午前8時10分。 俺を含む、約5万人の生徒達が一斉に汐美学園を目指す。 空から見れば、群衆が学園目指してデモ行進しているように見えるかもしれない。 道はまさに芋洗いのような混雑。 だがしかし── ガチンコ図書部員である俺にとっては、こんな時間さえ貴重な読書時間だ。 活字に集中しつつも、人とぶつかるなんて愚は犯さない。 人の気配を察知し、華麗にかわす。 「おっと……突っ立ってると危ないですよ」 「あ、失礼」 「いえいえ」 例えばこんな風に。 イレギュラーな動きにも対応できて、やっと一人前の図書部員だ。 「危ないから下がって!」 「ほらそこ、白線から出るのは車両が来てから!」 路面電車(通称・路電)の停留所も人であふれている。 といっても、朝の学園で空いてる場所などないが。 「はい、車両入るよーっ!」 開いたドアに生徒が殺到する。 だが、真の図書部員ともなれば、自分が進むべき道は本を読みながらでもわかる。 慌てず騒がず前進し…… 「すみません! 大事な試験があるんです、乗せて下さいっ」 「どうぞどうぞ」 「やった! みんな乗っちゃいなよ」 空けてやった隙間を、ドヤドヤと女の子グループが通過する。 路電はめでたく満員となった。 「お人好しは生きていけないよ、お兄さん☆」 「忠告ありがとよ、くたばってくれ」 お人好しな俺は、人を罵倒するときにもお礼の言葉を添える。 ま、こういう日もあるさ。 路電が去り、俺は停留所の最前列に残された。 「ふう……」 携帯を取り出し、時間を確認する。 まだ遅刻の心配はしなくてよさそうだ。 「お」 手の中で携帯が震え、メールの着信を知らせた。 こんな時間に誰だろう? さっそく読んでみる。 『今日、貴方の運命を変える出来事があるでしょう。  羊飼いより』 「……」 羊飼い……か。 羊飼いとは、この学園で最も有名な噂に出てくる人物だ。 どのくらい有名かというと、誰でも入学3日目には知っているくらいである。 曰く── 羊飼いは、いつも学園のどこかにいるけれど、誰の目にもとまらない。 懸命に努力をしている人にだけ話しかけ、なんでも願いを叶えてくれるという。 「……」 そんな魔法使いみたいな奴、いるわけがない。 最初は誰もがそう思う。 でも…… いるわけがないのに、噂が消えることはない。 いるわけがないのに、目撃情報は浮かんでは消え、また浮かぶ。 いるわけがないのに、誰しもがその存在を否定できない。 羊飼いは、懸命に努力をする人間の、儚い夢の集合体なのかもしれない。 実際に会ったとか、願いを聞いてもらったとかいう話もある。 しかし、こういうオカルト話の常なのか、何故か話のディティールは曖昧だ。 ま、なんにしても、羊飼いがメールを送ってくるなんて話は聞いたことがない。 というわけで、メールはスパムに認定だ。 削除ボタンに指を伸ばす…… と、 一人の女子生徒が目に入った。 停留所のそば、路電の線路を越えたすぐ先で、人を避けるようにビラを配っている。 「……」 「……」 目が合った。 「あ……」 「……」 かすかな目眩と共に、不吉なビジョンが頭に滑り込んできた。 近い未来、女子生徒は脱線事故に巻き込まれる── 幻影は、そう告げていた。 鋭い路電の警笛。 朝日を受けた硝子窓の列が、金色に輝いている。 迷っている暇はない。 女の子に走り寄る。 「ちょっと」 「え?」 呆けたような顔で俺を見る女の子。 「逃げるんだ」 「は? あの、どういうことですか?」 「ここにいたら危ない」 女の子の腕を引く。 「ちょっと、やめて下さいっ」 抵抗されるのは当然だ。 周囲には、いつもの登校風景が広がっている。 間もなく悲劇的な事故が起こるなんて、誰に想像できよう? 女の子からしたら、俺はただの変質者だ。 「皆さん見てます……放して下さい、ほんとに……」 「きゃっ!?」 バランスを崩したのか、女の子の身体がふわっと軽くなった。 「いたたた……」 「……」 身体の前に、柔らかな感触があった。 シャンプーか石鹸か汗かわからないが、とても甘い匂いがする。 「(悲惨だなあ……)」 「……」 「……」 女の子の顔が真っ赤になった。 やっぱ、謝らないとまずいよな。 「ごめんな、怪我はないか?」 先に立ち上がり、女の子に手を差し出す。 「っっ!」 ぱっと立ち上がる女の子。 ビラを拾うのも忘れ、脱兎のごとく走り去った。 押し倒した挙げ句、胸まで触ってしまったのだ。 「はあ……」 溜息をついた瞬間── 轟音と振動が、身体を突き抜けた。 鋼鉄の車輪が石畳を削り、砂埃が上がる。 誰も動けない。 圧倒的な質量の暴走に、思考を止められていた。 「……」 時間にすれば、おそらく数秒。 車体は最後に一つ、嗚咽のようなきしみを上げ、停車した。 女の子がビラを配っていた場所は、脱線した先頭車両の真下だ。 思い出したように周辺が騒然となった。 係員が慌てて被害の確認をしている。 運転士も自力で運転席から降りてきたし、どうやら大事には至っていないらしい。 脱線が停車間際だったのが幸いしたんだろうな。 「ふう……」 ともかく、あの女の子を助けられて良かった。 痴漢だと思われてそうだが、目の前で事故られるよりはいい。 などと達観していられるのは、こんな経験が初めてじゃないからだ。 昔から、虫の知らせというか、未来を予見するような幻影を見ることがあった。 理由も原理もわからない。 あるときを境に、突然見えるようになったのだ。 最初は面白がっていろんな人の未来を見ていたが、今はむしろ他人の未来など見たくなかった。 さっきみたいに、無意識に見てしまった幻影に対処するので精一杯だ。 やれやれ。 溜息をつきつつ、少女が配っていたビラを拾う。 『一緒に学園を楽しくしませんか?』という文字が躍っていた。 部活の勧誘じゃなく、宗教の勧誘だったらしい。 騒然としている事故現場の裏で、予鈴が平和な旋律を奏でる。 ダッシュで行かないとまずいな。 俺は事故そのものには関わっていない。 後片付けはしかるべき人がするだろうし、さっさと教室に行こう。 「?」 誰かに見られた気がしたが……。 ま、気のせいか。 階段教室の一番後ろ、友人である高峰の隣に座る。 席が選べる授業では、いつもそうしていた。 「おう、今日はのんびりだな」 「いろいろあってね」 「もしかして路電の事故?」 「ああ、目の前で事故ったよ。よく知ってるな?」 「ウェブニュースに号外が出てた」 高峰の携帯で学内ウェブニュースを見てみる。 トップページに、『前代未聞の脱線事故。奇跡的に死傷者なし』との見出しが躍る。 相変わらず情報が早い。 「怪我はないんだよな?」 「大丈夫だ。日頃の行いが良かったらしい」 「ははは。こういうことする奴は、日頃の行いがいいとは言わないだろ」 高峰が、無骨な指を動かして携帯の画面をスライドさせる。 現れたのは小さな画像だ。 男子生徒が女子生徒を押し倒している。 というか、俺だ。 カメラのアングルが悪く、加害者(俺)も被害者(女子生徒)も顔は映っていない。 「『一歩間違えば大惨事となった事故の脇で、このような破廉恥行為に及ぶ生徒もいた』だってさ」 「これが俺だってのか?」 「違うか?」 「さあ、どうだか」 「とぼけても無駄だ」 「お前の背中くらい見ただけでわかるんだな。もう愛と言っていいレベルだね」 高峰の目はごまかせないらしい。 「仮にだ、この痴漢が俺だったらどうするんだ?」 「そうなあ……胸の感触でもレポートにして提出してもらうか」 「どうでもいいわ」 「ですよねー」 「ま、お前は、朝っぱらから人前で痴漢するほど間抜けじゃないわな」 「やるならやるで、絶対人には見つからないようにやるだろうし」 「信頼してくれて嬉しいね」 「ははは、どういたしまして」 鼻先で笑って、高峰は携帯のディスプレイを切り、机の上に置いた。 「さて、退屈な授業でも聞くか」 高峰が顎で階段教室の底を指す。 白髪の教師が、何かにゃむにゃむ言っている。 あの教師も、現役で日本トップレベルの研究者らしい。 誇大広告でも何でもなく、汐美学園には日本最高の教育環境がある。 最高の教師陣、最高の設備、最高の生活サポート。 やる気がある人間にとっては最高の場所だ。 同時に、やる気がない人間にとっても最高の場所だったりする。 欠席や遅刻を咎める人間はいないし、卒業するのが目的ならば、試験のない簡単な授業だけを取れば済む。 バイトをしたければすればいいし、一人暮らしならば門限もない。 唯一ルールがあるとすれば、他人に迷惑をかけないことくらいだ。 だから、高峰のように授業を聞いていなくても、俺のように好きな本を読んでいても問題ない。 といっても、試験は平等にやってくるし、点数が悪ければ単位はもらえない。 単位が足りなければ留年だ。 他の学校と違い、補習や追試で無理くり進級させてはくれない。 全ては自己責任、というのがこの学校のやり方だ。 教師はよく『ほとんど大学』と表現している。 「では、ここの答えはどうなる? ええと、そこの髪の長い子」 前の方に座っていた女子生徒が立ち上がった。 「……」 間違いない。 あの子は、さっき助けた女の子だ。 「あの、民選議院設立建白書、です」 かすれた声だった。 聞き取りにくい、というより── 「エロいな」 「ああ」 「よく聞き取れなかった。もう一度頼む」 「え、あの……」 身体に、ぎゅっと力が入るのが見えた。 女子生徒の首筋が赤く染まる。 どうやら、あがり症らしい。 「で、ですから……民選議院設立建白書、です」 「すまん、もう一度」 「み、民選議院……設立、建白書……」 声は、より小さく、よりエロくなっていく。 近くの男子生徒が唾を飲む音が聞こえた。 「いいねあの子。隠された素質を感じるよ」 「そうか? あがり症なだけだろ」 「先生っ」 指名された生徒の隣、 黒い髪の生徒が立ち上がる。 「白崎は、さっきから『民選議院設立建白書』と答えています」 「あ、ああ……うおっほん」 「正解だ。二人とも座ってよろしい」 教師が教科書に目を落とし、再び授業が流れだす。 黒髪の生徒が、白崎と呼ばれた生徒の肩に手を置いた。 「ありがとう」 「いや」 白崎さんの柔らかな笑顔に、黒髪の生徒は幾分はにかんだ微笑みで返す。 助けられた方より嬉しそうな笑顔だ。 「今の声、金を取れるレベルだな」 「どこに値段がつくんだよ」 「違いがわからん奴だ」 しかし、あの子が同じクラスだったとは。 汐美学園は、1学年26クラス、1クラス650人という規模を持つ。 ばったり出会った生徒と同じクラスである確率は約1%。 かなりのレアケースといえる。 運命なんて言葉が飛び出てもおかしくないくらいだ。 「……?」 座っていた女の子が、ふと、こっちを振り返った。 咄嗟に読んでいた本で顔を隠す。 あの子は、俺を痴漢だと思ってる可能性が高い。 同じクラスというのがバレると、ロクなことがないだろう。 「どうした?」 「いや、『鰯』って漢字には、なんかこう匂い立つエロスがあるなと思って」 適当に言い逃れをする。 「そこに気づくとは、お前も通だな」 「俺としちゃ、魚偏だと『〈鰆〉《さわら》』を押すね」 「『〈鮑〉《あわび》』かと思ったよ」 「ガキじゃあるまいし、そんな直球投げるか」 適当な言い逃れに乗られてしまい、この後しばらく漢字トークに華を咲かせることになった。 3限後の昼休み。 2限は別だったが、たまたま3限で同じ授業を取っていた高峰と学食に向かう。 中央通りには、もう事故を起こした車両は残っていない。 現場検証のロープが張られているが、明日には撤去されるだろう。 「相変わらず混んでるなぁ」 「いらっしゃいませー」 「お、新人さん?」 高峰が、目ざとく若葉マークを見つけた。 緑と黄色のマークの横には、『Suzuki』と書かれたネームプレートがある。 「はい、ふつつかものですが、よろしく願いしますっ」 鈴木さんが元気よくお辞儀をした。 軽くウェーブがかかった髪が踊る。 「いいね、鈴木さん、いいね」 「あ、はい、どもです。鈴木佳奈です」 「では、お席にご案内しますね」 体重を感じさせない軽やかな足取りだ。 「(いいね、鈴木さん、いいね)」 耳打ちしてきた。 「それはさっきも聞いた」 「そんなにいいなら、注文の時に何か面白いことやってくれよ」 「こう、彼女の良さをもっと引き出すような何かを」 「ハードル高えな、完全無茶ぶりだ」 こういう時、高峰は断らない。 しかし、ネタのクオリティはいまいちだったりする。 「ご注文は何になさいますか?」 「スマイル」 「一番だめだろそれ。業界追放レベルだぞ」 「ええと、サイズはどうされますか?」 「じゃあ、Lで」 「はいっ」 「うおっ、眩しいっ!?」 「目がっ!?」 鈴木さんが満開の笑顔を作った。 完璧に近い笑顔だ。 「いかがでしたか?」 「脳細胞に録画した」 「どもですっ。では、1000円ですね」 「有料かよ!」 「じょーだんです」 キラキラと明るく笑う。 楽しい女の子だ。 「で、ご注文は何になさいますか?」 「比内地鶏の竜田揚げ、タルタルソースがけ」 「〈鰆〉《さわら》の西京漬け定食」 「はい、比内地鶏と〈鰆〉《さわら》ですね。かしこまりました」 ぺこりと頭を下げ、鈴木さんが立ち去る。 「いやー、いいね。ああいう子が増えれば、この学食も安泰だ」 「学食間の競争も結構激しいみたいだな」 「だってねえ」 「この前も、別のカフェテリアの子に、私のこと自由にしていいからお客さん連れてきてって言われたよ」 「なんで1秒でわかる嘘つくんだ?」 「いやあ、和むかと思って」 「和まねえよ」 「あ」 ざっくり切り捨てたところで、見知った顔が目に入った。 長い髪をなびかせ、俺たちの席に近づいてくる。 今日は厄日だな。 「こんにちは、筧君」 「こんにちは」 「お、こんなところで生徒会長に会えるとは」 「こんなところなんて、お店に失礼だと思うけど」 「仰る通り」 高峰が首をすくめる。 小さく笑い、汐美学園生徒会会長・望月真帆さんは空いた椅子の背に手を置いた。 「少しだけ、時間をもらっていいかしら?」 「喜んで」 望月さんが座る。 すかさず店員がオーダーを取りに来たが、それを手で制した。 「まだ口をつけてないから、よかったら」 鈴木さんが置いていった水を、望月さんの手元に置く。 「ありがとう」 望月さんがグラスに口をつける。 「4月だというのに暑いわね。水が美味しい」 「温暖化ってやつですかね」 ちらりと高峰を見る。 我関せずといった態度で窓の外を眺めている。 自分は口を挟まない方がいいと判断したのだろう。 「本題に入っていいかしら? 食事の時間をあまり邪魔したくないから」 「はい、どうぞ」 「もう何度も頼んでるけれど、生徒会の役員になってくれない?」 「またその話ですか」 生徒会役員に誘われるのは、これで3度目だった。 望月さんは、成績優秀・品行方正・眉目秀麗と、生徒会長にふさわしい人物だ。 なぜか、そんな女性に俺は気に入られていた。 「入学以来、学年トップの成績を維持している、その力を貸してほしいのよ」 「試験の成績と、そいつが人として使えるかどうかは別問題だと思います」 「誘っていただけるのは嬉しいですけど、俺は役員の器じゃありません」 「謙遜しないで。貴方なら素晴らしい実績を残せると思うわ」 「別に実績を残したいわけじゃないんで」 望月さんの言う通り、俺は試験が得意だ。 でも、それ以前の問題として、俺は生徒会役員になれるような人間じゃない。 人として根本的なところでズレている。 例えば、今この瞬間。 学食で高峰や望月さんと談笑していることさえ、俺にとっては多少の努力の結果だった。 ……。 人間って生き物は、本当にわからないことだらけだ。 意味もなく暴力を振るったり、数分前と正反対のことを言ったり、褒めながら内心罵ったり、ともかくも謎が多い。 俺にとって、わからない人間は闇であり不安の象徴だ。 だから、理解できない人間は理解したいと思う。 それは、好奇心とは違う、もっと差し迫った欲求だった。 今こうして、一応普通の生活ができているのは、時間をかけて知識を増やしてきたお陰だ。 ガキの頃の俺がこんな巨大学園に放り込まれたら、1日でおかしくなってしまうだろう。 「でも、このままじゃ、せっかくの才能と能力が無駄になるわ」 「今の俺の生活は、何か無駄にしてますか?」 「貴方、放課後は図書館で本を読んでいるだけじゃない?」 「優れた能力はもっと大きなことに使うべきだわ。そのことが能力をさらに伸ばすことに繋がると思うし」 「この学園の教育方針からいっても、筧君は生徒会役員になった方がいいと思う」 望月さんが熱心に説得してくる。 『生徒は常に能力向上を目指すべきであり、さもなければ他の学園に通えばよい』というのが汐美学園の基本的な考え方だ。 校訓とも言うべきこの思想は、学園のウェブページから受験要項まで、そこらじゅうに記載されている。 納得できない人は受験しなくていいよ、ということだ。 だから、汐美学園の生徒はこの点を了解した上で受験し、入学したと見なされる。 学園は間違ったことは言っていないし、学園の思想を正しく体現している生徒会長も、間違ったことは言っていない。 俺の好みを別にすれば、俺のためでもあった。 「望月さんが、俺の能力を評価してくれていることは嬉しいけど、役員になるつもりはありません」 「生徒会のことが嫌い?」 「うちは、政財界から官僚、法曹、様々な分野で多くのリーダーを輩出している組織よ」 「社会的ステータスが高い職業に就くことが全てじゃないけれど、将来のためになると思うの」 「例えば事業を興すにしても、人との繋がりや経験は無駄にはならないわ」 望月さんの言うように、生徒会は実績のある立派な組織だろう。 誘ってもらえるのは名誉なことだ。 とはいえ、生徒会の時間的拘束は半端じゃないと聞いている。 早朝に登校しての作業はざらだし、夜も10時11時なら誰も驚かないという。 更に、立場上の問題もあり成績は下げられない。 優秀な人たちと一緒にそれだけの努力をするのだから、実力もつくし将来の役にも立つだろう。 だが、読書に時間を費やしたい俺にとっては絶対に所属できない組織だ。 「何度も誘ってもらって申し訳ないですが、返事は変わりません」 「自分は本が読みたいんで」 「読書はいいことだと思うけれど、どうしてそこまで本にこだわるの?」 「精神衛生上の問題です」 「……そう、残念ね」 俺が冗談を言っていると思ったのか、望月さんは一瞬だけ不機嫌な顔をした。 人の頼みを断るのは苦手だ。 望月さんのように真摯な頼みならなおさら。 「比内地鶏と〈鰆〉《さわら》、おーまたせしましたーっ」 「おっ、ナイスタイミング。いいね、鈴木さん、いいよ」 「よくわかりませんが、どもども」 「ところで、3名様に増えてます?」 「いえ、私は結構よ。もう食事は済ませたから」 望月さんが席を立った。 「時間を取ってくれてありがとう。近いうちにまた」 「ええ、また」 「それとあなた」 「はい?」 「もう少しきちんとした接客態度を心がけるべきだと思うわ」 「え? ああ、すみません」 一瞬、呆気にとられたものの、鈴木さんはぺこりと頭を下げた。 「望月さんが来る前に、フランクな接客にしてくれるよう頼んだんです。この子は悪くありません」 「あ……そう」 「八つ当たりはかっこわるいぞー」 「違います」 「そっちこそ、いつまでもフラフラしていないで、打ち込むものを探したらどうですか、高峰君」 「それが八つ当たりだっての」 「失礼します」 高峰の言葉を無視するように、望月さんは回れ右、遠ざかっていく。 「とばっちりを食わせてすまないな」 「いえいえ、こちらこそお客様にフォローしてもらっちゃってすみません」 「でも、あの人、どっかで見たことあるなぁ」 「生徒会長だよ、ウチの」 「そうですそうです。確か入学式でお言葉をいただきました。かっこいいなぁって思ってたんですよ」 「でも、なんか怒ってましたけど」 「こっちの話だ」 「あ、これは失礼しました。では私はこれで、ごゆっくり!」 「はぁ、やれやれだな」 「面倒な生徒会長だよ」 どちらからともなく、割り箸に手を伸ばす。 「あ、綺麗に割れなかった」 「修行が足りないな」 俺も割ってみる。 「……」 「俺といい勝負じゃねえか」 「生徒会長の気持ちを無下にするから罰が当たるんだ」 いただきますと礼儀正しく言って、高峰が飯を食い始める。 俺もそれに倣う。 「俺だって断りたくて断ってるんじゃないさ」 「いやいや、優しく断るから期待を持たせるんだぞ」 「時間を取ってくれてありがとう。近いうちにまた」 「ええ、また」 「じゃねーよ。また来たって断るんだろうが。きっぱり断らんといかんよ」 「わかってる」 「どうだかね。ま、苦労すんのはお前だからいいけど」 そう言って、高峰はタルタルソースがかかった竜田揚げを口に放り込んだ。 「ありがとうございました。お会計、2000円になります」 500円硬貨を揃って出した俺たちに、ちょっと小柄すぎる店員が告げる。 ネームプレートには『Ureshino』とある。 「ん?」 「昼の定食、1つずつだけど?」 「え? スマイルは、お1つ1000円となっていますが」 500円均一の定食が2つ。 プラス、スマイル1000円という勘定だ。 「はっはっは、こいつは一本取られたな」 言いつつ、財布をしまう高峰。 「え? 今のは、千円札出す流れじゃなくて?」 「だったらかっこいいんだけど、今月厳しめでね。譲るよ」 「ふふふ、大丈夫ですよ。鈴木さんの冗談だと思いますから」 にっこりと笑う嬉野さん。 「当店は、お店を出るまでがエンターテインメントをモットーにやっておりますので、えっへん」 「初めて聞いた」 「ふふふ、初めて言いました」 にっこり笑った。 今日は変わった店員に当たる日らしい。 「んじゃ、ごちそうさん」 「ありがとうございました」 昼休み終了の時刻が近い。 校舎間を移動する生徒達は、みな急ぎ足だ。 「お前、午後はどうすんの?」 「ちょっと待ってくれ」 携帯で、学園から与えられた自分のサイトにアクセスする。 ここでは、自分の時間割や出欠、休講情報、学生課からの連絡など、生活に必要な全てが確認できる。 「お、休講だな」 「うらやましー。俺はばっちり授業だわ」 「何、取ってんの?」 「東洋美術。これがさ、仏像のスライド見て感想書くだけの授業なんだわ」 「出席さえしてればOKってやつだ」 この学校の時間割は、各自が自分で作成する。 授業は大きく分けて、必修課目と選択課目の2つ。 必修は文字通り必ず受けなくてはいけない授業で、クラスごとに固定されている。 これだけで週の半分くらいが埋まる。 残りの半分は、選択課目の中から好きなものを選んで埋めるのだ。 だから、時間割は十人十色。 クラスメイトと一緒になるのは、趣味が近い人間じゃなければ必修科目だけということになる。 「んじゃ、また明日かな。じゃーなっ」 「おう、じゃあな」 小走りで遠ざかる高峰。 その背中が生徒の群れに消えていく。 本当に数え切れないほど生徒がいる。 生徒数は約5万というから、ほとんど1つの街だ。 「さて……」 休講のお陰で、今日は放課後が長い。 読書時間を満喫できそうだ。 歩き慣れた道を進む。 入学からの1年で、歩道のタイルの色ムラまで覚えていた。 汐美学園が誇る、総合図書館──通称、大図書館。 ここは、俺にとっての楽園だ。 一生かかっても読み切れない数の本。 何ものにも侵されない静寂。 他に何が必要だろうか! 高揚する胸を抑え、図書館に近づいていく。 「すまないが、ちょっといいか?」 後ろから声をかけられた。 呼びかけてきたのは、午前の授業で見かけた女子生徒だった。 「よかった。やっと見つけたよ」 俺の顔を見て女子生徒が微笑む。 階段教室では遠くてわからなかったが、すっきりした顔立ちの美人だ。 頭の回転が速そうな目をしている。 「私は桜庭玉藻。そちらは?」 「筧だけど」 「筧か、よろしく」 桜庭さんが微笑む。 落ち着いた声と鷹揚な物腰。 そこらの女子生徒とは雰囲気が違った。 「何の用?」 「突然ですまないが、これを見てくれないか?」 桜庭さんが携帯を差し出してきた。 ディスプレイに表示されているのは一枚の写真だ。 それも、俺が白崎さんを押し倒した瞬間を顔入りで撮影したものだった。 「映っているのは君で間違いないか?」 間違いないが、画像を再確認する。 よく見れば、画像はメールの添付ファイルだった。 「……?」 差出人のアドレスに見覚えがある。 朝、俺に送られてきた不思議なメールと同じアドレスだ。 「間違いないか?」 「ああ」 桜庭さんの顔から微笑みが消えた。 「このメールは誰から?」 「私も知らない人物からもらったメールでね」 桜庭さんが笑顔を浮かべる。 それが合図になったのか、街路樹の裏から4人の女子生徒が現れた。 いろいろと打ち合わせ済みらしい。 「痴漢はいけないと、親御さんに教わらなかったか?」 「生憎、親とは早くに別れてるんだ」 「それは失礼なことを言った」 「しかし、今は……今は……」 「くしゅんっ!」 いきなり、かわいいくしゃみをした。 「今は……くしゅんっ!」 しかも、2回、3回と続く。 「花粉症?」 「ああ、話の腰を折ってすまないな」 涙がにじんだ目で謝られた。 実はいい人なのか? 「それで、俺をどうしたいんだ?」 「白崎のところへ連れて行く。きちんと謝ってもらいたい」 やっぱり、あの子は怒ってるらしい。 公衆の面前で押し倒されたんだ、仕方ないか。 「その前に、朝の件について説明させてくれないか」 「申し開きがあると? 聞きましょう」 信じてもらえないだろうが、真実は告げよう。 朝の出来事をそのまま伝える。 未来を告げる幻影に、早すぎた救出行動。 それが、結果として痴漢行為として見られたこと。 「言い逃れにしては下手すぎるぞ」 「言い逃れするなら、もっとマシな話を考える」 「では、君の言葉が事実だと?」 「悪いが虫の知らせとか第六感とか、そういうのは信じない性分なんだ」 「話の中身を信じろとは言わない」 「だから、俺が嘘を言いそうな人間かどうか判断してくれ」 「意味がわからん」 呆れられた。 しかし、そう言いながらも、桜庭さんは一呼吸置いてから俺を見つめた。 冷静な目が、俺の全身を観察している。 はじめに人の疑わしい点を探すのか、信頼できる点を探すのか── 性格が出る部分だ。 彼女はどちらだろうか? 「ふむ」 桜庭さんの表情が緩む。 「桜庭さん、騙されないで」 俺たちを見守っていた女子生徒の一人が、桜庭さんの前に立った。 そして、竹刀の切っ先を俺に向ける。 竹刀っ!? 「口が上手い男ほど、品性は下劣なのです」 「言い逃れをするなんて、ただの痴漢より卑劣よっ」 「待ってくれ。暴力は白崎も望んでいない」 「問答無用です」 女子生徒が竹刀を構えた。 先生、話してもわかってくれない人がいます。 「覚悟っ!」 「危ねっ!?」 竹刀が、うなりを上げて目の前を通り過ぎた。 間髪入れず、追撃が来る。 やばい。 こいつら本気だ。 「くっ」 三十六計逃げるにしかず。 すぐさま、いくつもの足音が追いすがってきた。 だが、所詮は女の脚。 図書室で磨いた、俺の脚力を見せてやる。 「ごめん、私、陸上部なんだ」 一気に並ばれた! 頭上を竹刀が走り抜ける。 直線じゃ圧倒的に不利だ。 トリッキーに逃げるしかない。 「せいやーーーっ!」 茂みに飛び込み、 建物と建物の間を走り抜ける。 「あーもー、ちょこまかと」 「絶対やっつけてやる」 ちらりと鬼神の形相が目に入る。 だめだ、捕まったらやられる。 ひたすら走り続けるが、振り切ることができない。 そればかりか、追っ手の数は時間とともに増えていた。 黄泉の国から逃げるイザナギのように、身を守る櫛だの桃の実だのがあればいいが、あいにく持ち合わせていない。 ここで捕まるのか……。 事故に巻き込まれそうな女の子を助けただけで、どうしてこんなことに……。 ああ、あの子にさえ逢わなければ。 「こっちです! 早くこっちへっ!」 横合いからの声。 見ると、今まさに思い描いていた女子生徒がいた。 建物の陰から手招きしている。 「助かるっ」 溺れる者は藁をもつかむ。 それがたとえ、俺を指名手配している本人かもしれないとしても。 「はあ、はあ、はあ」 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 しばらく走り立ち止まった。 周囲に人気はない。 膝に手を置き、呼吸を整える。 目の前では、白崎さんが胸を激しく上下させている。 「ここなら……あの、しばらくは……見つからないと……こほ、こほっ」 「慌てなくていいから、息を落ち着けてくれ」 「はい……ありがとうございます……はぁ……はぁ……」 何とか礼を言う白崎さん。 豊かな胸は相変わらず激しく上下している。 「はぁ……久しぶりに、全力で走りました……」 白崎さんが、薄いピンク色のハンカチで額や頬を押さえる。 荒っぽく拭ったりはしない。 汗をハンカチに移す、そんな風情だ。 「すみません……大変なことになっちゃって……」 「助かったよ」 「いや、助かったと思っていいのか?」 「はい、もちろんです」 「朝からずっと考えていたんですが、わたし、どうしても痴漢をされたとは思えなくて」 「むしろ、だんだん、助けてくれたんじゃないかと思うようになったんです」 意外としっかりした口調で喋ってるな。 午前の授業での印象から、上手く人と話せないタイプかと思っていた。 「だったら、どうして俺は追われてるんだ?」 「あなたに、朝のお礼をしたいと思っていたんです」 「そのことを、玉藻ちゃん……あ、友人の桜庭さんに話したんですが、言葉が足らなくて勘違いさせてしまって」 「つまり……あなたを見つけるのに協力してほしいと言ったんです」 「そしたら、ええと……なんというか……」 白崎さんが言葉を探す。 「あんたが、俺に謝らせたいと勘違いされたってことか?」 「あ、はい、そうです」 助かった、とばかりに笑顔を浮かべた。 「ごめんなさい、私のせいで」 しょげた顔でぺこりとお辞儀する。 「悪いのは白崎じゃない」 白崎さんの背後に人影が1つ現れた。 「しまった!?」 「逃げなくていい、捕まえるつもりはないよ」 現れたのは、よく見れば桜庭さんだ。 「本当かよ」 「警戒するな、私は本当に勘違いしていたんだ」 「白崎が君を信用する理由はよくわからないが、まあ、納得しよう」 「君には迷惑をかけた。すまない」 頭を下げた桜庭さんに、白崎さんが歩み寄る。 「悪いのは、玉藻ちゃんじゃなくてわたしだよ」 「いや、かばってくれなくていい」 「白崎のこととなると、どうも熱くなってしまう」 はにかんだ笑みを見せる桜庭さん。 なかなか麗しい友情だ。 「私すら触っていないその胸を、知らない男が好きにしたかと思うと」 「ちょっと玉藻ちゃん!」 友情を越えていた。 「桜庭さん……もしかして、そっちの気が?」 「ないと思うが、ときどき悩むことはある」 ふ……とアンニュイな顔で嘆息した。 中途半端なシリアスはこっちが困る。 「と、ともかく、あなたにお礼が言いたかったんです」 「今朝は、助けてくれて本当にありがとう」 「どういたしまして。こっちも押し倒す形になって申し訳ない」 「いえ、大丈夫です」 本当に大丈夫だろうか。 痴漢されたという噂が立てば、女の子は大変だろう。 彼氏でもいれば大問題になるかもしれないし、そうでなくとも恥ずかしい思いはする。 「あ、申し遅れましたが、わたし、白崎つぐみといいます」 「ああ……」 今更の自己紹介に、いささか拍子抜けした。 「えっと、何かおかしなこと言いましたか?」 「いや、なんでもない」 「俺は筧。筧京太郎」 「筧くんね。これからもよろしく」 「ああ、よろしく」 これからも白崎さんとの関係が継続するとは思えないが、とりあえず応じておく。 「ところで桜庭さん?」 「面倒だから呼び捨てで構わないぞ」 「わたしも呼び捨てでOKです」 「わかった」 「で、桜庭に聞きたいんだが、追いかけっこはもう終わったのか?」 「いや、絶賛継続中だ」 「どうも話が大きくなってしまって収拾がつかないんだ。ははは」 「ははは、じゃねーって」 やれやれみたいな仕草で言われても困る。 「ちなみに、女子生徒が運動部の男子に協力を要請したらしくてな。敵の戦力は高い」 「ど、どうしよう、玉藻ちゃん」 「目的意識を持った集団を止めるには、何らかの結末が必要だな」 「何か策は思いつくか?」 即席でできそうなことといえば……。 「見つけたぞっ」 腕を組んだ瞬間、鋭い声が飛んできた。 「こっちよ、発見発見!」 みるみるうちに追っ手が集まってくる。 その数、すでに総勢40人弱。 桜庭の情報の通り、柔道着や野球のユニフォームを着た男たちもいる。 嫌な予感がした。 いや、そんなの予感を持ち出すまでもない。 誰が見てもわかる。 この状況で喜んでたら、ただのドMだ。 「白崎さん、桜庭さん、その痴漢から離れてっ」 「待て、痴漢の件は誤解だっ」 「騙されてますって、桜庭さんっ!」 「いいから聞いてくれ」 「誤解かどうか、本人に聞こうじゃないか」 「ふふふ、図書部をなめるなよ」 ファイティングポーズを取る。 「いや、意味がわからん」 ひょいっと持ち上げられた。 「おーわー……」 軽く締められただけで、ふわりと意識が遠のく。 頭の奥をぼんやりとした映像が流れていく。 思えば、短いような長いような人生だった。 金持ちの家に生まれたはいいが、母親はコロコロ変わるし、父親も蒸発だったかなんだったか。 とにかく顔も覚えちゃいない。 施設に突っ込まれてからは、屈折した感情に鬱々とする毎日。 ……しかしなんだ、ロクでもない人生だな。 「あだっ!?」 いきなり地面に落ちた。 「貴様はっ!?」 「遅くなっちまったな!」 「お前……」 高峰が、柔道着の生徒と俺の間に立ちふさがっている。 「俺の男に手を出すとはいい度胸だ。覚悟はできてるんだろうな」 「いや、違うけどな」 「なーんだ、元空手部の高峰か」 「こんなところで油売ってねえで練習行ったらどうだ? 特待なんだろ?」 「おーし宣戦布告だな、やるぞこの野郎っ!」 「かかってこい、学費の無駄遣い野郎っ!」 二人が仲良く喧嘩を始めた。 元気だなあ。 ま、放っておこう。 俺にはもっと大きな課題がある。 即ち、いかに鬼ごっこを丸く収めるかということだ。 「白崎、今のうちに、本人の口から事情を説明してくれ」 「あんたから説明してくれれば、みんな納得する」 「は、はいっ」 白崎が、覚悟を固めた顔で群衆に対峙する。 「あ、あの、あの……」 「え、えっと……その……わたしは……」 雰囲気に圧倒されたのか、白崎が口ごもった。 肩も小刻みに震えている。 「くっ、無理か……」 午前中の授業風景が頭をよぎる。 そういえば、白崎はあがり症だった。 「みんな、頼む、聞いてくれっ!」 「痴漢の件は勘違いなんだっ!」 桜庭が声を張り上げる。 だが、周囲はまったく聞く耳を持ってくれない。 万策尽きたか。 ここは俺が土下座でも何でもして、場を収めよう。 無実の罪を着るのは悔しいが、仕方ない。 俺の無実を証明する方法などないのだから。 こんなことをしているから、お人好しと言われるのかもしれないな。 などと思いながら、意を決した。 大きく息を吸う。 「聞いて下さいっ!!」 白崎の声が響き渡った。 不意打ちに近い絶叫。 その場にいた全員の視線が白崎に集まる。 自分の声の効果に自分で驚いたのか、白崎がたじろいだ。 「筧くんは……その……痴漢じゃありません」 「胸触ってる写真があるでしょ? 白崎さん、正直に言っていいんだよ?」 「ですからその、痴漢じゃないんです」 「証拠は?」 「証拠はありませんけど……その、信じてます」 「何それ!? もしかしてデキてるの?」 「ちちちち、違いますっ、そういう関係じゃないですっ」 「じゃあ、痴漢なのね?」 「違います」 「違わないじゃん。証拠もないのに」 「証拠はなくても、違うんですっ」 質問攻めに遭い、白崎がテンパっていく。 「なに? 結局イチャついてただけ?」 「違います!」 「何なのよ、結局痴漢じゃないのね?」 「違います!」 「痴漢なの!?」 「あ、あれ?」 「あ、あの……痴漢じゃないけど、付き合ってて……あれ? 違う。あれ?」 完全に混乱していた。 「付き合ってなくて、痴漢で……違う……あれ? あれあれあれ?」 「(嫌じゃなかった、嫌じゃなかった)」 「そう、そうですっ! 嫌じゃなかったんです!」 静寂が訪れた。 「……」 「……」 「…………あれ?」 『うわー、やる気なくなったわー』 『バカップルのプレイかよー』 『ないわー』 『はい、解散かいさーん』 ばらばらと人が散っていく。 どうやら、カップルが路上でいちゃついていたという結論に至ったらしい。 「すみません……あの……訂正を……」 相変わらず小さい白崎の声は、誰の耳にも届かなかった。 まあなんだ……白崎のお陰で助かったんだな、これは。 騒ぎが収まった後、白崎と桜庭、高峰を部室に招いた。 俺としては早急にお別れしたかったのだが、白崎には何か言いたいことがあるらしい。 人に見られたくなかったので、行く場所は自然と決まった。 「ここで休憩しよう」 「部外者が入ってもいいのか?」 「いいんだ。もともと、この部屋を使ってるのは俺だけだから」 施錠された扉を開く。 室内には西日が差していた。 空気が暖められ、紙とインクの匂いがより強く感じられる。 最も気持ちが安らぐ空気だった。 胸一杯に息を吸い込む。 「辛気臭い空気だな」 「わかってないな。この空気が最高なんだよ」 「そ、そうか……すまない」 どん引き顔で謝られた。 「まあいいや、適当に座ってくれ」 「座れっつっても、椅子に本が山積みなんだが」 「本をどかすのも、適当って言葉の中に入ってる」 「へいへい」 高峰が本をどかす音を背中に聞き、俺は外に面した窓を開ける。 待ちかねたように、太った猫が外から入ってきた。 「ひゃっ!? なんだこれ?」 「生物学的には猫らしい」 「猫? 餌のやりすぎじゃないか?」 「俺は餌付してないんだがな。どこかで調達してるみたいなんだ」 「名前は何ていうの?」 「儀左右衛門。普段はギザって言ってるよ」 なぜだかわからないが、こいつの名前と経歴は図書部に伝わっていた。 雑種のオスで、相当な高齢。 腹にためらい傷(去勢手術痕)があることから元飼い猫と見られるが、かなり前から放浪の旅をしている。 かつては、シベリアの大地を目指し、富山発の中古車輸送船に乗り込んだこともあるという。 「猫が嫌いだったら追い出すけど、どうする?」 「いや、私は平気だ」 白崎もうなずく。 二人の空気を理解したのかそうでないのか、ギザは緩慢な動作で椅子に飛び乗る。 そして、人間のように椅子に座りだらしなく足を開いた。 おきまりの座り方だ。 「おうふ……おう……ん〜、ナイス」 「今、ナイスって言わなかったか?」 「猫に何言ってんだ。いいから他の席に座れ」 「腑に落ちん」 グダグダ言いながら、高峰が椅子に座る。 「この部屋を使っているのは筧だけという話だが、図書部は一人だけなのか?」 「幽霊部員はかなりいるけどね」 「そういうわけだから、遠慮せずに休憩して」 それぞれが、買ってきた飲み物を口にする。 白崎は、ミルクはちみつジンジャーなんたらという、いろいろ混じった女子っぽい飲み物。 桜庭はジャスミン茶、高峰は缶コーヒー。 俺はいつも通りミネラルウォーター(中硬水)だ。 「白崎、さっきはありがとうな、助かったよ」 「なんて言っていいかわからないけど、白崎のお陰でうまく誤魔化せた」 「よ、喜んでいいのかな……」 それは俺もわからない。 「でも、やっぱりお礼なんて言ってもらう資格ないよ」 「わたしが最初から説明できてれば、騒ぎにはならなかったんだし」 「つぐみちゃんは、あがり症?」 「たくさんの人の前に出ると、どうしても緊張しちゃって」 「私の観察では、平均して18人を越えると、白崎のあがり症が発動する」 微妙な数字だ。 そして、マメにカウントしている桜庭は何者なのか。 「ま、何にせよ、助かったんだからOKってことで」 あのままだったら、俺は土下座することになっていた。 場を収めるための手段だったとしても、やっぱり土下座はしたくない。 「ねえ、筧くん」 「ん?」 「もしかしてなんだけど、さっき、土下座しようとしてなかった?」 「……」 「……いや、別に?」 見抜かれていたという気まずさもあり、さらりと嘘をついてみた。 「じゃあ、わたしの気のせいだね」 「わたし、土下座なんてさせちゃいけないと思って、気がついたら大声出してたの」 「あんなに大きな声を出したの、生まれて初めてかも」 恥ずかしいことを告白するように、白崎は言った。 「俺にも筧は土下座するように見えたね」 「しかし、筧は無実だろう? 土下座する必要があるのか?」 「場を収めるためならやっちまうんだよ、筧は。ま、お人好しってやつだ」 「ふうん……なかなかできないことだな」 桜庭が頼もしそうな目で俺を見る。 高峰は明らかに俺を立てようとしていた。 友人ならではの配慮はありがたかったが、ちょっといたたまれなくなった。 場を収めるために計算ずくの土下座をしようとした俺と、無実の土下座をさせないために叫んだ白崎。 お人好しなんて言葉は、白崎にこそふさわしいと思う。 「さて、そろそろ本題に入ったらどうだ、白崎?」 「何か言いたいことがあったんだろう?」 「え? あ……うん」 小さくうなずき、伏し目がちになった。 そして、考え込むようにペットボトルを両手で握る。 「……?」 桜庭の表情が硬くなった。 「もしかして、筧を誘うつもりなのか?」 「あ、うん」 白崎が、真剣な表情でうなずく。 「待て、今日会ったばかりだろう?」 「ダメかな?」 「それは……まあ、ダメということはないが……しかし」 「どんなこと?」 さっさと白崎に水を向けた。 「あの、ちょっと変な話なんだけど……」 言い出せないらしく、もじもじしている。 「わっ」 手に力を入れすぎたのか、白崎のペットボトルがぺこっと鳴った。 和む人だ。 「まずは言ってくれないと、何とも言えないよ」 「うん」 「あのね……この学園を楽しくするための活動に協力してほしいの」 二人と一匹が同じリアクションをした。 学園を楽しくする活動? 「それって、今朝配ってたビラに書いてあった話?」 白崎が意気込んでうなずく。 「わたし、汐美学園をもっと楽しくしたいの。協力してくれないかな?」 熱い瞳で見つめられる。 思わずOKしてしまいそうになるが、ここは冷静に行こう。 「えーと……どんな活動をする予定?」 「それが……ええと」 白崎の目が泳ぐ。 「実はまだ決まってなくて……これから考えていけたらと」 「……」 「……」 「ふぁっ、くぅ……」 「おい、この猫、危険なこと言ったぞ」 「言わねえよ」 高峰を黙らせ、白崎に向く。 「つまり、活動内容を考えるところから協力しろってこと?」 白崎が申し訳なさそうにうなずいた。 活動に協力するというより、活動をこれから一緒に始めようというニュアンスか。 ぶっちゃけ、ひどい勧誘だ。 「なんでまた学園を楽しくしたいんだ? 不満でもあるの?」 「特に不満はないです」 「不満はないけど楽しくしたいって……話が見えないんだけど?」 「あ、あの、ごめんなさい。順序立てて説明すると、ええと、つまり……」 白崎は、声を出さずに唇を小さく動かす。 一生懸命、言葉を組み立てているようだ。 「わたし、ずっと引っ込み思案な性格だったんです」 「それで、自分を変えなきゃって思って、そのために学園を楽しくする活動をしていこうって考えたんです」 「活動を通して人と関わっていけば、この性格も変わるかと思って」 「ほー、なるほど」 「でまあ、一人でやるのも何だから、仲間が欲しいと」 「ですですです」 今まで消極的だった人が、いきなりリーダーになろうというのだから気合いは入っているんだろう。 にもかかわらず、活動内容は未定。 やる気があるのかないのか、よくわからない。 「どうして自分を変えようと思ったの?」 「……」 白崎の動きが止まった。 「……実は、入院中の妹がいまして」 シリアスな話に突入した。 高峰が『地雷踏んじゃった、ごめんね』という顔で俺を見る。 ごめんじゃねえよ。 シリアスな話を聞かされたら断りにくくなるじゃないか。 話題転換だ。 「あー、なんだ、うん、その辺の話はまた今度で」 「ちなみに、具体的な目標はある?」 「最終的には、積極的な性格になるのが目標ですが……」 「とりあえずの目処として、〈GW〉《ゴールデンウィーク》くらいまでに何か手応えをつかみたいです」 GWは29日からだから、あと10日か。 あっという間だな。 「わたしの勝手な行動に協力してもらうわけですから、いつまでもというわけにはいきませんし」 いろいろと端折って言えば、白崎つぐみというちょっと変わった子に、GWまで付き合うかってことだ。 痴漢騒ぎで助けてもらった恩もあるし、多少のことなら協力したい。 しかしなあ……。 いかんせん活動がぼんやりしすぎている。 活動に参加すれば、読書時間も削られるだろうしな。 どうしたものか。 「筧くん、お願いします。一緒に活動して下さい」 「……」 「そんな活動に、筧君を参加させるわけにはいかないわ」 いつの間にか、戸口に望月さんが立っていた。 「あなたは、生徒会長の……」 「望月真帆です。こんにちは」 望月さんが部屋の面々を見まわし、笑顔を作った。 「望月さん、『そんな活動』ってどういう意味ですか」 「目的も活動方針も、おまけに動機も曖昧な活動のことよ」 「違うのなら訂正してくれて構わないけれど?」 「……」 白崎がむっとした顔をする。 「生徒会長ともあろう人が、わざわざ喧嘩を売りに来たの?」 「もしそうなら、私が全力で買わせてもらうけど」 「あら、お姫様と喧嘩なんてとんでもない」 桜庭の眉がぴくりと動いた。 「……さすが生徒会長は物知りでいらっしゃるのね」 「あら、有名な話だと思っていたけど」 なんか、二人が火花を散らしている。 「お姫様って?」 「黙ってて」 「こわっ!?」 「どことは言わないけど、大事なところがひゅーってなった」 「半分言ってるだろ」 漫才をやっている俺と高峰をよそに、女性陣が視線のバトルを繰り広げている。 「望月さんは、何の御用ですか?」 「筧君を誘いに来たのよ、生徒会役員に」 「え……」 「生徒会役員!?」 すごい勢いで、二人が俺を見る。 「か、筧くん、生徒会役員になるつもりなの?」 「名誉なことじゃないか。なろうと思ってなれるものじゃないぞ」 「私もそう思うんだけど、なかなか首を縦に振ってくれなくて」 やれやれといった仕草をする望月さん。 昼休みに断ったばかりなのに、放課後にリベンジされても困る。 いや、それくらいは望月さんもわかってるか。 とすると、何か状況が変わったってことか? 「ちょっと待って下さい。筧くんとはわたしがお話をさせてもらってたんです」 「あら、どんな話?」 「筧くんには、学園をよりよくする活動に協力してもらいたいんです」 「イメージが湧かないわね。もう少し具体的にお願い」 白崎がさっきの説明を繰り返す。 言葉足らずながらも、真摯に。 しかし、望月さんは、ようやく紡ぎ出される白崎の言葉を大した興味も示さずに聞き流す。 優秀な人間に囲まれて生活している望月さんにとっては、白崎の計画など杜撰なものに見えているだろう。 「もういいわ」 「筧君は高い能力を持っているの。あなたの意味不明な活動に参加させるわけにはいかないわ」 「ですから、活動内容はこれから考えていく部分で」 「最低限ビジョンを示すべきじゃない? あなたはそれすら固められていない」 「人を誘うなら、それなりの説明をするのが礼儀でしょう?」 「私は、筧君の能力を高く買っているし、ずっと前から勧誘しているの」 「横槍を入れるなら、もう少し準備をしてからにしてほしいわ」 「それは……」 白崎が言葉に詰まる。 望月さんの言う通り、白崎の勧誘は抜けてるところが多い。 でも、白崎も言葉でボコられるほど悪いことをしたわけじゃない。 「そもそも、学園を楽しくするってどういうつもり? 今の学園が楽しくないということかしら?」 「ち、違います。今も楽しいですけど、今よりもっと楽しくしたいってことです」 「ご不満の点があるのなら、生徒会宛に直接メールなりしていただいた方がありがたいわ」 「そのために相談窓口を開いているのだし、そもそも、学園生活の改善は私たち生徒会の役目よ」 「ですから、わたしは自分で活動を」 「生徒会には任せられないと?」 「違います、どうして悪い方に取るんですか」 白崎は頑張って食い下がっている。 でも、相手は望月さんだ。 このまま言い合いが続けば打ちのめされてしまうだろう。 「その辺でいいじゃないですか。あんまりいじめないであげて下さい」 「べ、別にいじめてなんて……筧君、勘違いしないで」 「……見えた」 「なによ?」 「いえ、なんでも」 桜庭がとぼける。 「あの、望月さん?」 「さんざん語ってもらった後で悪いですけど、お誘いは昼休みに断ったばかりですよね」 「そうだけど、筧君の状況が変わったんじゃない?」 望月さんが俺の目を見た。 「生徒会に鬼ごっこの報告が上がってきたのよ」 「なんでも、春の陽気に当てられたカップルが人目をはばからずってことらしいわね。しかも女の子の方が誘ったって」 「実名つきの噂、もう広まり始めてるわよ?」 「ご、誤解ですっ」 「私だって二人が付き合ってるだなんて思っていないわ。でも、噂って真実とは関係ないでしょう?」 「……」 そんな噂が広まったら、白崎が痴女扱いされてしまうかもしれない。 トラウマになりかねない噂だ。 面倒なことになったな。 「放っておくと、誤解が真実になるわよ」 「……今のままじゃ、ね」 望月さんが、優しい笑顔を作った。 「筧君も白崎さんも、こんなことで評判を落とすのは不本意でしょう? よかったら力になるわよ?」 「具体的には?」 「ウェブニュースなどの然るべき媒体で今回の経緯を説明するわ。もちろん生徒会役員の名前で」 「そうすれば、噂なんてたちどころに消えるでしょうね」 生徒会役員の手を借りれば、まず間違いなく潔白は証明されるだろう。 それだけの人望と力が、彼らにはある。 「でも、お高いんでしょう?」 「お代は俺が生徒会役員になること……ですよね?」 「ええ、悪くない話だと思ってるわ」 俺が役員になれば白崎が助かるのなら、悪くない話だ。 痴女なんていうレッテルは、白崎みたいな女の子には似合わない。 他人事といえば他人事だけど、ここで白崎を見放したら目覚めが悪くなりそうだ。 「望月さんには少しがっかりしました。この話は取り引き材料にしちゃまずいでしょ」 「そ、そういうつもりじゃ」 「まあでも、今回は感謝しないといけないかもしれません」 「俺には、噂をチャラにする力はありませんから」 みんなが俺を見ている。 揃いも揃って悲愴な顔。 ……特に白崎は。 でも、仕方ないじゃないか。 「なりますよ、生徒会役員に……」 「そんな取り引きは認められません!」 鋭い声と共に、白崎が立ち上がる。 椅子が床に転がり、軽い音を立てた。 「筧くん、取り引きなんてやめて」 「本当に生徒会役員になりたいならそれでもいいけど、違うなら考え直して」 「でも、それじゃ白崎が困ることになる」 「わたしのことはどうでもいいの。自分のことを考えて」 目が据わっていた。 「(こわー)」 「(白崎は、こういうのが一番嫌いなんだ)」 二人が小声で何か言っている。 「望月さんも、取り引きなんてやめて下さい」 「私はお互いにとってプラスになる道を提案しただけよ」 「何もできない人に、偉そうなこと言われたくないけど」 「わたしは我慢できます」 白崎以外の頭の上に、クエスチョンマークが浮かぶのを見た。 「痴女扱いされても我慢できます」 「筧くんがわたしのために嫌な目に遭うより、ぜんぜんマシです」 「いや……」 「望月さんも、こんな方法で筧くんを引き込んでも、仲良くなれないですよ」 「一緒に活動したいのはわかりますけど、手段がおかしいです」 「そ、そんなことは関係ないでしょう!?」 「私は純粋に筧君の能力を評価して……」 望月さんが狼狽する。 「うん、やっぱり、そういうことか」 「おわかりいただけましたか」 「な、なに? なに二人でわかり合ってるのよ?」 「いえいえ別に。さ、続けて」 しれっと言う桜庭。 望月さんが咳払いする。 「ともかく私は、筧君に協力してほしいだけです」 「痴漢騒ぎの件は、また別の問題として切り離して考えましょう」 「つまり、筧の返事にかかわらず、噂はもみ消してくれるということか?」 「え? ……それは」 「人の弱みにつけ込むというのは、軽いことじゃないと思う」 「それが生徒会役員のモラルだと言うのなら納得はしよう。全力で軽蔑はするが」 「く……」 苦虫をかみつぶした顔というのは、こういう顔を言うのだろう。 「ま、まあ……噂の件については期待してもらっていいわ」 「さすがは生徒会長、器が大きい」 「……おのれ」 小さく呟いて、望月さんがそっぽを向いた。 こんな風に話が転ぶとは思わなかった。 桜庭の切り返しのお陰で、うまく譲歩を引き出すことができた。 弱みにつけ込んでるのはどう見ても桜庭だが、そこはスルーだ。 「そ、それで、どうなの筧君。私と白崎さん、どちらを選ぶの?」 八つ当たり気味に話を振られた。 「え? そういう話?」 「そういう話だろう?」 「癒し系か才色兼備のお姉さん系か、お好みはどっちだ?」 「ほら、昨日ダウンロードした動画を思い出せ」 「落としてねえから」 「細かいツッコミはいい。どっちに乗るんだ?」 白崎と望月さんの顔を見比べる。 「……」 望月さんには悪いけど、譲歩を引き出したいま、生徒会役員になる選択肢はない。 なら、白崎の話に乗るのか? 提唱する活動プランは穴だらけ……というか、ほぼ思いつき。 自己改革のためだと言っていたが、どこまで本気なのか? だいたい、消極的な性格を改善するために、なぜ学園を楽しくする活動なのか? 裏に目的があるのではないか? よくわからない。 だが、白崎にはそれを上回る魅力があった。 痴漢騒ぎの時には、俺に土下座させないために大声を出した。 そして今、自分に有利な取り引きに抵抗した。 彼女は、俺が出会ったことのないタイプの人間だ。 おそらく白崎本人は感情で動いていて、細かい計算なんかしていない。 でも、一番深いところには、何らかの行動原理があるのだと思う。 今の俺にはそれがわからない。 ……。 わからない人は、知りたいと思ってしまう。 誰のためでもなく、俺自身の平穏な生活のために。 これはもう、俺の身に染みついた習性だった。 それに……。 白崎の活動にはGWまでという期限が区切られている。 多少の時間を白崎に費やしても、まあそこまでの損にはならないだろう。 白崎との関係が早々に切れたとしても、白崎から得た知識の分だけ世界の闇は減るのだから。 「白崎に協力するよ」 「そんなっ!?」 「望月さんには借りを作りたくないんです」 「筧くん……」 「白崎には痴漢騒ぎで助けられたから、その恩返しってことで」 白崎の表情が輝いた。 「ありがとうっ」 「お、おい!?」 白崎が俺の手を両手で握り、上下にぶんぶん振る。 びっくりするほど柔らかい。 「はい、じゃあ、お二人ともこっちを向いて下さい」 「え?」 ぱしゃり、と携帯カメラの撮影音がした。 「ちょっと、撮らないでください」 白崎が、俺の手を握ったまま真っ赤になる。 「白崎、手を離すのが先だろ」 「だな」 「わああっ」 俺の手が放り出される。 「すみません、つい」 「いや、いいけどさ」 「はあ……」 そんな俺たちの様子を遠目に眺め、望月さんは溜息をついた。 「また断られちゃったわね」 「そろそろ諦めてくれると嬉しいんですけど」 「どうしようかしら」 小さく笑い、望月さんが部室のドアに向かった。 「望月さんっ」 「なによ?」 「噂を消してくれるってお話、ぜひよろしくお願いします」 「そっちのクレバーなお姫様ならともかく、あなたが言うのはちょっと図々しいんじゃないの?」 「図々しいのはわかっているんですが」 「わかっているなら言わないで」 「望月さん、お願いします」 「はいはい、気が向いたらね」 これ以上話したくない、といった風にあしらった。 「それでは、お時間を取らせてごめんなさい」 「いや……」 また来てくれ、と言いそうになった。 困ったものだ。 「また来てくれ……ごふっ」 無言でボディーにパンチを入れた。 「それじゃ、お言葉に甘えて。必ずリベンジさせてもらうわ」 にやっと笑ってから、望月さんは出て行った。 台風一過というのか。 少しの間、口を開けなかった。 「白崎、これからよろしく頼むな」 「本当に協力してもらえるんですか?」 「もちろん」 「ありがとうございます。本当にありがとうございます」 何度も頭を下げる白崎。 「一応聞いておくけど、怪しい宗教とかじゃないよな?」 「だ、大丈夫です、そんなんじゃありません」 「ならよかった」 「しかし、筧がこんな話に乗るとは思わなかった」 「俺なら即決で両方断るね。どっちかに乗らなきゃならんってわけじゃないんだし」 「……あ、両方断ってもよかったんだな」 「もしかして、気づいていなかったのか?」 「だからお人好しとか言われるんだぜ」 「本当にいい人なんだね、筧くんは」 そういう結論で構わない。 白崎を知りたくなったからなんてことは、とてもじゃないが本人には言えないし。 「そういや白崎、今んとこ仲間は何人いるんだ?」 「玉藻ちゃんと筧くんとわたしの3人」 「筧は手を引いてくれても構わないぞ。白崎は私一人でも支えていける」 「ちょっと玉藻ちゃん」 「ははは、冗談だ」 にこりと笑う。 「というのも冗談だ」 「どっちだよ」 「筧を排除しようとまでは思わないが、実際、一人になっても白崎を支えるつもりだ」 「まだ活動内容も決まってないんだろう? 桜庭は今まで何を支えてたんだ?」 「支え始めたのが昨日からなんだ」 「キャリア浅っ」 「いや、白崎とは去年から友人だぞ。活動に誘われたのは昨日だが」 なぜか自慢げだ。 「ま、お手柔らかに頼むよ」 「ああ、こちらこそ」 「よろしくな」 何故か高峰が手を差し出してきた。 「は?」 「??」 「すまん、こいつ全般に冴えないんだ」 「ひでえな」 「高峰くん、本当に協力してくれるの?」 「ここまで話を聞いといて、俺だけ蚊帳の外ってのはちょっと寂しいからな」 「それに……」 「ここでボケが入るぞ」 「芸人殺しはやめてくれ」 「高峰くん、芸人だったんだ。そんな感じしてた」 完全に殺されていた。 「で、さっきの続きは?」 「桜庭ちゃんが気になってるからって言うつもりだった」 「言わなくて正解だ」 「しかし高峰、本当にこっちの活動に参加していいのか?」 若干、真面目なトーンで聞く。 高峰は空手の特待で入学した。 空手部は辞めているらしいが、とはいえ、遊んでいていいのだろうか。 「ああ、そうねえ……」 高峰は、一瞬だけ俺を見て小さく笑う。 心配すんなと目で言っていた。 「ま、ぜんぜんOK」 「高峰はOKかもしれないが」 「わたしは賑やかな方がいいと思うけど」 「まあ、桜庭ちゃんが渋るのはわかる。俺、大した芸がないからなあ」 「自分を卑下するなよ。あるだろ、いろいろ……な、ほら」 「中途半端にフォローすんな」 「た、高峰くん、強いんだよね。今日も、てやーってやってたし」 パンチの真似をする白崎。 「いい正拳だ。今度、もっといいパンチを教えてあげるよ」 「白崎を汚したら殺す」 桜庭が白崎を抱き寄せ、頭を撫でた。 「まあ冗談はともかく、今の面子は真面目なのばっかりじゃないか?」 「俺みたいな奴もいた方が、バランス取れると思うぞ」 「ああ、汚れか」 「ストレートに言われると割と傷つくな」 高峰が、窓から外を見て黄昏れた。 「なご……」 「慰めてくれるのはお前だけか」 「いや、帰るから窓開けてくれってさ」 「はいはい」 高峰が開いた窓から、ギザが出て行く。 「猫にも呆れられてしまったな。そろそろ話を戻そう」 「あ、うん」 「おう」 桜庭の声には妙な力がある。 強い言葉ではないのだが、説得力があるというか安心感があるというか、従ったほうがいい気がしてくるのだ。 いわゆるリーダー気質というやつかもしれない。 そういえば、望月さんが桜庭のことを『お姫様』とか言っていたな。 「さて白崎、高峰を仲間にしていいのか?」 「もちろん」 「よろしくね、高峰くん」 「おう、こっちこそ」 「全員同じクラスだし、相談なんかもできそうだな」 「えっ、同じクラスだったの?」 「まったく気づかなかった」 「それが普通だって」 1クラスが650人もいるのだ。 自分のクラスに誰がいるかなんか把握していないし、クラス単位で行動することもない。 ほとんど、事務処理上の括りと言っていい。 ここの生徒にとっては、専攻や部活といったコミュニティの方が重要だ。 「今日、日本史の授業で白崎が指されてただろ?」 「見てたの?」 「ばっちり」 「もっと早く言ってよ〜」 白崎が机に突っ伏し身もだえる。 そのとき、入口の扉がノックされた。 「どちらさん?」 「図書委員なんだけど」 「入ってもらって構わないよ」 入ってきたのは、見たことのない女子生徒だった。 身長は小柄だが…… 「人はなぜ、山に登るのか」 「山があるからだなあ」 白崎より胸が大きかった。 双丘を誇示するように、図書委員は腰に手を当て、全員の顔をゆっくり眺めた。 教師が自分のクラスの生徒の顔を一人一人確認しているような仕草だ。 短めの髪を左右でちょこんと結んだ、快活そうな髪型。 理知的な瞳と、少し気の強そうな眉と口元。 さらに、中性的な言葉遣いと相まって、自尊心が強い印象を受けた。 「あのさ、賑やかすぎるって苦情が来てるんだけど」 「は?」 「うるさいって言ってるの」 「『図書館ではお静かに』って紙が嫌ってほど貼ってあるでしょ?」 「すまない。個室だから声が抜けないかと思っていた」 「多少は大丈夫なんだけど、やっぱり聞こえるわけ。特に女の声は」 「そうすると、利用者様にさ、何とかしやがれって目で見られるのはこっちなの」 「すみません。注意します」 「ほいほい、よろしくね」 「じゃ、そんなわけで」 扉に向かった図書委員が、回れ右をする。 「どうした?」 「ここにいる人って、全員図書部員? 部員は一人だけって聞いてたんだけど」 「部員は俺だけだよ。あとは臨時のお客様」 幽霊部員は山ほどいるが。 「なーる。念のため、名前聞いていい?」 「高峰一景」 「さんきゅーどうも」 「って、君じゃなくて図書部員の人ね」 「筧。筧京太郎」 「了解。こっちは小太刀」 「珍しい苗字ですね。古い家のご出身ですか?」 「さあ、知らない」 「あ、はい……」 さらっとスルーされ、白崎がしぼみ、桜庭が少しむっとした。 「それじゃあ筧君、楽しいのは結構だけど、ほどほどに」 「あと、部外者はあんまり立ち入らせないように。ここは談話室じゃないんだから」 「ああ、気をつけるよ」 俺の返事を無感情な顔で受け、小太刀さんは出て行った。 「なかなか気合いの入った図書委員だったな」 「図書部に迷惑がかかっちゃったらごめん」 「気にしなくていいよ。今日はたまたまだし」 「何言ってんだ? 明日からもここが集会所だぞ」 「確かに便利そうな空間だ」 桜庭がモデルルームに来たような顔で部屋を見まわす。 「高峰、冴えているな」 「お褒めにあずかり光栄です」 不穏な合意がなされた気がする。 無数の本に、誰にも邪魔されない一人の空間。 ここは、俺の聖域だ。 死守せねば。 「ここは図書部の部室だ」 「今日は例外で、明日からは関係者以外立ち入り禁止にする」 「はい先生、図書部に入部します」 挙手する高峰。 「私も入部を希望しよう」 「いや待て、おかしいだろ」 「手続きに問題が?」 「あ、入部届が必要か。すぐにでも書こう」 「いや、待て……白崎、何とか言ってくれ」 頼みの綱だ。 常識的な反応を期待したい。 「図書部って、どんな活動をしてるの?」 「き、聞いてどうする?」 「一応、聞いてから判断しようと思って」 何を判断するつもりだ。 いや、わかりきってるが。 「図書部の活動は大変だぞ」 滔々と述べてやろうではないか。 無知な3人に説明してやる。 最も大切な活動は、読書会の開催だ。 部内で行うだけでなく、年に1回は近くの学校と合同で行う。 会報の作成も重要だ。 会報を通じ、読書会の報告やおすすめの書籍を紹介したりもする。 また、図書委員が忙しい場合には、図書館の整理なども手伝う。 「というわけだ」 「なぜドヤ顔を?」 「いろいろな活動があるんだね。ぜんぜん知らなかった」 「こう見えて、真面目に活動するとなかなか手応えがあるんだ」 「先生、質問です」 「はい、高峰君」 「説明してもらった活動のうち、どれか一つでも真面目にやってるんですか?」 「いい質問だね。廊下に立ってなさい」 「おい、活動していないのか」 それを言っちゃおしまいよ。 「目をそらすな」 「活動しなくて大丈夫なの? 部費とかもらってるんだよね?」 「部費はもらってない。変に請求して活動監査が入ったら面倒だからな」 「意外と小狡いな」 「静かに読書できる環境を守るためだ。多少はしたたかにならないと」 「筧くんは一人暮らし?」 「ああ」 「だったら、家でも静かに本が読めるんじゃないの?」 「本の香りがしないと落ち着かないんだ」 「家でも本の香りはするだろう?」 「図書館の香りはまた違うんだ」 「筧くん、大丈夫?」 喋るほどにダメになっていた。 そりゃそうだ。 ずばり、活動もせずに部室を占領しているだけだからな。 活動についてとやかく言わない学園だからこそ成立している、儚い楽園だ。 「活動内容はよくわかった。熱心に説明してくれて感謝する」 桜庭がまとめにかかる。 「活動は大変そうだが、有意義な時間が過ごせそうだ。ぜひ入部させてくれ」 完全に半笑いだった。 「俺も入部させてくれ」 「ごめんなさい、わたしも入部したいです」 こいつらの侵略を止める術はなかった。 「じゃあ、この紙に必要事項を書いて」 「涙拭けよ」 「うるせえ」 こうして、俺の聖域は無慈悲な侵略者により奪われたのであった。 場所だけは百歩譲るとしても、読書時間は何とか確保しなければ。 「よし、これで連絡先がわかったな」 桜庭の仕切りで連絡先の交換を終え、今日の活動は解散の運びとなった。 「明日の放課後、また部室で会おう」 「はいよ」 「明日は、具体的な活動内容を決めていかないとね」 「何かアイデアがある者は、明日までにまとめておいてくれると、白崎も大喜びだ」 「よろしくお願いします……って、筧くん、聞いてる?」 「あ、ああ」 俺は、さっきから冷たい会議机に突っ伏していた。 ショックが大きすぎる。 「ごめんね、筧くん。少し調子に乗っていたかも」 「いや、まあ、成り行きだ。頑張って活動していこうぜ」 「俺も頑張って読書するから、本を読んでいるときは集中させてくれ」 「一瞬、前向きかと思ったが、全力で後ろ向きだったな」 「筧くん……」 心から申し訳なさそうな顔で俺を見る白崎。 「冗談だよ。一度引き受けたことはちゃんとやる」 「俺だって自分の生活をつまらなくするつもりなんてないさ」 「だいたい白崎、あんたは学園を楽しくするって言ったんだ。もちろん、俺たちの生活も楽しくしてくれるんだろう?」 「もちろん……そうできたらいいと、思ってます」 「刺激的な毎日になるかどうかは、私たち次第だろう」 「誰かに楽しませてもらおうと思っているなら、図書部は不向きだ」 「さらりと、白崎の活動=図書部の活動って図式を作らなかったか?」 「なかなか鋭いな」 「その力を、ぜひ図書部のために使ってくれ」 先生、乗っ取り犯がここにいます。 「わかったよ……」 よろしく、と言いかけたところで携帯が鳴った。 「俺だ」 携帯を手に取る。 それと同時に、複数の着信音が部室に響き渡った。 「あれ? わたしもだ」 「私も来てる」 「俺もだ」 全員で顔を見合わせる。 ほぼ同時に4人の携帯が鳴ったのだ。 「こんなことってあるんだね」 「学園からの一斉メールか?」 メールを確認する。 新着がある。 「羊飼い……」 「え? わたしのメールにも羊飼いって名前が」 「私のもだ。来ているメールは図書部はまずまずの……という内容か?」 「それだ、同じのだ」 携帯を突き合わせて確認する。 全ての画面に同じ内容のメールが来ていた。 「なんじゃこりゃ? スパムか?」 「スパムなら、誘導のURLが書いてあるんじゃないか?」 「だったら、本当に羊飼いからのメールってこと?」 「羊飼いを騙った悪戯という線もある」 「わたしたちに悪戯なんかして楽しいのかな?」 「そもそも、私たちだけにメールが来たとは限らないぞ」 「同じメールを100人がもらっているかもしれない」 それぞれが、それぞれのペースで喋りだす。 予期せぬ事態に直面すると、性格が出て楽しい。 「混乱してきたな。順序立てて考えよう」 最初に場をまとめたのは桜庭だった。 今後も、仕切り役は桜庭になっていきそうな気がする。 「まず、この差出人に心当たりがある人はいるか?」 「羊飼いって言ったら……」 「……まあ、あの羊飼いだよなあ」 おそらくこの学園で一番有名な存在── 努力している人間の前に現れ、願いを叶えてくれるという謎の人物だ。 「しかし、私達の願いを叶えてくれるようなメールには見えないな」 「おめでとう、だもんなあ」 「そうでもないかも」 全員の目が白崎に注がれる。 「こっちのメール、見てくれるかな?」 白崎が、携帯を操作し一通のメールを表示させた。 「これは……」 今朝、俺がもらったのと同じメールだ。 俺も朝のメールを皆に見せる。 「二人とも同じメール……一体どういうことだ?」 「このメールをもらってすぐ、今朝の脱線事故があったんだ」 「未来を予言したってことか?」 「運命を変える出来事なんてのは定義が曖昧すぎる」 「受け手に、当たっていると思わせるためのテクニックかもしれない」 桜庭があくまで現実的な指摘をする。 「そうかもしれないけど、わたしは、メールの予言が当たったんだと思うよ」 「あの事故のお陰で、筧くんと話せるようになったんだから」 白崎は嬉しそうに微笑んでいる。 穏やかに読書がしたいという俺の願いは、羊飼いに届かなかったらしいが。 「桜庭、一つ気になってることがあるんだが」 「俺が白崎を押し倒してる写真があっただろ? あれの送り主を確認してくれないか?」 「ま、まさか」 桜庭が興奮した様子で携帯を操作する。 「同じアドレスだ……信じられない」 「じゃあ、今朝の段階で、筧くんと玉藻ちゃんとわたしの3人が、羊飼いからメールをもらってたんだ」 このことに一体どんな意味があるのか。 少しの間、部室には沈黙が降りた。 「う〜ん……」 高峰が、もったいぶった仕草で腕を組む。 「俺も、羊飼いからメールもらったような気がするんだけど、いつだったかなあ」 「仲間はずれだからって作るなよ」 「ひどっ!? ホントだって」 「ただ、スパムっぽいのはすぐ消しちゃうからなあ、残ってないんだ」 「疑ってもしょうがないから信じとく」 謎のメールをほぼ同時に受け取った俺と白崎。 直後、路面電車の脱線事故で、俺は白崎を助ける。 羊飼いを名乗る人物は、その時の光景を写真に収めており、桜庭に送った。 高峰もメールをもらっていたとすれば、ここにいる4人全員が羊飼いからメールをもらっていることになる。 「羊飼いは、わたしたちに興味があるのかな?」 「かもしれない」 「私は、写真を見て初めて、痴漢の犯人が教室で見かけた男だと気づいたんだ」 「つまり、羊飼いは、写真を送ることで私に筧を追わせたと見ることもできる」 「もしかしたら、羊飼いはわたしたちを出会わせるために?」 「結果から見れば、だろう?」 「桜庭に写真を送れば俺たちが出会うなんて、誰が予想できる?」 「予想していたとすりゃ、羊飼いは、白崎と桜庭の関係や性格まで把握してたことになるぞ」 「でも、羊飼いならそれくらいできるんじゃないかな」 「エスパーかよ」 「エスパーみたいなもんだろ。人の願いを叶えてくれるなんて、そもそも人間じゃない」 「まあ、待て」 桜庭が落ち着いた声で言う。 「一つ確認しておくが、メールの差出人が羊飼い本人だという証拠はあるのか?」 「いや、羊飼いなんてものが実在するのか?」 冷静な問いだ。 しかし、その問いに答えられる人はいないだろう。 迷える子羊を導く羊飼い。 年に2回はウェブニュースで目撃談特集が組まれているほどなのに、年齢はおろか性別もわかっていない。 どこからともなく現れ、どこへともなく消えていく。 その姿は煙のように曖昧だ。 実在しないのか、まだ見つかっていないだけなのか。 「羊飼いを信じてる人は挙手っ」 「はいっ」 「50%」 俺と高峰が、半分くらい挙手。 桜庭は挙げなかった。 「信じてるのってわたしだけ?」 「意外性がないなあ」 「あ、子供っぽいってこと? いいです、わかってますから」 自己完結した。 「心配するな。白崎は十分大人だ」 「玉藻ちゃん、胸を見て言わないで」 「仕方ないだろう、どこを見ていても目に入ってしまうんだ」 桜庭も、外から見えないところで壊れてる。 「さて、話を戻そう」 「先に逸らしたのはあんただろ」 「ともかく、このメールは気になる」 高峰はスルーされた。 「うん、俺の立ち位置見えてきた」 「ちょっとほろ苦い立ち位置だが」 高峰はそれでいい。 どうせ狙ってやっているのだ。 「少なくとも確かなのは、羊飼いを名乗る人物からメールが来たということだ」 「メールについて調べてみる価値はあるだろう」 「悪戯にしても何にしても、放置は気持ちが悪い」 「わたしは平気だけど……」 「なぜ余裕でいられる?」 「本当に悪意がある人は、わたしなんかじゃなくて、もう少し立派な人を狙うんじゃないかな」 前向きに後ろ向きだった。 「犯人は常に私達を監視していて、今もどこかで笑っているのかもしれないぞ」 「もしかしたら、ATMで暗証番号を押すところを見ているかもしれないし、オートロックの番号を知られるかもしれない」 「ちょ、ちょっと、脅かさないでよ」 白崎が真顔になる。 実際のところ、本物の羊飼いではなく、羊飼いを〈騙〉《かた》る何者かがメールを送ってきているケースの方が怖い。 「メールに返信してみたらどうかな?」 「スパムに返信するのは危ないだろ。やめておいた方がいい」 「そうなあ……」 「だったら、メールから差出人を特定したりはできないか?」 「プロバイダを調べるのがせいぜいだろうな。その先となると素人にはどうしようもない」 「情報を集めるなら、SNSとかそれっぽい掲示板かな」 「あとは、ウェブニュースのログあたりか。もしかしたら同種の事例があるかもしれない」 「私が、ざっと見ておこう」 「お願いね、玉藻ちゃん」 「任せておいてくれ」 やる気満々の桜庭である。 「あとは、友達なんかに、羊飼いからメールをもらったことがないか聞いておいた方がいいな」 「俺たちだけにメールが来たとは限らないから」 それぞれがうなずく。 「今のところできるのは、こんなところか」 「いたずらとはいっても油断は禁物だ」 「何かおかしなことがあったら、すぐ報告するようにしよう」 桜庭の言葉で議論が一段落し、誰からともなく小さく息をついた。 「メールのせいで話が長引いたが、今日はこんなところか」 「よかったら、記念撮影いいかな?」 白崎が鞄から小さなデジカメを取り出す。 「なんの記念?」 「新生、図書部結成記念」 クーデター成功記念だろ。 図書部は、今日結成されたわけではない、断じて。 「撮影とか、嫌かな?」 「いや、まあいいけど」 「はい並んで。あと、笑って下さいね」 何となく横一列になる。 「はい、笑ってくださいね〜」 「玉藻ちゃんは、もっと筧くんとくっついて」 「いや、でも……」 桜庭が少しだけ俺の方に寄った。 本当に少しだけだが、もう顔が赤くなっている。 「玉藻ちゃん。恥ずかしがらないで」 「お前、他人事みたいに……」 「はい、かわいいですよ〜」 白崎が強気だ。 カメラを構えると人が変わるのか? 「うん、ちゃんと撮れた」 白崎がカメラを下ろし、被写体の3人がそれぞれ距離を取った。 撮影直後の、何とも言えない気恥ずかしさを久しぶりに味わった。 「白崎、気が済んだか?」 「うん、もう大丈夫」 白崎がカメラを鞄にしまう。 「それじゃ、今日は解散しよう」 「私と白崎は帰らせてもらうが、そっちは?」 「俺はもう少し残るよ」 「俺も付き合う」 「じゃあ、また明日の放課後にね」 「またな」 立ち去りかけた白崎がこちらを向く。 「どした?」 「さっきは流されちゃったけど、今日はやっぱり、わたしの運命が変わった日だと思う」 「ありがとうね、筧くん。頼みを聞いてくれて」 「はいよ」 「あと、高峰くんもね」 「はいよー」 「それじゃまたっ」 白崎が部屋を出る。 何を話してた? うん、ちょっとねー、みたいな声がして、それも遠ざかっていった。 「俺は、おまけかって」 高峰が缶コーヒーを開けた。 「CMみたいな開け方だ」 「惚れた?」 「いえ、別に」 「どーでもいいけど、お前って、いつも缶コーヒー2本買うよな」 「もし片方に醤油が入ってても安心だろ」 「面倒だからスルーでいいか?」 机に片肘をつき、手近にあった本のページをぱーっとめくる。 かすかに風が起こり、古びた紙の匂いを運んできた。 「今日は修羅場すぎたよ……あー、この匂い、落ち着くわ」 「ほんと、本の匂い好きだよな」 「そのうち、若いOLの間で古書セラピーとか流行るね」 「『隠れ家系古書カフェで、知的な癒しを初体験』みたいな」 「20代女子ターゲットだな」 「『伝統ある古書の香りに包まれて、悠久の時の流れに身を任せる』ならどうだ?」 「シックに来たね。まあ30代後半からって感じだ」 「すまん、しょーもない話だった」 「お疲れだねえ、筧ちゃん」 後ろから肩を揉んでくる高峰。 「コントに出てくる番組ディレクターかよ。ピンクのセーター見えたわ」 「もちろん、そこを意識してるぜ」 ……。 …………。 「ふう」 「ふう」 しょーもないやりとりに、同時に息をついた。 高峰は再び椅子に座り、缶コーヒーを口にした。 「しかしまあ、妙なことになっちまったな」 高峰の声が、落ち着いたトーンに変わっている。 俺と二人で話すときの声だった。 さっきまでの高峰と今の高峰、どちらが素なのかは分からない。 今が自然体で、日頃は軽いキャラを演じているのかもしれなかったし、その逆かもしれなかった。 高峰のことは未だよく把握できていない。 少なくともわかっているのは、ここ1年で最も多くの時間を共にしたこの友人は、他人をシリアスに傷つけることがないということ。 そして、そもそも、他人のシリアスな部分には突っ込んで来ないということだった。 高峰と初めて出会ったのはいつだったか。 たしか、昨年の5月か6月、何かの授業中だったと思う。 読んでいた雑誌の記事が気になったとかどうとか、そんなきっかけで話すようになった。 それからしばらくは、授業で会ったり一緒に飯を食ったりといった程度の、つかず離れずの関係だったはずだ。 「まさか、お前と同じ部活になるとは思わなかった」 「高峰まで入部しなくても良かったんだぞ」 「桜庭ちゃんが気に入っちゃってね」 「嘘だな」 「ははは、どうかな」 「白崎次第だけど、けっこう時間取られるかもしれないぞ」 「まあいいさ、楽しければ」 「いや、そういうことじゃなく。再三になるけど、あるだろ? 本業がさ」 空手の構えを取る。 「筧は気にしなくていいよ。心配してもらえるのはありがたいがな」 どこか達観した笑顔に返す言葉もなく、俺は肩をすくめるだけで応じた。 「それより、筧はどうするんだ?」 「お前が、本気でつぐみちゃんの活動に参加するとは思えないんだが? ボランティアって顔じゃないし」 顔で判断するのかよ。 「協力すると言った以上、それなりにはやるさ」 「お人好しだろうが恩返しだろうが、無責任になるのはまずいし」 「そういうところ……素敵よ」 高峰がしなをつくった。 うぜえ。 「つっても、GWまでの期間限定だと思うけど」 「あー、つぐみちゃんも、そこらで一度区切りつけるって言ってたな」 「先のことはそのとき決めるよ。一週間も様子見れば大体の方向性はわかるだろ」 「妥当なところだろうね。俺もそうしよ」 「ま、明日からよろしゅー頼むわ」 「こっちこそ」 「んじゃーな」 日が落ちて少し経った、午後7時17分。 図書館から出た白崎と桜庭は、図書館前にある路面電車の停留所に向かって歩いていた。 周囲には、課外授業明けの生徒や、部活帰りの生徒の姿が多数見られる。 汐美学園では、遅くまで生徒の姿が絶えない。 課外授業や部活動が夜まで行われていることが一つ。 もう一つは、数ある学生食堂で夕食を済ませていく生徒がいるからだった。 敷地から人が消えるのは、大体午後9時以降。 それでも、研究等で泊まり込む生徒がいるため、どこかしらには人の気配がある。 現に理工関連の施設は、ここ一ヶ月ほど明かりが点きっぱなしだ。 「遅くなってしまったな」 「付き合わせてごめんね」 「私には謝らなくていい。昨日も言ったじゃないか」 「そうだったね」 「路電で帰るか?」 「少し歩こうよ、星も綺麗だし」 言葉が終わらないうちに、白崎はもう歩き出している。 桜庭は、いささか呆気にとられた後、小走りに後を追って横に並んだ。 「ご機嫌じゃないか」 「あ、わかった?」 「誰でもわかるレベルだ。筧が仲間になったのがそんなに嬉しいか?」 「べ、別に筧くんだからってことじゃないよ」 「どうかな」 「あー、意地悪言って。怒ってるの?」 「怒ってはいないが、説明が欲しいな」 「今日初めて会った人間に協力を頼むなんて不注意だ。危ない奴だったらどうするんだ?」 「痴漢の件だって丸く収まったように見えているが、完全に冤罪とは言えないんだぞ?」 「筧くんは痴漢じゃないって」 「そこまで信頼できる人間なのか?」 「信頼できると思ったから誘ったんだよ。さすがにそれくらいは考えてるつもり」 「玉藻ちゃんは、筧くんを危ない人だと思うの?」 「あいつは……頭の回転は速い奴だと思う」 「痴漢騒ぎのときも、土下座して事態を収拾しようとしたし」 桜庭は、頭で筧の実力を認めながらも、素直に彼を歓迎できなかった。 白崎が自分より筧を頼ってしまうのでは、という懸念があったからだ。 桜庭自身、賤しい感覚だと自戒しつつも、そう思ってしまうのだから仕方がない。 「勉強もすごくできるから、きっと力になってくれるよ」 「確かに、成績上位者リストにはいつも名前が載ってるが……しかし、学業と人格は別だろう?」 「もちろんそうだけど、筧くんは大丈夫」 「根拠はあるのか?」 白崎が黙る。 口を開いたのは10歩ほど歩いてからだった。 「実は、前に筧くんを見かけたことがあるの」 「昼休みだったかな。人がいっぱいの廊下で女の子がプリントを落としちゃったんだけど、そのとき拾うのを手伝ってあげてたのが筧くんだったの」 「ドラマか少女漫画の見過ぎだ」 「なんだその、やくざが雨の中で野良犬拾ってましたみたいな話は」 「でもでも、たくさん人が歩いていたのに、手伝ってたのは筧くんだけだったんだよ」 「だめ。8点」 「10点満点で?」 「100点満点に決まってるだろ」 「あ、じゃあこの話は?」 「朝、わたしが超満員の路電に乗ってるとき、ちょうど隣が筧くんだったの」 桜庭には、なんだかもう残念な予感しかしていなかった。 「わたし、ドアと筧くんに挟まれる感じだったんだけど、筧くん、ドアに手を突っ張って私に体重をかけないように立ってくれて」 「で、一目惚れか?」 「ちょ、ちょっと、さすがにそこまで惚れっぽくないよ」 「ただ、悪い人じゃないなと思ったってこと」 「筧は、単に痴漢だと思われたくなかっただけだ」 「違うって」 「そうに決まってる」 こいつは男にだまされる女だ。 そう思うと、桜庭は自分の恋愛経験の浅さを棚に上げて、暗澹たる気持ちになった。 「だったら、わたしの勘も捨てたもんじゃないってことだね」 「は? 何の話だ?」 「痴漢に間違われないように注意してる人が、脱線事故の脇で女の子を押し倒すわけないじゃない」 「だからわたし、証拠はなかったけど筧くんが痴漢じゃないってわかったの」 「ああ……」 だから白崎は全力で筧を弁護できたのだと、桜庭は理解した。 今朝の痴漢騒ぎの真偽は、筧の証言を信じるか信じないかが全てだ。 過去に筧が痴漢と間違われるのを避けようとしたという情報は、大きな判断材料にはなった。 とはいえ、白崎らしく穴だらけの理屈だ。 しかし、穴だらけの理屈を信じられることはある種の力だった。 穴のない理屈しか信じられない自分と白崎、どちらが人間的に魅力があるか。 桜庭は、答えを思い浮かべて自嘲しつつも、すぐに思い直す。 まあいい、どうであろうと自分は変えられない。 それに、そんな白崎だからこそ支えようと思ったのだから。 「しかし何だな、向こうはお前のことを覚えていなかったな」 「白崎がこれだけ覚えているのに、失礼な奴だ」 「あはは。でも、電車で隣になった人の顔なんか覚えてないのが普通だよ」 「それもそうか」 「しかし……」 桜庭の目が肉食獣のような鋭い光を帯びる。 「な、何?」 「筧の奴、この胸に触るとは」 桜庭が隣を歩く白崎に手を伸ばし、豊かな乳房をたゆたわせる。 「ちょ、ちょっと、玉藻ちゃん」 「うーん、許せないな」 「玉藻ちゃーん」 「筧め」 理知的な顔の美少女が、前を向いたまま横手に胸を触る光景はかなりシュールだ。 しかも桜庭は、複雑な数式を前にしたかのように難しそうな顔をしていた。 「玉藻ちゃん。あのー、そろそろ」 「あ、ああ、すまない。考え事をしてしまった」 桜庭が白崎の胸から手を離す。 「ほどほどにしてくれないと、本気でそっちの趣味があるのかと思っちゃうよ」 「ははは。もちろんある」 「もう、玉藻ちゃんは」 二人の影が、学生寮への曲がり角へと届いた。 「あ、もう着いちゃった」 「疲れただろうから、今日はゆっくり寝ろよ」 「うん、玉藻ちゃんもね」 「ありがとう」 「ま、筧が信頼できるかどうかは、今後の動きを見て考えよう」 「よかった。筧くんを認めてくれたんだね」 花のような白崎の笑顔に一瞬見とれる桜庭。 だが、すぐに目をそらした。 「別に認めてはいない」 「私はいつも白崎の判断を尊重している。それだけだ」 「ふふふ、ありがとう」 「わたしは、玉藻ちゃんがいろいろ言ってくれるから、すごく安心だよ」 「みんなと話をするときも、玉藻ちゃんが仕切ってくれないとなかなか前に進まないしね」 「そ、そうか。まあ、そう言ってもらえるとありがたい」 桜庭が、頬の紅潮を隠すように咳払いをした。 「そ、それじゃあな。夜更かしするなよ」 気恥ずかしさに蹴立てられ、桜庭は早足で正門への道を進んだ。 高峰が出て行き、一人になった。 部屋にはまだ、先程までの喧噪の記憶がある。 静寂に浸かって生きてきた本達が、突然の騒ぎに驚いているかのようだ。 窓を開き、換気をする。 窓の下半分からは潮の香りがする夜気が流れ込み、上半分からは暖まった空気が出て行く。 ふと、切なげな余韻が胸をかすめた。 捉える間もなく、それは去る。 「なご……」 鈍重な足取りで、ギザが現れる。 のそりと窓から入り込み、大胆な恰好で椅子に座った。 鼻を2、3度ひくひくさせた後、いびきのように鼻を鳴らす。 それが合図となったかのように、部室はもう慣れ親しんだ空気に戻っていた。 何も変わりはしない。 俺は俺のまま、硬派な図書部員であり続ける。 「な、ギザ」 「おういえ」 猫離れした、いい返事だ。 さて、本でも読むか。 読みかけの本の頁を開く。 ひらりと、栞が机に落ちた。 ガキの頃から使っている古びた栞だ。 こいつをもらったのは、何年前になるだろうか。 街外れの小高い丘の上── 見晴らしのいい公園のベンチで、俺は本を読んでいた。 ガキの頃の日課だ。 あれは確か、秋口のよく晴れた日のことだったと思う。 開いた本に影が落ち、俺は視線を上げたのだった。 「君みたいに、必死な顔で本を読む子は初めて見たよ」 そいつは、出し抜けにそう言った。 どういう顔をしていたのか、どういう会話をしたのか、ほとんど覚えていない。 そのくせ、会話の一部だけはやたら鮮明な記憶として残っていた。 「なるほど。つまり君は、この世の全てが書かれている魔法の本が欲しいんだね?」 「うん、そうなんだ」 「おじさんは、その本の在処を知っているよ」 「本当に?」 「魔法の本はね、魔法の図書館にあるんだ」 「でも、魔法の図書館には誰もが入れるわけじゃない」 「僕は入れるの?」 「それは、これからの君の努力次第だな」 「どうしたらいいの?」 「人に優しくすることだよ。心から人の幸せを願うんだ」 「よくわからない」 「ふふふ、いつかわかる日が来るよ」 「その日が来たらおじさんが迎えに来よう。そしたら、魔法の図書館に案内してあげる」 「うんっ」 「これは、図書館へのチケットだ。絶対になくしちゃいけないよ」 そう言って、渡されたのがこの栞だ。 当時の俺は、おっさんと別れた瞬間から、本気で人に優しくする方法を考え、実行し続けた。 魔法の図書館なんて実在しないとわかっている現在でさえ、その癖は俺の中に息づいている。 三つ子の魂百までじゃないが、ガキの頃の習慣は抜けないものだ。 しかし、あのおっさんは何者だったのだろう。 ま、顔も覚えていないんじゃ、どうしようもないが。 「……」 思えば、俺と一番長い時間を共にしているのは、親でもなく友人でもなく、この栞だ。 机の上の栞に軽く触れてから、俺は本に視線を落とした。 朝か。 上半身だけを起こし、ベッドボードの携帯を探す。 ん? 寝ている間にメールがあったようだ。 「……ああ」 生徒会長の望月さんからのメールだった。 題名、昨日はありがとう。 本文は以下の通り。 『昨日は、時間を取ってもらってありがとう。 結果は残念だったけれど、気が変わってくれることを期待しています。 また会いましょう。 ウェブニュースの件ですが、しかるべく対応しておきました。 取り引きのようなことをしてしまった、せめてもの償いです。 気分を害してしまってごめんなさい。 それでは、楽しい学園生活を!』 律儀な人だ。 メールの一番下に、ウェブニュースのURLが貼ってある。 リンク先に飛ぶと、訂正とお詫びというページが表示された。 内容を要約すると、『痴漢報道は誤りで、実際は女子生徒を助けようとした男子生徒の勇敢な行動だった』とのことだ。 証言者として、生徒会副会長『多岐川葵』という名前が紹介されている。 これなら生徒たちも記事を信用するだろう。 痴漢呼ばわりされる可能性はなくなったということだ。 「ふう、助かった」 安堵に身を任せ、もう一度ベッドに横になった。 ガキの頃から、登下校の時間は読書に充てている。 白崎と謎の活動を始めたせいで、今後は、昼休みや放課後の読書時間が削られるかもしれない。 朝晩を大事にしないとな。 というわけで、いつもより読書に集中しなければならないはずなのだが…… ページをめくるタイミングで、前を歩く女の子の脚線美に目を奪われてしまった。 無駄な肉がなく痩せすぎてもいない、しなやかなライン。 朝日を受けて自ら輝いているかのように見える、張りのある肌。 その白さを際立たせるソックスの黒。 革靴、靴下、ふくらはぎ……と視線を上げて行く。 見慣れたスカートのチェック模様。 そして、スカートにかかりそうな位置に黒髪の束が見えた。 さらに視線を上げる。 艶やかな髪のうねりは、背中を遡り、頭頂に近い部分に収束する。 腰まで届くポニーテールとは立派なものだ。 素晴らしい後ろ姿だった。 で、問題は顔を見るかってことだ。 後ろ姿が美しければ美しいほど、ナニがアレだった場合の衝撃は大きい。 どうする、筧京太郎?どうする、筧京太郎?リスクを取らねば大きな成功もない。 いや、リスクを取らないことこそがリスクだと言っていた人もいる。 やってやる。 歩調を速め、女の子を追い抜く。 3メートルほど距離を取ってから、雲の形でも眺めるように、さりげなく振り向く。 「……」 普通に桜庭だった。 まあ、なんて言うか、そんな気はしてたんだよな。 「筧じゃないか、おはよう」 「あ、ああ……おはよう」 「どうした? 元気がないな」 桜庭が心配そうな顔で俺を見る。 正面も綺麗だった。 「いや、桜庭でよかった」 「……」 「い、いきなり何を言うんだ……」 「くちんっ! くしゅんっ!」 赤面したと思ったら、桜庭がくしゃみを連発した。 「まったく、筧が変なことを言うから、くしゃみが出てしまった」 リスクを取らねば大成功はないかもしれない。 しかし、人一人が取れるリスクには限度がある。 だから、取るべきリスクとそうでないリスクを見極める力が大切になってくる。 ここはリスクを取らない。 決して敗北ではない。 勝つために、撤退するのだ。 そう決めて、俺は本に意識を戻す。 さようなら、そしてありがとう、美しい後ろ姿。 「くちんっ! くしゅんっ!」 後ろ姿がくしゃみを連発した。 思わず振り返ると、恥ずかしそうに周囲を窺っていた女の子と目が合った。 「……」 桜庭だった。 まあなんだ……正面も可愛くてよかった。 「ああ、筧か。おはよう」 「どうもこの時期は花粉がいけない……今日は多い日みたいだ」 そんなことより、読書の方が大事だ。 本場の図書部員は、女の色香などには惑わされない。 むしろ、『色香』という活字から立ち上る色香にこそ酔うべきだ。 あれほど騒いでいた胸が、すっと静かになる。 また一歩、賢者に近づいた実感。 「くちんっ! くしゅんっ!」 後ろ姿がくしゃみを連発した。 「あ……」 女の子と目が合った。 桜庭だった。 まあなんだ……正面も可愛くてよかった。 「筧……か。おはよう」 「どうもこの時期は花粉がいけない……今日は多い日みたいだ」 涙目で、少し赤くなった鼻をハンカチで押さえる桜庭。 「4月下旬まで続くのは大変だな」 「いつもGWを過ぎれば収まるんだが、それまでは大変だ」 「筧、花粉は?」 「今んとこ発症してない」 「羨ましい限りだ」 桜庭がハンカチをポケットにしまう。 「しかし、登校中に会うとは思わなかった」 「まったくね。縁があるのかもな」 「さて、どうかな」 桜庭が笑う。 「ところで、筧は歩きながら本を読むのか?」 桜庭が、俺が持っている本を見ながら言った。 「ああ。でも、前方には注意してるから、心配しなくていい」 「とはいえ、何事にせよ『ながら』というのは行儀が良くないぞ」 「悪いけど、そこまでかっちりした躾は受けてないんで」 「なら仕方ない」 それ以上咎めるでもなく、桜庭が歩きだす。 案外さっぱりした性格らしい。 本を読みながら俺も隣に並ぶ。 「桜庭の家は躾が厳しそうだな」 「どうしてそう思う?」 普通、人に『ながらは行儀が悪い』などとは言わない。 「まあなんだ、仕草の一つ一つがきちんとしてるし」 「そんなものか」 嬉しそうな顔一つしない。 「望月さんが言ってた、姫ってのと関係あるの?」 「あのときの、私の反応を覚えていないのか?」 桜庭が睨んできた。 「からかうつもりはないよ。好奇心で聞いただけだから、教えてくれなくてもいい」 桜庭は、真意を窺うように俺の目を見つめた後、小さく溜息をついた。 「桜庭家は江戸時代から続く藩主の家なんだ。これでも実家に帰ればお姫様でね」 桜庭家という大名家はあっただろうか? 農村史か何かの本で読んだ気がするけど、思い出せない。 「直系ってことか、すごいな」 「たまたまそういう家に生まれただけだ。別にすごくはない」 俺の社交辞令を、律儀に訂正してきた。 「昨日、俺を追い掛けてきた女の子は、家臣かなんか?」 「ただの友人だ。ちょっと助力を頼んだだけで」 「なーんだ。取り巻きがぞろぞろいるのかと思ったよ」 「私にそんなカリスマはない」 「実際、言わなければ姫には見えないだろう?」 桜庭が冗談めかして笑う。 「さっき、仕草がきちんとしてるって言ったじゃない」 「行儀作法とかいろいろ仕込まれたんだろ?」 「まあ、茶道だの華道だのといった習い事は一通りな」 「立派に姫じゃないか。謙遜することない」 「もうやめてくれ、持ち上げられる意味がよくわからない」 「私は大した取り柄もない人間だ」 自己評価が低いんだな。 自分に厳しいとも言えるが、同時に甘いとも言える。 「そんなことはないさ」 「これだけ人が歩いている中で桜庭に気づいたのも、後ろ姿がガチで綺麗だったからだ」 「つ、つまらないことを言うな」 桜庭が目を逸らす。 隠そうとしているのだろうが、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。 「一つアドバイスしておくが、こういうときは内面を褒めるものだ」 「参考にしとく」 「大体な、女性を外見でしか見ないというのは失礼だ」 「外見と内面が伴ってこその魅力なのであってな、つまり茶道で言えば、作法ともてなしの心が一体となってはじめて……」 照れ隠しであろう言葉をBGMに学園を目指す。 自己評価の低さと合わせて考えると、桜庭という人は、褒められ慣れてないタイプなのかもしれない。 ま、なんにせよ、昨日あまり話ができなかった桜庭と会話できたのは良かった。 本日最後の授業、図書館学概論が終わった。 授業中、図書部の存在が図書館にとって邪魔でしかないように思えたが、事実なので無視することにした。 部室前には、すでに白崎の姿があった。 なんで廊下に突っ立ってるんだ? 「筧くん、こんにちは」 「おう……あ、鍵か」 「持ってるの俺だけだった。待たせて悪かったな」 「ううん、大丈夫」 そうか、部室の鍵はまだ俺の手にあるんだな。 部室はまだ俺のものってことだ。 鍵を開く。 「桜庭は?」 「そろそろ来ると思うよ。午後の授業が違ったから別行動なの」 「白崎は何取ってるの?」 「今日は栄養学。玉藻ちゃんは美学概論だって」 「筧くんは?」 「図書館学概論」 「高峰くんは?」 「さあ?」 「意外。何でもわかり合ってると思ってた」 「いつから危険な設定ができたんだ」 「二人の話してる感じとか見てたら、誰でもそう思うって」 笑いながら、白崎が昨日と同じ席に座る。 俺は、いつもどおり、席に座る前に窓を開き、ギザを迎え入れた。 「あ、ギザ様。こんにちは」 「お゛う゛」 酒焼けしたような声を出し、ギザは椅子に座った。 俺も着席して本を開く。 断固、本を読むぞ。 「ギザ様って、何歳かな?」 「知らない」 「飼い主さんはどうしてるの?」 「さあ」 「いつから部室にいるの?」 「最初から」 「どうして人間みたいな座り方するの?」 読書させないつもりらしい。 「……俺、本読んでるんだけど? あと、そいつはオスね」 「えっ、あ、ごめん」 白崎がうつむいた。 「(二人でいるのに本読まないでよ〜)」 「なに?」 「いえいえいえいえ」 静かになった。 これでいい。 ……。 …………。 ………………。 本のページの端っこで、何かがピコピコ動いている。 直径2センチくらいの球体で、ピンク色の小さい袋に入っている物体だ。 「飴、舐める?」 「いらない」 頬杖をつき、白崎から身体の向きを逸らす。 ……。 …………。 ………………。 「ね、ねえ、筧くん」 「……」 「あの、ギザ様が……」 またギザか。 いい加減しつこい。 「脚を開いて、意味ありげな視線を送ってくるんだけど」 「猫がセクハラすんなっ」 「ふぉふぉふぉ」 「え? わたしたちに会話を持たせる配慮?」 「んな配慮するか」 「ギザ様、いろいろ考えてくれてるんだね。はい、ごほうび」 俺をスルーして、白崎がギザの腹を指先で撫でる。 「はにゃっ、はにゃっ、はにゃっ」 ギザは、脚の先を痙攣させてご満悦だ。 そのまま昇天して帰ってこなくていい。 「白崎、猫に騙されてるぞ」 「だって、筧くんが無視するから」 「無視はしてない」 「してるって。活動初日だっていうのに、これじゃ寂しいよ」 「みんな揃うまで本読んでるだけだ。白崎も好きにしてればいいじゃないか」 白崎がぶすっとした顔で俺を見た。 目が据わっている。 俺から視線を逸らさぬまま、頬を膨らませた。 つまり何か? 泣くぜ? このままだと泣くぜ? ってアピールなのか? いや、フェイクか? 泣くふりか? 読めない。 こういう攻め方をしてくるキャラだったのか。 「いやまあ、そうだな。5分くらい本読んでも、たいして進まないよな」 「ほら、ストーリーも頭に入ってこないしさ」 言い繕う。 しかし、白崎はまだ俺を睨んでいる。 おのれ。 テーブルに転がっているあめ玉を取り、包装紙をとって口に放り込む。 「お、イチゴミルク。うわっ、何これうまっ!」 「とちおとめ入ってる? え? あまおう? はい、あまおう来たー。いま来た。福岡から来た!」 「……」 「生暖かい目で見ないで。すごくきつい」 「……」 「……ふふっ」 天岩戸をこじ開けた気分だ。 「頼むから怒るなよ」 「怒ってないって。拗ねただけ」 「よかった」 ぐったりした。 「そんなに慌てなくてもいいのに」 「女の子に泣かれそうになったら、誰でもこうなる」 「そうかなぁ。筧くんはきっと優しいんだね」 そういう結論に持っていくならそれでいい。 「筧くんは、どうしてここまで本が好きなの? ちょっと変わってるよね」 「読書中毒だから」 「ちゃんと答えて」 「ちゃんと答えたって」 「俺はいつだって本を読んでいたいんだ。理由なんてない」 とか言いつつ、本当はちゃんとした理由がある。 書物は闇を照らす光だ。 1冊読めば、この世の闇が1冊分減る。 つまり、本を読めば読むほど世界は明るくなり、平穏な生活に近づけるというわけだ。 うむ、揺るぎない論理。 でも、人に話すのはちょっとためらわれる。 キモいと思われそうだしな。 「読書も楽しいと思うけど、みんなで部活をした方が楽しいんじゃないかな?」 「そりゃ人それぞれだろ。俺は読書の方が楽しい」 「ずばっと言うね」 白崎がジト目になった。 「だったら、どうしてわたしに協力してくれるの? 本を読んでた方がいいと思うんだけど」 「俺に協力してほしかったんじゃないのか?」 「それはそうだけど、無理矢理やらせてるなら申し訳ないよ」 「俺だって嫌々やってるわけじゃない。痴漢騒ぎで助けられたお礼だって言ったじゃないか」 「それに、GWまで様子を見てから、やめるか続けるか決めてOKってことだったし」 「……」 白崎が考え込む。 当然、部員には積極的に活動してもらいたいと思ってるだろう。 「よし、決めた」 「GWまでに、筧くんから続けたいって言ってもらえるように頑張るよ」 「ほー」 つまりは、白崎の活動に、それだけの魅力を感じさせてくれるってことか。 かなり難しそうだが。 「無理だと思ってるでしょ?」 「いやいやいや」 「これは、真剣勝負だからね」 「活動がつまらなかったら、ひと思いにずばっと斬っちゃって」 「その方が、きっとお互いのためだと思うから」 白崎が笑った。 意外と腹が据わっている。 「わかったよ。そのときが来たら、俺もしっかり返事する」 「うん、よろしくね」 何が彼女を活動に駆り立てているのだろう。 入院中の妹がどうとか言ってたが……。 「うーす」 「こんにちは」 桜庭がきちっとした挨拶をした。 「あ、みんな」 「よう」 「どうした、シリアスな顔で向き合って」 「筧くんに挑戦状を叩きつけてたの」 「はあ?」 「GWまでに、俺が図書部に残りたいと思えるようにしてくれるんだってさ」 「やめたいなら、今やめてもらっても構わないぞ」 桜庭の目は本気だ。 「玉藻ちゃん、そういうこと言わないで」 「だが……」 言いかけて、桜庭は言葉を飲み込んだ。 「まあいい、様子を見させてもらう」 「そうしてくれると嬉しい」 俺も、今すぐ辞めるつもりはなかった。 「さて、今日の活動を始めよう。席に座ってくれ」 各自が昨日と同じ椅子に座る。 会議の開始を告げるように、桜庭が自前らしいノートPCを開く。 合わせて俺も本を開いた。 「筧、なぜいきなり本を開く」 「心の壁なんだ。大丈夫、話は聞いてるし発言もする」 「いや、爽やかな笑顔で言われても、そんな主張は通らない」 「読まないと死ぬと言ったら?」 「いいから本を閉じろ」 「オーケー、本は開くが読まない。このあたりを落としどころとしよう」 「わかった。というか、どうでもよくなった」 「話を進めよう。まずは知人への聞き込み結果だ」 「羊飼いからのメールをもらったことがある知り合いはいたか?」 全員が首を振った。 俺も、クラスの顔見知りに話を振ってみたが、まったく情報はなかった。 「俺はオカルト研究部に行ってみたんだが、話が長くなりそうなんで打ち切った」 「ありゃ、大したネタは持ってないな」 「……」 桜庭が驚いたような顔をする。 高峰はこういう奴だ。 意外と律儀に仕事をしていたりする。 「そこは監禁してでも話を聞いてくるところじゃないか」 「うっそ!?」 斜め上のリアクションに、高峰がうなだれた。 「私は、ネット関連で情報を集めてみた」 桜庭が資料の束を見せてくれる。 ウェブニュースの記事やSNS、あとはそれっぽい掲示板のログなんかが集められている。 「これ、一晩で作ったのか?」 「単に記事をコピペしただけだ。大した時間はかかってない」 桜庭はさらりと言うが、コピペにしても結構な労力だ。 場を仕切る力があるだけじゃなく、事務処理能力も高いらしい。 いや、一番すごいのは、地道な作業をしっかりやろうとする根気か。 俺なら、面倒になってさっさと読書タイムに切り替えてしまうだろう。 「ありがとう、玉藻ちゃん。見せてもらうね」 資料のページを繰る白崎。 その姿を、桜庭は穏やかな顔で眺めている。 しばらく時間をかけ、全員で資料を回し読みした。 資料に集められていたのは、羊飼いの目撃談やら体験談だった。 まず、羊飼いのビジュアルは、性別年齢ともに様々。 おじさんだの女の子だのといったレベルでしか書かれていない。 具体的なエピソードは20件ほど。 直接会ったり、手紙をもらったりで、その通りに行動したら願いが叶ったというネタが多い。 ただ、俺たちのようにメールをもらったというエピソードがなかったのは気になる。 例えば…… 「わたしー、陸上で短距離の選手をやっているんですけどー」 「3日前に大会があったんですけど、会場に行く途中で、変なおじさんに今日はバスはやめたほうがいいって言われたんです」 「頭おかしいのかなーとか思ったんですけど、気味悪いんでバスはやめたんです」 「そしたらー、私が乗るはずだったバスが事故ちゃってー、マジで助かっちゃったー、みたいなー」 といった内容だ。 あとは、試験の答えがわかっただの、女の子への告白が成功しただのといったものがあった。 羊飼いの正体を突き止めようと頑張った人の記録もあるが、結果は芳しくない。 「似たような話は削らせてもらった。これでも3分の1くらいにはしている」 「時間をかければ、話はまだまだ拾えるだろう」 「なんか、宇宙人の目撃談を読んでるみたいだな」 「結局、正体はわからないところも似てるね」 「でも、現状は把握できてよかった。あとは俺たちの調査次第だな」 「……といっても、早速手詰まりだけど」 「何か動きがあるまでは様子見といこう」 「待てば海路の日和ありってな」 方針を確認し、羊飼いの件はこれで中断となった。 「さて、次は図書部の活動についてだ」 完全に司会者役になった桜庭が仕切る。 「まずは、発起人であるところの白崎の意見を尊重したいが、どんな活動をしたい?」 「うん、ちゃんと考えてきたよ」 白崎がビジョンを語る。 要約すると、白崎は図書部を学園の便利屋みたいなものにしたいらしい。 つまりは、生徒の依頼を受けて行動するチームだ。 生徒会にも目安箱みたいなものはあるが、相談をするにも敷居が高いし、個人的な案件は扱ってくれない。 そういう、行き場のない相談に乗るのが図書部ってわけだ。 小さな問題をいくつも解決することで、学園はより楽しい場所に変わる── それが、白崎の見通しだった。 「異論がある人は?」 俺も高峰も異論はなかった。 「んで、どうやって相談を集める?」 「突然ご相談に乗りますって言っても、誰も相談なんてしてくれないと思うの」 「やっぱり、ある程度の実績というか、知名度がないといけないね」 「安心して相談できる窓口も必要だな」 「ウェブサイトがいいんじゃないか? 顔を合わせずに相談できるし」 「そうだな、考えておこう」 桜庭がうなずきながら、ノートPCで何かを打ち込んだ。 「問題はどうやって知名度を高めるかだな。見てくれる人がいなくちゃ相談も来ないし」 「最初に考えてるのはゴミ拾いなんだけど……」 「は?」 「ゴミ拾い。学園を綺麗にします」 力強く言う白崎。 「いや、こうさ……しょぼくない?」 「す、ストレートだね、高峰くん」 「すまん」 「でも、ゴミ拾いで知名度が上がるのか? 一億円でも拾えば別かもしれんけど」 「んなもん拾いたくないわ」 「ビラでも配った方が手っ取り早くない? 昼休みの放送で宣伝を流してもらうとか」 「実績がない状態で宣伝を打っても、怪しまれるだけだと思う」 「例えば、もらったビラに『ゴミ拾いやります』って書いてあったとするだろ?」 「それを読んだとき、ああ昨日ゴミを拾ってた奴らかという風に繋がらないと、信頼されないと思う」 「宣伝も実活動も、両方必要ってことか」 「はじめに行動ありきと宣伝ありきってのだと、前者の方が信頼を得やすいだろうな」 「う〜ん……」 「花粉症の私が野外活動をすると言っているんだ。お前も付き合え」 「わかった。いっちょやってみるか」 「え? 決めちゃっていいの?」 「いや、白崎が提案したんだろ?」 「それに、今日は俺たちの初陣だ。まずは大将のやりたいことをやってみよう」 微笑みを作って言う。 わずかに戸惑った白崎だが、すぐに笑顔になった。 「それじゃみんな、今日は日暮れまでゴミ拾いをします!」 約20分後。 ゴミ袋と軍手を装備し、俺たちは学食の前にいた。 どうせ拾うなら目立つところでやろうと、この場所に決まったのだ。 放課後の学食前はかなりの人通りがあり、そこらの地方都市の駅前にも負けない。 人通りが多いだけあって、ゴミはそれなりに落ちている。 毎朝、数多くの清掃員が掃除をしているし、生徒達のマナーも悪くない。 でも、5万人が生活していればどうしたってゴミは出る。 「じゃ、始めよっか」 「ちなみに、一番たくさん拾った人には飲み物を1本プレゼントします」 「うわーい、やったー」 「ひゃっほー」 ハイテンションの体で、高峰とハイタッチをした。 植え込みや、道路の端を中心に作業を進める。 正直、人前でのゴミ拾いは恥ずかしい。 周囲への意識を遮断し、黙々と作業をしている自分に気づく。 そう、これは、俺とゴミとの真剣勝負だ! 「む!?」 大物発見! 太ったアメリカ人がポテチと一緒に飲んでいる、あのドリンクの缶だ。 トングを伸ばす。 「いただきだ」 「あ、桜庭!?」 「ちんたらしている方が悪い」 見れば、桜庭のゴミ袋は、俺の袋と同じくらい膨らんでいる。 他の奴はどうだろう? 遠くの高峰を見る。 「よー、そっちはどうだー」 たるんだ態度で手を振ってきた。 「ぼちぼちだよ、婆さんや」 「おーう、爺さんもしっかりなー」 奴は敵じゃないな。 闘争心というものが欠落している。 次に、白崎を見る。 路面電車の停留所付近のゴミを拾っている。 高峰とは違い、きょろきょろしていない。 一心不乱にゴミを拾うその前で、停留所に路面電車が入ってきた。 きしみを上げて車両が停車。 ドアが開き、ばらばらと制服の一団が降りてくる。 白崎が顔を上げた。 「図書部の者ですが、今、ボランティアでゴミ拾いをしているんです」 「よかったら、どなたか一緒にどうですか?」 どうやら、仲間を増やそうとしているらしい。 当然と言えば当然だが、多くの生徒はさっさと脇を通り過ぎる。 目が合ってしまったのか、3人の生徒が白崎の前で立ち止まる。 「お好きな時間に帰っていただいて大丈夫です」 「あ、軍手なんかもお貸ししますし」 3人の生徒は、申し訳なさそうに頭を下げて立ち去ってしまう。 白崎は少しだけ残念そうな顔をしたあと、また腰をかがめ、ゴミへと向かった。 大変そうだ。大変そうだ。ま、手伝うでしょう、これは。 俺は白崎のことを知るために活動に参加したんだ。 まずは仲良くならないと始まらない。 ここは手伝ってみよう。 「白崎」 「筧くん? どうしたの?」 白崎が顔を上げた。 白い額には、うっすらと汗が浮かんでいる。 「手伝ってくれる人も集めてるのか?」 「あ、うん。せっかくだから」 「次の路電から、俺も声をかけるよ」 「ゴミ拾いだけでも大変なんだから、大丈夫だよ」 「俺に協力させず、手柄を独り占めする気だな」 「ええっ!? 違うって」 「なら、俺もやる」 「もう、強引なんだから」 なるほど。 白崎はこんなふうに押せばいいのか。 「来たぞ」 「うん。今度は頑張るね」 路電が停車し、生徒が出てくる。 「図書部の……」 「図書部の……」 「あ」 「おっと。先に喋ってくれ」 「ううん、筧くんがお願い」 「図書部の者でーす。今、ボランティアでゴミ拾いをしています」 「お時間があったら、一緒にいかがですか? どなたでもご参加いただけます」 「ゴミ袋も軍手も貸しますよー」 降りてきた生徒が、俺たちに一瞥くれる。 しかし、無視するように通り過ぎていく。 誰一人として立ち止まらない。 「ダメだったね。ゴミ拾いって、流行らないのかな」 流行らない。 これは断言できる。 「続けようぜ。そのうち引っかかるさ」 「ふふふ、ナンパみたいだね。筧くん、やったことあるの?」 「ないない」 「もったいない。ナンパしたらきっと成功するよ」 「もし白崎をナンパしたら、引っかかってくれるか?」 「えっ、そ、そんなのわかんないよ……」 「冗談だって。赤くなるなよ」 「え? あ? くぬぬ〜〜っ!」 からかわれたとわかり、白崎が別の意味で赤くなった。 漫画みたいな悔しがり方だ。 「白崎こそ、駅前なんか歩いてたら、結構誘われるんじゃないか?」 「ぜーんぜん。わたしなんか、からかわれるくらいが関の山です」 拗ねキャラか。 しかし、からかわれるのは嫌いじゃないタイプだな。 「あれ? もしかして、筧さん?」 通りがかった女の子が声をかけてきた。 「ん?」 「ああ、鈴木さんだっけ?」 「そうですそうです、鈴木です。覚えててくれて嬉しいです」 「かなりインパクトあったからな」 「ところで、どうして俺の名前を知ってるの?」 「今朝のウェブニュースですよ。あれ? 人違いでした?」 「当たってる」 痴漢事件の訂正記事を見たのか。 「大活躍だったんですね」 「偶然だよ」 「またまたー」 「で、こっちが、その脱線事故の時に知り合った白崎」 「白崎です。よろしくね」 「ども、鈴木です。よろしくお願いします」 鈴木さんが、接客風味に頭を下げた。 「で、お二人は何を?」 「ゴミ拾いをしているの」 「ゴミ拾い? ボランティアかなんかですか?」 「図書部の活動としてやってるんだ。時間があったら、鈴木さんもどう?」 「軍手とかゴミ袋も貸し出すし、いつでも帰ってもらっていいから」 「別にオッケーですよ」 「本当? ありがとうありがとうっ」 白崎が鈴木さんの手を取って、上下にぶんぶん振る。 「さっき図書部って言ってましたよね? どうしてゴミ拾いを?」 「楽しいかと思って」 「は? それだけですか?」 「いや、本当はもっとあるんだけど、要約するとそんな感じ」 「よくわからないですけど、そういうノリは大好物です」 「鈴木佳奈、頑張らせてもらいます」 鈴木さんが、軍手を装備した。 「おー、佳奈ちゃんじゃない?」 「あ、あなたもゴミ拾いを?」 「とーぜんよー。まー、ゴミ拾わせたらけっこうすごいよ俺、ゴミ拾い3段くらい」 「たしかに、見た感じ得意そうですよね。こう、しゅっとして」 手で、逆三角形の体格を描く鈴木さん。 「見抜いたかあ、やるな」 「いえいえ、それほどでも」 「ところで、お名前を伺っていいですか」 「あ、やっぱ知らなかったんだ」 「高峰、高峰一景。よろしく」 「こちらこそー」 妙にテンションが合っている二人だった。 「混ぜるな危険?」 「か、かもね」 鈴木さんに、図書部の活動や白崎の野望を説明しつつ、ゴミ拾いを続けた。 間もなく日没。 ゴミ拾いも終了だ。 「あのー、筧さん?」 「どうした? 袋がいっぱいになったか?」 「いえ、これなんですが」 手渡されたのは、何も書かれていない真っ白な封筒だった。 林檎のシールで封がしてある。 「これを……俺に?」 「はい、中を見てほしくて」 おいおいおい。 いきなり告白タイムか。 「で、でも、昨日出会ったばかりだろ?」 「関係ないですから」 「そ、そう? ま、まあ人それぞれだよね」 「じゃあ、家に帰ってから」 「いやいやいやいや、持ち帰らないで下さい。それ、拾い物ですから」 は? ああ! 「拾い物ね。つまり、落ちてたのね」 「そうですけど」 「あれ? もしかして、誤解させちゃいました?」 「まさか。やだなー、鈴木さんったら」 「ですよねー。はっはっは」 「(ジュース1本で秘密にしといてあげますよ)」 耳打ちされた。 「やるなー。鈴木さん、狙ってひっかけただろ?」 「いやいやいや、まさか」 「ですよね」 「はっはっはー」 本当に明るい子だ。 すぐに距離を縮めてくるのに、馴れ馴れしいところがないのはすごい。 同時に、こういうタイプの人特有の、ガードの固さみたいなものは感じられた。 「で、どこで拾ったの?」 「すぐそこの植え込みの下です」 「ふうん」 封筒は汚れたり濡れたりしていない。 きっと落としたばかりなんだろう。 「中身はなんだろな?」 「ラブレターだと思います」 「封に使ってる林檎のシール、購買で売ってるんですけど、ご存じですか?」 「いや」 「結構高いんですけど、すごい人気で、すぐ売り切れてしまうんです」 「あえてそれを貼るってことは、気合いが入ってる証拠です。なんというか勝負シールですよ」 「ラブレターだとすると、ゴミにはしにくいなぁ」 「ですねえ。落とした女の子に呪われるかもしれませんよ」 「みんなと相談した方がいいな」 全員にメールで声をかける。 数分で3人が集まってきた。 まずは桜庭に鈴木さんを紹介してから、ざっと事情を説明する。 「捨てるのはかわいそうだね」 「一生懸命書いたんだろうしな。今頃、必死になって探しているかもしれない」 「学生課に持っていったらどうかな?」 「貴重品ならまだしも、名前のない手紙なんかは預かってくれないだろうな」 「目立つ場所に置いておけば、本人が拾うかも」 「誰かが面白半分に開けたらどうする? 中に個人情報があったら面倒だぞ」 「としたら、シュレッダーにかけるとか?」 「安全策ではあるな」 「難しいもん拾っちまったなあ」 それぞれが考え込む。 「でも、こういう問題を解決してこその図書部だと思うんだ」 白崎が幾分強い口調で言った。 皆の目が白崎に集まる。 「なんとか解決しようよ!」 「白崎……」 「具体的には、どうやってですか?」 「それは……」 「みんなで考える」 「思いつかないから困ってんだろ」 「そこを気合いで思いつくんですよ」 にっこり笑う。 毒気を抜かれるなあ。 「まあ、ちょっと考えよう」 「まずは、できるだけ多くの人に手紙が落ちてたことを知らせる必要がある」 「問題はどうやって知らせるかだ」 「ビラだのなんだのってのは現実的じゃないな。渡せる数はたかが知れてる」 「ウェブニュースはどうだ? 落とし物の記事を作ってもらおう」 「妥当だと思う」 「ちょっと待ってくれ、問い合わせてみる」 桜庭が輪を離れ、携帯をいじり始めた。 「落とし物の記事は扱ってないと言われたよ」 「『この学園で、一日にどれだけの落とし物があると思っているんだ、いちいち記事にしてたら死んでしまう』と逆ギレされた」 「逆ギレするくらいなら、問い合わせ窓口作るなって話だ」 「締め切り前でカリカリしてたんですかね」 「電話してくれてありがとうね、玉藻ちゃん」 「いや。なに」 妙に嬉しそうな顔をする。 「さ、次の手を考えよう」 「ウェブニュースと似てますけど、校内放送なんかどうでしょう?」 「お昼休みの放送は、結構みんな聞いてるみたいですよ」 「現役声優の子がやってるやつだろ? 芹沢なんとかって子」 「頼んでみようよ」 「校内放送もウェブニュースと同じような気がする。落とし物放送なんて聞いたことないだろう?」 「問い合わせてみないとわからないよ。断られたらまた考えよう」 「オッケー」 再び桜庭が携帯をいじる。 「問い合わせは……メールフォームしかないな」 「じゃあ、直接放送部に行ってみようか」 「待て、落とし主がここに手紙を探しに来るかもしれないぞ。誰か残した方がいい」 「あ、言われてみれば」 こうしてみると、白崎と桜庭はいいバランスのコンビだ。 白崎は理想を持って話を進めるが、理屈や押しに弱い。 桜庭は、論理的で押しも強いが、慎重すぎる部分がある。 「ここは俺が引き受ける。そっちの話が一段落したら電話くれ」 「いいか、絶対に放置するなよ、絶対だぞ」 「高峰さん、完全に振りになってます」 「放送部はVIPタワーの8階だ」 「VIPタワー?」 「事務棟だよ。あの丘の上にあるやつ」 学園のどこからでも見える、シンボルのような建築物だ。 職員関係の施設や生徒会執行部の部屋が入っている。 「行くの初めてなんで楽しみです」 「あ、鈴木さん。あとは図書部で何とかするから、もう大丈夫だよ」 「え? ゴミ拾いをしていたら、自分がゴミになっていたという哲学的オチですか?」 「違う違うっ」 「手紙のことまで手伝ってもらったら大変だから。ほら、もう日も暮れちゃったし」 「時間は大丈夫です」 「それに、ここで帰ったら気になって眠れなくなっちゃいますよ」 「後生ですから、最後まで付き合わせて下さい」 手を合わせて拝まれる白崎。 「鈴木さんがいいなら、こっちはぜんぜんOKだよ」 「どもです。では、いざVIPタワーへっ!」 「あれ?」 中央広場まで来たとき、鈴木さんが足を止めた。 「どうした?」 「御園さんだ」 鈴木さんが目で指したのは、女の子の後ろ姿だった。 帰宅途中だろうか、正門に向かって遠ざかっていく。 肩くらいまでの短い髪が、ゆらゆらと揺れていた。 「お知り合い?」 「いえ、直接の知り合いじゃないんですが……」 「ご存じないですか? 御園千莉。声楽では世界レベルみたいで、入学式でも歌ったんです」 「クラシックっぽいドイツ語かなんかの歌で意味はわからなかったんですが、とにかくすごかったです」 「すみません、教養なくて」 「大丈夫だって。大抵の奴はわからんよ」 「あんな小さな身体から、すごい声が出るんだね」 「一度聞いてみたいな。文化祭あたりで発表があるといいが」 「メインイベントで推してくるんじゃないか?」 「白崎、行こうぜ」 「あ、うん……」 白崎は、まだ御園さんの後ろ姿を見つめていた。 つられて俺も目をやる。 小さな後ろ姿が、夕日の中に消えていくように見えた。 「ほー、立派ですねえ」 「これが、私たちの授業料を吸い取って成長するという噂の事務棟」 「『じむとう』って、何だか甘党辛党みたいだよね」 「え?」 ボケたのか? どうしよう、あんま面白くない。 「ふふふ」 しかも、面白いこと言っちゃった、みたいな顔してる。 どうリアクションすればいい? ストレートに言ったら、絶対傷つくぞ。 「……」 「……」 「……」 一瞬のアイコンタクト。 「おおっ、言われてみれば似てるっ。な、筧?」 「似てる似てるっ、もう、事務棟とか甘党の一種にしか聞こえない。白崎ー、困るよー」 「ホントです。白崎さんの影響力ハンパないです。マジ、ビッグです」 「……」 「ごめんね……気を遣わせて」 白崎の目に涙が一粒光った。 ミッション失敗。 「すみません、私の実力不足で」 「鈴木さんが悪いんじゃない。悪いのは俺だ」 「いや、私が悪かった。もっと拾いやすいトスを上げていれば」 3人揃って唇を噛んだ。 「ま、なんだ、遅くなっちまうし、さっさと放送部に行こう」 「う、うん、そうだね。高峰くんも待ってるし」 まだ元気がない白崎。 「大丈夫、ギャグは練習だ。そのうち力もついてくる」 「やっぱり……つまらなかったんだね」 白崎がどんよりした。 「おい筧、白崎のギャグのどこがつまらないんだ」 「そうですよ筧さん、ひどいです」 「お前らなあ」 知ってるかい? 裏切るのって仲間だけなんだ。 事務棟8階。 ようやく放送部の部室に到着した。 他の部屋とは違い、扉にはカードロックがついている。 「失礼します」 何度かノックをするが、返事はない。 「もう、帰っちゃったのかな?」 「いや、さっき外から見たときには、まだ明りが点いてたぞ」 「よく見ているな」 「放送部に何か御用ですか?」 廊下の先から、女子生徒が声をかけてきた。 よく通る声だ。 その上、聞き覚えがある声だった。 例の声優の人か。 「はい、実はお願いしたいことがありまして」 白崎が会釈する。 『よく聞こえなーい』という仕草をして、女子生徒はこちらに小走りでやってきた。 「お待たせしました」 リボンの色は青、1年生だ。 「図書部の白崎といいます。はじめまして」 「放送部の芹沢です。ご用件は?」 「突然なんですが、お願いしたいことがありまして……お時間大丈夫ですか?」 「はい、少しなら構いませんよ」 視線に力がある、ちょっと気が強そうなタイプだ。 「実は、落とし物を拾ったので、お昼の放送で持ち主を探してほしいんですが」 「すみません、落とし物放送はお断りしてるんです」 「以前、引き受けたことがあったらしいのですが、依頼がひっきりなしになってしまったようで」 ウェブニュースと同じか。 「落とし物でしたら、学生課が預かってくれると思いますけど」 「普通の落とし物ならそうしたんですが」 「何を拾ったんですか? 拳銃? 白い粉? それとも、番号が揃った札束?」 「えーと、あの、犯罪の香りがするものではなくて……」 白崎が事情を説明する。 はじめは困惑した表情で聞いていた芹沢さんだが、しばらくすると瞳に興味の色が浮かんできた。 「ラブレターですか……面白いものを拾いましたね」 「協力したいのはやまやまなんですが、私の力ではどうにも」 「落とし物の放送じゃなくて、例えば、フリートークなんかにメッセージを入れることはできないかな?」 「なるほど、それなら落とし物放送にはなりませんね。私の個人的な話ですから」 「でも、フリートークとはいってもいろいろ絡んでるんですよ。こう、大人のフリーというか」 「何とかお願いします。絶対に解決したいんです」 「よろしくお願いします」 桜庭が頭を下げた。 俺と鈴木さんも後に続く。 「う〜ん……」 「あの、こういう話をするのもなんですけど……金銭的なお礼はできませんが、図書部としてお礼はできます」 「本でもくれるんですか?」 「いえ、図書部は、この学園の生活を楽しくすることを目標に活動してるんです」 「え? 図書部ですよね?」 怪訝な顔をしている。 そりゃぴんと来ないだろう。 「生徒の悩みを解決する感じの活動なんですが、つまり、便利屋みたいなものです」 「はあ……では、放送をすれば、お願いを聞いてもらえるということですね?」 「わたしたちにできることなら、なんでもします」 お願いねえ……と芹沢さんが考える。 「わかりました。放送の件、引き受けましょう」 「本当ですか!」 「もちろん、こちらのお願いも聞いてもらいますよ」 「ぜひぜひ」 芹沢さんが満足そうにうなずく。 「で、お願いというのは?」 「ご存じかもしれませんが、今年の新入生に御園千莉という人がいます」 「はい、歌の上手な方だと聞いています」 「ええ、その御園千莉です」 「実は、彼女のことを調べてほしいんです」 芹沢さんの表情を窺う。 特に、御園さんへの嫌悪感などは見えなかった。 「興信所の真似事をしろと?」 「いえいえ、御園さんの不快になるようなことはしないで下さい」 「音楽科での評判ですとか、授業態度なんかがわかればそれで充分です」 「本当は直接会えればいいんですが、向こうの連絡先も知りませんし、仕事が忙しくて」 声優の仕事をしているにしたって、そこまで忙しいとは思えない。 会えない理由があると見ていいだろう。 「一つ確認させてほしいんですが、調べることで御園さんに迷惑はかかりませんか?」 「ここだけは、誤魔化しなしでお願いします」 白崎が真面目な顔で尋ねた。 嘘をつく気になれば、簡単につくことができる質問だった。 それを、あえて聞くところが純粋というか間が抜けているというか。 ある意味、常識では測れない部分だ。 「信頼してもらって大丈夫です」 「わかりました。では、御園さんのことを少し調べてみますね」 「放送は、私が責任を持って何とかします」 白崎と芹沢さんが微笑み合った。 契約成立だ。 「一つ協力してほしいんですが、ラブレターの言い換えって何か思いつきませんか?」 「『ラブレターを拾ったので取りに来て下さい』って話だと、落とし主が恥ずかしがって取りに来ないと思うんです」 「む……見えた。シールの話にしてしまうのはどうだろう?」 「ラブレターなんかに似合いそうな林檎のシールを拾った、とか」 「あ、いいかもしれないですね」 「もう少し清純派で攻めましょうよ」 「今日もいつものカフェテリア。陽射しがとっても綺麗。ほーんと、春だね☆」 「そうそう、お気に入りのハーブティーを飲んでいたら、林檎の香りがする想いの欠片を拾ったの……とか」 「お前、声優なめてんのか」 「ひっ!?」 「なーんてね☆ 冗談です。怒ってませんよ」 絶対、怒ってた。 「それはともかく、今のところ電波キャラでは売っていないので、事務所NGだと思います」 「電波って言われてしまいました」 凹む鈴木さん。 「電波も才能だ! やれと言われてできるもんじゃない」 「理屈はわかりませんが、頑張ります」 「では、あとはこちらで考えてみますね」 「急いだ方がいいと思いますので、明日の放送には間に合わせます」 「もし、落とし主の方がいらっしゃったらどうしますか?」 「図書部の部室に来るように伝えて下さい。図書館の受付で聞いてもらえば場所はわかると思います」 それでは、と白崎と芹沢さんが連絡先を交換した。 「あ、まずっ!」 芹沢さんが携帯を見る。 「すみません、仕事なんでこれで失礼しますっ」 挨拶もそこそこに、芹沢さんは走っていった。 声優も大変だ。 「話がまとまって良かったな」 「明日の放送が楽しみだね。うまく伝わるといいけど」 「みんなで放送を聞きましょうよ」 「あ、いいアイデアだね」 「先輩達はどこでお昼を食べるんですか?」 「今んとこバラバラだな」 「明日は部室で食べることにしようよ」 「筧、部室は放送が入るのか?」 「いつもは切ってるが、スイッチを入れれば聞けるはずだ」 「いつも切っているのは危なくないか? 緊急の際はどうする?」 細かいことが気になる人だな。 「緊急放送はスイッチ無視で流れるよ」 「去年、図書館で火災報知器が誤作動したときは、きちんと避難指示が聞こえた」 「なら良かった」 「さっき、放送部の人に言ってましたけど、部室って図書館にあるんですか?」 「閉架書庫の脇に閲覧室が並んでるんだが、そこの一番奥だ」 「ああ、わかります」 「わかるのか? 意外に図書館通だな」 「これでも図書館には行く方なんですよ。見かけによらないんです」 「自分で言うなよ」 「では、明日の昼休みは部室に集合」 「うんっ」 「あ、そうだ、高峰に連絡しないと」 「あんなに放置してほしそうにしていたのにか?」 「高峰は、ああ見えて真面目なんだ」 「放っておくとずっと立ってそうだからな」 歩きながら電話を掛ける。 2度のコールで出た。 「はいよ。そっちは終わった?」 「ああ、放送で流してもらえることになった」 「落とし主っぽい人が来たりしたか?」 「いやー、ぜんぜん。あんまり暇だから、もう2袋ゴミ拾っちゃったよ」 「おめでとう。ゴミ拾い選手権は君が一位だ」 「わっほー。テンションあーがるー」 「んじゃま、15分くらいでそっち行くわ」 「あーいや、部室集合でいいよ」 「集めたゴミとか集積所に出してから行くわ。ちょっと遅くなるかも」 「さんきゅー、頼んだ。んじゃ」 電話を切り、高峰から得た情報をみんなに知らせる。 「落とし主は現れず、か」 「ますます明日に期待ですね」 事務棟前から路電に乗った。 「鈴木さんは、これで帰る?」 「はい。今日はお世話になりました。すごく楽しかったです」 ぺこりと頭を下げる。 先輩相手でも容赦なくツッコむが、基本礼儀正しい子だ。 「わたしも一緒に活動できて楽しかったよ」 「次は、中央広場、中央広場です。東西線は乗り換えです」 「あ、鈴木はどこまで行くんだ?」 「自分は寮なんで、東門前です」 「あ、わたしも寮だよ。弥生寮」 「ホントですか!? 私も弥生ですっ」 「じゃ、わたしたち、弥生シスターズだね」 「弥生シスターズ……?」 「はい、よしっ、弥生シスターズですっ」 気合いのガッツポーズ。 ファイト一発、鈴木さんが持ち直した。 しかしまあ、白崎のセンスはどうしたものだろうか。 隣の桜庭を見る。 「あ、明日は購買のセールか」 車内広告を眺め、完全に聞こえなかったふりをしていた。 白崎を支えるんじゃなかったのか。 東西線に乗り換えて約4分、東門前が近づいた。 「それではここで」 「明日はお昼に伺いますので、よろしくお願いしますね」 「ああ、こちらこそ」 「もう遅いから気をつけてね」 「はい、了解です。今日は誘ってもらってありがとうございました」 「あ、鈴木さん?」 「何でしょう?」 「これ、よかったら」 昼休み、購買でもらった試供品のキャンディーを2個渡す。 「わあっ、いいんですか?」 「悪いな試供品で」 「いえいえ、丁度甘いもの欲しかったんで」 鈴木さんはにこにこ顔で飴を受け取ってくれた。 軽く車体が揺れ、路電が停車する。 「それでは、失礼します」 「あ、例の件、これで秘密にしておいてあげますね、筧さんっ」 例の件? 尋ねる間もなく、鈴木さんはひらりと路電から降り、走り去ってしまった。 「……ああ」 拾ったラブレターを、鈴木さんからのアタックだと勘違いした話か。 ジュース1本で黙っていてくれるって話だったが、ずいぶんおまけしてくれたらしい。 まあ、あの時は、鈴木さんに合わせて恥ずかしがった振りをしただけだし、向こうもこっちに乗っただけだろう。 「わたしたちには、飴くれないの?」 「あ、さっきので全部」 「ええ〜」 「そうかそうか。ずいぶんと鈴木をお気に入りのようだな、ん?」 「は?」 「やっぱり、若い子がいいんだね」 「いや、白崎と1年も違わないだろ」 「白崎、こんな男はやめた方がいいぞ」 「いや、むしろ男なんてやめた方がいい。男なんていうのは、結局はエロ侍だ」 エロ侍って何? 「べ、別に、わたしは筧くんが好きってわけじゃ」 「全力で否定されるのも悲しいけどね」 「わわわ、違うの」 真っ赤になる白崎。 「冗談だよ」 ポケットから、余っていた試供品の飴を取り出し、二人に一個ずつ渡す。 「わ」 「な、なんだ。持っていたのか」 「もう片方のポケットにあるのを思い出した」 「ふふふ、ありがとうね、筧くん」 「仕込みだな? 『女の子をドキッとさせる100の方法』とか読んだな? つまらない奴だ」 「うるせえよ」 「あ、玉藻ちゃんもドキッとしたんだ」 「してないぞ」 ぷいっと顔を背け、桜庭は飴玉を口に入れた。 「……」 「どうした? 賞味期限でも切れてたか?」 「いや、白崎がミルク味で私が梅干し味なのには、何か深い意味があるのかと思ってな」 桜庭が少し黄昏れた。 昼休み。 購買で昼食を買い、部室に向かう。 以前は、図書館が近づいてくると、何とも言えない安堵を覚えたものだ。 誰にも邪魔されない聖域があったからだ。 だが、今はもう…… 「あ、筧くん」 「こんにちは」 「よう」 「悪い、鍵は俺だったな」 「筧、人を待たせるのは失礼だぞ」 「いいじゃない、その分、俺とコミュニケートできたんだし」 「高峰、冗談ばかり言っていると、本番でも相手にされなくなるぞ」 「先生、本番ってどんなときですか」 「知るかっ」 聖域の廃墟だよ、ここは。 ポケットの中の鍵を握る。 「……」 合い鍵を作らないと不便だな。 そう思うが、心のどこかが抵抗していた。 「どうしました? 鍵がないとか?」 「ん? 何でもない」 鍵を取り出して見せ、鍵穴に刺した。 「おー、ここが図書部の部室ですか……図書部って感じですねぇ」 びっくりするほど中身がない台詞だ。 「あとは、こういうのもいる」 がらっと窓を開ける。 例の生命体が入ってきた。 窓枠から妙に軽快に跳躍。 機嫌がいいのか、空中で一回転してから着地した。 キラリとした目で鈴木さんを見上げる。 「どぶす」 「いきなり罵声を浴びせられましたが」 「殴っていいよ。この猫、壊れ気味なんだ」 「めちゃくちゃ触りたいんですけど、私、猫アレルギーなんで触れないんですよ」 「えっ!? 同じ部屋にいて大丈夫?」 「あ、触らなければ平気です」 「ぶふ……ふぶ……」 机の上に乗ったギザが、皮下脂肪を誇示するように腹をゆらす。 「触りたい……ああ、でも触ったら手がかゆく……うう……」 鈴木さんが身もだえしている。 「そんなに触りたいものなのか? 私には肉の塊にしか見えないが」 「に、肉の塊に……触りたいんです」 「ふう、ふう……わかりました……今度、猫じゃらし買ってきます……」 また部室に来るつもりなのか? まあいいや。 「ギザ様見てたら腹減ったわ。さっさと飯にしようぜ」 「食欲が湧く形態はしていないと思うが……どうも猫好きの感性はわからない」 それぞれが昼飯を広げ始める。 「お、つぐみちゃんの弁当って手作り?」 「うん、一応」 「恥ずかしいから、あんまり見ないでね」 顔を赤らめてベタな台詞を言う白崎。 「ぶっ!?」 鈴木さんが野菜ジュースを噴き出しそうになった。 「白崎さん、割とハードパンチャーですね」 「危うく、野菜ジュースが無駄になるところでした」 「え? 何?」 「何でもないです」 「用量用法をよく守って使いたい台詞だ」 「まったく、〈全身保体〉《ぜんしんほたい》コンビだな」 「いや、そういうカテゴリーは困るんですが」 「俺はいいけどね」 「つーか、桜庭ちゃんもわりかし保体ネタに反応するよな」 「なっ、何を言うんだ」 真っ赤になる桜庭。 「むっつり〈姫〉《プリンセス》という認識でよろしいか?」 「いいわけあるか」 「ドゥフッ!?」 桜庭の正拳を受け、吹っ飛んだ高峰が壁に刺さった。 楽しそうだ。 「しかし、手作り弁当ってのはすごいな。毎日?」 「大体は。疲れてる時はやっぱりサボっちゃうけど」 読んでいる本から多少目を逸らし、白崎の弁当を見てみる。 赤・緑・黄色と綺麗なおかず。 飯も俵型のおにぎりになっている。 基本、食欲がない俺でも、美味そうだと思う。 以前、おかかご飯に春巻きに唐揚げという礫砂漠みたいな弁当を見たが、あれはなんか心が荒んだ。 「白崎は、栄養学を取ってるって言ってたよな」 「うん、料理に活かせればと思って」 「白崎さん、お嫁に来て下さいっ」 「いや、白崎は私がもう予約している」 と、白崎の取り合いをしている二人の昼食は以下の通り。 桜庭→おにぎり1個・サラダ・ほうれん草の白和え・カップ味噌汁 鈴木さん→サンドウィッチ(メンチカツ)・ホットドッグ・野菜ジュース 「鈴木さんは肉食?」 「超肉食ですよー。肉を食べるといろいろ育つんですよ」 全員で鈴木さんの胸を見た。 「そこじゃないですからっ」 「いや、確かにそこも残念ですけど、身長とかいろいろ伸ばしたいんです」 「お肉ばかりだとバランス悪いよ?」 「そこはほら、野菜ジュースでバランス取ってますから」 「うーん、それはそうなんだけど……もっと主菜と副菜の……」 次元が違う話をしていた。 「ま、二人とも、白崎を見習えよ」 「可哀相な女を見る目で言わないで下さい」 「お前らも、人のことは言えないだろう?」 高峰→おろしチキンカツ弁当・缶コーヒー2本 俺→おにぎり(梅と昆布)・ミネラルウォーター 「筧くん、もう少し健康に気を遣って食べないとダメだよ」 「若いからって油断してると、何があるかわからないんだから」 「はあ、まあ頑張ります」 「絶対頑張らない顔してる」 「わかったって。明日はカロリーメイドも食うから」 「もう、筧くんはー。ちゃんとフルーツ味にしないとダメだよ」 「え? そこ?」 相変わらず微妙なギャグだ。 いや、天然なのか? 「言おう言おうと思っていたんだが、筧、食事をしながら本を読むのはどうかと思う。行儀が悪いぞ」 「俺は、本を読みながら飯を食ってるだけだ。主従を取り違えてもらっちゃ困る」 「意味がわからん」 「筧は放っておけって。もう手遅れなんだ」 俺もその方が楽だ。 「そんなことより、つぐみちゃん、俺も心配してよー」 「高峰くんにはプレゼントがあるからいいの」 「マジ? やった」 「これ……ですっ」 どん!!! テーブルに、どでかいペットボトルが置かれた。 コーヒーのブラック無糖、2Lボトルだ。 「こ、これが、プレゼント?」 「高峰くんは、昨日のゴミ拾い選手権で見事優勝しましたので、その賞品です」 「おめでとうございます!」 「おおっ、覚えててくれたんだ! 重いのにわざわざありがとうっ!」 ペットボトルを高々と掲げる高峰。 それを白崎が写真に収める。 「高峰さん、素晴らしい勝利でした」 「やっぱり、ゴミ拾い3段っていうのは伊達じゃありませんね」 「まーねー。はっはっは」 「この勝利を、最初に誰に伝えたいですか?」 「やっぱ、支えてくれた家族かな」 「玉藻ー、見てるかー、お兄ちゃんやったぞーっ」 「誰が妹か!」 白崎が喋りたそうにしている。 「白崎、先進めて」 「あ、うん。表彰式を続けるね」 「他の人にはこれをプレゼントです」 続いてテーブルに置かれたのは、乳酸菌が入ってる健康飲料だ。 小さいボトルが3本置かれている。 「これは参加賞。しっかり飲んで健康になってね」 「ありがとう、お姉ちゃん!」 「さんきゅー」 「ありがたくもらっておこう」 俺たちが飲み物を取るのを、白崎は曇り一つない笑顔で見ている。 ゴミ拾いをしたのは白崎も同じだ。 誰がこいつに参加賞をやるんだろう? 「あ、この音楽」 スピーカーから、明るい音楽が流れる。 「放送が始まりますよ」 「はーい、皆さんこんにちは。4月21日、ランチタイム・アベニューの時間です」 「これからの約30分、わたし、パーソナリティーの芹沢水結と一緒にお散歩しましょう」 「昨日話したときとは、ずいぶん声が違うね」 「さすがプロだな」 飯を食いながら、しばらく放送に耳を傾ける。 「この季節は、風が爽やかで気持ちがいいですね」 「スタジオから空が見えるんですが、本当に真っ青。今日はお散歩日和です」 「新入生の皆さん! お散歩がてら学園探検なんていかがですか? 素敵な出会いが待ってるかもしれませんよ」 「あはは、ないない」 「ラジオにツッコミ!?」 「しっかりしろ! 一人暮らしのOLか!」 「あ……つい」 「鈴木さん、一人暮らしが長いとこうなるから注意してね」 「弥生シスターズ(姉)からのアドバイスです」 「うわー、どんよりしてきました」 「昨日、学内をお散歩してたんですけど、ありましたよ、素敵な出会い。実は、いいもの拾っちゃったんです」 「カフェテリアの近くに落ちてたんですけど、ほら、購買で女子に人気の林檎のシール。知ってます?」 「すっごくかわいいですよね。ここぞって時の勝負の手紙に使いたいです。ま、出す相手いませんけどー」 「え? 拾った物は学生課に届けろ? だって、シートに1枚しか残ってなかったんですよ」 「1枚でも横領? わかりました。では、心当たりがある方は、放送部までぜひ取りに来て下さい」 「もしかしたら、すごく大切なものかもしれませんから」 「ああ、なるほど、こうなったのね」 「落とした人に、うまく伝わるといいんだけど」 「さて、どうなるかな」 同日、放課後── 「筧さーん、公然ひきこもりとか、新ジャンルを開拓しないで下さいー」 「筧さーん、お兄ちゃーん、ご主人様ー」 「……」 何も聞こえない。 本に集中するんだ。 こいつらに付き合って、昨日一日、本を読まずにいたのが失敗だった。 昼休みの読書じゃぜんぜん足りない。 禁断症状が出たのは5時間目の途中。 あまりに本が読みたくなり、教室を飛び出してここに来た。 部室に全員が揃うまでの貴重な時間。 俺は読書に全力を尽くす。 「反応しませんねえ」 「一日本を読まないと、禁断症状を起こすらしいぞ」 「そんなアホな」 「ん?」 「誰か走ってきますね」 「図書館だぞ、ここ」 「白崎、走るなっ」 「だって、急がないと」 「白崎、待てっ」 「あいつら……」 「白崎さんって走れるんですね」 「ああ、言われてみりゃ、走らない印象あるわな。アルパカっぽいし」 「私はカピバラかと思ってました」 「ぶぎゃ!?」 派手に扉が開いた。 「筧くん! メール来たよっ!」 「白崎、いい加減にしてくれ……」 どうやら全員揃ったようだ。 ぱしっと本を閉じる。 「読書完了! 待たせたな!」 「そんなこと、どうでもいいって。芹沢さんからメールが来たんだよ」 「どうなりましたっ?」 「落とし主の女の子が、もうすぐここへ来るって」 「よかった、放送が通じたんだな」 「はあ……はあ……勘弁してくれ」 桜庭がバテていた。 「図書館で走るなんて非常識すぎる」 「それに……なんだ……スカートが短いのだから気をつけろ。女子としてのたしなみだぞ」 「あっ、ごめんっ」 慌ててスカートを押さえる白崎。 「今さら押さえても意味ないぞ、まったく」 桜庭がため息をつく。 「筧くん、女の子が来るまでに部屋を掃除しておこうよ。ちょっと荒れてるから」 「ここが汚いってのか?」 「汚くはないけど雑然としてるよ……お客様を呼ぶのに」 「私は乱雑に積まれた本って好きですけど。なんか落ち着きますよね」 「ほら来た、次世代の女神来た。大事にしようよこういう感性」 「いえーい」 鈴木さんと握手する。 「一部の特殊な人間は置いておいて、片付けよう」 「大体、本なんてものは整然と並んでいて然るべきものだろう?」 「あるがままがいいんだよ。俺の部室だぞ」 「みんなの部室だよ!?」 「いや待てよ、一応俺にも人並みの思い入れみたいなものはあるんだ。一年中ここにいたしな」 「あ……」 もちろん、ここはみんなの部室だ。 だが、あっさり明け渡すには抵抗があった。 白崎の活動に対する気持ちが、まだはっきりしないからだ。 俺は、まだ彼女を信用しきっていないのかもしれない。 「なんてな」 「大丈夫、片付けようぜ」 と、机の上に積まれた本に手を伸ばす。 「すみません」 全員が部室の入り口を見る。 女子生徒が一人立っていた。 白いというか、日に当たっていない肌。 俺が言うのもなんだが、図書館によくいるタイプの子だ。 「あの、図書部の部室はこちらですか?」 「はい。もしかして放送部から?」 「はい、ご迷惑をおかけしました」 ぺこりと頭を下げる。 「お預かりしているのはこちらです。確認してください」 白崎が手紙を渡す。 手に取った女子生徒は、裏面を見て『これです』と小さく言った。 「見つかってよかった。今後気をつけるんだぞ」 桜庭の言葉に、女子生徒は小さくうなずく。 うなずき、下を向いたまま声を詰まらせた。 「は?」 「ど、どうしたの!?」 白崎と鈴木さんが、慌てて女子生徒のフォローをする。 なんだこりゃ? 一体どうしたんだ? 10分ほどして、女子生徒は鼻をすすりながら出て行った。 「ぶぅふ」 ギザが不機嫌そうに唸った。 空気は、重い。 女子生徒の話を要約すればこうだ。 女子生徒は意中の男子生徒を呼び出し、ラブレターを渡そうとした。 ところが、男は手紙を受け取らなかったばかりか、ひどい言葉を投げつけたらしい。 行き先を失ったラブレターと恋心。 悲しくなった女子生徒は、ラブレターを捨ててしまったらしい。 で、それを拾ったのが俺達ということだ。 「いやー、なんていうか、テンション下がる話でしたね」 「ま、何にしても一件落着だな」 みんなが控えめにうなずく。 後味が良かろうはずがない。 揃ってため息をついたところで、ドアがノックされた。 顔を出したのは男子生徒だ。 「すみません、図書部って……?」 なんだか、嫌な予感がした。 「その子、探してきますっ」 走り去った男子生徒の背中を、俺達のため息が追う。 「何なんだ、あいつは」 「男って、意外とウブなもんよ?」 女子生徒がラブレターを渡そうとしたその時、運悪く男子生徒の友人が通りかかったのだという。 恥ずかしさで頭が沸騰した男子生徒は、思わず心にもないことを女子生徒に言ってしまったのだ。 で、ここにくれば女子生徒に謝れると思ったらしいのだが、一足違いの結果に終わった。 「女の子、見つかりますかねえ?」 「女の子が出て行ってもう10分か……厳しいかもしれないな」 桜庭が時計を見て言う。 男子生徒は、女子生徒の名前も連絡先も知らないらしい。 見つからなければそれで終わりだ。 「……」 白崎が立ち上がる。 「男の子に協力しようよ」 「落ち着け、この学園で名前もわからない人間を探せるか」 「玉藻ちゃん」 「見つからないかもしれないけど、探すことはできるよ」 白崎と桜庭が真正面から向き合う。 「わたしは、こういう時に探す自分になりたくて、活動を始めたの」 「見つかるか見つからないかなんか、関係ないよ」 「白崎……」 面白いことを言う。 俺の感性からは絶対に出てこない発想だったが、気迫は伝わってきた。 白崎は白崎なりに、この活動に賭けているのだろう。 乗ってみても悪くないと思う。 「探してみるか」 「言われるまでもない」 「はいよー」 「えーと……」 所在なさげな鈴木さん。 「鈴木さんは、ここで待ってて」 「御冗談を」 「不肖、鈴木佳奈、苗字は普通で胸もアレですが、ここで仮入部します」 「え? どうして?」 「姉を助けるのは、妹として当然のことです」 鈴木さん、意外と弥生シスターズを気に入っているのか? 「……ほんとは、面白そうってだけですけどね」 「ありがとうっ」 「時間が惜しい、さっさと探すぞ」 「行き先に心当たりは?」 「部屋を出て行く時、泣いたらお腹が空いたと言っていた」 「まずは、学食や購買、食べ物が買える場所だ」 「こら、走るなっ。どうなってるんだ図書部はっ!」 「ふぁあああ〜〜」 それから約3時間。 俺たちは足を棒にして探し回ったが、女子生徒は見つからなかった。 落胆する男子生徒と連絡先を交換し、ようやく部室に戻ってきた。 「……」 「……」 「……」 「……」 「ま、まあ、こういう日もありますって」 沈黙に耐えかねたのか、鈴木さんが口を開いた。 「そうだな、やるだけのことはやったよ」 「でも、男の子、残念そうだったね」 「それを言うな」 「見つからない可能性が高いことは、元から承知していたはずだ」 「うん、そうだね」 白崎が力なく笑う。 「いいんじゃねえの、これはこれで」 「いつもみたいに、ゲーセンだのファミレスだのブラついてるよりは楽しかった」 「私も、すごく楽しかったです」 「ありがとう、みんな」 白崎が笑う。 だがそれは、慰めてくれた人への感謝の笑顔だ。 「さ、今日は帰ろう」 それぞれがうなずき、立ち上がった。 ギザを外に出し、部室を出る。 さて、鍵を閉めないとな。 ポケットに手を入れ、鍵を握る。 「ふう……」 白崎の小さな溜息が聞こえた。 探さない自分が嫌だから探すと言った白崎。 結果は気にしないとはいっても、やはり落胆はしているのだ。 「……」 ポケットの中の鍵を、もう一度握り直す。 「白崎、これ」 「なに?」 鍵を渡す。 「ここの鍵だ。