……その手紙が届いたのは、ある晴れた日の午後のことだった。 家族はみんな出掛けていて、家には自分一人。 何をするでもなく、ただぼんやりと外の景色を見て過ごしていた日……。 家の前に止まったバイクの音に、おそらく郵便だろうと思って出て行くと、案の定ポストに一通の封書が届けられていた。 ――入学案内……? 『〈久我〉《こが》〈満琉〉《みちる》 様』 確かに自分宛だった。 でも差出人である学園の名前にはまるで心当たりがない。 首を傾げながらも、封を切ってみる。 『私立天秤瑠璃学園』 『Libra Lapis Lazuli』と記されたマークが表紙に印刷されている、学園の校舎らしき建物を写したパンフレット。 入学手続きのための書類。 一見普通の案内書のようだけど……。 書類の間に、小さく折りたたまれた手紙が差し込まれている。 望み――ふと兄の顔が脳裏をよぎる。 他に望みなんて無い。 何故なら、自分のせいで今も病院に……。 ――あっ…… ふわりと、いい匂いが鼻先をくすぐったと思うと、手紙からあふれ出した淡い光が青い鳥に姿を変えた。 青い鳥たちはくるり、くるりと頭上で弧を描く。 ……………………。 そして、やがて遠い空の向こうへと飛び去って行った……。 ――望み……… 叶えてくれる、とでも言うのだろうか。 あの鳥たちは望みが心に浮かんだ途端、それに応えるように現れたように見えた。 そうであって欲しい、という、それは幻想だったのかもしれない。 だけど……。 ――この学園に行けば……本当に……? ……すがってみたかった。 本当だったら、もし本当に叶えてくれると言うのだったら。 ――……どこにだって行く。 もう一度空を見上げてみたけれど、鳥たちの姿は空の向こうに溶けるように消えていた。 「……あれ、あった」 その学園は、唐突に姿を現した。 山道を延々と歩いている途中で、突然視界が開けたと思ったらいきなり目の前に出現したという感じだ。 入学案内といい、突然降って湧くのが趣味なのか。 「けっこうでかいな……」 呟きながら、校門に近づいてみる。 「ここだよなぁ…?」 胸ポケットから生徒手帳を取り出して見る。 表記されている学園名も間違いない。 ――久我満琉 ページを開くと、氏名と学籍番号が並んでいた。 あんな風にいきなり送りつけられた案内書だけで本当に入学出来るのかと半信半疑だったが、申し込むとすぐに入学を受理した旨の返信が来た。 生徒手帳もその返信に入っていたものだ。 (受験も面接も何もなしって、怪しすぎるだろ……) とはいえ、それが俺にとって都合が良かったのも確かなんだが。 (おかげで面倒な手続きなんかはせずにすんだもんな) ぱたん、と閉じて胸ポケットにしまう。 「しかし、こんな簡単に着くとはなぁ……」 早く着きすぎたな。 とんでもない山奥みたいだから、迷うかもしれないと思って早く出たんだが……。 (あんな変な入学案内をよこすわりには、見た目は意外と普通の学校だな) (色々詳しく調べてみたい気もするが、のっけから目立つのもな……) 校庭でも、ぶらついてみよう。 暇つぶしくらいにはなるだろ。 「あれは……時計塔か?」 校舎の中でひときわ存在感を放っている尖塔。 その先端部分には鈍く光る鐘が見えた。 どんな音がするんだろう。 なんとなく、その鐘を見上げながら俺は学園内へと足を踏み入れた。 どこか古めかしい雰囲気の校舎をぐるりと周り、ずいぶん端っこまで来てしまった。 時間が早いせいか、生徒の数もまだまばらだ。 のんびりと歩きながら、あちこち見回す。 「……なんだあれ?」 校舎の前に、ぽつんと銅像が建っている。 創立者か何かかな。 他に見る物もないので、何気なく近づいてみた。 (見たことない顔だな。さすがに見た目から言って創立者じゃないだろうけど……) 間近まで来て、銅像の顔をのぞき込む。 「迂闊に触るべきでは、ありませんね」 「え?」 不意に頭の上から声がした。 見上げると、校舎の渡り廊下から女生徒が一人顔を出し、こちらを見ている。 長い髪が、さらりと風に揺れた。 (上級生――かな……?) 警告のようなことを口にする割に、理知的な瞳には、何の感情も浮かんでいない。 ――ように見えた。 「これ何の像ですか?」 「さきほどの主語は、『その像に』です。その像に触らない方がいい。と、いう忠告は聞こえていましたね?」 「へ? ……あ、ちょっと?」 ……行っちまった。 別に触る気もなかったけど、触ったら何が起きるんだろう? 単に先生に怒られるとか、そういう意味かな。 「君は誰?」 「もう一度。『その像に触らない方がいい』と、忠告しました」 「いや、触らないけど……あ」 「――以上です」 女生徒はそれだけ言い残し、すっと窓辺から姿を消してしまった。 なんだったんだ……? 「あ、初めまして」 「………」 女生徒は何故か少し興味深そうにこちらを見ている。 そのまま、ぺこりと綺麗に会釈した。 「こちらこそ、初めまして」 「さて、もう一度だけ忠告します。それには触らない方がいいでしょう。――以上です」 「君は……あれ?」 そして、俺が再び話しかけるより早く、ひらりと窓辺から立ち去ってしまう。 「……なんなんだ」 首を傾げつつ、女生徒が消えた窓をそのまま眺めていると、今度は小柄な男子生徒がひょっこり現れた。 何か捜しているのか、窓から身を乗り出して外をきょろきょろ見回している。 おい、それ以上乗り出したら落ちそうなんだが。 「なあ……」 声を掛けるより早く、どたどたと派手な足音が俺の声をかき消してしまう。 「おーい、前見えねえから避けてくれよー」 大荷物を抱えて走ってきた別の生徒を避けようとして、小柄な男子生徒が見事にバランスを崩す。 その身体は、ぐらりと窓枠の外へ傾いた。 「げっ……!」 やばい、と思う前に身体が動く。 「わ、ああぁああっ……!?」 地を蹴り、目の前にあった銅像に飛び乗る。 尾を引いて落ちてくる悲鳴が近づく。 更に宙へと飛び出し手を伸ばし―― 「うわ、え、ええ!?」 両腕に力を込め、小柄な身体を抱え込んだ。 着地と同時に膝をつかってどうにか衝撃を和らげる。 が、足の裏から痺れるような衝撃が全身に伝わってきた。 「……いっ、てぇ………」 強引に抱きかかえた身体はどうにか落とさずにすんだ。 小柄な奴で助かった……。 「ふわぁ……い、生きてた……」 「だな……」 緊張が解けたせいか、ため息と共にどっと汗が噴き出す。 身体中の関節が軋んで鈍い痛みを訴えたが、どうやらどこも折れてはいないようだ。 (筋も……大丈夫そうだな) 「え、えと、あの……」 「え?」 「……す、すみません……けど、あの」 「あ」 ……気づけば、思いっきりお姫様抱っこだった……。 せめて女の子だったらまだマシだったのかもしれないが、男同士ではしている方もされている方も気まずい。 「あー、降ろすわ。すまん」 「い、いえ」 「おわ、なんだよ!?」 慌てて降ろそうとしたのに、今度は地面が揺れた。 「じ、地震か?」 「わわわわわあああああ」 降ろすに降ろせなくなった男子生徒が、また必死にしがみついてくる。 踏ん張っていると、どうにか揺れは小さくなり徐々に治まっていった……。 「……………………」 「……………………」 「治まった、か?」 「……みたい、です……」 ふう、やれやれ……。 ため息をついて、しがみついてる奴をやっと降ろす。 よろけながら地面に降りると、小柄な男子はぺこんと頭を下げた。 「いや、無事でよかったな」 「はいっ!」 「あ、おれ、一年の烏丸小太郎っていいます。……先輩は?」 「先輩?」 「はい」 「……俺、一年だけど」 「えっ!?」 「久我満琉。一年。今日、入学した」 「……え、お、同い年!?」 「俺……そんなに老け顔か……?」 あたふた手を振って、半笑いになる烏丸。 ……とりあえずいい奴っぽい。 「うん、ほら、おれ童顔だし……」 「それは見ればわかる」 「…………………」 「制服じゃなかったら絶対年下だと思ったな」 「…………………」 「……そ、そこまでショックだったか?」 「…………………あ、あれ」 「へ?」 よく見ると、烏丸の視線は俺ではなく、俺の更に後ろの方を見ていた。 しかも見る間に顔から血の気が引いていく。 「おい、何が………」 「………………」 「お、折れてる……よね?」 どう見ても折れてる。 あれ、確実に俺が踏み台にした所……だなぁ……。 (もしかして……) さっきの女生徒の忠告は、壊れやすいから触るなって事だったんだろうか。 いや触る気なかったし、触ったどころか思いっきり踏んだんだけどさ。 「そ、そうか! そうだよな!?」 「そうだよ、きっとそうだよ!」 「俺、思いっきり踏んだけど! とどめは地震だよな!?」 「そっ……そう、だといいな……」 「お前なぁっ!? 自分で言い出したんだから、最後まで貫けよ!」 「地震だな!」 「地震だよ!!」 もはや自己暗示だった……。 けど、きっと地震がとどめを刺したんだ。 そうに違いない。 「え、もうそんな時間かよ」 けっこう早く来たはずだったのに。 「始業式、始業式! 早く行こう!」 「お、おう!」 「厄介な仕事が増える予感……ですか。当たらなければいいのですが」 「夜までに何とか――は、都合が良すぎますね。ふむ……」 「はー、終わったー」 (しかし、チャイムって、あの時計塔の鐘じゃないのか……) あんなでかい鐘があるのに、なんでだろう。 (飾りなのかな。まあいいけど) とりあえず始業式もホームルームも何事もなく無事に終わってくれて助かった。 壊れた銅像について何か言われたらどうしようかと、内心気が気じゃなかったが大丈夫だったな。 (単に、まだ壊れたの誰も気づいてないのか……) 「一年生の久我満琉くん。学園長がお呼びです。至急学園長室まで来て下さい……」 ……全然大丈夫じゃねえ。 甘かったか。 名指しって事は、俺が踏み折ったの完全にバレてんだろうなぁ……。 まあ、名前間違って呼んでたけど。正しくは『みちる』であって『みつる』ではない。 いかにも女子のような名前だが、まあ仕方がない。 「しょーがねえか……」 とりあえず行って謝ろう。 弁償出来る額だといいけど……。 (いきなり退学だったら洒落にならんな…) 何しに来たのかわからない。 ひたすら謝って、分割ででも弁償出来るならしますって言うしかないか。 覚悟を決めて、学園長室とやらの前まで来た。 深呼吸してノックを…… 「待ってー!!」 「え? 烏丸?」 駆け寄ってきた烏丸は、息を切らしながら俺の服の袖をつかむ。 「待って、久我君! おれも行くから……」 「行くってどこへ?」 「学園長に謝るんじゃないの? おれも行くよ」 「ああ……」 それで慌てて追いかけてきたのか。 律儀な奴だな。 「いいよ、別に。踏んで壊したの俺だし」 「おれにも責任あるよ、一緒に謝るよ」 「……………そうか?」 まあ、気になる気持ちはわかる。 俺が逆の立場でも、しらばっくれるのは寝覚めが悪いだろうな。 「うん、一緒に行こう」 「わかった。サンキュな」 「こっちこそ。助けてくれてありがとう」 「学園長も事情話せばわかってくれるよ」 「だといいな……」 苦笑しつつ、学園長室の扉を叩く。 「どうぞ、入りたまえ!」 女の子の声だった。 秘書か何かか? それにしては若い声だったな……。 何となく烏丸と顔を見合わせつつ、扉を開けた。 「失礼しまーす」 「失礼しま………え?」 「はあ……?」 「やあやあやあ! よく来てくれたね!」 でかい机の向こうから、ちんまりした少女が満面の笑みで俺達を迎えてくれた。 「ドブ……なんだって?」 「Dobry den、だ。チェコ語だよ、こんにちはという意味だ」 「チェコ語……」 なんなんだ、この子。 どう見ても下級生どころか、ここの生徒と考えるにも幼すぎる年に見えるんだが。 「えっと、君……誰……?」 「んん? 君達は誰に呼ばれてここへ来た?」 「学園長だけど……」 少女は大げさに手を打って笑い、こほん、と咳払いすると満面の笑顔で言った。 「私が、この私立天秤瑠璃学園、学園長の九折坂二人だ!」 「ええええええ!?」 「が、学園長……?」 何の冗談だ。 しかし室内にはいくら見回しても、他に誰もいない。 学園長の娘さんか何かが、ふざけてるのかと思ったんだが……。 「は、はい」 「そりゃ、まあ……」 「とてもそうは見えないかもしれないねえ。だが、それが間違いなく事実なのだよ」 「ぢー」 「うわ、生きてた!?」 学園長を名乗る少女の首に巻き付いていた襟巻きのような生き物が鳴いた。 烏丸は悲鳴を上げて俺に飛びついてくる。 「おや、君は……烏丸君だったかな?」 「あ、は、はい」 「なぜ君まで?」 「いや、こいつのせいってわけでも」 「だっておれが窓から落ちそうになったから!」 「それで咄嗟に、こいつ拾うのに踏み台にしちゃいました。すみません」 「すみませんでしたっ!」 「えーと、弁償します。分割にしてもらえれば……」 「僕も! 僕もします!」 学園長――未だにそうは見えなくて困る――は、交互に喋る俺達をきょとんと見ていたが……。 「あっはっはっは! なるほど、なるほど! はははは! これは面白い!」 「は?」 「え?」 「それで怒られるものと思って、二人揃って出頭したというわけか!」 「いやいや、美しい友情だね! 嫌いじゃない、嫌いじゃないよ!」 「……え、じゃあ……」 「銅像の件じゃないんですか?」 「いやもちろん、その件だ」 「じゃあ今の爆笑は何すか!?」 「いやいや、すまんすまん。正直なのはいいことだね、うん」 「ぢぃ」 学園長――もういいや――は、一人で納得したように何度も頷いてみせる。 「まあ、その件で呼んだのは確かだがね。別に弁償しろだとか退学だとかいう話ではないから安心したまえよ」 「あ、ち、違うんですか」 「うん、どうせ君達に弁償出来るようなシロモノではないからね」 「え……」 「……そんなに高いんですか……」 思わず横目で烏丸と目を合わせる。 青くなってる。 多分俺もなんだろうな……。 「そ、そうですか」 「へ? やってもらいたい事?」 「うん、そうだ。久我君、ちょっとこちらへ」 「え、あ、はい」 手招きされて、俺は学園長の机に近づく。 学園長は引き出しの中から、なにやら香水のような高級そうな瓶を取り出した。 「手を出してくれたまえ。手のひらを上に」 「こうですか?」 「そうだ、そのままじっとしていてくれ」 「はあ」 その瓶を傾け、中の液体を俺の手のひらに一滴。 「…………………」 「……?」 「…………うん?」 首を傾げると、更にもう一滴落とした。 「…………………」 「あの?」 「いえ別に」 「何かを我慢してみているとか」 「何もしてませんが」 「………ふむ、おかしいな」 「は…?」 俺の手のひらの雫をじーっと見つめたまま、学園長は怪訝な顔をする。 「……反応無し、だね」 「なんなんです?」 「……???」 烏丸もきょとんとしている所を見ると、この学園長の行為がなんなのかコイツも知らないようだ。 「たとえば、鳥のような光が見えた、とか」 「……うーん、見たような気もするし、見てないような気も…」 「ふむ……まさか暴発か…?」 「あの……」 「いやいやはっはっはっは! 気にしなくてよろしい!」 「ないものは仕方がないな。うん、もういいよ」 と、言って学園長はさっとティッシュを一枚渡してくれた。 「………………」 手を拭きながら、さり気なく液体のついた手を鼻先に近づけてみた。 特に変わった匂いもしない。 雫を落とされた手のひらの方にも、もちろん何の異常もなかった。 (……鳥のような光、って言ったな、学園長) 飛び立った青い鳥については適当に誤魔化したが、やはりあの入学案内はこの学園から送られてきたもので間違いなさそうだ。 スッと疑問に答えてくれるような人ではなさそうだが、とりあえず聞いてみるか。 「烏丸くんにはやらないんですか?」 「えっ!?」 「うん? ああ、烏丸君は別にいいんだ」 「あ、そ、そうですか」 思わず差し出しかけた手を、ほっとしたように引っ込める小太郎。 (……俺だけに用があったってことか) しかし学園長はそれ以上説明してくれる気はないらしく、瓶をさっさと引き出しに片付けた。 (なんなんだ、一体……) 「何を試したんです?」 「……ほう?」 尋ねると、学園長は何故かにやりと笑みを浮かべた。 「なぜ試したと思った?」 「なんとなく、予想したのと違う結果になったように見えたので」 うんうん、と少し感心したような顔をしたが、結局それ以上は語らずさっさと瓶を片付ける。 「なんだったんです、今のは?」 「もう一度言うが、気にしなくてよろしい!」 説明してくれる気はないらしい。 (なんなんだ、一体……) 「……ふーむ、それでは……」 学園長は独りごちながら腕を組んだ。 「ちー」 「うむ、そうだな。どうしたもんかな。いやいやそれは早計だよ。まだわからない」 ……いや、一人じゃなかった。 オコジョと会話してる。 (……会話なんだろうか) よくわからないが意味不明なことを呟き、たまにオコジョに相づちを打っている。 そして何やら考え込むように、視線をあちこちに巡らせた。 「……あのー、それでやってもらいたい事とか言うのは……」 「それ、僕も手伝えるんですか?」 「はい?」 「そうしよう!」 「何を!?」 何故か唐突に、勝手に納得したように頷くと、学園長は目の前の電話に手を伸ばした。 「ああ、君か。私だ!」 烏丸が話しかけるより早く、相手が出たのか受話器に向かって一気にまくし立てる。 「おめでとう! 君達は今日からスリーマンセルだ!」 「はあ? ではないよ。突然だがそちらに増員を送ることにしたよ! ……ん? もう決まった、たった今」 「そう、これは決定事項だよ! はっはっはっはっはっは!!」 「なに、遠慮することはない! すぐそちらに向かわせるよ、それでは、よろしく頼む!」 ちん、と受話器を置く学園長。 恐ろしく一方的に何か決めやがった、という事だけはわかったけど……。 「それでは向かってくれたまえ」 「どこへですか!?」 「な、何しに……?」 「ああ、場所はえーと……ここだ」 引き出しをあさって、紙切れを取り出すとそれを机の上を滑らせて俺の方へ寄越した。 拾い上げてみたが、なんだかわからない。 謎の記号的な何かが書いてある。 「何って、地図だよ?」 「地図?」 「……よ、よく見たら、そうだね」 「どこなんです、ここ?」 「行けばわかる」 説明するってことを知らんらしいな、この人は。 「ああ、もちろんだとも!」 「……はい」 怪しいことこの上ないが、従うしかなかった。 じゃあやっぱり銅像を弁償してくれたまえーとか言い出されたら、どうしようもないしな……。 「それじゃあ、失礼しま……」 辞去しようとした俺達に、学園長はまた突然に手を叩いて声を掛けた。 「おもしろいもの……?」 「………夜に?」 その笑顔は、今までで一番何かを企んでいるような含みのある笑みだった。 俺達は、首を傾げながら学園長室を出た……。 「ちー」 「何の反応もなかったよ。どういうことだろうね?」 「ぢぃ」 「…ぢぃ」 「うむ、確かにあの量は異常だったとも。誤作動と言うこともあり得るが、しかし……」 「………」 「ああ、しばらくは様子を見てみよう。宝物庫の結界が崩壊したのだ、これから〈遺品〉《ミスト》のトラブルが増える」 「もしかしたら、若者の秘められた才能が開花するやもしれない!」 「楽しみだねえ、ニノマエ君! はっはっは!」 「ちぃ?」 「ぢぃ」 「さて、どこまでやってくれるのかな? それも楽しみだね!」 「……ちぃ」 「げ、本当だ……」 地図を頼りに歩いてきているはずが、なぜか何度も同じ廊下に出てしまう。 「これ曲がるんじゃないのか?」 「曲がれって印じゃなくて、単なる壁かも」 「こっちは扉か何かだよな?」 「……階段にも見えるね……」 「おお、落ち着いてよ久我君。もう一回この辺まで戻ってみようよ」 「しょうがねーな……」 行けと言われた以上、放っておいて帰るわけにもいかないし。 「うん、わかった。あと呼び捨てでいいよ、同い年だったんだし」 「……だった言うな」 「あ、あはは……」 「あー、えっと、おれここに来る前は『まる』って呼ばれてたんだけどね。苗字が烏に丸だから」 「じゃあ……おまる?」 「いや、まるだけじゃ寂しいかと」 「寂しくないよ! むしろ大変なことになってるよ!」 「いいじゃん、面白いから」 「いーよ、別に」 「い、え、いいの?」 「なんて呼ぶ?」 「え、あの、じゃあ……えっと……えーっと……」 「……………………」 「……………………」 何か思いつかなければ世界が滅ぶのかと思うほど真剣な顔つきで眉間にしわを寄せるおまる。 「み、満琉、だからー……」 「だから?」 「………みっちー?」 「普通じゃねーか!」 「だってー!」 「あー、はいはい。みっちー、ね」 (みっちー、か……) まあ、特に違和感ないからいいか。 「みっちーだよ? みっちーって呼ぶからな?」 「わかったよ、おまる」 「うう……」 全然逆襲になってないんだが。 根が真面目すぎるのか、こいつは。 『下校時刻になりました。全校生徒は速やかに校内から退出し、寮へ戻って下さい』 『くり返します。下校時刻になりました……』 流れてきた校内放送に足を止める。 そう言えば、放課後とはいえもう少し人気があってもよさそうなものなのに、やけに静かだと思った。 「もう帰れって部活とかないのか?」 「そういうの寮でやるらしいよ。ちょっと変わってるよね、ここ」 「へえ?」 寮で、ねえ……。 学園長といい、校則といい、変な学園だな。 (まあ、入学案内からしておかしいんだけどさ……) 「そういえばおまるんとこに来た入学案内、普通だったか?」 「え? 普通……だったと思うけど」 「妙なこと書いた手紙が入ってたとか」 「妙ってどんな??」 「あー、いや、別にたいしたことじゃないんだが。当面の目標とか、抱負とかありませんか、的な」 「うーん、パンフレットと書類だけで、そんなのはなかったと思うんだけど…」 思い当たる節はないようだ。 やはりあの『望みを問う手紙』は我が家だけに送られて来たものらしい。 さっきの学園長の妙な行動も、俺だけを対象にしたもののようだし。 おかしいことだらけだ。 だからと言って、逃げ出す気はないけどな……。 「学園長命令なんだから、いいんじゃね?」 「……そっか」 「さ、行こうぜ」 わかりにくい地図を頼りに、ふたたび歩き出す。 「おい、コラそこの!」 「えっ?」 と、目の前にコートのような上着を着た目つきの悪い男が立ちふさがった。 コートの下は制服なので、一応は生徒のようだ。 「ぼーっと歩いてんじゃねえぞ、コラ。なんでまだ校舎に残ってんだ」 男は不機嫌そのものの顔をして、つかつかと歩み寄って来る。 「なんでって……」 そして、俺の顔を見上げるとムッとしたように顔をしかめた。 「放送聞いてなかったのか? あ? それとも聞く気がねーのか?」 「もう一回だけ親切に言ってやる。生徒は全員寮に帰る時間なんだよ! 理解できたか新入生!!」 「ひっ…すすすみません」 ……いきなり喧嘩腰だな、おい。 「………」 「あぁ? 何見てんだよ。何か文句あんのか?」 どうやら上級生のようだが、それにしても乱暴な物言いだ。 こっちも下級生として振舞う気が一瞬で失せた。 「はぁー。どうしようかーおまるー」 「えっえっ!?」 「いきなりすごい不良の人に絡まれたんだけど、こういう場合はどうするべきかな?」 「不良にしか見えない」 「あぁぁすいません! ごめんなさい! 今持ち合わせとかそんなにないです!」 「つーか、あんた誰なんだ?」 「誰があんただ、口の聞き方に気をつけろよ。風紀委員の村雲静春だ! お前らより先輩だぞ、一年ボーズが」 文句言いながらしっかり名乗ってるし。 意外と真面目なのか? 「……しずかちゃん?」 「誰がしずかちゃんだっ!?」 「いや可愛い名前だなと思って」 「ほっとけっ!! オレが自分で付けたわけじゃねえ!」 「そりゃまあ……自称だったら『権蔵』か何かにしとけって忠告するしか」 「どこから出てきたんだ権蔵って!? 静春だと言ってるだろーが!」 「静けさの欠片もないしずかちゃんだな」 「ちゃんを付けるな!! 喧嘩売ってんのか、てめえ!?」 「先に喧嘩腰で来たのそっちじゃねーか」 「喧嘩じゃねえ! 仕事だ仕事!!」 「仕事?」 「お前らみたいな放課後になってもうろついてる馬鹿を追い返す事だよ!」 「風紀委員?」 「お前らみたいに帰れって言われてもぼーっとしてる連中を追い返すのが仕事だ。ほら、とっとと帰れ」 「あの、でも……」 「この地図、どこだかわかる?」 「でも、行かないと」 「初日から校則違反かコラ、いい度胸じゃねーか」 「いや、そういうつもりは」 「放課後になったら帰る決まりなんだ、明日にしろ明日に!」 「本当にいいのか? 学園長にお前がそう言ったって言うからな?」 「は? 学園長?」 「……多分だけど」 「多分てなんだよ!?」 「どう見ても学園長に見えないオコジョ首に巻いた女の子がそう名乗ってた」 「……ああ、それは学園長だ」 「そうか、やっぱ見えないよな。そう伝えとくよ」 「何の嫌がらせだ、てめえっ!?」 「話が逸れまくってるよ、みっちー!?」 「ああ、そうか。じゃあ行くわ」 「だから帰れねーんだって!」 「――村雲」 にらみ合っている所へ、コート姿の女生徒が駆け寄って来る。 村雲とかいうのと、同じコートだ。 てことは、こっちも風紀委員かな。 凛々しい雰囲気の、けっこうな美人だった。 「あ、壬生さん」 壬生さん、と言うらしい美人は村雲に目顔で頷き、俺達の方に向き直る。 「風紀委員の壬生鍔姫という。久我満琉くんに、烏丸小太郎くんかな」 「はい、そうです」 「俺たちに何か用ですか?」 「そうか。やっぱり君達か」 壬生さんは頷くと、村雲に向き直る。 「彼らはいいそうだ」 「はあ?」 「委員会本部から連絡が来た。彼らは帰宅させなくていいと」 「そのまさか、だそうだ」 「…………………」 村雲は非常に納得のいかない顔で、横を向いて舌打ちした。 何がそんなに気に入らないんだか。 しかも、まさかって何だ。 「そう言うわけだ。すまなかったな、呼び止めて」 「あ、いえ」 「あの、この地図どう行けばいいかわかります?」 「地下ぁ!?」 「ここではなく、向こうの廊下に降りる階段がある」 「地下だったんだ……」 「わかるか、そんなもん! どこの古代遺跡の暗号だよ!?」 「み、みっちー、落ち着いて」 壬生さんはふっと目を細めて笑った。 笑うと少し幼い顔になる。 「学園長の地図だな。仕方のない人だ」 「あの人、いつもああなんですか?」 「……諦めてくれ」 いつもあの調子らしい。 しかも諦めるしか選択肢ないのか。 「それでは、私達はこれで」 「あ、はい! ありがとうございました!」 「助かりました。あの……」 「まさか、って何ですか?」 「……学園長から何も聞かされていないのか?」 「まったくです」 「………………」 壬生さんは呆れた顔になり天を仰いだ。 「おそらく……私が説明するより実際に見た方が早かろう」 「見るって何を……」 「健闘を祈る」 「なんか怖いんですけど!?」 「じゃあ帰れ」 「帰れねーんだってば」 「とにかくそこへ行くといい。早くしないと夜が来てしまう」 「はあ……」 「それでは、失礼」 「お仕事、頑張って下さい」 「ありがとう」 「……君達もな」 「へ?」 意味ありげに微笑まれて、ちょっと面食らう。 俺達も、ってなんだ? 「……知ってるんですか? 俺達が学園長に何やらされるか」 「ああ。配属先を聞けばわかる」 「配属先?」 「ご想像通りです」 「おそらく口で説明しても、にわかには信じられないだろう。……実際にいってみるのが一番だ」 「し、信じられない?」 「え、あの、それはどういう……」 しびれを切らしたように、村雲が叫ぶ。 「すまない。それでは、失礼する」 「あ……」 壬生さんは、苛ついた顔で待っている村雲とともに去っていった。 「……わざわざ風紀委員が見回って追い返すとは念の入ったことだな」 「そうだね。なんでなんだろう?」 「さあな……。ま、残っててもいいらしいから行くか」 「うん」 俺達以外の生徒は、本当にみんな帰ったらしく廊下はさっきまでより静かだった。 人のいる気配すらしない……。 「な、なんか、不気味だね……」 「何びびってんだ、おまる」 「だって何か出そうじゃない?」 「何かって何がだよ?」 「言わせないでよ!」 「幽霊とか妖怪とか宇宙人とかか?」 「どれも嫌だっ!? て言うか宇宙人て何!?」 「何か出そうって言ったのお前だろ」 「宇宙人は頭になかったよっ!」 「じゃあやっぱ、幽霊か」 「嫌だっ!」 「なら妖怪か」 「よ、妖怪による」 「なんだそれ」 「だって、豆腐小僧とかすねこすりとかだったらあんまり怖くないよ」 「学校の廊下に豆腐小僧がいたらシュールすぎるだろ」 「怖いよりいいよ!」 どんだけ恐がりなんだ、こいつは。 おもしろいから急に大声とか出してみようかな。 不穏なことを考えていると、奇妙な音に気づいた。 「……何の音だ?」 「え? な、何が?」 車輪か何かが転がるような、小さな音がしんと静まりかえった廊下の奥から聞こえる。 「おいこら、引っ張るな!」 音はだんだん近づいてくる。 そして薄暗い廊下の奥に見えたのは…… 「…………か、鏡?」 「え……」 「……どれだと思う?」 「どれ?」 「幽霊と妖怪と宇宙人」 「どれも嫌だよ!?」 その悲鳴に反応するかのように、鏡は器用に車輪をすべらせ、おまるの方を向く。 「ひゃあっ!?」 驚愕するおまるの姿が鏡の中に現れる。 そして、その周りにふわりと別の影が浮かんだ。 「へ?」 おまるの周りを見ても、何もいない。 鏡の中にだけ何かがにじみ出るように…… 「な、な、な……」 「……って、ぬいぐるみ?」 ……浮かび上がったのは、ぬいぐるみだった。 熊だの犬だのコアラだの。 「なんだそりゃ……げっ!?」 浮かび上がったどころか、ぬいぐるみ達は鏡の中から躍り出てきやがった。 「わあぁ!?」 「なんだよ、おい!?」 驚きはしたが、相手はぬいぐるみだ。 ふよふよ浮かんで近づいてくるだけで、怖くは…… 「って、おまる!?」 「お、おまる?」 ふよふよ飛んでいるぬいぐるみを必死で追い払うように手を振り回し、おまるが泣き叫ぶ。 これは本気で怖いらしい……。 「お前、不思議なもん嫌いなんだな……」 「だって目がー! なんかうつろだし! どこ見てるのかわかんないし!」 「そういうもんか」 「あ、こら、暴れるな!」 感心してる場合じゃなかった……。 「わかった、落ち着け」 「わかる!? あの目怖いよね!?」 「そ、そうだな」 「どこ見てるかわかんないよね!? なのに目が合う気がするんだよ!!」 「うんうん」 適当に話を合わせながら、振り回そうとする腕を押さえる。 「どこ見てんの、あれ!? なんであんな、うつろなの!?」 「さ、さあ……」 「どうやって!?」 「倒すとか!」 「だからどうやって!?」 どうしよう、これ……。 パニックを起こしたおまるを押さえていると誰かが走ってくる足音が聞こえた。 肩越しに見ると、その姿には見覚えがある。 「あ、今朝の……」 「これを!」 駆けて来たのは、今朝渡り廊下で見かけた女生徒だった。 俺の横を走り抜けながら、何やら包みらしき物を俺の手に向かって差し出してくる。 「持っていて下さい!」 「えっ……」 「危ないって! 待てよ!」 はっと、こちらを見た瞳と視線がぶつかる。 「……離して下さい」 「け、けど、あんな得体の知れないもんに近寄るのは……」 「残念ですが、そのお気遣いはまったく意味をなしません」 冷静な口調でそう答えると、荷物を強引に俺の手に押しつけようとする。 「周囲50メートルに渡り、魔力を供給するものはありません」 「これは遠隔操作で魔力の供給媒体を見つけるほどの時間がなかった――ということを表します」 「は?」 「更に、莫大な魔力を消費した様子の人物もいない。これは確認しました。以上のことを踏まえて考え、導き出される答えは何ですか?」 「ちょ、ちょっと??」 「つまり、目の前の出来事は現実に起こった事象ではなく鏡が映し出した幻影である可能性が高い」 「要するに危険はきわめて低いということです。そしてきみは危険もないのに私の邪魔をしている。ご理解いただけましたか?」 「いや、……え?」 「証明終了。では離して下さい」 「あ、おい!」 「わ、わかった」 反射的に荷物を受け取ってしまう。 「けど危なくないのか、あれ?」 「残念ですが、そのお気遣いはまったく意味をなしません」 「いやでも…」 「周囲50メートルに渡り、魔力を供給するものはありません」 「これは遠隔操作で魔力の供給媒体を見つけるほどの時間がなかった――ということを表します」 「は?」 「更に、莫大な魔力を消費した様子の人物もいない。これは確認しました。以上のことを踏まえて考え、導き出される答えは何ですか?」 「ちょ、ちょっと??」 「つまり、目の前の出来事は現実に起こった事象ではなく鏡が映し出した幻影である可能性が高い」 「要するに危険はきわめて低いということです。そしてきみは危険もないのに私の邪魔をしている。ご理解いただけましたか?」 「いや、……え?」 「証明終了。ではさがって下さい」 鏡の中に、女生徒の姿が映り込む。 「……!? なんだ…?」 「ひぁああ!?」 突然、浮かんでいたぬいぐるみが震え出し、口から何かを吐き出した。 ……唐辛子だった。 「落ち着け、唐辛子だ」 「なんで唐辛子っ!?」 「何がしたいんだ、あいつら」 「あれは幻だとお伝えしたはずです。何かがしたい、という確固たる意思はおそらくありません」 「鏡に映した相手の嫌悪する物もしくは苦手とする物を自動的に投影しているのでしょう。動揺するだけ時間の無駄です」 「苦手……? ということはつまり……」 「普通の人間は、過激な辛味には誰しも抵抗があると思いますが?」 そう言うことか。 おまるの苦手なぬいぐるみに、彼女の苦手な唐辛子。 (……じゃあ、俺は――) ぞくりと背中に悪寒が走った。 嫌な光景が脳裏によみがえりそうになる。 さっと、女生徒はポケットから何かが書き込まれた紙片と棒状の何かを取り出した。 「ナイフ!?」 驚く間もなく、彼女は自分の手のひらをナイフの先端で薄く切りつける。 そして、滲んだ血を紙片に擦り付けた。 「一体何して……」 ――彼女に、気を取られている間に。 鏡はいつの間にか、俺の方を向いていた。 鏡越しに自分と目が合う。 「――――ッ!!」 「わあっ!?」 ……手にしていた何かが滑り落ちた。 預かった荷物、だと気づくよりも早く意識が真っ赤に染まっていく……… (…………火………) ――……ちゃん……ごめ……なさ…… (火が………いちめん、に……) ――……だよ、もう……お前は……な力…… 「落ち着いて、幻です」 遠のきそうになっていた意識が止まる。 かろうじて踏みとどまっただけ、だったが……。 (くそ、動悸が早ぇな……) 早鐘のように鳴る鼓動、背中に嫌な汗が滲んでいる。 幻だ、と言われてもどうしても身体が震えた。 手にした紙片をかざし、炎にひるむことなく彼女は鏡に歩み寄った。 そして―― 「鹿ケ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 紙片を、俺の姿を映した鏡面に貼り付けた。 「……刻を、止めよ」 紙片――札から、ざあっと伸び出した白い光が包帯のように鏡を包み込んでいく。 「あ、き、消えた……?」 同時に、俺達を包んでいた炎も、飛び回っていたぬいぐるみ達も何事もなかったかのように一瞬で姿を消した。 「…………………」 「…………………」 廊下は、先ほどまでと何ら変わらない静寂を取り戻していた……。 「なんだったの……?」 呆然としていると女生徒――鹿ケ谷とか名乗った彼女が近づいて来た。 そう言って、俺が取り落としていた荷物を拾う。 「あ、悪い……」 慌てて拾うのを手伝う。 「いえ、気にしないで下さい。とっさとは言え、きみに任せてしまった私の判断が間違っていました」 ……が、さらりとそう言われ、やんわり荷物を取り上げられた。 「……………………」 「あ、……傷は? さっきナイフで……」 「……」 「手当しないと。ああ、荷物は俺が……悪い」 「…………………」 「いえ、お気になさらず」 彼女は少し小さく首を振ると俺の手から荷物を取り上げた。 「とっさとは言え、きみに任せてしまった私の判断が間違っていたのです」 「……………………」 「ですが……」 彼女は、俺達二人の顔を見回して言った。 「あれくらいのことでいちいち声をあげて動揺していては、この先とても持ちませんよ」 「この……先?」 「学園長の言われた増員とはきみ達でしょう」 「増員って……?」 「具体的な生徒名は言われませんでしたが、この時間帯にまだ校舎に残れていること、二人組であること――」 「……それに、今朝の銅像騒ぎの張本人であることなどを考えると、きみ達のことだと思われます」 「学園長から、何も聞いていませんか?」 「……はい」 「どうやら本当に何もご存じないようですね」 「す、すみません。おれ達もとにかく行けって言われただけで何も……」 ねえ、と目線を向けてくるおまるに頷く。 「……聞いてない」 動悸は、ようやくおさまってきていた。 不調を顔に出さないようつとめながら答えると、彼女は肩をすくめる。 「そうですか。相変わらずですね、あの人は」 「えーと、憂緒さん、でしたっけ」 「鹿ケ谷憂緒、二年です」 二年生――やっぱり先輩だったのか。 口調だけは丁寧だから同級生なのかとも思ったんだが。 「あ、えっと、おれは烏丸小太郎、こっちは……」 「久我満琉。で、さっきのは一体?」 彼女は、少し表情を引き締めた。 そして、とんでもないことを言う。 「この学園では、まだ魔術が生きています」 「……魔術?」 「先ほどの物は、その一部」 何のことやらわからず、俺はおまると顔を見合わせる。 「あのさ、もうちょっと具体的に……」 「これから『夜』が来ます」 俺の言葉を遮るように言い、彼女はすっと空を見上げるように窓の外に目を向けた。 「先ほどのようなまやかしではない、本物の魔術というものが今から見られますよ」 「本物の、魔術?」 「鐘……?」 「これ、時計塔の……か?」 「そうです」 放課後になる前は、一度も鳴らなかった時計塔の鐘。 これが、この音がそうなのか……。 「何故、この学園では放課後になると生徒は寮に戻されるのか。何故、校舎内を風紀委員が厳しく見回るのか」 「何故だと思いますか? ……答えはひとつ。普通の生徒には決して見られてはならないものがあるから、なのです」 「――――夜が、来ます」 「歳月を越え、空間を越え、天命までもを飛び越えて! 今ここに大いなる魔術が成る!」 「さあさあ時間だ現れたまえ! 夜の世界、夜の住人たちよ!!」 ぐん、と足下から不思議な浮遊感を感じ、驚いたおまるが俺にしがみついてくる。 地面が揺れているわけでも、建物が動いているわけでもないのに身体だけがどこか別の空間に浮かんでいるような感覚―― ――そして。 窓の外に広がる『夜』が押し寄せてきた。 闇色の波はあっという間に俺達を飲み込み、その場は星空の真ん中になった。 「夜が、来る……って、これかよ……」 「いいえ。これはまだ序章に過ぎません」 「序章!? これが!?」 俺の驚きに応えるように、夜は、鳴り響く鐘の音に合わせて歌うようにたゆたい、揺れる。 揺れる夜は、まるでオーロラのように輝き、しだいに見たことのない風景を滲ませ始めた。 「見えますか? あれが、夜の世界です」 夜の奥底から滲み浮かび上がってきた風景がオーロラを伝い広がっていく。 「……………………」 もう、声も出なかった。 しだいに凪いでいく風景は、いつの間にか『世界』になっていた………。 「……な……なんだ、これ……」 変貌を遂げた周囲を見回す。 おまるも、呆然と同じように目を丸くしていた。 「移動したわけではありませんよ。先程とまったく同じ場所です」 「で、でも全然違いますよ!?」 「ついて来て下さい」 唖然としている俺達を手招いて、彼女は先に立って歩き始めた。 仕方なく、慌ててついて行く。 「一体、この学園どうなってるんだ……?」 「時計塔の鐘の音と共に、学園には魔術で繋がれた『夜の世界』が現れ校舎と一体化します」 「夜の世界ってなに!?」 「夜しか存在しない世界。私たちのいつも見ているこの世界の、裏側の世界のようなものだそうです」 「さっぱりわからん」 「お、おれも……」 鐘が鳴ると、別の世界になっちまうって事か? 実際、どう見てもさっきまでとは違うが……。 ふと気づくと、廊下の端まで来ていた。 昇降口に人影が見えると思ったら、見たこともない制服姿の生徒達がわらわらやって来るところだった。 「おはよう〜」 「おはよーございまーす!」 口々に挨拶しながら、校舎へ入ってくる生徒達。 ……どこにでもある日常、としか言いようのないその光景を、ぽかんと見つめる。 「夜の世界の……」 「ふつーの人に見える……」 「普通という概念は、この場合適切かどうかはわかりません」 「ただ生物学的な意味で表すのならば――彼女らは私たちと何ら変わりない『普通の』人間だそうです」 「まあ……どう見てもそうとしか思えないですけどね……」 笑いさざめきながらやって来る生徒達は、どこもおかしな所など無い。 俺達とは着ている制服が違う。 それくらいしか相違点は見当たらなかった。 「けど、俺達とは違う世界の住人で……」 「夜が来て鐘が鳴らないと、現れない?」 「思っていたより理解が早くて助かります」 「……なるほど」 「みっちー、意味わかったの?」 「さっぱりわからん、ってことがわかった」 「……だよねー」 彼女は、途方に暮れている俺達を特に何の感想もなさそうな顔で見ていた。 頼りなさそうだと悲観するわけでもなく、仕方ないと諦めてる風でもなく。 (この子も思ったより謎だなぁ……) 「あっ、せんぱーい! おっはようございまーすっ!」 彼女は駆け込んで来た女生徒に挨拶する。 知り合いらしい。 「おはよう」 「あ、えっと、おはよー」 よくわからんが、一応一緒に挨拶してみた。 「はいっ! おはよーございまーす!」 大変元気よく返される。 普通の反応過ぎて、逆にリアクションに困る……。 「風呂屋町眠子さん、一年生です」 「久我満琉。俺も一年」 「おれも……」 「おまるです」 「おまる……」 「それは覚えないでっ!?」 「よかったな、おまる」 「よくないよっ!?」 「……そうですか」 「先輩、なんですかその複雑そうな顔は」 「なんでもありません」 目を逸らされた。 黙ってみていると、俺達も紹介してくれた。 「風呂屋町眠子さん、一年生です」 「あ、おはようございますー」 「あ、ど、どうも。烏丸小太郎です」 「……久我満琉、です」 「お急ぎのようでしたが、何かありましたか?」 「それが、また友達がノートなくしちゃったみたいで……」 「依頼があればまたお探ししますよ」 「はい……えと、その……どおーしても見つからなかったら、またお願いしますですぅ……」 ぺこりと頭を下げると、風呂屋なんとかさんはふと俺達の顔を見る。 そして合点がいった、と言うようにぱっと表情を明るくした。 「へ?」 風呂屋さん――違った気もする――は、手を振りながら走り去っていった。 「特殊事案調査分室、です」 「と、特殊…じ、あん?」 「なんですか、それ」 「言葉の通り、この学園で起こる特殊な事案を調査・解決するための部署です」 「特殊……」 「……って、さっきみたいな……?」 「そうです」 「特殊すぎませんかっ!?」 「その意見は肯定します。が、仕方ありません」 にべもないことを言う。 俺とおまるは、絶句するしかなかった。 「まじゅつ……」 「……………………」 「では、質問します。きみたちには今までの出来事が、他の、一体なんと呼ぶ現象によって起こったと感じましたか?」 「いや、その……」 「おまるは、豆腐小僧の仕業を希望してたけどな」 「してないから! しかも無理ありすぎだし!」 「……残念ながら妖怪の仕業ではありません」 真面目に返された。 あまり冗談は通じないタイプなのか。 (それともまだ、俺達のことを信用してねえってだけかね……) 彼女の美貌は相変わらず内面を映さず、感情は読み取れなかった。 「……つ、つまりおれ達は、その魔術的な何かを解決するところに配属された、っていう……」 「ようやくご理解いただけましたか」 「…………はい」 理解したくないけど、するしかなさそうだ。 しっかし…… 驚いていいのか、嘆いていいのか、もうわからなくなってきた。 彼女はそんな俺達の顔を、交互に見て―― 「ここが、ただの学校だと思っていましたか? それは残念でしたね」 ――真顔で、言い切りやがった。 「……で、まだ状況がさっぱり把握出来てないわけだが」 「う、うん、そうだね。あの憂緒さん、もう少し詳しく……」 「おい待て! じゃあ俺らはどーすりゃいいんですか!?」 「図書館へ行って下さい」 「は?」 「と、図書館?」 「それでは」 「い、行っちゃった……」 「…………………」 「…………………」 「あいつ、俺達に合わせる気まったくねーな……」 「あれー? ないなぁ……」 「ノートどこ行っちゃったんだろ?」 「これは違う…これも……あれ?」 「……時計? 懐中時計だぁ……」 「なんでわたしの鞄にこんなものが……?」 「真由美ー? 早くー、教室移動だよー?」 「えー、なにが? 誰かからのプレゼント?」 「プレゼント? そうなのかな……?」 「机に置いてある鞄に間違えて入れるって変だし、そうかも……」 「真由美、置いてくぞー」 「みんな待ってー!」 「終わった終わったー」 うーん、と背伸びをしながら椅子から立ち上がった。 他の生徒達も、ざわざわと談笑しながら席から離れて行く。 「……気のせいだ」 「本当に? 先生の話ちゃんと聞いてた?」 「えー…なんか、ありがたい話を延々としてたような気がする」 「覚えてないんじゃん!」 「しょーがねえだろ、眠くなるってこんな授業!」 そう言いながら、俺は室内を見回した。 厳かな雰囲気のこの教室は、なんと礼拝堂だ。 「こんなもんまであるとはなぁ……」 「こういう所って、緊張しない?」 「いや別に」 「そうか……だから寝られるんだなぁ」 「おまる、緊張すんの?」 「だってちゃんとしてないと、罰が当たりそうな気がしちゃって……」 「え、なになに? そんな噂があるの?」 横にいた女子が、突然目を輝かせてこちらを向いた。 「あ、黒谷さん」 クラスメイトの黒谷真弥だった。 初日からにぎやかに女子達の輪の中心にいたので、なんとなく覚えていた。 こっちは吉田そあら、だったかな? 「罰? あ、当たるの?」 「あ、あああ、そんな気がするってだけで別に噂だとか言い伝えとかって話じゃないよ」 「なーんだぁ! 新ネタゲットかと思ったのに」 「新ネタ?」 「この学園変わってるじゃない? いろいろ面白い噂があるみたいなんだよね〜」 「へー、どんな?」 「たとえばぁ……」 黒谷は、指折り数えながら話し始めた。 ものすごく楽しそうな顔だな……。 「寮のどこかに数えるたびに段数の違う階段があるとかー」 「よくある話だな」 「一階の女子トイレの一番奥におかっぱ頭で赤いスカートの子が住んでるとか……」 「それもどっかで聞いたような」 「さあ? 〈男〉《・》〈の〉《・》〈娘〉《・》ってやつじゃない?」 「知らないなら気にするな、おまる」 「なんでそんなのが女子トイレに住んでるのぉ…?」 「変態だよねえ」 「変態どころの騒ぎじゃねーだろ…」 「あ、他にはね、学園長の本体は実は首に巻きついてるオコジョの方だとか」 「……いや、一応どっちも喋ってたぞ」 「そうなの? じゃあこれはガセネタかぁ」 「本当だったら怖いよ……」 「ゆ、幽霊……?」 吉田とおまるが、二人揃ってひきつった。 「放課後、みんなが寮に戻る頃にね、ふわぁ〜って白い人影が横切って行くのを見たって話がけっこうあるんだって」 「えええぇ……」 「………………」 「放課後ってまだ明るいだろ。幽霊が出るにはえらい早い時間だな」 「早くから出てくるだけで、真っ暗になった後もうろうろしてるんじゃない?」 「真っ暗に……」 しかし、暗くなった後のこの学園は―― (『別の世界』とやらに、なってるんだっけな……) おまるも同じ事を思い出したのか、微妙な表情で目線を逸らしている。 「そう言えばさ……」 吉田達に聞こえないように、おまるに小声で耳打ちした。 「こいつらは、夜この学園がどうなってるか知らないんだよな?」 「そのはずだよ。昨日憂緒さんも普通の生徒は知らないみたいに言ってたし……」 「寮に帰った後は、外に出ちゃ駄目って決まりもあるしね」 「だよな……」 うっかり口を滑らせないようにしないとな。 口止めされてるわけじゃないが、夜の世界を知らない奴にあんな事話したら、こっちがおかしくなったと思われかねない。 「おーい、礼拝堂の当番誰だー?」 「あっ、わたし! 鍵閉めなきゃ」 「ん、じゃあ行こうか」 「はー、もうお腹すいたなー」 「早いよ、まーやちゃん!」 きゃっきゃとはしゃぐ女子達の後に続いて教室へと戻る……。 平穏無事に残りの授業も終わり、放課後になった。 昼の間は、普通の学校に見えるんだがなぁ……。 「まだ残ってるのか? みんな早く帰れよー」 「あ、はーい」 「ああ、急いでな」 風紀委員の先輩に促され、生徒達はぞろぞろ教室を出て行く。 「うーん、やっぱり……」 「なにがやっぱりなの?」 「幽霊ってさっき言ってた放課後に出るとか言うやつか?」 「やっぱり、放課後になると噂通り幽霊だらけになるのよ!」 「だらけ?」 「さっきのと違うよっ!? 白い影がふわぁ〜って横切るんじゃなかったの!?」 「それがいっぱい出るのよ! だから放課後になったらさっさと帰れって言われるの!」 「ふっふーん、どうこの推理?」 「あー……」 「え、えーと……」 実際出るのは、幽霊とはまた全然別のものなわけだが。 「まーやちゃん、やめてよ〜! 怖いよ幽霊なんて〜……」 「そ、そうだよ。違うよ、幽霊じゃないよ」 まあ、確かに幽霊じゃないが。 その割に本気で怖がってるようにしか見えんなおまるは……。 本当のことなんか言うわけにいかないからここは黒谷に乗っとくか。 「そうかもしれないなー。何で帰らなきゃいけないか、理由も言わないもんなぁ」 「なるほどなー、幽霊かぁ」 「やめてよ〜! 怖いよ、早く帰ろうよ〜!」 ……吉田はともかく、本当の理由を知ってるおまるは何故そこまで怖がるんだ……。 「そんな怖がらなくて大丈夫だ、吉田」 「え?」 「その幽霊がそんなに危険な奴だったら風紀委員だって残ってたら危ないだろ」 「……そっか、それもそうだね」 「えー、じゃあ違うのかなぁ?」 「違うと思うぞ」 「う、うん、おれも違うと思うよ」 ある意味それどころじゃないとか聞いたら、吉田はやっぱり怖がるんだろうか。 「そっかー、よかったぁ! ありがとう二人とも!」 「……ま、この学園じゃな。幽霊の一人や二人や三人や三十人はいても不思議はねーよな」 「いや一人見かけたらそれくらいいるって言うだろ?」 「そんな幽霊聞いたことないよっ!? 増やさないでよ怖いから!!」 「まあ、見かけられてるのは一人だけみたいだけどな。よかったな」 「だって見た奴いるらしいし」 「……き、気のせいだよ! きっと気のせいだ、うん、そうだよ」 「だといいなぁ」 正直、それは本音だ。 ただでさえ、ややこしいのに幽霊まで出て来られても相手してられるか。 「そこの女子、早く出なさい」 「は、はいっ!」 「え? こっちは?」 黒谷が不思議そうに、俺とおまるの方を見て首を傾げる。 「あ…、そいつらはいいんだ。特別でな」 「特別なんだぁ」 「……ただの強制労働だよ……」 そして今日は、昨日行きそびれた図書館とやらへ行かねばならない。 (一応、風紀委員の壬生さんのおかげで例の学園長の地図の見方だけはなんとなくわかったけど……) 図書館に何があるのかは、結局何一つわかってないんだよな……。 「……えーと、こっちか」 「この先の階段を降りるんだよね」 聞いた説明通りに歩いて行く。 どうにか図書館にたどり着けそうだが、これ結局、地図いらなかったんじゃ……。 「え?」 「あ、風紀委員の……」 「……げっ、お前らかよ……」 駆け寄ってきた村雲は、見つけたのが俺達だと気づいてばつが悪そうに顔を歪めた。 その後ろから、苦笑しながら壬生さんが現れる。 「いえいえ、見回りお疲れ様で」 「なんでこんな所うろついてんだ紛らわしい……」 「あの、えと、図書館に行く途中で」 「ぶんしつ?」 「お前らの巣だろうが」 「へー、俺らの部屋あるんだ」 「知らなかったのかよ!?」 「図書館行けとしか聞いてねえもん」 「昨日からまったく進展してねーじゃねえかっ!? 何してたんだ、今まで!?」 「しょーがないだろ。昨日はわけわかんねーまま終わっちゃったんだから」 「何が起きたのか把握するだけで精一杯でした……」 「……夜の世界か。まあ、それは無理もないな。驚いただろう?」 「ええ、驚きました」 「あの、結局夜の世界ってのは何なんでしょうか?」 「んなこと鹿ケ谷に説明してもらえよ」 「いやまあ一応説明聞いたのは聞いたんだけど」 「まあ、夜になれば校舎内が別の世界になるなど、説明されても戸惑うのはわかる」 「や、やっぱりそうなんだ」 「別に校舎の見た目が変わるだけだろ、ちょっと変わった夜間部だと思えばどうってことねーよ」 「ちょ、ちょっと……変わった……」 「一体どういう事情で、この学園はそんな妙なことになってるんですか?」 「そういう変わったものを受け入れるのがこの学園の方針らしい」 なんとも迷惑な方針だ。 昨日見た幻を映す鏡とかもその一環なのか。 「ここが、ただの学校だと思っていましたか? それは残念でしたね」 何故だか突然そんな言葉を思い出した。 くそ、最初からここがおかしいのはわかってたけどな。 「いちいち腰抜かしてたんじゃキリがねーぞ」 「だろうなー」 「うん、俺も一瞬気づいたんだけどさ」 「気づいたんなら、なおせよ!?」 「じゃあ、村雲先輩」 「……………………」 「……………………」 「……き、気持ち悪ぃ……」 「だからやめといたのに」 「ドヤ顔で言うなっ!! 大体てめーが最初から態度悪ぃから!」 「初っぱな喧嘩腰だったのそっちだろ?」 「あああ、もう、喧嘩しないでよー」 「もめてる場合じゃないぞ。見回り中だと言うのに」 「そーいや、噂じゃ幽霊も出るんだって?」 「……あ?」 「教室でそんな話聞いたけど? 本当に出るのか?」 「よくある話だろうが! おおかた誰かの見間違いだろ」 「あ、幽霊は出ないんですか。よかった……」 「しかし、噂はずいぶん広まっているんだな。それは気になるところだが……」 「君達が聞いた噂はどんなものだった?」 「なんか、白い影がふわぁ〜って動いてるのを見たとか、そんなのです」 「白い影、か」 と、言いながら廊下の奥を指さすおまる。 つられて全員がそちらを見ると―― 「……じゃ、ない……かと……」 「……証言通りだな」 まさに噂通りの白っぽい人影が、ふわりと横切っていくところだった。 「思いっきり出てるじゃねーか」 おまるが悲鳴を上げる。 真っ先に反応したのは壬生さんだった。 白い影の消えた廊下の奥へと走り出す彼女を、俺も反射的に追いかける。 「うわぁ!? みっちー待ってー!」 「本物なのか……?」 「……壬生さん……?」 角を曲がって少し行ったところで、壬生さんは呆然と立ち尽くしていた。 「…………消えた」 「消えた?」 「私が角を曲がった時には、この廊下にはもう誰も居なかった……」 「そりゃあ……」 即座に走り出した壬生さんが角を曲がったタイミングなら、白い影はまだこの廊下の途中を走っていなければおかしい距離だ。 どこか部屋の中へ入ったのだとしたら、扉の音がしたはずだが、そんなものは聞こえなかったし……。 「……消えた、としか思えませんね」 「かも知れない」 「私があれを逃がすために消えたと言い張っているのではなければ、だけど」 「へ!?」 「まあ、それはあり得ますね。実はこの廊下から白い影が消えるまで見送っていたのかもしれない」 「正気か、てめぇ!? 壬生さんはそんな人じゃねーよ!!」 「よく知りもしねえで、失礼なことぬかしてんじゃねーぞ!?」 「そう怒るな、村雲」 「でも……!!」 「もちろん、私は嘘は言っていない。ただそれを証明する方法がないな、という話だ」 「そうそう。俺だって壬生さんが幽霊逃がしたなんて思ってるわけじゃねーよ」 「だったらそっちを先に言え!」 「いや、それはないでしょう」 「何故? 実は私は幽霊が走り去るのを見送っていたかもしれないぞ?」 冗談かと思ったが、割と真顔で壬生さんは俺を見上げた。 「何言ってんすか、壬生さん!? 壬生さんはそんな人じゃないって、みんな知ってますって!!」 「みんなって、俺ら会ったばっかりだけどさ」 「どっちなんだよ、てめーは!? それはねーって言ったくせに!!」 「人となり以前に壬生さんがあの幽霊の味方だったら不自然だって事だよ」 「ほう? なぜだ?」 「アイツを逃がしたかったなら、壬生さん自身がいきなり追いかけたのは変ですよ」 「その場で、危険かも知れないからうかつに近寄るなとでも言って俺達を足止めした方が確実だ」 「……なるほど」 頷いて、壬生さんは小さく笑みを浮かべる。 「ありがとう。信用してくれて」 「まあ、俺が追いついた時には誰も居なかったのは事実ですしね」 タイミング的には微妙なところだが、壬生さんは特に慌てた様子もなかったしなぁ……。 (実際、消えたって可能性はあるか。この学園じゃあ……) その後、しばらく壬生さんたちと周辺の教室などを探してみたが、やはり白い影はどこにも見当たらなかった。 「このまま放置しておくわけにはいかないだろう。実際に正体不明の何かがいることは、間違いないようだからな」 「学園長と風紀委員に報告して、もう一度校内を見回ったほうが良さそうだ」 「鹿ケ谷さんには君達から話しておいてくれ」 「まだ捜すんですか?」 「これも風紀委員会の仕事の一環だ。もっとも、展開次第では君達特殊事案調査分室行きになるかもしれないが」 「まあ確かに特殊な事案っぽいですが……」 来て欲しいとは思わないが、放課後に出る幽霊が特殊な事案であることは間違いなさそうだ。 あんなものが俺たちにどうにかできるのか、かなり疑問だが。 おまるなんかさっきから窓辺でため息ばかりついている。 (……はぁ、まさか本当に出るなんて……) 「…………」 「ほ、本物なんでしょうか!?」 「……は?」 「だ、だからさっきの幽霊! 本物なんでしょうか!? 認めたくないけど!」 「あぁ。この学園じゃ何が出たって不思議はねーんだよ、いちいち騒ぐな」 「…………」 「……?」 (なんだろう。村雲先輩なんか変だな……) 「何か気になるんですか?」 「………。……ちっ…」 (あ、もしかして……!) (みっちーと壬生先輩が二人で喋ってるのが気になってるんだ) 「村雲、一度報告に戻ってから、先程の幽霊がまだ校内にいないか見回ってみよう」 「あ、はい……」 「………?」 「どうした? 何がそんなに心配なんだ?」 「ええ、それじゃ。捜索には充分気をつけてください」 「…………………」 (うわー、まだ超心配そうな顔してる。やっぱりそういうこと?) 「おい、おまる。行くぞ?」 「あっ、ま、待って!」 「ねえ、みっちー。村雲先輩さっき微妙な顔して壬生先輩のこと見てたけどさ」 「あ? そうだったか?」 「う、うん」 (みっちーは見てなかったのか。けど、あれって多分、壬生先輩のこと……) 「うっわ……」 「で、でかいね」 地下への階段を見つけ、降りてきてみると想像以上にでかい図書館に出た。 「なんか……魔法使いとか住んでそう」 「そうだな……」 荘厳、と言っても過言ではない、古めかしくて繊細な装飾がほどこされた内装。 天井まで続く本棚には、どこの国の言葉かもわからない文字の書かれた背表紙が並ぶ。 時折ぽつんと置いてある単なる木製の梯子すら、この場所では何か特別な儀式の小道具であるかのように思えてくる。 壁一面が本棚、通路も本棚、といった状態の室内をうろうろと歩きながら、おまるが呼びかけてみる。 しかし、返事はなかった。 「……誰も居ない?」 「説明聞けとか言っといてどういうことだよ」 「すみませーん、誰かー?」 もう一度声を掛けてみるが返事はなく、俺達はどんどん奥の方へと進んで行った。 「もう突き当たりだよ?」 「そうだな……。あ、でも、なんか部屋あるぞ」 突き当たりの壁に、ぽつんと扉がある。 「開けてみるか」 「だ、大丈夫かな?」 「入っちゃマズイ所だったら鍵くらい掛かってるだろ」 「……そっか、そうだね」 一応軽くノックしてみて、ドアに手をかける。 何の抵抗もなく、扉は開いた。 「……あ」 「あ、憂緒さん」 「……こんにちは」 簡素な室内に、彼女が居た。 巨大な革張りの本から目を上げて、愛想のない口調でぽつりと挨拶を口にする。 「こ、こんにちは」 「失礼しまーす」 会釈しながら部屋の中に入った。 彼女の顔には相変わらず何の表情も浮かんでいない。 邪魔者が来た、といった不快感も表れていないが顔に出さないだけなのかもしれない。 「ふーん? ここが俺らの巣?」 「住み着かれては迷惑です。ここは特殊事案調査分室です、拠点であって住居ではありません」 「………」 表情ひとつ変えずに言われた。 「何か言いたいことがあればどうぞ」 「あー。えっと」 「軽口に、そんな真面目に返されても」 「きみがどこまで本気で言っているのか、推察出来るほどのつきあいはありませんので」 「……まあ、そーですね」 やっぱ顔に出してないだけで、内心はまったく歓迎されてないなこりゃ。 「言っときますが、巣って言い出したの風紀委員の静春ちゃんなんで」 そう言うと彼女は、微かに面倒くさそうなため息をついた。 「……きみと村雲くんは大変相性が良くなさそうだとは思っていました」 「勘がいいことで」 「両者の性格を少しでも知れば、推理する必要すらありません」 「さっき、そこまで深いつきあいはまだないって言ったくせに……」 「少しでも知れば、と言いましたが」 ああ言えばこう言うし……。 「向こうが突っかかって来るんで。何が気に入らないのか知らねーけど」 「みっちーも余計なこと言い返すから……」 「風紀委員とは協力体制を取らねばならない事も多いです。もめ事は慎んで下さい」 「へーい」 俺だってもめたいわけじゃないんだがなぁ。 喧嘩腰なのは村雲だけだし。 「……ただでさえ増員など不要だと言ったのに、強引に増やされたのですから、余計な手間まで増やされては……」 「俺らだって好きで増えたんじゃないですけど」 「………………………」 思わず遮るように言うと、彼女は値踏みするような目でちらりと俺を見る。 「学園長も何を思って寄越したのでしょうね……」 「さあ? 一人じゃ大変だろうとでも思ってくれたんじゃ?」 とてもそうは思えなかったが、俺だってあの変な人の本心なんかわかるわけがない。 「……私は一人で充分でしたが」 「じゃあ学園長にそう言ったらいいのでは?」 「はっきり言いました。聞いて貰えなかっただけです」 「あ、あの、えーと」 不穏な空気が流れ出したのを、おまるがあたふた割り込んで止める。 「そういった肩書きはありません、私一人でしたから」 一人、を強調して言われた気がする。 今からでも俺らの増員を無かったことにして欲しいのかもしれない。 「じゃあなんて呼べば?」 「……呼称はお好きにどうぞ」 「それから、その中途半端な敬語も使わなくて結構です」 「私はきみたちの先輩にあたりますが、気にせず普段どおりに話してもらってもかまいません」 「……。へえ、それでいいのか?」 「敬意の感じられない敬語はむしろ腹立たしいだけなので」 「……………」 俺もまともな敬語を使っていたわけではないのだが。 この申し出は正直助かる。余計な気を遣わなくてもいいし。 あとは最後の余計な一言さえなければ……。 「んじゃ、うっしー」 「なんで急に!?」 こう頑なな態度を取られると、逆に突いてみたくなる。 案の定、彼女は微妙な顔になった。 (ふうん、まあ表情変えることはあるんだな……) 「……他に候補はありませんか」 「お好きにって言ったくせに」 「いきなり砕けすぎだよっ!?」 「だって鹿ケ谷先輩って、長ぇよ」 「烏丸くんと同じ『憂緒さん』では何か不都合でも……?」 「なんかつまんねーし、バランス悪くね?」 「バランス?」 「俺がみっちーで、こいつがおまるなんて愉快なあだ名ついてんのに」 「愉快じゃないよっ!?」 「私も愉快でなくて結構ですが」 「だからみっちーに揃えたのに」 「揃える必要を感じません」 「あの、女性なんだからせめてもう少し可愛い方がよくない?」 「可愛い? んー、憂緒ちゃんだから……うし…牛…もーちゃん、とか?」 彼女は珍しく、ぎょっとしたように俺を仰ぎ見た。 「……え?」 はっと、動揺を押し隠すように目を逸らしきっぱりと拒否する。 予想以上すぎる反応に、こちらもちょっと内心焦った。 「あー、牛がらみは嫌?」 「……いえ。それは別に気になりませんが、ちゃん、は、やめて下さい」 「ああ、そっち?」 からかわれてたとか、嫌な思い出でもあるのかと思ったらそっちじゃないのか。 「ちゃん付けじゃなきゃいいんだな? んじゃ、モー子で」 「あんまり変わってないよ!?」 言いながらおまるは、ドキドキした様子で彼女を横目で見る。 ……が、先ほどのような極端な反応は見られなかった。 「うっしーより可愛いよな?」 「……。お好きにどうぞ」 「OK、じゃあモー子」 「なんですか」 「放課後の校舎に幽霊が出たんだが。壬生さんが話しといてくれって」 「で、俺らは何すりゃいいんだ?」 「今のところ急を要する案件はありません」 「いや、だから幽霊が……」 「調査の必要があれば、風紀委員会からの通達があります」 「あの、憂緒さん。具体的に、どうなったら出動なのかもう少し詳しく……」 「図書館で一体何を聞いてきたんですか?」 「ああ、誰も居なかったぞ。何を聞くんだ?」 「正面の道ではなく、本棚のさらに奥の方まで行ってみましたか?」 俺とおまるは顔を見合わせる。 山盛りの本棚しか見えなかったが、さらに奥に道なんてあったのか? 「でも、おまるが誰かいませんかーって大声出してたけど返事なかったぞ?」 「では、珍しいことですが不在でしたか。もう戻っているかもしれません、図書館に戻って訪ねてみて下さい」 「誰を?」 「リトさんです。具体的な話は彼女に聞いた方が早いですから」 「……結局丸投げかよ」 「本来なら、リトさんに話を聞いた後でここへ来る手順だったはずなんです」 「リトさんはここを出てあちらの方へ行った辺りにいるはずです」 あちら、と手で示すとモー子はさっさと巨大な本に目を落とす。 ここでの自分の役割は今はもうない、と無言で示しているらしい。 「……しょーがねえ。行くか」 「うん」 分室の扉を開けて、再び図書館に戻ってくる。 モー子に言われた方向へと書架の間を抜けて行くと…… 「あれがリトって人かな?」 制服を着た女子生徒の姿が見えた。 小柄で、さっきモー子が読んでいた物より更に一回り大きな本を胸に抱いている。 「すみませーん、リトさんて方ですか?」 おまるが声を掛けると、つと顔を上げて俺達を目にとめて微笑んだ。 「……ふふ」 どうやらこれがリトらしい。 モー子よりは愛想が良さそうだ。 「いらっしゃい、烏丸小太郎。そちらは久我満琉、ね?」 「ああ。知ってるなら話が早いな」 「ええ、聞いてるわ。特殊事案調査分室の新人にして、校庭の彫像を踏み壊した犯人」 「う……」 「は、はい……」 色々ありすぎて忘れかけてたことを……。 「〈遺品〉《ミスト》には既に遭遇済み。夜の世界も見ているのよね?」 「み、みすと?」 「あら、昨日封印するところを見たと聞いているわよ。疎ましいものの幻を映す鏡……」 「あー、あれか……確かに見たけど」 「お、思い出したくないぃ……」 「それで、私は何を話せばいいのかしら?」 「全部」 「ふふっ、ずいぶん大雑把ね久我満琉?」 「大雑把も何も、本当に具体的な事は何も聞いてねーんだよ」 「うん、その、みすと…? とか夜の世界とか一応見ましたけど、まだぴんと来てなくて」 「なるほどね。なら、初心者向けの一番基本的な内容からかしらね」 彼女は小さく頷いてみせて、薄く浮かべていた笑みを収めると語り出した。 「この天秤瑠璃学園はもともと、クラール・ラズリットという一人の魔術師が作った、魔術と〈魔女〉《マギエ》のための学園なの」 「………」 「………」 「あら? どうしたの?」 「いや、わかってはいたつもりだったけど突然日常生活とは関わりない単語が出てきたもんで。どーぞ続けてください」 「世界中に散らばる、失われた数々の魔術や特殊な力を持つ魔女……つまり能力者たちを集めて、保護・封印するのが創設された目的よ」 「だから学園自体が大きな魔術装置になっていて、内部にはさまざまな仕掛けが施されているの」 「そういう意味では、外界とは隔離された特殊な場所ということになるわね」 ―――なるほど。 そんなとんでもない学園だから、あんなおかしな入学案内が送られてくるわけか。 納得は出来たが、状況はあまり良いとは言えない気がする。 あの入学案内のことや、学園長の行動、『叶えたい望み』の真意は気になるが……。 (まあ、しばらくは様子見しておいた方がいいだろうな……) 学園について、把握できていないことが多すぎる。 「魔力を消費して引き起こされる奇跡的な現象の総称よ」 「奇跡的って、何でもできるのか?」 「そうね。何でもというと語弊があるけれど、でも消費する魔力が多ければ多いほど、現実ではありえないことが可能になるわ」 「この学園は大きな魔術結界の中にあるから、外よりは魔術が行使しやすい状態になっているわね」 「ここがそういう所ってのは誰でも知ってる事なのか?」 「いいえ、現代ではこの学園の真実の姿を知るものはほとんどいないわ。表向きは普通の学校として運営されている」 「そういや一般の生徒は夜の世界のことも知らないって話だったな。じゃあ事情を知ってるのは……?」 「知っているのはごく一部、主に風紀委員会と執行部、そしてあなたたち特殊事案調査分室」 「俺たちねぇ……」 「あなたたち特殊事案調査分室は、特殊な環境下であるこの学園で起こる不思議な出来事を解決するための部署。それは聞いている?」 「ま、一応」 「そう、なら基本はそんなところね。他には何から聞きたいかしら?」 「……そうだな」 「魔力ってのはどういうもんなんだ? それがあれば魔術が使えるって言ってたけど」 「絵本のように呪文を唱えて何でも出来るというようなものではないわ」 「遺品のような魔術道具を操ることが出来る力、と言った方がいいかしら」 「ただし――〈魔女〉《マギエ》以外は、だけど」 「魔女?」 「普通の人間とは桁違いの潜在魔力を持ち、魔術道具無しでも魔術を現実に具現化させる者のこと」 「潜在、魔力?」 「普通の人間は、表面に現れず内に潜んで存在する潜在魔力を持っているの」 「これは体力と同じで、人によって総量にはバラつきがあり、消費すれば無くなり休むと回復する」 「つまり、魔力ってのは誰にでもあるけど人によってどんだけあるか違うわけだな」 「中でもすげーのが、魔女と」 「そういうことね」 「そして魔力とは別に魔術耐性というものもあるの」 「これは他者からの干渉に対する耐性で生まれつき有無が決まってるわ」 「何かしらの道具で補強することは可能だけれどね」 「その耐性ってのがあると魔術は効かねえのか?」 「いいえ、まったく効かないということはないわ」 「耐性のない人よりはほんの少し魔術的な干渉に耐えられると言うだけよ」 「でも、例えば大規模な手順の必要な、繊細で複雑な魔術ならば効かないと言ってもいいかもしれないわね」 「じゃあ魔術耐性は持ってた方が得なのか」 「一概にそうとは言えないわ。たとえば鹿ケ谷憂緒には魔術耐性があるけれど、烏丸小太郎にはまったくない」 「な、ないんだ……」 「その代わり烏丸小太郎の潜在魔力は鹿ケ谷憂緒よりも多いわよ。魔力と魔術耐性は反比例するものなの」 「魔術に対する耐性がない分、自ら魔術を行使しやすいということ」 「へえ……俺は?」 「…………………」 何気に聞いてみると、リトはなぜかじっと俺を見つめて首を傾げた。 「……なんだか不思議な感じがするわ」 「不思議?」 「みっちーって普通じゃないの?」 「魔術耐性があるようにも見えないのに、潜在魔力もほぼ無し……。あまり感じたことがない気配よ」 「なんだそりゃ……ただの役立たずじゃねーか……」 「役立たずかどうかはまだ判断できないけれど、不安要素であることは確かね」 それはフォローしているのかしていないのかどっちなんだ……。 あまり追求してこれ以上言われても困るし聞かないでおくか……。 魔力というのは普通誰でも潜在的に持っているものらしい。 ただし、総量は人により異なり、桁違いに多い者を魔女と呼ぶそうだ。 そして魔術耐性という、魔術的干渉に普通より耐えられる特性を持つ者も居るという……。 「ミスト……てのはなんなんだ?」 「遺品というのはこの学園が管理している魔術道具のこと」 「管理?」 「この学園の創設者クラール・ラズリットは、魔術的な要素の含まれたさまざまな品物を世界中から集めたの」 「そしてそれらの品を、この図書館の更に地下にある宝物庫に保護、もしくは封印して管理しているのよ」 「クラール・ラズリットの遺したものとして、この学園にある魔術道具は総称して遺品と呼ばれるようになったの。ミストというのは遺した品という意味よ」 「その遺品ってのは、誰でも使えるのか?」 「基本的にはね。ただし遺品は扱うのに使用者の潜在魔力を必要とするわ。魔力が足りなければ何らかの代償を求められることもある」 「だ、代償……って?」 「代償が何であるかは遺品によるわね」 「そして困ったことに、遺品は自らの力を必要としている人間の元へ現れる、もしくは人を引き寄せる傾向にあるの」 「遺品が勝手に、必要としてそうな奴のとこへ行っちまうのか?」 「そうよ、そうやって漏れ出ていった遺品の回収も特殊事案調査分室の仕事の一つ」 「……夕べの鏡みたいなのとか?」 「あれもそうね。鹿ケ谷憂緒が回収してきてくれたから今はもう宝物庫に戻したわ」 「他に漏れてる遺品は今のところないのか?」 「それはわからないわね」 「なんでだよ? 宝物庫に入ってチェックするとかしてねえの?」 「それは無理なのよ。侵入者を防ぐために、宝物庫にはそもそも人間は入れないの」 「遺品は入り口まで持って行ったら自動的に回収される仕組みなの」 「入れないんだ……」 「昨日、モー子が鏡に札みたいなのを貼ってたけどあれは?」 「あ、確かに憂緒さんが使ってたあの札で動かなくなってた」 「あれはあくまで応急処置。一時的なものだから効果は二、三日しかないのよ」 「そうなんだ……」 「つーか、なんでもっとしっかり封印しとかねえんだよ」 「……その封印を壊したのはあなたたちよ?」 「へ?」 「彫像」 「あっ!!」 「……あ、あれ……なの……?」 「ええ。あの彫像が、宝物庫から遺品が飛び出さないように抑制するための封印よ」 「あの封印がなくなったことで、校内に遺品が現れる確率は飛躍的に上がったわ」 「だからあなたたちは、特殊事案調査分室に配属されたのでしょう?」 「……そ、そうか。すいませんでした……」 「……がんばります」 こりゃあ、逃げ道ねえわ。 参ったな……。 遺品ってのは、この学園で管理されてる魔術道具のこと、らしい。 潜在魔力を消費して使うらしいが足りないと代償を要求される、とか……。 「夜の世界ってのは? 一体何なんだ?」 「私にはわからない」 「わからない?」 「ここには、そのことについて記した本はないの」 「……………………」 つまり、何か。 この子の知識ってのは、この図書館の本が元なのか。 (……ならここにある本なら全部読んでて知ってるってのか…) 「九折坂二人から聞いた事なら話してあげられるけれど」 「あ? ああ、学園長のことか。それでいいよ」 「『この学園で行われていることはね、大いなる魔術の循環なのだよ! ははははははっ!!』」 「ひっ!?」 「く、口調は普通でいいんだが」 「そう? でも九折坂二人に言われたことそのままよ?」 最初から思ってはいたけど。 この子もやっぱり普通じゃねえ……。 (しかも魔術の循環てなんだよ。ますますわかんねーよ……) この学園で行われていることは、大いなる魔術の循環だははははは………だ、そうだ。 他に聞きたいことは…… 「ん?」 時計塔の鐘の音が響き、昨日感じたままの浮遊感とともに、夜の世界が押し寄せてくる。 図書館の様子はさっきまでとあまり変わっていない。 あまり生徒が来るような場所には思えないから、ここは『夜の世界』の影響は少ないのだろうか……。 「まあ確かに大いなる魔術なんだろうけどよ……」 「さっきの分室の部屋も、あんまり変わってないのかな?」 「確かめてみたらいいわ。ちょうど――」 と、リトは視線を俺達から図書館の奥の方へと向けた。 そっちは我らが分室だ。 「どうやらお客さんが来たみたいよ」 「お客さん?」 「ええ、調査かも知れないわ。戻った方がいいんじゃないかしら」 「……そっか。じゃあ戻ってみるわ」 「あの、どうもありがとう」 「ふふ、こちらこそ。また来てくれると嬉しいわ」 ひらひらと手を振ってリトは俺達を見送ってくれた。 愛想はいいけど不思議な子だ……。 「はぁ……どうしよう……なんでなくなっちゃってるんだろ……」 「どこ行っちゃったのかなぁ……」 「どーしたのー?」 「よ、妖精!?」 「そうだよー? ねえねえ、何を困ってるのー?」 「妖精さん……そ、そうなんだ。本物なんだ……」 「えっ、本当!?」 「本当だよー。得意だよー」 「どんな鍵?」 「え、あの……えっと……」 「あ、壬生先輩」 戻ってみると、分室に来ていたのは壬生さんだった。 村雲は一緒じゃないようだ。 「やあ、お邪魔しているよ」 「どうも。どうかしたんすか? さっきの幽霊の件とか?」 「いや、幽霊の方は報告してから見回ってみたが、やはり見つからなかったよ」 「どうやら余程逃げ足の速い幽霊のようですね。その件について、特査分室への調査依頼は?」 「まだだ。学園長の指示もあり、風紀委員会でもう少し調べてみることになった」 「なら、他に何が……?」 「いや、ちょっと気になってな」 そう言って壬生さんは何故か少しだけ苦笑した。 「あなた方がまだ分室へ行ってなかったと聞いて心配になったそうですよ」 「へ?」 「うん、その……例の地図が、あんな状態だったからな……」 「あー……」 「まだ迷ってると思われて……?」 「いや、まさかとは思ったんだが。やっぱり気にしすぎだったようだな」 「……学園長にも困ったものです」 ふう、とモー子がため息をつく。 「モー子だって昨日は放置だったろ」 「私は封印した遺品を早急に始末する必要が……」 「……モー子になったのか」 笑いを含んだ壬生さんの声がした。 見ると、おもしろそうに目を細めてモー子の顔を見ている。 「不本意ながら」 モー子は例によって表情こそ変えなかったが、微妙にバツの悪そうな平坦な口調で言う。 「ちゃん付けは嫌だって言うもんで」 「ふうん?」 「子供のような呼ばれ方は好きではないもので」 「………………」 ふと、壬生さんはモー子のすまし顔に目を向けた。 なんとなく疑問の色が浮かんでいるように見える。 「……なんですか?」 「いや、鹿ケ谷さんでも誤魔化すことがあるんだなと」 「……私が何か誤魔化したように感じましたか?」 珍しく驚いた様子で、モー子は壬生さんに問い返した。 壬生さんは申し訳なさそうに苦笑する。 「いや、すまない。私はたまに一言多いな」 「………………」 「モー子、なんか誤魔化してたのか?」 「……子供のように呼ばれるのが嫌なのも嘘ではありません」 「うん、そうみたいだな。すまない」 「いえ……」 つまり、おそらくは他にも嫌な理由があったってことだろう。 「可愛い? んー、憂緒ちゃんだから……うし…牛…もーちゃん、とか?」 「――――!!」 あのときのリアクションも明らかにおかしかったしな。 誤魔化すということは、俺たちに理由を話すつもりはないんだろうが。 「なぜ私が誤魔化していると思ったのですか?」 「それが私にもうまく説明できないんだ。ただ直感的に『違う』と感じることがあるとしか……」 「勘がいいんですかね」 「相手の言動の違和感を感じ取れる天性の素養があるのかもしれませんね」 「へえー、すごいですねえ」 「そんな格好いいものかどうかわからないけどな」 照れくさそうに壬生さんは顔の前でひらひらと手を振り、更に何か言おうとしたが…… 「なんだ?」 「誰か来たみたい……」 ばん、と勢いよく扉が開くと同時に、やかましい奴の声がした。 「壬生さん! やっぱりここでしたか!」 「ああ、村雲。何かあったのか?」 「壬生さんこそ、こんな僻地に何の用ですか!」 「僻地かよ」 「うるせぇ、口出しすんじゃねえ!! 僻地が嫌なら辺境だ、こんな所!!」 「知ってます」 「人のこと言えんのか、お前は!?」 「いえ、お疲れ様です」 「騒々しい男だなー」 「誰かさんのせいで倍増してますが」 「……あれ?」 「ん? どうした?」 「なんだそれ? 手錠?」 「風紀委員の備品ですね」 「あいつら手錠なんか持ってんのか」 「稀にですが、遺品のせいで錯乱した生徒が暴れるなど拘束の必要な事態が発生する案件があるんです」 「はー、なるほどね……」 「あ、鍵もあった」 「どれどれ? ちょっと見せてみ」 「おお、刑事ドラマみてーだな」 「わーっ!? 外れなくなったらどーするのさ!?」 「鍵あるじゃん」 「ほら、簡単に外れるし」 「おまる、下手だなー。もっとこう、輪っかを手首に真っ直ぐ当てるんだって」 「えーと、こう?」 「きれいにはまると、けっこうスカッとするよな」 「だねー」 「やってみるか、モー子……」 「……………………」 はしゃいでいると、モー子はいつの間にか俺達を完璧に無視して書物に視線を落としていた。 「……そうやって油断してるとだな」 勢いでモー子の右手に手錠をはめてみる。 「ほれ、逮捕」 「……………………」 自分の右手首にはまった手錠を一瞥し、モー子は―― 「……………………」 ――絶対零度の視線で俺の顔を見上げた。 「……………………」 「……………………」 「……おまる、鍵取って…」 「う、うん」 怖い沈黙に耐えられなくなり、おずおずと空いた右手をおまるの方に差し出す。 「机の上だねー?」 「みつけたー鍵みつけたよー!」 「は……?」 どこから飛んできたのか、背中に羽の生えた小さな女の子のような生き物が、ひらひらと机の上に舞い降り鍵を抱きしめる。 「妖精……?」 「え、ほ、本物? 妖精!?」 「鍵みーつけたー! ありがとねー!」 「え?」 妖精は手錠の鍵を抱いたまま、ふわりと部屋を横切って飛び去っていった。 「……なんなんだ?」 「あ、え、えっと……鍵……」 「あああっ!?」 思わず呆然と見送りそうになったが、慌てて妖精を追いかけて走り出…… 「っと、おわっ!?」 「わ、悪い! けど急げよ!!」 「くっそ、どこ行った!?」 「あああ、すまん!」 出入り口の方を見に行っていたおまるが、途方に暮れた顔で戻ってくる。 「逃げられたか……」 「………久我くん」 「え?」 さっきより更に冷たい目つきで、金属の輪のはまった腕を持ち上げモー子が言った。 「…………………」 ダメもとで、輪のつなぎ目を引っ張ってみた。 びくともしなかった。 「ど………、どうしよう?」 「それは私の台詞です」 「いや、うん、俺のせいだけどさ! 手錠はめたのは俺だけどさ!」 「ついさっきあれほど、もめ事を増やさないで下さいと言ったのに」 「わかってるよ! 悪かったよ!」 「けど、なんだよあの妖精!? あんなもんが飛んでくるなんて思わねーだろ、普通!?」 「ど、どうって……そりゃ、あの、ああ、風紀委員のところに予備の鍵とかないのか!?」 「…………………」 「一応……捜してみるか……」 ――結論だけ言おう。 いなかった。 「えーと……まあ、どうぞ」 「……お邪魔します」 どうぞ、も何も手錠でつながっているので入るしかないわけだが。 「……………………」 わざとらしく明るく言うおまると、見事なまでに不機嫌そのもののモー子。 まあ、そりゃそうか……。 (参ったな……) この学園は東と西に学生寮がそれぞれ分かれている。 おそらく夜の世界が到来するためだろうが、放課後は完全に行き来が出来なくなってしまうのだが、幸い特査のメンバーは全員が東寮だった。 寮に戻ったあとどうすべきか話し合った結果、女子の部屋に野郎が乗り込むよりはマシだろうということで俺の部屋で休むことになったのだ。 食事は衆人環視の中で食べる苦行に耐えかねたので、テイクアウトにしてもらった。 そんなもん授業だけで十分だ。 (明日が怖いなー……) 「これで全部かな……な、なんかすごい量だけど」 運んでくれた食事を置いて、おまるが絶句する。 「……誰がこんなに大量の食事を頼んだのですか」 「俺」 「みっちーこれ全部食べられるの?」 「いつもこれくらいは食うんだよ。習慣だ習慣」 「みっちーってご飯大好きってタイプだったんだ……」 「いや別にそうでもねーんだけど……いやまあ嫌いでもないか」 「…………」 「じゃあおれ部屋に戻……」 早々に逃げようとするおまるの襟首を捕まえる。 「ここで食え。お前もここで食え。なあ、親友だろわかれよ空気読め!」 「わ、わかった! わかったから首っ……しまるっ……!!」 「よし。あ、モー子座れよ、その辺に」 「きみが座ってくれないと手がぶら下がります」 「……そーだな」 「あと、親友が窒息しかかっていますが」 「あ」 「っ、く、げほっげほっ! し、死ぬかと……」 「悪い悪い」 「本当に親友だと思ってる!?」 「思ってる思ってる。いやー、おまるいい奴だなー」 「……同意しておきます」 (ありゃ……) ずっと堅かったモー子の表情が少し和らいだ。 「はあ、もう……とにかく食べようよ、お腹すいたよ」 「そうですね」 とりあえず床の上に車座になって三人座る。 俺とモー子は手錠が邪魔なので、おまるが食事を広げて蓋を開けてくれた。 「おまる、このソースも開けて」 「うん、貸して」 「あとそっちの七味唐辛子も取って」 「はいはい」 「……久我くん、左手をもう少しこちらに動かせませんか」 「あ、すまん」 利き腕の右手に手錠があるモー子は非常に可動域が狭くなってしまって食べにくそうだった。 「憂緒さん、サラダ届く?」 「久我くんが協力してくれれば届きます」 「これ、かけるまで待ってくれ」 ……面倒くさい。 予想はしてたが、これは非常に面倒くさい。 「え、あ、かけ過ぎでは……」 「え? 何が?」 「おかずが赤く染まっていますが」 「そりゃ唐辛子だからな」 「……………まさかと思いますが、久我くん的にそれは適量なのですか」 「俺、辛いの好きなんだよ」 「いくらなんでも身体に悪そうじゃない?」 「大丈夫だって」 「………………………」 まったく理解出来ない未知の料理を見る目で、モー子は固まっていた。 「そういえばモー子は辛いの苦手だったっけ」 「ええ………」 頷いて目を逸らす。 味を想像するのも嫌だと顔に書いてあった。 「ま、いいや。さー、食おうぜ」 「みっちー、もうちょっと腕上げないと鎖がお皿につくよ!」 「あああ、モー子待て!」 「待ってますから、まずその左手のお味噌汁を置いて下さい!」 「面倒くせえな、もう……ほれ、モー子、あーん」 「烏丸くん、申し訳ありませんがサラダをもう少しこちらに」 「あ、はい」 「……あーんは?」 「ドレッシングはどこですか?」 「ごまだれと青じそどっちがいい?」 「青じそで」 「お前ら、無視すんなよ……」 清々しいほどスルーされたのでちょっと凹みながらもそもそ食事を終えた……。 「……ごちそうさまでした」 「どーにかこぼさずには食えたなあ」 「だからと言ってこのまま暮らすのは、心底絶対に御免ですが」 「当然だ」 「それにしてもみっちー、本当に用意された分全部食べちゃったね」 「摂取カロリーはきちんと計算した方がいいと思いますが」 「あー大丈夫大丈夫、いつでもカロリー消費してるんで」 「いや、お茶なら冷蔵庫にあるからいれて……あ」 「待った、おまる!」 「なーにー?」 「……………………」 (やっべー、遅かった……) 「な、なんだ?」 「お茶ってこれじゃないよね?」 冷蔵庫の前で、おまるが不思議そうに銀色の缶を手にとって見せる。 「違う違う! お茶はペットボトルのがあるだろ?」 「……久我くん?」 「それは置いといて、早くお茶を」 「どう見てもビールなんですが、きみは、まさか飲酒……」 「はっはっは、まさかー」 「なんで棒読みなの!?」 「冗談だ。そんな堂々と法を犯すほど危険人物じゃないよ、俺は」 「……本当でしょうね」 「信用しろよ」 「………………………」 「いやそりゃ信用できねーかもしれないけど、でも本当だって! 誓ってもいい!」 「嘘だったら承知しませんよ」 「嘘じゃない嘘じゃない」 「大人向け炭酸飲料ってやつ? 珍しいものが好きなんだね」 「そっちのが辛いものに合うんだよ」 しげしげ缶をながめていたおまるは、それを冷蔵庫に戻してお茶を持ってくる。 「っ……はー! なんかやっと一息ついた感じだなー」 「みっちー、オヤジくさいよ」 「ほっとけ。ちょっとくらいリラックスさせろよ」 「この状況でリラックスできるとは、きみはよほど剛胆な人間なのですね」 「……………」 和やかだった空気が少しだけ凍りついた。 まあ、確かにこの状況の原因は主に俺の悪ふざけなのだが……。 「今は焦っても仕方ねーだろ」 「そうですか。事態への反省というものが感じられなかったもので」 「いや、反省も後悔もしてるけど、おもいっきり」 「…………」 「……なんだよ」 「いえ、何でもありません」 「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」 「何でもないと言ったはずですが」 「あっ、あっあのー!」 俺とモー子の雰囲気を見てまずいと思ったのか、慌てたようにおまるが話に滑り込んでくる。 「あの妖精って、どこから来て、どこに行っちゃったのかな! 明日は妖精を捜すんだよね?」 「勿論です。明日はどうあっても、あの妖精を捜し出さなければ……」 確かにそうだ。 ここでモー子と睨みあっていてもしょうがない。 結局、悪かったのは俺の軽率な行動なのには違いないし。 大人げない。大人げないぞ俺……。 「あれも遺品がらみなのか?」 「他には考えられませんから、おそらく」 「しかし手錠の鍵持って行く遺品てなんだよ?」 ふと、モー子は軽く眉根を寄せながら独り言のように呟いた。 「そりゃ鍵が目的だろ。妖精は『見つけた』って言ってたぜ」 「あー、言ってた! そうだったね」 「私もそう思います。他の目的、例えば私たちを今のような状況に追い込むために鍵を奪ったという線は捨ててもいいでしょう」 「わかりきったことでも律儀に検討するんだな」 「推理とはそういうものです。すべての可能性を排除した後、最後に残るのが真実……」 ほんの微かにだが、モー子の口許がほころんでいた。 こういう話題は嫌いじゃないらしい。 「……問題は、可能性の枠が常識外れってことだな、この学園は」 「確かにそうですが魔術や遺品の特性を正しく理解すれば、論理的に答えを導き出す事は出来ますよ」 自信ありげな口調だった。 まあ、俺もそういうのは嫌いじゃない。 「……言っておきますが」 俺の視線に気づいたのか、はっとモー子は怒ったように眉根を寄せる。 「……手錠のせいで行動を共にするしかないから方針を検討しているだけです。勘違いしないで下さいね」 「勘違いってなんだよ」 「楽しんでいるわけではありません」 「わかってるよ。楽しかねーよ、俺だって」 俺が答えると納得したのか、モー子はまた何か考え込んだ。 「んー、実は鍵が目的じゃなくて俺達を拘束したかったとか?」 「誰が、何のためにです?」 「そりゃあ……遺品回収されたくない誰か、とか」 「烏丸くんは自由の身ですよ?」 「戦力だと思われてない……とかじゃないよね」 「ネガティブすぎるだろ」 「え? 見つけた、って……あ」 「そうでしょう。ならば目的はやはり鍵の可能性が高い」 「……そうか」 「確かに、そうだったね……」 「同じものを見聞きしていたんですから、もう少ししっかりして下さい」 「お、おう」 「手錠のせいで嫌でも協力体制を取らざるを得ないというのに……」 くそ、言い返せないのが腹立つ……。 「目的は鍵だったとして、なぜ鍵が欲しかったのかが不明ですね」 「なぜ、ねえ……」 「何か意見があるのでしたら、どうぞ?」 「実はあれは、手錠の鍵じゃないとか?」 「え、でも、おれの手にはめたときちゃんと外れたよ?」 「あ、そっか」 「……しっかりして下さい」 呆れられた……。 「おそらく鍵という形状であれば、何の鍵でもよかったのでしょう。そういう風に見えました」 「確かに『手錠の鍵見つけた』とは言ってなかったよね」 「なるほどなあ……」 「鍵なら何でもよかったのかな。妙に喜んで持ってったよな」 「そう言えば『手錠の鍵みつけた』とは言ってなかったね」 「そうですね。鍵でありさえすればよかったような言動に見えました」 「……久我くん」 「ん?」 「思ったよりも、ちゃんと考えているようですね」 「……それ、誉めてんのか?」 モー子は、その問いかけには答えずすました顔でお茶を飲んだ。 (わかりにくい奴……) 「よく考えたら色々整理できるもんなんだな」 「みっちーも半分はあってたよ? すごいよ?」 「詰めが甘いともいいますね」 「何か文句をつけないと気がすまないのかお前……」 「現状、きみのミスは私にとっても命取りになるんです。それを把握しておいて下さい」 「……わかったよ」 「久我くん、真面目に考えていますか?」 「そのつもりなんだけど」 「…………………」 ……ため息つかれた。 さすがに片っ端から外したもんなぁ。 「きみ一人が自滅するのは勝手ですが、今は私も巻き込まれることをお忘れ無く」 「う、うん」 「けど、これとりあえず言わないとまずいよね……村雲先輩に」 「げ……」 「げ、ではありません。当然でしょう、彼の物なんですから」 「ま、まあな」 「きみが彼とどれだけ仲が悪かろうと、何も言わないまま済ませるわけにはいきませんよ」 「わかってるよ!」 「それに、念のため妖精に心当たりがないか聞いてみる必要もあると思います」 「……そうだな……」 思いっきり嫌み言われそうだなー。 面倒くせえ……。 「……他にもなくなった鍵がないか調べてみるべきかもしれませんね」 「そうだね、鍵なら何でもいいなら他にも持ってっちゃってるかもね」 「鍵のあるところ見張ってたらまた来るんじゃねーか?」 「その可能性もありますね」 あーだこーだと、明日の予定を話し合う。 気がつくとけっこういい時間になっていた。 そう言っておまるが腰を上げる。 「泊まってかねえ?」 「き、気持ちはわかるけどさ、どこに寝るんだよ?」 「……床?」 「勘弁してよ! 風邪ひいちゃうよ!」 「だよなー。いやわかってた。ちょっと言ってみただけ」 「………………………」 モー子はモー子で非常に何か言いたそうな気配を感じるが、あえて口を開かない。 「ああ、また明日」 「うん、おやすみー」 「………………おやすみなさい」 やけに固い声でモー子がおまるを見送る。 そして俺とは視線を合わせない。 (あー……二人っきりか……) これは気まずい。 さっきまで、かろうじて平常に保たれていた空気が急速に重くなる。 「と、とりあえずさ、モー子ベッドで寝ろよ」 「……きみは?」 「その下」 「風邪を引きますよ」 「だってあのベッドに二人は狭いだろ。いやそれ以前の問題もあるけど」 「……………………」 いつも以上に眉間に困惑の色をにじませつつモー子は逡巡している。 「いいからいいから。俺、頑丈だから大丈夫だって」 「……法を犯すほど危険人物ではないのでしょう」 「え、まあ、そりゃ……そこは信用してもらっていいけどさ」 「でしたら、風邪を引かれるよりは良い選択だと判断します。この距離では確実に私に伝染ります」 「……つか、寝不足はいいのか?」 「寝不足?」 「寝れるか? 真横にいて」 「……………………」 再びコピーしてきたような顔で逡巡するモー子。 「その、程度の、冷静さはあるつもり……です」 「俺は自信ないんだけどなあ」 「徹夜と風邪とどちらがマシですか」 「……徹夜かな」 「ならあまり選択の余地はないと思います」 「本当にいいのかよ?」 「念を押さないで下さい。心が折れます」 「やっぱ無理してんじゃん!」 「だからと言って、きみを床に追いやるのはどうかと」 「へ……」 「仮にもここは、きみの部屋です。だからと言って私が床に寝るのはどうせ由としないのでしょう」 「当たり前だろ。一応女の子なんだから」 「……何故わざわざ一応をつけたんですか?」 「ふーん……」 「なんですか」 「いや、意外と優しいんだな」 「……何がです」 「問答無用で床で寝ろってタイプかと思ってた」 「きみがどう受け取ろうと勝手ですが。風邪を伝染されては困ると言ったはずです」 「そのようで」 「わかっているのでしたら、結構です」 ぷい、とまたそっぽを向く。 座った膝の上にきちんと揃えて置かれた華奢な指がきゅっと握りしめられた。 (ああ、まあ……そうか……) 男の俺は気まずいだけだけど、よく考えたらモー子は怖いよな。 昨日今日会ったばっかりの男の部屋に泊まる羽目になるなんてな……。 「……じゃ、俺が奥だな。手錠を真ん中にしないと」 「落とさないで下さいね」 「寝相は悪くないから安心してくれ」 そう言って、出来るだけさり気ない風にモー子の横からベッドに上がる。 「…………あの」 「ん?」 「……靴下を、脱ぎたいのですが」 「あ、ああ。俺も脱いどこうかな」 ベッドの端に並んで腰掛けて、靴下に手を伸ばす。 「二人三脚みたいだな」 「……そんなにのぞき込まないで下さい」 「わ、わざとじゃねえって!」 ちょっと、くるぶし綺麗だなとか思ったけど。 (……言ったら気まずいレベルが大変なことになるだろうな……) しかし、靴下はいいとして、服は腕が抜けないから着替えようがないとはいえ……。 「なんか……下、はくもの貸そうか? 制服じゃシワになるだろ」 「え……」 「ジャージはいとけよ」 「お、大きすぎませんか」 「寝るだけならいいだろ。ちょっと待ってろ」 「ま、待てませんよ手錠が……」 「あ、そうだった。じゃあちょっと来い」 「ま、待って……」 引き出しからジャージの下を引っ張り出しモー子に渡す。 「……ありがとうございます」 「後ろ向いて座ってっから。左手上げとけば大丈夫だよな」 「そうして下さい」 左手を後ろに回し床に腰を下ろして窓の方を向く。 背後でモー子が動く気配と、衣擦れの音。 時折、ためらいがちに引っ張られる左手首の金属の輪に、いちいちどきっとする。 呼ばれてるわけではないってことは、わかっているのに振り向きそうになる。 「……もういいです」 「お、おう。んじゃ寝るか」 なんとなく目を逸らしたまま、先にベッドへと昇った。 「あ、忘れてた。消してくれ」 「はい」 蛍光灯の紐が引かれ、室内が暗くなる。 窓の外から校舎の方の灯りが微かに届くばかりになった。 掛け布団をめくって半身潜り込む。 (あ……) 身体を倒すときに、うっかり床の上のたたまれたスカートと靴下が目に入って妙に焦った。 とりあえず横になって、なるべく奥へ移動して横を開ける。 「……失礼します」 「はい、どーぞ」 ぎ、とベッドが鳴き、モー子がもぞもぞと布団に潜り込んできた。 「枕は使っていいから。俺、なくて平気だし」 自由になる右手でモー子の方へと枕を押しやる。 「いいんですか?」 「どこででも寝れるから平気」 「……お借りします」 「ほれ、布団」 「きゃ!」 「え?」 「……鼻に当たりました」 「あ、すまん」 「いえ……」 「はみ出してないか?」 「……大丈夫です」 「そっか、じゃあ、おやす……」 ちょっと身じろぐと、手錠でつながってる手が当たってしまう。 「お、おやすみ」 いちいち謝るのもくどいかと思って、気づかないふりをした。 「おやすみ……なさい」 モー子の方も慎重に身体をずらして姿勢を整えているのがわかる。 (……なんかいい匂いするし) 女の子の匂いなんだろうな……。 石鹸かな。 (いや、考えるな。目がさえたら困るだろ……) 意識するまいとしても、どうしても敏感に感じ取れてしまう。 特に、お互いの体温でほんのり暖まった布団の中が……。 (……気持ちいいんだよ) ただし、左手首の無粋な金属の感触さえ無視すれば、だが。 こいつのせいでもあり、こいつのおかげでもあるってのが腹立つ。 やっぱりこういう状況は、手錠とか変なもの抜きに堪能したいもんだ。 (まあ、手錠抜きでモー子とこんな状況って………) …………あり得るのか? 今のところ、あんま想像出来ないな……。 「やっぱないよー! 教員室にもないってー!」 「ええー? じゃあロッカーどうすんの!?」 「誰か、視聴覚室の鍵知らないかー?」 「俺の貯金箱の鍵がー! どこ行ったんだああぁ……!!」 ……大騒ぎだった。 朝、校舎に来てみた途端、学園中がこの状態だ。 「やっぱ鍵ならなんでもよかったみたいだな」 「ですね……」 それにしても、一晩でこの被害とはあの妖精どんだけ飛び回ったんだ。 「機動力はんぱねーな……」 「……とりあえず行きましょう。授業に遅れます」 「ああ……って、どっち?」 「何がです」 「いや、この状態だとどっちかの教室にしか行けないだろ」 「一年のきみが二年の私の教室に来ても授業の意味がわからないでしょう」 「…………ま、まあな」 「不本意ですが、そちらに行きます。私は後で誰かにノートを借りますから」 「す、すまんね」 「仕方ありません。不本意ですが」 心底不本意らしく、二回言われた。 まあ……無理もないけどな……。 「うわー、やっぱりないよ〜!」 「ポケットも全部見たの?」 「見たけどないよ……」 教室に入ると、吉田も何やら騒いでいた。 「あ、うん……礼拝堂の……」 「うっわーなになになに!? それどーゆープレイ!?」 吉田の返事を遮って、黒谷が俺とモー子の間にある手錠を指さして叫んだ。 「ぷ、ぷれいなの?」 「プレイじゃねーから!!」 「事故です」 「どう見ても手錠プレイじゃん! ひゅー!」 「違うってのに!!」 「じゃあ何? 罰ゲーム?」 「事故です」 「そうそう、事故事故。それより礼拝堂がどうしたって?」 黒谷を押さえつつ、強引に話を元に戻す。 「それが、鍵なくしちゃったみたいなの」 「そう言えば昨日、当番だったな」 「うん、それで鍵しめた後、返すの忘れちゃってて……」 こいつも、やっぱり鍵か。 つん、と腰の後ろをモー子につつかれる。 (ん? ああ、聞き込めってことね) 「なあ、吉田?」 「え? なに?」 「その礼拝堂の鍵って、最後に見たのいつだ?」 「昨日の授業の後だよ。鍵掛けた時、ポケットに入れたの」 「あれが最後か」 「うん……。その後、すっかり忘れちゃってて」 普通、教員室へ返しに行かなければならないものを、持ったままだったということらしい。 最後に鍵を見たのは、昨日礼拝堂に鍵を掛けた時らしい。 「鍵がないのに気づいたのっていつのことだ?」 「んじゃ、寮に帰ってからどっかに置き忘れたとかじゃないのか」 「うん、寮に帰る前にはもうなくなってたから」 「昨日、教室と礼拝堂以外に行った場所とかは?」 「食堂とか、屋上とか」 「中庭にも行ったよ」 「そっか、お散歩したもんね」 それはもう、学園のどこで落としたかさっぱりってことだな……。 鍵をなくしたと気づいたのは放課後、寮へ帰る前らしい。 学園のどこで落としたのかも、はっきりわからないようだ。 「変なこと聞くけど、妖精みたいなもん来なかったか?」 「妖精? なにそれ?」 きょとんとした顔をされてしまった。 吉田は、あの妖精から鍵を巻き上げられたわけじゃないのか。 (気づかないうちにポケットから抜き出された……?) しかし、あの騒々しいのが近づいて来て気づかないってのは変か。 吉田は妖精を見ていないようだ。 他に聞きたいことは…… 「あー、いや大したことじゃねえよ」 鍵を盗んで回ってる妖精がいるなんてこいつに話したらあっという間に学園中に広まりそうだ。 はぐらかしつつ、ついでに黒谷にも聞いてみる。 「ちなみに黒谷は鍵も何もなくしてないんだよな?」 「うん、私は平気」 「けど、そこら中でみんな鍵がないって騒いでるよね。何が起きてるの?」 「ま、まあ鍵を勝手に持って行ってる奴がいるのは確かみたいだけど……」 「へ?」 「木を隠すのは森の中って言うから、犯人は本当に欲しい鍵を誤魔化すために大量に盗んだんだよ!」 「……誤魔化すため、ねえ」 「うん! どうこの推理!」 「誤魔化しているようには見えませんでしたね…」 黒谷に聞こえないように、ぽつりとモー子が言う。 うん、俺もそう思う。 「……あの、ところでさあ」 「ん?」 「その……手錠、なんで……?」 「あー……えーとな……」 「事故です」 俺が返答に詰まっていると、モー子が眉間にしわを寄せながら一言ですませようとする。 「だからその事故って何?」 「あの、あれだ、俺らも手錠で遊んでたら鍵が突然なくなっちまってな?」 「そ、そうなんだ……」 「よりにもよって、ねえ……」 「大変だね……」 ものすごく同情されてしまった。 そりゃそうか。 「……あの、後ろの方に確かパイプ椅子ならありますけど」 「お借りします」 そう言えば、俺の椅子に二人で無理矢理座るってのはあんまりだな。 「じゃあ取って来……おわっ!?」 「あっさり忘れて動かないで下さいっ!」 「す、すまん、つい」 吉田が持って来てくれたパイプ椅子を俺の席の横に並べてモー子が座る。 当然ながら教室中から注目の的だったが、黒谷が『鍵取られたんだって』と触れ回ってくれたおかげで誰も突っ込んでこなかった。 ……生徒は。 「おはよ……………う?」 入って来た途端に、絶句する先生。 「…………鹿ケ谷?」 「はい」 「何やってんだ、お前ら……」 「み、見ての通り手錠が外せなくなりまして……」 「……………………」 「いや、あの、なんか学園中で鍵がなくなってるじゃないですか? 俺らも遊んでたら、その、鍵が……」 「……………そうか」 「え、ええ」 「そう言うわけですので、不本意ながら同席させて下さい」 「……し、仕方ないな。えー、じゃあ出席取るぞー」 見なかったことにする、とでも言いたげに先生は目線を逸らした。 「……早く……」 「え?」 押し殺した声でモー子が言った。 「一刻も早く、妖精を見つけ出さないとっ……!」 「……そ、そうだな」 視線こそ集まってこないが、周り中から興味と好奇に満ちあふれた気配を感じる。 (なんだこの羞恥プレイ……) あいにく、それがご褒美な趣味はないのでただの苦行だった……。 地味に辛い授業が終わり、ようやく教室から解放された。 廊下で落ち合ったおまるが、顔を見るなり引きつった声で言う。 「おう疲れたとも」 「うん、顔に出てるよ」 「ですが疲れている場合ではありません」 「まあな。で、どうする?」 「……情報を集めましょう。やみくもに妖精を捜し回っても捕まえられるとは思えません」 「やたらすばしっこかったからなぁ…」 「じゃあ、どこに行くの?」 「まず、リトさんに遺品について詳しく聞いておく必要がありますね」 「あの人、そんなに遺品に詳しいのか?」 「学園長のお墨付きですよ。遺品について知りたいときは、彼女に聞けばほぼ何でも答えてくれます」 「もっとも、こちらが適切な質問をできるかどうかにもよりますが」 「あとは……一応、風紀委員も捕まえてみるか? 手錠の鍵持って行かれたし」 「……謝罪はすべきですね」 「それじゃあ、誰の所から行くんだ?」 「ご自由にどうぞ」 「俺が決めていいのか?」 「この状態では、きみの行くべきところと、私の行くべきところが違ってもどうにもなりませんので」 「……」 またうっかり言い返してしまいそうになったが、何とか言葉を飲み込む。 今は情報を集めることが先決、だよな。 さて、誰の所から行くかな。 「あー、いたいた! 静春ちゃーん」 廊下にいた村雲を見つけて声を掛けるとすごい形相で飛んできた。 「てめー、先輩に向かってでかい声でそういう……」 「なあ、これお前のだよな」 「昨日、分室へ来られたときに落として行かれたのですが」 「全力でそうしたいんだが、鍵がないんだ」 「お察しの通り例の騒ぎです。大変申し訳ありません」 「何やってんだよ!? よりにもよってオレの手錠で!」 「いや、マジでこれに関しては反省してるんだ、すまん」 「ごめんなさいっ!」 「な……なんだ気持ち悪ぃ。やけに殊勝だな……」 「このまま授業受けてみたら悔い改めたくなるぞ」 「…………………」 だいたい想像がついたらしく、村雲にしては気の毒そうな顔になった。 「冗談じゃねえっ!!」 「あー、そうそう。鍵盗んでいった妖精捜してんだけどさ」 「妖精? お前ら見たのか?」 「ああ、逃げられたけどな」 「ふうん……他の生徒達も、妖精みたいなのに取られたって言うし全部同じ奴の仕業か」 「取られてる鍵ってバラバラなんだよな? 部屋のとか、自転車のとか」 「規則性はまったくねーな。女子トイレの掃除用具入れの鍵とかわけのわからん物までなくなってる」 「そんな所に鍵なんかついてたのか」 「昔、馬鹿が隠れてたことがあったらしくてな……」 「そんなとこ隠れてどうするんですか?」 「音でも聞きたかったんじゃねーの?」 「だから鍵がついたんだろ」 「詳しいな、お前」 「変な言い方すんじゃねえっ!? 風紀委員の取り締まり記録に残ってただけだっ!!」 「いや、音って発想は俺にはなかったから。普通に上からのぞくのかと」 「それ普通なの……?」 「普通じゃねーよ!」 「音よりマシじゃないか? 相当マニアックだぞ、それは」 「オレが変態寄りみたいに言うんじゃねえっ!!」 「……盛り上がっているところ申し訳ないのですが」 「盛り上がってねーよ!!」 「その変態は今回の事件には関係ないと思われます」 「あったら嫌だな」 「絶対ねーから忘れろ!!」 「無関係な議論で時間を潰している余裕はないのですが」 「あっ……そうだった。妖精捜さないと」 「思い出していただけて幸いです」 「妖精見かけたら教えてくれよ?」 「わかったからとっとと行け!」 追い払われたので、村雲を置いてその場を離れた。 「なんか波長が合わないんだよアイツだけは」 「……合いすぎるの間違いでは?」 「どういう意味だよ?」 「そのまんまの意味だと思うよ……」 ……納得いかん。 盗まれた鍵に規則性はないようだ。 女子トイレの掃除道具入れの鍵までなくなっているらしい……。 「あ、壬生先輩いたよ」 廊下を見回っている壬生さんを発見したので声を掛けてみる。 俺とモー子の状態を見て怪訝な顔をする。 なんか、もう慣れてきた……。 「いや、実は……」 これまでの事を手っ取り早く説明し、妖精のことも話す。 壬生さんは眉根を寄せて、合点がいったという風に深く頷いた。 「そうか、やはり遺品がらみか」 「やはり、ですか」 「こちらにも、いろいろな所から鍵がなくなった盗まれたと報告が上がってきているんだが……」 「……羽の生えた小さな女の子が『みつけた』と言って抱えていったという証言も多数あるんだ」 「あー、やっぱり」 「なにしろ風紀委員室の鍵もだからな」 「へ? 取られたんですか?」 「ああ、扉を開けようとした当番が、羽の生えた少女に持って行かれたと言ってる」 「その妖精、どっちに飛んでいったとかそういう話はないですかね?」 「残念ながらそこまで特定出来る情報はないな」 「そうですか……」 「私もその妖精とやらを見かけたらすぐ君達に知らせるようにしよう」 「助かります」 「ああ、それじゃあ」 風紀委員にも鍵紛失の報告は多数来ているようだ。 妖精を見たという証言も多いという。 図書館へやってくると、リトはいつも通り巨大な本棚の前にいた。 「いらっしゃい。何か起きたみたいね」 「ええ……」 リトの目線がちらりと手錠につながれた腕に注がれる。 「学園中で鍵を持ち去られる騒ぎが起きています」 「小さな妖精の姿をしていて、鍵を見ると『見つけた』といって抱えて持って行ってしまうんです」 「それで、外せなくなったの? その輪っか」 「……その通りです」 「お話したような現象の起こる遺品に、心当たりはありませんか?」 「おそらくハイタースプライトではないかしら。探し物をしてくれる妖精の遺品よ」 「妖精自体が遺品の本体ですか?」 「いいえ、遺品の本体は小さな懐中時計の形状をしているわ」 「蓋を開けた状態で何かを探すと妖精が現れ、蓋を閉じると妖精は役目を終えて消えるの」 「探し物をしてくれるってことは、鍵だけ持っていく遺品ではないんだな?」 「ええ、使用者の望む物を探してくれる遺品よ」 「ということは、遺品の使用者が鍵を望んでいる――」 「遺品使って妖精に鍵を盗ませてる奴は何がしたいんだ、一体?」 「どれか特定の鍵を狙ってるわけでもなさそうだし……それが普通なのか?」 「いいえ。おそらく遺品を発動させた人が、曖昧な指示しか出していないのではないかしら」 「どこのどんな鍵を持ってこいって細かく言わなかったってことか?」 「そう。ただ鍵を持ってこいとだけ言われたらこうなると思うわ」 「アバウトすぎるだろ……」 「違うの大量に持って来た時点で、指示出し直せないんですか?」 「もちろんいつでも指示は出し直せるわよ」 「では、指示を出したくとも出せない状況……もしくは、遺品と知らず発動させて制御ができていない」 「あ……! そうか、普通の生徒は遺品がどうとか知らないのか」 「危険なの?」 「危険な状態ですね」 「鍵の紛失の数からして、妖精は出現してからずっと活動し続けていると思われます」 「そして遺品を使うには代償が必要です」 「代償……って、魔力だよな?」 「ええ、ですがその魔力が尽きてしまったら……」 「ど、どうなるの!?」 「別の代償に何を失うかは、使っている遺品によるわ」 「ハイタースプライトの魔力の代償は何ですか?」 「使用者の体力よ。莫大な代償を要求する遺品ではないけれど、最終的に命が削られて力尽きてしまう恐れもあるわね」 「大事じゃねーか!!」 リトに礼を言い、俺達は図書館から駆けだした。 妖精は遺品に間違いないらしい。 しかし、アバウトすぎる使い方からして遺品と知らず使っている可能性が高い。 そして、このまま使い続けると使用者の命に関わる……。 さて、他に話を聞いておくべき人は…… 「しかし、参ったな。遺品使ってる奴がヤバイってことはわかったけどさ」 「どこの誰なのかわからないし手がかりはないよね……」 話し合いながら廊下を歩く。 はっとした表情でモー子が足を止めた。 「どうした?」 「……夜が……」 「げ、もうそんな時間か!」 いつものチャイムとは違う、荘厳な鐘の音が響き渡る。 見る間に世界が一変していく―― 「はあ……何度見てもすごいね」 「あー、もう夜の生徒が来たな」 「夜の生徒達にも、妖精を見かけてないか聞き込んでみましょう」 「そう言えば、最初に妖精が出たの夜だったな」 ざわざわと登校してくる夜の生徒達の中に見知った顔を見つけた。 「風呂屋……だっけ、あの子」 「風呂屋町さんですよ」 「え? お呼びですか?」 「はい、少し聞きたいことがあります」 にっこりと頷いて答えようとしたが、俺とモー子をつなぐ手錠を視界にとらえ笑顔のまま固まってしまった。 「あ……あ、あの……えーと」 「事故です」 「はい? じ、事故? ご趣味、ではなく?」 「そんな趣味はありません」 一秒でも早く否定したいと言わんばかりの早口でモー子が切り捨てる。 「……真っ先に趣味って発想が出てくるのもどうなんだろう……」 「言うな。今まで何人かがそう思ったのか想像しそうになる」 どうでもいいことで凹みそうになっている間にモー子が風呂屋――だったっけ――に、細かいいきさつを説明してくれた。 「ふえ〜、妖精さんかぁ」 「見かけたり、そんな話を聞いたりしていませんか?」 「ええ、お願いします」 風呂屋はこちらへ向かってくる女生徒に手を振りながら呼びかけた。 「おーい、射場せんぱーい! ひなさーん!」 手を振る風呂屋に気づいた二人の女生徒が笑顔を見せ、俺達に会釈しながらこちらへ近づいて来る。 「やあ、特査分室の人か。増えたって聞いたけど二人もだったんだ」 射場久美子先輩、と紹介された女性が俺とおまるを交互に見ながら笑う。 活発そうな、愛想のいい笑顔だった。 「こんにちは。烏丸小太郎、一年です」 「久我満琉。同じく一年です、よろしく」 「……よろしくお願いします。鹿ケ谷さんは、お久しぶりです」 「お久しぶりです、ヒナさん」 七番雛という名の先輩は、無表情ではないがどこか不思議に静かな雰囲気だ。 「何か、ありましたか?」 「少し困ったことが起きていまして」 モー子は知り合いだったらしく、二人の先輩にもかいつまんで事情を話す。 「妖精ねえ……ヒナ、あんた見た覚えある?」 「………ヒナはない」 「そうですか……」 「あれー? ねえ教室の鍵どうしたのー?」 「おいおい、開いてないのかよ!」 「うわ、こっちもか」 立ち話をしている俺達の近くで、夜の生徒達が鍵がないと騒ぎ始める。 「ちょっと話聞いてこようか。妖精とやらを見た子がいないか」 「お願いします」 「あ、じゃあわたしも!」 射場さん達は、騒いでいる生徒達に話しかけに行ってくれた。 「あの教室って確か、昼間も開かなくなってたよ」 「そうなのか? 昼と夜って同じ鍵なのか、モー子?」 「同じです。おそらく昼間の時点で妖精に鍵を持って行かれたのでしょう」 「んー、夜の生徒はまだあんまり妖精を見かけてないのかな」 「少なくとも昼間ほどの目撃者はいなさそうですね」 「けどさ、妖精が出たのは昨日、夜の世界になってからだったよね?」 「そうだな、てことは、遺品で妖精を操ってる生徒は……」 「やっぱ昼の生徒なのか」 「どうしてそうなるんです」 「へ?」 「昨日の昼には、妖精もまだ出現していないでしょう」 「え、でも吉田は礼拝堂の鍵なくしてるぞ?」 「妖精が持ち去ったわけではないのでしょう?」 「彼女が言うとおり気づかないうちに落としたのでなければ、彼女の前にも妖精が現れているはずですよ」 「……あ、そうか。なら吉田が鍵をなくしたのは偶然で、妖精が現れたのは夜になってからか」 「その可能性の方が高いかと」 「夜の生徒なんだろうな。吉田は昨日の昼に礼拝堂の鍵をなくしたらしいが妖精は見てない」 「それは妖精の仕業ではなく、偶然の紛失であるということですね」 「ああ、本人の言う通りいつの間にか落としてたんじゃなければ、吉田の所にも妖精が現れてるはずだろ」 「あの妖精、気づかれないようにこっそり盗むなんて気はなさそうだったもんね……」 「……私も同意見です。遺品を使っているのは夜の生徒の可能性が高いでしょうね」 話していると、射場さん達が戻って来た。 「聞いてみたけど、いつの間に鍵がなくなってたのか誰も知らないみたいだよ」 「そうですか。昼の間に盗まれていたものが多いようですね」 「あの教室の他にさ、最近鍵がなくなったとか捜してるって言ってる生徒いませんかね?」 「最近、というかしょっちゅう物をなくしてる子ならいるね」 「あー、まゆみちゃんですね」 「……もしかして春日真由美さんですか」 「ええ、そーです」 「……そう言えば、見ていません」 「あれ? あれー? ほんとだ、まゆみちゃんまだ来てないみたい」 「その、真由美ちゃんて言うのは?」 「春日真由美ちゃんて子です。わたしと同じ一年生ですよ」 「そそっかしい子でね。しょっちゅう物をなくしてあたふたしてるんだよ」 「そうですね。私も探し物を頼まれたことがあります」 モー子の声がわずかに低くなる。 何を考えたかは察しがついた。 遺品はそれを必要としている人間に引き寄せられる性質があるらしい、てことは……。 (そいつがたまたま鍵をなくしたタイミングで妖精が目の前に現れたとしたら……) 「……始業」 「あああっ! すみません、もう行かなきゃ!」 「いえ、引き留めてすみませんでした」 「少しは役に立ったのかな? それじゃあ頑張ってね」 「……気をつけてください」 「ええ、ありがとうございます」 風呂屋と先輩達を見送ると、モー子は表情を引き締めて言った。 「行きましょう。春日真由美さんを捜してみるべきです」 「だな。今日、登校してきてないってのはなんか嫌な予感がする」 「その子が遺品使用者だとしたら代償で倒れてるかもしれない…?」 「そうです」 「よし、急ごうぜ」 ……とはいえ、春日真由美が一体どこにいるのかはまるで手がかりがない。 「手分けした方がいいか? 俺とモー子はどうしようもないにしても……」 「おれ、壬生先輩達に応援頼みに行ってこようか?」 「その方がいいかもしれませんね」 「風紀委員に頼んで人海戦術で行くのが一番かもしれねーな」 「あったよ〜」 「ん? なにが?」 「鍵だよ〜」 「いや捜してんのは鍵じゃなくて春日…………って、おい!」 「うわっ、い、いる! いたー!」 話している俺達の真横を、ふわふわと妖精が鍵を抱えて通り過ぎていった。 「見つけたぞ、このやろうっ!」 「うん、見つけたよ〜鍵だよ〜」 「鍵じゃねえっ! お前だっ!!」 「うわ!? モー子急げよ!」 「わ、わかってますっ……!」 「見つけたよ〜」 「あああ、行っちゃうよー!」 「くそっ、つかまってろモー子!!」 「え……」 手錠で引っ張られて転びそうになっていたモー子を両手で抱え上げる。 「っ……!! こ、ここ久我くん……っ!!」 「こんな事、走った方が早っ……!」 「こっちのが絶対に早い!」 「そ、そんなわけ……きゃっ…!」 「見失うよりマシだろ!! ちゃんと掴まれ、落とすぞ!!」 「……こっ、今回、だけ我慢、し、ますっ……!!」 なんか自分に言い聞かせてるような口調だが気にしてる余裕はない。 「はっ、早いー! みっちー、待って……っ!!」 ……おまるの声がだいぶ後ろから聞こえるし。 しかし待ってると妖精を見失いかねない。 俺はモー子を抱えたまま、ひたすらに廊下を走った。 「くっそ、どこまで行く気だ……!」 妖精は背後から追ってくる俺をまったく気にとめていないようで、ひらひらとマイペースに飛んでいく。 「ま、まだ、ですかっ!!」 「アイツが止まらねーんだからしょーがないだろ!」 「鍵だよ〜いっぱい見つけてきたよ〜ほらほら〜」 「えええ!? ちょ、ちょっと待ってー! こんなにいっぱい持ちきれ……」 「なんだ!?」 「礼拝堂の方です……!」 音のした方へ急いで駆けつけると…… 「鍵だよ〜真由美ちゃん!」 「……う、うん……鍵、だね……」 ぶちまけた大量の鍵の真ん中で、夜の学園制服を着た女生徒が呆然と立ち尽くしていた……。 「おい、あんた春日真由美ちゃんか?」 「へっ? え、ええ、そ……」 俺達に気づいて首を縦に振ろうとしたが、何故か更に目を丸くする。 「え?」 「降ろして下さい。