遺品は使用者の、好きな歌を唄わせるそうだが……。 「さすが村雲先輩……真面目だ……」 「おまるはよっぽど、唄いたくなかったのか」 「年月に栄えゆく〜春の園〜♪」 「……そろそろ止めてやってもいいんじゃないだろうか」 「あ、そうだ」 あまりに愉快な光景なので、目的を忘れるところだった。 俺はちらりと階段の方に目をやる。 「モー子! 今だ!」 「……了解です」 合図を受け、一人の女子生徒が階段の上から颯爽と現れた。 「鹿ケ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 彼女はナイフで手のひらを切ると、取り出した札にその血を塗りつけた。 楽譜は彼女の存在に気付いたのか、村雲の頭上で舞うのを止め、くるりと方向転換する。 しかし、呪文の詠唱の方が早い。 封印の言葉とともに、楽譜は札を貼りつけられた。 ただの古びた楽譜に戻り、はらりと村雲の頭に落ちる。 「あっ……」 「相変わらず、見事な手際だな」 「いえ、風紀委員のおかげです。彼らの迅速な対応があって、こうして追い詰めることが出来ましたから……」 モー子はそう言うと、あまり表情を変えずに、落ちた楽譜を拾い上げた。 彼女の名前は鹿ケ谷憂緒。特査の中心メンバーで、俺の素性を知るもう一人の人物。 見た目通りの理知的な、常に冷静過ぎる態度が、周囲の人間をあまり寄せ付けない。 特査に入った頃は、俺も衝突が絶えなかったが、今では少しは上手くやっている……と思う。モー子などという面白い呼び方も受け入れていることだし。 「み、みっちー……」 「おいコラ、久我! オレに当てつけで言ってんのか!」 「考え過ぎだ」 「おかげで、ひでー目にあったぞ、くそ!」 「何も恥じることはない。見事な愛校精神だったぞ?」 「うぅっ……」 鍔姫ちゃんのフォローが苛めているようにしか聞こえない。 もちろん、彼女は本気で慰めているのだが。 「くくっ……はははっ」 「ぎゃーぎゃー騒ぐなって。静春ちゃんこそ懲罰労働中だろうが。特査に貢献できて光栄に思え」 「その呼び方をするんじゃねー!」 「名前にちゃんづけされて何が嫌なんだ? 親しくっていいだろう。静春ちゃん」 「あれは事故だ、事故」 「この野郎〜……」 「いやー、ご苦労ご苦労!」 バン、と勢いよく扉が開いた。 「ぢー」 このにぎやかな人は九折坂二人。 子供のように見えるが、れっきとした天秤瑠璃学園の学園長だ。 首に巻いている生き物は、彼女いわくお友達のオコジョ、ニノマエ君だそうだ。 どうやって、意思の疎通をしてるのかは一切不明だが、たまにああやって会話している。 謎だ……。 「うーん、それにしてもさっきの久我君と鹿ケ谷さんは見事な連携だったねぇ」 思わず顔を見合わせる俺とモー子。 すぐさま何か否定の言葉を出すかと思ったが、モー子は俺が答えるのを待っているのか、何も言わない。 「何度もやっていますから……」 「ん?」 「……あ、いや。はい」 「……」 答えようとした声が被る。 結果的に俺が返事することになったのが気に入らなかったのかもしれない。 「何度もやっていますから……」 「ほほう」 返事の言葉が被った。 もう一度目が合うと、モー子は少し面白くなさそうに顔を逸らしてしまう。 俺と言葉が完全に被ってしまったのが気に入らなかったのか? いや、それだったらそれでもっと睨んできそうな気もする。 「そんなこれみよがしに目逸らさなくてもいいのに」 「逸らしていません。妙な言いがかりをつけるのはやめてください」 「言いがかりって。実際逸らしただろ」 「もう、学園長の話の途中だよ。二人ともそれくらいにしときなよ」 「………」 突っ込もうとしたらおまるに止められてしまった。 いやでも、今のは確実に目を逸らしていたと思うんだが。 「どうも……」 「うん! 実に素直でよろしい! その調子で頑張ってくれたまえ」 「宝物庫の封印が無くなってしまった今、君達の存在は大変ありがたいよ」 「それは封印を壊した俺に対する嫌味ですか」 「はっはっは! いや、これはすまない。別にそんな気はなかったのだけどね! あっはっはっは!」 「ふむ。特査の活躍も見事だったが、壬生さん。君もよくやってくれている」 「しかし、壬生さんは大事な体なのだから、あまり無理はしないでくれよ?」 「いえ。そんなに大したことはしていませんから」 学園長は豪快に笑いながら、部屋の中に戻っていった。 「……遺品を宝物庫に戻さないと」 「あ、ああ。そうだな」 「何を慌てているんだ、二人とも? チームワークが良いのはいいことじゃないか」 「別に慌ててなんかないって」 「いいえ、まだまだです」 やけに強い口調で否定する。 「んん? そうか? 俺はバッチリだったと思うけどな」 「どこがです? 例えば、封印のチャンスを知らせるタイミングは、もう少し早く出来たはずでは?」 「ああ、その通りだ」 「まー、あまりにも面白い見世物だったからなー」 全力で校歌を唄う村雲は、思い出すだけで愉快だ。 「なんだとてめぇっ!?」 「……それに、待機場所もベストだったとは言えません。位置的にはあと多少……」 「いいじゃねーか、ちゃんと封印できたんだから。相変わらず細かいなぁ」 「よくありません」 「まあまあ、二人とも落ち着いて」 「ああ。反省会は後でするとして、私達の仕事はまだ残っているからな」 「そうですよ。はぁ、このややこしい楽譜、さっさと地下にぶち込まないと」 「そうだな。久我くん、頼んだぞ」 「ああ。倒れた使用者のこととか、そっちの方は任せても大丈夫か?」 「任せてくれ。私と風紀委員でそちらの処置はやっておく」 「わかった」 鍔姫ちゃん、風紀委員会からは抜けたのに結局また、特査と風紀の両方から頼りにされている。 それなのに、こんなに活き活き働いて……本当に真面目だよなぁ。 遺品を持って地下に降りてきた。 ここは学園の図書室だ。 膨大な量の書籍が収められた本棚が並び、とても、地下にあるとは思えない敷地面積だ。 わざわざ図書室を地面の下に造った理由も不思議だ。 この広々とした部屋のさらに地下に、遺品を保管するための宝物庫がある。 「もう済んだの? 早かったわね」 「よぉ、リト」 書架の奥から現れたのはリトという名の女子生徒だ。 普段から図書室に籠もりきりで、クラスも学年も謎の生徒だ。 わかっていることは、とりあえず彼女が特査のサポートをしてくれる点。 それと、ここにある膨大な量の本をすべて読破して、その内容を完全に覚えているということぐらいだ。 ちなみに、俺は年齢も不明な彼女をずっと、さん付けで呼んでいた。 が、割と仲良くなったので、試しに『さん』を取ってみたらそれでいいと言われ、今では呼び捨てになっている。 「ええ。これは私が宝物庫に戻しておくわ。あなた達はお疲れ様」 「よろしくお願いしますー」 俺達は遺品をリトに手渡すと、特査の分室に戻ることにした。 図書室を抜けて、俺達の活動拠点にやってきた。 特殊事案調査分室が使用している部屋だ。 しかし、図書室が地下なのも不思議だが、この部屋もどうして、こんな奥に造る必要があったんだろうか。 「お、サンキュ。おまる」 「はい。憂緒さんはサンドイッチ。みっちーはチリドッグだよね。村雲先輩はバターロール……」 「ありがとうございます」 「わりーな」 購買からおまるが戻ってきて軽く昼食だ。 遺品騒ぎのせいで、昼休みも残りわずか。 急いで食べないとな。 「静春ちゃん、お茶ー」 「なんでいつもオレなんだよ!? あと静春ちゃんやめろ!」 「当たり前だろ。懲罰労働中のクセに、おまるをパシラせて何様だ? お茶ぐらい淹れろ」 「では、私は紅茶でお願いします」 「烏丸は?」 「ああっ、それじゃえっと……おれも紅茶で……ありがとうございます」 真面目なやつ……。 「うんうん、ご苦労」 「偉そーに」 「それにしてもさー。本当に最近、二人の息が合ってきたよね」 モー子はきょとんとした顔で、俺と村雲を見比べた。 「違います違います。みっちーと憂緒さんのことですよ」 「……は?」 「なんだそれ、どういうことだ」 「んん? あー……まあ、そうだな」 「…………」 「ですよね! 息ピッタリですよね!」 「何も言わないでも、お互い、相手の考えがわかってるっていうかさ……」 「いや、俺はいつも通りにやっただけだし」 「それで、出来るのがすごいんだって。もうなんか長年連れ添ったみたいだよね!」 「これでいつも口げんかするのだけ止めてくれたらなあ……」 「いちいち口出さずにほっとけばいいんじゃねえの、あれはただの痴話喧嘩だろ」 「えっそうだったのみっちー!?」 「違う! なんでそうなるんだよ!?」 「そっかぁ、痴話喧嘩だったのかぁ……なんかいろいろ納得……」 「するな!!」 「………………………………」 「モー子も何とか言えよ!」 「何でもありません」 「……いや、そうじゃなくて」 「何でもないと言ったはずですが? 聞こえていませんでしたか?」 話が通じているのかいないのか、よくわからない。 そんなことを言いつつ、モー子はジャボジャボと砂糖を紅茶の中に放り込み続けている。 「……いくらなんでも、砂糖入れ過ぎじゃね?」 「甘い物は頭の働きを活性化させるんです」 「いや、限度ってもんがあるだろ?」 「大きなお世話です。砂糖の量にまで、口を挟まないでください」 「う〜ん……」 「そんなに入れると、そのうちブクブク太っちまうぞ?」 「……デリカシーの無い発言ですね」 「心配してるんだろーが」 「ふん……私からすれば、きみのかけている唐辛子類の方がよほど異常に思えます」 「どこが? こんなの普通だろ」 手に持ったチリドッグを見る。 追加したハバネロソースとマスタードが滴って実に美味そうだ。 「むぐ、んぐ……うん、美味い」 「ううぅ……本当に味するの、それ?」 「美味しいって。ほら、ちょっと食ってみな?」 おまるは軽く、端の方をつまんだ。 途端に悲鳴をあげ、あわあわと両手で口を押さえる。 「かああっ! んぐっ! んぐ、んぐ、ごくっ!」 「ええ? そんな辛かったか?」 「辛い! それ、絶対、体に悪いよっ!」 「やはり推測した通りの異常なものだったようですね。……んくっ」 「鹿ケ谷の紅茶も、相当だと思うけどな」 「失礼な。私の舌は正常です」 「いやー、でもそれ、砂糖10杯近く入れてませんでした? そこまでいくと、紅茶じゃなくてもう砂糖水なんじゃ……」 「それはわかっています。ん……くっ……」 「ふぅ……これはこれで悪くありません」 「なんか食欲が無くなってきたな……」 「おれも……」 「言われてるぞ、モー子」 「口を真っ赤にして、食べながら喋らないでください」 「一口いるか?」 「愚問ですね」 「二人とも、もう少し素材の味を大事にしようよ」 「もう解決したんだよね?」 「ん……あ、ああ」 教室に戻ると、二人の女子生徒が声をかけてきた。 眼鏡をかけた、いかにも活発そうな女の子は黒谷真弥。 お祭り好きの賑やかな性格だ。 噂を集めるのが大好きなので、学園内のトラブルにも興味津々だ。 もう一人の大人しそうな子は吉田そあら。 おまると同じく怖がりな性格で、独走しがちな黒谷にいつも引っ張り回されている。 「ただの水漏れだよ。放送で言ってたろ?」 「本当にぃ〜?」 「本当だって」 「ほら、まーやちゃん。やっぱり、何もなかったじゃない」 「なんか怪しーんですけどねー。あそこに水場なんて無いと思うし〜」 「水道管が破損してたんだって。それで床が水浸しになって。まっ、もう修理も済んだから」 「ふ〜ん」 「まーやちゃん、席に戻らないと……」 「やっぱ気になるー! そあら、後で現場に行ってみよう!」 「当ったり前じゃないのっ」 「えぇぇ〜っ」 「……ふぅ」 水漏れの痕跡なんか無かったって、後で騒がれそうだなぁ。 まっ、いいか。 その時はその時で適当に誤魔化そう。 一応、一般の生徒には遺品の存在は秘密にされているからな。 実は遺品どころじゃない、とんでもない秘密もあるんだが……。 「………………」 「こんにちは」 「ええ。こんにちは」 「失礼ですが、特殊事案調査分室というのはこちらですか?」 「……この奥よ」 「Vielen Dank」 「………………」 「おい、おまる。何やってんだ?」 「あー、ごめん。今日日直なんだ。30分くらいで行くから、先に行ってて」 「そっか。わかった」 『下校時刻になりました。全校生徒は速やかに校内から退出し、寮へ戻ってください』 『忘れ物をしないように気をつけてください』 『繰り返します。下校時刻になりました……』 この学園では放課後になると、一般生徒は即座に寮へ帰るよう促される。 それは半ば強制で、こんな学園も珍しいだろう。 部活動なども寮の施設で行われるのだ。 そして、これから訪れる学園の『夜』にその理由は隠されていた。 「…………」 分室には珍しく誰の姿もなかった。 俺が一番乗りか。 「……ん?」 机の上に、見覚えの無い小包が置いてあった。 宛名には『特殊事案調査分室御中』と記されているが、差出人の名前はどこにもない。 「なんだ、これ?」 気になるな……でも、モー子達が来る前に、勝手に開けるのはよくないかな? けど、仮に遺品の類だとしたら、こんな小包で送ってくるわけもないだろうし……。 「まあ、大丈夫か」 「うん?」 中に入っていたのはガラス製の小瓶だった。 「……?」 青い色をした上品な小瓶。 香水……みたいだな。 けど、差出人の名前もなけりゃ、手紙一つ入ってないなんて。 「……っ!」 しげしげ観察していたところ、突然、中の液体が霧状に噴射された。 覗き込んでいたせいで、まともにそれを浴びてしまう。 「…………」 「やっぱり、香水か?」 少し驚いたが、特に何も起こらない。 いや、触れてもいない瓶から独りでに香水が噴射されただけで、ちょっと普通じゃ無い気もするんだが。 「ん……?」 急なノックに、ちょっとビックリする。 「えっ……」 部屋の入口を振り返るが、ノックの音は扉とは、まるで別の場所から響いていた。 そして次の瞬間には、分室の真ん中に突然、扉が出現していた。 「こんにちは〜」 「な、なんだ。スミちゃんか。脅かすなよ」 「あれ〜、そんなにビックリしちゃった〜?」 彼女は村雲春霞。 村雲静春の双子の姉だ。 扉の向こうに、この部屋とは違う別の空間が広がっているのは、彼女が遺品を使い、直接そこからやって来たからだ。 何度も目にしている光景だけど、変なことがあった後なので驚いてしまった。 「あれ、一人なの? しーちゃんもまだ?」 「ああ。まだ俺一人だよ」 春霞──スミちゃんは俺達同様、他の一般生徒とは違う役割をこの学園で担っていた。 簡単に言えば、彼女は魔女であり、学園に魔力を供給する『スケープゴート』を務めている。 魔力というものは潜在的に誰でも持っているそうだが、その中でも、抜群に高い魔力を持つのがスミちゃんのような『魔女』だ。 個人によって能力は違うが、遺品無しでも魔術的現象を起こせたりもするらしい。 学園への魔力供給は、以前は一人で引き受けていたが、とある事件で鍔姫ちゃんも魔女だったことが発覚した。 今では二人でその役目を務め、おかげでスミちゃんの負担はずいぶん楽になったらしい。 そういう特殊な役割の生徒なので、スミちゃんは一般生徒に知られないよう、学園の時計塔に住んでいる。 時計塔は入り口がなく、中へ入るには今使ったような遺品――ヤヌスの鍵が必要だ。 ヤヌスの鍵は、行ったことがある場所や知っている人物を思い浮かべるだけで、一瞬でそこに移動できる便利な遺品だ。 俺の知る限りでは、ヤヌスの鍵は二本存在し、一本は学園長が持っており、もう一本はスミちゃんが常に首から下げている。 「何か用事でも?」 「ううん。遺品の件でちょっと騒ぎがあったでしょ?」 「ああ」 「それでヒメちゃんは風紀委員会の報告会に呼ばれちゃって。今日はお茶する暇もないみたいでね。一人でヒマだから遊びにきちゃった」 「そっかそっか」 「ところで……。これ、何の匂い?」 「え?」 「くんくん……」 スミちゃんは首を傾げ、小さく鼻を鳴らした。 「あっ! もしかしてみーくん、香水なんかつけちゃってる? このー、色気づいちゃってー」 「違う! ほら、これ」 「違うっての」 俺は小包の中を指差し、簡単に経緯を説明した。 「ふーん。そうだったの。でも、不思議ね。独りでに中身が噴き出すなんて」 「もしかすると遺品かも知れないし、あまり触らない方がいいんじゃないかな?」 「かなぁ? でも、遺品だとしたら、送り方がぞんざい過ぎる気もするんだよな」 「みーくんは何ともないの?」 「俺? 何が?」 「香水、浴びちゃったんでしょ? それが本当に遺品なら、何か…………」 スミちゃんは心配そうに俺へ手を伸ばした。 その指が、俺の手首の辺りに触れると……。 「うっ……!?」 「ぇっ……」 頭の奥で、何かが弾けたような感覚に襲われる。 その直後──。 「……ッ!!」 目の前が暗転し、ひどい目まいを覚えた。 同時に、ドサッと重い何かが倒れるような音がした。 「……ぅっ…………」 「………………?」 なんだったんだ、今の? 「……って言うか、今の音……」 「……へっ?」 俺の声、なんだか……。 「えっ、ちょっ……なんだこれ!?」 見覚えのある男が床に倒れている。 どう見ても…………俺だ。 「え、えっ……ええええぇっ!?」 しかも、焦っている俺の声はどう聞いても女の、それもスミちゃんの声だった。 な、何がどうなってるんだ? 「まさか……」 「ああっ……!?」 よもやと思って見下ろすと、やはり、俺の体は女の子のそれだった。 これは……。 い、いやまさか。あり得ないだろ、そんなこと!? おお、落ち着け、落ち着いて深呼吸……。 「すぅ……はぁ……」 「………………」 目を閉じて呼吸を整える。 そうして、もう一度、自分の体を見下ろすが……。 「……っ…………」 やはり、俺の体は女の……スミちゃんのそれだった。 そして、床に倒れたもう一人の『俺』。 ぅっ……これは間違いないぞ。 どうやら、俺の意識はスミちゃんの体に移ってしまったらしかった。 「どうすりゃいんだ……?」 信じられないが、他にこの状況を理解できる説明はない。 と、とりあえず……。 倒れている『俺』を起こしてみるか? 俺は床に倒れた『自分』の顔を叩いてみた。 しかし、まったく反応はない。 「おいっ、起きろ」 まさか死んでるんじゃないだろうな……!? 「おいったら!」 「あっ……」 ちゃんと息はしているか。 どうやら、意識がないだけのようだ。 まあ、それもそうか。 俺の意識はスミちゃんの体に入ってるわけだし……。 けど待てよ? そうなると、スミちゃんの意識はいったい、どこに行ったんだ? 「おい、起きろ」 俺は倒れている『自分』を揺すってみた。 もしかすると、俺とスミちゃんの意識が入れ替わってしまったのかも知れない。 「おいったら!」 「………………」 いくら揺らしても反応が無い。 一瞬、死んでるんじゃないかと焦りもしたが、ちゃんと息はしているようだ。 完全に意識は無いみたいだが……。 「あ……っ」 「ああ、春霞。来てたのか」 まずいっ……なんてタイミングだ……。 見た事もない愛想の良い笑顔で話しかけられ、思わず後ずさりそうになる。 「壬生さん今日は忙しいから、遅れるぞ。まあ、せっかく来てんだし、のんびりしていけよ」 「ほら、そこ座れよ。紅茶淹れてやるからさ。けっこう美味しく淹れられるようになっただろ、オレ?」 「う、うんっ、そう……だね」 「だろ? はははっ、さんざんこき使われたせいでってのがちょっとしゃくだけどさー、まあ、お前も喜んで飲んでくれるし……」 …………コイツは誰だ。 姉と二人きりだと、こんなフレンドリーな態度を取ってるのか。 しかし、完全に俺をスミちゃんだと思い込んでるな。 この外見なので、疑えと言うのが無理な話だけど。 「? なんでずっと黙ってるんだよ?」 「あぁ……いや、えっと」 「ン……この匂いって、香水か? でも春霞、こんな匂いの香水つけてたっけ?」 「あの……」 ……参った。どうすりゃいいんだ? 「…………え?」 「久我!? おい、どうしたんだっ!?」 ようやく、床に倒れた『俺』の存在に気付く。 「何があったんだ、春霞!」 「何って言うか……」 「……! まさか久我に何かされたのか!?」 「違う違う違う! だからっ……あの香水が……」 「香水って、これのことか?」 何も知らない村雲は、無警戒に小包の中へ手を突っ込もうとする。 「な、何をそんなに慌ててるんだよ?」 ……本格的に困ったぞ。 どうやって、この場を切り抜ければいいんだ? 姉と俺の体が入れ替わったなんて知ったら、コイツ怒り狂いそうだしな……。 「どうしたんだよ、春霞。困ったことがあれば、何でも相談してくれっていつも言ってるだろ?」 「この前のことで、オレを頼りなく思ってるかも知れないけど……」 「それでも、オレに出来ることだったら、なんでもしてやりたいからさ」 「っ……」 駄目だ。もう我慢の限界だ。 「な、なんだよっ!?」 「だって、おま……だ、誰だよっ? さっきから、くくっ……はっはっはっ!」 「……えぇ?」 「そうかー、そっかそうなのかー。姉ちゃんと二人きりだったら、そんなに素直な良い子だったのかー」 「……お前」 「えっ……なんだよ?」 「いや……だって……」 さっきから、いったいコイツは誰なんだよ? 俺は今にも噴き出しそうになるのを必死に堪えた。 「う、ううん。ごめんごめん。ちょっと思い出し笑い」 「は、はあ?」 「…………」 あまりにも村雲の態度が面白いので、もう少し頑張って、スミちゃんのフリを続けることにした。 「うん、話せば長くなるんだけど……」 「ああ」 「うん?」 「風紀委員辞めちゃったけど、ちゃんと毎日、特査分室で良い子にしてるかな?」 「特査ではしーちゃんが一番下っ端なんだからね、きちんとみんなの言うこと聞いてる?」 「聞いてるっての、だからお茶だってちゃんと淹れてやってるだろ」 「そっかそっか。しーちゃんはほんっと良い子だよねー」 「…………」 「へ?」 「誰なんだ……お前?」 「……」 げっ、もうバレた。 う〜ん、さすがは双子だな……。 「もしかして……」 村雲は怪訝な表情で目の前の姉と倒れている『俺』を見比べた。 「久我か!? お前久我だろう!?」 「……なかなか察しが良いな。その通りだ」 「わっ、たっ……落ち着け! 乱暴はよせっての。中身は俺でも、体はスミちゃんだぞっ?」 「おお、落ち着けって!」 村雲は顔を真っ赤にすると、胸倉を掴んで激しく体を揺さぶってきた。 予想以上の激昂ぶりに俺も若干、申し訳なくなってしまう。 「説明する、ちゃんと説明するから!」 「おお、さっさとしやがれ!」 「だから……」 俺は小包の香水のことや、その後、スミちゃんとの間で起きた出来事を簡単に説明した。 「はぁ? なんだそりゃ? まったく意味がわかんねーよっ!」 「わからねーのは俺だって同じだよ。とにかくそう怒るな。俺だって巻き込まれたんだから」 「わ、悪かったよ……けど、香水が原因かどうかだって、まだはっきりとしないんだし……」 「それで、春霞はどーなったんだよっ!?」 「俺だってわからないから困ってんだよ!」 「……チッ」 怒鳴っていてもしょうがないと思ったのか、村雲はようやく、落ち着きを取り戻した。 「春霞の意識はお前の体に入ってるってのか?」 「けど、いくら揺すっても起きないんだ。ほら……」 もう一度、『俺』の体を揺すってみた。 やはり反応はまるで無い。 「フン、中身もてめぇだったら、ぶん殴ってでも起こしてやるのによ」 「スミちゃんかも知れないから、暴力は勘弁しろ」 「で、どうしてこっちの体は意識を失ったままなんだ?」 「さあなぁ……?」 「仮にあの香水が遺品だったとして、その効果が人間の体が入れ替わるようなものだったとしたら……」 「ああ」 「最初に触れたのは俺なんだから、仮に代償があったとしても気を失うのは俺の方のはずなんだよな」 「そうとは限らねーだろ? 春霞の取った行動に、何か遺品の魔力が発動する原因があったのかも知れねーし」 「いや、それにしてもだ。魔女のスミちゃんが、遺品に魔力を吸われたぐらいで気絶するか?」 「う〜ん…………とりあえず、ここでアレコレ言ってもしゃーねえか」 「ああ。リトなら何かわかるかも。とりあえず、図書館に行ってみよう」 俺はそう言うと、床の『俺』を抱えようとした。 さすがに放置していくわけにはいかない。 「あ……おいっ!」 「くっ……いててて……」 「バカかてめぇ? 春霞の腕力で、お前の体が持ち上がるわけねーだろ?」 「春霞の体を粗雑に扱ってんじゃねーよ」 「悪い悪い、忘れてた」 俺の体も重いが、女の子がこんなに非力だったとは。 「はぁ……しょうがないな。村雲、俺の体を運んでくれ」 「チッ……まあ、中身は春霞かも知れねーからな」 村雲が意識の無い『俺』を抱きかかえる。 「香水はどうするんだよ?」 「もちろん、持ってくさ。また中身が出なけりゃいいけど……」 「おいおい、気をつけろよ?」 「ああ……」 俺は決して瓶に触れないよう、小包の蓋をきっちりしてから、慎重に箱ごとそれを運ぶことにした。 「リトー! すまん、ちょっと聞きたいことがあるんだが」 「………………」 声をかけるなり、いつも無表情の彼女が珍しく怪訝な顔をする。 やれやれ、また説明か……。 「……と、そういうわけなんだ。理解できた?」 「ええ。よくわかったわ」 「そりゃあ何よりだ。で、これは遺品なのか?」 「いいえ。違うわ」 リトはきっぱり否定する。 「えっ!?」 「……違うのか?」 てっきり、遺品かと思ったんだけどな。 「そうね……確かに、人の意識を入れ替える遺品は存在するけれど、それは香水とは違うものよ」 「そんな瓶の形をした遺品も、私の記憶にはないし」 机に置いた小包の中を覗き込み、首を左右に振る。 「じゃあ、何が原因でこうなったんだ?」 「今のところ不明ね」 「それに、久我満琉の体に……村雲春霞の意識が入っているかどうかもわからないわよ?」 「ただ、意識が戻らないのは遺品に魔力を吸われたせいではなさそうね」 「なんだよ、それ。余計にわけがわかんなくなっちまったぞ」 「だなー……」 リトでもわからないとなると……本格的に困ったことになったぞ。 「あれ? みんなここにいたんだ」 「……村雲さんも?」 「あ……」 「えっ……久我くん、何があったのですか?」 「わっ! みっちー!?」 「気を失って……? 村雲くん、久我くんはどうしたのですか?」 「貧血?」 「…………」 「村雲さん、どうして黙っているのですか? 説明してください、今すぐ。何があったのです?」 口調と表情は冷静を保ってるが、やたら早口で雄弁。 焦ってる時のモー子だ。 (思ったより取り乱したなー……) ちょっと意外だったので内心こっちまで焦る。 「村雲さん?」 「どーしたんですか? ねえ?」 床に寝かされた『俺』とスミちゃんな俺を交互に見て慌てた表情をする二人。 しょうがないので、再び同じ説明をする。 「……………………」 「嘘……じゃあ、村雲さんの中……本当にみっちーなの?」 「ああ、そうだ」 「……きみ、何を考えているんです? どうして、そんな怪しい小包を不用意に開けてしまったんですか?」 「そうだよ、みっちー。不用心過ぎ……」 モー子は早速、不機嫌な態度を全開で文句を並べたててきた。おまるも呆れ顔だ。 「いやいや、俺は包みを開けただけだぞ? 香水は勝手に噴射されたんだ」 「開けること自体、考えられません。あまりにも非常識です」 「なんでだよ? 特査宛だったんだから中身の確認ぐらいするだろ?」 「記名はそうでも誰かのプライベートな品だったらどうするつもりだったんですか?」 「或いはもっと危険な……特査分室を狙った爆発物の類だったかも知れませんし」 「ははっ、爆発物って……」 「大袈裟だなぁ。そんなもん、送られてくるわけないだろ?」 「少しは反省したらどうなんです? 現にこうして、問題が起きているじゃないですかっ」 「いや、反省って言われても、いきなり香水が噴き出したから……」 「きみが箱を開けたからでしょう!」 「はいはい、おしまぁぁーーーいっ!」 見かねたおまるが仲裁に入る。 「つまり、憂緒さんはそれだけみっちーが心配だったってことなんだから」 「みっちーもそこはわかってあげないと」 「違います!」 「そうか、そんなに心配だったのか。それは悪かった」 「み、みっちー、棒読み過ぎ……」 いやだって、焦ってんなーってのは、最初になんとなく察しはついたし。 けどここまで怒られるとは……。 「………………。久我くん、きみ本当に『大人げない』人ですね」 モー子が醒めた顔で、胸に突き刺さる一言を放つ。 実際、久我満琉でなく久我三厳は、モー子よりずいぶん年上なのだ。 まあ、それを知っているのはモー子とおまるの二人だけなんだけど。 「ど、どうしたんですか?」 「久我、頼むからもう喋るな!」 「あん? 何言ってんだよ、急に? お前も香水でおかしくなったのか?」 「だからやめろっつーの! 春霞の顔で、汚い言葉使ってんじゃねーよ! てゆーか、春霞に向かってオレに汚い言葉も言わせるな―!!」 「そう言われてもなぁ……」 村雲はこの状況に相当ゲンナリしているみたいだ。 まあ、気持ちはわからんでもないけどさ。 「リトさん。あなたは本当にこんな遺品は見たことがないんですね?」 モー子は小包の中の瓶を見ながら、改めてリトにそう尋ねた。 「ええ。間違いないわ」 「……そうですか。一応……封印をしてみましょうか」 モー子は手のひらにナイフをあて、スッと刃を滑らせた。 そして、小さく呪文を詠唱しながら、血のついた札を香水瓶に貼りつける。 「…………刻を止めよ」 「………………」 「……どうです? 久我くん」 「や……特に……」 「効果ないみたいだね」 「そうだな……」 何も変化は感じない。 そのうちお札はぺらっと剥がれ落ちてしまった。 「……どう思いますか?」 「札も効果ないし、リトも知らない……となると、これはやっぱり遺品じゃないのか?」 「私もそう思います」 「さっきからそう言っているわよ?」 「もしかして、札が効かないぐらい、強力な遺品ってことはないか?」 「それはどうでしょうか? 私は違うと思います」 「なんでですか?」 「それほど強力な遺品でしたら、リトさんが知らないのはおかしいでしょう?」 モー子は言いながら同意を求めるよう、リトに視線を送る。 「ええ、私はすべての遺品の情報を把握しているから」 「そうか……」 「少なくとも、学園で管理していた品では無さそうですね。小包で届いたということは、普通に考えれば、外部から持ち込まれたということですし」 「じゃあ、誰が届けたんだ?」 「普通の郵便や宅配便じゃなさそーだな。業者の伝票もついてねーし」 「……待ってください」 皆の言葉を制するよう、スッと手を挙げる。 「そもそも、分室へはこの図書館を抜けなければ、行くことは出来ません」 「っ……そうか。単純なことを忘れてたな。リト、今日誰かここを通らなかったか?」 「…………」 「通ったわ。特査はこちらですか……と聞かれたのでそうですと答えておいたけど」 少し考えた後、リトはあっさりそうつぶやいた。 「見てんじゃねーか!?」 「先に言ってくださいよ!?」 「だって、聞かれなかったから」 「はぁ……」 しょうがないか。リトってこういう子だからな。 「どんなヤツだったんだ?」 「全然知らない人よ。たぶん男性だと思う」 「たぶんってのは?」 「中性的な感じだったから。だけど、スーツを着ていたし、やっぱり男性だと思うわ」 「学園の生徒では無かったんですか?」 「私にそこまではわからないわ。本とは違って生徒の顔は、すべて把握していないし」 「まあ、そりゃそうか」 「スーツということは、宅配業者では無さそうですね」 「違うと思う。たぶん、仕立て。高そうなスーツだったわ」 リトは全然知らない人だったと言う。 たぶん、男だということだが、はっきり断言できないらしい。 仕立てのスーツを着てたそうなので、学園の生徒や宅配業者でもなさそうだ。 「いつ頃、見たんだ?」 「確か……昼休みの後ぐらい」 「分室には入ったのか?」 「それは見ていないわ。いつ帰ったのかも知らないし」 見たのは昼休みの後ぐらい。 分室に入ったかどうかは、確認できてないそうだ。 「そいつは特査の分室はどこかって聞いたんだよな」 「他に何か言ってなかったか?」 「…………」 「Vielen Dank」 「へ?」 「ドイツ語ですね。どうもありがとうございます、という意味です」 「ドイツ人だったのか?」 「さあ? そんなに近くで顔を見てないから、何とも言えないわ」 「外国人なのは確かなのか?」 「それも、何とも言えないわ」 その人物はドイツ語でリトに礼を言ったらしい。 ただ、外国人かどうか、はっきり顔は見ていないそうだ。 「他に聞きたいことはある?」 「……なるほど。そいつが香水を置いてった犯人と考えて間違いなさそうだな」 「だけど、何のために?」 「そうだなー。俺とスミちゃんが入れ替わっても、村雲にダメージを与えるだけだし」 「あのなぁ……」 「お前、誰かに恨み買ってないか?」 「いい加減にしろよ!?」 「無駄な言い争いはやめてください。今はそれよりも、どうやって二人を元に戻すかが先決でしょう?」 「そうだよ二人とも! リトさん、何か方法は無いの?」 「ここの蔵書の中で、何かこの状況を解決できるような魔術や方法を記した書物は無いですか?」 「……。どうかしら……」 リトは目を細め、一度、室内の本棚をくるっと見渡した。 そして、俺達の方に向き直る。 「魔術の解除には元になった魔術が何なのか、まずそれを突き止める必要があるの」 「遺品じゃないかも知れないけど、この香水が原因の可能性は高いだろ?」 「そうね。だけど私にはそれを見極める能力はないわ……」 ちょっと困った表情で言う。 遺品のことなら何でも知っている彼女だが、それ以外の魔術知識はそれほど豊富でも無いらしい。 「やっぱり、犯人をとっ捕まえて、吐かせる方が早そうだな」 「チッ、何が目的かしらねーけど、許せねえな」 「リトの話だと、生徒や業者関係じゃなさそうだが……まあ、決めつけるのは気が早いか」 「うん。変装してた可能性だってあるよね」 「ええ。何らかの魔術や遺品で姿を変えていた可能性も」 「厄介だなぁ……」 いずれにせよ、これ以上、リトに質問しても調査に進展は無さそうだ。 俺達は『俺』の体をリトに預けて、一旦、分室に戻ることにした。 「もしもし。鹿ケ谷です。学園長でしょうか?」 『おー、鹿ケ谷さんか。何か用かね?』 「はい。少々お尋ねしたいことがあるのですが、お時間よろしいですか?」 『うむ。なんでも聞いてくれたまえ! はっはっは!』 「実は今日の昼休み頃、特査分室を訪ねた方がいるようなのですが……心当たりはないでしょうか? ドイツ語を話されていたそうです」 『んー、そんな客は招いた覚えがないなぁ。特査に用事があるのなら、明日にでもまた訪ねてくるんじゃないかね?』 「……。そうですか」 『あっ、すまんがこれで失礼するよ。ちょっと忙しいもので』 「……はい。お忙しい中、失礼いたしました」 「駄目だったのか?」 「はい」 「外国人なら、学園長のお客さんじゃないかと思ったんだけどなあ」 「……もっとも、本当のことをおっしゃっているかは不明ですが」 「何考えてるかわかんねーもんな、あの学園長……」 「それで……どーするよ、これ」 「う〜ん……」 俺達は机の真ん中に置かれた香水の瓶を囲み、難しい表情で首を傾げた。 しばらく、それぞれの考えを言い合うが、話はまったくまとまらない。 「お……」 「鐘……夜が来たみたいだね」 遠くの方で鐘の鳴る音がする。 「ああ。けど、今はそれどころじゃないな」 「久我くん。改めて、村雲さんと入れ替わった時のことを詳しく話してもらえませんか?」 「いいけど。だいたいは話したぞ?」 「何か新しい発見があるかも知れないし!」 「ウダウダ言ってねーで話せよ」 「わかったわかった」 「だから……」 一度、言葉を止め、記憶を辿っていく。 「みっちーはそれを浴びたんだよね?」 「咄嗟に手で顔を覆ったけどな。まー、割とまともに浴びちまった」 「その時は何も?」 「ああ。異常はなかった。そのすぐ後、スミちゃんがやってきて……」 「で、スミちゃんに香水のことを話したんだ。そしたら、スミちゃんは俺を心配して……」 「こういう感じで手を伸ばしてきて……」 俺はジェスチャーを加え、三人の前でなるべくその時の状況を正確に再現しようとした。 「みっちーの手に触れたんだね?」 「そう。その途端、目眩がしたんだ。次に気がついた時には、もう俺はスミちゃんと体が入れ替わっていた」 「…………」 話を聞き終えると、モー子は難しい顔で少しの間、黙り込んだ。 「……単純に考えると、意識の移動には体の接触が必要ということになりますが」 「香水を浴びた人間は、誰かに体を触れられると、その人物に意識が憑依してしまうのでは?」 一つの仮説を立ててくる。 「そうか……それはそうかもな」 考えてみると、スミちゃんの体に入って以来、俺は誰にも触れていない。 村雲が怒り狂った時も、胸倉は掴んできたけれど、直接、肌には触れなかったからな。 「えぇ……じゃあ、今おれがみっちーに触ったら、今度はおれが村雲さんの体の中に? で、みっちーはおれの中に移動して……」 「今のはあくまで推測です。これ以上、事態を面倒にするようなことは避けた方が賢明です」 「ああ。誰が誰だかいよいよわからなくなるぞ」 「……あれっ? でも……」 「俺、自分の体を運ぼうとしたけれど、モー子の推理が正しければ、その時に元へ戻るはずだよな?」 「……そういえば、久我の体を運んだのはオレだ。だけど、オレも何ともないし……」 「意識の移動は、最初の一度だけかも知れませんし、香水の魔力がどれだけ持続するのかもわかりません。すべてただの憶測です」 「くっそ……じゃあ、春霞の意識はどこにいっちまったんだよ?」 「やっぱり、本当のみっちーの体の中? それとも……村雲さんの体の中に、まだ残っているのかな?」 「或いは、久我くんの意識が入ったことで弾き出されてどこかをさ迷っているのかもしれません」 「じゃあ、春霞はどっかこの辺をふわふわ漂ってるってことかよ?」 「可能性の話です」 「ふぅ……とにかく、札も効かないし、元に戻る方法もわからない」 「やっぱり、図書館で話した通り、香水の送り主をとっ捕まえるしかねーか」 「それが一番、安全な方法でしょう」 「くだらねーイタズラしやがって。誰だろーとただじゃおかねー……」 「うん?」 「じゃあ何か! その犯人を捕まえるまで、コイツはずっと春霞の体に入ってるのか!?」 「はあ? そりゃそうだろ。お前今まで、話聞いていたのか?」 「お、お前……絶対に風呂入んなよ!?」 「……へ?」 「当ったり前だろーが! つーか着替えるのも駄目! 体も触んな! トイレなんてもっての他だからな!!」 「無茶言うなっ!?」 「あああもうっ! ふざけんなよーーー!! くっそぉぉぉぉぉーーーーー!!」 「………………」 まあ……ほんと、気持ちはわかるけどさぁ。 「あ……はーい。開いてますよ」 「ああ、やっぱりここにいたのか。スミちゃん」 「あ……えーと、ごめん」 「……うん?」 「壬生さん……残念ながら、これはクソ久我です!」 「は……?」 鍔姫ちゃんは一瞬、きょとんと目を丸くした。 だが、優れた直感能力を持つ彼女なので、そこはすぐに、村雲の言葉が嘘でないと察したようだ。 「まさか……何故、こんなことに?」 「うん。ええと……」 はぁぁぁ……これで何度目だよ。 俺はまたまた、一連の流れを説明した。 「そんな……とても信じられないが……」 「ですが、事実です」 「しかも、解決策は見つかっていないのか」 「ああ。犯人を見つけないことには」 「……参ったな」 鍔姫ちゃんは額を押さえる。 ほんと、風紀委員を辞めてからも、毎度毎度、厄介な事件に遭遇するよなぁ。 今回は主に、俺のせいだけど。 「見張る? どういう意味だ?」 「だって、体は春霞で、中に入ってるのは久我なんですよ? 一人になったら何をするか、わかったもんじゃないでしょう!」 「人聞きの悪いことを言うな!」 「……確かにそれは問題だな」 「問題って、鍔姫ちゃんまで。ちょっとは俺のこと信用しろよ」 「いや、もちろん、久我くんが進んでスミちゃんの体に妙なことをするとは私も思わないのだが」 「風呂やお手洗いはどうするつもりだ?」 「…………」 「う……ん……」 鍔姫ちゃんが大真面目な顔で尋ねてくる。 俺もさっきの村雲との問答で、そのことが気になっていたところだ。 「でも、体は村雲さんなのに、何日もお風呂禁止だなんて……」 「う〜ん」 どうしたものか……。 「鍔姫ちゃん。どうすればいいと思う?」 「う〜ん……すぐに妙案は浮かばないが……」 腕組みをする鍔姫ちゃん。 親友のスミちゃんのことなので、ここは彼女の意見を聞いておきたい。 「……わかった。とにかく、私がなんとかしてみよう」 「おお!」 「本当ですか、壬生さん! 感謝します!」 「ああ。スミちゃんは大切な親友だ。私も出来る限り、力になりたいからな」 「ふふ、大丈夫だとは思うが。久我くんのことは任せておいてくれ」 「少しは俺を信用しろってのに……」 「壬生さん、一つだけ、気をつけておいて欲しいことがあります」 おまるに頷き返すと、モー子は先ほどの仮説を鍔姫ちゃんに説明していった。 「まだ絶対とは言い切れませんが、意識の移動は体の接触によって起きているようなのです」 「ですから、久我くんの……村雲さんの体には触れないように注意してください」 「なるほど。気をつけよう」 はぁ……これでどうにか。 いや、鍔姫ちゃんが面倒を見てくれるとは言え、トイレと風呂の問題を具体的にどうするのかは、まるで決まってないんだよな。 「お前もいい加減しつこいな。そんなこと無理に決まってんだろ」 「無理でも我慢しろ!」 「かゆい時とかどうすんだよ? 自分の体なんだし、意識しなくても触っちゃうだろ?」 「…………」 「うるせえ! そもそもてめぇがバカだからこうなったんだろ!」 「しつこいっての! モー子、お前もなんとか言えよ」 「……まあ、村雲くんが怒るのも仕方ないでしょうね」 「すべての原因は久我くんの軽率な行動が原因になっているわけでしょう? きみ、本当に反省してますか?」 「えぇ? 反省してるって。何度も言ったろ?」 「私にはまったくそう見えませんが」 ……なんで急にまた怒りだしたんだ? 「モー子。村雲はともかく、なんでお前まで怒ってるんだよ?」 「はぁ? 怒ってなどいませんが」 「怒ってるじゃねーか」 「怒ってないと言ってるでしょう!」 「うんうん」 なんでおまるは、微笑ましい目で見てるんだ。 とんでもない答えが返ってきそうで、怖くて聞けないが。 「……まあ、とにかくだ。今日はスミちゃんがこの状態だし、スケープゴートは私一人でなんとかしよう」 「壬生さん一人で平気ですか?」 「ああ、ここ最近は毎日二人で入っていたが、元はスミちゃん一人でやっていたんだからな。一日ぐらいなら、私だけでも大丈夫だろう」 「そうですね……。それじゃあ、お願いします」 「あ、それじゃあこれ……」 俺は襟元をまさぐった。 魔法陣の間に行くための、ヤヌスの鍵はスミちゃんが持っているからな。 「ああ、それか。ありがとう」 紐で首に下げていたヤヌスの鍵を鍔姫ちゃんに渡す。 魔法陣の間は時計塔と繋がった異空間にあるため、この鍵を使わないと入ることが出来ないのだ。 「なんだよ。それならそうと、変な動きをする前に言え」 「お前が考え過ぎなんだ」 「普段の言動がきっとそういった誤解を招くのですね」 「…………」 だから、なんでモー子までこんなに不機嫌になってるんだ……。 結局、その後、俺達は鍔姫ちゃんを魔法陣の間へと送り出し、彼女が戻って来てから、解散することになった。 「おい、村雲。そんなにごちゃごちゃ文句ばかり言うなら、お前がどうにかしたらどうなんだ?」 「はぁ? オレにどうしろってんだよ?」 「だから、風呂のこととか……」 「久我くん、無茶を言ってはいけない。いくら姉弟でも、さすがにこの年になって一緒に風呂はないだろう?」 「えっ……ぁ…………」 「そ、そうだよ、久我! てめぇ、ちょっとは考えて喋れ!!」 「………………」 …………なんだ、今の間は? 「仕方がない。私が面倒を見させてもらうよ」 「えっ……鍔姫ちゃんが?」 「ああ。スミちゃんは私の親友だ。彼女のために、少しでも力になりたいからな」 「お前もちょっとは俺を信用しろ!」 「壬生さん、一ついいですか?」 「うん?」 「これはまだ推測でしかないのですが、意識の移動は体の接触によって起きている可能性が高いんです」 「ですから、久我くん……村雲さんの体に、絶対に触らないよう気をつけてください」 「そうか……わかった。気をつけよう」 「はぁ〜……モー子、お前はどう思う?」 「いや。えっ、じゃなくて」 「……何が?」 「だから、風呂とかトイレだよ。風呂はまあいいとして。トイレだけは我慢だけじゃ済まないだろ?」 「っ…………そう、ですね」 「………………」 「……ん?」 モー子はやけに真剣な表情で黙り込んでしまった。 「……だから…………」 「うん」 「目隠しでも……何でもしてみればいいのではないですか?」 「いや……目隠しでトイレってかなり危険じゃない?」 「う、うん。ただでさえ慣れてない体なのに、下手をしたら大惨事……」 「てめぇえ!? そんなことになったら、絶対に許さねーからなっ!!」 「だから、どうすりゃいいんだって!」 「え?」 「ああ……もう!」 「…………?」 モー子のやつ、何をイライラしてるんだ? 考えがまとまらない様子で、鍔姫ちゃんに助けを求める。 「壬生さん、どうすればいいですか?」 「え……ああ、そうだな……」 「まあ、この場合、私が面倒を見るのが一番適当ではないだろうか?」 「えっ、壬生さん、いいんですか!?」 「スミちゃんは大切な親友だからな。放っておくわけにはいかないよ」 「しないっつーの!」 「ん? なんだ?」 「憂緒さん、さっきのこと、話した方が良くない?」 「あっ……そ、そうですね」 おまるに促され、モー子は自分の仮説を鍔姫ちゃんに説明した。 「一つ注意していただきたいのですが、意識の移動は体の接触で起きている可能性が高いのです」 「……つまり、なるべく……というより、絶対にスミちゃんの体には触れない方がいいということか」 「はい。大変だとは思いますが……」 「まあ、どうにかやってみよう」 「そんなこと無理に決まってんだろ」 「無理でも触んな! てめぇがバカだから、こうなったんだろーが! 偉そうに反論してんじゃねーよ!」 「お前もいい加減しつこいな〜」 「まあまあ、もう騒ぐのはやめろ」 「とにかく……今日はスミちゃんがこの状態だし、スケープゴートは私一人でやっておくとしよう」 「一人で大丈夫ですか?」 「ここ最近はずっと二人だったが、元はスミちゃん一人でやっていたんだからな。一日ぐらいなら平気だろう」 「あっ、じゃあ……」 俺は襟元に手を入れた。 例の鍵は、彼女が持っているからな。 「クソ久我っ!? 触るなっつってるだろーがっ!!」 「ああ、すまない」 首から紐で下げていた鍵を取り出し、鍔姫ちゃんに渡す。 魔法陣の間は時計塔と繋がった異空間に存在してるため、入るにはこのヤヌスの鍵が必要だ。 「お前が考え過ぎなんだよ」 結局、その後、俺達は鍔姫ちゃんを魔法陣の間へと送り出した。 そして、鍔姫ちゃんが戻ってきた後に、今日のところは解散となったのだった。 「んー、そんな客は招いた覚えがないなぁ。特査に用事があるのなら、明日にでもまた訪ねてくるんじゃないかね?」 「あっ、すまんがこれで失礼するよ。ちょっと忙しいもので」 「ふぅ……」 「……一応、とぼけてはおいたが彼らは結構、鋭いよ?」 「それを見極めたいから内密にとお願いしたのです」 「ちぃ」 「うんうん。そうだね、ニノマエ君」 「……? 今、何を喋ったのですか?」 「それならあまり姿は見られないように気をつけた方がいい、とね」 「そうね……少しうかつだったかも。これからは気をつけてちょうだい」 「ja」 「……ええ」 「……」 分室で解散となった後、俺は鍔姫ちゃんの部屋に泊めてもらうことになった。 部屋の棚には、以前に解決した遺品の事件で騒動の元となった、あの懐かしい人形が飾られている。 「ああ、すまないな」 「行儀よく食べろよ」 「へいへい」 村雲が学食から三人分の夕食を取ってきた。 本当に大変な一日だったが、とにかくも一息だ。 「…………」 「……ん?」 と、夕食中。 不意に鍔姫ちゃんが箸を止めて、きょろきょろと部屋の中を見渡した。 「どうしたんですか? 壬生さん」 「いや……今、人の気配を感じたような気がしたんだ」 「気配だって?」 「まさか、誰か部屋を覗いてるんじゃないでしょうね?」 「ん……どちらかと言えば、聞き耳を立てられているような……」 「………………」 聞き耳を立てられているような気配、か。 正直、まったくピンとこないのだが、直感の魔女である鍔姫ちゃんが言うからには、聞き流すわけにもいかない。 「おい、村雲。ちょっと部屋の外、見てこいよ」 「またオレかよ。わーったよ」 村雲は立ち上がると、扉を出て廊下の様子を見に行った。 「何か異常は?」 「いえ、特に……」 「誰もいませんね」 「人の気配も?」 「さあ……そういうの、オレはあまりよくわかんねーけどさ。とりあえず、慌てて逃げていくような足音も聞こえなかったぜ?」 「そうか……思い過ごしだろうか」 「あっ、もしかして。スミちゃんの意識が部屋の中にいるとかじゃ?」 「なに!? 壬生さん、本当ですか!?」 「いや、それは違うと思うな。もしも、いるのがスミちゃんの意識なら私なら絶対にわかるはずだ」 鍔姫ちゃんが断言する。 確かに二人は親友で魔女同士なんだから、そこを気付かないわけはないか。 「違ったのか……」 「そう気を落とすな」 「い、いえ。別に……」 「しかし、なんか引っ掛かるな。鍔姫ちゃんの言うことだし、一応警戒はしておくか」 「ああ」 そんな話をしているうちに夕食も済んだ。 さて……問題はここからだよな。 「……では、その…………」 「ああ」 「お、お風呂は……どう済ませる?」 「う〜ん。俺は別に我慢できるけど……体はスミちゃんだからなぁ」 「今日は結構、歩き回ったし、女の子が汗かいて風呂に入らないってのも……」 「…………」 ちらりと村雲の方をうかがう。 村雲は面白くなさそうに黙り込んでいた。 「……私としては出来れば、ちゃんと風呂に入って欲しいな」 「スミちゃんはきれい好きだし、お風呂は毎日入ってると言ってたから」 「ぅっ……それは、そうですけど……」 「村雲としては嫌だよな?」 「そんなもん、当たり前だろ!」 「くぅぅ……くそっ! くぅぅぅっ!」 村雲は頭を抱えてウンウン唸る。 けれど、他に手はないしなぁ。 「いいのか、それで?」 「しゃーねえだろ」 「では、シャワーだけで済ませることにしよう。それなら、久我くんも特に体へ触れる必要もないだろう」 「その辺が妥当だよな」 「くぅぅ……けど……」 「なんだよ? 鍔姫ちゃんに任せるって言ったろ?」 「……そうだ! 久我、お前目隠ししろ!」 「えぇ? またそれか?」 「シャワーぐらい、目隠ししてても出来るだろ?」 「まあ……」 その方が俺の気も楽か。 「わかったよ」 「よし、目隠しはこれでいいだろう」 「おっ……」 鍔姫ちゃんがタオルを巻いてくれる。 うん、真っ暗だ。何も見えない。 「えーっと、浴室は……」 「あ、待て! 触ると危険だから……」 「わかってる。まあ、服なら触れても平気だろう」 「っ……」 服の袖を引っ張って、脱衣所まで誘導してくれる。 「危なかっしーなぁ。こけるなよ?」 「お前こそ、覗くなよ」 「誰が覗くか!!」 …………。 どうやら、脱衣所に入ったみたいだ。 「一人で脱げるか?」 「え……鍔姫ちゃんも一緒?」 「目隠しをしておいて、一人には出来ないだろう」 「いやいや、でも! 鍔姫ちゃんの前で裸になるのか?」 「……忘れてないか? 体はスミちゃんだぞ?」 「あっ……」 そうだった。 一瞬、そのことが頭から抜けてたな。 とは言え、女の子の前で裸になるというのはかなり恥ずかしいものがあるが……。 「………………」 「ええと……」 「わかるか?」 「な、なんとか」 ブラジャーの外し方は……こ、こうでいいのか? 背中に手を回し、ホックを外して脱ぎ去る。 次にショーツから両脚を抜いて……。 うぅ……正直言って、ものすごく変な気分だな。 「一応……裸になった、かな?」 「ああ。浴室はこっちだ」 「あっ、触らないように……」 「わかってる」 「うーん、やはり危ないな……」 スミちゃん――いや、みーくんは、おろおろと不安そうに空中に手を彷徨わせている。 「本当に何も見えないから……」 「……つーか、鍔姫ちゃんも入るのか?」 「もちろんだ、一人には出来ないと言ってるだろう? えっと、タオルを手元にやるから握ってくれ。これで誘導しよう……そうそう、もう一歩左に」 言われるままにタオルを握って、私の引っ張った方向へと一歩移動するみーくん。 「大丈夫だから、そう固くならないでくれ」 「ううん、そう言われてもな……」 「私だって、みーくんと一緒にお風呂に入ることになるとは思わなかったから、緊張しているのは同じだ」 「まあ、ね……」 「しかし、他に方法もないしな。まあ、あまり気にしないでくれ。私とみーくんの仲だろう?」 「な、仲? …………ああ、うん」 ……何か変な言い方をしてしまっただろうか。 みーくんは微妙に照れたような口調で頷いた。 いかん、私まで動揺しそうだ。 早いところシャワーを済ませてしまおう。 「そ、それじゃあ……みーくん。二歩前に進んでくれ」 「うん」 「そこだ……次は半歩横に移動して。椅子があるから腰を下ろしてくれ」 「ああ……えっと、ここか」 「じゃあ、お湯をかけるぞ」 「う、うん。よろしく」 「ふー……やっぱり汗流すと気持ちいいな」 「ふふっ、そうだろう?」 少々無理をしてでも、お風呂に入ってもらってよかったみたいだ。 「よし」 「次は体だが……やはりここは私が洗ってやるべきかな?」 「ええっ!? それはさすがにマズいんじゃ……」 「しかし、みーくんが自分で洗ったとなると、また村雲が暴れるぞ?」 「う、うぅ〜ん……それは別にいいんだけど。まあでも、洗ってもらった方がいいかなぁ?」 「わかった。では、私が洗おう。スポンジで触れるから。直に触れないよう、みーくんも動かないでくれ」 「ああ……」 ボディソープをつけたスポンジで、スミちゃんの身体を洗っていく。 「ぁっ……」 「……! へ、変な声を出さないでくれ」 「ご、ごめん……」 「ほら、少し体を捻って」 「こ、こう……?」 「そうそう。じっとしていてくれよ?」 「………………」 ううん、見た目はスミちゃんなのに、やっぱりどうも変な気恥ずかしさが……。 みーくんも同じように感じているのか、微妙に身体がこわばっているような。 「洗いにくいな……みーくん、少し腕を上げてくれるか?」 「わかった……こんな感じか?」 「いや、もう少し後ろへ回すように」 「こう?」 「違う。もっとこうして……」 無意識に、スミちゃんの腕に手を伸ばし掴んでしまう。 「あっ……!?」 「――――!!」 すうっ、と意識が薄暗いところへ沈んでいくのを感じた…… 「…………っ」 え……俺……今一瞬、気を失ってた? 「あれ……?」 なんで目の前が明るいんだ? 目隠しが取れて……。 「っ、っ、っ!!」 まぶしい浴槽の照明の下。 眼前には一糸纏わぬスミちゃんの裸身が座っていた。 「ぅ…………」 俺は急な展開に頭がついていかず、パニックに陥ってしまった。 思わず目の前の光景を凝視してしまう。 スミちゃん……? なんで、裸のスミちゃんが……。 「…………ん……」 「ぁっ……」 「……はれ? なにこれ? なんでこんなのが……」 意識を取り戻したスミちゃんは目隠しをひょいと取り去った。 「えっ、ヒメちゃん? えっ? お風呂? どうして……」 「…………」 ヒメちゃんって……えっ、えっ!? 「きゃっ!?」 自分の体を見下ろして、また驚いた。 回らない頭をフル回転させる。 目の前には裸のスミちゃん。 そして、俺の体は未だ、女の子の中に入ったままで……。 今度は鍔姫ちゃんの中に入っちゃったのか! 「ちょ、ちょっとどうしたの? 急にそんな大きな声出して……」 「わっ! 待て待て、立つな、来るな! ちょっとそこでストップっ!!」 「へ? ヒメちゃん……?」 ……! み、見ちゃ駄目だ! 俺は慌てて目を逸らす。 そして、回らない頭をフル回転させた。 「……ん……んん……」 「はれ……? 何よこれ、なんでこんなのが顔に…………」 「……スミちゃん?」 意識を取り戻したスミちゃんが、視界の隅で目隠しを外している。 どうやら元に戻ったらしい。 とりあえず、良かったけれど、今は非常に危険な状態な気が……。 「……ヒメちゃん? えっ? なんでお風呂に……」 「……へ?」 「……! あああああっ!!」 「なな、なに!? どしたの、ヒメちゃん!?」 今度は俺、鍔姫ちゃんの中に入っちまったんだ! そうか、さっき触れた時に……。 「もー、ヒメちゃん。なんでそんな大きな声……」 「ま、待った! 立つな! 立ち上がらないでくれ!」 「壬生さん、どうしたんですか!?」 「なんでもない! なんでもないから!」 脱衣場に逃げ込んだ俺は慌ててバスタオルを体に巻いた。 「どーしたのヒメちゃん? ねー」 「……! ちょっ、とりあえず……これ、体に巻いて!!」 「うん? 何を恥ずかしがってるの? 一緒にお風呂とか、初めてだけど。そんなに照れなくていいのに〜」 呑気なスミちゃんにバスタオルを渡す。 「どうかしたんですか!? こ、久我っ! まさかてんめえええっ!?」 「あ。しーちゃんもいるの?」 「わ! 待てって……」 スミちゃんはバスタオルを適当に巻くと、無造作に部屋へ顔を覗かせる。 「みーくん? え? どこどこ?」 「とぼけてんじゃねえっ! しかも目隠しはどうしたんだよっ!?」 「目隠し? え……さっきのあれ?」 「村雲、違う!」 「ちょっ……壬生さんまでそんな格好で……!」 「違うって! 俺だ! 鍔姫ちゃんがうっかり俺に触っちまったんだよ!」 「な、なんだって!?」 「……? 何の話?」 「じゃ、お前……まさか春霞のこと……」 「いや、事故だ、不可抗力だ!」 「見たのか! 見たんだな!?」 「だからそれは事故だって!」 「もー、いい加減にしてー! 私にもちゃんと説明してよー!!」 「はー。私の知らない間にそんなことが起きてたんだねー」 「そうなんだよ。このバカのせいで」 「バカバカ言うな」 再び目隠しをした俺は、スミちゃんにも手伝ってもらい、どうにか鍔姫ちゃんの体で服を着終えた。 事情を聞き、スミちゃんも納得したようだ。 「なーるほど。それで急にお風呂で気がついたんだね」 「でもショック〜」 「……」 「みーくん、私の体じーっと見てたよね」 「てっ、てめぇ……、やっぱり!!」 「う……別にやましい気持ちでは。驚きのあまり、目が離せなかったと言うか」 「目が離せなかっただとぉ!?」 「あはは。まぁ、みーくんだって男の子なんだもんね」 「目の前に裸の女の子が倒れてたら、そりゃあ、誰だってまじまじと見ちゃうよ。うん」 「春霞!」 「面目ない……」 「それでも、みーくんは偉いよね」 「偉い? このバカのどこが?」 「だって。ヒメちゃんのフリをしてたら、私の裸をずーっと見られたのに」 「いや……いくらなんでも、そこまで後先考えないようなバカじゃないから……」 「なんで春霞が謝るんだよ? 全部、悪いのはこのバカだって」 「まぁ……さっきのは俺も不用心だったな」 「……けど、これでとりあえず、スミちゃんは元に戻れたわけだけど」 「ああ。今度は壬生さんの意識が行方不明になっちまったな」 「う〜、心配だよぉ。どこに行っちゃったんだろう?」 スミちゃんは不安げに部屋の中を見渡す。 「どこかにはいるはずだ。こうしてスミちゃんも、自分の体に戻ってこれたんだし」 「ところで、スミちゃん。俺の体に入っていたことは、まったく覚えていないのか?」 「全然。ずっと眠ってた感じだよ」 「そっかー」 「じゃあ、久我の体に入ってたかどうかもやっぱり、はっきりしねーんだな」 「そうだな……」 「もしかすると、スミちゃんの意識はどこにも行ってなかったのかもな?」 「それって、どういう意味?」 「それで、スミちゃんの意識は自分の体の中で、眠った状態になっていたとか」 「ああ、そういう線も考えられるな」 「ふ〜ん」 可能性を論じていると、スミちゃんはふと考えるような顔で指先をちょんと唇に添えた。 何を思ったか、その指で俺の手に触れてくる。 「バカ! なにやってんだよっ!?」 「ん〜、もう一回触ったら、みーくん、元に戻れるかなーって思ったから」 「なんでそうなるんだよっ」 「何も起きなかったね」 「うん……」 大胆というか……考えられないことをする子だ。 けど、本当に何も起きなかったな。 「なんでだ? やっぱり、体が触れたら入れ替わるわけじゃねーのか?」 「でも、さっきは確かに鍔姫ちゃんが触ったせいで、入れ替わったと思うんだけどな」 「きっと一度、入れ替わった人には効果ないんだよ」 「ああっ……そうかも知れねえな」 「ほらー。確かめて良かったでしょ?」 「いやいや。危ないから、思いつきで行動しないで」 「ねえねえ、ヒメちゃん。それでヒメちゃんは今晩どうするの?」 「え?」 俺の注意を聞いているのかいないのか、スミちゃんは相変わらずのマイペースで話題を変える。 「いや、こいつは久我だから」 「だって、見た目はヒメちゃんだもん。心配だから放っておけないよ〜」 「まあ……このバカのことだから、壬生さんの体に変なイタズラをしないとも限らねーもんな」 「いい加減にその疑いは止めろ!」 「決めた! 私ここに泊まる!」 「ええ? なんで!?」 「別に私はみーくんを疑ったりしてないよ? ただ、ヒメちゃんの体が心配だから、離れたくないの」 「それに、急にヒメちゃんの意識が戻ってくるかもしれないでしょ?」 「う〜ん……何も起きない限り、その可能性は低いと思うけどな」 「でも心配なの。泊まっていいでしょ?」 「バカ! 久我と二人で泊まるなんてオレは絶対に許さねーぞ!」 「なんでよー? 体はヒメちゃんなんだし、心配しなくても大丈夫だよ〜」 「中身が問題なんだって!」 「やだもん。私、ここに泊まるもん」 「はあ? なんでお前まで。厚かましくも、鍔姫ちゃんの部屋に泊まる気か?」 「それはてめぇのことだ!」 「……マジで?」 「じゃ、私とヒメちゃんはベッド。しーちゃんは床で眠ってね」 「っ……」 「なっ……駄目だぞ、バカ! なんで二人が一緒のベッドで寝るんだよ!」 「じゃあ、ヒメちゃんに床で寝ろって言うのー? 私だって、床で寝るのはやだよ」 「いやいやいや! 危ないだろ! もしも、寝てる間にうっかり体が触れたら……」 「それはさっき確認済みでしょ♪」 「あ……」 ……スミちゃん、まさか、このためにさっき確認したのか? ううん……この子だけは読めない。 「じゃあ、これで決まり。さっ、ヒメちゃん、一緒に寝よー」 「あの……くれぐれも、俺が久我だってことは忘れないようにね?」 「大丈夫」 不安だ。抱きついてきたりしないだろうなぁ。 「うううぅ〜………」 不満そうな村雲を他所に、笑顔で俺をベッドに誘う。 なんだかすごい画だよな……。 結局、強引なスミちゃんの主張で、俺達三人は鍔姫ちゃんの部屋に泊まることになったのだった。 「はぁ……もう、どうしてこうなるんですか?」 モー子は額に手を当て、溜め息をつきながら首を振った。 「だから、不慮の事故だと言ったろ?」 「あれほど気をつけてくださいと言ったのに」 「まあまあ。だけどこれで、憂緒さんの推理が正しかったことが証明されたじゃない」 「ああ。やっぱ、意識の転移は体の接触で発生するみたいだな」 「そのようですね。それと、さっき聞かせてもらった、久我くんの考えも私は合っていると思います」 「意識の上書きか?」 「まず初めに、久我くんの意識が村雲さんに移りました。次に壬生さんと接触し、彼女の中へ……」 「その際、村雲さんの意識は元に戻り、また、壬生さんの意識は誰にも移っていません」 「そうなると、彼女の意識も村雲さんの時と同じで、体の中に残っていると考えるのが妥当でしょう」 「つまり、今は壬生さんの体の中に、久我くんの意識が上書きされた状態、という結論になります」 「なるほど……」 俺はなんとなく思ったことだったが、論理的なモー子の説明で納得がいった。 「あ……それとさ。壬生さんの部屋で気になることがあったんだ」 「何ですか?」 「久我と三人でメシを食ってる時、壬生さんが『誰かの気配を感じる』って、部屋の中を見渡したんだよ」 「気配?」 「ああ、そうだった。確か『聞き耳を立てているような気配』だと言ってたな」 「それで、何かあったんですか?」 「いや。一応、外の様子も調べたけど、怪しい人影なんかは無かったな」 「聞き耳……」 「ん? 何か引っかかるのか?」 「ええ。この香水が遺品ではない何らかの魔術だとすれば……」 モー子は机の香水を見つめながら、考えをまとめていく。 「送り主は他にも色々な魔術を使えても不思議ではありません」 「つまり、聞き耳を立てる……本当に盗聴みたいな魔術を使われたってことか?」 「だと思います」 「へー。はっきり断言するな」 「ええ。他でもない、壬生さんがそう言ったのなら、信用出来ると思います」 「魔術で盗聴か……誰が何のために?」 「そりゃあ、送り主だろうけど……」 「では、盗聴しているのは香水の送り主だと仮定して、その目的は何だと考えますか?」 「愉快犯じゃないのか?」 「どうしてそう思うんですか?」 「だってさ。人の意識を入れ替えておいて、それを盗み聞きって……やってることがあまりにも意味不明だろ?」 「……そうですね。ただ、それならどうして、わざわざ特査分室をターゲットにする必要があったのでしょう?」 「そりゃあ、相手として面白いからだろ」 「なんで? 楽しみたいだけなら、一般の生徒を狙ってもいいんじゃない?」 「まあ、確かにその方がリスクは少ないわな」 「リスクがあっても、どうしてもおれ達を狙う必要があったってことかな……?」 「ええ……犯人は、私達がこの事態にどう対応するのか、それを観察しているのではないでしょうか?」 「早い話が喧嘩売ってるってことかよ?」 「俺達への挑戦じゃねーか?」 「えぇっ、そうなの?」 「わざわざ特査宛にこの香水を送りつけてきやがったんだ」 「それで人の意識を入れ替えておいて、そのあとどうなってるかこっそり盗み聞きするとか……どう解決するのか見定めてるって感じだろ」 「……ええ。私もその考えに近いです」 「要は喧嘩売ってるってことか」 「俺に何か恨みでもあるのかな?」 「それはないと思います」 「……? なんでだよ?」 「状況を考えればわかるでしょう? この香水は久我くん宛でなく、特査分室宛に届いたんですよ?」 「もしかすると、私や烏丸くんが小包を開けたかも知れませんし」 やや呆れた顔で説明される。 それもそうか……。 「じゃあ、憂緒さんの考えは?」 「わざわざ特査分室宛に送ってきたんです。この事態に、私達がどう対応するか、それを観察しているんじゃないでしょうか?」 「なるほど。つまり、オレ達に喧嘩を売ってるってわけか」 「喧嘩か……物好きなヤツがいるもんだな」 「マジで喧嘩なら、いくらでも買ってやるけどさ」 「けど、喧嘩を売る意図は何なんだ? 特査とモメて得するヤツって誰だ?」 「…………。今のところ、そこまではわかりませんね」 「もう一度、整理してみましょうか。手掛かりはほとんどありませんが、一応、容疑者はいるのですし」 「リトが見たっていうスーツの男か。まあ、そいつが犯人……相手が複数なら、一味の一人に間違いないだろうな」 「けど、スーツで学園内を歩いていたんなら結構、目立つんじゃねーのか? リト以外にも、そいつを見たヤツがいるかも知れねーぜ?」 「そうだな。その線でちょっと聞き込みをやってみるか」 「ええ。基本的な調査から始めましょう」 「ええと、ところで……」 「何?」 「俺……授業とか、どうしよう?」 「面倒なことにしかならないと思います。大人しくここにいてください」 「了解」 うん、それが利口だな。 下手をすると、鍔姫ちゃんがおかしくなったとかいう不名誉な噂になりかねない……。 「風紀委員には、遺品絡みの捜査で手を借りていると伝えておきます」 「村雲くん、あなたの方からも風紀委員に上手く伝えておいてください」 「わかった。ほんじゃ、そろそろ授業に行くか」 「みっちーはここで大人しくね」 「はいはい」 「はー……」 ヒマだ。 もうじき昼休みだし、そろそろ誰か戻ってくるはずなんだけど。 じっとしてるのはどうも苦手だ。 リトの様子でも覗いてみるか……。 「あ……久我満琉。どうしたの?」 パタンと本を閉じ、こちらを振り返る。 今朝までの一連の出来事は、すでにリトには説明済みだ。 彼女の立つ少し向こうでは、床に敷かれた毛布の上で相変わらず『俺』が横たわっている。 「俺の体の様子はどうだ?」 「特に何も変化無しよ」 「みたいだなぁ……」 一見して衰弱している様子はない。 早く戻りたいが……それには犯人を見つけないとな。 「……こっちにいたの?」 「ああ、スミちゃん」 分室からスミちゃんが出てきた。 ヤヌスの鍵を使って来たらしい。 「誰もいない?」 「俺とリトだけだよ」 「そっか」 周囲を見渡した後、少しホッとした顔をする。 スミちゃんの存在は一応、一般生徒には伏せられているからな。 「はぁ〜。ヒメちゃんはどこにいるんだろ? みーくんと一緒にいるのかなぁ?」 「それって、この体の中にいるって意味?」 俺は今入っている、自分の体を指差した。 「だと思う。みーくんも昨日、そうかも知れないって言ってたよね」 「ああ。その可能性は高そうなんだよな。今朝、モー子も言ってたんだけれど……」 俺は意識の上書き云々に関する、モー子の推理を説明した。 話を聞き終えたスミちゃんは、やっぱりという表情をする。 「私もそうだと思った」 「だって、私の意識がその辺をふよふよしていたんなら、勘の鋭いヒメちゃんが気付かないわけないもん」 「ああ……それは鍔姫ちゃん自身もそう言ってたよ」 「ふふ〜、そっかぁ♪」 嬉しそうなスミちゃん。本当に仲が良いんだよな。 「ヒメちゃんは今、自分の体の中で眠っちゃってる状態なのかな?」 「私もみーくんと入れ替わった時のことは、なんにも覚えてなかったから」 「たぶん、そんなところだろう。まあ、まだ断言は出来ないけどな」 おっ、やっと昼休みか。 誰か来るかな、と思っていると、ほどなくしてぱたぱた走って来る足音が聞こえた。 毛布に寝かされた『俺』を見下ろして、スミちゃんと話をするうちに、おまるが部屋に戻ってきた。 「やっほー♪」 「おまる。聞き込みの方はどうだった?」 「う〜ん、それが全然駄目だよ。みんなで聞いて回ったけれど、スーツの男なんて誰もみてないってさ」 「誰も?」 「うん。リトさんの話だと、その男がここに現れたのは昼休みの後だったんですよね?」 「えぇ、そうよ」 「そっか。授業中だな……」 「よう、モー子」 「あー、ちょうど今、聞き込みの成果を話してたところです。成果と言っても、何もなかったですけど」 「私の方も駄目でした。念のため、授業中に不在だった生徒がいなかったかどうかも確認しましたが……」 「昨日は欠席者もなく、授業を抜けた生徒は一人もいなかったそうです」 「まあ、前進と言えば前進だよな。これで生徒の線は消えたわけだ」 「かと言って、部外者が勝手に入るのも難しいよね? この学園、警備厳重だし」 「やっぱ、何かの業者か?」 「それならば仕立てのスーツを着ているのは不自然でしょう? ただ……学園に入る時、業者に化けていた可能性は捨てきれませんね」 「うん。それなら警備を誤魔化せそうですもんね」 「ええ。ですが、見たことのない業者なら、やはり警備に止められたはずです」 「となると……普段から学園に出入りしている業者に変装していた可能性は高そうですね」 「なら、学園長に聞いてみるか。学園長なら、出入り業者ぐらい全部把握しているだろ」 「そうですね。一つずつ、可能性は潰していくことにしましょう」 「じゃあ、今からでも……」 図書室を出ようとしたところで、血相を変えた村雲が飛び込んでくる。 「しーちゃん、どーしたの!?」 「廊下で誰かが倒れてるらしい!」 「……! どこの廊下だ?」 「すぐ近くだ! みんなすぐに来いっ!」 「……行きましょう!」 「はいっ!」 「し、しーちゃん。気をつけてね」 「ああ」 俺達は村雲の案内で急いで現場に向かった。 「あ……」 「特査の皆さん」 現場には数人の風紀委員がいた。 だが、倒れた生徒の姿は見当たらない。 野次馬もいないのは、風紀委員が教室へ帰したからだろう。 「えっ……」 「……?」 「あん? なんだよ?」 「み、みっちー……」 「え……」 「久我くんは余計なことを言わないでください」 小声で二人に注意される。 そ、そうだ。 俺は今、鍔姫ちゃんの姿をしてるんだった。 乱暴な言葉遣いに風紀委員が驚いてる。 ここは大人しく、モー子達に任せよう。 「何があったのですか?」 「あ、はい。生徒から誰かが倒れていると通報を受けて駆けつけたんです」 「ここで男子生徒が一人倒れていて。貧血か何か、原因はわからないのですが」 「えぇっ……原因不明なんですか? け、怪我とかも特に……?」 「外傷はありませんでした。ただ、完全に意識は無いようで、呼びかけても反応はまったく……」 「倒れた瞬間を見たヤツはいねーのか?」 「はい。通報してきた生徒も、発見した時は、もう倒れていたと言っていました」 「…………」 風紀委員の説明を聞きながら、ふとモー子が辺りを見渡して小さく鼻を鳴らした。 「どうした?」 「……香水」 「え?」 「え? そんなの、当然つけてないですよ」 「僕も……でも、本当になんだか香水みたいな匂いがしますね」 「……けど、この匂い。分室に届いた例のやつとは別の匂いだな」 「それは確かですか?」 「ああ、間違いない」 小声でモー子に返しておく。 あれは結構、特徴的な匂いだったからな。 「あのー……それで壬生さんは、このまま特査と調査されるんですか?」 「あ……うん。あ、いや……」 「はい、協力してもらうつもりです。風紀の方々には申し訳ないですが、戦力として必要ですから」 「いえいえ。それでは、僕達は一度報告に戻りますので……」 「わかりました。私達はもう少し、現場を検証しておきます」 「よろしくお願いします」 「きみ達はどう思いますか?」 「それはつまり、香水を送ってきた人と、同一人物の仕業かってことですか?」 「ええ、そのことについて」 「う〜ん。そうだなぁ……」 「きっと同一犯だろう」 「生徒が倒れてて、現場には香水の匂い。偶然にしちゃあ出来過ぎだもんな」 「それに、変な効果のある香水を撒くのが趣味の人間が、たまたま二人もうろついてるとは考えにくいしな」 「ええ。私もそう思います」 「……同じヤツとは限らないんじゃないか?」 「何故ですか?」 「いや、さっきも言ったけど、これは俺の嗅いだ香水とは別の匂いだし」 「それだけで違うとは断言できないでしょう? 現場の状況を聞けば、被害にあった生徒が香水のせいで意識を失った可能性は高そうですし」 「そんな特殊な力を使う人間が、複数人、学園に侵入してるとは考えにくいです」 「……。そう、だな」 「ええ。今回は別の誰かに意識を移す必要性はなかったということでしょう」 「え? どういう意味? その香水は、気絶させるだけの効果だったってこと?」 「例の香水と同じ効果なら、被害生徒を保健室へ運ぶ際にまた騒動が起きていたはずです」 「だな……」 「んん? じゃあなんで、今度はトクサと関係ない一般生徒を狙ったりしたんだ? しかも、気絶なんかさせてよ」 「それは……」 「何かをしてて、見咎められたんじゃね?」 「不審者だと思った生徒に正体を問い詰められたとか」 「きっとその線でしょうね」 「その生徒も狙われたんじゃね?」 「なんでだよ? トクサと全然、関係ねーヤツだぜ?」 「さあ、それはわからないけどさ」 「私も違うと思います。もしその生徒が標的だったのなら、例の香水と同じ効果のものを使っていたでしょう」 「単に気絶させただけということは、何か都合の悪いところを見られそうになり、口封じをしただけでは?」 「ん……確かに、そっちの方が説得力があるな」 「あまり深い意味はないんじゃね?」 「はい?」 「きっと、俺らの捜査をかき回して遊んでやがるんだよ」 「かき回されるまでもなく、調査は何も進んでいませんが」 「っ……」 「ははは、そうですね……」 「それよりも、むしろこれは偶発的な出来事だったのではないでしょうか?」 「何かをしているところを見られそうになり、口封じのため咄嗟にやったのでは?」 「あー……そういう線もアリだな」 「えーっと、つまり、怪しい人がうろうろしてたから、気がついた生徒が声をかけた」 「そしたら、犯人が慌てて、とりあえず、その子を気絶させた……ってことかな?」 「ええ。何者か問い詰められたか、人を呼ばれそうになったか。おそらく、そんなところでしょう」 「……となると犯人は、一目で学園の関係者じゃないって、わかるような格好をしてたってことだよな」 リトが見たっていう、例のスーツ姿の男だったんだろか? 「ね、ねえ。ちょっといい?」 「なんだ?」 「事件だとは思うけれど、もう授業はじまってるし……そろそろ、戻った方が良くない?」 「確かに学生の本分は勉強ですが、一般生徒に被害が出ているのに、特査分室の私達が呑気に授業を受けるわけにもいきません」 「ああ、その通りだな」 「そっか……」 「なんだよ烏丸、お前びびってんのか?」 「そ、そんなんじゃないですけどっ」 「村雲こそ、ただの下働きなんだから、遠慮しないで授業に出てもいいんだぞ?」 「うるせえ、クソ久我! いい加減、その言い方はやめろってんだよっ!」 「はぁ…………」 学園長室にやってきた。 一応、業者の線を学園長に確認するためだ。 「てゆーか、いねえし!」 「どこ行っちゃったんだろうなぁ?」 「出張などという話は聞いていません。学園内のどこかにはいらっしゃるでしょう」 「春霞に頼んでみるか? あいつの鍵を使えば、すぐに見つかるぜ」 「それがいいな。図書館に戻るか」 「……というわけで、その鍵を借りたいんだけど」 「うん。そんなことなら任せて」 スミちゃんは快諾してくれると、首に下げたヤヌスの鍵を手に取った。 そして、宙に差して回す動作をするのだが……。 「反応ないな……学園にいないのか?」 「そんなはずはないと思います。外出されるなら、特査分室にも一言、連絡があるはずです」 「あの学園長が? そんなマメな性格してるか?」 「はい。とてもそうは見えない最高責任者ですが、黙って学園を留守にすることだけはありません」 ……何気にキツイことを言ってるな。 けど、現に鍵は反応してないしなぁ。 すると、盗聴を警戒しているのかモー子は少し声を潜めて言った。 「……ヤヌスの鍵では行けない場所にいらっしゃるのではないでしょうか?」 「あー……例えば、あれか。あの魔石がいっぱい置いてあった部屋とかか?」 「だけどあそこは昼と夜の間の空間で、鐘が鳴ってる間しか入れないんじゃなかった?」 「………………」 「…………」 不意にモー子が複雑な表情で目を伏せた。 何か別のことを考えているような顔だ。 もしかすると……。 「ヤヌスの鍵でも入れない空間……。もしかすると、そこになら……」 やっぱり、そうか……。 「…………」 あのことを――行方不明の友達の事を考えてるのか。 おまるも気付いたらしく、目の合った俺達はあえてその話題には触れないようにした。 「要は、俺達の知らない場所が他にも存在するってことか?」 「ねえねえ。まさか、学園長の身に何かあったってことはないかなぁ?」 「いや。さっき学園長室に行ったけど、何も異常はなかったぜ?」 「でもぉ……」 「あの学園長のことだから、まあ大丈夫だと思うけどな」 「んー、だったらいいけど」 「………………」 そんな話をしてると、また無言になっていたモー子がおもむろに顔を上げて口を開いた。 「……こうなったら、手段は選んでいられませんね」 ちらりと俺の顔を見てから、一瞬、宙に目を向ける。 「あれを使わせてもらいましょう」 そう言って、何か言いたげな表情で全員の顔を見渡す。 「うん? あれってなんだよ?」 「………………」 「……へ?」 なんか、露骨に失望したような顔で睨んでるんですが……。 「いや、だから。何の話をしてるんだ?」 「覚えていないなら結構です。黙って、私に任せてください」 「…………?」 本当に何のことかわからない。 しかし、『黙って』という部分をやけに強調していた気がしたので、俺はこれ以上、何も聞かないことにした。 「…………?」 えぇっ? おまるのやつ、わかったのか? 「ねえ、何か手があるの? もったいぶらないで教えてよー」 「はい。村雲さん達は知らないと思いますが、以前の事件で関わった遺品がありまして……」 「これがかなり面倒な品なんです。未だに動かせず、一階の廊下に置いたままになっているのですが」 「……???」 そんな遺品、あったっけ? 「これを上手く作動させれば、香水の送り主にかなりのダメージを与えられます。少々、手荒な方法ですが仕方ありません」 「おー、いいじゃねえか。一発ぶちかましてやろうぜ!」 ええぇ? さっぱりわからねー! そんな遺品、俺だって知らないぞ? 「そうだな」 「……」 俺が頷くと、モー子は我が意を得たりという顔で微かに笑みを浮かべた。 「え? え? あれって……」 「あれ?」 「何のこと?」 「あはは、はい。ちょっと……」 おまるはそろりと俺とモー子に視線をやる。 『はったりだよね?』と尋ねる顔に、二人で小さく頷き返した。 モー子がさっきの台詞を言った瞬間、俺もすぐにわかった。 彼女は盗み聞きを逆手に取ろうとしている。 昨夜の鍔姫ちゃんの時と言い、また誰かが、会話を聞いている可能性はあるからな。 「ねえねえ、何か手があるの? 黙ってないで教えてよー」 「ええ、村雲さん達はご存知ないでしょうが、以前の事件で問題になった遺品がありまして……」 「これが少し厄介な代物で、未だに動かせず一階の廊下に放置したままなんです」 「そんな物騒なものがあるのか?」 「ええ。ですが、あれを上手く作動させれば、香水の送り主に大きなダメージを与えられます。手荒な方法になりますが仕方ありません」 「へぇぇ〜……」 なるほどなぁ。 手詰まりだからってこんな手段を使うとは、まったく良い度胸してるな。 「烏丸くん、何か書く物を」 「あ……うん。これ使って」 早口で説明したモー子は、おまるから受け取ったメモ用紙にさらさらとペンを走らせた。 「村雲さん。間を置いてヤヌスの鍵をもう一度試してください」 「え……」 「もしも学園長が見つかったら、このメモを渡して欲しいんです」 そう言ってメモをスミちゃんに渡す。 「では、一階に行きましょう」 そこでちょうど放課後のチャイムが鳴る。 俺達は帰宅を促す放送が響く中、モー子に続いて校舎へと戻った。 地下から出ると、廊下は寮に戻る大勢の生徒でいっぱいだった。 「壬生先輩、お疲れ様です!」 「え? あ、ああ。うん」 「壬生さん、さよなら〜」 「あ、あぁ、また明日……」 「もう。みっちー、目立たないで」 「いや、挨拶ぐらいちゃんと返さねーと鍔姫ちゃんの評判に関わるだろ?」 「……少し待ってもらえますか」 「靴の中に何か入ったみたいです」 「はぁ? そんなのどーでもいいだろ。もしも、犯人がオレ達の様子を探ってたら、遺品のところに先回りされて……」 「もちろんわかっていますよ。だから私も急いでいます」 モー子はほんの少し口元を緩め、しーっと人差し指を自分の唇に当てた。 「……なんだ。はったりだったのかよ」 っ……そういうことか。 まったく、良い度胸してるよな。 しかし、おまるはすぐに気付いたってのに……。 自分の洞察力の無さが、ちょっと情けなくなってしまった。 「では……二手に分かれましょう」 立ち上がったモー子が小声で指示をする。 「私と烏丸くんはこのまま向かいます。お二人は階段で、二階から回り込んでください」 「回り込めって……走らないと間に合わねーぞ?」 「ですから急いで」 「はい!」 「……ん? やけに素直な返事だな?」 「あっ、お前。今うっかり、俺を本物の鍔姫ちゃんだと思っちゃったんだろ?」 「うるせ、この野郎……!」 「もう、みっちー……!」 「…………」 「っ…………」 小声でおまるが急かしてくる。 何より、モー子の刺すような視線が痛い。 い、急ごう……! 俺達は全速力で階段の方へ駆け出した。 鍔姫ちゃんが体力のある子で助かったよ。 「はぁっ、はっ……」 「っ……! あいつらっ……」 一階の廊下に戻ると、前方にスーツ姿の人影が見えた。 さらにもう一人、長い金髪を持つ少女の姿も確認できる。 「あ……!」 二人は俺達に気付くと、きびすを返して走りだそうとする。 「そこまでです!」 「はぁ、はっ! やっと見つけたっ!」 「チッ……」 反対側から現れたモー子とおまるが二人を挟み撃ちにする。 「ふー。手間かけさせやがって」 「お前らだな? 妙な香水を特査に送りつけたのは……」 「…………」 「…………」 二人は観念した様子で足を止めた。 スーツを着た男の方は、少女を庇う格好で俺達と対峙する。 明らかに日本人ではなく、この学園の生徒でもなさそうだ。 少女の方は派手な真紅のスカートをまとい、どこか気品の感じられる外見だ。 暗い色のスーツを着た男は、顔に眼帯をつけている。 こうして並んでいる姿は、異国の執事と令嬢のようだった。 「香水の一件、それに先ほどの生徒の失神。すべてあなた達の仕業ですね? いったい、何者なんですか?」 「おい、その眼帯。お前が分室に香水を運んだんだろ?」 「……やはり罠だったのね。もう、だから言ったでしょう?」 「貴女に危険が及ぶ可能性のあるものを放置するわけには参りません、フラウ」 「それに私はお残りくださいと、何度も申し上げましたが」 「だからって!」 「おいコラ! 人の話を聞いてんのか!」 「……遺品の話も嘘ですよ? 何もあなた達に危害は加えません。さあ、質問に答えてください」 「…………」 「…………」 「おい、何か言ったらどうだ?」 「……!」 「うっ……!?」 一歩踏み出した瞬間、少女が香水瓶を構え、俺に向けて噴射した。 あ…………。 「みっちー!?」 「おい、久我!?」 「ぅ…………ぅ……」 「おい、てめぇ!? 何しやがるんだ!?」 「…………」 「あ……え? 私は…………?」 「あ……」 「もしかして……?」 「壬生さん!」 「やっぱり……戻ったんですね? それじゃあ、みっちーはどこに!?」 「彼女は戻して差し上げたわ。中に入っていた方はどちらか存じませんけれど」 「ええぇ……」 「心配無用です、烏丸くん」 「久我!」 「ほら、彼ならここに」 「用意周到だな、モー子」 俺の出てきた扉は、そこにあるはずのない特査分室と繋がっていた。 後ろからは、スミちゃんがそーっと顔を覗かせている。 「タイミングおっけー?」 二人の視界に入らないよう、小声でモー子に尋ねる。 「はい。申し分なく」 「えっへっへ♪」 「へ……どういうことなんだよ?」 「先ほど、村雲さんにメモを渡した時にお願いしたのです。数分後、ヤヌスの鍵を使い、私の元へ扉を開いてください、と」 「はー。やっと自分の体に戻れたな」 「……ふふ、これはこれは」 「予想以上に出来る方のようね。途中で聞かせていただいた推察も……ええ、なかなかのものでした」 「そこのあなたも、それなりだったけれど……」 少女は微笑みながら挑戦的な目を俺に向けてくる。 「もっとも。あなた以外は残念な方々のようだけれど」 「なんだとコラ!」 「……」 少女は見下した笑みを俺達に向ける。 確かにモー子の機転がなければ、こうして追い詰めることは出来無かったよな。 「まあ、あなた以外の方は……ふふ。まるでお話にならないようだけれど」 「なっ……、なんだとコラ!?」 「……」 少女はふんと鼻を鳴らす。 まあ、確かに今のこの状況はモー子の機転のおかげだよな。 「それよりも、早く質問に答えていただけますか?」 「あなた達は何者です? いったい、何の目的があって……」 「お客さまぁぁぁーーー!!」 「……?」 場の空気が緊迫する中で、何とも間の抜けた叫び声が廊下の向こうから響いてきた。 ぱたぱたと走る小柄な少女の後ろには、数人の風紀委員が続いている。 「……お客様ぁ?」 「はぁ、はぁ、お客さま〜」 「あら、何かありました?」 「なにかじゃないです! はやく客室へおもどりください!」 「ほーかごは校内立ち入り禁止! いくらだいじなお客さまでも、ふーきはまもっていただかないとぉ〜」 「…………だ、誰だ、こいつ?」 何もかもが変な少女のインパクトに持っていかれてしまった。 やけに小さい……て言うか、一年生にも見えないけれど、これで学園の生徒なのか? 一応、制服は着てるけど……。 いや、いやいや。 ダブダブで引きずっているから、気付かなかったが、こいつの着ているコートはもしかして……。 「ああ。彼女がこの学園の風紀委員長。聖護院百花先輩だ」 「えええっ!?」 「これがっ!?」 このちんちくりんの、子供みたいなお嬢ちゃんが? 聞いた話から、どんなにお硬い風紀委員長なのかと想像してたのだが。 「えへん! そーなのです。ももがこの学園の平和を守る、ふーき委員長! 聖護院百花なのです、はいっ!」 「烏丸小太郎です……」 「おまる、何釣られて自己紹介してんだ?」 「本来、風紀委員長は委員会の部屋で全体の統括を行い、あまり現場には出られないのだが」 「まあ、私と村雲が相次いで抜けたせいもあってな……聖護院先輩、苦労をおかけしています」 「いーのいーの、これもお仕事なんだから〜♪」 う、う〜ん……これが風紀委員のトップか。 いやいや、今はそんなことよりも! 「さあ、お客様。速やかにお戻りを」 「我々が客室まで案内いたします」 いつの間にやら例の二人は風紀委員に完全包囲されてしまっている。 もうすぐ『夜』だから……部外者に見られると確かにまずいよな。 「何をそんなに慌ててるの? ふふ、昨日客室に案内されたのは……やはり、校内に残って欲しくなかったからのようね?」 「え……」 「うふふ、よほど見られては困るものがあるように見えますけど……」 「それは……」 「そのようですね、フラウ」 だ、駄目だ。この風紀委員長……。 「いずれにせよ、私は今、この方々とお話をしている最中ですし」 「その件なら後で構いませんが?」 「まあ、確かにもう遅いしな」 学園の客だということはわかったんだ。 今の二人の反応を見ても、逃げるどころか、俺達とのやり取りを楽しみにしている風でもあるし。 それに何より、この学園にとっては鐘が鳴る前にお帰り頂くことの方が大事だろう。 「ほら、さっさと部屋に戻れ。俺達は明日にでも、もう一度きっちり話をさせてもらうからな」 「ますます怪しいわね。ここにいられると、そんなに困るのかしら?」 「……申し訳ありませんが、従っていただけないのなら無理にでも……」 風紀委員の一人が強行手段に出た。 強引に少女の腕を掴もうとする。 「失礼ね! 触らないでっ!」 少女は素早く香水を取り出すや、風紀委員に向かって噴きつけた。 「あ…………ぁっ……」 香水を浴びた委員は膝から崩れてその場に倒れ込んでしまう。 「お、お前らっ……!!」 「っ……この匂い──あの生徒を気絶させたものと同じです!」 「あら? だったら、どうすると言うの?」 「…………」 これだけの人数に囲まれても、少女は余裕の表情だ。 一方の男は険しい顔つきになり、威嚇するように片目を光らせる。 「皆さん、取り押さえなさ―い!」 「はい!」 「さあ、大人しくしろ!」 「待て! こいつらただもんじゃないぞ!」 「ふふふふふっ」 「ああっ!?」 「あら、失礼」 「このっ、よくも……」 「今度はあなた? はい、良い香りでしょ?」 「くっ、く……っ!!」 「こらっ、大人しくしろっ!」 「もう、乱暴はよしなさいってば」 「ああ……っ!」 風紀委員だって、それなりに体力や運動能力に優れた生徒ばかりのはず。 しかし、少女は愉快そうに笑いながら、蝶が飛ぶように華麗に舞いながら、次々と風紀委員達を香水で無力化する。 「あああ! もう! みんなしっかりするのー!」 「ふふん、もうお終いかしら?」 「くそっ……!」 もちろん、俺達だって黙って見てるわけじゃない。 しかし……。 「…………」 鋭い眼光が俺や鍔姫ちゃん、村雲の動きを封じていた。 完全に、この中で一番腕が立つのは誰なのか、はっきりそれをわかっている様子だ。 一歩、間合いを詰めれば、怪我じゃ済まない戦いに発展しそうだ。 なんとなく、そんな予感がする……。 「みっちー! どうしよう!? みんなやられちゃってるよっ!」 「わかってるよ!」 「久我……」 「ああ、やるか?」 「ま、待て!」 間合いを詰めようとした寸前、鍔姫ちゃんが俺達を制した。 「おそらくただでは済まない。何も今、こんな争いをする必要はないだろう?」 「先に手を出したのは向こうなんですよ!」 見れば、もう風紀委員達は委員長を残して全滅だ。 「……場所を変えましょう」 「はい?」 「正直……私は事態を把握できていませんが、何にせよ、校内での騒ぎは元風紀委員として認められません」 「まずはあなた方の目的を聞かせてもらえますか? ここでは話も出来ません」 「ふふ……」 とにかく、場所を変えようとする鍔姫ちゃん。 今はそれが賢明かもしれない。 仮に戦っても『夜』が訪れる前に決着はつきそうにない。 「いいえ。話なら、私はここで構いませんが」 しかし、向こうもこっちの考えを見透かしている。 「く……」 「どうしてそんなに、校舎から出そうとするのかしら? ますます、ここに居たくなったわ」 「この……つべこべ言ってんじゃねえよっ!」 「あ……!」 しまった……遅かったか! 「ああああ! 夜が…………!」 「……何? 鐘?」 「フラウ……何か、来ます」 『夜』が訪れた。 窓の外の暗闇が、あっという間に廊下へ浸透する。 辺り一面に星空が広がり、鳴り響く鐘の音に乗って夜がオーロラのように舞う。 「これは……」 やがて、暗闇は徐々に晴れていき、様変わりした『夜の世界』が出現した。 ――これが、この学園の秘密。 毎日のように、風紀委員達に校舎から生徒を強制的に退去させる理由だ。 時計塔の鐘の音と共に、学園には魔術で繋がれた夜の世界が現れ、校舎と一体化する。 この学園は、夜の間だけ別の世界と繋がるのだ。 「信じられない……」 「…………」 さすがに二人は呆然としている。 場の空気は急速に弛緩していった。 「……驚いたわ。あなた達が隠したかったのはこれだったのね?」 「ああああうううう……」 「ふふふ。ここは『本物の魔術』が生きている場所。納得がいったわ」 「ええ。そのようです」 「さあ、面白いものも見れましたし、では客室へ戻りましょうか。案内してください」 「えっ……ああ、はい……」 「そ、そうです!」 「ふん、あなた達が乱暴をしようとしたせいでしょう?」 「何言ってやがる! そもそも、オレ達に喧嘩を売ってきたのはそっちの方だろうがよっ!」 「村雲くん、もういいです。今日のところはこれで終わりにしておきましょう」 「ええ!?」 「ああ。あまり長くいられても困るしな。それに、逃げる心配も無さそうだし」 「ええ。逃げも隠れもしないわよ」 「ちっ……」 「あ、あの、気絶した生徒は……」 「心配はいりません。しばらくすれば目を覚ますわ」 「……先ほど、使った香水は何なのですか?」 「ああ、これのこと? バレリアンをベースに魔術調合したものよ」 「バレリアン……カノコ草ですね?」 「なんなんだ、それ? ハーブか?」 「ええ。鎮静や催眠の効果があるの」 「それに少し自分の魔力を混ぜ込んで、魔術調合しているだけ。人体に悪い影響はありません」 「けっ、ぬけぬけとよく言うな」 「フラウ。そろそろ……」 「ええ。行きましょうか」 「待ってください」 「……? まだ何か?」 「あなた方の素性を調べさせていただきます。私達にしたこともお忘れなく」 モー子の宣戦布告にも少女は余裕の笑顔だ。 「あの……客室へ戻る前に、一度、学園長のところへ……」 「わかりました。それでは皆さん、ごきげんよう」 男を従え、風紀委員長に先導させながら、颯爽と歩き去っていく。 それなりに魔術も使うようだが、俺は先ほど対峙した時の、男の方の実力が気にかかっていた。 もしもあのまま戦えば、一体どうなっていたのか……。 「くそ、ナメやがって。なんなんだ、あいつら……」 「ああ、客とか言ってたな」 「お客さんだったら、学園長が詳しく知ってるんじゃない?」 「そうですね。電話で聞いた時ははぐらかされてしまいましたけど」 「ったく。学園長も食えねーな」 「なあ、みんな。申し訳ないが、私にもわかるよう説明をしてくれないか?」 「あっ、そうですね」 「よろしく頼む。あれから何があったんだ?」 「だから……」 俺達は鍔姫ちゃんに昨夜からの流れを説明し、今日はこれで解散となった。 「そうかー。夜の世界も見てしまったんだねぇ」 「ええ。しかと拝見しました。あれはいったい何なのですか?」 「ん? ああ、あれは楽園からの旅人だよ。はっはっは! でも、詳しくは教えられないねえ」 「楽園からの旅人……?」 「うん。言えるのはそれだけかな」 「何故、お隠しになるのです?」 「もちろん、魔術には秘密がつきものだからさ。夜の世界も見て欲しくなかったんだけど。あれこそ、学園に秘められた魔術だからねー」 「………………」 「……ええ。素晴らしい魔術でした」 「ただ、みなさん隠そうとなさるから……ふふ、何か悪事でも行っているのかと勘ぐってしまいまして……」 「ちぃ」 「はい。私の誤解のせいで、風紀委員の方には迷惑をおかけしました。それはお詫び申し上げます」 「いやいや!」 「何か素晴らしい研究をされているようですね?」 「んー、そうだねー」 「とにかく、祖母の品が戻るまでの間、私はこのまま滞在させていただきます」 「うんうん。ゆっくりしてくれたまえ! ははははっ!」 「………………」 「……うーん。困ったねえ、ニノマエ君」 「ちぃ」 「今はすっごいすっごいデリケートな時期だから、早く帰って欲しいのだけどなー。どうしたもんかなあー」 「ちぃー」 「さっきの魔術で、影響を受けるのは学園の校舎内だけなのね。だから、昨日は気付かなかったんだわ」 「………………」 「ところで……学園長のお話、あなたはどう思った?」 「……詭弁ばかりだな。肝心なことは何も答えていない」 「そうね。楽園からの旅人って。何も答える気はなさそうだったわ……」 「もっと知られたくない秘密が他にもあるようだったが」 「ええ……いったい、何を隠しているのかしら……」 朝の挨拶が飛び交う廊下を、のんびりと教室へ向かう。 ……昨日の大騒ぎが嘘のようだ。 窓の外は脳天気なくらい晴れていた。 今日は何事もなけりゃいいんだがなぁ……。 「ふぁ〜あ……」 「いや、そういうわけじゃねえんだけどな。昨日はなんかもう異様に疲れた」 「まあねー」 はは、と苦笑したおまるは、はっと顔を上げて俺を見上げる。 「それって気分的に? あの変な香水の後遺症とかじゃない?」 「あー、気分的なもんだから心配すんな」 「本当に?」 「後遺症なら自分の身体に戻った後すぐにもっと違和感あるんじゃねえかな」 幸いそういった感じはなかった。 スミちゃんと鍔姫ちゃんも、特に異変はないようだったので多分大丈夫なんだろう。 そう言うとおまるも納得した様子で頷いた。 「魔女の二人がそう言うなら、大丈夫そうだね」 「倒れた風紀委員達もすぐ目を覚ましたって話だったしな」 全員、数時間後には目覚めたと聞いている。 ちなみに廊下で気絶していた生徒も無事だった。 「しっかし、あの香水娘と眼帯スーツ、多分まだ学園にいやがるんだよなぁ……」 「まあ、ひどいネーミングセンスね」 げっ……。 聞き覚えのある高飛車なトーンの声に振り向くと、案の定例の二人が立っていた。 周りの生徒達は何事かと目を向けてはいるが、どう見ても生徒ではない独特な雰囲気の二人に気圧されているように近寄っては来ない。 「それに、私には、アーデルハイト・リッター・フォン・ヴァインベルガーという名があるのですけれど?」 そんな周囲を気にもとめず、つかつかと俺達に歩み寄りながら香水娘が名乗りを上げる。 「アーデル……ハイト?」 「名前長っ」 「……ずいぶんと単純かつ安易な感想をありがとうございます」 あ、怒った。 額に浮かぶ青筋が見えそうな声音で言うと、値踏みする視線で俺達を眺め回す。 「特殊事案調査分室のコガ・ミチルと、そちらはカラスマ・コタロウ……でしたかしら?」 「そーだよ」 「そ、そうですけど……」 俺達が頷くと、彼女は、ふふん、と挑発的な笑みを浮かべた。 「そう、よろしく。ミチル、コタロウ」 突然、自分のものではない名前を呼ばれて意識に違和感が走った。 おまるもそのことに気付いたようで、戸惑ったように彼女を見ている。 「ヴァインベルガーの家の者はすべて名前で呼び合うのですが、あなた達は名前で呼ばれるのはお気にめさなくて?」 「いや、こいつは別にいいんだけど。俺はやめてくれ」 「どうして?」 「女みたいな名前で、気に入ってないんだ」 「そうなの。わかりました。ではコガでよろしい?」 俺が頷くと、満足そうに微笑む。上品な仕草は、やはりお嬢様といった雰囲気だ。 多分どこかのご令嬢であることに間違いはなさそうだが……正体はまだわからないままだ。 「しばらくこの学園でお世話になりますから」 「しばらく?」 「ええ」 「何か用なのか?」 「もちろんです。とても重要な用事で来ているの」 内容までは教える気はないと言った態度だった。 「結局、何者なんだよあんたら? 昨日のことは――」 「あら、素性はそちらで勝手にお調べになるのではなかったかしら?」 「…………………………」 その様子を半歩後ろから黙って見ていた眼帯スーツが何か言いたげにお嬢様をにらむ。 「何よ、ルイ?」 「………………いえ、別に」 「……………………」 「……………………」 なんなんだ、こいつら。 お互いに、何が言いたいんだ、と言った顔でにらみ合っている。 「えっと、あの……そちらの方は……」 変な空気に耐えられなくなったらしいおまるがおずおずとお嬢様に聞く。 「執事のルイです。ご覧の通り無愛想なもので……」 「ルイと申します」 「あ、ども」 「こ、こんにちは」 「……………………」 丁寧に一礼する執事を見て、お嬢様はなぜか半眼で彼をにらみつける。 「……どうしていつもそう出来ないのかしら」 「何か?」 「別に!」 「……………………」 「……………………」 なんでにらみ合ってんだ、この二人。 「あ、あの、どうかしたんですか?」 「ja」 お嬢様は不機嫌そうに俺とおまるの間を通ってずんずん歩いていく。 そしてふと思い出したように振り返った。 「では、ごきげんよう」 ……とってつけたような挨拶を残し去っていった。 「なんだかなぁ……」 「喧嘩でもしてるのかな? なんか変な雰囲気だったね」 「喧嘩ねえ……あの執事、無表情だし何考えてんのかよくわからんな」 「けど、昨日はアーデルハイトさんを真っ先に守ろうとしてかっこよかったよ」 「あー、まあな」 昨日の騒ぎの時は確かに、お嬢様をかばうように慣れた感じの動きだった。 「礼儀正しくて厳しい人って感じ」 「礼儀……正しいか? 微妙な態度だった気もするけどな」 「日本語慣れてないだけじゃないの?」 「ああ、そうか。そうかもな」 「あ、モー子」 「おはようございます、憂緒さん」 お嬢様達と入れ替わりに、モー子が現れた。 「……さっき、あの人達と話してました?」 「まあな、名乗られただけで何しに来たのか結局言わなかったけどさ」 かいつまんで先ほどの話をモー子にもする。 「やはり自分達から話す気はないのですね。なら学園長を問い詰めに行きましょう。今日は一日学園にいると聞いていますから」 ちゃんと確認済みらしい。 昼休み、一緒に問い詰めに行こうと決めて、俺達はそれぞれの教室へと向かった。 学園長室に乗り込んで問い詰めると、学園長はこともなげに笑いながら言い切った。 「あんな物騒な客を野放しにすんなっ!!」 「……どういう客人なのです?」 突っ込む俺をやんわりと片手で制しながら、モー子が質問する。 「うむ、彼女はドイツの古い名家、ヴァインベルガー家の当主だ」 「め、名家の……当主!?」 「え、彼女本人が当主なんですか? ご令嬢、とかじゃなくて?」 「その通り、若き当主だ。ヴァインベルガー家は代々続いている名家で表向きは有名な香水メーカーなのだが……」 「実際には『香り』や『薬草』を扱う魔術薬の調合をしている魔術師の家系なのだよ」 「やはりあの香水は魔術薬ですか」 「もしかしてあの横にくっついてる執事も魔術師なんですか?」 「それは聞いていないが、ヴァインベルガー家の分家の出だというから、もしかしたらそうかもしれないね」 「おれ本物の執事さんて今朝初めて見たよ……」 「最近は喫茶店行けば見れるけどな」 「ええっ? そうなの?」 「……たまに思うんだが、お前どんだけ田舎に住んでたんだ」 「ううっ……だって本当に何もないとこで……」 「怪しい日本文化の話は後にして下さい」 凍り付くような口調で言われ、俺とおまるは慌てて口を閉ざす。 「……それで、一体何の用でこの学園に?」 「アーデルハイトさんのお祖母様が、この学園の創立者であるクラール・ラズリットと懇意でね」 学園長の説明によると、その祖母がラズリットに力の強い魔術道具の封印を頼み送られてきたものが、今この学園に遺品の一つとなって封じられているそうだ。 「ところが、その遺品にお祖母様の思い出の品が挟み込まれたままになっているらしいのだよ。それを回収したいとのことでね」 「遺品に? ということは、その遺品が何らかの形で地下の宝物庫から現れない限りは回収不可能なのでは?」 「捜してあげたいのはやまやまだが、遺品を収納してある宝物庫には誰も入れなくてねえ」 「何か良い方法はないのですか?」 「方法ねえ、方法……そうだ! 特査分室に頼んでおけば、遺品が出現したら回収してくれるから大丈夫だよ! ははははは」 「トクサブンシツ? それは一体?」 「遺品が出現してしまった場合、回収し封印する部署だよ。彼らに頼んでおけば出現し次第すぐに回収してくれるさ!」 「……本当に大丈夫かしら?」 「確認した方が」 「そうね。お手並みを拝見しようかしら」 「そのトクサブンシツとか言う人達には、まだ私達の事は言わないで下さいます?」 「ほう? かまわんが?」 「それで、その分室というのはどちらに?」 「地下だよ、図書館の奥にある。図書館にはリトという子がいるからわからなければ彼女に聞くと良いよ! はっはっは!」 「というわけなのだよ。はっはっは!」 「笑い事じゃねえええっ!?」 「つまり……あの香水はお手並み拝見ということですか……」 「ひどいですよっ!? 大変な事になったんですからね!?」 「主に俺と鍔姫ちゃんとスミちゃんがな!!」 「あと村雲先輩も!!」 「あれはただのシスコンだからほっとこう」 「みっちー、ひどいよ!?」 「茶化さないで下さい」 「学園長、スケープゴート二人が巻き添えになり魔法陣の魔力供給に支障が出る恐れがあった可能性についてどうお考えなのですか」 「ちぃ」 「もう一回言うぞ! 笑い事じゃねえ!!」 「全面的に同意します」 駄目だこの人。 全然反省してねえ……。 「それにしても、はた迷惑なのが来たもんだな……」 「そうですね、早々に夜の世界も見られてしまいましたし」 学園長の表情から、ふっと笑顔が消える。 「スケープゴートの役割を外部の人間に知られるのはまずいな。君達もそのあたりは気をつけてくれたまえよ」 「普段は生徒として授業を受けている壬生さんはまだしも、村雲さんは一般の生徒には存在すら知られていないからね」 スミちゃんは昨日俺を送り届けるために一瞬だけあの二人の前に姿を現すことになったが……死角だったはずだし、小声で喋っていたから大丈夫だろう。 「それはもちろん、気をつけておきますよ」 「うむ、頼んだよ」 「ところで、彼女の祖母の思い出の品が挟まっているという遺品はどういう物です?」 「リトなら知ってるんじゃないかな?」 「……遺品か、祖母の名前は?」 「あとはリトに聞くか?」 「そうしましょう」 モー子の顔には、これ以上学園長に尋ねても無駄そう、いやむしろ疲れる、と書いてあった。 ちょうど昼休みが終わったので、放課後図書館でリトに聞こうという事になり一旦解散する。 「……ふざけた連中だな」 放課後になり、ちょうど分室へ向かおうとしていた村雲も捕まえて四人でリトの所へ行く。 大体の話を聞かせると、村雲の反応は予想通りで不機嫌きわまりない顔になった。 「何がお手並み拝見だ。そんな下らん事でこんなのに身体乗っ取られるなんて冗談じゃ……」 「期待を裏切らないヤツだな静春ちゃん」 「なんだよその言い草は!?」 「お前の矛先がピンポイントでそっちしか向いてないのはわかってたって事」 「うるせーよ!? そもそもてめーの不注意が原因だろうが!?」 「へーい」 モー子は呆れたような視線をちらりと投げかけたが、何も言わず書棚の奥のリトに声を掛けた。 「リトさん、お聞きしたい事が……」 「あら、なあに?」 ふわりとスカートを揺らし、巨大な本を抱えたリトが書棚からこちらに向き直る。 「ドロテア・リッター・フォン・ヴァインベルガーという方をご存じでしょうか」 「ええ、知っているわよ。遺品の目録に元所有者として書かれていたもの」 「どのような遺品です?」 「名前はラ・グエスティア。ドロテアからラズリットに封印を頼むために送られてきたもので……」 「大きな音叉の形をした強力な武器よ」 「武器?」 「波紋状に音波を放って周囲の人間の魂を振動させ行動不能にする武器よ。魔力が強いほど効き目があるそうね」 「へえ……そんなの出てこられたら困るよね」 「……いえ、出現しにくいでしょう」 「どうして?」 「遺品は誰かの願いに引かれて出てくるものです。他人を直接攻撃したいという物騒な意思を強く持つ人が居ない限り呼び寄せられません」 「あ、そっか」 「それ、あのお嬢に教えてやれば? まず宝物庫から出て来ねえぞって」 「それで諦めるようなタマか?」 「そもそも学園長から宝物庫がどういう仕様か聞いてるでしょうから、既に知ってるのでは?」 「だよな……」 出てくるまで待つ気満々か。 「面倒くせ……」 「でしょう? アーデルハイトさん?」 「え?」 俺の言葉を遮るように、モー子が俺の背後に向かって呼びかけた。 「ええ、もちろんお聞きしております」 「……………………」 いたのかよ。 平然とした態度で、お嬢様と執事のルイが書棚の陰から現れる。 「素晴らしい蔵書……見事なものだわ」 そして、俺達の存在なんかどうでもいいと言わんばかりにずらりと並ぶ背表紙を眺めてリトに聞いた。 「これ、読ませていただいてもいいのかしら?」 「持ち出さなければ」 「そうですか、わかりました。ふふ、これは楽しみが増えたわね、ルイ?」 「ja」 頷く執事も無表情ながら興味深そうに本を目で追っている。 そういや魔術師の家系とか言ってたな。 「……念のために改めて申し上げますが」 「なにかしら?」 「お捜しの遺品は、宝物庫から非常に出にくいどころか出てくる可能性自体が低いと言わざるを得ません」 「ええ、気長に待ちますから、お気になさらず」 帰る気はさらさらなさそうだった。 モー子は肩をすくめ、目顔で行きましょうと俺達を促した。 お嬢様達はひとまず置いておいて、分室へやってくる。 「……今のところ、これと言って事件が起きていないのが幸いですが……」 「何か起きたら、あいつら確実に首突っ込んできそうだよな」 「同感です」 「なんか危ないなあ……。魔術師の家系って言っても遺品になれてるわけじゃないよね?」 「妖精追いかけたり楽譜に追いかけられたりが日常なヤツなんか然う然ういねーだろ」 面倒な事になりそうだ、と話していると時計塔の鐘が夜の到来を告げた。 「そういえばあの二人、夜の世界には随分と興味を示していたようでしたね」 「首突っ込まないように釘さしといた方がよくないか?」 「そうですね……」 ノックの音とほぼ同時に扉が開く。 ひょい、と顔をのぞかせたのはお嬢様と執事だった。 「お邪魔してもよろしいかしら?」 「ここが分室ね。この部屋は夜でも変わらないのかしら?」 「何かご用ですか」 「聞きたい事があるのですけれど」 「何でしょう?」 「夜の世界について」 さっきの俺達の話を外で聞いてたのかと言うくらいそのまんまの質問だった。 「あれは何なのです? どこから来ているの?」 「……私達も明確に知っているわけではありません」 学園長が言うには、こことは違う別の世界から召喚されているらしいとさわりだけ説明する。 さすがに昼と夜の狭間にあるあの魔石の空間のことはモー子も話さなかった。 「呆れた……あなた方は不思議に思わないの?」 モー子の説明を聞いたお嬢様は、少し興奮気味にまくし立てる。 「一体彼らはどこから来ているの? どこへ帰って行くの? まったく興味ないと言うの? 知的好奇心が騒いだりしないの?」 「興味がないわけではありませんが……」 複雑な表情でモー子が同意する。 煽られるのは気に入らないが、疑問に思ってなかったわけではないので否定出来ないといった様子だ。 「私達も学園長に尋ねてみた事はありますが、具体的な事は何も」 「夜の生徒本人達には聞いてみたの?」 「それとなく、どこに住んでいるか、と聞いてみた事はありますが『学園の寮』という返事でした」 「実家はどちらにある、というような答えはなし?」 「ありませんでした。そう聞いてみても、質問の意味がわからないようで……」 「そんな、不自然すぎるでしょう! 自分達がどこから来ているのかわからないだなんて!」 「聞き方が悪かったんじゃありません? 私が聞いてきてあげます!」 「え、こら、待てよ!?」 「おおお落ち着いて下さいっ!!」 きびすを返そうとしたお嬢様を慌てて引き留める。 「何が起こるかわからないんだぞ、不用意な事はすんな!」 「なんなの、その言い方は? 私に命令する気なの!?」 「落ち着いて下さい、久我くんの言うとおりです」 「気持ちはわかるが落ち着け。興味があるのはこっちだって同じなんだ」 「だったら……」 「だからって、うかつな事は出来ないんだよ」 「昼の生徒と夜の生徒はお互いの事を知らないのです。真実を知らせる事が、この学園の魔術に何らかの作用を引き起こす恐れもあります」 「学園の魔術に……?」 「学園長も絶対秘密って言ってるし、ヤバい事になりかねないからド直球な事聞いて混乱させんな頼むから」 「……なら一緒に来ればいいのではなくて?」 「へ?」 「昨日今日ここへ来た私達よりもさり気なく質問出来るでしょう? 手を貸して下さらない?」 「なんで俺らが!?」 「興味はあるのでしょう? 私が夜の世界の秘密を解き明かすから、手を貸しなさい」 「…………………くくっ」 啖呵を切ったお嬢様の横で、なぜか執事が笑いをかみ殺していた。 「なによ、ルイ? 言いたい事があるならはっきり言えば!」 「は……?」 唐突に、ぎょっとするような一言を放った、と思ったら隻眼の執事は堰を切ったようにべらべらとまくし立て始めた。 「まだよくわかってもないのに、思いつきだけで解き明かすなど言うから呆れたんだ。よくそんな大見得が切れたもんだな、どこから湧いて出た自信だ?」 「なっ……お、思いつきなんかじゃ……」 「そうやって何度痛い目を見たか覚えてないのか。そうか、鳥頭だったな。しかしこんな魔術が満載の場所でそんな特技を発揮してもらっては困る」 「ル、ルイっ、あ、あ、あなたっ……」 「……と存じ上げます」 「最後だけとってつけたように丁寧にしたって意味ないわよっ!?」 「おや、失礼。日本語は難しいですね」 「あれだけ流暢に人の事罵倒しておいて何が難しいよ!? 白々しいっ!!」 「浅い浅いうるさいわよーっ!! もう黙りなさいっ!!」 「ja」 黙れと言われると、あれだけ罵詈雑言を吐いたと思えないほど素直にぴたりと口を閉ざす執事。 俺達はと言うと、ただただ唖然とその二人の様子を眺めるしかなかった……。 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「……なんなんだこいつら」 「名家のお嬢様と執事らしいぞ」 「オレが聞きたいのはそんな詐欺くせえ肩書きじゃねえっ!!」 「詐欺とはなんですか、失礼ね!!」 「あー、こっちの世界に帰ってくる気あったんだ」 「……ご覧の通りフラウは猪突猛進馬鹿です。放っておくと危険かと」 「暴走されたくなかったらつきあえってか」 「どういう理屈なのよッ!?」 「非常に不本意ですがわかりました。不本意ですが」 「何納得してんのよー!!」 結局一緒に行く事になった。 見なかった事にして帰りたかったけど、本当に暴走されても困るしな……。 分室を出てみると、ちょうど休み時間で生徒達が教室から出てきていた。 廊下には射場久美子先輩と、七番雛先輩の姿があった。 二人とも夜の生徒の二年生で、過去に遺品絡みの騒ぎに巻き込まれたりして顔見知りだった。 「……どなたですか?」 雛さんが俺達と一緒にいるお嬢様と執事を見て聞く。 「学園長のお客様です」 「ふーん、留学生みたいなもん?」 「ええ、まあ」 「アーデルハイトと申します。こちらは執事のルイ」 無言で一礼する執事に、射場さんが歓声を上げる。 「ヒナもです」 「で、えーとこっちが射場さんでこっちが雛さん」 お嬢様達に先輩二人を紹介しているとぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた。 もう一人、顔見知りの夜の生徒がやってきた。 風呂屋町眠子、こちらは一年生だ。 夢見がちと言うかなんというか……まあ、面白いヤツではある。 「へぇ〜、アーデルハイトさんですかぁ」 とりあえず風呂屋にもお嬢様達を学園長の客だと紹介する。 「あら、ヴァインベルガー家をご存じ?」 「あ、いえ、アーデルハイトさんって名前の方です」 「あー確かに。うーん、なんだったっけ? もうちょっとで出てきそうなんだけどなー! うーん!」 「一体何のことかしら……」 いかん、話が盛大に逸れてきた。 お嬢様達の素性をあれこれ聞かれても面倒くさい事になりそうなので、強引に話を進める事にする。 「それよりちょっと聞きたいんだけどな」 「あ、はい! また何か事件ですか?」 「いや、そういうわけじゃないんだが……」 「みんな、どこに住んでるんだ?」 「どこの?」 「学園のに決まってるだろ。生徒はみんなそうじゃないか」 「ヒナもです」 「えと、そうじゃなくて実家とか」 「じっか?」 「田舎はどこだよ?」 「うちのばーちゃん、もう亡くなっちゃってるんだよねー」 「そうなんですかぁ」 「学園に来る前はどこに住んでたんだ?」 「来る前? 寮から来ましたよ?」 「ヒナもです」 「……………………」 「か、かみ合わねえ……」 モー子から聞いていたとは言え、これはなかなか衝撃的だ。 困惑してる俺達の後ろで、お嬢様も同じように戸惑った声で呟いた。 「……本当だわ。寮から、としか答えない……まるで学園の中で世界が完結しているかのよう……」 「ただ、寮内で彼女らを見かけた事はないのです」 「やっぱり変でしょう、それは!?」 「えーとさ、なんで夜に通って来てるんだ?」 「へ?」 「誰って……」 「あ、この学園って夜学とかあったんですかぁ? 知らなかったー」 「ヒナもです」 「………………………」 「ど、どういうこと……?」 「どうやら自分達が夜に学園に通っていると思っていないようですね」 怪訝そうな俺達を見て、風呂屋達の方はきょとんとしている。 自分達がおかしなことを言っている、という自覚は当然ながらまったくないようだった。 「昼間って何してんの?」 「お昼ご飯食べたりとか」 「昼寝したり、かなぁ?」 「クミちゃん、チャイム鳴っても起きなかった」 「思い出させないでっ!? 先生にまですんごい笑われて恥ずかしかったんだからー!」 「あっはは、せんぱい寝過ごしすぎー」 「いや、昼休みじゃなくて……って、昼休み?」 「今、夜だよね……? 昼休みって言わないよね、普通?」 「……今が昼だと思ってるのか……」 「そのようですね」 他に聞きたい事は…… 「それじゃ失礼しまーす」 「……また」 チャイムが鳴り、夜の生徒達は手を振って教室へと戻っていった。 「……おかしすぎます」 彼女らが立ち去るのを待って、お嬢様は俺達特査に向かってまくし立てる。 「あの人達は、今が夜だと思っていないの? それとも夜という概念そのものがないの?」 「どちらかというと、今が夜だと認識していないようでしたね」 「夜の世界っていうくらいだし、昼と夜が逆の異世界から来てるとか?」 「だったらなぜ、その元の世界ではなくわざわざこの学園に通う必要があるのです? 理由は?」 ……本当は、その理由らしきものを俺達は知っている。 天秤瑠璃学園が毎晩『夜の世界』をこの校舎に作り出している本当の目的。 それは、夜の世界が訪れるほんの一瞬だけこの世と繋がる、特別な昼と夜の間の空間を作り出すためなのだ。 学園はその特別な空間に、純度の魔力の塊である魔石――ラズリット・ブロッドストーンを保管している。 しかしもちろんそんな具体的な事を教えるわけにもいかないので、首を傾げてとぼける。 「…………さあ」 「気になるわ。これはもっと詳しく調べてみないと……」 「まだやるのかよ?」 「問題の遺品が現れるまで時間はいくらでもありますからね。もちろん手伝ってくれるのでしょう?」 嫌だと言いたいが、勝手に調べられるのも怖いな……と思ってモー子と目配せしていると、執事が口を開いた。 「は?」 あ、嫌な予感がする。 このぞんざいな口調は絶対…… 「そんなに気になるなら、お前一人でやれ他人を巻き込むな。だいたい何故手伝うのが当たり前みたいになってるんだ」 「な、なぜ、って……だって手伝うって……」 「変なところだけお嬢様ぶるのはやめろと前にも言わなかったか、学習能力なさすぎだろう馬鹿か、という意味だ、理解出来たか?」 「理解出来ないわけじゃありませっ……」 「う、うざ……っ」 「……で、ございます」 ……だと思った。 反論する間も与えられず、ぼろくそに言われたお嬢様は見る間に顔を真っ赤にして涙目になる。 ……これは……どうしたもんかな。 「あー、はいはい付き合うよ」 「あああのっ、う、うざいとかそんな事は……」 真っ赤になってぷるぷる震え出すお嬢様を見て思わずフォローを入れてしまう。 「……わ、私はただ、不自然すぎることが気にならないのかしらと言いたいだけでっ……」 「なります! 気になりますよ!? ねえ、みっちー!?」 「うんうん、気になる気になる」 「そ、そうでしょう!? 気になるでしょう、当然です!!」 「わかった、付き合うから落ち着け」 「ご協力感謝いたします」 しれっとした顔で執事は深々と一礼した。 こいつ……。 「……付き合う、でいいか?」 放っておくとお嬢様が泣き出しそうだが、一応モー子達に確認を取る。 「仕方ありませんね」 「う、うんうんうん」 「……だってよ、手伝うよ」 「わ、私はただっ、この不自然すぎる状況が気にならないのかしらって思って、それでっ……」 「なるなる、なるから落ち着け」 「ご協力いただけるのですか。それはどうも」 平然と一礼する執事。 こっちに迷惑とか言ってたのは何だったんだ。 「こっちはいいけど、ルイさんはいいのかよ」 「……は?」 「俺ら特査が一緒にいて迷惑じゃないのかって」 「………………………」 一瞬だけ眉尻が下がりかけたが、執事は無表情を貫いた。 「私は別に」 「なら付き合っても良いけど」 「私を無視して話を進めないでくれません!?」 「し、してませんしてませんよ? 気になるんですよね、夜の世界が?」 「なるに決まってるでしょう!?」 「だから付き合ってやるって」 「……………………」 「わざとやってんだろ、この眼帯」 「なんのことでございましょう。私は客観的事実しか申し上げておりませんが」 「もう黙りなさいっ!!」 「ja」 「………………………」 なし崩しに付き合う事になり、モー子はその光景を悟ったような無表情で見ていた。 「今夜はもう良いですっ! 帰りますっ!」 「では、失礼いたします」 涙目のまま、お嬢様は小走りに廊下を駆け去っていった。 その後ろをしれっとした表情の執事が挨拶し足早についていく。 ……と、思ったら、遠くの方でお嬢様が立ち止まってくるりとこちらを振り向いた。 「お付き合いありがとうございましたっ! ごきげんようっ!」 それだけ言うときびすを返して走り去っていく。 「……律儀だな」 「多分、真面目なんだね、すごく……」 「どーでもいいが、なんであんな口の悪い執事雇ってんだ」 「分家の出だとか言ってたから、親戚なんじゃないか?」 「……………………」 「あ、あの、憂緒さんごめんね。なんか勝手に手伝う事にしちゃって……」 「いえ」 小さくため息をつきながら、モー子は首を振る。 「非常に不本意ではありますが、確かに興味はあります」 「まあな……」 「あの執事に乗せられた感があんのが気にくわねーけどよ……あれ放っといたら勝手になんかしでかすだろ」 「同感です。監視もかねて当面は協力しておいた方が安全でしょう」 「そ、そっか、よかった」 「しかし、調べるったってどうするつもりなのかね?」 「わかりません。まだどういう人達なのか読めませんし、出方を見ましょう」 「……だな」 暴走されるとやっかいそうな連中ってことだけはわかるんだが。 「まあ、このタイミングで変な遺品が湧いてこなけりゃ大丈夫だろ」 「嫌なフラグ立てんな、クソ久我」 ……口は災いの元。 余計な事言うんじゃなかったと後悔する羽目になったのは、早くも翌日の事だった。 翌朝。 何事もなく夜が明け、何事もなく登校する。 特に何か起きそうな予兆もない朝だった。 「おっはよー、お二人さん!」 「おはよー」 「おはよう〜、久我くん、まるくん」 「おう、おはよ」 教室の近くまで来ると、黒谷真弥と吉田そあらが後ろから追うように小走りにやってきた。 「知らない人?」 「またぁー、とぼけないでよ! 噂の外国人の女の子とスーツの人に決まってるでしょー?」 もう噂になってるらしい。 無理もないか、昨日はもう堂々と歩き回ってたもんなぁ。 「あー、あの二人なあ」 「スーツの方の人本物の執事って本当? イケメンらしいじゃん?」 「……あれ、そういえばどっちだろう?」 「男じゃねえの?」 「えーと……」 正直に話していいもんなのかな。 とはいえ遺品云々は具体的に話さない方が良さそうだから…… 「実は秘密組織のエージェントなんだ」 「えええっ!? 秘密組織! なにそれかっこいい!!」 「あの、みっちー?」 「スパイってこと? 外国の? 00何とかとかそういうの?」 ものすごい食いつかれた。 なんで疑わないんだ、こんな突拍子もない発言を。 「なんか凶悪犯とか追ってんのかな? それとも宇宙人とか? この学園に逃げ込んでてそれを捕まえに来てるとか?」 「え?」 「あの人達、学園長のお客さんだよ」 「えええ、宇宙人捕獲に来た秘密組織のエージェントじゃないのお!?」 「う、宇宙人とは久我くんも言ってないよ、まーやちゃん……」 「なーんだぁ」 「いや、すまん。そんなあっさり信じるとは」 「あははー、だって面白かったもん。ちょっとわくわくしちゃったー」 特に怒ってなさそうに、黒谷はあっさりと機嫌を直した。 「で、実際はどういう人達なの?」 「学園長の客だってさ」 「へえ、生徒さんじゃないんだ?」 「どういう人達なの?」 「なんか海外の有名な老舗香水メーカーのお嬢様とその執事らしいぜ」 「おじょーさま! すごいねーどんな家だろ?」 「豪邸かもしれないね! 家にプールとかあるのかな」 「うちもだよ」 「まあ、大抵そうだろ」 「うちなんかすっごい田舎だよ」 「だからなんか古風な名前なの?」 「あ、そーいえば、まるくんて次男だったりするのかなぁ?」 「そうだけど、どうしてわかったの?」 「小太郎って次男につける名前なんだって。パパがそう言ってた」 「あー、そっか。名前でわかっちゃうんだ」 「へー、そうなんだ。久我は下の名前、みつるだっけ?」 「え? ああ、いやそうじゃなくって、みちる、だけど」 「かわいい名前だよねえ」 「うん、響きが可愛いよねー」 「……………………」 実際は俺の名前じゃないんだが。 本物の満琉もまあ、小さい頃は可愛かったが今はもう可愛いとは……。 いや、言ったら怒るだろうから言えないけど。 内心そんな事を考えていると、隣でおまるが笑いをかみ殺してやがる。 本名じゃないの知ってるからな、こいつは。 「え?」 あ、俺が黙ってるの勘違いされたのか。 「いや、わかってるよ、大丈夫」 慌ててフォローしようとしている吉田に俺は苦笑してみせる。 「名前の響きがって話だろ」 「うん、そうそう!」 「『小太郎』は男らしいよなー」 とりあえず、おまるの方に話を振って誤魔化してみる。 「いやほら、見た目と釣り合ってないのはお互い様ってことで」 「な、ない!? おれそんなに釣り合ってない!?」 「うわーん、ごめんなさい〜! もう可愛いとか言わないから喧嘩しないで〜!」 いかん、なんか更に収拾が付かない事になった。 困ったな……。 「久我! 烏丸!!」 すごい勢いで走って来る足音と共に村雲の呼ぶ声がした。 しかし、この様子は…… 「……何があった?」 「すぐ来い、こっちだ!!」 ただ事ではなさそうなので、おまると二人、すぐに村雲の後を追った。 「すまん、先生によろしく!」 「おっけー」 「き、気をつけてね?」 黒谷と吉田の声を背に、廊下を走り階段を駆け下りる―― 全力で村雲の後を追うと、校舎を飛び出しあまり行った事のない方向へ走る。 見えてきたのは学園寮の西棟だった。 「お疲れ様です」 モー子は既に来ていて俺達を待っていたようだ。 「何があったんだ?」 「生徒が一人、眠ったまま起きてこないそうです」 「……ややこしい時に事件か……」 「だから嫌なフラグ立てるなっつったんだ」 「ああ、後悔してる」 余計な事言うんじゃなかった。 よく考えたら、今までそういう楽観的な予想が当たってくれた試しがないんだよな、この学園。 「……おれ、西寮って初めて来た」 「ん? ああ、そういえば俺ら東寮だからな。なんか違うのか、西と東って?」 「西寮の方が寮生の人数が少なめだというくらいでしょうか。私も西寮内には先ほど初めて入ったので具体的な差違はわかりませんが」 「まあ、用がなけりゃ入らねーからな。夜になったら行き来も出来ねえし」 「あ、そうか、夜は……」 「ああ、外出禁止になるからな。一旦帰寮したら出られないだろ、東寮も」 夜の世界が訪れるために、一般生徒は放課後になると即座に寮に帰りそのまま朝まで外出は禁止になる。 そのため互いの寮を行き来する事もないらしい。 「で、起きてこない生徒ってのは?」 「二年生の女生徒です。様子を見てきましたが、一見普通に寝ているだけに見えました」 先ほど初めて入った、というのはそのことらしい。 「念のためおかしな気配がないか、壬生さんにも見に行って貰いました」 「鍔姫ちゃんか。なら何かわかるかな」 彼女は魔女であり、非常に勘が鋭い。 おかしな魔力が働いていたりしたら、おそらく勘付いてくれるだろう。 そんな話をしていると、西寮から鍔姫ちゃんが戻って来た。 「いかがでしたか?」 「なんというか、不思議な感じだったよ。彼女自身は眠ってるだけとしか思えないんだけど、彼女の意識はここにないような……」 「遺品らしき物はありませんでしたか」 「強力な魔術道具があればさすがに何か気付くと思うが、彼女の部屋にはそういう気配はなかったよ」 「ならば被害者なのかもしれません。単に誰かが遺品を持ち去った恐れもありますが」 「被害者か……。そういえば鹿ケ谷さんから感じる気配と真逆の気配がしたな」 「憂緒さんの、真逆?」 「っていうと……」 「遺品を封印するのと逆で、遺品を強化しちまうとか?」 「考えすぎでしょう。そもそもあの札は私でなくても使えます」 「うん、そういう力のある気配ではなかったよ」 「そ、そうか」 ひねって考えすぎたか……。 「壬生さんの感じる私の魔術的な特性ということは、魔術耐性ではないでしょうか」 「あ、そうか。憂緒さんは魔術耐性があるってリトさんが言ってたね」 「つまり、眠ってる子にはそれがない?」 「ああ、多分それだ」 「なるほどな……」 「あの、魔術耐性ってやつか? モー子にはあるらしいから、それがないとか」 「私もそうじゃないかと思うんだ。この中だと、鹿ケ谷さんからだけ感じる気配だから」 「そういえばおれ達もないって言われてたね、リトさんに」 「魔術耐性そのものは、さほど珍しい体質ではないそうですが……」 「たまたま発動した遺品の近くに、耐性がある人とない人がいて、ない人だけが巻き込まれるという状況はあり得るでしょうね」 「素直で可愛げがあるとか?」 「い、いや、寝てる状態でそこまでは……」 「………………………」 「冗談だ、モー子。そんな凍てつく波動みたいな目で見るな」 「冗談に聞こえませんでしたが、どうでもいいことなので放置します」 全然どうでもいいと思ってる目つきじゃないがこれ以上つつくのはよそう。 さすがに切れられそうだ。 「私と真逆で魔術的な気配という事は魔術耐性でしょう」 「あ、憂緒さんには耐性があるってリトさんが言ってたね」 「うん、私も多分それだと思う。鹿ケ谷さんからは強く感じるけど、あの子や久我くん達からは感じられないから」 「なるほどなぁ……」 魔術耐性というのは、他者からの魔術干渉に対するちょっとした防御能力みたいなもので、生まれつき有無が決まってるのだそうだ。 と言っても、耐性のない人よりはほんの少しだけ魔術に耐えられるというだけで、魔術を完全に無効にするわけではない。 特査のメンバーでこの魔術耐性を持っているのはモー子一人だ。 その代わり他のメンバーは、モー子よりも潜在的に持っている魔力が多いというメリットがある。 もっともリト曰く俺は魔術耐性もなく、魔力もほぼゼロという例外らしいのだが―――。 「たまたま近くにいて発動した遺品に巻き込まれたというだけかもしれないしな」 「それ、遺品暴走してないか」 「暴走の恐れは可能性としてあり得ると思います。とにかくリトさんに心当たりがないか聞きに行きましょう」 とっくに授業は始まっているが、遺品が暴走してる可能性があるならもうそれどころじゃない。 近くにいた風紀委員に教室への言づてを頼んで、図書館へと向かった。 ぞろぞろと浮かない顔をしてやってきた俺達を見てリトは小首を傾げた。 「何かあったのね」 「ええ、ありました。該当する遺品がないか教えていただきたいのですが……」 西寮の生徒の事を話してみると、リトはくるりと一瞬瞳を天井へ向けてから答えた。 「ざっと372個の遺品に該当する症状」 「多ッ!?」 「そんなにあるのかよ!?」 「その症状が、遺品の力に巻き込まれての事なのか、遺品使用の代償としてなのかが特定出来ないから」 「眠っている理由が特定出来ないから絞りきれないという事でしょうか」 「そうよ。ただ、おそらく眠りをもたらす遺品の効果か、遺品使用の代償が覚めない眠りであるかのどちらかだとは思うわ」 「魔術耐性がない人のようなのですが、そういう人の場合やはり遺品に巻き込まれやすいですか?」 「そうね。どういう遺品かにもよるけど……」 「例えば魔術耐性のある鹿ケ谷憂緒が同じ状況下にいて影響を受けなくても、耐性のないその人は影響を受けてしまうということはありえるわ」 「じゃあ、遺品を使った人がすぐ近くの部屋にいたかもしれない?」 「その可能性もあるけれど、遺品の効果をうっすらと望んでいた程度でも波長が合ってしまう場合もあるわよ」 「波長ですか……」 結局、具体的に遺品のありかも絞れそうにないな。 「仕方がありません。他に騒ぎが起きてないか警戒しつつ、遺品を捜すしかないでしょう」 「そうだな、仮に遺品が暴走しているなら被害が増えてしまう」 「とりあえず魔術的な気配を一番察知出来そうな壬生さんは、最も怪しい西寮を一通り見て回っていただけますか」 「ああ、わかった」 「付き合いますよ。遺品が暴走してたら一人じゃ危険です」 「村雲くん、札は?」 「持ってる」 「ならお願いします。私達は校舎内を見て回りましょう」 「うん、わかった」 「しらみつぶししかねえな……」 形状も何もわからないだけにやっかいだが、捜すしかない。 二手に分かれた俺達は捜索を開始した。 しかし―― 懸命の捜索も虚しく、特に進展はないまま夜が来てしまった。 遺品使用者らしき者も見つからず、眠ったままの生徒もまだ目を覚ましていないとのことだ。 「見当たらないねえ……」 西寮を見て回ってもらった鍔姫ちゃん達も空振りだったので俺達と別行動で校舎内の捜索に回ってもらっている。 しかし今のところ、どちらも遺品の気配すら掴んでいない状態だった。 独り言のように呟いていたモー子が、はっと足を止める。 「あら」 「……………………」 お嬢様達が、俺達に気付いて会釈する。 どうやら夜の生徒達が登校してくる姿をながめていたようだ。 「そういえば、どなたか倒れたと聞きましたけれど何事なのです?」 「ああ、ちょっとな」 「何があったのですか?」 「……おそらく何かしらの遺品が出現しています」 食い下がられそうなので、さわりだけをモー子が説明する。 「被害が広がらないうちにさっさと解決しなければなりませんので、今夜はお手伝い出来ません」 「どういう遺品なのですか?」 「具体的にはまだわかりません。生徒が一人、眠ったまま目を覚まさないという事象しか起きていないので」 「それは確実に遺品のせいなの? この学園の強大な魔術の副作用などではなく?」 「……そういった事は今まで起きていませんが」 そういや、夜の学園を呼ぶ巨大な魔法陣て魔女以外は入っただけでぶっ倒れたよな。 でも起きてこない生徒は普通に部屋で寝てたし…… 「……あの時計塔はどこから入るのでしょうか」 「へ? 時計塔?」 礼儀正しそうな態度を崩さず、無表情に聞いて来る執事。 お嬢様相手じゃなかったら、一応敬語のままなのか、こいつ。 「時計塔がなんだ、いきなり」 「学園中を歩いてみたのですが、どこにも入り口が見当たらなかったのです」 「そりゃ元々入り口無いですから」 「さらっと言うなよ、おまるっ!?」 「……ああっ!?」 「入り口がない……?」 「何か特殊な方法でないと入れないということかしら?」 案の定食いつかれた。 おまるは今更ながら両手で口許を押さえて視線でモー子にごめんなさいと謝っている。 「そういえば……先日私達の前に突然に現れた扉、あれかしら?」 こいつら、やっぱりかなり鋭いな。 どう答えたものかと思っていると、お嬢様はその沈黙を肯定と取って満足したようだ。 「まだまだ調べなければならないことがあるようね。行きましょう、ルイ」 「ja」 ふふ、と小さく笑いながらお嬢様は執事を従え立ち去っていった。 「ご、ごめん、うっかり……」 「ま、どうせヤヌスの鍵がなけりゃ入れないんだから無理矢理押し入られる心配はないし大丈夫だろ」 「……そうですね」 そう言って、モー子は数秒ほど黙して何事か考えていたが、やがて肩をすくめる。 「今夜は一旦休みましょう」 「えっ? 大丈夫かな……?」 「動きのない状況でいたずらに体力を消耗するのも危険かと」 「まあ、そうだな」 「今はこれ以上できることもないと思います。いざとなったら該当する遺品がいくつあろうとすべての可能性を洗うしかありません」 「300個以上かぁ……」 気が遠くなりそうだが、しょうがないよなあ……。 結局、鍔姫ちゃん達とも合流して、一旦休む事に決まった。 「はぁ……参ったな」 ざっとシャワーで汗だけ流すと、すぐに布団に潜り込む。 もしも今夜の内に何か起きたら、早々に叩き起こされるかもしれないし。 (寝れるだけ寝とかないとな……) しかし、一体どういう遺品なんだろう。 あれだけ捜して見つからないって事は、まだ使用者が持ったままなのか。 (だとしたら、捜し出すのはかなりやっかいだな……) (……やっぱり、モー子の言うとおり300何個だか洗い出して形だけでも特定しないと無理か……) (あ、やばい、早く寝ないと……) (…………………………) 「こ、これはっ……」 「一日50個限定、幻のザッハトルテ……ああっ、これは秋限定のスペシャル・ブリリアント・モンブラン!」 見渡す限り、お菓子の山だった。 それも数や季節が限定で食べたいと思っても即座に手には入らない品ばかり。 「どうしてこれが分室に……あっ、ゆんゆん堂の苺のフロマージュ! 閉店したはずなのにどうしてここに!?」 懐かしさのあまり、いつの間にか手にしていたフォークで極上のスウィーツをいただく。 至福の味だった……。 「……美味しい……この甘さ、久しぶり……ああ、こっちにもホテル・ハイポールのイングリッシュティーセットのスコーンが!」 「待って、今食べてあげます。その前にこっちのガトー・ショコラから……」 「あー、そこのキミ」 いつの間にか、真横に久我くんがいた。 (み、見られた? 今のハイテンション見られた!?) 自分の頬がびっくりするほどあっという間に赤くなるのがわかる。 「ななななんですか、その格好は? 白衣なんて一体何のつもり……」 慌てる私に向かって、久我くんは真顔で冷静なまま、言った。 「血糖値上がってますよ」 「……ん? あれ、ここ……廊下?」 「私何してたんだっけ?」 すうっ、と視界の端を何か白いものが通った。 「なんだろ? おばけだったりし……て……」 少し前噂になった、夕方になると学園を徘徊してるっていう白い人影。 あの噂の幽霊が、目の前にいた。 白い幽霊はふよふよふよふよと漂いながら廊下の奥へ飛んで行く。 「すごーい! やったやったー!! ねえねえ、みんな聞いて聞いてー!!」 「うん……? んっ!?」 「ねっ、ねねね猫さんっ……!?」 がばっ、と起き上がると部屋中いたるところに幸せの塊が――いや、猫がいた。 「こ、これは一体……なんだこの幸せな光景は!? 猫さん達、なぜ私の部屋に!?」 「うっ……か、かわいい……! ああっ、撫でてもいいのか? き、君もか! そうか撫でてもいいのか!」 「うあああ可愛い、可愛いなあ! 猫さんはとてつもなく可愛いなあ! この毛並み、この感触、ああ、肉球もっ……」 「ねー、にゃんこ可愛いねー」 「そうだろう、スミちゃん! 猫さんは至福の生き物だ! ……あれ、スミちゃんいつの間に?」 「うんうん、かわいーなぁ」 「そうだなあ、ああ可愛い……よーしよしそっちの猫さんもおいで〜」 「ぱーぱ、ままー」 大きなパパの手と、きれいなママの手と両手でつないでぶらんぶらんする。 「えへへー、おさんぽー」 「パパ、あっちー、あっちいこー」 「ママもはやくー」 つないだ手を引っ張りながらパパ達の顔を見上げる。 おひさまがまぶしくて、よく見えなかった。 「あはは、まぶしーい! ねー、いいおてんきだねー」 「あははははっ……」 「今日のお茶はとてもおいしいですね」 「そーだなー」 「特に事件もありませんし……」 「たまにはこんな平和な日もいいよな」 「ええ。久我くんもクッキーどうぞ」 「おう、サンキュ」 (なんか今日は二人仲良いなあ……) 「ん、これうめーな」 「本当ですか? 私が焼いたのですが……」 「へー、やるじゃんモー子。美味いよ」 「ありがとうございます」 (わー……憂緒さん嬉しそう。ふふふ……) 「春霞、危ねえッ!!」 咄嗟に春霞を背後に庇いながら、オレは札を構える。 「遺品の分際で、なめてんじゃねーぞっ!」 「村雲静春が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる! 刻を、止めよ!!」 目前に迫っていた遺品に投げつけた札が張り付き、一瞬でその動きを止めた。 「しーちゃん、すごーい!」 「ふん、任せろ……」 「やるじゃねえか、村雲。今回は俺の負けだな……」 「はっはっは! 今回と言わずいつだって――」 なんだ、今の声? 「!? だ、誰だ? お前こそ誰だよ?」 まったく聞き覚えのない声に、辺りを見回してみるが誰も居ない。 「……なんなんだ……?」 「……………………あれ?」 ここは……家か……? (……俺、何してたんだっけ……) ぼんやり考えてみるが、よく思い出せない。 台所の方から夕飯らしきいい匂いが漂ってくる。 (……ああ、別に……何事もないのか……) そうだよな。 両親と俺と、満琉と……普通に暮らしてるだけで何も……何事もなく…… ――ズット、コノママ、デ……イタイ……? 「――――ッ……!!」 「……………………」 ……気がつくと、布団を跳ね上げてベッドの上に座り込んでいた。 寒気がするほどの汗と、割れ鐘のような鼓動。 目を見開いたまま、整わない自分の呼吸音をしばらく聞いていた。 (……夢………夢か……) ふう、と嫌な気分を追い出すように深くため息をつく。 「くそ、寝覚めの悪ぃ……」 悪態をつきながらベッドを降り、汗だくになった寝間着をむしり取るように脱いだ。 そのままのろのろと風呂場へ行き、シャワーを浴びる。 (なんだってあんな夢……思ってるより疲れてんのかな……) 憂鬱な気分で制服に着替えていると、激しく扉がノックされた。 「みーくん! 大変だ!」 「鍔姫ちゃん?」 どう考えても何かあったなと思いながら、慌てて扉を開ける。 「どうした、遺品か?」 「ああ、おそらく……起こしても目を覚まさない生徒が何人も出てるそうなんだ」 「何人も……?」 憂鬱な気分は一発で消し飛んだ。 風紀委員と一緒に確認したところ、十数人の生徒が眠ったまま揺すっても何をしても起きない状態になっていた。 俺達はひとまず状況整理のため、特査分室に集まっていた。 「うかつでした。まさか一晩でここまで拡大するなんて……」 「鹿ケ谷さんのせいじゃない。みんなそう思っていたんだし、手がかりも少なすぎるし……」 「起きてこない生徒はばらばらだな」 リストにまとめたのを見ながら村雲が話す。 学年も性別も見事にばらばらだった。 「げ、吉田と黒谷もか」 「ええっ!? あ、本当だ!」 「風紀委員も何人か巻き込まれてるな……」 「……共通点らしきものは、まったく見当たりませんね」 「てことは、やっぱ暴走か」 「遺品が暴走して、無差別に効果に巻き込んでいるということか?」 「残念ながら、その可能性はかなり高くなりました」 一気に十数人の被害者じゃあな……。 そして暴走してるとなると、使用者の身も危険な状態かも知れない。 「おれ達は普段から遺品と接してる機会が多いから、まだ無事なのかな?」 「いえ、単純に偶然かも知れません」 「たまたま、か。確かに共通点はまったくないからな、被害者達の……」 しばらく、全員が被害者一覧に目を落としたままで思い思いに考えを巡らせる。 沈黙を破ったのは鍔姫ちゃんだった。 「しかし、人を眠らせたままにする遺品とは本来どういう用途のものなんだろう?」 「眠らせたままに……? うーん、起きないってことは、ずっと夢の中ってことでー……」 「……そういえば、なんか夕べ変な夢をみたような気が」 「俺も夢見は悪かった……」 悪かったどころか、ほぼ最悪だ。 思い出しただけで背筋に変な汗が流れそうだ。 「そう? おれは良い夢見た気がする」 「……憂緒さん、なんでみっちーにらんでんの?」 「いえ私も夢見は悪かったもので。途中までは良かったのですが」 「なんの夢見たのか知らんが人を勝手に出演させて勝手に恨むな」 「で、それって何か事件と関係あるのか?」 考えながら言葉を紡ぐように、鍔姫ちゃんは視線を落としながら言う。 「……眠ってるだけに見えるのに気配を感じないのは、夢に囚われているとは考えられないだろうか?」 その言葉に、モー子は頷いた。 「あり得ると思います。夢の世界から戻らない、だから目覚めない……」 「そういう遺品はあるのかな?」 「あれば、もう少し数が絞れるかも知れません」 「おし、リトに聞こうぜ」 「は、半減はしましたね」 「慰めになる数じゃねえよ!」 勢い込んで聞きに来た俺達に、リトはこともなげに現実を突きつけてくれた。 「夢に関連する遺品は多いのよ」 「たとえばどのような遺品があるのですか?」 「他人の夢を盗む遺品とか……これは盗まれた人は目覚めなくなる」 「なるほど。他には?」 「夢に束縛する遺品。もちろん束縛された者は目覚めない」 「……他には……」 「好きな夢が見られる遺品とか、好きな夢を強制的に見せる遺品とか」 「……やはり、それも目覚めないのですね」 「そうよ」 そんなにあるのか……。 しかも結果は目覚めない、で共通してるときた。 「好きな夢を見るとか見せるとかだったら、被害者多すぎじゃねえ?」 「暴走してる恐れがありますから」 使用者が遺品と知らず起動させてしまい、結果暴走した例は過去にもあるしな。 「しかし、強制的に見せる、というのであれば全員同じ夢を見るのでは?」 「みんな好きな夢を見なさいという命令をすれば、ばらばらになるわよ」 「な、なるほど」 「いや俺、悪夢だったんだが……みんな具体的にどんな夢だったんだ?」 「……お菓子を食べてました」 なぜか目を逸らしながら答える二人。 なんとなく想像はつく……。 そしてやたらと上機嫌におまるが言い出した。 「おれはね、分室でみっちーと憂緒さんとお茶してる夢だったよ」 「憂緒さんがクッキー焼いてきて、みっちーが美味いって言ったら憂緒さん嬉しそうだったー」 「……………………」 「……………………」 それを良い夢見た、と喜々として報告された俺達は、一体どんな顔してりゃいいんだ……。 「む、村雲くんは」 早々に話を逸らす事に決めたらしいモー子が、機械仕掛けのような動きで村雲を見る。 「オレなんかわけわかんねえぞ。誰かに話しかけられたけど、誰だかわからんまま目が覚めた」 「話しかけられた、かな……? 声というか、何か問いかけのようなものが心に浮かんだみたいな記憶は微かにあるような……」 「ああ、言われてみれば……」 ……あれ、どうだっけ。 今、そんなこともあった気がしたのに、よく思い出せない……。 「その問いかけのようなものは怪しい気がします」 「遺品に関係があると思うのか?」 「意思の確認をしてくる遺品は数多くあるから、どんな問いかけかわからなければ判断しづらいわね」 「もうさ、寝てるやつ一人一人チェックして、遺品持ってないか部屋を捜索したら何とかなるんじゃないか?」 「それはどうかしら」 自分に対する質問だと判断したのか、リトはゆっくりと首を振る。 「夢に関連する遺品は、多くが使用者の精神と共に本体も夢の中に行ってしまうタイプが多いわ」 「もしそのタイプに該当する遺品なら、眠っている使用者を見つけたところで封印は難しいと思うわよ」 「…………」 どれだけ厄介なんだ夢の遺品ってのは。 「えっじゃあおれ達はその遺品、どうやって封印したらいいんですか?」 「一概にこうだとは言えないわ。遺品によって対処法は変わるから。ただ……」 「ただ?」 「最も確実なのは、夢の中に入って使用者の意識体を見つけ出すことよ」 当面の対策を練ろうということで、ひとまず分室に移動した。 「膨大な数ですが、該当しそうな遺品をリストアップしてみます」 モー子はリトから聞いてきた遺品のリストをばさっと机の上に広げる。 「……150個以上あるんだよな」 「遺品の形状すらわからない現状では出来る事があまりにも限られすぎていますから仕方がありません」 「私も手伝おうか」 「いえ、壬生さんは被害者の中に気配のおかしい人がいないか捜してみて下さい」 「ああ、確かに……倒れている中に使用者が居たら既に代償で昏倒しているかもしれないな」 「ええ、特定を急がなければ危険ですし、壬生さんなら見分けが付く可能性がありますから」 「うん、わかった」 「あ、うん」 「今、一瞬俺見て、無理だと思っただろ」 「適材適所です」 しれっとした顔で言い切られた。 まあ自分でも向いてるとは思ってないけどさ。 その声とともに、何もない空間に扉が出現してぱたんと開く。 スミちゃんがヤヌスの鍵を使ったのだ。 そうか、もうスケープゴートの仕事の時間なんだな。 「ああ、すまない。もうそんな時間か」 「いいけど何かあったの? なんか学園が騒がしいね」 「ああ、それが……」 鍔姫ちゃんがスミちゃんにも、どうやら遺品が暴走している恐れがあると事情を話す。 「春霞、お前はなんか変な夢見てねえか?」 小首を傾げてから、ふるふると首を横に振る。 スミちゃんは遺品の影響は受けていないようだ。 「それじゃ、もう夜になるしとにかく魔法陣の方を終わらせてしまおう。そっちが済んだら、倒れている人達の様子を見てくるよ」 「ええ、お願いします」 鍔姫ちゃん達が去り、俺達は遺品リストから該当しそうな物の名前と形状を書き出していく作業を開始する。 ……と、言っても俺は名前を読み上げるくらいしか役には立たないのだが。 「これはどうなんだ、夢の中で眠ると現実でも起きなくなるってのがあるにはあるんだけどよ……」 「形状は?」 「一輪車」 「なんでその効果でその形状なんだよ」 「オレに聞かれても知るかぁっ!!」 「……念のため書きとめておきましょう」 「みっちー、そっちのリスト取ってー」 「へいへい」 作業と言うより苦行に近いな、これは……。 「みなさん、いらっしゃる?」 扉がノックされ、お嬢様の声が聞こえた。 「……どうぞ」 「ご覧の通りだよ。何か用か?」 「被害が広まってるようですけれど、遺品はまだ見つからないのかしらと思いまして」 「残念ながら」 「なあ、アンタらなんか変な夢見なかったか?」 お嬢様がちらりと視線を向けると執事も頷いた。 「……私もです」 「そうですか……」 「夢がどうかしたの? 何か関係あるのかしら?」 「まだ確定情報ではないのですが」 と、前置きした上でモー子は、遺品は夢に関係があるかもしれないと話す。 「夢に囚われる遺品、ですか……」 「あ……」 会話を遮るように時計塔の鐘が夜を告げる。 分室内では何も起きないが、外ではまた例の夜への転換の魔術が起きているのだろう。 「……そういえば、夜の生徒には被害出てないのかな?」 「昨日の夜はまだそんなに騒ぎになっちゃいなかったが……」 当然のようにお嬢様達もついて来た。 「あれー? あいつまだ来てねえの?」 「日直の子が来てないよー! 今日休みなのー?」 地下から校内へ上がってきてみると、既にそこかしこで不在の生徒を捜す声がしていた。 「うわあ……」 「被害甚大、といった様子ですね」 ざっと見た感じ、昼の生徒の十数人より更に被害が増えているのではないかという騒ぎだった。 「こりゃやべえな」 「……やばいのですか」 いつの間にか真後ろに雛さんがいた。 無表情なのに心なしかちょっと困った様子に見える。 「……お一人ですか? 射場さんは?」 そういえばいつも一緒にいる射場さんが居ない。 まさか…… 「来てないです」 「射場さんもか……」 「あの、射場先輩なんか良い夢か、それか嫌な夢を見たとか言ってませんでした?」 「焼き肉食べ放題の夢見たって言ってました」 「ちなみにヒナさんは?」 