白崎が持っていた方がいい」 「筧くん……」 白崎が見つめてきた。 俺の方が背が高いので、自動的に上目遣いだ。 これは、まあ、そこそこ来るものがあるな。 「どうして、私にくれるの?」 「俺しか持っていないと不便だろう? それだけだよ」 「いらないのか?」 「ううん、ありがとう」 白崎が俺の手から鍵を取る。 「合い鍵も、人数分作った方がいいんじゃないか?」 「そうだね。お店まだやってるかな」 「明日でいいって」 「その代わり、放課後はさっさと部室に来てくれ」 「うんっ」 白崎が、ようやく心からの笑顔を見せてくれた。 「(なんか、いい雰囲気ですね)」 「(けしからん)」 鍵を持った白崎が、みんなの方を向く。 「合い鍵ができ次第、みんなに渡すね」 「みんなって……鍵は部長が持ってればいいんじゃないのか?」 「そういえば、部長って誰なの? 筧くん?」 「書類上は、確か3年生の誰かだったと思う。顔は見たことないけど」 「無茶苦茶だな」 「きちんと活動していくなら、新たに役員を決めた方がいいんじゃないか?」 「各所に申請が必要になるシチュエーションもあるだろう」 「だろうな。じゃあ、部長は白崎? OK?」 鈴木さんと高峰が、さんせーと唱和した。 「ちょっと、OKなわけないよ」 「やっぱり、筧くんがふさわしいって」 「私も、筧は悪くないと思う」 「なんでまた?」 「ここ2日の動きを見てのことだ」 「意見も適切だし、白崎の助けになってると思う」 当初は警戒されていたが、ある程度信用されたらしい。 「何にしても、俺はだめだ」 「どうして? 図書部の先輩なのに」 「読書中毒患者なんでな。ちょっと荷が重い」 「そんな病気聞いたことないよ〜」 「この世界には、未知の病気はいくらでもある」 読書をするだけの図書部ならまだしも、白崎の活動を引っ張っていく気合いはない。 それに、GW以降、図書部に留まっているかもわからない。 いずれは安息の地を求めて旅に出る、読書界のジプシーなのだ。 「ま、しっかりやってくれ」 白崎の肩をぽんぽん叩く。 「でも、わたし、人前で話せないし……」 「だいじょぶ、だいじょぶ、気合い気合いっ」 「ああ、白崎なら大丈夫だ」 「うう〜ん。じゃあ、その、暫定ってことで」 煮え切らんなあ。 自分を変えたいんじゃなかったのか? 「心配するな。最後の一人になっても白崎を支える」 「はい、私も頑張ります」 鈴木さんがしゃきりと敬礼した。 「そういえば、鈴木さん?」 「あ、言おうと思ってたんですけど、鈴木でいいですよ。入部したわけですし」 「じゃあ鈴木で」 「いや、その入部の件だけど、学食でバイトしてるんだろ? 時間は大丈夫なのか?」 「私、朝シフトなんです。朝の6時半から8時半までの」 「あれ? 一昨日、昼休みやってなかった?」 「あの日はヘルプです。たまたま休みが出ちゃって」 「基本的に昼休みと放課後は空いてますから、活動に支障はないかと思います」 「そっか、なら大丈夫そうだな」 「お気遣いいただいてありがとうございます、筧さん」 にっこりと笑った。 やや童顔な鈴木の笑顔は、かわいいという表現が一番しっくり来る。 「あ、でも、私じゃ戦力にならないってことでしたら、遠慮しますけど?」 「ううん、鈴木さんがいてくれたら嬉しいよ」 「よろしくね、佳奈ちゃん」 「はいっ、ありがとうございます」 鈴木が頭を下げる。 「……って、あれ?」 「どうした?」 「あそこで本を読んでる子……ラブレターの女の子じゃ?」 全員が鈴木の視線の先を見る。 自習席に座っていた女の子が、こっちを見て会釈をする。 「そ、そうだね……」 「3時間も走り回った苦労はどうなるんだ?」 「あーあ、灯台もと暗しってやつか」 そういえば、図書館にいそうな子だと思ってたんだった。 「玉藻ちゃん、とにかく男の子に電話して。あと、女の子にも話をしないと」 急転直下── この後、電話で呼び出された男子生徒は、ラブレターの女子生徒と再会。 男が全力で謝った後、勢いで告白、カップル成立。 二人は、こっちに何度も礼を言いながら夜の闇に消えた。 「ふふふ、何だか、いいことをした気がするね」 「そうだな。ハッピーエンドというのはいいものだ」 「よかったじゃん、二人をくっつけられて」 「馬鹿を言うな高峰。私達が二人を結びつけたのではない」 「私達はあくまで手伝っただけ。二人を結びつけたのは二人の想いの力だ」 俺たちに向かって優しく微笑んでから、桜庭は星空を眺めた。 もう、流れ星でも光りそうな勢いだ。 「(桜庭さん、意外と乙女ですね)」 「(え? 知らなかった? 相当乙女だよ。少女漫画とか好きだし)」 「(乙女とむっつりが、どうやったら同居するんだよ?)」 乙女の上位互換がむっつりなのだろうか? 「でも、今日の子達みたいな付き合い方も憧れるね」 「白崎さんは、ああいうのが好みですか?」 「うーん、憧れるだけかな」 「自分が経験するなら平凡な恋愛がいいな。ドラマみたいのは、ドキドキしすぎておかしくなっちゃうから」 「らしいですよ、筧さん」 「なんで俺?」 「それより、鈴木はどうなんだ? 高峰が聞きたいってさ」 「なんで俺? とか眠たいことは言わないぜ」 「佳奈ちゃんの理想の恋愛を、ぜひ聞かせてください」 「いえ? 私は特にないというか……まあ、友達から発展みたいなのが楽ですね」 「じゃあ、俺なんかばっちりじゃない」 「ええ、早くお友達になりたいです」 にっこり。 「ああ、まだお友達じゃないんだ」 高峰は燃え尽きた灰みたいな顔だった。 「で、桜庭は乙女と」 「乱暴なまとめ方をするな」 「私だって女だ、燃え上がる恋愛の一つもしてみたいと思っているぞ」 「それが乙女だってことじゃ」 「乙女が乙女で悪いか?」 「あ、いえ……すいません、先輩」 「先輩とはどういうことだ」 桜庭と高峰がごちゃごちゃ言い合いを始める。 ほんとしょーもない。 携帯に目をやると、午後8時53分だった。 「いい加減遅くなったし、帰ろうぜ」 「うん、今日はもう解散にしよう」 「明日からは、御園さんの調査の仕事が入ってるから、そのつもりでよろしくね」 そういや、芹沢さんからの依頼を受けていたんだった。 御園千莉か。 歌が上手いらしいが、どんな子なんだろう? みんなと別れてから数分。 駅前まで行った俺は、正門までUターンしていた。 白崎から、少し話がしたいとメールがあったのだ。 遠くに白崎を見つけた。 時間も時間だ、周囲を歩く生徒は2、3人しかいない。 掲示板の前に、ぽつんと佇む白崎の姿が寂しげに見える。 白崎がこっちを向いた。 手を振った後、小走りで寄ってくる。 「呼び戻しちゃってごめんね」 「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」 「あ、うん……」 白崎が、少しためらっている。 「今日は部室の鍵をくれてありがとうね」 「メールでお礼を言おうと思ったんだけど、やっぱり直接言った方がいいと思って」 鍵の話か。 「ああ、気にしないで。なくさないようにだけしてもらえればいいよ」 「でも、どうして鍵を渡してくれたの? 部室を取られること、あんなに嫌がってたのに」 ゴミ拾いのご褒美が、白崎にだけなかったのが気になったのかもしれないし、 男子生徒が見つからずに落胆した白崎を元気づけたかったのかもしれないし、 白崎の活動スタンスにちょっと感心したのかもしれない。 「何となくね。これだって理由はないよ」 「鍵を渡してくれたこと、好意的に解釈しちゃっていいのかな」 「例えば、図書部の活動を認めてくれた……みたいに」 幾分顔を上気させ、白崎が言った。 期待に満ちた視線が俺に向けられている。 「多少はね。ただ、期待しすぎは困る」 「例えば、俺がGW以降も図書部に残る……みたいに」 「あ……」 白崎の瞳から明るい色が消え、そして、視線を伏せた。 だが、すぐに俺を直視して微笑む。 「でも、少しは前進したと思っていいよね?」 「ああ」 なかなか強いな。 「よし、この調子で頑張るね」 「GWまでには、絶対に図書部に残りたいって思ってもらえるようにするから」 「ま、せいぜい頑張ってくれ」 「もう、冷たいよ、筧くん」 白崎は頬を膨らませたが、すぐに笑った。 「それじゃ、遅い時間にごめんね」 「気をつけて帰れよ」 「寮だから大丈夫だよ。筧くんこそ気をつけて」 「ありがと」 別れの挨拶をしても、白崎は立ち去らない。 仕方ないので、俺からその場を離れる。 ……。 …………。 少し歩いてから振り返る。 小さくなった白崎は、まだこっちを見ていた。 「また明日ねーっ」 ぶんぶん手を振ってきた。 恥ずかしい奴だ。 朝日の中で煌めくような雀の声。 正門から伸びる石畳の先は、まだ朝靄で煙っている。 登校する生徒は、ほとんどいない。 午前6時45分。 『朝寝は時間の出費である。しかも、これほど高価な出費は他にない』 ってのはアメリカの事業家の台詞だが、ちょっと出費をケチりすぎだ。 「ふぁあぁ……」 昨晩、働いている鈴木を見物しに行こうとメールを送ってきたのは白崎だった。 俺は一度見ているからそこまで興味はなかったが、まあこれも付き合いだ。 「朝っぱらからたるんでるな」 桜庭の登場だ。 「おはようさん、白崎は?」 「いつも一緒というわけじゃない……できることなら一緒にいたいが」 いらん情報だ。 「桜庭は朝も変わらないな。背筋が伸びてる」 「朝型なんだ。むしろ夜の方が弱い」 「桜庭は夜が弱い……と」 「他意があるように聞こえるな」 「ないないない」 色っぽいネタへの反応はいいな。 「あー、そうだ、筧」 桜庭が空気を変えた。 「ん?」 「昨日は、率先して女子生徒を探していたな」 何の話だ? 「ああ、手紙の落とし主の話か?」 「そうそう、その話だ。聞かなくてもわかるだろう」 いきなり言われたらわからないと思うが。 桜庭らしくもない。 「んで、それがどうした?」 「いや、ああいうのはいい動きだと思う。白崎の助けにもなるからな」 目も合わせずに言って、桜庭は咳払いをした。 どうやらテレていたらしい。 「お、認めてくれるのか?」 「これからも白崎の力になってやってくれ、というだけのことだ」 やっぱり、認めてくれたということらしい 良かったとしよう。 「ああ、わかったよ」 「手は出すなよ」 「わかってるって」 わかってるならいいと呟き、桜庭はそっぽを向いた。 首筋が赤くなっている。 人を褒めるのも、褒められるのも得意じゃないようだ。 「ごめーん、お待たせー」 「いや、いま来たところだ」 「おはよう」 「おはよう、筧くん」 「二人で楽しそうに何話してたの?」 「大したことじゃない。さ、行こうか」 話題をさっさと引き取り、桜庭が白崎を促す。 横目で俺を見た白崎が、ひゅーひゅーみたいな顔をしている。 誤解だ。 「そういえば、高峰くんは?」 「人を待たせる奴は嫌いだ。先に行こう」 容赦ゼロだった。 ガラス越しに学食の中を窺う。 閑散としているかと思っていたが、2割程度の席が埋まっていた。 鈴木は……っと。 おお、いた。 元気な笑顔でオーダーを取っている。 「朝からちゃんと働いてるんだね」 「立派なものだ」 「筧も、本ばかり読んでいないでバイトをしてみたらどうだ」 「無理」 暇な時間は読書に充てる。 この学園では、バイトをしている生徒も多い。 経済的事情や小遣い稼ぎで働いている人が多いが、珍しいのは、実務研修を兼ねている生徒がいることだ。 学科によっては、バイトを単位に認定しているところもあるらしい。 鈴木がどれに該当するかは知らないが。 「いらっしゃいませー」 「あ、おはようございます。皆さんもいらっしゃったんですね」 「も?」 鈴木が目で指した席には奴がいた。 「遅いぞお前ら、何やってるんだ」 「正門で待ち合わせの約束だったはずだが」 「いやー、待ちきれなくて」 「それはお前の勝手だ」 高峰が座っていた4人席に合流する。 すぐに鈴木が水を持ってきた。 「ごめんね、突然押しかけちゃって。働いてるところを見てみたくて」 「いえいえ、朝早くからありがとうございます」 「すみません、こんな粗末なウェイトレスで」 「なに言ってんの、最高だよ」 指定の制服は鈴木によく似合っていた。 明るく、よく気がつく性格も、仕事に向いていると思う。 どっちかと言えば、図書部って感じの人じゃないが、なんでまた入部したのだろう? 意外とガードが固いタイプだけに、謎を解くのはなかなか面白そうだ。 「ご注文を承りました。少々お待ちください」 元気よく頭を下げ、鈴木が立ち去った。 「そういや、佳奈ちゃんの連絡先聞いてなかったな」 「あ、忘れてたね」 「メールといえば、羊飼いから新しくメールもらった人っている?」 全員が首を振る。 「桜庭ちゃん、ネット界隈はどう?」 「ああ、毎日チェックしているが、いたずら書きしかない」 手詰まりか。 「これ以上何もなければ、調査をやめてもいいかもしれないな」 「原因がわからないまま終わるのは気持ちが悪い。まるで時効じゃないか」 桜庭は真剣な顔だ。 適当に流せない性格なんだろうな。 「お待たせしました」 食事を持って鈴木が現れた。 「おー、スピーディー」 「朝メニューは、スピード重視にしてますので。お客様も時間がないですからね」 メニューが、和食4種類、洋食4種類の8種類しかないのはそのためか。 鈴木が出来たての料理を並べる。 「ちょっと聞こえちゃったんですけど、羊飼いがどうかしたんですか?」 「お、新入生なのに、もう羊飼いのこと知ってるんだ?」 「入学前からネットで学園のこと調べてましたから」 「それに私、4日前に羊飼いからメールもらったんです」 全員が同時に鈴木を見た。 「え? いや? そんな見られても」 「佳奈ちゃん、これは運命だよっ」 突然立ち上がった白崎が、鈴木の手を握って上下に振る。 「そ、そうですか? はは、ははははは」 「すみませ〜ん、どなたか解説を」 困惑した顔でこっちを見る鈴木。 「簡単に言うと、私たちは全員、羊飼いからメールをもらってるんだ」 「ホントですか?」 食事をしながら、メールについての今までの経緯を説明する。 鈴木は、それを固い表情で聞く。 どうやら、本気で怖がっているらしい。 ちなみに、鈴木は携帯を持っておらず、羊飼いからのメールはPC用のアドレスに来たということだった。 「よかったら、佳奈ちゃんがもらったメール、見せてもらえる?」 「すみません。気味が悪かったんで開いて3秒で消しちゃったんです」 「内容は覚えてる?」 「いやーちょっと。なんかの勧誘みたいだった気がしますけど」 まあ、俺たちと同じようなものか。 「ごめんなさい。保存しておけばよかったですね」 「大丈夫、俺も同じことやったから」 「怖いから消してしまおうという感覚がわからん」 そりゃ人の勝手だ。 「ま、そんなわけで、羊飼いからのメールについてもちょっと調べてるんだ」 「今のところ暗礁に乗り上げてるけどさ」 「パソコンに詳しい人なら、メールの差出人とかわかりますかね?」 「詳しさの程度によるだろうな。素人ではどうにもならないだろう」 「ふっふっふ、いますよ、学食が誇る逸材が」 「まさか、佳奈ちゃん?」 「ぶっぶー、嬉野さんです」 鈴木が胸の前でバッテンを作りながら言った。 「あの、小さい人?」 「あ、本人の前で小さいっていうと、怒りはしませんけど、殺されるので気をつけたほうがいいですよ」 「危ない奴だな。それがどうして逸材なんだ?」 「パソコンに滅茶苦茶詳しいんです。よくニュースでやるじゃないですか、アメリカ人の天才少年プログラマーみたいな」 「ああいうのって、実在するの? ヤラセじゃなくて」 「みたいですよ。現に嬉野さんはそうみたいです」 「学園の情報センターでも、ちょくちょく働いてるみたいですし」 「そんな人が、どうして学食で働いてるんだ?」 「さあ、趣味じゃないでしょうか?」 「よくわからないが、その人に頼めば、何か分かる可能性があるな」 「嬉野さん、今はいらっしゃるの?」 「昼休みと放課後だけなんです」 「昼休みに話はしておきますから、放課後にお願いしに行きましょう」 そう言って、鈴木が仕事に戻ろうとする。 「あ、佳奈ちゃん、あとで連絡先……って、携帯ないんだっけ」 「しかし、今時どうして携帯がないんだ?」 「あ、えーと……」 鈴木がちょっとだけ考える。 「入学のちょっと前に壊れちゃって、買いなおしてなかったんです」 「だったら、今度買いに行こうや」 「あー、はい、ぜひぜひ。それではっ」 笑顔を残し、鈴木は仕事に戻って行った。 その後ろ姿を、桜庭が考え込むような顔で見ている。 「どう思う?」 「何の話?」 「メールの件だ。周囲に聞いた限り、私たち以外には誰もメールをもらっていない」 「いくらなんでも、図書部の人間全員がメールをもらってるなんておかしいだろう?」 「いや、正確に言えば、鈴木がメールをもらったときには、まだ図書部に入ってない」 「つまり、羊飼いは、後で図書部に入部する人間にもメールを送っていることになる」 「未来がわかってるってことか……もしかしたら、もしかするのかもな」 ……未来予知か。 俺が見る、未来の幻影みたいなものだろうか? あの幻影は、決して妄想じゃないと思っている。 数日前の脱線事故がその証拠だ。 昔に遡れば、嫌な予感がしていた人が足の骨を折ったり、体育祭の大玉があらぬ方向に転がってきて弁当が台無しになったり…… ネタの大小を問わず、未来の幻影は現実となってきた。 それに、俺みたいな体験は、オカルト系のHPでは珍しくない話だ。 なら、羊飼いという、未来を予知できる奴がいたとしてもおかしくないだろう。 「メールを送ってくれているのは、本当の羊飼いなのかもしれないね」 「次のメールが来るのが楽しみになってきたかも」 「気楽に考えすぎだ。どういう意図があるのかわからないぞ」 「でも、今まで害になるようなメールは来てないし」 「今まで、はそうかもしれない」 性善説信者と性悪説信者の言い合いだった。 「ま、カリカリしても仕方ない」 「今んとこ、嬉野さんに相談するくらいしか、できることがないだろ」 「わかってる」 ぶすっと言い、桜庭は和定食Bのメインである鮭の切り身を箸でほぐした。 放課後。 御園さんの調査と、嬉野さんへの依頼という二つの仕事があったため、俺たちは二班に分かれた。 「じゃ、学食は俺と鈴木」 「お、おお……よろしくお願いします」 「こちらは、白崎と私だな」 「あと、俺な」 俺と鈴木は、嬉野さんへの依頼。 白崎、桜庭、高峰は、御園さんの調査だ。 「鈴木、行くか」 「え? はいっ」 鈴木が慌てたように返事をする。 「どうした?」 「いえ、何でもないですよ?」 てへりと鈴木が笑う。 俺とチームになることが決まってから、少し雰囲気が変わった気がする。 避けられてるわけじゃなさそうだが……。 3人と別れ、食堂を目指す。 徒歩5分程度の道のりだ。 入学してすぐのころは、移動のたびに所要時間を考えなくてはならない現実に戸惑った。 移動教室の際など、徒歩や路電の所要時間をきちんと把握していないと見事に遅刻する。 「鈴木はもう、教室移動は慣れた?」 「ええ、行ったことがある場所はなんとかって感じです」 「ここの生活は慣れるまでが大変だよな。時間割の組み立てからして特殊だから」 「自分はまだ1年だから必修ばかりですけど、来年は面倒そうです」 「先輩方に、いろいろと教わりたいですね」 「どんな道に進むのかは決めてるのか?」 「ぜんぜんです。特に才能もありませんし」 「筧さんは、どんな専門なんですか?」 「俺も適当だよ。どっちかっていうと、文系の授業が多いけど」 「私も、そうしよっかな」 鈴木が独り言のように言う。 それで会話が途切れた。 俺は無言でもまったく構わない性格だが、鈴木はどうだろうか? 試しに無言を通してみよう。 「……」 「……」 無言のまま、並んで歩く。 鈴木が、こちらをちらちら確認している。 「そ、そういえば、筧さんはどうして図書部に?」 「最初、図書部だったのは俺だけで、普通に読書してたんだ」 「そこにあいつらが入ってきて、図書部の中身を変えちまってね」 「え? 乗っ取られたんですか?」 「簡単に言えば。ま、今では仲良くやってるけどな」 「はあ、大変ですねえ」 普段なら、ここで『鈴木はどうして図書部に?』と聞くところだが。 「……」 「……」 無言になる。 すぐに、鈴木が俺の顔を確認しだした。 だいぶ気を遣わせてるな。 先輩だからってのもあるだろうけど、俺、怖がられてるのか? 「あの、怒ったりしてます?」 「ぜんぜん」 「じゃあ、自分の話いまいちですか?」 「わざと無言にしてみた。どういう反応するかと思って」 「ちょっと、やめて下さいよそういうイジワルは〜」 めずらしく、ぶすっとした顔をした。 「いや、いつも沈黙を作らないように気を遣ってくれてるなーと思ってさ」 「そりゃまあ、先輩相手ですから、多少は」 「それに、実は……怒らせたらごめんなさいなんですが、筧さん、ちょっと怖い人かと思ってて」 「いや、ぜんぜん怒らないけど……俺が怖いって、何で?」 「なんていうかこう、見られてる感じがするっていうか、すごく冷静に観察されてるなーって感じがするんです」 「なので、少し緊張しちゃって」 やっぱりなあ、という気がした。 鈴木とは人種が近いらしい。 「だからか。班分けの時に緊張してたのは」 「おうふ」 ギザみたいなリアクションをした。 「筧さん、やっぱり観察してますね」 「そんなつもりないんだけど……悪いな、恐がらせちゃったみたいで」 「いえいえ、こっちこそ変なこと言ってすみません」 「でも、ゴミ拾いの時とか、すごくフランクに話せてたけどね」 「いやあ、あれは緊張の裏返しというか、何か喋らなきゃーって感じでした」 鈴木が、たははと笑う。 「ま、正直に言ってくれて良かったよ。理由がわからないまま緊張されるのも嫌だし」 「そう言っていただけると助かります」 「リラックスしろって言っても難しいと思うけど、ま、気楽に行こうよ」 「ですねえ……時間をかけて頑張ります」 真面目な顔で、鈴木が言う。 なかなかリラックスしてはもらえないな。 「一年生の部員が増えたら、気分も楽になるか?」 「むー、確かに、もう一人くらい同級生がほしいですねえ」 「もし、希望者がいたら、白崎さんに言えばいいんですか?」 「部室に連れてくればいいんじゃない? あとは白崎大先生が決めるだろ、きっと、たぶん」 「ファジーな部ですね」 「いまさら何を」 「いいんだよ、みんな何となく白崎に引っ張られてる部活なんだから」 「筧さんも、白崎さんに?」 「ああ。白崎みたいなタイプは初めてだから、見てて面白いよ」 「基本草食系だけど、けっこう芯があるし。あと、ギャグが意味わからん」 「ですねえ。あのギャグセンスにはしびれます」 「私の中では、白崎さんはもう、世界遺産認定してますから」 「何の世界遺産だよ?」 「なんでしょう? 草食動物っぷり? 善良さ? ……あんまり言うと偉そうになるから、この辺で」 「ちなみに、筧さんも密かに、鈴木的世界遺産に認定してますよ」 「何の世界遺産だ?」 「それは秘密です」 「教えてくれよ。気になるだろ」 「あはは、そのうち教えますよ」 「本当は今から考えるんだろう?」 「バレましたか」 鈴木が、たははと笑う。 なんとなくだが、すこし歩み寄れた気がする。 鈴木を警戒していたのは、もしかしたら俺だったのかもしれない。 「いらっしゃいませー」 妙にまったりとした声に迎えられた。 一度会った、背の小さなウェイトレスだ。 「あら、鈴木さん。ご機嫌よう」 「放課後はシフトに入っていなかったような気が」 「いや、嬉野さん、昼休みに言ったじゃないですか、メールの話」 「ええと?」 「ああ、覚えてますよ。もちろん覚えてます、ばっちりです」 いきなり不安になる。 「まあ、どっちでもいいですけどね。で、こちらが図書部の筧さん」 「こんにちは」 「こんにちは、鈴木さんの上司の嬉野です。何度も学食に来てくれてますよね」 「ええ、まあ」 「メールの件で相談があるんだけど、時間大丈夫かな?」 「あと15分で休憩ですから、それまで待っていただけますか?」 「鈴木さんがバイトを代わってくれるならそれでもいいですけど」 「無理ですよ、着替えてる間に15分経ちます」 「あら? 今日は、ブレザーの下に制服を着ていないの?」 「いつも着てません。ていうか着てたことありません。子供の海水浴じゃないんですから」 「あらあら、たるんでますよ」 「ともかく、テラスで待ってますんで、よろしくお願いします」 「はい、では、また後で」 嬉野さんが去っていく。 「すみません。ちょっと個性的な人で」 「謝りたい気持ちはわかるけど、鈴木のせいじゃないから気にするな」 20分ほど経って、嬉野さんがテラス席にやってきた。 「ご機嫌ようお二方。お話を伺いましょう」 嬉野さんが、椅子の上にちょこんと座る。 爪先は床に届くか届かないかぎりぎりだが、名誉のために届いているとしておこう。 「実は、最近、不思議なメールが来るんだ」 事のあらましを説明する。 「つまり、メールの差出人を調べればいいんですね。なるほどなるほど」 「ざっくり言えば」 「引き受けるのは構わないのですが、私には何かいいことがあるのでしょうか?」 対価を求められている。 芹沢さんとのやりとりを思い出すな。 「学生なんで、お金はちょっと無理かな」 「うふふ、それはこちらも期待していないですよ」 「ただ、自分たち図書部は、学園をより楽しくしたいと思って活動してるんだ」 「平たく言うと、生徒の悩みを解決する便利屋みたいなことをやってる」 「だから、もし困ってることがあったら相談に乗れるけど、それでどうかな?」 「図書部さんは、生徒からの依頼を有料で引き受けているんですか?」 「もちろん無料で」 「でしたら、お願いを聞いてもらっても、私が得したことにはならないのでは?」 「あ、気づいちゃった?」 「気づいちゃいましたよ」 にっこり笑う。 「では、無料ではちょっとお願いしにくいことを頼もうかな」 「法に触れない範囲なら」 「メールのヘッダーから差出人を調べるのは、かなり黒に近いグレーですよ」 「それを他人に頼んでおいて自分は真っ白でいたいなんて……なんということでしょう」 「あ、やっぱりグレー?」 「グレーですよ、当たり前でしょう?」 「ま、別にいいですけどね。グレーにならないやり方をするので」 いいのか。 「では、図書部にはなんのお仕事をお願いしましょうか……」 嬉野さんが店内をきょろきょろと見まわす。 なんだろう、ウェイターの仕事でもやらされるのか? 「なるべく、面倒で、ネタになるのがいいですよね」 心の声がダダ漏れだ。 「お手柔らかにお願いします」 「あ、そうそう。GW中に料理部とのコラボキャンペーンを予定してるんです」 「よろしければ、告知のビラ配りをお願いできませんか?」 それがネタになるのか? 「いつから配るの?」 「来週月曜からの予定です」 「所定の枚数を配り終えるまでは続けてもらいますので、期間は2、3日でしょうか」 「嬉野さん、ビラ配りはウェイトレスがやることになっていたのでは?」 「その日、私、用事があるんですよ。重要な」 「どうせゲームの発売日でしょう」 「親戚の法事がある予定でして」 笑顔で押してきた。 「一度みんなと相談したいんだけど、いいかな?」 「問題ありませんよ」 「じゃあ、連絡先を教えてもらっていい?」 携帯のアドレスを交換する。 「こっちからも、ビラ配りの概要をメールでお送りしますね」 「よろしく」 嬉野さんが自分の携帯を眺めている。 どうしたんだろう? 「そういえば、筧君って、脱線事故で女の子を助けた筧君ですか?」 「あー、うん」 そう言われるとむずがゆい。 「ああ、そうですか」 「丸く収まってよかったですね。生徒会長に何か貸しでもあったんですか?」 「まあ、たまたまね」 「ほー、へー」 やけに詳しい人だな。 「では、話はこんなところかな?」 「ですね。図書部がビラ配りを引き受けてくれましたら、こちらも仕事を始めます」 「調べてほしいメールは、全て私のアドレスに転送して下さいね」 「あと、それぞれのメールのヘッダは、別ファイルにまとめてコピペしておいてください」 「了解」 「調査にはどれくらい時間がかかりそう?」 「見てみないとわかりません。当たり前でしょう?」 微笑んでから、嬉野さんは飛び降りるように椅子から降りた。 「色よい返事を期待しています。では、ご機嫌よう」 嬉野さんが店内に戻っていく。 「ビラ配りの話、受けるつもりですか?」 「ビラ配りなら安いもんだろ? 即答してもよかったくらいだ」 「……うーん」 「どうした?」 「前に概要をちらっと見たんですが、普通のビラ配りじゃなかったような気が」 「どんなだよ?」 「どんなだったかなぁ」 「おい、鈴木」 「うーん……」 白崎、桜庭、高峰の三人が、音楽科の校舎へ向かう。 「鈴木さん、大丈夫かね?」 「誰かさんと二人きりでいるよりは安心だろうよ」 「筧くんなら大丈夫だって」 恋愛の話じゃないんだが、と内心苦笑する高峰。 「はあ、厚い信頼を勝ち得てますな。少し分けてほしいもんですわ」 「ふふふ、高峰くんのことだって同じくらい信頼してるよ」 「マジか! つぐみちゃんが天使に見えてきた」 「天使なんかじゃないよ。どっちかっていうと悪女? 女豹?」 「あー、うん……そうかもね」 「白崎、こういうことを言うのもなんだが、あっさり人を信じすぎるのもどうかと思うぞ」 「何があるかわからないご時世だ」 「オレオレ詐欺とかあるしなあ」 「でも、嘘ついている人って何となくわからない?」 「日頃そう言っている奴ほどひっかかるんだよ」 「そうかなあ……」 釈然としないといった表情の白崎。 どこまで善良なのか、と桜庭は溜息をつく。 溜息をつきながら、白崎にもっと人を疑えと言っている自分が馬鹿らしくなる。 それは、高峰も同じだった。 といっても、高峰からすれば、桜庭もまた危うい純粋さを持っているように見えるのだが。 「そういえば、筧くん、何か言っていなかった?」 「は? ……漠然としてるな。何の話題についてだ?」 「昨日、部室の鍵をくれたじゃない?」 「だからほら、GW以降のことも考えてくれたかなって」 「昨日、直接聞いたんじゃないのか?」 「う、うん。聞いたんだけど、あんまり……」 「感触がよくなかったのか。筧の奴、白崎に恥をかかせて」 桜庭の目が、人殺しのそれになった。 「高峰くんは、筧くんから何も聞いてない?」 「特には聞いてないな」 「俺たちは、余計なことは『言わない』『聞かない』『喋らない』を守ってるんでね」 「信頼されてないんじゃないのか?」 「ストレートだなあんた、びびるわ」 「ま、こういうビターな関係は君たちにはまだ早いか」 「高峰は、役に立たない……っと」 メモに何か書き付ける桜庭。 もちろん、高峰には高峰なりの見解はあったが、彼はそれを示さないのもマナーだと思っている。 つまりはシャイな男だった。 「ま、なんにせよ、積極的に残る気がないのならやめてもらった方が後々のためだ」 「いくら能力があっても、やる気がなくては仕方がない」 「能力があるのは認めてるのか」 「認めるさ。能力は人格とは関係ないからな」 「それだと、筧くんは悪い人みたいじゃない」 「いや、一般論を言っているんだ。筧を責めてるわけじゃない」 「なんだよー。結局二人とも筧派か」 「三角関係はやめてよねー。胃に穴が開いちゃう」 「そ、そんなんじゃないよ」 「当たり前だ、馬鹿らしい」 「恥ずかしがってると、出遅れるぞ」 「今、目の前にいない男は、どこかの女とデートしてるってくらいの切迫感をもってなきゃいかんよ」 「まさか、鈴木さんと……」 「ああ、今頃、学校じゃ教えてくれないことを勉強してるかもしれんし、二人だけの時間が回り始めてるかもしれん」 「なんだその、一昔前のJ−POPの歌詞みたいなのは」 「あ、ちょっと用事思い出したかも」 「白崎には、御園の調査という大事な仕事があるだろう」 「あ、そうだったね」 「ていうか、本当に筧狙いなのか? いかんぞ、ふしだらな交際は」 「狙ってなんかないって」 筧ネタでこれだけ話せるんだから憎からず思ってるんだろうが、と高峰は心の中で突っ込む。 「いいよなー、男偏差値が高い奴は」 「だ、大丈夫だよ、高峰くん。偏差値30からの大学受験っていうじゃない?」 「うわー、俺、30なんだ」 「あ、ううん、そういうことじゃなく……」 「人は偏差値のみに生きるにあらずってことだ。上を向いて歩こう」 「でも、涙が出ちゃう。人間だもの」 「などと言っている間に、音楽科に到着だ」 「では、お仕事を始めましょうか」 「……御園の調査報告は以上だ」 部室で合流し、互いの成果を報告した。 白崎班の調査によれば、御園千莉という人物の評判は、お世辞にも良くなかった。 御園千莉── 1年生、音楽科所属、学生寮(神無月寮Aの701)に住居。 歌唱については、能力・成績ともに申し分なく、世界レベルでの活躍を期待されている。 一部では、歌姫とも呼ばれているらしい。 しかし、本人は向上心に乏しく授業はサボりがち。 授業に出ても、言われたことだけをそつなくこなし、それ以上のことはしないらしい。 このままでは才能がつぶれると、教師陣は彼女の態度に頭を痛め、周囲の生徒は御園に羨望と妬みが混じった視線を向けているようだ。 「それと、これは私がネットで調べておいた御園の資料だ」 桜庭がブ厚い書類を机に置いた。 自主的に調べていたらしい。 桜庭のマメさに感心しつつ、パラパラと中を見てみる。 「子供の頃はテレビに出てたのか……」 幼い頃に、声楽のコンクールで優勝。 優勝の最年少記録を塗り替えたとのことで、新聞で大きく取り上げられている。 ビジュアルのレベルも高かったため、何度かテレビ出演も果たしていた。 テレビのキャプチャ画像を見ると、かなり可愛いのがわかる。 「ちっちゃいころは髪の毛長かったんですね。可愛い」 「昔の写真を見る限りじゃ元気いっぱいって感じだな。インタビューもやる気満々だし」 「あーあ、世界目指すとか言っちゃってるよ」 高峰がインタビュー記事を指でつっつきながら言う。 「今と昔じゃ、音楽への取り組み方がぜんぜん違うな」 「御園さん、どうしちゃったんだろう?」 白崎が、自分のことのように心配する。 「最初に言っておくが、私は、こういう手合いがきら……は、は、くしゅんっ!」 「失礼……嫌いだ」 「言い直さんでいいから」 「玉藻ちゃん、御園さんの話も聞かないで一方的に嫌うのはおかしいよ」 「才能がある人間は、それを伸ばすべきだと思わないか? でなければ、同じ世界で一生懸命努力している人間が悲しすぎる」 「自分の才能をどう使おうが、そいつの勝手だろが」 「お金持ちはお金を使わなくちゃいけない、みたいな理論ですね」 桜庭の意見は、いまいち受け入れられなかった。 「で、芹沢さんには、もう報告したの?」 「うん、さっき、私が報告しておいたよ」 「なんて言ってた?」 「特には何も……でも、喜んではなかったかな」 芹沢さんは、何を期待して調査を依頼したのだろう。 「ま、これで依頼は完了だ。御園とやらのことは忘れよう」 「う、ううん……」 「お姉様、もしや、御園さんにお節介を焼こうなどと考えているのでは?」 「そんな、お節介じゃないよ」 「ただ、なんとかしてあげられたらなって」 それがお節介だ。 とは誰も言えなかったので、スルーの方向に場が傾く。 「筧の方はどうよ?」 「メールの調査は引き受けてくれたが、交換条件を出された」 ビラ配りの件を説明する。 案の定、白崎の表情が輝いた。 「ビラ配りならいくらでも協力できるよ」 「ああ、素行調査に比べれば精神的にも楽だ」 「……」 「あー……」 「なんだ鈴木、言いたいことがあるならはっきり言ったらいい」 「ま、タダのビラ配りならな、ふはははははっ」 「……って、筧さんは思ってます」 「なんだと!?」 「いや、鈴木の言う通りだ」 嬉野さんからメールで送られてきた、ビラ配りの概要を見せる。 「『新年度特別企画!』」 「『コスプレビラ配り!』」 「『(チラリもあるよ)』……だと?」 「その通りです!」 簡単に言えばコスプレをしてのビラ配りだ。 期間は来週月曜日から、毎日の放課後。 用意したビラがなくなるまでだが、見通しとしては2、3日だろうとのこと。 「では、私以外の皆さん、ビラ配り界の頂点目指し、張り切っていきましょう!」 「何でも戦隊、図書ブイン、出動っ!」 「らじゃーっ!」 白崎が敬礼した。 「らじゃーじゃねえよ、出動するなよ」 「鈴木、さりげなく自分だけ抜いてたのは気のせいか?」 「やだなあ、自分、後方支援担当です」 「ほら、苗字も平凡ですし、いいとこオペレーターみたいな?」 「死ぬのは後輩からだ。常識的には」 「体育会系っ!?」 部員達が動揺している。 「待て、まだ話を受けたわけじゃない」 「なんだ……驚かせるな」 「ただ、限りなくOKに近いようなことは言っておいた」 「いや、ドヤ顔で言うことではないだろ」 「え? 桜庭さん、コスプレとか好きなんじゃ?」 「どこ情報だ?」 「人前で破廉恥な衣装を着てビラを配るなど、桜庭の家名が穢れる」 「あの、桜庭さんのご実家って一体?」 「知らなくていい」 「恥ずかしがらなくてもいいじゃない、お姫様なんて、すごいことだよ」 「姫? 姫様なんですか? 姫系じゃなく?」 「私のどこが姫系に見える?」 桜庭が溜息をつく。 「江戸時代の藩主の家柄の出身なんだ」 「というと、あの桜庭家ですか? 咲濱藩の?」 「知ってるんか!?」 「ええ、先日読んだ本に出てました。たしか一揆関連の話で」 「か、変わった本読んでるんだね」 鈴木の本好きは侮れないな。 「咲濱藩は、一揆と打ち壊しの発生件数がかなり多いですよね」 「ははは、わかるわかる」 「私の性格と先祖の圧政は関係ないだろ。それより話を戻せ」 これ以上突っつくとキレそうな顔をしている。 「つまるところ、コスプレビラ配りを引き受けるかどうかってことだ」 「ちなみに、衣装はどうなってるんだ?」 「各自で準備するのが望ましいということです。無理ならウェイトレス服を貸与するとのことで」 「ふふ、見えたぞ……大人しい衣装をこちらで準備すれば問題ないな」 完全に恥ずかしいこと回避モードに入っている桜庭。 こいつの『見えた』は当てにならない。 「玉藻ちゃん、恥ずかしいのはわかるけど、目立たないとビラ配りの意味がなくなっちゃうよ」 「依頼を受けた上で結果が出せなければ、図書部の評判が下がる」 「やるなら真面目にやらんといけないな」 「そ、そうだな」 桜庭がしゅんとした。 「過激すぎる衣装じゃなければ、わたしはやりたいと思ってるよ」 「せっかく仕事を頼んでくれたんだから、期待には応えたいもん」 「白崎を支えるのが私の仕事だ。それに、メールの情報はぜひとも欲しい」 「私は別に構わないですよ。こういうのは割と平気ですから」 「佳奈ちゃんは可愛いからいいよね……わたしなんかがコスプレしたら、逮捕されるかも」 「何を仰います。支持基盤が厚いのは白崎さんラインですよ」 「何の支持基盤?」 「えーと、総選挙的な話です」 「鈴木、世界遺産を汚すな」 「はっ、そうでした」 「二人だけで話して、意味がわからないよ〜」 二人でよろしくやってましたよこいつら、みたいな顔で俺を見る桜庭と高峰。 汚れた奴らめ。 「女性陣がOKなら、この話は受けても問題ないな」 「男はコスプレするっていっても、たいして露出とかないしな」 「ああ……って、俺たち関係ないだろ?」 「寝言は寝て言え。当然筧もコスプレしてもらうぞ」 「まさか」 「まさかじゃないですよ。生徒の半分は女の子なんですから当たり前です」 「いや、俺、本を読まないといけないからパス」 「筧くんのコスプレ、楽しみだな」 「素晴らしいものになるに違いない」 「あーもー、今からきゅんきゅんします」 スルーか! 「俺は読書しか能のないガチンコ図書部員だぞ。コスプレなんかできるか」 「できる。もしくは、やれ」 「無茶苦茶だっ」 「ま、そう言うなよ」 背後からがしっと肩を掴まれた。 「は、離せっ!?」 「生粋の図書部員は、日光に当たると溶けちまうんだ!」 「まあまあ、溶けたらちゃんと回収しますから」 「やめろっ、離せっ、離してくれーーーっ!?」 数分後。 「取り乱しました」 「わかればいい」 「ちなみに、誰か衣装を用意できるのか?」 「今、そっちの趣味の知り合いに聞いてみたんだけど、貸してくれるってさ」 「わあ、良かった」 「ただ、いくつかクリーニングに出してるから、貸せるのは、女2着と、男1着だって」 「女の子は、巫女さんと、なんかアレンジした和服」 「男は執事らしい」 「巫女と和服か……まあ、着られなくはないな」 「女の子が1着足りないね」 「私はバイトで着ている服があるんで大丈夫です」 なら、女の子はOKか。 「男はどうするんだ?」 「お二人のどちらか、執事っぽい服とか持ってます?」 「スーツすら持ってないぞ」 「俺も」 「そうなると、借りるか買うか作るかしないといけないな」 「わたしでよければ作るよ?」 「執事さんみたいなスーツって高いでしょ? 貸衣装も結構するし」 「作れるのか?」 「うーん。土日を使えばなんとか」 「でも、時間もないし、出来上がりは期待しないでね」 「十分です! さすが私的世界遺産!」 「あの、さっきから、世界遺産って何?」 「この鈴木、僭越ながら、素晴らしいものはどんどん世界遺産に認定しております。勝手に」 「あ、そうなんだ……よくわからないけど、ありがとうね」 なんとも言えないリアクションに、鈴木がうなだれた。 「じゃあ、俺は嬉野さんに電話しておくよ」 「白崎は何か準備が必要か? 裁縫のことはわからんから、遠慮なく言ってくれ」 「まずは採寸かな。あとは生地の買い出しが必要だね」 「俺と高峰、どっちを採寸するんだ?」 「執事服を着ない方の人だよ」 高峰と目が合う。 「せーの、最初はグー、ジャンケンッ」 ……。 …………。 …………敗北。 「俺、しーつじ。ずっと向いてると思ってたんだよな」 「高峰さん、私のニーズも考えて下さいよ」 「なんだ、鈴木は筧派か」 「執事はやっぱり、さらっとした黒髪じゃないと」 「知らん。悪いな筧、この執事服は一人用なんだ」 「当たり前だろ」 「じゃあ、筧くんが採寸ね」 満面の笑みを浮かべている白崎。 「どうすりゃいいんだ?」 「上半身だけ脱いでもらえるかな?」 「え?」 「だって、脱がないと正確に測れないよ」 いや、まあ、それはそうだけど。 恥ずかしい。 なぜ恥ずかしいかというと……。 「なあ、どうしてお前らカメラ構えてるんだ?」 「構えてないぞ」 「構えてないって」 半笑いで、桜庭と高峰が携帯カメラをこっちに向けている。 「ちょっとみんな、そんな風にしたら、筧くん恥ずかしいよ」 「白崎さん、デジカメ借りていいですか?」 「あ、うん、いいよ」 「おかしいだろ、そのやりとり」 「心配しないで下さい、ちゃんと赤目補正しますから」 そういうことじゃねえ。 「筧くん、いい加減諦めて……ね」 「は、はい」 仕方ない。 ま、男だしね。 脱ぎますよ。 「ぬ、脱いだぞ」 響くシャッター音。 「わひゃー、わうわうわう」 「生っ白い奴だな。お家の大事となったらどうする」 「じゃあ、まずは胸囲を測るね。はい、手を広げて」 「……」 言われるがまま、手を広げる。 白崎が俺の前に立った。 「ん……」 抱きつくように俺に腕を回す。 キリキリという音と共に、背中から伸ばされたメジャーが胸の前で交差する。 「っっ」 ひやっとした感触に、身体が反応する。 白崎の指が胸に触れたのだ。 「さあ、ハプニングタイムです。みなさん、頑張ってくださーい」 「うるせーよ」 「筧くん、動かないで」 「はい」 白崎が、メジャーの交点に目を近づける。 つまり、白崎が俺の胸に顔を近づけているということだ。 「んーと……」 息づかいが感じられた。 白崎が数値を読み上げ、鈴木がそいつをメモる。 「次、ウエストね」 「お、おう」 今度は腹に同じことをされる。 白崎に抱きつかれるようになり、指が背中や腹に触れる。 アクセントのように感じられる、メジャーの冷たい感触。 お、おう。 うまく言葉にできないが、理性と欲情のリアルタイムストラテジー。 「えーと……」 また息がかかる。 だめだ……自陣のフラッグが…… これがヤスパースの言う『限界状況』か。 「筧さん、楽しそうですね」 「筧ー、役得だぞー。こういうの、無料でできるのは今のうちだけだぞ」 「お前は生々しいんだ」 気楽な奴らだ。 腕を左右に広げ、白崎のなされるがまま。 磔にされた、某世界的宗教のご本尊になった気分だ。 「はい、次は首回りね」 「はい」 「腕の長さ測るね」 「どうぞ」 「従順になってきましたね」 「墜ちたな」 採寸で法悦に至ってから約1時間後。 私服に着替えた白崎・桜庭と、コスプレ衣装用の生地を買いに出る。 鈴木と高峰は私用があるとのことで帰宅した。 「私用ってなんだろうね?」 「高峰は家の火災報知器検査だって言ってたぞ」 「検査員が入る前に、隠さなきゃならないものがあるらしい」 つまりは、そっちの本だ。 「ああ、トレジャーか」 「トレジャーって宝物だよね?」 「いや、まあ……白崎は知らない方がいい」 「??」 本気でわかっていないらしい白崎。 良いことだ。 「佳奈ちゃんは?」 「私用ってことは、その先は聞くなってことだ」 「もしかして、誰かとデートとか」 「どうだかね」 「鈴木くらい可愛ければ、いろいろと話があるんだろうな」 「そうだね」 二人が小さく溜息をついた。 フォローが難しすぎる。 「ま、そのうちいいことあるさ」 「筧はどうなんだ、そっちの方は?」 「本が恋人だよ」 「本当は、誰か気になってる子がいるんでしょ?」 「しつこいぞー」 ふと駅の電光掲示板が目に入った。 「お、明日は雨だってよ」 「話を逸らしたか、まあいい」 「そういえば、星が見えないな。早めに買い物を済ませてしまおう」 街灯が連なる商店街を、白崎の先導で進む。 「あ、ここのお店だよ」 白崎が立ち止まったのは『手芸の総合商社・ユカワヤ』前。 ジャンル絞ってるなら専門商社じゃないか? とも思うが放っておこう。 店内は女の子だらけで、きゃぴきゃぴした喧噪が漏れ出てくる。 売り物もカラフルなだけに、もう店全体が眩しい。 図書館がシベリアなら、さしずめここはトロピカルな南国だ。 「入りにくいし、俺は外で待ってる」 「えー、一緒に行こうよ」 「ここでも痴漢に間違われたら、俺の人生終わっちまうよ」 「ほら、行ってこい。帰りは荷物持つから」 「すまんな、気を遣ってもらって」 「遣ってないから」 なんで、白崎と桜庭を二人きりにする配慮をしなきゃならんのか。 二人が店内に入った。 「ふう……」 店の隣にあった自販機でミネラルウォーターを買い、一息つく。 時刻はだいたい午後8時。 人の流れは絶え間ない。 通行人の多くは、もちろん学園の生徒だ。 『若者の街・渋谷』的映像を二段階ほど品良くすれば、おおむね目の前の光景になる。 門限も持たない生徒がこれだけブラついていて、大きな犯罪があったという話は聞かない。 そりゃまあ、ちょっと暗い路地に入れば危ない話もあるだろう。 たとえば、お向かいのゲーセンの横を入る路地とか。 「……」 丁度、その路地から制服の女の子が出てきた。 あれは、御園千莉だ。 授業をサボり気味ってことだったし、ビジュアルに似合わず遊んでいる人なのだろうか? ま、もう調査も終わったことだし関係ない。 と、こっちはスルーを決め込んでいるのに、御園さんは大通りを渡って来る。 いや、俺に近づいてくるといっていい。 用でもあるのか? 脇の自販機でジュースを買っただけだった。 金の落ちる音。 「あ……」 銀色の硬貨が、円を描いて地面を転がり── 自販機の下にピットイン。 「あぁー」 「……」 『見せもんじゃないんで』と、視線で言われた。 なので横目に観察していると、しばらくして御園さんは自販機の前にかがみ込んだ。 拾った枯れ枝でゴソゴソやっているが、短いスカートだからいろいろ危ない。 通行人がチラチラ見ているな。 「よかったら俺が取るよ」 御園さんの隣に屈む。 「な、なんですか?」 「俺が取るからちょっと待ってなよ。服が汚れちゃうし」 御園さんが俺を見る。 拒絶するような、それでいてどこか喜んでいるような、複雑な顔だ。 「お気持ちだけで結構です。汚れるのはそちらも一緒でしょう?」 「一緒でも、俺、男だし」 「いえ、本当に、ご迷惑になりますから」 「いいから、いいから」 「いいですって、放っておいて下さい」 「じゃあちょっとだけ。ちょっとだけやらせてよ」 「自分でできますって。ほんと、お気持ちだけで」 「大丈夫大丈夫。ちょっとだけだって。すぐ終わるから、な?」 周囲がざわついてきた。 なんだろう? 振り返る。 「キミ、女の子から離れろっ!」 「はあっ!?」 「何やってるんだ! 女の子が嫌がってるだろ!」 「いや、これは……」 どういうことだ? 必死に状況を整理する。 夜の道にしゃがみ込んでいる御園さん。 その隣に屈んで『ちょっとだけやらせてよ』と言っている俺。 アウト! 完全にアウト! 「待って下さい、俺、自販機の下に落ちた金を……」 「痴漢はみんなそう言うんだ」 「いや、だからやってないですって」 「大丈夫。示談にすればすぐ終わるから」 「やってないのに示談って……」 「御園さん、俺の潔白をっ!」 御園さんの方を、〈縋〉《すが》るように見る。 「ん……あれ、もうちょっとなのに、取れない……」 金探してるし。 「み、御園さんっ!?」 「冗談ですよ」 御園さんが立ち上がる。 「な、なんだ、何が冗談なんだ?」 「すみません、おまわりさん」 「この方、本当にお金を拾ってくれようとしていたんです」 「ほ、本当だろうね」 「本当です、嘘じゃありません」 警官が、俺と御園さんの顔を何度も見比べる。 そして、『紛らわしいことをしないようにね』と御園さんに一言いって、足早に立ち去った。 助かったらしい。 「よかったですね、人生おシャカにならなくて」 アンタのせいだろ。 ……と言いかけたが、考えてみれば誰のせいでもなかった。 運が悪かったとしか言いようがない。 「助かったよ」 「あのまま連れて行かれたら、寝覚めが悪いですから」 御園さんが悪戯っぽく笑った。 なかなかキュートだ。 「枝、貸して」 「え?」 「お金、取るよ」 「あ、はい」 意表を突かれたのか、御園さんは素直に枝を渡してくれた。 こっちも乗りかかった船だ。 というか、乗ろうと思ったけど、足が滑って海に落ちてしまった的な展開だ。 意地でも船に乗りたい。 「ん……と……」 地面に這いつくばり、腕を伸ばす。 なんとか枝の先が硬貨に届いた。 「よっと」 「あ、出てきました」 頭の上で、御園さんの声がした。 「よし」 立ち上がり、服の汚れを払う。 御園さんが笑顔で硬貨を見せてくれた。 「500円玉だったのか。そりゃ頑張るよな」 「ええ、大金ですから」 「すみません、服が汚れてしまいましたね」 「別にいいさ。丁度クリーニングに出そうと思ってたところだから」 嘘が下手ですね、と御園さんがくすりと笑う。 そして…… 「これ、御礼です」 『うぉーいお茶』を差し出された。 「ありがと」 「いえ、こちらこそありがとうございました」 「それでは失礼します。センパイっ」 ぺこりと頭を下げる。 「釣り銭忘れるなよ」 「あ……」 御園さんが、恥ずかしそうに目を逸らした。 そして、屈んで釣り銭を取り出す。 「そういえば、先輩?」 「ん?」 「私の名前、知ってましたよね」 そういえば、咄嗟に口にしてたな。 「ウェブニュースで見たんだ」 「ああ、そうでしたか」 釣り銭を取り終え、御園さんが背筋を伸す。 財布の小銭入れが、ぱちっと閉じられる音がした。 「もしかして、私のこと知ってたから、声かけてくれたんですか?」 ……自意識過剰なのか? さて、どう答えよう。さて、どう答えよう。「いちいち、んなこと考えないよ、めんどくさい」 「そうですか」 御園さんが、小さく、子猫のように笑った。 ふむ、よい仕事をした。 「では、ありがとうございました」 「かもな」 「でしょうね」 御園さんが、当てつけるように笑った。 下手な笑顔だ。 「では、ありがとうございました」 御園さんが、もう一度ぺこりと頭を下げる。 その時、近くで自動ドアが開く音がした。 「で、5代目藩主が上屋敷に入ると、江戸家老が玄関前で切腹していたらしい」 「家老さん、濡れ衣じゃない」 「濡れ衣でも収拾をつけないといけなかったんだろう。あの時の筧みたいにな」 店から出てきた二人は、殺伐とした話をしていた。 「こっちだ、こっち」 「あ、筧くん。お待たせ」 白崎と、紙袋を抱いた桜庭が近づいてくる。 「お連れがいたんですね」 「買い物の途中だったんだ」 「三角関係ですか。泥沼」 「ほんと困ってるんだ……って、んなわけあるか」 「冗談ですよ、センパイ」 御園さんが悪戯っぽく笑う。 「あれ、筧くん? そっちの人ってもしかして……」 「ん……御園千莉じゃないか?」 「……はい」 御園さんが固い返事をした。 表情もきつい。 「こ、こんにちは……あ、もう夜だから、こんばんはだね」 「はあ」 なぜか白崎は緊張していた。 「筧がどうして御園と?」 「ああ、たまたま知り合ったんだ」 「たまたまですよね、センパイ? 約束なんてしてませんよね?」 御園さんが俺を見上げる。 わざと誤解を招くように仕向けてないか? 「ああ、もちろん、たまたまだ」 「そういうことです。では、お邪魔になるのでこれで」 さらりとした口調で言って、御園さんは人混みに紛れた。 白崎と桜庭が、御園さんの背中を見送る。 と、同時に振り返って俺を見た。 「たまたまってことはないだろう?」 「たまたまだって、ほんと」 「へえ」 「ほう」 白崎と桜庭が、胡散臭そうに俺を見る。 勘弁してくれ。 「仮にたまたまだったとして、御園さん何してたのかな?」 心配そうな顔で白崎が言う。 「わからない。そこのゲーセンの横の道から出てきたけど」 「なんだか、怖そうな道だね」 3人で大通りを渡り、路地の様子を観察してみる。 一方通行の路地には街灯がなく、石畳を濡れたような色に照らすのは、立ち並ぶ店のカラフルな照明の列。 店のほとんどは飲み屋やバーを含む飲食店。 あとは、小さなライブハウスが2、3件と、奥の方に雀荘が見えた。 わかりやすくアダルトだ。 「御園さんが、ここから?」 「ああ」 「授業をサボって、薄暗い路地で遊んでたということか」 「た、たまたま道を間違っただけかもしれないよ?」 「間違ったのが、人生って道じゃなきゃいいが」 「どうしてそういうこと言うの」 白崎が膨れた。 「もう、調査の仕事は終わっただろう? 私達が関わることじゃない」 「それは、そうだけど……」 納得していないのがありありと態度に出ている白崎。 本当にお節介だ。 「ん?」 桜庭が空を見上げた。 つられて空を見ると、額に冷たいものが当たった。 「雨は明日からじゃなかったのか」 「3時間くらい大目に見てやれ」 時刻は21時近くだった。 「わたし、折りたたみ持ってるけど、二人は」 「私も持ってる」 「ない」 桜庭の家はこの近所だし、白崎は寮住まい。 俺の家とはそれぞれ別の方向だ。 「ビニ傘高いし、俺は走るよ」 「ああ、気をつけてな」 「また明日ね、筧くん」 「おう。じゃあなっ」 「はぁ……はぁ……」 なんとか、本降りになる前に帰宅できた。 屋根の下に入った途端、雨脚が強くなった。 まさに危機一髪。 御園の件でひどい目に遭ったから、その分の埋め合わせだろう。 「ん?」 遠くから何かが聞こえた。 「うあー……ひゃー……」 女の子の声。 足音もする。 「どーしてこーーなるのっ!」 鞄で頭をガードしながら、女の子が走ってきた。 この降りだ、防御効果はほとんどゼロだろう。 「だー、無理、無理無理っ」 ……ていうか、あいつって? 「まったく……はぁ、はぁ、はぁ……濡れたー……」 屋根の下に駆け込み、小太刀さんが肩で息をつく。 完全な濡れ鼠だ。 「よう、図書委員」 「ん?」 小太刀さんがこっちを向く。 「うるさい図書部員じゃない、こんなところで何やってんのよ」 「うるさいのは他の奴らだ」 「ああ、その傾向はあるわね……いや、質問に答えなさいよ」 「ここ、俺んちなんだが」 「え!? 私もだけど!?」 一瞬、まじまじと見つめ合ってしまった。 まさか、同じマンションとは。 となるとだ、次の問題となるのは…… 「あ、あのさ……」 「部屋番号?」 「ああ」 俺は202号室だ。 両隣のうち一方は、サラリーマンっぽいおっさんだった。 もう一方は空室だったと思うが。 「お互い、知らない方がいいのかも知れないわよ」 「もしよ? もし、連番だったり上下だったりしたらどうするの?」 「どうもしないが、騒音には少し気をつけるよ」 「ええー、そういう問題?」 「なんだ? 押し入れで大麻でも栽培してるのか?」 「そんなしょっぱい犯罪するか」 「ちょっと待て、もっと大それたことを?」 「してません」 「知ってる人に、生活音聞かれるのって嫌でしょ」 「意外と普通だな」 「あんた、私を何だと思ってるのよ。図書館から追い出すわよ」 「失礼しました」 それを言われると、負けざるを得ない。 「まあいいわ。ここまで来て確かめないのも嫌だし、お互い部屋番号を言いましょう」 「俺から言うよ。リアクションで教えてくれ」 「いいわ」 小太刀が唇を引き結んだ。 「俺は304だ」 「おわー、よかったー。私、201」 「よし、セーフ、セーフ」 「……」 「何? どうしたの?」 「すまん、アウト。俺、本当は202なんだ」 「ぎゃーーっ!」 「隣じゃない。なんで意味ない嘘つくのよっ」 「ほんとすまん」 小太刀さんがぐったりした。 「静かだから、空室だと思ってたよ」 「うるさくて迷惑かけてないか?」 「今までのところ大丈夫」 「こっちは迷惑かけてない?」 「ぜんぜん。空室だと思ってたくらいだから」 「なら良かった」 「ま、今さらどうこう言っても始まらないし、お隣同士、よろしくね」 「こちらこそよろしく」 オーバーリアクションから一転、小太刀さんは普通の反応を見せた。 さっきまでの派手な言動は、まあ彼女なりの冗談のうちだったのだろう。 「一緒にマンション入るのもアレだし、先に入ってよ」 「細かいこと気にするな」 「いいから。先に着いたのは筧でしょ」 「俺の名前を覚えてたのか」 「忘れるわけないっしょ」 「はあ、まあ、どうも」 小太刀さんが『あ』という顔をした。 「いや、変な意味じゃないぞ」 「図書部のことは、ほとんど毎日注意してるってことよ。いわば敵」 「敵の名前を忘れるわけなんかないでしょ」 小太刀さんが胸を張った。 ずっと意識しないようにしていたのだが、胸を張られるとつらい。 ブラウスが濡れているせいで、下着が透けているのだ。 それだけじゃない。 乳房の北半球の一部も、白い布地に肌色をにじませていた。 すまない高峰、俺だけいい思いをしている。 「どうしたの?」 「友情について考えてた」 「はあ? まあいいや。とにかく家に入って」 「ああ、それと、私のことは呼び捨てで構わないから」 「そっちだけさん付けだと、私が偉ぶってるみたいで気持ち悪い」 「ああ、了解。じゃあ小太刀、おやすみ」 「おやすみ」 小太刀と別れる。 「……おやすみ、か」 部屋に入った。 少しして、隣の部屋のドアが開閉される音がした。 小太刀が部屋に入ったのだ。 やっぱ、気になるな。 壁一枚隔てた先に、あんなに素敵な女の子がいる。 もしかしたら、今は着換え中かもしれない。 そう考えるだけで、俺も頑張らなくちゃな、という気分になる。 「うわっ、めっちゃ透けてるじゃんかーーーっ!!」 壁越しに、悲鳴のようなものが聞こえた。 うるせーぞと壁を2回叩き、俺はカップラーメンを食べることにした。 昨夜、23時頃にかかってきた電話には驚かされた。 電話の相手は新聞部。 用件は、ラブレターを拾ってしまった事件についての取材だった。 読書を中断された不機嫌さで、おざなりな回答をしてしまったが、一体どんな記事になるのだろう? 「……」 「大体、お前は日頃からなってない」 「ふぁああ……」 放課後、俺は怒られていた。 ウェブニュースに掲載された記事が原因だ。 見出しは『林檎の香りに包まれた、想いの欠片が一つ』。 記事の内容は、いわゆる『学園であったちょっといい話』だった。 ラブレターを落とした女子と、純粋さ故に誤解を生んでしまった男子のラブストーリーだ。 図書部については、小粋な役割を果たした存在として書かれている。 カップルになった二人からは、『図書部の皆さんありがとう』というコメントまであった。 「まあ、本文は良かった。宣伝にもなっていると思う」 「しかし、この後に出てくるコメントはどういうことだ?」 記事の最後には、図書部代表として俺のコメントが載っていた。 『自分らはやりたいようにやっただけっす。たまたまそれがね、二人にとっていい方向に作用しただけで』 『評価? 関係ないっすよ。僕らのスタイルなんで。褒めてほしくてやってるんじゃないから』 『ただね、相談事とかあったら、図書部に来てみるのも悪くない選択肢だと思うよ。ま、俺的な意見としてね』 「うざっ、なんだこいつ」 「ぽっと出のビジュアル系バンドみたいなコメントだな」 「コメントしたのは筧なんだろう?」 「俺だと思うんだけど……実は、なに喋ったか覚えてないんだよね」 「新聞部の奴、読書中に電話かけてくるからさあ、ははは」 「筧くん」 白崎が、頬を膨らませて俺を凝視している。 実は、ここ5分ほどずっとこの顔だ。 「すまん」 「今度から注意してね」 「わかった」 「だがそもそもは、奴らが俺の神聖な読書時間を妨害するから……」 「か・け・い・くん?」 睨まれた。 「すみません」 「大体、図書部が軽い部活だと思われたらどうするんだ?」 「いや、軽いっしょ」 「ん? もう一度?」 「いえいえ、なんでもー」 「筧さんのコメント、嫌いじゃないですけどね」 猫じゃらしでギザを構いながら、鈴木が口を開く。 直接触らないのは猫アレルギー対策だろう。 「ここまで振り切ってれば、きっとキャラ作りだと思ってくれますって」 「そうだといいけど」 二人の怒りが収まったようなので、本を開く。 ああ、活字。 癒される。 「あ、そうそう、先輩方、見て下さいよ」 鈴木が自分の鞄を漁る。 「じゃじゃーん! けいたいでんわー」 「わっ、見せて見せてっ」 「どぞどぞ」 鈴木が机の上に新品の携帯を置いた。 本の上から見てみる。 白いボディに、溶けたチョコレートがかかったようなデザインだ。 おまけに、小さいケーキだのマカロンだののストラップがついているので、全体に甘ったるい。 「昨日の私用というのは?」 「はい、これを買いに行っていたんです」 「佳奈ちゃん、一緒に買いに行こうって言ったじゃんかー」 「あれ、そうでしたっけ?」 「話が出たその日のうちに買うとは、鈴木は思い切りがいいな」 「どうせ必要になるものですから」 「しかも、思い切ってスマホって奴にしてみました。まったく使い方がわかりませんけど」 「胸を張られても」 「なあ」 「わかってますよ! どうせ張り甲斐のない胸ですよ!」 「しかし、私のは、貧は貧でも品格の品なのです! 新ジャンル品乳! 来ますよー時代が! てやんでえっ!」 いきなりキレた。 「佳奈ちゃん、落ち着いてっ! 大丈夫、大丈夫だから」 白崎が、鈴木を抱きしめる。 「ぎゃーーっ、胸がふかふかしてるーーっ!?」 「ほら。怖くない。怖くない。ほらね、怖くない」 「ふぅ……ふぅ……」 何がしたいんだ。 本に戻ろう。 「とまあ、そういうわけで連絡先を交換しましょう」 「皆さんのアドレスを最初にしようと思って、まだ電話帳はまっさらなんです」 「うむ、では先輩の私から」 「2番はわたしね」 ぞろぞろと、連絡先を交換する。 「ありがとうございます。これで図書部の一員ですね」 「はあ? 携帯なんかなくても鈴木は仲間だろう? 何を言っているんだ?」 首をひねりながら桜庭が言う。 「桜庭さん、助走なしでいいこと言うのやめて下さい」 く……と目頭を押さえる鈴木。 「な、なんだ? 私が悪いのか? すまん」 「いえいえ、大丈夫です。不意打ちだっただけで」 立ち直った鈴木が、笑顔で携帯を眺める。 目が微妙に潤んでいるのは、気のせいではないだろう。 こういうとき、細かいところに気づいてしまうのは我ながら無粋だ。 「あ」 鈴木の携帯が鳴った。 「メール来ました、来ましたよー?」 「……って、あれ? 知らない人からです」 「携帯ショップからじゃないか? 最初に来るんだよな」 その時、いくつもの着信音がほぼ同時に鳴りはじめた。 部室に響く不協和音。 みんなの表情が硬くなっていく。 「こ、これって」 「また、なのか?」 メールの受信フォルダを開く。 差出人は、羊飼い。 本文は以下のようなものだった。 『御園千莉は君たちに大切なことを教えてくれるだろう。  羊飼いより』 「みんな、同じ文章か?」 鈴木を含め、全員が同じ文章を受信していた。 「このメアド、まだ誰にも教えてなかったのに」 鈴木の言葉に、顔を見合わせた。 羊飼いは、誰にも教えていないアドレスを知っている。 そんなことが、普通の人間に可能なのか? 例えば、自分が契約したての誰かのアドレスを手に入れようとしたらどうする? 契約した店の店員が知り合いならいいが、そうでなければ書類を盗むだろう。 もしくは、携帯会社のコンピュータから情報を盗む? 店の防犯カメラの映像を盗む? 何にせよ、まともじゃない。 そんな奴に目をつけられてるってのは、どういうことだ? 「私は、少し怖くなってきた」 「犯罪に巻き込まれてる、とかじゃなきゃいいんだけど」 「今のところ、実害はないんですよね?」 「ならまー、いいかな……とか言って、ははは」 冗談にしようとしているのが見え見えだった。 そんな鈴木の努力も空しく、みんなの表情は陰ったままだ。 「でも、羊飼いさんがくれたメールなら、きっとわたしたちをいい方向に導いてくれるはずだよ」 「羊飼いが本物だという保証はあるか?」 「ないけど、贋物だっていう証拠もないよ」 議論しても仕方ないことだ。 そもそも、どんな痕跡があったら本物の羊飼いだと証明できるのか、まったくわかっていないのだから。 「このメールは嬉野さんに転送しておこう」 「嬉野さんなら、ぴぴっと調べてくれますよ」 「嬉野というのがメールを送ったということはないのか?」 「まさか、メリットがないですもん」 「私達が彼女にメールの分析を頼んだように、誰かが依頼したのかもしれない」 「かもしれないって話なら対象はいくらでもいる。ここは嬉野の調査の結果を待とう」 諦めたように、桜庭がうなずいた。 「差出人は置いといて、本文はどう? 御園ちゃんがなんか教えてくれるらしいけど」 「何だろうね、大切なことって?」 「羊飼いの正体だろうか?」 「青春の輝きとか、友情の大切さかもしれませんよ……なんちて」 「本人に聞いてみようよ」 白崎が嬉しそうに言った。 「見えたぞ……お前、御園と話す口実ができて嬉しいんだろう?」 「そ、そんなことないよ?」 「目が泳いでるぞ」 「う……だって、授業をサボってるって聞いたら心配になっちゃって」 「図書部は、みんなの生活を楽しくするために活動してるんだから、御園さんの生活も楽しくしないと、ね」 熱い拡大解釈だ。 正論を言ったところで、白崎の前では何の意味もなさないことはわかっているが。 「はあ……んじゃ、御園さんに話を聞きに行くか」 「音楽棟は空気がピリピリしていて、どうも苦手だ」 「殺伐としてるのか?」 「ああ、建物に入った瞬間からもう勝負の世界だよ」 「音楽で生活していこうって奴がゴロゴロしてるんだから、仕方ないのかもしらんけど」 「あ、昼休みに聞いたんだけど、御園さん今日は学校休んでるみたい」 「情報早っ!?」 「昨日、雨に濡れちゃったみたいで、けっこう熱があるって」 「羊飼いのメールがなくても、自分で調べてるんじゃないか」 「ごめんなさい。どうしても気になっちゃって」 一人で御園さんのことを聞いて回っていたのか。 「では、御園に話を聞くのは週明けだな」 全会一致。 と思ったら、白崎だけがうなずいていない。 考えていることはわかった。 「あの……」 「わかっている。見舞いに行きたいんだろう?」 「どうしてわかるの!?」 「いえ、これはさすがにわかりました」 「まあねえ、流れ的にわかりやすいし」 「うふふ、みんなには敵わないな」 てへっ、みたいな顔をする。 いい話的にまとめられても……。 「むしろ、白崎さんには敵わないというか」 「え? どうして?」 いや、もういいです。 「つっても、俺ら赤の他人だぞ。普通お見舞いに行くか?」 「赤の他人だと、お見舞いに行っちゃいけないかな?」 「え? いや、どうだろ? 驚くと思うけど」 「それにほら、友達が看病してるかもしれないし」 「そしたら、任せて帰ればいいと思うよ」 高峰の至極まっとうな指摘にも白崎は動じない。 というより、何でそんなこと気にしてるの? くらいのノリだ。 お節介を恐れないのはある種の才能だな。 俺には真似できない。 「ま、取りあえず行ってみる? 羊飼いのメールの件もあるしさ」 「ですね。忙しいわけでもありませんし」 「白崎が行くと言っているんだ、ガタガタ言わずについてこい、高峰」 「へいへい」 夕方になり雨は止んだ。 大気中の埃が洗い流されたお陰で、夕日が一段と鮮やかに見える。 「美しいな」 「無条件に美しいものを見せられると、私という存在は本当にくだらないものだと思い知らされる」 「それでも、人は生きていかねばならない。業ってやつさ」 「ああ、お前の言う通りだ」 今日は、桜庭のギャグを高峰が拾っていた。 助かる。 「そういや、御園さんってどこに住んでるんだっけ?」 「ええと、神無月寮Aの701だよ」 白崎が、昨日作った報告書をめくって答える。 「神無月寮?」 この学園には、学生寮が鬼のように建っている。 名前を言われてもイメージが湧かない。 ともかく行ってみよう。 「学生寮って、建物によって家賃とか違うのか?」 「うん、値段も設備も違うよ」 「弥生寮は自炊前提で、お風呂やトイレも全部部屋ごとです。普通のマンションと一緒ですね、ぶっちゃけ」 「神無月寮は、食事も朝晩出るみたい。大浴場とかトレーニングジムがあったり、設備にお金がかかってるね」 「ボンボン向けか」 「そういう言い方しないの」 「大体、本当のお金持ちは寮に入りませんよ」 「そうそう。どっかの姫みたいに、駅前の高級マンションに住んでるって」 「うちは別に裕福ではないぞ」 「出た! 金持ち特有の事実誤認」 「金の話はやめてくれ。悲しい気持ちになる」 桜庭の声には、いつにない湿り気があった。 こっち方向には地雷が埋まっているのかもしれん。 「でも、あれですよね。神無月寮なら、風邪ひいても寮母さんなんかが面倒見てくれるんじゃないですか?」 「そこまではしてくれないみたい」 「急病とか、救急車を呼ぶような病気なら別みたいだけど」 「なるほど。部屋で一人ってわけか」 「佳奈ちゃんはまだわからないかもしれないけど、一人暮らしで風邪を引くと大変なの」 「誰も飯作ってくれないし、着換えもできないし、食料の備蓄がないと完全に詰むからな」 「物質的な面もそうだが、精神的に辛いんだ」 「言われてみればそうですね」 顔を見ないなーと思ってた奴が病気で寝込んでいて、復帰したときには体重10キロ減みたいな話はよくある。 自由というのはある意味恐ろしい。 「じゃあ、御園さんも寂しがってるかもしれませんね」 「うん、早く行ってあげよ」 白崎が歩調を速める。 たくさんの寮が、夕日に照らされて並んでいる。 建物の列が、どこまでも続いているような錯覚を覚える。 「いいですよね、この感じ」 「わくわくするっていうか、建物の圧迫感に潰されそうなドキドキ感というか」 鈴木がとろけたような顔をしている。 「すまん、まったく共感できない」 「ただのコンクリートの塊じゃないか」 「いえいえ、意外と個性があったりツッコミどころがあったりして面白いものなんですよ」 「鈴木ちゃんて、工場とか廃墟とか好きな女の子?」 「廃墟はピンと来ませんねえ」 「私は工場とかジャンクションとか橋とか、そっち方面です」 「変わった趣味なんだね」 「え? 割と同志はいますよ。そんなにマイナーかなぁ」 首をひねる鈴木を引っ張り、神無月寮を目指す。 「ここだな。神無月寮のA棟」 「ちょっと、様子を見てくるね」 「私も行こう」 いつものコンビが寮に入る。 「あのお二人って仲いいですよね」 「仲良く見える?」 「悪いんですか?」 「いや、いいんじゃないか」 鈴木が猫口になる。 「また、そういう穿った見方をして」 「ダメですよ、鷹は最後まで爪をしまっておかないと」 「別に鷹じゃないから」 「いつの間に仲良くなっちゃったの、二人は?」 「ふふふ、高峰さんの知らない間にですよ」 にっと鈴木が笑い、俺の腕につかまった。 さすがに女の子。 胸はなくても、全体にふかっとしている。 「泥棒猫っ! 筧君から離れてっ!」 「彼氏をとられて悔しいのね。悔しいんですね、高峰さん? でも、もうあげませんよ」 「鈴木、ぶら下がるなよ」 「懐いちゃったら迷惑ですか?」 上目遣いで見られた。 「冗談で懐かれるのは」 「ちょっと京太郎! こんな、胸のない女のどこがいいのよっ!?」 「よろしい、戦争だっ!」 賑やかなコンビだ。 「筧くん、中に入っていいって」 「……って、どうして佳奈ちゃんが腕にぶら下がってるの? 離れて!」 「また泥棒猫が増えたっ、くやしーーっ!」 「うるせえよお前ら」 「おい、痴話喧嘩はあとでやれ。さっさと御園を片付けに行くぞ」 3人を黙らせ、701号室に来た。 扉の脇にはモニターつきのインターホン。 学生寮ながら、マンションの玄関みたいだ。 ……。 インターホンを押すが、返事はない。 もう一度。 ……。 「いないのかな?」 「違う心配をした方がいいぞ。立ち上がれないのかもしれない」 「警察呼んだ方がいいですかね?」 桜庭がドアノブを回す。 あっさりとドアが開き、できた隙間から少しだけ室内が見えた。 電気は点いていない。 ドアを入ってすぐのところに脱ぎ捨てられた靴。 奥の部屋は、カーテンが閉まっていないのか、夕暮れ色に染まっている。 「男はちょっと待っててくれ」 「火盗改だ、入るぞ」 時代小説でも読んだのだろうか。 鷹揚な物腰で、桜庭が御園さんの部屋へ入っていく。 「こ、これは! ……くしゅんっ」 花粉症の火盗改というのもしまらない話だ。 「御園ちゃん無事かねえ?」 「救急車くらいは考えておいてもいいかもな」 室内から声が聞こえる。 『大丈夫、御園さん?』 『あ、あなたたちは、昨日の……』 『学校をお休みしたと伺ったので、お見舞いに来たんです』 『いえ……あの、迷惑、ですから……』 「迷惑って言われてるが」 「普通言うだろう」 ともかく、男は外で待機だ。 「いえ……あの、迷惑、ですから……」 朦朧とした意識の下、御園がかすかに言葉を紡ぐ。 上半身を起こそうとはしているが、身体が言うことを聞かない。 「病気の時はお互い様だよ」 「でも……知らない人に……看病してもらうなんて……」 「昨日会ったじゃない。知らない人じゃないよ?」 「だって、名前も知らない……ごほごほごほっ!」 御園の身体が跳ねた。 咳が咳を呼び、御園が身体を丸める。 ずり落ちた布団を直しながら、白崎が御園の身体に触れる。 「熱があるみたい。測った?」 「体温計……ない、から……」 一人暮らし、それも入学してすぐだ。 体温計がないのは驚くには値しない。 「ごめん、電気つけるね」 桜庭が天井の照明をつけた。 白崎の目に入ったのは、乱れた布団と、その脇に転がる携帯。 ベッドボードには、空になったペットボトルのお茶が2本と、一口かじっただけの菓子パンが1つ。 部屋が綺麗なだけに、御園の周囲だけが別世界のように荒んで見えた。 「薬、飲んでないの? 病院は?」 御園が首を振る。 「誰か友達とかに電話した?」 返事の代わりに、御園が激しく咳き込む。 華奢な身体は、今にもばらばらになりそうだ。 その儚い姿が妹のそれと重なり、白崎の看護魂に火をつけた。 救わねばならない! 「御園さん、ちょっと待っててね。すぐ戻ってくるから」 白崎は、御園の頭を軽く撫で、他の二人を率いて室外に向かう。 「どうだった?」 「かなり熱があるの。病院にも行ってないし、薬もないみたい」 「冷蔵庫も、ほとんど空でした」 「んじゃ、俺と高峰で買い出しに行ってくる」 「必要そうなものは一通り買ってくるから、何かあったら電話くれ」 「よろしく頼んだぞ」 桜庭が、財布から5千円札を取り出した。 「大丈夫だ、俺と筧で払える」 「念のためだ」 紙幣を預かる。 「見た感じ、御園さんの風邪はどこから?」 「喉から、かな」 「銀ですね、銀のペンザ」 「銀だな、よし」 購買で、一通り買い物をする。 風邪薬に体温計に、スポーツドリンクやビターinゼリー的なもの。 多少元気になってからのことも考え、レトルトのおかゆなんかも買ってみた。 うちの購買は、『生徒のあらゆるニーズに応えよう』をコンセプトにしている。 食料品や医薬品はもちろん、家具や大工道具、果ては旅行のツアーや賃貸物件まで扱っている。 売り場面積だって、そこらのスーパーより遥かに大きい。 「鈴木の奴、何が銀だよ。喉は青じゃねーか」 「それより、全部に効く金ってのがあったんだが?」 「あれは中途半端な奴だ。特化型こそ男のロマンだろ?」 「ロマンに付き合わされるのは御園さんだけどな」 古今東西、男のロマンは女を不幸にすると相場が決まっている。 「そういや、高峰は風邪で寝込んだことあるか?」 「あー、1回あったかな? あんま風邪ひかないんだよね」 「だろうな」 「そのリアクションは完全に読めたね。要修行だ」 「期待されてんのかと思った」 「筧が倒れたのはいつだっけ?」 「あれは1月じゃないかな」 「倒れて3日目に高峰が来たんだ。あんときは天使に見えたね」 たしか、3日間で3キロくらい痩せていたんだった。 「この時期ってのは、割と新入生が風邪引くんだよな」 「入学して落ち着いた頃だから、気が緩むんだろ」 「考えてみりゃ、俺たちももう2年か」 「はえーよな。後輩いるんだぜ、後輩。まさか図書部の後輩ができるとは思わなかったけどな」 高峰はバリバリの空手部だった。 話をするか迷うな。 いや、今の雰囲気ならいけるだろう。 「聞こう聞こうとは思ってたんだけど、空手、いいのか?」 「もう復帰は考えてねえよ」 「でも、怪我は完治したんだろ?」 「怪我に完治ってのはないんだ」 「頑張ってリハビリして99%回復したとしても、1%のところで差が出るのがスポーツの世界だよ」 「なるほど」 高峰は空手の特待でこの学園に入り、将来はかなり期待されていたらしい。 脚を怪我をしたのは秋口だったか。 高峰が将来を悲観して荒れていた頃に、俺たちは親しくなった。 たしか、人の一生は曲がり角だらけなんだからどーちゃらこーちゃらという話をしたら、妙に気に入られたのだった。 偉人の言葉を引用して気に入られるなんて、まあみっともない。 「それにな、空手はもともとやめるつもりだったんだ」 「どうしてまた?」 「俺の実家は寺でね。俺は、そっちの方に進んで家を継ぐことになってる」 「仏教学部があるところ?」 「ああ、それも結構ガチなところね」 「初耳だな。高峰は納得してるのか?」 「……ま、ある程度はね」 「ふうん」 卒業後の進路など、まったく考えていなかった。 急に、高峰が二周りくらい大人に見えてきたのは気のせいか。 「他の奴には内緒にしておいてくれ。変な気を回されても困るからな」 「ああ」 「お前も気にしなくていいぞ。俺はやりたいようにやるだけだ」 「元から気にするような人間じゃないさ」 「嘘つけ。最近も、空手のことちょくちょく気にしてただろ」 「さて」 俺を、変にいい人扱いするのはやめてほしい。 中身は、ロクなもんじゃないんだ。 「そういや、つぐみちゃんの挑戦状ってのはどうなった?」 「ああ……」 白崎は、俺の口から『図書部に残りたい』と言わせようとしている。 それも、GWまでに。 「今んとこ保留かな」 「ほー、前進してるじゃないか」 「俺はてっきり、お人好し期間が終わったらそれでバイバイだと思ってたよ」 「今でも、その可能性はあるよ」 「はっきり辞めたいって思ってないなら、残ったらいいと思うけどな」 「その心は?」 「勘? なんとなく、お前にはその方がいいような気がするんだ」 「図書部に入ったのも、仏さんのお導きかもしれんし」 「ずいぶんお節介な仏さんだな」 「仏さんを悪く言うと、仏罰が下るぞ」 はっはっはと大袈裟に笑い、高峰は先に立って歩きだした。 高峰は、ああしろこうしろと人に指図する人間じゃない。 勘だと言ってぼかしているが、高峰的にはかなり強いプッシュだ。 心にとめておこう。 インターホンを押す。 「あ、お帰りなさい」 スピーカーから声がして、すぐにドアの鍵が開いた。 「ただいま」 「お疲れ様でした」 「あ、筧くん……お疲れ様、ありがとうね」 「おやすい御用だ」 「あ、鈴木。これ、冷蔵庫に入れておいて」 「かしこまりました」 買ってきたものを鈴木に渡す。 「どう、御園さんは?」 「う、うん……」 ベッドの中で、御園さんは寝息を立てていた。 うなされている様子もなく、表情は穏やかだ。 むしろ、困ったような顔をしているのは白崎だったりする。 「何かまずいことでもあったのか?」 「実は、これ……」 白崎が布団に入れていた手を出してみせる。 しっかりと、御園さんの手に握られていた。 「眠るまでと思って手を握っていたんだけど、放してくれなくなっちゃって」 「強すぎる癒しパワーにも困ったもんだな」 「もう寝てるんだし、そっと離せば起こさないって」 「そ、そうだよね……」 白崎が、御園さんの指を一本ずつほどいていく。 「ん……」 突然、御園さんが身体を起こした。 「え? え?」 白崎の腰に、御園さんがひっしと抱きついた。 「み……御園さん?」 「お母さん……行かないで……すぅ……すぅ……」 「お、お母さんじゃないんだけど……」 ぎゅうっと御園さんの腕に力がこもる。 「ええと……」 「お母さん……すぅ……すぅ……」 白崎が絶望的な目で俺を見た。 こんなシチュエーションで、御園さんを振りほどけるわけがない。 優しい顔で首を横に振ってあげた。 「がくり……」 うなだれる白崎。 そんな哀れな少女を、桜庭は写真に納めていた。 「まさに白衣の天使だ、素晴らしい」 「何してんだ?」 「見ればわかるだろう、記念撮影だ。白崎の代わりにな」 「白崎、笑顔笑顔」 「もう、玉藻ちゃんは」 迷惑そうな顔をしながらも、写真は撮られている。 なんだかんだで嬉しいのかもしれない。 「しかし、抱きつかれたまんまで、これからどうするんだ?」 「やっぱり、ここに泊まることになっちゃうのかな?」 「いや、こっそり離れればいいだろう? さすがにそれを非難する奴はいない」 「ふふ、泊まるのは抱きつかれてるからってわけじゃないよ」 「誰かは看ていた方が良さそうだし、明日もご飯とか作ってあげたいし」 「そこまでしなくても」 「大丈夫だよ。わたし、看病とか慣れてるから」 慣れてるのか。 妹が入院しているとか言っていたし、その絡みか。 「ま、白崎が構わないならいいか」 「それじゃ、俺たちは帰るか」 「男は役に立たんしな」 「玉藻ちゃんも佳奈ちゃんも、帰って大丈夫だよ」 「念のため私は残ろう。白崎も一人では退屈だろう」 「気にしなくていいのに」 「玉藻ちゃんは、お姉ちゃんと一緒にいたいんでしゅよねー」 「殺すぞ」 「ふうっ、罵倒最高っ!」 洗顔料のCMみたいに、爽やかな表情で言われてもな。 「馬鹿は放っておいて鈴木は帰れ。こっちは大丈夫だ」 「なんだか、役立たずで申し訳ないです」 「気にするな。役立たずということなら、私も同じだ」 「それじゃ、またな」 「うん、またね」 ぞろぞろと部屋を出る。 「御園さん、早く元気になるといいな」 「白崎さんが看病してるなら大丈夫ですよ。ご自分でも仰ってましたけど、本当に慣れてるんです。看護師さんかと思っちゃいました」 「看病の経験があるんだろうね」 「ああ、白崎さんの女子力の5%でも分けてほしいです」 「ほんとになあ」 「だなあ」 「先輩方、フォロー、フォロー忘れて……まいっか」 「途中でリアクションに飽きるなよ」 「知ってるか? ああ見えて、つぐみちゃん英語ペラペラなんだぜ」 「マジですか!?」 「意外すぎる」 「いやほら、昨日音楽科に御園ちゃんの調査に行っただろ?」 高峰がそのときの状況を教えてくれる。 なんでも、たまたま話をすることになった相手が、ピエールとかいう外国人講師だったらしい。 で、日本で働いてるんだから日本語はいけるだろうと思っていたら、まったく駄目。 「で、白崎が通訳したと?」 「子供の頃にベルギーにいたらしくて、3カ国語くらいいけるらしいぜ」 「帰国子女かあ。なんかもう、生まれる前から負けてるんですね」 「気にするな! 人はみんな世界にたった一つだけの花だよ」 「花っていっても、胡蝶蘭からドクダミまでありますけどね」 自分をドクダミと言ったか。 頑張れ鈴木。 就寝準備を済ませ、ベッドに入り込む。 いつものように本を開こうとしたとき、ある人物の顔が頭に浮かんだ。 白崎だ。 うまくやっているだろうか? メールでも送ってみよう。 「そっちはどう? 送信っと……」 送信完了の文字が出たのを確認し、携帯をベッドボードに置いた。 さて、本でも読むか。 10分も経たずに、本から意識が逸れてしまった。 今までになかったことだ。 なんの気なしに、携帯を手に取った。 白崎からの返信は来ていない。 大丈夫かな? 心配したところで仕方ないか。 「うーん……」 何かもやもやするな。 ……。 こういうときこそ読書だ。 再び本を開く。 「お」 携帯が鳴った。 メールを確認すると、白崎から返信が来ていた。 『こっちは大丈夫だよ。 御園さんも落ち着いたようで、よく眠っています。 わたしと玉藻ちゃんは、今日は泊まっていきます。 明日には熱が下がるといいな。 それじゃ、またね。 DJつぐみ』 「……」 向こうは平和にやっているようだ。 さて。 問題は『DJつぐみ』だ。 ギャグにしてはつまらない。 実は、俺が気づかないようなネタが仕込まれているのだろうか。 もしくは、白崎が本当にDJ志望だったとか? いろいろ考える。 縦読みもしてみる。 ……。 …………。 うん、おそらくギャグのつもりだ。 むふふ、こいつは面白いぜ、みたいな顔で書いたに違いない。 触れないでおこう。 「お疲れさん。風邪をもらわないようにな……送信っと」 DJネタはスルーして、無難な返信を送った。 白崎とメールのやりとりをしたら、なんだか妙にすっきりした。 今度は本に集中できそうだ。 再び枕元の本を手に取る。 「??」 またメールだ。 送信者は桜庭。 何の用だろう? 『白崎のギャグはきちんと拾うように。おやすみ。』 「……」 お前だって、3日くらい前に路面電車の中でスルーしただろうが。 土曜の12時過ぎ。 我が家のインターホンが鳴った。 来客なんて珍しい。 宅配便か、何かの料金の徴収だろう。 今は読書に忙しいので放置だ。 重要な用件なら、また来るに違いない。 というわけで、居留守敢行。 連射してきた。 やる気満点だな。 ノルマがやばい新聞の勧誘だろうか。 悪いが、新聞勧誘を断るテクには自信があるぜ? その上、携帯まで鳴りやがった。 白崎か桜庭あたりだろうか。 さすがにこっちは無視しにくい。 「はい?」 「ちょっとー、早く開けてよー」 白崎でも桜庭でもない。 今更、かかってきた番号を確認するが、知らない番号だ。 「どちらさん?」 「小太刀。素敵な隣人です」 「ああ、図書委員の……って番号教えてたっけ?」 「図書委員会のブラックリストに載ってたから」 「プライバシーとかないのな」 「あるあるある。あると信じればきっとある」 「愛とか友情と同列か」 「やだ、寂しい人」 「うるせえよ。で、さっさと用件を言ってくれ」 「最初に言ったでしょ、ここを開けて」 インターホンが連射された。 「来客はあんたか? わざわざ電話なんかかけて来るな」 「居留守使うからでしょ。隣に住んでるんだから、居留守なんてすぐわかるからね」 「悪かったよ。んで、用件は?」 「テレビを見せてほしいんだけど」 「電気屋に行きゃ、いくらでも飾ってあるだろ?」 「やだ、今のギャグ? 面白さを説明してもらえると……」 電話を切った。 すぐに携帯が鳴る。 無視。 またもやインターホンが連射された。 地獄が実在するなら、きっとこんなところだろう。 「うっさい」 「筧君が、意地悪するからだよ☆」 上目遣いで、どこから出ているかわからないような可愛い声で言われた。 ちなみに、開いたドアの隙間に足を入れている。 警察かよ。 「で、テレビが壊れたって?」 「そうなの、刑事物のドラマがクライマックスなのに」 「悪いんだけど見せてくれるかな。可及的速やかに」 「わかったよ」 「その代わり、部屋が汚いとかわがまま言うなよ」 「もちろん、ありがとっ」 小太刀がさっさと部屋に入ってきた。 男の一人暮らしの部屋だとか、そういうことは気にしないのだろうか? 口にした方が負けのような気がするので黙っておこう。 「これ、リモコン」 「ありがと」 小太刀が早速テレビをつけた。 チャンネルを合わせると、崖の上のシーンだった。 悲壮な顔をしたOLを、男性の刑事が熱く説得している。 「ドラマとか好きなのか?」 「ちょいちょいね」 答えながら、小太刀が床に座ろうとする。 「そっちは散らかってるから、ベッドに座ったほうがいいぞ」 「変なことしないわよね?」 「当たり前だ」 小太刀は、あっそと呟きベッドに上がった。 今気づいたが、私服を着ている。 スカートが短いので目のやり場に困る。 困ったので、俺はデスクの椅子へと移動し、読書を再開することにした。 しばらくして、時計を見た。 午後2時前。 小太刀はまだ、ベッドに寝転がっていた。 画面で流れているのはグルメ番組だ。 「小太刀さあ」 「おわっ!?」 びびった小太刀が、びくりと反応した。 「い、いたのっ!?」 「いや、俺んちだから」 「もう、ドラマ終わってるだろ。いつまでここにいるんだ?」 「え? 気の済むまでいていいって言ってたじゃん」 「え?」 記憶にない。 見れば、テーブルの上にはミネラルウォーターだのお菓子だのが並んでいる。 「そのお菓子とか水……俺のだろ?」 「食べていいって言ったじゃん! なに? 忘れてるの!?」 「本気で覚えがない」 うわー、という顔で見られた。 「一応全部確認取ったんだかんね。まあ、全部生返事だったけど」 「すまん、本を読んでたせいだ」 「熱中しすぎだっての」 読書していれば、どうしたって他のことに気が回らなくなる。 誰だってそうじゃないのか? 「まあいいや。食べたり飲んだりした分は、今度お金払うわ」 「いいよ、そんなケチくさい」 「やったね、さんきゅー」 びしっと右手の親指を立てた後、小太刀がごろりと転がった。 寛ぎまくること山のごとしだ。 「しっかし、本だらけだねえ」 「部屋の文句は言わないって約束だろ」 「感想だって」 「あれ? 本を読んでいないときの話は覚えてるんだ」 「当たり前だ」 「読書ってそんなに楽しい?」 「楽しいね。本には真実が詰まってるよ」 「大袈裟すぎ。つまり、本を書いてるどっかの誰かさんは真実にたどり着いたってわけ?」 へっという顔をして笑った。 「あんた図書委員だろ。本が好きじゃないのか?」 「嫌いじゃないけど、あんたほどじゃないよ」 「図書館にあるような本ってつまらないから」 「図書委員の言いぐさかよ」 「図書委員としては、どっちかってと、この乱雑な本の並びが気に入らないわね」 うちの本棚を見まわして言う。 自分で言うのもなんだがカオス風味だ。 俺は何故か、本の中身に興味はあっても、本自体には愛着がなかった。 本は読めばおしまいで、ジャンルや背の順に並べて悦に入るってこともない。 「そうそう、さっき台所が目に入っちゃったんだけど、自炊とかやってないでしょ?」 「けっこう前から自炊ゼロ運動中なんだ。エコだろ?」 「ふうん……ま、体、壊さないでよ」 「栄養バランスには気を遣ってるつもりだよ」 「外食で?」 「自炊が栄養バランスいいかっていうと、そうでもないぞ」 「外食ばっかりでお金持つの? バイトしてないでしょ?」 「なんとかね」 「うわ、もしかして、実家お金持ち?」 「どうだろう」 実家の経済事情は知らないが、生活に困らない金額は毎月振り込まれていた。 誰が振り込んでいるのかは、確かめる気がしない。 顔も名前も知らない親類に、私が振り込んでますと言われてもリアクションに困るだけだ。 「彼女でも作って、潤いのある生活送ったら?」 「彼女いないの前提?」 「いるの?」 「いない」 だよねーって顔をされた。 小太刀が身体を起こし、体育座りになる。 「図書部に女の子いるじゃない? どう、手近なところで一つ」 「今んとこ、その気はないよ」 「せっかくみんな可愛いのに」 「出会ってまだ1週間だしさ」 「一目惚れは信じない主義?」 「だな。人間なんて内側に何を持ってるかわからんからな」 何より、俺は図書部を辞めるかもしれない人間だ。 「地雷踏んだ瞬間に、急に手のひら返したようになるときもあるからねえ」 「図書部の女の子たちって、腹に一物持ってる感じなの?」 「別に警戒しているわけじゃないよ。賑やかに楽しくやってる」 「賑やかにされても困るんだけどね」 「ていうかさ、図書部っていま何やってるの? ウェブニュースで変な記事読んだんだけど」 小太刀に、図書部の現状を説明をする。 つまり、白崎と愉快な仲間たちが、今何をしているかということだ。 「あんたら、図書館から出ていって」 「言うと思った」 「誰でも言うから」 「あんまり迷惑にならないようにするから、多少大目に見てくれよ」 「私は我慢できても、苦情を言うのは他の利用者だしねえ」 「そこは小太刀の力で、さ」 ふむ、と小太刀が腕を組む。 そして、意味ありげにこっちを見た。 「まあそりゃ、図書部さんが、どのくらい図書館の役に立ってくれてるかによるけど」 「例えば、私が本の整理で困っているときに颯爽と現れてくれるとか」 「そんときは言ってくれ。高峰あたりが喜んで手伝うから」 「ちょっと当てにしておく」 大して期待してないニュアンスで言って、小太刀が立ち上がる。 「あー、そろそろ帰るわ。長居しちゃってごめんね」 「いや。別に邪魔されたわけじゃないし」 「大人しくしてれば、また来てもいいってこと?」 「ちょくちょく来られても困る」 「ま、普通そーよね」 「じゃ、今日はありがと」 さっぱりとした挨拶をして、小太刀が立ち上がる。 玄関に向ったが、ぴたりと足を止めた。 「余計なお世話かもしれないけど、筧は、どうして図書部なんてやってるの?」 「さっき言っただろ。白崎に誘われたからだ」 「活動、気に入ってる?」 「それなりに」 「ふうん」 小太刀が無言で俺を見ている。 「それがどうかした?」 「別に」 大したリアクションも返さず、小太刀は玄関から出て行った。 すぐに、隣の部屋でドアが開閉される音がした。 まっすぐ帰ったようだ。 しかし、変わった子だな。 初めてまともにしゃべったのは数日前なのに、いきなり訪ねてくるとは。 テーブルに置き去りにされた、ペットボトルの空き容器や皿を片付ける。 ふと、小太刀の残り香がした。 シャンプーだか香水だかわからないが、すっと馴染む香りだった。 明けて月曜日の放課後。 部室の壁には、コスプレ用の衣装が並べて掛けられていた。 高峰が知人から借りてきた、メイド服(猫耳つき)、巫女服、和服、執事服。 あとは、鈴木が職場から持ってきたウェイトレス服だ。 メイド服ってのは聞いてなかったが。 「このメイド服は?」 「クリーニングに間に合ったからって、友達が持ってきてくれたんだ」 「佳奈ちゃん、びしっと着てくれよ」 「いやあ、私はウェイトレスで十分です」 「やっぱり、誰か一人は学食関係の服を着ていないと」 「そっちの二人はどう?」 「うーん、ちょっとサイズがきついっていうか……」 白崎が、恥ずかしそうに胸あたりを見る。 「私も、サイズがな」 「ははは、冗談はよしてくれ」 「上下方向の話だ」 桜庭が人を殺しかねない目で高峰を見た。 「私が着たら、スカートが短すぎて逮捕されるぞ」 今の制服でも十分短いと思うが、そこは女の子の感覚というやつだろう。 「んじゃ、メイド服は欠番っと」 「ところで、俺が着る服は?」 「完成したんだけど……」 「おお、短時間ですごいな」 白崎が、大きな紙袋から衣装を取り出す。 机の上に広げられたのは、スカート丈の長いメイド服だった。 「執事服を作っていたら、いつの間にかメイド服になっちゃったの……ごめんね」 「いやいやいやいや、わざとでしょ。ズボンはスカートにならんでしょ」 「ごめんなさい……」 両手で顔を覆う白崎。 じっと見ていると、指の間に隙間が空いて白崎と視線が合った。 「ごめんなさいっ」 「仕方ないなぁ、白崎は」 「事故ですね、事故事故」 桜庭と鈴木は半笑いだ。 こいつらの入れ知恵か。 「俺は着ないぞ。執事服ならまだしも、女物は無理だ」 「白崎の失敗をフォローすると思って頼む」 「そうですよ。白崎さんも反省してるんです」 「男の優しさだろ?」 「情に訴えてくるとはな……」 「ごめんなさい。こんな出来の悪いメイド服、着たくないよね……」 「捨てますっ、こんなのゴミですっ」 「やめろっ、落ち着くんだっ」 自作のメイド服を破ろうとする白崎に、それを制止する桜庭。 どう見ても茶番だ。 「協力したいのはやまやまだが、この顔でメイド服を着ても気色悪いだけだ。ビラ配り的には効果ダウンだろ?」 「あ、ウィッグもメイクも用意してありますから」 「準備いいっすね」 「よく気がつく女だって言われます。苗字は平凡ですけど」 全国の鈴木さんに謝れ。 「ぶっちゃけ、女装させたいだけだろ?」 「だったら何ですか」 「筧、優しく言っているうちだぞ」 完全に開き直った。 まあなんだ……逃げられないんだろうな。 「……」 ぽとり。 畳の上に、一輪の椿が落ちる情景が目に浮かんだ。 目を覚ますと、枕元に椿が落ちてる小説ってなんだっけ? ああ……。 メイド服を着せられた後、俺は特別メイクを施されていた。 「わー、睫毛ながーい。はい、リップ馴染ませて下さいねー」 メイク担当の鈴木が、椅子に座った俺の周囲で動き回っている。 粉をはたかれたり、筆で何かを塗られたり、男にはよくわからない世界だ。 「しっかし、筧さんも災難ですねぇ」 「お前が言うなよ」 「はっはっは……すんません」 それっきり無言になる。 聞こえるのは、鈴木の息づかいと、化粧品の容器を開け閉めする音だけだ。 他の奴らは、鈴木の指示でメイクの完成まで室外待機している。 メイク前後のギャップで驚かせたいらしい。 「鈴木はさあ、こんなことしてて楽しいか?」 「ええ。私、メイク好きですから」 「いや、メイクじゃなくて図書部の話な」 「楽しいですよ。つまんなそうに見えました?」 「いや。何となく、どうして入部したのか不思議に思っただけだ」 「楽しそうだからですよ……あ、ちょっと動かないで下さいね」 鈴木が、真剣な顔で俺の眉に筆を走らす。 「ここを、こうして……あ……」 「……うん、個性。筧さんらしさ、見つけました」 「女装するからには、クオリティにこだわるぞ」 「はいはい、やり直しますよ」 ティッシュで眉を拭かれ、リトライ。 「私は、どっちかってと、筧さんがここにいるのが不思議ですね」 「はじめは、桜庭さんに騙されたのかと思ってました」 「俺は白崎に協力しているだけだ」 「どうしてですか?」 「俺も鈴木と一緒で、面白そうってだけだよ」 「あ、そういう返しですか」 鈴木がくすくす笑った。 いつもの鈴木からすると、大人びた笑いだった。 みんなといる時の鈴木とは、ずいぶん印象が違う。 「じゃあ、ちょっとだけ教えますけど、自分、図書部にはちょっと賭けてるんです」 「何か変えてくれるんじゃないかって」 「何かって、何を?」 「さあ、それが自分でもわからなくて困ってるんです」 「ふうん」 真意はわからない。 しかし、どこか共感できるところがあった。 「鈴木が、そうなら、俺も同じ理由でここにいるのかもしれない」 「あー、ずるいですよ。自分は教えたのに」 「先輩はずるいもんさ」 「実際、大した理由なんてないんだ」 「面白い奴がいるから、なんとなくな」 「白崎さんですか。なある」 鈴木の推理は当たっていた。 「お互い、いいことがありゃいいな」 「ですねえ。私もいい歳ですし、この辺でぱっと開花したいですわ」 「お前が歳だったら、俺はどうするんだよ」 「いやいや、先輩。頼りにしてます」 「ま、何かあったら相談には乗るよ。出来る範囲でだけど」 「どもです。何かあったら、その時はぜひ」 鈴木がヘアピンを口にくわえる。 妙に可愛く見えるな。 「なあ鈴木」 「はい?」 「俺が図書部をやめるって言ったらどうする?」 「困りますねえ」 「困るか」 「困りますねえ」 「ていうか、さらっと変なこと聞かないで下さい。眉が曲がって困るのは筧さんですよ」 「すまん」 「どういたしまして」 「……はい、メイク完成です」 頬を刷毛でこすってから、鈴木は満足げに笑った。 この話題は、笑顔で流すつもりらしい。 「おう、さんきゅー」 椅子から立ち上がろうとする。 「あ、ちょっと待って下さい。エプロン……」 俺の首に結ばれたエプロンに両手を伸ばす鈴木。 立ち上がる俺。 鈴木が前に伸した腕の間に、俺が下から入り込む形になった。 至近距離で、ばっちり目が合う。 「え、エプロンが……」 「あ、ああ……」 離れようと思っているのに、身体が動かない。 「どーんと、どーんと」 「うるせえっ」 「猫ですよねっ!?」 「おい、そろそろ時間なんだが?」 いきなりドアが開いた。 「あ」 「ひ」 鈴木の顔は至近距離のまま。 二人揃って桜庭の顔を見た。 能面のようだった。 「あー、そう。うん、まあ、あれだ……」 「いいな、青春って」 ぱたりとドアが閉まった。 無言のまま、距離を取る俺たち。 「……ふう」 「どうします、この流れ? 桜庭さん、若者を見守る顔になってましたよ」 「ともかく、誤解されないようにしよう」 「あー、でも……」 「私、誤解されてもいいかもしれません」 「は?」 思わず鈴木の顔を見る。 鈴木も真剣な顔だ。 と、思ったら、へにゃっと笑った。 「……とか言ったら、完全に漫画ですよね」 「ま、まあそうね。こーいつぅー、ははははっ」 「もう、先輩ったら、うふふふっ」 国営放送っぽい締めに持っていった。 鈴木は本気だったのか、からかってきたのか。 ま、後者だよな。 全員の着替えが終わった。 「やっぱり、改めて着てみると……短いね」 「前屈みになったら、後ろから見えちゃうかも……」 その場で回るようにしながら、スカート丈をしきりに気にしている白崎。 激しく動くと見えかねない短さだ。 「いやいや、それくらいが丁度いいですよ」 「見えそうで見えない緊張の連続が、まるでジェットコースターに乗っているかのようなスリルと興奮を生むんです」 熱く語る鈴木。 こいつはいったい何者なのだろう? 「これ、肩が出すぎじゃないか? それに、なんだ……」 「谷間もくっきりですね」 「言葉にするな、余計恥ずかしくなる」 「高峰、これは服のパーツが足りないんじゃないか?」 「元々そういうデザインだと思うぞ」 「Tシャツを着よう。視線が気になって仕事にならない」 「だめだめだめ、だめですって。そんなことをしたら各方面から苦情が来ます」 「視線なんて、慣れれば平気になりますから」 「お前、他人事だと思って……」 鈴木はいつものウェイトレス服だ。 これはこれで、スカートが短い上にパッと広がっているので、男心をくすぐるところがある。 「これでも最初は恥ずかしかったんですよ。要は慣れってことです、お二人とも」 「でも、こういう服って、誰が考えるんだろうね」 「何とかってゲームのキャラクターの服らしい」 「見栄え重視で、実際に着る服じゃないんですね」 「それを、どうして着なくてはならないんだ」 「夢を現実にするんだろう?」 言った瞬間、みなが俺に注目した。 な、なんだ? 「お、お前、筧なのか?」 「は? 何を言ってる?」 「この声……やっぱり筧くん……?」 「えっ? 筧なのか?」 「当たり前だろ。今まで誰がいると思ってたんだ?」 「鈴木の友達が助っ人が来てくれたのかと思っていた」 「わたしは、玉藻ちゃんの友達かと」 「見え透いた嘘を」 「だって、あんまり女装が自然だから」 「ああ、中身が男だなんて思いもしなかった」 「ふふふふふ……」 鈴木が悪役のように笑う。 「ふははははははははっっ」 「どうですこの美貌、このスタイル、鈴木佳奈が全てを注ぎ込んだ傑作ですっ!」 「まさに世界遺産!!」 やんややんやの喝采だ。 「胸はどうなっているんだ?」 「おわ!?」 無造作に胸を揉んできた。 中に入っているパットを、桜庭の手が何度も揉みしだく。 これといった感触はないが、なんというか妙な気分だ。 「パットでけっこう盛ってみました」 「ふうん、最近のパットはよくできているな。白崎に近い感触だ」 「いいことを聞いた」 高峰が手を伸ばしてきた。 「触るな変態っ」 威嚇して遠ざける。 「桜庭ちゃんは良くて俺は駄目なのか」 「駄目だ。なんか気色悪い」 「心まで女になりやがって、この京子野郎」 「誰が京子か」 「つーか、桜庭はいつまで触ってるんだ」 「いやいや、十分堪能させてもらった」 いい汗かいた的な顔で桜庭が胸から手を離した。 本当に堪能していやがったな。 「おっぱいひとつで人気者かあ……」 「そうだ、今日はお肉にしよう!」 「お前ら、そんなに胸が好きか?」 「好きだ」 「好きです」 「好きだ」 「はあ、まったく……」 「ふふふ、わたしの苦労がちょっとわかった?」 「少し大きいだけで、いろいろ言われるの」 「栄養が全部胸に行ったとか、胸が本体だとか、胸を100回揉むとボーナスステージに入れるとか」 「何だよボーナスステージって」 「玉藻ちゃんに聞いて」 「お、おい、私はそんなこと言ってないぞ……嫌だな、ははは」 一番まともに見える桜庭だが、意外に壊れている。 「それはそれとして、京子さん」 「京子じゃねえから。で、何?」 「言葉遣いも女の子風にした方がいいんじゃないでしょうか?」 「それであなたも、パーフェクト・ガール」 「言葉遣いなんて、そう簡単に変えられるか」 「完全には無理にしてもだ、ビラを配ってる最中は意識してみてくれ」 「うん、その格好でいつもの声だと、ちょっと怖いもんね」 だったら女装させるなよ……と口まで出かかったが飲み込んでおいた。 「はいはい、わかりましたでございますよ」 「よし、では、ビラ配りに向かおう」 「少しでも成果が出せるよう、各自気合いを入れてな」 『おいーす』と全員が応じ、部室を出て行く。 と、高峰が側に寄ってきた。 「な、なあ……一つだけお願いがあるんだが」 「何?」 「パンツを見せてくれないか」 「図書部キック!」 「ボクサーブリーフっ!?」 高峰をお空の星にした。 「キックなのにボクサー……ふふ……ふふふ」 「そこでツボるのか……」 妙な壺に入った白崎を復旧するのに5分を要した。 「第一食堂アプリオ、料理部とのコラボ企画を予定していまーす。よろしくお願いしまーす」 「3日間の開催です。よろしくお願いします」 「あの、お願い……します」 「お嬢様、ぜひお越し下さい。お待ち申し上げております」 「よろしくお願いしまーす。料理部の新作を、お手頃価格でご提供ですよー」 嬉野さんから軽い説明を受け、ビラ配りが始まった。 「こんにちはー。来週からのコラボ企画、ぜひぜひよろしくお願いしまーすっ」 さすがと言うべきか、鈴木のビラ配りは堂に入っている。 少し恥じらいは残っているが、それでも明るく元気にビラを撒いていた。 「こちらのチラシをお持ちの方は、10%割引させていただきます」 驚くべきは桜庭だ。 完全に、よそ行きの声で喋っていた。 普段とのギャップに、こっちが引きそうだ。 「ぜ、ぜひ、よろしく……お願いします」 さらに驚いたのは白崎。 というか、白崎が人前で話せないのを忘れていた。 衣装のせいか、顔のせいか、その両方か、白崎には注目が集まっている。 お陰で、白崎は開始直後からなまめかしい囁き声を出していた。 それがさらに人を呼び、白崎的には悪循環に陥っているが、注目が集まるのはむしろ願ったり叶ったりだ。 「もう一度、君に会いたいな。また、来てくれるよね」 高峰は、男性アイドルみたいな直球を投げ続けている。 これはこれでいいだろう。 俺はといえば、 「第一食堂アプリオ、よろしくお願いしまーす♪」 「今年の料理部には、料理コンクールの優勝者も在籍しています! 学生日本一の味を、ぜひご堪能下さい♪」 自分の声に鳥肌が立って久しい。 そして、何をどう勘違いされたのか、俺の前には人だかりができていた。 興奮した表情で写真を撮っているが、申し訳ない、中身は俺だ。 腰も、 胸も、 顔も、 魅惑的なヘッドドレスも、 全部、筧京太郎だ。 すまない。 ひゅーーーと漫画みたいな風が吹き、俺のスカートが舞う。 慌てて押さえた。 「もう、Hな風☆」 自分でもまったく意識せずに、女声が出ていた。 死にたい。 いま死にたい。 「あれは、確か図書部の……」 「白崎つぐみです」 「なんでも、学食の関係者からビラ配りを依頼されたということで」 「何をやっているのかしら、あの部活は」 「筧京太郎が見当たりませんね。お探しなのでしょう?」 「別に探してなどいません」 「ですが、もしビラ配りなどに筧君を使っているのだとしたら、学園としての損失だと思いませんか」 「仰る通りです」 「しかし、本人がそのことに気づけないのならば、彼もその程度ということでしょう」 「サポートするのも、生徒会役員の仕事ですよ」 「それはどうでしょうか?」 「あの……すごく(お得になりますので)……いっぱい(持っていって)下さい……」 「コラボキャンペーンです、よろしくお願いします」 「はーい、割引券ですよー。どんどん持っていって下さい。お友達にも渡して下さいねー」 延々続くビラ配り。 口コミでも広まったのか、ビラをもらいに来る人は増えていた。 「あの、すみません」 「はい……」 白崎に声をかけたのは、御園さんだった。 見たところ顔色もいいし、風邪は良くなったようだ。 「あ、御園さん、どうしてここに?」 「昨日、ビラ配りをするって仰ってたじゃないですか」 「あ、そうだったね」 白崎が恥ずかしそうに笑う。 「体調はどう?」 「お陰様で元気になりました。看病していただいて本当にありがとうございました」 「ううん。わたしが勝手にやったことだから気にしないでいいの」 「いえ。初めての一人暮らしだったので心強かったです」 「ところで、あの、こちらは?」 御園さんが俺を見て言う。 「あ、図書部の仲間で、筧くん」 「金曜日にも会ってるんだけど、覚えてないかな?」 「すみません……実は、意識がぼんやりしていたみたいで、白崎さんと桜庭さんのことしか覚えてないんです」 「そりゃ、仕方ないさ」 「え?」 御園さんが凍り付いた。 思わず、男の声を出してしまった。 「いや、実は女装してて、中身は男なんだ」 「は、はあ、なるほど」 「覚えてないかな? 自販機の下で500円玉を拾った男だよ」 「え? じゃあ、あの痴漢に間違われた」 「そうそう」 「あの日は、白崎と桜庭で、この服の材料を買いに行ってたんだ」 と、自分のメイド服を見せる。 「なるほど、筧先輩は女装が趣味なんですね」 にっと笑う。 「いやいや、違いますよ」 「くすっ、冗談です。あ、よかったらこれを」 御園さんがビニール袋を突き出してきた。 中にはペットボトルが4、5本入っている。 「看病して下さった御礼です。差し入れということで」 「わあ、ありがとう」 白崎が差し入れを受け取る。 「あと、これを……」 と、御園さんが差し出したのは封筒だった。 「買っていただいたお薬や食べ物の代金です。本当に助かりました」 「こういうのはいいよ、御園さん」 「いえ、そういうわけには」 「だめ、後輩なんだからもらっておいて」 おばさんのおごり合いみたいなことをやっている。 「そういうことなら、差し入れもいらんよ。申し訳ないから」 「いえ、差し入れは気持ちですから」 「じゃあ、飲み物はありがたくもらっておく。その代わり封筒は引っ込めてくれよ」 「……口が上手いですね、センパイ」 御園が封筒を引っ込める。 「それでは、お仕事中にすみませんでした。頑張って下さい」 御園さんがぺこりと頭を下げた。 「あ、ちょっと待って」 「も、もしよかったら、一緒にビラ配りをしない?」 「え?」 「はい?」 予想外の直球を投げた。 白崎は、いつからこんな大胆になったのか。 いや、よくよく見れば足が震えていた。 手も、ぎゅっと握ったり離したりしている。 「も、もしよかったらなんだけど、一緒に、ビラ配りを……」 リピートした。 「いえ、それはちょっと」 「あ、衣装は着なくても大丈夫なんだけど」 「い、いえ、そういう問題では」 引いている。 「お、御園じゃないか」 離れたところでビラを配っていた桜庭が寄ってきた。 「あ、桜庭先輩、その節は」 「いや、気にするな。元気になって何よりだ」 「この時期は、新入生の風邪が多いらしいから気をつけろよ」 相手が後輩と見るや、さっと先輩オーラをまとう桜庭。 「で、白崎はなぜ緊張してるんだ?」 「いま、御園さんをビラ配りに誘ってるんだ」 「いきなりだな」 「ですから困ってるんです」 御園さん溜息をついた。 「こ、困らせてるかな?」 「大筋は」 「うう……」 凹む白崎。 それを見た御園がひるんだ。 「まあ待て」 「御園、これを見てくれ」 桜庭が携帯に画像を表示させる。 「!? これは……」 桜庭が持っていたのは、御園が白崎の手を握っている写真だった。 看病したときの写真だ。 「動画もあるぞ」 桜庭が画面をタップする。 「お母さん……行かないで……」 「……」 真っ赤な顔の御園。 「ご感想は?」 「死にたいです」 「今ならこんな刺激的な映像が、ビラ配りをするだけで削除できるんだが?」 「鬼かお前は」 「まったくです」 御園さんがシリアスな顔で言った。 怒らせるのは得策じゃない。 というか、なんでここまでして御園を誘うんだ? 「玉藻ちゃん、そういうのはダメだよ。嫌がってるんだから今すぐ消して」 「しかしなあ、こうでもしないとビラ配りなどやってくれんぞ」 「脅かしてやってもらっても嬉しくないから……はい、消して」 白崎は本気の口調だった。 「白崎が言うなら仕方ない」 桜庭が残念そうに言って携帯を操作した。 「ほら、消したぞ。すまなかったな、御園」 「いえ」 「ごめんね、御園さん」 「構いません。では、私はこれで」 立ち去ろうとする御園さん。 「あ、ちょっと待って」 「なんですか」 ちょっと険のある声に、白崎がたじろぐ。 「ビラ配り、どうかな?」 「無理です」 「どうして私なんかを誘うんですか? 無愛想ですし、戦力にならないです」 「でも、歌ですごく有名なんだよね? 絶対、すごい戦力になるよ」 「……」 御園さんの顔から温度が消えていた。 自販機の時にも思ったが、このあたりは触らない方が良さそうだ。 「結局はそこですか?」 「え?」 「私にビラ配りをさせるために、恩着せがましく看病したんですね」 「え? 違……」 「失礼します」 軽快な靴音を残し、御園さんが走り去る。 これは誤解だ。 「……白崎、待ってろ」 御園さんを追っていた。 白崎が打算的に人を誘うわけがない。 ましてや、恩を着せるために看病をするなんて。 ただ、白崎の感覚はなかなか理解しがたいから、御園さんの誤解もわかる。 誰かがちゃんと説明してやらないと。 ……それが俺の役目なのか? 桜庭あたりが適任なんじゃないか? どうなんだろう? よくわからないが、白崎みたいな人間が誤解されてるのは、ちょっと寂しい。 「御園さん、待ってくれ」 目の前まで迫った御園さんの背中に声を投げる。 御園さんの足が止まった。 「なんですか?」 棘のある声で、背中越しに問われた。 御園さんが怒っているのは、白崎の言葉に傷ついたからだ。 傷ついたということは、ついさっきまで白崎が善意で看病してくれていたと思っていたのだろう。 世の中に、そんなにうまい話は転がっていない。 ……一般的には。 「白崎を誤解しないでやってほしい」 「別に誤解なんてしてません」 「あいつが、御園さんのご機嫌を取るために看病したと思ってるんだろう?」 「それ、誤解ですか?」 「誤解なんだ」 「あいつは難しい計算なんかしない。御園さんが病気だったから看病した、それだけだ」 「白崎さんが自分で言ったじゃないですか、私なら戦力になるって」 「それは事実だろう? 御園さんは有名人だし」 「戦力になるかならないかと聞かれたら、誰だってなるって言うさ」 「でも、白崎の中じゃ、看病とビラ配りは繋がってない。ここが重要なんだ」 御園さんがこっちを向いた。 親に怒られている子供みたいな顔をしている。 「おかしいです」 「ちょっと変わってるんだよ、白崎は」 「普通の人ならやらないことをあっさりとやる」 「例えば、名前しか知らないような人間を看病するようなことも」 「気持ち悪い」 「そんな美談を作って、結局は私にビラ配りをさせたいんでしょう?」 「ビラ配りのことは忘れてくれていいよ。ただ、白崎を誤解しないでくれ」 「そこまでかばうなんて、よっぽど白崎さんを気に入ってるんですね」 「アトラクションとしては気に入ってる」 「あいつは飽きないぞ。普通じゃない」 だから俺も、鈴木と一緒で、あいつに何か賭けてるのかもしれない。 「けなしてるじゃないですか」 「すごいって言ってるんだ」 「ともかく、あいつの善意だけは誤解しないでやってくれ」 基本的に、御園さんは白崎を信じたいと思っている。 その方が御園自身傷つかないからだ。 だから、この説得は大して難しくないと思う。 「……わかりましたよ。じゃあ、そういうことで」 御園さんが立ち去ろうとする。 「待った」 「まだあるんですか?」 「というわけで、白崎と遊んでみないか?」 「遊びません」 「ちょっとだけだって」 「やめて下さい」 「大丈夫だって、すぐ終わるから。ちょっと遊ぼうよ、ほらあっちで……」 「って、またこのパターンか。警察来るわっ!」 冷ややかな視線で見つめられている。 「好きなんですか、こういうノリ?」 「ああ、嫌いじゃないかな」 「変な人ですね」 御園さんが小さく笑った。 実際のところ、ノリに好きも嫌いもない。 相手に合わせているだけだ。 「真面目な話、どう? ビラ配りだけでも」 「……」 「白崎、喜ぶぞ」 「さっき、すごく悲しんでた。御園さんを傷つけちゃったって……」 「や、やめて下さいよ」 御園さんがたじろぐ。 「別に取って食おうっていうんじゃない」 「ただ、白崎を元気づけてやってほしいんだ」 「本当に口が達者ですね」 「わかったよ。もう喋らない」 「ただ、御園さんがビラを配ってくれなかったら……」 「くれなかったら?」 「ここで脱ぎます」 「どうぞ」 止めないんだ。 「いや、ホントに脱ぐよ。女装しているのに脱ぐよ? 痴漢って叫ぶよ」 「半泣きじゃないですか」 「わかりましたよもう。ビラを配ればいいんでしょう?」 「お願いします」 「はいはい」 御園さんがまた小さく笑った。 何となく、この子がわかってきたな。 強く押せば、押せないことはない。 「あ、御園さん」 「どうも」 「さっきはごめんなさい、傷つけちゃったみたいで」 「いえ、私の誤解だったみたいです。すみません」 ばつが悪そうに、御園さんが頭を下げた。 「御園さん、ビラ配り、やってくれるって」 「本当っ!」 白崎が御園さんの手を握り、ぶんぶん上下に振る。 白崎の得意技だ。 「で、どうすればいいんですか?」 顔を赤らめながら御園さんが言う。 「あ、じゃあ、私についてきて」 「え? はい」 「ふふふ、お姉ちゃんとお着替えしましょうね」 「そういえば、あの服がまだ空いてたな」 高峰が友達から借りてきたメイド服(猫耳つき)か。 期せずして着用者が見つかったな。 「あの、コスプレはちょっと……」 鈴木が、御園さんの腕を掴む。 「大丈夫、すぐ終わるから」 「離してくださいっ」 「すぐ、すぐだから。ちょっとだけ、ね」 俺と同じリアクションをする鈴木。 御園さんが無意識にそう仕向けているのか? ……などと考えているうちに、御園さんは学食の奥に消えていった。 やがて、着替えた御園さんが合流した。 嫌がってた割には様になっている。 「料理部とのコラボキャンペーン開催でーす」 「どうした、声が小さいぞ! それでも声楽やってるのか」 「(ビラ配りに付き合ってるのはこっちなんだけど……)」 「何か言ったかー?」 「いえ……はぁ」 「お得なクーポンもありますので、よろしくお願いしまーす!!」 「いいよー、それがほしかった。どんどん見せてこー」 「御園さん、こんなに強くなって(ほろり)」 「御園さんが来てくれて良かった」 「ああ、なかなかの集客効果だ」 歌姫がコスプレをしているということもあり、人だかりがどんどん大きくなっていく。 人だかりがさらに人を呼び、数分後には、周囲の景色が見えないほどの人垣ができていた。 ウェブニュースに登場したことがあるとはいえ、御園さんの知名度はすごい。 ここまで来ると、声などかけなくてもビラはなくなっていく。 「よろしくお願いしまーす」 「ふふふ、楽しんでくれてるみたいだね」 「え? そう見えますか?」 御園さんが、くたびれた顔でこっちを見る。 同情の顔でうなずき返してやった。 「すっごく、楽しいですよ!」 「うん、良かった」 「……はあ、白崎さん、やっぱりおかしいかも」 「? 何?」 「いえいえ……よろしくお願いしまーす」 「……あの子……」 夜8時過ぎ。 ビラがめでたくゼロになり、仕事が終わった。 まずは休憩と思って席に着いたが、御園さんだけは早々に着換えに行ってしまった。 猫耳メイド服が相当恥ずかしかったらしい。 当たり前か。 「いやー、働いた」 「高峰さん大活躍でしたね。今日は女の子独り占めだったじゃないですか」 「ほんと、もう身体が保たないって」 「こういう仕事には適性があるんじゃないか?」 「あー、将来考えてみようかな」 着替えを済ませた御園さんが仏頂面で現れた。 「しっかし、御園ちゃんの人気はすごいな。あっという間に人だかりだ」 「ちゃん付けしないで下さい」 「冷たいなあ」 「私はこれで失礼します。今日はありがとうございました」 御園さんが頭を下げた。 挨拶はしっかりしている子だ。 「あの、御園さん」 「はい、なんでしょう?」 「ええと……」 白崎が緊張を紛らわすように瞬きをした。 「明日の放課後、時間空いてるかな?」 「図書部にでも勧誘するつもりですか?」 「うん。一度、きちんとお願いしたいの」 「図書部の話は先日伺いました」 なんだ、もう説明済みだったのか。 「でも、図書部に入るつもりはありません」 「なら、どうしてビラ配りを手伝ってくれたんだ?」 「白崎さんに恩返しがしたかっただけです」 「だったら、もう一度白崎を助けると思って」 「ビラ配りだけじゃ不十分ですか?」 「わたし、何かしてほしくて看病したんじゃないよ」 「それはわかってます」 「一つ伺いますけど、どうして私を図書部に入れたいんですか?」 「それは……」 白崎が俺たちの方を見た。 「羊飼いを知っているか? 願いを叶えてくれる羊飼い」 「はい。音楽科ではかなり有名ですから」 御園さんが言うには、音楽科は競争が激しいこともあり、神頼み的なものを信じる人も少なくないという。 羊飼いと会えるように、羊のキーホルダーをつけている人もいるらしい。 「それで、羊飼いが何か?」 「私達は、最近、羊飼いとおぼしき人物からメールをもらったんだ」 「あなた方も?」 「も?」 緊張が走った。 桜庭と御園さんが携帯を見せ合う。 桜庭の携帯には、 『御園千莉は君たちに大切なことを教えてくれるだろう。  羊飼いより』というメール。 御園さんの携帯には、 『放課後には新しい世界が待っている。  羊飼いより』とあった。 4月20日午前のメールだ。 「私の名前がどうしてメールに?」 「聞きたいのはこっちだ。何か心当たりはないのか?」 「ないです」 「羊飼いとは、知り合いじゃないのかな?」 「知り合いなわけないじゃないですか」 「えー、何か大切なこと教えてよー」 すがりつこうとする高峰を、御園さんがすげなくかわす。 「そんなこと言われても困ります。本当にわかりませんから」 「なら、どうして御園さんの名前を出したんでしょう?」 「さあ」 「さあ、じゃない、真面目に考えてくれ」 「私に当たらないでください」 「こっちだって、名前を出されていい迷惑なんですから」 嘘をついているようには見えない。 どうやら、本当に何も知らないらしい。 「興奮してすまない」 「では、御園に来たメールの内容に心当たりはあるか?」 「ありません」 「メールをもらってから、放課後に変わったことはあった?」 「看病されたり、ビラ配りさせられたりしていますけど」 「新世界へようこそ」 「こんな新世界、嬉しくないです」 「メールに返信とかした?」 「しません、気持ち悪いですから」 「羊飼いを信じてないの? 音楽科では信じてる人多いんだろ?」 「半信半疑です……」 ちょっと暗い顔をした。 「皆さんはどうなんですか?」 「羊飼いからメールをもらったんですから、もっと喜んだらいいと思いますけど」 「メールの内容がこれじゃなあ」 話が途切れる。 羊飼いの正体につながるような話は出てこない。 「話が長くなりましたけど、私を図書部に誘った理由はわかりました」 「つまりは、羊飼いのことを知りたかったんですよね?」 御園さんが冷たい声で言ってきた。 「お力になれなくてすみません」 「それではこれで」 会釈をして、御園さんはさっさと立ち去る。 「待って御園さん」 「なんです」 迷惑そうに振り向いた。 「わたしが御園さんを図書部に誘ったのは、別の理由だよ」 「はあ。なんですか? 面倒なんで早くして下さい」 「御園さんを初めて見たとき、図書部に誘おうって決めたの」 「道ですれ違っただけなんだけど、後ろ姿から目が離せなくて」 たしか、みんなで芹沢さんに会いに行ったときだ。 事務棟に向かう途中、御園さんとすれ違ったのを覚えている。 「芸能人オーラでも出てましたか?」 興味なさそうに御園さんが言う。 「ううん。なんていうか、ちょっと苦しそうだって思ったの」 「その後、授業にあんまり出てないって話を聞いたから……」 「……」 御園さんが視線を落とす。 「何か力になれたらって思ったんだけど、お節介だよね」 「ですね」 「それに、白崎さんと初めてお会いしたのはもっと前ですよ」 白崎が目を丸くした。 「先週の月曜日の朝、ビラを配ってたじゃないですか? 私、もらったんですよ、ビラ」 「怪しい宗教の勧誘かと思いました」 「ええ!? そんなんじゃないよ」 ある意味、白崎教だと思うが。 「なんにしても、今のところ図書部に入る気はないです」 白崎が残念そうに視線を落とした。 「わかった。今は諦めるよ」 「そうして下さい」 「そしたら、お茶を飲むだけでもいいから、明日から部室に来てみない? 友達として」 「はい!?」 「そんなこと言って、部室に行ったら入部するまで監禁するんですね」 「しないって。もう入部しろとも言わないよ。全部お任せ」 御園さんが、俺たち全員の顔を見る。 視線が、俺の上で少しだけ止まった。 「では」 短い髪をわずかに翻し、御園さんは立ち去った。 「ふう……なんだか疲れちゃった」 「なんだあいつは、白崎がここまで譲歩してるのに」 「俺たちは白崎に毒されてるからそう思うが、あの対応は割と普通だぞ」 「毒されてる?」 「いや、なんでもない」 「俺としちゃ、白崎のはいい追い込み方だったと思うな」 「諦めたように見せかけてからの押し……なかなかのテクニシャンですね」 「あの、そういうつもりじゃあ……」 白崎が駆け引きなんか覚えたら、それこそ魅力ゼロだ。 博愛原理主義者だからこそ、白崎は面白い。 「さて、明日はどうなるかね」 「御園さんは来てくれると思うけどな」 白崎は笑顔で即答した。 「それはただの願望だろう」 「願わなくちゃ実現しないよ」 「願っても実現しないことはある」 「願うだけならタダだもん」 青臭い上に不毛な言い合いをしている。 「あ、皆さん、お疲れ様でしたー」 間の延びた声とともに、ぽてぽてと嬉野さんが近づいて来た。 「あ、お疲れ様でした」 「どうも」 「あら? どちら様」 「筧だよ。メールの相談に来た」 「ずいぶんと倒錯したご趣味をお持ちだったんですね。良いと思います。どんどん進んで下さい」 「これは無理矢理だから」 「でも、お似合いですよ。知人のお店に売り飛ばしたいくらいです」 「は?」 「あ、何でもありませんよ」 にこにこ顔でかわす嬉野さん。 完全にやばいことを言っていたぞ。 「ところで、今日は大盛況だったみたいですね」 「3日はかかると思っていたのですが、まさか1日で配り終わってしまうなんて」 「強力な助っ人が来てくれたんだ」 「そうですかそうですか」 「ま、こちらとしては、店長のご機嫌も取れたので言うことありません」 にっこり。 底が見えない笑顔だ。 「こちらが、約束のものです」 嬉野さんがメモ用紙をテーブルにおいた。 住所と氏名が書かれている。 「これは?」 「あなた方にメールを送った携帯の、契約者の情報です」 自分で依頼しておいてなんだが、一瞬ぞっとした。 わかる人には、わかってしまうのだ。 「すみません、ありがとうございます」 「あ、一つだけ注意事項を」 「メモに書かれた情報をどのように使うかはお任せしますけど、どうやって知ったかを洩らしたら、め! ですよ。お互いのためになりませんからね」 全員、無言になった。 「それでは、ご機嫌よう」 嬉野さんが、楽しそうな足取りで帰っていく。 やばい人と関わっちゃったかな〜というのが、おそらく図書部全員の感想だと思う。 放課後。 部室の鍵はもう開いていた。 中にいるのは、白崎、桜庭、高峰の3人だ。 「早いな」 「御園さんが来るかもしれないから」 机に頬杖をついた桜庭が、猫じゃらしでギザを構っている。 「ぶふっ……う゛ぉうふっ」 ギザの動きは緩慢で、完全に翻弄されていた。 「御園ちゃん、来るかねえ?」 「来ないんじゃないか?」 「玉藻ちゃん、寂しいこと言わないでよ」 桜庭は、どうも御園さんをあまり気に入っていないらしい。 「俺は来ると思うね」 「ほう。筧は?」 「そうだな……」 椅子に座り、本を開く。 「来る、かな」 「3対1か」 「なんなら、賭けてみるかい?」 「だめだよ、賭け事なんて」 「大丈夫、勝てばいいんだ」 「あ、なるほど」 「ええええ……」 白崎……相変わらずキャラがつかめないな。 「で、何を賭ける? 金や物はさすがにいかんぞ」 真面目だなあ。 金品が駄目なら、精神的な罰ゲームがいいか。 精神的に来て、それでいてやり過ぎにならないものというと……。 「負けた人は、みんなの前でアイドルっぽい台詞を言うってのはどうだ? 女は可愛く、男はキザに」 「いや、イマイチか……」 「やった挙げ句、全員がノーリアクションってのはどうだ?」 「想像するだけで精神力が削られるな」 「いいんじゃないのか。どうせやるのは私じゃない」 「ほー、大した自信じゃないか」 「あれだけ素っ気なくしてたんだ、さすがに来ないだろう」 ふふんと桜庭が笑ったとき、入口の扉がガチャリと動いた。 「お!?」 「どもー」 入ってきたのは、ローテンションな鈴木だった。 全員が脱力した。 「いやぁ、ちょっと事件ですよ皆さん」 「なに!? まさか、御園が?」 静寂。 誰かが唾を飲む音が聞こえた。 「あーいえ、実は、私の部屋の給湯器が壊れちゃいまして」 「はぁ、そんなことか」 「頼むよ佳奈すけ」 「なんですかこのリアクション!?」 「お湯が出なかったらお風呂に入れないじゃないですか!?」 「それはそうだけど、いま、御園さんが来るか来ないかって話をしてたんだよ」 「あ、なるほど。失礼しました」 こりゃ失礼と手で言ってから、鈴木は椅子に座る。 そして、習慣になっているかのように、糸つきのボールでギザを構いだす。 「そういえば、佳奈すけって悪くないですね。年上からちょっと雑に呼ばれたい感じです」 「あれ、そういう趣味?」 「カナカナ、子供だからわかんなーい……ですけど」 「うざっ、佳奈すけ、うざっ」 「あー、いいです、雑な感じいいです」 わふわふした顔をしている。 理解できない。 「じゃあ、今日から佳奈すけな」 「わたしは、佳奈ちゃん継続で……」 白崎が小さな声で自己主張した。 「そういや、みんな、今んとこあだ名ってないよな」 「別になくてもいいだろう」 「でも、あった方が親しい感じするよ」 数秒前、佳奈すけに反対した人間の台詞とは思えない。 「なくて構わない」 ぶすっとした顔で桜庭が言う。 なるほど、嫌な思い出があるパターンだな。 「そう怖い顔するなって、タマタマ」 「ふっ!」 高峰の顔面に桜庭の拳が炸裂。 うめき声一つあげず、高峰が沈んだ。 「高峰さん、無謀すぎます」 「ま、誰でも1回は考えるよな」 例えば、朝の登校時── 「今日の1限は英語かー。やる気が出ないなー」 「やっほー、タマタマ! どうしたの、朝から元気ないぞっ、ほら、ピンッとして!」 「あれ、熱あるんじゃない? やだ、すごく熱くなってるよ、タマタマ」 「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか!? タマタマがっ!」 ……地獄だ。 「うん。やっぱタマタマはやめた方がいいな」 「検討するまでもないだろ」 「もう、あだ名の話はやめだ」 「大体、こういう話になると、昔から姫だのタマタマだの言われるんだ。気分が悪い」 わかったかお前ら、みたいな顔で言われた。 「(これは呼んでくれってフリですかね?)」 「(ち、違うと思うよ)」 などと駄弁っているうちに、30分が経過した。 御園さんは現れない。 「ぶふっ……ぶふっ……ごほっけほぅ」 ボールで遊ばれていたギザは、大して動いてもいないくせに過呼吸になっていた。 「つぐみちゃんさあ、もし御園ちゃんが来たら図書部に誘うの?」 「まずは友達から始めようかなって思ってるけど……」 「で、ゆくゆくは巻き込むつもりなんだろう?」 「ストレートに言っちゃうとね」 てへりと笑った。 かわい子ぶるところなのだろうか。 「ト、トモ……ダチ?」 「コ、コレハ……ナミ、ダ……」 後ろで、プログラムされていない感情に拒絶反応を起こしている二人がいた。 レトロなノリだ。 「何のために誘うんですか? 御園さんは羊飼いのことは知らないって言ってましたよ?」 「目的なんてないよ。ただ、ちょっと寂しそうだったから」 「それだけ? ちょいと寂しそうにしてる奴なんか、いくらだっているじゃん」 「いるかもしれないけど、わたしが気になったのは御園さんだけだったの」 「言ってることがナンパと一緒だぞ」 「あれ? そうかな? あ、そうか」 うなずいている。 「みんなは反対?」 「まあ、白崎が気に入ったのなら仕方ないが……」 「ですねえ。そもそも白崎さんを手伝うための部活ですし、白崎さんが欲しい人材なら」 「俺はもちろん賛成」 「女の子だからだよね」 「男女差別はしない」 「筧くんは?」 高峰のつまらない台詞をスルーして、白崎が俺に水を向けた。 人が増えるのはいいと思う。 仮に俺がやめることになっても、部活に与える影響が小さくなるだろう。 「いいんじゃないか、人が増えるのはいいことだよ」 「……そう」 白崎が一瞬目を伏せた。 「でも、際限なく増やすのは良くないと思う」 「活動が固まらないうちに組織を大きくすると、収拾がつかなくなるかもしれない」 「筧の言う通りだ。一体、何人まで増やすつもりなんだ?」 「え〜と」 白崎が室内を見まわす。 「あと1人。御園さんが入ってくれたら、それで終わりかな」 「なんでまた?」 「知りたい?」 白崎がいたずらっぽく笑った。 「席があと1つ空いてるからだろう?」 「そんな理由で決められてたまるか、なあ白崎」 「う……筧くんの正解です」 「あ、そう……まあなんだ、悪かった」 「実際んとこ、5、6人が丁度いいと思うよ。あんま増えても困るし」 「うん、わたしもそう思うの」 はっきり言って、図書部はおかしな組織だ。 思想的指導者である白崎には、文字通り思想上の目標しかなく、具体的な活動内容を示していない。 人が増えれば、活動内容をめぐって意見が割れる可能性が高い。 意思疎通がしやすい人数に抑えておくのが妥当だ。 人の集め方にしても、公募するよりは、白崎の気に入った人間をスカウトした方がまとまるだろう。 「そう、全員揃ったら見せようと思っていたんだ」 桜庭が、手元のノートPCを操作する。 少しの間があり、ブラウザに見たことのないページが表示された。 「図書部、オフィシャルウェブサイト? 何のページ?」 「見たまんまだろ」 「土日で作っておいた」 「時間があまり取れなかったから、必要最低限のものしか作っていないが」 桜庭は謙遜するが、デザインは即席とは思えないほど綺麗だ。 コンテンツも、部活の簡単な紹介と相談用メールフォームが用意されている。 一人でコツコツ作業していたのか……頭が下がる。 「桜庭さん、パソコンとか得意なんですね?」 「嬉野を見てしまったら、得意とは言えない」 桜庭が笑う。 「これで、図書部も少しは格好がつくだろう?」 「うん、玉藻ちゃん、本当にありがとう」 「あまり言いたくはないが、活動が少しなあなあになっていたから心配だったんだ」 「当初白崎が提案していたのは、一般生徒からの相談に基づいて活動することだろう?」 言われてみれば、ゴミ拾いからの流れで何となく来てしまっていた。 桜庭はそれを懸念していたらしい。 組織全体を見る目も持っているんだな。 桜庭がいれば、図書部という船が転覆することもなさそうだ。 「あとは御園さんが来てくれればいいんだけどな」 「きっと来てくれるよ」 白崎が期待に満ちた目で入口のドアを見る。 しかし、ドアには何の変化もない。 時刻は4時過ぎ。 ただ待っているのももったいないな。 「高峰、俺たちでメールの件を調べないか? 嬉野さんに教えてもらった住所に行ってみよう」 「そうね。御園ちゃんをずっと待っててもしゃーないしな」 「わたしも行くよ」 「白崎の留守中に御園が来たらどうするんだ? 私が行く」 桜庭を連れて行っていいのだろうか? 相手は教えていないアドレスにメールを送ってくるような奴だ。 「女の子は待っててくれ。何があるかわからないし」 「私は連絡要員だ。現場には入らないようにする」 「でないと、男二人に何かあったとき救急車を呼べないだろう?」 「あ、なるほど」 「なあ、筧。俺たちは戦場に行くのか?」 「ただの家だと信じてる」 桜庭がノートPCで地図を開き、嬉野さんに聞いた住所を入力。 周辺地図を印刷した。 場所は、駅の南東10分ほどのアパートだ。 「俺んちの近所だな」 「んじゃ、行ってみますか」 「もし御園さんが来たら頑張れよ」 「うん、頑張ってみる」 駅南の商店街を東に折れ、住宅街に入った。 この辺の道には高峰が詳しかったので、迷うこともない。 鳴海市海岸3丁目2番8号 福寿荘201── 「地図だと、このアパートか」 「なかなか味のある建物だな」 木造二階建て。 屋根はトタンで、壁はところどころがめくれ上がったベニヤの板。 壁に貼られた紙切れには『空室あり、室内浴室あり、外国人OK』という文字。 どう見ても昭和生まれの物件だ。 「室内浴室押しか……なかなかだな」 「201は、左端か」 外から部屋を観察する。 雨戸が閉まっており、洗濯物はない。 「ポスト見てくる」 「姫は離れたところにいてくれ」 「姫と呼ぶな」 苦情を言いながら、桜庭が離れた場所に移動する。 さて、建物の調査だ。 階段の上り口にある集合ポストは、チラシでいっぱい。 表札はナシ。 部屋の入口も確認するが、ドアノブにまで砂埃が積もっている。 長い間、人が出入りしていないようだ。 人が住んでいる隣室とは、部屋の佇まいがまったく違う。 生活の気配がなかった。 調査結果を桜庭に話し、俺たちは部室へ戻ることにした。 ぶらぶらと商店街を歩く。 「部屋が、空室だったのはどういうことだろう?」 「携帯を契約してから引っ越して、住所変更してないとか」 「誰かから携帯を買っていたり、偽造の身分証で契約していたりというのもあるが」 「犯罪じゃねえか。ガチでそういうことする人間の相手はできないぞ」 せっかく手に入れた手掛かりだが、この先には進めなさそうだ。 ヤクザなんかが出てきた日には手に負えない。 「残念だけど、メールについてはしばらく放置か」 「羊飼いについては、図書部のウェブサイトで情報を募ってみよう」 「何人見てくれてるかわからんけどな」 「それはほら、図書部の頑張り次第だろ」 「知名度が上がれば閲覧者も増える。そうすりゃ情報が提供される可能性も上がる」 「御園ちゃんが入部してくれれば知名度も上がるんだけどなあ」 「部室に来ているかどうか……一応メールしておく」 つまらなそうに言って、桜庭が携帯をいじる。 「姫さあ、御園ちゃんのこと嫌いなん?」 「別に。ただ、授業をサボっているというのはどうかと思う。才能があって期待されてるんだろう?」 「世の中には、才能がなくて泣いている人間が山ほどいるんだ。持っている人間が不真面目では困る」 「なーるほど」 高峰が神妙にうなずく。 「御園ちゃんは、なんでサボってるんだろうねえ。あんま怠けてるって感じじゃないけど」 「その辺のことが、白崎の琴線に触れたんだろうな」 「はあ……白崎は絶対誰かに騙されるな」 「騙すよりは騙される方を選びそうだもんなあ」 「あんなお人好しを騙す奴がいるかな?」 「お人好しは筧の専売特許じゃなかったのか?」 「白崎と比べられたら、ごめんなさいだよ」 「お、メールが返ってきた」 「……御園は、来ていないそうだ」 「ふうん」 来そうな気がしてたけどな。 「あと、今夜は全員で銭湯に行くことになったらしい」 「は? どういうこっちゃ?」 「経緯は書いていない」 そういえば、鈴木が何か言ってたな。 おおかた、風呂に入れない↓↓ 銭湯に行こう↓↓ どうせならみんなで行こう(結論)。 の流れだろう。 ま、たまには銭湯も悪くないか。 路電を乗り継ぎ、図書館まで戻ってきた。 「最近、本の匂いが好きになってきたかも」 「ようやく目覚めたか」 深呼吸をする。 本の香りが身体に染み渡る。 たまらん。 今夜はマルクス経済学あたりでハードにキメたくなってきた。 桜庭が『この変態ども』と視線で言っているが、見なかったことにする。 「おい、あれ」 「ん?」 高峰の指す方向に目をやる。 図書館酔いが一瞬で冷めた。 見覚えのある女の子が、本棚の狭間をフラフラ歩いている。 本や席を探している風でもない。 「どうやら今日は、桜庭先生の楽しいお姿が拝めそうですな、ふぇふぇふぇ」 「ば、馬鹿な……あれだけ素っ気なくしていたのに」 「どう見ても構ってほしそうだったじゃん」 「さーて、身柄を確保だ」 獣の目をした高峰が御園さんに近づいていく。 数分後。 御園さんは、桜庭と高峰に両脇をがっちり確保されていた。 「離して下さい。私、別に図書部に来たわけじゃ……」 「大丈夫大丈夫、すぐ終わるから」 「こんなところまで来て、嫌ってことはないだろう?」 恒例のやりとりをしつつも、やはりついてきてしまう御園さん。 なんだかんだ言っても、図書部に興味はあるらしい。 「ただいま」 「あ、おかえり……」 こっちを向いた白崎の目が輝いた。 「御園さん、来てくれたんだ!」 「……ど、どうも」 白崎の笑顔に負けたのか、御園さんが抵抗をやめる。 「外で迷ってたから案内したんだ」 「嘘言わないで下さい」 「高峰先輩が、いきなり襲いかかってきたんじゃないですか」 「しかも、ついてこないとストーカーになるって言うし」 高峰は最低だった。 しかし、今日ばかりは高峰のアグレッシブさに乾杯だ。 「と、とにかく、御園さん座って」 「結構です。立ってますから」 御園さんは仏頂面のまま壁を背にして立った。 「でも、なんだか落ち着かないし」 「大体、席が空いてないと思うんですが」 「あら?」 空いてるはずの席には、ギザが鎮座していた。 「はーい……ちゃーん……」 その上、腰を緩やかにグラインドさせている。 無修正で放映していい生物じゃない。 「……」 「ギザ野郎、そこをどけ。御園さんが怯えてるだろ」 「ぶおうふ」 首根っこを掴んで、机の上に置く。 ギザは、自重に負けたかのようにへたり込んだ。 スライムみたいな奴だ。 「ごめんな、えぐいもの見せて」 「……かわいい」 「は?」 御園さんの瞳がキラキラ輝いている気が。 「あの、この動物って猫ですか?」 「そうみたい」 「名前は?」 「儀左右衛門。ギザで通じるよ」 「こんにちは、ギザさん」 見つめ合う、御園さんとギザ。 「にゃーん、にゃん☆」 一人前に媚びていやがる。 鬱陶しい猫だ。 「ふふふ、媚びを売って無様ですね」 「にゃ……にゃご……?」 御園さんの感性も斜め上だ。 「ギザが温めてた椅子で悪いけど、座ってよ」 「いえ、本当にこのままで」 なかなか座ってくれない。 まず座らせることは、セールストークをする上で重要だ。 困ったな。 「あの、御園さん、これ」 白崎が鞄から小さな座布団を取り出す。 「何ですか?」 「御園さん用のクッション。使うかなと思って昨日作ったの」 「昨日って、ビラ配りの後にですか? 私なんか疲れて即寝だったのに!」 「俺だって即寝だったよ。すごいなつぐみちゃん、信じられない」 通販番組かよ。 「使ってもらえる?」 「もらえません。私は立ってますから気にしないで下さい」 白崎の表情が曇る。 「こんな出来じゃ、受け取ってもらえなくてもしょうがないよね」 「ごめん、突貫作業だったから見栄えが悪くて」 ちなみに、演技をしていないのは白崎だけだ。 「あーあ」 「あーあ」 「あーあ」 「な、なんで私の方見るんですか?」 「別に御園は見ていない」 「クッションを見ていただけだ。白崎が『徹夜で作った』クッションを」 「行き場をなくしてしまった『可哀相な』クッションを」 「い、嫌がらせですか」 「そう思うってのは、やましいところがあるんだろ、な? 楽になろうぜ」 「無理強いはやめろよ高峰、嫌がってるだろ」 「おっと悪い。御園ちゃん、気を悪くしないで」 「……悪質すぎます」 立ったまま、げんなりした顔をしている。 「気にしないで、御園さん。もっと上手なのができたら、また見せるね」 「あの……ええと……」 「なに?」 「わ、わかりました!」 「じゃあ……今日だけお借りするということで」 御園が墜ちた。 「無駄にならなくて良かった。はい、御園さん」 白崎が両手でクッションを差し出す。 表彰状のように、御園が受け取る…… と、手が止まった。 「はっ!?」 「これを受け取ったら、入部確定になってしまう気が……」 「まあ、そうなるかなあ」 「高峰くん」 「無理矢理誘うのはやめて」 「御園さんが部室に来たのは、友達としてなんだから、ね?」 「え? いえ? ま、まあ……」 恥ずかしそうにうつむいた。 白崎の博愛精神が、御園さんのガードを削り取っていく。 「入部なんて、本当に気が向いたときでいいよ」 「そうそう、仮入部からにしておくのが無難だよ。私もそうだったから」 「ああ。仮入部ならサインなんて必要ないしね」 「え……その、仮入部するつもりも……」 「今日活動してみて、嫌ならやめてしまえばいい。後腐れなしだ」 「仮入部、仮入部」 「あ、もしかして、仮入部であっても白崎と活動するのは嫌かな?」 「い、いえ……その……」 御園がそっぽを向く。 「じゃ、じゃあ、仮入部ということで……」 蚊の鳴くような声で言って、御園さんは椅子に座った。 「嫌がる少女を無理矢理うなずかせるというのも、風情があっていいものだ」 「ですねえ、癖になります」 「仮、仮ですよ! あくまで仮です!」 「ふぉふぉふぉ」 「ふぉふぉふぉ」 「ふぉふぉふぉ」 「鬼ですね」 呻くように言って、御園さんがうなだれた。 我ながら、よく連携の取れた追い込みだったと思う。 「それじゃ、御園さんの入部を記念して写真取ろっか」 「いえ、結構です」 「記念だって、怖がらなくて大丈夫」 「別に怖いわけじゃ……」 ガタガタいう御園さんを半ば無視して、白崎がデジカメを取り出す。 先日のビラ配りの際も、休憩時間返上で写真を撮っていた。 いるよな、妙に写真撮りたがる人。 「はーい、笑ってね」 すでに撮影され慣れた面々は、適当に笑顔を作る。 「御園さん、笑ってー」 「笑ってます」 「だって、御園さんだけ笑顔認識が反応してないよ」 スマイル機能にダメ出しされている。 「カメラが壊れてるんだと思います」 「白崎のカメラが壊れるわけないだろう」 「意味がわかりません」 にらみ合う桜庭と御園。 「あ、面白い表情」 白崎がシャッターを切る。 「あっ、白崎さん!?」 「うん、いいのが撮れた」 「今のはナシだ」 「いいのいいの、これでOK」 「おい、白崎っ」 「ふふ〜ん」 「……」 さて、なんやかんやで図書部員が6人になったな。 これだけ増えれば、俺が抜けても支障はないだろう。 まだ結論は出していないが、少なくとも、辞めて後ろめたい気持ちになることは避けられそうだ。 「さて、御園さんも仮入部してくれたことですし、そろそろお楽しみタイムですね」 「忘れてた。桜庭には罰ゲームをやってもらわないと」 「お、覚えていたのか」 「もちろん」 「じゃあ桜庭、アイドルっぽい素敵な台詞を頼むよ。ファンの歓声が聞こえてきそうな奴をな」 「ほ、本当にやるのか? 冗談だろう?」 全員、無言で首を振る。 桜庭は、〈縋〉《すが》るような顔でみんなの確認してから、椅子の上で硬直した。 「やめてあげようぜ、桜庭には無理だって」 「ま、待ってろ。このくらい、平気だ」 「いやいや、無理しないで下さい」 「やると言ってるだろっ」 ひどい振りだった。 「ん……こほっ……」 桜庭が目を閉じた。 握りしめた手が震え、上気した頬を汗が伝っている。 異様な緊張感。 「も…………、……も……」 桜色の唇が、意を決したように開かれた。 「も、もう、よそ見なんかしちゃ……だ・め・だ・ぞ♪」 沈黙。 圧倒的なまでの、沈黙。 ……。 …………。 ………………。 ……………………。 …………………………。 ………………………………。 「ひと思いに殺せよぉ……」 桜庭が机に突っ伏した。 つまらないものを斬ってしまった。 桜庭の再起動には10分を要した。 「というわけで、嬉野から聞いた住所には誰も住んでいなかった」 「羊飼い名義でメールを送った人物は、いまだ闇の中ということだ」 「なに怒ってるんだ姫」 桜庭の拳が壁にめり込んだ。 「怒ってるように見えるか? 高峰、教えてくれ」 「自分の気のせいでした。あー、疲れ目かな」 「目はいたわれよ」 「(壁にヒビ入っちゃいましたけど?)」 「(無視しとけ)」 キレ気味の桜庭が、ぴしりぴしりと話を進める。 多少の議論ののち、メールの調査は一時断念ということになった。 唯一残った調査手段は図書部のウェブサイトだ。 『情報求む』の記述を加え、あとは誰かが書きこんでくれるのを待つしかない。 