驚かれて当たり前です」 「あ」 モー子抱えたままだった……。 慌てて床に降ろす。 ただ手錠はつながったままなので、春日真由美はまだ奇異な物を見る目で見ているが。 「私達の状況はお気になさらず。春日真由美さん」 「あ、あの、鹿ケ谷先輩…その…」 「真由美ちゃ〜ん、ねえねえ、これ? 捜してるの、この鍵?」 「ち、違うと思うけど、あの…」 「そっかー、じゃあまた捜してくるねー」 モー子が止めるより早く、違うと聞いた妖精はまた飛んで行ってしまった。 「あああ、待ってー! か、鍵、こんなに、あの……」 ようやく追いついてきたおまるが、目の前に飛んできた妖精に驚いて尻餅をつく。 「よ、妖精……え、なにこれ? 鍵の山……?」 「妖精はもう後でいいでしょう。それより彼女が先です」 「え……、わ、わたし……?」 「あの妖精に鍵集めさせてるのお前さんだろ?」 「どうしてこんなことに?」 「あ、あのっ、わ、わたしもわからないんです…! 鍵が見当たらなくって困ってたら、あの妖精さんが出てきて」 「……でもわたし、探してる鍵がどんなものか知らなくて、それで……」 「……その前に何か古い物を拾ったりしませんでしたか?」 「古い物?」 「身に覚えがないものが突然周りに置いてあったということは?」 「やっぱり懐中時計か!」 「どうやら遺品はリトさんの言ったハイタースプライトで正解のようですね」 「みすと? はいたー?」 「で、その時計持ってる?」 「いえ、それが………」 「ん? どうした?」 「…………………」 「春日さ……あっ!」 唐突に、春日真由美は糸が切れたようにぱったりとその場に倒れた。 「春日さん!」 駆け寄ったモー子が声を掛け、肩の辺りを叩いてみるが反応がない。 眠っているだけ、のようにも見えるが…… 「ど、どうしたの!?」 「まさか、これ……」 「……代償でしょう」 「ひとまず彼女をリトさんのところへ運んで容態を見てもらいましょう」 「ああ、じゃあ俺が担いで……って難しいな、おい」 「手錠の鍵ないかな? これ全部、妖精が持ってった鍵だよね?」 「それだ! 捜せ!」 「……これでは?」 「あ、多分それだ!」 部屋の鍵などより小さいサイズなので、すぐ目について見つかった。 「はー、助かった……」 「それはこちらの台詞です」 解放された手首をさすりながら、モー子が横目でにらむ。 「わかったわかった悪かった。文句は後にしてくれ」 「俺はこの子運ぶから、お前らその鍵拾ってくれよ」 「うん、わかった」 「お願いします」 大量の鍵を回収し、春日真由美を担いで図書館へと戻る……。 「……どうです?」 「間違いないわ、ハイタースプライトの代償のようね。魔力も尽きているみたいだし」 「……ということは、このまま遺品を使い続ければ……」 「ずっと目を覚まさないわよ」 「命に関わるのですか」 「あまりに長い間このままだと、そういうこともあるわね」 「あるんだ……」 「今はまだ眠りから覚めないだけだから、即座に命を落とすことはないけれど」 「とっとと遺品を捜さないといずれはヤバいってことかよ。急がねえと!」 「っと、悪い……って、別にいいだろ、もう手錠はついてねーんだし」 「…………」 一瞬、モー子はあっという顔をする。 どうやらまだ手錠で繋がっていたときの感覚が残っていたらしい。 「だから遺品を捜しに行くんだろ?」 「闇雲に探し回る前にすべきことがあると思いますが」 「命に関わるかもしれないって話なのに、悠長に何をするって?」 「ではきみは何の方針も持たないまま、ただ学園中を走り回ればいいと? 無策にも程があります」 「ちょっと二人とも……」 「何か策があるんなら今すぐ話せよ! それこそ時間の無駄だ」 「その前に一旦頭を冷やすべきですね。水でも浴びてくればどうですか?」 「っ……ホントにああいえばこういう…! 結局教える気はねーのかよ!」 「私からすれば、きみの軽率な行動が――」 「ああぁーもうー! いい加減にしなさぁぁーい!」 おまるが叫んで、俺もモー子も目を丸くして黙り込んだ。 「……違わない。場合じゃない」 「……そう…ですね」 「じゃあちゃんとしましょうよ。みんなで協力しましょうよ! わかった?」 「は、はい……」 「……とにかく…久我くんは少し、落ち着いてください。真由美さんは今すぐ危ない、というわけではないのです」 「リトさん、具体的にはどれくらい放置すると危険ですか?」 「三日間くらいならこのままでも大丈夫だと思うわ。それ以降は本人の体力次第ね」 「タイムリミットは把握できましたか。焦らないで下さい。こういう時に慌ててもいいことはありません」 「……わかったよ……」 俺達は春日真由美をひとまずリトに預け、対策を練るため分室へ戻った。 「どうやら……」 分室の椅子に腰を下ろしたモー子が口を開く。 「春日真由美さんの口ぶりからして遺品の本体は手元にないようですね」 「本人が持ってる可能性はないのか?」 「念のため倒れたときに制服のポケットは探らせて貰いましたがありませんでした」 「まあ、倒れる直前本人も持ってるかって聞いたら『それが……』とか言ったよな」 やっかいな事になったな。 せっかく使用者まで見つけたってのに。 「どこにあるんだろ、時計。なんで持ってなかったのかな?」 「それについては一つ考えがあります」 「どんな考えだ?」 「それを説明する前に、まずはきみたちの意見を聞きたいのですが。どうしてだと思いますか?」 いかにも自分はわかっている、という表情でモー子は俺を見る。 俺たちがどれだけ『使える』のか、試してるのだとでも言いたそうだ。 「烏丸くんの意見は?」 「では久我くん」 「んー、そうだなぁ……」 「自分の部屋に置いてきたのかな。寮の部屋にさ」 「違うと思います」 「なんで?」 「それなら持ってるかと聞かれたとき、部屋にあると普通に答えると思いませんか」 「……それもそうか」 なんか一瞬口ごもってたもんな。 てことは…… 「妖精が捜していたのは鍵です。ということは遺品はどこか鍵の掛かる部屋の中なのでは?」 「その鍵をなくしちゃって、遺品が動きっぱなしになってるってこと?」 「……なるほどな」 「どこか鍵の掛かる部屋の中かな」 「鍵の掛かる部屋?」 「だから妖精は鍵を捜してたんじゃないか?」 「彼女は遺品の時計を何らかの理由でその部屋に置いてきてしまって、入れなくなってたんだ」 「私もそう思います」 「時計の方もなくしてるのか?」 「それなら妖精が捜して回るのは鍵ではなくて時計になると思いませんか」 「あ……そうか」 「妖精が捜していたのは鍵です。そして彼女は時計を持っていなかった」 「おそらく時計は鍵の掛かる部屋の中にあり、彼女はその部屋の鍵を捜していたのでは?」 「……なるほどな」 「けど、その部屋ってどこ? 鍵がなくなってる部屋はたくさんあるみたいだけど」 「そうだなあ……」 顎に手を当てて考えていると、モー子が小首を傾げて聞いてきた。 「きみは、どの部屋か見当がつきますか?」 また来た。 俺の考えを確かめるような事を聞いて来る。 「俺は……」 「女子トイレとか?」 「…………………」 うかつなことを口走ったと、モー子の視線の冷たさで悟る。 「いや、だって村雲が鍵なくなってるって言ってただろ!」 「他にも鍵のなくなった部屋はいくらでもあるでしょうになぜよりにもよってそこですか」 「……な、なんとなく」 「インパクト強かったから?」 「そ、そうそうそう!」 「礼拝堂でしょう」 「へ?」 フォローのようなことを口にしたおまるとそれに乗ろうとした俺をまとめて無視してモー子は言った。 「礼拝堂の鍵は妖精の仕業ではなく昨日の昼間偶然に紛失した可能性が高い、でしょう?」 「あっ、そーか! 吉田が落としたんだったか」 「春日真由美さんが捜しているのはその鍵ではないかと」 「昼の生徒である吉田さんが鍵をなくしたのならば、春日さんが気づいたときには礼拝堂の鍵はなかったはず…」 「それならば春日さんが鍵の形状を把握していないのにも納得がいきます」 「うーん、風紀委員室とか?」 「そんなはずないでしょう」 「なんで?」 「忘れたのですか? 壬生さんから、風紀委員室の鍵は妖精に取られたと聞いたはずです」 「あ……」 「捜しているのが風紀委員室の鍵なら彼女はとっくに手に入れています」 「そっか、じゃあどこの鍵を捜してるんだろう?」 「礼拝堂だと思います」 「礼拝堂? ……あっ、吉田がなくした……」 「礼拝堂の鍵は妖精の仕業ではなく昨日の昼間偶然に紛失した可能性が高い、でしょう?」 「そっか、それで春日さんは礼拝堂の鍵を捜してるのか」 「昼の生徒である吉田さんが鍵をなくしたのならば、春日さんが気づいたときには礼拝堂の鍵はなかったはず…」 「それならば春日さんが鍵の形状を把握していないのにも納得がいきます」 「礼拝堂じゃねーか?」 「礼拝堂?」 「あそこの鍵はどうやら吉田が落としたらしいからな」 「あ、そーか! 彼女は妖精見てないって言ってたよね」 「そうですね、礼拝堂の鍵はやはり偶然に紛失したのでしょう」 「昼の生徒である吉田さんが鍵をなくしたのならば、春日さんが気づいたときには礼拝堂の鍵はなかったはず…」 「それならば春日さんが鍵の形状を把握していないのにも納得がいきます」 「妖精が捜しているのは礼拝堂の鍵……そして、遺品はそこにありそうです」 「……お前、試しただろ」 「能力を把握したかっただけです」 「使えるかどうかってか?」 「誉め言葉ですよ?」 「どこがだよ……」 「…………」 モー子は腑に落ちないような顔をして黙り込んだ。 ――もしかして本当に誉めてたのか? 「充分すごいと思うけどなあ」 「半分しかあってないのに?」 「そうですね。詰めの甘さは命取りになりますよ、久我くん」 「へーい……」 「か、考えてるよ!」 「先が思いやられますね」 冷たいな、おい……。 まあ、まるっきり見当はずれてたから言い返せないけどさ。 「おい、いるか!?」 雑なノックの音とともに、村雲が入って来た。 その後ろから壬生さんも続く。 「なんだ、どうした?」 「てめーらが倒れた女生徒担いでったって聞いてきたんだよ」 「リトさんから、生徒の容態は聞いたよ。緊急事態のようだな」 「ええ、手を貸して下さい」 「もちろん、そのつもりで来たんだよ」 「助かります。実は――」 モー子がだいたいの事情と、遺品は礼拝堂の中にありそうだという推測を話す。 「礼拝堂か……」 「わかった、なら風紀委員会に通達して手分けして礼拝堂の鍵を捜そう」 「お願いします。それと、盗まれていた鍵の返却も手伝っていただけますか」 「そうだな、それは同時に出来る。私はこの鍵を預かっていくから、村雲は礼拝堂の鍵捜しを頼む」 「わかりました」 「遺品を止めるのは君達特殊事案調査分室に任せるしかないからな。頼んだぞ?」 「はい、それは必ず」 大量の鍵を壬生さんに預け、俺達は再び学園内の捜索に戻る。 「礼拝堂の鍵落とした奴はどこで落としたか心当たりねーのか」 「一応聞いてみたけど、寮に戻ったときにはなかったから学園のどっか、としか」 「捜し回るしかねーってことか。久我と同じクラスの奴だったな?」 「ああ、けど吉田はいつも黒谷とつるんで食堂だの屋上だのふらふらしてるらしいから」 「まんべんなく捜せと?」 「捜すしかないだろ」 「んじゃ、教室と食堂と中庭と屋上か?」 「その辺りにありゃいいけどよ……」 「あったよ〜」 「なにが?」 「あ」 「ま、また……」 「いえ、今あの妖精を捕らえても遺品本体がないとどうせ止まりません」 「抱えてたの礼拝堂の鍵じゃない……よな? 多分……」 「うん、吉田さんが持ってたのはあんな鍵じゃなかったと思うけど……」 「なら、あれはほっとこうぜ。どうせ春日真由美の所に持って行くのはわかってんだし」 「そうですね。それより礼拝堂の鍵です」 「アイツがあんだけ盗みまくって見つからねーって……一体どこにあんだよ」 「手分けした方がいいな。村雲、教室の方行ってくれ」 「教室の方は風紀委員のがいいだろ。授業中に俺らがうろついてると何事かと思われるし」 「そうですね、お願いします」 「くっそ、わかったよ! 言っとくがてめーの言うこと聞いてやってんじゃねーからな、クソ久我!」 「わかったわかった早く行ってくれ静春ちゃん」 「ちゃん言うなっ!! 覚えてろよー!!」 「彼をからかわないと息でも止まるんですか?」 「ふざけてる暇ないから急いだつもりなんだが」 「いつもよりはね……」 「…………」 モー子は、コメントは控えることにしたらしい。 本当なんだけどなあ……。 「じゃあおれは食堂行くよ。手分けした方がいいよね?」 「……待ってください」 「は? 何だよ? 急がなきゃなんねーだろ?」 「―――……」 「?」 モー子はやはり答えない。 思考が巡り巡って、心ここにあらずと言った感じだ。 「何だ? 何か気になることがあるのか?」 「ええ……ひとつだけ」 「先程村雲くんも言っていましたが、これだけ長い間鍵を探し続けていて、いまだに見つからないというのはどうも腑に落ちません」 「それはまあ、確かにそうだけど。見つからない理由があるってことかよ?」 「あっ、実はあの盗まれた鍵束の中に、礼拝堂の鍵あったりとか?」 「それならば壬生さんが処理してくれるはずです、でももしそうでない場合は……」 「……ただ捜すってだけでは解決できないってことか?」 「きみもきちんと冷静な思考ができるようになりましたか。おめでとうございます」 「なんでそういちいち上から目線なんだよ」 「みっちー……」 おまるが懇願するような目でこちらを見てくる。 いや、わかってるよ。口論してる場合じゃないよな。 「あーわかったわかった。で、どうするんだ」 「きみ達はまだ知らないかもしれませんが、魔術には序列というものがあります」 「例えば、身を隠す魔術と、目的のものを探し出す魔術。この二つがぶつかった時は、序列の高い魔術の方が優先されます」 「リトさんはハイタースプライトは莫大な代償を要求する遺品ではないと言っていました」 「……つまり、あの妖精の魔術はそこまで序列が高くないってことか?」 「そうです。つまり他の遺品、もしくは魔術の影響下にある場合は、ハイタースプライトには探し出せない可能性がある」 「っつーか、じゃあそんなものが、俺達に探し出せるのかよ?」 モー子は俺の質問には答えず、顔を上げた。 「少し付き合っていただけますか。きみ達の力が必要になるかもしれません」 「くそっ、やっぱ開いてないな」 モー子に連れられてやってきたのは礼拝堂だった。 確認してみるが、やはり扉の鍵はかかったままのようだ。 「……これなら、やはり……」 モー子は扉の前で何やら呟いている。 「あ、せんぱーい! いたいた〜」 そこへ教科書を抱えた風呂屋が通りかかる。 「風呂屋町さん。この礼拝堂に最後に入ったのはいつですか?」 「え? ええと、一昨日に授業があって、そのときかな」 「ちなみに、春日真由美ってその時はちゃんといた?」 「まゆみちゃんですか? はい、いました」 「なら、やっぱ一昨日の夜の授業の時に、遺品の本体をここに置き忘れたってことか?」 「そして、次の日の昼の授業で、吉田さんが鍵を紛失したことで礼拝堂に入れなくなった……」 「やはり遺品は礼拝堂の中で間違いなさそうです」 「? なんのことですか?」 「こちらの話です、お気になさらず」 「あとは、礼拝堂の鍵をどうやって見つけるか、だよね……」 固く閉ざされた礼拝堂の扉を見る。 鍵はいまだに見つかる気配すらない。 モー子の言ったとおり、礼拝堂の鍵が他の魔術の影響下にあるなら。 見つからないまま、ということもあり得る。 そうなると、使用者である春日真由美が危険だ。 この扉の向こうに、本当に問題の遺品があるのなら――。 呟くような声が重なった。 「……………………」 「……………………」 モー子が意外そうにこちらを振り向いた。 俺だって驚いている。 まさかモー子がこんな乱暴な結論を出すとは思わなかったのだ。 「一応確認するが、今のはなんとなく言っただけ、か?」 「……いえ。現状考えられる中で最も迅速に解決できる案だと思います」 「……珍しく気が合うじゃねーか」 「そうですね。どちらかと言えばきみ寄りの考えですねこれは」 「だから俺達をここに連れてきたのか。扉を破るなら、男がいた方がいいからな」 「ええ。鍵が見つかる可能性が薄い以上、物理的に扉を破った方が早い」 「えっえっえ!? 扉壊しちゃうんですか!?」 「今は春日さんの容態を第一に考え優先すべきと判断します」 「俺もそう思う」 「まゆみちゃん、もしかしてあの中にいるんですかっ?」 「そうではありませんが、彼女を助けるためにあの中に入る必要があるんです」 「扉を壊した方がいいのはわかったけど……なんか道具がないと無理じゃない?」 「おいちょっと待て、風呂屋」 「え?」 「何も借りに行かなくていいよ。これくらいなら多分俺一人で壊せる」 「ええっ、一人って……でも、ど、どうやって?」 「ちょっとみんな下がってろ」 「本当にブチ破っていいんだな?」 「へ?」 「………………」 モー子の沈黙が、呆れただけなのかOKという意味なのか計りかねたが、いい方に解釈することにした。 「んじゃ、みんな下がってろ」 「ち、ちょっとみっちー!?」 「あのあの、金属バットとかは……?」 「なくても大丈夫。多分な」 「どう考えても、四人でやった方が効率的だと思いますが……」 モー子の提言は無視する。 見た感じ、ただの木製の扉だ。 年季は入っているようだが、鉄製とかでもなければいけるだろ。 すっと扉の前に立ち、軸足に体重を乗せる。 「こ、久我くん……?」 「!!」 「うわああぁっ!?」 「ひっ……!?」 一旦身体に引きつけてから水平に蹴り出した足で、礼拝堂の扉をぶち抜いた。 足を引き抜くと、見るからに痛々しげな穴が開いている。 そこから手を入れて、内側の鍵らしきものを探す。 「開いたぞ」 「あ、あ、あいたぞじゃないよ……」 「……………………」 さすがにモー子も驚いたようで、ぽかんと口を開けていた。 「……す……すごーい……」 風呂屋は目をきらきら輝かせて、無残な姿になった扉を見ている。 まあ、引いてるわけじゃなさそうだからいいか。 「よくこんな重そうな扉を……みっちー、どういう力なの……」 「もしかして久我くんは空手か何かやってるんですか!?」 「いや、何もしてない。力任せに蹴っただけ」 「ただ蹴っただけで何とかなるのっ!?」 「……なるほど」 「えっそこでなるほどなんですか!?」 「それだけの筋力があれば、あれだけの食事を必要とするのも納得がいきます」 「そ、そうなのみっちー?」 「まーな」 「どちらにしろ人間業ではありませんね」 「誉め言葉だと思っとくよ。それより、時計捜そうぜ」 「……言われなくとも」 「か、懐中時計だよね?」 俺も入って、手分けして時計を捜す。 「春日真由美のいた席ってどの辺かわかるかー?」 「あ、えと、その、そっちです!」 「この辺か? …お?」 跪いて床を覗き込んで見ると、視界の端に光る物が映った。 近寄ってみると、蓋が開いたままの懐中時計が椅子の下に落ちている。 「モー子、おまる、あったぞ!」 時計を手に取りながら呼ぶと、二人が駆け寄ってくる。 「これだろ?」 「そのようですね」 「確か、蓋を閉めりゃ止まるんだっけか?」 開いたままの蓋に指をかけ、ぱちんと閉じた。 「鍵見つけ――――」 「それにしたって一旦戻んねーと――」 「……刻を、止めよ」 蓋を閉じた懐中時計に、モー子が例の札を貼り付ける。 しゅう、と煙だか湯気だかわからないものを一瞬吐いて、札が時計に貼り付いた。 「これで、春日さんはもう大丈夫?」 「ええ、そのはずです」 「なんとか間に合ったのかな」 「…………………」 そしてさっきから風呂屋が礼拝堂の扉を延々と凝視してるんだが。 (そんなに珍しい光景だったのか……?) いや、蹴りで扉を蹴破る光景ってのは日常生活で頻繁に遭遇するものではないとは思うけどさ。 「おーい! あったぞ礼拝堂の鍵ー!!」 「あ」 「やべ、あったのかよ」 鍵を握りしめて走ってきた村雲は、扉の前で唖然と立ち止まった。 どう見ても通常とは異なる状態のせいだろう。 「おう、すまん。待てなかった」 「いやモー子が鍵は見つからないかもって言うからつい」 「鹿ケ谷ッ!?」 「穴をあけようとは言っていませんが、まあいいです」 「あの手錠だって人様のものでなければ鉈か何かで切ってました」 「よかったな、村雲。手錠は無事だぞ」 「喜べるかああっ!!」 「ところで、その鍵はどこにあったのですか?」 突然、村雲は目を右往左往させる。 聞かれてはまずいことを聞かれた。 そんな感じだ。 「どうやら、何か特別なことがあったようですね」 「いっいや別に何もねーよ!! ただ……アレだ……」 「アレ?」 「ゆゆゆ幽霊ーっ!! またーっ!?」 「ふーん……で? おまえ追いかけなかったの? 幽霊」 「こっ、この場合鍵を届ける方が先だろフツー!?」 「ふーん。へーえ。一人だから幽霊怖くてビビったのかと思った」 「断じてビビってねええぇぇ!!! テメーいい加減にしろよコラァァ!!」 「つまり鍵は幽霊が持っていた……それでハイタースプライトには見つけられなかった……?」 「あ、あの、それよりとにかく春日さんが無事かどうか確かめに……」 「おう、そうだな。その時計も片付けなきゃならんのだろ?」 「そうですね、行きましょう」 「……クソ久我ッ……」 村雲はまだ何か言いたそうだったが、聞こえなかったことにした。 「……危ないところだったわね」 リトは眠ったままの春日真由美の様子を見ながら言った。 「助かったのか?」 「このまま休ませておけばそのうち目が覚めると思うわ」 「そうですか」 「よかったぁ……」 「これが遺品です。今のうちに預けておきます」 「ええ、しまっておくわ」 「はー、これで一件落着か?」 「案外、早くなんとかなったね」 「そうだなー」 手錠でつながったまま授業受ける羽目になった時は異様に長く感じたが。 (とっとと外せてよかった……) ……と、思うんだが、左手首が妙に軽く感じられる。 まあ、気のせい……だろうけど。 「きみたちは、何を終わったという顔をしているのですか?」 「へ?」 「まだ白い幽霊の件が解決していませんよ。どうやら礼拝堂の鍵を持っていたのは幽霊のようですし」 「ま、ままままさか幽霊のこと調べるんですか……?」 「あの幽霊については風紀委員会が追っているはずですが。必要があれば特査分室に持ち込まれるかもしれませんね」 「持ち込まれませんように! 持ち込まれませんように!」 「儚い願いだなおまる……」 「やめてよそういうこと言うの!?」 「……ん?」 「ま、解決してくれたことは賞賛に値するよ、うん」 巨大な机の向こうで、両肘をつき組んだ手の上に乗せた幼い顔をにこにことほころばせている学園長。 ……が、その目が笑っていない。 「しかしなー、学園を破壊しないでくれたまえ」 「扉という物は脚ではなく手で開けるのだよ、わかるかな、久我君?」 「すいません、時間がなかったもんで」 「状況は理解しているがね。だからといって……」 「鹿ケ谷先輩も同意していましたし非常事態だからいいのかなーと」 「あそこまで破壊しろとは言ってません」 「破った方が早いって言い出したのモー子もだろ?」 「蹴破る以外にも破る方法はあるでしょう」 「タックルとか?」 「ですから破壊ではなく!」 「や、やめてよー! 学園長の話の途中だよー!」 「面白いからかまわんが」 「止めて下さいよっ!?」 「だいたいきみは時々強引すぎます」 「なにが? ああ、担いで走ったことか?」 「具体例は挙げなくて結構です」 「しょーがないだろ。あーやって抱っこするのが一番走りやすかったんだから」 「具体的に言わなくていいと何度言わせるんですか!」 「しっかり首にしがみついてたくせに」 「しがみつかないと落ちるからです!!」 「喧嘩しないでよー!」 「……仲がいいのか悪いのかわからんチームだなあ、ニノマエ君?」 「ちー」 「うん、そうだな。思っていたよりは働いてくれそうだ」 「笑い事じゃないですよー!!」 「はっはっはっはっはっは!」 「はぁ………」 「かっこよかったなぁ……扉どかーん、って……」 「粉々になっちゃったもんね〜すごかったぁ……」 「……鍵?」 「何の鍵だろ?」 「ここは……礼拝堂?」 「改めてみると、この礼拝堂ってほんとキレイ……映画や絵本に出てくる場所みたい」 「……王子様がでてきそう」 「えっ!?」 「やあ、待たせたね」 「えええ? 久我くん!? なんでここにいるんですかぁ? それにまた扉壊しちゃって!」 「君が呼んでいる気がしたから」 「さあ、行こう」 (こここここれは、夢のお姫様だっこー!) 「羽のように軽いね」 「えっ……そ、そんな……」 「……風呂屋……」 「久我くん……」 「……そんなに見つめないで……そんなに見つめられたら、わたし……」 「風呂屋町ーーーーーー!」 「何言ってるんだ。寝ぼけてるのか?」 「あ、あれっ?」 「まったく……」 「はい、ここから風呂屋、訳して」 「ふえええ〜〜」 「いや、晴れ渡ってはないですけどね。もう夜だし」 「これだけ毎日見てればそりゃ慣れもしますよ……」 俺とおまるは、またもや学園長室に呼び出されていた。 先日の騒ぎで怒られて以来だ。 基本的にこの部屋にくるとよくないことがある。 そんな気がする。 「あの、何かまたまずい事があったんでしょうか……」 「何もない方が嬉しいけどな」 「……苦難?」 「あーもう、もったいぶらないで、早く用件を言ってください! どうせ面倒なことなんだろうから」 「鍵がない」 「は?」 「鍵って、この間の騒ぎの時の鍵ですか? あれなら全部回収したはずじゃ……」 「そうです。風紀委員さん達が元の場所に戻してくれたと思いますけど」 「ああ。君たちは確かにあの時は尽力してくれた……」 「昨日気がついてな」 「仕方ないだろう。私はこう見えても忙しいのでな。な、ニノマエ君」 「ぢー」 学園長の首にまるで襟巻きのように巻かれていたオコジョが声を発した。 よかった、生きていた。 「えっと、じゃあ、その鍵を俺たちに探せと」 「……それが苦難なわけですね」 「多分」 「それを困難と取るかは持つものの次第。吉と出るか凶と出るかはそのもの次第」 学園長はにやりと笑った。 なんだかそれが楽しそうな様子で、鍵がなくなって困っているようにはみえない。 「……本当にその鍵、探さないとならないんですか?」 「そうだよ。そう言ってる。だから、君たちを呼んだのではないか」 いつかの学園の地図を思い出させる謎の記号的な絵を、手近なメモ用紙にさらさらと描く学園長。 ……まあ、鍵っぽいことは伝わるが。 捜索の参考にはなりそうもなかった。 「うーん……」 「早く見つからないと困る。な、ニノマエ君」 「ぢーー」 「いったいどこの鍵なんですか?」 「行きたいところに行ける鍵。望めばどんな場所でも」 「はぁ!?」 「いや、ちょっと待ってください。魔力とか、どんな場所にでもってその鍵ってまさか……」 「ええええっ!? それは大変じゃないですか!」 「あっはっはっはっは! そうなのだ! 大変なのだよ! はっはっは!」 「笑い事じゃねえだろ……それで、何でしたっけ。魔力が足りなくなるとどうなるんです?」 「思いもよらぬ場所に辿り着く」 「えっ、それはどういうことです?」 「帰ってきた者はいないからだ!」 「そりゃ大変だ……」 学園長の様子からはあまり危機感が感じられないが、ヤバイ鍵であることは間違いなさそうだ。 正直もう少し早く紛失しているのに気がついてほしかったが。 「なんでそんな鍵があるんでしょう……」 「魔力が足りていれば問題ないからな。そういう人間が拾っているなら、まあ大丈夫だろう!」 「そうとは限らないでしょう!」 「まあまあ、そう憤らずとも」 「ぢー」 「そうだとしても……」 とにかく、誰にも拾われていないことを期待するしかない。 そのほうが探すのも楽だろう。 俺は半分ヤケ気味に、学園長からの依頼を承諾した。 「とにかく探してみます」 「まったく、おおっぴらにぐうすか寝られちゃ示しもつかないってもんだ」 「とりあえず、授業で答えられなかった部分は明日提出すること」 「……わかりました」 「お」 「でも大丈夫……」 「この間、拾ったこの鍵があれば、どこでも行きたいところに繋がっちゃうもん! 体育の着替えで遅くなった時も助かっちゃったし」 「行きたいところを思い浮かべて……」 「……もしかして、会いたい人のところにも行けちゃったりとか??」 「君が呼んでいる気がしたから」 「……えっ」 「さあ、行こう」 「鍵を……」 すっかり俺にはお馴染みになった特査分室で、学園長からの依頼を、モー子に説明した。 「さて、どこから探したものかと」 あの妖精の事件を思い返しているのか、モー子が視線を少し泳がせながら言った。 「確認しますが、妖精が集めた鍵の山にはその鍵はなかったということですね」 「あの鍵の山については風紀委員からの細かい報告があったみたいなんですけど、そこにはなかったそうです」 「ということは、紛失した鍵はどこか別の場所に持ち出されてしまったということですか」 「持ち出せるとしたら……」 「つまり犯人は妖精以外にいるな」 「……え、そうなんだ!?」 「その可能性は低いと思いますが」 「なんでだよ。どっかの誰かが盗み出したのかもしれないだろ」 「紛失に気づくのに時間がかかったということは、裏を返せば厳重に保管してあるということ」 「つまり、ハイタースプライトのような探し物専門の遺品でなければ持ち出せる可能性は低いと考えます」 「でも、あの妖精が集めた鍵の中にはなかったんだろ?」 「……忘れたのですか?」 モー子があからさまに溜息をついた。 「礼拝堂に乗り込む前に、鍵を持った妖精を見たのを忘れたのですか?」 「あー! そうそう、確か何かアンティークっぽい鍵を持ってた!」 「私たちはそのまま礼拝堂に向かったので、その妖精は追跡しませんでした。なので、持っていた鍵も回収していません」 「っていうことは、回収されてない鍵って、あの時の妖精が持っていた鍵ってことなのかな」 「その可能性が高いでしょう」 「あーあーーー……そうか、なるほど」 「しっかりして下さい」 「犯人は妖精だな」 「でも、例えば学園の誰かが盗んだとかはないの?」 「曲がりなりにも遺品です。簡単に盗み出せるような所にあるとは思えません」 「まああの学園長だからそこらに放置してそうな気はするけどな……」 「それはきみの偏見です、学園長は私の知る限りそのような物の扱いをする人間ではありません」 「ハイタースプライトのような探し物専門の遺品でなければ持ち出せる可能性は低いと考えます」 「うーん、でも鍵の山の中にはなかったんだよね……?」 「あの騒ぎの途中で鍵を持って飛んでいった妖精を見ただろ」 「あ! 礼拝堂に行く前に、そういえば」 「そうです」 「あの妖精、追いかけないで放置したよな?」 「学園長がいう、やっかいな鍵ってアレだったんじゃないだろうか。よりにもよって……だけど」 モー子が悔しそうに溜息をついた。 「回収するべきでした。大失態です」 「遺品を封じた時点で、妖精って消えたんだよな?」 俺はモー子に確かめた。 「はい」 「だとしたら鍵だけが学校のどこかに取り残されたってことか」 「誰かが拾ったとか?」 「落とし物として届いてないか、確認しましょう」 そう言うとモー子は分室にある内線電話で、どこかに電話をかけた。 「学園の落とし物は学校の事務室で預かってるから、そこに連絡してるんじゃないかな?」 なるほど。 鍵を拾ったとしたら、大抵の人は届けるだろうしな。 「……そうですか。お手数をおかけしました」 モー子は静かに電話を切った。 「ここ数週間、鍵の落し物は届いていないそうです」 「とすると、誰かが拾ってそのまま持っているか、人目に付きにくいところに落ちちゃってるか」 「うーん、とりあえず学園内くまなく探すしかないか……」 「ええっ!? うちの敷地けっこう広いよ!?」 「だよなあ」 「しかし、やるしかないでしょう」 とは言っても、誰かがこっそり拾っていたとしたら、探しても無駄足になってしまいそうだが。 そこでふとある案が思い浮かぶ。 「そうだ! いっそのこと、ハイタースプライトを使うのはどうだ? 特徴を伝えて探してもらえば……」 「………………」 その瞬間、モー子から絶対零度の一瞥が繰り出された。 「では、きみがハイタースプライトを入手してきてくれるのですね?」 「残念ながら、私や烏丸くんは遺品を収めてある地下宝物庫には入れませんので」 「あっ……」 思い出した。 そういえば、リトが言ってたな。 『侵入者を防ぐために、宝物庫にはそもそも人間は入れない』って。 「まさかきみが人間ではないとは、思ってもみませんでした」 「……そんなに皮肉っぽく言わなくてもいいだろ」 「基本的なことを忘れているきみが悪いのです。特査分室の仕事に本気で取り組んでいるのか、疑問に思いますが」 「俺はちゃんとやってるよ! 今のは、ちょっと言ってみただけだろ」 「と言っても、私としては別に本気で取り組んでいただかなくても結構なのですが」 「私の邪魔さえせず、おとなしくしていてくださればそれで」 モー子の視線の温度がさらに下がった気がした。 思わずかちんと来てしまう。 「あのなー」 「あ、あの二人とも……」 俺とモー子の間に微妙に冷たい空気が流れる。 その時。 ノックの音に俺たちははっとなった。 「はーい、今、開けまーす」 俺とモー子の険悪な雰囲気が一旦消えたのに安心したのか、おまるが軽い足取りでドアに向かった。 そして、そのドアを開けると……。 「ごめんね。忙しいところ」 「……お邪魔します……」 現れたのは白い制服に身を包んだ夜の学園の生徒。 確か、二年生の射場久美子と七番雛、だったはずだ。 「ちょっといいかな。気になることあってさ」 「実は、一年生の女の子が、行方不明になっています」 「!!」 その場にいた誰よりも早く、そして鮮烈にモー子が反応する。 聞いたこともないような、上擦った声でそう言った。 ――動揺している? それとも……。 「…………」 「憂緒さん……?」 「あ」 モー子はいつものような冷静な表情に戻った。 俺が気になったのは……。 「その消えた一年生ってのは誰なんだ?」 「こないだ話してたから知ってると思うけど、風呂屋町眠子って子」 「モー子、どうかしたのか?」 「なにがですか?」 モー子はいつもと同じような絶対零度の一瞥を俺にくれた。 「いや、いつもと違うっていうか。今の話に食いつきがすごかった気がしたから」 「きみの気のせいでしょう」 「えー?」 「行方不明、という事象は、そもそもがおおごとです」 「まぁそうだけど……」 確かに言われたらその通りだが、でもさっきはいつもと明らかに様子が違うように思えたんだよな。 「その一年生の名前はわかりますか?」 俺には構わず、モー子は話を進めてしまった。 「風呂屋町眠子さん」 「え、風呂屋町さん!?」 俺たち三人はそれぞれに顔を見合わせた。 「風呂屋が行方不明……?」 「先生だかに説教されてて、移動教室に向かうのがひとり遅れたらしいんだよ」 「で、移動している最中に行方不明になったらしくて」 「これは……?」 雛さんは手にもっていたものを俺たちの前に差しだした。 「風呂屋町の手提げで、教室移動する時にノートとかいれるのに使ってるやつだって」 俺はその手提げを受け取った。 布で作られたもので軽い。 中身はあまりはいってないようだ。 「それだけが廊下に落ちてたって……」 「……」 「それは確かにヘンですね」 「ああ。袋ごと落とすということは考えにくい」 「移動教室に現れなかった風呂屋町のこと、最初は『具合悪くなって保健室にでも行ったのかも?』くらいにクラスの子たちは思ってたらしいんだ」 「でも、その授業が終わってから探してもどこにも姿がなくって、廊下にその手提げが落ちてたってわけ」 「教室で一年生が騒いでいて……」 「そこにあたしとヒナがたまたま通りかかってさ。事情聞いたわけ。で、ここに相談しにきたんだ」 「うん」 二人の説明を聞き終わって、モー子が頷いた。 「速やかに調査を開始します」 モー子、やけに前のめりだな? でも、確かにその奇妙な状況を聞くと、風呂屋になにかあったことは間違いない。 「確かに心配だな」 「引き受けましょう!」 「そっか。助かったよ。一年生にそう言ってくる」 「この手提げは預かっても?」 「はい」 「じゃあ、よろしく」 射場さんと雛さんは、特査分室を出ていった。 二人が出ていった後に残されたのは、風呂屋のものだという手提げ。 薄いピンク色の布製のものだった。 「中身を調べてみましょう。何か手がかりがあるかもしれません」 「あ、ああ」 女の子の持ち物を見るのは気がひけるが、今はそんなことを言ってる場合ではない。 「えーと、教科書、ノート……」 手提げの中から取り出した物を机の上に並べる。 「ペン入れに……」 「なるほど、次の授業に使う物だけをいれてあるんだね」 「これは、ティッシュケースか」 そして、袋の底に残った明らかに授業には関係のなさそうなもの。 俺はそれを取り出した。 「……鍵」 二人にもよく見えるように、俺はその鍵を掲げた。 「あ」 「それって!」 「学園長の鍵じゃないか?」 「私もそう思います」 モー子もやや驚いた表情で同意してくれた。 「そうだ、こういう鍵だったよ! 妖精が持っていたのって!」 「妖精が持っていたものに似てないか?」 俺は二人に問い掛けた。 モー子もおまるも頷く。 「似てる、似てるよ!」 「と言うことは」 「学園長が探している鍵はこれっぽいな」 この鍵が学園長が探している鍵だとして、風呂屋が持っていて、そして風呂屋の姿がないと言うことは……。 「え?」 モー子の言葉に俺は驚く。 「風呂屋がどこにいるのか判るのか!?」 「……久我くんが考えているのは、風呂屋町さんの行方にその鍵が関わっているということですね」 「この状況なら、そう思うだろ!?」 「確かに見た目は似てるけど、鍵なんて、大体どれも同じ形だもんね」 俺は改めて、持っている鍵を見た。 確かになんの変哲もない古びた鍵。 どこにでもあるものと言われてしまえばそうだけど。 モー子は、そう言うなりドアのほうに向かって歩き出した。 「おい、どこに行くんだ?」 「リトさんの話を聞きに。遺品のことは彼女が一番詳しいので」 図書館の不思議な住人、リト。 確かにこれが本当に学園長の鍵で、遺品でもあるのならそのことを知っていてもおかしくないのかもしれない。 さっさと歩き出したモー子を俺とおまるは慌てて追いかけた。 「あら……」 静かな図書館の一角。 巨大な書架の奥の奥に彼女はいた。 いつものように大きな本を抱えて。 「みなさん、お揃いね」 「聞きたいことがあります」 「私にわかることなら。鹿ケ谷憂緒」 「これを見てほしい」 俺は持っていた鍵をすっとリトの目の前にかざした。 「これって学園長の鍵かな」 「いいえ」 「えっ? 違うのか?」 「そうよ」 あっさりと彼女は答えた。 「遺品ならば、厳密に言えば学園の所有物……だから学園長のものかと聞かれれば否定されます」 「ではリトさん、この鍵は学園長に預けられていましたか?」 「行きたいところに行ける鍵、ってのは本当なのか?」 「本当」 「この鍵の効力について基本的な解説をお願いします」 「これはヤヌスの鍵。使用者が頭に思い浮かべた場所に一瞬で行くことが出来る遺品よ」 「やはり……」 「風呂屋町さんはこの鍵を使ったのかな?」 鍵だけが残されて、風呂屋の姿はない。 風呂屋になにかが起こったことは間違いないだろう。 「これを持っていたのは一年生の風呂屋町眠子って子で、今行方不明になってる」 「そうなの?」 「この鍵はこの間の妖精騒ぎの時に回収しきれなかったんだと思う。それがたまたま彼女の手に渡ったんじゃないかと」 「それで……」 「これを彼女が使ったとしたらどうなる?」 「魔力が足りていたら、望む場所に辿り着くわ」 「では、足りなかったとしたら?」 「目的の場所と、遺品を使用した場所の間、途中の空間に繋がるわね。魔力が足りない分だけ距離が半端になるの」 「途中? なんだか漠然とした感じ」 「学園長はとんでもない場所に辿り着くって言ってたけど、そういう可能性は?」 「そうね。途中であればどんな場所かはわからないから、天井裏や床下みたいなとんでもない場所に出る可能性はあるわ」 「うわ、それはやだな」 リトは、答え終わってにっこりと笑った。 魔力が足りていれば望んだ場所へ、足りてなければその目的地の途中の空間に繋がってしまうそうだ。 「彼女がどういう鍵か知らないで使ったとしたら?」 「つまり、望んだ場所に行ける鍵だと知らないでだ」 「その時は無意識に思い浮かべていた場所や人のところに辿り着くわね」 「そういう鍵なんだもの」 無意識に思い浮かべた場所や人のところに繋がってしまうそうだ。 「使う気がなくても作用するのか?」 リトは鍵を持っているような仕草をした。 そして、手首をひねる。 鍵を開ける動作だった。 「鍵を使用し、意志を持って扉を開かなければ、作用はしないの」 「つまり、鞄やポケットにいれているだけでは、魔力が足りていたとしても作用はしない?」 「その通りよ」 使う気がない場合、鍵が勝手に作用することはないそうだ。 魔力を持っているものが、仮にポケットに入れていたりしても、魔術が発動することはない。 さて、他に何を聞こう。 「聞きたいことは以上かしら?」 そう言われて、考えを整理する。 鍵を使用する意思を持って使用しなければ、鍵の力が発動することはない。 そして使用者の魔力が足りていなければ、目的地の途中とはいえ予想もしない場所に繋がってしまう。 風呂屋が消えたのは、やはりこの鍵を使って予想もしない場所にたどり着いてしまったからなのか……? 「もうひとついいですか。先程無意識に思い浮かべていた場所や人のところに辿り着く、と言いましたね」 「ヤヌスの鍵は望んだ場所だけではなく、望んだ人のいる場所でも作用するのですか?」 「ええ、そうなの。会いたい人を思い浮かべると、その人に辿りつくようになっているのよ」 「と言うことは……」 「だったら……」 この鍵を使えば風呂屋のいる場所に辿りつけるんじゃないか? と言いかけると。 「ではこの鍵を使えば、風呂屋町さんのいる場所を特定できるということですね」 俺も今そう言おうと思ったのに……。 まあいい。 俺とモー子は同じ意見のようだ。 「この鍵が最後に繋げた場所とかは指定できないのか? きっとそこが風呂屋がいる場所と思うんだけど」 「そんな必要はありませんよ」 「会いたい人を思い浮かべると辿りつくのですから、風呂屋町さんを思い浮かべて鍵を回せばいい」 「お」 確かにモー子の言うとおりだ。 「そのほうが確実でしょう」 わ、判ってるって! 「可能ですよね、リトさん」 「あなたたちがその風呂屋町眠子という子と面識があれば可能よ」 「なるほど。具体的にその人物を知っていなければ不可能ということですね」 「ええ、その通り」 俺たち三人は、みな風呂屋のことを知っている。 だから、問題はないはずだ。 問題があるとしたら……。 「魔力が足りるかどうかか……」 「あ、そっか。足りなかったら、とんでもないところに出ちゃう可能性もあるんだよね、怖い怖い」 「二次遭難する可能性も考えられます」 「うっ……」 「私たちで使えるものでしょうか」 「リトさん、この中に鍵を適正に使える魔力のある人物がいるか、判断してもらえますか?」 「え! そんなことも判るのか!?」 「ええ」 彼女は、なんてことないように微笑んだ。 便利で助かるけど、何者なんだ、ほんと。 「お願いします」 「足りるやつがいればいいけど」 「ううう」 「……」 リトは、俺たち三人を順番に凝視した。 まばたきもせず、目を見開いて。 確認するようにしっかりと見ていた。 そして。 すっと指さした先は。 「ええ。あなたの魔力なら、望む場所に行けると思うわ」 「ほ、ほんとですか!?」 「そういえば前にもおまる魔力が高いって言われてたな……」 「久我くん。鍵を烏丸くんに渡してください」 「あ、ああ」 ビビってる様子のおまるを気にもせずに、モー子がそう言うので、俺はその鍵をおまるに渡した。 「……がんばれ!」 「そんなこと言って、無茶苦茶なところに繋がったらどうすんの?」 「あ、なるほど」 「そ、そうか」 リトの説明におまるも安心したようだった。 「で、どうやって使えばいいの?」 「どの扉でもいいから、鍵を差し込んで回してみて」 「扉か」 「あれはどうですか」 モー子が指した先に、本棚と本棚の間にひっそりと扉があった。 「あれは物置の扉よ」 「あれでもいいんだろう? よし、おまるやってみよう」 「う、うん」 俺たちはその扉に近付いた。 鍵を持ったおまるが、さらに一歩前にでる。 「えーと、風呂屋町さん、風呂屋町さん……」 彼女の姿を思い浮かべてるのだろうか、ぶつぶつそう呟きながら、おまるは扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。 普通、鍵が合わなければ差し込めないはず。 なのに、すっとそれは入り……。 そして回った。 「あ、開けちゃうよ」 鍵穴の鍵はそのままに、おまるがドアを開けた。 「え!?」 「なんだこれ!」 「これは……」 ドアの向こう。 普段は図書室の物置だと言う。 だから、きっと中は広くないだろう。 でも、今、俺たちの目の前に広がっているのは……。 「どこなんだここは……」 明るい世界だった。 でも、照明とも太陽の光とも違う。 空間全体から発光しているような感じだった。 そしてとても広かった。 例えば、大草原のような空間とでもいえばいいだろうか。 広すぎて奥がどこまであるか、見えなかった。 「学園の中とは思えない」 確かにそうだ。 そもそも、現実感がまったくない。 いったいここはどこなんだ。 「リトさん、ここはどこなんだ?」 聞けばなんでも答えてくれる彼女も、今回ばかりは困惑している様子。 小首を傾げる。 「わからないわ。この私にも」 「それは、ありえないわ」 きっぱりとリトは言った。 そこは、自信があるらしい。 「じゃあ、この中に風呂屋がいるのは間違いないのか」 俺はそのとんでもない世界に一歩踏み出そうとした。 その時。 「待ってください!」 俺の足が踏み出す前に、モー子の鋭い声が聞こえた。 俺は振り返る。 「待ってください。うかつに踏み込むのは危険です」 「だけど、早く風呂屋を助けないと」 「それは判っています。ですが、どう見ても異常な空間に踏み込むのは危険すぎます。二次遭難してしまっては、元も子もありません」 「もたもたしてて、風呂屋に何かあったらどうするんだよ!」 「まず、本当に危険はないのかどうか確かめる必要があります」 「う」 「まずはそれが先決です。助けに行っても帰ってこれないのでは意味がありません」 「確かにそうだけどさ……」 「やっぱりおれの魔力が足りなかったんじゃないのかな」 「仮に足りなかったとしても……」 モー子は、リトに聞いた。 「学園の外につながっている可能性はないのですか?」 「ないわね」 「それは、対遺品結界があるからですか?」 「そう」 「何だそれ?」 「ここには、学園の敷地内から遺品を決して外に出さないための結界が張られているの」 「その結界のせいで、遺品の作用も学園外には及ばないようになっている」 「地下宝物庫の結界はあなたたちが壊してしまったけれど、そちらの結界はまだ生きているわ」 「だから、学園の外には決してつながらないということですね」 「ええ。決してつながらないわ。すべての遺品はあの結界を越えることは出来ない」 「えっ、じゃあこれが学園の中……?」 改めて、その不思議空間を見てみたが、学園の中にこんなに広い場所なんてあるのか? 「この空間自体を調べる必要があります。まず学園の中にこのような場所があること自体がおかしいですから」 モー子の言葉に、おまるも頷く。 「確かに……だって、学園の敷地より広そうじゃない?」 「……だなあ」 「リトさん、図書館に学園の敷地について書かれた本はありますか?」 「あるわ」 「その本にはこの空間についての記述はありますか?」 「ないわ」 「では、この空間に関して何か参考になりそうな記述はなかったでしょうか」 「それは私には判断できないわね」 「そうですか」 モー子とリトの問答は傍で見ていると、ちょっと奇妙だ。 モー子の端的な質問にリトは答えているが、聞かれたこと以外は答えない。 質問の仕方が悪い、とモー子は言っていたがもしかしてリトはいつもこうなのだろうか……。 「では、その本のある場所を教えてもらえますか」 「案内するわ」 「……では」 そこまで言って、モー子は開きかけた口を閉じた。 なにか、考えているようだった。 ややあって、モー子は再び視線をリトに向けた。 「ええ、それは間違いないわ」 「彼はこの鍵を何回ほど正確に使えますか?」 「7、8回は確実に」 「判りました」 「烏丸くん」 「鍵の運用を考えるときみが持っているのが最善のようです」 「でも……」 「この鍵を扉から回収して、この状態を学園長に話してきてもらえますか」 「学園長に?」 モー子はこくりと頷いた。 「学園長なら、何が起こっているか判るかもしれないからです。この状況を説明してきてください」 「ええ、もちろんよ」 「二手に分かれたほうが確かに早いか」 「ええ、お願いします」 「――――ひとつ注意があります」 「その鍵は、学園長にはきみが持っているとは伝えず、しばらくの間特査分室が預かると伝えてください」 「ええっ?」 「思うところがあります」 「あの学園長が聞いてくれるのかな」 「そこは何とかしてください」 なんだかよくわからない頼みだ。 案の定、おまるは戸惑ったような表情。 しかし、モー子はそんなことは気にしたそぶりもなく。 俺のほうを見た。 「くれぐれもその鍵で勝手なことをしないで下さい」 念を押すように、はっきりと少しゆっくりとモー子はそう言った。 まるで俺が勝手なことをすると、決めつけてるみたいだ。 「では、リトさん、行きましょう」 「ええ」 モー子はその場を離れようとした。 「わかった」 俺がそう言うと、モー子はちらりと視線を投げかけるだけで、無言で立ち去った。 リトが慌ててその後を追っていく。 歩みを止めて、ふっとモー子が振り返った。 だけど、答えようとせず、ちらりと俺を見ただけ。 しかも、その視線は冷たい。 なにか苛立っているようにも見えた。 そして、モー子はくるりと踵を返し、その場から去っていった。 リトが慌ててその後を追っていった。 「なんだよ、あいつ……」 「言いたい事があるなら言えばいいのに」 「まあまあ。きっとこの鍵がないと風呂屋町さんが助けられないとかだよ」 「だったら、そう言えばいいじゃねえか」 「う、うーん……そうだけど…」 「…………にしても、風呂屋は本当に大丈夫なのか…」 「うん、心配だね……」 俺はドアから、例の異様な空間を覗き込んだ。 空間は相変わらずの様子で、ただ果てしなく広がっているだけだった。 こんなところに、本当に一人きりでいるのなら。 心細いどころの問題じゃない。 「ドアの鍵を抜けば、普通の物置になるのかな?」 おまるが、ドアの鍵穴についたままの鍵を見た。 「憂緒さんは鍵を回収して学園長のとこ、行けっていったけど、鍵を抜いたら、この空間は消えちゃうんだよね?」 「……多分」 おまるは鍵を抜くのをためらっているようだ。 気持ちはわかる。 もしかしたら、この空間のどこかに風呂屋がいるかもしれないんだ。 その繋がりを消してしまうのは……。 「さて、どうしたもんか……」 しかし、手をこまねいて見ていてもしょうがない。 ここはモー子の指示に従うしかないだろう。 「おい、おまる……」 おまるが指さした。 俺ははっと、ドアの中の空間を見る。 「消えだしてる!?」 ドアの向こうの空間が、ノイズがはいったかのようにその姿がブレている。 うまく言い表すことができないけど、空間自体が消えかかっているように見えた。 「放っておくと、鍵の効果が消えるのかな?」 「それは判らない。でも……」 その時。 「きゃあああああああ!!!!」 女の子の悲鳴が聞こえた。 「風呂屋か!?」 そして、俺は気がつけばドアの中に足を踏み入れていた。 一瞬、めまいがしたような気がしたが、なんともない。 「みっちー、大丈夫!?」 振り返ると、ドアの向こうにおまるがいる。 なるほど、消えかけてはいるが完全に空間が分断されているわけじゃない。 会話もできるようだ。 「ダメだ!」 「でも!」 「お前はそこに残るんだ。モー子たちにこの状況を知らせるやつが必要だから」 「俺はこのまま、ここで風呂屋を探す」 「……みっちー」 おまるは一瞬、ためらうような表情をしたが。 おまるは急いだ様子で、ドアノブに手をかけた。 おまるが投げて寄こしたものを受け取った。 例の鍵だった。 「それがあれば、そっちから開けて帰ってこられるはず!」 「なるほど、そうか! ありがとな、おまる!」 「……あ」 鍵を確認して顔をあげると、すでにドアは消え、そしてその向こうのおまるの姿も消えていた。 俺だけが、この奇妙な空間に取り残されていた。 すでにドアがあった方向もよく判らなくなってしまった。 「いやあああーーーーーー!」 ぼーっとしている場合じゃない。 俺は急いで悲鳴が聞こえてきた方向に向かって走り出した。 奇抜で奇妙な世界を走り抜ける。 足下は普通に固い地面だった。 「お、おかあさーーーーん!!」 近づいていくと判ったが、声の主はやはり風呂屋っぽい。 この悲鳴はどう考えてもピンチな状況だ。 叫んだが返事はない。 だが、悲鳴は聞こえ続ける。 その方向に向かって急いだ。 「な、なんだあれは!?」 ようやく風呂屋の姿が見えてきたが、俺は思わず足を止めた。 風呂屋は制服姿で、地面にへたりこんで、頭を抱えている。 「おとうさん、おかあさん、助けてーー!」 子供のように泣き叫んでいるが、無理もない。 昔懐かしの『後ろの正面だあれ』状態で風呂屋は『それ』に取り囲まれていた。 人間ではないし、少なくとも世界珍獣図鑑に載ってるとも思えない奇妙な生き物だった。 四肢があるが、体は岩のような色で、腕が長い。 ファンタジー映画に出てくる魔物っぽいというか。 「怖いっ怖いっ怖いよーーー!!」 よくよく見たらユーモラスな姿なのかもしれない。 でも、あんなものに囲まれたらパニックになってもしょうがないだろう。 風呂屋は完全に錯乱していて、俺がいることにも気がつかない。 「ためらってる場合じゃねーな」 「ひゃああああ!?」 俺は叫んだ。 「風呂屋! こっちだ!!」 「いやあああああ〜〜!!」 「聞こえてねえか」 頭を抱えて俯いてしまっている風呂屋に俺の声は届かないらしい。 「こうなったら……!」 俺は意を決して、風呂屋の元に駆けつけた。 「ひゃああああ!?」 「風呂屋!! 大丈夫か!?」 「え、ええええ!? 久我くん!? なっなんでここにっ!?」 「話は後だ。とにかく逃げるぞ!」 俺がそう言ったのに、風呂屋は立ち上がろうとしない。 「どうした? 怪我でもしてんのか?」 「え、えっと……えっと……」 (もう何が何だかなのに、さらに久我くんまで登場って……いったい何なの!? もももしかしてわたしまだ夢みてる!?) 明らかに風呂屋は動揺していた。 立ち上がろうとはしているけど、体がついていってない感じだった。 腰が抜けているのか? そうこうしている間に、奇妙な生き物の手らしきものが俺の腕を触る。 「やばい」 早くここを離れたほうがよさそうだ。 俺だって、こんなやつらの傍にはいたくない。 「え!?」 座り込んでいる風呂屋の体を俺は抱き上げた。 「掴まってろ」 「う、うん!?」 風呂屋は俺の首もとにしがみついた。 俺は駆け出す。 「きゃああーーーーーー!?」 奇妙なやつらの間を俺たちはすり抜けた。 このまま、この場を離れられたら……! しかし。 ちらっと振り返ると、とんでもないものが目にはいる。 あいつらが追いかけてきていた。 「追ってくるのかよっ!! しかも意外とすばしっこいな!」 「なっ、なに!?」 「もっとしっかり掴まれ!」 「え、えええ!?」 (つ、掴まってって、これ以上密着なんて! いいの!? しちゃってもいいの!?) 「ほら、落ちるから!」 「う、うん……」 (こ、これは不可抗力だから〜! だからぎゅーってしちゃっても仕方のないことなんだから〜!) 「これでいい?」 「ああ」 俺は走るスピードをあげた。 人ひとり抱き抱えてだから、これが精一杯だが。 俺は必死に走った。 こんなふうに走ったのはいつ以来なんだ? 「こ、久我くん、大丈夫!?」 「危ないから黙ってろ!」 「う、うん……」 (ど、どうなってるのどういうことなの、久我くんがこんなふうに駆けつけてくれるなんて) (っていうか王子様だ! リアルに王子様だ! どうしよう本物の王子様だー!!) (しかもしかもこの状況って!!) 「悪い、もうちょっとちゃんと掴まってて」 「あ、うんっ……!」 (おおおお姫様だっこですよ!? ちゃんと掴まっててだって! やばい本当に王子様!) 「くそっ、まだ追いかけてくるな!」 (きゃあーーー声が声が近い近すぎるぅ! いいい息がかかっちゃうよう!) (あぁ〜久我くんにならこのままどこか遠いところに連れ去られちゃってもいいかも!) めちゃめちゃに走ったせいで、風呂屋がいた場所も、もちろんあの図書館への扉があった場所ももう判らなくなっていた。 「はあっはあ……はあ……」 さすがに足ががくがくしてきた。 幸い、妙な生き物の姿は見えなくなっていた。 なんとかまいたらしい。 あたりは相変わらず現実感のない奇妙な空間だった。 「……これ、毒きのことかじゃないよな」 あたりには、俺たちの背丈よりずっと高いキノコがいくつか生えている。 自分自身が体が小さくなる薬を飲んでしまったような気分だ。 俺が話しかけると、風呂屋はずざざざと後ずさった。 (どっ、ど、どうしよぉ!! さっきまでお姫様だっこされてたから心臓がばくばく言ってるよぉ! しかもふたりきりだし!) 風呂屋はそのまま黙りこんで俯いてしまった。 少し震えているようにも見える。 「あー……」 多分風呂屋的にいろんなことが起こりすぎてるんだろうな。 あんな妙なものに囲まれた後、突然抱き上げられて。 年頃の女の子にマズかったかなあ。 でもそうするしかなかったし。 とりあえず、気まずい空気を取り払うべく、俺は風呂屋に声をかける。 「大丈夫か?」 「だ、大丈夫です!」 風呂屋は慌てたように手を振りながらそう言った。 とりあえず、怪我などはなさそうだ。 「怪我はないか?」 「えっ?」 今気がついたかのように、風呂屋は自分の体を見て確かめていた。 「そうか」 (やだやだもー、わたしちゃんと落ち着かなきゃ…! 久我くんにへんな子だって思われちゃう) 「さて、どうするか」 「あの……久我くんはどうしてここに?」 「ああ!」 そういえば、まったく説明できてない。 俺は制服のズボンのポケットから、おまるから預かった鍵を取り出した。 「これ、風呂屋が持ってたんだろ?」 「ああそれ! どうして久我くんが持ってるの??」 「ええと……」 説明すると長くなりそうだ。 それより、先にここから脱出したほうがよさそうだ。 「とにかく、この鍵を使ってここから出よう」 「う、うん」 「えーと、扉は……」 「あるわけないか……」 周りにはばかでかいきのこしか見当たらない。 人工的な建造物の姿はなかった。 「それ、頑張れば扉がなくても使えるんです」 「なるほど!」 それでやってみよう。 俺は見えないドアを開けるように鍵を持った。 行きたい場所。 先ほどまでいた図書館を思い浮かべる。 「……図書館に繋がれ……」 ガチャリ。 心の中で、そんな音を思い浮かべながら鍵を回してみた。 だが、何も起こらない。 「……………」 「俺じゃだめなのか……?」 手の中の鍵は、本当に遺品であるのか疑うほどに何の反応もない。 その時、突然脳裏にある記憶が甦ってきた。 「へえ……俺は?」 「魔術耐性があるようにも見えないのに、潜在魔力もほぼ無し……。あまり感じたことがない気配よ」 「役立たずかどうかはまだ判断できないけれど、不安要素であることは確かね」 つまり魔力が無い俺には、この鍵は使えないってことだ――!! 「久我くん……? 大丈夫?」 「あっ、いや……えっとこれ、風呂屋がやってみてもらえないか」 「はっはい」 風呂屋に鍵を渡した。 元々、風呂屋はこれを使っていたんだ。 彼女に使ってもらうのが確実だろう。 「どこに行けばいいのかな……」 「図書館に行けないかな」 風呂屋は目を閉じて集中しているようだった。 そして、手にもった鍵を回す。 これも俺が心に浮かべた音だったんだけど……。 「あれ?」 何も起こらなかった……。 でも何も起こらなかった。 「どういうことだ?」 俺はともかく風呂屋でも何も起こらない。 そういえば、鍵の要求する魔力が足りないと、目的地の途中の場所にしか繋がらないと言っていた。 風呂屋の魔力が足りなくて、この変な空間に通じてしまったとしたら、今の風呂屋は魔力がまったくゼロの状態なんじゃないか? と、いうことは。 「久我く〜〜ん、繋がらないですぅ」 やべっ……! これって、まんまと二次遭難ってやつじゃあ……! 「だから言ったではありませんか。危険だから踏み込むなと」 「二次遭難の可能性があると、警告したはずですが」 「くれぐれも勝手なことをしないように、とも言いましたよね?」 「……………………………………」 またあの冷たい視線でボロクソに言われそうだな。 「久我くん、どうしたの? 突然、頭を抱えて……」 ここを脱出しないと、モー子に嫌みを言われることもないのか。 嫌みは言われたくないが、脱出できないのはもっと困る。 風呂屋は俺を不安げな表情で見ていた。 「風呂屋、心配するな。ここが学園の中だというのは判ってるんだ」 「え! ここ、学園の中なのっ?」 風呂屋はあたりを見渡した。 無理もない。 学園の中どころか、どう見ても現実の世界とは思えないからな。 「ああ、そう言っていたやつがいる」 「そうは言っても、学園のいったいどこなんですか? やけに広いし、変な生物はいるし……」 「う、ううむ、それはそうなんだが」 「と、とにかく学園の中だってことは間違いない! らしい……」 「久我くんがそう言うなら、きっとそうなんだろうな……」 なぜか風呂屋は、突然焦ったように俯いた。 だが、ここにいてもラチがあかない。 学園に戻る方法を考えなければ。 いや、ここは学園の中なんだっけか。 ええい、ややこしい。 俺はキノコの影から辺りを見渡した。 「久我くん、どうするんですか?」 「とにかく、その鍵が使えればいいんだよな」 「魔力の助けになるものがあればいいのか?」 鍵の助けになるものってなんだろう? そもそも鍵って扉とか開けたりするものだから。 「扉があったほうがいいかもしれない」 「扉?」 「風呂屋も普段は扉のあるところで鍵を使ってたんだろ?」 「うん、だいたいはそう、だったかな……」 「扉があれば違うかもしれないな。探しに行こう」 「は、はい」 俺たちは、巨大キノコの影から辺りを窺ってから、そこから出た。 あたりは奇妙に静かだったが、例の生物がいないのは助かる。 歩き出したものの、ゴールは判らない……。 「そっ、そういえばお礼言ってなかったです!」 (そうだ。助けてくれたんだもん、ちゃんと言わないと) 隣を歩いていた風呂屋がそう言った。 「助けに来てくれてありがとうございました!」 「お、おう」 「でも俺も迷ってちゃ意味ねえよな……悪い…」 (すっごくかっこよくって、なんか本当に王子様みたいだった……もしかして、教室でみた夢って正夢だったのかも!?) 「え?」 (あ、あわわわ、やだ、なんだか、さっきよりドキドキしてきちゃったよ……どうしよう!?) 「そうか? だったらいいけど」 「そうだ、風呂屋はどうしてここに?」 気味悪そうに風呂屋はあたりを見渡す。 「なるほど……ああ、手提げ持ってただろう?」 「あれは、逃げる時に手から滑り落ちていっちゃって。どこに飛んでいったのか、ちゃんと確認できなかったんだけど……」 「上手い具合にドアの向こうに飛んでいったんだな」 それで手提げだけ廊下に残ったということか。 それがなければ、風呂屋が行方不明になった事実が明らかになるのは、ずいぶんと後だったかもしれない。 「そっか〜。手提げが残ってたから、クラスのみんなが変に思って……」 「ああ。奇妙だったからこそ、俺たち特査に持ち込まれたんだろうな」 「そういう意味ではよかったのかも…」 「みんな、心配してたぞ。大騒ぎになってたそうだ」 「えっ、心配!?」 なぜか風呂屋はかあっと顔を赤くした。 (心配!? 久我くんわたしのことを心配してくれてた!? どうして!? だって、まだそんなに親しいってほどじゃないのに……) 「心配してくれたんですか……?」 「そりゃそうだろう。教室にくるはずだったクラスメイトが、突然消えたら誰だって……」 「え」 「ん?」 「……あっ、そ、そうですか…心配してたのはクラスの……」 「どうかしたか?」 「ううんっ、な、何でもないです!」 「そうですか……」 風呂屋は、なぜかそこで黙ってしまった。 (そうだよね……そりゃ久我くんがそんなに心配してくれるわけないじゃない) 「風呂屋?」 「久我くんがいなくなって、特査の人たちも心配してるんじゃないかって……」 「ああ……うーん……?」 おまるは心配してるだろうな。 まだ短い付き合いだが、あいつの人の良さはよくわかっている。 今頃、あの図書館の物置の扉の前で右往左往してそうだ。 でもモー子は……。 「だから危険だと言ったのに。本当に人の話を聞かない人ですね」 「まったくもって自業自得、かと。は? 知りませんよそんな人のことは」 「久我くん?」 「それより、これからどうするか考えよう」 見渡すと広い空間。 この『異世界』はどこまでも広がっている一つの空間のようだった。 ただ、あちこちで雰囲気が違うゾーンがあるようだ。 俺は目を凝らした。 「ねえ……塔みたいなものが見える」 風呂屋が指さしたほうを見ると……。 「ああ、なんだろうあれ」 俺たちの前方に塔のようなものがみえる。 そして、右側がぼんやりと雲がかかっているかのように薄暗く、左側は逆に何かが光っていた。 どこに進もう。 あの薄暗い方に行ってみよう。 俺は風呂屋と共に歩き出した。 進むにつれて、辺りの様子が変わってくる。 それまで普通に明るかったあたりが、どんよりと暗くなって行き……。 「こ、久我くん、大丈夫かなあ? こっちで」 風呂屋が不安げに尋ねてきた。 無理もない。 どう見ても『怪しげ』だ。 「ちょっと待って。とりあえず何があるか確かめるだけ確かめよう」 「う、うん……」 しかし、俺たちはぴたっとそこで立ち止まった。 視線の先、前方。 朽ちた木々の合間に蠢く影。 風呂屋を襲っていた奇妙な生き物ではない。 あれはこれまで見たこともないような形をしていたが、今、目の前で動いているのは……。 「あ、あれっ、何……!?」 映画で似たようなものを見たことがある。 ゾンビってやつだ。 そいつらが、一斉にこっちを向いた。 「ヤバい! 逃げるぞ!」 「はいっ!」 俺は風呂屋と共に、全速力で逃げ出した。 大きな塔のようなものに向かって俺たちは歩き出した。 少し近付くと、塔のようなものに見えていたのは大きい階段だということがわかった。 「すごい……上のほうが見えない……」 階段の上のほうは、ぼんやりと霞がかかっているかのように見えなかった。 この世界にギネスブックがあるとしたら、間違いなくギネス級の階段だろう。 まーでも絶対ギネスブックなんてあるわけないが。 「階段上っていったら、どこかに辿り着くかもしれないかもっ!」 俺もそう考えていたところだった。 俺たち二人は、自然と早足になった。 が。 「やっやだ!」 あと300メートルくらいで階段の真下に辿り着くところで、風呂屋が叫んだ。 例のあの変な生き物が現れたのだ。 まさにエンカウント。 「ちっ、これはダメだな」 「ひゃあああ〜〜逃げよ〜〜〜!!」 言われるまでもない。 俺は風呂屋と共に、全速力で逃げ出した。 「光っている方向に進んでみよう」 「うん」 俺たちは、その方向に向かって歩き出した。 それまで辺りを漂っていたり、落ちていたりした奇妙な物が少なくなっていき、がらんとした空間だけになる。 目安となるものがないから、距離感覚がおかしくなりそうだ。 「ねえ、みて。影がない」 風呂屋が足下を見ながら言った。 不思議な風景だった。 どのくらい進んだだろう。 「いてえ!」 「大丈夫!?」 頭に何かがぶつかった。 風呂屋が恐る恐る手を延ばした。 「見えない壁みたいなのがあるみたい?」 俺がぶつかったのもそれだった。 透明な壁があるみたいだった。 俺たちはその辺りでどこか空いているところはないか触りつつ、探した。 「これ以上進めないみたい……」 「そうだな……」 どうやら透明な壁はどこまでも広がっているようだった。 俺たちは諦めてその場を離れた……。 「他のところに行ってみるか」 「うん」 「ふう……」 それにしても長い時間歩いているのに、疲れも感じないし、腹も空かない。 風呂屋にも聞いてみた。 「そういえば……」 風呂屋も同じらしい。 二人とも食料は何も持っていないから、腹が空かないのは助かるのだが。 「疲れてないか?」 「……大丈夫です」 「疲れたら言ってくれ。休憩しよう」 「……うん……」 風呂屋の口数が少なくなっていた。 この間の妖精騒ぎの時に会った時は、もっと元気な子だった印象があるけど。 だけど今はこんな状況だ。 不安じゃないわけがない。 だから元気がなくても仕方ないか。 (どどどどうしよう、二人きりで何を話したらいいのかぜんっぜんわかんないよ?) (でも二人きり……ううう、嬉しいそれは嬉しいぃぃ……何も喋らなくても久我くんの気配がするもん) (えへ……えへへへへ……ちょっと幸せかも……) 俺たちは無言で、あてどもなく歩き続けた……。 また見たこともない場所に出た。 だけど、今度はなんだか安心する場所だ。 大きな池が広がっている。 水面は穏やかで、きれいだった。 「わあ……きれい」 風呂屋がほっとした顔になった。 これまで非現実的な風景ばかりだったから、安心したのかもしれない。 「ね、ちょっと待っててもらっていい?」 「え? ああ」 「わ。やっぱりきれい。顔が映ってみえる……」 (せっかく久我くんと二人きりなのに、髪とか大丈夫かな? 鏡なんてないから……) (あ、やっぱちょっとハネてる。水つけたら直るかな……) 「風呂屋、大丈夫か!?」 「や、やだ!! 助けて……!! 泳ぎ、苦手で……! うぷっっ!」 「待ってろ! あまり動くんじゃない!」 「掴まれ!」 「こっ久我くん!!」 「水、飲んでないか?」 「う、うん、大丈夫……」 (やだ!! また助けてもらっちゃった……! こんなにしっかり抱きしめてもらえるなんて……) ずぶぬれになった俺たちは、服を乾かすことにした。 俺は飛び込む前に制服の上着を脱いでいたのでそれだけは何とか無事だった。 「あのう……貸してくれるのはありがたいけど、久我くんは寒くない……?」 「とりあえずは大丈夫だ」 風呂屋の制服と、俺のシャツは、そこらへんの木にかけて干してある。 さすがに女の子に下着姿でいさせるわけにいかないから、風呂屋に上着を貸したのだ。 でも代わりに俺は上半身裸だ……。 「ここが寒くない場所でよかったよ」 「そ、そうですね……」 とは言っても、下着に制服の上着……。 風呂屋は上着の下から生足が覗いていて、ちょっと目のやり場に困る。 「…………」 風呂屋も同じように思っているのか、俺からは目を逸らしている。 まあ、男の半裸とか、年頃の女子が見たいもんじゃないよな……。 (ま、ままままさか、こんなことになるなんて……久我くんの裸……! 肌色…!! むり、むりぃ直視できないよぉ) (でもなんか気になっちゃう。ちょ、ちょっとだけ……チラッとだけならいいよね) (ひゃぁぁぁー! 肌色ー!! 全部肌色ーっ!! 何も着てらっしゃらない!!) (……意外と胸板厚いんだなあ……。なにかスポーツやってたのかな。あ。肩幅もけっこうあるんだ……) (あーダメ、あんまりじろじろ見たら不審に思われちゃうっ! でも見たいよぉ!) なんとなく気まずい雰囲気で、お互い目を逸らしていた。 でも完全無視というわけにもいかず。 「…………」 風呂屋はやっぱり寒いのか、自分を抱きしめるようにしていた。 そして小刻みに震えていた。 (うううう、落ち着かないよぉ。二人きりで、こんなシチュエーションなんてこ、興奮しすぎて……) (落ち着けー落ち着けー。平常心が大事ー。肌色のことは一旦忘れるー) (でもさっきまであの腕の中にいたんだよね、わたし……なんかぴったり抱きついちゃって……あぁ……) (ちょっ……やだ、想像したら……) どうしよう、風邪でも引いては大変だ。 などと考えていたら。 「ふぁっ……よ、よだれがぁぁぁぁ!」 俺に背を向けるようにしていた風呂屋が悲鳴を上げた。 よだれ? なんのことか判らないが。 「おい、大丈夫か? どうした?」 近付いて、彼女の様子をうかがう。 はっとして風呂屋が、俺を見上げた。 顔が真っ赤だった。 「熱でもあんのか?」 「えっ!?」 俺は風呂屋の額に手をあてた。 「ひゃうっ!?」 「熱は……ないみたいだな」 だけど、風呂屋の顔はさらに赤くなっていった。 トマトみたいだ。 「だ、だめです!」 風呂屋はばっと俺から離れた。 「あ、ごめん。勝手に触っちゃって」 「何してんだ、お前……?」 「あわわわわわ。あのえっと、だめですこっち来たら!! いまはとにかく落ち着きたいっていうか」 誰もいない空間に風呂屋の絶叫が響いた。 風呂屋の反応を見る限り、体はなんともなさそうだな。 さっきより元気そうだし……。 なにせ訳わからないことばかり起こってるんだ。 様子が多少おかしくなったってしょうがない。 でも、思ったより風呂屋は元気そうだ。 たくましいもんだな、ちょっと安心した。 「あれっ!?」 その時、急に電気が切れたように辺りが暗くなった。 「急に夜になっちゃった!?」 上を仰ぎ見ると星が出ていた。 本当の星かどうかはわからないけど。 「びっくりした」 「う、うん」 「こう暗いと歩き回るのは危ないな」 俺は制服を干してある木を見た。 その隣には、もっと大きい木があった。 樹齢何百年といってもおかしくない。 この世界に時が流れているのであれば、だけど。 「風呂屋。朝がくるまで……というか、明るくなるまで、あそこで休もう。疲れてない感じはするけど、少し休んだほうがいい」 「服もそれまでには乾くだろうしな」 「え、どこ?」 「ほら」 俺は大きな木に近寄った。 木の根元が虚になっていて、俺たち二人が身を隠せるくらいの大きさがあった。 「あの変なやつらが来たとしても、ここなら見つからないだろう」 腰をかがめて、先に俺がはいってみた。 入口より、中のほうが高くなっている。 俺が座っても頭がつかえることもない。 「大丈夫そうだ」 恐る恐るといった風情で風呂屋がはいってきた。 「あ、いや、俺は入り口側に行くから風呂屋が奥に……」 「ううん、奥の方が久我くん向きだと思う」 そう言って、風呂屋は上を指差した。 確かに奥の方が高さに余裕がある。 入り口側に座れば無理な体勢を強制されそうだ。 「わたしなら、この高さでも大丈夫。ほらね」 (それに奥の方に久我くんがいてくれたら、わたしがどかない限りずっと隣に……えへ…) そう言われたので俺は奥につめて、風呂屋が座る場所を作った。 うん。狭いけど、とりあえずは大丈夫そうだった。 これで少し落ち着けるだろう。 「ちょっと狭いけど我慢してくれ」 「あ、ううん、大丈夫です」 (って言ったもののー! 狭い確かに狭い! 肌色の久我くんと近いッ近すぎるッ) (さっき、あれだけ距離があいててよだれ出ちゃったくらいなのに、ほとんどくっついてる状態なんて……!) 「悪い。やっぱり狭いよな。やっぱり奥とかわった方が……」 「ううんううん、大丈夫です! 気を遣わないでください!」 (でも……もしここからずーっと出られなかったら、こうやって久我くんと一緒に暮らしていくしかないよね……) (でもそうなる可能性もあるよね、だって二人きりなんだもん!) (こういうのなんていうのかな、同棲……? ううーん、なんか違う……二人で一緒に暮らすから同棲でも間違いないけど、でもなんか違う……) (はっ、もしかして、ほとんど結婚、ほぼ結婚が正解? 結婚!? けけけけけ結婚!?) (どうしよう、わたし、久我くんのお嫁さんになっちゃう……) 「……風呂屋……」 「えっ? あ、はい!」 「やっぱり落ち着かないみたいだけど、大丈夫か? とは言ってもこれ以上はどうにも……」 「あっ、ううん大丈夫大丈夫!」 (こ、ここはちょっと思いきって聞いてみちゃおうかな。なにしろ大事なことなんだし!) 「えっとね、あのね、聞いていい?」 「何を?」 「久我くんのご両親ってどんなひとですか?」 「……………」 (あれ……? 久我くん……?) (どうしたのかな、なんか雰囲気がいつもと、変わった……) 「…………二人ともいない」 「え、ええっ、どうして?」 「…………」 「いや、いいよ」 「…………」 「…………」 (久我くん、黙っちゃった……聞いちゃまずいことだったんだ) (なんだか………なんだか……ちょっと、突き放されてる、みたい) (わたしの……気のせい…?) 「……風呂屋」 「えっ、あ、は、はい!」 「早めに休んだほうがいい」 「え、あ?」 「もし寝にくかったら、俺にもたれても構わないから」 (ひゃあぁああ、何それラブラブっぽすぎるよぉ! 肌と肌が触れあっちゃったりしちゃうよぉぉぉ!) 「だ、大丈夫だよ」 「そうか? 遠慮しなくていいからな」 (だってこんな状態で裸の久我くんが隣で興奮しきっちゃって寝られるわけなんかない〜〜!) 「すぅ〜〜〜〜すぅ〜〜〜」 風呂屋は俺にもたれてぐっすり眠っている。 疲れは感じなかったけど、体は疲れていたのかもしれない。 またあの変な生き物がやってくるかもしれない。 「それにしても静かだな……」 しん、と辺りは静まりかえっていた。 今のところ、あの妙な生き物たちしかいない世界だ。 生活音がないし、風の音のようなものもしない。 妙な生き物たちも眠っているのだろうか。 どうやって寝ているかは想像もできないが。 「すぅ〜〜すぅ〜〜〜〜すぅ〜〜〜」 聞こえてくるのは風呂屋の寝息だけだった。 よく寝ている。 それを聞いているうちに、俺も瞼が重くなり……。 眠りに落ちた。 次に目を覚ました時は、すでに空は明るかった。 律儀にちゃんと朝はやってくる世界だった。 ふとみると、隣にいたはずの風呂屋がいない。 俺は慌てて、木の虚から這い出た。 制服姿の風呂屋がいた。 「あ、ああ、おはよう」 風呂屋が差しだしてくれたのは、俺の制服だった。 どうやら一晩の間に、すっかり乾いたらしい。 俺は慌てて、それを身につけた。 「さて、とにかくここから脱出する方法を考えないとな」 「久我くん……あの階段みたいなところ、もう一度行ってみない?」 「あそこか……」 俺は遠くに見える大きな階段を見た。 この距離だとぼんやりとしか見えないが、上空に延びているそれの姿は確認できる。 「確かにあれ、どこか違う場所に続いてますって感じだもんなあ」 「うん……」 「でも……またあの変なやつらが出てくるかもしれないけど」 「そ、そん時は逃げよっ!」 「ま、それしかないな」 そうだな。 とにかくまた近くまで行ってみるべきだろう。 なんといっても、ここはある程度進むと透明な壁にぶつかる不思議空間だ。 出口があるなら上のような気がする。 「わかった。あそこに向かおう!」 「うんうんっ」 何か制服にひっかかってる? 「ごっ、ごめんなさい。何かに掴まってないと不安で……」 「あ、ああ……」 「歩幅あわせるから、このまま、歩かせてっ」 「…………」 とは言っても、何かあったときにこれでは動きにくい。 「手は?」 「はっ、はいっ?」 「手を繋ぐのじゃダメか? いやだったらいいけど」 「い、嫌とかじゃなくて!」 「じゃあ、そうしよう」 俺は手を差し伸べた。 風呂屋は一瞬ためらった様子だったが、そのまま俺と手を繋いだ。 (う、うわぁぁ。久我くん、手おっきい。あったかいしぃ……なんかふわってしちゃうぅ……) そして歩き出す。 「ごっ、ごめんなさいっ。なんだか子供みたいで……」 「いや、いいけど」 こっちのほうが歩きやすい。 それにとっさの時に逃げる時も楽だろうし。 どのくらい歩いただろう。 例の階段が近付いてきた。 辺りを見渡しながら、慎重に階段に近付いていく。 「……あのへんなの出てこないね」 「ああ」 幸いなことに、邪魔されることなく階段に近付くことができた。 階段は空中にある大きな踊り場から伸びている。 みると、他にも階段はあって、階段がテーブルの足のように、踊り場を支えているように見えた。 しっかりした素材で、踏み込んでも壊れることはなさそうだった。 「……うん……」 どう見ても怪しいことこの上ないけど、そもそもこの世界自体が、とてつもなく怪しい。 今さら、ためらってもしょうがあるまい。 「風呂屋」 「はっはい!」 「俺が様子見てくるよ。風呂屋はここで待っていてくれ。途中まで見て、すぐ戻ってくるから」 風呂屋はひしっ! と、俺の腕にしがみついた。 「離れるなんて、そんなダメです! 何かあって、連絡がとれなくなったら……!」 「風呂屋……」 「傍にいるほうが絶対いい! 絶対安心ですっ!」 風呂屋の言うことも一理あるか……。 この階段の上になにがあるか判らないけど、離れ離れになるよりかはいいかもしれない。 「わかった。じゃあ俺が先に登るから、風呂屋は後を着いてきてくれ」 俺たちは階段を登りはじめた。 が。 「……けっこうキツいな」 「そ、そうですね……」 考えてみたら、日常でこんなに階段を登ることはない。 階段自体緩やかにカーブを描きつつ、上空に伸びていた。 ビルにしたら何階相当なんだろう? 「……久我くん……」 「ん?」 「さらに上に何かあるみたい」 下からも見えていたテーブルの天板みたいなところのさらに上に、それより一回り小さい天板がみえる。 つまり多層構造になっている? 「あそこまで登るのは大変そうだけど、やっぱり何かはありそうだな」 「とりあえず、あの踊り場までいったら休憩しよう」 「はいっ!」 なんとか辿り着いたテーブルの上――踊り場にはなにもなかった。 「あの階段で、さらに上にいけるみたい……」 ここから上にいく階段はひとつだけ。 ぽつんと、上に向かって伸びていた。 「少し休んでから行ってみようか」 「いいえ、もう行きませんか」 「え?」 「また変なのが現れたら大変だし……」 「それもそうか」 疲れたら、階段の途中で休憩しても構わないだろう。 風呂屋も、俺のあとに続いて……。 その時。 目の前に見たこともないような生き物が現れた。 いや、怪物だ。 太い四肢に、奇妙な色の肌。 どう猛な雄叫びをあげて、そこに現れた。 「なんだ!?」 「いやーーーーー!!」 空間から割ってでたように現れたそれは、上に向かう階段の前を陣取ってしまっている。 まるで俺たちに行かせないようにするために。 風呂屋を背中に庇いながら、俺たちは一歩二歩後ずさった。 幸い、機敏な動きをするやつではなさそうだ。 にらみ合いが、数秒続いた後。 そいつは火を吐いた。 「きゃああ!!」 「逃げろ!!!」 俺たちは、とっさに左右二手に分かれて、その火をかわす。 火は俺たちの肌ぎりぎりまでかすめたが。 「あ、あれ?」 「熱くない!? これ、熱くないよ! 偽物かな!?」 ああ……。 確かに熱くはない……。 だけど……。 いつの間にか、足がもつれてうずくまった俺を見て、風呂屋が駆け寄ってきた。 その間も、そいつは四方八方に火を噴いていた。 見た目だけはちゃんとした炎だが、熱はない。 「しっかりして、すごい汗……!」 「どうしたの!? 具合悪いんですか!?」 吐かれる炎。 風呂屋がそれに照らされている。 赤く。 「……火が」 あの時と同じ。 ――……えてる……燃えてる……。 踊るような炎に巻かれる家。 ――……お、とうさん……お母さん……。 ――……みちるー……! ――……おにいちゃん……。 ――お兄ちゃん……逃げて…! 「……火が……」 「久我くんーーーー!」 次の瞬間、俺も風呂屋も炎に包まれた。 「久我くん、久我くん、しっかりしてー!」 「……ん」 「もう、大丈夫だから……!」 「ん……ん」 目を開けると、風呂屋が心配そうな顔で覗きこんでいる。 「……久我くん……?」 「……風呂屋……?」 何があったのか、まだ理解が追いつかない。 俺が動けなくなって……確か、あの怪物の炎の直撃を受けたはずだ。 「よかった……! 目を覚ましてくれなかったらどうしようかと思ったよ……」 「大丈夫だよ、わたしたち、何の怪我もしてません! やっぱりあの炎は偽物みたい!」 「階段の下です。気がついたらここにいて。ワープしたみたいな……」 風呂屋ははきはきと元気良く状況説明をしている。 どうやら本当に、無事なようだ。 あれだけの炎の中にいたのに―――――。 気づけば俺は、風呂屋をしっかりと抱きしめていた。 「―――よかった。無事で」 「!???!?!??!!?」 考える前に身体が動いていた。 ただただ、安堵した。 こうやって彼女が、元気で、無事でいてくれたことに。 (だだだだだだだだ抱きしめられてるぅーー!) (ちょちょちょ、どういうこと!? 幾多の困難の最中に愛が芽生えたの!? 芽生えちゃったの〜!?!) 「こ、こここ久我く、久我くん」 (ああぁ駄目だよぉ声がうわずっちゃうぅ! だってすす、すごい、すごいぎゅーってされてるんだもん…!!) (こんな、こんなことされたらもうっもう……次はあれしか……あれ……) (キスされちゃったりして――――! あぁでも久我くんなら、わたしのファーストキス……) 突然抱きしめられたあげくに、また突然突き飛ばされて、風呂屋は目を白黒させている。 悪いとは思ったが、あいにく俺の方がそれどころじゃなかった。 「っ……ぐ…」 「こ、久我くん!?」 偽物の炎だったはずだ。 熱もなければ、有害な何かがあったようにも思えない。 でも、炎というものを身体が受け付けない。 記憶の中に刻まれた恐怖が、不快感が、鮮やかに甦ってくる。 ―――熱い。苦しい。 嫌悪感の伴う匂いに、皮膚がひりつく。 自分の意思とは裏腹に、生理現象のように胃液がこみ上げてきた。 「……ぁ…こ、久我く……」 もう一言も言葉を発せなかった。 慌てて近寄ろうとした風呂屋には、手で制止して近づくなと伝える。 いつも元気そうだった顔が、俺を見て蒼白になっていた。 「……!!」 何度もやってくる嘔吐の波を押さえ込んでいる間、風呂屋にはずっと背を向けていた。 背中越しに、彼女がひどく戸惑っている気配だけが伝わってくるような気がして。 しばらくの間、俺は振り向けなかった。 腹の筋肉が引きつったように痛い。 ようやく嘔吐感はおさまったものの、まだ落ち着かない。 階段に座り込んだ俺を風呂屋が、怯えたような瞳で見ていた。 さすがに驚いたんだろう。 ドン引きしててもおかしくない。 「悪い……もうちょっとしたら落ち着くから……。ちょっと待ってて」 「う、うん……」 「……ごめん」 「…………」 黙っている。 今は何も話したくないから、それが助かった。 俺は胸のあたりを無意識にさすっていた。 まだ気持ちが悪かった。 「……横になったほうがいいんじゃないかな?」 「え?」 「そのほうが体、楽になるから……」 「だけど……」 狭い階段、上には怪物がいて……。 「ほら」 「こ、このほうが楽じゃないですか? ら、楽だよね」 いわゆる膝枕というやつだった。 確かに座っているより楽だけど、いいのか……? 「子供の頃、わたしが気分悪くなった時は、お母さんがよく膝枕をしてくれたんです」 「そうか……うん、確かにこのほうが楽だ……」 「よかった。少し休んで」 「……悪い」 俺はそのまま目を閉じた。 ほんわりと暖かい。 風呂屋の体温が伝わってくる。 最低だった気分も和らいでくるようだった。 「…………」 「…………」 (久我くん……顔色が悪い……本当につらかったんだ) (なのにわたし、一人で舞い上がって。久我くんが苦しがってるのに、近づくことも、背中をさすることもできなかった) (多分、そんなこと起こるわけないって、思っていたからだ……) (苦しんだりしない、倒れたりしない、久我くんは、わたしにとって、本物の王子様なんだって………) 「…………っ」 「……え?」 ふと、顔に暖かい雫が降り注ぐ。 ―――雨が降ってきたのか? 反射的に、ぱっと目を見開いた。 「………うっ……」 見上げた風呂屋の目から涙があふれていた。 それが落ちてきていたのだ。 風呂屋は夜の世界の人間ではあるが、ただの普通の女の子だ。 俺が突然あんなことになって、相当困惑したに違いない。 ただでさえこんな世界に放り込まれてるってのに。 助けに来たはずの俺が彼女を余計不安にさせてしまった――。 「ごめんな」 俺は下から手を伸ばして、指でその涙を拭った。 「随分びっくりさせたよな。俺が突然、おかしくなったから」 「大分落ち着いてきたから、もう大丈夫だ……」 「違うの………」 風呂屋は力なく首をふった。 「謝らなくちゃいけないのは、わたしのほう……」 「こんなに大変なことになってるのに、わたしはしゃいじゃってた、自分のことしか考えてなかった……」 「久我くんがいつも助けてくれるから、それに甘えちゃって、勝手にそういう人だって決めつけちゃって」 「多分、本当の久我くんのこととか、何も考えてなくて……」 「久我くんのこと、何も見えてなかったし、見ようともしてなかった……」 「……いや、普通の人間は、あれくらいでこんな風になんねーから」 「俺が異常なんだよ。風呂屋が驚くのも、しょうがない」 「……うっ、うぅ、久我くん……」 「だから泣くなよ……」 「ごめんなさい……今もこうやって久我くんのこと、困らせてるよぉ……」 相変わらず涙が落ちてくる。 「困らせてるのはお互い様だろ……」 『あのこと』は俺の側の勝手な事情で、風呂屋には関係のないことだ。 本当なら風呂屋が知らなくていい話だが……。 こうやって迷惑をかけてしまった以上、何も話さないままというのも気がひける。 「久我くん……うぅ、ぐす……」 「泣くなって」 「うん……うん……」 涙を手で拭いながら、心配そうに風呂屋が俺を覗き込んでいる。 「もう少しこのままで……いいかな」 「う、うん」 すこし驚いたようだったが、風呂屋は頷いた。 ちょっと鼻をすすってる。 涙は止まったみたいだった。 「あの、じゃあ……」 ふっと俺の頭に柔らかいものが触れた。 「……え」 風呂屋が俺の頭をそっと撫でてくれていた。 「久我くんが少しでも元気になりますように」 風呂屋は祈るようにそう言った。 「ふ、風呂屋?」 「昔、わたしがうんと具合わるいとお母さんが膝枕のあとにこうやってしてくれたんですよっ」 「……そうか」 「……嫌じゃない?」 「……いいや」 嫌じゃなかった。 気恥ずかしいのは確かだけど、風呂屋の手は優しく暖かかった。 俺より随分小柄な、ただの女の子なはずなのに、包み込まれるような気分にさせられる。 このまま眠ってしまいたい。 俺はそっと目を閉じた。 「もう大丈夫だ。おかげでだいぶ気分はよくなったよ」 「ほんと?」 「ああ」 隣の風呂屋に礼を言う。 「悪かったな。助かったよ、風呂屋」 「ううん、よかった……」 風呂屋も安心したのか、少し笑った。 まだ気になるのか、泣いた跡を手でごしごしとこすっている。 「……うちの両親だけどな」 「うん?」 「火事で死んだんだ。二人とも」 「……え」 「俺もその時、現場にいた。まあ軽く死にかけてさ。それで、こんな風に火が苦手になった」 今回の炎は偽物だ。 あのおぞましい匂いも、熱さもない、見た目だけのもの。 でも俺の心の奥底の記憶は、まだ許してくれなかったらしい。 あの日のことを。 「…そんなことが……わたし、何て言っていいのか……」 「言っても、気を遣わせるだけだとは思ったんだけどさ。でも風呂屋には迷惑かけたし」 「ご、ごめんね! 昨日、わたし……」 「いいんだ。それに、俺も本当はコレをどうにかしなきゃって思ってた」 「――――もっとしっかりしなきゃ駄目だな……」 風呂屋には聞こえないように、口の中でそう呟いた。 あいつのために。 あいつのために、この学園に来たのに、こんなに無様じゃ話にならない。 そのまま立ち上がり、階段の上を睨み付けた。 あの炎を吐く怪物はまだいる気配だった。 「とにかく、あのバケモンをなんとかしないと上には行けないな」 「でっ、でもアブナイよっ!?」 「だけど、いかにも大事なもの守ってるって感じしないか? 例えば出口とか」 「…………」 「な、何? 張り切って」 「わたしが一人で行って、なんとかしてきます! あの炎、実際は熱くもなんともないから、なんかこう〜あの怪獣の気を逸らすとか!!」 わたし、本気です! と意気込んで言う風呂屋は、その本気ぶりとはうらはらに、なんだかおかしくて……。 「ぶっ」 「なななななんで笑うのぉー!」 「おいおい。風呂屋だけ行かせて一人でなんとかしてこいってか?」 「俺はそこまでヘタレじゃねーよ」 ぴっと俺は風呂屋に軽くでこピンをした。 (よかった。久我くん、少し元気が出たみたい) 「ふふっ」 「なんだよ、笑ってる場合か? とにかく二人で行こう。一緒に」 「……うん!」 「ううむ、あいつ、どきそうにないな……」 「そうですねえ」 俺たちは、階段に身を隠したまま、頭だけちょっと出して踊り場をうかがった。 例の怪物は、上に繋がる階段の前に、うろうろしつつも、ふさがるように立っていた。 「なんだろう。番人、とかなのかなぁ?」 「だったら、クイズとか出してほしいよな……」 うーん、怪物の体長は俺よりずっとでかい。 タックルなりかましても、倒れるとも思えない。 何かでひきつける? でも、使えそうなものも何も持ってない。 そもそもまた火をはかれでもしたら、風呂屋はともかく俺が使い物にならなくなる。 「ん?」 「どうしたの?」 「ほら、あれ。あの階段の横にボタンみたいなのあるだろ?」 「なんだ? 校舎にある火災警報器のボタンみたいな……」 「えーと……横に何か書いてあるみたい?」 俺は目を細めた。 「きんきゅう……ていし」 「ボタン?」 緊急停止ボタン。 何を? 俺たちは顔を見合わせた。 「停止させるって。この場で動いてるのって」 「あの怪獣だけ……」 俺たちは改めて怪物の様子を窺う。 もしかして、あいつはロボットとかなのか? 風呂屋は突然立ち上がった。 「え!?」 「ちょっと!?」 止める間もなく、風呂屋は飛び出していった。 おいおいおい、意外となんつうか! だが正面突破は無謀だった。 怪物は、すぐに風呂屋に気がつき、視線を合わせた。 そして、口から炎が! 「きゃあーー!!」 「風呂屋!」 一瞬、身体にぞわりと怖気が走る。 風呂屋の体は炎に包まれた。 だが、次の瞬間、炎の中でその体がフッと消えたのがわかった。 「消えた……」 「……だめでした〜〜〜!!」 風呂屋の声は、下から聞こえてきた。 「な……なるほど、それでさっきも」 「意外と敵はすばやいです!」 「うん、それはよくわかった」 となると……。 一人で、どうにかするのは無理だな。 「……二人でなんとかするなら」 俺の考えを悟ったのか、風呂屋が言った。 「わたしが囮になるので、その隙に久我くんはボタンを押してください」 「いや、それは……」 「わたしのほうが適任なの!」 「え?」 「わたしは火が怖くないから、何度も巻き込まれても大丈夫! ダメだったら、何度も何度もやります!」 「風呂屋……」 「あっでもわたしがやられちゃったら今度は久我くんの方が狙われちゃうんだよね……」 「ま、まあな」 「それとも、やっぱりわたし一人でなんとかして……」 「いや」 俺は風呂屋の有難い提案を却下する。 偽物とはいえ、あの炎に包まれる恐怖が完全になくなったわけではない。 でも、あれは間違いなく偽物なのだ。 この学園に初めて来たときに遭遇した鏡のように、ただの幻だ。 「今がちょうどいい機会なのかもしれねーな」 前向きに考えれば、炎を克服するのにあれほど適任な怪物もいないだろう。 風呂屋に囮役をやらせるのは男として実に情けないとは思うが……。 俺も、面子にこだわってる場合じゃないな。 「わかった。風呂屋にあいつの気を逸らしてもらって、俺がその隙にあのボタンを押す」 「わ、わたし頑張るから……!」 「そんな気負わなくてもいいよ、さっきも言ってたが駄目だったら何度もやればいい」 「でも、久我くんがまた怪獣の火に巻き込まれたら……」 「その時はその時! 具合悪くなったらまた膝枕してくれ」 俺たちは、それから作戦を練った。 先に風呂屋に飛び出してもらって、俺はその反対方向から、ボタンに近付く。 二人が飛び出す時間の微妙な差がキモだ。 もちろん、あの怪物の炎に立ちすくんでいたのでは、この作戦は成功しない。 一番の問題は俺がどこまで普段通りに動けるかなのだ。 「久我くん、ほんとうに大丈夫……?」 「あんま心配されると、アレだから。俺も自分の使えなさに落ち込むから」 「えっえ、そんなことないよ! 久我くんは頼りになりますから!」 「今は哀しいことにお前の方が全然頼りになるけどな……」 作戦を実行する前に、怪物がどのくらいのスピードで動き、炎を吐くのかを確認しておきたいところだが……。 ――どのみち、何度か失敗すればわかることか。 もうあとは覚悟を決めるしかない。 「いいか?」 俺と風呂屋は、それぞれすぐ飛び出せるように体勢を取った。 「こっち! こっちにきてっ!!」 その声に怪物が反応し、身体を風呂屋の方に向ける。 ――今だ! 次は俺が飛び出す番だ。 ためらっている暇はない。 半ば自棄気味の勢いのまま、無理やりに走り出した。 「わぁあんっ!」 目の前で風呂屋がまた炎の中に消えていく。 ――偽物の火だ、風呂屋は大丈夫だ! ――それよりも今は、立ち止まっている時じゃない! 「……くっ!」 俺は炎を噴いた怪物の後を走り抜ける。 ボタンに手が届くところまで一気に駆け寄ると、思いっきり押した。 「これでどうだっ!!」 はっと振り向くと、怪物はぴたりと動きを止めていた。 「やった…のか?」 そして怪物は、どこか寂しげにふんわりと姿を消していった。 結局、あの鏡のような幻だったのか……そうでないのかはよくわからない。 凶悪な外見で火は噴くが、誰かを害そうというようなものではなさそうだが……。 風呂屋が階段の下から姿を見せた。 炎に包まれて、またワープしてしまったのだろう。 「あ! 怪獣がいない!」 「今消えた。やっぱりこれが停止させるためのボタンだったんだ」 「ああ、やったな」 (ああぁあぁ〜やったぁ〜どさくさにまぎれてまた久我くんと手をつないじゃったよぉ〜!!) 風呂屋は俺の手を取って、飛びあがらんばかりに喜んでいた。 俺の方は達成感と、あとまた炎の直撃を受けずにホッとした気持ちと、半々ってところだ。 「これが、停止ボタンなんだあ」 近寄って、風呂屋がまじまじと見る。 「あれ?」 「どうした?」 首を傾げた風呂屋が、怪訝そうな顔をする。 「ここ、ボタンのまわり……ちょっとへっこんでるね?」 風呂屋の言うとおりだ。 まるでフタか何かでもついていたような凹凸がある。 無色のカバープレートだ。 現実的というか……やたらこの世界には合わない。 「もしかして、これにつけるのか?」 緊急停止ボタンにそっと合わせてみると、小さな音を立てて綺麗にはまり込んだ。 なるほど、緊急だけにきちんとカバーが用意されてあるわけだ。 俺達にとっては、カバーが取れていてくれて非常に有難かったわけだが……。 「ちょ、ちょっと待ってね。もしかしてあれまさか……」 「え?」 俺も慌てて追いかける。 「は、はうっっ!!」 風呂屋が階段の途中、脇の壁を見ながら立ち止まる。 ―――そこには、さっきカバーを被せたばかりの緊急停止ボタンを、ちょうど小さくしたような感じのプレートがあった。 おそるおそる手を伸ばすと、パカリ、と間抜けな音をたてて、小さなカバープレートが外れた。 その中身は………。 「わあぁぁん! やっぱりいぃぃ!」 「ええ!?」 下から上がってくる階段の脇にひっそりとあったのは、もう一つの『緊急停止ボタン』……。 「お、俺は全然気づかなかっ……た……」 「それは、久我くんは背が高いからだよぉ」 「………やっぱこれも、さっきのヤツ止めるボタンなのか…?」 「もしそうだったら、がっかり……」 灯台もと暗し。 まさにこういう場面に使う言葉だよな……。 「ま、まあ結果緊急停止はできたんだし、いいんじゃねーの?」 「そんなことないです。だって――」 「だって、最初からこのボタンを押してれば、久我くんに無理をさせずに済んだんだもん……」 「風呂屋………」 ――そんなことはない。 確かに情けないところを見られて散々だったけど。 でもあの怪物に向かう瞬間、俺は炎に対して立ち向かっていけたような気がしたんだ。 実際に怪物に立ち向かって行ってたのは風呂屋だったわけだが。 それでも、俺にとっては一歩だ。 それはきっと、最初から手元にあったボタンを押したのでは、経験できなかった感覚だろう。 「……まあその、なんだ。これはこれでいい経験になったって」 だから、本当はすごく感謝している。 俺にほんの少しの勇気を与えてくれた、この子に。 「風呂屋、あのさ」 「はい?」 「……あー…あ…」 「あ?」 「…………………………なんでもない」 普段のことでなら、別に気兼ねなく言えるのに。 『ありがとう』という言葉を使うのが妙に気恥ずかしくて、結局何も言えなかった。 俺たちは、再び階段を上りはじめた。 先に何があるかわからないから、慎重に歩みをすすめていく。 「……また空間だ……」 「……わぁ」 階段が行き止まった先は、また先ほどのような広場のような空間だった。 これまでとひとつ決定的に違うのは、雲の上に出たような感じの広い空。 「なんだか、スゴそうな場所……」 空のかなり上の方には、歯車のような何かのパーツが浮いている? のか、ぶらさがっているのか。 暗い空の向こうがどうなっているのか、どちらとも判断がつかない。 とにかく、間違いなく、普通の場所ではない。 それは確かだ。 俺たちは慎重にそのフロアに足を踏み入れる。 「うん? ……あそこ、見てみろよ」 風呂屋が俺のその言葉に、視線をフロアの中央に向ける。 「何か光ってる……模様……違う、字?」 床一面に大きな丸い円状のラインが描かれ、その中に奇妙な文字のような、模様にも見える何かが描かれている。 そこから、うっすらとした優しい光が上に昇っていた。 見上げると、その光と繋がるように、空の歯車から光が伸びてきている。 「これって魔法陣みたい」 「そういえばそんな感じだな……」 そりゃあ、こんな謎の空間があるんだ。 魔法陣くらいあるだろう。 ここは、魔術と魔女のための学園なんだから。 いや、ここが学園内だとはいまだに信じられないが。 「やっ、やだ! ここから何か出てきたりしないよね!?」 「えっ?」 そういや、魔法陣から悪魔だかなんだか出てくる映画があったような。 俺と風呂屋は思わず、ざざっと後ずさったが……。 「……何も出てこないみたい?」 風呂屋がほっとしたように言った。 「ああ……まあ、何かあれば俺たちがこの部屋に入った瞬間に起こるんじゃ」 「そっか、そうかも……」 風呂屋がちょっと首を傾げたが、納得したようだった。 魔法陣の光に遮られるようにして、裏側の場所に――。 「扉?」 観音開きの、少し華やかな扉が置いてあった。 壁も何もない。 ただ床の上に、ぽつんと置いてあるだけだ。 扉として機能しているのかもあやしいが……。 「風呂屋、扉だ。あの鍵、もう一度挿して、使えないか確かめてみよう」 「あ、うんわかった!」 俺たちはそっと扉に近付いた。 鍵を取り出そうとした、その瞬間。 「あっ!」 「きゃああ!!」 扉の向こうから姿を見せたのは、いつか俺たちの前に現れた白いマントを纏った幽霊だった。 「お前は、この間の……!」 「こ、久我くん、知り合いっ!?」 「断じて知り合いじゃあねえっ! でも見たことはあるんだ!」 俺たちも動揺していたが、その白マントも動揺しているのか、首をふってあたふたしているように見えた。 悪意はない……のか? 「ここは、どこだ……?」 とりあえず、当たり障りのない質問をしてみた。 白マントは、微動だにしない。 「しゃ、しゃべれるの……?」 うむ、確かにそれもそうだ。 「あんた、誰だ?」 これは重要な質問だ。 だが、白マントは微動だにしない。 「しゃ、しゃべれるの……?」 うむ、確かにそれもそうだ。 「ゆ、幽霊なのか……?」 そう聞いてみた。 どう見ても普通の人間ではないことはわかる。 白マントは、俺の質問がわかったのだろうか。 ほんの少しだけ、首を横にふったように見えた。 「なんだか違うって言ってるみたい……」 「あ、ああ」 質問してみたものの、明確な答えはもらえなかった。 だが、これまでこの世界で遭遇した謎の生き物とは違って、襲ってきたりする気配はない。 さて、次はどう出たら……。 すると。 白マントは、自分の首元に手を入れた。 そしてそこから引き出してきたのは、長い紐……。 いや、ネックレスか? 「鍵!?」 彼(彼女かもしれないが)の首に掛かっていたのは鍵だった。 「似てませんか? ほら、あの鍵に」 「あ、ああ」 俺は制服のポケットにいれてあった例の鍵を取り出した。 今回の事件の全ての始まりである、『ヤヌスの鍵』だ。 確かに、見比べてみると、大きさも装飾も似ているようだ。 白マントは、自分の鍵を首からぶらさげたまま、小さな扉の鍵穴に差し込んだ。 そして扉が静かに開く。 白マントは俺たちを誘うように、どうぞと言った仕草をした。 「どこかに繋がった……?」 やっぱり、この鍵と同じ力があるということか……? 俺はもう一度白マントに尋ねてみた。 「この先は俺たちのいた学園なのか?」 「俺たちを元の世界に戻してくれるってことか?」 「じゃあ、帰れるんですか!?」 「教えてほしい。ここは本当に学園の中なのか?」 彼、もしくは彼女は何も答える様子はない。 頷きもしないし、首を横にふる気配もない。 「……じゃあ、ここはどこなんだ?」 「久我くん、この人、喋れなさそう……」 確かに、言葉を引き出すことは無理そうだった。 そして風呂屋の手をとった。 「え!? ちょ、ちょっと」 そのままエスコートするように、風呂屋を扉に連れていく。 「帰れってこと……?」 「そういえば扉は一定時間で消えるんだっけか……」 「久我くん」 「……帰ろう」 先に風呂屋に扉をくぐらせる。 そして俺もその後に続いた。 見慣れた風景。 夜の学園の廊下だった。 俺たちは戻ってきた。 振り向くと、白マントが向こうから扉を閉めかけているのが見えた。 「待ってくれ! 君は……」 俺の問いかけの途中で、扉は消えていってしまい……。 その場に残ったのは、俺と風呂屋だけになった。 しばらく消えた扉を見つめ、呆然と佇んでいたが、ふと我に返る。 「帰ってきた……」 「そうみたいだな」 休み時間なのだろうか、生徒たちの声が聞こえる。 あまりにも日常すぎて、逆に変な感じがした。 でもここで突っ立っているわけにはいかない。 「教室まで送るよ。みんな、心配してるだろ」 「あっ、はい」 風呂屋の教室の前まで送っていくと―――。 「眠子!?」 「眠子だ、眠子がいる!」 「おい、風呂屋町、どこにいたんだよ!?」 「え、えっとぉ」 風呂屋は心配していたクラスメイトたちにあっという間に囲まれていた。 「こ、久我くん」 「あーみんなへの説明はまかせた……」 「なんて言えばいいんですかぁ〜〜」 「難しい問題だな……俺も分室に帰るよ。おまるたちが心配してるだろうからな」 「あ……」 「じゃあな。今度からは変なもの拾ったら特査に届けるんだぞ」 俺は騒がしい人の輪から離れた。 風呂屋の声を背にして、俺は分室に向かった。 「はあ……気が重い……」 これからあの分室に戻らねばならないと思うと、どうしてもため息しか出てこなくなる。 モー子に忠告されていながら、まんまと二次遭難してしまったんだ。 どんだけ馬鹿にされることだろう。 絶対零度の視線付きで。 「でも行かないわけにいかねーしな……」 せっかく学園に帰ってこられたのに、俺の足取りは重かった。 「た、ただいま〜〜」 若干、間の抜けた第一声ではあるが、とりあえず最初にいう言葉はこれしかないなと。 「あ……」 分室にはおまるがひとりでいた。 椅子にちょこんと座って、所在なさげにしている。 がたんと大きな音をさせて、おまるは立ち上がった。 「よ、よお。ただいまー」 おまるは大きな目をうるうると潤ませた。 そういいながら、おまるは俺に抱きついてきた。 「お、おっと」 「よかった、よかったよ〜〜!」 抱きついてくれるのが美少女だったら、嬉しかったんだけど、おまるもずいぶん心配してくれてたのだろう。 「おいおい、大げさだな」 「だって、リトさんにみっちーは鍵が使えないはずって言われちゃって。おれ、なんで渡しちゃったんだろうって」 「そうか、俺じゃやっぱりダメだったんだな」 「それなのに鍵を渡しちゃってごめん」 「いや、それは俺も知らないことだったし、そもそも俺があの世界に飛び込んだせいであって」 「いやいや、おれが鍵を渡さなければ!」 「いやいや、俺が行かなければ!」 「とにかくごめん」 「それは俺だって」 お互いぺこぺこと頭を下げ合った。 俺は無事に彼女を教室に送り届けたと話した。 「よかった! 無事に見つかって」 「ああ、怪我もない」 「じゃあ、風呂屋町さんの魔力で戻ってこれたの?」 「ええとそれは……」 どうやって説明しようか。 というか、どこから説明したらいいのか……。 「話せば長くなるんだけどな……」 「あ!」 俺の話を遮って、おまるが大きな声を出す。 「な、なんだよ」 「みっちーが戻ってきたこと、憂緒さんとリトさんに知らせないと!」 「あ……」 おまるは、内線電話に駆け寄った。 そして、受話器を取りあげて、どこかに電話をかける。 「あ、リトさん? 特査分室の烏丸ですけど、憂緒さんは……」 どうやらモー子はリトと一緒に図書館にいるようだな。 俺がこの部屋に帰ってくるときには鉢合わせなかったから、多分奥の方にいたんだろう。 正直なところ、モー子には会いたくない……。 でも報告しないわけにいかないし、会わないわけにもいかないしな……。 俺が苦悩している間に、おまるの電話が終わった。 「今、こっちに戻ってくるって」 「あ、そ、そう……」 「それで、みっちー、あの後ってどうなったの? 風呂屋町さんにはすぐ会えたの?」 「ああ、それは……」 参ったな。どうやって説明しようか。 ふと、その前に例の鍵をおまるに渡そうと思い当たる。 「この鍵、俺が持っていてもしかたない。モー子がいうとおり、おまるが預かっていてくれ」 「うん、わかった」 問題の鍵はようやっと俺の手を離れた。 なんとなく安心した気分。 「それにしてもやっかいな鍵だよね」 「ああ、それはたしかだ。あの世界は、なんと言ったらいいのか……」 で、出た! 俺は絶対零度の視線を覚悟して、モー子を見た。 「………………」 「あ……」 鋭い視線が俺に投げかけられていた。 でもそれはいつもの絶対零度とは違っていて。 冷たいというより、熱いという感じだった。 お、怒ってる……。 俺が感じたのは、まずそれだった。 モー子の強い視線からは、ばりばりとその感情が伝わってきた。 「きみと言う人は……」 その視線が揺らいだ。 怒りの感情に何かが混じった。 そんな気がした。 モー子の瞳がすこし潤んだような気がする。 涙? まさか。 「あ、あの……」 俺たちの間の不穏な空気におまるがビビってる。 俺もモー子の強い視線にいたたまれなくなった。 思わず彼女から、目を逸らした。 「あ〜ええと」 「あれだけ注意したのに、まんまと二次遭難してバカだと思ってるんだろ? ほんと、その通りだよ」 「ほんと今回ばかりは俺がバカだったよ」 自嘲気味にそう言った瞬間。 「え!」 左の頬に柔らかい衝撃。 モー子に平手を食らったと気がついた時には、すでにその手は離れていた。 「……モー子……?」 「どうしてあんな勝手なことを!」 「危うく大変なことになるところだったんです!」 「それをなんですか、その態度は!!」 「もし帰ってこれなかったら、どうするつもりだったんです!?」 烈火のごとく。 まさにそんな様子でモー子はまくしたてた。 「二度と……帰ってこれなかったら……!」 俺は言葉も出なかった。 こんなモー子ははじめてだった。 「……っ!」 モー子は、くるりと踵を返して、開け放たれたままだったドアから外に飛び出していった。 俺はようやくそこで我に返った。 「な、なんなんだよ、あいつ……」 「あいつってあんなキャラ…だったっけ…」 突然のことに俺は動揺していた。 想像していたのは、もっと違う姿だ。 もっと冷たく対応されて、延々ネチネチと嫌味を言われて、馬鹿にされて……。 「……心配してたんだよ、すごく……」 「え?」 「みっちーがあの扉の中に入ってからすぐに、リトさんに聞いて帰ってこれなくなってることはわかったんだ」 「それから憂緒さん、寮にも帰らず、授業も出ずに図書館でずっと、みっちーを助けるための方法を探してたんだよ」 「口には出してなかったけど、心配してることくらい態度でわかったよ」 その言葉を聞いて、俺はモー子を追いかけるために分室を飛び出した。 分室の外に飛び出すと、去っていくモー子の後ろ姿が見えた。 俺はそれを追いかける。 「モー子! 待てよ!」 この距離なら聞こえないわけがない。 でもモー子は立ち止まろうともしない。 「待てってば!」 モー子もさすがに立ち止まって、振り返った。 「……ったよ」 「何ですかっ!?」 「だから、悪かったよ!」 俺の言葉に、モー子は大きく目を見開いた。 意外なことを言われた、という顔だ。 やっぱり俺はバツが悪かったけども……。 「心配かけて、悪かった」 「心配なんてしていませんっ!」 やはりモー子はいつもと様子が違った。 あのブリザード級の冷静さがない。 でも怒っているだけでもない。 「……心配なんてしてませんから」 「そうなのか?」 「そうですっ!」 「……そうか」 「でも、俺がお前の注意を守らなかったのは確かなんだ。だから謝る。悪かったよ」 「……え」 「悪かった」 俺はモー子に頭を下げた。 「私は別に……そんな……」 顔をあげると、モー子は俺から視線を逸らしていた。 いつもキッとまっすぐに視線を寄こすモー子には珍しいことだった。 やっぱり、いつものモー子とは違う。 「……離してください」 「え」 「腕」 「あ、ああ、ごめん!」 モー子の腕を掴んだままだった。 俺は慌ててそれを離した。 モー子は少し困ったような顔をしていた。 やっぱり。 いつものモー子とは違う。 さっきみたいに声を荒げたり、困ったように視線を逸らしたり、これまでそんなモー子は見たことがなかった。 いつも感情をコントロールしている彼女が、今はそれを出来てない感じがした。 こんなモー子は初めて見た。 「……ヤヌスの鍵はどうしましたか」 「あ、ああ。おまるに預けたよ」 「……戻ります」 「ん?」 「分室です。烏丸くんから鍵を受け取ります」 そう言うなり、モー子はさっさと分室に向かって歩き出していった。 やれやれと思いながら、俺もその後に続く。 俺たちは無言で分室に戻ってきた。 分室ではおまるがひとりで待っていてくれていた。 何か言いたそうにしているが。 「烏丸くん。例の鍵、私が預かることにしました」 「えっ? あ、うん、わかりました」 小太郎は鍵をモー子に差しだした。 モー子もそれを受け取り、胸ポケットにいれる。 「学園長には私から返しておきます。今日はいろいろありましたし、これで解散にしましょう」 そう言って、モー子はすぐに分室から出ようとした。 一瞬だけ俺をちらっと見たが、何も言わず、そのまま出ていく。 見えた横顔がいつものツンとした彼女とは違って見えた。 俺の気のせいかもしれないが。 「みっちー……」 「あ、ああ、すまない。心配かけたな」 「俺たちも帰ろうか。あっちであったことは帰り道においおい話すよ」 「そう……うん、帰ろう。疲れただろ、みっちー」 おまるは、ようやくほっとしたような表情を見せた。 「あら、戻ってきたの。鹿ケ谷憂緒。まだ私に何か聞きたいことがあるのね?」 「はい」 「久我満琉は無事だったの?」 「……はい」 「そう! それはよかったわ。それで用件はなにかしら?」 「……そうねえ」 「……一度なら大丈夫そうよ。鹿ケ谷憂緒。二回目からは保証できないけれど」 「一度だけなら確実に使えるということですね」 「ええ」 「ありがとうございます。失礼します」 「…………」 「特査分室の扉……」 「いや、一度だけでいい」 (彼女のいる場所に繋がれば……私はただ、それだけを………) 「みっちー、もう出られる?」 「ああ、ちょっと待ってくれ。ええと……」 帰り支度を終えたおまるに、俺は急かされた。 分室に置きっぱなしだった鞄をあけて、ざっとその中を整理していたのだが。 「ん?」 「どうかした?」 「財布がない」 ええと、最後に使ったのはいつだっけ? 遭難した日の昼に購買でパンを買ったあと、上着のポケットに……。 「しまった、あっちの世界で落としたのか?」 脱いだ時に落としたのかもしれない。 うん、その可能性が高いな。 「ええー財布をあっちに?」 「多分……」 「ええええ、それはもう絶望的!」 「だよなぁ〜」 今月の昼飯代がパアだ。 明日からどうすんだよ。 俺は文字通り、頭を抱えた。 おまるに、肩を揺すぶられた。 「ちょっと、みっちー見てよ!」 「え!?」 顔を上げると、分室の真ん中に突然、扉が出現していた。 突然としかいいようがない。 そして、ドアが開いて……。 おまるが後ずさった。 ドアから顔を出したのは、あの白マントだった。 「お前は……」 白マントはにゅっと手を差しだした。 マントの下からちらっと見えてるのは……。 「俺の財布!?」 黒いナイロン製の財布。軽くて気に入ってる。 間違いない、俺の財布だった。 俺は扉に近付き、腕を伸ばして、それを受け取った。 「……わざわざ届けてくれたのか?」 「ああ、わりといい人だと思う。人じゃないかもしれないけど」 「やめてよ怖いこというの!?」 今度は背後からドアの開く音がした。 俺たちは振り返った。 そこには帰ったはずのモー子がいた。 びっくりしたように大きく目を見開いて。 「ここは……分室!?」 「モー子、どうした?」 モー子は、白マントを見て、驚いているようだった。 無理もないだろう。 どう見ても怪しい。 「まさか……きみは……!」 モー子は、白マントに近寄ろうとした。 なんだ、知っているのか? 白マントは、くるりと裾を翻して、現れた扉の中に逃げ込んだ。 と同時に扉が閉まり、空中に溶けるようにその形が失われていく。 「憂緒さん、どうしたの?」 「………………」 おまるの問いに答えもせず、モー子は消えた扉があった空間をじっと見ていた。 俺はモー子の手に、あの鍵が握られていることに気がついた。 使ったのか? 「モー子、どうしたんだ?」 「…………」 「その鍵、学園長に返すんじゃなかったのか」 「っ!」 まるで誰にも見せたくない、とでもいうふうに。 「なんでもありません。失礼します!」 「あっ……」 モー子は、何も語らず分室から出ていってしまった。 「どうしちゃったのかな……」 おまるがぽつりと呟いた。 「…………」 もしかして、最初から何らかの目的のために鍵を使うつもりで、学園長に返すなと言ったのか? モー子が辿り着きたかった場所はどこだったのだろう。 まさか、この分室ってことはないだろうけど。 モー子は分室の扉を閉めずに去っていった。 俺はそれを見つめるだけだった。 (落ち着いて……状況を整理しなければ) (リトさんの見立てはほぼ完璧なはず。ならば鍵は正しく機能していたとして……) (……分室の扉を使って、そのまま分室に繋がったのではないとすると……) (あの白いマントの人物……まさか……) 「いやあ、ご苦労様!」 「えっ!? 学園長!? 突然現れるなんて……」 「すぐに会えてよかった。なあ、ニノマエ君」 「ぢぃーーー」 「あの……」 「任務おつかれさま。ではこちらで預からせてもらうよ」 「ほいっと」 「あ! それは……」 「やれやれ、ようやく戻ってきたか。なにしろ大事な大事な鍵だからね〜」 「ひとまずきちんとポッケに入れておこう。な、ニノマエ君」 「ぢぃ〜」 「…………」 「…………」 「…………」 「今回は迷惑をかけてしまってすまなかったね」 「まさかまさか、ここに忍び込まれるとは思わなかった。今後なにか対策を考えたほうがいいかもしれないね。どう思う、ニノマエ君」 「ぢぃ〜〜」 「うん、そうだな」 「……」 「大事な会議がはいっていたから、対応も遅れてしまってすまなかった」 「ああ、会議は無事に終わったよ。少しばかり大事な会議だったのでね、私が欠席するわけにいかなかったのだよ」 「ところで、彼らとは何か話をしたのかい?」 「…………」 「そうか。ならいい」 「さすが君は自分の役目を本当によくわかっている」 「……」 「しかし、完全にこちらの管理ミスとは言え、君は学園の生徒と接触してしまった」 「……ふむ、しばらくは学園に姿を見せるのは控えたほうがいいかもしれないな。幽霊が出ると校内でも噂になってしまっているからな」 「それではこれからもどうか、どうかよろしく頼むよ」 「…………」 「それにしても、ここに迷い込んだ片方が久我満琉とはな。やはり運命というものは存在するのだろうな……」 「はっ、はっ、はっ……」 「……よし、今朝はここまでにしておくか。昨日は雨で出来なかったが、やはり走るのは気持ちがいい」 「あー朝風呂、気持ちよかったね〜」 「ねえ、ボディシャンプー変えたでしょ。いい匂い! あれ、どこの?」 「あれはねえ……」 「…………」 「あっ、先輩……」 「おはようございます!」 「失礼します〜」 「ねえ、今のって風紀の先輩だよね」 「うん、初めて直接喋っちゃったかも〜」 「なんかカッコいいよね……」 「やっぱり!? 私も入学の頃からそう思ってた。クールだよね」 「さぁ、早く終わらせて着替えなくては」 「……ん?」 「……人形? 誰か落としたのか? 随分年代もののようだが……」 「あれ。目が取れている……ああ、このパーツが目なのかな」 「よし、私が君をなおしてあげよう」 「ただいま」 「はは、驚いたか? 君の仲間でいっぱいで」 「誰も知らないことだから、君も秘密にしておいてくれ。……さあ、目をつけてあげる」 「あと、服も少し汚れているし……あ、ここは少しほつれているな……」 「うん、これは一度洗って繕い直したほうがいいな」 「……いけない、もうこんな時間か。授業が始まってしまう」 「……帰ってきたら服が乾いてるだろうから、そうしたら縫い直して……目はこれで大丈夫か?」 「……大丈夫そうだな。うん、かわいい」 「持ち主は心配しているだろうな。