「ヒナは覚えていません」 小さく首を振りながら雛さんは答えた。 うーん、やっぱり遺品の影響を受ける受けないって完全にランダムなのかな。 ざわめいていた廊下から生徒達が消え、微妙な空気の沈黙が訪れる。 「……………………」 モー子は何やら考え込んでいるようで、険しい顔で眉根を寄せている。 「なあ、夢見たヤツと見てないヤツの差ってなんだ?」 「おれ達も夢見たのに、ちゃんと目が覚めたのもなんでかな?」 「うーん……」 黙り込んでいたモー子が、その会話にふと顔を上げた。 「目覚めない被害者達に確認を取る事は出来ませんが、可能性は一つ思い当たりませんか?」 「可能性?」 「目覚めなかった理由について、です。さっきも話していたでしょう」 「遺品の使用者と接点がないとか?」 「被害者に共通点がなさそうな事はとっくに確認したでしょう」 「……だよな」 ほぼ真っ先に確認した事だった。 けど他に何かあったっけ? 「あの、例の問いかけのことです。心に浮かんできたとかいう」 「あ、そっちか」 「しっかりして下さい」 声も目線も冷ややかだ……。 「えーと、見た夢が悪夢だったかどうか?」 「それなら私ときみだけ倒れるか、逆に他の人達を残して私達だけ目覚めているでしょう」 「……それもそうだな」 「例の問いかけの事です」 「あ、そうか。そんな話したな」 心に浮かんできたとか聞こえて来たとか言ってたヤツだ。 「お前、記憶力大丈夫か?」 「た、多分」 「……………………」 非常に呆れているらしき視線が突き刺さる……。 「例の変な問いかけってやつか?」 「それです」 我が意を得たりといった表情でモー子は頷いた。 「問いかけの内容は私達も覚えていませんが、それに何らかの返答をした場合、夢に囚われてしまうのではないでしょうか」 「おれ達、問いかけの内容も覚えてないって事は反応しなかったから起きられたの?」 「あくまで推論ですが、そうではないかと」 「なるほどな……」 「遺品使用者もこれに該当する場合、夢に囚われているのかもしれません」 「暴走による代償の効果と、二重の理由で倒れている可能性もあるということです」 「や、やべぇな……」 「じゃあやっぱ、思い切って問いかけとやらに答えて夢の中に突入した方が早いか? リトもそう言ってたし」 「それも手ですが、夢に囚われてしまった場合自由に行動出来る保証はないですよ」 「そっか、おれ達も囚われっぱなしって結果になるかも……」 「それはそうと」 長々と話し込んでいる俺達に、お嬢様が強引に割り込んできた。 「私達の調査に協力して下さる件はどうなったのかしら?」 「いや、それどころじゃねーよ」 なぜかお嬢様は、ふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる。 「協力して下さるなら、こちらも協力して差し上げないこともないのですけれど?」 「何か手があるのですか?」 「私の香水に、非常に役に立つと思われるものがあります」 「香水……あの例の、魔力と調合してどうのってやつか?」 「先ほどの話ですと、夢の中で意思を保てればよいのでしょう?」 「それが可能になる香水がある、ということですか」 「ええ、そう言ったでしょう? 一種の催眠効果を持つ香水なのですが、夢の中でもある程度意思を保てるのです」 「夢の中で好きに行動出来るって事か?」 「本人の意志の強さにもよりますけれど」 「……有効かも知れません。ただそれは、夢が遺品によって造られたものだった場合でも効果は同じですか?」 「むしろ魔術で作られた世界である以上、他の魔術も正常に働くはずです」 自信満々な態度だが、どうなんだろう。 香水はともかく、遺品に関してそこまで経験豊かというわけではないしな……。 どう思う、とモー子に横目で問いかけてみると、静かに瞬いた。 背に腹は代えられない、といった表情だ。 「打てる手は多い方がいいでしょう。その香水を使わせて下さい」 「なら、今のうちに夜の世界について調査しましょう。交換条件よ? よろしいでしょう?」 「……仕方ないですね」 「……………………」 ……その会話を横で聞いてる執事が、何か言いたげな笑顔なのが非常に気になる。 案の定、お嬢様がそれに気付いて、むっとした顔になる。 「何よ?」 「は、腹黒く……っ!?」 「咎めているわけではないぞ。むしろ誉めているんだ喜べ。お前にしては上出来だ」 「どこが誉めてるのよ、どこが!?」 優雅に一礼する執事を見ながら、お嬢様はまたしてもぷるぷると華奢な身を震わせる。 「………。わ、私、脅迫とかしてました……?」 「たまたま横にいたからです!」 「……………………」 「いやだから、あー、うん、そうだなギブアンドテイクだな」 「頼むからお前ちょっと黙れ」 あーあ……。 こうなる気はしたんだが、しかしあの執事って……。 「こっちを乗せてるとかいう以前に、ただのドSじゃね、あいつ」 「そんな気もしてきました……」 まあ、香水は借りれた方が良いだろうから付き合うか。 「おい、なんか調べるんだろ?」 「調べますともっ!! 今のうちに夜の学園をくまなくっ!!」 やれやれ、とその後を追う。 校舎内を一通り見て回り、校庭へと出てきた。 そのまま校門の前まで来る。 幸いなのは、歩いているうちにお嬢様の機嫌が直ってくれたことくらいか。 おそらく学園に対する興味で怒りを忘れたのだろうが…… 「けっこう単純というか……怒りの持続しない性格だな」 「き、聞こえるよみっちー」 多分聞こえていたっぽい執事が肩越しにちらりとこちらを見たが、小さく頷いただけで何も言わなかった。 その通りです、とでも言いたいらしい。 「学園からは無断で出られないそうですね」 「出られませんよ」 「……あら、本当だわ」 ぺたぺたとパントマイムでもしているように、門の周りの空間に手をかざしている。 「なんかあるのか?」 気になったので同じように手を伸ばしてみると、目に見えない壁のようなものに触れた。 「結界が張ってあるそうです」 「へー、絶対出られないんだ」 前に風呂屋と迷い込んだ異空間――魔法陣のある場所だ――の端っこにあった、透明な壁と同じもののようだ。 「この結界は昼間にもあるのですか?」 「いいえ、昼間は守衛さんがいるだけです」 どうやら夜だけ出られないし入れない仕様のようだ。 昼間は単に校則だから勝手に抜け出すと守衛さんに見つかって怒られるとのことである。 「学園の敷地内からは出られないし、外からも入れないのですね。ものすごく厳重……」 お嬢様はぺたぺた結界に触りながら、独り言のように何事か呟いている。 「結界の高さは? 空まで覆われているのでしょうか?」 「少なくとも人が上れる高さではないと聞いています」 「ドーム状じゃなくて筒状の、ものすごい高さの結界ってことかな?」 「ドーム状だと窒息しねえ? 魔術なら大丈夫なのか?」 「詳しい事は私にもわかりません。学園長から断片的に聞いただけですので」 学園長情報なら、確かではあるんだろうが黙ってる事も多そうなイメージだな。 そのまま校庭をうろうろと見て回っているとチャイムが鳴った。 「終業時間ですよ。そろそろ戻らなければ」 「……仕方ありませんね」 校舎の方へ戻っていくと、夜の生徒達が中からぞろぞろ出てくる。 「これ明日、夢とか関係なく俺ら寝過ごすんじゃ……」 「……夢の世界で何か行動するならどうせ起きられません」 そういえばそうだった。 モー子、そこまで見越してお嬢様に付き合ってたのか。 「んじゃ帰るか?」 「待って下さる? 夜の生徒達がどこへ帰っていくのか見届けたいのです」 まあそれくらいならいいか、と俺達も後に続いた。 「あ、せんぱーい」 ちょうど校舎から風呂屋が駆けだしてきた。 こいつは遺品に巻き込まれないで済んでいたようだ。 「お疲れ様です」 「はぁい、先輩方もお疲れ様です! それじゃまた〜」 「あっちって、西寮?」 「だな」 真後ろをついていったのでは怪しすぎるので、見失わない程度に離れて風呂屋の後をつけてみる……。 見守っていると風呂屋は普通に西寮へ入っていった。 「あちらは夜の生徒の寮なのですか?」 「ううん、普通に昼の生徒も居るよ」 「多分無理ですよ」 「なぜですか?」 モー子が答えるより早く、近くにいた風紀委員が飛んできた。 「夜間は寮生以外立ち入り禁止ですよ!」 「夜の生徒が何人か登校してきていないので、調査中なのですが」 「ああ、特査の……うーん、でも、学園長の許可がないと駄目なんです。規則なので」 「……ということです」 「……………………」 お嬢様は不満そうではあったが、無理強いするほど強引ではないようで黙って肩をすくめた。 「どーしたのぉ〜?」 「あ、聖護院先輩……」 そして、俺達の目の前で盛大にすっ転んだ。 盛大にデコ打ったぞ、おい。 「わーっ!? 委員長っ!?」 「大丈夫じゃないですよっ!! なんで何もないとこで転ぶんですか!」 「な、なぜ、かなぁ……ふしぎ……」 指先しか出ていない袖を振りながらまくし立て、そこにいるのが俺達だと気付いてきょとんとする。 「あれ? 特査さん? お客様まで……なぜここに?」 「え、ええ、えーと……」 完全に毒気を抜かれたように、どうしよう、と言う顔をするお嬢様。 気持ちはわかる。 密かにため息をつきながらモー子が代わりに話し出した。 「実は、遺品のせいで目覚めない生徒が夜にも出ているようなので、その調査中だったのですが……」 うんうん、と真剣な顔つきで頷く聖護院先輩。 しかしふと眉尻を下げ困った顔になる。 「うぅん、でもねぇ、調査には協力したいのはやまやまなのだけど〜」 「やはり寮内での調査は無理ですか」 「そーなの……」 「その、それだけ厳重に立ち入りが禁じられている理由は何かあるのですか?」 こいこい、と手招きして、俺達を近くに呼び集めると小声で話す。 「この西寮もですね、校舎と同じように夜の世界とつながっているのですが……」 「校舎と違って、西寮の中で夜の世界の召喚魔術が切れますと、そのまま夜の世界へ取り残されてしまうのです」 「なるほど、それでうっかり昼の生徒が紛れ込まないように立ち入り禁止なのですか」 「そのとーりっ!」 「夜の間は、夜の生徒の代わりに夜の世界に行って眠ってますよ」 「代わりに!? じゃあもしそちらで起きてしまったりしたら……」 「夜間外出禁止の結界があるので寮からは出られないのです」 「ですから、昼の生徒さん達はまったく気付いていないですし、あちらで迷子になる事もないのです」 「そ、そう……なの?」 「ええ、基本的に寝てますからだいじょぶなのです! 安全なのですよ!」 「はあ……」 えへん、と我が事のように胸を張る聖護院先輩を見て、お嬢様も半信半疑ながら頷いた。 「まあ、どっから来てるのかは謎だけど安全面には気を遣ってる感じじゃねえの?」 「そうですね。よその世界から召喚している以上何かあったら責任問題でしょうし」 「だから厳重なんだねー」 「……………………」 逡巡するように俺達の顔を見回すお嬢様。 「……わかりました。どうやら伊達や酔狂でやっていることではなさそうだということは認めましょう」 「立ち入り禁止の理由はわかったけど、しょうごいん…先輩は西寮の中には入れるんですか?」 「あ、いや、ちょっと噛みそうになっただけで……」 「じゃあ委員長とか、もも先輩とかでいいです」 「もも…先輩…?」 「うんっ! なにかな!」 「眠っている生徒の部屋で、何か異常なものは見付かりませんでしたか?」 人の聞こうとしていることを、さらりと上から被せてきやがる。 おまけに『もも先輩』という呼び名を訂正するタイミングも失ってしまった。 「遺品の話を聞いてすぐに風紀委員で見回ってみたけど、何もなかったよ。何かあったらすぐに報告してるよ〜!」 「わかりました。ご協力ありがとうございます。……では、ひとまず引き上げましょう」 もも先輩…もうこれでいいか…達に礼を言って、俺達は西寮の前を離れ東寮の方へと戻る。 「昼の生徒は放課後にはすぐ帰されるようですし、夜の警備は万全すぎるくらい……」 「夜の生徒達に不用意に誰かが接触することは不可能のようですから、丁重な扱いであることは納得いたしました」 「他にはまだ納得出来てない事があるみたいな顔だな」 「当然でしょう。肝心の、夜の生徒が何者なのかはさっぱりわかっていないじゃありませんか」 「それは、こんな短時間で調べられるとは思えませんが」 「……でしょうね」 ふう、と芝居がかった仕草でため息をつくと、お嬢様はスカートを翻し、俺達特査に見得を切るように宣言した。 「約束は守ります。今度はこちらが協力しましょう」 東寮へと戻ってくると、お嬢様は香水を取って来ると客室へ向かった。 モー子は該当しそうな遺品のリストとにらめっこしながら何やらぶつぶつ言っている。 「おい、モー子。まさかそれ全部、覚えようとしてんのか?」 「夢の中へ持ち込むのは不可能でしょう。覚えるしかありません」 「えっ!?」 「全部は無理でも10個ずつくらいなら……」 「そ、そうだな」 「こういう事に関しては期待してませんから、お気になさらず」 「ああ、脳筋は無理すんな。オレはもうちょいいけるぞ」 「誰が脳筋だ、この野郎」 こういう事に関しては、ちょっと俺より得意だと思って急に強気になりやがって。 「この辺の、名前が簡単そうなヤツにしとけよ。な?」 「ここぞとばかりに上から目線でドヤ顔すんなっ!!」 「変な事で喧嘩しないでよー」 「他の事に関してなら、一応あてにはしていますよ?」 「この件に関しては戦力外だってよ」 「後で覚えてろよ静春ちゃん」 「ちゃん言うなっ!!」 「何を騒いでるのかしらね……」 言い争う俺達を冷ややかな目で見ながら、小瓶を片手にお嬢様が戻って来た。 「失礼しました。いつもの事なので、お気になさらず」 「……あなたその日常に不満はないの?」 「忍耐力の鍛錬だと思えば」 なんか酷い言われようだ。 面白いものを見る目でみてやがる執事も居るし……。 「まあいいわ。これがさっき話した香水です。吹きかけて、眠る時に強く意思を保つよう自分に言い聞かせながら眠って下さい」 「ある程度の自己暗示も必要と言う事ですね。わかりました」 「では、そこに並んで下さる?」 お嬢様は言われたとおりに並んだ俺達四人に、順番にしゅっと一噴きずつ香水を噴きかけていった。 「わー、いい匂い!」 「そうでしょう? ふふっ」 おまるが歓声を上げると、無邪気なくらいの笑顔になるお嬢様。 やっぱりなんというか、根は素直なのか、この子。 「……………………」 「この私が調合したのですもの、当然でしょう!」 が、何か言いたげな執事の視線を感じたらしく、唐突に高飛車な口調で胸を張る。 「あなたが変な目で見るからっ!」 「どういう意味の視線だと思ったんだ。ちょっと誉められただけで子供かお前は自分の歳と立場考えろとでも思ってるように見えたか?」 「思ってるでしょ!? そう言うって事はやっぱり思ったんじゃないのー!」 「あー、一応言っとくが、今、夜中だから」 「し、静かにしないと、あの……」 「あ、あとで覚えてなさいよ……」 主従のやりとりを無視していたモー子が、噴き付けてもらった香水の香りをかぎながらお嬢様に話しかける。 「ラベンダーの香りもしますね、この香水」 「なるほど、やはりそうですか」 「ラベンダーって北海道とかに生えてるヤツだよな?」 「頼むからオレまで頭悪そうな会話に巻き込むな。ドSが見てんだから」 「……………………」 笑いをかみ殺す執事は見なかった事にして、俺達はそれぞれの部屋に引き上げた。 「どうする?」 「なにが?」 「この状況で何が、とはまた頭の悪い質問だな」 「う、うるさいわねっ! どうする、だけじゃわからないでしょう!?」 「あいつらのことだ。放っておくのか?」 「まさか!」 「何が起きるか見守りに行きましょう」 「……そうだな。確かに見物だ」 「はー、気は進まねえけどな……」 自室に戻り、誰に言うでもなく愚痴ると制服を脱いで着替える。 (……夕べと同じ夢じゃないことを祈るしかねーなー……) 意思を保てるというなら、あの悪夢は見ずにすむかもしれない。 あれ以外で頼む、と言い聞かせながら目を閉じる。 (………意思を……) (自分の意思を……保って……) (……………………) 「……………………」 「俺の家……いや、夢か?」 「……そうだ、これ夕べと同じ……」 ――……ちゃん……おにいちゃ…… 「満琉?」 ――……おにいちゃん…… 「なんだ、満琉……お前も居たのか……」 「……! これか、問いかけって」 ――お兄ちゃん? どうしたの? ――コノ…ママ…デ、イタイ…? 「ああ」 「――――ッ…!!」 「……はっ!? 甘い匂い……またこの夢ですか」 気付くと私は分室にいた。 そして目の前には山と積まれた絶品スウィーツ。 「マロングラッセ……」 一つ摘んで口へ運んでみる。 ええ、もちろん調査のために。 「……美味しい。夢とは思えないほどはっきりとした甘さが感じられますね……」 「だからぁ、血糖値が上がりますよって」 「……………………」 夕べと同じように、白衣姿の久我くんがいつの間にかすぐ側にいた。 「……あなたは本物の久我くんなのですか?」 「いや、血糖値が。あと脂肪が」 「増えません! これは夢です! あなたは本物の久我くんなのですかと聞いているのです」 若干、必要以上の力を込めながら問い詰めるとふっと久我くんの姿がかき消えた。 その代わり、更にお菓子が空から降ってくる。 そして…… 「……問いかけ……これですね」 ――コノママデイタイ? 「はい」 きっぱりと、そう答える。 それに対する返事はないようで、心に浮かんだ問いかけはもう感じられない。 「……………………」 自由に動けるのだろうか。 例えばこの分室の外はどうなっているのか……。 「これは……意思を保てている、ということですか」 室外に出てみると、辺りには学園の生徒らしい人影が遠くに数人見える。 みんな、それぞれに好きな夢を見ているのか、大量の洋服に囲まれていたり、絵を描いていたり…… 周囲には見当たらないようだ。 早めに合流した方が良い、そう判断して私は夢の世界を歩き出した。 「う、う……ん……」 「……猫さんっ!?」 天上の響きとも言うべき甘い声が聞こえ、即座に飛び起きる。 「ああっ、猫さん! こ、こんなにたくさん……」 さっそく手を伸ばし、片っ端からもふもふする。 こ、この感触、肌触り……。 「そうかぁ〜にゃーなのか〜、ふふふふ、かわいいなぁあ……」 「猫さん、猫さん……ああ、喉がごろごろ言ってるのが聞こえるぅ……」 ――コノママデ、イタイ? 「もちろんだ!」 「……あっ!? 今のが例の問いかけか!?」 「ああ、うん、猫さんに言ったんじゃないんだよ〜? うん、かわいいなぁその肉球がとても……いや違う」 肉球に萌えてる場合じゃない、落ち着け私。 これは遺品の仕業かもしれないのだ。 「名残惜しいが……」 死ぬほど後ろ髪を引かれながらも、私は猫さん達を置いて部屋を出…… ぶるぶると頭を振って、扉を開ける。 「これは……!」 一見、魔法陣の間がある異空間に似ていたが、直感が違うと告げている。 夢の世界、ということか……。 「あ、みーくん?」 見回していると、遠くにみーくんの姿が見えたので呼んでみた。 「おーい、みーくーん!」 「……? 聞こえてるようなのに……」 私の声に手を振り返してはくれるものの、こちらへ来ようとはしない。 「あれは、鹿ケ谷さんか? おーい?」 ……鹿ケ谷さんの反応も同じだった。 近くには村雲の姿もあるが、彼もまた同様に手を振るばかりだ。 「鹿ケ谷さーん、おーい、村雲ー!」 「……夢なのか? 彼らは本人じゃなくて私の夢なんだろうか」 「他の人は……スミちゃんや烏丸くんは?」 この辺りにいても駄目そうだと思い、歩き出しながら知り合いの名を呼ぶ。 「スミちゃーん、烏丸くーん」 「……あっ、烏丸くん……」 遠くに見えた烏丸くんは、私に気付いてやはり手を振ってくれた。 「……ヒメちゃーん……!」 「スミちゃん?」 聞き覚えのある声にはっとそちらを向くと、手を振りながらこちらへ駆けてくるスミちゃんの姿が見える。 「あ、烏丸くんは……」 もう一度見てみると、烏丸くんの姿はもう消えてしまっていた。 「スミちゃん!」 駆けてきたスミちゃんがぴょんと抱き付いてくる。 「本物なのか? ……うん、夢じゃなさそうだな」 手を振るだけじゃなく走ってきた時点でそうかもと思ったが、間近で見るスミちゃんは間違いなく本物の彼女だった。 こういう時、自分の勘が頼りになる事がありがたい。 「多分夢の中なんだよ。スミちゃん、何か問いかけに答えた?」 「あれのことかな? ここにいたいかって質問が、心の中に浮かんでくるやつ」 「そう、それだ」 「とりあえずヒメちゃんに会いたいから、うん、って答えたよ。それでよかったの?」 「ああ、ここは夢なんだよ。昼間そんな話をしていた」 目覚めない人達と、夢の中の問いかけは何か関係があるのではという話をしていたのだとスミちゃんに話す。 「なるほどー。問いかけに答えるのが、夢に囚われる条件だったって事ね?」 「おそらく……」 「じゃあ、さっきのしーちゃんは囚われちゃってる状態?」 「いや、本物じゃなくて夢なのかもしれない」 「あ、そういうことか。なら本物もどっかにいるかな?」 「捜してみよう。どのみち夢に囚われたのなら彼らと協力して遺品をどうにかしなければ」 「そうだね!」 私とスミちゃんは、夢の世界を本物の特査の人達を捜して歩き出した。 ――……えてる……燃えてる……。 踊るような炎に巻かれる家。 ――……お、とうさん……お母さん…… 「満琉ー……!!」 ――……おにいちゃん…… ――お兄ちゃん……逃げて…! 「馬鹿! お前こそ逃げろ!!」 呆然と立ちすくんでいる満琉の腕を掴み引き寄せる。 ――おにいちゃ…… 「もう大丈夫だ、満琉……」 その途端、床から噴きだした炎が 一瞬にして俺の身体を飲み込んだ。 「っ!? う、わぁああああぁっ!?」 ――お兄ちゃん!? おにいちゃああん……!! 「み、ちる………」 捕まえたはずの満琉の姿が赤い壁の向こうに遠ざかる。 踊るような炎の中にはなぜか、満琉ではない見知らぬ誰かの人影が幾つも見えた。 (だ……誰、だ……?) 誰とも知れない人影達。 だがその影も、俺と同じように炎にまかれ、絶望の悲鳴を上げているのだという事だけは何故かわかった…… 「……刻を、止めよ!!」 「ふっ……ざっとこんなもんだ」 「わーい、しーちゃんかっこいいー」 札を貼り付けた遺品がころりと床に転がり、春霞が歓声を上げる。 「あ?」 なんだ今の声……いや、待てよ、呼びかけって今のやつか。 「そうだ、これ夢じゃねーか……ちっ!」 ――コノママデ…… 「ああ、いてーよ!」 気恥ずかしさやら何やらが混じって、怒鳴るように言い返した。 気付くと封じた遺品も、春霞の姿も見当たらない。 「……あなたは……?」 見渡しても辺りには人影も何もない。 「うわっ……なんだこりゃ……」 校舎の外は異様な空間だった。 ちらほら人影は見えるが、どれもうちの生徒のようで怪しいヤツは見当たらない。 「しーちゃーん!」 「へ? 春霞?」 「よかった、見つけたー!」 全速力で春霞が走ってきたかと思うと、そのまま全力で飛びついて来やがった。 じゃれてくる春霞を引っぺがしながら、後ろから来た壬生さんに頭を下げる。 「はは、よかった。本物だな」 「へ?」 「夢の……」 そうか、さっきの廊下にいた春霞みたいなもんか。 じゃあ、あの呼びかけてきたヤツは……? 「……昨日呼んでたのも春霞か?」 「昨日? それは知らないよ?」 春霞じゃないのか。 じゃあ誰なんだ、あれは。 「呼んでた、というのは例の問いかけというやつかな?」 「あ、そうです。ここにいたいか、とかいう……」 「……あれ? 壬生さん達、香水使ってませんよね?」 「香水?」 「あのお嬢様のですよ。夢の中でもある程度意識が保てるとかいうのオレ達は使わせて貰ってるんですけど」 「使ってないよ、そんなの」 「うん、私もだ」 「……魔力の差、なんですかね?」 この二人は魔女だ。 香水の力がなくても意思を保つ事が出来ても、不思議はない。 「そのはずだぜ」 「そうか、なら一緒に捜そう」 「はい!」 二人と合流出来たのはついてたな。 あとはトクサの連中を見つけるだけか……。 今、叫び声のようなものが聞こえたような……。 「久我くんの声……?」 胸騒ぎがして、声がした気がする方向へ走っていってみた。 「……!? か、火事!?」 唐突に、目の前に炎の塊が出現した。 その奥にいる、あの姿は…… 「久我くん!?」 「……うわあああぁぁ……!!」 炎に巻かれている久我くんは、どうにか逃れようと腕を振り回し絶叫していた。 「久我くん! 聞こえないのですか!?」 「く……うわ……あああぁっ……!!」 「久我くん!!」 駆け寄ろうとして、圧倒的な熱量を肌で感じて思わずひるむ。 (熱い。まさか本当に焼かれる……?) (でも、それなら久我くんは……!) 炎の中でもがいている姿。 目をこらしてみようにも、熱さではっきりと目を開けていられない。 (……いいえ、これは夢。夢なんだから……!!) 後ずさりたくなる心を押さえつけ、思い切って炎の中へと踏み込んだ―― 「くっ……くそっ……!」 服に、髪にまとわりつく赤い舌を払いのけようと、めちゃくちゃにもがく。 ――アツイ……アツイ…… ――タスケテ…… 知らない誰かの声が周り中で木霊のように響いている。 それがよりいっそう恐怖を煽る。 ――タスケテ……タス…ケ…… 悲鳴と共にすがりつくように伸ばされてくる無数の腕。 その腕がまた炎にまかれ、赤い塊となって迫ってくる。 「おっ、おい……うわあっ!?」 思わず人影に声を掛けた途端、それは消し炭のようにぼろりと崩れ落ちていった。 「う……う、ぁ……………ま、待っ……」 俺の元へ来ようとしては、ぼろぼろと崩れていく人影。 その向こうに、炎をまとい瓦礫と化した柱や壁が絶え間なく落ちている。 「く……来るな、燃えるから……こっちは……駄目だ……」 ――タス……ケテ…… 「駄目だ! みんな燃える!! 来るなぁあ!!」 ――アツイ……タスケテ…… ――タスケ……テ……タ、ス……ケ………… 「う、うっ……う……くっ………」 燃える。何もかも燃える。 身体が。焦げ臭い。燃える。逃げないと。助けないと。みんな燃える。もえる。なにもかも。熱い。燃える。火が。みんな熱い燃えみんな熱いあついアツイ…… 「――――久我くん……!!」 ごうっ、とひときわ大きな音を立てて炎が吹き上がり、そこから白く細い手が差し出された。 「くっ、来るなぁ……!!」 逃げだそうともがいたが、身体が思うように動かず、伸びてきた白い手は俺の腕を捕まえる。 「久我くんっ!!」 「……う、うわ………っ」 振りほどこうとすると、身体にぶつかるような衝撃があり、気がつくとぎゅっと抱きすくめられていた。 「久我くん、落ち着いて! これは夢です!」 「……モー…子…?」 聞き覚えのある声に、混濁していた意識がはっと理性を取り戻す。 我に返ってみると、すがりついているモー子の姿があった。 「落ち着いて下さい! 大丈夫です、夢ですよ……!」 「……夢…………」 「夢です、燃えてなんかいません。大丈夫ですよ」 「ゆめ、なのか……」 「そうです、夢です。だから落ち着いて下さい」 炎の勢いはまだ、一向におさまろうとしなかった。 俺は無意識のうちに、そっと小さな身体に手を回して抱きしめ返していた。 差し伸べられた手に救いを求めるように、思い切り掴んで引き寄せた。 「きゃっ!」 小さな悲鳴と共に、華奢な身体が腕の中に倒れ込んで来る。 (……え……この声……) 「あ、あの、久我く……」 「……モー子……?」 「そ、そうです、わかりますか? 私が、わかるんですね?」 「え……ああ……」 「よかった……落ち着いて下さい、これは夢です」 「…………夢……」 「ええ、夢ですよ。だから大丈夫です」 「……………………」 炎の勢いはまだ、一向におさまろうとしなかった。 そっと遠慮がちに、背中に手が回る感触がする。 包み込むように、モー子が俺の身体を抱きしめ返していた。 (炎が苦手らしいのはわかっていたけど、こんなにも……) 自分でも何故とっさにそうしたのかわからないけれど、久我くんの背に回していた手で背中を撫でさする。 自分でもいつの間にそうしていたのかわからないけれど、久我くんの背に回していた手で背中を撫でさする。 夢だ、と言った私の言葉に、久我くんは少し落ち着きを取り戻したようだった。 しかしまだ幻の炎は私達を閉じ込めるかのように燃えさかっている。 「……ッ、く……ぅ……」 久我くんは炎が吹き上がるたび苦しそうに息を吐く。 なのに、私を炎から庇うように、覆い被さるような格好で抱きしめてきた。 (……こんなに……怖がっているのに……) まだ他人を庇おうとするなんて。 抱きしめてくるその腕が震えているのに、この人は…… 「落ち着いて……久我くん、大丈夫です。これは、夢ですよ」 私が慌てている場合じゃない。 ゆっくりと諭すように言うと、久我くんの震えがふと止まる。 「……ゆ……夢……」 「そうですよ。大丈夫です、これは夢です」 「………夢………じゃ、なかったんだ……」 「え?」 「みんな、燃えて……俺は……」 すすり泣くような声だった。 もしかして、何か過去にあった出来事を言ってる……? 「…………助けられなかった……」 「……………………」 だから――だから、一人でここから出ようとしなかったんだ。 炎の中から全力で逃げ出そうとせずに、その場でもがいていたのは、誰かがここに、彼の大切な人が、まだいたから……。 「……久我くん……」 「う……、く………っ……だ、誰も……助けられ……な……」 「……きみのせいではありません!」 両腕を彼の背に回し直し、力一杯抱きしめる。 頭のどこか片隅で、冷静なもう一人の自分がひどく驚いていたけれど、私は気付かなかったふりをした。 「きみのせいでは、ないです。絶対に……」 「……………………モー子……?」 「私は……きみが遭遇した悲しい事件の事は知りません。でも……」 「今の、きみの態度を見ればわかります。こんなに苦しそうにしているのに、私を庇おうとしているきみを見れば……」 「……………………」 「きみなら……久我くんなら、その時もきっと、出来る限りの事をしようとしたはずです」 「……………………」 「だから……だから、そんなに、自分を責めないで下さい」 痛いほどに私を抱きしめていた腕の力が、少しずつ抜けていく。 「きみのせいではありません。それに、もう……それは過去の事でしょう? これは夢です」 「……これは……夢……」 「そうです、これは夢です。囚われないで下さい」 踊るような炎の動きが鈍くなった。 周り中を取り巻いていた炎が、だんだんと小さく消えていく……。 「そう、落ち着いて。……ほら、もう火も消えました」 「……そう、か……夢か……」 吐息と共にそう言うと、久我くんの身体が脱力し弛緩するのがわかった。 それでもまだ、息は荒く、苦しそうに時折嗚咽のようなものを漏らしている。 汗も酷い……。 「大丈夫……大丈夫ですよ……」 「……………………」 久我くんが小さく頷いた。 ぎゅっと閉じていた目の奥が熱い。 けれど、さっきまで身体中を舐め回していた絶望的な熱さは感じられなくなっていた。 「……………………」 恐る恐る目を開けてみると、炎はもうどこにもなかった。 (……家も……ないな……) どこなのか見当も付かない異空間のような場所の、ど真ん中にいるようだ。 (……夢……) (そうだよな、あの家は、もう……) すべて灰になってしまったんだった。 その現実が、まだ少し朦朧としていた意識を苦い感触と共に覚醒させる。 (…………あ、モー子) 気がつくとモー子が静かに背中を撫でてくれていた。 「大丈夫……もう大丈夫です……」 なだめるように、小さく呟いているのが聞こえる。 (……ああ、この声……) さっきも、炎の中でもずっと聞こえていた。 (…………ずっとこうやっててくれたのか……) どれくらい、俺は放心していたんだろう。 背中にびっしょりかいた汗で、シャツが冷たくなり張り付いているくらいだから…… 「………すまん」 自然と、その言葉が口をついて出ていた。 驚くほどかすれた声だった。 そういえば、さんざん叫んだ気がする。 「らしくもないですよ」 何か言い返そうとしたが、今度は言葉が出て来ない。 (睫毛長いなー、こいつ……て言うかこんな間近で顔見たの……) 「……あ」 なんでこんな至近距離なんだ。 思わず後ずさるように、モー子から離れる。 「む……無理は、しなくても」 心配するような事を言いつつも、やはり向こうも気まずいらしく目は逸らしたままだった。 「もう大丈夫だ! 行くぞ!」 「あ、ちょっと久我くん?」 照れくさいので無駄に威勢よく言って、適当な方向に歩き出す。 「やみくもに動かないで下さい! あてがあって歩いてるんですか!?」 「適当!」 「久我くーんっ!!」 足早に歩く俺に文句を言いながら、モー子は小走りについて来た。 「迷子になっても知りませんからね!」 「大丈夫大丈夫」 「もう……」 「美味しいですね」 「そうだなー」 「うんうん、おいしいねー」 いつになく機嫌の良さそうな二人と一緒に、のんびりとお茶を飲む。 いいなあ、こういうまったりした雰囲気……。 「えっ?」 急に、心の中に直接そんな言葉が浮かんできた。 あれ、そういえば、少し前にもこんな話みんなでしてたような……。 「……そ、そっか! これ夢だ!」 今のに答えればいいのかな、と恐る恐る無言で頷く。 ――コノママデイタイ? 「あ、へ、返事しろってこと? うん、いたい……かなぁ……」 これでよかったのかな。 特に変わった様子はないんだけど。 「……あれ?」 本当に何も起きない……。 おかしいな、返事の仕方がまずかったのかな。 「??? ち、ちょっと外見てくるね?」 「クッキー食べます?」 「おう、食う食う」 「……………………」 やっぱり夢だ、これ。 憂緒さんとみっちーは、さっきまでと同じようにのほほんとお茶をするだけで反応してくれない。 「いってきまーす……」 「……………えっ!?」 図書館がなかった。 というか、見た事ない空間だった。 「えええっ!? ど、どこっ!? ここどこー!?」 「みんなどこー!? みっちー! いないのー!?」 あたふた走りながら周りを見渡すが、どこからどう見ても知らない場所だった。 「うわあああああ!? ここどこだよおおお!?」 「みっちー! 憂緒さーん! 村雲せんぱーい!! 壬生せんぱーい! 村雲さーん!! リトさあああん!!」 「うわああん、どこー!? みっちー! 返事してええぇうわっ!?」 急に腕を掴まれて引っ張られる。 後ろに転びそうになったが、ぽんと背中が支えられた。 「落ち着け、おまる」 「みっちー!」 「……速攻見つかってよかった。お前の悲鳴が役に立つとはな」 「本物ですよ」 さっきお茶してた二人とは違う。 本物だ、と胸をなで下ろす。 (……あれ) みっちー、なんか憔悴してる。 顔色悪いし……。 (そういえば、悪夢だったって言ってたっけ……) 「烏丸くん、例の問いかけはありましたか?」 「え? あ、うん。このままでいたい、って聞かれたよ」 「全員同じっぽいな」 「……そのようですね」 そう答えながら、なぜかみっちーをにらむ憂緒さん。 「あの、憂緒さん? 一体どんな夢見て……」 「いえ、久我くんには非常に大きなお世話なことを言われまして」 「だから俺は知らねーってのに! 大人しかったの一瞬だけかよ……」 「自分こそさっきまで私に抱き付いて泣いてたくせに……」 「誰がだっ!? 先にしがみついてきたのそっちだろ!」 「そんな記憶はありませんが! 百歩譲って仮にそうだったとしても好きでそうしたわけじゃありません!!」 「なんかよくわかんないけど……よかったー二人ともいつも通り仲良しでほっとしたよー」 「どこをどう見りゃそう見えんだっ!?」 「……村雲くんを捜しに行きましょう」 聞かなかった事にする、という態度でさっさと歩き出す憂緒さん。 「あ、こら、待て!」 「待ってー」 無事に見つかったおまるを加えて、三人で奇妙な空間を歩いていく。 いろんな人の夢が混ざりまくってるらしく、意味不明な風景が続いていた。 「突然お城とか、遊園地とか……」 「理不尽ですね。夢なのですから当たり前ですが」 「ん? なんだ、この匂い?」 唐突に食欲をそそる匂いが漂ってきて、煙が立ちこめた。 「……あれですね」 モー子が煙の向こうを指さす。 どどーんとでかいテーブルが置いてあり、見覚えのある二人の姿があった。 「おいしそう」 「うっまーい! 次は上ロースだー!」 「よかったね、クミちゃん」 狂喜しながら焼き肉をほおばる射場さんと、微笑ましい口調でそれを見守る雛さんだった……。 射場さんの歓声も、その光景もすうっと遠ざかり蜃気楼のように消えていく。 「あ? あれ? 消えちゃった?」 「あれ、射場さんの夢か」 「でしょうね。垣間見えたようです」 「射場先輩達は、夢の中にいるって気付いてないのかな?」 「おそらく。私達のように意思を保っていない人達が、夢に囚われ目覚めなくなっている被害者なのでしょう」 「でも、そういう人達の夢にも、こちらから近づく事は出来るようですね。早く遺品の使用者を捜さなければ……」 そうか、遺品を発動させたヤツも、さっきの射場さん達みたいに夢に囚われているかもしれないんだった。 「久我くーん……!」 「お、鍔姫ちゃん」 遠くから鍔姫ちゃんの声がして、手を振りながら駆けてくるのが見えた。 スミちゃんと村雲も一緒のようだ。 「あ、本物っぽい」 「……って鍔姫ちゃん達香水使ってないよな?」 「あの二人は魔女ですから、必要なくても不思議はありません」 それもそうか。 手を振り返して、こちらも鍔姫ちゃん達の所へと…… 「か、かぼちゃ?」 でかいカボチャが迫ってくる、と思ったら、どうやら馬車のようだった。 やたらとメルヘンチックな装飾を施された、童話に出てくるカボチャの馬車だ。 「……………………」 カボチャの馬車は、合流しようとした俺達の間に一旦止まる。 村雲達も、呆気にとられた顔で馬車を見ていた。 「王子様あああああ!」 「王子様はどこにいるのー!? 王子様いませんかー!? 一面にバラの花が咲いてる素敵なお庭に迎えに来てくれる王子様!」 「でも、ただ待ってるだけじゃ駄目だよね! 悪い魔法使いがお庭を狙っていて魔物を差し向けてくるし私も王子様を探しにいかなきゃあ!」 「……………………」 一瞬、中の人と目が合う。 「はっ、王子様!? そこにいたんですか!!」 「……………………」 「……………………あれ?」 「………でも白馬に乗ってないし、薔薇もくわえてないし、白タイツじゃないし、王子様じゃない……かな!? 違う気がする!」 「さっそうと現れて黄金の剣で魔物を倒してくれる白馬に乗った王子様どこですかぁぁぁ〜!」 そして、カボチャの馬車はゆるゆるとしたスピードで走りだして行った。 「あの……馬車の中にいたドレスの人……」 「風呂屋だったな……」 ものすごいいい笑顔の風呂屋が乗ってた。 うん、まあ、あいつらしいと言えば非常にあいつらしい夢だが……。 「……何だ今の」 「気にするな。夢だ」 見なかったことにして、不審がる村雲に断言した。 やばい、ものすごく気になる。 「あの夢って、オチどうなるんだ……」 「き、気になるね」 「ちょっと見てくる」 「……はぐれないで下さいよ?」 呆れ顔で言うモー子は置いておいて、俺はカボチャの馬車を追ってみた。 「なんでついてくるんだ、お前!?」 「てめーがいきなり追いかけたからだろ!? なんか関係あるのかあれ?」 「全力で無いことを祈る!」 おまるまで来てたのか。 ま、まあ、女性陣は来てないようなのでまだいいか……。 「ああっ、王子様ぁ!」 気付くと馬車は止まっており、中から風呂屋が満面の笑顔で身を乗り出そうとしていた。 その視線の先を辿り――膝から崩れ落ちそうになる。 「やあ、迎えに来たよ! ぼくのプリンセス……」 「王子様〜!」 白馬に乗って、薔薇をくわえた、白タイツの俺が、いや風呂屋の見てる夢の俺が馬車から風呂屋を連れ出そうとしていた。 「なんて美しいんだ、きみの瞳はまるで星空を流れる星のようだね」 「まあ、そんな……」 「さあ、おいで。二人で幸せになろう、子猫ちゃん」 「はいっ」 う、ぐ……い、いや落ち着け。 夢だこれは夢なんだ。 風呂屋の夢なんだ、本人幸せそうなんだから俺がとやかくいうことじゃ…… 「夢でもあり得ねえよっ!? なんだその俺は!? どうしてそうなった!?」 耐えきれなかった……。 夢だとわかっていても、全力でツッ込む。 白馬に乗った俺はきらーんと歯を光らせながら、ほがらかに言いやがった。 「き、気色悪ぃ……」 「まったくもって否定出来ねえが、他人に言われると腹立つな!?」 「どーにかしろよ、あれお前だろ!?」 「……………………」 変な好奇心出すんじゃなかった……。 ……うん、夢だしな。 諦めるしか…… 「人が諦めてんのに遠慮無くツッ込んでんじゃねえっ!」 「あれ耐えられるのか、お前。まさかああいう願望あるのか」 「あったら出家するわ。いいから放っておいてやれ、他人の夢なんだから……」 「…………そ、そうだね……ゆ、夢だもんね、あはは……」 「他人の夢って、ここまで破壊力あるもんだったのか……」 「……………………」 正直、風呂屋の火力は他の比じゃないような気がしないでもないが、黙っておこう。 「……と、とりあえず、戻らないと。憂緒さん達待ってるし……」 「あ、ああ、そうか」 「何しに来たか忘れるとこだったぜ……」 恐ろしい物を見た。 俺達は逃げるようにカボチャの馬車に背を向け、モー子達の所へ戻った。 「……ど、どうしたんだ? なんだかみんな憔悴してるんだが」 「吸血鬼に血でも吸われたみたいな顔してるよ?」 「うん……似たようなもんかな……」 吸われたのは血じゃなくて気力とか精神力とか、他のもっと大事な何かだったけど。 「カボチャの馬車の時点で、なぜその結果を想像出来なかったのですか」 「…………だよなー」 だからついて来なかったのか、モー子。 鋭いな……。 「まあ……カボチャは置いておいてですね」 「うん、置いとこう」 反対する理由は何一つ無いので、全力で同意する。 「この遺品は、リストにあった『モルフェウスの石』ではないかと思います」 「モルフェウスの石?」 さらっと言ってるけど、こいつあの膨大なリスト本当に暗記してきたんだ。 自慢じゃないが俺は頑張って覚えた10個程度すらもう暗唱出来る自信がない。 「好きな夢を見られる遺品で、問いかけによって眠っている他人をも夢の世界に引きずりこんでしまうそうです」 「好きな夢? あれがか……?」 「本人が無意識に望んでいることも反映されているのかもしれません。克服したいと思っている事とか」 「……ああ、なるほど」 確かに炎恐怖症は克服はしたい。 だから俺の場合、あんな夢だったのかな。 俺がひとまず納得したのを見て、モー子は話を続ける。 「そして、この遺品の他の特徴ですが、引きずり込んだ他人からも魔力や代償をとっていく強力な遺品だとか」 「つまり、ここにいる全員から魔力を吸っているのか!?」 「人数が多いので少量ずつのようです。そのおかげか、極端に衰弱している人がいないのでしょう」 「なるほどー。だからヒメちゃんにも、見つけられなかったんだ」 「うん、確かに……。全員が同じくらいずつ消耗していたならわかりにくいな」 「で、本体はどんな形してんだ?」 「ペンダントだそうです。夢の中でも本体を見つければ封印が可能のようですから……」 モー子は制服の内ポケットから、いつもの封印の札を取り出す。 「持って来れたのか」 「常に持っている物なので、大丈夫だったようですね」 念のために、とモー子はその札を全員に配った。 「ペンダントか。遠目に見つけにくそうだな」 「……さっきの風呂屋町さん、ペンダントはつけてたっけ」 「いや、なんとなくだが風呂屋は違う気がする……」 「ここにいたいか聞かれたら全力で頷きそうに見えたんだが、本当に違うのか?」 「風呂屋町さんは、以前遺品に遭遇したことがありますから怪しげなアンティークは不用意に触らないのではないかと」 「ああ、そういうことか。なら違うか」 ……その通りなんだが。 なぜか風呂屋の場合、そういう問題じゃないというか……。 (あれが使用者だったらなんか嫌だ。すごく嫌だ……) 「連中は?」 「見かけていないわ。捜しましょう」 「ああ」 「うふふふふ、王子様ぁ〜」 「……………………」 「……………………」 「……ずいぶんとベタな夢見てるな」 「ま、まあ、夢ですし」 「あははは、待てよこいつぅ〜」 「……………………」 「……………………」 「どうでもいいわよっ!?」 「確かにどうでもいい、捜すぞ早いところ」 「そうね……少なくともああいうのにはもう遭遇したくないわ」 「珍しく意見があったな」 「珍しく……?」 「行くぞ。早く来い」 「うーん、人の夢ってすぐ消えちゃうね」 「そうだなあ、今のところ変な気配も感じないし……」 全員で、夢の世界を歩き回るが、遺品らしき物は見当たらない。 垣間見える他人の夢は大量にあるのだが、なかなか近寄る事も出来なかった。 「ん?」 「何か地響きのような物音が」 「待て……なんか見えるぞ、あそこ」 村雲が指さした方向に、土煙と共に黒っぽい影のようなものがあった。 その影はぐんぐん大きくなっていく。 「な、なんです……?」 「わーい! 本当にいたんだー!」 「黒谷の声だったぞ?」 「え?」 「な、な、なななんか来る……」 うぞぞぞぞ、と黒い塊が迫ってくるのが見えた。 いや、塊に見えたのは、あり得ないほどの大群だったからで…… 「ちょっ……待て!? なんだあれっ!?」 「……ネッシー?」 「雪男のような何かも居ますが」 「天狗じゃない? あ、ぬりかべもいる」 「きゃっほー! 本当にいたんだー! いえーい!!」 「いえーいって状況かあああああ!?」 百鬼夜行状態で迫ってくる化け物の、ネッシー的な何かの上で黒谷がはしゃいでいた。 「ツッ込んでる場合かっ! ひ、轢かれる……!!」 あまりの光景に呆然としていたが、化け物の群れはすぐ目前まで迫っていた。 「――逃げて……!!」 「ひぃああああああああ!?」 慌てて逃げようとするが、あっという間に群れの中に飲み込まれる。 「ぎゃあああああああこっち来んなあああああ!?」 「待てコラおまる! はぐれるから待て!!」 「いやあああ!? なんか気持ち悪いのが居るうううう!!」 「落ち着け春霞……ってああああ!? こらどけー!!」 「うわあああむっちゃ怖ええええええ!?」 「ちょっ、ど、どこですかみなさん!?」 「河童と天狗に押されてそっちに行けないー!」 「みっちー助けてええええ!?」 「おまる、落ち着けっ!!」 錯乱するおまるを小脇に抱え上げ、一反木綿と小豆洗いを押しのけて群れの中から脱出する。 「いやあああああリトルグレイがああああ!?」 「暴れるなあああっ!?」 もうなんだかわからない妖怪を蹴り倒し、踏み越えて、かき分けて進む。 「ぬ、抜けた、か……?」 「怖ぇええ……むっちゃ怖ぇ……」 どうにか視界が開けるところまで出てきた、が…… 「……他の連中どこだよ……」 おまるを降ろして振り向いてみると、百鬼夜行は遙か彼方に通り過ぎており、モー子達は見当たらなかった。 「てゆーか押し流されたんじゃね?」 「えええ!? お、追いかけ……る?」 「しか、ねーだろうなあ……」 「うう……し、仕方ないね……」 「しっかりしろ。別にとって食おうとしてきたヤツはいなかっただろ」 「怖い事言わないでっ!?」 怯えて涙目になるおまるを叱咤しながら、妖怪どもの後を追いかけた。 「モー子!!」 かすかに聞こえる声を頼りにモー子の姿を捜す。 「こ、久我くん! こっちです!」 今にも群れに連れていかれそうになっていたモー子がこちらに手を伸ばしたので、慌てて引き寄せてその場で担ぎ上げる。 「きゃあっ! ちょ、ちょっと!」 「暴れるなよモー子! おまるは!? 無事かー? おーい!」 もうなんだかわからない妖怪を蹴り倒し、踏み越えて、かき分けて進む。 「ぬ、抜けた、か……?」 どうにか視界が開けるところまで出てきた、が…… 「……他の連中どこだよ……」 モー子を降ろして振り向いてみると、百鬼夜行は遙か彼方に通り過ぎており、おまる達は見当たらなかった。 「どうやら、烏丸くん達は押し流されてしまったようですね」 「しゃーねえ、追いかけるか」 「…………」 「なんだよ」 「いえ、あまりにも扱いがぞんざいだったので、きみは私のことを置物か何かと勘違いしているのかと思っていたところです」 「はぁ、そりゃどうもすみません。お姫様だっこでもすりゃ良かったですか」 「誰がいつそんなことを言いました!?」 とにかく百鬼夜行の行った方向を捜してみよう、ということで俺達はあてのないまま歩いていた。 時々周囲に誰かの夢が浮かんでは消えていく。 「相当ややこしいことになってんな、この世界……」 「そうですね。現れる夢の数もとても多いですし……倒れた人間がすべてこの夢の中にいるならば仕方のないことでしょう」 モー子はちらりちらりと周りを見ながら、何か手がかりは無いか探しているようだ。 俺もそれに倣って、周囲を見回してみた。 「……あれ、なんだ?」 「どれのことですか?」 指差す先には、大きなガラス玉のようなものがたくさん積まれている。 モー子と二人で恐る恐る近づいて見ると、それは水晶玉のようだった。 「なんだこれ。これで何か占うとか?」 軽い気持ちで覗き込むと、水晶玉の一つが俺の顔を映し出す。 途端、水晶玉の中でぶわっと炎が広がった。 反射的に、二、三歩飛びのく。 「久我くん? どうしたんです?」 少し驚いた様子でモー子が聞いてきた。 「……そんな顔するな。これくらいなら大丈夫、だ」 「そうですか」 答えた自分の声はまだ少しうわずっていたが、モー子は気を使ったのか何も突っ込んでこなかった。 それにしてもこいつに気を使われると、どうも妙にこそばゆくなるな。 「この水晶玉は、対象者がこれまでに見た夢などを映すのかもしれませんね。久我くんは少し下がってください。私が調べます」 そして……今度はモー子の顔が映り込む。 すると―――。 『このような状況、まったくもって不本意ですが』 『じゃあ、離れろよ!』 『それは嫌』 『久我くん……あぁ……きみを見ていると、胸が熱くなって……私は……』 『不本意なんだろ! 遺品のせいだよ! 正気に返ったら絶対凹むから止めとけ!』 「………こ……これ……は」 『あの、モー子……その格好、なに? いつ着替えた?』 『今日は泊まりになるかと思い、パジャマを持って来ていたのです』 『あ、そうなんだ……』 『ひ、んっ!! 久我くんのが、中、中でぇ! あんっ!』 『中で、どうなってる?』 『中で動いて、私の中を……は、激しくしてっ! ああっ!!』 「なっ!?」 モー子が突然謎の絶叫をしだした。 「どうしたモー子っ……」 「大丈夫ってお前、本当に大丈夫なのかよ。すげえ顔してるけど」 「お、おう」 なんかよくわからんが必死だ。 おとなしく言う事を聞いていた方が無難な気がする。 水晶玉からよろよろと離れたモー子は謎のダメージを受けていた。 よっぽど衝撃的な映像が流れていたに違いない。 ……正直、興味はあるが、あの様子からして見に行ったら怒るのを通り越して泣き出されそうだ。止めておこう。 好奇心を抑えてモー子の言うとおりに対応したというのに、当の本人は何故か不機嫌そうにこちらを睨んできた。 「何も見ませんでしたよね!? 何も聞いてませんよね!?」 「見てねえよ。お前が動くなって言ったんだろ」 「本当ですか!? 嘘はついていません!? ちらっと何かの声も聞こえたりしてませんか!?」 「あぁ、そういや何か高い声の悲鳴みたいなものが」 「だ、大丈夫か。いや、よくは聞こえなかったから安心しろって」 かつてない慌てぶりに流石に心配になる。 前に俺が遺品でおかしくなった時もだいぶ慌ててたと思うが、ここまでではなかったような――。 ……って、俺は何を思い出してるんだ。 「……………」 なんだか妙に気恥ずかしくなってきて、顔を背ける。 ついでにいらんことまで思い出しそうだ。 「……………」 「……………」 「……………」 いくら何でも沈黙が長すぎる。 微妙に気まずい空気になってきて、俺は耐えられずに振り返った。 「おいモー子……あれ?」 気がつくと、モー子はどこにもいなかった。 「おおぉーい! モー子ー。おまるー。鍔姫ちゃーん、スミちゃーん、静春ちゃーん」 一応全員の名を呼びながら歩いてみたが、誰の気配もない。 こんなにあっさりはぐれてしまうとは、恐ろしい世界だ。 「……ん?」 ふと、行く先に何かが横たわっているのが見えた。 慌てて近づいて見ると―― 「う、ううぅぅリトルグレイ……いやだぁぁ……」 おまるだった。どうもここで妖怪達に振り落とされたようだ。 夢の中なのに夢を見てるんだろうか、こいつ。 「おい、起きろ」 「俺は大丈夫だけどお前の方が無事か」 「うん、大丈夫みたい……あぁー、怖かったぁ……憂緒さんは?」 「さっきまで一緒だったんだけどな。はぐれちまった。とりあえず二人で捜そうぜ」 「わかった」 「何かしらここ? 泉みたいなものがいっぱい……」 「あまり近寄るな。お前は時々、いやしょっちゅうどんくさいのだから、落ちたらおそらく面倒くさい事になる」 「一言多いわよっ!」 「何人もの魔力が混ざり合ってるのを感じる」 「何人もの魔力?」 「おそらく、この夢に取り込まれている連中の魔力だ」 「それが、混ざり合っているというの?」 「ああ、さしずめ天然の魔術結界と言った感じだな。変な魔術に掛かりかねん。近寄らない方が良い」 「……わかったわ、行きましょう」 「ああ、参ったな……」 どうにか妖怪達の群れからは、スミちゃんを引っ張って出る事が出来た。 しかし、みーくん達とははぐれてしまい、ここがどこなのかもわからない。 「さあ……妖怪にはあまり詳しくないから……」 というか、ネッシーは妖怪なのだろうか。 なんか宇宙人的なのもいたし。 「焼き肉みたいだな。もしかして……」 匂いの元を辿り、煙っているのを見つけたので行ってみると、思った通り射場さんだった。 「牛ターン! 塩ターン!」 「うんうん」 山盛りの焼き肉を次々とたいらげる射場さん。 その姿を見守っているヒナさん。 「あれ? 射場さんだけなのか……」 「え? 何が?」 「いや、あのヒナさん……あの子は多分、肉を食べている子の夢の一部だよ」 「あ、本人じゃないんだ?」 「んんっ!? やあ、そこのお二人さん! 一緒に食べようよ!」 「えっ?」 「あ、あれ? なんか風景変わった?」 しゅるんと一瞬で塗り替えられたように、射場さん達の居るテーブルの背後に横断幕のようなものが出現した。 「『食べ放題バトル会場』……」 「バトル!?」 「ははははは! 勝負だ!!」 「勝負ですよ」 気付けば四方は壁に囲まれており、出口が見当たらない。 「いや、あの、私達は……」 「ど、どうしよう?」 「さあ、勝負勝負!!」 「これはもしや……受けないとここから出られない……?」 「んーっ、おいしー! さあ、食べないと勝負ついちゃうぞー?」 「はい、タレです」 「あ、どうも……いやそうじゃなくて」 「ああっ!? ねえ、勝たないと出られないルールだったらどうしようヒメちゃんっ!?」 「えっ……そ、それは困る!」 「食べよう! とりあえず食べよう!」 「そうだな! 二人で頑張れば……」 「カルビ追加ー!」 ……勝てない気がする。 スミちゃんと二人、必死に頑張ってみても射場さんのペースにはまったく追いつけない。 いやそれどころか引き離されてる。 「んくっ……はあ、ロース終わった……」 「はい、追加です」 「ええっ!?」 「こちらミノになります」 「む、無理……もう無理……」 「うん……もうはいらない……」 「あははは、またまたぁー! さあどんどん追加しちゃおうー!」 「え? 誰が?」 「スミちゃん?」 「みんな来てー! 手伝ってー!」 スミちゃんの声に応え、ずもももも、と地面から何かが生えてきた。 いや、地下から現れた、のか? 「スミちゃん、これ、あの、魔法陣のある異空間にいる……」 「そうだよー、お友達! さー、みんな食べて食べてー!」 ずもずもずもと近寄ってきた怪物の群れが、生のまま肉をほおばり始めた。 「おおお、すごい食べっぷり! 燃えてきたー!」 「いいんだ、生で……」 「焼かなくてはいけないというルールはありません」 それもう焼き肉じゃない気がする。 しかし射場さんは気にせず上機嫌で肉をほおばっている。 「これで勝てるかな?」 「……というか、むしろ私達はいる意味あるんだろうか……」 「あ」 「逃げよう!」 そーっと席を立って、壁際に逃げる。 どこかに出口は…… 「あ、ここ開いてる!」 「よし、行こう!」 スミちゃんが見つけた壁のつなぎ目のような所から這い出して外に出た。 「はあ……助かった……」 「お、お腹苦しいね……」 二人してお腹をさすっていると、すいっと視界の端を何かが横切った。 そちらを見ると、ふよふよと空を飛んでいるヒナさんがいた。 「あっ、あれさっきの子……もしかして本物の方?」 「そのようだ。ヒナさーん」 ヒナさんはこちらに気付いたようで、ふと私達を見る。 こっちが認識出来てるみたいだ。 「特査のメンバーを見なかったかな?」 「あっちで見ました」 と、前方を指さすヒナさん。 「ありがとうございます!」 「助かりましたー!」 漂うヒナさんにお礼を言って、教わった方向へと向かう。 「………………公園?」 気がつくと、私は一人で見知らぬ場所に座り込んでいた。 さっきの妖怪達はもういないようだ。 (……妖怪以外もいないけど……) 押し流されて気を失っていたのだろうか。 どうやらはぐれたようなので、とりあえず立ち上がり辺りを見回してみる。 そうだ、あのとんでもない映像を放出していた水晶玉を処分しようとして……引っこ抜いて捨てる場所を探していたら、いつの間にかはぐれていたのだった。 手にはもう水晶玉はない。 あまりに慌てていたので記憶が曖昧だけれど、池のような所に投げ込んだ覚えがある。 あとは闇雲に走って……気がついたらこの場所にたどり着いていた。 我ながら冷静さを欠いた行動に反省しながら、とりあえず立ち上がり辺りを見回してみる。 見覚えのある場所ではなかった。 誰かの夢の中、なのだろうか。 見ると、小さな女の子が裾を掴んで見上げている。 「あなたは……?」 「まま?」 「えっ!? い、いえ、あの……」 娘? 私の? まさか未来の娘、とか……。 (で、でも私には似てないし……あ、でも……) 第一子の女児は父親に似ることが多い、とかいう話が唐突に頭に浮かんできて思わずまじまじと少女の顔を見る。 (……似てませんね。いえ、別に誰にとかそういうわけではなく……) 誰に言い訳しているんだろう、私は。 落ち着こう、少し深呼吸して落ち着いて、この子の素性を確かめなければ。 「まま?」 「いえ……えーと、お名前は?」 「そあら」 「そあら……吉田そあらさん?」 「ままー」 にこ、と笑いながら、小さな吉田さんは嬉しそうにじゃれついてきた。 これは、吉田さんの夢の中ということか。 「ままー」 「私はママじゃありませんよ」 「え……」 「あ、あの」 じわーっとまん丸の目に涙が浮かぶ。 ま、まずかった……? 「ふぇ……ママどこー?」 「こ、困りましたね……」 「うあぁ……ままぁー」 「泣かないで、あの、捜しましょうね? ママを捜してみましょう?」 「うっ、うっ……ままぁ……」 とてもこのまま放置していく気になれない。 仕方がないので、吉田さんの手を引いて、母親らしき人と他のメンバーを捜すことにする。 うろうろしているうちに、今までとは微妙に違う雰囲気の所に出た。 地面どころか、空中や頭上にも小さな泉が点在するおかしな場所だった。 「わからんが近寄るなよ、何が起きるか……」 「なんで言ってる側から転げ落ちるんだお前はっ!?」 「つ、躓いた……けほっ……」 「ほれ、掴まれ」 ものの見事に泉にはまったおまるの手をとって引っ張り上げる。 「おい、大丈……」 「けっほ、けほ……」 ……俺が引っ張り上げたのは、おまるのはずだ。 はずなんだが……なぜ女なんだ。 見た事もない少女が咳き込んでいる姿を呆然と見下ろす。 「えーと、おまる……いや、まる子ちゃん?」 「けほっ、あーびっくりした……え? 何言ってんの、みっちー?」 「なんかこんな漫画見た事あるなー……」 「へ? 何が……」 「自分の身体よく見てみろよ、まる子ちゃん」 「えっ……えええええ!? なにこれええええ!?」 「あー、念のために聞くが、お前おまるだよな?」 「そうだよっ! おれだよ! おれのはずなんだけど何これ!?」 「さ、さあ……」 「えええ、どうしようっ!? どうしようこれ、ねえ、みっちー!」 「いや夢だしさ、起きたら戻ってんじゃねーかな」 「あ、そうか……そうかな?」 「多分」 「多分じゃ困るよっ!?」 「じゃあ適当に、その辺にもう一回飛び込んでみるとか」 「パンダとかになっちゃったらどーすんのさ!?」 「えーと、それじゃもう一回同じとこに落ちてみたらどうだ? それ以上悪化はしないだろ」 「そ、そうかなあ……うん、でも、悪化はしないよね……」 「おう、多分な」 「多分て言うのやめてっ!? 今一番怖いそれ!」 「で、どーすんだ? そのまま行くか?」 「やだよっ! えーいもう、戻れー!!」 ヤケになったおまるは、勢いよくもう一度泉に飛び込んだ。 「……………………」 「……………………」 そして、無言で上がってきた。 「……変化ねーな」 「な、ないけど……ないけど、悪化しないって言ったじゃないかああ!」 「してねーじゃん」 「してるよっ!? めっちゃ服透けてるよっ!! 駄目だろこんなのー!?」 「ああ、うん、エロいな」 「さらっと言わないでっ!? どうしよううう……」 どーしたもんだろう、いやマジで。 「降ろせええええっ!? おいこら、降ろせっつってんだろー!?」 オレとしたことが……。 乗り越えようと思って上がった妖怪の背中に乗ったまま運ばれるとは。 「どこなんだよここは!? つーか、お前何!? どういう妖怪だ!?」 ぶもー、とか謎の声で鳴いてるこれが、一体何の化け物なのかすらわからん。 真上から見てるので、全体像が把握出来ないのだ。 「ああ、もう……他の連中は見当たらねーし……」 きょろきょろ見回してみるが、春霞達はどこにもいない。 相当運ばれてんな、オレ……。 ふわふわ上空に浮いてる、うちの制服姿の女子。 夜の生徒の、七番雛だ。 「どこ見てんだ……?」 ぼんやりと七番の見つめている方向に目をやると、謎の光景があった。 学園長と風紀委員長が、でかいキッチンの前でフライパンで何か焼いてるように見えるんだが……。 「はーい、ラー油はいります〜」 「そして混ぜながら、マヨネーズを加えるぞ! はっはっは!」 「はいはーい、まよね〜ず〜!」 なんだあれは……。 テレビでよく見るお料理教室的な感じだが、何を作ってるんだ。 フライパンに入ってるものは、野菜だの何かの肉だの、ごちゃまぜでよくわからない。 「ラー油とマヨネーズ混ぜる料理ってなんだっけ……」 「更にメープルシロップを投入!」 「ははっ! 投入しまーす!」 「待てこらぁっ!? どういう味覚してんだアンタッ!?」 「これが隠し味となるのだよ! ははははっ!!」 「なるほどぉ〜!」 「全ッ然隠れてねーだろ!? どんだけ入れてんだっ! 溢れてる、フライパンから溢れてるから!!」 「ざっくり混ぜながらどんどん炒めるぞー、はっはっは!」 「なんとも言えない匂いがしてきましたねぇ〜」 「もう食い物の匂いじゃねえよっ!?」 「アンタもおかしいっ!!」 ……と、ツッ込んだものの、妖怪がどんどん走っていってしまうので、謎の光景はあっという間に見えなくなった。 ごんごんと上から拳で叩いてみるが、化け物は気にもとめていない様子で走り続ける。 「どうすりゃいいんだよ……」 この速度で飛び降りたら、ちょっとした交通事故レベルの衝撃だよな……。 久我じゃないんだから、それで無事なほど頑丈に出来ている自信はなかった。 「止まれえええ! いい加減に降ろせえええ……!!」 「モー子達どこ行ったんだろうなあ……」 「みっちー! 現実逃避しないでっ!」 「いやだって、合流しないと」 「このまんま他の人達に会うのやだよー! 恥ずかしいよー!」 「我慢しろよ。新しい道が開けるかもしれないし」 「開けて欲しくないよっ!?」 「……じゃあ、片っ端から試してみるしかねーな」 「え?」 「行くぞー」 ひょい、と濡れ鼠でうずくまっていたおまるを持ち上げる。 「待ってええええ!? みっちー面倒くさくなってるだろー!?」 「気のせいだ」 最初に落ちた泉の隣にあった泉に放り込んでみた。 おお、沈んだ沈んだ。 「おう、モー子」 ちょうどそこに、モー子が駆けつけてきた。 「何をやってるんですか」 「お、モー子」 ちょうどそこに、モー子が駆けつけてきた。 「どこに行ってたんだよ。急にいなくなるから驚いただろ」 「火急かつ迅速に済ませなければいけない案件があっただけです。それより、一体何をやってるんですか」 「いやちょっと、おまるがえらいことに」 「きみがえらいことにしていたように聞こえたのですが」 「気のせいだ」 と、言いつつ沈んでもがいていたおまるを引き上げてみる。 「げほっ、ごほっ……!」 「おお、パンダじゃなかった」 「パンダ?」 適当に放り込んだのに、ついてるな。 おまるは無事元に戻っていた。 「怖いよみっちー!? 雑すぎるよっ!!」 「戻ったからいいじゃねーか」 「一体、何の……」 「ぱぱ?」 「へ!?」 モー子の後ろから、ひょいと顔を出した小さな女の子が、俺の顔を見上げてとんでもないことを言い出した。 「ち、違うと思いますよ……」 「ままー」 「いえですから私はママでは」 「スクープ!? スクープきたー!!」 「えっ!?」 どこから湧いて出たのか、黒谷がカメラを構えてシャッターを切りまくる。 「なんでいるんだお前っ!? 百鬼夜行はどうした!?」 「やはり手錠プレイで出来たお子さんでしょーか!?」 「違うわああああ!?」 「ひ、人聞きの悪いっ……!」 「ご入籍はいつでしょーか!?」 「しませんっ!!」 「ではプロポーズの言葉は!」 「言ってねえっ!!」 「ふむふむ、この手錠が愛の証だ、永遠につながっていよう……と」 「捏造すんなああっ!?」 「それをプロポーズと言い張る感性の人に惹かれるほど奇怪な趣味はしていません」 「ツッ込むとこそこじゃねえだろ!?」 「ここで否定しておかないと黒谷さんの脳内で私という人格がどんなことになるか恐ろしすぎるでしょう!」 「お前より俺の方が酷くないか!? どう控えめに見ても変態だろ!!」 「あ、目線こっちに下さーい」 「お前も人の話聞けよっ!?」 「あの、この子は……?」 「私の子ではありません」 「俺の子でもねえっ!!」 きょとんと俺達を見上げていた少女は、てこてことおまるに寄っていった。 「ぱぱ?」 「ええっ、ち、違うよ?」 「……そっかー」 「ど、どうやら吉田そあらさんらしいのです。正確には彼女の夢というべきですが、とにかく私の子供ではありません」 「あ、吉田なのか、これ……」 「ぱぱー、ままー」 遠くに、両親の間で万歳するような格好で両手をつないではしゃぐ吉田の姿が浮かび、消えていく。 「あ、見つかったのかな」 「そのようですね……」 「なんだースクープじゃなかったのかー」 「違います断じて違います」 「ちぇー」 がっかり顔の黒谷もすうっと消えていった。 また妖怪大暴走に戻ったのかな……。 「よかった、見つかった……」 なにやら疲れた様子の鍔姫ちゃんとスミちゃんが入れ違いに走って来る。 「おー、無事だったか」 「ま、まあ、なんとか……」 微妙に引きつってる気がするのは俺の気のせいか。 いや、多分何かあったんだろうけど、まあ聞くまい。 こっちも似たようなもんだったしな……。 「ねえ、なんかここ魔力がカオスだよ?」 「カオス?」 「う……本当だ。変な気配がするな、離れた方がいいぞ」 無理もないけど。 「何があったんですか」 「聞かないでやってくれ」 「……そうします」 聞いたら後悔する類の事だと悟ったらしい。 さすがだ、モー子。 ひとまず変な泉の側から離れる。 「え? あ、本当だ」 泉から離れたら、なかったことになるのかな。 てことは…… 「気付くな」 「何の事かは聞きませんが、もう少し建設的な話をしませんか」 「ああ、悪い」 「えっと、ほとんど揃ったんだね。あとは……」 「どこに行ったのかな……」 百鬼夜行も黒谷も、もう見当たらない。 村雲のヤツ、どこまで流されていったやら…… 「いってぇ……」 な、何が起きたんだ。 急に地面に投げ出され、オレは腰をさすりながら立ち上がる。 「? 妖怪どこいったんだ……」 振り落とされたのかと思ったら、そもそも妖怪がどこにも居ない。 あいつらが急に消えたから、転げ落ちる羽目になったのか。 「……で、ここどこだよ」 どこまで流されたんだ。 辺りはしんとしていて、ちらほら見えていたうちの生徒達の姿もまったく見当たらない。 「……だれ?」 「!?」 この声、夕べの……。 「あなた、誰?」 間違いない、夢の中で聞こえたあの声だ。 「どこだ!? どこにいやがる!?」 声のする方へと走っていってみる。 何か、ぼんやりと光るものが見えた。 「あれか……?」 光へと近づいてみると、それはだんだん人影のようだとわかってきた。 「……っ!?」 「……………………」 間近まで来て、思わず息を飲み足を止める。 人影のよう、じゃなくてまんま人影だった。 人型をした、光る何か。 顔立ちも何もはっきり見えないが、どうやらオレをじっと見ているらしい事はわかった。 (なんなんだ……? 襲ってきたりする様子じゃなさそうだが……) 「……………………」 何をするでもなく、ただじっとこちらを見つめている。 むしろ、向こうもオレが何者だろうと警戒しているのか、気持ち後ずさりそうな様子でおずおずしているようにも見えた。 「……………………」 「……………………」 ……こうまで何のリアクションもないと、こっちもどうしていいかわからない。 しびれをきらし、オレの方から話しかけた。 「……お前誰だ? どうやって夢に入った?」 「はいった?」 「ここ夢の中だろ、わかってねえのか?」 「う、ううん、あの……」 ちょっと慌てたように首を振ってから、光る姿は逡巡するようにうつむきがちに言った。 「……ずっとここにいたよ」 「ずっとここに……?」 夢の世界にずっといた……ってことは、囚われたうちの生徒じゃないってことだな。 いやむしろ、生徒どころか人間じゃないだろ、ずっとこんな所にいたなんて……。 「名前は?」 「……なまえ……」 抑揚のない声がオウム返しに呟く。 名前がないのか、そもそも質問の意味が理解出来なかったのかもよくわからない。 「じゃあ、えーと、何者なんだ?」 「……えっと……?」 「自分が何者かわかんねーのかよ?」 「……………………」 表情はわからないが、困ったような気配が伝わってきた。 自分でも何者かわかってないって事なのか。 「……………………」 ふと、光る姿は何か言いかけたように見えた。 しかしオレと目があった途端に、もじもじと口ごもり、結局何も言わずうつむいてしまう。 「? なんだよ?」 「……………………」 水を向けても恥ずかしそうに小さく首を振るだけだった。 何を話せばいいのかわからない、そんな態度だ。 (なんなんだ、こいつ? 人間に慣れてない、とかか……? 多分、人間じゃねーもんな、こいつ。てことは……遺品とか魔術的な何かか……?) (あ、あれか? いつかの懐中時計の遺品の妖精みたいな……) 遺品本体から離れて飛び回るやつ、いたよな。 あの類のヤツだとしたら……今この場にいるのって……。 (――モルフェウスの石か……!) そうだ、夢の中なんだから遺品が人っぽい形してうろうろしてても、まったく不思議はないだろう。 しかしこれがモルフェウスの石だとしたら、どうすれば……。 「……お前、モルフェウスの石か? 本体はどこだ?」 「ほん、たい……?」 これは完全に、質問の意味が理解出来なかったようだ。 遺品のそのものには本体だの妖精だの思念体だのって概念はないかもな。 しかし遺品の一部だとしたら、札が効くかもしれない。 鹿ケ谷から配られた札は幸いポケットの中に残っていた。 「……………………」 オレが札を取り出しても、光る姿は無反応だった。 何をしてるんだろうという感じで、オレが指先を切るのをながめている。 「……?」 肩の辺りに札を貼ろうと手を伸ばした時だけ、びくっと驚いたように身をすくめたが、抵抗はしない。 「刻を、止めよ」 呪文を唱え終わる。 札は――何の反応も示さず、ひらひらと地面に落ちた。 「……………………」 「……………………」 「……な、なにしてるの?」 「なんでもねえよっ! くそ、やっぱり本体じゃねーと駄目ってことか?」 バツの悪い気分で落ちた札を拾う。 光る姿は、小首を傾げながら尋ねた。 「??? それ何の事……?」 「あー、お前、オレの他に誰か見かけなかったか?」 「他に……? 他にも、誰か居るの?」 「ああ、えーと……ちょっと騒々しい感じの、俺と似たような雰囲気の女見なかったか?」 「……………………」 ふるふる、と首が横に振られた。 「じゃあ凛々しい感じで銀髪をポニーテールにしてる子は?」 「……見てない」 「やたら冷静な顔した女とか、悲鳴上げまくる眼鏡とか」 「……見てない」 「あー、じゃあ……無駄に頑丈そうな筋肉は?」 「きんにく?」 「目つきの悪い男だよ。久我って……いや、名前で言ってもわからんか。後輩のくせに人をこき使いやがる態度のでかいヤツで、やれ茶だの掃除しとけだの……」 「……………………」 「い、いや、まあ見てないなら良いんだ」 光る姿がすっかり困惑しているっぽかったので慌てて誤魔化す。 いかん、途中からただの愚痴だった……。 「……他に、いなかった」 「? 何が」 「返事してくれたの、あなたが初めて」 その一言が、やけに重大な宣言であったかのように、言い終わった途端ほうっと肩から力を抜く。 (まあ……一大事だったのかもな、こいつ的に) 遺品が発動してない間って何してるんだろう。 だーれもいない、この夢の中で一人でぽつんとしてるんだろうか。 それとも……話しかけても反応してくれない、他人の楽しそうな夢を、ただながめているんだろうか……。 「……お前ここで何してんだ?」 「何して……?」 「おう」 「……………………」 なぜ黙る。まさか言えないような事を企んでるとか…… 「なにすればいいと思う?」 「なんだそりゃっ!?」 一瞬、緊迫しそうになったオレがアホみたいじゃねえか。 ……ん? もしかして遺品とか魔術道具の類ってのは、使用者が命令しないと何して良いかわからんのか。 「……えー、じゃあ、お前は何がしたいんだ?」 「何が? ……えっと、そうだね……いろんなこと、知りたい……かな」 「いろんな事?」 「き、聞いても、いい?」 「何をだ?」 「……あなたの世界は、どんなところ?」 「オレの……世界?」 「ここは、あなたが普段暮らしてる世界ではない、よね?」 「ああ、そりゃここは夢だからな。それはわかってんのか、お前」 「うん。だから、あなたの世界のこと、普段見聞きしてること、教えて欲しい……ん、だけど……だめ?」 「普段、ねえ……」 「ここでなら、会えるから」 「夢の中でか? まあ、ここにずっといるなら会えるか……」 夢の外の事何も知らないのかな、こいつ。 だとしたらますます人間じゃなさそうだな。 「……あの、教えてくれたら、何かお礼するよ」 「お礼?」 「何か出来ることあったら、してあげる」 「……へえ……」 「何かある?」 「……………………」 遺品の、力か……。 不意に、少し前それに頼って自ら引き起こした騒ぎの事を思い出す。 (……結局、学園を騒がせただけだったな……) 望んだ結果は得られなかったどころか、何故かトクサにこき使われる羽目になるし、春霞には怒られるし……。 (わかってるよ……春霞が自分から望んで仕事してるんだってことは……) しかし、だからと言って、これから先も何事もないなんて保証はないんだ。 あんな得体の知れない魔術に使われて、本当に卒業まで無事でいられるのかどうか……。 「……? どうしたの?」 「……何でも良いのか?」 「え?」 「お礼ってヤツだよ。なんでもいいのか?」 「…………うん。大抵の事なら、多分、大丈夫」 大抵の事なら、か。 だったら…… 「それなら……いつか自分が大事な人を助けたいと思う瞬間に助けられるだけの力をくれ」 「うん、わかった」 「え、ちょ、マジでそんなに力あるのか、お前!?」 かなり大雑把に無茶言ったと思ったのに、あっさり頷きやがった。 驚くオレを見て光る姿は少し考え、呟く。 「……多分」 「多分かよ!?」 「うん、でも……その力が……」 「ん?」 「たとえそれが、自分自身をひどく傷つけることになっても、あなたは構わない?」 「ああ、構わねえよ」 そういうことなら、ためらう余地もなかった。 元はと言えば、あいつの方がオレのために犠牲になったんだから。 もっとも今は、壬生さんと楽しくやってるおかげで悲壮感はゼロだが……。 「……そう。わかった」 す、と光る手が伸びてきた。 「なら、いつでも会えるように、印をあげる」 「印?」 光る手がオレの手を取った。 手の甲辺りにもう片方の手の指先が、何か文字を描くようになぞった。 「……これが、印?」 手の甲にはなぞられた通りのアザがうっすらと浮かんでいる。 「うん、これでいつでも夢で会える」 「……………………」 契約、という言葉が頭に浮かんだ。 一瞬かなり危険な事をしたんじゃないかという不安が頭をもたげそうになったが…… (……いや、今更だ……) 「話して、くれる?」 「ああ、いいぜ」 今更、遅い。 オレは手の甲に刻まれたアザを撫でながら、光る姿と向き合った。 アザには何の痛みも、感覚もなかった。 どこまで押し流されていったのか、村雲は一向に見つからなかった。 「どこいったんだか……」 「走っているだけで害はなさそうでしたから、無事だとは思うのですが」 「まあな」 黒谷の夢だし、他人に危害を加える事はまずないだろう。 「遺品も見つからないねえ。けっこういろんな人の夢に遭ったけど」 「変な気配の人はいなかったのよねー。まだ遺品使った人には会ってないのかなあ」 「……どうだろう。ここはひどく気配を感じ取りにくいから」 「それは、魔術によって生み出された空間だからでしょうか」 「かもしれない。ここは確かに普通の夢じゃないんだ。魔法陣のある場所に少し似た、魔術的な気配をそこら中に感じる」 「特に魔力を強く感じる方向はありませんか?」 「うーん、それが君達からも微かに感じるんだが」 「おれ達から?」 「それはおそらく香水でしょう」 「ああ、魔力混じってんだったな」 それで余計に、他の魔力が感知しにくくなってるのか。 「あのさ、モルフェウスの石、だっけ? 夢に囚われた人全員から魔力吸い取ってるって話だったよね?」 「ええ、そうです」 「だったら、使用者だけが大量に吸い取られているわけじゃないなら、昏倒してるとは限らないかもしれないんじゃないの?」 「じゃあ使用者は、まだ来てないかもしれないってことですか?」 「……どう思いますか」 「そうだな、使用者はまだ起きててここにいないのかもしれない」 「そうでしょうか。私はもうここにいると思います」 「なんで?」 「モルフェウスの石の効果は『見たい夢』を見せる事です」 「そして『ここにいたいか』という問いに答えたら囚われる」 「ということは、使用者は遺品が発動した時点で見たい夢を見ているはずなんです」 「そうか、当然問いかけにはイエスと答えちまってるか……」 「ええ、私はそう思います」 「遺品が発動した時点で使用者も『見たい夢』見てるはずだろ、なら問いかけにも答えて囚われてる可能性高いんじゃないか?」 「私もそう思います」 巻き込まれた人間だけであの数だ。 使用者なら、なおのこと囚われている可能性は高い気がする……。 おまるの問いに、モー子はゆるゆると首を振った。 「最初、私達の見た夢でも、問いかけは漠然としていて起きたらほとんど覚えていないくらいでした」 「遺品の効果にしては曖昧すぎる。あれは使用者も遺品と知らず無意識に発動させてしまったためではないかと」 「曖昧な命令で、中途半端に発動したような状態だった、ということ?」 「そうです、あるいは発動しきっていない状態だったか……」 「最初の被害者の生徒は、魔術耐性がなく巻き込まれやすい人だったために、たまたま運悪く曖昧な命令でも囚われたのでは?」 「なるほどな……」 「いずれにせよ、私達も自分の意思でとはいえ既に取り込まれています。使用者を見つけなければ目覚められないのは同じでしょう」 「だったら、早く捜さないと!」 「もう少し絞り込める情報ないの?」 「……何かないでしょうか。今まで見かけた生徒達の中で、他とは違う雰囲気の夢を見ている人とか……」 「ふ、風呂屋町さん……」 「……他とは違う、の意味が違います」 「つーか、あれどう考えてもいつもの風呂屋そのものだろ」 「……いつも通りなんだ……」 あれがいつも通りってのもどうかと思うが、風呂屋だからしょーがない。 「うーん、何か違うこと……他とは違う雰囲気かぁ……」 そう言いながら鍔姫ちゃんが辺りを見回す。 つられたように、俺達も周囲にちらほら見える囚われた生徒達をながめた。 「いろんな人居るけど……」 一心不乱に御影石を磨いてる男子生徒とか、馬鹿でかいドーナツの上で寝転んでる女子とか、何故か女装してる男子生徒とか……。 「た、他人の夢をのぞくというのは、その、罪悪感があるな」 「……この際仕方ありません。調査です」 「あ、吉田さんだ」 ふわりと蜃気楼のように浮かんだ公園の中に、手をつないで歩く親子連れの姿が見えた。 「……射場さんまだ食べてる……」 その横にまだ焼き肉食ってる射場さんとそれを眺める雛さんの姿が…… 「なんでスミちゃんの友達が大量に湧いてんだ……」 「えへ、ごめん。呼んじゃった」 「……後ろの横断幕からして何があったかわかりますね」 「あれは、黒谷さんだよな?」 更に遠くを百鬼夜行が横切って行った。 ネッシーの上で踊ってるのは、間違いなく黒谷だ。 「しーちゃんはいないみたいだね」 「そうだな、一緒ではないのか」 「というか、黒谷さっきなぜか突然俺達の所に湧いて出たからな」 「そ、そうだね。あれはあれで黒谷さんらしいというか……」 「……もしかしたら」 「どうしたの?」 「わかったかもしれません。使用者が」 「誰!?」 「一人だけ、他の人と明らかに違う人です」 「明らかに……?」 「射場さんか?」 「どう見てもいつも通りでしょう」 「そうだね、焼き肉だし」 「じゃあ誰の事だ?」 「吉田そあらさんです。彼女だけが、過去なんです」 「黒谷か?」 「……彼女のどの辺りが普段と違うように見えたんです」 「えーと……普段通りだな」 「そうでしょう?」 「ねえ、普段通りがおかしい人多くない?」 「う、うん、その、みんな個性的だな」 「じゃあ誰の事なんだ?」 「吉田そあらさんです。彼女だけが、過去なんです」 「……吉田か」 「ええ。彼女だけが、過去です」 「過去?」 「他の生徒達はみんな現在の姿なのに、吉田さんだけが子供の姿でしょう?」 「……………………」 「どう思います? 今の推理」 「正しいかどうかはともかく、的確ではある」 「やはり頭は良いようね、あの人達。行きましょう、正解かどうかも見届けに」 「……ああ」 消えた親子連れの方へと走っていくと、ぼんやりと公園が浮かんでくるのが見えた。 「意思の力、でしょうか」 公園に行く、という意思を持って行動したのでたどり着けたのだろうか。 もしくは鍔姫ちゃん達魔女の力も働いたのか。 「吉田さーん」 「吉田! おーい!」 声を掛けると、両親と手をつないでいた幼い女の子がふと振り返る。 その途端、なぜか両親らしき人影はすうっと薄れて消えてしまった。 きょとんとして、幼い吉田は辺りを見回す。 「ママ……パパ……?」 「吉田そあらさん、ですね?」 「……ママ……?」 「いいえ、私は鹿ケ谷憂緒ですよ」 「しし、が……たに?」 「思い出して下さい、吉田さん。あなたは天秤瑠璃学園の一年生、吉田そあらさんでしょう?」 「……てんびん……いちねんせい……」 「そうだよ、吉田さん。ほら、おれ達と同じクラスだろ?」 「俺だよ、久我だ。わかるか?」 「…………こが……くん?」 「あれ……? あれ、みんな……?」 困惑していた吉田の顔に、理解の色が広がる。 そして、ふわりと幼い姿が揺らめいて、普段の制服姿の吉田に変わった。 「よかった……」 吉田は自分に何が起きたのかわからない様子で、自分の姿を見下ろしてきょときょとする。 「吉田、お前何か古いものとか拾わなかったか?」 「へ? ふるいもの?」 「身の回りに、見覚えのないアンティークのようなものが急に現れたなどということはなかったですか?」 吉田はごそごそと襟元に指を入れて、細い鎖を引っ張り出した。 「それです。それは、どこに?」 「それが、知らないうちに寮の机の上に置いてあったんです」 「誰がくれたのかわからないけど、見てるうちにどうしても身につけてみたくなってそれで……」 「遺品の魔力でしょうね……」 「みすと? なにそれ、こわいものですか?」 「いいえ、大丈夫ですよ。これは夢ですから」 「夢……そっか、これ夢なんだ」 「だから、パパ達の顔、思い出せないのかなあ」 そういえば、吉田の両親らしき人達の顔は逆光になってて見えなかった。 「……吉田さん、家に帰りたいの?」 「ん……何かね、最近すごく……パパとママの事が懐かしくなっちゃって……」 「そうですか。それでご両親の夢を見ていたのですね」 「ここにいたいか、って聞かれただろ?」 「でも、パパもママも顔がよく見えなかったんだ」 あの逆光でよく見えない状態は俺達だけじゃなくて吉田本人もだったのか。 「もしかして、このパパとママは違うパパとママなのかなって思って、捜して歩いて……」 「……でもやっぱり最初のパパとママであってるみたいだなーって、戻って来たの」 吉田はそう言いながら、両親の姿が見えた公園を見回した。 「いなくなっちゃった……」 「……夢ですから。もうじき目が覚める時間です」 「そっか……」 吉田は無意識にか、襟元から取り出したペンダントを指先で弄んでいる。 「……吉田、そのペンダントな。返さなきゃいけないんだ」 首を傾げながら吉田はペンダントを外し、はい、と差し出してきた。 「ありがとな」 受け取ったペンダントをモー子に渡す。 「ううん、こっちこそ。なんかごめんね、みんなで捜してたの? それ」 「ええ、でももう見つかったので大丈夫ですよ」 「……大丈夫か?」 「ん?」 「お前は、大丈夫かって」 「……うん! 寂しいけど夢なんだもんね。大丈夫、起きたらまーやちゃんだっているし!」 「そっか」 受け取ったペンダントをモー子に渡す。 「頼んだ」 「了解です」 「さあ、帰りましょう」 「しーちゃん見つからなかったけど大丈夫だよね?」 「ああ、夢から覚めるだけだから大丈夫だろう」 「もう、朝になるの?」 「そうだよ、もう朝だよ」 札を取り出し、いつもの手順で封印をほどこすモー子。 「……鹿ケ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる。刻を、止めよ」 すっかり聞き慣れた魔術の音が響き、札がペンダントを包み込む。 急速に風景が溶けるようににじんでいき、夢の世界が消えていく。 視界が真っ白になる。 「……パパぁ……ママー……」 寂しそうな吉田の声が、遠くから聞こえた…… 「――――………」 ぼんやりと目を開けると、見慣れた天井の模様が見えた。 「ふぁ…あ……」 寮の自分の部屋だ。 無事、夢から覚めたらしい。 「で、今何時………げ」 思いっきり昼を回っていた。 やっぱ寝過ごした……いや、夢の世界でうろついてたせいか。 「そうだ、仕事だ。調査で出掛けてたようなもんだから仕方ない、うん」 自分に言い聞かせつつ起き上がり、とりあえず着替える。 「みっちー、起きてる?」 「おー、開いてるぞ」 「おはよって時間じゃもうねーけどな」 「あはは……だねー」 苦笑いしていたおまるが、ふと真顔になる。 「どした?」 「うん、あのさあ……吉田さん、寂しいのかな」 「ああ……」 夢から覚める前に聞こえた、吉田の声。 子供が泣いているような声だった。 「まあ、親元離れてるわけだしなあ」 「ホームシックっていうやつ?」 「だろうな。無理もないだろ、親元離れてこんな山奥に一人で来てんだ」 「そうだねえ」 「……お前は?」 「え?」 「おまるは寂しくなんねえの?」 「……………………」 思いも寄らない事を聞かれた、といった表情でおまるはぽかんとした。 「……うん、今は楽しいから!」 「そーか」 「みっちーは?」 「俺がホームシックとかいうガラに見えるのか?」 「全然」 「お前……即答過ぎるだろ」 「寂しいの?」 「まさか。幸い寂しがる暇もねーよ」 こんな騒々しい毎日。 ただ、最近はすっかり慣れたというか、案外居心地は悪くないと感じてる気もする。 登校してみると、もう昼休みだった。 そういやペンダントはどうなったんだと思い、おまると地下へ降りてみるとモー子と村雲も来ていた。 「この通り、ちゃんと持っていました」 「よかったあ! 夢の中に置いて来ちゃったらどうしようかと」 ペンダントは目覚めた時、しっかりモー子の手の中にあったらしい。 「静春ちゃんどこにいたんだよ?」 「うるせーな、化け物に押し流された後、目が覚めちまったんだよ!」 「た、大変でしたね……」 「リトさん、遺品を回収して来ました」 軽口をたたき合っている俺達を華麗に無視して、モー子はリトに声を掛ける。 「ご苦労様。宝物庫に返しに行くわ」 「そういえば、今更なんですけど宝物庫ってどんなとこなんですか?」 「見る?」 「いいんですか?」 「別に構わないわよ。見るだけなら」 「そういや見た事無かったな」 「中は見えませんよ、結界がありますから」 「……これが宝物庫?」 図書館の書棚の奥にある扉を開けると、殺風景な部屋があった。 奥の壁にぽっかりと大穴が空いているのに、中の様子はまるで見えない。 「へー、本当だ。中見えないね……」 「うわあっ!?」 のぞき込もうとしたおまるが、何かに弾き飛ばされたかのように後ろに転がってきた。 「近づきすぎると結界に弾かれます。この宝物庫には人は入れないようになっているので」 「どうやって中に入れるんだ」 「こうやって」 リトが手前に立ってペンダントを差し出すと、すうっとペンダントが浮き上がった。 そこへ結界から光が伸びてきて、ペンダントを中へ引き寄せるように持っていく。 「へえー……持ってってくれるんだ」 「これで完了か」 「ええ、一件落着です。眠ったままだった生徒もみんな目を覚ましたそうですし」 「ただ、夢の中での事は、みんなあまり覚えてないってさ」 「最初、やけにはっきり覚えてた夢は遺品の魔力のせいか」 「でしょうね。夢は本来、はかないものですから」 「……………………」 誰かの呼ぶ声がして、深く沈んでいた意識がふわりと浮かび上がる。 「…………ねえ、聞こえる?」 「ん……?」 目を開けると、目の前に夢の中であった光る姿が浮かんでいた。 「げ!? お前封印されたんじゃねーのかよ!?」 昼間、この目でペンダントが宝物庫に入れられるのを見たのに。 なんでいるんだ、こいつ。 「これ」 「え?」 光る姿は、オレの手の目印を指差す。 「これがある限り、この夢はずっと続くよ」 「……………………」 封印されても続くのか……。 手の甲のアザを見つめていると、少し申し訳なさそうな声が聞いてきた。 「……怖くなった?」 「怖くねーよ!」 「本当? ……よかった」 照れ混じりの答えだったのが、向こうは心底ほっとした様子だった。 なんか調子狂うな……。 「ああ、夕べの約束、信用出来そうだ」 やっぱりこいつは強力な遺品らしい。 しかも魔力吸われてる気配もない、と思う。 (怠くなったような感覚はないしな……) 起動してるわけじゃないんだろうか。 夢の中だけだから現実には影響ないのか……。 「夢くらい、いくらでもつきあってやるよ」 「そう、ありがとう。……頼りにしてる」 「あなたの名前は?」 「……村雲静春。お前は?」 小首を傾げるようにして答えない光る姿。 名前って概念がわからんのか、やっぱり。 「確かモルフェウスの石とか言ったな。モルフィとかでいいか?」 「……かわいいね。うん、それでいいよ」 かくして、学園には再び平和が訪れた。 どうせ、つかの間なんだろうけど。 (おじょーさまも、まだいるしなあ……) どちらかというと、あの執事の方がタチが悪いんじゃないかという気がしてきたが。 分室に顔を出すと、まだ村雲しか来ていなかった。 しかもひどく眠そうに大あくびしてやがる。 「なんだよ、まだ寝不足か?」 「いや、ちゃんと寝てるけど?」 と、言いつつ手の甲で目をこする。 「……………………」 村雲は何故か、やけに神妙な顔つきでその手を見つめた。 (……アザ……?) ちらりと、手の甲の下の方に薄いアザのようなものが見えた気がした。 「どうかしたのか?」 「……別に」 村雲は、俺と仲良く話す気なんぞない、といった態度で両手を頭の後ろに組んで目を閉じた。 (……気のせいかな) いつも通りの村雲に見えるし。 ただの寝不足か……。 「……あ、もしもし、お母さん? うん。葵だよ」 『葵ちゃん。ぴぃちゃんのことだけどね――』 「……」 『きちんとお庭にお墓を作ってあげましたよ。葵ちゃんの好きな花を周りにたくさん植えてあげたから、きっと寂しくないはずよ』 「そっか…お花見るの、好きだったから…ぴぃちゃん」 『元気出してね、葵ちゃん』 「うん……ありがとう、お母さん」 「……ぴぃちゃん」 「でも……寂しいよ……そばにいてほしいよ……」 「ずっと…ずっと一緒に……いたいって思っちゃ……いけないのかな」 「寂しいよ……ぴぃちゃん。大好きだよ……」 「? ……え、なに? これ?」 「なにこのトランク……いつの間に?」 「……なんだろ、すごく……気になる……」 「みっちー! 今から分室行くんだよね」 「そうだけど」 「おれも一緒に行っていいかな……」 「えっ、何を今更改めて聞いてんだよ。別に今までだって一緒に行ってただろ」 「う、うーん。まあそうなんだけどね」 ――あの、やけに長い夢を見せられたような騒動から数日。 まるで反動みたいに、久々に平穏な日々が続いていた。 埃だらけの本の陰干しとか、モー子の紅茶へのこだわりを聞いたりとか、本当に何もない毎日。 ……っていっても。 「なんだよ、おまる。お前いま、ビミョーな顔だぞ」 「び、微妙って一体どんな!?」 「なんか言いたいんだろ? って聞きたくなる感じかな」 「んんん〜…確かに…そうかも……」 「だから、それは何だっての」 「えっとさ…やっぱりあの人達、今日もいるよね?」 「――たぶんな」 「だ、だよねえ……」 おまるの頭の中に浮かんでるのは、例のお嬢様と執事の姿だろう。 騒々しい客人は、いまだ学園に居座ってる。 おまけに、二人はやたらと図書館に足を運んでる。 ……ってことは。 特査のある分室に行くには、かなりの確率で顔をあわせるってことだ。 「もしかして、苦手なのか?」 「話しちゃいけないこともあるし、おれ、口を滑らせないかなってちょっと心配なんだ」 「それ、苦手ってのとほとんど同じじゃん」 「ま、どのみち分室行くのに変わりはないんだし、行くしかないだろ?」 「あっ……」 「あら、ごきげんよう」 「……」 「ご、ごきげん、よう〜」 やっぱりというか、お約束というか、お嬢様と執事のルイはここにいた。 「今日もお仕事かしら? 勤勉ですこと」 「仕事っつーか、まあ何もなかったらまた雑用するだけなんだけど」 「何もないのですか? それはちょっと面白くないのではありませんか」 「何もない方が、いいんですよ〜! だってその方が平穏じゃないですか」 「……ちっ」 「……ja」 「ルイ! ちゃんと聞いてるの!?」 「……nein」 執事は手にしてる本に集中してる。 完全に意識はそっちにいってるせいか、お嬢様への返事は適当だ。 どうも、俺にはこの二人の関係がいまいちわからない。 「お前ら最近しょっちゅう来てるな」 「あら」 俺の言葉を聞いたとたん、お嬢様の眉がくいっとあがる。 「しょっちゅう…とは、『何度も』という意味でお使い?」 「そうだ、あってる」 「どういう意味だよ。俺達だって毎日ここに来るんだから自動的に見るっての」 「まあ、まあまあまあ〜二人とも落ち着いて」 「ここの蔵書はとても魅力的だわ。一晩中だっていたいくらいに」 「ならいっそ、ここに寝泊りすりゃどうだ」 「……」 ――聞いちゃいない。 何の本を読んでるんだかしらないけど、お嬢様の声すら聞こえてないみたいだ。 「何を熱心に見てるんだ?」 「…………」 集中しすぎて、俺の声なんかまるっきり聞こえてないようだ。 「……」 後からそっと覗いてみると―― まったく読めない文字がびっしりと並んでいる。 「――……ほう」 「あっ」 「なるほど」 「……」 こいつ、集中して他人の声が聞こえない……なんてことない。 俺がそっと覗きこもうとするたびに、器用に体の向きを変えやがる。 「あのさ……本に集中してるフリしてる?」 「nein」 「嘘だろ」 「……」 「それはご想像におまかせしましょうか?」 「おまっ」 「失礼」 薄々気付いてたけど、この執事、とんでもない奴なんじゃないだろうか? ルイ『さん』――なんて呼ぶべきかと思っていたが止めだ。 ルイでいい、ルイで。だいたい面倒だし。 「一つお伺いしたいのですが」 「ええ、どうぞ。何かしら」 「この本を持ち出すことは可能ですか?」 「いいえ、それはできないわ」 珍しく表情を曇らせて、ルイは再び分厚い本に目を落とした。 「だろうな、これは……」 何であいつの方が、お嬢様より熱心なんだろう。 結局、一体何が書いてある本なのかわからなかったが―― 「みっちー、そろそろ分室の方へ行こうか」 「ん、それもそうだな」 「これに関連する書籍は、他にもありますか?」 「……あっちの奥の棚にもあるわよ」 「danke」 「ここは本当に魔導書の宝庫ね。一体どうやって集めたのやら」 「ふむ……」 「ねえ、聞いてるの?」 「……ja」 「もう。さっきから何にそんなにご執心?」 「……」 「見せて頂戴。……っ!」 「ルイ……こんなものに興味が?」 「ああ、おおいにね」 「ふうん……」 「お、もう来てたのか」 モー子と村雲はそれぞれソファに座っていた。 村雲は手持ち無沙汰気味だし、モー子は文庫本に目を落としてる。 今日もまだ、何か問題があったって様子はなさそうだな。 「あ、村雲先輩、憂緒さん、こんにちは〜」 「いつもより遅いじゃねーか。何かあったのか?」 「あ、そうじゃないです。図書館で……」 「あいつら、まだ図書館にいるのか?」 「お嬢様達のことか? いたよ」 「……今度は何を調べているんでしょうね」 「なんだよ、気になるのか?」 「ええ、おおいに気になりますね」 モー子は眉間にシワを寄せて、何かを考え出してる。 やっぱり何の本読んでるのかって、気になるもんだよな。 「何のためにあの本を読んでいるのか……」 「って、モー子、わかるのかよ!」 「ええ。さっきちらっとルイさんが読んでいる本を見ました」 「あれは魔女が使役する使い魔や、ホムンクルスに関する本ですね」 「ホムンクルス?」 モー子の話に、村雲も興味津々のようで急に身を乗り出して来た。 一方おまるはまた怖い話ですかとでも言いたげな顔をしている。 「そ、それって顔に縫い目があって、ウオーッとかいって襲ってくるやつ……?」 「お前、そりゃフランケンシュタイン!」 「え? そ、そりゃあ――」 ホムンクルス……ホムンクルス…… なんだろう、実験室とか試験管とか、おどろおどろしいイメージがあるんだけど。 どうやって作るかとか、何のためにとかってのは……なんだ? なんでそんなもの、作るんだろう? 「解説が必要ですか?」 「……くっ、いますげー優越感浸ってる感じがしてるぞ、モー子」 「いいえ、それほどでも」 「教えてくださいっ〜! なんだか気になってきたよね、みっちー」 よっぽど安心したのか、やけに目をキラキラさせて、おまるがモー子の前に割り入ってきた。 いつもの上から目線はさておき、俺もホムンクルスのことはちょっと気になってきた。 どんなものかってのもだけど、あいつら――お嬢様と執事がそんな本を読んでるってあたりも。 「ホムンクルスは、人工生命体もしくはその人工生命体を作り出す技術のことを指しています。一般的な分類で言うと、錬金術」 「さきほど烏丸くんが言っていたフランケンシュタインと違うのは、ホムンクルスは様々な材料を組み合わせて生み出すということでしょう」 「まあ、フランケンシュタインはフィクションですが……」 「えっ、ということは人間を作り出せるの!?」 「違います。そこはあくまでも人工生命体」 「そんなもん、本を読むだけで本当に作れるのか?」 「常識的に考えて、まず無理でしょう」 「む、無理なのか? なんで?」 「魔力が足りません。私の知る限り、ホムンクルス生成に必要な魔力はそうとうなもののはずですから」 「――と、いっても。魔女ならば可能かもしれません」 モー子のその返事に、一瞬空気がぴんと張り詰めた。 魔女なら可能――。 その意味することは、俺や特査のメンバーには少しばかり胸にちくりとくる。 「――っ!?」 あらぬ方向から聞こえたノックの音とともに、扉が現れた。 ヤヌスの鍵の扉だ。 もういい加減慣れてもいいとは思うのだが、急に来られるとさすがに驚く。 「やあ、みんな揃ってるな?」 扉の向こうから顔を出したのは、鍔姫ちゃんだ。 にこにことご機嫌そうな笑顔の向こうから、ふわっと香ばしい紅茶の匂いがする。 「スミちゃんが一緒にお茶でもって。忙しくなければ、よかったらどうかな」 「昼の生徒はもう帰っちゃってるでしょうし、少しくらいなら大丈夫ですよね? 憂緒さん」 「ええ。良い香りですね、いただきましょう」 どうやら扉の向こうはスミちゃんの部屋のようだ。 「スミちゃん、みんなを呼んできたよ」 「なんだかとっても良い匂いがしますね」 「わかった」 モー子が言った通り、ちょっと果物の香りの混じった良い匂いだ。 「おお、これ本当に美味いな。案外甘くないし」 「おや? 久我くんでもさすがにわかりますか? これは良い葉です」 「……いつだったか砂糖モリモリ入れてたヤツには言われたくないな」 モー子は俺の言葉に納得いかなかったのか、大きなため息をつきつつカップを口に運んだ。 よっぽどこの紅茶が気に入ってるみたいだ。 「ここんとこ、何も問題なくてヒマだよな〜」 「はは、でも特殊事案調査分室の出番がないというのは平和で良いじゃないか」 「ま、まあ……そうなんですけどね」 「鹿ケ谷さん、お代わりどうぞ」 「ありがとうございます…本当に美味しい…」 「特査のみんながいつまでもヒマだったら、こうしてずっとお茶会できるな〜」 ずっとお茶会か。 それも悪くはないけど……退屈って思えば退屈かもな。 だいいちそれじゃ、『特殊事案調査分室』じゃなくてただのサークルだ。 「そういえばさ、モー子の前って特査に誰かいたのか?」 「いえ、特査分室は20年ほど前に一度途切れて無くなっています」 「え!? そうなの? どうして?」 「20年前……確か20年前と言えば、大きな火事か事故だったかがあって、校舎が改修されたんじゃなかったかな」 鍔姫ちゃんの言葉に、モー子は静かに頷いた。 そういえば、前にリトもそんな事言ってたな。 「でもこの学園は、20年ほど前に一度大きな事故があって建て替えられているの」 20年前。大きな火事か事件の時に、特査は一度廃止になったのは間違いないようだ。 でも――。 「じゃあ、鹿ケ谷さんが入学した時にいきなり復活したの?」 「私が学園長に頼んで復活させてもらったんです」 モー子のたった一言で、何故か空気が変わった気がした。 全員がそれに気付いて口を閉ざす。モー子の次の言葉を待っている。 いつもなら、何いきなり考えこんでるんだよって言いたいところだけど、それはできない。 彼女が特査を復活させた理由……俺には、心当たりがある。 その『理由』は――モー子以外の誰も、軽々しく口にしちゃいけないってわかってる。 「……」 このまま何も言わず、また深いため息でもつくのかと思ってた。 だけど、今日は違った。 モー子はカップの中の紅茶を見つめながら、ぽつりぽつりと話し出した。 「私の友人である、花立睦月という子がこの学園に入学しましたが、ある日突然連絡が途絶えたのです」 「たった一人の……大事な親友です」 その言葉に真っ先に反応したのは、元風紀委員の二人だった。 「なっ…」 「鹿ケ谷、お前花立のこと知ってたのか!」 今の今まで全く気付いていなかった様子だ。やはり俺とおまる以外にこの話をするのは初めてなんだろう。 モー子は静かに頷くと、話を続ける。 誰一人、口を挟むことなんてできなかった。 みんなが、モー子の静かな話に耳を傾けている。 「私がこの学園へやって来た理由はただ一つ。睦月を捜すため。けれど、ここは夜は寮から出られない…」 「そんなことではいつまでたっても睦月を見つけることは不可能です。だから私は最初、風紀委員会に入れないか頼みました」 「……そうだったのか」 「……。確かに、鹿ケ谷さんが転校してきたのは、花立さんがいなくなってからだった」 「でも、駄目でした。他に自由にこの学園を出歩く術はないかと調べた結果――20年前に廃止になった特殊事案調査分室に行きついたというわけです」 モー子はそこでふっと息継ぎするように、少しだけ視線を外した。 その時のこと、思い出してるんだろうか。 答えは俺にはわからない。 「そこで、特査分室がどんな機構だったのかを調べ、なぜこの部署はなくなったままなのかと学園長を問い詰めたところ」 「なんですか、久我くん」 「いや、い、いまの物真似があんまり似てて……お前、そんな得意技あったのか?」 「物真似ではありません。あくまで忠実にお話ししたまでです」 「……??」 「ははは、しかしあの学園長の言いそうなことだな」 「モー子の執念に根負けしたのか、ていよくやっかいな仕事の引き受け役が現れて押しつけたのか微妙なとこだけどさ」 「学園長の事ですから後者な気もしますが、この際私にとっても都合は良かったのでかまいません」 俺達が笑ってるわけが、モー子にはいまいち理解できないみたいだ。 しきりに首を傾げてるけど、まあそのままでいいか。 「彼女なら学園長から特別に許可をもらって、地下の図書館に出入りしていたからよく覚えている」 「その際、何か変わったことや気付いたことは?」 「彼女のことは、あの時風紀委員をしていた者なら、皆心残りだと思っているはずだ……」 「そうですか……」 「えっ……? はい。そうですね」 「俺達も一緒に捜すんだから、見つかるさ」 「そうだよ! うんうん。だっておれ達も特査分室のメンバーなんだから」 「……そうですね」 「はい? 何を根拠にしてそんなことを口走るんですか?」 「統計だ、とーけいー」 「ほう…詳しく検証しましょうか? その統計とやらの正当性を」 「ははは、まあ二人とも落ち着いて」 「ほら、鹿ケ谷さん、もう一杯お茶どうぞ〜」 ……まったく、鍔姫ちゃんとスミちゃんの連携プレーは見事だな。 「もちろん!」 「……ありがとうございます」 スミちゃんが首からさげた鍵を取り出す。 確かにヤヌスの鍵は、望んだ人物のいる場所に扉を繋ぐことも出来る遺品だ。だが――。 「いえ……それはもう試してみたのですが、失敗してしまいました」 モー子にしては歯切れの悪い話し方だった。 自分の考えを押し込めるような、迷っているような…… ――無理もない。 ヤヌスの鍵を使って出てきた結果は、最悪の可能性をも引き出したからだ。 「ここは……分室!?」 「モー子、どうした?」 「まさか……きみは……!」 「憂緒さん、どうしたの?」 「以前、あれを分室の扉で試しに使ってみた時のことです。友人の居る場所へ、と思いながら使ったのですが、つながったのはそのまま特査分室で……」 「その場にいた三人は誰も捜している人物ではありませんでした」 「どこにもつながらず、そのまま扉が開いただけではないかしら。つまり、無効だったということ」 「無効になる条件は……ヤヌスの鍵でもつながらない特別な何かで守られた場所にいる場合。それから………対象が、もう生きていない場合」 「……睦月は」 「……睦月は、ヤヌスの鍵では見つからないどこかに、いるのかもしれません……」 おそらく皆を心配させたくなかったのだろう。 モー子は、リトから話されたことについては意図的に伏せた。 俺とおまるは一緒に話を聞いたのでそのことを知っているが、本人がそう決めたのなら、何も言わずにおこう。 「あ、ああ! そうだよね。他にも謎の空間とかありそうだし」 「なら、学園長に協力してもらうのが一番かもしれないね」 「……学園長には、まだ睦月を捜していることは話していないのです」 何かの可能性を探っているかのように、慎重にモー子は答えた。 もしかしたら、モー子は疑ってるのかもしれない。 学園長が本当は睦月の行方を知っているものと――。 「まあ、ヘタに巻き込むと事態が悪化しそうな気もするな」 「ああ。学園長って何考えてるのかわかんねえからな…それこそ遺品で無理やり聞き出すくらいじゃねーと」 「コルウス・アルブスのことですか?」 『コルウス・アルブス』とは、以前に俺達特査が絡んだ事件で扱った遺品だ。 それを使えばどんな質問でも、強制的に答えさせられる事が出来るという恐ろしいモノなんだけど―― 「あれはもう学園長には使えないだろ。一人につき三回までだから」 「うっ……す、すまん……」 村雲は三回の制限を学園長に対して使ってしまったのだ。 もちろん、無駄にしたってわけじゃない。 それでも、村雲はずいぶんしょんぼりとした顔で俯いてしまった。 「気にしないでください。事情を知っていたわけではないのですから」 「ねえ! じゃあさ、ヒメちゃんに聞いてもらえばいいんじゃない? ヒメちゃん、嘘をついてるかどうか見破るの得意だし」 鍔姫ちゃんの言葉に、思わずその場にいた皆が目を丸くした。 ……モー子以外は。 「学園長の嘘は、おそらくだが私にはわからない」 「そんなに手強いのか〜」 「手強い、というか…時折あの人の会話は何かをはぐらかしてるようだ。それが嘘なのかどうか、というのがわからない」 「ううう……学園長……」 鍔姫ちゃんはすまない、という感じに苦笑していた。 あの学園長の曲者具合は、ハンパない。 でもその事を一番感じているのは、きっとモー子なんじゃないだろうか。 俺達以上に、ずっと真剣に、ずっと深刻に感じてる……ような気がしてならない。 そのせいか、モー子はさっきからずっと、どこかうわの空な眼差しだ。 「……ええ。私達も分室へ戻りましょう」 「そだな。スミちゃん、お茶ありがとな〜」 「すっごく美味しかったです!」 「ふふ、それは良かった。またしようね」 「ん?」 「ベッドの下の掃除したいから、動かすの手伝ってくれない?」 「では、お先に失礼します」 「いきなりかよ」 「ううう……ごめんなさい……」 おまるが思いっきり伸ばした腕が当たって、積んであったダンボールや本が崩れてしまった。 おまけにドミノ倒しみたいに、奥の方まで本が散らばってる。 「そ、そうだよね! おれ、奥の方で崩れたとこ見てくる」 おまるは申し訳なさそうに、部屋の奥の方へ走ってゆく。 俺とモー子は手前の、足元に落ちてる本を拾い集めることにした。 「……睦月って友達のことさ」 「はい」 「あの子のこと、皆の前で話すなんて、お前も丸くなったな」 「丸くなったとはどういう意味でしょう」 「いや、モー子ってその話するのは避けてただろ」 「……」 本を拾う手を止め、モー子は顔をあげた。 それからぴんと背を伸ばすと、俺の方に向き直った。 「それだけなのか」 「それ以外に何かありますか」 もちろんモー子が言った通りの意味の割合も、大きいだろう。 鍔姫ちゃんは人の嘘を見抜く。力になってもらえたら、かなり助かるのは間違いない。 だけど、それだけじゃなくって、そうじゃなくて…… 「それより、きみは何も話さないのですか?」 「……何のことだよ」 「きみが久我満琉の名前を騙っているだけの、偽者だということを」 モー子はまっすぐ俺の顔を見てる。 口に出さずとも、言いたいことは伝わってきた。 それはさっき――俺が思っていたことがそっくりそのまま、鏡のように映ってる。 (あいつらのことを、信用したんじゃないのか?) 俺が言えなかった言葉を、モー子は眼差しの奥からまっすぐ問いかけてきていた。 「俺はただ……」 胸の中には、たくさんの言葉が湧き上がってきていた。 でもどれも、正しく俺の気持ちに当てはまることができない。 「……」 「俺はただ、知られたくないんだ」 「嘘をついていることを?」 俺はゆっくり、首を横に振った。 「そうじゃない」 「嘘をつくことには何の感傷もないということですか」 「そんなわけない、それに……別にあいつらのことを信用してないってわけじゃない……だけど」 それを言葉にすることを、俺はためらっていた。 ずっと、いまこの瞬間も。 「満琉は、自分の能力を怖がってるんだ」 「俺は…満琉は『普通』であるべきだと思うし、『普通』でいさせてやりたいだけだ」 「……」 「だから、満琉が魔女であることは、出来れば誰にも知られたくない。知ってほしくないんだ」 「それが、きみが本当のことを話さない理由ですか」 ほんの一瞬のことだったはずだ。 だけど、俺にはその時間がやけに長く感じられる。 「一つだけ教えてください」 「もしかしてあの時コルウス・アルブスで無理やり聞き出さなかったら、今もきみは私達に何も言わなかったんですか?」 「………」 「沈黙は、肯定と同じ意味です」 何も言い返せない。 そうだ……きっと。きっとなんて言葉は使いたくないけど。 俺はあの時、遺品の力を使って問いかけられなかったら、秘密を話していなかっただろう。 「……っ」 モー子がきゅっと唇を結んだ。 なんで怒ってるんだ? 俺の秘密のことは――モー子とおまるは知っている。 それがあの遺品、コルウス・アルブスの力のせいで共有することになった秘密だったとしても。 「おい、どうしたんだよその顔」 「自分だけ何も言わないなんてきみは卑怯です」 「は、はい!? 俺が卑怯って……」 「……あの時のこと、倒れてしまうほどの思いのことを……否定はしないけど……」 「なんだよ、なんかあるならはっきり言えよ」 「久我くんは」 「な、なんだよ、だから」 「どうして黙ってるんですか。秘密を……」 「さっき言っただろ、あまり人に知られたくないんだ、満琉の力のことを」 「違います。どうして秘密にしているのか、の理由。黙っていました。さっき初めて、知りました」 「えっ? ちょ、ちょっと待て、話がズレてないか?」 「……」 「今話してたのは、村雲や鍔姫ちゃん達に話してないってことで――」 「違います…違う…そうじゃなくて!」 「何が違うんだよ」 「だから、話がズレてるし、それに今それは関係な……」 「――っ」 「ひゃ」 「うわわっ」 「ごめん! 途中からすごく聞こえてきてた! で、今回はみっちーが悪いと思う」 「お前、いきなり飛び込んできてそんなこと言うか?」 「だから、ストップ! みっちーの言ってる事もわかるよ? でもね、おれも思った。きっと憂緒さんと同じこと」 「同じことってなんだよ」 今度はおまるまで、やけに真剣な顔しながら俺のまん前に立ちやがる。 説教するみたいに、腰に手を当てるとおまるは続けた。 「あのね、おれも憂緒さんも、みっちーのこと大事に思ってるからこそ話してほしいって考えちゃうんだよ?」 「話したっていうか、知ってるじゃねーか! 俺の本当の名前が」 秘密にしていた理由? それは――満琉のことを誰にも知られたくない、理由のことか? 確かにそれは、初めて話したけど…… 「えっ拗ねてたのか」 「痴話じゃねえ痴話じゃ!!」 「ひ、人聞きの悪い……!」 「はいはい、わかったわかった。だいたいクソ久我が悪いって話だろ?」 「ここぞとばかりに先輩ぶるなよ。それより崩れた本を片付けるの手伝え」 「てめぇは忘れてるかもしれねえけどな、オレは実際、先、輩、だっつーの!!」 「そうだったっけ。あー、あっちにも本が」 「憂緒さん、おれ達も片付け続きしようか」 「そうですね。まったく今日は無駄に疲れます」 「……そうですね」 「あ、あれ? なんか、憂緒さんなら『さすがに過保護では?』とか言うと思ってた」 「みんな、燃えて……俺は……」 「……久我くん……」 「でも彼にとっては、きっとたった一人の家族なんですから……」 目を閉じて、ゆっくりと思い出す。 何気ない出来事――今日食べたもの、見たもの、交わした会話。 それらの一つ一つを言葉にするたび、大きな目が何度も瞬きしていた。 「そんなわけでさ、あれ以来平和なもんだな」 「……そっか……」 たくさん話を聞きたい――って気持ちは伝わってくる。 だけど、口数は少ない。 それは『違う』から、なんだろう。 人間と、そうでないモノ、だから。 「…………前、は?」 「前?」 「えっと、さっき、あれ以来って言ってた……」 「ああ、うん」 「それって、なんか……その前は平和じゃなかったみたい」 平和じゃない。 それは間違いのない言葉だった。 もちろん『それ』に関わらなければ、何にも気付かず、ここは辺鄙な場所にあるちょっと変わった校風の学園だ。 ――だけど。 (オレ達は、そんなわけにはいかない) 「……??」 「ま、変な学園だからな」 「ヘン?」 「それは、えーっと」 (……こいつ、同じ遺品なんだよな。どこまで話していいものか……) 「しずか?」 「だからさ、お前みたいな魔術的なのが、ごろごろしてんだよ」 「……たとえば?」 「そうだな、うーん。あ、手にしてしまうと無理やり歌わせる『楽譜』とか」 「そういうのは、最後、どうするの?」 「封印するんだよ、暴れないように」 「封印? 封印って、なに?」 「札でな、こうやって、ビシーッと動かないように……」 「ははは、間違ってねーしな」 もう一度、腕を伸ばして目の高さに掲げる。 もちろん今はこの手に札はない。 「なんでお前には効かねーんだか、ちくしょう……」 「……??」 (まあ、札は遺品本体に貼らないと意味ないみたいだからな。ふわふわ浮いてるコイツには効かねーんだろう) 「あのね……なんか、いいよね」 「何が?」 「……楽しそう」 「騒々しいだけだぞ?」 「そうかなあ」 ふと、気になることがあった。 こうして話してる相手は……『遺品』だ。 楽しそうだし、自分の考えも持っている。 (じゃあ、遺品同士でも喋ったりすんのかな) 「……??」 「なんでもねーよ」 モルフィからは、普段から誰かと喋ってるなんて様子はしない。 むしろ、話すこと自体が久しぶりのような感じを受ける。 (じゃ、基本一人っきりってわけか……寂しくないのか?) 「しずか、さっきからヘンだ」 「別に、いつもと一緒だって」 「そ、そっか……」 強い力を持つ遺品らしいのに、とてもそんな感じじゃない。 悪意なんてものと遠い――むしろこっちが心配になってしまう。 (なんか、調子狂うな) 「あ……もう夜が明けちゃうね」 「ん? もうそんな時間か?」 「また、来てね」 (やっぱアイツ……変なヤツだな……) (……んと、調子狂う……ふぁわ) 「これは……こうだよね。で、こっちに差し込む……」 「あれれ? あ、そうか……これはここ…で、いいよね」 「できた!」 「あとは……これと、この薬をいれるだけ……だよね」 (いいのかな。本当にできるのかな。でも、もしもここに書かれてあることが本当なら…) 「…………」 「…………??」 「え!? わ、わ、大丈夫!?」 「けほっ、けほけほっ」 「だいじょうぶ?」 「う、うん……え?」 「………………」 「こんにちは、ごしゅじんさま」 「か……か……」 「――??」 「かわいい……!」 「え、えっと、あなたのお名前、なんていうの?」 「おなまえ?」 「名前、ないのかな。じゃ、じゃあつけてもいい?」 「なにかくれるの? わぁい!」 「ううう、かわいい…あの、じゃあね……ぴぃちゃん」 「ぴぃちゃん? おなまえ、ぴぃちゃん…ぴぃちゃん!」 「うふふ、ぴぃちゃん。あなたは今日からぴぃちゃんだよ」 「はーい、ごしゅじんさま! ぴぃちゃんうれしい!」 「あ、『ちゃん』はお名前じゃないの。可愛い子につける呼び方」 「えーと、じゃあ、ぴぃ? ごしゅじんさま、ぴぃであってる?」 「うん。わたしはね、葵っていうの」 「あおい?」 「そう呼んでね、ぴぃちゃん」 「うん、わかった!」 「おいで、ぴぃちゃん」 「ふにゅー、あおい、くすぐったいよお…」 「可愛いぴぃちゃん、ずっと…ずっと一緒にいようね」 今日も、いつもと同じように授業が始まった。 何も問題なく、昨日と変わりない一日。 つまり、特査としての出番のない平穏な一日だ。 「……でさ、なんでだと思う?」 「ん? なにが、なんでなんだ?」 「うう…また話聞いてなかったんだ…」 おまるはため息をつくと、さっきから俺に話しかけてたという内容を口にした。 「だからね、使い魔とかホムンクルスとかのこと調べてどうするんだろうねって」 「お嬢様達のことか?」 興味がなければあんなに図書館に通いたおすことはないだろう。 自分で作れないにしろ、知識として興味があるってヤツかな。 俺には全然わからないけど…… 「でも、どっちかというとルイさんの方が興味ありそうだったよね」 「あの執事なあ……」 無表情なヤツだが、稀に見せる―― 本当に一瞬だけ見える表情は、とんでもない。 「あの二人の関係はよくわからんな」 「……??」 「いや、ルイのヤツ、お嬢様が主人のはずなのにさ、時々話は聞いてないわ適当なこと言うわだろ」 「あれは完全に執事に手綱握られてるよな」 「でもね、なんかほら、アーデルハイトさんのそういうとこ……」 「可愛いってか?」 「ほーう」 「なーんだ、うまいこと言うようになってきたな」 「……」 このままずっと、微笑ましいだけだったらいんだけど。 それだけじゃ済まなさそうなのが、この学園だからな。 「ま、本当に使い魔だのホムンクルスだのが見つからなきゃ大丈夫か……」 「そんなの、さすがに見た事ないもんね。いくらこの学園がおかしな場所って言っても」 「アレはどうなんだろうな」 「あ、あれ??」 「いや、ほら、一回話したことあるだろ、あの異空間にいた変な生き物とか」 魔法陣のある異空間の中にいた、明らかに地球上の生き物じゃないヤツ。 もし使い魔だのホムンクルスだのがいるとしたら……あんな感じなのかな。 「あ…会いたくないなあ…」 まあ、何も知らずに遭遇したら、おまるなら気絶するかもしれない。 「お前そんな顔してたら、丸飲みされるぞ、一番に」 「…………ほう」 「ずいぶん熱心ですね」 「――っ」 地下にある図書館は、真昼でも仄かに暗い。 膨大な書架の狭間を、ルイは何冊もの書物を抱えて歩いていた。 「そんなものを調べて、どうするつもりです?」 「……」 「アーデルハイトさんの許可なしにおしゃべりは、いけませんか」 「まさか」 ルイは表紙をまるで隠すように、本を脇に抱えなおす。 それが何の本であるか。 すでに見通されていることも、知っていながらも―― 「興味があるだけです」 「単なる知的好奇心ならば構いません。ここの蔵書が魅力的なことは私にもわかります」 「……博学でいらっしゃる」 「知識を満足させるだけ――それで満足できますか?」 「はい?」 「……実践しようなどと思わないことです」 「……」 どちらが先に言葉を発するか。 そんな空気が冷たく膨張してゆく。 「あなたにはオブラートは必要ありませんね。私もそれは苦手ですから」 「何のことを仰っているのでしょう?」 「魔術は暴走すれば何が起こるか予測不可能です。特査分室としては危険行為を見逃すわけにはいきません」 「まるで警告のようですね」 「ええ、その通りです」 「……貴方がたを巻き込むつもりはありませんよ」 「……」 「では、失礼いたします」 柔らかな、けれど決してそばには近寄らせない口調だ。 立ち去っていった後姿は、もう書架の向こうに隠れて不明だった。 「……つもり、だけでは困るのですけどね」 「あー…この時間が一番眠い……」 午後の最初の授業の合間の休み時間。 昼メシも食べて腹も膨れてるし、一日で一番だるくなる瞬間だ。 俺だけじゃなく、教室の中のほとんどのヤツがそんな顔してる。 「ん?」 「……はあ」 (なんか、吉田元気ないな) ちょっと顔色が悪い気がする。 もしかして、この間の遺品の影響が出てたりするもんなのかな。 見たい夢が見られるなんてモノだったけど――。 (それとなく、夢の話でもしてみるか) 「なんか顔色悪いけど、寝不足?」 「そうかな。言われてみれば…ちょっと? でもこの時間はみんな眠いってー」 「ま、そうなんだけどさ。俺、最近なんだか夢見悪くてさ〜」 (楽しい夢か……まあ、ありゃ確かに楽しそうだったな) 「いいなあ、まーやちゃん……」 「わたしはね、なんだか寂しい夢を見た気がするの」 ……あぁ、そうか。 好きな夢を見られる遺品で、吉田は両親の夢を見ていたんだ。 やっぱり離れてる両親のことが心に引っかかってホームシック気味になってるんだろう。 「おい、黒谷……ちょっと」 「なに?」 「吉田、多分ホームシックだよ。 なんか気晴らしにさ、元気づけてやれよ」 「よし。景気づけに今度みんなで騒ぐか」 「いーねそれ! うんうん、美味しいもの売ってるお店とかチェックしちゃう!」 「あー、甘いもんばっかりにするなよな」 「早速予定たてちゃわなきゃ! ね、いつにする?」 「え? えーっと……」 「おっと。時間切れだな」 「まーやちゃん、それはだめぇ…」 「じゃあ、また後で!」 黒谷はもうすっかりその事ばかり考えてるみたいだ。 まあ……吉田も元気取り戻してくれたし、良かった。 あの夢の遺品の影響はあんまり残ってないようで、ひと安心だ。 ――放課後。 「……はあ」 いつものように、ここへと足を運ぶ。 『ここ』はとても魅力的で、いつまでもいたい。 『ここ』にある知識をすべて吸収できたら、と思ってしまう。 「ルイ!」 返事はない。 それでも、ルイがここにいることはわかっている。 他に行く場所など、ないのだから―― 「……はあ」 「…………」 (また本ばっかり読んでる) 「ずいぶんご執心だこと。目当ての本は見つかった?」 「……」 「どうしてホムンクルスに、そんなに興味があるの?」 「……」 「何か手伝ってさしあげましょうか?」 「……はあ」 「ちょっ……ルイ! ……はあ」 ルイはため息をついて、別の書架の前へと移動する。 まるでお前は邪魔だと言わんばかりの、深いため息だった。 (なによ、なによなによ! 調べ事があるなら手伝うって言ったのに!) (あんな態度とるなんて、信じられない! なんて不誠実なの!) 心の中で怒りは次々と湧き上がる。 だけど、ルイに直接それをぶつけるのも考えものだ。 (そうよ……図書館では静かにするのが鉄則ですものね) ………………。 …………。 ……。 (……まだ、調べものなの?) 時計を見ると、もう一時間以上たっている。 自分で手に取った本もすでに読み終わってしまった。 「私、そろそろ部屋に戻って薬の調合をしようと思うのだけれど」 「そうか」 「そうかって、あなた!」 「俺はまだ調べ物がある。一人で帰れ」 「一人で!? 私一人で帰るってこと? そんなのできるわけないでしょう? だってあなたは私を――」 「言わせてもらうが。わからないのか? ここがどういう場所なのか」 「一体何日ここで過ごしている? それで気付かないとは、思わず笑いがこみあげてしまうな」 「な、な、なっ……」 「ここには十分な魔術結界がある。部外者はそうそう入れないようになっているし、一人でうろつこうが問題はない」 「でも……ルイ、あなたは執事で、それから」 「何の危険もないのに、おもりをしながら廊下を歩いていく。無駄だ、無駄。時間に失礼だと思わないのか」 「……で、で、でも」 「俺はやりたい事があるんだ。それくらいはわかるな? 見ればどんな馬鹿でもわかると思うが」 「……っ、何度も言ったわ! 何かを探してるなら、私も手伝……」 「一人で何もできないくせに、何かをしようとする者をなんと呼ぶか知っているか? 愚か者だ」 自分の意見を全て述べて――ルイは再び本を開いた。 「わかった。わかったわよ……もう知らない」 「……」 「それは僥倖」 「いけない、早く寮に帰らなきゃ…ぴぃちゃん、大丈夫かな」 「……あおい」 「あーおい♪」 「えっ!? ぴぃちゃん!?」 「みぃつけた」 「ひゃあ……あおい、どうしてこんなとこ隠れる?」 「だ、だって誰かに見つかっちゃうでしょっ」 「わたしのことを?」 「そうだよお」 「……ぴぃちゃん」 「えへへ、あおい、うれしそうだね」 校舎を飛び出し、足の向くままに歩き続けていた時、頭の中は怒りでいっぱいだった。 どこへ向かっているのかなんて、何一つ考えていない。 ふっと足元を見た時だった。 (え……?) いつの間にか影が濃くなり伸びている。 夕刻だ。 (ここ、寮とは違う方向……よね) ここでの『夕刻』は、他の場所にいる時とは意味が異なる。 うかうかと外を歩いていてはいけない。 ましてや迷子になんてなっては――笑われてしまう。 「一人で何もできないくせに、何かをしようとする者をなんと呼ぶか知っているか? 愚か者だ」 自分に言い聞かせながら歩みを速めた瞬間だった。 「……わかった? もしそんなことになったら、悲しいでしょ?」 「そうなんだぁ」 「しーっ! お外では小さい声じゃないといけないの」 「……?」 小さく囁く声は、近くの茂みの陰から聞こえてきた。 「――えっ」 「……っ!!」 「わあ」 (ど、どういうこと!? 人じゃ、ない!?) 「あなた、だーれ?」 「わ、私は……あの……」 「わ、わわわ、だ、だめ…っ」 「おなまえ、教えてほしーなあ」 「ア、アーデルハイト・リッター・フォン・ヴァインベルガー。あの…そう、学園長にお招きいただいて、ここに……」 「すごーいおなまえだね。ぴぃ覚えらんない」 「待って。待って頂戴。あなた、この…この子は、一体…」 「……」 「ぴぃはね、ごしゅじんさまが作ってくれたんだよお」 「ご主人様?」 「あおいが、ぴぃのごしゅじんさまなの」 自分のことを名前で呼ぶ、まるで人形のような小さな女の子――。 人でないことは確かだ。 妖精か精霊か……? 探るように息を呑み気配を辿る。 (いいえ、違うわ。でも、どうして?) 目の前にいる、制服姿の少女はご主人様と呼ばれていた。 けれど、彼女は違う。 精霊の類を使役するような力を持つ気配など、微塵も感じさせない。 この学園内のどこにでもいる、ただの女の子だ。 「ひゃう、あおい…どうしたの?」 「ぴぃちゃんのこと、誰にも言わないでください、お願いします…」 「…あう、あおいが言わないでって言ってるから、言わないでー」 彼女が涙目で祈るように手を組むと、ぴぃちゃんも全く同じポーズをとった。 「ふっ……うふふふふ」 そんな姿に、悪意の気配なんて感じられるはずもない。 肩に入っていた力がすっと抜けていった。 「あはは、おかしい、あなた達同じ格好して、ふふふ」 「……え? えっ? あの、わたし……」 「……ね、時間大丈夫〜?」 「なんとか、ギリギリだけど早く寮まで帰らなきゃ〜」 「話しちゃだめよ……二人とも」 「早く戻らなきゃ、急ごう」 とっさに身を隠したのは、本能だった。 すっかり声と足音が遠のいてから、辺りを見回す。 もう、近くに人影は見当たらなかった。 「見つからなかったようね」 「……あ、あの」 「あら、ちょっと動かないでちょうだい。少しすりむいているようね」 「あおい、だいじょうぶ?」 ポケットの奥にある、小さな瓶を取り出す。 どこかで傷を付けた時にすぐ消毒できるようにと、いつも持ち歩いているものだ。 ハンカチに薬を染ませて、彼女の傷口へと手を伸ばした。 「だめ、汚れちゃいますっ」 「構わないわ。…この薬はあまり沁みないから安心して」 「は、はい……ごめんなさい…」 「終わり。これは応急処置だから、帰ったらきちんとやりなおしてちょうだいね」 「あ、ありがとうございます…」 「ふふ、アーデルハイトよ」 そっと手を伸ばし、ぴぃちゃんに触れると温かい。 その温かみは、『ここに存在する生き物』としての証しだ。 (もしかして、この小さな子は……ホムンクルス?) 「あの、わたし、諏訪葵っていいます。この学園の生徒で――」 「ふふふ、それは見ればわかるわ。よろしく、アオイ」 「あ、そ、そうですよね…えへ、よろしくです」 手を差し出すと、アオイはとまどうことなく握手をしてくれた。 人の心を読むことはできないが、アオイのはにかんだ笑みを見るとほっと安心する。 不思議な、出会ったばかりなのにそうでないような気持ちにさせる笑みだ。 「人ではないものだから、見つかったら連れていかれてしまう…と」 ただの女の子――魔術も魔女にも関係のないアオイにとって、簡単に想像できることだ。 そしてそれは、きっと当たっている。 「でも、アーデルハイトさんはそういう感じじゃないって気がします」 「ぴぃちゃんを見ても、驚いたり、怖いっていう風にならなかったから」 「そう…そうね。もちろん秘密は守るわ。私がアオイから聞いたことや、この子のことは誰にも話しません」 「それを信じてもらえるなら、ぜひ話を聞かせてほしいの」 アオイは再び頷き、ぴぃちゃんをそっと肩に乗せると話し始めた。 「今は持ってないんですけど、不思議な手紙みたいなものを見て」 「手紙?」 「…たぶん。字は読めなかったけど、とても詳しい図があったから試してみたんです。そこには、大事そうに何かをぎゅっと抱きしめてる絵があったから…」 「やってきたんですう!」 (きっとアオイは、遺品を手に入れてこの子――ホムンクルスを作ったんだわ) 『遺品』のような魔術道具は、強い願いを持つ者の前に現れる。 莫大な魔力を持たない普通の人間の前にでも。 一つ一つ効果やもたらす力は違い、いくつもの遺品がある。 それはあの図書館にある幾万もの本が教えてくれた。 (ルイはもしかして、ホムンクルスを作れる遺品のことを調べているのかもしれない) (もしもそうなら、アオイが持っている遺品が正解だわ。それを調べれば、ルイを見返すことができるかもしれない) 優秀な執事は、いつも自分がやろうとしていることを先周りして、お膳立てしてくる。 今度は、反対のことをするのだ。 (そうしたら、ルイはどんな顔するかしら。泣いて喜ぶか、それとも……) 「もしかして、アーデルハイトさんも…大事なものをなくしたのですか?」 「えっ?」 「わたしはとても寂しくて、どうしてもそれが埋められなくて……」 「ぴぃちゃんというのはもともと、わたしの家で飼っていたペットにつけていた名前なんです……」 「あおい、悲しい? だいじょうぶ?」 「……大丈夫だよ、ぴぃちゃんが生まれてきてくれたから」 はっと胸の奥を突かれたようだった。 遺品は強い願いを持つ者の前に現れる。 その意味を忘れてはいけない。 そして、魔術を扱う家に生まれた者としての誇りも。 「私はね、アオイ。あなたとは違うの…とてもそのことに興味があって、研究したいって思っているのよ」 「研究……そういうのを学ぶ学科もあるんだ……」 「ええ。でも今、アオイを見て思ったわ。そういう気持ちの人を助けることも、この研究を学ぶ目的の一つになりえるんだって」 嘘ではなかった。 屋敷から出て新しい場所に来て、ここで出会った全てが目新しかった。 幼い頃から触れている魔術や魔法が、人々の胸の中でどんな意味を持つのか―― 初めて触れるような思いがたくさんあるのだ。 「それって、なんだか――とても素敵だと思います」 「うん、うんうん! すごいよ〜」 「わたしにできることなら、なんでも協力します!」 「ぴぃも! ぴぃもがんばるよー!」 「ふふふ、ありがとう。あなた達ってなんだか似てるわ」 「えっ……そ、そうですか」 「似てる? ぴぃとあおい一緒だねえ」 次に会う日の約束をして、指きりをする。 アオイも、ぴぃちゃんの小さな手も温かかった。 (誰かを守ってあげたいと思う気持ちが、こんなに温かいものなんて――初めて知ったわ) それはとても不思議な出会いだった。 「あれ? ないなあ……」 放課後――。 いつもと変わりなく、特査分室に向かおうと廊下を歩く。 「ああ、やっぱ忘れてきちゃったな……」 「ん?」 「お、了解」 教室に引き返したおまるを置いて、地下の図書館に来た瞬間だった。 (な、なんだ?) 突然聞こえてきた大きな音。 俺は思わず本棚の陰に隠れた。 「先に帰る!」 「……ああ」 「――っ」 (……なんだなんだ?) 「…………」 お嬢様、今日はいつになく怒った様子だ。 おまけに一人でどこかへ出ていった。 口ゲンカしてる場面は何度も見たけど―― (なんだかいつもと違う?) なんだかんだ言っても、ルイはいつだってお嬢様のそばに引っ付いていた。 執事だから、当たり前と言えばそうだろうけど。 (最近は別行動なのか?) ルイは一人で出ていったお嬢様のことなんか、まったく気にかけてない様子で本を読み続けている。 別にそんな日もあるってだけなのかもしれないけど……。 あのお嬢様、無鉄砲なところがありそうだからな。 変な騒動に巻き込まれなきゃいいんだが。 「……何か用意すべきなんでしょうけど」 部屋を見渡し、ため息が一つこぼれる。 客人――『友達』を招く準備は、思い通りにはいかなかった。 茶菓子などの用意はいつも、ルイがやっていたのだ。 (いいわ、部屋を美しくすることは頑張ったもの) 「わー! 東寮って初めて来ましたー! お邪魔します」 アオイは部屋に入ると、手にしていた重そうなトランクを床に置いた。 トランクが開かれたとたん、中からぴぃちゃんが飛び出してきた。 「ぷはあ」 「狭かったでしょ、大丈夫」 「これがアオイが見つけたトランクね? ちょっと調べてみてもいいかしら」 「はい、この間言っていた手紙みたいなものも中に入ってます」 (これは錬金術の道具だわ) トランクの中に詰め込まれた、ガラスの容器たち。 それら自体は別段珍しくない、錬金術を知る者ならどこでも手に入れられるものだ。 (これが手紙――?) アオイの言う『手紙』はやや大きな封筒に入っていた。 羊皮紙には古い文字と、仔細な図案がびっしりと描かれている。 (やっぱり。こんなにも丁寧に書かれているなんて……) それはホムンクルスの生成方法だった。 今までに読んだ書物はすべて、過去の錬金術師達の話をまとめたものが多かった。 (けれど、これは違う。これはあくまでも、実践のためのもの――) (そして……この道具自体にも、何かがある。そうじゃなければ、説明がつかないわ) 「ぴぃちゃん!!」 顔をあげると、アオイの顔色が変わっていた。 視線の先には、ぴぃちゃんがぺたりと床にへたりこんでいる。 「あれ…なんかへんだなあ…力がね…うまくはいらないみたい……」 「ぴぃちゃん、どうしたの!? 苦しいの? どうしよう、急にどうして?」 「慌ててはダメ、ここに運びましょう」 ぴぃちゃんをソファの上のクッションに横たえる。 ぐったりしていて呼吸も浅い。触れてみると、体温も少し下がっていた。 (もしかして、ぴぃちゃんは不完全なホムンクルス?) 図書館で読んだホムンクルスの文献の一説が、頭をよぎった。 不完全なホムンクルスは、魔力を自らの身体に留めることが出来ないため、常に魔力を注ぎ続けないと死んでしまう――。 「ふう…ふう…」 「どうしよう、どうしたらいいの…ぴぃちゃん」 これほどまでに詳しく、ホムンクルスを生み出すための方法が書かれているのだ。 きっと不完全なホムンクルスを治す方法だってあるはずだ。 「……ふむふむ」 「よ、読めるんですか!? すごい!」 「ふふ、この文字のことは少し勉強したことがあるの」 文字の読めないアオイでは、わからなかったのだろう。 予想通り、治す方法は注釈として書かれていた。 やはりこのトランクは、純粋にホムンクルスを生み出すために存在するのだ。 「アオイ、ぴぃちゃんは魔力がないと弱ってしまうのよ」 「そんな……魔力って、一体どうすればいいのかな……」 「その方法がここに書いてあるのよ。血を蒸留してホムンクルス用の魔力に変換するみたいね」 「血を、蒸留?」 「……痛い、かな」 「あなただけじゃないわ、アオイ。私も手伝いましょう」 「そんな、いいの?」 「ええ。さあ、やってみましょう」 指先に傷をつけ、容器の中に血液を落とす。 するとフラスコのような器の中で、血は光輝きまったく別のものへと変化した。 (一体、これにはどれほどの魔術がかけられているのかしら…) 「すごいすごい! きれい……」 「さあ、これをぴぃちゃんに」 「……はい。ぴぃちゃん、飲んでみて」 「うん……ぴぃ、のむ……」 血液を魔力に変換したものを、ぴぃちゃんはごくごくと飲んでゆく。 ひと口飲むごとに元気になっていくのは、目に見えてわかった。 「ぴぃちゃん!! もう、心配しちゃったよお」 「……よかった」 ぴぃちゃんはアオイを安心させるように、その場でくるくる踊ってみせた。 さっきまでぐったりしていたとは思えないほどの活発さだ。 「アーデルハイトさん、もしかしてさっきの…魔力が切れたら、またぴぃちゃん元気じゃなくなってしまうの?」 「おそらくその通りね。でもこの道具があれば、魔力を簡単に作ることができるから……」 「そんなに難しくなくて良かった…わたしでも覚えられそう」 「アオイ――ひとつだけ約束して」 「……?」 「これを使う時は必ず教えて。私も手伝うわ」 「ありがとー!」 「……いいのよ」 それからしばらく、アオイとぴぃちゃんは楽しげに今まであったことを話してくれた。 他愛ないけれど、思わず笑ってしまうような話――。 何でもない会話は思ったよりも時間を早く進めてしまう。 「あの、またアーデルハイトさんのお部屋に遊びに来てもいい?」 「ぴぃも来ていい?」 帰寮時間を迎えて、アオイとぴぃちゃんは帰ってゆく。 もちろん、来る時と同じようにぴぃちゃんはトランクの中だ。 「…………」 トランクを抱えて歩くアオイの後ろ姿を、見えなくなるまで見送る。 何も間違ってはいないはず――。 胸の中でわずかに揺れている不安を抑える方法を、見つけなければ。 ――数日後。 「……ふむ」 「美味しそうだよね〜。村雲さんがお取り寄せしたんだって」 テーブルの上には、なんだかちまちまっとした菓子が並んでる。 ピンクや薄い緑でできているけど、ひたすら甘そうだ。 「後でお礼を言っておかないといけませんね」 このところの特査分室は、まるっきり平穏だった。 気になることといえば…… お嬢様と執事がどうも仲違いをしているような様子くらいだ。 それだって俺だけしか気付いていない――と思う。 「わー! いい匂いだあ」 「村雲さんが届けてくれたハーブティーです。マカロンの甘さと合うそうですよ」 「スミちゃん、気が利くねえ」 「黙れパシリ、お前の運命だ、いい加減慣れろよ」 「その言葉そのまま返してやる。ふんっ!!」 「うううっ…」 気が付けば、モー子はもうすでにマカロンとやらを口の中に放り込んでいる。 本当に甘いもんに目がないんだよな。 おまるは複雑そうな苦笑いをしている。 俺も同じことを考えることはあった。 何もないってのは良いことなんだけど、こうして特査として集まってるのに―― なんて思ってしまう。 「……ん?」 いつのまにかマカロンを食べ終えていたモー子が、俺の方に顔を向けた。 「ルイさんは相変わらず何か調べているようですね」 「あ、ああ…でも目立った動きはないよな。お嬢様は何してんだかわからんし」 もしかして、モー子も俺と同じことを…… お嬢様と執事の様子がなんだかいつもと違うって思っているのか? モー子の真意は、俺にはわからなかった。 そうだな。 モー子の言う通り…このまま何もなくて、平穏な時間が続く方がいいんだよな。 俺や特査の面子は、また何事もないまま放課後を迎えた。 図書館を抜けて分室へ向かおうとすると―― 「先に帰ります」 「…………」 「返事はないの!?」 「……Ja」 (おいおい、まだあの空気は変わってないのか) ルイは自分の主であるはずのお嬢様に目もくれず、また本を読み耽っていた。 お嬢様はというと、そんな執事に背を向けて図書館から出ていく。 「……ん?」 「……」 なんだろう、ちょっと足元がふらついていたような感じだった。 俺の気のせいか? 「……ふむ」 ルイはやっぱりお嬢様のことなんか気にもしていない。 本から少しも目を離さない様子だ。 (気のせいならいいけどさ――ちょっと心配だな) 分室にはまだ急いで行く必要もないだろう。 ちょっと引き返して、様子見てみるか。 「…………」 「え? お、おい!」 「……ん」 俺の予感は当たってしまった。 お嬢様は、真っ青な顔で図書館の入り口にうずくまっていた。 「大丈夫か?」 「どうしたんだよ、熱でもあるのか?」 「少し立ちくらみがしただけです…」 「ルイ…執事を呼ぼうか?」 「いいえ、大した事ありません…大げさにしなくて結構です…」 そう言われたものの、お嬢様の様子は立っているのも辛そうだ。 「ルイ…執事を呼ぼうか?」 「……!」 「ずいぶん顔色が悪いぞ。ちょっと待っ――」 そう言われたものの、お嬢様の様子は立っているのも辛そうだ。 このまま放っておくわけにはいかない。 膝を折って背中を向けた俺に、お嬢様はきょとんとしていた。 「一体、何のつもり?」 「そ、そんなのいい、一人で平気だから……っ」 「…………」 「放っていくわけにいかねーだろ? 執事も呼ぶなって言われたら」 「すぐに……元に戻る…のに」 「意地はるなって。体調悪いんだから」 「……でも」 「保健室行くからな。もう喋らなくていいから、寝てろってば」 「…………」 「あっ……」 「どうされたんですか?」 階段を下りてきたのは、モー子だった。 今日は分室へ向かうの、いつもより遅かったのか。 「お嬢様がそこでうずくまってたんだ。保健室までちょっと行ってくる」 「…………」 「そうだ、なんだか執事には言わないでくれってさ…そんなわけで、後はよろしくな」 「…………」 モー子はため息をつくと、俺の横をすりぬけて地下へと降りてゆく。 「手錠の時はあんなに適当に担いだくせに、随分丁寧なんですね」 「へ?」 「……なんでもありません」 (今の、なんだ……? 怒ってた…のか?) 保健室へと連れて来たお嬢様は、ベッドの上にたよりなく座っていた。 先生に見てもらっている間も、どこかまだぼんやりした様子だ。 「――じゃあ少し上を向いてみて」 「……」 「はい。もういいわよ」 「やっぱり貧血のようね。それほどひどくはないけれど、少しここで休んでいった方がいいわ」 「いいえ……大丈夫です。部屋に帰ります」 「今すぐに? まだふらふらしているでしょう?」 「でも……」 頑なな返事に、先生も困り顔だ。 どうやら、なんとしても部屋に戻りたいようだな。 「送っていこうか」 「……え?」 乗りかかった船だし、放っておくわけにもいかない。 「来た時みたいに、俺がおぶってくよ」 「そうしてもらえるなら、安心だわ」 「一人で帰れるのか?」 「心配しなくても、平気です……っ」 そうだよな。ひっくり返って頭でも打ったら大変だ。 よし、乗りかかった船だ。 「送ってくよ。来た時みたいに、俺がおぶってくなら大丈夫だろう」 「…………」 「先にちょっとあいつらに連絡するから、ちょっと待っててくれ」 すぐさま保健室の電話を借りると、特査の番号へかけた。 「あ、モー子か? 俺だけど、そっちは何も起こってないか?」 『ええ、問題ありません。保健室で何かありましたか?』 「特査がらみの事じゃないけどさ、やっぱりお嬢様の調子が悪いみたいでな。一人じゃ危ないから寮まで送っていくから」 『そうですか。こちらは特に何も起きていません。ご自由にどうぞ』 「遅れるけど、後でちゃんとそっちに――」 『ずいぶん優しいんですね』 「……お前、なんか今日虫の居所悪くねえ?」 「も、もしもし!? 切りやがった……」 さっきもそうだったけど――一体何なんだ今日のモー子は。特に機嫌の悪い日なのかもしれない。 振り向くと、お嬢様がベッドの上で体を起こしていた。 帰ろうとしてるんだろうけど、やっぱりまだふらついている。 「でも…そんなことまでして頂くわけには……」 「いいって、特査なんて『何でも屋』みたいなもんだから。気にしなくていいって」 お嬢様は、俺に背負われている間ずっと黙っていた。 まだ少し具合が良くないのか、それとも何か考えごとしてるのか。 いつもはきはきと喋る印象だったから、なんだか心配になってきた。 「……寝てる?」 「え、い、いえ……起きています」 「そっか。ずっと静かだから寝てるのかと思ったよ」 「……」 やっぱり、いつもと違う。 「なあ、執事とケンカでもしたのか?」 「……っ!」 「なんかさ、ひどいこと言われたりしてるだろ」 「別にひどいこと言われるのは、いつものことだから……」 顔は見えなかったけど、しゅんとしているのは背中ごしでもわかる。 「そのことだけどさ、モー子はこんな風に言ってたぞ」 「ルイさんのあの態度はわざとだと思いますよ」 「ああいう態度をとることで、アーデルハイトさんのこちらへの意識を、好感の持てる方向へ誘導していると思うのです」 「と、同時に、私達の協力も自然と取り付けられるようにしているんでしょう。なかなかの策士ですね」 「……」 「まあ、ルイ本人から直接聞いたわけじゃないけどさ」 「あれでモー子はマジで頭いいから、カンは当たってると思うけどな、俺は」 「そ、そんなことないっ! ルイは口が悪いんです!」 「はは、確かに口は悪いな。でもな、本当にお前のこと嫌ってるならあんなに会話するもんか?」 「趣味なんです、きっと。私のこと、いろいろ言うのが」 「あいつ、頭は良い方だろ。そんなヤツが、嫌いな人間のために時間使うようなことしないと思うけどな」 「……でも」 ――っと。 これじゃまるで、お嬢様のこと叱ってるみたいじゃないか。 少し話題を変えよう。 「あいつは、ずっとお嬢様に仕えてんの? 執事ってどんなもんかいまいちわからないんだよな」 「ええ、ずっと…それが決まりだから」 「決まり?」 「我がヴァインベルガー家の掟。執事は分家の出身で、代々本家に仕えるの。ずっとずっと何百年もそう」 「じゃ、お前…ルイと親戚なのか?」 「そうよ? こちらの言葉でいうと…従兄妹です。生まれてすぐに主と執事としての組み合わせが決められるわ。だから小さい頃からずっと一緒」 お嬢様は少しずつ元気を取り戻してきたのか、ぽつりぽつりと幼い頃の思い出を話してくれた。 主従関係とはいえ、まるで兄妹のように育ってきたのだろう。 言葉の端々に、ルイと過ごしてきただろう長い時間を感じさせる気持ちがにじんでいた。 「でも、これは私が思っているだけ…本当のことはわからないの」 「本当のことって?」 「本家とか分家とか、ずっと続いている掟とか……。ルイはそれに縛られているだけなのかもしれないわ」 きゅっと、肩のあたりに力が入った。 お嬢様が細い指を握り締めてるようだ。 「俺はさ、モー子みたいに頭良いわけじゃないから、ほんっとにカンだけど」 歩いている間に少しばかりずれてしまったお嬢様の体を、とん、と背負いなおす。 「それはないと思うぞ」 「……そうだと……いいけど……」 「ん?」 「な、なんでもありませんっ」 お嬢様はそう言ったきり、顔をうずめて黙ってしまった。 「ここでいいんだな」 部屋についた瞬間、まだ背中にいるお嬢様は急にそわそわしだした。 左右に振れる重みに引っ張られて、俺までよろけてしまう。 「アオイ…来るかしら……」 「な、ちょっと、こらこら危ねえってば」 「はっ! 早く降ろしてちょうだい!!」 「…きゃあっ!?」 「いってて。お前なあ、いきなり暴れるなよ! バランス崩して……」 「………………???」 お嬢様の鼻先が、俺の顔のすぐそばにあった。 ひっくり返った時にとっさにお嬢様を抱えたけど……これじゃあ…… 「え、えっと、その」 これじゃまるで、俺が押し倒したみたいじゃないか。 「…………」 「…………」 一瞬にして、お嬢様の顔が真っ赤になった。 その理由は―― 「……あ」 仰向けになってもなお、ふるんと膨らんでる二つの…… 二つの大きな胸が、思いっきり俺の体に当たってるからだ。 「あ……ああ……あう……」 「す、すぐ、あのすぐにっ」 「ぐわわっ」 「キャーキャーキャーキャーきゃーきゃー!!!!!」 「ひっ、え、ええ!?」 俺を全力で押しのけて、お嬢様はシーツをかぶってベッドの隅っこまで転がっていく。 「いやあああ! ひくっううう……うううっ」 「ちょ! 待て待て待て! 事故だ事故!!」 「きゃああああ!」 「えええ……、そ、そんなに!?」 悲鳴をあげまくって、お嬢様は小動物みたいに縮こまって震えてる。 なんかちょっと…… そこまで怯えられると……さすがにへこむな。 「な、なんか、すまん!」 別に押したわけではないけど…… いやでも、あのでっかくて柔らかい胸が当たった時は…… ちょっとムラッときた。 「えーと、なんか、その…すみません!」 「……??」 「な、何もしねーよ!」 「あ、あ、あの……っ」 って口で言っても、通じないよな。 だって俺の方がデカイし、お嬢様はちっちゃいし、女の子だし…… 「びびらせて悪かった!!」 「ちゃんと休めよー! 無理すんなよな」 「……はあ、はあ、はあ……」 (わざわざ私を部屋までおぶって連れてきてくれた、話も聞いてくれた……こんなにも世話になっておきながらお茶の一つも出さず何やってるの!?) (ありがとうも言えず、追い出してしまった…) 「明日きちんとお礼と、謝罪をしましょう……ええ、絶対に!」 ……昨日、考えたことはここにまとめてある。 大丈夫、落ち着いて。何度も練習したわ。 「おはよー、みっちー」 「おう、おはよ」 来た。来たわ。いえ、焦ってはいけない。 ちゃんとこの時間にここを通るというのは、シミュレーション済みでしょう。 (ごくり……っ) 「あれ、あそこにいるのアーデルハイトさんだよね。なんだかすごくこっち…見てるよ」 「あっ……うーん。おまる、ちょっと先行っててくれ」 「おはよう」 「お…おは、おはよう」 「あ、えーと…ま、まだ怒ってる?」 「……っ!?」 そう言いながら、コガは思い切り頭を下げた。 もしかして、まだ怒ってるって誤解されてる? 「ち、ち、ちがう!」 謝りたいのは、自分なのに――どうしよう。 「ち、ちがう? えっと…なんだろ、昼メシ一回おごりとか、か?」 「ちがうちがうちがーう!」 「じゃ、じゃあどうすりゃいい?」 「も、も、もういいです!!」 「……ごめん」 昨日のことは、もう気にしていない。 むしろ、自分の方が非礼だった。 本当ならすぐにでも謝罪と感謝を伝えなければならなかった。 (ぜんぶちゃんと考えたのに……言えない……) 「ほんと……お嬢様に謝るのってどういうのがいいんだろな」 「あ、あの! 私の名前は…アーデルハイトです!」 