羊飼いから新しいメールが来れば新しい展開があるかもしれないが。 とはいえ、また一つ確信に近づいたこともある。 図書部に入った人間が、例外なく羊飼いからメールをもらっているということだ。 それも、入部する前から、まるで未来を予知していたかのように。 「調査は手詰まりか……こういうのはストレスがたまる」 「シワが増えますよ」 「ほほう……」 「新人OLとお局かよ」 「どっちがお局だ?」 「まあまあまあまあっ」 「今日はみんなでスパに行って、イライラを流しちゃいましょうよ!」 鈴木が豪快に話題を流す。 「スパって何だ?」 「そこか」 「えーと、銭湯ですよ銭湯。若造が粋がって横文字にしただけです」 「銭湯か。何でもカタカナにするのはよくないな」 「玉藻ちゃん、パソコン詳しくなかった?」 「それとこれとは話が違う」 どう違うのかさっぱりわからない。 「銭湯って、私も行くんですか?」 「もっちろん。御園さんは入部記念でタダです。タダですよね?」 俺たちの顔を見る鈴木。 まあ、ここは先輩としておごりどころだ。 「うん、一緒に行こうよ」 「そうそう、混浴しようぜ……足湯で」 「やです」 「冗談だって」 「目が本気でした」 「高峰さん、新聞に載らないように注意して下さいね」 にやりと笑う御園。 「なかなか活きのいい新人だ」 「ですねえ。トークに新しい展開が生まれましたよ」 などと感心していると、ドアが豪快に開いた。 「うっさいです」 「あ……すみません」 「うっさいです」 「まあまあ」 「うっさいです」 ひと台詞ごとに前進してくる小太刀。 「何度も言うな、聞こえてる」 「何度言ってもわかんないから、何度も言ってるんです」 「苦情が全部私んとこ来るの。私のせい? 違うでしょ?」 腰に手を当ててぷりぷりしている。 「まあまあ、猫でも触って落ち着いてください」 「はい、どうぞ」 御園さんが、ギザを小太刀の足下に置く。 「カモン、ホーミータイ」 脚を開き、腰をくいっと揺らす。 「ひっ!?」 小太刀が硬直した。 「すまん、スプラッタだったな」 「あ、あ、あ、あ……こ、こいつをどかして」 小太刀の額を、だらだらと汗が伝う。 なんか膝まで震えている。 「……?」 一瞬、頭の中がもやっとしたな。 目眩じゃないし、何だろう? ……ま、いいか。 「あれ? 猫嫌いですか?」 「ど、動物が嫌いなんだ」 「チャレンジ、チャレンジ、アゲイン」 「無理無理無理っ!?」 「ギザ様、傷ついてます」 御園がひょいっとデブ猫を抱く。 「どうぞ」 小太刀に突き出す。 「ぎゃーーーっ!」 小太刀が後ずさる。 「どうぞ」 「わは−−−っ!」 「遠慮せず」 「ひいーーーっ!」 御園が小太刀を部屋の隅まで追い詰めた。 「観念して、ギザ様を撫でて下さい」 「ぞっこん、ラブ」 ギザがウインクする。 「……」 小太刀の瞳孔が開きかけている。 「御園さん、無理なもん無理だから。あんまいじめないで」 「そのようですね」 にやりと笑って、御園さんが元の位置に戻る。 小太刀がぐったりと壁に背中をもたれた。 「はぁ、はぁ……もう駄目かと思った」 「驚かせてごめんな、小太刀ちゃん。お詫びに一緒に銭湯行こうよ」 「はあ!? 意味わかんない!?」 「まあ、落ち着け小太刀。俺もこいつの頭の中身はわからない」 「さらりと絶望的なこと言わないでよ」 「何なのよ、無理だってのに猫は押しつけてくるし、謎のナンパしてくるし」 「部員はちゃんと躾けてよねっ」 「割と躾けてるぞ。みんな芸達者だ」 「たとえばこんな時、いきなり無茶振りをしても……」 さて、誰に振るか。さて、誰に振るか。「白崎、何か芸を」 「え? わたし? いきなり芸なんて無理だよ」 「な、芸達者だろ?」 「いや、意味わかんない」 「まさに精鋭揃いだな」 「桜庭、何か芸……」 「するか馬鹿」 「……で、なんの話だっけ、小太刀」 「相手を選んで振ってよ。私でも展開が読めたから」 「まさに精鋭揃いだな」 「御園さん、何か芸を」 「にゃーにゃーにゃー」 「くるりんぱ」 「……どこが面白いの?」 「御園さんはともかく、ギザはすごいだろ」 「まさに精鋭揃いだな」 「佳奈すけ、何か芸」 「鈴木、いっきまーす」 「小太刀さん、怒っちゃやーよ、萌え……」 「それ以上やったら殺す」 ……。 鈴木が、真面目な顔で咳払いをする。 「念のため言っておきますけど、滑り芸ですからね?」 「まさに精鋭揃いだな」 やはり名指しは良くない。 波風立つかもしれないしな。 まるーく行こう、まるーく。 「……うん、やっぱ別の機会に」 「はぁ……なんかもう疲れた。帰る」 「銭湯は?」 「なんで銭湯推しなのよ? 図書部に銭湯ブームでも来てるの?」 「今からみんなで行こうってことになったんです。小太刀さんもどうですか?」 「いや、なんで私が誘われるのか謎なんだけど」 怪訝な顔の小太刀。 「いつも迷惑をかけてますから」 「そうですそうです。肩、揉ませていただきますよ」 「あー、肩凝るんだよね。やっぱりほら重いのつけてるから」 鈴木の胸を見て、にやりと笑う小太刀。 「ほー、ずいぶんお金かかったでしょう?」 「あいにく天然物なの。養殖物と一緒にされたら困るわ」 「じゃ、お風呂で確かめさせてもらえます?」 「そんな手で乗せようなんて100年早い」 小太刀が手をひらひらと振る。 「それじゃ、なんでもいいから、静かにしてね」 「悪いな小太刀、騒がしくして」 「次はないからね」 「さっきから思ってたんだが、二人はいつから呼び捨ての仲になったんだ?」 みんなが俺と小太刀を見る。 「筧とは、プライベートでもけっこう会ってるの」 「そ、そうなの?」 「家が隣同士ってだけだよ」 「会ったって言っても、一度テレビ見に来ただけだし」 「なんだ、その程度か……って、テレビはまずいんじゃないか。筧は一人暮らしだろう?」 「妄想力豊かじゃない。ま、否定はしないけど」 部室がざわつく。 そんな空気を楽しむように、小太刀がにんまり笑う。 「そういえば、筧も銭湯行くんだっけ? だったら私も行こうかなー」 「えっ!?」 「駄目なの? さっきは誘ってくれたじゃない?」 「そ、それは。えーと……」 「あはははは、心配しなくて大丈夫だって」 「全部冗談。筧とはただの隣人、それだけ」 「そうなんだ」 小さく溜息をつく白崎。 「ちょっとびっくりさせちゃったかな?」 「べべ、別にびっくりなんて」 「まーなんでもいいけどねー」 慌てる白崎を小太刀が面白そうに見る。 完全に遊んでるな。 「筧先輩も、変わった人の隣人で大変ですね」 「歌姫だかなんだか知らないけど、いま喧嘩売った?」 「はい」 「正直でよろしい」 「それはどうも」 笑いもせずに御園さんが応じる。 小太刀も怒ってはいないらしい。 「で、結局、小太刀ちゃんも行くってことでいいんだよな?」 「図書部さえ良ければ」 「誤解のないように言っておくけど、筧とは本当になんでもないから安心して」 小太刀の言葉に効果があったのかどうなのか、反対の声は上がらない。 「それじゃ、遅くなっちゃいますから出かけましょうか」 鈴木の言葉で、俺たちは帰りの仕度を始める。 待ち合わせは19時30分に駅前だ。 「……」 「??」 俺を見ている白崎と目が合った。 「どうした?」 「ううん、なんでもないよ」 慌てて目を逸らす白崎。 なんだろう? 駅前で集合し、銭湯に向かう。 歩いて10分ほどらしい。 「見てくれ、銭湯の携帯クーポンがあった」 「ほんとだ。30%オフだって」 「これなら岩盤浴も行けるじゃないですか、やった」 「フルーツ牛乳1本サービスに惹かれます」 きゃぴきゃぴしている群れから離れ、小太刀がこっちに近づいてきた。 「女ってのは、お得なもの好きだね」 「自分も女だろ?」 「サバサバ系で押してるの」 「へー」 「いいよねーサバサバ系。付き合いやすいしね。凪ちゃんモテるっしょ?」 「あんま興味ないかな」 「もったいない」 「どう、筧なんて? ちょっと訳ありだけど、いい物件よ?」 「……」 小太刀がじろっと俺を見た。 品定めされている。 「訳ありはちょっと」 なぜかふられていた。 「そういや、小太刀っていつもそういう服着てるの?」 「ああ、これ?」 そう言って、ピンクのカットソーをぴっと指で引っ張った。 「そうね。カジュアルなのが多いかな。どう?」 「似合ってんじゃない」 「ま、当然ですよ」 「やっぱ、私服は性格出るよなー」 高峰が他の女の子を眺める。 白崎。 桜庭。 御園さん。 鈴木。 「筧的には、誰の服が好き?」 「そうだなあ」「そうだなあ」「白崎」 「ほー、和み系か」 「つぐみちゃーん、筧が好きだってさ」 「ええ!? そ、そんな、いきなりだよっ!?」 順当なリアクションだ。 「桜庭」 「ほー、カッチリ系か」 「姫ー、筧が好きだってさ」 「ば、馬鹿。街中で何を言うんだ!?」 意外とテレた。 「御園さん」 「ほー、カジュアル系か」 「御園ちゃーん、筧が好きだってさ」 「意味わかんないです」 ドライだった。 「佳奈すけ」 「ほー、甘めな感じか」 「佳奈すけ、筧が結婚したいって」 「えっ、今日ハンコ持ってないんで、また今度お願いします」 ふられた。 「俺に言わせれば服なんて邪魔だね」 「あ、おまわりさん、ちょっといいですか?」 職質を満喫した。 10分ほど歩き、目的の施設に到着した。 レトロな銭湯ではなく、リラクゼーション施設といった感じだ。 おしゃれっぽい文字で店名が書いてある。 「ここでーす。スパ、ラク……ラクー……なんて読むんだろ?」 「別に銭湯でいい」 「高峰くん、刺青のある人は入浴禁止だって」 「いや、刺青ないけど……俺ってそういうイメージなのかな?」 「ま、気を落とすなよ」 集合時間をおおざっぱに決め、銭湯に入る。 「ふはー、きんもちいー……こんなに風呂がデカいとはな」 風呂は想像以上に広かった。 客の入りもほどほどで、隣を気にせず手足を伸ばせる。 日頃、狭いユニットバスに入っていると、大きな風呂は相当な贅沢だ。 「風呂用の本を持ってくりゃよかった」 「お前、どこでも本が読みたいのね」 「言ったら、エベレストの頂上でも読みたいね」 「なんでまた、そんなに本が好きなんだ?」 「同じこと白崎にも聞かれたよ。自分でも知らんって答えたけど」 「なら、俺が教えてやるか?」 「お前は当てそうだから遠慮しとく」 「当てるってことは、ちゃんとした答えがあるんじゃねーか」 「ははは、どうかな」 本はこの世の闇を照らす光だ。 1文字、1行、1頁ごとに闇は退き、いつかはこの世の全てが明らかになる。 そのときこそ、俺は完全な平穏を手に入れるのだ。 闇のない……平穏を…… 「君は本当に必死な顔で本を読むんだね」 「読んでみたいかい? この世のすべてがわかる魔法の本を」 「……」 あのときの、おっさんの声が脳裏をよぎる。 そう……俺はこの世のすべてを知りたかった。 すべてを知れば、脅威も恐怖もなくなるはずだから。 「どうした?」 「いや、なんでもない」 湯船で一度顔をゆすぐ。 それで頭はすっきりした。 「しかし、図書部はこの先どうなるんかねえ」 「さあなあ。何にしても白崎次第だよ」 「つぐみちゃん、一生懸命やってるよなあ」 「なんだっけ? 積極的な性格になりたいんだっけ?」 「そう言ってたな。もうすでに積極的だと思うけどさ」 「頑張って積極的に振る舞ってるんだろうよ」 「ストレスたまるぜー。そういうとこ、フォローしてあげないといけないんじゃないの?」 「高峰に任せた」 「やめとく、俺はつぐみちゃんに怖がられてるからなあ」 「なんでかねえ、一番空気が読めて頼りになると思うんだが」 「営業妨害はやめてくれ」 「俺は、こういうとき、女湯に忍び込むキャラでやってんだから」 「女湯は遙か彼方だけどな」 「どうかしているよ」 「普通さ、壁の上は繋がってて会話まる聞こえーみたいなもんじゃないの? 完全に芸人殺しですよ」 「犯罪を未然に防いだだけだろが」 とは言いつつも、女の子と銭湯に行くのだから期待がなかったと言えば嘘だ。 それが打ち砕かれた今、俺たちにできることは、女湯方面を怨念とともに凝視することくらいだった。 湯煙の立ちこめる大浴場。 インテリアはバリ島テイストにまとめられており、寛げる空気を演出している。 そんな中、鈴木佳奈だけは荒れていた。 「では、小太刀さんの胸が有罪だと思う方は挙手を」 「……誰もいませんか。では有罪で」 「圧倒的無罪でしょ」 「どう見たって有罪です。ツンとして生意気で……くう……神よ、なぜ……」 鈴木がうなだれた。 「泣くな。所詮は脂肪の塊じゃないか」 「されど脂肪ですよ」 「佳奈ちゃんは毎日お肉食べてるんだから、きっと大丈夫だよ」 フォローする白崎の胸部では、豊かなものが揺れている。 「白崎さんは慰めない方がいいです」 「さすが同志、わかってる」 「同志じゃないけど」 ぽそっとした呟きで否定する。 「冷たいなあ。1年生同士、仲良くしようよ」 「別に嫌ってるわけじゃないです」 「それにしては、ずっと不機嫌そうな顔をしているが」 「入部初日にいきなりお風呂なんて驚くと思いませんか」 視線で桜庭を非難する。 「え、何? 今日入部したの?」 「仮入部ですけど」 「あなたって音楽で有名な人だよね? 図書部なんかに入っていいの?」 「……ええ、まあ」 「言われてみればそうだね」 「無理矢理入部させてから言わないで下さいよ」 「やっぱり無理矢理だったかな?」 白崎が鼻先まで湯船に沈み、ぶくぶくと泡を立てた。 その頭を桜庭が撫でる。 「ま、学業との両立は自己責任で頼むよ」 「言われなくてもそうします」 「人様に迷惑かけるつもりなんてないですから」 「別に、ちょっとくらい迷惑かけてもらってもいいのに」 「お気持ちだけでありがたいです」 そう言って、御園は顔と身体を90°横に向けた。 「そういえば、小太刀」 「ん? なに」 湯船の縁に後頭部を預けていた小太刀が顔を起こす。 「筧とは、本当に何でもないのか?」 「何でもないって言ったじゃない。意外に心配してる?」 「別に」 「じゃあ、答えなくてもいいね」 小太刀が口笛を吹く仕草をする。 「お、おい」 「ただの隣同士だって」 「筧が気になるなら、どんどんアタックしたら? 恋は早いもん勝ちだよー」 「筧も、図書部の子はみんな……おっと、これはまずかったかな」 わざとらしく口を押さえる小太刀。 「鈴木、接待だ。小太刀を喋りやすくしてやれ」 「らじゃー」 鈴木が小太刀に近づき、その肩や腕に手を伸ばす。 「いやぁ、お疲れみたいですね。自分、実はマッサージ4段なんです」 「ああ、ほんと? じゃあやってもらおうかな」 「では、失礼して」 鈴木が、小太刀の肩や腕を揉む。 「あー、いいわー。最近、図書部ってのがうるさくてさ、ストレスたまるんだよねー」 「いますよねー、そういう奴ら。ビシっと言ってやった方がいいんじゃないですか?」 「佳奈ちゃん、魂まで売って……」 白崎が、またもや湯に沈んだ。 「で、さっきの話の続きは?」 「みんな可愛いって言ってたよ」 「ま、まったく、軽い奴だ」 桜庭が、顔を隠すようにタオルで顔を拭いた。 「桜庭が筧を狙っているのはわかったけど、他の人はどうなの?」 「誤解を招く発言をしないように」 「はいはい、了解了解」 手をヒラヒラさせてスルーする小太刀。 「私は嫌いじゃないですよ、筧さん」 「先輩後輩としてって意味ですけど」 「普通です。まだよく知りませんし」 「わたしは……どうかな、よくわからないな」 「そう言いながらも、胸の高鳴りが押さえられない白崎であった」 「勝手に心理描写を足さないでよー」 白崎がぱしゃぱしゃお湯を叩く。 「だだっ子か」 「別に恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか、間違ってないんだし」 「間違ってます」 「だいたい、わたしがそういうことしたら、なんていうか部活の結束が……」 「は、はあ。気にしなくてもいいと思いますが」 白崎の感覚は、どうやら鈴木には理解できないらしかった。 「小太刀さん、筧くんは、他に何か言ってませんでしたか?」 「何かって、何?」 「例えば、図書部の活動についてとか」 「んー、別にー……」 「あだだだっ、死ぬっ、死ぬっ、死ぬっ!?」 小太刀がばちゃばちゃと暴れる。 鈴木の指が、危険なポイントを突いていた。 「んんー? 間違ったかな? 胸がしぼむツボだと思ったんですが」 「さりげなく陰湿なことしないでよね」 「すみません、ちょっと手が滑っただけです。ふふふ」 「もう触らないで」 ふんす、と小太刀が鈴木を引き離す。 「まあ、あれだね。図書部については悪くないって言ってたよ」 「そう、ですか」 白崎が嬉しさ半分、落胆半分という顔をした。 その横顔から、桜庭は白崎の懸念を悟る。 「そういえば、もうすぐGWだな」 白崎の表情が暗くなる。 「あれ? GWに何かまずいことでも?」 「鈴木たちにはまだ話していなかったのか」 「うん、びっくりさせちゃうかと思って……でも、話しておかないとね」 「のぼせたから先あがるね」 小太刀が立ち上がる。 凹凸のくっきりした肢体が湯気の中に浮かぶ。 「あ、ごめんなさい、図書部の話で」 「ん? ぜんぜん大丈夫だよ。気にしないで」 白崎の反応も確認せず、小太刀はざぶざぶと湯船を上がっていった。 「小太刀さんには、悪いことしちゃったかな。わたしたちが誘ったのに」 「本人がああ言っているんだ、気にするな」 心配そうな表情で、小太刀が消えていった方向を見る白崎。 湯気に阻まれ、もう彼女の姿は見えなかった。 「それで、どういう話ですか?」 「うん、あのね……」 入浴後。 店の前で解散し、俺たちはそれぞれ帰途に就いた。 家に到着。 「小太刀、今日は迷惑じゃなかったか?」 「普通に楽しかったよ。図書部のドロドロした恋愛模様も眺められたし」 「お前、あることないこと吹き込んだんじゃないだろうな?」 「何も言ってないって」 「でも、誰が筧とくっつくかなーっていうのは、今のところ最大の関心事」 「誰ともくっつかないから」 「いやいや、くっついてもらわないと面白くないから」 携帯が鳴った。 さっと確かめると、白崎からのメールだった。 『今からちょっとだけ話せるかな?』といったことが書かれている。 「悪い、用事が入った。ちょっと戻るわ」 「りょーかい。んじゃ私は帰るから」 「ああ、悪いな」 小太刀は、手を振ってマンションに入っていった。 早速、白崎にメールを返信する。 2、3やりとりをして、15分後に学園の中央通りで待ち合わせということになった。 用件は想像がついている。 今後の話だ。 指定された場所に近づくと、一人立っている白崎が見えた。 「お待たせ」 「あ、筧くん。呼び出してごめんね」 白崎が、持っていた茶色の紙袋から何かを取り出した。 「たい焼き食べる?」 「なんとなく食べたくなって買っちゃった」 「ああ、さんきゅー」 たい焼きを、さっそくかじってみる。 尻尾の先まであんこが入っていた。 「うまいよ」 「良かった。ちょっと冷めちゃったから心配してたの」 てれりと笑う。 「んで、どうした?」 「ああ、うん……」 白崎がうつむいた。 身体の脇で、ゆったりしたスカートを握っている。 「GW以降の話だろ?」 「え?」 白崎が顔を上げる。 「覚えててくれたんだ」 「忘れるわけないさ」 「そうなんだ、良かった」 言葉とは裏腹に、白崎の表情は硬いままだ。 「返事、決まってる?」 「まだ考えてる」 「結論は明日もらっていいかな? 明後日から休みに入っちゃうし」 「わかった」 白崎がかすかに微笑む。 「確認のために呼んだの?」 「それもあるけど、最後に話ができればと思って」 「だって、もしかしたら、図書部員として話すのはこれが最後になっちゃうかもしれないし」 「なんだか、別れ話みたいだ」 「あはは、そうだね」 「座らないか?」 「あ、うん」 駅前のベンチに並んで座る。 真正面で向き合っているよりは話しやすい。 「どうだった、図書部の活動は?」 「高峰とも話してたけど、白崎は一生懸命やっててすごいよ」 「わたしなんて大したことないよ」 「みんながいないと何もできないし」 「でも、白崎がいなけりゃ誰も動かないよ。それは自信を持っていいと思うぞ」 「うん、ありがと」 白崎がちょっと笑った。 この期に及んで、ご機嫌を取るようなことを言っている自分。 いわゆる、お人好しゆえか。 「一つ聞きたいんだけど、白崎はどうして自分の性格を変えようと思ったんだ?」 「まあ、自分を変えたいってのは珍しい話じゃないけど」 「妹が入院してるって話はしたっけ?」 「ああ、言ってたな」 「その妹と約束したの。積極的な性格になるって」 どんな約束をどんな風にしたのか…… 聞いてみたい気もするが、プライベートに突っ込みすぎか。 「妹は2つ下なんだけど、子供の頃から入院しててね、わたしがずっと看病してたの」 「放課後はほとんど毎日病院に行ってたから、部活にも入れなかったし友達もできなくて、学校に行くのがちょっと辛かったんだ」 「そのせいもあって、人前で話せなかったり、積極的に友達を作れない性格になっちゃって」 「……なるほどね」 珍しくない話だった。 「昔は妹のせいでーって思ってたけど、妹に八つ当たりしても仕方ないから、自分で変わろうと思ったの」 「そもそも、妹はぜんぜん悪くないもんね」 「そう思えるのはすごいよ」 妹を恨んだとしても仕方ない事情に聞こえる。 それを、自分の気持ちで乗り越えたというのなら立派だ。 「昔のことは知らないけど、今の白崎を見て暗いって思う奴はいないんじゃないかな?」 「実際さ、俺も白崎のことは、むしろ明るい方だと思ってる」 「うん、ありがとう」 「図書部の活動を始めてよかった。友達もできたし」 白崎が花のような笑顔を見せてくれる。 掛け値なしに可愛かった。 「でも、どうして学園を楽しくする活動をしようって考えたんだ?」 「積極的な性格になるだけなら、クラスで友達作るとか部活に入るとかでよくないか?」 自分で部活を作るなんて、ハードルが高すぎる。 「やっぱり、おかしいよね」 「まあ、いきなり目標がでかすぎる気はするな」 「いちおう理由はあるんだけど……」 白崎が不安げに俺を見た。 目が合ったが、すぐに白崎から逸らした。 「きっと軽蔑されると思うから言えない」 軽蔑か。 白崎が、そういう暗いものを内側に持っていることにわずかな驚きがあった。 一般論で言えば、まっさらな人間なんていない。 しかし、白崎に限ってその考えを適用しなかったのは、彼女に何か特別なものでも見ていたのだろうか。 よくわからないが、確実なのは白崎により興味が湧いたということだ。 「でも、もしかしたらそのうち話すかも」 「つまり、図書部に残ったら教えてくれるってこと?」 「ううん、取り引きじゃないよ」 「それに、図書部に残ってくれても簡単に話せることじゃないもん」 慌てて言う白崎。 「ほー、そりゃ盛り上がるな」 「本当に取り引きじゃないからね」 「わたし、今回のことは勝負だと思ってるから、お願いも駆け引きもしないって決めたの」 「筧くんは優しいから、お願いしたら聞いてくれちゃうかもしれないし、駆け引きで残ってもらっても嬉しくないし」 「正々堂々、自分を評価してくれってこと?」 「そうだよ、真剣勝負」 鼻息荒く、ぎらりと俺を睨んだ。 どうしても可愛さが先立ってしまうが、なかなかの気合いだ。 「わかった。俺も適当な返事はしないよ」 「望むところです」 白崎がボクシングのような構えを取り、やーっとパンチの真似をする。 拳が俺の肩に軽く当たった。 「……」 リアクションが思いつかない。 どうすればいい? 「う、うわー、やられたー」 「筧くん、馬鹿にしてるよぉ……」 「どうしろってんだよっ」 無茶振りレベルだ。 「まあなんだ、今後はギャグの鍛錬が必要だな」 「うん、頑張るね」 笑う白崎の向こうに、駅の時計が見えた。 時刻は23時前。 だいぶ遅くなってしまった。 「んじゃ、そろそろ帰るか」 ベンチから立ち上がる。 白崎もやや遅れて立ち上がった。 「今日は話せて良かった」 「正直言うとね、わたし、今日にでも図書部を辞めるって言われる気がしてたの」 「なんでまた?」 「筧くん、御園さんを誘うのに積極的だったから」 「自分が辞めてもいいように、人を増やしたいのかなって思っちゃって」 図星だ。 「変なところで鋭いな」 「だって、筧くんのことずっと見てたから」 「……」 「……」 白崎の顔が真っ赤に染まる。 「あ、うーんと、恋愛的な意味じゃないよ?」 「わかってるって」 いちいち否定するのが、真っ正直な白崎らしかった。 「じゃ、じゃあ、また明日ね」 「ああ、おやすみ」 重くならないよう、挨拶は軽めに。 振り返ることもなく家路に就く。 着替えを済ませ、すぐベッドに倒れた。 「……」 図書部を辞めるなら、明日が最後の一日か。 白崎と出会ってから約10日、なかなか楽しい毎日だった。 でも、だからといって…… 闇に慣れた目で、室内をぐるりと見まわす。 本棚や床に積まれた本が、俺を囲んでいる。 それは、時間をかけて積み上げてきた城壁だ。 ここには、平穏がある。 ガキの頃から求めてきた平穏が。 図書部の活動が悪くないからといって、そう簡単に捨てる気にはなれない。 そもそも、俺が白崎の活動に協力したのは、彼女を知りたかったからだ。 未知は不快だった。 殊に、人に関しては── 見上げた天井をスクリーンとしたかのように、過去の記憶が蘇る。 幼い俺と、俺を囲む沢山の大人たち。 彼らの不可解で理不尽な言動。 無力な俺は、嵐の大海に浮かぶ小舟のように、ただただ弄ばれていた。 彼らのことが知りたかった。 彼らを知ることができれば、どんな嵐の中も進んでいけるはずだったから。 「……」 俺は、白崎を知ることができたのだろうか? 答えはイエスだ。 少なくとも、一緒にいても居心地の悪さを感じないレベルには知ることができた。 今後、白崎のような人間と接することがあっても、もう不安はない。 「もう、十分だ」 口の中で結論を呟き、俺は枕元の本に手を伸ばした。 目を開く。 カーテンの外に、溢れるような朝の光を感じる。 ……夢を見ていた。 久しぶりに見る『あの夢』だ。 真っ暗な空間に、どこまでもどこまでも続く書架。 それは、水平方向だけでなく、垂直方向にも果てなく広がっている。 幼い頃の俺が、魔法の図書館と名付けた情景だ。 誰にでも繰り返し夢に見るモチーフがあるらしいが、俺の場合は魔法の図書館がそれだった。 いつからこの夢を見るようになったのか、正確にはわからない。 おそらく、未来の幻影が見えるようになる少し前だったと思う。 「さて……」 携帯を見れば、時刻は6時17分。 家を出るまでにはまだ時間があるし、早朝読書といくか。 枕元に置いた文庫本に目をやると、古びた栞が顔を覗かせていた。 ……。 この栞をくれたおっさんは、いつか俺を魔法の図書館に連れて行ってくれると言った。 ただのイカレたおっさんだったのだろうが、当時は神様にも思えたものだ。 なぜ、想像の産物でしかない魔法の図書館を知っていたのか? なぜ、ガキの頃の俺がそこに行きたいと知っていたのか? 不思議な話だが、今となっては確かめようもない。 昨夜出した結論をひっさげ、部室に向かう。 迷いもなければ、誰への恨みもない。 図書部のみんなには、素直に『お世話になりました、ありがとう』と言える心境だった。 ドアに鍵がかかっている。 まだ誰も来ていないらしい。 ポケットから鍵を取り出した。 ずっと使っていた真鍮の鍵ではなく、白崎から合い鍵として渡された新品の鍵だ。 「おわっ!?」 破裂音と閃光。 宙を舞った色とりどりのリボンが、頭に降ってきた。 「おめでとーございまーすっ!!」 「おめでとうございます、センパイ」 「え?」 何の話だ? 「今日は、お前の誕生日だろ?」 「あ、ああ……」 俺の誕生日? そういえば、そんなものもあったな。 「まあまあ、座って下さい」 「ああ」 立派なバースデーケーキの前に座らせられた。 「おめでとう、筧」 「おめでとう、筧くん」 「ありがとう」 言葉からやや遅れて笑顔を作った。 いつもならすぐに出てくる喜びのリアクションが、なかなか出てこない。 「俺の誕生日なんて、よく知ってるな」 「学生証の見せ合いしたじゃん? そのときにちらっとね」 「あったな、そんなこと」 高峰の写真が黒髪坊主で、嘘くさかったのを覚えてる。 そんな一瞬のことを、覚えていてくれたらしい。 「それじゃ、誕生日を迎えての一言をお願いします」 「ああ……」 誕生日を祝ってもらうなんて、何年ぶりだろう? 最後は確か施設にいたときだから、2年前か。 職員がカリキュラムに従って開催した会だった。 あの時は、嬉しくもなんともなかったな。 俺も俺で、誕生日プレゼントには読書時間が欲しいと思っていた気がする。 いや、最後の誕生日会だけじゃない。 ずっと…… それこそ物心ついたときからずっと、俺に嬉しい誕生日会なんてなかった。 「どうした、筧?」 「あーいや、不意打ちだったんで、ちょっと」 「涙腺に来ましたか、純ですね」 「そういうんじゃない」 涙腺には来ていない。 嬉しいとか、楽しいとか、そういう感覚はなかった。 ただ、胸の奥が少しざわついている。 しもやけのかゆみみたいな、得体の知れない感覚だ。 「本当にありがとう」 「せっかく、こういう会を開いてくれたのに……今日はいい話ができそうもない……悪いな」 空気が冷えた。 部室に霜が降りたようだった。 「聞いてますよ。今日、辞めるか辞めないか結論出すんですよね」 鈴木の明るい声。 俺のテンションから、結果は察しているはずだが、それでも明るい声だった。 「ああ、前から白崎と約束しててな」 「一言いってくれてもいいじゃないですか?」 「つっても、俺の問題だしなあ」 「いやいやいやいや、図書部がつまらなかったら辞めるって話ですよね?」 「それって、私たちに対する駄目出しじゃないですか?」 「こんなとこでつまづくようじゃ、今後芸人としてやっていけないです」 「なにも白崎だけが図書部じゃない、私たち全員が図書部だ」 意外な反応だった。 二人がこんな風に考えているとは思っていなかった。 「私が入った次の日に辞めるとか、当てつけみたいで困ります……」 「辞めないで下さい」 言ってから、御園さんがそっぽを向いた。 「筧さん、もうちょっとだけお願いします。ギャグセンス磨きますから」 鈴木が、図書部に何か賭けていると言ったことを思い出す。 うぬぼれを承知で言えば、あれはきっと俺にだけ言ったことだ。 「筧、残ってくれ」 「お前がいると、その……いろいろ助かる」 白崎を独り占めしたい桜庭の言葉とも思えない。 「みんなお前には抜けてほしくないんだ。考え直してくれないか?」 「いや、今の流れだと、次のコメントって俺でしょ? 飛ばしてない?」 「ああ……すまない。ゴー」 「ゴー、じゃねえよ。もう完全に言いにくい雰囲気じゃん」 高峰と目が合った。 「あー、こほん。俺はまあ、前に言った通りだ」 辞める理由がないのなら続けた方がいい、だったか。 「白崎」 白崎がぴくっと反応した。 今日は妙に口数が少ない。 「誕生会はお前の発案か?」 「ううん、みんながやろうって言ったの」 「わたしは、取り引きもお願いもしないって言ったから、ここで静観」 「結論は筧くんに任せるよ」 白崎が微笑む。 いつもなら饒舌に頼み込んできそうな白崎がこの反応だ。 「筧さん」 「筧先輩」 「筧」 いつもなら、お得意の、底の浅いお人好しを発揮するところだ。 でも、今日は違った。 きちんとした回答をすべきだと、頭の中で誰かが言っていた。 今まで聞いたことのない、自分の声だった。 辞めれば白崎たちを落胆させるだろう。 それでも、正直な自分の気持ちを伝えるべきだと思う。 なぜ傷つけてもいいと思えるのか? 未知の感覚だ。 白崎を知るために入部したのに、逆に自分の中にわからないものを見つけるなんて。 図書部にいたことで、見えなかった自分が見えてきたのだ。 確かめないとな。 自分の中にわからないものが埋まっているんじゃ、読書にも集中できない。 「残るよ」 「え?」 「図書部に残る」 部室がしんとなった。 みんなが俺を見ている。 それぞれ、ピンと来ていないような顔だった。 「……そうか」 桜庭が呟く。 呟きながら、口元に小さく笑みが浮かんだ。 続いて、白崎が目を細める。 二人とも、湧き上がる嬉しさを隠そうとしている。 かなり漏れているが。 「残りたいのかぁ……」 桜庭が半笑いで白崎を見る。 「どうする、白崎?」 「どうしようかなぁ……」 「わたしは別に頼んでないしなあ」 なぜここでSキャラなんだ!? 「筧ちゃん、プリーズだろ」 「そうですよ、ここはお願いしないと」 「はあ……」 「ふふふ、冗談だよ」 「ありがとう、筧くん。残ってくれて」 白崎が微笑んだ。 素朴で純粋な笑顔だった。 思わず見つめ合ってしまう。 「……こほっ」 誰かの咳払いが聞こえた。 「さ、さーて、誕生日会の続きをしましょうっ」 「そういうのもあったな」 「ちょっと!? せっかくケーキ買って来たんですから盛り上がらないと」 「白崎、記念撮影をしたらどうだ?」 「あ、いま撮らなきゃって感じだね」 「セルフにして、白崎さんも入って下さい」 「うん、待ってて」 白崎がデジカメを取り出す。 俺とケーキを中心に人が集まり、配置を決めた。 「それじゃ、いきまーす」 ピッという電子音。 フラッシュの下のライトが点滅する。 「白崎さん、早く早く」 どたばたと白崎が走り、俺の隣に来た。 「佳奈すけ、なんか面白いこと頼むぞ」 「ええっ!? このタイミングで!?」 ライトの点滅が早くなる。 「はーい、シャッター来るよー」 「さん、にー、いーち……」 ケーキも食べ尽くし、誕生日会はお開きとなった。 トイレに行って部室に戻ってくると、部屋の外に白崎がいた。 「どうした? 追い出されたのか?」 「ううん、ちょっと筧くんと話したかったから」 少し緊張する。 「一つ聞いていいかな?」 「ああ」 「今日は、みんなに頼まれたから残ってくれたの?」 白崎は真剣な顔をしている。 「残りたいから残るんだ、頼まれたからじゃないし、みんなを喜ばせるためでもない」 白崎はすぐに返事をしない。 言葉の真偽を見極めるように、俺の瞳を覗き込んでいる。 「そっか」 白崎が大きく息をつく。 心から安堵したという顔だった。 彼女の力点は、やはりここにあったらしい。 「ありがとうね、筧くん」 「いや、礼を言うのはこっちだ」 お陰で、今まで知らなかった自分を見つけられそうだ…… と、言いたいところだが、恥ずかしいのでやめておこう。 「誕生日、久しぶりに祝ってもらったよ」 「喜んでもらえたならよかった」 「昨日の今日だったから、ケーキくらいしか用意できなくてごめんね」 「まさか、ああいう風にみんなが押してくるとは思わなかった」 「うん、高峰くんの発案でね」 「筧は、御園さん以上の構ってちゃんだから、強引に行けば落ちる……」 「……なんてこと、ぜんぜん言ってないよ」 「ほー、さすが高峰先輩でいらっしゃる」 そういう風に見られてたのか。 ちょっと癪なのは、図星だからかもしれない。 「怒らない……でね?」 「怒ってないさ」 「そうそう、細かいことは気にしないで」 スルースルーという仕草をした。 「と、ともかく、筧くんとまた一緒に活動できることになって、本当に嬉しいよ」 無理矢理に話をまとめ、白崎が手を差し出してきた。 「ああ」 しっかり握手をする。 「やっと、筧くんが図書部に入ってくれた気がする」 「俺は元から図書部員だ」 「あはは、そうだね」 白崎が微笑み、唇の間から綺麗な歯が見えた。 今までで一番の笑顔だった。 「……」 一瞬の目眩。 視界に、楽しげな顔で談笑する図書部の面々の姿が浮かぶ。 感覚が戻る。 また例の幻影を見てしまった。 これが、いわゆる予知だとするなら、図書部の未来は安泰ということだろう。 悲惨な幻影が見えなくて良かった。 「どうしたの、筧くん?」 「いや、なんでもない」 「さ、部室に戻ろう」 そう言って、白崎の手を離した時だった。 「……」 「メールだ」 俺と白崎の携帯が同時に鳴った。 部室の中からも、扉越しに動揺の声が聞こえてくる。 メールの差出人は予測できた。 「久しぶりだな。今度は有意義なメールだといいが」 「私たちを、楽しい未来に導いてくれるかな?」 携帯を操作し、メールを開く。 ……。 『新しい門出を祝福するよ。  羊飼いより』 白崎と部室に戻ると、皆が一斉に俺を見た。 「メール、来たか?」 「ああ」 それぞれが机の上に携帯を出す。 やはり、全員に同じ文面のメールが届いていた。 「新しい門出というのは、状況から見て、筧が図書部に残ったことを指しているんだろうな」 「筧さん、実は羊飼いと知り合いなんじゃないですか?」 「んなわけあるか」 「しかし、メールの中身があまりにもタイムリーじゃないか? まるで……」 「私達を見ているみたいです」 「どこかに監視カメラとかあったりして」 誰かが息を飲む音が聞こえた。 「羊飼いは、カメラなんてなくても全部わかってるんじゃないかな?」 「あの人は頑張ってるとか、あの人が困ってるとか」 「それじゃ、ほとんど魔法使いかエスパーですよ」 「でも、元々、羊飼いってそういうものだと思う」 「人の願いを叶えるなんて、普通の人間にはできないから」 「でもさぁ、羊飼いなんて本当にいると思ってる?」 「実在しないって証拠もないですよ」 早口に議論が交わされる。 この学園の至る所で繰り返されている議論であり、結論が出ているのは見たことがない。 扇子を使いながら議論を静観していた桜庭が口を開いた。 「こうしてメールが届いている以上、実在の是非を論じるのはナンセンスじゃないか?」 「正体が人間かどうかなんてことは、各自好きな方で考えていいと思う。どうせ確実な証拠が見つかるまでは断定できないんだ」 反論はなかった。 「ちなみに、私は、羊飼いを超現実的な存在だと考えることにした」 「監視カメラだのなんだの、現実的なことを考え始めたらノイローゼになってしまうからな」 桜庭が苦笑気味に言う。 消極的にであれ、非現実的なものを受け入れている自分が恥ずかしいといった風だ。 「確かに、いつもどこかにカメラがあるかもと思ってたら、やってられないですね」 他の面子もうなずいた。 羊飼いがいるかいないかで言えば、メールが来るのだから送信者は存在するのだろう。 問題は、そいつが普通の人間かオカルトな奴かってことだが…… 俺自身、昔から虫の知らせみたいなものを感じることがあるし、その的中率も高かったりする。 つい1週間前にも、予見した脱線事故が現実となったばかりだ。 オカルトな存在を否定してしまったら、俺はなんなのさって話になってしまう。 「筧くんはどう?」 「不思議な奴がいるっぽい、くらいに考えてる」 「あんま議論しても仕方ないだろ。どうせ結論は出ないし」 「筧の言う通りだ」 桜庭が扇子を閉じてうなずく。 「今後については情報待ちだな」 「HPで羊飼い情報を募集してたよな? 何か書き込みあった?」 高峰が桜庭に尋ねる。 「今のところ何も……と言っても、閲覧者がほとんどいないのが現状だ」 「どのくらいの人が見てるんだ?」 「ちょっと待て」 桜庭がPCを操作する。 「いいところ、1日20人といったところか」 「少ないですね」 図書部のオフィシャルウェブサイトは、桜庭が作ってくれたものだ。 部活紹介や仕事募集のメールフォームなど、最低限の機能は揃っている。 とはいえ、まだまだ改良の余地があった。 これでは、羊飼いの情報提供を呼びかけたところで、効果が上がる可能性は低い。 「見てくれる人を増やす方法も考えないといけないね」 「サイトはGWの間に調整しようと思ってる」 「玉藻ちゃんがやってくれるの?」 「ああ、任せておいてくれ」 「ごめんね、わたしができればいいんだけど」 「どうせ実家に帰っても暇なんだ。むしろやることができて良かった」 桜庭が、白崎に優しく微笑みかける。 「そっかぁ、明日からGWかぁ。皆さんはどうされるんですか?」 「わたしは帰省。玉藻ちゃんもだね」 「私は音楽科の合宿です」 「どこいくの?」 「軽井沢かどこかだったと思います……行きたくないんですけど」 「相変わらずやる気がないな」 「お説教は間に合ってます」 「ほう……」 いきなり二人の間に火花が散る。 その間に、佳奈すけが滑り込んだ。 「か、軽井沢かー、いいなー。もー、完全リゾート気分じゃないですかっ」 「私なんかアプリオでバイトですよ」 「俺は引っ越し屋でバイト」 「俺は自宅警備のバイト」 「んじゃ、俺たちはバイトトリオか」 「いえーい♪」 「いえーい♪」 「いえーい♪」 3人で肩を組んでみた。 「いや、筧さん、働いてないですよね?」 「鋭いな」 「鋭かないです」 ジトっとした目で言われた。 「一応聞いておくが、筧は自宅の警備がてら何をするつもりだ?」 「読書」 「だろうな」 「連休中、ずっとですか?」 「もちろん」 当然だ。 「筧さん、彼女とかできたらどうするんですか」 「俺は変わらない」 「彼女さんがいるのに、家でずっと本を読んでるの?」 力強くうなずく。 「ひどいですよ、それ」 「ま、何とかなるだろう」 「2日で振られるだろうな」 「普通の女の子だったら、そらそうだろう」 「一緒に本を読んで過ごせる女の子を探すよ。心配しないでくれ」 「筧に合わせられるほどの読書中毒は、なかなか見つからないと思うが」 「私も本は好きですけど、さすがに一日中ずっとはきついです」 非難がましい目で見られた。 「ほっといてくれ」 「なんでまた休日の過ごし方を指導されなきゃならないんだ?」 「ごく自然な老婆心かと」 「御園の言う通りだ。このままでは筧が寂しい生活を送りかねない」 「気持ちはありがたいが、他人のことより自分の心配をした方がいいんじゃないか?」 余裕の笑顔で、全員の顔を見渡す。 「さて、この話題はもう終わりだ」 さらりと流しやがった。 まあ、話題を蒸し返すのはやめておこう。 女の子が多い部活だし、俺と高峰がいじられていれば全体として安定する。 「じゃあ、次にみんなで会うのはGW明けってことだね」 「ですね。あー、バイトがんばろ」 「合宿とか気が重いです。いいですよね、帰省する方は」 「実家が気楽とは限らないぞ」 御園さんと桜庭が溜息をついた。 「なんでも気の持ちようだって。せっかくのGWなんだから楽しくいこうぜ」 「高峰はいいな、いつも気楽で」 「もしかして馬鹿だって言ってる?」 「ま、いいけどね、馬鹿ですから。はっはっは」 胸を張る高峰。 自分を馬鹿だという馬鹿はいなかったりするが、それを指摘するのも野暮だ。 それに、高峰のアホさや気楽さは俺のものより自然な感じがする。 俺にはまだ真似ができないレベルだ。 「さーて、そろそろ帰りますかね」 「しばらく留守にするんだ。帰る前に少しだけ部室の片付けをしておこう」 「ゴミ箱も空にしておかないといけないね」 それぞれが、身のまわりの整理を始める。 俺は本棚周りの片付け。 白崎は食器周り、 桜庭はPCデスク周り、 御園さんと佳奈すけはテーブル周り、 高峰はゴミ箱のゴミまとめだ。 誰が指示したわけでもなく、自然と役割の分担ができていた。 それぞれが、それぞれの立ち位置を何となく把握してきているのかもしれない。 ま、悪いことじゃないだろう。 帰宅して約1時間。 ベッドで読書していると、インターホンが鳴った。 起き上がりドアに向かう。 「どちら様?」 「わたしー。ちょっといいかな?」 ドアを開くと、私服の小太刀がいた。 「どうした?」 「さっき、買い物行ってきたの」 小太刀が買い物袋を突き出した。 受け取って中を見ると、ミネラルウォーターのボトルとスナック菓子が入っていた。 「前のお返し。筧の飲み物飲んじゃったりしたから」 「テレビ見に来た時の話か……気にするなって」 「いやいや、そうはいかないでしょ。ま、もらってよ」 断るのも悪いし、もらっておこう。 「じゃ、ありがとうな」 「気にしないで」 小太刀が少しはにかんだように笑った。 「そういや、筧はGWどうするの?」 「引き籠もって読書」 「くっらー」 小太刀が、冗談めかして、げーっという顔をした。 「もうちょっと青春しなよ」 「読書青年にとっちゃ、引き籠もって読書ってのは青春の極致だぞ」 「言ってみりゃ、野球部が甲子園予選を戦ってるのと同等レベルだ」 「へー、そうですかー、びっくりー」 完全に棒読みだった。 「んで、そっちの予定は?」 「図書館の掃除したり、友達と遊んだり。ま、大した用事はないかな」 「あんま人のこと言えないじゃないか」 「よけーなお世話。あんたより日光に当たってるわよ」 べーっと舌を出した。 「んじゃ、今日はこれで」 「おう、おやすみ」 「ぁすみー」 『おやすみ』らしきことを言って、小太刀は自分の部屋に戻っていった。 部屋に静寂が戻り、時計の秒針の音が際立って聞こえる。 静かだ。 図書部に入り、私生活が賑やかになったせいか、妙に静寂がしみた。 明日から学園はGW連休に入る。 今年のGWは7連休と、なかなかのゴージャスさだ。 連休が明ける5月6日までは、奴らに会うこともないだろう。 「……」 あいつらと会えないことを寂しいと思っているのだろうか? まさかな。 読書の鬼である俺が、たった一週間の部活ごっこで寂しさを覚えるなんて純情すぎる。 そう納得し、俺はベッドに戻って本を開いた。 「お?」 メールが来た。 誰だろう? 白崎からだ。 本文を見てみる。 「『今日は誕生日おめでとう。喜んでくれたのなら嬉しいです。』」 「『あと、図書部に残ってくれて本当にありがとう。』」 「『図書部に筧くんは必要です。これからもよろしくね!』」 「『休み中は、本に熱中して体調を崩さないようにね。ご飯食べてね。それじゃ』」 昼間も言われたことだけど、改めてメールをくれるとちょっと嬉しい。 さっそく返信を打つ。 『誕生日を祝ってくれてありがとう。』 『どんだけ役に立つかわからないけど頑張るよ。これからよろしく。』 『本を読んでても飯は食うから心配するな。お母さんか。んじゃ。』 送信のボタンを押す。 画面に送信中のアニメーションが現れ、数回ピコピコ動いた後、送信完了の文字が表示される。 それだけで、さっき静寂の中で感じたものは消えていった。 「お?」 メールが来た。 誰だろう? 桜庭からだ。 本文を見てみる。 「『今日は誕生日おめでとう。喜んでもらえたようで安心した。』」 「『もしかしたら、筧はああいう騒ぎが嫌いなんじゃないかと思っていたんだ。』」 「『次に会うのはGW明けになると思うが、本に熱中しすぎて干からびるなよ。』」 「干からびるか」 声に出して突っ込んでしまった。 それはそれとして、桜庭が気を遣ってくれていたことは嬉しい。 さっそく返信を打つ。 『誕生日は本当に嬉しかった。ありがとう。』 『たまに水は飲むから心配するな。干からびたら本が読めないじゃないか。』 『GW明けには花粉が収まるといいな。それじゃ。』 送信のボタンを押す。 画面に送信中のアニメーションが現れ、数回ピコピコ動いた後、送信完了の文字が表示される。 それだけで、さっき静寂の中で感じたものは消えていった。 「お?」 メールが来た。 誰だろう? 御園さんからだ。 本文を見てみる。 「『今日はお疲れ様でした。』」 「『GW中、筧先輩に会えないかと思うと、嬉しくて快眠快食できそうです。』」 「『少しは太陽に当たるようにして下さいね。』」 好かれてるんだか嫌われてるんだか、よくわからない。 ま、嫌われてるならメールくれないか。 さっそく返信を打つ。 『誕生日を祝ってくれてありがとう。』 『俺も、御園さんに会えないかと思うと、寂しくて読書が進みそう。』 『合宿頑張れよ。ちゃんと行くんだぞ。』 送信のボタンを押す。 画面に送信中のアニメーションが現れ、数回ピコピコ動いた後、送信完了の文字が表示される。 それだけで、さっき静寂の中で感じたものは消えていった。 「お?」 メールが来た。 誰だろう? 佳奈すけからだ。 本文を見てみる。 「『今日は誕生日おめでとうございました。プレゼントもご用意できずにすみません。』」 「『筧さんが残ってくれてみんな喜んでましたよ。私も嬉しかったです。』」 「『明日からGWですけど、読書頑張って下さいね。目指せ10冊!』」 「『あと、GW明けに学校来るの忘れちゃ駄目ですよ。ではでは。』」 絵文字でキラキラしていやがる。 それはともかく、こういうメールをくれる後輩は可愛いな。 さっそく返信を打つ。 『誕生日を祝ってくれてありがとう。祝ってくれただけですごく嬉しいから、プレゼントは気にするな。』 『本10冊とか余裕です。なめてもらっちゃ困るな。』 『バイトは身体壊さない程度に頑張れよ。それじゃあ。』 送信のボタンを押す。 画面に送信中のアニメーションが現れ、数回ピコピコ動いた後、送信完了の文字が表示される。 それだけで、さっき静寂の中で感じたものは消えていった。 GW明け初日の昼休み── 図書館に来たのは、実に一週間ぶりだった。 自室よりも濃厚で複雑な本の香りを胸一杯に吸い込む。 「……これだ」 やはり、本の香りは図書館に限る。 などと危ないことを考えていると、部室前に到着した。 「うす」 部室に入ると、昼食を取っていた奴らが一斉に俺を見た。 『久しぶりだな(桜庭)』『こんにちは(御園)』『どもども(鈴木)』『おう(高峰)』と、順繰りに声をかけてくる。 「良かった。ちゃんと来てくれた」 「ま、まあ……来るさ」 気恥ずかしい気分になりながら、指定席の椅子を引く。 座面に見慣れないものがあった。 「あれ? クッションがあるけど、誰の?」 「筧のだ。GW中に白崎が全員分作ってくれたんだ」 「おーマジか、ありがとうな」 「ううん、どういたしまして」 クッションを持ち上げ、デザインを見てみる。 座布団なので、フカフカというよりは、ぺったりしっかり詰まっている感じ。 クッションの端っこには、なにやらコミカルな鳥の刺繍がしてあった。 「これ何? フクロウ?」 「鷹だよ、鷹。筧くんのイメージ」 「俺が鷹か……」 鷹と言えばかっこいいイメージだが、刺繍の鷹は、今にもすり寄ってきそうな可愛いデザインだ。 「気に入らないかな?」 「いや、まあ、ありがと」 高峰が机を叩いて立ち上がる。 「お前、鷹のどこが不満なんだよ。俺なんか狸だぞっ」 「ぴったりじゃねえか」 ひょうきんに見えてつかみ所がない感じとか。 「私は犬です。わんわん」 「私は猫です。にゃーにゃー」 「私は狐だ」 桜庭からは、動物の鳴き真似がなかった。 全員が桜庭を見る。 流れとしてどうなの? 的な空気だ。 「な、なんだ」 桜庭がぶすっとした顔で周囲を窺う。 「ほら、カモン、来いよ桜庭。狐はどう鳴くんだ?」 「うるさい」 「はい、わんわん」 「にゃーにゃー」 「あー……なんだ……」 「……こんこん」 「はい、いただきましたー」 ぱらぱらと拍手。 「ば、馬鹿じゃないのかお前らは!?」 涙目になるところまで含めて満喫した。 一週間ぶりの緩い空気は、思ったより悪くない。 のんびりした気分に浸りながら、昼飯をおかずに読書を始める。 今日も、おにぎりとミネラルウォーターのゴールデンコンビだ。 「ところで、白崎は何の動物なんだ?」 「決めてないの」 「自分で自分を可愛い動物にしたら恥ずかしいでしょ?」 「あれですね、芸能人だと誰に似てるって聞かれて美人モデルの名前を言っちゃう感じ」 「わかる。あれで外しちゃったときの空気は辛いよな。『はあ? 何言ってんの?』みたいになるし」 ああいうときの回答は、三枚目のお笑い芸人にしておくのが鉄板だと聞く。 「では、白崎さんの動物を決めましょう」 「筧、ずばっと決めてくれ」 「どうして俺?」 「議論をすると話が長くなって面倒だ」 「うん、筧くんが決めていいよ」 さて、何にしたものか。 白崎のイメージかあ。白崎のイメージかあ。「アルパカだな」 「癒やし系の直球ですねえ」 「白くてモフモフしたやつだよね? 私にはもったいないよ」 とは言いながらも、白崎は喜んでいるようだ。 「ではアルパカで決定」 アルパカは、気にくわないことがあるとひどい顔をするなど、割と癖がある。 その辺の意味を暗に込めてみたが、誰にも気づいてもらえなかった。 「トラだな」 「なぜそこに行く」 「いや、意外性を求めて」 「ふふふ、こんなわたしにも、トラのようにどう猛な姿が隠れてるかもしれないよ」 精一杯悪そうな顔をする白崎。 その場にいる全員が『こいつは癒やし系だ』と思ったに違いない。 「ま、アルパカあたりが無難か」 「ですねぇ」 「リスか」 「キュート系ですね」 「たしかに、マスコット的なところはあるかもしれません」 「後輩からマスコット扱いか」 「う〜ん、ちょっと複雑な気分かも」 「あ……すみません……」 素直に謝る御園さん。 白崎には素直だよな。 「ま、アルパカあたりが無難か」 「ですねぇ」 というわけで、動物の話題は一段落した。 机の上には、桜庭の地元土産である『咲濱饅頭』。 上品なこし餡をしっとりした薄皮で包んだもので、なかなか美味い。 ついでに、卓上ペン立てには、高峰がバイト先の引っ越し業者からもらってきたボールペンが刺さっている。 その数、約30本。 ……学園を卒業するまでに使い切れる気がしない。 「さて、饅頭でも食べながら見てほしいんだが、これが新しい図書部のHPだ」 桜庭がノートPCのブラウザを立ち上げる。 ブックマークの一つをクリックすると、見たことがないページが開かれた。 爽やかな配色のページだ。 「わぁ、すごく見やすくなってるね」 「配色もすごく綺麗です」 「取りあえず、一通りリニューアルしてみた。何か改善点があったら教えてくれ」 「ううん、直すところなんてないよ」 「白崎、そう言ってくれるのはありがたいが、確認もせずに言われても困る」 「あーうん、そうだね。感謝があふれ出しちゃった」 白崎がマウスを持ち、全員であれこれ言いながら、HPをチェックしていく。 「ん……」 「何か問題があったか?」 「いや、アクセスカウンターが景気よく上がってるんだが」 トップページで、F5のキーを何度か叩く。 画面が更新されるたびに、カウンターの数字が10くらいずつ上がっていた。 「こんなページを見てる奴がいるのか?」 「今、『こんな』と言ったか?」 「いやいやいや、気のせいですよ」 「だと思った」 目が笑っていない桜庭であった。 携帯が鳴った。 「俺だ」 嬉野さんからの電話だった。 出てみる。 「もしもし?」 「あ、筧君? ビラ配りではお世話になりました〜」 間延びしたような声が聞こえた。 「いやいや。で、どうしたの?」 「ビラ配りをしていただいたコラボキャンペーンのご報告をしようかと」 そういえば、キャンペーンはGW中に開催されてたんだった。 「盛り上がった?」 「ええ、今までになく大盛況でしたよ。店長も料理部の方も大喜びでした」 「詳しくは、ウェブニュースを見た方がいいかもしれませんね」 「お、掲載されてるんだ」 PCをいじっている桜庭に、ウェブニュースを見るよう伝える。 「新聞部が取材に来たのですが、図書部の活躍もしっかりアピールしておきました」 「ビラ配りをしていただいたお礼だと思って下さい」 「ありがとう、助かる」 などと受け答えしていると、桜庭が笑顔で俺を見た。 白崎が歓声を上げ、佳奈すけとハイタッチしている。 いい感じの記事になっているようだ。 「また何かあったらお願いするかもしれませんから、そのときはよろしくお願いします」 「ああ、こっちこそ」 それではー、という言葉を挨拶に電話が切れた。 「嬉野さんだった。学食のキャンペーン、うまくいったってさ」 「うん、ウェブニュースに詳しく載ってるよ」 「アクセス数が上がっているのはこれが原因だな。図書部のURLにリンクが張ってある」 どれどれ。 PCの画面には、学食と料理部のコラボキャンペーンの記事があった。 学食のコックと料理部部長の対談。 料理コンテストの得票結果。 新聞部員による試食レポート。 最後に、ビラ配りをする謎の集団に迫る! という特集があった。 特集記事の先頭には、広報の新しい試みとして、図書部にビラ配りを依頼したことが書かれていた。 嬉野さんの談話として、図書部の紹介とウェブサイトのURLも掲載されている。 そして、メインはコスプレ写真のギャラリー(実名つき)だ。 「ちょっと恥ずかしいね。きわどいアングルのもあるし」 「ちょっとどころじゃない。穴があったら新聞部員を埋めたいくらいだ」 「桜庭さん、ノリノリでポーズとってるじゃないですか」 「あ、筧さんの写真は、名前が書いてないですね」 「女装してたから、わからなかったんだろ」 怪我の功名だ。 「図書部のウェブサイトが見られまくってるのもこれのお陰か」 「世の中、何がどう転ぶかわからないもんだ」 「これなら、相談事も来るかもしれませんね」 「羊飼い情報もきっと集まるよ」 「朝昼晩と、必ずメールをチェックするようにしよう」 「ユーザーサポートでも何でも、レスポンスが遅いところは信頼されない」 「少なからず悪戯のメールも来るだろうし、フィルタリングは私がやっておこう」 「お願いね、玉藻ちゃん」 桜庭の頭は次へ次へと進んでいる。 モチベーションが高いからこそだ。 「これからが楽しみになってきたな」 言いながら、桜庭が時計に目をやった。 「おっと、そろそろ失礼させてもらう。次が体育なんだ」 「私も一緒だったっけ?」 「今日は一緒だな」 「さ、早く着換えに行かないと、更衣室が埋まってしまう」 「じゃ、私も戻ります」 「千莉ちゃんが戻るなら、俺も戻るわ」 「キモいです」 「ふーーーう、ぞくっとするー」 背筋を振るわせ、突き抜けるMの快感を味わう高峰。 こいつが僧になるかと思うとげんなりする。 「俺はここで本読んでるわ。久しぶりだし」 「あー、じゃあ、自分もそうします」 「授業は大丈夫か?」 「出席がない授業だから、別に問題ない」 「こっちもでーす」 それじゃーと言って、4人は部室を出て行った。 残ったのは俺と佳奈すけだ。 「本、読んでいいかな?」 「どうぞどうぞ。こっちのことはお気になさらず」 佳奈すけが窓を開く。 新鮮な風が流れ込んできた。 数秒、心地よい空気を味わってから、俺は本を開く。 「お茶、飲みます?」 「お、淹れてくれるのか」 「じゃあコーヒー頼める?」 了解でーすと言って、佳奈すけがお茶の用意を始める。 白崎が持ち込んだ湯沸かしポットは、少量のお湯なら2、3分で沸かせる優れものだ。 白崎は、家具やら小物やらが大好きらしく、部室にいろいろ持ち込んでくる。 食器にフォトフレーム、ポプリにサボテンなど、一体この部屋をどうしようというのだろう? 「今日の本は何ですか?」 「詩集だよ。中原中也」 「あ、自分も1冊だけ読んだことあります」 いえい、と佳奈すけが笑う。 「そういえば、GW中、本は10冊読めました?」 「GW中は、どのくらい本を読んだんですか?」 「30は行ったね」 「ホントに読書漬けなんですね」 「嘘ついてどうするんだよ?」 「実は女除けとか。俺には時間がないんだ的な」 「んなわけあるか」 ですよねー、といいながら佳奈すけがコーヒーを出してくれた。 美味いコーヒーに、5月の薫風。 悪くない午後だ。 「突然なんですけど、私と御園っちってどう思います?」 「うーん、そうだなあ……」 言いながら、頭は活字の方に行ってしまう。 「筧さーん、おーい」 「……」 「読書モードに入っちゃったかあ。ま、しゃーない」 少しすると、ぺらぺらとページをめくる音が聞こえてきた。 佳奈すけも本を読み始めたのだろう。 しばらく時間が過ぎた。 ページを繰る手を止め、御園さんのことを考える。 「まあ、あれだな」 「はい?」 「ちょっと避けられてるかもな」 「いや、避けられてるってよりは、ノリが合わないのか」 「ああ、御園っちの話ですね」 「そうなんですよ、あんまり話しかけてきてくれなくて」 本のページから視線を上げる。 こっちを見ていた佳奈すけと目が合った。 ちょうど風が流れ、佳奈すけの長い髪が揺れる。 可愛いな。 佳奈すけの奴、意外と清楚系で行けるかもしれない……黙っていれば。 しかし、佳奈すけは賑やかなところも魅力だ。 難しいな。 「なんです? 私のこと好きになっちゃいました?」 「まあな」 「ありがとうございます」 にっこりと笑う佳奈すけ。 「それはともかくとして、御園っちとは、同じ学年ですし、仲良くしたいんです」 「何かいいアイデアないですかね?」 思い起こしてみると、御園さんはいつも白崎や桜庭に対して喋っている気がする。 佳奈すけにツッコミ入れてるところは想像しにくいな。 「佳奈すけのこと、軽いタイプだと勘違いしてるんじゃないかな」 「実際、軽いと言えば軽いですから仕方ないですけどね」 はははは、とわざとらしく笑う。 こういうタイプの人は、真面目だと指摘されると恥ずかしがるものだ。 ここは軽いということにしておこう。 「さーて、どうしたもんかな……ちょっと作戦考えてみるよ」 「ええ、ぜひぜひ」 「御園っち、筧さんの言うことなら聞いてくれると思うんで」 「別に俺だからってことはないだろ」 「いやいや、そういうものですよ」 御園さんに好意を持たれてるとは思えないが。 嫌われてもいないだろうけど。 「佳奈すけも、少し御園さんのテンションに合わせてみたらどうだ?」 「そうしたいんですけどねえ……なかなか難しいんですよ」 「こういうテンションが癖になっちゃってるっていうか」 「なるほどねえ」 「ま、何か思いついたらーくらいで大丈夫ですから」 「すみません、変なこと頼んじゃって」 「ん、大丈夫、大丈夫」 佳奈すけ相手には、あまり踏み込まずほどほどにというのが安定ラインだと思う。 軽く返事をして、俺はまた本に戻る。 「筧さん、コーヒーおかわりします?」 「ああ、頼む」 鈴木が立ち上がり、カチャカチャと食器をいじる。 やがて漂ってきたコーヒーの香りを愉しみながら、俺の読書は続いた。 放課後を知らせるチャイムが鳴った。 「お、もう放課後か」 「ですねぇ」 二人揃って本から顔を上げた。 午後の授業を華麗にぶっちぎってしまった。 「佳奈すけ、授業は大丈夫だったのか?」 「はあ、まあ、おそらく」 「自己責任だからな。留年するなよ」 「ははは、大丈夫ですって。こう見えても成績優良ですから」 「こんにちは」 御園さんが現れた。 「よう」 「こんにちは」 佳奈すけの表情は幾分硬い。 緊張しているらしい。 「うん」 素っ気なく返事をして、御園さんは自分の席に着く。 すぐに手帳を開き、何やら書き書きしている。 「いきなり自分の世界に入るなよ」 「読書中毒の先輩にそんなこと言われるとは思いませんでした」 「今日のギャグで一番面白いです」 「あ、そのシール可愛いね」 「え?」 御園さんの隣の佳奈すけが、手帳を覗き込む。 さっそくアプローチを始めたらしい。 「これ?」 御園さんがシールのシートを机に置く。 透明なフィルムに、ちっちゃな動物のシールが沢山ついている。 女の子ってこういうの好きだよな。 「ねえねえ、動物ならどれが好き?」 「どれでも好き」 「そっか……あ、私はこの羊が好きかな」 「ふうん」 敵はなかなか手強いな。 頑張れ、佳奈すけ。 数分後、部室に全員が集まった。 「早速だが、これを見てくれ」 桜庭がノートPCをぐるりとこちらに向ける。 メールの受信フォルダが開かれており、15件ほどのメールがあった。 「これ、相談のメール?」 「もちろん」 桜庭が力強くうなずく。 「マジか。すっごいじゃんか」 「おおー、やりましたねー」 二人がテンションを上げている。 「それで、どんな相談が?」 「全てビラ配りだ」 「は?」 沈黙が流れた。 「全部?」 「全部だ」 「自分たちってビラ配り屋さんでしたっけ?」 「世間的にはそう認識されたらしい」 「ビラ配りの記事で知名度が上がったんだから仕方ないんじゃないかな」 「それに、わたしはぜんぜん嫌じゃないよ」 にっこり笑う。 「受けるつもりですか?」 「もちろん」 即答だ。 「言うと思った」 「つぐみちゃんらしいというか、なんというか」 「でも、ビラ配りなんて、学園を楽しくすることに繋がるんですか?」 御園さんが、至極当然の反論をした。 「少なくとも、依頼をくれた人は楽しくなるんじゃないかな」 「そんなの、多くて数人じゃないですか」 「数人じゃ駄目かな?」 「1日で数人の人に楽しいと思ってもらうのって、結構すごいことだと思うよ」 「……」 言われてみればそうだ。 自分は昨日、誰かを楽しませただろうか? 一昨日は? その前の日は? 記憶にない。 人を楽しませるために生きているわけじゃないけど、白崎のやつ、なかなか深いことを言う。 「何も、ずっとこのままでいいと言っているわけじゃない」 「小さいところから実績を積み上げていこう」 「それはわかりますけど……また、コスプレするんですよね」 「まあ、ウリの一つだからな」 「慣れだよ、慣れ。何回かやれば恥ずかしくなくなるから」 「それは鈴木さんだけ」 「あれ、微妙に傷つく……?」 「佳奈すけ、変態同士仲良くしようぜ」 「ごめんなさい、一人だけでお願いします」 俺以外の誰も見ていないところで茶番をやっている、暇な二人だった。 それはともかく、御園さんをどうしたものだろう。 どうせビラ配りをするなら、やっぱり全員でやりたいよな。 部内で一番知名度が高いのは彼女だし……。 「まあ、御園さんの気持ちももっともだよな」 「筧、ビラ配りが嫌か?」 「ビラ配りはいいけど、女装はちょっとなあ」 「ファンの期待を裏切るつもりか?」 「どこにファンがいるんだよ?」 「はい」 「はい」 「はい」 「はい」 ハモって挙手された。 「仕込みだろ」 「いやいや、ファンはこれだけじゃない」 桜庭がノートPCでどこかのページを開く。 微妙なデザインのサイトのトップページには、俺が女装した写真が載せられている。 「謎のメイドの正体を追え?」 「そう、筧のファンサイトだ」 「謎の美少女の正体をめぐって、熱い議論が交わされている」 「アホか……どんだけ暇なんだ」 「それだけ筧さんの女装が完璧ということですよ」 「そもそも、女装と気づいていないんじゃ?」 「らしいな」 「パンチラ写真は高値で買い取ってもらえるらしい」 大丈夫か、この学園は。 「今の話を聞いて、女装する気になると思うか?」 「野獣の目をした男たちが、カメラで俺を狙ってくるんだぞ?」 「しかし筧、お前の女装は実際のところかなり人気なんだ。ファンサイトもここだけじゃない」 「ビラ配りをする以上、目立った方がいいことくらい筧ならわかるだろう?」 「理屈じゃねえ」 「筧、図書部のために聞き分けてくれ」 「筧さん、ファンが待ってますよ」 「みんなのためってことで」 「御園さんがコスプレしてくれるなら、俺も我慢して女装するよ」 「え? それとこれとは」 「いやいや、同じ話だよ。目立った方がいいんだから」 「……む」 はめましたね、という目で俺を見た。 さすがにわかったか。 「ま、この際一緒にやろうや」 「俺だって恥ずかしいの我慢してるし、白崎も桜庭だって恥ずかしくないわけじゃない」 「それに、御園さんのコスプレ、結構いいと思うぞ」 「な、ば、馬鹿じゃないですか、先輩」 御園さんがそっぽを向いた。 純真なリアクションに、桜庭と高峰がニヤニヤしている。 「御園さん、お願いできないかな?」 とどめとばかり、白崎が真っ正面から御園さんを見つめた。 「わたしもコスプレは恥ずかしいけど、頑張るから」 「……」 白崎の視線に負け、御園さんが無言でうなずいた。 「よかった、ありがとう」 「ほんと、もう、意味わからないです」 ぶすっとした顔で御園さんが呟いた。 「ビラ配りのスケジュールについては、私が依頼者と詰めておこう」 「高峰には、衣装の手配をお願いしていいか?」 「ああ、聞いておく」 「ビラ配りは大変だけど、頑張ろうね」 白崎の言葉にそれぞれがうなずく。 「瓢箪から駒と言えばそうだが、私達の活動が周囲に認められてきたということだ」 「評判を悪評に変えないよう、しっかりと頑張っていこう!」 「……体育会系か」 「ん? 筧、返事は?」 「は、はーい」 時計の針が午後9時を回った。 部室に残っているのは、俺と白崎、桜庭の三人だ。 他の奴らは、特に用事もないので帰っていった。 桜庭は、ずっとPCに向かってビラ配り関連の調整をしているようだ。 「玉藻ちゃん、そろそろ帰らない?」 「ああ、もうちょっと調べたいことがあるんだ」 「そんなに調べることがあるのか?」 「ビラ配りを依頼してきた組織が、まともなものかどうか確認している」 「あやしげな集団だったら困るからな」 「気合いが入ってるのはわかるけど、あんまり根を詰めると長続きしないぞ」 「ああ、わかってる」 「だが、早くスケジュールを立てないと、みんなが動けないだろう?」 「それに、せっかく活動が軌道に乗りそうなんだ。依頼者を待たせたくない」 桜庭が笑う。 特に負担に思ってはいないようだ。 「私のことは気にしないで、先に帰ってくれ」 どうするよ、と白崎と顔を見合わせる。 放っておいても白崎は帰らないだろうから、少し強引にもっていこう。 「んじゃ、桜庭、悪いけど帰るわ」 「白崎、あとは桜庭に任せよう」 「あ、うん……」 白崎と帰途に就いた。 空席の多い車内で並んで座る。 「玉藻ちゃん、頑張りすぎないといいんだけど」 「いきなり知名度が上がったから、桜庭も嬉しいんだろ」 それにきっと、桜庭は、頑張ってる自分を白崎に見てほしいのだと思う。 なら、部室に一人で残っている方がより雰囲気が出る。 「図書部も、桜庭がいないと回らないな」 「うん。玉藻ちゃん様々だよ」 「本当は、わたしがもっと頑張らないといけないね」 「適材適所じゃないか? 白崎は白崎の役目を果たしてるよ」 「どんな役目?」 「思想的指導者?」 「なんだか、革命起こしそうな役目」 白崎が、たははと笑う。 「話し合いとかを仕切ってるのは桜庭だけどさ、白崎がいないと話し合い自体にならないだろ」 「そもそも図書部は、白崎の活動を応援する部活だからな」 「そうだね……わたしが言い出しっぺだもんね」 「頑張ろうぜ、部長さん」 「大丈夫、桜庭だけじゃなく、みんなが支えてくれるよ」 「うん、ありがとう」 白崎は微笑むが、少し元気がないようにも見える。 「何か心配でもあるのか?」 「……少し、ね……どうしてわかるの?」 「いやまあ、割と顔に出てるから」 「えっ、そうなの!?」 「自覚ないのかよ」 「どう見たって、ポーカーフェイスって柄じゃないだろ」 「うう……そうなんだ。ちょっと残念」 「ポーカーフェイスって何となくかっこいいのに」 「白崎には似合わないよ。別に悪い意味じゃなくな」 白崎の表情が少し晴れた。 すぐ表情が変わるところが魅力の一つなのだ。 もし、白崎がポーカーフェイスだったら、図書部なんてなかっただろう。 「で、心配ってのは? よかったら聞くけど」 「うん、心配ってほどじゃないんだけど……」 白崎が言葉を切った。 「図書部が急に有名になったからびっくりしただけなの」 「嬉しいには嬉しいんだけど、いろんな人が見てるかと思うと、ちょっとだけ怖いなって」 「なるほどなー」 ごく自然な不安だった。 誰だって、少なからず感じるだろう。 「今まで通りでいいと思うよ」 「白崎も言ってたけど、目の前のことって言うか、その日関わる人が楽しくなるようにしていけば、最終的にうまくいくんじゃないかな」 「どっかの歌手も、人間、今日と明日と明後日のことくらいを考えてればいいんじゃないって言ってたぞ」 「……大丈夫かな?」 白崎が視線を上げた。 「ああ。それに、図書部は白崎一人じゃないんだ。なんとかなるさ」 「みんな、いざとなれば頼りになるよ……おそらく」 「ふふふ、そうだね」 「ま、心配があったらすぐ相談してくれ。抱え込んでもいいことないしさ」 「ありがとう、筧くん」 白崎が微笑んだ。 今度は元気を取り戻したようだった。 「これから忙しくなるかもしれないけど、頑張っていこうぜ」 「うん、よろしくね」 元気にガッツポーズを作ってみせる白崎。 さーて、これからどうなることか。 ビラ配りのスケジュールが送られてきたのは、午後2時くらいだった。 それによると、今日のビラ配りは2件。 明日、土曜日は休日にもかかわらず3件。 日曜は休みで、月曜は2件。 本を読む間もない。 佳奈すけのツッコミじゃないが、本当にビラ配り屋にでもなったようだ。 お、あれは? 図書館に入ると、カウンターで何かしている御園さんを見つけた。 本でも借りているのかな? 「よう、何してるの?」 「あ、筧先輩」 「借りていた本を返却したんです」 「へえ」 御園さんも本を借りたりするのか。 「何の本借りてたの?」 「秘密です。当ててみますか?」 御園さんが悪戯っぽく笑う。 「クイズか。賞品は出る?」 「何もあげませんよ。どうして私があげなくちゃならないんですか?」 つーんとした顔で言ってきた。 遊んでいるらしい。 ならばこっちも、ちょっといじってみよう。 「んじゃ、クイズはなしでいいや」 くるりときびすを返す。 「……」 「……じゃあ、いいものあげます」 振り返る。 「詳しく聞こう」 「目に性的欲求が浮かんでいます。変態ですね」 「男はみんなそんなもんだ。それで、賞品は?」 「当てたらわかりますよ」 「よーし……そうだなあ……」 考えてわかるもんじゃないだろ? ヒント、ヒントは。 御園さんの背後のカウンターを見る。 返却した本の表紙がちらっと見えた。 ずいぶんカラフルだ。 ということは?ということは?「御園さんだから、音楽関係の本かな」 「0点です。まったく笑えません」 「え、笑える答えが求められてたの?」 「もちろんです」 「グルメ関係の本。商店街の食べ歩きとか」 「そんな本、図書館に置いてないです。もうちょっと考えて下さい」 「10点ということで」 なんで点数制なんだろう? 「『男同士が絡み合ってる本』とかね、ははは」 「なんで、わかったんですか!?」 「マジか!?」 「冗談です」 「でも、ちょっと面白かったので30点です」 なんで点数制なんだろう? 「で、答えは?」 「文学の授業で課題になってたエッセイです」 「そんなのわかるか」 「ですね」 くすくすと御園さんが笑った。 ご機嫌らしい。 「では、大サービスで賞品を」 「筧先輩、目をつぶってちょっと屈んで下さい」 「何くれるの?」 「内緒です。いいから屈んで下さい」 言われた通りにする。 なんだろう、この興奮は。 心臓が激しく脈打っているのがわかる。 落ち着け、落ち着け、俺。 ぴと。 額に何かが触れ、すぐに離れた。 少し湿った感触がしたような、しなかったような。 「はい、目を開けていいですよ」 ん? 何が起きたんだ? 「な、何したの?」 「言わせないで下さい、恥ずかしいです」 「お、おう」 一体、何をされたんだろう。 おそるおそる指先で額に触れてみるが、何もわからない。 あれか、これはあれか、唇が触れてしまったということなのか? 「部室、行かないんですか?」 「あ、ああ」 どきどきを腹に収める。 動揺していては恥ずかしい。 「そういや、図書部にはもう慣れた?」 「よくわかりません。何となく来てますけど」 「来てくれてるってことは、少なくとも嫌じゃないわけね」 「かもしれませんね」 素直な返事をしない御園さん。 「佳奈すけとはどう? 仲良くやってる?」 「鈴木さんですか? 普通です」 「どうしてそんなことを?」 「同級生だから仲いい方がいいかと思って」 「まあ、そうですね」 興味なさそうだなあ。 「佳奈すけのこと、避けてる? 先輩として、ちょっと心配でさ」 「避けてませんけど……」 御園さんが言い淀んだ。 やっぱり、あまり得意ではないようだ。 「もしかして、あいつのこと軽い奴だと思ってるとか」 御園さんが足を止める。 そして、うつむき加減で、目を合わせずに口を開く。 「軽いっていうか、可愛いし華がある感じだから、私みたいに地味なのとは別の人種かなって」 「ウェイトレスもやってますし、コスプレとかも平気みたいだし」 「それ言ったら、御園さんも人前で歌を歌ったりするんだろ?」 「それとこれとは話が違います」 「佳奈すけとは、機会があったら話してみなよ。面白い奴だぞ」 「御園さんが思ってるほど軽くない……ていうか、むしろ真面目な方だ」 「にぎやかな話し方になるのは、あいつなりの照れ隠しだと思えばいいよ」 「はあ」 「あいつ、御園さんと上手く話せないから、嫌われてるんじゃないかって心配してるんだ」 「ただ、鈴木さんみたいに明るく喋れないだけです」 「それで嫌われてると思われるなら、それこそ、タイプが合わないってことです」 「すぐに合わないって結論に持っていかないでさ」 「……善処します」 むすっとした顔で言った。 多少は橋渡しになればいいんだが、上手くいくかどうか。 ま、今日はこんなところにしておこう。 「おー、久しぶりー」 部室に行こうと思ったところで、声をかけられた。 「よう」 「……?」 「あれ、忘れた? 一緒にお風呂行ったじゃん」 「……あ、ああ」 「もー、つれないなー」 「こんなインパクトが強い奴、よく忘れられるな」 「うるさいわ……って、わはははっ!」 人の顔を見て爆笑しやがった。 なんだそりゃ? 「図書館では静かにしようや」 「いや、まあ、ええ、そうですね」 何がおかしいんだろう。 隣の御園さんを見ると、露骨に目をそらした。 もしかして。 「これ、これ」 小太刀が手鏡を差し出してきた。 受け取り、自分の顔を確認する。 額にかわいいカピバラのハンコが押してあった。 どうやら、先程のクイズの賞品がこれらしい。 「癒やし系に転向したの?」 「んなわけあるか」 御園さんが、そそくさと部室へ向かう。 「まったらんかい」 「失礼しまーす」 走って消えた。 まったく。 ……ま、懐いてくれたと思えば、これはこれでいいか。 「何? あの子にやられたの?」 「ああ。ちょっと顔洗ってくるわ」 「はいはい、モテモテで大変じゃない」 「お陰様でね」 小太刀に別れを告げ、俺はトイレに向かった。 「全員、準備はいいか?」 ういーすと応じる。 準備とは、コスプレのことであり、俺の女装のことだ。 メイク担当の佳奈すけは絶好調で、いろいろ新しいメイクに挑戦したらしい。 男の目からは変化がわからないが。 「京子ちゃん、相変わらず可愛いね」 高峰が俺の手を取る。 「もう、高峰君ったら、ぶち殺しますよ」 「ふぁーおー、拙僧、いまなら空も飛べそうでござる」 執事姿の高峰が、合掌してぴょんぴょん跳ねている。 「ぎにゃ……ふっ、ふっ!」 と、足下ではデブ猫が腰を振り始めた。 なんなんだ、このカオス空間は。 「頭痛くなってきた……今日は降板で」 「いやいやいや、京子さんがいないと困ります。みんな楽しみにしてるんですから」 「俺は、猫に発情されるために女装してるんじゃない」 「じゃあ、何のために女装してるんだよ!」 「キレてる理由がわからん」 「ふふふ、みんな仲がいいね」 白崎が乱暴にまとめた。 もうやだ。 「さ、満足したか?」 「今日はビラ配りを2件こなさなくてはいけない。時間を無駄にしないようにしよう」 「あの、本当に2件もやるんですか?」 猫耳メイドの御園さんが小さく挙手した。 「嘘に聞こえたか?」 「いえ……ずいぶんビラを配ってほしい人がいるんですね」 「ああ、私も少し驚いた」 コスプレ衣装で腕を組む桜庭。 胸が押し上げられ、ちょっとどきっとした。 「昨日、依頼者を調べてみたが、ほとんどは小さな部活やバンドだった」 「自分たちでビラを配っても、なかなか受け取ってもらえないらしい」 「よく、駅前で配ってたりしてますよね」 机に積まれた、今日配る予定のビラを見てみる。 奇術研究部のマジックショーと、なんとかというバンドのライブ告知だった。 言っちゃなんだが地味だ。 「依頼してくれた人たちに満足してもらえるように、今日は頑張ろう」 「おっけー」 「ぐずぐず言ってても仕方ないし、ばしっと配っちまおう」 「京子さん、口調が」 「あら、ごめんなさい」 「さ、行こうか」 4時間後。 部室に帰ってきた俺たちは、ぐったりと椅子にもたれた。 「1日2件は……なかなかきついな」 「珍しく意見が合いますね」 「これが明日は3件か……」 「桜庭、それ禁句。いろいろ折れるから」 「なんとびっくり、私は元気です」 佳奈すけは割とぴんぴんしていた。 日頃のバイトで鍛えられてるらしい。 「私も鈴木を見習わなくてはな」 しゃきりと背筋を伸ばし、桜庭が気合いを入れた。 「私達は、白崎を支えねばならないのだ」 「すぅ……すぅ……」 白崎は、机に突っ伏して寝息を立てていた。 「本人は、健やかにお休みしてるが」 「戻ってきて2、3分だぞ。漫画のキャラか」 「白崎さん、机に押しつけた胸が服から溢れそうです」 「それはいけないな。歴史に残さないと」 すらりと携帯を構える桜庭。 「桜庭さん、写真を撮らないで下さい」 御園さんが、白崎の身体にタオルを掛けた。 これで一安心だ。 「白崎も疲れたんだろうな」 「ですねえ……今日は人一倍写真撮られてましたから」 今日のビラ配りは大盛況だった。 どこから情報が出たのか、開始前から人が集まっており、ビラはあっという間になくなった。 それで終わりなら良かったのだが、次に待っていたのは撮影タイムだ。 各人の前に長い列ができ、撮影の時間が続いた。 「モデルの苦労がわかったな」 「これからは、ポーズの練習をしておいた方がいいかもしれませんね」 「う、ううん……」 白崎が寝返りを打った。 「白崎なら、真面目にポーズの練習しそうだけどな。みんなに喜んでもらうため、とか言いながら」 「ありそうな話だ」 桜庭が白崎の頭を優しく撫でる。 「か、筧くん、困るよぉ……」 「ほう……」 全員の視線が俺に注がれた。 「筧先輩、30文字で説明を」 「お前、白崎に何かしたんじゃないだろうな?」 「どう見たって寝言じゃないか」 「うーん、でも、そこは……」 もはや寝言を利用したテロ行為だ。 「おい、白崎、起きろっ」 「ん……んん?」 白崎が身体を起こす。 「ごめん、寝ちゃってた」 「いや、今日は仕方ない。早く帰って休もう」 「はーい、じゃあ、女の子が着換えますから、紳士さんは外に出てくださーい」 ぱんぱんと手を叩かれ、俺と高峰は部屋の外に出る。 明日もビラ配りか……。 ちょっとしんどいが、頑張っていこう。 この日のビラ配りは3件。 怒濤の一日となった。 「こ、こんにちは……軽音研究部です……」 「5月20日、ライブハウス、デュオにぜひお越し下さーい」 「落語研究会の寄席でーす」 「ぜひぜひ、お立ち寄り下さーい」 「津軽三味線同好会、ぜひぜひよろしくお願いしまーす!」 「お嬢さん、恥ずかしがらないで。さ、一緒に行こうよ」 休憩や昼食を挟み、がっつり一日。 ようやく図書館に帰ってきた。 しかし、問題があった。 「あの、すみません、ビラ配りはもう終わりましたので、この辺で」 ビラ配りが終わっても、人が帰ってくれないのだ。 その数、8人。 俺たちの後ろにぞろぞろついてくる。 「すみません、写真、もう一枚だけ。メイドさん、お願いします」 「ん……あー……はい」 適当にポーズを取る。 『ありがとうございます』と言って、カメラを持った生徒は去って行く。 『すみません、僕も』『こっちもお願いします』『巫女さん、よろしくお願いします』と声が続く。 うーん、困ったもんだ。 「はぁ……なんかびっくりしたね」 「まさか図書館までついてくるなんて」 「この学校の生徒は、コスプレに飢えているのか?」 「珍しいだけだと思いますけど」 「でもでも、目立つのはいいことですよ。ビラを配ってるんですから」 「みんな悪気はないんだよな」 「ああ、一人一人は礼儀正しいよ……でも集まるとちょっとアレだな」 このまま人が増えると、トラブルになる予感がする。 「おつおつ」 「ギザ様、ありがとう」 「おふっ、んっ、おうっ」 御園さんに腹を撫でられ、デブ猫がびくびく痙攣している。 疲れが増す絵面だ。 「いいよなぁ、ケダモノは楽で」 「高峰もケダモノだろう?」 「おいおい、疲れて遠慮がゼロになってるぞ」 「失礼、本当のことを言ってしまった」 「気をつけてよー、これでもグラスハートなんだから」 「どこがですか」 御園さんが突っ込む。 容赦なく突っ込めるようになったあたり、御園さんもずいぶん図書部に馴染んできたな。 「そうそう、みんなハーブティーって飲む? 疲れに効くブレンドを作ってみたの」 もちろん嫌がる奴なんていない。 「うん、ちょっと待っててね」 白崎がお茶の準備を始める。 「そういえば、明日は休みですね」 「ああ、みんな、しっかり休んでくれよ」 「桜庭さんこそ休んでください。事務作業、ほとんど桜庭さんがやってるじゃないですか」 外部との交渉や依頼主のチェックなど、細かい仕事は全部桜庭任せになっている。 疲れも溜っているに違いない。 「いや、まったく問題ない」 「昔から、事務作業は苦にならないタイプなんだ」 桜庭は余裕の笑顔を見せた。 「そうだ、依頼主へのお礼を忘れていた」 独り言のように言い、桜庭がノートPCを立ち上げた。 休む気ゼロらしい。 「……これは」 ハーブティーを飲みつつPCをいじっていた桜庭が呻いた。 「どうした?」 「いや、なかなか壮観だぞ」 ニヤニヤしながら、桜庭がPCの画面を向けてきた。 なんだろう? 画面を見てみる。 「げえっ!?」 「『げえっ!?』って、今どき漫画でも言いませんよ……」 「げえっ!?」 横から覗いてきた佳奈すけも同じリアクションだ。 「うわあ」 「なんか、すごいね」 PCの画面には、京子ちゃん(俺)の写真が無数に並んでいた。 『汐美学園』『謎のメイド』で画像検索をした結果がこれだ。 一つのブログに飛んでみると、京子ちゃんが様々なポーズで映っている。 完全にカメラ目線で、ポーズまで取って……。 「筧……お前さ……可愛いな」 「この『内緒だよ』みたいなポーズ……最高だ」 高峰が、すごく嫌な笑顔を浮かべている。 掘られかねない。 「仕事とはいえ、これはちょっと引きます」 「俺だって引くわ」 「何が怖いって、自分でもポーズを取った記憶がないんだ」 「話によると、モデルはカメラを向けられると反射的にポーズを取るらしいぞ」 「筧くん、モデルさんが向いてるんじゃない?」 「神よ……」 こんなところで新しい自分を見つけてしまうなんて。 「しかし、筧だけを笑ってはいられないぞ」 桜庭が更にPCを操作する。 『汐美学園』『図書部』で画像検索すると、それぞれの写真がずらっと並んだ。 「とうとう俺たちの時代が来たらしいな」 「来ねえよ」 「ま、知名度が上がるのはありがたいことだ」 「これらの写真がどういう風に使われるかは、想像しないでおこう」 かなりローアングルな自分の写真を一瞬で閉じ、桜庭が呟く。 まあ、そりゃ夜は大活躍だろう。 「あ、この京子ちゃん、ケータイの待ち受けにしよっと」 「勘弁してくれよ……」 「あはは、冗談ですよ」 今更だが、ネットは恐ろしいな。 「おっと、早速反応があったか」 PCの画面を見ていた、桜庭が呟く。 「みんな、よい知らせがあるぞ」 桜庭が改まった声で言った。 皆の注目が集まる。 「ウェブサイト経由で、羊飼いの情報がいくつか寄せられている」 「これも、地道なビラ配りでアクセス数が増えたお陰だ」 自然と拍手が起こる。 ウェブサイトのアクセス数が増えたのは、確かにビラ配りのお陰かもしれない。 だが、そこには桜庭の努力が隠されていた。 配ったビラには、図書部の名前とウェブサイトのアドレスが入っている。 これは、無料でビラを配る代わりということで、桜庭が依頼主にお願いしていたことらしい。 「それで、どんな情報があったのかな?」 PCの画面に情報が並ぶ。 大半の情報は、以前桜庭がネットで収拾してくれたものと大差ない。 出現時間や場所、性別、容姿は様々。 叶えてくれた願いもまた様々だった。 しかし、収穫もあった。 ここ数日で羊飼いに出会ったという人が2人いたのだ。 「直接会って話を聞くべきだろうな」 「もちろんだ。アポイントは私が取っておこう」 さっそく、桜庭がメールを打ち始める。 「性別とか見た目が違うなら、羊飼いって一人じゃないのかな?」 「毎回変装してるんじゃなきゃ、そういうことになるな」 「でもほら、これとこれは登場時間がかぶってますよ。やっぱり複数犯なんじゃないですか?」 「意外、よく見てる」 「いやあ、それほどでも」 てへりと頭をかく佳奈すけ。 「……あれ? 意外?」 気がつかなくていいところに気がついてしまった。 「しかし不思議だよなあ……」 高峰が腕を組む。 「羊飼いの噂がこれだけ出回ってるのに、どうして羊飼いを捕まえようって奴がいないんだろうな?」 「ツチノコじゃないけどさ、普通なら見つけようってグループとかできそうじゃない?」 「言われてみれば、羊飼い研究会みたいなサークルの2つや3つはありそうなもんだが」 「運良く捕まえれば、願いを叶えてくれるかもしれませんしね」 「オカルト関係のサークルさんが探してるんじゃないかな?」 「それ系は最初に当たったけど、大した情報を持ってなかったんだ」 「実は、みんなあんまり興味がない……ってことはないか。ウェブニュースで特集とかあるんですもんね」 みんな興味があるのに、熱意を持って追いかけている人がいない。 じゃあ、実在しないかというと、情報を募れば実際に会ったという人もちらほら出てくるのだ。 よくわからないところだ。 「羊飼いの調査については一時保留にしていたが、情報が入ってきた以上、再開してもいいな」 「うん、また新しいことがわかるかもしれないもんね」 「では、折を見てスケジュールに組み込んでおこう」 桜庭がメモを取ったところで小太刀が現れた。 「おーい、図書部さー」 「よう、小太刀」 「だれ、新人さん?」 「筧だ」 「ああ、筧……って、ほんとに筧っ!?」 図書委員が叫んでどうする。 しかしまあ、驚かれるのがちょっと快感になりつつある自分に終わりを感じる。 「可愛いっていうか、化けすぎじゃない?」 「お陰様で。メイクもかなり頑張ってもらってるぞ」 「なんで自慢げなのよ」 「筧がそういう趣味だったとは思わなかった」 小太刀が、呆れたように溜息をついた。 「あ、えーと?」 白崎がおずおずと声をかける。 「おー、久しぶり。みんな大好き図書委員の小太刀です」 「あ、小太刀さん、こんにちは」 「ああ、小太刀か……久しぶり」 「何言ってんだ。お前ら実は忘れっぽいのか?」 「自覚はなかったが」 「歳のせいですかねえ。これでも一応、ピチピチなんですが」 「今時ピチピチって……」 死語だ。 「で、小太刀は何しに来たんだ?」 「そうそう、メイドが衝撃的すぎて忘れてた」 「あの、ビラ配りをやるのは構わないんだけどさ、ファンの人を図書館まで引っ張ってくるのはやめてくれる?」 「あれは勝手にスタンバってたんだ」 「だとは思うけど、そう見ない人もいるからね」 「あと、図書委員会に何故か図書部関連の問い合わせが来るんだけど?」 「名前が似てるからですかねえ」 「ウェブサイトで注意を促しておいた方がいいな」 「せっかくわたし達に興味を持ってくれてるのに申し訳ないね」 「とにかく、図書館の中には騒ぎを持ち込まないでね。中で騒がれたら、さすがに私も擁護できないから」 「あれ? 今まで擁護して下さってたんですか?」 「まさか。私がどうして擁護しなくちゃならないのよ」 小太刀がとぼけてそっぽを向いた。 「しかし、俺たちを注意するために土曜日に学校来たのか? ご苦労だな」 「んなわけないでしょ」 「GW明けで新しい本が沢山入ってね。その登録と片付けに狩り出されてるの」 「本当なら、図書部の相手をしているほど暇じゃないから」 「(じゃあ、来なければいいのに)」 「ん? 何か言ったか?」 「いーえ」 御園さん、意外にチャレンジャーだな。 「あなたたちも手伝ってくれないかしら?」 「気持ち的には手伝いたいんだけど、こっちもビラ配りでへとへとなんだ」 「あはは、そーみたいね」 俺たちを見て小太刀が笑う。 「ウェブニュースで紹介されてから大人気じゃない」 「お陰様でね。やっぱりネットの力はすごいわ」 「あんたらのウェブサイトも結構キレイよね。誰が作ったの? 業者?」 「桜庭が作ったんだ」 「ほー、デザインの才能あるんじゃない? 絵とか描いたりするの?」 「生憎、絵はたしなまない」 「あらそ」 小太刀がつまらなそうに溜息をついた。 「そういえば、小太刀さんは羊飼いのことを何か知らないかな?」 「羊飼い?」 一転、小太刀の目に興味の色が浮かんだ。 「そうそう、私も聞こうと思ってたんだ」 「ウェブサイトに羊飼いの情報募集ってあったけど、何で羊飼いの情報なんて集めてるの?」 「話すと長くなるんだけど……」 「そこを短く話して」 「最近、図書部員が全員、羊飼いからメールをもらったんです」 「なので、羊飼いのことを調べてみようって話になりまして」 「全員って、全員?」 小太刀が俺たちの顔を見る。 うなずいて応えた。 「あれ? 鈴木って、携帯持ってないとか言ってなかったっけ?」 「……あーいえ」 「そのときはPCに来たんです。携帯買ってからは携帯に来ましたけど」 「ふうん」 「そこでまた不思議なことがありまして、携帯を買った次の日にメールが来たんですよ。アドレスをまだ誰にも教えてなかったのに」 「そんなアホな」 「いやだって、本当に来たんですから」 「オカルトになってきたね」 小太刀がにやりと笑う。 ノリノリだ。 「でも、羊飼いがメールくれたなら、喜んでいいんじゃないの? 願いを叶えてくれるんでしょ?」 「そのはずなんだけど、メールの内容が曖昧なの」 「良い方向に導いてくれてるのか、ただの悪戯なのかわからないんだ」 「小太刀、何か心当たりはないか?」 「うーん、ないなあ」 「友人で、この手の話に詳しい人はいないか? いたら聞いてみてくれ」 「いや、面倒」 「……」 桜庭の頭の血管が切れる音がした。 それでも深呼吸をして耐えている。 「頼む、手詰まりなんだ」 「どーしよっかなー」 「ぶふ、おうふ」 「ギザ様が、頼むぜハニーと言ってます」 「知るか」 「……そうですか」 御園さんが立ち上がり、卓上に転がっていたギザを小太刀に押しつける。 「……」 「ま、待って、話せばわかるから」 「わかるんですか?」 「わかります、わかります」 「図書委員に、ちょっと話を聞いてみるから」 「マーベラスです」 御園さんがギザを引っ込めると、小太刀が安堵の息を吐いた。 「これって世間じゃ脅迫って言わない?」 「まあそうね」 ぐったりした小太刀が、出口のドアに向かう。 「はぁ……じゃあ、まあ、ともかく……」 「何を言いに来たのか忘れちゃったじゃない」 「図書部に入りたいんでしょ?」 「ああそうそう……って、んなわけあるか」 「うるさいってこと、静かにしてってこと、いい加減怒るからねってこと」 「あはは、いつもと同じですね」 「まな板、図に乗るなよ」 「ぐはっ!?」 佳奈すけが一言で机に突っ伏した。 「それじゃ頼むわね」 小太刀が出て行った。 「ギザさえいれば、小太刀は思いのままだな」 最初のコメントがそれかよ。 それより、びびってる小太刀を見たとき、何か感じた気がしたんだが……。 恐がる女の子に興奮するという、危ない性癖に目覚めつつあるのだろうか? 「千莉ちゃん、小太刀さんが可哀相だから、あんまりギザ様を近づけちゃ駄目だよ」 「はあ、前向きに検討します」 気のない返事をする御園さん。 「お願いね。小太刀さんは大切なお友達なんだから」 「友達は……人を……まな板と……罵るですか……」 「割と本当のことを言っちゃう友達もいるさ」 「フォローする気ゼロなのな」 「あれ? おかしいなあ」 高峰がすっとぼける。 「ま、小太刀にはできる限り迷惑をかけないようにしよう」 「ああ見えて、図書部をフォローしてくれているようだしな」 「どうしてフォローしてくれるんでしょうね」 「筧に気があるんでないの?」 「まさか」 女の子たちが俺を睨む。 「いやいやいやいや、ないでしょ」 「筧さん的にはどうなんですか? 部屋もお隣みたいですし」 いや、隣は隣だが。いや、隣は隣だが。「やることはやってるな」 静かになった。 「メシのお裾分けとか、ご近所の挨拶とか」 「で、ですよね〜」 「びっくりしたー。最近の若い子は進んでるから、もしかしたらって思っちゃったよ」 あんた何歳だよ。 「ただの友達だよ」 「出ました、よくある台詞」 「そう言って、友達じゃなかった奴らを結構見てきたなあ」 「本当だって、絡むなよ」 「大体、仮に付き合ってるとしても、隠す必要ないだろ」 「でもでも、みんなに言うのって恥ずかしいじゃない」 「そうか?」 「筧さんは露出狂……っと」 「どうしてそうなる」 「嫌いじゃないかな」 「あたたた……机に足ぶつけちゃった……」 「動揺してますね」 「ど、動揺なんかしてないでござるよ」 なんだそりゃ。 「筧の話はともかく、図書部としては小太刀と仲良くしておいたほうがいい」 「ああ、機嫌を損ねたら部室を追い出されかねない」 各々が了解の意思を示す。 「さて、そろそろ着換えようぜ。やっぱスーツは肩凝るわ」 「そうだね」 「あ、月曜日までに洗濯しておくから、脱いだ服はまとめておいてね」 「ありがとうお母さーん」 白崎に抱きつく佳奈すけを横目に、俺と高峰は部室の外に出た。 女の子の着替えを待つ間、俺は本棚の本を適当に開いた。 「大丈夫かなぁ……」 隣で壁に寄りかかっていた執事が呟いた。 「何が?」 「桜庭」 「事務作業を一人で抱え込んでるし、けっこう疲れてると思うんだよね」 「だろうなあ。でも、弱音吐くタイプじゃないだろ」 「だよなあ」 「心配なら、電話でもしてみたら?」 「頼むわ」 「俺かよ」 「俺が電話しても、『大丈夫だ、お休み』で終わりだぞきっと」 「俺だってそうだ」 「白崎が心配してたぞー的な攻め方はどうだ?」 「むしろ燃え上がるんじゃないか?」 むむ、と高峰が腕を組む。 高峰からこんな話をされるとは思わなかった。 でも同時に、こういう話は高峰ならではだとも思った。 誰を好きとか嫌いではなく、いつも全体を見ているのだ。 「俺に何かできたらいいんだけど、明日バイトなんだよな」 「引っ越し屋?」 「いや、交通量調査」 「また地味なのを」 歩道に一日座り、人や車が通った数を調べる仕事だ。 「人を見てると、けっこう飽きないもんよ?」 「ヒール履き慣れてなくて上手く歩けない子なんて見ると、妙にきゅんと来るんだよね」 「まるっきり共感できない」 「あと、レポート出すと単位になるらしいんだ」 「ああ、そっちのメリットはわかる」 ま、それはそれとして。 「んじゃ、電話くらいはしてみるよ」 「頼むわ」 よろしく、と片手で祈ってきた。 「桜庭のこと、気になってんの?」 「桜庭個人ってより、部活全体かな。一人に負担かかるのは良くないからさ」 「気に入ってんだな、ウチのこと」 「そうね、居心地いいし」 「あーでも、個人って話をすりゃ京子ちゃんを愛している」 きらりんと歯を光らせた。 「うるせえよ」 「ところでなあ、筧よ……」 「あ?」 「図書部のこと、ウチのことって言ったのは、ちょっと驚いた」 「気のせいだろ?」 「ははは、気のせいか」 軽く笑って、高峰は話をやめた。 こいつの鋭さには、本当に驚かされるな。 雨の音に目を覚ました。 携帯で天気を確認すると、夜まで雨と出た。 メールが3件来ている。 1件目は白崎から。 『雨で洗濯物が乾かなかったらどうしよう。。。』とあった。 2件目は御園さんから。 『雨の日って、ギザ様はどうしてるんですか?』とあった。 3件目は佳奈すけから。 『めちゃんこかわいい犬の写真見つけましたー。わふわふ』とあり、柴犬の写真が添付されていた。 それぞれ適当な返信をする。 「……」 桜庭はメールなしか。 奴は、用事があるときにしかメールをしてこないタイプだ。 ちなみに、白崎は結構メールをしてきて、そのとき感じたことなんかを素直にメールにしてくる。 『雨で洗濯物が乾かなかったらどうしよう。。。』なんかは典型だ。 どうしようと言われても、コインランドリーに行け、くらいしか言えない。 御園さんからのメールは2日に1回と言ったところで、関心があることだけを書いてくる。 返信のペースは遅く、知り合ってまだ数日だからよくわからないが、携帯を携帯しないタイプの人間だと見ている。 佳奈すけはランダムで、常識に縛られないメールをしてくる。 GW中、『あーれー』というだけのメールが送られてきたので、『落下中か?』と返したら、『はい、もうすぐ地面です』と返事があった。 しばらく放っておいたら、『天上界なう』とあったので、『早く帰っておいで。今夜はカレーよ』と返した。 すぐに『わあい』と返事があったが、やりとりはそれで途絶えた。 天上界からの帰り道で事故にでも遭ったのだろう。 さて。 問題は桜庭だ。 いつもならメールがなくても気にしないが、高峰に様子を見てくれと言わている。 今日は休日であり、読書したいことこの上ない。 なので、無視。 「……」 と、言いたいところだが、頼まれたら断れないので桜庭に電話をしてみよう。 時刻は午前10時12分。 ま、起きてるだろう。 10秒経過。 20秒経過。 出ない。 まだ寝ているのか、風呂でも入っているのか、その他の理由か。 何にせよ、俺はよくやった。 休日の読書をわずかでも我慢して電話したんだから。 さらば桜庭。 ベッドに寝転がり、本を開く。 30分経過。 「……」 ……。 …………。 出ないな。 もういい。 これで終わりだ。 さらに30分経過。 「……」 ……。 …………。 「どうした?」 「出たっ!?」 「なんだ、私は化け物か何かか?」 「いや、何度か電話してたんだけど」 「え?」 「ああ……着信に気づかなかった。すまない」 「で、何の用だ?」 「あーいや、今どこにいる?」 「え? 今か……」 桜庭の声が途絶え、背後の音が聞こえた。 「商店街に買い物に出てるんだ」 「いや、昨日はビラ配りでしんどかったから、大丈夫かなと思って」 「ああ、大丈夫だ。昨日はよく寝たしな」 「そっか、なら良かった」 「筧は何してるんだ? いや、聞くまでもないか」 「想像通りだと思う」 「ふうん」 また沈黙。 「他にないなら切るぞ」 「あ、ああ。じゃあまたな」 電話を切った。 予想通りの会話になった。 ま、街で買い物してるなら元気ってことか。 ……。 違うな。 電話中、桜庭の後ろから路電の音が聞こえていた。 桜庭は学校にいるってことだ。 にもかかわらず、街で買い物をしていると言った。 さて、どうしたものか。さて、どうしたものか。部室に行ってみるか。 桜庭のことだ、部室で事務作業をしているかもしれない。 気にしないでおこう。 今週はビラ配りばかりで読書分が不足している。 速やかに補給しなければ、来週は精神的におかしくなるかもしれない。 「……」 そういえば、女の子の着替えを待っている時に読んでいた本は面白かったな。 20ページ程度しか読めなかったが、先がに気になる。 読みに行くか。 ……も、もちろん、桜庭が気になっているわけじゃない。 45分後。 自販機で買った飲み物2本を手に、部室の前まで来た。 桜庭がいたら、差し入れにしよう。 ノックするが、返事はない。 ドアにも鍵がかかっていない。 不用心だな。 ドアを明けると、PCに向かっている桜庭の背中が見えた。 「買い物じゃなかったのか?」 「……」 「桜庭ー」 「……」 反応がない。 寝てるのか? いや、頭を規則的に動かしているな。 ということは……。 よく見ると、イヤホンをつけていた。 音楽を聴いていたのか。 ……。 こっそりと、背後まで近づいてみる。 桜庭の肩越しに、PCの画面が見えた。 見ているページのタイトルは『おさかな占い』。 簡単な質問に『はい/いいえ/どちらともいえない』で答えていくと診断が出るようだ。 「ふむ……」 『人からものを頼まれると断れない』 すぐに『はい』をクリックした。 『よく優柔不断だと言われる』 桜庭の手が止まった。 「どっちかな……優柔不断ってほどじゃない……いや、うーん……そうでもないよなあ……」 「あ、でも……いやぁ、やっぱり違う……んん? あー、でも〜……」 などとしばらく悩んでから『どちらともいえない』を選んだ。 完全に優柔不断じゃねえか。 ……。 桜庭は俺の存在に気づかぬまま、次々と問題に答えていく。 「さて、これで全部か」 そして、最後に『診断する』ボタンを押した。 あなたは『フジツボ型』です。 「フジツボっ!?」 画面で、ゆるキャラみたいなデザインのフジツボが、暗い顔をしている。 周囲に壁を作りがち、でも中では頑張っているとかいう話だ。 それが桜庭に下された診断だった。 「フジツボはないだろう、フジツボは」 そう呟き、再度チャレンジを始めた。 性格診断をやり直してどうすんだよ。 「ふう、これでどうだ」 あなたは『ウニ型』です。 「……」 再び挑戦。 あなたは『ヒトデ型』です。 「……おい」 挫けない桜庭。 あなたは『イソギンチャク型』です。 「頼む……せめて、魚に……」 半泣きで質問に答えていく。 もう性格診断でもなんでもない。 何とか魚類になろうと、回答を捏造していく桜庭。 「頼む……頼むぞ……」 画面に向けて合掌してから、マウスをクリックした。 ……。 …………。 あなたは『ウツボ型』です。 「よしっ、魚類来たっ!」 ガッツポーズである。 「ふふ、思い知ったか……ふー、やれやれ」 満足そうに背伸びをする。 そのまま、椅子の背にもたれて身体を後ろに反らせた。 当然、背後にいる俺と目が合う。 「あ……」 「よう」 時が止まるとはこういうことか。 桜庭は、しばらくぼんやりとした顔で、逆さまになったまま俺を見つめた。 ポニーテールが重力に引っ張られ、おでこがよく見える。 髪の生え際が、薄墨をはいたようで綺麗だ。 「いつからそこにっ!?」 「……ひゃっ!!」 桜庭がバランスを崩し、後ろにそっくり返る。 「おわっ!」 咄嗟に桜庭の肩と背中を手で支える。 危機一髪。 なんとか転倒は免れた。 「あ……あれ……」 何が起きたかわからないといった顔の桜庭。 耳から外れたイヤホンが、プラプラと机から垂れている。 「ふう……あぶなー」 「筧が支えてくれたのか……すまない」 桜庭が元の姿勢に戻ろうとする。 しかし、椅子は完全に後ろに倒れてしまっているので、自力で体勢を戻すのは難しい。 俺が椅子を支えているから、転倒せずに済んでいるのだ。 「む……あれ……」 「自力じゃ無理だって」 桜庭の身体ごと椅子の背を持ち上げ、元のように4つ脚で着地させる。 「はあ……びっくりした」 「危なかったな」 「助かった。ありがとう」 桜庭が、よろよろと椅子から立ち上がる。 「いや、ちょっと待て。そもそも、筧がのぞき見なんてするから悪いんじゃないか」 「俺はノックもしたし声もかけた。大音量で音楽聞いてたのはそっちだろ?」 「それは、まあ……すまなかった」 桜庭が小声で謝ってきた。 こっちが悪いことを言っているみたいだ。 「まあいいや。ともかく、怪我がなくて良かった」 「悪かった」 いきなり動いたから喉が渇いてしまった。 椅子に座り、ペットボトルのミネラルウォーターを飲む。 桜庭もPCから離れ、俺の向い側に座る。 「さっきの話だが、いつから部屋にいたんだ?」 「フジツボあたりだよ」 「つまり、ウニとヒトデとイソギンチャクは見物していたわけか」 「ふ、そうなるか」 水を一口飲む。 「格好良く決める意味がわからない」 桜庭がぶすっとした顔をして脚を組んだ。 「ところで、どうしてここに来たんだ?」 「ああ……」「ああ……」「桜庭の様子を見に来たんだ、ここにいるかと思って」 「え?」 桜庭が俺を見る。 すぐに、恥ずかしそうに目をそらした。 「な、何を言っているんだ、お前は」 桜庭がそっと腕を組む。 「それで口説いているつもりか?」 「口説いてねーよ」 「ははは、冗談だ」 「でも、どうして私がここにいると?」 「電話で話したとき、後ろで路電の音が聞こえたんだ」 「ほう……、将来は探偵でもやった方がいいんじゃないか?」 「かもね」 「で、桜庭は仕事?」 「まあな」 「本を読みに来ただけだ」 「だと思った」 「そっちは、どうして部室に?」 「見ていただろう、遊んでいただけだ」 桜庭が少しだけ不機嫌になった気がする。 答えを間違ったかな? 「仕事してたんだろ?」 「いや、海洋生物と戯れていただけだ」 「いやいやいや、真面目に答えてくれよ。こっちは心配してるんだぞ」 自前のノートPCを持っている奴が、どうして休日に部室で占いをしなくちゃならないんだ。 それこそ、家でやれ、だ。 「まあいい」 「仮に、仮にだけど、桜庭が仕事をしてたなら、あんまり一人で抱え込むなよ」 「高峰や俺もいるんだ、手伝いならいくらでもできる」 「ああ、わかった、わかった」 「まったく、とんだお人好しだな。わざわざそれを言いに来たのか?」 「本を読みに来ただけだけど?」 「(……お互い様じゃないか、まったく)」 「はい?」 「何でもない」 穏やかな顔で桜庭が言う。 少なくとも不機嫌ではなくなったようだ。 「しかし、筧には、みっともないところを見られてしまったな」 「調べ物をしていたら、思わず占いにはまってしまった」 「いや、むしろ安心した」 「がちがちに根を詰めてるんじゃないかと思ってたんだ」 「それはどうも」 「本当なら、私はもっと頑張らないといけないんだが」 「もう十分やってるだろ?」 「桜庭のお陰で図書部は回ってるようなもんだ」 ウェブサイトの作成に、細かい資料の準備…… ここ2日のビラ配りだって、スケジュールを組んだり対外折衝をしてくれているのは桜庭だ。 「どうだろうな」 「ここからは愚痴みたいなものだから聞き流してくれていいんだが……いや、むしろ聞き流してほしいんだが」 「いつも、筧ならもっと上手くやるんじゃないかと思ってしまうんだ」 窓の外に向けて言う桜庭。 「そもそも、俺はやりもしない」 「でも、やれば私より上手くやるだろう?」 「やらないのとできないのは一緒だよ」 「何で俺に対抗意識を燃やしてるのかわからんけど、俺じゃ桜庭の相手にもなりゃしない」 「図書部を支えているのは桜庭だ、みんな同意してくれるさ」 対抗意識の理由は察しがついているが、それを言っても仕方がない。 「そうか」 桜庭が微笑んだ。 俺の言葉に納得して喜んでいるわけではないだろう。 慰めてくれてありがとう、と言っているだけの笑顔だった。 「……」 軽いな、俺の言葉は。 ただ、相手が望むであろう言葉を口にする。 昔からの生き方だが、今更ながら軽い自己嫌悪を覚えた。 いや、嫌悪感を覚えていることが何かの兆しなのか。 「さて、作業に戻るか」 桜庭が立ち上がり、PCのところに行く。 「今日は何の作業をしてたんだ?」 「来週のスケジュール調整をしていた。あれからまたビラ配りの依頼が増えたんだ」 「それに、新しい種類の依頼も入ってきている」 「ビラ配り以外に?」 うなずきつつ、桜庭がメーラーを立ち上げる。 「いま来てるのは、プール掃除に、飲食店の覆面調査、裏山のイノシシ退治の手伝いなんていうのもある」 イノシシ……。 「来週はこのあたりをやっていくことになると思う」 「もう何でもありだな」 「こういう依頼は嫌か?」 「何でもやると謳ってはいるが、選ぶ権利がないわけじゃない」 「もちろんやるよ」 「白崎なら、絶対にやるって言うだろうし」 桜庭が微笑む。 「ま、私達の体力や時間にも限界がある」 「いろいろ踏まえた上で、無理のないスケジュールを組めるように頑張らせてもらおう」 桜庭の仕事ぶりを見ると、裏方の大切さがわかる。 しかし……と同時に思う。 図書部の知名度が上がって依頼が増えるのはいいとして、その先に図書部は何を見ているのだろう? スケジュール的には忙しくなるわけで、何かしら目標がないと続かない人も出てくるかもしれない。 各個人の図書部に対するモチベーションはさておき、部活全体としてのビジョンは必要だろう。 白崎あたりと考える必要がありそうだな。 「ところで、一つ協力してほしいことがあるんだが」 桜庭がPCの画面を指し示す。 「男子生徒から、デートのプランを作ってくれという依頼があったんだ」 「そんなもん自分で考えさせろよ」 「まあそう言うな。初デートで困ってるらしい」 本当かよ。 悪戯じゃないのか? 「みんなで話し合うほどのことじゃないし、今日解決してしまおうと思っていたんだが、こういうことにはあまり詳しくなくてな」 「俺も詳しくないが」 「文殊の知恵とはいかなくても、一人で考えるよりはマシだろう」 「で、私が試しに作ってみたプランはこれなんだが」 と、テキストファイルを一つ開いた。 桜庭提案のデートプランが書いてある。 まずは、午前10時頃、駅前で待ち合わせ。 その後、商店街でウィンドウショッピング。 彼女の好きそうな雑貨などを買ってあげられれば○。 昼食は、話題のカフェでランチプレートを。 昼食後、映画鑑賞、観る映画は彼女の趣味に合わせて。 午後3時頃、シフォンケーキが評判の店でお茶、映画の感想などを語る。 夕方近くから、海浜公園の観覧車に乗り、夕日と夜景の鑑賞。 夕食は、味が良いと評判のイタリアンレストランで。 初デートなので、解散は早めに。 「……」 王道スケジュールだ。 桜庭らしい気がする。 「直球だな。桜庭はこういうデートが好みなのか?」 「私は提案しているだけだ。好みは関係ない」 「女の子のプロフィールもわからないのに、変化球を投げられると思うか?」 「提案したプランのせいで嫌われました、などと言われたら目も当てられない」 「まあそうな」 「あーでも、一つ意見を言わせてもらうと、初デートで映画はやめた方がいいと思う」 「二人の好みが一致してりゃいいけど、でないと辛い時間を過ごすことになる」 「それは男の方が事前にリサーチすればいい」 「女の子が消極的なタイプだと、正直に好みを言ってくれるとは限らないだろう」 「女の子は女の子で、男に合わせようと思っちゃうから」 「なるほど、さすがに体験談は重みがあるな」 「勝手に体験談にするなよ」 「ははは。では、映画はやめておこう」 「代わりに何を提案するか……」 何となく目が合った。 「……」 「……」 「何だ?」 「い、いや、別に何でもない」 意味不明なやりとりをしてしまった。 「筧は、デートで行きたいところはないか?」 「うーん、本屋か古本屋か貸本屋かな」 「一般的なのを頼む」 「じゃあ聞くなよ。桜庭の行きたいところを提案したらどうだ?」 「少なくとも、男が考えるよりはいいだろ」 「私の感覚が普通の女子と近い保証はない」 自信満々に言われてもな。 「んじゃまあ、海浜公園で遊ぶってことで。あそこは植物園もあるし、ちょっとした水族館もある」 「よし、それでいこう」 桜庭が、ぱぱっと資料を修正し、メールで送信した。 「今更言うのもアレだけどさ、この依頼って悪戯じゃないのか?」 「可能性は高いかもしれない」 「でも、本当の依頼だったら図書部の評判に関わるじゃないか」 「そのために休日出てきたのか」 「スケジュール調整のついでだ。騒ぐようなことじゃない」 気恥ずかしそうに笑って、桜庭はキーボードを叩き始めた。 本当に律儀な奴だ。 高峰に言われていたこともあるし、何かの役に立てばと思ってここに来たわけだが、意味はあっただろうか。 話し相手になったことで、多少の気晴らしにはなったかもしれない。 「桜庭、ここで本を読んでてもいいか?」 「休日なんだ、家で読んだらいいだろ?」 「それに、私は作業中だ」 言うと思った。 とはいえ、多少カチンときたのは否定できない。 「んじゃ、俺は帰るわ」 「あ、これ、差し入れな。気が向いたら飲んでくれ」 机の上に、お茶のペットボトルを置き、さっさと部室を後にする。 「あ……」 「あ……」 筧が出て行ってしまった。 ちょっと怒っていた気がする。 考えてみれば、筧は私を心配して部室に来てくれたんだ。 しかも、雨の中を。 なのに、私は筧を追い出してしまった。 気を遣ってくれたことに感謝して、茶の一杯も出さなきゃならなかったのはこっちじゃないか。 にもかかわらず、差し入れのお茶までもらってしまった。 あー、もう! もう、私は…… 「何してるんだああぁぁぁ……」 机に突っ伏し、身もだえる。 ドアが開いた。 「……」 「あ」 入ってきた筧と目が合う。 「あ、あの、かけ、あの、あの……」 恥ずかしさで体温が急上昇、嫌な汗が噴き出す。 筧は、『なにやってんだこの女』という顔をしてから、机の上の携帯をひっつかんで無言で出て行った。 ……。 …………。 「何してるんだ、私はああぁぁぁ……」 父さん母さん、死にたい気分でいっぱいです。 扉の向こうから悶絶する桜庭の声が聞こえた。 少し厳しく当たってしまったかな。 図書館を出ると、雨は上がっていた。 雨露に濡れる学園の緑が、目に眩しい。 「(あれ……)」 通りを見慣れた人物が歩いていた。 「よう、白崎」 「筧くん、どうしてこんな時間に?」 「部室に用事があったんだ。そっちは?」 「購買に行こうと思って。お米がなくなっちゃったから」 米か。 女の子には重そうだ。 「よかったら、荷物持ち手伝うぞ」 「本当!?」 「あ、でも、重いから……」 「重いから手伝うって言ってるんだ、ほら、行こう」 白崎を促すように、購買を目指す。 買い物、完了。 右肩には10キロの米、左の手には買い物袋。 しかも、シャンプーやら牛乳やらジャム(ビン)やら、重量級選手が満載である。 ガチンコ図書部員への嫌がらせだろうか。 ちなみに白崎が持っているのは、5箱168円という、怪しいくらいの激安ティッシュだ。 「今日はどうして、重いものばっかり安いんだろう?」 「身体を鍛えろっていう、読書の神様のメッセージかな」 「ひ弱そうな神様だね」 苦笑する白崎。 「やっぱり、わたし持とうか?」 「大丈夫、これくらいじゃ死なないから」 「あはは、生死の話になるくらい重いんだね」 図書部員のプライドもあるし、ここは譲らない。 死ぬのは寮まで運んでからだ。 「しかし、白崎はちゃんと安いのを選んで買ってるんだな」 「野菜も新鮮なの選んでるっぽかったし、デキる主婦って感じだった」 母親と買い物に行ったことはないので、実際、主婦の動きなんてわからない。 ま、イメージだ。 「ゆとりがあるわけじゃないから自然とね。野菜だって、同じ値段なら新鮮なものの方が嬉しいし」 「……ふふ、なんだか、がめつい人みたい」 「今日び、ものの相場もわからん奴が多いから、絶対にプラスだって」 俺の褒め言葉に、白崎が嬉しそうに笑う。 「でも、シャンプーにこだわりがなかったのは意外だな」 「綺麗な髪してるから、なんか高い奴を使ってるんだと思ってた」 「ぜーんぜん、もう値段だけ」 髪を褒めたのだが、気づいてもらえなかった。 白崎らしいか。 何度か荷物を持ち替えながら寮を目指す。 かなり手が痛くなってきた。 あと一撃でいいんだ……保ってくれよ、俺の身体── などと脳内クライマックスごっこに興じていると、白崎が立ち止まった。 「筧くん、交代しよ」 手を差し出してきた。 「頼む、あと一撃なんだ」 「え? なんのこと?」 「いや、忘れてくれ。ともかく大丈夫だから」 「だって、脂汗かいてるし」 「……女の子扱いしてくれるのは嬉しいけど、わたしはほら、そんな偉くないよ」 白崎が買い物袋を掴む。 「こうしよ?」 ふっと、腕が軽くなった。 買い物袋の持ち手の片方を、白崎が持ってくれたのだ。 ドラマなんかでありそうな、シチュエーションになってしまった。 「これならいいよね?」 白崎が屈託のない笑みを浮かべる。 逆らえない笑顔だ。 「悪いな。ほんとなら男が全部持つんだろうけど」 「ううん、わたしが調子に乗って買いすぎちゃっただけだから」 「それにほら、お米も持ってもらってるし」 一生懸命フォローしてくれるので、これ以上謝るのはよそう。 話題を変えてみる。 「しっかし、先週はビラ配りばっかりだったな」 「ビラ配り屋さんになったみたい。明日もあるんだよね?」 「みたいだな」 「だんだん、女装に抵抗がなくなってきて怖いわ」 「あはは、素質があったのかも」 そんな素質は願い下げである。 「でも、ここままビラ配りばっかりってもの困るよなあ」 「白崎が積極的な性格になるってのはまた別問題として、図書部としてはどこらへんを目指すんだ?」 「わたしは、もらえる依頼をこなして行ければいいと思うけど……」 「あ、でも、望月さんに活動を認められたいっていうのはあるかな」 「望月さん?」 意外な名前が出てきた。 「筧くんを横取りしちゃったこと、きっと怒ってると思うんだ。なんであんな部にって」 「だから、きちんと活動しているところを見せて、納得してもらいたいの」 望月さんを納得させるには、それなりの実績が必要だ。 運動部みたいに大会があれば実績も示しやすいが、うちには何もない。 活動の量と質が問われることになるだろう。 「なるほど、そりゃ立派な目標だ」 「頑張らないとね」 白崎が、ぶらんぶらんと、楽しそうに買い物袋を振る。 俺の手も前後に振られるが、嫌な気はしなかった。 弥生寮まで荷物を運び、白崎と別れた。 肉体労働のお礼ということで女物の髪留めをくれたが、解釈に困る。 女装を頑張れ、というエールだろうか。 微妙な気分になっていると、携帯が鳴った。 桜庭からのメールだ。 なになに…… 『今日は、私の様子を見に来てくれたのに、邪険にしてすまなかった。 今はとても反省している。 これからも、今までと変わらず接してくれると嬉しい。 明日もビラ配りだな。 筧のメイドは今や大人気だ。ぜひ頑張っていこう。 明日が楽しみだな。 それじゃ、また』 謝りのメールだった。 きっと四苦八苦してメールを打ったに違いない。 もとより大して怒っていなかったが、これでわだかまりはゼロだ。 さらりとマイルドに返信しよう。 『今日のことは特に怒ってないぞ。 桜庭が頑張ってるのはみんな知ってるから、あんまり根を詰めないようにな。 明日からまた頑張っていこう。それじゃ』 「よしっと」 明日はまたビラ配りだ。 せっかくだし、白崎の髪留めも使わせてもらおう。 あ、そうそう、高峰にも今日の報告をしないとな。 午後8時前、部屋のインターホンが鳴った。 こんな時間に来るのは小太刀だろう。 モニターを確認する。 見慣れた図書委員が、カメラに向かって、手を振っていた。 「よう、今日はどうした?」 「悪いけど、テレビ見せてくんないかな?」 「これ、貢ぎ物のミネラルウォーター」 「おう、気を遣わなくていいのに」 「まーまー、取っておいてよ」 水を受け取る。 「んじゃま、上がってくれや」 小太刀を部屋に上げる。 「俺は、本読んでるから好きにして」 「うん、あんがと」 小太刀が前回同様ベッドに座る。 俺もベッドの端に寝転んで本を開く。 テレビの電源が入る音がして、賑やかな声が流れてきた。 「そーいや、羊飼いって見つかった?」 「昨日の今日で見つかるかよ」 「あれ? 割と羊飼いに興味あるのか?」 「オカルトっぽい話、嫌いじゃないんだよね」 ほれ、と小太刀がテレビ画面を指さす。 映っていたのは、殺人事件の犯人を超能力で見つけよう的な番組だった。 「これで見つかったら、警察も商売あがったりだな」 「わかんないよー。実は警察内部にも超能力で捜査を進める秘密チームがあったりして」 「なんとか超能力捜査課みたいな?」 「そうそう」 小太刀が笑う。 「小太刀は、透視とか未来予知とか信じる方?」 「割と信じてる方かな。そういう力を持っている人はいてもおかしくないと思うし」 「筧は?」 「俺も信じてる方かな」 「お、意外。ぜんぜん信じてないかと思った」 「そうでもないさ」 「たとえば、身近に未来が見える人がいたらどう思う?」 「もちろん、自分の未来を見てもらうかな」 即答だった。 「でも、未来が見えたらちょっと大変だよね」 「いつも明るい未来が見えるならいいけど、暗いのも見えちゃうわけでしょ?」 俺が言いたいのは、そこだった。 見えるのは明るい未来だけじゃない。 白崎のケースみたいに、暗い未来を防ぐことができればいいが、後味の悪い思いをすることもあった。 そして、人間の記憶に残るのは嫌な思い出ばかりだ。 未来予知の話をすると、大体の人は、テストばっちりとか金が儲かるとかプラス方向に頭が働く。 しかし、小太刀は未来が見えるつらさを指摘した。 今までなかったタイプの人だ。 「筧、もしかして未来が見えるとか?」 小太刀の言葉には、からかいのニュアンスが感じられなかった。 「あるって言ったら信じるのか?」 「私の親も、結構見える人だったんだよね」 「だから、割と信じてるかな」 「へえ」 普通なら、未来が見えるなんて口にしない。 でも、教える気になったのは小太刀がこんな調子だったからかもしれない。 「実は、虫の知らせみたいのがたまにあるんだ」 「おお……」 小太刀の目が輝いた。 すぐにテレビの電源を切り、俺の前に座り直す。 聞く気満々である。 「それってどんな感じ? どうやったら見えるの?」 「正確なやり方はよくわからないんだ」 「相手の目を見てると、変な映像が見えることがあるって程度で」 「4月に路電の脱線事故があっただろ?」 「ああ、筧が白崎を助けたニュースがあったときね」 「あのときも、偶然だけど、白崎が事故に巻き込まれる幻が見えたんだ」 「で、助けて少ししたら、実際に事故が起こったと」 「すごいじゃん。おー、おー」 本気で驚いているらしい小太刀。 意外と無邪気なところがあるな。 「ところがだ、白崎は自分が助けられたってことがわからないんだよ」 「映画みたいに危機一髪のところを助けるわけじゃないからさ」 「あー、なるほど。それで痴漢に間違われちゃったわけか。しんどいねえ」 「わかってくれるか」 「うん、何かの本で同じような話を見たことあるから」 わかってくれるのは嬉しい。 善意で人を助けてるのに、痴漢扱いされるってのは、口には出さないが割と傷ついたりするのだ。 「ねえねえ、一つお願いがあるんだけど」 小太刀が身を乗り出してきた。 豊かな乳房が目の前で存在をアピールしている。 「な、何だ?」 「私の未来を見てほしいんだけど」 「いやお前、未来が見える辛さがわかるとか言ってなかったか?」 「言ったよ。辛いよね」 「でも、そこを乗り越えてこその男じゃない? もしかしたら、新たな力に目覚めるかもしれないよ」 更に上を行っていた。 容赦ねえ。 「お断りだ。大体、方法はよくわからないって言っただろ」 「えーと、なんだっけ?」 小太刀が脚の間に入ってきた。 そして、俺の両頬を手で押さえた。 キスしようかという勢いだ。 「お、お前、やめろ……」 「相手の目を見るんだっけ?」 じっと見つめられる。 そんなことより、ちょっと視線を下ろせば胸の谷間が綺麗に見えた。 「どこ見てんのよ」 「胸の谷間」 「ええっ!? ちょっとやめてよ」 小太刀が離れた。 計算通りである。 「少しくらいは、誤魔化すとかしないの?」 胸元を押さえ、非難めいた視線を向けてくる。 「俺も健全な男子だ。目の行き場など限られている」 「なんで、そんなところは潔いのよ」 「大体、図書部員が健全なはずないでしょ!」 「全国の図書部員に謝れ。図書委員だって同類じゃないか」 「ふざけないでよ、全国の図書委員に謝れ」 不毛な言い合いをした。 「ともかく、未来を見るのはナシ」 「えー、つまんなーい」 「つまんなくても我慢しなさい」 「はあ……見てくれないなら、未来予知できるなんて言わないでよ」 「手品はできるけど、実際には見せてあげないみたいな話じゃない」 しゅんとなった小太刀が、ベッドの上で正座した。 彼女の非難ももっともだ。 「じゃあさ、代わりにもうちょっと詳しく教えてよ」 「例えば?」 「いつから見えるようになったか、とか、力を得たときのエピソードとか」 いつから? たしか、魔法の図書館の夢を見るようになって、しばらくしてからだ。 魔法の図書館と、そこに収められた無数の魔法の本。 人の全てが書かれた、魔法の本。 それは、幼い頃から俺を動かし続けてきた。 その幻は、消えることなく今でもこの頭の中にある。 「ガキの頃だな」 「昔から、変な図書館の夢を見るんだ。どこまでもどこまでも続く図書館で、果てがない」 「本棚には魔法の本が入っていて、俺はそれを開くんだけど、中には読めない字がびっしり書かれてるんだ」 「へえ、すごいじゃない」 「未来予知ってのは、図書館の夢が、起きている時まではみ出してきたって感じなんだ」 「一瞬なんだけど、図書館の幻が見えた気がして、気がつくと相手の未来がわかっているみたいな」 我ながら、電波な話だ。 職質されてるときには絶対にしちゃいけないな。 「理屈はよくわかんないけど、結果として未来がわかるなら、そういうこともあるんだろうね」 「馬鹿にしないんだな」 「羊飼いがいる学園なんだから、未来が見える人がいたっておかしくないじゃない?」 「まあね」 「それで、私の未来はどうかな?」 「ああ……って、だめだめ」 「むー、流れで行けなかったか。守備が固いなあ」 肯定してきたのは俺を乗せるためか。 「油断も隙もないな」 「ふふふ。ま、そのうち見てくれる気もするし、今日は勘弁してあげる」 軽く笑いながら、小太刀がベッドから降りた。 「帰るのか? テレビは?」 「だって、もう番組終わっちゃったし」 時計を見ると、午後9時を回っていた。 どうやら、9時までの番組だったらしい。 「それじゃ、いつも押しかけてごめんね」 「いや、またいつでも」 「筧は優しいな」 「嫌ならちゃんと断らないと、つけ込まれるよ」 「忠告ありがとよ。で、小太刀はつけ込むのか?」 「どうかな? 通い妻になっちゃうかもね」 「寝っ転がってテレビ見てるだけの妻はいらねえ」 「おっと、これでも一人暮らしだからね、普通にいろいろできるし」 「じゃ、考えとく」 「あはは、真に受けないでよね。んじゃーね」 軽やかな笑顔を残し、小太刀が出て行った。 ふう、賑やかな奴だ。 この日のビラ配りは2件だった。 相変わらずの盛況で、ビラは瞬殺。 撮影希望者も長蛇の列だ。 それでも、初めてビラ配りをしたときよりは、明らかに疲れなくなってきている。 慣れたことで、無駄な力が入らなくなっているのだろう。 「すまないが、みんなは先に戻っていてくれ」 「どうしたの、玉藻ちゃん?」 「ちょっと打ち合わせがあってな」 桜庭が仕草で示した先には、5、6人の生徒が立っていた。 たしか、ビラ配りを依頼してきた人たちだ。 「問題でもあったのか?」 「いや、そうではないらしい。ともかく、ちょっと話を聞いてくる」 そう言って、桜庭は生徒達の方に向かって行った。 「言われた通りにしましょう」 「そうだな」 「きゃっ!?」 図書館に着いた俺たちを待っていたのは、カメラの放列だった。 「は?」 「これは……ちょっと」 見たところ、数は30人。 前回よりガツンと増えている。 「今日もお疲れ様でしたー。これ差し入れです」 生徒がペットボトルの入ったビニール袋を手渡して来た。 「ええと……あ、ありがとう」 「ごめんなさい、握手ってしてもらえますか?」 「え、ええ? それは……」 「(お客様ですよ)」 御園さんの耳打ち。 「はい、喜んで」 『ありがとうございます』と、大感激のカメラ君と握手をした。 一人握手すると後が途絶えない。 結局、一人一人と握手をし、そのたびにポーズを取り、フラッシュを浴びる。 「すみません……今日は、あの、もう」 「ごめんなさい……と、図書館の、前ですから……」 「そろそろ戻るんで、いいですか」 声をかけるが、なかなか写真が終わらない。 困ったな。 そのとき、誰かの手拍子が響いた。 一瞬静かになり、みんなの視線が拍手の主に集まる。 「今日の撮影はラスト1分です。最後は集合でお願いします」 佳奈すけが、はっきりとした声で言った。 それを合図に、生徒達は俺たちを囲むように陣取り、撮影を始めた。 「みなさん、集まってポーズを」 「え、あ、はい……」 佳奈すけに促され、言われるままにする。 ポーズを変えるたびに、何度もフラッシュが焚かれる。 ……。 …………。 いつまで続くんだろう? と思っていたら、どこからともなく秒読みの声が上がった。 「『3、2、1、ゼロ」 「はい、終了でーす。お疲れ様でしたーっ!」 ぱたりとフラッシュはやんだ。 そればかりでなく、集まっていた生徒達が挨拶をして帰っていく。 状況が把握できぬまま、呆然とそれを見送った。 「か、帰っちゃいましたね」 「うん、どうしたんだろう?」 「佳奈すけ、お前が声をかけてくれたお陰だよな?」 「ええ、カメラマンさんには、ああいうルールがあるみたいです」 「すごい、鈴木さんすごい」 「え? ええと……あ、ありがと」 御園さんに真っ正面から褒められ、佳奈すけが戸惑っている。 いい感じだ。 「昔、友達の付き合いで、一回だけコスプレ撮影会に行ったことがあってさ」 「その子、人気者だったんだけど、最後はこうやって締めてたなーって思い出して」 「そっかぁ……でも、即興でできるなんてすごいよ」 「ええ、見直しました」 「いやいや、それほどでもありますけどね、あっはっはっは」 佳奈すけが照れ隠しに笑う。 キャラ的に無理なんだろうけど、そこは謙遜してほしかった。 じゃないと御園さんは…… 「……」 『やっぱり、駄目な人なんだ』といった顔で佳奈すけを見ていた。 御園さんは固いからなあ。 「あれ、どうしてこんなところにいるんだ?」 といったところに桜庭が戻ってきた。 「うん、ちょっとあってね。道々話すよ」 「あ、ああ……なんだかわからんが、悪いことではなさそうだな」 「佳奈ちゃんが、すごかったんだよ」 「それで、桜庭さんの方はどうでした?」 「ああ……」 桜庭が、買い物袋2つを机にどさっと置いた。 「わあ、すごいお菓子。どうしたの?」 「ビラ配りを依頼してきた団体からの差し入れだ」 「無報酬では申し訳ないということでな。辞退したのだが押し切られてしまった」 「お礼なんてなくていいのに……」 白崎が困った顔をする。 全身が善意でできている白崎としては気持ちが悪いのだろう。 「あ、カントリーバアム! これ食べ始まると止まらないんですよね〜」 「こっちはラッキーターン。ラッキー粉500%です」 1年生コンビは、袋の中を物色し始めた。 「気持ちってことで受け取りゃいいじゃない。タダってのはかえって気味悪がられるぜ」 「ああ、金じゃなきゃいいと思うよ」 白崎が、唇を尖らせてしばらく考える。 「それもそうだね……うん、納得した」 「でも、お金は絶対になしってことにしようよ」 白崎が全員の意思を確認するが、反対する人はいない。 もともと金が欲しくてやってるんじゃないし。 といっても、感謝を形にしてもらえるのは嬉しいことだ。 今後のビラ配りにも張り合いが出る。 「でも、この量……2週間はおやつに困りませんね」 「量が多いのは、相談料込みだからだ」 「相談?」 「多少ややこしい話をされてしまった」 桜庭の話を要約すると…… 俺たちにビラ配りを依頼してきた団体には、規模が小さなところやマイナージャンルのところが多い。 例えば、個人のバンドや落語研究会に津軽三味線同好会といった人たちだ。 彼らが一様に抱えている悩みは、『目立てる機会がない』ということだった。 汐美祭などの発表の機会でも、大きなステージは有名部活に取られてしまい、与えられるのは目立たない場所ばかり。 宣伝も工夫しているらしいが、なかなか客が集まらないらしい。 最も人が集まる汐美祭でもそんな調子なのだから、定期演奏会や日頃のライブとなれば寂しいものだろう。 だからこそ、ちょっとあやしい図書部にもビラ配りを頼んできたのだ。 藁にも〈縋〉《すが》る気持ちだったのだろう。 「みな、熱意は大きな部活と変わらない……いや、それ以上かもしれない」 「といっても、見物人が集まるかどうかはまた別問題だな」 「そのあたりの現実は踏まえた上で、何とかならないかと相談されたんだ」 「相談する相手が違う気がしますけど」 「せっかく図書部に相談してくれたんだから、何か考えてみようよ」 明るい調子で白崎が言う。 難しい相談が来たことを、むしろ喜んでいるようにも見える。 「汐美祭の話をすりゃ、ステージの拡張かねえ……たしか去年は第三ステージまであったっけ?」 「うん。ステージの数が増えれば、発表できる団体も増えるね」 汐美祭のステージは、中央広場に設置されるセンターステージから第三ステージまであった気がする。 出演希望団体の実績や集客力を考慮して、ステージと時間が割り振られるというが。 「現状の把握も含めて、まずは生徒会に相談するのが手っ取り早いだろうな」 「私達の話なんか聞いてくれるんですか?」 「大丈夫大丈夫、こっちには強力なコネがあるから」 と、桜庭と高峰が俺を見た。 「何のことやら」 「そういえば、筧くんは生徒会長の望月さんと親しかったね」 「筧先輩にそんな繋がりが……意外ですね」 「成績トップテンの常連を侮っちゃいけないぜー」 「ホントですか?」 「筧先輩、見かけによらず……」 「むしろ見かけ通りでつまらんな」 「勉強できそうな顔だもんね」 複雑な気分だ。 「あの人達に借りを作ると面倒だと思う」 また、生徒会に勧誘されるかもしれない。 「ま、話を聞くだけなら問題ないだろう。筧、頼んだぞ」 「いや……」 「さすが筧さん、頼りになります」 「素敵ですよ、センパイ」 「筧くん、お願いね」 4人の笑顔が同時に向けられた。 うーん、まあ、なんというか……そんな顔で頼まれるとなあ。 「ま、話くらいは聞いてみるよ」 「できれば、現状の改善もだ」 「はいはい」 「そのときは、桜庭も来てくれよ」 「私が?」 自分で自分の顔を指さした。 「ああ、俺だけじゃ不安だ」 「桜庭は、正面切って望月さんと話せるからな。俺は無理だ」 「いや、私は……」 「あ、ああ、……こほん、わかった。そうだな」 一度顔を逸らしてから、わざとらしく咳払いをした。 「あれ? 何ですかこの空気?」 「あー、昨日のアレでラブを育んじゃったか」 「昨日のアレって何?」 「いやあ、部室で桜庭と……あー、言えねえ、これ以上は言えねえ」 わざとらしく頭を抱える高峰。 「筧さんが、また私的世界遺産を獲得……と」 「筧先輩、変態過ぎます」 「お、お前たち、誤解するな。筧とは何もない。なあ筧?」 「当たり前だ」 「まあ、うん……何もないんだ、何もない」 桜庭が、自分で確認するように何度もうなずく。 「では、他の依頼の合間を見て、生徒会に掛け合ってみよう」 「上手くいくといいね」 白崎がぐっと握り拳を作る。 優秀な人材が集まった生徒会といえども万能ではない。 5万人も生徒がいれば、当然目が行き届かないところも出る。 そういうところをフォローできるようになりたいと、白崎は言っていた。 彼女にとって、もっとも解決したい部類の話だろう。 「ういすー」 唐突に小太刀が入ってきた。 「どうした? 今日は騒いでいないと思うが」 「いやま、そうなんだけどね……ちょっと聞いてもらえるかな」 いつになく神妙な顔で、小太刀が話を始める。 「……というわけで、5月いっぱいで、図書部には部室を出て行ってもらうことになるみたい」 「図書委員長の要請なんで、今回は厳しいかも」 「まじかぁ」 思わず呻いた。 問題となったのは、俺たちを撮影したがってる生徒が、図書館に迷惑をかけていることだった。 カメラを抱えて図書館に入り込んだり、部室の周囲を徘徊したりしていたらしい。 このことに対し、一般の利用者から苦情が上がった。 先週からその兆候はあったという。 だが、今週に入ってから『メイドの正体を確かめろ運動』がネット上で開催され、撮影目的の入館者が急増したようだ。 おまけに、図書館のカウンターには図書部に関する問い合わせが殺到しており、通常業務に滞りが出ているとのことだ。 「いやいやいや、悪いのは私達じゃないですよ」 「でもねえ、原因は明らかに図書部だし」 「待ってくれ小太刀。ようやく活動が軌道に乗ってきたところなんだ」 「ビラ配りだけじゃなく、他の依頼も……」 「図書部の活動に文句があるわけじゃないよ」 「ただ、活動場所として図書館は不適切じゃないかっていうことで」 「せっかくの部室なのに」 御園さんが、珍しく寂しげな顔をした。 「俺たちが出て行くとして、代わりの場所を用意してくれたりは……しないよな」 「そりゃまあ、ボランティアじゃないし」 「部室が満杯なのは知ってるだろう? どこの部活もサークルも活動場所を確保しようと躍起だ」 「学食のテーブル1つにしたってサークルの縄張りがあるくらいだぞ?」 「委員長としては、その辺は関知しないってことでしょうね」 「ここを取り上げられたら、俺たちゃ放浪の身か……」 高峰の言葉を飲み込み、みんながうつむいた。 図書委員長の言い分は至極まっとうだ。 かといって、部室を明け渡すわけにもいかない。 今は汚れてしまったが、ここは俺の聖域なのだ。 「小太刀さんの力で何とかならないかな? できることなら何でもするから」 「いやー、ヒラの図書委員の私にはどうにもならないわ」 「じゃあ、偉い人出してもらおうか」 「偉い人だと、もっと話にならないと思うけどなあ」 軽く流すが、何となく含みを感じた。 押して押せないことはなさそうだ。 「仕方ない、奥の手を出すか」 「佳奈すけっ」 「はっ!」 佳奈すけが、ドアの鍵を閉める。 「御園、例のものを」 「はい」 御園さんがギザを抱き上げ、小太刀に向ける。 桜庭と御園さんって、なんやかんやで仲いいのかな? 「ちょっと待った! 私は話を持ってきただけだって!」 「往生際が悪いですね」 御園さんが小太刀に迫る。 じりじりと部屋の隅に追い詰められていく小太刀。 目が完全に本気だ。 「お、鬼か、図書部……動物は駄目だって……」 「大丈夫ですよ、すぐモフモフしたくなりますから」 「無理無理……私は仲良くしたくても、向こうが嫌ってくるんだから」 「どうなの、ギザ様?」 「ぱーうーぱーうーぱーうー」 「好きって言ってます」 「絶対言ってない」 小太刀は半泣きだ。 こういう交渉をしても良い結果は生まないだろう。 「御園さん、そのキモ猫をひっこめて」 「キモくないですよ、ね、ギザ様」 「ぎょぴっ」 キモいわ。 それ以前に、御園さんとギザは意思の疎通ができるのか? 「じゃあ、そのキュートでセクシーな奴を引っ込めてくれ」 「わかりました」 御園さんが席に戻ると、小太刀が大きく息を吐いた。 「ほんと、もう、無理だから……」 げっそりした様子で、額の脂汗を拭っている。 本気で動物がダメみたいだ。 「なあ小太刀、これは大きなチャンスだと考えられないか?」 「小太刀が力になってくれるなら、俺たちにできることは何でもする」 「ちょっとだけ図書委員長と掛け合ってくれれば、俺たちを手足として使えるんだ」 「ほー、ずいぶん自分らを高く見積もってるじゃない」 「図書部に私を満足させることができるの?」 「それは、小太刀の使い方次第」 「馬鹿と何とかは使いようってやつだね」 「それを自分で言っては……」 満面の笑みで言う白崎。 いいこと言ったという顔だ。 「うーん……」 小太刀が腕を組んで首をひねる。 「今回は相手が委員長だから、私もどこまで力になれるかわからないんだよね」 「わからないのに、いろいろやってもらうってのも悪いし」 小太刀が申し訳なさそうに言う。 「こうしたら何とかなるかもってのはないか?」 「言っちゃえば委員長の胸三寸だから、ご機嫌取ればいいと思う」 「どういうことをしたらいい?」 「委員長のこと、あんま詳しく知らないんだよね……」 「ていうかさ、なんであんたらの味方しなきゃいけないのよ?」 「一緒にお風呂に入った仲じゃないですか」 「あんたのまな板しか覚えてないわよ」 「ちょっ、まな板が定着したらどうするんですか? 大惨事ですよ?」 「事実だし」 「あー無理。鈴木、今日は傷つきすぎてもう無理です」 佳奈すけが机に突っ伏した。 「鈴木のことは置いておくとして、凪ちゃん、頼むよ」 「頼む、力になってくれ」 「私からも頼む」 「お願いします」 「ギザ様もお願いして」 「にゃご」 デブ猫が頭を下げた。 「ん〜……」 小太刀が腕を組んで考え込む。 しばらくして、その腕をほどいた。 「筧、ちょっと」 「俺?」 小太刀に促され、部室を出た。 「何だ?」 「私が協力したら、お願い聞いてくれる?」 「内容によるが」 「そしたらさ……」 小太刀が俺の目を見つめてきた。 妙に熱っぽい視線。 まさか……恋愛方面の何かが始まるのか? 「私の未来を見てくれないかな」 ですよね。 「どうした?」 「いや、なんでもない」 「しかし、本当に超能力とか好きなんだな」 「大好き」 小太刀の目がきらりと輝く。 「悪い未来が見えても後悔するなよ?」 「最悪、死ぬところを見ちまうかもしれない」 「わかってる」 「あと、俺もやり方が完全にわかってるわけじゃないから、見えなかったら諦めてくれよ」 「おーけー」 小太刀はあくまで気楽な様子だ。 本当にわかっているのだろうか? といっても、これで部室の件に協力してくれるなら、乗らない手はない。 「で、いつ見てくれるの?」 「今夜でも明日でも、小太刀の好きなときでいいぞ」 「暇なときに部屋に来てくれ」 「りょーかい。じゃあ、落ち着いて話ができる時にね」 「よし、契約成立っ」 みんなの視線が俺たちを出迎えた。 「あー、スッキリした」 「ふう」 「つやつやした凪ちゃんと、げっそりした筧……」 「お、お前たち、外でいったい何を……」 「ふふふ、秘密の約束をしてきたの。二人だけの、ね」 小太刀が見つめてきた。 ここは流れに乗るべきか?ここは流れに乗るべきか?ま、スルーでしょ。 「冗談はともかく、小太刀が協力してくれることになった」 「スルーか!?」 「おいおい、あんまり広めるなよ」 「あ、そうだったね、ごめーん♪」 「ちょっと、筧さんっ!?」 「不潔です」 冷たい視線を全身に浴びた。 高峰ではないので、そこまで気持ちよくはない。 「ま、まあ、ともかく、小太刀が協力してくれることになったんで」 「何があったかわからないけど、ありがとう、小太刀さん」 「最初に言っとくけど、上手くいくとは限らないから、駄目だったときは諦めてね」 そう前置きをして、小太刀がプランを説明する。 「今のところ思いつくのは、図書館のためになることをするってことかな」 「単純に言うと、委員長に気に入ってもらって、謝ってお願いすると」 「ザ・ご奉仕ってやつですか?」 「何が『ザ』かは知らないけど、内容は合ってる」 「卑屈ですね」 皆そう思っているのだろう。 なんとなく視線を交わし、対案が出るのを期待している。 ……。 …………。 しかし、ネタは出ない。 「他に方法が思いつかないなら、ま、諦めたら?」 「卑屈は卑屈だが、この際仕方ないか」 「部室がなくなったら困りますしねえ」 消極的な合意が形成された。 「それじゃあ、わたし達は図書館のお手伝いをすればいいのかな?」 「んだね」 「段取りは小太刀に任せていいのか?」 小太刀がうなずく。 「実際何をするかは図書委員と相談して決めるから、2、3日待ってて」 「いきなり本の整理を始められても困っちゃうしね」 「頼んだぞ」 「ま、なんとかしてみるわ」 「それじゃ、さっそく調整してみるから」 俺に軽く手を振って、小太刀が出て行った。 ドアが閉まり、誰ともなく溜息をついた。 緊張の糸が切れ、それぞれが椅子の上でぐったりしている。 「いやー、いきなり退去勧告が来るとはなあ。ほんとびっくりしたわ」 空気を盛り上げるように、高峰が明るい第一声を発した。 「悔しいですね、わたしたちの責任じゃないのに」 いつも明るい佳奈すけは、思いの外落ち込んでいるようだ。 「土曜日の段階で、図書館前に人が数人いましたから、そのときに注意をしておくべきでした」 「せっかく図書部の知名度が上がってきたのに、こんな形で水を差されるなんて」 桜庭が自分の責任だと言わんばかりにうなだれた。 桜庭の肩を、白崎が優しく撫でる。 「罪を憎んで人を憎まず。写真を撮ろうとした人を恨んじゃいけないよ」 「このくらいのトラブルは仕方ないよ、みんなで頑張っていこっ」 白崎が笑顔でガッツポーズを作る。 ここで一番明るいのが白崎とは……頼もしい。 俺もみんなを盛り上げよう。 「まだ、部室がなくなると決まったわけじゃない」 「小太刀も協力してくれるんだし、望みを捨てずにやっていこう」 「と言っても、部室を守れる保証はないだろう?」 「過剰にネガティブになるのは、百害あって一利なしだ。元気を出せよ」 高峰にアイコンタクトを送る。 「そうそう、ギリギリな感じを楽しんでいこうぜ」 すぐに乗ってくれた。 安定の高峰だ。 「さすが、高峰さんは変態ですね」 「変態ですよ、人間だもの」 「いや、いきなり人類を巻き込まないで下さい」 佳奈すけの表情にも明るさが戻ってきた。 「みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫だよ」 「根拠は?」 根拠とか保証とか好きな奴だな。 「こ、根拠は……」 「わたしが元気なのが根拠ですっ」 白崎が、どーんと胸を張った。 健康食品のCMみたいだ。 「ま、ボスが大丈夫だって言うんだから大丈夫だろ」 「ほら桜庭、白崎が元気なのに、お前が凹んでどうするんだ」 青臭いことを言って、桜庭を元気づける。 「そうだな……やるべきことはまだある」 「まずは、撮影者向けの注意をウェブに掲載しなくてはな。」 「図書館にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない」 「それに、これからは、普通の依頼だけじゃなく、図書館へのご奉仕も必要なんだろ?」 「桜庭にスケジュールを組んでもらわないと、俺たちはどう動いていいかわからなくなっちまう」 「考えてみれば、私達って、桜庭さんにおんぶにだっこですね」 「今頃気づいた?」 「すみません」 珍しく、御園さんと佳奈すけの会話が成立した。 「今まで以上に頑張らないといけないようだな」 「玉藻ちゃん、お願いね」 「ああ、任せておいてくれ」 桜庭も力強い表情を見せてくれた。 持ち直した桜庭がスケジュールを整理する。 集中的に入っていたビラ配りは減り、明日からは今までになかった依頼が入ってきている。 「これを見てくれ」 桜庭がPCの画面にリストを出した。 図書部予定表と書かれていた。 11日(火)…商店街の覆面調査 12日(水)…休日 13日(木)…ビラ配り1件 14日(金)…ゲームのデバッグ 15日(土)…プール掃除 16日(日)…休日 「割とガチだな?」 「このご時世に依頼がたくさん入っているんだ、喜ぶところだろう」 「それに、ちゃんと週休二日に設定してある」 「水曜日は普通に授業です」 「御園は出てないじゃないか」 「それとこれとは別です」 お約束の火花が散る。 「はいはい、喧嘩は後でお願いしますよー」 佳奈すけがさっさと水をかけた。 「追加で、羊飼いの件でメールをくれた人との面会が決まってる」 「水曜の放課後に2名だ」 「ああ、羊飼いに出会ったって人か」 桜庭がうなずいた。 「そういえば、生徒会に行く件はどうする?」 「水曜日にしてくれるとベストだな。依頼も入っていないし」 「おう、望月さんに予定を聞いておく」 「今後の情報共有のために、SNSに図書部のグループを作っておいた」 「スケジュール表や依頼の概要は、そちらに上げておくから、各自で確認してくれ」 「グループへの加入リクエストは、今夜出しておく」 一瞬、部室がしんとなった。 素晴らしい手際の良さだ。 「……どうした?」 