少なくとも私が君の持ち主ならそうだから」 「……………」 「……でも、私が持ち主なら名乗りでるのを、躊躇ってしまうかもしれない……」 「しっかりものの風紀委員と思われているのに、実はこんなに少女趣味だと皆が知ったらがっかりされるだろう?」 「早く見つかるといいな」 「んじゃ、お願いするッス」 「はい、お疲れさまでした」 放課後の特査分室は慌ただしかった。 あの不思議な空間から無事に戻ってきて、しばらくは平穏な日々が続いていたが、また何かが起きたようだ。 ちなみにモー子は、あの時に見せた顔が嘘のように、翌日からいつも通りに戻ってしまった。 しばらく俺の証言をもとにあの妙な世界について調べていたようだが、結局手がかりは掴めなかったらしい。 「うーん、ここ数日、なんでこんなにお客さんが多いんだろ?」 「ほんとだな、しかも……」 「また!?」 「どうぞ」 「あのぉ〜すみません、ちょっと相談に乗ってほしいんですけどぉ」 「それは身近な小物がなくなったとか、かなあ……」 「え! なんで判ったんですか!」 「まただよー!」 「詳しい話を聞かせてください」 ようやく訪れる生徒の波が途切れた。 「で、全部で何人だっけ」 「七人……」 「しかも、全員が似たような依頼でした」 どうしたことか三日前ほどから特査分室が大賑わい。 しかも、その相談内容がほぼ似通っているとなれば……。 「まとめました」 モー子がレポート用紙を片手にそれを読み上げる。 「依頼人の学年、性別はばらばら。一定の規則性は認められません。一点だけ共通しているのが『持ち物がなくなった』」 「無くなったものもいわゆる『キャラクターもの』という事だけが共通点です。ストラップ、鞄に下げてあったマスコット、人形などです」 「無くした場所、というか紛失していることに気がついた場所や時間帯もばらばらです」 「敢えて共通することを挙げるとしたら『気がついたらなかった』ということです」 「まあ、鞄にぶら下げてたりするものなら、知らないうちに落としていてもおかしくはねーか」 「でも、こんなに同時期に無くす人が多いのはおかしいよね?」 「そうだよな」 通常ならありえない話だろう。 もし、現実的に考えるとしたら窃盗犯がいる、ということになりそうだが……。 なによりこの、妙な現象や不思議魔法いっぱいの学園だ。 俺は、不本意ながらもこの場では先輩であるモー子に、水を向けた。 「……モー子はどう思う?」 「……私は」 「うわ、また!?」 「どうぞ。開いています」 「はいるぞ」 「えっ……」 はいってきたのは意外な人物。 風紀委員会の村雲だった。 いかにも不本意そうに、来客用のソファに腰をおろす。 「村雲先輩まで!?」 「なにがだ」 「小物がなくなったのか?」 「小物? 何の話だ。っつーか、ヤローには用はねーんだよ」 「では、私に何か?」 「あー。んー……なんつーか…」 「早く言えよ」 「うるっせえな! てめーに相談しに来たわけじゃねーぞクソ久我!」 「久我くん。話が進みません。黙っていてもらえますか」 モー子が冷たい目で睨んでくるので、憮然としながらも頷く。 別に喧嘩を売ったわけじゃないんだが。 「どうぞ」 「……。その、壬生さんのことなんだけどよ」 「壬生さんが何か」 「んー……」 村雲は少し考えてから。 「なんつーか、最近様子がおかしいんだ」 「どのように」 「うまく説明できねえんだけど、なんかこうふわっふわしてるって言うか……」 なんだかよく判らない説明だ。 おまるもそう思ったのだろう。 「ふわっふわ!?」 「壬生さんにはなんと似合わない形容詞……」 「そうだったのですか」 「一応、何かあったかと聞いてみたけど、答えてくれなくてよ。オレには話しにくい何かがあるのかもしれねえだろ」 「それで私に、壬生さんから話を聞いてほしいと?」 「そっちの男二人はなんか頼りねーからな」 嫌味っぽく、村雲はそう言った。 何だそれは。 あてつけか、それとも嫌がらせか? 「まあ、おれたち、新入りだもんね……」 おい、おまる。 そのまま納得してる場合か! 「ただの悩みなら別にそれでいいんだけどよ、この『学園』だろ? 何があったっておかしくねえ。もし何かに巻き込まれていたら――」 「別に何もねぇんだったら、それはそれでいいんだ。とにかく調べてもらえねーかな」 おまるが俺に耳打ちした。 「やっぱ、村雲先輩って壬生先輩を……なのかな?」 「ん? なんだ?」 「あっ、いや……気づかない?」 「何が?」 「……あ、いや、いい。なんでもない」 「なんだよ」 なんだ、おまるのやつ。 歯切れの悪い。 そんな俺たちの様子を気にすることもなく、モー子は言った。 「お話は判りました」 「じゃあ、頼むわ。オレ、これから見回りがあるから。頼んだぜ鹿ケ谷」 村雲は、俺とおまるの存在は無視して、そのまま特査分室から出て行った。 「壬生先輩の様子が変……。いつも落ち着いているし、なんだか想像できないね」 「そうだな……とりあえず、モー子は壬生さんと話してきたらどうだ?」 「私は生徒の持ち物が無くなった件を調べます。現状そちらの方が緊急性が高いと判断しますので」 「え!? じゃあ、壬生さんのことは?」 「久我くんと烏丸くんに、まずお願いします」 「ちょ、ちょっと待ておい。一応モー子ご指名だったのにいいのか?」 「話を聞くだけなら、誰にでも出来る簡単な役割だと思いますが。それとも――」 「私がいなければ自信がありませんか?」 相変わらずの冷たい物言い。 「いや……俺が言いたいのはそういうことじゃなくてさ」 「何か問題が? 特査は忙しいのです。分担するほうが合理的でしょう」 まるで、俺たちが何もできないかのような雰囲気を出していた。 そりゃ村雲だって、モー子を頼りにしてきたのは確かだが。 「あー…、あのな―――……」 俺は反論しかけたが、すぐに諦めた。 ここで議論しているほうが時間の無駄だろう。 「……わかった、俺が壬生さんのところに行ってくる。いくぞ、おまる!」 「はい、お願いします」 まったく、モー子はいつものことながら、愛想がないっていうか、言い方っつーもんがあるだろうが。 「みっちー……」 「なんだよ?」 「あんまり怒らないでよ」 「いーや、むしろやる気がでた」 「えっ?」 「お望みどおり、俺たちで〈壬〉《・》〈生〉《・》〈先〉《・》〈輩〉《・》の謎をといてみようじゃないか」 「ぷっ」 おまるが笑いだした。 「なんだよ?」 「あ、いや、なんかみっちーにも子供っぽいところがあるんだなって」 「え、えっ? そう…か?」 「いやいや」 「あ」 おまると話しながら歩く廊下の向こうに、丁度、壬生さんの姿が見えた。 「壬生さんだ」 「わ、噂をすれば」 村雲の姿は見えないから、今日は珍しく一人なんだろう。 風紀委員は見回りの時間だ。 彼女もきっと、いつものように見回りで……。 「…………」 ん、なんか様子が違う。 「でっさーー英語の時間に……」 その時、教室の角をまがって、男子生徒の二人連れが賑やかに話しながらやってきた。 もう生徒たちはほとんど下校しているはずの時間だが……。 「……」 「あ!」 「……」 「やっべ、風紀委員……」 「うわ。早く行こうぜ」 いつもならこの辺りで、ありがたい指導がはいるところだが。 が。 「あ」 「ああああ、い、今帰ります!」 「ああ」 「気をつけて帰宅するように」 「失礼しまーす」 「ん、なんだか様子が……」 「今の場合、いつもの壬生先輩なら、もっとビシッと注意するところだよね?」 いつもならそうだ。 しかし、今の壬生さんはなんだか覇気がないというか、確かに村雲が言うとおり、様子が違うようだ。 とにかく話を聞いてみないことには。 俺たちは、壬生さんに声をかけた。 「壬生さん」 「ああ、久我くんに烏丸くん。どうした? 今日も調査か」 「あ、いや、調査っていえば調査なんですが。えーと、最近変わったことはないですか?」 「この学園で変わったことは多々起きるが、特に改めて報告するようなことはないが」 「えーと……」 「いやいや、壬生さん自身のことで」 「え!?」 俺の問いに、彼女はすこし驚いた様子だった。 「そんなことを聞いてどうする」 「ひっ、怒らないで!」 「怒ってはいないが……変わったこと、か……」 「あ、やっぱ何かあるんだ?」 「え…? 私は何も言っていないが」 「えーと、いや、はっきり『ない』って否定しないからですよ」 「…………!」 「ない」 やっぱり様子がおかしい。 なんというか、いつものキレがない。 一番身近にいる村雲が言うことはやっぱり正しいのかもしれない。 「何か隠してないですか?」 「そんなことはない」 口ではそう言うが、一瞬彼女がびくっと肩を震わせたような気がしたけど……。 「体調でも悪いんじゃないですか?」 「私が? いたって健康だ」 確かに顔色もいいし、体調が悪いようには見えなかった。 「いったい突然何だ? そんなことを聞いてくるとは」 「ちょっと調査中でして」 「あ、ああ、お疲れさまです」 「お疲れさまでーす」 壬生さんの姿は廊下の角をまがり、見えなくなった。 「いっちゃったよ。何か判った?」 「お前は今のやりとりで何か判ったと思うか?」 「思わない」 「だろ!?」 「どうするの?」 むむむ。 これじゃモー子に言われたとおり、モー子なしでは俺たちが無能みたいじゃないか。 「でも今のことで一つ判ったことがある」 「ほんと!?」 「本人に正攻法で聞いても無駄だってことだ」 「……確かにそうだったけど……。じゃあ、どうするの?」 本人に聞いてだめなら……。 「周りから固めていくしかねーな」 「外堀から埋めるってやつだね!」 「ああ」 さて、どうするか……。 「壬生さんの部屋を調べるか」 本人に聞いても意味がないなら、本人の身の周りを調べるのが一番だろう。 「えええーーー!?」 「女の子の部屋を調べるのはちょっと……もしバレたら、大変だよ!?」 「けど、他に手がかりがねーだろ」 「そうだけど……」 「何も、その、タンスの中まで調べるわけじゃない」 「あああああったりまえだよ!!」 「村雲に聞いてみるか」 「何言ってるんだよ、みっちー!」 おまるが目を丸くした。 「村雲先輩は依頼人だよ。さっき、分室で話していった以上のことはわからないんじゃない?」 「ああ、そうか……」 「いつも風紀委員の仕事を一緒にしている村雲先輩がおかしいって言って相談しにきたんだよ。やっぱり一筋縄ではいかないんじゃない?」 そうだな……ここは手がかりが欲しいところだ。 壬生さんの様子が変わった理由と思われるもの。 それは身近なものじゃないだろうか。やっぱり。 「部屋を調べてみるか……」 「女の子の部屋を調べるのはちょっと……」 「変わったことがないか、調べるだけだ」 「そうだよな……さてどうするか」 「じゃあ、おまるが女装して潜入を……」 「なんで!!」 「うっかり壬生さんに見つかっても、誤魔化しがきくかなと思って」 「無理無理無理!」 「まあ、俺も無理だとは思った」 「真剣に考えてよー!」 「うーん……潜入するとしたら―――ベランダからしかないか」 「合い鍵とかねーのかな」 「寮の管理人室にはあるんじゃない? でも、どうやって使わせてもらうの?」 「だよなあ。まだ特査の事件って決まったわけでもねーしな……」 「ベランダから入るしかないか」 「ベランダから入れないか」 寮の各部屋にはベランダがあって、洗濯物が干せるくらいのスペースはあった。 「え! 確かにベランダは、みんな鍵をあまりかけてないみたいだけど」 「そこしかないな」 「ちょっと待って。そのベランダ自体にはどうやって行くの?」 「上からだ」 「上からって??」 「屋上からロープで下ってベランダに降りるんだ。寮の構造的に出来るはずだ」 「えーーーそんな忍者みたいなことするの!?」 「それしかないだろう」 「それはそうだけど…」 「モー子に馬鹿にされたままじゃ、引き下がれないからな」 「はいはい……」 俺たちはロープを調達して、寮に向かうことにした。 寮の屋上自体には、誰でも簡単に入ることができる。 まさかここからベランダまで降りようっていう生徒は、俺たちが初めてだろうが。 「えーと、壬生さんの部屋はこの下だから、この辺りに結べばいいか?」 俺は手すりにロープを結びつけた。 「おまる、引っ張ってみてくれ」 「うん」 おまるがぐいっと引っ張った。 結び目はしっかりと手すりに結ばれている。 大丈夫そうだ。 「さて、ここから降りていくわけだが……」 俺は身を乗り出して下を見た。 高いが、ロープを慎重につたって降りていけば大丈夫だろう。 「おれ、いこうか?」 「え、そうか? 大丈夫か?」 「うん、おれ、こういうの子供の頃からよくやってたんだ!」 おまるは力こぶを作るジェスチャーをした。 じゃあ、おまるに頼もうか。 「中からドアの鍵を開ければいいんだよね?」 「ああ」 「じゃあ、やってみる」 おまるは柵を乗り越えてロープにぶら下がった。 「おぉ、いい感じ。そのままゆっくり降りれるか?」 ロープにはしっかり掴まっているが、おまるの体は降りていかない。 「どうしたんだ?」 「なんだか、上手くいかないんだよ。おかしいな、このくらい出来ると思ったんだけど……」 おまるの体は、ロープにしがみついたまま、下に降りていけないようだ。 「手に力がはいらない……」 「すぐに引き上げるからそのままじっとしてろ!」 俺はロープを引っ張って、おまるを引き上げた。 無事に戻ってきたおまるは自分の手を見て首を傾げている。 「出来ると思ったのに……なんか落ち込む……」 「まあお前ももう若くないってことだな。子供の頃とは体重も違うだろうし」 「じゃあ、俺が降りるか。おまるは壬生さんの部屋の前で待機だ」 「え?」 「いや、よく考えたらさ、俺たちが調べ物してる間に壬生さんが部屋に帰ってきたら困るだろ?」 「だから壬生さんが来たら、部屋の前で上手いこといって時間を稼ぐんだ。その隙に俺はベランダから逃げる」 「なるほど! 上手くできるか判らないけど、もし壬生先輩が帰ってきたら、体を張ってでもひきとめてみせるよ!」 「うんうん」 「みっちーが女の子の部屋をあさってるなんて思われたら大変だもんね!」 「頼むぞ……」 俺は手すりを乗り越え、ロープを掴んだ。 「大丈夫?」 おまるが、俺の方を見下ろす。 俺は頷きで、返事をした。 「じゃあ、おれは部屋の前に行ってるね」 おまるの姿が消えた。 俺は、そのまま降下を始めた。 バランスに気をつけながら、慎重に降りていった。 「ここが壬生さんの部屋だな」 俺はベランダに着地した。 窓から中をうかがう。 誰もいない。 壬生さんはまだ学園にいるのだろう。 いないのは判っていても、少し緊張した。 「これで鍵がかかってたら、意味ないんだけどな」 俺はベランダの窓に手をかけた。 窓は難なく開いた。 開いた窓から、俺は部屋の中にはいった。 寮の部屋はどれもほぼ同じ作り。 なので、壬生さんの部屋も俺の部屋と、ほぼ同じだった。 机があって、ベッドがあって、作り付けのクローゼット。 「あれは本棚か?」 部屋の隅にカーテンが掛かった棚があった。 俺の部屋にはあんな棚はない。 ということは、自分で持ち込んだものだろう。 本棚にカーテンを掛けるなんて、怪しい。 「ここに何か……」 「んん?」 やっぱりそれは本棚のような棚だった。 ただし、本は一冊もはいってない。 そこにあるのは、ずらりと並べられた人形たちだった。 「人形?」 かなりの数だった。 でも、女の子の部屋に人形があっても、別におかしくはない。 俺は少し拍子抜けしたような気持ちになって―――。 「お帰りなさい、ヒメちゃん!」 「え?」 声が聞こえて、ぎくりとしたが、部屋を見渡しても俺しかいない。 それに声は目の前から聞こえて……。 「あれ!? あなたは……」 沢山並んでいる人形の中から、一体が立ち上がっている。 そして、俺に向かって手を振っている。 そして、喋っている! 「ヒメちゃんじゃない! あなた一体ここに何をしにきたの!」 「なっ……」 人形の気迫にのまれ、俺は思わず後ずさった。 小さい人形が俺をどうこうするとは思えないけど、とりあえず尋常じゃないことは確かだ。 「スミちゃん!!」 「うわーーー待ってーーー!!」 「ヒメちゃん!! この人勝手に部屋に入ってきたの!」 「えっえっえっ」 「え、久我くん!? どうしてここに……」 壬生さんは、目を見開いて驚きの表情だった。 驚きのあまり、固まってしまっている。 「あ、その、あの……」 不在の女の子の部屋に不法侵入。 もはや言い逃れできない。 ここは潔く。 「申し訳ない! 実は特査の依頼の調査だったんです!」 「……え?」 壬生さんの後ろから、おまるが慌てた様子で顔を出した。 「そ、そうなんです! それで、おれは外にいて……」 「勝手に部屋にはいって申し訳ない!」 俺は深々と頭をさげた。 おまるもそれに倣っている。 「え」 「俺、勝手にはいったのに怒らないんですか?」 「それは、いい気持ちがしないのはもちろんだが、依頼なのだろう? なら仕方ない」 うーむ、お役目忠実の壬生さんらしい反応だ。 「よかった……」 「おい、おまる、足止めしとけっていっただろ」 「うっ、だって、何を言っても壬生先輩、嘘だって見破っちゃうんだよ……」 「………そういや……」 「なぜ私が誤魔化していると思ったのですか?」 「それが私にもうまく説明できないんだ。ただ直感的に『違う』と感じることがあるとしか……」 「相手の言動の違和感を感じ取れる天性の素養があるのかもしれませんね」 すっかり忘れていた。 壬生さんは、あの澄ましきったモー子の嘘をも見破った人だった。 「なるほど、相手が悪かったみたいだな……すまん」 「ところで、なんかあの、壬生先輩以外の声が聞こえたんだけど……何?」 そうだ、と俺は思い返す。 あの人形……。 棚に視線をやると、壬生さんがその棚の前に立っていた。 「あのーその人形……」 「み、見たのか!?」 「見たっていうか……」 「……驚いたか?」 「驚かないわけないでしょう!!」 「……やはりそうだろうな」 「いや人形が喋って動くのを、驚かない人間はいないかと」 「え?」 「は?」 「あ、ああ……そっちか」 「どっち!?」 「あ、あ、あ、あのう……聞きたくないんだけど人形が喋って動くって……何?」 「それはだな……」 「説明、しないわけにはいかないか」 壬生さんは、そっと棚から人形を取り出した。 それは先ほどまで喋っていた人形で……。 「いいぞ。スミちゃん」 「こんにちは、私、スミちゃん! ヒメちゃんのお友達なの、よろしくね!」 「……え?」 「これを見て驚かないやつはいないだろ?」 「電池入ってて、とかじゃなくって?」 「いやねぇ。私をおもちゃと一緒にしないでちょうだい」 「うっわ! 会話になってる!!」 「だろ……」 「そうか、スミちゃんを見て驚いたのか……」 「それ以外何かありますか?」 「これ……」 壬生さんは体を動かして、俺たちに棚の中を見えるようにした。 沢山の人形が、スミちゃんとは違って静かに並んでいる。 「わぁ、なんかかわいい人形がいっぱい! 集めたんですか?」 「作ったんだ」 「え! 壬生さんが?」 「趣味、なんだ……」 「へ、へえ……」 おまるは興味深げにしげしげと見ている。 「驚くだろう? 普段は風紀委員で偉そうにしている私が人形作りが趣味など」 「隠そうと思っていたわけではなかったのだが、人には云いにくくて……」 「このような軟弱な趣味、風紀委員のイメージから遠いだろう。期待を裏切ってしまっただろうか」 「確かに意外だ」 「そうだろうな……」 俺の答えに壬生さんは、しょげたような表情をした。 俺は言った。 「でも悪い意味じゃなくって」 「そうそう、期待を裏切るとかそういうことはないですよ」 「ああ。別に悪い趣味でもないし」 「こんなの作れるなんて、壬生先輩って器用なんですね。感心しました」 「そ、そうか?」 「そうか……ありがとう」 「別にそんなことない」 「え?」 「風紀委員だからって、趣味が制限されるわけじゃないし」 「人に迷惑をかけてるわけでもないし、むしろ女の子らしくていい趣味だと思います」 「うんうん、こんなの作れるなんて、器用ですごいですよね〜」 「そ、そうか?」 「そうか……ありがとう!」 「とにかく立ち話もなんだから、座ってくれ」 その言葉に甘えて、俺たちはそれぞれに座った。 部屋の主、壬生さんはベッドに腰掛けている。 そして、その膝の上にはスミちゃんと自己紹介した人形がいた。 「あのーそのスミちゃんはなんなんですか?」 「ヒメちゃんのお友達よ!」 「ああ、そうなんだ」 「……いや、その……」 聞きたいことはそういうことではなく。 人形が喋るなんて、どう考えてもおかしいだろ。 ホラー漫画なら『ひっ、呪われてる!』と白目をむくところだ。 まあ、だがこの学園だからな。何があってもおかしくはないんだろうが。 「遺品だろう、どうみても」 「そうだね。どう考えても」 俺とおまるは頷きあったが。 「違う。私もそう思って聞いたことがあるのだが、スミちゃんは違うと言っている」 「違うのよー」 俺とおまるは顔を見合わせた。 いや、どう見たってさ……。 「スミちゃんは嘘をついていない。私はそう確信している」 「いやいや、嘘をついているとは言わないですけど」 壬生さんは、スミちゃんの完全なる味方らしい。 ここで言い合いをしてもしょうがない。 しかし、遺品、もしくは遺品に関係がある可能性があるなら放置しておくわけにはいかない。 「遺品じゃない、という確認はしたほうがいいんじゃないですか?」 「そうか……」 壬生さんは、膝の上のスミちゃんを見つめる。 その様子から、スミちゃんをとても大事にしていることがわかった。 「みっちー、じゃあ、リトさんに?」 「ああ、聞いてみよう」 俺たちは立ち上がった。 「待て。図書館に行くのだろう? 私も行く」 「え?」 「スミちゃんは私の大切なお友達だ。だからスミちゃんのことは私が自分で確かめたい」 真面目な壬生さんらしい。 「じゃあ、一緒に行きましょう」 俺は、今度はちゃんと部屋の入口から廊下にでた。 ロープ、あとで回収しておかないとな。 「リトさん、いるかな?」 俺たちが廊下で待っていると、部屋の中から壬生さんたちの会話が聞こえた。 「ヒメちゃん、ごめんね。大事になっちゃって」 「ううん、スミちゃんのせいじゃないから」 「気をつけていってきてね」 会話だけ聞いてると、ほんと友達同士の会話だな……。 そして、壬生さんが部屋から出てきた。 「待たせた。行こうか」 夜の学園。 図書館内でリトの姿を探す。 いつも奥のほうにいるけど……。 「その無くなった物の行方を探してるのね」 「はい」 あれ……モー子……。 リトの傍には、モー子もいた。 モー子も少し驚いたように、俺たちを見た。 「久我くんに烏丸くん。壬生さんまで」 「いらっしゃい、みなさん」 「失礼する」 「あら、今日は壬生鍔姫も一緒なのね」 「……」 「なあんだ。結局おれたちの行き着く先は同じになっちゃったんだ」 「うふふふ」 モー子と一緒になってしまったのは不本意だが、こっちはこっちでちゃんと問題を解決しようとしてるところを見せなきゃいけない。 「モー子」 「なんでしょうか」 「お前の用事は終わったのか?」 「おおむねは」 「ええ、話はよくわかったわ。学内で小物が紛失している件のこと」 「やっぱり、遺品関係なの?」 「……遺品」 「多分そうだと思うけれど、思い当たるケースが多くてまだ確定しきれないの」 「私の話は終わりました。久我くんたち、どうぞ」 「あ、ああ」 モー子に仕切られるのは、不本意だけどしょうがない。 「壬生さん、スミちゃんの話をしてくれませんか?」 「あ、ああ」 「リトさん。スミちゃんというのは、私の部屋にある人形のことなんだが……」 壬生さんはリトに説明しだした。 スミちゃんは、以前に壬生さん自身が作った人形で、数日前から突然動いて喋るようになったそうだ。 「……ってことなんだけど、スミちゃんが遺品の影響で動いてる可能性は?」 「なるほどね。確かに物に意思が宿るタイプの遺品はあるけれど、その話だけではそうだとは判断しきれないわね」 「でも、自分は遺品ではないとスミちゃんは言っているし、私はそれを真実だと思う」 すると、今まで黙って話を聞いていたモー子がスッと手をあげた。 「……その人形は、以前からあったという話でしたね」 「ああ、そうだ」 「動き出したのは数日前から……人形……ある意味共通している……ふむ…」 「……何か思いついたんなら、一人で納得してないで説明しろよ」 「おや、これくらいの事は話の流れでわかって頂けるかと思っていました」 「思ってねーだろ絶対」 「あ、あの憂緒さん、よかったら説明、お願いします」 丁寧なおまるの言葉に、モー子も少し態度を軟化させる。 「学園内で物が無くなっている件ですが、壬生さんの人形が動き出したことに関係あるのかもしれません」 「そういえば無くなったものの中には、スミちゃんみたいな人形もあったっけ……」 「リトさん」 「なぁに?」 「小物の紛失と、人形が突然動き出す、この二つの情報を踏まえて、もう一度考えてみてもらえませんか」 「うーん、そうね……」 「では、『人形』に関するカテゴリの遺品の中で、他人の持ち物が勝手に無くなるような遺品は?」 「……それなら、アンリ・シェブロかしら」 「どのような遺品です?」 「まさにそのまま人形の形をした遺品よ。友人を作るための遺品なの」 「アンリ・シェブロが人に触れると、その人物の心の一部を切り取って、持ち物の人形に移植するわ」 「ええっ!? き、切り取ってってなんか怖いんですけど!」 「その行為は人体に悪影響を及ぼしますか?」 「少し魔力は取られるけれど、悪影響というほどのことはないわね」 「よ、よかった……あ、どうぞ続けてください……」 「心を植えられた人形は、まさにその人物のコピーとなって動き出して、アンリ・シェブロに付き従う」 「そうして人形の友人をたくさん作って、遺品の使用者の所に連れて行くわけね」 「人形が、勝手に動くのか……?」 「動くし、話をすることも出来るし、意思もあるわ。だって人間のコピーなんだもの」 「では、小物は盗まれたわけではなく、自分から……?」 俺は壬生さんの顔を見た。 彼女も驚いた様子だった。 動いて話す。まさにスミちゃんのことだ。 「そのアンリ・シェブロに不用意に触ってしまうと、心が抜き取られてしまうということですか?」 「そうだけど、厳密には違うわね。起動させなければ触っても問題ないの」 「起動とは?」 「さっきも言ったけれど、この遺品は友人を作るための遺品」 「つまり、『友人が欲しい』と思った人物が、アンリ・シェブロに魔力を込めて初めて遺品が起動するわけ」 「起動の方法は、ただ魔力を込めればいいだけですか?」 「いいえ、アンリ・シェブロの本体に目玉を入れなければいけないわ」 「めっめめめだま!?」 「……あ!」 「……大丈夫そうだな。うん、かわいい」 「……まさか、あれは……」 「壬生さん? どうした」 「あ、いや……その……」 「壬生さん、何か知っていることがあれば話して下さい。これはもう特査分室の扱うべき案件です」 「……実は」 壬生さんは数日前に人形を拾った話をしてくれた。 そしてそれが……。 「目を入れた?」 「なるほどね」 「壬生さんが拾ったという人形がアンリ・シェブロである可能性はありますか?」 「可能性としては高いわね」 「やはりそうなのか……」 「それで、その人形はどうしたのですか?」 「持ち主が探しているだろうと思って、ひとまず寮の管理人室に聞きにいったんだ」 「ああ、そういえば落とし物なんかは、あそこに届けられるんだっけ」 「それで、考えたのだが。もしかして、持ち主が人形を持っていることを人に知られたくないのかと思って」 「え?」 モー子にしては、珍しく戸惑ったような声色だった。 そりゃそうだ。 人形を持っていることを知られたくない、という発想は、壬生さんならではだもんなあ。 「……それは持ち主が男性である、かもしれないという判断ですか?」 「えっ、あ、いや、そうではないが……」 「ええと、ともかく、それからどうしたんですか?」 自分の疑問が解決しなかったのが不満だったのか、モー子はちらりと俺に氷の一瞥をくれた。 それでも話を進めることの邪魔はしなかった。 「翌朝見にいくと無くなっていたので、てっきり、持ち主が持っていったかと」 なるほど。 では、結局その拾った人形の持ち主は判らなかったというわけだ。 「……ちょうど、学園内で物が無くなりだした時です」 「あ、そっか!」 「物が無くなる? ああ、そういえば村雲がそんな話をしていたような……」 モー子は、最近増えた依頼の話をした。 学生たちの持っている小物が突然消え失せるという話。 「どうやら、学園内の物が無くなっている事象と、壬生さんの拾った人形には関連性があるようですね」 「壬生さんが拾った人形は遺品アンリ・シェブロであり、目を入れたことで遺品に壬生さんの魔力が注がれ、魔術が発動してしまった」 「私が起動させてしまったと?」 「そうです。そしてアンリ・シェブロは生徒達に触れて『友人』を作っている。それが無くなった持ち物たちです」 「それは、無くなったというより、自発的に動きだしたから、無くなってしまったということか?」 「そうです。リトさん、アンリ・シェブロは人の心を抜き取るときに、記憶も抜き取ってしまうのではありませんか?」 「ええ、そうよ。だから心を抜かれた人物には、心を抜かれたという自覚もないし、人形を見たという記憶もない」 「ならば、小物をなくした人たちが人形を見ていないのも当然ですね」 「じゃあ、あのスミちゃんも心を移植されて作られた人形ってことなんだね」 「確かにスミちゃんが動き出したのは、あの人形を拾った後だが……スミちゃんは自分は遺品とは関係ないと言っていたぞ?」 壬生さんはあくまでスミちゃんの言うことを信じているようだ。 だけど、人形相手に壬生さんの直感は本当に通用するのだろうか? 「スミちゃんは自分がどうやって動けるようになったか知ってるんですかね?」 「え?」 「そうだな、自分が何であるか、どこまで判っているのやら……」 「そ、そうだが……」 「リトさん」 「なあに? 鹿ケ谷憂緒」 「壬生さんが拾った人形をアンリ・シェブロと仮定すると、今後どういった行動をとることが予想されますか?」 「アンリ・シェブロは起動した人間の友人を作るのが目的。だから、『お友達』を増やし続けているはずよ」 「それは、際限なく?」 「いいえ、目玉と共に本体に注がれた魔力で作れる分だけ」 「では私の……?」 「ええ。そうなるわね」 「普通はどのくらいの『お友達』を作れるもんなんだ?」 「平均的に考えるなら、10体くらいね」 「ではおそらく、まだ友人を増やすために動いているということですね」 「きっとそうだろうな」 「作れる分の友人を作り終えると、どうなるのですか?」 「作った『お友達』を全部引き連れて、魔力を込めた人のところに帰ってくるわ。この場合――」 「壬生鍔姫。あなたのところね」 「えっ」 それは想像すると、お友達というよりはホラーな気がするんだが。 「壬生さんのところに戻ってくる理由は、壬生さんのために友人を作ったからですか?」 「そう。アンリ・シェブロが作った『お友達』は、起動させた人物を絶対的に友人だと思うようになっているわ」 「全ての『お友達』が揃う前に、壬生さんの前に一体『お友達』が現れたようなのですが、このようなことは起こり得ますか?」 「『お友達』が作られたときに、起動した人間のすぐそばにいたなら起こり得るわね」 「じゃあ、やっぱりスミちゃんは……」 モー子がまたリトに質問する。 すでに情報量がとんでもない気がするんだが、彼女は整理しきれているのだろうか。 「本体であるアンリ・シェブロを封印したら『お友達』たちはどうなりますか?」 「すべては戻るわ。抜かれた心は本体に帰り、魔力で作られた『お友達』は、元の姿に戻るの」 「あっ、元々のストラップやマスコットに戻るってことかな?」 「そうよ」 「……そうか」 壬生さんが、視線を床に落とした。 スミちゃんのことを考えているのだろう。 しかし、封印しない限り、他の生徒の元から無くなった小物たちは戻らないってことだ。 「一旦起動したアンリ・シェブロを止めるには、封印するしかありませんか?」 「いいえ」 「え! そうなのか!?」 「だから、魔力を与えた人間が満たされれば、封印せずとも遺品は止まった……という事例もあるそうよ。珍しいことだけど」 「……あ」 壬生さんは、図星を突かれたかのように押し黙ってしまった。 可能性は低いかもしれないけど、壬生さんの心を満たせば、遺品が動かなくなることもあるのか。 「ありがとうございます、リトさん。大体のことは判りました」 「お役に立てたようならなによりよ」 俺たちはひとまず分室に落ち着いた。 「……すまない。私が遺品を起動させたばかりに」 「知らなかったんだから、しょうがないですよ」 「ええ、そうです。それより今は、当該の遺品をどうするかを考えましょう」 「……本当にスミちゃんは遺品の力で動いていたのだろうか……」 「突然動き出したって言ってましたよね」 「ああ、部屋に帰ったら突然……」 「おかえりなさい!」 「待ってたわ〜」 「……人形が……!」 「私、えっと、スミちゃんっていいます」 「スミ……ちゃん?」 「そうよ、私、あなたとお友達になりたいの」 「友だち?」 「鍔姫ちゃん、だよね? ヒメちゃんって呼んでもいい?」 「ああ、それは構わないが……」 (と、いけない。どう考えてもこれはおかしい) 「……スミちゃん」 「なあに?」 「君は遺品なのか?」 「え? 違うよ?」 (……違和感は感じない……嘘ではない。しかしそれなら) 「なぜ、君は突然喋ったり動けるようになったんだ?」 「ヒメちゃんとお友達になってみたかったから!」 「いつも見ているだけ。遠くにいるだけ。もっと沢山、本当のことを話したかったの」 「……あ」 「だから私頑張って、ヒメちゃんとお話できるようになったの!」 「そ、そう…なのか……!」 「スミちゃんは自分は遺品の力で動いてはいないと言っていた」 「でも、遺品が動き出した時期とかぶってるしな」 「まったく無関係とは考えにくい……かもです」 「だが私は!」 いつも冷静な風紀委員である壬生さんにしては珍しくムキになった様子で言った。 「私はスミちゃんの言うことを信じたい!」 「壬生さん……」 「あ。す、すまない。つい……」 「先程のリトさんの話から考えると、『スミちゃん』がアンリ・シェブロに作られた『お友達』だという可能性は充分ありますね」 「……ただ、せっかくできた友達なのだから、スミちゃんの言うことは信じたい。それだけなんだ」 「……その気持ちはありがたい」 「しかしだからこそ、私は自分の趣味が人形作りということを、誰にも言えずにいた……」 「皆から向けられる視線のことはわかっていたつもりだ。だから、何となく申し訳なかったんだ」 「私は、皆が考えているような……憧れの風紀委員ではない……」 「だがスミちゃんには、そのことを気兼ねすることはない。なにしろ、私が作った人形そのものなのだから」 壬生さんは、大変恐縮しているようだった。 「うーん。つーか人形作りが趣味って、そんなにがっかりされるか?」 「え」 「確かに最初は意外だなと思うこともあるけど、それはそれで意外な一面ってことでいいんじゃないですか?」 「誰だって、そういう面はあるんだから」 「……みんなが久我くんのようならいいのだが……」 「え?」 「すまない。とにかく話を戻そう。私が目をいれたあの人形を探さないといけないんだな?」 「ええ、そうですが……」 モー子は少し黙った。 言葉を選んでいる様子。 「仮にスミちゃんが、遺品アンリ・シェブロから生み出されたものであった場合」 「本体を封じると、そのスミちゃんという人形にかかった魔術も解けてしまいます。つまり、元のただの人形に戻ってしまう」 それでもよいのですか? ―――と、暗に問いかけているようにモー子は壬生さんを見つめる。 壬生さんは、先程までの感情的な様子が嘘のように、穏やかに返した。 「……ああ、遺品なら、そうなのだろうな」 「その場合は仕方ない。人の心を勝手に引っ張り出して、人形や物を友達にするのが正しいこととは思えない」 「消えた小物は、持ち主が大事にしていたものもあるだろうし、ちゃんと返してやりたい」 「スミちゃんが止まってしまうのは仕方ない。それは―――」 「もう割り切っているつもりだ」 壬生さんはすでに決心してるようだった。 「壬生さんの気持ちは判りました。特査分室としては依頼も受けていますので、解決することを最優先事項とします」 「とは言っても、どうやって探すの? 壬生先輩も、その本体の人形の姿はそれ以来見てないんですよね?」 「ああ、そうなんだ」 「それじゃあ……」 「学園長の鍵は使えないだろうか」 「鍵?」 「ああ、実は……」 壬生さんに、会いたい人や行きたい場所に行き着ける鍵の話をした。 「そんな鍵があるのか」 「まあ、そのせいで大変な思いをしたけど……」 「残念ながらその案は却下です」 「なんで?」 「あの鍵は、人や場所に反応するのです。物である遺品の人形や、無くなった小物たちには反応しません」 「あ、そっか」 「壬生さんが寂しくなければいいんだろ?」 「え!? 何を突然……」 「いや、リトさんがそう言ってたから。壬生さんが満足すれば、遺品も止まる可能性もあるって」 「だったら、そっちの方向性で行けば。どうだろう?」 「却下です」 「なんでだよ」 「そういう事例もある、珍しいことだ、とリトさんは言っていましたよね?」 「つまり可能性の低い賭けだということですよ。お分かりいただけましたか?」 「ぐっ……」 「お友達を連れてくるなら待ち伏せしよう」 「え」 「リトさんの話では最終的には、遺品を動かした本人……つまり、壬生さんのところに戻ってくるんだろう?」 「だからそこを一網打尽でだな!」 「でも、それがいつかは判らないんじゃない?」 「それはそうだけどよ……」 「ずっと見張ってるつもり?」 「えっ」 「しかし、それが最も確実ですね」 「えっえっ」 「ではこうしましょう」 「遺品が最終的に戻ってくる目的地である壬生さんを見守りつつ、その人形自体も探します」 「今回の遺品はいわばプリペイドタイプですから、以前のハイタースプライトのようなことはないと思われますが」 「これから壬生さん自身に絶対に何もないとは言い切れません」 「すまない。気遣ってもらって」 「え?」 「見込みは薄いですが、壬生さんの友人のように振る舞うということです」 「人形を探す役目と、分担するのが適切でしょうね。その役、誰がやりますか?」 「役とかそういうんじゃなくてさ……もう普通に友達になろうってことでいいんじゃないか?」 「えっ」 「突然振る舞えと言われても難しいだろ」 「……」 壬生さんは俯いてしまった。 心なしか、肩がぷるぷる震えているような気がする。 「あ……ありがとう……感動した……」 「ちょっと! そんな反応されたら、こっちが困るんですけど」 「あ、いや、だって……その」 壬生さんは、少し嬉しそうに頭を振った。 まあ喜んでもらえてるんなら、いいんだが。 少なくとも氷の視線で睨まれるよりは百万倍マシだ。 「確かに友達みたいに振る舞うって難しいよね。友達って気がついたらなってるもんだし……。さあ、マネしようっていうのも変じゃない?」 「だよなあ」 「うん」 「判りました。では問題はないようですね。この件は、きみが担当するということでよいでしょう」 「は?」 「よし、俺がやる」 「えっ?」 「壬生さんと友達っぽく過ごせばいいんだろ? わかったよ、俺がやる」 「……」 「壬生さん、それでいいかな?」 「えっ、いいも悪いも……」 珍しく歯切れが悪い。 戸惑った様子で俯いてしまった。 「わかりました。ではお願いします」 「くじ引きしよう」 「えーーー!?」 「なんだ、おまる」 「友達をくじで決めるの!?」 「わ、私は別に気にならないが。この中の誰が友達役になってくれても……」 「えっ、そうですか? 壬生先輩がいいならいいですけど……」 「ではくじを……」 手際よくモー子がアミダくじを作った。 「じゃあ、俺は真ん中」 「えーーと、それじゃ右で」 「では私は残ったところで」 アミダを辿っていくと……。 「あ」 「久我くんが当たりですね」 「そ、そうか」 「――では壬生さんの新たなお友達は久我くんということになりました」 くそっモー子め。引っかかる言い方をしやがって。 「壬生さん、ご協力お願いします」 「あっ、いや、それはこちらこそ」 「それじゃあ、改めてよろしくお願いします」 「こ、こちらこそ……」 言葉ではそう言いつつも、壬生さんは俺と目を合わせもしない。 なんか突然距離をおかれたような気がするのだが、こんなんで大丈夫なのか? 「では、私と烏丸くんは本体を探すこととしましょう」 「はいっ!」 「俺たちはどうしましょう。友達っぽいことって言っても、この時間だとどこかに遊びに行くってわけにも」 「そ、そうだな……」 「遺品本体がどこかで壬生さんの動向を覗っているかもしれません。なるべく親密に過ごしてください。それこそ本当の唯一無二の親友のように」 「うっ……」 「しかし、改めて考えると難しいな」 「まずは一緒に帰るくらいから始めたらどうかな。なんか友達っぽいかも!」 「まあ……そうか」 「そうですね。それがいいでしょう」 「一緒に帰ると言っても寮は近いからなあ。まあ、それでもいいか」 「壬生さん、それでいいですか?」 「えっ、私はその……」 「うん、いい……」 とりあえず、二人で東寮に帰ることになった。 しかし、友達っぽい振る舞いと言われてもな……。 「壬生さんは普段何して遊んでるんですか?」 「特には……風紀委員の仕事が終わったら、寮に帰って勉強をしている」 「一緒に勉強するのもアリかなー。学年が違うから同じ勉強は出来ないけど」 「そ、そうだな」 壬生さんは俺と並んではいるが、微妙に距離を取って歩いていた。 「……あとは部屋で人形を作っている」 「あっ、そうか。趣味だって言ってましたもんね」 「ああ。人形を作っていると、時間が経つのを忘れるんだ」 「じゃあ、それ見せてもらえませんか。さっきも部屋でちらっとは見たけど、壬生さんが作った人形見たいし」 「え、そ、そうか?」 「スミちゃんとも、もう一度話してみたいし」 「そうか、そうだな。では私の部屋に行こうか」 夕方は窓から強行突破した壬生さんの部屋だが、今回はドアから入れて、なんだか安心した。 「ヒメちゃん、おかえりなさい!」 「ああ、ただいま」 スミちゃんは相変わらず元気に動いていた。 見慣れてくると違和感もなくなってくる。 「ああ、お邪魔します」 「そういえば、スミちゃんにはちゃんと紹介していなかったか……」 そこで壬生さんは言葉を切ったが。 「えっと、お、お友達の……久我くん、だ」 「くん付けなくてもいいですよ」 「え?」 「一応後輩ですし……ほら、村雲みたいに呼び捨てにしてもらっても」 「うーん……そうか」 「何か他に呼びやすいのがあったら、それでもいいけど……」 「他にか……たしか、下の名は満琉くんだったかな」 「あ。いや、それはちょっと……」 「あ、す、すまない! ……その、正直少し浮かれて……」 「あーいや、あんまり名前気に入ってなくてですね。みっちーとかあだ名ならいいんですけど」 「ミチルって、可愛い名前よね!」 「そうそう、そうなんだよ。ちょっと俺には合わない名前じゃないか?」 「そうは思わないが……でも本人が嫌だと言うのなら……」 「…………」 壬生さんは、ちらちらと遠慮がちにこちらを見ている。 言おうか言うまいか、迷っている様子だ。 「な、何か希望でもあるんですか?」 「言ってもいいだろうか」 「どうぞどうぞ」 「好きな呼び方でいいですよ」 「え」 「なになにくんってのも友達にしちゃ他人行儀な気もするし」 「そ、そうか。好きな呼び方か……」 なぜか、壬生さんが急にそわそわしはじめた。 「どうかしたか?」 「……呼び方、してみたいのがあるんだ」 「えっ、そうなんだ?」 「でも……」 なんだか言い難そうにしてる。 俺はピンと来た。 「あー村雲あたりと、俺に勝手にあだ名とか付けてたんですか? 影でそう呼んでたとか」 「いや、それは違う! これは私のあくまで趣味で!」 「……趣味で勝手にあだ名つけてた?」 「それも違う!」 壬生さんは必死に否定する。 そのせいか、顔が真っ赤だ。 いつもの壬生さんと違う印象だった。 「判った。とにかく壬生さんの好きなように呼んだらいいですよ」 「そうか? では……」 「………みぃ」 「みぃ?」 「くん」 「………くん?」 「み、みーくんと呼びたい……」 は? いろんな意味で予想外の言葉だったので、俺は思わず返事が出来なかった。 「そそ、そう猫みたいで! スミちゃんにもわかるんだなこのかわいさが!!」 「そうだな……」 「!!! す、すまない! やはり嫌だよな……」 恥ずかしそうに壬生さんが俯いた。 いいか悪いかでいったら、よくはない。 よくはないというか、さすがに女の子からこの呼ばれ方は恥ずかしいというか。 でも、壬生さんの様子を見ていると、嫌だとも言えないんだよなあ……。 ここでは友達っぽく振る舞うことが前提だし……。 「いいですよ……」 「えっ、いいのか!?」 「いいけど、他のやつがいる前ではそれは使わないでもらえます?」 「あ」 「さすがに恥ずかしい」 「そうか、そうだな。わかった」 「お願いします」 「……みーくん」 「みーくん! みーくん!」 「お」 「そ、そうですか」 なんだか変な感じだな。 くすぐったいような、照れくさいような……。 「やはり、男子としては可愛らしすぎるのは嫌か?」 「嫌っていうか、まーやっぱり恥ずかしいものはあるかな……」 「みーくんは恥ずかしがりやさんなのね」 「そう言うなスミちゃん、私には彼の気持ちもわかる」 「どういうこと?」 「他人には見せられないものが、誰にでもあるということだよ」 「…………」 「まあ、壬生さんの場合は気にしすぎな気もしますけどね……」 「えっ?」 壬生さんは、不思議そうな顔をしてこちらを向く。 「別に憧れの風紀委員が人形作りが趣味でも、全然かまわないと俺は思いますけど」 「そ、それは」 「じゃあ例えば、俺の趣味が人形作りだって聞いたらどう思います?」 「え!?」 思いもかけないことを聞かれた、という感じで、壬生さんは目を丸くした。 「お、驚く」 「がっかりしました?」 「がっかりなどしない!」 そう言ってから、壬生さんははっとした顔をした。 照れくさそうに壬生さんは苦笑した。 「確かに、皆が皆、がっかりするというわけではないな」 「まあ、周りの反応はそりゃ気になりますから、壬生さんの心配もわかりますけどね」 「でも誰にだって、意外な趣味や秘密のひとつやふたつ、あるものでしょ?」 「そうかもしれないな……」 スミちゃん、人形なのに意外と大人っぽいことを言うな。 「みーくんだって、あるだろう?」 「――――え?」 一瞬、ぎくりとした。 自分がまだ言っていないことすべてが、見透かされているようで。 「変わったものが好きなんだそうじゃないか。烏丸くんから聞いた」 「え」 「冷蔵庫にびっしり置いてあるとか」 「あー………」 冷蔵庫の『アレ』か。 「いや、まあ、その、あれは……」 「なになに? みーくんはなにが好きなの?」 「ああ、いわゆるビールテイスト飲料というものだな。冷蔵庫に溜め込んでいるらしい」 「へー、そういうのが好きなんだ。しっぶいね!」 「もしノンアルコールじゃなく本物だったら、風紀委員として見逃せないところだったぞ」 「ははは……そ、そうですよね」 ちょっと焦ってしまった。 「みーくんには、面白い秘密があるんだな」 「あまり、言いふらさないでくださいよ」 「あ……」 「はい?」 「あ、いやでも一応、先輩ですし」 「しかし、鹿ケ谷さんとは、気軽に話しているじゃないか」 言われてみたらそうだった。 まあ、俺もそのほうが楽といえば楽か。 「わかったよ。これでいいか?」 「……ああ!」 壬生さんは、嬉しそうに頷いた。 「ヒメちゃん、私、眠くなっちゃった。もう寝るわね」 「もうそんな時間なのか」 え。寝るんだ。人形なのに。 「……寝るんだ?」 「寝るわよ。私は早寝早起きなんだからね」 「ああ、そうだな。おやすみ、スミちゃん」 「お、おやすみ」 「おやすみなさい。ヒメちゃん、みーくん。また明日ね!」 スミちゃんは言い終わると、ぱたっと動きをとめた。 そしてそのまま、ずるっと後に倒れた。 寝た、というより電池が切れたよう。 「ふふ、また明日」 壬生さんが、スミちゃんを持ち上げて、人形たちが並んでいる棚に戻した。 沈黙しているスミちゃんは、そうしているとただの人形のようで……。 いや、人形なんだけどさ。 壬生さんがふっと机の上の目覚まし時計を見た。 「もうこんな時間か」 「あ。長居しちまったかな」 「いや、私はいいのだが……」 「俺もそろそろ部屋に戻るよ。また明日な」 「……ああ」 「ふわあ〜」 なんだかんだで、昨日はいろいろあったな。 校舎に行くために部屋を出たが、まだ微妙に眠い。 一気に目が醒めた。 緊張した様子で、壬生さんが目の前に立っている。 ……もしかして、ずっと待ってたのか? 「お、おはよう。壬生さん」 そういえば『友達』なんだから、一緒に登校してもおかしくないよな。 というか、俺の方が壬生さんを見守らなきゃいけない立場なのに、一体何をやってるんだ。 軽い自己嫌悪に陥りながら壬生さんに話しかける。 「よかったら、一緒に登校しないか?」 「……いいのか?」 「壬生さんが嫌じゃなかったら」 「いや、もちろん大丈夫だ。では行こう」 「ああ」 「朝は風紀委員の仕事はないのか?」 「当番制になっている。今日は私は非番だ」 「じゃあ、当番の日はもっと早くに行くんだ?」 「そうなるな」 「早く起きるの大変じゃないか?」 「そんなことはない。朝食前にジョギングもしているし、起床時間はいつも変わらない」 「へえ」 なんというか立派なもんだ。 「……そうか」 「ん?」 「風紀委員の仕事で早く登校すると、校舎の中は静かなんだ。この寮から、校舎へ続く道も人気がなくて」 「そうだろなー」 「みんなけっこうギリギリに寮出てるもんな。最後は走ったりしてな」 まあ、俺もわりといつもはギリギリだ。 「この道は、いつも一人で歩いている」 「……うん?」 「誰かと登校するなんて初めてだ」 壬生さんは、ふっと俺のほうを見た。 目が合った。 だが、すぐにぱっと壬生さんはそれを逸らす。 なんというか、俺のことをどう扱っていいか戸惑っているようだった。 「あ、いや、その……」 「風紀委員、大変だな」 「いや、そうでもない」 「そうか?」 「でも、こうやって誰かと……」 「なに?」 「いや、いいものだなと思って」 「そっか……」 そう言われると悪い気はしない。 壬生さんは顔を逸らしてしまったが、口元には少し笑みが浮かんでいた。 校舎の玄関を入ってすぐの廊下には、掲示板がある。 教師や生徒会からのお知らせの紙などが貼られている。 そこに人だかりが出来ていた。 「なにか告知でもあるのか。見ていこう」 「ああ」 掲示板に近づこうとした時、人ごみの中から見慣れた奴が出てきた。 「村雲。おはよう」 「おはようございます」 村雲は俺たちを交互に見つめると、突然俺の手を引いて壬生さんと距離をとった。 そして、少し声を潜めて話しかける。 「どうなってんだよ? 壬生さんには結局何かあったのか?」 「あぁー、まぁー。あったといえばあった」 「なんだそれ、はっきりしろ!」 「説明するのが面倒なんで、モー子にでも聞いてくれ」 「てめーなー!!」 「だいたい、当人の前でひそひそ喋るのも無理があるだろ」 「ぐっ……」 非常に納得のいかなさそうな顔をしながら、村雲は体を引く。 「じゃあオレはこれで! 失礼します壬生さん」 「あ、ああ」 そのまま早足で廊下を歩いていった。 多分、詳細を聞くためにモー子を探しに行ったんだろう。律儀な奴だ。 「……いいな」 「は?」 「えっどこが!? 口論しかしてねーけど!?」 「遠慮なく言い合える仲ということだろう? 羨ましい」 どうやら壬生さんの目には俺たちがよっぽど仲睦まじいように見えるらしい。 誤解を解くのも疲れそうだったので、俺は話題を変えることにした。 「まああの。えっと、それより、掲示板見にきたんだろ」 「ああ。そうだった」 俺たちは人だかりの合間から、掲示板を覗き込んだ。 『このところ学園内を騒がせている小物が紛失している件は、現在調査中である。故に特査に個人での相談は控えたし』 『また構内で怪しげなアンティークドール(推定体長20cm)を目撃及び入手したものは速やかに報告すべし。学園長』 俺と壬生さんは顔を見合わせた。 「なるほど、皆から情報を集めたほうが手がかりになりそうだ」 「モー子が手を回したのかな。迅速な対応だ」 「早く見つかると……」 早く見つかるといいな。 そう言いかけて、俺は途中で止めた。 遺品本体が封印されてしまうと、おそらく、あのスミちゃんも動かなくなってしまうのだ。 「気にしないでいい」 俺の言いたい事を察したらしい。 「私も早く見つかればいいと思っている」 「……そうなのか」 「みんなも大切なものが無くなって困っているのだろう?」 「まあ、そうだけど」 「そういうことだ。では教室に行く」 「ああ、じゃあ、放課後にまた」 壬生さんは二年生の教室がある2階へ向けて階段を登っていった。 俺も自分の教室へと向かう。 『下校時刻になりました。全校生徒は速やかに校内から退出し、寮へ戻って下さい』 『くり返します。下校時刻になりました……』 「すみやかに帰宅するように」 「おい、もたもたすんな」 放課後になり、風紀委員が仕事をする時間になった。 壬生さんの様子はいつもと変わらないように見える。 「仕事を邪魔するわけにもいかねーし……俺は分室に行くか」 「お疲れさまでーす」 「何故きみがここに来るのですか?」 「は!?」 「壬生さんは」 「あ、ああ……廊下で風紀委員の仕事してた」 「きみは壬生さんの担当です。彼女の傍を離れてもらっては困ります」 「うんうん、こっちの仕事はおれたちに任せて!」 「で、見つかったのか? 遺品は」 「……まだ」 「なんだ」 「相変わらず小物の紛失は続いています」 「壬生さん、大丈夫なのかなあ」 「そのために、きみが壬生さんの担当なのでしょう? 早く行ってください」 おいおい、普通の友達だってこんなに四六時中べったりじゃねーぞ。 まあ、でもそれが結局遺品を止めることにもなるのか。 「わかったよ。じゃ、お先に」 「お疲れさま〜」 「よろしくお願いします」 分室のドアを開けようとしたところ……。 「わ!」 壬生さんがそこにいた。 「す、すまない。今、ノックしようか迷っていたところで……」 「壬生さん?」 「どうかしましたか?」 「……あ、いや……」 「うん?」 「風紀委員の仕事が終わったから、様子を見に来たのだが……」 そう言うと壬生さんは、恥ずかしそうに視線を床に落とした。 昨日と同じく、友人活動の一環として壬生さんと一緒に寮に帰ることになった。 「よかったのか? 特殊事案調査分室の仕事は?」 「……俺の仕事は壬生さん担当だって」 「モー子たちは、まだ遺品は見つけられてないそうだ」 「そうか……」 「久しぶりだなあ」 「何がだ」 「いや、この学園に来てから授業終わった後は、ほとんど分室にいたからさ。早くに寮に戻ることなんてなかったから」 「うん?」 「友達同士は普通なら何をして遊ぶんだろう……」 「うーん?」 壬生さん、本当に友達がいないんだな。 「普通だったら、学校帰りに買い物いったり、本屋ひやかしたりするんじゃないか?」 「女子だったら、お茶に行ったりとか」 「お茶……なるほど」 「でもここだと放課後に帰りにどこか寄って、ってできないもんな。みんなどうしてんのかな」 「私にはよくわからないが、みな、それなりに交流はしているようだが」 「そっかー。まあ、場所なんて関係ないもんな」 「え?」 「友達と一緒にいられるなら場所は関係ないんじゃってこと」 「…………」 「ただ喋ってるだけでも楽しいっていうか。そういうもんじゃねーの、友達って」 「そうだな。私も部屋でスミちゃんとただ喋っているだけで、楽しい」 「一緒にいてくれるだけで、嬉しい。……そうか、そういうことなんだな」 「まあここの寮は結構いろんなとこあるみたいだから、それなりに楽しめるのかなって気もするけど」 「みーくん」 「あっ、うん?」 やっぱりその呼び方、まだ慣れない。 俺が少し動揺していることを悟ったのか、それとも言い出すのに勇気がいったのか。 しばらく黙ってから、壬生さんはようやく口を開いた。 「―――こ、このあと、私の部屋にこないか?」 壬生さんの誘いに乗って、部屋にお邪魔することにした。 寮の友達の部屋にいくなんて、友達同士の付き合いの王道ってところだろう。 「ヒメちゃん、おかえり!!」 「ただいま、スミちゃん」 「お邪魔しま〜す」 「あら、みーくん、いらっしゃい。今日も来てくれるなんて嬉しいわ、ね、ヒメちゃん」 「そうだな」 壬生さんは、そう答えたあと、机の上に鞄を置いた。 そして中から教科書やノートを取り出している。 一度整理するのかな。几帳面だ。 さて、俺はどうしよう……と思っていると。 「ほらほら、みーくん、座ってちょうだい」 「ああ、ごめん」 「ヒメちゃんもだめよ! せっかくお友達が来てるんだから、おもてなししないと」 「あっ。すまない、いつもの癖でつい片付けを」 「いやいいよ。俺はスミちゃんと話してるから」 「まっ、みーくんったら」 「そういえば……スミちゃんの名前は壬生さんがつけたのか?」 「いや、違う。元々、私は人形には名前をつけないようにしているんだ」 「え? なんで?」 「……うっかり人前で名前を呼んでしまったら、恥ずかしいだろう」 そういうものかな? 女の子って、わりといろんなものに名前を付けたがるような気もするけど。 「じゃあスミちゃんの名前は……」 「スミちゃんはスミちゃんよ!」 「そうなんだ。動き出した時から、自分のことをスミちゃんと……」 「スミちゃんは最初からスミちゃんよ!」 遺品自体が名前を付けたということだろうか……。 ということは、今行方不明中の小物たちにも全部名前がついている? 俺は少し考えこんだ。 「…………」 「みーくん?」 「あっ、悪い。ちょっと考え事してて」 「いや、いいんだ。邪魔したな」 「いやいやそんなことないよ」 「あーもう、二人とも他人行儀ねえ」 「えっ?」 「なんだか全然お友達ぽくないわ」 「すまない……」 「いや、壬生さんのせいじゃないよ。俺が」 「それそれそれ!」 「は?」 「それが友達っぽくないの。壬生さんって」 「じゃあ、鍔姫ちゃん?」 「……!!」 俺がそう言うと、壬生さんは息を飲んだ。 そしてみるみるうちに、縮こまって俯いてしまった。 「ど、どうした?」 「か、家族以外に……」 「え?」 「家族以外にちゃん付けで呼ばれたことがない」 ……割と特殊な人生送っているようだな。 「じゃあ、嫌かな」 「い、嫌というわけでは!」 「んじゃ、鍔姫ちゃんで……」 「ちょちょちょっと待て!」 どうしろと言うんだ……。 「いいじゃない。鍔姫ちゃんで。私はすごくいいと思うわ」 「そ、そうか? しかし、なんというか……」 「慣れないだけじゃねーの?」 「え」 「聞き慣れたら、そんなに気にならなくなるよ」 「そ、そうか……そうかも」 「……ああ、そうだ」 「それ以外は……照れくさいんだよ」 「何が?」 「だって名字以外ったら、下の名前だろ?」 「鍔姫ちゃんとか、鍔姫って……」 「はああーーーーー!?」 壬生さんは普段とはまったく違うテンションで後ずさった。 「なっ、分かれよ」 「わかんないわ!」 「ス、スミちゃん! もういいから! すまない、みーくん。恥ずかしい思いをさせてしまって」 「い、いや、恥ずかしいってわけじゃ……なんかごめん」 「いやこちらこそ。いろいろと迷惑をかけてしまっているのに、これ以上は……」 「迷惑ってことはないけど。そんな謝らなくても」 「いや、謝るのが筋だ」 「それならこっちだって」 あ〜〜なんだかワケ分からなくなってきた……。 「もう! 二人ともいったいなんなの?」 ごもっとも……。 「友達同士が名前で呼び合うのに、なんの不都合があるの?」 「ヒメちゃん、みーくんのことはみーくんって呼べるのに、どうして鍔姫ちゃんって呼ばれるのが恥ずかしいのよ」 「そ、それもそうなんだが」 スミちゃんの言うことは、至極まっとうであった。 「言われたらそうだな」 人形に正論を言われるのもなんだか不思議な感じだったけど。 「じゃあ……鍔姫ちゃんでいいかな」 「あー……ええと」 「そうだ、お茶でもいれてこよう」 若干気恥ずかしい雰囲気を変えようとしたのか、壬生さんがそう言った。 「給湯室でお茶をいれてくるから、待っていてくれ。日本茶でよかっただろうか」 「あ、ああ。頼む」 「では行ってくる」 慌ただしく壬生さん、いや鍔姫ちゃんは出て行った。 なんか微妙な空気になってたから助かった。 「みーくんってしっかりしてるように見えて、頼りないとこもあるのね」 「は?」 「ねえ、判ってる?」 「……なにがだよ?」 「私はお人形だから。この件が解決したら、私は動かなくなるのよ」 「………!」 正直、驚いた。 まさかこの小さな人形が、そこまで理解しているなど思ってもみなかったのだ。 「つまり、もうすぐいなくなっちゃうの、私は」 「あ……ああ…そういう、話だな」 「その時は、ちゃんとあなたがヒメちゃんを支えてあげてね。友達ってそういうものでしょ?」 「…………」 「だから、私が消える前に、もっとちゃんと仲良くなってよ」 「ああ……わかった…」 俺がそう言うと、スミちゃんは満足したかのように頷いてみせる。 それにしても、遺品から力を得た人形は、みんなこんな風に思考しているのか? それとも、スミちゃんが特別なのか……? 「待たせたな」 トレイに二つ湯飲みを載せて、鍔姫ちゃんが戻ってきた。 「どうぞ」 「いただきます」 温かい煎茶だった。 たまにはこういうのもいいな。 「ど、どうだ?」 「うん、うまい。部屋ではコーヒーばっかりだからさ、日本茶もいいな、たまには」 「そうか! よかった」 にこっと笑って、鍔姫ちゃんも湯飲みに口をつける。 一口のんで、ほっと息をつく。 「スミちゃんにも飲んでもらえたらいいのだが。今日の茶葉はなかなかよいものなんだ」 「あら、私は、ヒメちゃんが美味しそうに飲んでいる顔がご馳走よ」 「ふふっ」 仲良く話している二人。 いや、一人と一体か? それはさておいて、確かに信頼しあった友達といった感じだ。 遺品の人形を封印すれば、スミちゃんもおそらくただの人形に戻ってしまう。 鍔姫ちゃんは判っていると言っていたけど、それでも二人が別れてしまうことになるのは、切ないような気がした。 どんな形であれ、別れは嫌なものだ。 「そうだ、みーくん。今日、教室で……」 しばらくの間、俺たちはお茶を飲み話しながら過ごした―――。 「私、もう寝る時間!」 「え、もうそんな時間か」 「おやすみなさい。ヒメちゃん、みーくん」 「え、ああ。おやすみ……お?」 次の瞬間、それまで動いていたスミちゃんがくにゃりと力が尽きたように倒れた。 「おっと、突然だな」 「まったくだ」 苦笑しつつ鍔姫ちゃんが、スミちゃんを持ち上げる。 動かないし、喋らない。 まるで人形のよう……いや、人形なんだが。 鍔姫ちゃんはスミちゃんを人形を飾っている棚に戻した。 他の人形と共に、ちんまりと納まったスミちゃん。 本当に眠っているように、何の反応もない。 「スミちゃんは、朝になったら起きるのか?」 「私が目覚めるともう起きている。おはようの挨拶をしてくれるんだ」 「へえ……」 「私が学園にいる間は、部屋で留守番をしてくれているようだ」 その間、何をやっているんだろうな、スミちゃんは……。 「もちろん、部屋から出ることはない。誰かに見られたら驚かれるからと」 それはそうだ。 もしスミちゃんが動き出して、外に出歩いていたらすぐに特査に報告が来ていただろう。 「まあ、部屋のドアもスミちゃんの体じゃ開けられないだろうしな」 「そうなんだ。でも、スミちゃんと外に遊びに行けたら楽しいだろうな」 「誰も見てないところならいいんじゃねーの?」 「ほんとか?」 「多分」 「そうか、そうだな。考えたこともなかった。今度、場所を探してみる!」 「ああ、そうだな。じゃあ、そろそろ俺も部屋に戻るよ。お茶、ごちそうさま」 「いや。大したもてなしもできず、すまない」 「……また来てくれるか?」 「ああ」 俺は鞄を持って、鍔姫ちゃんの部屋から帰ることにした。 「ふう……」 「あ、湯飲みを片付けねば」 「さてと、給湯室へ……」 (みーくんか? 忘れ物でも?) 「はい」 「こんばんは、鍔姫ちゃん」 「え?」 (あ!! あの時の……私が目を入れた人形! ―――遺品の本体!) 「今日は鍔姫ちゃんに報告があります」 「……何だろうか」 「お友達を沢山作りました。もう少しで全部作り終わります。そうしたら、みんなつれて会いに来ます」 (リトさんが言っていたとおり……!) (どうする、私は封印の札を持ってはいない……ではせめて満足していると伝えることで遺品を止められないか……?) 「いや、それは必要ない」 「どうしてですか?」 「私には友達が出来たんだ。だからもう寂しくはないんだ」 「どなたですか、それは?」 「スミ……」 (待て。スミちゃん自体、この人形に作られたのかもしれない。それなら友達にはカウントされないと考えた方がいい) 「……久我満琉という一年生だ。今日も部屋で一緒に過ごしたし、それに……」 「判りました。ではその人のお人形も作りますね」 「なっ……!?」 「鍔姫ちゃんは久我満琉ともお友達になりたいのでしょう? お友達は沢山いた方が楽しいです」 「待て! 私はそんなことは頼んでいない!」 「大丈夫。心をほんの少しもらうだけ。痛くも痒くもありません。何も心配はいりませんよ」 「久我満琉、久我満琉、久我満琉を探さなくては―――……」 「待て! 行くな!!」 「もういない!? どこに消えた!?」 (失言だった、みーくんの名を出さなければよかった!) 「とにかく危険を知らせないと!」 「ここだな、みーくんの部屋は」 「私だ! 鍔姫だ。み…久我くん、いるのか? 開けてくれ!」 (……いないのか? 返事がない……) (しかし、先程は部屋に戻ると言っていたし、この時間なら部屋以外どこに……) (まさか、もうあの人形が!?) 「久我くん! 久我くん、大丈夫か!?」 「……そうだ!」 (風紀委員会用のマスターキー……非常時にしか使用は認められていないが……) 「―――いや、今は非常時だ!」 「久我……みーくん!!」 「……いない? こっちか!?」 「みーくんっっ!! 無事かっ!!」 「え」 「え」 「……………」 「……………」 「……鍔姫ちゃん……? な、なんで……?」 「――――っ!!! みっ、みみみみみ! みーくんがっ!! 遺品の人形がっおっおそっ!!!」 「ひゃあっ!!?!」 「あ、危ない!!」 なぜか突然シャワールームに飛び込んできた鍔姫ちゃんが、後ずさって足を滑らせた。 危ない! そう思った瞬間に彼女の体に腕を伸ばしていた。 反射的だった。 次に気がついた時、背中にはぬるっとしたタイルの感触。 そして体の上には。 「……鍔姫ちゃん……?」 俺の体の上に乗っかるように鍔姫ちゃんがいた。 人ひとり乗ってるわりには、重さを感じなかった。 鍔姫ちゃんの顔が近い。 ほぼ触れあってるくらいだ。 いや……もしかして触れてしまったのかもしれない。 鍔姫ちゃんは無言だった。 シャワーの音だけが聞こえる。 俺たちの上にシャワーが降り注いでいて、彼女の長い髪が濡れていた。 むあむあと蒸気がたって、白いぼんやりとした空気の中、鍔姫ちゃんが目の前にいる。 「あ、あの……」 どうしてここに? そもそも鍵がかかってたはずだがどうやって入ったんだ? なんでシャワールームに飛び込んできた? っていうか制服が濡れてしまう! いや、もう濡れてる! ようやく頭が回転しだしたころ。 「すま…ない……」 鍔姫ちゃんが、俺の体の上から起き上がって立ち上がった。 体が軽くなった俺も上半身を起こす。 鍔姫ちゃんのスカートが濡れて、体に張り付いていた。 彼女は俺から目を逸らして、そのままシャワールームを出て行こうとする。 「ちょ、ちょっと待て。そのままで戻るのか?」 声をかけたが、鍔姫ちゃんは振り向かなかった。 俺は慌てて立ち上がる。 「そこに置いてあるタオル使っていいから。なにか話あるんだろ。聞くから部屋で待ってて」 「……」 「そのままじゃ風邪ひいちまう」 「……わかった」 鍔姫ちゃんが頷いたのは後姿でもわかった。 彼女はそのままシャワールームを出て、ドアを閉めていった。 「な、なんだったんだ……今の」 とにかく出しっ放しだったシャワーを止めて、倒れたシャンプーのボトルなんかを元に戻した。 腰がちょっと痛い。 「まあ、素っ裸でタイルに倒れたら、そりゃあ痛いよな。……ん」 裸。 そりゃそうだ、俺はシャワーを浴びていたんだから。 自分の姿を改めて見て、血の気が引いた。 「あ、いや、男だから、まあ見られても……」 前向きに考えてみようとしたが、やっぱり落ち着かない。 見られた……か……? どこまで。 どのあたりを。 ……あまり考えたくない。 「でも、鍔姫ちゃん、倒れた後は落ち着いてたしな。意外と見てないかも」 きゃー!とかそういう反応があってもおかしくない状況だったが、それがなかった。 倒れた時もあんなに密着してたけど、特に気にした様子もなかったし。 まあ、さすがに飛び込んできたときは狼狽していたようだが。 「冷静でいてくれてよかった……」 「悲鳴あげられて、他の誰かがやってきたら、どう考えても俺がヤバかった……」 「……うっ、寒」 鍔姫ちゃんを待たせるのも申し訳ないし、早く着替えよう。 「…………はぁ」 「タオルまで借りてしまって、悪いことをした……」 「…………………」 (ばかか、私は――――――っ!!!!) (ととととんでもない、とんでもないことをしてしまった!!! ばかか、私は、いやばかだ!!) (男子のシャワールームに突然飛び込むという蛮行をした上、あ、あんな、あんな……!) (ものすごく引っ付いてしまったではないか! それどころか……く、く、く……) (唇になにか……触れたような…………あれはまさか……) 「いや、気のせいだ!」 (そうだ、そうに違いない! いや、そうでなければ困る! 取り返しのつかない失態だっ!!) (……もし気のせいではなかったら……私はみーくんと……) 「いや、気のせいだ、断じて気のせいだー!」 「何が気のせいだって?」 「ひゃあ!!!」 鍔姫ちゃんの様子をうかがうと、ちゃんと体は拭いたようで、髪も制服も乾きはじめていた。 床にくしゃくしゃになったタオルが置いてあるのは謎だけど……。 「タオル、もう一枚いるか?」 「あっ、いや、大丈夫だ! それはつい興奮してくしゃくしゃに……いや、なんでもない!」 鍔姫ちゃんは素早い動きで、タオルを拾い上げた。 「ならいいけど、風邪はひかないでくれよ」 「あ、ああ……」 「その……すまない。突然飛び込んでしまって……」 「あ、ああ。びっくりはしたけど……こっちこそ悪かったよ」 「どうしてだ!? みーくんが悪いことなんてひとつもない!」 「いやあ、なんかこういう場合は男が謝るべきっていうか」 鍔姫ちゃんは頭を深々と下げた。 「どうやって責任を取ればいいのか……」 「責任!? そんなの取る必要ねーし、何に対して!」 「つーか、鍔姫ちゃんこそ、嫌な思いをしたんじゃないか?」 やっぱり年頃の女子が男の裸を見てしまうって、気分いいもんじゃないよな。多分。 「嫌な思い? なぜだ?」 「あっ、いや……気にしてないならいいんだけど」 「嫌な思いなどしていない。私は至って平気だ!」 「だったらいいんだけど」 ということは、結局俺の裸はよく見えてなかったのかもしれないな。 「弟を何度も風呂にいれたこともあるし、見慣れているから平気だ」 ――――え。 見慣れてるって。 何をだ。 「………………………………」 「えっ、あの」 「だから、弟が幼稚園の頃、母に頼まれて、よく風呂にいれていてだな。その、だから見慣れているというか」 幼稚園の頃……? それと比べられて平気って、おい。 「いや、別に沢山見ているわけではないが! 何もかも平気というわけでもないが……」 「あ、いや、今は平気だった。別に気分など悪くしてないからな! 断じてしていない!」 「……つうか、結局見たんだよな?」 「あ」 あからさまに『しまった』という顔を見せた。 「見ていない!」 キリッという感じで言っても無駄だ。 どう見ても見ただろ。 俺は思わず、溜息をついてしまった。 「すまない……」 鍔姫ちゃんは、いつものような真面目な表情に戻った。 「ただでさえ、私のせいで遺品が起動して、特殊事案調査分室には迷惑をかけてしまっているのに……」 「わざわざ友達にまでなってもらったのに、こんなに迷惑をかけてばかりで、私はどうしたらいいんだ」 自分を責めているのか、声が弱々しくなっていく。 「自分がこんなに無能だとは思っていなかった。これまで風紀委員の仕事は、ちゃんとやれていると思っていたんだ」 「だが、みーくんには迷惑をかけ通しだ……。そんな自分が情けない……」 「……迷惑かけてもいいんじゃねえの」 「え?」 「そもそも、特査ってそういう仕事なんだし、俺は気にしてない」 「そう、なのか……?」 「それに友達っていうのは、片方が困っていたら助け合うのが普通だろ」 「それはもちろんそう思う!」 「だったら、俺が鍔姫ちゃんを助けたって、問題はないじゃねえか。違うか?」 「……あ」 鍔姫ちゃんは、ちょっと黙って。 そして、無言で頷いた。 納得したような表情。 「そうだ。私も友達が困っていたら全力で助ける。そうしたいし、そうあるべきだと思う」 「迷惑かけられてるなんて、思わないだろ?」 鍔姫ちゃんがようやく笑顔になった。 「でも?」 「やはり責任は取ったほうがいいのでは!? 婿入り前の男子の裸をみて、なにも謝罪しないというわけには!」 「……やっぱり見たんだ……」 「キリッって言ってもだめだ」 「見ていない!」 「そうかそうか」 「でも責任は取る!」 「どっちだ!」 鍔姫ちゃん、意外と頑固なところがあるな。 真面目ということなんだろうけど。 「じゃー責任取ってもらおうかなー」 「私に出来ることなら何でも言ってくれ!」 「わかった! そうさせてもらう!」 「ちょちょちょ、ちょっと待った!」 「なぜだ」 「真面目に答えるなよ。冗談だろ」 「え、冗談……?」 「悪い悪い、鍔姫ちゃんってほんと真面目なんだな。だから冗談だって」 「それに、こんな大事なこと簡単に返事するなよ。あーびっくりした」 「いや、私は……」 「責任は取らなくもいいから!」 「し、しかし……」 「そろそろ部屋に戻った方がいい。こんな遅くまで、男の部屋にいるなんて風紀委員としちゃマズいだろ」 「だが、しかし」 「はいはい」 ごにょごにょ言う鍔姫ちゃんに、俺は部屋からなんとか出ていただいた。 「……みーくん、その……」 「おやすみ〜」 「……おやすみなさい」 「ふーー……真面目すぎるのも考えものだな」 「ん? あれ?」 そういえば、彼女、なんで俺の部屋まで来たんだろ? しかもシャワールームに飛び込むくらい焦ってたんだよな? 「まあいいか。明日ちゃんと聞いてみよう」 「……冗談、だったのか……しかし……」 「結婚してくれ」 「わかった! そうさせてもらう!」 「……!」 (な、何を真剣に考えているんだ、私は! みーくんと結婚だなんて……) 「いや、あれは冗談だからして!」 「結婚してくれ」 「結婚してくれ」 「結婚してくれ」 「結婚してくれ」 「うわーーーー!!!」 「えっ?」 「あっ」 「壬生先輩、どうされたんですか!?」 「え、いや、すまない、何でもないんだ」 「そうですか? なんか顔が真っ赤で」 「もう時間も遅い。部屋に戻るように」 「はい、失礼します!」 「失礼しまーす」 (寝られるだろうか、今夜……) 放課後、俺は現状報告をするために特査分室にやってきていた。 「まだ遺品の本体は見つけられてないんだ。あまり有力な手がかりがなくって……」 「予想通りではありますが」 「予想通りって、どんな予想だよ?」 「………一から十まで説明しなければいけませんか?」 「そうですね、俺は頭がよくないのでよろしくお願いします」 「み、みっちー……落ち着いて……」 「あれだけの持ち物を奪っておいて目撃情報が一件もないことから考えて、姿を隠蔽する能力があるのではないかと推理するのは当然だと思いますが」 「っつーことは、あの人形は普段は見えないってことか?」 「無論、リトさんに確認も取りました」 「アンリ・シェブロは、人から心を抜き取る時か、もしくは起動した人間の元に現れる時でないと、姿の見えない遺品です」 「なんつーややこしい……」 「みっちーのほうはどうなの? 壬生先輩と仲良くできてる?」 「えっ、うん、まあまあかな?」 「曖昧ですね。進捗をはっきり報告してください」 「進捗って! 何を報告したらいいんだよ!」 「昨日はどんなことをしたの?」 昨日のあれは、まったく報告できる気がしない。 そうだ。 どうして鍔姫ちゃんが飛び込んできたのか聞かないと。 「わりぃ、俺、鍔姫ちゃんに用事があるんだった。行ってくるよ」 「……あ」 「ん?」 おまるは、にこっと笑った。 「呼び方が変わってる! なんだ、仲良くやってるんだね!」 「あ、ま、まあな」 「用事とはどのような?」 「なんで報告しないといけないんだ!」 「壬生さんのお友達に関係あることなら、把握しておく必要があります」 「そんなこと言われても」 「すまない! 久我くんはいるか!!」 「あ」 「噂をすれば」 「噂?」 「いや、なんでもない。ちょうどよかった。鍔姫ちゃんのところに行こうと思ってたんだ。昨日のことで……」 「昨日……」 鍔姫ちゃんは、少し頬を赤らめたようだった。 まずい。 いらんことを思い出させてしまったか。 「ねえ、何があったの?」 「あっ、いや……」 「う、うん。えーと……あっそうだ! 途中になっていた話があったんだよな!」 「そ、そうなんだ。私もそれを話しに来たんだ」 「それは私たちも一緒に聞いて大丈夫なことでしょうか?」 「ああ、むしろ聞いてもらったほうがいい。遺品に関係あることだ」 鍔姫ちゃんは、昨日彼女の前に遺品の人形が現れたこと、俺の名前を出してしまったこと。 そして遺品が俺を狙っていることを話してくれた―――。 「すまない、私の不注意でこんなことになってしまって」 「いや、それは大丈夫なんだけども」 しかし、次に狙われているのは俺なのか。あまり実感はないが。 「いいえ、これは好機です」 「う、憂緒さん!?」 「遺品は、久我くんの前に現れると予告していきました。と、言うことはこちらは待っていれば遺品を捕まえることが可能です」 つまり、俺が囮ってことか?? 「しかし、それは危険ではないのか?」 「とりあえず危害を加えるわけではないので、大丈夫でしょう」 おいおい。 「その心を抜かれるっての、自分では判らないんだよね? もしかしてもう抜かれてるとかってことはない……かな?」 「え!?」 俺自身には思い当たる節はないが、記憶も一緒に持っていかれるのなら、気がつかなくてもしょうがない……。 「確かにその可能性もありますね。リトさんに確認してみましょう」 モー子はつかつかと内線電話に近寄り、慣れた手つきで電話をかけた。 相手はリトだ。 未だに正体がよくわからない図書館の住人。 「特査分室の鹿ケ谷です。お聞きしたいことがあって……」 電話で話してるモー子を、鍔姫ちゃんが不安げな目つきで見ていた。 「……そうですか、ありがとうござました」 モー子は、電話を切った。 「リトさんの話によると、久我くんがもし心を抜かれれば、すぐにそうだとわかるとのことです」 「どういうことだ?」 「心を抜かれる時には、ほんの少しですが魔力も一緒に抜かれるのですが……」 「久我くんは潜在魔力がほぼ0ですから、魔力の代わりに意識を持っていかれて昏倒してしまうとか」 鍔姫ちゃんが、心底安心したように息をついた。 「能力が無い事が、良い方向に向くこともあるのですね。大変勉強になりました」 「皮肉かよ……」 「ええ、何しろきみのその性質のせいで、ヤヌスの鍵の事件では――」 「あーはいはい! だからあれは悪かったって言ってるだろ!」 「えっと。ということは、これから遺品がみっちーの前に現れるってことだね」 「そうなるな。よし、その時に捕まえようぜ。闇雲に探すよりかえって楽になったかもしれないな」 「私にも手伝わせてもらいたい!」 「えっ」 「ボディガードとして、久我くんの傍にいさせてくれ。夜も寝ずの番で張り込もう!」 相変わらず鍔姫ちゃんは、この件に関してやたらめったら責任を感じているようだ。 昨日あれだけ迷惑ではないって言ったのに、もしかして忘れてやしないか? 「こう見えても、体力には自信がある」 「あ、いや、それはなんとなくわかってるけど」 「心強いよ」 まあ、確かに鍔姫ちゃんと一緒にいたほうが、効率的といえば効率的か。 何かあった時に彼女を守ることができるだろうし。 そう考えると彼女の申し出はありがたかった。 鍔姫ちゃんは、ほっと溜息をついた。 「いけない。風紀委員会の会議を抜け出してきたのだった。終わったら、すぐにここに来る! だから待っていてくれ」 「ああ、わかった」 「では!」 「壬生先輩、慌ただしい……」 「別にいいから」 「相手は遺品とはいえ人形なんだし、危ないこともないだろ」 それより、女の子に夜通しで番をさせるとか、そっちの方が気がひけてしまう。 「で、でも……このような事態を招いたのは、私のせいなのだから責任を取らせてもらいたいんだ……」 「いやだから、鍔姫ちゃんのせいってわけじゃ」 確かにそうだが……。 鍔姫ちゃんは可哀相なくらいに申し訳なさそうに、縮こまってしまっている。 このまま断ってしまうのも、さすがに気がひけるな……。 「わかった。じゃあ、お願いできるか?」 「……ありがとう。風紀委員会の会議を抜けだしてきたので、これから戻る。終わったら、ここにくるから待っていてくれるか?」 「ああ」 「では」 「なんだか大変なことになっちゃったね」 「あの、ところで相談なんだけど」 鍔姫ちゃんが出て行って、しばらくするとおもむろにおまるが口を開いた。 「人形がやってきた時のためにおれたちも一緒にいたほうがよくない? 人手は多いほうがいいだろうし」 「その提案は却下します」 「え。どうして?」 「あの人形型遺品は、壬生さんの魔力で動いているわけでしょう? 壬生さんとの間に魔力のパスが繋がっていると仮定すると……」 「壬生さんの行動から、こちらの動きが筒抜けになる可能性があります」 「そういうものなの?」 「それに、全員が同じ場所にいると、不測の事態に対応しにくいかと」 「でも捕まえる時は、二人もいてくれたほうがいいぜ。何よりあの札、持ってるのモー子だけだし」 「もちろん、そのつもりです。遺品を保護することが特査分室の使命ですから」 「監視カメラを用意して、私と烏丸くんは別室で見張ることにしましょう」 「え。俺の部屋に設置するの?」 「何か問題が?」 「いや、ない。ないけどさあ」 「ではカメラを借りにいきましょう」 「どこに?」 「視聴覚室です」 (それにしても大丈夫なのかな、みっちーと壬生先輩で、二人きりで一晩なんて……) (みっちーがどうこうって思わないけど、壬生先輩、けっこうきれいだし、なんかくらっときちゃったりとか、ないかな) 「どうかしましたか。まだ何か心配事でも?」 (わ、憂緒さん、やっぱり鋭いなあ。前を歩いているみっちーに聞こえないように……) 「いや、二人きりにするのはどうかなって思って」 「年頃の男女二人が一晩を過ごすとなると、確かに場合によっては心配でしょうが、壬生さんの性格から言って問題はないでしょう」 「んーまあ、そうなんだけど、でも、すごーく気にしちゃう人もいると思うから」 「誰です?」 「えっ、えっとだから……村雲先輩、とか」 「なぜ?」 (えっ、村雲先輩が壬生先輩を好きなのって見ててバレバレじゃない? 意外と憂緒さん、へんなとこで鈍い?) 「えーと、みっちーが村雲先輩に恨まれないかなって心配で」 「……よくわかりませんが、気にするようなことでしょうか?」 「ええーっと…」 (まあ、村雲先輩が一方的に好きなだけかもしれないけどさあ……) 「二人とも、どうした? 何話してんだ?」 「い、いや、何でもないよ!」 「お邪魔します」 「ああ、どうぞ」 先ほどまで、モー子たちはカメラのセットをしていた。 鍔姫ちゃんは、一度部屋に戻っていたようだ。 「鹿ケ谷さんたちは、まだ人形を捜索しているのだろうか?」 いや、監視カメラから今この部屋の様子を探ってると思います。 だがその事は秘密にしろとモー子から言われている。 ……返事をしてしまうと、またしても嘘を見破られそうだったので、俺は適当に話をはぐらかした。 「とりあえず、座ったら。コーヒーでも飲むか?」 「いや、お気遣いなく」 「そうはいっても、朝まで長いぜ」 鍔姫ちゃんは頷くと、何かに気づいたようにその動きを止める。 「……………朝まで?」 「え? ああ、そうだろ?」 「そ、そうだったのか!?」 突然、鍔姫ちゃんは動揺しだした。 「そうだ、朝まで二人きりということか……! なんということだ……!」 「え、気がついてなかったの?」 「す、すまない。私はこの件でどう責任をとるか頭がいっぱいで……!」 「友人と一晩二人きりなんて、はじめてのことでどうしたらよいのか! お土産を持ってくるべきだった!」 鍔姫ちゃんは真っ赤になって舞い上がっている。 いや、そこまで意識されても、何というか。 「いや、そんなに気負わなくても」 「みーくんは、こういうのは平気なのか?」 改めて聞かれると。 なんだか恥ずかしいじゃないか。 「えっと」 「これは目的のための手段なんだから、別になんてことはないだろ!」 「手段?」 「遺品を捕獲するという目的な」 「あ、ああ。そうだったな! あの遺品を捕まえないと!」 「そうだそうだ。だから、ひとまず座って。はい、コーヒー」 「ありがとう……」 しん。 あ、なんか気まずい雰囲気。 っていうか、どうしろっていうんだ。 「そういえば、スミちゃんはどうしてる?」 「今夜は戻らないという話はして、おやすみの挨拶はしてきた。棚に戻してきたので、今ごろはもう寝てると思う」 「なるほど」 そんな会話はしたけども、やっぱり朝まで気まずいままで過ごした……。 そして一夜があけ、放課後……。 「ふわああああ〜〜〜!」 「きみは先ほどからあくびばかりですね……」 「うう、だって昨日は結局徹夜だったじゃないですか」 「そういうモー子も眠そうだぞ」 「生理現象です」 「なんとか授業は乗り切ったが、今はさすがに眠い」 結局、昨夜は例の遺品は俺の前に現れることはなかった。 俺は鍔姫ちゃんと部屋でそのまま朝を迎えて、別室でカメラを監視していたおまるとモー子もほぼ徹夜。 今、この分室にはどよーんとした空気が漂っている。 「それにしても、どうして現れなかったんだろう?」 「遺品にとって、昨夜はなにか都合が悪かったのでしょうね」 「んー、だとすると……」 「待ち伏せしてるのがバレたかな」 「どうやって?」 「それは……」 スミちゃん、そして鍔姫ちゃんを通して遺品本体に情報が伝わっている可能性を俺は考えたが、それは鍔姫ちゃんには言わないほうがいいと思った。 「それはだな……ええと」 「…………」 「遺品には魔力がありますから、なにか察知する力があるのかもしれません」 「そうか……」 モー子が俺をちらっと見た。 どうやらモー子も俺と同じ考えだったらしい。 とっさのフォローはありがたいが、相変わらず冷たい視線だった……。 「俺の部屋の場所知らないとか」 「……盲点でした。あり得ますね」 そういえば、スミちゃんは状況がわかっているようだったが、本体の人形の方の知能もあそこまで高いのだろうか? まあ、仮に知能が高くても、見つけられなかった可能性はある。 「それでは、遺品はまだ久我くんを探している最中と?」 「その可能性はあります」 「名前しか知らないもんね、考えてみたら」 さて次はどうしようか、と言った空気が流れたが。 「すまない。そろそろ見廻りの時間だ。行かなくてはならない」 「ああ、そんな時間か」 「何も役に立たず申し訳ない」 「この後、特査分室でまた方法を考えてみます。壬生さんの力が必要な時は声をかけますから」 「そうしてくれ。では失礼する」 「さて、どうする?」 「提案があります」 「相手はやはり人形ですから、鍵がついた寮の個室にでは襲いにくいのかもしれません」 「なるほどな……じゃ、モー子の提案ってこうだろ?」 「やっぱり待つより捜すだよな。攻めの姿勢でいかないと!」 「全く違いますよ。もっと人形に判りやすい囮作戦をするべきかと」 「囮?」 「はい」 「……それは俺か?」 「はい」 「俺が囮になればいいんだろ?」 「よくおわかりで」 「確かにそれは確実だろうけど……」 「では話は決まりですね」 ああ……確かに囮になるとは言った。 俺の存在をあからさまにしたほうが、判りやすいとも思う。 だが……。 「ねえ、みっちー。痛くない?」 「痛くはないがな……」 「ごめんね、まさかみっちーを椅子に縛り付けることになるなんて……」 「いや、いいんだ。仕方ないさ……」 「よしっと。あまりキツくはしてないからね」 「憂緒さん、指示通りやったよ」 「ご苦労様です」 「でもいくらなんでも、あからさますぎないかこれ……」 俺たちがいるのは廊下だった。 その真ん中に俺は椅子にくくりつけて座らされている。 まさに囮。 いや、『餌』っつー雰囲気だ。 「では、私はあちらの教室にいればいいのね」 図書館以外でリトを見るのは珍しい。 「ええ、お願いします」 リトは、俺から離れて、三つ先の教室にはいっていった。 俺の後ろは非常扉が閉めてある。 つまり、行き止まり状態というわけだ。 「私と烏丸くんは、こちらの教室で待機しています」 「わかった……」 「行きましょう、烏丸くん」 「みっちー、がんばって……」 おまるとモー子は、すぐ手前の右側の教室に入っていった。 みんなの姿が見えなくなると廊下はシンとした雰囲気になった。 「誰かに見られたら言い逃れできない恰好だな……」 椅子に縛り付けられて廊下の真ん中。 なんのプレイだよ。 「わかりました」 「ちょっと戸をあけておいたほうがいいかな? 窓、シャッター閉めちゃったし……」 「そうですね、廊下の様子を見るのに必要でしょう」 「でもあれ、露骨すぎないかな? いかにも囮って感じというか……」 「アンリ・シェブロそのものの知能はそこまで高くない……幼児並と言ったほうがいいかしら」 「ちなみに、アンリ・シェブロに作られた『お友達』も遺品と同じくらいの知能レベルみたいね」 「――と、リトさんは言っていましたので、大丈夫だと思われます」 「え、餌って……」 「運がよければ、アンリ・シェブロが心を取るためにやってくることでしょう」 「人形がきたら、リトさんに非常扉を閉めてもらうんだよね?」 「はい。彼女には自分でタイミングを見て、閉めるようにお願いしているので、特に合図などはいりません」 「了解しました!」 「教室の廊下側の窓は、学園長に頼んでシャッターを閉めてもらいました。これで人形を袋小路においつめたことになります」 「あとは、現れた遺品の本体を捕まえて封印、と」 「はい、アンリ・シェブロのみでしたら、そのように行動して下さい」 「ただし、アンリ・シェブロが作った『お友達』を引きつれてきた場合……一網打尽にするために、用意したのがこの罠です」 「廊下に網はって、見えないように暗幕を上からかぶせただけだけど、大丈夫かな……?」 「知能が高くない、という情報にかけます」 「わかりました。とりあえず、人形がいっぱい来たらこのヒモをひいて、網で捕まえるってことだね」 「はい、網は『お友達』をすくって、天井まであがるようになっています」 「おれたちはどれが遺品の人形か判らないもんね」 「捕まえてから、ゆっくり目的の人形を探して封印すればよいでしょう」 「捕まえた後なら、壬生先輩に確認してもらったら?」 「そうですね。捕まえた後ならいいでしょう。今までは、遺品に情報が伝わらないように壬生さんに内緒でことをすすめてきましたが」 「捕獲した時は、協力してもらうかもしれません」 「それにしても、この網、けっこう大きいからひっぱるのに力いりそう……」 「私たち二人で頑張るしかないですね」 「リトさんの話では、『お友達』は10体くらいじゃないかって話だから、この網はデカすぎないかな…」 「通例ではそうだということですが、万が一ということもあるので、大きめのものを用意しました」 「もう少し人手があると助かるのですが、すでに下校時間、風紀委員には壬生さんに情報が漏れると問題なので援助は頼めず……」 「若干不安ですが、この人数でやるしかないでしょう」 「でも、学園長も数時間でこんなものを用意してくれるなんて、すごいね」 「学園長ですから」 「上手く捕まえられるといいなあ。頑張らないと!」 「みーくん!」 「みーくん?」 「廊下から?」 「いったいどうしたんだ! こんなところに縛り付けられて!」 「いけない。作戦の邪魔になってしまう!」 「どうしてこんなことに! 遺品に襲われたのか!?」 「あ、いやーー」 よりによって一番見つかってほしくない人に……。 とは言っても、この時間校舎にいるのは風紀委員だけだからな。 「いますぐ解く。待ってくれ」 「いや、鍔姫ちゃん、これは……」 と、説明しようとして、俺ははっとする。 元々この作戦は、鍔姫ちゃんに伝わらないようにということで風紀委員会には秘密で進めていたんだった。 「……意外と緩かったな。ほどけたぞ」 「す、すまない」 とりあえず椅子から立ち上がると、教室のドアからモー子が顔を出していた。 声に出さないように、口だけを動かして……。 ……さ、く、せ、ん、ぞっこ、う……。 「……なるほど」 「なにがだ?」 「あ、いや……」 モー子はすぐに顔をひっこめたので、鍔姫ちゃんは気がつかなかったようだ。 「いったい誰にこんなことをされたんだ!? 場合によっては、風紀委員会で取り上げるべき議題だ!」 「ええと……」 なんと説明して誤魔化そう。 鍔姫ちゃんを通じて、遺品に情報が伝わらないようにしなければ。 ここは一つ、俺の演技力で……。 「うっ、足がしびれた!」 俺はうずくまった。 我ながら、苦しい演技だとは思いつつ……。 「どうした!? 大丈夫か!?」 しかし、鍔姫ちゃんは心配してくれた。 なんだかとても心が痛い……。 「だ、大丈夫。このまま休めば……」 「そうか?」 おろおろしている鍔姫ちゃん。 さて、とっさに話は逸らしたけど、この後どうしたらいいんだ……。 「趣味なんだ、ほっといてくれ!」 「……しゅ、趣味?」 『いったいどういう趣味だ!』と、つっこんでくれたほうがありがたいのだが、鍔姫ちゃんはぽかーんとした顔をしている。 「…………」 しまった、誤魔化せたかもしれないけど、別の問題が生じている。 きっと、モー子とおまるも教室の中で呆れてるだろうな。 いったいどうやってこの後を誤魔化せば!と、苦悩していると。 「……っ!」 急に鍔姫ちゃんが後ろを振り返った。 彼女の視線の先は、廊下の向こう側。 何だと思って、俺もそこに注目する。 「……あれは」 視線が自然と下のほうへ。 というのも、なにか小さいものがもぞもぞと動きながら近付いてきている。 ……人形! 「あれが、遺品が生み出したものか!?」 「ああ……」 鞄に下げる小さなマスコットやストラップ、大きな熊のぬいぐるみや、民芸品らしき和風の人形など。 それぞれ個体でみれば、かわいいもんばっかりなんだろうけど。 それが動いている。 しかも集団で。 かなり、不気味な感じだ。 でも作戦どおり。 モー子とおまるも、教室の中で緊張しているに違いない。 しかも数が。 「……みーくん。確か図書館で話を聞いた時は10体くらいでは……という話だったが……」 「………ああ、どうみてもそれ以上いるな。それどころか……」 リトの話では、生み出される『お友達』は10体くらいじゃないかということだった。 しかし、今やってくる集団はそんな数じゃない。 ひとつひとつが大きくないから、数えるのは無理だろうが……。 どう見ても、100は超えているように思える! 「鍔姫ちゃん! お友達を連れてきました!」 その集団の中から声が聞こえる。 声が聞こえることで、さらに不気味さが増した。 「鍔姫ちゃんが言っていたお友達は見つけられなかったのですが」 「だけど、これだけいれば寂しくはないですよね?」 「鍔姫ちゃーん」 「会いたかった」 「私、あなたのお友達よ」 「鍔姫ちゃん」 鍔姫ちゃんに呼びかけながら、そいつらは徐々にこちらに近付いてきた……。 「うわわ、来ちゃったよ、憂緒さん! しかもなにあれ! あの数!」 「あっ、リトさんが、非常扉を閉めてくれてます!」 「罠を動かしましょう! 全部まとめて捕獲します!」 「この紐を……! よいしょっと!」 「じゃあ、いきますよ! せーの!」 「えいっ!!」 「……う、おもっ!」 「……想像以上に……人形の数が多いからですねっ……」 「多すぎて、網から落ちちゃってるのもいる!」 「とにかくかかった分だけでも捕獲します!」 「なんだ!? この網は!?」 「特査が設置した罠だ、ていうか鍔姫ちゃん気づいてなかったのか……」 「え!? い、いや、みーくんのことで頭がいっぱいで」 「鍔姫ちゃん、この中に遺品の本体がいるはず。それを探してくれないか」 「な、なるほど、判った!」 「アンティークドールのような、年代物の人形なんだ。すぐ判る」 「アンティークドールか。じゃあ、俺も探す」 「な、なんとか上まで上げたよ! うぅ、手が痺れる……」 「この紐をなにかで固定しなくては……」 「どどどどうするの? 机にでも結ぶとか??」 「そうですね。しかし、私が手を離してしまっては――」 「うわっ」 「……烏丸くん?」 「うわ、うわ、うわわわわわわっ!!! 人形が!! 人形がああ!」 「か、烏丸くん、落ち着いて」 「あなたたちがみんなを捕まえたの? 離しなさいよ」 「私たちはみんなお友達。返して」 「お友達を返しなさい」 「ひぃぃぃぃ!! 来ないでーっ!! こ、怖い! 怖いいいいいい!」 「烏丸くん、落ち着いてください! これは元々、生徒の持ち物です。怖がることなどありません!」 「ちが、おれ、こういう黒目の人形、だめなんだああ!」 「ええっ!?」 「返しなさい」 「お友達、返して」 「返して」 「返して」 「うわあああああ!! みっちー! 早くしてええ、こわいいいぃぃ!!」 「なんだ!?」 「早く本体みつけてええ!」 「今やってる! お前男だろ! しっかりしろ!!」 「わ、わ、わかった!! おれは男だ! がんばるぅがんばるから! はやくぅぅ!」 「烏丸くん、この人形たちにはたいした腕力はありません! 何とか耐えてください!」 「ねえ、返して」 「うわあああ、ズボンひっぱらないでー! やめてくださいー! むり! むりですうう!」 「返しなさいよ」 「うわ、うわ、ちょっ……!」 「あ、危ない……!」 「えっ……ああーーー!」 「いけない、紐が! ―――っ……!」 (重いっ、ひとりじゃ無理!!) 「……く」 「………くん」 「久我くんっ―――!!」 「モー子……!?」 いつもとは明らかに違う切羽詰まったモー子の声。 (……ヤバイ!) そう直感すると同時に足を速めた。 あのモー子が他人に――それも俺に頼るなんて尋常じゃない。 「大丈夫か!?」 「きゃっ……!」 紐に飛びつき引き寄せると、ぶら下がるように無理矢理支えていたモー子がよろめいた。 「……こ、久我くん……」 そして呆然と俺の顔を見上げる。 自分で呼んだくせに、何故か途方に暮れたような様子だった。 「惚けてる暇はねえぞ?」 「っ…、わ、わかっています」 「こら、おまる! なにやってんだよ!」 「ううぅ、ご、ごめん……」 「ひ、紐が」 「わかった、モー子、俺と一緒にひっぱるんだ」 「はい!」 「友達、返して!」 「せーの」 「はい!」 「……これが最大限だな」 「これで、網にかかっている人形は動けないと思います」 「ここは俺が。モー子は鍔姫ちゃんのところにいってくれ。鍔姫ちゃんが、遺品を探してくれてる」 「ですが、私が手を離しては……」 「……大丈夫だ。お前俺の腕力なめてるだろ」 「……」 「いいから、行け」 「わかりました」 (どこだ、あの人形は……) 「……鍔姫ちゃん」 「――見つけた!」 「どうしてそんなに怖い顔をしているのですか? お友達を、沢山つれてきたのに」 「逃げるな!」 「……この先に行けない……」 「なるほど、さっき非常扉が閉まったのは、閉じ込めるためか。よく考えられている」 「鍔姫ちゃん……」 「邪魔しないで」 「私たちの邪魔しないで」 「鹿ケ谷さん! 本体を見つけた!」 「封印します、協力してください!」 「この札を受け取ってください!」 「わかった! 君がいつもやっているように、遺品に貼ればいいんだな!」 「そうです!」 「鍔姫ちゃん。やめてください!」 「もう終わりだ。あきらめろ」 「そんなことをすれば、お友達はいなくなります! みんな、です!」 「みんな! 鍔姫ちゃんのお友達が、いなくなってしまうのですよ!」 「―――っ………!」 「おかえりなさーい、ヒメちゃん!」 「ふふっ、そうよー? これからはずっとスミちゃんがお出迎えよ!」 「ずっと……」 「そうよ、駄目?」 「まさか! 嬉しいよ、スミちゃん」 「よかったぁ! 私も嬉しい!」 「ずっと、ずーっと仲良くしましょうね、ヒメちゃん!」 「………私だって……ずっと……ずっと仲良く……!」 「壬生さん!?」 「あ……」 「壬生さん、早く貼り付けて下さい!」 「邪魔しないで」 「鹿ケ谷さん!!」 「鍔姫ちゃん、一緒にいよう」 「鍔姫ちゃん、私たちがお友達よ」 「鍔姫ちゃん、そんなものは捨てて」 「そうです、鍔姫ちゃん、私たちと一緒にいましょう」 「ずっと、一緒にいましょう? ね?」 「…………!!」 (――ずっと、ずーっと仲良く……) 「壬生さん! 耳を貸してはいけません!」 「ずっとです、みんなでずーっと一緒にいてあげますよ」 「いてあげる」 「いてあげる」 「私は……」 「私は…………っ……!」 廊下に出て真っ先に目に入ったのは、人形たちに取り囲まれただひたすら立ち尽くす鍔姫ちゃんだった。 そんな鍔姫ちゃんに俺は――。 「そんな奴につくられたもん友達じゃねえ!」 「みーくん!」 人形たちに取り付かれていたモー子を抱き起こしながら、俺は鍔姫ちゃんに向かって叫んだ。 「久我くん、罠は……!」 「机に縛り付けてきた。おまるに押さえてもらってるから、なんとかなるだろ」 「鍔姫ちゃん!」 「みーくん……私……」 「与えられた友達なんて、友達じゃない。違うか?」 「そ……そうだ、私は……」 「友達ならもういるだろ!」 「みーくん!」 人形たちに取り付かれていたモー子を抱き起こしながら、俺は鍔姫ちゃんに向かって叫んだ。 「久我くん、罠は……!」 「机に縛り付けてきた。おまるに押さえてもらってるから、なんとかなるだろ」 「友達ならもういる……」 「そうだった……すまない! 私は、君のことを忘れるなんてどうかしていた!」 「―――遺品は封印する!」 「駄目です! みんな、鍔姫ちゃんを止めてください! あの札を取り上げて!」 遺品の言葉に、わらわらとそばにいた人形達が鍔姫ちゃんを取り囲む。 くそ、間に合うか……!? 「させないわ!」 「えっ!?」 廊下に放り投げられていた、鍔姫ちゃんの鞄。 そこから突然飛び出したのは、いつもは寮の鍔姫ちゃんの部屋にいるはずのスミちゃんだった。 「そうよ、ヒメちゃん! 遺品は封印するの! ヒメちゃんは、いつだって本当の友達を作れるのよ!」 「スミちゃん!!」 「さあ、動かないで、おとなしくするのよあなた達!」 「なっ…」 「う、動けない……」 「動けないよお……」 「ど、どうして? 私の力が届かない……何が起こっているのですか?」 「……他の人形たちが……一斉に止まった…!」 「ヒメちゃん、今のうちよ。早く封印を!」 「……!」 「スミちゃん……私は」 「わかってる。大丈夫、だから。ね?」 「―――わかった!」 「やめて! やめてください! そんなことをしたら、みんないなくなってしまいます!」 「それでいいのよ! ヒメちゃんには偽者の友達なんて必要ない!」 「これで……!!」 鍔姫ちゃんが人形に札を貼り付けたのを見て、モー子が即座にいつもの呪文のような言葉を唱える。 「鹿ケ谷憂緒が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる!」 「……刻を、止めよ!」 「…………!!!」 「鍔姫ちゃ……ん……ツ、バキ……チャ……」 「…………………」 封印の札を貼られ、遺品の人形はぱたりとその場に倒れる。 それと同時に、俺たちを取り囲んでいた人形達も、次々と床に倒れていった。 「人形たちが……!」 「止まった……」 「成功したの!? 教室にいた人形が止まったよ!」 「おまる!」 「……成功、したんだな」 「ええ、封印完了です」 「鍔姫ちゃん………」 「――――スミちゃん!!」 「……ヒメちゃん……」 鍔姫ちゃんが急いで駆け寄ると、スミちゃんはぽふん、とその場に尻餅をつくように倒れた。 「スミちゃんっ!! 大丈夫か、スミちゃん!?」 大事そうにその身体を、鍔姫ちゃんがそっと拾い上げる。 「ふふ……大丈夫よ、大丈夫」 「スミちゃん……」 大丈夫、とは言っていても、スミちゃんはいつものように元気に動こうとはしない。 ただ、丸っこい手がそっと自分を抱く鍔姫ちゃんの顔に向かって弱々しく伸ばされた……。 「あ……ありがとう、スミちゃん……。でも、どうして……?」 「……どうして? なにが?」 「だ、だって、スミちゃんは……!!」 「どうして自分も消えてしまうのに、助けてくれたんだ??」 「……そんなの、当たり前じゃない?」 「だって……私はヒメちゃんのお友達……だもの」 「……スミちゃん……」 「お友達を助けるのは、当たり前のこと……そうでしょ?」 「う……うん、そうだ……そうだな……」 「助かったよ、本当に……私は……私はずっとスミちゃんに助けられてばかりだな……」 「……ふふ。でもね……これが、最後よ……」 「スミちゃん!」 「ごめんね、もう……行かなきゃ……」 「……スミちゃん……」 「ヒメちゃん、大丈夫よ……勇気を出せば……もっともっとお友達ができるわ……だから……」 「スミちゃん!!」 「だから、泣かないでね……勇気を出して」 「……うん、スミちゃん……わかった……」 「すまない、最後まで心配ばかり……かけてるな。もう、平気だ……」 「寂しい、けど……っ、わ、私は……もっと……勇気を、出せる……と、思う……」 「うん、知ってるわ。さっきも、勇気……出してくれたものね」 「……でもね、本当は……札を貼るの、一瞬だけためらってくれたこと……私のこと気にしてくれたこと……」 「……嬉しかった」 「スミちゃんっ!!」 「ありがと……ヒメちゃん。楽しかった……本当に、ヒメちゃ……に……会えて……良かっ……」 「私も……! 私も……楽しかったよ、スミちゃん!」 「……だい、すきよ。ずっと……」 「うん、スミちゃん……大好きだよ、ずっと、ずっと友達だ……!」 「…………………」 「スミちゃん、聞こえるか? 私もだよ? 楽しかった、本当に……ほんと、に……っ……たの、しくて…………」 「…………………」 「……スミちゃん……!!」 「…………………」 「…………スミ……ちゃん…………ありがとう……スミちゃん……」 ……スミちゃんはもう答えなかった。 それでも鍔姫ちゃんは、何度も何度も、ありがとう、と呟き続けていた……。 スミちゃんは動かなくなってしまった。 鍔姫ちゃんは、スミちゃんの体を大切そうに撫でていた。 「っ……く、ひくっ……」 「なんでお前まで泣いてんだ」 「だってぇ……」 「まあ、気持ちはわからんでもないが……」 「……睦月」 俺の後にいたモー子が何か呟いたようだったので、俺は振り返った。 ぱっとモー子と目があった。 「……!」 すぐに彼女は目を逸らして俯く。 なんだ? 「うっうううっ」 「おまる、泣きすぎだろ……」 「だって」 「あ……」 鍔姫ちゃんはスミちゃんを抱きしめたまま、立ち上がった。 指で目元を拭う。 「……………」 「もう大丈夫か?」 「……ああ、すまない。この子たちも持ち主に返さなければな」 廊下のあちこちに転がっている人形と、罠にかかっているものたち。 回収しなきゃいけないだろう。 「……でも……スミちゃんは……連れて帰ってもいいかな?」 「いいだろ、そりゃ」 「い、いいのか? そんなあっさり……封印しなければまずいとか、そういうことは……?」 「元凶の遺品には札貼ったんだから、大丈夫だろ」 「……まあ、そうですね」 「そうか。ならスミちゃんは、この後も私の部屋に置いておくよ」 「ああ、そうしたらいい」 「その人形だけは、遺品の指示に従わなかったですね……」 「それは、スミちゃんが壬生先輩の本当の友達だからだよ。いい話だっ、うっうっうっ」 「だから泣きすぎだっつーの」 「……本体を封じた時、他の『お友達』は即座に動かなくなったのに、スミちゃんだけはしばらくの間喋れていたのが不可解です」 「マジ動じねえな、モー子……」 流されないというかなんというか。 さっきピンチの時は、ちょっといつもと違った気がしたのにもう普段のペースに戻ってやがる。 「でも確かに、スミちゃん以外の人形達はすぐ動かなくなっていた」 「スミちゃんだけ特別だった……あるいは…?」 そうだ。他の『お友達』はただの人形に戻っていたのに。 もしかして……。 「遺品の本体はスミちゃんかもな」 「え!?」 「さっき、スミちゃんが登場したら、他の人形たちが動けなくなってただろ? 本体であるスミちゃんが何かしたのかなって」 「だとしたら、スミちゃんに札を貼らなければ封印できませんよ」 「あ、そっか……」 俺は今やただのアンティークドールになっている本体をみた。 札はぺたっと貼られたまま。 「スミちゃんだけはアンリ・シェブロが作った『お友達』ではなかったのでしょう」 「えっ?」 「久我くんの証言から察するに、本体と連動していない部分がいくつかありましたし」 俺はスミちゃんとのやりとりを思い出す。 たしかに、言われてみればスミちゃんは他の人形と比べて最初からずっと異質だった。 「本当に遺品とは関係なかったのかもな」 「どういうこと?」 「アンリ・シェブロの作った『お友達』ではなかった、と言いたいのでしょう?」 「えっ?」 「ああ、なんかそう思えてきた」 「スミちゃんだけ、他の人形と比べて最初からずっと異質だったっていうか……」 「俺はスミちゃんと何度か話もしたけど、本体と連動してない部分がいくつかあったし」 「連動してないとは?」 「夜になると寝ていたこととか」 「確かにスミちゃんはそうだったが……」 「ほら、いつだかの夜、本体が鍔姫ちゃんの部屋に来たことがあっただろう?」 その夜のことを思い出したのか、鍔姫ちゃんが少し赤くなった。 「そ、そういうこともあったがそれが?」 「その時、スミちゃんは寝ていたんだろ? 本体が活動していたのに、スミちゃんが寝ていたってことは連動してないってことだよなって」 「『ヒメちゃん』って呼んでただろ? 鍔姫ちゃんのこと」 「ああ」 「でも、先ほど現れた『お友達』たちは『鍔姫ちゃん』と呼んでいた」 「ヒメちゃんって呼んでたのは、スミちゃんだけだった」 「人にダメ出ししてきただろ」 「えっ?」 「いや俺、一回説教されたんだよ、スミちゃんに。もっとしっかりしろって」 「そうですね。先ほどの壬生さんとのやりとりを見ていると、高い知能と確固たる意志があるように思えました」 「な?」 「それにスミちゃんって、俺に説教してきたり、妙に人間くさかったんだよな。なんだかそれがあの人形たちと違う感じがしてさ」 「そうですね。先ほどの壬生さんとのやりとりを見ていると、高い知能と確固たる意志があるように思えました」 「な?」 その時、ぎぎっと重たい音がして、非常扉が開いた。 リトが顔を出す。 「どうやら終わったようね。お疲れさま」 「ご協力ありがとうございました」 「どういたしまして」 リトはにこやかに笑った。 「リトさん、一つ質問よろしいですか?」 「何かしら?」 モー子はリトに、スミちゃんの事を手短に説明した。 「これらを踏まえて、スミちゃんはアンリ・シェブロとは無関係ではないかと思うのですが、どう判断しますか?」 「少なくとも、アンリ・シェブロの作ったお友達でないことは確かね」 「根拠は? やっぱり自分の意思があったってことか?」 「違うわ、もっと単純なことよ。その人形は壬生鍔姫の持ち物でしょう? 『お友達』は心を抜かれた人間の持ち物から作られる」 「そして、起動者である壬生鍔姫から心が抜かれることは絶対にないわ」 「だから、壬生鍔姫の持ち物である『スミちゃん』が、アンリ・シェブロの作ったお友達というのはありえないの」 え……。 俺たちは顔を見合わせた。 「なんで、それを先に言ってくれなかったの?」 「聞かれなかったからよ」 「……確かに」 さすがのモー子もちょっと悔しそうな表情だった。 まあ、確かに聞いてないもんな、うん……。 「……あの遺品とは、関係がなかった……?」 鍔姫ちゃんは、今やただの人形となっているスミちゃんを見た。 「そうなのか? スミちゃんが?」 「アンリ・シェブロの作った『お友達』の数は、想定以上のものでした。そこから考えるに―――」 「ええ。その通りよ」 「となると、考えられるのは、スミちゃんは、壬生さん自身がその強力な魔力で、魂を宿らせた存在……」 「スミちゃんは、鍔姫ちゃん自身が作り出した存在だったってことかそれ? そんなこと出来るのか?」 「これだけの魔力の持ち主であれば、不可能ではないわね」 「ええ、特査分室はそのように見解を示します」 鍔姫ちゃんは少し笑った。 「動かなくはなったけど、大事にしてやればいいんじゃないかな」 「ああ、そうだな」 「うん、スミちゃんはこれからも私と一緒だ」 「…………」 鍔姫ちゃんは、こちらに向き直って礼をした。 「今回のことではいろいろと世話になった」 「やめろよ、水くさい」 「え?」 「友達だろ」 「……あ」 鍔姫ちゃんは、モー子とおまるの顔も見た。 「そうですよ」 モー子は静かに頷いているだけだが、同意しているようだった。 「……ありがとう」 「では、これからもよろしく。友達として」 「もちろん」 俺がそう答えると、鍔姫ちゃんは笑顔を見せた。 捕まえたマスコットやらストラップやらぬいぐるみはなんとか全部持ち主に返すことができた。 数が多かったので、数日かかってしまったけど。 「えーと、今日は帰ったらなにしようかなぁ〜」 「あれ? やだ、この子、いつの間にか耳とれそう。ううぅ、気に入ってたのにぃ〜」 「あ」 「あっ、み、壬生先輩、おつかれさまです! 今帰るところですか?」 「ああ。どうした、廊下の真ん中でぶつぶつ言って」 「ずっと下げてたせいか、ほら」 「耳がとれそうだ」 「はい、それに今気がついて……あとで直さなきゃなぁって」 「……よかったら、私が直そうか?」 「え!? えええっ!?」 「意外かもしれないが、そういう作業は慣れているんだ。もちろん風呂屋町さんがよかったら、だが」 「本当ですかぁ! 壬生先輩って器用なんですね!」 「……まあ、そうかな……」 「ありがとうございます! ぜひお願いします!」 「ああ。じゃあ、道具があるから風紀委員会の部屋に行こう」 「はいっ!」 「……よかった。壬生先輩、元気になったね」 「そうだな。スミちゃんがいなくなって、しばらくは寂しそうだったけど」 「元気になってなによりです」 「最近、壬生先輩、話しかけやすくなったって評判なんだよ」 「そうなのか?」 「きっと、スミちゃんの言葉を大事にしているんだろうな……」 消える直前のスミちゃんは、鍔姫ちゃんに『勇気を出して』と言った。 そうすれば友達は沢山できるって。 「勇気を出してか、いい言葉だね」 「人は日々、進歩していくものです」 「モー子も見習ったら?」 「は? 意味がわかりません」 「あの時、久我くん助けてーとか言ってたくせに」 「は? どの時ですか?」 「網を引っ張ってた時だよ。言っただろ?」 「助けてとは一言も言ってません!」 「そうだっけ」 「断じて発言していません。勝手に記憶を捏造されては困ります」 「まあまあ、まあまあ」 「こっちは全然進歩してないよ……」 「…………」 「―――睦月!!」 「今までどこにいたの? ずっとずっと探していたのに」 「傍にいたよ」 「これからも、もーちゃんの傍にいるよ」 「そんな、全然わからなかった」 「でも、無事でいてくれてよかった。本当にすごく心配したんだから……」 「もーちゃん、大丈夫だよ」 「ほら……」 「いつだって……傍にいるから……」 「……夢……」 「………………」 「こんな……夢をみるなんて……」 「あなたは今……どこにいるの?」 「睦月……」 「………?」 「――――ッ!?」 「また夜が来るんだねー」 おまるが廊下の窓から外を見ながら、独り言のように呟いた。 校庭には帰寮を急ぐ生徒達の姿が見えた。 「そうだな、鐘が鳴ったら夜が来る」 最初は呆然とした夜の世界への変貌もさすがにそろそろ慣れてきた。 とはいえ、目の前で風景が書き換わるのを完全スルーでスタスタ歩けるというほどではない。 俺とおまるはどちらからともなく歩調を緩める。 「夜ってさあ……」 「ん?」 「なんで来るんだろう?」 「……多分、地球が回ってるからじゃないか?」 「そーゆー意味じゃなくてっ!」 「わかってるわかってる。夜の世界がってことだろ」 握った両の拳をぶんぶんと上下に振っているおまるを見て、俺は苦笑した。 面白い奴だ。 「……そうだなあ……」 なぜ夜になると学園が変貌して別の世界が現れるのか。 遺品だの魔術だの、幽霊だの怪物だの……。 この学園ならなんでもありだ、という感覚になってしまってすっかり忘れてた気がする。 「不思議だよね。憂緒さんに説明されてもおれまだいまいち理解してなくて」 「時計塔の鐘の音と共に、学園には魔術で繋がれた『夜の世界』が現れ校舎と一体化します」 「夜しか存在しない世界。私たちのいつも見ているこの世界の、裏側の世界のようなものだそうです」 初めて夜の世界が来るのを目の当たりにしたとき、モー子はそう言っていた。 「いまいちっつーか、俺も全然わかってないけどね……」 「う、うん。なんか違う世界なんだなーくらいしか」 おまるは首を傾げながらこめかみを指先でかいた。 「夜の世界もそうだけど、生徒も謎だよな」 「え?」 「夜の世界が裏側だかどこからか召喚されてるとしてさ」 「夜の生徒ってなぜか、ここに召喚された学園に通ってるわけだろ」 「その裏側の世界とやらから来てるのかな」 「学校ないのかな? 夜の世界が元々あるところって」 「いや自分とこに建てろよ、学校。なんでわざわざ別世界の学園を変貌させて通うんだよ」 「……どう考えても、そっちの方が手間かかりそうだよね」 「あれだけ大がかりな魔術だかなんだかの仕掛けだからな」 どうやってるんだか見当も付かないが、指先をパチンと鳴らしたら変化しますみたいな簡単な話じゃないだろう。 「けど、風呂屋町さんたちって前に憂緒さんが言ってたとおりおれたちと何も変わらないみたいだよね」 「そうだな。別に普通の子だよな、みんな」 確かに何が違うのかよくわからない。 あえて言うなら、制服の色くらいだ。 おまるも風呂屋やその他の夜の生徒のことを頭に思い描いているのか、数秒会話が途切れた。 ……と、思ったら。 「……窓からは離れとかない?」 急に明後日な事を言い出す。 「なんで?」 「あの、夜がなだれ込んでくるみたいなの何回見ても身体が避けようとしちゃって……」 あの光景を思い出したのか、おまるの声はだんだん語尾が小さくなっていった。 「あー、確かに最初は飲み込まれるかと思ったけどなあ」 「だろ?」 「でも、まだ慣れないのか、おまる」 ちょっと苦笑しながら言うと、おまるは両手を顔の前でぶんぶん振りながらまくしたてる。 「夜の世界ってのには慣れた! なんかそういうのがあるってことには!」 「けど、あの、鐘の鳴った後のあれは、何回見てもやっぱりすごいよ! すごいことになってるよ!!」 「……そうか。それで俺の身体の影に入ろうとしてるのか」 「してるじゃねーか」 どうにかして俺を窓側に、自分はその影に隠れようとしてるようにしか見えない。 立ち位置を入れ替えてやろうと俺が動くと、おまるはあたふたと手と首を振って後ずさる。 「じゃあいっそ窓の真ん前に立っててみろよ。慣れるかもしれないぞ」 ひょいと襟首をつかんで前に押し出してやる。 「うわぁっ!? やめてやめて! 背中押さないでー!?」 「ショック療法だって。ほれ、窓向いて」 どうにか俺の後ろへ回り込もうとするおまる。 それを避けておまるの方を窓の前へ押し出そうとする俺。 しばらくその場でお互いが背後を取り合い、くるくる回るという不毛な戦いが続く。 「逆にトラウマになったらどーするんだよー!?」 裏返った声を上げながら、おまるは小走りに俺の手を逃れて廊下の壁際に張り付いた。 まだ夜の世界が来るには少し時間があるのだが、それでもやっぱり怖いらしい。 「こら、逃げるなよ」 「やだってー!」 追って行くと、おまるは壁に大の字に張り付いてふるふると首を振る。 「そんなんじゃいつまで経っても慣れないぞ?」 「慣れなくてもいいよっ!? 鐘が鳴ったら目をつぶってるから!」 「そうだったのか、お前……」 「ん?」 おまるが指さす方向からは、モー子が一人こちらへ歩いてくるところだった。 モー子もこちらに気づいたようだったが、ふと足を止め背後を振り返る。 モー子の後ろから、長い髪とコートを揺らしながら駆けてくる姿が見えた。 彼女がモー子を呼び止めたらしい。 「うるさいのがいないな」 「本当だ、村雲先輩がいないね」 いつもなら村雲と鍔姫ちゃんは二人で組んで校内見回りの時間のはずだが、珍しく鍔姫ちゃん一人だけのようだ。 いないならいないで面倒くさくなくていいか。 俺たちも二人の方へと近づいた。 声を掛けると、二人もこちらに気づいて向き直る。 「よお、鍔姫ちゃん」 「ああ、君達もいたのか。ちょうど良かった」 「何かご用ですか?」 「うん、用というか……村雲を見なかったか?」 「へ?」 「いないんですか?」 「もう見回りの時間なのに、集合時間になっても風紀委員室に現れないんだ」 「…………」 モー子はぴくりと眉尻を上げ、鍔姫ちゃんの横顔を見た。 「ん、どしたモー子?」 「まあ、そりゃそうだが」 いつもは、そこまで露骨に反応する奴じゃないから気になったんだがな。 時々――妙に反応が過敏になることがあるような気がする。 