「えっ?」 「お嬢様、お嬢様って……それは名前じゃないから……それにルイのことは名前で呼んでるのに私だけどうして!」 「それは…実はさ…その……ア、アーデ、アーデルハイトってさ…すげー舌噛みそうで…な?」 「で、では短く呼べばいいでしょう!!」 「短くって? あー、あーちゃん?」 「アーデルハイトの短縮形は、ハイジですっ」 「ハ…ハイジ……?」 コガはなぜかびっくりした顔をしてから、急に笑いだした。 それも咳き込む勢いで、ずっと笑い続けている。 「何がそんなにおかしいの!?」 「いや、ハイジって…ハイジって……そんなアルプスっぽい愛称なんだ」 「アルプス? 意味がわかりません!!」 「そ、そっか、そうだよな……知ってるわけないか、あははは」 そんなに『ハイジ』という愛称がおかしいものなの? これは一度調べてみなければならないわ―― いけない。今、考えるべきことはそこじゃない。 (あああ、どうしよう…違うのに! 謝らなきゃいけないのに……!!) 「ふわぁ……」 「どうしたの? 大きなあくびしちゃって」 「ちょ、ちょっと大丈夫?」 「葵、なんだかふらついてない? ねえ保健室行った方が良いよ」 「そう、かな……」 (たしかになんだか……ふらふらする……) (でも……帰らないと……ぴぃちゃんが待ってるもの……) 「だめだよ、倒れちゃう!」 「葵!? やだ、先生に言って運ばないと――」 (ぴぃちゃん……すぐ、戻るから……ね) 「ねえ、ねえみっちー! いいの?」 「なにがだよ」 「えーと、あの…アーデルハイトさん、ついてきてるよ」 「ああ、そうそう。愛称ハイジなんだぜ、あいつ。長い名前面倒だろ?」 おまるは苦笑しながら、小さく廊下の隅の方を指差した。 そこには隠れている…つもりのハイジがいる。 朝からずっと、こんな様子でついて来てる。 「うーん、俺も意味わかんねーんだ。何か言いたいのかね」 「……かなあ? アーデ…ハイジさんと何かあった?」 「いや、別に」 (何かあったといえば、あれがそうなる……のか?) (いや、でもあれはそういう意味じゃねーし) 「……ん?」 今度は反対側――俺達のクラスの隣の教室から、ざわざわと騒がしい声がする。 「どうしたんだろう」 「なんかあったのかな」 タイミングよく吉田と黒谷が廊下へ出てきた。 「なあ、やけに騒がしいけど何かあったのか?」 「ん? なんかね、隣のクラスの子が気分悪くなったみたいでさ。保健室に運ばれたんだって」 「確か、諏訪さんって子だよ。急にふらーって倒れちゃったんだってねえ」 嫌な予感がする。 おまるも同じなんだろう。俺の顔を見上げていた。 「事件、かな」 「ただの貧血とかなんかかもしれないけどさ」 念のため、鍔姫ちゃんに見に行ってもらう方がいいかもしれないな。 「よし、俺ちょっと鍔姫ちゃ……」 「わわ、ハイジ…さん?」 廊下の隅に隠れていたハイジが、いきなり飛び出してきた。 さっきまで後にくっついてきてた事なんかまるで気にしていないみたいだ。 「ちょっと俺、様子見てくるわ」 「あ、う、うん、わかった〜」 「……はあ、はあ」 「アオイ!」 なんだ、ずいぶん慌ててるな。 さっき吉田が言ってた、倒れたという隣のクラスの子……諏訪だっけ? その子は、ハイジの呼ぶ『アオイ』なんだろうか。 しばらくここから様子を窺ってみよう。 「……アーデルハイトさん……」 「倒れたって聞いたわ! 真っ青じゃないの」 「……ちょっとね……でも、大丈夫…です」 「あなた、一人で血液の蒸留をしたんでしょ」 「……」 「だから貧血になって倒れたのね? どうして今日の放課後まで待てなかったの? 必ず二人でするって約束でしょう?」 「だって…ぴぃちゃんがね、苦しそうにしてたから…」 ハイジは友達の病状を心配しているだけじゃなさそうだ。 どうやら、何か事情があるようだな。 (これは放っておくわけにはいかないだろ) 「――コガ!?」 「よう。ちょっと気になってな。ハイジもこの間、貧血でフラフラしてただろう? 今度はその子も同じって…何か事情があるのか?」 「そ、それは……いえ……」 諏訪が青い顔しながら、ベッドの上で起きあがろうとしている。 止めようと手を伸ばすと、諏訪は今にも泣きそうな顔で話し続けた。 「久我くんって…特査の人です…よね」 「アオイ……っ!」 「ぴぃちゃん…ぴぃちゃんを助けてください」 「ぴぃちゃん?」 諏訪はずいぶん混乱してる様子だ。 「おい、どういうことなんだ?」 「……もう、ごまかせそうにありませんね」 なんだなんだ? 今度はハイジが真面目な顔になって、俺を見つめてきた。 「先日のご恩もあるし、わかりました…コガ、あなたになら話してもいい」 「話? やっぱり何か、あるんだな」 「ええ……コガ、お願いがあります。アオイを寮まで帰していただけませんか」 「大丈夫なのか?」 諏訪は涙目のまま頷いている。 しかし歩けそうにはないな。この前のハイジみたいに背負っていくか。 「それから、話はあなた一人で聞いてほしいのです」 「わかった」 これから授業はあるけど――まあ、それはいいか。 もしかしたら、これは特査として関わらなければいけない案件かもしれないしな。 (お! ちょうど良かった!) タイミングよく、廊下の向こうから風紀委員がやってきた。 「おーい、風紀委員! ちょっと伝言お願いできるか? おまる…特査の烏丸に、貧血の生徒を寮まで送ってくるって」 「わかりました。特査の烏丸くんに伝えておきます」 俺は諏訪を背負い、先を歩くハイジの後に続いた。 案内された諏訪の部屋は、俺達のいつも帰っている東寮ではなく、西寮だった。 玄関先には、以前夜に訪れた時と違って風紀委員の姿はない。 昼間は夜の世界と繋がっていないから、立ち入り制限をかける必要もないということだろう。 何気に西寮に入るのは、これが初めてだ。 ほんの少し浮き上がる好奇心を抑えつつ、俺は西寮に足を踏み入れた。 「わわ、わ、ちょっと待て待て、今下ろすから」 部屋に入ったとたん、諏訪は『ぴぃちゃん』とやらを捜していきなり身を乗り出した。 「おいおい、いきなり走ると危ねーぞ」 俺の言葉なんてまるで耳に入ってないようだ。 「……ん?」 「あのね、お休みしてたらすこしずつ元気になったの」 「そう……良かった」 「ちょ、ちょっと待って? 諏訪、その、ぴぃちゃんってのは…え?」 諏訪の腕の中にすっぽり抱えられるほどの、人影。 精巧に作られた人形って言われたら、それを信じてしまうだろう。 しかしそいつは――人間みたいに、話して、動いている。 「…………」 「私から話すわ、アオイ」 「……うん。ごめんね」 諏訪をベッドの脇に座らせると、ハイジは俺の方をまっすぐ見据えた。 「コガ、あなたならきっと私の話をウソだとは思わないはず。わかるわね?」 「なんとなく、予想はな」 きっとこれは、まともな事件じゃない。 間違いなく特査が扱うべき、何かが絡んでるんだろう。 「では、すべて話します。最後までちゃんと聞いて頂戴」 俺が頷くと、ハイジは話し始めた。 諏訪がある日見つけたトランクの中の道具を使い、ぴぃちゃんを作ってしまったこと。 ぴぃちゃんと呼ばれるあの小さな生き物の正体が『ホムンクルス』であること。 そして―― 諏訪の作ったホムンクルスは不完全であり、魔力を注ぎ続けないと、生きてはいけないかもしれないこと。 「その『魔力』ってのの代わりになるのが、血ってわけなのか」 「……」 「だからそんなに具合が悪いんだな?」 「アオイ、急に立ち上がってはいけないわ」 「わ、わかったよ。てか、俺が特査つってもそんなに権限ないからな。落ち着け!」 「コガ。これで全部話したわ。アオイの気持ちは今言った通りよ」 「あおい、具合悪いの? ぴぃここにいるよ?」 「うん……ぴぃちゃん。心配かけてごめんね」 とりあえず、だ。 こんな調子の諏訪をこのまま付き合わせるわけにはいかない。 「よし、とりあえず諏訪は寝ろ! まずは体力回復だ」 「えっ、あの……でも」 「ハイジ! 俺は廊下で待ってるから、よろしく頼む」 「だから、着替えとか! 制服のままじゃゆっくり寝らんないだろ?」 ………………。 …………。 「もう大丈夫よ」 「すう…すう…」 「にゃむにゃむ……ふう」 「大丈夫かしら……無茶しちゃって、アオイ」 ベッドの上で寝ている諏訪の顔は、まだ少し血色が悪い。 血液を魔力の代わりにするなんて無茶したんだから、あたりまえだろうけど。 「なあ、ハイジ。俺は諏訪とこの…ぴぃちゃんを引き離そうってわけじゃないんだけど」 「……ええ」 「こうやって諏訪が倒れてるのも現実だ。さっきの話…遺品がらみの事なんだろう」 「俺なりに、リトにちょっと聞いてみてもいいか」 「でも」 「リトなら、余計なことは話さない。質問されない限りはな」 「……わかったわ」 「もしもし」 『はい。その声は久我満琉ね。どうしたの?』 「ちょっと聞きたい話があるんだ。例えば、なんだけどさ――」 電話の向こうにいるリトは、俺の話を黙って聞いていた。 誰の、と名前は出さずに、長々と続く俺の『例え話』をだ。 リトはいつものリトらしく、明確に答えた。 『それはヴァーグネルケースと言って、ホムンクルスを作るためのトランク型の遺品だと思うわ』 「トランク型の遺品……」 俺は質問を続けた。 「そもそも、ホムンクルスって何なんだ?」 『魔術で作られた人間のような生命体。大きさは様々だけれど、一番多いのは人の手に抱けるほどの小さなサイズね』 『人間との決定的な違いは…自分を生み出した創造主には絶対逆らえないこと。ホムンクルスとは魂を持たない、ある意味人形のようなものだから』 ホムンクルスとは、魔術で作られた、魂を持たない人形のようなもので、創造主には絶対逆らえないそうだ。 「この遺品を使って、代償はないのか? 例えば、その創造主……遺品の使用者が体調崩したりとか」 『完全なホムンクルスなら問題はないはずよ。ただ未熟な魔力の創造主が生み出した場合はホムンクルス自体も未熟だから。もしもそうならば……』 『魔力を注ぎ込まなければ、ホムンクルスは生き続けることができない』 『創造主が魔力の供給に耐えられなければある意味『代償』と言っていい状況は現れると思うわ』 「そう、なのか……」 魔力が未熟な者がホムンクルスを作った場合なら、ホムンクルスを生かすために自分の魔力を与え続けないといけないので代償はあると言っていいらしい。 「この遺品、血を使う必要があるのか?」 『遺品の力の一つなの。魔力が足りない場合は、トランクの中にある道具を使用することで、血液を魔力に変換できるようになっているのよ』 「……そんなものまで」 『不完全なホムンクルスを作ってしまった上で、さらに魔力が足りない場合の救済措置のようなものよ』 『ヴァーグネルケースは、何もないところからホムンクルスを作るよりははるかに効率的な遺品ではあるけれど…』 『それでも完全なホムンクルスを作りあげるには、大量の魔力を必要とするの。普通の人間ではとても不可能だから、そのための機能ね』 血液を魔力に変換する道具もこの遺品の中の一つで、ホムンクルスを生かすために魔力が必要な時、使うようになっているということだ。 「他に聞いた方がよさそうなことは……」 リトは俺の質問にすらすらと答え続けた。 「他には、何か気をつけた方がいいこととかあるか?」 『………そうね。直接遺品とは関係ないことだけれど……』 珍しく、少し言いよどんだ空気が伝わってくる。 『ホムンクルスという存在は、主が道具として割り切って使えばとても有用なものだけれど――』 『そうでない場合は、主もホムンクルスも得てして不幸になる』 『――そう、聞いたわ』 「…………」 俺が言葉を飲み込むと、リトも電話の向こうで黙っていた。 「わかった、いきなりすまんな」 『質問は終わり? ではまた……』 「……」 「ハイジ、お前の読みはだいたい当たってた。あのトランクはホムンクルスを生み出す遺品だ」 諏訪とぴぃちゃんは仲良く並んで眠っている。 諏訪の横顔は、ホムンクルスを道具のように扱う主には……見えるはずもない。 リトの最後の言葉が、胸の奥にずしりと沈む。 「ハイジ、お前はどうしたいんだよ」 「……え?」 「俺はな、お前の方がホムンクルスってやつがどんなものか理解してると思ってる――違うか?」 「……そうね。コガの認識に間違いはないわ」 ハイジは、俺の言いたいことをなんとなく察したようだ。 諏訪がぴぃちゃんと呼ぶホムンクルスのことを、どう思ってるのか。 そして、それは幸せなことなのかという迷いのことを。 「それだけじゃない…あの二人を見ているうちに、本当に力になってあげたいと思うようになったのよ」 ハイジの言葉に嘘はない。 プライドのこもったまっすぐな声だった。 「私は、できる限りアオイ達をこのままでいさせてあげたいと思ってる」 「……お前の気持ちはわかった」 だから俺も、ちゃんと自分の思ったことを全部伝えよう。 「だけど現に諏訪も…お前のこの間の貧血だって、原因はホムンクルスのために血を抜いているからなんじゃないか」 「……」 「いつまでも続けられるわけない。このままじゃ、諏訪は絶対に無事にすまないだろ」 「わかってる…それはわかってます!」 「だから何とか、全てを解決できる方法を探してるんです! 私だって魔術を司る家の娘です。誇りにかけて、その方法を探すわ」 「なんでも一人でしようとすんなよ」 「……!!」 「特査のメンバーだって、話せば力になってくれるぞ」 「何もかも解決できる方法を、見つけたいの」 今までにない、懇願するような声だった。 本当に諏訪とぴぃちゃんのことを守りたいって思ってるんだ。 そうじゃなきゃ、プライドの高いお嬢様がこんな風には話さないだろう。 だけど――。 「あのね、おれも憂緒さんも、みっちーのこと大事に思ってるからこそ話してほしいって考えちゃうんだよ?」 「……」 「ちゃんとハイジの気持ちも、全部伝える。だから――」 「ごめんなさい」 「……えっ?」 「香水!? な、なんの香水だ……?」 「普段通りの生活に戻って、これまでのことは誰にも秘密にして下さい」 「……っ!?」 「お疲れ様ー! 伝言聞いたよ。倒れた子って大丈夫だった?」 「ああ。成り行きで保健室から寮の部屋まで送ったけど、貧血だったらしい」 「そっかー、良かった良かった。最近、貧血って流行ってるのかな」 「バッカ、風邪じゃねーんだから流行りも何もないだろーよ」 「…………」 俺はソファに腰を下ろすと、特査の面子に視線をやった。 事件もなく、のほほんとしている皆にちゃんと伝えられるだろうか。 今回の遺品はただ封印すりゃいいってもんじゃないことを―― 「おい、ちょっと聞いてくれるか」 「ん? なになに? 何かあったの?」 深呼吸して、頭の中で伝えるべきことを整理して……よし。 「は?」 「あ? マリモ?? マリモって、あの緑色の小さいやつか?」 (えっ……?) ホムンクルスってものを知っているか。 俺はそう言ったつもりだった。 「マリモはな、可愛いんだ。知ってるか、時々浮いたり沈んだりするんだぞ?」 「へ、へえ……それは、可愛い…ねえ」 「きれいな水の中で、ゆっくり丸くなっていくんだぞ。マリモ…なんて神秘的なんだ…!」 違う、そうじゃなくて、西寮で遺品を使ってホムンクルスを作った子がいる……って言ったはずなのに! 「予想外な趣味だな」 (マリモが趣味なワケねーだろ!!) 頭の中で思い浮かべて、声にも出して喋ってるはずだ。 なのに、俺はずっと自分の意思とは関係ないことを話している。 (なんでだ、なんでなんだ!?) 「香水!? な、なんの香水だ……?」 「普段通りの生活に戻って、これまでのことは誰にも秘密にして下さい」 「……っ!?」 あの香水のせいでこうなったのか? でも……どうすればいいんだ? どうやったらモー子に、ハイジや諏訪のやっている事を伝えられる? (そうだ、口で言えないなら紙に書きゃいいんじゃないか) 「村雲、ちょっとそれ貸せ!」 「あ? なんだよいきなり……」 「いいから早くっ!!」 村雲の近くにあったコピー紙とペンを手元に引き寄せ、俺は一心不乱に書いた。 「……?」 「『……きょうもいいてんきだった。ひるめしうまい』?」 「なに突然日記書いてるんだよ……」 「いやだから、日記じゃな……」 俺は、西寮で遺品を使い、ホムンクルスを生み出した子がいること。 更にハイジが関わり、二人して自分の体を犠牲にしていること。 そしてその話を俺ができないのは、ハイジに香水をかけられたせいってことを書いた……つもりだった。 「うん、日記!! 日記はいいよなー! 見てくれ! よーく見てくれっ!!」 「……久我、くん?」 文字で伝えることも、ダメなのか!? なら最終手段だ。 絵で香水瓶を描いてみよう。 カンの良いモー子なら気付いてくれるはずだ。 「あ!わかった! これ、お昼のA定食だ。今度は絵日記なの?」 「……おう。いいだろ絵日記! 懐かしいよな〜」 「突然何なんだよお前…高度な笑いか? シュールすぎるぞ…」 「だからこの! キャベツの瑞々しさが……くっ」 (違う、違うんだ!! 俺が伝えたいことはこれじゃない!) そう思ってペンを動かすたびに、紙の上のA定食の絵はどんどんリアルになってゆく。 絵も――ダメなのか。 俺の体は、ハイジの謎の香水に完全に乗っ取られているようだ。 「…はあ。一体きみは何をしているのですか」 「みっちー、大丈夫? さっきからずーっとこんな感じでおかしいけど、何かあったの?」 「だから、俺は絵日記の良さをどうにか伝えたくて……っ!!」 「……朝は普通だったんだけどな」 「何かヤバイものでも拾って食べたとか」 「さっきも、一生懸命正しいマリモの育て方とか熱く語ってたし……」 「マリモ可愛いじゃん!!」 ――違う。マリモなんてどうでもいい。 俺は、西寮の諏訪って子が『ホムンクルス』を作ってるって言いたいんだ! 「…………」 「ちっちゃくて可愛くて、育てやすいんだぞマリモは」 「……本当に、マリモの話がしたいんですか?」 「そっ、そうだよ! 分室で飼おうぜマリモ!!」 「……………………」 もしかしてモー子、気付いたか!? 俺が話したいことはマリモの件じゃない……だけじゃなくて。 ハイジの香水のせいで、こんな目にあってるってことに! (モー子、気付いてくれ) 直接は話せない。絵も無理だ。 せめて俺がこうなった理由が、ハイジの香水だって気付いてもらえたら―― (…そうだ!) 俺がやってもらいたいことを、ジェスチャーで伝えるのは……どうだ!? 「おい! モー子!!」 「……はい?」 ちょっと変態っぽいかもしれないが……仕方ない。 モー子に近づいて、鼻をふんふんさせてみた―― 「……??」 つもりだった。 「み、みっちー…どうしたの?」 「おい、本当にこいつ、何かおかしなモン食ったんじゃねーか?」 だめだ、あの香水の術はずいぶん強いらしい。 手足は意思通りに動かず、これじゃ俺はわけのわからない踊りを踊ってるようにしか見えない。 「う、ううう……どうすればいいんだ……」 「えっ?」 俺の捨て身のジェスチャーが通じたのか!? 俺についている香水の匂いに気付いてもらえれば、モー子ならわかるはず! 仕方ない――ちょっと強引だけど。 「ちょ、あの、みっちー!?」 「おまっ、頭おかしいにもほどが……!」 違う、違うんだ! そういう意味じゃない! そう叫びたかったが、今口を開いたら絶対わけのわからない言葉になってしまう。 「さっきからお前、どうしたんだ!? 鹿ケ谷だって嫌がって……ん?」 「…………」 「……鹿ケ谷?」 「あ、あれ? あの、もしかして、あれれ?」 やばい、今度は別の種類の誤解だ。 これじゃいきなりイチャついてる所を見せつけてるみたいじゃないか。 違う、違うんだ! 「……ふむ」 「えーと、あの、おれ達、出てようか? ねえ村雲先輩」 「そ、その方が、いいのか?」 「誤解です、烏丸くん。ここにいてくださって結構です」 「えっ? ご、誤解??」 「この香りは……」 モー子がふんふんと鼻をならしている。 やった! 俺の捨て身の作戦が成功したようだ! 「こ、久我くん。あの、もう、わ、わかりましたので……」 「…あ、ああ」 「香りって?」 「香水でしょう。ただの香水ではなく、特殊な効果のあるものですね」 「あ、そういえば……!」 何も話せない俺に代わって、おまるが昼にあったことを話した。 隣のクラスの諏訪が倒れて保健室へ運ばれたこと。 なぜかハイジが慌てて保健室へ向かい――そして俺がハイジの後を追ったこと。 モー子はおまるの話を聞き終えると、腕組みをして考えこんでいた。 「そして烏丸くんの話からすると、この香水をふった犯人は、ルイさんではなくアーデルハイトさんでしょう」 思いっきり頷きたいところが、またおかしな変な動きになってしまいそうだ。 「きみはそのままここで待っていてください」 「……!?」 「烏丸くん達は、彼が出ていこうとしたら死ぬ気で止めてください」 「え!? えええ!? わかったけど……どこ行くの?」 「一体なにがどうなってんだ??」 「ああ、わかった…」 モー子の行く先は気になるけど、今は自由の効かない身だ。 ここはまかせておくしかないだろう。 「聞きたいことがあります」 「何かしら?」 「ここに、ホムンクルスは魂を持たない――とありますが、これはどういう意味ですか?」 「その通りの意味よ」 「……ほう」 「ホムンクルスはあくまでも創造者に作られた人形であり、その命令には絶対に逆らえない。そして魂も持たない」 「では、例えばの話…ホムンクルスを器として、自分の魂を移し替えたとしたら」 「それは出来ないわ。魂を持たないとは、魂が宿らないという意味でもある」 「そうなのか……つまり、自分の体のスペアのようなものは作れないということですね」 「…………」 「何をしようとしているのですか?」 「……チッ」 振り返ったルイはいつもの、自分の感情を出さない顔をしていた。 「やはり、つもりはつもりでしかなかったようですね」 「なんのことでしょう?」 「あなたのお嬢様が、とんでもない事をしでかしてくれました」 「……なに?」 (やはり、この人は何も知らない) ぴくり、と眉があがる。 予想は当たっていた。 ここ数日のアーデルハイトとルイは別行動をとっている。 つまりアーデルハイトの暴走は、一人で行っているのだ。 「かいつまんでお話ししましょう。久我くんが、何か妙な香水をかけられてしまいました。そのせいで私達に伝えたいことが口に出せないのです」 「…………っ」 「そして彼が伝えたいことは、おそらくあなたのお嬢様にとって重要なこと」 ルイはついに自分の感情を隠さず、声を荒げた。 「あなたは何も知らされてなかったんですね」 「勝手に暴走してるんだ、どこだ、フラウは!?」 「ひとまずこちらへ、いらしてください」 「……ルイ!?」 「…………」 突然やってきたルイは、つかつかと俺のもとへと近づいてくる。 何をされるのかと思っていたら―― 「……この香りは」 わずかに鼻をひくつかせて、深いため息をついた。 「コガ、この香りは間違いなくフラウにかけられたものですね」 「そう、そうなんだ……マ、マリモがさ……っ!?」 「またマリモかよ!!」 「やっぱり何かおかしいよ、みっちー…」 「おわかりいただけましたか?」 「…………はあ」 ルイは呆れたとばかりに顔を左右に振ると、胸元から小瓶を取り出した。 「フラウが使用したのは、命令暗示のもののようですね。これで効果を打ち消せます」 ルイは小瓶の中身を俺の頭上に思いっきりふりかけた。 やけに揮発性の高い謎の液体だった。 「いかがでしょう。もう話せると思うのですが」 「ハイジはいま諏訪って子に力を貸していて――本当だ、話せるようになった!」 やっと自由を取り戻した体で、俺はハイジと諏訪のことを打ち明けた。 できるだけ二人の気持ちをしっかりと、特査の皆にもわかってるもらえるように。 モー子達もそれをわかってくれたのか、最後まで一度も口を挟まずに聞いてくれた。 「……ホムンクルス自体をどうこうするというのは、ひとまず置いておくとしても、とにかくトランクは回収した方がいいのでは」 「うん…その『ぴぃちゃん』が大事なのはわかったけど、やっぱり危ないと思う。血を抜くなんて」 「ああ。簡単に魔力の供給なんて考えちゃいけねー……本当に」 「ハイジはさ、なんとか血液を魔力の代わりにしなくて済む方法を探してるって言ってたけど、難しいもんなのか」 ふとルイの方を見ると、珍しくイライラしているような様子だった。 仲が悪いとは思っていたけど、やっぱり主人の体は心配なんだろうか。 「私の考えは、これ以上彼女達に血を抜かせてはいけないということです。このままでは命に関わってしまう可能性があります」 おまるも村雲も、同じだと言わんばかりに深く頷いた。 それは俺だって一緒だ。 「諏訪の部屋は、西寮だ。案内するよ」 「しかし、遺品であるトランクはアーデルハイトさんの部屋に保管されている場合もありえると思います」 「そうだな、東寮の客室と西寮、二手に分かれて向かうのはどうだ?」 「そうだね、どっちにしろ早く行った方がいいよね」 「――私も、ご一緒してよろしいでしょうか」 「ああ、あんたのお嬢様のことなんだからな」 「…………」 こうして、ルイとおまるは東寮のハイジの部屋へ。 俺とモー子、村雲は西寮の諏訪の部屋へと向かった。 「許可できません!」 「緊急事態なんだよ! ほんのちょっとでいいからさ!」 「もうすぐ夜が来るので、危険なんです」 「ほんっとにすぐだから」 「だめです! 早く戻ってください!!」 せっかく西寮までやって来たというのに、頑固な門番に足止めされてしまった。 何が何でも、俺達を通さない様子だ。 仕方ない。ここは強行突破しかない。 モー子は戦力外だが、村雲と二人ならなんとかなるだろう。 「おい村雲、強行突破するぞ。お前も力貸せよ」 「ま、まてまて! 西寮の警備はその手の訓練をきちんと受けた風紀委員ばかりなんだぜ?」 「そうなのか!? でもま、相手は少数だしいけんじゃねーか?」 「風紀委員の組織力なめんな、ここで暴れたらすぐに援軍が来て収拾つかなくなるって」 ……一応、ヤヌスの鍵を使って入るって手もある。 だけどその方法は、一度スミちゃんを呼びに行かなければならない。 それこそ時間がかかるし、本当に夜がやって来てしまう。 「あのさ、ここは正攻法っていうかさ…入寮権限を持っている聖護院先輩に頼むのが一番じゃないかって思うんだが」 「もも先輩に?」 「……確かに、それが最も解決しやすいかと思います」 モー子の頷きを見て、村雲がくるりと振り返り、門番の方へ近づいていった。 「わかった、オレ達は入らない。けど、ほんっとに緊急事態だからさ、委員長にちょっとだけ…頼みごとしちゃだめか?」 「聖護院先輩にですか?」 「頼む! かーなりヤバイことになるかもしれないんだ!」 「私からもお願いします」 「…わかりました。とりあえず連絡してみます」 ラッキーなことに、風紀委員長のもも先輩は、西寮にいたらしい。 諏訪は部屋にいるのか、その部屋の中にトランクはあるかどうか。 もも先輩は村雲から連絡を受けてすぐに、確認しに行ってくれたようだ。 …………。 ………。 「だ、だ、大丈夫かよ……」 「やべ、深呼吸! 深呼吸を!!」 「顔色は悪くありませんでしたか? 貧血と聞いていましたが」 もも先輩の言葉に、俺もモー子も顔を見合わせた。 諏訪は部屋で寝ている。だけどトランクはない。 もしかしたら――諏訪はハイジ得意の香水の効果で眠らされている? トランクの行方は、ハイジが持っている以外にはないだろう。 その理由は……? 全部、『もしも』の話だ。だけど頭の中でどんどん予感が繋がってゆく。 「ああ、そうだな」 「お気持ちはわかりましたから、おとなしく休んでいてください」 「ううっ〜! どうか皆、無事でね〜」 「あ、みっちー! 憂緒さーん!」 東寮へと向かう途中、向かいからおまる達が走ってやってきた。 「あれ? 皆、なんでここにいるの?」 「なんでって、決まってるだろ。西には何もなかったからだ」 「正確に言うと、諏訪さんは眠っていましたが、トランクとアーデルハイトさんが行方不明です」 「……っ」 ハイジもトランクも、本格的に行方不明ってわけか。 もしも俺やモー子の予感が当たってるなら、一刻も早く見つけなきゃいけないってのに。 「モー子、本気で急がないといけないようだな」 「はい。烏丸くん、村雲くん。念のため風紀委員と連携して、一度校舎の方を捜してもらえますか?」 「わかった!」 「よし、じゃあ急ぐぞ!」 「私達は――」 「お伺いしたい。フラウは西寮の部屋から、確かにトランクを持ち出したのですか」 「ああ、そうとしか考えられないと思う」 「……どうも」 ルイは踵を返して、再び東寮の方へと向かおうとしている。 もしかして、ハイジの行方に心当たりでもあるのか? 「おい、ハイジの部屋に戻るのか?」 「……Ja」 「私達もご一緒してよろしいですね?」 ルイの返事はなかった。 しかし俺達を振り切る様子もない。 ルイの後ろについて、俺とモー子は東寮へと足を進めた。 「…………」 「何やってんだろうな、ルイ」 ハイジの部屋に着いたとたん、ルイは何やら荷物を調べ始めた。 もちろんそこにトランクはない。 (スミちゃんに言って、ヤヌスの鍵を借りるのが一番手っ取り早いかもしれないけど…相手がハイジだもんな) 俺にかけたように、香水を使った魔術で行方をくらましていたら、見つからないかもしれない。 「……ルイさん。何か勝算があるんですね」 モー子の声に、ルイは手をとめ顔をあげた。 「おそらく、捜せます」 「それはあなたがたの使う特殊な魔術で、ですか」 普段は無口なルイだが、この時ばかりは饒舌だった。 それから荷物の中から香水瓶を一つ取り出すと、目の前に掲げて注意深く眺めていた。 「やはり。これは『人に気に止められなくなる』効果を持つものです。明らかに量が減っている…」 「アーデルハイトさんはそれを使い、私達の目をくらましていると。少々厄介ですね」 「……いや、そうでもない」 ルイはまた何かを考えこむように、黙ってしまった。 「本当に大丈夫なのか? あんまり時間がかかるとハイジのやつ…無茶しねえかな…」 「ここはまかせてみましょう」 時間はない。気持ちは焦る。 だけど、モー子の言う通りだろう。 ハイジ達の魔術に関しては、俺達では何もできないんだから。 「これは魔術の形跡をあらわにするものです」 中身は細かな粉だったようで、あっという間に部屋中に広がり―― 「これが、魔術の形跡ってやつなのか」 おそらくハイジが歩いていった後をなぞるようにして、床の上が色づいている。 この色を辿っていけば、ハイジの居場所がわかる、というものなのだろう。 「……アーデルハイト」 「……時間はありませんね。烏丸くん達にも知らせて一緒に捜しましょう」 「そうだな、早く見つけてやんねーと無茶するぞ…ハイジ」 魔術の形跡を追ってやって来たのは、寮を出て校舎に向かう途中―― ちょうど庭園みたいになっている場所だった。 「この先にいるようです」 ぼんやり光る痕は、奥の方へと続いている。 「お! あそこにいたぞ」 「ああ、ちゃんと合流できて良かった〜」 校舎の方を捜していたおまる達とも、無事に合流できた。 あとは無事に、ハイジが見つかることを祈るだけだ。 「急ぎましょう」 ルイのまいた粉は軽く、風が吹いたら四散してしまう。 俺達は入り組んだ庭園の中を、慎重に見回った。 …………。 ………。 「これで、足りるかしら」 「……はあ。やっぱり、少しくらくらする……」 「でも、私がやらないと…アオイのもとにこれを置いておくわけにはいかないわ……」 「あの子…無茶するから……本当に……」 「何を考えているんだ、お前は」 「――っ!?」 「今、ルイさんの声がしましたね」 「あっちだ! ハイジが見つかったのかもしれない」 おまるも村雲もルイの声に気付いたようだった。 茂みをかきわけ、声のした方へと向かうと―― 「その道具で一体何をしているんだ。わざわざ小細工までして人目を盗んでやっていることは、何なんだ?」 あまりの剣幕で怒るルイに、誰も声を出せなくなっていた。 言いたい事が山ほどありそうな顔をしてたモー子ですらだ。 「鏡は持っているか? 見てみろその顔色を。一体お前は何をしたいんだ!」 「……ある…って…言ったからよ」 「そんな甘えた猫のような声では、聞こえない」 「ずっとずっと、図書館にこもって、そのことばっかり調べて――ため息ばっかり!」 「…………」 「だから、だから私はっ」 「俺が何故ホムンクルスに興味があるのか、その理由を考えたことはあるのか」 「……え?」 ルイの声は、一層きつく、冷たく響いた。 ハイジ本人ですら、ついに言葉を呑み込んで話せなくなっている。 「魂を移せないのか、と聞いていましたね」 「……」 「魂を移す? ホムンクルスに?」 「……ああ」 「どうして? ルイ、そんなこと…何のために?」 「そうすれば、多少死んでも大丈夫だ」 ハイジの顔色が、さっと変わる。 それはさっきまでと全く違う、明らかな怒りの色だった。 「多少って何!? 死ぬって、死ぬってどういう意味よ!」 「死の意味すらわからなくなったのか」 「わかってるわよ、でも多少なんて…なんて……ばか! 死んだら死んじゃうのよ、ルイのばかっ!!」 「馬鹿はお前だ!」 「どうして……どうしてよ!」 「お前を守るためだろうが! それなのにお前が一人で危険なことしてどうする?」 「……え?」 「いざという時に身体のスペアがあれば、何を守るか選択出来るようになる。執事としての仕事をまっとうすることも出来るだろうが」 「わからない…ルイ、あなた、そのために……自分のスペアを作るつもり……だったの? だからホムンクルスのこと調べてたの?」 「主と血統と魔術を守る。それがヴァインベルガー家の掟だろう。そのために一番有効な手段について考えていただけだ」 「……ばか。やっぱりばか、ばかだわ!」 「ああ、本当にそうだな。俺がどれだけ守りたいと思っても、当の本人が暴走ばかりしていたら体がいくつあっても足りない」 「――でも、でもそんなのっ!!」 真っ赤な顔で涙を浮かべてるハイジ。 深いため息とともに、かたく目をつぶったルイ。 このままじゃ、ずっと平行線で言い合いをしてしまいそうだ。 「あのな――」 「…ルイの言う通りだろ。ハイジ、ちょっと落ち着け」 「反省しろ、この跳ねっ返り娘が」 「あなたもです。ルイさん」 「……は?」 「そもそも、あなたが何のためにホムンクルスなんてものを調べていたのかきちんと説明していれば、彼女も暴走していないでしょう」 「……説明したら、この通りの反応でしたが?」 「あ、当たり前でしょー!? だって、だってルイが死ぬなんてこと、死んでも大丈夫みたいなこと考えて……っ!」 「ルイ、お前…ハイジの気持ちも考えてやれ」 「……っ」 「やめて…やめて頂戴!!」 「えっ?」 ハイジは真っ赤になり、ぶんぶんと頭を振って否定している。 「……まったく、バカだな」 「ああ、そうだ。バカだ。いいか、トクサの面々はお前を心配してくれているんだ。そんなこともわからないのか」 「……そ、それはっ」 「まったくこれからが思いやられる。俺はそんな初歩的なことすら教えてこれなかったのかと思うと自分に嫌気がさしてきた。ああ、まったく…!」 「私は、そういうのじゃなくてっ」 「こんなことじゃ、完全なスペアを何体作れたとしてもおちおち死ねない。かなり悲劇的じゃないか?」 「ルイ、お前…ハイジの気持ちも考えてやれ」 「……っ」 「せめて何がしたくてホムンクルスについて調べてるかくらい先に教えてやれば、こんなに勝手に暴走したりしてないと思わないか」 「……しかし」 「……人を疑わず、騙されやすいという意味でございます、フラウ」 「ともかく、これは私達の問題です。外野にとやかく言われる覚えはありません」 「……なんだよ、それ」 「一言申し上げますが、久我くんが言ったことに間違いはないと私も思います。あなたがきちんと説明していれば、彼女も暴走していなかったでしょう」 「……説明したら、この通りの反応でしたが?」 「あ、当たり前でしょー!? だって、だってルイが死ぬなんてこと、死んでも大丈夫みたいなこと考えて……っ!」 「私からも一言申し上げますが、先程久我くんが言ったことに間違いはないと私も思います」 「…………」 「……確かにその通りかもしれません」 「ルイ……?」 ルイは急に毒気を抜かれたように、肩を落とした。 ――なんだか、どっちもどっちだな。 俺がそう思ってると、モー子も同意見だったのか、呆れたため息をこぼしていた。 「なんか、根っから仲悪いわけじゃないんだね! ハイジさんとルイさん」 「はい?」 「だってね、ハイジさんはルイさんのためを思って、ホムンクルスのこと調べるの手伝おうとしたんでしょ?」 「…で、ルイさんはハイジさんを守るために、自分のスペアが作れないかなーってホムンクルスのこと調べてた…ってわけだよね」 「それって結局、二人ともお互いのことを考えてたんだってことじゃないかな」 「……っ」 「……」 にこにこと言い放ったおまるに、ハイジもルイも絶句していた。 「しかし、効率的な方法を考えれば……」 「わ、私だって、そ、そうよっ…!」 「こういう時、烏丸の天然攻撃は最強だな…」 「他人が被害に遭ってるぶんには面白いんだけどな…」 ほとんどの場合、矛先がこっちに向いてくるから困りもんだ。 なんて思った瞬間だ。 「烏丸くん! 今の発言はひ、非常に不本意です!!」 「えっ、えええ〜!?」 いきなり自分に向かって、おまるの天然爆弾が飛んできやがった。 まったく、いつどこで爆発するかわからないから本当に困る。 「賛成だ、お前らも自分の部屋に戻った方がいいだろう」 「そ、そうね……」 トランクの方に伸ばしたハイジの手を制したのは、モー子だった。 「これは特査で預かります」 「待って! これを封印されては……っ!」 「……あ、わかった…わ」 モー子の勢いに負けたのか、ハイジは俯きながら手を退けた。 「今日はもう休んでください。この遺品とホムンクルスの話は、あらためて明日しましょう」 ――長い一日だった。 そう感じているのは俺だけじゃない。モー子もおまるも横顔に疲れが見える。 しばらく遺品絡みの騒動から遠のいていたからだろうか。 いや。それだけじゃないよな。 「あのさ…正直なところ、お前らはどうするのが一番いいと思ってる?」 小さいとは言え、ホムンクルスの構造は人間と変わりないらしい。 不完全なホムンクルスであるぴぃちゃんを動かすには、やはりそれなりの魔力を食う。 「どうにもならないのかな…ずっと血を魔力に変化させ続けるわけにはいかないし…」 「それって――」 魔女は俺達一般人とは持っている魔力の桁が違うらしい。 もしかしたら、魔女ならば血を必要としない、完全なホムンクルスを作ることが出来るんじゃないだろうか? 「魔女に作り直してもらう、とかか?」 「いいえ、それでは主が変わってしまいます」 「あ、そうか。それじゃ解決しないよな」 「……村雲さんの魔石です」 「スミちゃんの持ってた魔石を使うとか?」 「そうです。あれを用いれば維持できるでしょうね」 純度の魔力の塊である魔石――ラズリット・ブロッドストーン。 持っているだけで、魔力を肩代わりしてくれるという、まさに魔法のアイテムだ。 確かにラズリット・ブロッドストーンを使えば、ぴぃちゃんに魔力をずっと供給し続けることは可能なのかもしれない。 ――だが……。 「ホムンクルスという存在は、主が道具として割り切って使えばとても有用なものだけれど――」 「そうでない場合は、主もホムンクルスも得てして不幸になる」 リトが言った言葉が、頭の中を巡る。 「諏訪やハイジの想いもわかる――ただ、ホムンクルスのことを知れば知るほど……本当にこのまま助けてもいいものかって気もするんだ」 俺は自分の正直な気持ちを打明けた。 「……そっか。うん。おれも、それは…わかる」 「難しい問題です」 遺品で偽物の命を、作り出してしまったのだ。 もしもその命が道具のように扱われていたなら、特査は迷うことなく動けただろう。 だけど、違う――。 「けれど…以前の壬生さんの時と同じように…遺品の力なんて、本当はない方が幸せだと、私はそう思います」 モー子は、あのトランクを封印しようとしているんだ。 「きみは、私のことを冷たいと思いますか?」 「いいや」 「…………」 「俺も、そうした方がいいと思うよ」 「……えっ?」 俺の返事は、モー子にとって意外なものだったらしい。 目を丸くして、俺の顔を見上げてる。 「きみなら、魔石を使って助ける方法を取るのではないかと思っていました」 「……違うだろ。それは本当の幸せじゃない」 「お前が冷たいから、そう言ってるんじゃないことくらいわかる」 特査だから、遺品を封印しなきゃいけない。 そんな単純な思いで動くヤツじゃないことは、わかってる。 むしろ誰より鋭すぎるから、もっと心の中の痛みは大きいはずだ。 「お前はえらいな、モー子」 「いや、そのまんまの意味だけど――」 「意味がわかりませんっ! …明日のためにもう休みます!」 「そうだな」 翌日の昼休み――。 約束した通り、特査分室にハイジとルイ、そして諏訪とともにぴぃちゃんがやってきた。 諏訪はまだ貧血気味らしく、具合はよくなさそうだ。 「……かわいい」 「……うぅ」 「違うんです。ぴぃちゃん、ちょっと調子が悪くて」 「魔力が足りないから、ですね」 モー子はそう言いながら、回収したトランクからガラス瓶を取り出した。 瓶の中でキラキラ輝いている液体は、魔力の源。 昨日ハイジが自分の血を蒸留して作ったものだった。 「これ、どうしたの??」 「私が作ったの。アオイはもうたくさん採ったでしょう。早く飲ませてあげて」 「……アーデルハイトさん」 さっきまでぐったりしていたぴぃちゃんが、みるみる元気になった。 それほどまでに『魔力の源』は強い力を持っている。 しかしこの強い力に比例しているのは、人間の血だ。 「このままでいけないのはわかっているわ」 「……ええ」 「でも……でも何とかこの子を助けたいの!」 ハイジの思いは昨日と同じだ。 諏訪も頷いている。 確かに――あれほど元気になって喜んでるぴぃちゃんを見たら、そう思ってしまう。 「わかっています」 モー子は、自分が悪役を買うつもりだ。 それはダメだと冷たく言い、二人を説得しようと考えているんだろう。 「モー子、お前じゃなくてもいいだろ」 「……え?」 「元はといえば、俺が最初に首をつっこんだ事件なんだ。俺がやる」 ――その時だった。 ルイの冷たい声が響いた。 「お前達はそれを、お友達か何かと勘違いしてるんじゃないのか?」 「……ルイ」 「ホムンクルスは人ではない。いや、むしろ命と呼ぶことすら迷うものだ。どれほど愛らしい様を見せてもそれは――ただの人形だ」 「……ぴぃちゃんは、違い…ますっ」 「錬金術は知らないのだろう? 仕方ない、無知は時として何より恐ろしい武器になるからな。しっかり覚えておくように。ホムンクルスは、人ではない」 「ただ創造主の望んだ行動を繰り返す、プログラミングされた人形と同じだ」 「…………」 ルイはぴぃちゃんを指差し、話し続ける。 冷たく、人を突き離す、毒の混ざった言葉。 しかしルイの言葉には嘘はなかった。 モー子もそれがわかっているから――ルイの話を黙って聞いていた。 「ご名答。主人と遊びたくて遊んでいるわけではない。主人のことが本当に好きなわけでもない。ただ機械的に、主人の命令が絶対なだけだ」 「……?? これ、なあに?」 「やめて……そんなこと……言わないで……」 「あおい、泣いてる?」 諏訪の目から、大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。 それでも、ルイは自分の考えを曲げることはない。 「さあ、試してみるがいい」 「やめて……もう……やめて……」 「あおいがやめてって言ってるの! やめてあげてよー!」 「俺が言っていることが嘘だと思うなら、できるはずだ」 「ごしゅじんさま、いじめちゃだめーっ!!」 突然、ぴぃちゃんは諏訪の腕からルイの腕へと飛びかかった。 ルイはそれを避けることなく―― 「いじめるの、だめー!」 ルイの袖元がさっと赤く滲んでゆく。 ぴぃちゃんはそれでも、ルイの腕を噛んで離さなかった。 「待って! ぴぃちゃん! やめて!!」 「ゆるさない、あおい、やめてって言ったー!」 「わかったわ、もう言わないようにするから、離してあげて」 「あおい、あおいー! ぴぃ、がんばるよお」 それまで仲良くして、会話もしていたというのに、ぴぃちゃんはハイジに見向きもしなかった。 『ただ機械的に、主人の命令が絶対なだけ――』 ここにいる全員が……きっと諏訪の頭の中ですら、ルイの言ったことが響いていた。 「おい、まさかあのまま噛みちぎられるって事にはならないだろうな」 「みっちー、止めに入った方が……あんなに血が出てる」 「そうだな、ちぎられるって事はないだろうが――」 俺達の話に気付いたルイは、視線だけをこちらに向けた。 「結構です」 「…………」 「ぴぃちゃん! もう……やめて」 「あおい!」 諏訪が絞り出すような声をあげてやっと、ぴぃちゃんはルイの腕から離れた。 「こういうことだ。こいつは主人の言う事しか聞かない」 「……もういいでしょう。皆には十分、伝わったと思います」 「そうならいいのですが」 モー子は諏訪のそばに行くと、自分のハンカチを差し出した。 そして、涙でぐしゃぐしゃの諏訪の頬をぬぐった。 「諏訪さん。ぴぃちゃんは、生みの親であるあなたの言う事しか聞けないんです」 「…………」 「ホムンクルスとはそういう存在で、あなたが引き留めればいつか…ぴぃちゃんは弱っていくあなたの姿をじっと見ているしかできなくなってしまう」 「見ている……だけしか……」 「そしてあなたが死んでしまったら、たった一人残されてしまう」 「あとは、わかるでしょう? ぴぃちゃんは不完全ですから、残った魔力が尽きて、死ぬ時間を待つだけです」 「そんな……一人で……なんて……」 「それでもいいのですか」 また溢れた諏訪の涙を、ぴぃちゃんは両手をのばして掬おうとしている。 その時だった。ぴぃちゃんの足元がふらり、とよろけたのだ。 「……!!」 諏訪は気付いたんだろう。 ぴぃちゃんの中にある魔力が、また少なくなってきたのだ。 「……あおい、死んじゃうの?」 「……う、うううっ」 モー子は膝を折り、ぴぃちゃんに視線を合わせた。 「あなたと、あなたのご主人様は繋がっている。だから、あなたがいる限り、無事には済みません」 「どうすれば…いいんですか…ぴぃちゃんが幸せになってほしい…それだけです」 「ぴぃも! ぴぃもあおいと同じなのー!」 「全ての根源である、トランクを封印すれば……おそらく未完成のままのぴぃちゃんの体は大きな影響を受けるでしょう」 「モー子、それは……」 「おそらく、ぴぃちゃんの体は……消えてなくなる」 モー子のことだ。 これは予想ではなく、リトから聞き出した確定の情報だろう。 それをわかったうえで、言っているのだ。 「あおい! ぴぃそれでいいよ! だってあおいが死んじゃだめだもんっ! ぴぃ、それ絶対やだやだ!」 「……ごめん……ごめんね、ぴぃちゃん……」 「いいよ! あおい死なないんだよね! ごしゅじんさまが死なないならいいよ! ぴぃ、それがいっちばん幸せ」 モー子は遺品であるトランクを机の上に置くと、札を取り出した。 それからいつものように、自分の血を札に宿した。 何度も何度も見た、封印の儀式。 だけど……だけど、今回のは、違う。 「ごめんね……わたしのわがままで、ごめんなさい……」 「どうしてあやまるの? ぴぃ、ぜーんぜん平気だよ」 封印の儀式が進む間も、諏訪の腕の中のぴぃちゃんはにこにこしている。 これから自分の体が消えてしまうことに気付いていないのか。 それとも、主の命令だから平気なのか。 俺にはどちらが本当なのか、わからなかった。 「…………」 「よく見ておくのです、フラウ。私どもも魔術や錬金術を用いる一族なのですから」 静かに唱えられる呪文が、最後の一節を迎える。 「――刻を、止めよ」 「あーおい」 「……どうしたの?」 「ぎゅーってして! あおいのぎゅー、だいすき」 「ぴぃちゃん……!!」 腕の中で溶けるようにぴぃちゃんが消えると、諏訪は小さくぴぃちゃんの名を呟いて気を失った。 「アオイ!!」 慌ててその体を抱きとめたハイジの目も真っ赤だった。 「う……ううううっ……諏訪さん……ぴぃちゃん…」 「そ、そんなに泣くなよ、烏丸……」 「終わりました」 無事に封印を施されたトランクが、机の上にある。 二度と誰も使えないように、宝物庫にしまわれるだろう。 もう二度と、ホムンクルスを生み出さないように―― 「コガ、あの子を背負って連れて帰るのはあなたが適任でしょう」 「……ああ、確かにな」 「私はフラウのおそばに参ります」 「それがいい」 「あ、みっちー…おかえり。お疲れ様でした」 「うん。諏訪は無事送ってきたよ」 気を失った諏訪を寮の部屋まで送り、戻ってくると―― ハイジとルイは特査分室で待っていたようだ。 空気は重い。 誰のせいというわけではない。だけど誰も口を開けなかった。 「……」 沈黙がどれくらいの時間だったのか、俺にはわからなかった。 意外にもその沈黙を破ったのは、モー子だった。 「本当は、たった一つだけぴぃちゃんを助ける方法はありました」 「……え?」 モー子以外の、全員がはっと驚いて息を呑んだ。 助ける方法ってのは、きっと魔石を用いる方法のことだろう。 だけどそれは……幸せかどうなのか。 俺達特査のメンバーが全員迷ったことだった。 「どうして? じゃあどうして!? そんな…助けられるなら…助けたかった…っ」 「でも、諏訪さんのことを考えると、こうした方がいいと思ったからです」 モー子は迷いなく、きっぱりと言った。 「…………っ」 「わ、私は…言ったのに…アオイに言ったのに……」 「助けるって…必ず全てを解決する方法を…見つけるって…言っておきながら…結局、何もできなかった…」 ハイジはそこまで言いながらも、決してモー子を責めなかった。 きっとハイジも気付いたのだろう。 モー子がどうして封印を選んだのか、その理由を。 スカートの上で真っ白な手がぎゅっと握られて、震えてる。 「ハイジ――」 「フラウ、お伝えし忘れていたことがございました」 「……なに?」 「先日、英国から取り寄せたとっておきの紅茶が届いておりましたが、いかがいたしましょう」 「……」 「スコーンによく合うものですから、午後のお茶にはぴったりでしょう」 「……そう」 「Ja」 「私達は、そろそろ戻ります」 「はい。気を付けて」 やっといつものハイジっぽさが戻ってきた。 ソファから立ち上がったハイジは、背筋をぴんと伸ばして扉の方へと足を進める。 「……」 「ん??」 と、思ったら。 ハイジはくるっと振り返った。 「な、なんだ??」 「…ん……その…」 「ん??」 「……だから……もごもご……で……」 「え? なんだよ、何て言った??」 「???」 ハイジは顔を真っ赤にして、俯いてしまった。 これじゃまるで、俺がハイジのことをいじめてるみたいじゃないか。 「ちょっと、え? なんで??」 「……っ」 「はあ……仕方ない」 「感謝します、と仰ってるのです」 「あ、そうなの?」 「…………」 「更に申し上げます」 「主の心を察するのが執事の役目」 「フラウ、お茶会のメニューについてのご相談がございます」 「違うんですから、ほんとに、ねっ!!」 「そろそろ参りましょう」 「なんか、お嬢様元気になったみたいだな」 「そうだね。うん、良かったよ」 ハイジとルイの言い争う声は、廊下に出てからも続いていた。 あのケンカみたいなやりとりが、二人の信頼の裏返しなんだろう。 「……ようやく一段落ですね」 「ああ、そうだな」 一段落。 たしかに遺品がらみの騒動は、収まった。 俺達が選んだことが、本当に一番良い選択だったのかどうかは、わからない。 ホムンクルスという生き物が、不条理で悲しいものだということを知って、そのなかで見つけた答えだった。 ハイジと諏訪は、きっとこれから少しずつ受け入れていくんだろう。 数日後……。 「食後のデザートとお紅茶でございます」 「わあ、美味しそう…!」 「このお茶は私のお気に入りなの。ぜひアオイも試してみてほしくて」 テーブルの向かいには、アオイが座っている。 あの騒動の最後に、アオイにするべきことはたった一つだと気付いた。 大事なものを失ったアオイの心にあいた穴を埋める。 その方法は、魔術や不思議な力を頼るのではない。 ともに時間をすごし、話に耳を傾ける。 (アオイ、やっと笑顔が戻ってきたわね) 紅茶を飲み終えると、アオイは深呼吸した。 「……ええ」 「もしアーデルハイトさんにお暇ができたら、わたしの実家に遊びにきてください。そこにぴぃちゃんが眠ってるんです」 「そうなの、ぜひ伺うわ」 「母があの子によく似合う、可愛い花畑にしてくれて」 「優しいお母様なのね」 今までの言葉や行動を通して、アオイの優しさは十分なほどにわかる。 それは小さな頃からアオイが同じように優しくされていたからなのだろう。 「そういえば、ぴぃちゃんはどんな子だったの?」 「どれどれ」 「はい、見てみてください〜」 「とっても可愛いでしょー!」 「これはこれは……」 「ありがとうっ♪」 お茶会を終えると、アオイはぺこりと頭を下げて校舎へと戻っていった。 廊下の先に消えていった背中は、初めて会った日の明るく屈託のない姿と同じだった。 「ねえ、ルイ。アオイ、元気になっていくかしら」 「なるだろう。あの子は一人じゃない。友達もいるし、良い家族を持っているようだからな」 「……そうね」 と、その瞬間。 目の前が、真っ白になった。 慌てて手で振り払ってみると、正体は魔術の形跡をたどるパウダーだ。 「ちょ!? ごほごほっ、いきなり何するのよ!!」 「いや、また少し様子がおかしいから香水を使ったのかと思ってな」 「おかしいって、どういう意味!? もうー! 粉まみれになったじゃないの」 「ありえないほど殊勝な態度だったからな。自分の目的のために突っ走るじゃじゃ馬が、ここまで他人の心配をするとは思わなかった」 「じゃ、じゃじゃ馬!? 違うっ! 私そんな……」 「さすがに言いすぎたか。ではこの国で調べた動物で例えよう。あれは確かイノシシと呼ばれていた。まっすぐしか走れないという……」 ルイに向かって手を振り上げた時に、粉が舞ったのだろう。 粉は床に落ちたとたん、不思議な色に染まっていた。 意味するところは一つ。 魔術が使用された形跡がある、ということだ。 「……この反応は」 「似ているな」 「ええ。だけど、私の香水を使ったものとは違う」 「似たような、別の魔術ということか」 「そうね。でも…一体、誰が何のために――?」 「真由美ー、何してんの? 何それ、なんだか古いランプ持ってるね」 「へえ、そうなんだ。ランプのデッサンなんてしたことないなあ」 「うん。ちょっと埃被ってるから、拭いといてって先生に頼まれたんだけど……まだ曇ってて」 「タオルか雑巾濡らして拭けばいいんじゃない?」 「せっかくだし、一緒に行こう〜っと」 「あ、私も」 「ふふふ」 「そうだね、さっきよりは随分」 「授業で使うだけなら、このくらいでいいんじゃない」 「そうだね」 「あ……教室戻らなきゃ」 「でもこれ、まだ乾いてないよ」 「えっと、片付けられないようにメモ置いとこう」 「あ、私メモ帳とペン持ってるよ。これ使って」 「ありがとう」 「乾かしてますって、書いとけばいいかな」 「それでいいんじゃない」 「これで誰も持って行かないよ。先生来ちゃう前に、教室戻ろう」 「うん。そうだね」 「あ、おはよう」 「あれ? ちょっと顔色よくなった?」 「そ、そうかな?」 「うん。なんか体調悪そうだねって心配してたんだよ」 「ごめんね。でも、もう大丈夫……ちょっと、寝不足だったんだ」 「えー。ちゃんと寝ないとだめだよ」 「そうそう。お肌にも悪いしねー」 「ふふふ。そうだね、気をつけるよ」 友達と楽しそうに話しながら歩く諏訪の表情は、明るく元気なものだった。 遠くから見ているだけでも、もう随分と元気になったのがよくわかる。 「もう大丈夫みたいだな」 「はい。かなり元気になったようですね」 「うん。良かったね!」 「友達も心配してたんだな」 「そりゃ、あんな状態だったんじゃなあ」 見るからに顔色も悪かったし、日に日にやつれていれば普通は心配になるに決まってる。 きっと、諏訪の友達もずっと気にしていたんだろう。 あれから数日経過して、諏訪も立ち直りつつあるようだ。 もしかしたら、俺達が心配しすぎていただけなのかもしれないな。 けどまあ、あんな状態だったから、さすがに解決したからって放ってはおけないし。 「ああ、鍔姫ちゃん。おはよう」 諏訪の様子を見ていると、鍔姫ちゃんがやって来た。 そして、俺達に挨拶をすると諏訪を見つめてどこか安心したような表情を浮かべていた。 「壬生さんも彼女が気になっていたのですか?」 「でも、きっと寂しいだろうな」 「ああ、そうだな。友達がいなくなるのは、とても寂しいことだから……私にも、よくわかる」 「鍔姫ちゃんがそれ言うと実感こもりまくりだって」 「そ、そうだろうか?」 「そりゃもう」 スミちゃんのことがあったから、話を聞いた鍔姫ちゃんも気が気じゃなかったんだろう。 今回の話をした時、随分深刻そうな顔をしていたもんな。 あの状況の諏訪の気持ちが誰よりもわかるのは鍔姫ちゃんかもしれない。 「あとから、人形でないスミちゃんに出会えた私はとても幸運だったのだと思う」 「そうだな……」 「ああ、良かった」 「はい。おれもそう思います」 「そうだ。彼女にも私のように新しい友達ができたんだろう?」 「あ、そうですね。ハイジさんが、諏訪さんの世話を焼いてるみたいですから」 そういえば、二人が楽しそうに話してる姿を校内で見かけることもある。 あの事件は諏訪にとってもハイジにとっても、新たな出会いって意味ではいい結果になったのかもしれない。 「あのお嬢様、結構面倒見いいのな」 「あん時かなり入れ込んでたみたいだし、そうなるんじゃないのか」 「あ……」 遠くから様子を見ていると諏訪がこっちに気付いて笑顔を浮かべた。 そちらに軽く手を振ると、友達に何か告げてからこっちに走って来る。 「おう、おはよー。身体、大丈夫か?」 「はい、もう大丈夫です。先日は本当にお世話になりました!」 「いえ、私達は特査分室としての仕事をしただけです。お気になさらず」 「是非そうしてください」 「はい。あの、もしかしてこの学園って他にもああいうものがあったりするんですか?」 鋭いな……。 でも、あんな体験をしたら他にもあるのかもと思うものかもしれない。 ただでさえ、ここはちょっと変わった学園なんだから。 「その通りです。もしまた見かけたら、すぐに特査分室に連絡してください」 「わ、わかりました! 気をつけます!」 「もっとも、そう何度も見かけるものではないと思うけれど……」 「まあな」 とは言え、何が起こるかはわからない。 いつも唐突に遺品が出て来るんだから、注意しておくだけでも随分変わるだろう。 それに特査へ連絡してくれる生徒が増えるのも、こちらとしてもありがたいかもしれない。 「なんにせよ、諏訪さんが元気そうで良かった!」 「みんなも心配してくれたみたいで……」 「友達とも仲良くしてるみたいだな」 「はい。わたし、友達にとっても心配されてたんだなあって、あんなことがあってからやっと気付きました」 「でも、これだけ元気なら、きっとホムンクルスじゃない方の、小鳥のぴぃちゃんも喜んでくれてるよ」 「え? 小鳥?」 事件のきっかけになった、実家で飼っていたというペットのぴぃちゃんの名前を出すと、諏訪は不思議そうに小首を傾げた。 そして、うーんと考えるような素振りを見せる。 さっきのはなんか変なことだったか? そんなに考えるようなことでもないと思うんだが……。 「あの、ぴぃちゃんは小鳥じゃないですよ」 「え、違うのか? あの名前はどう考えても鳥の名前だろ」 「そういえば、姿は見ていませんでしたね」 「言われてみれば確かに」 あの名前からてっきり鳥だと思ってたけど、違う生き物だったのか。 だったら、そのぴぃちゃんは一体どんな生き物だったんだ? 小鳥以外に想像できないんだけど……。 「じゃあ、そのぴぃちゃんと言うのは一体……」 「と、とかげ!? とかげをペットに!??!?!?」 「トカゲモドキです」 「結局とかげなの!? とかげじゃないの!? モドキなの!?」 「いや、モドキなんだから違うんだろ」 「見た目からするととかげなんじゃねえの」 「ヤモリ科だとする説もあるそうですが一応トカゲのはずですよ。別名はレオパードゲッコウ。全長は約20センチから25センチくらいでしたか……」 「わあ〜! よくご存知ですね! あ、もしかして鹿ケ谷先輩もお好きなんですか?」 「いえ、まあ、知識としてだけ……」 「け、結局どっちなんだろう……」 おまるの疑問はもっともだったが、俺も正確な答えがわからない。 しかし、変わったペットを飼っていたもんだ。 てっきり小鳥だとばかり思っていた。 「これは少々、予想外でしたね」 俺達だけでなくモー子も同じように思っているようで、その顔は少し驚いているようだった。 こいつのこんな表情は珍しいかもしれない。 「でも、とーっても可愛い、優しい子だったんですよ」 「そうみたいだな。諏訪さんを見ていると、よくわかるよ。それに、本当に大切な友達だったと伝わって来る」 鍔姫ちゃんの言う通りだった。 見た目がどうであれ、諏訪の様子を見ているとぴぃちゃんを大事にしていたのがよくわかる。 そうでなければ、遺品だって現れてないだろう。 「葵ちゃーん、もう行かないと遅れるよー!」 「あ! う、うん、わかった!」 友達に声をかけられた諏訪は、そちらに返事をしてから俺達に向かって深く頭を下げた。 「本当に、ありがとうございました。これからは気をつけます」 「はい。それでは、遅れないように気をつけてください」 「あの、じゃあ失礼します」 笑顔を浮かべながら答えた諏訪は友達と一緒に教室に向かって行った。 あの様子じゃ、俺達が心配することはもう何もなさそうだ。 「ま、まあ、その、慣れれば愛嬌があって可愛いのかもしれないな」 「そ、そうですね」 おまるのやつはトカゲのことがかなり気になっているようだった。 まあ、爬虫類をペットにする人は増えてるみたいだけど、女の子でとなるとあんまりいないもんだしな。 「おしゃべりをしている場合ではありません。私達もそろそろ行きましょう」 「あ、そうですね」 「遅れるわけはにいかないからな」 諏訪の様子を見届けてから、俺達も揃って教室に向かって歩き出した。 この先何もなければいいと心から思うんだが……さすがにこの学園では、そういうわけにはいかないだろうな……。 「……誰もいないわね?」 「ああ」 校舎内に視線を向け、周りを見渡し誰もいないことを確認する。 授業中なので生徒達は出て来ないだろうが、念には念を入れておくに越したことはない。 「……じゃあ」 「………」 しばらく待っていると廊下に広がった粉は色づき、そこかしこに魔術の痕跡が浮き上がる。 しかもこれは、一つや二つではない……。 「これは三重……いえ、四重になっている?」 「そのようだな」 「反応が重なり合っていて、一つ一つが何なのかわかりにくいわね……」 「この学園には数々の魔術道具があるようだし、反応が過剰になるのは仕方のないことかもしれないが……それでもやはり、気になるな」 「そうね」 「それに……アレと同じような反応が見えるというのがどうも解せん」 何故似た反応があるのか、どういう意図でその魔術が使われているのか。事の全体図は一向に見えてこない。 それに、この学園には隠されていることが多すぎて判断する材料にも欠いている。 「この薬ではこれ以上詳しく調べるのは無理ね。もう少し調合を工夫した薬を作ってみるわ」 「とことん調べるつもりか?」 「ええ、もちろん!」 「はあ……」 「なによ!」 妙にやる気になっている様子を見ていると、自然とため息が漏れていた。 「いや、鳥頭のお前は、俺達が一体なんのためにこの学園に来ているのかすっかり忘れているようだなと思ってな」 「失礼ね!! ちゃんと覚えているわよ!」 「ほう、そうか。では、なんのために来たか言ってみろ」 「お祖母さまの思い出の品を受け取りに来たんでしょ!」 「当たり前でしょ!!」 「だから謝罪すると言っているだろう。侮って悪かったな」 「これ程大事なことを普通は忘れないものだが、お前のことだから目の前の事象に必死になりすぎて頭の中からすっぽり抜け落ちているのかと思ったぞ」 「うううう!!!」 真っ赤になって黙ってしまったところを見ると、アーデルハイト本人も目の前のことに必死になっていたと気付いたようだ。 もう少し本来の目的も重視してもらいたいが、……まあ、気付けただけでも良しとしておこう。 しかし、気になることがある―― 「……何故、ラ・グエスティアは現れない」 「え……なに? 突然」 「魔術道具は元々、強く望むものの前に現れる特性を持つはずだ。それに、あれは元々ヴァインベルガー家のもの」 「元の主人が現れてその存在を望んでいるのに、こんなに長い間何の反応もないというのはおかしくはないか」 ここに来てからの期間はそう長くはない。 とはいえ、滞在している間はずっと、ラ・グエスティアが手元に戻るのを望んでいたはずだ。 それなのに姿を現すどころか、気配すら感じられない。 「うーん……本当はこの学園の宝物庫にはないということかしら?」 「その可能性もゼロとは言い切れないかもしれないが、それはないだろうな」 「そうよね。お祖母様は確かにクラール・ラズリットに封印してもらったとおっしゃっていたし……」 間違いなくこの学園の『遺品』として宝物庫に封印されていることは確かだ。 他の場所にあるということは考えにくいだろう。 「他の可能性を考えてみた方がいいかもしれないな」 「では、すでにもう誰かが手にしている……ということ?」 「ふん、仮に手にしたとして、どう使うというんだ。あれはヴァインベルガーの当主でなければまともに扱えん品だぞ」 「わ、わかってるわよそんなこと! 確かに使った当人すら攻撃に巻き込む危険な道具だけれど、例えば、ただ持っているだけとか」 「使えもしないものをか? 何のために? お前は本当に発言が雑だな、もう少し頭の中を整理整頓できないのか」 「っ、もう…! じゃあ、他の誰かが手にしていないというなら、どこにあるって言うのよ!」 「………」 ―――その時。 アーデルハイトの言葉から、一つの考えに思い至った。 これまで得た知識の中で、該当するものが一つだけある。 「ルイ、どうしたの?」 「いや……よく考えてみれば、人を選べば使える……。おそらく、理論上は」 「え…?」 思考が走っていく。 今のところ書物から得た知識しかなく、実際に目にしたわけでもない。 まだ確証は持てないが……。 「しかし、本当に存在するのか……?」 「何が?」 「ねえ、全然わからないんですけど! ちゃんと説明してルイ!」 「ふあああ。昼飯の後の授業はだるいなあ」 「だなあ。でも、あと一時間で終わるから頑張ろうぜ」 「あんま頑張りたくねーなー」 「あはは。そりゃそうだ……ん?」 「なんかランプ置いてある……『乾かしてます』ってメモ貼ってあるな」 「どっかのクラスが授業で使うんじゃねえの?」 「そうだな、気にすることないか」 「……あれ?」 「あれって……アンティーク…だよね…ま、まさか、わたしが使っちゃったトランクみたいな……?」 「ど、どうしよう。さ、触ったりしない方がいいんだよね……たぶん」 「ふぁああ、そろそろ休み時間終わるなあ」 「そうだねえ。休み時間って、いっつもあっと言う間に終わっちゃうよね」 「そうだな……ふぁああああ」 「はははっ。みっちー、すごいあくび」 おまるに笑われながら、もう一度大きな口を開けてあくびをした。 午後の授業の眠さだけはどうにも出来ずに、毎回同じようなことを考えている気がする。 このまま残りの授業はサボって昼寝でもしたくなるけど、そういうわけにもいかない。 「みっちーが寝ちゃわないうちに、教室戻らないとね」 「歩きながら寝れねーよ」 「今のは、歩きながらでも眠れそうな感じだったけどなあ」 「そーかあ? ……あ」 そろそろ教室に戻ろうかと廊下を歩いていると、少し向こうに二つの小さな姿があるのが見えた。 「おーおーおー!」 「こ、こんにちは〜! 学園長!」 あの小さい二人が、この学園の学園長と風紀委員長なんてパッと見ただけじゃとても信じられない。 「Dobryden!! 良い天気だねえ」 「はい。そうですね」 「もも先輩はともかく、学園長は何やってんだ?」 「さ、さあ……見回り、とか?」 学園長室を空けてまで見回りなんかしてていいのか? というか、学園長ってもっと他にやることがあるんじゃないだろうか。 見回りなんかしている余裕があるとは、ちょっと思えない。 「学園に何も変わりはないかね? 何か困ったことやトラブルなどは?」 「はい! 大丈夫です。な〜んにも問題ありません!」 「それは実に結構!」 「みんな、ふ〜き委員の皆さんの力だと思います〜」 やっぱり、どう贔屓目に見ても学園長と風紀委員長という感じではない。 でも、もも先輩はあれでもすごい風紀委員長だって、鍔姫ちゃんも村雲も言うんだよなあ。 非常に疑わしいが、あの二人が言うんだから本当なんだろう。 「ふぁーっはっはっは! それでは、引き続きよろしく頼むよ」 「はい! もも、がんばります!」 学園長はなんだかやけに機嫌がよさそうに去って行った。 あの人はいつでも、誰に対してもあんな感じなんだな……。 しかし、何をしに来ていたのかは本当にまったくわからない。 「ども」 行ってしまった学園長を見送ってからもも先輩に声をかけると、くるんと振り返りこちらを見上げて来る。 「あ、久我に烏丸。じゅぎょーには遅れないようにしないとダメなんだよー! 大丈夫?」 「大丈夫だって、わかってるよ」 「うむっ! それならよぉーし!」 びしっと指差し満足げにもも先輩は笑っていた。 これで本当に最上級生で風紀委員長だっていうんだから、色んな意味ですごいところだ。 「ところで、あの人何してたんだ?」 「あのひとって〜?」 「学園長ですよ。さっき、二人でお話してたじゃないですか」 「ああ! あのね、学園長はお散歩をしてたんだよっ」 「散歩?」 「う〜ん。え〜っと、お散歩しながら見回り……かなぁ?」 小首を傾げながらもも先輩は答えてくれたけど、どうも実際何をしに来ていたのかはわかっていないようだった。 こんなんでこの学園は大丈夫なのかと若干不安になる。 「それ、どっちに比重を置いてるかによって評価が変わるよな」 「な、何言うの!? 学園長は自分の目で学園内を見て回ってるんだよ!! すごーい立派な方なんだよっ」 「確かに、普通の学園長ならしそうにないことですもんね」 「そうそう! そうだよ〜!!」 「いや、あの学園長はどう考えても普通じゃないだろ」 立派かどうかはわからんが、あれが普通じゃないことだけは明らかだ。 それに、さっきのはどう考えても散歩の方に比重を置いてるようにしか思えない。 「つねにこの学園と生徒のことを考えておられる、と〜っても学園思いの方なんだからね!」 「すごいですね、学園長は」 「そうそう! すっごいの!」 どうも、この二人には学園長はすごい人に見えているらしい。 確かにある意味すごいけど、多分この二人のすごいと俺のすごいは意味が違っているんだろう。 「どうしたの? みっちー」 「いや、なんでもない」 それに、あんなだからいっつも、肝心な時に学園長室にいないんだな。 ……と思ったが、この二人に言うのもなんだから黙っとこう。 「それじゃあ二人とも、授業に遅れないように気をつけてっ!!」 「はい!」 「はいはい。わかってます」 「あ!」 「あっ!」 いつの間にか、もも先輩のコートの裾を俺が踏んづけてしまっていたらしい。 歩き出そうとしていたもも先輩はコートを引っ張られ、その場で見事に転んでしまった。 しかも、顔から勢いよく地面に突っ込んで……。 「わ、悪い! もも先輩、コート踏んでた!!」 「だ、大丈夫ですか? ああ……鼻の頭が真っ赤に…」 「ご、ごめんな! 本当に悪かった!!!」 鼻の頭を真っ赤にしたもも先輩は立ち上がると涙を堪えているようだった。 どうやら、相当痛かったらしい……大丈夫だろうか。 「あ、あの、保健室とか行かなくて大丈夫?」 「だ、だいじょうぶだもん……」 「本当ですか?」 「だ、だいじょうぶ……じゅ、授業に…遅れたらダメだよ……」 「あ……」 泣くのを必死に堪えたもも先輩は、ぐすぐすと鼻をならし目元を擦ると、コートの裾を引きずりながら歩き出した。 大丈夫かと思いはしたが、本人があの調子だと心配しすぎない方がいいかもしれない。 「ああ、そう思った」 今度から、もも先輩のコートの裾には気をつけた方がいいな……。 学園長を訪ねようと部屋の前までやって来ると、ちょうど本人が部屋に戻る最中だったようだ。 不在の場合も想定していただけに、これは好都合だ。 「ええ、お聞きしたいことがありまして」 「ほほう。では、こんなところで立ち話もなんだし、中に入って話そうではないか」 「はい。失礼いたしますわね」 促されるまま部屋に入ると、学園長はいつもの自分の席にちょこんと座った。 食えぬ顔でこちらを見やりながら、小さな学園長はにっこりと微笑む。 白々しいことを言うとでも思ったのだろうが、アーデルハイトはそれを表情に出さないように冷静に返事をする。 「本国から香水の材料を取り寄せたいのですが、郵便で寮の客室を指定すれば届きますかしら?」 微笑みを絶やさぬまま、学園長がアーデルハイトを見つめて聞いた。 やはりそこを突いて来るか。だがアーデルハイトの方もそう聞かれるということは想定内のことで態度は変わらない。 「いえ、こちらの都合と言えばよろしいのかしら……表の仕事の一環で、私が調合しないと作れない香水があるのです」 「元々持ち込んでいた香水の材料が少なかったもので、足りなくなってしまいましたから」 「ご迷惑をおかけいたします。様々なものを調合するので場所も取ってしまい、あまり持ち込めませんでしたの」 「……もっとコンパクトにまとめられればいいんですけど」 何食わぬ顔で答えるアーデルハイトとそれを聞く学園長。 どちらとも、食えぬやり取りだとでも思っているのだろうか。 腹のうちは表情からは探れない。 「……ん」 二人のやり取りをじっと眺めていると、足元で何かが倒れるような音が聞こえた。 倒れるようなものはこの部屋にないように思うのだが、その音が気にかかりそちらに視線を向ける。 「………」 そこには古びたランプのようなものが転がっていた。 何故、こんなところにランプが……? 確かこの部屋に入ったばかりの時は、床には何も落ちていなかったはずだ。 「お二人とも、お話中ですが失礼いたします……こちらに、ランプが落ちていたのですが……」 「え?」 「……ランプ?」 「……!!」 触れた瞬間、ランプからざわりと駆け上がってくるものを感じた。 それは一瞬のことだったが、身体が半ば反射的に動いていた。 注ぎ込まれた魔力を、自らのもので押し返す―― 「なっ!!」 「きゃあっ!? 何!?」 「お、おおおぉ!?」 「ちー!!」 突然走った光のあまりの眩しさに目を閉じかけたが、必死で目を凝らす。 「な、何だ……」 「お? おお? はっはっはっは!! これはこれは参ったねえ!!」 「ぢーっ」 ようやく光の収まった部屋に現れたのは、わけのわからない光景だった。 これは一体、どういうことなのだろうか……。 「る、ルイ! あ、あの! あ、あああ! ええ!?!?」 「………」 「ど、ど、どういう……こと……?」 「わかるわけがないだろう……」 目の前で起こった出来事に呆然としている間に、いつの間にか先程のランプは目の前から消えていた。 「あれ? さ、さっきと同じ場所……」 「じゃあ、こっちかな? それとも……うーん……」 「え、えっと。もしかして、こっちかも!」 「どこかから地下に降りるはずなのに……どこー!?」 「う、うう……最初から久我くん達のクラスに行けばよかった、もう帰寮時間まであまりないのに……」 「前に来たときはアーデルハイトさんも一緒だったから……こんなに複雑だなんて思わなかったよ……」 「あ、ああっ! 急がなきゃあ…!」 放課後になり、いつものように特査分室にはメンバーが揃っていた。 だが、特に何の事件も相談もない今日は、ゆっくりとお茶を飲みながら穏やかな時間を過ごしている。 「ん……いいお味です」 用意してもらったお茶を飲みながら、モー子は満足そうな表情を浮かべて呟いていた。 手元で読んでいるのは図書館の本だ。 リト曰く分室は図書館の一部だそうなので、ここに図書館の本を持ち込むことは許されるらしい。 「……ったく、なんでオレがお茶なんか淹れなきゃいけねえんだよ」 「まだ言ってんのか? いい加減諦めろよ静春ちゃん」 「うるせえ!!」 「気にすんな、おまる。あれが村雲の仕事だ」 「クソ久我め……!!!」 今にも掴みかかってきそうな勢いの村雲をからかいながら、用意されているお茶を飲む。 毎回なんだかんだ文句を言いながら、しっかり全員分のお茶を用意する辺り、村雲は相当真面目なヤツなんだと思う。 しかも、モー子も言ってた通り味もいい。 「しかし、今日はまたのんびりしてるなあ」 「ええ、そうですね」 「これが長く続けばいいんだが」 なんて言っていると、ドアがノックされた。 この、のんびりした時間はあっけなく終わってしまうのだとわかり、ほんの少しだけため息が漏れた。 そんな俺の方を向いたモー子は冷静そのものの表情を浮かべている。 「わかってはいるけどな」 「な、何が起こったんだろうね」 「失礼いたします」 「………」 村雲が扉を開くと、そこにはハイジがルイを従えて立っていた。 あまり代わり映えのしない客人に驚きもしなかったのだが、今日の二人はどこか様子が違う気がした。 いつもなら、自信たっぷりな感じで踏み込んでくるのに、それもない。 ルイはあまり変わりはないけど、ハイジの方がどこか表情が複雑そうな感じが伝わってくる。 「どうかされたのですか?」 二人の表情の変化にはモー子もすぐに気付いたらしい。 じっと観察しながら口を開くと、ハイジの表情が今度は困ったようなものに変わった。 「少し、問題が起こりました」 「問題? どんな?」 「別にあなた達を頼ってきたというわけではないのよ? もちろん私達が自力で解決してもいいかとも思ったのだけど!」 「この学園で起こった出来事は、まずこちらに相談するのが筋でしょう?」 「………くっ」 「なんですか!」 「いや、先程までこちらに相談するという考えすら浮かんでいなかったように見えたのでな、それで筋を通しているつもりかとつい失笑してしまった」 「な、なっ!! ちゃんと考えてたわよ!!」 「おや、それは大変失礼いたしました」 「手短にまとめると、何か特別な出来事があったので相談に来た……ということでよろしいんですね」 「ja」 「一体何があったんだよ」 「それはですね……」 「ちーっ」 「……ん?」 ハイジが答えようとした途端、聞き覚えのある声が聞こえた。 そして、二人の後ろから白い影がひょっこりと飛び出して来て机の上に乗る。 ……ニノマエ君だ。 「あ、あれ? この子って、学園長の……」 「いつも首に巻きついてるやつだよな」 「なんでこいつだけなんだ?」 いつもなら、学園長の首に巻きついてどんな時でも一緒にいるはずだ。 だが、今この場にその学園長の姿はない。 珍しいこともあるもんだ。 「そうだよね。いっつも学園長と一緒なのに」 「ここだよ! ここ!!」 「……え?」 不在を不思議がっていると、どこからか小さな声が聞こえて来た。 「はっはっは! ここだよ!!」 学園長の声がもう一度聞こえるのと同時に、机の上にその姿が登場した。 だが、その姿は―― 「えええ!?」 「え? ええ?」 「な、なんだ、こりゃあ……」 「………」 「いやあ…参った! 参った!」 ニノマエ君に近づき、その背中にまたがったのは、まごうことなき学園長の姿だった。 だが、小さい。いつもより、相当小さい。 まさに手のひらサイズの学園長だった。 「ご覧の通り緊急事態だ!!」 「ぢーっ!」 ……まったく緊急感は感じられない様子だったが、小さな学園長はそう宣言したのだった。 「よくできた人形だな」 「こ、こら! 何をするのかね久我君!!!」 ニノマエ君の背中にまたがった小さな学園長を拾い上げ、じーっと目を凝らす。 俺の手のひらに乗った学園長は不満そうな表情を浮かべてじたばたと動き続けていた。 暴れる学園長のスカートを摘み、めくってみる。 中身もしっかりよくできていた。 「な、こら〜! 何をするのだ! やめたまえ!!」 「マジで学園長なのか?」 「私でなければなんだと言うのかね!」 「だから、出来のいい学園長の人形」 「本人が本人だと言っているではないか!」 学園長は憤慨しながら何度もぺちぺちと俺の手を叩く。 今度は帽子を取ってみようかと思っていると、ふと視線を感じた。 顔を上げてみると、モー子とハイジがジーッと俺を見ていた。 ……それは、とても冷たい目だった。 「みっちー……」 「それは、どうかと思うよ」 おまるにまで引かれ、モー子達の冷たい視線に耐え切れず、そっと学園長の身体を机の上におろしてやる。 学園長はすぐにニノマエ君の所に走って行き、さっきまでと同じようにその背中にまたがった。 「何故、このようなことになったのですか?」 「なんで、こんなことに?」 そっとニノマエ君の上に学園長を戻しつつ、心底呆れながら聞いてみる。 そもそも、この人は遺品のことにも詳しいんだからこんな状況になるってことがおかしいんじゃないだろうか。 誰よりも被害にあっちゃいけない人なんじゃないのか? 「なんでこんなことに?」 有り得ないだろう……とは思うのだが、現に目の前で学園長は小さくなっている。 おまけにここは不思議なことが起こるのが当たり前の、普通じゃない学園だ。 とりあえず、学園長を気遣いながら聞いてみる。 「いやあ、それがなあ」 「あの、私からお話します……!」 「どういうことですか?」 「ご覧の通りだよ! あっはっはっはっはっは!」 「はあ……」 大変な状況になっているというのはわかるのだが、当の学園長がこの調子なせいで深刻さがイマイチ伝わらない。 この人なら、このままでも大丈夫じゃないのかとすら思ってしまう。いや、そうも言ってられないが。 モー子は呆れたような表情を浮かべ、ため息をつきながら話を続けた。 「それで、そのランプはどうしたのですか?」 「私やフラウが唖然としている間に消えてしまいました。今はどこにあるのかわかりません」 「それってヤバイだろ」 「ええ、そうですね」 そのランプはどう考えても遺品だろうし、勝手にどこかに行ってしまったということは暴走している可能性が高いだろう。 「遺品が暴走している状態なのはまず間違いありませんね」 「そうなのだよ! 早急に遺品を捕まえてくれたまえ!!」 「そ、そうですね! 被害が拡大したら大変です!」 「そう! 縮んでいる場合ではないのだよ!!」 「いや、そりゃそうだろうけどさ」 どうも、この状態の学園長を見ていると緊迫感というのが薄れてしまいそうになる。 もうちょっとこう、危機感みたいなものは持てないのだろうかと思うが……学園長だからな。 今この状態でも、これはこれで楽しんでるんじゃないかと思ってしまう。 「ニノマエ君は無事だったんですか。一緒に小さくなるかと思ったけど、もしかして動物には効かないのかな?」 「ちー!!」 「それって、思いっきり飼い主見捨ててるんじゃ……」 「ニノマエ君はペットではない! 私のお友達だ! 故に私は飼い主ではないのだよ!」 「いやそれならそれで友達を見捨てて……」 「あ、あの! それよりも、遺品が発動した時の状況とかの話を!!」 「そうです。遺品を発動させた人物について、そしてその状況についてお聞かせ頂きたいのですが」 おまるの言葉を聞いてモー子も頷く。 言葉をかけられた学園長は視線をルイに向け、思わずつられて全員がそちらを見る。 つまり、遺品を発動させたのはルイってことか。 「遺品を発動させたのは、あなたなのでしょうか?」 「おそらくは」 「ハイジの方じゃないんだな」 「ええ。最初にランプを見つけて拾ったのはルイだから」 「遺品を見つけた時に何か不審なことは起こりませんでしたか?」 「………」 モー子が聞くとルイはいつもの表情のまま、少し黙って何か考えているようだった。 だが、すぐにその時のことを思い出したように話し出す。 「ああ、そういえば……ランプに触れた瞬間、妙な気配がこちらに流れ込みそうになるのを感じました」 「ねえ、みっちー……妙な気配ってなんだろう?」 「うーん……」 「ルイの魔力を吸おうとしたとか?」 「魔力を吸おうとしていたのなら、気配が『流れ込む』のは変ですよ」 「ああ、そっか」 「もしかすると、以前の遺品のような『問いかけ』だったのではないでしょうか」 「ルイさんの魔力を吸おうとしたんじゃないのかな?」 「使用者にコンタクト取ろうとしただけじゃねえの? ほら、前の夢の遺品のときの問いかけと同じような感じっていうかさ」 「私も久我くんと同意見です。その気配が魔力を吸い取ろうとしたものなら『流れ込む』のではなく、むしろ逆のはず」 「触る前から暴走してたとか?」 「それなら遺品は既に発動状態にあったことになりますが……」 「ああ……」 「発動状態であれば、妙な気配を感じたルイさんになんの異常もないのは変なのでは?」 「じゃあ、妙な気配ってのは」 「おそらく、発動を呼びかける『問いかけ』だったのではないでしょうか」 「ルイさんは遺品の気配に咄嗟に抵抗したということですから、その際に必要以上に大量の魔力を放出してしまったのではないかと考えられます」 「で、その結果、遺品が暴走したってことか」 「大量の魔力を放出ねえ……」 それが事実だとしたら、暴走も、たぶんその場にいただけの学園長が小さくなってしまったことも、納得いくんだが……。 見た感じ、ルイの体調は今のところなんともなさそうだ。 暴走するほど魔力を放出したということは、おそらくルイの体にはもうほとんど魔力は残っていないはず。 問題の遺品があらかじめ魔力を込めた分だけ動くタイプだったらいいが、そうでない場合は―― 「やばいかもしれないな」 「やばいというのは、どういうことかしら?」 「魔力を吸い続けるタイプの遺品だったら、遺品を発動させた本人の魔力が尽きた場合何か代償を取られるからだよ」 「え……でも魔力が尽きなければ大丈夫なんでしょう?」 「そりゃそうだが、暴走するくらい魔力を突っ込んでるってことは、下手したらもう魔力はほとんど残ってないんじゃねえか」 「なるほど。確かに……」 「今回はルイさんの身体に何が起こるかわかりません。遺品のことは私達に任せていただけませんか」 「そうだな、おまえ等のことだから、一緒に遺品を捜したいだろうけど……今回ばかりは大人しくしとけ」 「………」 「………」 ハイジは少々不満そうではあったが、ルイと顔を見合わせて小さく頷いた。 一応、納得はしてくれているみたいだ。 「わかりました。遺品の行方や学園長のことは気にかかりますが、今日のところは部屋でおとなしくしている方が良いようですね」 「面倒をかけることになりますが、よろしくお願いいたします」 「お気遣いなく。ルイさんに何かありましたら、すぐに連絡してください」 「……失礼いたしました」 さすがに大事な執事の身が危ないとなると、あのお嬢様もおとなしく引き下がるものなんだな。 「もう少し粘るかと思ったんだけどな」 「そうも言ってられねー状況だからだろ」 「さっそく、遺品について調べないといけませんね。学園長、遺品の形状などをお聞きしたいのですが」 「ん〜。見たのは一瞬だったが、執事君の言っていた通りランプ型だったよ」 「他になんか手がかりはないんですか?」 これじゃあ、結局ランプ型だっていう情報以外は何もないことになるな。 まあ、それでも人を小さくするっていう手がかりもあるし、リトなら何とか答えを出してくれるだろう。 「じゃあ、とりあえずリトのとこ行こうぜ」 「よーし! それでは行こうではないか!」 「な!? あ!??」 ニノマエ君の背中に乗っていた学園長が突然、俺の身体をたたっと軽やかに登り始めた。 そして、頭の一番上に乗ってしっかりと髪の毛を掴む。 なんとなく、頭が落ち着かない。 「何をしてるんですか、何を……」 「はっはっは! 久我君の頭の上が一番見晴らしが良さそうだからね!」 「あのなあ……って、ついてくるつもりですか?」 「無論だ! 私もどんな遺品か気になるからね! なに、大丈夫だ、図書館はほとんど生徒の出入りはないとも!」 俺の頭の上で寝転んだ学園長は満足げに声を出して笑っている。 「………」 「な、なんだよ、モー子」 「何でもありません。ひどく緊張感の無いありさまだと思っただけです」 「………俺の責任か?」 「きみが許したんでしょう?」 なんだ、突然妙に突っかかってくるな。 別に俺だって好きでこうされているわけじゃないってのに。 「そ、それじゃあ、リトさんのところに行こう! ね!」 「はぁー、そうだな」 「ちー」 分室を出ようとすると、とことことニノマエ君が俺達の足元にやって来た。 踏んでしまわないように気をつけていると、足元をうろうろと歩かれる。 「どうやら私を心配してくれているようだよ」 「そうなんですか。いい子ですねえ」 「ちー」 「うむ。すまないね」 「ちっ」 学園長に言われたニノマエ君はおとなしく椅子に座ると、こくこくと頷いた。 分室を出て図書館の中を捜すと、リトはすぐに見付かった。 早速、古いランプのような形をした遺品について質問することにした。 「ランプ形の遺品……他に何か情報はあるかしら?」 「どうやら、その光を浴びると人間が縮んでしまうようなのですが……」 「ランプの形をしていて、人間が縮んでしまう……それならピスキー・カプレットかしら」 「うむ、多分それだ! その名前には聞き覚えがある!」 「あら……九折坂二人、今日は変わった姿をしているのね」 「まあ色々あるのだよ」 「そうなの」 「ああ、そうだとも!」 学園長が声をあげて、そこでようやくリトは学園長が小さくなっていることに気付いたようだった。 けれど、その姿を見ても特別驚いた様子はない。 少しは驚いても良さそうだが、人間を縮める遺品について聞いたからそういうものだと思ってるんだろうか。 「具体的にどのくらいの大きさで、どのような能力か教えてもらえますか?」 「形は普通のオイルランプと変わらないわ」 「じゃあ、大きさもそのくらいってことか」 「ええ、そう。けれど、オイルランプではないからオイルではなく魔力で光るの」 「確かルイさんは抵抗したら光ったって言ってたよね」 「てことはやっぱり、抵抗した時に無意識に魔力込めちまったってことか」 「この遺品が動き続けるためには継続的に魔力が必要ですか?」 「では、遺品を発動させた人物は、仮に暴走していたとしてもこの先特に危険はないということでしょうか」 「ええ、そうね」 「よ、良かった〜!」 とりあえず、ルイの魔力がこれ以上吸い上げられることがないとわかっただけでも安心だ。 発動者の身に危険が及ぶものなら、早めに手を打たないとまずいし、体調も気にかけねばならない。 それがないだけでも、遺品捜しに少し余裕が出る。 「そのランプについて、他にも何かないか?」 「そうね、あとは……ピスキー・カプレットの光を人間が浴びると縮んだり巨大化したりするわ」 「巨大化する場合もあるのかよ!?」 「ど、どれくらいの大きさになるの…?」 「込めた魔力の分だけ。サイズに上限はないわ」 「縮小する場合と巨大化する場合はどういうきっかけで変わるのですか?」 「ランプにはつまみがついているの。普通のランプなら、火の大きさを変えるための部分ね」 「ああ、じゃあつまり、それをひねると変わるのか」 「ええ、そうよ」 「うっかりそのつまみを触らないように気をつけねえとな……」 間違って巨大化する方につまみを動かしたりして、生徒の一人が光をあびたりしたら……。 ヘタしたら大きくなりすぎて校舎が潰れるって可能性もあるな。 十分に気をつけてランプを捜した方が良さそうだ。 「あの執事、どれくらい魔力込めたんだ……?」 「暴走しているくらいですから、それなりの量と見た方がいいでしょう」 「でも、ルイさんいつも通りに見えたよ。なんていうか、平気そうだったよね」 「そうだな、やっぱり分家って言っても魔術師の家系だから、魔力は強いってことかもしれねえな」 何気なく俺がそういうと、モー子は何か言いたげに首を振った。 「確かに、誰か巨大化の巻き添え食ったら一瞬で大惨事だな……」 「いてっ! 髪思いっきり引っ張ってる!」 「ええい! 少しくらい我慢したまえ! 今は急がなければいかんのだ、この学園と生徒達のために!!」 頭の上の学園長は俺の髪をわしわし掴みながら、何やら学園の長らしいことを叫んでいる。 気持ちはわかるが『急いで捜しに行く』って、まさかこのまま行く気じゃないだろうな。 「いや、校内を捜索するとなるとどうしても生徒に目撃される可能性もあるし、学園長は分室で待機してた方が……」 「そうですね。あまり危険は冒したくはありません」 「いいや! そんなわけにはいかない、私も一緒に行くとも! 何しろ実物のランプを見ているのはこの中では私だけだ!」 「生徒に見付かったらどうするんですか」 「これは人形だ! ロボだ! で通せば何とかなるさはははは!!」 「なるかっ!!」 「なるとも!! 大丈夫だ心配はない! さあ、急ぎたまえ!!」 「何が大丈夫なんだ、何が……」 どうやら、学園長に聞く耳を持つ気は一切ないらしい。 それどころか、動き出さない俺に対する抗議のように髪を引っ張り続けている。 「だから痛いって……」 「この分だと分室に置いて来ても勝手にうろうろしそうだぞ……」 「そっちのが面倒くさいな…」 「はあ……仕方ありませんね」 「はああああ」 何を言っても諦めてくれそうにないし、放っておいても勝手に動かれそうなので学園長はこのまま連れて行くことにした。 「じゃ、じゃあそれで」 「よぉーし! では久我君、張り切って一緒にランプを捜そうではないか!」 何を言っても聞き入れそうにないし、ここは素直に言うことを聞いておいた方が面倒は少なそうだ。 「本当にそれで誤魔化せるんですか……?」 「しょーがねえだろ。多分、置いて来ても勝手にうろつくぞ」 「………。それもそうですね」 仕方ないといった様子でモー子も頷いたので、このまま学園長も連れてランプの捜索に向かうことにした。 「はりー! はりー! はりー! さあ、急ぎたまえ!」 「わかったから、ちょっと声小さくしてくれませんかね……少しでも目立たないように」 「そうかそうか! わかったよ!! いくら人形と言い張るとしても、久我君の人格が疑われてしまう恐れもあるしな、あっはっはっはっは!」 「全然わかってねえ……」 学園長には、他の生徒に見つからないように気をつける、という考えはまったくなさそうだ。 だが、これ以上何を言っても仕方ないと諦める。 遺品を捜して封印すれば終わるんだから、早く捜すしかないな。 「それでは、ランプを捜しにごーごー!!」 「いってらっしゃい」 「なんだか、面倒なことになったわね」 特査分室から部屋に戻ったアーデルハイトは、備え付けのソファーに座りながら深く息を吐いた。 面倒になったという感想は、こちらとしてもまったく同じだ。 まさか、こんなことに巻き込まれるとは思わなかった。 「けれど、この学園の魔術道具を追いかけるのは彼等の専門のようだから、任せて大丈夫でしょ」 「特査分室に頼む案件だと学園長が言い出すまでは、その存在すらすっぽり忘れていたようだが、よくもまあ知った風に言えたものだ」 「そ、それは! 慌てていたからよ!」 「ああ、そうだった。うっかりしていただけだったな、余計なことを言って悪かった」 「むううう……と、とにかく遺品を無事見つけてくれるといいのですけど!」 「どうだろうな」 専門だと言ってはいたが、具体的にどうやって見つけるつもりなのかはよくわからない。 何か特別な魔術道具を持っているようにも思えなかったし、結局人海戦術に頼るしかなさそうだが……。 「だが中途半端に手を出して、余計に面倒なことになっても困る。今は目立ちたくないからな」 「それは私だってわかってるわ! だからこうやって素直に戻ってきたんでしょう!」 今の段階でこちらの思惑を学園側に悟られるのは得策ではない。 アーデルハイトもそれがわからないほど馬鹿でもないらしい。無理にでも一緒に遺品探索について行くかと少し思ったが。 「それにしても……あのランプ、どうしてあんなところに現れたのかしら? 足元に突然でしょう?」 「あなたか私に、あの道具を引き寄せるだけの願望が何かあったとでも?」 「………」 「……もっとコンパクトにまとめられればいいんですけど」 魔術道具は強い願望や欲求に引き寄せられる。 『小さくなった』という事象から思い当たるのは、あの一言しか無い。 しかし、そんな馬鹿馬鹿しい理由で本当に現れるものか……? 確かにこの学園は、魔術道具を外に出さないように強い結界が張ってあるため、学園の中は魔術的な現象が起きやすくなっているようだが……。 可能性としてはゼロとは言い切れないが、何か違和感がする……。 「ちょっと! ルイ!! 聞いているの?」 「………」 「ルイってば!!」 「ぎゃあぎゃあ喚くな。黙っているということは考え事をしているということだろう。そのくらいのことがわからないのか」 「!!!!」 「静かにしてくれるのなら、それで結構」 「……う、うううう」 ひとまず、全員で最初に遺品が発見された現場に来てみた。 さすがにランプの痕跡すらない。 無駄足のような気もするが、何か手がかりが残っているかもしれないからな……多分。 「学園長、ランプがどちらへ飛んで行ったかわかりますか?」 「確か、あっちの方だったと思う」 「ふむ……」 ランプが飛んで行ったと思われる方向を学園長が指差す。 しかし、当然ながらそこにも何も痕跡はない。 今は最初に飛んで行った方から、更に別の場所に行っていると思って間違いないだろう。 「どこ行ったかわかんねえし、手分けして捜すか?」 「そうだね、それがいいかも」 「ええ、捜索範囲は広い方がいいでしょうね。ここに手がかりはなさそうですし、ひとまず外に出ましょう」 廊下に出た俺達は、これからの捜索について話し合う。 どこに行ったかもわからないランプを捜すのは手間以外の何ものでもない。 「手がかりがないなら、手当たり次第に捜すしかないか」 「それなら、もっと人手があった方がいいのではないのかね?」 「ああ、わかった。じゃあオレは風紀委員に連絡してくる」 「よろしくお願いします」 村雲が走って行くと、それと入れ替わりに向こうから誰かが走って来る姿が見えた。 そろそろ生徒は全員寮に戻らなければいけない時間だっていうのに、一体誰だ? よく見るとそれは諏訪だった。 走ってこちらにやって来る姿は、何故かへろへろになっているようだ。 しかも、何故か涙目になっている。一体、何があったんだ。 「おやおや、君は確か、諏訪葵さんだったかな。どうかしたのかね? もう帰寮時間だよ?」 涙目で息を整えていた諏訪は事情を説明しようとしたのだろう。 だが、俺の頭に乗っている小さな学園長に気付いた途端、驚いてそちらに気をとられてしまう。 ……この人、隠れる気全然なしかよ! 「よよよよく出来てるだろ!? これはロボットなんだ!!」 「ぇ……? ロボット…?」 「そ、そうそう! 本物の学園長は別の場所で遠隔操作してる。今、試運転中でさ」 「そうそう! 私はロボだよ! ははははは!!」 「そ、そうなんですか? びっくりしました……」 自分で言っといてなんだけど、信じちゃうのかよ……。 「………」 「やあ、そう驚くことはない、私はロボだよ! 遠隔操作で動いてるのだ!」 「ろ、ろぼ?」 「そうだ、高性能だろう! ははははは!!」 「そうなんですか…びっくりしました……」 「ところで、慌てていたようでしたがどうかしたのですか?」 「あ! そ、そうでした! あの、アンティークみたいなものを見つけたんです」 「え、ええ!? そ、それってどこで?」 「向こうの水道の所です。古いランプみたいだったから、もしかしたら伝えておいた方がいいんじゃないかと思って」 思わず全員で顔を見合わせて頷く。 まさか、こんなに早く目的の遺品が見付かるとは思わなかった。 「そのランプ、光ってたか?」 「い、いえ……わたしが見た時は光ってはなかったです」 暴走した遺品だったらずっと光っていそうなものなのに、光ってはいなかったのか。 少し不思議には思うが、もしかしたら、周りに誰もいないから力を抑えていたということなのかもしれない。 「わかった。わざわざ知らせてくれてありがとうな」 「い、いいえ。見つけたら、報告するって言ってましたから!」 「うん! すっごく助かったよ、ありがとう」 「帰寮時間が迫っていますので、諏訪さんは早く戻った方が良いですね。情報提供、本当にありがとうございました」 深く頭を下げた諏訪は、慌てた様子で走って行った。 そろそろ夜の時間が来る。それまでに俺達の姿を見つけてくれて助かった……。 「それではさっそく水道の所に急ごうではないか!」 「時間はまだ少しあるね。うむうむ、夜が来る前に見つかりそうで良かったよ!」 「え、どうしてです?」 「少し考えればわかりそうなものですが」 「悪かったな、わかんなくて!」 いつものように、モー子が呆れたような顔をして俺を見つめる。 そこまで露骨な表情をしなくていいだろうと思っていると、頭の上で学園長が俺をぺしぺしと叩いた。 「まあまあ……夜の世界では、校舎全体で大きな魔術が働いている最中なのはみんなわかっているだろう?」 「そんな中で、あのランプのせいで誰かが巨大化して、校舎が壊れてしまえばどうなる?」 「あっ、そうか、夜の世界の人達が帰れなくなったりとか、するかもしれないってことですね」 「あの規模から言っても、夜の世界の召喚は相当繊細な魔術のはずですから、影響は大きいと思います」 「なるほど」 確かに夜の学園そのものがデカイ魔術の塊みたいなもんだったら、何かが起こっても不思議じゃない。 それでさっきから俺を急かしていたわけだ。 「ま、単純に生徒にとっても暴走した魔術道具が暴れている状態が好ましいわけがないがね……」 「以前の夢の遺品の件などは、一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれなかった」 「あの時は結構な人数が巻き込まれてましたしね……」 「そうなのだ、もう二度とあのようなことがないよう、気を付けなければと思っていたところなのだよ」 「具体的な対策も考えようと思っていた矢先に、このような状況になってしまって……」 「………」 ………意外だ。 言っちゃ悪いが、学園長がこれだけ学園と生徒のことを考えているとは思っていなかった。 それもこれも、いつも何考えてるかわかんねえし、フラっといなくなったりしていた学園長のせいなんだが。 ただ、フラフラと学園内を散歩していたのも、今思うと何かの対策を考えるためだったのかもしれない。 「ん? 神妙そうな雰囲気だが、どうかしたのかね?」 「いや、なんか……意外だとか思ってすいませんでした」 「これでも私は学園長だよ。この天秤瑠璃学園の生徒の安全は何より大切だとも」 「さすが学園長……!」 「ふぁーっはっはっは! 当たり前ではないか!!」 おまるに褒められた学園長は、上機嫌で笑い出した。 おまけに走っている俺から振り落とされないように、持っている髪を更にぎゅっと強く握る。 「わかったから、そんなに引っ張らないでくださいよ、髪が抜ける!」 「おや、失礼」 注意すると学園長は力を少しだけ緩めてくれた。 おかげで痛みはマシになったが、頭の上で話されると微妙に声が響いて落ち着かないな……。 「おお! はりーはりー!」 諏訪が言っていた水道にやって来ると、そこには確かに古びたランプが置いてあった。 動きもせず、光りもせずそこにただあるだけのように見えるが……。 いや、それよりも真ん中に貼られた紙が、真っ先に目に入ってくる。 そこには女の子が書いたらしいかわいい文字が並んでいた。 「乾かしてます……?」 「………」 「………」 「あの……これ、違うんじゃないかな……」 「だよな……」 「しかし、とりあえず封印だよ!」 仮におかしな貼り紙があったとしてもこれは遺品の可能性があるランプだ。放っておくわけにはいかない。 学園長の言葉に頷いたモー子は、封印の札を取り出した。 そして、いつものように―― 「鹿ヶ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 「……刻を、止めよ!」 「………」 「………」 「………」 「………」 「……あれ?」 「何も起こらねえな」 モー子が封印のための呪文を口に札を貼っても、ランプには何も変化は起こらなかった。 「封印もされませんでしたし、やはりこれは遺品ではないようですね」 「じゃあ、これって遺品でもなんでもない、ただの古いランプ?」 「そうなります」 「あっ!!」 「遅かったか……」 「夜…来ちゃいましたね…」 「おはよー」 「あ、おはよう。課題やって来た?」 暴走している遺品の捜索を頼むため、風紀委員長である聖護院先輩を捜して事情を話している間に夜の時間が来てしまった。 もう学園内には夜の生徒が登校して来ている。 こんな中で誰かの手に遺品が渡ったら、さらにややこしい事になりそうだ。 聖護院先輩と一緒にいた壬生さんも協力してくれることになったのが、せめてもの救いか。 「既に遺品は暴走しているのか……」 「そうみたいです」 「そ、それは大変〜! 被害が出る前に、いそいで見つけないといけないね!」 「はい。申し訳ないんですけども、風紀委員の手も貸してください」 「わかったよ! もも、みんなに伝えておくからね!! ちゃ〜んとしじを出しておくよっ!」 「ところで、今度の遺品はどんな品なんだ?」 「それが、パッと見た感じただの古いランプなんだそうです。ただオレもまだ実物は見てないんで……」 「ねえねえ、村雲〜。ランプってあんなの?」 「え? ああ、そうです多分あんな形の……」 聖護院先輩が指差した方に視線を向けると、天井から古いランプがぶら下がっていた。 リトの説明だと普通のオイルランプと同じだから、ちょうどあんな感じになるんだろう。 妙に古臭いし、つまみもついているようだ……。 「……え?」 「なんだか変なランプ〜。前からあんなところにあったかなぁ?」 「どうして、あんなところに一つだけランプがあるんでしょうか」 「ね〜。変だよね、どうしてだろうねえ〜」 「いや、アレあからさまに怪しいですって!」 よく見るとほんのり光っているみたいだし、間違いない、あれが遺品のランプだ。 今は動いていないみたいだから、さっさと封印してしまった方がいいだろう。 被害が出ないうちに見付かって一安心だ。 「ああ〜! 動いた!! ランプ動いたよ〜!」 「なに!?」 札を取り出した途端、ランプはまるでそれに気付いたように動き出した。 あれじゃあ、封印されるのがわかって逃げ出したみたいだ。 「追いかけましょう!」 「あ! ま、もももいっしょに手伝う、追いかけるからあ〜!」 「う、うわああんっ! はぁっ、は、は、早い〜! みんな早いよぉ〜!!」 夜の生徒達はもう随分と大勢が登校してきているようだった。 混乱している様子がないということは、まだランプの被害は出ていないということ。 なるべく早く見つけ出して封印してしまわないと。 「あ、鹿ケ谷だ。なんか難しい顔だね」 「おはようございます」 「そんな顔になっていましたか」 「うん。割とね」 笑いながら答えられてしまい、思わず自分の顔をそっと撫でる。 冷静でいなければいけないと思っているのに、感情が顔に出てしまっていたとは……。 「何か、お困りなのですか?」 「そういえば、今日は一人なんだね」 「ええ、実は手分けして捜し物をしている最中なのです。古いランプなのですが、どこかで見かけませんでしたか?」 「うーん。ランプかー」 「ヒナは見てません。クミちゃんは?」 「あたしもそれらしいのは見てないなあ」 「そうですか……」 やはり、夜の生徒にはまだピスキー・カプレットを目撃されていないということなのかもしれない。 そうだとしたら、ピスキー・カプレットは一体どこに? 生徒が増えた今の状態で、誰かに見つけられたら厄介なことになってしまう。 その前に封印してしまわなければ……。 「もし見かけたら、触らず近付かず、特査に知らせて頂けますか?」 「え、何それ。なんか危険なもんなの?」 「……ある意味、かなり危険です」 「危険……ですか」 「はい。なので是非、何もせずに私達に知らせてください」 「わ、わかった。危険なものなんだったら、みんなにもそう伝えとく」 「お願いします」 「ヒナ、怖いし言う通りにしとこうね」 周囲から頼りにされている射場さんならば、うまく伝えてくれるだろう。 危険だということを生徒達に周知してもらえれば、もしかしたら被害は抑えられるかもしれない。 ランプについて一通り説明してから、私はその場を立ち去った。 「う、うう……ランプ、どこかなあ」 一人で捜してると、なんだか不安になって来る。 みっちーや憂緒さんがいれば不安なんてないんだけど。 それに、もしも見つけたとしても、おれになんとかできるのかな。 封印はできないかもしれないし、でもだからって何もしないわけにはいかないもんな……。 わかってるんだけど、一人の時にランプを見つけたくないなあ……なんとなく、怖いし。 「こらぁあ! 待てー! 待ちやがれー!!」 「……?」 ランプを捜して歩き回っていると、階段の下の方から騒いでいるような声が聞こえた。 さっきの大きな声って、村雲先輩だったような……。 「もしかして、ランプ見付かったのかも」 村雲先輩が一人で追いかけているんだったら、手伝った方がいいかもしれない。 声が聞こえた方に行ってみよう! 「……えっ!」 声の方に行ってみようとした瞬間、階段の下の方から何かが飛んで来る。 あまりに突然のことすぎて、驚き声をあげることしかできなかった。 おまけに、驚きすぎてバランスを崩して転んでしまった。 「え? ええ???」 転んだままの状態で顔を上げると、そこにはほんのりと光ったランプがふよふよと浮かんでいた。 ま、まさか遺品のランプってこれ……。 呆然とランプを見上げていると、村雲先輩が走ってこっちにやって来た。 早く起き上がって、ランプを捕まえなくちゃ。 怖いって言ってる場合じゃないし、村雲先輩がせっかく追いかけて来たんだから早く捕まえないと! ランプに向かって走る村雲先輩を追いかけて、おれも走り出す。 もう少しでランプに追いつく。 そう思ったのに、動き回るのをやめたランプはまるで威嚇するように光を増した! 「う、うわあ!!!」 「やべえ!!」 光り始めたランプから逃げ出そうにも、ランプとの距離が近すぎた。 おれと村雲先輩にできたことは、その眩しいまでの光を遮るために顔を隠すことぐらいだった。 「………」 「………」 「……ん?」 「あ、あれ……?」 光が小さくなったのに気付いて顔を上げる。 そして身体を確認してみたけど、縮んだ様子も大きくなった様子もなかった。 それはおれだけじゃなくて、村雲先輩も同じだ。 理由はわからないけど、何もなかったことにホッとする。 「なんも起こってないな。光ったら身体の大きさが変わるんじゃねーのか?」 「は、はい。そういうものだと思ってたんですけど……」 「……あっ! ランプがいねえ!!」 身体に変化がなかったことに安心していたけど、それどころじゃなかった。 さっきまで目の前に浮かんでいたランプが消えていた。 あれってもしかして、おれ達の身体を変化させようとしていたんじゃなくて、逃げ出すために光っただけなんじゃ……。 「ちっ! 逃げられたか!」 「は、早く捜さないと!!」 「ああ、とりあえず行くぞ!」 「は、はい!」 「……あ、あれ?」 「なんだろうこれ。なんか古い感じ……ん?」 「水道の方にも一個置いてある……えっと、乾かしてます?」 「あ、そっか! ここから落ちて転がっちゃったんだ」 「じゃあ、戻しといた方がいいよね」 「うん。これでよし!」 「……あ! 遅刻しそうなんだった! 急がなくちゃ〜!!」 「デッサンで使うランプってこれ?」 「春日さんが洗って乾かしてるって言ってたから、そうなんじゃないか」 「じゃあ、やっぱこれか……でも、なんか二つあるな。授業で使うのって、一個でいいのか?」 「だと思う。どっちでもいいんじゃねーの」 ランプを捜して校舎中を駆けずり回ったが、どこにもそれらしい物は見当たらなかった。 頭上で学園長も目をこらしてくれているはずだし、何かを見逃しているとも考えづらい。 もしかすると、校舎内ではないのかもしれないと、俺達は校舎の外を捜すことにした。 「どこに行ったんだか……」 「ふ〜む」 「遺品がどこにあるのか、パパッとわかる道具とかないんですか?」 「そんなものがあれば苦労はしていないよ」 「はあ……だよなあ」 そんなものが実際にあったならモー子がとっくに使ってるだろうし、こんなに学園中を捜し回る必要もない。 答えはわかっているつもりだったが、あまりにもランプが見つからない状況に思わず聞いていた。 「それにしても……君が像を踏み壊したことが既に懐かしいねえ。まださほど経っていないというのに」 「な、何をいきなり……」 頭上でしみじみと言いながら、学園長は俺の髪を小さな手のひらで撫でていた。 いきなり古傷を突くようなことを言い出して、なんのつもりだこの人は……。 「しかし、君は予想以上に役に立ってくれているよ」 「え……」 「………」 「割と、頼りにしているのだよ」 今度は逆に褒めるようなことを言い出す。 本当になんのつもりなのか、学園長の考えていることがよくわからない。 「遺品が出現しやすいことがわかっていたのにこうなったのだから、私も不注意だった」 「学園長……」 「もっと気をつけるべきだったな……」 いつもと明らかに違い、沈んだ様子で学園長は言った。 こんな雰囲気の学園長は初めてだし、おまけに今は頭の上だし、どんな顔をして言っているのかもわからないが。 「なんか調子狂うな…」 「私だってちょっぴり反省しているのだよ。現に遺品の光を浴びてこのような身体になってしまったわけだからね」 「急に光ったんだろ? 不意打ちじゃしょうがないですよ」 「確かにあの時は椅子に座っていたし、避けても間に合わなかったのではないかと思う」 「だったら、どうしようもないんじゃないですか」 遺品の力が無差別に使われる時ってのは大体不意打ちだし、誰が悪いってわけでもない気がする。 今までだってそうだったんだから、今回、学園長の方には何も問題はなかったんだろう。 おまけに椅子に座っていたのなら、避けられなくても仕方がない気がする。 俺だって座ってる時に素早く反応できる自信はないしな。 「それにさ、しょげてる場合じゃないと思いますよ。生徒の安全が第一って言うなら余計にさ」 「……そうだな。ありがとう、久我君」 「避けられなかったんですか?」 「………」 「ニノマエ君は避けたんじゃなかったっけ」 「痛った!」 大きな声で答えながら、学園長は俺の髪を何度も引っ張りながら抗議していた。 ちくちくとした痛みに思わず頭を振ってしまいそうになったが、たぶん振り落としてしまうのでグッと我慢する。 「だ、だったらどうしようもなかったんじゃないか……」 「どうしようもなかったとも!! そうだ、過ぎたことをいつまでも気にしていても仕方がないではないか!」 「わかった! わかりましたから頭の上で暴れんなっ!!」 「おっとこれはすまない、つい力が入ってしまった」 やっと髪を離した学園長は、暴れて満足したのかおとなしくなった。 さっきの沈んだ様子は一体なんだったんだ。 こっちだって、ちょっとは心配したっていうのに……。 「元気じゃねーかよ、ちくしょう……」 「へいへい……」 まあ、元気になったみたいだし良かったってことにしておこう。 校舎の外にもランプはないみたいだし、もう一度校舎内を捜してみるか……。 「ああ、こんにちは。風呂屋町さんは、移動の途中なのか?」 「はい、そうです!」 ランプを捜し、校舎内を歩き回っていると風呂屋町さんに出会った。 教室移動中だという彼女は元気に頷いて答えてくれる。 もしかしたら、移動の途中、どこかでランプを見かけてはいないだろうか。 「ちょうど良かった。聞きたいことがあるんだ。古いランプを捜しているんだが、どこかで見かけなかっただろうか」 「古いランプ……」 「なんでもいい。何か知っていれば教えて欲しい」 風呂屋町さんはうーんと考えるように首を傾げてしまった。 この様子では、何も見ていないのかもしれない。 「水道の方にも一個置いてある……えっと、乾かしてます?」 「二つ?」 遺品のランプは一つだけのはずだ。 二つあるという話は聞いていないし、分裂するという話も聞いていない。 「あ、まゆみちゃん」 「こんにちは、壬生先輩」 風呂屋町さんと話していると春日さんもやって来た。 二つあるというランプのことが気にかかるし、彼女にもランプのことを聞いてみた方がいいかもしれない。 「風呂屋町さんにも聞いていたのだが、古いランプについて何か知らないだろうか」 「ランプ……? あの、それなら昨日洗って置いておきました。先生が美術の時間に使うって言ってたので」 「あ、洗った!?」 「はい。それで、乾かすために水道のところに置いておいたんです」 ランプが現れたのは今日になってからという話だし、仮に春日さんが洗ったのが遺品のランプであれば、何か魔力が発動していてもおかしくない……。 話を聞く限りはそのようなことはなさそうだし、それなら洗った方はただの美術用のランプということになる。 「そのランプが、どうかしたんですか?」 「いや、捜しているランプがあるのだが……そのランプ、何か異常はなかったか?」 「洗ってる時は特に何もなかったですよ」 春日さんが話しているのは、捜している遺品ではなさそうだ……もしかして、関係ないただの古いランプが混じっている? 「壬生先輩、どうしたんですか」 「春日さん、念のためそのランプを置いておいた場所を教えてくれないだろうか」 「は、はい。わかりました」 嫌な予感がする。 もしも、関係のないランプが混じっているなら、厄介なことになりそうだ。 春日さんに教えてもらった水道の場所までやって来ると、そこには確かに古いランプが一つ置いてあった。 「あれ……か?」 ランプは動かず、その場に置かれたままになっている。 でも、あれが本物かどうかはわからない。注意しながら、慎重に近付いて行く。 「………」 近付いたランプを見つめ、指先で軽く数回突いてみる。 だが、何も起こらない。 「これは備品の方か……では、遺品は持って行かれた?」 だとしたら何が起こるかわからないし、持ち出した人物の身も危ない。 すぐに捜し出して封印しなくては。 まだ近くにある可能性もあるし、この辺りから捜した方がいいだろう。 廊下を歩いていると、向かいから射場さんとヒナさんが歩いて来るのが見えた。 「あ、壬生だ」 「………こんにちは」 「二人とも、ランプを見なかっただろうか?」 「ランプとは、それではないのですか?」 ヒナさんが指差したのは、さっき確認したランプだ。 あれは反応のない備品の方だが、そこに置いてあるのだから、そう言われても仕方がないだろう。 「いや、あれではないんだ」 「ヒナさん、どうしたんですか」 射場さんと話していると突然、ヒナさんがゆっくりと後ずさり始めた。 ヒナさんが何かを見つめていることに気付き、その視線の先を確かめる。 「あっ!」 「……ランプだね」 視線の先には、ランプを持っている生徒の姿があった。 その生徒もこちらに気付き、不思議そうにしながら視線を向けて来る。 「どうかした?」 「そのランプは一体……」 「これ? 美術の授業で使うって言ってたけど」 「多分それは、備品のランプではないと思う。備品ならあちらの水道にまだ置いてある」 「本当に? じゃあ、こっちはなんだろう」 男子生徒がランプを持ち上げ確認している間、ヒナさんはじりじりと後ずさり続ける。 「ヒナさん、どうかしたのか?」 「危険……これが?」 「待ってくれ、それをちょっと見せて……」 「うわっ!!!」 「うひゃあああ!!!」 「……!!!」 男子生徒からランプを受け取ろうとした瞬間、危険を察知したのかランプがいきなり光り始めた。 そして、その手から逃げ出すようにランプが飛び上がる。 「う、うわあ! ランプが飛んだぁ!!」 「あ! 待て……!」 「ヒナ、大丈夫? あーあー、転んじゃって」 飛び上がったランプに驚いたのか、ヒナさんはその場でしりもちをつくように転んでいた。 射場さんがそれを引き起こしてあげ身体の様子を見ているけれど、ケガはしていないようだった。 今のところ、何も被害が出ていないようでそれだけは救いだ。 「捜してたランプってあれ?」 「ええ、お騒がせして申し訳ない。授業には、あちらにある備品のランプを使ってくれ」 「わ、わかった」 「すまないが、あれを追いかけて来る!」 「あ、うん」 「………お気をつけて」 ようやく見つけた遺品の姿、決して見失わないようにせねば……! もう一度校舎内を捜そうと廊下まで戻って来ると、射場さんと雛さんがいた。 ちょうどいい。あの二人に何か見ていないか聞いてみよう。 「学園長、ちょっと黙っといてください、あと少し頭頂部から後ろに下がって、前から見えないように」 「ん? 何故だね?」 「その姿を他の生徒に見られたらマズイからでしょうが! さっきの忘れたんですか!」 この人は自分が置かれている状況をきちんと把握しているんだろうか。時々かなり不安になる。 まあ、今は射場さんと雛さんに話を聞かないとな。 「射場さん、雛さん」 「あ、久我クンじゃん」 「こんにちは」 「あのさ、聞きたいことがあるんだ。えっと、ランプ見なかった? なんか古い感じの……」 「ほ、ホントか?」 「うん、壬生が追いかけて行ったよ」 「鍔姫ちゃんが?」 つまりさっきまでここにランプがあって、逃げたのを鍔姫ちゃんが追いかけて行ったってことか。 一足遅く、入れ違いになったみたいだ。 でも、今から追いかければ鍔姫ちゃんとランプに追いつくかもしれない。 二人で協力すれば、なんとか捕獲できるかも。 「どっちに行ったかわかります?」 「ああ。この廊下、真っ直ぐ逃げて行ったよ」 「わかった、ありがとう! 射場さん!!」 このまま走って追いつくかはわからないが、じっとしている場合じゃない。 早く追いかけて鍔姫ちゃんに合流しよう! 「よし、追いかけ……」 「待ちまたえ、久我君!」 「いてえ!!」 走り出そうとした途端、学園長が力いっぱい髪を引っ張り大声をあげる。 人の髪の毛を手綱のように使うのは止めてほしいのだが。将来頭皮に影響したらどうしてくれるつもりなんだ。 「なんだよ! いてえよ!!」 「ここを真っ直ぐ逃げて行ったのなら、向かい側へ回り込んだ方がいいのではないか?」 「ああ、なるほど。挟み撃ちにするってことですね」 「そういうことだ!」 「よし、じゃあ回り込……あ」 「………」 「何、それ? 学園長?」 射場さんと雛さんが頭上の学園長を見つめてぽかんと口を開けていた。 その顔は驚いているというか、呆れているというか……とりあえず、呆然とした感じだった。 しまった……さっき自分で黙ってろと言ったのに、すっかり忘れて普通に会話していた……。 「え、えっと、これはだな……」 「小さい……」 「うん。小さいね」 「………」 「ふはははは! 超構成ロボだ! 遠隔操作なのだよ!!」 「え……」 「ロボ……」 この人はまた、これで状況をクリアできると思っているのだろうか。 「ミニ九折坂二人&久我満琉のニュー特査コンビ誕生なのだよ!」 「なんだそれは!」 「ふははははっ!!」 何故だか学園長は俺の頭上でふんぞり返って上機嫌で声を張り上げていた。 が、まったくもって意味がわからない。 なんだ、ニュー特査コンビって。これからもそんなコンビ組む気はないのだが。 「へえ〜。ニューコンビかぁ。意外とお似合いかも。なんか」 「お似合いですか?」 「うん、なんだかそんな感じ。ヒナもそう思わない?」 「……クミちゃんがそう言うと、ヒナもお似合いな気がしてきました」 お似合いって……この二人は一体何を言ってるんだ。 相手は学園長だし、しかもこのサイズだ。お似合いとか、そういうレベルの話じゃないだろう。 そりゃあ、俺の頭にはフィットしてるかもしれないが……。 「………」 「なんだ? どうしたんです、学園長?」 お似合いと言われた学園長は急に黙りこくってしまった。 だが、頭上で小さく震えているのか少しだけ振動が伝わって来る。 一体、急にどうしたって言うんだろうか……何か気になることでもあったのか? 「………」 「おーい、学園長ー?」 「ふ……ふひっ!」 「……え?」 「ふっ! はっ、あーーはははは! あはははは! お似合い!! ふひぃ!! それはいい!!! あはははは!!」 「なっ…!」 しかし突然、学園長は何故か頭上で大笑いを始めてしまった。 何がそこまでツボに入ったのかよくわからないが、とにかく笑い声が止まる気配すらない。 そんなに俺とお似合いって言われるのは面白いのか……。 「ふはははははっ! はーはっはっはっはっは! わはははは!!!」 「そこまで笑わなくてもいいんじゃないですか……」 「すごく笑ってるね」 「……うん」 「勘弁してくれ、頭の上で……」 ぐったりとうなだれている間も、学園長の笑い声は止まらない。 それどころか、ますます大きくなって行きそうな気がして思わず遠い目になる。 そんな俺を、射場さんがじっと見ている。 「あのさ、追いかけなくていいの?」 「あ、そうだ! 学園長、笑ってる場合じゃないですよ!」 「あはははははっ!」 「ったく、この人は……」 学園長の笑い声を聞いてぐったりしている場合じゃなかった。 早くランプを追いかけねば。このままじゃ回り込むことができなくなってしまう。 「わ、悪い! それじゃあ、ランプ追いかけるから。ありがとう!」 「あ、うん」 「気をつけてください……」 「わかった。じゃあな!」 「わーっはっはっはっは!!!」 いい加減笑うのをやめて欲しいんだが、学園長は延々と笑い続けている。 頭上で響くその笑い声を聞きながら、ランプを追いかけるために必死に走り続けた。 「ったく! 学園長が爆笑してたせいで回り込みに失敗したじゃないですか!」 未だ頭上で笑いながら、学園長は謝罪していた。 でもこれじゃあ、どこまで本気で申し訳ないと思っているのかわかりゃしない。 呆れてため息をつきながらきょろきょろと周りを見渡してみるが、ランプはもうどこにもなかった。 「くそ……完全に見失ったか……」 「ふ〜む。困ったねえ」 「誰のせいですか誰の……とりあえず、一旦外に出てみるか」 「わかった。それでは移動したまえ!」 頭上で大きく声を響かせる学園長を振り落としてしまわないように気をつけながら、今度は校庭に向かって走り出した。 「と、とりあえずそういうわけだから! 情報ありがとう、じゃあまた!!」 「ふはははははは!!!!」 「なんだったんだろうね」 「うん……」 二人からの視線にいたたまれなくなって、その場を走って立ち去った。 とりあえず、今はランプを追う方が先だ。 学園長が言った通り、ランプを挟み撃ちにするために移動したものの……。 「……鍔姫ちゃんいないな」 「ランプもないようだね」 「校庭に出たとか……」 「はいはい!」 頭上で指示する学園長の言葉に従い、今度は校庭に向かって走り出した。 一体、ランプはどこへ行ったんだ……。 校庭に出てみたのはいいが、そこはやけに静まり返っていた。 まあ、授業がなければこんなものかもしれない。 広い校庭をぐるっと見てみたが、ランプらしき物体はどこにもない。 「ランプはいないようだねえ。こちらにも来ていない……と、言うことかな」 「かもしれないですね。仕方ない、一旦戻った方が良さそうだ」 「それでは戻りたまえ!」 「はいはい」 ランプがないのなら、ここでこうしていても仕方ない。 もう一度校舎内を捜しに戻った方が賢明だろう。 「……仕方ないか」 「お、おお?」 「え!?」 校舎に戻ろうと急ぎ足で振り返った瞬間、突風が吹いて来た。 しかも、その突風のせいで頭上に乗っていた学園長が飛ばされてしまう。 「お、おい!」 「おおおおお!!!」 しっかり掴まってろって言ったのにあの人は! なんて考えている暇もなかった。 俺の頭から離れた学園長は、そのまま……。 「あっ!!」 勢いよく用水路に落ちてしまった。 「お、おい! 学園長!!」 吹っ飛んだ姿を目で追い、用水路に近付き中を覗くが学園長の姿が見えない。 焦って目を凝らしてその姿がどこにあるのか捜し続ける。 よく見ると下の方に溜まっている泥の中に突っ込んで引っ掛かって抜け出せなくなっているみたいだった。 「が、学園長……!」 膝の辺りまで濡れてしまったが、そんなことを気にしてる場合じゃない。 今は学園長を捜して救い出すのが先だ。 「ったく」 さっきは、こっちが痛がるほど髪を掴んでたってのに、なんであっさり飛ばされるのか……。 用水路の中を手探りで捜していると、指先にふっと何かが触れたことに気が付いた。 「……!」 その感触をそっと包み込んで、一気に引き上げる。 「………」 「学園長!!」 間違いなく、学園長を引き上げることができた。 でも、呼びかけても返事はなく、動く様子がない。 「おい、大丈夫か?」 「……」 「おいおい……」 驚かせないように呼びかけながら、そっと小さな身体に耳を近付ける。 「……ふぅ」 「………」 小さく弱いけれど、呼吸音は聞こえた。 良かった。気を失ってはいるけど、生きているみたいだ。 さっさと着替えさせないと風邪をひきそうだが……こんな小さな身体じゃどうすればいいのか……。 「ちー」 「え?」 「ちー! ちー」 この状態の学園長をどうすればいいだろうと思っていると、足元に突然、小さなオコジョが現れた。 学園長の友達のニノマエ君だ……でも、どうして突然この場所に? 「ぢーっ」 「な、なんだ? どうしたんだ」 「ちぃ!」 ニノマエ君は、俺の方に背中を向けて何度も鳴いた。 もしかして、学園長を背中に乗せろって言ってる……のか……? 試しにそっとニノマエ君の背中に学園長の身体を横たえてみると、満足そうな声が返ってくる。 「ちぃ! ちぃ!!」 そしてそのまま、ニノマエ君は走り去ってしまった。 もしかすると、学園長のことは、自分にまかせておけってことかな。 こんな感じで学園長もオコジョと会話しているんだろうか。 念のため学園長が落ちた用水路のあたりも捜してみるが、ランプのラの字もない。 一旦、中庭に戻った方がいいか――そんなことを考えていると…… 「ちー」 「やあ待たせたね! さあ! 捜査再開といこうではないか!」 「!?」 突然、また足元に白い獣が滑り込んでくる。 そして、その背中にまたがっていたのは、やっぱり学園長だった。 が、着ている服が変わっている。まさか、着替えたのか……そんなサイズの服を持っていたのか……。 「何を呆けた顔をしているんだ、久我君! 私なら無事だよ、ニノマエ君が介抱してくれたからね、着替えまで用意してくれてな、この通りだ!」 「ニノマエ君、ハイスペックだな!」 「ふふん、そうだとも!」 そう言いながら器用に俺の身体を伝って、また頭の上に落ち着く学園長。 「ちー」 「おお、ニノマエ君。分室に戻るのだね。今度は気をつけるから大丈夫だよ、君も気をつけてな」 「ちぃ」 ニノマエ君はしっかりと頷いたように見えた。そしてそのまま走り去っていく。 「さて、心配をかけてしまったかな? 次はどこへ行くんだい?」 「あ、ああ。一旦中庭に戻ってみようかと思うんですが」 「では中庭にごーだ!」 俺は頭上にいる学園長を気にしながら、もう一度ランプを捜すためにまた走り出した。 「はあ、はあ……」 中庭を捜し回ったがランプは見当たらず、ついでに校舎の周りを一周してみて戻って来たが、やっぱりランプは見当たらない。 こちらを見上げて何度か鳴いていたかと思うと、ニノマエ君はいきなり走り出してしまった。 突然のことすぎてどうすればいいのかわからず、思わずそのニノマエ君の行く先をただ呆然と見ていた。 だが、走り出したニノマエ君はすぐに立ち止まると振り返って俺を見つめる。 「ちぃ! ちぃ!!」 「つ、ついて来いってことか?」 「ちぃー」 俺の言葉を理解しているのか、ニノマエ君は頷くような仕種を見せてから一鳴きするとまた走り出した。 手のひらに乗せた学園長を落とさないように気をつけながら、ニノマエ君を追って走り出した。 それにしても、足元にも手のひらにも小さいのがいてなんだかヘンな感じだ。 学園長にも気をつけないといけないが、ニノマエ君のことも踏まないように気をつけて走らないと。 こんなに色々気をつけながら走るのなんて、初めてのことかもしれないな……。 ニノマエ君に案内されるままに走っていると、学園長室の前にたどり着いた。 ここまで案内してくれたニノマエ君も扉の前で立ち止まり、俺をじっと見ている。 「ちぃ」 「お……開けろってことか?」 「ちっ!」 「わかった」 片手で学園長を支え、大きな扉をゆっくり開ける。 普段なら気にしないことでも、手のひらの中で気を失ったままの学園長を乗せたままだと慎重になる。 「ぢー」 「あ……」 扉を開けた途端、ニノマエ君はさっさと中に入ってしまった。 その姿を追いかけて、俺も学園長室の中に入る。 俺が中に入ると、ニノマエ君が足元でウロウロしていた。 踏みつけてしまわないように気をつけながら、足元にいるニノマエ君に声をかける。 「あ、危ないって……ん?」 「ぢっ!」 足元をウロウロしていたニノマエ君はまたすぐに走り出し、今度は大きな棚の前で立ち止まった。 そちらに近付くと、大きくて深さのある陶器の皿が飾ってあった。 「ちー! ちっ!」 「ああ! これで洗ってやれってことか?」 「ちぃ」 とは言うものの、この皿かなり高そうだけどいいんだろうか。 落として割りでもしたら、またすごい金額になるんじゃ……。 学園長本人に聞ければいいんだが、気絶してるから使っていいのか聞くこともできない。 しかも、ニノマエ君はお友達とは言えただのオコジョだしなあ。 「ぢー!! ぢっ!」 「わ、わかった、わかった」 迷っていると急かすようにニノマエ君が鳴いた。 事情が事情だし、今は迷ってるヒマはないか。 学園長を落とさないようにしながら深皿を手に取り、机の上にそっと置く。 ずっとこのままだと確実に風邪を引くだろうし、学園長にも少しの間だけ机の上で寝ていてもらおう。 「………」 そっと机の上に寝かせた学園長は、まだ気を失ったままだった。 けど、胸は上下に動いてちゃんと呼吸をしている。 そこだけは安心だが、それにしても服はどろどろだし、早くなんとかしてやらないと。 「あとは……」 「ちー!」 「お、おお」 またニノマエ君が俺を呼び、今度はティーセットの置かれた棚の下をウロウロしていた。 その棚を見ると高そうな食器の側にポットも置かれていた。 「あ、もしかしてこの中にお湯が入ってるのか?」 「ちぃ!」 「じゃあ、さっきの皿にお湯入れるか…」 ポットを手に取って机に戻り、置いておいた深皿にお湯をそっと注ぐ。 お湯を注いだ深皿から、ふんわりと白い湯気が立ちのぼって消えて行く。 「大丈夫かな」 そっと手を入れて確かめるとお湯はちょうどいい感じだった。 お湯から手を離し、腕まくりをしてから机の上で寝ている学園長を見つめる。 「う……」 学園長はまだぐったりしていて、着ている服はどろどろになっている。 当然ながら、身体を洗おうと思ったら着ている服を脱がせないといけないわけだ……。 服もこのままにしておくわけにはいかないだろうし。 「いや、でもなあ……」 いくら小さくなっているとは言え、学園長とは言え、相手は女性なわけだ。 それなのに、気絶しているからって汚れた服を勝手に脱がしてしまうにはやっぱり抵抗が……。 「ぢー! ぢっ!!」 「………」 「ちーちー!!」 「わ、わかったよ……」 急かすようなニノマエ君の声に負け、学園長の服を脱がせる決意をする。 小さいんだし、人形だと思えばいい。 そうだ、これは人形だ……人形……。 帽子を脱がし、手袋を脱がして机の上に置いていく。 小さくて外しにくい上着のボタンをそっと外して、スカートも脱がせていく。 「う……」 なんだか、ものすごおぉく悪いことをしている気になるが、気にしたら負けだ。 心を無にしろ。何も考えるな。 これは人形だ……学園長によく似た人形なんだ……。 「はあ……」 時間をかけてゆっくりと服と下着を脱がし、あまり身体を見ないようにしながらお湯の中につける。 「……ん」 「泥だらけだな……」 キレイに頭の上から吹っ飛んで行って、勢いよく用水路に落ちたからな……。 これだけ泥がついているんだし、なるべく全身キレイにした方がいいだろう。 意図的ではないとはいえ、落とした俺の責任もある。 それにしても、いくら事情があるとはいえ、これ普通だったら起きたら絶対に怒られるな……。 服を脱がせて、勝手に身体を洗ってるんだから。 「ん、んん……」 ……人形だと思い込みたいが……やっぱり、学園長の身体は人形と違って、女性特有の柔らかさがあるわけで……。 身体を洗うために指先を動かし続けていると、その感触が伝わって来て少しだけ動揺する。 「んぅ……」 ゆっくり身体を洗っていると、学園長から小さく声が漏れる。 その声を聞いていると、いけないことをしているような気もして本当に落ち着かない。 「……うう」 「んっ」 学園長はまだ目覚めない。 こんな風に勝手に服を脱がして裸にして、身体を洗ってるなんて……いっそすべてがきれいに終わるまで目覚めてくれない方がいいというものだ。 あ、いやでも、学園長だしなあ……もしかしたら途中で目が覚めても、笑い飛ばされるだけかもしれない。 「ちぃ、ちぃ……」 「ん?」 「ちー」 学園長の身体をそっと洗っていると、ニノマエ君が側に来て学園長に声をかけていた。 「ちー、ちちー」 まだ意識のない学園長に何度も呼びかけている姿は、健気にすら見える。 このオコジョ、本当に主人思いだよな……。 いや、学園長に言わせると『お友達』か。 「ちぃ」 「……ん?」 「ぢー!」 「あ、ああ……ニノマエ君かね……」 ニノマエ君が声をかけ続けていると、学園長はゆっくりと目を覚ました。 けど、その表情はどこかぼんやりしていて、この状況には気付いていなさそうだ。 とりあえず、身体を洗う手をそっと止めておとなしくしていることにする。 「ちー。ちぃち」 「うん……」 「ちーちー。ぢぃ!」 「うん……そうだね……」 「ち、ちちっ」 「ああ、私もそう思う……」 まだぼんやりしたまま、学園長はニノマエ君の声に反応して返事をしていた。 まるで二人で会話してるみたいだが……さっきの俺とニノマエ君の会話のようなものなのだろうか。 だが、このやり取りだけ見ていると学園長とニノマエ君はもっと高度な意思疎通ができているようにしか思えない。 「ちぃ〜?」 「ん……うん……」 「ちちぃ!」 「……うん」 こくこくと頷いていた学園長だったが、ようやく意識がはっきりして来たらしくゆっくりと首を動かした。 そして、学園長と俺の目が合う。 「………」 「………」 目が合った学園長は、今の自分が全裸で俺の手によって身体を洗われている途中だと気付いたようだった。 「だ、大丈夫ですか?」 「………」 「えっと……」 どうも、あまりに突然すぎる状況に思考停止したらしい。 いやまあ、仕方ないだろうな。起きたらいきなり全裸で、しかも男に身体を洗われているんだから。 でも、学園長のことだから、きっといつも通り笑い飛ばしてくれるんじゃないか……。 「ひゃんっ!!」 「え……!」 「あ、あわわ……!!」 手のひらの中の学園長は顔を真っ赤にし、小さく悲鳴をあげて俺から離れようとした。 そして、皿の中で身体を小さく丸めると両腕で胸元を隠してしまった。 そのあまりにも予想外の反応に俺の方も思考が止まる。 「あ、いや、あの……ご、ごめんなさい」 「う……あ、ああ……」 「その、泥だらけだったんで、洗った方がいいかと思って」 「そ、そうか……」 俺の都合のいい期待は見事に外れた。 そりゃあ、そうか。学園長だって女の子なんだ。 小さくなっているとは言え、男に裸を見られて平気なわけがない。 そこは俺の配慮が足りなかった。 そっと深皿から手を離し、学園長の方から視線を外す。 「………」 「………」 なんだか、気まずい。 まさか、こんなことになるとは思ってもいなかった。 いつもの学園長のテンションに惑わされて、少し軽く考え過ぎていたかもしれない。 「ちー!」 「ん?」 どうすればいいのかと思っていると、いつの間にか姿を消していたニノマエ君がやって来た。 しかも、学園長のためにタオルと代わりの服を器用にくわえて来ている。 代わりの服もちゃんと人形用のサイズだというのがすごい……。 そういえば、汚れて脱がせた服もいつの間にかなくなってるけど、ニノマエ君が持って行ったんだろうか。 ……ニノマエ君って、ものすごくハイスペックだな。 「お、おお、ニノマエ君、ありがとう。助かるよ」 「ちぃ」 「色々迷惑をかけるね」 「ちー」 ニノマエ君から服を受け取った学園長が着替えるらしい。 そっと背中を向けてそちらを見ないようにする。 正直、汚れた服をどうしたらいいかわからなかったし、裸のままだったらどうしようと思っていたから助かった。 「久我君、どうやら迷惑をかけてしまったようだね」 「あ……」 しばらく待っていると、着替えを終わらせたらしい学園長に声をかけられた。 振り返ると、新しい服を着た学園長が俺を見上げていた。 「いや、別に迷惑ってほどじゃ……俺のせいで落ちたみたいなもんですから」 「君のせいではないよ。私がしっかり掴まっていなかったからだ」 「はあ……」 なんだか、今までよりも学園長が大人しい。 それにあまり視線も合わせてくれないし……調子が狂うというか、落ち着かないというか。 「さ、さっきのはその……わ、忘れてくれたまえ」 「え……」 「だ、だから、さ、さっきのことだよ」 「あ……はい……」 恥ずかしげに言われて、なんだかこっちまで照れくさくなってしまう。 さっきのことっていうのは、もちろん俺が身体を洗っていたことだろう。 変に意識するのもどうかと思うし、俺もその方がいいような気がする。 「ん……」 「何です?」 「いや、君のズボンも濡れているではないか」 「ああ、そういえば……」 指摘されて思い出したが、俺のズボンは濡れて汚れていた。 学園長を助けるために用水路に入った時のままなんだった。 自分のことなんてすっかり忘れてたな。 「着替えた方がいいのではないのかね?」 「いいですよ、これくらい。俺は男だし、このくらい濡れててもどうってことないし……後で着替えます」 「そ…そうかね…」 「ああ。ほら、終わったなら、とっととランプを捜しに行きましょう」 着替えを終わらせた学園長をひょいっと持ち上げ、さっきまでと同じように頭の上に乗せる。 座りやすいように姿勢を変えた学園長は、今までと違い弱弱しく俺の髪をぎゅっと握った。 「………」 「今度は落とさないように気をつけます」 「私も、落ちないように気をつけるよ」 「そうしてください」 とは言うものの、さっきまでと妙に様子が違ってるせいで色々とやりにくい……。 どうすればいいもんだか。 ……なんて考えていると、俺の側にニノマエ君がとことこやって来た。 「ちー」 「おお、ニノマエ君。分室に戻るのだね」 「ちぃ」 学園長の言葉にこくこくと頷きながら、ニノマエ君はまだ少し心配しているように見えた。 ホント、主人思いで健気なやつだ。 「私を心配してくれたのは嬉しいが、今度は分室から出てはいけないよ……」 「ちーっ」 「あ……」 一鳴きして頷くと、ニノマエ君は先に学園長室を出て行ってしまった。 どうやら案内なしでも分室に戻れるらしい。 本当、ハイスペックなオコジョだな。 「よし、それじゃあ行くか」 「ああ、そうだね」 ハイテンションな返事をされないことに調子が狂うが、今はまずランプを捜さないとな。 「校庭にはいなかったけど、まだ外にいる可能性は?」 「校舎内で追い回されたのだから外にいるというのは、可能性の一つとしてはありだろうね」 「じゃあ、もう少し外を捜しますか」 時間が経ったから怪しいとは思うが、念のためだ。 校舎から飛び出したが校庭にもいないなら、向かうとすれば一先ず中庭か。 頭上にいる学園長を気にしながら外に出ると、もう一度ランプを捜すためにまた走り出した。 目的地が決まり中庭まで走って来たのだが、ランプの姿はどこにも見えない。 もしかしたら、外に出たという考え自体が間違っていたのかもしれない。 きょろきょろと周りを見ていると、頭上で学園長がもぞもぞ動いたのがわかった。 あんまり動くと危なっかしいような気がする。 「あの、また落ちたら困りますしそこよりポケットの中の方がいいんじゃないかと思うんですが」 「ポケット?」 「そこならよっぽどの事がないと、落ちないですし」 「いや……ここがいい」 制服のポケットを指差しながら言うと、学園長はかすかな声で答えた。 そして、ゆっくりと小さな手で髪を撫でられる。 なんだか、その感触が少しくすぐったい。 それにしても、まだ元気がないような気がする。 用水路に落ちたのが、よっぽど怖かったのかもしれない。 「本当にそこでいいんですね?」 「うん」 「わかりました。じゃあ、ちょっとくらい強く髪の毛を掴んでもいいから、今度は落ちないでくださいね」 「うむ。気をつけよう」 「俺もさっきより気をつけるようにしますから」 「………」 俺の不注意でもあるんだから、これ以上怖い思いをさせるわけにはいかないしな。十分気をつけておこう。 「あの、久我君……」 「ん? 何です?」 「私としたことが、まだ礼を言ってなかったね」 「そうでしたっけ?」 「ああ、そうだよ。その……ありがとう」 照れたような小さな声が頭上から聞こえる。 おまけに、礼を言いながら学園長は俺の髪をくいくいと引っ張っているらしい。 それが照れ隠しのようにも感じられて、なんとなくくすぐったいような気持ちになる。 つまり、いつもと違いすぎて調子が狂うというか……俺もどう接していいか困る。 「いや、別にそんなに気にしなくていいですし」 「そうか?」 「ああ。なんかその……もう、いつも通りでいいって!」 「いつも通り?」 「そうです。だからもっとこう、ははははっ! みたいな感じですよ」 どう説明したらいいかはわからないけど、このままじゃやりにくくて仕方ない。 「つまり、久我君はいつも通りの私が良い……と、いうことかな?」 「ま、まあ……」 「ふむ……」 もしかしたら、せっかく感謝モードになっている学園長の気分を害するようなことを言ってしまっただろうか。 一瞬、少し申し訳ない気分になったが、学園長の返事は意外にも元気のいいものだった。 「わかった! 今まで通りだね!」 「そうしてくれると助かります」 「では、そうしよう!!」 頭上から聞こえるのは今まで通りの明るい声。 それだけで、なんだかホッとしてしまった。 「外にはもういないみたいですね」 「うむ。残念だがそのようだ」 「ちょっと来るのが遅かったか……」 「かもしれないが、そう言っていても仕方ない!」 このまま外を捜していても埒が明かない。 それなら、もう一度校舎に戻った方がいいだろうか……。 「待てえっ!!!」 「ん!?」 校舎の中に戻ろうと思った瞬間、鍔姫ちゃんの大きな声が聞こえて来た。 そちらに視線を向けた途端に窓から何かが飛び出して来る。 「うわっ!!」 「あ!!!」 飛び出して来た何かを見てみると、それはほんのりと光の灯ったランプだった。 「ランプ!?」 「ああ!!」 「逃げんな!!」 それを追いかけるために地面を蹴って、勢いよく走り出す。 「はりー! はりー!!」 「わかってます!!」 頭上で指示を出す学園長に答えながら走り続ける。 ランプは思っていたよりも早く、おまけに少し距離があったために必死で走っているのに中々追いつけない。 「おお! 目の前に見えるのは風紀委員長、聖護院さんではないか!」 「ホントだ!! おおーい! もも先輩〜!!」 「ふえ? え? あ、あれ? ら、ランプぅ〜?」 飛ぶランプのさらに前に、もも先輩の姿があった。 どうやら、向こうもランプを捜して走り回っていたようだ。 自分の目の前に向かって来るランプと、俺の姿を見てもも先輩は驚いたような顔をする。 「もも先輩、ランプ捕まえるから手伝ってくれ!!」 「むっ!」 「こ、ここはももがぜ〜ったいに通さないんだからねっ!」 俺が叫び声をあげると、もも先輩は両手をいっぱいに広げて立ち止まりぷるぷると震えた。 それは、なんとか必死に立ち向かっているという様子だ。 ランプはそんなもも先輩に向かって一直線に飛んで行く。 「いや待て! 立ちふさがるのは危険……」 「え? ふえええ!??」 「……いかんっ!!! 逃げたまえ!!!」 それに気付いた学園長は頭上で大きな声を出し、俺の髪を強く引っ張った。 「もも先輩っ!!」 叫んだ瞬間、ランプの光が今まで以上に大きくなり、反射的に目を閉じてしまう。 「ふやぁああああん!!!」 目を閉じた俺の耳に聞こえて来たのは、もも先輩の大きな悲鳴だった。 閉じていた目を開くと、そこにはもうランプの姿はない。 そして、さっきまで目の前にいたもも先輩は……。 「ふぇええん……」 「……しまった」 「おいおい……」 学園長と同じように身体を小さくされてしまっていた。 俺は少し離れた場所にいたから光を直接浴びなかったが、もも先輩はもろに直撃してたもんなあ。 「ふぇええん……ご、ごめんなさいぃ〜、なにもお役にたてませんでしたぁ……」 小さくなってしまったもも先輩は、その場にぺたんと座り込むと顔を覆ってしまった。 このままじゃ泣き出すんじゃないだろうかと不安になってしまう。 「ま、まあ、仕方あるまい」 「そうですよ。もも先輩のせいじゃないって」 「う、うう……だって、ももふーき委員ちょーなのに、情けないもん〜」 「そんなことはないぞ! 身を挺してランプを止めようとしていたではないか!」 「ああ、そうだな」 「学園長……久我……」 それに、もも先輩がいなければ俺がこんな風に縮んでいたかもしれないんだもんな……。 早くランプを封印して二人を元の大きさに戻さないと。 「もも先輩、一緒に行きましょう。ランプを追いかけないと」 「あ! うわぁああっ」 小さくなったもも先輩を掴んで頭に乗せると、学園長が少しだけ場所をずらしているのがわかった。 頭に乗ったもも先輩は、恐る恐るといった感じでぎゅっと俺の髪を掴む。 「落ちないようにしてくださいね」 「わ、わかったよ!」 「学園長は少し加減してください」 「努力しよう!」 二人を頭上に乗せたまま辺りを見回す。 さっき校舎から飛び出して、勢いよく光ってから逃げ出したから……。 「また校舎内に戻ることはないか」 「うん! さっき壬生に追いかけられてたみたいだから、それはないと思うよ」 「だとしたら、このまま追いかけた方が良さそうだ」 「うむ! 行くぞ久我君!!」 「はしれー!!」 「はいはい! それじゃあ、落ちないで掴まっててくださいよ!!」 頭上にいる学園長ともも先輩を少し気にかけながら、ランプを追いかけるために勢いよく走り出す。 しかし、まさか二人も小さいのを乗せて走ることになるとは思わなかった……。 飛んで行ったランプを追いかけると、ぼんやりとした光が移動しているのが見えた。 真っ暗な夜の中で、あんな風に光があるなんてランプが移動しているとしか思えない。 「あの光はきっと遺品だ!」 「はっしれ〜! 久我ぁ〜!!」 移動していくランプの光は校舎の窓にも反射していた。 あの様子だと、校舎の中からも追跡ができているかもしれない。 「久我くん!」 そう考えながら走っていると、校舎の窓から鍔姫ちゃんが顔を出した。 その顔は一瞬こちらを見つめてから、光って移動しているランプに向けられた。 「そっちはそのまま中庭から追ってくれ! またどこかに飛んで行くかもしれない!!」 「わかった!!」 そう言った鍔姫ちゃんはまた走り出し校舎内からランプを追いかける。 そして俺は、このまま中庭からランプの光を追いかけ続けることになった。 ここまで来れば、もう少しで追い詰められるはずだ! ランプを捜して校舎内を移動している間に、私は烏丸くん、村雲くんと合流した。 しかし、二人が追っていたはずのランプは未だに校舎内で見付かっていない。 二人がランプを見かけた場所と、私が二人に会った場所から考えて挟み撃ちになるような状態だったはずなのに。 「こちらにもありませんね」 「……どこ行ったんだろう」 「ん? なんか声が聞こえる」 村雲くんがそう言いながら、廊下の向こうに視線を向ける。 同じように視線を向け耳を澄ますと、廊下を走る音や大きな声が遠くから聞こえてきた。 「待てええええ!!!!」 「追え〜!!! 追うのだあ!!!」 「ふわああああ!! おち、落ちるぅ〜! 落ちちゃうぅうう!!!」 「久我くん、こっちだ!!」 どうやら聞こえる声は久我くん達のよう。 しかし、校舎内からだけでなく外からも聞こえて来ている。 「あっちか!?」 「いえ、真っ直ぐ行くよりも回り込んで挟み撃ちにしましょう」 「ど、どっちから行ったらいいですかね」 「声の聞こえた方向から憶測すると……」 校舎と中庭、両方から声が聞こえたということはそのどちらからも追える場所ということに。 すると、この場所から近く、なおかつ向こうへ追いかけるのに最適なのは……。 「こちらです! ついて来てください!」 「わかった!」 「は、はい!!」 「待てっ!!」 「そこまでだ!」 「ふやああ!」 窓から校舎の中に飛び込み、廊下を飛んで行くランプの前に立ち塞がる。 俺の姿を確認したランプは慌てたように方向転換を始めた。 だが―― 「逃がしはしない!」 その向かい側からは鍔姫ちゃんが向かって来ていた。 両側から挟み撃ちにされる状態になったランプは一瞬空中で動きを止め、まるでおろおろするようにフラついた。 その一瞬の隙を見つけた学園長が、頭上で大きな声を出す。 「むむっ! 今だよ! 聖護院さん!!」 「……むっ!?」 学園長の声が響くと同時に、もも先輩が返事をしながら頭上からジャンプしたのがわかった。 そして、ジャンプしたもも先輩はきれいな弧を描いてランプに着地し、しっかりと全身でランプを捕まえた。 「う、うわああ! わ、うわぁあ!」 もも先輩に捕まえられたランプはバランスを崩したように、少しぐらつき今までよりもスピードを落としながら階段の方へと逃げ出した。 「いいぞ、速度が遅くなった! 頑張りたまえ、聖護院さん!!!」 「ひゃあああ! あ、うわああん! は、ははは、はいいぃ!! が、がんばりま……ふひぃいん!!!」 「もも先輩! もうちょっとだから!!」 「聖護院先輩! 頑張ってください!」 もも先輩を乗せたまま逃げるランプを追いかけ、鍔姫ちゃんと一緒に階段を駆け上がる。 「見失うなよ、久我君!」 