「あ、いや、鬼のように手際がいいな」 「必要だと思われることをやっているだけだ」 高峰の褒め言葉を、さらりと流す桜庭。 「いえいえ、もう少し威張っていいと思いますが」 「まあ、この件に関してはそうですね」 「な、なんだ……今日はそういうネタの日なのか?」 「どうせ、私が喜んだところで……引っかかったーとか言うんだろう?」 「ううん、正直な気持ちだよ」 「そ、そうか……ありがとう」 テレ半分、困惑半分といった調子の桜庭が頭を下げる。 「えーと、まあなんだ……これから少し忙しくなると思うが、よろしく頼む」 全員がうなずく。 「……」 ふと、一瞬取り残されたような顔をした佳奈すけが目に入った。 「佳奈すけ、どうした?」 「いえ? ちょっと考え事をしてただけです」 すぐに笑顔を作る佳奈すけ。 それならいいんだが。 「図書部の活動が認められてきて、ほんとに嬉しいね」 「依頼をくれた人たちのためにも、明日から頑張っていこう」 ういーすと声が揃った。 何となく、メンバーにまとまりが出てきた気がする。 『雨降って地固まる』じゃないが、部室問題が団結を生んだのかもしれない。 目が覚めると、望月さんからメールが来ていた。 昨夜、面会のお願いをしたメールへの返信だ。 本文にはいくつかの日程が提示されており、中には『21時45分〜』や『22時15分〜』といった時間もある。 一体いつまで仕事をしてるんだろう。 といっても、自分たちはそこまでがんばれないので、水曜の17時20分〜を選んで返信した。 面会できる時間は15分程度だが、一番動きやすいだろう。 あとは、桜庭に連絡だな。 午前11時13分。 教師の都合で3限が早く終わったので、俺は図書館に来ていた。 みんなが来るまで、本でも読んでいよう。 部室に近づくと、ドアが開いているのが目に入った。 先客がいるのか。 換気でもしているのか、本棚の間を爽やかな風が流れている。 開いたドアから部室を覗く。 先客は御園さんだった。 机に突っ伏して、何かをいじっている。 あれは、白崎が持ってきたサボテンの鉢植えだ。 「♪〜♪〜♪♪〜」 風に乗って鼻歌が聞こえてきた。 何の歌だろうか。 歌姫と呼ばれるだけあって、鼻歌もすごく綺麗だ。 音楽には疎い俺でも、他の人とは違うのがわかった。 「♪〜♪〜♪♪〜」 そういや、御園さんが歌ってるのを見るのは初めてか? 授業をサボり気味ってことだったけど、けっこう楽しそうに歌ってるじゃないか。 歌が嫌いってことはないんだろうな。 それはさておき、御園さんはサボテンで何をしてるんだろう。 よく見ると、サボテンには小さなリボンが結びつけられていた。 なるほど、あれをつけていたのか。 こっちに気づいてもらうため、開いているドアをノックする。 「!!」 「悪いな、邪魔して」 「か、筧先輩っ……っっ!?」 御園さんが、顔をしかめて手を引っ込めた。 「どうした?」 御園さんが手を突き出してきた。 人差し指の先に、小さく血が盛り上がっている。 サボテンの棘で刺したのか。 「筧先輩が驚かすからですよ」 「悪かった。痛いか?」 「すっごく痛いです」 小さく笑いなら、御園さんが言う。 大したことはないらしい。 「バンソーコあったっけかな……ちょっと待ってて」 白崎が持ってきた救急セットを漁る それっぽいのが出てきた。 パンダの絵がちりばめられたバンソーコだ。 白崎が持ってきそうなアイテムだな。 「ほい、バンソーコ」 御園さんの前に置く。 「片手塞がってるんで、貼って下さい」 「人使いが荒いな」 「ふふ、先輩のせいで怪我したんですから当然です」 「はいはい」 ぺりり、とバンソーコを準備する。 「ほら、指出して」 突き出された指に着いた血を、ティッシュで拭き取る。 傷跡は小さな点で、出血はもう止まっていた。 「これ、貼らなくていいんじゃない?」 「念のためです」 「わがままな奴だな」 後輩のわがままだ、ちょっとくらいは乗ってやろう。 指先にバンソーコを貼ってやる。 貼り終わって視線を上げると、御園さんは少し嬉しそうな顔をしていた。 「ありがとうございます」 「バンソーコが可愛いので、筧先輩のことは許します」 「あんがと」 「で、なんでまたサボテンにリボンを?」 「可愛くないですか?」 「ああ、まあ」 「それだけです」 笑って言って、御園さんはサボテンを窓際に戻した。 御園さんが振り返る。 「私がつけたことは内緒にしておいて下さい」 「こういうのは、いつの間にかついてるのがいいんです」 風に乗って、御園さんの髪が動く。 逆光になっているせいか、元から綺麗な顔がより眩しく見える。 そういえば、かつてTVに出ていた頃は髪が長かったって言ってたな。 どんな感じだったんだろう? 想像してみるが、上手く絵が思い浮かばない。 「どうしました?」 「いや……こほん」 気恥ずかしさを誤魔化し、咳払いをする。 「佳奈すけとはどう? 上手く話せてる?」 「あまり変わりません」 「昨日、少し話せてたじゃないか?」 「筧先輩がそう思うなら、そうなのかもしれません」 素っ気なさは相変わらずだ。 佳奈すけからは、御園さんと仲良くなる方法を探してくれと言われている。 頼られたからには何とかしたいけど。 「たった二人の同級生なんだしさ、もうちょっといい感じにいかないかな」 「お節介です。私が誰と親しくしたっていいじゃないですか」 非難するような目だけど、本気じゃない。 御園さんを相手にするときは、ちょっと強引なくらいが丁度いいはず。 「ん〜、確かにお節介だな、うん。御園さんが嫌なら、もうこの話はやめよう、佳奈すけにもそう言っておくよ」 「御園さんは、佳奈すけと仲良くする気はないって」 「いや、それはちょっと困ります」 御園さんの目が泳いだ。 「冗談だよ」 「お節介なのはわかってるから、ほんとにウザかったら遠慮なく言って」 「じゃあウザいです」 「いや、今じゃなくな」 「ふふふ、冗談ですよ、センパイ」 御園さんが小さく笑う。 子猫が、何かとっておきの隠し事をしているかのような微笑みだ。 この笑いが出たときは、おおむね機嫌がいい気がする。 「もし、私が鈴木さんと仲良くなったら、何かくれますか?」 「俺が?」 自分を指さす。 「はい」 「御園さんに?」 御園さんを指さす。 「はい」 いやー、そりゃどうか。 俺は、佳奈すけに頼まれたから間に入ってるわけで。 俺が何か出す筋合いはないんだけど……。 でも、まあ、ここは流れか。 「まあ、無茶でないものなら……ちなみにリクエストは?」 「ふふふ、大したものじゃないです」 「なら、あげられるかもな」 「ありがとうございます。頑張ってみますね」 御園さんが笑った。 「筧先輩って、鈴木さんと仲がいいですよね? わかり合ってる感じですし」 「仲はいいと思うけど、佳奈すけだけ特別ってわけじゃないぞ」 自分が誰かを特別扱いするなんて、いまいち想像できないところがある。 「もしかして、特別扱いしているように見えた?」 「いえ、そういうわけでは。ただ、ちょっと気になったので」 「はあ」 何がどう気になったのかわからないが、追及することでもない。 「あ、ところで……筧先輩は、今日どうして早く来たんですか?」 御園さんが話題を変えた。 「教師の都合で3限が早く終わったんだ。御園さんは?」 「自主的に休講です」 「相変わらずだな」 「ええ。でも、やることはきちんとやってますから」 「だといいけど」 ニッと笑う御園さんに笑顔を返し、俺は持ってきた本を開く。 「読んでいい?」 「どうぞ。私のことは気になさらず」 そう言って、御園さんはクロスワードパズルの本を取り出した。 いつもやっているのか、迷わずに中程のページを開いた。 御園さんが一人遊びをしてくれるなら、こっちは気を遣わずに本に没頭できそうだ。 「ぐう……やばい……」 満腹を遥かに越えた腹をさする。 放課後の活動は、飲食店の覆面調査だった。 『味覚探求会』という謎のサークルが、会報作成のために覆面調査員を集めていたのだ。 仕事は簡単で、指定された店で指定されたものを食べ、チェック用紙に点数と感想を書くだけ。 厳しかったのは、1日で5店舗回ったことだ。 この苦行に挑戦したのは、『御園さん・佳奈すけ・俺』の3人。 『白崎・桜庭・高峰』班は別の依頼に回った。 ちなみに、桜庭に頼み込み、班分けには細工をしてもらった。 今日の活動を通して、御園さんと佳奈すけに少しでも仲良くなってもらえればと思ったからだ。 1件目。 『ハンバーグの店、テネシーストーム』 アメリカからやって来た黒船ハンバーグといった感じの店だ。 味は良好。 量も多い上にライスがお代わり自由なので、コストパフォーマンスは高い。 「いやー、タダはいいですなー。偉い人になった気分です」 「味は合格。私には量が多いです」 「ライスお代わり自由は、男の子にはいいかもですね」 「運動部の奴らは大喜びだろうな」 人間、美味しいものを食べていればそう喧嘩にはならない。 笑顔で感想を述べ合う二人は、ちょっと可愛いかった。 2件目。 『つけめん 明日の風』 壁に筆書き文字で、説教臭いことがいろいろ書いてある店だった。 味は普通すぎるほど普通。 「もう食べられません」 「はやっ、200グラムでしょ?」 「私なんか、麺300グラムいっちゃったのに」 「残したら罰が当たるぞ」 「筧さんは、どうして余裕なんですか?」 「さっきから、一番小さいメニュー頼んでるから」 「うわー、こすいわー」 「顔はいいんだけどモテない、いわゆる小さい男ですね」 「5件回るって最初から言ってただろうが」 3件目は省いて4件目。 『和風パスタの店 パスタガーデン山崎』 街の食堂といった雰囲気のパスタ屋さんで、男一人でも入りやすい。 おしゃれなメニューだけでなく、醤油味でホウレンソウとベーコンが入ったものなど、家庭的な味もある。 なかなかいいぞ。 ……満腹じゃなければ。 「ふ……ふふふ……」 「御園さんは育ちがいいのね。そんなに少しずつパスタを召し上がって」 「鈴木さんこそ。いつものようにもっと食べて」 「でないと、大きくならないよ」 「……え? 空耳?」 「空耳」 「だよね、びっくりしちゃった。ないのはお互い様なのに」 「え? 空耳?」 「空耳」 美味いものを食べていても、満腹だと喧嘩になることを学んだ。 人生発見の連続だ。 「筧先輩、あとはお願いします」 「お願いします。すっごく美味しいですよ」 二人が、ほとんど減っていない皿を差し出してきた。 こういうところだけ、ユニゾンしている。 ラストの5件目。 すでにグロッキー気味の俺たちの前に立ちはだかったのは…… 『焼肉の店 牛と私』 もう、道に漂う肉の香りだけで満足だ。 「どうして最後に焼き肉を……」 「御園さん、3件目から休んでたんだから頑張ってよ」 「ここは、男子の力強さを見せて下さい」 「いやー、俺、軟弱だから。図書部だし」 完全に終わっている俺と御園さん。 「ふふふふ……来た! 来ましたよ、肉!」 「鈴木、まだまだいけますよ」 「さすがのお前でも無理だろ」 「大丈夫です。デザートは別腹です」 デザート? 「鈴木さん……」 御園さんがキラキラした目で佳奈すけを見ている。 未だかつて、こんなに瞳を輝かせている御園さんは見たことがない。 「信じていいのかな」 「信じる心が、ボクの力になる」 よくわからない決め台詞を言って、佳奈すけが店に入っていった。 というような経緯を経て、今に至る。 時刻は20時43分。 かなり時間がかかってしまった。 携帯を見ると、白崎から『部室で待ってるよ』というメールがあった。 「白崎達は、先に終わって部室で待ってるって」 「あ、お待たせしてはいけませんね」 路電に慌てて滑り込んだ。 3人並んで座席に座る。 「いやー、今日はほんとに食べましたね」 「今日は佳奈すけが殊勲賞だ」 「いやいや、ありがとうございます。きっと明日には2センチはアップしてますよ」 「ウェストが?」 おっとー、と佳奈すけがおどける。 「御園さん、けっこう厳しいツッコミ入れてくるよね」 「ふふ、冗談だよ」 御園さんが小さく笑う。 機嫌がいいときに出る笑いだ。 「でも、鈴木さんがいなかったら本当に危なかったよ」 「まー、大食いキャラは結局ヨゴレですから、歌姫にはやらせられませんよ」 大食いで頑張ってる芸能人に謝った方がいい。 「私、自分が歌姫だなんて思ってないから。周りが言ってるだけで」 御園さんの口調が少し固くなる。 「あー、えーと、今のはギャグだから気にしないでね」 「ごめん、ギャグセンスとかなくて」 御園さんが素っ気なく流す。 佳奈すけが、やらかしたーという顔で俺を見る。 『大丈夫、大丈夫っ! 絶対伝わるっ、もっと熱くなれよ!』と目で訴えた。 『無責任すぎます』と目で訴えられた。 せっかくいい感じに会話が進んでいたのだが……。 ここはあれだ、俺を共通のツッコミどころにして、御園さんと佳奈すけの話を合わせるんだ。 「御園さん、ギャグは経験だよ。今からでも遅くないから頑張っていこう」 「いや、そんな経験いりませんから」 「そりゃ困るって。俺たち3人でお笑い界の頂点を目指そうって約束したじゃないか」 「してません」 「してないですから」 ほぼ同時に、2人からツッコミが入った。 いい感じだ。 これを続けていけば、何とかなるかもしれない。 などと姑息なことを考えていると…… 路電が停留所に停まり、数人の客が乗ってきた。 「あ……」 御園さんが口に手を当てて、小さく声を上げた。 視線の先には、スーツを着た40がらみの女性が一人。 おそらく先生だろう。 御園さんの声が聞こえたのか聞こえなかったのか、女性がこっちを向く。 目を丸くして驚いた後、こっちに近づいてきた。 ターゲットは御園さんのようだ。 「あなた、何をしているの?」 「部活です」 「今日は強化練習があるはずだけれど?」 「自由参加だったはずです」 「それはそうだけれど、あなたは遊んでいる場合じゃないでしょう?」 「遊んではいません。部活です」 「もう、あなたは……」 先生が大袈裟に溜息をつく。 「特別レッスンまでに仕上げておかないと、大変なことになるわよ」 「お話は明日伺います。友人もいるので今日はこれで許して下さい」 先生が、俺と佳奈すけを見た。 「部活のご友人?」 「ええ」 「なら、御園さんが授業に来るよう言ってくれないかしら?」 「本人の判断に任せていますから」 先生が小さく溜息をついた。 「それが友人の言葉なら、友達がいのないことね。本当の友人というのは……」 「先生、友人を悪く言うのはやめて下さい」 御園さんが、鋭い目で先生を睨む。 そんな御園さんを、佳奈すけが少し驚いたように見ている。 まさか、御園さんの口から友達と来るとは……という顔だ。 「年長者に対して、その目は何?」 「年長者であっても、友人を悪く言わないで下さい」 御園さんは引かない。 二人のにらみ合いが続く。 「まあ先生、ここは路電の中ですから、マイルドにいきましょう」 「あなたの話は聞いていないわ」 「いやいやいやいや、こちらも公衆の面前で友達にキャンキャン言われたら困るわけで」 「……」 今度は、御園さんが佳奈すけを見た。 「あなた、言葉遣いに気をつけなさい」 「そちらは、言葉の中身に気をつけて下さい」 こっちもヒートアップしそうな気配だ。 「まあまあまあまあ先生、ちょっと周りを見て下さいよ」 先生が車内を見る。 他の乗客達は、もれなく俺たちに注目していた。 「あまり目立つと、写真付きで明日のウェブニュースあたりに出てしまうかもしれませんよ」 「衝撃! あの御園千莉が路電車内で教師に罵倒されていた、みたいな」 「教え子のためにも、先生のためにもならないでしょう?」 「それは……」 少し冷静になったのか、先生は視線を宙に漂わせた。 「御園さんには、明日必ずそちらに行ってもらいますから。ここはそれでお願いします」 「……わかりました……こほん」 「では、明日、来てくれるのね」 「はじめからそう言って……むぐぐっ」 危険球を投げそうになった御園さんの口を、佳奈すけが塞ぐ。 「もちろん行きます。今日はごめんなさいって言ってます」 「んーんー!?」 じたばたしている御園さん。 「わかりました」 「ともかく御園さん、喉と身体だけは大切にね」 とってつけたように御園さんをいたわって、先生は俺たちから離れた席に向かって行った。 約5分後、図書館前の停留所で路電を降りた。 「ごめんなさい、迷惑をかけて」 ずっと黙っていた御園さんが、口を開いた。 「気にするなよ、大したことじゃないって。な、佳奈すけ?」 「もちろんです。ぜんぜんOKですよ」 「すみません」 「謝らなくていいって」 佳奈すけが、御園さんの肩をぽんぽん叩いた。 「鈴木さん……ありがと」 「どうしたしまして」 「あーそうだ。お礼を言ってくれるなら、お願いがあるんだけど」 「え?」 御園さんが目をぱちくりさせる。 「鈴木さんって呼び方、変えてもらえないかな?」 「だって、鈴木さんも、私のことをさん付けでしょ?」 「んじゃ、お互い名前を呼び捨てってことでどう?」 「……うん、わかった」 御園さんが微笑む。 いつもの、何か企んでいるような微笑みではなく、こだわりのない朗らかな表情だった。 部室で報告を済ませ、俺は帰途についた。 しかし、今日はよく食べたな。 胃はまだ9割方埋まっており、歩くごとに中身が揺れているようだ。 メールが来た。 佳奈すけからだ。 『今日はありがとうございました。やっぱり、筧さんは頼りになりますね。』 『これから、千莉とお茶をすることになりました。攻略は順調です……ふふふ。』 さっそくお茶か……良かった良かった。 それより、今からお茶を飲み始めたら寝不足確定だろうに。 「おっと」 続けざまにメールが来た。 今度は御園さんだ。 『今日はご迷惑をおかけしました。』 さらりとそれだけ書いてあった。 お茶のことには触れていないのが御園さんらしい。 ま、ともかくは、二人が少し仲良くなれたようで良かった。 1年生コンビが上手くいくのは、図書部にとってもいいことだし。 差し障りのない返信を打ちながら、俺は自宅へ向かった。 午後5時過ぎ。 俺と白崎、桜庭の3人は、生徒会長との面会のため、事務棟に来ていた。 御園さん、佳奈すけ、高峰の3人には、羊飼いの件でメールをくれた人との面会を担当してもらっている。 「あら? 図書部の皆さん」 ちょうど、事務棟から出てきたのは放送部の芹沢さんだった。 「あ、こんにちは。この前はありがとうね」 「いえいえ。こちらこそ楽しかったです」 髪をかき上げながら、芹沢さんは明るく笑った。 やっぱり本物の芸能人は違う。 外向きのオーラがガンガン出ている。 このくらいじゃないとやっていけないんだろうな。 「最近いろいろやってるみたいですね」 「お昼の番組にも、図書部の正体を調べて下さい、みたいなメールがいっぱい来てますよ」 「ありがたいことだな」 「特に、謎のメイドさんの正体を知りたいってメールが多いんですけど、ここだけの話、あれって誰なんですか?」 「え?」 「……くしゅんっ」 「今年の花粉はしつこいな」 桜庭が鼻をすすった。 誤魔化しにも何にもなっていない。 「あれは、氏名非公開で手伝ってもらってる女の子なんだ」 「悪いけど、名前は言えない」 「なーるほど、なら仕方ないですね」 「でも、謎は大切です。人を引きつけるのはいつでも『謎』ですから」 指をぴっと立てて言った。 「そういえば、御園さんはどうしてます?」 「図書部員として立派にやってくれてるよ。メンバーにもずいぶん馴染んできたみたい」 「歌の方は?」 「まー、ボチボチみたい。やや素行不良かな」 「そうですか……あの……図書部では、その辺の注意はしないんですか?」 「自己責任ってことになってる」 「授業に出た方がいいと常々言ってるんだが、なかなかな」 「いい声してるのになぁ……もったいない」 芹沢さんが視線を落とす。 「芹沢さんは、歌なんかに詳しいの?」 「最近の声優は、歌もけっこう歌うんですよ。御園さんとはジャンルが違いますけどね」 「なるほど」 何か誤魔化しているのがわかった。 それほど隠す気もないんだろうな。 この人が隠そうと思ったら、もっと上手く隠すはずだ。 「それで、今日はどうしたんですか?」 芹沢さんが笑顔を作り直した。 「生徒会に用事があるの」 「生徒会……あー、もしかして何かやっちゃったんですか?」 「やっちゃってはいるんだが、それとは別件だ」 「あはは……ま、深くは聞きませんけど、頑張って下さいね」 「うん、ありがとう」 それじゃ……と芹沢さんが俺たちの横を通り過ぎる。 「あ、そうです」 「もし良かったら、今度お昼の番組のゲストになってみませんか?」 「図書部がってこと? 全員で?」 「ラジオなので、1人か2人がいいですね。人が多いと誰が誰だかわからなくなっちゃうんです」 白崎が、どうしようと俺の顔を見る。 「前向きに考えてみていいんじゃないか?」 「……そうだね、せっかくのお話だもんね」 「……」 桜庭が、一瞬俺を見た気がした。 「返事は今すぐじゃないと駄目ですか? ちょっと相談したいんで」 「ええ、もちろん」 「ただ、何事にも旬ってものがありますので気をつけて下さい」 再びそれじゃっと言って、芹沢さんは去って行った。 「お昼の番組かぁ……出るなら、わたし以外かな。喋らないといけないし」 「ね、玉藻ちゃん?」 「え? ……ああ、そうかもしれないな」 心ここにあらずという感じだったが、大丈夫か? 「さ、生徒会室に行こう」 桜庭が先に立って歩き出す。 「玉藻ちゃん、どうしたんだろ?」 「さあ?」 事務棟の12階。 一流企業のオフィスビルのような廊下の先に、生徒会室はあった。 すれ違う人もなく、ここが生徒数5万人を抱える学園の中なのかと思う。 立ちふさがる金属製の扉は、冷たい光沢を放っている。 「失礼します、図書部です」 白崎に続いて部屋に入る。 「こんにちは、図書部のみなさん」 部屋には、女の子が一人。 ケープを着けているから、生徒会役員なのだろう。 リボンの色は2年生……同級生だ。 「初めまして、私は生徒会副会長の多岐川です」 「会長の望月は間もなく参りますので、もう少々お待ち下さい」 「さ、どうぞ、おかけ下さい」 部屋の端にある応接用のソファを指した。 それぞれ名前を告げてから腰を下ろす。 「ひゃっ!?」 白崎がぼすんとソファに沈んだ。 思ったよりクッションが柔らかかったらしい。 「おいこら、下着見えてる」 桜庭が、慌てて白崎のスカートを直してやる。 「あ、ごめん、玉藻ちゃん」 白崎が心配そうにこっちを見てきたので、見えてないぞーとジェスチャーで示した。 見えてたけど。 「ああ、すみません。先にお伝えしておけばよかったです」 「ここのクッションは柔らかすぎるでしょう?」 「ええ、かなり座り心地がいい」 「私達には過分だと言っているんですが、備品だということで交換してくれないんです」 多岐川さんが目を細めて笑う。 「図書部の皆さんは、ずいぶんご活躍されているようですね」 「私も先日、ビラ配りの様子を見ましたけど、すごい人気でした」 生徒会にも見られていたのか。 「望月と、謎のメイドさんはどなたかという話をしていたのですが、あれは、もしかして筧さんですか?」 「どうしてそう思いました?」 「身長と顔の輪郭が似ていらっしゃるかと思って」 うーん、やっぱり見る人が見ればわかるか。 どっちかっていうと、女性の方がわかるんだろうな。 と、ドアが開いた。 「ああ、待たせてしまってごめんなさい。前の会議が長引いてしまいました」 慌てて入ってきたのは望月さんだ。 「大丈夫です。ほんの2、3分ですから」 「副会長も楽しい話をしてくれたしね」 「ならよかった」 望月さんが笑いながら、部屋を通り抜け、生徒会長用の椅子に座った。 多岐川さんは、そこが指定席であるかのように、気がつくと望月さんの斜め後ろに移動していた。 「時間もありませんので、ご用件をどうぞ」 望月さんがデスクの向こうから話しかけてきた。 その距離に立場の違いを実感する。 学食や部室での距離感は、例外的だったんだな。 「えーと、はい……あの、わたし達は最近……その、ビラ配りをしているんですが……」 白崎がたどたどしく話す。 緊張しているらしい。 「私から話そう」 「あ、うん、ありがとう」 「(一応部長だぞ)」 桜庭の肘をつつく。 「(できないこともあるだろ)」 肘をつつき返された。 訓練しなけりゃ喋れるようにならないと思うが。 「私達は、依頼を受けてビラ配りをしているんだが……」 「ええ、私達も見ましたよ。かなりの人気ね」 「その依頼主達から、もう一つ相談を受けたんだ」 「ちなみに、依頼主というのは……」 と、桜庭が団体を列挙する。 一つごとに多岐川さんがメモを取り、望月さんはうなずいて聞いている。 「こう言ってはなんだが、あまり目立たない団体ばかりだ。だからこそ、私達に依頼したのだろうが」 「それで、相談というのは、汐美祭の場で、彼らにも目立つ場を与えてもらえないかということなんだ」 「センターステージは、大きな団体に取られてしまうようだし」 「なるほど……」 話を受け、望月さんは机の上で組んだ手を何度かもみ合わせた。 「その話は、いろいろな団体からもらっている話なんだけど、なかなか改善ができないのよね」 望月さんが理由を説明してくれる。 簡単に言うと、安全上の問題だった。 人気のある団体の発表には、多くのお客が来る。 多くのお客が来るとわかっているなら、必然的に安全を確保しやすいセンターステージを使うことになる。 というより、人気がある団体にゲリラライブなどをやられるのが一番困るのだという。 群衆が将棋倒しにでもなれば、大事故に繋がりかねない。 事故が起これば警察も入ってくるし、汐美祭も中断、来年以降も中止になる可能性も高い。 未来に汐美祭を引き継ぐためにも、中止は避けなくてはならない。 大きな目立つステージを、人気のある団体が使うのはそういう理由だった。 「私達としても、全ての団体に平等な対応をしたいのですが、そうもいかない事情があるんです」 「事故を起こしてしまえば、この学園の生徒全てから発表の機会を奪うことになりますから」 「ステージを増設したりはできないのか?」 「毎回検討をしています。第3ステージまであるのも、検討の結果ですよ」 「じゃあ、次の汐美祭も、基本的には今までと変わらないやり方をするってことですか?」 「妙案が思いつかない限りはそうなります」 誰ともなく息をついた。 生徒会の言っていることは正しいように思った。 優先順番をきっちりと決めた上での選択なのだ。 「別の視点になりますが」 と、多岐川さんが口を開いた。 「センターステージに立っている団体の中には、誰にも注目されないところから始まった団体も沢山あります」 「努力して結果を出せば、道は開けるということです」 「また、少ないですが、抽選枠も用意してあります」 「望んだタイミングでセンターステージに立てないからといって、それを生徒会のせいにするのは、少々無理があるかと思いますね」 多岐川さんが、すらすらと意見を述べた。 望月さんよりは強気なタイプかな。 「スポーツでも音楽のジャンルでも、お客さんが集まりやすいものと、そうでないものがあると思います」 「それを一律に、集客力だけで分けるのはちょっと可哀相じゃ……」 「理想的には仰る通りかもしれませんが、現実的には難しいです」 「いろいろな団体があり、それぞれの事情でそれぞれの活動に取り組んでいます」 「一番不満が出ないのは、集客力で判断することではないでしょうか」 「練習時間やかけたお金、構成員の数で比べるのもおかしいでしょう?」 「ううん……」 納得できない様子だが、白崎は反論が思い浮かばないようだ。 なかなか難しい話だ。なかなか難しい話だ。とはいえ、白崎はもうちょっと現実を見ないといけないな。 予算なり時間なり場所なり、限りがあるものを配分しようというのだ。 優先順番をつけざるを得ない。 となると、勝負所は優先順番の妥当性と、それがどこまで周知されているかということになる。 生徒会の考えに大きな間違いはないし、言えるのは、もう少しみんなに考えを発信した方がいいってことくらいか。 生徒会の考え方は間違っていない。 でも、心情的には白崎の考えも嫌いじゃなかったりする。 それぞれ筋が通っているなら、結局はどういう優先順番をつけるかという問題になる。 白崎が生徒会長なら、今の生徒会とは違う優先順番をつけるのだろう。 ちょっと見てみたい気もするな。 上手い折衷案があればいいんだけどなあ……。 ま、今すぐ考えつくようなものなら、とっくに生徒会が考えてるか。 「白崎さんも多岐川さんも、そう熱くならないで」 望月さんがなだめる。 多岐川さんは何か言いたそうだったが、すぐに自制したようで、また直立した。 「白崎さん……私達は、さっき言ったような理由で、今すぐ皆さんのご希望に添うことはできないの」 「良い改善案があれば実行したいと思うから、何か思いついたら遠慮なく連絡を下さい」 望月さんが穏やかな表情で言った。 空間や立ち位置がそうさせているのかもしれないが、なかなか生徒会長としての貫禄があるな。 「わかりました……」 「では、話はこんなところか」 桜庭は生徒会の説明で納得したのだろう、早々に腰を浮かせた。 「生徒会の考え方は筋が通っているし、問題はないと思います」 望月さんと多岐川さんが俺を見た。 「ただ、心情的に納得できない人もいると思うんで、汐美祭の前にはみんなに説明する機会を作った方がいいかもしれませんね」 「お昼の放送を使うとか、パンフレットに載せるとか」 「……そうね。説明努力が足りなかったかもしれないわね。記憶に留めておきます」 望月さんは笑顔で応じた。 「それじゃ。時間を取ってもらってありがとうございました」 「いいえ……次は別件でお会いしたいわね」 「ははは、生徒会役員になる件だったら、返事は変わりませんよ」 俺も立ち上がった。 「そう、残念」 望月さんが笑って立ち上がる。 そのままドアまで歩いてきて、俺たちのために開けてくれる。 「ねえ白崎さん?」 「図書部は生徒会にできないことをするんでしょ?」 「はい、そのつもりです」 「私達を驚かせるくらいのことはしてくれないと、筧君を取られた私が納得いかないわ」 望月さんが挑発するような笑顔で言った。 「それじゃ」 「収穫なしだったな」 溜息混じりに桜庭が口を開いた。 「望月さん達も、いろいろ考えてるんだね」 「安全性を理由にされると反論しにくいわな」 「目立つステージに立てないとなると、頑張らないといけないのは広報関係か」 「そうだな。どこからか客を引っ張ってこなくてはならない」 「あとは公演に付加価値をつけることか」 「でも、汐美祭までに有名になっていれば、大きなステージに立てるんだよね?」 「それができれば誰も苦労しないだろう?」 「日頃の活動の中身までは面倒見られないしなあ」 「ま、今回の相談については、生徒会の話をしっかり納得してもらって、その他の部分でまた力になると伝えておこう」 「……」 白崎が悲しげな表情をしている。 相談者の力になれなかったのが気になっているのだろう。 「大丈夫か、白崎?」 「あ、うん。ちょっと残念だなって思って」 「私達ではどうしようもないこともある。万能じゃないんだ」 「わかってるよ、玉藻ちゃん」 無理して笑った白崎の顔が、夕日に映える。 空いている席に座りもせず、並んで吊革につかまっている俺たち。 同じ路電に乗り、同じ方向を向き、同じ方角に運ばれていく。 こんな日常の中に俺がいるとは、一ヶ月前までは考えもしなかったな。 俺は、どこへ向かって行くのか。 車窓を流れる夕暮れの校舎を眺めるともなく眺める。 脳裏をよぎるのは、望月さんの最後の言葉だった。 俺たちにしかできないこと、か。 図書館に戻ってきた。 「中が騒がしくないか?」 「え?」 耳を澄ましてみる。 「ちょ、佳奈、だめだって……あ、そこは」 「ほらほら、よくなるっしょ? ね? ね? ね?」 「これで、大きくなるの……あ、んっ……」 「なるなる。ほら、ここを、こうして……ほりゃ」 「くぅ……や、やっぱりくすぐったい……やめて……」 「二人とも、仲良くなって……」 昨日の今日で急接近だ。 というか、一気に手の届かない領域まで行ってしまったらしい。 「一体何をやっているんだ」 「中にいるのって、御園さんと鈴木さんと……高峰くん?」 「高峰!? 2人が危ないっ!?」 「だから、ここのところを、こうやって……ほら」 「やだ、くすぐったいって……あ、あ、あ……やっ」 部室では、御園さんと佳奈すけが何かしていた。 これは……足裏マッサージか。 「……」 「あれ?」 絡み合っていた二人がこっちを向く。 「あ、お帰りなさい」 「ちょっと、そこは痛いって……あたたたっ」 「何してるんだ?」 「あれ? 知りません? リフレクソロジーですよ」 「胸が大きくなるツボを、こうやって……刺激……」 「きゃー、くすぐった、ひゃっ、ひ……ひ……」 「んん? 間違ったかな?」 「佳奈、もういいから」 「絶対大きくなるって、任せてよ」 御園さんの脚を離さない佳奈すけ。 「鈴木は、自分の足ツボはやらないのか?」 「毎晩やってますよ」 「つまり、効果はないんだな」 「……あ」 「玉藻ちゃん、むごい……」 佳奈すけが、御園さんの脚を離す。 「そう……そうだよね……私、はしゃいじゃって馬鹿みたい……」 「ほんとは気づいてた……こんなの気休めだって……現実から目をそらしたいだけだって……」 佳奈すけが何かやりはじめたが、スルーしとこう。 「御園、高峰は?」 「いたたまれないって言って出て行きました」 御園さんが靴をはきながら答えた。 「高峰くん、意外と良識派だね」 「あいつは最初っから良識派だよ」 「メールでもしとくか」 「あーいや、大丈夫」 ちょうどいいタイミングで高峰が入ってきた。 「どこにいたんだ?」 「すぐそこで本読んでたんだ。声がしたから戻ってきた」 「俺が言うのもなんだけど、この部活うるせえな。外まで声聞こえるわ」 「ほんと高峰さんが言わないで下さい」 「はっはっは、千莉ちゃんはかわいいなあ」 「なっ、別にかわいくないです」 御園さんをかるくいなして、高峰は缶コーヒー2本を机に置き、椅子に座った。 「で、そっちはどうだった?」 「ああ……」 経緯を説明する。 「なるほど……安全上の理由か」 「筋は通ってるから、正面から切り崩すのは難しいだろうな」 3人とも、生徒会の言い分に異は唱えなかった。 「各団体には私からよく説明しておく。きちんと説明するのも依頼を受けた者の義務だろう」 それぞれ反論はしないが、もやっとした空気が残る。 といっても対案があるわけではなく、諦めるよりほかない。 「さて、そちらの報告をしてもらおう。羊飼いの目撃者はどうだった?」 「あっ、はっ、はい……ええと」 「佳奈、これ」 急に話を振られて慌てる佳奈すけに、御園さんがメモ帳を渡す。 「ああ、これこれ」 佳奈すけが調査結果を説明する。 目撃者Aの証言── 先週火曜の放課後、行き止まりの廊下に入って行く人を見かけた。 後ろ姿しか見ていないので顔はわからないが、白髪の爺さんだったらしい。 で、袋小路に入っていった爺さんが、いつまで経っても戻ってこない。 不思議に思って見に行ってみると、そこには…… なんと、誰もいなかったのだ!! 「これのどこが羊飼いなんだ?」 「本人がそう言ってるだけですよ」 次、目撃者Bの証言── 先々週の日曜日、Bはこの学園で開かれた空手の大会に参加した。 試合の日の朝、通りすがりの女子生徒に、足下注意ですよと囁かれたという。 そのときはまったく意味がわからなかった。 だが、試合中、その言葉の意味に気づいた。 前の試合の際に飛び散った大量の汗が、拭かれずに残っている場所があったのだ。 滑ってバランスを崩しそうになるが、なんとか立て直し、その人は勝利を収めた。 なぜ、女子生徒が朝の段階で注意を促せたのかは謎だ。 目撃者Bは、この勝利で勢いがつき、最終的に大会で優勝したという。 「というわけで、ネットで拾える話とあんまり変わりませんでした」 「そうか……直接会うということで期待したんだが」 なかなか有力な情報が手に入らないな。 今までの情報を総合してわかることといえば…… 性別や容姿の情報が数パターンあることから、羊飼いが複数存在する可能性があることくらいか。 まあ、もしかしたら、自在にビジュアルを変えられるのかもしれないけど。 登場場所や時間、消える場所もケースバイケースで、出現にパターンはないらしい。 羊飼い達が叶えてくれた願いや、くれたアドバイスも多岐に亘る。 ただ、大枠としては、勝負事の勝ち方や危険の回避といったパターンがほとんどだ。 羊飼いのお世話になった人々には、この学園の生徒であること以外、共通点は見られない。 この辺の意識をみんな共有してから、今後の対策を考える。 「基本は現状維持。ウェブサイトに情報が来たら、聞き込みをしていこう」 「そういえば、最近は羊飼いからメールが来ないね」 最後にメールが来たのは、俺の誕生日の時だった。 「もう、私達に飽きちゃったのかもしれませんよ」 「願いを叶える価値もない奴らだと思われてたりして」 「それはそれで癪だな」 ぶすっとした顔で桜庭が言う。 あれだけメールを嫌がっていたくせに、勝手な話だ。 とはいえ、これ以上メールが来ないのなら調査をやめてもいいわけだ。 そして、俺たちもまた、今まで情報をくれた人たちのように曖昧な情報を持つ人間の一人になると。 もしかしたら、今まで羊飼いの正体を暴こうとしていた人たちも、俺たちと同じように断念したのかもしれない。 「では、明日からの予定を確認しよう」 そう言いながら、いつものように桜庭がPCを開いた。 予定の確認を終え、俺たちは三々五々帰宅する。 図書館前の停留所に向かう途上、後ろを歩いていた御園さんが隣に並んだ。 「待って下さい、センパイ」 「ん? どうした?」 「何か忘れてませんか?」 なんだっけ? ……佳奈すけと仲良くなったら何かあげるって話かな? 「佳奈すけの話?」 「そうです、何かくれるって約束でした」 「つまり、佳奈すけとは仲良くなったと認めるわけね?」 「え? それは……まあ……ええ」 恥ずかしそうにうつむく。 「おーい、佳奈すけ〜」 少し先を歩く佳奈すけの背中に呼びかける。 「御園さんが……」 「ちょ、ちょっと、やめて下さいっ!」 御園さんが、俺の腕をぐいぐい引っ張る。 「えー? なんですかー?」 「あーいや、なんでもない」 「えー、なんですかそれー、名前を呼んでみただけーっていうバカップルのアレですか?」 「やだなーもー、あはははは」 楽しそうなので、放っておくことにした。 「で、御園さん、なんだっけ?」 「筧先輩、話を逸らしたかっただけじゃないですか?」 冷たい目で睨まれた。 「逸らさないよ。それで、欲しいものってのは?」 「大したものじゃないんですけど……」 御園さんが、ちらりと上目遣いに俺を見て、すぐに目を逸らす。 なんだろう、気を持たせるな。 「御園『さん』っていうの、そろそろやめてもらえませんか?」 「先輩にさん付けされてるのは申し訳なくて」 「ああ……そう言えば……」 成り行きで、さん付けしていたな。 「じゃあ、何て呼んだらいいかな?」 「御園でも、千莉でも、そのほかでも」 まあ、御園が無難か。 「それじゃ、御園って呼ばせてもらうよ」 「はい、よろしくお願いします」 御園がぺこりと頭を下げた。 「欲しいものって、これだけ?」 「これだけですよ?」 もっとすごいものを要求されるかと思っていた。 「正直言うと、ちょっと佳奈が羨ましかったんです」 「アホなところが?」 「違います」 「佳奈すけ佳奈すけって言われて、かわいがっ……」 勢いこんで言って、そこで止まった。 御園の耳たぶが赤く染まる。 ……。 …………。 「河井楽器に昨日行ったんです。音楽科だけに」 きりっとした顔で言った。 一緒に飯食ってただろうが。 「あそう」 意地悪くニヤニヤしてみよう。 「なんですか?」 「何でもないです」 「そうですか」 「じゃあ、お話は以上です。さようなら」 耳が赤いまま早足になり、御園は佳奈すけに合流する。 二人でこっちをチラチラ見ながら、なにやら話し始めた。 ま、すっかり仲良くなったようで良かった。 インターホンが鳴ったのは、午後10時前だった。 読んでいた本から顔を上げ、モニターを確認する。 小太刀だ。 ドアを開ける。 「よう」 「おっす」 いくぶん緊張した面持ちの小太刀。 それだけで要件はわかった。 未来予知を試してみる話だ。 「例の件だよな……いいのか?」 「うん、覚悟決めてきたから」 「初めてだから優しくしてね」 小太刀がゴクリと唾を飲む。 PTAがすっ飛んできそうな会話をしてから、小太刀を室内に招き入れる。 妙に緊張する。 考えてみれば、積極的に誰かの未来を見ようとするのは久しぶりだった。 思い出すのは、ガキの頃の嫌な記憶だ。 クラスメイトの不幸な未来を予見した俺は、親切心から周囲にそれを告げた。 結果として、そいつは足の骨を折る程度の事故で済んだのだが、俺は死神だとか呼ばれることになった。 子供ゆえの残酷さといえばそれまでだが、こっちはたまったものじゃない。 以来、自分から未来を見るのはやめていたのだ。 「悪いけど、確実に見えるとは限らないから」 「俺も、こうすりゃOKってのはよくわからないんだ」 「ま、そんなもんでしょ」 何がそんなもんなのか。 「んじゃ、よろしく」 「私はどうしたらいいの?」 小太刀が床にぺたりと座る。 いわゆる女の子座りというやつだ。 「座っててくれればいい」 小太刀の前に、爪先を立てた正座の形で座る。 あとは、小太刀の目を見ていれば、未来が見える……はず。 いや、きっと、おそらく。 「(じー……)」 「……」 「(じー……)」 「……ちょっと待った、恥ずかしすぎる」 さっさと小太刀がギブアップした。 手で顔をパタパタ仰いでいる。 「早いよ、もう少し頑張ろうぜ」 「いやだって、これさあ……」 「絵面がシュールなのはわかってるけど、しょうがないだろ」 「次、恥ずかしがったらやめるからな」 「わかったわよ、もう」 再チャレンジ。 向かい合い、見つめ合う。 「(じー……)」 「……」 携帯が鳴った。 「あ、ごめん、メール」 「おーいっ!?」 携帯を確認する。 「佳奈すけだ」 「ファイナンシャル・プランナーって、必殺技の名前みたいですよね、だってさ」 「知らんわ! そんなネタに公共の電波使うな!」 小太刀が荒ぶっている。 「おーけー、次は本番だ」 「ほんとお願いね」 再々チャレンジ。 向かい合い、見つめ合う。 「……」 「……」 俺の意識が、小太刀の瞳へと飛び込む。 視神経を貫き、脳の奥の更に奥── 無限の速度へと加速しながら、小太刀という枠を破り、さらなる根源へ。 そして見えてくる、果てのない書架の大迷宮。 林立する書架の間を走り抜け、ようやくその本に辿り着く。 「……」 何もない。 何も見えない。 ただ、白いだけの感覚。 今までなら、なにがしかの映像や予感があった。 例えば、白崎なら脱線事故の映像が見えたし、足を折った子なら血のイメージがあった。 しかし、小太刀に関しては、何も見えない。 ……いや、違うな。 俺は確かに見ている。 どこまでも広がる、何もない純白の平原を見ているのだ。 一体、どういうこっちゃ? 視覚が戻った。 小太刀が俺の目をじっと見ている。 そこには、結果を待つ興奮や緊張ではなく、妙に冷めた色があった。 「……えーと」 声を出す。 「どうだった?」 小太刀が俺の肩をがしっと掴んだ。 「見えたよ」 「お、おお……」 「で、私の将来は?」 「わからん」 「は?」 「見えたんだけど、真っ白だった」 「言い換えると、真っ白なものが見えた」 「まさか」 「まさかって、見えたもんは仕方ないだろ。真っ白だよ、真っ白」 「そんな哲学的なこと言われてもさあ……」 「札束のお風呂に入ってワイン飲んでるとか、そういう未来は?」 「ないない、雑誌の裏表紙かよ」 「えー、つまんなーい」 前のめりになっていた小太刀が、またぺたりと床に座った。 「手を抜いたわけじゃないんだけどな……すまん」 「例の図書館は見えたの?」 「見えた」 「本は開いた?」 「……いや。気がついたら真っ白だった」 「ふうん」 「気に入らないなら、もう一回やってみるか?」 「あー、もういいわ。なんか疲れちゃった」 小太刀が後ろ手をついて足を伸ばした。 「悪いな」 「もういいよ。悪い未来が見えなくて良かったって思っておく」 「そう思ってもらえると助かる」 「で、部室の件で協力してくれる話は?」 「ちゃんと見てくれたんだし、協力するわよ」 「見損なわないで、そこまでケチくさくないから」 「助かるよ」 「んじゃ、お詫びに」 冷蔵庫からミネラルウォーターを持ってきて、小太刀に渡す。 「さんきゅー……って、これ私が前に持ってきた奴じゃない」 「そうだっけ?」 「たくもー、今日の筧は全般に駄目ね」 ぶつくさ言いながら、小太刀は水を美味しそうに飲んだ。 「筧はなんでいつも水なの?」 「特に理由なんてないよ。いちいち選ぶのは面倒だからかな」 「そういえば、食べ物もカロリーメイドとかだよね。食べ物とか飲み物とかに興味ないの?」 「あんまないな。でも、出されれば好き嫌いなく何でも食べるぞ」 「つまり、好きなものもないわけね」 呆れたように息を吐いて、小太刀はペットボトルのキャップを閉めた。 「筧って、なんかこう全体的に好みとかないわよね、欲求が薄いというか」 「女の子についてもそうなの? 来る者拒まず?」 「好みくらいあるさ」 「じゃあ。図書部だったら誰がタイプ?」 いやいや、なんでそういう話になる? 「あ、もう9時だ。帰らないとママに怒られ……ぐっ」 立ち上がろうとすると、小太刀に襟首を掴まれた。 「マザコンのフリして逃げるな。大体ここ、筧の部屋でしょ」 「思春期真っ盛りだな、こだっちゃんは」 「このままお泊まりでもして、好きな子の当てっこでもするか?」 「いいけど?」 「いや、嘘」 「ったく、しょーがない嘘言わないでよ」 ぽいっと襟首が解放された。 「はいはい、どの子がタイプ? 言ったら帰ってあげるから」 「じゃあ答えられないな」 小太刀の手首を掴む。 「ど、どうしてよ?」 「君を帰したくない」 「図書委員パンチ!」 「延滞処理っ!?」 殴られた。 真面目な話、親にも殴られたことないのに。 「んで、誰がタイプ」 「そうなあ……」 ほんと困る。 図書部の面子は、基本みんな好きなのだ。 誰かを特別扱いするなんて……。 「基本、図書部の子はみんな好きだよ」 「言うと思った。なおも選んで」 容赦がない。 「選ばないと、奉仕活動の予定を教えてあげない」 「あーあ、せっかく頑張って、決めてきたのになー」 口笛を吹く真似をする小太刀。 「ただのパワハラじゃねーか」 「そうですが、ご不満でも?」 こうなれば仕方がない。 部室の未来のためにも、小太刀に満足してもらおう。部室の未来のためにも、小太刀に満足してもらおう。「強いて言えば、白崎タイプかな」 「はー、ああいう、和み系ね」 「一見すると和み系に見えるけど、実際そうでもないぞ」 「割と芯があってしっかりしてる。嫌なことは嫌って言うしな」 「強いて言えば、桜庭タイプかな」 「ああいう、デキる系が好きなんだ」 「デキるっちゃデキるけど、あれは努力のたまものだぞ」 「内面は割ともろいところもあるからな」 「強いて言えば、御園タイプかな」 「何? ああいう、ミステリアスタイプが好きなの?」 「いやいや、御園は割と寂しがりやな性格だぞ」 「うまく表に出せないだけで」 「強いて言えば、佳奈すけタイプかな」 「何? ああいう、はじけたキャラが好きなの?」 「ああ見えて、佳奈すけはかなり思慮深いんだ」 「もしかしたら、図書部じゃ一番大人かもしれない」 「……ま、やっぱ、全員好きだわ」 「あんたさあ……」 「いやいや、ハーレムは男のロマンですよ。俺も中東に行きたいね」 「選んでもらわないと困るんだけど」 「何で小太刀が困るんだよ」 選ばされる方が困る。 俺は、割と真面目にみんなに優しくしたいと思っているんだ。 一人を選ぶことなんてできない。 それが、魔法の図書館に近づく方法らしいし。 「わかったわよ、もういいわ」 「変なこと聞いてごめんなさい」 小太刀が立ち上がる。 何か機嫌悪いな。 「帰るのか?」 「うん、もう遅くなっちゃったから」 「じゃ、未来のこと見てくれてありがと」 「なーんだ、しっかり見てるじゃない」 「しっかりって……なんだよそれ」 「女の子に興味ないのかと思って、本当に心配しちゃった」 なんで小太刀に心配されなきゃいかんのか。 「さーて、満足したし帰ろっかな」 小太刀が立ち上がる。 「今日はいろいろありがと」 「いいんだよ、部室のこととバーターなんだから」 「ああ、そうだ。図書館の奉仕活動は結局どうなったんだ?」 「簡単な予定表は作ったけど、桜庭にメールで送っておけばいいかな?」 「メアド知ってるのか?」 「おっと……そういえば知らないや」 「じゃあ、図書部のウェブサイトのフォームから送っといてくれ」 「りょーかい。それじゃ、今日はありがと」 「おう」 小太刀がドアの向こう側に消えた。 ようやく一件落着だ。 ベッドに転がり、いつも通り本を開く。 誰が好き、か。 俺には難しい話だ。 小太刀から奉仕活動のスケジュールが来てからというもの、図書部の活動は多忙を極めた。 活動内容は、新規購入図書のラベル貼りや、返却済みの本を本棚に戻す作業。 期日を過ぎても帰ってこない本の督促、汚れた本のクリーニングなど、多岐にわたる。 これを図書部の通常活動の合間でこなすのだから、スケジュールは一杯一杯だ。 日々の活動に忙殺されるうち、11日が過ぎた。 5月も下旬、動けば汗が出るほどの陽気である。 今日は、図書委員と合同で図書館周辺のゴミ拾いと雑草刈りだ。 朝のミーティングで持ち場を確認し、あとはひたすら草刈り作業。 「ふう……あちーな」 草を刈る手を止め、額の汗を拭った。 朝からずっと中腰なので、かなり体力を使う。 「こら筧、たるんでるぞ」 「おっと」 慌てて腰をかがめる。 ……ん? 声に聞き覚えがあったぞ。 「なんだ、白崎か」 「ふふふ、驚かせてごめんね」 そう言いながら、やーいだまされたー、という顔をしていた。 「図書委員の人が、1時だから、そろそろ休憩にしようって」 「ああ、もうそんな時間か」 図書委員のグループを見てみると、向こうから『ごはんにしましょー』と呼びかけてきた。 ここしばらくの奉仕作業で、それなりに親しくなっていたりする。 「よし、飯にするか」 作業中断。 白崎と連れだって部室に戻る。 「あ、お待たせ」 部室には全員揃っていた。 それぞれ、弁当やら買って来たおにぎりやらを広げている。 「ふー、今日はちょっと暑いね」 白崎がタオルで汗を拭く。 体操服の胸が、たゆんと揺れる。 服のサイズを胸に合わせれば身体がブカブカ、身体に合わせれば胸がピチピチという、不可避のジレンマ。 「難しいもんだな」 「メロンか……畏れ多いことです」 高峰が静かに合掌した。 桜庭が『なんだこのゴミ共は?』という顔で見ているが気にしない。 「そうそう、今日はみんなにサプライズがあるんだよ」 汗を拭き終わった白崎が、部屋の隅から一抱えもある籠を持ってきた。 白い布がかけられており中は見えない。 「さて、中にあるのはなんでしょう?」 「メロン」 すごい勢いで断言した。 「え? ……あの、どうしてメロン?」 「あ、無視していいから」 「あ、うん……」 「なんか微妙な空気になっちゃったから、答え行くね」 白崎が、ずばっと布を取り去る。 現れたのは…… 「すごい……」 「これは、迫力があるな……」 籠の中には、焼き菓子がぎっしり入っていた。 クッキーやフルーツケーキ、タルトのようなものもある。 それが、まるでお菓子屋さんのディスプレイのように、籠に詰まっているのだ。 一体、何個あるんだ? 「今日のおやつにと思って作ったの」 「佳奈ちゃんも手伝ってくれたんだよ」 「そうなのです」 ズバリと立ち上がる佳奈すけ。 「この鈴木、お菓子製造スキルまで身につけ、もう向かうところ敵なしでございます」 白崎の脇で胸を張る佳奈すけ。 足りていない部分がよくわかった。 「佳奈すけは、何を手伝ったんだ?」 「いろいろ難しいことですよ。ちょっと一口では説明できないんですが」 ははは、とダンディーに笑う佳奈すけ。 「どうせ、味見とかだろう?」 「まさかー。ははははは……はあ……」 溜息をついて、佳奈すけが椅子に座った。 「ともかく、みんなで食べてね」 「今日は体力使うから、甘い物食べても大丈夫だよ」 女の子らしい発言だった。 「しかし、かなり量があるな」 「図書委員の方にもお裾分けしようと思って」 「それがいい。小太刀も喜ぶだろ」 「うん、まずは胃袋から掴まないとね……なんてことは思ってないから大丈夫」 にっこりと白崎が言った。 恐ろしい女に育っちまって。 「しかし、このまま奉仕活動を続けていて、本当に部室は守れるのか?」 「……」 誰もが口を閉ざした。 図書委員長から部室を出て行けと言われたのは、およそ2週間前。 小太刀のアドバイスに従い、毎日のように奉仕活動をしているが、今のところ進展はない。 「このまま、さよーならになっちゃうのかな」 「佳奈、やめて」 御園が幾分強い口調で言った。 「うん、ごめん」 「すまない、私が最初に言いだしたんだ」 「今は、小太刀の交渉力に期待して、我々は奉仕を続けるしかないな」 「そうそう、暗くなっても何もいいことないって」 「図書館の仕事を頑張ろう? それで駄目なら仕方ないよ」 白崎の前向きな笑顔に、全員が癒やされる。 「それじゃ、私はお菓子のお裾分けに行ってくるね」 白崎が、備品の皿にお菓子を盛り合わせて部室を出て行った。 「俺たちがくよくよしてもしょうがないな」 「ああ、ともかく、今月は頑張っていこうぜ」 昼食後はまた作業。 白崎謹製のお菓子を食べたせいか、体力はかなり回復していた。 地面に屈み、かり、かり、と雑草を鎌で刈っていく。 「おいっす、頑張ってる?」 小太刀が声をかけてきた。 「そりゃもう精一杯やらせてもらってるよ」 「部室の運命がかかってるからな」 小太刀が、俺の脇にしゃがむ。 ジャージを着ていても胸が存在を主張してくる。 「正直助かってる。こんなに一生懸命やってもらえるとは思わなかった」 「褒めてくれるなんて珍しいじゃないか」 「そっちが怒られるようなことばかりしてるだけでしょ?」 まったく、という顔だ。 「で、肝心の委員長のご機嫌はどう?」 「かなり良くなってきてる」 「どっちかっていうと、普通の図書委員からの心象がすごくいいから、委員長も押されてる感じ」 「もう一声あれば、部室の件は撤回してもらえると思う」 奉仕活動を続けた甲斐があったというものだ。 こうして、休日も出動してるわけだし。 白崎の餌付け作戦も、地味に効果を上げているのだろう。 「んじゃ、もう少しご奉仕を頑張るか」 「うーん、奉仕ってのもあるんだけど、どうもあの人、図書部になんかやってほしいみたいなんだよね」 「そのお願いを聞いてあげれば一発だと思うんだけど」 「何すりゃいいんだ?」 「それが、教えてくれないのよ」 小太刀が顎に手をやり、まったくと悪態を吐く。 「つまり、小太刀がそれを突き止めてくれれば勝ったようなもんだな」 「突き止められればね……あー、でも、難しいかもなあ……どうかなぁ……」 にやり、と小太刀が笑った。 またこのパターンか。 しかし、部室と引き替えなら、多少の無理でも聞いてやらんと。 「何が望みだ?」 「やだもー、筧ったら、話がわかるー」 背中に小太刀がのしかかってきた。 ジャージに包まれた圧倒的なボリュームが、俺を圧迫する。 「で、望みはなんなんだ?」 「実はね……今度、部屋に泊めてほしいの」 「うちに泊まるっ!?」 「だめ……かな?」 熱い瞳で見つめられる。 「まあ、構わないけど……何するつもりだ?」 「ちょっと、言わせるつもり……そんなの、言えないよ」 大袈裟に恥ずかしがる小太刀。 ここでネタだとわかった。 「わかった、見たい番組でもあるんだろ?」 「……ばれたか」 小太刀が俺から離れる。 「夜から朝まで、海外ドラマの一挙放送をやるの。だからー、お願いっ」 手を合わせてきた。 「いやまー、それくらいならぜんぜん構わないけど」 「よしっ、ありがとっ」 小太刀が立ち上がった。 「それより、委員長の方は頼んだぞ」 「大丈夫、大丈夫、私に任せて」 胡散臭いなあ。 「それじゃ、約束だからね」 「いつ来るんだ?」 「えーとね、土曜だったかな。4週連続で」 「ふーん……って、4週連続!?」 「だよ? 1日6時間放送で、全部で24時間。算数できないの?」 首をひねっている。 「いやいや、聞いてないぞ」 「今言った。じゃ、よろしくね☆」 かわいく言って、小太刀が身を翻す。 「おい、こら!?」 「あー、そうだ。この水、余ったからあげる」 立ち上がろうとした俺の手元に、何かが飛んできた。 慌ててキャッチする。 よく冷えた、ミネラルウォーターのペットボトルだ。 「それ飲んで、もうちょっと頑張りなさいよ」 スポーツ飲料のCMばりの爽やかさで、小太刀が立ち去った。 ごちゃごちゃ言う気も萎える。 泊まりに来るといっても、あいつはゴロゴロしてるだけだし問題ないだろう。 俺はいつも通り本読んで、眠くなったら耳栓でもして寝ればいい。 そう、問題など起こらない。 小太刀が立ち去って、小一時間が経過した。 視線の先では、20分ほど前から白崎が鼻歌まじりで鎌を扱っていた。 女の子はゴミ拾いでいいという話だったのに、志願して草刈り班に入ったのだ。 両方やってみたいから、というだけの理由だった。 地味な作業でも楽しくこなせるのは、白崎の美点だ。 「ねえ、筧くん?」 手を止めないまま、白崎が話しかけてきた。 「どうした?」 「さっき、お菓子を渡しに行ったときに、図書委員会の人達とお話したんだけど」 と、白崎は語りだした。 「図書部は、いろんなことができて羨ましいって言われたの」 「まあ、活動のバリエーションは豊富だわな」 実際、毎日違うことをやっている。 辛いこともあるが、少なくとも飽きることはない。 「図書委員会でもいろんな企画が出るらしいんだけど、図書委員らしくないとか、うちの仕事じゃないとか……」 「あとは、生徒会との絡みとか、予算の問題なんかで、制約も多いんだって」 「なるほどねえ。委員会なわけだから、制約は部活以上だろうな」 「図書委員が外食の覆面調査してたら怖いよ」 白崎がくすくす笑う。 「自由っていうことは、図書部の強みだよね」 「行動の制限はないし、しがらみもないし、そこそこ有名だし……部室のことではピンチだけど」 「諦めさえしなければ、きっといろんなことができるはず」 白崎が草刈りの手を止めて俺を見た。 何が言いたいんだろう? 「汐美祭のステージのことで相談してきた団体さんがあったよね」 「ああ、津軽三味線のサークルとかな」 そうそう、と白崎がうなずく。 「わたしね、望月さん達と話してから、ずっと何とかならないかって考えてたの」 「もう終わった話だろ」 彼らには、汐美祭のシステムを変えるのは無理だから、それ以外の面で協力すると回答した。 「わたしの中では終わってないよ」 「せっかく相談してくれたんだから、喜んでもらえるまで諦めたくないから」 白崎が、鎌で地面をぶすぶす刺す。 「つっても、できることとできないことが……」 「もちろん汐美祭のシステムは変えられないと思う」 「だったら、新しいイベントを作ったらどうかな?」 「図書部は自由なんだし、今あるものが駄目なら新しく作ればいいと思うんだけど」 「……おお」 ちょっと驚いた。 まず、白崎が諦めていなかったことに驚いた。 そして、白崎を諦めさせようとしていた自分に驚いた。 どうして諦めてない人を諦めさせなくちゃならないのか? 「白崎の言う通りだ」 「今日の活動が終わったら、みんなに相談してみよう」 白崎の表情が輝く。 便秘のCMみたいに、晴れ晴れとした顔だ。 「ありがとうね……やっぱり、話して良かった」 「迷ってたのか?」 白崎が小さくうなずく。 しばらく無言のまま、雑草を2つ3つ刈ってゴミ袋に入れた。 「口で言うのは簡単だけど、新しいイベントを作るって大変なことだよね」 「今のままでもすごく忙しいのに、もっと大変な活動を企画するなんて気が引けるよ」 「汐美祭が変えられないって話が出たときに、みんなあっさり諦めたのは、疲れてたからだと思うし」 「元気なときだったら、もう少し考えてたと思うんだ」 「……」 みんな、無意識に仕事が増えるのを嫌ったんだろう。 意外と見てるな、白崎。 「あ、わたしがこんなこと言うなんて、意外だと思ってるでしょ?」 「いやいやいや」 「わかってます。筧くんも佳奈ちゃんも、図星だと『いやいやいや』って言うんだから」 「いやいやいや」 「ほらー」 白崎がほほを膨らませて、駄々っ子のように手を振る。 「ちょっ、鎌を振るな、危ないって」 「筧くんが失礼だからです」 まったくと呟いてから、白崎が草刈り作業に戻った。 ふう……。 息を吐くと、疲労感と高揚感が同時に湧き上がってきた。 新しいイベントの話が通れば、更に忙しくなるだろう。 わかってはいるが、白崎のアイデアは応援したい。 そう思わせる力が白崎にはあった。 奉仕作業終了後。 図書委員長の件を報告してから、俺と白崎は新イベントの話を切り出した。 「図書部の名前で会場を借りて、そこで出演者に発表をしてもらうんだ。つまり、受け皿を作る」 「小さな団体が有名になるきっかけを作れると思うの」 「有名になれば、一番目立つ汐美祭のメインステージに行けるかもしれないよ」 「一度整理するが、白崎がやりたいイベントというのは、つまりこういうことだろう?」 桜庭がまとめてくれる。 まず、図書部の名前でどこかの会場を借り、そこにステージを作る。 ステージでは、小さな部活やサークルがジャンル不問で発表をしていく。 音楽でもマジックでも落語でも学術発表でも、何でもアリだ。 汐美祭では大きな団体しかステージに上がれないが、このイベントなら誰もがステージに上がることができる。 発表を希望する全ての団体にスポットライトを、というコンセプトだ。 「汐美祭メインステージへの登竜門、みたいな宣伝をすれば盛り上がるかもな」 「発表の場がない側からすれば、嬉しいと思います」 みんなの顔に『やってみようか』という色が浮かんできた。 好感触だ。 「盛り上がっているところ悪いが、本当にやるならかなりの覚悟が必要だぞ」 「みんな、自分の生活と両立できるか?」 桜庭が冷静な意見を出してくれた。 「みんながみんな、同じ量の仕事をしなくちゃいけないわけじゃないよ」 「できる範囲でやってくれればいいから」 「そうだな。言い方が悪かった」 「両立できないなら参加するなとか、そういうつもりはない」 「そのときは、余力がある人間が手伝えばいいだけの話だ」 「うん、図書部みんなの仕事なんだから、協力してやろうよ」 みんなが黙った。 どうしようか考えている様子だ。 白崎は、少し不安そうにみんなを見ている。 『ついてきてくれるかな』といった感じだ。 桜庭は、やや熱くなっているようだ。 『どうした? 気合いでやっていこうぜ』といった感じか。 御園は、飄々とした顔でギザの腹を触っている。 『もうとっくに答えはでてますよ』みたいな顔だ。 ここまでざっくりしてるのも、ある意味すごいな。 音楽の方は大丈夫なのだろうか? 佳奈すけは、珍しくシリアスな顔をしていた。 本当に迷っているように見える。 高峰はと。 顔を見ると目が合った。 向こうもこっちを見ていたらしい。 相変わらず、いろいろと気を回す奴だ。 『どうすんの? どうすんの?』みたいな顔をしている。 ま、やることには決めているようだ。 さて、どうしたものか?さて、どうしたものか?よし。 「俺はやるよ。白崎を応援するって決めてるから」 「筧くん……ありがとう」 白崎が満面の笑みを浮かべた。 「面白そうじゃないか、みんなでやってみよう」 よし。 「桜庭の言う通り、みんなでやればきっと上手くいく」 「俺はやるよ」 「筧……」 意外そうな目で俺を見てから、はにかむように微笑んだ。 「みんなもやろう。人数が多い方が楽しいし負担も減るからな」 よし。 「御園はもう決めてるみたいだな」 「……ええ、やりますよ」 「音楽の方は大丈夫なのか?」 御園がギザを構っていた手を止める。 「自分の責任は自分で取りますから、大丈夫です」 「よし……なら、俺も頑張るよ。御園には負けられないからな」 よし。 「佳奈すけ、どうした?」 「え? いえ? なんでもないですよ」 すぐに笑顔を作った。 こういうのは2回目だ。 今週のスケジュールが出たときにも表情を曇らせていた。 バイトとの掛け持ちがきついのだろうか? どう声をかけるべきか迷う。どう声をかけるべきか迷う。「迷ってるならやろうよ」 「バイトがあって大変だと思うけど、俺も手伝うから」 佳奈すけが俺の顔を見た。 気恥ずかしそうに笑う。 「うーん、筧さんにそこまで言われたら断れないですね」 「よし、頑張っていこう」 「忙しかったら無理しなくていいんだぞ。バイトもやってるんだし」 「あー、いやいや、大丈夫です。やりますやります」 佳奈すけが慌てて答える。 「よし、頑張っていこう」 様子を見てみるか。 誰か一人に肩入れするのは、気が咎める。 と、高峰がアイコンタクトしてきた。 乗ることにしよう。 「俺はやるよー。他にやることもないし、面白くなりそうだからな」 「高峰がやるなら俺もやらないとな」 「それに、俺たちが自分たちで作った最初の企画じゃないか。やっぱ成功させたい」 「言われてみれば……今までは、依頼を受けるだけだったからな」 「大変かもしれないけど、みんなで図書部を盛り上げてこう」 俺の声に全員がうなずいた。 よかった。 「みんなありがとうね。それに、いろいろ付き合わせちゃってごめん」 「謝ることじゃないですよ、白崎さん」 「好きでやってますから」 「では、決まりということでいいな」 桜庭が嬉しそうにうなずいた。 皆が、白崎を応援しているのが嬉しいのだろう。 「何もないところから話し合いを進めるのは大変だから、まずは私が細かい調査をしておこう」 「会場や予算にも具体性がないと、検討できないだろう?」 いつものように、面倒な作業を買って出る桜庭。 「玉藻ちゃん、わたしも手伝うよ」 「大丈夫だ、白崎は日頃の活動に注力してくれ」 「うん……じゃあ、よろしくね」 桜庭が力強くうなずく。 「さて、今日はいちおう休日だったはずだ。早く帰って休もう」 一番休まない人の号令で、この日の活動は終了となった。 ぞろぞろと図書館を出て行く俺たち。 「筧、ちょっと」 シリアス顔の高峰に呼び止められた。 腕を引かれ、本棚の影に入る。 「どうした?」 「これなんだが」 真面目な顔を崩さぬまま、高峰が鞄から黒い買い物袋を取り出した。 「今日、草刈りをしていて、茂みの中で拾っちまったんだ」 「またラブレター的なものか?」 「開けてみろよ」 袋を開けてみる。 「……」 中に入っていたのはアダルトDVDだ。 汚れもついておらず新品同様である。 こういうのって、どうして茂みの中にあるんだろうか。 「今日のご褒美だ。取り分を決めよう」 「高峰が見つけた財宝だろ。全部お前に譲るよ」 「友達じゃないか。俺一人だけいい思いをするわけにはいかない」 「高峰……」 中古でも大丈夫なタイプか。 俺は無理だ。 とはいえ、せっかくなのでタイトルだけは確認しておく。 『絶対に脱がないチャイナ服 4時間』 『綺麗な家庭教師に手コキされちゃったボク』 『超絶テクニック はじめてなのに吹いちゃう』 『肝っ玉おかん 大阪ナンパ紀行』 『ウナギと私』 「……趣味が散ってるな」 「まだ若いんだろ。手探り感が出てる」 「結局、どういうネタを選ぶのかってのは、自分は何者なのかってのを突き詰めていく作業なんだよな」 「いわば、自分探しってわけだ」 「なるほどな」 と、応じてみたが、まったく意味がわからない。 「好きなのを1枚ずつ取っていこうぜ。お前からでいいよ」 高峰がDVDを差し出してきた。 俺が先攻だと、最後の1枚をもらえることになる。 普通なら嬉しいかもしれないが。 「お前、ウナギをつかませる気だろ?」 「……鋭いな」 「ウナギだけに、上手くつかめるかな?」 うまいこと言った顔をしている高峰。 うざいことこの上ない。 「冗談はともかく、拾いもんはちょっと辛いわ」 「あ、やっぱり? 実は俺も」 「処理は任す。拾った人責任な」 「えー……」 露骨に嫌そうな顔をする高峰。 だったら拾ってくるなよ。 「ところで筧よ」 高峰が、脇の本棚にDVDを押し込みながら言う。 「最近、部室で本読んでないみたいだけど大丈夫か?」 「そうか? 会議中は大体読んでるが」 「ページを開いてるだけで、読まずに喋ってるだろ。気づいてないのか?」 言われてみれば、そうだったかもしれない。 「ま、読んでも読まなくてもいいけど、ストレスためて爆発するなよ」 「ああ、サンキュー」 軽く応じたが、内心は動揺していた。 高峰の言う通り、最近の行動を思い起こすと、部室ではあまり本を読んでいない。 以前なら、1日活字を読まないだけで、何とも言えない不安が胸に広がったものだ。 俺の読書癖なんてものは、不安を抑えるための手段に過ぎない。 読まなくても平気になってるってのは、どういうことだ? 「さて、みんなを待たせちゃまずい、行こうぜ」 「ちょっと待て」 高峰が本棚に入れたDVDを取り出す。 「忘れもんだ」 「見なかったことにしよう」 「何言ってんだ、拾ったウナギは自分で始末しろ」 高峰の手にDVDの袋を握らせる。 「ねえ、ウナギがどうかしたの?」 本棚の影から白崎が顔を出した。 「いやいやいや、ぜんぜん何でもないよ」 「最近、値上がりしてるなーって話で」 高峰が、さりげなくDVDを背後に隠す。 「ふうん」 「ま、いいや。それより、みんな待ってるよ?」 「ああ、すぐ行くよ」 笑ってうなずき、白崎が去って行った。 ふう、危ないところだった。 3限の授業が終わり、いつものように部室に向かう。 最近、学園を歩いていると、そこはかとなく視線を感じるようになった。 現に、今も車内にいる女の子2人が、俺を見てなにやら噂している。 漏れ聞こえてくる『図書部』『ウェブニュース』『コスプレ』といった単語だ。 ネガティブな話ではないみたいだけど、ちょっと恥ずかしいな。 顔を隠すように、携帯で今週の予定を確認する。 24日(月)…草野球の代打1名、図書館の奉仕活動、羊飼いの調査 25日(火)…チケット購入代行、合コンの数合わせ 26日(水)…偽装デートへの協力、図書館の奉仕活動 27日(木)…ビラ配り1件、華道部の手伝い 28日(金)…図書館の奉仕活動 29日(土)…休日 30日(日)…休日 今週もやる気満点である。 桜庭が作っているウェブサイトのアクセス数のグラフは、綺麗な右肩上がりになっていた。 もちろん依頼の数も増えており、桜庭の話では結構な数の依頼を断っているらしい。 依頼が増えているということは、桜庭の作業も増えてるということだ。 どこかで事務作業のシェアを考えないと、あいつも遠からずパンクしてしまうかもしれないな。 図書館に入ると、カウンターに座っていた顔見知りの図書委員が笑顔で挨拶してきた。 奉仕活動に精を出していたせいか、ずいぶんと図書委員に知り合いができた。 「筧くん、昨日は草刈りを手伝ってくれてありがとうね」 「あれくらいならお安いご用だって」 「また何かあったら声かけてよ」 「うん、よろしくね」 控えめに微笑む図書委員の女の子。 「あ、そういえば、今度、返却されていない本の一斉督促があるんだけど……ちょっと手が足りなくて」 「お、早速か。オッケー、了解」 「そしたら、小太刀に言っておいてもらえる? あいつが予定とか調整してくれてるんで」 「小太刀さん? ええと、私知らない人かも」 「図書委員だけど、知らない?」 小太刀の奴、意外と友達が少ないんだろうか? 「ごめんね、図書委員も人数が多いから、把握しきれてなくて」 女の子が、ぱらぱらと名簿のようなものをめくる。 「いたいた。あー、この子か! 思い出した」 「じゃあ、督促の件は小太刀さんに言っておくね」 「うん、よろしくー。それじゃ」 笑顔で別れ、部室に向かう。 知人が増えるのは好きじゃないのに、いざ誰かと喋るとなると反射的にいい人を演じてしまう。 おかげで余計に知人が増えるという負の連鎖を、絶賛邁進中の今日この頃である。 部室の前まで来た。 なぜか、桜庭以外の部員が廊下に出ている。 「ん? どうしたの?」 「桜庭さんが電話してるんです」 「中だと打ち合わせができないんで、ここでやろうって話になって」 「電話?」 「昨日決めた新しいイベントの話だよ」 「会場がなくちゃ話にならないからって、いろんな施設に電話かけてくれてるの」 相変わらず動きが速いな。 「じゃあ、打ち合わせやるか。部長さん、仕切ってくれ」 「え? わたし? あ、うん……えーと、今日の予定は確認してくれてるかな?」 と、自信なさげな白崎の仕切りで打ち合わせが始まった。 今日の依頼は、外部からの依頼が草野球の代打と図書館の奉仕活動。 内部の活動として、久しぶりに羊飼いの調査をすることになっている。 ウェブ経由で羊飼いの情報が集まってきたので、その検証をするのだ。 打ち合わせの結果、俺と佳奈すけが羊飼いの調査担当になった。 草野球の代打が高峰。 図書委員の手伝いは、白崎と御園だ。 ちなみに、今日の奉仕活動は、返却済み図書を本棚に戻す作業のサポートらしい。 「さて、行くかいね」 「えいおす! 今日は羊飼い目撃地点の調査です」 「順繰りに回ってみて、何か見つからないかと」 佳奈すけが携帯のメモを開く。 目撃場所や時間などが羅列されている。 前回の調査から一週間程度が経ち、新しい目撃情報が入ってきているのだ。 「よし、調査開始だ」 学園の東端の図書館から西端の公園まで、目撃情報があった場所を順に辿ってみた。 目で見るだけでなく、写真を撮ったり聞き込みをしたりしたが…… 「何も見つかりませんねえ」 「だなあ」 こう手がかりがないと精神的にも疲れる。 ベンチに座って休憩だ。 そこらの自販機で買った『うおーい茶』を、佳奈すけに渡す。 「おごり」 「ありがとうございまーす♪」 二人でお茶を飲む。 「うん、美味しいですっ」 「けっこう暑くなってきたもんなあ」 「ですねえ、もう少しで衣替えです」 「これ以上暑くなるかと思うと、コスプレも楽じゃないですね」 「そっちはミニスカだからいいだろ? 俺なんか厚ぼったいロングスカートだぞ」 「だったら、ミニスカに作り直してもらえばいいじゃないですか。屈んだら見えちゃうくらいなやつに」 「んなもん、はけるかって」 「あはは、ですよね」 佳奈すけが苦笑する。 「そういえば、昨日見つけたんですけど、ネット上で図書部員の人気投票をやってるんですよ」 「どこかの誰かが始めたみたいですけど、いつの間にか広まって、結構な票数になってるみたいです」 「へえ、暇な奴もいるもんだ」 「女の子の1位は誰だと思います?」 佳奈すけが悪戯っぽい顔で俺を見た。 いつもとは違う顔に、ちょっとドキッとする。 「そうだなあ……」「そうだなあ……」「白崎かな」 「おー、直球ですね」 「お前の中ではそういう認識なのか?」 「なんやかんやで、白崎さんはかわいいですよ……(胸もおおきいですしね)」 「じゃあ、白崎の真似、どうぞ」 無茶振りしてみる。 「え? え? ……こほん」 「も、もう、筧くん……胸ばっかり見られたら困るよぉ」 恥ずかしそうに言った。 「さりげなく人を変態にしてるよな?」 「いやいやいや、そんなことないですよ」 おどけた顔でとぼける佳奈すけ。 「白崎が、俺と佳奈すけは、図星だと『いやいやいや』って言うってボヤいてたぞ」 「いやいやい……はあっ!?」 俺と同じ反応をしていた。 「で、1位は白崎だったのか?」 「桜庭かな」 「おー、美人系できましたか」 「やっぱり、男の人は、きりっとした美人に怒られたいんですかねえ」 知らねえよ、高峰じゃあるまいし。 「んじゃ、桜庭の真似、どうぞ」 無茶振りしてみる。 「え? え? ……こほん」 「ま、まあなんだ……たまには、こういうデートもいいものだな」 恥ずかしそうに言った。 「どういうシチュエーションだよ」 「筧さんと付き合って3回目のデートくらいなんですけど、途中雨に降られて濡れちゃうんです」 「で、桜庭さんは『今日は最低』とか思ってたんですが、筧さんが優しくジャケットを掛けてくれたので気を取り直して一言……という感じです」 「細かすぎだ」 しかし、桜庭の特徴は捉えてるな、さすが佳奈すけ。 「で、1位は桜庭だったのか?」 「御園かな」 「おー、ミステリアス系できましたか。かわいーですよね、千莉は」 「はい、ではここで御園の真似、どうぞ」 無茶振りしてみる。 「え? え? ……こほん」 「ちょ、ちょっとセンパイ、こんなところじゃダメです……ほんと変態ですね」 恥ずかしそうに言った。 「似てるけど、ちょっとシチュエーションがわかんないな」 「朝、道の真ん中で筧さんが服を脱いだところです」 「普通に変態だろ」 「だから変態だって言ってるじゃないですか」 ドヤ顔で言われても。 「で、1位は御園だったのか?」 「佳奈すけかな」 「え?」 「だから、お前だよ」 「え……そ、それって……」 佳奈すけがもじもじする。 「遠回しな告白……ですか?」 「違う」 「ですよねー」 安定の滑り芸である。 「で、1位は佳奈すけだったのか?」 特定の女の子の名前を出すと波風が立ちそうだ。 ここは丸く収めよう。 「まさか、京子じゃないだろうな?」 「……」 ジト目で見てきた。 「筧さーん、いきなり当てちゃダメですよ。進行考えて下さい」 「マジかよ」 「こちらをご覧下さい」 お菓子みたいな携帯の画面を見せられた。 1位に輝いたのは、アホみたいな笑顔でポーズを取っている筧京子だった。 なんとなく、こんなオチは予感していたが。 「世の中不条理ですよね。まさか女装に負けるなんて」 「昨日の夜、みんなにアドレスをメールで送ったんですけど、割と真面目に凹んでました」 俺のせいかよ。 「佳奈すけのメイク技術が認められたんだ、そう思えばハッピーじゃないか?」 「おお、なるほど」 「やったー、私の女子力が認められました」 棒読みだった。 まあ、佳奈すけは、これで凹むような奴じゃないからいいけど。 「それはそうと……」 佳奈すけが姿勢を正した。 「千莉のこと、ありがとうございました」 ぺこりと頭を下げる。 ああ、御園と仲良くなったって話か。 「佳奈すけの力だよ。実際、俺は大したことしてない」 「いえいえ、それでもきっかけを作ってくれたのは筧さんです」 「お陰様で楽しい図書部ライフが送れそうです」 あははと笑う佳奈すけ。 屈託のない笑顔に見える。 しかし、気に掛かっていることがあった。 図書部の今後を話し合っていたとき、佳奈すけが悩んでいるように見えたことだ。 「ホントにそうか?」 「……え? どういうことですか?」 「最近、何か悩んでるように見えたからさ」 「あー……うー……」 佳奈すけが、何か言おうと口を開いてから、黙った。 「さすがに、よく見てますね」 「人を見るのが趣味なんだ」 正確には、人の顔色を窺うことか。 しょっぱい話だ。 「なんなら、相談に乗るけど」 「ありがとうございます」 「でも、今はまだ大丈夫です。もう少し自分で考えたいんで」 佳奈すけがベンチから立ち上がった。 そう、鈴木佳奈はこういう性格だったな。 他人に見せる部分と見せない部分が明確に決まっている。 おまけに、他人に見せる部分は、かなりの精度でコントロールしているのだ。 きっと、俺なんかよりも大人なのだろう。 女は、男より3歳は精神年齢が高いって言うしな。 「ま、人生いろいろありますよね……てやっ!」 年寄り臭いことを言って、佳奈すけが、空のペットボトルをゴミ箱めがけて投げた。 ゴミ箱までの距離は約5メートル。 夕日の下、ペットボトルは綺麗な放物線を描いた。 「おおっ! 入った、入りましたよっ!?」 「おおっ、やった!」 いえーい、と佳奈すけとハイタッチをした。 羊飼いの調査は全くの徒労に終わった。 疲労だけをお土産に、路電で図書館まで帰ってきた。 「……あ、あの人……ちょっと待ってて下さい」 突然、佳奈すけが走りだす。 そして、停留所から少し離れたところを歩いていた女子生徒を捕まえた。 知り合いなのだろう、二人は何やら喋っている。 本でも読んでいよう。 話は5分ほどで終わった。 「すみません、お待たせした」 「大丈夫、大丈夫」 文庫本を鞄に放り込み、図書館に向かって歩きだす。 「友達?」 「いえ、先日、羊飼いの件で話を聞いた人です」 「ほら、廊下の袋小路のところで姿が消えたとか言ってた」 ああ、そんな話があったな。 「新しい話が聞けた?」 「聞けたというか何というか……」 佳奈すけが眉をひそめる。 「自分が話したことを覚えてなかったんです」 「はい?」 「だから、彼女、私に何を話したか覚えてなかったんです」 「いやいや、羊飼いのことをって何度か説明したら、やっと思い出したみたいで」 「なんだそりゃ」 「なんだそりゃ、ですよ」 佳奈すけも、困惑しきりといった顔でうなずいた。 「せいぜい2週間前の話だろ?」 「話のディテールは忘れるかもしれないけど、羊飼いのこと自体を忘れてたのか?」 佳奈すけが、再現混じりで詳しく説明してくれる。 女子生徒は、佳奈すけの顔と名前、そして以前会話をしたことは覚えていたらしい。 しかし、話の内容となるとさっぱり。 女子生徒の方から、羊飼いのことを知っているというメールがあったから会いに行ったのだ。 にもかかわらず、話の内容を忘れているのはおかしい。 「ミステリーだな」 「羊飼いから、記憶をなくす薬でも飲まされたんですかね」 「実は、さっきの女の子に瓜二つの姉妹がいるとか」 二人で考え込む。 「直接話を聞いた人がもう一人いますから、そっちも当たってみますよ」 「それが一番だな。もう一人の人も忘れてたら、これは本当にミステリーだ」 次の行動を確認し、俺たちは部室に戻ることにした。 みんなに報告もしなくてはならない。 部室に戻り、羊飼いの件を報告する。 女の子が羊飼いの話を忘れていた件については、明日もう一人の人に確認するということで決着を見た。 「不思議なこともあるものだな」 桜庭が煎餅をかじってから呟く。 最近の部室では、お菓子が尽きることがない。 図書部に相談を持ちかけてくる人たちが、どんどん差し入れを置いていくからだ。 「で、そっちはどうだった?」 桜庭に尋ねる。 「4の3だった。まー、今日は球が見えたね」 「草野球の話じゃねーよ」 「イベント会場の話だろう? 芳しくないな」 桜庭が、自分の二の腕をマッサージしながら言う。 電話をずっと持っていて痛くなったらしい。 「まず、無料で借りられるところを当たってみたんだが……」 桜庭が説明してくれる。 講堂や視聴覚ホールといった大きな会場は、予約が1年先まで埋まってるらしい。 中小の会場なら空いているところもあったのだが、そこには図書部の活動を理解してもらえず、借りられなかったという。 屋外でのイベントも考えたが、悪天候の際に困るし、屋外に向かない発表もあるかもしれない。 いきなり前途多難だ。 「有料で貸してるとこはねーの?」 「学内の施設は、有料の貸し出しはしていないらしい」 溜息をついて、桜庭が畳んだ扇子で頭をかいた。 「御園、音楽科で使ってそうなホールとか、心当たりはない?」 「……すみません、思い当たりません」 発言者がいなくなり、部室が静かになった。 みんな、それぞれ考えているようだ。 ある人は腕を組み、ある人は扇子を見て唸り、ある人は机に突っ伏し……姿勢は様々だけど、解決策を探している。 俺ももちろん考えている……。 いや、考えたいのは山々なんだが、御園の姿勢が気になって仕方がない。 なんで、椅子の上で体育座りしてるんだ? スカートを太ももの裏側で押さえているからパンツは見えないが、それにしたって困る。 艶やかに透ける太ももやふくらはぎは、それだけで目の毒だ。 膝小僧やくるぶしの白い透け方も、人によってはストライクだろう。 「見えた……」 桜庭がぱちりと扇子を閉じる。 「え?」 心を見抜かれたのかと思ったが、桜庭お得意の『見えた』だった。 ちなみに、桜庭の『見えた』はあてにならないのが定説だ。 「……いや、何か違うな」 セルフボツになった。 やっぱり。 「むむっ!」 突っ伏していた佳奈すけがいきなり身体を起こした。 「むう……」 また寝た。 「そういう無駄なことやめてよ」 「思いついた気がしたんだけどなあ……ああ、そうそう!」 「ありますよ、沢山人が入って広いところ」 全員が佳奈すけに注目した。 「ズバリ、第一食堂アプリオです」 身を乗り出し、力強く言った。 佳奈すけがバイトしている学食は座席数が3000以上あった気がする。 確かにデカい。 「借りられるのか?」 「そればかりは、聞いてみないとわからないですね」 「借りるだけじゃなく、ステージとか音響の設備についても聞いてみてくれ」 「りょーかいです。では、ちょっと行ってきます」 佳奈すけが立ち上がる。 「今日は疲れてるだろ? 明日でもいいんだぞ」 「善は急げですよ」 そう言って、佳奈すけは部室から出て行った。 佳奈すけが戻ってきたのは、1時間ほどしてからだった。 話によると、無料貸し出しは無理だが、土日の貸し切り営業なら可能ということだ。 かつて、国賓クラスの人間を招いたパーティーを開催した前例があるため、ステージや音響設備もあるらしい。 借りられる会場が他にない以上、悪くない話だ。 しかし、問題もあった。 「最低保証数?」 「少ない人数で貸し切りにしちゃうと、お店が赤字になっちゃうんで、最低これだけは入れてねって人数があるんです」 アプリオが提示してきたのは、2時間1人1500円のコースで、最低1000人という数字だ。 「……1000人か」 「それはつまり……1000人お客さんが来ないと、貸し切りはできないよってこと?」 「はい、そうです」 1500円×1000で、最低150万の金は欲しいということだ。 一人1500円でパーティーができるのだから、リーズナブルではある。 学食であることと、元から利用者の少ない土日だからこその価格だろう。 とはいえ、生徒にとっての1500円は決して安くない。 「あとは、空いているのは6月19日の土曜日だけってことでした」 「19日……?」 御園がぽつりと呟く。 「鈴木、よく調べてきてくれたな」 「いえいえ、おやすい御用ですよ。店長も乗り気でしたし」 明るい声で佳奈すけが言う。 「話をまとめると、あと一ヶ月で1000人集まるイベントを作れるかということだな」 「あとは、金の問題もある」 部室が静かになった。 頭の中を『一ヶ月』『1000人』『1500円』といった言葉が回る。 それが、どれほど困難なことなのか具体的には想像できない。 「1000人集めるコンサートというのは、大変なものです」 「出演者に魅力がないと、なかなか集められません」 御園が静かに言った。 「コンサートとか、開いた経験があるの?」 「主催したことはありませんが、関わったことはあります」 「音楽でいろいろやっていた時期もあったので」 そういえば、御園は歌でTVに出たこともあるくらいだったな。 「そこはほら、やりがいがあるってことで」 「前向きだね」 「そこがウリだから」 えへん、と胸を張った。 「ま、大変大変と言っていてもらちが明かないな」 「まずは、簡単な企画概要を作って意見交換会でも開いてみよう」 「そこでの反応を見て、開催の是非も含めて考えてみたらいい」 「出演する人に喜んでもらえないようじゃ、0点だもんね」 桜庭が穏やかな表情で白崎にうなずく。 この二人も相変わらず仲がいいな。 「んじゃ、他に検討しとくことはあるかな?」 再び、みんなで頭を付き合わせた。 誰かが問題点を挙げれば、それをみんなで検討する。 約1時間、真剣に打ち合わせを続け、この日の活動はお開きとなった。 レッスン室には独特の静寂がある。 鼓膜をぎゅっと圧迫されているような、耳の痛くなる静寂なのだ。 もっとも、いま耳が痛いのは、この部屋のせいじゃないけど。 「……わかっているんですか!? みんなあなたに期待しているんですよ」 「はい」 何分も前から、同じような話が部屋に流れている。 さんざん聞き飽きた話なので、もう何を言われているのかわからなくなってしまった。 ただ、適当なところで頭を下げるだけだ。 あーあ、早く部室に行きたいな。 やだやだやだやだやだ。 「わかりましたね」 「……はい、気をつけます」 取りあえず返事をして、頭を下げた。 「何がわかったか言ってみて」 「……」 意地悪をしてきた。 でも、大丈夫。 「皆さんの期待を裏切らないように頑張ります」 先生が満足げにうなずいた。 文句を言われないようきちんと頭を下げ、レッスン室を後にする。 「特別レッスンのこと、よろしくね」 「……」 「返事は?」 「……はい」 放課後。 佳奈すけには羊飼いの追加調査に行ってもらい、高峰は合コンの数合わせ。 残りの4人は、携帯でコンサートや映画のチケットを予約しつつ、イベントの内容を詰めた。 「さて、これでざっと固まったな」 桜庭がまとめを見せてくれた。 イベント名称は『図書部主催ステージイベント(仮)』。 概要として『ビュッフェ形式で食事を楽しみながら、様々な団体のパフォーマンスを楽めるイベント』と書かれている。 コンセプトは、『何かを発信したい全ての人にスポットライトを』というものだ。 会期は6月19日(土)17時から。 会場は第一食堂アプリオで、席数は1000席。 入場料は1500円で、図書部ウェブサイトにて予約販売を行う予定だ。 出演希望の団体や個人には事前登録してもらい、原則として飛び入りは不可。 出演費用の代わりとして、10枚程度のチケットを買い取ってもらう。 それを身内にでも捌いてもらえば、参加料が実質的には無料になる計算だ。 ステージでの持ち時間は、参加者の数で均等割とする。 「大体、形が見えてきたか」 「これで出演希望者は集まるでしょうか?」 「正直、わからない」 「大丈夫、きっと集まるって」 相変わらず楽観的な白崎。 「白崎、こればかりは楽観的に進めるわけにはいかないんだ」 「会場を予約する前に、出演しそうな団体向けに意見交換会を開きたいと思うがどうだろう?」 妥当な判断だ。 そこで感触を確かめ、本当にイベントを実施するかどうかを決定するのがいいだろう。 「それがいいと思います」 「出演者がいなければ成り立たないイベントですからね」 桜庭が満足げにうなずいた。 「実はもう会場の教室は押さえてある」 「えーと、明後日木曜日の18時から、語学棟の16番教室だ」 「手が早すぎて怖いんだが」 「何事も先手を打って損することはない」 「意見交換会の告知は、ウェブとメールで出しておこう」 さくさくと物事を決めていく。 こういう時の桜庭は、本当に生き生きしている。 たくさんの課題に、むしろ嬉々として立ち向かっている印象だ。 「ただいまでーす」 しばらくして、佳奈すけが戻ってきた。 「お疲れ様。コーヒー、紅茶に、日本茶にハーブティー、どれがいい?」 「コーヒーでお願いします」 いつの間にか、部長兼お茶くみが定着した白崎が、コーヒーの準備を始める。 「いやー、驚きでした。今日の人も羊飼いのことを忘れてましたよ」 「私の顔は覚えててくれたんですけど、会って何を話したかは覚えてませんでした」 「しつこく説明したら、やっと思い出してくれたんですけど、本人も何で忘れたのかわからないってことで」 羊飼いに会ったことがあると、自分からメールを送ってくるような人が、羊飼いのことを綺麗さっぱり忘れている。 「偶然じゃないかな?」 白崎がコーヒーを差し出しながら言った。 「2人とも忘れてるんだ。偶然とは言いにくいだろう」 「どうやって忘れさせてるんでしょう?」 魔法か暗示か脅しか、肉体的打撃か。 「そればっかりは、羊飼い本人に聞かなきゃわからないだろうな」 「方法はともかく、羊飼いのことは忘れやすいということか」 誰に言うともなく、桜庭が呟いた。 「しかし、不思議なものだな……」 「私達はどうして羊飼いのことを忘れないんだ?」 言われてみれば。 最初に羊飼いからメールをもらってから、もう一ヶ月以上になる。 にもかかわらず、俺たちは羊飼いのことを忘れていない。 「定期的に羊飼いの調査をしているからか?」 「今は覚えているだけで、数日後には忘れるのかもしれませんよ?」 様々な意見が出るが、全ては推論でしかない。 結論に至るまでには、まだまだ情報が足りなかった。 何か新しい調査法があるだろうか? 「最初に却下されたけど、羊飼いのメールに返信してみないか?」 「今のやり方じゃ、そろそろ行き止まりだと思う」 「とはいえ、スパムメールらしきものに返信するのは危ない」 「今のところ実害もないんですし、もうスルーしてもいいんじゃ」 「まあ、そうなあ」 俺としては好奇心があるが、みんなに迷惑をかけるのもまずい。 仕方ないか。 「このまま何もなかったら、わたしたちも羊飼いのことを忘れちゃうんだね。ちょっと残念」 「最近メールもありませんから、見放されたんじゃないですか?」 「ええー、そんなぁ」 心底残念そうだ。 「ま、またメールがあれば思い出すでしょうし、しばらく放置でいかがでしょう?」 「最近は、ずいぶん忙しくなってきてますし」 「本心としては正体を突き止めてやりたいが……まずは目下の課題を優先するのが妥当か」 一番羊飼いの正体を知りたがっていた桜庭が折れた。 ま、現実問題として最近は忙しいし、実害のないものを後回しにするのが正解か。 「あ、高峰? まっすぐ帰る? わかった」 「え? お持ち帰り失敗? いやさ、お前、数合わせで行ったんじゃないの?」 「京子ちゃん似の可愛い子だった? 知るかアホ」 電話を切った。 「高峰くん、まっすぐ帰るって?」 「うん、何か疲れたってさ」 高峰が可哀相だからと2年生3人で部室待機していたが、余計な心配だったようだ。 「合コンで疲れたも疲れないもないだろ」 意見交換会の告知ページを作りながら、桜庭が面倒そうに答える。 「筧くん、合コンって行ったことあるの?」 白崎が心配そうに聞いてきた。 「ないよ、誘われないし。2人は?」 「ないないないない。恥ずかしくて行けないよ」 激しく否定する白崎。 「合コンなんて不潔な場所に行けるか」 「学生のうちは、もう少し清い恋愛をした方がいいと思う」 その不潔な場所に、部員を送り出した人間の言葉とも思えない。 つーか、合コンを危険なパーティーと勘違いしてないか。 「清い恋愛ねえ……」 「デブ猫、清い恋愛って何だ?」 「ふぁっ……くぅ」 「汚れきってる」 いや、人間も猫も、結局そこに行き着くとするなら、ある意味含蓄がある言葉なのか。 んなわけないか。 「さて、高峰も帰ってこないし、どうする?」 「私はもう少し作業をしていく」 「玉藻ちゃん、悪いけど帰っていいかな? 明日提出のレポートがあって」 「ああ、もちろん構わない。気にするな」 桜庭が笑顔で言う。 「んじゃ、帰るか」 「あ、ちょっと手を洗ってくるから」 「おう、待ってる」 白崎が水場に行った。 桜庭の打鍵の音が部室に響く。 「合コンかあ……」 「参加してみたいのか?」 作業の手を休めず、桜庭が応じる。 「いやあ、行っても何していいかわかんないな、きっと」 「ははは、私もだ」 「初対面の人と楽しくゲームしろと言われてもな」 桜庭がおかしそうに笑う。 リラックスした笑顔が、なかなか可愛い。 「桜庭、茶でも飲むか?」 「毒でも入れるつもりじゃないだろうな?」 「気が向いただけだよ」 「気が変わらないうちにもらおう」 ティーバッグの緑茶を作ってやる。 「ありがとう」 「筧は、こういう風に気が利くから、合コンに行ってもモテるんじゃないか?」 「どうだかね」 再び椅子に座る。 「桜庭こそ、誰とでも話を合わせられるんじゃないか?」 「ま、ある程度はね」 そこで言葉を切り、一口茶を飲んだ。 美味しいな、と吐息混じりに言う。 「といっても、私みたいな堅物が合コンにいても場が白けるだろう?」 「やはり女の子は、白崎のように明るくてやさしいのがいいと思う」 女の子としての自分には、あまり自信がないのか。 もしくは、白崎みたいなタイプに憧れてるのか。 「好みのタイプなんて人それぞれだぞ」 「桜庭みたいなタイプを嫌いな人もいるだろうけど、好きな奴も同じくらいいるよ」 「筧は……」 「いや、なんでもない。面倒くさいことこの上ないな」 苦笑して、またお茶を飲んだ。 何を言いかけたのか……。 想像できるが、忘れることにしよう。 「ん?」 桜庭が俺を見て、何か気づいた顔をした。 「どうした?」 「動くな」 桜庭が手を伸ばしてくる。 どきりと胸が鳴った。 白魚のような指が俺の胸元に触れた。 「ネクタイが曲がっている」 くいくいっと引っ張られた。 直してくれたのだろう。 「よし、直った」 「ありがと」 「こういうものが曲がっていると気持ちが悪くてな。困ったものだよ」 桜庭が苦笑する。 しっとりとした、優しい苦笑だった。 ドアが開く。 「お待たせしましたー」 「おう、帰るか」 椅子から立ち上がる。 「気をつけてな」 「玉藻ちゃんも、女の子なんだから、あんまり遅くならないようにね」 「わかってる」 「それじゃーな」 桜庭に別れを告げる。 いつもより、わずかだけ目が逸れるのが遅い気がした。 「……降ってるし」 「わたしは傘あるけど、筧くんは?」 首を振る。 「部室にも、置き傘なかったよな」 すっと、赤いものが差し出された。 折りたたみ傘だ。 思わず手に取る。 「使って」 「いや、白崎はどうするんだよ?」 「家が近いから大丈夫。それじゃっ!」 いきなり雨の中に走り出した。 「それ、男の台詞!?」 慌てて追いかける。 10メートルくらいで追いついてしまった。 「筧くん……足速いね」 「お前が遅いんだ……ほれ」 傘を開き、白崎を中に入れた。 「あ、ええと……ごめん」 なぜか縮こまった。 うつむいているので顔は見えない。 その代わり、耳が少し赤くなっているのが見えた。 「このくらいで照れるなって」 「……どうせ子供ですよ」 ぶーと唇を尖らせた。 キレどころが不明だ。 「悪いけど、停留所まで入れてもらっていいか?」 「路電を降りたらどうするの?」 「ダッシュ」 「だめだめ、家まで結構あるでしょ? 濡れちゃうって」 「じゃあ、傘買うよ」 「500円もするのに、もったいない」 だめ出しが多いな。 「つまりどうすりゃいいんだ?」 「寮まで行って、わたしを捨ててくれればいいと思う」 「で、傘は筧くんが家まで持っていくの」 「なんか悪いなあ」 「平気平気」 白崎はご機嫌なようで、足取りが軽い。 傘から白崎がはみ出さないよう、せっせと追いかける。 中央通りで路電を降り、白崎の寮を目指す。 「玉藻ちゃん、大丈夫かなあ?」 「頭が下がるよ」 「本当なら、わたしがやらないといけない気がするんだけど」 白崎がちょっと視線を落とす。 「いやー、桜庭の場合、休めって言っても休まないだろ?」 「うん。だからわたし、差し入れするくらいしかできなくて」 「でも、二人はずっとそんな感じでやってきたんだろ? ならいいんじゃないか?」 「うーん、いいのかなぁ」 困ったなー、と頭を振っている。 「そういえば、筧くんと高峰くんも長いんだよね?」 「去年の秋くらいからだから、まだ半年をちょい過ぎたくらいかな」 「あ、意外と短い」 「でも、すっごく仲いいよね。兄弟みたい」 「あいつと兄弟は困る」 高峰が、俺のどこを気に入っているのかは謎だ。 世間話のノリや、人との距離の取り方が似ているだけのことかもしれない。 本当のところは聞かなきゃわからないが、俺たちが長続きするのは、そういうことを面と向かって聞かないからかもしれない。 日頃は、何となくわかっていれば満足なのだ。 「わたしも、玉藻ちゃんとそういう関係になりたいな」 「二人は友達以上だろ」 「もうすでに性別を超えた禁断の領域に……」 「入ってない入ってない」 白崎が必死に否定する。 「わたしはノーマル、男の子が好きだからっ」 いや、力強く言われても……。 「あ、あの、筧くんが好きってことじゃ……ないからね?」 白崎が真っ赤になった。 「そっか、俺は嫌われてたのか」 「あー、意地悪だよ、筧くん。傘、返してもらうからね」 「いいけど?」 傘を突き出す。 「……ぐぬぬ……ほんと、意地悪」 白崎が唸る。 「悪かった」 「知らない。筧くんがその気なら、私も意地悪になるから」 ぷりぷりしながら、白崎が歩調を速める。 「おい、ほら、濡れるから」 「じゃあ、早くついて来てくださーい」 「はいはい」 横に並び、白崎の頭上に傘を掲げる。 「弥生寮はここか」 「うん、到着です」 エントランスに近づくと、白崎がひょいっと庇の下に移動した。 「じゃ、筧くん、また明日ね」 「ああ、傘借りるな」 傘を上げて白崎に別れを告げる。 「あ、忘れてた。一つ聞いていいかな?」 「何?」 エントランスに入り一度傘を畳む。 「実は、新しいイベントのことなんだけど、何か名前をつけないとってずっと思ってたの」 「ああ、名前は必要になるな」 チラシを作るにしても、イベント名がなくちゃどうにもならない。 「それで、一つ考えてみたんだけど……」 白崎が恥ずかしそうに顔を伏せた。 「恥ずかしがらなくていいって、聞かせてくれよ」 「うん……駄目だったら駄目って言ってね」 おずおずとメモ用紙を出した。 花柄の透かし模様が入った紙には、こう書かれていた。 『水無月に、みんなで作る«ミナフェス»』 6月の旧名である『水無月』と、『皆』をかけたわけか。 インパクトはないが、よくできてる。 「ミナフェスか……いいんじゃないかな? 言いやすいし、テーマ性もあるし」 「本当? ……なら良かった」 白崎が胸に手を当てて息をついた。 「明日、みんなにも意見を聞いてみよう。俺は応援するよ」 「ありがとう」 「でも、みんなからもっといい案が出てきたら、そっちにしてもらっていいからね」 「ははは、わかったよ」 自信なさげに見上げてくる白崎を見ると、頭を撫でてやりたくなってしまう。 しっかり名前を考えていただけでも、偉いことだと思うが。 「それじゃ、また明日」 「うん、濡れないように気をつけてね」 傘を開き、雨の中に歩きだす。 女物の傘は恥ずかしいけど、ま、こういう日があってもいいだろう。 「……」 少し歩いてから振り返る。 エントランスの下に、まだ白崎は立っていた。 見送ってくれなくてもいいのに。 軽く手を振ると、なぜかファイティングポーズをとって威嚇してきた。 ……よくわからん。 風呂に入り、一息ついた。 気温が低かったせいで身体が冷えていた。 傘を借りていなかったら、風邪を引いたかもしれない。 白崎には礼を言わないとな。 電話だ。 桜庭からだ……珍しいな。 「もしもし?」 「あ、桜庭だ。いま電話して大丈夫か?」 幾分緊張した声が聞こえた。 「ああ、平気だけど」 「いや、外を見たら雨が降っていたから、どうしたかと思って」 「白崎が折りたたみ持ってたから入れてもらったよ」 「悪いな、心配してもらって」 「待て、ということは相合い傘か? うらやましい」 「ストレートすぎて引くわ」 「ははは、冗談だ。ま、濡れなくて何より」 「悪いな、心配かけて」 「つーか、桜庭は今どこだ?」 「部室だが」 時計を見ると、午後10時前だった。 「あんまり頑張ると身体壊すぞ。そろそろ帰った方がいい」 「もう引き上げるよ」 「夜道は気をつけてな」 「ほう、女子扱いしてくれるのか」 「桜庭のどこが女子じゃないのか聞かせてほしいくらいだ」 「それはどうも」 幾分はにかんだような声がした。 「それじゃ、切るぞ」 「ああ、また明日」 「……」 何か言いたげな間があってから、電話が切れた。 日頃、電話をしない相手から電話があると新鮮だ。 「……」 携帯をベッドボードに置こうとして、指先がメールのフォルダに触れた。 受信フォルダが開き、図書部や羊飼いのフォルダが現れる。 羊飼い……。 図書部としては放置することに決まった。 その判断は間違っていないと思うが、俺としてはやはり正体が知りたかった。 努力する人の前に現れ、願いを叶えてくれる存在とは何者なのか。 もし出会うことができたのなら、俺はあの日の願いを叶えてもらうのだろうか? この世の全てが書かれた、魔法の本が欲しいと── 「よし」 要は、図書部に迷惑をかけなければいいんだ。 メールに返信してみよう。 やばいことになったら、携帯を契約ごと替えればいい。 少なくとも、俺はメールで羊飼いと繋がっているのだ。 レスがあるかは知らないが、こっちのメールは読んでくれるだろう。 何か興味を引くことを書けば、新しい展開があるかもしれない。 しばらく文面を考える。 まずは無難に『あなたに会いたい』的な内容にすることにした。 「頼んだぞ」 送信のボタンに指を持っていく。 さすがに緊張する。 いやいや、ここまで来たらどーんと行こう。 「おりゃっ」 アニメーションが流れ、すぐに送信完了と出た。 ふう……。 この後どうなるかは、神のみぞ知るだな。 「ねえギザ様、どうしよっか?」 「ぶふ」 膝の上に座ったギザ様のお腹を撫でる。 去勢手術の痕が痛々しい。 この子も、昔は誰かに飼われていて、何かの事情で野良になったんだ。 筧先輩の話では、ギザ様は全国を放浪してここに流れ着いたらしい。 波瀾万丈の人生だ。 あれ? 人生? 猫生? 「苦労したんだね」 「よかったら、何かアドバイスをくれない?」 「るーるるるー」 「狐を呼べばいいの? よくわからないよ」 本来なら3限の授業を受けているはずの、今この時間。 部室に誰もいないのをいいことに、ギザ様と会話する。 「ね、ギザ様、教えて」 指先でお腹の傷跡に触れる。 「ぱみゅっ!?」 「きゃっ!?」 ギザ様が、感電したように身を震わせ、膝から飛び降りた。 足下から、何かが裂けるような音がした。 「あ……」 「じゃ、これで終わりかな?」 「うん、ありがとね」 3限の授業をぶっちぎり、俺は貸し出しカウンターの整理に付き合っていた。 2限前に図書館前を通りがかったとき、図書委員の子に頼まれてしまったのだ。 授業はあったけど、頼まれたら断れない。 それに、部室接収の期限がもうそこまで迫っていた。 少しでもポイントは稼いでおきたい。 「授業があったんじゃないの?」 「いいんだよ。どうせつまんない授業だから。出席もないし」 「さすが、学年トップは余裕があるね」 「毎回ギリギリだよ。じゃ、また何かあったら声かけて」 「うん、ありがとう」 図書委員の子と別れる。 いまさら3限に行くでもないし、部室で読書だな。 部室に近づくと、中で物音がした。 誰かいるらしい。 今日は意見交換会があるし、桜庭が作業でもしてるんだろう。 「ういっす」 「あ……」 椅子に座っていた御園と目が合った。 呆気にとられた顔をしている。 「えーと」 「……ど、どうも」 御園は、椅子に座ってストッキングを履いていた。 厳密にはパンスト? タイツ? 女の子の服の名前はややこしい。 いや、そんなことはどうでもよく。 「すまんっ」 慌てて後ろを向く。 「あ、そのまま後ろ向いてて下さい」 「え、ああ」 部屋を出ようと思ってたんだが……。 仕方ないのでドアを向いたまま止まる。 「こっちを見たら、一生恨みますからね」 「絶対見ない」 耳に衣擦れの音が入ってくる。 さっきの映像がまだ脳裏に残っているせいか、情景が目に浮かんでしまう。 「ごめんな、タイミング悪く入って来ちゃって」 「いえ、部室で着換えてたのはこっちですから」 「まさか、筧先輩が入ってくるとは思いませんでした」 「なんでまた部室で着替えなんか」 「誰も来ないと思ってたんです」 「それに、タイツだけだったんで」 「はあ」 「……んっ」 椅子が大きくきしむ音が聞こえた。 「はい、もう大丈夫ですよ」 「とか言って、振り返ったらまだ着換え中とかじゃないだろうな?」 「どうしてそんなサービスしなくちゃならないんですか? 意味がわかりません」 だよな。 おそるおそる振り向く。 「ふぁお!」 「ぶっ!」 目に入ったのは、デブ猫のM字開脚だった。 汚いもの見せやがって。 猫をテーブルから払い落としつつ、指定席に座る。 御園は、もちろん着替えを終えていた。 「入ってきたのが筧先輩でよかったです」 「高峰先輩だったら今頃どうなっていたか」 「その危険性もあるから、着替えは別のとこで頼むよ」 「すみません」 といっても、高峰は意外と紳士だから大丈夫だと思うが。 「ところで、筧先輩はどうしてこんな時間に?」 「さっきまで、図書館の手伝いしてたんだ」 「へえ。授業なかったんですか?」 「あったんだけど……」 「ふふ、相変わらずお人好しですね」 御園が控えめに笑う。 「部室が危ないし、できるだけ図書委員のご機嫌取っとこうと思って」 「あ……そういえば、そうでしたね」 寂しげな表情で御園が部室を見る。 俺も釣られて周囲を見まわした。 窓際に、リボンをつけたサボテンが置かれている。 前に御園がつけたものだ。 彼女は、ちょこちょこ悪戯するのが好きらしい。 本棚に置かれたクマのぬいぐるみには、いつの間にか手錠がつけられ、カレンダーのミナフェスの日には花のシールが貼られている。 御園なりの愛着の示し方なのかもしれない。 つーか、デッサン人形を緊縛したのは誰だ。 「せっかく、ここにも慣れてきたんですけど」 御園が小さく溜息をつく。 「御園は休講?」 「ええ……まあ」 そっぽを向いて髪を撫でた。 嘘なんだろうなあ。 「休講多いね」 「ほんと、困ってるんです」 そう言って、御園はクロスワードの本を取り出した。 パズルをやるなら、俺も本を読もう。 「世界で一番大きな島ってなんでしたっけ?」 しばらくして、御園が話しかけてきた。 「グリーンランド」 「あ、そっか」 ぽつりと言って、本に何か書き込む。 「世界で一番大きな魚ってなんでしたっけ?」 またしばらくして、御園が話しかけてきた。 「魚ならジンベエザメだな」 「ああ」 ぽつりと言って、本に何か書き込む。 「筧先輩」 またまたしばらくして、御園が話しかけてきた。 「明日やりたいことが2つあるんですが、片方しかできないとしたらどういう基準で選びますか?」 「その時しかできないかどうか、かな」 「なるほど」 ……。 …………。 変なクロスワードだな。 「……」 読んでいた本から顔を上げる。 御園もこっちを見ていた。 不意に、窓の外で鳥が飛び立つ音がした。 「何の話だったんだ?」 「クロスワードですよ、センパイ」 いつもなら小さな笑みを浮かべるところだったが、御園は笑わなかった。 真面目くさった顔を崩さぬまま、再びクロスワードに視線を落とした。 一瞬、追及しようかと思ったが、やめた。 御園が追及するなと言っている気がしたからだ。 「明日やりたいことが2つあるんですが、片方しかできないとしたらどういう基準で選びますか?」 さっきは何気なく答えてしまったが、熟考したところで答えは変わらない。 俺なら、その時しかできないことをする。 後回しにできることは後回しにする、それだけだ。 御園がそこから何を得たのか。 また、満足したのかしなかったのか。 俺にはわからない。 「今日は、ミナフェスの意見交換会ですね」 顔も上げぬまま、御園は言った。 「頑張りましょう」 「もちろん」 御園の声には、かすかに明るい響きがあった。 俺の答えがお気に召したのかもしれない。 放課後。 俺たちは、ミナフェスの意見交換の会場に向かった。 お客の集まりやすさを考えて、平日夜の開催だ。 依頼やら奉仕活動やらで、図書部の身体が夜からしか空いていなかったのもあるが。 語学棟16番教室のホワイトボードには、『ミナフェス・意見交換会』の文字があった。 白崎が提案したイベント名は、無事正式採用されたのだ。 50ある教室の席は、開始時刻の20分前にもかかわらず、すでに7割方埋まっていた。 ウェブ上で2日しか告知していないにもかかわらず、なかなか盛況だ。 「はい、こちら入口になります。前から詰めておかけくださーい」 俺と高峰は教室前後のドアで案内に立ち、お客さんを案内する。 御園と佳奈すけは資料配付。 桜庭はプロジェクターなどの機器を準備し、白崎は…… ホワイトボードの端で、血の気が引いた顔をしていた。 人見知りが発動しているらしい。 「おい、白崎、しっかりしろ」 「あ、か、筧くん。今日の晩ご飯、な、何にしよう……?」 「意味がわからねえよ」 「そんなに緊張しなくても大丈夫だって。みんないるんだから」 「う、うん……でも、こんなに人が来てくれるなんて……」 「ま、深呼吸だ深呼吸」 「そうだね。すう、はあ……すう、はあ」 とはいえ、教室の前から全体を見渡すと、なかなかの壮観だ。 見ている間にも、次々に人が増えていく。 「鈴木、資料が足りなくなるかもしれない。コピーに行ってくれ」 「りょーかいです」 「高峰、隣の教室から椅子を持ってきてくれ」 「はいよー」 桜庭がてきぱきと指示を出す。 アドレナリンが出ているのか、桜庭の頬はやや紅潮している。 こういうのが本当に好きなんだな、きっと。 開始2分前。 席は全て埋まり、立ち見も出ている。 ざっと70人くらいは来ているだろうか。 「お……」 立ち見客の中に、見知った顔があった。 嬉野さんじゃないか。 普通の生徒の中に埋もれそうになりながら、いぇあーと手を振ってきた。 小さく手を振り返すと、何やら激昂したような顔になった。 そして、かぶっていた帽子を取り、床にたたきつける。 どうやら取り乱したらしい。 変な人だ。 ま、それはいいとして、問題は白崎だ。 冗談抜きで、顔が強ばっている。 「筧くん……わたし、生まれ変わったら、鍋敷きになりたいな……」 緊張し過ぎて錯乱している。 「ちなみに、どんな鍋に敷かれたい?」 「タ、タジン鍋かな……いま流行りだし」 「筧、意味のわからない会話を引っ張るな」 桜庭に怒られた。 「白崎、しっかりしろ。もうすぐ始まるぞ」 桜庭が白崎の背中を何度かさする。 「うん、大丈夫……頑張る……」 白崎がぎゅっと唇を噛んだ。 見ている方が緊張してくるほど緊張している。 しかし、部長であるからには、挨拶くらいしてもらわないと困る。 なんとか頑張ってほしいが。 「さて、時間か」 桜庭が、携帯を見てから俺たちに合図する。 遅れてきた人のために、高峰が案内役として廊下に出、他のメンバーは教室前方の隅に集まった。 「では、始めるぞ」 それぞれがうなずいて返す。 俺と佳奈すけはそこそこ緊張しているが、御園はいつもと変わらない様子だ。 さすが歌姫は違う。 白崎は言わずもがなである。 「白崎、打ち合わせの通り、最初に挨拶を頼むからな」 「短くていいから、何とか頼む」 「はいっ」 声が裏返っていた。 桜庭は、無理矢理自分を納得させるようにうなずき、マイクを手に取った。 「えー、テステス、後ろの方ー、声は聞こえていますか?」 マイクのテストがてら、会が始まることを知らせる。 ざわついていた教室が徐々に静かになっていく。 「本日は、図書部主催・ミナフェスの意見交換会にお集まりいただきありがとうございます」 「よりよいイベントにするため、皆さんから忌憚のないご意見をいただければと思っております」 「短い時間ではございますが、よろしくお願いいたします」 桜庭がそつなく挨拶をする。 かなり場慣れしているようだ。 会場の反応は、いかにも様子見といった感じで、拍手にも心がこもっていない。 「では最初に、図書部部長から皆さんにご挨拶があります」 桜庭が白崎にマイクを手渡す。 「緊張しているのはわかっている」 「無理そうだったら私がフォローするから、心配しないで大丈夫だ」 頼もしい表情で桜庭が言う。 白崎は、石のような表情でうなずいてから、教卓に向かった。 「(ファイトですよ、部長)」 「(白崎さん、頑張って)」 下級生2人が祈る前で、白崎が口を開いた。 「あ、あの……としょ、図書部、部長の……白崎、つぐみです……」 例によって、妙になまめかしい声が出た。 「今日は、お忙しい……ところ……」 『聞こえませーん』とヤジが飛んだ。 「えっ、あの……お忙しいところ……お集まりいただき……嬉しいです」 声のボリュームが上がらないばかりか、なまめかしさに拍車がかかった。 男子の冷やかしの声が上がる。 「あのっ……すみません……静かに……え、えと……」 何とか場を収めようとする白崎。 活動が大きくなれば、こういう機会は多かれ少なかれやってくる。 何とか乗り切ってほしい。 頑張れ、白崎。 頑張れ。 手をぎゅっと握る。 「やはり厳しいか」 口の中で呟き、桜庭が教壇に向かった。 止める間もない。 「た、玉藻ちゃん……」 「大丈夫だ、任せておけ」 桜庭が白崎からマイクを受けとる。 入れ替わりで、白崎が教卓から下がってくる。 「お聞き苦しい点がございまして、申し訳ありません」 「部長の白崎は、風邪で喉を痛めていたのですが、ぜひ皆さんにご挨拶をということで押して参加しました」 「その気持ちだけでもくみ取っていただければ幸いです」 桜庭が頭を下げる。 教室を覆っていた私語も、次第に収まっていく。 「それでは皆さん、お手元の資料、1ページ目をご覧下さい」 「まずは、ミナフェスの趣旨、目的、目標をご説明したいと思います」 桜庭の巧みな仕切りで、会議が流れだした。 「さすがに桜庭さんはしっかりしてるね」 「場慣れしてる感じだもんね」 「今まで、生徒会長とかやってそうじゃない」 「それに引き替え……わたしは……本当にもう……」 白崎が沈んでいた。 「大丈夫だよ、白崎。そのうち慣れるから」 「うん、ありがとう……」 口ではそういいながら、表情は暗く沈んだままだ。 ショックが大きかったらしい。 何とかしてやらないと。 そういえば、家にあがり症がどーちゃらとかいう本があった気がするな。 役に立ちそうなら白崎にあげよう。 多少のトラブルはあったものの、意見交換会は2時間ほどで終了した。 会の中では、会場事情の説明や集金方法の検討、要望の聞き取り、広報活動への協力要請などが行われた。 議論も活発になされ、意見交換会としては十分な内容だったと思う。 何より、これだけの団体が興味を持ってくれたことが嬉しい。 会の最後で、ミナフェスでのステージ出演を希望するかアンケートをとったところ、希望する団体は14。 立派な数だ。 「今日は、本当にごめんね」 「わたしがちゃんと挨拶しなきゃいけなかったのに、あんなことになっちゃって」 部室に入るなり白崎が言った。 椅子にも座らず頭を下げる。 「大丈夫ですよ、何とかなったじゃないですか」 「参加者も気にしてませんでした。これからですよ」 白崎が一生懸命なのはみんな知っている。 責める奴はいない。 「でも、人前で話せないなんて、部長として……」 「心配しなくていい。何があっても誰かがフォローする」 それはそうなのだが、何か引っかかるところがあった。 どこが気になっているんだろう? 「白崎をフォローするために私達がいるんだ。そうだろ、筧?」 「……あ、ああ」 「どうした、歯切れが悪いな」 「いや、桜庭の言う通りだ。俺たちが支えるよ」 「うん、ありがとうね、みんな」 白崎が微笑む。 いつもの流れだ。 問題はないと思う。 「いやー、しかし、今日は予想以上の反響でしたね」 「ああ、14団体も参加を希望するなんて思わなかったよ」 それぞれが、今日の感想を話し合い始めた。 「しかし、多すぎるのは問題だぞ」 「どうしてですか?」 「冷静に考えてみてくれ……」 と、桜庭が話し始める。 14団体が全て発表を行うと、それぞれの持ち時間を15分としても4時間近くかかる。 学食を貸し切れるのは2時間。 持ち時間を減らすか、参加団体を減らすかしないと時間内に収まらない。 最初に考えられる選択肢は、出演団体を抽選などの手段で減らすことだ。 全ての団体に出演してもらうなら、貸し切り時間の延長を考えなくてはならない。 当然ながら、かかる経費はどんどん増えていく。 「わたしは、希望する団体には全部参加してほしいな」 「時間が足りないからお断りしますじゃ、汐美祭と同じになっちゃう」 「気持ちはわかるが、タダじゃないんだぞ? 回収できなかったらどうする?」 かかる経費は、2時間で150万、倍の4時間なら300万だ。 「下手をすれば百万クラスのマイナスだ。割り勘にしても簡単に払える額じゃない」 「夢や理想だけでゴーサインは出せないぞ」 桜庭のリアリティのある指摘に、部室がしんとなる。 厳しいが、誰かが言わなくちゃならないことだ。 「今日の意見交換会は出演者のニーズを知るためのものだし、ミナフェスの開催はまだ確定していない」 「逆に言うと、やめるなら今のうちということだ」 「かなりのリスクを伴うことは、わかってくれたと思う」 「……」 白崎が唇を引き結ぶ。 「そうだね……わたしの夢のために、みんなに借金を……」 「借金ができたら、みんなでアルバイトしましょう」 白崎の言葉を遮って御園が口を開いた。 いつもの素っ気ない口調ではない。 静かだが、力のこもった声だ。 「図書部は6人いるんです。一ヶ月に一人5万稼げば、それだけで30万です」 「支払いを2、3ヶ月待ってもらえれば、きっと返せます」 「待て、部活でそんなに長い時間、拘束できるか」 桜庭が腰を浮かせる。 「今だって、十分拘束されてますけど」 「それとこれとは……」 「部活のみんなで企画を立てて、失敗したらみんなでツケを払う。何もおかしくないです」 「しかし、本来、部活はお金のかからない……」 「自分たちに賭けましょう、桜庭さん」 「……」 桜庭が目を見開く。 そして、脱力したように腰を下ろした。 まさか、ここで御園が強い主張を見せるとは思わなかった。 一番飄々としてる御園が、一番熱いなんてな。 そんなことを思っていると、御園が俺をちらりと見た。 もしかしたら、昼休み前の会話に繋がりがあったのかもしれない。 「要は、お客様を集めれば勝ちなわけですよね?」 「それに、チケットが売れ残ったとしても、今の活動をバイトに変えれば済む話だ」 「なら、トライした方が面白いかな」 ぼんやりと合意が形成されつつある。 「みんな、いいの? 失敗したら大変だよ?」 「大変かもしれないけど、ま、同意の上だし」 桜庭以外がうなずき、桜庭を見る。 桜庭は、うつむき加減に何かを考えていた。 「私は……バイトをするつもりなんてない」 「玉藻ちゃん……一緒にやろうよ」 「わたし達には、玉藻ちゃんが必要だから」 白崎の哀切な声が響く。 「勘違いするな」 桜庭が顔を上げた。 「え?」 「私がやるからには、赤字なんか出さないってことだ」 きりりと、形のいい眉をつり上げた。 「玉藻ちゃんっ!」 白崎が桜庭の両手を握って上下に振る。 「ふふふ……」 ご満悦の桜庭である。 ぶっちゃけた話、白崎への貢献度は、両手握手を何回してもらえたかでわかる。 ……回数なんて数えてるのは桜庭くらいだろうが。 身体に染みついた癖で周囲の顔を観察する。 「……」 「……」 佳奈すけの表情だけは、やや翳っていた。 暗い表情も佳奈すけの一部ではあるんだろうけど、似合わないのは確かだ。 悩みを打ち明けてくれればいいが。 「では、6月19日にミナフェスを開催しよう!」 拍手が起こった。 いよいよ、俺たち主催のイベントが動き出すのだ。 それぞれの顔には、前向きな明るさが見えた。 「みなさん、せっかくですから、ここで乾杯でもしましょうよ」 「おお、いいねいいね」 白崎が備品のマグカップを配る。 そこに、各自が持っている飲み物を入れた。 「白崎、一言頼む」 「あ、うん」 白崎がマグカップを持った。 「図書部は、いままでずっと誰かから依頼をもらって活動してきました」 「でも、ミナフェスは、私達が自分で考えたイベントです」 「いろいろ大変なことがあると思うけど、最後までやり通そうね」 白崎がカップを掲げた。 「みんな、よろしくっ」 よろしくっ! と声が重なる。 6つのマグカップがカチンと鳴った。 一気に飲み干す。 いつものミネラルウォーターとはひと味違う。 「よし、そうと決まれば作戦会議だ」 「今回の企画の成否は宣伝にかかってくるだろう」 「ですね、ごっつい宣伝プランを考えちゃいましょう」 出演者にネームバリューがある団体はいない。 宣伝で失敗すれば、ミナフェスは赤字確定だ。 いかにより多くの人にイベントの存在を知らせ、見てみたいと思わせるか。 さて、どうしたものか。 しばらく話し合った結果、大体の宣伝プランがまとまった。 提案されたのは大きく分けて3つだ。 1つ目は、恒例のビラ配り。 2つ目は、前に芹沢さんからオファーがあったお昼のラジオにゲストで出てみる。 3つ目は、ウェブニュースや各参加団体、学食、商店街などに告知をお願いすること。 ビラやポスターの制作は桜庭の担当で、本人は土日に作ると息巻いている。 各方面へのオファーは適宜分担。 また、ウェブサイトで募集していた図書部への相談は、5月一杯で一時ストップすることにした。 事務作業の増加が目に見えていることと、突発的な事態にも対応できるようにとの配慮だ。 「……?」 携帯が、メールの着信を知らせてきた。 差出人を確認する。 「ぬおっ!?」 羊飼いだ。 まさか、本当に返信が来るとは。 「筧、どうした?」 「あーいや、昔の友達からメールが来たんだ」 「またまた、デートをすっぽかした女の子とかじゃないの?」 「違うって」 みんなに内緒で羊飼いに返信した以上、本当のことは言いにくい。 メールは、一人になってから見ることにしよう。 駅前で桜庭と別れてすぐ、携帯のメールフォルダを開いた。 確かに羊飼いから返信が来ている。 一体、どんな返信が来ているのだろう。 『私の正体がわかったら声をかけて下さい。  羊飼い』 「……」 さて、どう解釈したらいいだろう。 まず考えられるのは、羊飼いには正体がバレない自信があって、その上で俺をからかっているパターン。 『正体はわからないだろうけど、せいぜい頑張ってねー』というやつだ。 もう一つは、羊飼いが、俺に会うことを真面目に想定しているパターンだ。 前者ならお話にならないが、後者なら、正体にたどり着く可能性があることになる。 つまり、過去か未来か、いずれかの時点でヒントが与えられているということだ。 しかも、羊飼いは声をかけられる距離にいる。 前者と後者、どちらかはわからない。 だが、奴の正体を知りたい以上、後者と解釈して損はない。 念のため、もう一度メールを打つ。 『私には、正解する可能性があるんですか?』 返事が来るかは向こう次第だ。 「……」 予想外の展開に、頭が興奮していた。 これからは、周囲の状況に気を配らないといけない。 どこに羊飼いのヒントが転がっているかわからないのだから。 休日の奉仕活動を終え、家に帰ってきた。 今日一日、図書部員から守衛のおっさんまで、一通りは羊飼いである可能性を疑ってみた。 残念ながら、怪しい人物は発見できなかった。 「うーん……」 過去に羊飼いから来たメールは、俺たちを近くで観察してるっぽい内容だった。 とすれば、身近なところにいる奴が羊飼いだと考えるべきだ。 しかし、見つからない。 俺が何かを見過ごしているのか、今日はたまたま会っていないだけなのか。 ……わからん。 ひとっ風呂浴びてから、本を読んでいるとドアホンが鳴った。 今いいところだし、我慢してもらおう。 連射して来やがった。 しかも携帯まで鳴り始めた。 小太刀からの着信だ。 そういや、土曜の夜はテレビを見せる約束をしてたんだった。 「(やれやれ)」 立ち上がり玄関に向かう。 そういえば、今日はまだ小太刀と顔を合わせてなかったな。 念のため、羊飼いに繋がるネタを出さないか注意しておこう。 ドアを開ける。 小太刀が仏頂面で立っていた。 「なんで居留守すんのよ」 「すまん。本に夢中だった」 「私の約束と本、どっちが大事なのよ?」 「本」 間違って即答してしまった。 「筧君、先生よく聞こえなかったから、もう一度言ってみて」 「今度は間違えないように、ね」 「小太刀さんとの約束です」 「よくできました」 にっこり笑って、小太刀が上がってきた。 そして、いつものようにベッドに座り込む。 不審な点は見当たらない。 「一つ聞きたいんだが、小太刀って羊飼い?」 「え? そうだけど」 何で気づいたの? という顔だ。 「まじか」 「冗談に決まってるでしょ、ばっかじゃないの」 完全にいつも通りだった。 「あー、そうそう、今日はお土産持ってきたんだけど」 ベッドの上でごろりと転がって小太刀が言った。 「見たところ手ぶらだが」 「部室のこと、進展があったの」 「今日、図書委員長と掛け合ってきたんだけど、取りあえず5月末での退去は回避できたわ」 「マジか!?」 「マジマジ。おめでと」 「おお……あー、そうか……うん」 嬉しさで言葉が出てこない。 動物園のクマのように、部屋をうろついてしまう。 「いや、何て言うか、本当に良かったよ」 「努力が報われて良かったじゃない」 「図書委員のみんなにもお礼を言っておいてね。署名してくれたわけだから」 「ああ、わかってる」 しかしまあ、よく許してくれたものだ。 部室がうるさいのは相変わらずなのにな。 「図書委員長ってのは、最初っから奉仕活動をさせるのが目的だったんじゃないか?」 「あはは、そうかもね」 「でも、今回のことで、図書委員とも一体感が出たんじゃない?」 「ずいぶん一緒に仕事をしたからなあ」 「なら、今後何かあっても、きっと大目に見てくれるって」 言われてみればそうか。 「でも、部室没収の話を完全に撤回させるには、もう一声必要ね」 「こうやってテレビを見せるのは、それを調べてもらうための交換条件だろ?」 「わかってるわよ」 つーんと拗ねた顔をする。 「今日の感じだと、月曜日には何とかできそう」 「頼むぞ、小太刀」 「大事な土曜日の夜に、一晩中居座らせてもらってるんだから、そのくらいはさせてもらうわよ」 「あ、予定ないんだっけ? ごめーん」 あらやだ奥さん、みたいな仕草をした。 うざいが、今日は機嫌がいいので見逃そう。 「俺には本がいるさ。ほら、リモコン」 テレビのリモコンをベッドの上に投げる。 「キャーッチ!」 小太刀がダイビングキャッチした。 短いスカートがふわりと舞う。 「パンツ見えるぞ」 「見えた?」 「見えねえよ」 「あら、残念でした」 おどけながら、小太刀がテレビのスイッチを入れ、チャンネルを選ぶ。 間もなくドラマが始まるようで、予告編をやっていた。 爆発したり、突入したりと、なかなか忙しそうなドラマだ。 「これ、面白いのか?」 「気がついたら朝まで一直線よ」 「ホントかよ……」 あんまり面白いテレビを見た経験がないからなあ。 「……」 「……」 最後のエンディングクレジットが流れた。 「終わったーっ」 「ひゃー、面白かったー」 二人でばったりベッドに倒れた。 6時間完走である。 徹夜の肉体的疲労と、ドラマによる精神的高揚が混じり合った異様なテンションだ。 「見ないとか言って、全部見てるじゃん」 「いやー、見始めると止まらないもんだな」 内容としては、FBI捜査員の主人公が、大統領誘拐事件に立ち向かうものだ。 主人公がはっちゃけていて、命令無視を繰り返しながら、尋問や家宅捜査をしまくる。 「あー、やり遂げた感がすごいわ」 うろんな目をした小太刀が手を差し出してきた。 がっちりと握手をする。 「んじゃ、もう帰って寝るわ、あー、だるー」 「お疲れー」 「うーん、あんがとねー」 小太刀がベッドから立ち上がり、ふらついた足取りで玄関へと向かった。 「ん?」 ベッドの下にハンドタオルが落ちている。 小太刀のだ。 「小太刀、忘れ……」 玄関のドアが閉まった。 「聞こえなかったか」 ハンドタオルを持ち、小太刀の後を追う。 共有の廊下に出ると、小太刀が自分の部屋のドアを開けたところだった。 「小太刀、忘れものだぞー」 「あー、ごめん。ありがと……」 寝ぼけ眼の小太刀にタオルを渡す。 その頭越しに、ちらりと室内が見えた。 「(……あれ?)」 何かがおかしい気がする。 何だろう? 「んじゃ、おやすみねー」 「ああ……おやすみ」 目の前でドアが閉まった。 さっきの違和感は何だったんだろう? 小太刀の家のドアを見ながら考えてみるが、いまいち形にならない。 取りあえず、部屋に戻ろう。 「……あ」 唐突に、さっきの違和感の正体がわかった。 小太刀の家には、洗濯機がなかったのだ。 いや、そればかりじゃない。 キッチンには食器も鍋もなく、リビングには家具も見当たらなかった。 見える範囲では、まるで空室物件だった。 ……よく考えてみよう。 まず洗濯機がないことについてだが、コインランドリー派も少なくないから、これは問題とは言えない。 食器も鍋も、完全コンビニ生活なら、持ってなくてもおかしくない。 次にリビングだ。 我が家の間取りは典型的な1Kで、小太刀の家とは左右対称の造りになっているはずだ。 すなわち、入口のドアを開くと、まず申し訳程度の玄関。 そこから2.5メートルほど廊下が伸びている。 廊下の右面は小さなキッチンと洗濯機置き場、左面はバスとトイレだ。 突き当たりには、リビングへと繋がるドアがある。 今はそいつが開いており、リビングにある冷蔵庫やベッド、その先の掃き出し窓まで見えた。 大まかに言って、玄関からはリビングのほとんどが見えるということだ。 で、小太刀の部屋には家具が見当たらなかった。 死角に家具がまとめられている可能性もあるが、さすがに物が少なすぎる。 家具もない、洗濯機もない、鍋もないじゃ生活できないだろう。 仮に生活していないとしたら、なぜ小太刀は隣に住んでいるフリをしているのか。 さらには、なぜ俺の部屋にテレビまで見に来るのか。 不審すぎる。 これが羊飼いを特定するヒントだったりするのだろうか。 だとしたら、小太刀が羊飼い? いやいや、結論を急ぎすぎだな。 俺には、今日のところ小太刀には不審な点があった、ということしか言えない。 まずは、小太刀の生活実体を確かめよう。 もし生活していないなら、隣人を装っている小太刀は、羊飼いじゃないにしても不審人物ではある。 そこから話を広げていけばいい。 「よし」 しばらくの間、小太刀を重点的に観察してみよう。 素行調査の本でも探しておくか。 朝の登校時間。 俺は、メールで白崎と待ち合わせをしていた。 昨晩、探偵小説を探すついでに見つけた本を渡すためだ。 部室で渡さないのには、ちょっとした事情があった。 「おはよう、筧くん」 約束の時間より2分早く、白崎が現れた。 走ってきたのか、少し息を切らせている。 「おはよう。悪いな、呼び出して」 「ううん、ぜんぜん平気だよ」 『で、何の用?』と、白崎の目が尋ねてくる。 「実は、渡したいものがあるんだけど……」 本が入った袋を白崎に差し出す。 きょとんとした顔をして、白崎が中身を確かめる。 「『緊張しない話し方』に『あがり症のメカニズム』?」 「たまたま家で見つけたんだ。もしかしたら読むかと思って」 「これを、わたしに?」 白崎の表情が輝く。 「興味なかったら返してもらっていいぞ」 「ううん、借りる……借ります!」 「これを読んで練習すれば、わたしも名演説家だね」 「あ、ああ……そうな」 「あー、適当に合わせてるー」 ぶーたれた。 「めんどくせーなー、もー」 「あははは、冗談だよ、冗談」 白崎が本を両手で持って掲げた。 「やったね、本貸してもらっちゃった」 そんなに嬉しいもんかね。 「お節介だったか?」 「まさか。本当にありがとう」 白崎はご機嫌だ。 ここでシリアスな話をするのはためらわれるが、サシで会ったのはこの話をするためなのだ。 「あのさ、本のことなんだけど……」 言葉を切る。 「どうしたの?」 声のトーンで察したのか、白崎も真面目な顔になった。 「気を悪くしないでほしいんだけど、意見交換会の挨拶は、ちょっとアレだっただろ?」 「うん……失敗だったね」 白崎が申し訳なさそうな顔をする。 「桜庭は、自分がサポートするから大丈夫って言ってたけど、俺は、白崎が少しでも直せるなら直した方がいいと思うんだ」 「ああいう挨拶は、部長をやってればこれからもあるだろうしな」 「もちろん、できる限り協力はするよ」 緊張で手が汗ばむ。 ギャグや冗談なら厳しいことも言えるのに、真面目な駄目出しはかなり苦手なのだ。 人の気分を害しないように生きてきた時期の名残だった。 相手の欠点を指摘した上で改善を促すなんて、当時の俺からしたら離れ業に近い。 しかし、今こうして白崎に指摘できるのは── いや、指摘する気になったことからして、大きな変化だった。 「うん、筧くんの言う通りだと思う。甘えてばかりじゃなくて、自分でもっと頑張らないとね」 「この本を読んで、勉強してみるよ」 白崎が笑顔で本を掲げて見せた。 「悪いな、偉そうなこと言って」 「ぜんぜん、ぜんぜん」 白崎が手を顔の前でぶんぶん振る。 「むしろ、心配してくれてすごく嬉しいよ」 「なら良かった」 安心した。 「ありがとうね、気を遣ってくれて。わたし、頑張ってあがり症を克服するよ」 「筧くん、見放さないで付き合ってくれる?」 「ああ、本を貸したのは俺だからな」 「約束、ね」 うなずく。 白崎も、しっかりとうなずいた。 「よし、今日から頑張るぞっ」 白崎が、大事そうに本を鞄にしまった。 しかしまあ、キーホルダーが大量についてる鞄だ。 「あ、チャーム、気になる?」 「チャームっていうのか? キーホルダーじゃなく?」 「今風だとチャームって言うらしいよ……定義はよくわからないんだけど」 「どれ」 携帯でちょっと検索してみる。 「バッグチャームっていうんだな……いや、キーチャームってのもあるぞ」 「つまり、チャームってのは何なんだ?」 「あ、ホントだ」 白崎が、俺の携帯を覗き込んできた。 顔がぐぐっと近くなる。 右の二の腕にくっつかんばかりのところに、白崎の顔がある格好だ。 長い睫毛が、瞬きのたびにぱたぱたひらめいている。 「キーチャームとキーホルダーってどう違うんだろ?」 「輪っかに鍵をつけられるのがキーホルダーか?」 「でも、こっちのキーチャームも、鍵がいくつもつけられるよ」 謎は深まる一方だった。 しかも、どうでもいい。 「あ、そうだそうだ。言葉の話がしたかったんじゃなくて……」 白崎が俺から離れ、自分の鞄を開く。 取り出したのは、キーホルダーかキーチャームか、どちらかの物体だ。 イミテーションの小さな花を編んで輪っかにしたような、なんともエコな感じのデザインだ。 「これ、昨日作ったんだ」 「自分で作ったのか……ほんと器用だよな、白崎は」 「よかったら、本のお礼と……あと、約束の印ってことで、もらってくれるかな?」 「俺に?」 うん、とうなずいてから、白崎が真面目な顔になる。 「わたしが挫けたら、捨てちゃって」 「そしたら、捨てられないようにって、わたしも頑張れると思うから」 妙に重いグッズに早変わりした。 装備した瞬間に、例の呪いの効果音が流れそうだ。 しかしまあ、乗りかかった船ともいう。 今使ってるキーホルダーも大分痛んでるしな。 「じゃ、ありがたくもらっとくよ」 「ぜひぜひ」 献上いたします、みたいなポーズで渡された。 さっそく鍵をつけてみると、なかなかしっくり来る。 「気に入ったよ、ありがと」 「よかった」 白崎が微笑む。 言いたいことも言えたし、白崎も前向きに受け入れてくれて良かった。 勇気を出した甲斐があったな。 部室の件については、日曜にメールを回していた。 取りあえずの危機は去り、俺たちは安心して広報活動に入った。 ビラ配り前、いつものように佳奈すけがメイクをしてくれる。 「桜庭さん、土日でビラ作っちゃうんですから、やっぱすごいですよね」 「ああ……デザインもプロが作ったみたいだったよな」 「自分なんかとは、気合いが違います」 「ははは、気合いで桜庭に勝てる奴はいないだろ」 喋りながら、佳奈すけがメイクしやすい方向に頭を傾けてやる。 「筧さんも、女装に慣れてきましたよねー。昔はすっごく嫌がってたのに」 「諦めただけだ。嫌々なのは変わらないよ」 「あ、チークは自分でやらせてもらっていいか?」 「あの、嫌々女装してる人間の台詞じゃないです」 ちょっと引きますわ、という顔をされた。 「はーい、眉描きますから動かないで下さいね」 「はいよ」 佳奈すけが眉を描いていく。 メイク中はこっちを男と思っていないのか、距離がかなり近い。 石鹸の香りまでわかる距離だ。 「なあ佳奈すけ」 「化粧中の俺は、京太郎と京子のどっちなんだろうな?」 「めちゃんこどうでもいいですね……あー、ほら、曲がった」 「あだだだっ」 ティッシュで乱暴に眉を拭かれた。 「次曲がったら、時間的に修正できないですからね」 「すんません」 再び眉を描かれる。 佳奈すけが俺の顔を凝視している。 向こうは俺の眉を見ているから、視線は合っていないのだが、こっちを見ている感じがする。 そういや、あがり症の人は、相手の眉間を見て話すといいって本に書いてあったな。 目を凝視するのも失礼だし、目を合わせないのも失礼、という場合の回避策だ。 などと考えていると…… 「な、なんですか?」 目が合ってしまった。 「いや、別に」 「一度意識しちゃうとずっと恥ずかしいんですから、やめて下さいよ」 「悪い」 佳奈すけがぷんすかした。 こっちを男と意識してないんじゃなく、意識しないようにしてたんだな。 メイクしてもらってる身だし、注意しよう。 大人しく、眉を描いてもらった。 「はい、あとは仕上げですね」 佳奈すけが細かい調整を始める。 メイクには詳しくないので、何をしているかはよくわからない。 「そういやさ、最初にメイクしてもらったときの話、覚えてるか?」 「細かいことは覚えてないですよ。自分、スペック高くないですから」 「佳奈すけ、図書部に何か賭けてるって言ったじゃないか」 「あーそういえば……よく覚えてますね」 口調はフランクなままだったが、佳奈すけの表情に一瞬緊張が走ったのがわかった。 「大事な話だと思ってたんだが」 「そりゃ……まあ」 佳奈すけが黙る。 「賭けには勝ちましたよ……」 そう言ってから、佳奈すけは俺の髪(ウィッグ)に櫛を入れる。 俺の背後に回ったため、顔が見えなくなった。 「……だからこそ、困ってるんですけど」 一週間ほど前、悩みについて聞いたときは、自分で考えると言っていた。 今度はどうだろう? 「GW前の筧さんと同じですよ」 同じ? 図書部を辞めるとか辞めないとか、そういう話か。 想像してはいなかったが、意外な感じはしない。 むしろ、佳奈すけらしいなと妙に納得していた。 「なんで辞めようと思ってるんだ? やっぱ、バイトとの両立が厳しいか?」 「うーん、一言で言うのは難しいですけど……」 唐突にドアが開いた。 「佳奈、メイクまだ? 桜庭さんが時計気にしてる」 「あー、ごめん、ちゃっちゃと終わらすから」 「よろしくね」 御園が出て行った。 「ふう……」 佳奈すけが背後で溜息をついた。 「なんか気が抜けちゃいました。話の続きは、また今度でいいですか?」 「ああ、佳奈すけが話したいときで」 「ありがとうございます」 ぽつりと言って、佳奈すけは再び髪を梳き始めた。 「あ、そうだ。今の話、みんなには……」 「わかってる、心配するなって」 次、この話題になったとき、俺は何を言ったらいいのか。 そのときにならなきゃわからないが、少なくとも……そのときにならなきゃわからないが、少なくとも……辞めてほしくはない。 佳奈すけの事情も気持ちもすべて考えず、単なるわがままとして、そう思う。 今まで一緒にやってきたんだ。 最後まで一緒にいたいじゃないか。 どういう結果になるにせよ、佳奈すけの意思が一番大事だ。 図書部を辞めても彼女の人生は続く。 何が佳奈すけにとって一番なのかは、やはり本人が決めることだと思う。 準備を終え、今日の配布場所へと向かう。 手元には、桜庭デザインの新しいビラがある。 ミナフェスの開催日は、予定通り6月19日(土)。 17時開場の17時半開演、閉演は21時となっている。 総出演団体は14。 ビュッフェ形式で食事を楽しみながら、様々な団体のパフォーマンスを見られるのがウリだ。 「ねえ、筧くん。あの本、一通り読んでみたよ」 もう読んだのか。 「どう? 役に立ちそう?」 「うん、今日のビラ配りで試してみるつもり」 白崎がガッツポーズを作る。 そんな俺たちを、何故か危険な目つきで眺める桜庭がいたが、気にしない。 「何ですか、あの本って?」 「白崎さんだけズルいです。私にも何か下さいよ」 後輩が群がってきた。 女装をしているせいか、2人の距離はいつもより近い。 「よしよし、これをあげよう」 ポケットから飴を出して、二人に渡す。 「わーい、飴ちゃんだー。ひゃっほー、おいしーっ」 「筧先輩、いつもポケットに飴を?」 「いや、気がついたら入ってた。俺のかな?」 「ぶほっ!?」 「そんなもの、人に渡さないで下さいよ」 「あの、もう食べちゃったんですけど……」 佳奈すけがうなだれた。 「大丈夫?」 「一応味は変じゃないんで平気だと思う」 そう言って、佳奈すけはガリッと飴を噛んだ。 「さて、白崎、頑張っていこう」 「う、うん。よろしくね」 「あの……ミナフェスを……よ、よろしくお願いしまーす」 「いいぞーいいぞー、その調子だ」 滑り出しは順調。 「ろ、6月19日……えーと、あの……新しい、イベントが、生まれます……」 「駄目駄目、そんなんじゃぜんぜん伝わらないよ。どうして諦めるんだ、諦めるな!」 わらわらと人がいたせいか、かなり緊張したみたいだ。 「6月19日……図書部主催のイベント・ミナフェスが生まれます。あなたのお気に入りのパフォーマンスを、是非探して下さい」 「ほらきた! 今伝わった! できる、白崎はできるんだよ!」 「京子、コーチングはいいから、お前もビラ配れ」 「……てへ、怒られちゃった」 「京子さんウザいです」 「俺の京子ちゃんはそんなキャラじゃない!」 一通り配り終え、図書館まで戻ってきた。 例によって、撮影希望の生徒達がずらりと並んで待っている。 さて、もう一仕事だ。 撮影を終え、部室に帰ってきた。 「汚れちまった悲しみに……今日も小雪の……」 「京子さーん、大丈夫ですよー、もう終わりましたからねー」 佳奈すけが背中を撫でてくれる。 嬉しいが、そんなことでは俺の心の傷は癒えない。 ……。 悲劇は、撮影が始まって間もなく起こった。 メイド服の背中のチャックが突如として壊れ、セクシーショットを連発してしまったのだ。 女装がバレないよう必死に服を押さえたのだが、それが逆に色っぽさを高めたらしい。 結果として、俺は無数のフラッシュに蹂躙されることとなった。 「見ろ筧、お前の犠牲は無駄じゃなかった」 桜庭がPCを指さす。 ウェブサイトのアクセス数がぐんぐん上っていく。 「こうやってすぐに成果が出ると嬉しいね」 「今日はトラ耳にしたのが良かったんでしょうか」 「間違いないね。次は脱いだらもっといいと思うよ」 「高峰先輩は本当にゴミクズですね」 高峰が合掌して静かに一礼した。 喜捨を受けた托鉢僧のような佇まい。 半眼の静かな表情は、法悦を感じさせる。 「チケットの販売開始までに、どこまで話題にできるかが勝負だな」 チケット発行枚数は約2000枚で、価格は1500円。 出演団体数の多さから開催時間が4時間となり、会場費が2倍となった。 チケットの価格を上げないために発行枚数を倍にしたが、果たして捌けるのかどうか……。 「販売開始は6月10日だっけ?」 桜庭が改めてスケジュールを説明する。 チケットの販売は6月10日の16時から。 オンライン決済が難しいことから、メールで予約券を発行し、学食で現金と引き替えという形になった。 6月10日から数日は、学食の片隅にチケット販売用のテーブルを置かせてくれるらしい。 交渉に当たってくれたのは、もちろん佳奈すけだ。 「他の、広報関係のオファーはどうなってる?」 「芹沢さんへはメールを送ったよ。今は返事待ち」 「商店街もメールの返信待ちです」 「ウェブニュースは断られた」 「話題性が認められた場合は、こちらから改めて取材の依頼をさせてもらうってさ」 それぞれの担当者が報告する。 俺には担当が当てられていない。 いわゆる遊撃人員だ。 仕事の手伝いだけでなく、誰が厳しそうとか辛そうとか、精神的な部分も見られればと思う。 ドアが開き、小太刀が入ってきた。 「お疲れ様ー」 「あらー、京子ちゃん、今日も綺麗ねー。そろそろいい人見つかるんじゃない?」 「近所のおばちゃんか」 「……で、何の用だ?」 「図書委員長の話……ようやく向こうの要望がわかったの」 秘め事を明かすように、小太刀が言った。 「ほんと!?」 「要望に応えれば、部室の問題はクリアということですよね」 「もっちろん」 「それで、具体的には?」 「あー、それねー、まーひどいのよ」 「何度聞いても言わなかった理由が、今日やっとわかったわー」 小太刀が含み笑いを洩らしながら、部室を行ったり来たりする。 そこまで大それた要望なのか? 「もったいぶるなって」 「OK、発表します!」 小太刀が手を腰に当てた。 「ズバリ、京子ちゃんの個人撮影会です」 「え?」 「委員長、京子ちゃんの大ファンらしいの」 「これから、個人撮影会に応じてくれれば、部室のことは完全にチャラにしてくれるって」 「なーんだ、そんなことか。筧、ちょっと行ってこい」 桜庭がPC作業をしながら、さらりと言う。 「お前さ、近所の煙草屋にお遣いに行くんじゃないんだぞ」 「もー、京子さんったら、たとえが昭和ー」 「平成生まれの肌、綺麗なうちに撮ってもらえよ」 「脱ぐの確定かよ」 「下着は無理だけど、ある程度の露出はいけるってことになってるから」 「なってるから、じゃねーよ」 「いいじゃない、減るもんじゃなし」 「あと、グッズも作りたいって言ってたから、こっちもOK出しといた」 「さすが小太刀さん、準備がいいね」 「いや、ちょっと……」 「筧先輩、図書部のためです」 「ためです」 二人が頭を下げた。 「……」 みんなが俺を見ている。 というか、視線で恫喝している。 まさか断らねえよな、と言っている。 「で、でもほら……今日、汗かいちゃったし、恥ずかしいな」 「むしろ喜ばれるかと」 「事務所通してもらわないと」 「いいよー、行っといでー」 「いや、つーか、脱いだら男だってバレるし」 「そこがいいんだってさ」 「その委員長、終わってるじゃん」 「はじめからわかってるだろ」 総括すると、どうやら俺は売られたらしい。 図書部のため……部室のためだ。 みんなの楽園を守るため、俺はちょっとだけ我慢をすればいいんだ。 無理矢理自分を納得させるものの、膝の力が抜けた。 「おっと」 倒れそうになるところを、小太刀に支えられる。 「(へへへ、腰を抜かすのはまだ早いぜ、お嬢ちゃん)」 耳元で小太刀が囁く。 「じゃ、悪いけど、京子ちゃん借りるね」 「(うん、撮影楽しみだな!)」 小太刀が謎の腹話術で、俺の気持ちとは180°違うことを言った。 いってらっしゃーい、という部員達の声が、ぼんやりと聞こえる。 顔は覚えていないけど、父さん、母さん……ごめんなさい。 6月に入り、ミナフェスの宣伝活動は本格化した。 連日のビラ配りに加え、掲示板や商店にはポスターの掲示。 ネット上では、オフィシャルサイトを充実させるとともに、参加団体にも宣伝をお願いしていた。 できる限りは頑張っていると思う。 頑張っているのだが、宣伝開始当初に比べると、明らかに話題が集まりにくくなっていた。 