「それで、村雲先輩を捜してるんですか?」 「ああ、てっきり学園内で何か起きて対応に当たってるのかと思ったんだが」 「今のところ、何事も起きていないようです」 そう答えてモー子は俺達の方に目顔で問う。 何かあったかという意味だろう。 「こっちも特に騒ぎらしいのは見なかったぜ」 「うん、別に何も。村雲先輩にも会ってないし……」 「そうでしょうね。村雲くんがどこかで足止めを食っているなら一番の原因になりそうな人はここにいますし」 「どういう意味だ」 モー子の台詞に、おまると鍔姫ちゃんも俺の顔を見る。 見るのは良いんだが、完全に納得しているその目つきは何なんだ。 「久我くんともめている、というのが、一番ありそうで、なおかつ平和な理由だったのですが」 「鍔姫ちゃんまで……」 鍔姫ちゃんは微妙な笑顔で目を逸らしながら誤魔化すように言った。 「うん、まあ、事件じゃなかったのは幸いだ」 「そのようですが、村雲くんがどこへ行ったのか……」 「ああ、どうしたんだろう。行き違いに風紀委員室に来てるようならいいんだが」 本当に心当たりがないらしく、鍔姫ちゃんは戸惑ったように呟いた。 「性格はともかく、勝手にサボるタイプには見えないな」 「もちろんだ。真面目だからな、今まで無断で来なかったことなど一度もないよ」 確かに、口は悪いがクソ真面目な奴、という印象だ。 「ですが、行き違いなら既にあちらも巡回のために風紀委員室は出ているのでは」 「うーん、そうなるな……」 案外向こうも鍔姫ちゃんを捜して歩いていて、すれ違い続けてるかもしれないってことか。 「巡回ルートってどっち?」 「校舎を回った後は、校庭に出る。そちらへ行ってみるよ」 「つきあおうか?」 「そうですね、今は特に何も案件はありませんし」 実際、ここ数日は平和なもので何もすることがないのだ。 モー子もまったく異論はないらしく即座に同意を示し、おまるも頷いていた。 ……ただ、モー子はさっきの反応からして、俺やおまるとは違う思惑があってのことかもしれないが。 「え? いや、そこまで深刻な話ではないだろうし申し訳ないな……」 しかし俺たちの言うことに、鍔姫ちゃんは恐縮した様子で戸惑う。 「いいよ、暇だから」 「手分けして捜してみる?」 「そうしましょう」 「四人で手分けすりゃすぐ見つかるだろ」 「かまいません。早急にやらなければならないことは何もありませんから」 「そうか、ありがとう。すまないな、巻き込んでしまって」 「いいえ、お気になさらず。風紀委員会にはいつもお世話になっていますから」 「見つからなかったら、またここに集合でいいか?」 「ああ、それじゃあ私は校庭に行ってみるから」 「なら、俺らは校舎の中を手分けしようぜ」 適当に回るルートを決めて、その場で解散する。 俺は何かの用があって分室に来ている、という薄そうな可能性を潰しに地下へ行くことになった。 地下への階段を下り、図書館へと入る。 しんと静まりかえったその場所に、俺の足音だけが小さく響いた。 だだっ広く、天井まである本棚に遮られて視線も通らないとはいえ、他に誰かがいるような気配すら感じられない静寂である。 特に村雲みたいな騒々しいのがいるとは思えない。 目視しても、風景のように溶け込んでいて見逃してしまいそうなリトならともかく……。 「……あ、そうだ」 念のために、リトにも見かけなかったか聞いてみるか。 「リトさん、いるか?」 いつもリトがいるはずの書架の奥へ向かい、声を掛けてみる。 ふわり、と本棚の影から自分の身体ほどある大きな本を抱えた姿が現れた。 リトは俺の姿を見ると、少し不思議そうに首を傾げる。 「久我満琉。一人なの、珍しいわね」 「ああ、今ちょっと手分けして村雲捜してるんだ」 「村雲……静春?」 「そうそう、風紀委員の態度のでかいやつ。ここに来なかったか?」 ゆるりと一度だけ左右に首を振るリト。 「……来てないわ。今日は、誰も来てない」 「そっか、やっぱりな……」 あいつが一人でここへ来るって事自体、まず滅多にないことだからな。 しかし、一応分室の方も見てくるか。 リトは奥の方にいるから気づかないうちに通り過ぎたって事はあり得る。 「ありがとな、それじゃ」 「ええ、また」 リトに手を振って、本棚の列を抜け分室へと向かってみる。 「……いないか」 扉を開け、半身だけで室内をのぞきこんでみたが案の定、分室は無人だった。 しょうがないな、一旦戻ってみよう。 「あ、みっちー」 戻ってみると、ちょうどおまるが反対側から帰ってきたところだった。 「おう、やっぱこっちには来てないぜ」 「こっちもだったよ」 ふう、と息をついておまるは困り顔で肩をすくめる。 「途中で風紀の先輩に会ったんだけどさ、やっぱり風紀委員室にも来てないんだって」 「へえ……?」 なんかきな臭くなってきたな。 ただの行き違いじゃなさそうな……。 そこへ鍔姫ちゃんが駆け戻ってきた。 見つかった、という雰囲気ではなさそうだ。 「その様子じゃ見つからなかったか」 「ああ……久我くん達も?」 「残念ながら空振りだったよ。リトさんにも聞いたけど来てないそうだし」 「こっちも巡回してる他の風紀委員にも聞いてみたが誰も見ていないそうなんだ」 誰も見てないというのなら、村雲の方も行き違った鍔姫ちゃんを捜して歩いているわけではなさそうだ。 「そうか。あとはモー子か……」 「あ、帰ってきたよ」 しかし村雲の姿はなく、一斉に自分の方を見た俺たちの視線にモー子も首を振る。 「……いませんでした」 「そうか……」 さすがに鍔姫ちゃんも不安の色を隠せなくなってきていた。 「参ったな。学園内はほとんど捜したと思うんだが、どこへ行ったんだ」 「あとは寮か? 何か忘れ物でもして自分の部屋に戻ってるとか」 「それなら風紀委員室に顔を出して一言言っていくと思うんだ」 「それもそうか……。だったら実は腹こわしてトイレにこもってるとか」 そりゃそうだろう。 少し焦った様子の鍔姫ちゃんを見て、おまるが挙手しながら口を開いた。 「具合悪いなら、保健室で休んでるとか、かも」 「村雲が? そんなヤワに見えないけどな」 目顔で問うと、鍔姫ちゃんも俺の言葉に同意を示すよう頷きながら言った。 「確かに、今までには急に倒れたなんてことはないな」 「いえ、ご一緒します。保健室にもいなかったら、もう一度手分けして捜しましょう」 「そうか、すまない」 ここまで来たら乗りかかった船だしな。 とりあえず保健室へ行ってみようということになり、全員で向かう。 「しかしさぁ、保健室に担ぎ込まれてるなら先生から風紀委員会に連絡ぐらい来ないか?」 「今戻ったら実は来ている、ということはあるかもしれないな」 「てゆーか、村雲先輩が担ぎ込まれるってそれ絶対なんかの騒ぎ起きてるよね?」 「そうなんだよな……」 村雲は、鍔姫ちゃんが信用してるくらいだから、腕っ節は立つんだろう。 それが保健室へ担ぎ込まれるような事態となると相当面倒くさい事が起きてるに違いない。 「ここ最近、不調を訴えていたようなこともないのですよね?」 「ああ、特に何も……」 「あっ!!!」 保健室のある廊下に差し掛かった途端おまるが驚きの声を上げる。 俺達も思わずぎょっとして足を止めた。 ちょうど真後ろにいた鍔姫ちゃんが、俺の背にぶつかる。 「村雲!?」 床に倒れ伏した長いコート姿は間違いなく風紀の制服だ。 倒れた姿は俺の声には応えず、身じろぎもしない。 そして――その傍らに立つ白い影…… 「あいつ……!!」 見覚えのある真っ白い人影。 それは俺達に気づいてふわりと身を揺らした。 「ひあぁっ!? ゆ、ゆゆゆ幽霊っ……!!」 夕方現れると噂された白い幽霊。 あの奇妙な世界で遭遇したあいつに間違いなかった。 白い人影はさっと身を翻し、廊下の奥へと走り去る。 「――待って!!」 すがるような声で言いながら、モー子が真っ先にその後を追いかけた。 「追うぞ!!」 俺も即座にモー子に続き、白い人影を追って駆けだした。 人影はさっと廊下の角を曲がって行く。 「……えっ……?」 白い影を追って角を曲がり――俺は思わず足を止めた。 「そんな……」 「…………いない……?」 角の向こうには誰も居ない廊下が続いているだけだった。 人影はなく、周囲の扉も開いた様子はない。 「………………」 消え失せた、としか思えなかった。 どれだけ素早く行動しても、俺たちが角を曲がるよりも早く廊下を駆け抜けて見えなくなるなんて不可能だ。 「開いてないな……」 念のため手近な教室の扉を開けてみようとしたが、鍵が掛かっていて開かない。 そう言えば、前に鍔姫ちゃんが後を追った時もこんな風に角を曲がったらいなくなっていた、と言っていた。 あの時は、あいつを逃がすために自分が嘘をついている可能性もある、なんて鍔姫ちゃんが言っていたけれど……。 (……嘘じゃなかったな) 俺も鍔姫ちゃんが嘘をついているとは思ってなかったが、ここまで彼女の話したこととまったく同じ光景を見る羽目になるとは。 「…………………」 モー子も途方に暮れたように、数歩進んで辺りを見回す。 「……………睦月……」 「え?」 ぽつりと呟いた言葉は、人の名前のようだった。 モー子は自分の発言に気づいていないのか、誰も居ない廊下の奥を見つめたまま呆然としている。 「むつき、って?」 「――!」 問いかける俺の顔をはっと見上げ、すぐに目を逸らす。 「モー子、あの白いの誰だか知ってんのか?」 「……いいえ、知りません」 「じゃあ、むつきってのは?」 「聞き間違いでしょう」 「聞き間違い?」 「私は何も言っていません。戻りましょう」 ふい、と俺に背を向けて、モー子は廊下を戻っていった。 (何聞かれても答えませんって顔だな、ありゃ……) 明らかに何かはぐらかしているようだが、ああなったら絶対に口を割らないであろう奴だってことはさすがに学習している。 (仕方ないな、ひとまず村雲が先だ……) 肩をすくめ、保健室前の廊下へと戻る。 「おまる、行ってくれ! そっち任せたぞ!」 「わ、わかった!!」 おまるがモー子を追って行ったので、白い影は二人に任せて俺は村雲に駆け寄った。 「村雲、大丈夫か!?」 遅れて、鍔姫ちゃんも一緒に倒れている村雲の傍らに膝をつく。 返事はないが、胸は上下しており気絶しているだけのように見えた。 「……息はしてるな」 「ああ……そのようだ。よかった……」 見たところ外傷もないようだし、なんで倒れてるんだか……。 「とりあえず、保健室に運ぶか」 「そうだな、先生はいるだろうか……」 「……いないな。教員室かもしれない」 「気絶してるみたいだ。そっちは?」 小走りにおまるが戻って来て、その後ろを珍しく肩を落とした風にとぼとぼとモー子が歩いてくる。 「消えた?」 「おれたちが廊下曲がったら、もういなかったんだ」 そう言えば、鍔姫ちゃんが前にあいつを追った時も廊下の角を曲がったらもう既に消え失せていた、と言っていた。 「どっか部屋に入った様子は?」 「ありません。手近な扉には鍵が掛かっていました。消えた、としか……」 そう呟き、モー子はまだ少し未練があるような顔つきで曲がり角の方を見た。 それを見ながらおまるが少し声を落としこっそり囁く。 「憂緒さんも様子が変だったんだ」 「なんか妙に気にしてるっぽいな。あの白いののこと」 「……よく聞き取れなかったけど、むつき、って呼んだ気がする」 「白い奴を?」 「うん、でも誰かって聞いてもそんなこと言ってない、って……」 「ふうん……?」 そういうはぐらかし方をするって事は問い詰めても無駄だろうな。 (しかし、モー子はあの白い奴に心当たりがあるのか……?) 村雲を保健室へ運び込んでいると、ちょうど保健の先生が来たのでひとまず任せることにした。 先生の話を聞いてきた鍔姫ちゃんが、安堵しつつも心配そうに言う。 命に別状はないようで、深刻な状態ではなさそうだということだった。 緊迫していた空気が少しだけ弛緩する。 が、やはり何が起きたかわからないだけに、困惑の色は濃く残ったままだ……。 「無事で良かったけど、一体何があったのかな……」 「わからない。外傷はないそうだし」 「うん、見た感じでも怪我はなさそうだったよな」 「あの幽霊に何かされたのかなぁ……?」 もっともな疑問だった。 倒れた村雲の側に、正体不明の存在がいたら怪しいに決まっている。 決まってはいるが……。 「……それはわかりません。私達が駆けつけたときは、傍らに立っていただけでした」 そう、村雲に危害を加えている様子はなかった。 少なくとも俺たちが来たあの瞬間は。 「だからって無関係とは思えねえぞ?」 「わかっています」 モー子はいつも通り冷静な声だったが、どこか自分にも言い聞かせているような重さを感じた。 「君達が見たのは、やはり前に見た幽霊と同じだったのか……?」 「え? どう見てもこないだの白マントだったぞ?」 「ああ、すまない。久我くんにぶつかっていたせいで、私はちゃんと見ていないんだ……」 「間違いないと思うぜ。あの白いマントは」 「うん、同じだったね」 「以前も急に消えたそうですね」 「ああ、廊下の角を曲がったらもう消えてしまっていた。一体、何者なんだろう……本当に幽霊なのか、そうではないのか……」 その問いに答えられる者は当然おらず、数秒、それぞれが思いを巡らせる、時間の余白のような沈黙が続いた。 「……ま、村雲が目を覚ましたらいろいろ聞いてみればいいさ」 最初に口を開いたのは俺だった。 その声に全員が頷く。 「そうだな。みんな、すまないが手を貸してくれ」 表情を引き締め、鍔姫ちゃんは俺たち三人の顔を見回しながら言った。 「あの白い幽霊については風紀委員会で調査しているのだが、これまで何も進展は見られなかった」 「これはどうも特殊事案調査分室の案件のように思える。学園長には私から要請を出しておこう」 「そうですね。ちょうど私も、いつになれば特査分室に持ち込まれるのかと思っていたところです」 「村雲みたいな血の気の多いのが争った様子もなく倒れてたってのは、普通じゃなさそうだもんな」 「……無抵抗で意識を奪われた、としか思えない状態だからな……」 「しかも側には正体不明の白マントだし」 「うう……幽霊かぁ……」 「幽霊かどうかもまだわからんぞ」 「思いっきり足音がしてたから足があるのは確かだ」 「そ、そっか! そうだね!」 「もっとたちの悪い別の何かかも知れない」 「何かって何!?」 「……久我くん。いたずらに不安を煽らないで下さい」 「へーい」 いつもより早めに軽口を止められた。 (やっぱあの白い奴に何か思うところがあるって感じだなあ) ただ、俺も以前あの白い奴に遭遇した時たちの悪い奴という印象はなかった。 むしろ助けられたくらいだし……。 (ま、明日村雲に根掘り葉掘り聞いてからかな) 何か役に立つこと見聞きしてくれてりゃいいんだが。 翌日、昼間は何事もなく過ぎた。 村雲が倒れていたのは、一般の生徒達が帰寮した後だったせいか、とりたてて騒ぎにもなっていないようだ。 授業が終わると、俺とおまるはすぐに分室へと向かった……。 「お、モー子もう来てたか」 「こんにちはー」 分室へ来るとモー子も今来たのか、鞄を置いて椅子を引いたところだった。 「お疲れ様です」 「で、村雲は? 目ぇ覚ましたのか?」 俺も鞄を置いて来客用のソファに腰を下ろす。 モー子は俺とおまるが着席したのを見て口を開いた。 「ひとまず意識は戻ったようだと聞いています」 「そっかー! よかったねー」 「うっかり遺品暴走させて目が覚めないとかじゃなかったんだな」 「私もそれを懸念していましたが、目を覚ましたと言うことはひとまず安心と考えて良いでしょう」 「まだ保健室なの?」 「私が今朝聞いた時点ではまだそのようでした」 「じゃあ行ってみるか?」 「いえ、壬生さんがこちらに来て下さることに……」 モー子の言葉は扉を叩く音に遮られた。 噂をすれば、かもしれない。 「はーい?」 「やあ、こんにちは」 「………………」 「あ、村雲先輩!」 案の定だった。 鍔姫ちゃんと一緒に、非常にバツの悪そうな顔の村雲がついて入って来た。 俺と顔を合わせる時は、常に不機嫌そうな奴だが、今は不機嫌どころではない渋面っぷりである。 「なんだ、もう起きられるのか」 「ああ、幸いこの通りだ。昨日はありがとう」 村雲の様子とは対極的に、鍔姫ちゃんは一安心した後だけに屈託のない笑顔で答える。 そして、隣にいる村雲に、何かを促すように視線を向けた。 「……あー、なんか、手間かけたらしいから一応……」 鍔姫ちゃんに目顔で促された村雲が、ぼそぼそと目を逸らしながら言う。 一応、の後にも言葉は続いていたようだが、まるっきり聞き取れなかった。 「一応、なんだよ?」 「れ、礼に来てやってんだろーが! 茶々入れんなっ!!」 「どこが礼なんだよ」 「お前が口挟むからだろーが!?」 聞き取れなかった更に後にも何か続きがあったらしい。 うんざりとため息をつきながらモー子が割って入った。 「それより村雲くん、昨日のことを聞かせていただきたいのですが……」 「…………………」 村雲にすれば助け船だろうに、何故かその顔は更に渋くなる。 しかも単にバツが悪いどころか、触れられたくない黒歴史でも見つかったみたいな顔だった。 「なんだよ? そんな言いにくいほど恥ずかしいことでもあったのか?」 「そうじゃねえっ!!」 口ごもっていた村雲は、処理に困った不発弾でもぶつけるかのような勢いで突っ込んでくる。 「じゃあ何だよ?」 更に促すと、また何故か口ごもる。 どういう事だよ、一体……。 俺たちの頭上が疑問符だらけになっていくのを見かねたらしく、鍔姫ちゃんが代わりに口を開いた。 「それが……何も覚えていないそうなんだ」 「へ? 何も?」 鍔姫ちゃんも困惑した様子で頷く。 「まったく記憶がないそうだ。そうだな、村雲?」 「……そうです」 村雲本人はますます渋面になり、いらつきを押さえるようにため息をついた。 「なんで倒れてたのか、全然覚えてないのか? 誰にやられた、とか……」 俺の質問に、村雲は舌打ちし観念したように喋り出す。 「……倒れてたも何も、オレにしてみりゃ気がついたら三日経ってたんだよ!」 「三日!?」 「み、三日って……」 「目が覚めたら自分の覚えてる日付から三日先に飛んでたんだ」 「なんだそりゃ……」 「それでは、倒れていた理由どころか、なぜあの場所にいたのかも何もかも記憶にない、わけですか」 「ねえよ。三日前、普通に寮の自分の部屋で寝たはずなのに、起きたら保健室だった」 「……そりゃあ……」 なるほど、途方に暮れるわ。 言いにくそうにしていたのも頷ける。 「でも、なんだってそんなことに?」 「わからない。保健の先生も、頭を打った様子なんかはないって話なんだ」 「その手の衝撃で記憶が飛んでるわけじゃなさそうなのか」 外傷はないって話だったからな。 だったらやっぱり遺品絡みか……? 「……ご自分で、その記憶がない以外に何か体調の変化などは?」 「何もねーよ。薄気味悪ぃけど身体は何ともねーし他におかしなところもねーんだよ」 確かに見た目はどこもおかしくなさそうだし、何か隠していて覚えてない振りをしているといった様子もない。 もっとも何か隠そうにも相棒の鍔姫ちゃんは人一倍鋭いから無理そうだが。 しかし、参ったな。 まさか何も覚えてないとは……けど、一応聞くだけ聞いてみるか。 「なんか遺品ぽいもの拾ったとかそういうことは?」 「んなもん覚えがねーよ」 「部屋に見覚えのない古い物があったりしなかったか?」 「あったら気づくわ!!」 そりゃそうか。 「お前が倒れてた横に白いマントみたいなの着た奴がいたんだけど」 「は……? 白マント、って……」 「例の噂になってる幽霊だよ。夕方になると出るとかいう」 「なんだそりゃ!? なんで幽霊がオレの横にいるってんだ!?」 「それを聞きたいのはこっちなんだが」 「倒れてた時のことは覚えてねーって言ってるだろうが!!」 「へいへい……」 「変なもん拾い食いでもした?」 「するかぁっ!!」 「いや、食っても覚えてないのか。記憶が飛んでるんじゃあ」 「そもそも食わねえよ!?」 「さ、さすがにそれはないと思いたいのだが……」 「食ってませんから! 犬じゃねーんだから!!」 「久我くん、真面目にやって下さい」 「冗談てわけでもなかったんだけど」 「余計悪いだろ!?」 他に聞きたいことは…… 「んー、結局何も手がかり無しかぁ」 「しょーがねーだろ! 覚えてねーもんはねーんだよ!!」 本人も悔しいらしく、いつもより語気が荒い。 「わ、わかってますから。先輩が悪いわけじゃないし……」 なだめるように言うおまるに続いて、モー子も冷静な口調で同意した。 「ええ、外傷もなく意識を失い記憶まで消えていると言うことは何らかの魔術的な事件でしょう」 「村雲くんは被害者です。気に病む必要はありません」 「そりゃ、わかってるけどよ……」 納得がいかないと言いたげな様子だったが、ここで暴れても仕方ないと思い直したのか村雲もトーンダウンする。 「気になるだろうけど、とりあえず任せろよ。どう考えてもうちの案件だ」 「そうだな、原因が魔術的なものなら特査に任せるしかない」 「鍔姫ちゃん達は?」 「ひとまず見回りに戻るよ。あの白い奴がまた現れないとも限らないからな」 「…………………」 村雲は妙に神妙な顔になって押し黙った。 なんとか思い出そうとしているんだろうか。 (まあ、何かあったのは間違いないのに何一つ覚えてないってのはなぁ……) 相当悔しいだろうな。 特に村雲みたいな負けず嫌いそうな奴なら。 もう一度礼を言うと、鍔姫ちゃん達は引き上げていった。 「さーて、どう思うよ?」 うーん、とおまるは腕を組んで首を傾げた。 「記憶がなくなるなんて、やっぱり遺品がらみ?」 「それについては昨日リトさんに確認してもらいました。彼に遺品が使われた形跡はないとのことです」 「遺品じゃないのかよ!?」 てっきりまた、飛びまわる妖精だとか押し寄せる人形だとかを相手にするもんだと覚悟してたのに。 しかしモー子も遺品絡みであると予想していたようで、難しい顔つきだ。 「遺品以外に、記憶を消したりする方法ってあるの?」 「なくはないと思います。遺品以外に魔術的なことを引き起こす手段がないわけではないですし」 「モー子の使ってる札とか、あれもそうだよな?」 「そうですね。もちろんあれは人間に貼っても何の効果もありませんが」 「あれは遺品専用か」 「ええ、遺品の動きを一時的に止める。他の効果はありません」 例えば遺品を使用している本人や、遺品に操られている人間に貼っても効果はないのだそうだ。 そう言えば人形の時も、本体以外のやつは封印じゃなくて網で捕まえてたもんな。 遺品本体に貼る以外効果はないわけだ。 「じゃあ、あれとは別に、貼ったら記憶が封印されちゃう札とかあるかもしれないってこと?」 「だったら村雲の顔面に貼ってあるはずじゃねーか」 「あ、ずっと貼っとかないと効果無いなら違うね……」 「札の形をしているとは限らないでしょう」 「まあ、そうだな。けど村雲には見た目変わったところはなかったわけだから……」 「ええ、痕跡も残さず魔術的な何かを仕掛けたのだとしたら、やっかいな相手ということになります」 モー子は無意識にか、膝の上に置いたいつもの本の表紙を指でなぞる。 それはどこか、感情を溢れさせまいとするまじないのように見えた。 「やっかいな相手……か。やっぱあの白い奴の仕業か?」 「そうなのかな? なんか悪い人って感じはしないんだけど」 「おまる、さっきはずいぶん怖がってたけどな」 「幽霊かと思ったからびっくりしただけだよ!」 「……まあ俺も、あの時村雲に何かをしていたようには見えなかったけどな」 「………」 ただ傍らに立って、村雲の姿を見下ろしていただけに見えた。 「物理的に襲ったとかなら、外傷がないのも変だしな」 おまるみたいなのだったら、目の前にあいつが現れただけで驚いて転んで頭打って気絶、とかありそうだが。 村雲の場合、むしろ相手にかかっていきそうなタイプだし……。 それが争った形跡も何もなく気絶してたってのが一番気になる。 「けど、遺品でもなくてあの白い人も何もしてなかったら、村雲先輩に何が起きたんだろう?」 「わかりません。手がかりが少なすぎます」 「だな……」 「ですがこの件、このまま放置しておくわけにはいきません」 「白い奴捜してみるか?」 「他に出来ることってなさそうだもんねえ」 「そうですね……」 モー子は思案顔で微かに頷いた。 なんとなく、こいつは自分であの白い奴を捕まえたいんじゃないかと言う気がした。 (しかし、見つかるかな……) 神出鬼没すぎるし、追いかけても途中で消え失せやがるし。 結局、俺たちも見回るか、ということになったものの…… 「……やっぱり見当たらないね」 何一つ見つからないままに日は暮れて、学園は夜の世界へと変貌してしまった。 中庭はひっそりと静まりかえっており、人っ子一人いない。 「あいつが現れるのいつも夜になる前だからな……」 「噂通り夕方にしか出ないのかな」 「……なぜでしょう」 俺たちより数歩先まで歩みを進めたところで、モー子は独り言のように呟いた。 「もしも本当に、夕方にしか現れないのだとしたら、それには理由があるのでしょうか」 さあっと風が吹き抜ける。 その風に弄ばれる長い髪を片手で押さえながら、モー子は俺たちの方を振り向いた。 「……一番単純なのは、人が少ないからなんじゃないか?」 「昼の生徒は寮に帰って、夜が来るまでは学園にはほとんど人がいなくなるだろ」 「人のいない間に出てきて、こっそり何かしてるって事?」 「ただ単にあんな格好でうろつくのが趣味ってんじゃなけりゃ何かしてるんだろ」 「何か……って、なんだろ?」 「さあな、それを知られたくないからこそこそしてるんだろうけど」 「学園の生徒とか関係者じゃないから、こそこそしてるとか?」 「あんなマント被ってたら、余計目立つだろ……」 「そ、そうか。じゃあ学園内の誰かなのかな……」 そう言いながらおまるは夜闇の中にそびえる校舎を見上げた。 モー子も同じように校舎に灯る教室の灯りを目で追いながら言う。 「学園外から来ているのではないなら、昼の学園にいる誰かと言うことになりますね」 「夜の生徒が早めに来て白いマント被ってるってのは……無理か」 途中で不可能だと言うことを思い出した。 それに頷きながらモー子が後をつなぐ。 「以前にも言ったとおり、時計塔の鐘が鳴り、夜の世界が現れる前に夜の生徒が現れることはありません」 「そもそも、この世界にいない?」 「私も正確にはわかりませんが、おそらくそうなのではないかと」 「なるほどな……。それなら白マントは昼間学園に入れる誰か……か?」 「……幽霊じゃなけりゃの話だが」 「幽霊じゃないだろうって話じゃなかったの!?」 付け加えた俺の言葉に、おまるはぎょっとして校舎からこちらを振り返る。 そしてモー子は、妙に神妙な顔をしながら問いかけてきた。 「……久我くんは本当にあれが幽霊である可能性があると思っているのですか」 「絶対違うって確証あるか?」 「……………………」 気の強そうな瞳が、一瞬だけ何かをためらうように揺れた。 「いいえ」 でも、それはほんの一瞬で、答えたその声はいつもの冷静なモー子の声音だった。 「そ、そうなのっ!?」 「正体が不明だと言うだけですよ。あくまで可能性の話です」 「う……うん……」 (……なんだったんだ、今の……?) 幽霊かどうかなんて話、ずっと聞き流してると思ってたのに。 (いや、もしかすると……) 聞き流していたんじゃなくて、あまり考えないようにしていた……のか。 「あ、うん。そうだね」 「…………………」 「どうしたの、みっちー?」 「うん、早く戻ろう。明日も調査だろうし、ちゃんと寝なきゃね」 「そうだな」 ……とはいえ、手がかりらしき物はほとんどない。 (あの白い奴くらいしか……) しかし、その白い奴はあれ以来いっこうに姿を現さず…… ――その後、数日は何の進展もなく過ぎ去っていった……。 「お腹減ったー!」 「あははっ、もうまーやちゃんてばー」 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、黒谷真弥が両手を高らかに挙げながら叫ぶ。 それを見て笑いながら他のクラスメイト達もわらわらと席を立ち、仲の良い者同士集まって教室を出て行った。 (平和だなあ……) 明らかに何かが起きているのに、無駄に平穏な日々が続くというのは思いの外ストレスがたまるらしい。 知りたくもない事実を体感させられる日々である。 「なーにー? 久我ってばテンション低くない? どしたの?」 嬉しい飯時にふさわしくない顔つきをしてしまっていたらしい。 目ざとく黒谷に見つけられ、俺は慌てて平静を装った。 「ん? いや、別に……」 誤魔化そうとした俺の言葉を聞かずに、黒谷は更に疑問をぶつけてくる。 「やっぱり?」 内心どきっとしたが、なんとか顔には出さず聞き返す。 「ここんとこ風紀の人達が、いつもより早く見回り始めてるような気がするんだけど?」 眼鏡の端をちょいと指先で持ち上げながら、黒谷は俺の顔をのぞき込む。 どうやら彼女は何が起きたか正確な情報まで掴んでいるわけではないようだが……。 (さすが、何かありそうな気配には敏感だなあ……) しかし、今のところ何が起きたのかすら掴んでないだけに下手なことは言わない方がいいだろうな。 「ね? なにかあったの? 幽霊? おばけ? 妖怪?」 あの白い奴に関しては、そのどれかが当たりである恐れがあるってのが嫌だな。 もちろんそんなことは、ここでは言わないが。 「妖怪とかいう話は聞かないな。けど風紀が早めに見回ってるなら、お前らも早めに帰った方が良いぞ」 興味本位で首を突っ込んで、巻き込まれでもしたらたまったもんじゃない。 さりげに帰寮を促すと、吉田の方は真剣そのものの眼差しで受け入れた。 「そりゃもう、帰るよ! すっごい帰る! すぐ帰る!」 「ちぇー。一回くらい見てみたいんだけどなあ」 「見たくないよっ!? わたし帰るもん〜!!」 「是非そうしてくれ。で、急がないと学食混むぞ?」 話を切り上げるべく思い出させてやると、思惑通り黒谷はすぐ乗ってくれた。 黒谷はあっという間に教室を駆け出して行き、吉田が悲鳴を上げる。 「おう」 にぎやかな連中だ……。 「おう、おまる」 騒々しく教室を飛び出していった黒谷達を目で追いながら、おまるが俺の席までやってくる。 「何騒いでたの、黒谷さん?」 「いつも通りだよ。村雲の件は知らないみたいだ」 「そっか。やっぱりまだ一般の生徒には伏せてるんだね」 「説明しようにも、何が起きたのかわからんからな。さて、俺たちも飯にしようぜ」 「食っておかないと、どうせ今日も放課後は学園中歩き回る羽目になるからな」 「そうだね……」 白い奴が現れないか、風紀委員と連携して一通り見回っているがあれ以来見つからないばかりか噂すら聞かない。 (すっかり気配すら消しちまいやがったなあ……) 『下校時刻になりました。全校生徒は速やかに校内から退出し、寮へ戻って下さい』 予定通り、学園中をさんざん歩き回って分室へと戻ってきた。 「ふぁ〜あ……今日も空振りか」 どさりと椅子に腰を下ろし、欠伸しながら背筋を伸ばす。 普段なら疲れを感じるような運動量では決してないのに、やたら疲れた気分になるのは結果がまったく出ていないからだろう。 「他に何も事件が起きてないのはいいんだけどね……」 「それだけが救いだな」 しかし、こう何事もないと緊張感を保つのも一苦労だ。 「このまま、村雲先輩の一件がうやむやになっちゃうってことあると思う?」 「あり得なくはないが、気持ち悪いな」 被害者が増えないという意味なら大歓迎だが、真相は闇の中なのはさすがに御免だ。 「そうだよね、結局何が起きたのかわからないままなんて……」 「なんだかわからんが村雲が倒れました、で終わっちまったら洒落にならん」 「忘れた頃にひょっこり被害者が、なんてことになっても困るしな」 「…………………」 あまり実のないことを話している俺たちの横で、モー子は難しい顔のまま黙り込んでいた。 「どうした、モー子? 何か気になることでもあるのか?」 「いえ……犯人は――あれが事故ではなく犯人がいるとすればの話ですが……」 「犯人が村雲くんを昏倒させた理由を考えていたんです。なんのためだったのか、と」 「理由?」 「結果としては、村雲くんは意識を失い、記憶が三日分消されていました」 「それは犯人にとって、やろうとしたことのすべてだったと思いますか?」 ……村雲が倒れていた時の状況を思い出す。 あれは――俺たちが見たあの光景は、犯人の目的が達せられた後のものだったか否か。 もしそうだとしたら、そして犯人があの白い奴だったとしたら、あいつは何故早々に立ち去らず、あの場で村雲を見つめていたんだ……? 「……どうかな。俺らが来たからやろうとしてたことが中断されたって可能性はあるよな」 「私もそう考えてみたんです」 俺たちがあの場に現れなかったら、あの光景にはまだ続きがあったかも知れない。 その続きがどういうものかは不明だが……。 「えーと、中断したんだとして、おれたちが来なかったら、例えば何をしようとするの?」 「気絶させた後になら……懐から何か盗むとか?」 それ以上暴力的な何かだったとは思いたくないし、状況からしてもそうは思えなかった。 あくまで俺の感じた印象ではあるが、そこまで殺伐とした雰囲気は感じられなかったと思う。 モー子もそう思っているのか、俺の言葉に頷きながら自分も意見を述べる。 「……どこかへ連れ去るとか」 「連れ去る、か。なるほどな」 あり得なくはないか。 意識のある状態じゃ抵抗されるだろうから、昏倒させたところで俺たちが来た、とか。 「しかし、村雲なんかさらってどうすんだ?」 「そこまではわかりません。連れ去る目的だったと断定する材料もありませんから」 「まあ、単に何らかの理由で記憶を消したかったって線もあるしな」 「そうですね。記憶以外に変調を来していることは何もないようですし……」 「うん、村雲先輩、あれから体調崩したりもしてないみたいだね」 「昨日廊下で会ったときはいつも通りやかましかったぞ」 相変わらず顔を見ただけで噛みついてきて、いつも通りの問答が起きた。 俺の何がそんなに気に入らないんだ、あいつは。 「みっちーと先輩の喧嘩、なんか名物みたいになってるんだけど」 「そう言えば、妙にギャラリーが多かったな」 何故か言い争う俺と村雲を、足を止めて遠巻きに見ている生徒が大勢いたような。 ついでにそいつらを、早く帰寮しろと追い払おうとしている風紀委員もいた気がする。 「……妙な評判を立てないで下さい」 「わざとじゃない。向こうから突っかかって来るからだ」 「きみがからかうのではないのですか」 「俺は返事してるだけだぞ?」 「その……返事の内容が問題なんじゃ……」 「自重して下さい」 「村雲に言ってくれ」 多分、村雲に言ったらまったく同じ答えが帰ってきそうな気がするが。 モー子は頭の痛そうな声で言った。 「……壬生さんは止めないのですか」 「微笑ましく見守られてる事が多いんだが、なんでだろう」 「…………………」 「…………………」 「なんで黙るんだよ二人とも」 何故かおまるが、誤魔化すように強引に話題を変えやがった。 しかし追求すると俺の方がダメージを食らいそうな予感がしたので黙っておくことにする。 「もう少し見回ってみる?」 「そうだなあ……」 白い奴は見つからないばかりか、目撃情報もない。 しかし他に手がかりがないため、俺たちはあてもなく白い奴を捜して歩いている状態である。 「ここでこうしているよりはマシでしょうね」 「他にどうしようもないし、行くか……」 腰を上げようとした途端、電話のベルが鳴った。 「はい、特殊事案調査分室です」 モー子が受話器を取り上げると、少し慌てたような声が漏れ聞こえてくる。 「えっ……?」 その声に耳を傾けたモー子の表情がさっと険しくなった。 「何? 事件?」 「そうらしいな」 「……それは本当ですか!? どこで!? ……ええ……また保健室前なんですね?」 俺とおまるは顔を見合わせ、席を立ってモー子の側へ駆け寄る。 「わかりました。すぐそちらへ向かいます。……はい、では」 電話を切ったモー子は、集まってきた俺たちに言いながら扉へと向かう。 「なっ……、またなのかよ!?」 「鍔姫ちゃん!」 駆けつけると、保健室前では鍔姫ちゃんが待っていた。 倒れていた生徒は既に運ばれたのか、廊下には見当たらない。 「通報がありましたので」 「うん、見つけたのは別の風紀委員なんだが……」 そう言いながら鍔姫ちゃんは、モー子から俺へと視線を移す。 「吉田!?」 「吉田さんっ!?」 意外すぎる名前が出てきて、俺とおまるはほとんど同時に叫んでいた。 「倒れてたってのは、吉田なのか?」 それを聞いて、少なからずほっとする。 自分でも驚くほど一瞬にして緊張感が高まっていたらしく、肩から力が抜けるのを感じた。 「つまり、村雲と同じ状態?」 「そうだ、やはり怪我はない」 「そうですか……。無事でよかったぁ」 「まあな……」 しかし、なんで吉田なんだ。 仮に村雲と同じ犯人のしでかしたことだとしたら、人選の意味がわからない。 「同じクラスと言うことは、今日、吉田さんに会っているのですね?」 「ああ、もちろん。どこも変わった様子はなかったんだがな……」 昼休み、いつも通り黒谷と一緒にいた光景を思い出す。 「うん、普通に元気だったよ」 「授業が終わった後は? すぐに教室を出たのでしょうか」 「どうだったかな……。俺の方がすぐ分室に向かっちまったからそこまではわからん」 「おれも見てないなあ」 確か黒谷と何か話していたような気がするが、普段通りの光景なのでほとんど気にもとめておらず、はっきり思い出せなかった。 「……一応、昼間話したときそれとなく早めに帰れってのは言ったんだがな……」 もう少しはっきり注意するよう言うべきだったか……。 「警戒を促すにも私たちにも何が起きたか把握出来ていない。どのように注意すべきか具体的なことが言えません」 「……そうだな」 責められるかと思ったが、モー子はむしろ、そこを悔いている暇はないと言いたげな口調だった。 もちろんその通りなのだろうが、やっぱり口惜しい胃の痛みは消えてくれない。 「それで、吉田さんは? 保健室で寝てるんですか?」 「いや、もうすぐ夜になるから寮の自室に運ばれている」 「あ、そうか。夜の世界のことは内緒なんだったな」 「ああ、村雲と同じ状態とはいえ、朝まで絶対に起きないとは限らないしな」 万が一、夜のうちに目を覚ましたら、秘密がバレるだけでなく、吉田の方もパニックを起こすだろう。 村雲と同じ状態なら、数日分の記憶も飛んでいる可能性が高いから混乱もするだろうし……。 「寮の方がましか」 「先生方もそういう判断でね。一応、友達が様子を見てくれているそうだ」 「黒谷さんかな?」 「だろうな。あいつら仲いいし」 「黒谷真弥さん、だったかな。同じクラスの人だな」 「うん、そう。あのにぎやかな奴」 さすがの黒谷も、吉田が昏倒して運ばれて来たら狼狽してるだろうなぁ……。 「なら、吉田さんはひとまず安心と見ていいですね」 「明日の朝には話聞けるといいんだけどな……」 ただし、村雲の時と同じように、何も覚えてない可能性もあるが。 走ってきた村雲が、俺たちを見て露骨に嫌な顔をする。 「何でお前らがいるんだよ……」 「お前さんのお仲間が通報してくれたんだが」 はっとしたように村雲は声のトーンを落とす。 そして周囲にさっと目を走らせた。 自分が倒れていたのと同じ場所、という事を悟った顔だった。 「そうだよ、またここに生徒が倒れてたんだ」 村雲は、感情を押し隠すように強引に表情を消した。 「……意識は?」 「まだ戻っていないそうだ」 「もしお前と同じ状態なら、一晩くらいはかかるんだろ」 「だろ、とか言われてもオレは気づいたら三日たってたっつーの!」 「そうか、自分の体感だと一晩どころじゃないか」 「……まあな」 妙に淡々と頷かれた。 覚えてないのは悔しいが、ずっと気にしてると思われるのもしゃくだと思っているんだろうか。 (なんか思うところがある風でもあるんだよな……) 見た目より思い詰めてるんじゃなけりゃいいんだが。 けっこうそういうタイプに見えるのが、ちょっと怖いんだよなこいつ。 (思うところって言えば、モー子もか) そっとモー子の方を盗み見ると、鍔姫ちゃんに吉田が倒れていた状況を聞いているところだった。 「……では、今回は付近には人影はなかったんですね?」 「ああ、倒れた女生徒以外誰も居なかったそうだ」 「周辺でも、例の白い人影を見たなどと言う話は?」 「それもないよ。不審な人影は何も目撃されてない」 その辺は、風紀委員会が人海戦術で素早く聞き込んで回ってくれていたらしい。 「保健の先生も部屋にいたそうだが、妙な物音も、争うような声も何も聞いていないと言ってる」 「音もなく、ですか……」 目の前の保健室にいた先生すら何も聞いていないってのは不気味だな……。 「吉田はかなり恐がりだから、あの白いのが目の前に現れたらそれだけで悲鳴上げると思うぞ」 「そうだね。確実に叫んでるね」 同じ恐がりどうし、気持ちはわかると言いたげにおまるは確信をもって頷いた。 「では不意を突かれたか、あるいは昏倒した現場がそもそもここではないか、ですね」 「あの白い奴がどっかから吉田をここまで運んできたってことか?」 「現場が別だとすれば、その可能性もあります。ですがまだ、誰の仕業かは断定出来ません」 「まあ、そりゃそうだが」 ……しかし、あの白い奴が無関係だったら何であの場にいたんだって話になるよな。 前から目撃されてた噂の幽霊がたまたま通りかかりました、なんて偶然があるだろうか……。 「けど、なんで今度もここで倒れてるんだろう?」 ふと呟かれたおまるの言葉に、俺も引っかかる。 「そういやそうだな。この保健室って何かあるのか? いわゆる魔術的な何かが」 「そういう話は聞いたことがありません」 モー子が首を振り、鍔姫ちゃんはそれに同意するよう頷いた。 「私もだ。以前にもここで何か事件が起きたというような話も覚えがない。村雲はどうだ? よく資料を読んでるだろう、君は」 話を振られた村雲も心当たりはないようで、腕を組んだまま申し訳なさそうに言う。 「保健室に関しては特に……変わった騒ぎがあったなんて記述は見たことありません」 「じゃあ別に場所には意味はないのかな?」 「……ただ、なぜこの場所なのかというのは確かに気になりますね」 「私たちにはわからなくても、何かしらの意味があるのかもしれません」 「じゃあここに見張りでも立ててみるか? 怪しい奴が近づけないように」 「その手は打っておいて損はないと思います。いかがですか、壬生さん」 「そうだな、風紀委員長に頼んでみよう」 「お願いします。私は念のため遺品が使用された形跡がないか確認します」 「んじゃ図書館か」 遺品関係ならまずリトに確認するしかないからな。 「あ、はい」 風紀の二人は足早にその場を立ち去って行った。 なんとなくその後ろ姿を見送る…… 「あいつ大丈夫かな」 「え?」 「静春ちゃんだよ。なんか思い詰めてそうだから」 「……うん。やっぱり気にしてるみたいだね」 おまるにもそう見えるのか。 俺に対しては、いつも勢いだけはいいから、余計大人しく感じるってわけでもないらしい。 「まあ、鍔姫ちゃんがついてるからそうそう無茶はしないと思いたいんだが」 「壬生さんは無茶をしそうなら止めてくれるでしょう」 「ああ……」 まずは図書館だな。 俺たちは人気の無くなった廊下を歩き校舎の地下へと向かう……。 リトはいつも通り、図書館の奥で一人たたずんでいた。 微かな埃が、淡い灯りの中で、きらきらとささやかな装飾のように舞っている。 「リトさん」 「……また何かあったみたいね」 ぞろぞろと近づいて来た俺たちを見て、リトはふわりと長い髪を揺らし近づいてくる。 さっき慌ただしく出て行ったから、そのうち来ると踏んでいたのだろう。 「今度はなに?」 「先日と同じです。保健室前に生徒が倒れていました」 「そう……。まったく同じ状況なの?」 「ほとんど。違っているのは今回は白い人影が目撃されていないことくらいです」 「でも、あいつは俺たちが駆けつけたときもさっさと消え失せたからなあ」 「今回は見つかる前に消えただけかもしれないよね」 むしろ、その可能性が高い気がする。 前回より俺たちも風紀委員も警戒していたのだから、向こうだってその気配くらい察するだろう。 「リトさん、本日、校内で遺品が使用された形跡はありませんか?」 「私の把握している限りは、ないわね」 「やはり、ですか。では後で、今回倒れた生徒にも遺品の形跡がないか調べて貰えますか?」 「もちろんいいわよ」 「あと、念のために確認しておきたいのですが」 「なにかしら?」 「現場は二度とも同じ保健室の前の廊下なのです」 「あの保健室やその付近に、遺品に関係した何か特別な事柄はありますか?」 「保健室……。そうね、保健室になにかがあったという記述は読んだ記憶がないわ」 あまり考え込むこともなく、リトはモー子の疑問を否定した。 「では、過去にあの場所が保健室以外の別の部屋だったことがあるというようなことは?」 今度は数秒考えてから返答する。 「……改装は何度かされているはずよ」 「校内の見取り図などは?」 「あるわよ」 「それを調べさせて貰えますか?」 「ええ、いいわ。地図は向こうの奥の棚。私も一緒に行くわ」 「お願いします。地図だけでも膨大でしょうから」 「手伝おうか?」 「いえ、必要ありません。引き続き学園内の捜索をお願いします」 「そうだな。白い奴がそうそう現れるかどうかはわからんけど」 モー子はきゅっと形の良い眉目を寄せ、真剣な眼差しで言った。 「……万が一現れても、不用意に追うとまた消えてしまいそうですから、慎重に」 「ああ、わかってる」 頷いて、俺とおまるは図書館を出る。 (……やっぱり) モー子はあの白い奴をどこか気遣っているような気がする。 「いや、どうも気になってな」 「何が?」 「……モー子の奴、やっぱり何か隠してる気がしないか?」 「隠してる……のかなぁ?」 「ん?」 おまるは少し歩調を緩めながら、視線を自分の足下へと落とす。 「なんていうか、憂緒さんの場合、本人は隠してるつもりはないんじゃないのかも、って……」 言いづらそうに、沈んだ声色でおまるは言った。 「ああ……」 「俺らに言う必要はないって、普通に思ってるだけってことか」 「うん、まあ、本当に必要な事はちゃんと話してくれてると思うけどね。事件の情報とか」 「でも、これは関係ないだろうって憂緒さんが思ったことは……」 「いちいち言わないか。ま、最初からそうっちゃそうだったけどな」 確かに、それだけのことなのかも知れない。 モー子の態度が不自然だと思い込んでいたが、実はこっちが必要以上に気にしすぎていただけなのかも……。 「……未だにあまり信用されてないのかなーって思うと、ちょっと寂しいけどね……」 ぽつりと、おまるは独り言のように呟いた。 そんなおまるの沈んだ顔を視界の隅に捕らえ、俺は何故かモー子に対して少し苛立ちを覚える。 「こっちだって全幅の信頼を置いてるわけじゃない」 「あ、そうなのか? なんかしょげてるから、対抗するべきかと思って」 「みっちー……からかってるだろ……」 おまるをからかったつもりはなかったんだがな。 自分でも何に対して腹が立ったのかよくわからなくなってきて、それを誤魔化そうとしたら自分でもわけのわからない発言になっていた。 「いや、へこませたみたいだから、場を和ませようと」 とりあえず内心の混乱を顔に出さないように、いつもより軽い口調で言う。 おまるは気づかずいつもの軽口だと思ってくれたようだった。 「俺もかよ?」 「おれから見たらいい勝負だよ、みっちーも憂緒さんも」 「不本意だなあ……」 言ってから、モー子が例の口調で心底不本意ですと俺と同じ台詞を言ってる姿がありありと浮かんだ。 浮かんだが、なんか悔しいので口には出さないでおくことにした。 「ほら、みっちー、行くよ!」 「わかったわかった」 ……しかし、おまるはおまるで、未だにどこかズレてる俺たちの間柄をけっこう気にしてるんだな。 (気にならないわけじゃないけどな。俺だって……) 肝心のモー子が今のところ腹割る気ゼロっぽいからなぁ……。 「みっちーってばー!」 「あー、今行く!」 気づけばずいぶん先へ行っていたおまるを追いかけて廊下を走った。 ……で。 例によって白い奴は影も形も噂もなかった。 翌朝。 少々心配していたのだが…… 「あ、吉田さん!」 吉田そあらは何事もなかったかのように普通に登校していた。 もちろん黒谷も一緒だ。 「おはよー!」 「やほー、二人とも!」 「よう、おはよう」 「本当だよぉ!」 横にいた黒谷が、すかさず口を挟んでくる。 いつも通りに見えるが、こいつはこいつでかなり心配していたのだろう、ほんの少し口調が真剣だった。 「て、ことは黒谷は先に帰ってたのか?」 「それがねー、私、昨日当番だったからそあらの方が先に帰ったはずだったのよ」 「ごめぇん……」 吉田は首をすくめながら黒谷に手を合わせる。 「ま、朝起きたら元気だったからいいけどさー」 「まあ、元気そうだな」 「うん! 全然なんともないよ!」 確かに見たところ体調はなんともなさそうだ。 そう言いつつ、肩をすくめて口をとがらせ不本意そうな顔をする吉田。 やっぱり記憶はないのか……。 「覚えてないんだ?」 「うーん、ずっと考えてはいるんだけど……」 「それじゃ、ちょっと聞きたいんだけどいいか?」 「うん、いいよー」 「昨日、倒れてた時のことで何か覚えてることってあるか?」 「それが全然! 朝起きて、まーやちゃんに聞いてびっくりしたくらい!」 心底驚いたらしく、吉田は丸い目を更に丸くした。 「そっか」 村雲とまったく同じか……。 「なんでだろね? 何かよっぽどショックなものでも見た?」 「怖いこと言わないでよぉ! 見たとしても覚えてないし!」 ……村雲も同じ状態だから、さすがに見ただけで倒れるほど恐ろしいものが現れたわけではないだろう……。 昨日のことは何も覚えていないらしい。 「どの辺から記憶が飛んでるかはわかるのか?」 「うーん、多分……だけど、ここ二、三日かなぁ……」 くるりと天井に目を向けて、指を折りつつ吉田は答えた。 「少なくとも昨日と一昨日はもうさっぱり。気がついたら三日くらい経ってた感じ」 「三日ね……」 「そうそう! 起きてしばらく話が合わなくて困ったもんね」 「まさか記憶がすっ飛んでるとは思わないからさあ」 「わたしだって三日も経ってるなんて思わなかったよ〜!」 村雲も目が覚めたら三日経ってたとか言ってたから、同じ状態になってると見て良さそうだ。 ここ二、三日の記憶が曖昧で、寝て起きたら三日経ってたという感じらしい。 「白いマントみたいなの着た変な人影とか見たことないか?」 「へ? それって夕方に出るっていう幽霊のこと?」 わくわくした口調で身を乗り出す黒谷。 反対に吉田は後ずさり気味に怯えた口調で首を振る。 「えぇ〜!? やだぁ、わたし知らないよぉ?」 「ねえ、出たの? 久我? どうなの? 烏丸?」 吉田が必死に否定すると、黒谷はこちらに矛先を向けてきた。 「えっ? えっと、あのー」 「あー、いや、噂だ噂。別に幽霊が出たわけじゃねーよ」 「なーんだぁ」 「残念そうに言わないでよ〜! 怖いよ〜!」 「あっはっは、ごめんごめん! 会わなくて良かったね」 吉田は例の噂以上のことは知らないみたいだな。 吉田は噂以上のことは知らないようだ。 他に聞きたいことは…… 「黒谷が騒ぎを知ったのは寮に戻った後なんだよな?」 吉田からは聞き出せることはなさそうなので、黒谷の方に吉田の足取りを聞いてみることにする。 「うん、そうよ」 「授業の後、吉田と別れたのは?」 「教室だったよね?」 「ご、ごめん覚えてない……」 同意を求められ、吉田は申し訳なさそうに首をすくめた。 「なるほどね……」 「吉田さん、保健室に行く用事とか何か……えーと、言ってなかった?」 本人に聞いても覚えてないことを思い出しておまるも黒谷に尋ねた。 「だってうちの教室から寮に帰るなら保健室の前なんて通らないじゃない?」 「そうだな、遠回りになるだけだな」 教室から出てそのまま廊下を進めば、すぐに校舎から出る出入り口がある。 保健室はそこを出ずに、寮とは逆の方向に廊下を歩いて行かなければならない。 素直に帰ろうとしたなら、保健室前の廊下なんか通らないはずなのだ。 「うーん、保健室に行く用事……思いつかないなぁ……」 覚えていないなりに、何か用事がなかったかと考えてくれているようだが、やはり吉田本人にも心当たりはないようだった。 「急に気持ち悪くなって、校舎を出ないで保健室に向かったとか?」 「でも、保健の先生も身体はどこも具合悪くなってないって」 「そっか。廊下で倒れちゃうくらいなら、なんともないって事はないか」 いくらなんでも保健医がそこまで豪快な誤診をするとも思えんな……。 俺は保健医がどんな人かまだよく知らないが、モー子や鍔姫ちゃんは普通に信頼しているようだし少なくともヤブではないんだろう。 「いつも通り普通に起きてきてびっくりしたくらいだからねー」 「わたしもいつも通りの朝だと思ってたのに、まーやちゃんが驚くからびっくりしたよー」 てっきり具合が悪いのだと思って心配していた黒谷と、何を心配されてるのかわからない吉田とで話がかみ合わず混乱したのだそうだ。 幸い吉田が起きたと聞いて、すぐ近くの部屋の風紀委員が飛んできてくれたのでどうにかなったということだった。 さぞかし大混乱だったんだろうなあ……。 「けど、なんで倒れてて記憶だけ飛んでるんだろう……?」 「そこが謎だな……」 記憶がないとなると、何かまずいものを目撃して故意に消されたのではという疑惑を抱きたくはなるが……。 (そんなこと出来るの遺品くらいだろ……) 今のところ、その痕跡が見当たらないのが不気味だな。 「うーん、記憶、記憶ねぇ……」 腕を組み、首をひねりながら黒谷が思案している。 いや、お前はあまり深く考えてくれなくても……。 「どうしたの、まーやちゃん?」 「え? なにが……?」 嫌な予感がする、と露骨に顔に出しながら吉田が引きつり気味に聞く。 うん、俺も嫌な予感しかしない。 「ここにいるそあらって、実は三日前からタイムスリップしてきたんじゃない!?」 「………へ?」 やっぱり突拍子もないこと言い出した。 ぽかんとする吉田。 隣でおまるも鏡に映したように同じ顔をしていた。 「だから記憶がないのよ! どう、この推理!?」 「えーとな……だったら、今現在いるはずの吉田はどこ行ったんだ?」 意気込んでいた黒谷は、あっさりとしどろもどろになって語尾を濁す。 「それだったら三日前の時点で、吉田がおかしいって騒ぎになってるだろ」 「いや、全然普通だったよ、うん」 あたふたする吉田を落ち着かせようと、おまるが慌ててフォローする。 「あれー? 違うのかなぁ? いい推理だと思ったんだけど」 どこがだ。 三日前から吉田がおかしかったら一番仲良い黒谷が真っ先に気づいてるだろうに……。 (しかもタイムスリップだったら、まずおかしくなってるのは村雲だし) それなら鋭い鍔姫ちゃんが何も気づかないわけないしな。 黒谷の推理は聞かなかったことにしてもいい気がする……。 放課後になり、何かが起きてるのかと興味津々な黒谷を振り切ってどうにか教室を出てきた。 「黒谷にも困ったもんだな……」 内容はアレだが、多分黒谷なりに真剣に考えた結論があの推理なんだろう。多分。 「それがわかってるだけにな。こっちにも話せること何もないし」 「そうだね……」 分室へ来ると、モー子はもう来ており、珍しく本も読まずに待っていた。 俺たちが席に着くより早くそう聞いて来る。 モー子も心配してくれていたらしい。 「ぴんぴんしてた。村雲とまったく同じだよ」 「そうですか。無事だったのは何よりです」 「でもやっぱり、何にも覚えてないって」 「……予想はしていました」 頷きながら、モー子は少し表情を曇らせる。 俺も同じ気分だ。 被害者は増えたのに手がかりは相変わらず皆無に等しいんだから。 「倒れてた状況も同じだしなぁ」 「やはり、記憶も数日分なくなっているのですか?」 「ああ、寝て起きたら三日経ってたみたいな感じだとさ」 「同じですね……模倣である可能性もありますが……連続したものだと判断してまず間違いないでしょう」 一瞬、黒谷の推理を披露してやったらどんな顔するだろうという考えが頭をよぎったが……。 しかもなぜか俺が怒られるという理不尽な未来しか見えない。 「けど、なんでなんだろ? 事故とかじゃなくて誰かの仕業なら何がしたいのかな?」 「何がしたい、か……。犯人は何を考えて村雲と吉田の記憶を消して昏倒させたのか……」 「それは、何かしようとしてる途中で中断されたんじゃないかって話もあったよね」 「正直その線はもう薄いな。吉田の時は白いのは目撃されてないが、発見された現場も状況も村雲と同じだ」 「連れ去るなりなんなり他の目的があったなら、吉田は村雲とは違った結果になってるはずだろ」 「それもそうだね。じゃあ、どうして……」 「どうして、あの二人は記憶を失って倒れてたのかって話だな」 村雲と吉田はまったく同じ場所で発見され、同じ症状になっていた。 モー子の言うとおり、つながった事件だと考えて良いだろうとは思うが……。 「久我くんには何か考えが?」 少し考え込んだ俺を見て、モー子が問いかけてくる。 「そうだな……」 「やっぱ記憶を奪うのが目的って可能性はあるんじゃないか?」 「確かに二人とも同じように記憶がなくなっているのは気になりますが……」 「そうだろ?」 「ですが、その動機が見えませんね」 「その、動機?」 「何がしたいのかわからんが、目的はまだ達成されてないかもしれないぜ」 「されてない?」 「二人目の被害者が出たって事は犯人がやりたいことはまだ終わってなかったってことだろ」 「……確かにそうです」 「じゃ、じゃあまだ続くかもしれないってこと?」 「それは間違いなく警戒しといた方がいいだろうな」 「同意です。ただ……」 「最悪、事故の可能性もあるかもなあ」 「村雲と吉田って何か理由があって被害者に選ばれたにしては接点がなさ過ぎるし」 聞いていたモー子の顔がみるみる曇った。 「……接点はありませんが、突然倒れて記憶が消える事故とはどんな事故ですか」 「この学園じゃあり得ない話じゃないだろ」 「あり得ますが、それはほぼ何らかの遺品がらみで起こります」 「事故なら以前の妖精や人形のように無意識に遺品を発動させてしまって遺品が暴走していることになります」 「しかし、リトさんはその形跡はないと証言していましたし……」 「遺品の痕跡も目撃証言もまったくないという可能性はかなり低いと思いませんか?」 「……そ、それもそうだな」 確かに春日真由美の時は、あちこちで妖精が目撃されてたな。 しかも騒ぎは立て続けに起こったし、村雲から吉田まで数日空いてる今回の事件はやっぱり様子が違うか。 「じゃあ、やっぱり誰かが何か目的があってやってるのかな」 「その目的が謎ですね。記憶が失われていることは気になりますが……」 「それが目的と断定出来る証拠はまだありません」 「記憶を奪われ昏倒させられたその動機が見えません」 「まあな、記憶が目的だとしたら理由は何だって話だよな」 「しかも村雲と吉田って。共通点ないよなあ……」 「たまたま二人とも、何か見ちゃいけない物見ちゃった、とか?」 「見たとは限らないんじゃないか?」 「え? どういうこと?」 「今のところ被害者は村雲と吉田だろ?」 「風紀委員の村雲はともかく一般生徒の吉田は放課後になったらすぐ寮に帰るからな」 「偶然ヤバイ物を目撃するには行動パターンに重なりがなさすぎる二人って気がする」 「ああ、何か見たなら黒谷さんも見てる可能性が高いんだ」 「そっかぁ……。じゃあ何か見たわけじゃない?」 「そもそも記憶が目的と断定出来る理由もないしな」 「私もそこはまだ断定すべきではないと思います」 「だとしたら、やっぱりあの白い奴かな」 「そうでしょうか?」 「え?」 「夕方の白い幽霊の噂はずいぶん前からありますよ」 「目撃者の記憶を消したいなら今頃になって手を付けるでしょうか」 「……それもそうだな」 「て言うか、白いのだったらおれ達も見てるよ……」 「あ、そうか」 だったら真っ先に記憶を消さなきゃならんのは、俺たちのはずだな。 それも一番最初に後を追いかけたのは、鍔姫ちゃんだ。 村雲を襲って更に目撃されてる場合じゃないだろう。 「そもそも記憶が目的かどうかも断定出来ません」 「昏倒した原因が遺品ならば、記憶が代償に奪われたという可能性も考えられます」 「代償か……」 そう言えば発動させた遺品を使うための魔力が足りなかった場合、何かを代償に奪われるとかいう話だった。 何が代償になるかは遺品によるということだったから、記憶が奪われるというのもあり得なくはないわけか。 「けどさ、リトさんは今のところ遺品が使われてる形跡はないって言ってたよね」 「そうなんだよな。しかし遺品じゃなかったらなんだよって状況だよな、これ」 「ええ……」 モー子もその点には引っかかっているらしく、きゅっと眉根を寄せた。 「……結局、よくわかんないね」 「仕方がありません。情報が不足しすぎです」 「まあ、誰も何も覚えてないんじゃどうしようもねーな」 「それに、犯人はかなり上手く立ち回っています。あれだけ壬生さん達風紀委員が巡回しているにもかかわらず、まるで尻尾をつかませていません」 「そうだな……」 被害者の記憶を含めて、ほとんど痕跡を残していない。 最初にぼーっと突っ立ってるのを見られたのが嘘のようだ。 「そう言えば保健室の方はどうだったの?」 おまるの質問に、モー子は残念そうに首を横に振りながら答えた。 「調べましたが不審な点は見当たりませんでした」 「ずっと保健室だったのか?」 「地図が残っていない時代もありましたが、少なくとも何らかの魔術的なものがあった場所ではないと思います」 「そういうものが移設されたのなら、新たに移設した事が記録に残っているはずですが、それもありませんでしたから」 他の箇所にそういった記述がある例はあって、そこはリトと一緒に確認もしたそうだ。 「魔術的なものって、たとえばどんなのだ?」 「きみが踏み壊した彫像などですね」 「…………………」 さらりと言われて思わず絶句する。 「そ、そう言えば、あれって封印なんだったね……」 おまるも引きつった笑みと変な汗を同時に浮かべていた。 久々にバツの悪いことを思い出させてくれやがって……。 「けど、あの彫像は今回の村雲と吉田の件とは関係ない……よな?」 「どう関係するのさ? あそこから魔力が吹き出してて当たった人が倒れるとか……?」 「怖いこと言うなよ!?」 「さすがにそんな事態になっていたら、学園側が放っておかないでしょう」 「だ、だよな」 そもそも何か吹き出したりしてたら、俺とおまるがまず最初の被害者だろうし。 「彫像も保健室も、直接的な関係はないと判断して良いと思います」 「そうか……。保健室の線も途切れたわけだな」 「ええ。ですが念のため、あの場所には風紀委員が見張りを立ててくれているそうです」 「そうか、ならそっちは風紀委員に任せとくか」 「こっちは三人しか居ないし、見張りまで手が回らないしね」 「……となると、後は……やっぱ、見回りか。他にないしな」 「……まあ、いいでしょう」 部屋で延々と考え込んでいても埒が明かない。 見つからなさそうだとは思いつつも、白い奴を捜しつつ校内を見て回るしかなさそうだ。 分室を出てみると、外は既に日が傾き茜色に染まっていた。 一般生徒達は、もう帰寮したようで、校内で見かけるのは風紀委員の姿ばかりだ。 「白い奴、出ないね……」 校内で見かけたのは二度とも廊下だったので、その場所を巡っているのだが……。 モー子は廊下の真ん中に立ち、その先を見据えた。 白い奴が姿を消したのは、その視線の先の角を曲がったところだ。 「ああ、分室に向かう途中でな」 「びっくりしたよね。何気に幽霊の話してたら、本当にそれっぽいのがいるんだもん」 喋りながら廊下を先に進む。 モー子はこちらには視線を向けずに言葉だけを投げかけてきた。 「その時は側には誰もいなかったのですよね」 「いなかったな。ただあの白い奴が一人でふらっと廊下歩いてただけだ」 「それ見て、おまるが悲鳴上げて、白い奴の方も驚いてたみたいだったな」 「それですぐ逃げちゃったんだよね」 「見られただけで逃げたのですね。声を掛けたとか、追いかけようとかした後ではなくて」 少し当時の状況を思い返す。 「白い影、か」 「ええ、あ、多分あんな感じ……」 「……じゃ、ない……かと……」 「……証言通りだな」 「思いっきり出てるじゃねーか」 「っえ、ええええぇっ!? ほんっ、ほんものっ!?」 おまるが悲鳴を上げ、白い奴が走り出す。 それを反射的に鍔姫ちゃんが追った。 そのはずだ。 「……そうだな、追いかけたのは向こうが逃げ出してからだ」 「そんなに姿を見られたくないってことは、やっぱり見られたら困ることしてるってこと?」 「……けど、その後俺と風呂屋が会った時は逃げるどころか元の世界に帰してくれたんだがな」 「それは、学園内で目撃されたときはすぐさま逃亡して……」 「奇妙な空間では久我くん達の方をさっさと追い返した、とも取れますね」 「ん? ああ……確かに」 俺たちと遭遇してすぐさま扉を開けて、最終的には風呂屋の手を引いて帰らせようとしてたな。 「そうだな、どっちにしろ他人と長い間接しようとしなかったって意味では同じか」 「なんでだろう?」 「……そりゃやっぱり、正体を知られたくないんじゃないか?」 「マントで全身を覆い顔も見せない。正体を隠したいらしいとは推察出来ますね」 「問題は、なんで隠したいのか、だな」 「そうですね。常に人との接触を避けているようですから今回の件とは別に何か理由があるのでしょう」 「……モー子はなんでだと思うんだ?」 「私ですか?」 「正体を隠したい理由。何か思いつくか?」 「……………………」 数瞬だけ思考を巡らせ、モー子は細い人差し指を立てて言った。 「可能性はいくつかあります。ひとつは、普通でない姿をしている場合」 「え、な、中身が人間じゃない、とか?」 「まあ、あり得るな。実際あいつに会った空間には怪物としか言いようがない生き物もいたし」 ただし中身があんなのだったら、マント被った程度じゃ誤魔化しようがないだろうけど。 「他には?」 「昼の学園の、一般生徒である場合」 「一般生徒?」 「風紀委員や私たちのように、放課後も学園内に残る権限を持たない生徒、という意味です」 「寮に帰る時間になっても、学園をうろつきたい用事がある奴って事か?」 「そうです、風紀委員に見つかれば追い返されてしまいますから」 「でも、寮に帰らず残ってたらそれはそれでバレないか? 寮にいないって騒ぎになって」 「だから夕方にしか出ないんじゃない? バレる前に寮に戻ってるとか」 「間に合うか?」 「正直、危険ですね。遅れると戸締まりされて寮に入れなくなる恐れがありますから」 モー子自身も、この説はあまり有力でないと感じているのか、さしてこだわる様子も見せず否定的な意見を述べた。 「なら、その線は薄いのか。他には? まだあるか?」 「あります」 「なんだ?」 す、と小さく息を吸い、モー子は言葉を舌に乗せる。 「知り合い?」 「何らかの理由で、知人に知られたくない行動を取っている人物が、顔を隠しているという場合です」 「そうなると、俺の知り合いって可能性が一番高くなっちまうんだが」 鍔姫ちゃんが後を追ったとき、風呂屋と一緒に異空間であったとき。 その後財布を届けに来たとき。 そして村雲が倒れていたとき……。 「俺に会ったとき、あいつは確実に逃げるか俺をすぐさま遠ざけるかしてる」 「……心当たりはあるんですか?」 「いいや、まったく」 自分で言っておいてなんだが、これまでに俺が一番何度も顔を合わせてるのはおそらく偶然だろう。 「でしょうね。久我くんはこの学園に来て日が浅く知り合いもそう多くないでしょうし」 「数えるほどだよ。お前ら以外は鍔姫ちゃんとか村雲とか、あとクラスの奴とかリトさんとか……」 それに、風呂屋を始めとする夜の生徒が数名。 指折り数えていると、横でおまるも同じように数えていた。 「おれもみっちーとほとんど同じようなもんだなぁ」 「……それに、学園長」 「可能性その4ですね」 「え?」 唐突にモー子は自分が数えていた可能性の数に四本目の指を足して、言った。 「え……が、学園長ぉ!?」 「冗談です」 だろうとは思ったが、真顔で言うな。 「勘弁してくれよ。なんか面白そうだからとか意味わからん理由でやりかねない気がする人なんだから」 「では保留にしますか?」 「すんなっ!! これ以上話をややこしくすんな!」 「い、いくら変な人でも、やらないと思うなあ……」 「そうですね、被害者が出ている状況で愉快犯的な行動を取るほどおかしな人ではないと思います」 「……まあな」 仮にも学園長だしな、あれでも。 「あ、夜だ」 おまるはささっと後ずさって窓際から離れようとする。 「ああ……」 理由はまだ謎だが、おそらくあの白い奴は夕方にしか現れない。 今日もタイムリミットだ―― 翌朝、教室へ向かっていると黒谷が教室の中から飛び出してきた。 「な、なんだどうした?」 いつもの軽いノリではなく、本気で血相を変えているので思わず身構える。 「うん、さっき風紀委員の人達がばたばた走りながらそう言ってた!」 「くそ、立て続けだな……」 「み、みっちー! 行ってみようよ!」 「ああ。黒谷、保健室か?」 「あ、ごめん! 場所は知らないや」 「そうか、サンキュ。とりあえず保健室行ってみようぜ」 「うん!」 教室を素通りして急いで保健室へ向かう。 「鍔姫ちゃん!」 保健室前の廊下では、鍔姫ちゃんと村雲が神妙な顔つきで何やら話していた。 「ああ、君達。来てくれたのか」 駆けつけた俺たちを見て、鍔姫ちゃんは話を切りこちらに向き直る。 村雲は面倒くさそうな顔をしたが、さすがに何も言ってこなかった。 「教室で聞いてきた。また倒れてたって?」 「うん、今度は校庭だ。登校してきた早番の風紀委員が見つけた」 「校庭? ここじゃないのか?」 「ここには風紀委員や先生が交替で見張りに立っていたんだ。異常はなかったそうだ」 そう言いながら鍔姫ちゃんは、廊下の端を目線で示す。 鍔姫ちゃん達と同じ風紀委員のコート姿の男子生徒が立っており、鍔姫ちゃんの視線に気づき会釈した。 「私達もそれを確認しに、今ここへ来たばかりなんだ」 「そうか、そう言ってたな」 あの風紀委員が見張り役で、何事もなかったと証言したということらしい。 「た、倒れてた人は?」 「寮へ運ばれたよ。今度は三年生の男子だったそうだ」 「またバラバラだな……」 二年の村雲、一年の吉田。 そして今度は三年生か……。 「念のために聞くけど、お前は知ってる奴?」 「顔と名前くらいは知ってる。風紀委員は基本、生徒は全員覚えてるからな」 さすがに状況が状況だからか、村雲もいつもほどの喧嘩腰ではなく低い声で淡々と答えた。 「ただし別に親しくはないし、オレや吉田さんと続けて襲われるような理由に見当は付かん」 「だろうな。お前と吉田の時点で接点ないし」 「幸い今回も、昏倒しているだけのようなんだがな……」 「こう続くのはやっかいだな」 しかも村雲から吉田までは数日空いたのに今度は翌日だ。 (いよいよやばいことになってきたな……) 「あ……」 気にはなったが、予鈴に呼び戻され教室に戻らなければならなくなった。 「ではな、二人とも。くれぐれも気をつけてくれ」 「ああ、そっちもな」 風紀委員の二人はコートを翻し廊下の反対側へと歩き去っていく。 「とにかく放課後だな」 「そうだね……」 じりじりとしながら放課後を待ち、俺たちは即座に分室へ駆け込んだ。 「――今朝倒れていた生徒は、まだ意識が戻っていないそうです」 モー子も既に来ていて、鍔姫ちゃんに聞いてきたという話をする。 「前の二人と同じだったら、夜までは目が覚めないかな」 確かに、前の二人が目を覚ますのに必要だった時間を考えるとそれくらいの計算になるだろう。 「だろうな、目が覚めても夜中じゃ話聞いてみるにしても明日か」 「状態は村雲くん達と非常に似通っているので、話を聞ける望みは薄いと思っていた方がいいですね」 「覚えてないだろうなあ……」 正直、被害者の証言はあてにしない方がいいだろう。 「しかし、こう被害者が立て続けに出始めるってのはやっかいだな」 「そうですね、犯行のスパンが短くなると言うのは危険な兆候です」 被害者が加速的に増える―― ついこの前まで、あまりに何も起きないのでこれっきり謎のまま終わるんじゃないかなんて話していたのに。 (甘かったな……。あのまま終わらせるつもりなんかなかったが、やっぱりどこかに油断があったか) 「警備が強化されたことで、焦り始めたのかも知れません」 「しかし見事にその裏かいてくれたな。見張りの立った保健室前には現れなかったわけだし」 「今回も白いのは出てないの?」 「確認しましたが、今回も倒れていた生徒の側には誰も居なかったそうです。周辺でも目撃情報はありません」 「こうなると村雲の側に白い奴がいたのが関係あるのかどうかもわからなくなってきたな」 「たまたま通りかかっただけだったってこと?」 「最初に見かけたときも、ふらふら歩いてただけだったからな」 「俺たちみたいに倒れてるあいつを見つけて近づいただけかもしれない」 「……無関係なら、なぜ逃げたのでしょう」 気のせいか、モー子の問いは俺たちにと言うより自問自答のように聞こえた。 しかし、今そこに突っ込んでもおそらくはぐらかされるだろう……。 「だから姿を見られるのは嫌なんじゃないかって話だろ? 人と接触したくないっていう」 「ええ……。それなら逃げた理由は事件とは関係ないことになりますね」 「じゃああれは、事件に関係なく勝手に学園に住み着いてる変な人かもしれないの?」 「そういった方が居るらしいといった話は聞いたことがありません」 「学園長に放し飼いにしてる妖怪か何かいないか聞いてみるか?」 「……それなら事前に『あれはペットだ』と説明があると思いますが」 「にらむなよ、冗談だ」 「けど人間以外の何かって可能性はあるんだよな」 「まあ、妖精はいたし人形も動いてたし……」 「化けもんもいたぞ」 「色々なものがいるようですが、その多くは遺品の発動と共に現れています」 微妙に話が逸れかけたせいか、モー子は少し気を取り直すように言った。 「ですが今回は……そういった目撃証言はいっさいなく、遺品が使用された形跡もありません」 「村雲や吉田がうっかり遺品発動させてたら、その遺品は暴走して何かしでかしてるよな」 「これまでのケースならそうなっているはずです。それにもう一つ……」 「もう一つ?」 「暴走させた遺品使用者は皆、一度倒れてしまうと私たちが遺品を封じるまで意識を失ったままでした」 「そういや、村雲が目を覚ましたときそんな話もしたな……」 「もし遺品だったとしたら、被害者が目覚めた時点で誰かが一旦遺品の暴走を止めてることになる、か」 「ええ、ですから彼らが遺品を使用して昏倒したとは考えにくいと思います」 「しかし、遺品じゃなかったら何なんだ? 遺品じゃない何かの魔術ってことか?」 モー子は自分にもわからない、といった風に首を振り、そして言った。 「……リトさんに聞いてみましょう。今日は少し質問の仕方を変えます」 本棚の間を抜け、いつもの場所へ行くと相変わらずリトは風景のようにそこにいた。 分厚い本の背表紙を指で辿るようにしながら、書架を見上げている。 「――リトさん」 背表紙の文字を追っていたリトの目が、モー子の声にこちらを向いた。 俺たちの姿を見て一瞬その瞳が和む。 しかし、すぐに何か起きたらしいと悟ったようで真顔になった。 「なにかしら」 「また被害者が出ました」 また、と聞き、リトは珍しく少しだけ困ったように眉尻を下げた。 さすがの彼女もずいぶんと続く騒ぎに思うところがあるのだろう。 「今度は三年生の男子なのですが、校庭に倒れていたそうです」 「それ以外の状況はこれまでの二件とほぼ同じで……」 モー子は今回の事件について、一通りのことをリトに説明した。 「そこで、質問があります。仮に遺品の仕業ではないと仮定して、このような状態になる現象に何か心当たりがありますか?」 「うーん……」 「完全に一致しなくても、似た事例でもかまいません」 「昏倒……外傷はなし……数日分の記憶の消失……翌日になれば目覚める……そうね――」 「本人の能力以上の大量の潜在魔力を瞬時に消費すると、そのような状態になるかもしれないわ」 「記憶まで消えてしまうこともあるのですか」 「自分の持つ魔力の容量を一瞬で越えるようなことがあれば、ね。ショックでそうなることはあり得るわ」 「その大量の魔力を消費って、例えばどうやってだ?」 「例えば、強力な魔力を必要とする、魔術的に序列が高い遺品を使用する」 「けど、村雲にも吉田にも、遺品が使われた形跡はないんだろ?」 「そうね、見当たらないわ」 それはリトも不思議に思っているのか、小首を横に傾ける。 「その、魔力の大量消費ですが、遺品を使用した場合のみですか?」 「他の人物に使われた遺品のせいで、昏倒し記憶を失うということは?」 「記憶を操作する遺品は確かにあるわ。だけど被害者達の様子を聞く限り、使用者の状態に思えるわ」 「じゃあ、誰かが先輩達に遺品だって言わずに使わせて気絶させて、すぐ遺品を止めて回収してった、とか?」 「回収するって、それ封印しないと無理じゃないのか? 倒れてても遺品って動いてるよな?」 「遺品によるでしょう。ヤヌスの鍵は、風呂屋町さんの手を離れた時点で彼女でなくても使えました」 「ああ、そうか。ああいうタイプなら村雲達が気絶した後普通に回収出来るか」 しばらく黙って俺たちのやりとりを聞いていたリトが、ぽつりと言葉を挟む。 「ただ、それほど強力な遺品が使われたとなると、もっと大きな怪異が起きても良さそうなものなの」 「おまるの説みたいに、触った途端ぶっ倒れて即回収、だったとしてもか?」 「記憶を失うほどの魔力ですもの。発動する力も大きいはずよ」 「確かにそんな大量の魔力を使うんなら、もっと派手なことになってそうかも」 「……そうですね。今のところ遺品が使用された形跡すら見当たらないのですから……」 「消費された大量の魔力はどこへ消えてしまったのか……?」 「どこかに蓄えられてるんじゃないのか?」 「魔力がですか? どこに?」 「どこかまでは知らないけどさ」 「それに何に使うつもりで?」 「……さあ?」 「深く考えず物を言うのはやめて下さいね?」 「じゃ、じゃあモー子は何か大量に魔力食うもんがあるってのか?」 「あるでしょう」 「へ?」 「え……」 「いや、あるだろ。大量に魔力消費しそうなものが」 「え? どこに?」 「ここにだよ」 俺は自分の立っているこの場所を指さした。 「……私もそう思います」 「夜の世界への変貌。あれは壮大な魔術ではないのですか?」 「ええ。あれは、おそらく繊細で綿密な仕掛けのしてある高等な魔術よ。私は詳細は知らないけれど」 時計塔の鐘の音と共になだれ込んでくる夜の光景が頭をよぎる。 あれが魔術だとしたら、俺たちが今まで相手にしてきた遺品なんぞくらべものにならないほど膨大な魔力が必要だろう……。 「その大量の魔力は誰がどこで消費しているのでしょう?」 モー子の問いに、リトは思考するまでもなく首を横に振った。 「……それは、私にもわからない」 「リトさんも知らないのか」 「ここにはそれを記述してある本はないの」 周囲に立ち並ぶ巨大な本棚。 リトはくるりとそれを見渡す。 これだけの蔵書の中にもないのか。 夜の世界ってのは一体……。 夜毎訪れるだけに慣れてしまっていたが、やはり夜の世界ってのはこの非常識な学園の中でも飛び抜けて非常識な存在らしい。 「私が把握しているのは、この天秤瑠璃学園の創立者ラズリットが残した遺品について。この図書館の蔵書も遺品の一部なの」 「それ以外のことはわからないから、答えられないわ」 「……そうですか」 むしろ、夜の世界は『その他』に分類されるもんだったってのが俺的には意外だったが……。 俺たちが普段追いかけ回してる遺品とは規模やら何やら根本的に違うってことなのか。 「でも、夜の世界が大規模な魔術なら仕掛けもかなり大がかりなもんだろ」 「あれだけの現象を引き起こすなら、そうね、大がかりになると思うわ」 「だったら学園そのものが巨大な魔術装置って線はあるんじゃないか?」 「最初と二番目の現場が保健室だったからあの場所に何かあるんじゃないかと思ったが、そもそも学園全部が魔術装置だったら……」 「保健室とか校庭とか、敷地内だったら場所は関係ないってこと?」 「そういうことにならないか? こっそり生徒全員の魔力を少しずつ吸い上げてるとか」 「こ、こわっ! 怖いこと言わないでよみっちー!」 モー子は俺の言ったことを反芻するよう一瞬目を伏せた。 そしてすぐにリトへと視線を戻す。 「そういった記録……この学園が建てられた当時の記録はないのですか?」 「もちろんあるわ。でもこの学園は、二十年ほど前に一度大きな事故があって建て替えられているの」 「ああ、それで改装されたことがあると……」 そう言えば保健室のこと調べようって時にそんなこと言ってたな。 ということは、調べるべきは建て替えられた後の記録……ということになるが。 「そう、そのため建物自体が昔の記録と大きく変わってしまっているの」 「だから私にも今の学園の状態はよくわからないのよ」 「確かに……調べさせてもらった地図も改装前のものだけでしたね……」 記録の内容と現在の学園の状態がつながらないって事かな。 しかしリトにもわからないとなると…… 「これはもう、一度学園長に話聞いた方がいいんじゃないか?」 他に知ってそうなのは、あの学園長くらいだ。 そう思って言うと、モー子は途端に表情を曇らせた。 「きみは本当に現状把握能力が不足していますね」 「なんだよ。学園長に話聞くことのどこが悪いんだ?」 「いえ、きみの提案自体は素晴らしいと思いますよ? ただ残念ながら、学園長は今出張中です」 「出張!?」 「以前に告知が来たはずですが。もう数日は戻られませんよ」 「えーと、出張って村雲先輩が倒れるより前から?」 「そうです。ですから学園長はこの騒ぎをまだご存じないかも知れません」 いないものは仕方ないが、肝心なときに……。 (何が謎ってあの人が一番謎だよなあ……) 見た目通りの年齢ではないのは確かだろうが、なら何歳なんだとか、そもそも人間なのかとか。 あのオコジョとはマジで会話通じてんのかとか。 全部謎だ。 学園長、という選択肢がいきなり消えたので、残った手はやっぱり……。 「無駄足になる可能性高いけど見回るだけ見回るか? ほっといて何かあっても嫌だしな」 「今回だけ現場が違ったことも気になります」 「そうだな、念のために校庭にも行くだけ行ってみるか」 「……では、リトさん。ありがとうございました」 「いいえ、いつでも来てくれるといいわ」 リトに礼を言って、俺たちは図書室を後にした。 校舎を出ると、外はすっかり黄昏れていた。 もうあと数分後には夜が来るだろう。 生徒達はみんな帰寮したようで、校庭には誰もいない。 「……この辺りだと聞いています」 三番目の被害者が倒れていたらしい場所をモー子が指さした。 当然ながら、これといった痕跡は何も残っていない。 周囲を見回してみると、校舎の近くではあるが校庭の側からは何も遮蔽物が無く、不審なことがあればすぐに目に付きそうだ。 「けど、見つかったのは朝ってことは夕べから倒れてたかもしれないのか?」 「それじゃあ、夜の生徒に見つかるんじゃない?」 「それ以前に、風紀委員の放課後の見回りで発見されているでしょう。昼の生徒だったわけですから」 「ああ、そうか、その後だったら寮から抜け出さなきゃならんな」 「それはまず不可能です。夜の世界になった後、寮は厳重に戸締まりされて出られません」 万が一にも昼の生徒がうっかり夜の学園へ入ってしまわないよう管理されているそうだ。 そりゃ、そうしないと黒谷みたいな好奇心の塊が忍び込みかねないだろうな。 「てことは、倒れてた人って朝早くここに来て被害にあったってこと?」 「そうなるな。当番やなんかで早めに出てくる生徒は普通にいるし」 「早朝で人気がなかったなら、おまるの遺品に触らせて気絶させた説も不可能じゃないよな」 「まだ登校する生徒も少ない時間帯だったようですから、可能でしょう。遺品を使ったとすれば、ですが……」 そう答えながらモー子はもう一度周囲を見回した。 モー子の動きに合わせて、彼女の足下から伸びた長い影も角度を変える。 何一つ見逃すまいとしている視線は、夕陽が反射して中を見通せない校舎の窓で止まった。 「……今回に限り校庭だったのは、やはり保健室前に見張りが立ったからでしょうか」 あの窓の更に向こうは保健室だ。 村雲と吉田が倒れていた現場。 おそらく今もまだ、念のために風紀委員か教師が残っているだろう。 「そうだな……犯人は別に保健室にこだわりがあったわけじゃなかったってことかな」 もしくは見張りの目を強引にどうにかしてまで優先したいほどのこだわりではなかった、か。 「みっちーが言ってた、学園中が魔術施設っていうのが当たってたらどこでもいいわけだもんね」 「適当に人目が無くて見つかりにくけりゃどこでもいいんじゃないか?」 「それで、場所ではなく犯行時刻を人目の少ない時間に移した、ということですか」 モー子も同意らしく、納得しているような口調だった。 「被害者の人は何か用があって朝早く来たのかな? それとも犯人に呼び出されたとか?」 「呼び出されたんだとしても、どういう理由で被害者を選んでるんだかわからんな……」 「そうですね、村雲くんとも吉田さんとも、これといった接点がある人ではなさそうでした」 「……最悪、無差別か」 「だ、誰でもいいから記憶を消したり気絶させたりしてるってこと?」 俺の台詞に、おまるの声が震える。 正直自分でもあまり考えたくなかった事ではあるので、胃の辺りが重くなった。 「対象が誰でもいい、という可能性は残念ながらありますね」 「愉快犯だったらたまらんな。あり得なくはないんだろうが……」 「……そうでないことを祈ります」 モー子はそう呟くときびすを返した。 「戻りましょう。夜が来ます」 現場を後にして校舎へ戻った途端、時計塔の鐘が鳴った。 そして、夜が来た……。 夜の生徒達が笑いさざめきながら通り過ぎる廊下を、分室の方へと歩いて行く。 「お、特査だ。おはよー」 後ろから声を掛けられて振り向くと、射場久美子先輩と七番雛先輩だった。 「おはようございます」 「特査分室のみなさん、おはようございます」 挨拶を返すモー子に、雛さんがぺこりと会釈し、射場さんは俺たちの顔を見回した。 「どうかしたの、みんな揃って」 「……いえ、こちらでは何か変わったことは起きていませんよね?」 「変わったこと? なんだい、それ?」 「え? 知りません?」 「うん、知らない」 「ヒナも」 そう言えば、昏倒してたのは全員昼の生徒だったか。 夜の生徒達は昼間起きている騒ぎをまだ何も知らないようだ。 「いえ、実は……廊下で気を失って倒れていた人がいたもので」 「へーえ? なんか物騒だね」 射場さんは思ったより剣呑な事態だと知っていつもの元気な表情を曇らせる。 「なぜ、倒れていたのですか?」 「それがわからなくて調査中なんです」 「そっか、大変だね」 「頑張ってください」 「ええ、ありがとうございます」 予鈴が鳴り、射場さん達はそれじゃあと手を振って教室へ向かっていった。 「なあ、被害者が三人とも昼の生徒って事はさ……」 「犯人は夜の世界のことは知らない人間なんだと思うか?」 「……私も今、そのことについて考えていました」 モー子は視線を窓の外に向ける。 既に真っ暗なその空間の奥には、青白い月が浮かんでいる。 「犯人は夜の世界の存在を知らないのか、それとも夜の生徒は犯人が行いたい目的にそぐわない理由でもあるのか……」 「夜が来る頃にはもう寮に戻ってる一般生徒だと、夕方の時点で動き回るのは難しいって話だったよな」 「てことは、夜の世界を知らない一般生徒って線は薄いってことにならないか?」 「そうですね。では、犯人が夜の生徒を狙わないのはなぜでしょう?」 帰寮時間を過ぎた夕方に犯行が行われていることからして、夜の世界に入れないというわけではないだろう。 鐘が鳴っても学園内に残っていさえすれば自動的に夜の学園にはいられるはずだ。 となると…… 「……もし、夜の生徒が同じように昏倒した場合ってどうなるんだ?」 「目が覚める頃には夜が明けて朝が来てるわけだよな」 村雲たちの例からすると、目覚めるまでには約一晩。 夜になってから昏倒したら、更に遅く、とっくに昼の学園の始業時間になっているかもしれない。 「そうなりますね」 「昼の世界で目を覚ますのか、それとも夜の世界が消えると同時にそいつも姿を消すのか?」 「……わかりません。そういった前例はないはずなので」 寝ていようが起きていようが、夜の生徒が学園に居残ったまま朝を迎えた事は今までにないのだとモー子は説明した。 みんな、夜の世界の放課後が来ると、来たときと同じように校舎を出て帰って行くのだという。 「犯人もしらないのかもな。何が起こるかわからないからそのリスクは犯さない」 「予測不可能な出来事を避けるため、ですか」 「……あり得ますね。慎重に姿を見られないようにしている犯人ですから危険な賭はしなさそうです」 「て、言うかさ……」 モー子と俺のやりとりを聞いていたおまるが、神妙な顔をしながら言った。 「単に可哀相だからじゃないかな?」 「へ?」 一瞬何のことだかわからず、間抜けな声が出る。 「もし、夜の生徒は朝になってこっちに取り残されちゃうんだったら、可哀相だろ?」 「……………………」 「……………………」 ……意味がわかっても、咄嗟に言葉が出なかった。 そりゃそうだ、見知らぬ世界にたった一人で取り残されることになるんだから、風呂屋なんかだったらパニクって泣くかも知れん。 確かに可哀相だが、しかし…… 「その発想はなかったわ」 ようやくそれだけ言うと、おまるは心底驚いた様子であたふたし始めた。 「……え? あの、おかしい?」 「いえ……あり得ない話ではないかと……」 「じゃあなんでそんな微妙な顔なの!?」 微妙な顔というか、モー子にしては珍しいくらい肩の力が抜けた顔してるけどな。 俺も思わず苦笑する。 「おまるらしいからだ」 「いやあ、でもあり得ると思うぞ。特に、あの白い奴が犯人だったら」 「なぜです?」 俺の発言に、モー子は真顔に戻り聞いた。 「少なくとも俺が会ったあいつは割と親切だったからさ」 「被害者は怪我をしてることもないから、犯人なりに気を遣ってるのかもしれない」 「……………………」 真顔のままではあったが、微かに何か別の感情が見え隠れしたような気がする。 「あ、あの、別におれに気を遣ってくれてるんだったら、聞かなかったことにしてくれれば……」 「いいえ、参考になりました」 「そ、そうなの?」 「ええ」 そう頷いたモー子は、真顔に戻る前の苦笑したようにも見える表情を再び浮かべていた。 「……今日はもう引き上げましょう。また、明日です」 「そうだな」 夜の間は犯人も動いていないようだから。 ……その考えは甘かった、ということは翌朝すぐにわかるのだが…… 「あ、みーくん」 寮へ戻ると、鍔姫ちゃんも戻ったばかりなのかまだ制服姿で廊下にいた。 「よお、まだ見回ってたのか? 身体壊すなよ?」 「そちらこそ」 ふふ、と小さく笑って鍔姫ちゃんは髪を揺らす。 そしてふと、愁いを帯びた瞳になった。 「……みーくん。君はこの事件をどう思う?」 「え?」 「私には犯人のやりたい事がさっぱり見えてこないんだ」 その声には、やりきれなさが滲んでいた。 いたずらに増える被害者、しかもそのうち最初の一人は自分の相棒ともなれば……彼女の抱いている焦燥感は、俺たちの比ではないだろう。 「そりゃ、こっちもだよ。ただ、その……」 「ん?」 「あまり根を詰めるなよ」 重くならないよう、努めて気軽な口調で言った。 「こっちが後手後手に回ってるのは確かだけど、何も出来てないわけじゃない」 「犯人の行動が変わったってことは、取れる選択の幅が狭まってるってことだろ」 「無駄なことばかりやってるわけじゃないと思うよ」 俺の言葉を最後まで黙って聞くと、鍔姫ちゃんはふっと表情を和ませた。 「……ありがとう、みーくん。君にそう言って貰えると、少し疲れが取れた気がするよ」 その言葉もしかし、俺に気を遣わせまいとしている部分が含まれているだろう。 でもきっと、それを指摘したらお互い様だと言い返されるんだろうな……。 「どういたしまして。それじゃ、おやすみ」 「ああ、おやすみ。ゆっくり休んでくれ」 「鍔姫ちゃんもな」 いろんな物を言外に含んだ『おやすみ』だった。 ただそれは、確実に俺の気分を軽くした。 笑顔で手を振って立ち去って行く鍔姫ちゃんの姿を見送り、俺も部屋に戻る。 とっとと休まなきゃな……。 「……ふわあぁ」 不毛な捜索ばかり続くせいか、このところ寝覚めが悪い。 ついでに夢見も悪いような気がするが、幸いなことに起きたらさっぱり覚えていなかった。 起き抜けに忘れる夢は、悪い暗示だとか昔聞いたことがあったような気がするが、それも忘れておこう。 のろのろと起きて欠伸をしながら身支度を整える。 (昨日も結局空振りだったし、今日もどうなることやら……) 手がかりがないばかりか、被害者の増えるペースが上がってるのが気になる。 このまま加速されたりしたらたまらんからなぁ……。 着替えを済ませたところで、扉が慌ただしくノックされた。 「みーくん! 起きているか?」 「鍔姫ちゃん? ああ、起きてるよ」 慌てた様子の声に、すぐさま飛んで行って扉を開ける。 廊下には緊迫した表情の鍔姫ちゃんが立っていた。 どう見ても朝の挨拶に来たという顔つきではない。 「朝からすまない。実はまた……」 「被害者か?」 「わからない。まだ見つかっていないんだ」 「……? どういうことだ?」 困惑した表情のまま鍔姫ちゃんは言葉を続ける。 「寮の部屋から生徒がいなくなったんだ」 「部屋から!?」 「今朝、友達が誘いに行ったら返事がなくて扉にも鍵が掛かっていたんだそうだ」 それでマスターキーを持っている風紀委員の鍔姫ちゃんのところへ知らせが来たのだという。 「私もノックして声を掛けてみたがまったく反応が無くてな。心配になって開けてみたら誰も居なかった」 「誰も? 窓は?」 「窓も扉も鍵は閉まっていた。部屋の中から忽然と消えてしまったとしか思えないんだ」 「…………………」 鍵の掛かった部屋から消えた……。 それは、今までの昏倒事件と関係があるんだろうか? (あるとしたら、犯人は密室から人がさらえるってことかよ) ふと、村雲の騒ぎの時に現れた白い幽霊の姿が浮かんできた。 あいつなら、鍵の掛かった部屋に入ることも可能か……。 「どう考えても異常事態だから、君達特殊事案調査分室にも知らせておくべきかと思い」 「ああ、ありがとう。そりゃうちの担当だろうな……」 「壬生さん! 壬生さーん!」 騒々しく足音が近づいて来て、鍔姫ちゃんを呼ぶ声がする。 たまに顔を合わせる風紀委員の一人だった。 「ああ、ここだ! どうした?」 風紀委員は学園の方向を指さしながらまくしたてる。 「見つかりました! 学園の廊下に倒れていたそうです!」 「学園にいたのか!?」 「さっきの消えた生徒?」 「ああ、風紀委員全員で捜していたんだ。すまない、私は先に行くよ」 「ああ、わかった」 鍔姫ちゃんは仲間の風紀委員と共に先に出ていった。 「……部屋からさらって、か」 仮に同一犯だとしたら、犯人は通りすがりの誰でもいいってわけじゃないのか……? 愉快犯の線だけでも消えてくれるなら、それはそれでありがたいが。 「いや、ここで考え込むと遅刻するな」 ひとまず俺も行こう。 上着を羽織りながら鞄をひっつかんで部屋を飛び出した……。 「……だって?」 「そうそう、捕まると記憶を食べられちゃうらしいよ」 「…………………」 「あの夕方に出るってやつだよね?」 「そう、あの白い幽霊……」 「…………………」 「時計塔に住んでいるんだって。それでね、あの時計塔にはね、入り口がどこにもないの」 「え、じゃあ、あの鐘とかどうやって鳴らしてるの?」 「だからあそこには、あの幽霊が住んでて……幽霊が毎日鐘を鳴らしてるの」 「うーっ、やだもう絶対一人になれないよ〜……」 「…………………」 (今朝の被害者で、四人目……) (校内ではすっかり、あの白い幽霊の犯行だということになってしまっている……) 「あの白い奴がどっかから吉田をここまで運んできたってことか?」 「今回も白いのは現れてないのかな?」 (そんなことはない、そんなはずはない……! だって、睦月は……) (彼女のいる場所に繋がれば……私はただ、それだけを………) 「ここは……分室!?」 「モー子、どうした?」 「まさか……きみは……!」 (……睦月……) (――あなたは本当に睦月なの? ならばなぜ、私に答えてくれなかったの……?) (私のことがわからなかった? いいえ、睦月に私がわからないはずがない……!) 「うしさんの、もーもーちゃん。もーちゃんって……いやかな? わたしね、うしさんって可愛いから好きだよ」 「……ではなくて、なぜ名前をそんなふうに、その……自分の好きなもののように呼ぶのかって聞いて……」 「もーちゃん、でもいい?」 「……いいよ」 「うん!」 「もう! もーちゃん、今ちょっと危なかったよ! ちゃんと周り見てるの?」 「ご、ごめんなさい」 「違うの、心配してるの。……そういうもーちゃんも可愛いかもしれないけど、怪我はだめだよ?」 「今のどこが可愛いと?」 「うふふ、あ、そうそう……そういえばね、この間もーちゃんが気にしてたことなんだけど……」 「何? 何か意見があるのなら聞かせて」 「うん、でも、ほんとにつまらないことだよ。ちゃんと役に立ててるのかなあ?」 「ふふ、立ててる。あなたの考え方はとても独創性があるから。いつだって、あなたの一言が私に閃きをくれるの」 「ほんと? ならよかった!」 「……学園? そんな山奥に?」 「うん。でもね、とっても面白そうな所なんだよ」 「大丈夫なの? なんだか……私……」 「どうしたの?」 「……怖い」 「もう、もーちゃんは心配症だなあ」 「実は……聞いたことがあるの。その…魔術がどうとか、そんな噂があるんでしょう」 「……そう、だね」 「ただの噂かもしれない、だけど、どうしてそんなところに――」 「もーちゃん」 「もーちゃん鋭いから、本当に何かありそうな気がしてきちゃったな」 「……睦月?」 「でも、大丈夫。もーちゃんが心配してくれてるの、わかったもの」 「ねえ、どうして? 何かあってからでは、遅いのよ」 「気を付ける!」 「どうしても、行くの?」 「……うん。ごめんね。どうしても、そこに行ってみなきゃいけないの。わたし、どうしても……」 「ごめんね、もーちゃん」 「……そうか」 「あのね、ちゃんと手紙も書くよ。離れちゃうけど、何も変わらないみたいに、わたしたち――」 「……」 「睦月が決めたことなら、私は……応援する」 「ありがとう、もーちゃん」 「もーちゃんならそう言ってくれると思ってた」 「……でも、気をつけて。私にとって睦月は、なにより大事な友達だから」 「ふふ、知ってるよ。――だから心配かけたくないし、約束」 「……睦月」 「わたし、もーちゃんに心配かけない、よ」 「………………睦月……」 (あなたが突然消えてしまって……だから私、ここまで捜しに来たのに) (事件を調査する組織を作って、たくさん魔術のことを勉強して……なのにますますわからなくなってしまった……) (あなたは今、どこにいるの……何をしているの……無事なの……それとも……) (やっぱり私……あなたがいなければ……) 放課後になり、俺とおまるは急ぎ分室へと足を運んだ。 「モー子はまだか」 いつもの席に彼女の姿はない。 鞄もないので、まだ来ていないようだ。 「そのうち来るんじゃない? 今朝の事件のことは多分知ってるだろうし」 「だろうな。風紀から連絡が行ってるだろ」 しばらくおまると話しながら待ってみたが、一向に現れる気配がない。 「遅いな……」 「珍しいね。被害者の人の所にでも行ってるのかな。三番目の人は、もう起きてるはずだよね?」 「置いてけぼりかよ」 「まあな……」 被害者が起きたと聞いて、先にそちらへ回っているというのは充分あり得る話だ。 しかしこう遅いと、また何かあったんじゃないかとやきもきしてしまう……。 「憂緒さん!」 「お、やっと来たか」 ようやく当のモー子が部屋に入って来た。 が、その表情はいつもより厳しい。 「どうした?」 「……昨日昏倒した三人目の被害者なんですが」 「ああ、三年の先輩だっけ? 話聞いてきたのか」 やっぱりそれで遅かったのか。 と、思ったら……。 「いいえ、それが……。まだ、意識が戻らないそうです」 「……え?」 「戻らないって、もう丸一日経ってるのに!?」 「眠ったままだそうです」 さすがモー子も、声音に不安が混じっている。 今になっても起きないだなんて…… 「なんでだ? 村雲達とは違うってことか?」 「わかりません。潜在魔力の差、ということなのかもしれませんし……」 「そうか、魔力が少ない人で起きるのが遅いだけかも知れないのか」 「ですがそれは、被害者が何らかの遺品で魔力を消費していた場合です」 「彼らが倒れた原因すらわかっていませんから」 「……倒れるどころか今度は消えたからな」 「今朝の件ですね?」 「ああ、寮の部屋から忽然と消えてたってさ」 「見つかったのは確か学園の廊下だったと聞いていますが、状態もやはりこれまでと……」 「同じだと聞いてる」 鍔姫ちゃんから聞いた話をざっと繰り返す。 「それでは、今回もやはり一連の事件と繋がっているということですか」 「へ、部屋にまで入って来るって、怖いね……」 「しかも鍵の掛かった密室にな」 「……密室状態の室内から人一人連れ去るなど普通ではありません」 「遺品だと思うか?」 何らかの確信のこもった声だと思って聞くと、モー子はやはり見当を付けているらしい答えを返してきた。 「ええ、この件は例えばあの遺品があれば可能です」 「あの遺品……」 「懐中時計のことか? ほら、頼んだものを持ってきてくれるから……」 「いや、あの妖精さん人間運ぶのはさすがに無理じゃない?」 「……ヤヌスの鍵です」 「あ、鍵の方か」 「しっかりして下さい」 呆れられた……。 「あの鍵か」 「ええ、ヤヌスの鍵です」 「そっか! あれなら鍵掛かってても関係ないね」 「むしろ部屋の前まで行く必要すらありませんからね」 「人形か?」 「どうやって使うのそれ!?」 「……私が言ってるのはヤヌスの鍵のことですが」 「あ、そっちか」 「当たり前です」 視線が冷たい……。 「確かに、あの鍵を使えば部屋の中にも直接乗り込めるか」 「その後、被害者は学園内で発見されたのでしょう?」 「ああ、廊下でな。あの鍵なら、早朝の廊下の真ん中に扉を開けて被害者をぽい、ですむわけだ」 そもそも今までにほとんど姿を見られず行動出来たのも鍵を使っていたから、だったのかもしれない……。 「じゃあ犯人は、あの鍵を持ってて使える人ってこと?」 「そうと決まったわけではありませんが、ヤヌスの鍵がどうなっているか確認はしておいた方がいいでしょうね」 「じゃあまず学園長だろ」 妖精が持ち出して風呂屋が使っていたが、事件の後きちんと学園長が持ち帰ったはずだ。 「学園長って出張にもあの鍵持って行くのかな」 「わかりませんが、貴重なものですから肌身離さずでも不思議はありません」 「一回妖精に持ち出されたから、用心して持って行ってるかもな」 「なら、あと考えられるのは……あの白マントだな」 「……そうですね」 白マントは、自分の鍵を首からぶらさげたまま、小さな扉の鍵穴に差し込んだ。 「どこかに繋がった……?」 「俺たちを元の世界に戻してくれるってことか?」 あいつはヤヌスの鍵と同じ力を持つ、良く似た鍵を持っていた。 それは俺がこの目で見ている。 だからこそ、鍔姫ちゃんから話を聞いたときあいつの姿が浮かんできたんだろう。 「廊下で消えたときも、あの鍵を使って逃げてたのかな」 「周りは教室で引き戸ばっかりだけど、あれって鍵が差せる扉がなくても使えたよな?」 「使えるはずです。ただ、私が追った時もそうですが相当な早業だと思いますが」 「そうなんだよな。鍵を差して、回して、扉を開けて飛び込んで閉める……だろ?」 「かなり手慣れてないと、難しいだろうな」 「もし慣れてるとしたら、あの鍵でいつも移動してるくらい頻繁に使ってる人?」 「……学園長がどれくらいの頻度で使ってるかは知らないが、白い奴は常に使ってそうだな」 「みっちーの財布届けるのもあれで来たくらいだもんね」 やっぱりあの白い奴が怪しいって事になるか。 いや、でも…… 「……相変わらず、動機がまったくわからんな……」 「今朝部屋からいなくなった人も、村雲先輩たちとは特に関係ない人だよね?」 「そうなのか?」 「ええ、西寮の生徒は誰も被害者になっていません」 「うーん。東と西の寮の差が、何か事件に関係あると思うか?」 「何とも言えませんね。……もともと西寮は、東より生徒が少ないですし、数の違いで東に集中している可能性もあります」 「無差別に襲ってたら、単純に人の多い東寮の生徒ばっかりになっちゃったってこと?」 「ですが、部屋から連れ去ったとなると無差別ではない気がします」 「まあな、いくらあの鍵が使えたとしても、適当な部屋指定して飛び込むってのはリスキーすぎるだろ」 「同意です。ここまで痕跡を残していない犯人のやることにしては大雑把すぎます」 「適当に指定した部屋がみっちーの部屋でした、とかあり得るもんね」 「俺じゃなくても、風紀委員の誰かとか突然他人が部屋に現れたらそれなりの対応出来る奴はけっこういるだろ」 そんな所に当たる危険性を無視するなら、多少人目に付く事も気にしなさそうだ。 一応、どこの誰が住んでる部屋かくらいは知った上で行動しているんじゃないかと思う。 「ただ、まあ……露骨にやり方変えてきたってのはちょっと気になるけどな」 今までは、人気のない場所や時間を狙えば誰にでも不可能ではなく、犯人の絞り込みも困難だったというのに。 実際ヤヌスの鍵を使ったとは断定出来ないものの、通常の手段では不可能な行動に出たというのは…… 「犯人の方も焦ってるのかな?」 「警備の隙を突いて、見つからず犯行を繰り返す手段がなくなったということでしょう」 「それから、連日の騒ぎで一人きりになる生徒が減ったということも考えられます」 だとしたら、風紀委員会や俺たちが連日うろうろ見回ってるのも、多少の効果があったんだろうか。 無駄じゃなかったなら喜ばしい話だが、結果、見回っても無駄な手段に出られたってのは痛いな……。 話し込んでいるうちにすっかり日は暮れていたらしい。 地上から時計塔の鐘の音が響いてきた。 もう夜か……。 夜が現れる間、途切れたままになっていた会話は数分経過しても戻らず、おのおのが考えを巡らせる。 無音だった室内に、遠慮がちなノックの音が滑り込んできた。 「はーい?」 「……失礼する」 「あ、壬生先輩」 「また何かあったのか?」 いつになく冴えない表情なので、嫌な予感がしたのだが、鍔姫ちゃんは首を振りその予感を否定する。 「いや……事件ではないんだが……」 「どうしたのです?」 鍔姫ちゃんは、やるせなさそうな吐息と一緒に言葉を吐き出した。 「少し……その。話を聞いてくれないだろうか。相談したいことがある……」 「特査分室で扱うような現象が起きたということですか?」 「す、すまない、そういうことでもない」 申し訳なさそうにしている鍔姫ちゃんを、モー子が不思議そうに見ている。 「座れよ鍔姫ちゃん。話聞くから」 「い、いいのか?」 「友達として聞く。それなら特査に関係なくてもいいだろ?」 「で、どうしたんだ?」 「……村雲がな、辞めてしまった」 「え?」 「辞めた?」 まったく予想外の話に、一瞬何の事やらわからなかった。 「風紀委員を辞任したんだ」 「辞任!? 風紀委員を!? なんでこの忙しい時に……」 風紀委員って立場にかなりプライド持ってそうな奴だと思ってたのに。 なんなんだ突然……。 「それが、真っ先に事件に遭遇したのに役に立てないからと、書き置きを残して……」 「えええ!? だってそんな、記憶がないのは村雲先輩のせいじゃ……」 「ああ、もちろんだ。私もそんな風に思ったことなど、一度もない」 「他の風紀委員もそう言って止めたが自分の気が済まないと言って……引き留めきれなかったそうだ」 「彼が思いつめているのは、私も感じてはいたのだが……結局、何も言ってはくれなかった」 そこまで説明すると、鍔姫ちゃんは少し自嘲気味に呟いた。 それで沈んでたのか。 俺にはそりの合わない奴だけど、長いこと組んでた鍔姫ちゃんはそりゃへこむよな。 「……壬生さんが自分を責める必要はないでしょう」 「そ、そうですよ。残念ですけど……その、壬生先輩のせいでもないわけだし……」 「すまない。愚痴を聞かせてしまって」 「謝ることないだろ別に。鍔姫ちゃんは、どうしたいんだ?」 「……わからない……。ただ、パートナーとして村雲に何かをしてやりたかったのかもしれない……」 「…………」 「事件が解決したら、もう一回戻ってくればって説得してみたらいいんじゃねえの?」 「素直に戻ってきてくれるだろうか?」 「こ、こない気もしますね」 「そんなので何とかなるの!?」 「ならよかったけど。あんまり鍔姫ちゃんが気にすんなよ?」 頷いて、鍔姫ちゃんはふっと息をつき気を取り直したように背筋を伸ばす。 「ちゃんと報告もあるんだ。風紀委員の見回りは強化されたよ。寮と学園との登下校時にも護衛がつくことになった」 「そうですか」 「ああ、個人個人の部屋にまで警護を付ける人手はないが、寮内も念のため見回ることになった」 「部屋にまで侵入してくる奴を相手にどれだけ効果があるかはわからないが……」 「いえ、被害が出る恐れを極力排除するのは無駄なことではないでしょう」 「うん、そのつもりで私達も全力を尽くす」 「よろしくお願いします。そういった方面は風紀委員会が頼りですから」 「ああ、任せてくれ。――それじゃ」 鍔姫ちゃんは少し無理をした笑みを作って部屋を出て行った。 「……やっぱり、落ち込んでるみたいだね」 「馬鹿だな、村雲も。辞めるこたないだろうに」 「うん……」 なんか思い詰めてる風な気はしてたんだが、まさか辞めるとはなぁ。 「辞めてどうする気なんだか。一人で突っ走って暴走しなきゃいいが……」 「っつーか、犯人捕まえるにしても何かするにしても、どう考えたって風紀委員の中にいた方が――」 「村雲くんも彼の考えがあって一人で行動することを選んだのでしょう」 俺の言葉を遮るように、モー子がやけに冷静な口調で口を挟んだ。 「なんで一人でやる必要があるんだよ。チームでやった方が効率いいだろ?」 「それは相手によります」 「……皮肉か?」 そんな気はした。 モー子は、単独行動を取ることを選んだ村雲に賛成というより、それに意見した俺が気に入らないんじゃないか、という気が。 「何がです?」 しかしモー子の方はどこ吹く風と言った調子で平然と聞き返して来やがる。 「言っとくが今回の件が何も進展してないのはお互い様だぞ」 「誰に責任があるのかとなどという話はしていません」 「相手によるって言ってたの、そういう風にしか聞こえなかったんだが」 「一人で行動した方が効率的な場合もあるというだけです」 「つまり、お前の本音は『一人だけでやりたい』ってことか?」 「ちょ、ちょっと二人とも……」 だんだんとトゲのある会話になってきた俺たちの間で、おまるがおろおろする。 「なんでも一人で出来ると思うなよ?」 「そちらこそ何でも馴れ合いたがるのはやめて下さい」 「やめてよー! もめてる場合じゃないだろ! まだ目が覚めない人だっているんだよ!!」 モー子に詰め寄ろうとした俺の腕を引っ張って、おまるが咎めるような声を出す。 「……あ、ああ、すまん」 そうだった、内輪もめしてる場合じゃ…… 「それを忘れていたわけではありません」 「素直じゃねーなあ!」 人が反省しかけたところにまで水を差すようなこと言いやがって。 「事実を言っただけです」 何がそこまで気に入らなかったのか、モー子は能面のような表情のままだ。 「だからー!!」 「うわ、なんだ?」 またもめそうになった所に、その空気をぶちこわす勢いで風呂屋が飛び込んできた。 「風呂屋町さん……」 モー子も、風呂屋の慌てぶりに毒気を抜かれたようで目が点になっている。 転がるように近づいて来て、風呂屋は両手を振り回しながら必死に訴える。 「お、落ち着け。意味がわからん」 「飛んでるの! 廊下!!」 「飛んでるのは羽根〜!!」 はねがはねが、と言い続ける風呂屋に、これは聞いても無駄だと判断したらしくモー子は扉へ向かった。 「こっちです〜!!」 「あ、待てよ!」 「何なの一体!?」 わけがわからないまま、俺とおまるも部屋を出た。 風呂屋を追って廊下を走って行くうちに、遠くから誰かが絶叫しているような声が聞こえることに気がついた。 何が起きてるんだ……? 「あそこ! あそこです〜!!」 「え……?」 「…………………」 駆けつけてみると、握り拳を固めて絶叫しているのは射場さんだった。 その隣では雛さんが、その姿を途方に暮れた様子で見守っている。 何か言おうとしたが、モー子はあまりの光景にそれ以上言葉が続かなかったようで絶句した。 「好きだああああああ!! あのエンジン音がたまらんのだああああ!!」 「ティラミスティラミスティラミス……」 「ああ、愛しいよ俺のマミたん! 愛してるぞおおおおおおお!!」 見れば射場さんだけではなく、廊下のあちこちで何やら叫んでいる人の姿が見える。 「なんなんだ……?」 「あの、これ何事ですか?」 俺たちに気づいた雛さんは、こちらを見てぽつり、と呟いた。 うん、他にどうとも言いようがないなこれは。 だからといって見なかったことにするわけにもいかない。 とりあえず握り拳で叫んでいる射場さんに近づいてみた。 「あ、あのー、射場さん?」 とんとん、と後ろから肩を叩いてみる。 「お、落ち着きました?」 「…………………」 突然叫ぶのをやめ、ぽかんとする射場さん。 その首筋に、なにやら白い物がほわほわ揺れていた。 「羽根?」 真っ白だった羽根は、射場さんが我に返ると少し灰色に色が変わったようだった。 「そ、それが、羽根?」 「そうそう! あれがいっぱい飛んでたの!」 両手を挙げてひらひらと振り、羽根が飛んでいたらしきことを表現する風呂屋。 「は、羽根? え? あれ、あたし……?」 「……大丈夫?」 「う、うん、多分」 そう言いながら射場さんは、羽根の刺さった首筋を軽く撫でる。 「うわ、なにこれ」 「痛い?」 「ううん、全然……。痛くはないけど……」 羽根に触れて引っ張ろうとするが、するりと指の間から抜けてしまうようだ。 「えええ!? どうしよう!? 抜けないみたい!」 「……正体がわかりませんから、うかつに触らない方が」 「あ、そうか! そうだね!」 モー子に言われて、射場さんは慌てて羽根に触れようとしていた手を下ろす。 「いつ刺さったんです?」 「よくわからないな。確かさっき羽根がいっぱい飛んでた気がするけど」 「気がついたら、クミちゃんに刺さっていました」 こくこくと頷きながら雛さんもそれに同意する。 「焼き肉ってのは?」 「……わからないんだけど、突然好きな物を叫びたくなった……」 「焼き肉は、クミちゃんの大好物です」 「そ、そうですか」 心の底から好きそうなのは、思いっきり伝わったけどな……。 「あ、さっき他にも『内緒にしてたけど田中くんが好きー』って叫んでた人もいたなぁ……」 「ブラックバスが好きだーって言ってる人もいました」 「なんだそりゃ……」 色々叫んでる人は確かに他にもいたが、みんな揃って何の大会だよ。 「なんだったのかなぁ。そう言えば、飛んでた羽根は消えちゃってるし」 「その羽根が飛んできてから、みんな叫びだしたんですか」 「んーと、多分そうです」 「ヒナも、見ていました。羽根が来てからおかしくなりました」 「ヒナさんは叫んでなかったですね」 「……別に叫びたくなりませんでした」 「わたしもー。みんな叫びだしたから、びっくりして特査さん呼びに行ったんだよー!」 「射場さんのように、羽根が刺さった人だけがそうなったようですね」 「遺品か?」 「おそらく」 「だよなあ……」 まあ、こんな意味のわからん騒ぎが起きる理由は他に思いつかないけどな。 「なんなんだよ……。昏倒騒ぎだけでも大変だってのに」 「こんとーさわぎ?」 きょとんとする風呂屋に、おまるが廊下に人が倒れていた騒ぎがあったと軽く説明する。 「……羽根は見当たりませんね」 付近を見回しながらモー子が言った。 俺たちが来たときにはもう、辺りを飛んでる羽根はなかったようだしな。 「消えたのか? それとも……」 「……全部誰かに刺さったのかもしれません」 「最悪だな」 射場さんみたいに好物を叫ぶ程度ならまだいいが、中には知られたら人生終わるような事を叫ぶ羽目になる奴もいるかもしれんのに……。 「もう少し調べますので、射場さんはその羽根をあまり触らず異常があったらすぐ知らせて下さい」 モー子の言葉に、射場さんと、横にいる雛さんも頷いた。 「うん、わかった。他の刺さった子にも言っとくよ」 「お願いします」 「けど、突然好きな物叫びたくなる遺品ってなんなんだろう」 「よくわからん遺品だな。とりあえずリトさんに話聞こうぜ」 「…………………」 否定も肯定もせず、モー子は先に立って歩き出した。 (さっきの問答、まだ引きずってんのかね……) まあ、俺だってすっかり忘れたってわけじゃないが。 風呂屋達は授業が始まったのでその場で別れて、俺たちは地下へ戻った。 「……今日は何の騒ぎ?」 微妙な顔つきで戻って来た俺たちを見て、リトが首を傾げる。 ここ数日、毎日微妙な質問ひっさげて来てるからなぁ……。 「遺品と思われる物が出現しました」 モー子は手短に、さっきの騒ぎを説明する。 「…………羽根」 リトは興味深そうにモー子の話を聞き終え、ぽつりと呟いた。 視線は宙を向いているが、何度か見た態度だ。 あれは、何か心当たりがある顔だな。 「白い羽根です。被害者の一人の首筋に刺さっているのは見ました」 「最初は真っ白でしたが、被害者が我に返ると少し色が暗く、灰色になったようでした」 「ふうん……。好きな物を叫びたくなった、と言ってたのね?」 「そうです。何か心当たりはありますか?」 モー子の問いにリトは頷いた。 やはり羽根の正体に見当は付いていたようだ。 「コルウス・アルブス――白い羽根の刺さった相手に、どんな質問でも3つだけ強制的に答えさせる力を持った遺品があるわ」 「コルウス・アルブス、ですか」 「どんな質問でも、ねえ……」 「そ、それで、焼き肉?」 「人の名前叫んでた奴もいたみたいだからな。『一番好きな物を言え』とかじゃね?」 「あー、それなら人だったり好物だったりしそうだね」 「3つだけ強制的に答えさせる、ということは、刺さった羽根は3つの質問が終わるまで抜けないのですか?」 思い出すようにくるりと目を天井に向けながらリトは答えた。 「ええ、絶対に抜けないわ。でも、蓋を閉じると目には見えなくなるはずよ」 「蓋とは? 遺品の特徴を詳しくお願いします」 視線をモー子に戻し、こくりと頷く。 「コルウス・アルブスの本体は羽根ではなく、小さな木箱なの。羽根はその木箱に入っていて、箱の蓋を開くと現れるのよ」 「羽根が刺さった人は、本体を持っている人物の質問に強制的に答えてしまうの。もちろん、嘘はつけないわ」 「そして、質問を重ねるごとに白い羽根は暗い色になっていって、3つの質問が終わると、真っ黒になって消滅するの」 「また面倒くさそうな……」 「羽根が消滅した後に、もう一度新しい羽根を刺して質問をすることは可能ですか?」 「いいえ。一度羽根が刺さった人には、もう二度と刺さらないわ」 「質問する人物が代わってもですか?」 「ええ、箱の持ち手が代わっても、質問の回数は継続する。質問は一度だけ羽根が刺さっている間の3つまで」 「射場先輩の羽根、刺さったままだったし、まだ黒じゃなかったよね」 「そうだな。他の人も好きな物1つ叫んだだけだったみたいだし」 「遺品使った人は、何でそんなことしたんだろ?」 「羽根が刺さった人物に一貫性は見られない……そこまで人数が多くいる場所でもない……無差別に狙ったと考えるよりは……」 「やはりコントロールしきれていない可能性が高いように思えます」 「……もしかして、わざと遺品を暴走させたのか?」 「何のためにです? 意味がないと思いますが」 俺の言葉に、呆れ気味にモー子が反論する。 「じゃあなんであんなことになったと思うんだ?」 「故意ではなく不可抗力でしょう。使用者は既に代償で倒れていて、未だ意識が戻っていない人物と考えるのが妥当かと」 「……昨日昏倒した三人目の被害者なんですが」 「ああ、三年の先輩だっけ? 話聞いてきたのか」 「まだ、意識が戻らないそうです」 「……三人目の被害者か!」 「彼だけ意識が戻らないのは、昏倒事件の被害者なのではなく遺品を暴走させてしまったからではないでしょうか」 「だから蓋が閉じられず、羽根が刺さったままになっている」 「そうか……」 しまった、まだ寝てる被害者のことをすっかり忘れてた。 そりゃ呆れられても仕方ないか……。 「もう倒れてるんじゃないか? だから羽根が刺さったまま消えないんだ」 「蓋が閉められないから?」 「意識があるなら開けっ放しはおかしいだろ。質問の仕方も意味不明だし」 「あいつだろ。三番目の被害者」 「……昨日昏倒した三人目の被害者なんですが」 「ああ、三年の先輩だっけ? 話聞いてきたのか」 「まだ、意識が戻らないそうです」 「あいつだけ村雲たちと違って、未だに意識が戻ってない」 「その可能性が高いですね。彼だけは、昏倒事件の被害者ではなかった。だから一晩たっても目覚めない」 おまるが血相を変える。 俺も少し、背筋に冷たい物が走るのを感じた。 「倒れてからもう丸一日以上経ってるからな……」 「リトさん、コルウス・アルブスが魔力の代用として使用者に求める代償は何ですか」 「睡眠、つまり眠ることね」 「このまま放置すると、眠り続けたままだということか」 「ええ、コルウス・アルブスは強力な遺品よ。魔力の低い者が箱を開くと、それだけで眠ってしまう場合もあるの」 「じゃあ、羽根が刺さった奴がやけにアバウトな質問に答えてるっぽいのもまともな質問する前に倒れたからか?」 「可能性はあるわね」 「前の妖精さんも、どんな鍵って指定しなかったらアバウトなことしてたもんね……」 「倒れてすぐじゃなくて、今頃になって羽根が暴れてるのもそのせいか?」 「誰に刺さるようにという指示も曖昧なら、混乱して普通でない挙動をすることはあると思うわ」 「あー、じゃあ、やっぱまともに動かす前に倒れた可能性高いな」 「……急がなければいけませんね。