「いや、こんだけ騒いでりゃ、もう気付いて来てるだろ」 「? 何がだね?」 髪を引っ張りながら言った学園長に答えると、不思議そうな声が返って来た。 まあ、そりゃそうかと思いつつ、逃げるランプを追いかけながら声を張り上げる。 「モー子! そっち行ったぞー!!」 「叫ばなくても、わかっています!」 階段の上では、ランプを待ち構えていたモー子とおまると村雲の姿があった。 さすがにこの状況は予想外だったのだろう。 「ふわわわわーーーん!!!」 だが、その瞬間にランプに掴まっていたもも先輩が振り落とされてしまった。 「おっと!!」 「う、うわっ!」 「大丈夫ですか? 聖護院先輩」 「ううう……ありがとう、村雲ぉ…。う、ううう、怖かったよぉ〜!!」 「地面に落ちなくて良かったですね」 もも先輩が離れたことで動きが早くなったランプは廊下の方へと移動していた。 だが、その動きは既にモー子に読まれていた。 ランプが移動した先には、モー子が札を構えて立っていた。 「鹿ケ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 光が消えたランプは動きが止まり、その場に崩れ落ちるように落下した。 「おおっ!」 「わぁあ!!」 「う、うわっ!!」 その途端、かかっていた魔術は消えたらしく学園長が俺の頭上で元に戻った。 急に大きくなったことでバランスを崩し、思わずその場に倒れ、学園長の体重に潰される。 「ぐ、ぐうう……」 「なんでこんなことに……」 「ふ、二人とも大丈夫?」 少し離れた場所では俺と同じように村雲がもも先輩に潰されていた。 ったく……踏んだり蹴ったりだ…。 「う、うわわわ!!! ご、ごめんね村雲! わ、わざとじゃないんだよ?」 「わ、わかってるからどいてください……」 「一件落着だねえ! はっはっはっは!」 「い、いいからどいてくれ……重い……」 「さすがにデカイままじゃ耐えられないです」 「なるほど。それはもっともだね! じゃあ名残惜しいが、仕方ない」 答えながら学園長は俺の上から離れ、その場で姿勢を正した。 「はあ……やっと頭が軽くなった…」 答えながら学園長は俺の上から離れ、その場で姿勢を正した。 「はあ……やっと頭が軽くなった…」 無事封印できたランプを持って図書館に戻って来ると、待っていたリトが俺達を出迎えてくれた。 「おかえりなさい、無事に封印できたみたいね」 「ええ。多少は苦労しましたが」 「多少……ね」 「何か?」 「いいや、なんにも」 あれが多少だったかはさておき、無事に封印できたんだからそれまでのことはとりあえず置いておこう。 後でモー子にアレが悪かった、コレがダメだったとダメ出しをされるかもしれないが。 「ん……?」 「あら、あれは……」 リトと話していると、分室の方で扉が開く音がした。 そちらに視線を向けると、部屋の扉が少し開いていた。 「ちー」 そして、部屋の中からニノマエ君がやって来た。 ……どうやって扉開けたんだろう。でも、あれだけハイスペックなニノマエ君ならなんでもできるような気もする。 ニノマエ君の姿を見つけた学園長はにこにこと笑顔を浮かべて両手を広げる。 「ちぃ!」 「ああ、ただいま!」 「ちーちー」 「うんうん。君にも大変な苦労をかけたね」 自分の側にやって来たニノマエ君を見つめて笑顔を浮かべたまま、学園長は何事かを話していた。 端から見ていると冗談みたいな光景なんだが、学園長とニノマエ君はしっかりと会話しているようにしか見えない。 「本当に話してるんだねえ」 「信じられねえけどな」 「あのオコジョがすげーのか、学園長がすげーのかどっちなんだろうな」 「さあ……」 確かに、このやり取りだけ見てるとどっちがすごいのか判断に困るな。 動物に話しかける人はよくいるけど、意思疎通までできてる人は中々いないだろうし。 「しかし、大変な目にあったが素晴らしい成果を見ることができたよ」 「ちぃー?」 「いやーそれがね、特査分室の諸君は少しの間に素晴らしいチームワークを育んでいたのだよ!!」 「ちー」 学園長がニノマエ君に語って聞かせているのは特査のことのようだった。 まさか、一緒にいてそんな風に思われていたとは……。 一緒について来るって言ってたのは、俺達の様子を見るためでもあったんだろうか。 「わー! よかったね! 学園長がすっごく褒めてくれてるよ!」 「はい。確かに、短期間の間に特査のチームワークはとてもよくなったと感じます」 「うん! それ、ももにもよぉ〜っくわかったもん!」 「それは、どうも」 「えへへへ」 もも先輩や鍔姫ちゃんにも褒められて、なんとなく照れくさい気持ちになる。 まあ、一番最初に比べれば確かにマシにはなったとは思うが。 「そうですかねえ……」 「ん? 鹿ケ谷さんと久我くんと烏丸くんだけでなく、村雲のことも含めて言ったつもりなのだが……」 「え!? お、オレもぉ!?」 「そうですよ、村雲先輩だって、特査分室の一員じゃないですか!」 「はあ、まあ……そうなんだけどよ…」 釈然としない顔をしている村雲を見つめ、みんながくすくすと笑っていた。 そしてモー子は、そんな俺達を黙って見つめている。 「はい、わかりました」 「いやあ、本当に良いチームになったものだよ!! 特に鹿ケ谷さんと久我君の連携は素晴らしいものだった!」 「褒められるような連携なんかあったか……?」 「……それでは私は、宝物庫に遺品を戻して来ます。リトさん、一緒にお願いします」 「お? ああ」 モー子はさっさと話を切り上げると遺品のランプを手にしてそそくさと歩き出し、宝物庫に向かって行った。 なんか珍しい姿を見たような気がするな。 ――褒められて照れくさくなったのか…? まさか。 そんなモー子の後ろ姿を見送っていると、珍しく返事もせずにリトもそちらをじっと見つめていた。 「………」 「リト、どうした?」 「鹿ケ谷憂緒が持って行ったのが、回収した遺品なの?」 「ああ、そうだ」 「ふぅん……」 何か言いたげなリトだったが、突然駆け出すとモー子の背中を追いかけた。 「待って、鹿ケ谷憂緒。一緒に行くわ」 「ええ、お願いします」 二人は揃って宝物庫に向かい、遺品を封印しに行った。 リトがあんな反応をするなんて少し珍しく思う。 まあでも、宝物庫についていくのはいつものことだし、気にするほどでもないか。 遺品を封印した二人が宝物庫から戻って来ると、いよいよ今回の遺品騒動はこれで終わりだ。 「遺品は無事に封印できたわ」 「それでは、これで今回はすべて終了ですね」 「そろそろ、みんな寮に戻って休まないとダメだねぇ〜」 「そうですね。明日もありますから」 会話をしながら、図書館を出るために歩き出す。 歩きながら大きく伸びをすると、一緒にあくびが漏れた。 「ふああああ〜! さすがに疲れたなあ」 「うん。走り回ったりして大変だったからね……」 寮に戻ったらシャワーくらいは浴びたいんだが、この調子じゃ部屋に戻ったら着替えもせずベッドに倒れ込みそうだ。 「ふあああ……」 「久我君」 ふと、後ろを歩いていた学園長が俺に話しかける。 「随分色々なことに慣れたようだが……実際、君はこの学園をどう思うかね?」 「え……?」 「素直に言ってくれても構わないよ」 突然の質問に驚いたが、学園長が言うように俺もこの学園での生活にはだいぶ慣れた。 最初は見るものすべてに驚いていたが、今は驚くことも大分減ったと思う。 「まあ、変なところだとは思うけど、割と嫌いじゃないですよ」 「ふははははは! 実に君らしいな!」 「では、これからもそんな君を頼りにして、学園のために力になってもらうとしよう!」 「ここ最近はずっと、そのつもりでいましたけどね」 「そうかそうか! それは大変結構!!」 俺の答えに満足したのか、学園長は嬉しそうに笑っていた。 「それは実に正直な答えだね」 「学園長が素直に言ってくれて構わないと言ったからじゃないですか」 「ああ、そうか。そうだったね」 「そうですよ。そうじゃなきゃ、もう少し言葉は選んでます……多分ね」 「ん?」 「やけにらしくない聞き方だな」 「ど、どういう意味かね!?」 「いや、いつもならもっと強引にガーッ! と、有無を言わせない感じなんで」 「そんなことはないぞ?」 「そんなことあるから言ってるんじゃないですか」 「む、むむむ……そうか」 「そうですよ」 少し考えるような素振りを見せる学園長が、なんだかおかしかった。 いつも強引で、自分勝手な感じなのに、自覚がなかったなんてな……。 「ま、心配しなくてもちゃんと学園のために働きますよ」 そんな風に学園長と話しながら、みんなで揃って図書館を出て行った。 翌日、状況がどうなっているのかを確かめるために、ハイジが一人で特査分室に訪れた。 分室のソファーにモー子とハイジは向かい合わせに座り、用意されたお茶を飲みながら話している。 「あら、なかなかおいしいお茶ですね」 「ええ、私もそう思います」 二人は用意されたお茶を飲んで満足そうな表情をしていた。 だが、それを見つめる村雲は眉間にしわを寄せていた。 「だから、いつまでオレがお茶を……」 「いいじゃねえか」 「……チッ!」 「大変ご心配をおかけいたしましたが、遺品は無事に封印できました」 二人が話しているのをじっと見ていたんだが、さっきから気になっていることが一つある。 「なあ、今日は執事はいないのか?」 「あ、そういえば。いつも一緒なのにね」 「もしかして、何か後遺症が出たとか、寝込んだとかじゃねえよな?」 「いいえ、ルイは元気です。気遣ってくださって、ありがとう」 「また、図書館に」 そう答えてからハイジはお茶を飲んで息を吐いた。 もしかして、ルイの行動に少し呆れているんだろうか。 まあ、本人が元気で何事もなかったのなら、俺達としてはそれでいいんだが。 「あら、また来たのね」 「ええ。聞きたいことがありましたので」 図書館にやって来ると、今までと同じようにリトに出迎えられた。 その表情はいつここに来ても、いつ見ても変わらない、ある意味真意の読めないものだ。 「あなたが聞きたいこととは、何かしら?」 「遺品が出現する条件について詳しく聞かせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」 「ええ、構わないわ」 少し機嫌が良さそうに答えたリトは、淡々とした口調で説明を始めた。 「遺品は自分の能力に関わる何かを望んでいる人のところに現れるの。求めるものの前に姿を現すのよ」 「それは何かが欲しいとか、何かをしたいといった願望だけでしょうか?」 「捜し物をしていたら寄って来てしまった例もあるわね。呼ぶ人の魔力の強さにもよるのよ」 「しかし、現れる遺品は、その人物の望みに見合った能力のある物のはずですね?」 「ええ、そうよ」 「………」 「聞きたいことはもうないかしら」 話を聞き終わり、頭を下げてからその場を立ち去る。 これ以上の話を聞いても今は手がかりが掴めそうにないので、長居する意味は感じられない。 今回の遺品はやはり、アーデルハイトが香水のための荷物をコンパクトにしたいと言ったから出て来たのだろうか。 「……しかし、それにしては何故『人間を小さくする魔術道具』だったんだ?」 リトが言った条件の通りなら、持ち物を小さくする魔術道具が出て来るのではないのだろうか。 どうも、その部分だけがよくわからない……。 ラ・グエスティアの件も、学園の魔術の件も、この場所は不可解なことばかりだ――。 「82…83…84……」 「ちー」 「ああ、大丈夫だよ。きちんと一つも欠けずに揃っている……もう少しだね」 「ぢぃ」 「ふふふふ……あと少しで必要な数はすべて揃う……ようやく、待ち望んだ時がやってくるのだよ」 「ちーちー」 「そうだね、とても楽しみだね!」 「ちぃー」 「ふはははははっ!! もうすぐだよ! もうすぐだ、ニノマエ君!! いよいよ、私達の願いがかなう!」 「ちーっ!」 「……………………」 「これだけ大規模な魔術を動かす仕掛け。一体どこにあるの? それに、動力は一体どこから?」 「……いや、魔女ならばこの規模の魔術でも実行できる」 「ではこの学園に、いるということね。魔女が」 「ああ、そしてもちろん学園側もそれを知っている」 「そうね。学園そのものが協力していなければ、いえ、学園側が主導でなければ不可能なはず……」 「これだけ複雑で繊細な魔術だ。昨日今日作り出したものとも思えん」 「いつから、そして何のために……。こちらも慎重に調べる必要がありそうね」 「失礼します。特殊事案調査分室です」 「やあやあ、呼び立ててすまないね!」 俺達がぞろぞろと学園長室へ入って行くと、学園長はいつも通りでかい机の向こう側で満面の笑顔を浮かべていた。 昼休みになった途端、特査全員で学園長室に来るように呼び出されたのだが、何事だろう。 (そんな深刻な話じゃなさそうだが……いやでも、この人多少深刻でもこんなテンションか) 呼び出された理由の見当がつかないなと思っていると、学園長は意気揚々と語り出す。 「ぢー」 「うむ、まったくだねニノマエ君! はははははっ」 「……で、ご用件は?」 オコジョと会話する学園長に、モー子が話を進めるよう促した。 放っておくと、延々と合いの手の内容がさっぱりわからない漫談を聞かされてしまう。 「うむ、念のために聞くが、今現在、遺品絡みの騒ぎは起きていないね?」 「今のところは異常ありません」 「学園長が縮んで以来、特に何も」 あれから数日経つが、幸いにも何も起きていない。 どうせつかの間の平和なんだろうなー、という予感はしているが。 「はっはっは、人が悪いな久我君! いやいやあの時は世話になった!」 「ちー」 「貴重な体験ではあったがニノマエ君にも心配を掛けてしまって怒られたよ、なあ、ニノマエ君?」 「ぢっ」 「……それで、ご用件はそれだけですか」 「いや、まだ本題にはまったく入ってない」 「……………………」 能面のような無表情で口を閉ざすモー子。 多分、喉元まで出掛かったツッコミを無理矢理飲み込んだのだろう。 「で、なんなんです? そっちから聞いたってことは遺品絡みの事件じゃないんですね?」 こちらもしびれを切らし始めていたらしく、村雲が先を急かす。 「うむ、まだ何か起きたというわけではないのだよ。実はな、もうしばらくすると『蝕の日』というものが訪れるのだ」 「しょくのひ?」 「生け贄でも捧げんのか?」 「何の話だね? そんな物騒なことではないよ」 「詳しく教えていただけますか」 「うむ、その日は数年に一度訪れるのだが、魔術や魔術道具のチカラが非常に強まるのだよ」 「つまり、遺品の封印にも異常が生じやすくなる。充分気をつけてくれたまえ」 「力が強まる……?」 「遺品の封印が解けちゃったら、暴走しやすくなるとか?」 「そういう可能性もあるかもしれん」 「ちょ、ちょっと待って下さい! じゃあ時計塔のあの魔法陣もヤバいって事ですか!?」 「ああ、魔女二人にはもう気をつけるようにと言ってあるよ」 「つまりヤバいんですね!?」 「いやいや、あの魔法陣は細心の注意を払って作られたものだから、然う然う暴走したりする危険はないさ」 「ただ学園内で最も強力な魔力の働く場所ではあるから念のため気をつけるようにという事だ」 「……本当に心配ないんですか?」 「彼女達自身が素晴らしい魔力を持った魔女だからね、信用したまえ」 「はあ………」 まだ少々不安そうではあったが、村雲はひとまず引き下がった。 姉の事になると、本当にムキになるなぁ、コイツ。 「では、その『蝕の日』の間は普段より厳重に警戒しておくべきということですね」 「うむ、そういうことだ」 ……とはいえ、遺品は常に唐突に降って湧いてくるので、警戒すると言っても出てくるのを事前に防ぐ手段がないんだよな。 「……嫌な予感しかしねえ……」 「い、今までが、今までだけにね……」 この手の話が無事に済んだためしがない。 おまると二人で小声で囁き合っていると、学園長は思い出したようにぽんと手を叩いた。 「そうそう、久我君と村雲君、君達には他にも頼みたい事があったんだ」 「はい?」 「オレ達だけですか?」 「うむ、君達は放課後礼拝堂へ来てくれたまえ」 「なんだそれ、めんどくさいなぁ」 「そう言わずに、よろしく頼む。一般生徒には頼めないのだよ」 「なんでだよ?」 「まず第一に、力仕事なのだよ」 「なんで俺らだけ?」 「力仕事なのだよ。鹿ケ谷さんや烏丸君に向いているとは思えない」 「……なるほど」 「……………………」 おまるがひそかに凹んでるようだったが、気付かないふりをしておいた。 「それにだね、礼拝堂も他の場所よりは多少魔術的な場所なので、時期が時期だから一般生徒には頼みたくないのだ」 「時期が時期、というのはやはり先ほどの『蝕の日』のことですか?」 「そうだ。まだ数日あるから大丈夫だとは思うが、油断はしない方がいいと思ってな」 「……そういう理由でしたら、特査分室で引き受けるのが無難でしょうね」 「ま、しょうがないな」 「わかりました」 「うむ、よろしく頼む!」 「あ、それと、祭壇には触らないように。あれすごい高いから壊さないでくれたまえ」 「わかりました!」 彫像という前科があるだけに、そこには必要以上に全力で頷いてしまう。 そうか、あの祭壇も高いのか……。 学園長室を辞してぶらぶらと廊下を歩く。 「はー、早いところ昼飯食わねえと」 「学食はもうすごい混んでそうだから、パンでも買って分室で食べる?」 「……………………」 「ん? どうしたモー子?」 喋りながら歩いていると、モー子は不意に立ち止まり校庭の方に視線を向けた。 「あ、あいつら……」 学園の制服姿ではない人影。 ハイジとルイだ。 「なにしてんだ? 時計塔なんか見上げて……」 二人は校舎の隣にそびえ立つ時計塔を見上げ、何やら話し込んでいるようだった。 指さしながら何か言うハイジに執事が頷きながら難しい顔で答えている。 「また何か調べてるのかな?」 「そのようですね……」 「あんまり突っ込んだ事調べられるとまずいんじゃないのか?」 「面倒な事にはなりそうだな」 鍔姫ちゃんとスミちゃんが夜の世界の燃料的な役割を担っている件とか。 本人達は納得して協力しているとはいえ、傍目にはどう映るか……。 「実の弟が暴走したくらいだから、生け贄的なもんに見えるかもなぁ……」 「……一応警戒しておきましょう」 「あのさ、あの人達は『蝕の日』とか知ってるのかな?」 「あー、どうだろうな。変な事しないように釘刺しといた方がいいと思うか?」 「けど確か、あいつら魔術の名家のヤツなんだろ? 知ってんじゃねえ?」 「知識はあるかも知れませんね。それなら無茶な真似はしないと思いますが」 「それくらい知ってます、って怒られそうな気もするね……」 「ひとまず様子を見ましょう。不穏な事を企んでいるなら正面から行ってもはぐらかされるだけでしょうから」 「だな」 うかつに情報を与えて良いかどうかも不安だし、動向をうかがってからの方がいいか……。 こちらには気付いていない様子のお嬢様達を横目に、俺達は廊下を通り過ぎた。 「……その可能性は高いな」 「でも、そうだとしたら……」 「彼らはどうなのかしら? 特査には……相談すべきだと思う?」 「……………………」 「……………………」 「……正直、危険かもしれないな」 「特査も学園の機構の一つだ。完全に信用していいという根拠はまだない」 「…………そう、かしら」 「確かに今までの奴らの言動を見る限り、お人好しの集団という印象だがな」 「だからと言って、いざこちらが学園に対してこういう考えを持っていると知った場合、奴らが今まで通りの態度でいるかどうか……」 「……………………」 「……忘れるな。魔女とは、何かを犠牲にして自分の願いを叶える者だ」 「……そう、ね」 「わかったわ。このことはまだ、誰にも言わない」 授業が終わり、教室を出ると既に村雲が待ち構えていた。 「先生に言ってくれよ。話が長いんだって」 「いいから早く来い、礼拝堂だ」 「わかってるって……」 やっぱり根はひたすら真面目だな、こいつ。 学園長に言いつけられたとおり、俺達は礼拝堂へと向かう。 「待ってー!」 「あれ、おまる?」 廊下を歩き出した途端、背後からおまるがぱたぱたと駆け寄ってきた。 「なんだよ、お前は来なくて良いって言われてただろ」 「力仕事らしいからなあ」 「そ、そうだけど、おれも一応特査だし何の用事なのか気になるし……」 「そういえば、内容まで聞いてなかったな」 「礼拝堂で力仕事ってなんだろうな。まあ、行ってみるか」 結局、おまるも加えて三人で礼拝堂へと向かうことになった。 「ふんっ……んむううっ……!」 「……な、なにしてんですか聖護院先輩」 礼拝堂へ入ると、風紀委員長のもも先輩が、馬鹿でかい長椅子に取り付いて引きずろうとしていた。 が、まったく動かないらしく、綱引きでもするような姿勢で顔を真っ赤にして硬直している。 「あ、村雲……んにゃあっ!?」 「だ、大丈夫ですか!?」 「何してたんですか?」 「ももも手伝えるかと思ったんだけど、全然無理だった……」 「手伝うって、何をです?」 「あ、実は、ももが頼まれたのは伝言なの。学園長から、床掃除をするから椅子を全部壁際にどけて置いてくれたまえ、って」 「た、確かに力仕事ですね……」 「……気持ちだけ貰っときます」 「ふがいない先輩でごめんなさい……」 「いや、しょうがないですよ。烏丸も無理だろ」 「そうだな、やっぱ先に分室行っとけ」 「うう……ごめんね非力で……」 おまるともも先輩は、しおしおと肩を落とし礼拝堂を出る。 「あ、そだ、もうひとつ! 学園長のお言葉なのです!」 扉の前でもも先輩が振り返り、言った。 「なんです?」 「『今日は夜の生徒も礼拝堂の授業はないから時間はたっぷりあるよ、頑張ってくれたまえははははー』とのことでした! では!」 「が、頑張ってね」 「……………………」 「……………………」 「なんでだろう、すげえやる気でねえ」 「こんなところで気が合いたくないが同感だ」 愚痴っていてもしょうがないので、やれやれと椅子を運び始める。 「こんにちはー」 ちょっとへこんだまま分室に来ると、部屋には憂緒さんだけではなく村雲さんも来ていた。 「何してるんですか?」 憂緒さんは片手に持ったジャムの小瓶を机の上に置き、痛そうに手を振る。 「蓋が堅くて開かないのです」 「ロシアンティー飲もうと思ってるのにー。烏丸くんどう? 開かないかな?」 「や、やってみます」 ついさっき、力仕事に戦力外の通告を受けたばかりなので今度こそはと気合いを入れ瓶を手に取る。 「くっ……ぐ、う………」 力一杯蓋をひねるが、頑として動かない。 すごい勢いで顔が紅潮してくる。 無意識に息を止めていたようで、苦しくなって思わず力が緩み手を離してしまった。 「駄目かぁ〜」 「す、すみません」 「仕方ないです。これはさすがに堅すぎです」 「だよねー、なんでこんなに堅いかなぁ」 村雲さんは、むーっと唇をとがらせながら瓶を手に取り目の高さに持ち上げてにらむ。 「うーん、頑張ってみよう! もう一回!」 「大丈夫ですか?」 渾身の力を込めて瓶の蓋をひねる村雲さん。 ぎゅっと目を閉じて、全力で気合を込めているのがわかる。 「ううう、このぉ〜っ! 開きなさ〜い!!」 「な、なんか降ってきましたよ!?」 「……………………指輪……ですね」 突然、机の真ん中に指輪が落ちてきた。 おれ達三人は、ほぼ同時に指輪の真上を見上げる。 当然、天井しかない。 そして、もう一度机の上に視線を落とす。 指輪が転がっていた。 「……………………」 「……………………」 「……………………」 「ま、まさか……遺品……?」 「ですが、何もない空中から突然振ってくる指輪なんて遺品だとしか……」 「ですよね……」 「私のせいかなぁ? 魔女って呼びやすいの?」 「……一般の人より呼び寄せやすいのかもしれませんが、今は『蝕の日』というのが近いという事も関係あるのでは」 「あー、そういえばそうだったね」 「出てきやすくなってるんですかね」 「とにかく封印しましょう。私達の目の前に出てきてくれた事はむしろ幸いでした」 「はい?」 「これで蓋開くかもしれないよね?」 「……ま、まあ、かもしれませんが」 「ちょっと試させて? 私だったら使った途端倒れる心配はないだろうし」 「それはそうですが」 「ね? お願い! なんか違うものっぽかったらすぐ外すから」 図書館にいるリトさんに、指輪がどういうものか聞きに行ってくれたのだ。 「指にはめて使えばいいんだよね、きっと」 「ま、まだ触っちゃ駄目ですよ?」 「わかってるわかってる」 少し待っていると憂緒さんが戻ってきた。 表情にも深刻な様子はないので、さほど危険な遺品ではなさそうだ。 「ええ、魔力を込めないと動かないタイプの遺品だそうですから、そこまで危険はないようです」 「魔力ね、任せて!」 村雲さんはためらいなく指輪を手に取り、指にはめてみる。 そして気合いを入れるようにふっと息を吸い込むと、指輪についている宝石の一つがやんわりと光を放ち始めた。 リトさんの話によると、これは込めた魔力の分だけ力が強くなるという指輪の遺品らしい。 「わー、光った光った!」 「これで発動してるんですか?」 「一個しか光ってないけど、大丈夫なのかな?」 「リトさんの話では、込めた魔力によって光る石の数が増えるとのことですが、全部光らせるのは独力では至難の業だとか」 「てことは、もしかして他の人が横から魔力注いでもこの石光るの?」 「そのようです。指輪の力を使えるのは、指輪をはめている人だけですが」 「ジャムの蓋くらいなら、全部光らなくてもいけるんじゃないですか?」 「うわ、開いた!」 あれほどびくともしなかった瓶の蓋は、軽く回しただけであっさりと開く。 「おーすごいすごい!」 「これみっちーがはめたらどうなっちゃうんだろ」 「他の人の魔力でもOKなんだったら、私とかヒメちゃんが周りから魔力注いだらすごいことになるねー」 「……加減出来なくなって大惨事になりそうですが……」 彫像壊した時もそうだったけど、夢中になると勢い余って破壊力が増すことがあるっぽいからなあ。 「そういえばみーくんとしーちゃんは?」 「礼拝堂です。学園長に床掃除するから長椅子を壁際に寄せるように頼まれて……」 「へーえ?」 途端に、にやりといたずらっぽい笑顔を浮かべる村雲さん。 「……村雲さん?」 「手伝いに行こー!」 「あの、村雲さん?」 村雲さんは、憂緒さんが止める間もなく、さっさと襟元からヤヌスの鍵を取り出した。 「くっそ、数多いな……」 「ぐだぐだ言ってねーで手を動かせ、手を!」 やり始めてみると、思ったより重労働だった。 なんせ長椅子がでかいので、俺と村雲でも二人がかりで一脚持って運ぶのが精一杯なのである。 「ほら、次行くぞ」 「へいへい」 「やほー、働いてるー?」 「な、なんだ、春霞? どうした?」 急に虚空に扉が開き、スミちゃんが顔を出した。 分室から来たらしく、後ろからモー子とおまるも続く。 「どうしたモー子、浮かない顔だな」 「……いえ、別に」 「なんかあったのか?」 「ううん、手伝いに来たんだよ」 「手伝いぃ? 無理だっての。この椅子オレら二人がかりでやっとだぞ」 「ふふふ、なら試してみる?」 「なにを?」 「は? 俺?」 スミちゃんは祭壇の方へ行き、そこに片肘をつく。 「ほら、腕相撲しよ。勝ったら手伝わせてもらうよ?」 「な、何言ってんだ、お前は……。こいつの馬鹿力知らないのか?」 「いいからいいから!」 「ま、まあ、それで気が済むなら……」 しかし女の子相手じゃ、全力出したら腕折っちまいそうで怖いな。 手加減しようと思いつつ、やる気満々のスミちゃんの正面に立ち、肘をつく。 「しーちゃん、審判やってよ」 「いいけどよ……」 村雲も戸惑った顔のまま、俺とスミちゃんの間に立ち、組んだ手に自分の手を重ねる。 「いくぞ? よーい、スタート!」 「よっ……」 「え、えええっ!?」 「はい勝ったー!」 何の抵抗も出来ず、俺の手の甲は祭壇の上に叩きつけられていた……。 「え? ええ!?」 「ふっふっふ、どーよ?」 「ふざけてねえよ!? そんなはずは、だってスミちゃんこの前憑依した時非力だったし……」 「余計な事思い出させんじゃねえっ!?」 「……………………」 「……………………」 呆然とする俺を見て、モー子とおまるは目を逸らし肩をふるわせている。 あいつら笑ってやがるな……。 軽く言うとスミちゃんは、ひょい、と片手で長椅子を持ち上げた。 「……か、春霞?」 「ここに積めばいいんだよねー?」 俺達が苦労して運んだ壁際に、積み木のようにひょいひょいと椅子を重ねていくスミちゃん。 「……………………」 「遺品だろ!? 遺品を使ってるんだろ!?」 思わずそう叫ぶと、スミちゃんはぺろりと舌を出した。 「ちぇー、もうばれちゃったか」 「遺品!?」 「うん、実はそうなの。この指輪」 「は、はは、そうか。そうだよな、あははは……」 一瞬、動揺のあまりプライドが崩壊しそうになったが、安堵する。 「よく判りましたね」 そんな俺を見て、ちょっと楽しそうにモー子が言った。 「実は、先ほど遺品が降ってきまして」 「……お、女の子に負けた……」 衝撃のあまり頭が真っ白になってうなだれてしまう。 「あはは、みーくんそんなに落ち込まないでよー」 「笑ってる場合かぁ!? なんだよこれ? どーなってんだ!?」 「実は先ほど遺品が降ってきまして」 「遺品!?」 「うん、そーなの」 「そうなんだよ、みっちー。だから落ち着いて」 「み、遺品か。そうか、そうだよな……ははは」 「ほら、この指輪に魔力込めるとすっごい力持ちになるの」 「へえ……そ、そっか」 心底ほっとしつつ、スミちゃんが指にはめた指輪をしげしげ眺める。 なんでさっきの腕相撲の時気付かなかったかな、俺も。 そういえばスミちゃん、普段指輪なんかしてないじゃないか……。 「遺品ならなんでとっとと封印しねーんだよ!?」 「リトさんに確認したところ、さして危険はなさそうでしたので」 「トクサがそんなんじゃ駄目だろ!? 頼むからとっとと封印してくれ!!」 「しーちゃんなんで涙目なのー?」 半泣きの弟を背後から片手で持ち上げてぶらぶら振り回すスミちゃん。 「おっ、降ろせこらーっ!!」 「なんでそこまで動揺してるのよ?」 「姉が突然久我より怪力になったら動揺するわあぁっ!!」 「あはは、変なのー」 「変じゃねえっ!! こんな姉嫌だろ普通っ!? とっとと封印しろおおお!!」 「片付けちゃってからの方がよくない?」 「あー、それもそうだな。手っ取り早く終わらせようぜ」 「はーい」 「か、片付け終わるまでだからな……」 ようやく解放された村雲は、暗い顔でうなだれながら呟いた。 「椅子だけで良いの? あれとかは?」 「へー、これ高いんだ?」 何気に祭壇に触ると、指輪が発動したままだったせいかごとっと音がしてずれてしまう。 「壊すなよっ!?」 「ごめんごめん、戻す」 あたふたとずれた祭壇を戻し、椅子運びを再開した。 その時、勢いよく扉が開いた、と思ったらハイジがずかずかと入って来た。 しかし珍しく執事の姿がない。 「うわっ……」 あまりに唐突だったので、スミちゃんは隠れる暇すらなく棒立ちになる。 完全に無駄な努力だが、村雲は申し訳程度にスミちゃんの前に出て身体で隠そうとした。 (しまった、油断してたな……) 「……………………」 「……………………」 俺はモー子とおまると視線を交わす。 昼の生徒はもう帰っているし、夜の生徒達もまだ来ていない時間だったので生徒が来る心配はないと思って気を抜いていた。 (ハイジも、礼拝堂に用があるとは思えなかったしなあ……) 「……何かご用ですか」 スミちゃんについて追求される前にと思ったのかモー子が進み出て切り出した。 ハイジはそのモー子の視線を真正面から受け止め真剣な表情で言った。 「大事なお話があります」 彼女が口を開くと同時に、廊下から足音が近づき執事が駆け込んできた。 「フラウ、その件はやめておくと……」 「でもやっぱり、このままでは何も進展がないわよ!」 「わかったと言ったはずですが」 「あれから考え直したの!」 なんだかわからないが、二人は意思統一が出来ていない様子でモメ始めた。 (……どうする?) その隙に俺はモー子の横に並び横目で目配せする。 スミちゃんについて聞かれた場合、どう言い訳したものだろうか。 スミちゃんは制服も着ていないので、生徒だと言い張るわけにもいかないし……。 「……………………」 モー子も妙案は浮かんでいないらしく、少々困った表情のままだった。 「だから、この際聞いてみて……」 「お待ちを」 説得に掛かるお嬢様の言葉を有無を言わせず遮りつつ、ルイは俺達の方へ目を向ける。 「そちらの方は?」 その目は真っ直ぐにスミちゃんを見ていた。 (やっぱり鋭いな、こいつ……) おそらくスミちゃんの存在に今気付いたわけではなく、俺達の困惑した空気を感じとり、その源をかぎつけたのだろう。 「あ……」 ルイの視線で、アーデルハイトの方もスミちゃんの存在に気付いたようだった。 とりあえずスミちゃん本人がぺこりと会釈して挨拶した。 「……村雲くんのお姉さんです」 「そ、そうだよ、オレの姉貴」 「お姉さん……? 卒業生なの? 制服を着ていませんけれど」 「いえ、生徒です。事情があって授業などには出ていませんが特査の協力者のような方です」 「……なるほど、それでもうじき夜になるのに校舎内にいらっしゃる?」 「そ、そうそう、残ってても良いの」 頷くスミちゃんを見ながら、ルイは何か確信を得たように呟いた。 「聞き覚えのある声ですね」 「え?」 「最初にフラウが香水を振りまいた時、巻き込まれた人物の一人では?」 「……あー、そんなこともあったかなあ」 「あの時の? いらしたかしら?」 「消去法で行くと、最初に私達と廊下で対峙している時に空間に扉を開けたのは彼女という事になりますが」 「タイミングおっけー?」 「先ほど、村雲さんにメモを渡した時にお願いしたのです。数分後、ヤヌスの鍵を使い、私の元へ扉を開いてください、と」 「……………………」 「あれは魔術ですか? あなたの能力ですか? それとも遺品の力ですか?」 「え、えーと……」 まるで尋問のように詰め寄る執事の勢いに、スミちゃんは少し引いた様子で俺達の方を見る。 (なんなんだ? この前までと態度が違う……) ハイジもそうだが、ルイは更に俺達と距離を取って警戒している感じがする。 いや、警戒と言うより……。 (……疑ってる……?) 何を、なのかわからないが、俺達に対して疑いの目を向けているかのような態度だった。 「なんなんだよ、いきなり? てめぇらには関係ないだろそんなこと!」 その豹変ぶりと、スミちゃんに対する態度がかんに障ったらしく村雲が吠える。 するとお嬢様の目つきも不穏に冷たくなった。 「それは答えられないという事かしら?」 「待て待て、一体どうしたってんだ?」 異様な空気になってきたので思わず口を挟む。 「何か今日、おかしいぞお前ら」 「……それは……」 はっと我に返ったように、戸惑いの表情を浮かべて口ごもるハイジ。 「でも……」 「わざわざこちらの手の内を晒す気ですか」 執事はますます穏やかじゃない事を口走る。 しかしハイジも、それには同意見なのか口ごもったまま答えなかった。 「なんなんだ一体? 何かあったのか?」 「……先ほど、大事なお話があると言われていましたが」 「あるわ」 きっ、と戸惑いを押し殺してハイジはモー子の、そして俺の目を見据えた。 「一つ、聞きたい事があるの」 「なんだよ?」 「特査は学園のために働いているの?」 「……………………」 主人がそう言った途端、執事の方は苦い顔をして小さく舌打ちする。 もうちょっと聞きようがあるだろう、とでも言いたげな顔だった。 「それは……まあ、そうだな」 俺の場合特に、彫像ぶっ壊して特査に放り込まれたという経緯からして否定のしようがない。 「その通りですが、何か」 モー子も肯定し、おまるや村雲もそれに同意を示し頷いた。 「ではもう一つだけ。それが、誰かの犠牲が必要なことでも?」 「え……」 「……………………」 村雲が動揺した声を飲み込んだ気配がわかった。 おまるもぎょっとしたのが思いっきり顔に出ている。 (これ、スミちゃんと鍔姫ちゃんのこと言ってんのか……?) 村雲達の動揺は間違いなくそう受け取ってのものだろうが……。 俺は素早くモー子と視線を交わす。 「……………………」 (そうだな、スケープゴートの事はさすがに話しちゃまずい……) 「……犠牲、とは何です?」 「どういう例えだよ?」 「後ろのお二人には心当たりがありそうですが?」 あー、やっぱすっとぼけるのは無理か。 しかし俺達まで動揺を見せるわけにもいかず、どうにか無表情を保つ。 「あなた達は全部知っていて、見ないふりをしているということ?」 徐々に険しい顔になりつつ、ハイジがトゲのある声を出す。 「どうなの? 後ろの人達も!」 「何のことをおっしゃっているのか、私達にはわかりません」 詰め寄ってこようとしたお嬢様の前にモー子が割って入る。 「それに、この学園にはこの学園の事情があります」 「学園の一員としてそれを外部の人間には漏らせないということは察していただけると思いますが?」 モー子の言葉が途切れた途端、ハイジは険しかった表情にさっと朱を散らす。 「見損なったわ!!」 「は……?」 「よくわかりました! あなた達が敵だという事が!!」 そう言い捨てるときびすを返して足音高く礼拝堂を出て行った。 「……しかも、最低の敵だな」 「……………………」 「な……なんなんだ? いつの間に春霞達のことバレてたんだ?」 「さ、さあ……」 「けどなんで、あんな剣幕で……」 「まあ……非人道的だと思ってんじゃねえ? スケープゴートってシステムが」 「……………………」 「仕事してるだけなんだけどなあ……」 「どうするよ?」 「ひとまず、ここを片付けて夜が来る前に引き上げましょう」 「あ、そっか、片付け途中だったね」 これで夜が来たら、授業はなくても生徒達はのぞきに来かねない。 俺達は大急ぎで長椅子を片付け、スミちゃんのヤヌスの鍵で分室へと戻った。 「はぁ……ごめんね、ぼーっとしてて見つかっちゃって……」 「いえ、おそらくあの態度からして村雲さんを見つける前から何らかの疑いは持っていたと思われます」 「そうだね、ハイジさん、飛び込んできた時からなんかいつもと違ってたし」 「スケープゴートの存在に気付いて問い詰めに来たってことかな」 「そう見えましたね……」 「そこにたまたまスミちゃん本人が居合わせたから余計に激昂したってことか?」 「うーん、誤解なんだけどな。怒られるようなことしてないし」 「けど、あの様子じゃ今なんか話そうとしても聞く耳持ってなさそうだぞ」 「だろうな……」 ハイジはともかく、ルイの方も敵意をむき出しにしてたし。 ブレーキ役があれじゃあ今は何を言っても無駄だろう。 「……とりあえず遺品は封印しておきましょう。村雲さん、指輪を」 「あ、そか。はい」 スミちゃんは指から指輪を抜いてモー子に渡す。 手早く札を貼り、指輪はあっさり封印された。 「これで、遺品の方はひとまず大丈夫ですが……」 「問題はあいつらだよなあ。説得は無理でも、放っておくのも怖い」 「……そういえば、昼間見かけた時は結局何を話してたんだろうね?」 「なにしてんだ? 時計塔なんか見上げて……」 「ああ、そういや時計塔見てたな」 「時計塔? だったら入り口探してたんじゃない?」 「あそこ、普通に入れる入り口無いから、校内うろうろしてたら変だって話になるかも」 「入り口ですか……」 「あれに執着されんのはまずいだろ。時計塔には例の魔法陣へ通じてる扉があるんだから」 「非常に困りますね。夜の世界を召喚している魔術装置そのものですから……」 「でも、普通の入り口がないなら入り込まれる心配はないんじゃないですか?」 「いえ」 厳しい表情を浮かべ、モー子は首を振った。 「……そうでもないかもしれません」 「本当に見損なったわ!! あんな人達だったなんて……!」 「……………………」 「頭も切れるようだし、これまでの騒ぎもきちんと解決してたし……信用しても大丈夫かもって思ってたのに!!」 「それよりお前の軽率な質問のせいで学園側に情報が漏れたぞ」 「っ………」 「俺が学園側の人間なら、実力行使含め何かしらの手は確実に打つ」 「……………………」 「状況はあまり芳しくない。ここは敵地のど真ん中だ」 「……わかってるわよ」 「わかっている人間の行動だったとは思えんな」 「わ、悪かったわよ! もうちょっと遠回しに聞くつもりだったのよ、最初は!」 「出来ないことを無理にするな」 「……………………」 「さて、揉めてる場合じゃないぞ」 「え?」 「名誉あるヴァインベルガー家の当主としては、どうするべきだと思う?」 「……お祖母様が信じて、我が家の秘宝を託した学園なのよここは。多少危険でも私達が何とかするべきよ!」 「……まあ、同感だが」 「そうでしょ?」 「だが、本当に危ないと思ったらその時はここから脱出する。本家の血筋を絶やすわけにはいかない」 「それは…わかっているけど…!」 「わかってるならいいが、ではこれからどうする?」 「どうって……そうね、証拠が足りないわ。簡単にははぐらかせないくらいの証拠が」 「そうだな、あれだけ大きな魔術なら、どこかにそれなりの大仕掛けがあるはずだ」 「その仕掛けを探しましょう。ついでに仕掛けを破壊できそうなら、破壊もしてしまいたいところよね」 「破壊か……魔術の規模からして難しいかもしれんが……」 「でも、やるしかないわ」 「それで、どこにその仕掛けがあると思う?」 「……やっぱり、あそこが怪しいでしょ。時計塔」 「ja」 「あれ以上怪しい場所はないからな」 「そうよね。入り口がどこにも見当たらないなんて……」 「魔術的に隠されているのかもしれんが、発見は困難だろうな」 「そうね、直接進入するのは無理よね、出入り口がないんだから……」 「いや、一つだけあるにはある」 「えっ?」 「ど、どういうこと?」 「そうでもないってなんだよ? 入り口ねえんだから……」 モー子の言葉に、きょとんとしたおまると村雲が口々に疑問を口にする。 「普通入り口とは認識しないでしょうが、彼女らはあまり手段を選ばない性格のようですので……」 「一つだけ、時計塔内部に入れるように見える箇所があります」 「内部に入れるように……?」 「それって……」 「地下から真上に掘るとか?」 「冗談を言ってる場合ではありません」 食い気味に一刀両断された。 しかもにらまれた。 「鐘楼ですよ。鐘の周辺は開いてます」 「そりゃ開いてるけど!?」 「時計の文字盤とかか?」 「開くように出来ている時計塔もありますが、開ける手段がわからなければ意味ないでしょう」 「……あ、そうか」 「じゃあ、どこ?」 「鐘楼ですよ」 「か、鐘の周りの開いてるとこから入るって事かよ!?」 「鐘楼か」 「そうです」 「か、鐘の周りの開いてるとこから入るって事かよ!?」 「そんな無茶な……」 「しかも開いてるったって鐘のとこ入れるだけで、時計塔の中にはつながってねえだろ」 「ないよ。鐘の側に行けるだけ」 「ですが、彼女達はそこまで知らないでしょう」 「ああ、確かに……。だったら入れる可能性に賭けてみるって暴挙に出る恐れはあるなあ」 「本当に暴挙だよ!? あそこまでよじ登るだけでもすごい危ないよ!!」 「なあ、これ風紀にも相談しとくべきじゃねえか?」 「そうですね、警戒を促して、協力して貰った方がいいかもしれません」 「やらかすなら、昼間は目立ちすぎるし夜になってからだろ」 「行って下さい。壬生さんにも知らせておいて下さい」 「うん、わかった! じゃあね!」 スミちゃんは急いで鍵を使い、空中に現れた扉から姿を消した。 「ああ、もうみんな校内見回ってるはずだ」 俺達も席を立ち、分室を出た。 その少し後、夜の到来を告げる鐘が鳴る―― 「あー、いたいた!」 とにかくトップに話すのが一番早いだろうと、村雲の記憶しているシフトを頼りに風紀委員長を捜し中庭に出てきていた。 「ふえ?」 しばし休憩、といった様子でベンチに腰を下ろしていたもも先輩は、駆け寄ってくる俺達を見てあたふたと飛び上がるように立ち上がった。 「わかってます、急いで知らせたいことがありまして……」 「えっ!? なにかあった!? また変な遺品出た!?」 「いえ違います。例の学園長のお客様の件です」 「あ、あの……香水の……」 風紀委員がばたばた香水にやられた光景を思い出したのか、もも先輩は顔を引きつらせる。 「あの人達、まだ何かやらかしちゃってくれてるの……?」 「やらかしかねないから、知らせに来たんです」 「時計塔への進入を企てている恐れがあります」 「時計塔っ!?」 「どうも、この学園に対して何らかの疑いを持ってしまっているようなのです。そして、入り口の見当たらない時計塔に目をつけている節があります」 「とっ、ととととんでもないっ!! だめだめ、駄目です! お客様といえども時計塔に入ろうだなんてっ!!」 「……あ、でも、進入も何も入りようがないのでは?」 「いえ、開いています」 モー子が時計塔を指さす。 もも先輩はきょとんとそちらを見上げた。 中に吊された鐘をのぞかせている鐘楼に視線の焦点が合った途端、あんぐりと口を開ける。 「まっ、ままま、まさかっ!? 確かに開いてますけれど!!」 「一見入れるように見えるでしょう」 「そ、そう……そうかっ、入れちゃうと思っちゃうかも……!!」 「でも駄目、もちろん駄目!! 不法侵入なのもだけど、あの塔を外から登るなんて危険すぎるよぉっ!!」 「それで警戒した方が良いかと」 「そうだね! うん!」 「他の風紀委員どこらにいます? オレも今のシフト完全には覚えてないんです」 「あ、うん! じゃあ教えるから、知らせてきて!!」 「えーとね、ルートはAの101だから1班と5班が……」 「101ですか、ならわかります」 「なんだそれ?」 「巡回ルートはいくつかのパターンがあるんだ。Aの101ならどの班がどう動いてるか覚えてる」 「す、すいません」 「その件は後でお願いします。それで報告はなんと?」 「あああ、ごめん! えっとね、指示はいっぺんに出した方が早いから、一旦風紀委員室に全員集合にしといて!」 「わかりました」 「ももは念のため、学園長に報告してくる! それじゃあっ……」 ……が、慌てすぎたのか思いっきり脚がもつれその場に顔面からこけた。 「先輩っ!?」 「なんでそんなすぐコケんだよ!?」 「は、はう……」 「大丈夫ですか!? す、すごい音しましたけど……」 「い……いひゃい……」 「立てますか?」 「はい、掴まって」 どうにかふらふら立ったものの、まだぷるぷると痛みに身を震わせていた。 「運んで行こうか、学園長室まで?」 「い、いえっ、一人で頑張る……ううっ……」 「大丈夫かな……」 「心配ですが、ひとまず風紀委員を集めるのに人手がいりますから……」 「おう、そうだな。ルート説明するから手分けして行こうぜ」 村雲の説明を聞き、俺達は手分けして風紀委員に声を掛け委員室に集合を掛けた。 ……そして。 風紀委員長もも先輩の指揮の下、俺達は連携して時計塔の見張りにつく。 「……………………」 「……………………」 俺とモー子は中庭に身を潜めて、時計塔を見守り続けている。 「……そろそろ夜の授業が終わりかな」 近くにいたもも先輩がそう呟くと、校舎からチャイムが響いてきた。 終業の合図だ。 ほどなくして、授業を終えた夜の生徒達が教室を出て廊下を歩いて行く声が聞こえてくる。 「……………………」 「……あいつら、来ないな」 「空振りでしょうか……」 夜の生徒達がすっかり帰寮して、また静寂が訪れても時計塔に動きはなかった。 「うーん……どうしよっか? 動きなさそうだね」 「そうですね……申し訳ありません。見込み違いのようです」 「すんません、付き合わせちゃって」 「そんなことないない!」 恐縮し、頭を下げる俺達にもも先輩はひらひらと両手を胸の前で振る。 「見張られてるのに気付いて、進入を取りやめたのかもしれないしね!」 「それはそうですが……」 大勢の風紀委員まで巻き込んでいるだけに、俺もモー子も少々バツが悪い。 「だめだよー、遠慮はなし! 迷惑かけちゃうとか考えて声かけてくれないのは一番だめなんだからね!」 「こっちだって遺品が出たらお手上げで、特査の協力が必要なんだから。手伝える時くらい借り返させてくれないと」 「……はい」 苦笑混じりに頷くモー子。 この人にここまで言われては、さすがのモー子も素直に答えるしかないようだ。 「うん、いつでも協力するからね! 久我もだよ?」 「はーい」 ……まあ、俺もモー子と似たようなもんだが。 鍔姫ちゃんや村雲が慕ってるだけあって、本当にいい人なんだよなあ。 「それじゃ、張り込みはここまでにしようか。そろそろみんなも休まないと」 「そうですね」 もも先輩は、撤収する事を近くにいた風紀委員に伝令するよう指示を出した。 「……………………」 一方、モー子は夜の学園を見回して、空を見上げ、何かを考えていた。 「……どうした?」 「いえ……」 言葉を濁したが、何を考えていたかはだいたい見当がついた。 (……このまま、あいつらが何もせず動かないとは思えない……) どういう手を打ってくるつもりなのか、読み合いになりそうだな。 ……油断した方が出し抜かれる。 そのつもりで気を張っておかなければ…… 翌日も、同じように各自身を潜めながら時計塔を見張ったが何も動きはなかった。 静まりかえった夜空に、時計塔の向こうをゆっくりと通り過ぎていく月をただ眺めているばかりだ。 「……こういう時の時間って異様に長く感じるよなぁ」 「何も変化がありませんからね」 俺の隣で、モー子も珍しくため息の混じった少し疲れた声を出す。 夜の生徒達がいた間はまだ、休み時間のたびに見つからないよう息を潜めるなど僅かながら変化らしき事はあったのだが……。 「夜の生徒もとっくに帰った後だからなー。誰も居ないとここまで静かになるもんなんだな」 「……だからこそ、相手にとっては今の時間が一番行動しやすいはずです」 「わかってるって。こっちが見張ってる事に気付かれなきゃ、向こうは無人だと思ってんだから……」 「ここにいるのも俺達二人きりなんだし、傍目には然う然うバレねーだろ」 「……すぐ近くには村雲くん達もいますが」 「見える範囲じゃないだろ。お互い姿が見えないように隠れてるのはちゃんと確認したじゃん」 「わかってます」 「じゃあ、何の心配してんだ?」 「何がですか?」 「いや、急に村雲達のこと言い出したから」 「……きみが、見張ってるのが私達二人だけしかいないような言い方をするからです」 「なんだそりゃ。別に他のヤツの存在忘れてたわけじゃねーぞ? 単にここにいるのが俺らだけって……」 「わかっています」 なぜか俺の発言を遮るように、やたら平坦な声で言い切るモー子。 「……お前……今更そんなもん意識すんなよ……」 「な、なにがですか」 「三人以上じゃ気配でバレるかも知れないから二人一組にしようって相談して決めたんじゃん」 「その通りですが、それが何です?」 「……二人きりになんの最初からわかってただろ」 「それが、何です」 「だから今更気にすんなっての。俺まで気になってくるだろーが」 「気になどしていません!」 「じゃあ何だよ、さっきの変な反応」 「そこだけ強調したのはきみの方でしょう」 「き、強調じゃねーよ! 俺が意識してたみたいに言うな!」 「こ、声! 声を落として下さい!」 「あ……、さ、先に叫んだのそっちだろ?」 「叫んでません、大声じゃなかったでしょう」 「近くに人がいたら充分バレるでかさだったろ」 「きみこそもっと意識して下さい!」 「……………………」 「……………………」 「へ、変な言い方すんな」 「声の大きさを、という意味ですっ!」 「……だいたい別にまったく意識してねーわけじゃなくてだな……」 「な、何を言ってるんですかきみは」 「この状況で男がそんな気配駄々漏れにすんのはまずいだろって常識くらいあるんだよ、俺は」 「だから別にそういう意味ではなく単に声の大きさの話をしているだけであってきみの内心がどうだとかそういう」 「……鹿ケ谷せんぱーい」 「え?」 小声でモー子を呼びながら、風紀委員の生徒がこっそり駆け寄ってきていた。 硬直したように口を閉ざしたモー子は、急いで表情を引き締める。 「な、なんでしょう」 「はい、委員長が時間も時間なので、そろそろ朝番と交代して休まれては、と……」 「あ……」 「そ、そうか、もうそんな時間か」 「……わかりました。そうしましょうと聖護院先輩にお伝え下さい」 「はい、了解しました。それでは!」 幸い何も気付かれなかったらしく、風紀委員は一礼して去っていった。 「……………………」 「……………………」 「……明日からは少し考えなければいけませんね」 「あ? おまるでも呼んで三人にするか?」 「ああ……体力保たねえかもな」 「もう少し交代で休憩を入れながらにするべきかもしれません」 「そーだな……」 かなり強引に話題を変えた気もするが、そこを突っつくと大惨事になる気がしたので気付かないふりをしておく。 結局、その後相談してモー子の言うとおり、明日からは俺達特査も交代で休憩を取ることになった……。 「ふぁ〜あ……」 翌日、俺の見張り時間は後半ということになったので、分室で暇な時間をもてあます。 「寝ちまうと起きるの辛そうだけど、寝といた方がいいんだろうなぁ……」 どうするかな、と机の上で組んだ腕に顎を乗せてしばらくぼーっとする。 「ん? スミちゃんか?」 あらぬ方向から鍵が開く音がした。 ヤヌスの鍵だろうと思ってそちらを見ると、案の定空中に扉が出現する。 「やほー」 「よお、やっぱりスミちゃんか」 「静春ちゃん捜しに来たの? あいつ今日は見張りが早番なんだよ」 「なーんだ、しーちゃんもなの? ヒメちゃんもだよね?」 「ああ、二人ともだな。そっか、そうなるとスミちゃん暇だな」 「そーだよー、どうしようかなぁ」 「まあ、鍔姫ちゃんは仕事の時間になれば戻ってくるからそれまで居れば?」 「いいの? みーくん休憩中でしょ?」 「だから俺も暇なんだよ」 「そっか! じゃあお茶しよう!」 にこっと嬉しそうに笑うとスミちゃんは、勝手知ったるといった様子で紅茶を淹れ始めてくれた。 「ダージリンでいいー?」 「うん、ありがとう。悪いな、お客さんにやらせちゃって」 「いーのいーの。私紅茶好きだから、淹れるのも好きなんだ」 そう言って、軽く鼻歌を歌いながらカップを用意するスミちゃん。 どのカップが誰のものかも、すっかり覚えているようだ。 「スミちゃん、記憶力いいよな」 「えー? そうかなー?」 「……なのに授業出られないのもったいないな」 「あはは、テストもないのは楽だよ?」 「う、そうか……」 「それに、今のこの仕事、けっこう好きなんだ。ヒメちゃんも一緒にやってくれるようになったからっていうのもあるけどね」 「そっか……」 実際、スミちゃんがスケープゴートの役割を苦にしている様子はまったくない。 「……スミちゃんて、小さい頃からその力って使いこなせてた?」 「うーん、学園に来るまではよくわかんないから意識して使わないようにしてたかな」 「てことは、制御は出来てたんだな」 「そういうことになるのかな? どう使って良いかわかんないから放っといただけって感じなんだけどね」 ちょっと照れくさそうに笑っているが、俺にはその笑顔がまぶしかった。 (あいつは……満琉は、放っておくことも出来ずにずっと持て余してる……) スミちゃん達との違いはなんなんだろう。 どうすればちゃんと制御出来るようになるのか、それがわかれば……。 「あ、ああ」 思わず考え込んでしまっている間に、スミちゃんは紅茶を淹れ終えて持って来てくれた。 そして俺の正面に腰を下ろす。 「みーくんて魔術に興味あるの?」 「え?」 「特査にも学園長に強引に放り込まれたとかって聞いたから、あんまり興味は無いのかと思ってたよ」 「んー……興味ないって言うか、まだよくわかんねえな、とは思ってる」 「まあねー、私も魔女だとか言われてもちゃんと理解出来てるかって言われたらまだまだ怪しいしねー」 「まだまだってことは、勉強はしてるんだ?」 「うん、やっぱり自分の力のことだし、ちゃんと理解しときたいとは思ってるよ」 「だからちょっとずつ本読んだり、ヒメちゃんと話し合ったりはしてる」 「そうか……偉いな、二人とも」 「あは、あはは……やだなあ、改めてそんな風に言われたら照れくさいよー」 ひらひらと顔の前で両手を振りながら、スミちゃんはちょっと赤くなる。 「ただでさえ、しーちゃん以外の男の子とじっくり話したことないからどきどきするのに」 「え、あ、そう……なのか」 なんかさらっと凄いこと言われた気がするが、スミちゃん本人は普通のことのつもりだったようでにこにこと紅茶を飲んでいる。 「……そんなどきどきしてるようには見えないけどな……」 「そう? もっともじもじした方が良い?」 「いや勘弁してくれ、俺が困る」 「スミちゃんっ!?」 「だってしーちゃんはもう、見慣れてるから新鮮さが無いんだよ」 「そりゃ双子なら見慣れ……って、あいつ未だに困ってんのかよ!?」 「甘えると困った顔するよ?」 「……………………」 まあ、気持ちはわからんでもない。 スミちゃんみたいな子に甘えられたら、軽く流せる男の方が少なかろう。 しかし実の弟なんだから、普通はその軽く流せる数少ない側に入ってないとおかしいだろ……。 「ん、ああ、そっか。紅茶ありがとう」 「いえいえー、どういたしまして! それじゃしーちゃんによろしくね!」 「うん、またな」 入って来た時と同様に、スミちゃんはヤヌスの鍵で帰って行った。 「……やっぱ強い子だなぁ」 得体の知れない力を持って生まれてしまっても、それと向き合って活かそうとしている。 村雲もあのバイタリティに気圧されるのかもしれないな。 翌日、俺は見張りの順番が遅番になったので、深夜過ぎまで暇となった。 (どーすっかな、すぐ分室に行くかそれとも……) 寮でぐっすり寝るほど余裕はないが、分室にいても暇なだけだしちょっと見回ってみようか。 「あ、みーくん」 決めかねながら廊下を歩いていると、ばったりと鍔姫ちゃんに出くわした。 「よお、鍔姫ちゃんは早番だっけ?」 「うん、これから行ってくるよ。みーくんはちゃんと休んでおいてくれよ?」 「そうしたいんだけど、寝ちまうと起きるのが辛そうなのがなあ」 「それに?」 「私が心配する」 「……そっか」 笑顔ではっきり言われてしまって、こっちが少し照れくさくなる。 「鍔姫ちゃんを心配させるわけにはいかないなあ」 「ふふ、ありがとう。みーくんは優しくて助かるな」 「……そ、そうか?」 モー子には常に真逆の評価をいただいているような気がするが。 「優しいじゃないか。いつも危険な時は率先してみんなより一歩前に出て守ろうとしてくれているし」 「そう、だっけ」 あまり意識してなかったな。 荒事には向いてる方だと思ってるから、自然に身体が動いているのかもしれない。 「そうだよ。少なくとも私が見てる時はいつだってそうだった」 「最初は学園長に強引に任された仕事なのに、辞めていいって言われても辞めなかったしね」 「それは、まあ……乗りかかった船というか」 「でも、私は嬉しかったんだ」 「嬉しかった?」 「みーくんが、みんなを守る側に残ってくれて。やっぱり優しいんだなって、嬉しかった」 「いや、そんなに、その、守ろうとか大層な使命感があったわけじゃ」 「ふふっ、照れなくてもいいじゃないか。実際、やってることはそうなんだから」 「……まあ、結果的にはそうなってるのかもしれないけど……」 「なってるさ。きみは、安心して背中を預けられる人なんだ」 「……………………」 「だから……、無理はしないでくれ。きみがいなくなるなんて考えられない」 「いつも通り全力で戦えるように、万全の体制で交代してくれないと困るよ?」 「……ああ、わかった。じゃ、分室で仮眠しとくわ」 「うん、それがいいよ。本当は寮でちゃんと寝た方がいいんだけど……」 「さすがにそれじゃ、何か起きた時呼びに来る余裕無いだろ」 「そうなんだよな。しばらくは少し辛いだろうけど仕方ないね」 「ああ、奴らが尻尾を出すまでだ」 「……うん、早いところ片をつけよう」 「そうだな、それじゃ鍔姫ちゃん頼んだよ」 「任せておいてくれ。じゃあ、また後で」 「……………………」 その後ろ姿を見送り、俺は一人分室へと向かう。 暇だの何だの言ってる場合じゃないな。 あんなに純粋で真っ直ぐな気持ちを裏切るわけにはいかない……。 「んー……ふああぁ……」 休み時間になり、机から立ち上がって思い切りのびをする。 一昨日から寝不足なので、自然と大あくびが出てしまった。 「眠そうだね、久我」 「あー? うん、ちょっとな」 「寝不足なの? 特査さん、何か忙しいの?」 「いや別に、大したことは起きてねえよ」 時計塔によじ登ろうとしてるヤツが居ますなんて事は、一般生徒にはもちろん話せない。 ましてや黒谷になんか知られたら、確実に自分も見張ろうとするに違いない。 「だったらさ、前に一度みんなで遊ぼうとか言ってたあれ、今なら大丈夫なの?」 「え? あー、そうだな、今は放課後空いてるから……」 俺の見張り順は、今日は遅番になっていた。 つまり放課後からは暇なのである。 「そっかー、チャンスなんだね。特査のみんな、いつも何か忙しそうだったもんね」 「何する? 寮に戻るまでの時間じゃ、大したこと出来ないけど」 「えーと、お茶会とか?」 「お茶会?」 「うん、寮じゃなくて、お庭で!」 「あ、いいんじゃない? 寮ならいつでも出来るもんね」 そうか、こいつら放課後はすぐ帰るし寮から出ないから、外でお茶ってのもあんまりないことなのか。 「じゃあお菓子とかも持って来て、放課後、中庭でお茶会にしよう!」 「おっけ、中庭な」 「わーい、決まりー!」 なんとなく話がまとまったところで、始業のチャイムが鳴った。 放課後になり、俺は約束通り中庭へと向かった。 吉田と黒谷は、お菓子を買って来ると言って教室を飛び出して行ったが先についてるのだろうか。 「……あれ?」 ぶらぶら歩いてくると、吉田だけが所在なげにぽつんと立っていた。 「黒谷は?」 「それが、まーやちゃん、先生に捕まっちゃって……」 「なんだ、そうなのか」 「お菓子は預かってきたけど、どうしよう?」 「んー、俺らだけで食っちまうのもなあ。それはまた今度で良いんじゃないか?」 「そうだよねー。じゃあ、残念だけどお茶会は延期だね」 「ま、いつでも出来るよ」 「けど、特査さんていつ忙しくなるかわかんないんでしょ?」 「んー、まあ……」 遺品さえ暴れなきゃ大丈夫なはずなのに、今はお嬢様方がいらっしゃるからなー……。 「パシリが増えたからな」 「もー、久我くん、先輩のことからかいすぎだよー」 「お前だって笑ってんじゃねーか」 「あはは、だって久我くんと村雲先輩も、けっこういいコンビだなーって」 「どこがだ!?」 「割と息合ってるように見えるよ?」 「だから、どこがだ」 「……………………」 傍目にはそう見えてしまうのか。 からかうと面白いからって、ちょっかい出すのやめようかと真剣に思った。 「てゆーか、久我くんて基本的にそうだよね。まるくんのこともよくからかってるし……」 「……でも不思議と怖くないよね」 「へ?」 「わたし、同年代の男の子って実はちょっと苦手なんだけど、久我くんてなんか喋りやすいんだよ」 「……そ、そうか?」 それは、実は同年代じゃないからでは。内心ひやっとしながら平静を装った。 「なんでだろ? やっぱりいざとなったら頼もしそうだからかなぁ」 「まあ、力は無駄に強いけどな」 「あ、あれは、まあ、不幸な事故だ」 結果えらいことになっただけに、あまり思い出したくない一件である。 「あ……なんか壊しちゃったんだっけ。ごめんごめん」 思いっきり顔に出たらしく、吉田は両手を合わせて首をすくめる。 「いや、別に良いけどな。むしろ……」 むしろ、あれ壊したせいで遺品があふれ出したわけだから、吉田がこの前巻き込まれたのも実は俺達に責任があったりするので……。 「? むしろ?」 「ん、いや……吉田、最近ちゃんと寝てるか?」 「わたし? うん、寝てるよ?」 「変な夢とか見てないよな?」 「え?」 「何かあったんだよね。わたしよく覚えてないんだけど……」 「あ、いや、大したことじゃないぞ」 やべ、そういえば吉田は夢の世界のこと目が覚めた時ほとんど覚えてなかったんだった。 「ううん、わかってるよ。だってまるくんもなんだか心配そうな顔してたし……」 「……そうか、あいつ顔に出るからな……」 「久我くんもだよ」 「えっ!?」 「顔には出てなかったけど、まーやちゃんから聞いたよ? わたしのこと心配してくれてたって」 「……………………」 そーいや、黒谷に何か言ったような気がする。 「何があったか覚えてないけど……みんなが心配してくれたってことは、知ってるよ」 「………ありがと」 「ん……いや、元気なら良いんだ」 「うんっ! 大丈夫、元気だよ!」 ……でも、何も聞かないんだな。 俺達が何も話さないから、気を遣ってるのか。 『下校時刻になりました。生徒の皆さんは……』 「あ、帰らなきゃ!」 「…………吉田」 「大丈夫だよ」 「え?」 「これと同じなんでしょ? 放課後は寮に帰らなきゃいけないのと」 「……………………」 「校則はちゃんと守るよ。だから、聞かない」 「……そうか」 「うん。お仕事頑張ってね」 「ああ、ありがとう」 「じゃあねー」 大きく手を振りながら、吉田は寮の方へと小走りに去っていった。 (真面目……なのかなぁ) いや、きっと下手に聞いたら俺達に迷惑がかかるんだろうってことを、ちゃんとわかっててくれている気がする。 (……俺達、意外と一般生徒の方からも支えられてんのかもな……) 「……あれ? 黒谷?」 放課後になり、お菓子を調達に行くと即座に教室を飛び出したはずの黒谷が廊下で先生に捕まっていた。 「あーん、もうついてない〜」 「こらこら当番が文句言わないの。じゃ、頼んだわよ」 「はぁ〜い」 どうやら先生に何か頼まれたらしい。 はあ、と肩を落としながら黒谷は先生を見送っていた。 「よお、どうした?」 「あ、久我ぁ〜! ごめーん、用事頼まれちゃったよ」 「そっか、仕方ないな。手伝おうか?」 「ありがたいけど無理だと思うよ」 「無理?」 「寮の女子トイレの個室に節水の張り紙を貼って回るお仕事だから」 「……すまん力になれそうにない」 「言うかっ!? どう行けるんだよ!?」 「特査権限で入れます、キリッ、とか」 「そんな変態的な権限ねえよっ!? お前、特査をなんだと思ってんだ……」 「あっはっは、冗談だってばー。久我って時々真面目だよねー」 「お前こそ……四六時中そのテンションで疲れないのか……?」 「……………………お前とずっと付き合ってる吉田って意外と体力あるのな……」 「あはは、そうかも。最初はマジ泣きしてたのにねえ」 「泣かすなよっ!? 何言ったんだ、お前?」 「この学園て古めかしいから、幽霊とか出そうだよねーって」 「最初っからそれか」 「で、それから仲良くなったの」 「なんでだよっ!? 原因と結果が合ってねーだろ!?」 「泣き止まないから一緒に寝てあげるって言ったら、黒谷さん優しいねって言い出して」 「どこのDV男だ、お前」 「むしろ、そあらがヤバいよ。あれ駄目男を更に駄目にするタイプだよ」 「否定は出来ないが、その駄目男の立ち位置にいるお前もどうなんだ」 「だからあれ以来、泣く前にやめてるってば。別に泣かせたいわけじゃないもんね」 「泣く寸前まではよくやらかしてるよな……」 「久我、人のこと言えないでしょ。烏丸しょっちゅう半泣きじゃん」 「……あれ?」 「からかうと面白いんでしょ。わかるわかる」 「……………………」 しまった、言われてみれば、俺とおまるのやりとりとほとんど同じだった……。 「久我ってドSだよね」 「お前それ自爆だってわかってるか……?」 「私達、気が合うね。はっはっはー」 「動じねーな、ちくしょう……」 「まーやちゃーん」 「あ、そあら」 「ごめーん、実は先生に用事頼まれちゃって」 「だからそんな権限ねえってのに!」 「??? なんのこと?」 「女子トイレに入れるかどうかって話」 「だから俺には無理なんだ。すまん吉田、後は頼んだ」 「え、あ、うん。そ、それは無理だね……」 「じゃあね、久我。また今度、お茶しようねー」 「おう、またな」 「お先にー」 黒谷と吉田は、きゃっきゃとはしゃぎながら帰って行った。 「なんだかんだ言ってあいつらも気は合うんだろうなあ……」 吉田はおっとりしてるから、黒谷みたいな真逆のタイプの方が楽しいのかも知れない。 ……おまるも似たようなもんなのかなあ。 「う〜、眠ぃ……」 本日、早番の見張りとなっていた俺は、ようやく交代となり分室に引き上げる。 しかし一度仮眠を取っても早朝にはまた起き出さねばならない。 「あれ、どうしたの一人で?」 「あ、射場さん」 ぶらぶら廊下を歩いていると、既に登校していた射場さん達に声を掛けられた。 「また何かあった?」 「……眠そうですね」 「いや、まあ見回りというか……特に事件ってわけじゃないです」 「そっかー、大変だねえ」 「大変です」 「いやいや、交代でやってるんでそれほどでも……」 「でも、偉いよ。いつ見てもなんか働いてるもんね、みんな感謝してるんだよ?」 「ヒナもです」 「そ、そりゃどうも」 「よしよし、お姉さん達がいつかねぎらってあげよう!」 「へ?」 「焼き肉食べ放題で!」 「えー? そんなことあるけど、みんなで行った方が楽しいよー?」 「あるのかよ。まあ、俺も焼き肉は好きですが」 「そうだろ! 焼き肉は良いよ! 最高の食べ物だよ!!」 「ただでさえ美味しいのに、みんなで行けば誰が一番食べるかというバトルまで味わえて超お得!!」 「戦うの!?」 「ないよー! 全部食べきったら賞金って挑んできた店だってすべて倒してきたさ!!」 「久我クンはなかなか手強そうだからなあ。かなり食べるって聞いてるよ?」 「ええ、まあ……」 大量に食う、という意味では確かに自信はあるが射場さんの焼き肉にかける情熱って並々ならぬものがあるからな……。 「射場さんちって家族みんなよく食べるんですか?」 「食べるよ。うちの母親なんて、親父の食べっぷりに惚れて自分からプロポーズしたくらいだし」 「そ、それはすごいですね……」 「だって、たくさん食べる男って格好いいじゃん?」 「……そうですか?」 「そうだよ! 久我クンはいい男だよ、自信持ちなって!」 「……あ、ありがとうございます」 しかしそれ、射場さん以外の女子にも当てはまるんだろうか……。 「ヒナも、たくさん食べるのは良いことだと思います」 「だよねー」 そういう意見が合うから、仲良いのかなこの二人って……。 「……戻っても暇だなあ」 今日の担当になっていた早番の見張りを終え、俺は休憩時間に入っていた。 とはいえ分室に戻っても、また早朝には起きねばならずぐっすり寝るわけにもいかない。 (少しぶらついて行くか) 夜の生徒達も休み時間でうろうろしてるし、あいつらも校内に堂々と出てくることはないだろう。 「はわっ! こ、久我くんだ!」 「お、風呂屋……と、春日か」 「こんにちはー」 ちょうど教室から出てきた風呂屋と春日に見つかってしまった。 そうか、この辺こいつらの教室だったか。 「そういやそうか。大抵ぞろぞろ全員でいるもんなあ」 「今日は、何かあったんですか?」 「いや別に。単なる見回りだから気にすんな」 「へえ、見回りとかもあるんですね。大変なんだー」 「じゃあ他の人達もどっかで見回り中?」 「交代で休憩してるよ。今うろついてるのは俺だけ」 「だ、だけ」 なんでそわそわしてんだ、こいつ。 また何か謎なこと考えてそうだなぁ……。 「あ、わたし、当番だから先に理科準備室行かないと」 「いいよ、準備すぐ終わるし。じゃあ先に行くねー」 「いや明らかに喋り方おかしいから」 「ないです! なんでもないから! 二人っきりなんて久しぶりだうわーなんて思ってないからほんと!」 「……………………」 これ、突っ込んだら更にえらいことになるんだろうなあ。 そもそも二人きりも何も、周り中に他の生徒普通にいるんだが。 「こここ久我くんは、あの、えっと、えーと、その……」 「なんだかわからんが落ち着いて喋れ」 「それを俺に聞いてどうする!?」 「そ、そうかっ! じゃあ、えっと、す、好きな……好きな猫、何柄!?」 「……それ、本当に聞きたいのか?」 「いいけど……」 「じゃあ、あの、あ、飴! 好きな飴、何味!?」 「飴? いや、俺、甘い物は割となんでも満遍なく」 「……ボリューム的には、カツカレーかな。もちろん激辛で」 「なるほどー!」 「……………………」 「……………………な」 「な?」 「何聞いてるんだろう、わたし……」 「だからそれを俺に聞かれても」 相変わらず、テンパるとわけわかんなくなるなあ、風呂屋は……。 (夢ん中でもえらいことになってたし……) いかん、つい思い出してしまった。 王子様スタイルの自分とか早く忘れようとしてたのに……。 「? どうしたの久我くん、なんか遠い目になってるけど」 「いや、なんで王子様なんだろうと……俺そんなキャラじゃねーだろうに……」 「え? ……あ」 やべ、あれ夢の世界のことだから、俺が見てたなんてこいつは覚えてないんだ。 「あー、いや、その、なあ?」 「……へ? ……いや、違……」 「違う! 違うの! お姫様抱っこって憧れるな〜って思ってどうせならドレスよねって思ったの!!」 「お、おう」 なんか勘違いして語り出した……。 遺品がどうとかバレなくて良かった、と思ったら……。 「だから決して久我くんの王子様白タイツ姿見てみたいとかそういうんじゃないからね!?」 「うん、まあ、似合うとは思えんしな」 「それが想像してみたら意外と似合っててきゃー白馬乗ってて欲しーってなってー!」 「なるなよっ!?」 「だって格好良かったんだもんー!! そしたらわたしはもう、カボチャの馬車に乗るしかないじゃない!?」 「ないのか!?」 「そ、そうか、ないのか……」 力強く断言されてしまった。 「けど、お前がカボチャの馬車に乗ってたら普通は王子は城で待ってるだろ。なんで馬乗って追いかけて来るんだ」 「だってあの白タイツ見ちゃったらどうしても白馬にまたがってる姿も見たくなるって!!」 「……何フェチなんだ、お前……」 「はっ!? あ、ち、違うよ!? そもそもの始まりはお姫様抱っこであって白タイツが好きとかじゃないよ!?」 「どう聞いても優先順位が白タイツになってたんだが……」 「違わねーじゃねーかっ!?」 「だから俺に聞くなっ!!」 「あああ、休み時間がー!」 「……次、理科室か?」 「うう……行ってきます……!」 肩を落としながら小走りに理科室へと向かっていく風呂屋。 「せっかくチャンスだったのにぃぃ〜!」 「……………………」 なんか聞こえて来たが、聞かなかったことにしといてやろう……。 「ふわぁ〜あ、あ……」 一応、部屋に戻って休みはしたが寝不足だ。 交代制で少しずつ休むことにはしているが……。 「お、おう」 大欠伸を見られたらしく、諏訪はちょっと楽しげに笑いながら会釈してきた。 「今日はお一人なんですね」 「ん、まあな」 おまるは体力を温存するから昼間は教室にいるとか言っていた。 他の連中もほぼ似たようなものだろう。 「……また、何かあったんですか?」 「いや、別に何もないよ。そっちは? 何か変わったことない?」 「はい、大丈夫です。とっても平和ですよ」 心配させまいとしているのがよくわかる、穏やかな答えだった。 「……本当ですよ?」 俺が一瞬黙ってしまったからか、諏訪はちょっと心配そうに小首を傾げて付け加える。 「ああ、ごめん。わかってるよ。かえって気ぃ遣わせちまったな」 「そんな、久我くんが謝る事じゃないです。わたしが迷惑掛けちゃったんですから……」 「ストップ」 「え?」 「俺らは迷惑とは思ってねーよ。この学園に集められてる物はああいうもんなんだ、こっちの意思とは関係なく出てきちまう」 「……………………」 「だから、諏訪が負い目を感じる必要もないんだ」 「……はい。ありがとう、久我くん」 諏訪は、ふわりと花がほころぶように笑う。 こういう笑顔が出るって事は、この子はもう立ち直ってくれているんだろう。 「でもわたし、少しだけよかったなって思ってるんです。あのトランクが出てきて……」 「え?」 「自分に足りないものが、わかったから」 「……足りないもの?」 「勇気です」 「……………………」 「それは、わたしに勇気がなかったからです。だから、それがわかったことはあの出来事のおかげだし、それだけはよかったかなって……」 「あ、こんなこと言っちゃ駄目なのかな。みんなに心配掛けちゃったのに……」 「いや、いいと思うよ。諏訪が元気になって、みんな喜んでるし」 「……そう言って貰えると嬉しいです。本当に……みんな、優しいから……」 あいつも……ハイジも喜んでたんだけどな。 一体どうしちまったんだか。 「あっ、ごめんなさい。話し込んじゃって」 「かまわねーよ、暇だったし」 「ふふ、ありがとう。それじゃ、みなさんによろしく」 「ああ、またな」 諏訪は丁寧に会釈して去っていった。 彼女はもう大丈夫だろう。 凜とした背中は、本人が言ったとおり悲しみやいろんなものを立派に背負っているように見えた。 今日の俺は夜中まで休憩のシフトだ。 (とはいえ、寮でがっつり寝てるわけにもいかねーからなー……) それだと緊急事態の時、呼びに来るまでに時間が掛かりすぎてしまう。 特査組は分室で待機ということになっているので、ひとまず地下に降りてくる。 「………あ」 なんとなく書架の間をぶらぶらしていると、奥の方にいたリトと目があった。 「……………………」 「よお、リト」 「……どうかしたの?」 「いや、暇つぶし」 「……………………珍しい」 「え?」 「用もないのに私のところへ来るのは初めてじゃない、久我満琉?」 「……そうだっけ」 確かに日頃は、遺品が暴れ出した時に聞きに来るくらいだもんな。 「リトは、ずっとここにいるよな」 「そうね」 「誰も来ない間って暇じゃないのか?」 「暇?」 「うん、ずっと本読んでるのか?」 「私は読まないわ。覚えているから」 「……じゃあ、何してんだ?」 「何も」 「何も? ただずっといるだけ?」 「そうよ」 「……………………」 「……………………」 それは本に囲まれているだけで幸せとか、そういう事なんだろうか。 でも普通、それだけ好きなら常に何か読んでそうだよなあ。 「……そういえば、リトってなんでずっと図書館にいるんだ?」 「私はここにいるものなの」 「え?」 「ここにいるのが私なの」 「………えーと、授業とか出なくていいのか?」 「ええ、出るように言われていないから」 「もしかして、リトって、スミちゃんみたいなもんなのか?」 「すみちゃん……村雲春霞のこと?」 「うん、そう。スミちゃんもスケープゴートの仕事があるから授業には出てないだろ」 「そうね。そういう意味なら似ているかも知れない」 「ふーん?」 つまりリトは、図書館にいて遺品についての情報を提供するために、常にここに待機しているのが仕事ってことなのか。 「……寂しくないか?」 「? 寂しい?」 「いやその、誰も来ないとずっとここに一人で居るわけだろ?」 「そうね、時々は本を借りに来る生徒もいたけれど私には気付かないで帰ることも多いから」 「誰とも会話しない日も多かったってことだろ。それ寂しいだろ」 「どうして?」 「どうしてって……えーと、人に会うの、嫌いか?」 「いいえ、好きよ」 「好きなのか!?」 「好きよ? どうして驚くの?」 「いや……ちょっと意外だった……。特に寂しがってもなさそうだから、一人でいる方が好きなのかと」 「一人でいるのは誰も来ないからであって好きとは違うわ。必然なだけだもの」 「必然、ねえ……」 「……久我満琉。あなたは私を心配しているの?」 「へ?」 「あなたは一人きりでいるということを寂しいものとしている、そして私がその状況にいることを気にしているようだわ」 「え、あ、まあ……」 「なら、その心配はしなくても大丈夫。私は寂しいとは思っていないから」 「そうなのか?」 「ええ、ここにいることは私にとってとても大事なことなの。だから誰も来なくても問題ないの」 「でも、人が来るのは好きなんだな」 「好きよ」 「うん、まあ、ならいいんだ」 「安心したの?」 「そうだな、リトがそれで良いなら安心した」 「そう、あなたの心配がなくなったなら、私も嬉しい」 「……そっか」 不思議な子だなぁ……。 スミちゃんや鍔姫ちゃんもきちんと自覚を持ってスケープゴートやってるけど、リトはなんだかそれとも少し違うスタンスのようだし……。 (……一体どういう経緯でこの学園に来たんだろう) 「……おー」 「思いっきり、声寝起きじゃん」 「大丈夫、起きた起きた。ふぁ……」 分室の床に転がってるうちに、いつの間にか完全に寝ていたようだ。 しかしおかげで、体力はそこそこ回復している。 「もう時間か」 「うん、大丈夫?」 「そんなにヤワじゃねーよ。よし、行くか」 「憂緒さん待ってるから、静かに来てくれって」 「モー子休憩無しかよ?」 「なんか、今日は特別警戒しないと駄目だって言ってたよ」 「ふうん……? あいつがそう言うなら、なんか理由があるんだろうな」 「うんうん、そうだね」 「いやー、信頼関係って大事だよね!」 「うっせえ、行くぞもう!」 「照れなくてもいいのにー」 やたら嬉しそうなおまるを尻目に、分室を足早に出て行った……。 夜の世界。 生徒達はみな授業中で、教室の外は静寂に包まれている。 ゆっくりと流れていく雲の合間から、ほとんど見えないような細い月が顔を出した。 「――やはりこちらでしたか」 静かに投げかけられたモー子の声に、二人の人影の足が止まる。 「……聡いな」 振り向き、ハイジの前に出るとルイはさほど焦った様子もなく応える。 「今日は新月なので、暗闇にまぎれて実行するなら今日に違いないと思ってました」 「……この、場所まで?」 執事より幾分気の立った声音で、ハイジがモー子に問いかける。 「校舎の一番下から延々と壁を登るのは無茶でしょう。校舎内のどこかから行こうとするのではと考えました」 「ならばひとまず時計塔のよく見えるこの辺りに来るのではないかと……」 モー子の言葉を遮るように、ハイジが鋭く叫び、懐から香水瓶を取り出し構える。 「何かあるのね、やっぱり! そこを退きなさい!!」 「そうも行かなくてね」 香水を警戒しつつ、こちらも臨戦態勢になり対峙した。 「怪しいです、と言っているようなものですね」 「何とでも言え。てめぇらの好きにさせるわけにはいかねーんだよ」 「動きを見抜かれたのですから、この場はそちらの負けですよ」 「……それはどうでしょう」 「止められるものなら、止めてみなさいな!」 どうやら一歩も引く気はないらしい。 じり、とお互いにじり寄るように間合いを詰める。 「やめなさーい!!」 俺達双方を制する声を上げながら、もも先輩と鍔姫ちゃんが駆け寄ってくる。 「それに危険すぎる。こんなところを登ろうだなんて……」 「そうです危険すぎますっ!! やめて下さいっ!!」 「来ないでと言ってるでしょう!?」 「ももは止めに来たのですっ!! やめてお願い! やめて下さいー!!」 飛びついて来ようとしたもも先輩に、ハイジが香水瓶を向ける。 「危ないっ!!」 「ひやぁあっ!?」 寸での所で後ろから鍔姫ちゃんに引き戻され、直撃を免れるもも先輩。 「あ……」 「……本気なのか」 躊躇いなく攻撃を仕掛けて来た彼女の姿に、俺達は少なからず衝撃を受ける。 特におまるは息を飲んだきり硬直しているようだった。 「なんでここまで強引な真似を……」 「さあ、どいていただけます?」 聞く耳すら持たない、といった態度で俺の言葉を遮り香水瓶を構える。 「少々多勢に無勢では?」 「そっ、そうです! この渡り廊下の周辺にも風紀委員達が集結しているのです!!」 「甘く見てもらっては困ります」 「そちらこそ、自分達が無謀な真似をしていることに気付くべきでは?」 引く気はないってことか。 荒事になろうが、今回ばかりは突破すると決意を固めているようだ。 (……こっちも覚悟決めるしかないか) ぐっと拳を固め、どうやって香水をかわすかに神経を集中する…… 「やあやあ、そんな危険なところを通る事はないよ、お客人!!」 ……膝から崩れ落ちるかと思った。 「学園長っ!?」 緊迫感が木っ端微塵になる中、学園長がいつもとまったく同じノリで高笑いしながら歩いてくる。 俺も村雲も、モー子も、もも先輩と鍔姫ちゃんすら、その姿を呆然と見送ってしまった。 「壁を登るだなんてデンジャラスな真似をしなくても!」 「……………………」 「………………どういう意味でしょうか」 唖然と固まっているハイジの隣で、かろうじて理性を保ったらしい執事が問う。 「時計塔が見たいのだろう?」 「え、ええ……」 気圧されて頷くハイジ。 ルイの方は、学園長の真意を測りかねるらしく、眉間にしわを寄せただけだった。 「……は?」 「仕方がないよ、お客人に壁を登らせるわけにはいかないからねえ」 「ぢー」 「うん、その通りだ! 彼らはクラール・ラズリットと親交のあった由緒あるお家柄の大事なお客様だからね!」 「……………………」 「……時計塔内部を、見せていただけると?」 「Ano! それで納得して貰えるかな?」 「そ……それは、まあ……」 「本当ですか」 「……………………」 「……………………」 不審げに顔を見合わせるお嬢様と執事。 そりゃそうだろう、さっきまで俺達が全力で止めようとしてたってのに……。 (正気かよ、学園長……) こっちはこっちで互いに目配せしつつ、はらはらするばかりだ。 村雲はもちろん、鍔姫ちゃんも不安そうな顔で学園長の背中を見つめている。 「だ、大丈夫なのかな……?」 小声でおまるが聞いて来る。 俺は首を傾げた。 「どうかな、何か考えがあると信じたいけどな……」 「……………………」 無言のまま、モー子は小さく頷いた。 さすがに何の対策もなく、時計塔の中へ連れて行く気はないだろう。 「本当は立ち入り禁止なのだが、特別に許可を出そうじゃないか」 「……感謝いたします」 まだ胡散臭そうな顔つきではあるが、ルイは一応礼儀正しく謝辞を述べた。 ハイジも半信半疑の顔で会釈する。 はっはっはっは、と高笑いしながら俺達全員を引き連れて学園長は歩き出した。 渡り廊下から中庭へと降りると、学園長は校舎の壁の前へとどんどん歩いて行く。 「実はそこに隠し扉があるのだよ」 「こんな所に……?」 「くまなく探したつもりだったのに、そんなの見当たらなかったわ……」 学園長はそう言いながら壁の一部をどん、と殴る。 すると、ドアノブが飛び出してきた。 「この仕掛けも、知らない人間がただ殴っても出て来ない作りでねー」 振り向いて客人二人に話しかけながら、ノブの下にある鍵穴にポケットから出した鍵を差し入れる。 (……あ、ヤヌスの鍵……) そのまま時計塔内部へ入るとも思えないし、どこか別の空間を見せて誤魔化す気なのか。 ちらりとモー子を見ると、目顔で同じ事に気付いている合図を送ってきた。 「さあ、案内しよう! 中は少し暗いので気をつけて」 学園長と、ハイジ達に続き扉の中へと足を踏み入れる。 そこはスミちゃんの部屋でも、例の異空間でも何でもなく、普通の塔の内部のような壁沿いに螺旋状の階段が上部へと続く縦長の空間だった。 遥か上の方に、おそらく鐘楼に出ると思われる扉がぽつんと見えている。 「……なんだここ……」 村雲が思わず呟くのが聞こえた。 まさかと思いつつ、スミちゃんの部屋に出たらどうしようと気が気ではなかったので拍子抜けたのだろう。 「中は普通なのですね」 「もちろん、時計塔だからね。それ以外の奇妙な設備など何も無いよ」 その普通さが、俺達にとっては異常なのだが、それを悟られるのはまずい。 全員、時計塔内部に興味があるフリをして辺りを見回し黙っている。 「上まで上らせていただいても?」 暗い上空へと続く螺旋階段を列をなして上っていく…… 「どうだい、諸君!! 見事な眺めだろう? はっはっはっは!」 延々と上り、おまるがぜーぜー言い出した頃、ようやく鐘楼へたどり着いた。 学園長は、眼下に広がる学園の全景を背景に両手を広げて誇らしげに笑う。 (どう見ても……学園だよなぁ……) 時計塔内部は偽の空間のはずだが、上ってみると鐘楼から見下ろす風景は本物の学園に見えた。 どういうからくりなんだか。 「時計塔なんだから、これだけだとも!」 「……機械類にも異常な部分はないようですね」 「古くからある大時計の仕掛けだよ。見ての通りね!」 「ちぃ」 「ああ、その通りだねニノマエ君! 夜を告げる大事な鐘なんだ、異常などあってはならないのだよ!!」 「そ、そう……でしょうけれど……」 「納得してもらえたかな?」 「ではなぜ、あれほどひた隠しに隠していたのです?」 「勝手に入ったら危ないから、校則で立ち入り禁止にしているからさ!」 「校則……それだけ……?」 「それにしては彼らは随分と必死のようでしたが」 「彼ら風紀委員は校則厳守を徹底するための組織だからね! そして特査もその風紀と協力体制にある!」 急に名指しされ、もも先輩はびしっと最敬礼をする。 「……………………」 「……………………」 ……正直、白々しすぎて無表情を保つのに苦労した。 一番顔に出そうなおまるは、未だに鐘に興味津々な人を演じて明後日な方を向いている。 「え、ええ……」 「……ふん、見込み違いか……?」 「どう見ても何もないようですものね……」 時計塔が怪しいというのは気のせいだったのかと、ひとまず納得はしたようだ。 渋々といった様子ではあったが、何もない以上引き上げざるを得ず階段へと足を向ける。 ぷい、と螺旋階段を先に下りていくハイジ。 例によって無言で執事が後に続いた。 「あ……」 その姿をもも先輩が悲しげに見送る。 「うう……、やっぱり風紀委員なんて、お堅いだけのいばりんぼと思われてるんでしょうか……」 「い、いえ、あの、いろいろ誤解があるみたいですから……」 「風紀委員だからってのは多分関係ないですよ」 「そうかなぁ……?」 「ええ、だって聖護院先輩がいい人なのはわかってるでしょうし」 「……うぅ、ありがとう……」 「しっかりして下さい、先輩。大丈夫です、いずれ誤解も解けますよ」 「そうだね、うん! 頑張らないと……」 ぐぐっと両手の拳を固めた途端、はっと目を見開くもも先輩。 「あ、先輩!」 「転げ落ちないで下さいよっ!?」 「みなさん、学園長、お先になのですー!」 慌てふためきながら階段を駆け下りていくもも先輩を、元風紀二人が心配そうに見送る。 幸い、ヤバいことになっていそうな悲鳴は聞こえてこなかった。 「……学園長……」 「あー、立派な時計塔だろう?」 何か聞きたげなモー子に、学園長はとぼけた笑顔で応えた。 「そうですね。実に立派なものです」 そう言って学園長も螺旋階段へと姿を消した。 「聞くな、ってことか」 「まだ近くにいますからね」 お嬢様達が、という意味だろう。 下手な話をして、聞かれてしまっては確かにすべて水の泡だ。 「……行きましょう」 モー子が促し、俺達も時計塔を降りる。 入って来た隠し扉は、学園長の言う通り閉めるとノブも鍵穴も消え、壁に戻った。 先に帰ったかと思ったハイジ達はなぜか律儀に俺達が降りてくるのを待っていた。 隠し扉がどうなるか見定める気だったのかもしれないが、ノブが消え去ってもさほど驚いた様子はなかった。 そして、お互い無言のまま、寮の前まで戻ってくる。 「なあ、これで納得しただろ? いい加減ギスギスしたのはやめようぜ」 寮の扉をくぐる前に足を止め、ハイジに向かって言ってみる。 彼女はくるりと振り返り、険しい声を上げた。 「やり方?」 「……………………」 執事の方は無言だったが、いつもの我関せず的な態度ではなく、目の奥には侮蔑の色がある。 「一体何のことだ?」 「そうやって、とぼけていればいいわ」 心底呆れたといった顔つきでため息混じりに言うハイジの瞳にも、執事と同種の嫌悪感がにじんでいた。 どうやら既に、何か疑っているどころではなさそうだ。 「待てよ。一体何を……」 「……袖の下でももらって学園に協力しているのですか?」 「はあ!? 何をだよ!?」 「所詮は学園の犬ということですか」 「そんな風に言うのはやめてくれないか」 それまで黙って聞いていた鍔姫ちゃんが、微かに怒りを含んだ声で言う。 「私は彼らに助けられたし、他にも何人もの人間を助けている」 「何を誤解しているのか知らないが、彼らは間違ったことなどしていない!」 「鍔姫ちゃん……」 「……………………」 断言してくれた鍔姫ちゃんを、ルイはやはり無言で見据えてちらりとハイジと目配せする。 「……彼女に一言、忠告しても?」 「どうぞ」 止めたって聞かないだろうと、執事の顔に書いてあった。 ハイジはすっと鍔姫ちゃんに近寄ると、彼女の耳元に何事か囁いた。 鍔姫ちゃんは、戸惑ったような表情で聞いている。 「……では失礼。これ以上あなた達と話すことは何もありませんので」 「……………………」 俺達とは目も合わせず、主従はさっさと寮内へと戻って行った。 「なんだってんだよ……」 「すっかり敵扱いですね……」 「……………………」 「壬生さん、差し支えなければ、何を言われたのか聞かせてもらってもいいですか?」 「あ、ああ」 戸惑った顔のまま、鍔姫ちゃんは頷いた。 「私にも意味は良くわからないんだが……」 「あなたは何も知らないの? 本当に何も知らないのだったら、特査の人間とはもう関わらない方がいい」 「あなただって、いつこの学園の魔術の生贄にされてもおかしくないのだから」 「……そう、言っていた」 「生贄……」 それを聞いて、モー子は怪訝そうに首をひねった。 「……妙ですね。私達は思い違いをしていたのかも」 「なんのことだ?」 「さっきの台詞、おかしいと思いませんか」 「さっきの台詞?」 「認められない、とか言うやつか?」 「それは前から似たようなことを言っていたでしょう」 「じゃあどれだよ?」 「壬生さんに言った、『魔術の生贄』の方です」 「学園の犬、ってやつか?」 「それは前に『学園のために働いている』と言ったやりとりからでしょう」 「じゃあどれだよ?」 「壬生さんに言った、『魔術の生贄』の方です」 「魔術の生贄、ってやつ? 鍔姫ちゃんに言ってた」 「そうです」 「私達は彼女らの反応を見て、てっきり壬生さんと村雲さんが魔法陣の動力源である件に気付いたのかと思っていました」 「そうじゃなかったというのか?」 「『生贄』という言い方がどうも引っかかるのです。彼女らの言う『犠牲』と、私達の思っている犠牲は違うものなのではないでしょうか」 「そうか? 人間が学園の魔術の動力源になってるのは事実だから、生贄って言い方もあながち間違ってはないぞ」 「それに、スケープゴートってのは生贄の羊って意味だと前に言ってたよな、生贄って言い方をしたのはそれの皮肉じゃねえのか?」 村雲は反論したが、モー子はゆっくりと首を横に振った。 「スケープゴートとは、学園長など学園の深部に関わる人間と、当人である村雲さん、壬生さん、そして私達しか知らない言葉のはず」 「彼らがもしスケープゴートという名称までをも把握しているなら、魔女が魔法陣でしていることも、今の現状も、概ね把握していると考えるべきでは?」 「……それもそうか」 「そうなると、壬生さんがスケープゴート本人であることを知らないというのはやはり不自然です」 「結論として、彼らはスケープゴートのことは詳しく知らないということになりませんか」 「そうだな、しかしそれにしちゃ俺達に対する態度も極端すぎる」 「ええ、そんな状態で、私達にあそこまでの態度を取れるとは思えません」 「彼女達は、何か違う手がかりを持っているかもしれないということか?」 「そういうことです」 「違う手がかりって……?」 「一般的に生贄とはある物事のために生命やそれに準じるものを捧げることを言います」 「スケープゴートは確かに魔力を捧げてはいますが命まで犠牲にしているわけではありません」 「別の……!」 はっと、頭に浮かんだことがある。 モー子が考えているのは、例の睦月という行方不明の友達のことなのではないか、と。 (でもその推測が当たっていたら……) 彼女は何かの『生贄』になっていることになる……。 「もちろん、魔法陣を動かす動力源が人間だと言うことに勘付いて、それに激怒しているという可能性もまったくなくなったわけではありません」 「……気になるので、私は彼女らが一体何に気付いたのか明日から調べてみたいと思います」 「お前はそれでいいのか?」 思わず口を挟んでしまう。 調べると言うことは……。 「それで、知りたくなかった結果が出てきてもか?」 「結果がどうあれ、何も知らずにいるよりは、私は真実を知りたいのです」 決意を込めて頷きながら、モー子は言った。 その会話で、おまる達も花立睦月の存在に思い至ったらしく息を詰めている。 「……睦月のことならなおさらです」 モー子はそんな俺達の眼差しを受け止め、きっぱりと彼女の名前を出し断言する。 「わかったよ」 本人が覚悟を決めているなら、俺達にとやかく言う筋合いはない。 「お前と一緒に調べる」 「無論、私も協力させて貰うぞ。友達だからな」 「う、うん! おれも!」 「ま、放置は出来ねえしな、どうせ」 微かに、しかし柔らかく微笑むモー子。 そして表情を引き締める。 「この事は、学園側や風紀委員会にはまだ一応伏せておきましょう」 「……そうだな。色々と疑惑の域を出てないしな」 それに、以前モー子は学園長を少し疑っている、と言っていた。 学園長に知られると、秘密裏にいろいろ隠蔽され何もわからなくなる恐れもあるのだろう。 そういう事情も察してか、鍔姫ちゃんも同意してくれた。 「しかし、これは応援を要請しなければ危険だという事態になったら聖護院先輩にはきちんと頼ってくれ」 「ええ、心得ています」 「言わないと確実に拗ねて落ち込むからなあ」 「そーですね……」 さっきの落胆ぶりを思い出し、俺も頷く。 遠慮するなってさんざん言われたしな。 「それじゃ、我々も戻ろう。休まないと身体が保たないぞ」 「そうですね」 他の生徒を起こさないよう、俺達はそっと寮内へと入り、それぞれの部屋へ向かった。 俺の部屋の前まで来ると、モー子はそう言って立ち去ろうとした。 「なんです?」 歩みを止め、振り返るモー子。 「あんま思い詰めすぎるなよ」 「……………………」 「本当に花立睦月が関係してるのかまだわからねーんだから」 何か言い返そうとモー子は口を開いたが、それを聞かずに俺は続けた。 「前もそうだっただろ」 「そ……」 言い返す言葉を詰まらせ、モー子は眉根を寄せる。 そして逡巡したあげく、おそらく別のことを舌に乗せた。 「きみだって前のように勝手に行動して……」 「私を心配させないで下さい?」 「心配してませんって言いましたよね!?」 「でかい声出すなよ、夜中なんだから」 「誰のせいですか」 「ま、その様子なら大丈夫か」 軽口を叩いているうちに、だいぶいつものモー子になっていた。 「……………………」 少しバツが悪そうに口許をとがらせると、モー子は白々しく小首を傾げた。 「どうも、ご心配おかけしまして」 「心配じゃねーよ、調子狂うだけだ」 「お互い様ですね」 「……そういうことにしといてやるよ」 「こっちの台詞です」 「……………………」 「……………………」 しばし、意地を張ってます、と看板でも掲げてるような顔でにらみあう。 「……朝までこうしてる気か?」 「冗談じゃありません」 「んじゃ、おやすみ」 ふい、と互いに顔を背け、俺は部屋の扉に手を掛けた。 小さく遠ざかるモー子の足音が消えてから、そっとそちらを盗み見てみる。 ちょうど肩越しにこちらを見ていたモー子と目が合ってしまい慌てて逸らした。 「くそ、なんで立ち止まってんだよ……」 ぶつぶつ言いながら、今度こそ扉を開き部屋へと戻る……。 「ちぃ?」 「うん、時計塔については誤魔化せたと思うよ」 「……しー」 「そうだね、でもまだ疑ってる。警戒は怠らないようにしないと……うーん」 「ぢぃ」 「そうだね、やはり駄目だ。今封印を解けばいざという時に使えなくなる」 「うん、ピンチの時の武器はやっぱり手元においておかなければね!」 「ちー!」 「……ってわけでな、やっかいな奴らだよ」 殺風景な場所に、ふわふわと光る姿が浮いている。 オレはそいつに向かって学園長の客人の愚痴を並べ立てていた。 光る姿――モルフィは、そんな話でも興味深いのか口も挟まず聞いている。 「そうなんだ……時計塔に……」 今夜の時計塔騒ぎの顛末を聞き終えると、モルフィは腕を組んで首を傾げた。 こういう仕草は妙に人間くさいな、こいつ。 「どうやったのか謎だけどな。あの学園長も得体の知れねえヤツだよ」 「……子供にしか見えないんだっけ?」 「見た目はな。中身はタチ悪いぞ」 「しかも色々と怪しい事が増えてきてるし、なんなんだこの学園……」 「……なんなんだって、自分で選んで……通ってるんじゃないの?」 「いや、そーだけどよ……」 珍しくからかうような事を言われ、ちょっと鼻白む。 最初は会話もたどたどしかったのに、この野郎。 けっこう慣れてきたって事かな。 「そもそもオレは別にどうしてもここに通いたかったわけじゃなくてだな」 「そうなの?」 天秤瑠璃学園を選んだのは春霞だった。 オレの抱えてた持病を治すために……。 「……なあ、モルフィ」 「ん?」 「お前の力を実際に貸してもらうときに、必要なことって何だ? やっぱり夢の遺品だから、相手を眠らせなきゃいけないのか?」 「その時になってみないとわからない…かな。でも、たぶん、魔力はたくさんいる……」 「ふうん?」 眠らせなくても、魔力がたくさんあれば巻き込めるってことだろうか。 「となると、魔力を溜める方法を何か考えないとならねーってことか……」 考え込んでいると、モルフィがおずおずとオレの手の甲を指さしてきた。 「なんだ? この印か?」 モルフィにつけられた契約の証しだ。 一見小さなアザにしか見えないが、これのせいでオレは未だにこの夢の中に来てこいつに会えるらしい。 「毎日会うたびに、そこに少しずつしずかの魔力を溜めていってる……よ」 「オレの? 本当かよ?」 「うん、だからもう少しだけ時間をくれれば……何も探さなくても何とかなると思う」 「へー、お前すごいな!」 「……………………」 感心していると、モルフィはなぜかもじもじと肩をすくめていた。 「なんだよ?」 「……怒ってない? 勝手にそんなことしてて」 「体調悪くなるほど魔力取られてるわけでもないんだろ? じゃあいいだろ別に」 「そ、そっか……」 「それより有事の時に役に立たない方が困る」 「……わかった」 こくりと頷いた姿がうっすら消え始める。 オレが目を覚ましかけているのだ。 「もし、本当に必要になったら……言ってね」 そう言い残すと、光る姿が溶けるように消えた。 そして風景も揺らぎ、オレの意識もふわふわと漂い始める…… ……翌日。 学園内は夕べの騒ぎなど当然誰も気付いておらず、平穏なものだった。 「あいつら今日は見かけねえけど、どうせ大人しくしてねーだろうしな……」 授業中は俺達も教室にいるので、ずっと監視しているわけにもいかず動向は不明のままだ。 「あ、憂緒さん」 図書館へ入ると、モー子も来ており、リトと何やら話している。 「おう、何話してんだ?」 「彼女達は以前、こちらの図書館にも興味を示していたので何か調べていなかったかとお聞きしていたところです」 「何度か来て、あの辺りの本棚をよく見ていたわ」 モー子の説明を受けて、リトが図書館の一角を指で指し示す。 「あの辺って何の本があるんだ?」 「学園に関する資料ね」 「私も前に調べたことがある、学園内の見取り図や年表などです」 「見取り図か……」 時計塔への入り口を探していたようだから、資料も当たってみたということか。 「念のため、彼女達が調べていた本を洗ってみようと思います」 「そうだね、見てみようよ」 リトから聞いた範囲の本棚を手分けして見てみることにする。 「けっこうあるな」 「久我くんと村雲くんは、そちらの端からお願いします」 「じゃあおれ達はこっち側からだね」 巨大な本棚の端と端に別れて、順番に資料を調べていく…… 「……この棚は卒業アルバムか」 分厚く堅い背表紙の卒業アルバムがずらりと年代順に並んでいた。 「ん? なんか飛んでるな」 「飛んでる?」 「ほら、この辺だけ何年か飛んでんだよ。……あ、もしかして事故か何かがあったって年がこの辺か」 「ああ、なんかそんな話あったな。その事故の時に火事で燃えちまったって事か?」 「多分……ん? でも火事で燃えたとしたら、それ以前のアルバム全滅してるはずだよな」 「それ以前のは……あ、ちゃんとあるな」 「これどう思う? 火事で燃えたにしては変だよな?」 「……ええ、燃えたわけではないのでしょう。事故があった後、一時休校になったそうですから、アルバム自体作られていないのかも……」 「へえ、そういうことか」 「数年分もか? そんなでかい火事だったのか……」 「他の資料でも、20年前のものが抜けていた事は以前調べた時もありましたからね」 「えーっと今って何年だっけ? 20年前って……何年前の資料?」 「お前ほんと年号とか弱いのな」 「こっちもだな。学園祭のパンフだの、体育祭のプログラムだのも20年前のは抜けてるぜ」 「へー、やっぱり他の資料も20年前あたりはきれいにないんだねー」 ごそごそと他の資料を見て回っていると、モー子がふと足を止めて考え込んだ。 「……それはおかしくありませんか」 眉根を寄せた表情のまま、モー子は俺達が見ていた資料の棚を指さす。 「卒業アルバムがないのはわかります。休校になってしまったこの学園から卒業出来なかったからアルバムが作られなかったのでしょう」 「ですが、火事が起きたのが入学直後のことでなければ、学園祭や体育祭などの行事の資料は既に作られていたはずでは?」 「20年前のものが一切ないってさすがに変だね」 「火事で焼けたとは考えにくいです。久我くんも言ったとおり、それ以前の資料はすべて残っているわけですし……」 「それに、その資料を保存しているこの図書館は無傷です」 以前見取り図を調べた時、建て替えられたのは地上の校舎部分だけで、地下はそのままだったとモー子は説明した。 「……じゃあ、何か他にあるってのか? 火事の他に、資料が消え失せるような理由が?」 「あるとしたら、どんな理由だろ?」 「それを推察するには情報が足りませんね」 俺達は再び手分けして 火事のあった20年前と前後する年代の資料を引っ張り出し見比べてみる。 「……学園長は替わってるな」 「最初はクラール・ラズリットさんで、火事の後からは今の学園長なんですね」 「いや、学園長だけじゃなくね? トップはほぼ総入れ替えじゃねえか、これ」 「こっちに今の学園長の弔辞みたいなのが載ってるぞ」 「先代の学園長の冥福を……ってことは、その火事で亡くなったんだな」 「校舎はほぼ全面的に大規模な立て替え、そして学園長以下幹部理事クラスは総入れ替えのようですね」 「んー、でも、資料が消えてることにはどこにも何も触れてないねえ……」 「……リトさんにも聞いてみましょう。ここに存在した資料なら把握しているはずです」 出した資料をひとまず棚に戻し、リトの居る書棚の方へと戻る。 「リトさん、お聞きしたい事が」 「なにかしら?」 「学園の資料に欠落があるのは何故です? 20年前の資料がことごとく抜けているのですが」 「……………………わからないわ」 困ったように小首を傾げるリト。 え、と俺達は一様に驚きに声を上げてしまった。 「あなたはこの図書館の蔵書のことは全て把握しているのでは?」 「それはそうよ。それでもわからないの、私には答えられない……」 リトは途方に暮れたように目を伏せる。 いつもの彼女とは、明らかに様子が違っている。 どうしたんだろう、と俺達は互いに顔を見合わせ、モー子が小さく頷き代表して質問を重ねた。 「何故わからないのか、その理由はわかりますか?」 「……これ」 リトはおもむろに、常に抱えている巨大な本をぱっと開いて見せてくる。 「このインク……少し変わった匂いですね。普通のインクではない……?」 「そうね」 「え? どういう意味だ?」 「消されているの。私の中から。だからわからない」 「私の中、って……」 「この目録を消されると、あなたの記憶からも消えてしまう、ということですか?」 「これが?」 「……もしかして、これがあなたなのですか? この本の方こそが……」 「そう、これが私。ラズリットの目録。リトグラフィエ・ラズリット」 「えええっ!? え、これが、って? え?」 「本が!? 本の方が本体だってのか?」 「そうよ。私はクラール・ラズリットの作り出した遺品の目録」 「遺品の……そうですか。だからここの宝物庫に封印されている遺品はすべて把握していたのですね」 「じ、じゃあ、その本抱えてるお前は?」 「この身体もラズリットの生み出したもの。目録を管理するためにね」 「……ホムンクルス、ということですか」 「え、あの、ぴぃちゃんみたいな?」 「ええそうよ。私は目録として作られたから、その亜種というところかしら」 こともなげに答えるリト。 人工的に生み出された存在であるという事については、本人的には特に思うところはないらしい。 ……が、こっちにはそれなりに衝撃的な話である。 おまると村雲はあんぐりと口を開けて放心している。 「……………………」 「……………………」 「……ま、まあ、普通の生徒じゃねーなーとは思ってたけどさ……」 「あ! ってことは、その、ラズリットさんも、あのトランク使ったのかな? 封印しちゃったけどリトさん平気なの!?」 「ヴァーグネルケースのことなら、私は平気よ。だって私はあれによって作られたホムンクルスではないもの」 「ある程度の魔力を持つ魔女なら、ヴァーグネルケース無しでも魔術によって自立稼動するホムンクルスを作ることが出来るから」 自立稼動するホムンクルス、か。 今までも、聞かれたことにしか答えないとか、わけのわからん騒ぎにも大して動じないとか、思い当たる節はけっこうあったしなあ……。 「本体である目録にこういう細工をされたら私にはもうどうすることも出来ない」 「誰がいつこの細工をしたのかも、ですか?」 「ええ、わからないの」 「それって、その変な匂いっていうインクのせいなのかな」 「その可能性が高いですね。魔術的な効果のあるインクなのではないかと」 「……てことは、資料の方も単に火事のどさくさでなくしたとか言うんじゃねーな」 「そうですね。誰かが故意に20年前の情報を隠そうとしている……」 「あいつら、それに気付いたのかな? ハイジ達も資料調べてたんだろ?」 「それにしては時計塔に執着していたのが気になります。時計塔は火事の後に新しく建て替えられているのです」 「ああ、そうか。20年前の火事に目をつけての行動にしちゃちょっとずれてるな」 ということは、あいつらがこだわってるのは火事とは関係ない別の何かなのか……。 しかし、それはそれとして20年前の情報が隠匿されている事も気になる。 「えーと……リトって、いつからここにいるんだ?」 「ずっと昔から」 「20年前には?」 「いたわよ」 「なら、20年前の火事も見てるのか」 「いいえ。火事の時もずっとここにいたから」 「ああ、地下は無事だったんだっけ?」 「そう、ここまで火は回ってこなかった。だから地上で起きていたことは知らない」 「そうですか……」 リトに20年前のことを聞くのはほぼ無理そうだ。 仮に何か見ていたとしても、おそらくすでに本体である目録に隠蔽の細工がされているのだろう。 (ハイジ達だけでもやっかいなのに、ややこしい話が出てきちまったなぁ……) 「あ、やべえ、昼休み終わりだ」 「ご飯食べ損ねた……」 鳴り響いてきたチャイムに、俺達は慌ただしく図書館を出て教室へと向かった。 「はー、間に合った……」 走って戻ってくると、先生はまだ来ておらず教室は雑然とした雰囲気のままだった。 「へ?」 自分の席へ向かうと、黒谷と吉田がきょとんとした顔で話しかけてきた。 どうもややこしい事態になってきたのが顔に思いっきり出ていたようだ。 「いや、ちょっと走ってきたから息が切れてただけで……」 「なんだー、なんか事件じゃないのか」 「残念そうに言わないの!」 そういえば、噂話の類なら黒谷は詳しいかもしれないな……。 「そっちこそ、最近は何か面白い話ないのか?」 「んー、そうだねえ、中庭に誰も植えた覚えがない花が咲いてるらしいとか……」 「か、風か何かで種が飛んできただけじゃないのか?」 「あとはー、なんかちょっと前に壊れた彫像が夜な夜な泣いてるらしいとか」 「誰が見たんだそれっ!? 夜ってみんな寮に戻ってるだろ!」 「そーなんだよねー。だから私もこれはちょっと眉唾かなと思ってるんだけどさあ」 「そ、そうだろ、うん」 泣かないでくれ頼むから。 あれ封印の一部だから魔術的な何かだし、ガチで泣く機能ぐらいついてそうで嫌だ。 「え、あ、あれ? また出たのか?」 正体はスミちゃんだと知っているだけに内心どきっとした。 「うん、でも前は白いふわっとしたやつだったって話じゃない?」 「今度のはピンクの水玉だとかいう噂なんだよねー」 「な、なんかかわいくなっちゃったね」 「ピンク……」 そんな格好で出歩いてるという話は聞かない。 スミちゃんではなさそうだが、なんなんだその幽霊。 「だよね、幽霊っぽくないよね。おばけならもっとおばけらしくして欲しいよね」 「欲しくないよっ!?」 (……どれも噂の域を出てないというかそもそも関係なさそうだなぁ……) 「なんかさ、そういう怪談ならもっと古い話ないのか? 実は20年くらい前に何かあったとか」 「え、なにそれ? 20年前ってなんかあったの?」 「えーと、俺も噂で聞いただけだけど、なんかでかい火事があったらしいぜ」 「へー、そうなんだ!」 「……聞いたことないか?」 「全然知らなかったよ! 火事ってこの学園で? 校舎が燃えたの?」 「た、多分な。俺も詳しくは知らないし……」 (しかし、黒谷が知らないとなると、一般生徒はほとんど知らないと見て良いな) 20年前ならまだ噂くらいは残っていてもよさそうなものなのに。 (……やっぱり意図的に隠蔽されてるってことなのか……) 「……てことで、生徒達の間には噂すら伝わってないみたいだぜ」 昼間、黒谷に聞いてみた反応を伝えると、モー子はうんうんと深く頷いた。 時刻は既に、夜を告げる鐘が鳴り響いた後で、夜の生徒達が登校し始めている。 「夜の世界でも聞いてみた方がいいですね。そもそも夜の世界は20年前からあったのかどうかもわかりませんが……」 「まあ、聞いてみようぜ」 「……久我くん、質問をお願いします。私は様子を観察したいので」 「ん、わかった」 ちょうど射場さんと雛さんがやって来るのが見えたので声を掛けて捕まえる。 「やあ、おそろいだな。今日はどうしたの?」 「少々調べ物をしていまして……」 「なんでしょう」 「卒業アルバムとかってどこに置いてあるか知りません?」 「卒業アルバム? 昔のってこと?」 「そうです、歴代のヤツ」 「そういえば見た事ないなあ。ヒナは?」 「ヒナもない」 「そうですか……」 「ところでアルバムがどうかしたの?」 「新しい卒業アルバムのデザインの参考に、昔のアルバムを調査してまして」 「へー、特査ってそんなこともするんだ」 「まあ、なんでも屋みたいなとこあるんで」 「ああいうのって何月頃写真撮るんだろ? やっぱり卒業間近?」 「おそらくそうではないかと」 「そっか、撮る頃になったら教えてよ。ダイエットしとかなきゃ!」 「……焼き肉我慢するの?」 「わ、わかりました」 なんか話が盛大に逸れた……。 「昔の学園の話って何か知りません?」 「昔のって、どういう?」 「なんかでかい事件があったとか、昔はこんな人がいたとか」 「事件ねえ……。ヒナ、なんか聞いたことある?」 「ヒナはない」 「全然ですか? 普通なんかこう、都市伝説みたいな感じで伝わってる話とかありそうなのに」 「……ヒナは知らない」 「しかもそれ、何故か男だっていうやつじゃ」 「そうそう!」 「なんだよそれ?」 「俺も知らねーよ、前に黒谷が言ってた」 「ど、どっから伝わったんだろうね、射場先輩のとこまで……」 「あたしは確か、前に風紀委員の子から聞いたんだけど」 「……誰だ変な噂持ち込んだの……」 そうか、風紀は夜も巡回してるヤツいるもんな。 昼から夜に伝わっちゃった謎の伝説ってのはあるもんなのか。 しかし、20年前の件とはどう考えても関係ないなあ……。 「もう卒業してる先輩って今でも交流のある人います?」 「うーん、卒業した後のことは知らないや。会ってないよね」 「ヒナも」 卒業生との交流はないようだ……。 他に何か聞くことは…… じゃあそろそろ、と射場さん達は教室へと向かっていった。 「もう少し聞いとくか?」 そう言いながらモー子が手を振ると、風呂屋と春日が並んで駆けてきた。 「おはよーございまーす!」 「何か調査ですか?」 「ええ、事件というわけではないのですが」 ちらりと目配せされ、さっきと同じように風呂屋達にも聞いてみることにする。 「卒業アルバムとかって、どこに置いてあるか知らないか?」 「卒業アルバム?」 「図書館じゃないですか?」 「地下の? 置いてある場所知ってる?」 「はい、あの、授業で使う資料を借りに行った時、本棚に並んでるの見たことが……」 「あの辺りの棚は学園史に関する文献ばかりですが、そういった授業だったんですか?」 「いえ、生物の授業で図鑑を捜してました」 「全然場所違うぞ!?」 「あはは、まゆみちゃんが帰ってこないってクラスで心配されてたよねー」 「ま、まあ、図書館広いもんね……」 春日はいつもこんな調子なんだな……。 「昔の学園のことって何か聞いたことないか?」 「昔の、ですか? うーん……」 「そういえば、あんまり聞かないね。なんか言い伝えとか、そういうの」 「あっ、わたしひとつ知ってる! どこかの男子トイレの個室に真っ赤なコート着た女の人が住み着いてるんだって!」 「待て。なんか微妙に違うぞ」 「そ、それ、言い伝えって言うか怪談っていうやつなんじゃ……」 「あれ? そっか」 いや微妙に違うってのは、黒谷達の話と食い違ってるという意味だったんだが。 どっかで伝わり損ねて変貌したんだろうか。 「もう卒業した先輩の話とか、なんか聞いたこと無いか?」 「んー、聞いたことないかなぁ……。まゆみちゃんは?」 「わたしもないです。今の先輩だったら、かっこいいねとか噂になってる人いますけど……」 「ああ、射場先輩とかねー」 「かっこいいって男子じゃないのかよ」 「女子に人気あるんですよ、射場先輩。お弁当作って来たいとか言ってる子いますし」 「……焼き肉弁当なら喜んで食うんじゃね?」 「うわ、豪華! いいなぁ〜」 「でも、お小遣い大変だねえ」 めちゃくちゃ食うだろうからな、あの人……。 他に聞いておくことは…… 「ところで何の調査なんですか?」 「ええ、ちょっと新しい卒業アルバムの制作のために昔のことを調べていまして」 「へー、いろんなお仕事があるんですねぇ」 「卒業かぁ……まだ全然実感無いね」 「そうだねー、まだまだ先だもんね」 「あ、予鈴だ! 行かなきゃ!」 「それじゃ失礼しまーす」 「ああ、ありがとう」 ぱたぱたと走り去る夜の生徒二人を見送る。 他の生徒達もぞろぞろ教室へと姿を消し、廊下はしんと静寂に包まれた。 「どうも、夜の生徒は昔のことってほとんど知らねえっぽいな」 「噂ですら、昼から伝わったっぽいやつだけでしたね」 「しかもどう考えてもただの噂だろ。ベートーベンの肖像画が笑うレベルの」 「じゃあ、20年前ってまだ夜の世界はなかったのか?」 「……いえ、ではそれ以前は以前学園長が見せてくれた魔石はどうやって保存していたんでしょう」 「あ……」 「あれって、ラズリット・ブロッドストーンって名前だった、よね?」 「なら創立者のラズリット絡みの品だろ」 「そうです。そしてラズリットは、間違いなく20年以上前の人物です」 「そっか石は20年前からあったはずだよね。ラズリットさんのものだったなら」 「それ以降に魔石が湧いて出たのでなければですが」 「どこから湧くんだよ」 「魔力の塊という話でしたから、精製出来ない物でもないかもしれないでしょう」 「でもそんなもん作れそうなのって魔女だけだろ」 「魔女ってすごく希少なはずですよね……」 「……リトは、あの石のことは知らないのかな?」 「聞いてみましょう」 モー子が頷き、俺達は階段を降り図書館へと向かった。 図書館には、いつも通りリトが静かにたたずんでいた。 人間ではなかったとわかる前から、その光景にはもうあまり疑問も抱いていなかったなとふと気付く。 「リトさん、また聞きたいことがあるのですが」 「ええ、いいわよ。どうぞ」 「ラズリット・ブロッドストーンという石を知っていますか?」 「もちろん知ってるわ。お母様が作ったものだから」 「お母様……クラール・ラズリットさんのことですね?」 「そうよ」 「あの石って20年前からあったのか?」 「あったわ」 「それはどこに?」 「場所までは知らないけれど、今も何個かはこの学園の魔術結界に使われているはずよ」 「どうやって保存されているかは? その、20年前からという意味ですが」 「知らないわ」 「ここの宝物庫とかにはないんですか?」 「遺品の宝物庫にはないわよ。それは確実」 「あれは、厳重に保管しなければならない貴重なものなのですよね?」 「そうね、あれは魔女クラール・ラズリットにしか作ることの出来ない、とても貴重なもの」 「ラズリットにしか……ですか」 「もうちょい具体的にわからないか? どういうシロモノなんだ?」 「クラール・ラズリットは、時を操る魔女だったの。あの石は、一旦魔力を込めて、それから石の時間を停止させて作っているの」 「魔力を半永久的に生み出すアイテムなんて、後にも先にもあれくらいしかないわ」 「あの石を巡って争いが起きてもおかしくないくらいのもの、ということですか?」 「もっと魔術が盛んな時代だったら、あれを巡って戦争が起きてもおかしくないくらいよ」 「せ、戦争……」 「魔力を半永久的に生み出すという事は、壊れることはあるのですか? 物理的に落としたら割れる、といったことは?」 「物理的に壊れることはないわ。ただ一つ、予め込められた魔力を遥かに超える量を引き出すと、石にかけられた時間停止の魔術が解けてしまって壊れるの」 「そうか、だから春霞が借りてるやつは、いきなり壊れたりしねーんだな」 「急激に大量の魔力を引き出したりしなければね」 「はぁ……すごい石なんですね、やっぱり」 「厳重に保管されている理由は良くわかりました。20年前からあったらしいことも……」 しかし、肝心の20年前の情報や資料が隠蔽されている理由はやっぱりわからない。 「学園長なら知ってんだろうけど、聞いても無駄だろうなあ」 「むしろ隠蔽してる側じゃねーのか」 「情報の隠蔽は学園ぐるみで行われているとみるべきでしょうからね。学園長が素直に話してくれるとは思えません」 「ハイジさん達が何を調べてたのかも、わかんないままだよね?」 「……そうだよ、最初はそれを調べようとしてたってのに」 「リトさん、彼女達は資料以外に何か見ていたものはないですか?」 「他は、いろいろと魔術書を見ていたようね。特定のものを、というわけではなくいろんな種類のを」 「そうですか……。それは何か調べていたのか、単に興味があったのか、わかりませんね」 「魔術師の家系って言ってたもんね」 「そもそも、ここで調べてたのは、向こうも手がかりを探すためで具体的な目的があってのことかどうかもわかんねーんだよな」 「そうですね、ここで何か掴んだのかどうなのかも……」 モー子が沈黙すると、他の全員も少し考え込むように言葉を切ってしまう。 (どうも手詰まりだな……) むしろ20年前という新たな謎が増えてしまって、余計ややこしくなっている。 あいつらの方は20年前の異常に気付いてるのか、それとも……。 「なんです?」 「もう一度だけ、あいつらと直接話してみたいんだけど駄目か?」 「……………………」 「聞く耳持ってなかったろ。大丈夫か?」 「けどこのままじゃ手詰まりだろ」 「うーん、そうだよねえ……」 「そうですね、私も彼女らがどんな情報を持っているか引き出せるなら、引き出したいです。話すなら一緒に行きましょう」 「みんなで行くの?」 「いえ、あまり人数が多くても警戒されてしまいそうですから……」 「静春ちゃんはすぐ切れそうだしなあ」 「見事に切れてるじゃねーか」 「てめぇが相手だからだっ!!」 「ま、待ってましょう! ね、村雲先輩、留守番してましょう?」 ぶつぶつ文句を言う村雲をおまるがなだめ、俺とモー子とでお嬢様達の居る客室を訪ねることになった。 寮へ戻り、おまると村雲は自室へと帰る。 モー子もちょっと待てと言い残し何かしに行ってしまった。 すぐ戻って来たと思ったら、鍔姫ちゃんと一緒だった。 「ああ、鍔姫ちゃんも来てくれるのか」 「理由はわかるでしょう?」 「そりゃもう」 鍔姫ちゃんなら、相手が嘘を言えばすぐにわかる。 なるほど、立ち会いにはうってつけだ。 「では、行きましょう」 客室の前へ行き、モー子が扉をノックする。 「――はい?」 室内から執事の声で返事があった。 「夜分失礼します。特査の鹿ケ谷ですが」 「……………………」 室内で小声と何か動く気配があり、今度は執事ではなくハイジの声がした。 「あなた達と話すことなんてなにもありませんっ!!」 「……だ、そうです」 「そっちになくてもこっちにはあるんだよ」 「そんな勝手な都合は知りません! 帰ってちょうだい!」 「……では、情報交換ということでいかがです?」 「だから話すことなんて……何よルイ!?」 「情報交換とは?」 「ちょっと何を勝手に……!」 「こちらの持っている情報をいくつかお教えしてもいいと思っています。私達も知りたいことがありますので」 「……執事は聞く気ありそうだな」 「すごい勢いで引きずられたような音がしたんだが大丈夫なのか、あれは……」 「まあ、相談しているようですし、待ちましょう」 相談なのか、執事が冷静に状況を判断しての説得なのか微妙なところだが。 室内からはしばらくひそひそ話しあっているような声が聞こえていた。 そして、かちゃりとノブが回り、小さく扉が開かれた。 いつにも増して無表情な執事が、さっと俺達の顔を一通り一瞥しながら室内へと促す。 「失礼します」 「お邪魔します」 俺達と一緒にいる鍔姫ちゃんを見て、ハイジはため息混じりに言った。 「前にも言ったが、私にはあなたの言うことがさっぱり理解出来ないのでね」 「……………………」 何事か言い返そうとしたようだが、執事ににらまれハイジはその言葉を飲み込んだ。 そして代わりに棘のある声でモー子に向かって言う。 「それで一体何を教えていただけるの?」 とっとと用件だけ済ませて追い返そう、という雰囲気だ。 さきほどの室内での話し合いは、おおかたそういった趣旨だったのだろう。 執事の方も警戒心を露わに、俺達を斜からながめるような格好でいつでも飛び出せる位置にいる。 「その前に。そもそもあなた方の目的は何ですか? 時計塔を気にしていたのは何故です?」 「答える義務は無いと思いますが?」 「それがわからないと、何があなた方にとって有益な情報なのか判断できません」 「答えることによって、こちらが不利になるという事も考えられますけれど?」 「それは不利になるような理由だということですか?」 「そんなことは、そちらの受け取り方しだいじゃありません?」 腹の探り合いが続くばかりで、一向に本題に入りそうになかった。 これはキリがないな……。 「情報交換だってんだから、こっちから出せるもんが何かは先に言うべきだろ」 「……なら、お任せします」 「ん、あのなハイジ。あの時お前らが入った時計塔は偽物だ」 「は!?」 「………………ほお」 目を丸くするハイジ。 執事の方も少なからず驚いたようで、感心した声を出した。 「ついでに言うと、俺は本物の時計塔に入ったことがあるが、中からは鐘楼には出れない作りになってた」 「壁を無事に登れても、鐘楼から中には入れないぜ。多分な」 「……………………」 モー子は話す俺の隣で、ハイジ達の様子をじっと観察していた。 「それが本物の情報だと言う証拠は?」 「俺達が必死に時計塔に入るのを止めようとしてたのは、なんでだと思うんだよ」 「……………………」 「お前らだって、時計塔が怪しいと思ったから無理にでも入ろうとしてたんだろ?」 「……………………」 「では、その本物の時計塔の中には何がありました?」 「それは……」 答えようとしたところで、すっとモー子の手が腕に触れ止められた。 「それはご自分の目で確かめられればどうです?」 「自分の?」 「あなた方を本物の時計塔にお連れしても、かまいません。秘密を守っていただけるのでしたら」 「……………………」 「その代わり、教えていただけませんか」 「……何を?」 「あなた方の言う『犠牲』とは何を指しているのか」 「……………………」 「……………………」 ハイジは少し困惑しているようで、同じように黙り込んでいるルイに目を向けた。 俺は鍔姫ちゃんの横顔を盗み見てみる。 視線に気付いた鍔姫ちゃんは小さく首を振った。 不審な気配はない、という顔だった。 「……しばらく考える時間をいただけますか」 「わかりました。では、方針が決まったら声を掛けて下さい」 いきましょう、とモー子が先に立って扉へ向かい、俺と鍔姫ちゃんも後に続いた。 「……………………」 特査の連中が去った扉を見据えたまま、しばし考え込む。 アーデルハイトは落ち着きなく室内をぐるぐると歩き回っていた。 「何とも言えん、ただ犠牲とは何なのかという質問が気になる」 「私達がどこまで掴んでいるのか、確認しようとしているのじゃない?」 「そうかもしれないが」 それにしては学園側の動きのなさが気になる。 『自分達は勘付いている』と学園側にはバレているはずなのに、いつまで経っても学園側は我々に何もしてこない。 (時計塔には近づいただけで、あの反応だったというのに……) 「……ルイ?」 (思い違いなのか……? 特査は敵ではないのかもしれない……) ベッドにふて寝しに行ったのだろう。 (……さっきの話、受けてみるべきか……) 本物の時計塔とやらは、やはり気になる……。 ……翌日になっても、お嬢様達からのアプローチはまだないまま夜を迎えてしまった。 俺達は、念のため図書館で資料を漁ってみていたが収穫は特になし。 「とにかく広すぎるもんねぇ……」 「しらみ潰しだと、何日かかるかわからんな」 一旦休憩、と分室へ戻ってきたところである。 何故か何も言わないうちから、村雲は自然にティーポットの前に立っていた。 「……パシリが板についてきたなぁ」 「あぁ? 何か言ったか?」 「いや別に?」 「嘘つけ! なんか絶対言って……」 村雲が噛みついてこようとしたところに、遠慮がちな小さいノックの音が響いた。 「はい、どうぞ?」 扉が開いて顔をのぞかせたのは春日だった。 申し訳なさそうな、困ったような顔をしている。 「春日さん、どうしたんですか?」 「それが、あの、また失くし物の相談なんですけど……」 「あー、言え。早く言え、妖精来る前に」 「は、はい!」 こいつは遺品呼び出した実績があるからなあ。 しかもあの妖精、けっこう気軽に出てきやがるし。 「実は、昨日、資料を捜しに図書館に行った時ノートなくしちゃったんです」 「図書館でですか?」 「はい、資料捜す時にあれこれ本を出して見てて、途中までノートは手に持ってた気がするんですけど、さっき鞄見たら無かったんです……」 「器用な無くし方するなあ……」 「すみません〜! 一緒に捜していただけないですか?」 「えーと、あっち側の棚の奥の扉の中です」 「扉?」 「……そこは図書館ではなく物置ですが……」 「あっ、そうです! 真由美そこ違う、って友達に突っ込まれて慌てて出たんでした!」 「それでノートのこと忘れて飛び出しちゃったんだね……」 「器用どころじゃねえよ!」 「ごめんなさい〜!」 「あー、いいよいいよ。捜してやるよ」 「しょーがねえなあ……」 妖精が来ないうちに、とぞろぞろ図書館へ向かう。 「ここかぁ」 「うは、ほこりっぽいね……」 図書館の奥の方にある物置に入り込む。 中にはとりあえず灯りはあったものの、全体的にどこか薄暗い印象で埃が舞っていた。 「普段あまり使われていないそうですから」 「で、ノートか。どの辺にいたんだ、お前は?」 「えっと、こっちの方だと思います」 「どんなノート?」 「青い表紙の、普通の大学ノートです」 「大学ノートねえ……見あたらねーな」 「その辺に積んである本の下敷きになっていませんか?」 ごそごそ全員で本をどけたり何が入ってるかわからない段ボールをのぞいたりしながら、春日のノートを捜す。 「こっちの箱にはないよー」 「これも白紙のわら半紙しか入ってねーな」 「あ、あの青いのはどうですか?」 「どれだ?」 「奥の方で崩れている本の下敷きになってるんですが」 「ちょっと待てよ……よいしょ!」 「だいじょーぶ、みっちー力仕事得意だから」 「ノート捜しって力仕事か……?」 「文句言ってねーで早く掘り出せよ」 「んじゃ、この紙束持ってろ。邪魔なんだよ」 「よっと、もうちょい……あ、あった」 崩れた本の下敷きになっていたのは、まさしく大学ノートだった。 「大丈夫です、姿は見えません」 「ありがとうございましたー! わたし一人じゃ掘り出せないところに……」 「つか、なんであんな奥に行くんだ」 「本の上に置いたら崩れちまったんだろ、多分」 「よかったですね。さあ、授業に遅れないように」 「はいっ! 失礼します!」 「……とりあえず、戻しましょう」 「あ、だいぶ動かしまくったからな」 「うわぁ、面倒くせえ……」 「どこに何があったか覚えてる?」 「全然。適当に掘り返したし」 「だいたいわかりますから……」 モー子の指示で、だいたいの場所に本だの箱だのを戻していく。 「えーと、これなんだ? どこにあったっけ?」 プリントに包まれた紙の束らしきものを持ち上げて聞くと、モー子は怪訝そうに首を傾げた。 「そんなものありました?」 「それは元からその辺にあったんじゃねーの?」 「そうかな?」 「なんなのそれ?」 紙束をくるんでいるプリントの隙間から見えている文字は『文集』と読める。 「古い文集みたいなんだが」 「古い……? いつのものですか?」 「あっ! もしかしてここになら、20年前の何かとか残ってるんじゃ……」 「ちょっと待て、開けてみる!」 プリントをはがして中身を取り出してみた。 薄い冊子が十冊くらい、表紙には…… 「1972年度文集……」 「え、えーと……72年って……」 「40年は前だぞ」 「……古すぎますね」 「あ、しかもこれ全部同じだわ」 「なんだ、単なる在庫か?」 「みたいだな。余ったのに処分し忘れたか何かだろ」 一冊手にとってモー子に渡す。 ぺらぺらとめくって見ていたモー子の表情にくっきりと落胆の色が浮かぶ。 「問題なく、40年ほど前の文集ですね」 「ちぇ、他に何かねーのかよ?」 「捜してみるか」 他の箱を開けてみたり、大量に置いてある古い本をめくってみたりと捜索するも成果はなかった。 「20年前のだったとしても、数学のテストじゃ手がかりにならねえなあ」 「やはり徹底的に20年前の情報だけは隠蔽されているようですね……」 「その火事が原因で何か隠さなきゃならんようなことが起きたのか?」 「そもそも火事がただの事故ではなかったということも……」 「これなんだっけ? なんか可愛い絵が描いてあるけど」 「ああ、それさっきの文集包んでたプリント。絵なんかあったか?」 「絵が内側になってたんじゃない? ほら、折りたたんで跡がこっち向いてる」 「ああ、そっか」 「ふーん……『92年度 天秤瑠璃学園学園祭』だって。これ学園祭の劇か何かの絵かなぁ」 「……烏丸くん!」 「へっ?」 「今、何年度と言いました?」 「えっ、き、92年……って、描いてある、けど……?」 「ちょうど20年前じゃねーかよ!!」 「ええっ!?」 「ちょ、ちょっと見せてみろ」 おまるが手に持ったプリントをのぞき込む。 内側に折りたたまれた跡がついた方に、ドレスを着たお姫様か何かの絵が描いてあった。 そして、絵の片隅には作者名が記入されている。 「………そんな……」 「えっ……これ……」 『表紙イラスト/1年2組 風呂屋町眠子』 「風呂屋!?」 「こ、これ、20年前のだよね!?」 「その、はず……だけど……」 「1992年度、間違いありません」 「じゃあ、えっと、同姓同名……にしては、珍しい名前すぎるよね……」 「けど、本人だったらどういうことになるんだよ?」 「だ、だけどよ、この絵……前に夢の中で見たアイツのドレスそっくりだぞ……」 「……確かに……」 「……………………」 見れば見るほど、その絵は夢の中でカボチャの馬車に乗った風呂屋が着ていたドレスと同じに見えた。 「えっ?」 「授業です。夜の授業は……」 「あ、やべ、終わってるぞ」 「……風呂屋町さんに聞くことは今夜は無理ですね……」 「もう寮に戻ってる頃だね……」 「どうするよ?」 「……少し落ち着きましょう」 少々苦い顔のまま、モー子は小さくため息をつき、気持ちを切り替えるように言った。 「混乱した頭では、何を聞くべきかも正しく考えられません」 「……だな。どっちにしろ風呂屋に会えるのは早くても明日の夜だ」 「ええ、その前にまずは一晩頭を冷やして、夜になるまでに出来ることをやりましょう」 今から出来ることは残念ながら特にない。 ひとまず解散して休もう、と俺達は混乱したまま寮へと引き上げた……。 「……眠い」 あんな状態ではろくに眠れるはずもなく、悩んだまま朝を迎える羽目になった。 「授業中寝てたんじゃねーだろな」 「覚えてない」 「それ絶対寝てるよね……」 休み時間に細切れに聞くよりは、と俺達は放課後を待って地下へと集まった。 「では、リトさんの所へ」 代表して預かっていたモー子が、例のプリントを取り出しリトに見せに行く。 「リトさん、これを見て下さい。このプリントは20年前のものでしょうか?」 「……………………」 リトはじっとお姫様の描かれたプリントを見つめ、やがて首を振った。 「わからない……。私の中には、これについての記録がない」 「消されてるってことか?」 「おそらく。これも削除された書類の一部だから、答えられないのでしょう」 「そっかぁ、じゃあわからないね」 「質問を変えてみましょう」 少し考えて、モー子は慎重な口調でリトに切り出した。 「あなたは、20年前にもこの学園にいたのですよね? 20年前、学園で風呂屋町眠子を見かけたことは?」 「……ないわ。ほとんど図書館にいて生徒とはあまり交流がなかったの」 「20年前の事故について、何でもいいです、何があったか知っていることは?」 「詳しくは知らないわ。落雷で火事があったという話は聞いたけれど。お母様もその事故で亡くなった、って」 「他に亡くなった人は、誰か知りませんか?」 「身元の判明した犠牲者のリストなら、当時生徒用にと渡されたので持ってるわ」 そう言って、リトは幾人かの名前を読み上げるように淡々と並べた。 「聞いたことない名前ばっかだな」 「お前が知らないってことは、風呂屋みたいにこの学園にいるヤツと同じ名前ってのは居ないな」 「任せろ、今居る生徒の名前なら覚えてる」 モー子が言い、リトは名前を挙げるのを止め彼女の方へ視線を向ける。 「『身元が判明した』ということは、身元が判明しなかった犠牲者もいるということですか?」 「現場は火の勢いが強すぎて、遺体の判別が難しかったそうよ」 さきほど名前を挙げたのと同じ淡々とした口調でリトは答える。 彼女にとってはそれは情報であり、思い出とは違うものなのだろう。 「死体すら満足に出なかった生徒が多数いて、そういう生徒は行方不明者ということになっていると聞いてるわ」 「その行方不明者のリストは持っていますか? おそらく犠牲者のリストと共に渡されているかと思いますが」 「……………………」 そうモー子が聞くと、リトはまた困ったように首を傾げる。 「まさか、それもインクで塗りつぶされているのですか?」 「…………ええ。私の中に、ない」 「なんだそりゃ……行方不明者のリストだけが……?」 「な、なんか……不気味だね……」 「ああ」 「……………………」 モー子は口許に細い指先をあて、顎をなぞるように何度も小さく往復させる。 頭の中がフル回転している気配を察したので、しばらく何も言わずにそれを見守った。 「分室へ戻りましょう」 ぽつりと呟くように言い、村雲に向かって鍔姫ちゃんに伝言をと頼む。 「大事な話になりそうなので、壬生さんと村雲さんにも居て欲しいのです」 「……わかった」 村雲が鍔姫ちゃんに知らせ、二人にも分室へ来てもらうことになった。 「お呼び立てしてすみません」 「いいよー、大事な話なんでしょ?」 「はい、実は……」 分室には、鍔姫ちゃんとスミちゃんを含む全員が勢揃いしていた。 みなが席に腰を下ろすと、モー子はさっそく今まで調べたことの経緯を改めてスミちゃん達にもわかるようざっと説明する。 「――これまでの事から、一つの仮説が成り立ちます」 「誰かが20年前の事故のことを念入りに隠している。これは学園の関係者である可能性が高いです」 「そうだな。念の入れ方や、やり口からして学園関係者以外不可能だろう」 「ええ……20年前の事故だけでなく、20年前のすべてのもの、学園祭のパンフレットでさえ隠されていますから」 「これはつまり、生徒の足跡そのものが知られたくない秘密であることを指しています」 「そして……」 と、モー子は例の学園祭パンフレットの表紙を取り出して机の上に広げる。 「これが偶然見つけた、唯一の20年前の痕跡です」 「うわ、本当だ。カボチャの馬車に乗ってた子だね」 「風呂屋町さん……か」 「20年前の学園祭のイラスト。この名前で同姓同名は考えにくいです。ここはひとまず同一人物と仮定します」 「うん、でも、そうすると……」 「そうです、風呂屋町さんは20年前にこの学園に通っていた人間ということになります」 「そして、火事で身元の判明した死亡者のリストは消されていないのに、行方不明者のリストは消されています」 「つまり、行方不明者のリストの名前は、知られては困る名前が載っている……」 「それが、風呂屋町だってのか?」 「え、じゃあ、夜の生徒って……」 「……夜の世界の人間は、本当は異世界からやってきたのではなく……その正体は、つまり……」 「全員がか!? 風呂屋だけじゃなく?」 「え、あの、射場先輩やヒナさんも?」 「えええ、でも、なんで!? 火事で行方不明になった人達が、なんで夜の学園に通ってんの?」 騒然となり、めいめいが思いついた疑問を次々と口にする。 「少なくとも……私が会った限りでは、夜の生徒には私達に隠し事をしている気配がある者はいなかったと思うよ……」 「だったら、自分達が20年前の生徒って知ってて隠してる人はいないってことだね」 「えっと、そもそも夜の世界って、学園長が言ってたような異空間を作るために呼び出してるんじゃ、ない?」 「モー子の言うとおり、夜の生徒が20年前の生徒なら、異空間を作るためだけが理由じゃなさそうだけどな」 「いや仮に20年前の生徒だとして、タイムスリップとかさせて来てるって事なのか?」 「だとしたら、火事が起きる前の生徒を今の時代に呼んでいるのかな?」 「いえ、それもあり得ないことではないとは思いますが……」 「違うと思うのか?」 「それならば、身元の判明した犠牲者のリストも消すべきでは?」 「死亡者リストが消されていない理由は、夜の生徒の中にそのリストに名前のある人物がいないから、そう考えると辻褄が合います」 「……………………そう、だな」 「火事の前にタイムスリップ出来るなら、死んじゃった生徒も呼べばいいってことになるよね。そうすれば助かるはずだし」 「あ、そうか……」 「ですが実際は、リトさんの記憶にある身元の判明した犠牲者の名は、現在の学園には誰も居ません」 「……じゃあ、今の夜の生徒は……」 「……20年経っているというのに、姿が変わらず学生のままのように見えるのは、死亡した当時のまま、なのではないかと……」 「……もう、死んでるっていうのか。彼女達は、みんな…………」 「まだ確証は得られていませんし、これらはあくまで私の考え、ですが……」 「……………………」 悲痛な顔をしたまま強ばるおまる。 鍔姫ちゃんの呟きで、他の面々も一様にうなだれ言葉を失った。 その沈黙を嫌ってか、スミちゃんは少し早口に疑問を投げかけた。 「火事で亡くなったのに違いがないなら、夜の人の中に身元の判明した人がいてもおかしくないんじゃない?」 「それは、おそらく魔術的な何かの条件があるのではないかと考えられます」 「魔術的?」 「例えば身元が判明したことによって、『死』という事実が決定してしまったら、その事実を歪めることは出来ない、などです。あくまで仮説ですが」 「……事象が確定されていない行方不明者にしか発動出来ない魔術だってことか」 「もちろん条件は詳細にはわかりませんし、夜の生徒に身元判明者がいないこと自体、単に確率上の問題かもしれませんが」 「確かに、身元の判明した犠牲者はリトが名前挙げただけなら数人しかいないようだったしな……」 また一瞬、誰も声を発しない沈黙が降りる。 ぽつりと口を開いたのは今度はおまるだった。 「ちょっと待って、じゃあ夜の人達が西寮に帰ってるのは結局どういうことなの?」 「どういうって、なんだよ?」 「今の話だと、彼らがやってきて帰る異世界っていうのは学園側の嘘ってことだよね。じゃあ異世界じゃなくて20年前に帰ってるの?」 「それは……まだ、何とも言えませんね……」 考えながらモー子は話す。 「ただ、少なくともあの西寮の警備から考えて、あそこが学園にとって大切な場所であるという事は間違いないとは思います」 「んー……てことは、だ……」 村雲も何やら考え込んだ顔をしながら、ほとんど独り言のように喋っていた。 「何とかして西寮に入れれば何かわかるかもしれねーのか……。でも、あそこの警備は本当に厳重だしなぁ」 「常に複数の風紀委員が見張りに立っているし、何かあればすぐに増援がかけつける手筈になっているからな」 うんうん、と鍔姫ちゃんも同意して、元風紀委員二人は揃って難しい顔になる。 すると、事も無げにモー子が言い出した。 「なるほど、西寮に潜入してみるのはいいかもしれません」 「今の話聞いてなかったのかよ!? 警備厳重だっつってんだろ!?」 「そんなものは関係ないです」 「は?」 「西寮にはあの人が居ますから」 「もも先輩のことか? 風紀委員長の」 「常にいるとは限らないでしょう。しかも侵入を取り締まる立場である彼女にバレたら意味がありませんよ」 「……そうだな」 「ホムンクルスの遺品の件で、特査に来た諏訪葵さん……彼女は確か西寮の生徒でしょう?」 「ああ! そうか、あいつか」 「……しっかりして下さい」 「ハイジか?」 「何故そうなるんですか、彼女の部屋は東寮ですよ」 「客室だろうが、お前行ってきたとこじゃねーのかよ」 「そ、そうだった」 「ホムンクルスの遺品の件で、特査に来た諏訪葵さん……彼女は確か西寮の生徒でしょう?」 「あー、あいつか! そういやそうだった!」 「……それくらい覚えていて下さい」 「あいつだろ、諏訪葵。ホムンクルス騒ぎの時の」 「そうです、彼女は西寮の生徒です」 「ならば、ヤヌスの鍵さえあれば、誰にも知られずに入れるではありませんか。西寮の彼女の部屋へ」 「そっか、あの鍵ってあの人の居るとこって念じればどこでも行けるんだったね」 スミちゃんがさっそく、ヤヌスの鍵を下げた紐を首から外す。 「待って下さい」 モー子が小声で素早くスミちゃんに言い、扉を見据える。 「入ってもよろしいかしら?」 「いえ、ここにいて下さい」 「え? いいの?」 「はい。――どうぞ、開いています」 扉が開き、執事を従えたハイジが入って来た。 まだ明らかに警戒した表情だったが、先日ほど敵意むき出しと言った攻撃的な気配だけは消えていた。 「……………………」 執事の方はちらりと室内にいるメンツを一瞥し、確認している。 スミちゃんの所で一瞬視線を止めたようにも見えたが何を思ったかまではわからない。 「……先日のお返事ですか?」 「まだ完全に信用したわけではありませんからね?」 念を押すように言い、お嬢様はこほんと咳払いすると切り出した。 「情報を交換する前に、一つ頼みがあってきたのです」 「頼み、ですか。時計塔とは別の件という意味ですか?」 「ええ、もちろん時計塔もですけれど、西寮の方にもどうにかして入りたいの」 「えっ?」 「西寮?」 「そうよ。西寮の前で、遺品絡みでも何でもいいから何か騒ぎを起こしてくれない?」 「……………………」 思いがけず、目標が同じ西寮と知り、俺達は思わず顔を見合わせる。 「……奇遇ですね。私達も今まさに西寮へ入りたいと話し合っていたところです」 「はあ?」 「……………………」 ぴくり、と黙ってみていたルイの片眉が微かに上がった。 「て、適当なことを言って私達を見張るつもりじゃないでしょうね?」 「西寮の前で騒ぎ起こせって言うなら、どうせ一緒に行動することになるだろ」 「……それは、まあ……」 「嘘ではないよ。それに、騒ぎに便乗して侵入するというやり方が通用するとは思えないな」 「風紀の警備網なめんなよ? 全員が騒ぎに寄ってくるほど馬鹿じゃねーぞ」 「……………………」 「では、そちらにはもっと有効な侵入方法があるということですね」 そう言うルイの視線は、完全にスミちゃんの方を向いていた。 「お察しの通りです」 お嬢様の方も、執事の視線の先を辿って察しがついたらしい。 「なるほど、それに我々も同行させてもらえると?」 「交換条件としてですよ? 後ほどお話を伺わせていただきます」 「……よろしいですね、フラウ」 「そうね、いいわよ。元からそのつもりで来たのだし」 「では、もう一つ。西寮内ではこちらの行動に従って、勝手に動かないと約束して下さい」 「うん、そうしてもらえないと風紀の警備網に引っかかって捕まっても助けることも出来ないよ」 「わかったわ。勝手に動き回ることはしません」 「こちらとしても、事を荒立てるのは本意ではございませんので」 「……いいでしょう。ならもう少し慎重に行きましょう」 「すぐ行かないの?」 「学園側が徹底的に隠そうとしている秘密に踏み込むかもしれないのです。こちらの行動を悟られないように……」 「でねー、その時お友達がいっせいに踊り出しちゃってさー」 「うふふ、大変ですね」 「それで、どーなったんだ?」 「みんな見た目は怪物っぽいじゃない? でも踊ってるとすっごい可愛いのよねー」 「へー、見てみたいなー」 「村雲さん、大丈夫かな?」 「少しの間なら誤魔化せるでしょう」 学園側が、こっそり分室を監視していたり唐突に学園長が訪ねてきたりなどという事態に備え、みんな分室にいるフリをすることにした。 した、と言っても実際に分室に残っているのはスミちゃんだけで、他の俺達は彼女が操っている人形である。 「言っとくが、あいつ演技力とかねーぞ」 「スミちゃんは正直だからなあ」 なんだかんだ準備しているうちに、夜が来る直前の時間になってしまっていた。 「お前らがなかなか信用しないから……」 「まだ信用した訳じゃないですと最初に言ったでしょうっ!」 お嬢様方がこの調子だったので、ヤヌスの鍵を何度か試して機能を把握してもらったりもしていたので余計に時間が掛かったのである。 「異世界が嘘だとすれば、西寮にいても異世界に取り残されたりはしないはずです」 「それならば、いっそ夜の世界が来ている最中、どうなっているのかしっかりとこの目で確認すべきでしょう」 「それは同意するわ。だけど時計塔の時みたいに偽の場所につれていかれても困るから……」 「鍵は私達に使わせて下さらない?」 「かまいませんよ。後できちんと返していただければ」 「そこは信用していただきたい。窃盗などというヴァインベルガー家の不名誉にしかならない真似はいたしません」 モー子の差し出した鍵を受け取りながら、慇懃に執事が言う。 やけにモー子があっさり鍵を渡したと思ったが、なるほど、名家だけにそういう点は信用して問題なさそうだ。 「そろそろ夜が来ます。さあ、行きましょう」 「……ja」 ルイは右手に鍵を持ち、空中に差し込む仕草をしながら念を込めた。 「諏訪葵の部屋へ」 執事は音を立てないよう、慎重に扉を押し開いた。 「……………………」 少し室内をのぞき、こちらを手招くと自分は先に部屋の中へと進む。 俺達が後に続くと、部屋の灯りは消えており諏訪葵はベッドで眠っているようだった。 「え、もう寝てるの?」 「やけに早いな」 「……っ!!」 外から鳴り響いてきた鐘の音に、驚いて声を上げそうになったおまるが慌てて両手で自分の口を押さえる。 「!? なにか……」 「えっ?」 鍔姫ちゃんが急に警戒した声を出す。 すると途端に、部屋の床全体にぼんやりとした光が浮かび、それは徐々に円形の何かを形作り始めた。 「――いけない! 皆、扉の中に戻って!」 鋭く叫び、後ずさるハイジ。 ただ事ではないと俺達も彼女に続き、扉の向こうの客室内へ退避する。 「なんです?」 「魔法陣よ。あのままあの場にいたら巻き込まれてしまうわ」 開いたままの扉から見ると、浮かび上がった円形の光は確かに複雑な紋様の並んだ魔法陣のようだった。 「一体何の魔術……あっ!?」 ふわん、と魔法陣がひときわ明るい光を放ち、それは諏訪葵の眠るベッドを包み込む。 光に包まれた彼女の輪郭が次第にぼやけてゆく。 「えっ……な、なんか違う……」 淡く、光が弱まると、ぼやけていた輪郭も徐々にはっきり見えてくる。 しかし、そこに眠っている姿は…… 「そんな……風呂屋町、さん……?」 「な……なんだこれ……」 ベッドに横たわっている人物は、今や諏訪葵ではなく間違いなく風呂屋町眠子の姿をしていた。 「…………ん……ぅー……ん」 「いけない、目を覚ますぞ!」 「扉を閉めて!」 「あ、ああ」 呆然としていた執事が、急いで扉を閉ざす。 「おはよー!」 「ねえ、あの課題やってきたー?」 驚愕のままに、俺達は誰からともなく部屋を出て、廊下で夜の生徒達が登校してくる姿をながめていた。 「普通に……みんな、普通に来てるね……」 「……………………」 いつも通りの見慣れた光景。 夜の生徒達はにぎやかに挨拶を交わし、他愛もない会話をしながら教室へと向かっている。 「あっ、風呂屋町さん……」 その中には、もちろん風呂屋の姿もあった。 風呂屋は俺達を見つけると、人なつっこく手を振り駆け寄ってきた。 「……おはようございます。あの、風呂屋町さん……」 「はいっ、なんでしょう?」 にこにこと屈託のない笑顔を浮かべる彼女に、さすがのモー子も平静を装うのに苦労しているようだった。 「変なことを聞きますけれど、今って西暦何年でしたっけ?」 「はい? せーれき……?」 きょとん、と風呂屋は頭上にハテナマークが浮かんだような顔をする。 