ウェブサイトの閲覧数や、問い合わせの数も横ばいになりつつある。 昼休み。 「ん〜、困ったなぁ……そうじゃないだろって話だよ、もう」 昼食もそこそこに、PCの画面を眺めながら桜庭が呻いた。 このところの桜庭は多忙を極め、食事中もPCで何やら作業をしている。 宣伝活動はおおむねルーチン化したものの、今度は当日に向けての作業が増えたのだ。 会場やステージ・音響担当者との打ち合わせ、参加団体や一般客からの各種問い合わせ。 加えて、チケットやイベントの詳細が入ったビラやポスターの制作など、デザイン関係の作業も引き受けている。 問い合わせについては、回答マニュアルを作って御園や佳奈すけも協力しているが、その他の部分は分業が難しい。 昼食と一緒に栄養ドリンクを一気飲みするその後ろ姿には、男の俺でもほれぼれする。 「桜庭さーん、こってますねぇ」 佳奈すけが桜庭の肩を揉む。 「あー、気持ちいい」 「これからは、一家に1人、鈴木佳奈の時代だな」 「過分なお言葉でございます」 あの日以来、佳奈すけから、図書部を抜ける抜けないの話は聞いていない。 周囲も気づいていないようだし、自分で何か考えているのだろう。 「チケットの予約はどうだ?」 「まだ30%といったところだ。完売は遠い」 「残ってる宣伝のネタはラジオ出演だけか……白崎のトークに期待だな」 「白崎のトークか……」 みんなで部室のスピーカーを見上げた。 間もなく、白崎が出演するお昼のラジオが始まる。 その前にトイレでも行っておくか。 「ちょっとトイレ。緊急で」 「そんな報告いらないです」 昼食中、席を立つ。 部室を出て、さりげなく貸し出しカウンターの方を窺う。 小太刀は見当たらない。 「……」 小太刀の観察を初めて5日が過ぎた。 今のところ怪しい点は見当たらない。 クラスや専攻など一般的なことも調べてみたが、こちらも不自然なところはなかった。 やはり、小太刀は羊飼いでも何でもないのか。 それとも、観察しているのがバレたのだろうか? いや、俺くらいの図書部員になれば、存在感の薄さは折り紙付きだ。 自動ドアのセンサーにも無視されるのに、小太刀に気づかれるわけがない。 ……妙に寂しい気分になった。 ま、トイレ行くか。 同時刻、図書部部室。 「さて諸君、一つ聞いてほしいことがある」 「率直に言うと、最近、筧が小太刀を追い回しているらしい」 「ストーカーですか、さすが筧先輩」 「まずは、目撃者の証言を聞いてもらおう」 桜庭が佳奈すけを促す。 「そーなんですよー。筧さんが、本棚の整理をしている小太刀さんをじっと見てるんです」 「それも、1回や2回じゃなくて、ここのところずっとなんです」 「あれは、狙ってる男の目でしたよ。ほんと男の人って怖いですよねー」 「まさかまさかの、筧・小太刀ライン成立か」 「家も隣同士ということですしね」 「両方一人暮らしじゃ、こりゃもう止められないね」 「筧も、俺たちの知らない間に大人の階段を駆け上がってくんだなあ」 「筧め、破廉恥な……」 「あれ? 姫は筧が気になる?」 「ま、まさか、馬鹿らしい」 ぷいっと顔を逸らす桜庭。 「はぁ……やっぱり、男性は胸なんですかねえ」 「違うと信じたいけど」 「筧は知らんが、俺は違う。女の子は中身だ」 「小狡く点数を稼ぐな」 「ともかく、身内にストーカーがいるのはよろしくない。犯罪になる前に止めてやるのも友情だろう」 「ですね。仮に純愛だとしても、ストーカーはダメゼッタイです」 「私はどうでもいいですけど」 「千莉ちゃん、覇気がないぞ。2人がこんなに浮き足立ってるのに」 「う、浮き足だってなんかないですよね、桜庭さん?」 「もちろんだ」 トイレから戻ってきた。 何故かみんなの視線が冷たい。 「なんかあった?」 「いや……それより、ラジオが始まるぞ」 「そうだったそうだった」 椅子に座るとほぼ同時に、ぷつり、とスピーカーから音がした。 「はーい、皆さんこんにちは。6月4日、ランチタイム・アベニューの時間です」 「ずいぶん暑くなってきましたけど、みなさん早くもバテてませんかー?」 「わたしは、暑い方が好きなんで、むしろ盛り上がってきたーーーって感じです」 「今日も元気いっぱいで、お送りしていきますよー」 「あ、そうそう、今日は素敵なゲストさんも登場しますよ。今、学園で話題のあの人です!」 「それでは、これからの約30分、わたし、パーソナリティーの芹沢水結と一緒にお散歩しましょう」 いつもの調子でラジオが始まった。 しばらくは季節の話題や購買部の情報などが流れていく。 ラジオは、図書部を知らない人の耳にも入る。 上手くアピールできれば、一気にお客が増える可能性を秘めた媒体だ。 白崎には何とか頑張ってほしいものだが。 「では、ここからはゲストの登場です」 「今話題の、図書部で部長を務めている、2年R組、白崎つぐみさんでーす」 「あ、ど、どうもこんにちは、図書部の白崎つぐみです」 緊張気味の声が聞こえた。 「普通だ」 「普通ですね」 「白崎さんにパンチのある登場は無理だと思いますが……」 白崎にできるとすれば、滑り芸だろう。 例えば── 「それでは、今日のゲストの登場です」 「皆さんこんにちは、いつも心は真っ白、頭も真っ白、白崎つぐみです☆」 といった感じの痛さで失笑を狙っていく方向か? しかしこれも、毎週恒例くらいにしていかないと芸として成立しないな。 「筧、なにブツブツ言ってんだ?」 「いや、なんでもない」 「図書委員長に掘られてからキャラ変わったよな……みんな心配してるぞ?」 「もう100回くらい否定したけど、掘られてないからな」 「あと、心配するくらいなら最初っから売るなよ」 あの撮影は悪夢だった。 毛穴まで照らし出す強烈なライト、耳を犯していくシャッター音。 そして……ああ……。 徐々に大胆になっていく自分自身。 俺はもう、終わりのない旅に出てしまったのかもしれない。 「悪夢だ……」 「静かにしてくれ、白崎の話が聞こえない」 そうだった。 「なるほど。今回の企画は、これからメジャーになっていこうとしているクリエイターを応援するものなんですね」 「はい。色んなジャンルの団体が登場しますので、ぜひ見に来て下さい」 「私も駆け出しの声優ですから、こういうイベントはどんどん応援していきたいです」 「では、MCとして応援していただけませんか?」 「……はい?」 「ですから、当日、ステージのMCをやっていただけませんか?」 一瞬。 おそらく錯覚だが、学園中がざわつくのを感じた。 「あの、私が?」 「はい。ぜひ一緒に、ミナフェスを盛り上げて下さい」 「えーと……」 スピーカーから流れる音が、途切れた。 「ちょっと……これ……放送事故」 「白崎の奴、社交辞令を真に受けたのか……」 御園と佳奈すけにいたっては、絶句である。 「一緒にやりましょうよ、芹沢さん」 「え、えーと……ちょっとスケジュールを」 「……え? なに? 大丈夫? ……マネージャーさんが大丈夫って言ってます」 「ホントですか!?」 「はい、喜んで」 「ありがとうございます!」 芹沢さんの手を握っている白崎の姿が目に浮かぶ。 「みなさん、突然ですけど、私がステージのMCを努めることになりました」 「よろしくお願いしますね」 話がまとまってしまった。 「……というわけだ」 桜庭がにっと笑う。 「茶番ですね」 「もちろん。ぶっつけ本番で断られでもしたら目も当てられないだろう」 桜庭の話によると、芹沢さんにMCをお願いするのは白崎の発案らしい。 ラジオへの出演を了承する際に、気合いで頼み込んだとのことだ。 仕事をしてもらう以上、もちろん事務所にも話は通してある。 「台本のことは聞いてなかったから、今日現場で調整したんだろう」 そういうことか。 白崎、よく頑張ってくれたな。 「本職の声優さんが司会をやってくれれば、お客さんが集まるかもですね」 「けっこう人気あるみたいだし、期待できるんじゃない?」 これでチケットの売り上げが伸びればいいのだが。 どんな効果が出るか、今から楽しみだ。 「そうそう。今日は放課後に出演者向けの説明会があるから、5限が終わったらなるべく早く部室に来てほしい」 「はいよ」 「(佳奈、今日って第3食堂のフルーツビュッフェ)」 「(あ、忘れてた)」 1年生がこそこそ喋る。 「桜庭さん、若干遅れるかもしれません」 「すぐ来いよ」 「おうふ」 桜庭の鋼の笑顔に、佳奈すけは屈した。 放課後。 予定通り出演者向けの説明会を実施した。 前回は、あくまでどのようなイベントにするかの意見交換会だったが、今日は説明会である。 図書部は、ミナフェス主催者として参加者にイベントの詳細を説明していく。 教室には熱気が満ち、当日に向けてテンションが上がってきているのがわかった。 「そ、それでは皆さん……当日は、全力でお客様を楽しませてあげて下さい」 「みんなで、ミナフェスを盛り上げて……ええと……みんなで盛り上げていきましょう!」 最後の言葉を喉から押し出し、白崎が頭を下げた。 思わず俺も拍手をしていた。 流暢というにはほど遠いが、スピーチの形にはなっていた。 「(筧くん、やったよ)」 白崎が教卓のところからサムズアップをしてくる。 ばっちりだったぞ、と俺もサムズアップを返した。 「……」 ちょこちょこアドバイスの真似事はしたが、すべては白崎の努力の成果だ。 この調子であがり症が改善していけば、ミナフェス当日の主催者挨拶も乗り切れるかもしれない。 「あのー、桜庭さん?」 「……え? あ、どうした?」 「プロジェクターって、どこに返すんでしたっけ?」 「ああ、視聴覚準備室だ。これが鍵」 「ういす、行ってきます!」 「頼んだぞ……」 出演者説明会を終え、一人部室に戻る。 忘れ物の確認や鍵の引き渡しがあったため、みんなには先に部室へ戻ってもらったのだ。 「ああ……」 空を見上げると、街が明るいせいで星があまり見えなかった。 もしかしたら、この学園に綺羅星のごとく集う才能に遠慮しているのかもしれない。 汐美学園の中にあっては、自分など……。 溜息をつくと、白崎の表情が思い起こされた。 あいつ、最近は筧をずいぶん信頼してるみたいだな。 二人の間に、私の知らない会話やアイコンタクトがあると、何とも言えず寂しい気分になる。 いやいや、白崎をサポートしてくれるメンバーが増えるのはいいことなんだ。 悪いのは、何事につけ不純で、実力もないくせに努力をしない自分だ。 「駄目だな……私は……」 思っていることが口をついて出た。 駄目なら対策を考えて実行すべきだ。 だが、そうする気力もない。 無為な自分を取りあえずは責め、鬱屈だけを内部で膨張させながら、いずれ爆発するであろう自分をぼんやりと眺める。 スイッチの入った時限爆弾を手の中で弄ぶような行為に、ささやかな慰めを感じている自分は本当にみっともないと思う。 例えば、御園のような才能が自分にあったら── 白崎のような純粋な強さがあったら── 鈴木のような器用さがあったら── 「あー、くそ、いかんな」 思考が暗い、暗すぎる。 ミナフェスに向け、もっともっと頑張らなくては。 こんなところで立ち止まるわけにはいかないんだ。 「よしっ」 頬を叩いて気合いを入れ、重い身体を部室へと運ぶ。 「(私みたいな人間が、過労になるのかもしれないな)」 などと思ったが、忘れることにした。 桜庭が戻ってきて全員が揃った。 「お疲れさん」 「待っていてくれたのか」 「先に帰るわけないじゃない、もう」 白崎が困ったように笑う。 「そうそう、リラックスするハーブティーをいれたから、玉藻ちゃんも」 白崎がマグカップにお茶を入れて桜庭に渡す。 「ありがとう……ああ、落ち着くな」 桜庭が、一口味わって目を細めた。 「玉藻ちゃん、私の今日の挨拶はどうだった?」 「ん? ああ……」 桜庭が、情景を思い出すように天井を眺めた。 「以前より、ずいぶん良くなったと思う」 「良かった……実はね、この本のお陰なの」 付箋がべたべた貼られた本を白崎が胸に抱える。 もちろん俺が貸した本だ。 「知識だけでなく実践練習もした方がいい。なんなら私が聴衆になろう」 「うん。今は、ときどき筧くんに聞いてもらってるんだ」 屈託のない表情で白崎が言う。 「なんだ、筧が聞いてやってるのか」 「……なら良かった、頑張って続けるんだぞ」 桜庭が微笑む。 こっちは屈託がありそうだ。 「しかし、つぐみちゃんのあがり症が治っちゃうと、あの声がもう聞けなくなるのか」 「貴重だと思うんだがなあ……」 「高峰くん、わたし、好きであの声出してるんじゃないからね……」 高峰の気持ちもわからなくはなかった。 男の子だしね。 ノックもなく、いきなりドアが開いた。 誰だろう? 小太刀か? ……。 …………。 「のわっ!?」 「えっ?」 椅子に体育座りしていた御園が、ずり落ちそうになった。 現れたのは、俺……京子だ。 「一体どういうこと?」 「わたし京子。今夜は何だか酔っちゃったみたい」 「ぐっ……ごほっ……」 桜庭がハーブティーを吹きそうになるのを必死に堪えた。 「俺の京子ちゃんはそんなこと言わないしトイレにも行かないっ」 高峰がずばりと立ち上がる。 そして、京子を指さした。 「お前、偽物だな!」 「ふふふ……よくぞ見破った」 京子の裏から小太刀が現れた。 あれ? よく見れば、この京子には厚みがない。 というか、俺自身が椅子に座っているのだから、あれが本物の京子であるわけがない。 「なんだ、等身大ポップか」 「だったら、本人と見間違えてもしかたないですね、はははは」 「まったく、驚かせやがって」 みんなで笑った。 「いや、ちょっと待てよ! いつの間に作ったんだよ」 「図書委員長が、撮影した写真を元に作ったんだって」 「いやいやいや、そういう話じゃなくて」 「グッズの制作許可も出したって言ったじゃない」 契約書詐欺かよ。 「で、こっちが抱き枕カバー」 小太刀が持っていた袋から布を出し、机に広げる。 少し服をはだけた京子が、恥ずかしそうに横たわっている。 「はぁー、京子ちゃん、ずいぶん思い切っちゃいましたねー」 「普通に可愛いのが、ちょっとくやしいね」 「サンプルってことで、図書部に進呈するから」 小太刀が、よっこいせと、等身大パネルを部屋の隅に置いた。 「いらないって」 「私だって持って帰れないし」 「だいたい、ここまで持ってくるのも恥ずかしかったんだけど」 ぷりぷり怒っている。 「どっかに捨ててくれ」 「自分でやってよ」 「ゴミ箱にこんなのが入ってたら、シュールですね」 「夢に出るかも」 言われてみれば……。 かといって、細かく裁断するのも気が引ける。 「ま、楽しみようはいくらでもあるから、ありがたくもらっておこう」 「そうそう。なんなら俺がもらうし。な、ギザ」 「ふぁうっ、ぽうっ!」 発情したギザが、ムーンウォークで等身大ポップに近づいていく。 ああ……図書委員長の次は、あいつに汚されるのか。 京子の人生は多難であった。 「あ、そういえば、小太刀さん、部室の件ありがとう。お陰で出て行かずに済んだよ」 臭いものに蓋をするように、白崎が話題を変えた。 「ま、こっちはその分の対価をもらってるから別にいいよ」 小太刀がちらっと俺を見た。 俺たちが支払った対価は、結構な量の奉仕活動。 あとは、俺が小太刀の未来を見たことと、テレビを見せてやる約束くらいだ。 「そーいや、筧、約束覚えてる?」 「明日のことな? もちろん」 「そそ、よろしくね♪」 「んじゃ、私はこれでー」 小太刀が出て行った。 展開がショッキングすぎて忘れていたが、今日も小太刀はいつも通りだった。 羊飼いのヒントらしきものは、なかなか見つからないな。 「ふう……」 息を吐いて顔を上げると、みんなが俺を見ていた。 「(約束? 明日?)」 「(危ないぜー、これは危ないぜー)」 「(指導対象だな)」 「(そういえば、前に誰かからメールもらってたよね)」 「(まさか、あれも〈KDC〉《ケーディーシー》から)」 こそこそ喋っている。 「ん? 何?」 「あーいや、ずいぶん小太刀と仲が良くなったんだな」 「前から変わらないと思うけど」 「そ、そうかな? 明日約束もしてるみたいだし」 「テレビ見に来るだけだって。小太刀んちのテレビが壊れてるから」 高峰がこっちをニヤニヤ見ている。 なるほど、邪推してるのか。 小太刀を尾行している身としては、変な噂は立てられたくない。 「何を考えてるか知らないけど、小太刀とは何でもないからな」 「みんなそう言うんだよねー。芸能人もそうじゃん」 「芸能人じゃないから嘘はつかん」 「そうかな……ならいいけど」 白崎が歯切れ悪く言う。 「邪推はやめてくれ。俺は平穏無事に生きるのが目標なんだ」 「割とつまらない目標ですね」 「ストレートすぎるわ」 しかし、このまま小太刀を観察していても、らちが明かないな。 何か対策を考えよう。 「♪〜♪〜♪〜」 初夏の休日。 しかも天気は快晴。 誰でなくとも心躍るその日に、白崎つぐみは手作り雑貨の素材を買いに出ていた。 「はっ! あれは!」 周囲の注目を浴びつつ、白崎は自販機の陰に身を隠す。 視線の先に、見知った人を見つけたからだ。 小太刀凪、部内コードKDC。 何故身を隠したのか自問するのもそこそこに、白崎の頭の中では、昨日の筧と小太刀のやりとりがフラッシュバックしていた。 今日は、小太刀が筧の部屋に行く約束があるという。 テレビを見るだけだと言っていたが、本当にそれで済むのだろうか? もしかしたら、今から二人で会って、一日楽しんだ後に、家に帰って……ああ! 破廉恥な想像を振り払うべく、白崎は自販機に頭突きを入れた。 そうこうしている間に、小太刀がどこかへ向かって歩き始める。 導かれるように、白崎もその後を追って歩きだす。 ……。 同時刻、自販機に頭突きしている不審者を、二人の少女達が目撃していた。 本屋に来ていた御園と鈴木だ。 「あれ、白崎先輩だよね」 「うん、自販機に頭突き入れてたように見えたけど、気のせい?」 御園が首を振る。 確かに自分も見たと。 「ちょっと追いかけてみようよ」 「♪〜」 鼻歌を歌いながら小太刀が歩く。 突然脇道に入ったり、何かを見てうなずいたり、ウインドウショッピングをしているようで、散歩しているようにも見える。 「(何してるんだろ?)」 小太刀を15メートル後方から尾行しながら、白崎は首をひねる。 と、小太刀が立ち止まった。 慌てて物陰に潜む白崎。 おそるおそる顔半分を出すと、小太刀が誰かと話しているのが見えた。 「小太刀じゃないか」 「あれ、桜庭じゃん。何やってんの?」 「備品の買い出しだ。そっちは?」 「ま、散歩かな。天気もいいし、ぶらっとね」 「ふうん、そうか。では、また週明けに」 さらりと挨拶をして別れる二人。 だが、桜庭は10メートルほど歩いてから、くるりと回れ右。 小太刀を尾行し始めた。 「(あ、あれ? 玉藻ちゃんが小太刀さんを尾行?)」 困惑しながらも、白崎は小太刀を追う桜庭の背中を追うことにした。 こうして、4時間にわたる尾行劇が幕を開けたのだった。 週末を挟み、事態は想像以上の展開を見せていた。 芹沢さんがMCを担当してくれるというニュースは、その日のうちにネットを駆け巡った。 どこから流れたものか、校内放送の音声も動画サイトにアップされ、かなりの再生回数をたたき出している。 土曜日には、ずっと掲載を渋っていたウェブニュースから取材が入った。 今日あたり、記事がアップされることだろう。 チケットは昨日までに完売し、桜庭のPCには追加販売を希望するメールが山のように届いている。 「すごいことになってきたね」 回り続けるウェブサイトのカウンターを見ながら、白崎が息を飲んだ。 「追加販売を希望しているのは、みんな芹沢さんのファンですか?」 「いや、割合は多くないと思う」 「今メールを送ってきているのは、どちらかというと普通の生徒だろうな」 「ファンの人は反応が早いんだと思う」 なるほどーと佳奈すけが納得する。 「2000枚完売だなんて、驚きです」 「喜んでばっかりはいられないみたいだ」 携帯をいじっていた高峰が呟いた。 「今、オークションで、1枚5000円くらいで入札入ってるぞ」 「5000円!?」 「こ、これは……一儲けできそうですね。じゅるり」 佳奈すけがよだれを拭うふりをする。 人気が出るのはありがたいことなのだが、面倒なことでもあった。 チケットを入手できない人が増えると、不満ばかりが大きくなり、ミナフェスの印象が悪くなる。 当日会場に押しかけたり、チケットを偽造する人も出てくるだろう。 「これは……」 携帯を見ていた桜庭が、苦しげな声を上げた。 「みんな、ウェブニュースを見てくれ」 いつも見ているニュースの画面。 トップには図書部の記事があった。 「まずいね、これは」 見出しには『生徒会に対抗する新しい動き』とあった。 ニュースの記事は、確かに図書部の特集ではあったが、企画の意義を大幅に曲解したものだった。 すなわち、図書部の企画は、小回りの利かない生徒会への不満が顕在化したものだというのだ。 そして、図書部の今までの活動を反生徒会活動と位置づけ、新しい学園の潮流としてまとめていた。 「わたし、こんなこと言ったつもりないのに」 白崎が今にも泣きそうな顔をする。 「対立の図式を作って盛り上げたかったんだろうな。ちょいと利用されたかもね」 「ちょいとどころじゃない! 白崎がこんなことするかっ」 桜庭が珍しく声を荒げた。 机を叩こうと振り上げた手を、なんとか空中で止める。 身に染みついた躾がそうさせたのだろう。 桜庭は、少し悔しそうに手を下ろし、深呼吸をした。 「ともかく、まずは新聞部への抗議と記事の修正依頼。これは私がやる」 「あと、会場の拡張とチケットの追加発行についてはどうする?」 「要望のメールの数から考えれば、500枚の追加なら問題なく完売できると思う」 「なら、追加発行した方がいいと思う。できるだけたくさんの人に来てもらった方が、出演者も喜ぶと思うから」 桜庭は、目で異論がないか確認し、佳奈すけに学食との調整を指示する。 間髪入れず、メールを作成し始めた。 「何がどう転ぶかわからないもんだなぁ」 「だから面白いんじゃないですか」 「そうそう。すんなり行っちゃ拍子抜けするってもんだ」 やや沈んだ空気を2人が盛り上げる。 「これくらいのトラブル、当たり前のことです。頑張りましょう」 「うん、そうだね」 白崎も笑顔になった。 ドアがノックされた。 小太刀かな? ……。 …………。 待っていても入ってこない。 再度のノック。 どうやら、小太刀じゃないな。 「どうぞー」 「こんにちは、今よろしいかしら?」 2人の登場に、部室が静かになった。 「も、もちろんです」 1年生2人が折りたたみ椅子を新たに出そうとする。 「立ったままで結構よ。ありがとう」 長居する気はないということだろう。 望月さんは入口の傍に立ち、多岐川さんはその半歩後ろにいる。 「ご用件は?」 桜庭がPCから目を上げる。 「あら、少し痩せたんじゃない?」 「それはどうも」 桜庭の場合、多忙でやつれたが正解だ。 「今回のイベントですが、大変な盛り上がりで何よりね」 「ウェブニュースの記事も、興味深く拝見しました」 「あの記事は誤解なんですっ、生徒会に対抗しようなんて思ってません」 白崎が立ち上がって訴える。 「それはわかっているから心配しないで」 「メディアというものは、なんでもセンセーショナルにしたがるものだから」 望月さんは優しい表情で受けた。 「ただ、事実と異なっているとしても、世論形成によって外濠を埋められるということもありますから、その点は注意した方がいいかと思います」 「私達の意思とは関係なしに担ぎ出されることもあるということか」 「仰る通りです」 「例えば、生徒会選挙などは対抗馬がいた方が断然面白いですし、また、面白さを期待する人も多いですから」 ありそうな話だ。 聞いた話では、うちの生徒会は支持率が高いため、世襲に近い形で会長職が引き継がれているらしい。 見世物としてはまったく盛り上がらない選挙だ。 「順当に行くと、次の会長は多岐川さんになるのかな?」 「私の口からはなんとも」 「頑張って下さい、応援してますね」 白崎がにこやかに微笑む。 「え、はあ……どうも」 多岐川がぺこりと頭を下げた。 「話を戻していいかしら?」 腕組みをしていた望月さんが、笑って言った。 「本題だけれど、結論から言うと、ミナフェスの主催を名義だけ生徒会にしたらどうかと思ってるの」 「名義だけの話だから、実際の運営は今まで通り図書部のみなさんに担当してもらうわ」 「それ、何かいいことあるんですか?」 「でなければ提案しないわ。順を追って説明するけど……」 と、望月さんが考えを説明してくれる。 1点目は金の問題だ。 ミナフェスでは、百万を越える大金が現金で動く。 紛失や盗難などの金銭トラブルが発生した場合、信頼と実績の生徒会の方が安全に処理できるとのことだ。 例えば、金が盗まれて学食に未払いが発生した場合、生徒会ならプールしてある資金から取りあえずの支払いをすることもできる。 2点目は学校側へのポーズだ。 1000人を越える生徒が集まり、なおかつ金が動くイベントとなると、学校側も安全確認その他で口を挟んでくる可能性が高い。 そのとき、生徒会なら、うちが責任を持ってやりますで話が終わる。 しかし、謎の文化部では、余計な手間がかかるだろうとのこと。 3点目は現在進行形の問題。 ミナフェスへの問い合わせが、学校や生徒会に多数寄せられているらしい。 主催の図書部に問い合わせるよう案内すると、たらい回しだとキレられたりするらしい。 「……というわけで、いかがかしら?」 生徒会は善意で提案してきているように聞こえる。 図書部にデメリットもないような気がするが。 「少し相談させてもらえますか? 返事はいつまでにしたらいいでしょう?」 「早いほうがいいから、明日か明後日だと助かるわね」 「わかりました」 「準備で忙しいでしょうけど、大切なことだから、皆さんで相談してみて」 「こういった素晴らしいイベントが、生徒会以外から出てくるのはとても良いことだと思っています」 「ぜひ、無事に成功させて下さいね」 それではと言って、望月さんと多岐川さんは帰っていった。 全員が、溜めていた息を吐いた。 緊張したな。 「また難しい話が湧いてきたな」 「え? こっちとしては大助かりじゃないですか?」 「本当にそうか?」 「ミナフェスが成功した後、生徒会があれは私達が主催でしたと言いだす可能性もある」 「そこまで小狡いとは思いたくないが、可能性は否定できない」 「なるほど……」 考慮しておいた方がいいか。 「でも、何かあったときのことを考えたら、立派な保険だと思います」 「タダで入れる保険はないからなぁ」 「冷静になって考えてみようじゃないか」 むう、とみんなが唸る。 桜庭はボールペンで頭をかき、佳奈すけは机に突っ伏す。 御園は、膝を抱えて椅子の上で体育座りになった。 白崎は困惑気味に眉をひそめ、何やらうんうん唸り始めた。 40分ほど議論をしたが、結論は出ない。 「ちょっと休憩にしよう。15分後に再開で」 はあー、と誰ともなく溜息が漏れた。 同じ議題で議論をするにも限界がある。 「外の空気でも吸ってくるわ」 言い置いて外に出た。 図書館近くにあるベンチに陣取った。 背もたれを使って大きく背伸びをする。 もう、ベンチの後ろの地面が見えそうなほどの背伸びだ。 背骨が軽く音を立て、何か堰き止められていたものが流れ始めるような快感があった。 ああ、気持ちいいな……。 「こちょこちょこちょこちょっ!」 「おはわあっ!?」 脇腹をくすぐられた。 慌てて身体を起こす。 「ふふふ、脇がガラ空きだぜ」 言ってから、右手を拳銃に見立て、人差し指の先の煙をふうっと吹いた。 えーと……、まあスルーしよう。 「いきなりくすぐるのは反則だぞ」 「筧くんは、これくらいされて当然なんです」 ぶすっとした顔で言って、白崎はとすんと隣に座った。 「俺、なんかしたっけ?」 「べーつに。ただ、土曜日は楽しかったかなーと思っただけ」 つーんとしている。 土曜といえば、本を読んで、小太刀とテレビを見ただけだ。 やっぱり、みんなは俺と小太刀とのことを邪推しているらしい。 こっちはテレビを見てただけだし、そもそもは部室を守るための取り引きだったんだが……。 面倒だし、話題を変えてしまおう。 「白崎も外の空気を吸いに来たのか?」 「え? うん」 不意を突かれた顔をしてから、白崎はうなずいた。 「望月さんの話、迷ってて」 「難しい話だよな」 「わたしには、望月さんが手柄を横取りしようと考えてるとは思えないの」 「あの人は、曲がったことは嫌いな人だよ」 「俺も同じ意見だ」 「だから、主催の名義だけ替えるっていうのは、正解な気もするんだけど……」 白崎が迷いを見せる。 もしものことを考えれば、生徒会に後ろ盾になってもらうのは悪いことじゃない。 それでも、抵抗はあった。 実際に生徒会の世話にならなくても、主催の名義が変わったというその一事が本質を曲げる気がする。 もはや、面子とか気持ちの問題だ。 「これは、ゼロイチの世界だと思うんだ」 「少しでも手を借りたら、ミナフェスは俺たちがやったって言えなくなる気がする」 「実際に手伝ってもらわなかったとしても?」 「ああ」 「上手く言えないけど、図書部は独立してないといけないと思う」 「生徒会に協力することはあっても、下についたら図書部はもう図書部じゃない気がするんだ」 図書部に入った当初なら、こんなことは考えてなかった。 二ヶ月近く図書部として活動してくる中で、独立心みたいなものが生まれていたらしい。 「そっか……そうだよね」 白崎の表情が明るくなった。 「わたしも、そこで迷ってたの」 「何を一番に考えたらいいのかわからなくなっちゃって」 白崎は自分の意思を確認するように何度もうなずき、手をしっかりと握った。 「筧くんのおかげで、考えがまとまったよ。ありがとう」 「いや、俺も、白崎と話して自分の気持ちがわかったよ」 「いえい」 「おっす」 自然とハイタッチをした。 「さ、行くか」 「うん、みんなに話さないとね」 どちらからともなく立ち上がり、部室へ向かって歩きだす。 俺たちの考えは利口じゃない。 でも、図書部のみんななら、わかってくれるはずだ。 なんと言っても、利口ならこんな部活には入らないからな。 会議が再開されるなり、白崎は口を開いた。 「わたし、ミナフェスの企画を思いついたときに、図書部にしかできないことって何だろうってことから考えたの」 「結局、図書部の強さって自由なことだと思うんだ。予算ももらってないから何でもできるしね」 白崎がみんなに微笑みかける。 「でも、書類上でも生徒会のお世話になっちゃったら、きっと自由ではいられないよ」 「ましてや、お金とか学校への挨拶とか、そんなところでお世話になっちゃったらなおさら」 「何かしてもらったのに無視できるほど、図太くないし」 『ふうん』とか『なるほど』とか、呟きが聞こえる。 「望月さんの言った通り、責任が重かったり、学校から信頼されないこともあると思う」 「でも、自由でいるために、わたし達だけでやっていこうよ」 あがり症とは思えないほど、芯のある声だ。 こんなスピーチをミナフェス当日にできたら、多くの人を魅了できるんだろうが。 「自由、か」 「自由ですか」 ほとんど同時に呟いて、2人が一瞬目を合わせた。 「白崎さんに熱く語られると、いっちょやってみるかって気になりますよね」 「たいがい不器用な生き方だけどな」 図書部の活動方針に関する限り、白崎はいつも直球勝負だった。 凹凸だらけの毎日を真っ直ぐに進むことは、平らな場所を探して進むことより難しいし、頭が悪い。 にもかかわらず白崎を応援したくなるのは、彼女に自己陶酔的な部分が見えないからだ。 格好をつけて厳しい道を進む奴は少なくない。 そういう感情なしに真っ直ぐ進める白崎は、珍しいキャラだと思う。 人を見るのが趣味な俺としては、興味を引かれることこの上ない。 「ここまでわたしたちでやってきたんだから、最後までやってみようよ?」 白崎の声に、みんながうなずいた。 「ありがとう、みんな」 白崎が部員の顔を順に見る。 最後に俺と視線を合わせ、小さくうなずいた。 「では、望月に連絡しよう。連絡先がわかるのは……」 「俺がわかる」 携帯で望月さんの番号を呼び出す。 「ほれ、部長」 「え? わたし?」 「部長が返事するのが筋だろう」 白崎がためらう。 「無理なら、私が代わるか?」 例によって桜庭が助け船を出す。 白崎が控え目に俺と桜庭を見比べた。 「玉藻ちゃん、ありがとう。でも、わたしが部長だから」 「……そうか」 「発信のところを押せばOKだ」 白崎に携帯を渡す。 一瞬、指と指が触れ、白崎の緊張が伝わってきた。 「普通に喋れば大丈夫。筋が通らないことをしてるわけじゃない」 「うん、そうだね」 しっかりとうなずき、白崎は携帯に指を走らせた。 「ええ、わかりました。良いイベントとなるよう祈っています」 「何か力になれることがあったら、いつでも連絡を下さい」 望月は、通話の終わった携帯を2、3秒眺めてからデスクに置いた。 「今のところ、助力は必要ないそうよ」 「そうですか。会長が善意で提案したことを、はねつけるなんて……」 「恩を着せるつもりはないわ。貴女もそのつもりで」 「会長は、図書部に……いえ、筧君に甘すぎるように思います」 そう言って、多岐川は広い窓から遠くの図書館を見つめた。 「(でも、このくらいでなくては、面白くないものね)」 「……?」 この日の放課後から、チケットの引き渡しが始まった。 学食の隅っこを借り、そこに販売所を作る。 担当は御園と佳奈すけ、俺はサポートだ。 他の2年生は、各方面でミナフェスの準備に奔走している。 「1500円になります、ありがとうございます」 「はい、3500円のお返しです。ありがとうございます」 「お待ちの方は、横2列でお願いできますかー」 「引き替え用紙を忘れた? 確認しますので、ちょっとお待ち下さい」 「すみません、当日券はもうないんです」 こまごました対応をしながら、2人が困っていないか気を配る。 今のところ特に問題なく進んでいる。 「大盛況ですね」 ウェイトレスの仕事をしていた嬉野さんが話しかけてきた。 「ああ、嬉野さん。久しぶり」 「2500席ソールドアウトだそうで何よりです」 「お陰様で」 嬉野さんはにっこりと微笑んでから、1年生2人を眩しそうに眺めた。 「鈴木さんは、一生懸命やっているみたいですね」 「バイトと両立できているのが不思議なくらいだ」 「むしろ、忙しくなってからの方がバイトも上手くいっていますよ」 「なんと言えばいいんでしょう? すごく、ハリが出てきた感じがします」 「そりゃよかった」 「筧君の存在も大きいみたいですよ……あ、これは内緒ですけどね」 「どういう意味?」 「頼れる相談相手ということです。恋愛感情じゃなくて残念ですか?」 「さあ、どうかな」 佳奈すけが、俺を相談相手としてみてくれているのは嬉しい。 「もし鈴木さんが悩んでいるようなことがあったら、ぜひ相談に乗ってあげて下さいね」 「彼女、オープンに見えて、なかなか本音は言わないでしょう?」 嬉野さんが俺の目を見て言う。 もしかしたら、佳奈すけは嬉野さんにも相談しているのかもしれない。 ちょっと聞いてみるか。 「そういや、何か悩んでるみたいなんだ」 「前に話を振ってみたんだけど、なかなか話してくれなくて」 「あ、もう気づいてましたか。さすが天然ジゴロの呼び声高い筧君ですね」 「いやいや、どこ情報だよ」 「もちろん、鈴木さんですよ」 あいつ、学食で何を話してるんだ。 「で、佳奈すけのやつ、何か言ってなかった」 「うーん……。すみませんが、ちょっとわからないですね」 「筧君が知らないことを、私が知っているとも思えませんし」 「買いかぶられてる気がするけど」 「どうなんでしょうねぇ」 嬉野さんが、あっはっはと笑った。 「それはともかく……鈴木さん、今回の企画では大活躍ですね」 「学食を借りたいって言ってきたときなんか、かなり熱心に店長を説得してましたよ」 「説得が必要だったのか?」 佳奈すけの話だと、交渉はすんなり進んだ印象だったが。 「いえー、店長は渋ってたんですよ。何しろ、図書部ってよくわからないじゃないですか」 「しかも、かなりのお金が動きますから、『お願いします』『ハイ喜んで』とはなりませんよ」 「完全に支払い能力を疑われてましたね」 ストレートに言われた。 否定はできないが。 「そこを、佳奈すけが気合いで説得してくれたと」 「ですです。日頃真面目に仕事をしていた鈴木さんだから、店長も聞いてくれたんでしょうね」 「なるほど……まったく知らなかった」 苦労したなんてことは一言も言ってなかったな。 ま、あいつはそういう奴か。 「私、鈴木さんが熱心に語ってるのを見て、ちょっと嬉しくなったんですよ」 「それでまあ、こうしてお話をしたわけです」 「貴重な話をありがとう」 「佳奈すけは、自分が頑張った話なんか絶対しないからなぁ」 「ですねえ。恥ずかしがり屋さんですから」 「ま、ともかく、鈴木さんをよろしくお願いします。それじゃあ」 言いたいことを言って、嬉野さんは仕事に戻った。 「……」 予想外の話だった。 彼女が誰かに熱弁を振るってるところなんて、なかなか想像できない。 図書部のみんなに教えれば、佳奈すけの株も爆上がりするのだろうが……。 今まで言わなかったってことは、本人も望んでいないのだろう。 俺の胸一つにとどめておくか。 夜7時。 今日のチケット販売を打ち切った。 「お疲れさん」 片付けをしているところで、ぶらりと高峰が現れた。 「よう、どうした?」 「いやー、参加団体でドタキャンが出ちゃってね。代わりの出演者と話をしてきたんだ」 「んで、その帰り道」 事情はあったんだろうが、ドタキャンは困るな。 「ま、ホントのところは、現金輸送の用心棒をやれって桜庭に言われたんだけどね」 「珍しく高峰先輩が頼もしいです」 「高峰さんが来ちゃったら、持ち逃げは無理か……」 「いやいや、この金を持って、2人で駆け落ちすればいいのさ」 「おお! その手がありましたか」 佳奈すけが指を鳴らす。 「佳奈、乗らないで」 「おっと、危ない危ない」 2人が笑い合う。 ずっとチケット販売をやっていたせいか、テンションが上がってるみたいだ。 やっぱり、お客さんから直に『楽しみにしてます』とか言われると、気合いが入るよな。 「よし、片付けも終わったし引き上げるか」 学食にお礼を言って、部室に向かう。 部室へ戻り、一通りの報告をする。 販売したチケットの枚数と現金を数え、ミスがないことを確認する。 「あー、釣り銭ミスがなくてよかった」 「大金だから、緊張したね」 御園と佳奈すけが笑う。 「お疲れ様」 白崎が俺たちをねぎらってハーブティーを入れてくれる。 最初は変な味だと思っていたが、最近は慣れてきて、むしろ癖になりつつあった。 爽やかな香りに緊張がほぐれ、部室は和やかな雰囲気になっていた。 しかし、桜庭は一人黙然としている。 「御園、聞きたいことがある」 固い声で言った。 思わず高峰と顔を見合わせる。 「玉藻ちゃん……それは」 「話すなら早いほうがいい」 「でも……」 白崎は、桜庭の言いたいことがわかっているようだ。 一体何だろう? 「白崎さん、大丈夫ですよ」 「何か仰りたいことがあるなら伺います」 御園が固い敬語で応じた。 佳奈すけがこっちを向いて、『やばいです、やばい予感です』という視線を送ってくる。 俺と高峰で合掌すると、佳奈すけはぐったりした。 「1時間ほど前に、音楽科の教師がここに来た」 「お前を図書部から抜けさせてほしいということだ」 「……」 御園は表情を顔に出さず、机のギザを見つめている。 「6月19日は、有名な音楽家の特別レッスンがあるらしいな」 「教師陣の推薦があったにもかかわらず、断っているらしいじゃないか」 そういや、路電で遭遇した教師が特別レッスンがどうとか言ってたな。 しかし、6月19日は、言わずと知れたミナフェス当日だ。 「今まで、この手の話は何度かしたから多くは言わない」 「せっかくの機会なんだ。レッスンに参加した方がいい」 桜庭が諭すように言う。 対する御園は、姿勢も表情も変えない。 「ミナフェスに参加するつもりです」 「私は、今しかやれないことを優先したいんです」 「……」 聞き覚えのある言葉だった。 ……ああ、そうか。 以前、御園と部室で2人きりになったことがあった。 あの時、クロスワードのクイズに紛れ込ませて聞いてきたのは、このことだったのか。 なかなか洒落たことをする。 「御園は才能があるから、そう思えるのかもしれない」 「だが、どれだけ頑張っても、チャンスの欠片すら与えられない人もいるんだぞ」 桜庭の言葉に力がこもった。 「私がレッスンを受けようが断ろうが、その人にはどうせチャンスはありません」 「……」 「おお……」 思わず、高峰が呻いた。 御園の厳しい一面を見たな。 これが、実力の世界で生きているということなんだろうか。 「だからこそ、才能がある人間には期待が集まるんだろう?」 「御園は、努力では埋められないものを持っているんだ」 「先生は、こっちの言い分も聞かずに勝手に予定を決めているんです。応じる必要性を感じません」 「しかし、受けておいたほうが、のちのち御園のプラスになるんじゃないか?」 「なりませんよあんなもの。ただの、偉い先生のご機嫌取りです」 御園が、やや感情的に応じる。 「上のご機嫌を取っておくのも大事なことだ」 「じゃあ、ここでも桜庭さんのご機嫌を取りますか」 「……御園」 ぴしりと空気にひびが入る音が聞こえた。 「(のわー、千莉いかんって)」 「(はらはらはらはら)」 「(やばい、やばいぜ、これは)」 高峰がジェスチャーで何かを示す。 Y…… M…… C…… A…… 解読して損した。 つーか、意味がわからんわ。 「私は、御園のためを思って……」 「嘘です」 「桜庭先輩、いつから音楽科に詳しくなったんですか?」 「詳しくないなら、私にとって何が重要かなんてわからないじゃないですか」 「……う」 桜庭が言葉に詰まる。 そりゃ、専門じゃないんだから詳しいわけがない。 とはいえ、御園もそこを責めちゃいかんだろう。 「自分のことは自分で判断させて下さい」 「先生には、図書部に迷惑をかけないよう、きちんと言っておきます」 御園が話を強引に締めにかかった。 「今までだって自分で判断すると言っておいて、こうして教師がやってくるんだ」 「結局は、迷惑をかけないようにできないんだろう?」 「自分で好きにやるなんてのは、一番大変なんだ」 「つまり、私のことが信用できないってことですか?」 「そういうことじゃない」 泥沼だな。 このままだと人格攻撃に発展しかねない。 『ここは御園の言葉を信じよう』といったあたりを落としどころとするか。 「まあ……」 「桜庭さん、今回は千莉の言葉を信じてあげて下さい」 俺より早く、佳奈すけが口を開いた。 「ずっと一緒に準備してきたのに、最後だけ別々なんて辛いですよ」 「佳奈……」 「その代わり、また先生が来るようなことがあったらお説教ってことで」 佳奈すけが笑う。 桜庭が険しい表情で目頭を押さえた。 「玉藻ちゃん……」 「ああ……」 桜庭が大きく呼吸をする。 「わかった。御園を信じよう」 「ただ、さっき鈴木が言ったように、また教師が来るようなことがあったら考えてもらうぞ」 御園が安心したように息を吐いた。 「ま、そうならないように、頑張ります」 「ちょっと千莉、ちゃんとお礼言ってよ」 「はじめから言ってる通りだし」 2人で、きゃいきゃいやっている。 「あーもういい、ともかくトラブルは起こさないようにしてくれ」 「はい、わかりました」 御園が、気持ちの籠もっていないお辞儀をした。 「やれやれだ」 降参だといったジェスチャーを見せ、息を吐く。 しかし桜庭は貧乏くじを引いてるな。 言ってることは間違ってないのに、何となく悪役に見えてしまうなんて。 ざっと片付けを終え、解散の時間となった。 現金は、図書館事務室の金庫に保管してもらっているので安心だろう。 まだ作業があるらしい桜庭を残し、他のメンバーが部室から出ていく。 「あ、筧、ちょっと」 最後に部屋を出ようとしたら、桜庭に呼ばれた。 「悪い、先行ってて」 と、みんなを行かせ、俺は部室に残る。 「どうした?」 「あーその、なんだ…………御園のことなんだが」 桜庭が、少しためらって、2、3度唇を濡らした。 「……今日はさすがに嫌われた気がする」 そこを心配していたのか。 「御園は大丈夫だと思う。桜庭が御園のことを考えて怒ったのはわかってるはずだ」 「そうだといいが……」 「いや、もう私が嫌われるのはこの際いいんだ。そういう役割の人間は必要だろう」 「ただ、図書部のことを嫌いになられては困る」 「そうならないよう、フォローしてあげてくれないか?」 桜庭がか細く微笑んだ。 難儀な奴だ。 「任せとけ」 できる限り明るく言う。 「それより、桜庭が無理しすぎるなよ。みんな泣くぞ」 「もちろん」 元気とはほど遠い笑顔で言って、桜庭はPCに向かった。 部室を出る直前、もう一度桜庭を見た。 仕事を進めるというより、そこにいるのが仕事といった悲愴な顔をしていた。 「おー、悪い悪い」 図書館の外で、みんなが待っていてくれた。 「何? 告白でもされた?」 「まー、ちょっとな」 「ええっ!?」 いちいちオーバーリアクションな白崎である。 「よし、帰ろう」 「なあ、筧よ」 高峰が話しかけてきた。 「さっき、桜庭は大丈夫だったか?」 「告白ってのは冗談だぞ」 「んなこたわかってる」 高峰は真面目モードだった。 「今日のことだけじゃなく、少し前からピリピリしてる感じがするんだよね」 「ああ、溜ってるものがあるみたいだな」 やっぱなあ、と高峰が呟く。 「原因、何か聞いてるか?」 「いや、そっちは?」 「直接は聞いてない」 お手上げのポーズをする。 桜庭が内側方向に進んでいるのは何となくわかるが、細かいことは不明だ。 「お互い注意しとこうぜ」 「ほいよ」 高峰が、俺から離れ1年生コンビに近寄る。 またアホなことでも言ったのか、2人がキャーキャー騒ぎ始めた。 あいつも、なかなか掴みにくい性格だよな。 帰宅してから、御園に電話をかけることにした。 1回目は留守電。 30分後にもう一度かけると、5コール後に出た。 「いま大丈夫?」 「はい。すみません、お風呂に入っていて気づきませんでした」 「いや、こっちこそ遅い時間に悪い」 「ふふふ……それで、どうしました?」 「まあ、桜庭の話で」 少し声を低くして言う。 「……ああ」 御園の声も、少し沈んだ。 「帰りに引き留められたのは、その話でしたか」 「まあな……」 「ストレートに聞くけど、桜庭のこと苦手か?」 すぐに答えはなかった。 小さな呼吸の音が何度か聞こえる。 「嫌いじゃないです……得意ではないですが」 「今日も、私のことを考えて怒ってくれたのはわかっているつもりです」 「なら、もう少し柔らかい言い方をしてやってくれないか?」 「あいつ、あれで結構ナイーブだから」 「はい、すみません……」 声しかわからないが、反省しているようだ。 「あの、筧先輩?」 「ん?」 「私、むしろ、嫌われてるのはこっちだと思ってます」 「生意気ですし、言うこと聞きませんし……可愛くない後輩です」 御園は御園で気にしていたのか。 「桜庭も、御園を嫌ってなんかいない」 「ただ、あいつはきっちりしてないのが嫌なタイプだからな。その辺で多少ぶつかるんだろ」 「私も、自由なのは直さないといけませんね」 「御園は御園だし直す必要はないと思うよ。ただ、桜庭の気持ちもくみ取ってやってくれってだけで」 「俺だって、御園が授業サボってるって聞けば桜庭と同じことを考えるから」 「はい……」 電話の向こうでうなずいたのがわかった。 「あと、桜庭が言ってたけど、自分のことは嫌ってくれてもいいから、図書部は嫌いにならないでくれってさ」 「そんな、まさか!」 珍しく大きな声を聞いた。 「私は図書部が……」 「ま、まあ、割と嫌いじゃないです」 コケそうになった。 「ま、それでいいさ」 苦笑混じりに言う。 「いきなりは難しいかもしれないけど、機会があったら、少し桜庭としゃべってみてくれよ」 「けっこう偏屈で面白いぞ」 「ふふふ、では、筧先輩が悪口言ってました、というネタで話してみます」 御園が愉快そうに言う。 「んじゃま、電話はそういうわけでした。説教臭くて悪いね」 「いえ、電話をくれて嬉しかったです」 「いちいち仲裁に入るなんて、相変わらずお人好しですね、センパイ」 「病気みたいなもんだ。それじゃ」 おやすみを言って電話を切った。 この調子なら、深刻な喧嘩にはならなそうだ。 取りあえず目標を達した気がする。 「ふう……」 シリアスに人と接するのは疲れる。 でも、相談してくる人がいる以上、力にはなりたかった。 部内を見渡した感じ、こういう仕事に向いてるのは高峰か俺だろうし。 ま、ぼちぼちやっていこう。 この日の6限の授業は、教師が学会に行くとかで休講となった。 最近は、ミナフェスの準備が忙しく、のんびり本を読む間もなかった。 放課後までの短い時間だが、部室で読書でもしよう。 車内を赤い陽射しが満たしている。 このままどこか遠くへ連れて行ってくれそうな、ノスタルジックな光景だ。 「(あれ?)」 座席に見知った人がいた。 どうやら眠っているようだ。 うつむいているので顔は見えない。 しかし、あのきれいな黒髪とポニーテール、そして髪飾りは、桜庭に間違いない。 悪戯半分で、隣に座ってみた。 「すぅ……すぅ……」 路電の音に混じって、かすかに寝息が聞こえた。 よく寝てる。 図書館前の停留所が近付いた。 「すぅ……すぅ……」 車内アナウンスも流れているが、目を覚ます気配はない。 ぴくりとも動かず熟睡している。 連日遅くまで仕事をしている桜庭だ。 もう6限も始まっているし、寝かせておこう。 俺はどうしよう? 路電を降りて部室に行くか、それとも桜庭を見守るか。 「……」 ま、本を読むなら、どこにいても同じだ。 そう決めて、持っていた小説を開いた。 「ん……」 片道約10分の東西線を1往復したころ、路電が揺れた。 桜庭の体がこっちに傾き、俺の肩に桜庭の頭が乗る。 ふわりと、さわやかな香りが漂ってきた。 シャンプーか、日頃使っている洗濯洗剤の香りか。 「すぅ……すぅ……」 「……」 起きる気配ゼロだ。 桜庭が仕事好きなのをいいことに、俺達も頼りすぎてたな。 部員みんなが帰宅しても、桜庭は部室で作業。 それでも、弱音一つ吐かない。 しかも、最近はメンタル的に弱ってると来ていた。 もう少し、桜庭を大事にしないとな。 「……くしゅんっ」 いきなりくしゃみをした。 久しぶりに聞いた。 「あ……あれ?」 目を覚ました桜庭が、寝ぼけ眼で周囲を見回す。 やがて、俺と目が合った。 「筧……」 「よう」 「……ふえっ!?」 素っ頓狂な声を上げ、桜庭が身を離す。 「かっ、筧……なんで、いつから、どうしてっ!?」 桜庭が真っ赤になる。 「落ち着けって」 「いや、だが、しかし……す、すまない……」 胸に手を当て、桜庭が何度も呼吸をする。 「俺は、たまたま乗り合わせただけだ。変な意図があったわけじゃない」 「そうだったのか」 落ち着いてきたのか、桜庭の頬から紅潮が消えていく。 「すまなかったな、寄りかかってしまって」 「どうせ寄りかかられるなら、胸が大きい白崎の方が良かっただろ」 「なに言ってんだ、十分役得だったよ」 「……おまえ……そういうのは、好きな女に言うことだぞ」 「(本当に天然ジゴロだな)」 何事かを呟いて、桜庭は黙った。 しばらくの無言。 並んで座り、車窓を流れる校舎を眺める。 俺たちの距離は、触れているような触れていないような距離だ。 「昨日、御園に電話したよ」 「御園、怒ってないってさ。自分のことを思って言ってくれてるのはわかってるって」 「そうか……まずは安心した」 「むしろ、自分が嫌われてるんじゃないかって心配してたよ」 「私が、御園を、か」 桜庭が少し考える。 「何度か、御園みたいなタイプは苦手だって言ってたよな」 「苦手……というより、怖いんだろうな」 「怖い?」 〈鸚鵡〉《おうむ》返しに聞くと、桜庭は俺とは反対の側に顔を向けた。 膝の上に置かれた手が、固く握られている。 「上手く言えないが、御園のように才能も実力もあって、自分の世界があるタイプは触りにくいんだ」 「年上ならまだいいんだが、年下ならなおさらだ」 「ふうん」 気負うでも恥ずかしがるでもなく、桜庭が淡々と語る。 まるで他人事のようだったが、それだけ自分を冷静に観察していたということだろう。 「ミナフェスについて話し合ったとき、あいつが『自分に賭けよう』と言ったのを覚えてるか?」 「ああ」 借金ができたらどうするとか、ネガティブな意見が多く出ていたときのことだ。 「才能に恵まれた人間はやっぱり違うものだな。自分に賭けようなんて私には言えない」 「人間としての違いを見せられた気がして、正直、ぎょっとした」 「いつも後輩を引っ張らねばと思ってやっていたが、逆に引っ張られるなんてな」 いつもの扇子を口元に当て、くすくす笑う。 こういう仕草はやっぱお姫様だなあ。 「ま、才能があろうがなかろうが、配られたカードで勝負するしかないだろ」 「そうだな……わかってはいるつもりだ」 「俺から見れば、桜庭も才能に恵まれてるぞ」 「顔もいいし、頭もいいし、何より、みんなに必要とされてるじゃないか」 「おだてられても困る」 さらりと流す桜庭。 テレている様子もない。 ということは、フォローしてほしくて自分を卑下しているわけではないのか。 「他の奴は知らないけど、俺は図書部にお前が必要だと思うぞ」 「別に、仕事ができるとかそういうことはどうでもいいんだ」 「単純な話で、桜庭がいなくなったら寂しい」 桜庭が俺の顔を見た。 「さすが読書中毒だな。女に効く台詞をたくさん知ってる」 ふいっとそっぽを向いた。 綺麗なうなじに薄く血が上っている。 「最近落ち込んでただろ? 元気出せよ」 「桜庭がぴりっとしてないと、張り合いがなくて困るよ」 「大丈夫だ」 「桜庭は、無理してても大丈夫って言うタイプだと思ってるが」 「しつこいぞ」 「話を聞いてもらったから、もう大丈夫なんだ」 尻すぼみに、桜庭が言った。 なんだか、親に怒られた子供みたいだ。 「次は総合図書館前、総合図書館前」 「いい加減降りないと、追加料金だな」 「筧は先に降りてくれ」 そっけなく言われた。 「は? お前は?」 「用事を思い出した」 いかにも嘘っぽい。 「いいのか?」 「さっきも大丈夫だと言っただろ。本当に用事を思いだしただけだ」 ぎろっと睨まれた。 やれやれ。 「わかったよ」 丁度停留所に着いた。 「また後でな」 「ああ」 何故か不機嫌な様子の桜庭を車内に残し、俺は路電を下りた。 ……。 …………。 「(…………これ以上、二人きりでいられるか……馬鹿)」 今日のチケット販売が終わった。 引き替え完了状況は、昨日5割、今日2割といったところで、全体の7割が完了。 郵送希望の2割は、白崎、桜庭、高峰の3人で封筒を作成した。 最後の1割は、まだ予約の引き替えを完了していない。 月曜日の販売で全部交換できればいいが。 「あああ〜、きく〜、これ〜、すき〜」 「佳奈、変な声出さないでよ」 部室の奥で、1年生2人は背中のマッサージをしあっている。 2日連続でお辞儀を続けたため、だいぶ背中に来たらしい。 本棚の隙間から、床に寝ている佳奈すけの素足が見えた。 何で靴を脱いでるんだろう? 「今日の売り上げも、図書館の事務室でいいか?」 「ああ、その約束だ。土日をまたぐから施錠に注意するよう言っておいてくれ」 桜庭は昨日と見違えるほど元気になっていた。 暗くピリピリした印象がなくなり、明るい余裕が感じられる。 「な、なんだ、筧」 「は? なんでもないけど」 「そうか……ならいい」 しかし、自意識過剰になっていた。 「ねえ、千莉?」 「何?」 「ふふ、呼んでみただけ」 「何言ってるの?」 俺たちの声が聞こえたのか、奥の方から佳奈すけがからかってきた。 どんだけギャグに貪欲なんだ。 「おー、二人とも、そろそろ帰ろうぜー」 「はーい、おかーさーん」 二人が奥から出てくる。 「桜庭も、今日くらい一緒に帰らないか?」 「すまない。急に参加が決まった団体から問い合わせが来ているんだ」 「早めに対応してあげないと、土日を練習に使えなくなってしまう」 「玉藻ちゃん、身体は大丈夫?」 桜庭が、一瞬俺を見た。 「いつも言ってるだろう? 大丈夫だ」 なら良かった。 桜庭の視線の意味を〈咀嚼〉《そしゃく》しつつ、俺は満足する。 できることなら、図書部みんなが楽しくあってほしいものだ。 「それじゃ、帰るか」 風呂から上がり、冷蔵庫のミネラルウォーターをぐいっと飲む。 あー、今週も働いたなー。 来週になれば、ミナフェスに向かって一直線だ。 一週間後のこの時間、俺は解放感に浸っているのか、何かやらかして反省文を書いているのか。 電話が鳴った。 桜庭からだ……珍しいな。 「もしもし?」 「あ、桜庭だ。いま電話して大丈夫か?」 幾分緊張した声が聞こえた。 「ああ、平気だけど」 「いや、外を見たら雨が降っていたから、どうしたかと思って」 「雨?」 カーテンを開けてみると、しとしと雨が落ちていた。 「降り始める前に帰ったから平気だった」 「ならよかった」 「悪いな、心配してもらって」 「つーか、桜庭は今どこだ?」 「ん? もう家だぞ。ゆっくり休もうと思ってな」 時計を見ると、午後10時過ぎだ。 桜庭のことだし、まだ部室にいるような気がする。 「桜庭ー、そろそろ帰れよー」 「あ、ああ、わかった」 小太刀の声が聞こえたんだが。 「……」 「ええと、なんだ……ははは」 「ばっちり部室じゃねーか」 「……わかったか」 わかるわ。 こんなことが、前にもあったなあ。 心配をかけまいという配慮なんだろうけど、かえって心配になる。 「桜庭、本当に無茶するなよ」 「わかったわかった。もう引き上げる」 「それじゃ、切るぞ」 「ああ、また明日」 「ちょっと待ってくれ」 「どうした?」 数秒の間があった。 「……今日はありがとう。本当はそれだけを言いたかったんだ」 返事も待たずに通話が切れた。 純情乙女だな。 桜庭の名残を感じるように携帯を眺めてから、ベッドボードに置く。 ふいに隣の部屋から物音がした。 「……あれ?」 1、2分前に、電話で小太刀の声を聞いたばかりだぞ。 図書館から家までは20分近くかかるから、小太刀が帰宅しているわけがない。 泥棒か? 試しに、壁を連打してみる。 「うっさいわっ!」 小太刀の声だ。 背筋が、すうっと寒くなる。 あり得ない。 瞬間移動でもしたっていうのか? 違和感どころの話じゃなく、これはもはや超常現象だ。 偽装隣人疑惑に加えて、瞬間移動疑惑か。 これは、ひょっとすると、ひょっとするんじゃないか? 頭の中で『小太刀=羊飼い』というランプが点灯する。 だが、性急な判断はよくない。 まずは、桜庭に確認してみる。 結果、クロだった。 桜庭は、はっきりと小太刀の顔を見て会話をしたという。 どういうことだ? 試みに、小太刀にメールを打ってみる。 『さっきは壁を叩いてごめん。転びそうになって本の山を崩しちまった。 そういや、雨降って来たみたいだけど濡れなかった?』 こんな内容で送信する。 5分ほどで返信があった。 『あー、そうだったんだ。床に本積むからそうなるんだよ、ばーか。 図書館に置き傘あったから平気だった。』 前半はどうでもいいとして、後半だ。 歩くか走るかして帰ってきたように読み取れる。 だが、それでは時間の矛盾が説明できない。 小太刀は嘘をついているのだ。 一応、桜庭が嘘をついていて、小太刀が部室にいたように見せかけたという線も考えられる。 その場合は、桜庭が急激に怪しくなる。 「……」 いや、それにしては、やり方が回りくどすぎるな。 俺が、小太刀の帰宅した音に気づかない可能性があるじゃないか。 とすると、小太刀が嘘をついたことになる。 彼女が羊飼いだとは断定できない。 だが、不審な点をいくつも抱えていることは明らかだ。 しばらく考え続け、いくつか手がかりにたどり着いた。 ただ、裏付けを取らねばならない事項がいくつかある。 聞くなら佳奈すけがいいな。 時計を見ると、もう午前0時近い。 電話は難しい時間だし、明日を待とう。 午前11時。 2時間ほど前に佳奈すけと電話をしたところ、休日だから外で会おうという話になった。 向こうにも話したいことがあるらしいが、どんな内容だろう? 「かっけいさーん」 どこからともなく、脳天気な佳奈すけの声がした。 「こっちこっちー」 遙か彼方で佳奈すけがぶんぶん手を振っていた。 通行人がざわついている。 周囲の注目をごっそり引き連れて、佳奈すけが走り寄ってきた。 絶対わざとだ。 「ごめーん、待ったー?」 「これは罰ゲームか何かか?」 「いやまあ、やってみただけなんですけどね」 しれっと言ってハイテンション時間は終わった。 「で、これからどうする? オススメの店とかある?」 「ありますあります」 「ちょっと女の子一人じゃ入りにくかったんで、一緒に行ってほしかったんですよ」 「よーし、そこにしよう」 佳奈すけが先に立って歩きだす。 カップルじゃないと入りにくい店か……どんなところだろう? 15分後。 俺たちは喫茶店の席に、向かい合って座っていた。 「(ほら、一人じゃ入りにくいでしょう?)」 「(こりゃきついな)」 周囲はカップルばかり。 男が一人で入った日には、雰囲気壊れるんでご遠慮下さいとでも言われそうな勢いだ。 「これ、ほとんどウチの生徒かな」 「でしょうねぇ……でっかい学生街ですし」 知人はいなかったが、みんな同じような年格好だ。 俺たちもその一部なんだろうが。 「わ、私達も、カップルに見えちゃったりするのかな……きゃは☆」 「まあそうね」 「筧さーん、しっかり頼みますよ〜」 なぜか非難された。 今日はバカップルノリに付き合わなくてはいけない日なのか? 「で、この店はオススメメニューとかあるの?」 「はいはい、ちゃんと調べて参りましたよ」 佳奈すけが可愛い鞄から雑誌の切り抜きを取り出す。 「んーと、セリのおひたしに鯵のなめろうか……渋いな」 「そっち裏面です」 「ああ」 紙をひっくり返す。 「昔ながらのナポリタンっていうのです。ナポちゃん嫌いですか?」 「いや、大丈夫だよ」 さっそく、ナポリタンとセットのコーヒーを注文する。 食事を待っている間、佳奈すけはおしぼりを折りたたんでヒヨコを作った。 変なことができる奴だな。 「筧さん、目の下にクマできてますよ?」 「小太刀のことを考えてたら眠れなくて」 「あー、なるほど……って、ええっ!?」 顔を二度見された。 誤解しか生まない発言だったな。 「いやまあ、いろいろあってね」 「ほー、聞きますよ、今日ゆっくり」 身を乗り出してきた。 「期待してるような話はないぞ」 「えー……」 「じゃあ、今日は何の話で呼んだんですか?」 「小太刀のこと」 「やっぱり小太刀さんじゃないですか、意味がわからないです」 佳奈すけが首をひねる。 「恋愛の話じゃないってことだ」 「はあ……まあ、聞かせて下さい」 「見るからにテンション下げるなよ」 「冗談ですって。はい、どうぞ」 ヒヨコの頭をピコピコ押している。 「GW明けのことなんだけど……」 確認した事項は2点。 GW明けに、みんなが小太刀を忘れているような素振りを見せたことの真偽。 そして、入学時に携帯を持っていなかったことを、図書部員以外の人に話したかどうかだ。 答えは予想通りだった。 佳奈すけは、小太刀のことが何故か一瞬思い出せなかったらしい。 そして、携帯のことは誰にも話していなかった。 「あの、筧さん? ……もしかして、小太刀さんのこと羊飼いだと疑ってるんじゃ?」 さすがの察しのよさだ。 「ちょっと考えてみただけだよ」 「まあでも、小太刀さん、不思議なとこありますよね……」 「先週も……あーいや、何でもないです」 「先週がどうした?」 佳奈すけが、うーんと考え込む。 しばらく悩んで、横を向いた。 「独り言だと思って聞いて下さいよ」 刑事モノのドラマかよ。 「先週の土曜日の昼間、小太刀さんを尾行したんです」 「いやいやいや、私だけじゃないですよ。図書部の女子全員で、です」 「なんでまた?」 「えー、それはー」 佳奈すけが、水の入ったグラスに付着した露を指先でテーブルに伸ばす。 見事に俺と小太刀の相合い傘を描いた。 「……という疑惑があるところで、土曜日に約束があるとか、小太刀さんがこれ見よがしに言うわけじゃないですか」 「あとはもうお察し下さい」 相合い傘をしゅしゅっと消して、佳奈すけが頭を下げた。 そういえば、今週の月曜、白崎に土曜日がどうとかイチャモンをつけられたな。 あれは、尾行した結果の行動だったのか。 「いやまー、いいけどね」 「んで、小太刀のどこが不思議だったの?」 「小太刀さんはお昼頃に出かけたんですけど、行き先は学校で、そこでスーツのおじさまと密会してたんです」 「二人が別れてから、手分けして尾行したんですが、両方見失ってしまいました」 「小太刀さんなんか、行き止まりみたいなところで見失ったんですよ」 「……なるほど」 「以前、羊飼いの目撃証言に同じような話があったんで、もしやと思って」 たしかに、目撃証言に同じようなネタがあった。 佳奈すけのお節介も無駄じゃなかったということか。 「それだけの話です……すみません、つまらない話で」 「いや、役に立ったよ。ありがとさん」 と言ったところで、店員がナポリタンを持ってきた。 「ひゃー、来ましたよー」 佳奈すけの目がハートになる。 もうもうと立ち上る湯気。 むせかえるようなケチャップの香り。 眩しいほどのトマト色をしたパスタの間には、タコさんウィンナーとピーマンが見える。 まさに正統派だ。 「これを……割り箸でいただくのが通っ」 ナポリタンに中断される形になったが、俺からの話はもう十分だ。 ネタの裏付けは取れたし、意外な新ネタを得ることもできた。 「でまあ、俺の話はこの辺にするとして、そっちは?」 互いに食事を終え、セットのコーヒーが出てきたあたりで話を切り出す。 「……あ、そうですね、はい」 佳奈すけが座り直す。 そして、水を少し飲んだ。 「お察しだと思いますけど、図書部を辞めるかどうかって話です」 「ああ……」 おおまかなところは、メイクの時に聞いている。 聞いてないのは悩んでいる理由だった。 「率直に聞くけど、なんで辞めようと思ってるの?」 うーんと、佳奈すけがコーヒーをスプーンで混ぜながら考える。 「将来に対する、ぼんやりとした不安でしょうか」 「芥川龍之介か」 「あはは、それです」 「わたし、このままだと、みんなを裏切っちゃう気がするんですよね」 いつになく沈んだ声で言った。 どう裏切るというのか。 いきなり切り込むのもなんだし、外濠から埋めるか。 「図書部の活動なら、佳奈すけは一生懸命やってると思うぞ」 「もちろん、手は抜いていないです」 「そしたら、バイトと両立できないから辞めるとか?」 「いえ、それも問題ないです」 そう言ったきり、佳奈すけは黙った。 あと、外的要因で考えつくのは家庭の事情あたりだが、俺からは言えない。 図書部の不利益になることをやってるとも思えないし、とすると人間関係か。 でも、佳奈すけはうまくやってるよなあ。 御園とも仲良くなってるし。 ともかくも、次の言葉を待つことにした。 「筧さんは……GW前に、どうして図書部に残ったんですか?」 「俺か……」 常々思っていることだが、俺と佳奈すけは似たところがある。 俺のケースは、もしかしたら役に立つかもしれない。 自分の話をするのは、ちょっとばかり恥ずかしいが。 「ここだけの話にしてくれよ」 「はい、もちろんです」 佳奈すけがうなずく。 「俺が図書部に残ったのは、違う自分が見つかる気がしたからかな」 「いや、今思えば、図書部の面子にだったら変わってく自分を見せてもいいと思ったのかもしれない」 若干ポエミーだったろうか。 言ってから恥ずかしくなった。 「……」 佳奈すけは、コーヒーの表面を見つめている。 「……私には、そんな自信ないですよ。上っ面で生きてる人間ですから」 自虐も自嘲もない。 コーヒーを漂うクリームの一片に自分を見ているような、静かな表情だった。 ああ、そうか。 佳奈すけは、自分を誰かに見せる自信がない、と言っているのだ。 彼女は人付き合いが上手い。 でもおそらく、人間関係を円滑にするために、かなり無理をしているのだ。 それが『上っ面で生きている』という言葉になる。 俺には共感できる感覚だった。 現に、今こうして淡々と心情を明かす佳奈すけを前に、分析に精を出している自分がいる。 彼女の心を読み取り、解決策を考え、仮にそれが上手くいったとして…… 俺は彼女と──人と真摯に向き合っているといえるのか? 俺のことはさておくとして、少なくとも目の前の少女は、自分の不誠実さを嘆いている。 図書部のみんなに対し、誠実でありたいと願っている。 そして、誠実になれない可能性に怯え、身を引くことを考えている。 図書部に引き留めるのに必要なのは、自分自身への信頼、勇気といったものだろうか。 「まあなんだ……人と真っ正直に付き合うってのは、根性いるよな」 「ですねえ……」 「佳奈すけの悩みは何となくわかる気がするんだ」 「だから、お前が俺を裏切ったと思ってても、俺は裏切られたって感じないと思う」 「心の準備ができてれば、そう簡単には怒らないし、がっかりもしないからな」 「……」 「これからも、話ならいくらでも聞けるから、もうちょっと図書部を続けてみないか。せめて前期くらいはさ」 「筧さん……」 佳奈すけが真剣な顔で俺を見る。 その瞳は、周囲の喧噪が一瞬消えるほどの強さで、俺の目の奥に飛び込んできた。 まずは視線を逸らさないことから、人と向き合うということが始まるのだと思う。 「本当にお人好しですね」 口元をほころばせ、佳奈すけが斜め下に視線を逸らした。 わずかに見えた白い歯は、雲間から差した日の光のように見える。 「よく言われる」 「世界遺産級のお人好しさに免じて、図書部に残ることにしますよ」 「そいつはなにより」 どちらからともなく微笑む。 身体を動かした拍子に、テーブルの下で脚がぶつかった。 「悪い」 「ふふふ、いえ」 「今日は、話を聞いてもらってありがとうございました」 「いや、こっちこそ」 昼に出会ったときの妙なテンションもなくなり、佳奈すけは落ち着いた様子だ。 不安の裏返しの空元気だったか。 「それでは、また来週っ」 「おう」 手を振って佳奈すけと別れる。 元気になって良かったと思う自分と、感慨もなく佳奈すけの背中を見送る自分がいることに気付く。 これからの俺は、どっちの自分に寄り添っていくのか。 「……ふう」 駅前の時計を見ると、午後4時前だった。 今日は土曜日。 夜になれば、テレビを見に小太刀がやってくる。 昨日の瞬間移動疑惑に加え、佳奈すけからの情報で、いくつかの疑惑に確証が持てた。 あとは、小太刀の部屋が空室であることを確認すれば、あいつを追及できるだろう。 今夜あたり、ガツンとやっておくか。 午後11時前。 電気をつけたまま、部屋の外に出た。 静かに、小太刀の部屋の前に移動する。 計画は簡単だ。 小太刀が部屋を出てくるタイミングを狙う。 扉が開いた瞬間、ドアの隙間に脚を差し入れ、一気に部屋に入るのだ。 さあ来い、小太刀。 ドアが開いた。 外側に開いたドアに、俺はちょうど隠れる形になる。 小太刀から俺は見えない。 「(もらった!)」 外側のドアノブを握り、一気に開く。 「うわっ!?」 ドアに引っ張られ、小太刀がたたらを踏んで廊下に出た。 小太刀と入れ替わるように、ドアの内側に体を滑り込ませる。 「筧!?」 すれ違いざま、目を見開いた小太刀の顔が見える。 「お邪魔しますっ」 「しまった!」 リビングはガランとした空間だった。 家具の類は一切なく、床に分厚い辞書のような本が置かれているだけだ。 本当にそれだけ。 どう見ても、人が生活できる部屋ではない。 「はぁ……見られたか」 背後で、小太刀がため息をついた。 お気楽な声だ。 「ここに住んでないのか?」 「そうね」 悪びれる様子もなく言い、リビングに入ってくる。 小太刀は、何らかの意図を持って俺の隣人を演じていたということだ。 一体どういうことだ? こんな非日常に巻き込まれる理由に、心当たりはない。 「ずいぶんあっさり認めるんだな」 「この部屋で生活しているっていうのには、無理があるでしょ?」 小太刀がしらばっくれるなら、追及のネタはあった。 例えば、小太刀の部屋の電気メーターは、この2週間ほとんど進んでいない。 洗濯物も干されていないし、ゴミも出していなかった。 素行調査の本で調べたことを実践しただけだが、不自然なことってのは割とあっさりわかるものだ。 とはいえ、これを指摘するとストーカー扱いされても文句は言えない。 口にせずに済むならそのほうがいい。 「どうして、隣に住んでるフリなんてしてるんだ? こっちに心当たりはないが」 「筧に興味があるから、かな」 小太刀はほほ笑みを絶やさない。 「……小太刀が、羊飼いなのか?」 「どうしてそう思うの?」 腕を組み、試すような視線を向けてきた。 敵意は感じない。 単純に聞いているだけに見える。 「初めに言っておくけど、小太刀が羊飼いでもそうじゃなくても、不審者だってのは変わらないからな」 「隣人を装ってた件については、説明してもらうぞ」 「OKOK。ちゃんと説明するから」 「それより、早く理由を聞かせてよ」 「そうだな……」 小太刀に対し、いくつかある手がかりを示す。 まずは、羊飼いのことは忘れやすいと言う点だ。 GW明けのことだが、俺以外の図書部のメンツは、小太刀のことを忘れていた。 図書委員の女の子が、小太刀のことを知らなかったのもそのせいかもしれない。 もう一点は、昨日の出来事だ。 図書館から帰宅までの時間が早すぎる。 明らかに人間業ではない。 さらに、小太刀を尾行していた奴らが、不意に見失ったという報告もあった。 俺が手がかりを挙げる度に、小太刀がふんふんうなずく。 「へえ、あとは?」 「あと? あとは……」 「あと? あとは……」羊飼いは俺たちの携帯アドレスを知っていた。 しかも、新しく契約した佳奈すけの携帯アドレスまで。 だから小太刀は……。 あれ? このネタは、羊飼いのミステリアスさは強調できても、小太刀と結びつかないな。 よく考えてみよう。「小太刀、お前の胸は大きすぎる」 「はあ?」 「危険すぎると言ってるんだ!」 「なんでキレてんのよ! こっちがキレたいわ!」 「……」 もう一度よく考えてみよう。そう。 いつだったか、小太刀は佳奈すけが携帯を持っていなかったことを知っていた。 佳奈すけの証言によると、図書部の人間以外には話していないという。 知らないはずのことを、小太刀が知っている。 これは不審だ。 「小太刀は、佳奈すけが携帯を持ってなかったことを知ってたよな?」 「佳奈すけは、お前には言ってないって証言してたぞ」 小太刀が少し驚いた顔をした。 「どうなんだ? 小太刀は羊飼いなのか?」 「……」 小太刀は、無言で窓に向かって行く。 青白い街灯の光が、小太刀のシルエットを浮かび上がらせる。 「私が出したヒントには、全部気がついたみたいね」 幾分シリアスな声で小太刀が言った。 「意図的にヒントを出していたのか」 「そうね」 「でも、鈴木の携帯のことは私も気づいてなかった……さすが筧」 何がさすがなのかわからないが、褒められた。 「で、自分が羊飼いってのは認めるのか?」 小太刀がうなずく。 「羊飼いってのはどうやって証明する?」 「疑ってたのはそっちでしょうが」 「ま、私の携帯の履歴でも見てもらえば、すぐわかるでしょ?」 小太刀がメールを表示させ、俺に見せてくる。 それは、先日俺に送られてきたメールと同じものだ。 駄目押しとばかりに、今まで図書部員に送られてきたメールも見せてくれる。 「まさか、羊飼いが実在するとはな」 「ま、仮免だけどね」 小太刀が鼻先で笑う。 「筧は、未来予知ができるのに、羊飼いが存在しないと思ってたの?」 「半信半疑ってのが一番近いか」 そういえば、小太刀は俺の能力にやたら食いついてたな。 思えば、あれもヒントだったのかもしれない。 「さっきから思ってたんだが、羊飼いの存在ってのは、秘密とかじゃないのか?」 「一応秘密よ。けど、そこまで神経質になる必要ないから」 「どうして?」 「さっき自分で言ったじゃん。羊飼いのことは忘れやすいの」 「つまり、正体がバレても、少しすればみんなの記憶から消えちゃうわけ」 「どのくらいで忘れるんだ」 「程度にもよるけど、顔を合わせないようにしてから、10日くらいかなぁ」 正体を知られても、一定期間が経てば忘れてもらえる。 だから、あまり正体を隠さないし、そのせいで目撃情報が数多く転がることになるのだろう。 「そしたら、俺も小太刀のことを忘れるのか?」 「今の生活だと、ちょくちょく筧に会ってるから忘れないと思う」 「周りに言いふらしたりするなら考えるけど、そこんとこどう?」 「都合が悪いなら、内緒にしとこう」 「そう願いたいわね」 小太刀が笑う。 「なら、羊飼いってのを頭から教えてくれないか」 「順序立てて説明してくれないと、まったくわからない」 「そうねえ……じゃ、筧の部屋でドラマ見ながらにしない?」 「緊張感ゼロだな」 「だって、核兵器の行方が気になるじゃない」 「逃げたりしないだろうな?」 「なーんで私が逃げなきゃならないのよ」 「ヘイ、ゴー」 ドアの外を指さす。 小太刀はいつも通りベッドに座り、俺は床に座る。 「マジでテレビ見るの?」 「もちろん」 小太刀がテレビをつけた。 液晶画面で、いつもの直情径行な主人公が銃をぶっ放している。 対照的に、小太刀は静かな表情で口を開いた。 曰く── 羊飼いは、あらゆる人間の過去と未来を知ることができるらしい。 その情報をもとに、人間がより良い人生を歩めるよう導くのが仕事なのだという。 例えば、将来、偉大な大統領になる可能性がある人(Aさん)がいるとする。 Aさんの将来にはいくつもの可能性があって、もちろん大統領にならない道もある。 人生の岐路にAさんが差しかかったとき、羊飼いは大統領になる道を指し示すのだ。 こんな羊飼いだが、世界に800人程度しかいないらしい。 当然、人類60億人の面倒は見られないから、どうしてもサポートに優先順位ができてしまうのが悩みだということだ。 ちなみに、優先順位は『どのくらい周囲に影響を及ぼすか』という指標を基準に決めている。 だから、世界的な政治家や科学者、芸術家、スポーツ選手など、社会注目度や貢献度が高い人種がフォロー対象に選ばれるとのことだ。 「まあなんだ、直接お世話もしてくれる、気の利いた占い師みたいなもんか?」 「占う相手は自分で選ぶ、ちょっとわがままな占い師ね」 「私に羊飼いのなんたるかを教えてくれた人は、『人類の奉仕者』だって言ってた」 「自分を捨て、ただ人の幸せを願い、そっと道を提示する……それが役割だって」 「へえ……」 自分を捨て、ただ人の幸せを願い、そっと道を提示する……か。自分を捨て、ただ人の幸せを願い、そっと道を提示する……か。素晴らしいことだとは思う。 でも、俺みたいなエゴ星雲から来たエゴ星人には無理だろうな。 なんだか、悟りを開いた聖人みたいな言葉だ。 そういう生き方ができるなら、心静かに生活できそうだ。 「根本的なところを聞くけど、羊飼いは、どうやって人の未来を知るんだ?」 「あー、その話ねー」 うーん、と小太刀が少し考える。 「筧の能力の拡張版かな」 「は?」 「未来を予知するときに、巨大な図書館が見えるって言ってたでしょ?」 「人の全てが書かれた本が収蔵された、魔法の図書館があるって」 「ああ」 「羊飼いはいつでもそこに行けるの。で、本を読む。だから人の未来がわかる。それだけよ」 「……」 鳥肌が立った。 魔法の図書館は、俺の中だけの幻ではなかったのだ。 きっかけは覚えていないが、幼い頃の俺は、魔法の図書館と魔法の本に憧れた。 そこに行けば、あらゆる人のあらゆる行動を知ることができると考えたからだ。 そんな憧れがいつしか幻想となり、俺の脳味噌に固着したものだと思っていた。 テレビから銃声が聞こえた。 主人公達の組織が仲間割れをしている。 いろんな登場人物が、それぞれの行動を取る。 視聴者だから、人物達の心の動きはわかるが、主人公にはわからないだろう。 現実の世界も同じだ。 いろんな人が、いろんな思惑で動いている。 人ほど不可思議な存在はない。 特に、俺の周囲にいた大人たちはそうだった。 幼いころの俺は、彼らからのいじめや暴力にずいぶんと苦しめられた。 子供の腕力や経済力では、大人から逃げることはできない。 そこで俺は、彼らのご機嫌をとることに全力を傾けた。 ご機嫌をとるには、相手を知らなくてはいけない。 だからこそ俺は、彼らの動きを知ることができる、魔法の本という名の台本を求めたのだ。 「俺も図書館に行けるのか?」 それは、反射的に出た問いだった。 聞かずにはいられなかったのだ。 「羊飼いしか行けないわ」 「ただ、筧は、例外的に意識だけ図書館に飛ばすことができるの」 「それが、あんたがやってる未来予知よ」 「……」 目に見える証拠がないから、どこまで信じられるのかは分からない。 ただ、俺の能力に何かしら筋の通った説明をしてくれたのは初めてだった。 「話によるとね、生まれたばかりの赤ちゃんは、だいたい図書館に意識を飛ばす力があるんだって」 「で、普通は成長と共に力がなくなるんだけど、ごくごく稀になくならない人がいるの」 「例えば筧とか、本物の未来予知者ね」 「はあ」 「羊飼いは、そういう人たちが変なことをしないように見守る必要があるの」 「能力が消えちゃうなら、それはそれでいいしね」 結局、小太刀が俺の傍にいたのも、能力の様子を見るためだったらしい。 一度俺に能力を使わせたのも、能力の強さや、悪用する気があるかどうかを確かめるためだ。 「で、俺の能力はどんなもんなんだ?」 「フツーレベル。これからどんどん消えていくんじゃないかな?」 「せっかくの能力なのに、残念ね」 小太刀が笑う。 この能力のせいで、かなりの迷惑を蒙ってきた。 だが、いざ手放すとなると少し寂しいな。 「もしかして、私が筧に気があると思ってた」 ニヤニヤしながら小太刀が言う。 「思うかよ」 「そっちに気があるなら、もっと早くどうにかなってるだろ」 「筧君たら、いやらし」 まったく。 小太刀がいつも通り過ぎて、世間話をしている気になってくる。 「話は変わるけど、小太刀はどうして図書部の人間にメールをくれたんだ?」 「俺たちに、すごい未来が待ってるからか?」 小太刀が腕を組んだ。 「……うーん。まあ、そう考えてもらって差し支えないかな」 「あなたたちは、みんなでいることで、いいことがあるみたいね」 「ふうん……俺の将来はどうなるんだ?」 それそれ、という顔で、小太刀が俺を指さした。 「知りたい?」 「……」 そう言われると、聞きたくなくなってきた。 悲惨な未来だったら嫌だし。 「やめとく」 「あはは、賢明ね」 「人間って、自分の将来を知っちゃうと、なぜかその将来にはたどり着かなくなるのよね」 「だから、羊飼いは将来についての質問には答えないことにしてるの」 「ほう……深いな」 将来を知ると身を持ち崩すか。 例えば、3年後に宝くじに当たると言われたら、これから浪費をするだろう。 そうすると、どこかで行動が変わり、当たるはずだった宝くじに当たらなくなる。 大統領になるといわれれば、傲慢になるかもしれない。 そうすると、人気がなくなり大統領になれなくなる。 「あくまでも、未知に向かって進むことが前提なのか」 「人間、結果がわかってたら努力しないし、努力のないところに成功はなしよ」 努力努力、と言いながら、小太刀は胡座をかいたままごろんと転がる。 努力とは正反対の姿だ。 「一気に聞いても、整理できないでしょ?」 「私は逃げも隠れもしないから、今日はこの辺にしない? テレビも見たいし」 「あー、まあ、そうだな」 このまま質問を並べていったら、朝になってしまう。 「聞きたいことがあったら、また聞いていいんだろ?」 「いつでもどーぞ」 テレビの中で、飛行機が爆発した。 小太刀が、がばりと起き上がる。 「はあっ!? なんで大統領機が爆発してるの!?」 「ちょっと筧、話がわかんなくなっちゃったじゃない」 「俺のせいかよ」 「でしょー?」 「はい、今からドラマ終了まで質問禁止ね」 小太刀が、テレビに向き直る。 なんか、すげえことをいろいろ聞かされた気がするんだけどなあ。 ……少し頭を整理しよう。 「ふぁー、終わったーっ!」 小太刀の叫びで目を覚ました。 どうやら、羊飼いのことを考えているうちに、うつらうつらしていたらしい。 「犯人どうなるんだろうね?」 「知らん。寝てた」 「えー、ホント!? 人生損したよー、絶対損した」 「うっさい。さっさと帰って寝ろ」 「はーい」 小太刀が立ち上がる。 今日は足取りもシャキッとしている。 先々週、徹夜でフラフラしていたのは、俺にヒントを出すための演技だったのか。 「あだっ!?」 「おうふ……ああ……いだい……な、なんでこうなるの……」 テーブルに脚をぶつけたらしい。 小太刀が呻きながら部屋を徘徊する。 ああいうときって、じっとしてられないよな。 「大丈夫か?」 「駄目に……決まってるでしょ……」 そう言いながら、小太刀はふらふら玄関に向かう。 「それじゃ……また来週もよろしくね」 「あ、一つだけいいか?」 目で先を促される。 「小太刀は、どうやって羊飼いになったんだ?」 「なろうと思ってなれるもんでもないから、気にしなくていいと思うよ」 「条件があるのか?」 「もっちろん」 小太刀が自信に満ちた表情を浮かべる。 こんな顔をするんだから、羊飼いになったことにプライドがあるんだろう。 「んじゃ、よろしくー」 軽い調子で小太刀が帰っていった。 シリアスに話してくれればこっちの気も引き締まるが、まったくいつも通りである。 ベッドに転がり、天井を見上げる。 小太刀が羊飼いか。 ここ2週間ほど疑っていたせいか驚きはなかった。 その代わりに胸を占めていたのは、何とも言えないざわつきだった。 長年、夢に見てきた魔法の図書館が実在する。 しかし、俺の能力は徐々に衰え、やがては消えるという。 図書館には、永久にたどり着けなくなるということだ。 にもかかわらず、考えていたほどの喪失感はない。 俺の中で、魔法の図書館の存在はどう変わってしまったのか。 いつ変わってしまったのか。 ……ま、慌てて答えを出す必要はないか。 小太刀もいなくならないと言ってるし。 「……」 来週はいよいよ、ミナフェス当週。 気力体力ともに充実させて臨まなくてはならない。 つまり、ここでやるべきことは、本の読み溜めだ。 朝、部屋の外に出ると、同じタイミングで小太刀も顔を出した。 「や、筧」 「おはよ」 羊飼いの隣人、小太刀凪。 人知を越えた不可思議な存在が、隣に住んでいる。 「図書部のイベントって今週だっけ?」 向こうからあっさり話しかけてきた。 しかも、ガチの世間話だ。 「土曜日」 「17時開場の17時半開演だから、よかったら見に来て」 身内用のチケットを渡すと、小太刀は興味深そうに文字を読んだ。 「なーんだ、筧が出演するんじゃないんだ」 「俺たちの仕事は、場所を用意することだ」 「つまんないの……ま、気が向いたら見に行くかもね」 小太刀がチケットをスカートのポケットに入れた。 「今週は忙しいね」 「ラストスパートだよ」 そっか……と小太刀が呟く。 「例の件はさ、1週間2週間でどうこうなる話でもないし、まずはイベント頑張んなよ」 「せっかくみんなで準備してきたんだしね」 少し恥ずかしそうに小太刀が言った。 「そうさせてもらうよ」 「これから一緒に学校行くか?」 「そのうち行く。私、いろいろあって自由登校なのよね」 「いいご身分だよな」 「小太刀が図書部にいてくれれば、山ほど仕事を押しつけられるのに」 「なんであんたらのために働かなきゃなんないのよ」 小太刀がべーっと舌を出した。 「ははは、じゃ、またな」 「んじゃね」 昼休み、部室に入ると先に桜庭が来ていた。 「よう」 「筧か……先日は世話になったな」 「いやいや。それより、調子はどうだ?」 「元気に決まっている」 「なら良かった。今週はがっちり頑張っていこう」 桜庭が力強くうなずいた。 椅子に座ってすぐに、またドアが開く。 「こんにちは」 「……御園」 「……」 二人が、視線を合わせたまま止まった。 「すみませんでした」 先に、御園が頭を下げた。 「いや……こちらも説教ばかりですまない」 「無用な心配をさせていたようだ」 「大丈夫ですよ、センパイ」 御園は小さく微笑み、席に座った。 「筧先輩、先日はありがとうございました」 「ん? ああ、いや、別に」 電話のことだろう。 感謝されるほどのことじゃない。 「こんにちはー」 今度は佳奈すけが現れた。 「あ、筧さん、先日はどうもでした」 「いやいや、こっちこそ」 「(小太刀さんのこと、どうなりました?)」 佳奈すけが耳打ちしてきた。 本当のことは言えない。 「(俺の勘違いだった)」 「(残念。さすが羊飼い。なかなか正体はわかりませんね)」 そう言って、佳奈すけは席に着いた。 「なあ筧よ」 改まった口調で呼びかけられる。 「会う女子、会う女子、『先日はお世話になりました』とはどういうことだ」 「お前は、どれだけ女の世話をしてるんだ?」 「ということは、桜庭さんもお世話に……?」 「あれ、じゃあ千莉も?」 3人が俺を見た。 「ただの偶然だ」 「大体、こっちは世話してやったなんて思ってない」 「とはいえ、節度というものがあるだろう」 「ですね」 「さすが、筧さんの優しさは、鈴木的世界遺産です」 「ま、自分は、休日の昼下がりにランチをご一緒させてもらったくらいですけど……皆さんはもっとすごいことがあったんでしょうね」 「……ほう」 「……ふうん」 更に睨まれた。 俺はまったく悪くない。 「(筧さん。その優しさが負の世界遺産にならないように祈ってますよ)」 「(お前、煽って遊んでるだろ)」 面倒ごとは勘弁だ。 俺は、みんなの幸せを大事にしたい。 「こんにちは、今日も暑いね」 白崎が元気よく入ってきた。 女の子達が、白崎を見る。 「え? なに? ちょっと怖いよ?」 「白崎、先週末、筧の世話にならなかったか?」 先週末、白崎とは特に何もしてない。 これで連続お世話記録も途切れる。 よかったよかった。 「うん、お世話になったよ」 「ぶふうっ」 ミネラルウォーターを吹いた。 「やー、さすが世界遺産。ちょっとユネスコまで付き合ってもらっていいですか?」 「言いがかりだ」 「だってほら、私は毎日、図書部のみんなのお世話になってるからね」 国営放送的、ほのぼのオチだった。 「ういーす」 「そういえば、高峰がいたな」 「いきなりひでえ!? 人の心はワレモノ注意だぞ」 きつい一撃をもらった高峰が席に沈む。 「あー、筧、昨日はあんがとよ」 「いや、気にすんな」 レポートの課題と締め切りを電話で教えてやったのだ。 部室の空気が冷えるのがわかったが、もうどうでもいい。 「筧さん……両刀だったんですね……」 「ショックです……」 「頭痛くなってきた」 「言わせてもらえれば、頭痛いのはこっちだ」 ともかくも、図書部の面々はいつもの調子に戻っていた。 組織のバイオリズムというか何というか、先週末は一気に落ち込んだからなあ。 ミナフェス前に谷を越えられて良かった。 「さて、ミナフェスがいよいよ今週末に迫った」 「体力的にきついこともあるかと思うが、頑張っていこう」 みんなの返事が一つに重なる。 ここに来ても仕事は山積みだ。 会場や協力スタッフとの打ち合わせ、当日のパンフレット作成。 出演団体との打ち合わせ、メニューの決定、学園との調整。 その他、問い合わせやクレームへの対応などなど……。 掘れば掘るほど仕事が出てくる。 誰もが、自分のできる範囲で全力を尽くさなければ、当日は迎えられないだろう。 最後の一踏ん張りだ。 「本日は、お集まりいただた…………あれ?」 「本日は、おまつまり…………わちゃちゃ……」 駄目だ、ぜんぜん上手くしゃべれない。 もう一度息を吸う。 「本日は、おわ…………」 「おわ、じゃないよ……あーーーーもうっ」 ベッドに転がる。 身も心もずっしりと重い。 一週間前に原稿を作って練習してきたのに、むしろ、練習するほどに下手になっている気がする。 ううん、気がするじゃない。 確実に駄目になってる。 明日は絶対に上手くやらなきゃいけないのに……。 時計を見れば、もう午前1時。 今日は一日中こんなことをしている気がする。 「あー、どうしよー」 混乱と焦りで、頭の中がぐるぐるする。 わたしが失敗したら、ミナフェスを台無しにしちゃう。 みんなが一生懸命作ってきたイベントを、部長のわたしが壊してしまう。 ……筧くん、どうしたらいいの? 貸してくれた本の表紙に触れる。 何度も中身を読んで、2、3日に一度は、筧くんにスピーチを聞いてもらってきた。 お陰で右肩上がりに良くなっていたのに、今週に入ったら、かなり急な右肩下がりだ。 「うう……」 ちょっと、筧くんに電話してみようかな……。 携帯を手に取る。 AM1:14という文字が目に入った。 駄目だ、こんな時間にかけたら迷惑になっちゃう。 携帯を置く。 あーでも、筧くんなら起きてるかな? もう一度携帯を手に取る。 いやいや、寝てるよね、明日本番だし。 やっぱり置いた。 悩んでるくらいなら、練習した方がいいのはわかってる。 でも、身体が動かない。 駄目なくせに、練習もできないなんて……わたしはどこまで駄目なんだろう。 なんとか……なんとかしなきゃ。 身体を起こし、もう一度原稿に向かう。 毎日、帰宅は0時過ぎ。 生徒会役員真っ青の仕事ぶりで、一週間を駆け抜けた。 そんな中でも、時間を作って佳奈すけの誕生パーティーをしたりと、図書部の団結は強まっている。 テンションは上々。 いよいよミナフェス当日だ。 16時30分。 学食の通常営業が終わった。 ここから1時間で、店内をイベント仕様に作り変える。 2500人分のビュッフェエリアとステージを作るのだ、6人ではどうにもならない。 学食のスタッフにも協力してもらい、みんなで会場を作っていく。 スペースを作った後は、会場の設営だ。 事前の打ち合わせ通り、役割を分担する。 白崎はステージの設営監督、そして白崎にしかできない外国語対応。 桜庭は本部で渉外担当。 御園と高峰は入口の担当。 佳奈すけはビュッフェエリアの準備。 俺は遊撃部隊だ。 みんなの様子に目を配るのが任務である。 さて、どこに行こうか?さて、どこに行こうか?もう少し時間があるな。 どこに行こう?どこに行こう?どこに行こう?どこに行こう?どこに行こう?どこに行こう?今のところ問題は起きていないようだ。 このまま進んでくれればいいが。 お客さんの入場が落ち着いてきた。 開場直後は一時騒然としたものの、それも落ち着いている。 最初は8人体勢だったもぎりも、いまは2人で十分回っていた。 「遅れてごめんなさい、前の仕事が押しちゃって」 芹沢さんが本部に駆け込んできた。 「いえ、間に合って良かったです」 「すぐ打ち合わせを始められるか?」 「もちろん」 芹沢さんが鞄から今日の進行表を取り出す。 赤いボールペンでいろいろとメモが書き込まれている。 ちらっと見てみると、会場での注意事項や、出演者のプロフィールだった。 「珍しいですか?」 芹沢さんが俺の視線に気づいた。 「こういう風に仕事するんだなと思って」 「話のネタはいくらあっても困らないんです」 「もしかしたら、1人で15分保たせてってことになるかもしれませんし」 気取った様子もなく、芹沢さんが言う。 いつもこういう準備をしているんだろうな。 「追加ですまないが、イベントの注意事項として、食事のサーブが遅くなる可能性があると伝えてもらえないか?」 「ウェイトレスが若干足りていないんだ」 「はい、わかりました」 「できたての料理をお持ちしますので、しばらくお待ち下さいって感じでどうでしょう?」 「問題ない、当意即妙とはこのことだな」 「あはは、それはどうも」 テレたように笑う芹沢さん。 「すみません、チケットの半券を持ってきました」 段ボールを持った御園が入ってきた。 「あ……」 芹沢さんの動きが止まった。 屈んで段ボールを置いた御園が、顔を上げる。 「……」 一瞬、目を見開く。 そういえば、芹沢さんと御園の間には何かあるんじゃなかったか? しまった……気が回ってなかったな。 「久しぶり」 「ええ」 「今日、特別レッスンだって聞いてたけど」 「私には関係ないから」 「それじゃ、今日はよろしくお願いします」 「……こちらこそ」 ぺこりと頭を下げ、御園は本部の奥に入ってしまう。 声をかけてくれるな、という感じだ。 「プライベートなことですので、気にしないで下さい」 芹沢さんが仕事モードに戻る。 いろいろ聞きたいことはあるが、今はそんな時間じゃないな。 「白崎、最後に何かあるか?」 「うーん……図書部はあくまで裏方ですので、出演者を第一にお願いします」 「あとは、明るく楽しいイベントにして下さい」 「わかりました。全力でやりましょう」 芹沢さんがしっかりと言ってくれた。 「あ、あと、申し訳ないんですが、控え室はないので休憩はここでお願いします」 「あはは、気にしないで下さい」 「私なんてぜんぜん駆け出しなんだから、椅子とパーテションがあれば十分」 芹沢さんが気取らない人でよかった。 「それじゃ、私は持ち場につきますね」 芹沢さんが本部を出て行く。 入れ替わるように、高峰と佳奈すけが戻ってきた。 全員集合だ。 時計を見ると、17時27分。 あと3分で開演だ。 「開演したら、それぞれ会場を巡回するようにしてくれ」 「何かあったら、すぐに私に連絡すること」 「招集は携帯でかけるが、マナーモードにしていると思うから、着信には注意を払ってほしい」 「いくらかけても出ないなんていうのは勘弁してくれよ」 ういす、と全員が返事する。 「白崎、一言くれ」 「うん」 みんなが白崎を見る。 「ここまで来られたのも、みんなのお陰です」 「ミナフェスを無事成功させて、今日この場で、私達が宇宙最強の図書部だってことを証明しようね」 「はい?」 「うっそ」 ここにきて新設定か。 「行くよ、みんなっ」 とにもかくにも、全員で『おーっ』と声を出した。 いつの間にか、俺たちは宇宙を相手にしていたらしい……気づかなかったな。 開演から1時間半が過ぎた。 一通りの食事を終えたお客さんは、思い思いの場所でステージを見ている。 今日のメニューは、イタリアンを基調にしたビュッフェ。 1500円というチケット代を考えたら、相当お得な内容となっている。 で、こっちが本命だが、ミナフェスでは様々な演者のパフォーマンスを楽しむことができる。 残念ながら、一流の出演者はいない。 マジックは失敗するし、バンドのヴォーカルは歌詞を忘れるし、落語家は緊張で噛みまくる。 それでも、誰もが一生懸命やっていることだけは伝わってきた。 これでいいと思う。 そもそも、パフォーマンスの質で売っているイベントではないのだから。 最も印象に残ったのは、ステージを終えて下がってくる出演者の姿だ。 テンションが上がって叫んでいるのもいれば、失敗して泣いているのもいる。 冷静な奴なんていなかった。 誰もが何かしらの感情を持ってステージを下りてくる。 そのことが、この企画の価値を証明してくれているような気がした。 「ミナフェス、企画して良かったね」 「ああ、こんなに喜んでもらえるなんてな」 会場の端に集まり、図書部全員でステージと会場を見つめる。 「まだ終わってないんだぞ、油断するな」 そう言いながら、桜庭の表情からも安堵が窺えた。 もう大丈夫だろう。 「あ……」 前触れもなく照明が落ちた。 丁度、三味線同好会が発表を終えた直後のことだ。 「どうしたのかな?」 「確認してくる」 桜庭が照明担当者の所に走る。 会場がざわつき始め、にわかに不穏な空気が漂う。 「故障ですかね」 「うはー、このタイミングか」 「……」 「何か照明のトラブルがあったみたいですね。皆さんの熱気が、照明を直撃しちゃったんでしょうか」 「慌てて動くと危険ですので、しばらくそのままでお待ち下さい」 芹沢さんが、すかさず笑いを取ってフォローしてくれる。 会場の動揺はひとまず収まった。 あとは、照明が復旧するかどうかだが……。 まだ復旧しない。 再び、会場がざわつき始めた。 ただ待ってくれというのも限界か。 「どうしよう……私……」 白崎の顔が蒼白になっている。 「落ち着け、大丈夫だ」 根拠はないが、そう言うしかない。 いつになったら復旧するのか。 焦燥感が募っていく。 「はぁ……ついたぁ……」 「よかった」 会場から溜息が漏れる。 時計を見ると、照明が落ちてから、まだ3分程度しか経っていなかった。 「おっと」 携帯が震えた。 桜庭だ。 「はいよ。うん。おっけー。了解」 「プログラム再開だって」 「はい、復旧したみたいですね」 「さあ、今の時間で、皆さんエネルギーは回復しましたか?」 「え? まだ休憩が足りない? ちょっと気合いが足りないんじゃないですかーっ!?」 「次はあっつーいバンドの登場ですよーーっ!」 芹沢さんが、見事に会場を盛り上げた。 間髪入れず、次のバンドの曲が始まる。 固定ファンがいるのか、客席の前の方は、飛ぶわ跳ねるわの盛り上がり。 さっきまでの重苦しいトラブルの影響など、一瞬で吹き飛んだ。 「くあー、来ましたよー」 「盛り上がってきたね」 1年生が抱き合う。 「いいんじゃないのー?」 「ああ、このまま突っ走ってくれるといいな」 「……」 最後のパフォーマンスとアンコールが終了した。 ここからは、MCが多少入り、主催者挨拶を経て閉会となる。 御園、佳奈すけ、高峰の3人は、閉会後の観客誘導に備えて持ち場に移動した。 残りの3人はステージ裏で待機だ。 「白崎、いよいよ最後の挨拶だぞ。準備はいいか?」 「……あ、うん」 白崎の顔は、誇張ではなく蒼白だった。 説明会とは違い、今日の会場には2500人もの人間がいるのだ。 無理もない。 無理もないが、無理をしてもらわないと困る。 「……」 白崎の膝が震えている。 鈴をつけたら景気よく鳴りそうなほどだ。 「白崎、大丈夫か?」 「……さっきの……」 「ん?」 「さっきの照明のトラブル……わたしがちゃんとチェックしなかったから……」 そういえば、ステージ設営の監督をしてたのは白崎だったな。 「丸く収まったじゃないか、気にするなよ」 「筧の言う通りだ。もう誰も気にしていない」 「わかってる、わかってるんだけど……」 「なんだか、変なスイッチが入っちゃったみたいで」 白崎が、言うことを聞かない身体を黙らせようとするように、自分の腕を抱く。 自分の言葉で、さらに自分を追い込んでいるように見える。 「……白崎」 桜庭が音響の方へ歩いて行く。 「どこ行く?」 「念のため、ワイヤレスマイクを持ってくる」 「人前に出なければ、なんとかなるだろう」 「あ……」 遠ざかる桜庭の背中を見つめてから、白崎がうつむいた。 「白崎……今日のために、せっかく頑張って来たんじゃないか」 「説明会でも上手くいったんだ。今回も大丈夫だって」 「……そう思おうとしてるんだけど……頭の中がいっぱいになっちゃって、もう……」 せっかくあがり症が改善してきていたのに、照明トラブルなんかでメンタルが崩れるなんて。 「深呼吸してみよう、ほら」 自然と、白崎の両肩を手で支えていた。 「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」 「よーし、いい調子だ。もう少し、深く、ゆっくり」 「すう…………はあ…………」 「よし、いいぞ」 白崎の二の腕を撫でる。 蒼白だった肌に、少しずつ血の気が戻ってきた。 「カンペは持ってるんだろ?」 「うん、一応」 「なら大丈夫。あとは部室で俺たちに聞かせるようなつもりで喋ってみろ」 「でも、もし失敗したら、みんなが今まで積み上げてきたものを……」 「誰も白崎を責めたりしない」 「責める責めないじゃなくて、わたし……」 自責の念に堪えられなくなるというのだろう。 白崎が、血が出そうなほど唇をかみしめる。 「白崎」 桜庭が戻ってきた。 手にはワイヤレスマイクがある。 「このマイクなら、舞台裏で喋っても大丈夫だ。視線がなければ普通に話せるだろう?」 「それでも無理だというなら、挨拶は私が代わってもいい」 「玉藻ちゃん……」 白崎の緊張が幾分和らぐ。 違うだろ桜庭、それは甘やかしだ。 自分でやらなきゃ成長しない。 ……いや、違うか。 俺は、白崎に成長してほしいわけじゃない。 今まで頑張って来たから最後までやってほしい……それだけだ。 失敗してもいい、成長しなくてもいい。 失敗して白崎が救いようのないほど凹んでも、また浮上するまで俺が付き合う。 誰かのために時間を使ってもいいと思ってるんだ。 ……こんな風に考えたのは、今まで生きてきて初めてだった。 俺はずっと、他人に何かを期待したり、働きかけたり、促したり── 誰かに自分の心を乗せることをしてこなかった。 変わってきてるんだな、俺自身が。 「今日の素晴らしいパフォーマンスの数々、楽しんでいただけたと思います」 「でも皆さん、一つ忘れてることがあるんじゃないですか?」 「ミナフェスは、どこからともなく湧いてきたものじゃありません」 「ある人たちが、準備に準備を重ねて作り上げたものなんです。ご存じですねー?」 拍手が沸き起こる。 音の圧力で、会場の壁が揺れるかのようだ。 「それでは皆さん、今日の立役者をお呼びしますよー」 「白崎、出番だ」 桜庭がワイヤレスマイクを差し出す。 「うん、ありがとう……」 白崎が手を伸ばし、指先がマイクに触れた。 結局、舞台裏から話すのか。 「……」 だが、握らない。 桜庭が訝しげに白崎を見る。 白崎の目はどこも見ていない。 見ているとすれば、それは自分の中だろう。 「なあ、白崎」 白崎の隣に立つ。 「お前は、自分を変えたくて図書部を始めたんだろう?」 「筧、もう時間がない」 「待ってくれ」 桜庭を制止する。 「今が頑張りどころだ。ここを乗り越えたら、胸を張って変わったって言えるじゃないか」 「筧くん……」 白崎が俺を見つめる。 「そ、そうだ、これ……」 ポケットからキーチャームを取り出す。 白崎からもらったものだ。 最後まで付き合うって約束の証だったはず。 「ステージまで持ってけよ」 「持って行って、がつんと失敗してこい。そしたら、また練習しよう」 「……」 白崎が、マイクに伸ばしていた手を下ろす。 空いたその手に、キーチャームを握らせた。 「筧くん……わたし……」 白崎の瞳に、俺の顔が映っている。 それはかすかに揺れ、熱っぽいものでにじんでいるように見えた。 「早く行け。お客さんが呼んでるぞ」 「……うん」 白崎がステージに向かう。 最後に残したのは、笑顔だった。 ……。 「やれやれ、私は踏み台か……」 鬱陶しそうに桜庭が頭をかく。 「そんなつもりはなかったんだけどなあ」 「だけどなあ、じゃない」 桜庭が、俺の脇を通り抜ける。 すれ違いざま、俺のネクタイを掴み、左右に引っ張った。 「あだだだ……」 「ネクタイ曲がってるぞ、色男」 ぽいっとネクタイを放り、桜庭は音響の方に歩いて行った。 ぽいっとネクタイを放り、桜庭は音響の方に歩いていく。 「なあ、桜庭」 「なんだ?」 桜庭が足を止めて振り返る。 「一番評価されるべきは、お前だと思う」 「白崎も俺も、他のみんなも、桜庭が造った船に乗ってるだけだ」 「歴史に残るのは船や船長の名前だ。船大工のことなんてどうだっていいだろう?」 「知らなかったかもしれないけど、俺は船大工に興味がある方なんだ」 「……へ、変な奴だ」 桜庭が俺に背を向ける。 白いうなじが、みるみるうちに赤くなる。 「まだミナフェスは終わってないんだ。変なことを言うと船底に穴が空くぞ」 やけっぱちに言って、桜庭は音響の方に走っていった。 芹沢さんの紹介から少し遅れて、ステージに上がった。 まず驚いたのは、照明の熱さと眩しさ。 そして、わたしに注がれている無数の視線だ。 それらを意識してしまった瞬間、身体が内側から裏返しになるような緊張が走った。 頭が真っ白になる。 なのに、脚が自分をマイクの前に運んでいく。 駄目。 そこに行ったら、話さなきゃいけない。 話したら、失敗して、笑われて、みんなの努力を無駄にしちゃう。 ああ、なのになぜ、自分はマイクの前にいるの? 目を開いているはずなのに、何も見えない。 これだけ人がいるのに、何も聞こえない。 ……気が遠くなる。 このまま自分は真っ白になって、照明の熱に焼かれて消えてしまうに違いない。 汗でべっとりになった手を握る。 「……?」 固い感触があった。 なんだっけ? 記憶をたぐり寄せるように、固いものの輪郭を指で探る。 そうだ、筧くんにあげたキーチャーム。 ずっと付き合ってくれるって約束の、キーチャーム。 『ステージまで持ってけよ』 『持って行って、がつんと失敗してこい。そしたらまた練習しよう』 筧くんの言葉が、耳に蘇る。 何も聞こえないはずなのに、はっきりと聞こえた。 きっと、キーチャームが身体を通して話しかけてくれているのだ。 なら、もう何も聞こえなくてもいい。 筧くんの声だけを聞こう。 カンペだっていらない。 弱々しい自分の字を見ても、滅入るだけだ。 そんなものを見るなら、瞼の裏に部室を見よう。 いつもの部室、いつもにぎやかな図書部のみんな。 こんなわたしを支えてくれる、みんな。 その一人一人に向かって話すんだ。 「すう……」 大きく息を吸う。 もう、迷いも恐怖もない。 「皆さん、今日はご来場下さり本当にありがとうございました」 「わたしは、図書部部長、白崎つぐみです」 白崎は落ち着いていた。 部室で俺たちに活動のビジョンを語っているときと同じ…… いや、それ以上に、無駄な力の抜けた声が出ている。 スピーチの内容は、いつも白崎が言っているようなことだった。 図書部は何者にも縛られない自由な活動をモットーとしていること。 小回りがきくという長所を活かして、大きな組織にはできないことをやっていこうとしていること。 そして、ミナフェスも何気ない一言から始まったことだから、これからも皆さんの声を聞かせてくださいといったことだ。 ひねりもジョークもない。 時間にして2、3分の、素朴な挨拶だ。 でも、かえってそのことが、白崎の熱意をストレートに表現している気がする。 「今日、この場所で、皆さんと同じ時間を過ごせたことを、本当に嬉しく思っています」 「ご要望があれば、またいつか、ミナフェスは帰ってくるかもしれません。そのときは是非よろしくお願いします」 「今日は本当にありがとうございました!」 「ぐはー」 午後11時。 イベントの片付けが終わったときの俺たちは、もはや廃人といって差し支えなかった。 全員が椅子に伸び、半分ずり落ちそうになっている。 いつもなら行儀が悪いと怒りそうな桜庭も、今ばかりはお目こぼしだ。 高峰なんぞは、顔に濡れタオルをかぶせたままぴくりとも動かない。 このまま永久に目を覚まさないかもしれないけど、それもいいかと思えるくらいの疲労だ。 ちょっと気分転換したいな。 「ちっと飲み物買って来るよ。何がいい?」 全員が『任す』とハモった。 「うはーーっ!」 人がいないのをいいことに、全力で背伸びをした。 今まで感じたことのないほどの達成感と解放感だ。 ミナフェスは無事終了。 お客さんの反応はおおむね好評で、次回が待ち遠しいという声を沢山もらった。 閉会後にはウェブニュースの取材も受けた。 おまけに、白崎も頑張った。 本当によかった。 そして俺は、誰かと何かを成し遂げたことを、素直に喜べている。 今まで感じたことのない感覚だった。 「筧くん」 後ろから声がした。 「叫び声が、中まで聞こえてたよ」 くすくす笑う白崎。 「どうした? 休んでてよかったのに」 「いいの、わたしも外の空気が吸いたかったから」 白崎が隣に来た。 二人並んで、近くの自販機を目指す。 「今日のスピーチ、上手くいって良かったな」 今まで積もりに積もってきた鬱屈を一気に洗い流すような、清々しいスピーチだった。 自分が、無意識に拍手をしていたことを思い出す。 「ありがとう。筧くんのお陰だよ」 「まさか……人が変わるのは、いつだって本人の力さ」 「でも、きっかけをくれたのは筧くんだから」 「どうかな」 「もう、素直じゃないんだから」 白崎がぶすっとした顔をする。 しかし、それもすぐ笑顔に変わった。 「ねえ筧くん?」 「ミナフェスが終わったら聞こうと思ってたんだけど、いいかな?」 「どうぞ」 白崎が少し先回りをし、俺の方を向いた。 「図書部に残って良かったと思ってる?」 「もちろん」 即答する。 迷うことなどない。 「なら良かった」 白崎が満面の笑みを浮かべた。 星が一つ、地上に降りてきたかのような眩しさだ。 「これからもよろしくね、筧くん」 「こっちこそ」 白崎が、再び俺の隣に並んだ。 「よし、飲み物なんかおごるよ。スピーチが上手くいったお祝いだ」 「やったね! どーん☆」 白崎が肩をぶつけてきた。 「なんだそりゃ」 こっちも肩をぶつける。 「なんだそりゃ」 「しつこいぞお前」 「しつこいのは筧くん……あはははっ」 何度も肩をぶつけあう。 どう見てもテンションが上がりすぎたカップル状態になりつつ、俺達は自販機へと向かった。 よし、ステージを見に行こう。 なんと言っても、白崎は心配だ。 ステージに近づく。 簡単なものだが装飾はすでに完成し、今は照明と音響のテストをしているようだ。 「どう? 順調に進んでる?」 「今のところ順調だよ」 「さっき、ちょっと照明の調子が悪かったんだけど、直してくれたみたい」 白崎がステージを見る。 色とりどりの照明が白崎の瞳に反射している。 なんだか、白崎の瞳がきらきら光っているようだ。 「やっとここまで来られたね」 「そうだな」 白崎がこの企画を発案してから約一ヶ月。 あっという間だった。 「筧くんには、すごく感謝してるよ……ありがとうね」 「まだ終わってもないのに、終わった風なこと言うなって」 「あ、すっかり、エンディング気分になっちゃった」 頭の中ではスタッフロールでも流れていたのだろうか。 ステージ上から、照明の向きはこれでいいですかーと声が飛んできた。 「あっ、すみません、もう少しだけ左でいいですか?」 「ええ、はい。もう少し、右ー、あ、そっちは左で……あれ? 向かって右だから……」 「照明さんから見たら左だろ?」 「ああ、そうだね。さすが筧くん」 「さすがでも何でもないって。んじゃ、頼んだぞ」 「うん、任せてっ」 ステージを立ち去る。 本部に行ってみるか。 桜庭はどうしてるだろう。 ステージの裏手にある本部へ来た。 客席からはまったく見えないところに、机を置いただけの本部だ。 貴重品や私物の管理もしているので、これはこれで重要な場所だったりする。 「よう……おっと」 桜庭は電話をしていた。 「ですから、それは事前にお話ししていますよね?」 「手元の契約書にもそのように書いてあります」 「ともかく、時間がありませんので早急に手配してください。目処が立ったらご連絡をお願いします」 桜庭が携帯を切った。 「どうした?」 「商店街のチラシの搬入が間に合わないとか言ってきた、たるんでるぞ」 桜庭がPCをカタカタいじって何かを確認している。 「そっちは何か異常はないか?」 画面から目を離さず聞いてきた。 「今のところ大丈夫だ。もう少し見回ってみる」 「頼んだぞ。こっちは本部から離れられない」 「困ってるところがあったら手伝ってやってくれ」 「了解。じゃあまたな」 忙しそうだし、さっさと別の場所に行こう。 「ミナフェスが無事終わったら、少しはゆっくりしたいものだな」 立ち去りかけた俺に、桜庭が言った。 目が合うと、気まずそうに視線を外す。 「一緒にどっか行くか。古本屋とか図書館とか」 「一人で行け」 ですよね。 入口に行ってみるか。 開場直前でテンパってるかもしれない。 入口に来た。 机が2本並んでおり、お客さんはその間を通って会場に入ることになる。 机の外側にいる係員に、チケットの半券を渡す流れだ。 「御園、何かトラブってないか?」 「あ、私は問題ないんですけど……」 御園が建物の外に目をやる。 高峰が、数人の男子生徒に囲まれていた。 「当日券がないのはおかしいって、さっきからなかなか引いてくれないんです」 「やっぱり、そういう人がいたか」 「あ、わかってくれたみたいですね」 男子生徒が立ち去り、高峰が戻ってきた。 「いやー、これで3件目よ」 「事情を説明してもわかってくれなくて参るわ」 迫力がある高峰を入口にしたのは、間違ってなかったな。 「話がこじれたら俺に電話してくれ。応援呼んでくるから」 「はいよ。だが、桜庭は連れてくるなよ」 「あいつは俺より喧嘩っ早いからな」 「グチグチ言われたら、即ギレ確定ですね」 御園が尻尾を顔の前に持ってきて、ピコピコ振る。 「御園って、その服割と気に入ってたの?」 「嫌いじゃないですよ。にゃお」 やる気のない猫の真似をした。 高峰が脇で静かに合掌する。 僧職的にはご褒美だったらしい。 「真面目な話、スタッフとお客さんが混じらないようにする配慮です」 「入口のもぎりは、私と学食のスタッフでやりますから」 「あー、そういうことか」 スタッフが目立たないと、誰にチケットを渡していいかわからないもんな。 「こっちは大丈夫なので、他のところを回って下さい」 「おう。じゃあよろしく」 ビュッフェエリアはどうなっているだろう。 佳奈すけ一人に任せてしまっているが……。 「すいません。こっち、レードル2つとスープカップをっ」 「ダスター足らないです。がつっと10枚くらい持ってきて下さいっ」 「あー、それ置き場所間違ってます。デザートビュッフェの方ですっ」 立食スペースは戦場だった。 2500人相手の給仕をするために、佳奈すけは、50人ほどのウェイトレスチームを編成していた。 日頃のバイト仲間を、報酬はステージのタダ見という約束で誘ったのだという。 さすがに勝手知ったる職場だけあって、みんな動きがいい。 「佳奈すけ、なんか困ってることはないか?」 「あー、胸が小さくて困ってるんですけど」 「手遅れですね」 「まだ成長期ですよ!?」 「ま、冗談が出るんだから、大丈夫ってことでいいか?」 佳奈すけが真面目な顔に戻る。 「ちょっと給仕の人が足りないかもしれません」 「サービスが遅くなるかもしれないので、司会の方に一言いってもらうようにして下さい」 「わかった、相談しとく。後は?」 「今のところ大丈夫です」 「OK。何かあったらいつでも電話してくれ」 「りょーかいです」 ウェイトレス仲間から、かなぞー、と声が飛んだ。 「あ、じゃあ、私はこれで」 「頑張れよ、かなぞー」 「それ、広めないで下さいよ。私は佳奈すけが気に入ってるんで」 びしっと俺を指さして、佳奈すけが走り去った。 「あ、筧君じゃないですか」 嬉野さんが声をかけてきた。 「嬉野さんも協力してくれてたのか、ありがと」 「いえいえ、私は店舗側のマネージャーですから」 「鈴木さんと、お店がちゃんと回っているか高みの見物をしているだけです」 嬉野さんがのほほんと笑う。 「鈴木さん、今週に入ってから、何か吹っ切れたみたいですね」 「みたいだな」 「筧君がなんとかしてくれたんですか?」 「俺じゃないと思うけど」 自分が誰かを変えたなんて、そう簡単に言えることじゃない。 「あら、てっきり筧君だと思ってました」 「佳奈すけ本人に聞いてみて」 「鈴木さーんっ」 いきなり叫んだ。 嬉野さんの頭を押さえる。 「むぎゅっ!?」 「今じゃなくていいから」 「わかってますよぉ。冗談です」 俺が手を離すと、嬉野さんは帽子をせっせと直した。 「ともかく、佳奈すけが吹っ切れて良かった」 「強引にまとめましたね」 嬉野さんがぶすっとする。 「嬉野さんには感謝してる。佳奈すけのこと、いろいろ教えてもらったから」 「これからも見守ってやってくれると嬉しい」 「ふふふ、わかりました」 「じゃ、俺は戻るよ。今日はよろしくな」 「こちらこそ」 嬉野さんと別れた。 広い視野で警戒しよう。 時間をかけ、全体を見て歩く。 ……。 …………。 ………………。 特に目につくことはない。 ミナフェス明けの月曜日。 いつものように、本を読みながら学校を目指す。 「おっと」 「失礼」 おっさんとぶつかりそうになったが、華麗にかわした。 今のは危なかったな。 俺の図書部スキルも鈍ってきているらしい。 「穏やかな顔で本を読むようになったね」 「……?」 どことなく聞き覚えのある声に、足を止める。 振り返って周囲を窺うが、俺を見ている人はいなかった。 不意に、強い風が吹いた。 持っていた本のページが風に遊ばれ、挟んでいた栞が飛ばされる。 「おっ」 咄嗟に手を伸ばす。 しかし、栞はまるで意思を持ったかのように、俺の手をすり抜け、雑踏の彼方へと消えていった。 「(あーあ……)」 付き合いの長い栞だったんだけどな。 少しの間、呆然と雑踏を眺める。 ま、これも時の流れか。 かなり傷んでいたし、この機会に新しいのを買おう。 気を取り直し、俺は再び学校に向かって歩きだした。 ひらりと舞う栞を、華麗にキャッチ。 「(あぶなー)」 飛ばされてたら、絶対に見つからなかっただろうな。 やれやれ。 安堵の息をつき、俺は再び学校に向かって歩きだした。 昼休み。 いつものように部室に向かう。 「あ、筧じゃん」 「おう」 小太刀と遭遇した。 「ミナフェス……っだっけ? 大成功だったじゃない」 「お陰さまでね。見に来てくれたのか?」 「終わり際にちょこっと。チケット貰っちゃったからさ」 「そっか、わざわざありがと」 「いーえ。じゃ、またね」 ひらひら手を振って、小太刀が本棚の奥に消えていく。 なんだかんだ言って見に来てくれたのか。 「あー、小太刀、ちょっと待った」 「ん?」 本棚の影から、小太刀が頭だけを出す。 「これからも、会えるのか?」 「会いたいの?」 「まあ、お隣さんだし」 「あはは、そうね」 「私も図書部の面子は気に入ってるから、ちょくちょく会いに来るよ」 「それに、この学校ではやりたいこともあるから」 んじゃっと手を振って、小太刀はまた消えた。 どんな用があるのか知らないが、また会えるそうで何よりだ。 「ういーす」 昼食を取っている面々と挨拶を交わす。 「筧さん、ウェブニュース見ましたか? すっごい特集組んでくれてますよ」 早速、携帯で見てみる。 トップページに特集があった。 ざっと見たところ、今回は好意的に書いてくれているようだ。 「今回は恣意的な内容じゃなくてよかった」 「取材の時に、きつく言っておいたのが効いたらしい」 はっはっは、と扇子をひらめかせる桜庭。 どういう言い方をしたんだろう。 聞かない方が身のためか。 「ウェブサイトにもかなりの数のメールが来ているぞ」 「ほとんどは好意的なものだが、中には耳の痛いものもある」 「批判してくれるのは、ありがたいことだよ」 「ちゃんと読んで、今後の活動に活かしていこう」 相変わらず白崎は前向きだ。 「そう言うと思って、主な意見はまとめておいた」 桜庭が、どんと資料の束を置く。 そして、桜庭は相変わらず仕事が早い。 「これ、何ページあるんですか?」 「50ページはあるな」 「もう、ビジュアルだけでお腹いっぱいだわ」 高峰がうへえ、という顔をした。 「高峰ー。私が貴重な試験勉強の時間を割いて作ったんだぞ?」 「一字一句、舐めるように読んでくれると嬉しいな」 桜庭がにっこり笑った。 「……あれ、いま、不穏なこと言わなかった?」 「ええ、何か、すごーく不穏なことを聞いたような」 「奇遇ですね、私もです」 3人が顔を見合わせる。 「紙なんか舐められるか、というツッコミか?」 「いえ、その前です……試験とか勉強とか」 「来週から実力試験だろう? 何を言ってるんだ?」 当然だろ、という顔の桜庭。 「……」 「……」 「……」 対する3人の表情はうつろだ。 「なんだか部室のお掃除したくなってきたね」 「ああ、どーんと大掃除するか」 早速、試験勉強名物の現実逃避を画策する奴もおり。 「試験が終わるまでは、新しい依頼を受けるのは難しそうだな」 「筧先輩、余裕ですね」 「いや、勉強しなくてもテストはできるんだよね、昔から」 「……筧さん、いま嫌いになりました」 佳奈すけが机に突っ伏した。 ドアがノックされた。 「あれ、誰だろう? どうぞー」 部屋に入ってきたのは、望月さんだった。 「お邪魔していいかしら?」 「あ……この前は、すみませんでした」 「いいえ。こちらこそ、無粋なことを言ってしまったようね」 望月さんが軽く笑う。 「ミナフェスが盛況で何よりでした。私もお店の外から拝見しました」 「え? 外からですか?」 「ええ。チケットを買おうとしたんだけど完売してしまって」 「俺に言ってくれりゃ、こっそり中に入れたのに」 「それはどうも……でも、生徒会長だからといって特別扱いはいけないわ」 「次回の開催も期待されてるみたいだし、そのときはネットに張り付いてチケットを取らせてもらいます」 望月さんが冗談めかして笑った。 「それはともかくとして、ミナフェスは素晴らしいイベントでした」 「有料にもかかわらず、あれだけの方が参加してくれたのだから、私達もまだまだ生徒の声を拾い切れていなかったということね」 「前に申し上げましたけど、生徒会に不満があるわけでは……」 「わかってます、そこは大丈夫」 「あなたたちは、必要だと思ったことをやっただけなのでしょう?」 「はい、そうです」 望月さんが髪をかき上げた。 「普通は、生徒会に要望を出しただけで終わってしまったり、生徒会が無理だと言ったらそこで諦めてしまうことが多いの」 「私達に強い権限があると勘違いしてるみたいで、ご機嫌を取ってくる人が多いのよ」 望月さんが、困ったように眉を歪めた。 「でも、あなたたちは自分たちの力で新しい企画を作り上げた。本当に素晴らしいことだと思うわ」 「これからも、必要だと思ったことは、どんどん進めていってね」 「お互い協力して、学園を楽しくしていければいいですね」 望月さんは小さく微笑んでから、右手を白崎に差し出した。 幾分躊躇したあと、白崎はその手をしっかりと握る。 いつだったか、白崎は『望月さんに認められるのが目標』だと語っていた。 そいつは、無事に達成されたんじゃないかな。 「私たちが動きにくいときには、お仕事を頼むこともあるかもしれないわ」 「その時にはよろしくね、図書部のみなさん」 望月さんが、俺たち全員を見回して言った。 「お手柔らかに頼む」 「こちらこそ。ゴシップ好きを喜ばせないような関係が望ましいわね」 望月さんはドアに向かった。 「後期も無事に会えるよう、試験だけは落とさないように」 「こればかりは、生徒会長でも助けられませんから」 にっこり笑って、望月さんは出て行った。 「結局、試験の話ですか」 「学生の本分は勉強だ、当たり前だろう」 「ですよねー」 「こりゃ、諦めて勉強するしかなさそうだな」 「ぐふぉふぉふぉ」 図書部の次の活動は、試験が明けてからになりそうだ。 夏になれば、また依頼の内容も変わってくるだろう。 一体、どんな活動をしていくことになるのか。 今から試験後が楽しみだ。 「いまこそ、図書部の団結力が試される時だね」 「試験、頑張ろっ!」 前向きすぎて何かから目を逸らすような白崎の言葉が、虚しく部室に響いた。 ようやく金曜日の放課後がやってきた。 実力試験も終わり、部室には緩い空気が流れている。 「揃っているか」 「……あれ、白崎さんはどうしました?」 「ああ、今日は欠席なんだ」 普段は桜庭と一緒に白崎がやってくるのだが、今日は桜庭一人で部室にやってきた。 「急用で実家に帰るらしい」 「じゃあ、これで全員か」 俺と桜庭、高峰と鈴木、そして御園。 5人で顔を見合わせる。 白崎が欠けた部室は、どことなく寂しい。 「……白崎さんがいないと何だか締まりませんね」 「確かになぁ」 「月曜には戻ってくるらしいから、それまで我慢しよう」 「では、打ち合わせを始めるぞ」 桜庭が仕切り、メンバー各員に依頼を割り振っていく。 ミナフェスの高評価もあり、図書部への依頼は急激に増えていた。 「やはり、全ての依頼を受けるのは難しそうだ」 スケジュールとにらめっこをしながら、桜庭がうなる。 「半分くらいは断らないと」 「せっかくの依頼なのに、申し訳ないですねぇ」 「白崎が戻ってきたら、今後の方針を話し合った方がよさそうだな」 受けられる依頼の数には限りがある。 どういう依頼を受けて、どういう依頼を断るのか、ガイドラインが必要だ。 夏休みに入れば、更に依頼が増えるかもしれないし。 「ところで、白崎先輩、何かあったんですか?」 御園が心配そうに尋ねる。 「私も詳しくは聞いていない」 「桜庭先輩でも知らないことがあるんですね」 「私だって、白崎の全てを知っているわけじゃない」 「あ……そうですね、すみません」 御園が軽く頭を下げた。 実家で急用か。 悪い話じゃなければいいが。 「考えてみれば、白崎さんって不思議な人ですよね」 「なんでまた学園を楽しくしようなんて思ったんでしょう」 「私も気になってました」 1年生たちは図書部の簒奪……もとい、図書部結成の場にいなかった。 というか、知らないままよくここまでついてきたものだ。 「引っ込み思案な性格を直したいってことらしい」 「学園を楽しくする活動で人と関わっていけば、性格が変わるんじゃないかって話だったが」 桜庭もうなずく。 「白崎さんって引っ込み思案かな?」 「そんなことないと思うけど」 「時々、妙に押しが強いし」 「それで千莉ちゃんは見事に籠絡されちゃったしな」 「本当ですよ」 ため息をつく御園。 「でも、今は感謝してますけどね」 「毎日楽しいです」 御園が楽しんでくれているのは、素直に嬉しい。 「引っ込み思案じゃないなら、何か別の目的があるんですかね」 「実は学園の転覆を狙っているとか」 「つっても、自分の性格をどう思うかは当人次第だし」 あれは確かGW前だったか。 俺が図書部を辞めようと思っていた時、白崎に活動を始めた理由を尋ねたことがあった。 彼女の答えは『理由はあるけど軽蔑されるから言えない』というものだった気がする。 「どんな目的があろうと、図書部の活動はみんなを楽しませている」 「素晴らしいことじゃないか」 「ですね」 「私だって、白崎さんがいなかったら、図書部には入ってなかったと思いますし」 俺だって同じだ。 白崎が普通の人間だったら、活動に協力しなかったと思う。 「何にしても、あんまり細かいことまで聞くのは野暮ってもんだ」 「いやいや、女というものは、素っ気ない振りをしていても興味を持たれるのが好きな生き物だぞ」 「語るじゃない。ならさ、スリーサイズとか教えてくれよ」 「ただし、人による」 「それ言っちゃぁ……」 「でも、白崎にはやっぱり人を引きつける力があると思うよ」 「アメリカの鉄鋼王の墓石には『己より優れた者を周りに集めた者、ここに眠る』ってあるらしい」 「白崎はそういうタイプの人間じゃないか」 話をしながら、違和感を抱いて座布団をずらす。 よく見ると、座布団の糸がほつれて綿が少しはみ出していた。 「筧の話だと、白崎が劣っているということにならないか?」 「人を集めるのは一つの能力だよ」 「事務能力は桜庭が一番だし、御園は歌があるし、佳奈すけは空気を明るくする」 「それと並列じゃないかな」 「わたしだけぱっとしないような」 「それより、誰か一人忘れてないか?」 高峰がちゃんと拾ってくれた。 「高峰さんは、空手か何かってことでいいですか?」 「すっごい雑」 などといじられ役をやってくれるとこが才能だ。 口には出さないが、気遣いレベルも高いし。 「でも、高峰先輩と佳奈ってキャラが……」 「それは気づいちゃ駄目っ!」 まあ、似てるっちゃ似てるかもしれない。 日も暮れ、そろそろ帰ろうとかというところで、ドアがノックされた。 「どうぞ」 「失礼します」 「失礼します」 現れたのは、生徒会役員の二人だった。 「あ、多岐川さんも一緒か」 「……何か問題でも?」 「いやいや、別に」 「どうぞ座って下さい」 「ありがとうございます」 勧められた席に座る望月さん。 「多岐川さんも」 「いえ、私はこのままで結構ですので」 多岐川さんは、望月さんの背中を守るように後ろに立った。 「白崎さんがいないのですね。先に予定を聞いておくべきでした」 「どんなご用件?」 「今日は図書部の皆さんに、依頼があって来ました」 「ほー、生徒会から依頼なんて、出世したんじゃない、俺たち」 桜庭の問いに、望月さんが困ったような顔をする。 「部長さんがご不在のようですし、出直します」 「急ぎのことなら、概要だけでも聞かせてもらえれば先に検討できるが」 「せっかくですが、今回は非常に重要な案件ですので、皆さんが揃ったときにお話させていただきます」 望月さんが笑顔で言う。 「では、今日のところはこれで」 「それではまた」 望月さんは、俺に一瞬目を合わせてから頭を下げた。 生徒会の二人が出て行った。 「どんな依頼でしょうか?」 「筧の口説き方を知りたい、とかじゃねーの?」 「んなわけあるか」 「いやいやいや、さっきの目は狙ってる女の目でしたよ」 「筧が向こうに輿入れするのは、図書部の未来のためにもいいかもしれない」 「筧先輩、期待してます」 「ばふぉめっと」 「うるせえよ」 猫が何を言っているのはわからないが、声色でからかわれているのがわかる。 「しかし、概要くらいは話してほしいものだ」 「週末の間にも、いろいろ準備できれば時間の短縮にもなるのに」 「勝手に準備を進めてたら、白崎に悪いんじゃないか?」 「まあ、そうだな。まずは白崎の戻り待ちか」 「何やるにしても、白崎さんのOKがないと」 そもそもは白崎の活動を支えるための部活だ。 白崎抜きで話を進めていても、あいつが『むう』と唸ったら、話がひっくり返りかねない。 一見独裁者のようだが、みんなが白崎を信頼しているからこそだ。 図書部の知名度が上がっても依頼が増えても、信念が一番ブレないのはあいつなのだ。 ともかくも、白崎の帰還を待つことにしよう。 本から顔を上げて携帯を見ると、23時を回ったところだった。 白崎に、望月さん達が部室に来たことを伝えておこう。 「……よし」 メールを送り、携帯をベッドボードに置く。 さて、本の続きを…… と思ったら、電話が鳴った。 白崎だ。 「……もしもし」 「あっ、筧くん?」 「いまメール読んだよ」 「桜庭からも同じようなメールあっただろ?」 「うん、あったよ。よくわかるね」 「桜庭だからなあ」 ふふふ、と白崎が笑う。 「望月さんが来たってことだけど、依頼の中身はぜんぜん話してくれなかったの?」 「ああ、まったく」 「大事な話らしくて、白崎が帰ってきてからもう一度相談するって」 「うーん……望月さんからのお話なら協力したいけど、それじゃわからないよね」 「そんなわけで、こっちもどうしようもなくてさ」 「でも、まずは白崎に報告しとこうと思ってメールしたんだ」 「うん、ありがとうね」 「でも、望月さんも依頼の概要くらいは教えてくれてもいいのにね」 「いいんだよ。白崎抜きで話を決めるわけにはいかないし」 「……そっか」 「私は、みんながやろうって言うなら、何だってやるつもりだけど」 「ま、それでも、図書部の顔はやっぱ白崎だから」 「うん……だよね」 白崎の声のトーンが落ちた。 何か屈託があるらしい。 「ともかく、来週みんなで一緒に話を聞こう」 「うん、わかった」 白崎の声に元気が戻った。 「そっちはどう? 急用ってことだったけど、大丈夫なのか」 「あ、心配かけてごめん。不幸とかそういうことじゃないから」 「なら良かった」 家族が倒れたりしたのかと思った。 「……」 電話の向こうで、白崎が言い淀むのがわかった。 「どうした?」 「あ、えーと……」 「あんまり明るい話じゃないんだけど、いいかな?」 「ああ、もちろん」 「明日ね、病院に行くの」 病院? 「もしかして、妹さんが入院してる?」 「うん。お医者様から話があるみたいで……今回はそれで実家に帰ったの」 「そっか」 「一週間くらい前に電話したときは元気そうだったから、平気だと思うんだけど……」 白崎の声が不安に沈んでいる。 何とか元気づけたいが。 「ごめんね、こんな話で」 「一人で心細かったところに、ちょうどメールが来たから……つい」 「いいって。こういうときは、遠慮しないで電話してくれよ」 「話相手くらいにはなれるから」 「うん、ありがとう」 幾分明るい声になる。 「妹さんも、悪い話と決まったわけじゃないんだろ? 退院できるってことかもしれないぞ」 「ふふ、そうだね」 白崎が曖昧に笑う。 「ありがとう。暗い話をしちゃってごめんね」 「いいって」 「でもさ、こういう話は、桜庭にした方がよかったんじゃないか?」 「そうかなぁ。わたしは筧くんでも全然構わないよ」 「おお、そう言ってくれるのは嬉しいね」 「あっ、ごめん、今の偉そうだったね。うう、失敗した〜」 「ははは、気にしてないって」 「うふふ、よかった」 照れ笑いっぽい声が聞こえてきた。 「部活の方、生徒会からの依頼の他は何もなかった?」 「依頼が増えてきて、対応が追いつかないって話があったな」 「半分くらいは断らないといけないかもしれない」 「そうなんだ……」 「うん、でもしょうがないよね。わたしたちが動ける範囲にも限りがあるし」 「忍者みたいに分身できたらいいんだけど」 「無茶言うなよ」 「あはは、だよね」 「あとは、御園とか佳奈すけが、白崎が図書部を始めた理由を気にしてた」 「あれ、自分を変えたいからって話、してなかったかな」 「何で自分を変えたいのかってこと」 「あー……そっか」 前に白崎が言葉を濁したところだ。 聞いたら軽蔑されてしまうような理由……本当にそんなものが白崎にあるのだろうか。 「自分を変えたい理由があるんだろ?」 「……それは内緒」 「なんだそりゃ」 「えへへ、なんだろね」 ごまかされた。 「実は恥ずかしいこととか?」 「内緒だってば〜」 「筧くんに聞かれたら話しちゃいそうだから、あんまり聞かないでね」 「そう言われると聞きたくなるなぁ」 「やめて〜っ」 「冗談だって。無理矢理聞いたりしない」 「よかった」 ふう、と携帯に息がかかる音がした。 「あ、ごめんね。こんな無駄話に付き合わせちゃって」 「時間、大丈夫?」 「ああ、本を読んでただけだから」 「週末は家にいると思うから、何かあったら時間気にしないで電話くれよ」 「うん、ありがと」 「それじゃ、今日はこの辺でね」 「ああ、またな」 「は〜い、ばいば〜い」 白崎ののんびりした声が響き、通話が切れた。 「ふう……」 携帯を元の位置に戻す。 電話する前より、不思議と気分が落ち着いていた。 これも白崎の人柄かな。 昨日、妹のさよりを見舞ってきた。 途中のフラワーショップで花を買って持っていったら、さよりはとても喜んでくれた。 「ありがと、お姉ちゃん」 「ううん。さより、元気そうだね」 「うん、元気だよ」 「あーあ、早く退院したいなぁ」 「そうだね」 お医者様の話を聞いたところ、症状は小康状態にあるという。 ただ、依然として退院できるような状態ではないとのことだった。 「この花、飾ってほしいな」 「うん、いま準備するね」 さよりは花が大好きだ。 まだ学校に通っていた頃、さよりが最後にやっていたのが『いきものがかり』だった。 毎日一生懸命に花壇の世話をしており、花が咲く春が楽しみだと語っていたのをよく覚えている。 しかし、その春が来る前に、さよりは入院してしまった。 それ以来、さよりは病院を出ることができていない。 「お姉ちゃん、学園はどう?」 「すっごく楽しいよ」 花瓶に水を入れ、茎を適当な長さに切って花を飾っていく。 「またお話、聞かせてくれる?」 「うん、後でたっぷり聞かせてあげるね」 さよりは学園での話をよく聞きたがる。 自分の足で通えない分、わたしの話で雰囲気だけでも味わいたいということだった。 だから、わたしもことある事に色々とさよりに学園の話を聞かせてきた。 「さより……わたしね、図書部っていう部活を始めたんだ」 「図書部? 本を読むの?」 「ううん、学園を楽しくするの」 「図書部なのに?」 「ふふふ、変わってるでしょ」 「変わってとかいう話なのかな……」 さよりが首をひねる。 「ところで、学園はもう夏休みに入った?」 「まだだよ」 「あれ、それじゃどうして戻ってきたの?」 「今日はね、お医者様からいい話を聞いてきたんだ」 母と一緒に、お医者様の話を聞いてきた。 最近アメリカで開発された新薬が、さよりの病気に効くかもしれないという。 臨床例が少なく効果は保証できないが、試してみる価値はあるとのことだった。 「さよりは新しい薬、どう思う?」 「治る可能性があるんだったら賭けてみたいな」 「病気が治ったらお姉ちゃんと一緒に汐美学園へ行きたいし」 「そうだね」 「あ、でも汐美学園に入るつもりならきちんと勉強しとかないと」 汐美学園に一般入試で入るのは相当難しい。 「大丈夫、毎日やることなくて勉強ばっかりしてるから」 「私、お姉ちゃんより頭いいかもしれないよ?」 「あはは、自信満々だね」 「ふふ、早くお姉ちゃんと通いたいな」 「……うん」 元気になったさよりと、学園に通えたらどんなに嬉しいだろう。 でも、そのためには私ももっと頑張らないといけないな。 月曜日の放課後、みんなが部室に集まった。 「……ええ、では水曜日に」 通話を終え、携帯をしまう桜庭。 「なんだって?」 「今日と明日は先約で埋まっていて、時間が取れないそうだ」 「だから水曜に来てもらうことにした」 「白崎、それでよかったか?」 「うん、大丈夫だよ」 「ごめんね、金曜は留守にしちゃって」 「いえ、お陰で白崎さんが貴重な存在だということを再確認できましたよ」 「白崎さんがいないと癒やし成分が足りません」 「ふふふ、マイナスイオンが出る加湿器みたいな感じ?」 「まさにそれです」 「あー、プラズマ・クリエールおいしー」 佳奈すけが深呼吸している。 「あれって、アレルゲンを分解するんだよ」 「やば、身体が……とけ……る……」 机に突っ伏した。 「それより白崎、何か話があるとか言ってなかったか」 「あ、うん」 白崎がみんなを見回す。 「今回はわたしがいなくて、みんなに迷惑をかけちゃったよね」 「それで、またわたしがいない時があるかもしれないし、副部長を決めておいた方がいいかなって思ったの」 「別に携帯で連絡を取り合えば、そこまで気にすることでもないんじゃないか」 「そうだけど、副部長もいた方が安心できるんじゃないかな」 大抵の部活では、慣例として部長を補佐するための副部長がいる。 ただ、6人の部活に副部長が必要なのか。 「白崎がそうしたいというなら、いても構わないと思うが」 「大体誰がやるのかは決まってるしな」 「そうですね」 俺と桜庭、2人の間で視線が飛び交う。 「立候補したい人はいる?」 誰も手を上げる者はいなかった。 「誰もやらないなら、私がやろうか」 桜庭が控えめに手を挙げる。 「じゃあ決まりだな」 「筧さんは立候補しないんですか?」 「役付きなんて柄じゃないよ」 「あ、でも……図書部は筧くんのものだったよね」 「今さらだろ」 元から形骸化していた上、白崎たちが入ってからは原形を留めていない。 今の役割から考えたら桜庭の方が適任だ。 「そうなんだけど……」 もじもじする白崎。 「なんだ、白崎は筧にやってもらいたいのか?」 「それなら私は下りるぞ」 「え? ううん、そういうことじゃないよ」 「じゃあ桜庭が副部長でいいじゃないか」 「そう、かな」 「はっきりしないな」 「うう……」 迷っているのだろうか。 「意表を突いて佳奈すけとかでもいいんじゃないか」 「えっ、佳奈ちゃんやりたいの?」 「いやいやいや、当て馬とか勘弁してくださいよ」 「筧さんや桜庭さんを差し置いてなれるわけないじゃないですか」 佳奈すけがぶんぶんと手を振る。 「あ、それじゃ筧くんと玉藻ちゃんの二人が副部長っていうのはどうかな」 「駄目だろ、それは」 「同じ役職の人が二人いたら混乱します」 「それなら今と大して変わらないんじゃないの?」 「そ、そうだよね……」 抗議され、すごすごと引き下がる白崎。 「それじゃこういうのはどうですか」 「今から筧さんと桜庭さんに試練を与えて、乗り越えられるか様子を見るんです」 「忠誠心がより高い方に副部長の座を与えましょう」 「試練?」 「ほら、例えば〈仏の御石の鉢〉《ほとけのみいしのはち》を持ってこいーとか、〈火鼠の皮衣〉《ひねずみのかわぎぬ》を持ってこいーとか」 「かぐや姫かよ」 そんな無茶を言われても困るんだが。 「ま、忠誠心なら私の方が上だろう」 「桜庭も話に乗るなって」 「すまん、ついな」 にやっと笑う桜庭。 「白崎が指名すればいい。それなら誰も文句は言わない」 「ああ、私もそれでいいと思う」 「う、うーん……」 俺と桜庭を見比べる白崎。 「つぐみちゃん、ついに交際相手を決める時が来たな」 「えええっ……そ、そういうことなの!?」 白崎が顔を赤くする。 「これは注目の一手ですよ」 「どきどきしますねー」 「ううぅ〜っ、そんなぁ……」 1年生たちにも煽られ、わたふたする白崎。 「ただ副部長を決めるだけだろう」 「そ、そうだよねっ」 「いえいえ、白崎さんの隣は誰が相応しいかってことですよ」 「……筧、どちらが選ばれても恨みっこなしだぞ」 どうしてそうなる。 「うう……うあぁ〜……」 白崎は頭を抱える。 かなり迷っているようだった。 「さあ、ファイナルアンサーを!」 「どっちにするんだ?」 皆が注目する中、白崎が顔を上げた。 「……わかった、決めたよ」 「白崎、どっちだ」 「それじゃ……筧くんに決めますっ!」 びしっと俺を指差す白崎。 「お……おおっ、筧さんおめでとうございますっ」 「よかったですね」 盛大に祝福された。 「まるで告白シーンだな」 「そ、そうじゃないよ〜っ、副部長をやってほしいってだけなのに〜っ」 「大丈夫だ、わかってるから心配するな」 「ほっ、よかった……」 安堵のため息をつく白崎。 「それで……筧くん、どうかな?」 副部長か。 正直やる気はしないが、部長のご指名なら仕方がない。 「ありがたく拝命たまわるよ」 「や、やったっ、ありがとう筧くんっ」 「はあ……とうとう私は捨てられたわけか……」 喜ぶ白崎を尻目に、桜庭は机に伏せた。 「ち、違うよ、玉藻ちゃんも僅差、僅差だからっ」 白崎は慌ててフォローする。 「一体何で比べられたのか、ちょっと興味があるな」 「忠誠心でしょう」 「それなら間違いなく桜庭の方が上だろう」 「そうなの、筧くんの方が忠誠心低いから、副部長になってもらえばもっと頑張ってくれるかなって」 「役職で縛られたな、筧」 「ひどい理由だ」 逃げないように役職を与えたということか。 「あれ……ちょっとわたしの考えてることと違うような……」 「ふむ、そういうことなら納得できる」 「納得できるのかよ」 「筧、今日からお前は副部長だ」 「副部長が、平の私より熱意が低いようでは示しがつかないからな」 「今後は副部長なりの奉仕精神を期待させてもらうぞ」 桜庭が嬉しそうに微笑む。 「はいはい、わかったよ」 まあ、みんなの期待を裏切らない程度に頑張っていこう。 家で読もうと思っていた本を部室に忘れてしまった。 先が気になるところで読みさしになっているため、取りに戻ってきたのだが。 「……あれ」 部室に近づいて気付く。 夜の10時を過ぎているというのに、部室の電気がついていた。 中に誰かいるのだろうか。 「あ……」 部室には、白崎が一人で残っていた。 「どうしたんだ?」 「うん、ちょっとこれをね」 そう言って、白崎は手元に視線を落とす。 糸を通した針を手に、俺の座布団を繕ってくれていた。 「俺の座布団、直してくれてたのか」 「穴が空いたままにしておくと、どんどん広がっちゃうから」 「筧くんは?」 俺は本棚に置きっぱなしになっていた本を手に取る。 「忘れ物を取りに来たんだ」 「ふうん、筧くんでも忘れ物するんだね」 「そりゃたまには」 「座布団は明日にして、白崎も帰らないか? もう遅いしさ」 「こんな風に綿がびろーんってはみ出してたら、座布団も可哀相だよ」 「それに、綺麗な方が部活にも張り合いが出るかなって」 「確かにそうだけど……あんまり根詰めないようにな」 「はーい」 白崎は再び縫い物に戻る。 俺は本を取りに来ただけだから、後は帰るだけだ。 「……」 白崎はもくもくと座布団を縫っている。 「……ふ〜ん、ふふ〜ん、ん〜、ふふふ〜♪」 白崎が鼻歌を歌い始めた。 「ふふ〜ん、んん〜、ふ〜ん♪」 聞いたことない曲だが、楽しそうな雰囲気は伝わってくる。 和むな。 「ふ〜ん、ふ〜……わっ」 ドア前に立つ俺と目が合い、白崎が驚く。 「……えっ、今の見てた?」 「見てたというか聞いてたというか」 「も〜やめてよ〜、こっちが油断してる時に」 「恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」 「女の子が裁縫しながら鼻歌なんて、ほら、かわいい光景だし……一般論として」 「か、かわいいかな」 「ああ、もちろん」 高峰辺りが縫い物をして鼻歌を歌っていたら気味が悪いが、白崎なら許される気がする。 「はあ、びっくりして喉が渇いちゃった」 喉を押さえる白崎。 驚くと喉が渇くというのは聞いたことがない。 まあ俺の座布団を直してくれているんだし、お礼に何か作ってあげよう。 「それじゃ、コーヒーでも飲む?」 「筧くんが作ってくれるの?」 「インスタントでよければ」 「わーい、いただきます」 白崎が嬉しそうに微笑む。 「ミルクと砂糖はどうする?」 「どっちもお願いします」 本を置き、コーヒーの準備をする。 マグカップにインスタントの粉を入れ、ポットのお湯を注ぐ。 白崎のそばにマグを置き、傍に砂糖とミルクを添えた。 「ほら、できたぞ」 「ありがとう」 自分のマグを机に置いて、腰かける。 「あ、筧くんもコーヒー飲んでく?」 「ああ、せっかくだから」 「ふふ、筧くん優しいね」 「は? 何の話?」 「わたしのこと、心配してくれたんだよね」 「白崎の分を用意してたら自分も飲みたくなっただけだ」 「筧くん、たまにかわいい」 「なんだそりゃ」 「さあ、何でしょう」 意味がわからん。 「そういうこと言っていると、聞くぞ」 「何を?」 「自分を変えるために、図書部を始めた理由」 「だ、駄目だってば〜」 わたわたする白崎。 「別に教えてくれなくてもいいけどな」 「……それも関心持ってくれてないみたいでちょっと嫌だなぁ」 「じゃあ、あえて聞こうか」 「う、うん」 「前に、部活を始めた理由を言ったら軽蔑されるって言ってただろ?」 「でも、今まで白崎と一緒にやってきて、そういう風に思ったことは一度もなかった」 「こう言ったらあれだけど、もしかしたら白崎が心配しすぎなんじゃないかと思って」 「もしそうだったら、何ていうか、もったいないからさ」 白崎の飛び抜けた善良さは、ここまで付き合ってきてよくわかっている。 彼女に軽蔑されるような部分はないようにも思う。 「そうかなぁ」 「そんな気がするんだ」 白崎はコーヒーにミルクと砂糖を入れ、一口すする。 