遺品を捜さなくては」 「木箱なんだよな、リトさん?」 「そう、木箱。金属のプレートで縁取られていて大きさは手のひらに乗るくらい」 「さほど大きくないのですね。わかりました。ありがとうございました」 リトに礼を言い、俺たちは急ぎ図書館を抜け地上へと戻る。 モー子は被害者の倒れていた校庭へもう一度行ってみるというので、俺とおまるは校舎内を探すことになった。 夜の生徒達は授業中なので、邪魔しないよう小声で喋りながら廊下を見て回る。 「わからんぞ。一番最初のやつ鏡だったけど動いてただろ」 気が急いているせいか、喋りながらもいつもより早足に歩き周囲に目を走らせる。 しかしそれらしき木箱なんてものは見当たらない。 「それに、倒れてたのが校庭で羽根が暴れてたのは廊下って時点で、少なくとも羽根は勝手に動き回ってるぞ」 「うわぁ……そうだった……」 うんざりしたように、おまるは肩を落とす。 俺も正直、動かないで居てくれと祈りたいが、大抵通じないんだよな遺品ってやつは……。 「とりあえず三年の教室の方に行ってみるか」 「寮も探した方がいいかな。倒れてたの朝だったから、部屋にあるってことも……」 「あ」 喋りながら廊下を歩いていると、ばったり村雲に出くわした。 見慣れた風紀委員のコートではない制服姿に、ちょっと違和感を覚える。 向こうは違和感どころじゃないって顔をしているが。 「……お前、辞めたんだったら残ってて大丈夫なのか?」 「うるせーな! 見回りのコースやシフトはわかってるから見つからねーよ」 「それ、大丈夫じゃないんじゃ……」 「て言うかコースとか変わってると思うぞ。見回り強化されてるから」 「それも聞いて知ってるつーの!」 「で、単独調査かよ。効率悪いだろ、どう考えても」 「う、うるせえっ!! 効率とかそう言う問題じゃねーんだよ!!」 「あ、あの、でも、壬生先輩ずいぶん心配してたし……」 鍔姫ちゃんの名前を聞くとさすがに村雲も顔色を変えた。 「じゃあなんで辞めたんだよ」 「だから辞めたんだよ!!」 「だから? 何だそりゃ?」 「そんな風に思ってないだろ、鍔姫ちゃんは」 それ以上触れるなと言わんばかりに、会話を斬るように片手を水平に振る。 「何って調査だよ」 「変な木箱見ませんでした?」 「へ? 木箱?」 急に妙な単語が出てきたせいか、村雲は勢いをそがれたようにきょとんとした。 「なんだそりゃ、また遺品か?」 「さっきの騒ぎはまだ知らないのか」 「騒ぎ? 騒ぎってなんだよ?」 「焼き肉だとかブラックバスだとかが好きだってわめいてる奴いなかったか?」 謎すぎる質問だと思うが、村雲は心当たりがあったらしく怪訝そうにしながらも答える。 「さっき階段の上の方からもずくが好きだの、御影石最高だの大騒ぎしてる声が聞こえてたけどあれか?」 「それだ……」 「み、御影石?」 「なんだよ、あれ遺品がらみだったのか?」 「ちょっとやっかいなのが暴走してるらしくてな」 強制的に質問に答えさせられるという面倒な遺品だと説明する。 「はぁん……コルウス・アルブスねえ。暴走させた奴はもう見つかってんのか?」 「俺たちが三人目の被害者だと思ってた奴が、その遺品で倒れた可能性があるんだよ」 「……って、それヤバイだろ!」 「だから捜してんだよ。羽根の詰まった木箱見つけたらとにかく蓋閉めて応援呼んでくれ」 「それ、近づいて大丈夫なのかよ」 「叫んだら周りからの見る目が変わる特殊な趣味とかなければ大丈夫だろ」 「ねえよ、んなもんっ!?」 「なら頼んだ」 「わ、わかった……」 少し逡巡しながら同意する村雲。 「心配しなくても鍔姫ちゃん達にはチクらないから。今は人手が一人でも欲しい」 「うるせぇっ!! 人の心読むんじゃねえっ!!」 「あ、当たってたんだ……」 「黙ってろくそっ!! 捜してやるから……」 聞き覚えのある声に、村雲がはっと口を閉ざす。 「モー子…?」 「あっ! みっちー、あれ!!」 外から聞こえたモー子の声に窓の方を見ると、無数の羽根に囲まれた木箱が空を飛んでいた。 「あ、あれが……そうか」 「やっぱり動いてるううう!?」 「そこにショック受けてる場合か! 行くぞ!!」 都合のいいことに、木箱は開いていた窓から廊下へ飛び込んで来る。 そして俺たちの少し向こうを浮遊しながら通り過ぎていった。 「待てこら!」 「あ、待ってー!」 廊下の反対側から鍔姫ちゃんが走って来るのが見えた。 「鍔姫ちゃん! それ捕まえ――いや、やっぱ避けろ!!」 目の前に現れた鍔姫ちゃんめがけて、舞っていた羽根がぶわっと覆い被さる。 「壬生さんっ!!」 そしてよろけた鍔姫ちゃんを、素早く駆けつけた村雲が支える。 「はい?」 「あ……」 「あああ、刺さってるー!!」 鍔姫ちゃんの首元に、見事に羽根が一本突き刺さっていた。 「猫が好きだー! 私は猫が大好きだー!」 「ちょっ、み、壬生さん……!?」 完全にさっきの射場さんと同じ状態だ。 初めて目の当たりにする村雲は、豹変した鍔姫ちゃんの姿に呆然とする。 「壬生さん! 落ち着いてくれっ!!」 「猫! あの感触! 肉球! 鳴き声! あああ止まらない!! 猫が好きだー好きなんだー!!」 猫への愛を叫び続ける鍔姫ちゃんを村雲に押しつけ、飛んでいった遺品を追いかける。 (――って、待てよ……) あれ、下手に近づくと俺もああなるわけだよな……? (やばい……何叫ぶんだ、俺……) 「いや、あれ、刺さったらお前どうなると思う?」 「お、おれ?」 おまるはきょとんとした顔から一転、かーっと顔中真っ赤になった。 何やら考えたくない予想図が浮かんでしまったようだ。 「どう見ても、叫んだらまずいことがあるって顔なんだが……」 「は、恥ずかしいだけだよっ! だって射場先輩たちすごいことになってたしっ!!」 「変な目で見んなっ!? 俺だってそこまでヤバイ趣味とかねえよ!」 趣味はない。 趣味はないんだが…… 「じゃ、じゃあ、早くあれなんとかしないと……」 「…………………」 遺品は廊下の突き当たりまで飛んで、ふよふよと天井辺りをさまよっている。 行き場を捜しているというより、単に目的も何もなく漂っているだけに見えた。 やっぱり指示が中途半端で、遺品も混乱してる状態って事なのか。 「そ、そうなんだけどな……」 飛びかかれば捕まえられないことはなさそうだ。 しかし、もし羽根が刺さったら……。 「そーっと近づいた方がいい?」 「刺激すると羽根飛ばして来そうだからなぁ……」 「あ、モー子」 モー子が俺たちを見つけて駆け寄ってくる。 「あそこまで追い詰めたんだけど」 「…………………」 おまるが、酔っ払いの千鳥足のような動きを繰り返す遺品を指さす。 モー子は無言で懐から例の封印の札を取り出した。 そしていつものナイフで小指の先を小さく切り血をつける。 (助かった……) 「……久我くん」 「ん?」 「あの高さに飛んでいたのでは私では届きません」 「おいっ!?」 真顔で言いながら、ずい、と札を俺の方に差し出して来やがった。 「素早く貼らないと意味がないんです」 「嘘だろ!? 近寄って羽根刺さるのが嫌なだけだろ!?」 「その言葉そっくりお返しします」 「いや俺は刺激しないようにだな」 「どれだけ口にしたくない趣味があるのか知りませんが……」 「そりゃこっちの台詞だ! お前こそどういう趣味だよ!?」 「私の好物は甘いものです」 「は?」 「生クリーム、カスタード、メープルシロップなどです」 「知られて恥ずかしい好みではありません。きみが嫌がっている理由とは違います」 「俺だって知られて恥ずかしい好みなんかないわっ!?」 「なら木箱に近づいても大丈夫ですね。身体能力も私より高いでしょう」 「札の扱いはお前の方が慣れてるよな!?」 「ですが、届かない物は届きません」 「あ、ちょっと降りてきたよ」 「…………………」 おまるの言葉に、モー子はゆっくりと遺品の方を見た。 ふらふらと八の字を描くように、木箱はどう見ても俺以外でも届く高さまで舞い降りていた。 「……届くよな?」 「え? まあ、あの高さなら誰でも届くんじゃない?」 「そうか、じゃあおまる頼む」 「お願いします」 すかさずモー子が札をおまるの方へ差し出した。 真顔のままやってのける、この性格だけは思わず尊敬しそうだ……。 「ななななんでおれっ!?」 「頑張れおまる! 男だろ!」 「ちょっと!? みっちーまでっ!?」 「立候補していただけるとは幸いです。烏丸くんありがとうございます」 いや、うん。さすがに我ながら酷いと思う。 しかしあの遺品はさすがにヤバいんだ。 すまん、おまる……。 「何が大好物でも友達でいてやるから! いや、聞かなかったことにしてやるから!」 「ええ、お約束します」 「やめて変な趣味の人にしないでっ!? ないから! そんなのないから!!」 「なら安心だな! さあ行け!」 「お願いします」 有無を言わさず札を手に押しつけられ、おまるは反射的に受け取った。 「うう……いいよ、わかったよ……」 「頑張れよー」 「……………………」 出兵する兵士を見送るような顔でおまるを見つめるモー子。 こいつはなんでここまで木箱に近づくのを嫌がるのか気になったが、残念ながら問い詰めている暇はない。 札を構えて、おまるは恐る恐る木箱に近づいた。 「に、逃げるなよ……」 「……えいっ!!」 ちょうどいいタイミングで木箱が横へ動き、おまるの手は見事に空を切る。 「い、急げ! 早く!」 「いや、もうちょっとだ! あ、もうちょい右!!」 「今です、札を早く構えて……」 のけぞった拍子におまるは盛大にすっころんだ。 転んだおまるの上を越えて、木箱はこっちに漂ってきた。 焦って後ずさる俺。 素早くその背後に隠れるモー子。 「札、札を! 烏丸くん!」 「貼って下さい早く早急に烏丸くん急いで!」 「ど、どこ? 札どこ?」 「落としたのかよっ!?」 羽根を警戒しつつ、辺りを見回す。 壁際にぺたりと落ちている札があった。 「そこだ、おまる! 壁際!」 「だってお前距離取らないと、羽根飛んで来るかも知れないだろ!?」 木箱の動きに合わせてじりじり動いていると、俺とモー子は札の落ちている壁からどんどん反対方向へ移動してしまう。 「ちょっ、どこ行くの二人とも!? 置いていかないでよおおお!!」 「わざとじゃないんだ! 木箱がこっち向くからっ!」 「それより札です烏丸くん早く札を貼って封印して下さい急いで」 混乱しているだけに、遺品の動きがさっぱり読めない。 こっちへ向かうかと思ったら急に天井へ向かい、今度はおまるめがけて急降下、という意味不明さだ。 「札拾え! おまるーっ!」 「え? 風呂屋?」 授業が終わったのか、風呂屋がひょっこり顔を出した。 「まるくんどうしたの? なんでうずくまってるの?」 「ふだ、札がっ……」 風呂屋は壁際に落ちていた札を無造作に拾い上げた。 「それだ! ナイスだ風呂屋!」 「貼ってくれ! あの飛んでる木箱に!」 「お願いします!」 完全にパニックになっていた俺たちは、この際封印出来りゃなんでもいいとばかりに懇願する。 怖い物知らずというか素直というか、風呂屋は臆せず木箱に駆け寄った。 あいつ、あの羽根がどういうもんか見てたのに、すげえ……。 ……すげえ、けどやっぱり羽根には襲われた。 さっきまで何がしたいのかわからなかった木箱は、急に『あ、俺遺品だったわー』とでも言うように大量の羽根を風呂屋めがけて振りまきまくる。 蚊柱でも払うように、風呂屋は手を振り首をすくめるが…… 「さ、刺さってる刺さってる。脳天に」 何故か頭のてっぺんにぴこんと垂直に刺さってた。 「お、王子様?」 「駄目か……」 「おお!?」 わけのわからない事を叫びながらも、風呂屋はぱっと木箱に目を向けた。 「なんか混ざったよ……?」 「気にすんな! 風呂屋そこだ!」 「あ……」 「――刻を、止めよ!」 札が貼られたのを見て、モー子が咄嗟に封印の呪文を唱える。 木箱は沈黙し、辺りを舞っていた羽根も溶けるように消えていった……。 「ふわー、びっくりしたぁ……」 風呂屋はぽかーんとした顔で、動かなくなった木箱を見下ろす。 脳天に刺さっていた風呂屋の羽根も消えていた。 何事もなかったかのようにモー子はいつも通りの冷静さで風呂屋をねぎらう。 マジでいい性格してるぜ、こいつ……。 まあ、そういう俺だって人のことは言えないわけだが……。 「あ、ありがとう……」 「いやいやいや! そんな大したことしてませんしっ!」 口々に礼を言われ、風呂屋は戸惑いと照れくささで赤くなりながらわたわたと両手と首をいっぺんに振る。 「う、うん」 「………………」 俺はおまるとこっそり目配せする。 「……なんか気になるところで終わったけどね……」 「魔法使い何したんだろうな」 まだ少々呆然としている俺たちを放置して、モー子はさっさと木箱を拾い上げた。 「あれってどうするんですか?」 「ん? ああ、あの木箱か? 図書館に預けるんだよ」 「へぇ〜」 『鹿ケ谷憂緒さん、鹿ケ谷憂緒さん。学園長先生がお呼びです。至急学園長室まで来て下さい……』 「学園長……」 「お、帰ってきたのか? あと数日って言ってたのに、思ってたより早いな」 「ちょうどよかったね」 モー子を呼び出したと言うことは、事件のことを知って急いで帰ってきたから、詳細を聞きたいとかそういう用件かな。 「それくらい俺らがやるよ」 「うん、おれたちが持って行っておくから」 「…………………」 モー子は小箱を手離すのをためらっている様子だった。 ……なんだ? 一体、何がそんなに気になるんだろう? 「少々遅れても問題はないでしょう。やはり、先に――」 『もう一度繰り返します、鹿ケ谷憂緒さん、鹿ケ谷憂緒さん。至急学園長室まで来て下さい』 「どうやら一秒でも早く来てほしそうだが」 「………くっ……」 「ほら、貸せって。早く行って来い」 モー子はまだためらっていたが、結局木箱をおまるに手渡した。 「……リトさんには、まだ宝物庫には収めないように伝えて下さい」 「え? そのまま持っててもらうってことか? 何でだよ?」 「くれぐれも慎重にお願いします」 そう言い残し、俺の疑問には答えず、きびすを返してモー子は学園長室へ向かった。 「――大丈夫だったか?」 「あ、壬生先輩」 正気に返ったらしい鍔姫ちゃんと村雲が駆けつけてくる。 「そっちこそ無事?」 「す、すまない。とんだ醜態を……」 「いや、いいじゃん猫くらい」 「う、うん! 猫かわいいよね!」 「……すまん、本当に」 鍔姫ちゃんは真っ赤になってしまった。 「気にすること無いと思うけどなあ、本当に」 本当に気にするほどのことはないと思うが、照れくさいらしく鍔姫ちゃんはさっさと話題を変えた。 「俺はあの、まだ目が覚めてない生徒の様子を見に行くよ。さっきの遺品、暴走させて倒れてたのかも知れないからな」 「……そういうことか。なら私も行こう、心配だ」 「じゃあおれ、この遺品を図書館に持って行ってるね。ちゃんとさっきの言伝もしておくから」 「ああ、預けたら分室に戻っててくれ」 「わかったー」 「あ、じゃあわたしもこれで失礼しますっ!」 「おう、ありがとな」 「村雲は……」 「あ……すみません。もう帰寮時間過ぎてますね、それじゃ」 そそくさとそう言うと、村雲はぺこりと鍔姫ちゃんに頭を下げてそのまま目を合わせずに走り去っていった。 「…………………」 その後ろ姿を、鍔姫ちゃんは複雑な表情で見送る。 「思ったよりは元気そうだよ」 「うん……そのようだな。それは安心したよ」 はっと憂いの感情を引っ込めて、鍔姫ちゃんは苦笑した。 「しかし、村雲はやっぱり一人で動いてたのか」 「あー、やっぱわかってた?」 「風紀委員を辞めたからといって、全部投げ出すような性格じゃないからな。でも……」 「ん?」 「私には、やはり何も話してくれない気がする」 「そ、そんなことねえって」 そう言ったものの。 確かに、さっきの俺との会話なんか、あいつ絶対に壬生さんには言いそうにない。 「みーくん?」 「え?」 「君は今、嘘をついたな」 鍔姫ちゃんの目が細められ、少し咎めるように俺をにらむ。 しまった、彼女にはバレるんだった。 なんでこんなに鋭いかな……。 「あ、いや、ごめん!」 「村雲と何か話したのか?」 「……うん、まあな」 もう粗方バレてるし、黙っとく必要もないか。 「あいつ、鍔姫ちゃんのことは気にしてたよ」 「やらかした自分と組んでたら鍔姫ちゃんにまで迷惑掛かるんじゃないかと思ってるみたいだった」 「………馬鹿だな」 辛そうに、鍔姫ちゃんは目を伏せた。 「うん、俺もそう言ったんだけどな」 「時々、変に頑固なんだ村雲は。そこがいいところでもあるんだが、あきらめが悪いというか」 「あー、そうだろうな……」 思い込んだらとことんまでやらないと気が済まなさそうな奴だと思う。 だからこそ、思い込みすぎてえらいことになってるみたいだが……。 「ああ、すまない。寮へ行くんだったな」 「おっと、そうだった。じゃ、行こうか」 俺は鍔姫ちゃんと一緒に、昏倒していた生徒の居る寮へと向かった。 「――失礼します。鹿ケ谷憂緒、入ります」 「やあ、来たね! 迅速で結構だ!」 「…………………」 「この件、といいますと」 「生徒が昏倒していたそうじゃないか?」 「はい」 「その件だ」 「…………………」 「なになに心配はいらないよ? こちらで何とかするという事だ!」 「…………………」 (……唐突すぎる) (そういえば確か、あの白い幽霊について風紀委員会で調査させていたのは学園長だったはず……) (いつまで経っても、特査分室に調査要望が来ないのは、学園長がそうさせていた……?) (やはりこの昏倒事件と、白い幽霊には関連があるの? どちらにしろ学園長は間違いなく何かを知っている……!) 「用件は以上だ!」 (……先程回収した、コルウス・アルブス。あれを使えば何か聞き出せるかもしれない……) (いや、慎重に。三度しか使えないのだから、学園長に使用するにしろ質問はよく考えねば) (そう、睦月の行方も―――あれをうまく使えば………) 「いえ。了解しました」 「Ano! さすが鹿ケ谷さんは物わかりがいいね! 大変結構だ! はははははっ!」 「ぢー」 「まったくだね、ニノマエくん! 喜ばしいことだよ、うん!」 「……………失礼します」 「ぢっ」 「ぢー」 「そうだとも!! はっはっはっはっは……」 「特査さんて、本当にいろんなのと戦うんですね〜」 「戦うっていうか……うん。おれ、あんまり役に立ってないけど」 「うん、それじゃ」 「とりあえず、これ早くリトさんに預けて……あとは……」 「………………」 「うわあぁっ!? でたあぁっ!?」 「ど、泥棒!? なにするんだよ、返せ!」 「わ、ま、待てぇっ! 返せよー!!」 「どこ行ったんだ、あ、足速いな、もうっ……!!」 「きゃあっ!?」 「え――風呂屋町さん!?」 「うわぁ、倒れてるっ!? 風呂屋町さーん!!」 「風呂屋町さん! 大丈夫!?」 「あ、うん、大丈夫ですっ。ぶつかられちゃっただけで」 「そ、そっか、よかった」 「あの、あの白い人が持ってたのさっきの木箱じゃなかったですか?」 「うん、そうなんだ無理矢理取られ……ああっ!?」 「…………し、しまった……もう、見当たらない………」 「え!? 取られちゃったの?」 「うん……急に目の前に出てきて、びっくりして転んだら遺品取り上げられた」 「…………………」 「え、どうしたの?」 「あの人……なんだか……」 「え……?」 「……なにか違う気がする……」 「……そっか、風呂屋がな」 「うん……。どう違うのかはわからないけどって……」 分室に戻ると、しょげかえったおまるが半泣きになっていた。 まあ、事情を聞くと無理もない話だったが。 「しかし、なんだって急に遺品を強奪なんて真似してきたんだか……」 最初の村雲の事件以来、白マントは姿を見せていなかっただけに驚きだ。 下手したら本当に居合わせただけで、事件とは何も関係ないんじゃないかとさえ考えていたのに。 「確実にお前の持ってた遺品が目当てっぽかったんだよな?」 「うん、多分……。いきなり木箱に手を伸ばしてそのまま無理矢理もぎ取ってったし……」 「どういうシロモノか知ってそうだな。何のためにそこまでして欲しかったのかわからんが」 「………うん……」 「知ってるとしたら、誰かに何か聞きたいことがあるってことだよな。遺品の能力からして」 「うん………」 「村雲たちの事件とも関係あるのか、どうなのか……」 「………………」 自問自答しかけて、ふと沈みきっている様子のおまるに気がついた。 「……あー、とりあえずそこまでへこむな」 「倒れてた生徒の方はひとまず無事みたいだし」 まだ完全に意識は戻っていないが、呼吸も安定していて大丈夫そうだと聞いてきた。 遺品が封印された時点であちらはひとまず安心だろう。 「万が一、白い奴が遺品使ったとしても吸われるのはあいつの魔力だ。とりあえず倒れた生徒は無事だろ」 「うん……でも……」 「へこむなっての! 落ち込んでる場合でもないぞ」 「そ、そうだね。ごめん」 はっと顔を上げるおまる。 だが、さすがに顔色までは即座には戻らない。 「何のために遺品を奪ったにしろ、どういう物か知ってるならさっきみたいな暴走はなさそうだろ」 「あいつがヤヌスの鍵使ってるのは見たことあるから、お前程度には魔力もあるはずだし」 「うん、でも何に使う気なんだろ」 「さすがにそれは、今考えてもわからんだろうな」 白マントが一連の犯人なら、木箱を使って何かを聞き出した相手の記憶を奪うことも可能なはずだからな……。 「それより風呂屋の言ってることの方が気になるんだが」 「前と違ってた気がする、ってやつ?」 「ああ、それだ」 確かに俺の会った白い奴も、突然遺品を強奪するような凶暴な雰囲気はなかった。 「もし本当に別人だった場合、白マントは複数いるってことかよ……?」 扉の音に会話が遮られた。 見ると、モー子が戻って来たところで、おまるはその姿を見てまた青くなる。 「遺品は?」 部屋に入ってくるなり間髪入れずにモー子は聞いてきた。 「……へ?」 「え、あ、あの……」 「コルウス・アルブス、さっきの木箱です。どこですか?」 「なんだよ急に。まあ、それに関してはちょっと悪い知らせがあるんだが……」 「ご、ごめんなさいっ!」 あたふたしていたおまるが、涙目になりながら頭を下げる。 「……何事ですか」 不穏な気配を感じ取ってか、眉根を寄せ険しい顔になるモー子。 「取られちゃって……」 「白マントの奴だよ。廊下で突然、無理矢理奪い取って逃げたんだと」 「えっ……!」 予想していたより衝撃を受けたようだ。 それはしかし、遺品を強奪されたことに対してなのかそれとも……。 「ごめん、追いかけようとしたんだけど……」 「風呂屋がぶつかって転んでたんでそっちに気を取られてるうちに逃げられたって……」 「だから慎重にと言ったでしょう!」 「ごめんなさいっ!!」 いつになく激しい口調で叱咤され、おまるは縮こまる。 「怒鳴るなよ、モー子。まさか強引に盗みに来るなんて思わないだろ」 語気を荒げていたモー子は、ふう、と自分を落ち着かせるようにため息をついた。 「久我くんは? 一緒ではなかったのですか?」 「俺は倒れてた生徒の様子を見に行ってた」 「なぜ烏丸くんを一人にしたんですか!」 「なぜって、お前だって確認しないとって言ってただろ?」 急に何言い出すんだ、こいつは。 普段なら遺品も一人で持って行っているはずなのに。 「今までだってそうやって預けてたし、分担するのが普通だろ?」 「…………………」 「なんで黙るんだよ? あの遺品がどうかしたのか?」 モー子は答える気はないと言った態度で首を振った。 「いいですじゃないだろ!」 思わず、俺の方が声を荒げる。 いつもいつも、本音は何一つ言わないでこいつは……。 「なんでそう、自分の言いたい事しか言わないんだよ、お前は?」 「どういう意味です」 「こっちが聞かなきゃ何も話そうとしないだろ」 「その必要がないからです」 「それを勝手に決めんなって言ってんだよ!! 相談するって事知らないのか!?」 「なんで一人でやろうとすんだよ? あの遺品を、どうしたら良かったんだよ?」 「あ、あの、みっちー落ち着いて……」 「…………………」 モー子は、無言で冷たく目を細めた。 空気が急速に凍り付いていく。 「一応チーム組んでんだろ? もうちょっと俺らのこと信用しろよ!」 「お断りします」 ……何かにヒビが入る音がした、気がした。 「……え?」 「はっきりと伝えておきますが、私はきみたちのことを信用も信頼もしていません」 「そんなことは一度も思ったことはありませんし、そんな態度をとった覚えもない!」 「………………」 耳の奥で聞こえたその音は、彼女の声と同じ早さで広がっていき―― 「私の相棒はたった一人だけです。昔から……今も……!」 「誰も、彼女の代わりになんてなれない……!」 ――……止まらなかった。 「………憂緒さん……」 「…………………」 感情を吐き出しきったモー子は、唇を噛み締め、荒くなった呼吸を無理をして押さえているようだった。 「……こっちも代わりになりたいなんて言った覚えはないけどな」 「みっちー!」 「誰のことだか知らないが、俺は俺だ、そいつの代わりじゃない」 「だからそいつ以外の奴を頼ることに、お前が引け目感じる必要もないだろ」 「っ……!」 逸らしていた視線が、射るように俺を正面から捕らえる。 「もうやめてよ、二人とも! もめてる場合じゃないって前も言っただろ!」 おまるは身体ごと俺とモー子の間に割り込んで叫んだ。 「事件なにも解決してないんだから! お、おれのせい、だけど……」 何の感情もこもっていない声が、氷のように響いた。 「え?」 「……終了?」 「学園長から、この件はもう調べなくていいと言われました。学園長側で処理されるそうです」 「なんだよそりゃ!?」 「……必要なことは伝えました。では、本日は解散しましょう」 「おい!」 今度こそ聞く耳を持たずに、モー子は部屋を出て行った。 「…………………」 「…………………」 さすがに、追う気にはなれなかった。 あそこまできっぱり、拒否られた直後じゃあなあ……。 「……まったく。あそこまで頑固だとはな」 「みっちーだって火に油注いでたじゃないか……」 拗ねたように上目遣いでぶつぶつとおまるは言う。 「妙なこと気にしてるからだ」 「あんなに怒ってる時にああいう所つっついちゃ駄目だって……」 「そうか?」 「普段の澄ましてる時じゃ、受け流されるだけだと思うがな」 「………そう、かも」 「だろ?」 丸い目がきょとんと動く。 「えっと、じゃあみっちー、あれわざとなの? わざと憂緒さんを怒らせて……」 「いや? ただの売り言葉に買い言葉」 「みっちーっ!?」 「だってむかつくだろ。薄々思っちゃいたけど、はっきり言いやがって」 「……そりゃ、ちょっと悲しかったけど………」 悲しい、か。 そうなんだろうか。 (……正直、よくわからんな) 俺自身、まったく信用されてなかったことが悲しいのか悔しいのか。 (こっちは、そこそこ信用してたつもりだったんだがなぁ……) (まあ、俺だって何でもかんでも話してるわけじゃないが……) 「だろうな……」 それはちょっとやっかいだな。 まあ、やっちまったもんはしょーがないか……。 「ふーむ、困ったものだねえ」 「ぢぃ」 「まったくだね。元は同じはずなのに、どうしてあんなに物わかりの良さが違うのかなあ」 「ぢー」 「ぢっ!」 「ん……?」 重い空気の中で、これからどうしようかと話していると扉がノックされた。 入って来たのは風呂屋だった。 さっきの大騒ぎっぷりからは一転、神妙な顔をしている。 「風呂屋町さん。どうしたの?」 「あの、さっきの、思い出したことがあるんです!」 「さっきの?」 「廊下でぶつかったとき、何か違うって思ったんだけど……」 「白マントの奴のことか?」 「そうそう! そうです! あの人、前に久我くんと一緒に会った時と違うの!」 風呂屋の顔つきは確信に満ちていた。 久しぶりの手がかりらしき気配に、俺とおまるは思わず椅子から腰を浮かせた。 「どう違うんだ?」 「匂い」 「匂い?」 「前に会ったとき、一瞬だけどコロンみたいないい匂いがしたんです」 「コロン……? そうだったかな」 「間違いありませんっ! わたし覚えてるもん、ふわっていい匂いがしたの!!」 コロンか。 俺は正直、そんなもん使ったこと無いから気づかなかったし覚えてないのかな。 「廊下でぶつかった時は、その匂いがしなかったの?」 「いや……おれもそんないい匂いはしなかったと思うけど……」 「コロンねえ……」 「少なくとも、前にわたし達を助けてくれた人は、きっと女の子だと思うんです!」 「女の子……」 「……まあ、あの格好じゃ性別はわからんな」 とはいえ、前に俺が会ったときの印象では、確かに仕草や物腰は柔らかかった。 実は女です、と言われても違和感はない。 「おまる、お前無理やり木箱を奪い取られたってことは、相手は男だったっぽいか?」 「うーん……力強かった気はするけど……でも突然のことだったから……」 「まあ、お前非力だしな。女だとしても、取ろうと思えば取れるか」 「とにかく、わたしは別の人だと思うんです。だって前の人はわたし達のことを助けてくれたもん!」 「まあな……」 何か事情があって態度が変わったということや、つけていた香水をつけなくなった、という可能性はゼロではないが……。 (やっぱり、別人だと考える方が自然か……?) 「ああ、わざわざありがとう」 「……少しは役に立てました?」 「十分だ」 「そっかー、良かったです! じゃあ頑張ってくださいね!」 「うん、ありがとう。風呂屋町さんも気をつけて帰ってね」 「…………………」 「…………………」 よろしく、か。 当分伝えようがないかもなぁ……。 風呂屋がいなくなると、再び微妙に居心地の悪い空気になる。 さして広い部屋でもないのに、やたらとがらんとして見える、ような……。 (いや、今考えてもしょうがないだろ。モー子のことは……) 「……で、どうするの? この後……」 「そうだな……」 半ば強引に頭を切り換えた。 白マントのこと、奪われた遺品、それに室内から連れ去られた被害者……。 事件のことが断片的に頭に浮かんでは消える。 「……やっぱ学園長だよな」 「うん、まあ、調査は中止って言われたらしいけど」 「いや、鍵だよ」 「鍵?」 「密室から生徒がさらわれた件はあの鍵使うのが一番手っ取り早いだろ」 「学園長も持ってるはずなんだ。持ったままか聞き出さないと」 「それは、そうだけど……この件の調査は終了って言われてるのは、どうするの?」 「それはそれで、俺ら理由も聞いてねえからな。モー子が教えてくれませんでしたって聞きに行けばいいだろ」 「直接!?」 「話聞きに行くだけだから俺だけでいいぜ」 「……もしかしたら、突っ込んで聞くのはやばいのかも知れないしな」 ぐっと机に手をついて身を乗り出しおまるが叫ぶ。 「な、なんだよ急に」 「……これ以上、バラバラになるのは嫌だよ」 「…………………」 やばい、ちょっと虚を突かれた。 まあ、そうだな……。 一番仲良くしたがってたのはおまるだし。 しかも俺には、それを見事にぶち壊したという負い目も一応はある。 (モー子の態度だって一因だと思うけどなー) 「おれたち、仲間だろ?」 「………ああ、そうだな」 こいつだけは、本当に一貫して変わらないなあ。 くすぶっていた気分が少しだけ軽くなった。 「だったら一緒に行こうよ。すぐ行くの?」 「いや……さすがに今日はもう遅すぎるだろ」 「あ、そうだね」 「明日の放課後だ」 「うん、わかった。じゃあ、明日」 こつん、と拳をぶつけ合わせて席を立つ。 (しっかし、あの学園長が簡単に口割るとは思えないから……) どこから問いただしたもんかな……。 「………………」 (学園長から調査を停止させられたということは、もう風紀委員の協力は仰げないし、そもそも特査分室としては動けない) (やはり、私一人で真実を見つけ出すしかない。そのために、もう一度最初から考え直す……) (三番目の被害者は、一連の事件とは無関係。ということは、実質的な被害者は三人……) (村雲くん、吉田さん、そして東寮の生徒……) (白い幽霊が目撃されたのは、最初の一件のみ。昨日烏丸くんの前に現れるまで、あれだけ巡回している風紀委員にも発見されていない) 「……では、一度目は予定外……? もしくは模倣犯……」 「……………………」 「………それなら……」 (……一人だけ、いますね。条件に該当する人が……) (少し問いただしてみましょうか。なら、それなりの準備をしないと……) ようやく授業から解放され、廊下に出る。 放課後独特のざわめきの中、何度か顔を会わせた風紀委員が、俺に会釈しながら通り過ぎていった。 鍔姫ちゃんが言うとおり、警備が強化されているようでいつもより早くから動いているらしい。 おまるが教室から転がるように駆け出て来た。 「さ、行ってみようか。学園長室!」 「今度は居てくれるといいんだが」 「うん、今朝はなんでいなかったのかなあ」 念のため、今朝一番に教室へ行く前にも学園長室へ寄ってみたのだが、誰も居なかったのだ。 「重役出勤てやつかね」 「学園長が……?」 「あり得るだろ。あの学園長だぞ」 「ま、まあね。なんか変な人だし」 「とりあえず出張から戻ってるのは確からしいから、学園内のどっかには居るだろ」 「そうだね、学園長室の鍵も開いてたし……」 「え? 鍔姫ちゃん?」 やけに血相を変えて鍔姫ちゃんが走ってきた。 「鹿ケ谷さんを見なかったか?」 「え」 「い、いえ、昨日から会ってないです……」 気まずい空気を思い出して、おまるともども少し目が泳ぐ。 「そうなのか……」 「あいつに用なのか?」 「違うんだ。昼休みに教室を出たきり戻ってないらしいんだ」 「え……?」 「そ、それって……」 「知っての通り無断で授業を欠席するような子じゃない。何かあったとしか……」 「さ、さ、さらわれ……」 「……かも、しれない」 「ちっ……!!」 「み、みっちー落ち着いて。なんかすごい音したから」 「か、壁に、ひびが……」 だから一人でやろうとすんなって言ったんだよ……。 (……まあ、あの時……) 頭に血が上って、単独行動は危険だってことを俺も言いそびれた。 おまるが襲われたすぐ後だったってのに……。 モー子にも、自分にも腹が立ってしょうがないがここで暴れてる場合じゃない。 「こうなったら何が何でも問い詰めるぞ!」 「問い詰める? 誰を?」 「学園長だよ。ちょうど行こうとしてたんだ、ついでに鍵も借りる」 「あ、そうか! あの鍵だったら憂緒さんがどこにいてもすぐ見つかるんだ!」 「そう言うわけだから、鍔姫ちゃん……」 見逃してくれ、と言おうとしたのに、何のためらいもなく同行を申し出る鍔姫ちゃん。 「いや、あの、一応これ命令違反なんだが。あの件の調査は学園長命令で終了ってことになってて」 「……確かに調査終了ということは、学園長なりの考えがあっての判断なのだろう。だが、君たちはそれでも行くんだろう?」 「そりゃ、このまま放っておくわけにはいかねーからな。絶対に無事だって保証もねえし……」 「ならば、私も友人として君を助ける。それはいけないことか?」 「鍔姫ちゃん……」 融通効き過ぎだろ、風紀委員。 いや多分、スミちゃんとの一件が根底にあるんだろうけどさ……。 「さあ、行こう。鹿ケ谷さんを助けなくては!」 「……あー、聞き分けねえ奴ばっか」 「みっちーもね!」 「何してる? 急ぐぞ」 「わかったよ!」 「学園長いるかぁ!?」 「失礼します! お尋ねしたいことが――」 「……って、いないし!」 一斉に学園長室になだれ込んだが、巨大な机の向こうは無人だった。 「まだいねえのかよ!」 「どこ行ったんだろう……」 「ああもう、この大事なときに! 鍵はどこだっ!!」 「いや、久我くん。叫んでも……」 「え?」 「時計か。学園長のかな?」 「なにしてんだ二人とも?」 「いや時計が……」 「探し物〜?」 ふよふよと、見覚えのありすぎる小さな姿が飛んでいた……。 「よ、妖精……」 「え? ええっ!? じゃあこの時計……」 鍔姫ちゃんが、妖精の姿と蓋を開けてしまった懐中時計を交互に見ながら狼狽する。 「鍵探すの〜?」 「な、なんでいるのっ!? 封印したはずじゃ……」 「なんだか呼ばれた気がしたから〜」 「みっちー! 叫ぶからー!」 「俺のせいなのか!? 確かに叫んだけど!! こんな簡単に出てくるのかよ!?」 そう言えば、あの札の封印は一時的なものでしかないって話だったはずだ。 俺らが最初に壊した彫像が第二の封印だって話だったから、あれが無事だったのならまた何か違ったのかもしれないが……。 「あ、あの、すまない。蓋を開けてしまったのは私だ、遺品だったのか……」 「いやまさか封印した遺品が湧いて出るとは思わなかったのは俺らも一緒だから」 「鍵探すんだよね〜? じゃあ行ってくる〜」 脳天気な声で言いながら飛んで行こうとする妖精を慌てて止める。 これ以上変な被害増やすな、頼むから。 「こ、これ使うの?」 「鍔姫ちゃん大丈夫そうか? 蓋開けたって事は、使われてる魔力は鍔姫ちゃんのもののはずなんだが」 「ああ、私は平気だ」 「よし、なら使おう。この際利用できるものは利用させてもらう。封印しなおしてる暇も惜しいしな」 「……そうだな」 「どんな鍵がいいの〜?」 「ヤヌスの鍵……学園長が持っていた遺品で、魔力があれば望んだ場所に行ける鍵だ」 「えっとこれくらいの大きさで、凝った模様のある…」 「わかったよ〜」 妖精は嬉しそうにくるくると踊るように回転して部屋の中を飛び回った。 「さーがしものーさがしもの〜」 「……大丈夫かなぁ? 一応遺品だし、前はえらいことになったし」 「後で捕まえて返しとけば、多分大丈夫だろ」 ひとしきり歌って踊っていたと思ったら、ひらひらと学園長の机の方へ飛んで行く妖精。 そして引き出しの取っ手に抱き付いた。 「う〜んしょ」 身体の大きさからは想像もつかない力で引き出しを引っ張り開けると、ひょいとその中に飛び込む。 しばらくすると、中から何か物音が聞こえてきた。 どう考えても、ただの机の中からする音だとは思えないが、一体あの中で何が起こってるんだ……? 黙ったまま待っていると、音が止んだと同時に、妖精が飛び出てくる。 「早っ!!」 「ほ、ほんとに見つけた」 ちゃんと頼めば本気で役に立つやつだったんだ、こいつ……。 前はアバウトに頼んだから、あんな大惨事になったんだな。 「これでいい〜?」 「よし、これだ! 偉いぞ妖精!」 「ありがとう、妖精さん!」 「すごいな、君は」 「えへへ〜もっと探してあげるよ〜?」 「あー、今はとりあえずいい。鍔姫ちゃん蓋閉めてくれ」 「わかった。すまない、またな」 「あれ〜? もういいの〜?」 ぱちん、と蓋を閉じると妖精はすうっと溶けるように消えていった。 「……封印するの可哀相になってきた……」 「鍔姫ちゃんの魔力が尽きるだろ」 「よし、行くぞ」 変なところに差すよりは、と学園長室の扉を閉め直して鍵を使うことにした。 「憂緒さんのいる所!!」 「え、これ……どこ……?」 「これは……?」 「……またここかよ」 扉の向こうに広がっているのは、風呂屋と迷い込んだ謎の空間だった。 相変わらず、この世とは思えない奇妙で不可思議な風景が広がっている。 あの螺旋階段の下のようだったが、怪物じみた生き物が近くに見当たらないのは幸いだった。 「しょうがねえ。とにかくモー子探すぞ!!」 無事でいてくれよ……。 「……う…………」 (……動けない……。まさか、あんな遺品を持っているなんて……) 「……ど……どこへ、行く気……?」 「………………」 「……睦月は、どこです?」 「………………」 「知らないのですか……? 睦月は、あの子はどこにいるの?」 「………………」 「………………」 「……あそこに人影がないか?」 異様な風景の世界に足を踏み入れ、俺たちは階段を上っていた。 鍔姫ちゃんの指さす方を見ると、確かに白い人影が…… 「白マント……! 引きずられてるのは、モー子か?」 ほぼ無抵抗で引きずられているモー子の周囲には、光る輪のようなものが浮かんでいる。 白マントに何かされているのは明らかだった。 「ど、どうする?」 「様子を見よう。何をするつもりなのかわからん」 「鹿ケ谷さんは大丈夫だろうか……」 白マントはモー子を引きずっていき、巨大な柱の立ち並ぶ辺りに転がすように置いた。 「……きゃぁ……あ……!」 「ひ、悲鳴!?」 「ちっ! 行くぞ!!」 「………!!」 走り寄ってきた俺たちに気づいた白マントが、はっと振り返る。 「君は――……」 俺よりも先に鍔姫ちゃんが口を開く。 「なんだ!?」 鈍く光る金属のような指を俺たちの方へと向ける。 正体がわからず、咄嗟に身構えたが白マントはそれ以上近寄っては来ない。 「……壬生鍔姫」 「えっ?」 「烏丸小太郎」 「な、なに?」 「なんだよ?」 次々に名前を呼んだと思ったら、白マントの指先が不気味に輝き―― 「……う、動けねえ……」 「なにこれ? なにこれ!?」 全身が凍り付いたように動かなくなっていた。 驚愕する俺たちに、白マントがゆっくりと近づいてくる。 「わーっ!? なにするんだよー!?」 動けないおまるを担ぎ上げ、背後にあった巨大な魔法陣の中へその身体を横たえた。 「なにしてんだ、おい!」 俺の声など当然無視し、白マントは俺も引きずっていこうとする。 「な、何の儀式だよ!? お前一体……!」 精一杯抵抗しようとするが、遺品の力なのかまったく動けない。 「くそ……っ! おい、モー子! おまる!」 「鍔姫ちゃん!!」 「やめろ!」 先に魔法陣へ入れられた皆は、既にぐったりして眠ったように動かなくなっていた。 「………………」 無言で、白マントが俺の背中を強く押した。 抗うことも出来ず、ゆっくりと身体が魔法陣の上へ倒れ……… 「…………あ?」 「あっ! みっちー気がついた?」 「え………?」 ふと目を開けると、俺の部屋だった。 「おれ達、なんでか廊下に倒れてたんだって」 「廊下に?」 「そうなんだよ。みっちー何があったか覚えてる?」 「…………えーと」 ぼんやりした頭で必死に思い出そうとしてみる。 あ、そうだ、確か調査中だった。 「村雲たちが廊下に倒れててそれを調べてたんだよな?」 「そうなんだけど、あれから何人も倒れてるし、覚えてる日付から三日くらい経ってるんだよ」 「おれとみっちーだけじゃなくて、憂緒さんもだって」 「……なんだそりゃ」 「何があったんだろ? おれも全然思い出せなくて」 「………………」 ……駄目だ、俺も思い出せない。 村雲の調査してたはずなのに、俺たちまで同じ状態って……。 (どっかでミスったんだろうなぁ。何したんだろ、俺……) ――そして。 学園長がこれは事故でこれ以上被害は出ないと調査打ち切りを命じてきた。 結局、何が起きたのか、俺たちにはさっぱりわからないままだ……。 「モー子っ……!!」 「!?」 「……久我、くん……?」 「そこの白いの、モー子から離れろ!」 「………………」 駆け寄りながら叫ぶと、白マントはさっと俺たちの方へ向き直った。 「………!!」 その姿を見て鍔姫ちゃんははっと息をのむ。 「どうした?」 「あれは……」 「耳をふさいで――!!」 「えっ……」 モー子の悲鳴のような声と同時に白マントが片手を前にかざした。 「久我満琉!」 かざした手の指にはめた金属の何かが不気味に輝く。 そして、ずんと重い衝撃。 凍り付いたように、身体が動かなくなった。 「壬生鍔姫!!」 鍔姫ちゃんの身体に魔法陣のようなものがまとわりつく。 「くっ……!?」 「こ、れ……なんだ……?」 見れば俺の身体の周囲にも、同じような魔法陣がある。 「烏丸小太郎!」 「ひっ……!?」 身構えつつも、後ずさるおまる。 ……え? 後ずさる? 「お、おまる、動いてるじゃねーか!」 「え? なにそれ?」 「……三人までか」 「え? え?」 蹴り倒されたおまるが、吹っ飛んで地面に転がった。 「おまるっ!!」 「か、烏丸くん……!」 「いっ、た……」 うずくまってはいるが、意識はあるようだ。 苦しげに息を吐き、なんとか起き上がろうとしているが腹に力が入らないらしい。 「烏丸くん、無理はするな!」 「う……す、すみませ……」 「はっ……なるほど。この前の白マントとはやっぱり別人だな」 「…………………」 「……黙っている必要はない。君の正体はわかっている」 「…………………」 ぴくり、と白いマントの肩が揺れた。 「……………」 気づきたくなかった――鍔姫ちゃんの声には明らかにその響きがあった。 俺には鍔姫ちゃんのような超感覚的なものはないが、彼女にあんな顔をさせられるような人物がいるとすれば、それは……。 「―――お前……村雲か……?」 「………………」 「ああ、間違いない。すぐにわかった。君は村雲静春だ」 白いフードを無造作に掴み、たくし上げる。 その下にあった姿は、やはり村雲だった。 「………………」 「村雲くん………」 離れたところでモー子が呟くのが聞こえた。 モー子もやはり気付いていたらしい。 「壬生さんはともかくとして、久我はよくわかったな」 「そりゃ、お前を見て鍔姫ちゃんが辛そうな顔したからな」 「それに………そうだ、よく考えりゃ―――」 「今回の事件、2件目以降の目撃証言が無さすぎだ。人数少ない俺たちはともかく、犯人はあれだけ見回ってる風紀委員にも、まったく見つかってない」 「つまり、警備を強化して見回ってる風紀委員の裏をかいてる。お前巡回ルート今も知ってるよな?」 「て言うかコースとか変わってると思うぞ。見回り強化されてるから」 「それも聞いて知ってるつーの!」 「……あーそうか。あれは失言だったな」 「ってじゃあ、あの小箱の遺品のこと暴露したのは俺自身か……! 失言は俺の方じゃねーか……」 「ちょっとやっかいなのが暴走してるらしくてな」 「おまるが襲われたのは、あの遺品を封印してすぐのことだったはず……」 「封印した現場にいたお前なら、どんな遺品で、誰がどこに持っていこうとしてるのかもわかるってことか」 「今更気づいても遅いんだよ」 「せめて鹿ケ谷と同じくらいのタイミングだったら、まだ何とかなったかもしれねーけどな」 「モー子をさらったのは、正体に気づかれたからか」 「ああ。オレと話すのに色々念入りに仕掛けしてたみたいだが、動けなくしてしまえば何も問題ない」 「誰かに接触される前に忘れてもらおうと思ったんだがな……」 自嘲気味に呟いてはいるが、村雲の態度はまだ微塵も慌ててはいない。 (まあ、当然か……こっちはまるっきり動けないからな……) 腕にも脚にも、何度も力を込めてみているが、ぴくりとも動かなかった。 村雲の使った、あの遺品の力だとしたら、あれを封じるしかないのか……? 「……村雲……」 苦渋を滲ませた声で、鍔姫ちゃんが元相棒の名前を呼んだ。 「他の生徒を襲ったのも君なのか?」 「……そうです。オレがやりました」 もう隠す気はないらしく、あまり迷いもせず村雲は認めた。 そして、すっと不気味な髑髏のついた金属の指先をこちらへ見せる。 「これのおかげで楽だったよ。不意に目の前に現れたときは何事かと思ったが……」 「遺品か」 遺品はそれを欲している人間の前に、突然現れると聞いた。 どういう理由か生徒を片っ端からさらう方法を模索していた村雲の前に、引き寄せられてきたということだろう。 「ああ、そうだ。効果はお前らの味わってる通りだよ。シンプルだろ?」 それで誰一人抵抗した様子も争った気配もなく、連れ去られていたわけか。 そのおかげで怪我人が一人も出なかったのは、ある意味幸いかもしれない。 「そいつで動けなくして、ヤヌスの鍵でここへ、か……」 「そんなに連発して大丈夫かよ? 魔力が尽きて自爆するぜ?」 「ふん、それで揺さぶってるつもりか?」 俺をあざ笑うように村雲は、懐から淡く光る拳ほどの石を取り出して見せた。 「この石があれば、オレの魔力が尽きることはねえんだよ」 「石……?」 「魔力の塊ってとこだな。これがあれば自分の魔力は必要ない、あいにくだったな」 「そんなものが……」 モー子も初めて見るシロモノらしい。 しかし、なんで村雲がそんなもん持ってんだ。 「なぜだ、村雲? 最初の被害者は君だったろうに……」 「あれは狂言じゃないのか?」 「いや、あの時の村雲の様子はどう見ても演技ではなかった。嘘なら私にはわかる」 「……それに近くに別の白マントがいたでしょう」 「あ、そうだった」 「村雲くん、あなたが昏倒したのは不測の事態であって事件ではないのではありませんか?」 「…………………」 「だんまりって事は当たりか」 「外した奴は黙ってろ」 くそ、こいつ……。 いや確かに外したけどさ。 「あれは事故じゃないのか? あの時、お前の側にもう一人別の白マントが居た」 「あれは前に風呂屋と俺を助けてくれた方の奴だよな、多分」 「お前とは別人の。言わば『本物』の方ってことだ」 「…………………」 「何か不測の事態で昏倒してしまったお前を運んできてくれたんじゃないのか?」 「……その通りだ。まあ、オレも覚えてないがな」 「だから保健室、だったんだな」 一番すぐに容態を見てもらえそうな所まで運んでくれただけだったんだ。 今思えば、わざわざ俺の財布を届けてくれた奴のやりそうなことだ……。 「しかし、記憶はどうやって……」 「激しい力? 魔力か?」 鍔姫ちゃんは鋭い視線を村雲の後ろの光の柱のある方へ向けた。 床には巨大な魔法陣のようなものが描かれている。 以前も風呂屋と一度見たものだ。 「わからない……これは勘だが、あそこへ入って、普通の人間がただで済むとは思えない……」 今まさに放り込まれかけていたモー子も、魔法陣の方へ視線を向けた。 「村雲、そうなのか?」 「君はそこへ何らかの理由で入ってしまって気絶し記憶をなくした、それが不測の事態か?」 「……入った記憶はありませんけどね」 やっぱり、鍔姫ちゃんの推察通り、床の巨大な魔法陣にはそういった力があるらしい。 「なんで、他の生徒まで同じ目に合わせたりしたんだよ。吉田とかさ」 「気絶するどころか、記憶まで失うとわかっていてなぜそんな……」 「…………俺……?」 突然激しい声を上げ、村雲は金属に覆われた指を俺に突きつけた。 その目には怒りが浮かんでいる。 いつもの軽い喧嘩とはまるで違う、本気の怒りだった。 「てめーがとっとと魔女の才能に目覚めてりゃ、オレだってこんな真似はせずにすんだんだ!」 「魔女? 俺が?」 村雲が本気で言っているらしいことは、その怒りようから確かみたいだが……。 「……何の話だよ。まったく意味がわからん」 「………魔力、ですか」 ぽつりと、モー子の声が割り込んだ。 「あなたが欲していたのは強大な魔力の持ち主なんですね。魔女と呼ばれるほどの」 そう言われた村雲の顔に、なぜか焦燥感のようなものが浮かぶ。 「……そいつなら、あれの燃料になれる」 「燃料?」 「あの魔法陣を動かすためには、莫大な魔力がいるんだ。つまり、燃料がな」 「莫大な魔力……」 はっと、脳裏に図書館で交わした会話がよみがえる。 夜の世界を呼び込む大量の魔力は、誰がどこで作り出しているのか。 その答えが、この魔法陣か……。 床に描かれた巨大な方円と、その周りに建つ柱。 これがあの、夜の世界を呼び込む魔術装置だったのだ。 つまりは、この不思議な世界自体が、夜の世界のための仕掛けということか……。 忌々しげに、吐き捨てるように言う。 「……? お前どうしたいんだ? さっきの口ぶりじゃ、魔法陣を動かす燃料とやらを捜してるみたいだったのに」 村雲の口調はまるで、魔法陣の魔術そのものを嫌悪しているようにも聞こえた。 「好きで捜してるんじゃねえ! てめーがとっとと目覚めてりゃ必要なかったって言ったろ!?」 「とっとと燃料になってりゃあ、他の連中で試すこともなかったんだ」 「吉田たちの事か……。何を根拠に吉田で試そうとしたんだ?」 「たまたまだよ。オレは東寮の生徒の中に候補がいるとしか聞かされてなかったからな」 「魔力の量なんざ、見た目じゃわかんねーし」 こいつ自身も誰をターゲットにしていいか、よくわかっていなかったのか。 どうりで東寮ということ以外、何の共通点もないわけだ。 「結果は知っての通りだ。あっという間に気絶して、オレと同じように記憶も消し飛んでた」 「……まあ、てめーらもそうなるだろうな」 「やけに素直に喋ると思ったら、どうせ消える記憶だってか」 このまま俺たちを魔法陣に放り込んで、記憶を消すつもりらしい。 そうなったら、こいつはおそらく今まで通り犯行を繰り返す……。 「村雲! もうよせ!」 鍔姫ちゃんもその危険に気づいたようで、必死に声を上げた。 「一体どうしてそこまでその魔法陣にこだわるんだ!? こんな事以外に他の方法はないのか?」 「だから、その方法が久我だったんだ! こいつさえ魔女の力に目覚めてりゃあ……」 「なんで俺なんだよ? 何を根拠に俺だと思ってんだ?」 「しらばっくれんな!! 学園長から聞いたんだよ、オレは!」 「学園長……?」 「なんのために、烏丸から遺品をぶん取ったと思ってんだ」 「学園長に使ったのか!!」 「ああ、鍵があるから見つからずに部屋にも入れたしな……」 「………君は……」 「聞かせて貰うぜ」 「おっとっと。これはまた貴重な遺品を持って来てくれたものだねえ」 「おやおや刺さってしまったよ。困ったね、ニノマエくん? はっはっはっはっは!」 「ぢー」 「この野郎……。ずいぶん余裕じゃねえか」 「さて? 何を聞きたいのかな? コルウス・アルブスをわざわざ持ち出したと言うことは、質問があるのだろう?」 「……東寮に優秀な魔女の才能を持ってる奴がいるって言ってただろ。そいつの名前を教えろ」 「久我満琉くんだよ、うん」 「こ、久我かよ……!? じゃあなんでとっとと燃料にしねーんだ? あいつの状態、あんただってわかってるだろうが!」 「それがねえ、調べたら久我君に魔力の反応はさっぱりなかったんだよ! おかしな話だろう?」 「覚えてるだろうニノマエくん? 彼、反応しなかったよなあ?」 「ぢー」 「そうそう! だから特査分室に送ったのだよ。遺品に関わらせれば、魔女の才能が開花するかもしれないと思ってね」 「最後の質問だ……久我の奴が、故意に自分の魔力を隠してやがるってことは?」 「ふむ? なるほど、あり得なくはないね! あの鳥の数は尋常ではなかったからねえ」 「鳥……あの青い鳥か……」 「偽装能力か、もしくは無効化か。そのあたりの才ならそれも考えられる。わかっていて隠されていると非常に困るなあ。はっはっはっはっは……」 「入学案内に入ってた手紙から出た、青い鳥を見ただろーが?」 「青い鳥………」 「え?」 「え、じゃねーよ!! 思い当たる節があるってツラだったろ!」 詰め寄ってきた村雲は、俺の胸ぐらをつかみ上げた。 「何かの力、隠してんのか!? それじゃ困るんだよ馬鹿野郎!!」 「知らねーよ。悪いが、俺には力なんかない」 「ヤヌスの鍵だって使えなかったし、リトさんにだって魔力はないって言われたぜ」 「なんだと……?」 「そんな力あったら風呂屋とここで迷子になった時、スッと帰ってきたっつーの」 「………………」 一応、風呂屋と俺がこの空間に迷い込んだ騒ぎの顛末は聞いているようで、村雲はわずかに戸惑ったように目を泳がせる。 「村雲、落ち着いてくれ。彼は嘘をついてない」 「………………」 「信じてくれないか。この場をどうにかしようとでたらめを言ってるわけじゃない」 「……すんません。壬生さんが嘘をつくとは思ってない、でも……」 「村雲!」 「壬生さんには悪いが、オレはまだ納得出来ねえ……!!」 「げっ……!」 村雲は俺から手を離し、制服のポケットから例の木箱を取り出した。 「行け」 ふわり、と箱から舞い出てきた羽根が真っ直ぐに俺めがけて飛んでくる。 「………っ、く……」 咄嗟に身をかわそうとしたがやっぱり身体は動かなかった。 白い羽根が、俺の首筋にちくりと突き刺さる。 「久我くんっ……!!」 「………………」 モー子と鍔姫ちゃんがその光景に同時に息を飲んだ。 「質問するぜ。お前は手紙から飛び出た、青い鳥を見たか?」 真っ直ぐに俺を見据えながら、村雲が叫ぶように言った。 「……………」 「言っとくが、嘘は言えねーぞ。答えないままってのもだ。これはそういう遺品だ」 青い鳥、ね……。 村雲には悪いが、奴の求めている答えを返すことは、俺には出来ない。 遺品の効果なのか、そっと口が勝手に開かれていく。 特に不安や恐怖はなかった。 ――――あらかじめ用意された答えを、そのまま答えるだけだ。 「……………『見てない』」 「な……」 「そんな馬鹿な!?」 色の変わった羽根を見て、村雲は愕然とした声を上げる。 どうやら、かなり真面目に俺が『見た』と答えると思い込んでいたようだ。 「馬鹿なと言われようが答えは同じだ。俺は見てない」 「なら学園長の話はなんだ!? 見てないわけがねえ!」 「わけがないったって……」 「お前のはずだろ!! 燃料は……お前のっ!! でなきゃ……!!」 消え失せようとしている拠り所を、必死で逃すまいとしているようだった。 「何をしたんだ!? それがお前の力なのかよ!?」 激昂した村雲の拳が頬を打ち付け、俺の身体がぐらりと揺れる。 しかし遺品で拘束されているためか、倒れることはなかった。 「久我くん……!!」 「やめろ、村雲!!」 周りから悲鳴のような声が聞こえる。 大丈夫、と言おうとして、口の中で錆びた味がするのに気がついた。 (ちっ、口ん中切れたか……) いつの間にか立ち上がっていたおまるが、村雲に飛びついて来る。 「馬鹿! おまる無茶すんな!」 「てめーは寝てろと言っただろーが!?」 「おまる!?」 また吹っ飛ぶかと思ったが、おまるは苦痛に顔を歪めながらも踏みとどまった。 「それ以上痛い目みたくなかったら大人しくしてろ」 「か、烏丸くん……逃げて……!」 「そ、そんなわけに、いかないよっ……!!」 「仲間なんだから! 殴られてるの黙って見てるわけになんかいかないよっ!!」 「……烏丸くん……」 殴り返せはしないものの、おまるは必死に何度振りほどかれようとも村雲の腕にしがみつく。 「みっちーから離れろよぉっ!!」 「ちっ! 面倒な奴だな……!」 モー子にまとわりついていた魔法陣が、ふっと色あせて溶けるように消える。 「烏丸小太郎ッ!」 「なんだよっ!? あっ!?」 代わりにおまるの周りをあっという間に魔法陣が取り巻いた。 「え? えっ? あれ!?」 「固まってろ!」 動けないまま村雲に突き飛ばされ、おまるは再び地面に倒れ伏す。 「あ、鍵……!」 おまるの制服のポケットから、学園長のヤヌスの鍵が滑り落ちた。 「モー子!?」 自由になっていたモー子が、鍵に気を取られた村雲の隙を突いて駆け寄って来る。 「怪我は?」 口調はいつも通りだったが、さすがに顔が青ざめている。 「たいしたことない。それより、この身体の周りの魔法陣、遺品を封印する以外でどうにかする方法無いのか?」 「名前をフルネームで。それが対象者への発動条件のようですから、おそらく名前が問題なのですが……」 「だけど俺らの名前、もう完全にバレてるぞ? 今すぐ改名するとかも無理だろ」 「え?」 「きみが、私の籍に入ればいいんです!」 「………はい?」 「そうすれば苗字が変わります。きみは久我満琉ではなくなります!」 「………………」 「婿養子かよ」 「そっ……そんな細かいことにこだわらないで下さい」 「全然細かくねえよ! 俺人生掛かってるし!」 「それはお互い様ですっ!」 「それプロポーズ?」 「いや俺の台詞だぞ、それ」 「そうではなくて私の籍に入りなさいと言ってるだけです!」 「すげえ命令口調のプロポーズだな」 「だからプロポーズではありませんっ!」 「こんな継母いやだ……」 「……私だってきみのような息子は断じて御免ですから、即座に縁を切ります安心して下さい」 「…………………」 「なにをごちゃごちゃ言ってる?」 鍵を拾い上げた村雲が、また俺の方へと近寄ってくる。 と、モー子は俺と村雲の間に立ちはだかった。 「おい!?」 「……正気かよ。どけ」 「どきません!!」 「ふん……名前をどうにかしろとでも言ってたようだが、無駄だぞ」 「コレはそんな簡単なもんじゃねーよ。仮に改名しようが、それが自分の名前だったって認識を完全に消すなんて出来るか?」 「……それは……」 認識――ああ、そうか。 名前を呼ぶ側の村雲ではなく、呼ばれる側の認識に反応する。 そういう遺品なわけか……。 「お前らにはもう、抵抗の余地なんざねーんだよ!!」 「どけよ、鹿ケ谷。久我から魔法陣に放り込んでやる」 「ど、どきません……!」 「いい。下がれ、モー子」 「え……」 「心配すんな。今からこの遺品、解いてやる」 「な、何言ってんだてめえ!? そんなもん簡単に……」 村雲が何か叫んでいるが、ひとまず意識の外に置く。 ――今、必要なのは集中力だ。 さっきは単純な言葉で済んだが、今度はさすがに少し……難しい……。 「久我くん、何を――?」 「『久我満琉』が、俺の名前じゃないって思えれば問題ないってことだろ」 「そんな……自己意識を完全に消すなんて、記憶喪失にでもならない限り無理です!!」 「じゃあ、できるってことだよな。可能性はゼロじゃない」 「え? ど、どういう…こと?」 「可能性がゼロじゃないってのは、できるってことだよ」 そうだ。 俺にできることは、ただひとつだ。 特別なこと、じゃないが――。 「…………」 深呼吸。 それから、集中。 村雲の声も、モー子の声も、聞こえない。 俺の中で、俺自身だけが、そこにいる。 今はひとまず、自分に課した役割は何もかも忘れろ。 そして、たったひとつ。 俺ができることは、自分を信じること――。 「『俺は』――」 「久我くん?」 「――『久我満琉じゃあ、ない』」 「な――……」 「ゆ……歪んで、いる……?」 金属ともガラスとも付かない粉砕音。 魔法陣は光の粒のようになり砕け散り、飛び散った。 「……きえた……」 「な……っ」 同時に全身にのしかかっていた重力のような違和感も消えていた。 「おー、動ける動ける」 腕も、脚も、すべて自由に動かせる。 ぎゅっと力を込めて拳を握りしめ、戻って来た感触を強く確認する。 「そんな馬鹿な……!」 「生憎だったな。そんな馬鹿なことが出来ちまったよ」 村雲は慌てて指先を俺に向け、再び名前を叫んだ。 「だから違うって言ってんだろ」 ……が、今度は身体には何の衝撃も来ず、魔法陣がまとわりつくこともなかった。 「き……効かない? マジで効かねーのかよ!?」 「そうらしいな」 目を丸くしているモー子を片手で背後に押しのけると、俺は前に出た。 身構えようとした村雲の顔面に真っ直ぐに拳を叩き込んだ。 「今のはさっきの礼だ」 「て、てめ……ッ……!」 よろけた村雲にタックルし、床に組み伏せる。 マウントを取って押さえつけようとしていると、モー子がしがみついてきた。 「わかってるから心配すんな。それより札!」 「あ……」 「て、てめえ、返せっ!!」 もがく村雲の手から、金属の指を強引に引っこ抜く。 「ほれ、モー子」 背後で聞こえるおなじみの呪文の方へ、遺品を放り投げた。 「――刻を、止めよ!」 受け止めたモー子が素早く札を貼り付ける。 しゅう……、と空気の抜けるような音がして金属の指から鈍い光が消えた。 動こうと前のめりになっていたらしく、鍔姫ちゃんは勢い余って膝をついた。 おまるもふらつきながら立ち上がる。 「大丈夫ですか?」 「うん、おれは……」 頷きながら鍔姫ちゃんは、心配そうに俺が押さえつけている村雲を見る。 「ゲームオーバーだぜ。観念しろよ」 「…………………」 村雲はその視線を避けるようにそっぽをむいた。 しかし、さすがにもう抵抗しても無駄だと諦めたのか、押さえつけた腕からは力が抜けていた。 「モー子、こっちも」 懐から木箱も取り上げて、モー子に渡す。 モー子は手早くそちらも封印した。 「……終わりました」 札を貼られ、遺品が二つとも沈黙すると、誰からともなく深くため息が漏れた。 長くこの場を支配していた崖っぷちの緊張感が去っていくのを感じる。 しかし――まだ、問題は残っていた。 「なんでこんな真似したんだよ」 「………………」 押さえつけたままの村雲に聞くが、口を開こうとはしない。 ただ目を逸らすだけだった。 「村雲……もう、話してくれないか? 何か訳があるんだろう?」 「あの魔法陣の燃料ってのは、お前と何か関係あるのか?」 「………………」 「なんでお前がここまで必死になるんだよ?」 「………………」 頑なに口を閉ざす村雲に向かって、鍔姫ちゃんは悲しげな目を向ける。 「……君は真面目な男だ。こんなことをしでかすくらいだから、相当なわけがあるんだろう?」 「何がそこまで、君を追い詰めたんだ? 私は……力になれなかったのかな」 一瞬だけ、村雲は何かを言いたげに鍔姫ちゃんに目を向けたが、それでも言葉は出てこなかった。 「そんなに話しにくいことなのか?」 「………………」 「――やめてぇ!!」 不意に投げかけられた声に、全員がそちらを向く。 床の魔法陣の裏にあった観音開きの扉から、見覚えのない女の子が駆け込んでくるところだった。 「か……春霞……」 「え? 知り合い?」 よくわからんが、さすがに馬乗りになってるのはまずい気がする。 とりあえず村雲の上からどくと、案の定必死に俺と村雲の間に割り込んで訴えてきた。 「弟が何かしたんですか!?」 「おとうと!?」 家族だったのか。 そりゃこの光景見たら血相変えるわ。 「え、あの……、村雲先輩の、お姉さん?」 「村雲春霞です。これは一体何事ですか?」 驚きで少々青ざめてはいるが、毅然とした態度で説明を求める。 村雲の姉にしては冷静な人だ。 何から話したものか、と俺たちは一瞬目配せし合う。 すると鍔姫ちゃんが目顔で、私が、と言うように小さく頷いた。 「私は天秤瑠璃学園の風紀委員、壬生鍔姫。彼らは同じく特殊事案調査分室の、久我満琉、鹿ケ谷憂緒、烏丸小太郎です」 「私達は学園を騒がせていた連続昏倒事件の調査をしていて、ここにたどり着きました」 「え……? 連続……事件?」 「数名の生徒が昏倒して記憶を失った状態で発見された事件です。おそらく彼らはこの場所に連れてこられたと思われます」 「村雲は……彼はどうやら、この魔法陣の燃料になる魔力の強い人物を探していたようです」 「…………………」 「村雲も生徒の昏倒騒ぎは自分がやったと認めました。そうだな、村雲?」 「…………………」 半身を起こした村雲は、うつむいたまま無言で頷いた。 「…………………」 村雲のお姉さんはそんな弟の前に歩み寄り―― 「誰がそんなことしてくれって頼んだの!」 村雲の横っ面を平手で思い切り張り飛ばした。 小気味よいほどのその音は、おまるが思わず首をすくめるほどだった……。 「何考えてるのよ!? なんてことするの、ばか!! こうなることだって考えてなかったわけじゃないわよ、でも……」 「私は覚悟を持ってやってる! あなたにこんなことしてほしいなんて思ってない!!」 「…………それは、わかってる」 「全然わかってないじゃない! じゃあどうして!!」 「じゃあどうすりゃいいんだ、ただ黙って見てれば良かったのか!? お前ばっかりに負担かけて、オレは一体なんなんだよ!?」 「負担だなんて、私そんなこと思ってないわ! 自分で決めてやってることよ!」 「自分ばっか犠牲にして、オレがそれで平気だと思ってんのか。学園と何を契約したのか、知らないとでも思ってんのかよ!!」 「しーちゃん……! だからってこんなことしていいわけないでしょ!!」 「他の人を無理矢理にだなんて馬鹿なことしないでよ!!」 「じゃあお前どーすんだよ!? この先死ぬまでやんのかよ!?」 「……まあ、ちょっと落ち着けよ」 このままじゃ話の内容が見えない。 しょうがないので割り込ませてもらった。 「誰のせいだと思ってんだっ!? てめーが力隠したりしなきゃ……」 「やめなさい、しーちゃん!」 「まだそんなこと言ってんのかよ!? 俺は魔女なんかじゃないっつーの!」 「みっちーも興奮しないでー!」 「きみがまた喧嘩してどうするんですか!」 「ああ、すまん。それを聞こうと思って止めたんだが」 「そうですね……。こんなにご迷惑掛けたんですからきちんとお話ししないと」 ふう、とため息をついて村雲さんは肩をすくめた。 「こちらへ来て下さい。みんな傷だらけですし、とにかく手当てしましょう」 「こ、これですよね? どーぞ!」 村雲が脱ぎ捨てていた白マントをおまるがあたふたと拾い上げた。 「ありがとうございます。まったく、しーちゃんは……」 「……最初に村雲くんの側にいた白マントは、あなただったんですね」 「あ、はい。そうです。静春が勝手に魔法陣に入って倒れちゃってたから……」 「それで保健室に連れて行こうとしてたんだな」 「はい。その辺りのことも話します。みなさん、こちらへどうぞ」 村雲さんは俺たちを手招きながら、入ってきた観音開きの不思議な扉に手をかける。 (……なるほど。俺と風呂屋がここで会ったのも彼女か……) てことは、最初に白マントが現れた後、村雲の様子が少しおかしかったのも……。 「………?」 「どうした? 何がそんなに心配なんだ?」 「いっ…! いや、別にオレは心配とかしてるわけじゃ!」 「そうか、姉ちゃんだって知ってたからそわそわしてたのか」 「あ?」 「廊下で幽霊を初めて見た時、お前なんか様子おかしかっただろ」 「えっ、そうだったの……おれてっきり、壬生先輩のこと……」 「私が何か?」 「あ……なんでもないです……おれの勘違いだったみたいです!」 おまるはあたふたと首を振っている。 そういや、あの時村雲が鍔姫ちゃんのことどうとか言ってたっけ。 なんか別の理由だと思ってたっぽいな、こいつ。 村雲さんが開けた扉をくぐると、縦に細長い空間に出た。 進む彼女について行きながらそっと階段を下りると、階段の下に部屋が見える。 質素だが、いかにも女の子の部屋といった感じの可愛らしい部屋だ。 ふわり、と鼻孔をいい匂いがくすぐる。 「……コロンってこれか」 「え?」 「いや、前に俺らのこと助けてくれただろ? あの時、コロンの匂いがしたって一緒にいた子が言ってたんだ」 「……ああ、あの時ね。ごめんなさい何も話せなくて。この香水、気に入ってていつもつけてるの」 そう言ってはにかんだ村雲さんは、どこにでもいるごく普通の女の子だった。 これが幽霊の正体かぁ……。 「それで、ここは……?」 「ここは時計塔の中です。この部屋は私が暮らしてるところ」 「時計塔……そうでしたか。入り口のない時計塔に住む幽霊の噂は本当だったということですね」 「あ、噂になってたやつ? そっか、本当だったんだ」 ドアらしきものは見えるが、外から時計塔を見た時にはあんなドアは確かついていなかったはずだ。 それにしても、本当に『白い幽霊』がここに住んでいたとは……。 「時計塔で、一人で暮らしているのか……」 「慣れれば結構快適よ?」 「さっきのヘンな場所、下の方に変な怪物みたいなのとかいたんだけど、大丈夫なのか?」 「遊び相手……」 どれが遊び相手で、どれが稽古相手だろう。 ぱっと思い出してもどれがどれやら想像が付かなかった。 村雲さんは引き出しから包帯と救急箱を取り出すと、俺や村雲の手当をしつつ話し始めた。 「それじゃ、改めて……私は、村雲春霞。この静春の双子の姉です」 俺たち一同を見回しながら、改めて名乗り軽く会釈する。 「双子なんだ」 「似てねえ……」 「うるせえっ!」 「しーちゃんもうるさい。黙ってなさい」 「一応入学はしてます。この通り、普通に授業には出てないですけどね」 どこから説明したものかといった感じで村雲さんは少し目線を天井に向ける。 「スケープゴート?」 「……生け贄の羊という意味ですね」 「物騒な名前だけど、本当に生け贄みたいに命まで取られるわけじゃないわ」 安心して、と言うように村雲さんはひらひらと手を振りながら笑った。 「その、君の魔力が燃料、というのは夜の世界を出現させるために使われるということか?」 「そうなの。でもそれは無理矢理やらされてるわけじゃないのよ」 「私が学園と契約してやってることだから。ようするにお仕事ね」 「危険はないのですか?」 「あるに決まってんだろ!」 「しーちゃん!」 たまらず、と言った調子で口を挟んだ弟の村雲を姉の村雲さんがたしなめる。 ああ、ややこしい……。 「危険があるって……ああ、だから代わりを探してたのか?」 村雲さんは困ったように眉尻を下げ苦笑する。 「弟は心配しすぎなのよ。最近、私の体調が少し悪かったからそれで……」 「……………………」 「魔法陣の中に入って魔力を提供するだけだし、そこまで過酷な重労働ってわけじゃないし」 「嘘吐け。昼間は魔力回復させるためにずっと寝てんじゃねーか」 「学園長がラズリットの石をもう少しくれるって言ってたから大丈夫よ」 「ラズリットの石?」 「本当の名前は確か、ラズリット・ブロッドストーンって言って……魔力を肩代わりしてくれる、魔石みたいな石なんだけど……」 「魔石? それって……」 「さっき村雲くんが使っていたあの石ですか」 俺とモー子の言葉に、村雲さんはぎょっとして弟の方をにらむ。 「借りた、じゃないわよーっ!? 何勝手なことしてんの!?」 「返す返す! 返すから……」 村雲は慌てて懐から魔石を取り出して、姉に投げ渡した。 「乱暴に扱わないの!」 「もう! 心配してくれるんなら大事な魔石を勝手に持ち出すなんて事しないでよね!?」 「だって、それあったって結局体調崩したじゃねーか!!」 「スケープゴートとは、その石があっても間に合わないほど魔力を使うものなのか?」 「春霞は何週間か前くらいからガクンと調子落として、昼間は寝たきりみたいになってたんですよ!!」 「どう大丈夫なんだよ!?」 「常人ならば昏倒して記憶喪失になるような魔法陣に入るわけですから、私にも過酷なものであることは理解できます」 「…………………」 ぽつりと、そうモー子が言う。 命に関わるというわけじゃなさそうだがやっぱり村雲の言う通り、楽な役目とも思えないな。 出来るなら手を貸してやりたいとも思うけど……。 ……脳裏一面に炎が沸き上がった。 駄目だ……やっぱり…… 突然、扉が開いて小柄な人影が飛び込んできた。 「……学園長……」 「び、びっくりした……」 「なんだよ急に……」 唐突に湧いて出た学園長を前に、口論していた村雲姉弟も毒気を抜かれたようだった。 「え? な、なにをですか?」 「さ、捜し出した……って、え?」 「ぢー」 「いや俺じゃないってのに」 「それがなんと久我君ではなかったのだよ! びっくりだねー、はっはっは!」 「はっはっはじゃねええっ!? 今更何言ってんだアンタはぁっ!!」 「いやまったくだ。俺すげえとばっちりじゃないか」 「ぢぃ」 「ほら、ニノマエくんもこう言ってる」 「わかんねえよっ!?」 「それで、あの、新しいスケープゴート候補は誰なんですか?」 「壬生さんだ」 「え?」 「壬生鍔姫さん、君だよ!」 「えええええええっ!?」 「え……わ、私……?」 びし、と指さされた鍔姫ちゃんは唖然とし、その鍔姫ちゃんと学園長を交互に見ながら村雲さんがおろおろする。 「え? え? えええ?」 「いやあ素晴らしい才能が見事に開花したものだね!! 新しき魔女の誕生に祝福を! ははははははっ!」 「……魔女? 私が?」 「その通りだよ! 村雲さんは天性の魔女だったが、君はその才能を我が学園で開花させたのだ」 「おそらく魔術と近しい体験をしたことで魔女としての才能がぐんぐん伸びたのだよ!」 「……あの、人形の遺品か……」 確かにあれ以上近しい体験もなかろうというくらい近づいたな。 「確かにリトさんも、彼女の魔力は高いと言っていました」 「そういうことだ! そこでだよ、壬生さん!!」 「は、はい?」 「スケープゴートになってくれたまえ」 「学園長っ! そんな簡単に……」 「なに、だからと言って村雲さんはお役御免というわけではないよ! 一人ではやはり、少し心許ないからねえ」 「……では、二人で?」 「うむ、村雲さんを助け、君達二人でスケープゴートをやってくれないか?」 「もちろん大変な仕事になるから、学園側は代償を用意する。何か望みがあればいいたまえ」 「遠慮することはない、これは契約だし村雲さんもこの学園の遺品の力で家族の病気を治した」 病気――もしかして、それが……。 横目で村雲を見ると、その視線に気づいてにらみ返してきた。 言うな、と顔に書いてあった。 (なるほど、そういうことか……) あの胡散臭い学園案内も、一応嘘ではなかったってわけだ。 「どうだね、壬生さん?」 「………………」 問われた鍔姫ちゃんは、何故かじっと姉の方の村雲さんを見つめる。 「お引き受けします。ですが、特に望みはありません」 「ほう?」 「友達を助けるのは当たり前のことです」 そう言った鍔姫ちゃんの顔に、ふっと優しい笑みが浮かんだ。 「……そうだよね、スミちゃん」 「えっ!?」 「また会えるとは思わなかった」 「……ひめ、ちゃん……」 信じられない、という顔で鍔姫ちゃんを見返す村雲さん。 「すみちゃん? スミちゃんて……ええええ!?」 「あの、人形の?」 「ああ、そうだ。彼女は私の――友達のスミちゃんだ」 「ヒメちゃん……」 あの人形が……村雲さん? にわかには信じられない話だったが、二人の様子からしてどうやら事実らしい。 「え、あの、どういうこと? あのスミちゃんはやっぱり遺品じゃなくてえーと……」 「うん、私なの。私があの人形の中に入ってたの」 「中に入ってた?」 「憑依、ということですか」 「そうね、そんな感じ。それが私の魔女としての能力みたいなものなの」 なるほど……。 あの時、おまるがスミちゃんは本当の友達だから遺品の人形に従わなかったんだとか言ってたが。 (実は大当たりだったのか……) 「……でも、ヒメちゃん。いつ私だって気づいたの?」 「最初に顔を見たとき、すぐに。何故かわからないけど、スミちゃんだってすぐわかった」 「そっか……」 ふ、と吐息を付いて村雲さんも照れくさそうな笑顔を見せた。 「ごめんね、言い出せなくて。もちろんヒメちゃんのことはすぐにわかったけど、私には気づいてないと思ってたから……」 「ううん、それも何となくわかってたよ」 「……もしかして、君が体調を崩したのもあの時私を助けてくれたせいじゃないのか?」 「あ……」 そうか、スミちゃんはどうやったのか人形達の動きを止めたんだった。 「あれは、君の魔女の力だったんだろう? それで力をたくさん使ってしまって……」 「あ、あははー、まあね。人形を介してだったし、ちょっと数が多かったからねー」 「でも、気にしないでよ? 少し疲れがたまってたっていうのもあるし、今はこの通り元気だし!」 「うん、ありがとうスミちゃん」 そう言うと、鍔姫ちゃんは表情を引き締め学園長に宣言した。 「学園長、私はスミちゃんと一緒にスケープゴートのお仕事やらせていただきます」 「ヒメちゃん……!」 「やあ、そうかい! 大変ありがたいよ! 麗しき友情に感謝だね、ははははははははは!!」 「そうよ、ヒメちゃん、本当にいいの?」 「大丈夫だと思うよ。それに一人より二人の方が楽だろうし……」 「私はまた、スミちゃんと一緒にいられる方が嬉しいよ」 「そ、そんなの、私だって……!」 「だったら、一緒にやろう?」 「……うん、そうだね……。一緒なら……」 「ああ、二人で頑張ろう」 「うん!」 心底嬉しそうに、村雲さんは頷いた。 「よかったぁ……。もう会えないんだと思ってたのに……」 「だからなんでお前が泣きそうになってんだ」 「……………………」 ふとモー子の横顔を見ると、気のせいか少し戸惑ったような目をしている。 「よしよし、これでよし! いやあ、めでたいね!」 どうした、と声を掛けようとした所を学園長に遮られてしまった。 「え?」 「はい?」 「弟くんの方だよ! いやー、やらかしてくれたもんだ!」 「あ……」 「あっ! あの、しーちゃんは……」 「うん、そうだな、君は魔法陣に放り込んだ生徒を逐一助け出していたようだから」 「ほ、ほっといたら死ぬだろ」 「うむ、目的はあくまでスケープゴート探しであって、危害を加えるつもりはなかったようだ」 「それに被害者は昼の生徒だから、事の真相をそのまんま伝えるわけにもいかんと来てる」 「あ、そうか。魔法陣だのなんだの全部話すわけにはいかないか……」 「だがもちろん、村雲くんのやったこと自体は悪いことだから、無罪放免とは行かないし……」 「責任ある立場の風紀委員からは外れてもらうよ!」 「あ、ああ、もう辞めてるけど、それは……」 「そのようだね! と、言うわけで、そういう裁定で許してもらえないかな?」 「え?」 何故か学園長は俺たちの方を見ながら言った。 「ちょっ……ちょっと待て! オレは別に退学でも何でも……」 一番驚いたのは村雲本人だったようで、慌てふためいて学園長に詰め寄ろうとする。 「退学? なぜ?」 「なぜって、これだけの騒ぎ起こしたってのに……!」 「騒ぎも何も、生徒が数名、謎の体調不良を起こしただけなんだよ?」 「……は?」 「他のことは明かせないのに、どういう理由で君を退学にすればいいんだい?」 「ど、どう……いや、そりゃ、適当に素行不良とかなんとか、でっちあげりゃいーだろ!?」 「待たないか、村雲。それは責任を取ることにはならないぞ」 「そうよ、しーちゃん。辞めればいいってもんじゃないわよ」 「いや、あの、ま、待て! 二人して引っ張るな!」 姉と鍔姫ちゃんと二人がかりで村雲を引きずり戻す。 そして鍔姫ちゃんは俺たちの方へと真摯な目を向けてきた。 「どうだろう、学園長もこう言ってることだし、君たちにはさんざん迷惑を掛けたが……」 「私からもお願い! 馬鹿な弟ですけど、どうか許してやって下さい!!」 村雲さんも鍔姫ちゃんの横に並んでぺこぺこと頭を下げる。 「……私は特に異論はありませんが」 「う、うん、おれも」 「俺も特にないよ」 「そうか! ありがとう!」 「おいっ!?」 「ありがとうー!! わーい、みんないい人だー」 「て、てめーらなぁ……」 「てめーじゃないでしょ! しーちゃんはちゃんと謝りなさい!」 「そりゃわかってるけど、謝るだけですむ話じゃ……!」 ごめんなさい、だけじゃ居心地が悪いらしい。 とことんクソ真面目な奴だな。 「んじゃさ、ウチで働けば?」 「はぁ!?」 「謝るだけじゃ気が済まないんだろ? なら働いて返せよ」 「……………………」 言われたことが脳に届いてなさそうな顔で、村雲は俺をまじまじと見返す。 「働いてって、特査分室で?」 「風紀は外れるなら暇だろ?」 「いや、そりゃ……」 「じゃあウチで働けよ。パシリに使ってやるから」 「そうだな、村雲なら役に立つはずだ。私が保証しよう」 ぽん、と手を打って鍔姫ちゃんが明るく同意してくれた。 「いいじゃない、それ! ばんばんこき使ってやってくださいねっ!」 「承知しました」 賛成する村雲さんに、モー子も澄ました顔で同意する。 「鹿ケ谷まで何だよ!?」 「しっかり働くのよ、しーちゃん!」 「うん、頑張れ」 四方八方から退路を断たれた村雲は、ほとんどやけくそで承諾した。 「ぢー」 「いやまだ聞きたいことが……」 「ひとつお聞きしたいことが……」 ほとんど同時に喋り出してしまい、はっとモー子と目を合わせる。 「ん? なんだね二人して」 「あ……」 珍しくモー子は話を進めようとせず俺の様子をうかがってきた。 なんだ、殊勝だな。 「えーと、まあいいや。モー子聞けよ」 そう来られると、俺も無視出来ない。 多分似たようなことな気がするので、ここは譲っておこう。 「……では、お聞きします」 「うん?」 「この学園は一体なんのために夜の世界を出現させているのですか」 「人間を燃料にしてまで呼び出す、その必然性はなんなのですか?」 「…………………」 露骨にしまった、という顔をして学園長は明後日な方を向く。 そこには触れて欲しくなかったらしい。 「……学園長。俺の質問もいいっすか?」 「あー、なにかな?」 「モー子と同じです」 眉尻を思いっきり下げて、拗ねたような顔をする学園長。 首に巻かれたオコジョまで耳が垂れていた。 話、わかってるんだ……。 「こんだけ巻き込まれたんですから、教えてくれてもいいでしょ」 「ええ、私たちにも知る権利はあると思います」 「やれやれ……仕方ないねえ。秘密は守ってくれたまえよ?」 「お約束します」 「よろしい。それじゃ、ヤヌスの鍵を返してもらえるかな」 「あ、村雲先輩が」 「ああ、そうだった。はい」 そう言えば鍵かっぱらってここまで来たんだった……。 「では、案内しよう。この学園の秘密の、一番奥深くへ!」 芝居がかった口調で言うと、学園長はおもむろに空間に鍵を差し、回した。 学園長の開けた扉の奥は、薄暗くひたすらに長い下りの階段だった。 俺たちは学園長を先頭に、ぞろぞろとその階段を下りていく……。 しばらく階段を下りると、今度は長くて狭い通路に出た。 「どんだけ長いの……」 「奥の方よく見えないな」 「……………………」 モー子は物珍しげに周囲をながめている。 その少し前を村雲姉弟が歩く。 村雲さんの肩越しに鍔姫ちゃんが小声で話しかけた。 「スミちゃんはここも知っていたのか?」 「うん、スケープゴートになる契約をした時に教えて貰ったから」 他の皆より少し落ち着いていると思ったら、村雲姉弟は初見ではないらしい。 「さあ、見たまえ。ここだよ」 「ここ?」 学園長は立ち止まり、中途半端な所に開いた不思議な横穴を指さした。 奥の方は真っ暗闇で、何も見えない。 「なんです、この穴?」 「もうじきだ。少しここで待つよ」 「もうじき………」 呟いて、モー子は今歩いてきた通路を振り返る。 「久我君」 「はい?」 つられて見上げていると、いつの間にやらすぐ横に学園長が来ていた。 「入学案内に『あなたの叶えたい願いは何ですか?』と書いた小さな紙が入っていただろう?」 「もうわかっていると思うが、あれは我が学園が用意した特別な魔術だ」 「あれを手にとって考えたことが、魔力の象徴である青い鳥に運ばれて、この学園まで届くようになっている」 「……………………」 「もし、君が本当は魔女で、その力を隠しているというのなら―――」 「今からでも遅くない、契約すればその兄上の病気も治してあげられるかもしれないよ」 「……………………」 (参ったな………そんな事まで伝わってんのか) 学園長はいつになく真剣な顔つきになり、俺を見上げる。 近くにいるモー子とおまるの心配そうな気配が伝わってくる。 「もう一度確認するが、本当に君には魔力はないのか? 青い鳥は見ていないのか?」 ――……えてる……燃えてる……。 何もかもを、炎が飲み込んでいっている。 踊るような緋色が、全てを―― 思い出も、好きな場所も、それから。 ――うそ……こんな…… ――こんなの…… 目の前で、軋んで、崩れ落ちていくのは。 ――……お、とうさん……お母さん…… 舐めるような、からかうような動きで、焼かれてる。 もう二度と触れることも、触れられることもできない。 絶望が、全てを飲み込んでいる。 ――やだ……どうして……やだ…… どうして? どうしてそんなことを問いかけるの? わかりきってるでしょう? わかっているだろう? これは全部、誰のせい? わかっているでしょう? ――うそ……こんな…… ――こんなの…… 許されない罪が、全てを燃やしていく。 全部、全部全部全部全部……! ぜんぶぜんぶなにもかもみんな、ぜんぶぜんぶ 全部、永遠に、手の届かないものに、なっていく―― ――……みちるー……! ――……おにいちゃん…… ――お兄ちゃん……逃げて…! 許してください。 そう、言っていたのかもしれない。 かざされた手の先で、あれほどまでに傍若無人だった炎達が勢いを弱めた。 ――なにが……一体何があった……!? ――ぼくの、せいだ……ぼくが…… ――燃えちゃった、みんな…… ――逃げて……お兄ちゃんだけでも…… ――せめて、お兄ちゃんだけでも……! 叫んだ声と同時に、退いていた炎は更に怖じ気づいたかのようにざっと道を空ける。 ――満琉! ――そんな力もう使わなくていい! ――お…おにいちゃ…ん…… 許してください。 それは、誰にも届かないかもしれない。 誰にも許されない罪なのかもしれない。 未来永劫ずっと、大事なものを、失っていく――罪。 それは、この力の、代償。 ――大丈夫だ、俺がついてる…… ――助けてやる……だから…… ――もう、そんな力、使うな…… そんな力――…… 「……何度も言うけど俺にはそんな力はないよ」 「ふーむ、そうか……」 さほど落胆した様子もなく、学園長は頷いた。 「確かに次のスケープゴート候補を探し出すために、もう一度探知魔術を使ったが、それに反応はなかったねえ」 「あの変な液体のことか?」 初めて学園長室に呼ばれたとき、手のひらに垂らされた液体。 「ぢぃ?」 「Ano、そうだねニノマエ君。それなら、久我君は特査分室の仕事ももうやらなくていいが、どうする?」 「そっちはしばらく続ける」 天空から降りそそぐように、時計塔の鐘の音が響いてきた。 「夜が……」 「――さあ、こっちだ」 何やら学園長がごそごそやっていたと思ったら、横穴の先に通路が現れていた。 「着いてきたまえ」 すたすたと先に行く学園長を慌てて追いかける。 「ここは時計塔の鐘が鳴っている間だけ開くのだよ」 「そして、この先は昼と夜の世界の境目だ」 「これは………」 いつの間にやら開けた場所に出ていた。 天然の空洞のようにも見えるその場所は、全体的に薄ぼんやりとした光に満ちている。 「この石……さっき村雲先輩が持ってた……?」 光の正体は、空洞の中一面に敷き詰められたように転がっている石だった。 小石程度の物から、俺の顔くらいあるようなでかい物まで大小様々な光る石が淡い輝きを放っているのだ。 「石には触れないように。それはラズリット・ブロッドストーン、純度の魔力の塊だからね」 「つまり、魔石? 村雲が持ってたのと同じやつ?」 「そうとも! これが外に持ち出され悪用されたら大変なことになってしまう」 「だから時計塔の魔術で夜の世界を召喚し、昼でも夜でもない境目に隠して守っているのだよ」 「つまり実質的に必要なのは夜の世界そのものではなく、この境目だという事ですか」 「さすがは鹿ケ谷さんだ! 理解が早くて助かるね!」 「あの、大がかりな魔術が、全部……?」 「これを、守るためなのか」 俺たちは、感嘆のため息と共に境目の空間を埋め尽くす魔力の石を見渡した。 「大きさにもよるが、小さいものでも平均して人間百人分ほどの潜在能力がある」 「一個で!?」 「じゃあ一個持ち出したら強力な遺品を誰でも動かせるようになるわけか」 「確かに村雲も、何個も同時に遺品を使っていたな」 「なるほどね。それが盗まれでもしたら……」 大惨事どころじゃないな。 村雲ひとりでこの騒ぎだったんだから。 「それだけではない。ラズリット・ブロッドストーンは、学園の対遺品結界の要だ」 「この魔力の塊を生成、何重にも配置して、我が学園はラズリットの遺品や魔術を守っているのだよ」 「事の重大さを理解してもらえたかね?」 「……大事ですね。よくわかりました」 深く吐息をついて、鍔姫ちゃんは村雲さんへと向き直る。 「一緒に頑張ろう、スミちゃん。どうすればいいか、教えてくれないか?」 「うん!」 地下から戻り、村雲さんと鍔姫ちゃんはさっそく魔法陣に魔力を注ぐ作業に取りかかった。 「こうかな……」 魔法陣の中に蝋燭のような物がたくさん現れ、二人はそれに両手をかざして回る。 「そうそう、もう少し手のひらに心を集中してみて」 ぽう、と鍔姫ちゃんが手をかざした蝋燭のような物が光を放つ。 「うん、だいたいわかった」 「ヒメちゃん上手だよ」 「そうかな? それはよかった」 二人は微笑みあいながら、ひとつ、またひとつと魔力の灯りをともして回った。 「やっぱり二人だと早いなー」 「これからはずっとだ。こうして二人で……」 「……うん。嬉しいな、もうこんな風に話せることないと思ってた」 「私も、もうスミちゃんには会えないと思ってたから……また会えて、本当に嬉しい」 「……聞こえてたよ」 「え?」 「私が消えるとき、ヒメちゃんが最後に言ってくれたこと」 「ちゃんと、聞こえてた。嬉しくて……覚悟したはずなのに、また会いたくてしょうがなかった」 「…………私も……実は、今でも人形のスミちゃんによく話しかけてしまって……」 「ふふっ、いっぱい話そうね。これからは、ずっと」 「うん、話したいことがたくさんあるんだ。あれからね……」 人形だった頃のスミちゃんと別れた後のことを話し始める鍔姫ちゃん。 それを嬉しそうに聞く村雲さん。 楽しそうに喋りながら灯りをともす二人を見ていると…… 「入っただけでぶっ倒れるほど恐ろしい魔法陣とは思えないな」 「試しに入ってみろ。確実にぶっ倒れて記憶が吹っ飛ぶから」 「……あの二人の魔力って相当なんだな……」 「ああ、壬生さんがあれほどの魔力の持ち主とは……」 今考えれば、その片鱗は時折見せてはいたんだよな。 やたらと鋭いのも、もしかしたらその能力の一部なのかもしれない。 「わーい、終わったー」 「意外と早かったな。それにそこまで疲れてないが」 「やっぱり二人だと負担が全然違うよ!」 「よしよし、大変結構だ! これで我が学園の護りは安泰だね、はっはっはっはっは!」 「それでは諸君? そろそろ帰還しようか」 「はーい」 「ああ、喜んで!」 「寝ろよっ!? たった今、魔力大量に使いまくったとこだろーが!!」 「今日は平気だもーん」 「あ、そうだった! じゃあねー、しーちゃん」 「それじゃあ、また明日」 「ええ……失礼します」 「さよならー」 「お疲れさーん」 「まったく……」 「愚痴るんじゃねえ。誰が起こした騒ぎだこれは」 「わ、わかってるっての!」 「明日からちゃんと働きに来いよ?」 「はっはっはっはっは! では、いざ戻らん。夜の学園へ――」 「あーっ、疲れたー!」 「ふあ、眠い……」 妙に久々に戻って来たような気分だ。 そういう気持ちになるって事は、この部屋にも慣れたってことなんだろう。 俺たちと別れ、村雲は一人で先に寮に戻って行った。 まだ少し後ろめたいところがあったのかもしれない。 「大変だったけど、丸く収まってよかったね」 「まあな……」 「壬生先輩もスミちゃんに会えて嬉しそうだったし!」 こいつはそれが一番嬉しいらしい。 蹴り飛ばされたりして、けっこうなダメージを負ってるはずなのに満面の笑顔だ。 (……問題はあっちか) ちらりと横顔を盗み見る。 「…………………」 モー子は学園長たちと別れた後、ここまで一言も口をきいていない。 今も俺たちとは少し離れたところで何やら考え込むような様子で無言である。 (まあ、あれだけ盛大に啖呵切って喧嘩別れしたわけだしな……) 正直俺も、なんと言って話しかけて良いやら思いつかない。 だからと言って、このまま放置しておくわけにもいかないだろう。 なんせ、あの場の勢いとは言え、村雲を特査に引き込んだんだから……。 (ぎくしゃくした変な空気のままだったら、何を言われるやら) 間違いなく、容赦なく突っ込んでくるだろうし、くだらない喧嘩をしたまんまなんてバレたら……うん、想像したくない。 「…………みっちー?」 「あー、うん、わかってる」 多分、俺が何を考えているか大体察しているのだろう。 おまるは上目遣いに物言いたげな視線を向けて来る。 (くそ、なんて言うかな……) 「……えーと、モー子……」 「久我くん、こちらへ」 俺が声を掛けようとした途端、モー子の方も不意に口を開いた。 「な、なんだ?」 「手の甲のガーゼがずれています」 「へ? あ、ああ、本当だ」 モー子は無表情に棚から救急箱を取り出して机に置いた。 そして、てきぱきと中から換えのガーゼや包帯を取り出す。 「何してるんですか。早くこちらへ」 「直してくれんの?」 「……早くこちらへ」 肯定と受け取って良さそうだ。 何故かわくわくした顔のおまるをちょっと横目ににらんで、モー子の横に腰を降ろす。 「…………………」 「…………………」 「手を出してくれないと、何も出来ませんが」 「あ、そうか」 出来るだけさり気ない風を装って、ガーゼの貼られた方の手をモー子の前に差し出した。 そっとモー子の表情をうかがってみたが、例によってのポーカーフェイスで感情は読み取れない。 (どう反応して良いんだか……) 「はがしますよ?」 「いってぇ!? もうちょっと丁寧にはがせよ!」 手の皮まで持ってかれるかと思った。 遠慮なく盛大に行きやがって……。 「これくらい我慢して下さい」 「へいへい……」 「消毒薬をもう一度つけておきます」 ピンセットで綿を摘み、消毒薬を浸すと擦りむいた傷口にぽんぽんと当てていく。 「ちょ、ちょっとしみるんだが」 「我慢して下さい」 「…………………」 まあ、そう言われるだろうと思った。 けど黙ってるとまた、気まずい沈黙が延々と続きそうで何かしら喋ることを探してしまう。 (……喧嘩のことにはあえて触れないってのもなぁ……) そうすれば、表面上だけは今まで通りになるかもしれない。 だがあの時走った亀裂は消えないだろうし、それどころか見ないふりをしている間に大きくなるだけに違いない。 「…………………」 新しいガーゼをあてがいながら、モー子は何事か呟いた。 「…………ですか」 「ん? なんて?」 さっきまでの淡々とした口調とは明らかに違う響きだった。 ぼんやりと治療される自分の手を見ていた視線を上げると、モー子は見たことのない顔をしていた。 咎めるような、拗ねたような……いろんな感情が複雑に入り交じった、自分でもよくわからないといった表情。 「なぜ……来たんですか」 「……来た?」 「なぜですか」 「……………………」 ぶつけられた視線を受け止めているうちに、入り交じる感情の中にもうひとつ別の色を見つけた。 それは、さっきから俺がさんざん逡巡しながら抱えていたのとまったく同じもののような気がした……。 「えーと、さっきの事か?」 「調査は終了したと、伝えたはずですし……」 「なにより、私のことを気にかける理由など、きみたちにはありませんでした」 「気にかけてない! 犯人捜してたら、たまたまお前がいただけ!」 「…………………」 「し、してねえよ! 心配何かしてない!」 「嘘だよ? 憂緒さん嘘だからね?」 「……………」 「………?」 いきなり黙り込んだ俺を、モー子が少し不思議そうな目で見る。 『放っておけるわけない』とか、言えるか、そんなこと。 「犯人捜してたら、たまたまお前がいただけだよ」 「…………………」 一瞬、周囲の気温が恐ろしい勢いで下がったのを感じた。 「みっちー! すっごい心配してたくせに!」 「え……」 おまるが叫んだ途端、凍り付きかけていた空気がふわりと溶ける。 「し、してねえよ!」 「憂緒さんがさらわれたかもって聞いて、壁ぶん殴るくらい焦ってたじゃん」 「…………………」 「あ、あれは別に心配とかそういうのじゃなくてだな」 「じゃあなんだよ?」 「なんかわかんねえけど腹立ったんだよ!!」 「だからわかんねえって言ってるだろ!?」 「あーもー、素直じゃないなあ!」 「素直に言ってるだろ! わかんねえって!!」 なんかもう自分でも何を言ってるのかよくわからん。 混乱していると、モー子がため息混じりに言った。 「……そうですか」 「……それならそれで、もう少しよく考えてしっかりと対策してから来て下さい」 「え?」 おまるからモー子の方へ視線を戻すと、モー子はいつの間にやら普段通りの調子に戻っていた。 「結果的に無事だったとはいえ来るなりピンチを招きすぎです」 「だってお前、そんなチンタラしてられる状況じゃなかっただろ」 「最悪、私の記憶が飛ぶだけで、命に関わるような事態ではなかったでしょう」 「そうかもしれないけどな、だからってのんびりしてる余裕は……」 「心配だったもんね」 「そう……じゃねえっ!! 混ぜっ返すな、おまる!!」 うっかり頷くとこだったじゃないか。 そうだ、別に、モー子の記憶が三日分飛ぶくらいそこまで心配する事じゃないし。 「あのな、俺は……」 「駆けつけていただいたこと自体にはお礼を言いますが――」 モー子は少し早口に、俺の言うことを遮った。 「分室の一員として、もう少し慎重な行動をとってもらわないと困ります」 「人のこと言えるのか!?」 「……え?」 「お前こそあれだけ一人でやろうとすんなって言ったのに……」 「その点に関しては反省しています。村雲くんに連れ去られたのは私の注意力不足でした」 「いやそこじゃなくてだな!」 「待って! 待って待って!」 「な、なんだよ?」 反論しようとした俺の肩をつかみ、おまるが身を乗り出してくる。 「それって、おれたちのこと仲間だって認めてくれたってこと?」 「………………へ?」 「今、憂緒さん〈分〉《・》〈室〉《・》〈の〉《・》〈一〉《・》〈員〉《・》って言ったよね!?」 「…………………」 そう言えば……。 言ったような気がする。 「ね!? 言ったよね?」 すがるように詰め寄るおまるの目から逃れるようにモー子は横を向いた。 「……きみたちの好きに解釈してもらっていいです」 「………………………」 極めて冷静に言ったつもりだろうが、照れくささが声に滲み出ている。 「……なんだよ……」 「何がですか」 「先に言われたら俺が格好悪いじゃねえか」 「そ、そこまで知りません」 「しょーがねえなあ。……俺も、キレて悪かった」 「別に……気にしていません」 「じゃあこれで手打ちだな」 「仲直りだね! よかったー!」 「……………………」 はしゃいで手を叩くおまるを横目で見て、モー子は微かに安堵したように目を伏せた。 「これでやっとチームだね! これからは本当にチームだよね!」 「まあ、一員って言われたしなあ」 「……解釈はきみたちに任せますと言っただけですから」 「わかったわかった、好きに解釈させてもらうさ」 「……………………」 反射的に何か言いかけたモー子だったが、結局、その言葉は飲み込んだようだ。 代わりに口にしたのは…… 「どうぞ、ご自由に」 ……もう、拒絶する気はないという意思だった。 「そっかー、よかったあ! よかったね、みっちー」 「……お前って無邪気だよなあ」 モー子は天真爛漫に喜んでいるおまるから目を逸らし、やけにおぼつかない手つきで包帯をぐるぐると巻いてガーゼを止めようとした。 「…………………」 「ちょ、モー子荒い! テープずれてる!」 「あ……」 歪んでしまった布テープをはがしなおして、真剣な目つきで貼り直すモー子。 「頼むよ……。スミちゃんは丁寧だったのになあ……お前本当に頭脳労働しかしねーのな……」 不安になってきて思わずそう呟くと、モー子はきっと俺をにらみつけ―― 「不器用ですみませんでした!」 力一杯叩きつけるように布テープを貼られた。 いや、これ貼るって言わないだろ。 「おまっ……お前なぁ! 怪我人だぞ、俺!?」 「かすり傷でしょう」 「もうちょっと労れよ!?」 「労って欲しいならもう少し殊勝な態度でいて下さい」 「その台詞、そっくりそのまま返すぜ」 「返品は受け付けておりません」 「うるせえ! 着払いで送ってやる!!」 「受け取りを拒否します!」 結局言い争う俺たちを、おまるはしかし止めに入ろうともせずにこにこと見ている。 「お前、何笑ってんだよ!? いじめられてるぞ俺!?」 「いじめてません! きみの態度が悪いことを指摘しただけです!」 「俺が悪いのか!? なあ、おまる!」 「どう考えても久我くんが悪いでしょう、烏丸くん!」 「うんうん、よかったねー」 「なにが!?」 「二人とも、仲良くなったよね!」 「………あら」 「お邪魔します、リトさん」 「また事件なの? さっき戻って来たばかりなのに」 「いえ……。私が、個人的にお聞きしたい事があるだけです」 小さく肩をすくめて、モー子は背後についてきている俺たちをちらりと見る。 「護衛が必要な話ではないと言ったのですが……」 「うん、言った言った」 モー子のこめかみがぴくりと引きつった。 が、相手にしないことにしたらしく無視して話を進める。 「ヤヌスの鍵の発動条件について、お聞きしたいのですが」 「どんなことかしら?」 小首を傾げたリトに、モー子は少し改まった口調で問いかけた。 「以前、あれを分室の扉で試しに使ってみた時のことです」 「友人の居る場所へ、と思いながら使ったのですが、つながったのはそのまま特査分室で……」 「その場にいた三人は誰も捜している人物ではありませんでした」 「どういう結果だと考えられますか?」 「…………………」 リトはくるりと視線を天へ向け思案顔になる。 まるでそこに、彼女にしか見えない本が開いているとでもいう感じだ。 「その場に捜している人物が居る、という以外に鍵が反応することはないの」 「どこにもつながらず、そのまま扉が開いただけではないかしら。つまり、無効だったということ」 その説明を聞いたモー子の手が、きゅっと握りしめられたのが見えた。 (……友人……あの喧嘩の時言ってた『彼女』ってやつか?) 白マント――村雲さんが消えたとき口にした『むつき』ってのがもしかしてそうなのか。 (そいつを、ヤヌスの鍵で捜した? でも、いなかったってことは……) 不意に、嫌な予感が背筋を駆け上がるのを感じた。 「……無効になる条件は?」 「学園内にいない場合は、外につながる門に出るから、これは違うわね」 「となると……あの鍵でもつながらない特別な何かで守られた場所にいる場合。それから………」 「……………………」 「対象が、もう生きていない場合」 「えっ……」 おまるが小さく声を上げ、慌てて口を押さえる。 やっぱり、そういうことなのか……。 「死者には反応しない、ということですね」 動揺する俺たちよりも、当のモー子は冷静に質問を続けていた。 「ええ、死体には反応しないわ。ヤヌスの鍵が反応する『人』とは別のものと見なされるの」 「……そうですか」 納得したようにモー子は頷いた。 ある程度、そういう答えが返ってくることを予想していたようだった。 「わかりました。ありがとうございます」 「いいえ、どういたしまして」 リトに礼を言い、モー子は俺たちの方へときびすを返した。 「戻りましょう」 そう言って、俺とおまるの間をするりと抜けてモー子は書架の間を歩いて行く。 俺たちも慌てて後を追う。 部屋に戻って来るなり、モー子が言った。 少し困ったような口調だった。 「え?」 「かえって不気味です」 腫れ物のように扱ってくれるなと言いたいらしい。 ……少し、ほっとした。 「そんな口叩けるなら大丈夫だな」 「ええ、覚悟はしていました」 モー子ほどの頭の良さなら、鍵を使ってみても反応しなかった理由はあれこれ推察することが出来ただろう。 最悪の可能性に、とっくに気がついていたんだな。 モー子は俺の問いにわずかに迷ったようだが、結局は口を開いた。 「……そうです」 「その子が、お前の相棒なのか?」 「……はい」 「その睦月さんに、何かがあったってこと……?」 「わかりません。この学園に入学してしばらく経った頃……突然消えてしまったんです」 「私は彼女を捜すために、ここに編入してきました」 「突然消えた、って……騒ぎにならなかったのか?」 「もちろん、騒ぎにはなりました。けれど手がかりはまったく掴めずに……今も、消えた日の足取りさえわからないままです」 「憂緒さん……」 「この学園に隠された何かしらの魔術に、睦月は飲み込まれてしまったのかも、しれない」 「………」 どこか諦めるような、自分を無理やり納得させるかのような言葉だった。 「……私は大丈夫ですから、ご心配なく」 「待て待て、諦めんなよ! ついさっき夕方しか行けない変な場所があっただろ」 「魔石のあった部屋のことですか? ですが、あの場に人は誰も……」 「ああいうのが、一つや二つだけとは限らないだろ?」 「そ、そうだよ! この学園のことだから、他にもあんな場所があるんじゃない!?」 「他にも……?」 「あの学園長のことだからな。いくつ隠してても不思議はないぞ」 「…………………」 「鍵が反応しない場所にいる可能性だってまだまだあるだろ」 「うん、あるよ! きっとあるよ!」 「……………………」 何かをこらえていたモー子の瞳の奥に、小さな光が宿る。 そう言ってモー子は、いつもより少し柔らかな表情を浮かべた。 「諦めません。必ず……必ず捜し出して見せます」 「俺たちも一緒に捜してやるよ。チームだからな」 「うん!」 (あ………) ……笑い声、初めて聞いた。 ――あれから数日。 これといった事件もなく、久々に平穏な日常が続いていた。 鍔姫ちゃんはあの魔法陣へと魔力を送る作業のせいで、放課後の見回りからは抜けることになった。 結局、忙しい鍔姫ちゃんの代わりに村雲が残りの風紀委員へ申し送りをしているらしい。 特査に来られるようになるのは、もう少し先になるそうだ。 白い幽霊は校内から姿を消し、不穏な噂もようやく落ち着いてきている。 モー子はしばらくヤヌスの鍵の効果の及ばない場所について調べていたようだが、今はそれとはまったく別の作業をしていた。 「本当に大丈夫なの?」 「本の通りに描きましたから」 モー子は突然、何やら魔術書を持ち出して実験すると言い出したのだ。 曰く『魔力の少ない自分たちでも工夫次第で遺品を使えるようになるのかどうか、実験してみたい』とのことだ。 リトに借りた巨大な魔術書を抱え、分室の床にチョークのようなもので英語ではなさそうな見たことのない文字や記号を書き込んでいる。 「けど、魔力足りなかったらぶっ倒れるんだろ?」 「今描いているのが、それを防止するための魔法陣ですよ」 モー子が部屋の床に描いているのは、時計塔の中の空間のそれに少し似たデザインの魔法陣だった。 「周囲の自然物などから魔力を集積して高めるもので、この中でなら潜在魔力が低くても遺品が使えるはずです」 「ちょっとだけにしてね? 倒れて起きないとかやめてよ?」 「ちゃんとリトさんに、大丈夫なレベルの物を確かめてきましたから」 「うーん、まあリトさんが言うなら……」 「ええ、ご安心を。これでいいはずです」 「ど、どう?」 「……変わった感覚は特にないですね」 自分の手のひらを見たり、ひらひらと手を振って見たりしながら確かめるように言う。 「この規模の魔法陣では体感するほど魔力が高まるわけではないのかもしれません」 「で? 遺品は?」 モー子は机の上に置いた鞄の中から、札がつけられたままの木箱を取り出した。 コルウス・アルブス。 強制的に質問に答えさせられる遺品だ。 あれ、まだ図書館に持って行ってなかったのか………。 「これぇ!? 最初に発動しちゃった人一発で倒れてたじゃん!」 「よりにもよって……。暴走させんなよ、頼むから」 はっきり言って、今まで暴走した遺品の中で一番嫌な暴れ方だったからな、これ。 「万が一の場合にも備えます。性別は何か、などという簡単な質問にしておけばいいでしょう」 「それが賢明だな」 「では久我くん、協力して下さいね」 あっさり言い切られ、予期していなかった俺は自分を指さして唖然とする。 「きみはもう、羽根が刺さっているでしょう」 「……あ。そう言えば、あれ刺さったままか……」 すっかり忘れてた。 村雲の奴に刺されたままだったんだ。 「リトさんの話でもそうでした。ですから、質問に答えるのは既に刺さっている久我くんにお願いしたいのです」 「なるほどね……」 「もちろん、誰にでも答えられるような簡単な質問一つだけにしておきますから」 「ん、わかった。いーよ」 下手に駄々こねて、羽根刺すところからやろうとしてぶっ倒れられても困る。 まあ、簡単な質問だって断言されているし、実験でなら大したことないだろう。 俺の返事を聞いて、モー子は慎重に小箱から封印の札をはがしていく。 「き、気をつけてね」 「ええ、行きますよ」 モー子の手の中で、木箱が開いた。 白くふわふわした羽根がふくらむように少し宙に舞う。 「……大丈夫のようですね」 淡く光を放つ魔法陣の中で、モー子も特に苦しそうな様子は見られない。 暴走は免れたようだ。 「あ、みっちーの羽根も見えてる」 「へえ? 刺さってる感触は全然ないなあ」 視線を下に向けると、少しくすんだ灰色の羽根の先だけがちらちら動いて見えた。 「では質問します。久我くん」 「ん?」 呼びかけられ、モー子の方を見る。 モー子は、確信に満ちた声できっぱりと言った。 「――あなたの名前は?」 ――――瞬間、思考が凍りついた。 「? どしたのみっちー?」 やられた……。 青くなった俺を見て、モー子は獲物を捕らえたかのような微笑を浮かべた。 「どうしました? 誰にでも答えられるような、簡単な質問ですよ」 (い、いや、俺は……っ!?) 慌てて反論しようとしたが、口は動くが声がまったく出ていない。 「み、みっちー? なに口パクしてんの?」 「リトさんの話では、質問に嘘で答えようとすると声が出せないそうです」 「え? 嘘って、なんで!?」 「簡単なことですよ、烏丸くん。この質問に答えられないということは……」 「彼の名前は、『〈久〉《・》〈我〉《・》〈満〉《・》〈琉〉《・》』〈で〉《・》〈は〉《・》〈な〉《・》〈い〉《・》。そうですよね?」 「へ!? な、何言ってんの憂緒さん?」 混乱するおまるに向かって、モー子は悠然と語りかける。 「思い出してみて下さい。村雲くんの使った遺品を破ったとき、彼は言ったでしょう?」 「『俺は久我満琉じゃあない』と」 「え、あ……うん……」 「なぜ遺品が突然効かなくなったのか、その一番簡単な理由は、彼が本当に『久我満琉ではない』からです」 「………………!!」 違う、と言おうとしたがやっぱり声が出ない……。 これ、遺品のせいなのか。 俺は諦めて口を閉じた。 前に村雲に質問されたときと違って、口が勝手に開くようなことはなかった。 もしかしたら、扱う人間の魔力の差なのかもしれない。 しかし、このままだんまりってわけにもいかねーよな……。 「そうなの!? みっちーって、本当にみっちーじゃないの!?」 「……………………」 「久我くん?」 どうしたもんかと答えに窮していると、モー子は妙に優しげに言ってきた。 「きみは人には信用しろ、相談しろというくせに……自分のことは何も言わないのですか?」 「チームを組んで協力する以上、最低限のことは話してもらえないと困りますよ?」 見たこと無いくらいにっこりと微笑むモー子。 ドSだ、こいつ……。 「〈あ〉《・》〈な〉《・》〈た〉《・》〈の〉《・》〈名〉《・》〈前〉《・》は?」 数秒考えて、覚悟を決める。 しょうがない、チームを組んでとまで言われちゃな……。 「みつ……よし?」 「そうですか。ご協力ありがとうございます」 「じゃあぶっ倒れる前に早く蓋閉じろ」 「そうさせてもらいます」 モー子は素直に木箱を閉じた。 もしかしてけっこう危ない橋渡りやがったのか。 「え、えっと……ごめん、おれよく状況が飲み込めてないんだけど」 「では、解説します。久我くん、私の推理を聞いていただけますか?」 「はいはい、どうぞ」 半ばやけになりながら、俺は返事する。 こういう風に言うってことは、もう誤魔化そうにも、ほとんどの事を推理されきってる感じだ……。 「きみは自分を『久我満琉ではない』と言い、さらに久我満琉に送られた青い鳥の手紙も『見ていない』と言いました」 「久我満琉ではないのなら、青い鳥を見ていないのも当然のことですよね」 「ああ、俺は見てない。満琉から聞いただけだ」 だから村雲の問いにも俺は嘘は言っていない。 村雲は俺が得体の知れない魔術か何かを使ったとでも勘違いしたようだが。 「ではきみは何者なのか? それを考える手がかりは、きみの部屋に行った時のこと……」 「……」 あくまで推理を披露する手順を踏みたいらしい。 結論はおそらくわかっているはずなのに、モー子はわざとそうしているかのように、ゆっくりと丁寧に説明していく。 「烏丸くん、覚えていますか? 冷蔵庫に入っていたもののことを」 「ああ、うん。変わったもの好きなんだなーって思ってたから。アルコールの入ってないビールだよね?」 「彼は〈そ〉《・》〈う〉《・》〈だ〉《・》とは一言も言っていませんよ。法を犯していない、と言ったのです」 「そんなことよくいちいち覚えてるなお前……」 「あれがもし本物のビールなのだとしたら……つまりきみは、飲酒をしてもいい年齢に達しているということになる」 「私達よりも年上の人物であり、さらに同じ久我という苗字から、久我満琉の関係者であることは確実……」 「つまりきみは――久我三厳は――久我満琉の兄では?」 「ああ、そうだよ」 誤魔化しようはなさそうだが、かといって素直にそうですと言うのも照れくさいので、少々ふてくされて言ってみる。 「え、ええぇおれじゃあすごいタメ口……」 「ご本人が気にしていないようですから構わないでしょう」 「おう、気にしてない気にしてない」 「う、うん、でも……お兄さん……が、なんで代わりに来てんの?」 「…………」 疑問に思って当然の問いかけに、少しだけ逡巡する。 どういう風に答えていいものか……。 「これは私の推測ですが」 すると、モー子が横から口を挟んだ。 「それは、本物の『久我満琉』が、この学園で言うところの魔女であるから……ではないですか。しかも、かなり強力な」 「きみは久我満琉が魔女であることを知っていた。しかし、他人にはそれを知られたくなかった」 「だから、魔力のない自分が久我満琉のふりをすることによって、本物の久我満琉を守った――」 「一見過保護とも思えるような行動ですが、根底に魔女を隠蔽する目的があるのなら、納得はいきます」 「………なんか胡散臭かったから、って理由じゃ駄目か?」 「突然入学案内が来て、開けたら鳥が飛んでったとか言われたら、普通の親兄弟だったら止めるだろそんなもん」 「ならばそんな入学案内など無視をすればいい。無視が出来なかったのは、そこに何らかの力の存在を感じたからでしょう?」 「学園がわかっていて久我満琉にあの入学案内を出したのでは、と考えるとそのまま放置してはおけなかった。違いますか?」 「………はぁ」 思わず口からため息がこぼれ落ちる。 モー子はそれを肯定と取ったらしく、またにっこりと微笑んだ。 「来てみていかがでしたか?」 「予想の斜め上だった」 「でしょうね」 「……え、待って」 「ん?」 「みっちーが、本物の久我満琉のお兄さんなんだよね!?」 「ああ、それがどうした?」 急に青ざめながら、おまるが俺に詰め寄りまくしたてる。 「あの、確か学園長が、お兄さん難しい病気だって言ってなかった!?」 「あ」 覚えてたか。 ちらっとモー子の方を見てみると、当然それも聞くつもりでしたが何か、と顔に書いてあった。 「ええ、言われてましたね。お兄さんとはきみのことでしょう?」 「あ、あー……まあな」 「まあなって、大丈夫なの!?」 「大丈夫だ。見ての通り、普通に暮らしてる分には支障はねえよ。ちょっと飯が大変なくらいかな」 「……もしや、きみの力が異常に強いのは病気のせいですか」 「お前本当に鋭いな……」 かなり珍しい症状だってのに、モー子の博識と察しの良さには恐れ入る。 「えっ、どういうこと?」 「放っといても全身の筋肉が発達しちまうって病気でな。代謝消費で高カロリーの飯食わないと体がもたねえんだよ」 「放っといても、って鍛えなくても勝手に?」 「そういうこと。まあそんな慌てるほど深刻でもないだろ?」 「だ、だけ? だけなの本当に? 大丈夫なの?」 「全身ということは体内もですね。……心臓などの」 「…………」 「心臓の筋肉が肥大すれば、命に関わります」 「へ……?」 「お前なあ、さっきから心配でおろおろしてる奴の前でそんなこと言うなよ……」 「チームを組んで協力する以上、大切なことは話してくれないと困ると言ったはずです!」 突然、モー子はいつかの時のように、声を荒げて叫んだ。 真っ直ぐに俺を見て、目を逸らさない。 嘘や誤魔化しは許さない、という表情だった。 「お、怒るなよ……」 「怒りますよ! なんですかきみは! 自分のことは棚にあげてよく信用しろなどと言えたものです!」 「わかった、わかったから……」 「心臓は定期健診を受けてるから、大丈夫だ。少なくとも今は正常だし、すぐにどうこうなるもんじゃない」 「本当に…?」 「心配すんなってば。どうみても健康体だろ、俺は」 「う、うん……」 「……あれだけ暴れても大丈夫なようでしたから、一応信じましょう」 「そ、そうだね。うん」 不安で真っ青になっていたおまるも、ようやく落ち着いてくれたようだ。 「他はないですか? 何か私たちに伝えておくべきことは?」 「……黙っていて悪かったよ。もうない。何もない」 「わかってくだされば結構です」 「けど、お前らこれはここだけの話にしてくれよ」 「へ? 病気のこと?」 「全部だよ。俺が偽者だってバレたらさすがにヤバイだろ」 「そうですね。身分を偽造していたとあっては退学で済むかどうか……」 「ええぇ!?」 「いやそれより、代わりに本物の満琉を通わせろとか言われたら困る」 「…………………」 「そ、そっちなんだ」 「当たり前だろ。そうならないようにわざわざ俺が来たんだから」 「睦月のことも、学園側には何も言っていませんし、きみとは同じような立場です」 「でも?」 「みっちーは、みっちーでいいよね? みつよし、だったらアリだよね」 「どこ気にしてんだ、お前は。いいよ、そのままで」 「おかしすぎるわっ!?」 「なら、改めてよろしくお願いします。みっちーくん」 「……おう、よろしくな憂緒ちゃん」 「……………………」 「……………………」 「よろしくお願いします、久我くん」 「よろしく、モー子」 「鳥肌が立ったからです」 「お前が仕掛けて来たんだからな!?」 あんな恐ろしいほどの違和感に襲われるとは思わなかった……。 知らない間に、お互いの性格にそこそこ慣れていたということでもあるのかな。 「えー? みっちーくんも憂緒ちゃんも可愛かったのにー」 「言うなああっ!?」 「やめて下さいお願いします」 「じゃあよろしくな、おまる」 「うん! よろしく! おまるのままでよろしく!!」 俺が言うのも何だが、おまる、も大概ひどいと思うんだが。 人間て慣れるといろいろ麻痺するんだな……。 「……早速先行きが不安になって来ました」 「気のせいだろ」 「う、うん、多分」 「……だと、いいのですが」 そう言いながらも、モー子の表情はさほど嫌そうでもなかった。 (けっこう時間は掛かったけど、なんとか形にはなったってことかな) ……だと、いいけど。 特査分室はなんとか形にはなった――そう結論付けてから、さらに数日。 放課後の分室。俺たちはそこに集まって反省会の真っ最中だった。 何故反省会をしているかというと、昨日遺品を一つ封印したからなのだが……モー子はイチイチ言うことが細かい。 「昨日の件ですが。久我くん、やはりきみは、考えなしに飛び出しすぎです。もう少しで大惨事になるところでした」 「別に俺だって、俺なりに考えてやってるんだよ」 「ではその考えは、完全に裏目に出ていると忠告しておきます」 「結果オーライだろ。何もなかったんだしいいじゃねーか」 「昨日はそれで良かったかもしれませんが、これからもそれが通るとは限りません。きちんと理解してください」 「その場しのぎの策ではなく、きちんとした行動を取ってもらわなければ困ります。