西暦がなんだったか思い出せないかのような顔だった。 「ええと、では、あなたは何年度入学ですか?」 「い、いえ、粘土ではなく、何年にこの学園に入学しましたか、という……」 「ああ、えっと、今年ですよ!」 「……それは、何年です?」 「? えっと、だから今ですけど……?」 「……無駄よ」 「無駄?」 質問しているモー子を見ながら、ハイジは少し辛そうな表情で呟いた。 「暗示を掛けられているの。何年、だとか、今がいつか、だとか、そういった概念がわからないのよ」 「そのような魔術の痕跡は、何重にも学園内にあった」 「お前達が調べてたのはそっちか」 「ええ、暗示の魔術の気配。相当に厳重で複雑なものよ」 「……………………」 どういう聞き方でも駄目らしい、と悟ったモー子は遅れないようにと風呂屋を教室へと送り出した。 「やはり間違いない。夜の生徒は実体を持たない魂だけの存在で、西寮の昼の生徒を媒体に降ろされているんだ」 「さっきの魔法陣は、そのための装置か」 「そういうことに、なりますね……」 「……では夜の生徒達は……鹿ケ谷さんの推理どおり、20年前に火事で死んだ生徒達……」 あいつらが、実はもうこの世にいない。 誰もがその場を動くことが出来ず、呆然と夜の校舎を見つめていた。 そして、いつも通りの授業のチャイムが鳴る…… ――見張り1日目―― ――見張り2日目―― ――見張り3日目―― ――見張り4日目―― ――見張り5日目―― 愕然としたまま、俺達は東寮へと戻った。 スミちゃんも交え、ハイジ達の客室へ集合したものの、しばし無言のまま沈黙が続く。 沈黙を破ったのはハイジだった。 「あなた方、知らなかったの? 西寮の生徒に夜の生徒が降ろされていたのを……」 「し、知りませんでしたよ!」 「さっき見て初めて知った……ってか、未だに信じられないくらいなんだがな」 俺達が口々にそう言うと、ハイジはルイと顔を見合わせた。 どうやら嘘ではなさそうだと言うことは伝わったようで、二人は神妙な表情になる。 「そちらの言っていた『誰かを犠牲に』とはあのことですか」 「もちろんよ!」 「……それであんなに怒ってたんだ……」 ハイジはかあっと頬を染めて、あたふたと両手を振った。 「あ、あれは……そりゃあ、あんなことに荷担してると思ったら……!」 さすがに思い込みでさんざん最低だのなんだの言い放ったのが気まずいらしく、だんだんと語尾が小声になる。 「うん、誤解よ」 「そっちが勝手に誤解してたんだろーが!?」 「……それについては謝罪します。あの驚き方は演技とは思えない」 執事の方は、主人より冷静に認め、頭を下げた。 「ま、まあ……それは、その、認めないこともないですけれど……」 「こらこら村雲、もめてる場合じゃないんだぞ」 「一言多いのよ、お前はっ!」 「とにかく、誤解が解けたならもう争う必要はないでしょう。これからどうするか、お互い冷静になって話し合うべきです」 「そ、そうだね……。まさか、あんな……」 「……………………」 目の当たりにしてしまった現実を思い出し、また一瞬全員の言葉が途切れる。 おずおずと、おまるが切り出した。 「あの時、床に浮かび上がった魔法陣が、風呂屋町さんを諏訪さんの身体に降ろしてる魔術ってことなの?」 「そういうことなのですよね?」 モー子がハイジの方を見て聞くと、ハイジは頷き更に踏み込んだ話をする。 「……私達が調べた限りでは、あの生徒達には少なくとも四つの魔術が重ねて掛けられているわ」 「四つ!?」 「どういうものです?」 「魂の召喚と、意識の占拠、外見の偽装、そして暗示といったところね」 「もうちょい詳しく聞いて良いか?」 「ええ、どうぞ。何から説明しましょうか?」 「そうだな……」 「魂の召喚ってのは?」 「どこからか魂のみを呼び出しているのよ」 「あの部屋で言えば、風呂屋町眠子の魂を呼び出しているという事ね」 「呼び出すには何か指標のようなものが必要だから、あの寮にああいった仕掛けがあったということは……」 「呼び出しているのは、かつて部屋の持ち主であった人という可能性が高いのではないかしら」 「つまり、諏訪の部屋は、以前の持ち主が風呂屋だったってことか」 「おそらくね」 「意識の占拠ってのは?」 「あなたは一度体験しているでしょう。私の香水で、ですけれど」 「あ……ああ、あれか」 「えっ、ちょっ……なんだこれ!?」 こいつらの送りつけて来た香水で、俺の意識がスミちゃん達に入ってしまった事件のことだ。 「つまりああいう状態で、昼の生徒には夜の生徒が降りている間意識がまったくなくなっているはずよ」 「なるほどー。確かに私もみーくんになってた時のこと、まったく何も覚えてないなあ」 「うん、私もだ」 「外見の偽装ってのは?」 「そのままの意味よ。外見を魂の持ち主の姿に変えているの」 「私達の見た例で言うと、諏訪さんの姿を風呂屋町さんの外見に偽装しているのですね」 「そういうことね」 風呂屋と会話したときに少し話を聞いたが、念のためもう一度確認しておくか。 「暗示ってのは?」 「自分がどこから来たのか、とかそういう細かいことがわからなくなる暗示を掛けられているのよ」 「あ、だから夜の生徒に家がどこだとか聞いてもズレた答えしか返ってこないのか」 「ええ、あれは明らかに不自然だったでしょう?」 「なるほど、あれも魔術的な暗示のせいなのか……」 他に聞いておくことは…… 「……ありがとうございます。だいたいのところは把握出来ました」 そう言ってモー子は、聞いたことを吟味するかのように口許に手を当て沈黙する。 正直、すべて飲み込むのには少々時間が掛かる話だった。 頭では理解出来ても、風呂屋は実は魂だけで身体は諏訪のものだった、なんて感情的には受け入れがたいどころの話じゃないしな。 ふと、既に真っ暗になっている窓の外を見てスミちゃんが言った。 答える鍔姫ちゃんの態度は、珍しく歯切れが悪い。 無理もない話だが……。 「仕事?」 「んー、私達、スケープゴートっていうのをやってるんだけど知ってる?」 「なんです、それは?」 「あ、そっちは知らなかったのか」 「名称からして穏やかではなさそうですね」 「そうでもない……はずだったんだけどねえ」 「簡単に言うと、時計塔の中にある魔法陣に魔力を注ぐ係なんだ」 「時計塔の? それって、つまり……」 「そうなのよ。夜の世界を召喚してる魔術装置の本体ってこと。西寮の魔法陣と関連性があるかどうかまではわからないけど……」 「さっきのあの光景を見てしまった以上、いつも通りこなしていいものなのか……」 そう、魔力を注ぐと言うことは、今まで通りさっき見た昼の生徒に夜の生徒を降ろすという行為を存続することになるはずだ。 「えっと、でも、何もしなかったらどうなるんでしょう? 夜の世界が来なくなるとか?」 「わからないわ。その魔法陣というのを見てみないと」 「是非拝見したいですね」 そう言われ、モー子は数瞬考えたが、すぐに頷いた。 「……そうですね。この際見ていただいた方がいいかもしれません」 「じゃあ、みんなで行く?」 スミちゃんは襟元からヤヌスの鍵を取り出した。 「そうしましょう。ただし気をつけて下さい、時計塔の魔法陣に入ると私達は一瞬で意識を失ってしまいます」 「強制的に魔力を吸われるってこと?」 「そうです。壬生さん達のような魔女でなければ耐えられません」 「……わかったわ。中には入らないようにします」 「ん、じゃあ行くよ」 スミちゃんが空中に鍵を差し込む仕草をすると、ふっと扉が現れた。 ヤヌスの鍵で開いた扉から、魔法陣の間へと移動する。 「これは……」 「……予想以上に巨大、ですね」 ハイジ達は魔法陣の大きさに目を丸くし、さっそく近づいて魔法陣の周りを歩き回り熱心に見ていた。 「どうですか? どういった作りかわかりますか?」 魔法陣の周りを一周して戻って来たハイジに、モー子が尋ねた。 「考えていたよりも、はるかに複雑で精巧なつくりのものね。……これは少し厄介かもしれないわ」 「ただ、さっきの西寮の魔法陣も……全ての夜の世界の魔術はこの魔法陣で形成されていることは確かだと思います」 答えながらハイジは、魔法陣からスミちゃんと鍔姫ちゃんの方へ視線を向ける。 「そちらのお二人がここに魔力を注いでいるのね?」 「ああ、そうだよ。私とスミちゃんで」 「これを書いたのは、あなた方ではないのよね?」 「ううん、違うわよ。私が来た時にはもう魔法陣あったもん」 「そう……。では、これほどのものを作れる魔術師が向こう側にはいるという認識をしておいた方がよさそうね」 「相当な力を持っている魔術師、ということですか」 「魔力も知識も、とんでもないと思っておいた方がよろしいかと」 「ルイ、この魔法陣、何とか今すぐに破壊はできないの……?」 「パッと見ただけでは詳しいことはわかりませんが、この魔法陣にはいくつもの仕掛けがしてあります。ここで安易に手を出すのは上策ではないかと」 「例えばどんなものです?」 「簡単にわかるところで言うと、魔法陣に傷が入った場合、すぐにどこかに知らせが飛ぶようになるようなものだとか、ですね」 「簡単じゃなかったらもっとヤバいのか?」 「ば、爆発するとか?」 「……自爆までするかどうかわかりませんが、そういった防御機能的なものがないとは断言出来ません」 「それはうかつに手が出せませんね。まだ学園側には、おそらくですが私達の動きは掴まれていないはずです」 「ここで魔法陣に手を出して、そのアドバンテージを自ら潰すのは損だな」 「私もそう思います。学園側にはまだ何も知らないと思わせておいて、もう少しこの魔法陣をきちんと調べたい」 「時間を掛ければ、もう少し詳しいことがわかりますか?」 「ええ、ですから今日はおとなしく魔力を注いでもらえないでしょうか」 「え? い、いいのかな……」 「……うん……いや理屈はわかるんだが……」 二人の魔女は逡巡し、どうしよう、という面持ちで俺達の方を見る。 「ずっと夜の間乗っ取られてて、昼の人達はそれで大丈夫なのかな?」 「体調を悪くしたりとか、あと、例えば魔術が解けなくて、ずっと眠りっぱなしになっちゃうとかは?」 「そうなんだよね。実際何するものか知っちゃうと心配で……」 「そう心配することはありません」 「体調については意識がないだけで体に負担を与えるものではないし……」 「魔術というのは魔力を使って行うものだから、魔力がなければどんな魔術でも解けてしまうわ」 「だから魔術が解けなくなるということは絶対にないの。実際に朝になれば、夜の世界は元に戻ってしまうでしょう?」 「ああ、確かに……」 「まあ、魔力が永久に尽きない仕掛けでもあれば話は別だけれど」 「……! それがあればどうなります?」 ハイジの言葉に、モー子がはっと息を飲み鋭く聞いた。 「え?」 「魔力が半永久的に尽きない石が、この学園にはあります」 「ああ! あの石か……」 「そ、そういえばあったね……」 「それは、ラズリット・ブロッドストーンのことね」 「ご存じなのですか」 「ええ、もちろん。クラール・ラズリットの作った魔石でしょう? ラズリットの名前や、その功績を知らない魔術師なんて居ないわ」 「前から時々名前聞くけど、つまりどんな人なんだ、そいつ?」 「クラール・ラズリットは、赤い眼の魔女よ」 「赤い目?」 「赤い眼の魔女というのは、魔女の中でもすごく強力な力を持った魔女のことなの。物理法則も捻じ曲げられるような、ね」 「クラール・ラズリットはその赤い眼の魔女の中でも最も有名な一人」 「……ラズリット・ブロッドストーンは彼女にしか作れないと聞きましたが」 「その通りよ。彼女は時間を操作することが出来たから、その能力でね。他の魔術師が作成に成功したという話は聞いたことがないわ」 「で、その、あの石があれば、ずっと魔術を掛けたままにすることって出来るんですか?」 「確かに可能だわ。でも今回に限って言えば、一つ二つでどうにかなる規模ではないから」 「夜の世界すべてを保たそうとするなら、最低でも夜の生徒の人数分は必要よ」 「夜の生徒の……人数分……」 俺達が昼と夜との間の部屋に入った時、あの部屋に保管されていた石の数は……。 「……それくらい、なかったっけ」 「数えたわけではありませんが、生徒の数くらいあったかもしれません」 「何をって、その石だよ。この学園には、夜の生徒の数くらいあの石があるのを俺達は一度見てる」 「なんですって!?」 「馬鹿な……そんなはずはない……!」 「あの石はクラール・ラズリットにしか作れないし、そして彼女は軽々しくラズリット・ブロッドストーンを作らないようにしていたはずよ!」 「私は祖母からそう聞いているわ! 祖母はクラール・ラズリットとは懇意だったの、だから間違いないはずよ!」 「それは確かに、本物のラズリット・ブロッドストーンでしたか?」 「少なくとも学園長はそう言ってたけどな」 「私達には本物か偽物か見ただけで判断する術はありませんが、学園長が嘘をつく意味もわかりません」 「あなた達なら、見ればわかるのか?」 「……わかると思うわ。本物なら魔力が尋常ではないはずだし」 「その石があった場所は?」 「今行くのは無理よ。夜と昼の狭間にしか入れない異空間にあるの」 「なるほど……。夜の世界の召喚を兼ねた隠し部屋といったところですか」 「なら、明日なら入れる?」 「行けるのかな?」 「うーん、多分行けると思う」 「なら明日案内して下さる? それほど大量の本物の石が本当にあるなら、確認しておくべきだわ」 「……ではやはり、今日のところはいつも通り魔力を注ぐしかありませんね」 「そうして下さい。学園側に警戒されてしまってはおそらくここにも入れなくなります」 「……そうだな……。本当に、生徒達に危険はないんだな?」 「ありません。それは信じて下さい」 「うん、わかった。それじゃあ、スミちゃん……」 「そうだね、危険がないなら今のところは仕方ないね」 「よろしくお願いします」 ためらいながらも、鍔姫ちゃんとスミちゃんはいつも通り魔法陣に入って行った。 「私達は明日から魔法陣の仕組みを詳しく調べてみます」 「そっちは任せるしかねえな。頼む」 俺達はと言うと、せいぜい学園側に怪しまれないよう平静を装っておくしかないわけだが……。 (正直、骨が折れるな……) 特に、諏訪と顔を合わせたら動揺してしまいそうだ。 あまり会わないように、教室か分室で大人しくしていよう。 翌日。 朝からずっと部屋に籠もっていると見せかけ、魔法陣を調べ続けているので目が疲れてきた。 「予想以上に複雑だな……。描くのに何日かかったのやら」 「ルイ、ここは? この紋様と文字は、何かの周期に連動しているのではないかしら?」 「……そのようだな」 アーデルハイトの指さした部分の紋様は時の流れを司る印だった。 その周りに並ぶ文字は…… 「時間……いや、時期か? 夜になると同時に発動するといった短期的なものではなさそうだ」 「そうよね。もっと長いわ、数年……いえ、もっとかしら」 話していると、扉の音が聞こえたのでそちらを振り向く。 魔女の一人、村雲春霞が奥の扉から顔を出していた。 「おーい、そろそろ夕方だよー」 「えぇ!? もう!?」 「半日ここにいたのか。目が疲れるわけだ……」 「行きましょう。石を確かめなければ」 分室へとヤヌスの鍵で呼びに来てくれたスミちゃんに続いて、彼女の部屋へと入る。 室内ではハイジとルイが既に来て待っていた。 分室の方は、長時間誰もいないと不自然だろうと、おまると村雲が留守番している。 以前、また調子が悪くなった時のためにと預けられた石を取り出してきてハイジ達に見せる。 「これは、確かに本物だわ……」 「間違いありませんね」 スミちゃんから手渡された石をじっくりとながめ、ハイジ達はそう断言した。 独り言のようにそう言いながら、ハイジはラズリットの石をじっと見つめる。 「もうじき鐘が鳴ります。村雲さん、用意を」 「おっけー。じゃあ行くよ?」 スミちゃんが鍵を取り出し、空中に扉を開く。 かつて一度だけ降りた地下への階段が、扉の向こうに姿を現した。 「この奥だよ」 「急ぎましょう」 その後に、執事と俺達も続いた。 中途半端な所に開いた不思議な横穴の前で立ち止まると、ちょうど夜を告げる鐘がなり始める。 鐘の音が鳴っている間にスミちゃんがもう一度鍵を使うと、横穴の先に通路が現れていた。 「ええ、そうです」 「もうちょっとだよ、ほらそこの部屋……」 「な、ない……?」 「えええっ!? どうなってんの!?」 床一面に転がっていたはずのラズリットの石が、すべてなくなっている。 階段を降りてから他に通路はなかったし、違う場所に着いてしまうこともないはずだ。 その階段や、この空間にも見覚えがあり、間違いなく先日学園長に連れられて来たのと同じ場所だという確信もある……。 「ここに、石があったのですか?」 「あ、ああ。この部屋の床一面にラズリット・ブロッドストーンが転がっていたんだ」 「……実際、ここ一面なら確かに夜の生徒の人数分は軽くあっただろうが……」 しかし、今は小石一つ残っていない。 室内は完全に空っぽになっていた。 「一体……どういう……」 「ここで考え込んでちゃまずくない? この部屋どれくらいで閉じるのかまでは、私も知らないよ?」 「そうだな、ひとまず出ようぜ」 俺達は仕方なく、昼と夜の狭間から脱出した。 急いで話し合いたいところではあったが、怪しまれないよう一旦いつも通りの生活をしつつ寮に戻ってから改めて集まることになった。 今度はおまると村雲も加えて、東寮の客室に集合する。 「で、だよ。何で石はなくなってたんだ? 俺達の動きが察知されて、持ち出されたのか?」 「いえ、そうではないと思います……。それならば魔法陣に近づくことも阻止しようとするはず……」 「そう思うわ。私達は今日一日中、魔法陣の側にいて調べていたんだもの」 「そうか、こっちの動きがバレてるならそこにも何らかの手は打ってくるか」 「つまり、学園側はあの石が必要だったから持ち出したのではないか……ということになります」 「必要って、何のためにだ?」 必要、ということはあの大量の石を何かに使うということだ。 何に使うのか……。 「そりゃ……やっぱり、夜の世界の魔術を解けないようにするためだろ……」 「私もそうだと思います」 「なんだろうな……魔法陣の強化のため、とか?」 「それにしては石の数が多すぎないかな?」 「それに、魔法陣に用があるなら私達が一日中居た間に遭遇していてもおかしくないのではないかしら」 「ああ、そうか。それもそうだな」 「じゃあ、何のために石を持ち出したんだ?」 「夜の世界の魔術を解けないようにするためではないでしょうか」 「うーん、ホムンクルスを大量に作るつもりだとか?」 「なんのためにです?」 「念のために言っておきますが、ホムンクルスでは、夜の生徒を降ろす依り代には出来ませんよ」 「あ、そうでしたっけ」 「ええ、ホムンクルスは元々魂を持たない存在ですから、入れ物として魂を降ろすことも出来ないそうです」 「だからわざわざ依り代には昼の生徒を使ってるってこったろ」 「そうか……。じゃあ、石は何のために?」 「夜の世界の魔術を解けないようにするためではないでしょうか」 「無限に魔力を生み出すラズリット・ブロッドストーンを使い、夜の世界の魔術をずっと継続させたままにする……」 「すると朝になっても魔術は解けない。昼の間も、夜の生徒がそのまま現れるようになります」 「つまり、死亡した20年前の生徒は、西寮の生徒の体を使って現代に復活することになる」 「西寮の……生徒の……」 諏訪の部屋で見た光景が、脳裏に蘇る。 ああやって夜の生徒を復活させ、そうして……昼の生徒は存在しなくなる……。 「まさに生贄ですね」 「無茶苦茶だよ、そんなの……」 「そうね。でもそんな事も、ラズリット・ブロッドストーンであれば可能となってしまう……」 「いつやる気なんだ? 石を持ちだしたって事は決行が近いってことだろ」 「そうなるな。……って、おい、この前学園長が何か言ってなかったか?」 「あ、あの、魔力が強くなるとかなんとか言う日?」 「……『蝕の日』ですね」 「実はな、もうしばらくすると『蝕の日』というものが訪れるのだ」 「その日は数年に一度訪れるのだが、魔術や魔術道具のチカラが非常に強まるのだよ」 「前に少しリトさんに聞いたのですが、蝕の日というのは専門の観測道具などで周期を知ることになっているようなのです」 「専門の観測道具? じゃあこっちでは調べられないの?」 「ええ、私達には今知る手段がありません」 「けどよ、遺品の封印も弱るから気をつけろとか言ってたんだからトクサに知らせないままってことはないんじゃねーか?」 「このまま学園側にこちらの動きがバレなければ学園長もそのうち伝えてくれると思うのですが……」 「その必要はありません。今から四日後よ。間違いないわ」 ざわつく俺達に、ハイジが自信を持った口調で言い切った。 「え? どうしてわかったの?」 「その専門道具っての持ってんのか?」 「いいえ。今日一日あの魔法陣を調べたら、色々なことがわかったの」 「……詳しく教えて下さい」 「まずあの魔法陣は、床に書かれているのではなく掘り込まれていて、簡単に消せないようになっているわ」 「さらに何か魔法陣に異常があると、すぐに知らせが飛ぶ警報のような仕組みもあった」 「やっぱりか……」 「知らせってやっぱり学園長の所にかな?」 「おそらく、そうでしょうね」 「そして定められた時間になっても魔力が足りない場合も、異常があったとみなされるようよ」 「ならやっぱり魔力は注ぎ続けないとそれだけですぐバレるんだな……」 「そういうこと」 「他には?」 「現状は魔法陣の中に入ると魔力を吸われるけど、魔法陣に異常があった場合の防衛プログラムのようなものがやっかいなのよ……」 「魔法陣は自ら魔力を求めて魔法陣を拡げるようになっているの」 「ひ、拡げる? 勝手に?」 「そうよ。仮に魔法陣の一部に傷をつけたとしても、勝手に魔力を補充して自己修復してしまうの」 「魔力を注がなかった場合も、勝手に拡がって魔法陣に入ってしまった人から魔力を吸い上げるわけですか」 「そんなことになったら、何人ぶっ倒れるかわかんねーぞ!?」 「停止……?」 「防衛プログラム停止後、今度は別の魔術式が動き出すの。四日後の0時ちょうどに、これまでとは違った新しい魔術が発動するようになっているわ」 「……その日が、蝕の日ですか」 「新しい魔術ってのは、夜の生徒を降ろしたままにすることなのか」 「おそらくだけど、夜の生徒一人一人にラズリットの石を埋め込み、石に魔術式を書き込んで永久稼動させる…というところではないかしら」 「やはり学園の目的はラズリット・ブロッドストーンを使って、夜の生徒を朝になっても元に戻さず、完全に現代に復活させることなのでしょう」 「ええ、許されないわ。そのためには何も知らない西寮の生徒達が犠牲にならなくてはならない……」 「……うん、そう……だよね……」 「……………………」 「……まあな。けど、夜の生徒の方もありゃあ多分、何も知らねーんだよな……」 「……だろうな……」 風呂屋も、射場さんも雛さんも、春日も。 彼女達も自分達がそんな風にこの世にやってきているなんてまったく知らないのだろう。 学園のやることを阻止すると言うことは、そんな彼女達を消滅させるということなのだ……。 「ふんふーん、るるる〜」 「ちー?」 「ち?」 「うん、そうだよ! これは遺品を封じるための札。特査の諸君がいつも使っているアレだね!」 「今からこの封印の札を、全ての遺品に貼っていくのだよ。応急処置に過ぎないが、これで3〜4日は遺品も大人しくしてくれるだろう!」 「ぢぃ」 「はははっ、そうだね大変だ!」 「こんな札の無駄遣いは本来ならとんでもないが、大切な蝕の日に騒ぎを起こされては、こちらも困るからねえ」 「ちー」 逡巡していた俺達の中で、真っ先に口を開いたのはやはりモー子だった。 「やはり、学園のやり方は間違っています。阻止しなければならないと思います」 「…………そうだな」 わかってはいたことだ。 ただ、夜の生徒達とも親しくなってしまっていた俺達にはそれを認めるのが辛いというだけのことで……。 「うん……。真実を知ってしまった以上、放っておく訳にはいかないよ」 「……止めないと……生きてるはずの昼の生徒が消えちゃうことになるんだもんね……」 「ちっ……! つくづくなんてことしやがるんだ、この学園は……!」 沈痛な表情のおまるや、憤りを隠せない村雲に、さすがのハイジも控えめな口調で語りかけた。 「お気持ちはわかります。けれど、こんな計画を放置しておくわけにはいきません……」 「ああ、わかってるよ。どう考えても間違ってる」 俺がそう言うと、おまる達も沈んだままだがハイジの方を見て頷いて見せる。 「……止めましょう。夜の生徒にしても、こんな方法で蘇るのが本意とは思えません」 「そうだよ、他の誰かを犠牲にしなきゃいけない計画なんておかしいよ」 「……っし、やるか!」 静かに聞いていたルイが口を開く。 それを受けて、モー子もいつも通りの冷静な顔つきになった。 「そうですね。どうやってあの魔法陣を止めればいいのか」 「まず、防衛プログラムの動いている現時点で魔法陣に手を出すのは得策ではありません」 「おそらく、傷つけられた魔法陣がすぐに魔力を吸う範囲を拡げて、自己修復されてしまうでしょう」 「破壊しようとするならばその防衛プログラムが停止して、0時に魔術が発動するまでのわずかな間に破壊するしかないでしょうね」 「けど、壊すって言ってもどうやって壊すの?」 「ああ、防衛プログラムとやらが止まってても、普通の人間は魔法陣の中に手を入れただけで失神することには違いねーんだろ?」 「魔法陣の外から、破壊のための魔法陣を描くのが一番無難かと思います」 「それは誰にでも書けるものですか?」 「図面通りきちんと書けば、誰が描いても問題はありません。ただ……その破壊の魔法陣は、0時の魔術発動の力を逆流させるようなものになるの」 「書いたら即破壊できると言うものでもないし、0時までずっとその場で見守らなくてはならないわ」 「そして失敗すればもちろん魔術発動を止められません。リスクが大きい方法なのは確かですね」 「うーん、でも魔法陣に入らなくても止められるなら無難ではあるのか……」 「つまり魔法陣を破壊するならば、夜の世界が召喚されてから0時に魔術が発動するまでに破壊の魔法陣を今ある魔法陣の周りに書き」 「なおかつ魔法陣が起動する0時までそれを学園側から守らなければならない」 「チャンスは一回きりで、失敗したら乗っ取り魔術発動を止めることは不可能……ということですね」 「ええ、そうなるわね」 「もっと簡単な方法ないのか?」 「これでも必死に解読して攻略法を探したのよ!」 何気に言うと、ハイジに怒られた。 これ以上リスクの少ない手段はないということらしい。 「わ、わかったわかった、怒るなよ」 「あの魔法陣は、あなた方が思ってるよりはるかに恐ろしいものよ。覚えて置きなさい!」 この怒りようは本当なんだろうな。 わかった、と詫びているとモー子がぽつりと横から口を挟む。 「一番簡単な方法は、肝心の蝕の日に昼の生徒達をどうにか帰寮させず夜になるまでとどまらせる事では?」 「……はい?」 憤慨していたハイジは、ぽかんとモー子の方を見て目を丸くした。 「そりゃあそうですけれど……どうやって帰さないというの?」 「放課後になったら絶対帰るってのが校則だからなあ……」 「うーん、校則に反しても問題ないような理由がないと難しいな」 「なんかイベントがあることにしてさ、特別に放課後も残っていい日だってことにしちゃえばどうかな?」 「イベントって、学園祭みたいな?」 「それじゃあ、こちらの動きが学園側にバレないかしら?」 「何かやってるってのはバレるだろうけど、人数的に混乱させて押し切れなくはないんじゃね?」 「……確かに生徒達を残らせることが出来れば、魔法陣破壊より確実性は高いですね」 「そうね……。魔法陣の前で見張ってる間に学園側の人間が誰も来ないとは思えないし……」 「学園側も魔法陣が正常に作動するかは一番気になるところだろうから、一度も見に来ないとは思えないな」 「ただ、イベントと言っても何を?」 「実際生徒達に残ってもらうんなら何かしらやらねーとまずいぞ」 「どうせなら、どーんと派手にやっちゃおうよ! 花火とか打ち上げちゃう?」 「あ、花火大会なら夜にやるイベントだから理由としてはいいかも」 「花火はどっから調達するんだよ?」 「魔女のお二人さんでなんとかならないか?」 「どうだろう? そういうのはやったことないんだが」 「花火っぽい光を出すとか? ちょっと出来ないかなあ」 「……魔力に反応して光る薬ならば作れなくはないですけど?」 急にハイジちゃんとフレンドリーに呼ばれたからか、彼女は一瞬顔を赤らめたが何も言わなかった。 「うん、それなら出来そうだな」 「えっと、じゃあ花火大会があるよってみんなに言って回って残ってもらう?」 「その前に、どう考えても風紀に協力してもらわないと無理だぞ」 「風紀委員長に相談しよう。ある程度の事情を話せば、彼女なら協力してくれるよ」 「大丈夫なの? かなり学園の規律に厳しい人ですけれど、こちらの味方になってくれるかしら?」 「大丈夫だと思うよ。聖護院先輩は正義感の強い人だ、生徒を犠牲にする計画なんて許すはずがない」 「念のため壬生さんも同行して聖護院先輩と話してみましょう」 「そっか、協力するフリして学園にばらそうとか思ってたらヒメちゃんにはわかるもんね」 「なるほど……。それなら完全にすべて話して大丈夫かどうか判断してから話せそうですね」 「そうだな、当日は手分けして放送室も占拠しちまうか」 「それで、生徒には残ってもらって……しかし、そうなると学園側もぼーっと見ちゃいないだろ」 「それはそうでしょうね。帰ってくれないと魔術が発動しても意味がないんですもの」 「……そうなったら学園側も多少強引な方法をとってくる恐れもあるか」 「荒事になったら、俺らがどうにかして押さえるしかないな」 「残ってる生徒達、びっくりしない? パニックになっても困るよ?」 「それこそイベントの企画か何かだって言い張って誤魔化してくれよ」 「お芝居か何かだってことにするの?」 「……強引だけど、それしかねーか」 遺品のせいで、意味不明の騒ぎはけっこう起きてるので誤魔化せる可能性はある気がする。 何が幸いするかわからんな。 「では、まとめますよ。三日後までに、花火大会があるので放課後も残っていいと生徒達に触れ回る」 「花火の材料はアーデルハイトさんに魔力に反応して光る薬を作ってもらう」 「わかったわ」 「その際、風紀委員会の協力を得るため、明日、聖護院先輩の所へ壬生さんとともに行ってきます」 「うん、その時の態度によってはある程度の事情は話そう」 「そして当日は放送室も押さえて帰寮放送も流れないようにします」 「万が一荒事になった場合はイベントの企画の一部だと誤魔化す。……大まかには以上ですね」 「了解しました。生徒達へのイベントの流布はそちらに任せるしかないので頼みます」 「あー、うってつけのがいるから即効広まると思うぜ」 「黒谷さんだね」 「ではそちらは久我くん達にお任せします」 「私達は風紀委員会の方だな」 「ええ、込み入った話になるでしょうから、聖護院先輩にこちらに来ていただきましょう」 「よし、それじゃそういうことで」 ひとまず相談がまとまったので、今日の所は解散と言うことになった……。 次の日、教室へ向かうと黒谷と吉田はもう来ていたのでさっそく話しかけた。 「よー、黒谷! 吉田ー!」 「よっ、久我! どしたのー? いやにテンション高いじゃない?」 「なんだ、お前まだ聞いてないのか?」 「え? なになに? 何かあったの?」 「あったんじゃなくて、あるんだよ。なあ、おまる?」 「うん、なんか明後日の放課後にイベントがあるらしいよ」 「えええ、学園で!?」 「放課後ってことは寮で?」 「いや、それが特別に帰らなくていいって話だぜ」 「うっそ! マジでー!?」 「うわぁ、本当に!? 残ってて良いの?」 思った通り、二人は目を輝かせて食いついてくれた。 「いいらしいよ」 「すごいすごい!! 初めてじゃん、そんなの!!」 「何があるんだろ? 楽しみだねー」 「あっ、他の子にも知らせないと!」 「知らせるのはいいが、秘密のイベントらしいからな、先生とかにはバレないようにしといてくれよ」 テンションの上がった黒谷が、教室に入ってくる友達に片っ端から声を掛ける。 この分ならあっという間に学園中に広まるな。 「計画通りだなー」 「でも、あんなに喜んでるんだもん。花火、ちゃんとやらないとね」 「……そうだな」 計画通り花火が打ち上がらなかったら、その時は……。 西寮の生徒達が全員いなくなるんだ……。 私と壬生さんは、予定通り昼休みに聖護院先輩を、大事な相談があると頼んで分室へと呼び出した。 律儀にぺこりとお辞儀をしながら分室へと入ってくる聖護院先輩。 「お呼び立てして申し訳ありません」 「いいのいいのー! 生徒からの相談ならいつでも大歓迎だよ〜」 「ありがとうございます。それじゃあ……」 と、壬生さんは私に目配せする。 壬生さんは聖護院先輩の内心を確認することに集中してもらうため、話は私が進めることになっていた。 (最初はまだ、下手に核心は話せない……) 万が一、聖護院先輩が学園への忠義を優先するような判断を下した場合、こちらの手の内が学園側にバレてしまう。 慎重に話さなければ……。 「実は、村雲くんのお姉さんが、聖護院先輩にお会いしたいと言っているのですが」 「村雲のお姉さん…? あ、スケープゴートの?」 「そうです、聖護院先輩はスケープゴートのこともご存知なんですね。では、魔石の部屋のことも?」 「もちろん! 学園長から聞いたので!」 「学園長から聞いたのはそれだけですか?」 「? えっと、はい」 「では夜の世界の生徒達が、異世界から来ているという話は…?」 「それも一番初めに聞いたよ」 「他には何も?」 「??? うん」 ちらりと横目で壬生さんを見てみる。 壬生さんは、小さく首を振り、今のところ違和感はないらしきことを知らせてくれた。 (どうやら聖護院先輩も、学園側がやっていることは知らないようですね……) 私達が学園長から聞かされていたうわべの話。 聖護院先輩も、それを真実として教えられていた一人であるようだ。 「それで、村雲のお姉さんがももに何のご用なのかな?」 「……すみません。実は非常に恐ろしいことをお話ししなければなりません」 「へっ? おそろしい?」 「夜の生徒達の真実です」 「真実? え、あの、夜の生徒達がどうかしたの?」 恐ろしい、と聞いた時には怯んだ顔をした聖護院先輩は、一瞬にして心配そうな真顔になる。 これは大丈夫そうだ、と私は内心安堵する。 この人は本当に、生徒の安全を何より気に掛けてくれている。 隣にいる壬生さんも、少しほっとした様子で小さくため息を漏らしていた。 意を決して、口を開く。 「彼らは、実は……」 私は、おそらく彼らは既に生きていない、20年前に亡くなった生徒達であるだろうと言うことを話した。 見る間に聖護院先輩の顔は青ざめていく。 そして、学園側がどういう理由か彼らを蘇らせようとしているということを告げると、ほとんど泣きそうな顔になった。 「……つまり、西寮の生徒達の身体に憑依させた状態で定着させることによって復活させるつもりのようなのです」 「もちろん、身体を依り代にされるわけですから、存在しないことになってしまうでしょう」 「そんなぁ!? か、かわいそすぎるよ!?」 悲鳴のような声を上げてから、はっと目を伏せておろおろと言葉を繋ぐ。 「あ、いや、夜の生徒だってもちろん可哀相だと思うけど、でも、えっと、だからって昼の子を消しちゃうのは……」 「許されることではないと思います。私達はそれを阻止したいのです」 「そ、そうだね! うん! 止めるべきだよ、そんなの!!」 伏せていた目を上げ、聖護院先輩はぎゅっと胸の前で拳を握った。 だが、またすぐに声を震わせる。 「そんな……そんな恐ろしいことやってたなんて、うう……知らなかった……」 「で、でも、どうやって止めるの? 何か方法があるの?」 「色々話しあったのですが、一番確実なのは蝕の日の夜に生徒達を寮に帰らせない事だと思いまして」 「そうです。なのでその日、花火大会を開催するので放課後も残っていいと言うことにしたいのです」 「なるほどぉー!」 曇っていた表情にわずかに輝きが戻る。 前のめりな姿勢になって、私の説明にうんうんと頷いてくれている。 「ですから風紀委員会にも協力していただきたいのです。その日、生徒達を帰さないように」 「そっか、わかったよ! もちろん協力するよ!! もも達は、いつも通り帰寮させずに残ってていいよーってやればいいんだね!」 「ええ、その通りです。ありがとうございます」 「よかった……。風紀が味方についてくれれば格段に楽になる」 しゅんとする先輩の憂い顔に心が痛んだ。 彼女は、私達よりも長い時間、夜の生徒達とも接してきているのだ……。 「ええ……。ですが、仕方がありません……。私達の推測が正しければ、彼らは既に生きていない人達なのです」 「じゃあ、成仏出来なくて迷ってるっていうことでもあるのかなぁ」 「そうとも言えるでしょうね」 「それも駄目だよね。うん、やっぱり止めなきゃ!」 「止めましょう。必ず……こんな恐ろしいこと……」 「たーまやー!」 自分で打ち上げた花火――のフリをした魔術薬――に、自分で歓声を上げる春霞。 「どう、しーちゃん? だいぶ花火っぽくなったでしょ?」 「まだちょっと歪んでるけどな」 「……なんでそんなにノリノリなんだお前は……」 子供みたいだな、と思っていると春霞は不意にひどく真面目な眼差しになった。 「……だってさ」 「だって、私達にとってのこの計画の大成功ってさ、何も知らない生徒達に何も知らないまま無事でいてもらうことでしょ?」 「ん、まあ……そうだな」 「蝕の日とか魔術とか、生徒には関係ないもん。花火大会があるだけなんだもん」 「……………………」 「花火きれいだったね、で終わらなきゃでしょ?」 「……うん」 どうやら春霞なりに大真面目に考えてのことらしい。 「だから頑張るんだー! そーれっ!」 (……生徒には関係ない、か。そうだな……) ふと、無意識に触れていた左手の印に視線を落とす。 (……いざとなったら、と思ってたけど……) 今のところは上手くいってるようだし、まだ大丈夫だろう。 (最悪、花火大会が失敗しそうだったらこいつの力を借りるのもありか) あの口ぶりなら、モルフィにはそれくらいのことはやってのけられる力はありそうだ。 「ちょっと、しーちゃん! 見てるー?」 「あー、見てる見てる。まだ楕円形になってるぞ」 「うー、もうちょいなんだけどなー」 ……出来れば、モルフィに頼ることなく成功すればいいと思う。 別に、あいつを呼ぶのが怖いとか、そういうんじゃなくて。 「うん、悪くないんじゃないか?」 「やったねー! いけるいける、頑張れ私ー!」 こんなに頑張ろうとしてる春霞の努力が、無駄にならなければいい……。 魔術薬はこぽこぽと音を立て、ふわりと煙を立ち上らせた。 あとはこれを、さっき抽出した液と調合して魔力を加えて…… 「うん。我ながら上手くいってるわ」 「……さっそく明日、これを全員に配って使い方を説明しないと……」 「ふーっ、疲れた……」 色々根回しを終えて、部屋に帰ってきたらもう外は暗くなっていた。 「けどまあ、今日一日でイベントの噂はかなり広まったからな……」 「ん?」 扉の方で何か物音がした。 行ってみると、扉の下に何か手紙のようなものが差し込まれている。 「なんだ……? ハイジからか」 封筒にはアーデルハイトの署名。 開いてみると、中に便せんが一枚入っていた。 「えーと、『明日の早朝7時、相談したいことがあるので特査の方々は渡り廊下に集合してください』?」 えらい朝早くから……。 まあ、他の生徒には見られたくないってことなんだろうな。 (しかも学園で呼び出すって事は、なんか向こうで発見でもしたのかな?) だとしたら何か進展があるかも知れない。 寝過ごさないようにと、俺は早々に布団に潜り込むことにした。 「あ、みっちー。おはよー」 「うーす」 眠い目をこすりつつ、早朝の渡り廊下へやってくると既にモー子とおまる、鍔姫ちゃんが待っていた。 「さすがに久我くんも眠そうだな」 「そりゃあもう……」 ろれつの回ってない口調で言いながら、ふらふらと聖護院先輩もやって来る。 「ねむい……つらい……」 「が、頑張って下さい」 聞き慣れた扉の音がした、と思ったら、ヤヌスの鍵でやって来たらしい村雲姉弟が連れだって登場する。 「……村雲さんまで?」 「おっはよー」 「スミちゃん! スミちゃんも呼び出されたのか?」 「手紙に、こいつも連れてくるように書いてあったんですよ」 「全員呼び出すなんて、何かあったのかな?」 「寮で話せないようなことなら、何か見つけたとか、何か実験でもするとか?」 「いずれにせよ重大事項でしょうね」 何事だろう、とざわざわしていると、呼び出した当の本人達がようやく現れる。 「――おはようございます」 「なんだよ、お前ら遅いぞ」 「時間通りじゃないの。それより皆さん揃って、こんな朝早くから一体何の用なの?」 「何の用って……へ?」 ハイジは俺達の顔を見回して、本気で怪訝そうな顔をする。 「なによそれ? そっちが呼び出したんでしょう?」 「ええ? 私の部屋に来た手紙はあなたの署名入りだったんだが……」 「なんのことです? こちらの手紙は特査からでしたけれど?」 「え……」 「っ!?」 モー子と執事がはっと目を見開き、素早く辺りを見回した。 途端に、渡り廊下の両端にざっと複数の人影が現れる。 「風紀……!?」 「ほぇ!?」 現れたのは風紀委員達だった。 俺達を渡り廊下から出さないとでも言う布陣で、両端の出入り口に立ちふさがっている。 「ななななになにっ!? なんなの、そんな指示出してないのにー!?」 「どうしたというんだ、みんな!?」 「……………………」 驚くもも先輩や、鍔姫ちゃんの問いに誰も答えず、風紀委員達は黙って目を逸らした。 「これは……」 「うかつでした。こんな露骨な罠に引っかかるとは」 「……………………」 「なんでー!? なんでなの!? みんなどーしたのよー!?」 「聖護院先輩でないなら、それは……」 出入り口を陣取っていた風紀委員の壁の一部が割れ、予想通りの人物が姿を見せた。 いつも通りの高笑いを上げながら、学園長はつかつかと俺達の方へ歩み寄ってくる。 「ちっ……やっぱ、そうだろうな……」 「ぢー」 「見りゃわかるよ」 「やはり学園長は……あの計画を実行する側の人間なのですね」 「何も見なかったことにしてもらえないかな?」 「冗談言うな」 「このまま放っておいても君達には何も危害は及ばないのだから」 「そういう問題ではありません!」 「もう一度言うぞ。冗談言うな」 「こちらこそ、大真面目なのだよ」 「ちぃ……」 「それでは、今の西寮の生徒はどうなりますか?」 「夜の生徒をずっと降ろしたまま……ということは、逆に西寮の昼の生徒達は消えてしまうでしょう?」 「うーん、そこを突かれると困るなあ」 「そんなの、私達だけ黙ってたって、西寮の生徒の家族になんて説明するのよ?」 「そんな無茶な!?」 「何しろ夜の生徒は魂だけで肉体がない。西寮の生徒の体はどうしても必要なのだよ」 「彼女の言う通りですよ。どれだけ待ち望もうが大切な儀式であろうが、見て見ぬ振りは出来ません」 「そうです! 誰かの犠牲の上にしか成し得ない方法なんて間違っている!!」 「西寮の生徒全員の存在より、我々にとっては夜の世界の方が大事だったという、それだけのことだ」 「そんな! どっちも同じ生徒でしょう?」 「もちろんそうだとも!」 「なのに夜の生徒の方が大事だってのか?」 「その通りだよ!」 「どういう理屈でそうなるのよ!?」 「理屈も何も、私にとって夜の生徒達の方が大事。ただそれだけだと言ってるじゃないか」 「ですから、何を根拠に夜の生徒の方が大事だという結論になるのです?」 「どちらが大事か優先順位を考えた結果だが」 「だから! その根拠は何だって聞いてんだろ!?」 「いや、あの……」 「昼の生徒は大事じゃないんですか?」 「大事に決まってるだろう。生徒はみんな学園の宝だよ?」 「仕方がないだろう。夜の生徒達のためには必要な事なのだよ」 「……………………」 「なんなんだよ……。なんでそこまで夜の生徒の方にだけ固執してんだ……?」 「妄執、ですね。どう考えても異常な理由があるとしか思えない」 「無茶言うなっ!!」 「うーん、困ったなあ。あまり強引な手段は取りたくないのだが」 「……………………」 首を傾げる学園長越しに、廊下の入り口の風紀委員に視線を走らせる。 囲んでいる風紀委員の人数もそこまで多いわけではないし、こちらも人数がいるので強行突破出来そうな気もする。 (……ハイジの香水もあるだろうしな) 「どうだい? 最後にもう一度だけ聞くが、大人しく引き下がってくれないかな?」 「お断りします!」 どうやらモー子も同じ判断を下したらしく、きっぱりと即答した。 「仕方がないなぁ…」 「ちぃ」 「うむ、では一網打尽にしてしまおう。頼んだよ」 気軽な口調で言うと、じり、と風紀委員達が身構える。 「……モー子、おまる、お前らは俺の真後ろに居ろ」 「う、うん」 「来るぞ……」 「……………………」 こちらも各自が身構え、ハイジは懐の香水瓶に手を伸ばし、もも先輩はコートの下から何やら杖状の物を取り出した。 「な……」 叫んだハイジが、急に執事を思いきり突き飛ばした。 それとほぼ同時にもも先輩が、手にしていた得物の柄をかつんと地面に叩きつける。 「――――ッ!?」 突き立てられた柄から波紋状に光が走った。 衝撃波のようなものを感じ、まばゆい閃光に目がくらんだが一瞬のことだった。 「う……ぁ……」 後ろでおまるがうめき声を漏らし、ふらふらと座り込む。 「か、すみ……!!」 「鍔姫ちゃん!? おい!?」 鍔姫ちゃんとスミちゃんが、声も上げずにどさりと地面に倒れ伏してしまった。 村雲やモー子達も、気絶こそしていないがおまる同様ふらついて膝をついている。 「……くっ!!」 突き飛ばされた執事はというと、手すりの向こう側でかろうじてぶら下がっている状態だった。 「おい、大丈夫か!?」 「逃げて……! 早く……」 「アーデルハイト!!」 「ルイ、逃げなさいっ……! 役目を、あなたの役目を忘れないで……!!」 「おい、しっかりしろ!」 「動けるなら、あなたも逃げて……早く……」 そう言い残し、ハイジも力尽きたようにその場に崩れ落ちた。 今や廊下の上で立っているのは、俺ともも先輩、そして学園長のみだった。 「あれぇ……? なんで?」 「おやおや久我君には効かなかったか。低いとは聞いていたが、本当に君は魔力が限りなくゼロに近いようだね」 「なに……?」 ……待てよ。 今のは魔力に対して効果がある攻撃だったのか? じゃあ、それをやったのは…… 「もも先輩……あんた……!」 「ごめんね。それじゃもう一度」 いつもとまったく変わらない間延びした口調で言いながら、手にした獲物をゆるく振りかぶろうとするもも先輩。 「くそっ……!!」 敵だったのか……。 鍔姫ちゃんが嘘はないと判断したはずなのに、彼女の勘を誤魔化すような術も持ってるのか? 「ああ、いいよ聖護院さん。どうやら久我君には効かないようだ」 「は、そーですか」 「君は動かず、魔力を回復したまえ。彼一人くらいなら風紀の諸君でなんとかなるだろう」 学園長はぱんぱん、と手を打つと、廊下の端にいる風紀委員達に向かっていった。 「もう大丈夫だから、みんな回収作業を頼むよ!」 「はっ!」 わらわらと近寄ってくる風紀委員達。 確かにこの人数では、俺一人じゃ暴れたところで多勢に無勢か。 (なら……!) 「一か八かだ……!!」 全員相手に出来ないなら頭だけでも押さえて突破口を見い出そう。 そう決意して俺は地面を蹴った。 「くっ、離せ!!」 しかし、それより早く背後から駆けつけていた風紀委員に後ろから掴みかかられる。 その隙に正面から来ていた連中が周りを取り囲み、身動きが出来なくなってしまった。 「いやいや心配はいらないよ。君達にとっては、何もなかったことになるのだからね!!」 「そんなこと……っ」 風紀委員達を振りほどこうともがいていると、耳元で聞き覚えのある音がして、甘い香りが鼻孔をついた。 「!? こ、れは……」 「おや、アーデルハイトさんが持っていたか。これは助かったね」 香水……ハイジの……それに気付いた時には、俺の意識はもう暗く沈んでいってしまっていた…… 「……っちー、ねえ、みっちー!」 「ん……」 「みっちーってば! 起きてよ、風邪引いちゃうよ?」 「あ?」 「……なんだぁ? 夢か……」 大欠伸しながら顔を上げる。 俺は分室の机に突っ伏して寝ていたらしい。 「また夢ですか」 「うん、なんか……あれ、なんだっけな? なんかすげえ変な夢見てた気がするんだけど」 「また遺品じゃないよね?」 「んー、多分違うんじゃね? もうすっかり覚えてねーし」 「紛らわしいヤツだな……」 「うっせ。静春ちゃん、お茶ー」 「ちゃん言うなっ! 今淹れてるから黙ってろ」 「あはは、今日は平和だねー」 「ええ、願わくばずっとこうだといいのですが」 「そーだなぁ……」 うーん、と腕を上げて背筋を伸ばす。 そういえばこのところ遺品も暴れてないし、ずっと平和だったんだっけな。 「いいねえ、平和……」 ぼんやり呟いた時には、俺はもうさっきまで見ていたらしき変な夢のことなんか、すっかり忘れてしまっていた……。 「モー子、掴まれ!!」 咄嗟に手近にいたモー子を担ぎ上げ、かろうじて膝立ちで手の届いた村雲の腕を強引に引きずる。 「一旦退け!! 急げ!!」 手すりの向こうから執事が叫び、手招く。 「それしかなさそうだ……!」 「断るっ!!」 肩にモー子を担ぎ上げ、もう片方の手で村雲を抱え、追おうとしたもも先輩を振り切ると、俺は思いきって地を蹴り手すりに脚をかけた。 「そんな無茶なあ!?」 悲鳴のようなもも先輩の声を聞きながら、勢いよく手すりの向こうへとジャンプする。 「――――っく……!!」 2人も担いでいたのでさすがにまともには着地出来ず、バランスを崩して倒れた。 そこへ飛び降りてきたルイが、倒れたモー子を背に担ぐ。 「すまんが俺の力では彼女しか無理だ。そっちのはお前が担いで来い!!」 村雲を担ぎ上げ、走り出した執事の後を追う。 頭上では風紀委員ともも先輩が何やら騒いでいたが、既に聞いている余裕はなかった。 「……いたか!?」 「いや、こっちには見当たらない」 険しい顔つきの風紀委員達が声を掛け合いながらばたばたと通り過ぎていく。 「……行ったかな」 「ひとまずは、ですが」 渡り廊下から逃げた俺達は、中庭の茂みに身を潜め追っ手をやり過ごしていた。 傍らには、モー子と村雲が朦朧とした様子でぐったりと倒れている。 「モー子? 大丈夫か?」 「…………ぅ……」 「駄目か……」 声を掛けると目を開けようとはするのだが、すぐに辛そうに閉じてしまう。 反応があるだけモー子はまだいい方で、村雲に至ってはほぼ失神しているのと変わらない状態だった。 「どこかで休ませた方がいいけど、これじゃ出るに出られねーな……」 動けない二人を担いで逃げるとなると、うろうろしている風紀委員達に見つからず動くのは至難の業だ。 「!? おい、何だよ!?」 声を開けた途端、香水を吹き付けられ咄嗟に顔を庇いながら身を引いた。 「心配いりません」 そう言いながらルイは、モー子と村雲、それに自分にまで同じ香水を吹き付けていた。 「なんなんだ、その香水?」 「これである程度の時間は、追っ手を誤魔化せるはずです」 「誤魔化せる? そういう魔術の、えーと、アレなのか?」 「そういうことです。その二人は、どこかでゆっくりと休ませればやがて回復するはずですから」 「……わかった。なら担ぐの手伝ってくれ」 ルイにモー子をおぶってもらい、俺は村雲を担ぎ上げて茂みから抜け出した。 「……よし、誰も居ないぞ」 空いている教室を見つけ、素早く入り込み扉を閉める。 「しかし、香水すげーな。何人か生徒にすれ違ったのに、誰もこっちを見もしなかったぜ」 ぐったりしたモー子と村雲を担いでる時点で風紀委員じゃなくてもぎょっとして二度見するレベルの光景のはずなんだが。 まるで俺達の姿が見えていないかのように、誰にも見とがめられなかったのだ。 「そういう魔術薬ですから」 教室の床にモー子を降ろしながら、ルイは淡々と答える。 「ん………」 「ああ、大丈夫だ。休んでろ、モー子」 「……………………」 俺の言葉が聞こえたのか、モー子は微かに頷いて目を閉じた。 村雲の方はもう限界だったようで、とっくに眠っているようだった。 「なあ、その香水、前にハイジが使ってたのと同じやつか? 人に気に止められなくなる…とかいう」 「いえ、ベースはそれですが昨日フラウが改良して調合し直したものです」 「改良ってどんな?」 「学園長はヤヌスの鍵を持っていると聞きましたので、緊急時に敵側から鍵を使って居場所を捜されないようにと」 「ああ、そうか。あの鍵は俺らの居るところへ、って使ったらすぐ目の前に来られるんだもんな」 「それを阻止するべく、感知阻止の効果を持たせてあります。結果的に周囲の人達からも認識されません」 「なるほどな。目の前に居ても気にされない、って感じか」 「少なくともこちらから話しかけたりしなければ、魔術は解けず相手には気付かれません」 「話しかけなきゃ良いんだな、わかった」 やっぱり味方だと頼りになるな、こいつら。 「……モー子達は、休めば大丈夫なんだよな?」 「もう少し休めば動けるようになるでしょう」 「そっか」 「ところで、先程の奇襲……何故あなたは防げたのです?」 「え?」 「私は立っていた位置がたまたま良く、フラウが咄嗟に有効範囲外に突き飛ばしてくれたおかげですが……あなたはそうではないでしょう」 「よくわかんねえけど、俺の魔力が低いせいみたいなことを学園長が言ってただろ」 「……。確かに……では対策があるわけではないのですね……」 やれやれ、と床に腰を下ろすと、ルイは急に改まった口調で頭を下げた。 「……申し訳ありませんでした」 「へ? 何が?」 「風紀委員長の持っていた音叉、あれはかつて当家が所有していた魔術道具です」 「音叉? あれ音叉だったのか。じゃあ、あれがお前らが捜してた遺品か……」 「はい、ラ・グエスティアと言う、音波兵器のようなものです」 「そういやリトがそんなこと言ってたな……音波で攻撃すんの?」 「光の波紋のような物が走ったでしょう? あれは範囲内にいるすべての生物の魔力を振動させる音の衝撃波のようなものです」 「魔力か。だから俺、ほとんど効いてねえのな」 「魔力が高いほど効果は抜群ですから。だから魔女の二人は即座に倒れたのです」 「何かがおかしいとは思っていたのに、もう少しあれの事を気にしておくべきでした」 「道理で現れなかったはずです。まさかそもそも封印されておらず、聖護院百花が持っているとは……」 そうだった。 あれを隠し持っていたうえに、俺達相手に振るってきたのはもも先輩だった……。 「……なあ、もも先輩って本当に学園側の人間なのかな」 「どういう意味です?」 「例えば魔術で操られてるってことはないか? 今までの先輩の態度見てる限り、悪い人とは思えねーんだよな……」 「……………………」 「お前も、もも先輩とは話したことあるだろ?」 ルイは頷いた。 頷きはしたが、その表情は俺の言葉に同意しているそれではなかった。 「……あれは、ラ・グエスティアはただの人間に扱える代物ではありません」 「え?」 「ですから最初に現れた風紀委員達はこちらに近寄らず遠巻きに包囲していたのです。近づけば巻き込まれますから」 「あ、ああ、だろうな。それで?」 「それは使用者さえ例外ではないのです。あれを食らって平気な人間は、理論的には魔力が限りなくゼロに近い人間だけです」 「……と言ってもそんな人間、私も今日初めて見ましたが」 少し呆れた様子で俺の顔を見つめるルイ。 「へえ、俺そんなに珍しいんだ」 「まあそれはイレギュラーとして……もう一つだけ、あれが無効になる場合が考えられます」 「あなたもすでに『それ』を一度目にしているはずですが……」 「もも先輩が魔女だった場合か?」 「何を聞いていたんですか。魔力が高いほど効果あると言ったでしょうが」 「……あ、そうだった」 だから鍔姫ちゃんもスミちゃんも、一撃で沈められたんだった……。 「え、じゃあ、なんだ?」 「ホムンクルスに使用させた場合です」 「俺が一度見てるって……まさかホムンクルスのことか……?」 「その通りです」 「ホムンクルスには魂がありません。魔力は魂そのものの力ですから、ホムンクルスには魔力もない」 「よってラ・グエスティアの攻撃は、ホムンクルスには無効となります」 「い、いやだって、遺品の発動そのものには、魔力が必要だろ?」 「必要ですが、それはラズリット・ブロッドストーンがあれば問題ありません」 「そうか、あの石か……」 「あなた方の目撃情報に寄れば学園側は大量に所有しているはずでしょう」 「まあな……しかし、もも先輩がホムンクルス……ちょっと、信じられねえけど……」 「彼女がホムンクルスではないかと思われる根拠はもう一つあります」 「なんだ?」 「私が呼び出してしまった遺品のランプです。ずっと何故私の前に現れたのかが不思議だったのですが……」 「あー、あの、学園長ともも先輩が縮んじまったやつか? あれが?」 「あの時私は、ホムンクルスについて色々と考え込んでいました」 「『ホムンクルスならラ・グエスティアを使用できるが、どうやってそのホムンクルスを見分けるか?』といったことです」 「……つまりお前のその悩みの解決策としてランプが現れた?」 遺品は、悩みや望みに引き寄せられて現れる。 ルイの言うことは充分あり得そうな話だった。 「おそらくそうだったのでしょう。しかし今更わかっても遅すぎますが」 (そういやあのランプを回収したときのリトの様子、ちょっとおかしかったな……) 「鹿ケ谷憂緒が持って行ったのが、回収した遺品なの?」 「ああ、そうだ」 「ふぅん……」 リトのあの態度は『自分は人間を小さくするランプだと言ったが、実際に回収されたのはそうではなかった』ということだったのか。 リトとしては不思議には思ったが、誰もそのことを聞いてこないから特に解説することもないと判断したのだろう。 つまり、あのランプは『人間を小さくするランプ』ではなかった。 先程のルイの話からすると、おそらくは人間ではなくホムンクルスを小さくするランプだったということだ。 「え、でもそれじゃあ……あれで真っ先に縮んだのは……」 「学園長でしたね」 「……………………」 「おかしいと思いませんでしたか。渡り廊下で我々が詰め寄った時の学園長の受け答え」 「いや、そりゃあ……まったく話が通じな……い、と……」 「待って! ぴぃちゃん! やめて!!」 「ゆるさない、あおい、やめてって言ったー!」 「わかったわ、もう言わないようにするから、離してあげて」 「あおい、あおいー! ぴぃ、がんばるよお」 「そ……そうか……あの反応って、ぴぃちゃんと……」 「同じでしょう。ホムンクルスにとっては主人の命令だけが絶対、だから理屈がまったく通じない」 「……………………」 学園長までもがホムンクルス……。 いや、しかし考えてみれば学園長の外見はどう見ても子供なのだから、そもそも人間かどうかも怪しかった。 最初はそれに驚いていたはずなのに、しばらく学園で暮らすうちに、すっかり慣れて忘れていたようだ。 「……やはり、分が悪い」 そう呟くとルイは、思い詰めたような顔で立ち上がった。 「どうした?」 「申し訳ありませんが、私は学園を出ます」 「はぁ!?」 「日が暮れると結界で出られなくなるでしょう。脱出するなら今のうちですので」 「今のうち、って……待てよ、お前! ハイジは!? 置いて逃げる気かよ!?」 「相手がホムンクルスとなると、おそらく手段は選ばないでしょう。命に関わる場合もある」 「そして私には、命に代えても守らなければならないものがありますので」 「ハイジはそうじゃないってのかよ!? お前のお嬢様だろ!! 守らなきゃ駄目だろ!?」 「……………………」 しかしルイは俺の言葉に無言で首を振った。 「ルイ……!」 「ヴァインベルガーの家は魔術師の家ではありますが、それは家の者が魔力を持っているからではないのです」 「え……?」 「なぜなら、魔力は遺伝しないからです。当然、魔女の能力も遺伝しない」 「ヴァインベルガーが魔術師たりえるのは、様々な魔術薬の調合法をきちんと今に伝えているからです」 「ですから当主はすべての調合の知識を頭に叩き込まれている」 「そしてその当主のそばにいる私は、その知識のバックアップを守るのが役目なのです……」 そう言いながら執事はするりと右目を覆う眼帯に手を掛けて外す。 眼帯の下は、一目で義眼とわかる瞳。 そして手にした眼帯を裏返してみせる。 そこには小さなメモリーカードのような物が仕込まれていた。 「要するに、その知識さえ無事ならば、お嬢様自身は別に必要ないってことかよ」 「そういうことです」 「お前はそれで納得してるのか!?」 「……お互い納得しています。だからフラウは最後に『逃げろ、役目を忘れるな』とおっしゃった」 「本気じゃないだろ。本当はそうじゃないくせに!」 「あんなに心配してたじゃないかよ!! あれが本音だろう、お前の!?」 「あなたに何がわかる!!」 かっと頬を紅潮させ、ルイは日頃の冷静さをかなぐり捨てたように言い返す。 図星だったんだろう。 やっぱり、見捨てて逃げたいなんて思ってもないくせに……。 「少なくとも見捨てて逃げたいのが本音ですと思ってるわけがねえってことはわかってるよ!!」 「そういうことじゃない! 魔術を今の時代に繋ぐことがどれほど困難か……」 「俺達にはその歴史と伝統を守ってきた誇りがあるんだよ!!」 執事らしい口調も態度も忘れ、ルイは俺に声高にまくしたてた。 「あいつがどんな思いで逃げろと言ったと思っている!?」 「ヴァインベルガー家の人間として、為すべき事を心得ているからこそだ! それは俺もあいつも同じ気持ちなんだ!!」 「そんな家名とか建前とかにこだわってる場合かよ!?」 そう言い返した瞬間、執事の端正な顔から赤みがすうっと消えていき、ひどく冷めた目つきに変わった。 「……そういう物の見方しか出来ないのか」 「だってそうだろ、伝統だかなんだか知らねーが、ハイジの無事の方が大事だろ!?」 「そうやって偏見の目で見ていればいい! お前達は、家名だの歴史だのと言われるとすぐそうやって下らないと見下したがる!!」 「その重さや意味や、今まで受け継いできた先人達のことなど考えたこともないくせに!」 「そういう話をしてるんじゃないだろ!?」 「先に侮辱したのはお前の方だ!」 「侮辱……?」 「いいか、お前の言ったことはアーデルハイトの覚悟に対する侮辱だと知れ!!」 「お前はあいつが身を挺して俺をかばい、逃げろと命じたその行為を、覚悟を! 下らないものと断じたのだからな!!」 「……………………」 「……所詮、相容れなかったんだ。お前達と俺達とでは、住んでいる世界が違う」 吐き捨てるように言い、ルイは俺から目を逸らし背を向ける。 「いや、それは……」 「そうだろう? お前達の世界では我々のような古い人間は、下らないことにこだわる愚か者なのだろう」 「……後は、お前達だけでやれ。ここはお前達の世界だ。俺は……降りさせてもらう」 「ま、待てよ、おい!!」 足早に教室を出て行く執事を追い、俺も教室を飛び出した。 「えっ……」 扉を開いた瞬間、ぷしゅっ、というここ数日ですっかり聞き慣れた音がして…… 「……う……くっ……」 (もも先輩……なんで先輩が香水を……) 口に出したつもりが、まったく声にならないまま俺は意識を失った……。 「……きろ! おい、起きろクソ久我!」 「ん……?」 「あれ?」 「お前な、人に茶ぁ淹れろっつっといて寝てんじゃねーよ!」 「あれ、俺寝てた?」 「くーくー寝てたよー?」 「……風邪を引いても知りませんよ」 「ふわぁ……あー、すまん」 「まったく……」 ……いつも通りの分室。 ぶつぶつ言いながら村雲は淹れたお茶を配っている。 それを受け取り、優雅に口をつけるモー子。 にこにこと見ている、おまる。 「……………………」 「いや……」 おかしいな、俺さっきまで何してたっけ。 なんか大事なこと忘れてる気がするんだが、どうにも思い出せない。 (夢かなぁ……) どう見ても、普段通りの平和な光景だし。 うん、多分夢だな。 ここ数日、何事も起こってなかったもんな……。 「だからって、ハイジを犠牲にしていいのかよ!?」 「……何に代えても守らねばならないものだと言っただろう」 「それ学園長達がやってることと一緒じゃねーのかよ!?」 「あ、あんな連中と一緒にするな!!」 「どこが違うんだよ!? ハイジを犠牲にして逃げるってことだろ!!」 「アーデルハイトは承知の上で逃げろと言ったんだ!! 何も知らない昼の生徒を勝手に巻き込んでいる奴らとは違う!!」 「知ってりゃいいのか!? 結果は同じじゃないのかよ!?」 「お、同じだろうと……俺は、これを守らなければならないんだ!」 「守ればいいだろ! ハイジを犠牲にしなくても守れる方法は一つもありませんってのか!?」 「リスクが大きすぎると言っているんだ! お前はホムンクルスの恐ろしさがまだわかっていないのか!?」 「リスクがでかかろうが何だろうが、なんか方法あるだろ!!」 「なんか、なんてアバウトな考えでどうにかなる相手だと……!!」 「だからそれを考えようって言って……!」 「……そんなに大声で騒ぐと隠れている意味がないですよ」 静かな口調が、俺達の口論の隙間に割り込んだ。 はっと横を見ると、モー子がまだ気怠そうな様子で身を起こしている。 「モー子!? 気がついたのか!」 「……無理に起きるな」 「誰のせいですか。耳元であれだけ叫ばれたら寝ていられません」 「う……すまん」 「それより、ルイさん」 「……なんだ」 「あなたにとっても最善は、その魔術の秘伝とアーデルハイトさん、どちらも守ることではないのですか?」 「……それは否定しないが……」 ルイは少し気まずそうな様子で口ごもった。 「ならそうしましょう。彼女だってそれすら禁じると命じたわけではないでしょう」 「その通りだが、だからさっきからその方法が困難だと言っているんだ」 「困難でも不可能ではありません」 「……………………」 「アーデルハイトさんが相当な覚悟をもってあなたに逃げるよう言ったことは理解しているつもりです」 「ですが、それ以上に、あなたにだけでも助かって欲しいという思いもあってのことだとは思いませんか?」 「……………………俺に……?」 「そうです。私達が見ていた限り、あなた達には深い絆があるように見えました」 「咄嗟の状況で、大事な人に、あなただけでも助かって欲しいと思うのは自然なことです」 「……………………」 「私は……もちろん久我くんも、あなたが託されている大事な物の重みを否定するつもりはないのです」 「ああ、さすがにそうは言わねえよ」 「ただ、アーデルハイトさんがあなたにとっても大切な人であるならば、諦めるのはまだ早いのではないですか?」 「……………………」 「そうだよ、もうちょっとあがこうぜ? 悔しいだろ、このままじゃ」 「お前もハイジも、覚悟があっての決断だったとしても、このまま逃げたらきっと一生後悔すると思わないか?」 「…………するだろうな」 ふう、とため息をつきながらルイは肩を落とした。 「なら、もう少しやるだけやってみましょう。私達だって仲間を取り返したい。あなたの力も貸して下さい」 「ああ、お前ら頼りになるからな」 「今更持ち上げるな」 バツが悪そうに呟くその横顔には、さきほどとは違う赤みが差していた。 「まったく……わかったよ。もう少し、お前達のあきらめの悪さに乗ってみよう」 「ありがとうございます」 「お前だけでも助けようとしたんだろ!? ハイジの気持ちがわかってないのはどっちだよ!」 「……なに?」 「お前が守ってる物は、ハイジにとってもそりゃあ大事なもんなんだろうけどさ……」 「それだけじゃないだろ! お前自身のことだって大事だから、必死で助けようとしたんだろ!!」 「……………………」 「それでもお前は、ハイジ置いて逃げるのか!?」 「……アーデルハイトは、そうしろと……」 「役目を忘れるなとは言ってたよ。それはお前が預かってるその眼帯の裏のを守れって意味だろ」 「それも守って、ハイジも助けりゃいいじゃねーかよ」 「か、簡単に言ってくれるがな!? それが困難だとさっきから……」 「お前こそ簡単に諦めるなよ!? まだ早いだろ、諦めるのは!!」 「いくらハイジが覚悟の上のことでも、今逃げたら……お前、後悔しないでいられる自信あるのか!?」 「……………………」 「お前が預かってる物は、お前らの家にとってそれだけ大事なものなんだろうから、誰もお前の行動を責めはしないだろうけどさ」 「お前はどうなんだ? 自分を責めないで生きていけるのか!?」 「……………………」 数秒の沈黙。 そして、ルイは悔しそうに――その絶望的な未来を想像してしまったらしい苦い顔で呟く。 「………………いいや。きっと、一生…………」 「だったらもうちょっとあがこうぜ! 俺達だって仲間取り返したいんだよ!!」 「だから手を貸してくれ。協力すりゃきっとなんとかなるって!」 「……脳天気だな、お前は」 「ポジティブと言ってくれ」 「ふん……」 執事はバツの悪さを隠すように苦笑を浮かべる。 「わかったよ。お前のあきらめの悪さに……もうしばらくつきあってやる」 「……サンキュ」 「お話がすんだのはいいですが」 「モー子!?」 「……気がついていたのか」 「あんなに大騒ぎされたのでは寝ていられません。……隠れている意味がないですよ」 まだ少し辛そうにしながら、モー子は床から身体を起こす。 「あー、すまん。無理に起きなくても……」 「もう大丈夫です」 「……ルイさん」 「なんだ」 「ありがとうございます。正直、あなた方の魔術知識がないと私達だけでは抵抗は困難でした」 「礼ならそこのお人好しに言え」 「ぶっ!? な、なんだいきなり!?」 「いえ、興奮して話がこじれるようなら起きようかと思ったのですが出番がなかったので」 「お前な……」 「いいコンビだな、お前ら」 さっきまでの気まずさをさっさと忘れたように、ルイまでもがにやにやとからかってくる。 「うるせえ! 下らねーこと言ってる場合じゃないだろ!」 「そうですね。とにかく対策を練らなければ」 ルイは無言で外した眼帯をつけ直す。 「その眼帯の下って普通に義眼だったのな」 「何があると思ってたんだ」 「ビームか何か出るとか」 「出るわけ無いだろう。お前は執事をなんだと思ってるんだ」 「……状況を整理しましょう」 話がわけのわからない方向へ行きそうだと思ったのか、モー子が強引に割って入って来た。 「まず風紀委員長と学園長だが、あの二人はホムンクルスだと見て間違いないだろう」 ルイはもう一度、ラ・グエスティアの攻撃が効かなかったことや、以前のランプの遺品で縮んだのがあの二人だけだった事を挙げる。 「なるほど……それで壬生さんに同行してもらったのに聖護院先輩の内心が見抜けなかった理由も説明がつきますね」 「ホムンクルスには魂がないからな。魔女には魂の揺らぎを見て嘘を見抜ける者がいるが、魂が無くては無理だ」 「そういえば、鍔姫ちゃん前に学園長の真意も読めないとか言ってたよな」 「そもそも魂がないから、だったのですね」 「ホムンクルスってどうやったら動き止められるんだ?」 「一番早いのは魔力が切れることだが、あの二人は遺品を使っている以上、ラズリット・ブロッドストーンを持っている」 「もしくは、最初から体内に埋め込まれている可能性もある」 「では物理的に抑えなければ、半永久的に稼働出来るのかもしれませんね」 「めちゃくちゃ厄介だな……」 「聖護院先輩の持っている遺品は近づくことすら困難ですからね」 「あれって気絶するだけなのか?」 「私は今のところ、それ以上の不調はないようですが」 「基本的にそれだけだ。そもそも魔女を生け捕りにするための道具だからな。捕まった連中も今頃はまだ気を失ったままかもしれん」 「だからってあのまま渡り廊下に放置はないだろうし、どっかに連れてかれてんだろーな……」 「どこにいるのか気にはなりますが……闇雲に捜し回るのは危険でしょうね」 「まずは向こうの様子探るか? 今は香水の効果で見つからないんだろ?」 「では、お願いしましょう。切り札は多い方が良いです」 「俺達は? そういえば、花火の薬とかは誰が持ってたっけ?」 「作った分は魔女の二人に渡したはずだ」 「それなら確か練習用に少し持ち出した以外は分室に保管してあったはずですよ」 「そうか、ならそれも取って来るか。花火大会の話は多分まだ生徒達に広まったままのはずだし」 「なら私も行きます」 「いや、お前まだ顔色悪いぞ。休んでた方がよくないか?」 「村雲くんほどではないですよ」 「……え……?」 名前を呼ばれて、村雲がはっと気付いたように目を開けこちらを見上げた。 「あ、気がついてたか」 「なんだ……ここどこだ……?」 「空いてた教室に適当に逃げ込んだ。お前はまだ寝てろ、動けそうにないし」 「私達は様子を探って、必要な物を取ってきますから。すぐ戻ります」 「…………すまん……」 まだ起きられるほどではないようで、村雲は大人しく再び目を閉じる。 「モー子、本当に大丈夫なのか?」 「きみを一人で行かせる方が不安です」 「まあ、しばらくは香水の効果があるから下手に誰にも接触しなければ大丈夫だろう」 「なら手っ取り早くすませよう」 「……誰も居ませんね」 地下に降り、分室の扉を開くと室内には当然ながら誰も居なかった。 一応、待ち伏せされている可能性を考えて慎重に入ったが拍子抜けだ。 「ああ、完璧だったな」 風紀委員ともすれ違ったのだが、香水の効果は抜群で完全無視された。 正直、ちょっと不気味なくらいである。 「花火は?」 「ええと……ああ、ありました。これで全部です」 「よしよし。それまで取り上げられてたらちょっと焦ったとこだぜ」 「学園側はまだ、ここへは誰も寄越していないのでしょうか」 「全員渡り廊下に呼び出されたからな。どうせ誰も居ないと思って放置なのかもな」 「……烏丸くん達、無事だと良いのですが」 「そうだな……」 学園長も、別にあいつらに恨みがあるわけではないから無茶なことはしないと思いたいが。 「――!!」 背後で扉の開く音がして、反射的に身構えながら振り返る。 「……おまる!」 「烏丸くん!?」 「あ」 警戒した様子も何もなく、普通に扉を開けおまるが顔を出していた。 「え、おい、お前無事だったのか!?」 「大丈夫!? 二人とも目を覚ましてよ!?」 「め、目を……?」 驚いている俺達に向かって、おまるは涙目になり必死に訴えかけてきた。 「な、何言ってんだ、お前?」 「二人とも、なんか変な暗示掛けられてるんだって!!」 「暗示……? 私達が?」 「そうだよ、だってみっちー達が聖護院先輩を襲うだなんてそんなことするはずないし!!」 「いや待て! なんか話が……」 「お願いだから正気に戻ってよ! ねえ、いつもの二人に戻ってよ!!」 「あ、あの……」 「戻れったって、お前……」 「だから二人がおかしくなってるのは変な暗示のせいなんだってば!!」 「……………………」 「……………………」 半泣きのおまるに詰め寄られ、俺とモー子は呆然と顔を見合わせた。 「――戻っていたの」 「……アーデルハイト……」 誰にも見とがめられず客室まで戻り、香水を手にしたところだった。 背後にいつの間にかアーデルハイトが立っており、静かに声を掛けてくる。 「さすがに、お前には香水は効かないか」 「魔術の痕跡を辿れば見破れる。知っているはずよ」 「まあな」 先日も同じ方法で色々と調べて回ったところだ。 彼女にだけは通用しないだろうとは思っていたが、まさか堂々と部屋に戻ってくるとは。 「それで? やけに平然としてるが……」 「正気に戻りなさい、ルイ。あなた暗示を掛けられているのよ」 「暗示? 俺が?」 「ええ、そうよ。あなた騙されているのよ」 「俺が……?」 「信じられない事を信じ込まされ、敵でない人と争おうとしているの。落ち着いて、それは罠よ」 「……………………」 罠、と言われて一瞬困惑しそうになったが、やはり彼女の言うことはおかしい。 「……待て。暗示を掛けられているのは……」 俺ではなく、アーデルハイトの方なのでは……。 「え?」 「私達は確か、学園の陰謀を止めるために動いていたはず……」 「あ、ああ、そうだよな」 「陰謀!? 何言ってるの、憂緒さん?」 「何って、みんなで話したでしょう? 学園側が企んでいる計画を……」 「や、やっぱり……暗示解けないんだね……」 「待て、おまる。暗示じゃないだろ、だって俺達は……」 さっと、おまるは後ろ手に持っていた何かを俺達の方へ向けた。 「香水……!!」 「あっ……!」 やばい、と思ったが吹き付けられる方が早かった。 一瞬にして視界が暗くなっていく。 「借りたけど……こんなの使いたくなかったんだけど……ごめん……」 遠のく意識の中で、おまるが涙声で呟いているのが聞こえた……。 「ああ、もう。予想以上に暗示が強いみたいね」 「それはこちらの台詞だ」 懐に手を入れ、香水瓶を取り出す。 が、一瞬早くアーデルハイトの手の中の瓶の方が先に霧状の魔術薬を噴出した。 「くっ……!!」 「ごめんなさい、止めるにはこうするしかないわ」 「アーデ、ル……ハイ……」 構えようとしていた香水瓶が、力を失った手から滑り落ちる。 「……………………」 外の廊下を何人かの人の声が通りすぎていく。 どれも久我達ではないようで、教室へと入ってくる気配はない。 (遅いな、あいつら……) すぐに戻ると言ったわりに、もうずいぶん時間が経ってるじゃないか。 まだ少し目眩はするが、起きられないほどではなくなっていた。 ということは、かなりの時間オレは横になっていたはずで……。 「やっぱ遅すぎるだろ」 何かあったのか。 それなら、このままじっと待っていても事態はまるで好転しない。 「……行ってみるか」 確か、香水の効果で見とがめられないとかいう話をしていた。 なら様子を探るだけなら大丈夫だろう。 そっと立ち上がり、オレは教室を出た。 (……もう放課後なのか) 一般生徒は帰った時間らしく、廊下には人気がなくなっていた。 さっきオレが教室で聞いた声は、下校する生徒達の声だったようだ。 「おっと……」 当たり前だが、風紀委員達は学園内に残っておりそこかしこでうろついていた。 オレ達を捜しているのだろう。 (見つからないったって、どの程度のことなのか……) 堂々と目の前を歩いて大丈夫なものなのか、オレには香水の効果まではわからない。 さすがにこの場で試す度胸はないので、廊下の角に隠れて風紀委員達をやり過ごした。 「数が多いな……あいつら分室に行ったはずだからどうにか隠れながら地下まで……」 角の向こうの風紀委員達が動こうとせず何事か話しあっているので出るに出られない。 振り向くと、そちら側の廊下に思いっきり見知った顔を見つけてしまった。 「春霞! 壬生さん!」 「あーっ、しーちゃん!」 「無事だったのかよ!?」 「そっちこそ、心配したぞ」 「しーちゃん、もう大丈夫? 正気?」 「正気ってなんだよ?」 「変な暗示掛けられてるって聞いたから」 「暗示?」 「ああ、学園長や聖護院先輩を敵だと思い込むようにだとか」 「はぁ!? 思い込むも何も敵だったでしょう、あいつら!」 「……………………」 「……………………」 オレの台詞に、唖然として顔を見合わせる春霞と壬生さん。 「ヒメちゃん、これって……」 「ああ、残念だが学園長の言われたとおりひどい暗示を掛けられているようだ」 「いやちょっと待って下さい。学園長ってさっき思いっきりオレら攻撃されたじゃないですか!?」 「あーもう、なんなのその妄想!?」 「妄想!?」 「落ち着いてくれ、村雲。それが暗示なんだ、そんなこと起きてない」 「えっ……お、起きてない……?」 「そうだよ、そう思い込まされてる暗示に掛けられてるんだよ」 「…………あれが、暗示……?」 「いや、いや違う!! どう考えてもあれが夢だとか幻だとかそんなわけねえよ!!」 「村雲……」 「仕方ないね。強力な暗示だとは聞いてたけど、これほどなんだ」 「待てよ! 暗示なんかじゃ……」 「……!? か、すみ……」 突然目の前に突きつけられた瓶から、甘い匂いのする霧が顔に吹き付けられた。 (しまった、これ……あのお嬢様の……) 「大丈夫だよしーちゃん、すぐに変な暗示解いてくれるって学園長が……」 心配そうな春霞の声が遠くなっていく…… 「……………………」 ここは、一体……。 気がつくと、どこだかわからない空間にいた。 「……夢の世界……とも違う……?」 よくわからないが、肌で感じる空気は何か違う場所だと告げていた。 私は警戒しながら身を起こし、辺りを見回した。 「誰も居ない……ここはどこ……?」 「誰か……いないのですか……?」 しんと静まりかえったその場所に、私自身の声は響きもせず暗闇に吸い込まれるように小さく消えていく。 「……………………」 孤独感と不安が沸き上がり、私は思わず自分で自分の身体を抱いた。 「……………………ませ……」 「誰!?」 どこかから人の声がして、辺りを見回す。 人影はまるで見えなかった。 「……モー子、目を覚ませ……」 「久我くん!?」 どこにいるのだろう。 確かに久我くんの声がするのに、姿はどこにも見当たらない。 「俺達が間違ってたんだよ……」 「え……?」 「目を覚ましてくれ、モー子……そうしたら、迎えに行ける……」 「迎えに……?」 「そうだ……目を覚ますんだ、俺達が間違っていたんだ……」 「……そんな……どうして?」 「俺達は目を覚まさなきゃならない、わかるだろ、モー子……」 「私達が……抵抗しようとした私達が間違っていたと言うのですか?」 「ああ、そうだ。わかるだろう、モー子?」 「……………………」 「目を覚ますんだ、さあ……」 「そんなことないよ……」 「む……睦月……!?」 背後から、懐かしい声がした。 思わず振り向いたが、やはり彼女の姿はそこにはなかった。 ただ暗闇から声だけが響いてくる。 「久我くんは本当のことを言ってるよ。信じて、もーちゃん……」 「睦月……そんな、睦月まで……」 「信じてくれ、モー子……でないとお前を迎えに行ってやれない……」 「そうだよ、もーちゃん……早くこっちに帰ってきて……」 「……………………」 帰れない……帰れないの? 私、このままじゃずっとここに……? 「久我くん……睦月……!」 「もーちゃん、目を覚まして……」 「信じてくれよ、俺達を……」 「久我……くん……」 「……睦月…………」 「……………………?」 どこだ、ここ……。 いつの間にか、どこだかわからない場所にぼーっとたたずんでいた。 「みっちー……ねえ、みっちー」 「おまる? どこだ?」 「久我くん……」 「みっちー、目を覚ましてよ……」 「おまる、モー子……お前らどこにいたんだよ」 ぼんやりと、少し離れたところに二人の姿が浮かんで見えた。 「何をしてるんですか、久我くん。早く正気に戻って下さい」 「そうだよ、みっちー。目を覚まして?」 「な……なんのことだ……?」 「私達が間違っていたのです。夜の世界を壊すだなんて……」 「そうだよ、風呂屋町さん達がみんないなくなってもいいの?」 「そりゃ……いいわけないだろ……」 「そうでしょう? 彼女達を救わなければならないのです」 「……………………」 「みっちー、目を覚ましてよ。夜の世界は守らなきゃいけないよ」 「そう……だよな……夜の生徒達……みんな……」 どうして壊そうだなんて思ってたんだろう。 そうだ、そんな事いいはずない…… 「ルイ、聞いてるの?」 薄暗い、どことも知れない空間にアーデルハイトの声が響いている。 「……………………」 異空間、いや深層世界といったところか。 先日訪れた夢ともまた違う場所だった。 「目を覚ましなさい。あなた騙されているのよ」 いつの間にかアーデルハイトは、背後に姿を現して俺に語りかけていた。 「……生憎だが、効かんぞ」 「……………………」 「さっきそうじゃないかと思った時に咄嗟に精神に作用する別の魔術薬をわざと落として割ったからな」 「効果の重複する魔術は同時に掛からない。今の俺に暗示は効かない」 「何を言ってるの? 正気に戻って、ルイ……」 「失せろ、幻影」 きっぱりと言い放つと、アーデルハイトの姿をした幻影はかき消えた。 「ふん…………」 「大丈夫だ、暗示さえ解ければ元に戻る。落ち着いてくれ村雲」 「そ、そう……だったっけ……」 一瞬、意識を失ったと思ったんだが、いつの間にかまた春霞達に詰め寄られ目を覚ませと言われていた。 (ここ、どこだっけ……) 「聞いてるの、しーちゃん?」 「正気に戻ってくれ。お前は騙されていただけなんだ」 「え、ああ……」 そうだっただろうか。 オレが騙されてただけ、なのか……。 「ねえ、なにしてるの?」 「え?」 不意に、春霞でも壬生さんでもない声が割り込んできた。 「そこどこ? 変な場所だね」 「モルフィか!?」 「うん……なに、これ。なんか変な幻が居る。えい」 「えっ!?」 目の前にいた春霞と壬生さんが、煙のようにかき消えた。 代わって、見慣れた光り輝く姿がふわりと現れる。 「なにここ、気持ち悪い気配」 「……………………」 何が起きているのか把握出来ず、ぽかんとモルフィを見つめる。 「ここ、だめだよ」 「だめ?」 「あなたを騙そうとしてる嘘があちこちに飛んでる」 「……嘘……?」 「うん。こんなところ早く出た方がいいよ」 「…………あっ、そうか! オレも捕まったんじゃねーか!!」 「捕まった?」 「ああ、香水で……いや、最初から説明しないと駄目か」 「……うん、聞かせて」 「信じられねえ話かも知れねーけどな、実はこの学園って……」 オレはとにかくモルフィにこれまでの状況や学園がやらかそうとしてる陰謀について、手短に説明した。 「……で、オレ達はとにかくそれを阻止しようとしてたんだけどな」 「みんな捕まったの?」 「多分な……。久我の野郎も帰ってこねえし……」 「……………………」 「全員同じように捕まってんだろう。参ったな……」 いやそれこそ…… 今こそこいつの力を借りるべきじゃないだろうか。 正直、今、オレ一人が正気を保っててもどうにか出来るとは思えない。 「なあ、モルフィ。お前の力が必要になるかもしれないから、手を貸してくれないか?」 「……………………」 「モルフィ?」 「う、うん、約束は、したから……。でも……」 「もちろんこれからだっておまえの夢には付き合うから、頼む!」 「あ、ううん。手を貸すのが嫌なんじゃないよ。ただ……」 「ただ?」 「……不安、なんだ」 「不安? なにが?」 「ほんとうに、役にたつと思う? ぼく、本当に……」 「何言ってんだ? まさか今更自信がないとか言う気か?」 「……………………」 「お前な、封印されてるのにオレの夢に影響できるだけの力があるんだから、どう考えてもお前はすげえんだよ」 「すごい、かな?」 「ああ、役に立つに決まってる」 「……………………」 「だから、頼む」 「……わかった。でも、まだあと少し魔力が足りないんだ」 「何か壁のようなものがあって、夢の外でうまくしずかを見つけられない」 「壁のようなもの……」 こいつ遺品だから結界とか、封印とかか。 宝物庫の封印のことかな。 「じゃあ、オレの魔力を高めるようなものがあればいいってことか?」 「なっ……!?」 突然、世界が揺らいだかと思うと風景が歪み急速に闇に包まれていった。 最後にモルフィが何か言ったように思ったが、聞き取れなかった……。 「……のか?」 「えっ……」 「……なんだ、お前か」 目を開けると、執事が少し驚いたような顔でオレをのぞき込んでいた。 半身を起こし辺りを見回すと、見覚えのない部屋だった。 「なんで驚いてんだ?」 「意外に早く起きたからだ。何か暗示への対策を?」 「いや、よくわかんねえけど……」 ずきん、と頭の芯が痛んだ。 何か夢を見た気がする…… 大事な話をしていた気がする……。 (……駄目だ、いまいち思い出せねえ) いきなり叩き起こされたせいなのか、夢を見ていたという確信はあるのに内容が思い出せなかった。 「……まあいい。あとは残りの二人を起こさなければ」 「残り?」 執事の視線を追うと、久我と鹿ヶ谷がそれぞれ魔法陣の上に寝かされていた。 「さあ、こちらへ久我くん……」 「目を覚まして、一緒に行こう……」 「ああ、そうだな。俺がどうかしてたんだ……」 「えっ!?」 唐突に、耳のすぐ後ろでまったく知らない声がした。 「久我くん?」 「みっちー、どうしたの?」 「わるい……魔法……?」 「久我くん、だめ。こっちへ来て……はやく……」 「……モー子……」 「消えた……!?」 謎の声に追い払われたかのように、モー子達の姿が一瞬にして消えてしまった。 「なんだったんだ? 誰だ、お前……?」 問いかけてみたが、謎の声はもう何も答えなかった。 すぐ近くにいた気がするのに、その気配も既に無い。 「一体…………」 放心していると、身体に浮遊感を感じ、すうっと意識が覚醒していく―― 「モー子、大丈夫だ。俺を信じろ……」 ぼんやりと、久我くんの姿が浮かんでくる。 「久我くん!!」 「さあ、一緒に戻ろう。俺達が間違ってたんだ……」 「……そんな……」 「夜の世界は壊しちゃいけない……」 「だ、だって……それじゃあ、西寮の生徒達が……」 「信じて……もーちゃん、信じて……」 「やめて! 睦月そんなこと……!!」 「モー子、もうやめるんだ。正気に戻ってくれ……」 「うそ……違う! 違う!!」 「こんなの久我くんじゃない! 睦月じゃない!」 ――……子、おいモー子! ――目を覚ませよ、おい! 憂緒!! 「……こ、久我…くん……?」 目の前にいたぼんやりとした姿の久我くんがすうっと闇に溶けて消えていった。 ――憂緒!! でも、まだどこかから私の名を呼ぶ久我くんの声がする。 その声は、今までのどこか虚ろな響きとは明らかに違っていた。 「久我くん……!」 夢中でそちらに手を伸ばす―― 「――!!」 「お、気がついた気がついた。正気か?」 「……こ、久我くん」 気がつくと、私は久我くんに支えられ、抱き起こされていた。 「…………」 目の前の久我くんには、さっきまでのような妙な違和感は感じない。 あまりにもタイミングが良かったので、一瞬、これは夢なのかと疑った。 でもそうではない。だって、この手には確かな感触がある。 しっかりとした、久我くんの腕の………。 「あ……」 その腕にしがみついてる事に気付いて慌ててて離す。 「その態度は正気っぽいな」 「そ、そちらこそ」 にやりと笑った顔は、間違いなくいつもの久我くんだった。 (……本物の久我くんだ……) 「これで全員か」 ルイさんの声に、はっと自分が置かれていた状況を思い出した。 そうだ、確か烏丸くんに香水を吹き付けられてそれから……。 「ここは?」 「どこだかはわからん。捕まって閉じ込められてるのは確かだけどな」 見回してみても、見覚えはない部屋だった。 床にいくつか魔法陣がある。 自分の身体の下にもあることに気付き、思わず慌てて立ち上がる。 「この魔法陣は?」 「暗示を掛けるための魔法陣だ。もう傷を入れたから作動していない」 「傷を……そうですか」 言われてよく見てみると、確かに魔法陣はすべて円の端を絶つかのように傷が加えられていた。 「暗示の魔法だったのですね。さっきの夢は……」 「やることがエグいな、学園側も」 「言っただろう。ホムンクルスは手加減などしない」 「で、どうするんだよ、これから」 まだ少し顔色の悪い村雲くんが、こめかみを押さえながら言った。 「まずはここから出ねーとなぁ……」 「なんだ?」 「暗示の魔法陣は、仲間の暗示を逆に解くのに使えるかもしれないから手帳にメモしておきたい」 「……では少し状況を整理しましょう。ルイさんはメモしながら聞いて下さい」 「ああ」 手帳にペンを走らせながら頷く執事を確認しつつ、モー子は口を開いた。 「私達は仲間に昏倒させられ、ここに連れてこられたようです」 「仲間達は私達が今されたような暗示をかけられているのはまず間違いないでしょう」 「だろうな、こっちが暗示掛けられてるとか言い張ってたし」 「一つだけ安心なのは、暗示をかけられているということは彼らが危害を加えられる事はなさそうです」 「心配には違いありませんが、人質に使われるといった懸念はないのではないかと」 「まあ、手駒に使ってるくらいだからな。そういう意味では安全か」 「……では、最優先で私達がしなければならないことは……」 「やはり、明日の夜、西寮の生徒を寮に帰らせないことだと思います」 「……異論はないな」 メモは終わったらしく、ぱたんと手帳を閉じながらルイが同意する。 「でも、春霞や壬生さんがいないと、花火はあげられねーんじゃ?」 「この中で魔力が一番高いのは俺だろう。最悪俺がやる」 「ではひとまずしなければならないことは、花火のための薬の確保でしょうか」 「あれモー子が持ってたっけ?」 「あんのかよ!?」 「ポケットに入ったままでした」 自分でも意外そうに、モー子はポケットから取り出した魔術薬をかざしてみせる。 「取り上げなかったのか。捕まえた時、これ持ってるの気付かなかったのか?」 「いえ、花火大会の話もすべて聖護院先輩から漏れているはずです」 「だよな。じゃあなんで取り上げもしないで放っといたんだ……?」 「どうせ暗示に掛かるから大丈夫だと思ってた、とか?」 「それほどまでに暗示魔術に絶対の自信があったのでしょうか……」 その時、頭上から夜を告げる鐘の音が響いてきた。 鐘が聞こえるってことは、ここは一応学園内のどこかで別の空間にいるわけではないんだな。 「げ、もう夜かよ。てことは、花火作戦決行まで残りはちょうど24時間か」 「どうした、モー子?」 眉根を寄せ、呟いたモー子はきっと表情を険しくすると俺達に向かって聞いた。 「誰か、日付のわかるものを持っている人は?」 その態度に何か察したらしいルイが、仕立ての良いスーツの懐から懐中時計を取り出し蓋を開けた。 「……………馬鹿な……」 その顔色が見る間に悪くなり、呆然とした声が口から漏れる。 「なんだよ? どうしたんだ?」 「予定は変更だ」 「やはり……」 「ああ、もう花火を上げても意味はない」 「何言ってんだよ、まさか……」 「最後の夜の召喚は、たった今終わったと言うことだ」 「え……」 ちゃり、と鎖の音を立て、ルイは蓋を開けた懐中時計を俺達の方へ向ける。 文字盤の片隅には時刻だけではなく、日付が表示されていた。 そこに記されている日にちは―― 「明日が蝕の日だ。俺達は、丸一日ここで眠らされていたんだ」 「な……」 「なん……だって……?」 唖然としながらまじまじと時計を見る。 しかし、間違いなくその日付は俺達が認識していたそれとは一日ずれていた。 「つまり、今夜0時までに魔法陣を破壊しなければ……」 「そう、すべて終わりだ」 「もう、あの魔法陣を直接ぶっ壊すしかないってことか」 「他には方法も時間もないな」 「ど、どうすんだよ……?」 まんまと学園側にしてやられていたと知り、悄然とする俺達。 焦りで、うまく頭が回らなくなりそうだったが、モー子がつとめて落ち着いた声で話し出した。 「……落ち着きましょう。まず、問題の防衛プログラムは時間的に言ってもう停止しているはずです」 「ああ、それは確かだ」 そうか、防衛プログラム……。 厄介なものの一つが、成り行きとは言え既に停止状態にあるという事実に、少しだけ頭が冷める。 「では例の魔法陣の外に、破壊の魔法陣を描き、それを0時まで守りきればいいわけですね」 「守り切れればな。しかし他に方法はないか……」 「壊す方の魔法陣ってお前が描けるのか?」 「ああ、しかし俺が行けないと失敗する作戦じゃ心許ないだろう」 ルイは手帳にさらさらと筆を走らせながら言った。 「写しを渡しておく。この通りに描けば誰が描いてもかまわない」 「了解しました」 「それと、あくまで時計塔の魔法陣が優先だが途中で仲間に遭遇することもあるだろうから……」 「あいつらの暗示についてはさっき描いた暗示の魔法陣を反転させれば何とかなるかもしれん」 「どっかに描いて誘い込むのか?」 「いや、敷物か何か、持ち運べる物の方が使い勝手が良いだろう」 「床でなくてもいいのですね。それなら時間の余裕があるようなら途中で用意してもいいかもしれません」 「あいつらに対する対抗手段があるならそれに越したことはないな」 「ただ、一つ問題があります。時計塔の魔法陣の間へ行くにはヤヌスの鍵が必要でしょう」 「あ……そうか、スミちゃんは今、暗示掛けられてるから鍵持ってる人間が学園側にしかいないのか」 「他に通路はないのか?」 「以前学園長がどこからか村雲さんの部屋に来ていたことから、どこかに通路があるかもしれませんが……」 「春霞の部屋への通路だったら、学園長室の地下だぞ」 「知ってんのかよ!?」 「最近使ってねーから忘れてたんだよ!」 「村雲くんはそこを使ったことは?」 「前に何度か通って春霞の部屋へ行ってる。さすがに入り口は変わってないと思うぜ」 「ならまずは学園長室ですね」 「いきなり敵本陣て感じだな」 「それから、学園側は私達を暗示にかけたと思っているはずです。少しの間は暗示にかかったふりをしてやり過ごすという手も使えると思います」 「なるほどな。向こうはいきなり攻撃してくるわけじゃないから使えそうな手だな」 「じゃあ行くか? とりあえずここ出ようぜ」 「出られそうな所は、あの階段しかなさそうですね」 「壁も一応調べたが扉はないようだった」 それなら、と俺達は階段を上ってみたが天井がふさがっている。 「あ、でもこれ開くんじゃねえか?」 「押し上げようぜ」 「よし、静春ちゃんそっち側な。せえのっ!!」 「ちゃん言うなっつってんだろー!?」 真上には重くて上がらないが、横には何とかずらせそうだ。 俺と村雲とで、じりじりと天井の蓋をずらして開けていく。 「……仲が良いのか悪いのか」 「ご自分達と照らし合わせればわかるのではないですか」 「その台詞そっくり返させてもらう」 「…………」 「何やってんだ、開いたぞー?」 天井を無理矢理押し開けてみると、そこは礼拝堂だった。 「あ、これ、前にスミちゃんが動かしちまった祭壇か」 「触るなっつってたのは地下にあんな部屋があったからかよ」 「……みっちー!?」 「げっ!?」 床から這い出すと、礼拝堂の長椅子からおまるとお嬢様が飛び上がるように立ち上がったところだった。 「みっちー、暗示は解けたの?」 「解けましたよ、ご迷惑をおかけしました」 俺を押しのけながら出てきたモー子が、しれっと話を合わせる。 「まったく人騒がせな。心配させないでよ」 「……ja」 微妙に不本意そうな顔をしながらも、ルイも調子を合わせて頭を下げる。 しかし、まさか出たところにいきなりいるとは……。 「おい、これどうするんだよ…? さっきの魔法陣、メモのやつのまま使えないのか?」 「そもそもあれはそのまま写しとっただけだから、反転しないと使えん」 小声で会話する俺達を隠すようにモー子が進み出て、おまるに話しかける。 「村雲さんと壬生さんはどこです?」 「時計塔だよ。魔法陣に魔力を注ぎに行ってる」 「時計塔……ですか……」 「うん、今日の12時まで魔法陣を守れば、夜の世界の人達を助けることができるんだって」 「そうですか……」 にこにこと嬉しそうに言うおまるから、モー子は少し目を伏せた。 「大丈夫、憂緒さん? まだちょっとしんどそうだね」 「ええ、少し……」 そう言いながら、モー子はさり気なく、近くの長椅子に腰を下ろした。 ちらりと視線を投げて寄越されたので、俺も何気ないそぶりで隣に座る。 「やはり、人格自体が変わったわけではなく、本人にとってそれがいいと思わされているだけのようですね」 「俺らが食らった暗示魔術と同じものなんだろうな」 「……ルイさん」 モー子は振り向いて、執事に声を掛けた。 「あなたのお嬢様は正義感の強い人ですか?」 「ああ。馬鹿がつくくらいな」 「ではそれに賭けてみます」 「なぁに? 何を内緒話してるの、あなた達?」 「ちょっとお聞きしても?」 「なにかしら?」 「夜の世界の生徒を助けるために、昼の西寮の生徒が犠牲になることに対してはどう思いますか?」 「……ギセイ?」 「???」 二人は質問の意味がわからない、とでもいった様子で首を傾げた。 (夜の生徒に実家はどこだとか聞いた時の反応と同じだな……) そのことについて、深く考えられなくなるような暗示が掛けられているのだろう。 「何を言っているのかわからないわ。どうしてそうなるの? あなた、もしかしてまだ暗示にかかっているのでは?」 「そうかもしれません。まだ、意識がはっきりとしないんです」 「ええ!? 大丈夫なの!?」 「これか?」 ルイは手帳を開いてさきほど書き写した魔法陣のページを破り取り、モー子に渡した。 「アーデルハイトさん、これを見て下さい」 「魔法陣……これは、おそらく暗示をかける魔法陣ね」 知識的なものはそのままのようで、ハイジは手帳の魔法陣を一目見てあっさりとそう分析する。 「それを反転すれば、暗示は完全に解けますか?」 「ええ、理論上解けるはずよ」 「ではこうしましょう。この場にいる全員で、その魔法陣に入るのです」 「へ? 全員で?」 「なるほど。そうすれば、暗示に掛かっていない者は何ともない。暗示にかかっている者だけ暗示が解ける」 「私は、あなた達こそが暗示にかかっているのではないかと推理します」 「な、なんですって!? 私達は……」 「しかしそう思う私が間違っているのかもしれない。だから全員で魔法陣に入りましょう。これなら公正でしょう?」 「……………………」 モー子の提案を、しばし考えた後、ハイジはまだ疑わしそうに言った。 「でも、あなた達が、魔法陣を書いている最中に何か細工をするかもしれないわ」 「自分達が何かしないか、そいつに見張らせればいいだろう」 「え? おれ?」 「魔法陣はお前が一人で描け。その間俺達は何もしない。それならば文句はないだろう」 「そ……それなら……」 言い込められて不満そうではあるが、同意するハイジ。 おまるは、心配そうに俺達の方を見ておずおずと聞いて来る。 「そうしたら憂緒さん達がまだ暗示に掛かったままでも、ちゃんと解けるんだよね?」 「そうそう」 「自分が暗示になど掛かっていないという自信があるなら大丈夫だろう?」 そう言いながらルイが懐からチョークを取り出しハイジに突き出す。 「……わ、わかったわよ。描けばいいんでしょう!!」 ふん、とそっぽを向きながら、ハイジはひったくるようにチョークを受け取った。 「ああぁあ、もう信じられない信じられない……!!」 お嬢様らしからぬ態度で、頭を抱えてくしゃくしゃと髪をかき乱すハイジ。 「追い打ち掛けないでっ!?」 お嬢様が描いた反転魔法陣の効力はてきめんだった。 せーので全員が足を踏み入れた途端、ハイジは頭を抱えて絶望の表情になっていた。 「最悪……最悪だわ……覚えてなさい、絶対許さないから……!!」 「いいから落ち着け」 ハイジは悔しさと自己嫌悪で怒り狂っているが、おまるの方は見事に落ち込んでいた。 魔法陣に踏み込んだ途端、みるみる途方に暮れた顔つきになり、しまいに涙目になってしまい、今もまだ半泣きのままである。 「みっちー、憂緒さん、ごめんね……」 「何回謝ってんだ馬鹿。しょーがないだろ魔術だったんだから」 「もう気にすんな! それより魔法陣をどうにかする方が先だろ!」 「……………………」 「村雲の言う通りだぞ、おまる。お前のせいじゃないんだからもう気にすんなって」 ぽんぽん、と肩を叩くとおまるは小さく頷いた。 「……うん。ありがと、みっちー」 弱々しくも、微笑もうとしたようだったが、泣き笑いのような顔にしかならない。 (マジへこんでんなー……。真面目だからな、こいつ……) 「おい、行くぞ」 村雲を先頭に、学園長室へと侵入する。 幸い室内には誰も居なかった。 「通路は?」 「こっちだ」 村雲の案内で地下通路を通り、スミちゃんの部屋へとたどり着く。 「ここから上がれば、異空間への扉があるはずです」 「スミちゃん達は魔法陣の所にいるはずなんだよな」 「ええ、魔力を注いでいるはずよ」 「村雲くん、ここのシーツを拝借してもよろしいでしょうか」 「……………………」 「村雲くん?」 「え? あ、なんだ?」 「暗示を解く反転魔法陣を作ってから行くべきではないかと思うのです。ですからシーツを……」 「ああ、いいんじゃねーか?」 「お前、何ぼーっとしてたんだ?」 「……わかった。でも、まだあと少し魔力が足りないんだ」 「じゃあ、オレの魔力を高めるようなものがあればいいってことか?」 「なんだ?」 「思い出した! 石! 春霞が預かってたやつ!! 前にオレが使った……」 「ラズリット・ブロッドストーンか?」 「ああ、確かこの辺に……あーもう、どこだよ? ねーな……」 「あれがあれば確かに戦力強化には有効ですが……」 「え? ああ、うん」 「ですが、学園側の儀式にはラズリット・ブロッドストーンが必要ですから、ここの石も回収したのでは?」 「……くそっ、そうか……」 「ね、ねえ、ちょっとみんな!!」 階段の上からおまるが焦った声で叫ぶ。 「みんなちょっと来て!! 扉が!! 扉がつながってないよ!!」 「なんだと!?」 慌てて全員で階段を駆け上がり、時計塔へ通じていたはずの扉の前へ行く。 「か、壁……?」 開いた扉の向こうは、魔法陣の間ではなく時計塔の壁らしき物が見えるだけだった。 「あの空間とこの扉を繋いでいた魔術が切られているわ」 目を懲らして調べていたハイジが振り返りながら言った。 「それでは……時計塔の内部へ行く方法がありませんよ」 「くそっ、ここまで来てかよ……!」 「この壁、なんとか壊せねえか?」 「位置的にあの空間にそのまま繋がっているとは思えん。壁を物理的に壊してどうにかなるものではないだろう」 「そんなぁ……」 「何か手があるのですか?」 「復元してみせます」 「出来るのか、そんなの?」 「元の魔術の基礎がわかれば可能よ。そしてここには魔術書はあるはずよね?」 「図書館か!!」 「……確かに、以前調べた時あったな」 「よし、わかった。取って来る!」 「お前だけ行ってどの魔術書かわかるのかよ?」 「……すまん、わからん」 「一緒に行くわ。どうせここにいても魔術書がないと何も出来ないもの」 「俺も行く。敵ももう全力で止めに来るだろうから戦力は固めて行った方がいい」 「お、おれも……」 「いや待て。おまるは残ってモー子を手伝え」 「憂緒さんを?」 「シーツに魔法陣描くんだろ?」 「そうですね。もし相手側と争う事態になったら私達は足手まといでしょう」 「……そ、そうだね。うん、わかった」 「よし、じゃ行くぞ!」 急ぎ、地下へと降りて図書館へと駆け込む。 「――リト!」 「なぁに?」 こんな事態であっても、リトはいつも通り書架の下にたたずんでいた。 そういえば、彼女も人ではなかったのだが、俺達を見ても捕まえようとかそういったそぶりは見せない。 遺品の目録だということだったから、学園側のやらかそうとしている計画とは関係ないということか。 「空間を繋ぐ扉を構成する魔術の基礎を調べたいのです」 「空間を繋ぐ……それならすぐそこの棚よ」 「ありがとう!」 リトの指さした棚にハイジとルイが取り付き、すぐさま該当する書籍を見つけ出した。 「あったわ、これよ!」 「書き写している暇はないな。借りていくしか……」 「ここの本は持ち出し禁止よ?」 「非常事態なんだよ! なんとか借りられないか?」 「……規則だから」 「いやその、規則って言っても……」 「規則だから」 ……どうも、俺達のやる事を妨害したいというわけではなさそうに見える。 これは単に、ホムンクルス特有の融通の利かなさのせいらしい。 だとしたら…… 「えーと、そもそも持ち出し禁止の理由は?」 「貴重品だから。ここの蔵書を守るのが自分の役目でもある」 「じゃあお前が一緒に来て管理してくれ! それならいいだろ?」 「……………………」 きょとんとした顔で首を傾げるリト。 しかし、少し考えた後、うんうんと頷いた。 「……それなら……理にかなっているわね」 「よし、決まりだ! じゃあ来てくれ!!」 「管理人ごと借りるなんて前代未聞だな」 「手っ取り早いからいいのよ!」 リトを連れ、魔術書を抱えて駆け足で学園長室へと戻ってくる。 「入り口入り口」 「早くしろ、誰か来たら……」 「……どこへ行くの?」 地下通路の入り口を開けた途端、背後から聞き覚えのある声がした。 弾かれたように振り向くと―― 「……聖護院先輩……」 例の音叉をたずさえたもも先輩が、ふらりと室内へ入ってきたところだった。 「図書館から魔術書を持ち出したりして、規則違反ですよ、お客様?」 こくこく、と無表情のままリトは頷く。 やっぱり彼女は、学園側の計画に荷担している存在ではなかったようだ。 「ふぅん、そうですか。それで、何をする気ですか?」 そう言いながら、もも先輩はじりっと一歩ハイジの方へ近づいて来た。 「先輩っ……!!」 咄嗟に村雲が止めようと飛び出すが、もも先輩はさっと音叉を構える。 「動かないで、村雲」 「……!!」 「これの威力はもう、よーくわかってるはずだよね?」 「くっ……」 一度完全にノックダウンさせられただけに、村雲はその場に釘付けにされてしまう。 「……みんな動かないで。この距離では全員に逃げ場がない……」 低い声で、ハイジが囁くように言った。 威力のほどはみんな承知しているものの、正当な所有者の告げた緊迫感はただならぬもので、呼吸音すら聞こえないほどの静寂に包まれた。 全員が凍りついたかのように、微動だに出来ず、構えられた音叉を見つめる。 「……………………」 まずいな……今ここでハイジに倒れられたらそれこそ打つ手がなくなる。 彼女だけでもどうにか地下通路へ逃がせられれば…… 「脱走者発見! 全員、退路塞げ!」 身動き出来なくなった俺達を見て、もも先輩が鋭く号令を放つ。 廊下から多数の靴音が近づいてくる。風紀委員達が来たのだろう。 学園長室の入り口は完全に固められたようだ。 (これは……ほとんど詰んでるぞ……) あの遺品は俺には効かないが、風紀委員達に数で押されたら一人では相手にしきれない。 しかも、俺だけ逃げ延びたところで、魔法陣の部屋まで行くことも不可能だし…… 「確認したいことがあるの」 「……え?」 いつもの呑気な口調ではなく、少し沈んだ声音でもも先輩が尋ねてきた。 「あなた達が礼拝堂から居なくなってるのを風紀委員が見つけてね」 「もしかしたらここに来るかもと思って見に来たのだけど……」 なるほど、あっちがもぬけの殻になってるのが先に見つかって捜されてたわけか。 「暗示は効かなかったのかな? まだ、魔法陣を壊そうと思ってます?」 「……………………」 「できれば、暗示が効いていてほしいんだけど。ももは争いごとは嫌いだから」 もも先輩は、心底そう思っているようにしょんぼりとした口調で言った。 (いや、この人は……本気なんだろう……) 争い事が嫌い、というのは嘘でも何でもないんだ。 ただ、その行動原理が俺達の理解から大きく外れているだけで……。 「さあ答えてください。その魔術書で何をする気だったのか」 「……………………」 ハイジは悔しそうに唇を噛みうつむいた。 「……答えないの。そう、やっぱり暗示は解けてるんだ。仕方ないなぁ……」 そう言って静かに音叉を振りかぶろうとする―― 「待って!!」 鋭い声に、もも先輩の動きが止まる。 ハイジは、その場にそっと魔術書を置いた。 「わかりました。この魔術書はお返しします。それから、暗示が解けたのも否定しません」 「ほぇ? 返しちゃってもいいの? 諦めたってこと?」 「ええ、そう。だってそうでしょう? もう一歩も動けないもの……私達の負けでいいわ。だからもう、その音叉を使うのだけはやめて」 「お、おい、何言ってんだよ!?」 「どう見たって負けは負けでしょう? それにこれからする話は私の家の話で、あなたには関係ない。黙っていていただけるかしら」 「家……?」 「ねえ、モモカ。それは私の家の大切な、大切なものなの。それをこんなことにだけは使われたくないの」 「これ?」 「まだ納得せずに暴れる人もいるでしょうけど……後ろに下がらせている人達に、私達を捕まえさせればいいわ。私、それだけは使って欲しくないの」 「……うーん……」 「その音叉、一度使うだけでもかなりの魔力を持っていくでしょう?」 「あ、うん、すっごく…」 「もともと魔女が使っていた道具ですもの。魔女でもないあなたには少し荷が重いはずよ」 「そう、だけどぉ……」 「……………………」 ハイジは一体何をする気なんだ。 ルイはさっきから黙ったままで何も言わないし、おそらく何か意図があっての言動だとは思うが……。 (相手はおそらくホムンクルスだ。説得は通じないだろうし……。時間稼ぎなのか……?) だとしたら、何のために……。 「確かにそうですが、今日さえ終われば、何とかなるので。ご心配には及びません」 「それに、風紀委員達をこっちに来させたら、何かあったときに巻き込んでしまうし」 「私は抵抗しないと言ってるでしょう」 「うーんでも、他の人はまだ抵抗しそうだし、やっぱり全員このまま気絶してもらうのが一番合理的だと……」 「わかったわ! それならせめて! その音叉には私のお祖母さまの大切な品がしまわれているはずなの。それだけでも返して!」 「あぁ、そうでした。そういえばあなた方はその品を引き取りに来られたんでしたね」 「ええ、そうよ。柄のところが取り外しできるようになっていて、その中に入っているはずなの。捜してみてくださらない?」 「わかりました」 「そう、なら、そこに置いて……」 「駄目ですよ、まだ動かないで? ももにどうしてもこの音叉を使わせたくないのはわかりました。まだそちらに何か対抗策があるということですね?」 「……っ……それは誤解よ、待って…」 「待ちません。大丈夫、あとできちんと捜しておきますよ。だから今は少しだけ、眠っていてくださいね」 手を伸ばそうとしたハイジを無視して、もも先輩は今度こそ音叉を振り上げあっさりと地面に突き立てた。 「うわっ!?」 渡り廊下で見たのと同じ光の衝撃波が床を走る。 「………うん、これで安心」 (くそっ、一人で何とかなるか…!?) 「えっ…?」 「……………………」 輝く波紋が走り抜けた後。 誰一人倒れることなく、その場に立っていた。 唖然としている村雲と、緊迫した表情のハイジ。 そしてリトは、無表情なままで。 「え? あれ? なんで?」 「ぎりぎりだがな」 安堵のため息と共に漏らしたハイジの声に、真っ直ぐに進み出ながらルイが答えた。 「……くっ!」 間髪入れずに、もも先輩がもう一度音叉を地面に叩きつける。 が、よく見ると波紋は俺達の周りを避けるように形を変えていく。 何か見えないものに、守られているように。 「無駄だ。もう効かん。知らなかったのか、ホムンクルス」 「ラ・グエスティアを真に扱えるのはヴァインベルガーの当主のみ。だからそれはヴァインベルガーには決して牙を向かない」 するりと外した眼帯の下にははっきりと開かれた瞳が見えた。 驚くほどに、赤い。 その奥には何か複雑な文字が浮かんでいるようにも見えた。 「ふ、ふぇ……? え、そ、その目……」 「――失せろ」 執事の一言で、もも先輩は見えない何かに吹き飛ばされたように宙に浮き、どさりと床に落ちる。 「い、委員長っ!?」 そして気絶してしまったらしく、もも先輩は立ち上がってくる様子もない。 「な、なんだ、今の?」 「くそっ、取り押さえろ!!」 「……っ、まずい!」 扉の外に詰めていた風紀委員達が、委員長が倒れたのを見て慌ててなだれ込んでくる。 思わず身構えるが、それより前にルイが叫んだ。 「構うな! 全員その場から一歩も動くな!」 そしてルイは倒れたもも先輩の手から音叉を拾い上げ、風紀委員達の方を向くと無造作に床を叩く。 「お前らも暗示にかかってるんだろうが、向こうの手駒は、一人でも削らせてもらう!」 「……うぉ……!!」 音叉から出た光は、今までのような波紋状ではなく風紀委員達だけをめがけて襲う扇状だった。 巻き込まれた風紀委員達はばたばたと倒れていく。 「すっげー……」 「あ、あれって一方にだけ出せたのか」 「………ルイならね」 二発目を放ち、扉の向こうに残っていた連中も音叉にやられ全滅したようだった。 「……これで……全員か……」 「ルイ!?」 ぐらり、と執事の身体が揺れる。 慌てて踏み出して背中を支えた。 苦しそうに息をつきながら、ルイは音叉をハイジに託す。 「おい、大丈夫か!?」 「すまんが……俺はしばらく使い物にならんぞ……」 荒くなった息の下で苦しげに言う。 額にも嫌な汗が浮かんでいた。 「……く…こんな所で……切り札を使う羽目になるとは……」 「わ、わかってるわ。もう無理しないで」 「切り札ってお前……」 「よくわかんねえけど、いっぺんに魔力を使ったってことか?」 「かなりの超高速で無理矢理右目の魔力を通したからな……オーバーヒートみたいなものだ」 「右目……」 燃えるように赤く輝いていた瞳は、今は少しくすんだ色になっている。 そういえばハイジが、赤い眼の魔女はとんでもない力を持っているとか言っていた。 「これでしばらく力は使えんし、正直立ってるのも辛い。人造の魔女はまったく不便だ……」 「人造?」 「時間がない。俺はここに置いていけ、正直足手まといにしかならん。お前らは魔術書で時計塔の扉を復元しろ」 「――アーデルハイト、これは命令だ」 「っ、ルイ……!!」 「それは表向きの話よ。本当のヴァインベルガーの当主は……ルートヴィヒ・リッター・フォン・ヴァインベルガー。この方です」 「ヴァインベルガーの魔女としての血統を継いでいるルイを守るために、偽の本家として表に立つのが私の役目なの。だから私にはルイを守る義務が……」 「いいから早く行け! すべて手遅れにする気か!」 「でも……!」 「……しょーがねえな。じゃオレが一緒に残っててやるよ」 「え?」 ためらうハイジに、村雲が進み出て提案する。 「誰もいないよりはマシだろ。扉はあんたじゃなきゃ直せないんだ、早く行ってくれ」 「……………………」 「頼む、ハイジ」 「……わかったわ」 ようやく、渋々ながらハイジはルイから離れ、俺達は地下通路へと向かった。 スミちゃんの部屋には、幸いまだ風紀委員達の手は及んでいなかったようで無事だった。 「リトさんまで?」 本当に魔術書の側から離れないらしい。 「本来持ち出し禁止だから、見張りについて来てもらってんだよ」 「な、なるほど」 「村雲くんとルイさんは?」 「それが……」 もも先輩の襲撃に遭ったが、ルイのおかげで撃退したと顛末を話す。 「そうですか……。赤い眼の、魔女……」 「人造とか言ってたけどな」 赤い眼の魔女は強力な力を持っている、と言う割にいきなり倒れたのは人造だとかいうことのせいなのか。 魔術を現代に伝えている家系だと言っていたから、人工的に魔女を生み出して、それを表向きは分家として隠して伝えてきたのかもしれない。 「ちょっと手を貸して下さる?」 階段の上からハイジが呼ぶ。 「なんでしょう?」 「わかりました」 「ここは……ああ、ほころびを修正すればいけそうね……えっと、次の文字……」 「これは安定の印では?」 「ええ。次は繋ぐ印、でしょうか。それから方向を示す印……」 モー子が手伝いつつ、ハイジは真剣な眼差しで、壁しか見えない扉の中に指先で何やら複雑な図形を描き呪文のような物を唱えていた。 「……空間が、揺らぎ始めてる……!」 扉の向こうで、壁が波打つように揺れ、うっすら透けて見えるようになってきている。 「もう少し……。ページをめくって、空間を繋ぐ呪文があるはずなの」 「はい」 モー子がページをめくる。 ハイジはそこに書かれた文字を目で追うと、深く息を吸い、凜とした声で呪文を唱えた。 「……繋ぐものの印を知る者が命ず。彼方はここへ。ここは彼方へ。境界よ、退け!」 ぱりん、と涼しげなほど高い音を立て、揺らいでいた空間が粒子となり砕けた。 「や、やったわ!! つながったわよ!!」 石壁はなくなり、扉の向こうには異空間が広がっている。 「うわぁ……本当だ!!」 「間違いありません、時計塔の中です!」 「ハイジ、でかした! 助かったぜ!!」 「ま、任せなさいよ……」 いつも通り威勢の良い答えを返そうとするも、緊張が解けたあまりか力のない声だった。 「すんだの?」 その肩越しにリトがひょいとのぞく。 「ああ、リトもありがとな」 「はい、魔術書。無茶言って持ち出させてごめんなさい」 「……役に立ってよかったわ」 返された魔術書を受け取り、リトはにっこりと微笑んだ。 「それじゃあ、私はこれで戻ってもいいかしら?」 「ええ、ありがとうございました」 「よし、行くぞ!」 俺達は一斉に扉を越えて、魔法陣の間へと踏み込んだ。 「うわっ……」 「ま……真っ赤だ……」 魔法陣は普段の静かな雰囲気からは豹変し、不気味に真っ赤に染まっていた。 「やれやれ……ここへ来たということは、暗示魔術が解けたんだね」 その横には、困り顔の学園長が立っている。 肩をすくめながら、やって来た俺達の顔を見回した。 「おや…? もしかして、聖護院さんを破ってきたのかい……?」 「もも先輩なら今頃まだ伸びてるぜ」 「彼女は、君達が思うよりずっと有能だよ?」 「なんですって……?」 「……あなたは戻って下さい」 途端に不安そうに表情を引きつらせたハイジに、モー子が囁いた。 「えっ!? で、でも……」 「ルイさんと村雲くんが心配です」 「それは、私だって……でも、私は行けと命令されているから……」 「聖護院先輩にまた動き回られたら、こちらも困ります。危険を知らせる事は命令違反ではないでしょう」 「……わかったわ! ありがとう!!」 そのハイジの後ろ姿を見て、愉快そうに笑う学園長。 動けるヤツが減ったと思って安心してやがるな。 「壬生さん、村雲さーん」 そして余裕な態度で俺達に背を向け、魔法陣の方へと声を掛けた。 スケープゴートの二人が呼びかけに答え駆け寄ってくる。 「うんっ!」 だがそれは、こちらにとってはまさに願ったりのことだった。 モー子とおまるが、反転魔法陣を描いたシーツをばさりと広げる。 「む、それは……っ」 即座にそれが何であるか気付いたらしい学園長は、咄嗟にこちらへ一歩踏み出してきた。 その進路を絶つように、俺は学園長の正面に移動し牽制する。 モー子の声に応えるように、急ごしらえの魔法陣が弱々しく光を放った。 「きゃっ……」 「……あ、うわ……」 その光を浴びると、鍔姫ちゃん達は目眩を起こしたようにふらつき始める。 「鍔姫ちゃん! スミちゃん!!」 「しっかりしてー!! 正気に戻ってぇー!!」 「二人とも、早くこっちへ!」 俺が学園長の行く手を防いでいる間に、モー子とおまるはふらついた鍔姫ちゃん達の手を引いて、魔法陣の上まで導いた。 「…………あ、あれ?」 「な……なんだ? 私は……?」 「え、あ、ええええ!? やだ、何してたの私っ!?」 「これは……こんな、わたしはどうして……!?」 「暗示魔術ってやつだってさ。二人とも大丈夫か?」 「あ、ああ……すまない……なんてことだ……」 「そんなものまで用意していたとはね……」 さすがに驚いたらしい学園長が、普段ほどの余裕は感じられない声で苦い響きの呟きを漏らす。 俺が一歩前に出ると、わずかに半歩後ろに下がる学園長。 さすがに分が悪いと察しているようだ。 「学園長……ねえ、もうやめましょうよ……!」 「烏丸くん……」 そんな学園長に、おまるが必死の面持ちで訴えかけた。 「思い直してくれませんか!? こんなこと、もうやめましょう!?」 「おれは間違ってると思います! こんな間違った方法で生き返っても、……嬉しくなんかないと思います!」 「……………………」 「きっと、みんなそうですよ……風呂屋町さんだって、春日さんだって……」 「みんな、昼の生徒達を犠牲にしてまで生き返ったって嬉しくないですよ……!!」 「…………そうだね。君の言うことはまさに真実なのだろう」 そう言いながらも学園長はしかし、ゆるゆると首を横に振っていた。 「それでも、夜の生徒を復活させることが我が主の望みなのだよ。それならば私は従うのみ」 「学園長……っ!!」 「たとえどんな手段をとってもね」 学園長は魔法陣に手をかざし、何かを呟いた。 途端に、うなるような音を上げて魔法陣は壊れたように明滅し始める。 「なにしやがったんだ!?」 「あの印は…確か安定を意味する……」 「暴走してる!? 魔力が――!!」 「だめ! このままじゃ周り中から魔力吸い始めるよ!!」 「私が!!」 鍔姫ちゃんは躊躇いなく走り出し、暴走を始めた魔法陣に飛び込んだ。 スミちゃんもそれに続く。 「鍔姫ちゃん!! スミちゃん!!」 「ヒメちゃん、が、頑張って! 私も……!!」 魔女達は、荒れ狂う魔法陣の中で自分の魔力を注ぎ込み無差別に魔力を吸うことを止めようとしていた。 「こんな事はしたくなかったのだが……君達が邪魔するから仕方ないんだよ」 「こ、こんな勢いで吸われたら外にいる生徒も……」 「だろうねえ、ここ実は東寮の真下だからね」 「な……」 「では、諸君。ごきげんよう」 さっとヤヌスの鍵を取り出し、素早く扉を開け姿を消す学園長。 「ま、待て!」 追いかけようとしたが、目前で扉を閉められ間に合わなかった。 「烏丸くん!」 スミちゃんがおまるに向かって鍵を放り投げる。 「追って!! 私とヒメちゃんは、ここを抑える!」 「わ、わかった!」 「よし、おまる頼む!」 「うんっ! 学園長のところへ!!」 おまるが叫びながら空中に鍵を差し込むと、扉が出現した。 気絶している聖護院先輩や風紀委員達を、念のためロープで縛っておく。 「とりあえず全員縛り上げたぜ。おい、大丈夫か?」 「……ああ」 執事は壁にもたれかかって休んでいる。 少しは回復したようだが、まだ呼吸が荒い。 「……………………」 今はもう、元通り眼帯をしているがあの下にはとんでもない魔力を秘めた赤い眼がある…んだよな。 (……魔力、か) 自分の左手をちらりと見て考える。 あいつはまだ力が足りないと言ってた。 「なあ、あんた魔女なんだよな」 「一応な。……人造だが」 「人造? どういうことだ?」 「この義眼には我々の祖先である一人の魔女の力がすべて封じてある」 「それを当主が代々受け継いできた……我がヴァインベルガー家は、そういう特殊な魔女の家柄なんだ」 「なるほどな、それで人造か。けど魔女って男でもいいんだな」 「……。お前には俺が男に見えるのか?」 「えっ、いや……え?」 「魔女には性別は関係ない。異能を持てば別に男でも魔女とは呼ばれるさ」 「い、いや、つーかそれよりオレ、もしかして今すげえ失礼なこと言ったか? あ、あんた男じゃ……」 「元はな」 「……元は!?」 「……せ、性別変わるのかよ……」 「魔力は本来、魂の力だからな。元が女性だったので元の魂に準ずるらしい。まあ俺が器として優秀すぎたってのもあるらしいが」 「た、大変だな……」 まあ、他人のオレがとやかく言う話でもないだろうからこれ以上触れないでおこう。 それより…… 「つまり、さっき使った力は、その義眼の魔力ってことだよな?」 「そうだ。本来持っている力ではないから、義眼から全身に魔力を通すにも時間が掛かる」 「……ああ、それでお嬢様が時間稼いでたのか」 「分家が表に立っているのもそのためだ。本家のフリをして交渉し、矢面に立つ」 「なるほどなぁ……」 「けどその義眼には、ケタ違いの魔力があるんだよな?」 「まあ、赤い眼の魔女の力だからな」 「あんたのその魔力を少しだけオレに分けてもらうことってできるか?」 「……いや、今は無理だ。さっきの無茶で右目が使い物にならん。しばらく休まないと回復しない」 そう言いながら、眼帯の上から右目に触れる。 「右目が使えなければ、俺は普通の人間と同じだ」 「そうなのか……」 「!? な、なんだ!?」 「……これは……!」 突然低い地響きと共に地面が揺れ出した。 執事は目を見開いて辺りを見回す。 「なんなんだこれ!? 何か起きてるのか!?」 「力が……暴走している……」 「暴走!?」 「おそらく、停止していた防衛プログラムを無理矢理作動させたんだ」 「防衛プログラムって時計塔の魔法陣のかよ!?」 「ここはいいから、お前も加勢に行ってこい。大変なことになっているかも知れない……」 「わ、わかった!」 「いいえ、行ってもらっては困ります」 ぎょっとして声のした方を見ると、縛られたままの聖護院先輩がすっくと立ち上がっていた。 「……馬鹿な」 「そんなに早く目覚められるわけない、と思いました?」 そう言いながら、聖護院先輩は事も無げに両腕を広げる。 ぶちぶちと音を立てて、縄がすべてちぎれ飛んだ。 「嘘だろ……」 とん、と地を蹴って聖護院先輩が跳躍し、オレ達へと迫る。 が、目の前に飛んできた何かを避け、横へ飛び退いた。 「――アーデルハイト!」 「避けられたわね……」 地下通路への入り口からお嬢様が身を乗り出していた。 さっき投げつけたのは香水か。 とん、とステップを踏んで距離を取る聖護院先輩。 その懐から何かが転がり落ちた。 「あっ!? 春霞の石じゃねーか!!」 「何!?」 「彼女が回収してたのね……」 「それで回復が早かったのか…! しくじったな……」 聖護院先輩の方も、落とした石をちらりと見たが、地下から出てきて再び身構えているお嬢様やオレ達を警戒し、拾うことは出来ずにいた。 今のうちに、どうにかしないと…… 扉の向こうは、地下図書館のさらに地下だった。 目の前の様子を見てすぐに、モー子がすべてを理解して息を飲む。 「まさか! いけない、早く!」 だが俺達が扉から身を出しきる前に、すでに学園長は奥へと走り出していた。 扉を開けたおまるが後を追おうとするが、宝物庫の結界に跳ね返された。 高笑いを響かせながら、学園長は宝物庫の中へと消えていく。 俺達は遠ざかる笑い声を聞きながら、宝物庫の前で呆然と立ちすくんだ。 「ここまで来て手が出せないなんて……」 無謀にもまた突入を試みて、おまるは跳ね返され床に転がった。 「おい、無茶すんな!」 「じゃあ、どうすれば……! このままじゃ、みんなが……」 「……………………」 どうすれば、と言われてモー子も唇を噛み黙り込んでしまう。 結界を破るような魔術――ハイジなら何かわかるかもしれないが、そんな暇があるのか……いや、どう考えても時間が足りない。 「……何か……何か手はないのかよ……」 「……………………」 モー子は必死に考えを巡らせている。 額に汗が滲むほどに……。 「!? 今のは……」 暗示魔術の中で聞いた声だ。 微かにだが、確かに聞こえた。 (俺なら……? どういうことだ……) 結界があって跳ね返されるってのに、俺なら入れるなんて……。 この宝物庫には、人間は入れないって……。 「……………………」 人間は、入れない。 「……久我くん?」 「人間は……だったら……」 ……ああ、そうか。 そういえば、いくつも条件は揃ってたな。 そういうことなのか……。 腑に落ちた。 その途端、背中が泡立つようにぞくりとして、嫌な寒気を感じる。 (……落ち着け。落ち着けよ、俺……) 「久我くん? どうしたのです?」 「……モー子、おまる」 「えっ?」 「少しだけ……気持ちを整理する手伝いしてくれ」 「は……?」 小刻みに震えようとする拳を、力一杯握りしめて強引に抑えながら、俺は話し始めた。 「モー子お前、前に俺の夢を見たよな。俺が火に包まれる夢」 「見ましたけど……」 「あれは実際にあったことだ。俺はそれで火が怖くなった。なのに……」 次の言葉を口にする前に、俺は深く息を吸い気持ちを落ち着け――ようとした。 あまり、上手くはいかなかった。 「俺の体には、火傷の跡が一つもないんだ」 「え……」 それは、昔からおかしいなと思っていたことではあった。 「そして、そのとき俺のそばにいたあいつは、魔女だ。それもかなり強力な」 だからそれこそ、あいつが魔女の力で傷を消してくれたのかと思っていた。 だが、おそらくそうではなく…… 「…………まさか」 そこまで聞いて、モー子はもう俺の言いたいことを察したようだった。 「まさか、そんな……でも、きみには子供の頃の記憶はあるんでしょう……?」 「その記憶だって、そう作り上げられたものかもしれねえだろ」 「つ、作り……ええ……?」 そう、記憶も……身体も……傷一つ無いこの身体も…… 「きみは……きみは、自分が人間ではないと……言うんですか……」 「えっ…!?」 「わからねえけど。色々つじつまは合うだろ?」 「……………………」 否定の言葉はなかった。 モー子が沈黙したことで、俺の中でそれは確信に変わる。 「ただ、もしそうなら……」 そっと宝物庫の結界に手を伸ばしてみる。 触れた瞬間に、ばちっとかすかに反応はあったが………。 おまるがぶつかった時のような反発は、なかった。 「……………………」 「み、みっちー……」 何と言っていいかわからない、といった顔で呆然としている二人に、俺は言った。 「それはそれで、今は役にたちそうだ」 「聞こえるかい、ニノマエ君?」 「まあいい。このまま魔法陣が壊されなければ、復活はやり遂げられる」 飽きた玩具でも放り出すように、オブジェのような魔法陣の印を放り出す学園長。 それはころころと転がってきた。 「……ん?」 「これはもらっていくぜ」 「こ――久我、君っ!?」 足許に当たったそれを拾い上げた俺の姿を見て、学園長は目を見開き後ずさった。 「バカな!! まさか、君にラ・グエスティアが効かなかったのは、そういうことなのか!?」 「どうやらそうらしいぜ」 「それを返したまえ!!」 なりふり構わず飛びかかってくる学園長を軽くかわし、首筋に手を伸ばす。 「あっ!?」 「これもな!!」 首からぶら下げていた鎖を引きちぎり、ヤヌスの鍵を奪い取った。 「お断りだ!!」 手近にあった棚に手を掛け力任せに引き倒す。 「うわぁっ!?」 巻き込まれそうになった学園長は、慌てて転がるように俺から離れた。 その隙に反対側の棚も続けて二つ、引き倒しておく。 「しばらくそこでおとなしくしとけよ!!」 「なっ、お、置いていく気か!! こら、どけろ! 出せー!!」 もちろん出してやるつもりはないので、とっとと引き返そうとした。 「あ……」 しかし、ふと思い出したことがあり立ち止まると肩越しに振り返る。 「……あんた、花立睦月の行方を知ってるか?」 「はなたて? 花立睦月、だと? まさか彼女を捜しているのか? 君が?」 意外なほど驚いた声を出し、学園長は逆に聞き返してきた。 正直にモー子が捜してると伝えてやる必要はないよな……。 「そうだ、花立睦月はどこにいる!」 「は、はは……ははは……」 「? おい……?」 「……学園長……?」 「あははは、あははははっ!! はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」 「……………………」 学園長は壊れたように笑い続けた。 何が起きたのかさっぱりわからないが、どう見ても言葉の通じる雰囲気ではない。 「くそっ…!」 気になるが、もう放っていくしかない。 笑い続ける学園長を置いて、俺は出口へと駆けだした。 「えっ?」 またあの声だ。 謎の声が聞こえ、俺は足を止める。 声のした方を見ると、棚の上に封印の札を貼られて丸くなっている小さなものが転がっていた。 「持って行けってのか?」 ……返事はなかった。 よくわからんが、札が貼ってあるなら大丈夫か。 丸っこい何かをポケットに突っ込むと、今度こそ宝物庫を出た。 「取り返したぞ!」 「学園長は?」 「奥に閉じ込めといた。念のため鍵も取り上げたしな」 「じゃ、じゃあ、戻るよ?」 「ああ、頼む」 おまるがヤヌスの鍵で扉を開き、再び魔法陣の間へと急いで戻る。 「やめてよ……人間なんだから、ももにかなうわけないんだから……」 「くそ……!」 どうにか聖護院先輩を止めようと飛びかかったが、信じられない力で吹っ飛ばされた。 片手を軽く振っただけに見えたのに、この威力じゃあかなうわけがない。 (相手が遺品無しでもこの様かよ……!) 聖護院先輩はというと、吹っ飛んだオレを心配そうにも見えるような顔つきで見ている。 「抵抗しないで? ももは怪我させたいわけじゃないんだよ……」 「……今更だな……」 「本当だよ。でも、お客様の力はさすがに厄介だから……」 聖護院先輩は、床に倒れ伏したオレから執事の方へと視線を向ける。 守るようにその前へお嬢様が立ちふさがった。 「おい、無茶はするな!」 執事は慌てて立ち上がろうとしたが、それより早く聖護院先輩の手はお嬢様を捕らえる。 「きゃあっ!?」 ひょい、と片手で持ち上げられ、お嬢様は軽々と放り投げられた。 「うっ……」 地面に叩きつけられたお嬢様だったが、どうにか無事らしい。 (石、そうだ、さっきの石……) もうあれしかない。 さっき聖護院先輩が落とした魔石を、床を見回して捜す。 「やっぱりね、あなたの能力が一番問題ありそうだから……」 無表情にそういいながら、懐から短剣のようなものを取り出す聖護院先輩。 「ごめんね、こんなことしたくはないんだけど……」 「やめてぇ!!」 悲鳴を上げ、お嬢様が執事に飛びつき覆い被さる。 「馬鹿!! 逃げろ――!!」 聖護院先輩が地を蹴る音。 アーデルハイトの悲鳴―――― いつの間にか壁際に転がっていた石を見つけ、手を伸ばし、握りしめる。 「頼む!! 来てくれ!!」 手の中でラズリットの石が閃光を放った。 一瞬目がくらみ、顔を背ける。 「……………………」 徐々に光が収まっていくのを感じ、そっとそちらに目を向けると…… 見慣れたぼんやりとした光の塊があった。 が、その光はいつものようにモルフィの姿を形取りはしなかった。 「……見つけた……」 そのかわり、光の奥からあいつらしき声がする。 ふわり、と光が広がり、それが消えたかと思うと、そこには見た事もない少女が立っていた……。 「……………………」 「……………………」 出てきた少女は、きょろきょろと周囲を見回した。 オレもつられたように周りを見る。 「……えっ!? な、なんだこれ……」 気付けば、その場の時間が止まったようにオレ達の他は誰一人動いていなかった。 聖護院先輩も、執事達を攻撃しようとした体勢のまま固まっている。 お嬢様も執事を庇ったまま、執事もその下で、彫像のように固まって動かない。 「な……なんで……?」 呆然としていると、少女はその聖護院先輩に近づいてしげしげとながめた。 「え? あ? お、お前……?」 「この人をどうにかすればいいんだね。眠らせたらいい?」 「あ、ああ、うん」 混乱したまま、とりあえず頷いた。 こいつ、モルフィなのか? 口調やら声やらはそうっぽいんだが……。 「……あれ……魂が見えない……」 モルフィかも知れない少女は、少し困った顔をして首を傾げる。 そう呟くと、少女の中に現れた光の珠のようなものに、何か光る文字のようなものが書き込まれた。 「はい、眠って」 つん、と少女に触れられると、聖護院先輩はくたくたとその場に座り込み、すやすや寝息を立て始めた。 「何が起きたんだ……?」 気付けば止まっていた時間も元通り動き出したらしく、執事とお嬢様がその場の状況に呆然としている。 「すまん、オレにもわからん」 そう言いながら、モルフィらしき少女を見上げる。 少女は、申し訳なさそうに小首を傾げた。 「……いや、まあいい。それよりアーデルハイト、魔法陣は?」 「あ、そうだ! 久我達どうなってんだ!?」 「わからないわ、でも魔法陣が暴走してたとしたら、かなり危険……」 「………どこ?」 「へ?」 気のせいか、モルフィらしき少女は少し焦っているように見えた。 「そうか、来てくれ! お前ならなんとか出来るかも……」 「思い浮かべて」 少女はオレに近づくと、すっと手を取った。 「あなたが思い浮かべてくれたら、そこへ、飛べる」 「――壬生さん、村雲さん!!」 「は、早く止めて!! もう保たない……!!」 「みーくん、頼む……!」 取り戻したオブジェを手に駆け戻ってくると、鍔姫ちゃん達はもう限界寸前でふらふらになりながら荒れ狂う魔法陣を抑えていた。 「待ってろ、すぐ……」 「……あ」 そうだった。 この魔法陣は魔女以外が入ったら一発で意識が吹っ飛ぶ代物なんだった。 「誰か……ルイさんは無理でしょうか……」 「あいつはまだ倒れたままだ。呼んできてもこれをはめ込むところまで保たないだろ……」 「そ、そうか……魔女がやるしか……」 「わかった、私がやる……!!」 跪いていた脚を必死に動かし、鍔姫ちゃんは俺達の元へと近づこうとしてくれた。 しかしもう限界らしく、ふらついてまともに歩けそうにもない。 「鍔姫ちゃん、無理するな!」 「で、でも……!」 不意に、何かが切り裂かれるような音がした。 「なんです!?」 「なんか裂けてる!?」 振り向くと、背後の空間に裂け目のようなものが出来ている。 その中から、ここにいるはずのない奴の声がして、ここにいるはずのない奴が転がり出てきた。 なぜかその後ろに、村雲が続いて出てくる。 「お兄ちゃん! 無事? 無事なの!?」 「なっ……なんでいるんだ、お前!?」 「あ……だ、だって、魔女が必要、なんでしょ?」 「だからって満琉、お前……どうやって……」 「はぁ!?」 「本物の……?」 たたた、と駆け寄ってきた満琉と俺を見比べ、唖然とするモー子とおまる。 「へ? 誰?」 「あれ……力が……」 「あれっ? 本当だ、なんか負担が軽くなった!?」 魔法陣の中にいる魔女の二人も、呆然と満琉に目を向ける。 こいつ、来るなり魔法陣の暴走を止めてやがるのか。 「……あっ!」 その様子を見てモー子は声を上げ、俺の手から魔法陣から抜き取られた部品をひったくる。 「これをあの魔法陣の欠けた中に入れてください、お願いします!」 「えっ? あ、は、はい」 ふらつきもしない満琉を、鍔姫ちゃん達が驚愕の目で追う。 「……ここ、かな?」 そして学園長が引っこ抜いた場所に、部品を無造作に押し込む。 「あ……明滅が……」 「収まってきた……?」 「……よかった。変なことになってるの、なおってきた……」 明らかに動作がおかしかった魔法陣は、徐々に落ち着いたかのように明滅をやめ、色も不気味なものではなくなってきた。 「……あの」 「え?」 「えと、ずいぶん……疲れちゃってる」 「……………………」 満琉は、へたり込んでいた魔女二人に近寄ると、ぺたりと二人の額に手を触れた。 「……! これは、あなたの魔力?」 「わけてくれるの? 大丈夫?」 「う、うん……ぼくは平気」 あの人見知りの満琉が、自分から他人に近寄って話しかけるなんて……。 俺達が思っていた以上に、鍔姫ちゃん達の消耗は見過ごせないほど激しかったのかもしれない。 「ありがとう、これで立てる……」 「うん! ありがとうね、えっとあなたは……?」 途端に真っ赤になってふるふると首を振る満琉。 やっぱ人見知りが治ったわけじゃなかったか。 「行こう、魔法陣はもう大丈夫だ」 ふらふらしながらも、なんとか歩いて魔法陣から出てくる鍔姫ちゃんとスミちゃん。 その後ろから、満琉もついてくる。 「まだ時間はある……、これから破壊の魔法陣を書きます!」 モー子はポケットからルイに貰ったメモと、チョークを取り出した。 「そ、そうだね! 憂緒さん、おれそのメモ持つよ!」 「あ、ああ」 鍔姫ちゃん達は、魔法陣から出たところで座り込んで息を整えていた。 その後ろに、ちょっと心配そうに満琉が所在なげに立っている。 「春霞! 大丈夫か!?」 走り寄っていく村雲の後に続いて、俺も満琉達の方へ近づいた。 「あはは、だいじょーぶ。その子のおかげで助かったー」 後ろに立っている満琉を見上げながら、スミちゃんが言う。 満琉はまた真っ赤になった。 「まったくだ……。彼女は久我くんの……?」 「うん、まあ、後で説明する……歩けるか? 部屋に戻って休んだ方が……」 「ああ、ありがとう、久我くん」 俺は鍔姫ちゃんに肩を貸しつつ、満琉の方に向き直る。 「……………………」 満琉はバツが悪いような、恥ずかしいような複雑な顔で俺を見返してきた。 今のところ、大丈夫そうに見えるがこいつは…… 「満琉、お前……どうして来たんだ。来るなって言っただろ」 「…………」 そう言うと満琉は、ふっとうつむいた。 気のせいか、小刻みに肩が震えている。 「それにお前、そんなに力を使って……もう二度と使わないって約束しただろ?」 「…………」 「なあ、あんまり心配させないで……」 「………さい…」 「は?」 きっ、と俺を見上げた顔は、これ以上ないくらい不満が爆発した怒りの顔だった。 「え、あの……え?」 呆気にとられた俺に、ものすごい勢いでまくし立ててくる。 「ほんとに何もわかってない!! ぼくがどれだけ心配だったのか、考えたことあるの!?」 「元々入学の案内だってぼくに来たのに、ぼくはお兄ちゃんの病気を治したくてここに来ようって思ってたのに!」 「なのに来るなって言っただろとか、本当に勝手なことばっかり!! 自分のやりたいことばっかり!!」 「いや、あの、心配だったのは俺だって同じでだな」 なだめようとするが、満琉はまったく聞いてくれない。 真横にいる鍔姫ちゃんも、口を挟んでいいものかどうかわからない様子で困惑していた。 「いやだから、落ち着け」 ばかーを連呼する満琉をなだめていると、ちょんちょんと後ろから肩を突かれた。 「あの……ちょっと聞いていいか?」 「なんだよ?」 「あ」 声を掛けてきたのが村雲だと気付き、満琉はぴたっと叫ぶのをやめた。 そういえば、なんでかこいつら一緒に来たな。 「説明してくれ。こいつってお前の……?」 「聞いてりゃだいたいわかるだろ。こいつがお前の捜してた本物の久我満琉だよ。俺の妹」 「はあぁぁ!???! お、おまえ遺品じゃなかったのか!?」 「………うん……ごめん黙ってて…」 「でこいつが久我満琉だったんならてめえは一体なんなんだよ!?」 「俺は満琉の兄貴だ。久我三厳。よろしくな」 「……………………」 愕然と膝から崩れ落ちそうになる村雲。 なんだかわからんが、非常にショッキングな話だったらしい。 「う……うぐ……」 「えっ!? モル……じゃねーや、おい!」 「ああもう、だから力使うなって言っただろ……」 空いていた方の手で倒れかけた満琉を支えてやると、満琉はか細い声で呟いた。 「だって……役に、立ちたかった……」 「ああ、そうだな。今回ばっかりはお前が来てくれて助かったよ」 「…………そっか」 少し満足そうに言うと、満琉はそのまま気を失う。 その顔を心配そうに村雲がのぞき込んだ。 「だ、大丈夫なのか?」 「気絶してるだけだよ」 それより、なんで満琉と知り合いっぽいんだと追求しようとした途端、背後でただならぬ声が上がる。 「そんな……!!」 「モー子!?」 モー子が焦った声を上げ、魔法陣を見据えていた。 何かあったのか。 「おい、村雲。ここ頼む」 「お、おう」 満琉と鍔姫ちゃんを村雲に任せ、俺はモー子の元へ走った。 「どうした!?」 「……………………」 モー子は呆然とした顔で、メモと魔法陣を何度も見比べている。 そのモー子に代わって、おまるが答えた。 「メモに書かれてる魔法陣と、形が変わってるんだよ……!!」 「変わってる!? ルイが描き間違ってたのか?」 「いえ、元の魔法陣から形自体が変形してしまっているのです」 「おそらく一度暴走させたせいで、魔法陣が変形したのではないかと……」 「どうすんだ、それ!?」 「おれ、二人を呼んでくるよ!」 おまるはスミちゃんから預かったままのヤヌスの鍵で扉を開けた。 やがて、血相を変えたハイジが扉から転がり出てきて、おまるに肩をかされたルイが後に続いた。 「変形、していますよね……」 「防衛プログラムを無理やり作動させると、魔法陣の組成が変わるようになっていたんだわ」 「用意していた破壊の魔法陣では、これは破壊出来ない!」 「だからと言ってこれをまた一から解読していたのでは……」 「ええ、12時にはとても間に合わない…! こんな手まで用意していたなんて……!」 腹立ち紛れに床を蹴る。 はずみで、何かがポケットから転がり落ちた。 「……? あ、宝物庫の……」 謎の声の言う通り、宝物庫から持ってきたものだ。 「なんなんだ、これ?」 封印の札をはがしてみると、出てきたのは小さな見覚えのある指輪だった。 スミちゃんが呼び出してしまった、怪力になる遺品だ。 「それは……!」 それを見たモー子が、はっとした顔になりすぐにハイジに向かって聞く。 「不可能ではないけど、魔法陣全体……このフロアすべて崩れ落ちるくらいの破壊の規模が必要なのよ?」 「もうそれしかないんだろ」 俺は自分の指にその指輪をはめた。 指輪はまるで俺の指に自分から合わせるようにしっくりと馴染むサイズになった。 「これって俺に魔力が無くてもなんとかなるか?」 「私達で込めれば大丈夫なはずです!」 すぐさまモー子が俺の手をとって、指輪に魔力を込めようとする。 うっすらと指輪にはめ込まれた石が淡く光った気がするが、それはすっと消えてしまった。 「できるだけ、多くの魔力が必要です…! 協力してください!」 「う、うん!」 「魔力を込めればいいのね?」 「残り少ないがな……」 おまるとハイジ、ルイも寄って来て全員で手をかざし魔力を込める。 ようやく指輪の石はゆるゆると光り出したが、まだ弱々しい。 「あなたは無理しないで!」 「これじゃあ足りないか……?」 「おそらくは……いくら久我くんでもこの床を丸ごと破壊するには……」 やっぱりこの指輪の三つの石が、全部光るくらいじゃないと駄目か。 (…………満琉……) 満琉は、村雲に付き添われ、鍔姫ちゃん達と一緒に少し離れたところで横になって休んでいた。 (鍔姫ちゃんとスミちゃんも、ようやく歩けるようになった程度だ。あとはもう、満琉しか……) 満琉を起こして魔力を込めてもらうしか、ないか……。 「待って。もう一度、やってみるから」 そう言って、おまるが俺の手を取った。 目を閉じて念を込める。 「おれの力、まだ……もっとあるはずだ!!」 「うわっ!?」 途端に、みるみる光り輝き出す指輪の石。 淡かった石の光はまばゆいほどになった。 「お、お前すごいな!?」 「だって……助けないと……みんないなくなっちゃう……!」 二つ目の石が光を帯びていく。 「駄目だよ、そんなの……! そんなこと、させないっ……!!」 そして、ついに三つ目に輝きが宿り始めた。 「もう少し……全部、光れぇえっ!!」 「光った…! 全部光りましたよ、烏丸くん!」 すべての石がまばゆく輝いたのを見て、おまるは肩で息をしながら力を抜いた。 「だ、大丈夫? これで、いける……?」 「大丈夫なはずよ! すごい魔力が籠もっているのを感じるもの!」 「よし、全員下がれ! たたき壊す!!」 全員が階段のところまで下がったのを見て、俺は魔法陣の縁に立ち深呼吸する。 「久我くん、もう0時前です!」 「わかった! 壊すぞ!」 魔力の籠もった指輪をはめた手を頭上に振りかざす。 (――……みんな……) 「止めちゃ駄目!」 一瞬、脳裏をよぎった夜の生徒達の顔に拳を止めていた俺に、おまるが叫ぶ。 「みっちー、駄目なんだよ…!! 壊さなきゃ…!」 「おまる……」 おまるは泣いていた。 泣きじゃくりながら駆け寄ってきて、俺の背中にすがりつく。 「……やりましょう。私達も、一緒に背負いますから……」 いつの間にか、モー子も隣にいた。 「魔法陣ごと破壊出来るほどの力を出せるのはきみしか居ないけれど……」 「その辛さは、私達みんなで背負っていきましょう」 そう言って、俺の背に手を添える。 「誰かを犠牲にして蘇ったって……嬉しくないよ! そんなの間違ってるよ!」 「……そうだな」 風呂屋、春日、射場さん、雛さん……それに、夜の生徒のみんな。 「――――すまん!」 気合いと共に、拳を振り下ろす。 凄まじい轟音と、衝撃。 振り下ろした拳から、魔法陣の中心めがけて亀裂が走る。 「……下がってっ……!!」 モー子の声に、俺は咄嗟にモー子とおまるを抱えて後ろに飛び退く。 「うわっ……!?」 目の前で、中心部に達した亀裂から光が溢れ、その光は魔法陣全体を飲み込んでいった。 「……崩れていく……」 光の中へ、亀裂の縁から徐々に崩れ落ちていく魔法陣。 そして亀裂はどんどんと広がり、やがて魔法陣のあった床すべてが崩落する。 「……………………」 溢れた光が薄まり、消えていく頃には、そこにはもうぽっかりと口を開けた奈落しか残っていなかった………。 「終わった……ね……」 「ええ……終わり、ました……」 「え? そう?」 「わぁっ!? おいどうしたんだ!?」 「えっ、なに?」 「誰か倒れたみたいだよ?」 「ど、どうしたん……」 「完全に停止しているわ……」 念のため確認したハイジが、かろうじて残っていた魔法陣の欠片を見て頷いた。 「そうか。あとは、学園長だな……」 「どこにいるんだ?」 「宝物庫に閉じ込めてきた。誰かまだ鍵使えるか?」 「大丈夫、ヒメちゃん?」 「ああ、少し休んだから」 そう言って鍔姫ちゃんは、おまるからヤヌスの鍵を受け取って扉を開こうとする。 「あれ? おかしいな、反応しない」 「宝物庫には結界があって入れないからでしょうか?」 「かもしれないな。その手前でも良いか?」 「ああ、大丈夫だ。行ってくるよ」 図書館へと扉を開いてもらい、俺はそこから宝物庫へ向かった。 「……学園長?」 引き倒した棚の奥に呼びかけてみるが返事はない。 棚の上に上って向こう側をのぞいてみた。 「げっ……いない!?」 慌てて宝物庫を飛び出し、繋いでもらっていたままの扉から魔法陣の間へと戻る。 「すまん、逃げられた!」 「いなかったのか?」 「ああ、もぬけの殻だったよ」 「仕方ありませんね……。気にはなりますがひとまず計画は阻止出来たわけですし」 「ええ、向こうもすぐには動けないと思うわ」 「夜の生徒達はどうなったんだ?」 「そちらも気になりますね。学園に戻りましょう」 鍔姫ちゃんが鍵を使ってくれて、全員で校舎内へと戻って来た。 気を失っている満琉は俺が背負い、ルイはどうにかハイジに支えられて自力で歩いている。 「わー、みんな倒れてるよ!?」 廊下や教室や、そこかしこに昼の生徒達が倒れていた。 すぐさま鍔姫ちゃんとモー子が駆け寄って、生徒達の様子を見る。 「よかったぁ……」 「魔法陣が破壊されて、掛かっていたすべての魔術が解けた衝撃で気を失っているのだと思うわ」 「ならすぐ回復するのですね?」 「ええ、大丈夫よ」 背後で何か倒れる音がしたと思ったらおまるだった。 「あー、さっき魔力盛大に使ったからな。おい静春ちゃん、満琉持っててくれ」 「ちゃん言うなってのに……」 ぶつぶつ言いながらも村雲は素直に満琉を引き受けてくれた。 おまるでも満琉よりは重いだろうから、俺が背負った方が良いだろう。 「おい、おまる。大丈夫か?」 