「……うん、わかった」 「筧くんに聞いてもらって、判断してみる」 「ああ、良かったら聞かせてくれよ。嫌なことは言わなくてもいいから」 「内緒だからね。誰にも言っちゃ駄目だからね」 すがりつくような目で見つめられた。 そこまでなのか。 「もちろん」 白崎はもう一口、コーヒーを含むと話を始めた。 「前にも話したと思うんだけど、わたしには妹がいるの」 「あ、さよりって言うんだよ」 「さよりちゃんか」 つぐみにさよりって……鳥と魚? 「さよりは、数年前からずっと入院してるの」 重い話になりそうだった。 気を引き締めて聞くことにする。 「わたしがこの汐美学園を受験するって聞いて、さよりはすごく羨ましがってた」 「さよりもここに来たがってたから」 「それでわたしが入学して、学園はどうだったーって聞いてくるからね、色々と話をしてあげたんだ」 「いい話じゃないか」 「ここまではそうなんだけど……」 てへへ、と弱り顔で笑う白崎。 「でね、楽しいお話の方がいいかなって思ってね」 「話、盛っちゃった」 「……盛っちゃったのか」 「うん、盛っちゃったの」 「汐美学園はいいところだよ、すごく楽しくて、仲間もいっぱいいて、楽しくやってるよー」 「部活にも入ってすごく活躍してるんだ、学園祭も楽しくて、みんなと盛り上がったんだよー」 「……って感じで、だいぶ盛っちゃいました」 「別に盛ってなくないか?」 今の白崎はちょうどそんな感じだと思うが。 「一年の時のわたしって、今とは全然違ったの」 「地味で目立たなくて、親しい友達は全然いなくて、部活にも入ってなくて」 「当然活躍なんてしてないし、学園祭も一人で寂しく回ってた」 「わたしは、こうだったらいいなっていう理想の自分をさよりに話してたの」 「さよりも楽しそうに聞いてくれてたから、それでいいかなって思ってた」 きっと、最初は小さな嘘から始まったのだろう。 妹を喜ばせたいがために、学園は楽しいところだという話をした。 罪のない嘘が積もり積もって、本当の自分からどんどん乖離していったのだろう。 白崎らしいと言ったら怒られるかもしれないが、優しさが伝わってくる話だった。 「でもね、このままじゃ駄目だって気付いたんだ」 「だって……さよりに見せていたのは嘘のわたしなんだもん」 「だから、今までついてきた嘘を全部本当にしよう、さよりに聞かせてきた白崎つぐみになろう……」 「そう思って、今の活動を始めたんだ」 なるほど、そういうことか。 ……思ったよりも、いや、それ以上にかわいらしい理由だった。 「こんなどうしようもないことにみんなを巻き込んで……軽蔑するよね」 「少なくとも俺は軽蔑しない」 「でも、駄目なお姉ちゃんだと思わない?」 「駄目だとは思うけどな」 「やっぱり……」 白崎が落胆する。 「でも、かわいい駄目さだからいいんじゃないか」 「そうかなぁ、でも、ものすごく駄目だと思うんだけど……」 「ものすごく駄目だけどな」 「うう〜……」 座布団に顔を埋める白崎。 「あのさ、その座布団、俺が尻に敷いてたやつだぞ」 「わあぁっ、そうだった」 慌てて座布団を下ろす。 「あっ、別に汚いとかじゃなくて、ずっと顔を押しつけてたら変な子になっちゃうかなって」 「わざわざ解説しなくてもいい」 白崎、気遣いの人だな。 妹の件にしても、使いすぎというくらいの気遣いだった。 「ああ、でもどうしよう……筧くんに話しちゃった」 「別に軽蔑しないって」 「どうして? わたし嘘つきだよ?」 「要は、嘘を本当にするために頑張ってるんだろ? だったらそれでいいじゃないか」 「……ほんと?」 「本当」 「……ありがとう、筧くん」 白崎の顔に、ようやく笑顔が戻った。 「さよりね、今度アメリカで開発された新薬を使うの」 「それで快復するかも、退院できるかもってお医者様に言われたんだ」 「よかったじゃないか」 「うん、よかったんだけど……」 「あの子、元気になったら汐美学園を受験するって言ってるの」 「もし同じ学園に通うことになったら、駄目なお姉ちゃんだってことがさよりに知られちゃう」 「こんなこと思っちゃいけないってわかってるんだけど、ちょっと焦ってるんだ」 「なるほどな……」 「ひどいよね。自分の都合ばっかりで」 「でも、みんな大なり小なりそんなもんだと思う」 「白崎は普段から自分の都合を考えなさすぎだから、少しわがままを言うくらいでちょうどいい」 「そうなのかなぁ……」 白崎は考え込む。 「それじゃ、もう少しわがまま言ってもいい?」 「ああ、どんとこい」 「わたしの駄目なところを知った上で、これからも協力してくれる?」 なんだ、そんなことか。 「副部長に任命されたばかりだからな」 「これからは、白崎が真っ当なお姉ちゃんになれるよう尽力するよ」 「うう……ごめんね、わたしの更正に付き合わせちゃって」 「早く真っ当になりたいです」 「すぐになれるさ」 俺の感覚で言えば、白崎は今のままでも十分な気がするけど。 「それより聞きたいんだけど」 「なに?」 「このこと、みんなには内緒なのか」 「うん、そうだね。まだ言いたくないかな」 「きっと気にしないと思うけど」 「でも……まだ話さないでおきたい。こんな情けない部長じゃ頼り甲斐がないと思うし」 もともと白崎は頼り甲斐がウリじゃないと思うんだけどな。 だが、白崎が話したくないというなら俺から進んで知らせる理由はない。 「わかった。白崎がそう言うなら内緒にしておく」 「ありがとう、筧くん」 その後、コーヒーを飲みつつ白崎と話をした。 コーヒーを飲み終えて白崎が座布団の補修を終える頃には、11時を過ぎていた。 水曜日の放課後、約束通り生徒会の二人がやってきた。 「まず初めに約束していただきたいのですが、ここでお話しすることは内密にお願いします」 「もちろんです。図書部は秘密厳守ですよ」 望月さんがうなずく。 「実は近々、某国のVIPがお忍びで汐美学園を視察にみえられます」 「大統領とか、大臣とかですか?」 「そう考えてもらって差し支えありません」 「図書部の皆さんには、このVIPに学園を案内してほしいのです」 部室の空気がざわつく。 「わたしたちが、そんな偉い人を?」 「安全上の問題があるんじゃないのか?」 「その方たっての希望で、学園滞在期間中は一生徒として過ごしたいということなのです」 「つまり、本職のSPはつけたくないということです」 「そーすっと、一緒に制服着てプラプラするってわけか」 「時代劇でよくある、お殿様の町歩きみたいなものですね」 「そのイメージが的確です」 きびきびした口調で多岐川さんが言う。 「私達の顔はあまりに生徒会と知られてしまっているので、VIPと一緒に歩いていれば何か勘ぐられてしまうと思います」 「そこで、図書部の皆さんにお願いできればと考えたのです」 「一般人ですからね、私達」 御園がそれを言うのか。 「しかし、何かあったら責任が取れないと思うが」 「先方のSPは、そこまでの危険はないと判断しているようです」 「何かあったとしても、責任を問われることはないでしょう」 「いかがでしょうか? 引き受けてもらえませんか」 一同が黙り込む。 誰かが先陣を切るのを待っている。 「……わたしはやりたいな」 「そのVIPさんは、きっと一生徒としてこの学園での生活を楽しんでみたいんだよね」 「だったら、わたしたちにぴったりの依頼だと思う」 「桜庭たちはどう思う?」 「異論はないぞ」 「私もやってみたいです。というか、VIPに会いたいです」 「佳奈、意外とミーハー」 「千莉だって会いたいくせに」 「どうでもいいけど」 「でも、依頼は受けてもいいかな」 「俺も構わないぜ」 全員から賛同が得られた。 「筧くんは?」 「白崎はやりたいんだろう。だったら答えは決まってる」 「この依頼、受けよう」 俺たちのやりとりを見て、望月さんが微笑む。 「結論が出たみたいね」 「この依頼、ぜひ受けさせていただきたいです」 「ありがとう、助かります」 望月さんが席を立つ。 「では、明日までに大まかなスケジュールを組んでおきます」 「代表者の方は、明日、生徒会室まで来てください。そこで依頼の詳細をお話しします」 「念を押しますが、本件は秘密厳守です」 「友人はもちろん、ご家族の方に伝えることも控えてください」 「また私たちと接触したことにより、新聞部や情報屋が探りを入れてくる可能性も考えられます」 「本件を紙やデータに残す際は然るべき処置を施し、しっかりと保全をお願いします」 多岐川さんが、ぴしりと締めた。 几帳面な人なんだな。 「それでは、よろしくお願いします」 目礼をして、生徒会の二人は颯爽と去って行った。 「何かスパイ映画みたいだな」 「とうとう私にもポンドガールの役が回ってきましたか」 「いやー、いつかこんな日が来ると思ってましたよ」 佳奈すけが胸を張る。 「あれはグラマラスなのがお約束らしいが」 「つまり、私が適任……」 「なんて言いませんよ。はい、次行きましょう」 佳奈すけが頬杖をつく。 「大丈夫、佳奈ちゃんはグラマラスだって」 「フォロー力ゼロですから」 現実はいつも残酷だ。 この日の放課後、依頼の詳細を詰めるため生徒会室を訪ねた。 メンバーは、俺と白崎、桜庭だ。 「いらっしゃい、図書部の皆さん」 望月さんと多岐川さんが応対してくれる。 「今日は筧君と……白崎さんも一緒なのね」 「大事な話になるだろうから、部長と副部長も連れてきた」 「副部長……筧君が?」 「ええ、実は副部長をやってるんです」 「そう……」 望月さんがわずかに肩を落とす。 「まあいいわ。どうぞかけて下さい」 望月さんがソファを視線で示す。 「白崎、気をつけろよ」 「大丈夫、もうどのくらい沈むかわかってるから」 柔らかすぎるソファを勧められ、注意深く腰を下ろしていく白崎。 「それでは、早速ご説明します」 望月さんの言葉に、桜庭がメモを用意した。 「まず、学園にいらっしゃるVIPですが、中央ヨーロッパ某国の皇太子よ」 「皇太子ということは……えっ、王子さまっ?」 驚き顔の白崎に、望月さんが微笑んでうなずく。 「その王子さまを、わたしたちが案内するんですか?」 「細かいことは私達がしますので、図書部の皆さんは案内係だと思っていただいて問題ありません」 「つまり、皇太子を教室に案内したり、移動中に学内を説明したりといった仕事です」 「ちなみに、皇太子がいらっしゃるのは7月15日の木曜日となっています」 話の大きさに驚きつつも、白崎はうなずいた。 「では、こちらをご覧下さい」 多岐川さんがプリントを配った。 「私達が作った、図書部の皆さんの大まかなスケジュールです」 「いろいろとご都合もあるでしょうから、調整すべき部分は後ほどメールでいただければと思います」 「わかった。では、こちらで一度預からせてもらおう」 桜庭が見せてくれたプリントには、俺たちの名前と仕事の概要が書かれていた。 「ああ、これなら、やるべきことが一目でわかる」 「助かります、望月さん」 「それを作ったのは多岐川さんよ。お礼なら彼女に」 「い、いえ……私は必要なことをしただけですから」 多岐川さんが、ついと望月さんの後ろに下がった。 「それで、今後のことだけれど、まずは皇太子の見学コースを決める必要があるわ」 「大まかなものはこちらで作ったので、明日下見をしようと思っているの」 「よろしければ、どなたか下見に付き合ってくれないかしら?」 と、望月さんが俺を見た。 俺が期待されてるのか? 「こういう仕事は、桜庭が向いてるんじゃ?」 「すまん、明日は別の依頼が入っている」 「あ、それって私も行くことになってたよね」 「なんだ、二人とも埋まってるのか」 悩むまでもなかった。 「じゃあ、望月さん、俺が行きます」 「そう、筧君が来てくれるのね……わかりました」 「よろしくお願いします」 「ええ、こちらこそ、ぜひよろしく」 望月さんが、少し嬉しそうに笑う。 「(……ふうん、ほう……)」 「それじゃ、話はこのくらいかしら」 「そうだな」 「ではスケジュール通り、明日のこの時間にお願いします」 多岐川さんが告げ、打ち合わせは終了した。 図書部の面々が去った後、望月はデスクで山積みの書類に向き合っていた。 その顔には、若干の笑みが浮かんでいる。 「……嬉しそうですね」 「え?」 多岐川に声をかけられ、顔を上げる望月。 望月は考え事をしていたため、一瞬何を言われたのかわからなかった。 「ああ、そうかしら」 「図書部の件ですか?」 「ええ、話がまとまったのは嬉しいことよ」 下見のことを考え、望月はちょっと嬉しくなる。 「筧さんに会う口実ができてよかったですね」 「誤解ですよ」 「それは失礼しました」 多岐川が頭を下げる。 「公私混同するつもりはありません」 「では、一つ伺ってもよいですか?」 望月が視線で先を促す。 「今回の案件は、どうして図書部に依頼したのですか」 「もっと適した団体が他にもあったように思いますが」 「……いい質問ね」 望月は手を組み、軽くあごを乗せる。 「他の団体でも、きちんと仕事はしてくれると思うわ」 「でも、皇太子が満足できるような案内はしてくれない気がするの」 「……」 「図書部は、学園を楽しくしたいと考えているわ」 「そんなことを本気で考えて行動している組織なんて他にはないでしょう?」 「今回もきっと、ゲストを満足させようと頑張ってくれるはずよ」 望月の言葉に、多岐川は思案する。 生徒会長の図書部びいきはあまり好きではなかった。 自分の力が彼らに劣ると言われている気分になり、プライドが傷つくのだ。 それに、もう一つ、明かせない理由もあった。 「この学園では、楽しみは自発的に見つけるものよ。そうでしょう?」 「はい、その通りです」 「生徒会は学園の理念を正しく実践しているわ」 「私たちは、生徒がその実力を存分に発揮するため、どんな努力も惜しまない組織でなければならない」 「そして図書部は、優れた資質を持つ生徒が素晴らしい理念を掲げて作った組織だと思う」 「だから図書部、ですか」 「私の結論です」 「……はい」 多岐川は、頭で理解しつつも、どこか釈然としない。 やはり、望月には第一に頼ってほしいと多岐川は思うのだ。 「会長は、生徒会よりも図書部の方が優れているとお考えなのですか?」 多岐川の疑問に、望月はくすりと笑う。 「得意分野も、やるべきことも違うというだけよ」 「勝負事ではないのだから、協力してやっていきましょう」 まだ不服そうな多岐川に、望月が続ける。 「あなたが生徒会を思う気持ちはよくわかります」 「でも、その気持ちは生徒会だけではなく、全ての生徒に向けてください」 「それが9月までにあなたがしなくてはならないことよ」 この学校では、9月から10月にかけて生徒会選挙がある。 例年の生徒会選挙は、前任の生徒会長が副会長を推薦し、選挙戦らしい選挙戦もなくそのまま当選する。 世襲と言えば世襲だ。 このままいけば、対立候補が出ることもなく、次の生徒会長は多岐川になるだろう。 残り短い任期の間に、望月は多岐川にできる限りのことを教えておきたかった。 「……はい、わかりました」 この人がいたからこそ自分は生徒会に入った。 その人から、自分は認められている。 多岐川は嬉しさを隠せず、わずかに微笑んだ。 「……というわけだ」 部室に戻り、生徒会室で望月さんたちから受けた説明をみんなに聞かせた。 「えっ、皇太子……ということは王子さまってことですかっ?」 「佳奈すけ、それ白崎と全く同じリアクションだからな」 驚き顔まで白崎そっくりだった。 「ふふ、佳奈ちゃん、同類だね」 「体つきも同類ならいいんですが、はあ……」 佳奈すけが溜息をつく。 「でも、すごいです」 「私たちが皇太子のご案内をするんですか」 「俺としては王子さまって言われても嬉しくないな」 「何を期待しているんですか」 「身分の違いを超えた禁断のラヴロマンスに決まってるだろ」 「でも、その夢も儚く打ち砕かれたけどな」 がっくりと肩を落とす高峰。 「いやいや、諦めるのはまだ早いぞ」 「皇太子が高峰に惚れる可能性もなくはないだろう」 桜庭が扇子で笑いを隠す。 「そんな倒錯したロマンスいらねえよっ」 「代わりに、私たち女性陣には降って湧いたチャンスかもしれませんね」 「チャンス?」 「こんな立派な輿なんて、絶対人生最後ですよ」 「モナコですかね? バーレーン? ドバイ?」 「経済的に終わってる国だったらどうするんだ」 「そりゃまあ、パスしますけど」 「どうして上から目線?」 「話によると、先方は中央ヨーロッパの某国らしい」 「向こうの言葉が話せないと、世話も告白もできないぞ」 「……語学、真面目にやっておけばよかったです」 空気が抜けたように力尽きる佳奈すけ。 「それより、通訳はどうするんですか?」 「実は日本語ペラペラかもしれない」 「大事なことだし、望月さんに聞いておく」 「筧くん、よろしくね」 「任せてくれ」 といっても、皇太子ともなれば英語くらいは話せるだろう。 英語なら白崎が堪能だったはずだ。 語学に強い人間がいるのはありがたい。 「……いや、うん、そうだな」 いきなり桜庭がうなずいた。 「どうした?」 「筧、生徒会との打ち合わせには、白崎も一緒に連れて行ってほしい」 「わたしも? どうして?」 「白崎、ちょっと耳を貸してくれ」 白崎の耳に、ごにょごにょと何かを語る桜庭。 ……。 …………。 ………………。 「……うん、うん……そっか! うん、わかった、頑張るよ」 「ということで、わたしも一緒に行くね」 「いやいやいや、明日は二人とも依頼があるって言ってただろ?」 「大丈夫、私がなんとかする」 キリッとした顔で言われてもな。 「白崎、桜庭に何を吹き込まれたんだ?」 「ふふ、内緒〜」 「え〜っ、私たちにも教えてくれないんですか?」 「鈴木と御園には後で教えてあげよう」 「俺だけのけ者かよ」 「いや、俺もだから」 「男性陣には秘密ってことですね」 「そういうことだ」 にんまりと桜庭が笑った。 「いらっしゃい、筧くん」 次の日、俺と白崎は生徒会室を訪れた。 「……と、白崎さん」 「よろしくお願いします」 白崎がぺこんと頭を下げる。 「望月さん、メールで連絡した件はどうでした?」 「皇太子は、母国語の他に英語がご堪能だそうよ」 「日本語も多少ならということでした」 「でしたら、私はお話しできるかもしれません」 白崎の表情が輝く。 「白崎さんは、確か帰国子女でしたね」 「はい、英語でしたら、日常会話は問題ありません」 「それじゃ通訳は必要ないわね」 「皇太子も、できることなら生徒と直接お話がしたいと仰っていますから、幸運でした」 「ふふ、楽しみだな」 白崎が嬉しそうに微笑んだ。 ふと部屋を見渡し、いつもと違う点に気付く。 「望月さん、多岐川さんは?」 「今日は別件で動いています。早く終われば後から合流するかもしれないわ」 そう言うと、望月さんが立ち上がる。 「さあ、それじゃ始めましょうか」 「今日は行動日程を決めましょう」 「実際に下見をしながら、皇太子を案内する場所を選定します」 「わかりました」 「時間も惜しいですし、早速行きましょうか」 生徒会室のドアへと向かう。 「(2人きりにはなれなかったか……仕方ない)」 心なしか落胆した顔の望月さんと共に、生徒会室を後にした。 「皇太子は、ここに車でいらっしゃる予定よ」 「お忍びということですので、派手なお迎えはありません」 「リムジンで来るのかな? 前に国旗がついてるような」 こそっと話しかけてくる白崎。 「かもなあ」 「楽しみだね。わたし、一度見てみたかったの」 白崎が楽しそうに目を細める。 「白崎さん……最初に言っておきますけど、遊び気分では困るわ」 「私たちの仕事は、皇太子に学園を案内し、無事お帰りいただくことよ」 「は、はい……すみません」 白崎は申し訳なさそうに縮こまる。白崎は申し訳なさそうに縮こまる。「まあまあ、白崎もその辺はわかってますから」 「え、ああ……ごめんなさい。言葉がきつかったかしら」 ばつの悪そうな顔をする望月さん。 「あ、いえ、わたしが悪いんです」 「気を引き締めないといけませんよね」 むっ、と引き締まった表情を作る白崎。 気合いが入りすぎてむしろおかしい。 「……白崎、顔を引き締めればいいってもんじゃない」 「そんな顔をしていたら、皇太子も驚くわ」 苦笑する望月さん。 「……では、こんな感じで行きますね」 ふにゃっと相好を崩す白崎。 ま、こっちの方が白崎らしい。 今回は、相手が相手だけに、気を引き締めた方がいいだろう。 相手の気分を害したら、俺たちだけじゃなく学園の面子も潰れてしまうし。 「望月さんの心配ももちろんだ」 「もうちょい緊張感持っていこうぜ」 「うん……そうだよね」 「過度に緊張してほしいわけではありませんから、誤解はしないでね」 「はい、適度に気を引き締めます」 白崎の表情に、いい意味での緊張感が出てきた。 さすがに生徒会長は、空気を作るのが上手だ。 「話を戻すわね」 「当日、皇太子は朝8時にここへいらっしゃいます」 「私たちは彼に学園を案内し、夕方5時までに戻らなければなりません」 「活動できるのは、移動時間を外すと正味8時間くらいですか」 望月さんがうなずく。 「プランは、こちらでざっくり考えてあるわ」 「午前中は教室で屋内授業を見学、昼食の後に部活動の視察」 「その後は、理事との懇談会という流れよ」 「突然予定が変更されるかもしれないから、いくつかプランを立てておくと安心だと思う」 「わかりました。3パターンくらいは考えておきます」 次々と話が決まっていく。 さすがに望月さんは頭の回転が速い。 「あ、あの……わたしも意見していいですか?」 白崎が声を上げる。 「ええ、どうぞ」 「こう言ったら申し訳ないんですが、今のプランだと遊びがなくてつまらないような気がするんです」 「学園に来て授業を見学するだけで終わりですよね」 「でも、学園は勉強をする場所よ?」 「もちろん、一番大事なのはそうです」 「でも、友達と話をしたり、一緒に買い物に行ったり、部活で友達を作ったり……」 「授業以外のことも、学園生活の一部なんじゃないでしょうか」 「白崎さんの言うことは間違ってないと思う」 「でも、見学の時間には限りがあるし、授業見学を優先した方が良いと思うのだけど」 「それは、そうですけど……」 望月さんの言葉に押され、引き下がる白崎。 「念のためだけど、筧君はどう思う?」 望月さんの意見はまっとうだ。 しかし、白崎の意見も、皇太子のキャラによっては歓迎されるかもしれない。しかし、白崎の意見も、皇太子のキャラによっては歓迎されるかもしれない。「皇太子の満足度って意味で、白崎の案も考慮に入れた方がいいと思います」 「単に授業風景を見せるだけなら、俺たち図書部がやる意味はありませんから」 「筧くん……」 「そうだろ、白崎」 「うんっ」 白崎が嬉しそうにうなずいた。 「では図書部の中で検討してから、プランを出してください」 「それに対して、生徒会の方から意見を出させていただくわ」 「わかりました」 「白崎の言うこともわかるんだけど、今回はちょっと無理があるんじゃないか」 「友達もいないだろうし、買い物もなあ」 「それは……そうなんだけど」 「私も筧君と同意見ね」 「でも、そこは一度、図書部の皆さんで揉んでみたらどうかしら」 「現実的なアイデアが出てくるかもしれないわ」 「……それもそうですね」 望月さんが譲歩してくれるならありがたい。 「筧くん、みんなで考えてみよう?」 「ああ、わかった」 諦めるのはいつでもできる。 考えてみて、どうしても駄目なら望月さんの案で行けばいいか。 「とはいえ、多かれ少なかれ授業見学は必要だと思うの」 「それは白崎さんも賛成してくれるかしら」 「はい、もちろんです」 「よかった」 望月さんが微笑む。 「では、次は授業を受ける教室へ行ってみましょう」 望月さんに付き添い、教室棟へと向かった。 階段教室までやってきた。 「汐美学園らしい授業風景と言えば、やはり階段教室だと思うのだけど」 「他の学園にはないでしょうからね」 「どんな授業なら喜んでくれるかな?」 「語学が得意だって話だったけど……」 「皇太子に、興味があるものを聞くことはできないんですか?」 「向こうからのオーダーがあるなら、一番楽ですよね」 「聞いてみた方が良さそうね。確認するわ」 「お願いします」 「ありがとね、筧くん」 別にお礼を言われるようなことじゃないが。 「……失礼します。遅れて申し訳ありません」 と、後ろから多岐川さんが近づいてきた。 「終わったの?」 「滞りなく」 軽く言葉を交わし、ちらとこちらに視線を向ける多岐川さん。 「会長、理事から予算の件で電話をかけるよう言われています」 「そう、わかりました」 望月さんは携帯を手にする。 「申し訳ありません。5分ほど失礼します」 「こちらで待っていてもらえるかしら?」 「わかりました」 こちらの返事を聞き、望月さんは教室を出ていく。 俺たちに聞かれては困る話なのだろう。 「……あの、筧くん」 「わたしもちょっと行ってくるね」 「どこに?」 白崎が、口の動きだけで『ト イ レ』と告げた。 階段教室に俺と多岐川さんが残された。 二人きりになるのは初めてだ。 「さっきは何の用事だったの?」 「生徒会の所用です」 「用事の中身を聞きたかったんだけど」 「お話しする義務はないと思いますが」 どうも嫌われてるらしい。 白崎と望月さんの間で、何度か意見の相違があったのが原因だろうか。 できる限りフォローしとこう。 「今回の件では、いろいろ迷惑かけてるかな?」 「いえ、特には」 「ならいいんだけど」 「ぶすっとしてるから、怒ってるのかと思ってたよ」 「一緒に仕事してるんだし、楽しく世間話ができれば一番いいんだけどな」 「……では、面白そうな話を一つ」 多岐川さんが小さく微笑む。 「会長が好きな男性の話です」 「そりゃ興味深い」 「私は会長のことを尊敬しています」 「あの人がいるからこそ、私は生徒会に入ったんです」 「わかる気がするよ。立派な人だもんな」 小さくうなずく多岐川さん。 「でも、最近、少し困っているのです」 「会長には意中の男性がいて、その方と接する機会が増えたのですが……そのせいか、どことなく浮ついてしまっているんです」 多岐川さんが俺の目を見て告げる。 明らかに俺のことを言っていた。 「生徒会じゃ、恋愛は御法度なのか?」 多岐川さんが首を振る。 「なら、いいじゃないか」 「望月さんだって女の子なんだし恋愛くらいするだろ」 「もちろん、会長の気持ちを咎め立てするつもりは一切ありませんよ」 「私は男性の心構えが気がかりなんです」 「浮気しそうな奴なのか?」 「会長の気持ちに気付いているのかわかりませんが、曖昧な態度をとり続けているんです」 「中途半端な期待を抱かせるのは残酷だと思うのですが、筧さんはどう思いますか?」 多岐川さんは、笑顔を作っているが目が笑っていない。 俺にはっきりしろと言っているのだ。 望月さんを心配する気持ちはわかるが、多岐川さんは当事者ではない。 仮に俺が態度を明らかにするにしても、伝えるのは望月さんが先だ。 「いろいろ思うところがあるだろうけど、周りは見守るしかないんじゃないかな?」 「もし誤解とかすれ違いを生んじゃったら、申し訳ないし」 さらりと牽制すると、多岐川さんがぴくりと眉を動かした。 「そうですか」 ふいと、多岐川さんが目を逸らす。 その先には、戻ってきた白崎がいた。 「会長、今日はがっかりしたでしょうね」 「白崎さんがいましたから」 やはり、望月さんが好きなのは俺だと言いたいわけだ。 近々、態度を決めることになりそうだ。 学園の時計が午後8時を指す。 桜庭は、部室で鬱々としていた白崎を誘い、二人で帰ることにした。 生徒会との打ち合わせから戻ってきて以降、白崎は溜息ばかりをついている。 理由を聞いても『何でもない』と答えるだけ。 でも、態度は何かあったことを雄弁に語っている。 「白崎、生徒会で何があったんだ? 教えてくれれば相談に乗れるかもしれない」 「……」 桜庭に促されるが、白崎は黙り込んでしまう。 「私にも相談できないことなのか?」 「そうじゃないんだけど……」 「だったら話してみてくれないか」 「うん、ありがとう」 白崎はこの提案に弱かった。 一息ついて、口を開く。 「何だかうまくいかないなぁって思ってね」 「うまくいかなかったのか」 「依頼の方は、筧くんがちゃんとまとめてくれてるから大丈夫なんだけど」 「でも……はあ……」 がくっと肩を落とす。 「言いにくいなら私が当ててみようか」 「えっ……?」 「生徒会長と筧の仲が良くて、何か思うところがあるんじゃないか?」 「な、なん……うう、そんなことないよ」 これではYESと言っているのと同じだった。 「よしよし、我慢しなくていいんだぞ」 白崎の頭に手を伸ばし、撫でてやる桜庭。 「うう〜っ、玉藻ちゃ〜んっ」 「ほーら、私に甘えるんだ」 その言葉に、白崎は桜庭にすがりつく。 素晴らしい役得だ、と桜庭はこっそり微笑んだ。 「何があったのか言ってみるといい」 「……うん」 桜庭に促され、話し始める。 「望月さんってね、本当にすごいんだ」 「てきぱきしてて頭もよくて、なるべくして生徒会長になった人だと思う」 「そうだろうな」 桜庭は渋い顔でうなずく。 望月は全てが一流だ。 学力優秀、品行方正、眉目秀麗……。 そういう四文字熟語が、似合いすぎるほど似合う。 「筧くんと望月さんが話をすると、すごいスピードで物事が進んでいくの」 「望月さんもすごいけど、筧くんもやっぱりすごいんだよね」 「生徒会に誘われるのも当然だと思った」 「それと比べると、わたしなんて全然だめだなぁって……色々と自信なくなっちゃった」 白崎はしゅんとした顔でうつむく。 「(……やはりそうか)」 そう心中で呟く桜庭。 筧と望月は優れた者同士、気が合うところがあるに違いないと桜庭は早くから睨んでいた。 望月と比べれば誰もが劣って見えてしまう。 状況から見て、筧の心が望月になびいてしまう可能性があると危惧していた。 だからこそ桜庭は、生徒会との打ち合わせに白崎をついて行かせたのだ。 「筧くんと望月さん、すごくお似合いだったなぁ」 「あの二人だったら何でもできちゃいそう」 「それは、筧を生徒会長にあげてもいいということなのか?」 「あげるって……別に筧くんは誰のものでもないよ」 「今は筧も図書部の一員だ」 「だが、もし仮に筧が生徒会長と付き合うことになったら、筧は生徒会に行くだろうな」 「……」 桜庭の言葉に、白崎が押し黙る。 「(すまない、白崎。だがこれも白崎や図書部のためなんだ)」 桜庭は内心謝罪する。 白崎を追い詰めるのは心苦しかったが、危機感を持ってもらわねば筧が図書部から消えるかもしれない。 それを白崎が是とするのか、桜庭は確かめたかったのだ。 「筧くんなら、掛け持ちでやってくれるんじゃないかな」 「しかし、図書部員としての絆と恋人同士の絆、どちらが強いと思う?」 「う……」 「恋人が困っている時に、それを放り投げるような男に見えるか?」 「うぅっ……」 「優先度を考えれば図書部より恋人。それは間違いないはずだ」 「う〜……」 白崎の顔が見る間に曇っていく。 「玉藻ちゃん、どうしよう」 「筧を生徒会長に取られたくないのか?」 「……取られたくない」 「それは図書部の部長としての判断なのか?」 「うぅん……何のためとか簡単には割り切れないけど、でも筧くんがいなくなったら嫌だよ」 「わたしは筧くんと一緒に図書部を続けていきたい」 「そうか」 ただ筧という人間の傍にいたい、白崎はそう言っている。 やはり白崎は筧のことが好きなのだと桜庭は確信した。 「大丈夫、心配するな」 「こちらにも素晴らしい武器がある」 「武器?」 「白崎、お前だ」 「……え、わたし?」 「そうだ。白崎には生徒会長など足元にも及ばない、素晴らしい力がある」 「そんな力あるのかなぁ」 「ある、私が保証する」 「わたしの力って、どんなの?」 「それは女子力だ」 きらん、と目を輝かせる桜庭。 「……よくわからないんだけど」 「白崎は優しい」 「人を思いやる気持ちがあり、穏やかで傍にいるだけで癒やされる」 「生徒会長にはなく、他の人間より突出して秀でている、白崎の類い希な力なんだ」 「そ、そうなのかな」 桜庭の迫力に押され、タジタジになる白崎。 「白崎の力を持ってすれば、筧を引き戻すことなんて簡単だ」 「本当に?」 「当然だろう。私を信じてくれ」 「……う、うん、わかった。とりあえず信じてみる」 「でも、わたしはどうすればいいの?」 「白崎は自分が思うとおりに、積極的に行動すればいい」 「深く考える必要はない。自分ならこうするというやり方を徹底的に貫くんだ」 「それって、わがままを言うってこと?」 「そうだと思ってもらって構わない」 「ええ〜っ、そんなことしたら筧くんに呆れられちゃうよ〜……」 「そんなことはない。筧ならきっとわかってくれる」 「そうかなぁ」 白崎は首をひねる。 「私たちが図書部を設立した時のことを思い出してくれ」 「あの時、お前は生徒会長と勝負をした。そして見事、お前は筧に選ばれたんだぞ」 「う、うん……」 ぽっと白崎は顔を赤くする。 「もし生徒会長と比べて白崎の方が劣っているのだとしたら、図書部は選ばれていない」 「白崎、自信を持て」 「これが白崎の友人として、私にできる最大限の助言だ」 白崎には幸せになってほしい。 そのためなら詭弁めいた言葉でも使う、自分は悪者でも構わない。 桜庭にはそれだけの覚悟があった。 「……うん、わかった」 「そうだよね。わたしはわたしでしかないんだし、わたしのやり方でぶつかってみるしかないよね」 「ああ、そうだ。それでいい」 「ありがとう、玉藻ちゃん。何だか吹っ切れたかも」 「いや、いいんだ」 白崎のはにかむ顔を見て、桜庭は満たされた気持ちになる。 この笑顔が、生徒会長などに負けるはずがない。 「(頑張れよ、白崎)」 ようやくいつもの明るさを取り戻した白崎に、桜庭はそっと呟いた。 次の日、白崎が生徒会の話をみんなに伝えた。 「つまり、我々でプランの素案を作るということか」 「うん、そうだね」 「で、期限が火曜なんだ」 「休日返上で悪いけど、みんなで考えよう」 「もちろんですっ」 「頑張ります」 1年生の2人もやる気十分だった。 「まず、一番に決めるべきは方向性だな」 「話を聞いた限りだと、筧は生徒会長の無難なプランに賛成のようだが」 「賛成ってわけじゃない」 「実現可能なレベルで、白崎の希望を最大限入れていきたいんだ」 「ありがとう、筧くん」 にっこりと笑う白崎。 「よし、それじゃ私がホワイトボードに書き留めていくから、どんどんアイデアを出してくれ」 白崎の希望は『学園の日常を楽しんでもらう』ことだった。 路電で教室棟に向かい、授業を受けた後はアプリオで食事を取り、学生寮などを見学してもらう。 要するに、俺たちの日常をそのまま体験してもらえばいいのだ。 「朝の路電って激混みですけど、大丈夫ですかね」 「むしろ、満員電車に乗ってもらった方が喜ぶんじゃないかな」 「俺も白崎に賛成だな」 「外国人は、日本に来ると朝の通勤ラッシュに驚くらしい」 「かえって、ここでしか体験できないものになるんじゃないか」 「では、アプリオもピークタイムを体験してもらいましょう」 「戦場のような学食も、この学園の名物ですしね」 そのほかにも、一般の生徒との雑談タイム。 商店街での買い物、図書部への体験入部など、ホワイトボードに書ききれないほどのアイデアが出た。 白い面が、どんどん埋まっていく。 「いやあ、いっぱい出ましたねぇ」 「これ、どう考えても時間が足りないだろ」 「削っていくしかないな」 「いや、プランはいくつになってもいいから分散して全部乗せよう」 「案は出すだけ出して、どれを採用するかは生徒会の裁量に任せればいいと思う」 向こうには向こうの都合があるだろうし。 「なるほど、それがいい」 「さすが筧くん。頼りになるね」 白崎が屈託のない笑顔を向けてくる。 「ありがと」 「あ、そうそう。いま出たアイデアを、エリアごとに分けてみたんだが……」 「んっと、どんな感じ?」 ずっと椅子を動かし、俺の方に寄せて覗き込んでくる。 「回るエリアが散ってない方が、いろいろ見学できるだろ?」 「じゃあ、最初はここで授業を見て、次に事務棟? 講堂?」 白崎が、学校の地図を指で辿る。 「いや、こっちから行った方が効率的だ」 「あ、そかそか」 俺たちの手が、紙の上で近づいたり離れたりする。 空気がふわりと流れ、優しい香りがした。 白崎の匂いか……何だか落ち着くな。 「……あのぉ、桜庭さん」 「鈴木、今は黙って見守るんだ」 「あ、ラジャです」 週が明けた。 俺たちは土日で作り上げた案内プランを持ち、生徒会室までやってきた。 「……」 「……」 望月さんと多岐川さんは黙って資料を読んでいる。 だが、次第に険しい顔になっていくのがわかった。 「(……大丈夫かな)」 「(大丈夫、みんなで考えたんだから)」 前回、望月さんが言っていた教師や理事との懇親会は日程に含まれていない。 その点だけ取っても、そのまま通るとは考えにくかった。 読み終わった望月さんと多岐川さんは視線を交わし、うなずき合ってからこちらに向き直った。 「……案内プラン、しっかり拝見しました」 「とても素晴らしいアイデアだと思います」 「ありがとうございますっ」 「ですが、いくつか問題があるように思います」 望月さんが多岐川さんに視線を送る。 「私の方から問題点についてご説明します」 「お手柔らかに頼むよ」 「まず、『商店街で買い物』とありますが、今回は学園外に出ることが許可されていません」 「商店街も駄目なんですか? 目と鼻の先ですよ」 「すみませんが、先方からの要請で」 「……そうですか」 「同様に、安全上の理由で、路電やアプリオへ行くのはお勧めできません」 「それは……!」 「白崎、まずは最後まで聞こう」 反論しようとする白崎をたしなめる。 「……うん」 「食事は特別にご用意したものを召し上がっていただく予定です」 「理事と教師との懇親会は午後に2時間、必ず組み込んでください」 その後も多岐川さんの指摘は長々と続いた。 結局、細々とした指摘も含めると、全面的な修正を求められた形だ。 「うぬぬ……」 白崎の顔が怖い。 「悪気はないのよ。怒らないで」 「生徒会としては、皇太子の御案内に万全を期する義務があります」 「だから、安全に関わる問題を無視するわけにはいかないの」 優しい口調で言う望月さん。 「わたしは納得できません」 白崎が、はっきりとした口調で告げる。 「この学園に入学した時のことを思い出してください」 「これからどんな楽しいことが起こるのか、わくわくしませんでしたか?」 「初めて商店街に行った時、どんなお店があるんだろうって探検しませんでしたか?」 「わたしは、そういう学園の魅力をお伝えしたいんです」 穏やかながら、芯のある声。 白崎は引き下がらない。 白崎が見せる意志は、透明で強固だ。 場に合わせて言動を変える俺には真似できないことだった。 「今回の行動計画は、本来なら先方が決めることです」 「しかし、皇太子たっての希望で、私たちに一任していただきました」 「配慮が行き届いていないプランを提案しては、先方の信頼を裏切ることになります」 「それは……」 「皇太子を楽しませたいという気持ちは十分に伝わってきましたし、素晴らしいことだと思います」 「お互いあともう一歩ずつ歩み寄り、もう少し現実的なプランを考えていきませんか?」 優しい声で望月さんが言う。 白崎は黙り込み、望月さんを見据えている。 誰も喋らなくなり、膠着状態に陥った。 「今の話、筧君はどう思いますか?」 「わたしも、筧くんの意見が聞きたい」 白崎にも促される。 「……そうだな」「……そうだな」俺は白崎を支持したい。 「望月さんの懸念もわかりますけど、向こうには安全管理のプロが沢山いるわけですよね?」 「その上で、お忍びにしたいって言ってきたわけです」 「だったら、俺たちは細かいことは気にせずに、面白いプランを提案すればいいと思います」 「安全面は気にしなくてもいいということですか?」 「さすがにゼロってのはまずいと思います」 「楽しんでもらうことを最優先に計画を立てたので、問題があるようならアドバイスを下さい、とでも言っておけばいいでしょう」 望月さんが、少しの間だけ考える。 「筧君の言う通りですね」 「どうやら、私達は安全にこだわりすぎていたようです」 望月さんが表情を緩めた。 「(ありがとうね、筧くん)」 白崎は小さく言って、俺にウィンクをしてくれた。 「では、気を取り直して計画を煮詰めましょう」 望月さんが仕切り直す。 「はい、よろしくお願いします」 「全体的には望月さんの意見が正しいと思う」 感情を排しあくまで理性的に考えて、俺はそう結論を出した。 情熱だけでは、越えられないものは――確かにある。 「賢明な判断です」 多岐川さんはわずかに口元をほころばせる。 「筧君……」 賛同された望月さんは何故か、少し驚いているような表情をした。 「……筧くん、どうして?」 ちょっと拗ね気味に白崎が俺を見る。 とがった視線だった。 「皇太子を楽しませたいっていう白崎の意見はいいと思う」 「でも、安全でなきゃ、そもそも楽しくない。まずは安全確保が大前提じゃないか?」 「う、うーん……」 まだ納得いかないという顔でうなる。 白崎は聡明だ。 論理的には、望月さんが言うことがわかってるはずだ。 「お互い方向性は同じだから、あとは線引きの問題だと思う」 「俺達の出した案に不備が多いのは事実だし、第三者の意見を受け入れる度量を持とう」 「白崎は図書部の代表なんだから」 「……わかった」 俺たちは膝をつき合わせ、〈喧々囂々〉《けんけんごうごう》と打ち合わせを続けた。 話は、その日の夜11時まで続いた。 「ごめん、お待たせー」 生徒会との打ち合わせが終わった後。 白崎と部室に寄ってから、途中まで一緒に帰ることにした。 「行こうか」 「うん」 白崎を連れて歩きだす。 「はー、今日は疲れたぁ……」 「打ち合わせ、長かったな」 「うん。でも、すごく有意義だったと思う」 「最後は望月さんも多岐川さんもわかってくれたみたいだし」 白崎が諦めることなく食い下がるため、最終的には望月さんも根負けして折れた。 最大限安全に配慮することを条件に、いくつかの例外を認めてくれたのだ。 「と言っても、俺たちの計画を皇太子が認めてくれなかったら元の木阿弥だけどな」 「それはいま考えても仕方ないよ」 「学園での一日を楽しんでもらいたいって思いが伝われば、きっとわかってくれるはずだから」 「……」 白崎は、自分が正しいと思ったことに全力で邁進していく。 そんな白崎を見ていると素直な気分になれる。 「筧くん、ありがとうね」 「ん、何が?」 「わたし、筧くんは望月さんの味方をするんじゃないかなって思ってたんだ」 「同じ図書部員なんだ。白崎を応援するさ」 「だけど、筧くんはわたしより望月さんに考え方が似てると思うから」 確かに、白崎の言う通りだ。 「望月さんには、わたしがわがままを言っているように聞こえたと思うし、筧くんが同じように感じてもおかしくなかった」 「でもね……筧くんはわかってくれたんだ」 白崎を見ると、こちらを見て嬉しそうに微笑んでいた。 「わたしが大切だって思うことを、同じように大切だって思ってくれてた」 「わたしの代わりに、望月さんに思いを伝えてくれた」 「すごく嬉しかったよ」 「……」 そう言って笑う白崎が……不覚にも、とてもかわいいと思ってしまった。 「さっきのありがとうは、そういう意味」 「わかってくれた?」 「ああ」 白崎に合わせ、俺も微笑む。 「皇太子が来るのは15日だから、あと3日か」 「計画表の締め切りは明日だし、忙しくなるかもな」 「うん、頑張って皇太子にいっぱい楽しんでもらおうね」 「ああ」 「筧くんも、もっと楽しそうな顔してないと楽しいことが逃げちゃうよ」 「笑顔笑顔〜」 にっこり笑い、俺の顔を覗き込んでくる白崎。 「これでどう?」 白崎に向かって笑顔を作ってみせる。 「うーん、何か違うなぁ」 「そっか?」 白崎は俺の前に回り込み、頬をつまんできた。 「もっと……こう?」 白崎は俺の頬を上に持ち上げる。 どうやら笑顔を作ろうとしているようだが……。 「あれ?」 「……おい」 「あはは、駄目みたい」 「筧くん、笑顔は向いてないみたいだね」 「……割と傷つくな」 「ええっ!? 冗談だって」 「ははは、わかってる」 慌て顔の白崎をからかいながら、家を目指した。 準備に追われているうちに、皇太子来訪の当日となった。 白崎の『学園での一日を楽しんでもらいたい』という趣旨に理解を示してくれたようで、学園から提示したプランはほぼ変更なしで通った。 いかついSPに囲まれて車から降りてきたときは少し驚いたが、皇太子は優しく紳士的な男性だった。 いざという時は、俺と高峰で盾になどと覚悟を決めていたが、何事もなく無事に案内を終えた。 「はあ、緊張したぁ……」 「大して動いていないのに、かなり疲れたな」 皇太子の案内が終わって部室に戻ると、みんな一様に机の上に突っ伏した。 「皆さん、お疲れさまでした」 「つい先ほど、電話で皇太子から連絡がありました」 一緒に部室へやってきた望月さんが労いの言葉をかけてくれる。 「何て言ってきたんですか?」 「とても楽しい時間を過ごせました、ありがとうございました、ですって」 「そっか、よかった」 「お世辞かもしれないけどな」 「わざわざお電話をいただけたということは、かなり気に入ってもらえたということだと思います」 「あと、ミス白崎に改めてお礼を言いたい、とも仰っていたわ」 「なるほど、そっちが本命だろうな」 「でしょうね」 顔を見合わせ、望月さんと苦笑する。 「え、どういうこと?」 きょとんとする白崎。 「どうって、白崎はずっと皇太子に口説かれてただろう。気付かなかったのか?」 「なに、あれはそういう意味だったのか?」 皇太子は白崎がよほど気に入ったらしく、途中から白崎をエスコートするような素振りを見せていた。 「そういえば、さりげなく白崎さんの背中に手を添えてたりしましたね」 「紳士のたしなみとしてやってるのかと思いました」 「まあ、そういう面もあるだろうけどな」 「白崎に『食べ物は何が好きですか?』とか好みを聞いてたから、白崎に興味があったのは間違いない」 「あはは……あれ、そういう意味だったんだ」 「ずいぶんと軽い皇太子ですね」 「親しみを見せて下さっているのだと思いますよ」 「実際、今回の視察の成果を教育改革の参考にしたいと仰っていたそうです」 「国のことを考えてるなんて、やっぱり皇太子なんだね」 みんながうなずく。 「熱い展開になれば、俺が体を張って守ったのになあ」 「出番がなくて残念だったぜ」 「何事もなかったのだから、喜びましょう」 「新聞部に情報が漏れないか心配していたんだけど、杞憂に終わってよかったわ」 もし情報が事前に流れていたら、野次馬が集まって現場が混乱しただろう。 「うちのメンバーはみんな、口が固い」 「だから、今回の件は本当に感謝しているわ」 「力を貸してくれて、本当にありがとう」 「こちらこそ、やり甲斐のある依頼に携われて嬉しかったです」 「ふふ、あなたにそう言ってもらえると素直に喜べるわ」 今回の一件で、白崎の純粋さを望月さんも理解してくれたのだろう。 「もし図書部で困ったことがあれば、遠慮なく相談に来てください」 「できる限り力になるわ」 「ありがとうございます」 白崎がぺこりと頭を下げた。 「それではまた近いうちに」 「近いうち……ですか?」 首をかしげる白崎。 「今回のことで、やはり筧君は生徒会に必要な人材だとわかりましたから」 「後日、改めてお誘いに来ます」 「戦うねえ、生徒会長」 やれやれ、本当に粘り強い人だな。 「あ、あの、望月さん……それについてお話があります」 「何かしら?」 「筧くんは……図書部にとって大切な人なんです」 「だから、その、生徒会には……」 勢い込んだ割には語尾を濁らせる白崎。 「前も言いましたけど、私は掛け持ちでも構わないの」 「図書部と一緒に生徒会もやってもらえれば嬉しいわ」 「そうすれば、今まで以上に図書部と緊密な協力関係が作れると思うのだけど」 「で、でも……」 白崎が言いたいことはわかっているつもりだ。 だがそれを口にするには、白崎は優しすぎる。 なら、俺が言うべきだろう。 「望月さん」 「はい」 「せっかくのお誘いですけど、俺は生徒会には入りません」 「掛け持ちでもダメなの?」 「はい。俺は図書部の副部長ですし、ここにいるみんなを裏切るようなことはできません」 「つまり、もうチャンスはないということかしら」 「はい、申し訳ありませんけど」 「筧くん……」 白崎が俺を見つめてくる。 「……そう、わかりました」 「残念だけど諦めるしかないみたいね」 望月さんの落ち込んだ顔を見ると胸が痛む。 できるだけ人に優しくするのが信条だが、さすがにはっきり言わざるを得ない。 「あの、望月さん」 「もしよろしければ、いつでも遊びに来てください」 「来ていいの?」 「おい、白崎」 「筧くん、いいよね?」 ……白崎は底抜けのお人好しだ。 でも、そこが白崎の魅力でもある。 「ええ、図書部員として歓迎しますよ」 「わかりました。今度はただのお友達として来ることにするわ」 望月さんは苦笑し、引き下がってくれた。 「それでは、私は戻ります」 「はい、お疲れさまでしたっ」 「お疲れさまでした」 メンバー全員で望月さんを見送る。 「あ、白崎さん」 「はい、何でしょうか」 「筧君があなたに惹かれる理由がわかった気がします」 「残念だけど、筧君はあなたに譲るわ」 「……え? ええっ?」 「いやいや、俺は役員にならないって言ってるだけで、白崎のものになるってわけじゃ」 「あら? まさか、勘の鋭い筧君がそんなことを言うなんて……」 望月さんが笑う。 薄々察していたが、やっぱそうだよなあ。 俺の能力だけで、望月さんほどの人がこんなにプッシュしてくるわけないか。 なら、白崎は? 「……」 白崎の表情を窺ってみる。 目が合うと、照れ臭そうに視線を逸らした。 こっちまで照れ臭くなるのは、白崎が気になってるからだ。 「それじゃ、頑張ってね」 多くは語らず、望月さんは去っていった。 「あーあ、負けちゃったか」 「わかっていても、やっぱり悔しいわね」 部室が静寂に包まれた。 何とも気まずい空気だ。 「ええと……」 「う、ううん」 お互い、意味のわからない呻きを洩らす。 「あー、なんだ……生徒会長もああ言っているし、結論を出してもいいんじゃないか?」 白崎以外のメンバーの視線が俺に集まった。 「生徒会役員にはならない」 「センパイ」 にっこり言われる。 「生徒会長は蹴った」 「じゃあ、白崎さんは?」 二人が、ヘイ、と両手で俺を指さす。 「なんでまた、ここで言わなきゃならないんだ」 「面白いからです」 鬼か。 「おーい、白崎からも何とか言ってくれ」 「う……うぅ、困るよ」 「つまり、筧先輩はないと」 「そ、そういうことじゃなくて……」 指をこねくり回しながら、言葉を濁らせる白崎。 「じゃあ嫌いなのか?」 「ま、まさか。嫌いなわけないよ」 「でも好き……とかそういうんじゃない、っていうか何というか……」 「はっきりしないですね」 「私の目には明らかなんですけどねぇ」 「ああ、私の目にもだ」 佳奈すけと桜庭に見つめられると、白崎は顔を真っ赤にして立ち上がった。 「や、やめて、そんな目で見ないで〜っ」 などと言いながら、ドアへ近づいていく。 「御園、ガードだ」 「了解です」 御園がドアを指さすと、デブ猫がガチャリと鍵をかけた。 「ちょっと、ギザ様?」 「ふぇいっ、ふぇいふぇいっ」 妙に軽快なステップでシャドーボクシングをしている。 『ここを通るなら、俺を倒してからにしろ』と言っていた。 「桜庭先輩の命令ですから」 「……私は嫌なんですけど」 完全に嘘だ。 「うう〜……玉藻ちゃんっ」 「白崎、年貢の納め時という言葉がある」 「胡麻の油とアレは、絞れば絞るほど出るという言葉もある」 「そんなぁ〜……」 「さすが圧政藩主の子孫は言うことが違うな」 顔を真っ赤にしながら右往左往する白崎。 「ほら、言っちゃいましょう。筧さんのことが好きなんですよね?」 「筧さんもまんざらじゃないみたいですし、ここは勝負所ですよ」 「おーい、適当なこと言うなよ」 「否定して下さってもいいですよ?」 「お前のことは遊びだったんだって、正直に言って下さいよっ」 何か嫌なことでもあったんだろうか。 「あ、あのねみんな」 「確かに筧くんは頼りになるし、手伝ってくれてすごく嬉しいって思ってるけど」 「でも、好きとか付き合うとか……そういうのは駄目だよ」 「どうしてですか?」 「だって、私は部長だし、活動に悪影響が……」 「……あるか?」 「ないんじゃないですか」 「むしろすっきりします」 「俺は付き合うの賛成だぜ。無理にとは言わんけど」 「駄目ったら駄目なのっ」 手をばたばたさせる白崎。 駄々っ子か。 「……どうしますか、桜庭さん」 「そうだな……ではこういうのはどうだ」 佳奈すけに耳打ちする桜庭。 「ほほう、そいつは面白そうですね」 「白崎にその気がないんだ。仕方ないだろう」 にやにやと笑う桜庭と佳奈すけ。 「な、なに……?」 「白崎さん、本当に筧さんとお付き合いしなくてもいいんですか?」 「だ、だって……そんなことできないよ」 「それなら、生徒会長にそう話をしてきてもいいか?」 「あの人も筧さんを狙ってたみたいですし、今の白崎さんの話を聞いたらさぞ喜ぶでしょうねえ」 「え、えっ、ええっ……?」 あたふたする白崎。 そんな白崎を尻目に、高峰が俺に耳打ちしてくる。 「(おい、筧。どうするんだ)」 「(……完全に遊んでるだろ)」 このまま引っ張っても、白崎がいじられるだけだ。 結論を出そう。 「鈴木、ちょっと生徒会長のところに行って話をしてきてくれないか?」 「あいあいさー!」 佳奈すけが部室を出て行こうとする。 「ま、待って待ってっ、ちょっと待ってよ〜っ」 後ろから佳奈すけに抱きつく白崎。 「ぎゃ〜、背中が柔らかい〜っ」 「ん? どうしたんだ、白崎」 「白崎が筧と付き合わないというなら、他の誰かが立候補しても文句は言えないだろう」 「それとも、付き合うつもりはないがストックはしておきたいということか?」 「もう〜、玉藻ちゃん、いじわるしないでよ〜……」 「桜庭、もうその辺でやめてくれ」 桜庭を止める。 俺の覚悟は決まった。 「白崎」 「は、はいっ」 白崎が気をつけをする。 緊張に強ばる白崎。 何とか落ち着こうと、小さく深呼吸を繰り返している。 こんな風に一生懸命なところが、俺は……。 「俺は白崎のことが好きだ」 外野がぴたりと黙った。 周囲に嫌いな人間なんていないが、白崎に抱いている感情は特別だ。 「筧くん……」 白崎が真っ赤な顔で俺を見る。 瞬きもせず視線も逸らさない。 人形みたいに愛らしい目が、俺だけをじっと見つめている。 「か、筧くん」 「ああ」 「その、わ、わたしもね……その、筧くんのことが……」 「筧くんのことが、ずっと好きでした」 胸がどきりと高鳴った。 今まで感じたことのない、衝撃に近い高鳴りだ。 同時に、全身が幸福感に包まれる。 「あ、ああ」 「それで……か、筧くんさえ良ければ、わたしと付き合ってくれたら、嬉しいなって思うんだけど……」 「えへへ、どうかな?」 ふにゃっと笑う白崎。 その白崎らしい微笑みに、思わず魅入ってしまう。 「……ああ」 「筧さーん、さっきから『ああ』しか言ってないですよー」 「せっかくですからきちんと答えてください」 言われるまでもない。 「白崎、ありがとう」 「俺も白崎と付き合いたいと思ってる……」 「いや、付き合ってくれ」 「……ほんと?」 「本当だ」 「ということは……わたしと筧くん、恋人になっちゃった?」 自分と俺を指差して、首をかしげる白崎。 「……なったんだ」 「わ、や、やった……玉藻ちゃん、わたし筧くんの恋人になったよ」 「よかったな、白崎」 「本当にわたし、筧くんの恋人なんだよねっ?」 「もちろんだ……と言いたいところだが」 桜庭がにやりと笑った。 「噂では、付き合い初めにキスをしておくと絆が深まると聞いたことがある」 「しかも親しい人の前だと効果覿面らしい」 「え、ええ〜っ、こ、ここで筧くんとキスするのっ……!?」 白崎の顔が再び真っ赤に染まった。 「あ、その噂、私も聞いたことがありますね」 「さすがにどうかと思うけど……」 調子に乗る佳奈すけと、半眼になる御園。 「まあ無理にとは言わないぞ」 「う、ううっ、でも筧くんと絆を深めるためには……必要なんだよね」 俺の唇を凝視する白崎。 「白崎、騙されるなよ。そんな噂、俺は聞いたことがない」 「え……うそ、玉藻ちゃん?」 「さすがにキスは駄目か」 「当たり前だって」 冗談がきつすぎる。 「うううぅっ、騙されるところだった〜っ」 「もう〜、玉藻ちゃんのばかっ」 「悪かった悪かった」 ぷくっと膨れる白崎に謝る桜庭。 「まあ、とにかく筧もつぐみちゃんもよかったよ」 高峰が綺麗に締めてくれた。 「私も祝福するぞ、白崎」 「おめでとうございます」 「よかったですね、白崎さん、筧さんっ」 みんなが祝福の言葉を寄せてくれた。 「……ありがとう」 「わたし、これからもっと頑張るね」 「今まで通りでいい。私は今まで通り、白崎を支え続ける」 「ありがとう、玉藻ちゃん」 「さて、それじゃ後は若い者に任せて邪魔者は退散しますか」 「そうしましょう、そうしましょう」 高峰たちが腰を浮かせた。 みんな一斉に帰り支度を始める。 「あ、わたしも一緒に帰るよ」 「おい、白崎はここに残らないと気を利かせた意味がないだろう?」 そう言って俺を見る桜庭。 「そ、そっか……」 「じゃあな筧、うまくやれよ」 「桜庭さんには、後で白崎さんを取られた感想を伺いたいですね」 「長くなると思う」 「どれだけ白崎先輩が好きなんですか」 わいわい言い合いながら、高峰たちは退出していった。 「みんな、行っちゃったね」 「そうだな」 白崎と二人きりになった部室は静かだった。 話したいことが整理できず、一言、二言で会話が終わってしまう。 晴れて付き合うことになったというのに、白崎は妙に暗い顔をしていた。 机を挟んで向かい合わせに座ったまま、黙り込む。 「……ね、筧くん」 「後悔してない? わたしと付き合うって言ったこと」 「まさか」 「でも、みんなに急かされて、勢いで言っちゃったんじゃない?」 「俺は本心を言っただけだよ。後悔なんてしてない」 「……」 白崎は顔を赤くしてうつむいている。 「あの、そっち行っていいかな?」 「もちろん」 白崎は席を立ち、俺の隣に座る。 「えへへ」 「どうした?」 「どうって、恥ずかしいんだよ」 「ずっと好きで、ついさっき恋人になってくれた人が目の前にいるんだから」 「そっか」 そんな風に照れた顔を見せられると、こっちまで恥ずかしくなってくる。 「あー、もう心臓が破裂しちゃいそう」 「筧くんの近くにいるだけで、ものすごいドキドキしちゃってる」 「俺も」 「さささ、触ってみる?」 「いや、セクハラになりそうだからやめとくよ」 胸の大きな膨らみに邪魔されて、きっと心臓の鼓動なんてわからないだろう。 というか、こっちの鼓動が早くなってしまう。 「あ、そっか」 「でも嫌がらなければハラスメントじゃないよね」 「いや、喜んで触らせるのは……」 「……あれ、それじゃただの変な子だ」 「ははは」 「ふふっ、あははっ」 白崎は屈託なく笑い、口元を押さえる。 俺も笑った。 「白崎は変な子だな」 「んふふふっ、そうだね、変な子かも」 ひとしきり笑い合う。 「あー、嬉しいな」 「筧くんと付き合えるなんて夢みたい」 「夢じゃないって」 「本当かな。触ってみていい?」 「ああ、もちろん」 手を差し出すと、白崎は両手で包み込むようにして触れてきた。 「……わあ、筧くんの手だ」 ぎゅっと俺の手を握ってくる白崎。 白崎の柔らかく滑らかな手の感触が心地よかった。 「このまま、ずっと握ってたいな」 「いいよ、いつまででも」 「でも、それじゃ筧くんが困っちゃうよね」 いたずらっぽく微笑む白崎。 「なら、白崎の家の前まで」 「……そっか。手を繋いで帰っていいんだね」 「さ、一緒に帰ろう?」 「嬉しい」 それから白崎は、家の前で別れる時まで、片時も手を離さなかった。 外は蒸し暑かったが、手のひらから伝わってくる熱が心地がよかった。 「みんな、疲れは取れたか?」 終業式が終わった後、みんなで部室に集まる。 明日から夏休みに入るので、その前に打ち合わせをすることになった。 「昨日の今日ですから、まだ少し疲れが残ってますね」 「回復力が落ちてるんじゃないのか」 「老骨なんですよー、労ってください」 一番若いだろうに。 「そんな佳奈ちゃんに、じゃーん」 かけ声と共に、カバンから紙袋を取り出す白崎。 「なんです、これ」 「みんな頑張ってくれたから、感謝の気持ちを込めて作ってみたの」 袋を明けてもいないのに、中から甘く香ばしい匂いが立ち込める。 「あっ、これは……スイーツの予感っ」 「ふふふ、正解です」 紙袋を広げると、山のようなクッキーが現れた。 「おお〜、おいしそう〜」 「白崎が作ったの?」 「うん、みんなに食べてもらおうかなって」 昨日は人一倍働いていたのに、よく作る元気があったもんだ。 白崎のこういうところには、本当に頭が下がる。 「私、飲み物を用意します。皆さん、何がいいですか?」 「ありがとう、御園。コーヒーを頼む」 それぞれが紅茶やコーヒーを頼んでいく。 「私もコーヒーね」 「佳奈は一緒に手伝って」 「あ、やっぱり?」 1年生が飲み物の準備を始めた。 「筧、味見だ」 「いやいや、みんな揃ってからにしよう」 1年生がお茶を準備してくれているのだ。 「いや、やはり彼氏が一番に味わうべきだろうと思ってな」 「そうですよー。白崎さんが一番に食べてほしいのは筧さんなんですから」 準備をしながら、佳奈すけが茶々を入れてくる。 「わたしは、みんなに食べてもらいたいと思って作ったんだよ」 「も、もちろん筧くんにも食べてほしいけど……」 上目遣いでこちらを見つめ、もじもじする白崎。 「ありがとな」 「筧くんのお口に合うといいんだけど」 「白崎が作ったものなら絶対美味しいって」 「えへへ、ありがとね」 ほがらかに笑う白崎。 見ているだけで癒やされる笑顔だ。 「(……高峰、胸焼けがする。助けてくれ)」 「(大丈夫、お前だけじゃない)」 「筧さん、見つめ合ってないで味見してみてくださいよ」 「ふふ、それじゃ一つだけ食べてみて」 「じゃあ、悪いけど先に1つだけ」 いくつか種類があるうち、市松模様のクッキーを食べてみる。 市販のクッキーよりも歯ごたえがある。 しかし、口の中でさらりと溶け、濃厚なバターの風味とチョコの苦みが一杯に広がった。 「どうだ、彼女が作ってくれたクッキーの味は」 「美味い。売ってるのとは全然違う」 「今まで食べたことないくらいだ」 「ありがと、喜んでくれて嬉しいな」 「そんなにおいしいんですか?」 「ふふ、でも材料費で考えるとお店で売ってるものの方が安上がりなんだけどね」 「今朝焼いてきたものだから、その分はおいしいかも」 「飲み物、用意できました」 御園と佳奈すけが、コーヒーと紅茶を持って机に戻ってきた。 「それじゃいただくか」 「いいですか、白崎さん」 「うん、召し上がってくださいな」 「いただきます」 みんなが白崎のクッキーに手を伸ばす。 「……うまっ、なにこれ、うまっ」 「これを自分で作れるなんてすごいです」 「クッキーは難しくないよ。オーブンさえあれば誰でも作れるんじゃないかな」 「むう、筧はこれを毎日食べ放題なのか……」 「嬉しいが、毎日はちょっと……」 「毎日食ってたらあっという間にデブるな」 「大丈夫だよ、わたし栄養学もやってるからね」 「栄養が偏らないように頑張る」 「俺の飯なんて、そんな頑張らなくても」 「作ってくれるってだけで贅沢すぎる」 「ふふ、気にしないで」 「筧くんに『おいしい』って言ってもらいたいだけだから」 「そっか、ありがとう」 「えへへへへ」 白崎が照れ笑いを浮かべる。 「あの、もういいですからさっさと結婚しちゃってください」 「同感です」 1年生たちにじっとりとした目で見られた。 「桜庭、何とかしろよ」 「……白崎の幸せは私の幸せだ。邪魔はできない」 ぼりぼりとクッキーをかじりながら桜庭が言う。 「〈血涙〉《けつるい》が見えますよ、桜庭さん……」 「お二人とも、イチャつくのは部活が終わってからにしてください」 「はい」 「すみません……」 二人でしゅんとしたふりをする。 こんなやりとりも、また楽しく思えてしまう。 「……あ、そういえば皆さん見ました?」 「今朝テレビを見てたら、皇太子が帰国したってニュースで流れてました」 「ああ、それなら私も見た。我々のことにも少し触れていたな」 「特に通訳をしてくれた生徒には感謝している、なんてコメントもしていたぞ」 白崎を見て言う。 「そ、そうなんだ」 「あれ全国放送ですよね。私たち、ひょっとして超有名人じゃないですか?」 「テレビではどこの学園というのは触れていなかったからな。わかる人は少ないだろう」 「ああ、それでだったんですか」 御園が何かに思い当たったようだ。 「今朝、登校途中にいきなり新聞部の人から質問されたんです」 「新聞部はなんて言ってきた?」 「あなたが皇太子と一緒にいるところを見たという人がいる、真偽を教えてほしいと聞かれました」 「何を話していいかわからなかったので、ノーコメントを貫きましたけど」 「賢明だ。それでいい」 桜庭がほっと胸をなで下ろす。 「目撃情報が出ているってことは、俺たちがエスコートしたのがバレるのも時間の問題か」 「対応方法を考えておかないとまずいな」 「……まあ、ちょっと手遅れかもしれないけどな」 高峰が携帯を見せてくる。 表示されているのはウェブニュースだ。 白崎と皇太子が親しげに話をしている写真と共に『某国皇太子、学園内をお忍び視察!?』という派手な見出しが躍っている。 記事は、図書部が皇太子をエスコートしたという趣旨だった。 「耳が早いですねー……」 「こりゃ問い合わせが殺到するぞ」 「個別の問い合わせに対応していたらきりがない」 「サイトの方にレポートを載せて、詳しくはそちらを見てくださいとアナウンスしていくのがいいと思う」 「だな」 「公開する前に、どの程度まで情報を出していいか生徒会に聞いておいた方がいいかも」 「わかった」 桜庭がうなずく。 「つっても、もう夏休みだし、話題もすぐ収束するんじゃないかな」 「帰省や夏祭りの準備でそれどころじゃないだろうし」 「あ、それですよ。夏祭り」 「噂には聞いているんですけど、やっぱりすごいんですか?」 「結構、派手なイベントなんだ」 夏祭り未経験の1年生に、ざっと説明する。 夏祭り── それは、汐美学園独特の行事だ。 いや、行事というよりは『イベント群発期間』といった方がより正確か。 うちの生徒は多くが学園周辺に下宿しており、夏休みに入ると同時にみんな一斉に暇になる。 帰省や旅行、バイトなどで街を離れる人も多いが、それにしたって夏休み期間中ずっとじゃない。 つまり、常時、数万人の生徒が街をぶらついていることになるのだ。 夏祭りが生まれるきっかけは、溢れる暇人をターゲットにした探検部の宝探し企画だったらしい。 大した宣伝もしなかったのに、イベントは大盛況。 この実績を受け、他団体も様々なイベントを企画するようになる。 結果として、夏休み中は、毎日どこかで何らかの催しが行われることになった。 これが『夏祭り』だ。 今では、夏祭り研究部がイベント情報を一手にとりまとめ、ウェブ上でイベントカレンダーを公開している。 俺みたいな読書中毒患者はともかく、夏休み前の生徒の話題と言えば、夏祭りネタが鉄板だ。 「毎日どこかしらでイベントやってるよね」 「おー、楽しみだなぁ」 「ただ、我々は遊んでばかりもいられないが」 「え?」 「夏祭り関係だけで、既に相当数の依頼が来ているんだ」 「これからもっと増えるかもしれない」 「うう……ひょっとして私の夏は図書部の依頼だけで終わっちゃうんですか……?」 佳奈すけが悄然とした顔で問う。 「その点は白崎と話し合った」 「明日の昼までに帰省やバイト、練習などで活動できない日をSNSに書き込んでおいてくれ」 「それ以外の日でスケジュールを組んで、対応し切れない分は依頼を断る」 「当然、我々が休んだり遊んだりする日も組み込む予定だ」 「依頼してくれた人には悪いけど、わたしたちが夏休みを楽しむ時間もないとね」 「おお、よかった……夏の神様、ありがとうっ」 夏の神様ってなんだ。 「あと、これは夏祭りとは関係ないんだが、一件面白い依頼があったぞ」 「前に、ラブレターの落とし主を探したことがあっただろう」 「あの時の女子生徒からの依頼なんだ」 「そんな依頼があったんですか」 「ああ、その時はまだ千莉がいなかったんだっけ」 佳奈すけが御園に依頼の概要を教える。 「というわけで、うまく行ってるなら今もその時の男子と付き合っているはずだけど」 「ふうん」 「メールを見る限りでは、ちゃんと続いているようだ」 「くううっ、羨ましい……!」 「で、その女の子がどんな依頼を出してきたんだ」 「さっきは依頼と言ったが、正確にはただの近況報告だ」 「ただ、メールの中で図書部の趣旨に触れて、入学してきた生徒が笑顔で学園生活を送れるようにしてほしいと書いてあった」 「……漠然とした話だな」 「でも、ちょっと引っかかるよね」 「この子は、今の学園が笑顔でいられる環境じゃないって思ってるんだよね」 「漠然とした疑問だけど、そこに答えを見つけていくことが、私達の仕事なんじゃないかな」 俺たちの活動方針は『学園をもっと楽しくする』ということだ。 そこに照らして考えれば、まさしく白崎の言う通りだった。 「確かにこの学園って、笑顔で楽しくって感じじゃないですよね」 「才能のある人たちが集まるところですし、『上を目指せ、トップを狙え!』って雰囲気ですし」 「そうだな。競争原理に則って戦うことをよしとする校風だ」 「……」 御園がつまらなさそうに鼻を鳴らす。 「でも、それだけじゃ楽しくないし、笑顔にはなれないよね」 「でも、何を楽しいと感じるかなんて人によって様々だろ」 「俺たちがその全部に答えを見つける事なんてできるのか?」 「無理だわなあ」 「今みたいに、少しずつ依頼を受けてこなしていくって結論になるんですかね」 「でも、それだって全ての依頼を受けるのは無理だから半分くらい断るんでしょ」 容易には結論が出ない問題だった。 「白崎はどう思う?」 「……その子に話を聞いてみようよ」 「そうすれば、何か見えてくるかもしれない」 「ふむ、わかった」 「だが明日から夏休みだから連絡が取れるかどうかはわからないぞ」 「そこまで急ぐ話じゃないんだろ?」 「ゆっくり考えていけばいいんじゃないか」 「それでいいと思う」 「それなら、夏休み明けでいいから詳しい話を聞きたいという内容で返信を送っておこう」 「うん、お願いね、玉藻ちゃん」 白崎の言葉にうなずく桜庭。 「それじゃ、今日はそんなところか」 机の上にあったクッキーは、いつの間にかなくなっていた。 「では解散しようか」 「おっし、そんじゃお疲れさんっ」 「千莉、私たちも帰ろ」 「うん」 各人、荷物を手に立ち上がる。 「白崎、どうする?」 「わたしはこれ片付けてから帰ろうかな」 「じゃあ俺も残るよ」 「ふふ、ありがとう」 「それじゃ白崎さん、後片付けはお任せしてもいいですか?」 「大丈夫だよ」 「それじゃな、白崎」 「うん、ばいばい」 桜庭たちは連れだって部室を去っていった。 「……よいしょっと」 流しで洗ったマグカップを持って白崎が戻ってきた。 布巾で拭くのは俺の担当だ。 「ふあぁ、疲れた」 とすっと椅子に座り、白崎が一息つく。 「クッキー、作ってきてくれてありがとうな。めちゃくちゃ美味かったよ」 「すぐになくなっちゃったね。もっと作ってくればよかった」 「でも、何でいきなりクッキー作ったんだ?」 「それは……ほら、筧くんと付き合うことになったでしょ」 「みんなに心配とか後押ししてもらったし、何かお返しがしたいなって思って」 「本当はちゃんとしたものを作りたかったんだけど、あんまり時間がなかったからクッキーにしちゃった」 「そういうことか」 「でも、みんな喜んでたし、クッキーで良かったと思うよ」 「豪華すぎると、向こうもビビるだろうし」 俺の言葉に、白崎が嬉しそうにうなずいた。 「そういや、夏休みには、また妹さんに会いに行くの?」 「そのつもりだよ」 「俺も一度会ってみたいな」 「彼氏として挨拶というか何というか……」 「ちょっと恥ずかしいけど、いいかも」 「わたしも、こんな格好いい彼氏がいるんだよって自慢できるしね」 白崎が冗談めかして笑う。 「格好よかないって。普通だよ」 「でもあれか、いきなり押しかけると、負担になったりするのか」 「そうだね……少し様子を見た方がいいかもしれない」 「わたしもよくわからないから、今度お見舞いに行ったとき確認してみるよ」 「ああ、よろしく」 お見舞いには行きたいが、妹さんの身体が一番大事だ。 「でも、お見舞いぐらいは贈りたいよなあ」 「さより、絶対喜ぶと思うよ」 「ちなみに、妹さんって歳いくつ?」 「わたしの2つ下だね」 「2つ下かあ……」 本当なら、来年はこの学校に入る年齢だ。 でも、まずは健康だよな。 「贈るとしたら何がいいかな?」 「お花がいいと思うよ」 「前に、好きな花の話をしてたんだけど……あれ、なんだっけ?」 「頼む、そこ重要ポイントだぞ」 白崎が、うーんと首をひねる。 「駄目、思い出せない。今度聞いてみるね」 妹さんの話をしているときの白崎からは、妹さんへの親しみが感じられる。 本当に仲がいいんだろうな。 「あーあ、早く筧くんともっと仲良くなりたいなー」 「おっと、どうしたいきなり」 「……」 ちらっと俺を見て、顔を赤くする白崎。 「……ね、筧くん」 「あのクッキー、みんなのために作ったんだ」 「ああ、そう言ってたよな」 「でも、今度は筧くんのためだけに作りたいなぁ」 「だから、あの、そのね……」 うつむいて、口ごもる。 『今度は』ということは、つまりはお誘いだ。 「なら、今度デートしないか?」 「そん時に作ってくれたら、無茶苦茶嬉しい」 「うんっ、ぜひぜひぜひっ」 ぱっと花が咲いたように微笑む。 「わたし、頑張るから」 「ああ、楽しみにしてる」 「でも、あんまりテクニカルなのは舌が追いつかないから、ほどほどで頼む」 「だめだめ、筧くんが飛び上がって驚くようなものを作るっ」 「よーし、張り切っちゃうぞ〜」 満面の笑顔で喜ぶ白崎を見ていると、こっちまでわくわくしてきた。 白崎とのデートの日がやってきた。 待ち合わせは駅前。 約束の10分前に来てみたが…… 「白崎はと」 駅前には、待ち合わせをしている人がそこかしこにいる。 「あ、いた」 雑踏の中に白崎の姿を見つけた。 白崎は少し不安げな顔で、きょろきょろと辺りを見回している。 姿が輝いて見えるのは、俺のひいき目か。 「あっ……」 何かを見つけたのか、白崎が小走りにどこかへ向かって行く。 行く先には男が一人。 ……はい? 「……ふふっ、だーれだっ♪」 いきなり後ろから飛びつき、目隠しをした。 「え……いや、誰ですか……?」 「あれ?」 白崎が手を外すと、男性が振り向く。 当然、俺じゃない。 「わああぁっ、す、すみませんすみませんっ、間違えましたっ」 「は、はあ……」 呆気にとられる男性を置いて、慌てて走り去る白崎。 何してんだ、あいつ。 慌てて白崎の元に駆けつける。 「白崎ー、こっちこっち」 「あっ、筧くんっ」 「ごめん、待った?」 「ううん、別に待ってないよっ」 「だーれだ」 「えっ、誰って筧くんだよね?」 「……って、あっ、もしかして……さっきの見てたっ!?」 「ああ、偶然」 「ひ、ひどいよ〜、どうして止めてくれないの〜っ」 「いや、止める余裕なかったし」 「うう、すごい恥かいちゃった」 「ははは、ありゃ、やられた方もビビるよな」 「次は、彼氏間違うなよ」 ぐんにょりしている白崎の頭を撫でる。 「ごめん〜、だって筧くんだと思ったんだもん」 「うう、これからはきちんと顔を確認してからやることにする」 「顔を確認したら、もう『だーれだ』ってできないだろ」 「あ、そっか。あれ……?」 「わたし、どうやっても『だーれだ』ってできない気がしてきた……」 「くううぅっ、悔しいっ」 「悔しいから、もう筧くんにはお弁当あげません」 白崎は、弁当が入っているであろう鞄を抱きしめ、拗ねたフリをする。 今日はテンションが高いな。 ……いや、お互い様か。 なんと言っても初デートだ。 俺も、どことなくフワフワして、自分が自分でないようだ。 「頼む、白崎の弁当は絶対食べたい」 「ふふふ、冗談。食べてくれなかったら悲しいよ」 「後で一緒に食べようね」 「ああ、楽しみにしてる」 「たくさん遊んで、腹減らしとかないと」 「それじゃ行こっか」 「おっと、鞄は俺が持つよ」 「ふふ、ありがとう」 白崎からカバンを預かる。 「まずはどこに行く?」 「商店街を眺めてみようかって思うんだけど、どうかな?」 「OK」 「それじゃ……」 白崎が、ととっと近づいてくる。 「……えへへ」 ぎゅっと俺の手を握ってくる白崎。 「せっかくだし、いいよね?」 「もちろん」 俺もしっかりと握り返す。 それだけで心臓が高鳴る。 こんな自分がいるなんて、まったく想像していなかった。 「さあ行こう」 「うんっ」 片手にカバンを持ち、もう片方の手で白崎を引き、商店街へと向かった。 「……あっ、筧くん、あれ見て」 白崎が指差す方向を見ると、ファンシーショップがあった。 ショーウィンドウには、干支のぬいぐるみが飾ってある。 「かわいいなー」 丸い目をもっとくりくりさせて、ぬいぐるみを見つめている。 その横顔は、いつもの何倍も可愛く見える。 「ぬいぐるみ、好きなんだな」 「うん。でもあんまり買わないけどね」 「え、どうして?」 経済的な事情だろうか。 「買い始めると、部屋中いっぱいにしちゃうと思うから」 「だって、干支だったら、12種類ほしくなっちゃうでしょ?」 そっちの理由か。 「ほんと好きなんだな」 自然と微笑みが漏れる。 「ね、筧くんはこの中だとどれが好き?」 干支なので12種類、絶妙にディフォルメされたぬいぐるみが並べてある。 「どれも大体一緒じゃないか?」 「ちゃんと考えてよ〜」 「じゃあ、龍」 「どうして?」 「何となく男っぽいというか……」 『男は青、女はピンク』的などうでもいい理由である。 「俺のことはいいよ。白崎はどれが好き?」 「ふふふ、当ててみてください」 「12択はきついだろ、ヒントはないのか」 「うーん、じゃあ、大サービスで」 「ではヒントその1、耳が生えてます」 「鶏と蛇と龍以外は全部生えてるぞ」 「ヒントその2、草食です」 「牛か馬、兎か羊か……だいぶ絞られたな」 「ヒントその3、筧くんにちょっと似てるかも」 「……は?」 俺に似ている草食動物ってなんだ? いや、白崎的には、俺がどれに似ていると思ってるんだろう? これは気になる。 牛、馬、兎、羊……。 「羊」 「ぶっぶー、正解は兎でしたー」 「俺が兎? そんなにラブリーだっけ?」 いや、年中発情している生き物は、人間と兎って話なのか? だとしたら、日頃の俺は何者なんだ。 「ほら、ウサギってほとんど鳴かないでしょ」 「筧くんもあんまり喋らないよね」 「ああ、そういうことか」 安心した。 「白崎は兎好きなのか……覚えとくよ」 「特に、耳が垂れてる種類の兎が好きなんだ」 「ロップイヤーって種類だっけ」 「こういう、フツーの兎は?」 ぬいぐるみになっているのは、白い毛に赤い目の、生き物係が飼っていそうなノーマル兎だ。 「これもかわいいよね」 「よし、じゃあ、初デート記念に買ってみるか」 「えっ、いいよいいよ。悪いよ」 「それにウサギだけ仲間はずれにしたら可哀想だしね」 財布を気遣ってくれたのか、白崎が遠慮する。 「よし、じゃあそうしよう」 「次はどこ行く?」 今度は自然に手を繋ぐ。 こうして、一歩一歩、俺たちは彼氏彼女になっていくんだ。 プラプラ歩いているうちに、昼時になった。 さっきから、何度も腹が鳴っている。 「そろそろ、腹減ってない?」 「うん、そうだね」 弁当入りの鞄を持ち上げると、白崎がにっこりわらった。 「どこで食べる? 弁当広げられる場所っていうと……」 「アプリオの前の芝生はどう?」 弁当を広げるには格好の場所だ。 「いいね。行こう」 「やっぱり、ここは気持ちいいね」 「正解だな」 学園の敷地だけに、そこいらの公園よりよっぽど綺麗に整備されている。 陽射しは強いが、その分、走り抜ける風が心地よい。 周囲には、既に弁当を広げたカップルがちらほら見受けられる。 人気スポットのようだ。 「それじゃお弁当、用意するね」 白崎が、てきぱきと用意を始めた。 「いただきます」 「はい、どうぞ召し上がれ〜」 白崎お手製の弁当は、ボリューム満点だった。 わかめご飯のおにぎりに、鶏肉の香草焼き、酢の物に卵焼き、温野菜サラダ……どれもおいしそうだ。 「……」 おにぎりをいただきつつ、おかずを少しずつつまんでいく。 味付けも最高だ。 言葉も忘れて黙々と食べる。 「(むー……)」 「……ん?」 「(むうぅ〜……)」 白崎が、視線で何かを訴えかけてくる。 「(むううぅぅ〜……)」 そうだった。 「白崎、すごく美味しいよ」 「思わず、黙々と食べちまった」 「ほっ……よかったぁ〜」 「何も言ってくれないから、口に合わなかったのかなぁってドキドキしちゃった」 「白崎の料理がまずいことなんてないって。本当に美味しい」 「ううん……でも、わかってても言ってほしいことってあるんだよ」 「例えば、『好き』とかそういうこと?」 「う、うん……えへへ」 「わかった。これからはちゃんと口に出して言うよ」 「弁当、美味しかった」 「ほ、ほああぁぁ〜っ……」 赤くなった顔を押さえて悶える白崎。 「嬉しいけど、嬉しすぎて変な顔になっちゃう〜」 白崎のとろけた声に、周囲の視線が集まってきた。 「白崎、見られてるって」 「そ、それは……筧くんが恥ずかしいことを言わなければ大丈夫だよ」 「思ったこと言えって言ったのは白崎じゃないか」 「それじゃ……わたしだって、したいことしてもいいよね」 「絶対にしようって決めてたし……うん、頑張る」 「は?」 白崎が箸で卵焼きを取り、俺に差し出した。 それも、顔の真ん前に。 「はい、あ〜ん」 「……いや白崎、それはさすがに」 「あぁ〜ん☆」 容赦ない。 周囲に目を向けると、当然のように注目が集まっていた。 「あの白崎、人っていう字はさ、人と人とが……」 「筧くん、はいあ〜ん」 諦めてはくれないようだ。 そうこうしているうちに、観客が増えていく。 どうせやるなら、早いほうがいい。 「筧くん、口を開けて。あ〜んっ」 白崎の差し出した卵焼きを頬張る。 周囲から『おぉ〜』という歓声とまばらな拍手が起こった。 これは恥ずかしい。 「さ、筧くん。次だよ〜」 「!?」 二回戦もアリか。 「はい、あ〜ん」 「……マジか」 「くせになっちゃった」 「なるなよ」 「ほらほら筧くん、あ〜ん☆」 「……」 この後、俺は3回恥ずかしい目に遭うことになった。 「あれ、どうした?」 部室に寄ると、桜庭がいた。 「デジカメの電池が切れちゃってね。ここに予備を忘れて来ちゃったの」 弁当を食べ終えた後、白崎は写真を撮りたいと言い出した。 しばらく俺を様々な角度から撮っていたが、途中で電池が切れてしまった。 「……なるほどな、2人でデートか」 桜庭がにやりと笑う。 「うん、そうなんだ」 「くっ……恥ずかしがらないだと……?」 「そろそろ慣れてきちゃった」 「唯一の楽しみが潰えてしまったな」 はあ、とため息をつく桜庭。 「変なことで楽しまないでよ〜」 「白崎、電池は見つかったか?」 「あ、今探してる」 白崎は本棚の一番下、段ボールの中を漁っている。 一体どこに入れたんだか。 「桜庭は何してたんだ?」 「メールの返信とスケジュールの調整だ」 「休み中でも結構、あちこちから問い合わせメールが来るんでな」 「すまないな、一人でやらせて」 「なに、いいんだ」 「こういう淡々とした仕事は性に合っている」 桜庭はノートPCで何かを打ち込み始めた。 「あ、そうだ」 「例のラブレターを落とした女子生徒から返信があったぞ」 「夏休み明けでいいって送ったんだよな」 「ああ。向こうも暇だったんだろう」 「あったー」 白崎が電池を手に、嬉しそうな顔で戻ってくる。 「え、なになに?」 「ラブレターの女の子から返信があったそうだ」 「どんな内容だったの?」 「彼女が言うには、新入生として入って来てからしばらくは学園が楽しくなかったそうだ」 「綺麗な学園だが冷たい感じがして、すごく憂鬱になったらしい」 「あ、わかるなぁ、その気持ち」 「普通ならクラスメイトの人と仲良くなったりするものじゃない?」 「でもこの学園って選択授業でみんなバラバラになっちゃうから、クラス分けって全然意味がないよね」 「だから、しばらくはずっと独りぼっちで寂しかったんだ」 「人付き合いが上手な人間なら何とかなるだろうが、そうじゃないと一人になってしまうな」 一人でいることが自然な雰囲気で俺は気が楽だったが、白崎はきっとそうじゃなかっただろう。 「それに、声をかけてもみんな態度がよそよそしいし……」 「最初はこの学園に来て失敗したかなぁって、ちょっと後悔しちゃった」 「この学園では、周りはライバルって扱いだからだろう」 「私も最初はそう思っていた」 「入学式で生徒会長や学園長がスピーチするけど、勉強に励んで周りと切磋琢磨しろとか言うからな」 「そういう空気になるのも無理はないさ」 「ううん、何とかしたいな」 この学園に来るからには競争を受け入れろという態度だから、周囲が冷たく感じるのは仕方がないとも言える。 だが、白崎は納得ができない様子だった。 「と言っても、学園の方針を変えさせるのは無理だろう」 「でも、来年入ってくる新入生にまた同じ思いをしてほしくないよ」 「……考えてみようか」 「俺たちにできることが何かあるかもしれない」 「うん、そうだね」 「わかった。女子生徒にもそう返信しておこう」 学園の方針を変えることはできないが、新入生たちの心細さを和らげる方法はあるはずだ。 少し真剣に考えてみよう。 「わあ、海がきれいだねー」 瞬く間に時間が過ぎ、8月上旬。 夏は海でしょという佳奈すけの言葉をきっかけに、突発海水浴が決行されることになった。 「うぬぬぬぅ……」 佳奈すけが唸っている。 「どうした?」 「いえ、神の不公平な采配を呪っていたところです」 白崎の胸を凝視しつつ、告げる佳奈すけ。 水着姿で露わになった白崎のボディラインは、女性特有の綺麗な曲線を描いている。 この上なく魅力的だった。 「あははは……」 「こらこら、僻むな、鈴木」 「健康な肉体であれば、それで十分だと考えるんだ」 「桜庭さんは前向きですねぇ」 「だが、けしからんな」 「けしからんでしょう」 「もう、好きでこうなったんじゃないんだからねっ」 凝視する二人から、恥ずかしそうに胸を隠す白崎。 「筧、大切にしろよ」 「優しくですよ、優しく」 「何をだ」 「絡み方が悪質です」 「女の嫉妬は怖いねぇ」 高峰が苦笑する。 「んで、海に来たのはいいけど何するんだ?」 「普通泳ぎますよね」 「登山はしないわな」 「俺は別に泳ぎたくないんだが」 「ひょっとして筧くん、泳げないの?」 「いや、泳げるけど」 泳ぎたいという欲求は特になかった。 「ふふふ、そんな筧さんのためにナイスなものをご用意しました」 佳奈すけはスイカの皮のような代物を取り出した。 「なんだそれ」 「高峰さん、空気お願いします」 「おうよ」 折りたたまれたそれを広げ、空気を吹き込む高峰。 みるみるうちに丸くなった。 「ビーチボールか」 「ええ、ビーチバレーで勝負しましょう」 「面白そうじゃないか」 桜庭が話に乗ってきた。 「二組に分かれて、負けた方が罰ゲームなんていうのはどうだ」 「いいですねえ。罰ゲームはどうします?」 「定番だけど、砂に埋まってもらうっつーのはどうだ?」 「あっ、それで身体の上に砂で恥ずかしい造形を作るんですね」 「その写真を撮って、サイトに飾っておこう」 「面白そうだね」 高峰の提案にみんなが乗る。 「よし、それじゃ早速チームを分けよう」 「確かビーチバレーって2対2が正式だったと思うんですけど」 「見てるだけの人間を作るのも何だし、3対3でいいんじゃないか?」 「わたしたち、そこまでうまくないしね」 「どういう風に分けるんですか?」 「はいはい、独り者VS幸せ者、って感じでどうでしょうっ」 「いいね」 「それで行こう」 「待て、それだと4対2じゃないか。不公平だぞ」 「迷いなく自分を幸せ者に分類しましたね」 「軽く殺意が」 「幸せの分量的に、少しくらいのハンデは我慢してもらいたいところだ」 意味がわからん。 「仕方ない、俺がそっちに行ってやろう」 高峰が俺の傍にやってきた。 「心強いな」 「俺はいつでも筧の味方だぞ」 それはどうだろう。 「ふむ、それなら私も白崎の味方をしなければ」 今度は桜庭が白崎の傍にやってきた。 「あ、うん。ありがとう」 「これで決まりか」 「ちょ〜っと待ってください、そしたら残ってるの私と千莉だけじゃないですかっ」 「身長的にハンデありすぎですよ」 「勝てる気がしません」 佳奈すけと御園が不平を言う。 そりゃそうか。 「それなら俺がそっちに行くよ」 「えー……筧くんとバラバラなの?」 白崎が寂しそうな顔をする。 「仕方ない、白崎の幸せのためだ。私が行こう」 「これで3対3か」 ようやくチーム分けが決まった。 「うーん、どういうチーム分けなんですかね、これ」 「独身女性VS幸せ者+1という図か」 高峰の発言に、ぴしりと空気が凍り付く。 「……桜庭さん、あんなこと言ってますけど」 「おのれ高峰、言ってはならんことを」 「潰しましょう」 「ああ。この勝負、絶対に取るぞ」 「ボールは私に集めてくれ。高峰に攻撃を集中させる」 「はいっ」 「わかりました」 桜庭を筆頭に、チームが一丸となった。 「おい、向こうが嫌な感じで結束してるぞ」 「相手に不足はないだろ?」 「何だかわたし、すごく申し訳ない気持ちに……」 白崎が苦笑いを浮かべる。 「白崎さんに恨みはありませんが、やり場のないこの鬱憤、受け止めてもらいますっ」 「それ、八つ当たりって言うんじゃない?」 「いやいや、日頃のうさをスポーツで発散するのは実にいいことだ」 「なあ、筧たちもそう思うだろう?」 桜庭の笑顔が少し怖かった。 「……桜庭さん、上がりましたっ」 「任せろっ」 桜庭の痛烈なアタックがこちらの陣地に叩き込まれる。 「高峰、行ったぞ!」 高峰に向かって、凄まじいスピードでボールが飛んでいく。 「うぶぉっ!?」 高峰の身を挺した顔面レシーブにより、ボールが宙に浮く。 ボールは俺の方に飛んできた。 「白崎、上げるからなっ」 「あ、うんっ」 トスで白崎の前にボールを上げる。 「いくよっ」 ジャンプする白崎。 大きな胸が、激しく上下に揺れた。 「ふっ、甘いなっ」 白崎の前でジャンプした桜庭の手が進路を塞ぐ。 「あっ……」 白崎のアタックは桜庭のブロックで防がれ、こちらの陣地にボールが落ちた。 「よっしゃーっ」 「我々の勝ちだ」 ゲームセット。 いい試合だったが、結果は高峰曰く『幸せじゃない』女性チームの勝利に終わった。 「お、終わった……」 高峰が砂の上で仰向けに倒れる。 疲労困憊、もう動けないという感じだった。 「お疲れさん」 「なんだ、このくらいでバテるなんて情けないな」 「お前が狙い打ちにするからだろっ」 よろよろと起き上がる高峰。 「ちょっと休憩しよう」 「そうだね」 「いい汗をかけたし、楽しかったな」 「ああ」 「……筧さーん、高峰さーん、どこに行くんですかー?」 「大切なことを忘れてますよ」 佳奈すけたちが行く手を阻んだ。 「ん? どうした?」 「さあなぁ」 「ここからはお楽しみ、罰ゲームの時間だ」 覚えてたか。 「えっ……あれ本気だったんだ」 「当たり前じゃないですか。白崎さんも埋まってもらいますよ」 「あはは、まあ砂風呂みたいで楽しそうだよね」 「……そんな平和なもんじゃないと思うが」 「筧、お前もそう思うか」 俺と高峰は、身に迫る危機を鋭敏に察知していた。 「さあて、負け組は自分が埋まる穴を掘ってもらおうか」 「自分でかよ」 「まあまあ、埋めるときはお手伝いしますから」 「全然嬉しくないが」 「よし、こいつらを波打ち際に連行しろ」 「あいあいさーっ」 自分の墓穴を自分で掘り、埋められた。 おまけに、胸を作られたり宇宙人にされたりと散々遊ばれた上、しっかり証拠写真まで撮られる。 厳しすぎる……。 「はあ、楽しかった」 「……」 ようやく砂の牢獄から解放され、一息つくことができた。 高峰は空腹のため海の家へ、桜庭と御園、佳奈すけの3人は波打ち際で遊んでいる。 俺と白崎は、ぼんやりとその光景を眺めていた。 「ねえ、筧くん」 「佳奈ちゃんの水着、かわいいよね」 白崎に促され、目をやる。 なるほど。 「はーいっ、桜庭さん行きますよーっ」 スレンダーなボディにスカイブルーの水着。 胸にはフリルがついている。 可愛らしいデザインが、佳奈すけには似合っている。 「元気な感じでいいと思う」 「玉藻ちゃんの水着は大人っぽいよね」 「わたしが着たら、多分似合わないだろうなぁ」 桜庭はワインレッドの水着に身を包んでいる。 どことなくアダルトな雰囲気だ。 「いつもと違う感じがするな」 「……それより、腰のところで紐がほどけないか心配にならないか」 「ああいうのはただの飾りだったりするけどね。玉藻ちゃんのはどうなのかな」 「よし、御園いくぞっ」 「千莉ちゃんの水着は花柄だね」 「ハイビスカスか」 いかにも夏という雰囲気だ。 カットも大胆な方で、御園がああいうのを着るのは少し意外だった。 「花言葉は、勇敢とか気品のある美しさとか、そんな感じだった気がする」 「千莉ちゃんにぴったりだ」 くすりと笑う白崎。 「わっ……早すぎますっ」 ビーチバレーに勤しむ桜庭たちには、花が咲いたような眩しさがあった。 ……花が咲いたような? 花、か。 「ね、ねえ筧くん……その、わたしはどうかな」 改めて白崎を見る。 薄桃色の水着は、白崎の白い肌にも、優しい性格にも似合っていた。 可愛らしさと色っぽさが両立している。 「よく似合ってる」 「こう言うとあれだけど、ドキドキするよ」 「そう? ふふ、よかった。筧くんに喜んでもらえて」 「ちょっと恥ずかしかったんだけど……思い切ってよかった」 「……」 目が合うと恥ずかしくなる。 水着だけに、綺麗とか似合っているという感情だけではすまないからだ。 それが彼女ならなおさら。 慌てて周囲に目をそらせる。 「そ、そういえば、水着って花柄が多いよな」 「やっぱり、華やかになるからかな」 「花か……花ね」 「……花?」 頭に浮かんだのは、図書部に来た依頼のことだ。 「学園が花でいっぱいになれば、楽しい雰囲気になると思わないか」 「あ、この前の話だね」 「うちって、整備されてて綺麗だけど、言葉にすると都会的って感じだろ?」 「花壇なんかがあったら、雰囲気が変わると思うんだ」 「そっかあ……」 白崎が考え込む。 「ま、ただの思いつきだから、あんまり気にしないでくれ」 「……」 じっと砂を見つめている白崎。 どうやら、真剣に検討してくれているようだ。 瓢箪から駒じゃないが、何かの足しになればいいが……。 夏休みも終盤に差しかかろうかという頃。 望月さんから連絡が入ったため、白崎、桜庭と一緒に生徒会室までやってきた。 「いらっしゃい、図書部の皆さん」 「お久しぶりです」 「皇太子の件からもう一ヶ月ですか。時間が経つのは早いわね」 「全くだな」 望月さんに同意する桜庭。 皇太子の一件があってから、望月さんとはたまに連絡を取り合っている。 桜庭も次第に警戒感が薄らいでいき、今ではすっかり険が取れていた。 「まずはかけてください」 促され、ソファに座る。 「それで、今日は何の用ですか」 問いかけると、望月さんの視線が生徒会室の端へ移る。 そこには大きな段ボール箱が一つ、置かれていた。 「あれ、何だと思う?」 「わからないですね」 「昨日届いたばかりなのだけど、実は皇太子からのプレゼントなのよ」 「中身は種みたい」 「種? 何の種ですか?」 「パンジービオラという花の種よ。皇太子の国では国花になっていて、栽培が盛んらしいの」 「この前のお礼ということらしいわね」 意外とマメな人だ。 「手紙によると、非常に珍しい種類らしいわ」 「へえ」 「珍しい花……ですか」 白崎が嬉しそうに微笑む。 「ふふ、あなたが喜んでくれれば、皇太子も本望でしょうね」 「どうしてですか?」 「だって、あなたへの贈り物だもの」 「えっ……あれ、わたし宛てなんですか?」 驚く白崎。 「正確には、お世話になった学園と図書部の皆さん、そしてミス白崎へとあるけれど」 「でも皇太子の本心は、あなた宛てでしょうね」 にこっと笑う望月さん。 「そうですか……でも、嬉しいです」 「学園宛てに送られてきたので、一旦は生徒会の方で預かりました」 「けれど、これは図書部の皆さんに差し上げるのが筋ではないかと思い、お呼びしたのです」 なるほど、そういう用向きか。 「ただ、結構な量の種ですし、いきなり渡されても扱いに困るでしょう」 「確かにそうだな」 段ボールを見て、桜庭が唸る。 「しばらくこちらで預かっておきますので、まずは図書部の皆さんで相談してください」 「用途が思いつかなければ、園芸部に振ってみます」 「いいと思うけど、白崎はどうだ?」 「……うん、そうだね」 白崎は上の空で答える。 何かを考えているようだった。 「では、何か思いついたら連絡をください」 「はい、わかりました」 望月さんに会釈し、生徒会室を辞した。 「うぅーん……」 白崎が唸っていた。 「どうしたんだ、白崎は」 「さあ、俺にもわからん」 先ほどから何かを考えている様子だが、一体何を考えているのかわからない。 「おい、白崎」 「あっ、なに?」 「何を考えているんだ?」 「パンジーって、どこかで聞いたことがあるんだけど……なんだったかなって」 「パンジーは別にそこまで珍しい花じゃないだろう」 「でも、珍しい種類らしいけどな」 「ちょっと気になっていたんだが、同じパンジーでも珍しかったり珍しくなかったりするのは、一体何が違うんだ?」 「色とか柄?」 青い花が咲くのは珍しい種類だ、という話は聞いたことがある。 「あっ、思いついた」 「ようやくか」 「それで、何だったんだ?」 「珍しいパンジーで……チンパンジー、なんてねっ」 「……」 「……」 まずい、不意打ちだった。 これはかなり難易度が高いぞ……! 「(さ、桜庭、拾うんだっ)」 「(筧の恋人だろう、お前が何とかしてくれっ)」 アイコンタクトでフォローを押しつけ合う。 「い、いやあ、そうか、チンパンジーかっ」 「ははは、さすが白崎のセンスは神がかってる」 「……ごめんね……つまらないこと言って」 白崎がしょげた。 「筧、どもったら駄目じゃないか」 「すまん、動揺が隠しきれなかった」 「いや、私も不自然だったかもしれないな……」 「お互い、次に生かそう」 「ああ、そうだな」 なぜか俺たちまで暗い気持ちになった。 「……あっ、思い出した!」 「ま、またか!?」 「早々にリベンジかっ」 先ほどの動揺から立ち直る暇もなく、第二波の宣告がきた。 「ううん、そういうことじゃないの」 「これはまた後で言うね」 「そ、そうか」 「それはそれで、なかなかつらいものだな」 「あの、二人とも……そんなに身構えないでください……」 白崎が申し訳なさそうな顔で言った。 「あ、おかえりなさーい」 部室では佳奈すけたちが待っていた。 夏祭り関連の依頼が詰まっているので、夏休みでも部員はほぼ毎日部室にいる。 「どんな用件でした?」 「意外と面白い話だったぞ」 桜庭が生徒会室で聞いてきたことをみんなに話す。 「……ほー、種ですか」 「食べるわけにもいかないし、蒔く以外に使い道あるのか?」 「蒔くと言っても、どこに蒔く?」 「それなんだけど、ちょっと思い出したことがあって」 「……来たか」 「みんな、気をつけろよ」 「だから身構えないでってば〜」 白崎が身もだえする。 「何なんですか?」 「さっき、珍しいパンジーの種だって言っただろう」 「はい」 「あっ、やめて〜っ」 「それで白崎は、チンパンジーとか……もがっ」 桜庭の口を塞ぎにかかる白崎。 だが一歩遅かった。 「……なるほど、桜庭さんの危惧がわかりました」 「くすっ……」 「おい、千莉ちゃんがウケてるぞ」 「あれで笑えるのか」 「いえ、そのときの皆さんの対応を想像したら……」 何を想像されているのだろう。 「うう、ひどい……」 白崎が落ち込んだ。 「あっ、すみません、白崎先輩のことじゃないですよ」 「白崎の言ったギャグが、だろう?」 「ま、同じことだよな」 「……」 追い打ちをかけられ、涙目になる白崎。 この辺で止めておこう。 「それより白崎、思い出したことってなんだ?」 「あ、うん」 気を取り直し、白崎が話し始める。 「あのね、わたくしごとで申し訳ないんだけど……思い出したの」 「前に筧くんに、妹が好きな花を聞かれたでしょ?」 「それがね、パンジーだったんだ」 「ああ、そうだったのか」 意外なリンクだ。 「白崎さんって妹さんがいらっしゃったんですね」 「あれ、言ってなかったっけ?」 「聞いたことがあるような、ないような……詳しくは知らないです」 白崎は、改めて妹のことをみんなに話した。 自分にさよりという名前の妹がいること、その妹が病気でずっと入院を続けていること。 「そうだったんですか……」 「でも安心して。この前実家に帰ったんだけど、元気そうだったから」 「お医者様に新しい薬を勧められて、それがよく効いてるの」 「よかったな」 「うん、これなら近いうちに退院できるかもって言ってたよ」 白崎が笑顔で告げる。 ずっと病室から出られない妹さんを見続けてきたんだ。 きっと喜びもひとしおだろう。 「それでね、さよりは『いきものがかり』で、入院前に世話をしていた花がパンジーだったんだ」 「さよりは冬に入院しちゃったから、結局花は見られなかったの」 「ああ、パンジーは春に咲くんだっけか」 「うん、そうなんだ」 「でね、この前みんなで海に遊びに行った時、筧くんが言ってたんだけど」 「学園が花でいっぱいになったら、少しは冷たい感じも和らぐんじゃないかってことで」 「いいアイデアだと思うんだ」 「筧がそんなことを?」 「意外とロマンチストなんですね」 「合理的に考えればそうだろうという話だ」 「子供の照れかくしかよ」 そういうつもりはないんだけどな。 「来年の新入生を、いっぱいのパンジーで迎えられたら面白いと思うんだけど」 「そうすれば、ラブレターをくれた女の子のお願いも叶えられるよね」 「入学してきた生徒がもっと笑顔で学園生活を送れるように、という話か」 「うん、そうそう」 「もし実現できたら、学園には楽しいことがたくさんあるって思ってくれるんじゃないかな」 「……うん、面白いんじゃないか?」 「そうですね」 「素敵だと思います」 「花咲く乙女たちがそう言うんだ。やってみたらいい」 おどけて肩をすくめる高峰。 「じゃあ具体的に考えてみようか」 「でも、どこに種を蒔くんですか?」 「並木道に沿って植えればいいんじゃないか」 「でも並木道全部だと、すごい距離になると思うんですけど」 「種もあれだけじゃ足りないかもな」 「えっ、そんな大がかりな話だったんですか」 「いっぱいの花というのだから、小さな花壇があっても駄目だろう」 「あと、つぐみちゃんが新入生を笑顔で迎えるって言ってたけどさ、在校生が出迎えをするってことだよな」 「それって生徒を巻き込んだ大きな行事にならないか?」 「た、大変ですね」 「正直、我々だけでは手に余るな」 「その辺は生徒会に相談してみよう」 「向こうの方が経験は上だし、いいアドバイスをもらえるかもしれない」 「筧くん……ありがとう」 「うん、そうだな」 「最初から弱気になっても仕方がない」 「まずは、どこにパンジーを植えるのか検討しよう」 「並木道となれば、学園との調整も必要になる」 「毎日水をあげるだけでも一苦労ですね」 「パンジーの育て方を調べて、最も現実的な方法を探ろう」 「世話をするには、ボランティアの協力も仰がなければならないはずだ」 「やること盛りだくさんだな」 高峰が腕を組む。 「あの、ちょっと待って」 「わたしが思いつきで言ったことだけど、本当にやるってことでいいのかな」 白崎の言葉に、互いに顔を見合わせる。 「いいも何もないだろう。図書部部長の発案だぞ」 「そうですよ。チャレンジしてみましょう」 「私も白崎さんのアイデアに賛成です」 「面白そうじゃないか。やってみようぜ」 「白崎、やってみよう」 「……うん、わかった」 「それじゃみんな、よろしくね」 「生徒会には俺が話をつける」 「教師に話を通す必要があるかもしれないな」 となれば、夏休み明けからが勝負だな。 白崎が考えたアイデアだ。 実現できるよう、頑張ってみよう。 「楽しかったね」 「ああ、そうだな」 ここ最近は、暇さえあれば白崎と一緒にいる。 どちらかと言えば、傍にいない方に違和感があるくらいだ。 パートナーとして馴染んできたということだろう。 「これからどうする?」 「部室に行ってみようかなって思ってるけど」 「そうするか」 図書館に足を向ける。 「……この道が全部パンジーで埋まってたら、きっと綺麗だよね」 並木道は東西と南北に走る学園の大動脈だ。 ここが花で埋め尽くされていれば、さぞや壮観だろう。 壮観は壮観なんだが、種を蒔くにしても10人や20人ではとても足らない。 加えて、水やりなどの世話が必要になれば、どれだけの手間が必要になるのか。 「さすがに並木道全部は無理だよね……」 「諦めるのは早いって」 「実現できる方法を考えていこう」 白崎の頭を撫でて勇気づける。 「……ところで筧くん」 「その、今日はちょっとお願いがあるんだけど」 「何でも言ってくれ」 「そう? それじゃ……」 白崎がもじもじしている。 「こ、今夜、筧くんに晩ご飯を作ってあげたいな……とか」 「……今夜?」 「うん、駄目かな」 「いや、すごく嬉しいよ」 「俺んちにする? 白崎んち?」 「筧くんの家がいいかな。せっかくだし」 「じゃあ、作ってもらおうかな」 「うん、楽しみにしてて」 付き合い始めて一ヶ月ちょっとで、俺の家に招待か。 ……なんか緊張してきたな。 部室には御園と桜庭がいた。 「お疲れ」 「お疲れさまです」 桜庭はいつものようにPC作業。 今日は、珍しく御園が机に向かって何かを書いていた。 「御園は何してるんだ?」 「依頼が終わったので、夏休みの宿題をやってます」 宿題か。 俺は課題がない授業ばかりを選んでいたから、夏休みは基本フリーだった。 「依頼はどんな内容だったの?」 「弥生寮の寮長から、ゴミのことで相談に乗ってほしいという話だった」 「みんなきちんと分別をしてくれないって困ってました」 「う……わたし、大丈夫だったかな」 そういえば白崎は弥生寮生か。 「そこで、分別されてないゴミは中身をチェックし、写真で記録するぞというポスターを張り出すことにした」 「ええ〜っ、それは嫌だなぁ……」 「嫌なら分別しろ、というメッセージを送るわけか」 「そういうことだ」 「まあ、実際はポスターを張り出すだけで、しばらくは様子見だろう」 「ただし、効果がなければ実際に写真を撮ることになる」 「うう、気をつけないと……」 白崎が恐々とした顔で告げる。 「で、御園はこんなところで宿題か」 「……まずいんです」 珍しく、御園が血の気のない顔をしていた。 「もしかして、終わらないとか?」 「はい」 「あとどれくらい残ってるんだ」 「英語と現国、それから音楽史と化学のレポートです」 今日が8月25日だから、残り6日ちょっとだ。 「厳しいな」 「まったく、計画的にやらないからそうなるんだぞ」 「小さい頃から夏休みの宿題は溜めるタイプだったんじゃないのか?」 「……気が散るので話しかけないでください」 図星だったらしい。 「筧、手伝ってやったらどうだ?」 「学年一の秀才だろう」 「宿題なんて、自分でやらないと意味ないだろ」 「宿題は長い休みの最中に学生の本分を忘れてしまわないようにするための、くさびみたいなものだ」 「計画的にできなかった時点で、もはや本来の意味など失われている」 言われてみればそうか。 「別にいいです。自分一人でやりますから」 「でも、今のペースじゃまずいだろ」 「……」 御園はむっつりと黙り込んでしまった。 どうにか助けてあげたいが…… 「……」 今夜は白崎が家に来ることになっている。 「……」 だが、まあ、ここは……。 白崎に向かい、小さく手を合わせる。 ……。 …………。 白崎が微笑んでくれた。 よかった。 「御園、良かったらレポートのコツを教えるよ」 「理屈の筋道さえ立てれば、後はフォーマットに沿って文章を並べるだけだ」 「文章の設計までは一緒にやろう」 「……いいんですか?」 「ああ」 「それに、宿題が後回しになったのは、図書部の活動が忙しいせいもあるだろうし」 「ありがとうございます、センパイ」 嬉しそうに微笑む御園。 「筧、白崎のフォローもしっかりとな」 「ああ、わかってる」 「すみません、白崎先輩」 「私がきちんと宿題できてなかったせいで……」 「ううん、いいの。気にしないで」 「筧くん、千莉ちゃんのことよろしくね」 白崎はにっこりと笑う。 よかった。 俺の思いは通じたようだ。 「今日は御園に付きっきりになりそうだから、先に帰っても……」 「やだなあ、わたしもここに残るよ」 「そうか?」 「というか、わたしだけ追い返さないでね」 「……」 納得してくれたように見えたけど、やっぱり少し怒っているのかもしれない。 携帯を見ると、午後11時を過ぎていた。 御園の宿題に筋道をつけていたら、こんな時間だ。 「……」 さっきから、白崎がふくれっ面をしている。 「今日は悪かった、白崎」 「別に筧くんは悪くないよ」 「千莉ちゃんのためだもんね。ありがとうって言いたいくらいだから」 「だったら機嫌直してくれよ」 「怒ってないもん」 「顔が怖いぞ」 「……」 じっとりとした視線を向けられた。 「ああもう、だめだめっ」 「せっかく筧くんのうちに招待してもらったのに、こんな顔してちゃっ」 ぶにぃっと自分の顔をつまんでむりやり笑顔を作る白崎。 「白崎って拗ねっぽいんだな」 「だって、今日は筧くんのために晩ご飯作るって張り切ってたのに、こんな時間になっちゃったし」 「でも筧くんの判断は正しいし、千莉ちゃんはかわいい後輩だし……」 「このやり場のない怒りを、どうしてくれようっ」 納得はしてるけど、ちょっと不満。 そんなところみたいだ。 白崎には悪いが、可愛らしく思えてしまう。 「あー、笑ったー」 「ひどいなー、もう」 「悪い、悪い」 「どうしても収まらないなら俺にぶつけてくれ」 「今日は殴られても文句言わないから」 「うん、ありがとうね」 「でももう大丈夫。筧くんのお陰で吹き飛んだから」 「おお、ならよかった」 「さって、腐っててもしょうがないし、晩ご飯作るね」 「もう遅いから、軽いお夜食にしようかなって思ってるけど、どうかな」 「いいね。ぜひ頼むよ」 「わかった。それじゃ準備するから待ってて」 さっきまでのむすっとした顔はどこへやら、白崎は満面の笑みを浮かべた。 「……というわけで、定番の肉じゃがとだし巻き卵にしてみました」 「おお、美味そうだ」 もっと軽いものが出てくるかと思いきや、本格的な料理だった。 だしのいい匂いが辺り一面に漂っている。 「ありがと、こんな立派なの作ってもらっちゃって」 「ううん、気にしないで。簡単にできるものばかりだから」 白崎は謙遜するが、俺からしたらご馳走だ。 「よし、さっそくいただきまーす」 「はい、召し上がれ」 まず肉じゃがを、そして熱々のご飯を頬張る。 「……すごい、本場の味だ」 「ふふ、どこの本場?」 「何だろう? 料亭とか? いや、よくわからないけど」 とにかく美味いのだから仕方ない。 「おいしい?」 「ああ、めちゃくちゃうまい」 「ふふふ、よかった」 「これなら、ご飯が何杯でも食べられそうだ」 「ふふふ、夜に食べ過ぎると太っちゃうよ」 白崎が幸せそうに笑う。 「今日は控えめにしてね」 「その代わり、また作ってあげる」 「楽しみにしてる」 また白崎のご飯が食べられる、というだけで幸せだ。 何という和みパワーの持ち主だろうか。 「うぅん、結婚したら毎日作ってあげるんだけどなぁ」 「よし、じゃあ、ざくっと結婚するか」 「ええ〜っ……う、嬉しいけど、そんな簡単に決めちゃっていいの?」 「白崎は嫌か?」 「いや……じゃないよ」 「だったら問題ない」 「あうぅ……でもそれってプロポーズ、だよね……?」 結婚しようと言うからにはそうだな。 「まあ、もうちょっと考えてからにしようか」 「うん……そうだね」 白崎ががっかりした顔をする。 「でも、今すぐ結婚したいくらい好きだ」 「そ、そう?」 「ああ。できるなら毎日一緒にいたい」 「え、えへへへへ……」 ふにゃっとした顔で笑う白崎。 かわいいなあ。 「わたし、幸せ」 「俺もだよ」 我ながらバカップルだ。 けどまあ、白崎が相手ならそれも楽しい。 「ありがとう、美味しかった」 「お粗末様でした」 後片付けを終えた白崎が戻ってくる。 あと少しで日付が変わろうかという時間になっていた。 「随分遅くなっちゃったな」 「……うん、そうだね」 「そろそろ帰る?」 夏休みとはいえ、明日も図書部の活動がある。 「えー……もう少しいたいなぁ」 「いいけど、遅くなっても平気なのか」 「うん、わたしは大丈夫」 「筧くんは……迷惑?」 「いや、全然……ただ、時間も時間だし」 俺の懸念を知ってか知らずか、白崎は興味深げに本棚を見つめている。 「筧くんの部屋って本ばっかりだね」 「元は本の虫だったから」 「そうだよねー。昔は、会議中でも本読んでたもんね」 「あれ? でも、今はあんまり読んでないよね……いつからだろう?」 「よく覚えてない」 「ミナフェスの話が出た頃から、だんだん読まなくても平気になったんだ」 「白崎と一緒にいる時間が増えたせいかもしれない」 昔はあれほど読みたかった本だが、今は寝る前に読む程度だ。 確実に俺は変わっていた。 「……よかったの?」 「何が?」 「わたしがいつも一緒だから本を読めないんじゃない?」 「いや、昔ほど読みたくないんだ。本当に」 半信半疑、といった顔で白崎がうなずく。 俺が本を読んでいたのは、知識欲なんかじゃなく、不安を紛らわせたかったからだ。 依存が弱くなったのは、歓迎すべきことだろう。 つまりは、真人間に近づいたってことだ。 「白崎のお陰で、今はすごく満たされているよ。ありがとう」 「あ、うん……わたしこそありがとう」 恥ずかしそうに顔を伏せて、もじもじする白崎。 「あのね、筧くん」 「……わたしのこと、好き?」 「もちろん」 「好き?」 「ああ」 白崎が上目遣いに見てくる。 「ちゃんと言ってくれないと寂しいよ」 「好きだよ」 「ふふふ、わたしも大好き」 ベッドに座っていた俺に寄り添ってきた。 柔らかくてさらさらとした白崎の髪が、俺の身体にかかった。 その身体の預け方は、そっと触れるようないつものスキンシップとは違っていた。 強く求めるように、身体を押しつけてくる。 「白崎」 「筧くん……」 白崎が何を求めているのか、口されなくてもわかった。 「んっ……」 どちらからというわけでもない。 ごく自然に見つめ合い、引きつけられるように顔を寄せていく。 気付いた時には、俺たちの唇が重なり合っていた。 「あっ……ちゅっ、ふっ……んっ……」 軽く押し当てるだけのキスから、ついばむようにして白崎の唇を味わう。 「あっ……んんっ、ふぁっ、んちゅっ……」 「くんっ、ん……ふ、うぅっ……あんっ……」 しっとりと濡れた唇の内側へ侵入し、この上なく柔らかい感触を堪能する。 「んっ……ふっ、あむっ、んはっ……」 至近距離で白崎を見つめる。 「白崎、いいか?」 「……うん」 それ以上は聞かず、俺は後ろから白崎の身体を抱いた。 「あっ……筧くん……」 白崎の身体は、服の上からでも柔らかさを感じることができた。 抱きしめ、身体中に手を這わせる。 「ふふっ……くすぐったい」 「ダメか?」 「ううん、いいよ」 首をひねり、こちらに顔を向けてくる。 至近距離に迫った白崎の唇に、自分の唇を合わせた。 「ん……ちゅ……」 キスをし、すぐ離れる。 「白崎」 「筧くん」 意味もなく名を呼び合い、また近づく。 「ちゅ……」 まるで、二人で肝試しをしているように、少しずつキスの時間を長くする。 「んっ……んんっ……」 「んちゅっ…………うんっ、ん……」 「筧くっ……んん……んっ、んん……っ」 しっとりと濡れた唇を味わいながら、手で身体の凹凸を確かめる。 手の動きに合わせ、白崎の息が乱れる。 鼻息が顔にかかるたびに、胸の奥に愛おしさがこみ上げる。 「ふっ……ん……あっ……んふっ、はぁっ……んっ」 「ふぁっ……んくっ、あっ……はっ……ん、んうぅっ……」 あまりに愛おしくて、ぎゅっと力いっぱい抱きしめたくなってくる。 だが、そんなことをしたら白崎を痛がらせてしまう。 代わりに、呼吸する間も惜しんで白崎の唇をむさぼった。 「んっ、んく……ふっ、あぁっ……あふっ、んくっ、ん……んはっ、んっ、あんっ……ふっ」 「んうぅっ、ん……っ、あっ……んちゅっ、んふ……ちゅくっ、あんんっ……」 白崎の鼻息が頬をくすぐる。 口を開けて、白崎の唇を覆い隠すようにして思いきり味わう。 「んっ、あんっ、んぅっ……ちゅっ、んく……あんっ、んふっ……」 「ん、んうぅっ……ふっ、ん……んっ……ちゅっ、ん……あんっ、んはっ……」 たっぷりと白崎の唇の感触を楽しんでから、口を離す。 「……んっ、筧くん……少し苦しくなっちゃった」 「悪い、止められなかった」 「ううん、いいよ。すごく気持ちよかった」 「キスって、こんな感じなのか」 「身体がふわっとして、どこかに行っちゃいそうだったよ」 俺の耳元で、甘く囁くように告げてくる白崎。 白崎の言葉は麻薬のように、俺の頭を痺れさせていく。 「もっとしたいって言ったらどうする?」 「ううん、わたしからお願いしたいくらい」 「唇がふやけちゃうくらい、キスしようよ」 「ああ……」 「うん、いっぱい……いっぱいね」 白崎は嬉しそうにうなずく。 さりげない白崎の仕草一つ一つに、愛おしさがこみ上げてくる。 「ん……ふっ……筧くんっ、あんっ……」 「んっ、うんっ……ちゅっ、あっ……んん……っ」 「ちゅっ……んっ、はっ……あふっ、ん、あんっ……」 白崎より深く味わおうと、舌を出す。 「あっ……んふっ、んうぅ……ちゅっ、んぁっ、んん……」 「ふぁっ……あっ、んうっ、んぷっ……んっ、あふぅっ」 「ちゅるっ、んくっ……ふあぁっ、んんっ……んっ、ああっ、んうっ」 口内に舌を差し入れると、同じように舌で応じてくれる。 白崎の舌に触れる度に身体の芯が熱くなっていく。 「んちゅっ、は……あっ、ん……ふぁっ、あふ……ちゅっ」 「あんっ、んく……んんんっ、はうぅ、ん……んうぅ……ちゅっ、ん……」 舌を戻すと、今度は白崎がおずおずと俺の口に舌を忍び込ませてきた。 唇を舐める程度の小さな動きだが、それでも十分気持ちいい。 「んうっ……あんっ、んっ……ちゅっ、んっ、ああぁっ」 「ふんんっ、あふぅっ、ん……あんんっ、ちゅっ、あっ、んく……あはぁっ……」 口を離すと、互いの唇を繋ぐようにして唾液の糸ができた。 「んっ……やだ、恥ずかしい……」 ぺろっと舌を出して、糸を切る白崎。 「あ、切っちゃったのか」 「えっ、だめだったの?」 「この糸は愛の証と言って……」 「うそっ……わたし愛の証を切っちゃった……!?」 「冗談だよ」 「……もう、筧くんのいじわる」 かわいく拗ねてみせる白崎。 「そういうこと言ってると、女の子に嫌われちゃうんだからね」 「ははは、悪い」 にっこりと笑みを作る白崎。 白崎の笑顔を見ていると本当に癒やされる。 「白崎、もっといろいろしても、いい?」 「どんなことをするの?」 「説明が必要なのか」 「えへへ、してくれると安心できるかも」 頭の中で説明を手短にまとめたが……何か違う。 「……こういうのは、説明しないもんだろ」 「あ……うん、そうだよね」 何を想像したのか、白崎も顔を真っ赤にした。 「説明はもうしなくてもいいから……全部して」 かわいいことを言ってくれる。 「ああ、わかった」 包むように、白崎の胸に手を添える。 「あっ……ううう……」 「恥ずかしい?」 「恥ずかしいよ……だって、こんなこと初めてだもん……」 そっと指に力を入れる。 「んっ……あんっ……」 もちもちとして柔らかくて、それでいて弾力のある、幸せなさわり心地だった。 「んぁっ……はあ、んん……ん……っ」 制服の裾から手を入れ、ベストを持ち上げる。 「あ……」 ブラ越しに体温を感じることができた。 「筧くん、どうかな……?」 「幸せだ」 「ふふふ、ボーナスステージに入れそう……?」 「もうとっくに入ってる」 これがボーナスステージじゃなかったら、俺の人生に一生ボーナスはあり得ない。 「んっ……そうなんだ……」 白崎は眼を細めて、甘い吐息を漏らす。 「大丈夫か」 「あっ……筧くんに揉まれると、ヘンな気分になっちゃうっ……」 「気持ちいい?」 「うん……身体の奥が、じんじんしてきて……んんっ……」 白崎はもじもじと足を動かす。 胸を揉む度に、白崎のお尻がぴくん、ぴくんと艶めかしく揺れる。 「白崎、スカートを持ち上げてくれないか」 「えっ……」 「駄目?」 「う……うん、筧くんが言うなら……」 言われた通り、スカートを持ち上げる白崎。 もどかしくなるほどの速度で裾が上がる。 やがて、白くて綺麗な太ももと、その奥にある下着が姿を現した。 「……きゃっ?」 露わになった股間に手を差し込むと、白崎が小さく悲鳴を上げた。 「ごめん」 「う、ううん……ちょっとびっくりしただけだから」 そう言うと白崎は足の力を緩め、差し込んだ俺の手を受け入れてくれる。 「筧くんの好きにしていいよ」 「そんなことを言われると、自分を抑える自信がなくなりそうだ」 「ふふふ、少し怖いかも」 「でも、大丈夫だよ。筧くんになら何されてもいい」 心底から俺を信じてくれているのだろう。 胸の奥が熱くなる。 「優しくするよ」 「うんっ……」 俺はパンツの上から、白崎の秘部をなぞる。 「ん……んっ、あんっ……」 びくっと身体を震わせ、目を細める白崎。 「あっ、ん……ふっ、んくっ、あぁっ……」 「ふあっ……あんっ、んっ……うぅっ、くっ、あんん……っ」 指に力を入れると、布地を巻き込んで白崎の中へと沈み込んだ。 男にはあり得ない現象に少し驚く。 想像以上に柔らかな感触だ。 「んんんっ……あっ、ふあぁっ……」 白崎の艶めいた声が聞こえる。 痛いわけじゃないらしい。 「敏感なんだな」 「んっ、うんっ……き、気持ちいいっ……」 「筧くんに触られてると思うと、どんどん熱くなってきちゃうっ……」 白崎の言葉通り、秘部は異常なほどの熱を持っていた。 布地越しにその熱を感じながら、指を割れ目に沿って動かす。 「んっ、ああっ……くぅんっ、うぅっ……あんっ、んっ……」 「ふぅっ……あっ、んふっ、か、筧くんっ……そんなにこすったらっ……」 「もっと気持ちよくなってほしい」 「やっ、んんっ……あっ、声、出ちゃうっ……」 「ふんんっ……やだぁっ、恥ずかしいよぉっ……」 でも、そんな白崎の声をもっと聞きたくなってしまう。 ブラジャーの隙間に、下から手を食い込ませる。 「あっ……やんっ……」 ブラジャーをずり上げると、弾力のある胸がぷるんと震えた。 「ううっ……恥ずかしいっ……」 「大丈夫、綺麗だよ」 大きな膨らみを、直接手で揉んでみる。 手の中に収まらないほどの胸を下から上に、撫でるようにして触れていく。 「あっ……ん、んぁっ……んうぅっ……」 乳首に触れると、ぎゅっと身体を強ばらせる白崎。 胸の感触を味わいながら、指先で乳首をつつくようにして刺激する。 「んっ、あっ……んうぅっ、ふぁっ、やっ、そこ、だめぇっ……」 白崎の声が跳ね上がる。 「ここ、気持ちいい?」 「くすぐったいような感じで、すごくじれったくなるのっ……」 白崎は腰を上下に揺らす。 胸に意識を取られ、秘部に当てた指が止まっていた。 「あんっ、うぅっ……筧くん、何か手慣れてるよ……」 「初めてだって」 「うそだよ、だってこんな気持ちいいの、おかしいもんっ……」 「白崎が感じやすいとか」 「ううぅ……そんな……」 上気した顔で、いやいやと首を振る白崎。 「んくっ、あふっ……はあぁっ、あっ、もう……だめぇっ……」 秘部に当てた指が、ぬるっとした感触に変化する。 白崎からしみ出した体液が、布地をじっとりと濡らしていた。 あの白崎が、俺の指で感じているのだ。 「濡れてる……」 「だって、筧くんが触るから……」 「下着、脱がせた方がいいか?」 「うん……脱がせて……」 布地を掴んで、ずり下げていく。 男のそれとは違い、薄く、ぴったりとした布。 透けそうなほどに濡れた下着と女性器の間に、透明な糸が伝う。 「んっ……」 露わになった陰部に指を添える。 ぷちゅり、という感覚と共に指先が熱いところに沈む。 「あう……筧くん……も、もう十分、十分だから……」 「十分?」 「その……もう濡れてるから、大丈夫だから……」 「もっと触りたいんだ」 「ええっ……でも、これ以上されたら……変になっちゃうよ……」 でも俺は、もう少し感じている白崎を見ていたかった。 「筧くん……いじわるしてる?」 「気持ちよさそうな顔を、もう少し見ていたい」 「うう……」 「えっ……待って、筧くっ……」 くっと指を折り曲げ、白崎の割れ目を指でなぞる。 「んあぁっ、はっ、ああぁ……ひんっ、んく、ああぁっ……」 「ま、待って、だめっ……それ、気持ちよすぎてっ……」 陰部をこする度に、びくびくと身体を跳ねさせる白崎。 白崎の秘部は柔らかく、力を入れると簡単に指が入ってしまう。 「ふあっ、あっ、はぁっ……あんっ、んっ、んううぅっ」 「ああっ……やんっ、んっ、はあっ……ひっ、あぁ…っ」 声が大きくなるのに呼応して、白崎の膣口から熱い愛液が溢れてくる。 ふとももを伝い落ちる愛液が、なまめかしく光っていた。 「あっ、くふっ、ううっ……だめぇっ、すごい濡れちゃってるっ……」 「はあっ……あくっんっ、筧くん、手が……」 優しく陰唇の内側をなぞる。 刺激する指に力を入れていくと、つぷっと指が白崎の中に飲み込まれた。 熟した桃に指を入れたかのように、とろりとした液体が溢れてきた。 「ひんっ……ああぁっ、んううぅっ……」 「あ、痛かったか」 「んっ……はあっ、い、痛くないけど、だめだよ……だめ……」 気持ちよかったということか。 もう少し続けてみよう。 「んんっ……んんんっ、んんん〜っ……」 指に力を入れ、白崎の奥を目指す。 「ひんっ、ああぁっ、くううぅっ、ううぅっ……」 ものすごい力で膣口が指を締め付けてくる。 しかし膣内は愛液でたっぷりと満たされており、力を入れれば呆気なく沈み込んでいく。 「んああぁっ、あくっ……やっ、は、入ってくるぅっ……」 「白崎のここ、ぬるぬるだ」 「ううう〜っ、そんなこと言わないで……」 「恥ずかしいのに、筧くんが触ってると思うだけで、勝手に溢れて来ちゃうの」 ただ指を入れているだけなのに、こっちまで気持ちよくなってくる。 「動かしてもいいか?」 「……筧くんのしたいようにしていいよ」 全てを俺に預けきった顔で微笑む。 白崎をもっと気持ちよくしてあげたい。 そんな思いがこみ上げてきた。 「痛かったら教えて」 「んん……うんっ、ありがと、筧くんっ……ああぁっ……」 「あっ……んうぅっ、ふっ、ん……くぅんっ……うぁっ、んんんっ」 強い締め付けに抗って、指で膣壁を押し広げるように少しずつ力を入れる。 「んんんっ、あっ……いっ、たいっ……んううぅっ……」 「すまん、力入れすぎたか」 「んっ、だ、大丈夫……これくらい、どうってことないよっ……」 白崎が笑顔を作った。 「あまり我慢するなよ」 「んんっ……さっき気持ちよすぎるから、だめって言ったのに……」 「気持ちいいのはいいんだ」 「うう……」 白崎の吐息が熱くなっていく。 「わたしだけこんな風に気持ちよくなっちゃって……いいのかな?」 「順番だから気にするなって。最初は白崎だ」 「そっか……じゃあ、我慢しなくてもいいんだね」 「我慢?」 「だ、だって……大きな声が出ちゃうんだもん……」 「気にしなくていいって」 「ん……わかった」 白崎がぺろっとかわいらしく舌を出す。 再び白崎の膣内を指で刺激していく。 「んっ……くふっ、は……あっ、ああっ、んんん」 「ああぁっ……んっ、やっ……やっ、んううぅっ」 白崎の身体が跳ねる。 指を動かす度に、くちゅ、くちゅっと水っぽい音が響く。 「ああっ…んっ、す、すごい気持ちいいっ……ああぁっ」 「こんなのっ……んうっ、おかしく、なっちゃうっ……」 膣内をかき回しながら、同時に胸も刺激する。 固くなった乳首を指で挟むようにして転がしながら、乳房を強く揉みしだく。 「んううっ、やっ、ひぃんっ……うんんっ、くっ、ふあぁっ」 「あ……んっ、んくっ、あっ……両方なんて、だめぇっ……」 「あふっ、っ、やあぁっ……あっん、筧くんっ……気持ちいいよぉっ……」 前にも増して白崎の身体が熱くなり、滑らかな肌が薄くピンクに上気し始めた。 さらなる快感を与えるため、指を盛んに動かす。 「んああぁっ、あうっ……はあっ、……はぁっ……ふあぁっ、くっ、んんんんっ」 「んっ、うあぁっ、やっ、ひっ……ふうぅ……、ああぁっ」 「ひはぁっ、やうっ、か、筧くっ、だめっ……気持ちよくてだめぇっ」 白崎は恍惚とした表情で嬌声を上げた。 胸と秘部に刺激を受けて、身体がびくびくと激しく跳ねる。 「ふっ、んうっ、くうぅんっ、んんん、んくっ、あぁんっ、あんんんっ」 「んんっ、はあぁっ、あっ、あっあっ……んああぁっ、うううぅっ」 「やっ、ぃやっ、か、身体が、変になっちゃうっ……!」 「いいぞ、もっと感じてくれ」 指を曲げ、手のひらを秘部に押しつけるようにしてぐりぐりと擦る。 「はああぁっ、くうぅっ、ううぅ〜っ……んはっ、ふあぁっ、や…っああぁっ」 「あっ、やっ、だめだめっ……もう、来ちゃう、来ちゃいそうっ……!」 白崎は激しく喘ぎながら、ぎゅっと身体を強ばらせた。 「ふああぁっ、あっ、んんっ……くうぅんっ、筧くん、だめだよ、だめだめっっ……!」 「やっ、ん、はんっ、はうぅっ、うんんっ……んあああぁぁっ!」 「だ、めっ、だめぇっ……あっ、あ、来るっ、もう来ちゃうっ、ふああぁっ!!」 「ああああっ、はああっ、うあああっ……あああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」 白崎の身体が弓なりに反り返った。 「ふああぁっ、はっ……ああぁっ、はあっ、はあっ……ああぁっ……」 「っ、くっ……あはぁっ、はあっ……んっ、はあっ……」 膣内が収縮し、凄まじい圧力で指が締め付けられる。 「うぅっ、ふ……はふぅっ、はっ、ふあぁ……はあ、はあ……」 「はっ、はあっ……ああ、はあ……ふう……」 小刻みに身体を震わせながら、呼吸を整える白崎。 まるで余韻を楽しむかのように、膣内はヒクヒクと蠢いて俺の指を刺激してきた。 「はぁ、はぁ……ううぅ……恥ずかしかった……」 「どうしよう、今のがイクってことなのかな……」 蕩け顔でそう問いかける白崎。 「……多分」 「そっか……変な顔してなかった?」 「いや、とてもかわいかった」 俺は白崎の手を取り、陰茎に触らせる。 「きゃっ……こ、これ……?」 反射的に手を引く。 「白崎がかわい過ぎて、俺もこんなになってる」 「え……これが、男の人の……?」 「ああ」 恐る恐る、指が触れてくる。 「あ……ぴくぴくしてる……」 「触られたから」 「そう、なんだ……」 白崎はズボンの上から、ゆっくりと肉棒をさする。 「これが……わたしの中に入るんだね」 「入れても……いい?」 「うん、もちろん……そのために来たんだから」 「最初からそのつもりで?」 「……あっ、ううん、今の嘘」 今さら遅い。 「白崎、嬉しいよ」 「……えへへ」 ああかわいいな、もう。 「……白崎、こっちに」 「うん、わかった」 俺は白崎をベッドに連れて行き、そっと寝かせた。 服を脱いで、白崎に近づく。 「あっ……」 足を持ち上げて、大きく股を開かせた。 「足、抱えてくれるか?」 「ううぅ……恥ずかしいよ……」 白崎が自ら脚を開く。 その付け根で、女性器がなまめかしく光る。 しとどに濡れた部分に、今から俺のものを入れるのだ。 どんな快感が待っているのか。 想像するだけで頭がくらくらしてくる。 「筧くん……」 「ん?」 まじまじと俺のペニスを見つめてくる白崎。 「それ、その……」 「ああ」 「お、おっきいんだね」 肉棒に白崎の目が釘付けになっている。 とはいえ、俺も人のことは言えないくらい白崎の秘部に見入っていた。 「白崎のここは、すごく濡れてる」 「……筧くんがいっぱい触ったからだよ」 「もっとよく見たい」 「そ、そんなの、恥ずかしすぎるって」 「どうしても……見たいの?」 俺は黙ってうなずく。 「うう……もうやだよう」 嫌がっているような、そうでないような顔で、白崎が自分の秘部に指を這わせる。 くにゅっと陰唇を広げると、ピンク色の中身が露わになった。 まるで俺を待ち受けるように蜜で濡れている。 「こんなになっちゃった……」 「興奮するかな?」 「これ以上興奮させたら頭の血管が切れるかも」 「それは困るね」 白崎は優しげな笑みを湛えて俺を見つめてくる。 俺はもう、入れることしか考えられない。 「……来て、筧くん」 白崎の返事を聞き、膣口に肉棒を当てる。 「あっ……ん……」 亀頭を陰唇にこすりつけ、愛液を絡め取る。 快感の予感に震えたのか、ペニスが驚くほどに硬くなる。 「あっ、はっ……熱い……」 「白崎のここもすごく熱い」 「んっ……やっ、気持ちいいっ……」 ぬるぬるとした粘液に包まれ、肉棒に痺れるような快感が走る。 これだけでも十分過ぎるほど気持ちよかった。 「くっ……ぅん、筧くんっ……お願い、中に入れて……」 白崎が切なそうな顔で懇願してくる。 「……わかった」 改めて白崎の膣口に亀頭を押し当てる。 「行くぞ」 「……うん、……お願い」 力を込めると、ずぶずぶと白崎の体内に肉棒がめり込んでいく。 「あうっ……あ、あ……んっ、いっ、んううぅぅっ……」 「ひぃんっ、はっ……ああ、ううっ……んはぁっ、あ、あ、ああっ……」 引っかかりを突破し、奥の方まで入れていく。 大きな抵抗を力で征服するように、肉棒を奥へ奥へと進ませる。 「んんんっ、あっ……ふうぅっ、か、筧くんっ……」 「大丈夫か?」 「だめっ……あっ、大丈夫だから……やめちゃだめっ……」 「このまま、最後までしてっ……途中でやめないで……」 白崎の瞳にはうっすらと涙がにじんでいる。 相当痛いのだろう。 「じゃあ、少しこのままで」 「……うん、わかった」 7割くらいを白崎の膣内に埋めたところで小休止する。 膣口からは、愛液と一緒にうっすらと赤いものが流れ落ちていた。 「平気?」 「うん、心配してくれてありがとね」 「最初は痛かったけど……でも、思ったほどじゃないみたい」 「なら良かった」 「女の子って、痛いのはけっこう平気なんだよ」 「白崎が我慢強いだけだろう」 「違うってば、大丈夫」 「それに、ね……」 恥ずかしそうに、白崎が俺を見る。 「筧くんと一つになれたんだって思ったら、痛いのなんて吹き飛んじゃった」 「白崎……」 向けられた愛情の深さに言葉を失う。 「……なんてね……ふふ、恥ずかしい」 白崎が小さく身体を揺する。 その途端に膣内が大きくうねり、肉棒を強く圧迫される。 「うっ……」 「……どうしたの?」 「いや、気持ちよかったんだ」 ぬるぬるとした膣壁にぎゅっと締め付けられ、じんわりと快感が広がる。 「筧くん、わたしの中って気持ちいい?」 「ああ、まずい」 「まずいんだ」 「あまり長くは我慢できないかも」 熱を持った膣内がきゅうきゅうと締まり、肉棒を刺激してくる。 このままだと動かなくても果ててしまいそうだ。 「ふふ、よかった」 「筧くんに満足してもらえるかなって、ちょっと不安だったんだ」 「杞憂だったな」 「えへへ、そっか」 白崎が笑い、反動で再び膣内がうねる。 もう我慢できない。 「……白崎、動かしてもいいか?」 「うん、いいよ」 「もうあまり痛くないから、筧くんの好きにして」 俺はゆっくりと力を入れ、さらに白崎の奥へと侵入していく。 「あっ……んっ、はっ、ふぁっ……」 「んくぅっ……あっ、すごい……奥の方、来てるっ……」 根本まで陰茎を挿入すると、行き止まりに突き当たった。 「苦しい?」 「ううん、平気だよっ……んっ……」 びくん、と身体を震わせる白崎。 根元がきゅうっと締め付けられて、射精してしまいそうなほどの快感が走る。 「くっ……」 「くす、かわいい」 俺が小さく声を上げたのを聞いて、白崎が柔らかく微笑む。 「白崎の中が、気持ちいいってことだ」 「良かった……わたしで喜んでもらえてるんだ」 「ああ、最高だよ」 こんなに気持ちよくて、かわいくて。 我慢できている方が不思議だ。 「んん……あっ、ふぁっ……んくっ、ふぅんっ……」 ゆっくりと白崎の膣内から引き抜き、再び白崎の中へ埋めていく。 「ふっ、あうぅっ……あっ、んっ……んあぁっ、くぅっ……」 「はっ、ふっ……うぅんっ、んふっ、ふぁっ……んくっ、んうぅぅぅっ……」 「くんうぅっ、あぁっ……あうぅっ、んっ、んあぁっ……」 出し入れを繰り返すうちに、白崎の口から甘い吐息がこぼれ始める。 「痛くないか」 「うっ……うんっ、痛くはないけど……でもっ……」 「でも?」 「うぅんっ、んくっ……はっ、気持ちよく、なってきちゃったっ……」 もう痛みはほとんど感じていないようだ。 「あぁんっ……んくっ、んっ……声、我慢できないっ……あっ、はあっ……」 「やっ、んくっ……んっ、ふっ、んうぅっ、あんんっ……」 「あうっ、んっ、うふっ……筧くん、筧くん……気持ち、いいよ……っ……」 白崎の声が大きくなるにつれて、中のうねりも激しくなってきた。 その刺激に、我慢ができなくなってくる。 「……白崎、速くするぞ」 「んっ、はぁっ……うんっ……うんっ……」 白崎がうなずく。 俺は身体を前傾させ、白崎の身体に激しく突き入れる。 「ああっ、んっ……ふぅっ、あんっ、あっ、ああぁっ、くうぅっ」 「んはぁっ、ん……筧くっ、ひうっ……激しいっ……」 腰を白崎のふとももに打ち付けて、膣奥まで肉棒をえぐり込む。 熱くなった膣壁に激しく擦られ、腰が浮きそうなほどの快感が駆けめぐる。 「んくっ、ふあっ、んうぅっ、やっ、はぁっ、ふあぁんっ」 「ひぃんっ、やっ、んっ、あぁっ、あんっ、んうっ、はぁっ、んんんっ」 「かっ、やっ、か……筧くんのが、は、入ってるっ……!」 白崎は目を細めて結合部を見つめている。 愛液で濡れたペニスが激しく出入りするのを見て、恍惚とした表情を浮かべていた。 「あくぅっ、ふうっ、ふっ、んあぁっ、ひんっ、はうぅんっ」 「やあっ、だめっ、んうっ、あんんっ……んふっ、んくっ、はぁっ、んんんっ」 「ん……はぁっ、んすっ、す、すごいっ……こんな気持ちいいなんて、聞いてないよぉっ……!」 白崎のたわわな胸が、動きに合わせて激しく揺れている。 俺は胸に顔を近づけて、乳首に吸い付いた。 「やぁあんっ、あっ……か、筧くんっ、何をっ……!?」 答える代わりに、空いているもう片方の乳首を指で転がす。 「やあっ、だめっ……上も下も、なんてっ、気持ちよすぎて……っ」 白崎は足をぱたぱたさせている。 俺は舌を駆使し、固くなった胸の先っぽをこねくり回した。 「ひんんっ、ふあぁっ、ああっ、やんっ、んっ、気持ちいいっ」 「やあっ、だめぇ、っあっ……そんなに吸っちゃだめぇっ、んあああぁぁっ」 「んっ、あっ、んああっ、胸がおかしくなっちゃうよぉっ……!」 片方を指で挟んで刺激をしつつ、もう片方で突起を舌で押しつぶし、激しく吸う。 「筧くんっ、だめっ、あうっ、んううぅっ……ふああぁっ、ああっ、んくっ、やっ」 「んうっ、あっ、そんなにしたら、また……またイっちゃうよっ……!」 口を離し、大きな胸の膨らみを両手で揉みしだく。 だいぶ我慢してきたが、こちらも限界が近づいてきている。 「んっ、あぁっ、か、筧くんはっ……?」 「俺も、もうそろそろ……!」 「うんっ、んふっ、はうっ、んっ、筧くんっ……好き、大好きっ……」 「俺も好きだっ」 「ふあぁんっ、ひうぅっ、あっ、ふあっ、んううぅっ、ふわっ、あああっ」 「ああっ、んああぁっ、んっ、やっ、あっ、あっあっ、んはっ、ああっ、んうううぅっ」 声のトーンが跳ね上がる。 膣内は溶けてしまいそうなほど熱く、突き入れる度に射精感が高まっていく。 「ああぁっ、ふああっ、あっ……イクっ、イっちゃうっ……」 「んっ、あっ、んううぅっ、一緒、か、筧くんも、一緒にっ……!」 白崎の脚が俺の腰に絡みつき、密着度が上がる。 まるで、俺を離したくないと言っているようだ。 「はあうぅっ、ふっ、あんっ……来て、筧くんっ、全部、出してっ」 膣奥まで肉棒をねじ込んだ瞬間、快感が頂点へと上り詰める。 「んあああぁぁっ、あああっ、イクっ、筧くんっ、イっちゃうぅっ……!」 「ふっ、ううううぅっ、あっ、あっあっ、あああああああぁぁぁぁっ!!」 「イっくぅっ、ん、うああぁぁっ、あ、ああああっ、んはあああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!」 びゅくっ、びゅるっ、どくっ、びゅっ! 「はうううぅぅっ、はっ、あくっ……あぁっ、き、来てるっ……!」 「んあっ、か、筧くんのっ……びくびくしてる……」 白崎の最も深いところに、精液を送り込んでいく。 激しい快楽に、身体が震える。 「はっ、んっ……やあっ、すごく熱いよ…………」 白崎の足に絡め取られたまま、大量の白濁を白崎の中へと放出する。 膣内に収まりきらなかった精子が膣口から溢れ出てきているにもかかわらず、まだ射精は止まらない。 「はっ、はあぁっ……筧くん、すごい……中で跳ねてる……」 「はっ、はあっ、はっ……はあっ、はあ……ん……」 「はあ……はぁ……筧くんに出されちゃった……」 「わたしの中、筧くんのでいっぱいだよ……」 白崎がうっとりと言う。 「すごく、幸せだ……ありがとうな、白崎」 「ううん……わたしこそ……」 「でも、俺、中で……」 射精は収まったが、白崎の足は俺の身体に巻き付いたままだ。 「ふふ、大丈夫だよ……ちゃんと大丈夫な日だから」 「……そっか」 「もう収まった?」 「ああ、全部出したよ」 「気持ちよかった?」 「ああ、最高だった」 「ふふ、わたしも身体が溶けてなくなっちゃいそうだったよ」 白崎の脚をほどいて、身体を起こす。 「あっ……」 ペニスが抜ける。 「筧くんの……まだ大きいね」 「出したばかりだから。そのうち小さくなるよ」 「そういうものなんだね」 「もしかして、足りなかった?」 「ううん……すごく幸せだった」 そう言って微笑む白崎。 「……ん、あ、あれ?」 と、白崎の膣口から大量の精液があふれ出してきた。 「や……どうしよう、このままじゃお布団が汚れちゃうよ……」 粘性を持った白濁の液体が白崎の身体を伝い、どろどろと流れ落ちていく。 「ほら、これで拭いて」 「あんっ……」 ティッシュを取り、白崎の秘部にあてがう。 溢れてくる精液と一緒に愛液と、血も一緒に拭き取っていく。 「ありがとう……自分でできるから、ティッシュちょうだい」 「俺に任せてくれ」 「あっ……で、でも……」 「まだ動かない方がいい。どんどん溢れてくる」 膣内から白く濁った液体が止めどなく流れ出てくるため、きりがない。 陰唇の内側も外側も、優しく丁寧に拭き取っていく。 「あっ……あっ、やっ、そこはっ……」 陰唇の上部に触れると、白崎の身体がびくんと跳ねる。 「どうした?」 「んっ、そこは敏感だから……そのっ……」 ティッシュの上からくにくにと指を動かすと、面白いように白崎の身体が反応する。 「んうっ、ひんっ、ふあっ……やっ、筧くんだめっ……」 「やっ、あっ、ん……そ、そんなことしたら……また気持ちよく、なっちゃうよぉ……」 白崎の声が潤み始めた。 艶っぽい声に導かれ、俺のペニスも再び力を取り戻す。 「もう一回、一つになりたい」 「わ、わたしも……もう一回……うん、何回でも、筧くんとつながりたい……」 「白崎っ」 白崎の言葉で理性が弾けた。 白崎の脚の間に分け入り、肉棒を突き立てる。 「んあああっ!?」 「筧くん、入ってきたっ……繋がってる、繋がってるよぉ……っ」 何も言うことができず、ただ腰を叩きつける。 再び火がついた白崎のそこが、じゅぷじゅぷと泡だった音を立てる。 「好きだ……白崎、好きだっ」 「筧くんっ、ひゃんっ、だめっ……ああああっ」 「わたしも……わたしも、だいすきっ、だいすきだから……んあっ、ああああっ!」 白崎の脚が、また俺の腰に絡みつく。 もう中に出すしかない。 白崎の一番奥をめがけ、遠慮なしに腰を振る。 「ひゃああっ、だめっ……だめっ、もうっ、あああっ、んあああっ!」 「すぐきちゃう、きちゃうよぉっ……ふああっ、くる……きちゃうっ、きちゃうからあああっ!」 白崎の膣内がぎゅっと絞り上げてくる。 身体の奥から精液が上ってきた。 「白崎っ、出すぞっ」 「いいよぉっ……出して、出して、筧くんの、わたしのなかに……っ」 「いっぱいっ、いっぱいっ、いっぱい……気持ちいいの、いっぱい出してっ!」 白崎の腰を掴み、全ての抑制を忘れる。 「にゃあああっ、だめっ、だめだめだめっ……ふああああっ、ああああ……っ!」 「イクよ……わたし、イっちゃうよ……んあああっ、あああああっ、あ、ああああっ」 「くるっ……くるっ……ああああっ、ひゃうっ、ああっ、あああっ、ああああああああああっっ!」 どくんっ! びゅくっ! びゅるるっ! 何度もペニスが震える。 俺の精子が、次々と白崎の膣内に注ぎ込まれていく。 「ふあ……あ…………や……だ、だめ……あ……」 恍惚とした表情のまま、白崎が何度も背中を震わす。 内ももが痙攣する度に膣内が締まり、最後の一滴まで精子を搾り取る。 「……あ……く……」 全身から力が抜けた。 「かけい……くん……」 「白崎……」 ぐったりと抱き合う。 「頭が、真っ白だよ……何も考えられない……」 「俺もだ」 「でもね……すごく、すごく……幸せな感じだけはわかるの……」 「かけいくんに……いっぱい、出してもらったから……」 「俺も、幸せだ」 お互いの性器を結合させたまま、しばらく余韻に陶然となる。 朝のまどろみに似た、何とも言えない時間だ。 「んっ……ちゅっ、んふっ……」 「あんっ、あっ……んうっ、くふっ、んっ……」 優しくキスをすると、白崎の身体から力が抜けていく。 「うんっ、んっ……はあぁっ……」 口を離して見つめ合う。 「筧くん……大好き」 「ああ、俺も大好きだ」 「筧くん、わたしのこと嫌いにならなかった?」 「は? どうしたいきなり」 「……だって、すごく恥ずかしいところ見せちゃったから」 「今考えたら、恥ずかしすぎるよ」 「大丈夫。白崎が気持ちよくなってくれるのは、すごく嬉しいよ」 「むしろ、全然反応してくれなかった方がショックだ」 「……安心していいのかな?」 「もちろん」 白崎の頭を撫で、そっと抱きしめる。 満足げな息づかいが聞こえた。 今までにない充実感だ。 欠けていたものが満たされたような気さえした。 「白崎、ありがとうな」 「何のことかわからないけど、どういたしまして」 「白崎と出会えて、本当に良かった」 「わたしの台詞だよ」 「筧くんと会えて、本当に本当に、ほんとーに、良かった」 具体性は何もないのに、そんな言葉だけで幸福感に包まれる。 これが人を好きになるってことなんだろう。 「ありがとう」 もう一度お礼の言葉を言い、白崎をきつく抱きしめた。 夏休みが明けて数日が経った。 「……はあ、参ったな」 大判の紙の筒を机の上に転がし、ため息をついて席につく。 「わ、なんですかこれ」 「図面だよ」 かねてからの計画を『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』と名付け、俺たちは早速行動を開始した。 だが、なかなかシビアな現実が目の前に立ちはだかっている。 「何か問題があったの?」 「ああ、今から報告しよう」 夏休みが明けてからプロジェクトの計画を練り始めた。 計画表を作り、俺と桜庭で関係部署の説得に当たることになったのだが、これが思ったより大変だった。 まず、一言に並木道と言っても隣接する建物によって認可を得る責任者が異なることがわかった。 ざっと関係者を洗い出しただけでも20名以上。 順に回っていったが、不在の人、OKをくれない人、計画の練り直しを迫って来る人など、なかなか思うように進まなかった。 「大変だね……」 「工事の予定が入っていたり、設備搬出入の関係でいじると困る場所があったりで、図面を作るだけでも一苦労だ」 「関係者が多すぎる。窓口をまとめてほしいよ」 「まあでも、それはこっちの都合だしな」 とはいえ、桜庭が愚痴を言いたくなる気持ちはわかる。 「鈴木、そちらはどうだった?」 御園と佳奈すけには、園芸部でパンジービオラの育て方を確認してもらった。 二人によると、パンジービオラは9月の初めくらいに種を蒔く。 で、早いものは11月くらいから開花し、越冬して春に満開になるという。 「9月の初めに種を蒔くって……もう9月だな」 「そうなんです」 「9月下旬くらいでも何とかなるらしいんですけど、急がないとですね」 「一番の問題は場所です」 通常はゴムポットやセルトレイという小さな鉢に種を蒔き、発芽してからプランターや地面に移す。 その間、こまめに水やり、肥料の散布、病気への対策も必要になる。 「ただ、そのやり方は現実的じゃないと言われました」 「どうしてだ?」 「数が多すぎて、移し替え作業が膨大になります」 「なので、大きめのプランターに直接種を蒔いて、後から間引いた方がいいそうです」 「種は少し無駄になりますが、作業量を考えれば現実的だということで」 「なるほど」 専門家の意見だ、素直に従った方がよさそうだ。 「ただ、それでもまだ問題はあります」 「並木道を埋め尽くすような量を育てるとしたら、とんでもない広さの土地が必要になります」 「普通に考えて、並木道を埋めるのと同じだけの広さが必要になるわな」 「そんな土地、学園にあるの?」 「学園の運動場が全部使えるなら大丈夫だと言っていました」 「無理、という意味ですけど」 「……頭が痛くなるような話だ」 閉じた扇子で額をつっつく桜庭。 「ねえ、佳奈ちゃん」 「並木道に、直接種を蒔いちゃ駄目なの?」 「並木道は、生徒が踏みしめるので土がすごく固いですし、生育環境としては最悪だそうです」 「そうなんだ……」 となると、プランターを使う方法が一番ということになるか。 