私が困ります」 「だってモー子さあ、説明すんのおせえよ」 「根拠のないうちに説明など出来ませんよ。ただでさえきみは勝手に行動するではないですか!」 「そうだよ。みっちー昨日、もう少しで猫になるところだったじゃないか」 「いやまあ、そうだけどさあ」 「え? 猫? どうして?」 「封印に失敗すると、猫になる呪いがかかる遺品だったんですよ……」 「でも、なんとか無事に封印できたし」 「ですから、そういう問題ではありません!」 「猫になるなんて大変だもんね」 「そうですよね。リトさんの説明だと、誰かにキスしてもらわないと戻らないって話でしたから」 「わー! なんだか女の子好みのシチュエーションの遺品なのねー」 「……ところで、村雲さんはどうしてここに?」 当たり前のように分室にいて、話に参加している村雲さん……いや、スミちゃんを見つめてモー子は眉間にしわを寄せた。 まあ、普通は気になるよな……。 でも、スミちゃんはそんなモー子の表情を気にした様子もなく笑顔を浮かべた。 「ヒメちゃんと待ち合わせをしてるのよ」 「ここは便利な待ち合わせ場所ではないのですが……」 「それに、ここならしーちゃんも来るし、みんなにも会えるし」 「いえだから、ここは便利な待ち合わせ場所でもなければ、溜まり場でも」 「まあまあ、いいじゃねーか。スミちゃんだって一人であんな場所にいるより寂しくないだろ」 「わぁい、ありがと、みーくん!」 「まったく、きみという人は……!」 「なんだよ」 「本当に反省をしているのですか? 今までの言動を思い返しても、自分のして来たことに反省があるようには思えません」 「してるよ、一応」 「お前ねえ、ホントもうちょっと柔らかく言えないのかよ」 「きみのレベルに合わせて言葉を選んでいるつもりですが」 「それがかよ!!」 「では子供を諭すような簡単な言葉でお伝えした方がよろしいですか?」 「俺は言葉からそのトゲトゲしいのを抜けっつってんの!」 「も、もー! 反省会じゃなかったのー!」 「そのつもりですよ」 「どこが……」 「二人ともほんと仲良しだね」 「違う!!」 「あ、しーちゃん。遅いよー」 「あ! 村雲お前、パシリのくせに遅刻かよ!」 「うっせえーなクソ久我!! てめーあんま調子にのんなよ!?」 「来た早々喧嘩を売るのはやめて頂けますか? 鬱陶しいので」 「俺のせいじゃねーよ。こいつが遅れるから」 「だからうるせえ! それどころじゃねえんだよ!!」 村雲がいつもと違うのは慌てている様子からわかった。 学内で何かあったに違いない。 これはからかって言い合いしてる場合じゃなさそうだ。 「何かあったんですか?」 「大有りだ! 学内が遺品で大騒ぎになってる! 早く来い!!」 「わかりました。案内をお願いします! 久我くん、烏丸くんも早く」 「は、はい!」 「はいはい」 「いってらっしゃーい」 走り出した村雲に続いてモー子が動き出した。 その二人を追いかけるように俺とおまるも走り、そんな俺たちをスミちゃんが見送ってくれる。 ……そういえば、モー子のやつはちゃんと俺たちに声をかけるようになっている。 「うわ、こりゃすごい事に……」 騒ぎが起きている場所まで来て驚いた。 謎の金色の光線が飛び交い、生徒たちが慌ててそれから逃げ回っているからだ。 なんなんだこりゃ……。 「……何らかの遺品が暴走しているようですね」 「ええ!?」 「あの光に危険はないのですか?」 「それはないみてーなんだけど。ただ、あの光線に当たった生徒が……」 「話してる場合じゃなさそうだ!」 話している間に、窓から出て行った光線が下を歩いていた一人の女子生徒に当たったようだ。 「え? ええ?」 光線の当たった女子生徒は動きを止め、目の前を歩いていた男子生徒を見つめて小さく震え始める。 そして、大きく瞳を見開き、目の前の男子生徒に向かって行く。 「好きー!!! あなたが好きですー!!!」 「えええええ!!!?!?」 光線の当たらない場所へ移動しながら様子を見ていたが、どういうことが起こるかは大体わかった。 「なるほど……」 「憂緒さん、何かわかったの?」 「ええ、おそらく私の知っている遺品です。過去にも取り扱ったことがあるので」 「おお、じゃわざわざリトさんのとこにも行かなくていいんだな?」 「そうですので、久我くんはくれぐれも勝手に飛び出さないようにして下さい」 「はいはい。俺限定かよ」 「きみが最も、迂闊で勝手な行動が多いからです。今までの行動を自ら省みてください」 「無理じゃねーの。素直に省みれれば勝手な行動はしねーだろフツー」 「うっせえぞパシリ」 「パシリって言うな! オレはトクサの手伝いしてんだてめーのパシリしてるわけじゃねーんだよ!」 「言い合いしてる場合じゃないですよー!」 おまるの言う通りだ。今、ここで村雲と言いあっても仕方ない。 村雲も同じように考えたのか、ひとまずここは口を閉じる。 ふとモー子を見ると『気はすみましたか?』とでも言いたそうに俺を見つめていた。 そして、呆れたようにため息をついてから話し始める。 「あの遺品はおそらく『クピドの弓』ですね」 「クピド? なんだそりゃ。キューピッドみたいなもんか」 「ええ、同じ意味です。神話の通り、金色の光で刺されると好意を持ち、鉛色の光で刺されると嫌悪を抱きます」 「うわ、まさにキューピッドの矢なわけだ……それでアレか……」 「矢を番える姿勢をとると、使用者の望みの色の光が出るのですが……どうやら番えた時点で魔力を注ぎ込み過ぎて暴走したようですね」 矢を番えて金色の弓が出た時点で契約者が魔力を込め過ぎて暴走したのか。 で、契約者はそのまま倒れて、どこかにある遺品はそのまま魔力を吸い込み続けてあの矢を出しまくってるんだな。 こりゃ早めになんとかしないと契約者の身体がヤバそうだ。 それに、この状況も早くなんとか落ち着かせないと……こいつは二重に厄介かもしれない。 「勝手に飛び出すなって、そういう意味だったんだ……」 「まあ、あれに刺されるのは、俺も嫌だな」 「確かに……」 「込められた魔力が尽きればおそらく暴走は止まりますが、先程の惨状を見るに早く解決した方がよさそうですね」 「まずはクピドの弓本体がどこにあるのか……まあ、光の方向からおのずとわかるでしょうが」 「い、いや、何かいろんなところに反射してわけがわからなくなってますけど」 「いえ、すべての光が同じ場所から発射されたのであれば、あの動きを逆にトレースしていけば……」 「おい! モー子!!!」 「え?」 光の矢が廊下に落ちている何かに反射したのか、こちらに向かって飛んで来る。 モー子だけが、考え事のせいかそれに気付くのが一瞬遅かった。 「遅い、バカ!!!」 気付くと身体が自然と動いていた。 咄嗟にモー子の身体を抱きかかえ、そのまま押し倒すように飛んで来る光の矢から庇っていた。 「おい久我、大丈夫か!!!」 「みっちー!!」 「………あ、ああ、平気だ」 ギリギリだったから当たってしまったかと思ったが、何かに刺されたような感覚はなかったから、多分大丈夫なんだろう。 間一髪だったみたいだ……。 「久我くん! 大丈夫ですか!?」 「だから大丈夫……だ…って…」 「久我くん……?」 抱きかかえていたモー子の身体を離してまじまじ見つめる。 ――おかしい。 なんだか、いつもと違う。 なんだ、これは……? 「モー子……」 「え?」 身体が勝手に動いていた。 目の前にいたモー子を抱き寄せ、唇を強引に重ねる。 突然のことに驚いた様子のモー子は抵抗することもできずにいるようだった。 「!?!?!?!?!?!?!」 「え? えええええ?!?」 「はああああ?」 「……」 「ん……! ん、やめ……んっ!」 逃げようとする身体をしっかりと抱き寄せ、唇を何度も重ねる。 伝わる唇の柔らかい感触をもっと味わおうと、何度も何度も唇を重ねて柔らかさを確かめる。 唇のあまりの柔らかさに口付けがやめられない。 腕の中でもがく身体をしっかり抱きしめ、唇をまた触れ合わせる。 「ふ、あ……! 久我く……ん!」 「い、いい加減に……」 もっと柔らかさを感じたい。 そう思っていたのに、モー子のビンタ一発で口付けは終了してしまった。 「いや、俺もどうかと思うんだが、おまえがすごくかわいい!!」 「どうかと思うってそれはそれで失礼ですよ!!」 「み、みっちーいきなり何してるんだよ!」 「いや、だから突然こいつがすごくかわいく見えたんだ!」 「お前、バカじゃねーの? 冗談言うなっつーの!」 「冗談でこんな事しねえよ!!」 「冗談でも冗談でなくても困ります!」 「いや、だから冗談じゃないって。モー…いや…憂緒ちゃんがすごくかわいくてつい……」 もう一度、目の前のモー子を見つめる。 やっぱり可愛い……どうしてもそう思ってしまう。なんなんだこれは。 「や、やめてください! あとその呼び方も!!」 「憂緒ちゃん?」 「だからそれをやめてくださいと!」 「俺もどうかとは思うんだが、だがモー子って呼び方はなんだか他人行儀で!」 「つーかお前、もしかしなくてもさっきのやつ当たってたんだろ」 「は?」 「えっじゃあみっちーが突然おかしくなったのは遺品の影響ってこと??」 言われて廊下に視線を向けると、飛び交っていた光線はすっかり収まっている。 おまると村雲は慌てて廊下の方に出て行ったが、そこには何もないようだった。 「ちっ……暴走は収まったみたいだが、本体が見あたらねーってことは……」 「誰かに持って行かれちゃったんですかね」 「クソ、久我のバカのせいでむちゃくちゃだな」 村雲に何か言われてるみたいだが、それよりも……。 「憂緒ちゃん……」 「お願いですからそれをやめてください!!!」 「………………」 「……ああああ、どうしよう……」 「村雲先輩!? なんで笑うんですか!?」 「ははっ! しかし、いっつも言い合いばっかしてるあいつ等がこうなるとはなあ!」 「面白がってる場合じゃないですよー!」 俺も自分で自分がどうなっているのか、よくわからない。 しかし、目の前のこいつを見ていると、どうしても可愛いという気持ちが溢れてきて仕方がないのだ。 これが遺品の力なのだとしたら、おそるべき洗脳能力だ。 「なんでだ、憂緒ちゃん……かわいいだろ、憂緒ちゃんって呼び方」 「だから、やめてくださいと!! 大体、勝手に飛び出さないようにと言ったばかりではないですか!!」 「そうか……俺のことをそんなに考えて、そんなに心配してくれるとは」 「そ、そうではありません!!」 「じゃ何だよ」 「特査分室のメンバーとして、迷惑のかかる行動は慎んでくださいという意味です」 ここまで言われるのもどうかと思うんだが、言われてもまったく腹が立たないし、しかもどこか嬉しいのは何故だ。 普段の俺ならもうちょっと言い返してもいいと思うんだが……。 「あーくそ、何だもうこれ!」 「それを言いたいのは私の方ですが!?」 「だいたいお前がぼーっと考え事してるからだろうが!」 「……っ……それ、は……」 一瞬で、困った顔になってしまった。 その顔も可愛い……という気持ちが頭いっぱいになり、慌てて振り払う。 いや、モー子にはこんな顔をさせてはいけない気がする。 いやいやいや! 違う、落ち着け俺。何を考えてるんだ。 「………それは申し訳なかったとは……思って…」 「憂緒ちゃん、そんな顔しないでくれ」 「……は?」 「だから、そんな困った顔をしないでくれって。胸が苦しくなる」 「きみがこんな顔をさせているのでしょう!?」 「つまり、俺の存在が憂緒ちゃんの心を動かしたということか?」 「……何故、そうなるのです」 「でも俺は、憂緒ちゃんには、笑っていて欲しい。どうしたら笑ってくれる?」 「私がきみの前で、笑ったことはあったでしょうか」 「さあ?」 「…………」 そもそも、こいつが俺に笑いかけたことはあったか? 特に笑った顔の記憶はあまりないような……。 だがそれでも、モー子が困った顔をしているのは嫌だと、どうしても思ってしまう。 「うわあああ、ど、どうしよう、どうしたら……」 「キモイ……」 「え?」 「確かに面白がってる場合じゃねーわ。あの状態のあいつ気持ちわりい」 「うん。俺もキモイ」 「な、何言ってんだお前……」 「うるせーな! さっきから自分でもわけがわかんねえんだよ!」 「気持ち悪いと思っているのなら、その態度はいい加減やめてください!」 「そりゃ俺だってそうしたいけどよ……」 そう言いながら振り返り、モー子の姿をじっと見つめる。 ……ああ、やっぱり可愛いなこいつ。 「俺に憂緒ちゃんを笑わせることはできるだろうか……そのためにはどうすれば……」 「どうすればと私に聞かれても困りますし、本題はそれではなかったように思うのですが……」 「ああ、そういえば……何だっけ?」 「なにって……」 一体何があったんだったか、俺はかなり混乱していた。 何かがあった気はするんだが、どうもはっきり思い出せない。 それはいいんだが、何故かおまると村雲は呆然とした顔でこっち……いや、モー子の方を見ている。 「なんの話をしていたんでしたか。確か、何かあってこう……」 「一緒に考えるか、憂緒ちゃん。二人でならきっとすぐに思い出せるよ」 「いえ、一人で考えるので結構です」 「いやだから、ちょっとくらい頼れって言ってんだろ」 「今のきみには精神衛生上の問題から、頼りたくありません」 「ということは、普段の俺だったら頼ってくれるってことか?」 「論点をずらさないでください!」 「ああもう。あんまりきゃんきゃん言うな。んなことより、本題に戻れ」 モー子が考えているように、何か大事なことがあった気がするんだが……うーん……。 それにしても、こいつ本当に可愛いな。なんだ、天使か? 「憂緒さんどうしちゃったの!?」 「……どうもして……ないと思うのですが……思考がうまく、まとまらなくて……」 「鹿ケ谷はどうも極端な状況に弱いみてーだな……」 「あ、あの、そうだ憂緒さん! みっちーを元に戻す方法を聞きに、リトさんのところに行かなくていいんですか?」 おまるの言葉を聞いてモー子は少し考え込んでいた。 そして、しばらくしてから顔を上げるとぽんと手を叩いた。 クソ、なんだあの動き。あれも可愛いじゃないか! 本当に天使か!! 「はっ!! そうでした、確か遺品の影響でこんなことに!」 「クピドの弓、もう誰かに持って行かれたっぽいぜ。ここにはもうないみてえだし」 「そう、ですか。私の不注意で、申し訳ありません」 「謝る憂緒ちゃんも可愛いな」 「久我、それいい加減やめろ」 「俺だってやめたいんだよ! わかれよ! 今はいつも通りだろうが!」 「どこがいつも通りなのでしょうか」 「いつもとの違いがわかるほど、憂緒ちゃんは俺を見ていてくれているのか」 「そのように受け取られると迷惑です!」 「照れなくてもいいのに」 「……照れているつもりはないのですが」 「お前らもういい加減にしろよ!」 いつものように図書館に向かい、リトの元にやって来る。 大勢でやって来ても、リトの表情はいつもと同じで驚いた様子もなかった。 「いらっしゃい。皆さんお揃いなのね」 「ああ、俺は憂緒ちゃんとは離れたくないんだ」 「………はああああ」 「そんなに深いため息つくなよ、俺だってなあ!」 「誰のせいだとお思いですか?」 「……誰のせいだ?」 「………」 「う、憂緒さん! 早く聞きましょうよ!」 「……は!」 「……?」 「この人はいつ元に戻りますか?」 「質問の意味がよくわからないのだけど」 「憂緒ちゃん、そんなに早く元の俺に会いたいってことだね」 「……おい鹿ケ谷、そいつ黙らせろ」 「しばらく黙っていてもらえますか」 「はい」 「どうやらクピドの弓って遺品にやられたみたいなんだけどよ。どうやったら元に戻る?」 「ああ、金色の矢に当たったのね。それなら、クピドの弓を封印しないと戻らないわ」 「そうですか……」 モー子はがっかりしたように、肩をおとしてしまった。 これは一刻も早く遺品を見つけて、封印せねばならないということだな。 「これくらい。誰にでも持ち運べるくらいの大きさよ」 「ということは、あの場にいた誰にでも持っていけるってこと……かな」 「そういうことだな。あそこにいたヤツなら、まあだいたい顔ぶれは覚えてるから何とかなるんじゃねーか」 「………何とか……なるといいのですが」 「おいおい、大丈夫かよ。鹿ケ谷マジで使えなくなってねーか」 「うう……こうなったらおれたちががんばるしか……!」 「大丈夫だ。憂緒ちゃんが使えなくなっても俺がそばについている」 「……そうですか」 「大船に乗ったつもりで安心してくれていい」 「……その船は泥舟ですね」 「いや、泥って。それじゃ沈むだろ。どっちも使えなくなるじゃん」 「……お前のせいだろーが」 「えっ、どこが俺のせいだ」 「どこまでもおまえのせいだ!!!!」 「もー! そんな場合じゃないでしょー!!」 「そうです。まずは遺品です……誰が遺品を持って行ったかはわからないのですか?」 「私にはわからないわ」 「んなこと聞いてどうすんだよ鹿ケ谷……リトが知ってるわけねーだろ」 「………いえ、その……もしかしたら、心当たりがあるかも……みたいな感じで……なんとなく……」 「………烏丸、こりゃダメだわ」 おまるは随分やる気になってるみたいだが大丈夫なんだろうか? 遺品を探すなんてそう簡単なことじゃないんだから、ここは全員で何とかした方がいいと思うんだが。 それにしてもあれだ―― 「不調の憂緒ちゃんも可愛い……」 「すみませんが、そっとしておいてくれませんか」 「そんな。放っておけるわけないだろ?」 「さっきからきみは、どうして私の言うことをひとつも聞いてくれないんです」 「えっ、しばらく黙れっていうから、黙ってただろ? 聞いたじゃねーか」 気がつくと、もう夜の時間になっていた。 いつの間に……? そんなに時間が経っているとは思わなかったと考えたのは俺だけじゃなかったらしい。 モー子たちも同じような表情をしている。 とりあえず、いつまでもここにいるわけにはいかないと、分室に移動することにした。 分室に戻ってきた俺たちは、遺品をどうやって捜すかという相談を行うことにした。 さっきまで部屋にいたスミちゃんの姿は今はない。 待ち合わせをしていると言っていた鍔姫ちゃんもいないようだ。 夜になるのに魔力を使っただろうから、もしかしたら二人でどこかで休憩しているのかもしれない。 おまると村雲は二人だけで何か色々相談しているようだった。 そしてモー子は一人で、淡々とお茶を飲んでいる。 なんだかいつもと状況が違うな……。 それにしても、優雅にお茶を飲んでいる姿も可愛い。 「………すみません、そのように凝視されると困ります」 「すまん。お茶を飲んでる憂緒ちゃんが可愛くて、ついな。……そのカップになれるならなりたい」 見つめながら言うと、モー子は勢いよくテーブルにカップを置いた。 「零すところだったではありませんか!」 「大丈夫だ、憂緒ちゃんの零したものだったら、俺がなめ―――」 「………くっ……俺だって開きたくねえんだよ……」 「正気に戻ったのですか? た、頼むから、そのままで、元のきみのままでいてください」 「む……無理……だってお前……かわいい…っ…」 「簡単に諦めないで! 頑張って!」 モー子は逃げ道を見つけたとばかりにそちらに移動して行く。 少し離れたところにモー子が移動したことで、俺の症状も多少落ち着いた気がする。 正直、あんなのがずっと続いたら俺自身が耐えられない。 「あの、失礼します……」 開いた扉から顔を覗かせたのは春日だった。 この前、遺品の懐中時計を開いて、妖精が出て来て大変なことになったばかりなのに、また何かあったんだろうか? 「あ、春日さん。どうしたの? あ、あれから体調は平気?」 「はい、大丈夫です。その節はありがとうございました」 「今日はどうしたんだ?」 「実は、またモノをなくしてしまって。相談に乗ってもらえたらなぁって」 よくモノをなくすやつだ。 だが、あれ以来何もないみたいだからその点は安心か。 あの時は色々大変だったからな……そう言えばモー子とも一晩を過ごしたんだっけか。 「それで、一体何をなくしたんですか?」 「それが……お、お弁当、なんですけど」 「お弁当……」 「また珍しいもんなくしたな」 「はい。作って来たはずのお弁当が、授業が終わった後カバンの中から消えちゃって」 「そ、そんなことってあるのかなあ」 「でも、本当になくなっちゃったんです!」 遺品絡み……だとすぐに判断するわけにもいかないが、弁当がなくなったというのは気になるな。 いきなり消えるなんて、やっぱり放っておけないだろう。 「ちょうどいいじゃねーか。二手に分かれようぜ」 「えっ?」 「オレと烏丸は遺品の弓を探すから、鹿ケ谷はこいつの弁当探してやれ」 「いえ、私も遺品を……」 「いや今のお前が関わると正直不安だ。だから、簡単そうな弁当の方にしてくれ」 「そうだな、俺もその方がいい気がする」 「……お前が言うのかよ」 「たまにいつも通りのみっちーに戻るんだね」 「待ってください。まるで私が足手まといになるかのような言われ方なのですが」 「いや、なんつーか、足手まといっつーかよ……」 「おい村雲、憂緒ちゃんにひどい事言うなよ」 「誰のせいだ! 誰の!!!」 「……判断能力が多少落ちている気はうっすらとします」 「気がしてるだけなんだ……」 「大丈夫だ。憂緒ちゃんなら弁当はきっとすぐ見つけられるさ。さあ、二人で探しに行こう」 「……は?」 「だから二人で。一緒に」 「い、いえ、それは遠慮したいのですが」 「お前今の状態で、一人で探せんのか?」 「えっ……」 「じゃあ決まりだな。遺品はあいつ等に任せて、二人で一緒に頑張ろうな」 「……まあ、いいわ。じゃあ遺品はこっちに任せとけ」 「あ! お、おれも行きます!!」 「あ、ああ……こ、この人も連れて行ってください……」 言い終わるなり村雲は部屋を出て行き、おまるもそれを追いかけて出て行ってしまった。 残されたモー子は、俺をじっと見つめる。 「どうしたんだ? じっと見られると照れるんだが」 「きみも二人と一緒に遺品を探しに行ってください。私は一人で大丈夫ですので」 「まあ、確かにその方がいいと思うけどよ」 「………でも俺は、憂緒ちゃんと一緒にいたいんだ」 「……はあぁぁ」 「…………あ、あの」 「いえ、なんでもありません。お見苦しいところを見せてしまいましたね」 「どこか具合でも?」 「……少々、思考がまとまり辛くて」 「それより、もうちょっと詳しい状況を聞かせてくれるか? カバンの中から弁当が消えたんだよな?」 「ぱあっと………」 ぼーっとした感じで、モー子は春日の言葉をくり返していた。 うん。こりゃダメだ。話もちゃんと聞けていない。 ここは俺が話を聞いた方が良さそうだ。 「寮に忘れて来た、ということはないのか?」 「朝にねこちゃんにお弁当を渡したので、学校に持って来てるのは確実なんです」 「弁当がなくなったのは、いつかわかるか?」 「何か変なもの見たとか」 「見てないです」 「うーん。わかった。とりあえず、探してみるしかないな」 「ごめんなさい、よろしくお願いします」 「……大丈夫かほんとに……」 教室に戻った春日を見送り、とりあえずリトに話を聞いてみようということになった。 弁当箱のことを知ってるとも思えないんだが、まあ一応失くし物だからということで。 「あら、また来たのね。何か探し物かしら?」 「はい。お弁当箱を探しています」 「お弁当箱?」 「そうです。行方を知りませんか?」 「お弁当箱なら、学内にたくさんあるのではないかしら?」 「…………ええと」 「そういやどんな弁当箱なのか、聞き忘れたな……」 「他に質問はないの?」 「………どんなお弁当箱でしたっけ?」 「私にはわからないわ」 「お弁当箱なのは確かなんですが」 「少なくとも、この図書館にはお弁当箱はないと思うわよ」 「そうですよね……」 「……………………」 おいおい……なんか意味のわからない会話をしてるんだが。 本当に、大丈夫か? さすがにこれは、いつもと様子が違いすぎる。 「大丈夫です。きみに心配されることではありません」 「いや、あまりにもいつもと違うから、そりゃ心配くらいするだろ」 「きみのせいでしょう!?」 「あんまり興奮するなよ……でも、そういうとこも可愛い」 「……だから、それをやめてくださいと言っているのです!」 「照れてる憂緒ちゃん……可愛い……」 「……ひっ!!!」 あまりの可愛さに思わずモー子の身体を抱き寄せていた。 「や、やめ! やめてください! やめて!!!」 「いや、あんまり可愛いから……ちゅーしたくなった……」 「か、可愛いからと言ってなんでもかんでもするものではありません!」 「なんでもかんでもしてるつもりはない」 「し、してるじゃありませんか! や……やっ!」 「……くっそ!!!」 「なんですか!」 「お前は俺をキュン死にさせるつもりか! イチイチ可愛い声出しやがって!!」 「へ!??」 嫌だと言うからとりあえず我慢したが、なんださっきの嫌がり方は!! あんなのは可愛すぎるだろうが!!! 「はあ、はあ……」 「ええ」 リトは完全にいつも通りの反応だった。 自分で言うのもなんだが、目の前であれだけのことをやってたにも関わらずすごいスルー能力だ。 「今のやつ、気にならなかったのか?」 「今の、とは具体的にどの行為のことかしら?」 「いや、いい」 「……きみがその疑問を口にするのもどうかと思います」 「俺としては、気にされない方がありがたいよ……ああくそ……」 「とりあえず、他の人にも話を聞くことにしましょう」 「え、遺品のこととか聞かなくてもいいのかよ」 「え?」 「いや、忽然と弁当が消えてるわけだろ。そういう遺品がないのかとか」 「ないわよ」 「ないのかよ! まあ、じゃあとりあえず話聞きに行くか」 「……手、繋いでいい?」 「お断りします!!」 休み時間に入った校内には、夜の世界の生徒たちがたくさんいた。 話を聞くにはちょうどいいタイミングだったようだ。 「おそらく、誰かが何かを見ているはず。手がかりはどこかにあるはずです……」 「真面目に答えてください! 今はそのような話をしているのではありません!!」 「俺は大真面目だ」 「それはそれで大問題です!」 「……一応……悪いと思ってる……」 「……っ」 「弁当箱の話だよな。やっぱり、同じクラスのやつから話を聞いた方がいいと思うけど」 「俺のこと、見直してくれた?」 「先ほどの会話のどこに見直す要素があるというのですか」 「もっと頑張らないと駄目ってことか」 「はあああ……」 「あ! 久我くんと鹿ケ谷先輩だ!」 二人で話していると、風呂屋がこっちにやって来た。 そういえば、風呂屋は春日と同じクラスだったはずだ。 春日はこいつの分の弁当も作って渡したって言っていたし、話を聞くのに一番いい相手かもしれない。 「おー、風呂屋! ちょうどいいところに」 「お弁当箱を探しているんです」 「お弁当箱ですかぁ」 「はい。お弁当箱です」 「どんなですか?」 「どんな……でしたっけ? 多分、小さいはずですけど」 「小さいお弁当箱ですか……うーん」 「………やっぱりちょっと休憩した方がいいんじゃないのか?」 「休憩など必要ありません。お気遣いなく」 「そう言われても、心配になるに決まってるだろ……」 「……そんなことはありません」 「ああ、俺も憂緒ちゃんもいつも通りだ。な?」 「…………」 「………?」 「……申し訳ありません。なんでもないのです」 「はあ……」 「とりあえず、お弁当箱を探しているのです。見かけたら教えてください」 「よろしくお願いします」 「お辞儀をする憂緒ちゃん……可愛い……」 「へっ??」 「わかった! 憂緒ちゃんとならどこまでも一緒に行く」 「や……やっぱり、久我くん、なんかすっごく、変?」 結局、有益なことを聞けたのか聞けなかったのか、よくわからなかった。 というか、お弁当箱以外の具体的なキーワードを風呂屋に伝えられていなかったような……。 もう少し質問の仕方があるんじゃないかと思ったが、正直俺の方もよく頭が働いていない。 「やはり、このチーム分けは失敗で、私は久我くんと行動を共にするべきではっ」 「俺は憂緒ちゃんと一緒にいれて嬉しい」 「いちいち言動を気にかけるから動揺する結果に……! ならば何事もないかのように受け流せば……」 弁当箱が見付からないまま歩いていると、射場さんと雛さんが歩いている姿を見かけた。 「ちょうどいい、あの二人にも聞いてみようか」 「え? ああ、ヒナさんと射場さん……」 「そうそう。おーい! 二人ともー!」 「……?」 「あ、久我クンと鹿ケ谷だ」 「なにかな」 「なんだろうね」 二人の方に移動して、探し物をしている最中だと簡単に説明する。 「で、探し物ってなに?」 「お弁当箱です」 「お弁当箱ですか」 「はい。お弁当箱を持っていませんか?」 「お弁当箱なら、持っています」 「な! そ、それは、本当なのですか?」 「持っていますが」 「……」 「……」 こいつ等、会話かみ合ってなくねえか……? 多分、射場さんも同じことを思っている気がする。 具体的には何も口に出していないが、そんな顔だ。 「あの、ヒナ……」 「なに? クミちゃん」 「そのお弁当箱ってヒナの……だよね?」 「うん。ヒナのお弁当箱」 「え?」 「お弁当箱を持っていませんか? と聞かれたので、お弁当箱なら持っていますと答えたのです」 「まあ、確かに……誰のとは聞いてないわな」 「あ……」 「あの、多分探してるお弁当箱のことは、あたしたちにはわからないと思うよ」 「そ、そうですか。ありがとうございます」 「どんな……」 射場さんに聞かれ、ようやくモー子はどんな弁当箱だか聞けばいいということに気付いた様子だった。 だが、明らかにその表情は困っている。 そりゃそうだよな。春日からどんな弁当箱か聞き忘れたんだから。 「ええと、多分、小さくて可愛い……」 「小さいのですか? 可愛いのですか?」 「……ええと、どちらもではないかと思います」 「どんなお弁当箱か、ヒナにはよくわかりません……」 「う……え、ええと」 「そうなの?」 「うん。ほら、もうすぐお昼だし、一緒にお弁当食べるでしょ?」 「そのときに、ヘンなお弁当箱ないかちょっと気にしておくよ」 「お弁当食べるときに、クミちゃんとおかずの交換したい」 「いいよ! ヒナは今日なんのメニューなの?」 「……」 「……」 「憂緒ちゃん! 俺たちも弁当のおかず交換しよう」 「お断りします」 「え、なんでだよ。あ、じゃあ一緒に弁当食べたい」 「な、何故ですか?」 「交換ができないなら、一緒に食べればいいかと思って」 「今のきみとは一緒には食べません!」 「じゃあ代わりに、憂緒ちゃんが食べたい」 「憂緒ちゃん……」 「た、食べられるのは……こ、こま、困ります……」 「そんな怯えなくても、実際に食べるわけじゃねーって。いや、食べんのかな……」 「ど、どっちなのですか……」 モー子は明らかに怯んでいた。かつてないほどのおびえぶりだ。 自分が言い出してなんだが、無理もないとは思う。 この言動はさすがにまずいとは思いつつも、わかっているが止められないのだ。 「……」 「……」 「クミちゃん、アレはなに?」 「さ、さあ……」 「ああもう……なんでそんな可愛いんだ……」 「し、知りません! 意味がわかりません!」 「憂緒ちゃん!」 「やめてください!!! それ以上近寄らないで!!」 射場さんと雛さんに話を聞いた後、他の生徒にも色々話を聞いてみた。 だが、手がかりらしいことは何も聞き出せなかった。 というか、伝えられる情報が少なすぎて話を聞いた相手も困惑していた気がする。 「……………………」 「……………………」 これからどうしたものか……。 モー子はどうも考えがまとまらないようだし、俺の方も思考の入れ替わりが激しすぎて役に立てそうにない。 こりゃ、どうしようもないな。 「そういやさ……お前なんで俺に律儀につきあってんの」 「わっ、私はきみと付き合ってなどいませんよ!?」 「なんでバカ正直に一緒にいるんだよ」 「久我くん……戻ったのですか? 意識が……」 「……………頼むからそんなほっとした声出すな……何とか押しとどめてんのに、持っていかれそうになる……」 俺としても、距離は離れていた方が変な言動が抑えられるからありがたい。 ……近付きたいという衝動が湧き上がるが、それはなんとか我慢しよう。 「お……お前の調子が悪いのが、俺のせいなんだったら」 「それこそ、どこかに隠れるとかだな、何とか俺をまけばいいだろ……」 「それは、確かに。良い案だと……思います」 「じゃあ、今かろうじて俺が正気でいるうちにだな……」 「ですが、却下します。村雲くんと烏丸くんのいない今、きみの状態を把握しているのは私だけなので」 ……は? こいつ今なんて言った? 離れる気はないってことか? なんでそんなこと言ってんだ?? 「バカかお前! 人がせっかく死ぬ気で全忍耐力を動員してんのに!」 「きみこそ、あまり私を見くびらないでいただきたい」 「放っておけるわけがないでしょう! ただでさえ魔力の少ないきみが、遺品の影響でこれからどうなるかわからないのに!」 「そもそもきみがこうなってしまったのは、私のせいだという自覚くらい、あります!」 今のはかなりキュンと来た。 遺品のせいなのか、それとも遺品とは関係ないのか、この気持ちがどちらなのかもわからない。 これは、正直やばい。こんなことが続いたら、抑え続ける自信がなくなる。 「う……憂緒ちゃん……! 俺は……!」 「ま、待って! 駆け寄ろうとしないで!」 「……え?」 距離をとるためか、モー子はいきなり廊下から外に出て行こうとした。 しかも、足元への注意を怠っていたせいか、段差で足を踏み外してしまった。 それを見て、咄嗟に身体が動いていた。 慌てて駆け寄り、倒れてしまいそうなモー子の身体を強く抱きとめる。 「大丈夫か?」 半分以上俺のせいだが、それにしたってこいつもぼさっとしすぎだ。 「お前、今ちょっと危なかったぞ! ちゃんと周り見てるのかよ」 「そ、それは……あの……」 (どうして、きみも睦月と同じことを言うんですか……) 「まったく……しっかりしろよ」 「すみません……以後、気をつけます」 「そうだな。せめて、俺がいない時には気を遣え」 「え?」 「今みたいに庇えるんなら庇ってやるよ。お前は頭脳労働専門だしな」 「あ……あの……」 「どこも怪我してないか?」 「え、ええ、おかげさまで」 「………………」 「このまま抱っこしたい」 「結構です! すぐさま離してください!!!!」 「どうしても?」 「どうしても!!!」 あんまり怒らせるのも可哀相だし、放してやるか。俺としてはもうちょっとこのままでも良かったんだが。 それにしても、本当に危なっかしい。 油断して気を抜いているのか、それとも気を許してくれたからこそなのか……。 どちらにしろ、これからも気をつけてやった方が良さそうだ。 しばらく弁当箱を探し続けたが、やはり見付からなかった。 もうすぐ食事の時間なのに、どうしたもんだか……。 モー子もしょんぼりしてるし、こんな顔は見たくないから、できれば見つけてやりたいんだが。 「はあ……お弁当箱はどこに消えてしまったのでしょうか」 「しょんぼりしている憂緒ちゃんも、可愛い」 「………う、受け流せば……何事もないように……!」 「しかし弁当箱……そもそもほんとに消えたのか?」 「え?」 「いや、春日の分は最初から無かったとか、もしくはどこかで無意識に置いてきたとか」 「あ、春日。どうしたんだ?」 「え? ど、どこに!?」 「そ、それが、あの……ねこちゃんに渡した時に、自分のも一緒に渡しちゃったみたいで」 「な……!」 「それで、春日の分の弁当も、風呂屋が持ってたと?」 「はい! あの、後で一緒に食べる時に渡そうと思って、持っててくれたみたいで……」 「わたしてっきり、自分の分はカバンの中だと思ってて……ごめんなさいっ!」 「あーつまり、一緒に渡したつもりはなかったから、弁当箱が消えたと思ったのか……」 「そ、そんなばかな……」 「本当にごめんなさい!!」 「いやいや、見付かったからいいんじゃないか。じゃあ、あの弁当、早く食べて来なよ」 「はい! 本当にすいませんでした!」 「い、いえ、あの……お役に立てず申し訳ありません……」 春日は本当に申し訳なさそうに頭を下げてから走って行ってしまった。 モー子はその後ろ姿を見つめて呆然としている。 「こ、久我くん」 「何だ」 「風呂屋町さんは、何故話を聞いたときに何も言わなかったのでしょうか?」 「いや、そりゃお前……春日の弁当探してるって言わなかったからだろ……」 「……あっ!」 「えーっと、分室……戻るか?」 「……は……はい……」 分室に戻ってみると、部屋にはいつの間に戻ってきたのか、おまると村雲がいた。 そして、さっきまでいなかったスミちゃんと鍔姫ちゃんもいる。 「あ、みーくん、鹿ケ谷さん、おかえりなさい」 「おかえり、二人とも」 「おう、ただいま」 「……何故、お二人がここにいるのですか?」 「みんながいるからよ。ね、ヒメちゃん?」 「ああ。そうだな、スミちゃん」 「悪ぃ。いないものとして扱ってくれ」 「えー! しーちゃんヒドイ!!」 「当たり前みたいにいるからだろうが!」 「まあまあ、村雲。スミちゃんもあの場所に一人でいるよりこちらの方が楽しいだろう?」 「壬生さんまで……!」 「はあ……」 「と、とりあえず、今日の報告をしましょうよ! ね?」 「そうだな。じゃないと、いつまで経っても終わらなさそうだ」 「え、えっと、遺品についてなんですけど、まだ見付かってません……」 「手がかりもまだなしだ。進展がなくて悪い」 「そうですか……あの騒ぎの後では、仕方ありませんね」 「ごめんなさい。明日も捜索します」 「はい」 「使えねーな、パシリ」 「こうなったのは誰のせいだよ! だ・れ・の!!!」 「え? 誰のせいなの?」 「そういえば、今回の遺品はどのような物なのだ?」 「鹿ケ谷さん?」 スミちゃんと鍔姫ちゃんが素朴な疑問を口にすると、おまると村雲が顔を見合わせてがっくりした。 そして、モー子も深いため息をつく。 「えっと、クピドの弓っていう遺品で……その、弓から出た光の矢に刺された人はおかしくなっちゃうっていう……」 「おかしく、とは?」 「金色の光の矢にさされた後は、最初に見た人に惚れちまうんですよ」 「わー! そうなんだ、キューピッドの矢なのね! なんだかすてきー!」 「それはまた、厄介な遺品だ……」 「久我がその矢に当たった」 突然全員が俺の方を見る。 もちろん、俺はいたたまれない気分になった。 「そ、それで、久我くんが最初に見たのは……」 「しーちゃん?」 「もー、そんなに怒らなくていいじゃないー」 「お前さー、スミちゃんに対してもうちょっと優しくていいんじゃねえ?」 「大丈夫よみーくん、しーちゃんほんとはいつも優しいから」 「そうなのか? 意外だなしーちゃん」 「しーちゃん言うな!!! 今度言ったら殴るぞてめー!!」 「そうですね。いい加減、報告を終わらせて明日からどう遺品を探すか考えなければ」 「憂緒ちゃん……」 「え、憂緒ちゃん……?」 「もしかして、久我くんが最初に見たのは……」 「お察しの通りです……」 「大丈夫、憂緒ちゃん。明日は俺も遺品を探すのを手伝うよ」 「きみがですか?」 「もちろん。安心してくれ」 「……」 「そんなに不安そうな顔しなくてもいいって」 「なるほど、どういう状況かはわかった」 「やっぱり、オレと烏丸で何とかするしかねーな」 「え!?」 「マジかよ春霞……」 「ああ。そうだな、スミちゃん」 「…………」 「俺が言おうか?」 「…………」 「風呂屋が持ってた。二人分作ってまとめて渡しちまったのに気付いてなくて、それで消えたように勘違いしたみたいだ」 「なるほど、そういうことだったんだ」 「思ってたより単純なことだったんだな」 「まあ……そうですね……」 「よし、報告はこれで全部だな」 「そうだね」 「今日はもう他に何もなさそうか?」 「……え?」 「え? じゃねーよ、この時間だから何もないだろ」 「あ、ああ。そうですね、そう思います」 「じゃあ、今日はもう寮に戻ろうか」 何だか、今日はずっとドタバタし続けていた気がする。 だが、遺品は見付かっていないわけだから、明日も同じようなものかもしれないが。 「あら、今日はもうおしまいなのね」 「そのようだ。では、スミちゃんを部屋に送ってから、私は戻ることにしよう」 「ありがと、ヒメちゃん」 嬉しそうに笑顔を浮かべたスミちゃんは、何を思ったのか鍔姫ちゃんの肩に手を置くと、実に自然な仕草で頬にキスをした。 あまりに突然のことに、それを見ていた全員が驚き硬直した。 「ふふっ。皆が驚いてしまっているよ、スミちゃん」 「だって、お人形のときはいつもこうやってしてたじゃない?」 「……何してんの?」 「あれ? しーちゃんもして欲しかった?」 「いらねぇええ!!!」 「……………」 「……………」 「憂緒ちゃん俺も。俺も憂緒ちゃんとあれがしたい」 「嫌です!」 「なんでだ? キスならもう一回しただろ」 「思い出させないで!!!」 「え? したの?」 「事故です! あれは単なる事故です!!」 「よし、それなら改めてちゃんとしよう」 「いやもう、キスだけと言わず……他のことも……」 「お断りします! お断りしますからっ!!」 「オレもうやだ……疲れる……とっとと遺品見つけて封印してえ」 「同じ気持ちです」 何度頼んでも、結局モー子は俺にキスをさせてくれなかった。 一回したんだから、もう一回くらいいいと思うんだが……頑なに拒まれてしまった。 「はあ、はあ……と、とりあえず、帰りましょう」 「う、うん。そうだね」 「俺は憂緒ちゃんと一緒に帰るから」 「……え」 「送って行くよ」 「いえ、あの……それは、ちょっと……」 「み、みっちー、今日はおれと帰ろう?」 「すまん。憂緒ちゃんがいいんだ」 「あ、う」 「いいから、鹿ケ谷を一人で帰らせてやれよ。いい加減もう解放してやれ」 「一人で帰すのは心配なんだよ」 余計なことを言っていた村雲の言葉が止まった。 よく見ると、スミちゃんが村雲の制服をぐいぐいと引っ張っている。 「しーちゃん、邪魔しちゃダメだよっ」 「だーめ! みーくんだって一生懸命なんだから!」 「スミちゃんは俺の味方みたいだな」 「あ、あの……」 「ヒメちゃん、ちょっと手伝って」 「よし、わかった」 「ちょっと壬生さん!?」 鍔姫ちゃんは笑顔でスミちゃんに答えると、村雲の首に手をかけた状態で捕まえてしまった。 さすがにこの状態では抵抗できないらしく、村雲の動きが止まる。 ……というか、あいつちょっと顔色悪くなってねえか? 「それでは、今日は私と村雲でスミちゃんを送って行こう!」 「それじゃあ、また明日ね〜!」 鍔姫ちゃんに引っ張られ、村雲はずるずると連れて行かれてしまった。 その間、スミちゃんと鍔姫ちゃんは幸せそうにずっとにこにこしていた……。 そんな三人を見送ってから、モー子に視線を向ける。 「……な、なんですか」 「送って帰るよ」 「ですから、結構だと」 「あ、あの、みっちー…じゃあせめて三人で……」 「悪い、おまる。どうしても、二人きりで帰りたいんだ。頼む!」 「うんって!」 「ありがとう! それじゃあ帰るか」 結局おまるも脱落し、モー子と二人で寮に帰って来た。 おまるは俺に気を遣ってくれたみたいだが、どうせならもっと粘って欲しかったかもしれない。 この状況は色々とまずい……いやだが、一緒にはいたい……やばい……。 「憂緒ちゃん、部屋の前まで送るよ」 「いや、だから憂緒ちゃんの部屋まで」 「い、いいえ! そこまでは結構です」 「少しでも長く一緒にいたい」 「……いえ、あの」 「だから送らせてくれ」 「駄目か?」 「……それでしたら、私がきみを部屋まで送りますから」 「え?」 「早く行きましょう」 俺が部屋まで送ると言っているのに、モー子は慌てたように先に歩き出してしまった。 先に行ってしまった後ろ姿を追いかけ、その隣に並んで一緒に歩く。 これじゃあまるで逆なんだが……まあ、いいか。 並んで歩いていると、部屋の扉の前まで辿り着くのはすぐだった。 もう少し一緒にいたかった……なんて思ってる場合か。 「送ってくれてありがとう」 「いえ。それでは、私はここで失礼いたします」 「あ、待てよ! お茶でも飲んでいかないか?」 「お断りします」 「……そうか」 ああ、断られたか。少し寂しいが、無理強いするのもな。 ……今日一緒にいるのはこれで終わりになるんだな。 そう思うと、ちょっと肩の荷がおりたかもしれない。 さすがに離れてしまえば、俺の症状も落ち着くだろう。多分。 「じゃあ、わかったよ。今日は悪かったな」 「……………」 「モー子?」 「……………」 ホッとしていると、モー子がじっと俺を見つめていた。 何かを考えているみたいだが……なんだ? 「久我くん……」 「……ん?」 「あの、今日は……その……私のせいで………だから……きみが、私に謝る必要はありませんから……」 「それより、本当に身体の具合は……大丈夫ですか?」 ぞくりと背筋が震える……。 こいつがあまりにも殊勝なこと言うもんだから、また謎の衝動が……! 「久我くん!?」 「……な、なんだこれ……」 「……え?」 「胸が……」 「久我くん! しっかりして、具合が悪いのですか? 胸が苦しい?」 くそ、こいつなんだかんだ言いつつも俺のことを本気で心配してやがる……! 色々考えていると本当に胸が痛くなって来た。 立っていられなくなって、その場に膝を着いて思わず胸を押さえる。 すると、心配したモー子もしゃがみ込み、俺の顔をじっと覗き込んできた。 「っつーか、駄目だ、って……」 「久我くん……」 「だから、そんな顔されたら」 「い、意味がわかりません! それより具合が悪いんだったら、早く横になって!!」 苦しみながら胸を押さえていると、強引に立ち上がらされ、そのまま部屋の中に連れて行かれてしまった。 部屋に連れて来られ、ベッドに座らされた。 そんな俺の顔を覗き込み、モー子は心配そうに見つめている。 「…………」 「大丈夫ですか? ただの体調不良なのか……それともやはり遺品の影響が?」 「……おまえ、バカだろ」 「は?」 「なんで部屋の中入ってんだよ。すぐ出てけ……」 そろそろ理性が限界だった。 本当に自分の状況が切羽詰っているのがわかる。 頼むからこれ以上何も刺激しないでくれ。 何するかわかったもんじゃないし、止められる気がしねえ。 ――このまま俺を放っておいて、部屋から出てくれ。 これ以上はもう何もしたくない! 「安心してください、きみの症状が落ち着いて、一人でも大丈夫だと判断したら帰りますから」 「……ああもう!」 目の前にいるモー子の肩を掴んでじっと見つめる。 俺が見つめると、モー子は驚いてビクっと身体を震わせたが逃げ出しはしなかった。 「なんでさっさと帰らねえんだよ! 散々、お前が嫌がることして来たんだぞ?」 「そ、それは……」 「嫌なら嫌で、今すぐ部屋出てけよ。それとも本当は嫌じゃなかったのか?」 「嫌じゃないわけないでしょう!」 「だったら、早く出て行け! ちょっとは状況考えろバカ!」 「なっ……何故そんな風に怒鳴られなければいけないのですか!? 私はきみのことを、本気で心配して!」 「ほんと噛みあわねーなもう! 俺だってお前のこと心配して言ってやってるんだろーが!」 「じゃあ心配してくださらなくても結構ですっ!」 「お前今から何が起こるかわかってんのか!? そんなこともわかんねーのかよ!?」 「知るわけないでしょうそんなこと!! 私は未来予知の能力者でも何でもないんです!」 「だから惚れた女と部屋で二人になったら、男が何するかくらい、わかれよ!!」 「頼むから、そんな顔するな」 「……ひっ!」 目の前の身体を抱き寄せ、頬に口付けて耳元に唇を移動させた。 そして、そのまま耳元で囁くように告げる。 「ちょっ、ちょっと待って、久我くん……」 「好きだ……」 「………え?」 「好きだって言った」 「あ……あぁ……だって、体の具合は……」 「お前があんまり可愛いこと言うから、ちょっと苦しくなっただけ」 「なっ……」 抱きしめるのをやめて顔をじっと見つめると、モー子の顔は真っ赤になっていた。 だから、こういう顔をされると歯止めがきかなくなるって……わかれよ。 「き、きみのそれは遺品の効果によって作られた感情です! きみ自身の本心ではありません!」 「そうか? 普段の俺がお前をどう思ってたかなんて、そんなのわかんねーだろ」 「さすがにこんな時に、『モー子』なんて呼ばねえよ」 「憂緒」 「……!!!」 抱きしめたまま顔を近付け、唇を重ねた。 動きが止まった憂緒の身体を抱きしめ、そのまま何度も口付けをくり返す。 「こ……久我、くん……」 「好きだ、憂緒……」 「……ま、待っ……」 もう一度抱きしめ、唇を重ねたまま髪や背中を撫でる。 びくりと震えた身体を支えて何度も唇を重ねていくうち、憂緒の身体からゆっくりと力が抜け始めていくのがわかった。 抱きしめた身体を離さないようにしながら、背中をゆっくり撫で、その手のひらを移動させて首筋をそっとなぞる。 「……ひゃっ! な、なにを!」 「もっと触れたい」 「や、やめ……やめましょう……こういうのは……!」 「無理だ。止められない」 「あの……」 「嫌なら、逃げられるだろ」 「……あっ!」 抱きしめ逃げられないようにしながら身体を何度も触ると、憂緒は震えながら俺にしがみついて来た。 思っていたよりも小さな身体を抱きしめながら、首筋や背中を何度も撫で、今度はお尻もゆっくり撫でてみる。 「だから、部屋出ろって言ったんだよ。もう遅いけどな」 「で、でも、さっきはきみが……きみが具合が悪そうにしていたから……!」 「ああ、心配かけて悪かったな」 嫌がってはいるが、俺の身体に強くしがみついてくる。 その身体の上で何度も手のひらを動かし、感触を確かめて頬を緩ませる。 「本当に、ダメ……」 「ダメなら逃げれば」 「そ、それは、きみが……は、離してくれないから……」 「離すわけないだろ。ずっとこうしてたいのに」 「……んっ」 耳元で囁きながら、制服の下に手のひらを移動させて直接肌を撫でる。 すべすべとした肌の感触が伝わり、頬の緩みがおさえられない。 「やめない」 「久我くん……お願いだから……」 「ん、何?」 「な、何って、あの、それは……」 身体を押し返そうとしながら憂緒が俺を見つめた。 ああ、やっぱりこいつ可愛い顔してるよなあ……。 「大丈夫、ちょっとだけ」 「……ちょっと?」 「うん。ちょっとだけしかしないから」 「………」 「ちょっとだけなら、いい?」 「そ、それは……」 「いいんだ」 答えないってことはいいという事だと判断する。 そう考えながら全身を触り続けると、憂緒は更にしがみついて来た。 それが嬉しくて手のひらの動きが止められない。 背中を撫で、手のひらを前の方に移動させてお腹や胸元もそっと撫でる。 「あ、あっ! い、いいとは……言ってな!」 「でも、ダメとも言ってない」 「ひゃ、ぁんっ!! そ、それは、た、ただの屁理屈です!」 「だったら、もっとハッキリ言えば?」 「ふぁ、あっ! そ、それは、あ、ああっ!」 「ハッキリ言えないってことは、いいってことだと思っちゃうけど」 「そ、んな! だって……!」 何度も肌を撫で、身体の柔らかさを確かめていると、興奮が高まって来る。 俺が触るだけじゃなく、憂緒にも触って欲しいし、色々して欲しいと思ってしまう。 「憂緒……」 「な、なに……」 「俺も触って欲しい」 「……は?」 「駄目か? だったらもっと触るけど」 そう言いながら顔を見つめ、更に身体に触れる。 触れる度に憂緒は震え、しがみつく力を強くした。 そして、しがみついたままいやいやと首を振った。 「ふ、あっ! あ、ああ、や……んっ! や、やめ、あっ」 「じゃあ、俺のことも触ってくれよ」 「そ、そんなことは……」 「そうじゃないと、もっと……」 「ああっ! あ、い、いやですっ」 「じゃあ、触ってくれるか?」 「……さ、触れば……い、いいんです、か?」 「ああ」 「……」 戸惑った様子の憂緒はどうすればいいのかと悩んでいるようだった。 そんな姿を見つめていると、余計にして欲しいという欲求が高まっていく。 その欲求を抑えるように、また手のひらを動かしてすべすべした肌を撫でる。 「じゃあ」 やっと答えてくれたので、手のひらの動きを止めて抱きしめるのをやめる。 そして、憂緒を隣に座らせて服を脱ぎ始める。 「何って、触ってくれるんだろ」 「そ、そうは言いましたが、あの……だって、服を脱ぐなんて……」 「そりゃ、脱がないと触れないから」 「……あの、いったい何のことを」 脱ぎ始めた俺を見つめて戸惑っている憂緒の手を掴み、既に反応して大きくなっている肉棒を強引に触らせる。 「じゃあ、触って……ここ」 「ひ、あっ!」 「あ、あああ……こ、こんな……」 肉棒を握らされた憂緒は恥ずかしそうに視線をそらしていたが、手のひらは離さなかった。 その感触に肉棒が小さく震えて反応する。 「ん……」 「………う……」 「それだけじゃなくてさ」 「ぅぅ……ほ、他に、どうしろと言うのですか……」 「あ……」 ぎゅっと肉棒を握ったまま見つめられる。その手のひらの感触と視線だけで身体が震えるのがわかった。 もっとして欲しくてたまらない。 もしかして、言ったらしてもらえるだろうか……。 「そのまま、手のひら上下に動かして」 「じょ、上下に……?」 「そう……ん」 「こ、こうで、いいのですか?」 「そう、そう……」 「……こ、こんなの……」 ぎこちない手つきで扱かれ、声が思わず上ずった。 その声を聞き憂緒はうろたえたようだが、手の動きは止まらない。 上下に手のひらが動く度に肉棒は震え、先端からは透明の液体があふれ始める。 「……はあ」 「あ、あの……」 「ちょっと、だけ……だから」 「……ほ、本当にこれだけ、ですか?」 「ああ、ホント……だから……」 「そ、それ、なら……」 憂緒は俺に言われるままに手のひらを動かしていた。 だが、上下に動くだけの感触は単調で、物足りなさを感じてしまう。 「先の方も、指で……」 「先の方? こ、ここでしょうか……?」 「そう……」 「ひゃぅ!」 言われるままに指先で先端を弄られ、先走りが更にあふれ出して憂緒の指を濡らす。 その感触に驚き指先の動きが止まったが、じっと見つめてその先を促す。 「大丈夫。そのまま、指で……」 「う、ん……」 「それから、もう一回手のひら動かして」 「わ、わかりましたから、い、いちいち言わないでください」 「俺が黙っててもしてくれるのか?」 「……うう。それは」 「ん……その顔、可愛いな」 「や、やめてください」 もっとしてもらいたいと思うと身体が自然と反応していた、それに気付いた憂緒は恥ずかしそうに視線をそらす。 赤く染まった頬を見つめていると興奮は更に増すが、きっと本人はそんな風に思われていると気付いていない。 「も、もう……こんなこと……ぁぅ」 「まだ、もうちょっとだけ……」 「……まだ?」 「ああ、まだだ」 俺に流されるまま手のひらを動かし、指先で先端を何度も弄る。 手のひらと指先が動く度に肉棒はびくびくと脈打ち、あふれ出す液体の量もどんどん増える。 「は、は……」 「…っ、……っ、これで……もう、本当に……」 「うん……」 「久我くん……」 伝わる感触と俺の名前を呼ぶ声に背中が震える。 ぞくぞくしたまま視線を向けると目をそらされたが、その照れている横顔がとても可愛い。 「ほ、本当にもう、お願いですから」 「……んっ」 「え? あ、あの、どうしたんですか?」 「憂緒……そ、そのまま……」 「え……? そ、そのままって、あ、あの」 「あ……ああ!」 「……きゃっ!」 懇願するような表情に我慢の限界が訪れた。 そのまま、憂緒の手のひらに射精し、収まり切らなかった精液が制服にまで飛んで行く。 「ああ……!!!」 「わ、悪い。我慢できなかった」 「が、我慢でき……そ、そんな、こと言われても…」 突然のことに憂緒の表情は呆然としていた。 だが、そんな顔にも興奮して背中がぞくりと震えてしまい、余計に色々したくなってしまう。 「本当にごめん、制服汚れたな」 「こ、このくらいは別に……もういいですから……」 「制服、どうにかしねーと」 「あ、あ、あの!」 「ほら、じっとして」 「や、あっ! な、何を、あの!」 制服に手をかけると驚き身体を引こうとされた。 しかし気にせず手を動かし制服を脱がし始める。 「あ……」 「後で制服、洗って返すから」 「そ、そんな、ことは……いいです」 「よくないだろ。そのまま帰れるか?」 「それは、あの」 「……どうした?」 「あの、やっぱり制服は今返して……」 「…………」 「久我くん……?」 「やっぱり、無理だな」 「きゃっ!」 見つめているとやっぱり我慢はできなかった。 そのまま、憂緒の小さな身体を押し倒す。 下着一枚だけの姿をまじまじと見つめる。 さっきまで驚いた表情はすぐに恥ずかしそうに変わり、視線をそらされる。 「久我くん……見ないで……」 「ごめん。でも綺麗だ。とても」 「もう……こ、こんなこと、やめてください……」 「今さら止められると思うか?」 「さっき、少しだけだと言ったのに……っ」 「そうだけど……こんな姿見て、止められるほど人間できてない」 「そ、そんなのは、勝手です」 困ったような表情をしながら見つめられた。 こいつの視線に見据えられると身体がぞくぞくと震える。 その顔をじっと、真剣に見つめ返す。 「それに、重ねて言いますが、これは……きみの本心では、ないのでしょう」 「さあ、どうかな」 「きみはあのクピドの弓の影響で……」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」 「そうでない可能性など、ありません」 「そんなに言い切れるほど、俺のことわかってんのか?」 「そ、それは……」 「ほら、わからないんだろ」 戸惑ったように伝えられていた言葉が止まった。 その姿を見つめ、ふと思いついたことがあった。 「もしかして、素の俺に迫られた方が良かった?」 「そ、そんなことは、言っていません…!」 「慌てて否定するのが怪しいな」 「ち、違うと言っているではありませんか!」 「ふーん。そうだったのか……」 「違うと言っ……ふぁあっ!」 答えながら、下着の上から秘部を撫で始めると、憂緒の身体がびくっと大きく震えた。 指先を動かし続けると、反応は大きくなり続ける。 「あ、ああ、やあっ! だ、め! だめ……」 「ここ、柔らかい。触ったら気持ちいいだろ?」 「んんっ! そ、そんなこと、ないです!」 「我慢しなくていいのに」 「我慢なんかして、な、ああっ!」 指先を何度も動かし、声が大きくなる部分をわざとぐりぐりと執拗に触ると反応が大きくなった。 そのまま、何度も指先を動かして触り続けてみる。 「ふ、あ、ああぁっ! そ、そんな、こと、あっ!」 「いい反応」 「は、はぁあ、ああ……こんな、されたら、あんっ!!」 「どこが気持ちいい?」 「気持ちよく、なんか……」 「本当か?」 動かしていた指先の動きをわざとゆっくりにすると、反応も小さくなった。 それを確かめながら指先を動かして、この先どんな反応を見せるかと考える。 「ひあっ! あ、だめ! だめ、これ以上は……」 「……ん」 「お、お願いだからもう、やめてください……こんなこと」 「そんな顔して言われてもな」 「きゃ! あ! だめです!!」 ダメだと言われて素直にやめるつもりはないし、やめられる気もしない。 下着に指をかけると、そのままゆっくりと下におろして脱がし始める。 脱がした下着を置いておき、直接秘部に触れた。 まだ濡れていない秘部が触れられるだけでひくつく。 驚き震えた身体をなだめるように、ゆっくりと丁寧に指を動かし痛みを与えないようにしていく。 「あ、あっ!」 「痛くしないから……」 「ふぁ、あ、あ! ひ、やぁあ、そんなところ!」 指先が動く度に何度も小さく身体が震え、反応は少しずつ大きくなる。 そんな様子を伺いながら、ゆっくりと指を動かす。 「あ、や、だっ! や、め……あっ!」 「こ、こんなこと、だめです……あ、ぁんっ!」 何度もダメだと言われているが、身体の反応は続いていた。 秘部から愛液が少しずつあふれて濡れて来ているのもわかり、浅い部分に指を進ませそこでゆっくりと動かした。 「は、あ……! こんなの……だめ、なのにっ! いや、恥ずかし……」 「身体はダメって言ってないみたいだけど」 「そ、そんなことは、言っていません!」 「そうか?」 「ふぁあっ! あ、ああ! や、あっ! ゆ、指を動かさな…。…あんっ!」 浅い部分をかき回すように指を動かす度に反応される。 その反応を見ているだけでぞくぞくして、もっとしたくなってしまう。 その気持ちを何とか飲み込み、いきすぎないように気をつけながら指を動かし、あふれる愛液をぬぐいながらまた少し奥に進ませ顔を覗き込む。 「本当にだめ?」 「ああ……いや、そんな風に、聞かないで……」 「どうして? 聞かれたらダメって言えなくなっちゃう?」 「そ、それは、あ、あの……」 「やっぱり、ダメって言えなくなるんだな。可愛い」 「ひゃ、んぅ! そ、そうでは……あっ!」 指先が触れた途端、大きく反応した部分があった。 そこを重点的に責めながら、中に埋まっていない指先でクリトリスも軽く擦って様子を見る。 その顔は、言葉とは反対に気持ちよくてたまらないと俺に伝えているようだった。 「は、はぁ、はあ……! 久我く、んっ!」 「や、いや……も、う嫌です……! お、お願いだから、そんな風に、あ! ゆ、指を…う、動かさな……ああ!」 「もっとがいいってことか?」 「あ、いや! あああっ! ち、ちが……ふぁあっ! もっとだなんて、そ、そんなことぉ!」 わざとわかってない振りをして、また指を動かした。 反応がよくなった部分を責めながら見つめると、憂緒は更に大きく身体と声を震わせていやいやと首を振る。 しかし、それは嫌がっているからじゃない気がした。 こうなっている自分の身体に戸惑っているような、そんな風にしか見えない。 「は、はあ、はあ、あ……こんな、されたくない…のに!」 「んああ、あっ……やだ、や…ああっ! ん……久我くん、身体が、あっ! あ、あつ…い!」 「そのまま、身をまかせてればいい」 「いや、そんなの……だって、こんなの! こんなことって、あぁっ」 どこまでが憂緒の本心なんだろうか。 でも、本当に心から嫌がってるというようには思えない。 そんなことを考えながら指を細かく動かし、刺激を何度も与え続ける。 指が動くたびに愛液はどんどんあふれ、憂緒の表情も変わる。 「いっぱいあふれてる……気持ちいい?」 「……んっ!!」 また、いやいやと首を振られる。 本当に素直じゃないな。でも、そんなところも可愛く思えて仕方ない。 その姿を見つめながら指を動かし続ける。 「こんなの、ちっとも……よくなんか…」 「じゃ、ここは?」 クリトリスを弾きながら少し奥で指をぐりぐりと動かし、わざと愛液が立つようにした。 すると反応は今まで以上に大きくなる。 「ひああっ!! あ、あああっ!」 「お、反応よくなった」 驚いたような表情を一瞬だけされたが、またいやいやされてしまう。 それでも気にせず、何度も同じ部分を刺激し続ける。 「あ、んっ!! い、やあ、あっ、そこは……あ、あ、だめ!」 「本当?」 「……あっ! あ、あ、の……あん!」 指の動きをゆっくりにしてじっと見つめながら聞くと、憂緒は照れて黙ってしまう。 その姿を見つめてから、また指を激しく動かす。 「ひゃんっ! ん、ああぅ! やめ……お願い、ですからっ! ああっ!」 「……途中でやめたら辛いかもよ」 「そ、そんなこと、あ、ありません、からっ! んぁ、ふっ!」 「まあ、気持ちよくなってるお前が見たいから、やめないけどな」 「そ、そんな! あ、ああっ! あ、いや…嫌ぁ……! ああ、や、奥から……あ、んっ! 久我く、んっ! やめてっ!!」 「もうちょっとってことか。わかった」 「ひ、ぁあっ! だめぇ! だ、め……なの!」 じっと見つめながら指先を動かし続けていると、反応が変わって来る。 びくびくと身体が何度も震え、そろそろイキそうなんだろうってことがわかる。 だから、何度も何度も重点的に反応が大きくなる部分を責め続けた。 「あ、ひぅ!! あ、ああ……だ、めぇ! 私、私もう、あああ、あ……」 大きく何度も震え、憂緒は絶頂を迎えてしまった。 可愛い顔してイッちゃったなあ……。 じっと見つめながら指を離すと、その表情のまま見つめられる。 「はあ、はあ……」 「気持ちよかっただろ」 「き、聞かないで、そんな……こと…」 「つまり、図星ってことか?」 「……」 「黙るってことは、当たってたんだな」 「か、勝手に、そう思っていればいい……」 「じゃあ、そう思ってる」 愛液で濡れた指を舐めながら見つめると黙られてしまう。 本当は良かったくせに素直じゃないな。 でも、そんなとこも可愛い。 そう考えながら腰を持ち上げると、憂緒はすぐに驚いたような表情をした。 「……あっ!」 「ちょっとじっとしててくれ。もう、我慢するの無理」 「あ、あの! な、何を?」 「すぐわかる」 さっきの憂緒の反応を見てじっとしていられるわけがなかった。 抱え上げた腰に自分の身体を近づけ、大きく反応した肉棒を濡れた秘部へと擦り付ける。 すると、感触に気付いた憂緒がまた大きく身体を震わせる。 「あ! そ、それは、だめです!!」 「……さっきからそればっかりだな」 「だめ、それだけは本当に……やめておいた方が……き、きみは遺品のせいでこうなって……」 「だから、あ、後から後悔するのは、きみになるかもしれないんですよ」 「この期に及んで、言うことがそれかよ」 「だって、きみは本当はこんなこと望んでない……」 「憂緒は、俺のことばっかり心配なんだな。自分が嫌とは言わないんだ?」 「後悔なんかしねーよ、大丈夫。じっとして」 色々と心配されているようだったが、憂緒自身は嫌ではないような気がした。 だから、そのままゆっくりと秘部の中に肉棒の先端を挿入させていく。 「ひ、ぁん!!!」 「少しだけ我慢してくれよ……」 「……あ、ふぅ!!」 先端が奥へ進んだこと、拒まれるような強さで締め付けられていることで痛みを感じているのがわかった。 だから、ゆっくりと少しずつ奥へ進んで行く。 「あ、あ……! い、つっ……んっ!!」 「もう、ちょっと……」 「やぁあ…は、はあ……あ、いや、苦し……」 「ん、ごめん……」 「ふあ、あ……あああっ! やだ、いや……」 痛みで表情をゆがめながらいやいやと首を振る姿が可愛い。 こんな姿を見つめていると、一気に奥まで進ませたくなるが負担は与えたくない。 必死に自分の衝動を堪えながら奥までゆっくり進ませる。 「はあ……」 「……んんっ!!! 久我く……ん!」 痛みを訴える顔を見つめ、頬や耳元に口付けながら肉棒を奥へ進ませると中がひくひくと反応した。 だが、それに反比例するように憂緒は戸惑いの表情を浮かべる。 その表情を見つめながら、奥へ奥へと本当にゆっくりと進み続ける。 「もう少し……」 「あ、んぅ!」 ゆっくりとした動きだったが、やっと秘部の一番深い部分まで辿り着いた。 俺の動きが止まったことに気付き、憂緒はやっと安心したような表情を浮かべた。 その顔をを見つめて思わず口付けると、今度は驚いたような表情に変わった。 なんだか今日だけで色んな表情を見てる気がするな。 「ん……」 「大丈夫?」 「そんなの……知らない…」 「わからないか。じゃあ、全部入ったのはわかる?」 「ひあっ!! あ、あ、いや!」 奥に届いているのがわかるようにわざと動かすと、身体が小さく反応した。 そしてまた首を振られて嫌だと主張される。 だが、やっぱり嫌がっているようには見えない。 そう考えながら、奥へ届くように何度か腰を軽く動かす。 「あ、わかるんだ。良かった」 「はっ! あ、あぅ、んんっ!!」 「ほら、奥に何回も」 「あ、ああっ! わ、わかりましたから、奥には、もう、あっ!」 「……」 声を震わせながら伝えられた言葉に背中がぞくりと震えた。 その声と反応がもっと見たくなり、調子に乗って更に腰を動かした。 「ひ、あぁっ! や、う、動かな……あ、あっん!!」 「そう言われても……」 「も、もう、やめっ! ひあ、あぁっ、んっ! そんな、動かれたら、中が、あっああっ!」 「ごめん。もう、止められない」 「そ、そんなの、んっ! 酷いです…っ!」 「うん。わかってる、本当にごめん」 「あ……」 止められない腰の動きを謝罪するため見つめながら言うと、困ったような表情をされた。 その顔を見つめてまた唇を塞ぎ、ゆっくりと腰を動かす。 「あ、んんぅ……!」 「……んっ」 「ふあ、あっ! また、ああ、あぁあ……」 「大丈夫だから……」 「な、なにが、あ、あっ、んぅ!!」 「いいことだけしか、しない」 「え? え、あ、あの、何を言って……ふぁ、う!」 嫌がっているようだが、中の具合は良くなって来ていた。 俺を拒むように強いだけの締め付けが、いつのまにか包み込むような優しさに変わっていたし、憂緒の反応からは痛みが抜けて来ていた。 けれども、まだやり過ぎないように様子を見ながら腰を動かし続ける。 「はぁあ、あ……」 「ちょっと、気持ちよくなって来たか?」 「そ、そんなこと……」 「あるよな」 「ふぁあっ!」 腰を動かし続けているうちに憂緒の表情が変わっていた。 それを認めたくないのか視線をそらされたが、ニヤリと笑って動きを少し激しくしてみる。 すると、さっきよりも反応が大きくなって、中の締め付けが強くなったのがわかった。 「ひ、ああっ! あ、あぅ! そんな、にっ! やめ、ああっ!」 「憂緒のやめてはいいってことだろ」 「い、いやぁ、違う……! ん、んああ!」 「違わない」 「ひぁあっ!! また、そんなことを! あんっ!!」 嫌がる素振りは見せるけれども、俺が色々言いながら腰を動かすと反応がすごく良くなる。 本人は無自覚なんだろうが、わかりやすいよな……。 そんなことを考えながら、何度も何度も腰を動かし奥まで届かせ内側でぐちゅぐちゅと音を立てる。 「ふぁあ、あっ! 久我く……ふ、あ! だめ、本当に…」 「ここまでしたら、中途半端の方がダメだと思うけどな」 「あっ! そ、んなこと、知らない!」 「ふぅん」 じっと見つめながら動きを早くすると、今まで以上に中の締め付けが良くなった。 びくびく震えながら反応させているのを確かめながら、何度も腰を動かし先端を深い部分へと辿り着かせてそこをぐりぐり刺激させる。 「あああっ! やぁっ! 激しく、しないでぇっ!!」 「じゃあ、もっとする」 「え! ふぁあっ! あ、ああっ、こんな、されたら……おかしく、なるぅ!」 「そこまでイイってことね」 「いや……違うっ! そんな風、言ってな、ああっ! はあ、は、あ…久我くんっ」 「憂緒に名前呼ばれると、ぞくぞくするな」 「んっ! だって、だって、こんな……身体、奥まで熱くて……私……」 「だから、それが気持ちいいってことなんじゃないの?」 「そ、そんなこと、ああっ! ちが、あ、ぅああ!」 「強情だな……」 「んっ! ぜった、い、言わないっ……こんな、ちがっ!」 これはつまり、言えないけれど気持ちいいってことなのかな。 だったら、もっとしてやった方がいい気がする。 しっかりと身体を支えて更に奥まで届くように腰を引き、また勢いよく突き上げる。 奥へ届くと強く締め付けられて、愛液の量がまた増える。 どんどん良くなる反応に、ちっとも嫌がっていないことがよくわかる。 「はあ、はあ、は……あ、ああっ! は、だめ、だめ、だからっ」 「気持ちいいって言ってみたら。そしたら、もっとよくなるかも」 「いや! 言わない……! そんな、言えないの……!」 「ふうん……気持ちいいのは否定はしないんだ」 「あっ! あ、ああっ、だ、だって! 久我くんが……」 「そうだな、俺のせいだ」 「あああっ! や! そ、んな…奥に、やめ、ああっ!」 わざと意地悪に言いながら腰を勢いよく突き上げた。 するとまた締め付けは強くなり、憂緒の身体が敏感に反応したのがわかった。 言葉にできないだけで、気持ちいいんだっていうのは十分伝わる。 「はあ……」 「やっ! そんな、激し……あ、ああっ!」 「じゃあ、ゆっくり」 「あ……!」 激しいと言われたので動きを止めると、憂緒は戸惑ったように俺を見つめた。 そんな顔をじっと見つめ返す。 「どっちがいい? 激しいのと動かないのと」 「……いやぁ……」 「嫌じゃわからねーよ。憂緒、どっちか選べよ」 「そんなの……」 「じゃあ、すぐに終わるのといつまでもこのままなのと、どっちがいい?」 「え……」 「これなら答えられるだろ」 「そ、それは……あ、あの……」 もしかしたら、動いて欲しいんだろうか……。 可愛い顔して迷ってるみたいだな……なんか、この顔見てると我慢ができなくなりそうだ。 「あああっ! い、いきなり、ダメぇっ!」 「いや、じっとしてるの我慢できなくて」 そう思いながらもう一度腰を動かし始めると、憂緒の身体が驚いたように反応した。 びくびく震えながらしがみつかれ、腰の動きが徐々に早くなって行く。 「あ、んっ! そんな、勝手な、ことぉ、ああっ!」 「だよな、わかってる……」 「だったら、こんなの、も、ああっ! あ、あぅん!」 「うん。じゃあ、教えて。このまま勝手に動き続けるか、すぐ終わるか」 「あ……あ、あの……す、すぐ…に……」 「わかった。すぐ、気持ちよくしてやるからな」 「ひゃ、ああっ! そ、そうじゃ、な、あああっ!」 これ以上は我慢できず、憂緒の言葉を遮るようにいきなり腰を大きく動かし奥へと突き上げた。 「ふ、ああぁ、あっ! はあ、ああっん!!」 「ん……憂緒っ!」 「久我くん! ん、ああっ! や、あぁ、は、早……く! あ、ああっ! こ、これ以上は、もう、あっ!」 「わかってる」 必死に呼びかけられると、まるで俺を望まれているみたいで嬉しくなる。 その感情のまま、何度も腰を動かし奥まで突き上げ、憂緒の絶頂を促してやる。 「あ、な、なに? あ、奥から、あ、またあの……感じ! ふぁ、ああっ!」 「ん……」 「いや、あんっ! また、変になっちゃ……あ、身体がまた、奥から……!!!」 「それで、いいから……」 「あ、いや! こ、こんなの、いや、あっ! あ、ああっ!」 「憂緒……!」 「い、やっ! あ、久我く、んっ! ふぁあ、ああっ、私また、こんな……あ、ああっ!」 しっかりと顔を見つめて頬を撫で、これが最後だと言わんばかりに勢いよく奥深くまで腰を突き上げ届かせる。 瞬間、一番深いところで勢いよく肉棒が締め付けられた。 「ふぁ、あああっ!!! 久我くんっ!!!」 びくりと大きく、憂緒の身体が絶頂で震えた。 その身体をしっかり支えながら、深く突き上げた肉棒の先端から勢いよく精液を迸らせ、中に注ぎこむ。 「ひ、あ、ああ……お、奥に、なにか……」 「はあ、はあ……」 「あ、あああ……! こ、んなのって……はぁ……ぁ……」 そのままの状態でじっと憂緒を見つめ、その頬を撫でて微笑みを浮かべる。 「久我くん……」 「ああ」 「私……こんな、の……」 「良かった?」 「……し、知りません」 「悪くはなかったってことか」 「ま、また、そういうことを……」 とろんとした表情でじっと見つめられて嬉しくなる。 だから、もう一度頬を撫でてしっかりとその顔を見つめる。 「すっごい可愛かった」 「……やめてください……」 「本当のことだから」 「……」 恥ずかしそうに言い返されてまた嬉しくなる。 こんな姿を見ているともっとしたいと思ってしまうが……さすがにそこは我慢だな。 「村雲静春が、我が血と言霊とともに古き盟約の札にて命じる」 「……刻を、止めよ!」 「やったーーー!!! 封印できたーー!!!」 「っつーか、なんで新参者のオレが結局封印してんだ……」 「す、すいません……おれ、なかなかうまくできなくて……」 「まあそうしょげんなよ。しっかしこれでようやく、クソ久我が元に戻るな! ったく、手間かけさせやがって」 「あんな気持ちわりー姿、もう二度と見たくねー!」 「これで憂緒さんも安心ですね」 「ておくれって?」 「わかんなきゃ気にすんな。それより、これこのまま置いとけねーな」 「……そうだ、リトさんのところに持っていかなくちゃ!」 「あいつ等が来てややこしくなる前に、図書館に持って行くか」 「はい! おれもご一緒します!」 「………ってゆーかよ、烏丸さ、もうちょっと何つーか……オレに殴られた事とか気にしてもいいんじゃねえの」 「はい?」 「……………………」 「……………………」 「………………最悪だ……」 目覚めは最悪だった。 いや、最悪にならないわけがない。 散々俺を苦しめていた妙な衝動はさっぱりと消えうせていた。 おそらく遺品が封印されたのだろう。 ………。 もちろん、これまでのことは、全部きれいに記憶に残っている……。 「いや、俺もどうかと思うんだが、おまえがすごくかわいい!!」 「でも俺は、憂緒ちゃんには、笑っていて欲しい。どうしたら笑ってくれる?」 「照れてる憂緒ちゃん……可愛い……」 「好きだ、憂緒……」 「あああああ……」 しかもそれだけじゃない! 昨日のあのことももちろん、ハッキリしっかり覚えているわけで……!!! 遺品のせいとはいえ、俺は本当になんて取り返しのつかない……。 昼休み、モー子を探して校舎中を探し回った。 結局、校舎内にモー子の姿はなく、見つけたのは中庭だった。 どうやら、ここでお茶を飲んでいたらしい。 しばらく様子を見てどうしたものかと考えていたが、考えているだけではどうしようもないのはわかっている。 落ち着くために深呼吸をし、意を決してモー子の側へと移動する。 「………」 「………」 非常に、気まずい。 モー子は近付いた俺に目を合わせてくれないどころか、視線すら向けてくれない。 しかし、昨日のことを謝らないわけにはいかない。 もう一度深呼吸をして、なるべく平常心を保ちながら話しかける。 「あのー、モー、いや、鹿ケ谷さん……」 「なんでしょうか?」 「昨晩は、本当に、本当に申し訳ありませんでした……」 「……なんのことですか?」 「え……」 返って来た言葉に驚き、まじまじとモー子を見つめる。 その表情はいつもと変わらず、冷たい目で見つめられるだけ。 だが、慌てた様子も、昨日のことを怒っている様子も見受けられない。 「急に敬語で謝られても意味がわからないのですが」 「う、え……」 もしかして、覚えていないのか……? まさか、遺品の副作用とか? どうなのか判断がつかず、じっと見つめてみるが全くわからない。 あまりにもモー子の表情はいつも通りすぎる。 「何ですか? 人の顔をじろじろと見つめて」 「いや、あの……」 「それに、意味もなく謝罪されても困ります。きみは、私に謝罪しなければいけないことを何かしたと?」 「それは、あの……」 これがもしも、遺品の副作用なんだとしたら、わざわざ思い出させるのはあまりにも酷だよな……。 少し卑怯な気もするが、ここは黙っておいた方がいいか。 俺は喉元まで出掛かっていた言葉を、無理やり飲み込んだ。 「いや、あの、なんでもない……忘れてくれ」 「まったくきみは。突然意味がわからないことを言うのはやめてください」 「……はい」 「もっと自分の言動や行動には、責任を持つべきです」 「はい。そう思います」 「……いやに素直で気味が悪いです」 「どうしろと……」 さすがに今日は色々言い返す気にもなれない。 それに、本当に忘れているのか、もしくは忘れているふりをしているだけなのかも気になる……。 モー子の態度からは、やはりまったくどちらなのか判断できない。 というか、こうして話してると昨日のことを色々思い出してなんか恥ずかしくなるんだが!!! 「あ! みっちー! 憂緒さん!」 「あ、ああ、おまる……」 二人で話しているとおまるが俺たちに気付いてやって来た。 正直、このまま二人だけでいるよりも随分助かる。 「良かった。みっちーちゃんと元に戻ってるね」 「ああ……あの、お前が、がんばってくれたんだよな?」 「そうだよ! 村雲先輩と朝早くからがんばったんだから!」 「村雲もか! そうか……本当にすまん……!」 「何言ってんだよ! 仲間を助けるのは当たり前だろ!」 「ううう……」 これは、しばらくおまるにも村雲にも頭が上がらないな……。 おまるのやつ体力ないのに、随分頑張ってくれたようだ。 「烏丸くん、お疲れ様でした」 「いいえ、大丈夫です! それより、おれも特査分室の仕事をようやくちゃんと手伝えたって気がします」 「そうですね、久我くんよりよほど頼りになります」 「うう…………」 「言いたいことがあるのなら、きちんと仕事をしてください」 「わかってるよ……」 「はー。でも本当にみっちーが元に戻って良かった!」 「我ながらそう思う」 「……本当に」 「え? モー子、今なんて?」 「なんでもありません。気のせいです」 「………」 「………」 気のせい、ね……。 いや、あまり深く考えるのはやめておこう。 俺だって、あのとき感じていた気持ちが本当に遺品で作られたものだったのか、自分でもよくわからなくなっているのだが……。 ――本当のところはどうなのかなんて、考えない方がいいに決まっている。 モー子とおまるとは、特殊事案調査分室の仲間としてこれからもやっていくんだし……きっと、このままがいいんだよな。 …………まあ、もうしばらくは自分のしたことの罪悪感にさいなまれそうだが。 「はあ、疲れた……」 「そうは言うけどな」 「まあ、立て続けに事件が起こりすぎた事は認めます」 ここ数日、俺たちは立て続けに現れた遺品に振り回され続けた。 ようやく今、全てが終わって分室に戻って来れたところだ。 今回はあまりにも数が多かったせいで、俺とモー子、おまると村雲の二手に分かれて事件を片付けることになった。 おまると村雲は別の場所で担当していた件が片付いたから、先に寮に戻ると言って帰ったばかりだ。 「あとは今回の件を書類にまとめておけば終了ですね」 「それは後でも良くねーか?」 「まあ、それもそうですが……」 「泊り込みにならずに帰れそうだし、今日はもう寮に帰ろうぜ」 「……そうですね」 「……ん?」 「また何かあったのでしょうか」 「俺が出るよ」 「なっ!!?」 扉を開けると金色の光がものすごいスピードで飛び込んで来た! 慌ててそれを避けると、その光は俺の脇スレスレを飛んで部屋の奥へと入って行く。 ……ちょっと待て…今の、どこかで見たことあるような……。 かなり思い出したくない思い出がよみがえりそうになり、慌てて思考をストップさせる。 いや、そんなことよりあの光、さっきモー子の方に飛んで行ったな!! 「お、おい! モー子!!」 「何ですか?」 「大丈夫か? さっきほら、なんか光がバーッって……! お前の方に!」 「なんのことです。それより、今のノックは結局誰だったのですか?」 慌ててモー子に駆け寄って見つめるが、反応はいつも通りだ。 部屋の奥へと飛んでいった光は、気のせいだったんだろうか? いやでも、あの光はやっぱり見覚えがある……。 ――クピドの弓の放つ、金色の光……。 「……ま、まさかな! なんでこんな時間にあれが! こんな所に! ねーよ!」 「久我くん? 何を叫んでいるのです?」 「いや、モー子が何もないならいいんだ」 「…………」 「……ん?」 「…………」 「……そんな、ばかな」 じっと見つめられたと思うと、モー子は苦虫をかみつぶしたような顔をしながら首を勢いよく振った。 ……とても、嫌な予感がする。 「な、何?」 「そんなばかな」 「何言ってんの、お前……」 すごくすごく、とても、とても嫌な予感しかしない。 「久我くん」 「は、はい……」 「久我くんっ!!!」 名前を呼ばれ、いきなりモー子に力一杯抱きつかれた。 完全にありえない行動に、確信する。 ――さっきのあれはやっぱりクピドの弓の光だったのか! しかもこの状態ってことは、こいつさっきの光に当たりやがったな!! 「落ち着け! は、離せモー子! 離せ!!!」 「嫌!」 「嫌ってお前な!!」 「非常に不本意ですが、好きです……!」 「不本意って!!!」 「心から不本意です! でも好きです!!」 「あああああ……」 この状況はもう疑う余地もない。 間違いなく金色の光に当たって、その作用で俺の事を!! 自分が陥った状況と全く同じだから、今こいつがどういう心境なのかもよくわかる。最悪だ! 「ちょっと待て、離れろ! 頼むから離れてくれ!!」 「嫌です。離れません。私はきみに抱きしめられていたいのです」 「抱きしめてねえ!!」 「このような状況、まったくもって不本意ですが」 「じゃあ、離れろよ!」 「それは嫌」 全然話にならねえ……! 俺もここまで酷かったのだろうか。もう少し聞き分けはよかったような気がする……んだが。 仕方がない。これは力ずくで引き剥がす以外の方法はなさそうだ。 「くそ……ちょっと乱暴かもだが、勘弁してくれよ」 モー子との身体との間に、自分の腕を挟みこんで無理やり引き剥がそうとした瞬間―― 腕の中のモー子がぽつりと呟いた。 「――――自分の時は、無理やりしたくせに」 その言葉を聞き、身体が硬直してしまう。 「な、な、何? いま、お前なんて……」 「好き勝手に人のことを弄んで……」 今、こいつなんて言った……? あの時のことは、覚えていないのだという結論になったはずだったのに……。 「お、おまえ、ま、まさか……やっぱり覚えて……」 「きみは私のことを好きだと言ったではありませんか」 「ぐうっ……!」 「それなのに、立場が逆転したら、今度は力ずくで抵抗するのですか?」 「あ、あ、あの、それは……」 手を出した本人から問い詰められ、罪悪感が半端なく湧き上がってくる。 力ずくで無理やり引き剥がすなんて、もう出来るはずもなかった。 「悪かったと思ってるよ! 本当に! お、お前にあんなことしたのは……」 「じゃあ、これでおあいこですよね? 大人しくしていてくれますね?」 「……い、いや……それは…」 「久我くん……あぁ……きみを見ていると、胸が熱くなって……私は……」 「不本意なんだろ! 遺品のせいだよ! 正気に返ったら絶対凹むから止めとけ!」 「でも、普段の私が何を考えているかなど、きみにはわからないでしょう?」 「あぁ。それとも、きみは普段の私に迫られる方がよかったのですか?」 「ぐう!!」 ああ、もう……! あの時俺が言ったことが、全部そのままそっくり返って来てやがる! なんなんだこの状況。天罰か? 「いや……確かにそれはそうなんだけど、でもな!」 「あの時は確か、ここを触ってくれと言っていましたね」 「なああ! ちょ、ちょっと! ちょ、待っ!!!」 俺が戸惑っている間に、モー子はいきなりズボンに手をかけて触ろうとし始めた。 いや俺の時はもうちょっと色々あっただろう! いきなり、こんなとこ触られてたまるか!! 「何故嫌がるのですか?」 「いやだって、それはダメだろおまえ!!!」 「きみが触って欲しいと言ったのに」 「言ったけど、あれは違う!」 「何が違うのですか。私はきみに、半ば脅されるようにして触らされたのですよ。なのに、今度は嫌だ、違うと?」 「随分都合のいいことばかり言う……それで、本当に悪かったと思っているの?」 「う、うう!!!」 「ほら……触ってあげますから」 「なっ!!」 そのまま、身体を押されてバランスを崩してソファーの上に押し倒される状態になってしまう。 ソファーに押し倒され、自分の上に乗る状態になっているモー子に視線を向ける。 一体何があって、どうなって結果こんな事になったのか軽く混乱してきた。 しかし、それ以上に気になることがある。 何故なら、モー子が牛柄のパジャマを着ていたからだ。 「え? え、ああ?」 「……」 「あの、モー子……その格好、なに? いつ着替えた?」 ついさっきまで、制服だったはずだ。多分。 何が起こってるんだ? それとも俺の記憶がおかしいのか? あとモー子はそういうパジャマを着るようなキャラなのか? 「今日は泊まりになるかと思い、パジャマを持って来ていたのです」 「あ、そうなんだ……」 ……って! いつ着替えたかの答えになってねえ!! 「確か、ここをこうするんでしたっけ……」 「う、あっ!!」 人の話を全く聞かず、モー子は俺の下半身辺りをまさぐり始めた。 さすがにやばいとは思ったものの、俺の上にのった小さな体を無理やり降ろしてしまうことは気がひける。 あんなことがなければ、俺だって遠慮なくやれたんだが……。 「ちょ、ちょっと! モー子、ホントに!!」 「本当に、何?」 「や、やめよう。な。頼むから! 俺のこと好きなんだったら、頼みを聞いてくれ!」 「私も確か、何度もやめてくださいと、言いましたよね」 「…………!!」 「そして、きみの理論によると、『やめて』は『いい』ってことなんですよね」 「…………」 しまった……何も反論できない……。 「どうしたらいいですか? 教えてください、あの時は詳細に指示があったと思うのですが」 「う、うう…………」 「もう一度……あの時みたいに教えて……こう、すればいいのですか?」 俺をじっと見つめ、モー子が肉棒を扱きながら先端を指先でぐりぐりと弄り始めた。正直、気持ちいい。 びくっと身体が震えて、肉棒もびくびく反応してしまう。 「う、う!」 「あ、これは正解のようですね。じゃあ、もっと……」 「だ、ダメだっつってんのに……」 「どうして? だって、身体はダメだと言っていないみたい……ほら…」 また根元から扱かれ、びくんと肉棒が大きく震えた。 おまけに先走りもあふれ始め、モー子は指先でそれをすくってはまた先端をぐりぐりと弄る。 「あ、うっ! モー子……やめ……」 「ん、久我くん……こんな時に、そんな呼び方は……しないでください……」 「な……何言って、お前」 「きみがそう言っていたのではありませんか」 「い、いやモー子、あれはな……」 「そう呼ぶ限り、会話しません……んっ」 「んっ! ま、待てって!」 「…………」 呼びかけは無視された。 しかも、何度同じように呼びかけても全く反応してくれない。 これじゃあ埒が明かない。 どうしろって……どうすればいいか、わかってるよ!! 「っくそ! わかった! わかったよ、憂緒! これでいいだろ!」 「はい……」 「お、俺の話を聞いてくれ。な、憂緒」 「はい、どんなお話ですか」 「憂緒の顔を見て話したいから、とりあえず降りてくれないか?」 「では終わったあとに、お話しましょうね。んんっ……」 一方的に答えた後、モー子は突然俺の肉棒を舐め始めた。 ねっとりした感触ですぐそれに気付き、どうすればいいのかと軽く混乱した。 しかも、目の前には何も身に着けていない、モー子の柔らかそうなお尻が無防備にさらけ出されている。 本当にどうしろというんだ……! 「は……うっ! ちょっお前っ! それはっ……!」 「ん、んぅ……ちゅ、ちゅぅ……久我くん……前は、私のこといっぱい、はあ、ふっ! 触ったくせに……んんぅ!」 「んっ!」 「どうして、今日は触ってくれないの? ん、んぅう、んむ、ちゅぅ……ふ、ふあ……あ……」 「そ、それは……」 「ぁ……んん……私……久我くんに、触れてほし……」 「ん……憂緒、もう……」 「はあ、あ……久我くん……」 「はあ、はあ……」 どうにかして、この状況を終わらせねば。 こうなってしまえば、結局どうしたって止まらないのだ。自分がそうだったからよくわかっている。 とりあえず、満足させてしまえば大人しくなってくれるかもしれない。 ――そう思いながらも、モー子の懇願や自分の衝動に負けたような気も心のどこかでしていた。 「久我くん、ん、んっ! どうしたら、触れてくれるのですか? ん、ちゅ、ちゅっ……は、んむぅ……」 「わ、わかった、から! んっ!」 「ひぁあっ! あ、あぁあ、あ……!」 一旦素直に頷き、目の前にあるモー子の秘部に顔を近付け舐め始める。 こうなったら終わらせてしまうしかない。 舌だけでなく指も使い、濡れ始めている秘部を必死に愛撫する。 ねじ込んだ指を奥で動かし、指を動かしたまま舌で浅い部分を舐め回す。 「ふぁ、あぁっ! あ、あ、あん、んむぅ……ん、ぁあふ!」 「は、あぁ、んっ」 「久我く……ん! ん、あああ、あ、気持ちよく……っ!」 「ん、俺も……」 「あ、嬉しい、久我くんが……私に! ん、んん……は、んっ」 指と舌を動かし秘部を愛撫し続けると、奥からどんどんと愛液があふれる。 それを必死ですくい取り、指を動かし続けるとモー子の身体がびくびくと何度も震える。 俺に責められながら責めているせいか、モー子のやつはすごく必死になっているようだった。 流されそうになるのか、時々動きが止まってしまう。 「あ、ああっ! 指、をそんなに奥までっ!」 「んっ! はあ、は……」 「ふぁ、う……う、んっ、私も…ちゅぅ、んむぅ!」 「……!」 「は、んぅ…! あ、擦りながら、舐めるのが好きなの……は、ふ…わかりました」 「わからなくて、いい……!」 「いや。久我くんのこと…はあ、ああ……もっと、知りたいから」 「ったく! んっ!」 「ひ、ぁあっ! あああ、そこは、あっ!」 声が大きくなり、反応が良くなった部分を重点的に責める。 指を動かすと中は締め付けられ、あふれた愛液を舐め取るとびくりと震えられる。 やばい。モー子の方も俺を上手く責めて来ているから、さっきから肉棒が何度も反応している。 このままじゃ、俺もすぐにイキそうだ。 「ふぁあ、あ……久我くん! ああ、ん、あああっ」 「も……ダメか?」 「ん…わ、わからないです! でも、身体の奥が熱くてっ…! ひゃんっ!」 答えながら、それでもモー子は手の動きを止めない。 肉棒全体をうまく刺激されて、俺も我慢の限界が近付く。 このまま流されるわけにはいかないと、一気に刺激を強くしてモー子を責め立てる。 「は、んんっ」 「ひ、ああぅ! あ、久我くん! わ、私もう、あ、ああっ!」 「ん、俺も、だから……!」 秘部の奥まで刺激させ、深い部分へ指をねじ込みぐちゅぐちゅとかき回す。 瞬間、モー子の身体がビクビクと震えた。 そして、モー子は震えながらも俺の肉棒を強く刺激する。 お互いの身体を責め合い、同時に身体を震わせた。 震えた肉棒の先端から精液があふれ、モー子の顔を汚す。 「……うっ!」 「久我くっ…! あ、あああっん!!!」 モー子は顔を汚したまま小さく震えて絶頂を迎えていた。 「……ぁぁ……あふ……あ……久我くん……」 これでモー子も満足してくれただろう……。 途端に襲ってくる虚脱感と小さな罪悪感を、なんとかやり過ごして俺は言葉を出した。 「は、はあ……これで満足しただろ……降りて……」 「……いや」 「な!?」 首を振って嫌がりながら、モー子は出し終わった肉棒を舐め始めた。 今そんなことをされたら……!! 「も、もういいだろ! 早く帰らないと、だ、誰か来たら……」 「誰も来ません……ん、んぅ、夜も遅いから……」 「あ、う、うう……」 「は、んぅ。それに、あの時はこの後も……んんぅ、行為は続いていましたよね?」 「あ……」 ――そうでしたー!!!! 俺のバカーー!!!! 挑発に乗ってしまったことを後悔しながら、これからどうするか悩んでいる間も、モー子は肉棒に舌をはわせて何度も舐め続けていた。 「あ、あの、今出したばっかだから、む、ムリ。たたない」 「……反応しているようですよ」 「あっ!」 勝ち誇ったように言いながら、モー子は反応している肉棒の先端を舐め続ける。 舐められ舌が動く度に肉棒はびくびく反応する。 ……もう死にたい。 「きみは、さっきから嫌がってばかりですね」 「それは…」 「あの時は、私のことを好きだと言ってくれたのに……あんなに私を求めてくれたのに……」 「あ、あの時はだな!」 「もう一度、あの時みたいに私のことを、好きになって……」 「う、うう!」 悲しそうに言いながら、モー子は肉棒に顔を擦り寄せた。 いや、あの、そこ擦り寄せるところじゃないし……と思っているのに、体は反応してしまう。 情けない……本当に情けないが、こればっかりは仕方ない。 モー子はまた反応した肉棒を見つめて舌を這わせる。 「久我くん、また……これを……んっ」 「う!」 「はあ……私の、中に……」 彼女が何を言いたいのか、一瞬で察してしまった。 というか、この状況でわからないわけがない。 だが、それだけは……。 「い、いや、それはやめとこう! それだけは本当にだめだ!」 「久我くんはそればっかり……」 「お前は、遺品の影響でこうなってるんだから、絶対後悔するって! 間違いない!」 「ということは、きみ自身が嫌というわけではないんですよね?」 「だーーー!!! そうじゃねえ!」 「久我くん………」 「……う」 視線を向けてじっと見つめられると、何も言い返せなくなる。 くそ……悔しいが、こいつ本当に可愛い顔してやがる……。 「だから、あの…」 「わかりました。ではきみは自分だけ満足して、私は満たされなくてもいいというのですね」 「そ、そういう、わけでは……」 「久我くん……好きなんです……」 「あの時のように、きみとひとつになりたいんです……どうしても……」 「後悔なんか、しないから、大丈夫だから……お願い……」 あのモー子に、潤んだ瞳でこんな事を言われて、しかもこんな状況で……。 これ以上制止することは、俺にはできそうにない。 「……っ、くそっ! ああ、もういい! もう知るか!」 「どうなっても、知らねえぞ」 「あ……!」 モー子の身体を抱え上げ、その身体を近くの本棚に押し付けてじっと見つめる。 「あ……ぁあ、久我くん……」 「入れて欲しいってことだよな?」 「は、はい。早く……」 「わかったよ」 「……んんっ!」 そのまま、モー子の中に肉棒を進ませる。 さっきの愛撫で濡れた秘部の奥に肉棒がすんなり進む。 奥まで届くとねっとりした感触に絡み付かれ、思わず身体がびくんと震えた。 そんな俺の様子に気付いたのか、モー子は嬉しそうに抱きついて来る。 「あ、ああ、久我くん……久我くん…!!」 「何だよ……」 「あ、あの……あの……」 動き出さずにじっとしていると、モー子は何度も抱きつき身体を擦り寄せて来た。 このままの状態がじれったいのか、物足りなさげな表情で見つめている。 わかっているが身体は動かさず、中に埋めた肉棒だけをびくびく動かしてみる。 「ふぁっ! あ、ああ、そ、そうでは、なくて!」 「中に欲しいって言ったのはお前だろ」 「そ、そうですが……ああ……」 「もう満足したのか?」 「そんなの……! あ、あ! ま、まだ、満足なんか……」 「じゃあ、動いてもいいってことだな」 「え! あ、ふぁああっ!」 答えを聞いてしっかりと抱きしめ直し、いきなり激しく腰を動かし身体を突き上げる。 突然の刺激に驚き、モー子は今まで以上に強く抱きついた。 「ひあぁっ! あ、あっん!! あ、いきなりっ! そんな、奥までっ!!」 「でも、こうされたかったんだろ?」 「んっ! ああ、ふぁあっ! そ、そう、です……けど!」 「じゃあ、いいだろ」 「あ、ひぃ! あ、中で、そんな動いちゃ……あ、ああっ!」 腰を突き上げ動くたびに中で強く締め付けられる。 けれど、十分に濡れていたおかげで、動きは良くなるばかりだ。 突き上げ奥へ届かせる度にあふれる愛液でぐちゅぐちゅと音がなり、締め付けはどんどん良くなっていく。 「ひ、んっ!! 久我くんのが、中、中でぇ! あんっ!」 「中で、どうなってる?」 「中で動いて、私の中を……は、激しくしてっ! ああっ!!」 「気持ちいい?」 「は、い! 気持ちいい! すごく、気持ちいいですぅ! はあ、ああっん!!」 「なら良かった」 「ふぁああっ!」 抱きしめ直し、突き上げる角度を変えると反応が変わった。 モー子が抱きつく力もつよくなり、こっちの方が良かったのだろうかと思う。 それならと、そのままの角度で何度も奥まで突き上げる。 「……んっ!」 「ふ、あっ! 奥、奥が、すご、い! いいのぉ!!」 「奥……こう?」 「あ、ん! あ、あああっ! それ! すご……久我くんのが、いっぱい、当たってぇ!!!」 「ああ、それがいいのか」 「ひああっ! あ、ああっ! いっぱい、もっとぉ、あっ!」 「わかってる……んっ」 言われる通りに奥まで突き上げ、先端をそこでぐりぐりと擦り付ける。 抱きしめ突き上げ、奥で擦り付ける度にモー子は強く抱きつき、素直に声を出す。 普段からこのくらい素直なら、可愛げもあるのにな……。 「……やっぱ、こういうときは可愛いんだな」 「え? え、あっ! ひゃ、あっ!」 「お、中がきゅってなったぞ」 「あん……だ、だって、久我くんが、か、可愛いとか言うから……!」 「ああ、なるほど。言われたら嬉しいのか」 「あ……そ、それは……」 「ん、可愛い」 「……んっ!!!」 可愛いと言う度にモー子の身体が震え、内側がびくびくと反応していた。 それがあまりにも可愛く、腰を動かしながら思わず頬や耳元に口付けていた。 そして、口付ける度にまた内側がびくびくと反応する。 「は、はあ、はあ…久我くん……!」 「あんま可愛いと、これ以上我慢できない」 「あ! わ、私も……これ以上されたら、もう!」 「ん、一緒にいくか?」 「うん。久我くんと、一緒が、いい……」 「いいよ。じゃあ、一緒に……」 「ふぁあっ! あ、ああっ!!」 じっと見つめて頷いてから、動きを更に激しくする。 何度も奥まで突き上げ、何度も身体を抱きしめる。 「ああ! 久我くん! 好き、好きですっ! ふぁあ、ああっ!」 「ん……憂、緒……」 「ふぁあっ! あ、あ、好きぃ!! い、言ってぇ、久我くんも……っ、お願いっ……」 「…っ……好きだ……憂緒っ!」 好きだと伝えるとまた反応が良くなったのがわかった。 締め付けられ絡み付くような感触に頬が緩んで仕方ない。 正直、それが嬉しくてたまらない。 素直で可愛い反応をもっと感じたくて、奥へと何度も突き上げる。 「あ、ああっ! だめ、もう、私! こ、このままじゃ、ああっ! あん!」 「このままじゃ、どうなる?」 「ふ、あ、あ、ああっ! ど、どうって、あっ!」 「教えてくれよ」 「やあ、あああ……っく、イク……イッっちゃうからぁあ!!」 「ん……俺も……!」 頷き頬を撫で、そのまま奥まで勢いよく突き上げた瞬間、モー子の身体がびくりと震えて内側が強く締め付けられた。 その強い締め付けに耐えられず、奥に埋めたまま勢いよく精液を吐き出した。 それに合わせ、モー子も大きく身体を震わせて絶頂を迎える。 「はあ、は……」 「ああ……久我くんが、中、いっぱいに……入って…ふぁ……ぁ……」 「ああ、全部入れたよ」 「嬉し……久我くん、好きです……」 「………俺も好きだ…」 軽く唇を重ね、何度も触れ合わせるとモー子はうっとりしたような表情を浮かべた。 こんな顔もできるんだな、こいつ……。 「嬉しい……やっと、これで私、久我くんと両想いに……」 (確か、そのまま泊り込んでしまったんでしたっけ……) (じゃあ、さっきのは……夢……) 「……くっ!!」 (何故、あのような……) (なんで、私が! あんな! ことを! だいたい! なんで! あそこまで! 嫌がるんですか!) (だめだの! やめようだの! もういいだの! たたないだの!!) (あげく、最後は好きだとか……! あれではまるで、誰にでも好きだと簡単に言うようではありませんか!!) (そんなのは全然……! 全然! アレです!!!) 「あ、やっぱり泊り込みだったか……つーか、さっきなんか音がしてたけど、どうした?」 「……いいえ、何も。それより、なんですか?」 「え? い、いや、あの……」 泊り込みで仕事を片付けていたらしいと聞いて、様子を見に来たものの……。 何だ。事情はさっぱりわからないが、こいつ、すごい不機嫌みたいだ。 ――もしかして、朝だからか? 「おまるが、モー子が泊り込みしたみたいって言ってたからちょっと様子見に……」 「へえ、そうなんですか」 「ああ……」 声の刺々しさが全然違う。相当虫の居所が悪いらしい。 おそらくこの態度からして、俺に怒っているように思うのだが……。 俺、何かしただろうか。何もした覚えはないんだが。 というか、昨日別れたときはいつも通りのモー子だった。そして今日は今初めて顔を合わせた。 ――何も出来るわけがない。 心当たりがない以上、あまり構わない方がいいのかもしれない……。 とりあえず、座ってじっとしているか。 「そこ!」 「そのソファーには座らないでください!!」 「え? ええ? な、なんで? え?」 いきなり言われて慌てて立ち上がったはいいが、俺はソファに何かしただろうか? しばらく考えてみるが、やっぱり何も浮かばない。 というか、ここで何か浮かぶのもおかしいだろ……。 「あ、あの、俺、なにかまずいタイミングで入ってきたのか?」 「知りませんよそんなことは!!」 「えっ……」 「……まったく」 「……」 「……まったく、不公平です……!!」 モー子は不機嫌そうな顔のままで、何かよくわからない事を呟いている。 ――何なんだ。 全く、これっぽちも身に覚えがないが、逆らっちゃいけないオーラだけはびしびしと感じる。 ここはやはり、じっとおとなしくしておくのがいい気がする……。 しかし本当に、何があったんだ……。 しばらく消えた扉を見つめ、呆然と佇んでいたが、ふと我に返る。 「帰ってきた……」 「そうみたいだな」 休み時間なのだろうか、生徒たちの声が聞こえる。 あまりにも日常すぎて、逆に変な感じがした。 でもここで突っ立っているわけにはいかない。 「教室まで送るよ。みんな、心配してるだろ」 「あ……そ、そうですね」 (帰ってきたってことは、これで久我くんと二人きりも終わっちゃうんだ……) 「ほら、行こう」 「風呂屋、どうしたんだ。具合でも悪いのか?」 教室に向かおうと歩き出そうとしたけれど、風呂屋はその場から動かない。 具合が悪いとか、もしかしてケガでもしたとか……。 (もう二人きりになれないのかな) 「おーい、大丈夫かー?」 (なんだか、そんなの寂しい……) 立ち止まったまま動かない風呂屋の顔を覗き込むように見つめる。 だが反応はない。 何か考えごとでもしてるのか……? 「風呂屋ー」 「風ー呂ー屋ー」 「お、気がついた」 覗き込んだ顔をじっと見つめていると、やっと気がついてくれた。 相当驚いたみたいだ。 一体どうしたんだか。 (え!? え、ええ? な、なんで久我くんの顔がこんなに近いの!?) 「大丈夫か?」 「は、はい! だ、だだ、大丈夫です!!」 (こ、こんなに近いとドキドキしちゃう!!) 「よし、じゃあ教室まで戻るぞ」 (こ、こんなにドキドキするなんて、わたしやっぱり久我くんのこと本当に好きに……) 「チャイム鳴る前に移動しないとな」 「あ! あ、あの! あの!」 「ん?」 「ちょ、ちょっと待ってください」 (わたし久我くんともっと一緒にいたい! もっと久我くんのこと知りたい!) 「どうかしたのか? やっぱりどっか具合悪いか」 「い、いえ……そ、そういうわけではないんです」 (どうしよう。どうしたらいいのかな。もっと一緒にいたいですって言っていいのかな。いきなりすぎるかな?) 「じゃあ、どうした?」 俺を呼び止めた風呂屋は、落ち着きなく周りを見つめていた。 何か考えているような、迷っているような。 ……なんなんだろう? 「えと、あ、あの、お、お話が、あ、あります!」 「話?」 「……? 夜だから、あんまりよくわからないけど、まあ悪くはないかな」 (も、もう! わたしったら何を言ってるんだろ! せっかく一緒にいるのに) 「話ってそれか?」 「い、いえ。そ、そういうわけでは」 天気のことが話したかったわけはないよな。 じゃあ、だったらなんの話がしたいんだ。 「じゃあ早く、教室に戻ろう。みんな心配してるぞ」 「そ、そういうわけには!」 「じゃあ、どういうわけだ?」 「そ、それはあの……」 (ううう! 何を話せばいいのかわかんないよう!) 「俺もすぐに戻った方が良さそうだし……」 「え! え、あの……」 モー子は怒ってそうだし、おまるは泣いてそうだから、あんま戻りたくないんだけどな。 でも、そんなわけにはいかない。 「ほら、行こう」 「だから、あの! その、つまり……えっと!」 (も、もう! はっきり聞いちゃうしかない!!) 「うん?」 「こ、久我くんって、彼女とかはいるんでしょうかー!?!??!?」 「……え?」 聞こえて来た言葉に一瞬、我が耳を疑った。 今、風呂屋はなんて言った? 彼女……って言ったっけ? 誰に? いや、俺にか!? 「ど、どどどど、どうなんでしょうか!」 「いや……いない、けど」 「本当ですか!!!」 「お、お、おう」 いないと答えた途端、風呂屋がすごい勢いで迫って来た。 あまりの勢いに思わず足を一歩引いたが、風呂屋はそのままがぶり寄ってくる。 「じゃ、じゃあ! わたしなんかどうでしょうか!?!?」 (良かった! 久我くん彼女いないよ! これってあれだよね? わたしにもチャンスがあるってことだよね!) 「え!?」 「だから、あの! わたしです!」 「いやいやいやいや! ちょっと待て、落ち着け」 「どこがだよ。全然だ!」 「わたしじゃ、ダメなんですか?」 「いや、だからな……」 確かに、風呂屋のことは嫌いじゃない。 と、思う。 でも、好きだっていうのとは違うというか……。 だいたい、さっきまで二人とも普通の状況ではなかったわけだしな。 もしかすると、あの空間に一緒にいたことで風呂屋は俺のことを好きだと勘違いしたのかも。 「お前、つり橋効果って知ってる?」 「なんですか?」 「俺とお前は、さっきまで二人っきりであの空間で過ごしてたよな?」 「はい! すごくドキドキしました!!」 「それだ! さっきのは通常じゃない、興奮状態だった」 「だから、なんですか?」 「つまりお前は、興奮状態で正常な判断ができなくなっている、かもしれない」 「え……」 「その興奮状態のドキドキを、俺が好きだと勘違いしてるだけかもしれないだろ」 「…………」 俺だって、さっきの世界が普通じゃないことくらいわかっている。 風呂屋のことが嫌いじゃないっていうのも、そのつり橋効果のせいかもしれない。 だから、俺だって少しは落ち着く必要があると思う。 それ以上に風呂屋は落ち着いた方がいいかもしれないが。 ―――それに。 ひとつ大事なことがある。 俺と風呂屋は別の世界の人間だ……。 「時計塔の鐘の音と共に、学園には魔術で繋がれた『夜の世界』が現れ校舎と一体化します」 「夜しか存在しない世界。私たちのいつも見ているこの世界の、裏側の世界のようなものだそうです」 「普通という単語が適切なのかどうかはわかりませんが、私たちと何ら変わりはない生物学的な意味で普通の人間だそうです」 「けど、俺達とは違う世界の住人だってのか?」 「夜が来て鐘が鳴らないと、現れない?」 「思っていたより理解が早くて助かります」 『夜の世界』の人間と、俺はずっと一緒にいることは出来ないだろう。 風呂屋は、それをわかっているんだろうか。 「とにかく一旦落ち着いて、それからよく考えた方がいい」 「でも、だって……」 (久我くんはわたしの王子様じゃなかったけど、あの場所でドキドキしたから好きなんじゃなくて……) 「あ……」 「あっ」 「ほら、授業始まるぞ。早く戻った方がいい」 「……」 「俺も分室に戻らないといけないから、そろそろ行くよ。送って行けなくて悪い」 「勘違い……」 「そんなこと、ないもーん……」 「…………」 「ああ! みっちー!!」 「……!」 特査分室の扉をそっと開けると、まず真っ先におまるに気付かれた。 そして、自分の席に座ったモー子と目が合った。 ……が、すぐにその目をそらされた。 すごく、中に入りにくい。 と言ってる場合でもない。 「え、えっと……ただいま」 「わーん!! 無事でよかったー!!!」 おまるは半泣き状態になりながら俺に詰め寄ってくる。 よっぽど心配させたみたいだなあ。 「わ、悪かったって」 「違うよ! おれが鍵を渡したから!」 「でもほら、大丈夫だっただろ。風呂屋もちゃんと見付かったし」 「本当!?」 「ああ、もう教室戻ったから」 俺と風呂屋の無事を知って安心したのか、おまるはへにゃへにゃとその場に崩れ落ちた。 それだけで、どれだけ俺のことを心配していたかがよくわかる。 「はあ……」 「えっと……」 ため息をついたモー子は、俺とおまるのやり取りが終わってからやっと視線をこちらに向けた。 その目は、とても冷たい。 「え、えっと、憂緒さんできればほどほどに……」 「そうできれば良いのですが」 「う……」 「いいよ、おまる。俺のせいだ」 「その通りです。きみは私の話を、きちんと聞いていましたか?」 「は、はい」 「それでは、何故注意したにも関わらず二次遭難していたんでしょうか」 「ああ、これは失礼。きみは本物のバカでしたね」 「いや、あの……」 「きみと烏丸くんだけにしていたことを、どれほど後悔したか」 「何故、私はあの時リトさんのところへ行ってしまったのか……!」 「あの、モー子……」 「きみたちだけにすべきではなかった。そのせいで、二次遭難に遭わせるなど……」 悔しいけれども、言い返せない。 モー子に注意されていたにも関わらず二次遭難にあって、大変な目にあった。 これがバカでないなら、何がバカだって言うんだ。 「え、あの……」 「遺品はともかく、きみと風呂屋町さんが戻らなかったらと思うと……」 「憂緒さんも、すごく心配してたんだよ」 「……」 モー子とおまるの言葉がじわじわと身に染みる。 今回のことは間違いなく俺のせいだ。 「すみませんでした!!!」 「…………」 俺にできることは、謝って頭を下げることしかなかった。 他に何を言ったって、それは言い訳にしかならないこともわかってる。 「モー子の言う通りだと思う。俺のせいで風呂屋も危険な目にあった」 「そうですね」 「み、みっちー……」 「本当にすまないと思ってる。次からは、同じことはくり返さない!」 「……はあ」 「モー子……?」 「もう、わかりました。反省しているようですし、これ以上言っても意味はないでしょう」 「よ、良かった……」 「……」 「それと、無事だったから良かった。などという話は聞きませんし、そんな話は聞いても仕方ありません」 「はい。本当にすいませんでした……」 モー子にもおまるにも心配をかけてしまった。 これからは、こんなことがないように今まで以上に気をつけないとな……。 翌日の放課後、俺は学園長に呼び出しを受けていた。 「昨日は大変だったようだね」 「はい。ご心配をおかけしました」 「はっはっはっ! まあ、特に心配はしていなかったがね」 「はあ……」 心配していなかったというのもどうかと思うが、この学園長だからなあ……。 「ところであの、今日の用件は……」 「ああ! 君に昨日のことを報告してもらおうと思ってね!」 「昨日のことですか」 「ああ、そうだ。どこに行ったか、何を見たか報告したまえ! 詳しく頼むぞ!」 「なるほど。わかりました」 「ふははははは! はーっはっはっはっは!!」 「いや、あの……学園長……」 「そんなに笑わなくてもいいんじゃ……」 怪物を止める話の途中で学園長がいきなり大笑いを始めた。 どうやら、階段脇のボタンを見落としていたことが相当おかしかったらしい。 その話をしてから、ずっとこの調子で笑われている。 「何故気付かなかったのかね!?!??!」 「いや、必死だったからってさっき……」 何がそこまでツボに入ったのか全くわからん。 自分でもそりゃ間抜けだったとは思うが、ここまで笑うほどのことか? 「ひー! ひ、は、はははっ! ひい! はあ、はー。おかしい!」 「そこまでですか」 「いやもう、いいから続きを聞いてくださいよ」 「はー! はあ、はあ……わかった、わかった…話したまえ。ふひひっ」 「はあ……」 とりあえず、さっさと続きを話して解放してもらおう。 「おお?」 「もうそんな時間に……」 「随分長く話してもらったようだね」 とは言っても、最後の方は学園長が笑ってただけの気がするのだが。 まあ、何があったかはわかってもらえたみたいだからいいか。 「いやいや、何があったかはよくわかったよ! DeKuJi」 「まあ、今後はくれぐれも注意するように!」 「はい。肝に銘じておきます」 「それはもういいですってば!」 「はははははっ!!」 「あの、それじゃあ失礼します」 「ああ、ではまたな! はっはっはっはっはっは!!!!」 また変な笑いのツボに入ったみたいだな。 これ以上話すこともないし、そろそろ分室に戻ろう。 「はははっ! はー、はあおかしい……ふ、ふひっ!!」 「ぢー」 「ぢぃ!」 「そうだね。特に何も見られていなかったようだ。安心安心」 「……ちぃ」 「はああ……」 「ああ、ちょっとな。学園長に説明するのが、これほど疲れるとは思わなかった」 実際、もっとすぐに終わると思っていた。 まさか夜になるまで話すことになるなんて、思ってなかったし。 まあ、ほとんどが学園長の変な笑いのツボのせいだが。 「自業自得です」 「わかってるよ……」 紅茶を飲みながら、視線すら向けずに言われてしまった。 でも、流石に昨日の今日じゃ言い返す言葉も出ない。 モー子の方もこれ以上言い合う気はないらしいのが救いか。 「今日は特に何もないのか?」 「ええ、先ほど片付けた件以外は今のところ何もありません」 「か、片付けた?」 「え!? い、いつの間に?」 「きみたちがこちらに来る前です」 「は、はええ……」 「何かあったなんて、全然知らなかった……」 「本来なら、手間取らず簡単に片付くものなのですよ」 「それをきみたちが邪魔するから面倒なことになるのです」 「う、うう……ごめんなさい」 「そ、そんなもんなのか」 「……ん?」 「外から走る音が……」 「外で何かあったんですかね」 「そうだとしたら、すぐにこちらに連絡がきそうなものですよ」 「いや、待て。この足音近付いてないか?」 「え?」 「こ、こんにちは!!!」 「……風呂屋」 「あ、風呂屋町さん」 近付いた足音と共に勢いよく扉が開いた。 そして、部屋の中に風呂屋が飛び込んで来る。 「あ! す、すいませんでした……」 「今後は気をつけるようにしてください」 「は、はい」 「風呂屋町さん、昨日は大変だったね」 「い、いえ、あの平気です!」 (だ、だって久我くんとずーっと一緒だったし……えへへ) 「具合とか悪くない?」 「こちらはお気遣いなく。それより、あなたが無事で何よりです」 やって来た風呂屋はモー子とおまるにぺこりと頭を下げていた。 昨日の礼を言いに来たんだろうか。 ……などとぼんやり考えていると、風呂屋は顔を上げて俺を見つめた。 そして、勢いよくこちらに近付いて来る。 「こ、久我くん!!」 「お、おう? な、なんだ」 「わたし、落ち着いて考えました!!」 「は? 一日しか経ってねーよ!」 なんのことかと思ったら昨日の話か! っつーか、まだ昨日の今日だ! 「えー。それじゃあ、何日経ったら満足なんですかっ!」 「いや、そういう問題じゃなくてな……」 「本当にちゃんと落ち着いて考えたんですよ」 (だって、授業中も部屋に帰ってもずっとずーっと、頭の中が久我くんでいっぱいで……!) (ああああ……今、その久我くんが目の前にいる……!) 「全然落ち着いて見えねえ」 「落ち着きました!」 「……あのな」 ダメだ。 根本的に話が通じていないとしか思えないし、ちっとも落ち着いてる気がしない。 しかも、俺と自分の状況をわかってる気がしない。 別に嬉しい気持ちがないわけじゃないが……本当にそれでいいのか風呂屋は? 「あのぉ……」 「ん?」 「なんの話?」 「あ! えっと、えっとぉ、あの、それはぁ……」 「……はあ」 ヤバイ。 昨日のことは具体的に説明してないから、おまるが不思議がってる。 でも、あんなもんどう説明すればいいんだよ。 おまけにモー子のやつなんか、あからさまに迷惑だって顔してこっち見てるし。 「できれば、私は静かに紅茶を飲みたいのですが」 「う、うう。すまん」 「はうう…ごめんなさい」 「ま、まあまあ、憂緒さん」 「はあ……」 「えっと、あの、風呂屋」 「は、はい? なんでしょうか!」 「ちょっとこっち来い!」 「え? あ、あの!」 なんだか、いたたまれない気持ちになって風呂屋の腕を掴んで歩き出した。 もう、この場所にいない方がいい。 (きゃー! 久我くんに腕を掴まれてるー!!!) (あ、あ! でも、できれば手を繋ぎたかったかも……) 「ほら、行くぞ!!」 「は、はい! はい!!!」 「……はあ」 「は、はわわ……」 とりあえず風呂屋を連れて外に出たが……。 どうするべきなんだろう。 (ど、どうしよう! また二人っきり!) 「…………」 (こんな顔で、久我くんに何か言われちゃったらどうしよう!!) 昨日、風呂屋に言われたことを考えなかったわけじゃない。 ゆっくり考えて気付いたのは、俺は風呂屋を嫌いじゃないってことだ。 それに、多分それなりに好意も持っている。 「……」 「久我くん……?」 あの時、あの場所で風呂屋に膝枕をしてもらってすごく心が休まった。 精神的に弱ってたってことを差し引いても、あの時はずっとこうしていたいと思えた。 でも、だからと言って風呂屋の言葉にハイハイって答えるもんでもないだろ。 それに、お互いに違う世界の人間だってこともある……。 「あのな、風呂屋」 「はい! はい!!」 「いや、あの」 「……何をだよ」 「ああ、そう……いや、そうじゃなくて」 「はい!」 風呂屋はきらきらした目をしながら俺を見ている。 そんな目を見たら、答えを待ち望んでいるってことが嫌でもわかる。 だからやっぱり、簡単に答えていい問題じゃない。 「お前の言いたいことはよくわかった」 「え……」 (う、嬉しい! 気持ちはちゃんと伝わってるんだ) 「でも、少し考える時間が欲しい」 「考える時間ですか……」 「ああ、そうだ」 (それって、すぐに断るってことじゃないんだよね。つまり、わたしを嫌いじゃないってことかな……) 「だから、もう少し待って欲しい」 「…………」 「悪い、すぐに答えられなくて」 「ま、待ちます! わたし、待ちますから!」 「ああ」 (だったら、わたしを好きになってもらえるようにがんばる!) (絶対に、久我くんを攻略してみせるから!) 風呂屋のやつ、なんか思いつめた顔してるが……大丈夫かな。 もっと、はっきり答えた方が良かったんだろうか。 でも、今みたいな曖昧な気持ちのままで答えるなんて風呂屋にも悪い気がする。 やっぱり……ちゃんと考える時間を作った方がいいな。 (絶対、久我くんに好きになってもらうんだから!) (待ってってことは、まだ諦めなくていいんだもん。だから、がんばれば彼女になれるかもしれない……) 「彼女……わたしが、久我くんの彼女……」 「きゃーーー!!! 恥ずかしい!!!」 「……」 (でも、どうすれば彼女になれるかな……) 「あら……いらっしゃい。あなたは確か、風呂屋町眠子?」 「だいたいの人は私のことをリトって呼ぶわ」 「リトちゃん! か、かわいい名前……」 「あら。ちゃん付けで呼ばれたのは初めてよ」 「えっあっ、ご、ごめんなさい。かわいかったのでつい」 「何故あやまるの? 私のことは好きに呼べばいいと思うわ」 「じゃあ……リトちゃんでいいですか?」 