「……ん……」 おまるはぽーっとした顔で俺を見上げる。 今にも眠ってしまいそうな顔だった。 「おまる、さっきは頑張ったな。助かったぜ」 「ええ、本当に」 すっと俺の隣に来て、モー子もおまるの顔をのぞき込む。 「烏丸くんにあんなに力があったなんて……きみがいなかったら危なかったですね」 「……そっかな……よかった、役に立てて……」 「役に立ったどころじゃねえよ。あんなに魔力強かったんだな」 「……おれも知らなかった」 「ふふ、烏丸くんらしいですね」 「ほら、担いでやるから掴まれ」 「……………………!」 「どうしたのヒメちゃん?」 「……あの夢……烏丸くんだけが消えた、あれは……」 「ヒメちゃん?」 「え?」 おまるを抱き起こそうとしていた俺に、鍔姫ちゃんが鋭く叫んだ。 「!? こ、これは……?」 おまるの胸の辺りから、ふわりと何かが浮き出てきて転がり落ちる。 「え……?」 「……ラズリットの石……?」 石はころころと床を転がったと思ったら、光の粒のようになり飛び散って消えてしまった。 それを見た鍔姫ちゃんの表情が、何かとても辛いことを悟ってしまったかのように強ばっている。 …………なんだよ。 どういうことなんだ…… 嫌な予感に、すうっと体温が下がるのを感じる。 そして、おまるが呟いた。 「……ごめん、おれも……もう、行かなきゃ……だめみたい……」 「な……何言ってんだ、お前……?」 「おれもね、もう……本当はもう、ここに……いなかったんだ……」 「いなかった……!?」 「思い出しちゃったんだ……あの、暗示解ける魔法陣に乗った時、全部」 「おれも、20年前の生徒……だった、って」 「………!!」 「なに……何言ってんだよ……」 20年前の――夜の生徒と、同じ。 それじゃあ、おまるは……おまるも…… 「……烏丸……?」 「そんな……」 おまるの告白を聞いて、背後にいた他の面々も息を飲む。 「ヒメちゃん……」 「……ほ、本当の……ことだ……」 嘘ではない、と。 その告白が本当だ、と、魔女は言った。 「烏丸くん! 烏丸くん、どうして……!」 「ごめんね、黙ってて……なんか、それどころじゃないと思って……言えなかった……」 「そ、そんなはずねえだろ!? だってお前、昼間もずっといたじゃないか!!」 「お前が夜の生徒だったら、なんで……」 「……さっきの、石…………ラズリット・ブロッドストーン……」 「え……?」 「烏丸くんの身体の中にあった……それが魔術を固定していたのだとしたら……烏丸くんは、復活の実証試験のために……!」 「うん。多分、そうだと思う……」 「そんな、じゃあ……魔力を使い切らなければ助かったかもしれない……!!」 「えっ……」 「だめだよ……言ったじゃん、こんなの止めないとって」 「……!!」 「止めようって、みんなで……約束したじゃん……」 「……………………」 「おれがいたら、その代わり誰かが助からないんだよ……」 「だ……だから、お前……」 「誰かを犠牲にして蘇ったって……嬉しくないよ! そんなの間違ってるよ!」 自分のこと、だったのか……。 あれは、夜の生徒はきっとそう思ってるって意味だとばかり……。 「うん、だから……これで、いいんだよ……」 「そん、な……烏丸くん……」 「……………………」 いいわけないだろう、と叫びたかった。 だけど、それはこいつが助けようとした誰かの命を否定する言葉だ。 「でも……ちょっと、くやしいなあ……」 力なく微笑みながら、おまるは少し冗談めかして窓の方を見ながら言った。 「……花火、見たかったなあ……」 「み、見せてあげる!」 後ろにいたスミちゃんが、泣きそうな声を出す。 いや、彼女はもう泣いていた……。 「花火のもと、どこ!? 待って、すぐ見せてあげるから!」 「ここに……!」 モー子が持っていた花火の薬をスミちゃんに手渡す。 「見てて!」 「私も……!」 鍔姫ちゃんが中庭に走った。 そして魔女二人は、ハイジの作った花火のもとに魔力を込め、夜空へと打ち上げる。 「わぁ………」 「見えるか? 烏丸くん!?」 「………うん……ありがとう……」 「……ん……何の音ぉ?」 「あ、花火だぁ!」 夜空にこだまする花火の音に、倒れていた昼の生徒達が目を覚まし起き上がった。 「あれー、なんで寝ちゃってたんだろ?」 「見て見て! 花火だよー!」 「わぁ……! おーい、みんな起きろー!!」 次々に起き上がり、みんな窓に駆け寄って夜空を見上げる。 「ほら、葵! 起きて! 花火だよー!」 「えっ…? わぁ、本当だぁ!」 「すごいすごーい!」 「きれーい! イベントってこれだったんだー!」 「……きれいだね……」 喜ぶ生徒達と、窓越しの花火を見て、おまるはとても――本当に満足そうだった。 「ええ……とっても……」 「もっと上げるよ! もっと!」 「おまる!?」 「さよならって…………言ったほうがいいのかな…………」 おまるの輪郭が揺らいで、その向こうに別の誰かの姿が浮かぶ。 消えようとするおまるの瞳が俺達の方を見て、その姿を映す。 「……みっちー……憂緒さん……ずっと、いままで、通り……」 「……いつまでも、おれの知ってる二人で……いてね……?」 「烏丸くん……!」 「…………じゃあね……」 「おまる……!!」 最後に残したのは、見慣れた笑顔だった。 そのまま、溶けるようにおまるの姿は消えていった……。 「え……この子……」 俺の腕の中にいるのは、烏丸小太郎ではなく、いつか夢の世界で見た女の子になっていた。 それを見たモー子が、息を飲んで傍らに跪く。 「……む……睦月……!?」 ……夜は、何事もなかったかのように明けた。 いつも通り生徒達は笑いさざめきながら校舎へと入って行く。 「きのうの花火すごかったねー!」 「きれいだったよねー」 結局、当初の計画とは違った形になったが、生徒達にとっては『ただイベントがあっただけ』の夜にすることができた。 ……おまるが望んでいたとおり、楽しみにしていた生徒達に花火を見せることも出来た。 けれど…… 「けど、あんなことがあったのに、普通に一日が始まってるなんてな……」 「仕方がありません。表向きにはここは普通の学校です」 「まあな……」 「たとえ学園長が不在になっても、学校としては普通に機能するのでしょう」 「もともと不在にすることも多い方だったようですし……」 あれ以降、学園長はふっつりと姿を消してしまったきりだった。 何度か学園長室をのぞいて見たが、戻って来た気配はない。 「もも先輩はどうしたんだ?」 「アーデルハイトさんとルイさんが、厳重に封印して眠らせてくれたそうです」 「そうか……」 「そちらこそ、妹さんは?」 「寮の部屋で寝てる」 「そうですか。容態はどうなのです?」 「満琉は力を使うといつもああやって、後で具合を悪くするんだよ。けどまあ、寝りゃなおる」 「それなら……良かったです」 「……………………」 「……………………」 なんとなく、二人して黙り込む。 そろそろ授業も始まるというのに、教室へ向かおうという気にもなれない。 「……まだ……信じられませんね」 「ああ……」 「もう、ここに……烏丸くんがいないなんて……」 「……いつも一緒だったからな……」 だから、なのかもしれない。 いつもなら分室にたまってる俺達が、なぜかこんなところにいるのは。 (もうあの部屋にも、おまるが来ることはないんだよな……) 部屋にいると、いつも通りひょっこり現れるんじゃないかと、それを期待してしまいそうだった。 「……………………」 「でもさ、お前の友達は無事でよかったよ。おまるだって……」 泣いてるような声だ、と思ったらモー子は本当に少し涙ぐんでいた。 「睦月と引き換えに烏丸くんを失って、それで私が本当に喜ぶとでも思っているんですか!」 「……………………」 モー子はすぐ落ち着きを取り戻し、うつむきながら謝った。 「つらいのはきみも、同じはずなのに」 「いや……俺も正直、よくわかんねえんだよ。本当につらいのか、それともそうじゃないのか」 「え…?」 「感情もさ、そう設定されたものなんじゃねえかって……」 「……きみは……本物の久我三厳は火事でもうすでに死んでいると思っているのですか」 「今のきみは、久我満琉に作られた兄のコピーのホムンクルスであると?」 さすがモー子。 察しが良い上に、俺の言いにくいことをはっきり言ってくれる。 「満琉は俺が傷つかないように、ずっと一人で真実を隠して守ってくれてたのかもしれない」 「……でも烏丸くんは、違うと言ってました」 「え?」 「魔法陣が変形していると気付く前のことです」 「そのときに、きみの事を二人で少し話しました」 「みっちーってさあ……」 「はい?」 「結構短気なとこあったり、変に対抗意識あったりとかするし……」 「憂緒さんとだって、もっとうまくやった方が絶対いいのに、突っかかったりするしからかったりするし」 「な、何の話ですか」 「……そうですね」 「これまでずっと一緒にいて、おれはみっちーのこと、人間じゃないなんて、思えないよ」 「私もそう思いますよ」 「……そうか。おまるの奴、そんなこと……」 「例えば、こうは考えられませんか?」 「ん?」 「きみは火事で大火傷を負った。きみの妹は、そんなきみを助けるために、身体の一部を作り直した」 「作り直した……?」 「きみの体の病気は、いつからです? 生まれつきですか?」 「いや、火事の…後からだ」 「ではきみが病気を抱える羽目になったのは、人間の部分とホムンクルスの部分が混在しているから、とは考えられませんか?」 「一から新しい体を作るのなら、そんな病気など持たせるはずはないでしょう」 「あ、ああ、確かに……」 「それになにより、きみは壬生さんに嘘を見破られたことがあるはずです。本人に確かめました」 「あ……」 「みーくん? 君は今、嘘をついたな」 確かにあった。 そうだ、鍔姫ちゃんが嘘を見抜けるのは魂が揺らぐ気配を察するから……。 「ならばきみは人間ですよ。少なくとも、魂がないなんてことは、ない」 「……………………」 「だから、悲しい気持ちも本物です」 「………そうか、本物か」 この喪失感も、痛みも。作り物じゃあないんだな……。 「……あいつ、自分はもうすぐいなくなるってわかってたのに、俺の心配してたのか」 「そうですね……。烏丸くんらしいと言えば、らしいですが」 「らしい、な……」 最後まで、あいつらしかった。 だからこんなに胸が痛いんだろう。 「あ、いたいた! もーちゃーん!」 「睦月……」 少ししんみりしてしまっていた所に、花立睦月が走ってきた。 「もう起きて大丈夫ですか?」 「うん、もう大丈夫!」 おまるが消えた後、彼女はしばらく目を覚まさずモー子の部屋で寝かされていたそうだ。 その後、朝には目を覚ましたので、ある程度の話はしておいたとモー子から聞いている。 「あ、久我くん、だよね? えっと、わたしの身体がお世話になりました」 「いやいや……」 「なんか、その……わたしのこと見てると複雑な気持ちかもしれないけど……」 「……それは気にするなよ。君の身体は君のものだろ」 「おまるだって……ああ、その、身体借りてたやつだけど」 「うん、もーちゃんから聞いてる。烏丸くん、だよね?」 「ああ、あいつもそう望んでたから。だから気にしなくていいんだ」 「……ありがとう! もーちゃんが言ってたとおりの人だねー」 「へ?」 「む、睦月。それより何か話があったのでは?」 「ああ、そうだった! あのね、話をいろいろ聞いて、ひとつ不思議に思ったことがあるんだけど。どうしても気になっちゃって……」 「なんです?」 「―――結局、20年前の事故って、何だったの?」 「…………はい?」 なんだった、と言われても……。 火事だったはずだが。 モー子も少しぽかんとしながら答える。 「ええと、落雷による火事のはず……ですけど」 「でも、遺体がなくなっちゃうくらい、ひどい火事だったんだよね? それってただの火事なのかな?」 「そうか……確かにただの火事じゃなさそうだな、なんかの魔術の実験とかだったのかも……」 「……………………」 モー子はまた呆然としている。 「そんなに、火事の原因が気になるのか?」 「違います!! ああ、もう! どうして気付かなかったのか!!」 「な、なんだよ突然?」 突然叫び出し、モー子は興奮した声で続けた。 「睦月の言うとおり、いんです! 火事という単語に惑わされた!」 「どういう意味だ?」 「20年前の事故の死者から抜き出した魂を捕らえてどこかに閉じ込めてあるのではないかと考えていました」 「お、おう。そうだな」 「そもそも魂というものは、魔術的に言うと、死とともに体から抜けて――」 「またまっさらな状態に戻り、どこかで新たに生まれてくる命に入るのです。それはつまりどういうことです?」 「ええとつまり、身体から抜けた魂がまっさらな状態になる前に頑張って回収して、どこかに閉じ込めてる?」 「違う、もう一つ可能性があるでしょう、もっと単純なことです!」 「死とともに身体から抜けるということは、逆に言えば、死んでいなければいつだって魂を呼び出すことができる!!」 「……死んで、いなければ……?」 「だから現場には、誰の遺体も残されていないのです!」 「いや待てよ! でももう、20年も経ってるんだぜ? 死んでないとして、一体どこでどうやって……」 「きみも知っているはずです。この学園には、時を止めることが出来る魔女がかつて存在した」 「……ラズリット……!」 「そう、ラズリット・ブロッドストーンは、その魔女が時を止めて作った石です」 「……それじゃあ……それじゃあ、おまる達は……」 20年前の生徒達は、死んでいない……かもしれない……? 「どうやら、まだ私達の把握していないことがあるようです」 「調べてみましょう。20年前、本当は一体何が起きたのかを……」 「あなたがいれば、状況は変わったかもしれないが、あの石は仕掛けにはどうしても必要……」 「ちぃ……」 「いやいや仕方がない、ラズリット・ブロッドストーンを加工できるのはあなただけだ……」 「……」 「……大丈夫。もう一度必ず魔術を再開させてみせます」 「ちー…」 「ええ、もちろん。もしもの場合の策は予め……」 数日後……。 昼休み、俺はハイジの滞在している客室に呼び出されていた。 テーブルの向かいには、諏訪とハイジが座っている。 「どうかしたの? コガ」 「あ、いや……俺もいていいのかと思って」 「え? どうしてですか」 あの騒動の最後に、ハイジはやるべきことはたった一つだと気付いたのだろう。 大事なものを失った諏訪の心にあいた穴を埋める。 その方法は、ともに時間をすごし、話に耳を傾けることだ。 ハイジがしようとしていることは、理解できる。できるのだが。 「いや。女の子二人が仲良く過ごすのを邪魔してるんじゃねえかなと……」 別に居心地が悪いってわけじゃない。 だが、ハイジが諏訪だけでなく俺まで呼び出した理由がいまいち掴めず、ここにいてもいいのかと疑問が浮かぶ。 「あの、あなたにもとても迷惑をかけたから……だから、その、お詫びも兼ねていて……それに、葵もいいと言ってくれたのよ?」 「………わかった。それじゃあ、今日は遠慮なく参加させてもらう」 「はい」 いつもより殊勝な態度でハイジは答え、少しだけ恥ずかしそうにしていた。 それなら、別に遠慮する必要もないかもしれない。 「フラウ、お料理が揃いましたが」 「あ、はい。それじゃあ、並べてちょうだい」 「ja」 頭を下げたルイは慣れた様子で料理を運び始めた。 机の上に普段は食べないような料理がどんどんと並んで行く。 「うわあ、おいしそう〜!」 「食ったことないもんばっかりだな……」 「はい! わたしもです」 「ふふふ。ちょっと張り切ってみたのよ」 並んで行く料理を見て目を輝かせていたんだが……少し量が多いんじゃないだろうか。 新しい皿を置いたルイがまたキッチンに戻って行き、そちらでまた新しい何かを用意している音が聞こえる。 「……なあ」 「ちょっと、量多くねえ?」 「全部か……」 「ええ、全部よ! だってどれが気に入ってもらえるかわからないでしょう?」 それも全部諏訪を元気にするためか……二人はこれからもうまくやって行けそうだ。 よく見ると机の上にはじゃがいもとソーセージもちゃっかり並んでいる。さすがドイツ人だな。 そのソーセージも本場のものなのかかなりうまそうだ。 「ふふふ。それで、こんなにたくさん用意してくれたんだ」 「………」 最後と言われても既に机の上には大量の料理が並んでいる。 ずらりと並んだ料理をひととおり眺め、ハイジと諏訪は少しだけ困ったような表情になった。 そして、そんなハイジを見やるルイはどこか呆れた様子だ。 「ぜ、全部食べられるかなあ」 「ちょ、ちょっと張り切りすぎたかもしれないわね……」 「今更になって気付いたのですか」 「な、なによ、ルイ!」 「用意する前に少し考えたらどうなんだと警告したはずだが、それも忘れたのか? まったく都合のいい鳥頭だなお前は」 「だ、だって、あの時は!!」 「アオイ……」 「わたしを元気づけようとしてくれたんですよね。その気持ちがすごく嬉しいです」 「え、ええ」 「だから、いっぱい食べるから気にしないで! ありがとう、アーデルハイトさん」 「………」 さすがに、諏訪の言葉を聞いたルイは黙ってしまった。 ハイジの方も照れくさそうに、けれど嬉しそうに笑っている。 「よし、それじゃあ食べるか」 「はい!」 「ええ、そうね」 「じゃあ、いただきます!」 「いただきます」 「ふふふ」 三人でいただきますを言い合って、机の隅まで載っている料理を食べ始める。 料理を口に運ぶと、おいしさがいっぱいに広がる。 「わあ、本当においしい!」 「ああ!」 「ふふっ。二人に気に入ってもらえて嬉しいわ」 確かにハイジの用意してくれた料理はおいしかった。 あまりのおいしさに、料理を食べるペースも最初は早かった。 だけど……女の子には量が多すぎたかもしれないな。 「うう〜ん……お、おなかいっぱい……」 「ふう…私もだわ……」 二人はまだ大量に並んでいる料理を前にして、苦しそうな表情を浮かべていた。 俺は体質上の理由もあってまだまだ余裕なんだが、二人にはやはりちょっとキツかったのだろう。 「フラウ、まだデザートもありますが……」 「そ、そうだった!」 「も、もしかして……」 「そうですね。かなりの量を、ご用意させて頂きました」 「う、うう……」 ルイの言葉を聞いて、ハイジと葵は更に苦しそうな表情を浮かべた。 これは、ちょっと助け舟を出してやった方が良さそうだ。 「だったら、残り全部食べていいか?」 「え? ぜ、全部?」 「そんなに食べられるの?」 「ああ、全然余裕。俺、普段からかなり食べるからさ、まだまだいける」 「へぇ……久我くんすごいんですね!」 「そ、それじゃあ、お願いしてもいい?」 「もちろん。あ、デザートもあるなら食べたい」 「わ、わかったわ。ルイ、コガが食べ終わる頃にデザートの用意をして」 「ja」 二人の許可をもらって、残りの料理も食べ始める。 お嬢様っていうのは、毎日こんなにおいしい料理を食べているんだろうかと思ってしまう。 だとしたら、少し羨ましい。 「わあ……本当に、いっぱい食べるんですね」 「ええ……」 「ん、うまい! まだ余裕で食べられるから、俺のことは気にすんな」 「ええ。わかったわ」 「ふふふ……」 「アオイ?」 「なんだか、楽しいなって思って」 「それなら、良かった」 諏訪は、ハイジと話しながら楽しそうに微笑んでいた。 これから大丈夫だろうかと少し心配だったけど、少しは元気が出たみたいだ。 ハイジもそれを気にかけていて頑張っていたみたいだし……本当に良かった。 「そろそろデザートを用意いたしましょうか?」 「あ、うん! 頼む」 「あ……わ、わたしはデザートはもう…」 「私も……」 「それでは、お二方は食後の紅茶はいかがでしょう。イギリスから取り寄せた、とっておきがございます」 「あ、紅茶だったら、大丈夫そうです! 是非いただきます」 「あ、俺も飲みたい」 「かしこまりました」 俺と諏訪が答えると、ルイは頭を下げて紅茶とデザートの準備をしようとした。 だが、ルイが動き出そうとした途端、ハイジは目をキラキラと輝かせて立ち上がった。 「とってもおいしい紅茶なの。本当におすすめなのよ! ルイ、私が出すわ」 「……大丈夫ですか?」 「大丈夫よ! みんな待っていて!!」 「あ……」 「行っちゃった」 「……はぁ。少しだけ、お手伝いして参ります」 ハイジはやる気満々だったが、ルイの表情から察するに多分自分でお茶を淹れたことはないんだろう。 でも、せっかく諏訪と俺のためにやる気になってくれているんだし、おとなしく待っていることにする。 どんなものが出てくるのか、楽しみでもあるしな。 「お、お待たせしました……」 「あ…」 しばらく待っていると、ハイジが紅茶を持って来る。 ルイは眉間にしわを寄せてそれを見ていたが、止める気はないらしい。 多分、キッチンで既に色々話した後なんだろう。 そして、ハイジはまず諏訪の前にゆっくりと紅茶を置いた。 「はい、どうぞ」 「ありがとう」 おぼつかない手付きで不安だったが、なんとか諏訪の前には紅茶が置かれた。 今度はそのまま、ハイジがゆっくりと俺の方へと向きを変えてお茶を運ぼうとする。 やっぱり、その手付きは不慣れで危なっかしい。 心配で思わずじっとその様子を見守る。 「……!」 「………」 すると、こちらに視線を向けたハイジと偶然に目が合った。 その瞬間、ハイジの動きがぴたりと止まる。 「………」 「……?」 急に動きが止まったことを不思議に思うが、改めて声をかけるのもためらわれる。 ハイジはその場でこちらを見ながら動きを止めたままだ。 何だか見つめあっているような状況になってしまっているが……。 「……?」 「………」 諏訪もルイも不思議そうにしている空気が伝わってくる。 不思議なのは俺だって同じだ。 この状況をどうすればいいのかわからない。 ……いや、よく考えたら別に遠慮することはないか。 突然止まって、どうしたのか聞けばいいだけじゃないか。 「どうかしたのかハイジ?」 だが、やはり声をかけたのはまずかったのかもしれない。 ハイジは突然、びくりと身体を震わせた。 「あっ!」 そして、持っていたトレイの手元が狂い―― ハイジが手にしていた紅茶が勢いよく俺にぶちまけられた。 「なっ!?」 熱くてたまらないのに、制服を脱ごうとするのをハイジは必死に止めてくる。悲鳴まであげるし……。 「……ふふっ!」 「………」 「笑い事じゃねえ!!」 「ご、ごめんなさい。だって、ふふふふっ!!」 「……ぷっ!」 「ちょ、ちょっと! ルイ!!!」 結局、バタバタしている間に昼休みが終わってしまった。 諏訪は授業をうけに教室に戻ったが、制服がおじゃんになった俺はジャージに着替えてそのまま残っている。 ちなみに今は濡れたタオルで患部を冷やしている最中だ。 「………」 「………」 「………」 ハイジは最後の最後で大失敗したことを落ち込んでいるし、ルイは呆れた表情を浮かべている。 「……で、でも私は…」 「無理はするな、さらに失敗して仕事を増やすな……と忠告したはずだが、何故こうも見事に人に迷惑をかけられるのか理解しがたい」 「それに紅茶をぶちまける前に妙な素振りを見せていたが、なんだあの無様な姿は。ヴァインベルガーの人間として恥ずべきことではないのか」 「……うう……」 執事、相変わらず容赦ねえな。 ハイジも悪気があってやったんじゃないだろうし、ちょっとはフォローしておいた方がいいだろう。 「ま、俺は酷い目にあったけど、でも諏訪の笑顔が見れて良かったな」 「……あ」 「元気にしてやりたかったんだろ」 俺がそう言うと、ハイジは嬉しそうに笑顔を浮かべて、少しそわそわした様子で答えた。 会話をするとさりげなく、また、互いの視線が重なりあう。 「………」 「………」 何か言うのかと思ったが、ハイジは何も言わない。 この妙な間は、何なんだ。さっきから。 (え、偉そうに言ってしまったけれど、ちゃんと謝らないと……!) 先程から何度も同じような状況になっているのはわかっている。 なんかこう、時間が止まってしまったような感じといえばいいのだろうか。 だがさっきこうなってしまってから話しかけると、ハイジはいたく驚いて俺に紅茶をぶちまけた。 俺からは、何も喋らない方が……いいのか? もしかして、知らない間に何かしてしまったんだろうか。それが気になってじっとこっちを見てるとか……。 「制服は洗ってお返しいたしますので、ご安心を」 「あ、どうも」 見つめられたまま黙っていると、ルイが背後から声をかけて来た。 その声を聞き、ハイジは我に返ったような表情をし、そしてそっと視線をそらす。 俺も、また時が止まっても困るので視線をそらして、それから立ち上がった。 「じゃあ俺、授業があるから」 「いってらっしゃいませ」 ハイジが何か言いたそうにしている気もしたが、そのまま二人に頭を下げてから部屋を出ることにした。 ……制服のこと、おまるや黒谷に聞かれるんだろうな。ま、汚したって言っとけばいいか。 「……ふぅ」 「……」 「………あ、謝れなかった……あんなことをしておきながら……なんてことなの……!!」 「まあ見ている分には愉快だったが」 「………でも、何故かしら……はぁ……」 「……何故ため息などつく?」 「………………ふむ………………」 「惚れたのか?」 「わかってるわよ、当たり前でしょう!? 私が責任を持って返しにいきます! むしろついてこないで!」 「………」 「ふん……別に誰が誰に惚れたなどと、具体的なことは言ってないんだがな」 「今日はもう何もないようですので、そろそろ寮に戻りましょうか」 「ああ、そうだな……ちょっと物足りない気もするけど」 「もー、みっちー。そんなこと言ってて、本当に何か起こったらどうするのさ!」 「本当だ。お前、嫌なフラグ立てんなよ」 「そんなつもりねーっての」 何もないなら、それが一番いいに決まっている。 物足りないと感じるのは、この学園で起こる様々な事件に慣れて来た証拠だ。 とは言え……もう帰ろうって時に依頼が来るのだけは勘弁だけどな。 結局、本当に何もなくすんなりと寮に帰ることができた。 ちょっと腹減ったし、せっかくだからなんか食べるか……。 「すーはー! すーはー」 (伝えなければいけないことはきちんとわかっているわ。私はコガに謝らなければいけないのだから) (紅茶を零して制服を汚してしまってごめんなさい。制服はきちんと洗濯して来ました。本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした) 「はーい。ちょっと待って」 「は、はい!」 「あ、ハイジか」 「は、はい……」 小腹がすいたので、駄菓子を食べながらドアを開けるとそこにはハイジが立っていた。 ハイジは俺の顔を見て驚いたような表情を浮かべる。 「あ、あの、それは一体何かしら?」 「ん? ああ、イカフライ……日本のお菓子だけど、食ってみるか?」 「えっと、きょ、興味はあるけど」 「そうか。でも辛い物平気?」 「それは平気だけど……」 俺を見たハイジが驚いたような表情だった理由がわかった。 見たことがないものを食べていたからだろう。しかも香辛料その他の成分で色は真っ赤だ。 食べながら扉を開けるなんて行儀が悪いと、ここに満琉がいたら多分怒られてたな……。 「あ、いや……そんな話じゃないよな。どうしたんだ?」 「ああ、うん。わざわざありがとう」 汚れた制服を持って来てくれたのか。 なるほど、道理でこの時間になるわけだ……。 「せっかく持って来てくれたんだし、あがってけよ。さっきのイカフライ食べるんだろ」 「ああ、どうぞ」 部屋の中にハイジを招き入れ、受け取った制服を片付ける。 それから、さっき食べていた駄菓子……実際は完全に酒のつまみだが……をそっと差し出した。 「ん、これ。口に合うかわからないけど」 「どうだ?」 イカフライを受け取ったハイジはゆっくりと一口食べ始める。 ゆっくりと味わいながら食べる姿はなんだか上品に見えた。 お嬢様ってのは、何食べてても上品に見えるものなのかもしれない。 「おお、そうか!」 「ええ。こういう味は初めてだけど、嫌いじゃないわ。いいえ、むしろ好き!」 答えながら笑顔を浮かべたハイジは、イカフライをもぐもぐと食べ続けていた。 ジャンク過ぎて口に合うか不安だったが、気に入ってもらえたみたいで良かった。 ハイジみたいなお嬢様でもこういうのがおいしいって感じるのか。 なんだかちょっと意外だって思ったけど、自分が好きなものをおいしいと言ってもらうのは悪くない。 「気に入ったなら、もっと食べていいからな」 「……?」 笑顔でイカフライを食べていたハイジは、急に何かを思い出したような顔をした。 そして食べるのをやめると黙り込んだ。 (何を上がりこんでお菓子まで頂いているの! 私がここに来たのは謝罪のためなのに!) もしかして、制服のこと以外にも何か話があったんだろうか。 それなら、俺がイカフライ食べる? とか言ったのは話の腰を折ったことになるのか? ルイもいないし、もしかしてそうだったのかも……ちょっと悪いことしたかな。 「あ、そういや、今日はルイは一緒じゃないのか?」 「……?」 突然ハイジが固まったかと思ったら、今度は少しだけ悲鳴をあげて困ったような顔になった。 何か困ったことでもあったのかと思うが、さっきの会話でそんな内容はあっただろうか。 もしかして、ルイのことを聞いたのもまずかったのか? (だ、男性の部屋に!! 今、入ってる!! し、しかもこんな夜中に!!! 二人きりで!!!!) おそるおそる声をかけてみると、ハイジは心細そうに呟く。 「なんだ、どうした?」 「な、何を言おうとしていたんでしたっけ……?」 「え……?」 いきなり意味のわからないことを言い出され、さすがに戸惑う。 ハイジはさっきは困った顔だったが、今は少し慌ててるようにも見えた。 「え、えっと……ルイは図書館にいるって話を……」 「え、あ、そう……」 ……急にどうしたんだ? あまりにもおかしすぎる態度に、いろいろ通り越して心配になってきた。 「なあ、お前、大丈夫か? もしかして、熱でもあるんじゃ……」 「本当に?」 そう言いながらハイジは自分の額をそっと触った。 だが、すぐに首を傾げてしまう。 「どうだった? 熱ないか?」 「…………よ……よくわからない。私の手が熱いのか、冷たいのかも……」 「………」 それって手袋をしたまま触ったせいじゃないかと思うんだが……。 その判断もできないくらい、もしかして体調が悪いのか。 「悪い、ちょっとじっとしてろ」 「……え」 自分で判断できないならと、そっとハイジの額に手を伸ばす。 「ん……ちょっと熱くなってるかもしれないな」 「……ハイジ?」 「なっ!!!」 ハイジは突然大きな声で叫び出すと、俺から逃げるように立ち上がり思いっきり勢いよく後ろに下がって行く。 「な、あっ!?」 後ろに下がったハイジは、そのまま背後にあったテーブルに勢いよくぶつかり、その場でひっくり返る。 そして、転倒してめくれたスカートの下の下着が思いっきり丸見えになって……。 「きゃーーー!!! きゃっーーーー!!!」 「あ、いや……」 「見ないでー! 見ないでえええーー!! ひぃいん!!」 真っ赤になったハイジは慌ててスカートを押さえるように引っ張った。 だが、テーブルにぶつかった時にスカートがどこかに引っ掛かってしまったらしく、中々元に戻らない。 「ひぃ! い、いやぁ! 見ないで!! 見ないでーーー!!!」 「お、落ち着けって!! 向こうむいてるから……」 「きゃあああ!!! いや、いやあああ!!」 まったく落ち着く様子もなく、ハイジは元に戻らないスカートをまた勢いよく引っ張った。 「えええ!!」 勢いよく引っ張ったスカートは大きな音を立てて破れ、目の前のハイジはさらにあられもない姿になってしまう。 「ひぃ…! い、いやぁあ、な、なんでこんなことにぃ……!!!」 「と、とりあえず落ち着け。大丈夫だから、な?」 なんとか視線をそらしつつなだめようとするんだが、ハイジは涙目になっておろおろしている。 これは俺がどうにかしようとしても無理なんじゃ……。 いや、だからってこんな状態になっているのを放っておくわけにはいかない。 「久我くん、今の悲鳴は!? 何かあったのですか!?」 「……!」 ハイジの悲鳴を聞きつけたらしいモー子が部屋に飛び込んでくる。 助かった。こんな状態のハイジに俺が触れるわけにもいかないし、モー子が来てくれたならなんとかなるはずだ。 「………」 「も、モー子……?」 「………」 だが、モー子は部屋にやって来ると状況を確認して硬直した。 そして、とても冷たい瞳で俺を見つめる。 「……うぅ……うう、う、う……くすん」 「……あ」 ようやく気付いた。これは……まずい。 俺の目の前にはスカートが破れて涙目になっているハイジがいる。 どう考えたって無理やりいろいろしようとした途中にしか見えない。 何故すぐに気付かなかったんだ俺は! 「違う! 誤解だ!!」 「……何が誤解なのですか? 現状に至る過程の説明を求めます」 「だから誤解だって!!」 モー子の視線は氷のように冷たく、言葉にもはっきりとした敵意が表れていた。 正直、今この状態で俺が何を言っても、こいつが納得するような気がしない! いやだからって、このまま誤解されたままなのも困るわけで。 「だからこれは……」 「きゃー!! 夜の東寮でステキな騒動のよ・か・ん!」 「………」 「げ……」 「ぐす……ぐすぐす……」 モー子に説明をしようとした途端、今度は黒谷と吉田が部屋に飛び込んで来た。 よりによって、一番めんどくさそうなヤツがっ!!! 「ほう……」 「え……えっと…」 黒谷は部屋の惨状をまじまじと観察してはうんうんと一人で頷いていた。 そして、黒谷の服を引っ張って一応行動を止めようとしていたらしい吉田は部屋の惨状を見て硬直した。 「なっんだそりゃあああ!!!」 「不本意です。まったくの誤解です。そのような状況に私を巻き込まないで頂けますか?」 「……ぐす…ぐす……」 「違う! 全然違う!!! ハイジ! 頼むから色々説明してくれ!!!」 「ぐすぐす……」 結局、モー子にちゃんとした説明もできず、わくわくした様子の黒谷を止めることもできなかった。 「……ということが、ありました」 「……っ……くっ」 先程までの出来事をルイに報告すると、自分のあまりの失態を思い出して落ち込んでしまう。 しかもルイは、私の方を見ずに笑っているし……。 「くっ……お前が勝手にドジを踏んですっ転んだ挙句、自らスカートを破ったのにコガが婦女暴行未遂の疑いをかけられたのか」 「くく……災難という言葉だけで済ますわけにはいかないほど酷いな! くっくっく! その場を見れなかったのが残念だ!」 もはや、迷惑をかけたというレベルでは済まされない失態を繰り返し続けている。 よく考えれば、この前部屋で押し倒された時も結局うやむやのうちに謝罪ができなかった気がするし……。 何とか、どうにかして挽回する必要があるのに。 「ねえ、私……彼に償うにはどうしたらいいかしら」 「俺が知るか」 ――今日も何事もなく、平和に一日が終わった。 昨日はとんでもない目に遭ってしまったが、モー子がずっと冷たい目で見て来る以外の実害は特に何もなかった。 無事に一日が終わったと言っていいだろう……無事に……。 「………」 「……」 あ、相変わらず……視線が冷たく、痛い…! 「なあ、お前鹿ケ谷になんかしたのか? なんだ、あの顔は」 「……聞くな」 「聞くなって言われてもなあ……」 俺にだってこんなことになった理由がわからないんだ。 それに、あんなことがあったなんて、他人に話したくもない。 「きょ、今日はこれでもう帰れそうだね!」 「ああ、そうだな」 「そうですね。寮に戻って休みましょう」 「じゃあ、帰るか」 「……きみとは一緒に帰りたくありません」 「………」 俺に視線すら向けずに言ったモー子は、自分の荷物を手に取るとさっさと部屋を出て行ってしまった。 「ああ、悪い……」 「はあああ……」 「めんどくさそうだから、詳しいことは聞かないでおいてやるよ」 「ああ……」 さすがにこの状況を見てなお、村雲は事情説明を求めて来なかった。 助かるといえば助かるんだが、間違いなく俺が何かしたと思われてるんだろうな……。 「お、スミちゃん」 「あー? なんだよ」 ぼんやりしていると、突然扉が現れた。そして中からスミちゃんが顔を覗かせる。 「こいつと何話すってんだよ」 スミちゃんは扉から出て来ると、ぐいぐいと村雲の腕を引っ張り始めた。 村雲も強く抵抗できないのか、素直に腕を引っ張られている。 「お話してないなら、こっち来て」 「わかった! わかったから、そんな引っ張るなって」 「ああ。またな」 そのまま村雲はスミちゃんに連れられて、扉の向こうに行ってしまった。 スミちゃんが扉を閉めると、その場に一人で取り残される。 誰もいなくなった室内は一気に静かになり、なんとなく寂しさを感じた。 「……俺も帰るか」 ここでぼーっとしてても仕方ないしな。 せっかく何もないんだから、寮に帰って身体を休めておかないと……。 昨日のあれ以降、今日はハイジと顔を合わせていない。 まあ、顔を見たとしても何を言えばいいんだろうと思ってしまうが。 「はあ……」 「きゃーーー!! きゃーーーーっ!!!!」 「ひぃ! い、いやぁ! 見ないで!! 見ないでーーー!!!」 昨日のあれは、どう考えても俺が不用意に額に触ったのが悪かったんだろう……。 そういえば、この前部屋まで送った時にうっかりベッドに押し倒すような状況になった時もすっげー悲鳴あげてたな。 もしかしたら、ハイジは男が苦手なのかもしれない……。 「だとしたら、悪いことしたな……」 そうじゃなきゃ、あそこまで悲鳴はあげないだろう。 それに、男が苦手だけならまだしも、結果的にとんでもない恥をかかせることになったんだし……。 次に会ったら、ちゃんと謝っておかなければ。 「久我くーん!」 「ん? ああ、風呂屋……今帰りか?」 ぼんやり考えながら歩いていると、風呂屋が走って来るのが見えた。 こっちに近付く風呂屋はなんだかやけに嬉しそうだ。 「ちょうど良かったです!!」 「なにが?」 「おお?」 そう言いながら風呂屋は何かが入った紙袋を差し出して来た。 その紙袋を受け取ると中身はまだほんのり暖かい。 どうやら、この中にあるものは出来立てらしい。 「カップケーキです!」 「へえ。そういうの作るんだなあ……量多そうだけど、これ全部もらっていいのか?」 「そっか。ありがとな」 皆さんってことは、特査のメンバーだよな。 明日、みんなで食べてみるか。 ああ、スミちゃんと鍔姫ちゃんも誘って、一緒にお茶飲みながらっていうのもいいかもしれない。 「あ……」 「あ……えっと、ちょっと小腹が空いたから、今一つ食べてみてもいいか?」 「じゃあ、いただきます」 紙袋の中からカップケーキを取り出してみる。 見た目は、ちょっと不恰好かもしれないが、その分手作りって感じはする。 そんなことを考えながら、一口食べてみる。 「……はむっ…ん、もぐもぐ…」 甘すぎないほどほどの味が広がって、これなら幾らでも食べられそうだった。 「は、はわあぁ……ど、どうでしょうか!」 「ん……甘すぎなくて、ちょうどいいかも。うまいよ」 「風呂屋って料理できるんだな」 「い、いえいえ! こ、これは授業で習ったからできただけで……!」 「教えてもらって作れるんなら、それで十分だろ」 「そ、そうですか?」 「ああ、そう思う」 「え、えへへへ。ありがとうございます」 嬉しそうに答える風呂屋の前で、手元に残っていたカップケーキをたいらげた。 本音を言えばもう一つくらい食べたいが、残りは明日みんなで食べないとな。 俺のペースで食べるとすぐになくなっちまう。 「………」 コガに、なんとしても謝らなければいけない。 しかも、自分一人の力で。 そう思って今日はずっとコガの後ろをついて歩いていたけれど、声をかけるタイミングがわからなかった。 しかも気が付けば声もかけられないままこんな時間になってしまっている……。 「ふう……」 コガはさっきから夜の生徒と楽しそうに話しているし、ますます声をかけるタイミングがわからなくなってしまった。 今の状況で声をかけてもいいのかしら……。 「そういえば、あの子は確か……」 「うふふふふ、王子様ぁ〜」 「………」 もしや、彼女はあの時の……? 「……クミちゃん、あの人」 「ん? ああ、アーデルハイトさんだ」 「何してるのかな」 「さあ? 声かけてみようか」 二人はまだ楽しそうに話をしている。 しかも、女の子の方はコガにお菓子を渡しているみたい。 そしてコガはそれを受け取って、わざわざ目の前で食べている……。 「こんにちは……」 「え? あ、ああ、はい。こんにちは」 じっと二人の様子を観察していると、この学園の女子生徒に声をかけられた。 一度話を聞いたことがある、夜の生徒だ。 「こんなところで何してるんですか?」 「まあ、その。色々ですわ。学園の見学というか……」 「……ん?」 二人は私の視線の先に気付いたようで、背後から同じように廊下の向こうを見つめる。 「あー。あの二人かあ。風呂屋町って、まだ久我クンに未練ありそうだねえ」 「未練ってなに? クミちゃん」 「未練とは、どういうことです?」 「え、あ……いや…」 「あの二人に何かあったのですか? 教えてくださいません??」 「え、えっと……」 「………二人のことが、気になるのですか?」 そこまで尋ねてから、自分があまりにも踏み込んだことを聞いてしまっていたと気付く。 このままじゃ、変な勘違いをされてしまうかもしれない。 「そんなに心配することもないと思うよ。ねえ、ヒナ」 「そうなんですの?」 「あの二人、一度一緒に行方不明になったことがあるだけだし」 「二人で……行方不明…?」 「お姫様抱っこされたって言ってました」 「えっ!!」 「あとは、手を繋いだってのと、それから、膝枕もしたって言ってました」 「こらこらヒナ、そんな詳しいことまで言わなくてもいいんだって」 「そうなの?」 「………」 二人一緒に行方不明になって、どこかでお姫様抱っこをして手を繋いで膝枕まで……。 どういう状況でそんなことに? ――むしろ、何故そうする必要が? 「それで、一緒に見付かってからは、風呂屋町ちょっと距離取ってたからさ、諦めたのかなあって思ったんだけどねえ」 「だから、未練?」 「そういうこと」 「………」 「おーい。そこに残ってる生徒、そろそろ帰るようにな〜」 「クミちゃん、帰ろう」 「え、ええ、ごきげんよう……」 風紀委員に促されて、二人は寮に戻るために行ってしまった。 その姿を見送ってから、コガにもう一度視線を向ける。 あの子が寮に戻る時間が近いからか、二人はそのまま並んで歩き、立ち去ろうとしていた。 もしかしたら、このまま一緒に帰るのかもしれない。 「………」 話しながら歩く二人は、なんだかとても楽しそうに見えた。 あの子はきっと……コガと一緒にいるのが、楽しくて仕方がないんだわ。 「うふふふふ、王子様ぁ〜」 「あははは、待てよこいつぅ〜」 「………」 彼を追いかけて、謝らなければいけないはずなのに。 何故か、私はその場から動けなかった。 きちんと床に足をつけて、その場に立っているはずなのに、どこかふわふわと足元が定まらない。 急かすように、自分の体内の鼓動の音がどくどくと聞こえて落ち着かない。 どうしてなのだろう。 ああ、そうだ。落ち着かない理由は一つ心当たりがあった。 ――まだ、コガに謝れていないから? ……だとしたら、私は彼を追いかけるべきだわ。 追いかけて、謝ってしまってもいいはず。 それはきっと、自然な流れに違いない。 でも……。 「………」 仲良く歩いている二人を見ていると、どうしてもそこに割り込むのは申し訳ない気がして……。 いえ、正しくは申し訳ないというのとは少し違うような気もするのだけれど……。 とにかく、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。 「惚れたのか?」 「……っ!」 惚れた? 私が? どうして? ルイは何を考えてそんなことを言ったの? それに、どうして今になって突然そんなことを思い出したのかもわからない。 おろおろとただ、その場を何度も往復して気を落ち着かせようとする。 ぐるぐる歩いていると、いつの間にか背後にルイが立っていた。 「い、いつから見てたのっ!?」 「最初からですが」 「!?」 「だから、最初からだ」 私が、落ち着きなくあたふたしていたのを最初から見ていた……? もしかして、それって観察されていたということなのでは……ルイならありうるわ!! 「しかし、また厄介だな」 「な、何がですか」 「どうやらコガは、仲の良い女性が随分多いようだが」 「えっ…」 次々と名前を挙げられて、まるで私がコガのことを気にしているみたいな言い方をされてしまう。 けれど、そんなつもりはないのに、どうしてルイにそんな話をされなくてはいけないの……。 「だが安心しろ。お前は、今名前のあがった女達に勝っているぞ」 「……え?」 私が思わず聞き返すと、ルイはにやりと意地悪く笑って、続けた。 「――胸の大きさだけはな」 「!!!」 突然、廊下の向こうから凄い剣幕の叫び声が聞こえて来た。 あまりに突然のことに、俺も風呂屋も驚き立ち止まる。 「な、なんでしょうね……」 「ああ……」 さっきの声って、ハイジだったような……。 何かあったんだったら、様子を見に行った方がいいかもしれないな。 「ちょっと向こうの様子を見て来る。風呂屋は風紀委員に注意されないうちに、寮に戻った方がいい」 「は、はい。そ、そうですね」 「あ、カップケーキありがとうな。明日、みんなで食べるから」 ぺこりと頭を下げてから風呂屋は歩き出した。 それを見送り、一度振り返った姿に手を振ってから廊下の向こうに向かって歩き出す。 声がした方に近付くと、そこにいるのはやっぱりハイジだった。 その側にはルイの姿もある。 声をかけると、ハイジは驚いたように目を見開き、勢いよく後ずさった。 「……ふっ。これは失礼、特にこれといった問題はありません」 「そうなのか……?」 とてもそんな風には見えないし、ハイジは何か言おうとしてるんだけど慌ててるみたいでまともに話せていない……。 こんな状況でこれといった問題はないと言われても……本当なのか? 「………」 顔を真っ赤にしたハイジはおろおろした様子で俺を見ている。 後ずさったまま戻って来る様子もないし、これはやっぱり昨日のあれでだいぶ怖がらせてしまったのかもしれない。 「フラウはどうやら日本語がうまく話せない状態のようなので、私が通訳しましょう」 真っ赤になったハイジを見ながらルイは、にやにやと笑みを浮かべていた。 どうやら、この状況のハイジをからかうのが相当面白いらしい。 「……そうですか?」 だが、帰れと言われると素直に頭を下げた。 「わかりました、フラウ。寄り道せずに戻ってくださいね」 「ja。それでは、失礼いたします」 また頭を下げたルイが、ハイジから離れて歩き出す。 そして、俺の隣を通り過ぎる時に軽く会釈してから小さな声で囁いた。 「フラウは、あなたに謝りたいそうです」 「……え」 「………Gute Nacht」 驚き視線を向けるが、ルイはさっさと行ってしまった。 でも、ハイジが謝りたいって……そうだったのか? 色々なことでうやむやになっていて全く気にしてもいなかったが、やはりそういう事はきっちりしたいのだろうか。お嬢様だけに。 「はあ、はあ……」 「あの……」 「少し、黙っていてくださる!?」 「は、はい」 「…………」 これだけ緊張しているということは、あまり謝りなれていないのかもしれないな。 だったら急かすように声をかけるよりも、ゆっくり待った方がいいだろう。 (まずはシンプルに、昨日は申し訳ありませんでしたから入るべきね……) (制服を汚したこともきちんと謝っていませんし、それ以前のことも……一つも漏らさずにきちんとすべて謝りましょう) 表情も引き締まったようだし、胸を張って姿勢を正し始めている。そろそろ何かお言葉がもらえそうだ。 「大変お待たせしました!」 「ああ」 自信を取り戻したらしく表情を引き締めたハイジは、まっすぐに俺を見つめた。 俺もつられて表情を引き締める。 「昨日はもうし―――」 「そこのお二人。そろそろ校舎が閉まるのですが……」 だが、ハイジが何かを言おうとした瞬間、ほぼ同時に風紀委員に声をかけられていた。 そろそろ時間だからこれは仕方ないのだが、出鼻をくじかれた形になったハイジは、情けない表情を浮かべて口をぱくぱくさせていた。 さっきの引き締まった表情は、もうどこにもない。 「あ、あう…うう、う……」 「……ふふっ」 申し訳ないんだが、そんな様子がなんだかおかしくて笑いを必死で堪えるしかなかった。 そんな俺を、ハイジは困ったようにただ見ている。 「じゃあ、続きは帰りながらで」 「は、はい……」 これは、俺から話を振った方がいいのかもしれない。 「で、話の続きは?」 「……」 どうも、完全にリズムが狂ったようだ。 ハイジの口からは中々言葉が出て来ない。 さっきみたいに、落ち着くまで待った方がいいかもな。 (ど、どうしてこうして二人で一緒に帰ることになったのかしら) (私、こんな風に一緒に帰るために後ろをついて行ったわけではないのに……) 「惚れたのか?」 (……!!! 違う! 違うちがうちがう! だからそういうのじゃなくて!! なんで出てくるのよルイ!) 黙り込んだまま、やっぱりハイジは何も言わない。 あまりにも黙ったままなもんだから、少し心配になって来る。 「まだ心の準備いりそうか?」 「……ん?」 声をかけるとハイジが変な声で返事をした。 もしかしたら、ドイツ語なんだろうか……。 どうしよう……さすがに、なんて答えればいいかわからんぞ。 (い、いけないわ! 思わず変な声が……今のは間違いなく変な人だと思われてしまっている!!) 「え?」 「え……」 「いや、話があるのはそっちじゃねえの?」 「……!!!!」 (そうだったじゃない!! どれだけ自分を見失っているの私は! バカ! なんなのもう!!) 確かになんか、かわいいというかクセになりそうというか……ルイの気持ちがなんとなくわかる。 「………」 ハイジはぷるぷる震えたまま黙っている。 かわいいんだが、いつまでもこんな風にさせてるのは可哀想だ。 「そういえば、昨日の話なんだけどな」 声をかけると、ハイジはすごい勢いで驚いていた。 そして、そっとこちらの様子を窺うように視線を向けて来る。 「勝手におでこ触って、びっくりさせて悪かったな」 「お…おで……こ?」 言葉の意味がわかっていない様子のハイジを見やりながら、自分の額をぺちぺち叩く。 すると、それを見たハイジは昨日のことを思いだしたようで、顔を真っ赤にしてしまった。 「な、なんですって? それで?」 「いやだから、勝手に触って悪かったって」 「……わ、私が」 「え?」 ちゃんと昨日の話をふったつもりだったんだが、ハイジは涙目になってまたぷるぷると震え出した。 な、なんでまた震えてるんだ。俺、なんか悪いこと言ったか? 「な、泣かなくても」 涙目でぷるぷる震えたまま、ハイジはじっと俺を睨む。 その顔は納得いかないって書いてあるようにしか思えなかった。 「でも今言えたじゃん」 「わかった。じゃあ、改めてどうぞ」 「………」 どうぞと言うと、ハイジは困惑したような表情を浮かべた。 本人に言うと怒られるだろうが、さっきからくるくると表情が変わるのが面白い。 もっと見ていたいなと思ってしまう。あの執事もこんな気持ちなんだろうか。 そんなハイジをじっと見続けていると、少しそわそわしてから上目遣いに視線を向けられた。 「すみませんでした」 「………」 あまりに小さな声で驚いたけど、確かに声は聞こえていた。 けれど、ホッとしたようなハイジを見ていると、なんとなく意地悪したくなるというか……。 つい、からかいたくなってしまう。 「いや、よく聞こえなかったんだけど」 わざとそう言ってみると、ハイジがまたぷるぷるしだした。 やっぱり、なんかこう…かわいいな。 本人は無自覚なんだろうけど、こんなだからルイに色々からかわれてるんじゃ……。 「す……すみ……ま……」 「……ぷっ」 ぷるぷるしながらもう一度謝ろうとしている姿を見ていると、勝手に笑いがこみ上げて来た。 堪えきれずに思わずふき出すと、ハイジは拗ねたような表情になった。 やっぱり、表情がくるくるとよく変化する。 「ごめんごめん! さっきの、ちゃんと聞こえてたよ」 真剣すぎて必死な姿が、なんだか面白いやらかわいいやらで思わずからかったけど、少しやりすぎたかもしれない。 「ほんとごめんな」 「……………」 拗ねたような表情をしながら、ハイジがじっと俺を見つめていた。 またその大きな瞳に見られ続けていることに少しだけ動揺してしまう。 「………」 こんな風に見られると、ちょっと勘違いしそうになるんだけどな……。 そう思ってしまう自分がなんとなく恥ずかしくて、俺はそっとハイジから視線をそらした。 それから、また数日。 あれ以降、ぽつぽつと小さな遺品のトラブルはあったものの、特に何も大きなことは起こっていない。 ハイジにはきちんとあの時のことは謝罪してもらったし、あれ以上何かあったってこともない。 何事もなかったように、ちゃんと今まで通りに戻っている。 やはり何度も俺をじっと見つめていたように思えたのは、男の勘違いというか、つまりは気のせいだったようだ。 諏訪もハイジと過ごして、随分元気になってきたようだ。 ああ、そういえば一つだけ問題が残ってた……おまるのおかげでマシになったとはいえ、モー子の冷たさが相変わらずだ。 「どうかしたの? 久我満琉」 「ああ、いや。なんでもない」 「そう?」 「ああ、そうだよ」 今日はリトと一緒に、回収した遺品を宝物庫まで返しに行くのだ。 別に俺が来なくても良かったんだが、モー子の視線の冷たさから逃げるために自分で行くと言い出したのだ。 そしたら案の定、モー子はついて来なかった。 向こうはおまるがなんとかしてくれてるみたいだし、今は任せておくのが良さそうだ。 「あら……」 「お……」 「あら、アーデルハイト・リッター・フォン・ヴァインベルガー」 宝物庫に向かって歩いていると、一人で本を物色していたらしいハイジに出会った。 ハイジはリトが手にしている遺品に気付くと、表情を明るくした。 「その手に持っているのは遺品かしら」 「ええ、そうよ。これから宝物庫に返しに行くの」 「少し興味があるわ。私もついて行って構いません?」 「構わないわよ。それじゃあ、一緒に行きましょう」 頷いたハイジは俺の隣に並ぶ。 その横顔をチラリと見下ろすが、また視線が合うと動きが止まってしまいそうな気がしてすぐにそらした。 というか、もしかすると俺の方が止まってるんじゃないのだろうか。 ……あんまり意識しすぎると、余計に気になりそうだから考えないようにした方がいいのかもしれない。 「宝物庫に興味があるのか?」 「ああ、そうだったな」 「それに、どうやってその遺品を宝物庫に返すのかも気になるし、一度見ておきたいと思って」 「なるほどね」 「この学園は、今も様々な魔術が生き残っていて興味が尽きないわ」 魔術師の家系なんだから、魔術の関わることに興味があって当然か。 宝物庫の前に来ると、ハイジは驚いたように目を丸くした。 さすがに、壁にぽっかりと穴が空いただけの状態の場所が宝物庫だなんて思いもしなかっただろう。 しかも、中の様子はまったく見えないんだもんな。 「これが宝物庫……確か人は入れないのよね、どうやってその遺品を返すの?」 「こうやって……」 リトは少しだけ大穴に近付き、手にしていた遺品をそっと差し出した。 すると、遺品がすうっと浮き上がる。 「……まあ」 浮き上がった遺品に向かって、中から光が伸びて来た。 そして、その光が遺品を宝物庫の奥へと引き寄せるように持っていく。 「これでおしまいよ。遺品は宝物庫へ戻ったわ」 「前にも見てるけど不思議なもんだな」 「へえ……こうなっているのね。でも、普通に入れそうな感じですけど」 「あ、おいっ」 ハイジは興味深そうに宝物庫に近付いて行くが、すぐに宝物庫の結界に弾かれて飛ばされてしまい、そのままころんと転がった。 慌ててその身体を助け起こそうとしたんだが……ふっと気が付いた。 そういえば、不用意に触るのはまずいんだよな……多分。 「大丈夫か?」 様子を窺いながら、そっと手のひらを差し出す。 これだけなら大丈夫なはずだ。 俺から触れるとまずいなら、ハイジが動くのを待てばいい。 ハイジは戸惑っているようだったけど、差し出した手に掴まって立ち上がった。 普通に手を握って立ち上がった姿を見て、少し不思議に思う。 男に触れられるのが嫌だったんじゃないのか? それとも、今のはわざわざ俺に気をつかっただけなんだろうか……? まあでも、手を取ってくれたことに対しては素直に嬉しい。 「……」 「………」 ふと視線を向けると、ハイジも俺に目を合わせた。 ――まただ。 また、見つめられている。 ふいにざわりと、背筋を何かが走った気がした。 (ど、どうしたらいいのかしら。これは、どういうタイミングで手を離せば……!) ハイジが離さない以上、自分から手を引くのはどうもおかしな気がして、俺は手をそのままにしていた。 何故、手を離さない。 もう立ち上がったんだから、手を離しても良さそうなものなのに。 ――というか、嫌なのかそうじゃないのかどっちなんだ? もしかして、これは触っても大丈夫ってことを言いたいのか? いや……早とちりはまずい……。 まさか……これが文化の違いってやつなのか? 「………」 日本とドイツの違いに真剣に思いを馳せていると、リトが黙って俺達を凝視していることに気が付いた。 「な、なんだ?」 「それは、一体何をしているの?」 「!!! な、な、なんでもありません!!」 不思議そうな顔をしたリトに言われ、ようやくハイジも我に返ったようだった。 お互いに視線をそらして手を離し、思わずそっと距離を取る。 「そう。それじゃあ、私はもう戻るわ」 「あ、そ、そうか。ご苦労様」 「ええ。それじゃあ」 不思議そうにしていたリトだったが、俺達が手を離すと納得した様子で頷いた。 そして、何事もなかったように去って行く。 「………」 「………」 二人だけでこの場に残されてしまって、少しだけ気まずい気持ちになる。 黙ってるから余計そうなるんだから、何か話した方がいいよな……。 「こ、これで遺品が現れるまで手が出せないって言った意味、よくわかっただろ」 「え、ええ。話にはきいていたけれど、本当に入れないのね」 頷きながら答えたハイジを見ると、落ち着きを取り戻せた気がする。 別にあらためて落ち着く必要もないってのに、一体俺は何をしているんだか……。 どうも黙っていると調子が狂う。 何か他の話題はないだろうか。 「アーデルハイトさんのお祖母様が、この学園の創立者であるクラール・ラズリットと懇意でね」 「ところが、その遺品にお祖母様の思い出の品が挟み込まれたままになっているらしいのだよ。それを回収したいとのことでね」 「リトにも聞いたぜ。確か……ラ…何だったっけ」 「ラ・グエスティア。長い槍のような形をした巨大な音叉で、対魔女用の武器よ。その柄が取り外しできるようになっていて……」 「その中に、お祖父様がお祖母様に贈るはずだったリボンが入っているそうなの」 「リボン?」 意外と少女趣味というか、可愛らしいものが入ってるんだな。魔女用の武器なのに。 「ええ。そのリボンを入れたのはお祖父様だったんだけど、それを知らずにお祖母様はラ・グエスティアをこの学園に預けてしまったのよ」 「先日、昔の手紙が出て来てね、初めてそのことを知ったお祖母様のために、大切なリボンを回収しに来たの」 「私、お祖母様にどうしてもそれを持って帰ってさしあげたいのよ」 頷き答えるハイジはなんだか楽しそうだった。 きりっとした凛々しいものではなく、楽しそうなその表情は年相応という言葉がよく似合う。 「ハイジのお祖母さんってどんな人なんだ?」 「ドロテアお祖母様のこと? とても厳しい人よ。でも、それだけじゃなくてとても優しい人でもあるの」 「人の想いをとても大事にするお祖母様だからこそ、お祖父様の贈ろうとしたリボンのことも、たとえ何十年も経っていても諦められないのよ」 「ただの古い布だと言ってしまえばそれまでなのだけれど、でも私はそんなお祖母様の気持ちを大事にしたいと思ったの」 きっと、ハイジはその祖母のことが大好きなんだろう。 そうでなければ、わざわざここまでそのリボンを返してもらいに来るわけはない。 「いや、そういうの、凄いと思うけどな」 「え?」 「何十年も前のプレゼントが欲しいって思えることも。それをわざわざこんな遠くの国にまで、お祖母さんのために取りにこれるお前も」 「………」 ハイジは一瞬だけ照れるように頬を染めたが、すぐにぷいっと顔をそらしてしまった。 そしてぽつぽつと呟くように話しはじめる。 「勉強?」 それがどんなものなのか、俺にはあまり想像もつかない世界だったが……。 少なくとも、小さな子供には相当荷が重かったことくらいは理解できる。 「……だから、自由になる時間がほとんどないことは不満だったし、それ以上に不安も感じていたわ」 「不安って?」 「私は、皆が思ってるような当主になれるのかなっていうこと……」 「私、特別成績がいいわけでも、物覚えがいいわけでもなかったの。一緒に教育を受けていたルイの方がよっぽど出来が良かったわ」 「………」 「毎日勉強をしてたくさんのことを学んでいたけれど、いつもいつも不安で仕方がなかった」 「私がヴァインベルガーの名前を背負わなければいけないのだから、私の行動すべてが家名に関わることになる……本当に大丈夫なのかしらって」 「毎日まいにちお勉強ばっかり! わたしもういや!」 「アーデルハイト……あなたがそんなにいやなのは、本当にお勉強なのですか?」 「………おばあさま」 「本当はそんなにお勉強きらいじゃない。でも、ぜんぶルイに勝てないの。わたし、本当にヴァインベルガーをせおえる人になれるの?」 「ルートヴィヒはあなたよりも年上だから、同じことを学んで差がつくのは当然のことですよ、アーデルハイト」 「でもきっと、ルイがお兄さんじゃなくっても、わたし、みんなをがっかりさせてる。それがいやなの、すごく、いや!」 「がんばってるのに、ぜんぜんうまくできないんだもの。わたし、本当にみんなを守れるの……? おばあさまみたいになれるの…?」 「アーデルハイト……」 「もし、なれなかったら、どうしようおばあさま! どうしたらいいの、このままずっと……このままだったら……」 「アーデルハイト。あなたの役目は、とても大事なものなのですよ」 「ヴァインベルガー家の誇りも、血も、力も、あなたはいずれすべてを守る立場になる」 「今学んでいることは、その時に役に立つことばかりだということはわかっていますね」 「………はい」 「でもね、お勉強よりも、成績よりも。一番大切なことは、あなたが心からヴァインベルガーを守りたいと思うことなのです」 「あなたは誰に言われなくても、もうそれが出来ている」 「だからアーデルハイト。何も不安がることはありません」 「でも……」 「みんながあなたに厳しくするのは、あなたがそれをやり通すことができる強い子だと知っているからです」 「私のような普通の子にも出来たのだから、あなたのように素晴らしい子にそれができないわけがない」 「わたしも、おばあさまみたいになれる?」 「ええ、もちろん。あなたなら、私以上になれるに違いありません。だって、私も小さい頃は、家始まって以来の不出来な子供だったんですもの」 「ほ、ほんと? おばあさまが?」 「そうですよ。本当のところを言うとね、同じ頃の私に比べればあなたの方がよっぽど勝っていますよ、アーデルハイト」 「優しくそう言ってくれたお祖母様は、とっても眩しく見えたわ……」 「私もこの人のようになりたいって、何度も何度も思ったの」 微笑みながら言うハイジの顔はとても穏やかだった。 おそらく、その祖母の存在が今のハイジに多大な影響を与えているのだろう。 こんな話を聞いてしまうと、目的のリボンのことも早く何とかしてやりたいとは思うが……。 そう思いながら、ちらりと宝物庫を見やる。 「でも、前にも言ったけどこの宝物庫に人は入れないシステムだし、目的の遺品がずっと出て来なかったらどうするんだ?」 「出て来るまでこの学園にずっといるってのも、現実的じゃないだろ」 「もちろんよ。あまり長い間本国を留守にするわけにもいきませんし、そこは理解しているわ」 「そうならなければいいけれど、その時はこの宝物庫に入る方法を探すだけね」 「探すってどうやって……」 少し呆れながら聞くと、ハイジは図書館の方に目を向けた。 図書館には膨大な量の本がある。 それは、一生かかっても読み切れないほどの量かもしれない。 「今はあの図書館の書物を調べているの。まだ、取り出す方法は見付かっていないけれど……」 「でも、あれだけの書物があるのですから、どこかにヒントくらいはあるかもしれないわ」 「あの図書館でも、遺品を取り出す方法が見付からなかった時は?」 「その時は、別の場所に何か手がかりがないか探すわ。もしくは、私の力で宝物庫の結界を破る方法を探すわね」 「へえ……」 俺の部屋で慌てふためいていた時とは、本当に別人のようだった。 その凛とした姿が、少し眩しく思える。 「まあ、ハイジがおばあちゃん子なのはよくわかったよ。そんな大事な人のためなら、わざわざこんな辺鄙なとこまで来る気にもなるだろうな」 「あら、誤解しているわよ、コガ。確かに私はお祖母様のことを大切に思っているけれど……」 「え?」 「たとえ捜している品が、お祖母様のものではなかったとしても、それがヴァインベルガーの家の誰かのものならば来たと思うわ」 「ヴァインベルガーの家のすべてを守り、導くのが私の役目ですから。誰だって家族は大切でしょう?」 「……そう…だな」 一瞬、答えることができなかった。 家族は大切……それは当たり前だ。 けど、俺にとっての家族は……もう、満琉だけしかいない。 おそらくハイジの言っている家族とは、規模が違いすぎる。 「ヴァインベルガーの家のすべての人間って、やっぱり結構な人数がいるんだろ」 「そうね。分家も含めると確かに多くなるわ。でも、一族すべてを守るのは当主として当然のことよ」 「……もちろん、ヴァインベルガーにとって一番大切なものは本家の血筋ですから、それは最優先にしますけれど」 胸を張って伝えられる言葉がはっきりしているのは、ハイジの持つ自信や誇りの表れに違いない。 きっと本当に大切で、本気で自分が一族すべてを守ると思っているんだろう。 ――俺は、満琉一人で手一杯になってるってのに。 そんな風に平然と言ってのけられるハイジは、俺には輝いて見えた。 「………」 「………」 (な、何故、また見つめられているのかしら……私、何かおかしなことを言った?) 「おい、そっち!」 そしてまた、ハイジは結界に弾き飛ばされ、その場にしりもちをついてしまう。 さっきまでシャキっとしてたのに、急にどうしたんだ……。 「ったく、大丈夫か?」 「え、ええ……」 もう一度手を差し伸べると、ハイジは戸惑ったような顔をした。 今度は手を握ったままにならないように、自分から離して様子を窺う。 「そのラ・グエスティアって遺品、早く出て来るといいな」 「ああ」 「…………」 「……ハイジ?」 頷くと、ハイジは突然固まってしまった。 また、目が合ったときのように思考が止まってしまっているのか? 一瞬そう考えたが……。 「………あ……わ、私……」 そうじゃない。何かが違う。 これまでの態度とは決定的に違う、その瞳には何らかの深刻な衝撃を受けている色がありありと浮かんでいる。 「……どうした?」 思わず問いかける声が低くなった。 原因にまったく心当たりはないが、まさか俺が何か言ったせいじゃないだろうな。 ハイジは答えもせず、少し震えている。 やはり様子がおかしい。 「おい、どうしたんだ、ハイジ!」 「何がって、こっちが聞いてる。何かあったのか?」 「………何でもありません」 「何でもって……そんなわけ」 「私、失礼します」 「あ……」 ハイジは何も言わないまま、走って行ってしまった。 明らかに急に様子がおかしくなっていたというのに、さっきの声色では俺には何も話す気はなさそうだった。 何でもないわけがない……はずなんだが。 「………」 追いかけた方がいいだろうか。 けど、さっきの態度からすると俺が追いかけても、何も話してくれないだろう。 それほどハイジの声は頑なだった。 これまでに、聞いたことがないくらい。 「………………」 少し悔しいような、複雑な気分だ。 さっきまではあんなに自分のことを話していてくれたのに。 結局、そんな俺に出来ることは一つしかないんだろう。 なんだか負けた気がして少し癪だが―――。 深いため息をつきながら、俺は図書館へと戻ることにした。 宝物庫を離れて図書館に戻ってくる。 もちろん、ハイジの姿はもうどこにも見えなかった。 あれだけの勢いで走っていったんだから、仕方ないとは思いつつも、少しがっかりしてしまう。 いや、些細なことで妙に落ち込んでいる場合じゃない。 目的の姿を捜して書架を渡り歩く。 ―――と、ルイを見つけた。 今日もまた、分厚い本を読んでいるようだ。 そちらに近付くと、ルイは読んでいた本を閉じてこちらに視線を向ける。 「こっちにハイジが来なかったか?」 「いいえ。フラウが何か? またご迷惑をおかけしましたか」 「いや、そうじゃない。さっきまで一緒にいて話をしてたんだけど、途中で様子がおかしくなったんだ」 「………」 「だから、ちょっと気にしてやってくれないか」 「フラウがおかしいのは、何も今に始まったことではないでしょう」 ほんの少し笑いながらルイが言うが、さっきまでの様子を知っている俺にとってあれは笑いごとじゃなかった。 「そうじゃない。いつもとは違う……ちょっと深刻そうだったから。でなきゃわざわざお前に言いにこねえよ」 「ふむ……何故そんなことに?」 「いや、原因はよくわからねえんだけど……話の途中で突然……」 俺の答えを聞くと、ルイは笑うのをやめて真面目な顔をした。 そして、こちらをじっと見つめる。 「話をしていたと言いましたが、何の話をしていました?」 「お前らが捜している遺品の詳しいことと、それからヴァインベルガーの家のことを聞いた」 「具体的にはどんな話を?」 「捜してる遺品の中にお祖母さんのリボンが入ってるって話。思い出の品っていうのは、そのリボンだって聞いた」 「それと、ハイジがどれだけお祖母さんとヴァインベルガー家を大切に思ってるかってのも」 「フラウの様子がおかしくなった前後は、どういう話題でしたか?」 「ええと……ハイジが宝物庫の結界に弾かれて、しりもちをついて……」 「ああ、そうだ。ハイジはラ・グエスティアを一刻も早く、お祖母さんに届けたいって言ってた」 「それで?」 「いやそれで、俺がああそうだなって言ったら、突然……」 その後で、いきなり様子がおかしくなった。 これと言って変わった話をしたつもりはないから、本当にこれが原因なのかもわからない。 もしかすると、何か大事なことを突然思い出したのかもしれないしな。 だが、ルイは俺の話を聞くと何かを納得したように頷く。 「なるほど……。では、今更になってようやく気付いたのか……」 「……何か心当たりがあるのか?」 「わざわざお伝えいただきありがとうございました。フラウを捜して来ますので、失礼いたします」 「あ、ああ……」 さっきの話だけで何かわかったんだろうか……。 気にはなるが、ルイに任せておいた方がいいのかもしれないな……。 本当は自分でどうにかしてやりたいとも思うけれど、多分俺には何も出来ないんだろう……。 それが、少しもどかしかった。 「………」 「………」 部屋に戻ってベッドに突っ伏していると、ルイが戻って来る音が聞こえた。 それはわかったけど、顔を上げる気にはなれなかった。 「おい……」 「………」 「はあ……コガが心配していたぞ。今回はどこのどの部分が、お前の気に障ったんだ? だいたい察しはつくが、一応聞いておいてやる」 「………」 コガが心配していたというのは気になったけれど、中々顔が上げられない。 そんな私に腹を立てたのか、ルイがベッドに近付いて来た。 近付く足音を聞き、そっと顔を上げてそちらを見上げると、ルイは黙ったまま私を見ていた。 何も言われないけれど、その顔は『何があったか話してみろ』と伝えているのがわかる。 「彼と……コガと話していて、気付いたことがあるの」 「なんだ?」 「ドロテアお祖母様のためには、ラ・グエスティアが一秒でも早く現れてくれた方がいい」 「ああ、そうだな」 「でも、そうして目的を達したら、私はドイツに帰らなくてはならない」 「当たり前だろう。何を今更」 「それに気付いた時、私は一瞬でも、ラ・グエスティアが出てこなければいいのにと思ってしまった!」 そこまで言い終わるとルイから視線をそらして、もう一度顔を伏せてしまう。 こんな私を、ルイは呆れて見ているに違いない。 でも、私だって自分に対して呆れているし、嫌な気持ちになっている。 どうして、こんな気持ちになっているのだろうって。 「魔術が残っているという場所だから興味はあったわ。でも一番はお祖母様を喜ばせるためだったはずなのに……」 「なのに私は! なんという自分勝手な気持ちを持ってしまったの……!」 言葉にする度に胸がちくちくと痛くなって、身勝手で無責任な自分に涙が溢れてしまいそうになる。 けれど、泣いていても何にもならないことはわかっている。 「……はあ」 「………」 「一瞬でも心配をして損をした」 「なんっ……!」 「お前のその潔癖さは、もはや馬鹿を遥かに通り越してそのまま世界一周しそうなレベルだな。ああ、もう、くだらなすぎて眩暈がしそうだ」 「いちいちこんなくだらんことを俺に説明させるな」 思わず顔を上げてベッドに座ると、ルイは顔を近付けて私を睨んだ。 その表情は呆れているというよりも、少し怒っているような、そんな感じにも思えた。 「お前の言うそれは、ドロテアの件とはまったく別の問題だろう。何故そんなことくらい理解できない」 「それなのに私、出て来なければいいのにって思ってしまった! 私はお祖母様をないがしろにしたのよ!!」 じっと見返しながら言うと、ルイは腕を組みながら深く息を吐いて首を振った。 「はあ……救いがたい阿呆だな……」 「………」 「な、なによ」 ベッドから飛び降りてしまいそうなほどの勢いで言うと、ルイは何も言わずに目を据わらせる。 その表情は心底呆れているというものだった。 でも、どうしてこんな顔をされるのか私には全然わからない。 「説明するのが、心底馬鹿らしい……」 「ちょ、ちょっとどういうこと? さっきから何を言ってるの!?」 「それすら、お前はわかっていないんだな」 「はあああ……本当にわからないのか?」 「わからないから聞いているの。どういうことなのか説明してちょうだい」 やれやれと首を振ったルイは、こちらに視線を向けると心底嫌そうな顔をした。 けれど、深く息を吐いてからやっと口を開いてくれた。 「ドロテアを軽んじたのではない、お前にとってコガがドロテアと同じくらいに重くなっただけのことだろう」 「え……」 「それのどこが問題なのか、俺にはさっぱり理解できないが」 「……」 思ってもみなかった言葉を出されて、私の頭は真っ白になった。 私にとって、コガがお祖母様と同じくらい重く、なった? ちょっと待って、重く……ってつまりどういうこと? 「お前のそれは、ドロテアとは関係なくただ単にコガとの別れを惜しんでるだけの話だろうが」 「……ど、どうして?」 なんだかよくわからなくて聞いてみると、ルイは怖い顔をして私に指を突き付けて来た。 「う、う……」 怒りながら言ったルイに何も言い返せず、ただ黙ってしまうことしかできない。 いつだって、私はこうなのだ。 ルイに怒られてからでないと、きちんと考えることも上手にできない。 「あとそれから、せっかくコガがお前を心配してくれたんだから『すみませんただの勘違いでした』と早く言って来い」 まだ怒ったまま、ルイは私をベッドから立ち上がらせた。 そのまま扉の方まで強引に連れて行かれ、勢いよく部屋から追い出されてしまう。 「いいから早く行って来い! ちゃんと謝れるまで帰ってくるな!」 「………」 部屋から追い出されてしまい、おまけにルイは返事をしてくれない。 これは、ルイが言った通りコガに会いに行かなければいけないということ……なのよね。 「………」 コガのことを考えると、胸の奥がほんのりと暖かくなるような気がした。 この暖かさが、ルイの言う通り彼との別れを惜しんでいるという事なのかどうか、まだ私には判断がつかない。 いいえ、考える前に、そう、まずは彼は私を心配してくれたのだから、きちんと誤解を解かなければ。 確かにあんな風に走り去ってしまえば、不審に思うのは仕方がないこと。 また迷惑をかけてしまって、きちんと謝っておかなければいけない……。 ようやく目的が定まった。 私は、顔をあげて胸を張り、コガを捜すために歩き出した。 「……いや待て。よく考えてみれば、これはこれで」 「……ふむ」 ハイジのことは気にはなっていたが、執事の方に何か心当たりがありそうだったし、多分まかせておいて大丈夫だろう。 とは思うものの、ルイがちゃんとハイジを見つけられたのか、話をきけたのか、どうしているのか……。 「みっちー、考えごと?」 「あ、いやまあ……色々とな」 「さっきから、なんかやけにぼんやりしてるもんね」 「そ、そうだったか?」 「うん、そうだよ。憂緒さんも気にしてたみたいだよ」 「………」 相変わらずモー子は俺に冷たいんだが、それでも気にしてたんだろうか……。 その割にはさっさと先に帰ってたみたいだけどな。 「はー。あいつはいつまで機嫌が悪いんだか」 「憂緒さん?」 「他にいるか? そろそろあの冷たい目で見るのはやめてもらいたい。誤解だって説明したってのに」 「あ、あはは……」 二人で話しながら歩いていると、道の先にハイジが立っているのが見えた。 もしかして、俺を待っていた? ……ってことはルイが話をしてくれたのか。 ちょっとわたわたしているようだが、あの時のような深刻な感じは消えていて、ほっとした。 「あれって、ハイジさんだね」 「ああ、そうだな。なんか用事かな……行ってみるか」 とりあえずそちらに近付いて行くと、ハイジはそわそわした様子でこちらを見た。 「よお」 「こんばんは、ハイジさん」 そわそわしていたハイジは、声をかけられてぴっと姿勢を正す。 「あ、あの! コガにお話があるの」 ハイジのまっすぐな視線を感じると、今度は俺の方が緊張してきた。 結局、あの妙な様子はなんだったんだ? ルイと何か話したのか? 大丈夫なのか? ……いろいろ言いたいことはあったが、せっかくハイジの方から来てくれたんだ。 俺はその言葉を飲み込む。 「話ってなんだ?」 「え、えっと、それは、あの……」 「……!」 そわそわした感じでハイジが言うと、おまるは何かに気付いたような表情になった。 そして、人のいい笑顔を浮かべると俺の肩をポンっと叩く。 「みっちー、頑張って! おれ、先に帰るからね!」 「え? いや別に」 「いいから! じゃー、また明日ねー!」 笑顔を浮かべたまま、おまるは走り出して行ってしまった。 硬直しているハイジとその場に取り残され、とりあえずお互いにちらちらと視線を向ける。 ……駄目だ。やっぱり気になる。 結局、我慢できずに聞いてしまった。 すると、ハイジはすごく後ろめたそうに、縮こまって答える。 「それは、その……た、ただの、勘違い……でした……」 「勘違い……?」 「あ、いや。謝らなくていいって」 一体何を勘違いしたのか気にはなったが、何事もないのなら、それはそれで良いことだ。 あまりにも深刻そうだったから、本当に心配になったしな……。 「もしかして、それをわざわざ報告しに来てくれたのか?」 「あの、ルイが……」 「ああ、そうか。まあ、俺もルイに様子見てくれって頼んだしな」 それでこうやって本人を寄越すとは、あの執事もなかなか律儀な所があるな。 「あの、ルイに頼んだって? 何を……?」 「いやだから、お前の様子をちょっと見てくれないかって」 「ど、どうして……?」 「どうしてって、だってそりゃいきなりあんな顔されたら、誰だって心配するだろ。……自覚なかったのか?」 「心配……わ、私のことを?」 「……そ、そうだけど」 「でもお前、全然俺には話してくれる雰囲気じゃなかったから、だからルイにハイジの様子がおかしいから気にしてやってくれって頼んだんだよ」 (……私、本当にコガに心配してもらっていたんだわ……!) 俺と目を合わせたまま、ハイジの表情がくるくる変わる。 口をあけてぽかんとしたり、おろおろと焦ったり、嬉しそうにしたり、困ったように視線をそらしたり。 (不思議な感じ。嬉しいような、こそばゆいような……コガが私の事をそんなに心配してくれていたなんて……) (鼓動が早くなってるわ。それに、ちょっと体温もあがっているかも……私……) 「ど、どうした?」 頭を抱え込むようにしてその場でうずくまってしまったハイジにぎょっとする。 「もしかして、ルイに言ったのがまずかったのか?」 「そ、そんなことない! そこはむしろ嬉しいわ!」 (だってだって、私のことを心配して、私のことを思ってくれて、ルイに頼んでくれたんですもの! そうなのよね?) 「な、ならいいけど」 (あっでもさっき『誰だって心配する』って……ということは、別に誰でもよかったの……?) 「ああぁ……こんなこと気付かなくてよかったのに……!」 「何が!?」 「だから何が!?」 「私のことを心配してくれていたのではなかったの?」 「し、してたってさっきから言ってる」 「…………」 ハイジは何とも言えないような、喜んでいるのか恥ずかしがっているのか微妙な表情をした。 どうもさっきから、会話の方向性がまったくつかめていないような気がする。 ころころ表情を変えているハイジの態度はまあ面白くはあるのだが……。 「あの、とりあえず、ちょっと落ち着け」 「えっ…じゃ、じゃあどうしろって言うんだ」 「えっ、どうって……あの……」 何故かまた少し赤くなると、ハイジは困ったように言った。 「少し待ってくださる?」 俺が頷くと安心したのか息をつく。 一体、何を考えているのかは気になるが、本人からの申請もあったことだし、次に口に出される言葉をゆっくり待つことにした。 (鼓動が全然おさまってくれない………私……どうしよう、どうしたらいいの? 何を言うべきかしら?) (コガは待ってくれると言ったけれど、いつまでもこうやって考え込むわけにはいかないし……) (落ち着いて。落ち着きましょう。さっきコガもそう言ってましたし。そうよ、落ち着くのがまずは必要なのよ) いつかのように、ふぅと深く息を吐き、何度も深呼吸する。 少しは落ち着いてくれたのだろうか。 (そうよね。まずはお礼を言わないと。素直な気持ちを、そのまま率直に言えばいいんだわ) 「あ、あの、わ、私…………」 最初、おずおずと言い出したハイジは、その後はすっと言葉を吐き出した。 「ありがとう」 「あ、ああ」 「あなたのことが大切です」 「……っ!」 お礼の言葉についてきたおまけがちょっと予想外のもので、俺は思わず声をあげてしまう。 まさか、じゃあ、ハイジが俺のことをよく見つめてたのはそういう……。 「えっ……」 言われたことが頭の中を一周する前に、ハイジは慌てた様子で勢いよく首を振った。 「…………」 そりゃあ、相手は外国人だ。言葉の使い方を間違えることもあるだろう。 それはわかるが、よりによってこんなタイミングで間違えずともいいだろうに……。 好意を伝えられて、嬉しくないわけがない。 それを突然なかったことにされると、さすがに少しショックだ。 据え膳というか。出された美味そうな料理を食べる前に全部持って行かれたかのような喪失感がある。 いや、落ち着け……ハイジはきっと日本語の言い回しに慣れてない所がまだあるんだろう……。 「な、なしです」 「な、なしな」 「は、はい」 「あ、ああ……でも、その…あんまりそういうこと、男の前で言わない方がいいぞ」 「……え? どうして?」 「いや、そんなこと言われたら変に期待するからな」 「………!」 そう言った途端、ハイジの顔が勢いよく真っ赤になった。 さっきまでもそうだったが、それ以上にかなり赤くなっていてそのまま倒れるんじゃないかと不安になるほどだ。 「えっ!?」 な、なんだ!? さっきのはなしとか言いながら、またこういう妙に期待させるようなことを……! ハイジの真意がさっきからまったく読めない。 いきなり大切だ、と言い出したり……いやそれは間違いだったのか……となると……いや、じゃあ期待しろっていうのは何なんだ。 もしかすると、迷惑かけたからお礼に何かくれるとか、そういう意味か……? だが今一つ自信が持てない。 さっきから上手くコミュニケーションが取れている気がまったくしないし……ここは正直に言った方がいいだろう。 「単純な、単語……そうね……」 わりと失礼な物言いだったと思うが、怒り出すこともなく、ハイジは真剣に何かを考え始めた。 多分、頭の中にある簡単な単語を探しているんだろう。 今度こそ、ちゃんとした会話が出来ればいいんだが……。 そう考えていると、ハイジはようやく思い当たる日本語を探し出したらしく、驚くほどあっさりと、言った。 「……愛してる」 「………」 「………?」 今のは……まさか聞き間違い…じゃないだろうな……。 でも、ハイジは俺から目をそらさず、真剣な顔つきをしている……。 「お、俺のことを?」 ハイジの視線は揺らがない。 ただ真っ直ぐに、真摯な表情で俺を見つめている。 視線をそらせない。いや、そらしちゃいけない気がした。 「大切だという在り来りの言葉では私の素直な気持ちを表すのに足りないと思ったの」 「そ、そうだったのか」 「あなたは、私のことが嫌い?」 「………」 そう言われて思わず心臓が高鳴る。 見つめあったまま、動けなくなってしまった理由は俺の方にもあったんじゃないのか。 握られた手をほどけなかったのも、ルイにまかせるのが悔しかったのも、全部……。 気付いた途端、胸が熱くなるような気がした。 「いや……嫌いじゃない」 まだ照れがあったのか、はっきりとは答えられなかったというのに、ハイジは輝くような笑顔で嬉しそうに返事をする。 「嬉しいわコガ! あなたも私と同じ気持ちでいてくれて!」 「……あ、あぁ…」 「あなたが好き! そうよ、私はあなたから離れたくなかったの!」 「………そうか」 そんな風に素直に喜ぶハイジを見ていると、なんだか真っ直ぐに何も言えない自分が滑稽に思えてきた。 いや……だが、一つだけ、誤魔化すわけにはいかない事がある……。 「もちろんよ。あまり長い間本国を留守にするわけにもいきませんし……」 「ヴァインベルガーの家のすべてを守り、導くのが私の役目ですから。誰だって家族は大切でしょう?」 「なぁに?」 「お前に、ドイツに帰ってほしくないし」 「本当に? そんな風に思ってもらえるなんて、嬉しいわ! すごく!」 「でも、いつかは帰らなきゃいけないんだよな。必ず」 「……ええ」 はしゃいでいたハイジは、少しトーンを落とす。 そこにあったのは、さっきまでの年相応の少女の顔ではなかった。 「私はヴァインベルガーの当主だもの」 「それはわかるよ。だから俺も、その時になって引き止めたりはしない……寂しいけどな」 「そんなの。コガが寂しがってくれるだけで充分よ」 「ハイジがヴァインベルガーの家を大切にするように……俺にも大事な家族がいる……」 「だから、例えばドイツについて来てくれって言われたとしても、俺は多分、日本を離れることは出来ない」 「それでもいいか? そんな選択をする俺でも、好きだって言ってくれるか?」 「どうして?」 ハイジは今までのように困ったような顔も、戸惑ったような顔もしなかった。 「私がヴァインベルガーのためにドイツに帰るのも、あなたが家族のために日本に残るのも、同じことでしょう?」 「その選択をしたことで、私が、あなたのことを嫌いになるわけがないわ」 「私からも質問していい? 仮に離れ離れになって、遠くに離れたとしても……私は、どこにいても、あなたを愛するわ」 「あなたは私のことを、愛してくれる?」 「………」 一切の迷いもなく、ハイジは俺に問いかける。 こんな風に、時々垣間見せる芯の強さに、俺は惹かれたのかもしれない。 頷くと同時にハイジは感極まったのか、俺の方へ駆け寄ろうと一歩前に足を踏み出した……がっ! 「なっ!?」 勢いをつけすぎたのか、ヒールがあらぬ方向に曲がる。 バランスを崩すハイジに慌てて駆け寄り支えようとするが、その勢いを殺しきれない……! 「うわぁあっ!!」 「うう〜ん……」 「い、っつ……」 転んだわりには何か柔らかくて気持ちいい感触がすると思ったら……! こ、これは色々まずいだろ。さすがに。 「………」 目の前にはハイジの大きな胸があった。 というか、俺が谷間に顔を埋めている状態だ。 あまりにも大きくて柔らかいその胸は、今までに感じたことのないようなふんわりした感触だった。 なんというか、これは……もう……反則だ。 すごく気持ちよくて……抜け出す気分にまったくならない…。 これじゃあ何だか、最終的にはこの胸に負けたみたいじゃないか……。 「……あ」 「い、いや、これ……は…」 「い、いや! ハイジ、落ち着け! 別にわざとじゃない!」 俺の顔が谷間に埋まっていることに気付いた途端、ハイジは大きな声で悲鳴を上げた。 いや、確かにこの状況じゃ仕方ないが……ここで誰かに来られたら、また前と同じレッテルを貼られる羽目になってしまう! 結局、誰もかけつけはしなくて助かったものの、ハイジが落ち着きを取り戻すまでしばらく時間がかかってしまった。 とりあえずかなり気まずいものの、部屋までは送ることにしたんだが、さっきの胸の感触が気になって妙に落ち着かない気持ちになる。 「………」 「………」 チラっと視線を向けると、どうしても胸元を見てしまう。 いや、とりあえず今はハイジの胸のことは忘れろ。 本当に忘れないとな……気持ちよかったけど。 「た、ただいま戻りました」 「……おや」 「どうも……」 ハイジを部屋まで送り届けると、ルイが部屋の中で待っていた。 なんとなく、俺もハイジもそのルイに視線を向けられずにいる。 「………」 そんな俺達を、ルイは順番に何度も見比べていた。 なんだか、すごく落ち着かない……これは、もう帰った方がいいかもしれない……。 「あの、じゃあ送って来たんで……帰ります」 「お待ちください。少し、お話があります」 「え?」 帰ろうとした瞬間、ルイが俺を引き止めた。 驚き振り返ると、ハイジもおずおずと口を開く。 二人に引き止められたような形になり、とりあえず姿勢を正して話が始まるのを待つことにした。 「ルイ……!」 ハイジの話を聞いたルイは、嬉しそうに笑みを浮かべる。 そして、予想外の良い答えだったのか、ハイジもそれに感激したような表情を浮かべた。 「フラウがコガについて悩み、思い煩っていたことは私もよく存じ上げております。その気持ちが報われて本当に良かった」 「あなたには迷惑ばかりかけてしまったけれど……」 「いいえ。それも今となっては、フラウが自分の気持ちを整頓するために必要なことだったのだと存じます」 「ええ、そうね! あなたがいなければ、私はきちんと自分の思いを受け止められなかったわ」 なんだかんだ言いつつも、やはりルイもハイジを心配していたようだ。 前にハイジがルイとは小さい頃からずっと一緒だと言っていたし、普段はからかってばかりみたいだけど、きっとあれも愛情の表れなんだろう。 そんな二人の様子を黙って見守っていると、ふいにルイが俺に視線を向けた。その表情は真剣そのものだ。 「ところでコガ……大切なフラウをお任せするにあたって、私から心に留めておいて欲しいことがあります」 「あ、ああ」 ハイジのことを大切に思っているであろう執事のルイなのだから、話はちゃんと聞く必要があるだろう。 頷き姿勢をもう一度正し、表情を引き締める。 「ほんの些細な願い事ですが……お聞きいただけますか」 「もちろんだ」 そう返した俺にルイは満足そうな笑みを浮かべる。 そして、それから真剣そのものな顔をして、おもむろに俺の方へと近寄ってきた。 それは俺を試すかのような表情で―――。 「お前、勃起不全じゃないだろうな」 「……!!!」 「……」 今、何を言った? 俺の聞き間違え……か……? 「……は?」 「日本語が理解できなかったか?」 「いや……」 さっきの微笑みはもうどこにもない。 ついでに、敬語もない。 「陰茎はきちんと勃起するのかと聞いている」 「ちょ、ちょっとル……」 「お前は黙っていろ、アーデルハイト」 「……はい…」 横からハイジが声をかけたものの、謎の迫力で一発で黙らされてしまった。 「さて、もう一度しっかりと聞いた方がいいか? お前のそれは使い物に――」 「い、いや、理解できてる」 「ではさっさと答えろ」 「……だ、大丈夫…だけど……」 とんでもないことを聞かれているのはわかってるんだが、謎の迫力のせいで素直に頷くしかできない。 ルイはそんな俺を見てようやく表情を緩め、満足そうに何度も頷いた。 「よし。それじゃあ、避妊はするなよ」 「は、は!?」 ついていけないままに話が進む。 ハイジも何も言えずに硬直しているようだった。 「お前に要求することはたった一つだけだ。いいか……」 「この馬鹿をとっとと孕ませろ。絶対に孕ませろ」 ルイの目が据わっている……。 よくわからないが、本気で言ってるんだということだけは理解できた。 「い、言いたいことはわかったが、意図がまったくわからん」 それだけをやっと答えると、ルイは目の前でフッと笑った。 「実に単純なことだ。アーデルハイトが産んだ子供を、ひとりふたり養子にもらいたいだけだ。そのためにはお前に努力してもらわねばな」 ルイの言葉を口を半分開けたままで聞いていたハイジだったが、ここに来てさすがに慌てた様子で声を荒げた。 だが、執事の態度は変わらないどころか、その反応すら予想通りだったと言わんばかりだ。 「ああ……これで俺は、跡取り問題でぎゃあぎゃあ言われることもなくなるというわけだ、まったく素晴らしいな!」 「かつてお前がここまで俺の役に立ったことなど無かったぞアーデルハイト! しっかり子作りに励め!」 見たことのないようなテンションでそう言いながら、ルイはハイジの肩をポンっと叩いた。 さすがにこれは勝手を言いすぎじゃないかと思うのは、ハイジも同じだったらしい。 興奮した様子で更に声を荒げてルイを責める。 ハイジが反論した途端、すっとルイの表情がなくなる。 そのままルイはハイジに詰め寄った。 「じゃあなんだ、お前は俺に自分で跡取りを産めとでも言うのか?」 途端に、ハイジは何かとても弱いところを突かれたかのように怯んでしまう。 「う、ううっ……」 「お前がなんでも相談しろ、力になる、と俺に言ったのは何だったんだ? その場のノリか? 俺が嫌だと思うことはしなくていいと言ったな?」 「わかればいい」 よくわからんが、お家騒動的な問題の果てにハイジが負けたってことなんだろうか……。 それに……話の流れからどうも察するに……。 「え……!?」 しかも、一通り満足したらしいルイは俺達に軽く頭を下げるとさっさと部屋から出て行ってしまった。 そして、俺とハイジは二人きりで夜の客室に残されてしまう……。 「………」 「………」 気まずい。 この状況で、あの問答のあとに、二人で、何を話せと言うんだ……。 ハイジの方も恥ずかしそうにしてるし……。 「ご、ごめんなさい……なんだか…」 「あ、いや……」 謝られても、どういう反応をしたらいいか困る。 ハイジだって困ってるみたいだし。 「あの、基本的なこと聞いていいか?」 「ど、どうぞ」 「あいつ、もしかして女だったのか?」 「なんか思いっきり無茶なこと言ってたけど、ハイジは本当にそれでいいのか」 そう聞くと、ハイジは少しだけ困ったような顔をした。 「いいのよ。私は、ルイが男の人を嫌いな理由も知っているし、その気持ちもよくわかっているから」 「ハイジ……」 ハイジとルイの間に何があったのか俺にはわからない。 けれど、ハイジがルイをとても信用していること、あいつの気持ちをわかってやっていることはハイジの表情で理解できた。 少し嫉妬のようなものを感じなくもないが、まあでもあいつ、女だもんな……。 「……え」 真剣な表情をしていたハイジだったが、最後には少しだけ恥ずかしそうに俺を見つめた。 もしかしてこれって……だから、子供作ろうってこと…なのか……? 「……コガ?」 「………」 思わず、ハイジの胸に目が向いた。 大きな二つの膨らみを見ていると、何というか……落ち着きがなくなる。 ……というか俺はさっきからハイジの胸を気にしすぎじゃないだろうか……自分で自分が嫌になってきた。 大体、熱を計ろうと額を触っただけであの反応だったハイジと、いきなり事に及ぶのは無理だろう。 それに、いくらなんでも気が早すぎる。 いくらあの大きな胸が魅力的だからって……。 「どうかしたの?」 「……な、なんでもない」 「本当に?」 「ああ」 じっと考え事をしている俺を見て、ハイジは不思議そうな表情をした。 小首を傾げるだけで胸が少し揺れたような気がして、そこから視線が外せなくなってしまう。 これ以上ここにいると、まずい予感がする……。 ………帰ろう。 「じゃ、じゃあ……えっと、お、俺は部屋に帰るから」 「え?」 「もう、帰ってしまうの……?」 帰ると言った途端、ハイジは捨てられた犬のような寂しそうな顔になった。 そんな顔されたら帰れなくなるし、それに何より、あの話題の後のこのタイミングで言う台詞ではない。 いや、俺の考え過ぎかもしれないが、でもさすがにこれは……。 「………」 どう判断すべきか迷ったあげく、俺は本人に確認することにした。 どうもハイジの思考は読み切れないところがある。正直に聞いてしまった方がいいだろう。 「ちょっと聞くけどな、さっきしてた話を踏まえて、それでも俺を引き止めるのか?」 「……?」 じっと目を合わせながら言うと、何が言いたいのかよくわからないって顔をされた。 「帰るなって言われて俺がどういう風に受け取るか、理解してるか?」 「……」 首を傾げて考え始めたハイジが答えにたどり着くのを待つ。 すると、しばらく考えてからようやくハイジの顔が真っ赤になった。 「………」 「うん、だよな。今の反応でわかった」 真っ赤な顔をしたままぶんぶんと首を振る姿を見て安心した。 どうやら、俺の考えすぎだったようだ。 やっぱりあの状況からすぐにってのは……。 ハイジの慌てふためく様子は可愛いからもう少し見ていたいのだが、今は早く帰った方が良さそうだ。 「ごめんな、なんか変なこと言って……」 「だからって言ったのも、ルイのこと嫌いにならないでねって思っていただけで!」 「………」 どうもハイジは相当慌てているらしい。 多分、本人的にはそんなに意識していないんだろうけど、言わなくてもいいことを正直に告白して来てくれている。 「う、うん……わかったから…」 「え、ええ。わかってくれたのならいいのよ!」 「俺も、さっきの今でってのはちょっと早すぎるとは思ってたし」 「まあ俺は男だからそういうの別にいいんだけどさ……」 「でも、ハイジにはもっと心の準備とかもいるだろうし、とにかく今日は帰……」 「え…?」 突然言葉を遮られ、思わずハイジを見る。 彼女は、まるで誇りを汚されたかのような、険しい表情をして俺を睨んでいた。 ものすごい勢いで詰め寄られてしまい、まずいところを突いてしまったとようやく気付く。 思わず後ずさると、ハイジは俺との距離を縮めるようにぐいっと近付いて来た。 ふんわりと、いい匂いが漂ってくる。ハイジのつけている香水だろうか。 また、一歩後ずさる。 「だからそのこと自体は立派だと思うし嬉しいが! 今このタイミングで言うなよ!?」 ハイジは今にも飛びついてきそうな勢いだった。 確実に頭に血が昇っている。さっきから勢いだけで喋ってるんじゃないだろうかって気すらしてくる。 これはもしかしたら、少し脅かしてでも止めた方がいいかもしれない。 「………」 きっと眉を吊り上げて怒りながら、俺に詰め寄ってくるハイジの身体を、強引に引き寄せる。 そして、唇に触れるだけの口付けをしてすぐに開放した。 「………」 「………」 身体を離すと、ハイジは硬直して動かなくなってしまった。 「あ、あ、う…う、うぅ、うぅうう……」 何か言おうとしているみたいなんだが、口から出るのはまったく意味のない言葉ばかりだ。 こんな状態で、よくさっき覚悟ができてるなんて言えたもんだ。 本当に勢いだけで言ってたんだろうな……。 「これだけでそんなになってるのに……これよりもっと酷いこともするんだぞ」 「ふ、ふぇ…」 必死で息を整え、ハイジは俺を見上げた。 その顔はまだ真っ赤で、じっと見ているとまた更に赤くなってしまいそうに思える。 「……へ、平気よ」 「………」 嘘だ。絶対に。 こんな状況で、よく平気だなんて口にできるなこのお嬢様は。 「……!」 俺の『嘘だろ』という視線に気付いたのか、ハイジはむっとしたような顔をして俺を睨み返した。 「……」 そう言ったハイジに近づき、その手を取って立ち上がらせた。 そして、もう一度身体を引き寄せ唇を重ねる。 また、触れるだけの口付けをする。 柔らかい唇の感触が伝わると同時に唇をそっと離し、ハイジを見つめる。 すると、ハイジも目を開けて俺を見ていた。 互いの視線が重なり合い、ハイジの瞳の中に自分が映っているのが見えた。 「………」 「………」 平気だと宣言した通り、ハイジはキスをされて頬を染めてはいたが、さっきのようにへたり込むことはなかった。 ――完全にしくじった。ハイジの挑発に乗るんじゃなかった。 本当に変な雰囲気になってしまっている……。 「ほら、大丈夫…でしょう?」 「……それはわかったよ」 「じゃあ……」 そう言うとハイジが困ったような顔をした。 そんな顔されると、ますます煽られるのだが、本人は無自覚なんだろう。 「それはそうだけど」 「正直に言うと……そりゃあ俺だってしたいけど」 「したいけど……?」 「………」 何も言わずにハイジはじっと俺を見やる。 多分、続きを言えってことなんだろうが……すごく、照れくさい。 出来るなら言わないでおきたいのだが、多分正直に言わないと納得してもらえないだろう。 「こんなにすぐだと、お前のこと大事にしてないっていうかさ……欲に負けたみたいで嫌なんだよ」 だが、俺の言葉を聞いたハイジは不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。 そう言いながら、ハイジがそっと俺に手のひらを差し出す。 そして、細い指先が俺の唇に触れた。 そのなんでもないような仕種に心臓が大きく高鳴る。 「………」 「私、またおかしな事を言ってる?」 「いや……」 負けた、と思った。 ここまで真っ直ぐに気持ちをぶつけられて、これ以上引くなんてこと、できるわけがない。 もう一度、そっとハイジを引き寄せて唇を重ねる。 「……」 「ん……」 唇を重ね、何度も触れ合わせる。 柔らかい感触が唇に伝わり、胸が熱くなった。 一瞬しか感じられなかったこの柔らかさを確かめるように、何度も口付けをくり返す。 「んん……」 小さく音を立てて唇を重ねると、ハイジが少し震えたのがわかった。 恥ずかしがっているらしいのがわかり、わざと何度も小さな音を立ててやる。 「……あ」 何度も同じように口付けていると、遠慮がちに小さく声が漏れた。 唇が開いたことに気付き、ゆっくりと舌を進ませてみる。 「んっ!」 「ん……」 口内に進ませた舌で、ハイジの舌を絡め取る。 ゆっくりと絡み合わせながら口付けると、驚いたように身体を硬直させられた。 「あ……んっ…」 さっきよりも大きく音を立て、唾液を交わらせながら口付けをくり返すとハイジの身体から力が抜けていく。 その身体を支えながら、何度も何度も、舌を絡めた口付けをくり返した。 「あ……」 唇を重ねたままそっと目を開けると、目の前には惚けたような表情をしたハイジがいた。 顔が真っ赤で目も潤んでいて、すごく可愛い……。 「……コガ?」 じっと見つめていると名前を呼ばれた。 それに応えるようにまた唇を重ねて軽く音を立ててみる。 すると、ハイジは更にうっとりした。 キスしただけでこんな表情になるハイジに名前を呼ばれ、胸が大きく高鳴った。 ここまで来たら、もう俺だって止められない。 「ハイジ……」 「はい」 「胸、触っていいか?」 「………」 俺が聞くとハイジは少し驚いたようだったが、頬を真っ赤にしながらも小さく頷いてくれた。 そんなハイジを見ながら、大きな胸にゆっくりと手を伸ばした。 「……あっ!」 服をはだけさせると、胸の大きさが更によくわかるような気がした。 あらわになった胸元に思わず唾を飲み込み、ゆっくりと両手で胸を揉み始める。 「ん、んん……」 手にあまるくらい大きなハイジの胸は柔らかく、手のひらを動かすと大きく形を変える。 あまりの柔らかさに手のひらを動かすのがやめられない。 ぐにぐにと上下に揺らすように胸を揉みながら、ハイジの様子を窺う。 「大丈夫か?」 「な、何がですか?」 「いや、あの……痛くないかな、とか…」 聞きながら胸を更に揉むと頬を赤くしたまま困ったような顔をされた。 「よ、よよ、よくわかりません」 「うーん……」 「……あっ!」 「じゃあ、気持ちいい?」 「わ、わからないです!!」 胸だけじゃない方がいいんだろうかと、胸を揉みながら乳首も弄ってみる。 大きな胸を揉みながら指先で乳首を弄ると、ハイジの身体がビクッと震えた。 真っ赤になったまま、どうしたらいいのかわからないといった様子で見返される。 その間も、柔らかくて大きな胸を揉み続ける。 「やっぱりやめたくなったか?」 「……んっ」 少し意地悪に聞くと、ハイジははっきりと首を振った。 真っ赤になって慌てているようだけど、あくまでやめるつもりはないらしい。 「わかった」 「あっ……!」 また胸を揉み、乳首を何度も弄る。 左右交互に動かすように胸を揉み、乳首を時々擦るとハイジの声が甲高くなる。 「ふぁ、あ……あ…」 胸を揉み続けていると、ハイジの表情がうっとりしたものになり反応も少しずつ良くなって来る。 「は、んっ……ん、んぅ…」 何度も胸を揉んでいるうちにハイジも少し慣れて来たようで、こちらに視線を向ける余裕も出て来たようだった。 じっくり見ると恥ずかしそうにするけど、さっきまでみたいにただ戸惑うだけじゃなくなっている。 「気持ちよくなって来た?」 「う、うん……コガが、触ってくれるって思うだけで…なんだか、ふわふわするみたいな……」 「そりゃ良かった」 なんだかその答えが嬉しくて、また胸を揉みながら視線を向ける。 何度もこうして触って揉みしだいているのに、大きくて柔らかな感触に飽きることがない。 ずっとこうしていたいと感じてしまう。 「あ、ふぁあ……あ、んっ…」 揉まれる胸が動く度にハイジは甘い声を出す。 その声をもっと聞きたくて、手のひらを動かし指先で乳首を何度も擦る。 「あ、んっ! ん、んぁ……こ、コガぁ…」 「何?」 「わ、私の胸……好き、なの?」 「え……なんで?」 「だ、だって、ずっと触ってるから……」 恥ずかしそうな表情をしながら聞いてきたので、胸を揉みながら頷く。 「ああ、好きだ」 すると、ハイジはパアッと明るい表情を浮かべた。 「う、嬉しい…! 今、生まれて初めてこの胸を持ってて良かったと思ったわ!」 「もったいないこと言うなよ」 「だって、邪魔なだけなんですもの……」 なんてことを言い出すんだと思ったが、確かに大きいと本人にとっては邪魔なのかもしれない。 でも、これだけ柔らかくて気持ちいいんだから、やっぱり俺としては納得がいかないのだが……。 「でも、コガが好きって言ってくれるなら、この余計な胸も悪くないわ!」 「そ、そうか」 なんかすごく恥ずかしいことを言われてる気がするんだけど、あまり気にしないことにしよう。 考えながら更に胸を触ると、やはりその感触は心地よい。 「これだけあったら色々できるだろ、挟んだりとか……」 「はさんだり??」 「……あ」 しまった。思わず願望が口から出たけど……さすがに、どういうことか説明するわけにはいかない。 「挟むってなんですか?」 「いや、なんでもない」 「なんでもなくないでしょ!」 「いや、あの……」 どうしてこう、こういうことに食いついてくるんだこのお嬢様は……。 どう答えればいいかわからず黙っていると、ハイジはじっと俺を見ながら何か考え始めたみたいだった。 「え……あ! で、でも、そんな……」 「………」 しばらくすると、ハイジは顔を真っ赤にしてうろたえ始めた。 まさかとは思ったが、心当たりあったのか……。 「いや、気にするな……」 「いいえ! 私、挟むわ!」 「ええっ」 予想外の言動に思わず声をあげると、ハイジはその場にさっとしゃがみ込む。 「こ、こ、こ、こういうことじゃなかった??」 「……うっ」 俺のズボンと下着をずらしたハイジは目の前に現れた肉棒に怯んだようだった。 だが、すぐに大きな胸でそそり立つ肉棒をしっかりと挟んだ。 「こ、こういう…ことよね?」 「い、いや、そういうこと……だけど……」 これは……大きな膨らみに挟まれているだけで、すごく気持ちがいい。 柔らかい感触に包み込まれ、ビクビクと肉棒が反応した。 つい、この先のことまで望んでしまいたくなる。 「あ、ああ……あ…の…」 「えっと、これだけだと、あの……」 「え! え、っと、あの……こう…?」 ハイジがおそるおそる自分の胸を中央に寄せて交互に動かし始めた。 肉棒がゆっくりと谷間で擦られ、またビクビクと反応する。 「あ……」 「ん……」 「こ、こう……ね…」 肉棒を挟み、乳房を交互に動かしながらハイジは真っ赤になっていた。 胸の谷間に俺のものがあるってだけで興奮しているようで、そんな様子を見ていると嬉しくなる。 「は、はあ…ん、んっ……」 「……!」 「コガ……どう?」 「悪くない……」 「本当?」 少しずつ、ハイジの奉仕が激しくなる。 胸を上下に揺らして肉棒を擦りながら、上目遣いに見つめられると背筋が震える。 「ん…んんっ……」 「……っ」 一生懸命ハイジは胸を動かし、肉棒への奉仕を続ける。 何度も何度も、大きく柔らかな感触が伝わる度に肉棒は震え、そして先端から透明の液体が溢れ出す。 「はあ、は……んっ……」 肉棒の様子をじっと観察しながら、ハイジは必死になって奉仕を続ける。 一生懸命な姿と、伝わる感触が気持ちよくて何度も吐息が漏れる。 それに気付いているのか、ハイジは更に一生懸命になる。 「コガ……もっと、した方がいい?」 「も、もっとって……」 「だって、私……あなたにもっとしたいの。ねえ…」 「………」 今でも十分いろいろなことをしてもらってるのに、これ以上を望んでいいんだろうか。 なんて思いがないわけじゃない。 そう思っているはずなのに、もっとして欲しいという気持ちの方が大きくなってしまう。 「ハイジ……咥えられるか…?」 「くわえ……え……!?」 「いや、無理だったらいいから……」 「……んっ」 「んっ!」 俺の言葉にムキになったのか、ハイジは勢いよく肉棒の先端を咥えた。 驚き身体を震わせると、ハイジは胸を動かし肉棒を擦りながら先端をちゅっと吸い上げた。 「は、んっ……ん、ん、こう…?」 「は、ああ……」 「ん、ちゅぅ、ちゅう……んっ、んんぅ」 何度も先端を吸い上げられながら、大きく柔らかな感触で肉棒が擦られる。 刺激を与えられる度に身体と声が震え、吸い上げられるハイジの口内に先走りが溢れる。 溢れる液体を吸い取りながら、ハイジは何度も胸を動かし続けた。 「はあ、は…ん、んっ……ふぁ、う…」 伝えられる感触も、見た目も、聞こえて来る甘い吐息や唾液の音も、その全てに身体が反応しているのがわかった。 何度も何度も刺激され、その度に肉棒が震えて液体が溢れてゆく。 「ふ、は、ああ……あ、んぅう、んっ」 「ハイジ……」 「はあ、はあ…んっ、ふぁ、うんぅ」 「……くっ!」 あふれ出した精液を勢いよく吸い上げられた瞬間、ビクっと大きく身体が震えた。 そのまま、勢いよく腰を引いて目の前の大きな胸に向かって激しく射精する。 「ひゃぁ! あ、あぁ…」 胸いっぱいにかけられた精液を見てハイジは驚きながら顔を真っ赤にした。 「あ、無駄にするなって……後で、怒られちゃう……」 ぼんやりとしながら言うハイジは、俺に奉仕していただけで気持ちよさそうな表情になっていた。 そんな顔を見ていると、ムラムラとした気持ちが抑えられなくなってしまう。 「ハイジ……」 「きゃっ!」 ハイジの身体を押し倒す。 素直にされるがままになったハイジは戸惑ったように俺を見つめていた。 「こ、コガ……」 「じっとしてて」 「あ……んっ!!」 そっと秘部に指先を移動させてゆっくり撫でてみる。 俺に奉仕していただけで濡れ始めていたそこに触れると、くちゅくちゅと小さく音がした。 「あ、ああっ」 「大丈夫。ゆっくりするから」 「ほ、本当…?」 「……ああ」 頷きながら、指先を慎重に動かす。 濡れた秘部を慣らすようにゆっくりと浅い部分からかき回す。 指を動かす度に音は大きくなり、奥からじんわりと愛液が溢れ出してくる。 「は、はあ……コガ、あ、んっ!」 「痛いか?」 「ち、違うの…なんだか、身体が、あっ!」 「それで普通の反応だから、大丈夫……」 「わ、わかってるわ! で、でも、あ、ああっ!」 指先で秘部をかき回す度にハイジの反応は大きくなり、溢れる愛液の量も増える。 何度も指でかき回しながら、びくびくと反応する様子をじっと見る。 もうそろそろ大丈夫だろうかと思うが、初めてのハイジに無理はさせられない。 溢れ出す愛液を指先ですくい、浅い部分でかき回していた指を少しだけ奥に進ませる。 「は、んっ! ん、んぅ」 「大丈夫か?」 「は、はい! あ、あぁあ……」 指を少し進ませただけでハイジは辛そうな声を出した。 少し心配だったけど、そのまま中をかき回してゆっくりと慣らしていく。 「はあ、は……あ、ぁあ、コガ、私もう…身体が……」 「ん……?」 「あの、あ……」 指をかき回し続けていると、ハイジがじっとこちらを見てもじもじとし出した。 ……もしかしたら、これだけじゃ物足りなくなって来たのかもしれない。 「わかった……じっとしてろよ」 「あ、あっ!」 答えてからそっと秘部に肉棒をあてがい、そのままゆっくりと膣内へと進ませて行く。 「……んっ!」 「はあ……」 「ん、んぅう……ふ、ぅあ…」 初めて他人を受け入れるハイジの中は、痛いほどに強く俺の肉棒を締め付けた。 ぎちぎちと噛み付かれるような痛さを感じながら、それでもそっと奥へ奥へと進ませて行く。 「は、ああ、あっ! あ、ぅう……」 ゆっくりと確実に奥に進む感触を受け止めながらハイジが声を漏らし、俺の身体にしっかりとしがみ付いて来る。 どうすればいいのかわからないと戸惑う様子を見て頬を撫で、時間をかけて最奥まで届かせた。 「はあ、は……あ、あああ…コガぁあ…」 「全部入ったの、わかるか?」 「そ、そんなこと……言われても……」 「ん……」 「ひ、ぁあっ!」 まだ戸惑ったままのハイジの頬を撫で、腰を軽く突き上げてみた。 すると、俺にしがみ付くハイジの身体がビクっと震える。 そのまま、何度か腰を突き上げるとしがみ付く力が強くなった。 「あ、ああっ! は、うぅ!」 身体を突き上げる度にハイジは強くしがみ付き、俺の問いかけに対して首を振っていた。 「ハイジ、痛くないか?」 「わ、わ、わ、わ、わかりません!! わけがわかりません!」 「ん……」 初めてのことで混乱しているらしいハイジは、それ以外に答えられないようだった。 困ったなと思いながら軽く身体を揺らすと、びくびくと反応される。 反応があるってことは、本当にわかっていないわけでもないとは思うんだが……。 これは、ちょっと落ち着かせた方がいいみたいだ。 「大丈夫か?」 「わ、わか、わからないの! ほ、本当にわけがわからなくて!!」 「わかったよ。そんなに焦らなくてもいいから」 「ふぁ、っああ!!」 何度か身体を揺らしてみるけど、ハイジの反応は変わらない。 もう、こうしてしがみ付いているだけでいっぱいいっぱいだって感じだ。 どうやったら落ち着かせることができるだろうか……。 「……ちょっと、ごめん」 「え? あ、ふぁっ!!」 さっき胸をずっと触ってたら落ち着いたことを思い出した。 また触ったら、落ち着いてくれるだろうか……? 「ひゃ! あ、あぅっ!」 ゆっくりと胸を揉みながら、腰を軽く動かす。 窮屈ではあるが、痛いほどのキツさはなくなって来ていた。 ハイジの方も、痛くてこれ以上は無理って感じではない。 「は、はあ、あっ……あ、んっ!」 「うん。大丈夫だから」 「は、はい。ふぁ、っああ」 何度も大きな胸を揉み、ゆっくり腰を何度も動かして身体を揺らす。 腰を突き上げる度にハイジは震え、そして目の前で大きな胸が揺れていた。 「ふぁあ、あ…コガ、あ、あっん……」 「どうした?」 「あ、あの、えっと……」 焦らずゆっくりと行為を続けているせいか、ハイジは少し落ち着いて来たようだった。 やっぱり、胸を揉んだら落ち着くんだろうか……なんだか不思議な感じだ。 表情も落ち着きを取り戻したみたいだったけど、恥ずかしそうにこちらに視線を向けている。 「ハイジ……?」 「ふぁ、う…! う、あの、えっと、えと……」 恥ずかしそうにしているが、答えられない様子のハイジの瞳をじっと見つめる。 すると更に頬が赤くなり、いやいやと首を振られた。 なんだか、やけにかわいい仕種にもっと見てやりたくなってしまう。 「あ、あの! い、いや、あんまり……見ないで…!」 「んなこと言われても」 「だ、だって、こんな……全部、見られてしまってるなんて!」 「………」 「は、恥ずかしい……」 それで恥ずかしがっていたのか……。 でも、このままの状況だとずっと見えてる状態になってしまう……あ、そうか。 「じゃあ、ちょっとじっとしてろ」 「え? ふぁ、あっ!!」 恥ずかしがっているハイジの身体を抱え、背後から抱き上げる状態にしてやる。 ハイジの体重の分だけ深く奥まで肉棒が届いて、これはこれで悪くないと思える。 けれど、抱き上げられたハイジは慌てたようにこちらに視線を向けて真っ赤になっていた。 「え!? こ、こんな、あ、あの!!」 「これなら、俺にははっきり見えないだろ」 「だ、だって、この格好自体が……!」 「そう言われても……」 これはこれで恥ずかしいって言われても、これ以上どうしたらいいんだか。 とりあえず、身体を抱きしめ直して腰を突き上げてみる。 「ひゃっ! あ、あん!!」 「や、あっ! コガ、ダメぇ! あ、あっ!」 腰を突き上げるとハイジは首を振りながら恥ずかしがる。 それでも、突き上げる度に奥まで届く肉棒の感触に、身体はびくびくと震え続けていた。 「や、やだぁっ! さっきの方が、あ、ああっ! は、恥ずかしくなかったかも!」 「そんなこと言ってもな」 「や、やっぱり戻して! あんっ!!」 「大丈夫だって、俺の方からはよく見えてないから」 「ひゃんっ!!!」 恥ずかしがっている身体を支え直し、強引に何度も腰を突き上げる。 いやいやと何度も首を振るハイジだったが、そのまま何度も身体を揺らしながら突き上げ続ける。 「ふぁっ! あ、あぁあっ!」 「……んっ」 「コガぁ、あっ! ふぁ、ぅああんっ!!」 何度も何度も奥まで届かせているうちに、ハイジは嫌がるような素振りを見せなくなって来た。 そして、肉棒で突き上げる膣内も愛液の量がどんどん増えて動きがよくなる。 「ふぁ、あぁう! は、はあ、はあ……!」 嫌がる素振りを見せなくなったハイジは、されるがままの動きに身体を委ねる。 突き上げ揺らされる身体の奥からは愛液が何度も溢れ、ぐちゅぐちゅといやらしく音が響く。 「ふぁあ、あっ! はあ、あ……コガ、あぁっ!」 「ん……気持ちいい…!」 「あ! わ、私も…あ、あぁぅ!」 頷きながらハイジが答える。 その声には色っぽい艶のようなものが含まれていて、伝わる感触だけでなくその声にも興奮してしまう。 もっと、その声を聞きたくて、膣内の感触を確かめたくて大きく腰を突き上げる。 「ふぁっ! は、ひぃ! ん、ぁああっ!!」 大きく突き上げると同時にハイジが反応を大きくし、締め付けられる感触も大きくなった。 絡み付くような膣内の感触に、奥まで届かせた肉棒がびくびくと脈打ち続ける。 その脈打つ感触にすらハイジは震えて甘い声を出す。 「ふぁ、あっ! あ、あぁぅん!」 「ハイジ……」 「コガ、はぁ、はぁ……あ、あっ……」 ちらりと肩越しに向けられる視線に捉えられると、背中が震えるような気がした。 ハイジの視線を感じて、また奥まで突き上げ、そして引抜きをくり返す。 何度も何度も、同じリズムで同じタイミングで抜き差しをくり返すと、徐々にハイジもそれを理解し始める。 「は、はぁ、ぁあっ! あ、んっ!!」 「んっ……」 俺の動きに合わせてハイジも腰を動かし、二人で互いの熱さを感じあう。 震える身体をしっかり支え、何度も何度も腰を突き上げ膣内を擦りながら奥まで届かせる。 「……あ、ふぁあっ! あ、あっ!」 「ハイジ……!」 「あっ! あ……」 名前を呼びながら大きく腰を突き上げる。 瞬間、ハイジの身体がびくびくと大きく震えた。 それと同時に膣内で強く肉棒が締め付けられ、それに合わせるように俺の身体も震える。 そして、そのまま耐え切れず膣内に勢いよく精液を迸らせる。 「ふぁ、ぁあっ! ぁあああっ!!!」 びくびくと震え、膣内で精液を受け止めながらハイジが絶頂を迎えた。 そのまま、膣内に最後まで精液を注ぎ込み、息を整えながら強くその身体を抱きしめる。 「は、あああ……中に、すごい……」 「あ、ああ……」 うっとりと惚けたような顔をしながら、ハイジは自分の中から溢れ出す精液を見つめていた。 その表情と身体を伝う精液があまりにもいやらしくて、またむくむくと反応してしまいそうになる。 「どうした?」 「どうしよう、こんなすごい……嬉しい……」 「そうか。俺も嬉しいよ、ハイジ」 「あ……はい…」 耳元で囁くように名前を呼ぶと、ハイジがビクっと身体を震わせた。 そして、そっと向けられた視線を受け止めながら、理性を押さえ込むのに必死になってしまった。 本当に、このお嬢様のちょっとした仕種に参ってしまいそうになる。 ………もう参ってしまってるような気は少ししていたが。 特査分室から用事があると言って抜け出し、俺は図書館の一角に来ていた。 隅の方で、人目を忍ぶようにハイジとルイが待っている。 その表情からは、まだ問題の結果は窺えないので、おそるおそる聞いてみた。 「……どうだったんだ?」 「妊娠は……していませんでした」 「……チッ」 「あ、そ、そう……」 がっかりした様子で言ったハイジに、ルイは眉間にしわを寄せながら舌打ちをする。 妊娠検査薬を買ったと報告され、結果が出たら伝えると言われていたんだが……しててもしてなくても複雑な気分だ……。 「え?」 俺が微妙な気分になっていると、ハイジは表情をきっと引き締めて顔を上げた。 その顔は何かを決意した表情だが……嫌な予感がするのは何故だ。 「決めたって、何を?」 「よし! その意気だ!!」 な、なんてことを決意してるんだこのお嬢様は!! しかも執事も煽るんじゃねえ、よしじゃねえよ! 「いや、あの、そういうことはあんまり大きな声で……っ!!」 「どうしたんです?」 「……ん?」 視線を感じてそちらを振り返ると、本棚の陰からこちらを見ているモー子とおまると目が合ってしまった……。 さっきのハイジの声は間違いなく二人にも聞こえていたようで、おまるは顔を真っ赤にしている。 「………」 そして、モー子の目がすごく……冷たい…わかってたけど……。 「ちょ、ちょっと待て! ジャマってなんだ!」 おろおろしながらおまるがモー子に視線を向ける。 だが、モー子は氷のように冷え切った目をしたまま表情を崩すこともない。 「久我くんは子作りで忙しいらしいので、今日は休んでいただいて結構です」 「結構です」 冷たい声でそう言ったモー子は、くるりと背中を向けるとそのまま歩き出してしまった。 そんなモー子をおまるが慌てて追いかけ、ちらりとこちらに振り返ってごめんねと唇を動かす。 これは何とかして誤解を解かないと、すごく厄介なことになってしまう気が! いや誤解でもない箇所は確かにあるのだが、いやだが……! 「ちょ、ちょっと待てって! モー子!!」 「え!?」 行ってしまった二人を追いかけようとした瞬間、ハイジに勢いよく腕を掴まれた。 そしてそのまま、ハイジは自分の腕を絡めて俺に抱き着くような状態になる。 「は、ハイジ……?」 「前から妙に気になっていたことがあるの!」 「な、何だいきなり?」 ぐいぐいと身体を押し付けるように抱き着きながら、ハイジがじっと俺を見る。 見つめられる視線と、腕に遠慮なしに当たる胸の感触に少しだけ動揺する。 「あなたと彼女、一体どういう関係なの?」 「ええ!?」 よりによって、気になっていたってそのことか!? 別にどういう関係もこういう関係もないと思うんだが……。 「いや別に普通の……」 「今の態度はどう見ても、本妻に愛人との浮気現場を見られた夫のそれですね」 「なんですって!?」 「ルイてめえ!!」 何でもないと言おうとした瞬間、ルイがとんでもないことをさらっと口にする。 「あ、あのな、ハイジ……本当に、モー子とは何も……」 「本当の本当に? 何もないんです?」 「ああ、ない……」 「………」 何もないと言っても、ハイジはじっと俺を睨むのをやめない。 なんだか、こんな風に見られていると、何もないのに何かしてしまっているような……。 いや、完全に何もないかって言われるとそれはこう……いやいや! そんな気になってる場合じゃない。 「おや、やはり何か心当たりがおありで?」 「ねえよ!!」 「ふ〜ん。そう……」 「だから、本当にないって……」 困りきって言葉を返すと、ハイジはにっこり笑ってまた腕に抱きつき直した。 「え……」 「だって。あなたはもう私のものなのだから、絶対誰にも渡さないって決めたの!」 「……!」 表情を引き締めてそう言ったハイジに、不覚にも胸が高鳴った。 このままじゃあ俺の方が、前言撤回してドイツまで追いかけることになってしまいそうで。 そんな予感に、俺はため息をついた。 「………」 「ふふふ。アオイ、喜んでくれるかしら」 「友達にプレゼントか?」 「ええ。アオイがね、私の作った香水が欲しいって言ってくれたのよ。私、お友達のために香水を作るのは初めてだわ」 「それは良かった。で、出来の方はどうなんだ?」 「そうね、試してみた方がいいわよね」 「……へ!?」 「ふむ……」 「!?!?」 「うまく行ったようだな」 「る、ルイ……あ、あ、あなた!!!」 特査の活動が終わり、あらかじめ約束していた通りハイジの部屋に向かう。 一日の予定が終わってからハイジと会うのは、すでに日課のようになっていた。 今日は何をして過ごそうか……なんて考えながらハイジのいる部屋に向かうのは、正直楽しかった。 さすがに特査の仕事が入るとゆっくり会うのは難しいが、そうでない時はなるべく会うようにしていた。 いつか……ハイジはドイツに帰ってしまうんだしな。 「いらっしゃいませ」 「こんばんは」 部屋の扉をノックすると、ルイが俺を出迎えてくれる。 けれど、ハイジの姿はない。 いつもなら、ルイが扉を開けるとすぐに声をかけてくれるんだが……。 「ハイジはどうしたんだ?」 「フラウならあちらに」 「……あちら?」 言われて指された方に視線を向けると、ベッドの上で膨らむ布団の山が見えた。 もしかして、あの中にハイジがいるのか? なんだってあんなところにいるんだ……。 「ハイジ、どうしたんだ?」 声をかけると、布団がびくびくっと震えた。 何がなんだかよくわからない状態だな……。 もしかして具合でも悪いんだろうか……でも、だとしたらルイが何か言いそうなものなのに、何も言われないんだよな。 「失礼します」 「え? な、なんだ?」 どうしたものかと布団を見ていると、ルイがおもむろに近付いて来た。 「よし、避妊具は持ってないな」 「な、なんつーことを確認するんだ」 「……は、はい」 睨み付けるように見られ、思わず怯んでしまう。 そ、そうだった。こいつにとっては大事なことなんだ。 しかし、ここまで露骨にしなくてもいいと思うんだが。 「え!?」 いきなりの妙な寸劇に呆然としていると、ルイはそのまま部屋を出て行ってしまった。 この、あからさまな行動は一体なんだ? 嫌な予感しかしないし、絶対に忘れ物なんかしてないだろうあれは……。 それに、ハイジがあんな状態なのに、放っておいて出て行くってのも不自然だ。 なんだかんだ言って、ハイジに何かあればあいつが一番に心配するんだろうし。 「なんなんだ一体……」 とにかく、今はハイジの様子を見た方がいいか。 いつまでも布団の中に潜り込まれちゃ、話もできないしな。 「おい、ハイジ。どうしたんだ?」 「喋らないで!!!」 「!?」 声をかけるとすぐさま否定の声があがった。 しかも、答えた布団がぷるぷると小刻みに震えている。 「……ううっ」 ハイジが潜り込んでいる布団をじっと観察すると、ごそごそと音がした。 そして、小さなうめき声も聞こえて来る。 喋るなとは言われたが…こんな様子を見て放っておくことなんかできるわけがない。 「……大丈夫なのか?」 「だ、だめ……」 「え? だめって言ったのか?」 「だ、だから……だ、め……」 「せめて何なのか説明くらいしてくれ」 「だめ……も、も……こ、こん、な……」 小さな声で返事が聞こえた。 だが、布団の中で喋っているせいで、いまいちうまく聞き取れない。 「あのさ、とりあえず出て来いって」 「だめー!! だめだめだめーーーー!!!!」 大きな悲鳴をあげると同時に、ハイジは布団をばっとめくって姿を現した。 と、思ったらいきなり俺に向かって飛びついて来る! 突然のことに対処しきれず、そのままハイジにのし掛かられる形で押し倒されてしまう。 「もうだめ! 我慢できない! 好きすきすき!!! 大好きぃーー!!」 「な!? ちょ、ちょっと、ハイジ!?」 「好き! 好きすき好き!! あなたが大好きなの!!!」 ハイジは俺の上に乗ったまま、好きと連呼しながらいきなりベルトを外してしまった。 そのままズボンと下着もずらされてしまい、思わず腰を引いてしまう。 慌てて自分の上に乗るハイジを見ると……。 「あ、ああ……コガ……あの…そんなに、見つめないで……」 「な、なんだ……それ…? どうしたんだ!?」 頭からうさぎの耳が生えていた。 しかも、その耳はかすかに揺れている。 おまけにハイジの顔は真っ赤になっているし、目も潤んでいた。 「ルイが…わ、私の作っていた香水にさ、細工を……あ、ああもう!!! す、好きー!」 「ぬあっ!」 なんとか説明をしようとしたハイジだったが、すぐにまた好きと言いながら俺に身体を擦り寄せて来た。 とろんとした瞳で、息を荒くしながらハイジが迫ってくる。正直、とんでもない状況だ。 「コガ、大好き。好き……はぁ、あ、んっ」 「う、あ、あの、ハイジ……」 「ん! 好き、すきぃ」 そういえば、うさぎは森の中では狩られる生き物だから、少しでも種を残せるように常に繁殖期だという話を聞いたことがある。 つまりそれは、いつでも発情期ってことで……今のハイジは、正にそんな状態だってこと……か!? 「あ、あの、あの…クソ執事ー!!!」 「は、んぅ! ん、コガ、好き…大好きぃ、好きっ」 ハイジは俺の上に乗ったままの状態で、既に晒されている肉棒を手のひらでゆっくりと撫で始めた。 皮手袋をつけたままの状態で撫でられ、慣れない感触に肉棒はすぐに反応してしまう。 「コガ、気持ちいい? これでいい? ん、んっ」 「ちょ、ちょと、ハイジ…! んっ!」 「はあ、はあ……あ、ん! コガのおっきくなってる…う、ふふふっ」 興奮した様子で肉棒を撫で続けるハイジは、時々俺の匂いを嗅いでははあはあと息を荒くする。 さすがにこの状態で無理やりしてしまうのはどうかと思うんだが、ハイジの勢いは止まらない。 それに、こんな風に迫られると俺の方も我慢が……って、いやいや! 何を考えてるんだ。 「は、ハイジ、落ち着け」 「無理! だって、コガを見てるだけで身体が熱くなって…さっきだって、声を聞いているだけで……! あぁぁ、私、私……」 「な! だ、だから喋るなって言ってたのか……!」 「ひゃ! あ、ああっ! 耳に、息がぁあ、ああっ! はあ、は……!!」 さっきの喋るなという言葉の意味をようやく理解した。 今のハイジは俺が何をしても興奮してしまうようだった。 顔にぱたぱたと当たるうさ耳に息がかかるだけでも震え、身体の上に乗ったまま何度も声をあげる。 「もう、ムリなの。だめ……コガを見て、声を聞いて、触れてると……わ、私……我慢できない…!」 「そ、そんなこと言われても……」 「ん、んっ! ああ……コガの顔、見てるだけで私……もう!!」 「だ、だったら、もう見ないようにとか……」 喋っている間もずっと、ハイジは手のひらを動かすのはやめない。 根元を握って扱きながら先端を指先でぐりぐりと弄られる。 「そ、そんなの無理よぉ! だって好きなの! 大好きなの!!」 「んっ! わ、わかった、から……」 「それに、見ているとじれったくて、さ、触らずにはいられなくてっ!! あぁ、あぁぁ……好き……!」 いやいやと首を振りながら答えるハイジは息を荒くしたまま、何度も肉棒を扱き続けていた。 さすがにその刺激に耐えられず、肉棒はびくびくと震えて先端からは透明の液体が溢れ出す。 「わかった。わかったから落ち着け!」 「いや! そんなの無理です。絶対できない! だって、コガがこんなに近くにいるのに!!」 「っく!」 手のひらの動きは大きくなり、何度も何度も肉棒を扱かれる。 先端から溢れる先走りの量は増え、それを指先に塗り付けながらハイジは先端をぐりぐりと弄り続ける。 「はっ! ん、う……!」 「コガ、気持ちいい? これでいい? もっとがいい?」 「ちょ、ちょっと……ハイジ…!」 「ん。あぁ……もっと名前を呼んで、私を見つめて」 「な、あ……何を…!」 頬を赤くし、潤んだ瞳でハイジは俺を責め続ける。 何度も何度も肉棒を刺激され、びくびくと全身が震えてしまう。 脈打つ肉棒に気付いてか、ハイジは手のひらの動きをどんどん早め、更に刺激を与えて行く。 「は、うっ!」 「ここ、熱くなって来た?」 「ハイジ、やめ……」 「いや。やめない……だって、もっと感じたいから」 「……っく!」 うっとりした表情で見つめられながら、肉棒を何度も刺激される。 全身が熱くなり、肉棒は何度も脈打つ。 溢れ出す液体でぬるぬるになったハイジの皮手袋が何度も根元から先端まで往復していく。 その手のひらの動きに合わせて息は荒くなり、身体も熱くなる。 これ以上されたら、もう……。 「コガ、すごく熱くなってる……ねえ、あのね、私もう……これ以上我慢できないの……」 「は、ハイジ、何を……」 「熱いの、欲しいの……ね、いい? いいでしょ」 「……ちょ!」 じっと俺を見たまま、ハイジは身体をゆっくりと下の方に移動させた。 そして、脚を大きく広げるとそそり立ち熱くなる肉棒に秘部を擦り付けた。 「な、あ!」 「コガを、ちょうだい……」 「ん!」 「は……んっ!!」 秘部に擦り付けられていた肉棒が、そのままゆっくりハイジの中に進んで行く。 既に熱くなり、とろとろと愛液を溢れさせていた秘部にねっとりと包み込まれて大きく身体が反応する。 「は、ハイジ……」 「あ、ああ……な、中に、いっぱいぃ…!」 「……んっ」 肉棒を咥え込んだハイジは嬉しそうな表情を浮かべてじっとし、俺を見下ろす。 潤んだ瞳で見つめられ、背中がぞくぞく震えてしまう。 されるがままに翻弄されて、どう対処すればいいのかわからない。 そんな俺を見て、ハイジはゆっくりと腰を動かし始める。 「あぁ、こんな……こんなことをして……! 私…こんなつもりじゃあ!」 「だ、だった……ら」 「あ、んっ! でも、止められないのぉ! あ、ああっ!」 「くっ」 いやいやと首を振りながらハイジは動く。 こんなつもりじゃないなんて言いながら、腰を動かすのは止められないらしい。 何度も何度も上下に腰を揺らし、肉棒を出入りさせては内側を自ら擦る。 「あ、あ、こんなの……は、恥ずかしいのに、あっ! でも、すごい、ふぁ、気持ちいい…!!」 恥ずかしがりながらハイジは何度も腰を揺らす。 ハイジが腰を動かす度、肉棒が出入りする秘部からはぐちゅぐちゅといやらしい音が響く。 恥ずかしくてたまらないはずなのに、何度も伝わる快感に流されるのか、その動きは激しくなる一方だ。 「は、んっ! ん、ああ、あっ!!」 「あ……く、ハイジ…!」 「んっ! 好き、大好き…なの! もっと、あぁ、あっ!」 自分の上で何度もハイジが動く。 ハイジの身体が揺れる度、肉棒は膣内で強く締め付けられ、いやらしい音も響く。 目の前ではハイジの大きな胸が揺れ、その動きを見ているだけで興奮は高まった。 「コガ……好き、大好きなの…! 止められなくて、もっと……あっ!! あん! はうっ!」 「はあ、ハイジ……」 「あ、んっ! も、名前を……呼ばれるだけで、私……!!」 「んっ!」 本当に名前を呼ぶだけでハイジはうっとりした。 そして、膣内の締め付けが強くなる。 どうやら、ハイジは全身敏感になっているようだった。 自分の上で乱れる姿や、締め付けられる感触を受け止めていると、されるがままになっている状態がもどかしくなる。 「ハイジ……」 「あ、あっ!」 名前を呼び、腰をしっかり支える。 そして、そのまま勢いよく腰を突き上げた。 「ひゃあ! あ、ああっ! 奥、までぇ!!」 「ああ……」 身体を支えて何度も腰を突き上げると、それに合わせるようにハイジが身体を揺らす。 互いに身体を揺らしながら、肉棒を何度も奥まで届かせる。 突き上げ、奥まで届かせた先端でぐりぐりと内側を擦るとハイジの中はびくびく反応して愛液の量が増える。 「ふぁあっ! あ、ああっん! 奥、いっぱいぐりぐりなって! ああ、あっ!」 「ん……」 何度もそれを繰り返し、時々角度を変えては奥まで突き上げてハイジの身体を刺激する。 もっと刺激を感じたいのか、ハイジも必死になって腰を揺らして俺を受け入れる。 「はあ……あっ」 「は、んっ! ん、コガ……ど、したの?」 「ん……? ハイジ、尻尾……」 何度も腰を揺らしているうち、ハイジのお尻に尻尾があるのに気が付いた。 耳と同じようにこっちも生えたのかと気になって、そっとその尻尾を触ってみる。 「は、ひゃん!!」 「え!?」 尻尾を触ると、ハイジは甲高い声を出して身体を震わせた。 驚きはしたものの、何度も尻尾を触って確かめてみる。 「な、あっ!!??!」 「ああ、あっ! は、ひぃ! ぃん、だ、めぇえ……!」 よく確かめてみると、その尻尾は生えているんじゃなかった。 ハイジのお尻の穴に……って、これ…バイブか!? 尻尾を確かめるように触る度、ハイジはびくびく身体を震わせ、そして膣内の締め付けが強くなる。 「な、なんで、こんな……」 「だ、だって、うさぎには……し、尻尾がないと話にならないって、ルイが言うから!」 何度も尻尾を触りながら聞くと、ハイジは震えながら答えてくれた。 その間も膣内はぎうぎうと絡み付くように肉棒を締め付け続ける。 しかし、尻尾がないとって……。 「これ、尻尾じゃないぞ。お前、騙されてる」 「ひゃ! あ、ああっ! あ、んぅ! う、うそぉっ!! ふぁんぅ!」 掴んだままの尻尾をぐりぐりしながら腰を突き上げると、ハイジの反応が今まで以上に大きくなった。 びくびく震えながらしがみ付くハイジは、快感に身を任せて腰をふらふら揺らす。 「ああ、あっ! そっち、ぐりぐりしちゃ……あ、ああっ! ダメぇえ、あっ!」 「でも、反応よくなってるぞ」 「ひ、んっ! やああ、あっ! 意地悪ぅ、あぁっ!」 いやいやと首を振るハイジだったが、身体は快感に正直だった。 何度も突き上げながら尻尾のバイブを動かすと、膣内は締め付けて愛液が何度も溢れ出す。 ぐちゅぐちゅといういやらしい音は大きくなり、腰を突き上げなくてもバイブを動かすだけでハイジは反応する。 「はぁ、ああっ! んぁあ! お尻、だめぇ! 気持ちい、あっ、あっ!」 「どこも全部気持ちよくなってるみたいだな」 「だ、だってぇえ! あ、あふぁっ! こんなの、見られたくないのにっ! ダメぇ!」 身体は感じているのに、ハイジは恥ずかしくてたまらないって感じだった。 何度も腰を突き上げ膣内をぐちゅぐちゅかき回し、バイブを動かし前も後ろも刺激する。 全身を震わせて甲高い声を上げながら、ハイジはだらしなく表情を緩ませる。 もう今は、どこを触られても気持ちよくてたまらないって感じだ。 「ダメじゃない。かわいいよ、ハイジ」 「ふぁ、ああっ! あ、そ、そん、な、ああっ!」 名前を呼びながら腰を突き上げ、尻尾のバイブを動かす。 すると、ハイジは大きく身体を震わせて膣内を強く締め付けた。 何をしても身体を反応させ、締め付けが強くなる。 その敏感な反応がかわいく、そして締め付ける感触が気持ちよくてたまらない。 もっともっと、乱れる姿を見たいと思ってしまう。 「も、もう、これ以上……わ、私、おかしくなってしまうから!」 「いいだろ。二人だけだし」 「え!? え、あっ! あ、ふぁぁっ!!」 答えながら大きく腰を突き上げた。 瞬間、ハイジの中がびくっと大きく反応した。 強く締め付けられる感触に思わず表情が歪むが、そのまま何度も何度も突き上げて奥をかき回す。 「ひっ! ぁあ、あっん! んぁああ!」 「んっ……キツっ…」 「は、ふぁっ! コガ、ぁあっ! 気持ちい、ひぃ、んっ!!」 「もっと、いっぱいぃ! あ、中、ぐちゃぐちゃにしてぇっ!!」 「ああ、わかった」 望まれるままに大きく腰を突き上げ、何度も中をかき回す。 肉棒が出入りする度にハイジの中はぐちゃぐちゃといやらしく音を立て、愛液がどんどん溢れ出す。 溢れ出した愛液は留まることを知らず、俺とハイジの身体を濡らして行く。 「は、ぁあっ! あ、あっ、うぅ! も、すごい……こんな、ぐちゃぐちゃに、あぁあっ!」 突き上げかき回す勢いを激しくし、何度も身体を揺らす。 顔に触れるうさぎ耳に時々口付けるとそれにも反応してハイジは甲高い声をあげた。 尻尾を弄るのも忘れず、何度も突き上げては耳に口付け全身を刺激してやる。 「ふぁあ、あっ! こんなの、わ、私もう、あ、ああっ!!」 「も、俺も……ヤバイ、かも…」 膣内で締め付けられる感触はなくならず、それどころかキツイままだ。 何度も続く感触に、そろそろ限界は近かった。 「コガ、ああっ! ふぁあっ、あぅ! う、やあ……!!」 肉棒を奥まで届かせると、ハイジがいやいやと首を振った。 まるでそれが合図だったように、今まで以上に激しく腰を突き上げる。 何度も何度も奥まで届かせ、ギリギリまで引き抜き、また奥まで勢いよく突き上げる。 それを繰り返し、奥深くまで突き上げた瞬間、ハイジの身体が大きく震えた。 「ふぁあっ! あ、ぁあっ! っくぅ、んっ! イッちゃうぅぅ!!!」 身体を震わせながらハイジは絶頂を迎えて、大きく甘い声を出しながら小刻みに身体を震わせた。 そして同時に膣内がびくびくと震え、今まで以上に強く肉棒が締め付けられる。 その強い締め付けに耐え切れず、ハイジの膣内いっぱいに勢いよく精液を注ぎ込む。 「あ、ああっ! あふぁあ……」 「は、あ……」 溢れる精液を最後まで注ぎ込み、強くしっかりとハイジの身体を抱きしめる。 小刻みに身体を震わせながら、ハイジもぎゅうっと俺に抱き着いた。 「はあ、はあ……ああ、中いっぱいになってる……」 「………」 精液を注ぎ込み、息を整えながらハイジを抱きしめる。 ハイジは幸せそうな表情をしているけど、俺の胸中は複雑だった。 やってしまった……という気持ちが大きすぎる。 「コガ……どうしたの?」 「ああ、いや……なんでもない」 「本当に……? それなら良かった……はふ」 微笑みながら身体を擦り寄せるハイジを抱きしめ、複雑な気持ちを整頓する。 別にハイジと性行為をすることに関しては問題はない。 好きだし、したいとは思う。 家の事情とかは抜きにしても、やっぱり好きな子としたいというのは自然な事だ。 だが……。 「はあ……」 今日のこれを許してしまったら、ルイのやつがさらに何でもかんでもしてきそうで怖い。 あいつ、帰って来たら絶対に文句を言ってやらないと……。 「あぁう……ね、ねえ、コガ……」 「ん? どうしたんだ」 まだ膣内に肉棒を埋めたまま、ハイジは俺を見つめてもじもじしていた。 そろそろ、引き抜いてやらないといけないかと思っていると、ハイジはぎゅうぎゅうと抱き着き身体を擦り寄せて来る。 「ちょ! あ、あんまり、抱きつかれたら……!」 「このまま、もう一度……」 「えっ!」 身体を擦り寄せたまま瞳を潤ませ、ハイジはねだるように俺を見る。 さすがに、こんな状態で抱きつかれ続けているとまた身体が反応してしまう。 「も、もう一回したら満足してくれるのか?」 「うん! 満足する……かも」 「か、かも!?」 「だって! たくさんたくさん、もっとコガとしたいんだもの!! お願い……ねえ、もう一度……」 「ちょっ!!」 俺の返事も聞かぬまま、ハイジがまた腰を動かしだした。 それに合わせるように、膣内に埋めたままの肉棒がまた大きくなり、ハイジの中で出入りをし始める。 「あっ! ふぁ、あっん! また、大きくなって来たぁあ! あぁっ」 「も、ホント……あんまり、したら…!」 「いいのっ! もっと、もっとぉ!」 「ああもう……わかったよ!」 「あ、あぁんっ! んふぁあっ!」 もっととおねだりするハイジの勢いに勝てず、腰をしっかり掴んで下から勢いよく突き上げた。 途端にハイジはまた声を大きく出し、膣内の締め付けを強くする。 「ふ、ぅう!」 「コガ、あぁぅ! ふ、ぁあっんっ!! すごいぃ、ひぁっ!」 強く突き上げぐちゃぐちゃと音を立てながら何度も膣内をかき回す。 その度に溢れる愛液は飛び散り、俺とハイジの身体を濡らして行く。 さっきまであんなに激しくしていたのに、ハイジの中は締め付けがおさまる気配すらない。 「はあ、は……んっ! ん、んっ」 「はあ、あ、はっ! 私も、一緒に……あ、あっん!!」 「あ、っく!」 俺の突き上げに合わせてハイジも腰を揺らし、奥まで何度も肉棒が届く。 先端が届くと同時に腰を動かし、ぐりぐりと内側を擦ると締め付けが更に強くなり、愛液の量も増える。 互いに与えられる刺激に表情を歪め、更に刺激を欲するように腰を揺らす。 「ふぁあ、ぁああ! あ、んぅ、コガ…好き、大好きっ!!」 「ああ…俺も、好きだよ…」 「んっ! 嬉しい、んっ! もっと、いっぱいがいいのぉ!!」 「……ったく!!」 「ひゃ、あぁっん!!」 腰を突き上げると同時に尻尾のバイブを掴み、そっちも抜き差ししてみるとハイジの声が更に甲高くなる。 その声を聞きながら腰を何度も揺らし、バイブを動かして全身を刺激する。 「ふぁ、あっ! ああ、あっ、お尻も、気持ちい、ひぃんっ!!!」 「どこも全部気持ちいいんだな」 「んっ!! も、一緒だと…全部、あっ、ああっ!」 されるがままに声を上げるハイジの全身を突き上げるように腰を動かし、時々顔に当たるうさぎ耳に口付ける。 「ひゃんぅ!! ん、ああ、あっ、耳…ダメ、あっん!」 「ダメじゃなくて、いいじゃないのか?」 「あ、あっ! だ、だってぇえ」 口付けるだけでなく、耳を軽く甘噛みして腰を突き上げると締め付けがまた強くなった。 もう、今のハイジは何をしても反応する状態だ。 そんな身体をしっかり支え、奥へ奥へと肉棒を届かせて尻尾のバイブを抜き差しする。 「は、ひぃ! ひ、んぅう! コガぁ、あっ! も、もう、こんなの……わ、私っ!!!」 震えるハイジの膣内がびくびくと痙攣するように締め付けて来る。 その締め付けの強さに肉棒が震え、びくんと膣内で脈打つ。 「は、ああっ! あ、ぅん! もう、私……私…っ!!」 「ああ…わかってる……」 答えながら今まで以上に大きく腰を引き、そして勢いよく奥まで突き上げた。 「や、あっ! ふぁあっん!!!」 その瞬間、ハイジは肉棒を受け止めて大きく声を上げて俺の身体にしがみつく。 そして、締め付けが一層強くなる。 「あっ! ふぁ、あっ、イクゥ…! ぁあんっ!!!」 ビクビクとハイジが大きく身体を震わせ、また絶頂を迎えた。 また膣内にどくどくと精液を注ぎ込み息を整えながらハイジの身体をしっかりと抱きしめる。 「はあ、はあ……」 「は……ん……中、いっぱいになっちゃったぁ……」 「ああ……」 これで満足してくれただろうか……。 まあ、思いっきり中に出してしまったから、多分目的は達してるんだろうが……。 「あ、んっ」 考えながらハイジの中から肉棒を引き抜くと、収まりきらなかった精液がどろりと溢れたのがわかった。 膣内から溢れた精液は互いの身体を伝い、その感触に気付いたハイジは小さく震えてうっとりした表情をする。 「ふぁあ……あ、すごいぃ…」 「はあ……これで、いいだろ?」 「んぅ……」 ハイジは返事をせず、引き抜いたばかりの肉棒に秘部を擦り付けてうっとりしたまま微笑む。 「ちょ、ちょっと! ハイジ!!」 「ふぁ、あっ! あ、あっ……」 「んっ! も、もう、ダメだって」 ハイジが腰を揺らす度、肉棒に擦り付けられた秘部からくちゅくちゅと音が響く。 その感触にまた肉棒が反応してびくびく震える。 「は、ハイジ、もう一回したら満足するって……!」 「いや。今日はもう、絶対帰さない」 「!!」 幸せそうな顔をしたまま腰を揺らして、ハイジはとんでもないことを言い出した。 「だ、駄目だって! これ以上は本当に!!」 「いや〜! ねえ、もっとしましょ……コガといっぱいいっぱい、したいのっ、好きなんだもの!」 「ちょ! ちょっと待て!!」 慌ててハイジの身体を引き離そうとするが、もう遅かった。 ハイジの秘部に擦り付けられた肉棒はびくびく反応し、先端から透明の液体がどんどん溢れ出す。 それを指先ですくい取り、ハイジはまた肉棒を中に入れようと腰を浮かし、ゆっくり中に進ませる。 またハイジの中に肉棒が進んで行き、精液と愛液でどろどろになった膣内でねっとりと締め付けられる。 「……っく! ふっ!」 「あ、ああっ! また、コガがぁ…中にいっぱい来てるぅ!」 「は、あ……」 肉棒を中に進ませたハイジはまた腰を動かし、ぐちゃぐちゃといやらしい音を立てながら肉棒を出入りさせ始める。 その動きに翻弄され、上に乗ったままのハイジの身体を跳ね除けることもできない。 「あ、ふぁっ! あ、んっ! また、中でいっぱいぐちゃぐちゃぁって……あ、ああっ!!!」 「っく! ハイジ……!」 「ふぁっ! あ、ふ! あ、あっ! コガ、好きぃ! 大好きぃ!!」 また、どんどんとハイジの腰の動きが大きくなる。 それにあわせて無意識に腰が動いてしまい、ハイジが更に嬉しそうに微笑みを浮かべる。 これはもう……本当に今日は帰れないと思った方がいいかもしれないと、半ば諦めに似た感情が沸き起こってきた。 「ふぁっ! あ、あっ! もっと、もっとぉ」 「こ、の……ルイの野郎! ほんと手段は選べよ!!!」 「あああっ! もう……大好きぃ!!」 ―――翌日。 さすがに昨日の今日で遺品騒ぎが起きることもなく、特査分室には誰が訪れることもなかった。 モー子もおまるも、のんびりと過ごしている。 村雲はスミちゃんから何か頼まれたらしく、分室を留守にしていた。 「はあ……」 「みっちー、お疲れ?」 「まあ、そりゃ昨日あんだけ色々あったらなあ」 「でも、貴重な体験ではなかったのですか」 「人ごとだと思いやがって……」 確かに貴重な体験ではあるんだろうけど、もう一度体験したいかと聞かれると答えに困る。 いつもと違う学園長の珍しい一面も見てしまったわけだが……まあ多分あれはあんまり思い出さない方がいいんだろう。 「あ、あわわ……!!」 「さ、さっきのはその……わ、忘れてくれたまえ」 ……言ってるそばから反射的に思い出してしまった。 「……ん?」 『え、えぇ〜っと、ええっとぉ〜』 ぼんやりとしていると、校内放送を告げるチャイムの音が響いた。 何かあったのだろうかと思っていると、スピーカーから聞こえて来たのはもも先輩の声だ。 「もも先輩だな」 「そうだね。何かあったのかな」 「今まで風紀委員長自ら放送をするということはありませんでしたが……重大な何かでしょうか」 聞こえて来た予想外の声に思わず身構える。 昨日の遺品騒動が解決したばかりだっていうのに、今日は何が起こったというんだろう。 もも先輩自らってことは、相当ヤバイ何かなのかも……。 『久我満琉くん、烏丸小太郎くん、学園長がお呼びです。しきゅー学園長室に来てください……ですっ!!』 「え? ええ?」 「お、おれとみっちー?」 「……何かしたのですか」 「なんもしてねえよ……多分」 「お、おれも全然心当たりないよ!!」 呼び出される心当たりがまったくないのだが、もも先輩は間違いなく俺とおまるを指名していた。 しかも学園長室へ直々に呼び出しだ。 モー子は眉間にしわを寄せながら俺達を見ているが、本当に心当たりがないからそんな顔をされても困る。 「……はあ、とりあえず行くか」 「そ、そうだね。呼び出されたんだもんね」 「そういう言い方をすんな!」 とりあえず、直々の呼び出しに若干怯えながら俺とおまるは学園長室に向かうことにした。 学園長室に入った途端、学園長は大真面目な顔で声を張り上げていた。 いきなりすぎて、何がなんだかわけがわからない。 だが、学園長はいつになく真剣な表情だし、本当にとんでもないことが起こっている可能性もある……。 「一体、どんな事件なんですか!?」 「その前に、一つ確認しておくことがある」 「確認……?」 そう言いながら学園長は見たことのないような真面目な顔でじっと俺を見つめた。 その学園長の顔を、俺もじっと見返す。 学園長がここまでの顔をするってことは、かなり大ごとなのかもしれない。 「久我君、君は記憶力は良い方かね?」 「いや、特に良いとは思わないですが。まあ、普通くらいじゃないかと」 「しかし、小さな頃に夏祭りに行ったことくらいは覚えているだろう?」 「そりゃ、それくらいは……」 答えを聞いた学園長は真剣な表情のまま頷いていた。 しかし、この質問に何の意味があるのかがわからない。 そもそも、大事件の話はどこにいった。 「それでは、その夏祭りについて、できるだけ詳細に話したまえ!」 「は、はあ……?」 なんだかよくわからないが、学園長がこれだけ真顔なんだから何かの手がかりではあるんだろう。 ちゃんと思い出して話した方がいいのかもしれない。 「確か、一番よく行ってたのは……家の近所の神社であった祭りかな」 「ほうほう。で、それはどんな感じだったかね」 「色んな露店が出ていて、小さいけど神輿も出てたはずです。あと、祭りの最後に子ども集めてくじ引きしてたな」 「へえ、くじ引きってなんだか珍しい感じ」 「ああ、だからよく覚えてる。