「整理してみよう」 「種を蒔く時期は9月初め、つまり今だ」 「並木道を埋めるだけのプランターと、並べて育てるための広い土地を用意する」 「環境を整えて種を蒔き、春まで毎日世話をする」 「そして春には並木道にプランターを移動し、新入生を迎える……という感じか」 「並木道で直接育てるわけじゃないから、場所取りはそこまで急がなくてもいいのか」 「ああ。その代わり、育てるための土地を急いで確保する必要が出てきた」 「プランターとか土とか、買わないといけないものがいっぱいあるな」 仮に、長さ200mの道の両側を花で埋めるとする。 プランターの幅が1mだとすると、プランターだけで400個。 必要となる土や肥料も膨大だろう。 ちなみに、調べたところによると、プランター1つには15株程度のパンジーを植える。 つまり、ざっと6000株は必要になる。 「育成に必要なものを園芸部に確認して、予算を申請しよう」 「経費を計算しなければならないな」 「あとは、花の面倒を見る人が必要ですよね」 「量が量ですから、私たちだけじゃぜんぜん足りないです」 「花を育てるボランティアが必要になってくるか」 「しかも、今から来年の春まで手伝ってくれる人ですよ」 「……大変だなぁ、こりゃ」 高峰がため息をつく。 誰もがそう思っているに違いなかった。 ふと、気になって白崎を見る。 「……」 白崎は深刻な顔で沈黙していた。 自分の提案した計画が、思ったより大事になって驚いているのだろう。 「白崎、大丈夫だ」 「俺たちならきっと実現できる」 「えっ……あ、うん……」 「どうしても無理なら、できる範囲でやればいい。心配するな」 桜庭が頼もしい笑顔を見せてくれる。 「まずはチャレンジしてみようぜ」 「やりましょうよ」 「来年の春には、並木道を花で埋め尽くしちゃいましょう」 「楽しみです」 「……ありがとう、みんな」 みんなに励まされ、息を吹き返す白崎。 「そうだよね。まずはやってみるべきだよね」 「ああ、俺もそう思う」 「この計画が成功すれば、みんなこの学園を楽しいところなんだって思ってもらえるはずだ」 「うん、そうなったらいいな」 顔をほころばせる白崎。 「大変かもしれないが、みんな頑張っていこう」 役割分担の後、図書部のメンバーは調整のために散っていった。 部室に残っているのは、生徒会に協力を要請するための資料を作っている俺と白崎だけだった。 「……」 白崎は、先ほどから手を止めて一点を見つめている。 何かを考え込んでいる様子だった。 「どうした、白崎」 「えっ、ううん、なんでもないよ」 何でもないという態度じゃなかったが。 「不安なのか」 「ふふ、ちょっとね」 無理して笑顔を作って見せる白崎。 「わたし、本当にこんなこと始めてよかったのかなって」 「どうしたんだ急に?」 「だって、この計画は始めたら途中でやめられないんだよ」 「来年の春まで、みんなを拘束することになっちゃう」 なるほど、白崎はプロジェクトの成否ではなく、みんなのことを心配していたのか。 いかにも白崎らしい。 「白崎は優しいな」 「でも、気遣いが過ぎる時もあると思う」 「みんな承知の上で手伝っているんだ。心配する必要はないよ」 「そうなのかな」 「ああ、そうだ」 「そっか……うん、わかった」 「せっかくみんなが頑張ってくれてるのに、わたしが暗い顔してちゃ申し訳ないよね」 俺の言葉に、白崎は小さく微笑む。 「あんまり考え込むなよ」 「白崎は、いつも前を向いていてくれ」 「ありがとう。筧くん、一緒に頑張ろうね」 「もちろんだ」 ようやく吹っ切れたのか、白崎は憂いのない顔を見せた。 瞬く間に一週間が過ぎた。 放課後、白崎とともに部室へと向かう途中。 見知った人影を見つけて立ち止まる。 「……あれ、桜庭か?」 「え、玉藻ちゃん?」 桜庭が本棚の陰に隠れるようにして、誰かと話をしていた。 「……ですから、呼び出しの件はきちんと反省をしています。これからは真面目に授業を受けます」 「何をって……友人との付き合いや部活動があるんです」 「すみません、忙しいので失礼します」 桜庭が苛立たしげに携帯をしまう。 「はあ、まったく……ん?」 桜庭と目が合う。 「よう、どうした?」 「あ、ああ……筧と白崎か」 居心地悪そうに、桜庭は視線を逸らす。 「玉藻ちゃん……今のって、もしかして先生に呼び出された件で?」 「なに、白崎が気にすることじゃない」 ここ一週間、桜庭は必修の授業もサボって作業をしていた。 今まで真面目だった分インパクトが大きかったらしく、教師から呼び出しがあったのだ。 「でも……」 「私の態度が悪いということで親に連絡が行って、お小言を食らっただけだ」 「大丈夫なのか」 「小言を言われるのは慣れているよ」 桜庭は肩をすくめた。 「さあ、部室に行こう」 「……うん」 部室では、佳奈すけがバタバタと慌ただしく動いていた。 「あっ、筧さん来ましたか」 「これから何かありそうだな」 「育成ボランティアの参加希望者を集めて説明会をする予定なんです」 資料を作りながら答える佳奈すけ。 「筧、種蒔きイベントは汐美祭と同じ日にやるということで本決まりか?」 「ああ、決まりだ。生徒会から承認をもらってきた」 「当日は望月さんがイベントのアナウンスしてくれるそうだ」 佳奈すけが手配している育成ボランティアとは別に、種蒔き担当のボランティアを募ることになった。 多くの人が当事者意識を持ってくれれば、春の開花で喜べる人も増えるだろう、という趣旨だ。 「あと2週間もないじゃないですか」 慌ただしいが、どのみち9月下旬までには種蒔きを終えなければならない。 先延ばしにはできなかった。 「筧、予算はどうだった?」 「こちらの希望通りに出してもらえることになった」 俺と白崎は部室に来る前に生徒会室へ寄り、予算申請の結果を聞いてきた。 望月さんの全面的な協力により、こちらが希望した予算額をほぼそのままで通してくれた。 「即決してくれたのか」 「ああ、選挙の準備で忙しいのに最優先でやってくれたよ」 「予算枠は生徒会予備費でまかなうと言っていた」 望月さんの、生徒会長の任期はもうすぐ終わる。 本人は、俺たちのプロジェクトが最後の大仕事になると言っていた。 「ありがたい話だな」 「次の選挙には、多岐川さんが立候補するみたいだ」 「お世話になってるし、私も多岐川さんに投票しよっかな」 「そうなあ」 下馬評では最有力候補で、番狂わせがなければほぼ決まりだと言われているようだ。 多岐川さんには選挙で大事な時期に、こちらの計画のため急ぎの仕事をしてもらっている。 生真面目すぎるところがあるが、能力は高いし、生徒会長に推すべき人物だと思う。 「よっし、予算が決まったなら早速動くわ」 「どう発注すりゃいいんだ?」 「生徒会宛てに発注物を送れば、向こうで精算をしてくれるそうだ」 「リストにして送るから、後でまとめておいてくれ」 「おう、了解。それじゃ、園芸部と打ち合わせしてくるわ」 高峰が部室を飛び出していった。 「ねえ千莉ー、今日の説明会に来る人の名簿は?」 その横で、佳奈すけが説明会の準備を進めていた。 「ごめん、まだできてない」 「あれ、今日までには用意しておくって言ってなかった?」 「野暮用で時間が取れなかったの」 「そっか、困ったなぁ……これから説明会なんだけど……」 「今から30分で用意する」 「桜庭先輩、ノートPC借りてもいいですか?」 「すまない、これから打ち合わせで持っていく予定なんだ」 「あちゃー……それじゃPCルームに行くしかないね」 「佳奈、もうちょっとかかるかも」 「ううん、いいよ。今日は名簿なしで乗り切る」 「PCも一つじゃ足りないな」 「これだって桜庭さんの私物ですしね」 ため息をつく佳奈すけ。 備品も人の手も、全然足りていなかった。 「そういえば御園、今日は大事なレッスンがあるとか言ってなかったか」 確か有名な音楽家がやってきて、個別指導をしてくれるとか言っていた気がする。 「あれは断りました」 「えっ……?」 「一回で終わるものじゃないですし、定期的に受けるとなると時間が足りませんから」 「でも、それでいいの?」 「いいんです。今はこっちの方が大事ですから」 こともなげに答える御園。 「もしかして野暮用って、それ絡みだったのか」 「いきなりドタキャンしたので、だいぶ怒られました」 「でも、別に気にしてませんから」 「……」 「私も無理を言ってバイトのシフトをがっつり減らしたんですけど……」 「急に言われても困りますって、嬉野さんにさんざん小言を言われましたよ」 「まあ、頑張ってくださいって応援もしてくれましたけどね」 それぞれ犠牲にしていることがあるようだ。 もとより本を読むことだけが趣味だった俺には、失う物が何もない。 その分、他のメンバーより頑張らないと。 「みんな大丈夫?」 「いくら急いでるって言っても、あんまり大変なようなら……」 白崎が心配そうに言う。 「気持ちはありがたいが、季節も花も待ってはくれない」 「ですねえ」 「今さらですよ、白崎先輩」 「だよねえ」 「佳奈すけ、お前相づち打ってるだけじゃないか」 「あはは、ですねえ」 そう言って笑う佳奈すけ。 みんな大変そうだが、悲壮感がないのは救いだろう。 楽しんでやれているうちは大丈夫だ。 しかし、白崎の表情は晴れない。 「白崎……?」 「わたし、何だか申し訳ないなって……」 「みんな好きでやってんだし、大丈夫だって」 白崎の性分からすれば、気を遣わずにはいられないところだろう。 だが、今は我慢してもらうしかない。 時計を見ると、もう1時だった。 眠ろうと思っても眠れない。 「……」 わたしは自分を変えるために、活動を始めた。 そのために玉藻ちゃんを巻き込んで、筧くんや高峰くんを巻き込んで、佳奈ちゃんと千莉ちゃんを巻き込んだ。 全ては妹、さよりについた嘘を本当にするため。 自分の浅はかな見栄に形を持たせるため、わたしはみんなを巻き込んだんだ。 しかも、今回のプロジェクトでは、みんなに無茶をさせてしまっている。 「……これでよかったのかな」 わたしのしていることは本当に正しいのかな? 『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』は、この学園を楽しくすると思う。 でも、それは大義名分でしかないのではないか。 自分の目的を果たすための、ただの言い訳になっているのではないか。 「(わたし、みんなに酷いことをしてる……)」 みんなは『強制されているわけじゃない』『好きでやっている』と言ってくれている。 でも、本当にそうなのだろうか。 同じ問いが、頭の中を何度も往復する。 ……本当に、わたしのやってることは正しいのかな。 「やっぱり、駄目だよね」 このままじゃ駄目だ。 わたしはみんなを裏切っている。 みんなは、わたしが自分の嘘をなかったことにするために、この活動を始めたことを知らない。 まず、本当のことを教えないと。 本当のことを知っても、みんなは許してくれるかもしれない。 でも、それは優しいからだ。 「……」 目をつぶる。 わたしは、いつもみんなの優しさに甘えてきた。 無意識のうちに、それを当たり前だと思っていなかっただろうか。 無神経に、他人の好意を貪っていなかっただろうか。 そうやって好意を得ることで、わたしは自分の立ち位置を確保してこなかっただろうか。 もしそうなら、自分は軽蔑すべき存在だと思う。 「……そうだよ」 わかっていたのに、わたしは自分を変えてこなかった。 これ以上、みんなを巻き込み続けたら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。 妹からメールだ。 こんな時間に珍しい。 また、寂しくて眠れないのだろうか? 少し心配になりながら、本文を見てみる。 「……手術?」 プロジェクトの準備も、いよいよ佳境に入ってきた。 最大の懸念だったプランターを並べる土地は、生徒会が見繕ってくれた。 新校舎の建設予定地を使ったらどうかと打診をしてくれたのだ。 園芸部の全面的な協力もあり、花の世話をしてくれるボランティアも集められた。 発注した物も揃い、あともう少し頑張れば種を蒔ける。 放課後、部室に向かっていると、先を行く白崎の姿を見かけた。 一本前の路電に乗ってきたらしい。 「白崎、お疲れ」 「わっ!? か、筧くん!?」 慌てて白崎が振り向く。 「きょ、今日も暑いね。残暑は暑いざんしょ的な?」 「あ、うん」 目を逸らしながら、白崎が言う。 なんかおかしいな。 いつもなら、面白いこと思いついちゃった的な顔で言うのに。 「今から部室?」 「もちろん。今日も頑張らないとね」 笑顔でガッツポーズを作るが、目が笑えていない。 みれば、目の下にうっすらクマができていた。 「……何かあった?」 「別に何もないよ。いつも通り」 「筧くんこそどうしたの? 何か怖い顔してる」 白崎が身体の前で握り合わせた手を、もじもじと動かしている。 うーん、ちょいと事情を聞いてみた方がいいか。 「白崎、ちょっと座らないか」 木陰のベンチを示す。 「でも、早く部室に行かないと」 「大事な話があるんだ、頼む」 「う、ううん……」 気乗りしない様子の白崎を、ベンチまで連れて行く。 「ほい、お茶」 「ありがと」 自販機で買ってきたお茶を渡す。 「ふう……美味しいね」 そう言って笑う白崎だが、やはりどこか元気がなかった。 元々嘘が下手なタイプだ。 無理して笑っている感が出てしまっている。 「俺の気のせいかもしれないけど、白崎、何か心配事があるんじゃないか」 「今の白崎を見てると、そんな気がするんだけど」 「さっきも言ったじゃない。何もないよ」 視線を合わせると、すぐに白崎が目を逸らした。 「そ、それより大事な話って?」 「いま話してること」 「だ、だったら、もう終わり。はいはい、部室行こっ」 立ち上がろうとする白崎の手を掴む。 「目の下、クマできてるぞ」 「う……それは……」 「わ、わたし、ちょっと狸に憧れてて。昨日は狸コスプレの研究を……」 無茶苦茶だ。 「ほら、座って」 手を引くと、白崎はあっさり腰を下ろす。 そして、ぐったりとうなだれた。 「……なんでバレちゃうかな」 拗ねたように言う。 「白崎の嘘が下手なんだ」 「そっかぁ……どうやったら上手くなるのかな」 「ならなくていいって」 嘘が上手い白崎なんて、白崎じゃない。 「それよりどうした?」 「う、ううん……みんなには言わないでほしいんだけど……」 白崎の表情が陰る。 「さより……妹がね、今度手術することになったの」 「ほとんど失敗しない手術なんだけど、やっぱり本人は不安みたいで」 「そりゃなあ……」 「見舞いに行った方がいいんじゃないか」 白崎が気まずそうな顔になる。 「汐美祭まで10日もないんだよ?」 「みんないろいろ犠牲にして頑張ってくれてるのに、部長のわたしが抜けるなんて」 白崎の感覚は至極まっとうだと思う。 でも、事情を聞いたからには、彼氏としても友人としてもお見舞いに行ってもらいたい。 「プロジェクトの準備は、俺たちが何とかするよ」 「妹さんが不安がってるなら、傍にいてやれって」 「そう言うと思ったから、内緒にしていたかったの」 「アホか」 白崎が苦笑する。 「お見舞いは何日かかるんだ?」 「手術ってことだし、1日じゃ帰って来れないよな」 「4、5日かな……もしかしたら、もう少しかかるかも」 「それにね、妹は、最期に筧くんにも会いたいって言ってるの」 「最期じゃないって何度も言ってるんだけど、ぜんぜん聞いてくれなくて」 「なら、俺も顔出すよ」 「妹さんに会ったら、すぐ戻るけど」 白崎が考え込む。 「やっぱり、わたし行けないよ……迷惑がかかりすぎる」 「それに……」 いいかけて、白崎が言葉を飲み込んだ。 表情が沈む。 「それに、わたし……みんなに嘘ついてる」 ぽつりとこぼす。 「嘘?」 「前に話したよね、わたしが今の活動を始めた理由」 「不純な動機で始めた活動なのに、これ以上みんなに無理させられないよ」 確かこんな話だった。 白崎は、病床の妹を元気づけるため、学園での出来事を面白おかしく話して聞かせた。 妹が喜んだこともあり、次第に話は膨らみ、白崎は明るく頼れる女の子ということになってしまった。 でも、現実の白崎は、友達もおらず部活にも入っていない。 そのギャップを埋めるため、白崎は一念発起して今の活動を始めたのだ。 「ずっと引っかかってたのか」 「うん……やっぱり、よくないって思ってた」 「気楽な活動ならまだいいけど、最近はすごく忙しいから」 「みんながいろいろ犠牲にしているのを見てると、申し訳なくなっちゃって」 白崎がうつむく。 厳しいことを言えば、全部飲み込んで墓まで持っていくのが責任だとも思う。 「……」 ……違うな。 いまは誤魔化せても、この問題は再燃するだろう。 後ろめたさを抱えたまま、友達づきあいは続けられない。 なら、白崎は次第に俺たちから離れていくのではないか? そして、白崎は図書部を始めたことを後悔するのではないか? 図書部の活動が、白崎の中で失敗の履歴に放り込まれてしまうとしたら、こんなに悲しいことはない。 なぜなら、俺は今を十分以上に楽しんでいる。 白崎には色んなものをもらっているのだ。 やっぱり、この問題は先送りすべきじゃない。 「白崎のこと、みんな許してくれると思う」 「それに、初めの頃はわからんけど、今のみんなは自分の意思で活動してるはずだ」 「少なくとも俺は、白崎に頼まれたから活動してるんじゃないし」 「でも、みんなよく『私が言ったから』とか『私が決めたことだから』って言うよね」 「う……」 否定できないことだった。 議論が紛糾したときなど、白崎の名前を鶴の一声的に使って決着をつけることはある。 額面通りに受け取れば、責任を押しつけているように取れる。 「確かに、言うことはあるな……すまん」 「でも、全部が全部、白崎に責任を押しつけてるわけじゃない」 「白崎の意見は独特だし、白崎にしか出せないものでもあるんだ」 「根源的というか、奇をてらわないというか……そこはわかってくれると嬉しい」 「……ううん」 微妙に納得いかない様子の白崎。 「ともかく、俺たちは俺たちでやってるってことだよ」 「きついことを言うとさ、もし白崎がいなくなっても活動を続けると思う」 「でも、やっぱり部長は白崎だ」 白崎が目を見開いて俺を見た。 「図書部の活動は、嘘から始まったことかもしれない」 「きっかけはどうあれ、真面目に『学園を楽しくたい』って言える奴なんて白崎しかいない」 「少なくとも、4月から今までやってきたってのは誰にも否定できない事実だし、尊敬できる」 「筧くん……」 『学園を楽しくしよう』なんて、普通の奴は恥ずかしくて言えない。 馬鹿じゃねーのと言われるのが関の山だ。 でも、白崎は折れることなく活動を続けてきた。 「白崎は気づいてないかもしれないけど、俺はお前から色んなものをもらってるんだ」 「何より、俺の学園生活を楽しくしてくれたのは白崎だ」 「だから、お前を支えたい……どこか不純か?」 返事はなく、白崎は大きな目をいっぱいに開き、俺を見つめている。 その瞳に映る俺の姿が、涙で揺れた。 「ありがとう……筧くん……」 白崎の目に光るものが溢れてきた。 ぽろぽろと涙をこぼす白崎の頭を、そっと撫でる。 白崎は俺の手を取り、そっと頬に当てた。 「きっと、みんなも同じように答える」 「そうかな」 「これから相談してみよう」 「でも……」 「大丈夫、保証する。勇気出そう」 あいつらなら、きっと白崎を受け入れてくれる。 しばらく逡巡する白崎。 たっぷり10秒は経ってから、ゆっくりとうなずいた。 「よかった」 白崎の頭を撫でる。 「えへへ……頑張ってみるね」 「ああ」 目を細めて笑う白崎を、しばらく撫でる。 ひと撫でごとに、愛おしさが増していくようだった。 「一つ聞いていい?」 「筧くんは、わたしが悩んでるってどうして気づいたの?」 明らかに様子が変だったからなあ。 とはいえ、そのまま答えては、白崎が傷つく。 「まああれだ、付き合ってそこそこ経つから」 「年中一緒にいるんだから、変わったことがあれば気づくさ」 「ふふふ、そっか」 白崎が幸せそうに微笑む。 「でも、わたしって鈍感だから、筧くんが悩んでるときに気づいてあげられるかな?」 「いや、こういうことにかけちゃ、白崎の方が敏感な気がするよ」 「付き合うずっと前に、白崎にズバリ見抜かれたことがあったし」 「あれ? そうだっけ?」 「図書部に残るかどうか返事をする前の日……銭湯の帰りだったか」 「白崎は、俺が辞めるつもりで御園を勧誘したって見抜いてたんだ」 正直驚いた。 あのせいで図書部に残ったという面も、なきにしもあらずだ。 「……言われてみれば、そんなことあったね」 「じゃあ、お互い様ってことかな」 「だな」 微笑みあう。 こういうことを重ねて、カップルは絆を強めていくのかもしれないな。 「さて、みんなに相談してみよう」 「うん」 二人並んで立ち上がる。 自然と、白崎が手を握ってきた。 「お見舞いに行った方がいいと思います」 「とーぜん、行くべきですよ」 「ああ、比べることじゃない」 「行ってこい。こっちは何とかする」 「ぼふ」 満場一致であった。 みんな、体力的にも世間的にもいっぱいいっぱいだと思う。 でも、妹のお見舞いと言われちゃ仕方がない。 「な?」 「う、うん……」 しかし、白崎の表情はまだ明るくならない。 もう一つの問題があるからだ。 「みんなの気持ちは嬉しいんだけど、聞いてほしいことがあるの」 「わたしが、この活動を始めた理由なんだけど……」 少しだけ空気が緊張した。 注目が集まる中、白崎が妹との経緯を〈訥々〉《とつとつ》と語り始める。 「何だ、どんな話が飛び出すのかと思って緊張してしまった」 「気にするほどのことじゃないと思うんですけど」 俺と同じ反応をする、桜庭と鈴木。 きっと御園と高峰も同じくらいの気持ちでいるだろう。 「気にするよ」 「だって、自分の嘘のためにみんなを巻き込んだんだよ」 「千莉ちゃんなんかは、かなり強引に協力してもらったし」 「でしたね」 御園が苦笑する。 「みんな優しいから文句も言わないで手伝ってくれるけど、大切なものを犠牲にしてる」 「こんなの、絶対によくないよ」 白崎の声が部室に響く。 だが、白崎に同意する者はいない。 「今の私は、先輩に頼まれたから活動しているわけじゃないです」 「それに、手伝ってるつもりもありません」 「私もですよ」 「口ではそう言う時もありますけど、図書部にいるのは自分のためですし」 「つぐみちゃんはわからんけど、普通、100%誰かのためには動けないって」 「……悲しいが、その通りだな」 桜庭がか細く微笑む。 「悪い意味ではないから勘違いしないでほしい」 「みんな、自分の意思で図書部にいるということだ」 「……そう、なの?」 「ホントに自分のためだって考えてたなら、思い上がりです」 「ですねえ」 「私らは、そこまで善意に溢れてませんから」 4人が微笑む。 白崎に向かい、手を広げているような表情だった。 「大丈夫だったろ?」 「うん……」 またもや涙ぐみ、白崎がうなずく。 「筧くんの言う通りだったね」 「ああ」 やや頬を紅潮させた白崎は、とても綺麗だった。 「(あのさ、何で筧だけいいこと言った風になってんの?)」 「(愛だろ。これだから無粋な奴は困る)」 「(ったく、純愛脳はこれだから)」 「あうんっ! あうんっ!」 何故か、デブ猫が恨めしそうに壁を叩いている。 「……こほん」 「では、白崎と筧は、明日から見舞いでいいな」 「ああ、ちょっと様子を見てくる」 「俺はすぐ戻ってくるから」 「ありがとう……ごめんね、みんな」 白崎が目尻を指先で拭った。 「でも、本当に厳しいようなら、プロジェクトの規模を縮小しても……」 「白崎さん、もう細かいことはいいです」 「余計なことは考えず、妹さんのことだけ考えていてくれ」 「留守は任せて下さい」 みんなが明るい表情でうなずく。 「……ありがとう……本当にありがとう」 「みんなに話を聞いてもらえて良かった」 うなだれた白崎の背中を、桜庭が撫でる。 「一人で悩むな、仲間なんだ」 「うん……うん」 悩みなんてものは、本人は泣くほど真剣でも、周囲にとっては些細なことだったりする。 大事なのは、悩みの中身や解決法じゃなく、打ち明けられる人がいるかってことなのかもしれない。 「迷惑をかけてかけられて、私達は強くなる……そういうことだ」 桜庭は、扇子をパタパタさせながらご満悦だ。 「……うわぁ」 「……」 相変わらず恥ずかしい奴だった。 「こちらが、彼氏?」 「はじめまして、筧です」 「はじめまして……ええと、妹のさよりです」 言葉が見つからず、見つめ合ってしまう。 「その……かっこいいですね」 「ああ、どうも」 「さよりちゃんも、かわいいね」 「あ……ども」 てれてれと頭をかいている。 どうやら、そこそこ元気らしい。 「あ、あの〜、筧くん? 彼女の前で何言ってるの?」 横から言われた。 「いや、これはまあ、ほら、アレだよ」 「アレって何?」 「おねえちゃん、筧さんをいじめないの」 「大人の挨拶だよ、お と な の」 さよりちゃんが笑う。 明るい笑顔が印象的だ。 「もう、さよりは……お客さんが来るとテンション上がるんだから」 「しょーがないじゃん、嬉しいんだから」 「ところで筧さん、お姉ちゃん、ちゃんと彼女やってますか?」 「俺にはもったいないくらいだよ」 「や、やだもう、筧くんは……」 「お姉ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」 「おっちょこちょいですけど、優しいですし、料理も上手ですし、きっといい奥さんになりますよ」 「や、やだ、さよりったら……」 照れ隠しなのか、白崎が枕元の機材のボタンを連射している。 「ちょっとお姉ちゃんっ!? 変なボタン押したら私死ぬからねっ!?」 「えっ!? わあっ、ごめんっ!?」 慌てて気をつけをする白崎。 楽しそうな姉妹だ。 「ああ……でも、筧さんに会えて良かったです」 「こちらこそ」 「これで、安心して手術できます」 安堵したように、さよりちゃんは枕に背中を預けた。 「また、人生の終わりみたいなこと言って」 「だって、どうなるかわからないでしょ?」 「だから、難しくない手術なんだって……」 「何度言ってもわかってくれないの」 白崎が俺に向けて困った顔をする。 「本人は心配だよ、な?」 「ほらー、筧さんはわかってくれてるよ?」 「もう、筧くんはどっちの味方なの」 「そりゃ白崎だよ」 「わたしも白崎ですけどね」 「ははは、じゃあ、両方の味方だ」 3人で笑い合う。 さよりちゃんとは、上手くやっていけそうだな。 「さよりちゃん、手術は明日?」 「はい、お昼からです」 「頑張ってね。元気になったら、3人で遊びにでも行こう」 「楽しみにしてますね」 笑ってから、さよりちゃんが白崎の顔を見る。 白崎が、愛おしげにさよりちゃんの頭を撫でた。 「薬も効いてるんだし、絶対成功するよ」 「心配ないから、元気出して」 「うん……」 「でも、ネットで調べたら、絶対成功するわけじゃないって」 「失敗した人の記事とか見てたら、ちょっと凹んだよ」 「そういう記事は見ないのが一番だよ」 「大丈夫、お姉ちゃんがついてるから」 俺も、少しだけ手術について調べてみたが、失敗するようなものではなかった。 つっても、やっぱ当人としては、ネガティブな意見を拾ってしまうんだろう。 「そ、そうだ……いま、図書部のみんなとね、新しい企画に取り組んでるの」 「あ、得意の変な企みだね?」 「変じゃないよ、失礼ね」 「『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』って名前で、みんなとたくさん花を準備してるんだ」 「本当?」 さよりちゃんの表情が輝く。 「頑張って病気治して、学園に見に来てよ」 「そしたら、手術も頑張らないと」 さよりちゃんの表情が明るくなる。 「そっかぁ……あんなに広い学園が、花でいっぱいになるんだ」 「やっぱり、お姉ちゃんはすごいね。何万本も花を集めちゃうんだもん」 「……え?」 「……」 いや、花を置くのは中央通り近辺だけなんだが。 「きれいだろうなぁ……図書部って、ほんとすごい」 目を閉じて、幸せそうな顔をしている。 きっと、現実は想像の10分の1の規模とかだと思う。 「(どうしよう、筧くん)」 「(ど、どうって……やるしかないだろ)」 「(でも、これ以上みんなに負担かけられないよ)」 みんなは既にいっぱいいっぱいだ。 とはいえ、さよりちゃんを落胆させたくないし、何より白崎に恥をかかせたくない。 「(大丈夫、俺が何とかする)」 「というわけで、企画の規模を10倍にしたいんだが」 「ぶっ!?」 「ビターっ!?」 高峰が吹いたコーヒーが、デブ猫を直撃した。 「やっぱこのリアクションか」 白崎より一足先に学園に戻り、企画の件を打ち明けてみた。 「意味がわかりません」 「10倍って、ぶっちゃけ10倍ですよ?」 佳奈すけですら混乱している。 「まあ落ち着け、鈴木」 「つまり、私達が10倍働けばいいだけのことだ」 「いや、冷静じゃないのはお前だ。今でもいっぱいいっぱいだぞ」 「越えてこその限界だと思わないか?」 扇子をぎゅっと握りしめる桜庭。 どうやら、既に脳内麻薬が出ているらしかった。 「ほんと申し訳ないんだけど、妹さんが完全に夢見ちゃってるんだよな」 「手術前ってこともあって、本当のこと教えられなかった」 「てかさ、今回のプロジェクトって、妹さんへのサプライズか何かじゃなかったっけ?」 「妹さんが手術前で弱気になってて、白崎がポロっと喋った」 「グダグダですね」 盛大な覚悟でプロジェクトの現状維持を決めたのに、帰ってきたら『10倍にしてくれ』である。 「ほんと、俺もビビったわ」 「お前が言っちゃいかんだろ、え?」 「じゃあ、ほら、飴やるから。コーヒー味」 「ったく、しゃーねーな」 さっそく、口の中で飴を転がし始めた。 「調教されすぎです」 「しかし、妹さんの夢を壊すのも気が引ける……具体的に検討してみよう」 桜庭がぱちりと扇子を鳴らした。 しばらくPCをいじっていた桜庭が顔を上げる。 「物資の調達は、予算さえ下りれば問題ないだろう」 「苗の育成に必要な敷地は、多少不足しそうだ」 「一番の問題は、苗の世話と種まきの人員だ」 規模10倍となると、必要になる苗の数はざっと6万。 種を蒔くだけでも、結構な人員が必要だ。 「これ以上集めるのはちょっと……大体、来週はもう文化祭ですし……」 種まきや育成のボランティアは、佳奈すけ中心に話を進めてきた。 これまでも苦労してきたのだ。 「何か上手い方法はないかな」 全員が思案顔になる。 「この数だと、ほとんど一人一鉢レベルだよなあ」 「ですねえ……全員協力してくれれば、一瞬で解決なんですが」 二人が溜息をつく。 「『一人一鉢』ってキャッチフレーズはいいんじゃないか」 「『一人一鉢運動』みたいな感じですか?」 「ただ協力して下さいってより、人が集まる気がする」 「いいですね、いいと思いますよー」 「あとは、それらしい理屈と宣伝か」 桜庭の目が光る。 何とか打開策を見つけられそうな気がしてきた。 汐美祭の3日前、ようやく白崎が戻ってきた。 妹さんの手術は成功し、予後も順調らしい。 俺たちはというと、プロジェクトの規模拡大が決まってから、毎日が更に慌ただしくなった。 授業もほとんどぶっちぎりで、学園を駆け回っている。 特に力を入れたのが宣伝だ。 『一人一鉢』のキャッチフレーズを押し、得意のビラ配りはもちろん、ウェブニュースでの告知も怠りない。 新しい試みとして、ファストフード店のように、学食のトレーにチラシを置かせてもらったりもしている。 そして、芹沢さんの番組では── 「白崎さん、今回の『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』はどのようにして始まったんですか?」 「ご存じの通り、汐美学園はとにかく生徒の数が多いです」 「しかも、みんなが、それぞれの時間割で生活していますから、残念ながら横の繋がりが弱いと思うんです」 「言われてみれば、クラスメートの名前なんかもわかりませんしね」 「個人個人が好きにやっているってイメージが強いです」 大学っぽい、とは汐美学園を評してよく言われることだ。 各々好き勝手できるが、横の繋がりは弱いということらしい。 例えば入学式や卒業式にしても、普通の生徒にとっては、いつの間にかどっかでやっているという印象だ。 「ですから、私達は、生徒全員が参加できる入学セレモニーができないか考えたんです」 「といっても、5万人が集まれる場所はありません」 「そこで、皆さんに花の種を蒔いてもらい、それを学園中に置くことにしたんです」 「入学式では種が花になり、新入生を迎えるんです」 「なるほどー。それが一人一鉢運動ですね」 昼食を取りながら、皆でスピーカーを見上げる。 「上手く喋れてるみたいだな」 「ミナフェスの前より良くなってるんじゃないか?」 言われてみれば、格段にトークが良くなっていた。 前は、台本を読むので精一杯という感じだったが。 「人、集まってくれますかね」 「大丈夫だよ、佳奈」 「この後、望月さんの応援スピーチもあるんだろ? ガツンと増えるって」 一人一鉢とは言っても、実際は20人に1人でも参加してくれれば十分な成果だと思う。 残った鉢は、俺たちやボランティアでなんとかすればいい。 むしろ、人が集まりすぎた場合が問題だ。 しっかり対策を立てていかないと。 「ふう……」 「お疲れさん」 汐美祭が明日に迫った。 今日は、本番に向けて土や種の準備をしてきた。 あとはお客を受け入れるだけの状態だ。 「上手くいくかな?」 「大丈夫。何度も確認しただろ?」 「う、うん」 ここ数日の宣伝で、プロジェクトの知名度は格段に上がっていた。 それに伴い、育成のボランティアもどんどん増えている。 一番助かったのは、依頼を通して繋がりを持った団体が、協力を表明してくれたことだ。 それも、汐美祭期間中だけでなく、種蒔きや育成も手伝ってくれるという。 自分たちの出し物もあるというのに、今日も校内各所でビラ配りをしてくれた。 「でもさ、いろんな人が手伝ってくれて本当にありがたいよな」 「うん、今までいろんな依頼を受けてきて良かった」 「みんな、白崎の活動を見ててくれたったことだ」 「活動を始めたきっかけはどうあれ、さ」 「……筧くん」 白崎が目を細める。 眩しいほどの笑顔に、くらっと来た。 「さ、さて、みんなに合流するか」 「う、うん」 他の面子は、高峰を先頭に前夜祭の見物に出かけていった。 「どうした?」 「え、ええと……何だか暑いし、少し疲れちゃったかも」 白崎が体操服の襟元をパタパタさせる。 西日のせいか、肌が上気しているようにも見える。 「少し、休んでくか」 白崎の隣に座る。 白い太ももがすらりと伸びているのが目に入った。 「最近、手を繋いでなかったね」 「バタバタしてたからな」 言いながら白崎の手を握る。 しっとりとして、驚くほど柔らかい。 手の甲をさらりと撫でると、白崎は力が抜けたように、俺の肩に頭を預けた。 ふわりと甘い香りが漂う。 身体の芯に響くような香りだ。 「みんなに、プロジェクトを小さくしようって言ったとき、すごく怖かった」 「筧くんにも、嫌われちゃうかと思った」 「大丈夫だって」 白崎の頭を撫でる。 そのまま、頬に手をやり、唇を近づけた。 「ん……ちゅっ……んふ……」 互いの鼻息が絡む。 久しぶりの感覚に、鳥肌が立った。 「……はぁ……」 「駄目だよ……止まらなくなっちゃう……」 言いながら、白崎が太ももをこすり合わせた。 「何が……」 もう一度キスをする。 「ちゅっ……くちゅ……んっ……」 唇が開き、舌が触れあう。 ねっとりとした液体が、俺たちの間を行き来する。 下腹部に、じわりと興奮がみなぎってきた。 「……白崎、しないか」 「こ、ここで?」 潤んだ瞳が戸惑う。 だが、俺から目を離していない。 「鍵かけてくる」 鍵をかけたところで、みんな合い鍵を持っているのだ。 でも、そんなことは気にならなかった。 「白崎……」 再び白崎に近づく。 「きゃんっ……」 身体を横たえ、白崎を俺の上にまたがらせる。 互いの股間が目の前に見える格好になった。 「あの、筧くん……?」 「どうした?」 「どうって……この格好、すごく恥ずかしいよ」 「大丈夫、俺しか見てないから」 「ええ……笑顔で言われても〜……」 白崎がもぞもぞとお尻を動かす。 そんな尻を捕まえて、親指で秘部をくにくにと刺激してみる。 「んぅっ……う……筧くん……」 「ほら、さっきまで土を触ってたから汚れてるかもしれないし……やっぱり、ここじゃ……」 「でも、もうスイッチ入ってるし」 「白崎だって、ここ、感じてきてるだろ?」 指を動かすと、もうすでに湿り気が感じられる。 「うう……それは、筧くんがいやらしく触るからだよぉ……」 拗ねたように唇をとがらす白崎。 「ここまで来たら、むしろ、すっと始めてすっと終わらすのがいいんじゃないか」 「もう無茶苦茶言ってる」 「ふふ……でも、夏休みの宿題みたい」 「……わかりました。それじゃわたしも遠慮しないからね」 「それでいいよ」 白崎がもそもそと俺の股間をまさぐる。 「わ……もう大きくなってる」 「白崎の格好見たら、こうなるって」 「ふふ、興奮してくれてるんだ。ちょっと嬉しいかも」 白崎はファスナーを開けて、俺のペニスを出そうと中に手を入れる。 「出ておいで」 ズボンの中に手を入れ、俺の陰茎を撫でてくる白崎。 もどかしい刺激に、たまらなくなってくる。 「白崎……」 「あ、ごめん。いま出すからね」 そう言うと、白崎はファスナーから俺の肉棒を取り出した。 「きゃっ……元気だね」 白崎が、亀頭を指先で撫でる。 「くっ……」 「ふふ、気持ちいい?」 手を上下に動かしながら、白崎が微笑む。 白崎は口を開けて、俺のペニスに顔を近づけた。 「それじゃ……んっ、はぷっ……」 白崎は口いっぱいに亀頭を頬張る。 「んむっ、ちゅっ……んっ、んん……っ」 肉棒を口にくわえ、口内で舌を動かして刺激してくる。 「んん……んっ、筧くん……」 「どうした?」 「あの、ここからどうすればいいの……?」 わかってなかったらしい。 「ここでするみたいに、出したり入れたりするんだ」 「ん……ひゃんっ……ひゃふ、んん……っ」 白崎の膣口に指を当て、力を込める。 「……俺もお返しをしないと」 こちらも負けじと指を白崎の秘部へと潜り込ませる。 「んっ……んふっ、あっ……」 白崎が小さく声を上げる。 「あんっ……か、筧くん、声が出ちゃうよ……」 「あまり大きな声を出すと、外に聞こえるかもしれない」 「ううっ、そうなんだけどっ……んっ……」 白崎は苦悶の表情を浮かべ、口をひき結ぶ。 指を短パンの隙間から滑り込ませ、直接陰部に触れてみる。 「あうっ、んっ……ひぁっ、ん……っ!」 「んっ……やっ、だめっ……そんなに触ったら困るよ……」 「どうして?」 「だ、だって……パンツの替え、持ってきてないし……」 「なら脱ごう」 俺は短パンごとパンツを引きずり下ろす。 「わぁっ……か、筧くぅんっ……」 「ほら、これで大丈夫?」 「そうだけど……あーうー、もうぅ〜……」 「やっぱやめる?」 「違うって、やめなくていいよ……」 「あー、もうやだ、遊ばれてる」 「ははは」 「じゃ、触るな」 「うん……優しくね」 白崎の秘部にそっと指で触れる。 「んっ……ちゅるっ、ううっ……んっ……」 「くちゅっ、くっ……ふぅっ、ぴちゅっ……んふっ……」 「んぁっ、じゅぷっ……んっ、じゅりゅっ、んふっ……んううっ……」 ペニスを咥えつつ、何とか快感に耐えようとする白崎。 早くも膣口からとろとろとした愛液が溢れ出てきた。 「んっ、うくっ……くちゅっ……じゅりゅっ……んふっ……」 「あうっ、んっ……ふうぅっ、んんん〜っ……」 「んぁっ……あっ、筧くん、や、やっぱり声、我慢できないよぉっ……」 白崎が切なげな悲鳴を上げる。 俺は白崎の秘部に顔を近づけて、陰唇に舌を這わせる。 「はぷっ、はふぅっ……んううぅぅっ、あううっ……!?」 びくんと白崎の身体が踊り、ペニスから口を離す。 構わず、愛液を舐め取るように秘部を満遍なく刺激する。 「はひっ、ふむぅっ、あっ……んっ、か、筧くんっ、だめえっ……」 「んっ、ひうっ……はっ、ううんっ、ん……っ」 「んああっ、あああっ……やあっ、だめっ……筧くんっ、だめだからっ」 びくん、びくんと身体を跳ねさせる白崎。 感じやすいんだな。 「うう……はむっ、んちゅっ、れろっ、くちゅっ……」 たどたどしく口を動かす白崎。 その動きはぎこちない。 「ちゅっ、ちゅうっ……ああぁっ、んふっ、はうぅっ……れろ、ちゅっ」 「はくっ……ひんっ、うぁっ、やぁっ……れりゅ、ちゅぅ、ぴちゅ、ちゅっ」 陰唇の端、クリトリスの辺りを重点的に攻めると、甲高い声で悶える。 「白崎、もう少し声を抑えられるか」 「ひうぅん……だって〜……」 「はんっ……んっ、んくっ、んんん……っ」 白崎の口内に、俺の陰茎が飲み込まれていく。 「あっ、んむっ……んふっ、んっ、はん……」 「んうぅっ……んむっ、うんんっ、あっ……んぷっ、ん……っ」 唇を動かしながら、白崎は肉棒を根本までくわえ込む。 唾液で濡れた口内は想像以上に気持ちよく、下半身が蕩けてなくなってしまいそうだ。 「んむっ……あくっ、んちゅっ、んふっ……はあっ……」 「れろっ、んむっ……んっ、んふっ、あっ、はんんっ、はむっ……」 舌を裏筋に這わせながら頭を上下に動かし、肉棒に刺激を与えてくる。 熱くなった口内に飲み込まれる度、ぞくぞくと快感が走る。 「うんっ、んふっ、じゅる……ぴちゅっ、んむっ、はくっ、ううっ、ぴちゅっ」 「ふあぁっ、ちゅぷっ、くちゅっ、んく……くちゅっ、じゅりゅっっ」 「んっ、ぴちゅっ、ちゅぱ、じゅるっ、じゅちゅっ、ぐちゅっ」 白崎の動きが激しくなってくる。 口に合わせて、手でも陰茎をこすって刺激してきた。 「んふっ、んっ、じゅるっ……あむっ、れろっ、ちゅっ」 「ふっ、んくっ、はんっ……筧くん、気持ちいいっ……?」 「……すごくいい」 口をすぼめてちゅうちゅうと肉棒に吸い付いてくる。 腰が浮きそうになるほどの快感だった。 「ぺろっ、ぴちゃっ、んくっ……あふっ、ぺろっ、んむっ、じゅるっ」 「くちゅっ、んく、はあっ、れろっ、あっ、んふっ」 「くっ……」 舌を巻き付けるようにして縦横無尽に肉棒を刺激してくる白崎。 腰の奥がむずがゆくなるような刺激に、思わず声が漏れてしまう。 「れろっ、じゅるっ、ちゅく、んぷっ……んふっ、んぁっ」 「んちゅるっ、ちゅくっ、んはぁっ、あむ、ふっ、ちゅるっ、んちゅっ」 俺の声に反応してか、一層刺激を強くしてきた。 絶え間なく襲いくる快楽に、射精感がこみ上げてくる。 「待て、このままだと出そうだ……」 「んくっ、ちゅっ……うん、いいよっ……いっぱい出してっ」 「んちゅっ、ちゅるっ、れろ、はぷっ、あむ、くちゅっ、じゅるっ」 手を緩める気はない、と言わんばかりにさらに強く吸ってくる。 「んちゅっ、れろっ、じゅるっ、ちゅぱっ、ぴちゅっ」 「ううっ……」 激しい吸い付きと動作で、熱い塊が下腹部からこみ上げてくる。 舌先でクリトリスを弾きながら、膣口に吸い付く。 ぶるぶると震え、膣口が激しく収縮を繰り返す。 「はふうっ、あふ……んぐっ、あ、ちゅろっ、じゅる、ひんっ……ぐちゅっ」 「んっ、ぴちゃっ、んふっ、はあぁっ、れろ、じゅちゅっ、ちゅうっ」 「はむっ、うふうっ、じゅる、ちゅっ、ぴちゅ、はぷっ、じゅるぅっ!」 どくっ、びゅるっ、びゅうっ、びくっ! 「うあっ……」 白崎の口の中で激しく脈を打ち、精液を吐き出す。 「んぐっ、んくっ……んっ、んんっ、んんんっ」 「んんんっ……んぐっ、ごくっ、じゅるっ、ちゅるるっ」 次々と出てくる精子に目を白黒させながら、白崎は喉を鳴らす。 「う……白崎、飲まなくても……」 「ん〜ん、飲むの……んっ……こくっ……」 「ん……んっ、ぷはあぁっ……」 苦しそうにしながら、それでも俺が出した大量の白濁を残らず飲み干してしまった。 「はあっ、はあ……はあ……ふふ、全部飲んだよ」 「出してもよかったのに」 「だめだよ、せっかく筧くんがくれたんだから」 白崎は目を細めて笑う。 何度見ても可愛い笑顔だ。 出したばかりだというのに、また抱きたくなってくる。 「……だったら俺も白崎のこれ、全部飲まないといけないな」 ぬるぬるになった白崎の秘部を指でこする。 「あんっ……ん、筧くんはいいの」 「そういう訳にはいかないだろ」 「えっ……あの、でも、もう十分気持ちいいから、その……」 皆まで言わせず、白崎の陰部に舌を這わせる。 「はんんっ、あんっ……ひうぅっ、あああぁっ」 白崎は身体を強ばらせ、大きな嬌声をあげた。 「白崎、声……!」 「はううっ、だ、だったらやめてよぉっ……」 口を手で押さえ、何とか声を堪えようとする白崎。 そんな白崎を攻め立てるように、舌で秘部を刺激していく。 「はんっ、はふっ、んくっ……ひっ、ふうぅっ、あんっ」 「あんっ、ふあぁっ……ひんっ、ううぅっ、やぁっ」 「んっ、ふっ、ふぁっ、んくっ、んっ、あっ……ううぅっ」 舌先をとがらせ、白崎の膣内へ沈めていく。 「うんっ……やっ、筧くんっ、やっやっ……入ってきちゃだめぇっ……」 「んあぁっ、くっ、あんっ……んっ、ふぅんっ、あぁっ」 白崎の膣内を舌でほじくり回す。 同時に、白崎のクリトリスを指で刺激する。 「ひうぅっ、んううっ、んっ、あふっ、ううっ、んんんんっ」 「あんっ、んふっ……やあっ、筧くぅんっ……声出ちゃうよぉっ……」 荒い息をつきながら、漏れる嬌声を抑えようと必死に堪える白崎。 「ううっ……か、筧くん……こんなの、無理だよっ……」 「頑張れ」 再び舌で陰唇の内側を丹念に舐める。 「ふあぁっ、くあっ……あぁんっ、うぅっ、んうっ」 「あうんっ、やっ、んふっ……くんっ、んっ、うあぁっ」 「やっ、ああぁっ……くっ、あんっ、んあぁっ、ふぅんっ、ひあぁっ……」 手の間から喘ぎ声が漏れ、部室の中に響いている。 ぴちゃぴちゃという水っぽい音と相まって、淫靡な雰囲気だった。 「んっ……!?」 唐突に、ドアがノックされた。 「……すみません、中に誰かいますかー?」 外から女の子の声がする。 どうやら知っている人間ではなさそうだ。 「(どどど、どうしよう筧くんっ……!)」 「(落ち着けって。いないふりしときゃ大丈夫だ)」 「(で、でもっ……)」 白崎を落ち着かせるため、背中を撫でる。 「……誰もいないんじゃない?」 「そうかなのかなぁ。声が聞こえた気がしたんだけど……」 ガチャガチャとドアノブを回す音がする。 ……鍵を閉めておいて本当によかった。 「(静かに)」 〈宥〉《なだ》めつつ、ふといたずら心が芽生える。 俺は白崎の膣口に、そっと舌を押し当てた。 「っ……ぅっ……!」 「(ち、ちょっと筧くんっ、やめてよぉっ……!)」 そのまま静かに白崎の膣内に舌を押し込んでいく。 「(う、うう〜……っ)」 「大体、この部屋って誰か使ってるの?」 「うーん……わかんない。空き部屋だったような気もする」 「じゃあ気のせいでしょ」 「そうなのかなぁ……」 誰ともわからぬ女子2人組が走り去っていった。 「……はあ、行ったな」 「ふああぁ……びっくりした……」 「もうっ……バレたらどうするつもりだったのっ」 ぷくっと膨れる白崎。 「大丈夫だよ、鍵かかってるし」 「う〜……」 納得いかない、という顔をする白崎。 「続き、するか?」 「ええっ、でも……」 「う、うん……」 小さい声で、だがはっきりうなずく。 俺は、再び白崎の陰唇に吸いついた。 「あくっ……んっ、んふっ……だ、だめっ……」 「続き、するんだろ?」 「うう〜っ……だって声を抑えられないんだもんっ……」 「もう、こうなったら……ちゅっ」 やけ気味に、白崎は俺のペニスにキスをした。 「んちゅっ、ぺろっ」 「ちゅっ、はふっ、んっ……うぅ……っ!」 身体をびくびくと痙攣させる白崎。 目を細め、襲いくる快楽を堪えているようだ。 「うんんっ、もうだめっ……筧くん、気持ちよすぎてっ……んうっ、あああぁっ」 「はあっ、ひんっ、んふっ、ふあぁっ、んく、ううっ、あふっ、うんんっ」 「あああぁっ、んっ……ねっ、筧くん、聞いてぇっ……」 舌を差し込んで白崎の膣内を味わいながら、指でクリトリスを刺激する。 かと思えば揺れる白崎の腰に合わせて、陰唇にしゃぶりつく。 「ひああぁっ、んううっ、あっ、もうだめっ……筧くんっ……」 「くうっ、んふっ、ひうぅっ、ふああぁっ、あん、だ、だめっ、ううぅっ」 「んくっ、あはあっ、お願い、だめなのっ、そこはだめなのっ……んはっ、あああぁっ!」 クリトリスが気持ちいいらしく、舌が通り過ぎる度に白崎の身体がぐっと反り返る。 舌先でクリトリスを押しつぶし、執拗に刺激を加える。 「はああぁっ、くっ、ふああぁっ、はっ、んああぁっ」 「はっ、ふんんっ……もう、もうイっちゃうっ、だめっ、イっちゃう〜っ……!」 「ひぃんっ、ふああっ、んああああぁ、んんんんっ……もう、我慢できないっ……!」 「ふあああぁっ、んはあぁっ、イクっ、イっくっ、んっ、ふあっ、あああああああぁぁっ!!」 「んううぅっ、イっ…ちゃっ……ああっ、ん、んうううぅっ……あはああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」 白崎はか細い声がほとばしらせ、身体を弓なりに反らした。 「ふああぁっ、ぁっ……はあっ、あっ、はあっ、はあっ……あ……」 「あ……ふぅっ、はあっ、はっ、ふあぁ、はあっ……はあ……」 荒い息をついて、身体を痙攣させる白崎。 「はあっ、はあっ……はあっ、んっ、はあ……はあ……」 「うう……イっちゃった……」 俺の上でへにゃっと抜け殻のようになる白崎。 「大丈夫か?」 「うー……だめ……」 「もう一回?」 「それはもっとだめぇっ……」 白崎はふるふると首を横に振る。 ……が、このまま終わらせるわけにはいかない。 「白崎、立てる?」 「え……?」 きょとんとする白崎。 その目の前には、勃起したままの俺のペニスがある。 「続き、してもいいか?」 「筧くんがしたいなら」 「わたしも、やっぱり、筧くんと……ほら、つながり、たいし……」 「ありがと」 椅子に座って白崎を引き寄せる。 「あっ……」 俺の膝の上で、白崎が足を広げる。 露わになった白崎のそこは、あふれ出した愛液でとろけていた。 「すごいことになってる」 「だって、筧くんのをずっとしてたから」 言葉に同調するように、白崎が腰を少し動かす。 花弁がわずかに開き、蜜が漏れ出した。 あまりに淫猥な光景に、俺のペニスははち切れそうなほどに固くなる。 「一人は嫌だよ、筧くん」 「俺も」 更に白崎を抱き寄せる。 互いの秘部が触れ合い、その熱が伝わってきた。 「筧くんの……すごい熱いよ」 「白崎のもすごい」 白崎が、濡れた秘部を俺にこすりつけてくる。 肉棒はすぐに愛液にぬめり、卑猥にてらつく。 今すぐに、白崎の中にもぐり込みたい。 「ん……はあぁ……」 「部室ですごいことになってるね」 「わたし、少し興奮してるかも」 いつもみんなが座っている場所で、白崎が足を広げている。 しかも、秘部は見事にとろけ、俺が入ってくるのを待っているのだ。 「みんなにバレちゃったらどうなるかな」 「考えたくもない」 1年には軽蔑されるだろうし、桜庭には最悪殺されるかもしれない。 「バレないようにしないとね」 「いっそ、ここでやめる?」 「そんなの無理だよ」 「……止められる自信ないもん」 白崎が困った顔をする。 「じゃ、声出さないようにしないと」 「他人事だなぁ」 「声を出してるのは白崎だし」 「そうだけど、出させてるのは筧くんでしょー?」 「白崎が可愛いからだって」 「うう、それを言われると弱いなぁ……」 求められると嫌とは言えない人の良さを発動させる白崎。 そんなところも含めてかわいい。 「白崎……もう、おしゃべりはつらい」 さっきから、股間はガチガチだ。 白崎だって、蜜が尻の方まで垂れている。 「うん……わたしも、筧くんが欲しいよ」 互いに腰を寄せる。 ペニスの先端が膣口に当たる。 「く……」 「ん……あ、あ、あ……」 そして、じゅぷりと沈み込んでいく。 「筧くん……筧くんが入ってきてくれてる……」 「白崎……」 白崎が自分で腰を揺らしながら、俺を飲み込んでいく。 「うんっ……はっ、あぁっ……んん……っ」 「くううっ、んぁっ……ふふっ、筧くんの、かたい……」 愛液でぬるぬるになった膣内へとめり込んでいく。 白崎が腰を下ろし終えると、肉棒は根本までずっぷりと膣内へ飲み込まれてしまった。 「あっ……う……んんっ!」 白崎が身体を震わせた。 もしかしたら、入れただけで達してしまったのかもしれない。 膣内の収縮に、俺の先端からも快感の液が漏れる。 「ふっ、あぁっ……筧くん……また一つになれた……」 「俺も出しかけたかも」 「動いたら、もっと良くなるかな」 「ああ」 「じゃあ、動くね……いっぱい、気持ちよくしてあげたいから」 「頼む」 「俺も、できる限り動くから」 「ふふ、よろしくね……」 言い終わる前から、もう腰が揺らめいている。 「気持ちよく、なろ?」 「うん……んっ、んふっ、ふぁっ……」 膣奥までぴったりと埋め込まれた肉棒を、ゆっくり引き抜いていく。 ぬらぬらになったペニスが姿を現わすと、白崎の花弁も広がり、内側の桃色をさらす。 「抜いて……入れて……ゆ、ゆっくり……」 「筧くんの、びくびくいってる」 「白崎のも絡んできてる」 白崎は、結合部から目を逸らそうともしない。 その目がとろりと潤んでいる。 「……」 たまらなくなり、腰を白崎に打ち付ける。 「あうっ……か、筧くん?」 「白崎っ」 白崎を抱き寄せるように腰を突き上げる。 「うぁっ、んっ……くっ、うぁっ……やんっ」 「やっ……ふぁっ、んうぅっ……うんっ、ひうっ、ん……」 「あんっ……んっ、気持ち、いいっ……あぁっ、んくっ、ふうぅっ」 腰をくねらせ、身体を上下に動かす白崎。 亀頭が一番奥に達する度に、白崎の膣内がきゅうっと締め付けてくる。 「はっ、くっ、やぁんっ……うんんっ、んっ、あふっ」 「んっ……んっ、ううぅっ、ふぁっ……やっ、うくっ、んんん……っ」 「ふっ、くん……あくっ、やんっ、んっ、あっあっ、あうっ、ぁん、あぁんっ」 「白崎っ」 「ひんっ……やっ、か、筧くん、気持ちいいよっ……」 「筧くんはっ? 筧くんは、気持ちいいっ?」 「最高だ、すごく気持ちいいっ」 もう、声を控える方に頭が回らない。 無心に腰を打ち付けるだけだ。 「うんっ、ふっ……んっ、んくっ、あうっ、んふっ」 「んぁっ……やぁんっ、はあぁっ、んっ、あっ、うくっ、んうっ」 白崎の膣壁を押し分けて肉棒が侵入していく。 熱い内部に刺激され、陰茎にじんわりとした快感が走る。 「んくっ、あうぅっ……はんっ、んふっ、んっ」 「やっ、んっ、はあぁっ……うくっ、んっ、んんんっ」 「くぁっ……ふっ、やんっ、うぅっ、うふっ……くんっ、んああぁっ」 「くっ……」 ピストンを繰り返し、にゅるにゅるとした膣内の感触を味わう。 「んっ、うふっ……筧くんも声、出てるよっ……」 「あんっ……んっ、筧くんでも我慢できないなら、わたしも、しょうがないよねっ」 「ふあっ、んくっ、んんんっ、んはぁっ」 白崎が激しく腰を振る。 あまりの気持ちよさに、腰が浮きそうになる。 「白崎っ……」 「うん、なに……なにっ……?」 白崎の顔を引き寄せ、その唇を奪う。 「あぷっ……んふっ、あんっ……くぅんっ」 「んちゅっ、んくっ、はぷっ、ちゅぱっ……ちゅるっ、んふっ、れろろっ」 俺の求めに応じ、俺の唇に吸い付いてくる白崎。 「んふっ、ちゅっ、はっ、ふぅんっ、んっ、んくっ、ちゅっ、んっ、はぷっ」 「もっとっ……んうぅっ、んちゅっ、くぅんっ、はふぅっ、はんっ、んんん……っ」 身体を揺すり、快楽に目を細める白崎。 それでも口は離さない。 「んっ、んちゅっ、はっ、んくっ、ちゅるっ、ちゅぱっ」 「ひんっ、んっ、あふっ、んふぅっ、あむっ、ちゅくっ、ちゅっ」 「ちゅるっ、やっ、ふぅんっ、あくぅっ、あっ、はぁんっ、んふっ、ちゅるるるっ」 キスをしながら、白崎の奥へ肉棒を抉り込む。 ぎゅっと膣内で絞られ、熱いものが陰茎の中を上がってきた。 「んくっ、んん……ぷはあぁっ、はっ、んはぁっ」 「筧くんっ、ごめんね、ごめんね……声、出ちゃうっ」 「出ちゃうよ、出ちゃうよ……出ちゃうよぉ……っっ」 白崎の声は、もう叫びに近い。 粘液が混ざり合う音と、肉がぶつかり合う音、そして椅子がきしむ音が部室に響く。 声など出さずとも、誰かが外を通れば気づかれるに違いない。 「誰かにっ、気づかれちゃう、見られちゃうよっ」 「みんながいつもいるところで、わたし、こんなことして」 「筧くんの固いのが、わたしに入ってて、腰を動かして……っ」 「いやらしい女の子だと思われちゃう……!」 「もう気づかれてるかもしれない」 「……ドアの外で聞き耳立ててるかも」 「ふえっ!? やっ、やだっ……駄目だよっ」 自分の言葉に酔っているのか、愛液がどっと増えた。 危機感が快感を増幅させているのだ。 「止まらないっ、止まらないよ……筧くんっ、筧くんっ!!」 「あんっ、んふっ、筧くんっ……だめっ、わたしまたっ……」 「はっ、んくっ、気持ちよくて、おかしくなっちゃいそうっ……!」 息を切らせながら白崎は快楽に喘ぐ。 「俺もだ……っ」 「んうっ、あっ……か、筧くんも一緒に、一緒にっ……」 「あんっ、んっ、ふうっ、や、はああぁっ、あはっ、んううぅっ」 「んっ、あっ、うあぁっ、くぅっ、んはっ、あんっ、ひあぁっ、ひゃあんっ」 白崎の動きに合わせて下から腰を突き上げる。 蕩けてしまいそうなほどの快楽が走り、我慢の限界に近づいていく。 「あんっ、んっ、んああぁっ……もう、だめっ、筧くんっ……!」 「ああぁっ、はあっ、来て、来て、んんんっ、ひっ、くあぁっ、やあああぁぁっ!」 白崎の身体が深く沈み込み、肉棒が膣奥をごりっと抉る。 その途端、今までで一番強い締め付けが襲ってきた。 「部室でイっちゃうっ……部室でっ、あああっ、ああああっっ、ああああっ!」 「あっ……だめっ、だめだめっ、んああああぁぁっ、ふああああああぁぁぁっ!!」 「くんっ、はううっ、はっ……んうううぅっ、あううぅっ、んああああああああぁぁぁぁっ!!!」 びゅくっ、どぷっ、どくっ、びくっ! 「んあああっ、ふあっ、ああっ、あ、ふっ、んうぅっ……」 白崎の膣内で、溜まりに溜まったものが激しく爆ぜた。 肉棒が激しく脈を打ち、精液を流し込む。 「あんっ、んっ……すごい、お腹の中が……じわって温かくなった……」 「あっ、あ、熱いよぉ、筧くんのっ……んはっ……」 小刻みに身体を震わせつつ、俺の放つ白濁を受け止める白崎。 「っ、はっ、はあぁっ……」 「はあっ……はあっ、はあ……はぁ……」 「はああぁ……気持ちよかった……」 白崎の身体から力抜けて、がくんと後ろに倒れそうになる。 「大丈夫か……?」 「あっ……うん、ごめん……力が入らない、かも……」 慌てて白崎の身体を支え、俺の方へ引き寄せる。 「ほら、支えといてやるから」 「ありがとう、筧くん……」 蕩けきった顔で息をつく白崎。 もう、笑う余力もないようだ。 「男の人って、回復が早いよね……わたしは動けないのに」 「男は一瞬で興奮するけど、快感も一瞬だからな」 「羨ましいような、羨ましくないような……」 「わたしなんて、まだ中が震えてる……」 快感を再確認するように、白崎が身を震わせる。 「ちょっとやり過ぎたか」 「いいの……わたしだって止まらなかったから」 「声、出さないようにしようって言ってたのに、ごめんね」 「途中から、完全に忘れてたな」 「ふふ、そうだったね」 二人で苦笑する。 「筧くん、途中で『もうバレてるかも』なんて言うからびっくりしたよ」 「言ったっけ?」 「言いました。すっごく意地悪な顔で」 思い出した。 「でも、白崎、あれで感じてただろ?」 「ええっ? まさか、そんなことないよ」 「いやいやいや」 「……うう、だって……緊張したら、なんかドキドキするんだもん」 拗ねたような顔で白崎が言う。 やっぱり、興奮していたらしい。 「何だか、わたし変態さんみたい」 「だな」 「否定してくれないなんてひどいよ」 そう言われても、結合したまんまでこんなこと話してるんだから、割と変態寄りだ。 「そもそもは、俺が誘わなければ良かったんだな」 「ううん……わたしは嬉しかったよ」 「筧くんがわたしのこと求めてくれてるんだって、思えたから」 「当然だろ」 「本当は、毎日だってこうしたいんだ」 「ふふ、毎日は壊れちゃうかも」 白崎は俺の身体に腕を回し、きゅっと抱きついてくる。 「でも、ありがとう、筧くん」 「どうした、突然」 「今日は、一緒になれて嬉しかったよ」 「いま、すごく幸せ」 「俺も幸せだ」 「えへへ」 白崎はとろんとした顔ではにかむ。 たまらなくかわいかった。 「白崎……」 「わわっ!?」 思わずぎゅっと抱きしめる。 「どうしたの?」 「お前が大好きだ、白崎」 「うん……わたしも大好き」 「世界で一番、筧くんが大好きだよ」 腕に力を込めてくる白崎。 俺は白崎の身体をさらに引き寄せて、優しく口づけを交わした。 汐美祭、当日。 集合場所となった事務棟の前には、黒山の人だかりができていた。 望月さんが、オープニングスピーチで『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』のことを話してくれたからだろう。 予想を上回る盛況ぶりだった。 「あっ……あーあー、テスト、テストです……」 事務棟の近く、一段高いところに立った白崎が拡声器を手に話し始める。 「えっと、皆さん、本日は『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』のために……」 「おまつま……お集まりいただき、ありがとうございますっ」 「ただいまスタッフが、ほ、本日行う種蒔きの手順を書いたプリントをお配りしています」 「あの、どうぞよろしくお願いひますっ」 ……噛みまくりだった。 周囲から『あれなんだ』とか『かわいー』なんて言葉が、笑い声と共に聞こえてくる。 「種蒔きイベントに参加をご希望の方で、プリントをお持ちでない方はいらっしゃいますかー!」 声を上げ、プリントを配っていく。 「筧君、くださいな♪」 「……あれ、嬉野さん?」 ひょこっと人影から嬉野さんが姿を現した。 「はい、嬉野さんです」 「嬉野さんも種蒔きに参加してくれるんだ」 「ふふふ、鈴木さんが一生懸命走り回ってたみたいですからね」 「私も微力ながらお手伝いしますよ」 嬉野さんにプリントを渡す。 「バイトは大丈夫だった?」 「みんなの協力もあって、何とかなっていますよ。鈴木さんは人気者ですからね」 「でも、後で色々オゴらないといけないでしょうけど」 くすくすと笑う嬉野さん。 「お手柔らかにってみんなに伝えておいてくれ」 「わかりました」 「筧君みたいな先輩がいて、鈴木さんが羨ましいです」 「お世辞でも嬉しいね」 嬉野さんに別れを告げ、再び集まった生徒の間を縫っていく。 「……」 中央に向かって行くと御園の姿が見えた。 御園はプリントを持ったまま、固まったように動かない。 何かあったのだろうか。 「……よっ、どうした?」 「わっ……あ、ああ、筧先輩ですか」 「驚かさないでください」 御園が見ていた方に視線を向けると……芹沢さんがいた。 「あれ、芹沢さんだな」 「……そうですね」 「あの、それじゃ私、向こうの方に配ってきます」 「……あ、待った」 御園の腕を掴み、引き留める。 「なんですか?」 「芹沢さん、プリント持ってないみたいだぞ。行ってこいよ」 「先輩が行けばいいじゃないですか」 「気になるんだろう? 行ってくればいい」 「先輩、お節介です」 「ま、いいからいいから」 御園を引っ張って、芹沢さんの元に向かう。 「ちょっ……先輩やめてください、強引過ぎますよ……!」 「やあ、芹沢さん」 「あ、筧さん……と、御園さんですか」 「……どうも」 ぶっきらぼうに答えて視線を逸らす御園。 「芹沢さんも種蒔きに参加してくれるの?」 「そうですよ……って言いたいところなんですけど」 「図書部の皆さんが頑張ってるって聞いて、ちょっと顔を出しに来ただけです」 「思ったよりいっぱい集まっててびっくりしました」 辺りを見回す芹沢さん。 「生徒会長の望月さんが全面バックアップしてくれたお陰だよ」 「そうなんですか。すごいコネを持ってますね」 「別にコネってわけじゃ」 付き合いというか、繋がりというか……。 英語にすりゃコネなのかもしれないが、ともかくちょっと違うものだ。 「あの……私そろそろ」 「芹沢さんも暇なら参加していってよ」 「ほら御園、プリント渡して」 「……先輩もプリント持ってるじゃないですか」 小声でぶつぶつと文句を言いながら、芹沢さんにプリントを差し出す御園。 「ありがとうございます。私も参加していいんですか?」 「……よければどうぞ」 無愛想だなぁ。 「そう、それじゃ私もやってみようかな」 「ああ、ぜひぜひ」 「御園、こっちは任せたぞ。俺は向こうの方に行ってくる」 「いえ、あの……もう〜……!」 迷惑そうな顔をする御園を置いて、花壇へと向かう。 事務棟の方を見ると、入り口付近に望月さんと多岐川さんが立っているのが見えた。 挨拶をしておこう。 「お疲れ様です」 「あら、筧君」 「盛況なようで何よりね」 望月さんが笑顔で周囲を見回す。 「10倍でやるって言われた時には頭がどうかしたのかと思ったけれど、この調子なら何とかなりそうね」 「まあ何とか」 「それでも、1人100個以上は種を蒔かないといけなさそうですけど」 「では、私達も協力しましょう」 「筧君、私たちにもプリントをいただける?」 「手伝っていただけるんですか?」 「もちろんよ」 「会長、着替えをしなくてよろしいんですか?」 「泥がつくかもしれませんよ」 「いいの」 「生徒会長が泥だらけになってお手伝いをした、なんていいニュースになりそうじゃない?」 「……なるほど」 望月さんが笑う。 必要とあれば、新聞部も利用するとは。 「割と計算してるんですね」 「同じことをするなら、より多くの人が喜べた方がいいでしょう? それだけ」 「ものは言いようか」 「ふふ、褒め言葉と受け取っておくわ」 生徒会長が笑う。 「でも、白崎さんには教えないでね」 「あの子には、あのままでいてほしいから」 望月さんは、厳しさと優しさを兼ね備えた人だ。 多岐川さんが尊敬するのもうなずける。 「大丈夫です。白崎はちょっとやそっとのことじゃ曲がりませんよ」 「彼女のそんなところに惹かれたのかしら?」 窺うように見てくる望月さん。 「……ですね」 「それに、あいつは、俺の持ってないものを持ってますから」 不器用で融通が利かなくて危なっかしいけど、だからこそいいとも言える。 「白崎さんには敵う気がしないわ」 「でも……そんな皆さんと最後にいい仕事ができて、本当によかった」 「会長、まだ終わっていません」 多岐川さんが、ぴしりと訂正する。 曰く、望月さんの最後の仕事は、生徒会長章の授与式だという。 「そうだったわね」 「できればあなたに渡せるといいのだけど」 多岐川さんを見て微笑む望月さん。 「この学園の生徒が選ぶことですから、私の一存ではどうにもなりませんが」 「でも、選ばれたら嬉しいと思っています」 もし選挙で当選すれば、多岐川さんが新しい生徒会長となる。 多岐川さんの元、生徒会は新しく作り直されるだろう。 「筧君、多岐川さんをよろしくお願いね」 「どういう意味でですか?」 「友人として、かしら」 「それなら喜んで」 「よかった」 にっこりと笑って、望月さんは歩きだす。 「私は白崎さんのところへ行ってくるわ」 「多岐川さん、少し筧君と話をしてからいらっしゃい」 「わかりました」 そう言い残して、望月さんは去っていった。 「……どういう意味なんだ、あれ」 「白崎さんと二人きりで話したいことがある、ということでしょう」 「きっと、誰かさんのことをお話しするんでしょうね」 じっと俺を見つめながら告げる多岐川さん。 何か言いたげだが、黙っていよう。 「……筧さん」 「最近、私も、会長があなたを買っていた理由がわかったような気がします」 出し抜けに言ってきた。 「ぜひ教えてもらいたいな」 望月さんが俺の何を見ていたのか、興味がある。 「少なくとも、ただ成績が学年トップだったからというわけではありません」 「あなたにある種の才能が備わっていることを、見抜いていたのでしょう」 「才能?」 「お教えしましょうか?」 「ああ、ぜひ」 「構いませんが、条件があります」 「……もし私が生徒会長になれたら、生徒会に入って私を支えてください」 「そうしたら、教えて差し上げてもいいですよ」 多岐川さんの申し出に、思わず苦笑してしまう。 「望月さんみたいな台詞だ」 「それはもう。私にとって最も敬愛すべき人ですから」 俺のことを評価してくれるのは素直に嬉しい。 だが──。 「誘ってくれるのは嬉しいけど、俺は役員の器じゃないよ」 「……そうですか。残念です」 多岐川さんが見つめる先に、視線を送る。 そこには、望月さんと話す白崎の姿があった。 「それに、今の俺にはさ……」 「……図書部があるから」 かつて、望月さんから生徒会役員に誘われた時、俺の傍らにあったのは本だけだった。 だが今の俺には図書部と、気の置けない仲間たちがいる。 そして、大好きな白崎がいる。 「あっ、筧く〜んっ」 こちらに気付いた白崎が声をかけてきた。 「行こうか」 「そうですね」 多岐川さんと一緒に、白崎と望月さんの元へと向かう。 「白崎、どうした?」 「望月さんがね、一緒に種蒔きをしてくれるんだって」 「ああ、知ってるよ」 「先ほど筧君と話をしたって言ったでしょう?」 「あっ、そっか」 素で気付かなかったらしい。 「ふふ、白崎さんって楽しいわね」 「すみません。大勢の人を前にすると緊張するらしくて」 「……何だか馬鹿にされてる気がする」 じっとりとした視線を送ってくる白崎。 「違うって」 「ええ、筧くんはそんなあなたが好きなんだから」 「えっ、あっ……はい」 望月さんに言われ、赤面する白崎。 「白崎さん。私はこのプロジェクト、本当に素晴らしいと思っているのよ」 「そうなんですか?」 白崎はどうしてだろう、という顔をする。 「私たち生徒会が同じことをしても、きっと生徒たちへの押しつけになってしまうわ」 「草の根から出てきた意見が、立派な実を結んだことが嬉しいの」 確かに、生徒会が『新入生に花と笑顔を』と言っても白々しく聞こえてしまうだろう。 「同じようなことを考えた人は他にもいるでしょうね」 「でも、形にできた人はいなかったわ」 「あなたたちには強い意志と行動力があった。だからプロジェクトをここまで導くことができたのだと思うの」 「望月さん……」 「あの時は、図書部がこんな風になるなんて想像できなかったわ」 「あの時というと?」 「あなたが自分の活動に筧くんを勧誘していた時よ」 「ああ……あの時はすみませんでした」 白崎が〈畏〉《かしこ》まる。 「私はもうすぐ生徒会長を引退するけれど、これからも生徒会をよろしくね」 「い、いえいえ、こちらこそっ」 手を差し出した望月さんに、白崎も手を差し出す。 二人はしっかりと握手を交わした。 「白崎さん、これからも学園をもっと楽しくしていってください」 「はいっ……!」 「筧君、これからも白崎さんをしっかり支えてあげて」 「もちろんです」 「これからもしっかり支えてね」 「自分で言うなって」 「えへへへ」 白崎がかわいらしく笑う。 「白崎、そろそろ移動の時間だ」 「あ、うん」 さりげなく桜庭が声をかけてきた。 「望月さん、今までありがとうございました」 「ふふ、まだ終わりじゃないわ」 「私もみんなと一緒に、種を蒔きに行くんだから」 「はいっ」 これから入学してくるであろう未来の学園生のために、みんなで種を蒔く。 種は芽を出し、やがて春には花を咲かせるだろう。 だが何もせずに放っておけば、冬を越せずに枯れてしまう。 そうならないよう見守っていかなければならない。 「ああ、そう……言い忘れていた」 突然の言葉に緊張が走る。 「今朝、皇太子から問い合わせがありました」 「入学式に合わせてパンジーを4万株ほど送りたいが、どうしたらいいかということだったのだけれど」 「あ……」 白崎が口を押さえる。 「皇太子が? どういうことだ?」 望月さんが、白崎を見る。 「あの……それ、わたしのせい」 「みんなの負担を減らせないかと思って、ダメ元で皇太子に手紙を書いてみたの」 「そしたら……」 王室パワーが炸裂したということか。 「しかし、もう種蒔きイベントは始まっている」 「順調にいけば、汐美祭期間中に終わりそうだが……」 プラス4万とすると、合計10万株である。 マジか。 「ご厚意は無駄にできませんので、よろしくお願いします」 「大変でしょうけど、ぜひ頑張ってください」 それでは、と言って望月さんと多岐川さんが離れていく。 ひゅるりと風が吹いた。 「あの、ごめんね……役に立てばと思ったんだけど……」 「いいね、10万本いいね!」 「めっちゃ派手にやれるじゃんか」 「その通りだ。むしろ、全部使い切るようなデコレーションを考えよう」 「そうですそうです、こうなったら歴史に名が残るくらいやっちゃいましょう!」 「もう、やるしかありません」 みんなが気勢を上げる。 「白崎、さよりちゃんを満足させるんじゃなく、びっくりさせよう」 白崎の表情が、一気に晴れ渡る。 「うんっ! 頑張ろうっ!」 ──秋が来て、冬が終わり、春。 学園は色とりどりの花に包まれた。 正門から中央通り、東西の通りまでもが、ビビッドな色彩に彩られている。 ここから望む中央通りには、薄く春霞がかかり、まるで幻想の世界へと続く花回廊にも見えた。 「すごい……こんな風になるんだ」 「ああ」 花の数は約10万。 そこいらのフラワーフェスティバルなど足下にも及ばない規模……。 というか、日本有数の規模になってしまった。 プランターを並べるだけでも過酷な作業だ。 図書部や育成ボランティアだけでなく、飛び入りの有志の協力も得て、徹夜で何とか間に合わせた。 ちなみに、正門のメインデコレーションを考えてくれたのは美術部の面々だ。 本当に沢山の人の協力を得て、『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』は形になった。 「改めて見ると、やり遂げた感がある」 「けっこうキツかったもんなあ」 「これ以上痩せたら、ファンが増えすぎて身が持ちませんよ」 「先週、あんまり寝てないもんね」 そうは言うものの、みんなの表情は明るい。 達成感からくる軽口だ。 「しかしまあ、気がつきゃ俺らも3年か」 「あっという間だったな」 「本当ですねえ」 「歳は増えてもアレは増えずですよ。やっぱお肉足らないのかなぁ」 「さ、無駄話は終わりにして、私達も行こう」 「だな」 正門前では、生徒会やボランティアが、続々と入ってくる新入生に向けて挨拶をしている。 俺たちもその輪に加わる予定なのだ。 「入学おめでとうございまーすっ」 「入学おめでとう!」 新入生は突然の声に驚きつつ、はにかみながら正門をくぐっていく。 緊張していた面持ちが、すっと和らいでいくのが見ていてわかった。 「初々しいな」 「かわいいですね」 「1年前はああだったんじゃないか?」 「私たちの時は、出迎えてくれる人たちはいませんでしたけど」 「まあまあ、そこを変えたのが私たちなんだから」 なんて軽口をたたき合う図書部のメンバーたち。 「あれ、そういや、つぐみちゃんは?」 「妹さんを迎えに行ったよ」 さよりちゃんは、去年の12月、無事退院することができた。 退院後の学力テストもクリアし、汐美学園を受験。 見事合格したさよりちゃんは、今日、新入生としてこの門をくぐることになっている。 「いよいよですねぇ」 「そうだな」 「思えば、その妹さんがいたからこそ俺たちが図書部を始めることになったんだよな」 「そう考えると感慨深いですね」 さよりちゃんがいたから、図書部が始まり、俺と白崎は出会った。 人と人の繋がりなんて、本当にわからないものだ。 「こんにちは、図書部の皆さん」 次々と門をくぐっていく新入生を眺めていると、横から声をかけられた。 「お、生徒会長」 「もう少し声を出していただけるとありがたいのですが」 「おっと、すいません」 「あなたたちの発案なんですから、よろしくお願いしますね」 それだけ言って、多岐川さんは別の場所へ向かった。 「最近、ちょっと丸くなったんじゃない?」 「経験積んだのかもな」 多岐川さんは、慣例に則り、世襲に近い形で生徒会長に選ばれた。 実直なメンバーで生徒会役員を固め、地道に成果を上げている。 「あ、白崎さんが戻ってきましたよ」 見ると、遠くから白崎が歩いてくる。 その隣には、制服の女の子が一人。 「妹さんでしょうか」 「白崎に似て、かわいらしいじゃないか」 「みんなーっ」 白崎は俺たちの姿を認めると、大きく手を振って小走りに近づいてきた。 その後ろから、ゆっくりと歩いてくる妹のさよりちゃん。 足取りもしっかりしており、ずっと入院していたとは思えない。 「紹介するね。これがわたしの妹、さよりです」 「初めまして、白崎さよりです」 ぺこりと頭を下げるさよりちゃん。 「図書部のみんなだよ」 「いつも姉がお世話になってます」 「なに、世話になっているのはこっちだ」 「ですね」 「我らが部長ですから」 みんなの言葉に、さよりちゃんが目を細める。 「さより、花はどう?」 「ほんとすごい……言葉が出ないくらい」 「これ、全部お姉ちゃん達が?」 「うん、いろんな人たちに手伝ってもらって用意したの」 「新入生のみんなに、汐美学園には楽しいことがいっぱいあるって伝えたかったから」 白崎は満面の笑顔でさよりちゃんに告げる。 この時のために、白崎は今日までずっと頑張ってきたのだ。 「白崎、さよりちゃんに言いたいことがあるんだろ」 「あ、うん……」 一週間ほど前、白崎はさよりちゃんに本当のことを話したいと相談してきた。 病床のさよりちゃんを楽しませるため、かなり話を盛っていたことを謝りたいのだという。 俺としては、打ち明ける必要はないと思っているが、白崎は違う。 根が素直なだけに、良心の呵責があるのだろう。 「どうしたの?」 「あのね……わたし、今までさよりに嘘をついてきたの」 「嘘? どんな?」 さよりちゃんが目を丸くする。 「学園はいいところだよ、楽しくて仲間もいっぱいいて、部活に入って活躍してるよ……って話してたでしょ」 「でもあれ、本当は嘘だったの」 「わたし、学園では地味で目立たない、親しい友達もいない子だったんだ」 「だから、もし自分がこうだったらいいなって話をさよりにしてきたの」 「その……さよりに希望を持ってもらいたいと思って」 申し訳なさそうにうつむく白崎。 対するさよりちゃんは、少し驚いた顔をしたものの、すぐに目を細めた。 「嘘なんてついてないでしょ?」 「だって、今のお姉ちゃんは友達もいっぱいいるし、こんなにすごいことをやっちゃうんだから」 そう言って、パンジーに彩られた中央通りを見つめる。 「だから、これは、去年から頑張り始めたことで、その前は……」 「私の知ってるお姉ちゃんは、ずっと前から、優しくて一生懸命で、とっても明るい人だったもん」 「どこにも嘘なんてないよ」 さよりちゃんが、白崎に笑顔を向ける。 おそらく、さよりちゃんは白崎の嘘に気づいていたのだろう。 その上で、全部飲み込むことにしたのだ。 ……いや、違うな。 白崎は、病気の妹のため、自分とのギャップに苦しみながらも楽しい嘘をつき続けた。 それはもう、誰が何と言っても、一生懸命で優しい姉だ。 白崎が学校でどうとかじゃなく、さよりちゃんは、白崎の本質を見つめ続けていたのだろう。 「私は、お姉ちゃんがいたから今までやってこられたの」 「私にとって、お姉ちゃんは、ずっとずっと憧れのお姉ちゃんだよ」 「さより……」 白崎が声を詰まらせた。 それでいいのだと思う。 それぞれがそれぞれの中で消化できているのであれば、殊更に暴き立てる必要はない。 優しい嘘は、優しい嘘のまま役割を終え、春霞の中に消えていくのだ。 「さ、めそめそしないで、前向いて行こうよ」 「……うん、そうだね」 白崎が目尻を拭う。 「皆さん、これからもお姉ちゃんをよろしくお願いしますね」 「もちろん」 桜庭を皮切りに、それぞれが快諾する。 「特に、筧さんは、公私共々よろしくお願いします」 「ああ」 「筧さんみたいにしっかりした人が彼氏なら、私も安心です」 「俺が知らない白崎のこと、色々教えてくれ」 「はいっ」 元気に答えるさよりちゃん。 入院続きだったとは思えない、元気な笑顔だ。 これからは、さよりちゃんも一緒に楽しい時間が過ごせればいいな。 「あ、そうだ。白崎、写真撮らなくていいのか」 「今撮らなきゃいつ撮るってくらいだよ」 「そうだね、忘れてた」 白崎が慌ててカメラを取り出す。 「じゃあ、みんな集まって」 白崎がいつものように声をかけてくる。 「お姉ちゃん、待って」 「え?」 「私が撮ってあげる」 「今まで、私のために写真を撮ってくれてありがとうね」 「……すごく、嬉しかった」 「さより……」 白崎が涙ぐむ。 「ほ、ほら、早くカメラ貸して」 「ありがとうね、さより」 白崎が、ひしとさよりちゃんに抱きつく。 「あーもー、湿っぽいのはいいから。ほら、早く並んでっ」 妹にせかされ、白崎が俺の隣に立つ。 「なかなかしっかりした妹さんじゃないか」 「お姉さんより怖いかもしれません」 「図書部に、逸材が来ましたね」 「いや、入部させる気なのか?」 「あーくそ、選べる気がしないな」 「高峰先輩は、絶対に触らないで下さいね」 ごちゃごちゃと言いだす図書部メンバー。 「それじゃ、皆さん行きますよー」 「筧くん……」 「ん?」 「これからも、よろしくね」 「ああ」 白崎の手を握る。 ほぼ同時に、シャッターの音が響いた。 実力試験が終わった週末。 部室で人が集まるのを待っていると、桜庭が段ボールを抱えて現れた。 「む……よい、しょ……」 床を震わせ、桜庭が段ボールを机の脇に下ろした。 「荷物運びなら一声かけてくれよ」 「ああ、何のための男手だ」 「すまない。何となく勢いで持ってきてしまった」 椅子に座った桜庭が、額の汗を上品にハンカチで押さえる。 「女子扱いしてくれてありがとう」 「当たり前だろ」 自覚がないようだが、桜庭はかなり女性らしい部分がある。 汗の拭き方一つ見ても、育ちがいいというのか、品があるのだ。 「……ええと、全員揃っているかな」 「え? 白崎さんがまだですけど?」 「そうそう、白崎は急用で実家に帰っているんだ」 「なら、これで全員ですね」 「で、今日の依頼は、その段ボール?」 うなずきながら桜庭が扇子を開く。 夏を意識してか、清流の絵が描かれている。 「実は、短歌研究会からの依頼が来ている」 扇子を使いながら、桜庭が依頼の説明をする。 短歌研究会では、夏休み中に『八月題詠句会』という句会を開催するらしい。 研究会のメンバーが即興で歌を作る催しがメインだが、同時に生徒が応募した川柳の展示も行う。 俺たちに依頼されたのは、応募作品の下読みだった。 正式な審査員が審査する前に、賞が取れそうな川柳を選り分ける仕事である。 「話によると、二千句ほどあるらしい……」 そう言うと、桜庭は机に置かれた段ボールを開ける。 入っていた大量の紙束を見て、全員が無言になった。 「すごい量ですね」 「ここまで応募があったのがまず驚きだ」 マンモス校とはいえ、多すぎだろう。 「一人何句でも応募できるらしくてね、50句ほど送ってきた猛者もいる」 「よっぽど興が乗ったんですねえ……」 佳奈すけが半笑いになる。 「最優秀賞には、美人過ぎる女流俳人直筆の短冊が贈られる」 「学園のOBで、その業界では有名人らしい」 「はー、つまりそれ目当てってことですか」 「動機が不純です」 「まあそう言うな。応募が多ければイベントも盛り上がる」 桜庭が穏やかに微笑む。 「さて、2000÷5という計算をしてみよう」 「200ですっ」 鈴木がずばっと手を挙げた。 「だといいが、正解はその倍」 「佳奈、よく汐美学園入れたね」 「ちょっと、ワザとですよ!?」 おどける佳奈すけの前に、どっさりと紙が詰まれる。 「ま、一枚ずつこなしていこう」 そう言って、桜庭が扇子を閉じた。 「あの、桜庭先輩?」 「ん、どうした?」 「私、川柳の優劣なんてわかりません」 佳奈すけと高峰もうなずく。 もちろん、俺だって自信がない。 「ああ、言われてみれば……そうか」 「この中に松尾芭蕉の句が入ってても、気がつかないでボツにする自信があります」 「古池や蛙飛び込む蝉の声……とか?」 「蛙か蝉かどっちかにして下さいよ」 「鈴木の言うことももっともか……」 桜庭が、閉じた扇子の先に顎を載せる。 「では、まずそれぞれ20句くらい候補を挙げて、基準を話し合ってみよう」 「うーん……とりあえずやってみますか」 他のみんなも同意し、紙の束を5等分した。 しばらくして、各々が選んだ俳句の回し読みが終わった。 ちなみに、選考に一番時間がかかったのは桜庭だ。 「けっこう個性が出たな」 御園は動物などを詠んだかわいい系。 鈴木は自然の情景を詠んだものが多い。 高峰は、あからさまにギャグに走っている。 そして、桜庭は…… 「恋愛の歌ばかりですね」 「特に意識はしていなかったが……」 桜庭がもう一度自分が選んだ川柳を見て、恥ずかしそうな顔をした。 「い、いいと思うものを選んだら、たまたまそうだったというだけだ」 「たまたまか」 「たまたまですよ」 「たまたまなら仕方ないです」 「たまたまだからな」 「……他意があると思っていいんだな」 ぱちり、と扇子を閉じた。 桜庭に睨まれ、あさっての方向に視線を逸らす俺たち。 「私は、これがいいと思いました」 「『図書館で 面影探し 机伏せり』……字余りですけど」 「私の一押しなんだ」 「つまり、桜庭さんの心境を映していると」 「どうしてそうなる」 桜庭がむすっとした顔をする。 半分恥じらいも混じった表情だ。 「図書館で、というところが文学少女らしさを感じさせるな」 「たまには文学少女もいいかなぁ……」 高峰が遠い目になった。 「これはいい句だな」 「恋に焦がれる女の子が、図書館で意中の人の影を探して静かに机へ伏せる……」 「ありありと情景が浮かんでくる」 「意中の人は見つかったんでしょうか」 「それはわからないな」 「相手に見つかって机に伏せたのか、見つからないから机に伏せたのかで心情が正反対になる」 「おお……確かに」 「その通り。筧ならわかってくれると思った」 桜庭が何度もうなずく。 「この句はいいけどさ、他のも全部恋愛のやつなんだろ?」 「姫〜、ちょっと溜ってるんじゃないですか?」 言葉に詰まる桜庭。 「余計なお世話だ」 「さ、無駄話をしていないで、仕事を進めよう」 「あ−、照れてますね」 「鈴木は元気があり余っているようだな」 妙に優しく微笑んでから、桜庭は御園担当の紙束の一部を、佳奈すけの束に載せた。 「わー、嘘です嘘ですっ」 「佳奈、よろしく」 「うへぇ……」 「よし、こちらは終わった」 「こっちもだ」 それぞれが気に入った句を選んだ後、桜庭は拾い残しがないか再チェックをすると言いだした。 他のメンバーは帰らせたが、量が量なので俺は手伝いとして残っていた。 「んーーーっ……もう9時か」 「頭がクラクラするわ」 ふたりで、椅子の背もたれに伸びる。 夏服の裾が上がり、桜庭の白いお腹がちらりと見えた。 「へそが見えるぞ」 「おっと……失礼」 桜庭が裾を整える。 同じ部室に年中いれば、腹やパンツが見えそうになることはままある。 そんな時、桜庭はいつも『見せてすみません』というリアクションだ。 恥ずかしがったり、怒ったりする一般的な対応とは違っていた。 「育ちだなあ……」 「しみじみとどうした? お腹に育ちが出るのか?」 「腹じゃねーよ」 「ははは、言うまでもないな」 笑いながら立ち上がり、桜庭がコーヒーの準備をする。 1分後。 部室にはコーヒーの香りが漂っていた。 マグカップは、もちろん2つだ。 「しかし、1人で全部再チェックってのは無謀だろ」 「……残ってくれて助かった、ありがとう」 微笑んでから、コーヒーを飲む。 桜庭は一人で仕事を抱え込む傾向がある。 そのせいで、最後まで部室に残ることが多い。 やる気があるのはいいが、少し頑張り過ぎな気もする。 ……忠告が無駄なことは、今までの経験でわかっているが。 「さて、後はこれをデータにまとめるだけか」 言いながらPCを立ち上げる。 「手伝うよ」 「気持ちはありがたいが、PCは1台しかない」 「筧は右手、私は左手でキーボードを打つか?」 「面白そうだな。二人羽織ってのもあるぞ」 「仕方ないことを」 桜庭が苦笑する。 「わかった。んじゃ、コーヒー飲んだら帰るわ」 「追い出すようですまない」 一言いって、桜庭はPCに向かう。 インスタントコーヒーの香りを愉しみながら、ぼんやりと桜庭の様子を眺める。 ほっそりとした指が、魔法にかかったようにキーボードの上を走っている。 口が動いているのは、うちながら川柳を声に出さずに詠んでいるのかもしれない。 「あんまり人を見るものじゃないぞ」 手を止めずに桜庭が言う。 「ばれたか」 「早く帰って、本でも読んだらどうだ」 「ここで読んでもいいか?」 「……構わないが、どうした?」 「何となくコーヒーが飲みたいんだ。家になくてさ」 「ふうん」 それだけで、桜庭は何も言わなくなった。 俺も本を取り出す。 キーボードの打鍵音をBGMに本を読む。 規則的なようで、ランダムな音の連なりが、妙に心地よい。 ときどき強く打鍵したり、速くなったり、同じキーを連打したり。 どこか、桜庭の心情が音に現れているような気さえしてくる。 「そういやさ、短歌研究会はなんで自分らで審査しないんだ?」 「自分たちだけだと好みが偏るとか、新しい発見が欲しいとか色々理由はあるようだ」 「一番の理由は、他人の句が自分の作品に影響するのを避けるためらしいが」 「ものを作る人は繊細だな」 「筧は、俳句を作ったり小説を書いたりはしないのか?」 「まったく。芸術的な意欲はないなあ」 俺が本を読んでいるのは、精神衛生上の問題だ。 「桜庭は?」 「私は……」 「私も同じだよ」 「芸術的なことより、機械的な事務作業の方が向いているらしい」 図書部に飛び込んでくる多数の依頼をまとめ、部員のスケジュール管理を行う。 他団体との折衝も全て桜庭の担当だ。 「桜庭ぐらい事務作業が得意なら、それでもう一芸だよな」 「図書部が回ってるのは、桜庭のお陰だ」 「私は、みんなが面倒だと思う部分を受け持っているだけだ」 「誰でもできることだよ、こんなことは」 「実際、筧なら楽勝なんじゃないか?」 「前も、こんなことを言われた気がする」 「そうだったか」 桜庭が苦笑する。 「何にしても、俺には桜庭ほどの根気はないよ」 「図書部と白崎のことは、お前に任せた」 「投げやりなことを言う」 呆れたように言いながらも、少し嬉しそうに笑う桜庭。 彼女の中でも、自分が部活や白崎を支えているという自負はあるのだろう。 事実そうだし。 「ま、私は構わないが」 笑ってキーボードを打つ。 「頼り切っておいてなんだけど、桜庭はよくやるよ」 「何でここまでできるんだ?」 「白崎が好きだからだ」 しれっと言う。 「ああ……そっちの気があるんだっけ」 「人間的な意味でだ」 エンターキーを強く叩いた。 「筧だって、白崎に惹かれるところがあるから図書部にいるんだろう?」 「だなあ」 白崎の純粋性はレアだ。 変なところで強引で、変なところで引っ込み思案だったりする。 見ていて面白い。 「でもま、桜庭にそっちの気があっても俺は止めないけど」 「包容力のある笑顔で言うな」 「おそらく……大丈夫だ」 おそらくかよ。 「狙ってる奴とかいないのか」 「いないなあ……なかなか気が回らない」 「桜庭なら、いくらでも男が寄ってきそうなもんだが」 実際、桜庭を見て可愛いと言っている男は何人も見ている。 どう見たって標準以上のビジュアルなのだ。 いて当たり前である。 「お世辞でも嬉しいよ……でも、現実は厳しい」 「ま、本当のことを言えば、恋愛のことはよくわからない」 そう言って、コーヒーに口をつける。 「……む」 桜庭が眉をしかめる。 冷めて苦いのだろう。 「お茶、入れ替えよう」 「ああ、私が……」 「そっちは仕事があるだろ」 腰を浮かせかけた桜庭を座らせる。 「すまない、ありがとう」 申し訳なさそうにPC作業に戻る桜庭に苦笑しつつ、コーヒーを入れる。 と言っても、インスタントだが。 「筧には誰か、意中の女子はいないのか」 「いない」 「もったいない」 「んじゃ、桜庭が付き合ってくれるか?」 「軽々しく言うな」 PCから顔も上げずに言った。 「はい、コーヒー」 「ありがとう」 マグカップを手渡したところで、指先が触れ合った。 「……」 「……」 一瞬目が合う。 桜庭は、すぐにマグカップだけを取った。 「あ、ありがとう」 「いんや」 何となく無言になる。 桜庭は今、何を考えているのだろう。 「ま、仮に気になる男性がいたとしても、仕事が忙しくて無理だと思う」 「アラサーOLかよ」 「つっても、帰る時間とか考えたら同じか」 今日だってもう22時前。 OLの仕事の内容は知らないが、時間だけ見れば同じだ。 放っておけば、桜庭に暇な時なんて来ないかもしれない。 「よし、明日から俺も手伝うよ。ちょっと仕事を抱えすぎだろ」 「そういう意味で言ったわけでは……」 「俺だって、恋愛する時間を作れって意味じゃない」 「ただ、大変かなって思っただけだ」 「申し出はありがたいが、私は好きでやってるんだ。大丈夫」 「特定の個人にしかできない仕事が増えるのは、組織のためにならない」 「む……」 桜庭だってわかってるはずだ。 今の仕事分担では、桜庭が病気でもしたら図書部が止まってしまう。 組織のリスク管理として適切ではない。 ……とかね。 単に桜庭を納得させるための方便だ。 俺の見立てでは、桜庭は理屈がないと納得しないタイプだ。 かといって、利を追及しているわけじゃない。 自分を納得させるのに、道理が必要なタイプなんだと思う。 「つまり、図書部のため、と」 「もちろん」 桜庭が溜息をつく。 「プライドが許さないなら、コーヒー担当でもいいが」 「筧にお茶くみなんか頼めるか。私はどれだけ偉いんだ」 「俺は気にしないが」 「こっちは気にする」 桜庭が拗ねたような顔になる。 「どうも筧にはいらないことを話してしまう」 「運命なんじゃないか」 「そういう対応が困るんだ……まったく」 桜庭が目を逸らした。 「では、時間があるときには手伝いをよろしく」 「ああ、こっちこそよろしくな、姫」 「次に言ったら追い出すぞ」 そう言って、桜庭は朗らかに笑った。 土日明けの月曜日。 「……白崎つぐみ、戻ってまいりましたっ」 「おかえりなさいっ、お姉様〜っ」 「きゃ〜、佳奈ちゃん久しぶりっ」 ひしっと抱き合う白崎と佳奈すけ。 「ふぁうっ、ふぁうっ」 デブ猫も、どさくさに紛れて白崎の足にしがみついていた。 「会ってなかったの、3日だけですよね」 ギザを引きはがしつつ、御園がツッコむ。 「まあいいじゃないか」 「何なら、私も混ざりたいくらいだ」 一同が桜庭を見る。 「もちろん冗談だ」 咳払いをした。 それにしても、今日の白崎は楽しそうだ。 「白崎は、実家でいいことでもあったの?」 「あ、わかった?」 白崎が微笑む。 「もしかして、妹さんのこと?」 「うん、入院してるって話はしたかな?」 「確か聞いた気がする」 「お医者様がね、新しく認可されたお薬を勧めてくれたの」 「外国では実績のある薬だから、上手くいけば退院も夢じゃないって」 「そりゃ何より。本当によかったな」 「心配してくれてありがとね、筧くん」 「……などと、2人は互いの愛情を深め合うのだった。まる」 横からこっそりと解説を入れてくる佳奈すけ。 「……そして2人は、愛情を更に確かなものとするべく、ネオンの街に……」 「ギザ様」 「あおーーん」 デブ猫が、高峰の顔に飛びかかる。 「うわっ、やめっ、きたねえっ!?」 「汚いのは、高峰の発想だろう」 「……どうしてラブホテル街に消えるんだ」 「桜庭さん、そこは口にしなくても……」 やれやれである。 「筧くん、先週末は変わったことはなかった?」 「ん? 別に何も」 川柳の仕事は金曜のうちに終わったし、土日も簡単な依頼をこなしただけだ。 「変わったことなら、一つあった」 桜庭が会話に入ってきた。 「あったっけ?」 「2人で仕事をすることになったじゃないか」 「ああ、その話か」 「ふ、2人ってどういうこと?」 他のみんなも興味津々で目を向けてくる。 「なーるほど、ここで夜の街ネタがいきてくるわけだ」 「こねえよ」 「今まで桜庭に仕事が集中してたから、2人で分担するってだけだ」 「なんだ」 御園から落胆されるとは思わなかった。 「でもでも、良かった」 「2人がペアで仕事をしてくれるなら、もう怖いものなしだね」 「すごい人が2人で……なんていうか、V2ロケットみたいな?」 「まったく喩えがわかりません」 白崎は、どっから語彙を引っ張ってきてるんだろう。 「白崎としては、私だけでは不十分だったのか?」 「別にそういう意味じゃないよ」 「ほら、筧くんは玉藻ちゃんにないものを埋めてくれる気がするんだ」 「え……?」 割とシリアスな顔をしている桜庭に対し、白崎はにこにこ顔だ。 「参考までに、私に欠けてるものを教えてくれないか? 改善できるよう努力する」 「秘密。これは、私から玉藻ちゃんへのクイズね」 わざとらしく、白崎がウィンクした。 「し、白崎……」 「頼れる部分が違うってだけだよ」 「だから、玉藻ちゃんにしか頼れないこともあるんだよ?」 「でも……」 食い下がろうとする桜庭。 「まあまあ、コンビならば敵なしでいいじゃないですか」 「うちの切れ者2人が組むんだしなぁ」 「私も入れば完璧だね」 「白崎先輩はキレキレですから」 なにげにキツいツッコミが入っていた。 「とにかく、筧くん、玉藻ちゃんをよろしくね」 「はいよ」 白崎が満面の笑みだ。 桜庭にとっていいことだと考えているのだろう。 対する桜庭は…… 「(私に足りないもの……)」 本気で悩んでいた。 早朝6時。 「眠い……」 今日は、佳奈すけのバイトに合わせて朝飯を食おうと高峰に誘われていた。 だが、眠い。 朝4時まで本を読んでいたのが間違いだった。 当然、食欲なんかゼロだ。 「ん……?」 こんな時間でも、ちらほらと登校する生徒を見かける。 その中の一人に視線が向く。 背筋をぴしっと伸ばした女子が、結い上げた黒髪をなびかせながら歩いている。 「(桜庭?)」 背丈や物腰からして間違いないだろう。 こんな時間になにやってんだ? 桜庭は、ふいと道を外れテニスコートやグラウンドの方へ向かって行く。 あっちには、校舎がない。 何の用だろう? 「(行ってみるか)」 高峰には悪いが、今日の朝食はキャンセルしよう。 手早くメールを打ち、桜庭の後を追った。 高峰にメールを打っているうちに、距離を離されてしまった。 ようやく桜庭に追いついたのは、学園の外れにある公園だ。 一足早く着いていた桜庭は、ベンチに座って絵を描いていた。 あいつに、絵画の趣味があったとは意外だ。 ……いや、そうでもないか。 いろいろな局面で、桜庭はポスターやビラのデザインをしていた。 素人っぽくないとは感じていたはずだ。 「……」 桜庭は真剣そのもの。 池とスケッチブックの上で視線を往復させながら、黙々と絵を描いている。 眺めていると、絵の質感がどんどんモチーフに近付いていく。 素人の俺からしたら、鉛筆に魔法がかかっているみたいだ。 しかし、ずっと見てるのもアレだな。 邪魔するのは悪いけど、一応声はかけておこう。 「おはよ」 「ん?」 桜庭が、お化けでも見るような目で俺を見た。 「か、筧……」 「桜庭、絵を描くんだな」 「わっ、こらっ!?」 慌ててスケッチブックを胸に抱き寄せた。 「いきなり覗くな、馬鹿」 本気で恥ずかしがっている。 人に見られるのは慣れていないのか。 「こほん……どうしてここに?」 「高峰と学食に行く約束してたんだけどさ、後ろ姿が見えたから」 「なら、食事に行った方がいい」 「そういや、朝日ってさあ……」 「話を逸らすな」 「絵はもう覗かない、それでいいじゃないか」 「よくない」 「私を見つけたなら、その場で声をかけてくれればいいじゃないか」 どうやら、桜庭は絵を描いているのを見られたくなかったようだ。 「高峰にメールを打ってたら、距離が離れちまったんだ」 「で、ここまで来たら、桜庭はもう絵を描いてたと……不可抗力ってことで一つ」 「何が、一つだ、まったく」 「たまたまタマタマを見かけて、たまたま距離が離れたってことだ」 「筧、私を殺人犯にさせないでくれ」 消される覚悟をした。 「やれやれ……今日は厄日だ」 荒く鼻息をついて、桜庭は画材をしまった。 鉛筆を扇子に持ち替えた桜庭が、赤くなった顔をパタパタ扇ぐ。 俺の想像より、かなり恥ずかしがってるみたいだ。 「桜庭、絵が趣味なのか」 隣に座りながら尋ねる。 「まあ、一応」 「ぜんぜん知らなかった」 「内緒にしているんだ。その辺、筧も頼む」 ぺこりと頭を下げた。 「なら、この写真も消した方が……」 携帯をいじる。 「消せ、今消せ」 「なんなら、私が携帯ごと灰にしてやってもいい」 ベンチの端まで追い詰められた。 「冗談だって」 「人の写真を撮る趣味なんてないよ」 携帯をポケットにしまう。 「あー、もう駄目だ、疲れた」 桜庭がさらに顔を扇ぐ。 清潔感のある香りが漂う。 「絵はいつからやってるんだ?」 「子供の頃だ、よく覚えていない」 「ほー」 「絵画教室に通ってたとか」 「筧、この話は終わりにしよう」 桜庭が静かに言った。 「悪い……」 会話が途切れた。 なんとなく、カバンのポケットから飴玉を取り出す。 「飴、なめるか?」 「ありがとう」 目を合わせぬまま、桜庭は俺の手から飴を取った。 「前にも、筧から飴をもらったな」 「ああ」 本を読みながらでも食べられることもあり、飴は常備していた。 前は自分で買っていたが、最近は差し入れでもらったものを鞄に入れている。 「筧は、あまり他人に興味がないタイプだと思っていた」 「あー、そうな。昔は」 口の中で飴を転がしながら喋る。 「図書部にいたら、少し変わったみたいだ」 「そうか……悪くないと思う」 人を知りたいという願望は、以前から変わらない。 でも、欲求の根源は、少しずつ変わってきていた。 かつては、自分の身の安全のために他人を知ろうと思っていたものだ。 ところが今は……なんでだろう? 知りたいから知りたい? 差し迫った理由はなくなっていた。 「さて、戻ろうか」 「悪い、邪魔したからだな」 「絵を続けてくれ、俺は消えるわ」 立ち上がる。 「あ……」 つい、と服の裾を掴まれた。 桜庭が、自分の行為に驚いたように、手と俺を見比べる。 「い、いや、なんでもない」 パッと手を放し、桜庭も立ち上がった。 「絵はもういいんだ。何となく気持ちもスッキリした」 「趣味は気分転換になるよな」 実感はないので、一般論を言う。 「ああ、無心になれる」 「……と、この話は終わりだった」 一瞬穏やかになった顔を、桜庭が引き締めた。 中央通りまで戻ってきた。 「……7時半か」 「私は教室に行くが、筧はどうする?」 「部室かな」 授業まではまだ時間がある。 部室で本でも読もう。 興が乗ったら1時限目はサボってしまってもいいし。 「では、また昼休みに」 「それじゃな」 桜庭に別れを告げ、図書館へと向かう。 「あ、筧」 「……どうした?」 桜庭が追いかけてきた。 「私も部室に行くことにした」 「はあ、そりゃ構わないけど」 何か話したいことでもあるんだろうか。 ともかく、図書館に向かおう。 桜庭と並んで座席に座る。 この時間、立っている人は数人だけだ。 「一つ聞いてみたいことがあるんだが……」 「何?」 「あまり楽しい話じゃないかもしれない」 「別に構わない」 逡巡しているようなので、背中を押してやる。 「その、だな……」 「私は、白崎からどう思われているのかな、と」 うつむき加減で言った。 「あいつに同性愛傾向はないと思う」 「当たり前だっ」 桜庭の声に、周囲の視線が集まった。 「こほん……図書部の活動の話だ」 「白崎が言っていた、クイズの答えがわからない」 昨日の話か。 俺と桜庭がペアになれば、足りない部分を補い合って上手くいくという白崎の見立てだった。 「私に欠点がないと言っているんじゃないんだ」 「ただ、白崎がどこを指して言っているのかがわからなくて……不安なんだ」 申し訳なさそうに言う。 「なるほどな」 白崎の保護者を自認しているフシのある桜庭だ。 白崎から欠けている部分を指摘されるのは不安だろう。 「白崎のことだからフィーリングで言ってると思うんだが」 「あいつの勘は馬鹿にできないからなあ」 桜庭がうなずく。 「ただ、筧が補えるということは、そっちには欠点が見えているということにならないか?」 「欠点なあ……」 桜庭の欠点か。 白崎が指摘したのだから、身体的な問題ではないだろう。 とすると精神的なことか。 「頑張りすぎるところとか」 「あのなあ……白崎は困らないだろ」 一顧だにされなかった。 「……そっか」 「俺は、割と本気で言ったんだけどな」 「白崎だって、協力してくれるのはすごく嬉しいと思う」 「でも、身体をこわすまで頑張ってほしいなんて思わないだろ、鬼じゃないんだし」 「……」 桜庭が視線を落とす。 「いや……例えば、発想のユニークさとか柔軟性とか、センス的な部分だと思う」 「私は頭が固い方だから……」 「そうなあ……」 確かに頭が固いところはある。 ただ、その意味じゃ、白崎&桜庭コンビの方が欠点を補い合ってると思う。 「俺としちゃ、やっぱ頑張りすぎが問題なんだと思うけど」 「……どうかな」 桜庭が曖昧に微笑む。 どうやら、桜庭は桜庭で、口にしているより深い考えがあるみたいだ。 少し様子を見てみよう。 「一緒に仕事をしてれば、そのうち何かわかるんじゃないか」 「別に急ぎじゃないんだし、のんびり行こうや」 「焦っても仕方ないか」 気を取り直したのか、桜庭が顔を上げる。 「つまらない話ですまなかった」 「いや、全然」 その瞬間、強くブレーキがかかった。 桜庭の身体がこっちへ傾く。 「わわっ」 桜庭が身体を支えようと手を伸ばす。 「……あ」 その手は、俺の脚の間に激しく着地した。 あと10センチで、俺の分身が圧殺されるところだった。 「急停車申し訳ありません」 「アプリオ前、アプリオ前です」 「こ、これは、その……」 桜庭の顔が真っ赤になっている。 「いや、大丈夫、ギリで」 「お、お……」 「降りますっ!!」 桜庭が立ち上がる。 「おいっ」 「すまん、筧っ」 桜庭が勢いよく踵を返す。 遠心力で浮いた桜庭のお下げが、唸りを上げて俺の横っ面に迫る。 「ぶっ!?」 もろに食らった。 衝撃でふらついているうちにドアが閉まった。 桜庭はもう車外だ。 ドアの外で、手を合わせて頭を下げている。 別に気にしなくてもいいんだけど、向こうは恥ずかしかったんだろうな。 「(大丈夫、気にすんな)」 唇だけを動かし、小さく手を振った。 その日の夜。 図書部の活動が終わった後、桜庭から喫茶店に呼び出された。 「……」 料理の注文を終えると、桜庭は沈黙してしまった。 何か言い出そうとしても、すぐに口をつぐんでしまう。 「相談があるって言ってたよな?」 桜庭がうなずく。 どうやら、相当言いにくいことらしい。 のんびり待つことにしよう。 「時間もあるし、飯でも食いながら……」 「その、つまらない話かもしれない」 「ははは、またか」 「大丈夫、桜庭の話がつまらなかったことなんてない」 「……そうか」 桜庭が少し表情を和らげた。 「実は、先週から考えていることがあって……」 深刻な顔で言葉を切った。 「私は、レズなんだろうか?」 「こう言うのもアレだが、ほんとにつまらないな」 「だろう?」 「そう思うなら、セルフボツにしてくれよ」 「筧なら聞いてくれるのではと思ってしまった」 真面目くさった顔で言われてもなあ。 ま、頼られてると思って最後まで聞こう。 「で?」 「筧はどう思う?」 「桜庭は違うんじゃないか」 「そう、そうなんだ」 激しくうなずいている。 「しかし、御園も鈴木も高峰も怪しいと言う」 「どうも不安になってしまって、夜もふっと目が覚めてしまう」 「からかわれてるだけだって」 「もちろんわかっている」 「でも、私自身が不安なんだ」 本気で自信がないように見える。 意外と気にしいなんだな。 「というわけで、デートをしてくれないか?」 「はあ、別にいいけど」 「……って、なんでまた?」 「筧とデートをして、その、気持ち的に盛り上がるなら、私がノーマルだと証明できる」 「証明って……気持ちの問題なんだから、桜庭が違うって言うなら違うだろ?」 「だから、私に自信がないんだ」 「……私は、異性を好きになったことがない」 「……」 実は俺もない。 ……が、置いておこう。 「とにかく……私は異性を」 「お待たせしました、ナポリタンと和風明太スパです」 握り拳を作った桜庭の前にパスタが置かれた。 店員は、気合いで無表情を作っている。 「……」 「……」 「ごゆっくりどうぞ」 料理を置いて去っていく店員。 微妙な静寂が襲ってくる。 「聞かれたな」 「顔が半笑いだった」 「ああ……死にたい」 天を仰ぎ、ぽつりと洩らした。 「冷めたらまずくなるし、先に食べよう」 「そうだな」 それぞれ、黙ってパスタを食べる。 「ともかく、ノーマルだと証明したい」 「白崎が言った欠点というのも、この部分かもしれない」 「さあ、お待ちかねのクイズの答えですっ」 「玉藻ちゃんの欠点はズバリ……」 「女の子が好きなことですっ!」 いやぁ……ないな。 「しかし、模擬デートなんて昔の少女漫画みたいなネタだな」 「そういや、桜庭は少女漫画が好きとか嫌いとか……」 「まさか、ははは」 乾いた笑いを漏らし、桜庭が視線を逸らした。 どうやら、教本があるらしい。 「忙しいところ悪いが、協力してくれないか?」 桜庭は真面目に悩んでいるようだ。 なら、相手に選ぶのは、それなりにときめく可能性がある男子ということになる。 相手に俺を選んでくれたのは光栄だと思わねばなるまい。 よもや、お試しデートから熱愛に発展とかいう、それこそベタベタな展開はないだろう。 しかし、いまどき恋人ごっこか。 「OK、協力する」 「ありがとう、助かる」 律儀に頭を下げた。 「日取りは?」 「今週の土曜で問題なければ」 「ああ、大丈夫だ」 桜庭が笑顔でうなずく。 「よろしく頼む」 桜庭が手を差し出してくる。 握手、ということだろう。 「ま、やれるだけやってみよう」 手を出すと、桜庭はぎゅっと俺の手を握ってきた。 「なあ」 「ん?」 「白崎が、本気でレズだのなんだのを気にしていると思ってる?」 「……」 桜庭が視線を逸らした。 「もしそうなら、白崎に失礼かもしれない」 「……わかってる、万が一の話だ」 自嘲するように笑い、桜庭は手を放した。 土曜日の午前10時前。 今日は桜庭とデートする日だ。 余裕を持って約束の10分前に来たのだが、向こうは既に待っていた。 「よう、桜庭」 「ああ、おはよう」 「待たせて悪い」 「いや、気にしないでくれ」 言いながら、桜庭は髪を撫でたり、スカートを整えたりしている。 「服、似合ってる」 「え? ああ……ありがとう」 桜庭がはにかむ。 「いや、ちょっと待て、これはお試しのデートじゃないのか?」 「手を抜いたら、お試しの意味がないだろ?」 「それはそうだが……」 「つまり、筧は、デートする相手にいつもこういうことを言っているわけか」 「ふーん、へー、ほー」 「余計な詮索するなって」 そもそも、デートなんてしたことがないのだ。 「そっちこそあれか? 俺がもし彼氏なら、そういう格好をしてくると」 「おかしいか?」 「おかしくはないけど、タグがついている」 桜庭の首元を見ていう。 「あれ? 外したはず……」 首の後ろを見ようと、桜庭がくるくる回る。 「あ、見間違いだった」 「……おまえ、騙したな」 桜庭が赤い顔をする。 「私が女子らしい格好をするのがおかしいんだろう」 「どうせいつもカリカリしているよ。口調も荒っぽいしな」 ふくれっ面になった。 「何言ってんだ、桜庭を男っぽいと思ったことなんてない」 「どうだかな」 拗ねたような照れているような顔は、十分以上に女の子らしい。 しかも、かなり可愛い方だ。 その証拠に、さっきから周囲の男がちらちら桜庭を見ていた。 「で、今日はどんな予定?」 「これを見てくれ」 桜庭が手帳を開く。 そこには、30分刻みで記された行動計画表があった。 「一応、今日のスケジュールを立ててみた」 「この後は、少し遅い朝食を取ろうと思っている」 「すでに15分ほどオーバーしているから、朝食は15分で食べないと後がつかえるな」 「マメ過ぎる。図書部の依頼じゃないんだ」 「そんな細かいスケジュールはいらないって。大体でいいだろ」 「む、そうか」 「まあそんな気はしていた」 「だったら何で用意したんだ」 「今日は私が誘っただろう? だから空白の時間を作らないようにするのが礼儀だと思って……」 桜庭なりに気を遣ってくれたらしい。 「気持ちは嬉しいけど、やりたいことの箇条書きくらいでいいんじゃないか」 「順番に上からやって、時間が許すだけ楽しめばいい」 「なるほど……そんなものか」 桜庭がさらさらとメモを取った。 もっと気楽に行けばいいのにと思うが、これが桜庭の性分なんだろう。 「じゃ、まずは朝食か」 「ああ、この先の交差点にベーカリーがある。そこのクロワッサンが美味しいらしい」 「よーし、行ってみるか」 桜庭に手を差し出す。 「ん? ……これは、まさか」 「いやさ、一応ほら、手を繋がないと」 「し、しかし……」 桜庭が周囲を見回す。 「前も握手したと思うが」 「握手と手を繋ぐのは、ぜんぜん違う」 「つっても、恋人同士なら、それくらいしないと様にならないだろ」 「あー……そ、そうだな」 「いや、というか、本当に少女漫画のようになってないか?」 「そこは気にしないことにしよう」 お試しデートなんてネタ自体、バリバリの漫画なのだ。 気にしてもしょーもない。 「こっちだって恥ずかしいんだ……ほら」 手を出す。 「よ、よし」 桜庭はハンカチを取り出し、念入りに自分の手を拭き始める。 「これでいいだろう」 「気にしなくていいのに」 「これでも緊張しているんだ」 「汗で濡れた手で握るのは気が引ける」 「ほら、早く」 「うん。握るぞ」 桜庭はおそるおそる手を出し、俺の手に触れてきた。 細くしなやかな手の感触が伝わってくる。 「う……」 桜庭の顔がみるみる赤くなった。 見ているこっちまで緊張してしまう。 「じゃ、行こう」 小さくうなずく桜庭。 相手の顔も見られないといった様子だ。 朝食を取った後は、映画鑑賞だった。 恋愛物とアクションを上映していたが、桜庭は迷わず恋愛物を選んだ。 「そろそろ昼飯の時間か」 「すまない」 「映画館で色々食べたせいで、お腹が空いていなくて」 「ああ、俺もだ」 ポップコーンは割と腹にたまる。 「じゃあ、次のスケジュールは」 桜庭が手帳を取り出す。 「買い物らしい」 「いや、書いたのお前だろ」 「で、何か買いたいものがあるのか」 「いや、特にない」 「定番みたいだから入れておいただけだ」 「なるほど。それじゃ適当に歩くか」 自然と手を繋ぐ俺たち。 最初のように、焦ったりはしなくなった。 「あ、待ってくれ。そういえば買いたい物があった」 「……筧なら一緒でもいいか」 「俺なら? 何買うんだ?」 「行けばわかる」 桜庭が買い物をしたのは、商店街の外れにある雑貨店だった。 「桜庭、袋持とうか?」 「大丈夫だ。このくらいは自分で持てる」 紙袋には、絵の具や鉛筆といった画材が入っている。 「俺ならいいってのは画材だったからか」 「隠すような趣味じゃないと思うけどな、全然恥ずかしくないだろ」 「ま、私にも色々あるんだ」 「ほー」 桜庭は遠い目をして、寂しそうに笑う。 追及するなってことか。 それはそれとして、印象に残っているのは楽しそうに画材を選ぶ桜庭の姿だ。 パーマネントレモンイエローなんていう、聞いたこともない色の絵の具を買ったり── 見た目には差がない水彩紙を真剣に吟味したりしていた。 それに、俺のちょっとした質問にも嬉々として答えてくれた。 キュビズムの原点について語られたときにはどうしようかと思ったが……。 「桜庭は、本気で絵が好きなんだな」 「画材選んでるときは、すごく楽しそうだった」 「どうかな……唯一の趣味であることは確かだ」 むずがゆそうに笑う。 「他には何もない」 「何もないってことはないだろう」 「図書部の活動を精力的にこなしているじゃないか」 「ああ、言い方が悪かった」 「私が私のためだけにする個人的なことは、絵を描く以外何もないということだ」 当てつけのような言葉だ。 なんか屈託でもあるのか? 「あんな上手く描けるのになぁ」 「大したことはない」 苦笑する桜庭。 「技術的なことはわからないが、何となく引きつけられるものはあったよ」 「今度、じっくり見せてくれないか」 「何の足しにもならないぞ」 「芸術なんだから、損得の問題じゃないだろ」 「それはそうだが……」 口では嫌がっているが、まんざらでもない顔をしている。 上手いって言われて、嫌な気分になる人はいない。 せっかくデートすることにしたんだし、試しに押してみるか。 「……そ、そんなに見たいのか」 「無理強いをする気はないけど、見せてくれるならぜひ見たい」 「どうしてもか?」 「どうしても」 「相手の趣味を知るってのも、大事なデートだと思う」 「……物好きだな、筧は……」 「見せてくれるのか?」 「どうしてもと言うなら……まあ……」 「しかし、今は持っていないし、どうしよう……」 ぶつぶつと呟く桜庭。 「……ん?」 ふと、視線を感じて振り返る。 「(わわっ……)」 誰かが慌てて脇道に入っていった。 今のは、白崎に見えたが……。 「どうした?」 俺が立ち止まると、手を繋いでいる桜庭も止まる。 「知り合いでもいたのか?」 「気のせいだと思う」 桜庭が不安そうな表情を見せる。 「誰かに見られたら困る?」 「図書部の人間に見られた日には、とことんからかわれるだろうな」 「違いない」 「よう、お二人さん」 誰かに声をかけられ、振り返る。 「手なんて繋いで、どうしたんだ?」 すぐ後ろに高峰がいた。 「わああぁっ!?」 桜庭は手を離し、慌てて飛び退く。 「な、なな、お前、どうしてここにっ!」 「買い物に来ただけだし」 「いやー、しかし、ここがくっつくとはなぁ」 「おめでとう、筧」 ぽんぽん、と俺の肩を叩く高峰。 「高峰、すまないが勘違いだ」 「手え繋いでて勘違いってどういうことよ?」 「実は兄妹だったとかそういうこと?」 「んなわけあるか」 「まー、いろいろ言いたくなる気持ちはわかるよ」 「知り合いに見られるのって恥ずかしいもんなぁ」 「俺も経験あるよ。そう、あれは2年前だったか……」 完全に見守る目になっている。 「本当のことを話すしかないんじゃないか」 「……そうだな」 がっくりと肩を落とし、桜庭はしぶしぶ理由を話し始めた。 「はぁ、デートごっこねえ」 「姫にも、今さら聞けない性のお悩みがあったわけだ」 「それはお前の得意分野だろ。誤解を生む言い方をするな」 溜息をつく桜庭。 「ま、呆れられるのも仕方ないと思う。それくらい阿呆な悩みだ」 桜庭の悩みの本質は、白崎に出されたクイズの方だろう。 同性愛云々はおまけだ。 「満足していただけたか、高峰先生?」 「ご説明ありがとうございました」 「しっかし、姫も俺に相談してくれれば良かったのに」 「すると思うか?」 「しないだろうなぁ……」 わかってるじゃないか。 「んじゃあ、この件は内緒にしておいた方が良さそうだな」 「頼む」 りょーかい、と高峰が手で応じた。 「しかしアレだぜ? 街中ブラついてたら、誰に見られたって文句言えないと思うぞ」 「だよな」 「筧も、桜庭を狙ってる男に恨みを持たれるかもしれない」 「私も刺客を送られる立場になったか」 「そうそう、だからボディーガードには俺を……って、そういう意味の狙うじゃなくてさ」 「拾ってくれて助かる」 「ちなみに、違う意味で狙っている男子なんかいないから心配するな」 「いるだろ」 「いないいない、いるわけない」 こんだけ美人なのに、いないわけない。 「ま、せいぜい気をつけるこった」 「あと、何かアドバイスは……」 「いや、無理矢理探さんでいいから」 「あっそ。んじゃ、俺はこれで消えるぜー」 ヒラヒラと手を振り、高峰が通行人の波に消えた。 「はあ……どっと疲れた」 「だな、喫茶店でも入るか」 桜庭が沈黙する。 「……よかったら、うちに来ないか」 「構わないけど……いいのか」 真意がわからんが。 「高峰も言っていた通り、外を歩くと目に付く」 「それにほら、絵を見たいと言っていただろう?」 「なんだ、そういう意味か」 「期待させて悪かった」 桜庭がくすくす笑う。 「ともかく、家で涼もう」 「私が入れるコーヒーは、なかなかの味らしい」 「どこの男情報だ?」 「ははは、やり返されたな」 「男子で味わうのは、父親以外なら筧が初めてだ」 「俺は採点が辛いぞ」 「なるほど、それは楽しみ」 桜庭が機嫌良く言う。 高峰のお陰で、意外な展開になったな。 「お邪魔します」 「どうぞ」 桜庭に案内され、自宅マンションに招き入れられた。 まさか、ここまで来られるとは。 「遠慮しないで、適当に座ってくれ」 「ありがとう、じゃあ……」 い草で編まれた座布団に座る。 夏はひやりとして気持ちがいい。 桜庭はキッチンに向い、何やらカチャカチャと準備している。 ぐるりと部屋を見回してみる。 〈籐細工〉《とうざいく》の調度品や木目調の家具で統一されており、暖かみが感じられる室内だった。 「バリ島みたいな感じだな」 「一応、アジアンテイストってことになってる」 「ことになってるってのは?」 「モデルルームで使っていた家具を丸ごともらっただけなんだ」 「自分ではここまで揃えられない」 「ほー」 そういや、高峰が、ここは桜庭の実家が持ってる物件だと言ってた気がする。 といっても、部屋が綺麗なのは、インテリアが揃ってることだけが理由じゃない。 掃除も行き届いているし、物もきちっと端を揃えておかれている。 要は住んでいる人間がきちんとしているのだ。 「あまり見られると恥ずかしい」 苦笑しつつ、桜庭がこっちへ来た。 手に持っているお盆には、アイスコーヒーと菓子が載っている。 「どうぞ」 膝を畳んで床に座り、コーヒーを供してくれる。 コーヒーは薫り高く、高そうなグラスに入っている。 お菓子はマロングラッセ──栗を丸ごとシロップ漬けにしたようなものだ。 こっちも綺麗な皿に載せられ、フォークも金色の洒落たものだった。 ……なんというか、全てが整っている。 「コーヒーはお代わりがあるから」 「おう、サンキュー」 何より印象的なのは、桜庭の所作だった。 いつもは、部室で椅子とテーブルの生活をしているから気がつかなかったが、床での動きが違う。 歩き方や座り方、お盆の取り扱いやお茶の出し方、立ち居振る舞いの全てが上品なのだ。 しかも、それらが身にしみ込んでいるらしく、本人にはまったく気取ったところがない。 桜庭にとっては、普通のことなんだろう。 「あー、コーヒー美味いな」 「喜んでもらえて良かった」 穏やかに微笑んで、桜庭もコーヒーに口をつける。 「……」 コーヒーの香りかと思っていたが、部屋にはもう一つの香りがあった。 木の香り? いや、ちょっと違う。 土の香りに、わずかな刺激のある匂いが混じったような……。 ああ、絵の具か。 さっきも油絵の具を買っていたしな。 見たところ、間取りは1LDKだ。 ベッドがリビングにあるということは、もう一つの部屋で絵でも描いているのだろう。 「絵の具の匂いがする」 「それはすまない。空気清浄機は回しているんだけどな」 「あーいや、臭いって意味じゃない」 「ならいいが」 桜庭が部屋を見回す。 「しかし、男性を部屋に入れるのは緊張する」 「おかしな所はないか?」 「ぜんぜん、びっくりするくらい綺麗だ」 「俺んちなんか、本でごちゃごちゃだからなあ……うらやましいよ」 「だと思った」 「私達が入る前の部室がそんな感じだったから」 「今度、掃除に行こうか?」 「ありがたいけど……いいのか?」 「筧が嫌じゃなければ」 「頼むよ」 桜庭が笑顔でうなずく。 なんだか、いつもの桜庭とはずいぶん雰囲気が違う。 自宅に帰ってリラックスしているのだろうか。 「そういえば、絵を見せてくれるって話は?」 「そうだった。少し待っていてくれ」 桜庭が隣室に入る。 開いた扉の隙間から、画材や立てかけられたカンバスが見える。 かなり本格的にやってるみたいだな。 「見せられるのは、この辺りかな」 何冊かのスケッチブックを手に戻ってきた。 「ありがとう」 スケッチブックを、上から順に見ていく。 「……やっぱりうまいな」 「お世辞でも嬉しいよ」 「お世辞じゃないって」 桜庭の絵は、やはり綺麗だった。 水鳥や草木が細い線で緻密に描かれ、まるでそこにあるかのようなリアリティが感じられた。 「誰かに教わったりしてる?」 「独学だよ。趣味として細々とやってるだけだから」 「専門家から見れば、きっと拙い絵なんだろう」 「趣味ならそれでいいと思うけど」 「一応、目標みたいなものはあるんだ」 桜庭が床に座る。 「幼い頃、親とフランスの美術館に行ったことがある」 「そこで見た絵に衝撃を受けたんだ」 桜庭は目を閉じる。 「圧巻だったよ……人が想像しうる最高の風景に見えた」 「私もいつか、あの絵に負けないような世界を描ければと思っているんだけど」 「立派な目標じゃないか」 桜庭は風景画に強い興味があるようだ。 以前、湖畔で描いていた鴨も風景画のパーツの一つなのだろう。 ふと、隣室にある描きかけの絵が見えた。 まだ、わずかに色が乗っている程度だ。 「あれは、今、制作中なんだ」 「いつ頃完成予定?」 「いつかな? わからない」 「時間があれば描くし、なければ描かない……そういうものだから」 「というわけで、私の絵は大したものじゃないんだ」 桜庭が、そそくさとスケッチブックを回収する。 「忙しい人ほど趣味は大事だという」 「たとえ1日10分でも、やるとやらないとじゃストレスの蓄積が全然違うらしい」 「言われてみればそうかもしれない」 桜庭が静かに微笑む。 「絵を描いていると、全て忘れられるんだ」 「頭が真っ白になって、気がつくと何時間も経ってしまっている」 「本当は絵のことを考えていなければならないと思うんだがな」 「いつまで経っても上達しないのは、そのせいかもしれない」 桜庭が笑う。 肩の力の抜けた、今まで見たことのない笑顔だった。 この笑顔一つ取っても、絵を描くことが彼女にとって大事だとわかる。 「好きなんだな、絵が」 「おそらくね」 「見せてもらえてよかったよ」 「そ、そうか」 「図書部でも、桜庭だけ趣味がわからなかったから」 「そうだったか」 白崎は写真や料理、御園は歌、鈴木は工場や建築物、高峰は空手…… それぞれ、何かしら趣味っぽいものがあるようだったが、桜庭は不明だった。 「ワーカホリックのサラリーマンのようで恥ずかしい」 「平日はバリバリ部活やって休みは家で絵を描くなんて、かっこいいじゃないか」 「何でいままで教えてくれなかったんだ?」 「……なぜかな……」 桜庭が少し遠い目をする。 今まで、部室で趣味の話題は何度も出てきた。 でも、そのたびに桜庭は無趣味だと言っていた。 人に言えない趣味ならともかく、絵画は隠すようなものじゃないと思うんだが。 「みんなが活動で忙しくしてるのに、家で絵を描いてましたなんて言いにくいだろう?」 「それでなくても、私はみんなのスケジュールを決めているんだ」 「誰よりも働かなければ、納得してもらえない」 厳しい言葉に、思わず桜庭を見た。 どうして、ここまでストイックにならなきゃいけないのだろう。 誰も桜庭を責める奴なんていないのに。 「……馬鹿。それで怒る奴なんて図書部にいるか」 「わかっている……わかっているつもりだ」 どうにもならない、と表情が語っていた。 実情以上に自分を追い詰めているとすれば、それは桜庭の問題だ。 性格や過去の経験が、彼女を過剰にストイックにさせていると見ていい。 だからこそ、わかっていてもできない。 誰もが一笑に付すようなことでも、本人にとっては多大な努力を要することもある。 「俺が言ってできれば苦労しないんだろうけど、少し力抜いてもいいと思う」 「桜庭が頑張ってるのは、みんな知ってるよ」 「白崎だって、もちろんわかってる」 「筧……」 桜庭からだったのか、俺からだったのか── 床の上の手が、わずかに触れ合った。 恋愛感情かは定かじゃないが、放っておけない気持ちになったのは確かだ。 「桜庭は頑張りすぎだ」 「……うん」 俺を見つめる桜庭の瞳が、深い色合いに潤む。 「ま、過ぎたるは及ばざるがごとしってことだ」 笑って、少し距離を取る。 「私、不器用だから」 「それは男の台詞だ」 苦笑して肩をすくめる。 妙にいい雰囲気になってしまった。 このままじゃ、ほんとに『デートごっこが本物に!?』的な展開になってしまう。 「ともかく絵を描くってのはいい趣味だよ。息抜きになってるんだろ?」 「唯一、自由な時間かもしれない」 「だったら大事にしたほうがいいって。適度な休みも仕事には必要だ」 「わかった」 桜庭が切なげに目を細めた。 「筧は、女子と話すとき、いつもこんな風なのか?」 「こんなって?」 「その……なんというか……」 桜庭が視線を漂わせる。 「いや、なんでもない」 アイスコーヒーのグラスの中で、氷がカラリと音を立てた。 我に返ったように、桜庭がアイスコーヒーを飲む。 何となく、俺も座布団に座り直した。 それから、1時間ほど桜庭の部屋で過ごした。 絵の話はぱったり出なくなり、話題と言えば図書部のことばかり。 さすがは桜庭、といったところだ。 「さて、そろそろ帰るかな」 「あ……、すまない、話しすぎてしまった」 「引き留めてしまったか?」 「いや、別に。ゆっくり話ができて楽しかった」 バッグを持って立ち上がる。 「で、今日はどうだった?」 「何が?」 「自分が異性に興味があるのか確かめたかったんだろ?」 「あ、ああ、そうだった」 桜庭が、恥ずかしそうに視線を逸らした。 それで答えとしては十分だ。 「その……まあ、なんだ……ノーマルらしい」 「なら良かった」 「これで、みんなにからかわれても平気だな」 「お陰様で」 ほっとした表情で微笑む桜庭。 多少は心配していたらしい。 「じゃ、また週明けに」 「今日はありがとう」 笑顔の桜庭に見送られ、なんちゃってデートは終わった。 そういえば、途中で俺の部屋を掃除してくれると言っていたが、どうなるんだろう? なんちゃって期間を延長するのだろうか。 週明けにでも聞いてみよう。 「はあ……」 筧のいなくなった部屋で、ひとり座布団に座った。 がらんとした部屋が、妙に胸に刺さる。 人はこうして寂しさを覚えていくのだろう。 ……なんて。 1日異性と過ごしただけで、成長した気になっている自分が少しかっこ悪い。 世の大人は、もっともっと色んな経験をしているじゃないか。 例えば、夕食を一緒に食べたり、そのまま泊まっていったりとか……。 「(いけない……)」 頭を振って妄想を追い出す。 そう、さっさと片付けをしてしまおう。 空いたグラスをお盆に載せ、テーブルを台ふきんで拭く。 コーヒーは口に合っただろうか。 せっかくストローをつけたのに、筧は、面倒だと言ってグラスに口をつけて飲んでいた。 あいつにも、男らしいところがあるんだな。 ……そうか、このグラスで。 気がつくと、筧が使ったグラスを手に持っていた。 「……え?」 私は何をしてるんだ。 グラスを持って、どうしようとした? しかも、どうしてこんなにドキドキしているんだ。 ……まずい。 まずいな、これは……。 休み明けの月曜。 「では、今週の予定は以上で問題ないな」 桜庭が取り仕切る。 来週はもう夏休みだ。 休み中に開催される夏祭りを目前に控え、結構な数の依頼が来ていた。 夏祭り── それは、汐美学園独特の行事だ。 いや、行事というよりは『イベント群発期間』といった方がより正確か。 夏休みには生徒が一斉に暇になる。 帰省や旅行、バイトなどで街を離れる人も多いが、それにしたって夏休み期間中ずっとじゃない。 汐美学園では、生徒の多くが学校周辺に下宿している。 つまり、常時、数万人の暇な生徒が街をぶらつくことになるのだ。 夏祭りが生まれるきっかけは、溢れる暇人をターゲットにした探検部の宝探し企画だったらしい。 大した宣伝もしなかったのに、イベントは大盛況。 この実績を受け、他団体も様々なイベントを企画するようになる。 結果として、夏休み中は、毎日どこかで何らかの催しが行われることになった。 これが『夏祭り』だ。 今では、夏祭り研究部がイベント情報を一手にとりまとめ、ウェブ上でイベントカレンダーを公開している。 俺みたいな読書中毒患者はともかく、夏休み前の生徒の話題と言えば、夏祭りネタが鉄板だ。 「夏休みも忙しくなりそうだね」 「何も予定が入ってない日もありますけど、これは何ですか?」 「私たちの休日だ」 「せっかくの夏休みが全て部活では悲しいだろ?」 「さすが姫、話がわかるっ」 「イエスッ、オウ、ジョン」 「お前は毎日が日曜日だろうが」 気色悪い猫だ。 「千莉、遊び倒そうね」 「うん、ここは合宿がないから大丈夫」 一年生たちが夏休みの予定を話し始める。 適度な休みは、部活にとってもいいことだろう。 桜庭もきちんと休んでくれていればいいのだが。 「あの、筧くん」 「ん?」 「最近、玉藻ちゃんの様子はどうかな?」 「私がいるのに、どうして筧に聞くんだ?」 「ずっと一緒に仕事してくれてるから、どうかなと思って」 「順調にやってるよ」 あれから、桜庭が居残りで作業をする場合は必ず手伝っていた。 作業スピードは変わらなくても、桜庭の負担は減っているはずだ。 「筧がいてくれるのはありがたいけど、私1人でも大丈夫だ」 「といったことをよく言われる」 「ゆとりが出てきた証拠じゃねえの? いいことだよ」 「1人でアップアップだと、愚痴も出ませんもんね」 みんながうなずく。 「体力的には確かに楽になったが……しかし……」 「いざって時のために体力は取っておけって」 「……わかった……」 しぶしぶながら、桜庭が納得してくれた。 「ふふふ、仲良くやってくれてるみたいだね」 「その先も見える展開かもしれません」 「その先?」 「説明しようっ!」 「しなくていい」 「そっか、姫は重々承知だったか」 「高峰、特別レッスンをしよう」 「おっと……俺にも、いろいろ卒業する日が来たか」 2人で部室から出て行き、桜庭だけ帰ってきた。 ドアの外で生理的に嫌な音がしたが、気にしないことにしよう。 「では、今日の仕事の分担はプリントの通りでいいですか?」 佳奈すけが仕切り直す。 桜庭と鈴木は、ビーチ卓球大会の調整。 御園と高峰は、マーチングバンドの練習補助。 俺と白崎は、お菓子クラブの試食要員だった。 「わたし、佳奈ちゃんと一緒がいいなって思ったんだけど、ダメかな?」 「私とですか?」 「美味しそうな仕事なんで、別にいいですけど」 高峰が戻ってきた。 「……太るぞ」 「でぶせん」 「余計なお世話です」 「この鈴木、スイーツの似合う女として売り出して行きますよっ」 「休日なんか、おしゃれな隠れ家系おこもりカフェで、限定絶品スイーツを食べながら、アロマなリフレクソロジーで自分にご褒美です」 ふんす、と鼻息をつく。 「好きにしろ」 「佳奈、頭弱そう」 「佳奈ちゃん、お金大丈夫? 貸そうか?」 「おかんですか!」 すべり芸が潰されていた。 「で、なんで白崎と佳奈すけで組むんだ?」 「理由は……」 「あ、そう、ほら、私と佳奈ちゃんって弥生シスターズだし」 「あの、完全に今思い出しましたよね?」 「はっきりした理由がないなら、変えなくていいと思うが」 「……だめかな?」 「一応、個人の特性を考えて組み合わせを作ったつもりだ」 表情を曇らす桜庭。 白崎は、何を考えてるんだ? 「……」 「……」 要注意の2人が視線を交わした。 「実は私、卓球のルールわかんないんですよね」 「なので、サポートせいって言われてもちょっと」 「筧は甘いの苦手だろ? 逞しい男の子だもんな」 「……無理矢理だな」 どうやら、俺と桜庭をくっつけたいらしい。 俺としちゃ構わないが。 「んじゃ、俺と桜庭で組もう。桜庭が嫌なら仕方ないけど」 「わ、私は、別に……」 桜庭が視線を逸らす。 「長くなりそうなので、決まりと言うことでおめでとうございます」 「千莉、雑っ」 佳奈すけに言われたくはないだろう。 「ふふふ、良かった」 「筧くんと玉藻ちゃんには、一緒になってほし……あ……」 白崎が口を押さえた。 「なんだそれは」 「ううん、ほ、ほ、星アキ子って言いたかったの」 「どこの姉さんですか」 やっぱり……そんなことだと思った。 俺と桜庭がデートしてる時、建物の陰に隠れたのは白崎だったのだろう。 「わかった、もういい……筧、一緒にやろう」 「りょーかい」 やっと話がまとまった。 「では、弥生シスターズ、出動します」 「いってきまーす」 そそくさと2人が出て行った。 「高峰先輩、私達も」 「あー、その前に、ちょっとピットイン」 高峰がアイコンタクトを送ってきた。 何の用だ。 「あ、俺も行っておこう」 「桜庭、ちょっとピットイン」 「……いや、報告しなくていい」 というわけで、高峰と旅に出る。 部室から少し離れたところで、高峰が足を止めた。 「どうした?」 「桜庭のことでちょっとな」 「桜庭?」 「さっきは、無理矢理ペアにしてくれて嬉しかったよ」 「俺達の友情が身にしみただろ?」 「余計なお世話もいいとこだけどな」 高峰が、楽しそうに笑う。 「……んで、本題は?」 「いやさあ、俺もあんまこーいうことは言いたくないんだけどさ」 高峰の顔から表情が消える。 「桜庭って姫じゃんか」 「んで、おそらくなんだけど、俺らが思ってるより正統派の姫らしい」 「意味がわからんが」 「桜庭の実家の方じゃ、藩主はいまだに藩主だし家臣は家臣なんだと」 「重臣だった連中は桜庭の実家近くに住んでて、相変わらず上下関係があるってことだ」 「おまけに、大人だけじゃなく、子供にもそういう人間関係が生きてるらしい」 「なるほど。つまり、桜庭はリアルに姫ってことか」 高峰がうなずく。 頭から否定はしないが、本当にそんなことがあるんだろうか。 「親の期待もすごいらしいね」 「なんつっても、姫はトップじゃないといけないわけだから」 「しかし、ずいぶん詳しいな」 「お前が無関心なだけだ」 「望月さんだって、桜庭が姫だって知ってただろ? 意外と有名な話なんだよ」 確かに、図書館と家の警備に定評のある俺は、噂には疎い。 「だからまあ、桜庭に行くんだったら覚悟が必要かもなって話」 「つっても、別に桜庭を忍者が守ってるわけじゃないだろ」 「いや、いるらしいけど」 漫画かよ。 「ほら、筧がつぐみちゃんに痴漢したとき、桜庭には取り巻きがいただろ?」 「んー、いたような気がする」 しつこく追い掛けられた記憶がある。 「じゃあ、あれが?」 「ま、あくまで噂だけどな」 「マジかよ……」 時代錯誤なことだ。 「ちょいと小耳に挟んだから、一応話だけしとこうと思ってさ」 「そっか……ありがとう」 だからどうだと言わないのは高峰らしい。 気にするか気にしないかは俺の勝手ということだ。 もちろん、俺は気にしない。 大企業の社長令嬢くらいでイメージしておけば、当たらずとも遠からずだろう。 ま、それも、桜庭にアタックするならって話だ。 今のところ、強い恋愛感情には…… 発展してないよな。 午後8時。 インターホンが鳴った。 こんな時間に誰だ? 「……筧、いるか?」 聞き慣れた声が聞こえた。 「桜庭?」 直接来るなんて、一体何の用だろう? 「こんばんは」 ドアを開くと、桜庭が気まずそうな顔で立っていた。 手には大きく膨らんだ買い物袋を持っている。 「突然どうした?」 「先日、本棚を片付ける約束をしたじゃないか?」 そんなことを言った気がする。 「善は急げということで片付けに来たんだ」 「なら、電話でもくれたらいいのに」 「驚かせようと思ったんだ……迷惑だったらすまない」 桜庭がはにかみつつ笑う。 「じゃあ、とりあえず上がって」 「お邪魔します」 玄関にきちんと靴を揃え、桜庭が部屋に入ってきた。 部屋は汚くないだろうか? 桜庭の足の裏が汚れてしまったら申し訳ない。 「筧、これを冷蔵庫に頼む」 買い物袋を預かる。 大根やら豆腐やらが見えるが。 「これ、何?」 「いつもちゃんとした物を食べていないだろう?」 「せっかくだから、何か作ろうと思ったんだ」 「お、おう……そりゃどうも」 妙に世話を焼いてくれるな。 「んじゃ、冷蔵庫入れておくから、適当に座って」 「床は散らかってるからベッドがオススメだ」 「ベッドか……」 ちらりとベッドを見る桜庭。 何を想像したのか、慌てて咳払いをした。 「さっそく掃除を始めてしまおう。いいな?」 「よろしく。俺もすぐ手伝う」 そんなこんなで、突発の掃除が始まった。 桜庭と協力して本を片付けていく。 「しかしすごい数だな。これを全部読んだのか?」 「未読もあるけど、大半は」 「改めて尊敬するよ」 一向に減らない本の山を見て、桜庭は溜息をついた。 「そもそも、本棚のキャパシティを越えてないか?」 「ぶっちゃけ、本棚を買い足すか本を捨てるかしないと、片付けるのは無理だ」 「なぜ自信満々なんだ……やれやれ」 桜庭が床にぺったり座り込む。 「先に言ってくれればやりようもあったのに、こんな時間じゃどうしようもない」 「ホームセンターも閉まってるしなぁ」 「仕方ない、拭き掃除だけでもするか」 桜庭が立ち上がる。 「いや、別にもういいって」 「口約束はしたけど、掃除してもらうのは申し訳ない」 「口約束も約束のうちじゃないか」 桜庭が笑う。 「もしかして、これもデートごっこの一環?」 桜庭の動きが一瞬止まる。 「……いや、これは、何というかデートのお礼だ」 「変なことに付き合わせてしまったからな」 「気にしなくてもいいんだが……ま、いいか」 「そういうことなら、掃除してもらおう」 「ああ、それでいいんだ」 お互い納得し、掃除を再開する。 掃除を再開してしばらく過ぎた。 「えーと……これは、ここか」 背後を振り返る。 「……」 刺激的な光景が目に入った。 背伸びをしながら、桜庭が本棚に本を片付けている。 床を拭いていた俺からは、自動的に下から見上げる格好になってしまった。 不可抗力だと言いたい。 「不可抗力だ」 「はあ? 何を言っているんだ」 言ってみたが、スルーされた。 こっちから下着が見えているなんて、想像もしていないのだろう。 指摘したら殺されるだろうし、ここは見なかったことに。 黙々と掃除をする。 「筧、ちょっと」 「な、なんだ?」 後ろを向いたまま答える。 「この本なんだが……おい、こっちを見てくれ」 嫌がらせかよ。 「ああ、その段でOK」 「わかった。これは?」 「それも、同じ段」 「じゃあ、こっちは?」 「それも同じ」 「ちゃんと答えてくれ……本の大きさが揃ってないじゃないか」 ぶすっとした顔をする。 「いやさ、言いにくいんだけど……その格好、見えてるんだ」 「は?」 「脚」 「え?」 桜庭が自分を見る。 一瞬で顔が真っ赤になった。 「わあああっ!?」 桜庭が慌てて脚を閉じる。 その拍子に、本の山に豪快に蹴つまづいた。 「漫画かっ!」 倒れ込んでくる桜庭を支える。 「あ……」 「……」 桜庭の顔が目の前にあった。 緊張で互いの姿勢はわからない。 床を拭いていた俺の目の前に、桜庭が座り込んできた感じだろうか。 「き、気をつけろよな」 「すまない」 何故か目をそらせない。 桜庭の瞳の引力に、絡め取られてしまったかのようだ。 いや、より端的に言えば、あらゆる過程をすっ飛ばしてキスしてしまいたい衝動に駆られていた。 可愛い子がいたらキスしたいという単純なことだ。 「……」 「……」 「……」 ……。 …………。 ………………。 「さ、掃除しよう」 「ああ」 桜庭が離れる。 今度はスカートをちゃんと気にしているので安心だ。 いや、そこじゃなく。 俺たち、今、キスしなかったか? ……した。 さらりと、キスしてしまった。 桜庭を見る。 何事もなかったように掃除をしている。 声をかけられず、俺も掃除に戻る。 今の行為に、一体どんな意味があったんだ? 異性と距離が近づいたから、何となくキスしてみた、とか? いやいや、さすがに嫌いな男とはないよな。 駄目だ解釈できない。 などと、脳内で大嵐が吹き荒れていたが、そこはガチンコ図書部員の俺だ。 粛々と掃除を続けた。 掃除の後、桜庭は手料理を振る舞ってくれた。 メニューは、親子丼と大根・豆腐の味噌汁。 四苦八苦しながらも、一生懸命作ってくれた。 ……なぜか、俺の分だけ。 「美味かったよ」 「良かった」 桜庭がはにかむ。 「あのさ、俺だけご馳走になって気まずいんだけど」 「気にしないでくれ」 「勝手に食材を持ち込んで、自分の分も作るのはどうかと思ってな」 「それこそ気にしないでいいのに」 桜庭は、曖昧に笑って時計を見た。 「もう11時か。遅くまですまない」 「いや、こっちこそ」 「洗い物は俺がするから」 「そうか? なら、すまないが頼む」 桜庭が鞄を持って立ち上がった。 目が合う。 すぐに逸らされた。 「それじゃ、邪魔したな」 「いや、こっちこそいろいろありがとう」 玄関先まで見送る。 「あのさ、さっきのアレ……」 「で、では、また明日っ」 うわずった声で言い、桜庭が逃げるように駆けていく。 いや、ありゃ普通に逃げてるな。 飯を作ってくれたことから見ても、嫌がられてはいないと思うんだけどなあ。 「はぁ……はぁ……」 逃げてきてしまった。 ああ……私は何をしているんだ。 これでは、筧に誤解させてしまう。 ……誤解? 何が誤解なんだ? 気があると思われることが誤解? それとも、キスは何でもなかったと思われることが? 自分の中でも判然としない。 いや、でもあの瞬間、私は確かに筧を好きだと思ったんだ。 キスは事故だったとしても、気持ちは嘘じゃない。 燃え上がるものがあったのだ。 「ああ……」 明日からどうしよう。 俺も桜庭も、キスの件は口に出さないまま3日が過ぎた。 ときどき交わす視線から、向こうが意識していることはわかる。 しかし、あれがまったくの事故で、桜庭も忘れたがっているのではと思うと、うまく切り出せなかった。 「なあ筧」 「ん?」 二人で仕事をしていると、桜庭が口を開いた。 「最近、白崎に避けられている気がするんだ。筧はどう思う?」 「白崎かぁ……」 避けてるんじゃなく、俺と桜庭をくっつけようとしてるんだと思う。 さっきも、俺、桜庭、白崎、佳奈すけの4人になった途端、佳奈すけと逃げるように帰っていった。 きっかけは、おそらくデートしている俺達を見かけたことだ。 「夏休み期間中に、部活の休みを多く設定したのが悪かったのだろうか?」 「え、いや……」 桜庭は白崎の意図に気付いてないのか。 あんなにベタベタなのに。 「気にしすぎだって」 「うーん……それはそうなんだが……」 「逆にさ、何でそこまで白崎のこと気にするんだ?」 桜庭の目がきっとなる。 「私は、白崎を支えると決めたんだ」 「満足してもらいたいと思うのは間違ってるか?」 「白崎なら普通に満足してるだろ」 「むしろ、無理させて申し訳ないって思ってると思う」 「そういう意味じゃ、休んだ方が白崎は喜ぶだろうな」 桜庭が視線を逸らす。 「つーか、そのくらい本当はわかってるんじゃないか」 「……かもしれない」 桜庭が唇を結ぶ。 それは、肯定のしるしに見えた。 桜庭は、人間関係にそこまで鈍感じゃない。 白崎がどう思っているかなんて、ある程度把握しているはずだ。 にもかかわらず過剰に努力をしているのなら、桜庭のモチベーションは何なんだ? 白崎と桜庭の関係は、もう少し深く見ていったほうがよさそうだな。 「話は戻るけど、白崎は桜庭のことを避けてない」 「あいつは、俺達に余計な気を回してるんだと思う」 「というと?」 「俺達がデートしてたのを、白崎に見られたかもしれない」 桜庭が顔を上げて、俺を見る。 「つまり、私たちが恋人同士だと勘違いしていると」 「だろうなぁ」 桜庭が小さくため息をつき、閉じた扇子の先で頭をコツコツつつく。 「私が変なことを頼んだせいで、筧には迷惑をかけてしまった」 「……すまない」 律儀に頭を下げた。 「いや、俺は別に……」 「白崎には、私からきちんと説明しておく」 「あれはお試しのデートだったって?」 やや間があって、桜庭がうなずいた。 「白崎の勘違いで済んでいるうちはいいが、噂が広まったら大変だ」 「筧にも好きな人がいるんだろうし、もし今いなくても、できたときに困るだろう?」 目を逸らし、ぼそぼそと桜庭が言う。 「なら、掃除の時のアレはどうする?」 「あれは……その……」 桜庭が言い淀む。 「事故……そう、事故だ」 眉を歪めて笑う。 「私はロクでもない人間だ」 「何をやっても上手くいかなくて、白崎に〈縋〉《すが》っているような人間だ」 「筧が私みたいな女を好きになるわけがない」 吐き出すように言って、桜庭が立ち上がる。 「どこ行く?」 「白崎と話してくる。戸締まりをよろしく頼む」 「あ、おいっ」 俺の言葉を無視して、桜庭はさっさと出て行ってしまった。 「(泣きそうな顔してたな……)」 桜庭らしくもない。 「何をやっても上手くいかなくて、白崎に〈縋〉《すが》っているような人間だ」 「筧が私みたいな女を好きになるわけがない」 彼女が自分をどう評価し、白崎に何を託していたのか。 そして、俺に何を望んでいるのか。 全てが凝縮された言葉だった。 いつもの桜庭なら絶対に言わないことだろう。 それでも口にしたのは、彼女なりの甘えだったのか油断だったのか。 「桜庭、か」 いつも一人で部活を支えている桜庭。 彼女が揺らいだとき、誰が支えてやれるのだろう。 初めて見た桜庭の弱々しい顔を思い出し、胸がぎゅっと狭まるような気持ちになった。 支えるべきは、俺じゃないのか? 数日が過ぎ、夏休みに入った。 「では、今日はこれで解散だ」 桜庭の号令で、図書部のメンバー全員を集めての打ち合わせが終わった。 「ああ……途中で寝オチするかと思った」 「途中で2回ビクッてなってたけど」 「やだなー、なってないって」 なってたけどな。 「夜更かしでもした?」 「昨日の深夜、面白い映画がやっててね」 「つい夜更かしして観ちゃった」 「へー、どんなの?」 「超偏屈な小説家が恋をする話なんですけど、この主人公が本気で意気地なしなんですよ」 「でも、そこがまたかわいいっていうか」 映画談義に花を咲かせる佳奈すけたち。 「悪いが、私はこれで」 桜庭が、さっさと荷物をまとめて立ち上がる。 『白崎と話してくる』と言った次の日から、桜庭の様子が明らかに変わった。 