「いいわよ」 「あの、あの! 聞きたいことがあって来ました」 「私にわかることなら」 「はい! 実はあの、好きな人ができたんです」 「そう」 「それで、あの。その人の彼女になりたいんです」 「恋人ということかしら?」 「はい。どうやったら彼女になれますか!」 「それはわからないわ」 「え、ええ……リトちゃんなら知ってると思ったのに……」 「ごめんなさい」 「恋愛」 「はい。リトちゃんなら、男女関係のことも詳しいと思ったんです……」 「男女関係についての話ならここの書物にもいくつかあるわ」 「な、何かあるんですか!!」 「ええ。嫌がる相手を無理やりさらって、閉じ込めて好きなように弄ぶ」 (わ、わたしが久我くんをさらって閉じ込めて……) (ふ、二人っきりで逃げられないようにして、久我くんを好きなように!!!) (ぎゅうって抱き着いて、ほっぺにちゅーってしていいのかな。好きなようにだから、いいんだよね!!) 「だ、男女関係って過激なんですね……」 「そうね、乱暴で強引だわ。でも、書物の神話ではそういうものみたいよ?」 「う、ううう……ありがとうございました、リトちゃん」 「どういたしまして」 (でも、閉じられた世界で二人きりなんて…この前のことみたい……) (ずっとあの場所にいたら、やっぱり久我くんと結婚だったのかなあ) 「えへ……えへへへへ……」 「あ、向こうに風呂屋町さんが」 「あ、本当だー。なんか、珍しい顔して歩いてるね」 「そう?」 「うん。何か悩んでるのかな」 「あ、もしかして、行方不明になってたのと関係してるのかも!」 「そうなの?」 「いや、ないかもしれないけど、ちょっと心配だし……」 「…………」 「おーい! 風呂屋町ー!!」 「風呂屋町、どうかした?」 「え? な、何がですか?」 「クミちゃんが、珍しい顔をしていると言っていました」 「め、珍しい顔……」 「うん。なんか、悩んでるのかなーって」 「な、悩みと言うかですね……あの、えっと……」 「何かあったなら、話くらい聞くよ。ね、ヒナ?」 「ほ、本当ですか! あ、あの、じゃあ、聞いてください!」 「で、どうしたの?」 「あ、あの、さ、最近、気になる男の人ができたんです……」 「おお! それってつまり、好きってこと?」 「何なに、結構いい感じなの?」 「だ、だと思いたいです!」 「どんな人ですか?」 (どんな人、どんな人かあ……ちょっと誤解与えるかもだけどやっぱり一言でわかりやすく言うなら……) 「白馬に乗った王子様!!!!」 「うま? 馬に乗ってるの?」 「は!! 馬には乗ってませんでした!!」 「そ、そうだよね。普通は乗ってないよね。ビックリした〜」 「でも乗ってそうです!」 「その人について、どんなイメージを持っているんです?」 「王子様!」 「……白タイツですか?」 「タイツは、はいてません!」 「えっと……でも、はいてそう?」 「はいたら……似合うかもしれません!」 「なるほど」 「きっとステキだと思うんです!」 「どんな人なのか、イマイチよくわかんないなあ」 「とにかく、かっこいい人なんです!!」 「はあ、なるほどね」 「…………」 「ヒナ、どうしたの?」 「好き、とはどのような感情でしょうか。ヒナにはよくわかりません」 「なるほど……つまりぺろぺろしたいということですね」 「ぺ、ぺろぺろ!?」 「ぺ、ぺろぺろ……たしかにぺろぺろしたいかもです! じゅるり!」 「な、何? ぺろぺろって」 「ぺろぺろです!」 「ぺろぺろですね」 「はい! ぺろぺろ!」 「わ、わかんないよー」 風呂屋のことを考えさせてくれと話してから数日……。 何故か、特査分室に風呂屋が来ていた。 そしてきらきらした目をしながら俺をじっと見つめている。 モー子は不機嫌そうだし、おまるはどうしたのかって気にした顔してるし……正直、ここに居辛い……。 「えーっと……」 「聞きたいことがあります」 「な、何を?」 「どうやったら、久我くんとお付き合いできますか?」 「それ、俺に聞きに来るの?」 「あー、そう……」 わからん……! 風呂屋が何を考えてるのか、まったくわからん!! 俺に聞いてどうするんだ? というか、そんなもの答えられる気がしない。 「はい!」 「考え直した方が賢明かつ、風呂屋町さんの今後の人生に傷がつかない選択かと思いますが」 「なんだよ! そこまで言うことないだろ!!」 「的確なアドバイスをしたまでですよ」 「どこがだよ」 「そ、そっか……みっちーとかあ……」 「お前も、モー子と同じアドバイスでもするつもりか」 「ち、違うよ! ビックリしただけだよ!!」 「あの、それで……久我くん、あの……」 「俺、考える時間が欲しいって言わなかったっけ?」 「言ってました!」 「で、お前待つって言ったよな?」 「言いました!」 (でも、久我くんのこともっと知りたいし、お話もしたい!) 「それなのに聞きに来るの?」 「だ、ダメでしたか……」 (き、嫌われちゃったかな。だったらどうしよう! でも、本人に聞くのが一番いいと思ったんだもん!!) 「いや、ダメって言うかさ」 普通はもうちょっと時間を置いてから来るもんじゃないかと思うんだが……。 いや、そもそも普通はどういうものなのかがわからんが。 「申し訳ないのですが……静かに話してもらってよろしいでしょうか?」 「あ、ああ、すまん」 「はわわ! す、すいません!!」 「お茶を飲む時くらい、静かに過ごしたいという希望くらいは叶えさせてもらって良いと思うのですが」 「と言うか、あなた方が来るまで、ここは静かな場所だったのですよ」 「だから、悪かったって」 「いちいちそういう言い方しなくても……」 「ま、まあまあ、みっちー」 クソッ! おまるになだめられたらこれ以上何も言えないじゃないか。 まあでも、モー子の言い分もわからなくもないし……。 「あの、それで……どうしたらいいですか?」 それよりも、問題はこっちだ。 今すぐ答えろって言ってるんじゃないのはわかってる。 でも、早く答えて欲しいってのは伝わって来るんだよな……。 「いや、だからさ……」 確かに、風呂屋にこうして迫られても嫌な気はしない。 少し考えたけれども、それだけは確実だと思った。 でも、だからと言って、それが即好きだってことには繋がらない。 もしかしたら、こうして迫って来る勢いのよさが危なっかしくて放っておけなくて、だから目が離せないだけかもしれない。 実際、勢いよすぎて心配なとこもあるしな。 だとしたら、それは好きって感情とはまた別のものだ。 「お弁当!!」 「おまえ! いきなり何言い出すんだよ!」 「い、いや、あまりにも風呂屋町さんが一生懸命だったから……」 「胃袋が満たされたら、心も満たされるかもしれないじゃない」 「え、何それ。っていうか、お前マジで何言ってんの」 「手作りのお弁当で胃袋と心を掴むんですね!!」 「そうそう、それそれ!」 (わ、わたしの手作りを久我くんが……! すごい! ステキ!!) (もしかしたら、アーンしてくれる? なんてことも言われちゃうかもー!!) 「いや、あのな、それ俺の前で言ってたら意味なくねー?」 「お弁当……お弁当……」 (アーンってして、美味しいなんて言われたらわたし……わたし……!) 「わかりました! わたし、やります!!」 「え? マジで??」 おまるに礼を言って頭を下げた風呂屋は、顔を上げると俺を見つめた。 その表情はきらきらしている。 「久我くん、お弁当楽しみにしててください!」 「いや、だからそれ最初から知ってたら意味が……」 「それじゃあ、失礼します。鹿ケ谷先輩、お邪魔しました」 「……ええ」 「……はあ」 「なんか、やる気満々になってたねえ」 「誰のせいだ、誰の……」 「だって、すごく一生懸命だったじゃないかー」 「そんなもん、俺にだってわかってる!」 「期待はしていませんでしたが、やはり全くわかっていなかったようですね……はあ」 いつものように、学園には夜の時間が訪れていた。 特査分室としての活動は最近落ち着いている。 主にモー子が電光石火の勢いで解決してしまうからなのだが。 そういえば昨日、風呂屋は弁当作るって帰ったが……あいつ、本気で作るつもりなんだろうか。 「久我くん」 「…………」 特査分室に向かって歩いていると、風紀委員の二人と出会った。 見回りも終わって今から戻るところだろうか。 「おい! オレは無視かよ」 「んなこと言ってねえだろ! てめーは先輩に対する敬意が皆無だな!」 「あー、はいはい」 「はいは一回でいいだろ!?」 「村雲、そのくらいにしておけ」 「……はい」 「今日は特に何も予定はないのか?」 「おかげさまで」 「それは何よりだ」 「お前等に仕事が入ると、こっちも余計な手間が増えるからな」 「それがそっちの仕事だろうが」 「そりゃそうだけど、トクサっつーかてめーに協力すんのは嫌なんだよ!」 「それはアレだな、職務怠慢だな」 「ああぁ!?」 相変わらず突っかかってくるから、こっちも一言多く返してしまう。 それにしても、俺に協力すんのが嫌だとはそこまで嫌われていたのか。 「村雲、そうカッカするな。久我くんの言うことは正しいよ」 「……そうは言いますけど壬生さん」 「風紀委員と特殊事案調査分室の関係は良好にしておかなければいけない。わかっているだろう」 「わかってますけど、こいつと良好な関係っていうのはちょっと……」 「ん?」 足音に気付いて振り返ると、風呂屋がこちらに向かって走って来るのが見えた。 手には何か小さな包みを持っている。 「おいおい、廊下は走んじゃねーよ」 「あ! す、すいません」 「その言い方はこえーよ、静春ちゃん」 「誰が静春ちゃんだ!!!」 「他に誰がいんだよ」 (は、はわわわ! 久我くんがわたしをかばってくれた!!) (や、やっぱりちょっとは気にかけてくれてるのかな。だったらいいな) 「あ……すいません」 「……わりぃ」 「そうだな。今後気をつければ、何も問題はない」 「はい。ごめんなさい」 村雲と壬生さんに注意されて小さく頭を下げた風呂屋は、顔を上げると俺を見つめた。 「……なんだ?」 今日もまた、きらきらした目をして見つめられている。 昨日の会話と、手にした小さな包みから、これから風呂屋が何を言おうとしているのか想像はつく。 そして、俺の想像通り風呂屋は手にしていた小さな包みを差し出した。 「がんばってお弁当を作ってきました!」 「弁当……?」 「…は? こいつに?」 「はい! 久我くんの胃袋と心をがっちり掴もう大作戦です!」 「昨日も言ったけど、それ俺に聞かれたら意味ないだろ」 「あの、えっと、受け取ってください!」 「あ、えっと……」 「……」 「……」 壬生さんと村雲にすげー見られてる。 二人とも、1ミリの遠慮もなく見てる! すごく、この場に居辛い!! 「なあ、お前正気?」 「え、何がですか?」 「こいつのどこがいいんだよ……」 「え、えっと、えと! あの、あの!」 (か、かっこよくて頼りになって、優しくてステキで……どこがいいなんて、挙げだしたらキリがないよう〜!!) (どうしよう。どこから説明したらわかってもらえるかな) 「お前、それ聞いてどうするんだよ」 「……いや、悪かった。教えてくれなくていい」 「そ、そうですか?」 少しだけ、風呂屋が残念そうな顔をした気がする。 話したかったんだろうか。 いや、あまり考えない方がいいのか。 「あ、あの、久我くん……お弁当……」 「あ……」 「ふふ…受け取ってやらないのか?」 「あ、あの、いや……」 「がんばりました!」 包みを差し出す風呂屋の腕が小さく震えていた。 この弁当を一生懸命作ったんだろうなということ、今これを渡すことに緊張しているんだろうなということがわかる。 こんな姿を見て、受け取るのを拒否することなんて出来るわけがない。 「わかった、わかった」 「はっ!!」 「ちゃんと受け取るから」 「は、はい!!」 差し出された包みを受け取ると、風呂屋は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。 「ありがとうございます! 久我くん!!」 「いや、お前が礼言うのおかしくねえ?」 「そ、そうですか?」 「礼言うなら俺だろ。ありがとな」 「は、はい!」 (うわああ! どうしよう、久我くんにお礼言われちゃったよう! どうしよう!!!) 「……マジわかんね」 「青春だな」 「え? 壬生さん……?」 「それじゃあ、授業が始まる前に戻ります!!」 「ああ、遅れないように気をつけて」 「はい! じゃあ、失礼します!!」 ぺこりと頭を下げてから、風呂屋は走って去って行った。 「あ! こら! 廊下は走るなっつっただろ!!」 「はーい! ごめんなさーい!!」 「ったく、全然わかってねえな……」 「よっぽど嬉しかったんだろう。大目に見てやればいい」 「……」 よっぽど嬉しかった……か。 確かに、そんな顔してたもんな。 なんかそう思うと、この弁当箱にずっしりその重みが伝わるみたいだ。 「それにしても……」 「なんだよ?」 「お前、その弁当箱似合わねえなあ……」 「うるせーな! 自分でもわかってるよ!!」 これ持ってるのを他のやつに見られても同じこと言われそうな気がする。 早く特査分室に行ってしまおう。 特査分室にやって来ると、中にはおまるがいた。 モー子がいなかったことに、何故か少しだけホッとする。 けれども、なんとなく手にしていた包みをそっと背後に隠した。 「あれ? みっちー、今何か持ってた?」 「目ざといなお前は」 「た、たまたま見えただけだよ」 「だったらイイけど……」 「で、何持ってるの?」 「…………」 隠せる物でもないし、弁当のことはおまるが言い出したんだから黙ってることもないか。 観念して、背後に隠した包みをそっと出した。 「わー。何これ、お弁当?」 「ああ……」 「もしかして、風呂屋町さんから?」 「さっき、渡された」 「へえ。本当にがんばって作ったんだねえ」 包みを見つめながら、おまるはにこにこ嬉しそうに言った。 一生懸命がんばったのがわかったのが嬉しいんだろうが、なんかこういうのは照れくさい。 「で? 開けないの?」 「…………」 「風呂屋町さん、がんばったんだよね?」 「わかった! わかったから、そんな目で見るな!」 「どんな目だよー!」 「そんな目だ!」 「全然わかんないし」 とりあえず、おまるにこれ以上何かを言われるよりはと、弁当の包みを開いて。 ゆっくりとふたを開けた。 「お……」 「おおっ」 中身は至って普通のお弁当だった。 中に入っているのは……茹でたアスパラと、これはハンバーグと卵焼きか? 形は悪いけれども、なんとなくそれっぽいのはわかる。 しかし……この、白ご飯の上に桜でんぶで描かれている謎の模様はなんだ…。 「思ってたより普通だ」 「どんなのを想像してたの?」 「いや……もっと、壊滅的な感じの…」 「あら……今日はお二人が先に来ていたんですね」 「あ、憂緒さん」 「おう」 弁当をまじまじ見つめていると、モー子がやって来た。 そして、俺とおまるの目の前に置いてある小さな弁当箱にちらりと目をやった。 「随分小さなお弁当ですね。その量で足りるんですか?」 「風呂屋町さんがみっちーのために作ったそうですよ」 「余計なこと言うなよ!」 「えー。余計なことじゃないよ!」 「ああ……この前話していた」 「聞こえてたのかよ!」 「あんなに大きな声で騒がれては、嫌でも聞こえるものですよ。あの場合は聞こえなかった方がどうかと」 「くそ……」 確かにモー子の言う通りすぎて反論すらできない。 あの時、かなり注意もされてたしな。 「で……食べないのですか?」 「え、ああ……」 「そうですね。他人の好意は無下にするものではありませんよ」 「わかってるよ」 二人に言われなくても理解してるつもりだ。 ただ、少し照れくさいだけで……。 「………」 弁当の中身をもう一度見つめる。 ハンバーグなんか形がちょっと曖昧だし、卵焼きも形が作れなくて炒り卵を固めただけだ。 白ご飯の上の桜でんぶは相変わらず何の模様かわからない。 「これ、風呂屋ががんばって作ったんだよな」 「そうだねえ。慣れないけど、一生懸命って感じがする」 「そうなのか?」 「うん。多分、普段は料理とかしないんじゃないかな」 「そうか……」 「本とか見てがんばったって雰囲気が伝わるなあ」 「なるほど」 言われてみれば、そう見えなくもない。 慣れないなりにがんばってくれたんだとしたら、全部食うのが礼儀だろうな。 「よし……いただきます!」 両手を合わせてから、俺は小さな弁当箱を手にして中身を食べ始めた。 味は……普通だった。 特別おいしくもない、しかしまずくもない。 おまるが言ってた、慣れないけど一生懸命って意味がわかった気がする。 普段料理なんかしないのに、俺のためにわざわざ頑張ったのか……。 作ってもらった弁当を完食した俺は、弁当箱を返すために風呂屋のクラスに向かっていた。 すぐに感想を伝えてあげた方がいいっておまるは言ったが……。 やっぱり、ちょっと照れくさい。 「お……」 休み時間に入った風呂屋のクラスはのんびりした空気が流れていた。 人も多いし、なんとなく声をかけるのにためらう。 まあでも、そんなこと言ってられないか。 「……風呂屋〜」 俺が声をかけると、風呂屋はすぐにこっちを見て嬉しそうに駆け寄って来た。 あんだけ嬉しそうな顔をされると、かなり恥ずかしい。 「ど、どうしたんですか?」 「いや、あの。弁当食べたから……えっと、ごちそうさま」 からっぽになった弁当箱を差し出すと、風呂屋はそれを受け取り胸の辺りでぎゅうっと抱きしめていた。 (わ、わたしの作ったお弁当が久我くんの栄養に……!!!) 「あ、そうだ。弁当箱洗えてないんだ、すまん」 「は? そ、そうか?」 (こ、久我くんが使ったお弁当箱やお箸がそのままわたしの元にぃいい!!!) そういや、女の子から弁当もらうとか初めてだよなあ。 ……もしかして、世間的には何かお礼とかお返しをすべきなんだろうか。 今までそんな経験ないから、普通がわからない。 参ったな。 でも、バレンタインデーに対してホワイトデーがあるんだから、弁当にも何かあってしかるべきだよな……多分。 「悪い、ひとつ聞きたいことがあるんだが」 「ふえ!? え、えと、な、なんですか?」 「もし、マナーがなってなかったら申し訳ないんだが……お礼とかは、どうしたらいい?」 (ど、どういうことなんだろう!? お弁当食べてもらったのに、お礼までもらえちゃうの!??) 「ああ。せっかく作ってもらったなら、何か返した方がいいのかと」 「は、はわわわわわわ」 (や、優しい! 久我くん優しいよう!!!) 「どうお礼すればいいかわからんから、何かあったら言ってみてくれ」 「い、いいんですか?」 「ああ」 (ふああああ! お、お礼だって! 久我くんからお礼! ど、どうしよう! どうしよう!!) 感激したような表情で風呂屋が俺を見つめている。 もしかしたら、お礼とか必要なかったんだろうか……。 でも、今更なかったことにとは言えないしな。 とりあえず、何を言い出すか聞いてみないことには。 「俺にできる範囲のことにしてくれよ」 「は、はい!」 (な、何がいいかな。わたし、何が欲しいだろ……欲しいもの、欲しい……) (や、やっぱり久我くんの持ち物が……ほ、欲しいかも!) なんか、やけに真剣な顔してるが、一体何を考えているんだ。 (久我くんの持ち物…何がいいだろ、なんだろう……どうせなら大事な物……) 「あ、あの! あの! ちょっと思い切ったことを言ってもいいですか?」 「どうぞ」 「ぱんつが欲しいです!!!」 「…………」 今のは聞き間違いだろうか。 いや、でもはっきり聞こえたような……。 やっぱり、聞き間違いじゃなかった。 「お、俺に女ものの下着売り場に行けと?」 「い、いえ、そうじゃなくて……久我くんのぱんつが」 「……」 「……」 何がなんだかわからない……。 風呂屋は何がしたいんだ。 「……俺のパンツをもらって、お前はどうするつもりなんだ?」 「もちろん! はきます!!」 「…………」 今、目の前がフラっとした気がした。 頭を落ち着かせ意識をしっかりさせて、風呂屋をしっかり見つめる。 真剣な表情をして俺を見つめていた。 どうやら、冗談ではないらしい。 ……冗談だったら良かったんだけどな。 「……お前、セクハラって言葉知ってる?」 「いや……いい……」 「……ぱんつは、ダメですか」 「普通ダメだろ。なんかもっと別の物にしてくれ」 「んん〜。何か、考えます」 「そうしてくれ」 「残念そうな顔をするんじゃない」 「えー。だってー」 「はあ……まあ、いいや。とりあえず、戻るわ」 途中、チラっと振り返ってみると、風呂屋が弁当箱の中から箸だけを取り出しているのが見えた。 どうするつもりなのかは、あまり考えないようにしておこう。 「う、うう……」 「なんだ!?」 突然聞こえた激しい音。 そして、目の前に現れたのはあの時の怪物。 「な、なんで……」 呆然と見つめていると、怪物は俺を見つけてゆっくり近付いて来た。 後ずさりながら、ゆっくり距離を取る。 だが、向こうもゆっくりと近付き距離は変わらない。 どうすればいい……。 「……!!!」 距離を取ろうと後ろに足を出した瞬間、目の前の怪物が咆哮を上げた。 そして、目の前に広がる真っ赤な炎。 「……火が…」 この炎は偽物だ。 熱さもなければ、火傷もしない。 そうだと俺は知ってる、わかってる。 ……それなのに! 「う、うわああああ!!!!」 やっぱり、俺は……。 「久我くんが少しでも元気になりますように」 小さいけれど、優しくて温かな感触が頭に触れた。 それは、包み込まれるような気分にさせられる感触だ。 「風呂屋……」 「久我くん……」 「うう……」 聞こえて来たアラームの音でぼんやり目が覚めた。 ベッドの上で情けなく寝転び、さっき見た夢を思い出して自分に呆れる。 「はあ……」 あれから結構日が経ってるのに、夢に見るなんて……どれだけ情けないんだ。 しかも、あの怪物のことだけじゃなくて、風呂屋のことまで……。 あれだけ何度も風呂屋に落ち着けって言ったくせに、俺の方が落ち着いていない。 ……今日会ったとして、どんな顔してればいいのかわからない。 ずっと……一生懸命なんだよな、あいつ。 「こ、久我くんって、彼女とかはいるんでしょうかー!?!??!?」 「じゃ、じゃあ! わたしなんかでどうでしょうか!?!?」 あいつが一生懸命なのはわかってる。 だが……お互いが違う世界の人間だってことも気になってる。 でも、それが気になってるってことは……俺はやっぱり……。 「あ……」 夜になった学園をぼんやり歩いていると、風呂屋が笑顔で走って来た。 この前、風紀委員の二人に注意されたことは忘れたんだろうか。 「今日も会えました!」 「いや、会えたっていうか探してたんだろ」 「えへへへへ。当たりです」 「……ったく」 (久我くんにはわたしのことがわかっちゃうのかなあ。そういうの嬉しいなあ) 照れたように笑う風呂屋を見ていると、今朝見た夢のことを思い出した。 ……そのせいか、なんとなく気持ちが落ち着かない。 俺はちゃんと、いつもの顔をしているだろうか。 「あの、あの! 考えてくれましたか?」 「いや、あのな……」 「はい!」 「もうちょっと、待ってくれ……」 答えながら風呂屋が俺を見つめて何度も頷く。 こういうとこは素直だなあと思うんだが……。 本当に俺が言ったことわかってんのかな。 いやでも、これは答えを出さない俺が悪いのか。 (待ってくれってことは、ダメなんじゃないもんね。だったら毎日会えば好きになってもらえるかも) (えへへへ。それだけじゃなくて、わたしが毎日久我くんに会いたいし) 「なんか、悪い……」 「いや、別に迷惑じゃないよ」 「良かった」 (迷惑じゃないなら、毎日会いに来ていいのかな。ダメって言われないから、平気かな) (ダメだったら、きっとハッキリ言われてるよね) 「それじゃあ、授業に行ってきます!」 「ああ」 「また会いに来まーす!」 「……」 また会いに……か。 改めて言われると、照れくさいっていうか、なんていうか……。 「おい……」 「あ?」 声をかけられて振り返ると、村雲が立っていた。 眉間にしわを寄せたその表情は、なんとなく不機嫌そうだ。 いや、こいつが俺の前で不機嫌そうなのはいつものことか。 「なんだよ。壬生さんは? 一緒じゃないのか?」 「お前、いつまで宙ぶらりんにしとくつもりだよ」 「はあ? 何が」 「何がじゃねーよ。風呂屋町のことに決まってんだろ!」 「…………」 村雲からの予想外の言葉に答えが見つけられなかった。 まさか、こいつからこんなことを言われるとは。 もしかして、今日の不機嫌そうな理由はさっきのを見られてたからだろうか。 「あんな状態が続いたら、あいつがかわいそうだろうが」 「それは、まあ……」 「わかってるんなら、振るか応えるかとっととハッキリしてやれ!」 「ああ……」 「ったく、歯切れわりぃ返事だな。本当にこんなヤツのどこがいいんだか……」 「あのさ……」 「あぁ!?」 「お前、案外真面目なんだな」 「はあ? 何言ってんだ! てめーがハッキリしてないだけだろーが!!」 「いやまあ、そりゃそうだけどな」 「いいか、ちゃんとしてやれよ?」 「はいはい」 「はいは一回だ! たまには年上の言うこと聞けっつーの」 「……そうだな」 「なんだよそれ……」 なんて言うか、あまりにも意外な感じがしたんだよな。 というか、村雲に注意されるほど俺はハッキリしてないってことか。 自分でもそれはわかってるつもりなんだが……つもりだけじゃ、意味はないか。 こんな俺を、風呂屋はどう思ってるんだろうなあ…。 ハッキリしないし、待たせてばかりだし。 「わかってるんなら、振るか応えるかとっととハッキリしてやれ!」 村雲にまで言われるほど俺はハッキリしてないか……。 まあ、そうだよな。 待ってくれって言って、待ってますって答えてくれる風呂屋に甘えてる状態だし。 「はあ……」 ぼんやり考えながら歩いていると、特査分室の扉が見えて来た。 「でっ!!!」 「……え?」 「……はあ」 ぼんやりしながら扉を開けると、その扉が勢いよく俺の額にぶつかった。 思いっきり、目測を見誤った……何やってんだ…! 「みっちー大丈夫?」 「いてぇ……」 「何をぼんやりしているのですか。みっともない」 「うるせえな、心配くらいしろよ」 「おや、私にきみの心配をして欲しかったのですか?」 「……いや、いい」 「うわ! おでこ、擦り傷できてるよ」 「マジでか?」 「うん。赤くなってるね」 「だっせえ……」 どんだけぼんやりしてたんだって話だ。 しかも、考えてたのは風呂屋のことだし……。 「保健室行っといた方がいいんじゃない?」 「そうかあ? 大げさだろ」 「行っておきなさい」 「モー子まで……」 「ちょっとした傷から化膿することがないとは言い切れないのではないですか」 「か、化膿……!」 「みっちー。ちゃんと手当てしとこうよ」 「…………」 モー子とおまるがじっと俺を見ている。 これ以上心配させるのもなんだし、ここは素直に保健室に行っておこう。 「わかったよ、ちゃんと消毒してくる」 「それが賢明です」 「失礼しまーす」 「…………」 「どうかしたのかな?」 「いや……」 保健室の扉を開けたはいいが、そのまま閉めたくなってしまった。 何故か保健室の中で、学園長が当たり前のように座っていたからだ。 というか、この人は何をしているんだ。 「遠慮なく入って来たまえ!」 「はあ……」 そのまま帰るわけにも行かず、とりあえず保健室に入る。 学園長が手招くのを断ることもできず、とりあえず用意されている椅子に座った。 目の前には学園長がいる。 保健室は、学園内の癒しの場ではないのだろうか。 だが、今は非常に居心地が悪い。 「あの……学園長……」 「今は夜の保健医と呼びたまえ!!!」 「………」 意味がまったくわからない。 この人は何を言ってるんだろうか……。 というか、この人なんで学園長なんだろう。 「で? ケガをしたのではないのかね?」 「はあ、まあ……額をちょっと擦りむいたくらいで」 「いかん! 擦り傷を甘く見てはいかん!!」 「甘く見てるつもりはないんですが」 「傷が化膿して、そこから大変なことになる場合も……」 「わかってますから、それなら早く消毒を」 「……」 「……ん?」 「おや……?」 廊下から走る音が聞こえて来た。 その足音は段々大きくなって、こっちに近付いて来る。 「久我くーーーん!!!!」 「え!?」 「ほほう!」 「うわ……」 「これはこれは」 扉が勢いよく開くと同時に、風呂屋が保健室に入って来た。 ……のはいいが、そのままの勢いで顔面から派手に転んでしまった。 「おい、風呂屋…大丈夫か?」 「は、はいぃ……」 「はっはっは! これは派手に転んだものだね!」 「笑いごとじゃないですよ」 「ああ、これは失敬!!」 勢いよく転んだ風呂屋は何とか起き上がると、その場に力なく座り込んでしまった。 よっぽど勢いがついてたんだろうなあ。 「なんか慌ててたみたいだけど、どうしたんだ?」 「あ、あの! あの! さっき、特査さんのところに行ったら、久我くんが保健室に行ったって聞いたんです!!」 「ああ、うん」 「それで、すごく心配になっちゃったんです! それで走って来たら、あの、転んじゃって……」 「いや、そんな心配しなくても、ちょっと額を擦りむいただけだし」 「そ、そうなんですか!?」 「モー子とおまるの話ちゃんと聞いたか?」 「……えっと、保健室って聞いて、あの…心配になりました」 (だって久我くんが保健室なんて何かあったのかなって、この前の変な怪物のこととか……) 「つまり、聞いてないんだな」 「は、はい……」 「はっはっはっは! 青春の早とちりだね!!」 「はううう……恥ずかしい……」 つまり、ケガとは無縁そうな俺が保健室に行ったという事実に驚いて、最後まで話を聞いていなかったんだな。 「こ、久我くん、あの、ケガは大丈夫ですか?」 「いや、俺よりもお前が大丈夫か?」 「だ、大丈夫です!!」 「………」 大丈夫とは言っているが、風呂屋の顔には傷ができていた。 鼻の頭と額と……よくもまあ、あそこまで豪快に転べたものだ。 「……?」 「よし! 私は用事ができたから、君らは適当に処置しあいたまえ!!」 「は? 夜の保健医だったんじゃないんですか?」 「へ? 夜の保健医ってなんですか?」 「たった今、この瞬間から私は夜の学園長だ!!」 「……つまりいつもの学園長ですよね?」 「Ano! 非常に良い回答だね」 「それでは、擦り傷だからと甘く見ず、しっかり消毒するのだよ! Na shledanou」 「……」 なんだったんだろう、あの人は。 というか、結局なんのためにここにいたんだ? 治療もしてもらってないし。 「あ、あの、久我くん……」 「ん?」 「て、手当てします。おでこ見せてください」 「いや、俺より風呂屋が……」 「ううん。わたしより、久我くんが心配だから」 「じゃあ、俺の後で風呂屋もな……」 「はい」 ゆっくりと立ち上がった風呂屋は、座ったままの俺に近付いた。 じっとしていると、心配そうな表情でそっと前髪をあげられる。 指先で軽く触れられただけで、何故か少し恥ずかしくなった。 「本当だ。ちょっと、擦りむいてます」 「うん……」 「消毒しますから、前髪あげといてくださいね」 「わかった」 (久我くん、前髪上げててもかっこいいなあ…) 前髪を上げたままじっとしていると、なんとなく落ち着かない。 「し、染みたらごめんなさい」 「いや、大丈夫だって」 額の擦り傷に消毒液は少し染みたが、我慢できないほどじゃなかった。 消毒を終わらせた風呂屋は、後片付けをすると心配そうに俺を見つめる。 「本当に他に痛いとことか、悪いとこはないですか?」 「ああ、大丈夫。この擦り傷だけだよ」 「良かった、大丈夫だった」 「あ……」 安心したように微笑みを浮かべた風呂屋は、俺を見つめながらそっと手のひらを差し出した。 そして、あの時と同じように優しく頭を撫でてくれる。 柔らかくて、心が落ち着く、あの時と同じ優しい感触……。 (あの時みたいなこと、何もなかったんだ。本当に良かった……) (また、あんなことがあったのかと思ったら、わたし……) 「……え」 髪を撫でていた風呂屋の手が止まった。 そう思った瞬間、額に柔らかな感触が触れた。 一瞬、それが何か理解できなかった。 けれども、近付いていた風呂屋の顔と、聞こえて来た音ですぐに何かがわかった。 「ふ、風呂屋……」 (ひ、ひあああああ!!!! ど、どうしよおおお! どうしよう!!!!) 「ご、ごごごごごごごめんなさ!!!!! 久我くんが大丈夫だと、お、思ったらわたし!!!」 「い、いや、あの……」 自分のしたことに気付いたらしい風呂屋が目の前で真っ赤になっていた。 そして、すごい勢いで背後に後ずさったのだが……。 「ひゃん!!!!」 「あ……」 勢いあまり過ぎてそのまま転んでしまった。 「……ぷっ!」 「あははは! また転んだのかよ」 「う、うう……だ、だって、わたし…こ、久我くんに、あの……」 「ったく、ケガ増やしてねえか?」 「……ひあ!」 椅子から立ち上がって、風呂屋に近付く。 驚いたように身体を震わせていたが、目の前に座ってじっとその顔を見つめた。 女の子なのに擦り傷いっぱい作って……。 「ほら、手当てしてやるからじっとしてろよ」 「動くな」 「ふ、う、あ! あ、あう!!」 (な、何? 何これ、なに!? どうなってるの!?!?? 近いよ! 久我くんがすごく近い!!!) 「……額と鼻と…ほっぺたとかは大丈夫か」 傷になっている額と鼻を確認する。 前髪を上げてやって、まじまじと顔を見つめると風呂屋は真っ赤になっていた。 「手! て、手がー! 手、てー!!!」 「そりゃ、手当てなんだから手くらい当たるだろ!」 「テー! 手、手ー!!!」 「わかったからちょっと黙れ」 「ひあああ!!!」 ちょっと触るだけで真っ赤になって、大きな声を出して落ち着きがなくなる。 これじゃあ、手当てがいつ終わるかわからないな。 「ほら、いつまで経っても終わらねーぞ」 「は、はい! す、すいません!」 (お、おおお、終わらなくていい!! だって手、手が! 久我くんの手がわたしに!!) 落ち着きなく慌てる風呂屋の傷を何とか消毒して、使った道具を片付ける。 風呂屋の方はその間ずっと、座り込んだまま顔を赤くしたり慌てたりをくり返していた。 こいつはこんなに一生懸命で、俺の言葉や態度に一喜一憂して……。 本当に俺のことを思ってくれてるんだっていうのは、ちゃんと伝わってる。 あの時だって……。 あの場所が怖かったからじゃなくて、俺のことを心配して風呂屋は泣いていた。 自分のことばかり考えていたって。 風呂屋だって大変な状況だったのに、あの状況で俺のために泣いていた。 今まで、あんな風に思われたことがあっただろうか……。 辛かったのは風呂屋だって同じはずだった。 それなのに、あの時は自分より俺を休ませようとしてくれた。 「久我くんが少しでも元気になりますように」 祈るようなあの声と、優しい感触に心が休まった。 あの時感じた、あの包み込まれるようなあたたかい気持ちは今でも残ってる。 (久我くんどうしたのかな……なんか、ずっと黙ってる……やっぱり、本当はどこか痛いのかな。どうしよう) 風呂屋の好意はまっすぐで、とてもはっきりしている。 最初のあの日からずっと、その好意は俺に向けられたまま変わっていない。 そして俺は、その答えを先延ばしにして、風呂屋の優しさに甘え続けていた。 村雲が言ったみたいに、ハッキリさせてやらないとかわいそうなのは誰でもない風呂屋だ。 俺は、風呂屋のことをどう思ってる……? 本当にちゃんと考えて来たのか? 危なっかしくて放っておけないから気になるだけだ、なんて前は考えていた。 それに、俺と風呂屋は違う世界の人間だっていうのも気にしていた。 だがそれは、それを理由に考えることを放棄してただけなのかもしれない。 もっとちゃんと、自分の中の気持ちと向き合うべきなんだ。 「はあ……」 「久我くん?」 (え? え? た、ため息? どうしたんだろう。も、もしかして呆れられちゃったかな) じっと俺を見つめていた風呂屋を見つめる。 その瞳はまっすぐで、俺に向けられた好意そのもののような気がした。 改めて意識すると、ひどく照れくさい。 だが、こいつはずっとこうだったんだよな。 勘違いだの、色々と理由を付けて俺がしっかり受け止めてなかったんだけなんだ。 「……ったく、お前は本当に、危なっかしくて放っとけないな。側で見てなきゃ安心できねーよ」 「う、うう……気をつけます……」 (やっぱり呆れられちゃってる…でも、仕方ないよね。あんな風に転んで、ケガまでしちゃったし) 俺に言われた言葉を反省しているのか、風呂屋はしょんぼりしてしまった。 別に注意しようとしてたつもりじゃないんだけどな……。 「いや、あのな……」 「はい?」 「だから、放っとけないって言ってるんだよ。目を離したらとんでもないことしてそうだし」 「そ、そうですか? とんでもないことは……しないですよ。多分」 「多分じゃだめだろ」 「じゃ、じゃあ多分はなしです!」 「本当か? ウソつかねえ?」 俺を見つめたまま、何度も風呂屋が頷いた。 真剣な表情になんだかおかしくなる。 ……いや、そんな話をしてるんじゃなくて。 なんか……伝わってないな……。 まあ……はっきり言ってないからかもしれないが……。 「…………」 「…………」 「だから……その、目が離せないって言ってるだろ」 「は、はい」 (え? あ、あれ? め、目が離せないって……あれ?) 「……その…えっとな……」 「はい……」 「お前は危なっかしくて放っとけないし、近くにいないと落ち着かない」 「それは聞きました」 「だから……その…俺の目が届くところにいろ」 「え……」 (え!? え!?? な、何? 久我くん、今なんて言ったの!?!??) 「離れたら心配になる。だから、ずっと俺の側にいろ」 「こ、久我く……そ、それ、それ! それは、あの! それって!!!!」 「……返事、待たせて悪かったと思ってる。ごめんな」 「ひっ……あ!!!!! あああ!!!!」 伝えたいことが、やっと伝わった気がする。 しかし、その瞬間風呂屋は顔を真っ赤にして落ち着きなく周りを見始めた。 (ど、ど、どうしよう! どうし……あ! ああ! これは夢? ま、毎日妄想してる続きだったらどうしよう!!) (で、でも、夢だったらもっとなんか違う!!! ケガなんかしないし、久我くんが手当てもしてくれないよ!!!!) 「こ、久我くん…わ、わた、わたし! わたし、あの!!」 「夢じゃないし、冗談で言ってるわけでもない。だから落ち着け」 「は、はひ! で、でも、あの! あ、うう!!」 (や、やっぱり夢じゃない!!!!) 「あのな、でも一つだけ……」 「……は、う」 俺が真剣に見つめると、風呂屋は少し落ち着いたのかじっとした。 まだ頬は赤くなってるみたいだが、さっきに比べればだいぶマシだ。 「お前は夜の世界の人間で、俺は昼の世界の人間だ」 「夜の世界と、昼の世界……?」 「俺が言ってること、わかってるか?」 「えっと……あの、あんまり…」 「……」 じっと見つめて聞くと、風呂屋は小首を傾げた。 ……そういえば、風呂屋たちはどの程度のことを知ってるんだろう。 今まであまり意識したことはなかったが、昼と夜で学園が変わることを知ってるのか? 「お前、一体どこまで把握してる?」 「何をですか?」 「だからええっと、じゃあ特査のことは?」 「えっと、えっと! 授業を免除されてて、みんなの悩みを解決するすごい部活ですよね!」 「……」 全然わかっていないのか。 というか、どんな説明をされたらこの答えになるんだ? 特査が部活って……モー子が聞いたらすごい顔しそうだな。 「あのな、だからさっきも言ったけど、俺は昼の世界の人間で、お前は夜の世界の人間だ」 「……昼の世界ですか?」 「ああ。だから、俺は昼の学園で授業をうけてる」 「授業免除とは違うんですか?」 「そうだ。夜、自由に活動してるのは授業免除があるからじゃない」 「昼と夜……ですか?」 「で、俺とお前は本来の活動時間っていうか……つまり色々違うんだ」 「活動時間が違うんですか。うーん……なんだろう…」 だめだ、全然通じてる気がしない。 まあ俺もあの『夜の世界』が来る魔術とやらを見ていなかったら、到底信じる気にはならなかっただろうが……。 それとも、もしかして、夜の人間ではこいつだけ状況がわかってないのだろうか。 ……そうじゃないと言い切れないのが怖いな。 「えっと、簡単に言うと普通の恋人同士みたいに、ずっと一緒にはいられないかもしれないってことだ!」 「……」 (恋人同士……って、わたしと久我くん…だよね? な、なんか恥ずかしい!) (でも、ずっと一緒にいられないかもしれないって……そ、そんなこと、あるんだ……) 「もしかしたら、突然会えなくなることもあるかもしれない」 「……はい」 「理解できないかもしれないけど、これは嘘じゃない」 「ある日急に、俺がこっちに来れなくなることがあるかもしれない」 (久我くんと会えなくなる……そんなの嫌だし、怖いけど…久我くんはウソついてない気がする) (だって、そうじゃないならこんな話する必要ないもん) 「わたしと久我くんは…違う世界の人なんですか」 「ああ、そうだ」 はっきりと断言したが、風呂屋は俺から目を離さなかった。 真剣な顔をしたままじっと見つめている。 だから俺も、見つめたまま目を離さない。 「さっきは、ずっと俺の側にいろって言ったけど……もしかしたら、それは無理なことなのかもしれない」 「…………」 「俺の側にいろって気持ちは嘘じゃない。でも、そうできなくなることがあったとしても……」 「わたし、平気です」 「風呂屋……」 俺の言葉をさえぎるように答えた風呂屋の瞳はまっすぐだった。 怯えもない、迷いもない。まっすぐで強い瞳。 それは、ずっとずっと俺にまっすぐな好意をぶつけて来た瞳だ。 「強いな、風呂屋は」 「え……」 「今、そう思った」 だから俺は、このまっすぐな思いを受け止めようって思えたのかもしれない。 「わたし、本当に平気です」 「一日が終わったら寮に帰って離れ離れになるけど、でもまた次の日が来たら会えますよね」 「ああ、そうだな。今までだって、そうだった」 「はい。わたし、違う世界の人でも、久我くんが好きです」 「うん……」 「俺、お前のそういうとこ好き」 「へ……え……」 (い、今、い、ま……こ、久我くんなんて!? な、なんて言ったの?) 「あ、あ、え……す、すすすすすすすきって、今すきって、えええ!!!!」 「…………」 聞き流してくれるかと思ったが無理だったか……。 なんか真っ赤になって混乱してる。 「も、もっかい! もう一回言ってくださいいい!!!」 「……恥ずかしいから嫌だ」 「えええええ!!! そんなぁ……ダメなんですか?」 「やだ」 「目標? なんだそれ」 「え? あ、あの、えと、えと」 (い、言ってもいいのかな。で、でも、あの、いいかな。ビックリされちゃうかな) 「あの……最終目標は久我くんとキスすることです!」 真剣な顔で宣言された最終目標に少し呆れた。 こんなこと考えてたんだな。 でもまあ、風呂屋っぽいと思わなくもない。 思わなくもないが……最終ってことはこいつの中ではキスで終わりなのか。 「…………」 「あ、あの……」 「お前は思春期の男をなんだと思ってるんだ?」 「だ、だだ、だって!! キスですよ! キス!!!」 「キスなあ……」 「……え」 ゆっくりと顔を近づけて、間近で風呂屋を見つめる。 突然のことに驚いたのか風呂屋は身体を硬直させたまま俺を見つめていた。 そして、驚いたように丸くなった目を見つめながら、更にその距離を縮める。 「……」 「……!!!」 (え? あ、ああ、あああ、あれ? あれ? か、かかか、顔が……ち、近っ!!) 距離を縮めて唇を触れ合わせる。 伝わる柔らかな感触を確かめるように、そのまま二度、三度と唇を触れ合わせた。 「ひゃ……あ、あ……!!!」 (こ、これ! これって、これ、あ、あああ!!!!) 触れ合わせていた感触をゆっくり離して見つめる。 風呂屋はまだ驚き硬直したまま目を丸くしていた。 「これで最終目標完了か?」 「どうした?」 「ふ、ふやあああああ!!!!!」 硬直したままだった風呂屋は俺が離れると、顔を今まで以上に真っ赤にしてしまった。 そして両手で顔を覆い隠して足をばたつかせる。 うん……この反応はかわいいな。 「おーい。風呂屋ー」 「う、うううう……」 「お、こっち見た」 名前を呼ぶと両手を離して俺を見つめる。 相変わらず顔は真っ赤になったままだ。 「……もっかいする?」 「…………」 「んー?」 「こ、今度は……もっと、ちゃんとして欲しいです……」 「…………」 「…………」 「いいよ」 「!!!!!」 思いがけない要望に驚いた。 まあ、さっきのはあんまりにもいきなりすぎたよな。 ちゃんとして欲しいって言われても仕方ないとは自分でも思う。 「こ、久我くん。あの……」 「わかってるって」 「あ……!」 頷き答え、身体を抱き寄せた。 驚いたようにまた硬直した風呂屋を落ち着けるように、そっと頬を撫でてやる。 すると、照れくさそうに、そして嬉しそうに風呂屋が微笑んだ。 そのまま、ゆっくりと顔を近付けて見つめる。 今度は、目の前の瞳がゆっくり閉じられた。 「ん……」 「……んっ」 (久我くんの唇……! わたし、本当にキス…してるんだ…) ゆっくりと唇を重ねる。 さっきよりもゆっくり、そして丁寧に。 唇を重ねて、もう一度柔らかさを感じる。 「んん……」 触れ合わせるだけの感触を何度も繰り返すと、風呂屋が小さく声を漏らした。 その声に心臓が高鳴った気がした。 それがなんとなく恥ずかしくて、その高鳴りを隠すように唇をゆっくり離した。 「あ……」 「おしまい」 唇を離してじっと見つめていると、風呂屋は名残惜しそうな顔をしていた。 そんな顔されると、ちょっとドキっとするかもしれない。 「……」 (も、もっとしたかったなあ。でも、あんまりしたいって言ったら恥ずかしい子って思われるかな) 「そんな顔すんな」 「ど、どんな顔ですかあ」 「その顔だよ」 「もー。わかんないですよう」 むーっと膨れたような表情を浮かべた風呂屋を見つめてくすくす笑う。 そんな俺を見て、風呂屋も笑っていた。 (……はあ…本当にキスしたんだー。……久我くんの唇柔らかかった) 「よし、それじゃあ戻るか風呂屋」 「どうした?」 「ひ、一つだけお願いがあります!」 「なんだ? もうキスはしないぞ」 「そ、そそ、そ、それじゃないです!!!!」 「だって、そんな顔してたから」 (ふえ〜ん!!! 思ってることがバレちゃってるみたいで恥ずかしいよう!!) からかってみると予想以上に慌てた反応をされた。 図星だったのか……。 なんか、逆にこっちが照れくさくなるな。 「悪かったって。お願いってなんだ?」 「あ、あの……名前で呼んで欲しいです!」 「名前……」 「ね、眠子って……」 「なるほどね」 確かに、これからも風呂屋って呼ぶのはなんか違うな。 名前で呼んで欲しいっていう気持ちもわからなくもない。 「じゃあ……眠子」 (は、ひ!!! な、なま…名前! 久我くんがわたしの名前を!!!!) 名前を呼ぶと風呂屋は目の前で真っ赤になって固まった。 自分から呼んでくれって言ったのに、面白いやつだな。 「なんでだよ」 「だ、だって! 恥ずかしいいい!!!!」 (無理むりむりムリ!!! 名前で呼ばれるなんて、恥ずかしすぎるーー!!!!) 「……わかった。じゃあ、これからも名前で呼ぶ」 「ふえ!?!?!」 「慣れなきゃ恥ずかしいままだろ。じゃあ行くぞ、眠子」 慣れるまではこんな感じでいちいち真っ赤になるのかもしれない。 まあ、これはこれでかわいい、からいいか。 眠子と付き合うと決めたことを、モー子とおまるにも報告することにした。 ここであれだけ騒いだわけだし、黙ってるのもどうかと思っての行動だ。 「……風呂屋町さんとお付き合いするんですか?」 「ああ」 「わー! そうなんだ! おめでとう、みっちー!」 「いや、あの……ああ」 「風呂屋町さんも良かった。がんばってたもんね」 「……」 おまるは素直に喜んでくれてるんだが、モー子の方は難しい顔をしている。 でもまあ、考えてることは大体わかってる。 「まあ、お大事に」 「どういう意味だよ!」 「そのままの意味です」 「意味わかんねーよ」 「それでは、私たちの立場がどういうものか、わかっているんですか?」 「わかってるよ」 じっと見つめて頷くと、モー子は諦めたように小さくため息を吐いた。 多分、昼の世界と夜の世界のことを気にしてるんだろう。 そんなこと、俺だってわかってる。 「きみと風呂屋町さんが同じ世界の人間でないということも?」 「全部覚悟の上だ」 「わかっていて、その結果になったのですね」 「ああ、そうだ」 「まあ、わかっているのなら、よろしいのではないですか。もう私は何も言いませんので、お好きにどうぞ」 「何言われても好きにするけどな!」 「はあ……きみって人は」 しっかりと頷いて答えると、モー子は視線を外して紅茶を飲み始めた。 何を言っても無駄だとでも言いたいんだろうか。 でも、今さら何を言われても自分の気持ちが変わるとは思えない。 「みっちー……」 「なんだ?」 「すごい! かっこいい!」 「は? いきなりなんだ? どうした?」 「だってさっきの! 全部覚悟の上だって!」 「まあ、言ったな……」 なんか改めてこうして言葉にされると恥ずかしい。 というか、それを聞いておまるは何を思ったんだ……。 「おれ、同じ世界の人間じゃないとか、深く考えなくておめでとうなんて言っちゃったけど……みっちーはちゃんと考えてて!」 「まあ、うん。考えてなきゃまずいだろ」 「そ、そうか」 えらい感激されてるみたいだな。 でも、こうやって素直に喜んでもらえたり、自分の考えや覚悟を肯定してもらえるのは嬉しいかもしれない。 ……照れくさいけどな。 「これから、うまくやっていけそう?」 「あー。うーん……」 「何かあるの?」 「なんかすぐ照れる」 「え?」 「名前呼んでも、手を繋ぐだけでも照れて大騒ぎするから」 「ああ……」 あれから結構名前呼んだり、手を繋ごうとしてるんだが……どうもうまく行ってる気がしない。 すぐに真っ赤になって大騒ぎするし、落ち着いたと思っても名前を呼ぶとすぐに元通りだ。 まあ、慣れれば大丈夫だとは思うが……。 いつになったら慣れるか心配になるな。 「風呂屋町さん、照れ屋さんなんだね」 「あれは照れ屋というレベルを超えてる気がする」 「すぐねえ……だといいんだけどなあ」 なんか、そんな気が全然しないのはどうしてだ……。 相変わらず、眠子は俺が名前を呼んだり手を繋ぐだけで照れる。 パンツ欲しい発言は未だにあるんだが……恥ずかしがる基準がわからん……。 でも、一緒にいるのは嬉しいらしくて、毎日会える時間になると姿を探しに来てくれる。 俺だって一緒にいたくないわけじゃないから、探したりはするが……あいつの方が探しに来るの早いんだよな。 「お……」 「ああ、久我くん」 「そうでもないよ」 「だからオレを無視すんなっつーの!」 「お前、ホント……ムカつくなあ!!」 「まったく……相変わらずだな」 「村雲がイチイチ突っかかって来るんで」 「てめーどっちがだ!!」 「……ふう」 相変わらず、村雲は細かいことに突っかかって来るなあ。 別に無視してるわけじゃないんだが。 名前呼んだら呼んだで何か言われる気がするだけだし。 ああ、でも……村雲には礼言っとかないといけないよな……。 「ああ!? だから、静春ちゃんって呼ぶんじゃねえよ! 何回言わせんだてめー!」 「ちょっと話あるから来い」 「はあ? なんでだよ。話があるなら、ここですりゃいいだろが!」 「ここじゃ話しにくいんだよ! いいから来いよ!!!」 「はああ?? 知らねえよ、そんなもん!」 なんでこいつはイチイチけんか腰なんだ……。 ちょっと話があるって言ってるだけなのに。 「話があるって言ってるだろ」 「オレにはねーよ!」 「いや、違うだろ。俺にはあるんだって」 「知ったこっちゃねえ! こっちは風紀委員の仕事があるんだよ!」 「ねえ、壬生さん」 「ん? 私は気にせずに話して来たらいいぞ」 「へ!?」 「お、本当に?」 「ああ、二人を見ていると羨ましくなる。遠慮なく言い合える良い友人同士なのだなと」 「え、っと……それはどうかと……」 「あの…壬生さん……」 流石に驚いて、村雲と二人で絶句してしまった。 壬生さんにはそう見えるのか……不本意だな。 いやでも、話して来ていいって言ってもらってるんだから、ちょっと相手してもらうか。 「まあ、いいや。じゃ、ちょっと村雲借ります。すぐ返すんで」 「わかった」 「な!? お、おい! 待てこらぁ!!!」 「すぐ終わる話だっつーの!」 「ちょ! 腕引っ張んじゃねえよ!!!」 とりあえず、動こうとしない村雲の腕を掴んで強引に移動した。 さすがに壬生さんがいる場所から離れて村雲の腕を離すと、ものすごく不満そうな顔で見られていた。 そんなに嫌がることもないと思うんだけどな。 「……っんだよ!」 「そんな怒んなくていいだろ」 「うっせえ! 話あるなら、とっとと終わらせろよ!」 「あー。うん……いや、報告することがあるから」 「は? なんだよ」 「いや……風呂屋と、付き合うことにした」 「……は?」 「だから、付き合うって決めたんだって」 「ああ? わざわざオレにも報告すんのかお前? 律儀なやつだな……」 「うるせー! これでも一応、感謝してんだよ!」 くっそ、報告なんかしなきゃ良かった。 やたらニヤニヤして面白そうな顔してやがる! でも、黙ったままって言うのも、なんか気になるし……腹立つ! 「まあ、黙ってるよりマシか。な? 年上の言うことは聞いとくもんだろ」 「あ、ああ……はいはい……」 「だから! もうちょっとオレのことを、先輩として敬えっつーの!」 「いや、だってさあ……」 からかうとイチイチ面白いし、突っかかって来るのも笑えるからなあ。 そういう扱いがしにくいっつーか、なんつーか……。 「……本当に仲がいいな」 「うん?」 「ああ、こんにちは。廊下は走ってはいけないぞ」 「あまり気にしすぎなくていい。それより、何か急ぎの用事だったのか?」 「あの、えと……久我くんを探してました」 「……ん?」 「久我くーん」 「あ……」 村雲と話していると、眠子が笑顔でこっちに走って来た。 その後ろには壬生さんもいる。 きっと、先に壬生さんを見つけたんだろう。 「何してるんですか?」 「え、あー。えーっと、付き合う事になったって……報告…」 「ひゃ!?!?」 「そうそう。わざわざ報告されてた」 「そ、そんな、ほ、報告なんて!」 (嬉しい! お、お友達に報告ってことだよね! すごい!!) 「ひ、あ。あ、あの、あの」 「ほう。風呂屋町さんと付き合うことにしたんだな」 「あ、はい。そうです」 「えへへへへへへぇ」 「風呂屋町さん、良かったな」 「は、はい! ありがとうございます!」 (すごい嬉しいよう〜! なんか、こんなに嬉しくていいのかな! いいのかな!!) なんか浮かれた顔して真っ赤になってるなあ。 まあでも、眠子の性格だったらこうなって当然か。 ……本人に伝える気はなかったんだが、まあいいか。 「なあ」 「は、はい!?」 「お前、本当にこいつでいいの?」 「どういう意味だよ!」 「そのままの意味だろーが! あんだけ優柔不断だったくせによぉ!!」 「……ぐっ」 それを言われると言い返せない。 実際、村雲に見られてて説教されてなきゃ、いつまでも眠子の優しさに甘えたままだったかもしれない。 くそ…言い返せないのがこんなに悔しいとは……。 「で、そんな優柔不断のこいつでいいの?」 「はい! 久我くんがいいです!!」 (だって、久我くんはかっこよくて優しくて……えへへへへへ) 「ああ、そう……良かったねえ…」 「ふふふ。幸せそうでいいじゃないか」 「いや、あの……」 いかん、改めて二人の時に言われると恥ずかしい! こんなに照れくさくなるものだったのか……。 俺まで顔が赤くなりそうだ。 「ちょーー!!!」 「……ん?」 「……」 「そうか」 「お前何言ってんの? っていうか、意味わかってんの!??!?」 「わかってます! 真剣です!!」 「余計タチわりーよ!!!」 「えー! だって前からお願いしてます」 (久我くんの大事なものが欲しいんだもん!! だからぱんつがいいんだもん!!) 「……」 「……」 ヤバイ! 二人が不審そうにこっちを見てる気がする! っつーか、すごく……いたたまれない!!! 「ちょ、ちょっと向こう行こうか!」 (ぎゅ、ぎゅって手が! 手、て!!! ぎゅって、恥ずかしい!!!) 「すまん! じゃあ、そういうことで!!」 「ああ」 強引に眠子の手を握ってその場を立ち去る。 視線が気になるが、振り返ってそれを確認する余裕は俺にはなかった。 「本当にあいつでいいのかねえ……見てる分には面白いけど」 「ふっ……二人とも、幸せそうじゃないか」 「……そ、そうですね」 「とりあえず二人から離れる!」 「それと!」 「は、はい!!」 「人前でパンツの話は禁止!!!」 「ダメですか?」 「ダメだ!!!」 「はーい」 こいつ、本当にわかってんのかな……。 「あ、風呂屋町さん」 「どうかしたんですか?」 (久我くん、いるかと思ったのになあ。今日はまだ見つけられなかったから) 「……久我くんは、いないんですね」 「あ、今ちょっと出てるから。すぐ戻るって言ってたよ」 「待っててもいいですか?」 「静かにしてくださるのでしたら、構いませんよ」 「もっとも、ここは遊び場ではありませんから、あまり頻繁に来られても困るのですが……」 (久我くん、普段はここで何してるのかなあ) 「……聞いていらっしゃいますか?」 「ど、どうなんだろうね」 「どうかしたのー?」 「ああ、それみっちーのだね」 「そ、そうですか」 (や、ややや、やっぱり久我くんの制服だあああ!! い、いいいかな。これちょっと、ぎゅってしてみても、いいかな!) 「置いて行くなと言ったのに……」 「ちょっと暑かったんじゃないですか」 「ほ、あ……」 「あ、風呂屋町さん?」 「久我くんの……におい……!!!」 (ふあああああああ!!!! す、すご、すごい! 久我くんのにおいが、こんな近くに!!!) (す、すご、すごい……しゅごい!! 包み込まれてるみたいだよおお!!!!) 「…………」 「え、と……」 「あ……?」 (久我くん! 久我くんのにおい! 久我くん! 久我くん!!!!) 「お、おかえり、みっちー」 「はあ……」 用事を終わらせて特査分室の扉を開けると、俺の制服を抱きしめる眠子がいた。 おまるは困ったように俺を見てるし、モー子は視線すら向けてくれない。 「お前何してんの?」 「いや、そうじゃなくて何を……」 「う、上着があったから思わず!!!」 (ああでも、このにおい! 久我くんのにおい、もっと感じたいいい!!!) 上着があったから思わずっていうのはどういうことだ? つまり、俺の持ち物があったら無条件でそうするのか? まあでも、おまるが困った顔してた理由とモー子が俺を見ない理由はわかった。 …これのせいか! 「いや、別に上着にそんなことしなくても俺がいるだろ」 「は、へ!? へ!?!??」 「ほら、ぎゅーしてやろうか? 来いこい」 「そ、そそそそそんな、恥ずかしい!!! 無理いいいい!!」 (ぎゅ、ぎゅーって! そ、そんな、そんなことされたらわたし、わ、わた、わたし!!!) 「……えー」 なんか納得いかないな。 なんで制服はよくて、俺は無理なんだ。 ホント、恥ずかしがる基準が全然わからん! 「失礼ですが……」 「あ……」 「そういうことは、別の場所でやって頂けませんか?」 「ここはそのようなことをする場所ではありませんし、色々と迷惑です」 「あー。う、うん……ちょっと困るかな」 「ちょっとどころではありませんよ」 「う……す、すまん…」 「はうう! ご、ごめんなさい〜!!!」 もう何度目にもなる注意を、呆れた顔でモー子はした。 確かにここは遊ぶ場所ではないし、悪いとは思うのだが……。 なんか、眠子には無理だとか言われるし……踏んだり蹴ったりだ。 「あら、いらっしゃい。風呂屋町眠子」 「はい!」 「今日はどうしたのかしら?」 「あ、あの! あの、報告しに来ました!」 「報告……とは、何かしら」 「えっと、この前リトちゃんに男女関係のことを聞きに来ましたよね!」 「ええ、そうだったわね」 「それで、あの! その時に言ってた好きな人に気持ちが通じて、彼女になれました!!」 「あら……拉致監禁をしたの?」 「し、してません! してません!!!」 「していないのに気持ちが通じるのね」 「はい! 通じました!!」 「それで?」 「あ、あの……き、気持ちが通じ合ったら、次の目標はどうしたらいいでしょうね?」 (さ、最終目標だったはずのき、キスは、し、しし、しちゃったし!!!) 「子供を作ればいいんじゃない?」 「ええ。結ばれた男女はおおむね子孫を残しているわ」 「こ、こど……こども……」 (わ、わたしと久我くんのこども……! こ、久我くんこども好きなのかな? どうなのかな?) (最初はやっぱり女の子かな。一姫二太郎って言うもんね! うん、女の子と男の子!) 「風呂屋町眠子?」 「役には立ったかしら」 「お? 風呂屋町だ」 「本当……」 「どうしたんだ?」 「なんだか、すごく笑顔」 「えへ、えへへへへへへ」 (どうしよう〜。顔が自然と笑っちゃうよう。にこにこが止まらない〜) 「おお、なんかいいことあった?」 「なんですか?」 「あ、あの、あの、久我くんとお付き合いすることになりました!!」 「え!?」 「久我満琉さん? 特査分室の?」 「はい!!」 「おおー! 良かったじゃない!」 「おめでとうございます」 「はい。ありがとうございます。二人にお話を聞いてもらったおかげです!」 「いや、あんまり役に立つ話はしてなかったと思うけど……」 「それでは、ぺろぺろはしましたか?」 「は! ぺろぺろはまだです! ぺろぺろはしてません!!」 「それはいけません。ぺろぺろもしないといけませんね」 「はい。ぺろぺろです! ぺろぺろ!!」 「い、いや、あの。ぺろぺろはともかく!」 「はい!?」 「お付き合い始めて、何か変わったこととかある? 手を繋ぐとか〜、なんかそういうの!」 「え、えっと、あの、な、名前で……よ、呼んでもらえるように、なりました!」 「おお!」 「眠子と、呼んでもらっているのですか?」 「は、はい!!」 (えへへへへ。久我くんの声で名前呼んでもらえると嬉しいの。でも恥ずかしくて、なんかドキドキする!) 「すごいじゃん。結構な大進歩じゃないかな」 「で、でも、その……て、手を繋ぐのとかが、恥ずかしくて……」 「そっかー! そういうものなのかもねえ」 「そうなの?」 「何をするんでしょうか」 「リトちゃんに相談したら、こ、こ、こどもを作ればいいんじゃないかって言われました!」 「こ、子供!??!」 「なるほど。子供……子孫繁栄は大事なことですね。それはいいと思います」 「や、やっぱりこどもですか!」 (すごい! ひなさんもこどもって言ってる! やっぱり、次はこどもなんだ!!!) 「え? ま、まって、ちょっと待って二人とも!!」 「どうしたの? クミちゃん」 「だ、だって、何か色々順番飛ばしてる!!」 「え?」 「え?」 「子供の前に、まずは結婚だよ!!!」 「け、けっこん……!!!!」 (結婚……久我くんとわたしがけっこん……!!! 結婚っていうことは、あの、ウエディングドレスとか白いタキシードとか……) (大きなチャペルで、久我くんにお姫様抱っこされて……ハトとか飛んじゃって、花びらがふわああって!!!) (あ、あああ! でも、久我くんだったら着物も似合いそう!! か、かっこいいんだろうなああ。紋付袴姿も見てみたいよう!!!) 「結婚の前に既成事実を作ってしまうのも大事なのでは?」 「ヒナ!!!」 「トリップしてる」 「……しばらく、戻って来ないっぽいね」 「うん」 「ふ、ふぁああああ……」 目がしょぼしょぼする。 眠い。 目の焦点が合ってないのか、黒板が見にくい。 授業中の先生の声を聞いてると、すごい勢いで眠気が襲って来る。 「………」 理由くらいは自分でもわかってる。 最近、睡眠時間が少ないからだ。 夜の時間に特査が解決する案件がない時は、早めに寮に戻って就寝してもいいことになっている。 実際、モー子は早めに案件を片付けた時は帰って寝ることが多いらしい。 「ふ、あ……」 もう一度、大きなあくびが出そうになった瞬間、先生と目が合った。 慌てて大きく開いた口を閉じてあくびをかみ殺す。 最近あまり眠っていないのは、眠子と一緒に過ごすためだ。 寮に戻っていい時間になっても、俺は学園に残ってなるべく眠子と一緒に過ごしている。 結果、睡眠の時間は削られるが、できれば一緒にいたいしな。 それに……急に会えなくなることもあるかもしれないし。 「はあ……」 でも、会う度に何かとんでもないこと言い出すのだけは何とかして欲しいが。 あいつ、今日もまた何か言い出すんじゃ……。 会うのは楽しみなんだが、それを考えると複雑な気持ちだ。 夜の時間になり、持ち込まれた案件が片付いた頃、眠子が分室に遊びに来ていた。 俺としては嬉しいんだが、モー子は呆れたような表情をしていた。 「ここは遊び場ではないのですが……」 「まあまあ…」 「はあ」 「ご、ごめんなさい」 (でも、ここに来たら久我くんと確実に会えるから……) 「ちゃんとわかってるってば」 「……だとよろしいのですが」 モー子としては、色々と思うところはあるらしい。 だが、そう思いつつ眠子が来ることには何も言わないでくれている。 こういう時ばかりは感謝せずにはいられない。 住む世界が違うということを、モー子も少しは気にかけてくれているのかもしれないな……。 「あの、久我くん」 「んー?」 「わ、わたし、あの、ご、ご相談したいことが、あるんです」 「なんだ? 相談って」 「えっと、あの……」 (だ、大丈夫かな。驚かれないかな……でも、あ、あれは一人じゃ無理だし……) 眠子は少し頬を赤くし、俺を見つめて身体をもじもじさせていた。 また何か、とんでもないことを言い出すんじゃないだろうか。 たとえば、この前のパンツ発言みたいな……できれば、この場ではやめて欲しい。 まあでも、とりあえず聞いてみないことにはわからないんだが。 「俺に相談して解決することなら、まあ…聞くくらいはするけど」 「ほ、本当ですか?」 「まあ、聞かない理由はないだろ」 俺の答えを聞き少し考えるような仕種をしてから、眠子は真剣な表情をしてこちらを見つめた。 「あ、あの、わたし……」 「こ、こどもを作ろうと思うんです!!」 (きゃー! きゃあ! 言っちゃったよおお!!!) 「………は?」 「……え」 モー子の方から何かが倒れるような音が聞こえた。 驚いてそちらに視線を向けると、モー子は飲んでいた紅茶を零したようだった。 机の上に倒れたティーカップと、零れた紅茶が広がっている。 どうやら、さっきの眠子の発言のせいらしい……おまるも驚いたように目を見開いている。 「……失礼」 だが、モー子はまるで何事もなかったようにティーカップを元に戻し、机に零れた紅茶を拭き取った。 そして新たに紅茶を淹れ直しているのだが……なんかあれ、砂糖の量がやたら多くねえか。 「あ、あの、憂緒さん……」 「どうかしましたか?」 「お、お砂糖多くないですか?」 「…………」 いや、明らかに多いだろあれ。 だがモー子はそれ以上何も言わず、おまるから視線を外してまた砂糖を入れていた。 「う、憂緒さん」 「なんでしょうか?」 「い、いいえ。なんでもありません」 「はい」 砂糖を入れ終わったモー子は、いつものように紅茶を飲み始めた。 本当に、今まで何もなかったようだ……。 おまるの方はこれ以上何も言えなくなったようで、黙り込んでしまった。 うん。二人の動揺が手に取るようにわかるな。 それなのに眠子のやつは……きらきらした目をして俺を見ている。 今のこの状況が、わかってないのか…? 「ダメでしょうか……!」 「いや、ダメっていうかな」 「ダメじゃないんですね」 「そ、そうじゃなく!」 ダメだ! こいつわかって言ってるのか判断できん! 助けを求めようとモー子とおまるに視線を向けても、こっちを見ようともしない。 「いや、だからさ、あの」 「こどもを作ろうと思うんです!!」 「だ、だから、大きな声でそういうことを……」 「やっぱり、ダメなことですか?」 「いや、子供っていうのは、あのさ……えーっと、あの、コウノトリが……」 「それが違うことくらい、わたしにもわかりますっ!」 「えええ……」 それはわかってるのかよ!! って、それがわかってるからってどうしたらいいのか……。 全然わからん!! 「……そこは理解しているんですね」 「え? 憂緒さん……?」 「どうかしましたか?」 「い、いえ。どうもしません」 「だ、だから、あの! ど、どうやってこどもを作ればいいのか……」 「わーーー!!!! わーー!!」 「ほ、え?」 「と、とりあえず黙ろう! な!?」 「え? どうしてですか? だってわたし、こど……」 「ストップ! それ以上はもう言うな!!!」 「ひゃっ!!!!」 (きゃー!! ま、また、手、手を! 久我くんがわたしの手を!!!) とりあえず、この場にいてはいけない。 「……はああああ」 「あ、あははははは」 「まったく。分別だけはつけて欲しいものですね」 「そ、そうですね」 眠子連れて外に出るの何回目だよ。 もう何回も同じことしてる気がするぞ……。 それにしても……本当にどこまでわかってるんだ? まじまじと見つめると、眠子は照れたように頬を赤く染めていた。 (こ、久我くんが…わたしをじっと見てる! な、なんだろう。何かあるのかな、見つめられてるだけでドキドキする) 「あのな、さっきの話」 「それな……意味わかって言ってるか?」 (い、意味ってこどもをどうやって作るかだよね? さ、さっきのは違うっていうのは知ってるけど) 「コウノトリは違いますよね」 「いや、そうだけどさ」 どうも、コウノトリが違うのはわかっていても、具体的なことはわかってないっぽいな。 こんなもん、どうやって説明すればいいんだよ……。 具体的に……って実践? いやいや、それはダメだろう。 いやでも、そうしなきゃどうやって教えるんだよ。 「とりあえず、どこまでわかってる?」 「わかるとこまででいいから、ちょっと言ってみ」 (わ、わか、わかるとこまで……!!) 「あ、あの、えと。お、お、おおお、お互いには、ははは、裸になるのは知ってます!」 「うん。それで、それからは?」 「そ、それから!?」 (そ、それから、それからは、えっと、あの、えっと!!! なんかこうぎゅーって!) 「それからは知らないんだな」 「は、はい」 ああ、よくはわかってないんだな。 色々間違った知識をどこからか植え付けられてたらどうしようかと思ったが、それはなさそうだ。 いやでも、安心してる場合じゃないよな。 こいつ、ほとんど何も知らないのに子供作るって言ってたんだから。 「で、でも、あの、こ、久我くんの前で裸になるなんて、は、恥ずかし……!」 「そんなんで子供作るって言ってたのかよ」 自分で言い出したことなのに恥ずかしいのか、眠子は俺を見つめて真っ赤になってぷるぷる震えていた。 (は、裸になったら全部見られちゃうわけで、そ、それに久我くんの裸も全部……) (こ、久我くんの裸とか、そ、そんな、そんなの!!! わたし!!!) 「あ、あの、は、恥ずかしがってたら、こ、こどもは作れないんですよね?」 「まあ、そうだよな」 「……こ、この恥ずかしさは克服しないといけないということですか」 「眠子、お前何を考えている」 「何かおかしなことを考えている顔をしていた」 「そ、そそんなことは考えてません! 考えてません!!」 「じゃあ、何考えてたか言ってみろ」 「う! あ、あ、あの、あの……は、恥ずかしいのを克服する特訓を……」 「特訓て、どんな?」 「ひ、人前で、は、裸になる……とか」 「ダメです!!!」 (こ、久我くんが怒った! だ、ダメなのかな? 特訓はダメだったのかな!!??) 「彼女が人前で裸になるとかダメに決まってるから」 「あ……」 (か、彼女……そ、そうだよね、わたし今、久我くんの彼女なんだから、人前で裸なんてそんな……) (えへへへへへ。彼女って言ってもらっちゃったああ〜) 「それから、えっと……そういうのは、俺が教えるから」 「久我くんが?」 「……そりゃまあ、変なことしようとされるよりはな」 「え、えへへへ」 顔は真っ赤なまま、今度は照れくさそうに笑い始めた。 こいつは本当に……可愛いんだが、困ったやつだなあ。 「それに、いきなり裸になるより、まずは手を繋ぐこととかになれてからじゃねえ?」 「あ……」 「手、繋いで歩きたいだろ」 (わ、わたしも久我くんと手を繋いで歩きたい。ぎゅって、恥ずかしがらずに……) 「じゃあ、ちょっとずつ恥ずかしさは克服しような」 「はい」 「それじゃあ、手繋ぐか」 (手! 手が、ぎゅって! あ、あう!! 指も絡められてるよおおお!!!) 「はい、落ち着けよー。じゃあ、このまま散歩でもするか?」 「ひ、ひぃいんん!!!!」 (こ、このまま!? このまま散歩なんて!!!) 指を絡めて手を繋ぐだけで、眠子は落ち着きをなくして慌てたように周囲を見回し始めた。 やっぱり、まずはこうやって手を繋ぐことが普通にできるようにならないとなあ。 こうやって手を繋ぐことから始める間に、子供作りたいって言い出したことも忘れてくれればいいんだが……無理かなあ……。 とは言っても、まだ手を繋ぐところから先には進んでいない。 相変わらず手を繋ぐだけで照れるんだから、先に進めるわけもないのだが。 でも、今日は手を繋いだまま廊下を歩くまでできるようになっていた。 まあ、これも特訓の成果というやつだろう。 ……でも、この先に進展する気が全然しないんだよなあ。 (は、わわわわ! わわわ、わわ! 手、手が! 手がぎゅうって! 久我くんが!!) しかし、まだ手を繋ぐだけで真っ赤になるんだな。 何がそんなに恥ずかしいんだろうか……いや、これでも前よりだいぶマシにはなってる。 手とか握り直したら、どうなるんだろう。 そんな好奇心から、眠子の手を強く握り直して指先を絡めてみた。 「眠子も俺の手、ぎゅってしてみれば」 「そ、そそそそんな、そんな無理です! む、ムリ!!」 「いやでも、さっきから俺が握ってばっかりだし」 「だ、だって! でも、あの! あの!!」 (そ、そんなこと、恥ずかしすぎてわたし! わたし!!!) 「でも、この程度で恥ずかしがってちゃなあ……」 「……はっ!!!」 (そ、そうだ! こ、こどもを作ることになったら、も、もっとすごいことを……!) (だ、だって、だって久我くんの前で…は、はは、はだ、はだか! 裸になって!!!) なんか色々考えて自分で混乱してるみたいだが……大丈夫か? どうも、色々考えすぎてる気がしていつも心配になるんだよな。 お……。 でも、考えながらのせいか自分から手を握ってくれたな。 気付いてるかはわからないが、こういうのは嬉しい。 「久我くん」 「ん……?」 「こども作るのって……大変なことですね」 「ああ……うん……」 あ、しまった……余計なこと言ったせいで思い出させたか。 こうして手を繋ぐ特訓してるうちに忘れてくれりゃ良かったんだけどな……そうもいかないか。 まあでも、こうして毎日、特訓だって言って手を繋いだりしてるわけだから、そのうちその先に進むだろうし……。 そうなった時に、どうしたらいいだろうか。 いつまでもこのままでいられないってのは、わかってるつもりだ。 ただ、よくわかってない眠子にどこまでしてもいいのか……。 「も、もっと、特訓しないとダメですね」 「特訓って言ってもな。今、手を繋ぐだけでも恥ずかしがってるのに」 「そ、そそそれは! だ、だだだ、だってぇえ!!!」 こういう反応は素直に可愛いと思うんだが……。 でも、それなのに子供が欲しいとか言い出すから、よくわからないんだ。 「……特訓、もっとするの?」 「きょ、今日は今までと、違うことがしてみたいです!」 「あ……うん」 (だって、このままじゃこどもが作れないもん! もっとがんばらなくちゃ!) (ど、どんな特訓でも、き、きききっと、大丈夫! 久我くんと一緒だし!!) 「えっと……」 これはヤバイ……。 なんか、やる気満々になってるぞ。どうしたらいいだろうか。 でも、今更やっぱりなしとは言いにくいよなあ。 「久我くん……?」 「えっと、特訓……するんだよな?」 「します!!!」 眠子の目がきらきらしている。 これは逃げられない。 というか、逃げるつもりもないんだが。 こうなったら、腹くくるか。 もしかしたら、ちょっと色々したら恥ずかしがってムリって言うかもしれないしな。 「じゃあ、どっか別の場所……」 「べ、別の場所ですか!!」 「うん」 手を繋いだままの状態で眠子を連れて場所を移動する。 ふと気付いたが、今の状態で眠子のやつ手を繋ぐこと自体は恥ずかしがってないんだな。 自分から手を握ったりもできてるし。 いや、それどころじゃないのかもしれないけど。 まあでも……特訓の成果はちょっとはあったのかもな。 どこがいいだろうと考え、結局人のいない中庭にやって来た。 とりあえず、周りからあまり見えないと思われる樹の下に移動してみた。 ここなら、まあ……校舎からも見えないだろう。 ふと眠子に視線を向けると、落ち着きなくそわそわしていた。 「………」 いつもと違う特訓って言われてもねえ……。 どうしたもんだか。 何をしたらいいか。というか、何から始めればいいか。 「がんばるって言ってもなあ」 (だ、だだだだって、このままじゃ久我くんとこども作れない!!!) 本人はがんばるって言ってるが、何をするつもりなんだろうか。 考えて言ったようには思えないが、面白そうだから様子見てみようか。 何言い出すかもわかんないし。 「あ、あの、えっと」 「うん。何がんばるんだ?」 「ぎゅ……ぎゅって! ぎゅってします!!」 「ぎゅって?」 (きゃあああ!!! な、ななななんか、すごいこと言っちゃったよう!!!) 「できんの? ぎゅって」 「で、できますよう」 「ふぅ〜ん」 本当にできるんだろうかと思いながら見つめていると、眠子は必死な顔をして俺の腕に強く抱き着いて来た。 「………!」 「ぎゅ、ぎゅー! です!!」 (ひゃあああ! あ、あああ、あ、あ! わ、わた、わたし! わたし、久我くんにぎゅーしてる!!!) (す、すごい! すごい!! 本物の久我くんにぎゅーって!!!!) (は、は、はううう!!! 久我くんのにおい! 本物の久我くんのにおいがああぁあ!!!) 「………っ……」 抱き着いて来たのはいいが眠子はそのまま動きが止まった。 しかしその、なんだ。 なんか、腕に柔らかいものが当たって……これって、もしかして、いやもしかしなくても……。 「ぎゅう……」 って! 動きが止まったと思っていた眠子は、俺の腕に何度も身体を押し付けてくる。 その度にさっきの柔らかい感触がはっきり伝わり、それが勘違いではなかったとわかる。 というかこれ、眠子の胸の感触! なんか、思ってたよりデカイ!! っていうか、そうじゃなくて! これはヤバイ!! やばいんだけども、押し付けられる感触がなんとも気持ちよくてこれは、これで……。 「んんぅ……」 制服の上からだと気付かなかったが、かなり胸あるんだな。 見た感じそんなになさそうなのに、この感触はかなりあるとしか……さっきから、すごい当たってるし。 こいつってちゃんとした女の身体して……いやいや何考えてるんだ俺! 落ち着け!! 「あ、あの、あの、こ、久我くん……」 「な、なんだ」 「こ、こどもを作るのって……は、裸に、な、ならないと……むり、ですか?」 「え……」 「あ、あの! は、裸になるのは、や、やっぱり…は、恥ずかしくて……!」 「でも、裸にならないと、む、むりなんですよね……?」 「眠子、あのな……」 こいつ、何言い出してるんだろう……。 いやでも、裸じゃなくてもできることはできるし。 いや、そうじゃなくて、変に意識してる場合じゃない。 …と思ってる俺の気なんかしらず、眠子はまた身体押し付けてくるし。 ああ……また、胸当たってるな……。 「いや、あの……裸に、ならなくても、その……」 「え……」 「こ、久我くん……あ、あの……裸にならないまま…できませんか?」 「………」 じっと見つめると、眠子は顔を真っ赤にしたまま俺を見つめ返して来た。 こんな風に抱きつかれたら嫌でも眠子の身体を意識するってのに、おまけにこんな表情で見つめられて……。 挙句、聞かれた言葉があれだもんな……こんな状況で聞くのはずるいかなとは思う。 でも、このまま何もしないっていうのも、そろそろ無理かも。 「じゃあ、してみる?」 「……?」 俺の言葉を聞き、眠子はきょとんとした表情をした。 どうやら言葉の意味が理解できなかったらしい。 でも、ぽけっとした様子で見つめる表情も可愛いかもしれない。 やっぱり……無理だな。 「あの、久我く……」 じっと見つめて唇を重ねると、眠子の動きが止まった。 それに気をよくし、何度も何度も唇を軽く重ねる。 突然のことに驚いたのか、眠子は身体を硬直させて動かない。 「……んっ」 (あ、あれ? あ、あれ!?!? わ、わた、わたし、また久我くんとちゅーって!!!!) 「ん……んんっ…」 (ふあ、あ……久我くん、やっぱり…唇、柔らかい……) (ど、どうしよう、ドキドキする! 久我くんのしてみるって、き、きき、キスだったのかな!!) 触れ合わせるだけの感触を何度も繰り返し、時々唇を甘噛みする。 その度に眠子は身体を震わせて反応していた。 硬直するだけだった身体からは少し力が抜けて、少しずつ慣れて来ているようなのがわかった。 「ん、ん、あ……」 (な、なんか前と…違う……みたい……!) (前より、すごい…いっぱい、唇にちゅうって……されてる) 「んんぅ」 「……んっ」 「はあ、あ……んんっ…んっ」 口付けられることに慣れて来たらしい眠子は、自分からも唇を押し付け始める。 でも、なんだかぎこちない感じで、それが逆に可愛いと感じる。 眠子が唇を押し付けるのに合わせて自分から口付けて、驚いた様子で硬直している間にもう一度唇を重ねる。 「……眠子」 「あ、ん……久我くん……」 (名前呼ばれるともっとドキドキするよぉ! そ、それに、なんか、ちゅうって…気持ちいい……!) 「かわいい」 「ひ、あっ! あ、んぅう……」 (か、かわいいって! 久我くんが、わ、わたしにかわいいって!!!) (ゆ、夢みたい!!! 嬉しい、嬉しいよおおお!!) 「んんぅ……久我くん…久我くん……」 「…もっと?」 「ん、もっとぉ……いっぱい…」 (もっとって、どんなだろ。わかんない! 全然わかんないけど、いっぱいがいいよぉ) 「ん、じゃあ、もっとな」 「……ふぁっ!」 物足りなげにおねだりする姿に興奮が増す。 重ねた唇を舌先で開かせ、ゆっくりと胸の上へと手のひらを移動させる。 制服の上からでも柔らかな感触ははっきりと伝わった。 やっぱり、胸デカイな……。 「は、んんっ!」 (ふぁ、ああっ!!! あ、ああ! あれ? あ、あれ!? な、ああ? なに? 何が!??!?!) 「大丈夫だから」 「はあ、あ、んっ……ん、んっ」 (手、手が! 久我くんの手が、わたしの胸……あ、あれ!? な、なに!) 「ひゃぁ、あっ! あ、はぁ……」 (あ、そ、そか……特訓、だから、裸にならないで…!!!) 舌先を動かして時々くちゅくちゅと音を立てる。 目を開けて様子を見ると、その音に気付いて耳まで真っ赤になっているのがわかった。 そんな様子を見つめて口付けを続け、何度も何度も胸を触る。 大きな形を確かめるように手のひらを動かし、下から上へと持ち上げるようにしながら揉みしだく。 「は、んぅ……ん、ああっ、あっ…」 「ん……」 「久我くん……あ、んっ! 手、おっき……」 「え……」 「いっぱい、全部……触って、もらって……る…」 「嫌か?」 「嬉し……気持ちい…です」 (胸のとこ、ぎゅうってされてるだけなのに、身体全部……ふわふわってする…) (なんだろう、これ、なんか、不思議……でも、やじゃない…) 口付けをやめず、胸を揉み続けていると眠子が身体を摺り寄せてくるのがわかった。 何を求めているのか、どうして欲しいのかなんてことは考えなくてもわかる。 正直、これだけで終われるとは俺自身が思っていない。 「ん、んぅ……久我くん……もっとぉ…」 「ん、わかった」 「は……はあ、は……」 (え、あれ……ちゅう、終わっちゃっ……) 「ひ、ゃあん!!!」 「ちょっと、我慢して」 「ふぁ、あ? あ、ああっ?」 (え? ど、どうして、この格好に……? ぱ、ぱんつ、見えちゃ…!!!) 口付けを終わらせて身体の向きを入れ替えさせると、眠子が驚いたように視線を向けた。 じっと見つめると不安そうな表情をされる。 「こ、久我くん! こ、これ、あ、あの! なんで!?」 「眠子、もう一度だけ聞くけど。本当に、俺と子供作りたいのか?」 本当にこのまましてしまって大丈夫なんだろうか……。 やっぱり、一応聞いておかないと後悔するかもしれない。 だが、俺の言葉を聞いた眠子はきょとんとした顔をした。 「ふぇ? あたりまえじゃないですかっ」 「すごく、恥ずかしい目にあうのに?」 「………で、でも、……克服しますっ! そのための特訓ですからっ」 「わかった……。じゃあ、触る」 「ひゃぁっ!」 こくこくと頷きながら答えた眠子のお尻に手を移動させ、その膨らみをゆっくり撫でる。 二つの膨らみをゆっくり撫でまわし、割れ目に指を這わせてつつっと撫で上げると眠子の背中がびくりと震えた。 「ひゃぅ! う、あ、ああ……」 「あ、んんぅ! は、あ……」 (久我くんの手がぁあああ!!! は、恥ずかしい…けど、なんか、気持ちいい……!) 「は、あ、ああぁ……」 「……いや?」 「ん、んん……やじゃ、ないですぅ…」 「そうか、よかった」 「は、はあ、は……あ、あ…身体、奥熱く、なってぇ……」 (なんで? なんで……こんな風になってるの……?) もっとも、嫌だと言われても今さら止められる気がしない。 様子を伺うようにしながら手のひらを動かし続け、下着の隙間に指をかける。 驚き一瞬視線を向けられたが、気付かない振りをしてそのまま下着をゆっくりずらして行く。 「ひぁああっ! あ、ああっ! 久我く……!!」 「……特訓」 「は……あっ! と、とっくん……ん、あっ!」 「こ、こども…作るの……特訓……」 「ああ、そう」 「わ、わかりましたぁ……あ、あっ! ひゃあ、ああっ! そ、そんなとこぉ!!」 (や、ああっ! もっと、熱くなっちゃうよぉ!!) あらわになったお尻に直接触れて、手のひらをまた動かす。 柔らかくてすべすべした感触が気持ちいい。 胸だけじゃなくて、お尻も大きいんだな……。 「や、やっぱりぃ……さ、触っちゃダメですぅ…! は、恥ずかしくて、わ、わたしぃ! ひぁあっ!!」 「いや、うん。でも、こうしておかないと……」 「ふぁあっ! あ、ああぅ! あ、んっ、いっぱい、あ、熱くなっちゃいますぅ……」 何度も何度もお尻を撫でていると、眠子の身体がびくびくと震えた。 これだけやっておいてなんだが、わかってないままやってしまうのはどうだろうと思ってしまう。 しかし、我慢できそうにないのも事実……。 ぐるぐると考えていると、手のひらの動きを止めることができそうにない。 「久我く……久我くん…! だめぇ、だ、め…いっぱい、変…ですぅ!!」 「変じゃないって、これで普通だから」 「ほんとう? わたし、おかしくない?」 「ああ、大丈夫」 「良かっ…あ、ああっ! は、ぁあ、でも……やっぱり、身体あついぃ…!」 俺の葛藤に気付いていない眠子は、手のひらの動きに合わせて何度も身体を反応させて視線を向ける。 していいのかという迷いはあるが、したいという気持ちも勿論大きい。 こうして柔らかな膨らみを撫でて、戸惑うように表情を見つめると迷いが吹っ飛んで行きそうになる。 「眠子……あのさ……」 「ふえ? え、あ……」 (どうしたんだろう? 久我くん、なんか変な感じする) 「いや……」 「久我くん……? ど…したの?」 「………」 (あれ? 何か我慢してるのかな……なんだろう、何がまんしてるのかな) 「いいよぉ……」 「え? あ、え?」 聞こえた言葉に思わずビクっと反応してしまった。 こいつ、さっき言ったことの意味わかってるのか? ……いや、絶対にわかってないよな。 「いや、あの、あのな?」 「久我くん……好きなこと、していいからぁ……」 「……眠子」 「わたし……久我くん好きだから、いいのぉ…」 絶対にわかって言ってるんじゃないっていうのはわかる。 わかるが……すごく一生懸命だし、かわいいし、俺を思って言ってくれてるっていうのがわかる。 ていうか、眠子から伝わる気持ちが全部嬉しい。 ……もう、いいよな。 「ありがと、眠子」 「うん……久我くん、好きぃ」 じっと見つめて背後から頬に口付け、下着の奥で既に大きく反応していた肉棒を取り出した。 そして、それをそっと眠子の秘部に擦り付けると驚いたように身体を反応させられた。 「ふぁ、あ!? あ、え? あ、あっ!!」 「じっとしてれば大丈夫だから」 「じ、じっと……?」 「そう、このまま」 「ひぁあ! あ、ああっ!??!」 俺が言うままじっとしている眠子の身体をしっかり支え、そのまま前後に腰を揺らして肉棒を擦り付ける。 腰を動かして擦り付ける度、眠子の秘部からくちゅくちゅと音が響く。 そして、戸惑うような表情を浮かべながら眠子は身体を震わせる。 「ふぁあ、あっ! あ、ぁあん!! な、なんか、あっ! 熱いぃ!」 「……はぁ」 「久我くん! 奥、きゅんってなってる! ふぁ、ああっ!!」 「ああ……わかるから」 「は、あぁあん! わかるの? ど、して? 久我くん! あ、あっぁあっ!」 擦り付けているだけなのに、眠子の反応はどんどん良くなっていた。 あふれ出す愛液のおかげで滑りも良くなり、動きもどんどんスムーズになって行く。 ぐちゅぐちゅと聞こえる愛液の音と、目の前で反応する眠子の姿が身体と神経を刺激する。 「はぁ、はあ、ああ…! あ、気持ちい……ふぁあっ! ん、ああっ!」 「うん」 「一緒ぉ? 久我くんも、一緒? 気持ち…なってるの?」 「一緒だ」 「ふぁあ、あ、嬉し……一緒、嬉しいですぅ!」 嬉しいと声を震わせる姿に、背中がぞくりと震える。 いやらしくて、かわいくて、たまらない。 もっともっと、眠子のこんな姿を見てみたいと感じてしまう。 「ふぁあ、はぁっ、あ、あたま、ぽおってしてるよぉ…、ひゃぁ!」 「ぁあ、久我くん、久我くん…! あっ、あつくて、きゃふっ」 「眠子……っ」 しっかりと身体を支え、何度も何度も眠子の秘部に肉棒を擦り付け続ける。 腰を激しく動かすと、先端から根元まで勢いよく擦り付けられ、そのままクリトリスにまで届く。 先端が届くとそれに反応し、眠子の身体は大きく震えた。 もっともっと、こうして反応する姿が見たいと思うと自然と腰の動きは早くなる。 「あふっ、あふぅ、んぅ! ぁああっ…どんどん、はやく、なって、んんっ!」 「ひゃっ、ふやぁぁ、あぁっ、久我くん…っ! もぉ、わかんないよぉ、はあぁあ!」 「ふぁぁあ、はううぅっ! きもちいいよぉ、あ、ふ、あぁぅ!」 俺の方も限界が近かった。 たまらず眠子の身体をしっかり掴み、激しく腰を揺らして肉棒を擦り付ける。 「……っく」 「ひゃあぁあぁっ…? ふぁ…、な、なに……? なにか……」 何度か擦り付けると、身体がびくんと震えた。 そして、眠子の秘部と添えられた手のひらいっぱいに射精する。 眠子は突然あふれ出した精液に驚き、ぽかんとした様子で俺に視線を向ける。 何が起こったのか、まったくわかっていないみたいだ。 「はふ……久我くん……いまの、なに…?」 「……ちょっと待て……今、ふいてやるから…」 「ふええぇっ!? わ、わたしもしかしていま…お、おもらし……」 「いや、してないから安心しろ……」 おかしなことを言い出したのを聞いて、思わずくすくす笑ってしまった。 不安げにしていた眠子は、あふれてしまった精液を拭い取り始めるとまた表情を惚けさせる。 「ぁ……ふあぁ…久我くんの手がぁ……はあぁ…ああう…」 秘部に触れられる度に反応する姿に神経が刺激される。 さっき出したばかりなのに、またびくびくと反応を始めた自分自身に呆れるのだが……こればっかりは仕方ない。 ……もうちょっとしてても、いいかな。 「……!!!」 「ひ! あ……?」 もうちょっと…と思っていた思考は、聞こえて来た足音で一気に吹っ飛んだ。 今、この状況で誰かに見付かるのはヤバイ。 「……久我くん?」 「ちょっと、ヤバイ。別のとこ行こう」 「ふえ? え、あぅ?」 「あ、そうだ。制服も……!」 「ぱんつー」 「え? あるだろ、そこに……」 「違うの、久我くんの」 「は?」 なんとか自分の制服を整え、眠子を連れて場所を移動しようとした……が、急にまたパンツって!! しかも自分のじゃなくて、俺のって言い出したし。 こいつは本当に何を言い出すんだ。 「久我くんのぱんつはくー」 「待て、自分のはけ自分の! 俺もうはいてるから!」 「えー」 「えーじゃない! と、とりあえず行くぞ」 「ふぁあい」 幸い、さっきの足音の主には俺たちがいたってことはバレていないみたいだった。 あんなのがバレたらどうなるかわかったもんじゃないからな……。 眠子を連れてどこに行こうかと思ってうろうろしていたが、礼拝堂の鍵が開いていたので中に入ることにした。 誰もいないので一安心ってとこだな……。 それにしても……。 「…………大丈夫か?」 「まったく大丈夫じゃないようだが」 「なんだか、あたまがまだぽーってして……ます」 「……悪い」 さすがに、ちょっとやり過ぎたかもしれない。 何もわかってなかったっぽいもんな。 ……これはちょっと、反省しないといけない。 でもなあ、こいつの反応が可愛かったんだもんなあ。 あんな迫られ方して、あんな反応されて何もなしって言えるほど俺もできてるわけじゃない。 「あの、久我くん」 「ん?」 「…さっきので、あの、こども……作れますか?」 「えっ! いや、あの」 「できないですよね? あの、そう思ったんです……」 何故、わかる……。 というか、さっきの思い出してる途中でこんなこと言われると、やっぱり色々思うわけで……。 というか、あれだけじゃ中途半端だったからなあ。 「ね、眠子!!」 あれだけ恥ずかしがっていたのに、眠子は自分から上着とベストを脱ぎ捨てた。 何をしだすのかと思ったら、眠子は俺の足元にひざまずくように座るといきなり下半身の辺りを触り始める。 そして、そのまま慣れない手つきで下着の奥から肉棒を取り出した。 「は、ふ! ここ…ね、ちゅーって、したいです……」 「……」 「は、んんぅ…」 そして、反応を始めている肉棒に向かって眠子が口付けを始める。 それにビクリと反応してしまう自分が情けない……いや、でもこんなことされたら仕方ない。 それにしてもこいつ、わけわかってやってるんだろうか。 「ん、んんぅ…ちゅ、ふ……んんぅ、んむぅ」 「……あ、ふ」 「久我くん……久我くんの、におい、いっぱいぃ……はあ、はぁ、ぁんぅ! んんぅ、んっ」 「いっぱい、いっぱい久我くんのにおい…頭、くらくらあってするよぉ……」 うっとりした表情で、眠子は何度も肉棒に口付けていた。 根元を支えながら手のひらを動かし、何度も口付けられるとびくびくと反応してしまう。 その反応を確かめるように、眠子は唇を寄せ、そして時々舌先で舐めてをくり返す。 「は、んぅ、んん! ちゅうって、したら…は、んぅ、びくびくぅってなるのはど……して?」 「いや、あの……」 「はあ、はあ、ふぁあ、あっ。んんぅ、は、むぅ…久我くん、好き……いっぱい、いっぱい」 何度も口付けられ、いやらしく舌先を動かし舐められ続ける。 肉棒に与えられる刺激そのものよりも、眠子の仕種と表情に興奮しているような気がした。 もしかしたら、慣れないながら必死になっている姿がいいのかもしれない。 「ちゅうって、久我くんも…気持ちいい、ですか?」 「あ、ああ」 「はうぅ……嬉しいぃ、もっとしたい、れす…ん、ちゅぅ、ちゅ…ふ、ふぁあ」 もう、何度も何度も同じことがくり返されている。 快感には達しない、もどかしい刺激。 これはこれで悪くはないが、ずっと続くとそろそろ我慢も限界になりそうになる。 「眠子、も……いいから」 「ふ、え? どうしてですか? もっと、したいれす」 「どうせなら、もっと別のことしよう」 「べつのこと? って、なんですか」 「うん。だから、こうやって……」 立ち上がり眠子の身体を抱き上げ、背中から覆いかぶさるような体勢にさせる。 眠子の方は何がなんだかわかっていないようで、ちらちらとこちらに視線を向けていた。 「無理だったら言えよ」 「ふ、あ? むりって……なにが、れすか?」 「すぐ、わかると思うから」 そんな眠子の髪を優しく撫で、大きく反応したままの肉棒を秘部に軽くあてがった。 何度か腰を揺らして、さっきと同じように擦り付ける。 「あ! ふ……あ、ああっ! そ、そこ、なにか…熱いの、当たってる!」 「ああ。わかる?」 「は、ぁあ、あっ! わ、わかり、ますぅ! ふ、ああっ」 何度か肉棒を擦り付けていたが、その動きを止めて身体を抱きしめ直す。 そして、先端をそっと秘部の奥へと進ませて行く。 「ん、んぁあ! あ……!!」 本当にゆっくりと奥へ進ませようとしてみるが、さすがに初めてだから中々先に進めなかった。 眠子の方も辛そうに震えてるし、このまましても大丈夫だろうかと不安になると同時に頭の中が冷静になった。 途中まで先に進んだまま動きを止めて、背後からそっとその顔を覗き込む。 「は、はあ、はあ、は……う、あぁ……くるし……」 「眠子、無理だったらやめるから、だから……」 「や、やれすぅ……いや、やらぁ! このまま、いいのぉ」 問いかけに対して、眠子はいやいやと首を振る。 でも、こんな姿を見つめていると、このまま先に進めても大丈夫なのかという不安や心配の方が大きくなる。 「だ、ってぇ! さっきの、中……は、入ってるんですよね…?」 「ああ」 「だ、だったら…やめちゃ、やあ……!!」 「本当にいいのか? ここでやめないと、俺の方が止まらないと思う」 「いい……久我くん、したいことして欲しいからぁ!」 ああもう、わかってないのにまたこんな風に……! もう、どうなっても知らないからな。 「あ、あぁ、ふ! うぅ、あ……」 「眠子……」 身体を抱きしめ直して、ゆっくりと奥まで肉棒を進めて行く。 辛そうにしている眠子の負担にならないようにと注意して、慎重に奥まで進めて行くと中でねっとりと締め付けられた。 そのねっとりした感触をじっくり確かめながら奥まで進むと、もうこれ以上進めないというところまで辿り着く。 「はあ、は……久我くん……」 「全部入ったから」 「ぜんぶ? さっきの、ぜんぶ…ですか?」 「ああ。わかるか?」 「……わ、わかんない…」 首を振る眠子に答えるように、腰を軽く動かしてみる。 「ひぁ! あ、あっ!! あ、中…あ、ああ、いっぱいぃ!! な、なにか、あっ」 「わかった?」 「ん、あ、ああ! わ、わか、わかりましたぁあ、あっ!」 何度か動いてみると、俺のが中に入っているとやっとわかったらしく眠子がこくこくと頷いた。 それがなんとなく嬉しくて、何度か腰を突き上げて中をかき回す。 「ひゃあっ! あ、んぅ! あ、久我く……! あ、中、なかがぁあっ! ふぁあっ!」 「いっぱ、い、なってるぅ! 久我くん、いっぱい!」 「ん……眠子……!」 「あ、ああっ! 中、いっぱいで、あっ! な、ああ、あっ! 気持ちいいの、なって来たよぉ!」 「はふ、ふぁあっ! 久我くん、んああっ!」 「俺も気持ちいい」 「あ! あ、あっ、一緒? 久我くんと、一緒ですか?」 「ああ、一緒だよ」 「は、ふぁ一緒、嬉しいぃ。もっと、久我くんと一緒がいいです。いっぱい、いっぱいがいいよぉ」 いっぱいって言われても、どうしたらいいか……。 ああでも、そうだな。 眠子の身体を座らせて向かい合うような状態にさせ、そのまま身体を抱きしめてやる。 「ひぁっ!」 「ん、ほら抱っこ」 「ああ、あっ! 抱っこぉ、え、えへへ…抱っこです」 すると、やけに嬉しそうにしながら俺に擦り寄って来た。 その表情も仕種もかわいいと感じる。 「嬉しそうだな」 「ん、だって嬉し……い、今はこ、こども作るとか、特訓とか……いいかな…」 驚いた。もっと子供が欲しいって言われると思ったのに。 まあでも、今はこれでいいか。 あんまりそればっかり言われるよりは、この方が全然いいな。 「今は、あの……ぎゅって、あの、気持ちいいから……もっとが、いいです」 「もっと? 眠子は何したい」 「えと、えっと、あの……あ、んっ! あ……」 どうしようかと悩んでいる頬に、不意にキスしてみた。 すると驚かれたような表情を浮かべられてから、にこにこと微笑まれる。 「ちゅー、もっとして欲しいです」 「ん……じゃあ、ん……」 「ん、いっぱい……ちゅう…」 言われるままに頬や唇、目元にも何度も口付ける。 眠子の方も自分から口付けて来て、唇や頬にくすぐったいような感触が何度も伝わる。 ……耳にしたら、どういう反応をするだろう。 ふとした思い付きで、耳元に唇を寄せてみる。 「ひゃっ! あ、あぁあ! あ、あっ! お、お耳じゃなくてぇ!!」 「ん? そうか?」 どうやら耳は弱いらしい。 それならと、何度も耳元に口付け、耳たぶを甘噛みしてちゅっと音を立てて吸い上げる。 その度に眠子は震えて小さく声を出す。 「ひぁあっ! あ、ああっ! や、久我くん……いじわるぅ! ふぁ、ああっ!」 「ん……んっ…」 「ふぁあっ! や、耳くすぐった……あ、ああっ! ふぁあ、あっ、くすぐ……た、ああっ!」 反応に調子を良くし、耳だけでなく頬や唇にも口付けをくり返す。 そして、口付けながら軽く腰を突き上げた。 「ふぁ、ああ! ひゃ、あぁっ! あ、んぅ! 中、またいっぱいぃ!」 「ん、よくなって来た」 突き上げを何度か続けると、中は締め付けられ、眠子の反応も良くなっていた。 身体を支え直し、奥へ届くように腰を上下に揺らす。 「久我くんっ! ん、ああっ! さっきより、あ、ぐちゃぐちゃって……ゆってる!」 「は、あぁっ、あっん! 久我くん……久我く…! 気持ちい……いっぱい、いっぱいぃ!」 「うん……わかってる……」 「久我くんも、わ、わたしと一緒ぉ? 気持ちぃ? いっぱい、いっしょがいいからぁあ」 「ん、大丈夫。眠子と一緒だから」 「良かったぁ、ああ、あっ! は、ひぃん!! また、奥来たのぉ!! あ、こんな! 奥まで、すご……いぃ!」 「あん! あ、あ、あっ! おなか、奥がきゅうって……久我くん、すご…いよぉお!!」 腰を突き上げる度に眠子の反応は大きくなり、それに合わせるように締め付けは強くなった。 ねっとりとした緩やかだった締め付けは、いつの間にか強く激しくなっている。 ぐちゅぐちゅという音も大きくなり、肉棒に伝わる感触と耳から聞こえる音に全身が刺激されている。 「だ、だめ! だめぇ、気持ちよすぎて変…なっちゃう! からだ、変になりそぉ…あ、ああっ! だめえっ!」 「気持ちいいなら…んっ! ダメじゃないから…」 「でもぉ! あっ、ふああっ! こんなの、続いたらわたし……はあ、あっ!」 いやいやと首を振りながら、眠子の中は締め付けがまた強くなる。 腰を揺り動かし、中から何度も出し入れさせると愛液があふれる音がぐちゅぐちゅと響く。 ぎりぎりに引き抜き、奥まで一気に突き上げてやると、奥まで届いた瞬間に締め付けが一層強くなる。 「やあああ、ああっ! やっぱ…り、気持ちい、よおぉ! 久我くんが、中……いっぱい、なってるぅ!!」 「うん…いっぱいだ……」 その締め付けに表情をゆがめて、また腰を引き抜き今度は浅い浅い部分をかき回すように身体をゆする。 「だ、め…いっぱい、いっぱいすぎちゃ…う! ふぁ、ああ、ああぁあっ!!!」 何度も何度もくり返した動きに、眠子の身体に限界が近付いているのがわかった。 だが、それは俺も同じだった。 これだけ大きく反応されていると、身体が持ちそうにない。 もう、これ以上は……! 「眠子……!」 「久我くん! わたし、わたし……無理、むり!! このま、まじゃもう! ふ、ふあ、あ、ああああっ!!!」 「……んっ!!」 びくびくと震え出した眠子の身体を強く抱きしめ、勢いよく最奥へと突き上げた。 「あ、ふぁ、あっ! 久我く……ん、ぁああああっ!! あ、あ……あ……!」 「あ……はあ、は……」 瞬間、中で今まで以上に強く締め付けられ、その強さに耐え切れずに勢いよく射精する。 勢いよくあふれ出した精液を受け止め、眠子の方も身体を震わせながら絶頂を迎えていた。 その表情を見つめながら、残った精液も全て注ぎ込む。 「ああ、ああっ……ふぁあ、あ……なか、久我くん来たの…? わたしのなかに……これ、いっぱい」 「そうだよ」 中に注ぎ込まれた精液の感触に気付いた眠子は俺を見つめて微笑みを浮かべる。 その頬を撫でながら答えると、嬉しそうな微笑みが大きくなった。 「あ、嬉しい……いっぱい中に、来たんですよね……あ、あ、でも……」 「眠子……?」 「あ、あの、あの……わ、わたし、あの、あたま、真っ白になっちゃって……」 「いいんだって……気にするな」 「う、うう……久我くん……わたし、わたし……」 「どうした?」 「だ、大好きです!!!!」 「お、おう!??」 じっと見つめていると、突然勢いよく抱きつかれてしまった。 あまりに驚いて対処のしようがないと思っていると、眠子は更に強く抱きついて来る。 「あの、あの……いっぱい、好きです。好き」 「ん、わかった。わかったからな?」 なんか色々感極まってるみたいだな。 こんなに必死にならなくてもいいのに、まったく。 「うん。ん、でも言いたいです。久我くん、好き……大好き、いっぱい好き…」 「何回も言わなくてもわかってるから」 「だって、言わないと気持ちが抑えられなくって!」 「ったく、お前は……やっぱり、目が離せないよ」 本当に、放っておくと何をしだすか、何を言い出すかわからないな……。 でも、そこまで俺を想ってくれてるって気持ちが嬉しいと感じる。 「久我くん……?」 「落ち着きなくて、慌しくて、何言い出すかわかんなくて……だから、ずっと一緒にいような」 「……あ、あ……はい! はい!!!」 俺の言葉を聞いて、眠子はまた抱き着く力を強くした。 正直、苦しい。 でも、その力強さが嬉しくもある。 だから、それに応えるように眠子の身体を強く抱きしめた。 「久我くん…! 久我くん……!!」 「うん。離れないから、安心しろ」 「はい! わたし、久我くんから離れないです! 離さないでください!!」 「わかってる。一緒にいられる限り、ずっと離さない」 「はい……」 いつまで、こうしていられるかはわからない。 突然会えなくなる日が来るかもしれないのはわかってる。 それは、眠子もちゃんとわかってくれている。 だから今は、こうして離れずに抱き合っていたい。 「………あっ!」 「ん? どうした」 「あ、あの、あの……や、やっぱり…こ、こどもは…欲しいです」 「まだ言うのかよお前は」 「だってえ〜!!!」 「……まあ、そのうちな」 「え!??!?! あ、あの! あの!!! 久我くん〜!!!」 今はまだ、こうして二人だけで抱きしめあいたいんだから、やっぱり子供は……まあ、そのうちだよな。 もう一度さっきのを言って欲しいと眠子が言い出しそうな気がしたから、そう言い出せないように力いっぱい抱きしめた。 本当にこいつからは目が離せないな……色んな意味で。 「……ん?」 目覚めると、見覚えのない場所にいた。 多分、ここは病院なんだろう。 いやそれはいい。 それよりも問題は……。 「なんだよ、これ!!」 バンザイのような状態で両手を拘束されている事の方が問題だ。 なんだこれ! 意味がわかんねえ!!! クソ! ちょっと力入れたくらいじゃやっぱり取れないか。 こんなもん、どうしたらいいんだか……。 「眠子! 良かった! これ外してくれ!!」 「ダメです! 外したらダメなんです」 「は?」 眠子が来てくれたからやっと助かると思ったのに、なんか意味わかんねえこと言ってるし! なんだ拉致監禁って。 いや、ということは、これやったの眠子か! 「いや、拉致監禁しなくていいだろ。っつーか、俺とお前、もう彼氏彼女じゃん」 「何言ってんだ落ち着け!! とりあえずこれ外せ!」 「ダメー!!! わたし、落ち着いてるもん! 久我くん拉致監禁!」 「全然落ち着いてねえええ!!!」 「とにかく、頑張るんです!!!」 そしてじっと俺を見つめる。 「いやいやいやいや!!!」 「もー! 何が不満なんですか久我くんは!」 「何もかもが不満だ!!」 「どうしてですか! 今日はわたしががんばるんです! だから上に乗ったんですよ!!」 まあ、確かに乗ってるな……。 どうでもいいが、パンツ見えてるのは構わないんだろうか。 「ん、んん……」 などとぼんやり思っていると、俺の上にまたがったまま眠子が自ら身体を動かし始めた。 「こらー! 眠子ー!!」 「なんですかぁ……こども、作るんですぅ……う、あ……」 身体を動かし出した眠子は、俺の下半身の辺りに秘部を擦り付けていた。 この状態でこんなことをされるとヤバイ! そして、否応なしに反応して来る自分の身体が憎い!! 「あ、久我くん……ここ、熱くなってきてますぅ……あ、ふぁあ、ああ……」 「い、いや、だから…そ、そうじゃ、なくて……!」 熱い視線を向けながら眠子が言い、また腰を揺らす。 反応した肉棒に擦り付けられる秘部の感触が、下着越しとは言え気持ちいい。 このままじゃさすがにヤバイ。 「どうしてって、ちょっと、マジで……やば……」 「いや、おまえ俺の話聞いてる?」 俺の上に乗ったままにこにこしている眠子を見ていると、すごく嫌な予感しかしないのは何故だろう……。 「そうだ! じゃあ、ナースさんにしちゃいまーす!」 「マジでお前は何を言ってるんだ……」 「ナースさんで、あの……久我くんの、いっぱい欲しいの」 「ちょ、ちょっと、眠子……」 「久我くん、ちょうだい……」 いきなり、目の前で眠子がナース服姿に変わっていた。 しかも、いつの間にか眠子の中に肉棒が挿入されている。 突然与えられた刺激に、眠子の中に埋まった肉棒がびくびくと反応してしまう。 「な、あっ? あ……!」 「ふぁ、あああっ! は、入って来たよぉ……中に、久我くんが、ああ、あっ!!」 「……く!」 そんな俺の反応を確かめるようにしながら、眠子は肉棒を最奥まで届かせて俺をじっと見つめた。 「あ、ふぁあっ! 久我くんの顔、いっぱい見えます」 「え……っ?」 「嬉しい……こうやって上に乗っかってると、久我くんの顔よく見えるんだあ」 「あ、あんまり見るな」 「どうしてですかあ……もっと、見たいです……あ、あああっ」 いつもと違う状況に何故だか、やたら恥ずかしくなる。 こんな風に見られることなんて、普段なら絶対にない。 そう思っていると、眠子は視線を外さずじっと見つめたままゆっくり動き出した。 「ふぁ、はあ……久我くん、いつもこんな顔、してるんですね……あ、んぅ」 「……く、そ」 「ふふふ……久我くん、久我くん…! もっと、もっとしよ……ね?」 「あ、そうだあ……あ、んんぅ…んっ……」 じっと見つめてゆっくり動いていたと思ったら、眠子は突然前かがみになった。 そして、俺の首筋や胸元を何度も舐め始める。 「う、あ……!」 「はあ、はあ、はあ……久我くん、んんっ…ぺろぺろって……できたあ、ぁんっ! んぅ、んんう」 「あ、ふっ! 中、気持ちいいし……お顔も、見れて嬉し……は、あっ! 嬉しい、久我くん好きぃ。大好きぃ!」 「ちょ……あの、な……」 ゆっくり動きながら見つめられて、おまけに舐められて……なんというか、もどかしい。 気持ちよくないわけじゃない。 ただ、何か物足りない。 自分で動かせればそれが一番いいが、手首の拘束は今のところ外せそうになかった。 「んんぅ! あ、あっ! くちゅくちゅって、いっぱいゆって……ふ、ああっ! 気持ちいい…!」 「うう……」 「すごい…こんなこと、しちゃってるの、気持ちいい……久我くんは? ねえ、気持ちいいですか?」 「あ、あのな……」 眠子の中でねっとりと締め付けられて、じっくりと搾り取られる穏やかな感触が続く。 しかし、もっとこう違う感じの……というか、そろそろ自由にしてもらいたい。 「眠子、いい加減これ外してくれ」 「やだぁ〜! 久我くんと、いっぱいいっぱいしたいのぉ。このまま、んんっ、ぎゅううって」 「いやあの……うっ…」 「あ、んっ! 奥まで、届きましたぁ! あ、ふぁあ、奥ごりゅごりゅうって、するぅ」 「……う、く」 先端を奥まで届かせ、自分で自分のいいところに擦り付けながら眠子が声を大きくする。 中で先端が当たってるのはわかってるんだが、拘束されてるせいで身体が自由に動かせない。 軽く身体を揺らしてみても、それが刺激に繋がらず、ただ眠子を喜ばせるだけになっている。 「久我くぅ……んんぅ! 気持ちい、中気持ちいいよぉ! ふぁ…あ、ああっ! 奥、なんか熱い…お腹、ぞくぞくってなるぅ!!」 「ふぁ、ああっ! あ、あっ! きゅんきゅんって、なにか、あああっ! 変なの、あぁあ、ああっ!」 「や、ああっ! おく、奥がきゅんって! きゅんってぇ! あ、ふぁあ、ああああっんん!!!」 俺の上にまたがり、自分のいいところだけを刺激しながら、眠子は一人で絶頂を迎えてしまった。 中途半端に刺激された身体をもてあましながら、じっとその表情を見つめる。 すごく幸せそうだが……俺としては納得いかない。 「ふぁああ、ああ……はあ……」 「……この」 「はぁああ……久我くん、久我くん……大好きぃ…」 「ああもう!!!!」 「ひぁあっ!」 納得いかない気持ちのせいか、されっぱなしで理不尽だと感じていたせいか、力をこめると拘束が一気に引きちぎれた。 そのまま身体を起き上がらせて、眠子の身体をひっくり返す! 「もう我慢できん!!!」 「ひゃ! あ、ああっ、こ、久我くん! や、やだあっ!! こんなのやぁあ〜」 「やだじゃない!」 「だ、だって、きょ、今日はわたしが……が、がんばる……」 「ああ、がんばってたな。でも、もう散々好き勝手しただろ? 今から俺に付き合え!」 「ふあっ!!! あ、んうう!!!」 聞く耳を持たず、一気に眠子の中に肉棒を入れる。 ぐちゅりと音を立てて中に入った肉棒は、さっきまでの行為のせいであっさりと奥まで届いた。 そして届いた肉棒は強く締め付けられた。 その感触を確かめ、遠慮せずいきなり激しく腰を動かし始める。 「ひ、あっ! あああ、あふぁあぅ!! や、やあ、こんな、やらあっ!」 「……んっ!」 「やっ! さ、さっきより、奥いっぱい、来てるうぅ!!」 「さっきのよりいいだろ?」 さっきとは逆にこっちからじっと視線を向け、激しく腰を動かし奥へと何度も突き当てる。 緩やかだった刺激とは違い、激しい刺激を与えると眠子の中は一層締め付けて来る。 その締め付けをもっと感じたいと、何度も何度も激しく突き上げ、角度を変えては内側へ先端を叩き付ける。 「あ、あっ! あぁあんっ!! や、んっ! ぐちゅぐちゅ、はげし……よお! だめ、だめぇっ!!」 「駄目じゃない」 「だ、だって! こんな、いっぱい……来てるのぉ、すごいからぁあっ! あああ、っあ!」 いやいやと首を振る様子を見つめると、肉棒がビクンと反応し、その感触にも眠子は震える。 「あぅ、んあぁあっ、うぁぁんっ! あ、あっ! だめだよぉ、はああぁっ!」 その身体を押さえ付けるように支え、奥へとまた届かせ先端をぐりぐりと擦り付けると締め付けが強くなる。 そのまま肉棒を引き抜き、また勢いよく奥へと届かせては眠子の反応と締め付けを楽しむことをくり返す。 「ひゃんっ! んんっ、はぁんっ、こんなぁ、ああぁぁあっ! ひゃああぁっ!」 「久我く……! も、もう、や、ああっ! これいじょ…されたら、わ、わたし! わたし、ああ、あ、ふぁあ!」 またびくびくと震え始めたのに気付き、勢いよく腰を動かし肉棒の抜き差しをくり返す。 愛液があふれる音を響かせながら肉棒を出入りさせ、執拗に奥へ奥へと責め立てる。 「ああ、俺も……」 「ひゃあ、あっ! またおなか、きゅぅって…なって、ひ、ああっ!」 びくんと震えて締め付けられる感触に、もうこれ以上堪えられないと悟り一気に肉棒を叩き付けた。 「あ……っく!」 「ひ、ああん!!! ん、あああぁあ!」 瞬間、眠子の中で勢いよく射精する。 どろどろとあふれ出す感触に身体を震わせながら全て注ぎ込み、そのままの状態でまたゆっくり動き出す。 「ひ! あ、ああっ! も、も、らめ、無理だよぉ! こ、こんな、ああ、あああっ!」 「無理じゃない……んっ! もっと」 「や、さ、さっき気持ちい、なったのに! また、きもちい…ひ、んっ!! や、中おかしくなるぅ!!」 「久我くんっ、ああぁっ、んっ、はぁんっ、ま、待って、ひゃああん!」 待ってと言われても待てるものじゃない。 そのままの状態で、何度も何度も腰を揺らして愛液と精液が混じる膣内をかき回してその感触をじっくり味わう。 精液と交じり合い、あふれ出す愛液の音はぶちゅぶちゅと大きくなり動きはよりスムーズになる。 「だめえ、も、無理! むりなのぉ! 壊れちゃうぅ!! ふ、ああっ! ひゃ、ああっ」 「壊れたりしない、って」 「あ、ああっ! ら、めぇ、壊れ……壊れるぅ! いっぱい、壊れちゃうよぉ!! きもちいいぃ!!」 ついさっきイッたばかりなのに、もうすぐにイキそうだった。 びくびくと震える肉棒の反応は止められない。 「眠子、眠子……」 「久我くぅ…! ひああっ! 中、びくびくってらめ、こんなすごいの……や、ああっ! ああふぁあ、あっ!」 ねっとり絡みつくような感触を受け止めて、何度も腰を動かし続けると身体がびくんと大きく震えた。 「……ん! ごめ……!」 「あ!? あ、ああふぁっ!」 そのまま勢いよく肉棒を引き抜き、眠子の顔に勢いよく射精する。 精液をかけられた眠子は驚き目を丸くするが、その顔もかわいくてたまらなかった。 「ふぁ、ああっ……はぁ、はぁ、はぁ…あ…ふ……」 「はあ、はあ……」 「あ、う…お顔、久我くんのいっぱい……なっちゃったよぉ」 「かわいい」 「んんぅ。こんな、かわいくないですぅ…やらぁあ」 いやいやと首を振ってはいるが、やっぱりかわいいものはかわいい。 ヤバイな……こんなの見て、我慢できる気がしない。 「こんな可愛い顔見てたら我慢できなくなる……もっといいか?」 「や…らめ、もうらめぇ。これ以上、わたし……」 「駄目はなし」 「ひゃ、あっ! あ、ああっ!!」 「なっ!?!??!?」 「ふぁ? あれ?」 隣で眠っていた眠子が、突然大きな声を出して目を覚ました。 そのあまりにも大きな声と驚いた様子に、何があったのかと思わず身構える。 「寝てたと思ったのに、いきなりなんて大声出して起きるんだ」 眠子は座っていたベンチから立ち上がって辺りを見回す。 何の変哲も無い、いつもの夜の中庭だ。 今ではすっかり俺達のデートスポットになってしまっている。 「ああ。あんまりよく寝てたから、起こすのもどうかと思ったんだけど……」 「お前、一体どんな夢見てたんだ?」 「え、えっと、えっと、びょ、病院で……あの、わたしがナースで……」 うん。今出て来た単語だけでも、嫌な予感しかしないな。 「こ、久我くんの上に乗って、いっぱいす、好きにして、あのあの! その後、久我くんに反撃されちゃって大変なことにいい!!!」 「お、おまえはなんつー夢を!!!」 「ひゃーん!!! ゆ、夢はわたしのせいじゃないですー!!!」 「そういう願望があるから見るんだろうが!!!」 「ふ、ふえーん……」 (ひゃーーん!! 無理だよ、そんなの恥ずかしい夢だけでいいよう!!!) なんか恥ずかしそうな顔してるが、どうせろくでもないことしか考えてないんだろうな……。 「お邪魔します」 「ああ、どうぞ」 人形に狙われている俺の護衛をするため、鍔姫ちゃんがわざわざ部屋まで来てくれた。 一人だけになるよりも随分と心強い。 とは言っても監視カメラも設置済みだし、別の場所ではモー子とおまるも待機しているから、一人でもそれほど心細くはないわけだが。 ……まあ、これは鍔姫ちゃんには秘密になっている。 「スミちゃんはどうしたんだ?」 「そっか」 「そうだ。まだスミちゃんが寝るには少し早いが、おやすみの挨拶もして来た」 「そりゃ良かった。黙って行くわけにはいかないもんな」 相変わらず、スミちゃんのことを話してる鍔姫ちゃんは楽しそうだ。 なんか、見てると俺の方まで楽しくなって来る気がする。 「さて……それじゃあ、どうしようか?」 「どうしよう、とは?」 「いや、遺品の人形が来るまで起きてなきゃいけないわけだから、何かした方がいいのかなと」 「どうしたんだ?」 「……………朝までか?」 「え? ああ、そうだろ?」 「そ、そうだったのか!?」 話の途中で突然、鍔姫ちゃんが動揺しだした。 もしかして、二人きりってとこに反応したんだろうか。 「そうだ、朝まで二人きりということか……! なんということだ……!」 「え、気がついてなかったの?」 「す、すまない。私はこの件でどう責任をとるか頭がいっぱいで……!」 「ふ、二人きりで一晩過ごす事になるとは、思ってもみなかった!!」 「あー、まあそうなるなあ」 まあ部屋には監視カメラもあるし、モー子とおまるもそれを見ているんだが。 鍔姫ちゃんは知らないわけだから、こうなっても仕方ないか。 それにまあ……見られてるとは言え、部屋の中では二人きりであることには違いない。 それでいきなり動揺し始めたのか。 「す、すまない。このような状況にしてしまって」 「いや、いいって。そんなに気にすんなよ」 「しかし、私が遺品を起動してしまったせいで……」 「大丈夫だって。モー子とおまるも頑張ってくれてるし、なんとかなるし、なんとかする!」 「みーくん……」 「だいたい、昨日も言っただろ。迷惑かけられてるなんて思わねーって」 「みーくんがそうではないと思っていても、私が迷惑をかけているということに違いはないんだ」 「…………頑固だな……」 今回の遺品のことだけではなく、鍔姫ちゃんは他の色々なことに対してもこういう感じではないだろうか。 言い出したら聞かないというか、自分がやらなければ! と常に思っているというか……。 それには何か理由があるのだろうか? 少し、聞いてみてもいいだろうか……踏み込みすぎかもしれないが、気にはなる。 「鍔姫ちゃんって、色々気にしすぎじゃねえの」 「そんなつもりはない」 「今回のことだって、特査の仕事なんだしそんなに責任感じることもないだろ」 「だが……私のせいだ」 「他の生徒が同じことしたって、俺たちがやることは同じだよ。だから、鍔姫ちゃんは気にしすぎだ」 「そ、そんなに、気にしすぎているだろうか」 「俺にはそう見える。