そのくじでは色んな商品が当たったりするんだよな」 「いいなあ、楽しそうだなあ〜」 「今でも同じことやってんのかなあ……最近は行ってないからよく知らないんだよ」 「……ふむ」 俺の話を聞き終わると学園長は深く頷き、ニノマエ君と顔を見合わせて何かを話し始めた。 「やはり間違いないと思うかね?」 「ちーちー」 「いやいや、くじ引きくらい他の神社でもある」 「ちぃ」 「ちぃ」 二人(?)は顔を見合わせ話しながら、こくこくと何度も頷き合う。 昨日から何度も見ている光景だとは言え、冷静に引いた位置で見るとおかしな感じだよな。 でも、ニノマエ君の高スペックさはしっかり理解させられたので一概におかしいとも言えない。 「久我君」 「はい」 俺がそんなことを考えていると、話を終わらせた学園長が顔をあげてまた真剣な顔で俺を見てきた。 「もう一つ、質問をさせてくれ」 「なんですか?」 「その神社で一番目についたのはなんだった?」 「一番……」 その質問を聞き、真っ先に思い浮かんだものがあった。 「神社の奥にあった、でかい楠かなあ……」 「…え?」 俺の答えを聞いた学園長は、突然頭を抱えると机に突っ伏してしまった。 あまりにも突然のことに驚き、思わずおまると二人で顔を見合わせてしまう。 一体、神社のでかい楠が何だって言うんだろうか……。 「な、なんということだぁああ……こんなに近くにいながらまったく気付いていなかったとはぁあああ!!!」 「あ、あの、何がなにやらさっぱりなんですが……」 「説明してもらってもいいですか?」 「あ、ああ、そうだね……」 頭を抱えていた学園長は顔をあげると、懐に手を入れてそこから玩具の指輪を取り出した。 それは見るからに古くて少し汚れていて、学園長が持っているのが不思議なくらいだった。 「久我君、この指輪に見覚えはないかね?」 その指輪を差し出しながら学園長が俺に聞く。 指輪をじっと見てみるが、特に見覚えはなかったので素直に首を振る。 「……いいえ」 「そうか、覚えていないか……それも無理はない、もう10年ほど前のことだからね……」 そう言いながら学園長は少し気落ちした様子だった。 だが、ゆっくりと立ち上がるとこちらに近付き、いきなり俺の手を強く握った。 「な、あ!?」 「久我君! 10年前、君はその神社のお祭りで私に出会っているのだよ!!」 「はっ!?!?」 「そして、寂しく一人っきりでお祭りに来ていた私と一緒に遊んでくれて、この玩具の指輪をくれたではないか!!」 「え……え……?」 「子どもとはいえ、あれはプロポーズだったのだ。私はしっかり覚えているぞ!」 「えええええ!!!」 いきなりの展開に、思わずおまると声を揃えて叫んでしまった。 「そ、そ、そそそうだったのみっちー!?」 「え!? い、いや!? え? 全然そんなん記憶にねーんだけど!」 おまるに言われてもう一度思い出してみようとするが、どう考えてもそんな記憶が思い出せない。 そんなことがあったならさすがに何か覚えていそうなもんなのに……。 「君にとっては、お祭りで見知らぬ近所の子と一緒に遊んだくらいの感覚だったかもしれないね」 「だけどね、あの時初めて祭りというものに行って、たった一人で心細かった私にとってはとても大切な思い出なのだよ……」 俺の手を強く握ったまま、学園長はしみじみと語った。 当時のことを思い出しているのか、その表情はなんだか穏やかで嬉しそうだった。 「いい話ですね……」 話を聞きおまるは少しうるうるし、学園長も昔を懐かしむように頷いていた。 「いやいやいや! ちょっと待て!!」 「なんだね?」 「いやあの、申し訳ないんですけど、本当にまったくそんな記憶がないんですが!!」 「さすがにプロポーズだの何だのとあったら、うっすらとでも記憶に残ると思うんですけど」 「………」 さすがに記憶にない話を俺のことにされてしまっては困る。 それに人違いだったりしたら、後で本人に会った時にとんでもないことになるだろう。 俺の答えを聞きながら、学園長は少し寂しそうな顔をして手を離してしまった。 そんな姿を見ているとちょっと心が痛むが、こういう事はちゃんとしといた方がいいだろうしな……。 「そうか……やはりでは……私が一人で誤解していただけだったのだな……」 「そうそう、人違いですって」 「人違いなどではないっ!!」 「……」 やっと納得してくれたのかと思ったが、そうじゃなかった。 学園長は俺の答えを聞いてなお食い下がる。 「君は当時の私のことを、おそらく男の子だと思っていたのだ! だからプロポーズの自覚もないのだ!!」 「君の中では、たまたまお祭りに来た子と一緒に遊んだだけの記憶だから、印象も薄いのだよ!!!」 「そ、そうなんですかね……」 あまりに勢いよく言われるものだから、思わず怯んでしまった。 「それとも、そんなことは絶対になかったと君は言い切れるのかね!?」 「そ、それは……」 そこまで言われると、絶対になかったとは言い切れない。 記憶にないけれど、本当に忘れているだけという可能性だってあるわけなんだから。 「あの、学園長……いいですか?」 「おお、どうしたのかね? 烏丸君」 「気になることがあるんですけど、どうしてお祭りの男の子がみっちーだってわかったんですか」 「そ、そうだ! それだ!!」 おまるの疑問はもっともだった。 というか、どうしてそれに気付かなかった俺! 「じゃあどこで確信したんです」 「いや、そ、それは……その、まあ……なんだ……色々あって……」 「……?」 だが、学園長は少し恥ずかしそうにもごもごしながら俺をちらりと見ると、すぐに視線をそらしてしまう。 「あの、できればわかりやすい根拠が聞きたいんですが」 「だ、だからそれは、その……この間、君に触れられた時に、その手の感触が懐かしいと強く感じてだな……!」 「……え!」 「ふ、触れられって……あ、わわわわっ!!」 「ご、誤解だ!!」 いや、誤解でなくて触れたのは事実なんだけど、あれは不可抗力というかそういう意味じゃないというか……!! 「それで……よく見てみれば……祭の時の男の子と同じ手の相をしているではないか……!」 「手相って、そんなもん覚えてるのかよ!?」 「ならば自分の手を見てみるといい、君の左手、生命線が一度途切れてまた奇跡的に復活してるはずだ!」 確認してみると、確かに学園長の言う通りだった。今でもまだ信じられないが。 「いや、あの学園長……」 「な……」 なんだ、ふひとちゃんって……! ついていけないスピードの展開に、俺が硬直していると横からおまるが言う。 「呼んであげなよ、みっちー……」 「………」 おまるが、きらきらした純真な瞳で俺を見つめていた。 そして学園長も、何かを期待した瞳で俺を見ている。 二人の視線を一身に浴びていると、なんだか俺一人が間違っているようなそんな気がしてしまう……。 「ダメなのかね? 久我君……」 「う、うう……」 「ねえ、みっちー! 名前くらい、呼んであげたら」 「ふ……ふひとちゃん…」 俺が名前を呼ぶと、学園長はキラキラとした笑顔を浮かべた。 なんだか、すごく釈然としない……。 「い、いや、それはいいです! その、あ……て、照れくさいですから……それに俺、自分の名前そんなに好きじゃないんで」 「そうかね? ふむぅ……まあ嫌なのならそこは今まで通りにしておこう」 「そうしてくれると助かります」 さすがに満琉の名前で学園長に呼ばれるのは困る。 咄嗟の時に反応できないだろうし、それに延々と満琉の名前で呼ばれ続けてると微妙な気分になりそうだしな。 それにしても、本当に10年前に会っているのなら、俺の名前が久我満琉ではないことも知っているんじゃないだろうか……。 それとも、その時の俺は久我という名字しか名乗らなかったのか? ちょっと気になるが、そこを真正面から聞くわけにもいかないしな……。 「あの、できたら学園長を名前で呼ぶのも敬語を使わないのも、他の生徒がいない時だけにしてもらっていいか?」 「理解が早くて助かるよ……」 「ふふふっ! こうやって話しているとまるであの時のようではないか! 嬉しいなあ!!」 「うーん……」 「みっちーはまだ全然思い出せないの?」 「全然、まったく、これぽっちも覚えてねえな……いやでも、祭りに行った覚えはある…」 「頑張って早く思い出してあげなよ! 学園長、すっごい真剣そうだったよ!!」 「そ、そうだな……」 すっかり学園長の話を信じきっているおまるは、キラキラした瞳で俺を見上げて来ていた。 こいつは本当に純粋というか単純というか……いや、それがいいところでもあるんだけど。 「………」 しかし、あまりにも記憶がなさすぎる。 確かに祭りには行っていたが、学園長が言ってたようなことがあった記憶は本当にない。 もしかしたら、学園長は俺と満琉を間違えてるんじゃないだろうか……? でも俺の記憶の中だと、満琉は一人で祭りには行ったことがないはずだ。 しかも、あいつ基本的に人見知りだから、知らない子と遊ぶなんて絶対にできないだろうしな。 「う〜ん……」 「何か思い出せそう?」 「わかんねえ……」 「そっかー」 満琉と間違えてる可能性もないってことは、やっぱり俺が忘れてるだけなのか、それとも学園長の勘違いなのか……。 どっちにしても、なんだかややこしいことになって来た。 「はあ……」 「ダメだよ、ため息なんかついちゃ! ちゃんと思い出さなくちゃ!!」 「はいはい……」 「ちー」 「ん? ニノマエ君、一体どこに行くのかね」 「ちー、ちーっ」 「ちぃ!」 「なるほど、ただ黙って思い出してくれるのを待っているだけではダメだということか!」 「ちー!!」 「ちーちー!!」 「ふふ……この指輪が、本当のエンゲージリングになるように、ねっ!!」 「ふっふっふっふ……」 「ちー」 「見たまえ、ニノマエ君。あそこに久我君が!」 「ちーちー」 「そうだよ。これから作戦その一を決行するのだ! 失敗は許されない!!」 「ちぃ!」 「作戦名はずばり! 廊下でぶつかってドッキリ密着大作戦だ!!」 「ちー」 「ふっふっふ。ぶつかったことで心配され、あわよくばそのまま抱き着いてしまえるではないか……」 「おおおおっ! なんと素晴らしい作戦! 我ながら素晴らしすぎる!!」 「ついでに自然な流れでお尻とかを触らせてしまえば、責任を取ってもらえると思うのだよ」 「ちぃっ!!」 「はあ……」 昨日、学園長が言っていた祭りの件……。 気になってずっと思い出そうとはしてみたんだが、どれだけ考えてもはっきりとは思い出せなかった。 何回か祭りに行ったこと自体は間違いない。 だが、それ以外の細かいことは、記憶の彼方でまったく詳細が思い出せない……。 「………」 本当に学園長が言ったようなことは、10年前にあったんだろうか……。 真意を疑いたくなるが、別に嘘をつく理由も見当たらないし……。 「……ん?」 なんか、背後から走って来る足音が聞こえる……。 どんどんと俺に近づいて来ているような気がして、思わず振り返った。 「……!!!」 近付いて来た足音の主を避けるように、身体をさっと翻すと俺の目の前で誰かが勢いよく転んだ。 「が、学園長……」 「い、いたたた……」 「何をしてるんですか何を」 「くううう……私の大作戦が失敗するとは…」 「ちー」 「大作戦って……」 何か企んでいたという事だけはわかった。 でも、一体何を考えていたんだろうか……昨日の今日だけに、あまり深く考えたくない。 「くう……何故避ける!!!」 「いや、普通後ろから勢いよく走って来る音が聞こえたら避けますって」 「それと何故名前で呼ばない! 敬語も禁止!!」 「いや、一応校舎内ですし……」 「………」 「納得してもらえました?」 「……うむ」 不満そうだけど、一応この状況で名前を呼ばない理由については納得してもらえたらしい。 「ちぃ!」 「何を覚えておけって言うんだ、何を……」 「行くぞニノマエ君! 次の作戦を考えねば!!」 「ちーちー!」 「あ……」 捨て台詞のような言葉を残し、学園長は俺に背中を向けて走って行ってしまった。 本当にあの人は何がしたかったんだ……。 それに『次は』とか言ってたけど、つまりこの謎の行動はまだ続くってことなのか……!? 「次こそ大丈夫だ! 問題ない!」 「ちー!」 「図書館奥の倉庫から荷物を運んでもらうよう頼み、そのままわざと倉庫に閉じ込められる! 完璧だ!!」 「題して! ドキドキ暗闇で二人っきり大作戦だよ!」 「ちぃ、ちーちー」 「ん、大丈夫だとも。ヤヌスの鍵は持っていないことにする!」 「ちー」 昼間は特にあれ以降何もなかったから安心してたんだが……。 まさか、こうなるとは思わなかった。 ちょっと油断してたかもしれない。 「いや、あの……分室に行くんですが」 「おお! そうだね、そうだね」 分室に行く途中で学園長が待ち伏せしているとは思わなかった……。 しかも、珍しくニノマエ君を一緒に連れていない。 いつもなら、途中で学園長に出会ったとしても特に気にはならないのだろうが……昼間のことがあったせいか、妙に気になる。 「時に君! 今、ヒマかね?」 「分室に行く途中だったんで、暇かどうかはまだわからないんですが……」 少し考えてみるが、仮に何かあったらモー子か村雲あたりがすぐに呼びに来るだろうから、今日はまだ暇だってことだよな。 「まあ、別に断る理由は今のところありません」 「こらー! 敬語禁止!!」 「………」 「他の生徒がいなければ良いのだろう?」 確かにここなら普段は一般の生徒は来ないし、リトも今は姿が見えない。 「さあさあ、遠慮などしなくていいのだよ」 「わかったよ……」 「んふふ〜! それでは、私の手伝いをしてもらおうではないか」 「はあ……で、何すればいいんだ?」 「奥の倉庫から荷物を運びたいのだがね、かなり大きいので一人では危険なのだよ」 「まあ別に、それくらい手伝うけど」 「ありがとう、久我君。では、倉庫に向かおう」 機嫌が良さそうに歩き出した学園長の後ろを歩き、倉庫とやらについて行く。 しかし、意外とまともな用事だったな。図書館の倉庫に何が置いてあるんだろう。 「さてさて、それでは奥に入って荷物を捜さねばね〜」 「それって倉庫のどの辺にあるとかわかってんの?」 「まあ、大体はね」 「だったらいいけど。捜すのに時間がかかるとかだと、他のやつにも手伝ってもらった方がよくねえ?」 「はあ……」 なんかちょっと怪しい感じもするし、何かされると警戒しておいた方が良さそうだ……。 「さて、それでは中に入ろうか」 「……え?」 「ん? どうしたのかね」 「今、なんか鍵かかったみたいな音がしたんだけど」 「気のせいではないかな?」 そんなことはないと思いたいんだけど、明らかに扉が閉まるだけじゃないっぽい音が……。 「確かめて来てもいいか?」 「どーぞ、どーぞ」 閉まってしまった扉に近付き、ノブを手に取り引いてみる。 「おい……」 だが、扉は開かなかった。 押したり引いたりをくり返してみても、がちゃがちゃと大きな音が鳴るだけで扉は動く気配すらしない。 「どうかしたのかね? 久我君」 「鍵かかってんぞ!」 「な、なにぃいぃーー!?」 「おいおい、どうすんだ……」 「うーんうーん。なんということだ! 閉じ込められてしまったようだ、これは困ったねえ」 これじゃあ捜し物をするどころじゃない。 扉の鍵を開ける方法を探して、なんとか外に出ないと。 「……あ」 あるじゃないか! 手っ取り早く外に出る方法!! 思い出してじっと学園長に目をやると、何故か照れたようにもじもじされた。 ……何考えてるんだこの人は。 「な、なんだね? そんなに見つめられると照れるではないか」 「いや、そんな場合じゃねえ」 「ん? では、どういう場合なのだい?」 「扉が開かないだろ」 「そうじゃなくて!!」 「二人っきりなんて、初めてだね」 「………」 ダメだ。話が全然通じていない。 というか、この人話を聞く気が全然ない気がする。 つーか、学園長が扉に鍵がかかるように仕組んだんじゃないだろうな……。 今日に限ってニノマエ君がいないのがあやしすぎる。 「どうしよう〜。誰かが来るまで、ここでこうして二人で過ごさないといけないねえ」 「いや、あのな……」 いや、そんなことを考えてる場合じゃない。 ここから出る方法はあるんだから、話をしっかり聞いてもらわないと。 「ふひとちゃん、俺の話を聞いてくれないか?」 「なんだろうか? 久我君」 「とっても大事な話だ」 「大事な話!!」 顔を上げて表情を輝かせた学園長を見ると、やっぱり鍵はこの人のせいなんじゃないかとしか思えない。 「ふひとちゃん……ヤヌスの鍵持ってるだろ」 「………」 「それを使って外に出れるからさ。で、鍵が壊れてるらしい扉を修理してもらおう」 「鍵、持ってないよ」 「……え」 きょとんとした表情を浮かべ、学園長は俺を見つめていた。 しかも今、持っていないことを当たり前みたいに答えたぞ!? 「持ってないって……な、なんで?」 「いやいやいやいや! それは忘れちゃダメだろ!」 「忘れたものは仕方がないだろう!」 「仕方ないって……」 この態度。やっぱりコレは学園長が仕組んだことか。 ……かと言って今ここで言い合いをしていても何にもならないし、出る方法を探さないと。 「久我君、久我君」 「なんだ」 「そんなことより、せっかくの二人っきりなのだから、何か色々あるだろう!」 「なんだよ、色々って……」 「だから……」 じりじりと学園長が俺との距離を縮めた。 思わず一歩下がって身構えてしまうのだが、そんな俺を見据えながら学園長がまた距離を縮めてくる。 「何故、逃げるのかね」 「別に逃げてる気はねえんだけど」 「ではじっとしていたまえ」 「………」 嫌な予感がする。 だが扉は開かないし、ここは倉庫らしいから奥に逃げ場もないだろうし……。 「さあ、二人っきりを楽しもうではないか〜」 「楽しんでる場合じゃないだろ……」 「さあさあ、久我君!!」 「むむっ!?」 「ぬおぉ!!!」 また、学園長が距離を縮めようとした……瞬間、自分の隣の空間がいきなり大きな音を立てて開いた。 あまりにもいきなりだったため、びくっと身体を震わせて硬直してしまう。 慌ててそちらに視線を向けると、何もなかった空間に扉が現れモー子がひょっこりと顔を出していた。 「久我くん、分室にこないと思ったらこんな場所で何をしているのですか」 「お、おう! モー子、助かった!!」 「依頼があったので、すぐに分室に戻って欲しいのですが」 「ああ、そうか。悪いな」 「……クソウ!」 「それより、助かったとはどういうことです?」 「いや、この部屋の扉、鍵が壊れてて出られなくなってたんだよ……」 「なるほど、それで助かったというわけですか。村雲さんのヤヌスの鍵で捜しに来て良かったです」 そういえば、スミちゃんもヤヌスの鍵を持ってたな。 なかなか分室に来ない俺を気にして、それを借りて捜しに来たってわけか。 何にせよ、モー子が来てくれて良かった。 「久我君、依頼があるそうだから荷物運びはまた今度にしてもらうよ。すまないね」 「荷物運び?」 「うむ。久我君に手伝ってもらうつもりだったが、また今度にした方が良さそうだ」 「君達のジャマをするわけにはいかないからね。では、依頼の方がんばりたまえ」 「はい」 残念そうに言いながら学園長はモー子があけた扉から出て行き、さっさと行ってしまった。 「………」 「はあ……」 「学園長はやけに残念そうでしたが、どうかしたのですか?」 「いやまあ……俺にもよくわかんねえ」 「そうですか。では、とりあえず分室に来て頂けますか?」 「ああ、わかった」 「ちー!」 「ううむ……何がいけなかったのか……」 「ちぃ! ちぃちぃ!」 「むむ!? 今までの作戦では生ぬるかったということかい?」 「ちー」 「なるほど…あの程度ではダメだったということか」 「ちーちー」 「これは、もっと過激な作戦に出るしかないようだね」 「ぢー!」 「はあ……」 思わずため息が漏れる。 あの後、また一つ遺品を回収してからようやく自室に戻ってきた。 なんだか異様に疲れた気がする。 いや、遺品を回収し終わるといつもこうではあるのだが、今回はそれだけではない……。 主な原因は今日の学園長の謎の行動だ。 祭りの記憶が戻るのを黙って待ってて欲しいんだけど、あの様子じゃ待ってるだけじゃいられないってことかよ。 「……はあ」 「まあ、いいや……身体洗おう……」 考えても仕方ないし、とりあえずシャワー終わらせたらさっさと寝てしまおう。 「えっと、石鹸は……」 「石鹸ならここにあるよ」 「ああ、そりゃどうも……って、えええ!??」 シャワーを浴びて身体を洗おうとしていると突然、学園長の声がした。 「んっふっふ〜! 久我君!!!」 慌てて視線を向ける暇もなく、学園長はぴっとりと俺の背中に抱き着いて来た! 「な、なにを! 何をしてる! 何を!! っていうか、なんでここに!?」 「ヤヌスの鍵を使えば、君の元までひとっ飛びだよ」 「い、いやいやいやいや!」 「今度は忘れずに持って来ているよ。安心したまえ」 「そうじゃねえよ!!」 どうやってここに来ているかじゃなくて、どうしてここにいるかが知りたいんだが、話を聞く気はないようにしか思えない。 ニコニコと微笑みを浮かべたまま、学園長は俺の背中に密着し続けていた。 背中に当たる微妙な柔らかさになんだか複雑な気持ちになる。 「おお? 今から身体を洗うのだね、どうやら間に合ったようだ!」 「な、何がだ!」 「んふふ……今から、私が身体を使って君を洗ってあげようではないか〜」 「……は!?」 突然言われた言葉の意味が理解できなかった。 この人、今、何を言い出した……? だが、そんな俺のことなどまったく気にした様子もなく、学園長はボディーソープを泡立て全身を泡まみれにし始めた。 「遠慮などしなくてもいいのだよ。さあ、じっとしていたまえ」 「いや、そんなことしてもらう理由もないし、そういうことされるのは色々と……ねえ!?」 「……自分もしたくせに」 「なっ!?」 「君も私のことを裸にして洗ったじゃないか!!」 「う…あ、あれは…」 確かに、俺も……したが。 あれは不可抗力だと言いたいけど、目覚めた時の学園長の恥ずかしがり方を思い出すとそうも言い切れない。 「自分はしたくせに、私はしてはいけないと言うのかね」 「そ、それはだな……」 「ほら、これでおあいこだ。さあ、じっとして」 「う、ううう……」 答えられない俺に向かって満足げな声を出した学園長は背中に密着させたまま、ゆっくりと身体を動かし始めた。 背中に当たる微妙な感触が動き出し、更に複雑な気持ちになる。 「………」 「ん、んんっ……中々、難しいものだね…」 「だったら普通に背中流せよ…」 「そういうわけにはいかないのだよ!」 「ああ、そう……」 「んんっ…ん、しょ……」 背中で柔らかい感触が動き続けていた。 全身を使って一生懸命動いている学園長の声が耳元で聞こえて、なんだかむず痒い気持ちになる。 というか、俺は一体何をしているんだろうか……。 「んー。ん、うん……コツがわかって来たぞ」 「いや、それがわかるのもどうかと……」 「おおー! いかん、せっかくわかって来たのに泡が切れてしまった!!」 「じゃあ、もう終わりにしようぜ」 「待っていたまえ、すぐに補充する!」 「………」 あくまでも続行するつもりらしい。 何だこの状況は……まさかこれ、夢じゃないだろうな。 「ん、これでよし!」 「………」 「んっふっふっふ〜! 久我君、じっとしているのだよ」 「はいはい……」 また、背中に柔らかな感触が伝わってきた。 さっきとなんとなく違うような気がするが、そういうことを気にする自分に嫌気が差す。 「よし……んんっ」 ゆっくりと学園長が身体を動かし、背中いっぱいに感触が広がり身体を洗われる。 こんなので本当にちゃんと洗えるんだろうかと疑問に思うが、口にすると負けなような気がした。 「は、ふ……んっ、こうだな……」 「あの、そんな一生懸命にならなくていいんで」 「何を言う! 君の身体をキレイにするために、私は頑張るよ!」 「ああ、そう」 「んんっ、んっ……んっ……」 力強く答えながら学園長はより一層頑張り始めた。 余計なことを言ってしまったかもしれない。 それにしても、本当に俺は何をやっているんだろうか……。 さっきからそればっかり考えてしまう。 「ふう、ふ……ぁあ…」 「……ふひとちゃん、まだやんの?」 「も、もちろんだとも! 振り返らずじっとしていたまえ!」 「わかったよ……」 素直にじっとしていると、学園長はまた身体を動かす。 洗われている気がまったくしない。 これただ単に密着して身体を擦り付けてるだけのような気がして来た。 「ん、んっ、っしょ……は、ふ…んぅ」 それに、なんかやっぱり最初と全然肌ざわりが違うような気が……。 「はぁ……ふ、んんっ……」 「……ん」 「ふあ……あぁ……」 それに、少し前から耳元に聞こえる学園長の声が微妙にこう……普段聞く声とは違うっていうか、なんて言うか……。 「ふひとちゃん、あの……」 「んっ……ダメ、そのまま、じっと……んっん……」 「いや、あのさ……」 肌に触れる感覚も最初と全然違うし、なんかぬるぬるしてるし……ぬるぬる!? 「久我君…んぅ、ん、はあぁ…」 「ちょっと待った!!!」 「は、う?」 振り返って確かめると、そこには水着を脱いで裸で俺に身体を擦り付ける学園長の姿があった。 っていうか、なんですぐに気付かなかった俺!!! 「ちょ、ちょっと! あんた何やってんだ!!」 「なに……? 身体を洗っているのだよ…」 「これのどこがだ!」 「だって、泡でぬるぬる〜ってして洗うものだろう」 「違う! 全然違う! とにかく離れろ!!」 「ええ〜」 「いいから離れろって! もう洗わなくていいから!」 「ひゃっ! ふわぁあ!」 慌てて学園長の身体を離させ、なるべく身体を見ないようにして浴室から追い出した。 だが、学園長はまだ扉の前にいるようだった。 裸のままいきなり追い出すのはまずかったかもしれないが、さすがにあのまま居てもらうわけにはいかない。 「おーい。久我くーん」 「もう十分だから帰れ!!」 「えー。もうちょっとやろうよー」 「遠慮する! 鍵使って入っても、また追い出すからな!!」 「うー。じゃあ、今日はおとなしく帰る」 しばらく扉の前に学園長の気配があったが、扉を開けずにじっとしているとおとなしく部屋に戻って行ったようだった。 「はあ……」 助かった……本当にあの人は、何を考えてるんだ……。 もしかして、これからこんなことが続いたりするのか? だとしたら部屋の中でも落ち着いてられねえ……。 「んっふっふっふ……」 「すーすー」 「おーおー、よく寝ているではないか……早起きだったらどうしようかと思ったが、そんなことはなかったな」 「んん……」 「お、お、おおお……こ、これが……そうか、このようになっているのか……」 「そ、それでは……や、やるぞ…ん、んぅ……はあ……」 ……何か、下半身に激しく違和感がある。 いつもと違う感覚に、ぼんやりと目を開ける。 見えるものは寮の天井で……意識がまだはっきりしない。 少しだけ上半身を動かして自分の身体を確かめてみる。 「……」 「う、ん…おっきぃ、口入らない……んぅう」 「んっ……こ、これで、いいのかな……は、むぅ…ん、ちゅぅ……」 そこにはにわかに信じられない光景があった。 足の間に学園長がうずくまり、俺のズボンと下着をズラして肉棒を舐めている。 寝起きの頭に叩き込まれるあまりの出来事に、一瞬思考を放棄した。 そうか、さてはこれは夢だな………。 「はあ、は……久我君の…あ、こんな大きいなんて…思ってたのと違うけど、でも……はあ…んんぅ」 学園長はうっとりした表情を浮かべて舌を差し出し、朝から元気に反応している肉棒を音を立てながら舐め続けていた。 「ん、んんぅ…ん、ちゅ、ちゅぅ……」 「………」 「はあ、は…んぅ、んっ……ん、口入らな……」 まだ頭ははっきりしない。 やっぱりこれは夢に違いないと思うのだが、小さな口から出た舌が肉棒を舐めた瞬間、身体がビクリと震えた。 「……んっ!!」 「は、う……先から、出て来たぁ…」 「……っ……」 「んんう…ん、ちゃんと舐めるから……待って…」 舐められて反応したことであふれ出した液体を、学園長の舌がねっとりと舐め取った。 するとまた肉棒が震えてしまう。 それに気をよくしたのか、学園長はまた舌をゆっくり動かし出した。 「は、ふ……ん、んぅ、あ…あ、んっ…」 「あ、っく! う、あ……」 「んー。久我君……ん、ふふ…」 うっとりしたまま学園長が舌を動かす。 また肉棒がびくんと震えて反応し―――俺は、これが夢ではないとようやく気付いた。 「ちょっ、やめろおおおぉっ!」 「ふやっ!!!」 慌てて起き上がり、ベッドから学園長を追い出した。 「はあ、はあ……」 「ぶーぶー」 「何を考えてるんだ、何を!」 「え? はっきり言った方がいいかね?」 「言わんでいいっ!!」 「何を考えているのかと、君が聞いたのではないか」 「確かにそうだけど……」 ダメだ。まともにやりあっているとこっちが疲れそうだ。 とにかく、こんなことがこの先も続くようだと、俺の方が持ちそうにない。 「………あのな、ふひとちゃん。お願いがあるんだが」 「おぉっ!? な、なにかななにかな! 何でも言ってみたまえ!」 「頼むから、こういうことはやめてくれ」 「何故かね? 私なりの精一杯なのだが」 「その精一杯のせいで俺は部屋でも落ち着けなくなるんだよ。いい加減にしてくれ」 「………」 「本当に頼むから」 かなり真剣に言うと、学園長はしばらく俺をじっと凝視していた。 そして、少しだけ哀しそうな表情を浮かべる。 「……わかったよう」 「はあ……わかってくれたなら良かったよ。こんなこと続いたら俺の方がもたねえし」 「うん……そうか、そうだね」 しょんぼりしながら、学園長は寂しそうに頷いた。 本当にわかっているんだろうかと少し疑問は残るんだが、ここまで言えばわかってくれると思いたい。 学園長はうな垂れながら、とぼとぼとそのまま部屋を出て行った。 あの日から数日、学園長の行動は嘘のように落ち着いた。 やはり正面から止めてくれと直接頼んだのが効いたらしい。 時々顔を合わせても、強引に何かをしてくることは無くなった。 なんとか平穏な落ち着ける日常が戻って来たんだが……。 「へっくしゅん!!!」 「大丈夫? みっちー」 「おお……多分……」 情けないことに、特査の活動中にひょんなことから水を被って風邪をひいてしまった。 これじゃあ、落ち着ける日常が戻って来ても意味がない。 おまけに、そんな俺を心配したモー子とおまるに様子を見に来られて情けなさは倍増だ。 「薬は飲みましたか?」 「あー…いや…」 「熱は……」 「あるんじゃねえかな……」 「はかってないの?」 「んー。いや、体温計ない」 「あ、うん……悪い…」 おまるは、部屋にあるかもわからない体温計を探し始めた。 こんな時、普段風邪なんかひかない自分が恨めしい。 多分、こんなことになるなんて思ってなかったから、何も用意していなかったと思う。 「あ? ん……」 その手の感触がひんやりしていて気持ち良かった。 「すごい熱じゃないですか!」 「お前の手、気持ちいいな……そのまま、こうしててくれ」 「はあ……」 俺の言葉を聞き、モー子は素直に手のひらをそのままにしていてくれた。 触れられひんやりした感触が、やけに気持ちいい。 あまりこういう事に慣れてないのか、モー子がやけにおろおろしてるように見える。 「あ、あの、久我くんがこうしててくれと言ったので」 「冷たくて気持ちいいんだ」 「ん、悪い…モー子も手、離していいぞ」 そっとモー子が手を離すと冷たい感触がなくなった。 途端に全身が熱くなった気がするのは気のせいなんだろうか。 それにしても、頭がボーっとする。 「本当に大丈夫なんですか?」 「寝てれば治るだろ」 「そうは言いますが……」 「ああ、うん。悪いな……」 ほんの少しのことだけど、冷えたタオルがあるだけで随分ラクになるような気がした。 「はあ……」 「氷枕とかがあるといいんだけど、何もなくて……」 「あー。こうなった時のこととか全然考えてなかったからなあ」 「あの、何か用意した方が……」 「そうですね。本当に何もないみたいだし、保健室に行って何か借りてこようかな」 二人に心配されながら、ぼんやりとベッドで寝ていると部屋の扉が開いて学園長がやって来た。 学園長は俺の姿を見ると少しだけ驚いたような様子を見せる。 「学園長、どうしたんですか?」 「いや、特査分室に行くと村雲君しかいなかったのでね、何があったのか聞いてみたのだよ」 「………」 学園長はじっと俺を見下ろしてから、何事か悟ったようにうんうんと頷いた。 「この様子だと、久我君の部屋には何もなかったのかね」 「はい、そうです。何か用意しに行った方がいいかなって、今話してたところなんです」 「はっはっは! 安心したまえ。色々準備してから様子を見に来たのだよ」 そう言いながら、学園長は手にしていた袋を二人に見せていた。 その手際のよさに、モー子もおまるも感心する。 「というわけなので、二人は学園に戻りたまえ。私が久我君の看病をしていよう!」 「え? でも、学園長にお願いしても良いのでしょうか」 「あ、あの、それは……」 「今日は特に忙しいということもないからね、何も問題はないよ」 「いや、そうじゃなくて……」 今までの行動を思い出し、勘弁して欲しいと思うのだが強く言い出せない。 というか、ここで嫌がると何があったのか話さなければいけなくなるし、今はそんな元気もない。 「じゃあ、学園長にお願いしてもいいですか?」 「任せたまえ!!」 「わざわざお手をわずらわせて申し訳ありません。それでは、久我くんをお願いいたします」 「いや、あの……二人とも……」 「おとなしくしていてくださいね」 「良かったね、みっちー。これで元気になるよ」 「あ、あのな……」 二人は心底安心したような表情を浮かべていた。 これは、ここで学園長に帰ってもらって一人で寝ているという選択肢は選べそうになかった。 「じゃあみっちー、ちゃんと風邪治してね」 「特査の活動はこちらに任せておいてください」 「あ……うん…」 そのまま、二人は俺と学園長を部屋に残して出て行ってしまった。 部屋に残された俺は、ちらっと学園長を盗み見る。 だが、どうにも不安な気持ちにしかならない。 「ん? どうしたのかね?」 「いや、なんでも……」 「ははは。安心したまえ、ちゃんと風邪の時に必要なものは用意して来たよ」 「そりゃ、どうも……」 自信たっぷりでそう答えた学園長は部屋から出て行くと、何やら色々準備を始めたようだった。 時折部屋の外から聞こえる音に不安を掻き立てられるのだが、とりあえず今はおとなしくしているしかできなかった。 「さて、おかゆなら食べられるかな?……ほら、起き上がれるかい」 「あ、ああ……」 戻って来た学園長はおかゆを用意してくれていた。 それに、おかゆの隣には可愛らしいウサギの形をしたリンゴも置いてあった。 「熱いから気をつけないとね。ふーふー」 「そこまでしてくれなくても……」 「ん……冷めたようだ。はい、あーん」 「……はあ」 「どうしたんだい、食べないと薬が飲めないではないか」 「わかったよ……あーん…」 おそるおそる口を開けると、学園長がそっとおかゆを運んでくれた。 警戒しながらそのおかゆを食べるが、特に怖れていた事は何もなかった。 いたってごく普通のおかゆだ。味も薄い塩味で、柔らかさもちょうどいい。 「おいしいかね?」 「……おいしい」 「ははは。そうだろう、そうだろう。ほら、もっと食べるかい……あーん」 「あーん……」 素直に口を開けると、学園長はまたおかゆを運んでくれた。 あまりにも普通の対応に拍子抜けしていると、それに気付いたのか学園長がくすくす笑った。 「安心したまえ、何の変哲もないただのおかゆだよ。何か変なものが入っているとかでもない」 「ふひとちゃんが作ったのか?」 「そうだよ。まあ、これくらいのこと、誰でもできるだろう?」 「そうでもないと思うけど……」 何だかすごく意外な感じがした。 学園長がこういう庶民的なものを作るところが想像できない。 普段あんなに無茶苦茶な感じだから、料理なんかしないのかと勝手に思っていた。 「そんなことより、ちゃんと食べないといけないよ。ほら、残りも食べて」 「そうだな……」 残っているおかゆも食べさせてもらい、ほんの少しだけおなかが満たされた。 とは言え、いつもの量に比べると全然少ないんだよな。 「リンゴは……どうだろうか? 食べられそうかい?」 「せっかくだから、食べる」 「ふふっ、皮を残してウサギさんの形にしてみたのだよ」 「へえ。器用なんだな」 「コツさえ掴めばすぐにできるものだから、特別器用ではないと思うがね」 「そっか」 「ほら、アーン」 「……ん」 差し出されたリンゴを口に入れると、みずみずしい甘さでおいしかった。 思わず催促するようにもう一度口を開けると、学園長は嬉しそうにリンゴを食べさせてくれる。 「うまいな、これ」 「おお、それは良かった!! もう少し食べておくかい?」 「ん、そうだな……んっ、げほ、げほっ!」 「ああ……!」 少し咳き込んでしまうと、学園長は慌てたように背中を撫でてくれた。 小さな手で撫でられる感触は少しくすぐったいが、風邪で弱っているせいなのかやけに落ち着く気がした。 「大丈夫かね?」 「ああ、うん……」 「無理に食べる必要はないのだからね」 「わかってる。……そういえば、ニノマエ君は?」 「ん? 風邪には悪そうなのでお留守番してもらっているよ」 「そっか……」 わざわざ俺を気にして置いて来てくれたのか。 いつも一緒にいるのに、なんだか悪い気がするな。 それにしても、何だろうこれは……普段と違いすぎて、なんかよくわからない……。 「さて、そろそろ薬を飲んでも大丈夫そうかな。市販の風邪薬だが、大丈夫かね?」 「ああ」 頷くと学園長は薬と水を差し出してくれた。 それを受け取り、素直に薬を飲んでもう一度ベッドに横になる。 食事をして薬を飲んだせいか、少しだけ気分がラクになった気がした。 気の持ちようでここまで変わるものなのか……。 「落ち着くまでそばで様子を見ているから、ゆっくり眠りたまえ」 「ああ、ありがとう」 学園長の言葉に素直に頷き目を閉じると、そのまますぐに眠ってしまえそうだった。 「………」 ゆっくりと目を覚ますと、部屋の中が暗くなっていた。 どうやら、いつの間にか夜になっていたらしい。 随分長い時間眠っていたみたいだ。 眠っていたからか薬のおかげか身体はだいぶ楽になっていたし、熱もある程度下がっているようだった。 「おや、目が覚めたのかね」 「あ……」 ぼんやりしていると、控えめに声をかけられた。 視線を移動させるとベッドの側に学園長が座っていた。 どうやら、本当にずっと様子を見ていてくれたらしい。 「様子はどうだい?」 「もう、だいぶ楽だよ」 「そうか……」 答えながら学園長がそっと手を伸ばす。 そっと額を触りながら、学園長はじっとしていた。 その手のひらの感触は、昼間にモー子に触られた時のような冷たさを感じない。 安心したように言った学園長は、微笑みを浮かべていた。 どうやら、かなり心配させてしまったらしい。 「あの、ずっとついててくれたのか?」 「ああ、もちろん」 「……帰っても良かったのに」 「病人の君を放っておけるわけがないだろう」 「そっか。あの、ありがとう。随分、世話かけたみたいだな……助かったよ」 「ふふ……そんな風に言われてしまうと、喜んでしまうじゃないか」 答えながら学園長は照れたように、にっこりと微笑みを浮かべていた。 それは本当に嬉しそうな微笑みで、見ていると複雑な気持ちになる。 「でも、やっぱり今の方が嬉しいものだ」 「ふひとちゃんのせいじゃないか……」 「ん……?」 「あんたが強引に色々して来るから、慌てたり怒ったりしてたんだろ。俺に昔のことを思い出して欲しいのはわかるけど、色々やり過ぎだって話だ」 「あ……ああ、そうか。そうだったのか……」 俺に言われて学園長はポンと手を打った。 そして、何かに気付いたような表情でうんうんと頷いていた。 「ふむ……私のやり方が間違っていたんだね」 「………」 「ん? どうしたんだね、久我君」 「いや……あんたは、一体何をどうしたいんだよ」 「………?」 俺が聞くと学園長は不思議そうに首を傾げた。 俺が学園長の考えがわからないように、学園長も俺の考えがわからないらしい。 「んー。言ってなかったっけ?」 「多分聞いてない」 「私が君に求めているのはただ一つだよ」 「ただ一つって、一体なんだ?」 「それはすなわち、愛だ!!」 「………」 あまりにも突然に思えたその言葉に、呆然と絶句するしかなかった。 この人、今なんて言った? さっきのは俺の聞き間違えか? いや……まあ……意味はわからなくもないのだが………ただ……。 「悪い、まだふひとちゃんの意図がよく読めないんだが……」 「俺で新手の暇つぶしでもしてるとか、反応が面白いから遊んでいるとかじゃなくて、本気で言ってる?」 「失礼な!! もちろん私は本気だとも!!」 「………」 本気だという答えに戸惑い、どう反応すればいいのかわからない。 まだ、冗談だ、面白がっていただけだと言われた方が対処のしようもある。 「なんで、その相手にわざわざ俺を選んだんだ」 「それは……その…」 じっと俺を見ていた学園長だったが、恥ずかしそうに視線をそらして話し始める。 「わ、私もあれは随分とショックだったのだよ……」 「……あ」 言われた途端、あの時の学園長の態度を思い出し、同時に俺まで恥ずかしくなって来る。 確かにあれは、女の人に対してすることではなかったかもしれない。 あんなの学園長でなくたって、誰でもああいう態度になるに決まっている。 「あ、いや、あの時は……その、勝手に脱がしたり、洗ったり、その…悪かった」 「いやいや、もちろん私を助けてくれようとしていたことはわかっているとも」 「ああ……」 答えながら学園長はうつむいてしまい、なんだか微妙な空気が流れていく。 こんな話をしたかったわけじゃないんだけど……なんだか、何をどう言えばいいのか…。 「こんなつもりじゃなかったんだが……どうも君の前ではうまく立ち回れないな。失敗ばかりしてしまうよ……」 「本当は、もっときちんとした愛の告白をする予定だったのだよ」 「あ、愛の告白って……」 「そうだとも! 昔のことを思い出してもらった君の前で、愛している! と伝えるつもりだったのだから!」 「とにかくありとあらゆる恋人ライフを送りまくって、もうめろっめろのとろっとろで、私なしでは生きてゆけないような体にしてやろうと!」 「な、あ、あの……な……」 これだけはっきり言われると、照れる。 っていうか、こんな風に学園長に思われることになるなんて考えもしなかったから、どうしたらいいのか……。 動揺して赤くなってしまった俺を見て、学園長はぴくりと身体を震わせる。 「い、いや! それはあの、ちゃんと伝わったんだけど、あのいきなりだったから……」 「愛の告白をする予定だったとか」 「その後は?」 「あ、ありとあらゆる恋人ライフを送りまくって、ふひとちゃんなしじゃ生きてゆけない体にするとか」 俺がそう答えると、今の状況を正確に把握したのか突然顔を真っ赤にしてしまった。 そしておろおろした様子で視線をさまよわせている。 「あ、い、いや、そうじゃなくて……いや、そうだけど」 「あ……ふひとちゃん…」 呼び止める声も聞かず、真っ赤になった学園長は立ち上がるとその場から走り去ってしまった。 今更、自分の発言の恥ずかしさを自覚したらしい。 「………」 どうするんだ。 混乱のあまり、一旦は下がった熱が、またぶり返してきたような気すらしてくる。 結局、どうすることも出来ずにそのまま時間は過ぎて行った――。 翌日、学園長の看病のおかげか、すっかり熱も下がり無事に風邪は治った。 あまりにもあっさりと治った俺を、おまるはまだ心配しているようだった。 「みっちー、本当にもう大丈夫なの?」 「ああ、すっかりよくなったよ。昨日は心配かけて悪かったな。本当にもう平気だから気にすんな」 「そっか。それならいいんだけど」 多分早めに薬を飲んでよく寝たから、こうして一日で治ったんだろう。 正直、学園長が来てくれて助かった。 ……最後にはあんな風になってしまったおかげで、色々うやむやになった気もするが。 「あ、憂緒さん」 「おう」 特査分室に向かって歩き続けていると、途中でモー子にも会った。 モー子は俺を見ると心配そうな表情を浮かべる。 「風邪はもう大丈夫なのですか?」 「ああ。もう、すっかり。昨日は悪かったな」 「それにしても、よく一日で治りましたね」 「あー。そりゃ、最初の対応が良かったからじゃないのかね」 「学園長の看病が良かったってこと?」 「まあ、そうかもな」 「あ…」 話していると、向こうから学園長ともも先輩がやって来る姿が見えた。 二人は何かを話しながら歩いていたが、俺達に気付くとそのままこっちにやって来た。 「こんにちは。学園長、聖護院先輩」 「おやおや! 特査分室の面々ではないか、これはまたお揃いでどうしたのかね!」 「こんにちはー! みんな一緒にいたんだねっ!」 学園長は俺達に向かって、いつもと同じように挨拶をする。 こんな風にしていると、昨日あんなに真っ赤になって慌てて部屋を出て行ったなんてなかったことみたいだ。 「こちらは、今から分室に向かうところです」 「今日は何もないといいんですけどね」 「ま、そうだなあ」 「そうだねえ。やっぱりみんな仲良くして、校内が平和なのがいちばんだもんね!」 「………」 いつも通りだと思っていた。 ……が、学園長は俺と目が合うと急に顔を赤くして、もじもじとうつむいてしまった。 だからって俺が何か言うのもどうかと思うわけで……。 「……学園長、どうかしたのですか?」 「いえ、何かいつもとご様子が違うなと思ったものですから」 「………」 「みっちーもなんかおかしくない?」 「別に、いつも通りだろ」 「そうかなあ」 ただ黙っているだけなのに、おまるが俺までおかしいと言い出す。 こいつ、こういう時だけ異常に鋭いのは何なんだ。 けど、今さら改めて何か言うっていうのも、それはそれでおかしいだろ……。 「ふ、ふはははっ! 私はいつも通りだとも!! なあ、ニノマエ君!!」 「ちーっ」 「ちーちー」 「は、はははははぁっ!!」 どう見ても動揺を隠しきれていないが、本人はいつも通りだと主張し続ける。 それを見て、モー子もおまるも、もも先輩も不思議そうな顔をしていた。 そんな視線に耐えられなかったのか、学園長はあらぬ方向を向いて声をあげた。 「お、おお! おおう! ちょ、ちょっと用事を思い出したよ! それでは、これで失礼するとしよう!!」 そのまま、逃げるように俺達の前から学園長は走り去る。 すると……何故か、すぐさまモー子が俺をじっと見た。 しかも、その視線は『昨日一体何をした…』とでも言っているように思える。 「学園長、なんかヘン……」 「うん! ももも、そう思ったよ!」 「でも、みっちーもなんかヘンだよね」 「……なんだよ」 「久我くん、きみ……」 「みっちー……昨日、もしかして……」 「な、なんだその目は! 二人とも何考えてんだ?」 「それは、ご自分の胸に聞いてみてはいかがですか?」 「ちょ! 別に俺はなんもしてねえって!」 「本当? じゃあ、どうして学園長はいつもと様子が違ってたの!?」 「……それは…………盛大に自爆したからっつーか…」 がっくりとうなだれながら答えるが、二人が俺を見る目は変わらない。 こいつ等、俺を一体なんだと思ってるんだ……。 「んーっとぉ……」 そういえば、さっきからもも先輩が学園長が去って行った方と俺を交互に見比べているような……。 この人も、まさか俺を何か疑っているんだろうか。 そう思っていると、もも先輩はいきなりポンっと手を打った。 「ああ! じゃあ、さっき学園長がおっしゃってたプロポーズされた相手というのは久我なのかな?」 「はあ!?!」 「プ…プロポーズ……!?」 いきなりの発言に目玉が飛び出すかと思った。 モー子はひとしきり驚いたあと、めちゃくちゃに不審そうな顔をして俺を見ている。 「久我くん……きみという人は……」 「え、ええええ……」 まだ詳しい話も聞いていないというのに、モー子は鋭い目をして俺を睨みつける。 俺が悪いのか、これは。 というかプロポーズって……まだ思い出せてもいないあの指輪のことだよな。多分。 「あのね、久我……学園長はあれで繊細なとこあるから、あんまり酷い態度はとらないであげてね」 「いや、別に酷い態度なんて取ってないですけど……」 「んー。でも、さっきお話してたら、すっごい色々悩んでたみたいだから気になるんだよぉ」 「………」 そう言われると、ほのかな罪悪感が沸き起こってくる。 いまだに欠片すら思い出せていないのは事実だし、強引な学園長にきついことを言ったりしたかもしれない。 「あ! そうだ。みっちー、昨日のこと学園長にお礼言った?」 「え? あ、ああ……言ったような、言ってないような」 「え! だめだよ、そんなの。お礼はちゃんと言わないと!」 「え……いや、だから言ったような、言ってないような感じなんだって。全然言ってないわけじゃ……」 「ダメだめ! 学園長のおかげで一日で元気になったんだから、改めてちゃんとお礼を言わないと!!」 おまるの提案を聞き、もも先輩も目を輝かせた。 二人分のキラキラ輝く純粋な瞳で見つめられ、なんだかすごく居心地悪く感じてしまう。 「いや、でも学園長あんなだったしさ……」 「だから行くんだよ! ちゃんと話をしなくちゃ!!」 「あ、おい! ちょっと!!」 そう言うなり、二人は俺の背中をぐいぐいと押し始めた。 足を止めると二人がそのまま転んでしまいそうで、ただされるがままに背中を押されるしかない。 「ちょっと、モー子……」 「はあ……私は知りませんよ」 「えええ……」 「憂緒さん! 分室には後で行きますから!」 「わかりました……」 「ほらほら〜! 行くよ久我ぁ〜!!」 どうやら、二人に背中を押されるまま、学園長室に向かうしかないようだった。 「入りたまえ」 「失礼しますっ!」 「おわっ!!」 「なっ!!!」 「それじゃあみっちー、ちゃんとするんだよ!」 「あ、おい! お前らな!」 「学園長、あとは二人でお話してくださいねぇ〜!」 「え、あ……」 二人は俺を部屋の中に入れると、やるべきことは終わったとばかりにさっさと出て行ってしまった。 おかげで、学園長と二人きりで取り残される。 「………」 学園長は、俺の顔を見ると顔を赤くして落ち着きなくそわそわし始めた。 物凄くやりにくい……。 「あー……えっと、その、昨日のお礼を言いに来たんだけど」 「昨日はその、なんか最後うやむやになったからさ。だから、改めてってことで」 「さ、最後っ……!」 「……あ」 昨日のことを思い出したらしい学園長は真っ赤になってしまい、そこで会話が止まる。 どうすればいいんだろうと思うが、まだ改めてお礼を言っていない。 そこだけは、ちゃんとしておこう。 「その、昨日は本当にありがとな。おかげで一日で良くなった」 「う、うむ」 「本当に、ふひとちゃんのおかげだって思ってる」 「そ、そうか。それは、良かった……」 学園長は顔を赤くしたままもじもじしている。 これ以上は会話をしようとしても、同じことが続くだけのような気がする。 これは俺が話を進めないとどうしようもないか……。 それに、あんな事を言われて事態が飲み込めないほど鈍感なつもりはない。 「……とりあえず、ふひとちゃんの気持ちはわかったから」 「はっ! わかった!? では、もう一度私にプロポーズしてくれるのかな!?」 パアっと明るい表情をしながら顔をあげた学園長が俺を見つめている。 期待に満ちた瞳をしているところ申し訳ないが、何故そういう結論になるのかがわからない。 「何故いきなりそうなる!?」 「では、そうならないのかい?」 「………」 答えを聞いた学園長は表情を暗くし、まるで捨てられている子犬のように俺を見た。 そんな風にされると、言葉に詰まってしまう。 返す言葉が見付からずに困っていると、学園長は更にすがるような表情になる。 「思い出せなければ、それでいいんだ……今の君がどう思っているのか、それが大事なのだとは私にもわかっている」 「………」 「ただ、なんだよ」 言葉を続けようとした学園長はまた真っ赤になり、もじもじしてしまった。 「それは、だから……わかったよ…」 「う、うむ!」 「はあ……悪い。どうしていいのかわからないのは、俺の方だからさ」 「久我君?」 「なんかちょっと、色々頭ん中がごちゃごちゃしてるって言うか……」 「………」 ため息をついて頭をかく。 昨日からずっと考え続けていることだが、本当にどうすればいいのかわからない。 何しろ相手はまさかの学園長だ。 こういうことになるなんて、今まで考えたこともなかった。 「ふむぅ……」 「……だからその、少し時間を――」 「……おおっ!」 「ん?」 「では! 私は昨日の看病のお礼を要求する!」 「え? あ、ああ……」 突然言い出された言葉に驚き目を丸くしていると、学園長は真剣な顔をした。 このタイミングで何を言い出すのか、本当に、この人が何を考えているのか俺には全然わからない。 「明日一日だけ! 一日だけでいいから、私と恋人同士になってデートしてくれないか?」 「は!?」 「君が混乱しているのはよくわかった。だから、私は明日一日の期間限定恋人ということで納得しようではないか」 「それが終わったら、私と君は元通りの学園長と生徒に戻る。その後どうするかは君が決めればいい」 説明されてやっと、学園長の考えていることがわかった。 混乱している俺のことを考えて、かなり譲歩してくれているのだろう。 「それも、ダメかね……?」 「いや、そういうわけじゃ……」 「本当に、明日だけでいいんだ」 「………わかったよ」 ここまで言われてしまって、断ることなんて出来なかった。 嬉しそうにお礼を言う学園長を見ていると、本当にこれで良かったんだろうかと、ふとそう思ってしまった。 デートの約束をした日、俺はまたしても学園長室に呼び出されていた。 部屋に行くと、学園長は嬉しそうな笑顔を浮かべて俺を出迎えてくれた。 「ああ……あれ?」 「ん? どうしたのかね」 「いつもと違う服なんだな。それに、ニノマエ君もいないし」 「そりゃ、で、デートだからね! おめかしくらいするさ」 「そ、そうか」 「それにデートは二人っきりでするものだろう? だから、ニノマエ君はお留守番だ」 「………」 笑顔を浮かべたまま、だけどどこか照れくさそうに学園長は答えた。 そんな風に答えられると、これ以上何を言えばいいのかわからなくなる。 「さて、それでは早速デートに向かおうではないか!」 「でも、デートってどこで?」 「それもそうだ」 「イチャイチャって……まあ、いいか」 そう言うと学園長はバスケットのようなものを手に取り、鼻歌まじりに歩き出した。 「では、行くぞっ」 言いながら学園長はヤヌスの鍵を取り出して部屋の扉に突っ込んだ。 その隣に並び、学園長が鍵を使って部屋の扉をゆっくり開けるのを眺める。 「ふっふ〜ん!!」 「ここは……」 いつだったか、風呂屋と迷い込んだ異空間だ。 確かに、ここなら人目を気にせず一緒にいられるし、誰にも見付かることはない。 「ここなら誰にも見られず、久我君と思う存分イチャイチャできる! 完璧ではないか!!」 「いやまあ、あの……だから、イチャイチャとかさ……」 「いや、ま……そうじゃなくて、そういうのはっきり言われるとだな………」 言い返そうと思ったが、止めた。 今日は恋人同士だっていうことになってるんなら、照れるからやめろなんて言うのもおかしいだろう。 「いや、いい。何でもない」 「よし! それではいざピクニックに出発だ!」 上機嫌の学園長は異空間に足を進ませるとそのまま歩き出す……かと思ったんだが、その場で立ち止まった。 どうしたんだろうと思っていると、少しもじもじした様子で見上げられる。 「……ん?」 「あ、あの、久我君……今日だけは恋人同士なんだろう?」 「ああ、そういう約束だったしな」 「それなら、手を繋いでもいいだろうか? そのくらいなら、罰はあたらないだろう?」 「罰って……」 「い、いや! 強引すぎるのはいけないとわかったわけだからね」 もっと強引に手でも握ってくるのかと思ったが、学園長は照れくさそうに俺にお願いするだけだった。 手を繋ぐってことに戸惑いがないわけじゃない。 でも、今日だけ恋人同士って条件を俺は受け入れたんだし、こんな風にお願いされてるんだから、その通りにすべきだ。 「わかったよ、ふひとちゃん」 「……あ!」 頷いてそっと手を握る。 学園長の手は驚くほど小さくて、ほんのりあたたかい。 「ふふふ! ありがとう、久我君。では行こう!」 「ああ、そうだな」 俺の手を握り返しながら笑顔を浮かべた学園長は、また上機嫌で歩き出した。 その手をしっかり握りながら、一緒に歩き出す。 どうなるんだろうという不安は少しあったが、とりあえず今はあんまり考えないようにした。 「ふふ〜ん♪ ふんふ〜ん♪」 手を繋ぎながら歩く学園長はすごく楽しそうだった。 それに、さっきから無意識なのか手のひらを何度もぎゅっぎゅと握って来るのが、なんとなくくすぐったい気持ちだ。 「そういえば、ここらをウロウロしてた変な怪物みたいなのはどうしたんだ?」 「そういうこともできるのか……」 「は……!」 「ん?」 機嫌よく話していた学園長だったが、突然真っ赤になると照れたように視線をそらした。 「ま、まったくー! で、デートとか、何を言わせるのかな!! もう!!」 「え、さっきも言ってただろ……」 「も、もー!!!」 どうやら、完全に舞い上がっているらしい。 かわいいと言えばかわいいが、ここまで舞い上がられると、なんか冷静になるな……。 「さあさあ、それよりも早く先に進もう!」 「どこ行くつもりなんだ?」 「んふふ〜! それは後のお楽しみだよ」 どこに行くつもりかはわからないが、今日は学園長の行きたい場所に付き合うことにしよう。 一日だけでも、恋人同士なんだしな。 「お……」 「この辺がいいかな!」 手を繋いでやって来たのは、湖のほとりだった。 到着すると学園長は俺の手をそっと離し、持って来ていたバスケットの中から何かを取り出した。 「まずは場所を作らないとね」 バスケットからまず取り出されたのはレジャーシートだ。 そして、その次にバスケットから出て来たのは、バケットサンドやサラダや水筒だった。 「よし! 久我君、そろそろお弁当の時間にしよう!」 「ああ」 頷き、レジャーシートに座り、用意されたお弁当をしげしげと見る。 具がいっぱい入ったバケットサンドはボリュームがあっておいしそうだし、サラダも見た目が鮮やかだ。 「いや、いい。切って欲しい」 「うむ! では、切り分けることにしよう」 楽しそうに笑いながら、学園長はバケットサンドを食べやすい大きさに切り分けてくれた。 「ふんふ〜ん♪ ふふふ〜ん♪」 「なんか、色々用意して来たんだな」 「ああ、ありがとう。いただきます」 切り分けてもらったバケットサンドを受け取り、手を合わせてから食べ始める。 その間に学園長はサラダも取り分けてくれて、水筒の中身もコップに注いでくれた。 なんだか、いたれりつくせりだ。 「一応ね、これに合う紅茶を選んでみたんだが口に合うかどうか……」 「ん、色々ありがとう……」 「私がしたくてしているのだよ」 「あ、うん……そっか。あ……これ、すごいうまいな」 「おお! そうかね、それは良かった」 頬張ったサンドイッチを食べ終わらせてから口を開き、紅茶を飲んでサラダも食べる。 どれも見た目だけじゃなくて、味も最高に良かった。 「はむっ…ん、もぐもぐ……」 「久我君の口に合ったみたいで何よりだ。ホッとしたよ」 「あのさ……これって、もしかして手作りか?」 「はっはっは! なに、こういうのは昔少しかじったことがあってね」 「へえ、そうなのか。この前のおかゆと言い、やっぱ器用なんだな……」 「ふふふ。そんなこと言われると照れるじゃないかあ」 もじもじと照れたように答えているが、なんだかすごく嬉しそうだった。 でも正直、学園長がこんなに料理上手だとは思わなかった。 なんでも出来る人なんだな。 「遠慮せずに、どんどん食べてくれたまえ。まだまだあるのだからね」 「ん、そうさせてもらう」 素直に頷き食べ続けることにする。 まさか、こんなにうまい弁当を用意してくれているとは思わなかったから、ちょっと嬉しいかもしれない。 学園長は自分も同じように食べ始めたが、俺を見つめるとその手を止めた。 「あ、久我君。ちょっとじっとして」 「ん? どうした」 「すぐ終わる……」 「……あ」 じっとしていると、学園長の手が俺の口元にのびた。 そして、小さな指先がそっとその口元を拭うように動いた。 「ふふ、ソースがついていたよ。まるで小さい子のようだね」 「あ、ああ。ごめん、なんか」 「ふふふふ。気にするな、むしろ嬉しいよ」 「そ、そんなもんか?」 「ああ、もちろん!!」 嬉しそうにしている学園長を見ていると、なんだか無性に照れくさくなってきた。 思わず視線を外してしまうが、学園長はまだこっちを見ているような気がする。 今日だけは恋人同士ってことになってるんだから、別に照れなくていい……。 と、思いたいんだが、何だかそれも難しい……変に意識したくはないのにな。 「ふふふふ、楽しいなあ。まさか、こんなに楽しいとは思わなかった」 「……まあ、それならいいけど」 「うん!」 本人がここまで喜んでくれるなら、まあいいか……。 「はー。腹いっぱい。ごちそうさまでした」 「あー、あの、うまかったから食も進んだんだと思う」 バケットサンドを食べ終わった後、そのまま少し休憩することにした。 二人でこうやってのんびりしていると、ここが異空間だってことを忘れてしまいそうだ。 帰る手段がちゃんとあって、変な怪物が出て来なきゃ過ごしやすいとこだよな。 「……ん、んと」 「ん?」 ぼんやりしていると、学園長がそろそろと手を伸ばそうとして来た。 けれど、勇気が出ないのか手が触れそうになるギリギリのところで手を引いては、また手を伸ばすのをくり返す。 前に『頼むからやめろ』と俺に言われてよっぽど反省して、結果的にはこんな風に女の子っぽくてかわいい行動を取るようになったのだろうか。 「……よ、よし」 「………」 また、そろそろと手が伸びてくる。 今度はそれを見逃さず、こっちからそっと手を握ってみた。 「あ……!」 「……こうした方が、いいのかなと思ってさ」 「そうでもないけど……」 俺から手を握ったのが意外だったのか、学園長は驚いたようにこっちを見つめた。 けれど、すぐに俺の手を握り返して嬉しそうに微笑みを浮かべる。 俺はその微笑みが照れくさくてわざと視線を外した。 「ふふふ……あの時も君は、こうやって私の手を握ってくれたんだ」 「え……」 一瞬、何のことかと思ったがすぐに心当たりがあることに気付いた。 きっとそれは、10年前の話なんだろう。 あの頃のことが、何とか思い出せないだろうか……。 「懐かしいなあ、あの頃に戻ったような気持ちになる」 神社のお祭、露店、大きな楠……。 祭で何を食べたっけ……わたあめとか、りんご飴とか……いや、食べるもんばっかりじゃなくて。 「あの頃よりも、君の手は随分大きくなったね」 「まあ、そりゃ……10年も経てばな」 「でも、手のひらの感触は変わらないものなのだね」 小さな手のひらが俺の手を握っている。 学園長が言うようなことを、俺はまったく思い出せないし、手の感触に懐かしさも覚えない。 思い出すのはぼんやりとした露店の記憶だけ。 それはあまりにもぼんやりしていて、正直その祭で誰と一緒に遊んでいたかすらおぼろげだ。 「………」 満琉の手を引いて行ったことがあるのは、なんとなく覚えてるんだけどなあ……。 でも、学園長が満琉について何も言わないってことは、満琉と一緒に行った祭じゃないんだろう。 「君はね、私の手を引いてこうやって指輪をつけてくれたんだよ」 握っていた手を軽く持ち上げ、指輪をつける仕種をしながら学園長が言う。 それがまったく思い出せず、罪悪感からか胸にちくちくと痛みが走る。 どうして、何も覚えていないんだ。 「悪い……まだまったく思い出せない」 「あっはっは! いいよいいよ、無理しなくても。何せ10年も前のことだからね。ましてや子供の記憶だ」 「そうは言うけど……」 「私がしっかりと覚えていれば、それで構わないことなのだよ」 その思い出は俺にとって忘れてしまうような些細なことだったのか。 学園長はこんなにもちゃんと、覚えているというのに………。 「それに、昔よりも、今が大事なのだよ。今がね……」 「そうか……」 学園長はそれ以降あまり何も言わなかったけれど、やっぱり思い出して欲しいんだろうなという気はした。 そうじゃなきゃ、あの頃の話なんかしないもんな……。 「散歩って、なんか見るとことかあるのか?」 「ああ。ここは色々不思議な場所だからね、案内させてもらおう」 「ま、不思議な場所なのは否定しない……じゃ、任せるよ」 「よし! 任せたまえ!」 「あ……」 二人で手を繋いで森の中を散歩をしていると、以前と同じように突然ふっと夜がやって来た。 「おお、夜の時間が来たようだ……」 周りが暗くなると、近くにあったきのこがうっすらと光を放ち始める。 前の時は、夜にこの森に来なかったから知らなかったけど、こんな風になるものなんだな……。 これってもしかして、学園長がそうなるようにしたのかな。 暗いだけだと不気味な感じがするが、こうなってるのは雰囲気があって悪くないかもしれない。 「ん? どうしたのかね、久我君」 「あ、いや……きのこが光って、イルミネーションみたいできれいだなと思って」 「ふふふ。そうだろう……ここはお気に入りなのだよ」 「お気に入りね……」 やっぱり、学園長がこうなるようにしたのかもしれない。 そうだとしても、悪くないって気持ちは変わらないわけだけど。 「そろそろ、一日も終わりだね」 「ああ……」 「………」 ああ、そうか。 一日が終わるってことは、今日だけの恋人同士も終わるってことなんだよな。 だから、学園長がやけに寂しそうに見えるのかも。 やっと終わるって気持ちはあるが……それだけじゃない、何だか色々気になるっていうかな……。 「今日はありがとう。とても楽しかったよ」 「まあ、俺も楽しかったかな……弁当もうまかったし」 「それは良かった。恋人同士なのだから、二人で楽しまなければいけないからね」 満足そうに答えた学園長だったが、言葉を止めると少しもじもじしているようだった。 どうしたんだと思っていると、頬を少し染めながらそっと見上げられる。 「最後に、もう一つだけお願いしてもいいだろうか?」 「もう一つ? 何だ?」 「え、えっと、久我君でないとできないのだが……う、うーん……」 「じゃあ、言ってみてくれ」 「う、ううー。えっと、えーっと……」 照れたようにもじもじした学園長は俺から少し離れてうろうろしだした。 そして時々立ち止まり、俺を見上げては真っ赤になり、またうろうろし始める。 一体、何をお願いされるって言うんだろうか。 「う、うーんと。あの、だな……その…」 立ち止まった学園長は近くにあったキノコの上に座り、それから俺をじっと見た。 少し離れた距離を縮めるために、ゆっくりとそちらに近付いてみる。 「こ、久我君。その、今日の思い出というか、その恋人同士だからする、その……」 「うん」 「き、キスがしたいな……」 「………」 何度も何度も迷いながら、学園長がやっと口にした言葉に照れくさくなってしまった。 しかも、言い終わった学園長は顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。 「い、言って……しまった……」 今日だけの恋人同士だ。 俺はそれを約束した。約束を破る気はない。 ここまで言われるのは正直予想外だったので、どうしたらいいのかという戸惑いもある。 でも……学園長は期待するように俺をちらちら見ているわけで…。 「……ふひとちゃん」 「ん……?」 「……わかったよ」 「あ……」 そう答えてから、身体を屈ませてお互いの顔を近付けた。 「こ、久我君……」 学園長は近くなった距離に更に顔を赤くしていた。 けど、何も言わずに黙ってじっと見つめる。 「………」 「……」 やがて、学園長はそっと目を閉じた。 「……ん」 唇をそっと触れ合わせると、柔らかな感触とぬくもりが伝わって来た。 その感触を確かめるように、触れるだけの口付けを数回くり返す。 「んん……」 すると、学園長も自分から何度か唇を重ねて来てくれた。 そのまま、お互いに何度か唇を重ねて口付けをくり返していると、胸が少しだけ熱くなるような気がした。 「……んっ」 「………」 くり返していた口付けを終わらせてゆっくりと顔を離す。 目の前では、学園長がぼーっとした顔をしていた。 屈ませていた身体を起き上がらせて姿勢を正すと、学園長の顔が一気に赤くなった。 「……は! あ、あああ!!!」 我に返ったような学園長は慌てたように周りをキョロキョロ見渡していたが、すぐに俺を見上げて微笑みを浮かべる。 でも、顔は真っ赤なままだ。 「そうだな……」 「何しろ、一日だけの約束だったからな! 私はもちろん、約束は決して破らないとも!!」 「よし、それでは久我君の部屋まで送って行こう! ヤヌスの鍵ですぐに到着だよ!!」 バスケットを手にしながら歩き出した学園長は、さっきまでのように手を繋ぐことをお願いしたりしなかった。 本当に、さっきのキスで納得してくれたのかもしれない。 少し複雑な気持ちになりつつ、俺は帰路についたのだった……。 「ああ、おはよう」 学園長とデートをした翌日は、いつも通りの学園の朝だった。 昨日、二人で出かけたなんて……こうしていつものように登校してるとまるで夢だったようにも思える。 でも、二人でデートして、弁当作ってもらって……キスしたんだよなあ。 「あ、学園長だ!」 「え……?」 「おはようございます! 学園長」 おまるが挨拶をすると、学園長はいつものように返事をしてくれた。 そして、にこにこと微笑みを絶やさず俺達を見つめている。 「みっちー、どうしたの? ぼーっとして」 「あ、ああ。おはようございます」 「Dobry den!!」 学園長は、本当にいつも通りだった。 以前のように顔を赤くしながらそわそわすることもない。 昨日のデートで向こうも納得してくれて、区切りが付いたということなのだろうか。 元気がなかったりしたらどうしようなんて考えていたから、いつも通りの姿を見てホッとする。 学園長がいつも通りなんだから、俺もあんまり気にせず今まで通りでいた方が良さそうだ。 「二人とも、授業に遅れないようにするのだよ」 「はいはい、わかってます」 「………」 「それでは、今日も良い学園生活を!」 「おお〜! みんな、Dobry den!!」 挨拶をした俺達の前を通り過ぎて行った学園長は、近くの生徒達にも挨拶されにこやかに返事をしていた。 「ねえ、みっちー」 「ん、どうした?」 「なんか、どうしたの? 学園長なんだかよそよそしくない?」 けど、おまるはいつも通りに戻った学園長を見送って不思議そうな表情を浮かべている。 まあ……こいつが一番色々な事情を知ってるんだもんなあ。そりゃ気になるか。 さすがにデートのことは話せなかったが。 「別に、いつも通りに戻っただけじゃないのか」 「そっかー。最近の学園長、なんだか楽しそうだったのになあ」 「お前にはそう見えてたのな」 こくんと頷いたおまるは、もう一度学園長の後ろ姿を見て少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。 「なんか、ちょっと寂しいなあ」 「……お前が寂しがってどうする」 「えー! だってなんかさー」 「はいはい。ほら、早く行くぞ」 まったく、なんでこいつが寂しがるんだか。 まあでも、おまるらしいって言えばらしい話だ。 学園長とのデートから、もう数日経過していた。 あれから本当に、廊下でも、授業中でも、シャワー中でも、寝起きでも……誰も乱入して来ない。 「………」 以前とまったく同じ、静かで穏やかな生活に戻った。 今まではこれが当たり前だったんだ。 それが、なんだか……いや、あんまり考えすぎるのはやめよう。 それより、もう放課後なんだし早く特査分室に行かないと。 特査分室にやって来たけど、今日はまだ特に何の依頼もないようだった。 ソファーに座ってぼんやりしていると、なんとなくあの騒がしかった数日間のことを思い出す。 「はー」 「どうしたの? みっちー」 「来るなりいきなりボーっとしてため息か」 「いやあ……騒がしいのがなくなったらなくなったで、少し物足りない感があるなあと」 おまるは嬉しそうに笑っていたけど、モー子と村雲は呆れたような表情をしていた。 「きみ、それは向こうの思う壺なのではないですか」 「んー。そうなのかなあ……」 「第三者から見ると、そのようにしか思えませんが」 「そっか……」 「ったく、勝手にやってろ……」 呆れられることを言ってるのは自分でもわかってる。 でも、なんとなくこう……しっくり来ないっていうか……。 「んー」 お言葉に甘えて、少し一人で考えてみる。 あの日の約束通り、俺達は元通りの学園長と生徒に戻った。 けど、このままでいいのか? って気は少ししている。 学園長は、その後どうするかは俺が決めろと言っていたが……。 「………」 風邪をひいた時に看病してくれたことは本当に助かったし、あの時はすごく俺を気遣ってくれていたのがよくわかった。 デートの時だって、おそらくかなり手がかかっただろうに手作りの弁当を持って来てくれたし……。 ああいうところは、まあなんというか……かわいいと思わなくもない。 あそこまで好意を寄せてくれた相手に対して、これで終わりで本当にいいんだろうか。 「……あ」 ぼんやり考えていると、同時に迷惑な方のアプローチも思い出してしまった……。 無理やり抱き着こうとしたり、わざと二人きりになろうとしたり、朝起きていきなり……あれは、さすがに…な。 「……久我くんはさっきから、一人でころころ顔色を変えて何をしているのでしょうか」 「ほっときゃいいんじゃねえの」 「みっちー……」 いや、これでいい。いいよ。いいに決まってる。 これ以上何かあったらなんて考える方が怖くなりそうだ。 それに、また色々エスカレートしていたらこっちの身が持たないのは確実だ。 だから、これで良かったんだ……。 「あれ? 聖護院先輩だ」 しばらく考えていると、扉が開いてもも先輩がやって来た。 が、ここまで来るのに疲れたようで随分と息切れしてぐったりしている。 「う、うう……ご、ごめんね、あの…」 「いや、休んでからでいいですから」 モー子とおまるもそれを心配そうに見ている。 もも先輩が直接来るってことは、もしかして何か大変なことが起こったんだろうか。 それにしては、もも先輩に緊迫感らしきものが感じられないんだが……。 「無理はされなくても構わないのですよ」 「ホントにだいじょーぶ! みんな、心配させてごめんね! もう回復したよ!」 力強く答えたもも先輩は俺達を見て何度も頷き、ぶんぶんと腕を振って、長すぎるコートの袖を揺らしていた。 多分、これがもも先輩なりの大丈夫アピールなんだろう。 「ところで、何かあったんですか? 聖護院先輩が直接ここまで来るなんて……」 「へ!? え? お、おれ? 相談??」 だが、力が足りないせいか、おまるを立ち上がらせることすらできない。 それでも必死に、何度も腕を引いて立ち上がらせようとしている。 「烏丸ぁ〜! そ、相談……そーだんーー! んんぅ〜」 何度も腕を引かれていたおまるは素直に立ち上がり、それを見たもも先輩はぱあっと表情を明るくした。 「それじゃあ、あっち! あっちで話そう!!」 「わかりました。おれで相談相手になれるなら、ちゃんと聞きますね!」 「うん! じゃあ、ちょっと烏丸借りるからねっ!」 立ち上がったおまるの腕を引きながら、もも先輩は分室を出て行ってしまった。 「なんだ、ありゃ……」 「さあ……」 一体、おまるに相談なんて何があるんだろうか。 相談の内容すら想像できず、残されたモー子と村雲と首を傾げるしかできなかった。 聖護院先輩に引かれ、図書館の奥にやって来た。 先輩は周りをきょろきょろ見て、誰もいないのを確認してからおれの方を向く。 「あのね、烏丸! ここ数日、久我の様子はどんな感じかな?」 「え? みっちーですか?」 「えーっと……」 言われてここ数日のみっちーのことを思い出してみる。 とは言っても、特に何も変わったことはないような……。 「あ! ちょっと物足りないかもって、さっき言ってました」 「……それだけ?」 「え、えっと……た、多分」 「そっかぁー。はあ〜」 おれの答えを聞いた聖護院先輩は、しょんぼりしながらため息をついた。 なんだろう…おれ、なんか変なことでも言っちゃったのかな。 「あ、あの、どうかしたんですか? みっちーが何か?」 「うう〜ん、その、それは……」 「……?」 「なんだか、告げ口してるみたいでこころが痛むよ……」 「告げ口って、なんのことです」 「んー。ん〜っと、う〜ん……でも、これはももひとりではどうにもしてあげられないかもだから……」 聖護院先輩の話はつかみどころがなくて、何のことを言っているのか本当にわからない。 でも、すごく悩んでいるみたいだ、何か大変なことがあったみたいだっていうのはわかる。 相談っていうのも、きっと今悩んでることなんだろう。 そして、それにみっちーが関係しているんだ。 「あのね、烏丸。今から話すこと、誰にも言わないって約束できる?」 「……誰にも、ですか」 「そう! 絶対、ぜーったい! 誰にも内緒なの」 「と、ゆうわけで、今日のほーこくは以上ですっ!」 「……」 「学園長?」 「はい……」 「はあ……」 「ちー」 「ちーちー」 「……うん」 「………」 「はああ……」 「ちー」 「あの、学園長……どこか具合でもお悪いんですか?」 「でも、さっきからなんだか、ため息ばっかりですし、もも心配になってしまいます」 「………」 「………」 「………」 「はあ………」 「あ、あの、ももに何かお手伝いできますか?」 「いや、いいんだよ……もう、終わってしまったんだ……」 「え……」 「ちー」 「あとは向こうが何も言ってこない以上、そういうことなんだから、きれいさっぱり諦めてしまえばいいだけだよ」 「あ、あの、学園長……」 「ちぃ……」 「それは、わかっているのだが……」 「どうも、うまくいかなくてね。難しいものだなあ……あっはっは」 「学園長……」 「ぐす……いかんいかん、こんな様ではとても彼の前には出られないではないか」 「ちー」 「ぐす……ぐす…ニノマエ君、ちょっと失礼するよ」 「ぢー」 「あ……」 「そう言い終わると、学園長はニノマエ君に顔を埋めて静かに泣いていたみたいで……」 「う、ううう……」 「何も言えなくて、ももは黙ってみてるしかなかったんだよ……」 「が、学園長、そこまでみっちーのことを…!」 聖護院先輩が話してくれた内容を聞きながら、いつの間にかおれまで泣いていた。 だって、まさか学園長がそこまでみっちーを思っていたなんて考えていなかった。 しかも、約束したから自分の気持ちを胸に秘めておこうと決意したなんて……! 「それで、その相手の久我はどんな様子かなって思って、特査に行ってみたの」 「う、ううう。そんなことになってたなんて……」 「でも、久我はちょっと物足りないって言ってたくらいなんだよね……はあ」 聖護院先輩はまたしょんぼりして、小さくため息をついた。 きっと、学園長の姿を見てなんとかしてあげたいって思ったんだ。 おれだって、学園長のそんな姿を想像しただけでなんとかしたいって思う。 「聖護院先輩、わかりました! おれがみっちーに何とかさせてみせます!」 「え? 本当??」 「はい! ちょっと待っててください!!」 「う、うん! わかったよ!!」 まずはみっちーをここに連れて来ないと!! おまるともも先輩が出て行ってからしばらく時間が経っていた。 でも、二人はまだ戻って来ない。 一体、何を話しているんだか……。 「!!!!」 ぼんやり待っていると、突然扉が開いておまるが戻って来た。 結構な勢いで走って戻って来たらしく、髪はぼさぼさになっていた。 「あ、すいません!」 「お前、いきなりどうしたんだ?」 「な、なんだよ」 いきなりどうしたのかと思うんだが、おまるのやつは説明もせずに腕を引き続ける。 「ど、どうしたんだ?」 「いいから、ちょっと来て! 大事な話なんだよ!」 どこか必死な様子でおまるは腕を引き続けている。 よくわからないが、このままじっとしていても諦めてくれそうにはない。 「うん! ありがとう、みっちー! さあ、行くよ」 「はいはい……」 立ち上がった俺を見て、おまるは嬉しそうに笑顔を浮かべた。 本当に何がなんだかわからんが……今はついて行くしかなさそうだ。 「悪い、ちょっと行って来る」 「何やってんだあいつらは……」 「おそらく、個人的な問題です。放っておきましょう」 「………」 「なんでしょうか?」 「いや、なんでもねぇ」 (なんか鹿ケ谷が不機嫌だけど……突っ込むのはやめとこう) 「おおお! よくやったぁ、烏丸!」 「なんなんだ一体……」 おまるに連れられるまま、図書館の奥まで来るともも先輩がいた。 もも先輩は俺達を見ると、長い袖をぶんぶん振り回して喜んでいるようだった。 それにしても、二人ともなんでこんなにテンションが高いんだ? 「じゃあまずは、大事な事実確認から始めないとね!」 「事情聴取ですね!」 「なんだそりゃ……」 「大事なことなの!」 「そうですか」 「あのね、久我は学園長に恋愛対象にならないとか、なんか、そうゆうの言った?」 「……は?」 いきなり聞かれた言葉の意味が理解できなかった。 もも先輩は、何を言い出した? っていうか、それは俺に聞いたのか? いや、久我って名指しだったんだから俺に対してなのは間違いないよな。 「ねえ、どうなの? そこ、大事なんだよ!!」 「そうだよ、みっちー!」 「え、いや……別に、俺はなんも言ってない…けど」 「じゃあ、みっちーは別に学園長を振ったとか、そんなんじゃないんだね?」 「あ、ああ」 何故、この二人にこんなことを聞かれてるんだ。 いや、確かにおまるともも先輩は学園長と俺のことを色々知ってるが……。 「じゃ、学園長のこと別に嫌いでもないんだよね?」 「………」 「もー! なんでそこで黙るのー! 大事! そこ大事なんだよ!!」 「………」 どうも、二人ともただの好奇心やノリで聞いているんじゃないらしい。 本気で聞いているんだとしたら、適当に答えるわけにはいかない。 でも、学園長のことをどう思っているかって考えると……。 「どうなの? みっちー」 「どうなの?」 「……正直、よくわからん」 「ええー。何それーっ」 「いや、もちろん嫌いってわけでもないけどさ……ただ、恋愛対象になるかと聞かれると……よくわからなくなって」 「むむむう……」 そこを意識したことがないし、意識しようなんて思ったことすらない。 じゃあ、今からそうなるかと言われると…それも、何か微妙というか、なんというか……。 「……聖護院先輩! これ、全然脈あるじゃないですか! 諦めるにはまだ早いじゃないですか!」 「そうなのかな? そうなの?」 「そうですよ! だって、嫌いじゃないんですよ!! いやなんじゃなくて、わからないだけなんですから!」 「そっか! そうだそうだ!!」 二人は俺を放っておいて、なんだかきゃいきゃいと盛り上がっている。 なんだ、脈あるとか諦めるにはまだ早いって……。 「はあ……」 「あのね、みっちー。昨日、学園長、すっごく落ち込んでたらしいんだ。聖護院先輩が見たんだって」 「そうだよ! 学園長と生徒に戻る、きっぱり諦めるって言いながら泣いてたんだよっ!」 「……だって、俺の前では普通にしてたぞ」 まさか、そんな風に落ち込んでるなんて考えてもなかった。 あのデートで本人の中でもそれなりに区切りがついたものだとばかり……。 「そんなの、一生懸命我慢して普段通りに振舞ってたに決まってるじゃないか!」 「そ、そうなのか」 「そうだよ! そんな、好きとか嫌いとか、すぐに割り切れるはずないだろ!」 「い、いや、あの……」 「烏丸すごい! いいこと言う!!!」 確かに、おまるの言う通りだ。 そんなに簡単に切り換えられるものなら、俺だって妙に物足りないなんて思わないだろう。 それに、学園長に対する気持ちをよくわからないって考える必要もない。 「みっちー、学園長に伝えに行こう! 別に諦める必要なんてないって!!」 「い、いやそれだと俺がOKって言ったみたいじゃねーか……さすがにそれは…」 「それならそれで、きっぱりはっきり振ってあげるべきだと思うの! 中途半端はよくないよ!!」 「……うっ!」 確かに中途半端なのは自覚している。 だから、そうはっきり言われてしまうと反論もできなくなってしまう……。 「学園長のところに行こう、みっちー」 「いや、あの……」 「行こう! ちゃんとさせなくちゃ!!」 「は、はい……」 言い返すこともできず、二人に促されるままに学園長室に行くことになった。 「あれぇ〜……」 三人で一緒に学園長室に来たのだが、そこは無人だった。 学園長はどこにもおらず、しばらく待っても戻って来ない。 「どこに行ったんでしょうね」 「んん〜。今日はどこかに行かれるって聞いてないんだけどなぁ」 「………」 正直、学園長がいなかったことにホッとしている自分がどこかにいる。 顔を見たところで、何をどう言えばいいのかなんて、まだわからない。 「あのさ、学園長いないなら別にもう……」 「よし! 捜しに行きましょう!!」 「そうだね! 話は早く伝えた方がいいもんね!!」 「え……」 「よし、行くよみっちー!!」 「いや、あの……二人とも……」 俺の話をまったく聞かず、二人は学園長室を出て行ってしまった。 仕方なくそれを追いかけることにしたんだけど……俺は一体何をやっているんだ。 「はあ……」 そのまま、学園内を捜し回ったが、学園長は一向に見付からなかった。 いつもなら、用事もなさそうなのに学園内をふらふら歩き回ってるくせにこういう時ばっかり見当たらないんだから……。 「学園長、どこに行ったんだろうね」 「ほ、本当にね…」 「もも先輩、大丈夫です?」 歩き回ったせいか、もも先輩は疲れてフラフラになっていた。 そんなもも先輩を背負ったまま歩き続けていたけど、そろそろ夜の時間になってしまう。 「もうすぐ、夜だね……」 「ああ、そうだな」 「うう〜。もも、一旦ふーき委員室に戻らないとぉ……」 「このまま行くんですか?」 「さっきよりは、だいぶ元気だよぉ」 そう言うものの、背中にいるもも先輩の声はへろへろだ。 本当に大丈夫なのか心配になる。 とは言っても、俺がこのまま連れて行くわけにもいかない。分室にも戻った方がいいだろう。 「……明日にしましょうか」 「ん〜。そうだね、その方がいいのかも……」 「………」 「このまま捜し続けるわけにはいかないし、聖護院先輩もおれ達もやることがあるし」 「そうだな……」 「うん……」 結局、今日はこれ以上捜す時間がなく解散ということになった。 おまるともも先輩はすごく残念そうだったけど、俺は……少し安心した。 それでも、もも先輩に言われたように、中途半端なまま放置しておくわけにはいかないだろう。 学園長のためにも、早いうちに自分の気持ちをはっきりさせた方がいいのはわかっている。 「じゃあ、鐘が鳴る前に別れた方がいいな」 「そうだね……ごめんね、久我。もうおろしてくれて大丈夫だよ」 「一人で大丈夫ですか?」 「ん! だいじょーぶだから。じゃあ、ふーき委員のお仕事して来るねっ」 「本当に大丈夫かな……」 「まあ、ちょっと心配だな。それより、早く分室戻らないとモー子が怒ってるかもしんねーぞ」 「あ、そっか!」 「よし、戻るか」 鐘の音が鳴る前に、俺達も分室に戻ることにした。 分室に戻ると案の定モー子が少し怒っていたが、今日はそれ以上は特に何もなく一日が終わってしまった。 いつまでも中途半端にしたままではいけない。それはわかっている。 かと言って、すぐさま明確な答えが降ってくるわけでもない。 明日、学園長に会えば、何かの答えが出るのだろうか。 寮の部屋に戻ってからも、ずっとそのことが気になっていた。 「ん? んん……」 扉を激しくノックする音が聞こえる。 突然の音に驚き時計を見ると、もう朝だった。 「なんなんだ……」 「……うるさい……」 「起きてー! 久我、起きておきてー! 起きてってばー!!」 「え……もも先輩…?」 「お願いします起きてー! 起きてくださいー!!」 「……!」 もも先輩の声に気付いて身体を起こし、眠い目を擦りながらベッドからおりてドアに近付く。 一体、こんな朝早くからもも先輩はどうしたんだろう。 「はー! 良かった、起きてくれたぁー!!」 「朝から一体どうしたんですか?」 「これ! これ見て! 早く、早くー!!」 「え……」 扉を開けると慌てた様子のもも先輩が、一枚の紙切れを俺に突き付けてきた。 まだはっきりと目覚めていない頭ではそれが何か理解できず、とりあえず受け取ってよく見てみる。 「……ん」 その紙切れは手紙のようだった。 中身をよく見てみると、そこには『ヨーロッパ魔術研修会について』と書いてある。 「魔術研修会……?」 「そうだよ! そうなの、よく読んで久我!!」 「………」 中身を読んでみると、そこには魔術の本場ヨーロッパにて知識を深めるための研修会が行われるということが書いてあった。 研修会の様子や、具体的に何をするかということも書いてあって、きちんとしたもののようだった。 ただ、実施期限は『現地にて様々な場所をまわって魔術を学ぶため未定』と書かれている。 「あ……」 そして、その手紙の最後にはこう書かれてあった。 『いまや数少なくなった魔術を守る学園の学長として、是非ご参加ください』 「あのね! それ、学園長の部屋で見つけたの! それで、あの、色々確認したらね、あのね!!」 「もも先輩、とりあえず落ち着いて」 「だ、だって! だって、学園長はもう今朝の飛行機予約してたんだよ!!!」 「え!??!」 「まだ時間はあるけど、でも、もう行っちゃうかも!」 もも先輩が口にした言葉を聞いて驚き、返す言葉も見付からなかった。 この手紙を見て、学園長はもう飛行機を予約した……? しかも、今朝のって……。 「学園長ヨーロッパに行っちゃうんだよ! 帰って来るのいつになるかわからないんだよ!!」 「そんな……」 「何も話さないまま、しばらく会えなくなっちゃうんだよ! 久我はそれでいいの!?」 「………」 「久我が学園にいる間に、学園長戻って来ないかもしれないの!!」 「……もも先輩」 「うん……」 「わかった。ありがとう」 「あ……!」 学園長がヨーロッパに行くことを教えてくれたもも先輩にお礼を言い、慌てて部屋に戻って着替えをしてから部屋を飛び出した。 「はあ、はあ……あっ!!」 校舎前まで走って来ると、一人でトランクを押している学園長の姿を見つけた。 良かった、まだ間に合った!! 「ふひとちゃん!!」 「……あ!」 「良かった、間に合った……!」 「あ……え、あ……」 学園長の姿を見つけて駆け寄ると、驚いたようにぽかんとした顔をされた。 けれど、すぐに慌てたように首を振ると、いつもと変わらぬ表情を浮かべた。 「私はヨーロッパに行くことにしたのだ! 学長としての研修会でね!」 「ああ。もも先輩が教えてくれた」 「そうか、それなら話が早い。学園のために更に本格的な魔術の勉強をしようと思うのだよ」 「………」 「色々な知識を持っていることは、この学園のためになるに違いないからね!!」 そう答える学園長は、いつも通りだった。 今までの俺なら、それを聞いて『いってらっしゃい』とでも素直に言ったのかもしれない。 けれど、今は素直にそう言えない。 今の学園長の言葉が、本心からなのかがわからないからだ。 「あのさ……どうして、突然?」 「………」 じっと見つめながら聞くと、学園長は気まずそうに目をそらしてしまった。 やっぱり、さっきのは本心じゃなかったってことなのか……。 「飛行機の時間がある……もう、行かねば…」 「飛行機の時間ならもも先輩から聞いた。まだ余裕はあるはずだろ」 俺の言葉を聞いて学園長は力なく笑う。 こんな姿を見るのは、初めてだった。 「わかった、わかった。私の負けだよ」 「………」 「元通りの学園長と生徒に戻ると言ったのは私だ。だが、君を見ていると決心が揺らぎそうになるんだよ……」 「ふひとちゃん……」 「未練、だな……」 そう呟く学園長の目はとても寂しそうだった。 さっきまで見せていたいつも通りの表情や態度は我慢しているだけだったのだと、俺もようやく確信を得る。 「でもね、きっとヨーロッパに行けば自分の中で気持ちの整理がつくと思ったんだ……」 「いつ帰って来るんだ?」 「さあ……それは、現地に行ってみないとわからないな」 「まさか帰って来ないつもりじゃねえよな?」 「その時、俺がこの学園からもういなくなってるとかじゃないだろうな」 「………」 黙ってしまった学園長をじっと見据える。 その表情が少し気まずそうに見えるのは気のせいなんだろうか。 この人は本当に、俺がいなくなってから帰って来るつもりなんじゃないかと思ってしまう。 「………」 「………」 沈黙が重い。 でも、学園長が何も答えられないのは、俺のせいでもあるのだろう。 俺だって、このままでよかったのかと……心のどこかで思っていたはずだ。 「……今まで、中途半端な態度で悪かった。それは自覚してる。ごめん…だから、正直に言うよ」 「何をだね……?」 「自分の気持ちだよ。……多分、今はまだ、あんたの事を自分の中でどうしたらいいのかわからない」 「でも、ふひとちゃんがいない間、俺もちゃんと気持ちを整理して、自分の中で答えが出せる状態にしておく」 「だから、ちゃんと俺がこの学園にいるうちに帰って来い」 「………」 言い終わると、学園長はしばらく言葉を噛み締めるかのようにぼおっとしていた。 だが、はっと我に返ると拗ねたような表情になる。 「い、いや! なんかいい雰囲気で言ってるけど、それってつまり生殺しではないか!!」 「う! そ、それは……悪いと思ってるけど、さっきのが本心だから……」 「むぅ……………………」 「…いや、あの……」 困ったように俯くと、学園長は面白そうに大きな声で笑った。 それはいつもの学園長の笑い方で、それだけでなんだか少しだけ安心してしまう。 「ふひとちゃん……」 「うん! 頑張って研修を早く終わらせて来るよ!」 「是非、そうしてくれ」 「君の答えを楽しみにしているのだからね、すぐにでも終わらせられるさ」 「ああ」 笑顔を浮かべながら言った学園長だったが、ほんの少しだけ恥ずかしそうな顔をして俺を見た。 だがすぐに、悪戯っこのような表情を浮かべる。 「だから……これくらいの充電は許してくれたまえ!」 そして、学園長は俺に向かって勢いよく飛びついて来た。 ためらいがないわけじゃない。 それでも、その身体をしっかりと受け止めて抱きしめる。 「ふふふ……ありがとう、久我君」 「いや……別に…」 自分の気持ちがわからないまま、こんなことをしてもいいんだろうかと考えなくはない。 そんな風に考えていると、学園長は抱き着いたまま俺を見てくすくす笑った。 「こんなことをしてもいいんだろうか…なんて考えているのかね?」 「………」 「いいのだよ。私がこうすることを望んでいるのだから」 「ふひとちゃん……」 「帰って来た時には、君が私を好きだと自覚した上でこうしてもらうよ」 「だといいけどな……」 「むう! そうなってもらわないと困るのだ!」 「はいはい」 学園長が帰って来るまでに、この俺の気持ちがちゃんと整理できていればいいけどな……。 今はまだ、全然どうなるかわからないけど、離れている間にちゃんと考えよう。 「ありがとう、久我君。行って来るよ」 「ああ。気をつけてな」 「………」 学園長を見送り校舎に戻ると、登校時間になっていた。 いつものように、生徒達がぞくぞくとやって来る。 ……さっきのあれ、見られてなくて良かった……。 「あ! みっちー」 「ああ、おまる。おはよう」 「ああ、そうだ」 「本当なの!?」 心配そうに言ったおまるは俺をじっと見る。 俺がどうしたのか、気になってるんだろう。 でも、それを聞いていいかがわからなくて戸惑ってるに違いない。 こいつは本当にお人よし過ぎてちょっと心配になるけど、でもすごくいいやつだ……。 「大丈夫だよ。ちゃんと、出発前に学園長と話をした」 「本当?」 「ああ。自分の気持ちはまだわからねえけど、学園長が帰って来る前に気持ちの整理をしとくって伝えた」 「そうなんだ……!」 「無責任に答えられるようなことじゃないしな……」 「そうだね。ちゃんと考えて答えてあげないと」 安心したように微笑んだおまるはやっぱりお人よしだと思った。 他人のことでこんなに心配したり、安心したりして……。 でも、こうやって俺の考えを聞いてくれるやつが側にいて良かったかもしれない。 「ま、答えはゆっくり考える。多分、時間はたっぷりあるんだろうしな」 「そっか……納得の行く答えが出るといいね」 「ああ」 そして一日が過ぎ――また一日が過ぎ――― 「え……」 「………」 「……はあ」 勢いよく開かれた扉の向こうから現れた姿を見て、その場にいた全員の動きが止まった。 「おや? みんなどうしたのかね? せっかくこうやって学園長が帰って来たっていうのに」 だが、そんな部屋の中の空気を読まず、学園長はキョロキョロ周りを見て不思議そうな顔をしていた。 「はええよ!! 三日しか経ってねえよ!!!」 「えー! えええーー!! 頑張ったのにー! 頑張ったのにーーー!!」 「頑張ったじゃねえ!!!」 「で? で? 久我君の答えは? 答えはどう??」 「……!」 人の話なんてまったく聞いている様子もなく、学園長は瞳をキラキラ輝かせながら俺を見つめていた。 「いや、あのさ……」 「うん! うん!!」 「こんなに早く帰って来るとは思ってなかったんで……その…まだ、整理しきれてません……」 「………」 「………」 俺の答えを聞いた学園長は魂の抜けたような顔をした。 だが、気を取り直すともう一度俺をじっと見る。 「もう一度、聞いてもいいだろうか?」 「だ、だから、まだ……です…」 「………」 思わず、学園長から視線をそらしてしまう。 だが、学園長が投げかけてくる非難の視線は嫌でも感じてしまうわけで……。 「な、な、な……なんだとぉーーー!! せっかく頑張ったのに! すっごい! すっごい頑張ったのに!!!」 「しょうがねえだろ! あの感じじゃ、最低でも二、三ヶ月はかかるって感じだったじゃねーか!!!」 「生殺しにした上、約束を破るとはなんという外道なのだっ! この人でなし!!!」 「だ、だから、こんなすぐ帰って来るとか思わねーだろうが!!」 学園長はものすごく怒ってるようだったが、こんなに早く帰って来るなんて誰も思ってなかったに決まってる。 だからこの場にいる誰もが驚いていたんだし、俺だって相当びっくりした。 「ええい! 君のような人でなしには、賠償を要求するぞ! 酷い! ひーどーいーー!!」 「なんだよ賠償って!!」 「あの……」 「なんだね!」 「なんでもいいですが、騒ぐのなら部屋の外でお願いします」 とても、嫌な予感しかしない。 「うむ! それでは外に出ようではないか! 久我君をちょっと借りるよ」 「どうぞ、お好きになさってください」 「では行こう!!」 「ちょ、ちょっと! ちょっとモー子!!!」 「………」 俺の呼びかけに答えず、モー子はただ黙って本を読み続けていた。 そして、情けなくそのままずるずると学園長に連れて行かれてしまう。 「なんなんだありゃ……」 「あ、あははは…でも、学園長が元気みたいで良かったです」 学園長に引っ張られて特査分室から出ると、足を止めてじっと見上げられた。 当たり前というか、案の定というか、学園長は随分怒っているみたいだった。 「というわけで、私は君に賠償を要求する!」 「いや、賠償って……」 「死にもの狂いで頑張って早く帰って来たのに、あまりにも酷い仕打ちじゃないか!」 「………」 そう言われてしまうと、言い返すこともできずに黙ってしまうしかない。 「というわけで、再びの一日限定恋人デートを要求する!!」 「え……」 「要求する!!!」 「……はい」 ビシィっと指を突き付けられて言われると、もうこれ以上俺ができることは何もなく……ただ、頷くしかなかった。 ―――翌日。 学園長に言われるまま、またしてもデートに来た。 場所はこの前と同じ異空間だ。やはりニノマエ君はいない。 「ふふふ〜ん♪ ふんふ〜ん♪」 昨日の不機嫌は一体どこに行ったのか、またデートができるからなのか学園長の機嫌はすっかり直っていた。 うきうきと楽しそうにしているのを見ると、なんだか少し安心する。 「ふふふっ。デートはいいものだなあ」 「そうかよ」 「ああ、そうだとも」 頷きじっと俺を見た学園長は、ぴったりと寄り添いながら座り、指を絡めて手を繋いでいた。 時々、ぎゅっぎゅと手を握られて、それがなんだかむずがゆい気持ちになる。 「あのね、久我君」 「ん?」 「ヨーロッパはすごく遠くて、とっても寂しかったんだよ」 「三日で帰って来て何言ってんだ」 「何を言う! たかが三日、されど三日だ! それに、たった一日だとしても、離れて寂しいものは寂しいのだ!」 「……そうか」 「ああ!」 確かに、俺が生殺し状態で見送ったりしたものだから、その三日間は学園長にとってよっぽど辛い三日間だったのかもしれない。 離れている間に、どんなことを考えていたんだろうか。 気になるが、なんとなく聞くのが怖い。 それに、自分はどうしていたのかと聞かれた時にちゃんと答えられる自信もないしな。 「学園長さあ、研修って……」 「むっ!!」 俺がそう呼んだ瞬間、学園長は素早くもう一方の手で俺の手の甲をつねる。 「いててっ!」 「ふ・ひ・と・ちゃん!! デート中にそんな他人行儀な呼び方はしない!」 「ふ、ふひとちゃん……」 「ん。なにかな!」 名前を呼ぶとふひとちゃんは満足そうに手を離した。 「研修ってさ、パパっと終わらせていいものなのか?」 「過程をしっかり理解していれば、早く終わらせるのは問題ないようだったよ」 「本当かよ……」 「本当だとも!」 まあ、ここで嘘を言っても仕方ない。本当にこの人は、学園に帰りたいがために研修を早く終わらせたんだろう。 「まあ……君に会って答えを聞きたいという気持ちがなければ、ここまで早くは終わらなかったよ」 「……」 「それなのに、まだ整理がついていないとは……」 手を握る力を強くしながらふひとちゃんはじぃっと俺を睨んだ。 機嫌は直ったと思ったんだが、やっぱりそんなにすぐには無理か……。 「だから、こんなに早いなんて普通思わないだろ。しかも、ヨーロッパまで行ったんだし……」 「あ……焦り過ぎだったのは認めるよ」 「だろ……」 「でも、本当に早く会いたかったんだ。どんな答えなのだろうとわくわくしていた」 「うん……」 「君に会いたいと、そればかり想っていた」 「………」 わかってはいるつもりだが、こうも気持ちを伝えられると照れくさくなる。 「ふふふ……ちょっと、話しすぎたかな」 「いいんじゃねえの。久々に帰って来たんだし」 二人で話をしていると、ふひとちゃんは眠そうに小さくあくびをした。 それを俺が見ているのに気付くと、恥ずかしそうに頬を染められる。 「少し、眠くてね……ここでお昼寝をしてもいいかな」 あんまり普通にしてるから忘れそうになるけど、この人昨日ヨーロッパから帰って来たばかりなんだよな……。 もしかして、向こうで随分無理をして来たんじゃないだろうか。 だとしたら、まだ疲れがとれていないのも当然なのかもしれない。 「ああ、構わないからゆっくり寝ろよ」 「ん……ありがとう、久我君」 「別に礼言うほどのことじゃないだろ」 「それほどのことなのだよ」 答えながらふひとちゃんは俺にもたれかかり、そっと目を閉じた。 じっと様子を見ていると、ふひとちゃんはすぐに寝息を立て始める。 ……こんなすぐ寝るってことは、よっぽど疲れてたんじゃないのか。 まったく、無茶するよな……。 「すう、すう……」 眠ってしまったふひとちゃんはすごく幸せそうに見えた。 結局、そんなふひとちゃんを振り切ることもできず、ほだされてここまで来てしまってる。 ここまで流されるような性格のつもりはなかったのに、どうしてふひとちゃん相手だとこうなってしまうんだろうか。 いつの間にか、きれいに流されてるんだよな……。 「ふああぁ……」 色んなことを考えているうちに、俺まで少し眠くなって来てしまった。 考え過ぎてるせいなのか、それとももたれかかるふひとちゃんの体温があたたかいからなのか……どっちなんだろうな―― これは、夢……? ああ、そうか……きっと、夢なんだ……。 これは祭の音だろうか。 それから、賑やかな色んな人の声も聞こえる。 それと、手の中にあるこの感触。 これは誰かの手のひらの感触だ。 この手は、自分よりも小さくて柔らかい。 もしかして、女の子の手かな。 ぎゅっと握ってみると、小さくて柔らかいから、きっとそうなんだろう。 そうか。二人で一緒に歩いているんだ。 手を繋ぎながら並んで、祭を見ながら歩いているんだ。 一緒にこうしているだけで、なんだか楽しくて……。 手を繋いでいる女の子はこっちを見て嬉しそうににっこり笑ってくれた。 その笑顔が嬉しくて、自分も同じように笑い返して―― 「………」 ぼんやりと目を覚ますと、湖のほとりだった。 今のは夢か―― もしかして、あれが10年前の出来事だったんだろうか……? ほとんど顔もわからなかったけど、ようやく片鱗だけでも思い出せたってことなのか……? ――やっぱり、俺は10年前ふひとちゃんに会っていたんだな……。 「ん……?」 「は、はぁふ……んぅ……」 ぼおっとした頭で考えていると、ふひとちゃんの声が聞こえて来た。 なんかくぐもったような吐息も一緒に聞こえて来るけど、これは寝息か……? 「ん、んっ、んんぅ……ちゅ、ふ…ふぁあ……」 待て……この感覚、前にも同じことがあったような……。 「……!!!」 「はあ、は、んんっ! ん、ちゅぅ……ちゅ、は、ふ」 「な、なな、な、何やってんだよ!?」 「んんっ! ん、じっとし…は、う」 あまりに驚き、慌てて後ろに下がろうとしたが、肉棒をぎゅっと掴まれたままの状態で動けない。 そして、ふひとちゃんはそんな俺を見てやっと唇を離してくれた。 「なっ!」 だが、ふひとちゃんの言葉は俺の想像していなかった言葉だった。 何がどうなって、こうなってる状況で俺が悪いことになるんだ! 「私の前で、あんなにかわいい寝顔を無防備に晒す君が悪いのだ!!」 「それは普通、男のセリフだろ!」 「欲望が爆発って……」 「……!」 叫び終わったふひとちゃんはまた肉棒に唇を近付けると、根元を支えるように扱きながら舌で舐め始めた。 ねっとりした感触が伝わり、思わず声が漏れそうになったが必死で堪える。 「は、んんぅ……ん、ふ…こう、して……」 「んっ!」 「ん、ちゅぅ…先っぽ、とろとろって……なるから…はあ、は…あ、あぁん、んむぅ…」 舌先が何度も動き、唾液を含んだ感触が肉棒を何度も往復して行く。 舐められ扱かれると身体は何度も震え、肉棒もびくびく脈打ち反応してしまう。 「…は、んっ!」 また舌が動き、根元から先端にかけてねっとりと舐め上げられた。 その感触に震えて思わず声が出てしまう。 自分の口から出た声に驚き、思わず唇を閉じるとふひとちゃんは舌を動かしながらニヤリと笑った。 「別に声を我慢する必要はないと思うよ」 「お、お前な……!」 「んふふ。私のやることで久我君がそんな声を出すなんて、嬉しいじゃないか…」 「や、やめてくれ」 「何故? 今日は一日恋人同士なのだろう?」 「そ、それは……」 「では、おとなしくしていたまえ!」 「はあ……いや、それは……」 何故だか前のように抵抗ができず、身体を動かせなくなってしまう。 自分の身体なのにどうしてそうなるかがわからない。 そんな俺を見つめ、ふひとちゃんは嬉しそうにニヤニヤ笑う。 「んふふっ♪ 素直になってくれて嬉しいよ」 「ち、違う……」 「ん、んんぅ……ん、ふぁあ、んぅ」 「……っく」 また、ふひとちゃんの舌が動き出す。 その度に身体は震えて、また声が漏れ出す。 「ふふ……やっぱり、ここをこうしたら…ん、ちゅぅ……ちゅ、ちゅぅ」 「……ん!」 どこかぎこちない、けれど行為を楽しんでいるような奉仕の仕方だった。 「は、ふぅ…は、んぅ、は……」 「ちょ……やりすぎ……!」 「む、ふ……ん、んぅ、知らない…ん! ふぁ、う……」 「……!」 答えたふひとちゃんは根元を扱きつつ、先端を舌先でぺろぺろと舐め始める。 くすぐったいような先端への感触と、扱かれる激しさに全身が震えてしまう。 「はあ、はぁ……は、あ……あ、んぅ、んむ…」 「……くっ」 何度も舐められ、扱き続けられると快感が増すばかりで何もできなくなってしまう。 前、寝起きに同じようにされた時はふひとちゃんを跳ねのけることができた。 でも、今日はそれができない。 「は、んんぅ…ん、今日はあまり抵抗しないのだね」 「な、にを……」 「んんっ、ん、ちゅ……つまり、以前より多少は私のことを好きになってくれたってことかな」 「………」 にこにこと微笑みながらそう言うふひとちゃんに答えることもできず、ただされるがままに肉棒に奉仕され続ける。 そんな俺を見ながら、ふひとちゃんが舌先を差し出し、先端をぺろぺろと舐め上げた。 「んっ!」 「答えがないってことは、そういうことだと思ってしまうかもしれないよ」 「は、あ……いや、それは……その…」 「ふふ。答えられないのなら、好きに解釈させてもらうことにしよう…んぅうっ」 「……!」 先端を咥えられ、強く吸い上げられる。 いやらしく響いた音と、強い刺激に軽く腰が揺れてしまう。 それをふひとちゃんは見逃さず、吸い上げを強くし、手の動きを激しくした。 「……はっ!」 「は、んく……これで、もうちょっと、したら…あ、ふ」 「……んん」 びくびくと何度も肉棒が脈打つ。 そして、先端からぬるぬるとした透明の液体が溢れ続け、それを舐め取られてまた身体が震えた。 その俺の反応を楽しむように、ふひとちゃんは行為をくり返す。 何度も肉棒を往復する舌の動きはいやらしく、ふひとちゃんの幼い姿とのアンバランスさに背中が震える。 「ちゅ、ふ……ん、んんぅ、んっ」 「ダメだ、も……」 「はあ、は…んっ、構わないよ……このまま…ちゅぅ」 「……ん!!」 一層強く、先端に吸い付かれると、ビクビクっと大きく身体が震えた。 それに気付いた瞬間、最後の抵抗として俺は身体を引いた。ふひとちゃんの口が肉棒から離れる。 そして、勢いよくその顔いっぱいに精液がかかって……。 「ひゃぅ! あ、あ……」 「……!」 どろどろと顔いっぱいにかかった精液に驚きながら、ふひとちゃんは飛び散った精液を拭って指先をゆっくり舐めていた。 「はあ…あ……いっぱい、出るものなのだね」 「わ、悪い……」 「ん…久我君のだから、別になんともないよ」 「そんなわけないだろうが……」 それに気付くと、ふひとちゃんは肉棒を根元まで咥え込んだ。 そのまま、ふひとちゃんの口内いっぱいに勢いよく精液を迸らせる。 「ん、んんっ! ん、う……」 「あ……」 「は、ふ……ふ、あぁ…」 口内いっぱいの精液を、ふひとちゃんはごくごくと飲み込み惚けたような表情で俺を見つめる。 「ふ、ああ……ん、初めて…飲んだけど、これは……」 「無茶するなよ……」 「無茶をしたつもりはないのだけどね」 嬉しそうに言いながら、ふひとちゃんは舌を出して口元に残った精液を舐め取っていた。 「そ、そんなことしなくていいって。ほら、拭いてやるから」 「勿体無いって……」 答えながら、ふひとちゃんは何度も唇の周りを舌で舐める。 その度に精液が舌ですくい取られ、いやらしく動く様子に目が釘付けになってしまう。 「だって、私は君のものはすべて欲しいと思っているんだよ」 「………」 「だから、勿体無い」 ニヤリと笑いながら言ったふひとちゃんは、唇の周りに残った精液をすべて舐め取るとこちらをじっと見上げた。 「そんなことより……ここまでしておいて、これで終わりなんてことは言わないよね?」 「それは……だな……」 「ふふふ。言わせるつもりもないよ」 強引に俺の上に乗ったふひとちゃんは、こちらを見下ろしながら笑い続けている。 さすがにこの状態はマズイ。 「ちょっと! 何やってんだよ」 「見ればわかるのではないかね」 「ここまでしておいてって……俺が何かしたみたいに言うなよ……」 「今からすればいいと思うよ」 「……なっ!」 足首を掴んでなんとか降ろそうとするが、ふひとちゃんは一向に動いてくれる様子がない。 それどころか、そんな俺を見下ろしてニヤニヤと笑い続けるだけだ。 「今からって、そんな……あの、な……」 困惑しながら見ていると、ふひとちゃんは真剣な表情になった。 そして、そのままじっと俺を見つめる。 「大好きな君に触れたいと思うのはいけないことかな? それに、今日一日は恋人ということのはずだ」 「………」 真っ直ぐにそう言われると、自分の上にいるふひとちゃんを払いのけてはいけないような気がしてしまう。 それに、さっき思いっきり出してしまったことも後ろめたく、強引に身体を動かすこともできなくなる。 「……ん、んぅ」 「………!」 スカートの中は見えないが、ふひとちゃんはもぞもぞと動き出し何かをしていた。 「ちょ、ちょっと……何を…」 「いいから……んっ」 「……!?」 ふひとちゃんの動きが止まると、肉棒に何かが触れたのがわかった。 少し熱くて、ねっとりしたようなその感触が何なのか、まったくわからないわけではない。 というか……あまり、わかりたくはない…。 「な、なにを……!」 「はあ……」 「ちょ、ちょっと待て!!」 「ん……無理…」 無理と答えるなり、ふひとちゃんはゆっくりと腰を揺らし始めた。 そして肉棒にはねっとりとした感触が何度も擦り付けられる。 その感触が届く度、肉棒は反応してびくびくと何度も脈打ってしまう。 「ホント……ちょっと、待てって!」 「んんっ! もう、今日は全部もらってしまうと決めた!」 「そ、そんな簡単に言うな……」 「失礼なっ簡単になど言っていないぞ! 言っておくが私は初めてなんだぞ!」 「………」 「だから、簡単になど……んんっ」 腰をゆっくりと動かしながら、ふひとちゃんはじっと俺を見下ろしていた。 何度も擦り付けられる感触は止まらず、くちゅくちゅと小さく音が続く。 それに、目の前でせつなそうな顔を見ると何も言えなくなってしまう。 「は、あ……あっ……」 「……んっ」 ふひとちゃんの動きが段々と激しくなって行き、表情も変わっていく。 腰が動き、擦り付けられるとスカートの奥で秘部と肉棒が擦れ合う音が響く。 くちゅくちゅと小さく聞こえる音と、伝わる感触に無意識に身体が動いてしまいそうになる。 「は、んっ……久我君……」 「ん、んっ」 「私の初めては……君だと、もう決めたのだから…あっ」 「んなこと、言われても……」 「はあ、はあ、は……あっ…んっ!」 ふひとちゃんは角度を変えて腰を動かした。 すると肉棒の先端が秘部に触れ、そのまま擦り付けられるような状態になる。 びくっと脈打った肉棒から、また液体が溢れたのがわかった。 聞こえる水音が激しくなった気がして、身体が熱くなる。 「はう……んっ……」 「ふひとちゃん……」 「は、あぁあ……久我君、も、私は……」 「んん……」 「もういい……我慢、できないっ」 「……!」 そう言ったかと思うと、ふひとちゃんは軽く腰を上げた。 そして、自らスカートを捲り上げると肉棒の先端を秘部の入り口へと導きゆっくりと腰を落とし始める。 「……ふっ! ん、んんぅ!」 「っくぅ!」 「……あ、ふ」 ゆっくりと、ふひとちゃんの中に肉棒が進んで行く。 きつく締め付けられる感触に思わず眉間にしわが寄った。 けれど、ふひとちゃんはもっと辛そうな表情を浮かべている。 大丈夫なのかと不安になるが、その動きは止まらない。 「……く、ふぅ…は、ああ……」 ふひとちゃんは自分でスカートを捲り、秘部が見える状態になっていた。 そちらにそっと視線を向けると、肉棒がしっかり埋まっているのがわかる。 きつく締め付けられながら秘部に肉棒が埋まる様子は、興奮を煽るのに十分だった。 「お、おい、大丈夫か……」 「は、う……痛くはないが、きつい……」 「………」 確かに、ふひとちゃんの中は窮屈だった。 まるでこうしているのを拒むようなキツさに、本当に大丈夫なのかと不安を感じる。 だが、それでもふひとちゃんはゆっくりと動き始めた。 「は、ふ……」 「ん……」 「ん、んんっ! ん、んぁあ……」 自分の上でゆっくりと動くふひとちゃんは、少し辛そうな表情をしていた。 肉棒が出入りする度、深く息を吐いて苦しそうに呼吸している姿を見ていると心配になる。 これ以上続けない方がいいんじゃないかと思うのだが、ふひとちゃんはきっとそんな気はないんだろう。 「きついなら、無理、すんなよ……」 「無理はしてない。だから、ゆっくりとしか動いていないではないか」 「…そうだけどな……」 それでも、自分の上で動きながらこんな表情をされていると心配になってしまう。 でも、これ以上何か言ってもふひとちゃんが動きを止めるとは思えなかった。 「は、う! ん、んんっ」 何を言っても動きを止めないのなら、このまま好きにさせた方がいいのかもしれない。 そう考えながら、自分の上で動き続けるふひとちゃんをじっと見つめる。 「はあ、はあ……は、んっ!」 ゆっくりとだが、確実にふひとちゃんの動きはよくなって来ていた。 きついだけだった感触も、動きが早くなる度に少しずつ良くなっていく。 「ぁあ、あっ! ん、んぁあっ」 「ふ、っあ」 動きにつられて、締め付けの具合もよくなる。 膣内に埋まった肉棒は、ふひとちゃんが動く度に何度もびくびくと脈打ち反応もよくなって行く。 「……んっ」 「ふ、ふふ……は、ああ…! ん、こうしたら…もっと、よく……あっ!」 段々とコツがつかめて来たのか、ぎこちなかった動きが少しずつリズミカルになって行く。 肉棒を奥まで届かせるように腰を動かしながら、じっと俺を見てふひとちゃんは嬉しそうにする。 「んんぅ…すごい、よくなって来たから……」 「い、いちいち言わなくていい」 「ふふふ。だって……こうして、君と一つになっているのだよ…あ、はあ! 嬉しくてたまらない」 「……っ…」 真っ直ぐに好意をぶつけられて、どう答えればいいのかわからなくなる。 けれど、まるでその言葉にも反応するように、膣内に埋まった肉棒はびくんと震えた。 その感触を受け止めて、ふひとちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべてまた腰を激しく動かす。 「あ、ふぁあっ! あ、久我君! ん、んぁあっ!」 「っく、う……」 「は、んっ! こんな、嬉しくて幸せなの……あ、ああっ! 他にない……からぁ、あっ!」 締め付けられる感触は、すっかりキツさがなくなっていた。 あんなに拒絶されるようだったのに、今では俺をもっと欲しがるようにねっとりと絡み付く。 動かれる度にいやらしく愛液が混ざる音が響いて、気付けば無意識に軽く腰を揺らしていた。 「ふふ……君も、好きに動いていいのだよ?」 「んなこと言うけど……」 「それとも、こうされてる方がいいのかね?」 「そうじゃねえよ……」 言われっぱなしは癪に障るが、このままだと動き辛い。 それがわかっているのか、ふひとちゃんは悪戯な笑みを浮かべたまま腰を大きく揺らし続けていた。 されるがままになっている状態が、もどかしくてたまらない。 「はあ、あぅ! 中で、すごくビクビクしてっ! ふぁあっ!」 「……んっ!」 「あ、ふぁあっ! あ、はあ……もっと、いっぱい、んっ!」 「くそっ!」 「ひゃぅ!!」 されるがままになっている状態に耐えられず、勢いよく身体を起こしてふひとちゃんの身体をひっくり返してやった。 「あ、ふふふ。強引だね、久我君は」 「ふひとちゃんほどじゃないけどな」 「ふふふ」 「……んっ」 ネクタイを引っ張って俺を誘導しながら、ふひとちゃんは嬉しそうな表情を浮かべる。 その顔を見つめ、そのまま身体を押さえ付けるようにして肉棒を奥まで深く進ませる。 「あ、ふぁあっ!」 「……っく」 さっきよりも深く奥まで肉棒を届かせると、中の感触がまた更に絡み付くようになった。 その感触を受け止め、そのままゆっくりと腰を動かす。 「は、あああっ! あ、んっ! 奥まで、すご…いぃ!」 自分で動いている時よりも奥まで届く感触に、ふひとちゃんの反応が大きくなった。 中での締め付けも、さっきより随分と強くなる。 「は、はあっ、あっ! ぁあん、久我君っ!!」 「ん……もうちょっとか?」 「ん、う! もっと、奥までぇ、あぁ」 動きながら聞くと頷き答えられる。 素直なその反応に思わずくすくす笑いながら、ゆっくりと何度も奥まで肉棒を届かせて先端で深い部分を擦り付ける。 「は、あっ! あ、あぅん、奥ぅ…!」 ぐりぐりと奥を擦るとふひとちゃんの身体は何度も震え、その度に締め付けが良くなり愛液が溢れる。 溢れる愛液をかき回すようにしながら腰を突き動かし、奥へ奥へと進んで行く。 「は、ぅんぅ!! すご、いぃ、ひぁ! 奥まで、いっぱいぃ!!」 「……!」 何度も何度も奥まで突き上げる。 愛液が溢れる膣内を激しくかき回し、音を立てながら攻め立てるとふひとちゃんの反応も良くなっていく。 「あ、ああっ! 久我く……んっ! ふぁ、う!」 びくびくと全身を震わせながら、ふひとちゃんが強くネクタイを引っ張った。 それに合わせるようにまた奥まで肉棒を突き立て、先端をぐりぐりと擦り付けてやる。 何度も何度も刺激を続けると、ふひとちゃんの身体はそれに合わせて震えて締め付けを強くする。 「は、んっう! んぁああ、あっ! 激し……もっとぉ、あっ!!」 「もっとって……」 「だって、私は……もっと、君を感じた……あっ!!」 言われるままに何度も奥まで身体を突き上げてやった。 大きく腰を引き、そのまま勢いよく奥まで肉棒を届かせると、ふひとちゃんの中が今まで以上に大きく反応した。 「は、んぁあっ! あ、あひぃ、激し…い、あっ!!」 何度も何度も奥まで激しく突き上げ、内壁を擦りながら肉棒を抜き差しする。 ひくつく膣内の感触を受け止めると肉棒も脈打ち、先端からびくびくと薄い液体が溢れ出す。 「は、んぁああっ! 久我君……ん、ああっ! 好き、だよ! 好きっ!」 「……ああ」 「はああ、はあ、はっ!! あ、ふぁうっ!」 激しく腰を打ち付け続けていると、ふひとちゃんの身体の震えが大きくなる。 そして締め付けも強くなり、溢れる愛液の量も増えて秘部や肉棒を濡らして行く。 「っく! ふひとちゃん……も、う…!」 「あ、ああっ! もっと、されたら……もう、私…あ、ふぁあっ!」 お互いに限界が近付いているのがわかった。 じっと見つめながら腰を勢いよく、奥まで突き上げるとまた膣内の締め付けが強くなった。 「ひ、ぁあ! ふぁあ、あぅ、久我君っ!!!!」 「……っふ!」 ビクリと大きく身体が震えた瞬間、肉棒を引き抜こうとした。 だが、ふひとちゃんが強くネクタイを引き、身体を離すことができずそのまま膣内に勢いよく射精するしかなかった。 「あ、ああ、ああふぁあっ!」 「はあ、あ……」 震えた肉棒の先端から勢いよく精液があふれ出し、膣内へとどくどく注ぎ込まれて行く。 そして、俺に合わせるようにふひとちゃんも全身をびくびくと震わせて絶頂を迎えていた。 溢れ出す感触に背中を震わせながら、そっとふひとちゃんを見ると精液を受け止めながら震えていた。 「あ、ああ……」 「はあ、はあ……」 「ふぁ、う……! あ…中、いっぱいに来てる……」 「大丈夫か?」 精液を受け止めながら震える姿を見て、不安そうに聞くとふひとちゃんは小さく首を振る。 そして、幸せそうな表情を浮かべて俺を見返していた。 「ふふふ……大丈夫」 「本当に?」 「大丈夫でなければ、こんな顔をしていないよ」 「……なるほど」 幸せそうな表情を浮かべながら答えられ、納得するしかなかった。 「えへへへへへ……」 「………」 行為が終わると、ふひとちゃんは俺と腕を組んで座り、とても満足そうに微笑みを浮かべていた。 だが、そんなふひとちゃんを見ていても俺は微笑みを浮かべられない。 というか……また流されてしまった自分に腹が立つ。 俺はこんな性格だっただろうか。もう少し自分の意思というものがあったと思っていたのだが……。 「ったく……何か色々、順番がおかしいだろうが…」 「ふふふふ〜」 「………」 「うっかりって……」 「でも、私はすごく満足しているぞ! とっても幸せだとも!!」 「………」 確かにふひとちゃんは幸せそうだった。 こんなに幸せそうな顔を見るのは初めてかもしれないってくらいだ。 だが、俺が答えないのを見ると、ふひとちゃんはしゅんとした表情を浮かべてしまった。 「……あの、久我君」 「ん……」 「少し、はしゃぎすぎただろうか……君が答えを出す前に行為に及んでしまったことは申し訳ないと思っている……」 「でもこれは、一日恋人という条件の中でしたことだから、君がそこまで気に病む必要はないのだよ」 「何言ってるんだよ……」 「え……」 ふひとちゃんの言葉を聞いて、少しムッとしながら答えると意外そうな顔をされた。 「一日恋人だろうが何だろうが関係ない。前みたいに抵抗しきれなかったってことは、そういうことだろ」 「……そういうこと?」 「………」 不思議そうな顔をして、ふひとちゃんは俺を見つめていた。 それは意味がよくわからないって感じの顔だ。 でも、これ以上はあえて説明するのも悔しいというか……。 「な、なんだよ」 「そ、それはどういう意味かな!??!!?」 「別に……好きに解釈すればいいだろ」 「つ、つまり!?!」 「………」 ものすごい勢いでふひとちゃんがぐいぐいとがぶり寄って来る。 そのあまりの勢いに恥ずかしくなって、俺は視線をそらして黙りこんでしまう。 すると、ふひとちゃんは更に俺に近づきぐいぐいと腕に抱きつく。 「一日限定恋人は無期限延長……ということでかまわないのかな??」 「………ああ」 抱き着きながら俺を見るふひとちゃんに視線を向けないまま、頷くことしかできなかった。 「わ……あ、あ……!」 「………」 「やったあああー!! やったよーーー!! ばんざーーーい! ばんざーーい!!」 「うるせえって……」 「だって! だって君、冷静になれるわけがないだろう!!!」 「………」 「こんなに嬉しいことはない!! ふふふふっ!」 ぎゅうぎゅうと抱き着きながら本当に嬉しそうに言われると、照れくさくて仕方なくなる。 これ以上、この話をされると恥ずかしさから何か余計なことを言ってしまいそうだ。 「それより、さっき寝てる時に夢を見たんだ」 「……夢?」 「ああ。どこか人の多い場所で、女の子と手を繋ぐ夢だった……もしかしたら、あれがふひとちゃんだったのかも」 「………」 「なんだよ」 「な、なんで笑うんだ!!」 さっき見た夢の話をすると、ふひとちゃんは突然笑い出してしまった。 いきなりすぎて何がなんだかわからない。 そもそも自分が手のひらの感触がどうとか言い出したのに、何がおかしいんだ。 「だって、それはまるっと君の勘違いだからね!!」 「え?」 「だって、10年前に会ったことなんてないし!」 「え……?」 あまりに突然の告白にぽかんとするしかなかった。 今、この人はなんて言った? 10年前に会ったことなんてない……って言ったか? 「えーっと……」 「あの、それって……」 聞き間違いではなかった。 確かにふひとちゃんはさっきと同じことを言った。 ちょっと待ってくれ。それってつまり……。 「どうーーっしても君を落としたくて創作した作り話だよ」 「は……」 「つ・く・り・ば・な・し!」 「だ、だって神社の話とか楠とか……あれは…?」 「全部君に話させて、それだ! それだ! って言っていただけだよあんなものは!」 「じゃあ手相の話は!?」 「ああ、だって洗ってもらったときに手、見たし」 「ん、な! な、なんだとおおーーー!!!」 「まったくの大ウソだとも!!」 ふひとちゃんは胸を張って自信満々に言っていた。 ただただ、それを呆然と見るしかできない。 じゃあ、思い出せないことにそれなりに悩んでいたあの毎日はなんだったんだ!? 「いやあ……恋人にしてくれるのに実際これだけ苦労しまくるとは思っていなかったよー久我君はホントに身持ちが固いなぁ〜!」 「しかし、それを考えると、あの判断は正解だったと考えざるを得ない! あれがなかったら落としきれなかっただろう!」 「な……なん……」 笑顔を浮かべてぎゅうぎゅうと身体を押し付け抱き着いたまま、ふひとちゃんはとんでもないことを言い続ける。 「わははは! 結果よければすべて良しだよ!!」 「………」 これって結局、最初から最後までふひとちゃんの手のひらの上で踊ってただけって状況かよ……! なんなんだ一体…本当に、なんなんだ!! 「ふふふ〜。幸せだなあ〜♪ これからはず〜っと一緒だよ、久我君」 「はあ……好きにしてくれ」 幸せそうに言うふひとちゃんに、俺は脱力しながら身を任せるしかなかった。 「ふんふん〜♪ ふふふ〜ん♪」 「ふむ。これで終わりかな……」 「失礼しま〜すっ」 「おお、聖護院さんか。書類ならすべてハンコを押しておいたよ」 「わあ〜! ありがとうございます」 「ああ、いいタイミングだったようだね」 「はい。それじゃあ、書類はふーき委員室に持って行きますっ」 「……あれぇ? 学園長。今日はいつもとお洋服が違いますねぇ〜。それにとっても上機嫌ですし、ニノマエさんもいないですっ」 「ふははははっ! いいところに気が付いたねえ。実はこのあと久我君が来ることになっていてな、ちょっとしたオシャレだ!」 「わぁあ〜。そうなんですねえ! 久我と付き合うのって、そんなに楽しいんですか?」 「ああ。久我君との毎日は、とても充実しているよ! 幸せそのものラブラブだ!!」 「本当に楽しいんだ〜。主の命令とはいえ恋愛というものが、こんなに楽しいものだとは思いもしなかったよ」 「ほわあ〜……」 「この私が、こんな気持ちになる日が来るなんて想像すらしなかったなあ」 「もももいつか恋愛とかできるのかなぁ〜」 「ふむ……」 「なんだか、学園長が羨ましいです」 「じゃあ、一度試してみるかね?」 「……へ?」 「失礼しま〜……!? な、なんだこりゃ!!」 呼び出されてやって来た学園長室の扉を開けると、部屋の中には煙が充満していた。 「げっほ! げほ、げほっ!」 何なんだと思っていると、部屋の中には怪しい香炉が置かれていて、そこから煙が舞い上がっているのが見えた。 この煙は、この香炉のせいか! 「なんなんだよ、これ……けほっ」 「答えは簡単だよ! 遺品だ!!」 「!?」 「遺品だあ!? だったら封印しなきゃ…げほ、げほっ、ダメだろうが!」 「問題ない! これは宝物庫から取って来たからね!!」 「はあ? 宝物庫って確か入れないんじゃ……」 「はぁ!??」 俺の話なんてまったく聞かず、ふひとちゃんは話を続ける。 でも、今……暗示って言わなかったか!? 「ちょっと待て! 何する気だ!!」 「君は、この私九折坂二人と聖護院百花、二人と同時に付き合っている!!! そして二人とも愛している!!」 「!!!!」 「な、あ……」 目の前がぐらっと揺れた気がした、なんだ……こ…れ……。 「………」 「……倒れちゃいましたよ」 「ふむぅ……ちょっと、量が多すぎたかな?」 「だ、大丈夫でしょうかぁ……」 「多分ね」 「……あの、学園長。こんなに簡単なら、最初から久我を篭絡するのにこの遺品を使えば良かったんじゃないでしょうか?」 「いやいや……この遺品の暗示効果は強力だが、一時間くらいですぐ切れてしまうのだよ」 「そうなんですか……」 「それに、個人によって効き目はまちまちなのだ。それでは、少し不確定すぎて困るからね」 「なるほど……」 「ところで、この香の効き目は一時間くらいだと先ほど言ったね?」 「一時間しかないわけなので、何をするか決めておいた方が良いと思うのだよ」 「は! そ、それもそうですね!」 「聖護院さんは、何か恋愛関係でしたいことはあるのかね?」 「ん、んん……」 ぼんやりと目を開けると、目の前にふひとちゃんとももかちゃんがいた。 二人は心配そうに俺を見ている。 「大丈夫かね? 久我君」 「大丈夫ぅ〜?」 「………」 ぼんやりと二人の顔を見返す。 確か、二人とも自分の恋人だ……。 なんでか理由があって、こんなややこしいことになったんだけど……なんだっただろう? 色々あったはずなんだけど、思い出せない。 なんだか、頭がぼんやりするのはどうしてだろう。 「えっと……」 「久我君! 今日は二人いっぺんに面倒見てもらうぞ!」 「が、頑張らせていただきますぅ!」 「なっ!? え、ええ!?」 「いつもは私だけだったが、今日は聖護院さんも一緒にっ! という約束だったではないか!」 「そ、そうだっけ……」 「そうだとも! 聖護院さんの初めてを捧げる日なのだ!」 「そ、そうそう! そうなのっ!!」 「言われてみれば、そんな気も……」 納得できるような、できないような……。 とりあえず、まあいいか。 「うわっ!!」 ももかちゃんが頷くなり、ふひとちゃんは俺の服に手をかけた。 抵抗する間もなくズボンと下着をずらされ、二人の目の前に肉棒が晒される。 とは言っても、まだ反応していない状態で見られるのは微妙な感じがする……。 「ふ、わっ! わあ、わあ〜!!」 「んふふ。まずは、久我君のここを元気にしてあげないといけないね」 「どうするんですか?」 「まあ、見ていたまえ」 「……んっ!!」 頬を赤くしながら興味深そうに見つめているももかちゃんを見てふひとちゃんは微笑みを浮かべた。 そして、肉棒に手を添えるとゆっくりと撫で始める。 「ちょ……」 「あ、あ!」 「ほら、こうしてると大きくなって来るだろう」 「は、はい!!」 撫でられる度に反応し、二人の目の前で肉棒が勃ちあがり始める。 いつもと別に変わったことをしているわけじゃないんだが、ももかちゃんがいると少し恥ずかしい。 「あ、あの! ここを大きくしてから、あの、どうするんですか!?」 「んふ。色々あるけど……そうだね、今日はせっかく二人なのだから、二人で一緒にしようか」 ぼんやり考えていると、二人は目の前で勢いよく服を脱ぎだした。 そして、靴下だけを残した状態になるとにんまりと笑う。 「………」 「ん? どうしたのかね」 「いや、なんで靴下そのままなのかなと思って……」 「ああ、残ってても行為には問題ないからね。別に脱がなくてもいいんじゃないかと思って」 「えっと! ももは学園長の真似しただけ!!」 「ああ、そう……」 「……も、好きにしてくれ」 「ふふっ! 久我君の許可も出たからね、じゃあ二人でぺろぺろしようか」 「ぺ、ぺろぺろですか!」 「ああ、こうしてここに顔を近付けて…」 「ち、近付けて……」 「……んっ!」 二人は同時に俺の肉棒に顔を近付け、舌を差し出してぺろぺろと舐め始めた。 幼い外見の二人が舐めてるっていうだけでも、なんだかいけないことをしている気分になるのにそれが同時にとは……。 悪いことをしているわけではないのに、なんとなくそんな気持ちになってしまう自分が嫌になる。 「こう、根元からぺろぺろと……」 「ねもと……ん、んんぅ」 「そう。そのまま先の方も舐めてあげると、久我君が喜ぶよ」 「な、あ……」 「んん、先っぽも……舐め、て、んっ…」 ふひとちゃんの言葉を聞きながら、ももかちゃんは一生懸命舌を動かして肉棒を舐め続けていた。 慣れない動きで舐められるともどかしい気持ちになるが、俺のために一生懸命になっていると思うと嬉しくもなる。 「ふふふ。上手だよ、聖護院さん」 「は、はあ、は……んん、難しい、ですぅ……」 「大丈夫。いっぱい舐めればいいんだから……んっ、んんぅ、んぅ! ちゅ、ふ……」 「…んんっ!」 ぎこちないももかちゃんを見ていて微笑んでいたふひとちゃんだったが、にっこり微笑むと慣れた様子で舌を動かし始めた。 根元からゆっくり舌を動かすと、そのまま先端で舌を細かく動かし刺激を与える。 その舌の動きにびくっと身体が震え、肉棒も脈打ち始めた。 「ふ、う……ほ、らぁ、反応が、良く…なって来た」 「ほ、本当ですぅ……うわぁあ…」 「聖護院さんも、ん…舐めて……」 「は、はい! は、んむ、んっ……ちゅぅ…」 「ちょ……これ、は!」 二人が同時に舌を動かし、根元と先端を同時に舐められる。 今までにない刺激に背中がぞくぞく震え、先端からは透明な液体が溢れだして止まらない。 ふひとちゃんはそれに気付くとニヤリと笑ってその液体を吸い上げた。 「ん、んんっ! ん、んっ」 「あ、ふぁあ……がくえんちょ……それ、なに?」 「んー。久我君が気持ちいいって感じてる証拠だよ」 「うわあ。もものぺろぺろで、気持ちいってなったんですかあ」 「ふふふ。そうだとも……んぅう」 答えてからふひとちゃんはまた先端を吸い上げ、液体をすすって飲み込んだ。 それを見ていたももかちゃんは少し羨ましそうにしていたが、根元を一生懸命舐めながらこちらに視線を向けた。 「こ、久我ぁ…もも、じょーずにできてるぅ?」 「ああ……大丈夫、気持ちいいから…」 「んふふっ! 良かったぁ、もっと頑張るね…ん、んんっ」 「……んっ!」 嬉しそうに答え、音を立てながら肉棒に口付けられるとまた身体が震えた。 そして、そんな俺達を見ていたふひとちゃんは強く先端を吸い上げて少し拗ねたような顔をする。 「久我君、私のは?」 「ふひとちゃんのは、いつも気持ちいいって」 「ふふふっ。だったらいい」 「ったく……」 子どもっぽいヤキモチが、なんだか可愛いと思ってしまう。 それにまさか、ふひとちゃんがこんな風に拗ねるなんて思いもしなかった。 「はあ、は、んぅ……ん、ちゅう……」 「ふ、あっ…あ、んちゅ、ちゅっ」 一生懸命舌を動かし奉仕を続ける二人は、うっとりとした表情で肉棒を見つめていた。 与えられる感触だけでなく、その表情にすら感じるように肉棒は何度もびくびく脈打つ。 「はあ……ん、久我君の……ビクビクして……ん」 「気持ちいい……ですかぁ?」 「ああ……」 舌先を何度も動かしていた二人は、うっとりした表情で肉棒に頬ずりをし始めた。 左右から擦られるような感触に声と身体が震え、先端からは何度も先走りが溢れ出す。 「ふふ…久我君は、ほっぺですりすりされても気持ちいいのだね」 「ふあ! あ、そ、そうなの? 久我……」 「い、いや、だってさ……」 「じゃあ、もっとしないと……あ、んんぅ」 「わ、わかりました! んっ」 「っく!」 びくびくと反応する俺を見ながら、二人はまたすりすりと頬を擦り寄せた。 幼い二人の柔らかくてぷにぷにした頬の感触は、驚くほどに気持ちよかった。 しかもそれだけじゃなく、小さな手のひらでぎゅっと肉棒の根元を握られ何度も擦られる。 「……!」 「は、ふ……んっ、んっ! 久我君、気持ちいい?」 「ど、どうなの? もも、がんばってるの……んっ」 「はあ……あ……」 二人が何度も必死に頬ずりし、肉棒を扱く度に身体が震えてしまう。 俺の反応を見ながら二人は微笑み、何度も必死に奉仕をくり返していた。 擦り付けられる柔らかな頬の感触を受け止める度、肉棒は震えて溢れ出す液体の量が増えていた。 それに気付いているのか、二人は何度も頬ずりをして来る。 「は、う……ふふ、久我君もう出したいのかい?」 「ふ、え? な、何が出るんですか」 「いいから、もっと……こうして、んっ、んぅ」 「は、はいっ」 「……はっ! う…」 頬ずりをしながら二人の手のひらは動き続け、そして時々舌先を差し出してぺろぺろと肉棒を舐められる。 くり返される刺激に身体は震え、肉棒から溢れる先走りは止まらない。 「っく……」 「あ、ふぁっ! ん、んぅ…また、びくびくぅってしますっ」 「そう。だから、そのまま……んっ」 「……ごめ…もう…!」 ぎゅっと強く、ふひとちゃんが肉棒を握った。 それを見てももかちゃんも同じように手のひらに力を入れ、締め付けられるように刺激が強くなった。 「ふあっ!」 「ひゃ!」 その瞬間、与えられた刺激に耐えられずに二人の顔めがけて勢いよく精液を迸らせた。 溢れ出した精液を見てふひとちゃんは嬉しそうに微笑みを浮かべ、ももかちゃんは驚きで目を丸くした。 対照的な二人の反応に、射精したばかりの肉棒がまた反応してしまう。 「はあ、いっぱい出たね……」 「は、はい……す、すごいぃ……」 「……はあ」 「ふふふ。私と聖護院さんのご奉仕で気持ちよくなったから、こうなったのだよ」 「ごほーししたから……ですかぁ…」 「そう。そしてこれはご褒美みたいなものだから、全部キレイに舐め取らないとね……んっ」 「は、はい! もも、キレイにします……は、んむぅ…」 微笑みを浮かべたまま、ふひとちゃんは自分にかかった精液をぺろぺろと舐め始める。 ももかちゃんも慣れない様子で舌を動かしながら、精液を舐め取っていたが時々辛そうな表情を浮かべていた。 「初めてなんだし、無理して舐めなくていいよ……」 「は、う……ん、でもこれ…久我のだからぁ…」 「そっか、ありがと」 軽く頭を撫でながら言うとももかちゃんは嬉しそうに微笑み、また精液をぺろぺろと舐め始めた。 その姿がなんだかすごくいじらしく見えて、もっともっと可愛がってあげないといけない気がしてしまう。 「ふひとちゃん」 「ん? どうしたのかね、久我君」 「今日が初めてだから、ももかちゃんが先でいいよな」 「そうだね。それじゃあ、こうして」 「よっと……」 「ふ、え? あ、ふぁあっ!!」 「これでどうかね?」 「ん、ばっちり」 「あ、あああわわわ……」 ふひとちゃんとももかちゃんの身体を移動させ、二人のお尻がこっちに向くようにしてやる。 そして、ふひとちゃんの下にいるももかちゃんの秘部に、肉棒をそっとあてがった。 それだけでももかちゃんの秘部はひくひくと反応し、早く欲しいとねだっているように見えた。 「あ、あの、久我……あの、えと、えっとぉ…」 「安心してていいから」 「そうそう。じっとしてればそれでいいのだよ」 「は、は、はい! あ、あの、あ、う……い、痛いのやだよ……」 「それは、どうかなあ……」 「え、ええ! や、だ、痛くしないでぇ〜!」 いやいやしながらお願いするももかちゃんの姿が可愛くて、思わずくすくす笑ってしまう。 ももかちゃんはその表情まで怖かったのか、ぎゅっと目の前のふひとちゃんの身体に抱きつく。 「心配しなくても大丈夫だよ。久我君は優しいから」 「ほ、本当……?」 「ああ、そうだとも。さあ、ほら……脚を開いて久我君を受け入れるのだ」 そう言うと、ふひとちゃんはももかちゃんの胸に触れ細い指で乳首をつまみ、そのままくりくりと弄り始める。 「ひゃん!! ああ、がくえんちょ……そこ、だめぇ」 「こうしていると、力も抜けるだろう?」 「あ、ああっ! でも、ふぁっう!」 ふひとちゃんの指が動く度、ももかちゃんは震えながら身体を揺らした。 その度に、宛てがった肉棒が秘部に擦れてくちゅくちゅと音を鳴らす。 「ももかちゃん、じっとしてて……」 「あ、ああ……」 「ふぁ! あ、んっ!!」 「……んっ」 ゆっくりと、ももかちゃんの中に肉棒を進めて行く。 狭くて窮屈な内側でキツく締め付けられて、思わず眉間にしわが寄ってしまう。 「はあ……」 「あふ、ふ、ああ……久我ぁ、ああ、あ…」 「ふふふ。可愛いよ、聖護院さん」 「あんっ! また、胸のとこしないでぇえ…!」 肉棒を埋めたままのももかちゃんをふひとちゃんがまた攻めていた。 乳首を刺激される度にももかちゃんの中は締め付けがキツくなり、眉間のしわが深くなる。 「入ってるの、わかる?」 「ん、んう! ん、わかるぅ……!」 こくこくと何度も頷きながらももかちゃんはふひとちゃんにしがみ付き続けていた。 そんな姿を見下ろしながら、ゆっくりと腰を動かし始める。 「あ、あっ! ふぁ、あう……!」 「まだちょっと動いただけだって……」 「だ、だってぇ…あ、んっ! 中で、いっぱいぃ…ひ、んぅ!」 「初めてはそういうものだよ」 「ふぁあんぅ!」 少し動いただけで、ももかちゃんは苦しそうに声を出す。 けれど、そんな表情と声にすら興奮してしまう自分がいた。 ふひとちゃんに乳首を弄られながら震えるももかちゃんを見つめ、肉棒をゆっくりと奥まで進ませる。 「は、んぅ! 久我ぁ、あ、ああ……奥、いっぱいだよぉ……!」 「うん。もう、これ以上いけないかも」 「ふ、え? いけない……?」 「ん、だから……次は、こうして……」 「はう! うぁあ、ああっ!」 今度はゆっくりと、奥まで進ませた肉棒を引き抜き始める。 まだキツく締め付けられる膣内からゆっくりと引き抜くように腰を引くと小さく音が立つ。 さっきと違う感触にももかちゃんはまた声を震わせる。 「は、はぁっ! あ、っあんぅ…久我ぁ、あ、ああっ」 「すごい反応……」 「ふあ、あ、あっ! んっぁあ、ヘンな感じするよぉっ」 「すぐによくなるから大丈夫」 「そうそう……んっ!」 「ひぁああ!!」 引き抜いた肉棒をまた奥まで、今度は一気に進ませる。 突然奥まで届いた感触に、ももかちゃんの中がびくびくと反応した。 そのまま、腰を激しく揺らしてぐちゅぐちゅと膣内をかき回し始める。 「ふぁ、あぁぅ! ひ、ぁあんぅ!」 「おお……すごい反応になったぞ。こっちをしたら、もっとなるかな」 「んっ……」 「ひぃ! んぁあ、あっ! 中、いっぱいに、な、ひっ!」 ふひとちゃんが乳首を何度も弄り、俺が激しく何度も肉棒を突き立てる。 がくがくと二人一緒に身体を揺らしてやると、ももかちゃんは声をあげながら震えた。 ふひとちゃんはその様子を余裕たっぷりで見やりながら、乳首を弄るだけでなく小さな膨らみも揉み始める。 「ほほう。小ぶりながら中々……」 「がくえんちょ……久我ぁあ、あっ! ゃあんぅ! なかがぁ、あぁっ!」 「大丈夫だから……そのまま……!」 「あぅ! ふぁ、ぅあ、あっ! や、もも…こんなの、身体ヘンぅ!!」 「ん、ふ……ももかちゃん、可愛い…」 「え! あ、あぁっ!」 可愛いと言った途端、ももかちゃんが驚いた。 それと同時に中もびくっと反応したようで、なんだか嬉しくなる。 そんな様子を楽しみながら、何度も何度も腰を激しく動かしてももかちゃんの奥へと何度も肉棒を届かせる。 「ふゃああっ! ぁあん、んぅ! あ、奥からぁあ、あっ! なに、あ、あっ!」 「もうすぐ…かな」 「……みたいだ」 「も、すぐ……って、あぅ! ふ、あふぁあっ!」 びくびくと身体を震わせたももかちゃんを見て、ふひとちゃんと俺は微笑みを浮かべた。 その身体がどうなっているかすぐにわかったからだ。 ふひとちゃんはしっかりと身体を支えてやるようにももかちゃんを抱きしめ、そして俺は勢いよく腰を突き上げた。 「ふぁあっ! あ、んぁあっ! 久我ぁあ、あっ、や…もも、あ、ぅう! ももっ!!」 「……んっ!」 びくんと大きくももかちゃんの身体が震えた。 瞬間、強く膣内を締め付けられたがぐっと堪えて奥まで肉棒を届かせる。 「あ、ふ! ふあ、ああぁぁああっ!!」 肉棒が届くとももかちゃんは何度も震えながら甘く高い声をあげて絶頂を迎えてしまう。 その様子を見て動きを止め、奥でぐりぐりと先端を擦り付けて緩い刺激を与える。 「ふぁ、うぁ、あ……久我ぁ、ああっ、それダメぇえ」 「なんで? 気持ちいいだろ」 「だ、ってぇ、え、ふ……! もっと、気持ちい、なっちゃうぅ……」 「別にそれでもいいのに」 「んやあ、ああ…も、これ以上、もも…らめ…」 「可愛い……」 「ひんっ!」 いやいやと首を振る姿が可愛くて、思わず先端で軽く奥を突き上げた。 すると、ももかちゃんの身体はまたビクっと震える。 「久我君……」 「ん? ふひとちゃん、どうした」 ももかちゃんの中を軽く突き上げ続けていると、上に乗っていたふひとちゃんが不満げな視線を向ける。 「聖護院さんばかり、ずるい!」 「え。だって、ももかちゃん初めてだしさ」 「私だって……久我君のが欲しい…」 拗ねたように言ったふひとちゃんにくすくす笑いかけると、余計に拗ねたような顔をされる。 でも、こんな顔をさせるのは本意じゃない。 「ちゃんと、ふひとちゃんにもするから」 「あ、あっ!」 答えてからゆっくりとふひとちゃんの中に肉棒を進ませる。 すんなりと奥に入った肉棒は、膣内のねっとりした感触に絡みつかれた。 「あ、はあっ! は、んんっ」 「何もしてないのに、すっごい濡れてる……」 「し、仕方ないだろう…久我君が、気持ち良さそうだったんだから……」 「ふぅ〜ん……」 照れたように言ったのをニヤニヤしながら見つめ、今度はふひとちゃんの中で肉棒を動かす。 「あ、ふ……ふぁあ、あ…」 わざとゆっくりと肉棒を動かすと、それに合わせて膣内がひくひくと反応する。 だが、ふひとちゃんはそのゆっくりとした動きが物足りないのか自ら腰を揺らしていた。 「久我く……んっ! ん、んっ」 「あ、ふ……がくえんちょ…自分で動いてる……」 「だって、もっと欲しいし……」 甘えたように言われて妙に嬉しくなる。 いつもと違う姿が可愛いとすら思い、ゆっくりと動く姿を眺めてからいきなり激しく腰を突き上げた。 「ふぁああっ! ああ、あんぅ! いきなりぃ!」 「いや、なんか…可愛くて…」 「あ、あっ! 久我君っ!」 「んっ……」 「ふ、ふあああ、ああ、あ……」 しっかりと身体を支え、ふひとちゃんの中に何度も何度も激しく肉棒を突き立てる。 奥まで届かせ、すぐにぎりぎりまで引き抜きまた奥まで届かせるのをくり返す。 その度にふひとちゃんの身体はびくびくとわかりやすく反応し、音を立てて愛液が溢れ出して膣内の締め付けが強くなる。 「はん! ん、ぁあっ、あ! いつも、より……あっ! 激し……ひ、んっ!!」 「あ、ああっ。がくえんちょも…久我も、すごい……」 「あふ、う…聖護院さん、あまり……見ない、で…!」 自分の上で激しく乱れるふひとちゃんを見て、ももかちゃんは顔を真っ赤にしていた。 そんなももかちゃんの言葉を聞いてふひとちゃんは恥ずかしそうに頬を染めるが、そんな姿も珍しくてなんだか興奮する。 「なんか、ふひとちゃんがいつもと違う」 「あ、もう、あっ! 久我君…そんな風に言わな…あ、あっ!!」 「ん……」 ニヤニヤしながら言うとふひとちゃんが反応し、膣内がきゅっと締め付けられた気がした。 本当に普段と全然違っていて可愛いと感じてしまい、腰の動きは自然と早くなる。 「は、んっ! そんな風に……言われたら、あぁ! ふぁ、んう!」 「がくえんちょ……かわいい……」 「だから、そんなこと…あ、ああっ! や、ぁあんっ!」 何度も突き上げ、ぐりぐりと奥を擦るとふひとちゃんの中がひくつくような反応を続ける。 締め付けも強くなり、ねっとりとした感触がどんどんキツくなって行く。 「ふぁああ、あっ! あ、久我君っ! ん、ああ、あ!」 「ん……わかってる、から…」 「あ、すご…い、二人とも……」 「や、もう、これ以上……ふ、ぁあっ! あ、あ!」 「……うん!」 「あ、ふぁあっ!!! あ、久我君っ! ん、あぁあっ!!」 肉棒を深くまで突き上げた瞬間、ふひとちゃんの身体が大きく震えた。 そして膣内を強く締め付けてくったりと全身から力が抜ける。 「は、はあ、は、んぅ……」 「が、がくえんちょう……だいじょーぶ…?」 「ん、平気…」 「いつもと違うのも、まあ悪くなかったかも」 「そんなに違っていただろうか……?」 「ああ、結構ね」 「ふぅん……」 力なく答えたふひとちゃんはちらりと俺に視線を向ける。 そして、その視線に気付いたももかちゃんもこっちを見た。 「久我君……君はまだ、イッてないだろ」 「まあ、うん……」 「それなら、二人一緒に……ここで……」 「ひゃんっ!」 「んっ!」 「ふふふ……」 「は、ふっ! あ、あっ」 「はあ、ここなら、入れなくても……」 「ひゃ、んぅああ! くちゅくちゅ…って、ひぁ、んぅ」 二人の秘部の間に肉棒を挟み込まれた。 濡れた秘部はひくつき、二人が身体を動かす度にくちゅくちゅと音が響く。 「これなら、二人一緒にしてもらえるではないか。ほら、動く度に……」 「ほ、ホントですぅ。久我のがぁ、あ、擦れてぇ」 「……わかった」 「ふぁっ! あぁっ!」 「ひぁ、ああぅ!」 頷き、二人の身体を支えながらゆっくりと腰を動かす。 濡れた秘部で擦られる肉棒はびくびくと震え、そして二人も俺の動きに合わせて何度も震える。 「は、んっああ! あ、久我君っ!」 「ひゃぁあ、んっ! さっきと、ちが……気持ちいぃ!!」 「んんっ」 「はあ、ああ、あっ! もっと、動いた方がいい?」 「もっと? あ、ふ、もっと、れすかぁ?」 「そうだよ、聖護院さん……もっと、久我君のためにぃ」 「は、はひぃ! 久我のために、もっとぉ!」 二人は互いに腰を動かし、肉棒に必死に秘部を擦り付けていた。 俺のためとは口に出しているけど、どう見てもそれは自分達が気持ちよくなるための行為にしか思えない。 「……!」 「んぁあっ! あ、んぅ! 気持ちいぃ…い、ひんっ!」 「ももぉ、ふぁあぅ! きもちいよぉ!」 「んっ、そう…こうしたら、もっと……!」 「あ、んんっ!」 腰を揺らしてにんまりと笑ったふひとちゃんが、突然ももかちゃんの唇を塞いだ。 そして、唇を薄く開かせ舌をねっとり絡ませていた。 ももかちゃんは突然の口付けと、ねじ込まれた舌の感触に驚き身体を震わせる。 「ふぁ、あっ……ぁあん、がくえんちょ…ん、んんっ」 「そ、う…ん、ちゅぅ、ちゅ……舌を動かして…ん」 「したぁ、ああ、あ…ふぁ、あうぅ…ちゅう、んぅ」 言われるままにももかちゃんは舌を動かし、それに合わせてふひとちゃんも舌を動かす。 二人が舌を動かすたびにくちゅくちゅと唾液が交わる音がし、そして小さな身体がひくひくと震える。 幼い二人が互いに求め合うような光景に興奮が増し、肉棒がびくびく震えてしまう。 「ふふ…ほら、聖護院さん、久我君が羨ましがってる」 「は、んんぅ……久我もぉいっしょにぃ、きもちいいしよぉ……」 「はあ、は、それならもっと…腰を、揺らして、みんなでぇ」 「は、はいぃ! がくえんちょ……あ、んっ!」 「……ああ」 二人に頷いてから、何度も何度も三人で揃って腰を揺らす。 ぐちゅぐちゅと音を響かせながら、何度も何度も肉棒を擦り付けて、時々肉棒の先端でクリトリスを突く。 二人はそれにもびくびくと反応し、秘部の奥から愛液が溢れ出す。 「久我ぁあ、あ、っう! もっとぉ、してぇ、ぁんっ!」 「私も…久我君! もっと、ひ、んぅ!」 「しゅごい! 気持ちい、んぅ! ふぁ、う!!」 「あ、や…!! もっと、私も…いっぱいぃ!」 競いあうように腰を揺らし、何度も何度も秘部と肉棒を擦り合わせる。 肌がぶつかり合い、愛液が混じり合う音が部屋に響いていた。 部屋の中に充満するすべてのものに神経が刺激されて、そして興奮はどんどん増して行く。 「はあ……あ……」 「久我君! ん、んぅああ! ああっ!」 「ふ、ぁあっ! もっと、ぐちゃぐちゃ…して欲しいよぉ! も、っと、ひぅ!」 「もっと……ねっ…」 言われるままに腰を前後に揺らす。 