なんつーか、いつも気を張ってるっつーか」 「人形作りのことだって、俺にはそんなに隠すようなことでもないように思えるし」 「だが、私が人形作りなど……似合わないだろう。皆も、そんな私など想像していないと思う」 「誰にでも意外な部分があるし、別に皆が皆がっかりするわけではない、というのはわかったが」 「じゃあ別に好きに振舞えばいいだろ」 「いや、出来るだけ、皆の思い描いたままの私でいたいんだ。私に期待を寄せてくれるのなら、それに応えたい」 「………………」 あくまでも作り上げられた理想の姿を保とうと頑張りたいという事なのか。 それにしても、何故ここまで頑ななんだろうか。 何か理由がなければ、普通はここまでできないと思うのだが。 「なんでそんなに、みんなの期待に応えようとすんの? 疲れないか?」 「疲れる? 何故だ?」 「いやだって、無理にそういう風に見せてるってことだろ」 そう言った鍔姫ちゃんの表情が少し変わった。 それはどこか懐かしそうな、何かを思い出すような表情に見えた。 「私には、弟と妹が一人ずついる。少し年が離れていて、両親の代わりにいつも私が面倒を見ていた」 「二人ともとても素直で可愛くてな、私はそんな二人を喜ばせようといつも夢中だった」 「確かになんかお姉さんって感じだもんな、鍔姫ちゃん」 「だけどある時気づいた。喜んでもらえて嬉しいのは、家族だけではないのだと」 「私のすることで誰かが喜んでくれるのが嬉しいと、もっと喜んでいる顔が見たいと思った」 「だからもちろん、みーくんの喜んでいる顔も見たいと思っているぞ?」 なんか、どこまでも律儀な考え方をするんだな、この子は……。 こんな考え方じゃ、いつかころっと騙されるんじゃないかと心配になる。 「鍔姫ちゃんの気持ちはよくわかった」 「でもそれと、自分の好きなことを隠しておくことは別だろ?」 「だったら、なんで隠しておくんだ?」 「厳格な風紀委員としての壬生鍔姫を知っている者がそんな趣味があると知ったら……」 「抱いていたイメージとは違うと、期待を裏切ってしまう。それはなんだか申し訳ないと思ってしまうんだ」 鍔姫ちゃんの行動は、いつも誰かを喜ばせることが目的だった。 しかしそれは、『誰かの期待を裏切りたくない』という気持ちをも同時に育ててしまった。 だが……鍔姫ちゃんの趣味を他のみんなが知っても、別に期待を裏切られたなんて思わないだろう。 思わないだろうが、本人は頑なにそう思ってるんだから、これは厄介かもしれない。 「それなのに……今回のことではみーくんに……期待を裏切るどころかそれ以上の失態を繰り返し……!」 「な、なんと侘びをすればいいのか……っ!!」 「いや、だから気にしなくていいって。何回目だよこれ」 「見たの?」 「見てない!」 この見てないってとこは未だに頑なに否定するんだな。 見てないって言ってる割には顔真っ赤にしてぷるぷるするのに。 「挙句の果てに、遺品の標的にまでしてしまって……」 「成り行き上、仕方ないんじゃねえ?」 「仕方なくなどない!!」 そう言った鍔姫ちゃんは、その場に崩れ落ちるような体勢になってしまった。 あまりにも申し訳なくて顔が上げられないと、言葉にされなくても伝わる。 ……参った。 鍔姫ちゃんって、本当に真面目なんだな。こんなに気にされているとは思わなかった。 「あのさ、もうちょっと力抜いてもいいんじゃないのか?」 「……力?」 「確かに、他人に喜んでもらいたいって気持ちは立派だと思う。そこは鍔姫ちゃんのすごいとこだ」 「あ、ありがとう」 「でも、自分が好きなものを好きだって言えない状況にしてまで、誰かの期待に応える必要はないんじゃねえの?」 「そう、なのだろうか……」 「ああ。鍔姫ちゃんのやり方はちょっと真っ直ぐで極端すぎて……それに、不器用かな」 「不器用? そんなことは、初めて言われたよ」 「いや、手先のことじゃなくて。考え方の問題な」 不思議そうな顔をしながら鍔姫ちゃんは俺を見つめていた。 言ったことの意味はちゃんと伝わったんだろうか。 「みんな、そんな鍔姫ちゃんを知らなかったんだろうな」 「そうだな。少なくともどんなことでも器用にこなすと評価されていたように思う」 「ふーん。でも、俺の評価は『力みすぎ』かな」 「でもさ。スミちゃんと話してる時の鍔姫ちゃんは、すごく自然でいいと思うぞ」 そう言うと、崩れ落ちていた鍔姫ちゃんが驚いたような顔をしてこっちを見た。 なんだか、鍔姫ちゃんにとっては予想外のことを言ったようだ。 俺は思ったとおり、そのまま伝えただけなのだが。 「俺は、そっちの鍔姫ちゃんの方が好きだけど」 「……え!」 「二人で話してる時は、すげえ楽しそうだったからな。いつもあんな感じでいられればいいんじゃね?」 「スミちゃんと話している時……」 スミちゃんと二人で話している時のことを思い出しているのか、鍔姫ちゃんの表情が少し柔らかくなった。 こういう顔が、みんなの前でもできればいいのかもしれない。 ……中々、難しそうだが。 「スミちゃんと話してる時だけじゃないな。人形の話をしてる時の鍔姫ちゃんは、すごく楽しそうでいい顔してると思う」 「そ、そんな顔をしていたか?」 「そりゃ、そんな時の顔は自分で見れないしわかんないか」 「どんな顔をしているんだろう」 「今度鏡見ながら話そうか?」 「い、いい! な、なんだか、そんなのは恥ずかしいじゃないか」 ………あ。 鍔姫ちゃんのこんな可愛い反応は初めて見たかもしれない。 なんだかこういうのも、悪くない……。 「…………なに舞い上がってんだ」 「………? み、みーくん? どうした?」 「あ、いや、何でもない」 「………。あの、私は………」 「みーくんと話している時も、スミちゃんと同じくらい、楽しいと思っているよ?」 「―――!!」 「失礼します」 「お邪魔しまーす」 「……!」 ぼんやりと鍔姫ちゃんの顔を見つめていると、ものすごいタイミングでモー子とおまるが部屋に入って来た。 今の表情ややり取りを見られていたら間違いなく何か言われそうだが、大丈夫か……? 「あっ、ああ、モー子におまる。どうしたんだ?」 「無事解決しましたので、ご報告です」 「か、解決? もう終わったと言うのか?」 「ええ、アンリ・シェブロは無事回収しました。これからリトさんの所へ持って行きます」 「もうかよ! 早いな!!」 「みっちーを探しに来たところを捕まえたんだよ。案外すぐだった」 「そうか。それではもう、久我くんは危険に晒されないのだな?」 「はい。そうなります、壬生さんもご苦労様でした」 「いや、私は何も……」 「そうか、解決か……」 事件解決と聞いた鍔姫ちゃんの表情が一瞬だけ曇った。 何故なんて、そんなことはすぐにわかる。 事件が解決したってことはもうスミちゃんも……。 もう一度鍔姫ちゃんに視線を向けると、何かを考えているような表情をしていた。 多分、部屋に置いて来たスミちゃんのことを思い出しているんだろう。 「………」 「事件も解決しましたので、壬生さんがこの部屋にいる理由はもうありません」 「そ、そうか! そうだったな」 「ええ、ですからご自分の部屋に戻っていただいて大丈夫です」 「い、いや、全然そんなことないから」 「良かったね、みっちー。これで安心して眠れるよ」 「ああ、そうだな」 鍔姫ちゃんは平静を保とうと、いつも通りを装おうとしている。 でも、それが却って危うく見えてしまう。 あんなに仲が良かったスミちゃんのことを気にしていないわけがないんだから、平静でいられるとは思えない。 「どういう意味だよ! なんもするわけねーだろ!!」 「そ、そうだ。何もなかった、大丈夫だ!」 「一応、確認は必要かと思いましたので」 「信用ねえな」 「きみを信用したことなど、これまでもありません」 「おまえな……!!」 「まあまあ、事件は解決したんだから……よかったよ! ね!」 「……くっそ……」 「そうですね。それでは戻りましょう。私はリトさんに遺品を預けてから戻ります」 「ああ、わかった。よろしく頼む」 「きみたちが邪魔をしなければ何も問題はありませんよ」 「しねえよ!!!」 「……………………」 「壬生先輩……?」 「いえ、これが私たちの仕事ですので」 「そうですよ!」 「モー子もおまるもご苦労さん。じゃあ、みんな気をつけて部屋帰れよ」 「ああ。それじゃあ、また」 鍔姫ちゃんは俺たち三人に頭を下げてから、自分の部屋に戻って行った。 その足取りはいつも通りのものだ。 でも、去って行くその背中はどこか寂しそうに見えた。 ――本当に大丈夫なんだろうか。 なんとなく放っておけないな……。 鍔姫ちゃんたちを見送り、俺は一旦自分の部屋の中に戻った。 だがさっきから、鍔姫ちゃんのことが気になって仕方がない。 我慢をしているようなあの表情に、寂しそうな背中……。 そこまで無理をしなくてもいいし、寂しがったって別に構わないのに……本当に不器用だ。 『もうすぐいなくなっちゃうの、私は。その時は、ちゃんとあなたがヒメちゃんを支えてあげてね』 鍔姫ちゃんのそばにいた小さな人形が、俺に頼んだ言葉を思い出す。 ――やっぱり、様子を見に行こう。 俺は立ち上がると、部屋を後にした。 鍔姫ちゃんの部屋の前に着くと、何故か扉が中途半端に開いたままになっていた。 閉めるのを忘れるくらいぼんやりしてたということだろうか。 声をかけて中に入った方がいいかとも思ったが、何もなければそれでいい。 俺はそっと部屋の中を覗いてみた。 「……あ」 中を覗くと、鍔姫ちゃんの背中が見えた。 人形棚は開いたままだが、スミちゃんは置いていない。 スミちゃんは、鍔姫ちゃんの手の中にいた。 鍔姫ちゃんはただひたすらに、スミちゃんをじっと見つめている。 どんな挙動も、すべて逃さないかのように。 だが、スミちゃんはやはり、少しも動こうとしなかった。 「…………」 「スミちゃん……安心してくれ、遺品は無事に回収され封印されたよ」 「……だから、こうして動かなくなってしまったんだな」 「大切な、友達ができたと思ったのにな……」 「でも、これで皆の持ち物も戻るし、みーくんが危険に晒されることはなくなった。本当に良かった」 「……スミちゃん……私は、どうすればいいんだろう……」 「……!!!」 「鍔姫ちゃん」 「あ、ああ。みーくんか、どうしたんだ?」 「いや、あの……鍔姫ちゃんが、気になったから」 俺の姿を見た鍔姫ちゃんは、いつも通り振舞おうとしていた。 本人はいつも通りのつもりかもしれないが、とてもそんな風には見えなかった。 今の鍔姫ちゃんは、とても脆くて痛々しい。 それが嫌というほど伝わってくるのがわかって、なんだか胸が痛くなる。 「心配しなくても、私なら大丈夫だ」 「どこが大丈夫なんだよ」 「………………」 「だから、無理しなくていいんじゃねえの」 「……無理?」 「ああ。泣きたいなら泣けばいい、何も無理しなくていいだろ」 「……無理をしているつもりはない。泣きたいとも思っていない」 真っ直ぐに俺を見つめて、そう言う。 その瞳はやはりどこか寂しそうで、我慢していないわけがないとすぐにわかる。 だが、鍔姫ちゃんは決して無理をしているとは口にしなかった。 どうして、これほど頑ななんだ。 さっきも、スミちゃんを見つめながらどうしようと言っていたくせに……。 ……よく見れば、スミちゃんを持つ鍔姫ちゃんの手は小さく震えていた。 「本当に大丈夫だか……ら……!?」 じっとしていられなかった。 気がついたら、スミちゃんを手にして震える鍔姫ちゃんの身体を抱きしめていた。 「みーくん……突然っ、何を…!?」 抱きしめられる鍔姫ちゃんは腕の中から逃げ出しもせずじっとしている。 そんな鍔姫ちゃんの頭を軽く、ぽんぽんと撫でてやる。 すると、戸惑ったような視線を向けられた。 「みーくん……あの……」 「あのさ、無理やりでもいいから一回思いっきり泣いてみれば? すっきりするかもよ」 「そんなこと……」 「スミちゃんがいなくなって、寂しいんだろ」 「それは……」 「だったら、大丈夫なわけない。大事な友達だったのに」 「………」 「大事な友達がいなくなって、寂しくないやつなんていないよ」 「でも! 君には散々迷惑をかけて来たのに……また、こんな風に迷惑をかけるのは……」 腕の中で鍔姫ちゃんが必死に首を振っていた。 でも、この状態から逃げ出そうとしないのは、弱っているからなのかもしれない。 やっぱり、無理はしてるんだろう。 「俺は、そんな顔で平気なふりされる方が迷惑だ」 「……え……!」 「友達だったら、心配したり気になって当たり前だろ」 「友達……」 「俺と鍔姫ちゃんは、友達じゃなかったっけ?」 「……それは」 「それにさ」 「俺、スミちゃんから鍔姫ちゃんのこと頼まれてんだよ。だから、もっと俺に頼れ」 「スミちゃん……が……?」 「そうだ。自分がいなくなった後、鍔姫ちゃんのこと支えてくれってさ」 「スミちゃん……私の、ために……」 腕の中で鍔姫ちゃんが小さく震えていた。 その身体を強く抱きしめる。 スミちゃんの名前を出したのは、もしかしたら卑怯だったかもしれない。 でも、こうしないと鍔姫ちゃんはきっと素直になってくれない気がした。 「………っ…う、うぅ………」 「う、う……う、あああ、スミちゃん……!! スミちゃん!!!!」 「ちゃんと泣けたな……」 「うわあああああ!」 泣き出した身体をしっかり抱きしめ、その背中を撫でる。 震える声と身体は止まらなくて、俺は何度も何度もその背中を撫で続けた。 このまま、気が済むまで泣かせてあげよう。 寂しいのに泣けないなんて、そんなことあるわけがないんだから。 ……こんな風に、鍔姫ちゃんが感情的になっているのを見るのは初めてだった。 「おらー! とっとと、寮もどれよー」 「……はあ」 「これで、全員戻ったみたいですね」 「……あぁ……」 「壬生さん?」 「いや、全員寮に戻ったみたいだって」 「そうか」 「大丈夫ですか? ぼんやりしてるみたいですけど」 「それならいいんですけど……」 「一応、他の場所も確認してくる」 「あ、はい」 「まだ引っ張ってんのかな……」 それから数日――。 小物が紛失する事件も無事に解決して、学園にはまた平穏な日々が戻ってきた。 鍔姫ちゃんはもっと沈み込んでいるかとも思ったが、案外なんとか元気にやっているようだ。 今朝会った時も、比較的明るい表情をしていた。 あの日思う存分に泣いたことで、スミちゃんのことも少しは吹っ切れたのかもしれない。 「今日は特に大きなことは何もないですね」 「ええ。探し物程度の依頼でしたら、すぐに終わりますからね……それに」 「それに?」 「今日は久我くんが余計なことをしていないので、いつも以上に用件がすぐに片付きます」 「あ、あははは……」 「ちょっといいか」 「おや、村雲くん。また何か事件でも?」 分室にやって来た村雲は、何かぶつぶつ言いながら中に入って来た。 用があるのかないのか、一体どっちなんだよ。 「あのよ、壬生さんが拾った人形の遺品の件って、ちゃんと解決したんだよな?」 「ええ、無事捕獲してリトさんのところで封印しましたよ」 「壬生さんが大事にしてた人形のことさ、まだショック引きずってると思うか?」 「鍔姫ちゃん、まだ元気ねーのか?」 「それが……わかんねぇ」 「はぁ? どういうことだ?」 「だから、元気ねーってのとはちょっと違うんだけど、でも様子はおかしーんだよ!」 「どうおかしいんだよ」 「うまく説明できねえんだけど、なんかこうぽわっぽわしてるって言うか……」 「ぽわっぽわ!?」 なんか具体的じゃなくてわかりにくいな。 っつーか、こんなやりとり前にもしなかったか? 「もうちょっと具体的に言えねーのお前」 「うっせーな! そうとしか言いようがねーんだよ!」 「ぽわぽわ……ねえ」 正直、はっきりしなくてわかりにくい。 しかしモー子はそれを聞いて真剣に考え込んでいるようだった。 「ふむ……少し気になりますね。様子を見に行きましょうか」 「ああ、悪ぃけど頼む。もしも遺品の後遺症とかだったら大変だからな」 「そりゃそうだな。よし、行くか!」 「壬生先輩って、今はどこにいるんですか?」 「見回りは終わったから、多分風紀委員会室だ」 「はあ……」 風紀委員室に行く途中で鍔姫ちゃんの姿を発見した。 隠れて様子を見ていると、やっぱり何かおかしいようだった。 確かにぼんやりしているし、時々ボーっとあらぬ方向を見ている。 そして、何かを思い出すように表情を変えたり、ため息をついたりしていた。 「……な?」 「確かに、ぽわぽわした感じ、かも」 「ホントだな。何があったんだ……落ち込んでいるようには見えねーけど」 「なあ、鹿ケ谷。ちょっと話聞いて来てくれよ」 「私がですか? 壬生さんとは、久我くんの方が親しいと思いますが」 「いやそういうんじゃなくてよ。なんつーの、同じ女のお前だと色々話してくれるかもしれねえし」 「………。はぁ、わかりました。きみたちはここにいてください」 黙って様子を見ていたモー子は、不本意そうな表情を浮かべてから鍔姫ちゃんの方に移動して行った。 声をかけられた鍔姫ちゃんはいつものように話してるみたいだが……遠くて何喋ってんだかわかんねえな。 あれ、でも……時々、モー子の質問に答えながら胸や頬を押さえたり、しているみたいだ。 それに、表情も少し不安そうに見える。 話が終わったらしいモー子がこちらに戻って来た。 と思ったら、そのまま俺たちの側を素通りして行ってしまおうとする。 「おい! どこ行くんだよ」 「あれは遺品とは無関係です。放っておいても大丈夫ですよ」 「え? ええ? そ、そうなの?」 「というか、私たちにできることはありませんよ」 「っつーか、何話して来たんだよ」 「それはプライベートな問題なので話せません」 「なんだ? プライベートな問題って」 答えないまま、言い終わるとモー子はそのまま行ってしまった。 なんだか納得がいかない。プライベートな問題という一言で片付けられても困る。 俺だけじゃなくて、おまると村雲もポカーンとしているし。 「なんだありゃ……」 「ほ、本当に遺品は関係ないのかなあ」 「わかんねえ。けど、モー子が違うって言ってるしなあ」 「……ホントにほっといて大丈夫なのか…!?」 それからまた、数日が経った。 鍔姫ちゃんの様子は相変わらずのようだ。 気にかかってはいたが、モー子曰く『何もできることはありませんよ』とのことで、特に進展はなかった。 その間ももちろん特査の仕事はあり、今日は遺品回収をしていたんだが……厄介なことになった。 まあ、遺品自体は無事に回収できたのだが、厄介なのは別の問題だ。 「………はぁ」 「………………」 「…………」 「……はぁぁ」 「う、憂緒さん……もうそれくらいにしてあげて……」 「…………」 先程からモー子はため息ばかりついている。 まともな会話はほとんどない。 気持ちはわからないでもないが、本当にため息をつきたいのは俺の方だ……。 「はああ……何故こう毎回、厄介な事態になってしまうのか」 「でも、遺品は回収できましたし……」 「回収はできましたが、この人の勝手な行動のせいでまた……」 「まあ……それは……」 「にゃー」 「まさか、みっちーが猫になっちゃうなんてねえ……」 うるせえ! 好きでこうなったんじゃねーよ!!  と言っても通じてないとは思う。それでも、言わずにいられるか。 ……まったくもって情けないことに、今の俺は遺品の呪いで猫になっておまるに抱かれている状態だ。 本当に、心の底から情けない……!! 「あの、みっちー元に戻りますよね?」 「この呪いには適切な解除方法がありますので、元には戻りますよ」 「良かった! あの、その方法って?」 「……口に出したくありません」 「にゃー! にゃー!!!」 「ちょ、ちょっとみっちー! 暴れないでよ!! 落ちる!」 ちょっと待て、この状況の俺を見て言いたくないってのはどういうことだ! おまるに抱かれてるのも納得いかねーのに!! 「はあ……リトさんに他の方法はないのか聞いた方がいいのかも……」 「困ったなあ……」 「あれー? まるくん、猫抱っこしてるー」 「本当だ? どこから持ち込んだの?」 「いや、これは持ち込んだっていうか、あの……憂緒さん……」 「…………」 「えっと、ちょっと事情があって……」 「ねえねえ、この子撫でてもいい?」 「え? そ、それはあのー」 「あ、私も抱っこしたい」 「にゃ……!」 「あ、あの、この猫はその……う、憂緒さん!」 「抱かせてあげればいいのではありませんか」 「にゃー!」 いやいや、そうじゃないだろ! 姿は猫でも中身は俺なんだから、ちょっとは対応を考えろ。 しかし、俺が暴れても通じるわけもないし、吉田と黒谷は容赦なく頭を撫でてくる。 向こうに悪意はないのはわかるのだが、なんとなく屈辱的だ。 なんとか逃げられないものか……。 「あ、あ! 暴れちゃダメだって!! 危な……!」 「あー。猫ちゃん、ダメだよー」 「元気な子だなあ」 「にゃー! にゃっ!」 「だから、暴れたら危な……あっ!」 おまるに抱かれたまま暴れているうち、その腕の中から落ちそうになった。 でも、これならこのまま逃げ出せそうだ。このまま、窓の方に飛び移れば……。 「……!」 と、思ったが、慣れない猫の身体のせいで上手くバランスが取れなかった。 「あっ!」 「猫ちゃん!!」 「落ちちゃう!」 「うわー!!! みっちー!!」 「……まったく」 まずい! このままだと落ちる!! 飛び移った窓から落ちたものの、高さもなかったし無事に着地もできた。しかもケガもしていない。 さすが猫。助かった。 とは言え、おまるとモー子の二人とははぐれてしまったし……どうしたものか。 まあでも、時間が経ってからでも分室に戻れば問題はなさそうだ。 聞こえてきた足音にびくりとする。 誰か来たみたいだ。 この姿で見付かると面倒なことになる予感しかしない。 「……ん?」 しかも、やってきたのは鍔姫ちゃんだった。これはさらに問題だ。 何しろ彼女は風紀委員だし、この姿のままだと追い出されるかもしれない……。 「……………………………っ…」 と、思ったんだが……なんだ? 鍔姫ちゃん、目を見開いてこっちに視線を向けたまま硬直してる。 「ね……猫……」 「にゃ……」 「ねこ……ね、猫さん……」 あれ? なんか、目がきらきらしてるような……っつーか、いつもと何か違う。 「にゃーーー!!!!」 不思議に思っていると、いきなり鍔姫ちゃんに捕まえられた。 そして、腕の中で力いっぱい抱きしめられる! 苦しい!! 力いっぱい過ぎて苦しい!!! 「どうしたんだ? どこから入って来たんだ? ん?」 (な、なんだこれ! なんだ? どうなってんだ??) 「もしかして迷子なのだろうか。ああ、それなら保護しておいた方がいいな。そうだ保護! 私が!」 「よしよしよし。何も心配しなくていいからなあ〜」 すごい勢いで撫でられている! すごいとしか形容できない! だがその撫で方豪快だしちょっと痛いって鍔姫ちゃん! 加減しろ! 猫には加減が必要!! っつーかちょっと落ち着け! と言いたいが、猫の姿じゃにゃーとしか言えねえ!!! 「にゃー! にゃーにゃー!」 「そうかそうか、迷子になって不安なんだな。大丈夫、私がついているから何も不安がらなくていいぞ」 (も、もしかして、鍔姫ちゃんって猫好き……?) 「ここにいるのもなんだから、そうだな……私の部屋に来るか?」 鍔姫ちゃんがじっと俺を見つめていた。 もしかしたら、必死に訴えれば俺だと通じる奇跡が起こるかもしれない。 頑張ればなんとかなるか……!? (ちょ、ちょっと鍔姫ちゃん! 俺だって! 俺……!!!) 「……よし! 君が良いと言ってくれるなら、一緒に行こう!」 「あぁ! 私の部屋に猫さんが……猫さん……!!」 やっぱり全然通じていなかった。 これはやばい。非常にまずいことになっていないか。 絶対に、このまま部屋に連れて行かれるわけにはいかない! 「ん? 何か不安なのか、大丈夫だから安心しろ……あ」 (お? 諦めてくれたか?) 「部屋に君を連れて帰って大丈夫だろうか……さすがに風紀委員たる私が無断で連れて行くのは……」 (そうだ鍔姫ちゃん! 勝手に連れて帰っちゃダメ! 離して!!) 「うーん……だが、猫さん……うっだが、私は風紀委員……ううっ」 「あ!」 「おお! これはこれは、壬生さんではないか!」 (学園長!!!) 突然やって来た学園長は、猫になった俺をまじまじと見つめた。 あ……! 学園長になら気付いてもらえるかも!! 「にゃー! にゃー!!」 「あ、こら! お、おとなしく……」 「壬生さん、この猫はどうしたのかね?」 頼む! 気付いてくれ学園長!! 抱かれる腕の中で身体を動かしアピールを続けていると、学園長はじっと見つめたまま視線を外さない。 わかってくれる……か!? 「で? 君はこの猫をどうするつもりだったのかね?」 「……部屋?」 「部屋で、ほ、保護……しよう…かと……」 「にゃー! にゃーにゃー!!」 ダメだと言ってくれ学園長。鍔姫ちゃんは風紀委員だし猫なんか連れて帰っていいわけがない! そしてあわよくば俺の正体にも気づいてくれ! 「Je dobra!」 「え? あ、あの……」 「君は実に優しい子だ! 構わずその猫を保護して、かわいがってあげておくれ!!!」 「ほ、本当ですか!!!」 「もちろん! 大事に大事にかわいがってあげるのだよ!!」 「はい!!」 「にゃーーーーー!!」 「ふふっ」 そう言って学園長は俺を見てニヤリと笑った。 その表情を見て確信した。 この人、絶対にわかって言っている……! 「安心していいぞ。学園長の許可を得たのだからな。さあ、それでは帰ろう!」 「それでは、その猫のことは頼んだよ! Na shledanou」 「さようなら、学園長」 無責任に言われ、鍔姫ちゃんの部屋に連れて行かれることが決定してしまった。 しかも学園長のお墨付きなのだ、鍔姫ちゃんは何も遠慮する必要はない。 どうしてこんなことになってしまったのだろう……。 いや、学園長のせいだ。それ以外には考えられない! 「さあ、行こう猫さん!!」 「ふふふふふ……」 (え、えっと……) 「猫さん! 猫さーーーん!!! よしよしよしー! よーしよしよし!」 「にゃーーー!!!!!」 部屋に到着するなり、鍔姫ちゃんはまたすごい勢いで俺を抱きしめて頭や身体を撫で始めた。 さっきも思ったが痛い! 勢いがつきすぎて撫でられているというよりは擦られている感じだ。 だが、多分これ、やっている本人はそんなことにはまったく気付いてない。 「うふふ。かわいいなあ、猫さんは本当にとんでもなくかわいいなー!」 (やっぱり、鍔姫ちゃんって猫好き!? っていうか間違いないぞこれ!) そう言いながら、鍔姫ちゃんの手がまた身体を撫でた。 相変わらず勢いはそのままだ。だから痛いって! 「ふふふっ。こんなにたくさん、猫さんを撫でるのは初めてだな。いつもはすぐに逃げられてしまうから」 「君はとてもおとなしい猫さんだな。よしよし……」 普通の猫は怖がって逃げているだけなのでは……まあ、こんなにされたら逃げたくなる気持ちもわかる。 鍔姫ちゃん、猫が大好き過ぎて力いっぱいになってるんだろうな。 「おや? よく見たらここ、砂だらけじゃないか……」 「にゃー!」 俺をじっと見つめていた鍔姫ちゃんは、突然身体を抱き上げるとまじまじと見つめて来た。 ちなみに猫になったときに服は全部その場にばさばさと落ちてしまって、今の俺は当たり前だが全裸だ。 ……これはさすがに恥ずかしい! 「よし、せっかくだから一緒にお風呂に入ろうか」 (ふ、風呂!??!) それは……非常にまずい! なんとか隙を見て逃げ出さないと……。 「準備をして来るから少し待っていてくれ」 (は! これは逃げ出すチャンスじゃないのか……) 「今日は猫さんの分のタオルも必要だな……」 俺を置いて鍔姫ちゃんは風呂に入る準備を始めた。 逃げ出すなら今しかない。 部屋の扉も、まあなんとかなるだろう。 とりあえず、気付かれないようにそっと移動して……。 「……!」 「にゃっ!!」 逃げ出そうとそーっと動き出した途端、鍔姫ちゃんがすごい速さで戻って来た。 そのあまりの速さに驚き身体が硬直する。 「今、逃げようとした……?」 (なんでわかるんだ!?!) 「やはり、すべての猫さんに私は嫌われてしまう運命なのだろうか……」 鍔姫ちゃんは、しょんぼりと肩を落としている。 ここで俺が逃げ出すのは、なんだか申し訳ない。そんな気持ちがこみあげてくる……。 こっちを見る目も、すごく寂しそうだ。 「本当は嫌だったか? それなら、無理やり連れて来たのは悪かったかもしれない……」 「にゃーにゃー」 「嫌じゃない?」 「にゃー」 そうじゃないと、伝えられるだろうか。 何度も鳴いてみても、それが伝わるかどうかはわからない。 この姿じゃ、無理だろうか……と、思ったんだが―― 「びにゃあああ!!!」 鍔姫ちゃんの表情は一気に明るくなり、また勢いよく身体を抱きしめられ頭を力一杯撫でられた。 勢いがよすぎて、やっぱり痛い!!! 「よし、それじゃあ一緒にお風呂に入ろうな!」 (いやそれは!!!!) 「さあ、身体をキレイにしよう! ぴっかぴかにみがいてあげるぞ!」 (ああああ! どこを見ればいいのかわからない……) 言うまでもなく鍔姫ちゃんは裸だし、どこを見ればいいのかわからない。 いや、でも向こうは普通の猫だと思っているんだから、気にしすぎなければ……。 ――って、そんなことやろうと思ってできるわけがない! どうすればいいんだと頭を抱えたくなる。 「暴れなくても大丈夫だ。ちゃんと顔には水がかからないように洗うからな……ん?」 何だか、鍔姫ちゃんがじっと俺を見ているような……。 いや……ようじゃない。間違いなく全身を観察するかのごとく見られている。 だから猫の姿とはいえ俺は今裸なんだが! 「ちょっと失礼」 「にゃあーーー!?」 まじまじと見つめていた鍔姫ちゃんは、突然身体をひっくり返すと俺に開脚ポーズを取らせた。 ちょ、ちょっと、このポーズはダメだろ!!! (やめろやめろやめろーーーー!!!!) 「君は、男の子なのだな。なるほど」 (あああああ!!! 恥ずかしすぎる!!!!!) 「男の子でも女の子でも、キレイにしなくてはな。よし、洗ってやろう!」 「にゃー! にゃー!!」 「こら! 暴れると綺麗にできないだろう。ほら、じっとして!」 「にゃあああああああああああ!!!!」 鍔姫ちゃんに散々身体を見つめられ、全身きれいに洗われてからやっと解放された。 最後の方はもう、されるがままでわけがわからない状態になっていた。 なんだか……ぐったりして動く気にもなれない。 一方、鍔姫ちゃんは異常に機嫌が良さそうだ……。 「こんなに猫さんと親交を深められるとは思っていなかったなあ。ふふ、ふふふ」 (すっげえ、嬉しそうだな……) 「ほら、身体を拭いてあげよう。こっちにおいで」 また、力一杯身体を拭かれているが抵抗する気力も沸かない。 鍔姫ちゃんが嬉しそうなのはいいことだ、もうじっとしていよう。 「ん、これで綺麗になった。良かった」 (本当に嬉しそうな顔してるな。猫、そんなに好きなのか……) ぐったりしながら撫でられていると、突然自分の名前が出た。 驚いて顔を見つめると、俺の視線に気付いて鍔姫ちゃんは優しく微笑みを浮かべた。 「ああ、みーくんは私の大切な友達だ。とても、優しくて頼りになるんだ」 (鍔姫ちゃん……?) 「以前、私に大変なことがあった時に助けてくれたし、それに……もう一人の大事な友達がいなくなった時、慰めてくれた」 「あの時、彼がいてくれて良かった。泣いてみればいいと言ってくれて、私は泣くことができた」 「にゃー」 「本当にいい友達なんだ。私なんかにはもったいない……でも、これからもずっと友達でいられればと思う」 そんな風に思ってくれていたのか……。 もったいないなんて、そんな風に考える必要なんかないのに。 俺だって、これからもずっと、鍔姫ちゃんと友達でいたいと思っているんだから。 「猫さんには大事な友達はいるか?」 「にゃー」 「うん、そうかそうか。やはり友達はよいものだな」 「………」 じっと見つめていると、鍔姫ちゃんの表情が変わった。 少し複雑そうな、不思議そうな表情。 それは数日前に見た、ぼおっとした雰囲気に似ている。 どうしたんだろうか? 「にゃ?」 「…………」 「にゃー、にゃー!」 「あっ! あ、すまない。少し考え事をしていた」 「最近、少し奇妙なことがあるんだ。聞いてくれるか?」 「にゃー」 「その、さっきの友達の、みーくんのことなんだ」 ……奇妙なことと、俺のことがどう関係あるんだ? 「どうも気がつくと、彼のことを考えてしまっているんだ。ずっと同じことが頭のなかでぐるぐるぐるぐる……」 「そうすると、不思議なことにどんどんと動悸が激しくなっていく」 「しかし頭はそれに反して、ぼおっとしてしまうというか。謎の浮遊感を感じるんだ」 (……え) 「あの遺品の、後遺症なのだろうか……?」 「今もこうして話していると、なんだか彼に会いたくてたまらなくなってしまったよ」 「みーくんは今、何をしているのかな」 (いや、鍔姫ちゃんが今話してるのはそのみーくんなんだけどな……) 話しながら、鍔姫ちゃんはまた俺の身体を撫でた。 今度は力一杯じゃなく、ゆっくりとした優しい撫で方だ。 毎回、こうならいいんだけどな。 「うん、君の毛はやっぱり、みーくんの髪に似ている」 「本当は、今すぐ会いに行きたいな……」 俺のことを話す鍔姫ちゃんは、とても優しい笑顔を浮かべていた。 ……この話、俺が聞いてもよかったのだろうか。 鍔姫ちゃんはこの猫が俺だとわからずに話したわけだから、そう考えるのもおかしなことなんだが。 ――しかし、今更聞かなかったことになど出来ない。 俺の受け取り方が間違っていなければ、つまり鍔姫ちゃんは…………。 「ふふふ。猫さんにはいっぱい話してしまったな」 「そろそろ夜も遅い。一緒に寝ようか?」 (は!? い、一緒に寝る? 鍔姫ちゃんと???) もやもやとした、なんとも言えない気持ちになっている間に、鍔姫ちゃんに身体を抱き上げられてしまった。 もしかして、このままベッドに連れて行かれてしまうのか!? このまま、ここで寝るわけにはいかない……が、相手は普通の猫だと思っているだろうし……! 「今日は君と一緒に寝られて嬉しいよ。おやすみ……ちゅ」 「……!!!!」 「……え」 「あ……」 「……………………」 気づけば、いつの間にか俺は元の姿に戻っていた。 それはいい、喜ぶべきことだ。だが……状況は最悪だった。 「み、みー…………くん……?」 「は、はい……」 「…………………なぜ……?」 「あ、あああああ! あの、これ、これは! あの、ええとな!!!!」 こんなもの、どう説明しろっていうんだよ――――!!! 「ああああ、どうしよう〜! みっちー! 返事してよー!!」 「見付かりませんね」 「どうしよう。あの時、おれが離しちゃったから」 「烏丸くんのせいではありません。彼が暴れたせいです」 「でも……」 「それに、これだけ探して見付からなかったのですから、誰かに保護されている可能性が高いと思われます」 「じゃあ、誰かに猫だと思われて、連れて帰られてるってこと?」 「その可能性は高いかと。それにあの呪いは口付けをすれば解けますから、運が良ければ戻っているかもしれません」 「え、くち……って、キスでってこと?」 「はい。とりあえず捜索は打ち切りにして、彼の運が良いことを願っておきましょう」 「そ、そうですね……」 「……はあ」 鍔姫ちゃんにはなんとか事情を説明して、あの状況に納得してもらうことができた。 しかし、素っ裸でそのまま帰るわけにも行かず……風紀委員のコートを貸してもらうことになった。 何も着ていないよりはマシだが、これじゃあ不審者丸出しだ。 ……誰にも見付かりませんように……! 「……なっ!!!」 「ぢー」 かすかに物音が聞こえたと思って身構えると、そこには小さなオコジョがいた。 こいつ、学園長といつも一緒にいるやつだよな。 どうしてこんなところにいるんだ? 「ちぃ!」 学園長のオコジョは、そのまま廊下の向こうに走って行った。 良かった。オコジョなら見られても問題ないよな……多分。 「おーおー、ニノマエ君こんなところにいたのかね」 「げ……!」 「勝手に行ってはいけないよ? え、なんだい?」 「ちー」 「……ほほう、あちらに?」 「………」 「……」 「……」 向こうから現れた学園長は、俺の姿を上から下までなめるように見つめた。 「いや、これは……あの……」 「ぷふっ!」 「!!!!」 「まあ、他の者には見付からないよう戻りたまえ」 「ぢー!」 「それでは戻ろうか、ニノマエ君」 「ちちっ」 ニヤニヤと笑いながら俺を見つめていた学園長は、そのままの表情で背中を向けて去って行ってしまった。 あの人……絶対全部わかって言っていたような気がしてならない……! 文句のひとつも言いたくなったが、飲み込む。 また誰かに見付かる前にさっさと部屋に戻ろう。 その後は、なんとか誰にも見付からず部屋に戻って来れた。 借りたコートは、洗って明日返そう。いや、洗わなくてもいいかもしれないが、気分的に……。 さすがに、裸で着たものをそのまま返す気にはなれない。 「はあ……」 着替え終わり、コートを洗濯してからベッドに入る。 寝転んで天井を見つめながらぼんやりしていると、自然と鍔姫ちゃんのことを思い出した。 あの時泣いた顔や、今日言っていたことや……風呂でのこととか。 一度に色んなことがぐるぐると頭の中で回りすぎて、自分でもよくわからなくなってくる。 「ああもう!」 ――俺は一体どうしたいんだ。 出口のない迷路に迷い込んでしまったかのようだった。 いつまでも結論は出ないのに、何故だか鍔姫ちゃんのことを考えるのがやめられない。 そういえば猫の姿とはいえ、キスもしてしまった。 鍔姫ちゃんは俺の正体がわかった後はほぼずっと呆然としていたが、あれはよかったのか。 それともノーカウントってことでいいのか。 だが、してしまったことには違いはない……。 考えれば考えるほど、自分がどうしたいのかわからなくなる。 それなのに、ぐるぐると考え続けることがやめられそうになかった……。 翌日、分室に顔を出すとモー子にため息で出迎えられた。 色々あったが、ちゃんと元には戻れたと説明すると、おまるはすごく安心していた。 そして、わかってはいたがモー子にはかなり怒られた。 何もそこまで……という程に冷たい言葉をかけられたのだが、まあ自業自得な部分もあるから仕方がない。 俺への説教が終わると、モー子は鍔姫ちゃんを分室に呼び出した。 理由は簡単。今回の遺品の件を書類に残す必要があるとかで、昨日のことを証言してもらわなければいけないからだ。 「なるほど。その後、久我くんは元に戻った……と」 「………」 モー子は起こったことを聞き取り、淡々と書類に記入していた。 その間、鍔姫ちゃんはずっと下を向いて申し訳なさそうだった。 おそらく、俺にしたことを思い出して自己嫌悪に陥っているのだろう。 顔もあげずにじっとしている姿を見ると、なんだかかわいそうな気持ちになる……。 「えーっと……」 「困ったように俺を見るな」 「で、でも」 「あのさ、鍔姫ちゃん……」 ずっと下を向いていた鍔姫ちゃんは、小さく震えたかと思うと、突然顔を上げて真剣な表情をした。 「私は……私は、なんという酷い行為を……!」 「そこまで気に病む必要はないのではありませんか?」 「まあ、うん。俺もそう思う」 「し、しかし! み……久我くんを、お婿に行けない身体にしてしまったではないか!!」 「いやいやいや、それはねーから!」 「お婿に行けない身体……!」 「おまる! 言っとくが別に何もねーからな!」 「あまり考え過ぎない方がいいですよ。事故です。割り切ってしまえばどうということも」 「いや、それはできない! 私はこの件に関して責任を取る必要がある!!」 「え……?」 「せ、責任……」 「あの、壬生先輩責任って……」 「こうなってしまった以上、一生添い遂げ、久我くんの面倒を見させて頂く覚悟だ!」 真剣な顔で鍔姫ちゃんが言った途端、モー子は手にしていた書類をその場から落としてしまった。 が……まるで何事もなかったように、淡々とその書類を拾い始める。 「……失礼」 「憂緒さん、あの……手伝いましょうか」 「いえ、結構。大丈夫です」 「……上下、逆になってませんか?」 「………」 おまるに指摘されたモー子は、無言で書類の向きを直していた。 それを見て、おまるも黙ってしまう。さすがに、何も言えないのだろう……。 なんだか、いたたまれない空気だ。 いや、そう思ってる場合じゃない。 「いや、あの。特に責任はとらなくていいです」 「……へっ」 「当然だろ」 「そうですね。今回の件に関して、壬生さんが責任を感じる必要はどこにもありません」 「それも無関係です。そもそも久我くんが人の話を聞かずに勝手な行動を取ったからです」 「あー、はいはい! 全部俺のせいだよ!」 「理解しているのなら、今後は気をつけてください」 「わかったっつーの!」 「というわけですので、壬生さんは何も気にしないでください。風紀委員の仕事前にご足労をおかけしました」 「あ、ああ……」 俺たちの話を聞き終わった鍔姫ちゃんは、どこかぼんやりしたまま椅子から立ち上がり、そのまま部屋から出て行った。 「壬生先輩、何かぼんやりしてましたね」 「そうですね」 「大丈夫かなあ。心配だね、みっちー」 「ああ……」 鍔姫ちゃんは責任を取ると言っていた。 責任感の強い彼女なら、自分を許せずにそう言ってしまうのもわかる。 ……だが、本当にそれだけなのだろうか。 昨日、猫になった時に聞いたこと……。 あれは間違いなく、鍔姫ちゃんの本音だ。 鍔姫ちゃんは自分の気持ちに気付いているんだろうか。 そして俺は……鍔姫ちゃんにああ言われてどう思った? 鍔姫ちゃんと一緒にいて、あの話を聞いて、何を考えた……? 「久我くん。きみも同じですね」 「っ、何だよ? 何がだ?」 「きみも彼女と同じく、ぼんやりしているということです」 「………」 確かに、かなり深く考え込んでいたかもしれない。 こういうのをぼんやりしている、というのなら、鍔姫ちゃんも何か考え事があったのか……? ――いや、何かじゃない。 昨日、鍔姫ちゃんに言われたことが頭をよぎる。 彼女は、多分。俺のことを、考えていたんだ。 今の俺と同じように……。 どうしたいのか、どう思ったのか……少し考えてわかったことがある。 それは、このまま鍔姫ちゃんを放っておけないってことだ。 「悪い、ちょっと鍔姫ちゃん追いかけて来る」 「……はい」 「あ……行ってらっしゃい」 「世話のかかる人たちですね」 「………」 (何故、私はこんなにも落ち込んでいるのだろう。別に落ち込むべきことはなかったではないか) (何故だ。責任を取らなくていいと言われたからか? では、何故それで失望している?) (私は責任を取りたかったのか? 一生添い遂げ面倒を見たかったのか?) 「そんな事は……」 (ないとは言い切れないのか、こんな気持ちになっているのだから。だが、みーくんは優しいから責任を取らなくてもいいと言ってくれた) 「いや、あの。特に責任はとらなくていいです」 「当然だろ」 (……改めて考えると、やはりどこか胸が痛む。でも、何故だ? 落ち込む必要などどこにもない) (だって、友達が自分を庇ってくれているのだぞ。どこに落ち込む要素がある) 「鍔姫ちゃん!」 「……みーくん!」 「良かった、追いついた」 (あれ? 先程まで感じていたもやのかかったような気分が、どこかに行ってしまった。何故だ?) 呼びとめると、鍔姫ちゃんは立ち止まって振り返った。 でも、振り返ったその表情は一瞬笑顔だったものの、その後は困惑しているようだった。 「ど、どうしたんだ? 話は終わったのだろう」 「いや、そりゃそうなんだけど」 何を言えばいいか……なんとなく、話し辛い。 「………多分、俺の勘違いじゃないと思うんだけどさ。もし間違ってたら言ってくれよ」 「? 何がだろうか?」 「責任、本当は取りたかったのか?」 「――!」 「そ、そんな……ことは………」 俺の言葉を聞いて鍔姫ちゃんは更に困惑したような表情になってしまった。 しかも、なんだか泣きそうな雰囲気だ。 その表情を見ていたら、なんだか胸が痛くなる。 「いや……わからない……本当によくわからないんだ……すまない……」 「だ、だが、責任をとらなくていいと言ってくれたのは、みーくんの優しさだということはわかっているぞ」 「………ごめんな」 俺が謝ると、鍔姫ちゃんはわけがわからないという顔をした。 その動揺ぶりは、見つめているだけで十分伝わって来る。 「何故みーくんが謝るんだ!? みーくんの正体にも気づかず、好き勝手に扱ったのは私の方ではないか」 「そのことじゃないんだ。……だいたい、フェアじゃねーよな」 「フェアじゃない? 何の話だ」 「猫になっている間……鍔姫ちゃんの話を聞いただろ、俺」 「うっ……! あ、あれは……」 「わかってるよ。別に俺に言おうと思って言ったことじゃないんだろ」 「でも、俺だけ鍔姫ちゃんの本音を聞いて、俺の方は何も言わないってのは、やっぱりフェアじゃない」 「な、なるほど。みーくんは、私に何か言いたいことがあるということだろうか」 俺の話を聞いた鍔姫ちゃんは、少し身構えて真っ直ぐに視線を向けた。 「ああ……俺も、俺の本音を……」 「ちょっと待って!!!」 「え?」 (どうしよう! もし欠点を指摘されてしまったら……いや、友達としてこれは駄目みたいなことかもしれない…!) 「少しだけ、心の準備をだな」 「お、おう」 (欠点は直せばいい。駄目なところも同じだ。よし、大丈夫……どんな問題も、みーくんのために何とかしてみせる) 「……お待たせした。さあ、どんなことでも言ってくれ。私はすべて受け止めてみせるぞ」 「…………」 これは、あれだな。鍔姫ちゃん、今から何を言われるのかまったく察していないな……。 「どうしたんだ? いつでもいいぞ」 「―――俺、鍔姫ちゃんのこと、どうも好きになったみたいなんだけど」 「好きに……そうか! もちろん私もだ! スミちゃんと一緒だった頃からずっと好意的に思っていた」 「…………」 「………?」 「そうじゃなく」 鍔姫ちゃんは俺の言葉を聞いて不思議そうな顔をしている。 理解できていないのか、それともただの俺の勘違いだったのか……。 もしもあれが勘違いなのだとしたら、俺の自意識過剰で終わってしまうのだが……それはそれで恥ずかしい。 「だから、恋愛感情があるってことだよ!」 はっきりと言い切ると、鍔姫ちゃんは色々思い出したのか戸惑い始めたように視線を泳がせた。 その顔をじっと真剣に見つめる。 「俺もあれから気がつくと、鍔姫ちゃんのこと考えてるっていうか」 「……私のことを? みーくんが?」 「放っておけねーっていうか……いや、そうじゃないな。守りたい……かな」 「私を、守りたい?」 「鍔姫ちゃん、肝心なとこ抜けてるしさ、不器用だし。でも、誠実で一生懸命で……」 「ずっと側にいて、鍔姫ちゃんを守ってやりたい。スミちゃんに頼まれたからじゃなくて、俺自身がそう思ってる」 「で、多分これはもう友情のラインを踏み外してる。だから、俺は鍔姫ちゃんのことが、好き……なんだ」 「………」 「一生添い遂げたいとか、結婚したいとか、そういう方向での『好き』な。わかる?」 「わ、わかる」 「鍔姫ちゃんは、俺のことどう思ってる? やっぱり友達? それとも……」 「え? え??」 じっと話を聞いていた鍔姫ちゃんは、突然真っ赤になって慌て始めた。 そして、周りをきょろきょろ見始め、落ち着きなく言葉を出す。 「あ、あの、あ、わ、私……私は……!」 「うん」 「あ、あの……」 しばらくは慌てていた鍔姫ちゃんだったが、やがて視線を俺に戻してじっと見つめてきた。 だから俺も、もう一度真剣に鍔姫ちゃんを見つめ返す。 すると突然、鍔姫ちゃんの瞳からぼろぼろと涙があふれ始めた。 「つ、鍔姫ちゃん!?」 「す、すまな……すまない! こんな、こんな風に……なるのは、初めてで…どうしたらいいか……」 困惑した様子で鍔姫ちゃんは泣き続け、あふれる涙を拭って顔を隠そうとしてしまう。 俺は、その手を取って鍔姫ちゃんの泣き顔に目を凝らした。 「こんな、みっともないのは……」 「顔、隠さないで鍔姫ちゃん」 「な、何故だ……こんなの、見せられな……」 「みっともなくない。俺は鍔姫ちゃんの泣き顔も好きだから。だって、それは鍔姫ちゃんの感情があふれてる顔だろ」 「み、みーくん……わ、私は胸が…いっぱいで、痛くて……でも、嬉しくて……」 「うん」 泣きながら、それでも鍔姫ちゃんは一言一言、声を出して感情を伝えようとしている。 だから、あふれ出して止まらない鍔姫ちゃんの涙を拭いながら、ただ言葉の続きを待った。 「みーくんも、こんな気持ちなのか? 胸が痛くて、苦しくて……飛び上がりそうに鼓動が……なのに…」 「なんだか、ふわふわしてる?」 「うん……みーくんも、同じ?」 「ああ、同じだよ」 泣いたまま、それでも鍔姫ちゃんは嬉しそうな表情をした。 止まらない涙を何度も拭い、頬を何度も撫でる。 その度に、鍔姫ちゃんはもっと嬉しそうな顔を見せてくれた。 「もしも、これが恋愛感情というものなのだとしたら……君は初恋の相手ということになるな……」 「そりゃ責任重大だ」 「みーくん……私は……」 「そうだ……! 私は、私は君と、添い遂げたかった……! だから、責任をとらなくていいと言われて、がっかりしたんだ!」 「君と一緒にいたい……どうか君に、そばに、いてほしいんだ……」 「そばにいるよ」 「ず、ずっと……ずっと一緒に」 「ああ。鍔姫ちゃん、好きだよ」 「……あ! わ、私も……! 私も、みーくんが!」 「知ってるよ。そりゃ、あんなこと言われたら誰だってわかる」 「う、ううう……」 鍔姫ちゃんの涙は、いつまで経っても止まらなかった。 ぼろぼろとあふれる涙を何度も何度も拭い取る。 ――本当に、この子はなんて不器用なんだろうか。 だけど、そんな不器用なところを知っているからこそ、放っておけないと思うんだ。 そんな風に思いながら、じっと鍔姫ちゃんを見つめる。 そして、ゆっくりと唇を重ねた。 「……ん」 重ねた唇を何度も触れ合わせる。 緊張して身体を硬直させている鍔姫ちゃんの身体を撫で、緊張を解すようにしながら唇をまた触れ合わせた。 柔らかい感触が唇に伝わる。 きっとこの感触は鍔姫ちゃんにもしっかりと伝わっているに違いない。 その感触を伝え合い、触れ合わせ続ける。 ゆっくりと手のひらを動かして撫でると、鍔姫ちゃんは落ち着いて来たようだった。 硬直していた身体も、もう随分と解れて来ているのがわかった。 「……みーくん」 「ん?」 「あ、あの……その、これはつまり……」 「ああ。えっと。悪い。順番が前後した」 「俺と付き合ってくれるか? 恋人として」 「!!!!!」 「これから、よろしくな」 真っ赤になった鍔姫ちゃんは、俺を見つめたままこくこくと何度も頷いた。 またこんなに赤くなって……まあ、俺のせいなのだが。 どうも彼女相手だと、思ったことがすぐに口から出てしまう。 「ふ、不束者ですが!!! なにとぞ!!!」 「いやいや、こちらこそ」 鍔姫ちゃんの言葉がおかしくて、くすくすと笑いながらしっかりと身体を抱きしめた。 すると、腕の中で鍔姫ちゃんがまた慌てたのがわかった。 しばらくして、ようやく落ち着いた鍔姫ちゃんと一緒に分室に戻った。 二人で一緒に戻ると、モー子とおまるは驚いたような表情をしていた。 まあ、帰った客がわざわざ戻ってきたら、それは驚くだろう。 そんな二人に鍔姫ちゃんと付き合うことにしたという報告をすると、更に驚いたような表情をされた。 「わざわざ報告してくださるんですか」 「まあ、一応な」 「心配するな。公私混同はしない!」 「壬生さんの性格からそれはないと信用しております」 「ああ、ありがとう」 「……そ、そっかあ。みっちー、壬生先輩と……かあ」 「どうした? おまる」 「う、ううん! なんでもないよ!」 おまるのやつには、何か気になることがあるようだ。 特に心当たりはないのだが……。 「ああ、村雲」 「そろそろ見回りの時間ですよ」 「もうそんな時間か。すまない」 「いえ、それじゃあ行きましょうか」 「ああ、そうだ報告がある」 「なんです? また何か事件ですか」 「いや、そうではない。私は久我くんとお付き合いをすることにした」 「私は、久我くんとお付き合いをすることにしたと」 「は、はあ……そりゃ……」 村雲は信じられないような目でこっちを見た。 まあ、そういう反応だよな。 「なんだよ」 「いや、壬生さんも案外見る目ねーなと思って」 「ああ、お前の見る目がねえんじゃねえの、逆に」 「なっなんだとてめー!?」 「言い争いはその程度にして頂けますか」 「そうだぞ、村雲。見回りに行くのだろう」 「……。ちっ……」 「村雲くん。だから、あの時に言ったでしょう、遺品は無関係だと」 「なんの話だ?」 「ちょっとした依頼が解決しただけです」 「……そうか?」 そういえば少し前に、確かにモー子はそう言っていた。 確かにプライベートな問題だったと言えるのだろうが……。 鍔姫ちゃんと少し話しただけでそれがわかるモー子もモー子だ。 いや、鍔姫ちゃんがわかりやすすぎるのかもしれない。 「あ、あの、村雲先輩、元気出してくださいね」 「ああ? 何がだ?」 「いつか村雲先輩の良さをわかってくれる女の子が、きっと現れますから!」 「ちょっちょ、ちょっと待て!! 何誤解してんだテメー!! ちげぇよ!!」 「大丈夫です。おれ、わかってますから!」 「ぜんっぜんわかってねぇーよオイ!! 違うからな!? 別にオレはそういうんじゃねーからな!?」 おまると村雲は壁際でぎゃーぎゃーと騒いでいる。一体何の話をしているんだか。 「村雲、そろそろ向かおうか」 「え、あ、は、はい!」 「それでは、失礼する」 鍔姫ちゃんと村雲は風紀委員の仕事に向かい、分室の中は随分と静かになった。 色々なことが一気にあったが、これでようやく落ち着くといいのだが……。 「のんびりしてねーで、とっとと寮戻れよー」 「………」 「壬生さん、どうしたんですか?」 「いや、なんかまたぼんやりしてたんで」 「はあ……」 (いけない。気を引き締めねば、風紀の仕事に差し障る!) 「……」 「心配しなくても大丈夫だ。そろそろ、全生徒が戻っただろうか」 「そうですね。もう誰も残っていないと思います」 「わかった。今日のシフトはこれで終わりだな。私達も帰ろう」 (本当に大丈夫なのかねえ……なんでか察しはつくけどよ……) 「鍔姫ちゃん」 「!!!」 見回りをしている鍔姫ちゃんを見つけた俺は、近づいて声をかけた。 驚いたような表情を浮かべながら振り向いた鍔姫ちゃんは、俺を見つけた瞬間に明るい微笑みを浮かべる。 「いや、そろそろ見回りが終わる頃かと思ってさ。一緒に寮まで帰るだろ?」 「えええっ! い、いいのか?」 「いいから迎えに来たんだよ。特査の仕事もなさそうだし」 「じゃあ、もちろん一緒に帰る!!」 「……」 ……ここまで話してからやっと、村雲もいたことを思い出した。 何も言わずに、じっと見られている。 「な、なんだよ」 「みーくん……?」 「……はっ!」 「あ……」 村雲はあからさまに面白そうな顔をして、俺を見ている。 しまった。鍔姫ちゃんの対応があまりにも自然だったので聞き流していたが、そういえばこいつもいたんだった……! 「何? お前、みーくんって呼ばれてんの?」 「………悪いか」 「いや、悪い悪くないっつーかさ……」 「あ、あの村雲! これは!!」 「みーくん」 「お前にみーくん呼ばれる筋合いはねーんだよ!」 「うるせーぞ、みーくん」 「ぐ……!!!」 珍しく返答に詰まる。 他の誰でもない、こいつは一番知られたくなかった相手かもしれない……。 ……と、この状況を鍔姫ちゃんが見たらどう思うのか。 慌てて視線を向けると、鍔姫ちゃんはおろおろしながら俺を見つめていた。 「つ、鍔姫ちゃんあの」 「す、すまない! 人前では呼ばない約束だったのに、みー……こ、久我くんの顔を見たら嬉しくなってしまって、つい!」 「い、いやいや」 「………」 「いや、言わないですから」 「そ、そうか! すまない!!」 「はあ……」 「えーっと……」 居心地の悪い空気が、その場に流れる。 村雲もあからさまにテンションが落ちて、からかう気もなくなったようだ。 「あの、もう残ってるやついないみたいなんで。オレは先に失礼します」 「はい、お疲れ様でした」 「では、気をつけて」 村雲は鍔姫ちゃんに頭を下げると先に行ってしまった。 「……あれのどこがイイんだか、マジでわかんね」 鍔姫ちゃんは村雲の背中を見送ってから俺の方を振り返った。 そんな鍔姫ちゃんに頷き返し、二人で並んで帰ることにする。 「みーくんは、本当に村雲と仲がいいのだな」 「はあ? え? 鍔姫ちゃん前もそれ言ってたけど、どこ見てそう思った?」 「さっきも、二人で仲良く話していたじゃないか」 「いや、あれは仲がいいって言うか……」 「私も、みーくんとなんでも言い合えるようになれるだろうか……」 「……」 ああ、そうか。そういうことを気にしているのか。 別にそんなことは気にしなくてもいいんだが、それが鍔姫ちゃんらしさでもあるんだろう。 「俺も鍔姫ちゃんと、本心をぶつけあえるようになりたいと思ってるぞ」 「みーくん……」 「でも、村雲みたいなのは勘弁して欲しい」 「ふふふっ。そうか? あれはあれで楽しそうだぞ」 「いやあ、ちょっとあれはなあ……」 「わかった。私も、みーくんになんでも話せるようになってみせるからな」 「ああ」 そんなに意気込まなくても、鍔姫ちゃんは今でも十分素直だと思うんだが。 もしも、これ以上素直になるとどうなるんだろうか。 どんなことが待ち受けているのか、ちょっと楽しみでもあるな。 「あ、あの、そうだ!」 「ん? どうかした?」 「きょ、今日これから、部屋に遊びに来ないか?」 「今から?」 「あ、ああ。もう少し、一緒にいたい」 「ああ、そうだな。じゃあ、荷物置いた後に鍔姫ちゃんの部屋まで行くよ」 「わ、わかった! 待ってる」 「は、はい!」 「こんばんは、鍔姫ちゃん。お邪魔します」 「あ、ああ。待っていた。入ってくれ」 荷物を置いてから、鍔姫ちゃんの部屋にやって来た。 中に入ると鍔姫ちゃんはあからさまに緊張した様子を見せる。 そういえば恋人同士になってから、二人きりになるのは初めてのことか。 緊張しても仕方ない。そう思うと、俺の方まであがってきてしまった。 「……えっと」 「は、はい!」 「何、しようか」 「な、何とは?」 「いや、あの……実は俺も女の子と付き合うなんて初めてで、何をしたらいいかよくわからなくて」 「そ、そうなのか。こ、恋人同士というのは、何をするのだろうか……」 「あー、鍔姫ちゃんは何かしたいこととかある?」 「したいこと……」 そういえば、どういう風に付き合うのかということをちゃんと考えたことがなかったな。 普通は何をするものなんだろうか……。 難しく考える前に、まずは鍔姫ちゃんがしたいことから始めてみればいいような気はするのだが。 「わ、私は、みーくんを見つめていたい!!」 「……え?」 「……」 言うなり鍔姫ちゃんは俺をじっと凝視し始めた。 ものすごい勢いで見られている……! 鍔姫ちゃんは一言も喋らないし、まったくもって落ち着かない。 が、俺を見つめている鍔姫ちゃんはどこか目をキラキラさせながら、幸せそうだ。 この場合、俺も見つめ返すべきなのだろうか……。 とりあえずやり返しておくか? ………。 ……。 …。 「……」 「………」 そのまま、しばらく見つめ合ってみたわけだが……。 「……みーくん」 「はい……」 「これは、正しい恋人同士なのだろうか」 「ちょ、ちょっとわからん」 「そうか」 「うん……」 「恋人同士というのは、どうするものなのだろうな」 「う、うーん……」 少なくともこれは何かが少し違うということだけはわかった。 まあ……鍔姫ちゃんはどこか満足したようだし、これはこれでいいような気もする……。 (いや! 気持ちを引き締めなければならない。浮き足立っている場合ではないぞ) 「でも……」 (これからもみーくんと一緒にいられるのだと思うと嬉しいし、やはり落ち着かないな。しかし……) (恋人同士というのは本来どういう付き合いをするものなんだろうか、そもそも、何をどうすればよいのだ……?) (大好きなみーくんに私は何をしてあげられるだろうか。何をしたら喜んでくれるのだろうか……) 「うーむ……」 「ねー、まーやちゃん。まーやちゃんは彼氏欲しいって思ったことあるの?」 「そりゃいればいいとは思うけど。そあらは具体的にどんな彼氏が欲しいとかはないの?」 「え? えーと、えーと、かっこよくて優しくて……」 「具体的かなあ、それ」 「で、でも、恋人同士みたいなことしたいもんー」 (恋人同士……) 「あ、壬生先輩だ。こんにちは」 「こんにちはー」 「ああ、こんにちは。……すまない、つかぬことを聞くが」 「へ? え? な、なんですか?」 「わ、わたしたちでいいんですか」 「ああ。先ほど話していた内容が気になったものでな」 「さっき話してた内容……なんだろう?」 「何話してたっけ?」 「恋人同士とは普通、どのようなことをするものだろうか!」 「……え」 「………」 「世の恋人同士がどうして過ごしているのか、私はよく知らないのでな。できれば知っていることを教えて欲しい」 「え、えーと、えーと、で、デートしたりとか」 「デートとは、どのようなことだろうか?」 「あ、あの、それは……ま、まーやちゃんー」 「普通なら、映画見たり喫茶店でお茶飲んだり一緒に買い物したりじゃないですかね」 「なるほど……映画喫茶店お茶買い物…」 「でも、そういうのって普通すぎてつまらないですよね」 (つまらないのか!?) 「えー。わたしは普通がいいよ」 「だって、そんなの刺激がないじゃない」 (刺激が必要なのか!?) 「そういうのデートにいらないんじゃないのかなあ」 「普通のことばっかりだと、飽きて来ちゃうじゃない」 (飽きられてしまうのか!??!) 「そうなのかなあ」 「あ……」 「教室に戻らなくちゃ!」 「本当! ごめんなさい、壬生先輩。失礼します」 「はーい」 「私も早く戻らないと……」 (ううむ……しかし、ますますわからなくなった……) (恋人同士がすること……つまらないものではなく、刺激があって、飽きられないようなもの……) 「あ……」 「Dobry den!! 壬生さん」 「学園長、こんにちは」 「どうしたのかね? やけに難しい顔をしていて歩いていたではないか」 「そ、そんな顔をしていましたか?」 「ああ! 明らかに難題があるという顔になっていたぞ!」 「そうでしたか……」 「ふむ、ふむふむ……ふむ〜!」 「ちー」 「ふふふっ! やはり、ニノマエ君もそう思うのだね!」 「ちぃっ!」 「わかっている! わかっているとも!!」 「な、なんでしょうか?」 「ふふふふっ。悩みがあると見た! それも青春の悩みだね!」 「せ、青春の悩み?」 「Ano! 生徒の悩みに気付かずして何のための学園長だ!」 「あ、あの、私は特に何も言っていないのですが……」 「案ずることはない……さあ、これを!」 「これは……? 雑誌?」 「困った時に開くと良い!!」 「………?」 「君の悩みが解決すれば幸いだ!」 「ぢー!」 「それでは、何か困ったことがあればまた相談したまえ!!」 「相談した覚えはないのですが……」 (学園長は一体何を……) 「はっ!!! こ、この雑誌は……!!」 (彼氏の部屋に……お、お泊り特集……!?) 「……ひゃっ!」 「こ、これは……いけない! ここで読んではいけない!!」 「右よし。左よし。誰もいない。……うん、ついにこれを開くときがやってきたようだな……」 「学園長に渡されたこの本……」 「こ、これは……なんという……」 (こ、こんなことまで……するのか!?) (……こ、ここまで? な、な……まさか、そんな……いや、実際にこの本にはこのように!) 「……なるほど……よ、世の恋人同士が、こ、このようなことをしているとは……!!!」 「大変勉強になりました。ありがとうございました……学園長……!」 放課後――。もうしばらくすると、風紀委員の見回りが始まる時間だ。 この時間に鍔姫ちゃんに会いに行くのは、すでにほぼ日課になっていた。 だが、今日の鍔姫ちゃんは、いつもとは少し様子が違う。 「鍔姫ちゃん、何か考え事?」 「な、何故だ!?」 「いや、難しい顔をしているなーと」 「そ、そうか。そんな顔になっていたか」 「うん。何かあるなら相談してくれよ」 「あ、ああ」 「ちゃんとわかってるか? 俺に言えることなら、遠慮せずに言うんだぞ」 「……」 そう言われてか、考えごとを始めたようだ。何か口に出してくれるかもしれない。 少し困ったような感じもするが……本当に、何があったのだろうか。 「ひ、ひとつお願いがあるのだが、いいだろうか?」 「お願い? 俺に出来ることか?」 「いや! これはみーくんでなくてはいけない」 「あ、そうなんだ」 突然、鍔姫ちゃんは姿勢を正して真っ直ぐに俺を見つめた。 なんとなく、俺の方も何を言われるのか身構えて姿勢を正す。 「実は、今度みーくんの部屋に泊まりに行こうと思う!」 「え? え、あ……はい」 意表をつかれた内容に、思わず間抜けな声が出てしまった。 泊まりって、急にこの子は一体何を言い出すのか。 しかし、鍔姫ちゃんの顔は真剣で、とてもじゃないが冗談を言っている顔には見えない。 いや、元々冗談を言うようなタイプじゃないのは知っているから、本気で言ってるのはわかっているつもりだが……。 「世の中の恋人同士というのは、お泊りをするらしい」 「はあ……」 「それならば、私たちもしようじゃないか!」 「いや、まあ、あの」 一体それはどこから拾ってきた情報だ。 間違いではないと思うのだが、いきなりそれは問題があるのではないだろうか……。 と考えていても、鍔姫ちゃんはどこかそわそわした様子だし、色々言い出せない雰囲気だ。 「い、いいだろうか?」 「……」 「も、もちろん、みーくんがダメだと言うのならお泊まりはなしだ!」 お泊まり……ということは、世間的にはやっぱりそういうことを想像するものだよな。 俺がいくら男女交際に疎くても、それくらいはわかる。 とは思うが、そんなことを言える雰囲気ではなかった。 勢いだけはやたらあるし、見るからに真面目だ……鍔姫ちゃんは、わかっているんだろうか。 「あの、じゃあ……来る?」 「……!!!」 俺の返事を聞き、鍔姫ちゃんの表情が一気に明るくなった。 本人は無自覚にやっているのだろうが、ものすごくわかりやすい態度だ。 俺をこんなに喜ばしてどうするつもりなんだか。 「そ、それでは、い、いつにしようか!」 「鍔姫ちゃんは希望とかあんの?」 「は、早い方がいいのではないかと思う」 「んー。でも、今日だといきなりすぎるか。泊まる準備もあるし」 「……じゃあ、明日の夜は?」 「うん」 「ありがとう、みーくん。楽しみにしている」 「俺も楽しみにしてるよ」 「それでは、そろそろ見回りに行って来る」 「ああ。俺も特査の方に行くよ」 頷いた鍔姫ちゃんはすごく嬉しそうな表情をして見回りに行った。 本当に、男の部屋に泊まりに行くってことの意味はわかっているのか、結局聞きそびれてしまった。 いや、あの様子だとわかってなさそうだが。 俺だけが色々期待していたら、それはそれでちょっと情けないかもしれない。 まあ、何事もなく寝て泊まって、それで終わりでもかまわないか……鍔姫ちゃんが喜ぶのなら。 別に何も急ぐ必要はないわけだしな。 「お邪魔します」 「ああ、いらっしゃい」 「一晩、お世話になります」 「あ、いや、こちらこそ」 泊まりに来ると約束した翌日の夜、鍔姫ちゃんはかしこまった表情をしてやって来た。 どうやら緊張しているようだ。 ここで二人きりになって朝まで一緒なんだが……どこまで理解してくれているのかは未だにわからない。 「えっと、それじゃ、あの……」 これからどうしたものかと思っていると、鍔姫ちゃんは嬉しそうな表情を浮かべる。 そして、持って来た荷物の中からいそいそと大きな重箱を取り出した。 「あの! ふ、二人で食べようと思って晩ごはんを持って来たんだ!」 「お、おお? もしかしてこれ、鍔姫ちゃんの手作り?」 俺が聞くと鍔姫ちゃんは何度も首を振って頷く。 しかし、二人分にしてはやけに大きい重箱だな。 「ああ。久し振りに腕をふるってみたので作りすぎた気がするんだが……」 「いやいや。俺、すっげー食うから嬉しいって!」 「そうか、良かった」 わざわざ俺の為に用意して来てくれたと言いながら、鍔姫ちゃんは嬉しそうに重箱を開けた。 その中にはすごく美味しそうな、大量の料理が入っている。 一般的には大量なのだろうが、このくらいなら余裕で食べられるからまったく問題はないし、多すぎても全部食べるくらいの気持ちではいるけどな。 わくわくしながら重箱の中身を見つめていると、鍔姫ちゃんは食べる用意を始めてくれた。 そして、用意を終えると俺を見つめてにっこり微笑んでくれる。 「それじゃあ、いただきます!」 「ど、どうぞ」 鍔姫ちゃんは作って来たおかずを一通り俺に分けてくれていた。 それを順番に一口ずつ食べ始める。 「ん! 美味い!!」 「本当か!?」 「ああ、すごく美味い! 鍔姫ちゃんは料理手慣れてるんだな」 「良かった。両親が忙しくてな、家では私が料理を作っていたんだ」 すごく嬉しそうな笑顔を浮かべながら鍔姫ちゃんは俺を見つめていた。 その笑顔を見ていたら、俺の方までなんだか嬉しくなる。 食事は美味しいし、鍔姫ちゃんは嬉しそうだし、もう何も言うことはない。 「たくさん食べてくれ、みーくん」 「ああ、もちろん」 「そうだ、お茶も用意してきたんだ」 「おお、ありがとう。鍔姫ちゃんは気が利くな」 「そ、そうだろうか。気を利かせたつもりはないのだが……みーくんに喜んでもらえたのなら嬉しい……」 「ごはんも美味しいし、ほんといいお嫁さんになれそうだよな」 「な! お、お! お、お嫁さん!!」 鍔姫ちゃんはわかりやすいくらいに真っ赤になり、照れて視線をそらしている。 こっちを見ずにもそもそおかずを食べ始めたりして、えらく可愛い。 そこまで照れなくてもいいと思うが。 「しかし、本当に美味いなー。いくらでも食べられそうだ」 「い、いくらでも食べてくれ!!! いつでも作る!」 「うん。また食べたくなったら頼むよ」 「ああ!」 また嬉しそうに笑顔を浮かべながら、鍔姫ちゃんは何度も頷いていた。 この様子じゃ、毎日食べたいなんて言ったら本当に毎日作ってきそうだ。 さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないから、これは言わないでおこう……。 「普通の恋人同士も、こうして共に食事をして過ごすのだろうか……」 「うーん、どうかな。まあ一緒に飯は食ってそうだが」 「だったら、私達もこれで普通の恋人同士に一歩近づいたということだな!」 「いや、まあ、そうかもだが。でも普通の恋人同士を意識しすぎる必要もないんじゃねーの」 「そうなのか?」 「俺と鍔姫ちゃんらしくのんびり付き合っていければさ」 「そ、そうか。そうだな」 「二人で一緒にいて、こうして話して過ごしてるだけでも楽しいだろ?」 「みーくんは、それで満足してくれるのか?」 「んー。俺がっていうより、今は鍔姫ちゃんが満足してくれることをしたいかもなあ」 「わ、私が満足すること……!」 予想外のことを言われたという顔をして鍔姫ちゃんは俺を見つめ、それから何かを考え始めた。 本当に、自分のことより他人のことに対して一生懸命な子だ。 鍔姫ちゃんがしたいことは何だろうか。何か希望があるのなら遠慮なく言ってくれればいいんだが。 それにしても……俺のことを想ってくれるのは嬉しいが、泊まるってことの意味はもうちょっとな……。 俺だって男なんだから、何かないとは言い切れない。 とにかく、鍔姫ちゃんはあまりにも無防備すぎる。 ………。 ……。 …。 二人で食事をしながら話したり、色々している間に時間は過ぎて、すっかり夜もふけていた。 「そろそろ寝るか」 「あ、ああ! そ、そんな時間か」 「うん。あーベッド、使っていいぞ。俺、床で寝るし」 「ど、どういうことだ? 恋人同士なのだから、い、一緒に寝よう」 「えっ…………」 「えっ?」 「いや、あの……そ、そうだな」 「うん!!」 鍔姫ちゃんはまるで素直な子供のようにこくんと頷く。 やはり、この状況がどういうことだかわかっていない……ようにしか見えない。 かといって、一緒に寝るのを拒否することもできそうにない。 まあ一緒に寝るだけなら、俺が自制すればいいだけの話だ……それでもいいか。 「えっと、パジャマとか、着替えるか?」 「じゃあ、先にベッド入ってるから」 「わかった、みーくん」 背中を向けてベッドに入ると、背後から鍔姫ちゃんが着替える音が聞こえて来た。 服を脱いでいるのかと思うと、何故か妙に緊張してしまう。 すぐ側で、鍔姫ちゃんが裸になっているのか……。 ――って、何故今、猫の姿で風呂に入った時のことを思い出しているんだ俺は。 余計なことを考えるのをやめようとしていると、ベッドが軋む音がした。 そして、鍔姫ちゃんが近づいてくる感触が伝わる。 着替え終わったみたいだと、振り返ってみると―― 「……つ、鍔姫ちゃん!」 「……」 そこにいた鍔姫ちゃんが裸だったことに気付いて、俺の思考は一瞬止まった。 動き出すのに、たっぷり十秒ほどはかかったような気がする。 もちろん、実際の時間はもっと短かったかもしれないが。 突然過ぎて何が起こっているのかまったく理解できなかったが、とりあえず何とか言葉は出すことができた。 「あ、あの、鍔姫ちゃん? 寒くないのか!?」 「寒くは、ない」 「ま、ままさか、いつもその格好で寝てるのか!? えっでも猫の時はふつーに服着てたような……」 「そうではない」 「じゃ、じゃあ……」 「……覚悟は、できている」 「え? か、覚悟ってなに? あの」 「………………」 「……………さ、ささげる……」 「ぷっ!!」 「わ、わわわ、わら、笑わなくてもいいじゃないか!」 「い、いや、ごめん。とんでもねえとこで噛んだと思って」 「……なっ!」 真っ赤になって慌てた様子の鍔姫ちゃんを見ていると、ようやく気持ちに余裕が出て来た。 どうやら、そういうことを考えていたのは俺だけではなかったらしい。 鍔姫ちゃんの頬を撫でながら、じっと見つめる。 ……なるべく、身体の方は見ないようにしながら。 「いや、おかげでちょっと落ち着いた。さすがに突然だったから驚いた」 「す…すまない……」 「謝らなくたっていいよ。でも、鍔姫ちゃん、本当に意味わかってんのか?」 「わ、わかっている!」 「こういうことしたくないってことはねーんだけど、まだ少し早いんじゃないか。鍔姫ちゃんも別に無理しなくても――」 「……違う」 真っ赤なまま、鍔姫ちゃんは首を振った。 それから、しっかりと俺の目を見る。 その表情はいつもと同じように……いや、いつも以上に真剣だった。 「無理などしていない。これが、私の素直な気持ちだ」 「あのときとは違う。本当に、みーくんに私をささげたいんだ」 「鍔姫ちゃん……」 「私は、みーくんのために何かしたい。喜んでもらいたい。真剣に考えた上で出した結論なんだ」 「もちろん、私自身の意思も同じだ。みーくんに抱きしめられて、お互いの熱を感じて、一つになりたい」 「……いや、あの」 鍔姫ちゃんは、ただ真っ直ぐにひたむきに、俺に自分の気持ちを伝えてきてくれた。 生半可な覚悟でこうしているんじゃないということが、ちゃんと伝わって来る。 俺も気をそらしていないで、真剣に応えるべきだ。そう思った。 「本当にいいのか? 後悔しない?」 「いい。後悔もしない。迷いがあるのなら、最初からこんなことは言っていない」 「わかった」 「……みーくん」 俺の名前を呼ぶ鍔姫ちゃんの身体を強く抱きしめる。 すると、鍔姫ちゃんも腕を回して抱き着き、身体を摺り寄せて来てくれた。 伝わる感触とぬくもりが嬉しいと感じる。 抱きしめる背中をゆっくり撫で、俺の方を向かせる。 「……あ」 「鍔姫ちゃん……」 「ん……」 ゆっくりと唇を重ね、何度も触れ合わせる。 わざと音を立てて口付け、唇の感触を伝え合わせて柔らかな感触を楽しむ。 そのまま、耳や首筋を指先で撫でると鍔姫ちゃんの身体が小さく震えた。 「あ、あ……!」 「ん…」 「は、んんぅ、ん……ちゅぅ……はぁ、あ……ん、む」 抱きしめる腕の中で鍔姫ちゃんが小さく動き、自分から唇を重ねて来てくれる。 それに合わせるように何度も唇を触れ合わせ続け、首筋を撫でる指先を移動させて行く。 ゆっくりと移動させた指先で、乳首をそっと撫でて手のひらで小さな胸の膨らみを包み込む。 「大丈夫か?」 「嫌なら、そう言って」 「んん……やじゃ、ない……」 「良かった」 「……ん、もっとが…いい……」 「うん。わかった」 指の腹でゆっくりと乳首を撫で続け、胸を揉み続けると鍔姫ちゃんの表情がどんどんうっとりして来る。 その表情がもっと見たくて手のひらを更に動かし続けた。 「はあ、は……ふぁっ! あ、みーくんの手……熱い…」 「そうか? 鍔姫ちゃんの身体も熱くなってる」 「んんっ…みーくんが、触ってくれたとこ……熱くなって……」 「じゃ、もっとしようか」 「そう」 じっと見つめながら胸の上で動かしていた手のひらを、そっと下腹部へと移動させて行く。 「ひ、あっ! あ……はあ、ん…! あ、そ、そっちは!」 「ん……?」 手のひらの動きに合わせて鍔姫ちゃんの身体がビクリと震えた。 嫌だと抵抗されることはないが、もうちょっとゆっくりの方がいいか……。 驚かせないように気をつけながら、お腹をそっと撫で始めると鍔姫ちゃんの身体が今まで以上に震え、そして手をぎゅっと掴まれた。 「あ! あ、あの、みーくん!」 「え? あ、は、はい」 「あの、えっと……」 俺の手を掴んだまま、鍔姫ちゃんは恥ずかしそうにこっちを見つめている。 大丈夫かと心配になるくらい真っ赤だし……ちょっと、焦りすぎたかもしれない。 「……わ、悪い、ちょっと急ぎすぎたか?」 「ち、ちがっ! あ、あの、その……なんと言うか……」 「……?」 どうやら嫌だった、ということではないらしい。 それなら、どうして手を止めたんだろう。 ……というか、この状態でずっとこうしてるのは、ちょっと辛いのだが。 「あの、鍔姫ちゃんが嫌だったら」 「そ、そうじゃない!」 「え? じゃあ、あの……どうした?」 じっと見つめていた視線を外して、鍔姫ちゃんがもじもじし始めた。 この状況で何を言い出すのか、今のところ想像すらできない。 だが、恥ずかしそうにはしているが、表情は真剣だ。 余計なことは言わず、鍔姫ちゃんが話し始めるのを待っていた方がいいか。 そう思っていると、鍔姫ちゃんがもう一度俺を見つめた。 「あ、あの、したいことが……あ、あるんだ…」 「え?」 「みーくんは、そのままじっとしてて欲しい」 「お、おお。わかった」 何をするつもりなんだろうか……。 不安がないわけではなかったが、やりたいことがあると言うのなら、俺はそれに付き合うと決めた。 「つ、鍔姫ちゃん!?」 じっとしていると、鍔姫ちゃんは俺の服を脱がし始めた。 驚き視線を向けると、鍔姫ちゃんも俺を見つめる。 「嫌なのか?」 「いや、嫌じゃねーけど、驚いた……っつーか、自分で脱ぐから」 「いいんだ。私がする。そのままもう少し、待っていてほしい」 首を振り答えた鍔姫ちゃんは、また服を脱がし始める。 ものすごく恥ずかしいが、じっとしてるって約束だからな。 大人しくしておこう。 「……!!!」 「鍔姫ちゃん、あの……」 「……ま、前と…違う!」 「え?」 今、『前と違う』って言ったか? ってことは、やっぱりこの前ちゃんと見てたのかよ……。 「な、なんでも、ない」 「……ああ」 「……」 ものすごくまじまじと見られていて正直恥ずかしい。 でも、鍔姫ちゃんは真っ赤な顔をしたまま真剣な顔をしているし……。 「……みーくん、私が」 「え? あ、あっ!」 意を決したように言葉を口にした鍔姫ちゃんは、胸を必死に中央に寄せると俺の肉棒に擦り付け始めた。 まさか、そんなことをされるとは思わず、驚きで身体が震える。 「ん、んん……」 「……!」 必死に胸を寄せている鍔姫ちゃんが、しようとしてくれていることの意味はわかる。 確かに一生懸命なのはわかる。必死そうだし。 でも、なんか微妙な……いやでも、気持ちいい…かも、しれない……が、こうどう言えばいいのか。 「つ、鍔姫ちゃん、あの……」 「こうして、こうしたら、いいのだろう?」 「……」 「じ、自分の胸で、彼氏のを……んっ……」 どこで何を見て覚えて来た!!! とは思っても、鍔姫ちゃんにされてることで、身体は素直に反応してしまっている。 さっきから、何度もびくびく震えているし、鍔姫ちゃんもそれを見て何度も胸を擦り付けようとしてくれている。 すごく微妙な感じはするが、一生懸命な鍔姫ちゃんはどこか嬉しそうにも見える。 「みーくん……ん、んっ」 「はあ……」 「こ、こうしたら、喜んでもらえるのか……? 気持ちいいものなのか……?」 「ま、まあ、うん……鍔姫ちゃんの肌、すべすべで気持ちはいいな……」 「……! そ、そうか。ん、もっと……もっと、胸を……」 嬉しそうな表情が更に明るくなり、胸をもっと寄せようとしているのがわかった。 でも、いかんせん鍔姫ちゃんには胸の膨らみは、こう……控えめなので……。 「ん、みーくん……いっぱい、するから……あ、あ……! もっと、こうして……」 肉棒に胸を擦り付けている鍔姫ちゃんの表情が、うっとりしたものになって来た。 もしかして、こうしてるだけで気持ちいいんだろうか……。 まあ、俺としてもされるのが気持ちいいというか、こうしてる鍔姫ちゃんが嬉しそうだったり気持ちよさそうなのが何だかいい。 しかし、この微妙な感触だけはどうしたものだか……もうちょっと、こう、なんというか刺激が……。 「はぁ、は……んっ! もう、ちょっと…か……?」 そんな俺の様子に気付いたのか、鍔姫ちゃんは不安そうな視線を向けた。 それでも、胸を擦り付けるのはやめない。 「鍔姫ちゃん、あの」 「ど、どうした? もっと速くした方がいいか?」 「いや、そうじゃなくて」 「……うん?」 「いや、なんて言うかな……」 「もっと、するから待って……ん、んっ!」 不安そうに見つめる鍔姫ちゃんは、まるで『これで大丈夫?』と目で問いかけているようだった。 その不安そうな表情と瞳に、身体がぞくりと震える。 「はあ、ん……雑誌に載ってたのと……ちが……んっ」 「……」 そうか、何かの雑誌を見てこんなことを始めたんだな。 どんな雑誌だよそれは……。 いや、気持ちいいし悪くはないんだが。 「いや! な、なんとか、なるはずだ!! ふぁ、あっ! は、んんぅ」 また胸を必死に擦り付け始めた鍔姫ちゃんは、身体を動かしながら上ずったような高い声をあげた。 乳首にも擦れてそれが気持ちいいのかもしれない。 よく見てみると、そこ中心に擦り付けたりしてるみたいだし……。 「はあ、は、んっ! ん、ああっ……」 「……ん」 「みーくん、もっと、する……から、あっ」 ああ……これ、無意識にやってるんだろうな。 などと思いながら見つめていたが、俺の方もそろそろ我慢ができない状態だった。 さっきからびくびくと反応は続けてるし、目の前でこんなものを見せつけられて大人しくし続けていられる自信はない。 「あのさ、鍔姫ちゃん……」 「みーくん、どうしたんだ?」 「ちょっといいか?」 「あ、あ……」 見つめながら頭を撫でると、驚いたのか動きが止まってしまった。 でも、撫でられているのが嬉しいらしく、俺を見つめながら鍔姫ちゃんは微笑む。 「みーくん……あの、あの……」 「ちゃんと気持ち良かったから」 「だ、だったら、もっと」 「ん。いや、俺はもっとさあ……」 「んんぅ……みーくんぅ…」 頭を撫でていた手のひらを動かし、今度は頬も撫でてみた。 すると、鍔姫ちゃんはもっと嬉しそうに微笑みを大きくした。 本当に……可愛いな。 「ん、みーくん、やあ……わ、私がするからぁ……」 「……いや、こう」 「ひゃっ!」 撫でるのをやめ、鍔姫ちゃんの身体を抱き上げながら起き上がる。 そのまま膝の上に乗せて、恥ずかしがっている姿をじっと見つめた。 「あ、あの、みーくん……続きは…」 「あれは、一旦ストップで」 「えぇ……わ、私はもっとみーくんを気持ちよくしたいから、だからもう一回させてくれ」 「あのな、俺だって鍔姫ちゃんに触りたいんだけど」 「えっ……」 「えっ、じゃねえだろ。当たり前だろ、彼女なんだから」 「み、みーくん……さ、触ってくれ! いくらでも! 好きなだけ!」 「その前に、一つ確認するぞ……これからすること、本当にわかってるよな?」 「わ、わかってる。だ、だからさっきのを……その……」 「うん。鍔姫ちゃんが俺を想ってくれてるのは、よくわかった」 「ほ、本当に?」 「あれだけされて、わからないわけないだろ」 「良かった……」 安心した様子の鍔姫ちゃんの頬をもう一度撫でた。 また嬉しそうな表情を浮かべてくれるその顔を、じっと見つめる。 「多分、俺……途中で止められないぞ」 「と、止めなくていい! 私は、最後までみーくんと!」 「……わかった」 「あ……!」 目の前の身体を抱きしめ直し、鍔姫ちゃんの秘部と俺の肉棒を触れ合わせる。 感触に気付いた鍔姫ちゃんは、驚いたように身体を震わせて強く抱きついた。 「わかるか?」 「う、うん……」 「すっごい痛いかもしれないぞ」 「へ、平気だ。後悔もしない!」 「わかった。じっとしてて」 「……あっ!」 抱きしめる身体を少し離し、秘部に指を這わせてゆっくりと触り始める。 既に濡れていた秘部の感触に気付いて小さく笑い、しがみつく身体を支えて指を動かす。 「……ん、んっ!」 「ここにさっきのが入るって、本当にわかってる?」 「え、あ! あ……あ、あれが……」 「そう……」 「ふ、あっ! あ、ぁあ……」 指を動かし、秘部を弄り続けていると、奥からどんどんと愛液があふれ出して来る。 濡れてくる感触を確かめるように指を動かし、浅い部分へとほんの少しだけ進ませる。 「は、あ、ああっ、あ……何か、変な、感じ……」 「痛くない?」 「んん、痛くはない……大丈夫だから…」 「良かった」 「……あ、あふぁ!」 進ませた指を少し動かすと、鍔姫ちゃんの反応が今までより大きくなった。 大丈夫だろうかと思って視線を向けると、鍔姫ちゃんは俺を見つめたまま首を振った。 「お、驚いただけだから……大丈夫」 「本当に?」 「ん、本当。だから、あの……もっと……」 「わかった」 「ああ、あっ!」 小さく微笑んでその顔を見つめ、入れた指を動かしてくちゅくちゅと音を立てる。 その間に、鍔姫ちゃんの頬や額に何度もキスをすると嬉しそうな微笑みを浮かべられた。 「あ……ん、ああっ! あ、はぁ、あ……」 「……ん、鍔姫ちゃん」 「ふぁ、ぅああ……みーくん、んっ! は、はぁ、は……」 秘部がひくひく反応しているのを確かめながら、指をもう少しだけ奥に進ませる。 進ませた指先が締め付けられ、鍔姫ちゃんの身体がビクっと震えて反応する。 「は、ああ、あっ! や、んぁあ、あ…身体、がっ! な、なんだかぁ、あっ」 「いいから、そのまま…」 「は、は、ふぁあっ! や、な、に? これ、ああっ、あっ!」 もしかしたら、イキそうなのかも……。 このままじゃ辛いだろうし、一度イカせてあげた方がいいのかなともう少し、指を動かしてみる。 「は、ふぁあっ! あ、あ、やっ! みーくん、ダメ! これ、だめぇっ」 「なんでだ? このままじゃ、辛くない?」 「や、やあ! だめ、なのっ」 指を動かそうとすると、鍔姫ちゃんは必死に首を振った。 どうしたんだろうと思いながら見つめて指の動きを止めると、鍔姫ちゃんもじっと俺を見つめる。 「だめ……」 「何がダメ? だって鍔姫ちゃん」 「い、一緒じゃないと、いやだ……」 「……鍔姫ちゃん」 「みーくんと、一緒がいい……」 え……一緒って、あの、つまりそういう意味だよな? でも、鍔姫ちゃんわかって言ってるんだろうか。 疑問には思うが、そういう意味でしかないよな……。 「あ、あ……だから、みーくん……」 「ん……わかった」 「え? あ、あっ!」 「じっとしてて」 「ふぁあ、あっ!」 頷き見つめ、鍔姫ちゃんの身体を抱きしめ直して、ゆっくりとその中に肉棒を挿入させていく。 「……っん!」 「はぁ……」 鍔姫ちゃんは必死に俺に抱き着き、痛みを我慢していた。 なるべく負担にならないように、ゆっくりと奥へ進ませて行くが大丈夫だろうか……中の感触も随分とキツイ。 「鍔姫ちゃん、力抜いて」 「は……ん、んん……」 何度も頷きながら抱き着いてくれるものの、鍔姫ちゃんの身体から力は抜けていない。 すごく必死な感じは伝わって来るのに、鍔姫ちゃんは決して痛いとか無理とかは言わなかった。 「大丈夫だから、こっち見て」 「みーくん……」 「ん……」 「あ、あ、んぅっ」 こっちを向かせて、唇を何度も重ねる。 唇を重ねる力が少し抜けたのを確かめて、もう少し肉棒を進ませる。 まだ緊張はしているようで身体をこわばらせている。 「は、ふ……! ふ、あ、ああぁ……」 「ん、んっ」 「みーくん! うぁ、あぁあ」 「鍔姫ちゃん、平気?」 「へ、いき……」 「……」 「本当に…だ、大丈夫だ……」 全然大丈夫には見えない。 無理をしているのは一目瞭然だったが、このまま素直に無理をしていると言ってくれるとは思えない。 だから、動きを一旦止め、抱きしめ直して身体を撫でる。 「み、みーくん? あ、あの、私は、大丈夫……」 「本当に平気? 正直に言え」 「………あ」 「ちゃんと俺に教えてくれよ。止められないとは言ったけど、鍔姫ちゃんに無理はして欲しくない」 「みーくん……」 「だから、平気な振りはするな」 「うん……」 身体を撫でられながら話を聞いていた鍔姫ちゃんは、素直に頷いてくれた。 その表情を見つめて頬を撫でていると、少し落ち着いてくれたみたいだった。 それがわかっただけで、俺も安心する。 頬を撫でながら口付けると、鍔姫ちゃんも俺に口付けてくれた。 「本当は?」 「……少し、痛い……」 「そっか。そうだよな、ごめん」 「あ……み、みーくんのせいでは……」 「ん、ありがとう。痛くないように……ってのは難しいか。でも、なるべく力抜いて欲しい」 「わ、わかった」 さっきより緊張がなくなったみたいで、緊張と身体のこわばりがかなり無くなっていた。 それを確かめながら、肉棒をまたゆっくりと進ませて行く。 奥まで届くまではまだかかりそうだが、安心させるように頬や耳に口付けながら進ませ続ける。 「……はあ、あ」 「ん……」 「みーくん……んんっ」 「ああ。大丈夫だから、出来るだけ……ゆっくりやる……」 「うん、うん……」 抱き着きながら擦り寄ってくれるのがなんだか嬉しい。 そんな風に思うと、鍔姫ちゃんを大事に扱ってあげたくなる。 そのまま、ゆっくりと肉棒を奥へ進ませていく。 「は……あ……! ん、奥……とど、きそう…」 「うん。もうちょっと、我慢してくれ。ごめんな」 「あ、謝らなくていい……い、痛いけど…でも、ひとつになれてるのは、嬉し……」 「……ああもう」 「……?」 こんな状況でも俺を喜ばせるようなことを言って本当に……! どれだけ俺を喜ばせたら気が済むんだ。 たまらなく嬉しくて、強く身体を抱きしめると、鍔姫ちゃんも強く抱きついてくれた。 「もうちょっとだから」 「ん……ああ!」 「はあ……」 「みーくんの……中、来てるのわかる…」 「うん。ゆっくりだけど」 「うん、でもわかる。それが、嬉し……あ、あ……」 ゆっくりと動き続け、ようやく奥まで辿り着いた。 もう一度身体を抱きしめ直すと、鍔姫ちゃんも落ち着いた様子で、何度も俺に抱き付いてくれる。 もう何度もこうして抱きあっているんだろうと思うが、何度もこうしたいんだから仕方ない。 「平気そう?」 「はぁ……ぁ……ん。まだ……違和感はあるけど……さっきよりは平気…」 「良かった」 まだ少し無理をしているみたいだが、大丈夫だろうか。 顔を見つめながら、そっとお腹の辺りを撫でると鍔姫ちゃんは驚いたような表情を浮かべる。 「あ、あ? み、みーくん?」 「ここ、わかる?」 「ふぁっ! あ、あ、あっ!?」 中に埋まる肉棒をびくびく動かしながらお腹の辺りを撫でる。 その感触がなんなのか伝わったらしく、鍔姫ちゃんは顔を真っ赤にしながら俺を見つめていた。 「こ、ここ、あ、あっ! み、みーくんの?」 「そうだよ」 「あ、す、ごい……わかる。みーくんの、私の中で…あ、あっ!」 答えながら嬉しそうに抱きつかれ、身体を擦り寄せられる。 そのままお腹を撫で続けると、鍔姫ちゃんはうっとりした表情を浮かべた。 「これが、中で動くから」 「ふぁあっ!」 言いながら突き上げると、身体がビクンと震えた。 動きを止めてしっかりと抱きしめながら見つめ、唇を何度も何度も重ね合わせる。 鍔姫ちゃんも唇を重ねてくれたから、二人で何度も互いの唇の感触を確かめ合うように口付けを続けた。 「ん……鍔姫ちゃん……」 「んん……だ、大丈夫だ」 「うん。何かあったら、教えて」 「ん、ちゃんと全部伝えるから。嘘…つかないから」 「わかった」 「あ、あっ!」 頷く姿を見つめてから、ゆっくりと腰を動かし始める。 驚いたように抱きつかれたけれども、さっきみたいに痛くはなさそうだった。 「ふぁ、あっ! みーく、んっ! ん、ああっ!」 「ちょっとずつ、動くから……」 「あ、あっ! ちょっと、ずつ……じゃ、なくても!」 「一緒に気持ちよくなりたいしな」 「あっ! ふぁあ……あ、あんっ!!」 嬉しそうに抱きつかれると同時に中も締め付けられる。 もしかしたら、嬉しかったら身体も反応してしまうんだろうか。 「は、ぁあっ! あ、んっ」 腰を動かし続けると、反応が少しずつよくなってくる。 でも、まだ少し辛いのかもしれないと心配にもなる。 何かあってもすぐには教えてくれなさそうだし余計にな……。 「鍔姫ちゃん……」 「あ、みーくん!」 「痛くない?」 「だ、大丈夫……だから……!」 「本当か? 嘘じゃない?」 「ち、ちが……う! さっきみたく、痛くない」 「うん」 「あ、んぅ! は、あっ、ああっ!」 心配しすぎるのも何かと思い、ゆっくりと何度も突き上げる。 動きをくり返す度に膣内の具合もよくなって、キツイだけだった締め付ける感触も少しずつ変わって来る。 動きながら身体を支え直して見つめると、鍔姫ちゃんはとても嬉しそうに擦り寄って来てくれた。 「ん? 鍔姫ちゃん、どうしたの」 「はあ、あ……抱っこ、嬉しい…!」 「ん、そっか」 「みーくん、いっぱい……ぎゅうって、したい」 「いいよ」 「ん! 嬉し……あ、ああっ! いっぱいがいい……あ、んっ!」 あまりに可愛いことを言うから、ぎゅっと強く抱きしめながら何度も動いた。 本当に、さっきから何度こんなに可愛いことを言って俺を喜ばせるつもりなんだろう。 でも、無意識なんだろう。抱きしめてる鍔姫ちゃん、すごく嬉しそうだしな。 「みーくん! ん、ああっ、あっ!」 「うん……」 「は、んっ……みーくん、ちゃんと…気持ちい?」 「ん、大丈夫だから」 「良かった、私だけだったら……どうしようかと、思った」 「ちゃんと、一緒に気持ちいいよ」 「あ、ああっ! 一緒、んっ! 嬉しい、良かっ…あぁ、はあっ!」 抱きしめたまま突き上げ続けているうちに、鍔姫ちゃんも慣れて来たらしい。 俺の動きに合わせるように少しだけ腰を動かして、様子を伺うように見つめられる。 何度も突き上げて、奥まで届かせて抱きしめているのもいいのだが……もっとしたい。 「ふぁ、あっ! あ、ああっ!」 「鍔姫ちゃん、もうちょっと……もっと、いいか?」 「も、っと?」 「そう、鍔姫ちゃんともっとしたい」 「ん、いい。私も、みーくんと、もっとしたい」 「じゃあ……」 「ふぁ、あっ! あ、ああ」 「あ、んっ!」 「抱っこじゃなくなっちゃうけど……どう?」 「はあ、あ……奥、いっぱいまで、すごい……みーくんの、届いてるの…わかる……」 「そ、そっか」 「ふぁあっ!」 そのまま奥まで勢いよく突き上げると、反応が大きくなった。 ビクリと震えて反応してくれたことが嬉しくて、何度も何度も奥へと突き上げてみる。 「ああっ! あ、奥! いっぱ、い! ひ、あっ!」 「うん。届いてるの、俺もわかる」 「はあ、あ、はあっ! みーく……! みーくん!」 「ん……!」 突き上げられる度に気持ちよくなって来たのか、鍔姫ちゃんも腰を動かし始める。 これなら、もう少し激しくしても大丈夫だろうか……。 「ひゃ、あっ! あ、ふぁ、はあ……!」 「みーくんが、奥いっぱ……届いて、は、んっ! 身体、いっぱい変に……なりそうっ!」 「変にって、どんな風に?」 「んんっ! わかんな……でも、気持ちよくて…! 浮き上がりそうで…っ!」 「そうか、ならよかった」 「ひああっ!」 奥までぐいっと、何度も突き上げると反応が更に大きくなる。 締め付けられる感触もよくなって、その感触をもっと味わおうと自然と何度も腰が動き続ける。 「は、んっ! 奥、あ、やあ! だ、めだ……身体、ぞくぞくって……するっ!」 「うん……」 「ん、やだぁ、ゆっくり……!」 「でも、もっと気持ちいい方がよくないか?」 「あ……」 「どっちがいい?」 「も、もっとが……いいっ! みーくんので、もっといっぱいして欲しい…!」 「わかった」 「ひ、あああっ!」 答えながら突き上げると、中を強く締め付けられた。 さっきから俺が動いてる時だけじゃなくて、自分で話している時にも締め付けてるみたいな気がするんだよな。 鍔姫ちゃん、気付いているんだろうか。 「あのさ、鍔姫ちゃん……」 「……ん? あ、ふぁっ、みーくん……」 「さっきから、すっごい恥ずかしいこと言ってるのわかってる?」 「え!? あ、あ!? だ、だって、みーくんが言えと!」 「えー」 「ふぁあっ! あ、ああっ! 正直に……言えって! ひゃん!!」 あー。正直に言えっていうのを、そういう風に受け止めちゃったわけか。 それで、あんなに恥ずかしいことを何度も言っていたのか。 なるほどと思いながら、また腰を動かして深いところまで届かせる。 届かせた瞬間、奥から愛液をあふれさせながら締め付けられたのがわかった。 「あああっ! また、奥、いっぱい来て、ひ、ああっ!」 「うん。もっと教えて」 「は、んんう! みーくん、気持ちい、ああっ!」 俺の質問に答えた鍔姫ちゃんは、また中を締め付けた。やっぱり、さっきのは気のせいじゃなかったんだな。 自分でしてることにも興奮して、気持ちよくなってるみたいだ。 そんなことを考えながら、何度も腰を動かして内壁を擦り、先端をぶつけるように深くへと届かせる。 「はあ……」 「はあ、はあ、気持ちい……あ、あんぅ!」 「うん。俺も」 「みーくん、一緒? 私と、あ、あっ!」 「ああ、一緒だ」 「あ! いっしょ……嬉しい、いっぱい、もっと!」 「わかってるから」 しっかり身体を支え、何度も奥まで届かせる。 深く突き上げ、引き抜く度に何度もぐちゅぐちゅといやらしく音が響く。 俺の動きと聞こえる音に合わせるように鍔姫ちゃん自身も身体を揺らし、それに合わせて動いてみたりと、不規則なリズムで何度も動き続ける。 「あ、ああっ! みーく、ん! あ、んっ!」 「ん?」 「ひ、あっ! 奥、なにか、びくって来る……みたいな、ああっ!」 「ああ……わかった……んっ」 「ふぁあっ! あ、ああっ! 激し……したら、あっ!」 「ごめ……も、ちょっと余裕ねえかも」 「え? あ、え、ああっ!」 最後が近いのがわかり、腰の動きを激しくさせる。 突き上げ、引き抜きをくり返すと愛液はどんどんあふれる。 それを潤滑油にして何度も動き続けた。 前後に激しく身体を揺らされ、鍔姫ちゃんは余裕がなくなり動きが止まる。 けれど、中の締め付けはどんどん激しく強くなって行く。 その締め付けに耐え切れず、奥深くへと勢いよく突き上げた。 「……んっ!」 「ふ、あぁっ! あ、ああぁぁっ、んっ!!!」 びくりと身体が震える、そして奥深くで勢いよく射精すると同時に鍔姫ちゃんも絶頂を迎えた。 ぐったりと身体から力が抜けていたが、そのままで幸せそうな表情を浮かべられる。 「はあ、はあ……ぁ……はふ……」 「鍔姫ちゃん……?」 「みーくん……ふぁ……」 「平気か? どっか辛かったりとか……」 「んん……私は、平気だ」 「また無理してない?」 「してない。ふわふわって、している……」 俺の心配のしすぎだったらしい。 嬉しそうに見つめてくれる事に安心し頭を撫でると、鍔姫ちゃんはまた嬉しそうに微笑んだ。 疲れているだろう身体を背後から強く抱きしめ、頭や頬を撫でると鍔姫ちゃんは何度も擦り寄って来てくれた。 「身体、本当に大丈夫か?」 「うん、大丈夫だ」 「それなら良かった……」 「あ、あの、みーくん、ありがとう」 「なんでお礼言うんだ? っつーかじゃあ、俺の方がありがとうだよ」 「そ、そうか。一緒だな」 「ああ、一緒だ」 後ろから頬や耳元に口付けてみると、鍔姫ちゃんは照れくさいのか身体をもそもそと動かしていた。 調子に乗って何度か口付けると、そっと視線を向けられる。 「あ、あの、みーくん」 「何?」 「これから、二人でやりたいことが、い、いっぱいあって……」 「どんな事したいんだ?」 「きょ、今日みたいにお泊りもいっぱいしたい。ごはんも、また食べてもらいたい」 「あー。今日のは美味かった。また食べさせてもらいたい」 「また作る! 今度は、別のメニューにする」 「おお。そりゃ楽しみだ。やりたいこと、他にもある?」 「あ! あ、あの……ひ、人前でも、み、みーくんと……よ、呼びたい」 「……えっと」 「だ、だめなら、いい!」 「い、いや。わかった! 慣れるようにする」 「う、うん!」 人前でみーくんか……。 これは難しそうだが、鍔姫ちゃんが呼びたいと言うのなら叶えてあげるためにがんばるしかないな。 「それから、あの、普通のデートというのもしてみたい……学内にいると、難しいのはわかっているが」 「そうだな。でも、いつか鍔姫ちゃんとデートしたいな」 「うん! あの、手を繋いで歩いたりも、したいんだ」 本当にもう、可愛いことばっかり言う子だ。 女の子っぽいことがいっぱいしたいんじゃないか。 あふれ出す気持ちが抑え切れなくて、鍔姫ちゃんを抱きしめる腕の力を強くして、ぎゅうぎゅうと身体を擦り寄せた。 「しよう。鍔姫ちゃんがしたいこと、全部したらいい」 「本当か? アーンって、食べさせたりもしたい!」 「いいよ、それもしよう。あ、俺も鍔姫ちゃんにそれしてやりたいな」 「う、うん! して欲しい!! あ、あと! え、エッチなこともいっぱいする!」 「ええ!?」 「ざ、雑誌に載っていたことを、もっとやってみたいと思う!」 「雑誌? あの……それ、どんなことが書いてあったの?」 「よ、世の恋人たちがすることが、たくさん書いてあった! 今日のも、そ、それを見て……あの…」 その雑誌に何が書いてあったのか、具体的に聞くのはちょっと怖いな……。 しかし、そんな雑誌どこから持って来たんだろうか。 なんとなく嫌な予感がするから聞かないことにしよう。 「今日は、あのできなかったが……その、く、口を使っ……」 「いやいやいや! もういい!!」 「そ、そうか?」 「うん。その話は、もうやめよう」 「……? わ、私はみーくんが喜んでくれるのなら、なんだってするぞ……」 「いや、まあそりゃ確かに嬉しいけど、俺が喜ぶのはそれだけじゃないから」 「そ、そうか。じゃあ、どうしたらいい? みーくんのためにいろんなことがしたいんだ」 「んー。それは困ったな」 「何故だ?」 「俺だって鍔姫ちゃんに喜んでもらえることがしたいから、してもらってばっかりって言うのはね……」 「みーくん!」 「だから二人で、お互いが一緒にやりたいことをたくさんすればいいんじゃねえの」 「うん! する! たくさん、みーくんとやりたいことがある!」 「じゃあ、これからいろんなことをしような」 「うん! みーくん! 好きだ!!!」 「俺も、鍔姫ちゃんが大好き」 「みーくん!! みーくん好き!!」 俺の言葉を聞いて感極まったらしい鍔姫ちゃんは、背後から回した腕にぎゅっと強く抱きついて来てくれた。 そんな様子も愛しくて、大事にしてあげないとなと改めて心から思った。 しっかり俺に抱きつく身体を抱きしめなおして、背後から何度も頬に口付けると鍔姫ちゃんはくすぐったそうに肩をすくめて微笑んだ。 今日はいつもと違って、手を繋いで登校することにした。 最初は照れくさいと言っていた鍔姫ちゃんだったが、俺が手を握ると強く握り返してくれた。 二人で歩いていると周りの視線が集まっていることに気付いた。 まあでも、気にすることでもないよな……鍔姫ちゃんは、ちょっと気にしてるだろうか。 「し、したいことが、早速ひとつ叶ってしまった」 「あー、そういえばそうだな。でも、一回だけじゃなくて、これからもするんだろ?」 「こ、これからも!」 「そりゃ、今日だけなんて寂しいからさ」 「そ、そうか。それもそうだな」 「じゃあ、叶ったっていうか今日は通過点だな」 「あ、ああ」 照れているようだが、ぎゅっと強く手を握ると同じように握り返してくれる。 その表情は、もう嬉しくて嬉しくて仕方ないという感じだ。 「ど、どうしよう。嬉しくて、顔がに、ニヤけてしまいそうだ」 「いいんじゃないか。嬉しいなら笑えば」 「し、しかしだな……お、おかしくは、ないだろうか……」 まだ、周りが求める自分のことを気にしているのかもしれない。 手を握って見つめると、ハッとした様子で鍔姫ちゃんも俺を見つめ返してくれた。 「俺は笑ってる鍔姫ちゃんが見たい」 「……みーくん」 「いいんだよ。俺といる時は、いつもの鍔姫ちゃんで」 「う、うん」 「それに、こうして歩いてておかしいなんて言われたら、俺はそいつに何がおかしい? って問い詰めるかもな」 「そ、そこまでしなくても……」 「だって恋人同士なんだから。いいだろ別に。俺は、鍔姫ちゃんと手を繋いで歩きたいんだし」 「あ……」 「だから手を握ったまま、こうして……」 腕を強く引いて歩き続ける。 一瞬、驚いたような表情をした鍔姫ちゃんはすぐに微笑みを浮かべてくれた。 「これからも、こうやって毎日一緒に歩こう」 「ま、毎日……」 「そう、毎日一緒。嫌か?」 「い、いやじゃない! 私も毎日一緒がいい」 「だったら、こうして歩いてても何も問題ないよな」 「うん! みーくんと、これからもずっとこうして、手を繋いで歩きたい」 「ああ、俺も同じ気持ちだよ」 「あ、ありがとう、みーくん」 「ん?」 「同じ気持ちなのが、すごく嬉しいから」 そう言った後、初めて鍔姫ちゃんの方から強く手を握ってくれた。 自分からこうして握ってくれたのは初めてだ。 なんだかそれが嬉しくて、強く手を握り返す。 お互いに手のひらの力を強くして、微笑みを浮かべて歩き続けた。 今日みたいに、ずっと手を繋いで歩いて行きたい。 これからも、ずっとこうして鍔姫ちゃんの微笑みを見ていたい。 願いを全て叶えてあげたい。 繋いだ手のひらから、その思いが伝わればいいと思うと、自然と手を握る力は強くなった。 「いよいよだな」 「……ああ」 今日は鍔姫ちゃんとの結婚式。 湖畔のチャペルで二人きりで結婚式を挙げる予定だ。 そして今、式の前に鍔姫ちゃんがウェディングドレスを見せに来てくれていた。 「……このようなドレス、私が着ておかしくはないだろうか」 「なんで? すごく綺麗だって。よく似合ってる」 「あ……ありがとう、みーくん。良かった、嬉しい」 照れながら微笑む横顔を見ていると、胸が熱くなってくる。 鍔姫ちゃんは本当に可愛いな……。 「ところでみーくん……あの、初夜というのは……ウェディングドレスでするものなのだろうか?」 「えっ」 「えっ?」 「えっと……もしかして、そのまますると思ってたのか?」 俺の質問に対して、鍔姫ちゃんは無言で頷いた。 本当にもう、相変わらず思い込んだら一直線だ。まあ、そこが可愛いところでもあるが。 「普通は式が終わったら着替えるんじゃねえのかな」 「そう……なのか……少し残念かもしれない。せっかくのドレスなのに」 「じゃあ、今しようか」 「え? あ、あっ!」 ドレスの裾をたくし上げさせ、じっと見つめる。 「ん、んん……だ、ダメだ、みーくん! これから結婚式があるのに!」 「でも、ウェディングドレスでするのは今しか出来ないだろ?」 「うう、それはそうかもしれないが、でも……」 「本当にだめ?」 「あ……」 「俺は今、鍔姫ちゃんとしたいな」 「そ、そんなこと言われても、だって結婚式……」 俺がじっと見つめると、鍔姫ちゃんは戸惑い始めた。 されるのが嫌……ってことじゃないのかな。 「仕方ねえだろ。鍔姫ちゃんが、こんなに可愛い格好で初夜の話なんかするから」 「そ、それは!! そ、そうだが、今すぐは、あの……」 「お願い、鍔姫ちゃん」 じっと見つめ続けていると、ぐらぐら揺らいでいるのが手に取るようにわかった。もう一押しかな……。 そう思いながら太ももを撫で、頬や耳元に口付けて行く。 「あ……!」 「相変わらず、すべすべだ。気持ちいいな」 「あ、ああ……みーくん、だめ……」 「ん……でも、こんなに反応してる」 「み、みーくんが、さ、触るからぁ! あ、ああっ!」 「鍔姫ちゃんが可愛い声出すから止められない」 「ひぁっ! あ、ああぁ……んっ」 頬から唇に口付けて見つめ、太ももは撫で続ける。 手のひらを動かす度に身体は小さく震え、顔がどんどん赤くなってくる。 「嫌なら逃げたらいい。鍔姫ちゃんなら出来るだろ」 「そんなの、だ、だってぇ! あ、ああっ」 いやいやと首を振ってはいるが、指先を移動させて際どい部分まで触ると大きく身体を震わせる。 「ふぁっ! そ、そんな場所触ったら……あああっ!」 「嫌じゃないだろ?」 「んんぅ!! そんな風に、言われたら…わ、私……! ぁぁ……だめぇ……」 「俺に触られるの、好きだもんね」 「う……み、みーくんは……いじわるだ……」 「意地悪じゃない、鍔姫ちゃんが可愛いのが悪い」 「あっ! ふぁ、あぁっん!」 そのまま、有無を言わせず指を進ませ秘部を撫でる。 指先でつつくようにしたり、割れ目に沿ってなぞったりをくり返すと鍔姫ちゃんは身体を震わせ、じんわりと秘部が濡れてくる。 「ん……んっ!」 「ドレス本当によく似合ってる」 「は、ああ……嬉し、けど……ふぁ、あっ! みーくん……あぅ…」 「いつも以上に綺麗に見えるよ」 「あ、んっ!」 愛撫されながら抵抗できず、されるがままになっている鍔姫ちゃん。 前からわかってたが、鍔姫ちゃんは俺に色々言われるとすぐにおとなしくなってしまう。 「はあ、あ……みーくん、もうすぐ…ぁ…結婚式……はじまっちゃ……」 「大丈夫だから、もっと……」 「ひっ! ん、んんぅ!」 秘部だけでなく全身を撫で回し、びくびくと反応する鍔姫ちゃんの様子を見つめて楽しむ。 何度も指を動かし、手のひらで太ももを撫でながらじっと見つめる。 「鍔姫ちゃん、気持ちいい?」 「き、気持ちいい……はぁあ……」 「いつもと違う格好だから、興奮してるか」 「なっ! あ、ああ、そ、そんなことは!」 「図星だ……」 「ひぁっ! あ、ふぁあっ!」 そのまま秘部の奥へと指をねじ込みぐりぐりと動かし刺激させる。 奥まで進んだ指先の動きに敏感に反応して愛液の量が増え、締め付ける力が強くなる。 「あ、ああっ! や、だ、めだ、みーくん……! 結婚式がぁっ……」 「鍔姫ちゃん、さっきからそればっかりだな」 「だ、だって! こんな、こと……ふぁあっ! ひゃあん!」 「こんなことされて嬉しい?」 「や、あん! そんなの、言ってな……あ、ああっ!」 奥の方を指でぐりぐりと擦るように刺激すると、鍔姫ちゃんが今まで以上に大きく反応し、中が強く締め付けられた。 ダメだって言ってる割に感じてるんだってことが嫌でもわかる。 「ひ、ああっ! 奥、ぐりぐりって、ダメぇ……!!」 「なんで?」 「だ、だって、あ、ああっ! それ、気持ちいい……やぁ…」 「だと思った。じゃあ、もっとしようか」 「ひゃあ、あっ! みーくん、あ、あっ! ほ、本当に……ダメっ!」 「鍔姫ちゃんのダメは、いいってことだろ。知ってる」 「そんな、ことは……」 「そんなこと、あるだろ」 鍔姫ちゃんが強く否定できないのをいいことに、内側を引っかくように更に刺激させる。 すると、びくんと大きく反応され愛液が更にあふれ出した。 「あ、あ、ああっ! ひ、んっう! みーくん、気持ちい……ひ、あぁっ!」 「だろうな。ぐちゅぐちゅ言ってるし、中も随分締め付けてる」 「ああ……い、やぁ…は、恥ずかしいからぁあ……」 「恥ずかしい方が気持ち良さそうだけど?」 「んう!! ちが……違う、そんなこと、言ってないぃ」 いやいやと首を振りながら鍔姫ちゃんは答えていたが、その度に中の締め付けは更に強くなっていた。 身体は俺を否定していない。それがすごくよくわかる。 「もっとしようか」 「え? え、ああっ! みーくん!!」 頬に口付けて見つめてから身体をしゃがみ込ませ、指を入れたまま秘部に唇を近付けそのまま舐め始める。 ぴちゃぴちゃと音を立てて舐めると、鍔姫ちゃんの反応は更に大きくなった。 「ひあ、ああんっ!! や、そんな、一緒にぃ!」 「ん、んん……」 「ん、んぅ! みーく……ん、ぁああ! ふやぁぁ!」 「いっぱいあふれて来る……」 「はあ、は……ん、こんなの、あっ! ひゃあ! あぁっ!」 「鍔姫ちゃんの味がする」 「あ! い、いや! そんな味、しな……あ、ああっ!」 指を動かし続け、あふれる愛液をわざと音を立てて舐め取る。 音を立てて舐め上げ、指を動かす度に何度も締め付けられ、愛液が止め処なくあふれ来る。 震える身体と締め付ける感触、あふれる愛液の量で鍔姫ちゃんが気持ちよくなってくれているのがよくわかる。 「ふ、ああ、あっ! ひぅ……みーくん、もうやめよ……結婚式、始ま……、ああっ」 「っん、んん……まだ……」 「はあ、は、ああっ」 何度も責め立てながら鍔姫ちゃんを見つめていると、俺の身体も反応を始めていた。 熱くなり大きく反応している肉棒に気付くと、もう我慢ができなくなる。 口元を拭って立ち上がり、じっと鍔姫ちゃんに視線を向ける。 「ごめん、鍔姫ちゃん。俺、もう我慢できない」 「……え?」 「……んっ!」 「ひ、んぅう!! そ、そんな……いきなりぃ、こんなことぉ……」 先ほどまでの行為で十分に濡れている秘部に、そそり立った肉棒をあてがいそのまま一気に挿入する。 奥まで届かせてじっと見つめると鍔姫ちゃんはいやいやと首を振った。 「もう、こんなにぐちょぐちょだったんだから大丈夫だろ」 「あ! あ、ああ……そ、そうじゃなくて、こ、これから……結婚式なのにぃ! こんなぁ…!」 「ごめ……も、我慢できない……」 「ふぁあっ!? あ、ああっ!!」 驚き嫌がる鍔姫ちゃんの腰を掴み、ゆっくりと動き始めるとびくびく何度も反応される。 そのまましっかりと腰を支え、何度も何度も奥へと突き上げ内側をかき回し続ける。 肉棒が奥に届く度に締め付けは強くなり、愛液があふれるぐちゅぐちゅという音がいやらしく響く。 「み、みーくん、ダメだ……! こ、こんなのは……」 「いいだろ。このままで、初夜するんだって思ってたんだろ?」 「ふぁあ、ああっ! そ、それは……そ、そうだが……で、でも、このまま…なんて!!」 「どう? 感想は」 「ふ! やあっ! や、だぁあ、あっ!」 「本当にいや?」 「あんっ! ん、ああっ! あ、あの……」 奥まで突き上げて動きを止め、じっと顔を覗き込むと戸惑ったように視線を泳がされる。 どうしてそんな顔をされるかなんて、考えなくてもわかる。 「それは嫌って顔じゃないよな」 「そ、そんなことは……あの…」 「そんな顔されると、本当に我慢できなくなる」 「……え?」 「きゃああ! み、みーくん!」 「ごめん」 体位を強引に変えると長いスカートの裾が邪魔になる。 裾を掴んで勢いよく引きちぎると鍔姫ちゃんのスラリとした脚が露わになった。 「こ、こんなことしたら、け、結婚式が!」 「……う! そうだけど、でも……」 「ド、ドレスがぁ………」 鍔姫ちゃんが戸惑った顔をした。 その表情を見つめ、一瞬だけどうしようかと迷いが生じた。 だが、もう我慢はできない。それをごまかすために鍔姫ちゃんの腰を掴み、いきなり激しく身体を揺するようにしながら動き出した。 「あああっ!!! や、ああぁ、激しいっ!」 「この状態でやめられないし」 「ひ、ぁあぅん!! みーくん!!」 立ったままの状態で腰を動かし、何度も奥まで届かせる。 先端が最奥へと届くとびくんと膣内が反応して締め付けが強くなり、愛液がどんどんあふれ出す。 身体はこんなにも反応しているのに、鍔姫ちゃんはいやいやと首を振りながら小さな抵抗を続けていた。 しかし、その身体はいつもより反応が良くなっているのが手に取るようにわかった。 「あ、あひ、ひぃ! あ、ああっ! んん、あぁぁっ! んはぁぅ!」 「いつもより反応よくなってる」 「ん、んん! そ、そんなこと、ないっ!!」 「本当?」 「ひゃ! あ、あん! や、そんな動い……たら、ああっ!! あ、あはぁぁぁ!」 「やっぱり反応いいよ」 「い、や、ああっ! あ、んっ! はふぅぅ、あひゃぁっ!」 鍔姫ちゃんが首を振って嫌がる素振りを見せる度に締め付けは強くなっていった。 嫌じゃない、むしろ喜んで嬉しがっているんだとわかって、俺まで嬉しくなる。身体は正直ってとこだろう。 その締め付けを感じながら、また腰を前後に揺らして中をぐちゅぐちゅかき回して刺激を続ける。 「みーくん! みーく……ふ、あああっ!! ひゃううっ!」 「中、気持ちいい?」 「ん! 気持ちい、気持ちいいっ!! やぁあ、もっとおぉ」 「結婚式、どうする?」 「え!? あ、ああ、結婚し……き……あ、ああっ」 「嫌ならやめるけど。本当に嫌か?」 「そ、それは……」 背後から顔を覗き込み聞いてみると、すごく戸惑ったような表情をしながらいやいやと首を振られてまた中が締め付けられた。 「教えて。やめちゃうか、やめないか」 「ふぁ、あっ! あ、ま、また動いた、らっ! あ、ああっん!!」 聞きながら腰を動かすと反応はまたよくなり、鍔姫ちゃんは更にいやいやと首を振った。 こっちはどっちのいやいやなんだろうかと少し面白くなる。 「あ、ああっ! やあ、あ! やじゃないぃ! みーくん、好きぃ! みーくん!!」 「うん。俺も鍔姫ちゃんが好き」 「ん……みーくんっ! もっと、して欲し…!! きもちぃぃっ、いいよぉ! んはふぅ!」 「ああ、もっとしよう。二人で気持ちよくなろう」 「あ、なるぅ! みーくんと、二人でぇ……あ、ふぁあっ!」 やっと素直になった鍔姫ちゃんの頬に口付け、腰を勢いよく突き上げて奥まで届かせた。 俺の動きに合わせて鍔姫ちゃんも奥へ導くように自ら腰を揺らしていた。 「はあ、は、んぁあ! あ、あ、気持ちいいぃ! あ、奥まで、いっぱい届いてぇ、ああっ!」 「うん、俺もだよ。いつも以上に、鍔姫ちゃんが可愛く見えるからかな」 「はっ…! あ、ああっ、あ、嬉しい……! すきぃ、すき……!」 「んぅ、可愛いな」 「みーくん! みーくん嬉しいぃ、もっとぉ」 「わかってる。もっとしような」 「ん、ふぁあっ! あ、もっと! あ、あっ、いっぱい! みーくん! ひぅぅっ!」 何度も頷きながら答えるのを見つめて、頭を撫でると、また中がぎゅうと締め付けられた。 相変わらず、頭を撫でられるのが好きな子だ。こんなとこは変わらず可愛い。 もう一度頭を撫でてから腰をまた支え、あふれる愛液を利用してどんどん奥へと突き上げ身体をがくがく揺らしてやる。 突き上げられた鍔姫ちゃんは俺のされるがままになり、身体を揺らしながら声をあげ続けていた。 「みーくん! 好き、みーくん大好きぃ! ん、ああっ! あぁぁっ!」 「うん。好きだよ、鍔姫ちゃん…っ!」 「好きぃ、ああっ! もっと、奥いっぱい、来て! 中、ぐちゃぐちゃにっ!!」 「ああ……欲しがりだな」 「んっ! あ、やぁあ、ごめんなさ……あ、だって! みーくん、いっぱいがいいのぉ!!」 「いいよ。俺のこと欲しがってくれて嬉しいから」 「あ、ん! いっぱいが、いいっ! 中、あああっ! みーくんで、いっぱいがいいよぉ!!」 「わかってる。鍔姫ちゃんは……俺の、だから!」 「ふぁっ! あ、ああっ! ん、私は、みーくんだけのっ! あ、ああっ!!」 「誰にもやらない」 「うん! 私は、みーくんの……お、お嫁さんだからぁ、ああっ!!!」 「そうだよ」 嬉しそうな表情を見つめながら腰を動かし、奥まで届かせてから動きをとめて先端をぐりぐり擦り付ける。 すると、内側がひくひくと反応して締め付けられた。 「あ、ひぁぁっ! お、奥ぅ、あ、ああっ! ぐりぐり、あ、ああっ! されたらぁあ、ああっ!」 「うん、どうしたの?」 「き、気持ちぃ、ああ、あっ! みーくんのが、お、お腹の中で、ひ、ああっ!! んひゃぁぁ!」 「当たってるのわかるんだ。俺も、ちゃんと届いてるのわかるよ」 「ひ、んぅう! 嬉しい、みーくん…! わかるの、一緒……!」 「うん。ちゃんと伝わってるから」 背後から顔を見つめて耳や頬に口付け、また動き出すとびくんと大きく反応される。 震えた身体を支えて腰を前後に動かし、何度も何度も肉棒を出し入れさせ続ける。 「ふぁ、あああっ! あ、あ、また! 中で、また、ぐちゅぐちゅぅって! ひ、ああっ!!」 「ん……! 鍔姫ちゃん、ちょっとキツ……」 「ひゃ、ああっ! あ、そ、そんなの、わかんな……あ、ああっ! みーくん!」 「はあ、あ……」 そろそろ、お互いに絶頂が近付いているのがわかった。 何度も奥まで届かせ、何度も内側をかき回して一緒に最後を迎えるために刺激を続ける。 「はあ、は、あ、ぁう! あ、やああっ! 来る、来ちゃうっ! おなか、奥…いっぱいに、みーくんがぁあっ!!」 「鍔姫ちゃん、もう……!」 「みーくん! みーくん、私も……あ、あっ!!!」 「……っく!」 奥深くへ突き上げ届かせた瞬間、びくびくと身体が震えた。 そして同時に、鍔姫ちゃんも全身を震わせながら俺の肉棒を締め付けた。 その締め付けに耐え切れず、勢いよく膣内で射精する。 「あ、ああ! あぁあ……みーく……あ、ふぁあああっ! イクぅ!!!」 「ふ……」 「ふぁぁ、はぁぁ……ぁ……あう……」 「はあ……、中、みーくんのが……いっぱい…!」 「はあ、はあ……」 「みーくん……全部、中で……」 あふれる精液を最後まで注ぎ込み、震える鍔姫ちゃんの身体を抱きしめながら何度も背後から頬に口付ける。 幸せそうな表情を見つめ、俺も自然と微笑みを浮かべていた。 「ああ……みーくん……大好きぃ……」 「ああ。俺も大好きだよ、鍔姫ちゃん」 「………」 「…わ、私は……な、な、なんという……夢を…!!!」 「う、ウェディングドレスで、あ、あんなことを!」 (あのような願望が私にあるというのか? いや、そんなことは……な、ないと言い切れるだろうか) (ああ、しかし、せっかくのドレスがあんな風に……はっ、そうか、これは天からの警告か!) 「よし……結婚式の時は―――気をつけることにしようっ!」