ぐちゅぐちゅとかき回すような音は大きくなり、二人の身体は震え続けて止まらない。 全身を強引に感じさせているような行為に、神経は昂ぶり続けているようだった。 「……!」 「はあ、あっ……聖護院さん…! ん、ああっ!」 「がくえんちょぉ! もも、あ、また、ヘンな感じにぃ!」 「あ、ああ、私も…もう、すぐぅ! ふ、あっぁっ!」 身体の震えが大きくなり、秘部が何度もひくついた。 びちゃびちゃと飛び散るように溢れる愛液は、二人の下半身を濡らしていく。 しっかりと身体を支え、大きく腰を引いて、また勢いよく突き上げると、びくんと二人の身体が跳ねた。 「あ、ひぃ! ぁああぅん!!」 「ふぁああっ!!」 「……っ!」 その瞬間、肉棒を引き抜き二人のお尻めがけて勢いよく精液を迸らせる。 そして二人も同時に身体をびくびくと震わせ、抱き着きながら絶頂を迎えていた。 「あ、ああ……はあ、熱いぃ…」 「お尻、いっぱいかかってますぅ…」 「は、んぅ……いつもより、激しかったかも…」 「しゅごい…気持ちい、かったぁ……」 うっとりしながら俺に視線を向ける二人を見つめ、深く息を吐き出す。 「……んっ」 「久我君、どうしたのかね?」 「久我ぁ?」 「なんか、頭が……」 ボーっと二人を見ていると、なんだか頭がくらくらして来た。 これは、なんだろう……なんか、目の前も暗くなって来たような……。 「……んん」 「そろそろ……かな」 「ふぁ〜い」 「……?」 ダメだ……なんか、目の前がふらふらする―― 「……!」 「あ、あれ?」 気が付くと、どうやら学園長室で眠っていたらしい。 じゃあ、さっきのは夢……か…。 それにしても……なんつー夢だ…ふひとちゃんともも先輩って……。 「はあああ……」 なんだろう俺、疲れてんのかな。 それとも、ああいう願望があるってことか? いや、ない。そんな願望はない! ……と思う。 ………駄目だ。深く考え始めると落ち込む。 「そういや、ふひとちゃんいないな……」 呼び出されて来たんだけど、待ってる間に寝ちゃったのか。 俺が寝てたから、気を遣って寝かせてくれたのかもしれないな……。 今日はもう、寮に戻って早めに休むか。 「はあ……」 ああ、ダメだ。油断してると落ち込むな。 あんまり考え過ぎないようにしよう。 「……久我君は帰ったようだね」 「はふぅ〜」 「ふむぅ……暗示が消える前に終わって良かったよ」 「はぁあ〜」 「………」 「恋愛って……いいかもぉ……」 「……む、むむぅ」 「はふぅ〜。またしたいなぁ〜」 (変なフラグ立てちゃったかなぁ……) 夜の世界が失われてから、一週間ほどが経った……。 学園生活は相変わらず、普段と変わりない様子で続いていた。 もちろん、おまるの姿はない。 あの日以降、学園長はどこかに姿を消したままになっている。 風紀委員にも頼んで学園中を捜してみたが、結局見つけることは出来なかった。 もしかしたら、まだ学園のどこかにいるのかもしれないが、その場所を見つける術を今の俺達は持っていない。 ヤヌスの鍵ですら見つけられないのだから、普通の方法で捜すのはまず不可能だろう。 いなくなったおまるともも先輩のことは、長期調査で今は学園不在ということになっている。 風紀委員達は、もも先輩が突然何の説明もなくいなくなってしまったため当初は混乱していた。 だが、その混乱を落ち着かせるために鍔姫ちゃんが風紀委員に復帰して風紀委員長代理になってからは落ち着いたようだった。 今は以前と変わらず業務を遂行できている。 あれ以降、時計塔の鐘は鳴らなくなり、夜の世界も訪れなくなった。 それでもとりあえず決まりということで風紀委員達は今まで通り定時までに生徒達を寮に帰らせている。 そして……。 「………」 満琉はまだ俺の部屋で眠ったままの状態だ……。 眠っている満琉の表情は穏やかだ。 本当に、ただ眠っているだけで呼吸も落ち着いている。 何となくだが、もう少しすれば目を覚ますだろうということがわかる。 「あ、はい」 「久我くん、入っても大丈夫ですか?」 「ああ、構わないよ」 モー子だけかと思っていたのに、これはちょっと予想外だ。 「あれ? なんでいんの、静春ちゃん」 「うるせえ。来ちゃ悪いのかよ」 「いや、そういうわけじゃねーけどさ」 「満琉さんの様子を見に行くと言うと、一緒に来たいと言われましたので」 「まだ、寝てんのか?」 「ああ」 答えながらベッドに視線を向けた。俺につられるように、二人もベッドに視線を向ける。 そこには満琉が穏やかな表情で眠っている。 二人は満琉を見つめると心配そうな表情を浮かべた。 「………」 「満琉さんは……」 「大丈夫だ。多分、もうすぐ起きるよ」 「ホントか?」 「ああ」 「そ、そうか……」 村雲はどうも、満琉に力を使わせてしまったことに責任を感じているらしい。 まあ、自分が呼び出して助けてもらったんだからそうなって当然か。 「こんなに寝込んでしまうとは、思っていませんでした。きみが彼女に力を使わせるのを嫌がるのも、わかります」 「ああ、でも、大丈夫だって。さっきも言ったけど、もうすぐ起きるだろうから」 「どうしてそう言い切れるのですか?」 「さっきもそうだったけど、お前なんか軽くねえか」 「いや……今までにも何回かあったんだよ、こういう事がさ」 これまでの経験からして、今回もそろそろ起きるだろうってだけの話だ……。 「……んん」 「お? ほらな……」 「お兄ちゃんうるさい……」 話している間に満琉が目を覚ました。 目を覚ますなり言い出すのがそれか……まあ、軽口叩ける程度には元気になったってことかな。 「悪い、悪い。そろそろ大丈夫そうか?」 身体を起き上がらせた満琉は部屋の中にモー子と村雲がいるのに気付いて恥ずかしそうに視線をそらした。 「突然来てしまって、ごめんなさい。満琉さんの様子が気になったので」 「は、はい……」 「なあ、もう大丈夫なのか?」 「あ、うん……今回が初めてじゃないし、前にも何度か似たようなことあったから」 「そうか。でも、無理すんなよ」 俺が答えたのと同じようなことを答えると、村雲は少しだけ安心したような表情を浮かべる。 でも、今回はさすがに今までより具合が悪そうだ。 もうしばらく大人しくさせておいた方がいいかもしれない。 「今までより顔色が悪いし、本当に無理だけはするなよ」 「わ、わかってる……自分でも、いつもと違うのには気付いてるよ」 「わかってりゃいいけどな」 答えながら頭を撫でると、満琉は嫌そうな顔をして俺の手を振り払った。 「頭撫でないでくれるかな……ぼく、子供じゃないんだから」 「はいはい、悪かった」 苦笑しながら手を離すと、モー子と村雲がじっとこっちを見ているのに気付いた。 満琉はそれに気付き、恥ずかしそうに二人から視線をそらす。 「いつものことだよ、気にすんな」 「そうですか」 「お前等、仲悪いのか?」 「そういうつもりはねえけど」 確かに、村雲とスミちゃんの仲良しっぷりとは少し違うかもしれないなとは自分でも思う。 ま、それを言うと村雲のやつは怒りそうだけど。 「あっそ」 「そうだよ」 俺と村雲のやり取りを見ていたモー子は視線を満琉に向けた。 そして、じっと見つめられた満琉はどうしたらいい? とでも言いたげに俺を見る。 そんな満琉の様子に気付いていたようだが、モー子は気にせず話を始めた。 「あなたのおかげで助かりました」 「え? え、ぼ、ぼくのおかげ?」 「はい。あなたがいなければ、私達は今こうして話せていなかったと思います」 「そ、そんなの別に……」 「ありがとうございます」 「……は、はい」 深く頭を下げながらお礼を言うモー子を見て、満琉は恥ずかしそうにもじもじしている。 恥ずかしがってはいるけど、礼を言われたことは素直に嬉しいようだった。 「あ、そうだ。ちょっと二人に頼みたいことあるんだけど、いいか?」 「頼みたいこと?」 「なんだよ。なんかあんのか」 「いや、ちょっとの間こいつの面倒見てくんねーかなと思って」 「え……?」 こいつと言いながら満琉を指差すと、三人ともがそれぞれ不思議そうな顔をした。 「俺、明日定期健診があるんだよ。病院行ってこねーと……」 「定期健診……」 「は? って、なんでお前そん……」 「な、何言ってんだ。ああ、起きるな、とりあえずおとなしくしてろって」 定期健診の話をすると、突然満琉が勢い良くベッドから立ち上がろうとした。 慌ててそれを制すると、不満そうな顔でじっと睨みつけられる。 「お前、具合悪いだろ。俺一人で行って来るから」 「やだ!!」 「やだってお前な……」 そうは言われても、こんな状態の満琉を連れて行くわけにはいかない。 経験上、もうしばらくは大人しくしていないと、体調がよくならないのはわかっている。 だが、そんな俺達のやり取りを見ていた村雲が不思議そうな顔をしていた。 「なあ、定期健診ってなんだよ……」 「久我くんは以前から、身体に不調を訴えている部分があったんです。それで……」 「ここに来る前から定期健診を受けてたってわけか」 「はい」 満琉をなだめている間に、モー子が村雲に簡単に説明してくれていた。 村雲はそれで少し納得したようだが、満琉の必死な様子が気になっている風にも思える。 俺が連れて行く気がないと理解するとすぐ満琉は、モー子に視線を向け突然その手を強く握った。 「……あのっ! あ、あの!」 「え!?」 「お……お願いが、あります……あの、あの…お、お兄ちゃんの…!」 「ど、どうしたんですか、満琉さん」 「病院に、つ、ついて行ってもらえませんか! 一緒に!」 「ええっ?」 握った手を離さないまま言われ、モー子は戸惑っているようだった。 流石のモー子も、いきなりこんなことを言われるとは思ってもみなかったようだ。 「おい、満琉。いい加減にしとけよ」 「あの! ぜ、ぜひお願いします! お兄ちゃん一人だと心配なんです!!」 「人の話聞けって……」 「え、ええ、それは別に構いませんが……」 「いいのかよ……」 必死の勢いに押されたのか、モー子の方も満琉の言葉に頷いてしまう。 「ほ、本当? 本当ですか?」 「え、ええ。ついて行きますからそんなに心配しなくても……」 今まで必死になっていた満琉だったが、自分がモー子の手を握っているのを思い出すと慌ててその手を離す。 そして、またもじもじと視線をさ迷わせた。 「お前……ここまで心配されるほど悪いのかよ」 「いや、そうじゃなくて……病院とは関係ないとこで心配されてるっつーか、そんなたいして気にすることでもねえんだけどな…」 「はあ? 意味わかんねーよ」 「だよなあ」 「自分のことだろうが!」 説明してしまうとあまりにも子供っぽいというか、単純なことなので、言いよどんでしまう。 満琉も多分、いちいち解説して欲しくないだろうしな……。 「とにかく、確かに請け負いました。明日はきちんと久我くんに付き添います」 「は、はい……本当にありがとうございます」 結局、モー子が明日俺に付き添うってことは決まりになってしまったらしい。 多分ここで俺が別にいらんと断っても満琉は納得しないだろうから、とりあえず今は黙っておくことにする。 「それでは……彼女のことは、村雲くんにお任せしてよろしいですか?」 「う、うん」 「んじゃ、こいつのことはまかせとけ」 「……ああ、悪いな」 「いいえ、それでは失礼いたします」 「じゃ、またな」 「ああ……」 部屋を出て行った二人を見送ったが……やっぱり、明日の件については少し話しておいた方がいい気がする。 「満琉、ちょっとおとなしくしてろよ」 「ん? うん」 「……なんですか?」 「あのさ、満琉はああ言ってたけど……わざわざ付き合わなくてもいいんだぞ。休日まるまる使っちまうしな」 「ああ……その件なら、お気になさらず。私も20年前のことが、学園の外ではどう処理されているのか調べてみたいと思っていたんです」 「きみが検査に行く日に一緒に出かけて調べれば、二度出かける手間は省けます」 「そういうことね……」 つまり、俺の検査について行くのはあくまでもついでで、メインは調べ物ってわけか。 「それに、人に頼まれて承諾したことは、きちんと責任を持ってやり遂げます」 「ああ、そう……」 「………」 「……なんだよ」 じっとモー子に見つめられる。 まるで俺を見定めているような視線だ。 なんとなく、居心地が悪い。何もかもお見通しだと言われているような気さえしてしまう。 「久我くん……何か様子がおかしくはないですか?」 「そうかあ? 別にいつも通りだと思うがな」 「………」 答えてからしまったと思った。 こう答えるってことは、いつもと違うと言っているようなものだ。 モー子がそれに気付かないわけがない。 案の定、目の前で怪訝そうな表情を浮かべられてしまう。 「何か、私について来られると困るようなことでも?」 「うーん……いや、別にそうじゃねえんだけど……」 「では、どうしてです?」 「あ、いや……まあ、いいや。じゃあ、頼む」 「………」 軽く頭を下げて答えるが、モー子はイマイチ納得いっていないような表情を浮かべていた。 確かに歯切れの悪い答え方だったのは自覚している。 「わかりました。それでは明日の朝、寮の前で待っていますので」 「あ、ああ」 「遅れないようにしてください。では……」 ――翌朝。 今日は、寮の前でモー子と待ち合わせて、出かけることになっている。 待たせると多分また氷のような目つきで睨まれる羽目になると思い、早めに準備をして部屋を出たのだが……。 「………」 寮の前まで出て来ると、既にモー子の姿があった。 時間を確認してみるが、どう見てもまだ指定よりも早い。 あいつ、どれだけ早く来て待ってたんだ。やっぱりきっちりした性格してるんだな……。 などと考えている場合じゃない。約束の時間には間に合ってるけど、待たせてるんだからな。 慌ててモー子に駆け寄ると、こちらに気付いて視線を向けられる。 「待たせて悪い」 「いいえ。私が早めに来ただけですから」 「いやまあ……そりゃ、そうだけどさ」 「それにしても、思っていたより早かったですね。きみのことだからもっと遅くなるかと思いました」 「だったら、お前ももっとゆっくり来て良かったんじゃねえの?」 「どうしてそうなるのですか」 俺が遅く来ると思っていたなら、指定の時間より早く来る必要はないはずだ。 しかも、今は予定時間より10分以上は早いわけだし。 などと考えていると、モー子は俺の思考を読んだのか、少し面白くなさそうに言い出す。 「私は待ち合わせの10分前に来るのは、当然のマナーだという考えですので」 「まあ、そんな感じはするな」 「では何の問題もないでしょう。それとも私が10分前に来ていることで、きみには何か不利益があるとでも?」 「じゃあ、なんで今日は10分前より早く来たんだよ?」 「え……」 「今がようやく、待ち合わせの10分前くらいだと思うんだが」 「………」 反論できなかったのか、モー子はムッとした様子で黙ってしまった。 珍しくこっちからの突っ込みどころのある状況に、少し悪ふざけしてみたくなる。 「ああ、そっか。お前、意外と遠足の日とか楽しみで寝られないタイプ?」 「どういう意味ですか」 「そのままの意味だけど。お出かけが楽しみすぎて早く来ちゃったのか?」 「なっ! そのように勘違いされるのは心外です!」 「そうかあ?」 「そうです! どうして、私が、きみと出かけるのを! 楽しみにしなければいけないんですか!」 「冗談だって、そうムキになるなって」 ちょっと面白くなってきたが、これ以上突っつくと手痛い反撃をしてきそうなので、そろそろ黙っておこう。 「……」 しかし……当たり前だが、モー子のやつ私服なんだよな。いや、俺もそうだけど。 よく考えたら、私服姿を見るのは初めてだ。 学園内じゃ制服姿しか見ないし、私服になる必要もないから当然のことだけど、これはかなり新鮮な感じがする。 「なんですか?」 私服姿をじーっと見つめていると、不機嫌そうな表情で見返された。 「なんでもねえよ。あー、いつもはそんな服着てるんだなーと思っただけだ」 「………」 だが、聞かれたことに答えると、モー子の表情は更に不機嫌そうになった。 「きみは本当に、繊細な気遣いの出来ない人ですね」 「は? なんで機嫌悪くなってるんだ」 「別に不機嫌ではありません」 「いや、どう見たって不機嫌だろ」 「違います」 頑なにそうではないと主張しているが、どこからどう見てもモー子は不機嫌の塊だ。 もしかするとさっき俺がからかったせいかもしれないが、だいたいいつもこんなやり取りはしているし、そこまで気分を害することでもないだろう……。 まさか、私服を不躾にまじまじ見てたのが気に入らなかったとか……。 いや違うな。どちらかというと、俺のコメントの方が気に入らない様子だった気がする。 「まったく、きみという人は……早く行きましょう」 「いや、あのさ……」 「なんです。まだ何か?」 「もしかして、服が似合ってるとか可愛いだとかちゃんと言った方がよかったか?」 「はっ、はあっ!? 何故私がそんなことを言われなければならないんです!??!」 「いやだって、気遣いとか言うから、そうかなあと」 「そういうところが! 気遣いがなってないと言ってるのです!」 ……とりあえず、この状況はまずい。それはわかる。 「あ、おい! 待てって、モー子!!」 慌てて後ろを追いかけながら、いきなり怒らせてしまったことを後悔する。 せっかく病院に付き添ってくれるんだから、ちゃんとフォローしておかないとな……。 まずは先に病院に行き、午前中に検査を終わらせようということになった。 その後、午後からモー子の調べ物に付き合うという計画だ。 そのためにまず病院に来たんだが……。 「え? 予約詰まってるの?」 「そうなんです。申し訳ありません」 「………」 受付で聞かされた言葉にモー子は絶句していた。 どうやら一部の医療機器の使用が予約で詰まっているそうで、今すぐには検査してもらえないという状況だった。 つまり、今から何時間か待つ必要があるってことだが……まあ、仕方ないか。 予定は多少変わるけど、午前と午後のプランを入れ替えれば問題ないだろう。 「あの、それじゃあ午後から予約してもらっていいですか」 「わかりました。午後からですね」 「お願いします」 受付で検査の予約をしてもらっていると、モー子がじっと俺を見ているのに気付く。 明らかに何か言いたそうな不満げな表情だ。 いや、何が言いたいかなんてすぐにわかるけど……。 「何故、朝から予約をしておかなかったのですか? 理解不能なのですが」 「………そうだな」 考えていた通りの言葉を口にされ、返す言葉も見つからない。 あまりにもモー子の言葉は正論すぎる。 参ったなと思っていると、俺達を見ていた受付の看護師さんがくすくす笑った。 「三厳くんはいつもお昼くらいに来てるもんね。その時間だと空いてるから予約無しでもいけるし」 「はい。まあ、いつもは」 「………」 「今日はこの後に予定が入ったから、いつもと違う時間だったの?」 「ま、そんなとこです」 「ふふー。そうか、なるほど」 優しくフォローしてくれた言葉を聞き、モー子は黙りこんでしまった。 納得してくれたのかと思いきや、顔には不機嫌の色がさらに濃く出ている。 「それじゃあ、予約しておいたから午後からまた来てくださいね」 「は、はい」 予約時間を書いたメモを手渡しながら、看護師さんは微笑みひらひらと手を振った。 その姿に手を振り返して受付から離れ、モー子に視線を向ける。 やっぱり、機嫌は直っていない。 こいつ、朝からずっとこんなだな。 いや、そもそもの原因は俺のせいなんだろうけど。 「えっと……先に調べもの、終わらせるか」 「きみは随分あの受付の人と仲が良いようですね」 「え? あぁ、何回も来てるから覚えられてるだけだろ」 「それで名前まで呼……」 「名前が? 何だよ?」 「何でもありません!!」 病院を出た後、二人で市立図書館に向かって20年前の事故について調べてみたが、有益な情報はほとんど見つからなかった。 「やはり、新聞記事になっていること以上の情報はありませんでしたね」 「ああ、そうだな」 20年前のことは、落雷による火事という記事以外は何も見つからなかった。 「やっぱ、あれは事故ってことで処理されちまってるみたいだな」 「実際にきっかけは事故だったという可能性もありますね。ですが、20年前に何か特別なことがあったのは間違いないと思うのですが……」 「そうだな……」 関係のありそうな資料のほとんどに目を通してみたものの、結局どれを見ても事故以外の記述は出て来なかった。 何を調べても結果は同じで進展はなく、とりあえず一旦休憩しようということになり今は病院近くの喫茶店に来ている。 「しかし落雷事故と見なされているのはわかるのですが、不可解な点もあります」 モー子が言う不可解な点というのは、調べている間ずっと気になっていたことでもある。 「事故のことと一緒に、行方不明者の名前も記事に載っているかと思ったのですが……」 「死亡した生徒の名前だけだったな。なんでだろう」 「考えられる事情としては、行方不明になった生徒については、扱いが微妙なラインだったのかもしれません」 「微妙なライン?」 「死亡したのか、していないのか、明確に判断できなかったのかも……それだと私の推理とも合致しますし……」 そう答えるモー子だったが、まだ更に考えていることはありそうだった。 「もしくは行方不明扱いですらない……存在そのものが無かったことになっている……?」 「そんなことってあるのか。行方不明になるって大ごとだぞ」 「それは……まだわかりません。でも、現にそのような扱いになっています。睦月のこともそこまでニュースにもなっていませんでしたし……」 「確かにそうだけど……」 「魔術の力を使えばある程度の情報統制はできる……ということも考えられますが……」 「………」 首を捻りながら考えるモー子だったが、その答えははっきりしていない。 20年前の事件について、結論を出せるだけの要素が揃っていないのだろう。 「出来れば、もう少し手がかりが手に入れば良いのですが……」 「さすがにそれは難しいかもな。今日以上の情報ってのがあったとしても、簡単に見つかるかどうか……」 「……まだ……今の状況では、考えをまとめきれない……」 こんなに悩み、考えている姿を見るのは珍しいかもしれない。 いつもなら、もっとはっきりと答えを導き出しているのに今日はそれがない。 それだけ、20年前の事故についてはわからないことが多いということだ。 「とりあえず、学園外で事故のことを調べても今以上の結果は見つかりそうにないな」 「ええ、そうですね」 多分、学園外のどこで調べても結果は同じになるだろう。 それならこれ以上、過去の資料を調べても意味があるとは思えない。 「当時の関係者に話を聞ければいいのかもしれませんが、20年以上前ですから」 「学園内で起こったことじゃ、生徒の保護者に聞いても有力な情報はなさそうだし、話も聞かれたくないだろうな」 「その時に生き残った生徒を捜すという手もありますが、まずそのためには生徒名簿を捜さなければ……」 「それにしても、外部ならもう少し何か資料があると思ったのですが、事故扱いではあの程度になってしまうのですね」 「そうだな」 行方不明者について何も記述がないのだから、何か少しでも真実の手がかりになる資料が残っていれば良かったんだが……。 当時はそこまで深刻な事態にはなっていなかったんだろうか。 「とりあえず、帰ったら学園長室をもう一度しっかり調べた方が良さそうだな。20年前の生徒名簿がどこかにあるかもしれねえし」 「ええ、そうですね」 「他にも俺達が知らない場所があるかどうか、学園内は改めて捜索する必要があるか」 「大変な手間にはなりますが、とりあえず今はそれ以上に策はありません」 「鍔姫ちゃんにも手伝ってもらうか。彼女なら、少しでも気になるところがあればわかるだろう」 「風紀委員長代理の壬生さんにはあまり他のことで負担をかけさせたくありませんが、今の状況ではそうも言ってられませんね」 「ああ。帰ったら話してみるよ」 頷いたモー子は目の前に置かれた紅茶を飲みながら息を吐く。 さすがに真面目な話をしているだけあって、病院での不機嫌さは今はすっかり消えていた。 図書館で調べものをしている最中と、こうして相談をしている間に怒りはおさまったみたいだ。 今は冷静そのものの表情で紅茶を飲んでいる。 「………」 「……いくらなんでも、砂糖入れ過ぎじゃね?」 「甘い物は頭の働きを活性化させるんです」 そういえば、前にこいつ紅茶にぼこぼこ砂糖入れて飲んでたよな……あれってうまいのか? 「なあ、モー子」 「なんですか?」 「お前さ、前にすっげー大量に砂糖入れて紅茶飲んでただろ?」 「そんなこともありましたね」 「あれって本当にうまいのかよ? あそこまで行くと、ただの砂糖水になってねえ?」 「………」 コーヒーを飲みながら聞いてみると、モー子はわずかに眉間にしわを寄せた。 「あれはあれで甘くておいしいものですから、そんなゲテモノみたいに言われる筋合いはありません」 「ふーん」 「きみにはどうせわからないんでしょうね?」 「え? なにが?」 「それです」 それと言われたのは、俺が飲んでいるコーヒーだった。 じっと俺を見つめるモー子は眉間のしわを更に深くする。 「きみはどうせ、ブラックですよね」 「え、なんで? まあ、そうだけど」 「だと思いました。きみはどうせ、砂糖もミルクも必要ない人生なのでしょう」 確かに、超甘党のモー子にしてみれば砂糖もミルクも入れないコーヒーを飲むなんて、信じられないことなのかもしれないが。 世の中には俺以外にもブラックでコーヒーを飲む人間なんていくらでもいるんだがな。 「なにお前、ブラック飲めないの?」 「その言い方は心外です」 「なんで? 飲めねえんだろ」 「違います。飲めないのではなく、飲まないのです」 「ああ、そう……」 「そうです。その言い方では大きな誤解を生みますので」 頷き答えながら、モー子は自分の紅茶をもう一度飲み始めた。 そういえば今日は、そんなに砂糖を入れてなかった気がするな。 「お待たせいたしました。ご注文のアフタヌーンティーセットです」 「……あ、こちらです」 「………」 「テーブルの上、失礼しますね」 「はい」 話している途中で、店員が注文したケーキを持って来た。 持ってきたんだが……。 目の前に用意されたのは三段になっているスタンドに乗った、様々な種類のケーキだ。 さすがにこれは数が多すぎるんじゃないかと思うんだが、モー子は多数のケーキをいざ目の前にしても表情が変わらない。 何を思ってこんなのを頼んだんだか……。 「………」 セッティングが終わった店員は、頭を下げるとテーブルから離れて行った。 「………」 「すっげー量だな」 「そうですね」 「まあ、メニューにもケーキスタンドって書いてたけどここまでの量とは……」 「ええ」 目前の大量のケーキを眺めているモー子は何を考えているんだろうか。 いつもと表情は変わらないように見えるんだが、さっきからスタンドに乗っているケーキを見比べているような気がする。 もしかして、どれから食べようか迷ってるのか? 「………」 そう考えながら見ていると、いつもと微妙にテンションが違うようにも思える。 「お前、本当にそれ一人で食うの?」 「何か問題でも?」 「いや、別にいいけどな」 これ以上何か言ってもまた機嫌を悪くさせるだけだろう。 とりあえず黙って見ていることにしていると、モー子の視線がようやく定まった。 最初に食べるケーキを決めたんだろうか。 じっと観察していると、そっと手を伸ばしていちごの乗ったショートケーキを選んで皿に移していた。 それからゆっくりと、生クリームたっぷりのケーキを一口食べる。 そして次の瞬間、その目は意外そうに見開かれ、表情が一瞬でぱあっと明るくなった。 「……おいしい」 「………」 かつて見たことのないような顔だ。 ケーキの味が意外にストライクだったのかもしれない。 さっきまで無表情にケーキを見ていたのが嘘みたいに、今のモー子は表情が輝いている。 「……ん…うん」 ケーキを食べるモー子は幸せでたまらないという表情を浮かべていた。 何度もケーキを口へと運び、その度においしさと幸せを噛み締めているようだった。 こいつがこんなに露骨に表情を変えるなんて珍しい……というか、初めて見たかもしれない。 なかなか貴重なものを目撃してしまった。 それにしても、それだけここのケーキはうまいってことか。 「へえ、そんなうまいのか?」 「………」 「な、なんだよ」 声をかけるとモー子は少しムッとした様子で俺を見つめた。 至福の時間を邪魔された、とでも思っているのか、さっきまでの幸せそうな表情はどこかに消えてしまった。 今朝からずっと機嫌を悪くさせているので思わず身構えてしまう。 「どうせきみは、甘いものは嫌いでしょう?」 「え……?」 なんでそんなことになってんだ? そんなことを言った覚えは全然ないが……もしかして、辛いのとか苦いのが平気だからそう思われてるのか。 「いや、全然嫌いじゃねーけど」 「えっ?」 「むしろお前は、何故そう判断した」 「だ、だって……」 「おう」 黙って話を聞いていると、モー子はもごもごと小さく返事を始める。 なんとなく、その姿はかわいらしい。 「きみは辛い物が好きだから、てっきり、その……そ、それに今だって、そんなコーヒーを飲んでいるじゃありませんか」 やっぱりそういう理由かと納得はしたが、なんとなくモー子らしからぬ判断だ。 「お前にしては雑な考えだな。別に辛い物が好きだからって、甘い物がダメとは限らないだろ」 「そ、そうですね」 「甘いのも辛いのも両方好きなやつだっているしな」 「………確かに、そうです……」 答えながらモー子は俺とケーキを交互に見比べてそわそわしているようだった。 「ん……」 食べかけのケーキを見て、まだ食べていないスタンドに乗ったままのケーキを見て、次に俺を目を向ける……。 いや、どちらかと言えばケーキを見る比率の方が高いか。 「………」 「う……」 じっと観察してみると、ケーキを食べる手の動きは完全に止まっていた。 その顔は、スタンドに乗っているケーキを見定めるような表情に見える……。 これだけ露骨な態度をされると、流石に理解できる。 どうやら、俺に気を使って、何個かケーキを分けた方がいいのだろうかと思っているみたいだ。 ―――面白い。 「なあ」 「な、なんですか」 「俺さ、ここのケーキ食べたことないんだよな」 「えっ? そ、そうなんですか」 わざとらしくケーキに視線を向けたまま言ってみると、目の前で驚いたような表情をされる。 普段のモー子なら、俺の態度をもっと不審に思ってもよさそうなものだが、まったく気付いていない様子だ。 「ああ。病院が近いから何度か来たことはあるんだけどな」 「では何故、食べたことがないのです?」 「男が一人だと、甘いもんとか頼みにくいし」 「な、なるほど。そういうわけですか……」 とってつけたような理由だったが、モー子は納得したようだった。 どこか名残惜しそうな顔をしているのは、多分気のせいじゃないだろう。 だが、少しすると意を決したように表情を引き締め、スタンドから何個かケーキを皿に取り分けそれを俺に差し出した。 「これ、よかったらどうぞ」 そう言って皿を差し出す手は、心なしか震えているような気すらしてくる。 モー子みたいなタイプにそんな態度をされると、こっちも悪ふざけしてしまうというものだ。 「えっ、これだけ?」 「……えっ」 わざと意地悪に答えてみると、モー子は皿を差し出したままの状態で硬直してしまった。 まさか、こう答えられるとは思わなかったんだろう。 冷静に考えれば、俺の態度がおかしいことくらいすぐにわかるだろうが、こいつ不測の事態には弱いからな。 「だって、こんだけあるんだぜ?」 「………」 「多分これ、一人で食べる量じゃないだろ」 「それは……」 モー子もわかっているであろう事実を突きつけると、何も反論できなくなってしまったようだった。 さて、これからどうするつもりなのか。 「す、すみません。もう少し、増やします」 「………」 答えながらモー子はスタンドからまたいくつかケーキを選んで、俺に渡す皿に乗せていた。 少しずつスタンドのケーキが減って、皿に移っていく。 「ど、どのくらいがいいですか」 「………」 「やはり、あの…半分ずつくらいでしょうか……」 精一杯ギリギリまでの譲歩をしたモー子の声は、やはり少し震えているような気がした。 「………」 「久我くん……?」 「……っ…」 「……?」 「……ぷっ!! くっくっ……お、お前、面白すぎだろ……!」 「!!!」 あまりに真剣な表情を浮かべられ、耐え切れずにふき出してしまった。 そんな俺を見て、モー子は目を見開き驚いたような表情に変わる。やっとからかわれていたことに気付いたらしい。 「なっ、なんなんですか、きみは!! 人がせっかく!!」 「くっくっく……悪い悪い、俺これから検査あるから食えねえし、そっちで全部食べてくれよ」 「は、はあっ!? じゃあ、最初からそう……っ!! きみ、趣味が悪すぎますよ!!」 「だから悪かったって。すぐ本当のことを言うつもりだったんだけど、お前があまりにも名残惜しそうにしてるからつい、な」 「………っ!!」 流石に少しからかい過ぎたらしい。 モー子は怒りを通り越して言葉も出てこない様子だった。 自業自得ではあるが、これはちょっと、冷静さを取り戻してもらわないと後が怖そうだ。 「ホントに悪かったって。ごめん、やり過ぎた。ほら、全部お前一人で食べていいから」 「………」 差し出された皿の上にあったケーキのうち、一つをフォークで切り分けモー子へと差し出す。 あれだけ喜んでいたケーキを食べれば、少しは機嫌もなおるだろう。 モー子は複雑そうな表情をしたまま差し出されたケーキをじっと見つめていた。 「食べねえの?」 「……食べます」 「じゃあ、はい。食えくえ」 「………」 「……はむ」 フォークをそっとモー子の口元に近付けると、意外なことにそのままケーキを食べた。 俺の手からフォークごと持っていかれるのかと思ったのに、案外素直に、餌をもらう雛のように行動されて驚いてしまう。 「……うまい?」 「ん……」 「……おいしいです」 憮然そうな表情を浮かべたまま、それでもモー子は答えていた。 そのままフォークを手渡すとまた素直に受け取りケーキを黙々と食べ始めた。 「………」 納得いかなさそうな様子のままだけど、ケーキを食べるモー子はやっぱりどこか幸せそうに見える。 美味しいものの力っていうのは凄いもんだな。なんとなく、自然とこっちの顔も綻んでしまう。 「………」 「なんですか?」 「いや、なんでも。うまいなら良かったなあと」 「……そうですか」 やっぱりケーキを食べさせたのは正解だったようだ。 いつもだったら、もうちょっと突っかかって来ても良さそうなのに今はそれがまったくない。 「はむっ……ふふ…」 そんな風に考えている俺の視線に気付いていないのか、モー子は嬉しそうに微笑んだ。 甘くて美味いものを食べてる時は、素直になるのかもしれない。 でなければ俺が差し出した食べ物をそのまま食べるなんて、普段のこいつなら絶対にしないだろうし。 「ゆっくり食えばいいからな。時間まだあるし」 「はい」 ケーキを食べ終わったモー子は、本人は無自覚かもしれないがすっかり機嫌がよくなっていた。 朝からの不機嫌は完全にケーキによって上書きされたようだ。 一安心しつつ、予約時間が近くなったこともあって、その後はそのまま病院に向かうことにした。 検査を予約した時間になり、また病院に戻って来た。 モー子は自分の用事は終わったというのに、律儀に俺について来ていた。 「他のとこで時間潰してても良かったんだぞ?」 「お気になさらず」 「いやでも、待たせるのも悪いし……」 もともと満琉の半ば無理やりな頼みごとだったわけだしな。 俺が検査している間は、モー子はただ待っているだけしか出来ない。多分退屈なだけだ。 「どうせ俺の付き添いは調べもののついでみたいな感じだったんだろ」 「確かに私の調べものは終わりましたので、久我くんの付き添いはついでになりますね」 「ですが、満琉さんからきみに付き添って欲しいと頼まれていますから」 頑なに満琉との約束を守ろうとするあたりは、さすがモー子としか言いようがない。 ここで頼むから別の場所で待ってろと言っても理由を追求されるだけだろう。 「ですから、きちんと最後まで付き添わせていただきます」 「……まあ、いいか」 「………」 俺の態度がどこかおかしいことに、本当はずっと気付いていたのだろう。 モー子は静かに言い出した。 「昨日からどうもきみの態度が煮えきらないのですが、そろそろ事情を説明していただいてもよろしいでしょうか?」 「いや、まあ……あー…」 事情というほど、ちゃんとした理由があるわけでもないのだが。 なんというか、話しづらい。 要は自分のプライベートな部分を晒すのがちょっと恥ずかしいというごく単純なことなのだが、どうやって説明すりゃいいんだ……。 「それとも、何か私には説明できないことでもあるのですか」 「そういうわけじゃねえけど」 「では、ご説明くださいますか」 「いや、実はさ……」 「あ……」 込み入った事情を説明しようとした途端、名前を呼ばれた。 振り返るとそこには、一人の看護師さんが立っている。 「お身体にお変わりはありませんか?」 「ええまあ、おかげさまで」 「急に体調が悪くなったり、気分が悪くなったりなんてことも起こってませんか?」 「この前の検査以降は特にないかな」 「以前の検査以降は良好……ということですね」 「まあ、そうなるかも」 「はい。お変わりがないようなら一安心です」 「それはどうも」 「わぁーい! 三厳くん、久し振りーっ! 元気みたいで良かったー。ホッとしたよ」 「お、おお。前も言ったけど、心配するほどじゃないって」 「えー。でも、やっぱり検査とかあると心配になるじゃない。どうしてるのかな〜っていうのも気になってたし」 「普段何してるとか、今は全然わからないわけでしょー。三厳くん全然メールとかくれないしさー!」 「だからそれも前に言っただろ、今俺がいるところ携帯繋がらねえんだって」 「そうだったっけ〜? でも、元気そうで本当に良かった」 「それにしても……みおちゃん相変わらずテンション高いな」 「えー。病院で看護師が暗いと大問題でしょ」 「そりゃそうだけどさ」 「………」 「……あ」 勢いに乗せられて話し込んで、モー子のことをすっかり放置してしまっていた。 突然やって来た看護師と俺の会話を聞いて、モー子は時が止まったように固まってしまっている。 そして、彼女の方もようやくモー子に気付いたようだった。 「あのさ、モー子……」 「………」 俺と接している時と変わらぬテンションで見つめられ、モー子の方は少し怯んでいるようだった。 もしかしたら、彼女は今までのモー子の人生の中で出会ったことがないタイプなんじゃないだろうか。 「あ、いやこいつは……」 「違います!!!」 「………」 「………」 俺が何か答えるよりも早くモー子は即答した。 あまりの素早さに、二人して驚き黙ってしまう。 「はい。勘違いは早く訂正しておく必要があると思いましたので、こちらこそ失礼な言い方をしてしまいました」 「い、いえいえ〜」 深く頭を下げながら答えるモー子を見て、彼女は驚いたような表情を浮かべた。 そして俺を見つめて、色々と説明を求めているような表情を浮かべる。 「あ、えっと……こちら、伏見みおさん。いろいろ世話になってる看護師さんで……」 「初めましてー。伏見です」 「鹿ケ谷憂緒と申します」 「憂緒ちゃんね! ちゃんと覚えたわよ」 にこにこ微笑みながら、みおちゃんはモー子をまじまじと見つめた。 遠慮のないその視線を受け止めながら、モー子は黙っている。 「そんな思いっきり見なくても……」 「ごめんね。かわいい子だからつい! ごめんねー、憂緒ちゃん」 「いえ、私は別に……」 自己紹介をし終わった後、みおちゃんは純粋な疑問を口にした。 まあそりゃ、いつも来ている満琉がいない上に別の女の子が一緒なんだから不思議に思って当然だろう。 「満琉の代わりの付き添いだよ。あいつ体調悪いのに、どうしてもついて行くってきかねえから、せめて代わりにって」 「いや、俺がみおちゃんに何かするみたいに言うなよ……」 「あーごめんごめん。ふふ、そんなこと全然ないのにねー!」 「………」 「いい加減あいつのわがまま聞くのやめた方がいいのかな……なあ、俺って満琉に甘すぎるか?」 「そんなことないんじゃない? なんだかんだ言って、満琉ちゃんだってお兄ちゃんのこと好きだから病院についてくるんでしょ」 「そうかぁ? いつもほぼ文句しか言わねえし、みおちゃんと話してるとすぐ怒るし、ついてきたくて来てるようには思えねえけどな」 「ふふ、満琉ちゃんは、君に子供扱いされるのが嫌なのよ、あたしと君が話してるとどうしても話について来にくくなるでしょ」 「いやそれって結局、話に混ざれないのが嫌だっていう子供っぽいわがままじゃねえか」 「……そうでしょうか」 「え?」 「…いえ、何でもありません。どうぞ、続けてください」 無表情のまま、モー子がぽろっと言葉を出す。 多分モー子なら、今の会話で満琉が一緒に行って欲しいと言った理由はなんとなくわかるだろうけど……。 まあ、俺も満琉の考えていることを100%理解しているわけでもないしな……。 「そうだよね〜。こんなにかわいい彼女が、三厳くんにできるなんておかしいと思ってたんだよね〜」 「なんだよそれ、どういう意味だ」 「え〜。そのままの意味だけど。自分の胸に手を当てて、よ〜く考えてみればわかるんじゃない?」 「考えても全然心当たりねえけど」 「うそ! それって問題あると思うよ〜」 「………」 容赦のない言われようだが、何も反論できない。 どうもみおちゃんと話していると、いつも最終的にはこうなってしまう。 「あ、ごめんなさい! 久し振りに会ったから、ちょっとおしゃべりしすぎちゃったね」 「ああ、そうだな」 「それじゃあ、今日は満琉ちゃんじゃなくて、憂緒ちゃんが一緒に行きましょう〜!」 「はい。よろしくお願いいたします」 「付き合わせて悪いな」 「別に……」 慌ててその隣に並び、病院の奥へと進んで行く。 「なあモー子……」 「何でしょうか」 「事情、だいたいわかっただろ」 「どの事情でしょうか」 「いやだから、満琉がついて行けって言った理由とか……」 「満琉さんにとって、伏見さんの存在が問題だということはなんとなくわかりますが」 「いや、問題っていうほどのものじゃねえけど……」 答えながら歩き続けるモー子は決して俺の顔を見ようとしない。 ただまっすぐ、機械的に自分の前を歩くみおちゃんの背中を見つめている。 若干、雲行きがあやしくなってきた。 せっかくさっきまで、ケーキのおかげで機嫌がよかったのに……。 「だから、満琉が心配してたのは俺の体調のことじゃないし、納得したなら無理に付き添わなくてもいいん……」 「いいえ! 頼まれたことですから!」 「………」 俺の言葉を遮るように答えたモー子の声には、明らかに棘があった。 俺の勘が正しければ、この感じ、モー子の不機嫌メーターは今日最高の数値じゃないだろうか。 みおちゃんと話していると慣れでそうなるのか、周りを置いていってしまうような形になることが多い。 モー子はもともとああいうタイプだから、みおちゃんみたいなテンションとは合わないところもあるんだろう。 もうちょっと気にするべきだったかもしれない。 「この病院は患者とスタッフを名前で呼び合うという決まりでもあるのでしょうか」 「え? え、何だよいきなり」 「それともきみが無頓着に誰彼構わず愛想をふりまいているだけですか?」 「俺が何かしたみたいに言うなよ、みおちゃんが三厳くん三厳くん言うから、みんな真似するようになっただけだって」 「では伏見さんとは何故そのように?」 前を向くモー子の表情は更に険しくなった、気がする。 何も言っていないのに『今すぐ説明しろ』という勢いだけは伝わって来て、なんだか落ち着かない。 というか、なぜ俺は少し焦っているんだ。そんな必要なんてどこにもないはずなのに。 「みおちゃんは……俺の家で火事が起こる前、近所に住んでたんだ。だから看護師になる前からの知り合いなんだよ」 「近場の子供の中じゃ彼女が一番年上だったから、今でも頭があがんねえんだよ」 「………」 「んで、火事の後は俺達は引っ越したからちょっと疎遠になってたんだけど、たまたまこの病院で再会したってわけだ」 「なるほど、そういうわけですか。納得いきました」 納得した、と言いつつモー子の表情は変わらない。 正直に言うと、みおちゃんにはやりこめられる事が多いのであんまりやりとりを見られたくなかったのだが……。 これ以上弱みを見せたくはないというか……今からでも帰ってくれないだろうか。 「……で、やっぱり付き添いすんの?」 「当たり前でしょう。満琉さんとの約束なのですから。それとも、私がいると何か不都合なことでもあるのですか?」 「い、いえ……」 ようやくこっちを向いたと思ったらぎろりと睨まれ、思わずたじろぎ返事がどもった。 「では、最後まできっちり付き添いますのでご安心ください」 「よ、よろしくお願いします」 モー子の声色が不機嫌すぎて、逆らってはいけない気がする。 こいつ時々、俺にはまったく心当たりがないのに理不尽に怒り出す時があるからな……。 ここは素直に返事をしておくのが一番だろう。 「二人とも仲良しだね〜。本当に付き合ってるとかじゃないの?」 「何度も言いますが違います」 「ふぅ〜ん……」 前を歩いていたみおちゃんが振り返りながらそう聞くと、モー子はさっきと同じようにすごい速さで聞かれたことを否定していた。 「んじゃあ、悪いけどちょっと待っててくれ」 「はい。私のことはお気になさらず」 検査着に着替えた久我くんを見送り、部屋の外で一人待つことになる。 検査にどのくらいの時間がかかるかはわからない。 けれど、それが終わるのを待つくらいは苦にもならないこと。 「………」 待っている間に、知り得た情報を頭の中で整理しておくのもいいかもしれない。 そう考えていると、こちらに誰かが近付いて来た。 「……ん」 「………」 近付いて来た人物に顔を向けると、そこには伏見さんの姿があった。 彼女は、私を見つめて微笑みを浮かべていた。 こうして見ると、非常に優しそうで、とっつきやすい雰囲気を持っている人物だと感じる。 ある意味、睦月に似ていると言ってもいいかもしれない。 「検査が終わるまで10分くらいかな。その間、ちょっと待っててね」 「わざわざありがとうございます」 「いいのいいの〜。三厳くんが連れて来た女の子だから気になってるんだ〜」 「そうですか」 「うん!」 そして、しげしげと遠慮のない視線を向けて来た。 「えっと、さっき自己紹介したけど…あたし、伏見みお。昔は三厳くんと満琉ちゃんの家の近所に住んでたの」 「それは先ほど、久我くんにお聞きしました」 「んー……三厳くん達が引っ越した理由も、憂緒ちゃんは知ってるのかな?」 「はい……」 「そっかあ〜。検査の理由も?」 黙って頷く私を伏見さんは更に見据える。 その瞳は、よく言えば好奇心旺盛そのもの。 けれどそれは、悪く言えば詮索好きの不躾なもの。 「じゃあ、あたしと三厳くんが、この病院で久し振りに再会したことは?」 「それも聞きました」 「ふぅん、三厳くん、憂緒ちゃんにはなんでも話すんだね〜」 彼女は微笑みを絶やさず私を見つめていた。 その微笑みにどういう意図があるのか、ついさっき会ったばかりでは読み取れない。 それに『なんでも話す』という認識は間違っている。 彼の病気のことも、妹のことも、私は、知りえた情報から推論しただけであって、決して彼が自分から話したわけではない。 「ところで二人はどういう関係? 憂緒ちゃんと三厳くんってどこで知り合ったの」 「どういう関係と言われましても……」 「あ、もしかして満琉ちゃんの同級生かな?」 「はい、ほぼそういう関係です」 実際には違うけれど、ここに至るまでの過程を説明するほどのこともないので素直に頷いておく。 それに、今までにあったことを説明するには、久我くんが満琉さんの代わりに転入して来たことも話さなければいけなくなる。 そこまで詳細に説明する必要は感じない。 「ふ〜ん……」 「……なんでしょうか」 値踏みするような視線はなくならない。 それどころか、一層それは強くなっているように感じる。 彼女の真意がわからない。 それが何故だか、妙に心に引っかかる。 「……はぁっ!?」 思わず口から声が漏れる。 その後、突然言われた言葉を理解するのに数秒かかった。 「い、いったいなんの話ですか!?」 「あれ? やっぱり彼女じゃないの?」 「違うと二度も言ったはずですが!」 「ごめんねー。あたしてっきり、照れて誤魔化してるだけなのかと思っちゃって〜」 どこをどう判断すればその答えが導き出せるのか理解に苦しむ。 どうして、あの時の私のあの応対でそんな風に思うことができるのか……。 「そっかそっかぁ、じゃあ、憂緒ちゃんの片思いかー」 更に続けられた言葉に驚愕の声をあげる以外に何もできなかった。 あまりにも驚きすぎ、立ち上がってしまった私を見つめて伏見さんはニコニコしている。 いったい、彼女は何がそんなに楽しいというのだろう。 「憂緒ちゃん、病院ではお静かに」 「う……」 「はい。座って、座って〜」 「は、はい……」 勢いのまま立ち上がってしまったことを注意され、思わず頬が赤くなってしまった。 注意されるままゆっくりと椅子に座り直し、じっと伏見さんを観察する。 その表情はやはり微笑みを浮かべたままだ。 「……その、誤解です」 「うんうん。そっかぁ、誤解かあ」 なるべく大きな声にならないように気をつけながら答えると、微笑ましい目で見つめられてしまった……。 どうも、さっきからこの人のペースに巻き込まれているような気がする。 久我くんが言っていた『頭があがらない』というのはこういうことなのだろうか。 このままではいけない……落ち着いて対応をしなければ翻弄されるだけだ。 「……ふう」 冷静な自分を取り戻さなければ。 こんな馬鹿らしいことで、心を乱されている場合ではない。 頭を冷やして、いつも通りの私でいれば、もっとうまく切り返すことが出来るはずだ。 「別に好きではありません」 「え? 好きじゃないのに、わざわざ付き添ってるの?」 「満琉さんに頼まれただけです」 「………」 大丈夫。もう何を聞かれてもきちんと答えられる。 私がここに来たのは、満琉さんにそう頼まれたから。 調べ物をするために外に出る必要があったから、そのついでで一緒に来ただけ。 それ以外に大きな理由は何もないし、彼女が望むような答えが私の口から出ることはない。 「本当にそれだけなの?」 「ええ、そうです。具合が悪そうな満琉さんの頼みを無碍にはできませんから」 「ふ〜ん……」 この人はおそらく私が慌てるのを見て楽しみたいだけなのだから、こういう対応をすればきっとこの場から離れてくれるはず。 「伏見さんは、この場にいても大丈夫なのですか?」 「え? どうして」 「今はお仕事の途中ではないかと思うのですが」 「あー。うん、そうだね〜」 先ほどまでと同じように、彼女は微笑みを絶やしていない。 けれど、その微笑みの中に今までと違う感情が混じっているのがすぐにわかる。 私の態度が一転し、冷静に答えはじめたのが、きっと彼女は面白くないのだろう。 感情の変化が手に取るようにわかる。 「そういえば、憂緒ちゃん知ってる?」 「主語がない話をされても理解できません」 「あのね、三厳くんのここのとこ……面白い形の痣があるんだよ」 「……え?」 そう言いながら、伏見さんは自分の内腿の辺りを指差しながら私を見つめた。 予想していた受け答えのどれにも当てはまらないもので、一瞬だけ頭が真っ白になる。 「お花みたいにかわいい形の……知ってた?」 「………」 真っ白になっていた思考が、ようやくきちんと回りはじめる。 ――まず、この質問の意図だ。 内腿にある痣を自分は知っているという露骨な話題を振って、私を動揺させようとしていることは間違いない。 それによって、感情をあらわにした私の本音を引き出そうとしている……というあたりが無難な着地点だろう。 そして、もう一つ、大事なこと。 そもそも、久我くんの内腿に痣はあっただろうか? 以前、とある遺品の影響で不本意ながら久我くんとそういう状況になったことがある。 その時のことをどれだけ思い出してみても、久我くんにはそんな痣があったことが思い出せない。 あの時は確かに私も動転していたけれど、そんな特徴的な痣があれば見落としはしないはず。 ならば結論として考えられる答えは一つだ。 つまり、これは嘘で、私にカマをかけているだけということ。 「……いえ、知りませんでした。そうなのですか?」 「………」 考えをまとめてから、落ち着いて答えると伏見さんは不思議そうな表情を浮かべた。 きっと、私が思ったような反応を示さなかったからだろう。 けれど私にとって見れば彼女の反応は予想通りだった。 やはり、彼女は私が慌てる姿が見たかっただけなのだ。 「お話は、それだけですか?」 「え、えっとぉ……」 「お待たせ」 話している間にすっかり時間が経っていたのか、検査を終わらせた久我くんが戻って来ていた。 何事もなかったように立ち上がり、そちらに近付く。 「みおちゃんと一緒だったのか」 「ええ。私が退屈だろうと、話し相手をしてくださっていました」 「へえ〜」 「なんですか?」 「いいや、なんでも」 「とても親切な方だなと思いましたよ」 「あ、そうなんだ。悪いな、みおちゃん」 「それでは、次の検査ですね。次はどちらですか?」 「ああ、あっち。まだだいぶかかるけど、大丈夫か?」 「当然です」 「はいはい」 「は〜い」 また私達の前を歩き出した伏見さんの後ろを、久我くんと並んで歩き始める。 「あれ〜? 今ので無反応って、三厳くんホントに脈なしなのかなあ……」 目の前を歩きながら伏見さんが独り言を呟いているようだったけれど、その内容はよく聞き取れなかった。 一通り検査が終わる頃には、夕方になってしまっていた。 検査結果を渡されて、普段ならこれで後は着替えて帰るだけ……なのだが。 よくあることと言えばそれまでなんだけど、少し面倒なことになった。 「はぁ〜」 どう説明したものかと思っていると、思わずため息が漏れる。 すると、敏感に俺の変化を察したのか、椅子に座っていたモー子がこちらまで近づいてきた。 「あぁ、いや、ちょっとな……」 「ちょっと、何です? きみの話からすると、これで検査はすべて終わったはずでは?」 検査が終わりませんでした、と嘘をつこうかと思っていたが、一言でプランが吹っ飛んだ。 最初に説明するんじゃなかった。思わず唸ってしまう。 「うーん……」 「……何かあったのですか?」 「……何かあった、って程じゃねえんだけど。あー、だから、つまりだな」 「ちょっと手違いがあって、再検査するらしいんだ。時間かかるそうだから先に帰ってくれ」 そう言うと、モー子はわずかに表情を強ばらせつつ、言った。 「……検査結果を教えて下さい」 「………」 こいつのこういう鋭いところは本当に面倒だな……。 「……いや、別に、やばかったってわけじゃ」 「きみの主観は聞いていません。正確に、検査結果を教えてくださいと言ったのです」 ――仕方ない。本当のことを言わなければ引き下がってくれそうにない。 余計な心配はかけたくなかったのだが、このまま黙っているわけにもいかなさそうだ。 「……数値が異常なんで明日再検査するってさ」 「……っ」 途端、モー子は何も言えなくなってしまったかのように、息をのんだ。 「いや、この程度の再検査くらい、今までも何度かあったんだよ。そんなたいした事じゃねえから」 「とにかく、俺は今日泊まりになるから、お前悪いけど一人で帰ってくれるか」 「…………」 「……おい、モー子?」 「……え?」 「聞いてたか?」 「え…ええ……今までにも、何度かある、と……」 思っていた以上に深刻に受け止められてしまったのではないかと心配してたが、そこはちゃんと聞いてたみたいだ。 だが、その後もモー子は何も言わないまま、その場に立ち尽くすだけだった。 「あのさ……」 「はい」 「帰らないのか?」 「……え?」 「いや、だから俺は泊まって明日再検査だから。一緒には帰れないんだよ。ここまで付き合ってもらって悪いけど……」 「………」 もしかして、そこは聞いてなかったのか? モー子はしばらく俺を不思議そうに見つめていた。 今の状況をわかっているんだろうか……。 「あ……ええと…」 ようやく、モー子は俺の言っていた言葉の意味を理解したらしい。 「今までにも、何度か同じことはあったんですよね? 一泊して、再検査することが?」 「そうそう」 「では、以前同じことがあった時、満琉さんはどうされていましたか?」 「えっ……」 なんとなく、話の方向がおかしな向きになってきた。 そう感じはしたものの、答えないわけにもいかない。 「一緒に泊まって……次の日結果を聞いて一緒に帰ったけど…」 「……わかりました」 「わかったって、何が」 なんだか、嫌な予感がする。 しかも、その予感は絶対に外れない気がしてならない。 「私も泊まります」 「……マジ?」 「何か問題でも?」 「いや、だってさ……」 「満琉さんが付き添われていた時に泊まられていたのなら、私も泊まって最後まで検査結果を確認する義務があります」 「義務ですか……」 モー子の表情は真剣そのものだった。 そこまで満琉に義理立てすることはないと思うんだが、こいつの性格じゃ仕方ない気もする。 「でもさ、付き添いってことは……あの、同じ部屋になるんだけど」 「それくらい、わかっています」 「ああ、そう……」 ここで帰れと言っても多分、聞き分けてはくれないだろう。 なんせ、義務とまで言ってるんだからなあ。 これ以上言い合いをしていても埒が明かないってことだけははっきりわかる。 「じゃあ、あの……最後までよろしく」 「……はい」 頷き答えるモー子は神妙な顔をしていた。 どうも、妙なことになってしまった……そう思いつつも、浮き足立っている気持ちが心のどこかにあることも否定できなかった。 別に、いつかのように手錠で繋がれていることもない。 どうってことはない、はずなのだが。 検査入院の手続きをしに行くと、久我くんは話をしに行ってしまった。 そのついでに、付き添いの私が一緒に泊まる手続きもしてくれるそうだ。 手間をかけさせているのはわかっている。 けれど、どうしても彼を一人で放っておくわけにはいかない気がした。 「憂緒ちゃん」 「………」 久我くんを待っていると、伏見さんが声をかけて来た。 「付き添いで泊まることにしたの?」 「……はい」 「えっと、やっぱり心配?」 「はい」 私が頷くと伏見さんは優しい表情で私を見つめる。 職業上、久我くんの抱えている事情も、その状態も彼女にはよくわかっているのだろう。 わかっていてそんな顔が出来るのなら、彼女は看護師として関係者に落ち着きを与えられる人に違いないと素直に感じられた。 「あのね、そこまで心配しなくても大丈夫だよ。再検査で一泊する人って、三厳くん以外にも結構いるんだからね」 「そう、なんですか」 「ええ。だから、そんな顔しなくてもだいじょーぶ!」 「…はい」 安心させようとしてくれているのはわかる。 けれど、その言葉をすぐに受け入れられそうにはなかった。 私は、久我くんの病状を、よく知らない。 一般的に言って珍しい症例だとは知っているが、そんな特殊な事情を抱える彼が再検査で一泊するということがどういう事なのか、私には判断できない。 「満琉ちゃんも前に再検査になった時は慌ててたけど、次の日に結果を聞いたらな〜んだってケロっとしてたからね」 「満琉さんも、ですか……」 「うん! だから、あんまり心配しないでね。心配しすぎると憂緒ちゃんの具合も悪くなっちゃうから」 「私にまで気を遣って頂いて、申し訳ありません……」 「………いえ、頼まれて……無理についてきた……だけですから……」 「……うんうん。やっぱりね。あたしのカンは間違ってなかったみたい。よかった!」 突然、満足そうに頷き始めた伏見さんを、私は不思議に思いながら見上げた。 「あのね憂緒ちゃん、一つ言っとかないといけないんだけど……」 「なんですか?」 もしかすると付き添うのに気をつけるべきことでもあるのだろうか。 そう思っていると、伏見さんはそっと顔を近付けて小さな声で私に耳打ちする。 「さっきの痣の話、ウソだからね! 痣とか、そんなの全然ないから。だから頑張って!」 「………」 耳打ちを終わらせた伏見さんは顔を離すと、にこにこと微笑みを浮かべながら私の背中を軽く叩いた。 「……あ」 「お? 三厳くん。色々終わった?」 「ああ、終わった。あとは病室に行くだけ」 「そっか。じゃあ、一緒に行きましょう〜」 「はいはい。おい、モー子行くぞ」 「わかりました」 椅子から立ち上がると、伏見さんが先頭に立って歩き出した。 久我くんはその隣を並んで歩き、私はその二人の背中を見つめながら歩く。 「………」 歩きながら、先ほど伏見さんに言われた言葉が気になっていた。 「さっきの痣の話、ウソだからね! 痣とか、そんなの全然ないから。だから頑張って!」 彼女の意図は、おそらく私を勇気付けようとしていたのだと考えられる。 少し過激なカマをかけてみたものの、誤解させたままでは気の毒だとでも思ったのかもしれない。 つまり、悪戯心はあったものの、悪気はないのだ。それは理解できる。 だからここは、常識的に考えれば喜ぶべきところなのだろう。 けれど―――。 思考は、私の望む望まないに関わらず、回転し続ける。 ……どうして、彼女は久我くんには『痣は全然ない』と断言したのだろう。 私は、過去に実際に久我くんの身体を見たことがあるから、痣がないことは知っている。だから断言できる。 そう、見たことがないのなら、『ない』と断言は出来ないはずなのだ。 ただの嘘だったのなら、本当は痣があるかどうかなど知らない、と言うべきだ。 つまり、彼女は私と同じ――痣がないことを知っているから、無意識のうちにそう言ってしまったのだ。 「それは、つまり……」 私と同じだけの根拠が、彼女にもあるということになる……。 今晩泊まる病室まで来ると、みおちゃんが色々と整頓や準備をしてくれた。 俺の方は初めてじゃないし、今回はこれと言ってやることはなさそうだ。 どうせ後は明日に備えておとなしく寝るだけだしな。 「前にも経験あるから、今回は詳しい説明はいらないかな?」 「ああ、大丈夫だ。なんか色々悪いな」 「え〜。何言ってるの? これがあたしの仕事なんだから、そんなこと言わないの」 「まあ、そうなんだけどさ」 「………」 「憂緒ちゃん、簡易ベッド用意してあるから寝る時はこっちね」 「はい……」 素直に返事をするモー子はさっきまでの勢いがまるでない。 再検査のことを心配しているのかとも思ったが、泊まると言ったときはそれなりに気迫みたいなものがあったし……。 今になってなんで意気消沈してるんだ……。 俺一人だけ、ちょっとテンションが上がってるのが逆に滑稽過ぎるように思えてきた。 「ホントにさっきの、もう気にしなくていいんだよ?」 「………あ…いえ…気にしてません」 「おい、何の話してるんだ?」 「いーの! 三厳くんは関係ないんだから」 「………」 みおちゃんと何かあったのか? またからかわれたとか……いや、それでここまでダメージを受けるとも考えにくい。 一応、あとでこっそり何話していたのか聞いてみるか……。 「それじゃあ、あたしそろそろ他の患者さんのとこ行くから。何かあったらナースコール押してね」 「ああ、わかった」 「憂緒ちゃんも困ったことがあったら声かけてね」 「わざわざ、ありがとうございます」 「それじゃ二人とも、ごゆっくり〜」 にこにこと笑いながら、みおちゃんは部屋を出て行ってしまった。 二人で病室に残されたわけだが、モー子の方は相変わらずおとなしい。 「………」 「おーい、モー子……?」 「……」 何か考えているらしいモー子は俺が呼んでも返事をしない。 さすがに心配になってきた。 「……なんかあったのか?」 「……」 「みおちゃんに何か言われたか?」 返事はない。 「言わないとわかんねえぞ。俺は鍔姫ちゃんみたいな魔女じゃねえんだからな」 そういえば、最初のうちも、こいつはこうやって何も話してくれなかったことを思い出す。 そう思った途端、気持ちが乱れ始める。 「きみだって……」 「ん?」 「きみだって、私に何も言わないではありませんか………」 「………そりゃそうだけど、お互い何も言わなかったら、何もわかんねえままだろ」 「少なくとも、そんな風に突然黙られたら、不思議に思うに決まってるだろうが。まあ別に、お前が言いたくないんなら、無理に聞かねぇけど」 「……」 まるで関係が最初に戻ってしまったようで、それが俺にはどうにも腹立たしく、少しモー子への言葉に棘が入ってしまった。 いかん。何故か、必要以上に感情的になっている。 自分でもそれがわかって、落ち着くためにゆっくりと息を吐き出した。 「………で、どうしたんだ」 「……」 「俺には言いたくないことか」 そう言うと、モー子は何故か、抗議するように険しい表情で俺を見た。 「なんだ。なんか文句があるならはっきり言えよ」 「…きみは!」 ようやく言葉を発し始めたモー子の口から飛び出したのは、まったく予想外の、意外なものだった。 「きみは伏見さんと、どういう関係なんですか」 「………。は?」 一瞬、モー子の意図がまったく掴めずに、そのまま聞き返してしまう。 「え、俺とみおちゃんの関係? それを聞いてんの?」 「ええ、そうです」 「関係って言われても、最初に説明した以上のことはないんだけど……」 「昔、近所に住んでいた知り合い……と、いうそれだけの関係ですか?」 「ああ、そうだ」 他に説明のしようがない。 この病院で再会したのだって偶然だし、それ以上は特にこれと言って言うこともない。 「本当にそれだけなのですか?」 「は?」 「そんなわけはないでしょう。あれだけ親しそうにしていたのに」 「いや、お前何言ってんの? そりゃ、子供の頃からの知り合いなんだから親しいだろ」 「それ以上のことを感じましたが!?」 「はああ? どこ見てそう受け取ったんだお前は」 問答の意味がよく掴めないままモー子を見ると、その表情は更に険しくなっていた。 「先ほど、伏見さんから話を聞きました。久我くんのここに、花形の痣があるという話です」 「……え?」 ここと言いながらモー子は自分の内腿を指差した。 かなり内側のぎりぎり際どい部分だ。 突然のことに、さらに思考が混乱する。 だいたい、さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしていたのに、何で突然怒りだしてるんだこいつは。 いや、何の話をしていたんだっけ。――そうだ、俺の内腿に痣があるって話か。 「彼女は多分、そう言えば私が取り乱して面白い反応をすると思ったのでしょう」 「あ、ああ……みおちゃんらしい悪ふざけだな…」 「しかし、私は彼女が思ったような反応をしませんでした。すると彼女は、痣の話は嘘だ、きみには痣はないと先ほど言ったのです」 「ああ、そう……」 つまり、さっきみおちゃんが言ってた気にしなくていいっていうのは、その痣の話……ってことか? いやでも、話はそれで完結してるだろう。 俺にはそんな痣はないし、嘘でした、ハイ終わり、で済む話のはずだ。 「しかし、何故彼女は『知らない』ではなく『痣はない』と言ったのですか?」 「え……」 「それはつまり、痣はないと断言できるだけの根拠が彼女にはあるということでしょう」 「お前……何が言いたいんだよ」 「だから、きみと彼女の関係を聞いているのです!」 「………」 ようやく話が飲み込めてきた。 つまり、モー子は俺の身体にある痣の話を聞いて、彼女と俺がただならぬ関係にあるという推理に至ったらしい。 なるほど、それはわかった。それはわかったが……。 「それ聞いてどうするつもりなんだよ。俺とみおちゃんが仮になんかあったとしても、別にいいだろ……大人なんだし」 「それは、自白と受け取って構わないということですか!?」 「なんだそりゃ。仮にって言ってるだろうが!」 「では、最後の別にいいというのはなんですか! 何がいいと言うのです!」 「だって、誰かに迷惑かけたわけじゃないだろ!!」 「迷惑なら、私に思いっきりかけたではありませんか!」 「……え」 思わず、言葉が止まった。 こいつの言っている迷惑って、まさか……。 答えられずに黙っていると、モー子は強い視線を俺に向けた。 「あれだけ酷いことをされたんですから、私にはきみの女性関係を聞く権利があるでしょう!!」 「……っ!」 ――間違いない、あの時のことを言っている。 遺品の副作用で覚えていない……なんて都合が良すぎるとは思っていたが、やっぱり忘れた振りをしていただけだったのか…! 「な、なんで……このタイミングでそれを……」 「そんなことはどうでもいいんです!」 「よくねーだろ!!」 「いいんです! それより、何故彼女は痣がないとはっきり断言できるのですか!!」 「い、いや、それは……」 モー子の表情は真剣だった。 あまりにも真剣すぎて言い返すこともできなくなる。 けどこいつ、今自分が何を言ってるのかわかってるんだろうか……。 とんでもないことを口にしている自覚があるようには思えない。 「そんなのは、きみの裸を見ていないとわからないことではありませんか……」 「いや、それは……あの…」 「………」 ………正直、答え辛い。 だがここで誤魔化したり、黙ってやり過ごすことは出来なさそうだ。 忘れたことにしたはずのクピドの弓の話を持ち出してきた以上、モー子は本気なのだろう。 「言えないようなことが、過去にあったのですか?」 「そうじゃねーって!」 「では、何故彼女はきみに痣がないと断言できるのです」 「だ、だから…………入院した時にその、色々世話になることもあるだろ……」 「……は?」 「だから、ほら……色々あるだろ!」 俺のあやふやな説明を聞き、モー子ははっとしたような表情を浮かべた。 それからすぐに、顔を真っ赤にして視線をそらしてしまう。 自分の早とちりに気付いたらしい。 これで気付かれなかったら、もっと詳しい説明をしないといけなかったんだろうか……。 「ったく、いちいち恥ずかしいことを告白させんなよ……」 「す、すみません……」 申し訳なさそうに頭を下げるモー子だったが、これで誤解でした、じゃあ終わりです、というわけにもいかない。 「……お前、あの時のことやっぱり覚えてたんだな」 「………」 俺が聞くとモー子は黙り込んでしまった。 「なんで黙ってたんだよ」 「私が覚えていたと話しても、互いの関係が良好になるわけではないでしょう。むしろ悪化することすら考えられます」 「話して関係が悪化するくらいなら、黙っているのが最良だと判断したまでのことです」 なるほど、確かにモー子らしい、理論的な考えだ。 だいたいそんなことだろうとは思っていたが、今問題なのはそこではない。 「だったら、さっきなんで話したんだ。みおちゃんに言われた痣のことを確認するためか?」 「ええ、そうです。それが必要だったからです」 「なんでそこまで気にするんだよ。別に確認することでもないだろ」 「確認する必要があったんです! 私の身体を弄んだ久我くんが、彼女も弄んだのかどうか!」 「なんだそりゃ! お前、俺のことどう思ってんだ!」 「どうもこうも、弄んだのは事実ではありませんか!」 「あれは遺品の力でだな……!」 「きみは遺品の力であれば、他人を弄んでも良いと言うのですか! なんて無責任な!!」 無責任と言われて、カチンと来る。 別に責任を取らないつもりもないし、謝ろうとした時にはモー子もそれがわかってて知らないふりをしていたんだろうに。 「そんなこと言ってねえよ! 忘れてること無理に思い出させてショック受けさせることもねえって思ったんだよ!」 「それに、謝ろうとした時、忘れたふりをしたのはお前の方だろ!!」 「つまり、きみはあの件は謝ればそれで済む、そう思っているのですね! その程度のことだったというわけですね!」 「どうやったら、そんな風に捻くれた受け取り方ができるんだよお前は!」 「きみが無責任だからですよ! 責任をとってくれるとでも言うんですか!?」 「責任くらいとってやるよ! 無責任のままでいるつもりなんかねえ! で、俺は何すりゃいいんだ?」 「お前と結婚して一生面倒見るとでも誓えばいいのか? それで満足ならそうしてやる!!」 「……なっ!! あ……」 勢いで言った言葉を聞き、モー子は顔を真っ赤にした。 それは恥ずかしいからなのか、それとも怒りのせいなのかはわからない。 「な、なんですかその態度は!!! 反省というものがまったく感じられません!!」 「反省してるから責任とるって言ってるんだろうが! じゃあ、お前は俺にどうして欲しいんだよ!」 「お前が責任とれって言ったからだろ!?」 「うっ……ぐっ…」 ついに俺に言い返すことが出来なくなり、モー子は悔しそうに唇を噛む。 こんなに理論的でないモー子を見るのは出会ってから初めてかもしれない。 感情にのまれて、思ったままをただ口にしているだけだ。俺も頭に血が上ってるので人のことは言えないが。 「………うぅ」 「………」 口論が途切れて、やっと少し冷静さが返って来る。 別に、俺だってこんな言い争いがしたかったわけじゃない。 「………はぁ……」 自分の感情のコントロールの出来なさに、思わずため息が出る。 もう少しうまくやれてるつもりだったんだが。 「なんか、疲れた……」 「……え」 ここまで言い合うつもりはなかったのに、勢いで色々言い過ぎた。 深く息を吐いてベッドに寝転ぶと、モー子は顔を上げて心配そうに俺を見つめた。 その表情から、さっきまでの険しさは消えていた。 「別に、こんなことが言いたかったわけじゃねえのに……」 思わず、ぽろりと本音がこぼれ落ちる。 モー子は、それをしっかりと聞いていたのだろう。少し目を見開いて、そして、それから……。 「……私だって……こんなつもりじゃ……」 見れば、モー子の瞳には、いつの間にか涙が溜まっている。 様子がおかしいことはわかってたが、思わず反射的に飛び起きた。 「お前……」 「…もう……わかりません……っ…きみが…何を考えているのか……」 「……何って」 「私は……どうしたらいいんですか…っ!」 「私は、……きみまで、いなくなってしまったらって、心配で、不安で、それで……! なのに……!」 「何も話してくれない……し、帰れって言うし……ど、どうして、私を遠ざけることばっかり……! そのくせ、伏見さんとは何でも話して……!」 「……………」 「………わ、私だって、わかって……っ……きみが、あの時、おかしくなってたこと、くらい……!」 「別に、責任を……とってほしかったわけじゃ……ないのに、ただ、私は……! きみが、私に、変な義理立てしないようにって、そう思って…」 「だから、なかったことにしたんです! なのに! き、きみは、本当に、なにも、なかったみたいに……!」 その身体は小さく震えていて、見たことがないほど弱々しかった。 俺が何も答えられないでいる間、モー子は涙をぼろぼろ零し、声を殺してただ泣き続けていた。 「………」 「う……ふ、うぅ…ひ、うぅ…」 今更になって、ようやく認識した。 ああつまり、これまでの情緒不安定は、全部俺のせいだったってわけか。 どうして、泣き出すまで気付いてやれなかったんだろう。 改めて思い返せば、そう判断できるような場面は何度もあったはずだ。 こいつが俺に対してまっすぐ素直に感情を出してこないのは充分理解していたつもりだったのに。 「……泣くなよ」 「だ、誰のせいだと……ひぅ……」 「そんな顔するな……」 「…う、う……」 流れる涙を拭いながら、頬をそっと撫でる。 けど、拭っても拭っても涙は止まらなくて、まるで押し殺していた感情があふれ出したようだった。 「……もう、泣くなって」 「……あ」 そのまま、ゆっくりと顔を近づけて唇を重ねていた。 それはほぼ無意識の行動で……。 泣いているモー子を見ていたら、そうしてしまいたくなった……。 「………」 モー子の唇は柔らかかった。 その柔らかさにもっと触れたくて、何度も唇を重ねる。 何度も触れ合わせても、モー子は拒絶することなくただじっとしたままだ。 「……ん」 少しだけ甘い吐息が漏れる。 さっきまで怒鳴っていたのと同じ人物とは思えないくらい、モー子は従順で、おとなしくキスをされていた。 まだ頬を涙が流れ続けていたが、唇を合わせているせいか泣き声はおさまっている。 「………」 「………」 そっと離れると、戸惑ったような、不安そうな瞳がこちらに向けられる。 どうしてキスをしたのか、その理由を聞きたい、でも、望んでいた答えが返されないのが怖くて聞けない。 ――そんな風にでも、考えているのだろうか。 モー子は何も言わず、ただひたすら俺の言葉を待っているようだった。 「………あのな」 「……はい…」 「とりあえず……一個ずつ、お前の疑問には、答えるから、ちゃんと聞けよ」 「再検査のことを隠したのは、変に心配かけたくなかったからだ。再検査自体は本当に何回もやってることだしな」 「だから帰るのが明日になるってだけで、俺にとっては本当にどうってことはなかったんだよ。……わかった?」 まだ涙は残ったままだったが、モー子はこくり、と頷く。 「お前に帰れって言ったのも、付き合わせるのも悪いって思ったからだ。別に、遠ざけたかったわけじゃない……」 「まあ、その……正直みおちゃんとのやり取りはあんま見られたくなかったけど……それは、わかるだろ、その、男のプライドみたいなもんがだな…」 「だからみおちゃんとは、お前が思ってるような関係じゃねえよ」 「……そう、ですか……それなら……いいです……邪推してしまい…すみませんでした……」 ようやく自分で涙を拭うと、モー子は申し訳なさそうにそう呟いた。いろいろと納得してくれたようだ。 だが、これで終わりじゃない。俺の方にもまだ言うことが残っている。 「……こっちこそ、悪かった」 「え……」 「結局、お前の忘れたふりに甘えてたのは事実だ。……あの時は、酷いことをして、ごめんな」 「……もう…いいです。あれは……きみの、せいじゃないですし……」 「………いや」 ――そうでもない。100%遺品のせいだ、と言い切る自信はなかった。 遺品の熱に侵されていても、時々は正気に返る一瞬があった。 本当に駄目だと思っていれば、多分止められたはずなのだ。 「……やっぱり俺が悪い、と思う」 キスだけじゃなくて、触らせたり触ったり……それ以上のこともしたり。 あの時のモー子の表情や反応はかわいくて、触れる感触も柔らかくて気持ち良かった。 俺はそれに溺れて、遺品の力に抵抗することをやめたのだ。 ……さっき言われたように、俺が好き勝手にこいつのこと弄んだだけというのは的を射ているんじゃないのか。 「それでも、もう、いいです」 「…………」 ……………………まずい。 ちょっと、詳細に思い出し過ぎた。 しかも本人が今、目の前にいるっていうのに。 「………」 俺の変化に即座に気付いて、モー子は不安そうに俺を見つめてくる。 こいつの表情一つ一つが、あの時のことを思い出させてしまって仕方がない。 しかも、これからこの部屋で一晩、二人きりで一緒に過ごさなければならないのだ。 この雰囲気はまずい。 というか、また何かの弾みで俺が何かしてしまいそうだ。 「いや、あの……」 なんとか状況を打破する方法を考えなくては。 だいたい今しがた反省したばかりのはずなのに、何をやってるんだ俺は……。 「どうかしたのですか?」 「………」 ―――いっそ、正直に言ってしまうか。 多分間違いなく怒るだろうが、平手打ちでも食らえば俺ももう少し冷静になれるだろうし、この妙な場の雰囲気も消えてなくなるだろう。 「ん、なんつーか……」 「………」 「なんか、あの時の話をしていたらだな、色々思い出してちょっとな……」 「ちょっと……とは?」 「下半身が……」 「具合が悪いのですか?」 「違う、わかるだろ……」 「違う?」 モー子は少しぼんやりした表情を浮かべながら首を傾げていた。 冗談でもなんでもなく、理解できていないらしい。 いつもはあんなに頭が回るくせに、どうしてこんな時だけ鈍いんだこいつは。 直接的に言わないと通じないっぽいし、どうせ怒らせるのが目的みたいなものなんだから、はっきり言うか。 「だから、あのな……」 「はい」 「勃起した」 「……」 さすがにこれだけ言えばわかるはずだ。 見るとモー子は口を中途半端に開けたまま、凍り付いていた。 おそらく考えても見なかった言葉に思考がストップしたのだろうが、再起動するのは時間の問題だろう。 「なっ、なにを考えているんですかこんな時に! だいたいさっき悪かったと言ったばかりではありませんか! 最低です、きみは本当に最低です!」 多分、もうしばらくしたら、こんな感じで怒り出すはずだ。 そして反論の余地はない。俺だって最低だと思う……。 …………。 だが、いつまでたっても俺を蔑むような文句は発されなかった。 おかしい。 どれだけ再起動に時間がかかってるんだこいつ。怒りのあまり気絶してるんじゃないだろうな。 慌てて意識して逸らしていた視線を戻してみると……。 「………………」 モー子は、自分の手をぎゅうっと握り締めたまま、真っ赤になっていた。 何かを必死に耐えるかのように、唇をかみ締めて小さく身体を動かし、ぷるぷると震えている。 「え……と……」 ……なんだこの反応。予想と違いすぎるだろうが。 「あ、あの、それは……」 恥ずかしそうにもじもじし続けているモー子は、ちらちらと俺を見ては視線を外し俯く。 「……私のことを、意識している、ということで、いいんでしょうか………あ……あの時、みたいに?」 「まさか、遺品の、クピドの矢の、後遺症、とかではない……ですよね……」 「……………。あのさ、モー子……」 「な、なんですか」 「お前それは反則だろ」 「は、はぁっ?」 「そんな顔されたら本当に我慢できなくなるって言ってるんだよ」 俺の言葉を聞いたモー子の顔は更に赤くなり、戸惑ったようにおろおろし始めた。 どうすればいいのかわからない…と思っているのが手に取るようにわかる。 「え……えっ!? が、我慢って…何が……」 「何って…そんなの、今さら説明しないとダメか?」 「……っ」 そっと手をのばして、モー子の腕に触れる。 けれどモー子は体を引くこともせず、逃げるような素振りすら見せない。 「なあ……逃げないのか?」 「……あっ」 そう言いながら腕を緩く掴むと、びくっと身体が震えて小さく首を振られる。 嫌だという意思表示なのかもしれない。けれど、本気で嫌がっているようには思えなかった。 「やめてください……」 「………」 「お、お願いですから……」 それは抵抗というには、あまりにも弱々しかった。 口先だけの逃げ出す気のない軽い動きに、心臓が高鳴る。 まるで煽られているように感じる行動に身体は勝手に動き出していた。 「……あ、やっ!」 掴んだ腕を引き寄せ、自分との距離を縮め、その身体を抱きしめる。 そのまま、腕だけでなく肩口や背中、首筋をゆっくり撫でると目の前で小さな身体が震えていた。 「い、や……あ…」 「本当に嫌?」 「……んっ」 手のひらを動かし、何度も身体を撫でながら耳元で聞いてみる。 小さく声を漏らしながら頷く姿は、本当に嫌だと言っているようには思えない。 「嫌なら、逃げろよ……憂緒」 「あ……! いや…あっ」 また手のひらを動かし、首筋から背中を下の方へとゆっくり撫でて行く。 手のひらが動く度に憂緒の身体は震え、小さく甘い声が唇から漏れる。 その仕種に、その声に、身体と心が揺さぶられる。 「は、ぁあ……んっ!」 背中を撫でる手のひらを、そのままお尻の方に移動させる。 瞬間、憂緒の身体がビクっと大きな反応を見せた。 さすがにここまでやれば逃げ出すかもしれないと思ったのに、それでも憂緒は震えるだけで抵抗しない。 「……いいの?」 「だめ……」 囁くような声で聞きながら手のひらを動かし続け、柔らかな膨らみを撫でてみても答えはやっぱり変わらない。 そんなに嫌なら逃げ出せばいいし、今なら逃げ出せるのに憂緒は決してそうしない。 「……ふぅん」 「久我くん、ホントに……」 「……っ!」 また手のひらを動かし続けようとした瞬間、病室の外から脚と車のついた搬送器具の音が聞こえて来た。 その音を聞いた憂緒は驚き、ようやく抵抗らしい抵抗をして慌てて俺から身体を離してしまった。 そして、困ったように俺を見つめる。 「き、きみは病人だし、これ以上は人が来るから……」 「………」 首を振りながらそう言うけれど、憂緒は決して自分が嫌だからとは言っていない。 「それってつまり、見付からなければいいってことだよな?」 そう言いながら憂緒の身体を抱き寄せ、ベッドの中に強引に引き寄せた。 驚き目を丸くした憂緒だったが、さっきのように逃げ出そうとはしなかった。 「こ、久我くん……な、何をするんですか」 「見付からなきゃいいんだろ」 「そ、そんなことは言っていません」 「でも、さっきのはそう言ってたようにしか聞こえなかったけど?」 「な、なんてこと言うんですか!」 「大きい声出したら見付かるぞ?」 「……!」 耳元でわざとらしく低い声を出して囁くと、憂緒の身体がビクっと震えて動きが止まった。 動かなくなってしまったのをいいことに、またゆっくりと身体を撫で始める。 「あ……や、やめ…」 「だから、嫌なら逃げればいいんだよ」 「そ、そんな……」 何度同じことを言っても、憂緒は逃げ出さずにじっとしていた。 それを了承と判断して、何度も手のひらを動かし柔らかい身体の感触を確かめる。 「ホントに逃げないのか?」 「……んっ」 「………」 憂緒は俺の言葉に答えもせずに、ただ声を我慢していた。 そんな風にしてると、もっと色々してやりたくなるんだけど……きっとわかっていないんだろうな。 「ひゃ!」 「……お」 「あ! や、やめて……んっ!」 スカートをめくって下着が見える状態にする。 そして、下着の上からゆっくりとお尻の膨らみを撫で始めた。 「……ぁあ! ん、やだ……」 柔らかな膨らみを手のひらで優しく包み込み、ゆっくりと撫で回すと憂緒の身体が震える。 唇からは甘い声が漏れ、嫌だと言う言葉が嘘にしか聞こえない。 「ん……んんっ!」 手のひらの動きに合わせて、憂緒の身体が何度も震える。 声が漏れそうになるのを必死に我慢して、小さく身体を震わせているのを見ているともっといろんなことがしたくなる。 「憂緒……」 「久我くん…? も、やめましょ……こんな、ところで……」 「そんな声で言われてもなあ」 煽られているようにしか感じられない。 また手のひらを動かして、何度も執拗にお尻を撫で続けると憂緒の身体が更に大きく反応した。 「きゃっ! あ……き、きみが触るから」 「ふぅ〜ん、俺に触られるとそんな声が出るんだ」 「……!」 「じゃあ……」 下着の隙間から指を進ませ、直接秘部に触れてみる。 すると、憂緒の身体は今まで以上に大きく反応した。 「ひゃ、あぁっ!」 「お、いい反応」 「あ、ああ……だ、だめです、久我くん……」 小さく首を振りながら憂緒は嫌がっているが、直接触れた秘部は既にしっとりと湿り気を帯びていた。 「本当にダメ?」 「……んっ!」 湿り気を帯びている部分で指先を動かし割れ目をなぞると、そこがひくひくと反応を始め、憂緒の身体が何度も震える。 反応を確かめるようにしながら、ゆっくりと指先を動かし続け緩い刺激を与え続ける。 「は、はあ……あ、んぅ…! そんな風に…さ、触らないで…っ」 「なんで?」 「な、なんでって……そ、そんなこと…!」 理由なんて聞かなくてもわかっている。 けど、意地悪に聞いてみると憂緒は答えられずに真っ赤になった。 そして、指先で刺激を与えられ続けている秘部はまるで言葉にも反応するようにひくついた。 「ダメな理由って、何かあるか?」 「な、何かって……そ、そんなのは…! ああっ」 「だって、ダメとか言ってる割に嫌がらねぇし」 「そ、そんなこと……な、い! ふぁあ!」 割れ目をなぞるだけだった指先を更に動かし、クリトリスを軽く擦る。 すると、わかりやすく大きな反応をして声をあげられた。 憂緒は慌てて唇を閉じていやいやと首を振る。 「ん、んぅ!! そ、そこ…だめですっ!」 「つまり、ここがいいってことか」 「やっ! そ、そんなこと言ってな…い……ふぁあっ!」 指先をクリトリスにあて、ゆっくりと擦り続けると憂緒の声が大きくなった。 そして身体もビクビク震えて、その刺激に感じているのがわかる。 「は、はあ……はあ、あ…も、だめ……」 「ダメじゃないだろ」 「あ、あっ!」 答えながら指を割れ目の奥へと進ませ、湿り気を帯びた膣内へと入れて行く。 ゆっくりと慎重に指を進ませると、中で強く締め付けられる。 「ふ……あ、はあ、だめ……んっ!」 「その割にいい反応」 「や……」 奥に進ませた指を軽く抜き差しさせながら言うと、憂緒は恥ずかしげに首を振った。 けれど、中の反応はさっきよりもよくなり、締め付けながらひくついている。 「久我くん……あっ…やめ!」 やめてと口では言っている。けど、憂緒はやっぱり逃げ出さない。 ここまでされても抵抗はなく、言い返すだけなんて嫌がっているとはやっぱり思えない。 それに、指先を動かす度に湿り気は増えて小さく音がなり始めている。 「憂緒……」 「もう……やめましょう、久我くん……」 「嫌だ…って言ったらどうする?」 「え? え、あっ!!」 下着を脱がして下半身を露にさせる。 秘部にそっと指をはわせて確かめると、そこは十分に愛液が溢れて濡れていた。 「……すっごい濡れてる」 「ん……! いや、そんな…」 濡れていることを確認し、わざと口に出して伝えると憂緒はいやいやと首を振る。 恥ずかしさに必死で耐えているその表情は、かわいらしくてたまらない。 「こんなに濡れてたら、このまま終わりなんて……なしだよな?」 「な、何を言ってるんですか……」 「だからさ……」 「ふあっ……!」 指をまた秘部へと移動させ、その奥へと進ませる。 十分に濡れた膣内はあっさりと指を奥まで届かせ、抜き差しさせるように動かすとスムーズに中から出入りさせた。 「ん……」 「ふぁ、あ、ああっ!」 指が動く度に憂緒は声を漏らし、さっきよりも反応をよくしていた。 小さく震えながら声を漏らす姿を見ていると、もっともっとと気持ちがはやる。 「ひゃっ! あ、あん…や、だ……奥、やめてぇ!」 抜き差しさせていた指を奥まで届かせ、そのまま奥で細かく指を動かし続ける。 くちゅくちゅと小さく音が響き、じわじわと愛液が溢れてくるのがわかる。 「憂緒、気持ちいい?」 「やだ……聞かないで、くださ……あっ!」 「ふぅん……」 いやいやと首を振り、恥ずかしそうに答える憂緒の身体が敏感に反応した。 答えられないってことは、聞かれたことに肯定してるってことだと思うんだが気付いているんだろうか。 「ふぁっ!!」 「お、反応よくなった」 「あ、ああ……や、そこ……あ、あんっ!」 意識的に奥を攻めると憂緒の身体が何度も震えた。 ひくひくと内側から身体を震わせ、愛液を溢れさせながら声を堪える姿は欲望を刺激する。 「ここがいい?」 「いや、あっ……ち、違います…! ふ、ぁあっ」 「わかった」 「ひゃんっ! ん、ちが……あぅ!!」 違うと答える憂緒の中は、指を動かす度に反応がよくなる。 奥を刺激し、何度も指を抜き差しし続けていると、中が解れて出入りさせやすくなる。 「は、はあ、はあ……あっ、んっ!」 ぐちゅぐちゅと愛液が溢れる音はどんどん大きくなり、それに合わせるように何度も指を締め付けられる。 締め付けられる指を奥まで進ませると、その度に憂緒はびくりと身体を仰け反らせるように震えていた。 「久我くん……ん……」 ちらりと視線を向けられ、その表情に心臓が高鳴った。 感じているその表情がまた俺を刺激して、もっと違う顔が見たい、もっと感じさせたいと思ってしまう。 「……ん、こっちは」 「ひあっ!!!」 悪戯心が抑えきれず、指先を移動させてアナルをそっと弄る。 想像していなかったところを触られたからか、憂緒は今まで以上に大きく反応した。 「ど、どこを、触っているんですか!」 「どこって……お尻」 「い、言わなくてい…ひあっ!」 「どこをって聞くからだろ」 答えながら指先を動かすが、あまり強い刺激にならないように膣内をかき回している時よりもゆっくりと慎重になる。 奥まで行き過ぎないようにしながら指を軽く抜き差しすると、アナルも徐々にひくつき始めた。 「は、はあ……あ、んぅう……!!」 「こっちは嫌?」 「い、いやに……決まってま……ひぅう!!」 言葉は相変わらず拒絶を続けていた。 けれど、身体は俺の指先の動きに合わせて敏感に反応を続け、アナルを軽くかき回すと大きな反応をした。 「さっきのとこっち、どっちがいいの?」 「そ、そんなの、あっ!」 「教えてくれないとわからないだろ」 答えなんて本当は聞かなくてもわかっている。 指を動かすとひくひくとアナルが反応しているけれど、憂緒は苦しそうに声を漏らしている。 さっきの方がいいに決まっているけど、憂緒の口から聞きたくてわざと返事を待つ。 「は、はあ……あ、ああっ、久我くん…!」 けれど、アナルで指を軽く抜き差ししながら返事を待っても、憂緒は震えるだけで答えてくれない。 このままじゃ、ちょっとかわいそうかな……。 「……わかったよ」 「あっ! な、なにが……」 「だから、わかったって」 「ひあっ!」 もう一度指を膣内に進ませ、何度もかき回してぐちゅぐちゅと音を立てると憂緒の身体がビクビクと反応する。 「あ、ああっ……も、いや…ほ、ホントにやめ…」 「ん…じゃあ、もうちょっとだけ」 「ふぁ、あ、あぅ! 久我く…ん、あっ!」 指を抜き差ししながら膣内を擦り、奥まで届くとそこを軽く引っかくように指先を動かす。 ぐちゅぐちゅと音を立てながら何度もそれをくり返していると、憂緒の身体が今までと違う反応を始める。 「ひ…う、ふああっ! あ、あっ…だ、め…! も、や……あ、あっ!」 膣内も何度もひくつき、締め付ける力も強くなる。 小さく身体を震わせ声を漏らす憂緒が何を望んでいるかなんて、この姿を見ればすぐにわかった。 「ん……ホントに、もうちょっと…」 「あぁあっ、あっ…久我く…う、ふぁっ!!」 抜き差しさせる指を奥まで一気に届かせ、一番深い部分を先端で何度も擦り上げた瞬間、膣内の指を強く締め付けられた。 「ふぁあ、あっ! ぁあああっ!!」 そして、ビクビクっと憂緒の身体が大きく震えた。 そして、今まで我慢していたのに大きな声を出して絶頂を迎えてしまう。 「……ん」 「ふぁ、は…はあ、はあ……」 絶頂を迎えた憂緒は肩で息をしながらぐったりしている。 「大丈夫か?」 「……あ、はあ…はい……」 ぐったりしながら答えた憂緒だったが、息を整えると今がどんな状態なのか思い出したらしく顔を一気に赤くした。 「ああ、まあ……」 「看護師さんが見回りに来られたらどうするんですか!」 「………」 赤い顔をしながら憂緒は俺を睨んでいた。 けど、その口から出るのは『嫌だ』って言葉じゃないんだな。 「じゃあ、ベッドの向こうなら見つからないから……」 「え? ええ??」 「見つからなきゃいいんだろ? 俺もう限界」 ほんの少しだけ嫌がるような素振りを見せた憂緒だったが、強引に身体を引き寄せても強い抵抗はない。 シーツを引きずりながら身体をベッドから少しずれた位置に移動させてやると、されるがままの状態になっていた。 動けないように身体を押さえ付け、さっきまでの行為で反応してしまった肉棒を憂緒に押し付ける。 「あ、あっ……の、や、んっ!」 「声大きいと聞こえるから」 「ん……!! 久我くん……!」 「ここなら見つからない」 「……んっ!」 憂緒を移動させた後、服を脱がせて下着をずらすとそのまま一気に肉棒を膣内に進ませた。 「あ……ああ……!」 「はあ……」 膣内に肉棒を埋めると、憂緒は口を塞ぎながら必死に声が漏れないようにしていた。 けど、そんな仕種すらかわいくて、その声を強引に聞きたくなってしまう。 「憂緒……」 「……んっ」 顔をじっと眺めながら名前を呼ぶと、口を塞いだまま首を振られた。 今の状態が相当恥ずかしいってことはそれだけでわかる。 「あ……」 「な、なんですか…」 「何お前、こんな可愛いパンツ穿いてたのか」 「……!!!!」 脱がした下着に目をやると、思っていたよりもかわいいデザインだった。 それを指摘すると憂緒の顔が真っ赤になる。 「き、きみのために選んで穿いて来たみたいに思われるのは…し、心外です!!」 「へー。そうなんだ、それは嬉しいな」 「だ、だからそうではないと!!」 焦りながら反論する憂緒がかわいくて仕方ない。 多分、本当に意識して選んだんじゃないんだろう。 それでも、こんな反応を見せられるとたまらないものがある。 「ごめん、ちょっと我慢できない」 「な、なに……をっ、あっ!」 「んんっ」 ゆっくりと身体を揺らして肉棒を出し入れさせる。 すると、膣内からまたぐちゅぐちゅと愛液の音が響き、肉棒が出入りする度に中を締め付けられた。 「は…あ、あっ! んぅ、んっ!!」 ゆっくりと動かすだけなのに、膣内は肉棒を締め付けて離さない。 絡みつくように締め付けられる感触に息は荒くなり、もっと貪欲にその感触が欲しくなる。 「もっと……いいか?」 「き、きみは、なにを……」 「だって、お前可愛いし」 「……んう!」 何気なくそう言うと、憂緒の顔がまた真っ赤になった。 そんな様はやっぱりかわいい。 「じゃあ、もっと」 「あっ!!」 ブラジャーを外すと小ぶりな乳房が目の前に現れる。 じっとその乳房を見つめていると、憂緒がいやいやと首を振った。 これ以上はするなということなんだろう。 けど、ここまでしておいて中途半端にやめられるわけがない。 「な、何をするんですか!」 「なにって……そりゃ、ねえ?」 「ね、ねえって……」 「言った方がいいか?」 「や、やめてください」 「じゃあ、言わない」 答えてからゆっくり手を伸ばし、乳房に触れる。 「ふ、あっ!」 柔らかな感触を手のひらいっぱいに感じ、そのままゆっくり揉み始めると憂緒が震えた。 「ん、んぅう……」 胸を揉みながら腰をゆっくり動かす。 さっきよりも反応がよくなり、膣内の締め付けも一層強くなった。 腰の動きだけでなく、乳房を揉まれていることにも反応しているのだとよくわかる。 「すごい反応」 「ふぁ、はあ……あ…だめ、です……」 「なんで?」 「だ、だって……こんな、病室で…」 腰を動かし肉棒を出入りさせ、乳房を揉み続けながら聞く。 けど、返って来た答えは行為そのものを否定しているようには感じられなかった。 あくまでも、病室でこんなことをしているから。 「ここじゃなかったらいいのか?」 「そ、それは……! そ、そういう意味じゃなくて…」 「じゃあ、どういう意味か知りたい」 「ふ、ああぁっ!」 ゆっくり引き抜いた肉棒を一気に奥まで届かせる。 すると、憂緒が大きく声をあげた。 慌てて声を抑えたけれど、さっきの声は今までの中でひときわ大きかった。 「な、なんてこと……するんですか…!」 「いや、どんな反応するかなあと思って」 「ひゃっ! あ、あぁん!」 乳房を揉みながら軽く乳首を擦ると甲高い声が漏れた。 その声をもっと聞きたくて、乳首を擦りながら何度も腰を揺らして肉棒を出入りさせる。 「ふぁ、ぅう! や、も……久我く…ん!」 「んんっ……」 肉棒を突き入れ、腰を揺らす度に締め付けは強くなり、愛液もどんどん溢れ出す。 感じているのだと身体は伝えているのに、憂緒の唇からその言葉は素直に出て来ない。 「ふぁ、んんぅうう!!!」 クリトリスを弄りながら腰を突き上げると、反応は更に大きくなった。 それでも、憂緒はなんとか声を我慢しようと必死だ。 「気持ちよくない?」 「んん……そ、そんなこと、聞かないで…!」 「んー……」 深く腰を突き上げ、奥を擦りながらクリトリスを何度も弄って刺激を与える。 溢れる愛液の量は多く、憂緒の身体も震え続けていた。 「……んっ!!!」 「………」 何度も憂緒の身体を突き上げ続けていると、廊下で誰かが走る音が聞こえた。 その音が聞こえた途端、憂緒が大きく震えて膣内の締め付けが強くなる。 「こ、久我くん……!」 「声出したら見つかるかもな」 「だ、だったらもう……」 声を潜めて言うと憂緒が懇願するような瞳を向けた。 けれど、それと比例するように膣内はひくひくと反応して、さっきから何度も肉棒を締め付ける。 「でも、こっちの反応はいいみたいだけど」 「ふ、あっ!」 「ほら……」 「あ、あぁあ……ん、だめぇ…!」 軽く腰を突き上げ何度も奥へと届かせるだけで、憂緒は身体を反応させていた。 この状況に興奮しているようにしか思えず、そんな憂緒を見ているとこっちも興奮が増してしまう。 「…ホント、かわいいな」 「や…やめて、久我くん……」 「仕方ないだろ。本当にそう思ってんだから」 「……んぅ、んっ」 真っ赤になった憂緒がまた首を振る。 いやいやしながら視線を向けられると、これだけじゃ我慢できなくなるのがよくわかる。 「ホントにだめか?」 「だめ……あ、あっ……」 「でも、俺もいろいろ無理」 「え? あ、あっ!」 「やっぱ憂緒の声聞きたい」 じっと見つめながらそう言うと、肉棒を挿入したままの状態で強引に憂緒の身体を引き寄せた。 「ああっ!!」 「ん……」 扉に背を向け、憂緒が口を押さえられない状態にして膝の上に座らせる。 驚いた憂緒は視線だけを俺に向けて、またいやいやと首を振った。 「これなら、口押さえられないだろ」 「だ、だめです……こ、こんな、あの……」 「大丈夫だから、どうせ背中しか見えない」 「ふぁあっ!! あ、んぅ!」 そのままの状態でまた腰を突き上げ奥まで届かせると、今度は抑えられずに憂緒から大きな声が漏れた。 自分の口から漏れた大きな声に憂緒は真っ赤になり、そして膣内は強く締め付けられた。 「声、我慢しない方が気持ちいいんじゃないの?」 「そ、そんなことは…言わないでください」 「ああ、事実なんだ」 「あっ、ああっ! や、んぅ、ちが……あっ!!」 何度も腰を突き上げると甘い声が何度も漏れる。 さっきと違い、口を塞がれることなく漏れる声に興奮は増し、背中がぞくぞく震えた。 「はあ……憂緒、かわいい」 「だ、め……本当に、こんな……あっ、ああっ!」 「本当にだめか?」 「だって、こんな……人が来ちゃう…!」 腰を突き上げ上下に身体を揺らしながら聞くと、感じているような声を出しながら憂緒が答える。 それはやっぱり、自分が嫌だからではなくて周りを気にしている言葉。 「ふうん、人が来るから……」 「そ、そうです! あ、あっ、こんなの……んっ!」 身体を揺さぶるように突き上げながらもう一度聞いてみても、やっぱり憂緒の答えは変わらない。 「それじゃあ……」 「え? あ、あ……」 「ここでやめてもいいけど」 肉棒を引き抜き秘部に擦り付けながら聞いてみると、憂緒は戸惑ったような視線を俺に向けた。 「あ、あの……あ、あ……」 秘部に擦り付けた肉棒を軽く揺らしながらじっと見つめると、憂緒は俯いてもじもじしてしまう。 その姿は明らかに物足りないと俺に訴えかけているのだが、何も言われないから本心はわからない。 「やめるか?」 「そ、それはあの……」 「見つかるとヤバイもんな」 「そ、そうです……あ、あの…」 軽く腰を動かし、秘部を肉棒で何度も擦り続ける。 ひくひくと反応をする秘部はそれだけでは物足りず、また奥まで欲しいと言っているような気がした。 「あ……あ、ああっ…久我くん…」 ひくつく秘部に合わせるように、憂緒も小さく甘い声を漏らしていた。 けれど、俺をじっと見るだけでどうして欲しいかは口に出してくれない。 「なに?」 「あ、あの、私は……あ、あ……んっ!」 クリトリスを肉棒の先端で擦りながらじっと視線を向ける。 恥ずかしげに染まった赤い頬を見つめていると、それだけじゃ俺が我慢できなくなって来る。 「やっぱりやめない」 「え? あ、あっ!」 また膣内に肉棒を進ませると、強くねっとりと締め付けられた。 そのまま、勢いよく身体を上下に揺らして奥深くまで何度も届かせる。 「あ、ああっ! 久我くん…ん、ああっ!」 「ん……!」 何度も激しく身体を上下に揺らし、奥まで肉棒を届かせて膣内をかき回す。 愛液が溢れる度に肉棒は締め付けられ、いやらしい音が響いて憂緒が恥ずかしげに声を漏らす。 「そ、んな風に…あ、あっ! 激し……!」 「うん……」 「あ、ふっ! ん、ああ!」 締め付けられる度、肉棒は何度も震えて膣内でびくびくと反応する。 その小さな反応にすら憂緒は声をあげ、膣内がひくついた。 「中、そんな反応されたらヤバイ」 「そんなこと、あっ! い、言われても!!」 「……んっ」 「ひ、あっ! あ、ああっ!」 自ら意識していないことを指摘されたせいか、また膣内が反応した。 その感触を受け止め、また勢いよく腰を突き上げる。 「ふ、ああっ! 奥、そんな…だめ、あっ!」 「いいってことだろ……」 「違っ……あ、んぅうう! また、そんな!!」 腰を突き上げ、憂緒の膣内深くまで届かせた肉棒をびくびく反応させる。 届かせた肉棒の先端で奥をかき回すと、膝の上に乗る身体が仰け反るように反応した。 膣内は何度もひくつき身体は敏感に震え、そろそろ憂緒の限界が近いのだとわかる。 「んっ……」 「久我く……う、ふぁあっ、あっ!」 「わかってるから……憂緒」 「え? あ、あふぁあっ!」 今まで以上に腰を大きく突き上げると、憂緒の全身がビクンと大きく震えた。 その身体をしっかり支え、二度、三度と大きく腰を突き上げ奥へと肉棒を届かせる。 「あ、もう、もう……私、あ、ふぁあああっ!!」 肉棒が最奥まで届いた瞬間、憂緒は大きな声をあげて全身を震わせ肉棒を締め付けた。 強く締め付けられた瞬間、慌てて肉棒を引き抜くと同時に目の前の身体めがけて勢いよく精液を迸らせる。 「はあ、はあ……」 「ああ……」 身体に精液がかけられたのがわかると、憂緒は恥ずかしそうに視線をそらしてしまった。 そんな様子すらも可愛くて、思わず見とれてしまう。 「そ、そんなに見ないでください」 「だってさ……」 「こんな場所で、信じられない……」 「でも、見つからなかっただろ」 「それは、そうですけど」 恥ずかしそうにしたまま答える憂緒の頬を撫でると、やっと視線を向けてくれる。 やがて、余韻のせいかぼんやりしていた表情が少しずつ元に戻っていく……。 「うーん……どうしたかね……」 「こ、こんなところ、もしも見付かったりしたら……!」 見付かってしまった時のことを想像したのか、モー子は少し涙目になっていた。 でも、それでも俺とやったこと自体については文句は言わないんだな。 それに自分で気付いてるんだかどうか……。 「なんとか言ったらどうなんです! きみ、少しは反省しているんですか!」 「んー。いや、まあ、反省はしてるけど。実はな」 「なんですか。何か弁解があるならどうぞ」 「この時間って、基本的にはナースコールでもしなきゃ誰も来ねえの知ってたから」 「……なっ!!」 俺の言葉を聞いたモー子が顔を真っ赤にして目を見開いた。 別にあえて黙っていたというわけでもないのだが、わざとらしく緩い笑顔を浮かべてみる。 「だから十中八九大丈夫だろうなと」 「何故それを先に言わないっ!!」 まさか、いきなり平手が飛んで来るとは思わず避ける間もなく、そのままそれを受け止める。 「叩かなくてもいいだろうが!」 「きみが最初にそれを言わないからです!!」 「………」 「な、なんですか」 「最初に言ってたら、しても良かったのか?」 「あ! な、な、何を言ってるんですか!!」 「いや、だって……」 「そんなわけありません!」 真っ赤になって顔をそらしてしまったモー子は、今はこれ以上口を聞いてくれそうになかった。 翌日、二度目の検査はすぐに終わり、結果も出た……。 「おー。良かった良かった」 「え……」 「ごめんね〜、また泊まりになっちゃって」 「いや、それは全然いいって」 「ほ、本当になんともないのですか?」 にこにことした笑顔を浮かべるみおちゃんと対照的に、モー子は呆気にとられた顔をしていた。 ここまであっさり終わるとは思っていなかったんだろう。 「だから言っただろ、いつものことだって」 「………」 「憂緒ちゃん、三厳くんのこといっぱい心配しちゃった?」 「そ、それは、あの……」 真正面からそう聞かれたモー子は頬を赤くしてみおちゃんから視線をそらしてしまった。 本人的にはあそこまで取り乱したことは知られたくないんだろうが、今の反応でだいぶ心配しましたって言ってるようなもんだ。 「あ、あの! 私、た、タクシーを呼んできます!」 「あ……」 「は〜い。よろしくね〜」 さすがにこのまま話を続けるのは恥ずかしかったみたいだ。 「そうか?」 「……さあな」 「あのなあ……」 なんなんだ、青春のあやまちって……。 って聞いたら具体的に説明されそうな気がするから、黙っておいた方が良さそうだ。 「どうなの? ねえ、ねえねえ? 勢いとかムードとかでこうガッと流しちゃったんじゃないの? それが若さよねー!」 「……あんな性格のやつに、そんな中途半端な理由で手を出すわけないだろ」 「へえ、じゃあ本気なんだね」 「………」 「まあ、昔のよしみで追求しないでおいてあげる」 「そりゃ、どうも」 興味津々という表情でみおちゃんは俺を見つめていた。 楽しくて仕方ないって感じだ。 「あんまりあいつに変なこと吹き込んでくれるなよ。頭良すぎていらん誤解までするんだから」 「ふーん、いらん誤解ねえ……」 「そうだよ。おかげで言いたくねえことまで言わされる羽目になったんだからな……」 「ふふ、でも正直びっくりしたよ。まさか、三厳くんが妹以外の誰かをここに連れてくるなんて思わなかったから」 「別に……満琉に頼まれたって言っただろ、成り行きでそうなっただけだ」 「本当にそうなら、理由つけて追い返してるでしょ、三厳くんなら」 「帰っていいとは言ったけど、あいつが帰らなかったんだよ」 「でも結局、一緒に泊まるのを許したじゃない」 相変わらずみおちゃんはにこにこと微笑みを浮かべたままだ。 何もかもお見通しみたいな顔をされていて、少し調子が狂う。 「それってあの子が特別だからでしょ?」 「………」 「ねえ、憂緒ちゃんに好きだって言わないの?」 「いや、それは……」 はっきりと言われて、どう答えればいいのかわからない。 答えられずにいるとみおちゃんは嬉しそうにまたにこにこ笑った。 「もー。ぜったい大丈夫だって、憂緒ちゃんってば三厳くんのこと好きすきオーラすっごい出してたから!」 「あのな……」 「………」 「……言ってあげないの?」 みおちゃんは、急に真剣な顔をしてそう言った。 じっと見つめ返して深く息を吐く。 「…………今は、まだな」 「ふぅ〜ん」 「なんか色々解決したら、その時に言うよ」 「ふふふ〜。早く言えるようになるといいね」 「じゃあそろそろ帰るわ、色々ありがとな」 「はぁーい! また、次の定期健診の時にねー! お大事に〜!」 ひらひらと手を振るみおちゃんに別れを告げ、そのまま俺は病院を後にした。 「たった一日離れただけなのに、なんか久し振りに戻って来た感じがするなー」 特にそのあとは何事もなく、俺達は無事に学園に戻って来た。 行きと同じように二人きりだったわけだが、ここまで戻る間に会話らしい会話はなかった。 まあ、モー子がすごく気まずそうにしていたから仕方のない話なんだけど……。 俺にも多大に責任はあるしな……しばらくそっとしておこう。 「そ、そうですね」 お、返事をした。 普通の会話をするくらいには気力が戻ってきたのだろうか。 「まあ、ここに来てからの毎日はかなり濃かったからな」 「ええ、それは私も同じように感じます」 モー子は俺の方を見ずに答えていた。 まだそわそわと落ち着きのないそぶりは残っているが、一応普段通りにしようという気はあるようだった。 それなら、こちらにも一つ確認しておくことがある。 「今度は忘れたふりはしねえのな」 「………」 「また、なかったことにすんのかなとちょっと思ったけど」 「それは、なかったことにして欲しかったという意味ですか?」 「またそういう風に受け取る……そういう意味じゃねえよ」 「………」 モー子はじとっとした目で俺を見る。 なんか言いたそうな顔してるんだけど、具体的に何を考えてるかはよくわからない……。 「なかったことにする気なら、お前だったらもっとうまくやるだろ」 「当たり前です」 「それじゃあ一つ提案がある」 「な、なんですか」 「とりあえず、昨日のこととか、色々、一時保留ってことでどうだ?」 「……!」 「ただ誤解するなよ、俺は別に先延ばしにしたくて言ってるわけじゃ……」 「いえ。弁解は必要ありません。きみの意図はわかっています」 「今はそれどころではありません。早く20年前のことを調べなくてはならない……そういうことですよね?」 「ああ。お前の推理通り、夜の生徒が本当は死んでいないんなら、おまるとだってきっともう一度会えるはずだ」 「……ええ」 おまるの名前を出すとモー子は冷静さを取り戻したように、表情を険しくして頷いた。 いつものモー子の顔だ。 さすがに切り替えが早い。こういうところは素直に凄いと思う。 「必ず、真実を突き止めてみせます」 そう宣言するさまは頼もしくはあるのだが……。 そうではない姿も知ってしまった身としては、少し、面白みに欠けるのも確かだ。 「あのさ、モー子……」 「なんですか?」 「そう言えば、言い忘れてたことがあった。ちょっと、誰にも聞かれないようにしたいから耳貸せよ」 「なんの相談です?」 不思議そうに俺を見つめたモー子はそっとこちらに近付いた。 身体を屈めて、その耳元に唇を近付ける。 「何か名案でも考え付いたのですか?」 「いや、そうじゃねえけど」 「では、なんなのです?」 耳元ぎりぎり、唇が触れそうな距離まで近付き小さな声でそっと囁く。 「その服似合ってる、可愛いぞ」 「……っ!?」 囁いた瞬間、モー子の頬が一気に真っ赤に染まる。 突然のことに、言葉もでないようだった。かろうじて、動揺している視線だけがこちらを向く。 「それだけ。じゃあ俺、部屋に戻るから」 硬直したままのモー子をその場に置いて、俺は歩き出す。 モー子の反応にはそれなりに満足した。 これくらいのじゃれ合いはセーフだろう。多分。 「ほっ、保留って! 言ったくせに!!」 後ろから必死の苦情が聞こえてきたが、聞こえないふりをした。 「はむ……もぐもぐ……んんっ」 「なんて幸せなのでしょうか……こんなにたくさんのスウィーツが目の前にあるなんて……!」 「先ほどのザッハトルテも上品でいてしっかりとした味わいでした……」 「次はこちらの一日限定40個のロールケーキにしましょうか……それとも、フルーツたっぷりタルトの方が……」 「はあああああ。こんなに幸せで良いんでしょうか」 「……ん?」 「あーあー。そんなに甘いものばっかり食べて」 「こ、久我くん……」 目の前に山ほどある洋菓子を食べていたモー子は、俺の姿に気付いてぎょっとした表情を浮かべた。 しかし、それでも手から洋菓子を離さない。 「な、なんなんですか? 何故、きみはまた白衣を着ているのですか」 「血糖値に気をつけろって、あんなに言ったのに……」 「ちょ、ちょっと! 久我くん人の話を聞いているのですか!!」 「まったく。ちゃんと調べた方が良さそうだな」 「何をですか!」 「はーい。ちょっとチクっとしますよー」 「あ! え!?」 モー子の手から洋菓子を取り上げると、その手を掴み強引に測定器で血糖値を測る。 「だから、ちょっとチクっとするって言っただろ」 「もう、きみは本当に強引すぎます!!」 「あーあー……」 測定値に表示された数字を見つめて眉間にしわを寄せると、モー子は不安そうに俺を見る。 「な、なんなんですか」 「いやあ……これは……」 「はっきり言ってください!」 「言っていいの?」 「そ、そんな風にぼかされるくらいなら」 「血糖値、185くらいある。ヤバイ」 「ええ!?!??」 測定器に表示された数字を見せながらモー子に言うと、珍しく裏返ったような声で驚かれた。 「これ、ホントにまずいぞお前」 「そ、そんな! あ、あの、機械の故障などでは……」 「よし。じゃあ、詳しい検査をしよう」 「け、検査?」 「はい、これに着替えて」 検査着を手渡すと、今度は困ったような顔をされた。 ころころとわかりやすく表情を変えるやつだな。 「これ、なんだかサイズが大きくありませんか? ズボンもなんだかゆるゆるみたいですし」 「そりゃそうだろ。女性サイズじゃないし」 「じゃあどうしてこのサイズのものを持ってきたんです?」 「文句言うなよ。仕方ないだろ、俺が着てたやつしかないんだから」 「へ、へえ……そうなんですか」 「わかったら早く着替えろよ。あ、それ着る時は下着全部脱げよ」 「は!? な、何故ですか?」 「そんなもん検査の常識だろうが。ワイヤーとか写ったら困るだろ。いいから早く着替えろって」 「………」 「それとも、俺に着替えさせて欲しいのか?」 「そんなことは一言も言っていません!」 「じゃあ、さっさと着替えろ」 「わ、わかりました……」 割と素直に言うことを聞いたモー子は手早く検査着に着替え終わったようだった。 しかし、ズボンは大きすぎるみたいで穿けないようなので、上だけを着ている状態になっている。 「着替えましたが、これから何の検査をするのですか」 「じゃ、これに座れ」 「いつのまに検査台が……あ、あれ? 保健室になって……さっきまで分室に……?」 「いいから、早く座れ」 「わ、わかりました」 「な、何故私は素直に言うことを聞いているのでしょうか……」 「どうかしたのか?」 「いえ、少々不可解だなと感じているだけです」 「不可解?」 検査台に座りながらモー子はじっと俺を眺めていた。 不可解だとか言いながら、それでも立ち上がらずにじっとしているところを見るときちんと検査されるつもりらしい。 案外素直で褒めてやりたくなるな。 「まあ、早めに検査しておいて悪いことはないからな」 「それは正論だとは思いますが、何故医師免許を持ってもいないきみが検査を……」 「はーい。じっとしてくださーい」 「ひっ!!!」 検査着の前を開いてまじまじと身体に目を凝らす。 その下は俺が指示した通り、下着を身に着けていない状態だった。 「おーおー。ちゃんと言うこと聞けて、偉いじゃないか」 「な、な、ななな、何を……何を、言っているんですか!」 「褒めてやってるんだろ」 じっと身体を眺めていると、モー子は真っ赤になってうろたえる。 恥ずかしそうに小さく身体を震わせる姿はなんだかかわいく思えた。 「あ、ああの、あまり見ないでください……」 「検査なんだから見ないと話にならんだろ」 「そ、そうは言いますが」 改めて、まじまじとモー子の身体を見つめる。 肌は白く、透き通るようにきれいだった。 胸は控え目ながら柔らかそうで、こうして見ていると直接触りたくなる。 「あ、あの、もういいのではないですか」 「それはお前が判断することじゃないだろ」 「そ、それはそうなのですが」 恥ずかしそうに答えるモー子を更に凝視すると、頬が更にかぁっと赤くなり、視線も落ち着きなくきょろきょろ動き始めた。 「うん。目視では異常はなさそうだな」 「………」 「じゃあ、ちょっと心音聞きますね」 「え!?」 聴診器を取り出すとモー子はまた驚いたような顔をした。 「はい、じっとしてー」 「ひゃっ!」 「黙ってろ」 「あ、あ、あの……」 胸に聴診器を当てて心音を聞く。 黙ってじっとしていると、聴診器から聞こえて来るのはやけに早い音だ。 「……なあ」 「な、なんですか」 「心臓、すごいドキドキ言ってるぞ。大丈夫かお前?」 「へ、変なところを触るからです……」 「なんだよ、変なところって。検査してるだけだろ」 じっと観察しながら聴診器を動かし、胸から動かしてゆっくりと下腹部へと移動させて行く。 「……んっ」 「………」 聴診器が動くとモー子はビクンと身体を震わせた。 そして、その度に聞こえて来る音が大きくなる。 たったこれだけのことで反応が大きくなるなんて、こいつの身体は大丈夫なんだろうか。 「じっとしてろよ」 「は、はい……」 下腹部の上で何度か聴診器を動かす。 軽く腹部を押すように聴診器を押し付けると、目の前の身体がまたビクンと震えた。 「ひゃ、う……」 頬を真っ赤にしながら震えるモー子は恥ずかしさに耐えているようだった。 特に変なところを触っているつもりはないんだが、こんな様子じゃ他の部分を触るとどうなるのか気になる。 「この辺は大丈夫かな……じゃあ…」 「え……あ、あっ…」 下腹部にあった聴診器をゆっくり動かし、徐々に胸元へと移動させて行く。 乳房の膨らみをゆっくりと撫でるようにしながら動かして行くと、小さな膨らみが震える。 「ふぁ…あっ……!」 乳首に触れないようにしながら、乳輪の辺りを何度か触り続けるとモー子は恥ずかしそうにしていた。 わざと焦らすようにゆっくりと聴診器で乳首を軽く押してみる。 「ひん!!」 「なんだよ」 「う、うう……」 乳首を何度か軽く押してみると小さく反応されたので、そのままぐりぐりと何度も続けてみる。 「そ、それ…やめてください……」 「ふむ……」 聴診器で乳首を弄り続けていると、そこが少しずつ硬くなり始めるのがわかった。 押し返されるような感触に気付き、少し強くぐりぐりと押してみると反応は更に大きくなる。 「あ、あっ……」 「どうした?」 「ど、どうしたって……あの…」 「ああ」 「……あっ!」 じっと見つめたまま乳首に刺激を与え続けていると、モー子が甲高い声を出した。 「そ、それ、やめてください」 「それって何?」 「そ、それは、あの……あ、あっ」 「ふぅ〜ん」 「あ……」 びくびくと身体を震わせながら頬を赤くするモー子の鼓動が更に早くなった。 聴診器の動きを止めてしばらくじっとしてみると、ホッとしたように息を吐かれる。 聞こえて来る心音を聞きながら、また強く乳首を押してみる。 「ふ、あ……!」 「鼓動は早いけど、異常はなさそうだな」 「あ……はあ」 聴診器を離して言うと、モー子がホッとしたように息を吐いていた。 心音を聞いてただけなのに震えたりしていたし、大げさなやつだ。 「……はっ! さ、さてはこれはまた夢……」 「お前何言ってんだ?」 「だから、久我くんもこんな格好で……それで検査などと言い出して……夢だとすればすべて説明がつきます!」 なんだかわけのわからないことを言い出したモー子をよく見てみるが、本人は何かを納得したような表情をしていた。 よくわからんが、身体を調べる必要はあるんだから次の検査に進まないと。 「じゃあ、次は尿検査な」 「な!? はああっ!?!?!?」 「尿検査だよ。聞こえなかったのか?」 「き、聞こえたからの反応なのですが!」 「聞こえたならしっかりしろよ」 「な、何を言ってるんですか! 夢だからと言って調子に乗りすぎです!!」 「お前こそ、何言ってんだ? あのな、血糖値高かったんだし、念のためにしておいた方がいいだろう。普通の流れだろうが」 「そ…それは、そうですが」 「はい、じゃあ脚開け」 「ひっ!!!」 「何、脚閉じようとしてるんだよ。ほら、ちゃんと開いてろ」 脚を開かせて紙コップを待機させるとモー子は驚き、慌てて脚を閉じようとした。 けれど、その脚に触れて強引に開かせる。 「や、やめ! やめてください!! その紙コップをどけてください!!」 「尿検査だっつってんだろ! 脚開かなくてどうやってやるんだよ!」 「な、何故ここで採取しなければいけないのですか!」 「いいから脚開け!」 「答えになっていません! ややややめてくださいっ!」 何度もモー子の脚を開かせようとするが、モー子の方も脚を閉じようと必死になる。 何度か、開け! やめてくれ! の押し問答をくり返していたがこのままじゃ埒が明かない。 というか、検査ができない。 「じ、じ、自分でやります! 自分でやりますから!! どこか別の場所でして来ますから離してください!!!」 「いや! ちゃんとお前のかどうか確認しないと、誰か他のヤツのを持って来て検査を誤魔化すかもしれないだろ!」 「しません! そんなこと絶対にしませんから!! 信じてくださいっ!」 慌てた様子で脚を閉じて抵抗しようとしているのが怪しい。 血糖値が高いってことに相当驚いていたみたいだから、他人のを持って来る可能性は否定できない。 やはり、今ここで採取するのが一番手っ取り早いだろう。 「ほら、早く出せ!」 「で、出ません! 今は出ません、無理ですから!!」 「………」 「………」 首を振りながら抵抗を続けるモー子をじっと見つめた。モー子も俺に目を合わせる。その顔は真っ赤になっていた。 そして、さっきの言葉を思い出す。 「今は尿意がないってこと?」 「………」 真っ赤になったまま、モー子は無言でこくこくと首を振った。 どうやら、嘘をついている様子はない。 本当に尿意がないらしい。そうか、それなら……。 「わかったよ……じゃあ仕方ないな」 「な、なんですか……そ、その顔は……」 ニッと笑顔を浮かべると、モー子は表情を引きつらせた。 その隙に身体を滑り込ませ、脚を大きく開かせる。 「ひゃぅ!!!」 「出したくなるまで刺激するしかないな」 「!!!!」 「あ、ああっ!」 指先を秘部に這わせ、ゆっくりと動かすとモー子の身体がびくびく震えた。 指先で撫でる度に秘部がひくつき、きちんと刺激が伝わっているのがわかる。 「ん……じっとしてろよ…」 「ふぁ、あっ! あ、ああっ」 指先で割れ目をなぞりながら、クリトリスを刺激する。 ひくひくと反応する秘部から愛液が溢れ出し、モー子が身体を何度も震わせる。 「ちゃんと反応してるな」 「そ、それは…あっ! ち、違う……! ひゃん!」 「そうかあ? でも反応してるだろ」 「そ、それは、あの! ふぁっう!」 「ほら、このままで大丈夫だ」 開かせた脚を軽く撫でて秘部を弄り続けると、ひくつきは大きくなりモー子から漏れる甘い声も大きくなる。 ひくひくと反応する秘部を眺めながら指先を何度も動かし、全体的に刺激を与えるように割れ目の上で指を往復させる。 往復させた指をクリトリスに移動させるとそこで小刻みに動かし、刺激をどんどん与えて行く。 「ふぁ、ああっ! だ、だから、それは……違うと…!」 「いいから……」 「な、何がいいのです…か、あっ! 夢だからって、あっ! ふ……!」 指先の動きに合わせるように愛液の量はどんどん増えて行く。 溢れる愛液を指先ですくい取り、濡れたままで秘部を刺激し始める。 わざとくちゅくちゅ音を立てて、じっと顔を見つめると恥ずかしげに視線をそらされた。 「ここがいい?」 「ひ、んっ!!」 「そうか、ここだな……」 「あ、ああっ……これは夢! これは夢…!!!」 また、夢だと言いながらモー子は身体を震わせ続けていた。 指先が動く度に身体をこんなに反応させて、秘部までひくひくさせながら何を言っているんだろう。 「はあ…あ、あっ! どうして、こんなことに……」 「ん…ここ、赤くなって来た」 「そ、そんなこと……ありません!」 「そうかあ? じゃあ、もっとしてみるか」 「え? あ、あっ!」 動かし続けている指の動きを激しくしてみると、モー子の身体が大きくビクンと震えた。 それに合わせるように秘部が何度もひくつき、そこが感じているのだとよくわかるようになる。 「ふあ……あ、いやぁっ!!」 「……お?」 身体を震わせるモー子は顔を真っ赤にしてしまう。 いやいやと首を振り、逃げ出すように腰を浮かそうとするのだが身体に力が入らないようだった。 「お、お願……やめ、てくださ……! こ、こんな、あ、ああっ……!」 秘部をひくつかせたまま、モー子が何度も嫌がるように首を振る。 真っ赤になった顔は何かを我慢しているようで、よく見れば下腹部がびくびくと痙攣するように震えていた。 これは、もしかすると……。 「我慢しなくていいんだぞ」 「い、いや……いやです……」 モー子がまた首を振る。 だが、それを否定するように指先で強く尿道辺りを刺激してみた。 「ひっ! あ、ああ……や、やめ……あ…あ!」 何かを堪えようとしているのが目に見えてわかった。 だからわざと刺激を強め、すぐに指先を離してやる。 途端に、目の前でモー子の身体がびくびくと大きく震えた。 「お、出た……」 「いや……いやぁ……」 用意していたコップの中にモー子が勢いよく放尿する。 それを零さないように受け止めながら、ちらりと様子を見てみる。 モー子は顔を背けてこっちを見ないようにしていたが、とりあえず今はおとなしくしていた。 「う、うう……」 「よし……」 尿を採取した紙コップに検査用の紙を入れて反応を確かめる。 しばらく待っていると結果が出た。 「なるほど……」 「う、うううう……な、何故こんなことに…」 「よし、これで終わりだな」 「な、何故こんなことに、何故…」 「そもそも、お前が甘いものを食べすぎるせいだろ」 「きみがこんなに変態趣味の持ち主だとは思いませんでした!!」 「はあ? ただの検査だろ」 意味がわからないことを言いながらモー子が俺を睨み付ける。 一体、何のことだ。俺が好き好んでこんなことをしているとでもこいつは思っているんだろうか。 「…夢だからって、こんなのはあまりに……あんまりですっ!」 「さっきから何言ってんだお前は」 「だ、誰のせいで……う、ううう……ああ! もう!!! 久我くんの! ばかっ!」 「うわっ!」 反論できなくなったからか、モー子が顔を真っ赤にしながらばたばたと暴れ始めた。 あまりに突然のことに驚きなだめようとするが、モー子は納得できない様子で声を荒げていた。 「あ! おい、暴れんな!」 「誰のせいだと思ってるんです!! それもこれもきみのせいではありませんか!」 「危ないって!」 「何がですか!!」 「……あっ!」 「え!?」 暴れるモー子の脚がコップを持った手に当たった。 そうなればどういう結果になるかというのは明確なわけでだ……。 「……」 蹴られたコップは俺の手を離れて宙に浮き、そしてそのまま見事に……。 「ひぅっ!!!」 モー子の下半身に中身がぶちまけられ、検査着の裾も濡れてしまった。 「あーあー」 「う、ううううう……」 自分の尿がべっとりかかったモー子は涙目になりながら震えていた。 恥ずかしさと情けなさがまぜこぜになった、そんな表情を浮かべながらモー子は俺から視線をそらす。 「ったく、しょーがねえなあ……」 「だ、だって………」 「ちょっとじっとしてろ」 「あ……」 タオルを用意して、濡れたモー子の身体を拭いていく。 太ももをゆっくり拭いて、そのまま脚の付け根の方にまで手のひらを移動させていく。 「あ、あの! そこは、自分で……」 「いいから」 「ひゃっ! あう!」 足の付け根を拭いてから、そのまま秘部の方に手のひらを移動させてそこもタオルで軽く拭く。 手のひらを動かすとモー子は身体を反応させて、びくびくと何度も小さく身体を震わせた。 「ひ、あ、ああっ……」 「んー? どうした」 「あ、あの、そこは……あ、あまり…」 「そうか」 恥ずかしげに言われたので手のひらの動きを止め、検査着に手をかける。 するとモー子はまたしても驚いたような顔で俺を見てきた。 「な、なにをしているんですか!」 「汚れたから脱がすんだよ」 「え!? あ、あの」 「それとも、これこのまま着てたいか?」 「そ、そんなことはありませんけど」 「じゃあ、脱いで……次はこっち」 「ひゃ!」 検査着を脱がして全裸にすると、腕を引いて身体を立ち上がらせる。 そして、次は検査台の上にモー子の身体を押し付けた。 「ほら、じっとしろよ」 「あ、あの、どうしてこんな格好をさせるんですか!」 「今からちゃんと説明する」 「せめて何か着せてください!」 「検尿の検査結果だが、まだ予備軍ぐらいのものだった。良かったな!」 「は、はあ……それは良かったのですが…」 一応、おとなしくしているモー子だったがこの状態が相当不満なようだった。 俺を見咎めるようなその視線は早く自由にしてくれと訴えているように見える。 けど、まだ自由にしてやるわけにはいかない。 「だが、予備軍ってことは病気になる可能性があるってことだ。わかるだろ」 「そ、それはわかります」 「それじゃあ、病気にならないために運動しようか!」 「ひっ! あ、ああっ!!」 押さえつけたモー子の身体に自分の身体を密着させ、秘部に肉棒を擦り付ける。 するとモー子は驚いたように身体を震わせた。 けれど構わず、そのままゆっくりと肉棒を進ませて行く。 「んっ! んぅ……!」 「……んっ」 モー子の膣内に肉棒を進ませると、その中で強く締め付けられる。 奥までゆっくりと進ませ、これ以上進めないというところまでたどり着かせて息を吐く。 「はあ、はあ……ひ、ひどい……」 肉棒を受け入れるモー子は辛そうに息を吐き、それでも中を強く締め付け続けていた。 その感触を受け止めながら、肉棒を軽く動かしてみると目の前の身体が小さく震える。 「ふ、うぁ…こ、こんなの、運動になんかなりません…!」 いやいやと首を振りながら文句を言われるが、言っている本人の息があがっているのでイマイチ説得力はない。 けど、多分本人はそれに気付いていないな。 「でもお前、息あがってるけど」 「え! あ、あう…! ふう、はあ……」 「………」 俺に言われてモー子は慌てて呼吸を整え始めた。 今さら遅いと思うが、必死になっている姿を見るのは悪くない。 「落ち着いたか?」 「は、はあ……」 「じゃあ、気を取り直して運動しようぜ」 「……!!」 耳元に唇を寄せて言うと、モー子の身体がビクっと震えた。 驚いたように身体を硬直させたモー子は、緊張したように力を入れてじっとしている。 身体を身構えられるのと同時に膣内が締め付けられ、まるでモー子の緊張が伝わって来るようだった。 「………」 「………あ、あの」 身体を強張らせているモー子に後ろから覆いかぶさったままじっとしていると、不思議そうに視線を向けられた。 その顔をじいっと見返す。 「お前、何やってるんだよ」 「え? え、あの……な、なんですか…?」 「なんですかじゃねえって。運動するって言っただろ」 「そ、そうですが」 「運動が必要なのは俺じゃなくてお前なんだから、お前が動くんだよ」 「えええ!?」 「ほら、頑張れ!」 動かずじっとしたまま言うと、モー子は驚き声を出し、それから何度も首を振った。 顔は真っ赤で恥ずかしそうで、強張った身体はそのままで動かない。 「そ、そんなこと、したくありません!」 「それなら、いつまでたってもこのままで終わらねえけど」 「う、うう……」 「別にそれはそれでいいけどな」 「あっ!」 動かないモー子の身体を支えて、膣内で軽く肉棒を動かしてみる。 すると、小さく反応されるがそれ以上は動かない。 俺が動いても意味がないんだから、これ以上するつもりはない。 「うう……だ、だって…」 「どうするんだ? ずっとこうしてるか?」 肉棒を動かすのをやめると、モー子はまた身体を強張らせてしまった。 このままがいいってことなんだろうか……。 でも、さすがにずっとこのままは俺の方もちょっと困るかもしれないが。 「早く終わって欲しいなら、頑張るしかないよな」 「ど、どうして、こんなことにぃ……」 「あ、もしかしてどう動いたらいいかわかんねえの?」 「………」 答えないままモー子は真っ赤になった。つまり図星ってことか。 それならそうと早く言えばいいのに、言えない辺りがかわいいな。 「それじゃあ教えてやるからがんばれよ」 「お、教えてなんかいりません……」 「まず、腰だけじゃなく、身体全体を意識してゆっくり前に動いてみるんだよ」 「だ、だから教えてくれなくても……」 「で、前に動いた後は同じように全身を後ろに動かす」 「私は別に動くとは……」 「ほら、早く」 「………」 動き方を説明してもモー子は真っ赤になったまま動き出さなかった。 けれど、それを急かすように腰を軽く動かしてみると、モー子の全身が震えた。 「ひぅ!」 「どうすればいいか、わかったか?」 「わ、わかり……ましたからっ」 「よし、じゃあ頑張れ」 動きを止めてじっとしながら言うと、モー子は涙目でこちらを振り返る。 けれど、俺が自分からは動かないと知ると意を決したようにゆっくりと動き始めた。 「う、うう……」 顔を真っ赤にし、涙ぐみながらモー子はゆっくりと動き出した。 俺に言われた通り、全身を前に動かし始めると膣内に埋まっていた肉棒がゆっくりと解放される。 「そうそう……次は後ろに…」 「は、う……」 また言われるままに今度は後ろに身体を動かす。 今度はまた肉棒が締め付けられて、ゆっくりとだがモー子が自ら動いたのがわかった。 だが、そこまで動いてモー子の動きは止まってしまう。 「何やってるんだ? 止まってないで、それを何回もくり返すんだよ」 「そ、そうは言いますが……」 「ゆっくりでいいからもう一度やってみろ」 「う……うう、何故こんなことに…」 小さく呟きながら、それでもモー子はまた身体を動かし始めた。 ゆっくりとだが確実にその身体は動き、それに合わせて肉棒が膣内からゆるゆると出入りする。 「ふ、あ……あ、ああっ……!」 「そう……できてる、できてる」 「ううう……! これは夢…だから、あっ……」 止まらずにちゃんと動けているのを褒めながら、軽く頭を撫でると膣内が一瞬ひくついた。 まさか頭を撫でたのに反応したのかと思ったが、今言うと動くのをやめられそうなので黙っておくことにする。 「は、はあ…はあ……」 「ん……」 「も、う……こんなの、あ、んっ…」 モー子が動くたびに膣内はひくつき肉棒が締め付けられ、くちゅくちゅといやらしい音が立ち始める。 緩やかにねっとりと締め付けられる感触に震えながら、モー子の動くままに身体を委ねる。 「ふ、うっ! う、ぁあっ! あっ!!」 「そうそう……んっ、頑張れ」 「はぁ、はぁ、はぁあ……」 何度もゆっくりとモー子は動き続けていた。 たどたどしい動きを楽しみながら、時々腰を軽く突き上げるとそれに合わせて一瞬、締め付けと声が大きくなる。 「んんぅ! う……何故、早く覚めてくれないんですか!」 「お前、何言ってるんだ?」 「これは夢です! 夢なんです!」 「……?」 さっきまでと同じようにわけのわからないことを言いながらモー子は腰を動かし続けている。 それはずっと変わらず同じペースで、ちっとも変化がない。 「ふ、ああ……はあ、はあ……」 時々、戸惑ったように動きを止めたかと思うと、また慌てたようにゆっくり腰を前後に動かす。 ぬるりとした感触が止まると膣内がひくつき、動くと同時に締め付けられる。 「ん……」 「う、うう……久我くん、もう……」 「まだ全然だろ」 「そ、そんな……あ、はあ…」 くり返されるのは代わり映えしないゆるゆるとした動き。 そのあまりにも変わらない動きに少しだけ焦れてくる。 それに、これじゃあ運動になっているとは言い難い。 「なあ……もっと早く動けないのか?」 「そ、そんなこと、言われても……んっ!」 「ふぅん……」 「も、もう、無理です……」 無理だと言いながら、それでもモー子は腰を動かし続けているし、おまけに膣内の反応はおさまらない。 もしかすると、これ以上動くと夢中になりそうだからとか、そんな理由だったりして。 「無理じゃだめだろ。これじゃ運動にならねえし」 「そ、そうは言いますけど、無理なものは無理なんです」 「あんまり動いたら気持ちよくなるから?」 「そ、そんなことは言ってません!」 「本当かあ?」 ムキになるように答えたのを見てニヤリと笑う。 そして、あまりにも変わらない動きが気になり、モー子の身体をしっかり支えた。 そしてそのまま、勢いよく腰を動かし始める。 「ひあっ! あ、あっんぅ!!」 今までの動きよりもかなり激しく腰を動かし、身体を前後に揺らしてやると、モー子が大きく声をあげた。 がくがくと激しく身体を揺さぶられながら、モー子は苦しそうに声をあげ続ける。 だが、その激しさに反応するように膣内は何度も反応し、奥からは今まで以上に愛液が溢れ出していた。 「ふぁ、あっ! あ、ああっ!!」 「うん。多分、こっちの方が運動になってるよな」 「う、ぁああっ! あ、あっ! も、あ…覚めてぇ、おねが…ぁぅ!」 身体を揺らされながら震えるモー子がまたわけのわからないことを言う。 けれど、その身体は俺が腰を突き上げがくがくと揺らす度に反応をよくする。 膣内からは愛液がどんどん溢れ出し、肉棒を締め付ける勢いも強くなる。 「はあ、はっ……あっ、んっ!!!」 「ん……」 震える身体を支え、また奥深くまで肉棒を突き上げる。 びくりと震えた身体を支え、激しく奥まで何度も届くように腰を動かし続けた。 「ふぁあっ! あ、あぁう! 久我く……んっ!!」 「……憂緒っ」 「あっ、ああっ!」 名前を呼んで身体を支え、奥深くまで肉棒を届かせて先端で奥を擦る。 動きの一つ一つに反応するように憂緒は震え、そして膣内をひくつかせた。 「久我くんっ! ん、あぁあっ、あっ! 奥まで、こんなぁ、あっ!」 「ん……気持ちいい…!」 「あ…わ、私も…! ひぅ、ああっ!」 前後に腰を揺らすとぐちゅぐちゅと音が立つ。 その音にすら反応するように、憂緒の身体が敏感に震えて締め付けが強くなる。 強い締め付けに背中が震え、その感触がもっと味わいたいと感じる。 そしてその感情のままに、一層激しく腰を揺らす。 「ひっ! ん、あああっ! あ、あっん!!」 「憂緒……!」 「あ、あっ! ふぁあ、久我くん……すご、ひぅ!」 激しくなった動きに合わせるように、気付けば憂緒も腰を揺らしていた。 そして互いに身体を揺らし、奥へと届くように動き続ける。 もっと感じたいと動く俺と、もっと欲しいと動く憂緒。どんどんと互いの動きは激しくなって行く。 「あぅ! こんな、あっ…夢、なのに! んぅう! んぁああっ!!」 「はあ、ん……!」 「ど、して…こんな、あっ! ひぅう!!」 奥まで肉棒を進ませ身体を大きく突き上げ、深い部分を擦り付けるとひくひくと反応された。 無意識のその反応が嬉しくなり、わざと膣内で肉棒を動かしぐりぐり擦り付け続ける。 「ああぁっ! そ、そんなっ…されたらぁあっ!」 「ここがいい?」 「あ、あっ! いやぁ、あっ、聞かないでぇ……!!」 「わかった。いいんだ」 「ちが…あっ、ああっ!!!」 反応が大きくなった部分をわざと狙って重点的に責める。 案の定憂緒の反応は大きくなり、膣内の締め付けが一層強くなった。 あまりの締め付けに、このままこれが続くと耐え切れなくなると感じる。 「憂緒……!」 「久我く、ん! も、もう、私…あ、ああっ!!」 「ああ……」 けれど、限界が近いのは俺だけじゃなかった。 憂緒は膣内を強く締め付けると、涙目になりながら首を振って俺を見つめた。 同じように限界が近いのだろうとそれだけでわかる。 「んんっ!」 「ひんっ!! ん、ああ。ふぁあっ!!」 その憂緒の身体をしっかり支え、勢いよく腰を突き上げ肉棒を奥深くまで突き上げた。 「ひっ! あ、ああっ!!! んはぁあああああっ……!」 「……くっ!!」 その瞬間、憂緒の全身がビクリと震え、それと同時に膣内の肉棒が締め付けられる。 締め付けの強さに耐え切れず、そのまま膣内に向かって勢いよく射精する。 「あ、あああ……」 どくどくと精液を注ぎ込むと、それを受け止めて憂緒は小さく身体を震わせていた。 震える身体をしっかり支え、残った精液も全て膣内に注ぎ込んで息を吐く。 ぐったりと倒れてしまいそうな互いの身体を支え、そのままの状態でそっと顔を覗き込む。 「ふ、はあ、はあ……」 「はあ、はあ……」 「も、もう、どうして、こんな……」 息を乱し、涙ぐみながら憂緒が視線を向けて言った。 そんな姿を見ていると、酷く申し訳ない気持ちになる。 けれど同時に、別の気持ちも内側からむくむくと溢れ出しているのがわかった。 ようやく服を着たモー子は、それと同時に自分のペースを取り戻したようだった。 物凄い勢いで、俺のことを睨んでいる。 「いくら検査だからと言って、よく、あんなひどいことができますね! どうして嫌がらせのようなことばかり、するんです!」 「きみは……きみはそんなに、私のことが嫌いなんですかっ!」 「いや……そうじゃない……」 「それでは、どうしてあんなことをしたんです」 「ごめん……」 「あ、謝って済むことではありません! それに私は、理由を聞いているんです!」 「……」 「言えないようなことですか!」 涙ぐみながら睨まれると、やっぱり内側から溢れ出す感情がある。 ぎゅっと身体を強く抱きしめ、耳元にそっと唇を近付けるとモー子はビクっと身体を震わせた。 「な、なにを……」 「俺、お前にはつい意地悪したくなるんだよ……」 「……え!?」 「……わかるだろ?」 抱きしめたまま囁くと、モー子は驚いたような視線を向ける。 目元に溜まっている涙を拭いながら見つめると、モー子はその先の言葉を望んでいるような表情を浮かべた。 「そ、そんなことを言われても、わかりません」 「だからさ、そういうの、あるだろ……ほら、よくある……」 「何ですかそれは」 「………」 「私はきみではないのですから、それではわかりません」 「ん、まあ……そう、だよな…」 「は、はっきり、ちゃんと言ってください」 「………」 腕の中のモー子が頬を染めながらその先を促す。 その先を伝えるのはなんだか恥ずかしくて、なんだか胸の中がくすぐったい感じで……。 「久我くん……」 「………わかったよ。ちょっと照れるけど……」 「憂緒……」 「は、はい」 「俺は、お前が……」 「………」 「………。夢……?」 「だから! 夢だって言ったのに! なんで! 今になって! 目が! 覚めるんですか!! なんて! タイミングの悪い!!」 「久我くんも久我くんです! 何故! さっさと! 結論を言わない!!」 「あんなことまでしておいて!! なにをもじもじしてるんだか!! 男ならはっきり好きだってさっさと言えばいいのにっ!!」 「おー、やっぱりモー子いたのか」 「……!!!」 「な、なんだよその顔。いや、なんか聞こえてきたから何かあったのかと……」 「……いいえ、何もありません。それより、何か用ですか?」 「え? い、いや、あの……」 なんだ……? なんでこいつは突然こんなに不機嫌そうなんだ。 俺は放課後になったから分室に来ただけだってのに。 「………」 「……?」 怒っているのかと思っていたけど、モー子はそのままじっと俺を見ている。 その顔は不本意そうではあるが、怒っているのとはまた違うように思えた。 「な、なんだよ?」 「……まさか、きみには加虐趣味があるんですか…?」 「……はあっ!??!?」 「そういえば、いつも村雲くんをからかってニヤニヤしているし……そういった性的嗜好を持っていてもおかしくないのでは……」 「ちょ、ちょっと待て! 何の話だいきなり!? えっ、別に普通のつもりだけど!?」 「そうですか、ならいいです」 突然とんでもない威力の話題をふってきたと思ったら、モー子は納得したかのように、ポイッと持っていたクッションを放り投げた。 ――何なんだ。 本当に、何があったんだ……。 「学園長と〜」 「おまるの〜」 「時計仕掛けのレイライン、黄昏時の境界線おさらいコーナー!」 「あ、そうですね、出来れば、プレイはしたけどちょっと内容どんなんだったっけな〜? って時に見てもらえるとちょうどいいと思います!」 「では行くよー! まずは主人公、久我君が我が学園にやってくるところからだ!」 「ええと、主人公の久我満琉……みっちーの家に、不思議なメッセージが添えられた天秤瑠璃学園からの案内状が送られてきます」 「『あなたの叶えたい望みはなんですか』というメッセージだね! それを見た久我君は、我が天秤瑠璃学園に入学することを決意した!」 「びーえ……なんですかそれ?」 「…………」 「棒? 伊豆?」 「…………」 「ヒロインだったんです。この『残影の夜が明ける時』では大活躍なんです」 「そうだったんですね。じゃあ今後の学園長の活躍に期待しちゃいますよおれ!」 「まあ嘘だが」 「さて話の続きだ。彫像を壊した責任をとるため、久我君と烏丸君は、我が校の特殊事案調査分室という部署に送られる」 「さあさあ時間だ現れたまえ! 夜の世界、夜の住人たちよ!!」 「なんとこの学園は、夜になると魔術で繋がれた別世界になってしまうのだ!」 「そして、昼とはまったく違った、夜の生徒がやってくるんですよね!」 「この秘密を守るため、我が校では放課後になると、風紀委員が校舎を見回り、生徒を一人残らず寮へと帰す仕組みになっている」 「風紀委員さんたちは、おれたち特査と同じく、役目上夜の世界のことも知っているそうです」 「特査分室はこの学園で起こる魔術的な問題を解決する、主に遺品によるトラブルを何とかするのが主な仕事だということだね!」 「っていつも札を貼ってるのは憂緒さんなんだけど。おれはちょっとまだうまく出来なくて……」 「別に鹿ケ谷さんが特別というわけではなく、本人の血をつけて言葉さえ間違えなければ、誰にでも封印することができるのだよ」 「じゃあ、別におれたちだけ持ってる必要はないということですか?」 「やー、確かに便利なアイテムなのだが、作るのは厄介でな。あまり数も用意できないので、遺品はもう特査にまかせるということにしたわけだ」 「なるほど……それであの札を管理しているのは基本的に憂緒さん一人なんですね」 「さて、ここからは簡単に特査が解決した各事件を振り返っていこうか」 「まずはうっかり手錠で遊んでたら手錠の鍵がなくなっちゃったよどうしよう事件だ!」 「これは遺品『ハイタースプライト』が引き起こした事件だったね。探し物をしてくれる遺品なのだが……」 「遺品の使用者だった春日さんは礼拝堂の鍵を探していたんですけど、その探している鍵がどんな形なのか知らなくて…」 「もう鍵という鍵を盗みまくる珍妙な事件になってしまったというわけだ!」 「最終的には久我君が礼拝堂の扉を乱暴に蹴り壊して解決しついでにその時の破片が居合わせた風呂屋町さんにぶっすり刺さってフラグがたった」 「なんかいろんなものを無理やり一気に説明した!?」 「え、ええと……みっちーと憂緒さんは最初あんまり仲が良くなかったんですけど、この手錠のおかげでちょっとは仲良くなれたんじゃないかなーなんて…」 「鹿ケ谷さんはそれまでずっと一人で特査分室の活動をしていたからね、チームというものに慣れがなかったのかもしれないなあ」 「まあおれはみっちーの方にも問題あると思うんですけど……いっつも憂緒さんに突っかかるから……」 「ケンカするほどなんとやらだよ! 暖かく見守ってあげればいいではないか!」 「それはそうなんですけど……見ててハラハラするんですよね…」 「さて、では次はそのフラグをぶっさされた夜の生徒、風呂屋町さんの事件だ」 「説明するの面倒だからぐぐりたまえ!」 「ぐ、ぐぐ…!?」 「実はここ、夜の世界に密接に関係した場所なんですけど、そのときは誰もそのことに気がついていませんでした」 「そうだともー。まさかこのような大事な場所にもぐりこまれてしまうとは、私はとってもヒヤヒヤしたよ!」 「ヤヌスの鍵は望んだ場所にいける便利な遺品です。風呂屋町さんの落としたそれを使って、おれたちはその空間まで扉をつないだんですけど…」 「魔力がほとんどなくて鍵の使えないみっちーにうっかり鍵を渡して、結局みっちーもそのまま帰って来れなくなっちゃったんですよね…」 「結局、その謎の空間にあった塔の頂上にいた、白いマントの人物がもう一本あった『ヤヌスの鍵』を使って二人を元の学園に帰してくれたということだ」 「白マントといえば、それまでも夕方とかに学園にふらふら現れていた幽霊だったんですけど……」 「おや、烏丸君は幽霊が怖かったのではなかったのかね?」 「もちろん幽霊は怖いですけど、白マントさんについてはもう中身が誰なのかわかってるので…」 「壬生先輩は自分で作った人形のスミちゃんと仲良くなったんですけど、遺品が封印されるとスミちゃんも動かなくなってしまったんですよね…」 「壬生さんはこの事件を経て、後に魔女としての能力を開花させたようだ。ま、この学園のシステム的にはなかなか重要な事件だったと言えよう」 「それに、憂緒さんは突然もう調べなくてよくなったって言いだすし………」 「憂緒さんを助けにいったおれたちは、最初の被害者だった村雲先輩が生徒たちを昏倒させた犯人だったことを知りました」 「村雲君は双子のお姉さんの身代わりを探していたのだよ。彼女の体調が優れなかったのでね」 「連れ去られた人たちは、スケープゴートをするだけの魔力があるかどうかを確かめるために、魔法陣に入れられてたみたいです」 「あの魔法陣は魔女以外が入ると、たちどころに昏倒してしまうし、ついでにショックで記憶も飛んでしまうからね」 「でも、みっちーの魔力は……」 「スケープゴートは、魔女として目覚めた壬生先輩と、村雲さんが二人で協力して続ける事になったんですよね」 「ちなみに学園長はどうやって壬生先輩が魔女であることがわかったんですか?」 「実は久我君を探し出したのも同じ魔術なのだよ。まああの時はかなり広い範囲でやったからねえ、誤作動してもおかしくはないと言える」 「じゃあ学園長がずっとお留守だったのは、そのややこしい魔術を発動させるため……」 「特査のメンバーが一人増えて、憂緒さんとみっちーの仲もあまりぎくしゃくしなくなったし、めでたしめでたしですね!」 「そうとも!! これからも張り切ってこの学園を守ってくれたまえ!! 昼も、夜もね!」 「もちろんがんばりますっ!」 「あっはっはっはっはっはっは!! まあよろしく頼むよ! 君たちには本当に期待しているのだからね!」 「は、はい……もちろんです……」 「おぉ、もうこんな時間ではないか。では私はそろそろ学園長室に戻るとするよ!」 「はっ、お疲れ様でした! ありがとうございました!」 「はっはっは! では失礼!!」 「……ええと、実はもう少し説明することがあるので、もうちょっとだけ続けますね」 「ここからは、おれと、みっちーと、憂緒さんだけしか知らない、特査分室の秘密なんです」 「憂緒さんは、実は睦月さんっていうこの学園で行方不明になったお友達を捜すためにこの学園に来たんです」 「睦月さんはある日、突然いなくなってしまったんだそうです。今でも手がかりひとつ見つけられないまま……」 「憂緒さん、最初は白マントのことを睦月さんだと思ってたみたいなんですが、結局それは勘違いでした。そして……」 「もう一つ。さっき学園長は『久我満琉の魔女としての才能は素晴らしいものだけど、結局それは誤作動だった』って言ってましたよね」 「それは間違いで、久我満琉は間違いなく本物の魔女だったんです。でも、みっちーは魔女じゃない」 「みっちーは本当は、久我満琉ではなくて、そのお兄さんの、久我三厳だったんです」 「無茶するなあって思ったんだけど……」 「あぁ、それなあ。俺もバレるかと思ったんだけど、写真と履歴書を誤魔化して入学届送り返したらものすげースンナリ通って驚いた」 「しかもあの様子だと、俺が久我満琉じゃないなんて全然気付いてねぇだろ?」 「そ、そうだね……多分……」 「もしかして、その探知魔術とやらに頼りきりでアナログなチェック全然してねぇのかもな……マジで、相当誤魔化してるからな…」 「…ってみっちー言ってたから、意外と綱渡りだったっぽいよ……」