桜庭が、あからさまに俺のことを避けるようになったのだ。 図書部の作業は家に持ち帰るようになったし、連絡にもほとんど応じなくなった。 「……桜庭、ちょっといいか」 「ん?」 「よかったら、少し時間を作ってくれないか」 俺と桜庭に注目が集まる。 みんなの前で声をかけるのは、俺たちの間に何かあることを知らせるようなものだ。 とはいえ、こうでもしないと時間を作ってくれないだろう。 「すまない。今日は忙しい」 「家で作業するのか」 「その方が集中できるんだ」 「悪いが、これで」 出て行ってしまった。 ここまでやって話ができないなら、もう直接捕まえるしかないだろう。 「ちょっと用事を思い出した……」 みんなを見る。 白崎と高峰が『どうぞどうぞ』という顔をしている。 いい仲間を持ったものだ。 「それじゃ」 桜庭と筧が出て行った。 「何が起こってるんですかね」 「さあ……」 狐に顔をつままれたような顔の1年生。 「ま、俺たちは黙って見てればいいんじゃないか?」 「ね、つぐみちゃん」 「え? ……う、うん」 2年生は、何か知っている風に言葉を交わす。 「でも、あんな顔の桜庭先輩は初めて見ました」 「いつもキリッとしてるもんねぇ」 「甘え下手なんだよ、姫は」 「弱音はかないもんね」 自分に弱音を聞かせてくれたら……。 白崎が、今まで何度も考えたことだった。 でも、桜庭が最も弱みを見せたくないのは自分だということもわかっていた。 いつか何でも言い合える仲になれたらいいのにと、白崎は願う。 「筧さんに期待しましょう」 鈴木の声に、白崎は顔を上げた。 そう、自分には無理かもしれないけど、筧がいる。 彼ならば、桜庭のよきパートナーになってくれるかもしれない。 そんな思いが、白崎の表情を少し明るくした。 追いついてきた筧と、どこへともなく歩く。 図書館の近くでは話す気になれなかった。 頭を巡るのは、先日の白崎とのやりとりだ。 私と筧がデートした経緯を説明すると、白崎はにっこり微笑んだ。 「きっかけはそうかもしれないけど、玉藻ちゃん、筧くんのこと気になってるよね」 二の句が継げなかった。 「だって、私と一緒に帰るときに、筧くんの話ばかりしてたよ」 「すごく嬉しそうな顔してるの、気付いてた?」 「……まさか」 白崎はゆっくり首を振る。 「筧くんのこと、好きなんでしょ」 「……さて」 思わず目を逸らしてしまう。 「お人好しで、お節介焼きだとは思うけど」 「いつも私のお節介ばかり焼いて、本当にしょうがないやつだと思っているんだ」 「あのね、玉藻ちゃん」 「私、玉藻ちゃんと筧くんがデートしているところを見てて気付いたんだ」 「玉藻ちゃん、ずっと筧くんのことを見つめてた」 「あれはね、好きな人を見るときの目だよ」 「ドラマの見過ぎじゃないか?」 「もう、そんなんじゃないよ」 「女同士なんだから、すぐわかるって」 白崎が頬を膨らます。 正直、白崎の洞察力には驚いた。 もしかしたら、私がこういうことに鈍感なだけかもしれないが。 「私はともかく、白崎はどうなんだ?」 「私? 私が何?」 「筧のこと、気になってるんじゃないのか?」 「すごく好きだよ」 「でも、恋愛とは違うから」 白崎はあっさり否定する。 「あ、話を逸らさないで。今は玉藻ちゃんの話をしてるの」 「とにかくね、筧くんと玉藻ちゃんは、すごくお似合いだと思うよ」 私が筧とお似合い? もしそうなら……。 少し考えるだけで胸が高鳴る。 頭では白崎の言葉を否定しながらも、自分の感情が否定できないことはわかっていた。 「どうしてお似合いだと思う?」 「筧が私の足りない部分を補ってくれるからか?」 「それもあるよ」 「でも、一番は単純な勘かな」 「なあ白崎……私の足りない部分というのはなんなんだ?」 「あはは、クイズの答えだね。何だと思う?」 「質問を質問で返すのは失礼じゃないか?」 「だって、答えを教えるつもりないもん」 「玉藻ちゃんの答えが当たってるかどうかだけ教えてあげる」 白崎はあくまで微笑んでいる。 「でも、私は恋ができるような人間じゃない」 「それに、私には白崎を支える仕事が……」 「そこまでしてもらおうなんて思ってないよ」 ずっと微笑んでいた白崎が、初めて真剣な顔になった。 「ほどほどでいいから」 「もう、用済みだと?」 「違う。玉藻ちゃん、極端だよ」 「私のことを大事に思ってくれてるの、よくわかってるし、すごく嬉しい」 「でも、玉藻ちゃんも自分のことを考えてくれないようだと、私だって辛くなっちゃう」 「……」 白崎の目は、言葉以上のことを語っていた。 『あんまり寄りかからないで』 『これ以上は負担だよ』 私自身の心の声だったのだろうか。 何であれ、私の耳にはそう聞こえたのだ。 白崎は、私の本当のところを見抜いている……きっと。 「私ね、筧くんも玉藻ちゃんのことが好きなんじゃないかって思う」 「まさか」 もしそうなら、どれだけ嬉しいか。 「玉藻ちゃんには幸せになってほしいの」 「いつも私のことばかり気にして、自分のことを見てないよ」 「一度でいいから、筧くんの気持ちを確かめてみて」 笑顔で言う白崎は自信に満ちて……。 確かめて駄目だったらどうするんだ、なんて反論をする気にもならなかった。 気がつけば、筧とここまで来ていた。 「そろそろ座らないか?」 「あ、うん……そうだな」 裏返ったような声が出た。 話し方を忘れてしまったかのようだった。 「そろそろ座らないか?」 「あ、うん……そうだな」 無言でかなり歩いた。 桜庭も疲れただろう。 二人で並んでベンチに腰を下ろす。 「気を遣わせてすまない」 桜庭から謝ってきた。 「いや、いいんだ」 「急に避けられるようになったから心配したよ」 「気持ちの整理が付かなくて、自分でも困っていたんだ」 「どんなことで迷ってたんだ?」 「人に聞かせるようなことじゃない……つまらないことなんだ」 視線を落として言う。 人に心配をかけたくなかったら、もっと表面を取り繕わなくなくちゃいけない。 その点、桜庭は落第だった。 どう見ても放っておけない顔をしている。 「つまらないことに、俺たちのことも入ってるのか?」 「それは……」 桜庭が視線を落とす。 「もう終わりにしないか?」 「何を?」 「好きとか嫌いとか、そういうことだ」 「けりが付けば、私は前の自分に戻れる」 「周囲に迷惑をかけることもなくなるんだ」 「デートごっこを持ちかけてきたのはそっちじゃないか」 「謝って済むなら、いくらでも謝る」 「謝られてもなあ」 「なら、どうしたらいい?」 「付き合ってくれないか」 「それも決着のひとつにならないかな」 「ば……ばか……」 開いた口が塞がらないという顔だ。 「勢いで言うな」 「大体……」 「俺が桜庭を好きになるわけない?」 小さくうなずき、桜庭は俺から顔を背けた。 「桜庭は魅力的だと思う」 「外見はもちろんだけど、性格もすごくいいし」 「わ、私の性格のどこがいいんだ」 自嘲するように言う。 だが、乱暴な口調の中にも、褒められるのを期待するような響きがある。 頑張って頑張って強くあろうとしているのが見えてしまう。 そんないじらしさが、放っておけない気持ちにさせるのだ。 「どこがって、優しいし、いじらしいし」 「頑張ってるし、不器用で素直じゃないところも可愛い」 「や、やめてくれ」 耳たぶまで真っ赤にして、桜庭がうつむく。 「私は、筧に褒められるほど立派な女じゃない」 「何でもほどほどの人間だ」 「もっと自信持てって」 桜庭から返事はない。 「桜庭は俺が嫌いか?」 「嫌いってことなら仕方ない」 「……なら、嫌いだ」 「ならって何だよ」 「振るときくらい、ちゃんと目を見て言ってくれ」 桜庭が顔を上げる。 だが、すぐに目を逸らした。 「……嫌いだ」 「……」 「どうして私がぐらつくようなことばかり言うんだ……馬鹿」 これは……好意的に解釈していいのか? 「付き合ってくれるのか」 「……仕方ないだろ」 「筧のことを考えて、毎晩眠れないくらいなんだから」 付き合ってくれるということらしい。 「よかった」 「こっちはよくない」 「……嬉しくて、どうしていいかわからない」 目を細める桜庭。 顔や首筋は赤く染まっている。 花の蕾が膨らみ、その内側を垣間見せたかのような艶があった。 「……」 膝の上で握りしめている桜庭の手に触れる。 それだけで、桜庭は身体をぴくりと震わせた。 俺にしても、どうしたらいいかわからない。 「桜庭」 「筧?」 「…………ん……」 桜庭にキスをする。 戸惑ったように身体を硬直させる桜庭。 しかし、すぐに緊張は解けた。 「ちゅ……んっ……」 映画みたいに濃いキスじゃない。 唇を重ね合わせるだけの、挨拶のようなものだった。 時間にして、10秒か、15秒か…… 息が苦しくなった頃、俺たちは距離を取った。 「……」 「……」 見つめ合うと気恥ずかしい。 でも、目が離せない。 「筧……すまないが、好きだ」 「変なところで謝るな」 「……っ!?」 今度は、桜庭からキスをしてくる。 さっきとは違い、すぐに互いの舌先が触れる。 意外と情熱的な〈性質〉《たち》らしかった。 ……これからどうなることやら。 桜庭と恋人になってから一週間が経った。 俺と桜庭が恋人同士になったことは、その日のうちに図書部のメンバー全員にメールで伝えられた。 白崎からは、感無量といった感じの祝福メールが来た。 御園からのメールは『よかったですね』という淡泊なもの。 佳奈すけからは、なぜか詳細レポートの提出を求められた。 高峰からは一言、『頑張れよ』という返信だ。 「さて、最後に何か質問はあるか?」 はきはきとした声で、図書部に集まったみんなに告げる桜庭。 「はーい」 佳奈すけが手を挙げた。 「その後、筧さんとはどうですか?」 「それでは解散」 「ええっ、ここから本番ですよっ!?」 「部活と関係ないだろう」 ジト目で見られる佳奈すけ。 「筧さーん、約束が違うじゃないですか」 「何の話だよ」 「詳細レポートの提出をお願いしたじゃないですか」 「全国の視聴者が待ってるんですから、お願いしますよ」 「出さないって返事しただろ」 「せめて告白の言葉くらい教えてくれたっていいじゃないですか」 「うんうん、興味ある」 仕方のないやつだな。 「『付き合ってくれ』『仕方ない』ってだけだ」 言葉にすればそれだけ。 大事なのは行間である。 「桜庭先輩、なぜ上から目線」 「さすが姫だなぁ」 「違う、言葉にすると淡泊に聞こえるけど、もっと間にいろいろあったんだ」 首筋を赤くする桜庭。 髪をアップにしているのでよくわかる。 「ふふふ、玉藻ちゃんかわいい」 「しばらくはこのネタでいけそうですね」 「だなあ」 「部内カップル第一号成立、か……さーて、お次は……」 高峰が、狼のように女性陣を見回す。 「ぼふ……ふぁぶっ」 「『来いよ……いいんだぜ』って言ってます」 「霊長類以外はちょっとなー」 意外と守備範囲が広いな。 「ともかく、幸せになってくれてよかった」 「幸せって、白崎……べ、別につきあい始めただけだ」 「幸せじゃないの?」 「いや、それはまあ……」 照れる桜庭を見て、白崎が微笑む。 「ともかく、部活は部活だ」 「今後、部室でこういう話はしないから、そのつもりで頼む」 「えー、やっぱ潤いは必要ですって」 「そんなに乾いてるなら、潤いは自分で作ってくれ」 「完全セクハラ、さすがの俺でもレッドカードだ」 『少しは考えろ』みたいな顔する高峰。 「高峰、保健体育は家でな」 「ういっす。今日は頑張ろう」 「高峰先輩、退場でお願いします」 御園がぴしゃりと締めた。 「玉藻ちゃん、今日はどうするの?」 「残りの作業を片付けてから帰るが」 「そっか……ごめんね」 「せっかく付き合い始めたのに、部活の作業ばっかり」 「それはそれ、これはこれ。公私の別はつける、心配しないでくれ」 「あの、そういうことじゃなくて……」 白崎が表情を曇らせる。 桜庭は、まだ白崎の出したクイズの答えに至っていないらしい。 「ま、白崎、俺も手伝うから大丈夫だって」 「筧もこう言ってくれている」 「作業といっても、デートみたいなものじゃないか」 「う、ううん……」 「お姉様、ここからは大人の時間です」 「お一人様は帰りましょう」 「千莉ちゃん、その単語は重いよ……」 俺と桜庭以外が、ぞろぞろと帰る準備を始める。 「……なあ筧」 妙にシリアスな顔で、声をかけてきた。 そういえば、高峰は前に桜庭情報をくれたな。 「なんだ?」 「これは言うべきじゃないかもしれないが……」 「いや、やっぱりやめよう。何でもない」 「何だよ。気にせず言ってくれ」 何か忠告があるなら聞いておきたいところだ。 「筧……」 「お前の心は桜庭に盗まれたが、身体はまだ俺の物だって信じてる」 「いや、普通に違う」 つまらない話だった。 「ふう、これで終わりか」 「ああ、そうだな」 気がつけば、20時を回っていた。 「付き合わせてすまない」 「気にしないでくれ。俺も好きで手伝っているんだから」 「その好きは何にかかるんだ?」 「桜庭と、桜庭が関わること全てだ」 「ふふ、ありがとう」 桜庭が優しく微笑む。 思わず見とれてしまう。 「……」 「……どうした?」 「いや、いい顔をするようになったなって」 わずか一週間で劇的な変化だ。 「だとしたら筧のお陰だ」 「筧と一緒にいると、満たされた気持ちになる」 「今まで生きてきた中で、こんなに幸せを感じたことはない」 「光栄だ」 桜庭が喜んでくれることが嬉しい。 一緒にいるだけで互いの幸せが循環して膨らんでいく。 新しい発見だった。 「ただ、意外だったこともある」 「なんだ?」 「他の人に冷やかされても、桜庭はあんまり恥ずかしがらないんだな」 「もっと真っ赤になるのかと思ってたよ」 デートごっこの時は、手を握っただけで顔を赤くしていた。 しかし、今はまるで別人のように落ち着いている。 「恥ずかしがってほしかったのか?」 「いや、そうじゃない。ただちょっと不思議だっただけだ」 「おかしなことを気にしているんだな」 桜庭はくすくすと小さく笑う。 「素敵な人と一緒になれたんだ。恥ずかしがる必要なんてどこにもない」 「本当に私は幸せ者だ」 かわいいことを言う。 「今の台詞、ちょっとくらっと来たよ」 「なら良かった」 「……」 「……」 見つめ合うと、言葉が出なくなる。 でも、好きだという気持ちは伝わる気がする。 「ぷっ、なんだ筧。それだけか?」 「すまん、続きが思いつかなかった」 「別に何を言ってもいいんだぞ」 「筧が望むことなら、何でもしよう」 望むこと……か。 「それじゃ……」 「ああ」 「そろそろ帰るか」 「……おい、何だその肩すかしは」 「ここは筧が私に何かリクエストするところだろう」 そう言われてもなぁ。 しばらくして、俺たちは部室を出た。 「そういえば、本棚はきちんと整理しているか?」 「え?」 「筧の部屋の本棚だ」 「ああ……」 なぜ突然本棚の話を? 今までのやりとりを振り返ってみる。 ……もしかして、散らかっていると言うのが正解なのか? 「相変わらず散らかってるんだ」 「そうか……困ったものだ」 呆れ笑いをしつつも、どこか嬉しそうな桜庭。 「片付けが苦手でさ」 「よかったら手伝ってくれないか」 「仕方ないな」 そう言って、桜庭は肩をすくめた。 「ごちそうさま」 「お粗末様でした」 本棚の整理が終わった後、桜庭は手料理をご馳走してくれた。 「どうだった?」 「いや、すごくおいしかったよ」 「なら安心した」 桜庭は多くを語らなかったが、付き合うことになってからかなり料理を練習したらしい。 献立は、卵焼きと肉じゃがと味噌汁。 味は、前より格段に良くなっていた。 「かなり練習したんじゃないか」 「多少な……でも、今日作ったメニュー以外はからっきしだ」 桜庭は明るく笑う。 「茶や華は習ってきたが、料理は習ってこなかった」 「桜庭の家だと、四条流の庖丁道なんか教わりそうだ」 「あれは家庭向けじゃないだろう」 「そもそも、料理は料理人がするものだ」 格が違った。 「とはいえ、私は家族の食事は自分で作りたいと思っている」 「筧だってその方が嬉しいだろう?」 「まあな」 「これからは、料理も練習して、理想の恋人になれるよう頑張ろうと思う」 真顔で決意を告げる。 桜庭のことだから、驚くくらいの努力するのだろう。 しかし、図書部の作業に加えて、料理の勉強なんかしたら、桜庭はどうなってしまうんだ? 気持ちは嬉しいが、一抹の不安が過ぎる。 「あんま無理しなくていいぞ。桜庭は忙しいんだ」 「大丈夫だ。それに、私が何もできないと筧が恥をかく」 「今後は白崎から栄養学を教わろうと思っているんだ」 「筧には、長生きしてほしい」 俺のためにそこまでしてくれるのか。 「嬉しいけど、何か申し訳なくなってくるな」 「俺は今のままの桜庭でも十分だから」 「ば、馬鹿。やる気を〈削〉《そ》ぐようなことを言うな」 そう言いながらも、まんざらじゃない顔だ。 「わかった。でも、あまり根は詰めないでくれよ」 「もちろん」 どこまでわかっているのだろうか。 「してもらってばっかりじゃ悪いし、俺も何かするよ」 「何かネタない?」 「急に言われてもなあ……」 「俺を立てると思って頼む」 「そういうことなら、一つある」 少し恥ずかしそうに桜庭が言う。 何か色っぽいお願いなのか? 「筧の隣に行っても、いいか?」 「は?」 「隣に行っていいかと聞いているんだ」 「そんなことなら、いくらでも」 「もっとハードなお願いはないのか」 「隣にいられれば十分だ」 本心から言っているようだ。 「んじゃ、こっち来いよ」 ベッドの脇、俺の隣に桜庭を招く。 「ありがとう」 桜庭がベッドに上がる。 互いの肩がぶつかる距離で、ちょこんと体育座りをした。 「ははは、やはり緊張する」 「こう近いと、息をするのも気を遣うな」 「もっと気楽に頼むよ」 思わず苦笑してしまう。 「おいおい慣れるとは思う」 「桜庭」 「なんだ?」 「……手を回してもいいか?」 桜庭がうつむきがちにうなずく。 薄い肩にそっと手を回す。 「……ど、どうだ? おかしな所はないか?」 「ないよ。すごく気持ちがいい」 「そ、そうか」 膝の間に顔を埋めるようにする。 桜庭の身体は、想像以上にか細く柔らかかった。 普段しっかりしている分、女性らしい体つきにギャップを感じて驚く。 「わっ!?」 唐突に音楽が流れ、桜庭の身体がびくんと大きく跳ねた。 「け、携帯か……本気で驚いてしまった」 慌てて携帯を操作する桜庭。 「メール?」 「ああ……」 桜庭の表情が硬かった。 「誰から?」 「親からだ」 「帰省の予定を知らせろということだ……まったく」 桜庭の声からは、さっきまでの甘い響きがなくなっていた。 厳しい仕事に直面しているかのような声だ。 思い出されるのは、高峰のアドバイスだ。 桜庭は、地元では本当に姫扱いされている。 それは親も同様で、あらゆる面において、姫として恥ずかしくないレベルを要求されているらしい。 桜庭のストイックな性格に、こういった環境が影響していないわけがない。 ここらでちょっと突っ込んでみるか。 「名家の出身だって言ってたけど、やっぱ親が厳しかったりするのか」 世間話の調子で振ってみる。 「……」 黙り込んでしまう桜庭。 いきなり駄目か。 「あーいや、言いたくないなら言わなくていい」 「すまん、変なこと聞いた」 「いや、いずれは伝えなければならないことだ」 「筧が知りたいなら教えよう」 桜庭は少し離れ、俺に向き合うように座り直す。 「何度か話に上ったが、私の実家は藩主の家柄だ」 「父親は、今でも藩主扱いだし、家臣として振る舞っている人間も多い」 「私も物心ついたころから姫扱いされてきた」 「周囲からはちやほやされる分、家では厳しく育てられたんだ」 「躾や習い事はもちろんだし、勉強もスポーツもトップでなくては許されなかった」 「もちろん、学級委員、生徒会長コースだよ」 「じゃあ、大変だったな」 「ま、地元ではそれなりにやってきた」 「でも、ここではな……」 桜庭が溜息をつく。 汐美学園でトップになるには、実質的に日本のトップにならねばならない。 努力はもちろんだが、突き抜けた才能も必要だ。 残念ながら、桜庭は地元の秀才止まりだったということだろう。 親からのプレッシャーと越えられない現実の狭間で、桜庭は苦しんできたのだ。 そう考えれば、桜庭の自己評価の低さやストイックさは理解できる。 「でも、桜庭は偉いよ」 「いつも頑張ってるのは、親の期待に応えようとしてるからだろ?」 「どうかな……もう、結果を出すことは諦めているんだと思う」 「それでも、とにかく頑張っていないと不安でたまらなくなる」 「毎日へとへとになると、妙に安心できるんだ」 「自分への言い訳というのか……ここまでやったんだから、もういいじゃないかって気分になれる」 努力することが目的化しているのか。 「馬鹿らしい話だろ」 「誰にだって事情はあるんだ、馬鹿らしくなんてない」 「筧は優しいな」 桜庭が儚く微笑む。 「俺と付き合い始めたことも、親に報告したりするのか」 「いや、今はまだ言いたくない」 「もう少し後じゃ駄目か」 「俺はいつでも構わない」 「事情もよくわからないし、タイミングは桜庭に任せるよ」 「……わかった」 「しかし、旧家というのは筧の想像以上に面倒なことがある」 「もし嫌気が差したら、そう言ってくれ」 「俺は大丈夫だ」 「いや、無理はしてほしくないんだ」 「嫌になったら、ひと思いに引導を渡してほしい」 「馬鹿だな」 向いに座っている桜庭の頭を撫でる。 「そんなことで別れるか」 「ありがとう……筧」 「私も……ずっと一緒にいたい」 そう言うと、桜庭は俺の胸に顔を埋めてきた。 「えー、フローズンヨーグルトはいかがですかー」 真夏の海水浴場は、実に暑い。 そんな当たり前のことを恨めしく感じつつ、声を張り上げる。 「フローズンヨーグルトはー、いかがですかー」 今日、俺たちに割り当てられた依頼はアイスクリーム同好会の売り子だった。 アイスクリーム同好会なのになぜフローズンヨーグルトなのか多少の疑問はあるが、この際細かいことはどうでもよかった。 「すんません、2つください」 よく日に焼けた男子の2人組がやってきた。 「はい、1つ300円です」 「……おい、ちょっと待て。向こうを見ろよ」 「ああ、なんだ?」 茶髪の男子に促されて、日に焼けた男子が俺の後ろに目をやる。 そこには……。 「い、いらっしゃいませ……よよ、よっつですね……」 「はい、4つで1200円になります」 水着姿の白崎と桜庭が売り子をやっていた。 容姿端麗の水着女子2人が声を張り上げていたら、嫌でも目立つ。 「あ、お兄さん、やっぱいいわ」 2人組の男子は、まるでボールを追いかける犬のように白崎と桜庭の方に向かって行った。 「(またこのパターンか)」 昼前から売り子をやっているが、もう何度も仲間に客を取られている。 ま、俺が客でも向こうで買うけどな。 ちなみに、客はアイスを買うだけでは終わらない。 「えっ……あの、その、すみません……わたし今、売り子をしているので……」 あっさりナンパされていた。 10回から先は数えていないが、本当によく声をかけられている。 「お客様、当店ではフローズンヨーグルト『のみ』取り扱っております」 「別のものをご所望でしたら、他のお店へどうぞ」 白崎の前に桜庭が立ちはだかり、完全な営業スマイルで脅す。 今回の男子もあっさり撃沈。 アイスを抱え、すごすごと去っていった。 「(桜庭がいれば安心だな)」 もともと、俺はボディガードとして呼ばれていた。 ところが、桜庭がいれば十分ということになり、いつの間にか売り子にされていたのだ。 「でも、売れないんだよなぁ……」 「ねえねえ、おにいさん」 「いらっしゃいませ」 一人で黄昏れていると、声をかけられた。 白崎と同じくらい胸が大きい、可愛らしい子だった。 「おにいさん、アイス売ってるの?」 「はい、1つ300円です」 「さっぱりしたヨーグルト味で、いい感じですよ」 「う〜ん、どうしようかな〜」 値引き交渉だろうか。 「ねえねえ、さっきっから見てるんだけど、あんま売れてないよね」 「は?」 「だったらさ、私と遊ばない? ね?」 じりじりと迫って来るビキニの女子。 これは、逆ナンというやつか? 「悪いんだけど、仕事中でさ」 「だって、売れてないじゃん」 「余計なお世話でございます」 「じゃあじゃあ、何時に終わるの?」 「一応5時かな」 「オッケー、5時ね。そしたら、海の家で待ってるからぁ……」 「いや、待て」 勝手に話が進んでる! 「5時からは先約がある」 後ろから、ぬっと桜庭が現れた。 「なに、あんた?」 「いわゆる彼女だ」 ぎらりとした目で、桜庭が女の子を睨む。 「……はいはい、悪かったわね」 ひらひらと手を振って、女の子は去って行った。 「助かったよ」 にこやかに話しかけると、こっちにも危険な視線が来た。 「筧、私が来なかったら5時からどうするつもりだったんだ?」 「どうもしないって」 「本当だろうな?」 「どう見ても、5時から羽を伸ばして、開放的な気分のまま……という感じだったが」 「いや、ホント何もないから」 「本当だな」 何度もうなずく。 「……ならいい」 むすっとした顔を見せる桜庭。 どうやら嫉妬しているらしい。 「あまり心配をかけさせないでくれ」 ぽそりと言って、桜庭は走って白崎の元へ戻っていく。 ちょっと涙目だったように見えた。 桜庭と白崎の頑張りにより、アイスクリーム同好会が作ったフローズンヨーグルトは完売した。 俺の分も、結局は2人が売ってしまった。 「売上金も同好会に預けたし、今日の依頼はこれで完了だ」 「同好会の人たち、喜んでくれてよかった」 「頑張った甲斐があったな」 報酬代わりのアイスを食べながら、海を眺める。 去年までの図書館生活からは想像できない自分の姿だ。 「この後はどうする?」 「そうだな、明日の依頼のまとめがあるし……」 「せっかく水着できたんだし、遊んでいかないか?」 桜庭が悩んでいる。 桜庭の水着姿なんて、そう拝めるものじゃない。 何とか楽しんでいきたいところだ。 「玉藻ちゃん、明日の作業は私がやっておくよ」 「せっかくだし、2人で楽しんた方がいいって」 俺たちが恋人同士になってから、白崎はすごく気を遣うようになった。 桜庭が『たまには一緒に帰ろう』と言っても、俺と一緒に帰るように勧めるのが常だった。 「しかし……」 「いいのいいの」 「あ、わたし飲み物買ってくるね」 白崎が海の家に向かおうとする。 「待ってくれ」 「それくらいは私が買ってこよう」 「え、でも……」 「白崎、そこまで気を遣われるとやりにくいぞ」 「私と筧は部室でいつも一緒なんだから、気にすることはない」 「そっか、ごめんね」 ぎこちなさの残った笑みを浮かべる2人。 「俺が行こうか?」 「いや、大丈夫だ。行ってくるよ」 俺と白崎の要望を聞いて、桜庭は海の家に向かっていった。 「……」 小さくなっていく桜庭を俺と白崎で見つめる。 「……行っちゃったな」 「そうだね」 こうして白崎と2人きりになるのは久しぶりだ。 少し話を聞いてみるか。 「最近、桜庭とはどう?」 「……普通、かな」 普通じゃないと顔に出ていた。 「誰かさんが気を遣ってくれるお陰で、桜庭といつも一緒だよ」 「桜庭、自分がいらないと思われてるんじゃないかって心配してる」 「そんなことないんだけど」 白崎が、困ったように眉尻を下げる。 「でも、恋人って特別だと思うし」 「桜庭にとっては、白崎も特別なんじゃないか」 「そう思ってくれるのは嬉しいんだけど、玉藻ちゃん、自分でブレーキを掛けてくれないから」 白崎が溜息をつく。 「それが、例のクイズの答えだろ?」 「え?」 「あ……言っちゃった」 白崎が口を両手で押さえる。 「ははは、いいよ、俺はある程度わかってたから」 「要は、桜庭に教えなきゃいいんだろ?」 「玉藻ちゃん、まだ気づいてないのかな」 俺がうなずくと、白崎はまた困ったような顔になった。 白崎からすれば、桜庭は一度仕事を頼むと、壊れるまで止らない兵士のようなものだ。 兵士ならまだいいにしても、二人は友人だ。 いつも相手を気遣っていなきゃいけないようだと、ぶっちゃけしんどい。 「もしかしたら、気づいてるのかもしれないけどな」 「そうなの?」 「いや、想像だ」 桜庭は、頑張ることで不安を埋めている自分を冷静に観察していた。 クイズの答えくらいには気づいてるだろう。 しかし、答えてしまったら、直さないわけにはいかない。 桜庭には、まだその自信がないのではないだろうか。 「一つ確認なんだけど、桜庭のこと嫌いになったりしないよな」 「ええっ!? 当たり前だよっ」 白崎が胸を揺らして反論する。 「筧くん、おかしくなっちゃったの?」 「だから確認だって」 「もう、びっくりした」 「玉藻ちゃんがそんな心配してるんだったら、全力で否定してね」 「私は、玉藻ちゃんがぜんっぜん仕事しなくても、嫌いになったりしないって」 「りょーかい」 呆れを通り越して、白崎は半分怒っていた。 こういうときに怒ってくれるってのは、何だか頼もしいな。 「とにかく、玉藻ちゃんのこと、よろしくね」 「ああ、頑張るよ」 「彼氏だもんね」 ひとしきり海で遊んだ後。 一緒に夕食を取ることになり、桜庭の自宅マンションまでやってきた。 「適当に座って」 「ああ」 促されて座ると、すかさず桜庭がお茶を持ってきてくれた。 「最近、絵は描いてないのか」 「え?」 水出し緑茶を注ぎながら、桜庭が顔を上げる。 「いや、前からあんま変わってないように見えたから」 隣室には、前にも見かけた描きかけの絵があった。 ぱっと見で、進んでいるようには見えない。 「ああ、あれか……」 そう答え、桜庭は無言でお茶に向かう。 再び口を開いたのは、グラスを俺の前に置いた後だった。 「このところ、時間がなくて絵を描けていなかったんだ」 そう言って笑う桜庭。 「いいのか?」 「仕方ない」 「時間は有限だし、趣味から削るのが普通だろう?」 「まあな」 言ってることは間違ってない。 しかし、納得できないという思いもある。 以前、桜庭は、この部屋で絵に対する思いを語ってくれた。 「絵を描いていると、全て忘れられるんだ」 「頭が真っ白になって、気がつくと何時間も経ってしまっている」 「本当は絵のことを考えていなければならないと思うんだがな」 「いつまで経っても上達しないのは、そのせいかもしれない」 あの時の、桜庭の笑顔を思い出す。 肩の力の抜けた、いい表情だった。 頑張っていないと不安になると言っていた桜庭。 その彼女が、絵を描いているときは全て忘れられるという。 桜庭にとって、絵画はストレス解消以上のものなのではないだろうか。 付き合い始めたことで絵が描けなくなったとするなら、俺がやるべきことは他にあるような気がする。 「もしさ、料理の勉強とかで絵が描けないんだったら、無理しなくていいぞ?」 「趣味は絶対続けた方がいいって」 「今は筧のために勉強することが息抜きなんだ」 「だから心配しなくていい」 笑顔で言われてしまう。 今は見守っていくしかないか。 「さて、そろそろ夕食の準備をするよ」 言ってる傍からこれだ。 「今日は外食かコンビニにしよう。桜庭も疲れてるだろ?」 「筧の恋人として、そんな食事は認められない」 「あれから煮物も勉強したんだ。少し待っていてくれ」 「俺はコンビニでも気にしないから大丈夫だ」 「気を遣ってくれるのは嬉しいが、既に食材を買ってあるんだ」 「消費してくれないと逆に困ってしまう」 「じゃあ今日は俺が作るよ」 「ありがとう、筧」 「でも、ここは私の家だし、私が作った方が早い」 「男性には、どんと構えていてもらった方が気が楽なんだ」 「亭主関白が望みなのか?」 「こう見えて、尽くすタイプなんだ」 どうも譲る気は無いようだ。 桜庭の家でもあるし、今日は譲ろう。 「わかった。今日は桜庭に任せるよ」 「ああ、そうしてくれ」 「今日はカレイの煮付けなんだ」 「初めてだから、失敗しても大目に見てくれよ」 なんというか、古き良き時代の良妻の片鱗を感じさせまくってくれる。 上げ膳据え膳で生活できそうだ。 桜庭の作った夕食を取り、一息つく。 「……うまかった」 「よかった。これで煮付けもマスターだ」 安心したように微笑む桜庭。 「この調子なら、いい嫁さんになれそうだな」 「筧、それは違う」 「は?」 「それを言うなら『いつでも俺の嫁に来ていいぞ』……じゃないか?」 恥ずかしい奴だった。 「やり直しだ」 「言えるか」 「ま、その気になったら言ってくれ」 「待っているぞ」 桜庭は楽しそうに笑う。 こういう時、桜庭はすごく無邪気な顔をする。 「ああ、それにしても今日は疲れた」 「ずっとクーラーボックスを掛けていたせいで、肩と首ががちがちだ」 「肩、揉んでやろうか」 ようやく俺にできることが見つかった。 「できるのか?」 「マッサージの本は読んだことがある」 「佳奈すけくらいにはできるだろ」 「鈴木のマッサージは怪しいからなあ……言う度に段位が違うし」 そりゃギャグだからだ。 「まあいい、お願いしよう」 「わかった」 桜庭の後ろに回り、肩に手を置く。 「……なあ、今気付いたんだけど」 「なんだ?」 「本を読むだけで、マッサージがうまくなるのか?」 「今から証明してやるさ」 「いや、意気込まれても困る」 「何とかなるだろ。痛かったら言ってくれよ」 肩や肩甲骨の内側を親指で押していく。 比較対象はないが、かなり凝っているようだ。 「ああぁ……気持ちいい……」 「んっ……いたたた、そこは痛い、痛いから……」 「ああ……そこが気持ちいいな……もう少し強めで頼む……」 髪を上げている桜庭は、後ろからはっきり首筋が見える。 肩を押す指に力を込めると、長いポニーテールと共におくれ毛が揺れた。 「筧、初めてのわりには、なかなか上手じゃないかっ……」 「うはぁっ、んんっ……くっ、ああ、そこは……もっと、強くしても大丈夫……」 桜庭の声が室内に響く。 「んんんっ、ふあぁっ……あっ、いいっ、くううぅ〜っ……!」 「ひあっ、だめっ……ああ〜っ……あっ、んんっ……」 「まあこんなもんか」 握力の限界だ。 「……あれ? もう終わりなのか?」 「今日はこの辺で勘弁しておいてやろう」 「何を言っているんだ」 ジト目で言いながら、桜庭が肩を回す。 「ああ、気持ちよかった。やはり自分でするのとは違う」 言葉だけだと、なかなか迫力がある台詞だ。 俺も保体脳になってしまったのか。 「さて、食器を洗ってくるから、のんびりしていてくれ」 「ああ、悪いな」 食器を片付け終えた桜庭は、ベッドに腰を下ろした。 「さっき聞こうと思っていたんだが、他の子のマッサージもしているのか?」 「するか。訴えられるわ」 「そうか? あれだけ上手ければ喜ばれると思うが」 「んじゃ、高峰が迫ってきたらどうする?」 桜庭が目を閉じる。 「……なるほど、正当防衛も成立するだろうし、裁判なんてまどろっこしいことはしないな」 かわいそうな奴だ。 「ともかく、図書部に限らず他の女子とは控えてほしい」 「自分でも嫉妬深くて嫌なんだ。でも、どうしても気になってしまう」 「ああ、心配しないでくれ」 「俺も、桜庭が別の男にマッサージされてたら、同じ気分になると思うし」 「他の男になんて触らせない」 「私は筧のものだ」 きりっとした顔で言う。 「だから、まあ、なんだ……」 桜庭が言いにくそうにうつむく。 「どうしたんだ」 「こんなことを聞くのは、非常に気が引けるが……筧は、私のことをどう思う?」 「……好きだ」 「いや、そうことじゃない」 「その……なんだ」 「私たちが付き合い始めて、もう2週間経つじゃないか」 「……ああ」 桜庭がベッドに座ったのはそういう意味だったのか。 俺も、まだまだ修行が足りない。 「心配なんだ……私には魅力ないんじゃないかと思って」 桜庭は十分魅力的だ。 今日の水着姿だって、何度も触れてみたいと思ったし、当然その先だって考えた。 「桜庭さえ嫌じゃなかったら」 「嫌なら、こんな話はしない」 「……」 「あ……か、筧……」 ベッドに腰かけていた桜庭の上に覆い被さる。 「本当にいいのか」 「ああ……もちろんだ」 そう答えるものの、桜庭の身体は緊張で強ばっていた。 「今ならまだやめられる」 「もう聞くな、馬鹿」 桜庭が目をつむる。 「桜庭」 唇を近づけていく。 桜庭の息が顔に当たる。 「んんっ……」 俺は顔を傾け、そっと桜庭の唇の上に自分の唇を乗せる。 「ちゅっ、んくっ……ふっ……」 「あっ……んふっ、ちゅっ……んっ……」 唇が重なると、くたっと身体の力が抜ける桜庭。 「んちゅっ、んっ……はぁっ、んくっ……んっ……」 「んんっ、ちゅっ、ちゅうっ……んんっ、あんっ……」 桜庭の唇から艶っぽい声が漏れる。 唇の柔らかい感触に、抑制が利かなくなっていく。 「んっ、ちゅっ……あふっ、んんっ、ちゅうっ、はっ……」 「あんっ、んっ……んっ、あっ、筧っ……」 呼ばれて、少しだけ身体を浮かせる。 「んふっ……はっ、もう、終わりか……?」 「いや、まだだ」 まだ足りない。 もっと桜庭の唇をむさぼりたかった。 「……ふふ、よかった」 「私も、もっと筧と……キスしたい」 「わかった」 つやつやと輝く桜庭の唇に、再び唇を重ねる。 「んくっ、んちゅっ……あんっ、んっ……んふっ……」 「んっ、あんんっ、あっ……んっ、んはっ……」 「あんっ……んくっ、んふぅっ……ふぁ、んっ……んんっ……」 ついばむように唇を交わらせ、互いに互いをたっぷりと味わう。 「んふっ、あっ、ふんんっ……あくっ、んんっ、んふぁっ……」 「あんんっ、うっ……ちゅっ、ちゅくっ……んぷっ……」 「はっ、ふぁっ……んちゅうっ、んうぅっ、あっ……んあぁっ……」 顔を浮かせようとしたら、桜庭に押さえられてしまった。 俺の首に両腕を回し、ぎゅっと抱きついてくる。 「んんっ……んはっ、んっ、筧っ、んんっ、あっ、ふぅんっ……」 「んっ、んくぅっ……はぁっ、んぁっ、あふぅっ……」 唇の触れ合う感覚が心地いい。 痺れるような快感に、頭の芯まで痺れてしまう。 「あんんっ、んくっ……ふっ、んんっ、んああぁっ……」 「んっ、あくっ、んっ……ぷはぁっ……」 「んっ……はあっ、はあっ……はあっ……」 お互い荒い息をつきながら、見つめ合う。 桜庭は俺にしがみついたままだ。 身体中の血がたぎり、このまま桜庭を奪ってしまいたくなる。 「桜庭」 「筧……」 このまま、してもいいのだろうか。 桜庭の胸に手を置く。 「あっ……」 手を少しずつ下へと這わせていく。 胸から腹部へ、腹部から足の付け根へと手を滑り込ませる。 「筧ぃっ……」 桜庭の瞳に、光る物が見えた。 キスの時は脱力していた桜庭の身体に、再び力がこもる。 かなり緊張しているようだった。 「桜庭……」 「すまない……いいんだ、気にしないでくれ……」 しかし、桜庭は太ももに力を入れたままだ。 このままでは手を入れるのも難しい。 桜庭の身体は震えていた。 「ふう……」 身体を起こす。 「な……ど、どうしたんだ」 慌てて起き上がる桜庭。 「今日はやめておこう」 「えっ……」 「桜庭を怖がらせるのは嫌だしな」 「そんなこと……」 「なくはないだろ?」 桜庭の瞳に溜まったままの涙を拭ってやる。 「でも……筧は、したかったんだろう?」 「したかったよ」 「でも、別に今日じゃなくてもいい」 「……」 「今日はキスだけで十分だよ」 「すごく幸せな気持ちになれた」 「そうか……」 桜庭が顔を真っ赤にしてはにかむ。 「でも……悪かったな」 「これから筧とするんだと思ったら、頭が真っ白になってしまった……」 やっぱり緊張していたんだな。 桜庭は純粋なのだろう。 「別に焦る必要はないんだ」 「もっと一緒にいる時間を増やして、慣れてからでいいさ」 「すまない。筧に気を遣わせてしまった……」 「いいって、気にするなよ」 桜庭の頭を優しく撫でてやる。 「……恋人として情けない」 心底落ち込んでいる桜庭。 理想の彼女になろうと頑張っていただけに、ショックが大きいのかもしれない。 いや、そもそも今日こういうことになったのも、桜庭が理想的な彼女であろうとしたからだ。 精神的に溜め込まなければいいが。 「桜庭、こっち来て」 桜庭と並んで横になり、腕枕をしてやる。 「ありがとう」 桜庭が俺の二の腕に頭を載せた。 「何となく事後ってことで」 「口にしなくていい」 ぶすっとした顔で言うと、桜庭は眠るかのように目を閉じた。 「なあ桜庭」 「ん?」 「頼むから、無理はしないでくれ」 「焦らなくても時間はあるんだ。ゆっくりでいいからさ」 返事の代わりに、桜庭は俺の胸を手のひらで撫でた。 無理して料理を勉強しなくてもいい。 付き合って2週間経ったからって、先に進もうと思わなくていい。 なんなら、理想の彼女になろうとしなくたっていいんだ。 もちろん桜庭の気持ちは嬉しい。 でもそんなことより、桜庭が自然体で、気楽に過ごせることの方が何倍も重要だと思う。 ……白崎も、きっとこんな気持ちだったんだろう。 桜庭が自分のために頑張ってくれるのは嬉しい。 でもそれで、桜庭がバランスを崩すのはまったく嬉しくない。 「前にも言ったじゃないか」 「私は、走っていないと不安に追いつかれてしまうんだ」 「そうだったな」 桜庭は、親の過剰な期待に応えられなくて自信を失っている。 実現不能な期待を寄せる親の方が悪いと思うが、そこは真面目な桜庭だ。 どうしたって自分を責める。 その結果、とにかく頑張ることで、何とか不安や自責から逃れている。 「考えてみりゃ、桜庭が頑張るのは、俺が本を読むのと同じか」 「どういうことだ?」 「俺も、本を読み続けていないと不安だったんだ」 「冊数とかじゃなくて、とにかく読んでる瞬間だけは不安から解放される」 だから、読み続けなければならない。 止まったら酸欠になるマグロみたいなものだ。 「筧みたいに、自己完結してるならいいじゃないか」 「私の場合は、もっと悪質だ……」 「わかるだろ? 私は……ありがとう、すごいねって言われたいんだ」 「本当にそれだけの、賤しい人間だ」 桜庭がどこか諦めたように笑う。 「……」 本を読まねば不安だった俺に、無理をしなければ不安な桜庭。 俺にとっては、無数の本を収めた図書館はオアシスだった。 桜庭にとっては、沢山の依頼が舞い込む図書部がそれに当たるのだろう。 そしておそらく……。 「私は、白崎を利用しているのかもしれない」 「あいつを助けると言いながら、結局、助けているのは自分自身だ」 「見苦しいにもほどがある」 桜庭がぼんやりと天井を見上げる。 桜庭は聡明だ。 なんやかんやで、自分がやっていることに気づいていたのだ。 白崎に頼りにされることで、自分を保っている自分に。 しかし、そんな自分を丸ごと受け入れるには、桜庭はいささか高潔すぎるだろう。 よくある話なんだけどなあ。 「私は、汚れているな」 「そうだな」 否定してくれると思ったのか、桜庭が驚いた顔で俺を見た。 「俺も一緒だよ」 「筧……からかっているのか?」 「本気だって」 「俺だって汚れてるし、図書部のみんなもそうだと思う」 「あいつらは汚れてなんていない。みんないい奴だ」 「悪い奴とは言ってないって」 「ただ、図書部なんて、別に特殊な人間の集まりじゃないだろ?」 「突き抜けて綺麗な奴も、汚れてる奴もいないさ……もちろん桜庭も含めてな」 「だからきっと、桜庭の悩みを聞いても、笑い飛ばしてくれる」 「……そう、だろうか」 納得できないのか、桜庭が難しい顔をしている。 「桜庭」 桜庭の頭を少しだけ乱暴に撫でる。 「あっ、こら……」 「地元じゃ知らないが、図書部じゃ誰も桜庭を姫だなんて思ってない」 「普通で行こう」 もう一度頭を撫でる。 「ありがとう、筧」 「そうだな……少し、自意識過剰だったかもしれない」 桜庭がわずかながら微笑んでくれた。 「俺はずっと一緒にいるから、少しずつ慣らしていこう」 「……ああ」 桜庭が、俺の胸元に顔を埋めた。 少しでも、桜庭の不安を和らげられたのなら嬉しい。 とはいえ、今まで桜庭がずっと悩んできた問題だ。 俺が口先でどうこう言ったところで、いきなり解決とはならないだろう。 二人で、時間をかけて取り組んでいかないとな。 「ううん、それは……大変だな」 一瞬、部室が静かになる。 白崎・鈴木チームが担当していた依頼でトラブルが起こったのだ。 おまけに、それが原因で想定外の作業が発生していた。 「すみません……」 「大丈夫だ、気にしなくていい」 「でも……私たち、次の依頼もありますよね」 少しでも多くの依頼に応えるために、スケジュールは繊細に組まれている。 ある程度の予備日はあるが、それは俺たちの休みを兼ねていた。 「鈴木たちはスケジュール通りに動いてくれ」 「今抱えている依頼は私が引き継ぐ」 「それでいいんですか?」 「なに、気にするな」 「この程度のことは想定の範囲内だ」 そう言うものの、桜庭は桜庭で別の依頼を抱えている。 忙しくなることは必至だった。 「玉藻ちゃん。わたしたちも休みに出るから、手伝わせて」 「白崎は心配せず休んでくれ」 「でも、このままじゃ玉藻ちゃんが大変過ぎるよ」 「私は忙しいほど燃えるんだ」 「格好いいなぁ」 「だろう?」 にやりと笑う桜庭。 折れる気はなさそうだ。 「桜庭、俺にも手伝わせてくれ」 「今回は私一人でも大丈夫だぞ」 「少しでもお前と一緒にいたいんだよ」 「そうか」 ひゅう、と口笛を吹く高峰。 「白崎、俺が手伝うから大丈夫だ」 「うん……」 暗い顔でうなずく白崎。 まあ、自分の抱えていた依頼でトラブルが起こったのに、そのツケを桜庭に回すのは抵抗があるだろう。 「桜庭、二人で頑張ろうな」 「もちろんだ」 嬉しそうに微笑む桜庭。 「あれ、携帯鳴ってますね」 「すまない、私だ」 桜庭が携帯を取り出す。 「……」 桜庭の顔色が変わった。 「少し出てくる」 桜庭が足早に部室を出て行った。 部室に戻ってきてから、桜庭はあからさまに暗い顔になっていた。 口数も少なく、むっつりとPCの画面を睨んでいる。 電話が親からだということは教えてくれたが、それ以上はわからない。 「……」 「……」 白崎が目で何かを訴えてきている。 「ちょっと飲みもん買ってくるわ」 「あ、私はフラワーハンティングに」 「おお、肉食系の化粧直しですね」 「ふふふ、やるかやられるかの勝負だよ」 どんな便所だよ。 「フラワーピッキングじゃないの?」 「しーーっ」 そそくさと、移動した。 「ごめんね、呼び出して」 「大丈夫」 「で、桜庭のこと?」 「ご両親から電話があってから、暗い顔してたから」 「親御さんとは、いろいろとあるらしいからなあ」 白崎が唸る。 「聞けるようなら、後で聞いてみる」 「よろしくね、筧くん」 微笑む白崎だが、不安は拭えていないようだ。 「玉藻ちゃん、最近、元気がなくなってる気がするんだけど」 「ああ……」 海でアイスを売ってから1週間。 桜庭は少しずつ消耗していっていた。 懸念していた通り、桜庭は全てを完璧にこなそうとしているのだ。 「このままじゃ、パンクしちゃわないかな?」 「無理しないようには言ってるんだけど」 桜庭の場合、精神衛生を保つために無茶をしている部分がある。 なかなか難しい。 「筧君が言っても駄目かぁ……」 白崎が珍しく腕を組んだ。 「私はただ、今より少しだけ、玉藻ちゃんに自分を大事にしてほしいだけなのに」 「恋愛もそうだし、趣味とか、勉強とか、いろいろあると思うし」 趣味、か。 「桜庭の趣味って知ってる?」 「はっきりとはわからないんだけど、絵だと思うよ」 「筧くんに会う前なんだけど、私の趣味が写真だって言ったとき教えてくれたの」 「ていうか、筧くん知らないの? 彼氏なのに?」 「知ってる」 「じゃあ聞かないでよー」 ぷんすかしている。 「やっぱり上手なのかな? 一度も見せてくれなくて」 「上手いと思う。美大目指してるって言われても納得するよ」 「やっぱり」 嬉しそうに微笑む。 「展覧会に出すって言ってたから、絶対上手だと思ってた」 「展覧会?」 「美術科主催の展覧会。毎年秋にあるんだよ?」 「それって、いつの話?」 「図書部に入る前だよ」 「玉藻ちゃん、今の活動が始まってから、趣味の話をしてくれなくなったから」 「なるほどな」 気になったのは描きかけの絵だ。 もしかしたら、展覧会に出そうと思っていたのかもしれない。 「最近は、時間がなくてほとんど描けてないみたいだけど」 「そうなんだ……せっかく上手なのにもったいないね」 「本人としては、時間がないなら趣味は最初に削るべだってことらしいけど」 「もう、玉藻ちゃんは」 白崎が唇をとがらす。 「あんまりわかってくれないようなら……ちょっと考えなきゃだよね」 「何を?」 「ふふふ、悪いこと」 白崎が、おかしそうに笑った。 部活が終わってから、桜庭の自宅にやってきた。 「親御さんとのこと、聞かせてもらえるか?」 今日の部活動中、親からかかってきた電話の内容を教えてくれることになっていた。 しかし、桜庭の口は重い。 「そんなにまずい話だったのか」 「まずい……というか、恥ずかしい」 「今さら、弟妹が増えたとか?」 「ああ、それは恥ずかしいな」 「……いや、全然違う」 ノリツッコミまでしてもらった。 「筧に、恥ずかしいことをお願いしなければならないんだ」 「だからもう少し時間が欲しい」 「はあ」 しばらくして、桜庭がテーブルに両手をついた。 「筧、お願いがある」 「……私に勉強を教えてくれ」 頭を下げた。 「……は?」 予想外の発言に、言葉を失う。 「筧は学年トップクラスの成績だ」 「その腕を見込んで頼むんだ。私に勉強を教えてくれ」 「いや、別にいいけど、なんでまた?」 顔を上げ、桜庭が事情を説明してくれる。 話を総合すると、要は、成績が悪くて親御さんに怒られたということらしい。 ちなみに、前回の試験の順位は700位台。 1000位以内なら、秀才扱いされるのがこの学園だ。 「父がこの学園にいたころは、いつも10位圏内だったらしい」 「700位なんてお話にならないということだった」 「親父さん、OBなのか……」 「でもさ、そりゃ比較対象が悪いぞ。俺は700位でも十分だと思う」 「学年トップにそう言われても悲しいだけだぞ」 「俺は試験が得意なだけだよ」 「はあ、その才能を分けてほしい……」 桜庭が嘆息する。 「次は最低でも500位以内を求められている」 「だから勉強を教えてほしいんだ」 「別に構わないよ」 「とりあえず、夏休み中に前期の復習を終えておきたい」 「二人の時間をこんなことに使うのは心苦しいが、よろしく頼む」 「気にするなって」 「桜庭と一緒なら、勉強もデートのうちだよ」 「ふふ、ありがとう」 「今日からやるか?」 「もちろん」 桜庭が、すっと立ち上がる。 「勉強は、向こうの部屋でやろう」 桜庭が、隣室の引き戸を開いた。 「……あ」 先日まで広げられていた画材が、跡形もない。 ただの、綺麗な勉強部屋だった。 「お前……絵は?」 「触る時間がないし、もう片付けた」 「未完成の絵が視界に入ると、どうしても気になるしな」 「いや、でも」 片付けちまっていいものなのか? 「こっちなら、机も大きいし勉強も捗るだろう」 「さ、しっかりと教えてくれ」 絵についての話題を避けるように、桜庭が明るい声で言う。 これはちょっとまずいんじゃないか……。 「さ、一刻も無駄にできないぞ」 桜庭が俺の背を押す。 今すぐどうこうはできなそうだ。 勉強が始まって2時間ほどが経過した。 桜庭の集中力は素晴らしいものがある。 「今日はこれくらいにしておくか」 「いや、私はまだ大丈夫だぞ」 桜庭はノートを取りながら答える。 「あまり無理に脳を動かし続けても効率がよくない」 「そうか、わかった」 そう言われて、ようやく手を止める桜庭。 「ふあぁ……もうこんな時間か」 時計の針は午後10時を回っている。 「これ以上、筧を拘束しても悪いな」 「朝まで拘束しても構わない」 「ばか、そんなことしたら朝帰りになってしまうだろう」 桜庭は大きく伸びをする。 「なあ、桜庭」 「なんだ?」 「どうしてお前の親は成績を気にするんだ?」 「姫が劣等生じゃ恥ずかしいだろ」 「それに、将来のこともある」 桜庭は神妙な顔をする。 「親からの電話で言われたのは、成績のことだけではないんだ」 「卒業後の話をされた」 「ほー」 俺にも関わることだな。 「親は、私を海外の一流大学に留学させたがっている」 「その後は、地元に戻って政治家になってほしいそうだ」 「ま、これはいつも言われていることだが」 なるほど確かに地元の名家らしい。 「桜庭はどうしたいんだ?」 「地元のみんなは、私に大きな期待をかけてくれている」 「……好きで姫をやってきたわけじゃないが、恩恵を受けてきたことも事実だ」 「期待には応えたいと思っている」 微妙に答えがずれていた。 「親の期待に応えることが、桜庭のやりたいことなのか?」 「ああ、そのために汐美学園に来ているんだ」 「他の理由はない」 「……そうか」 殊更に、夢や自分らしさみたいなものを重視するつもりはない。 家業を継いだり、伝統の継ぎ手になることも、素晴らしいことだ。 しかし、桜庭はどうなんだろう? 桜庭のやりたいことは、親の期待に応えることだという。 本当にそれでいいのだろうか。 夏休み中の休養日、桜庭の呼び出しでみんなが部室に集まった。 「休日に呼び出してすまない。生徒会から急遽の依頼が入ったんだ」 桜庭が詳細を説明してくれる。 何でも、夏祭りのレポートを作成していた生徒会のスタッフが急病で入院してしまったらしい。 生徒会は非常に多忙で、今は代わりの人員がいない。 で、こっちに話が回ってきたのだ。 「レポートって、どんなものなんですか?」 「生徒会が独自にイベントを回って、夏祭りの情報を集めているものらしい」 「予算編成や、今後の夏祭り運営の参考資料にすると言っていた」 「あと、学園外への広報資料にも使ったりするそうだ」 「結構重要なレポートだね」 「ああ、そうだな」 「生徒会の運営に関わる資料なので、色のついたレポートが上がってくると困る」 「だから、しがらみのない我々にお願いしたいと言ってきた」 なるほど、そういうことか。 「スケジュール的にはどうなるんだ?」 「レポートは来期の始業日、9月初めに生徒会役員会議の討議で使用することになっている」 「生徒会側での調整期間を取って、提出期限は8月27日になるとのことだ」 「ほぼ夏休みの終わりまで、ですか」 「大変そうですね」 「この依頼、受けるつもりか?」 「私は受けた方がいいと思う」 「生徒会とはお互い協力して活動していきたい」 「向こうが大変なときには、こちらも積極的に手を貸そう」 「でも玉藻ちゃん、いま受けてる他の依頼もあるよね」 「俺たちのキャパを越えてるんじゃないか」 「休日に作業を入れて、上手くやるしかないだろう」 「意外とヘビーな話だな」 「これを受けたら休みはナシですか……」 「全員が休み返上はさすがに無茶だ」 「既に予定を入れている人間もいるだろう?」 「参加できるメンバーができる範囲でやる、という形で行こうと思う」 参加は自由意思、どれだけ時間を割くかも自由か。 妥当な提案だろう。 「玉藻ちゃんはどうするの?」 「もちろん、できる限り動くつもりだ」 「……」 白崎がじっと机を見つめ、沈黙する。 「どうした?」 「この依頼って、絶対受けなくちゃいけないものじゃないよね」 みんなが怪訝な顔をする。 いつもの白崎なら真っ先に賛成しそうな依頼だ。 「スケジュールが厳しいなら、白崎は参加しなくても大丈夫だぞ」 「そうじゃなくて……」 言い淀む白崎。 「生徒会長の手伝いなんてしたくない、ということか?」 「違うよ、そうじゃないの」 「わたしだって、できればやりたいけど……」 「腑に落ちないな」 桜庭の言葉に、白崎が深呼吸をする。 「……わかった。それじゃ言うね」 「わたしは、玉藻ちゃんに参加してほしくないの」 「……え?」 扇子を弄んでいた手が止る。 「どういう意味だ、白崎?」 「玉藻ちゃんは、今でも一番お休みが少ないんだよ」 「生徒会の依頼を受けたら、本当にお休みがゼロになっちゃう」 「なんだ、そういうことか」 桜庭は、むしろ余裕の笑みを浮かべた。 「私は大丈夫、自分のことは自分が一番わかる」 「それに、私の時間をどう使うかは私の自由だろう?」 優しく諭すように、白崎に告げる桜庭。 「玉藻ちゃん、最近、かなり疲れてるよね?」 「いや、まったく問題ないが?」 「……嬉しくないよ」 「そんな風に自分を犠牲にして助けてもらっても、わたし全然嬉しくない」 「……」 桜庭の表情が硬くなる。 「玉藻ちゃんは、自分のことを考えなさすぎだよ」 「せっかく筧くんとつきあい始めたのに、全然時間を使えてないじゃない。それに趣味だって……」 「気持ちはありがたいが、プライベートなことまで心配してもらわなくて大丈夫だよ」 「でも、私は二人に……」 「白崎、さすがにお節介だぞ」 「でも、玉藻ちゃんは無茶しすぎだって」 「し ら さ き」 桜庭は、開いていた扇子を閉じた。 他のみんなは、じっとことの成り行きを見守っている。 「わたしは生徒会の依頼、断った方がいいと思う」 「つまり、私の自己管理能力不足ということか?」 桜庭が仏頂面になる。 「……わかった。そうまで言うなら私は筧と別れる」 「ええっ!?」 「うそ……」 「おいおい」 「玉藻ちゃん……」 みんなが目を丸くする。 「桜庭、本気なのか?」 「こんなこと、冗談で言うものか」 「ちょっと待って、筧くんは関係ないよ」 「関係があるだろ」 「白崎が私に気を遣ってくれるのは、筧と付き合っているからだろう?」 「それなら、私は筧と別れるしかない」 白崎が悲しげな顔になる。 「わたしが言ってるのは、能力とかそういうことじゃないの」 「ただ、自分を大事にしてねって、それだけなのに」 「私みたいな人間は、気を遣われると負けた気分になるんだ」 「だから、放っておいてくれ」 二人がにらみ合う。 お互い悪意なんてこれっぽっちもないが、うまくまとまらない。 「俺は、桜庭と別れる気なんてない」 「私だって同じだ」 「しかし、部活も恋も勉強もというのは、どうやら私の処理能力を越えているらしい」 「桜庭……」 強く反論しそうになったが、思いとどまった。 俺を見る桜庭の目が、あまりに切なく悲しそうだったからだ。 『助けてくれ』……そう言っているようだった。 桜庭は、本気で俺と別れたいわけじゃない。 「……玉藻ちゃん、考え直してくれない?」 「くどいな」 白崎が一つ大きく呼吸をした。 「なら、わたしにも考えがあるよ」 「どうするつもりだ?」 「図書部の部長として玉藻ちゃんに言います……」 「しばらく部活を休んで下さい」 「……戦力外通告か」 白崎は首を横に振る。 「ずっと考えてたの」 「どういう理由があっても、一人にずっと負担が集中してるなんておかしいよ」 白崎が言っていた、奥の手というのはこれか。 奥の手と言うほどの作戦じゃないが、桜庭にとっては堪えるだろうな。 マグロに泳ぐなと言ってるようなものだ。 「玉藻ちゃん、今のままじゃだめだよ」 「図書部を大切に思ってくれるのは嬉しいけど、それと同じくらい自分のことも大切にしてほしいの」 「部員に楽しく過ごしてもらうようにするのは、部長の役目だから」 「……」 桜庭は、無言で机の上を見つめている。 目にはわずかに涙が浮かんでいた。 「白崎」 「うん?」 「本気なんだな」 「本気です」 「それなら、俺も同じ処分にしてもらえるか」 俺は桜庭の恋人だ。 たとえ何があろうとも、俺だけは最後まで桜庭の味方じゃなければならない。 「……うん、わかった」 「そしたら、筧くんもお休みね」 「白崎、筧は関係ない」 「私はともかく、筧まで抜けて図書部が回ると思うのか?」 「玉藻ちゃんが一人で頑張るのは、わたしたちじゃできないって思ってるからだよね?」 「違う」 これは白崎の誤解だった。 「違うかもしれないけど、私達も少し考えたんだ」 「このまま、玉藻ちゃんにおんぶにだっこじゃまずいって」 「適材適所っていうのはあるかもしれないけど、今は頼りすぎてるもん」 「少しの間、図書部はわたしたちだけでやってみるよ」 白崎が、俺と桜庭以外のメンバーを見る。 それぞれがうなずいた。 「桜庭さんは、少しゆっくりして下さいよ」 「はい、バカンスにでも行って下さい」 「そうそう、二人でしっぽりな」 「ふぁーお、ふぁーお」 デブ猫が卑猥な顔をする。 どうやら打ち合わせがされていたらしい。 頼もしいな。 「……それで、いいんだな?」 うなずく白崎。 「わかった」 30分後。 荷物を軽くまとめた俺たちは、部室を後にした。 「これからどうする? バカンスにでも行くか?」 「さて、どうしたものか」 桜庭が少し寂しそうに微笑む。 「あれかな。定年退職したサラリーマンというのは、こういう気持ちなんだろうか?」 「かもな」 「何にしても、学生が悟ることじゃない気がする」 「ふふふ、違いない」 そう笑う桜庭の瞳に、涙が光る。 そっと頭をかき抱いた。 「つらかったな」 「かもしれない……」 桜庭が鼻をすする。 「結局、私は自分のために白崎や図書部を使ってるだけなんだな」 「だからこうやって、みんなに迷惑をかけてしまう」 「違う」 「自業自得だ」 「ちょっとしたバランスの話だよ」 「それ以上でも、それ以下でもない」 腕の中の桜庭の頭を撫でる。 「筧まで巻き込んですまない」 「いや、別に」 それきり、桜庭は話さなくなった。 小刻みな身体の震えだけが伝わってくる。 真夏の陽の下で凍えているような桜庭を抱き、俺はマンションへと向かった。 桜庭を家で寝かせた後、俺は部室に戻った。 「よう」 みんなの目が集まる。 「お休みなのに、さらりと入ってきますね」 「休日出勤的な?」 「仕事は渡しませんから」 見れば、みんなで何かの打ち合わせをしていたようだ。 「玉藻ちゃん、どう?」 「それなり」 「部屋に帰ってお茶を飲んだら、すぐベッドに入った」 「一人になりたそうだから、今日のところはそっとしておくことにした」 もちろんショックは受けていた。 でも、桜庭ならきっと立ち直ってくれるはずだ。 俺だって精一杯頑張る。 「しっかし、安定の彼氏っぷりですね」 「そうか?」 「そうです」 「いざって時、頼りになるかどうかだよ、男は」 高峰が穏やかに言う。 あまり褒められるのも、いたたまれない。 「ところで、桜庭はいつまで休暇なんだ?」 「うーん、はっきりとは決めてないんだけど……夏休み中かなあ」 あと2週間ちょいか。 十分な休みだ。 「でも、私のクイズの答えがわからなかったら、もう少し延長するよ」 「ああ、まだ引っ張ってたのか」 「引っ張ってるよ、大事なことだもん」 今日、桜庭と白崎の話を聞いていて改めて感じたが、桜庭は答えがわかっている。 いや、そもそも桜庭は大抵のことはわかっていた。 自分の気持ちの動きはもちろん、図書部や白崎に何を仮託しているかも知っていた。 とはいえ、身体に染みついたものはすぐには直せないし、白崎もそれは期待してないだろう。 問題は、桜庭にどう気持ちを切り替えてもらうかだ。 「時間をかけて話し合ってみるよ」 「今回のことは、桜庭にとっていいことだと思う」 「だから私達も乗ったんです」 「俺たちが後悔しないで済むように頼むぜ、筧」 「りょーかい」 「できる限り桜庭の傍にいるようにするよ」 「こっちにはあんま顔が出せないかも知れないけど、何かあったらいつでもメールしてくれ」 「またみんなで活動しようね」 「もちろん」 みんなで意思を確認する。 「んじゃ、しばしの別れを惜しんで、筧と連れションでもいってくるかな」 「湿っぽいのは苦手だけど、ま、付き合うよ」 高峰と外に出た。 「面倒なことになったなぁ」 「何とかなるとは思ってる」 「ほー、楽観的じゃないか」 「みんな嫌い合ってるわけじゃない、道はあるだろ」 「桜庭とは、これからじっくり話してみるよ」 「ま、筧がそう言うなら大丈夫なんだろうな」 「お前の人を見る目は確かだ」 「あんがとよ」 「で、本題は?」 「今日は俺の件だ」 高峰の件? 「もしかして、お前が桜庭のお目付役だって話か?」 「……ホント、人を見る目が確かでらっしゃる……惚れるね」 高峰が苦笑いをする。 「何となくは気付いてた」 「マジかよ……お目付失格だわ」 やれやれ、というジェスチャーをする高峰。 「最初、高峰は桜庭が好きなのかと思ってたよ」 「いやいやいや。桜庭はかわいいけど、俺の趣味じゃないからなあ」 「俺はね、もっとこう、しっとりとした年上のお姉さんが好きなんだよ。あと女医さん」 「へえ、女医モノか」 「モノって言うなよ、急に話が変わるだろ」 「まあいいや。んで、いつ俺がお目付だと勘づいたんだ?」 「桜庭の裏事情を教えてくれた時だな」 「ありゃ、日頃の高峰からしたら喋りすぎだった」 高峰は、よっぽどのことがなければ人のプライバシーには触れない。 それに、あーせいこーせい、直接的な言い方はしないのだ。 「じゃあ、話すそばからバレバレだったのか」 「言ってくれりゃいいのに、人が悪い」 「でも、隠しておきたかったんだろ?」 「……ま、そうな」 「筧はともかく、桜庭が知ったらいい気持ちはしないだろうし」 高峰が溜息をつく。 「でもまあ、筧が本気で桜庭のこと考えてるなら、言っちまった方がいいと思ったんだ」 「なるほどな」 友人の監視をするんだから、気持ちがいいものじゃないだろう。 高峰の、どこか一歩引いた風の雰囲気も、こういう立場から来たのだと思えば納得だ。 親しくなりすぎれば、いつか裏切ることになるだろうしな。 「んじゃ、俺と桜庭のことは、もう親御さんは知ってるのか?」 「いや、少なくとも俺は伝えてない」 「……ああ、お目付ってのは何人もいるのか」 「そういうこった。つっても2、3人だろうけどな」 高峰は以前、俺と桜庭の恋人ごっこに釘を刺した。 もしお目付役が高峰一人なら、高峰が話さないと決めればそれで済む話だ。 それにも関わらず釘を刺したということは、他の人間が親に伝えてしまう危険性があったからだろう。 「桜庭が図書部をやっていることは知られてる?」 「それは伝わってる」 「図書部の内部事情が外に漏れている可能性は?」 「基本、俺が黙ってりゃ漏れないと思う」 「他の連中は、もし図書部の中で何かあれば俺が報告すると思ってるだろうからな」 それは好都合かもしれない。 ……と、待てよ。 「ひょっとして、高峰はそのために図書部に入ったのか」 「半分はそうだな」 「でも騙しちゃいないぜ?」 「最初に入部する理由を聞かれたとき、桜庭がいるからって答えただろ? 覚えてないだろうけど」 わざとおどけてみせる高峰。 「でも、もう半分は違う」 「坊さんになる前に、いっちょ青春ってやつを楽しんどこうと思ってね」 「お目付は仕事なわけだし、プライベートがあってもいいじゃない」 「なるほどね」 高峰なりに、図書部には思いがあるんだな。 「ところでさ」 「つぐみちゃんが言ってた桜庭の趣味がどうとかいうやつ、ありゃなんだ?」 「桜庭の趣味って知ってるか?」 「絵画だろ?」 「やっぱ知ってたのか」 さすがお目付だ。 「桜庭のやつ、小さい頃から絵が大好きだったみたいだな」 「学校のコンクールでもよく入賞してたから、親も鼻高々で応援していたらしい」 「ところがまあ、応援し過ぎちまって、桜庭は真面目にその道を考え始めてしまったと」 「で、親父さんと衝突だよ」 「桜庭は、政治家になるのを期待されてるって聞いたけど?」 「だな。桜庭の親父さんは元県知事なんだ」 「将来は桜庭に政治基盤を受け継いでもらいたいわけさ」 「今は桜庭も乗り気みたいだが、昔は絵描きになりたいって相当反発してたらしい」 「親に成績のことで色々言われたのもそのせいか」 「ああ、箔を付けさせたいんだろうな」 ようやく桜庭のバックボーンがわかってきた。 桜庭は、絵画という趣味を隠したがっていた。 おそらく、あいつの中じゃ、絵はやってはいけないことに分類されているのだろう。 「桜庭は、秋にある展覧会に絵を出すつもりなんだ」 「このことは……」 「親父さんは知らんだろうな」 聞く前に返事をくれた。 「この先、一悶着あるかもしれん」 高峰が黙っていてくれても、他のお目付が報告するかもしれない。 そうなれば、当然お咎めがあるだろう。 過去に絵の件で揉めていたならなおさらだ。 「高峰はどうしてほしい? 絵を辞めさせたいのか?」 「ばっか。桜庭のやりたいようにやるのが一番に決まってる」 あっさりである。 「お目付じゃないのかよ」 「報告はするけど、教育はしねーよ」 「人の人生どうこうするほど、俺は偉くない」 「でも、桜庭の親父さんは認めないだろう」 「そん時は、取っ組み合いの喧嘩でもすりゃいいんだ。殴り合って通じることもある」 「今の桜庭は、俺からすると自分で生きてるようには見えないんだよな」 妙に達観したことを言う高峰。 そういえば、高峰も親から寺を継ぐように言われていたんだったか。 当然、葛藤もあっただろう。 「ま、とにかくそういうことだ」 「で、俺はどうでもいいとして、筧はどうするんだ?」 「俺? 俺は桜庭を応援するさ。そんだけだ」 「結構重いだろ、桜庭は」 「フツーだよ。誰だって重いっちゃ重いし、軽いっちゃ軽い」 「ははは、すげえな図書部員。意外と根性が座ってる」 「こう見えて、体育会系だからな」 「んじゃ、その気合いでがっちり頼むよ」 「絶対に幸せになってくれ」 「任せとけ」 俺の言葉に高峰がうなずいた。 筧が出て行って、しばらくが過ぎた。 悔しさや悲しさで混乱していた頭も、ようやく元に戻ってきた。 筧が、こういうときに放っておいてくれる男で良かったと思う。 ずっと傍で愚痴を聞いてくれるようなタイプだったら、私はどこまでも落ちていったに違いない。 「……」 こうなることは何となく感じていた。 忙しければ忙しくなるほど、不安はなくなった。 その代わり、周囲の空気がどんどん薄くなっていくような、得体の知れない終わりの予感があったのだ。 ああ……にもかかわらず、みんなに迷惑をかけてしまった。 筧も白崎も、精一杯声をかけてくれていたのに。 「ああ……」 終わった。 そう思うと、いきなり身体から力が抜けた。 同時に、恐ろしいほどの速さで、冷たい現実が帰ってくる。 もしかしたら、あの時からずっと、私はマラソンをしていたのかもしれない。 そして今、ゴールかリタイヤかはわからないけど、とにかくレースは終わったのだ。 いや、白崎が終わらせてくれたのだ。 一年生の夏、ちょうど今頃だったろうか。 私は絶望に打ちひしがれていた。 汐美学園に来るまでの私は、常にトップだった。 トップであらねばならなかったし、そうなれるよう努力もしてきた。 だから、この学園でも私はトップになれるものだと思っていた。 でも、その考えはあまりにも浅はかだった。 『今回は残念でしたね。玉藻さんならもっと上を狙えると信じています』 『玉藻、気にすることはない。慣れない土地で気苦労もあったことだろう。来期はもっと頑張ってくれ』 私の成績を見た両親は、そんなメッセージを送ってくれた。 励ましてくれたのは嬉しかったが、両親が満足していないことは明らかだった。 芳しくない成績に驚いたのは、他でもない自分自身だった。 トップでない自分など、未経験だったからだ。 急に、今まで自分のものだと思っていたものが、消えていくような錯覚に襲われた。 それは例えば親であり、友人であり、賞賛であり、尊敬であり、そして何より自分自身だった。 「うーん……」 放課後、廊下を歩いていると前から白崎が歩いてきた。 白崎とは最初の授業で近くに座ったことがきっかけで知り合い、以来ちょくちょく話すようになっていた。 草食動物系のオーラが、当時の私には優しかったのかもしれない。 「う〜ん、うぅ〜ん」 「白崎じゃないか。どうしたんだ?」 そんな白崎が珍しく暗い顔をして歩いていたので、思わず声をかけた。 「あっ、桜庭さん」 「元気がないが、何かあったのか?」 「その、実は……」 話を聞くと、一週間前に出されたレポートの課題が終わっていないとのことだった。 栄養学の自由課題で、好きな題材でレポートを書いて提出するというものらしい。 「わたしがやりたいなって思った題材は、周りでは誰もやってなくて……」 「相談できる人がいなくて困ってたんです」 「それなら、知り合いと同じ題材にしてみたらどうだ?」 「いえ、どうしてもやりたいものがあって」 「そうは言うが、相談相手がいないせいで進んでいないんだろう」 「レポートを落としても大丈夫なのか?」 「あはは……あんまり大丈夫じゃないですね……」 わけのわからない子だ、と思った。 自力で何とかできないなら周囲を頼るより他に方法はない。 「自分が自信を持って書ける題材を選ぶべきじゃないか?」 「背伸びをしてもいいことはないぞ」 「でも、どうしても今の題材でやりたいんです」 「まあ……そうまで言うなら止めはしないが……」 なぜそこまで固執するのかわからないが、他人のやり方に口を出す気はなかった。 「あ、桜庭さん」 「なんだ?」 「その……あの……」 口の中でもごもごと言い、黙り込んでしまう白崎。 「なんだ。私で良ければ相談に乗るが」 「本当ですかっ?」 「う……」 キラキラと瞳を輝かせる白崎に、ちょっと怖じ気づく。 「それじゃあ言いますね」 「あ、ああ」 「その……よければなんですけど、手伝ってくれませんか?」 「何を?」 「今のレポートです」 「え、私がか……?」 白崎は、自分で解決できない課題を自ら進んで抱え、同じ科目を取っていない私に協力を求めてきた。 普通に考えればあり得ない。 この子は一体どういう思考回路をしているのか。 「あっ、忙しかったらいいんです」 「桜庭さんって何だかしっかりしてて、頼もしそうに見えて……つい甘えちゃいました」 頼もしい、か。 それだけの言葉が、自分でも驚くほどに嬉しかった。 当時はその理由を考えもしなかったが、今思えば、当時の私は自信を喪失していたのだ。 「わかったよ。手伝おう」 「い、いいんですかっ?」 「構わないぞ」 どうせ家に帰っても何もする気にはなれない。 二、三日くらいなら、この子に付き合ってみるのも面白いかもしれない。 「それで、レポートの提出期限はいつなんだ?」 「はい、明日の朝です」 「……本気か?」 今まで何をやっていたんだと喉まででかかった。 でも、その切羽詰まり具合がまた嬉しかったのだ。 「白崎、手が止まってるぞ」 「ふぁぁぁ……ごめんね、眠くて……」 深夜3時。 白崎から題材を聞き、図書館で資料を集め、情報を抜き出し終わったのが深夜0時だった。 それからレポートの体裁を決め、大枠を作り終えたのが深夜2時。 あとは書くだけなのだが……。 「うーん……これもう終わらない気がする」 「弱音を吐くな。自分で選んだ題材だろ」 「そうなんだけど……」 目をこすりながらノートPCに向かう白崎。 しかし、打鍵の音が続かない。 「私が代わろうか?」 「ううん、これは自分でやらないと意味がないから」 「強情だな」 「ごめんね、玉藻ちゃん」 白崎は、いつの間にか私を名前で呼び始めた。 自分の名前はあまり好きではなかったが、白崎には呼ばれても不快に感じなかった。 「でも玉藻ちゃんってすごいよね」 「わたし一人だったら、絶対に終わってないよ」 「そういうことは、終わらせてから言ってくれ」 「あ、はい」 朝5時。 レポートはまだ終わっていなかった。 「……玉藻ちゃん、もう無理なのかな」 「大丈夫だ、まだ時間はある」 「でも……」 途中から交代しつつ打ち込みを行っていたが、そろそろ限界が近づいていた。 眠くてまともに頭が働かない。 しかし、ここまで来て諦める気にはなれなかった。 「できるさ、必ずできる。絶対に間に合わせよう」 「玉藻ちゃん……ありがとう」 結局、レポートは朝7時半に完成した。 本当にギリギリだった。 白崎のレポートは、栄養学の先生から絶賛されたらしい。 優秀作として学園のサイトでも紹介され、白崎は一躍時の人となった。 「よかったな、白崎」 「頑張った甲斐があったじゃないか」 「全部玉藻ちゃんのお陰だよ」 「いやいや、白崎の目の付け所がよかったからだ」 「ううん、玉藻ちゃんが手伝ってくれなかったらもうお手上げだったよ」 「玉藻ちゃんのこと、本当に尊敬しちゃった」 「私は白崎を尊敬しているぞ」 白崎が見せた、無根拠で無謀とも言える、しかし強い信念。 そういう信念がなければ、私の持っている力など意味がないということを思い知らされた。 「ううん、玉藻ちゃんの方がすごい」 「白崎……」 「玉藻ちゃんの方がすごいのっ」 白崎は、言いだしたら聞かなかった。 それが白崎の類い希なる長所なのだと、今はわかる。 「……やめよう。お互いに褒め合っても仕方がない」 「うん、そうだね」 「ありがとう、玉藻ちゃん」 その言葉に、私は心底救われた。 私の力など、この学園の天才たちに比べれば大したことはない。 しかし白崎を助けることで、学園中から注目されるだけのことを成し遂げられた。 見失っていたものが、何となく見えた気がした。 「いいんだ」 「その……白崎、これからもよろしくな」 「うん、わたしの方こそよろしくね」 それから私は、白崎が困っているときには必ず助けてきた。 図書部の件を白崎から聞かされた時は、心底嬉しかった。 白崎を助けていくのは、自分以外にいないと思った。 そうして、今までやってきた。 「白崎……」 本当のところ、自分は白崎が困るのを期待していたのだろう。 白崎が困り、私が助け、感謝される。 そのことが、私の自尊心を保ってくれていたのだ。 お互い損のない循環とはいえ、歪んだ円だった。 白崎がこっちの真意を察していたのなら、重荷に思って当然だろう。 結局、私には何もないのだ。 その事実から目を背けて、誰かに頼られることを糧に走ってきた。 両親の望みに、期待に応えようとしてきた自分。 白崎にしがみついて、何とか自分の価値を作り出そうとしてきた自分。 筧と付き合ってからは、理想の恋人になろうと必死だった。 自分はどれだけ、誰かに〈縋〉《すが》って生きてきたんだ。 「私は一体、どうすればよかったんだ」 次の日の朝、俺は桜庭の家に向かった。 商店街から一本入ったところにある高級マンションの共同玄関で、インターホンを押す。 返事がない。 もう一度インターホンを押した。 ……。 …………。 「おはよう」 「おはよう」 出てくれたが、声には元気がない。 「調子はどうだ?」 「うん、まあ、それなりだ」 「上がらせてくれないか?」 「今日は読書じゃないのか」 「桜庭を放っておいて読むほど面白い本は持ってない」 「……馬鹿」 部屋に入ると、いつものように桜庭がコーヒーを淹れてくれる。 「気を遣わないでくれ」 「いいんだ。こうしてると落ち着く」 キッチンで桜庭が言う。 「体調は?」 「呆れるほど元気だよ」 「ならよかった。まずは体が元気じゃないとな」 力なく笑い、桜庭がお茶を持ってきた。 間近で桜庭の顔を見る。 目の周りが少し赤くなっている。 泣いていたのだろうか。 「あまり見ないでくれ、今日はいい顔じゃないから」 苦笑して顔を背ける。 「今回は迷惑をかけてすまない」 「気にしないでくれ」 「付き合っていたら、このくらいのことはあるさ」 相手の調子のいい時だけを見て付き合っていたら、遠からず関係は破たんする。 誰だって、調子の上下はあるんだから。 「いつかは、こうなるような気がしてたんだ」 「でも、自分ではどうしようもなかった」 桜庭が〈訥々〉《とつとつ》と語りだす。 元気な口調ではない。 でもどこか、重荷を下ろしたような、安堵感も感じられた。 「筧も白崎も、ずっと心配してくれていたのに」 「言われてすぐ直せるなら、誰も困らないさ」 「どうしようもないから、つらいんだろ」 桜庭が曖昧に笑う。 「筧、あまり甘やかさないでくれ」 「所詮は、私に意気地がなかったというだけのことだ」 桜庭は語る。 白崎と出会ったころ、桜庭は勉強が思うように行かずに落ち込んでいた。 ちょっとしたことから白崎をサポートするようになり、桜庭は自信を回復する。 白崎に頼られることが何より嬉しかったのだ。 図書部の活動が始まってからは、図書部を守るために一生懸命努力した。 しかし、いつしか、桜庭は止まれなくなっていた。 努力することをやめれば、白崎に見放される。 そうなれば、また自信を喪失していた時期に戻るだけだ。 「白崎のクイズの答えは、わかってたんだな」 「大体は」 「自分を軽視して必要以上に作業をすることとか……自己管理能力とか……」 「白崎は、そう言いたかったんだろう」 「だと思う」 桜庭が一つため息をついた。 「とはいえ、答えを当ててしまえば、改善しなければならなくなる」 「でも、私には、まだその準備ができていない」 「あの頃の自分と向き合う勇気がなかった」 コーヒーの湯気の向こうで、桜庭がうつむく。 「子供のころから、親の期待に応えることばかり考えてきた」 「運がいいのか悪いのか、そこそこ努力をすればうまくいっていたんだ」 「だから、何も考えずにここまで来てしまった」 「つまるところ、私は何もない人間で、誰かに課題を与えられないと前に進めないんだ」 「いくら自分を大事にしろと言われてもな……自分がないんじゃ仕方がない」 「親の期待に応えたい、白崎を助けたい、筧に相応しい恋人になりたい……なんでも人頼みだ」 桜庭が自嘲する。 親が厳しい家庭では、よくある話だと思う。 親のやり方に反発して非行に走るなんてこともあるが、桜庭はそうならなかった。 おそらく、そもそも優秀であったことと、親だけでなく地域からの期待もあったからだろう。 「私は、どうしたらいいんだろうな」 「このままでは、部活に戻っても同じことの繰り返しになってしまうんじゃないかと思う」 「それに、筧にも依存してしまうかもしれない」 桜庭が肩を落とす。 「俺は別にかまわないけどな、桜庭の彼氏だし」 「筧……」 「相手のいいところだけ見て付き合っても長続きしない」 「逆にさ、相手にいいところばっか見せようとしても長続きしないと思う」 「お互いかっこ悪いとこも見せながらやってければいいんじゃないか」 「……」 俺を見る桜庭の目が潤んだ。 みるみるうちに涙が盛り上がり、頬を伝い落ちる。 「……すまない」 桜庭がハンカチで涙を抑える。 「謝ることなんてない」 こんなときでも無様なとこをは見せまいとする桜庭は、かわいいとかじゃなく美しいとすら思う。 桜庭の隣に行き、頭を抱く。 「いいのか、こんな女でも……」 「もちろん」 「俺は、桜庭が桜庭だってだけで嬉しいよ」 「ありがとう……筧……」 桜庭が頭を預けてきた。 そのまま、互いの息遣いや呼吸を感じる。 好きな人の体温ってのは不思議だ。 感じているだけで、この人を守りたいという気分になる。 「なあ桜庭」 「ん?」 「絵は、もうやらないのか?」 桜庭が隣室に目をやる。 そこはもう、ただの勉強部屋だ。 「絵は親に指示されてやってたのか?」 「いや、勝手に始めたものだ……親にはよく怒られた」 「なら、絵は本当に好きでやってたんじゃないか?」 「どうだろう」 「頼まれたわけでもなくて、見せるためにやってたんでもなけりゃ完全に趣味だよ」 「自分がないって言ってたけど、意外とそうでもないかもしれない」 「どうだろう」 曖昧な顔をする桜庭。 「秋の展覧会、目指してたんだろ?」 「……どこでそれを?」 「白崎に聞いたよ」 「あいつ、そんなことを覚えていたのか」 桜庭が目を細める。 「もし間に合うなら、展覧会に出してみてもいいんじゃないか」 「いや、展覧会じゃなくても、趣味でまた描くだけでもいいと思う」 「……」 「今なら時間もあるだろうし、それに……」 「俺に絵の話をしてる時の桜庭は、結構楽しそうだった」 「そうだったか」 桜庭が視線を漂わせる。 まるで、いたずらを見られてしまったかのような顔だ。 「これは俺の想像だから聞き流してくれていいんだけど……」 「桜庭は、好きとか嫌いとか口にするのに抵抗があるタイプじゃないか」 「わがままを言ってる気になってしまうっていうかさ」 「……だと思う」 「自分の好き嫌いで、他人を煩わせたくないと考える傾向はある」 「だったら、やりたいこととか好きなことってのは、存在してないんじゃなくて、桜庭自身が見ないことにしてるのかもしれない」 「趣味とかに時間を割くのは、誰も喜ばないし迷惑になるからってな」 「嫌じゃないなら、試しに絵をやってみたらどうだ?」 「なるほど」 桜庭が深くうなずいた。 「筧が言うなら、試してみるか」 「ああ、それがいい」 何にせよ、アクションを起こすのはいいと思う。 鬱々としていたって、何も降ってきやしない。 「ただ、一つだけ頼みがある」 「できることなら」 「よければ、モデルになってくれないか?」 意外な提案だった。 「風景画を描くんじゃないのか」 「いや、まあ、なんだ……」 恥ずかしそうに目を逸らす。 「どうせなら、今、一番大切なものを描きたいと思って」 ぼそぼそと、ひとり言のように言う。 「い、嫌ならいいんだが」 「もちろんやる」 桜庭のためだ、一肌脱ごう。 「よかった、ありがとう」 笑顔で言って、桜庭は早速隣室に向かう。 すぐさまクローゼットを漁りだした。 意欲がわいたようでなによりだ。 「ところでさ、モデルってヌードとかじゃないよな」 「ヌードだな」 当然だろ、という顔で言われた。 「マジか」 「冗談だ」 にっと笑い、桜庭はクローゼットに頭を入れる。 「お前に脱がれたら、気が気でなくなってしまう」 「あ、右腕をもう少し上げてくれるか」 「左足を崩さないでくれ。そうそう、それでいい」 桜庭は、俺が読書しているところを描きたいと言ってきた。 お陰で今の俺はロダンの『考える人』みたいな状態だ。 「肩が右に傾いているぞ」 「うん、そのまま動かないでくれ」 こんな調子なので、本を読むどころじゃなかった。 「あのさ、実際、こんな姿勢で本読む奴いないからな」 「いいんだ。あと5分だけ頼む」 ちらりと桜庭の方を見ると、真剣な顔つきでデッサンをしていた。 図書部でも真剣な顔をしていることはあったが、その時とはまるで気迫が違う。 高峰が教えてくれたように、やはり絵に対する情熱は人一倍なのだろう。 「いい表情だ。勝手に手が進むようだよ」 「ありがと」 リアクションに困るな。 「よし、これでいいだろう」 「はあ……」 時間にして30分弱だったが、随分と長く感じられた。 ずっと身体を緊張させていたのでかなり疲れた。 「うん、楽しかった」 「好きな人を描くことがこんなに刺激的だとは思わなかった」 満足そうに自分の絵を見つめる桜庭。 「見せてくれないか」 「いや、これはちょっと……」 「モデルには見る権利がないのか」 「いや、まあ……それは」 桜庭に近寄っていく。 「逆の立場になったとして、筧は見せられるか?」 「もちろんだ」 「嘘をついてる顔だな」 見抜かれたか。 「なら仕方ない」 「きゃっ……」 桜庭の腰に手を回して抱き寄せる。 身体が硬直した隙に、スケッチブックを桜庭の手から奪う。 「あっ……」 「まったく、子供みたいなことをして」 苦笑いを浮かべる桜庭。 どうやら観念したようだ。 スケッチブックを開き、桜庭の描いた絵を見せてもらう。 「おお……」 現れたのは、俺には見えない美形だった。 「どうした、何か変だったか?」 「これさ、格好良すぎないか」 やたらとスタイルがいい上、妙に髪が整っていた。 とても自分だとは思えない。 「モデルの姿をベースに、いろいろ混ぜて構成していくものなんだ」 「つまり、桜庭の理想像ということでいいのか」 「乱暴にまとめれば、そうなるか」 「こういうのが好みなのか……」 しみじみと眺める。 「好みとか、直接的な話じゃない」 「そういう話をするなら、実物の筧の方が好みだ」 「そりゃどうも」 やや間があって、桜庭の顔が赤くなった。 「……なんてな」 無理矢理冗談に持って行った。 「ともかく、すごく上手だと思う」 「はは、ありがとう」 照れくさそうに笑う桜庭。 「しかし、今更だけど絵を描くのは楽しい。時間を忘れられるよ」 「ならよかった」 桜庭がスケッチブックをいとおしげに撫でる。 「この学園に入るとき、親と少し言い合いをしたんだ」 「芸術科に進みたいと言ったら、真面目に取り合ってすらもらえなかった」 「『もう、玉藻さんたら困った人ね』くらいなものだ。親としては冗談だと思ったらしい」 「……私も、それで何も言えなくなってしまった」 「後悔してるのか」 「わからない」 「絵の道に進めば多くの人の期待を裏切るし、好き勝手する歳でもないとその時は思ったんだ」 「今でも、絵の道は諦められると思うんだ」 「でも、絵を描きたいという気持ちは、一生消えないと思う」 「……すまないな、ぐずぐずしていて」 そう言って、桜庭は神妙な顔をする。 「……偉い坊さんが、こんなことを言っていたよ」 「人間、誰しも人生は一度きりしかない」 「後悔するくらいならやりたいことに全力を注いでみるのも一興だ、ってな」 「しかし……」 「時には周囲が認めてくれない時もあるだろう」 「そういう時は取っ組み合いの喧嘩でも何でもすればいい」 「それで初めてわかり合えることもある……だそうだ」 「随分とフランクな坊様だ」 それはまあ、高峰だからな。 「俺もその坊さんと同意見だ」 「今の自分に苦しんでいるなら、変えてみるのも一興だろ?」 「……」 桜庭は口を閉じ、考え込む。 桜庭が結論を出すのを、静かに待つ。 「……少し、考えてみる」 桜庭は回答を保留した。 これが好きだから誰に迷惑をかけても突き進む── そう思えるほど、桜庭は子供じゃない。 何かを選ぶことが、何かを捨てることであることを知っているのだ。 だから、俺は桜庭の迷いがむしろ心地よかった。 時間はまだあるのだ。 「ま、芸術科の話は置いておくとして、展覧会は出してみてもいいんじゃないか」 「目標があったほうが、何かと捗るだろ」 「ああ、間に合うようなら出してみよう」 桜庭が微笑む。 「でも、このことはみんなには内緒で頼む」 「桜庭、違うだろ」 苦笑しつつ言う。 「好きなことをやってるんだ、むしろみんなに見てもらおうぜ」 「む……そ、そうか……どうもいけない」 桜庭が恥ずかしそうに笑う。 絵を描くことで桜庭が何を得るのかはわからない。 でも、少なくとも、良い方向には向かっているのだと思う。 絵を描き始めてからの数時間で、桜庭は、今まで見たこともないような笑顔を何度も見せてくれたのだ。 悪い方に向かっているはずない。 桜庭が絵を再開してから4日が過ぎた。 モデルが必要な時期も過ぎ、桜庭は一人カンバスに向かっていた。 表情にも徐々に活力が戻り、水を得た魚という言葉が実にしっくりくる。 といっても、桜庭は絵だけを描いているわけではない。 次の試験での成績を上げるため、勉強も継続していた。 「んーっ、もうこんな時間か」 伸びをしながら時計を見る桜庭。 ちょうど夜の10時を回ったところだった。 「この調子なら、次は200番台に入るんじゃないか」 「だとしたら筧のお陰だ。教え方がすごくわかりやすい」 「さすがは学年トップだ」 「俺には、このくらいしか取り柄がないからな」 「完全に嫌味だからな」 桜庭がおどけて笑う。 「さて、休憩しよう」 「ちょっと待っていてくれ、今日はいい菓子を買ってきたんだ」 桜庭がキッチンに立つ。 絵に勉強にと忙しい桜庭だが、お茶や食事は必ず作ってくれた。 男は厨房に入るなというポリシーらしい。 「ところで、図書部のことは何か聞いているか?」 「毎日白崎にメールを送っているが、心配するなとしか返ってこないんだ」 「こっちも似たようなもんだ」 俺も、毎日、部員の誰かとはメールをしていた。 一気に2人も抜けて大変みたいだけど、何とか頑張っているという。 みんなも、忙しくなるのは承知の上で俺たちを休ませたという自負があるので、簡単には弱音を吐かない。 とはいえ、復帰が早いに越したことはないだろう。 「図書部のことは気にしないようにしているが、なかなか難しいな」 「そりゃそうだ」 「本当に、あそこはいい奴ばかりだ」 呟いて、目を細める。 ネルドリップの湯気がふわりと上がった。 「早く戻りたいもんだ」 ごろりと横になり、何を探すでもなく本棚を眺める。 お堅い本が多い中、女性雑誌を見つけた。 こういうのも読むのか。 表紙には『彼氏を虜にするマル秘テクニック。愛されSEXへの道』とあった。 世の中、色んな道があるもんだ。 ぱらぱらとページをめくると、その手の情報が目白押しである。 「見てくれ、チョコレートのしっとりとした艶」 「スポンジにしっかり絡んで……」 「なるほど、絡みつかせるように舌を動かす、か……」 「……ん?」 雑誌から顔を上げると、桜庭が立ったまま硬直していた。 ぽろり。 桜庭が、漫画のようにお盆を取り落とした。 「おわあっ!!」 何とかキャッチ。 ケーキも無事だ。 「頼むよ……ケーキがお釈迦になるだろ」 「私の人生はすでにお釈迦だ」 視線はうつろ、呆然と立ち尽くす桜庭。 「気にするなって、最近の女性誌はこんくらい普通だろ」 「普通は女性誌を買わない私が、こういう特集の時だけ買ったというのが問題なんだ」 「しかも、ページに折り目までつけてるし、彼氏に見られるし……」 事細かに申告してくれた。 「短い間だけど楽しかった」 ふらりとベランダに向かう桜庭。 「ちょ、ちょっと待て」 慌てて羽交い締めにする。 「離せ、後生だ。離してくれ」 「いや、男としてはこういうのって嬉しいから」 「幻滅したりしない、大丈夫」 桜庭が動きを止める。 「……本当に?」 激しくうなずいて納得させる。 「はあ、もう嫌だ」 溜息をつき、座布団に座る桜庭。 「ホント、気にしなくていいぞ。嬉しいってのは本当だから」 「だといいが」 「それより、ケーキ」 「ああ……」 二人で、黙然とケーキとお茶に向かう。 美味いんだろうが味がわからない。 「私は、変態なのかもしれない……」 「そんなこと言ったら、男なんてみんなド変態だ」 「例えば、このチョコレートケーキの艶を見ても欲情できるくらいだ」 「その無駄な想像力は、何か生産的なものに活かせないのか?」 「だから、生産活動に活かしてるだろ」 「……なるほど」 エスプリの香り漂う会話をしてしまった。 「いや、変態度なら私も負けないだろうな」 小さく溜息をついた。 「軽蔑してくれても構わない。笑わずに聞いてくれ」 「わかった」 「私は……筧のことを考えて、その……」 「濡れてしまったことが、あるんだ」 消え入りそうな声で言う。 その表情が、たまらなく可愛い。 「……それくらい、気にしないでいい」 「むしろ嬉しいくらいだ」 「そ、そうなのか?」 「ああ」 「実は、濡れただけではなくて……」 「少しだけ、敏感なところに触ったりもしていたんだ」 「……筧のことを考えながら」 「それも、嬉しいよ」 「いやらしいことばかり考えている自分に、呆れていたんだ」 「でも、あの本に書いてあったようなことしてくれたら、男としてはもっと嬉しいかもな」 「いいのか?」 「そりゃ……一応男だし」 桜庭が俺を見る。 見つめ合うと、桜庭の目が次第に潤んでいく。 羞恥心とは違う感覚で、身体が熱くなっていくのがわかる。 「桜庭……」 ケーキもそのままに、桜庭の隣に寄る。 床の上で手を触れると、支えを失ったように桜庭がもたれかかってきた。 熱い体温が伝わってくる。 「……筧」 「お前のことが、心から好きだと思う」 「俺もだ。桜庭に会えて良かった」 腕の中で、桜庭がぎゅっと身体を強ばらせる。 緊張と興奮で身体がバラバラにならないよう、必死に耐えているようだった。 どうにも愛おしい。 「桜庭」 どちらからともなく、唇が近づく。 「んっ……んちゅっ、ふっ……んんっ……」 「んふっ、んっ……ちゅっ、んくっ、あっ、ふぅんっ……」 キスをしただけで、身体の奥から熱くたぎるものがこみ上げてきた。 「んっ、ふぁっ……んっ、ちゅるっ、んっ……ふぅっ、あっ……」 辛抱できず、ブラウスのボタンを外して直接桜庭の身体に触れる。 桜庭のきめ細かな柔肌を、存分に楽しむ。 「ふぁっ、んっ、あっ……んはっ、んん……っ」 「あっ……んっ、ま、待ってくれ」 桜庭が俺の前に座り込んだ。 「……どうした?」 「わかる……だろう?」 勉強の成果を見せてくれるというのか。 「無理しなくていいからな」 「大丈夫だ」 「まずは私が筧を気持ちよくする」 そう告げる桜庭の視線は、俺の股間に釘付けになっていた。 陰茎は既に勃起し、ズボンに膨らみを作っている。 「これが……筧の……」 「服の上からでもわかるなんて、筧のは立派なんだな……」 「いや、普通だと思うけど」 「これが……私の中に入ってしまうのか」 ズボンの上から、俺の肉棒に触れてくる桜庭。 「くっ……」 「あ、痛かったか?」 「いや、気持ちよかった」 「ちょっと触っただけだぞ」 興味津々、という様子で形を確かめてくる。 「桜庭だって触られれば……」 「さあ、どうだろう」 「あいにく、男性に触られたことはないからわからない」 返答しているが、明らかに桜庭は上の空だった。 俺のペニスから目を離さず、上から下からと触ってくる。 「筧、直接触ってもいいか?」 「ああ」 「それじゃ……」 桜庭はファスナーを下ろし、股間をまさぐる。 「くすぐったいかも」 「すまない……どうやって出せばいいんだ、これは」 四苦八苦しながら、何とか肉棒を取り出した。 「……」 「絶句するなよ」 「いや、こ、こうなっているのか……本とは違うな」 「いや、男なら誰でもこんなもんだから」 本には何が描いてあったんだ。 「触ってもいいか。いいな?」 答えるのも待たずに、そっと陰茎に触れてくる桜庭。 「とても熱くなっている」 「……大丈夫か? 体調が悪いのではないな?」 「桜庭に触られて興奮してるだけだ」 「なら安心……いや、嬉しいな」 桜庭が微笑む。 扇情的な光景とは裏腹に、その表情は純真だ。 「この部分が亀頭で、これが裏筋か……なるほど」 「ふふ、よく見ると面白い形をしている」 そう言いながら亀頭を指でさすったり、裏筋をこすり上げたりしてくる。 「うっ……」 「ふふ、また大きくなった。どこまで膨らむんだ?」 「なあ桜庭。観察はそれくらいにして、そろそろ……」 「あ、そうか……待たせてすまない」 桜庭はペニスを手に、顔を近づけてくる。 「何するんだ?」 「まずは口で刺激をするのが、セオリーらしい」 自分で言いながら、桜庭は頬を染める。 知識と実践じゃ全然違うよな。 「ほんと、無理しなくていいぞ」 「いや、私が筧を気持ちよくしてあげたいんだ」 「してほしくないなら、もちろんやめておくが……」 「そりゃまあ……してくれるならしてほしいけど」 「くす、それじゃ任せてくれ」 桜庭がペニスを見つめる。 「……あむっ、んっ、んふっ……んくっ……」 いくぶん躊躇いを見せた後、桜庭が亀頭を口に含む。 ぬるっとした口内の感触に、身体が震える。 「くっ……」 「んっ、あぁっ……はんんっ……んっ、はっ……」 「ふぁっ……あんっ、ちゅぱっ、んぷっ……んん……っ」 「れろろっ、んちゅっ……くはっ……んっ、んふっ、はむっ……」 桜庭は咥えた亀頭を唇で刺激しながら、徐々に奥へと肉棒を飲み込んでいく。 「うんっ……あぁっ、んぁっ……うっ、ちゅるっ……」 「うふぅんっ、はっ、んっ、んはっ、あんっ、んくぅっ……」 「くちゅっ……ぷぁっ、ん、んうっ……ちゅるっ、あむっ、んん……っ」 「んふっ……んっ、どうだ、筧? ……私はきちんとできているか?」 「ああ、最高に気持ちいい」 俺の返事を聞き、桜庭の動きが積極性を増す。 「くっ、んぐっ……はんんっ、あっ、んちゅっ……」 「あっ、ん……んくっ、れろ、ふぁっ、あんっ」 「ちゅろっ、んむっ、はぐ……れろっ、ちゅっ、あむ、ううぅっ」 肉棒に吸い付きながら、頭を上下に動かす桜庭。 背筋がぞくぞくとするような快楽が走り、身体が強ばる。 「くっ……」 「ちゅぷっ、れろっ……んっ、筧の、びくびくしてるぞ……」 「んふっ……私の口で、気持ちよくなってくれてるんだな……」 「ぴちゃっ、んくっ……ふっ、ん……んっ、ちゅるっ」 「ちゅっ、んくぅ……はっ、れろ、あふっ、んっ、はふっ」 舌を動かし、裏の敏感なところを刺激してくる。 「れろっ、あっ、ん……ふあぁっ」 「ちゅっ……ちゅるっ、は……んっ、あぁっ、んちゅっ」 「んぅっ、ん、ちゅぷっ……はぁんっ、ちゅくくっ、ふっ、あんんっ」 桜庭の顔がほんのりと桃色に染まり、こちらを見上げてくる。 「んちゅっ……んっ、ん、んはっ……」 口を動かすのをやめ、もじもじと腰を動かす桜庭。 「どうした?」 「んっ……身体が熱くて、せつないんだ……」 どうやら咥えているうちに自分も我慢できなくなったらしい。 「俺も触りたいけど、この体勢じゃ難しいな」 「寝転がってくれれば……」 「いや、まだ我慢できる。気にしないでくれ」 「途中でやめてすまない……あむっ、んふっ……」 再び桜庭は肉棒を咥える。 「んっ、ぺろっ、くぁっ、はっ……んちゅっ、んっ」 「ぺちゃっ、うんっ、れろっ、くっ、ちゅぷっ、あっ……」 「うっ、ぴちゃっ、んむっ、んん……はぁっ、んっ、ちゅうっ」 やはり我慢できないのか、桜庭の腰が揺れている。 「んっ……んちゅっ、くぷっ……あっ、んんんっ」 俺の陰茎を飲み込みながら、自らの手を股間にやる桜庭。 「んちゅっ、はむ、あんっ、んん……ふあぁっ、あっ」 「やっ、んぁっ……ちゅうっ、はっ、くぅんっ、んふっ、あふっ」 「んはぁっ、んん……んぷっ、やっ、ちゅっ、んくぅっ、あうっ」 桜庭の吐息に切なげな声が混ざり始めた。 それでいて、さらに激しく俺のペニスに吸い付いてくる。 「あんっ、あぁっ、くんんっ……やっ、んちゅっ」 「れろっ、んくっ、やぁっ、ん、くぁっ……やっ、くぅんっ」 「ちゅろろっ、ふっ、んっ、くうっ、んちゅっ、んく、あっ、あぁんっ」 自らの陰部の上で指を動かし、自分を昂ぶらせる桜庭。 「じゅるっ、くうぅ、うぁっ、んむぅっ、んちゅっ」 「あっ……やあぁっ、はぁん……ちゅぷっ、んく、ちゅるっ」 「んぁっ、あくっ、や……ぴちゅっ、んふっ、ちゅ……んんんっ、くうぅっ」 いつの間にか、彼女の手は胸にも伸びていた。 「んんんっ、あふぅんっ……んくっ、んちゅ、ちゅっ、はふぅっ……」 「あうっ……筧とこうしていると、身体が熱くなって止まらない……」 「んちゅっ、ふっ……筧が……好きで好きで……どうしようもないんだ……っ」 二つの膨らみの先には綺麗な突起が見えている。 自分を浅ましいと責める桜庭だが、乳房はまだ未熟な桃のように白い。 初めて見る桜庭の乳房に、肉棒が強く反応する。 「んっ、んくっ……あっ、また大きくなった……」 「すごいな、筧のこれは……んちゅっ、はむっ、ちゅぷ……」 「くうっ……」 唾液でたっぷりと濡れた口内で刺激され、震えるほどの快楽が走る。 桜庭の口の中は熱く、蕩けてしまいそうだった。 「ちゅくっ、れろ、ちゅ、うんっ、ちゅっ」 「ぷぁっ……んちゅ、んふぅっ、あ、ふあぁっ、んくぅっ」 「んぁっ、れろ……あふっ、ぷあぁっ、ふっ……んうっ、あ、くうぅっ」 激しく頭を動かして、肉棒を根本まで飲み込む桜庭。 凄まじい快感に陰茎が脈を打つ。 「あっ、ぴちゅ……ちゅっ、れろ……やっ、んん……っ?」 桜庭の頭にそっと手を乗せ、髪の感触を味わう。 艶やかな桜庭の黒髪はさらさらとしており、まるで絹のようだった。 「桜庭の髪、綺麗だ」 「んっ、んん……ふふっ、毎日手入れをしているからな……」 「ちょっと自慢なんだ……んっ、ちゅっ……」 「全部、筧のものだからなっ……」 肉棒を咥えながら見上げてくる桜庭。 たまらなくかわいい。 「はむっ、んちゅっ……んくっ、くぁ……っ」 桜庭は息を整え、俺のペニスをくわえ込んでいく。 「はっ……んふっ、ちゅく……んっ、ぴちゅっ、んむっ」 「ふぁっ、ん……くぅんっ、ちゅるっ、あ、んちゅっ、はんんっ」 「ちゅるっ、ふあぁ……んっ、や、うくぅっ……はぷっ、んっ、れろっ」 桜庭は唇をすぼめ、きゅっと口の中で肉棒を締め付けてくる。 「んむっ、ちゅるっ……んちゅっ、れろ、はんんっ」 「あんっ、ん、れろっ、んく、んはっ、やっ、んっ」 「ぺろっ、ぴちゃっ、あむ、ちゅるっ、れろ、んうっ、うんん……っ」 「うくっ……」 桜庭は舌を這い回らせ、巧みに亀頭を刺激してくる。 あまりの心地よさに精液がこみ上げてきた。 「ぴちゃっ、んんんっ、ううぅ、はふっ、んくぅっ」 「んっ、ぴちゅっ、んちゅっ、れろ、んふあぁっ」 「はぁっ、ちゅ……れろっ、くちゅ、はんっ、ちゅくっ、ふぁ、じゅろっ」 「桜庭、出そうだっ……」 「んっ、んくっ……いいぞ、出してくれっ……」 口の端から唾液を漏らしながら、さらに動きを早くする桜庭。 「ちゅうっ、れろっ、んちゅっ、くちゅっ、んふっ」 「はふっ、ぴちゃっ、ちゅるっ、んく、はむっ、ちゅく、れろ……っ」 「んちゅ、ふぅんっ、ちゅくっ、ぴちゃっ、んちゅ、あむ、ちゅっ、じゅるっ」 びゅくっ、どくっ、びゅるっ、びくっ…… 「んんんっ、んぷっ、んふっ……あんっ、んく、ごくっ、んん……っ」 堪えきれずに吐き出された精液が、桜庭の口内へ流れ込んでいく。 「んっ、ごくっ、ん……んくっ、んくっ……」 桜庭が喉を鳴らして白濁を飲み込む。 「んぐっ、んんんっ……ごくっ、んぐっ……んぷっ、ぷああぁっ……」 「んはぁっ、んっ、げほっ、こほっ……んはっ、こふっ、はっ……」 飲みきれなかったのか、咳き込みながら精液を出してしまった。 しかし、射精は収まらない。 「くっ……」 桜庭の口から解放された肉棒は、跳ね回りながら桜庭に精子をまき散らしていく。 「んぷっ、んっ……んふっ、はは、元気だな……」 「すまん……」 桜庭の身体が白濁まみれになってしまった。 「気にするな。こんなに出すほど気持ちよかったんだろう?」 「ああ……よかった」 凄まじい快楽に、身体から力が抜けそうになる。 「あ、待ってくれ」 「なんだ?」 「筧のここを綺麗にしたい」 そう言うと、桜庭は射精したばかりの肉棒を咥えてくる。 「あむっ……ちゅるっ、んくっ、ぺちゃっ……」 「ぴちゃっ、ちゅくっ、れる……んっ、ちゅるっ」 「ぐあぁっ……ちょっ、待ってくれっ」 口の中で亀頭を舐め回され、思わず身体が跳ねる。 頭が真っ白に飛んだ。 「じゅるっ、んくっ、ごくん……はんっ、ちゅぱ、んふぅっ」 「ぺろっ、んちゅうっ……ちゅるっ、んくっ、ん、はぷっ、ちゅるるっ」 「んっ、んくっ、ぷはぁ……んっ、これは……」 口の中で転がすようにして、残った精液飲み込む桜庭。 「不思議な味だが、悪くないな」 「飲まなくてもいいのに」 「筧のものだから平気だ」 「それに、頭がクラクラしてくるような味がするんだ」 桜庭が、自分にかかった精子に指で触れる。 淫靡な姿に、俺の股間が再び頭をもたげてきた。 「本では一度射精すると小さくなるとあったが、筧のは大きいままだな」 「桜庭が刺激するからだ」 桜庭にいじめられ、ペニスは再び固く勃起していた。 このままでは収まりがつかない。 「ふふ、元気なのは私も嬉しい」 「それに、何だ……これで終わりでは、私も寂しい」 そう言うと桜庭は立ち上がり、俺に体重をかけてきた。 俺を倒すと、服を脱がせてくる桜庭。 その間、桜庭の秘部が目の前をちらつき、実に扇情的だった。 「お、おい、桜庭……」 「今日は、私に……任せてくれないか」 「あと筧……お願いがある」 「なんだ?」 「その、これから私を筧に捧げるんだが……」 「できれば、私のことを名前で呼んでくれないか?」 「構わないけど、急にどうしたんだ」 「……身も心も捧げようとしているんだ。特別な呼び方をしてほしい」 「そっか……そうだな」 「こういうことは、雰囲気は大事だ」 ちょっと照れる桜庭。 「わかったわかった、それじゃ名前で呼ぶよ」 「……玉藻、でいいか?」 「ぁ……」 ぽっと顔を赤くする玉藻。 「思ったよりも恥ずかしいものだな……」 「そのうち慣れるって」 「うん……」 「私も筧のことを……京太郎と呼びたい」 「いいか?」 「ああ、もちろんだ」 改めて名前で呼ばれると新鮮だな。 「京太郎」 「どうした、玉藻」 「ふふっ……いいな。ぐんと恋人らしくなった」 「万全を期して臨めそうだ」 何に望む気だ……って、決まってるか。 「玉藻は初めて?」 「ああ、もちろんだ」 「京太郎が最初で最後の人……だといいが」 「最後じゃなくなる予定があるのか」 「それは京太郎次第だ」 「なら、最後の人で間違いない」 「ふふっ、ありがとう」 「それじゃ……入れるぞ」 「ああ、無理はするなよ」 「大丈夫。私ほど貪欲な女ならきっと痛くない」 玉藻が無茶苦茶を言って微笑む。 明らかな強がりだ。 徹底して尽くすタイプなんだな。 「んっ……」 玉藻の陰唇に、亀頭が当たる。 愛液で濡れた玉藻の秘部は、ぬるぬるとしていて気持ちいい。 「大きいな……こんなものが本当に入るのか……?」 「我慢できなかったら止めていいからな」 「いや、こういうのは思いきりが肝心だ」 「心配してくれるのは嬉しいが、絶対に最後までする」 「あ、ああ……わかった」 実に玉藻らしいが、大丈夫だろうか。 「んっ、くぅっ……」 玉藻は俺のペニスを膣口に当て、ゆっくりと腰を落としてくる。 見慣れた俺の先端が、玉藻の中に沈んでいく。 「うっ……ああぁっ、んうぅっ……」 亀頭が膣内に潜り込み、玉藻の顔が苦痛に歪む。 しかし、入ってすぐの辺りで何かに阻まれ、なかなか奥に進まない。 「あっ、つうっ、んくうぅっ……ああぁっ、いたぁっ……!」 ずぶ、と突然奥の方まで肉棒が飲み込まれた。 「うぅっ……」 熱のこもった膣内に包まれた。 ぎっちりと締め付けられ、そのまま出てしまいそうになる。 「はあぁっ、あくっ……これは、なかなか……」 「大丈夫か?」 膣口からは玉藻の血がにじんでいる。 表情とあいまって、かなり痛そうに見えた。 「……つっ、ああ、平気だ」 「これも、京太郎と結ばれたからこそのものだ……よく覚えておきたいんだ」 「でも……動くのは、もう少しだけ待ってくれ……」 「ああ、もちろんだ」 腰を震わせ、痛みに耐える玉藻。 やはり、痛いものは痛いのだ。 それでも、玉藻は俺を正面から受け止めてくれる。 なんて愛おしい。 「玉藻、好きだよ」 「私も好きだ……京太郎っ……」 「この瞬間が来るのを、ずっと待っていたんだ」 「京太郎と一つになれて、嬉しい……」 玉藻がわずかに腰を動かす度、熱のこもった肉壁がきつく肉棒を圧迫してくる。 その度に、ぞくぞくと堪えがたい快感が背筋を走った。 「んっ……京太郎、どうした?」 「いや、玉藻の中が気持ちよすぎるんだ」 「口とどちらがいい?」 「こっちの方がいいな」 「それなら、頑張った甲斐があった」 玉藻が嬉しそうに微笑む。 「少し慣れてきたから、動かすぞ」 「無理しなくていいからな」 「ああ、最初はゆっくりで行く」 玉藻がゆるゆると腰を持ち上げる。 開いた女性器からペニスが現れ、部屋の明りでぬらぬらと光っている。 「んっ、うくっ……んっ、あっ……んうっ……」 「あうぅっ、はぁっ……くっ、うぅっ、んっ、あふぅっ……」 持ち上げた腰を下ろし、再び熱い肉壁の内側にペニスを埋めていく。 ぬるぬるとした膣内に刺激され、痺れるような快楽が走る。 「んあぁっ、はん……やんっ、はあぁっ、うぅんっ……」 「んぁっ、うっ……んふっ、あくっ、はんっ、あはっ、んうっ……」 「あはぁっ……くっ、んうっ、あっ、んんんっ、ふあぁっ、うっ、んふぅっ」 切なげな吐息を漏らしながら、腰を上下に動かす玉藻。 「んっ、京太郎……私は気持ちよくできてるか?」 「ああ、すごくいい」 「出したくなったら、いつでも出してくれていいから……」 「まだ大丈夫だ」 強く締め付けられ、絞られるような快感が陰茎に走る。 だが、動きが緩慢なため射精には至らない。 「……もう少し速く動かないと駄目か」 「ゆっくりでいい」 「俺も、少しでも長く玉藻の中を味わっていたいから」 「ふふ、私もずっと京太郎のこれを感じていたいな」 そう言いながら、腹部をさする玉藻。 「自分に京太郎が入っていると思うと、不思議な気分だ」 「どんな感じなんだ?」 「身体の奥を棒で突かれているような感じだ」 「奥まで届くと、ぐっとお腹が押されてすごく気持ちがいい」 「京太郎はどんな感じなんだ?」 「なんていうか、玉藻の中に溶けていきそうな感じだ」 「なら、もっと良くなってもらえるように頑張ろう」 「慣れてきたから、もう少し速く動かしてみる」 「玉藻が平気なら構わない」 「ん、わかった」 「あっ、んん……あぁんっ、んっ、ふあぁぁぁっ」 「あはぁっ……はうぅっ、や、あ……あっ、あくぅっ」 「やっ、あうぅっ、あんん……くぅぅ、はうっ、んんん……っ」 玉藻は身体に力を入れ、身体を上下させる。 結合部から、じゅぷじゅぷと湿った音が漏れる。 「あぁっ、はっ、うふっ、んっ、くんっ、んうぅっ」 「やっ、あぁっ、んうっ……あ、はぁっ、うく、あふっ、ひぃんっ」 「くぁっ、ん、あはっ、はんん……あんっ、すごい、気持ちいいっ、ああ……っ!」 リズミカルに腰を動かす玉藻。 気持ちよくなってきたのか、蕩けた顔でこちらを見つめてくる。 「んうぅっ、はっ……京太郎っ、んうっ、ああぁっ」 「やっ、どうしようっ……気持ちいいの、止まらないっ……」 「止めなくていい」 「はぁっ、んっ……でも、これでは私の方が、先に……イってしまうぅっ……」 「んんんっ、駄目だ、全然我慢できないっ……くっ、んああぁっ」 どうやら玉藻はかなり身体が敏感なようだ。 腰を下ろす度に、快感を堪えるように眼を細める玉藻。 「あふっ、やぁんっ……あ、あっ、うあぁっ、あはっ、んうぅっ」 「はっ、うくっ……はっ、んん……っ、くぅんっ、んふっ、ひんんっ、んああぁっ」 「うんっ、だめっ、んはぁっ……ふうっ、はあっ、はあ……」 玉藻は動くのをやめてしまった。 ぶるぶると腰を震わせ、俺の肉棒を奥へ飲み込んだまま堪えている。 「んっ……んうっ、んん……はあっ……」 「どうした?」 「待ってくれ。すぐ、動くからっ……」 荒い息をつく玉藻。 「はあっ……京太郎はどうだ。まだイかないのか……?」 「もう少し……だと思う」 「うぅ……これはまずいぞ」 「私ばかり気持ちよくなっていたら、全然恩返しにならないじゃないか……」 玉藻を見ているだけで愛おしくなってくる。 それだけで、俺にとっては十分過ぎるほどの恩返しだった。 「まさか私がこんなに弱いとは」 「これは特訓が必要だ……」 「どうやって?」 「どうって……まあ、京太郎の協力が必要なのは確かだ」 「いっぱいエッチするってことか」 「そういうことになる」 「京太郎は、こういうことが嫌いか……?」 「嫌いなわけあるか。何度だってしたい」 「好きなのが私だけじゃなくてよかった」 「玉藻の方が数倍エロいと思うが」 「それは言わないでくれ」 俺の中で、むくりといたずら心が頭をもたげる。 「じゃあ、今度は俺が動くよ」 「え……?」 玉藻の腰に手を回し、持ち上げる。 ずるずると膣内から肉棒が引きずり出され、快感が走った。 「あんっ……ま、待て待てっ、くぅんっ、今はまずいっ……」 「どうしてだ?」 「ひんっ、ふあぁっ……お、治まってないんだっ、ぅあぁんっ」 「いいじゃないか。いっぱい感じてくれ」 俺は玉藻の腰を支えつつ、下から身体を打ち付けた。 「ひゃああぁっ、んっ、ふあっ、うあぁっ、ひぃんっ」 「あくぅっ、んっ、ひっ……んくぅっ、んはっ、ふうっ、んんん〜っ」 玉藻の臀部に激しく腰を打ち付ける。 その途端、今までとは比べものにならないほどの締め付けに襲われた。 「うっ……」 「んんんっ、あっ、京太郎ぅっ……ふあぁっ、だ、だめっ」 「あんっ、んくっ……こんなの、すぐにイってしまうっ……んああぁぁっ」 下から突き上げる度に、秘部からぴちゃぴちゃと水っぽい音が響く。 玉藻の膣内から止めどなく愛液が溢れてくる。 「んあぁっ、あふっ、ん……んっ、くんんっ、はああぁっ、あんっ!」 「ふぁっ、あぁんっ、う、あぁっ……ひんっ、はぁんっ、くうぅっ」 「あはっ、んっ、あ、あくっ、や、うぁっ、はうぅ、ん、んふっ……ふあぁっ」 熱くぬかるんだ膣奥に向けて、激しく肉棒を突き入れる。 玉藻の身体が跳ね、凶悪なまでの圧力でペニスを強く締め付けてきた。 「くうっ……」 「はんっ、あうっ……は、激しいっ、んっ、あうぅ……っ」 「くんんっ、やあぁっ……お、奥がっ、やぶれてしまうっ、ん、んぁっ!」 「うあ、んふっ、はんん……っ、くあ、あぁっ、う、あ、ふあぁっ、んあああぁっ」 玉藻の嬌声が部屋中に響き渡る。 もはや我慢することも忘れてしまったかのようだ。 「んうぅっ、あっ、だめっ、き、気持ちいいっ、んはああぁっ」 「京太郎の、ばかっ……こんなに気持ちよくては、もう何も、考えられないっ……」 俺に激しく突き上げられ、玉藻は激しく身体を痙攣させる。 「あくっ、ふっ……くうぅっ、んっ、あはっ、んっ」 「ふぅんっ、あっ、あんっ、うああぁっ、ふっ、ふんっ、ひぃんっ」 「やぁっ、あうぅっ、やっ、だ……だめぇっ、あぁっ、くううぅっ」 襲ってくる激しい快楽に射精感が高まっていく。 このままでは中で出てしまう。 腰を止める。 「……このままだと中に出そうだ」 「……中……か」 「……遠慮せず、出していいぞ」 玉藻が笑顔になる。 「いや、駄目だろ」 「京太郎、初めては中にほしいんだ」 「落ち着け」 「大丈夫だ、今日は平気な日だから心配はいらない」 「私は、京太郎のためなら何でもできるんだ」 穏やかながらも真摯なまなざし。 胸が熱くなる。 「……わかった。いいんだな」 「ああ、頼む」 笑顔を見せる玉藻。 「じゃあ……」 「うぁっ……ああんっ、急に、そんな……あああぁっっ」 「うくぅっ、はあぁっ……や、んあぁっ、う、やぁんっ、んんんっ」 「ふっ、あふぅんっ、くうぅっ……んっ、あふっ、ん、んあっ、ううっ、あはぁっ」 再び腰を動かし、玉藻の中に肉棒を突き込む。 根本までペニスを挿入し、膣奥を抉る。 「んっ、ふあっ……すごい、激しい……いっ」 「くはっ、あうっ、んふぅっ、ひんっ、あっ、んうっ、やあぁんっ」 「んんんっ、あはっ、あ、やっ……い、いいっ、奥が、痺れるっ……はあぁっ」 こちらの動きに合わせて腰をグラインドさせる玉藻。 突き入れる度に肉壁に当たる角度が変わり、凄まじい快楽に襲われる。 「うっ……」 「あああぁっ、あっ……気持ち、いいっ……ん、んあ、あ、んううぅ……っ」 「んはっ……あくっ、やんっ、あうぅっ、くうっ、あはっ、や、あぁっ!」 「あふっ、はんっ、ひっ、はあぁっ、ふうぅんっ、うくぅっ、ん、あぁっ」 熱い塊が下腹部から溢れて、亀頭の先までやってくる。 もう我慢の限界だった。 「玉藻、イキそうだ……!」 「んああぁっ、う、んっ、うん、イってくれっ……私の中に、いっぱいっ……!」 「わっ、私も、もう、もう我慢、できないっ……」 激しく腰を揺すり、最後まで快楽をむさぼろうとする玉藻。 その刺激で、一気に射精感が高まる。 「あああっ、イクっ、もうイってしまうっ、うあああぁぁっ!」 「は、あ、んっ、あくうぅっ……だめっ、あっ、ん、んっ、うううぅぅぅっ!!」 「あ、あああっ……イクっ、イっちゃっ……んあああぁぁっ、あああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」 びゅるっ、びくっ、どくっ、びゅるっ! 玉藻の膣奥で、我慢に我慢を重ねたものがはじける。 「んああぁっ、あっ、ふああぁっ、はあぁっ、はっ……はぁっ、ああぁっ……」 「ああっ、あっ、ああ……奥が、熱いぃっ……、はあぁっ……」 玉藻は身体を強ばらせ、絶頂に達する。 吐き出された大量の精液は玉藻の膣内に収まりきらず、膣口から溢れてきた。 「あぁっ、ぁっ……お腹が、京太郎のものでいっぱいだ……」 「熱くて……もう、何が何だかわからない……」 「ああ、俺もだ……」 玉藻の熱い膣内に包まれ、まるでペニスが蕩けてなくなってしまったかのようだった。 少しだけ小さくなった肉棒が、玉藻の膣内から出てきた。 「はぁ……これが、交わるということなのか」 独り言のように言い、玉藻が脱力する。 「気持ちよかったよ。ありがとう、玉藻」 「私もだ。ありがとう、京太郎」 「これで私は、身も心も京太郎のものになったんだな」 うっとり言う玉藻の表情には、今までにない色気が浮かんでいた。 思わず身体が反応する。 「こら、もう催促するなんて、私以上に貪欲な奴だ」 玉藻が、愛おしそうにペニスを撫でる。 「お前にはこれからいっぱい世話にりそうだな、よろしく頼む」 精子や愛液で濡れた肉棒を、にゅるにゅるとしごく玉藻。 「た、玉藻……」 裏筋の辺りを強く指でこすられ、痺れるような快感が走る。 これだけ出してまだ頑張ろうというのだから、俺の欲望も果てがない。 「ふふ、京太郎も好きな方みたいだ」 「嬉しいよ、京太郎」 「あー、でも待った。今日はこの辺で」 玉藻の手を止めようとするが、反対の手で掴まれてしまった。 「いくらでもしたいというのは嘘か?」 亀頭を手のひらで包むようにしてこすり上げ、刺激してくる玉藻。 「っ……うぁっ……!」 「ふふ、冗談だ」 玉藻が、ようやく解放してくれる。 「これからずっと一緒にいるんだ。いくらだってできる」 「それに、どこかで止めておかないと、このまま明日になってしまう」 「何事にも、節度が必要だな」 「ああ、だが、節度がないのは私か。初めてだというのにあんなに乱れて、女としてどうなんだ」 「……思い出したら、死にたくなってきた」 いきなり悩みだした。 たしかに、玉藻の乱れ方はかなりのものだった。 だがそれは、思いの強さから来るものだとわかっている。 「何度か言っただろ? 俺は嬉しいよ」 「嫌いにならないでほしい」 「大丈夫だって」 玉藻の頭を撫でる。 「すぐ嫌いになるほど、軽い好きになり方してない」 「京太郎……ありがとう」 そう言って、玉藻は幸せそうに微笑んだ。 週明け、美術科で展覧会の募集要項をもらってきた。 オープンな展覧会なので、出展自体は難しくない。 申し込み、締め切りまでに絵の現物を持っていけば済む。 入賞すれば注目される展覧会ではあるが、正直なところ賞に興味はなかった。 私にとっては、自分の趣味を── 自分だけのささやかな趣味を、白日の下にさらすことに大きな意義を感じていた。 私の腕前では、酷評すらされず、誰の目にも留らないと思う。 でも、私の絵が私の名前で展示される。 それは、私の歴史の中で、人類が月面に到達したくらい大きな出来事になるだろう。 「……ん?」 「あ……」 白崎とばったり遭遇した。 全くの偶然だ。 「やあ、白崎。元気か?」 「う、うん……玉藻ちゃんこそ元気?」 「まあまあだ」 「そっか……」 会話が途切れる。 学期中なら嫌でも顔を合わせただろうが、今は夏休みだ。 しばらく顔を合わせなかったせいか、少し気恥ずかしい。 「玉藻ちゃん、何か用事があったの?」 「美術科にちょっと」 「美術科?」 怪訝な顔をする白崎。 「秋の展覧会に、絵を出そうかと思ってるんだ」 「玉藻ちゃん……」 曇りのち快晴とでも言うか、白崎の表情が晴れ渡った。 「おかしいかな」 「そんなことない。すごくいいと思うよっ」 白崎が私の両手を取り、上下に激しく振る。 彼女独特の感激の表し方。 久しぶりだな。 「絵はもう完成したの?」 「いや、まだ制作中だ。夏休み中に完成させないといけない」 「そっか……楽しみにしてるから、頑張ってね!」 白崎が満面の笑みを浮かべた。 我がことのように喜んでくれる白崎。 私は、ずっとこの笑顔に励まされてきたのだ。 「図書部はどうだ?」 「最近、詳しいことを教えてくれないから心配してるんだ」 部のウェブサイトやSNSもチェックしているが、更新は滞りがちだった。 恐らく忙しいのだろう。 「ウェブの更新だけでも代わろうか?」 「大丈夫、玉藻ちゃんは9月まで休んでて」 たしなめるように白崎が言う。 「それじゃ、また今度ね」 このままでは話が終わってしまう。 今ここでクイズの件を切り出すべきか。 正解を告げれば、私も筧も図書部に戻れるだろう。 ……でも。 正解してしまったら、その瞬間から私は変わらねばならない。 「……」 ふと、京太郎の顔が思い起こされた。 胸の中に、ぎゅっと勇気が湧いてくる。 大丈夫……私はやっていける。 つまずくことばかりだろうけど、見守ってくれる人がいるのだ。 「なあ、白崎」 「以前、白崎が出してくれたクイズのことなんだが、答えがわかったよ」 「あ……うん」 それが本題だと気づきながら、視線を逸らすような返事だ。 「改めて言わなくても、今まで何度も言われていることだ」 「図書部の活動が始まってから、私は白崎が必要とする以上に作業をしてきた」 「白崎から見れば、自己管理能力不足に映ったと思う」 「だから、筧と組むことで、あいつが上手く手綱を握ってくれると思ったんだろう?」 白崎はしばらく考えるような目をしてから、深くうなずいた。 「ずっと心配だったの」 「このまま先に進んだら、玉藻ちゃんはどうなっちゃうんだろうって」 「それにね……」 白崎が逡巡する。 しかし、意を決したように口を開いた。 「玉藻ちゃんみたいに優秀な人が、何で私を応援してくれるのかわからなかったの」 「裏があるって思ってたわけじゃないけど、やっぱり不安だった」 白崎にも、私の真意は漏れていたのだ。 それもそうか。 私の行動はあまりに幼稚だった。 きっと、まともな人はみんな気づいていたのだ。 「不安にさせてすまなかった」 「詳しいことは恥ずかしくて言えないが、私はずっと白崎に甘えていたんだ」 「どういうこと?」 「だから、言えない」 「あ、そっか」 「私、こういうところ抜けてるよね」 「気持ちの整理がついたら、改めて話ができればと思う」 「うん、楽しみにしてるね」 白崎が微笑んだ。 こんな穏やかな性格に、私は甘えていたのかもしれない。 「ところで白崎部長。クイズには正解したし、もう図書部に戻って構わないだろう?」 「玉藻ちゃん、せっかくなんだから9月までゆっくりしてよ」 「しかし、4人じゃ大変だ」 「大丈夫だって、こう見えて頑丈ですから」 白崎が胸を叩く。 「……そうか」 白崎は嘘がつけないな。 顔を見ればすぐにわかってしまう。 「あー、そうだ、そろそろ行かないと」 白崎が慌てて携帯を見る。 「何か用事があるのか?」 「うん、事務棟にちょっと」 「じゃ、玉藻ちゃん、充実した絵画ライフを」 わたわたしながら、白崎は去って行った。 事務棟か……。 事務棟には生徒会室もある。 例の案件がらみかもしれない。 まさか、4人でやってるんじゃないだろうな。 どうやら、少し調べてみる必要がありそうだ。 「ただいまー……」 生徒会長との打ち合わせを終え、部室に戻ってきた。 「おかえりなさい」 「全員……あれ、佳奈ちゃんは?」 「さっき出て行きましたけど」 「何だかすごい慌てようだったな」 「ふうん?」 この上で、さらに問題でも起こったのだろうか。 「生徒会長さんは何て言ってたんだ?」 「うん……」 「途中で降りられるのは困るって」 「何とかスケジュールを調整して継続してほしいって言われたよ」 「そうでしょうね」 「ま、普通そう言うわな」 高峰くんが苦笑いを浮かべる。 ああ……申し訳ない……。 「で、どうするんだ」 「私と佳奈が担当している依頼も、スケジュール通りに終わらない可能性があります」 「う、うん……どうしよう、かな……」 玉藻ちゃんが休養に入ってから一週間。 自分がどれだけ玉藻ちゃんに甘えていたのか、嫌と言うほどよくわかった。 玉藻ちゃんの代わりにスケジュールを管理する立場になったが、わたしでは玉藻ちゃんがやっていたようにはできなかった。 小さな連絡ミスが重なり、うまくは回っていなかった。 「白崎先輩……」 「わかってる。今考えるからちょっと待ってね」 「考えるも何も、圧倒的に人手が足りてないのは明らかだろ」 「助っ人でも呼んでくるしかないんじゃないか?」 「……」 そうしたいのは山々だけど……。 「すみません、今戻りましたっ」 佳奈ちゃんが席に戻ってきた。 「もう話始まってます?」 「あ、ううん。大丈夫だよ」 「白崎先輩が対策を考え中」 「そっか」 そうだ、対策を考えないと。 「誰からの電話だったんだ?」 「え? あー、昔の友達からでした」 「友達だったにしちゃ、やけに言葉遣いが丁寧だったな」 「高峰さん、ツッコミ厳しいですよ」 「乙女の秘密ってことにしといてください」 「わかったよ」 「白崎先輩、対策は決まりましたか?」 「う、ううーん……」 玉藻ちゃんのスケジュールは活動メンバーが6人の想定で組まれている。 そこから玉藻ちゃんと筧くんが抜けたら、必然的に人手が足りない。 「高峰先輩がいくつか依頼を断ってくれていなかったら、今頃大変なことになっていますね」 「個人的なバーベキューの手伝いとか球拾いなんざ、自分たちでやれって話だ」 残った4人で回すため、高峰くんが『これはやらなくていいだろ』と指摘してくれたものをいくつか断った。 それでも、かなり厳しい状況にあった。 「まあでも、夏祭りのレポートを突っ込んだせいでチャラになってますよね」 「そこは言うな」 「つぐみちゃんがどうしてもって言うんだから仕方ないだろ」 「ごめんね……」 生徒会から依頼された夏祭りのレポート作業は、散々悩んだ挙げ句、受けることにした。 そうしなければならない気がしたからだ。 「高峰先輩が今やっている依頼はどうなんですか?」 「今週いっぱいで終わる予定」 「夏祭りのレポートが今週末ですから……それまでは空かないってことですね」 「私と千莉が抱えている依頼も予定をオーバーしてて、今週末までは空かないと思います」 「白崎先輩は?」 「私は明日から空いてるよ」 「夏祭りのレポートを進められるのはつぐみちゃんだけか」 「まあ……私もバイトをズル休みすれば手伝えると思いますけど」 「俺もそうだな。いくつかサボっちまうか」 「それは駄目だよ」 「玉藻ちゃんには『自分の時間を大切にして』って言って、図書部から離れてもらったんだもん」 「それなのにみんなの大切な時間を削ったら……玉藻ちゃんに顔向けできない」 「夏祭りのレポートはわたし一人で頑張るから、心配しないで」 高峰くんたちに時間がないなら、わたしが自分の時間を削ってやればいい。 図書部の活動はわたしが始めたことなんだから、それが当然だ。 「一人でって……大丈夫なのか?」 「大丈夫、大丈夫。わたし、こう見えて徹夜は得意だから」 「全然安心できないですね」 「あはは……」 「千莉、言い方きついよ」 「あ、すみません。単純に心配してるんです」 「うん、わかってる。ごめんね、心配かけちゃって……」 「さっきも言ったけど、やっぱ助っ人を呼んだ方がいいんじゃないか」 「桜庭はともかく、筧だけでも呼び戻すとかさ」 「筧さんがいれば、夏祭りのレポートはだいぶ楽になりますね」 「……ううん、それはできないよ」 筧くんは、玉藻ちゃんの絵のサポートをしている。 今はそちらに集中してほしい。 「意地を張るのはいいけど、生徒会のヘルプ作業がうまくいかないと大きく株を下げるぜ」 「リスクが大きいですね」 「白崎先輩、どうして筧先輩に手伝ってもらわないんですか?」 「この数日だけ筧先輩に手伝ってもらうくらいなら、別に構わないと思うんですけど」 「そうですよ。ずっとってわけじゃないんですから」 「……」 ちゃんと説明しないと納得してもらえないな。 「あのね、玉藻ちゃんには趣味があるんだけど……」 玉藻ちゃんから聞いた話をみんなに伝える。 絵画を趣味にしていること。 前々から目標にしていた展覧会の締め切りが夏休み明けにあること。 「これは筧くんから聞いたんだけど、勉強も頑張らないといけないんだって」 「絵と勉強ですか……大変ですね」 「今は、玉藻ちゃんにとってすごく大切な時期なんだ」 「だから、余計な心配をかけたくないし、筧くんにも玉藻ちゃんを見ててほしいの」 「……展覧会ねえ」 高峰くんが静かに微笑んだ。 「そういう事情があるなら仕方ない」 「ま、そもそも、俺たちだけで頑張るって話だったしな」 高峰くんの言う通りだ。 わたしが『学園を楽しくしたい』と言い出したとき、玉藻ちゃんは真っ先に手伝うと言ってくれた。 その活動が、玉藻ちゃんから絵を描く時間まで奪ってしまった。 わたしがふがいないから、玉藻ちゃんの仕事がどんどん増えてしまうんだ。 証明しなくちゃいけない。 玉藻ちゃんがいなくても何とかなるってことを。 「みんな、迷惑かけてごめんね」 「わたしも頑張るから、よろしくお願いします」 みんなに向かって頭を下げる。 「やめてくださいよ。水くさいじゃないですか」 「白崎さんがその気なら、私たちだって精いっぱい頑張りますよっ」 「ありがとう、佳奈ちゃん」 「でも、まずはわたしが頑張ってみせないとね」 「ま、『なせば成る、なさねばならぬ何事も』って言うからな」 「何とかなるだろ」 「高峰くんもありがとう」 「先輩、それ慰めになってないです」 「その句、結果が伴わないのは意志が足りないからだって意味なんですけど」 「あ、あぁ……そうなんだ」 「ま、頑張って結果出していこうぜ、つぐみちゃん」 「あはは……頑張ります」 瞬く間に木曜日となった。 夏祭りレポートの提出期限は明日だ。 「……さて、どうしますかね」 「どうするかねぇ」 「すみません……」 みんなで協力し、夏祭りの取材は終わらせた。 だが、集めた資料をレポートにする作業が丸々残っているのだ。 「あと半日で形にするのか」 「これ、終わります?」 資料は、急病で倒れたという生徒会スタッフの分も合わせるとかなりの量があった。 一人でレポートにするのはかなり難しい。 「……ごめんなさい、無理だと思う」 「だよなあ」 予定では間に合うはずだった。 取材に想像以上の時間がかかってしまったのが敗因だ。 生徒会以外の取材ということで、協力を渋る団体が出てしまったのだった。 「あいつら、ちゃっちゃと取材に応じてくれりゃ良かったんだ」 「ううん、私の計画が甘かったの」 「まあまあ、とにかくやってみましょうよ」 「私も手伝います」 「俺だってやる」 みんなが力強く言ってくれる。 「ありがとう、みんな……」 午後7時。 作業開始から5時間。 終わる気配は見えない。 「すみません、戻りました」 「どこ行ってたんだ?」 「野暮用です」 短い言葉を交わし作業に戻っていく。 それぞれ疲労の色が濃い。 このままじゃ、駄目だよね? 「つぐみちゃん、手芸部のメモが途中で切れてるんだけど」 「え? ちゃんと最後まで……」 高峰くんに言われてメモを見ると、確かに続きがない。 「おかしいなぁ……」 「ぶちょー、頼むぜー」 高峰くんに促され、メモの山から続きを探す。 「高峰先輩」 「ん?」 「このメモの暗号、解読できますか?」 「任せとけって」 「……うわ、きったねえ字だな」 「書いた本人なんですから、責任持って解読して下さい」 「ういーす」 「白崎さーん、25日にやってたイベントの分がまるっとないです」 「レポートから省いちゃっても大丈夫ですか?」 佳奈ちゃんが資料の山を漁りながら、話しかけてきた。 「それは駄目だと思う」 「でも、さっきから探してるんですけどメモも資料もないです」 「なくしちゃったとか?」 「ま、まさかねえ……」 「でも、ここにあるのが全部だよ?」 こんな具合で、作業は遅々として進まない。 玉藻ちゃんがいれば、こんなことはないんだろうけど……。 自分で仕事をやってみて、彼女の偉大さが初めて実感できた。 更に2時間が経過。 午後9時を過ぎ、みんなの顔に諦めの色が広がり始める。 メモの整理の仕方が悪かったらしく、紛失疑惑まで出てきた。 今から再調査なんて絶対に無理だ。 「白崎さん」 「どうするよ」 「……」 みんなの視線がわたしに集まる。 決断しなければならない。 「もう1日だけ、締め切りを延ばしてもらうように言ってみる」 「その間に取材をし直すよ」 生徒会からの評価は確実に下がるだろう。 6人で積み上げてきた実績が崩れていく。 でも、他にどうしようもない。 誤魔化さないのが最後の責任の取り方だ。 「……」 「……ここまで、ですかね」 佳奈ちゃんが立ち上がる。 「白崎さん、すみません」 「実は私、白崎さんに悪いことしちゃってるんです」 そう言うと、佳奈ちゃんは携帯を取り出した。 「え? 何のこと?」 佳奈ちゃん以外が疑問符を浮かべていると、部室のドアが開いた。 「た、玉藻ちゃん……」 「いや、たまたま図書館で筧と勉強をしていたら、たまたま鈴木からメールが来たんだ」 「というわけで、ちょっと様子を見に来た」 「……そういうことか。タマタマも人が悪いな」 高峰は、今のやりとりを聞いて察知したようだった。 「高峰、今日はお前も貴重な戦力だから、聞かなかったことにしておこう」 「うっは、こわ」 「ふざけてる場合ですか」 「今、大変なことになっているんですよ」 どうやら御園は何も知らないようだった。 佳奈すけには強く口止めをしていたので、それも当然か。 「わかっている」 玉藻はカバンから紙の束を取り出した。 「足りないと思われる資料と、説得力を増すのに使えそうな資料だ」 「あと、知り合いから採ったアンケートもある」 「夏祭りで好印象だったこと、悪印象だったことを回答してもらった」 机の上を整理しながら、紙の束を分けていく玉藻。 「玉藻ちゃん……」 「……すげえな。これがあれば一気に行けちゃうんじゃないの?」 「手分けして見てみましょう」 玉藻の資料に手が伸びる。 「……ちょっと待って」 白崎が玉藻を見つめる。 「どうしてこんな資料があるの?」 「1日で集まるような資料じゃないよね?」 「私と京太……筧で調べたからだ」 「そうじゃなくて、どうして私達が生徒会の依頼を受けたって知ってるの?」 「すみません……」 佳奈すけが頭を下げる。 「白崎が生徒会の依頼を受けたことは、中央通りで会ったときに気づいた」 「あとは、俺が佳奈すけから聞き出したんだ。悪いのはこっちだよ」 「……」 「いえ、私も悪いんです」 「筧さんに性的なイタズラをされそうになったのもありますけど、不安があったのも確かなんです」 「本当に、ごめんなさい」 白崎に頭を下げる佳奈すけ。 「佳奈ちゃん……」 誰もツッコまないと、俺が性犯罪者になるんだが。 「というわけで、鈴木は悪くない」 「責められるべきは、私と筧だ」 「……」 玉藻の堂々とした態度に、しかし白崎の顔は険しいままだった。 「でも、二人はお休み中だよね」 「それに、玉藻ちゃんは絵を描いてるはずだったのに」 自分の言葉に、白崎がはっとした。 「玉藻ちゃん、まさか展覧会を諦めて……」 白崎の顔から血の気が引く。 対する玉藻は優しく微笑んだ。 「白崎、それじゃあ昔の私だ……絵は捨てていないよ」 図書部を手伝いたいと言いだしたのは玉藻だ。 気持ちは理解できたが、それで絵を捨てては昔に逆戻りになってしまう。 白崎も絶対にいい顔はしない。 だから、絵を捨てないことを確認した上で、俺も全力でサポートに回った。 具体的には、佳奈すけからもらった情報を元に白崎の後追い調査をし、抜けていそうな情報を集める。 次いで、成果物を玉藻に渡し体系づけた整理をしてもらう。 俺の目標は、玉藻の時間を極力奪わないことだった。 玉藻には、絶対に絵を完成させてほしい。 そして、展覧会に飾られた絵を、図書部全員で見に行きたかった。 「なあ白崎……玉藻のことは、ちゃんと俺が見てた」 「もう、前みたいに心配する必要はないよ。俺が保証する」 「だから資料は受け取ってくれ」 「筧くん……」 玉藻がまとめた資料を見る。 睡眠時間を削り、食事の時間も極限まで切り詰めて作ったものだった。 「……わかった」 「資料、ありがとうね。すごく助かったよ」 「後は私たちでできるから、玉藻ちゃんと筧くんは休んで」 「もう調査は手伝ってしまったし、休暇は終わりだ」 「心配しなくても、私はもう昔には戻らないよ」 機先を制するように、玉藻が付け加える。 「絵も完成させるし、図書部の活動もする」 「先日は言わなかったが、私は忙しくすることで自分を保ってきた」 「だから、休めと言われても休めなかったんだ」 玉藻が、みんなの前で自分を語る。 相当に恥ずかしいことだと思う。 玉藻にすれば、今の段階で自分が変わったと証明することはできない。 変わっていこうという意思を、いかに伝えられるかということだった。 「白崎が……みんなが休養をくれたことで、気づくことができた」 「心から感謝している」 玉藻が小さく頭を下げる。 「私は変わると決めたんだ」 「信じてくれ、白崎」 玉藻の切々とした声が流れる。 白崎は、言葉に耳を傾けながらじっと玉藻を見ている。 「俺からも頼む……玉藻を信じてやってくれ」 俺も頭を下げた。 ……。 …………。 「……そっか、そうだよね」 しばらく間があり、白崎はふっと表情を緩めた。 「わたし、忘れてたかも」 「玉藻ちゃんはやると言ったことは必ずやるし、できると言ったことは必ず実現してきた人だよね」 「白崎……」 気恥ずかしそうに見つめ合う、白崎と玉藻。 「その……玉藻ちゃん」 「何だ?」 「レポート、手伝ってくれるかな」 恥ずかしそうに、はにかみながら告げる白崎。 そんな白崎に、玉藻は満面の笑みで応えた。 「もちろん」 朝5時。 レポートはまだ終わっていなかった。 「……ふわあぁ」 白崎が大きなあくびをする。 「5時……佳奈すけはそろそろ起きる時間か」 「うん、そうかもね」 佳奈すけは朝からアプリオのバイトが入っているため、早めに帰らせた。 今頃、家で爆睡しているだろう。 高峰はバイト、御園はレッスンがあるというので2人にも帰ってもらった。 残っているのは俺と白崎、そして玉藻の3人だ。 「玉藻ちゃん……寝なくて平気なの?」 「ここで寝たら起きられない」 玉藻はノートPCでレポートを作っている。 資料のまとめは終わっているため、後はうまく資料の体裁を整えれば終わりだ。 「間に合いそうか?」 「大丈夫だ、まだ時間はある」 「必ずできる。絶対に間に合わせよう」 締め切りは9時だ。 玉藻ができるというのだから、できるのだろう。 玉藻は力強い瞳でそう告げた。 「何だか、あの時を思い出すね」 「ああ、栄養学のレポートか。私も同じことを考えていたよ」 確か、二人が仲良くなるきっかけになったレポートだったか。 「ずっと思ってたんだ」 「わたしと一緒にいるせいで、玉藻ちゃんはやりたいことができてないんじゃないかって」 「玉藻ちゃんが自分のやりたいことを好きなだけできたら、もっとすごいことができるはずだもん」 「だから、わたしが玉藻ちゃんの足を引っ張ってる気がして……」 白崎は椅子の上で小さくなる。 「私は白崎に救われていたんだ」 「むしろ、謝らなくてはいけないのはこっちだと思う」 「白崎に寄りかかっていたせいで心配をかけてしまった」 「ううん……いいの」 少しだけ目を潤ませる白崎。 「泣くなよ。きょ……筧の前なんだぞ?」 「ふふ、そうだね」 ハンカチで目を押さえ、白崎は笑顔を作って見せる。 「ところで玉藻ちゃん」 「どうした?」 「筧くんのこと、名前で呼ぶようになったんだね」 「さあ……何のことだ?」 とぼける玉藻。 「筧くんも玉藻ちゃんのことを名前で呼んでるし、名前で呼び合うことにしたんだね」 「筧が勝手に呼び始めただけだ」 そういうことを言うのか。 「玉藻が、みんなと同じ呼ばれ方じゃ気分が出ないって言うから変えたんだ」 「そ、それは……二人だけの秘密だと……」 首まで赤くしてうつむく玉藻。 「うまく行ってるみたいで安心した」 「筧くん、これからも玉藻ちゃんをよろしくね」 「ああ、もちろんだ」 「……なぜ私がいじられ役なんだ……」 ぶすっとする玉藻を見て、俺と白崎は笑い合った。 「ううっ……」 「朝日が眩しいな……」 夏の太陽は、朝から力いっぱい俺たちを照らしてくれた。 お陰で目の奥が痛い。 朝8時。 生徒会に提出するレポートは、何とか形になった。 3人ともフラフラだ。 「それじゃ、わたしは生徒会室に行ってくるね」 「俺たちも付き合う」 「ああ、最後まで見届けさせてほしい」 「いいの、いいの」 白崎が俺たちをぐいぐい押す。 「何だよ」 「だって、二人が仲良すぎて独り身がしみるんだもん」 「婚活の広告か」 「ともかく、ここからは大丈夫」 白崎が笑顔で押してくる。 「んじゃま、俺たちは帰るか」 「ああ……」 まだ釈然としない様子の玉藻。 「今日は手伝ってもらえて良かった」 「レポートが終わったのはもちろんだけど、玉藻ちゃんと話ができたから」 「私もだ……これからもよろしく」 にこっと笑い、白崎は事務棟方面に向かう。 しかし、数歩歩いてきびすを返した。 「玉藻ちゃん、絵、頑張ってね」 「展覧会、待ってるから」 「ああ、期待していてくれ」 「それじゃあね、お二人ともっ」 元気よく言って、今度こそ白崎は去っていった。 「帰るか」 「そうだな……」 玉藻がちらりと俺を見る。 「そのぉ、なんだ……茶でも飲んでいくか?」 身体も頭も疲れている。 でも、白崎と玉藻の新しい船出に乾杯したい気分だった。 「いただくかな」 いつもの部屋に、コーヒーの香りが漂う。 ここ数日、絵に勉強に調査にとフル稼働だった。 にもかかわらず、部屋は整然としている。 本人は無自覚らしいが、玉藻の家事能力はすごいものがある。 白崎みたいに突出してはいないが、なんでもそつなく、しかもさらりとこなしているのだ。 姫でいながら古風な良妻タイプとは……新ジャンルか? 「コーヒーが美味しい」 コーヒーカップで乾杯し、一息つく。 何とも言えない達成感があった。 「あっという間の一週間だった」 「だなあ……痩せたかもしれない」 「精悍になったと思っておいたらどうだ?」 「その方が精神衛生上よさそうだ」 大しておかしくもないのに、二人で笑う。 空気が緩み、重く甘い疲労が全身を包む。 「玉藻、ちょっと」 隣に行き、膝枕をしてもらう。 最近は何も言わなくてもこの状態だ。 玉藻の張りのある太ももは、昔から使っている枕のように身体に馴染む。 「ああ……気持ちいいな」 「ふふふ、そうか」 玉藻の指が、俺の髪を弄んでいる。 心地よい泥の風呂に、とっぷりと首まで浸かっているような気分だ。 疲労からか、二人とも無言になる。 互いに徹夜明けだ。 俺はもちろんだが、玉藻からもかすかに甘い汗の香りが漂う。 理性が弱くなっているのか、妙に扇情的な匂いに感じられた。 「何か、エロい気分かもしれない」 「……いきなり馬鹿か」 言いながらも玉藻の目はとろんとしている。 「疲れてると、妙にそういう気分になる」 「ま、まあ……私も否定はしない……」 蚊の鳴くような声で、玉藻が言った。 玉藻の膝を、手のひらで撫でてみる。 「ん……」 身体が敏感に反応する。 間髪入れず、玉藻の顔が光を遮った。 「ちゅ……ん……」 「くちゅ……ちゅっ……」 互いの唇を軽く愛撫する。 「……なんだか、歯止めが利かなくなりそうで怖い」 玉藻が熱い息で言う。 「俺もだよ」 「京太郎……お風呂に入らないか? 二人とも徹夜だ」 「一緒なら入ろうかな」 「し、仕方ないな」 初めからそのつもりだったろうに、玉藻が拗ねたように言う。 疲れると興奮するってのは、生存本能かなんかなのだろうか? 「じゃあ、先に入ってる」 湯船に浸かって数分。 「は、入るぞ……」 「どうぞ」 「……」 「……」 玉藻は水着だった。 「なんでまた水着」 「あ、明るいと恥ずかしいだろう……」 玉藻の慎み深さだろう。 濃紺の水着が、玉藻の真っ白の肌を更に際立たせている。 「すごく綺麗だ」 「や、やめてくれ……」 玉藻が身を縮める。 「身体を洗うから」 玉藻が椅子に座る。 どうしたって、股間や胸に目が行ってしまう。 「洗うのは後ってことでどうだ?」 「え? でも、汚いから」 「待てないんだ。早くこっちに来てくれ」 「お、お前は……まったく……」 顔を赤くしながら、髪を解いて湯船に入ってきた。 後ろ向きに入っていた玉藻の腰を捕まえる。 「きょ、京太郎……いきなり危ないぞ」 俺の上にまたがるようにして入ってきたため、玉藻の股間が丸見えになった。 「ちょっと待て、この姿勢は恥ずかしすぎる」 「向きを変えるから手を離せ、おい、こらっ、京太郎っ」 「いたた、動かないでくれ」 そもそも、浴槽は一人用だ。 無理矢理2人で入っている上に玉藻がもがくせいで、俺が浴槽に沈みそうになる。 こんなところで溺死はしたくない。 「うう……だが、これは……」 顔を赤くしながら、今の体勢で動きを止める玉藻。 何というか、あられもない格好だった。 「あのな……もしかして、見えてるんじゃないか?」 「い、いや、一応見えてない」 玉藻のお尻は目の前だ。 少しでも水着が食い込めば、大変なことになる。 考えるだけで、水着に縦筋が見えるようだ。 湯船の中でむくむくと肉棒が持ち上がってくる。 「おい、大きくなったぞ。見えてないんじゃなかったのか?」 「想像力の産物だ、すまん」 「相変わらず元気だな」 玉藻は腰を寄せて、俺の陰茎に自らの股間をこすりつけてくる。 「んっ……もう京太郎の、すごく固い」 「くっ……」 水着の生地ごしに、玉藻のやわらかな秘部の感触が伝わってきた。 ざらざらとした触感が、肉棒に強い刺激を与えてくる。 「いつもこんなことばかり考えているのか?」 「ま、まあ……玉藻は?」 「どうだろうな」 「これでも女だ。秘密ということにしておこう」 女性の中でも美しい肢体を震わせ、玉藻が喉の奥で笑う。 「玉藻、水着をめくってくれないか?」 「……さらりとすごいことを言うな」 「やっぱ駄目か」 少し残念そうな声を出してみる。 「そんな声を出しても駄目だ。丸見えになるじゃないか」 「だよな。もう諦めたよ」 試しに引いてみせる。 「わ、わかった……仕方ない」 「まったく、わがままばかり言って」 あっさり玉藻が折れた。 ブツブツ言いながら、玉藻が水着をめくっていく。 まるで俺をじらすように、1センチ、1センチ、ゆっくりと── そこが現れる。 「うう……これ、相当恥ずかしいぞ、これは……」 水着の食い込みで大陰唇が開き、奥のピンク色の部分まで露わになっていた。 思わず唾を飲み込む。 一瞬で股間がカチカチになった。 「綺麗だ」 「ば、馬鹿、綺麗なわけないだろう」 「いや、綺麗だ。……触るよ」 膣口に中指を当て、ゆっくりと沈み込ませる。 「んっ……ふぁっ、あぅっ……んうぅっ……」 にゅるんと指が玉藻の膣内に飲み込まれた。 入り込んできた異物を歓迎するかのように、膣壁がきゅうきゅうと収縮を繰り返す。 「あんっ、そ、そんないきなり奥までっ、んはぁっ……」 「ぬるぬるじゃないか。これはお湯じゃないよな?」 「へ、変なことを聞かないでくれ」 玉藻は腰を揺らし、俺の陰茎に尻の割れ目をこすりつけてくる。 「指、動かすよ」 指を動かし、玉藻の膣内を刺激してみる。 「んああぁっ、ああぁ……くぅんっ……ふあぁ、あんん……っ」 「あんっ、やあぁっ……そ、そんなに強くこするの、だめっ……!」 「んっ、はうぅっ、はっ……はぁんっ、あ、んふっ、はあぁ……んうぅ……っ」 ぐっと身体を弓なりに反らせる玉藻。 「うふっ……ん、あぁっ……うぅんっ、んっ、うく……ぅ」 「んぁっ、やっ、うあぁっ、くんっ、んっ……き、京太郎っ、ああぁっ!」 「そこ、気持ちいいっ……んっ、もっと、もっとしてくれ……っ」 指を奥まで入れると、きゅっと玉藻の膣内が締め付けてくる。 一番気持ちいい場所らしい。 「やんっ……ぁんん、はあぁっ……ん、んはっ、あ、んくっ」 「あはぁっ、あ、ぅ、はぁっ……んうぅっ、うぅっ、んんん……っ」 「くんっ、んん……やぁっ、んっ、んん……ううぅっ、あふっ、あぁっ」 さらに快楽を貪ろうと玉藻の腰が揺れる。 その欲望に答えるため、指を折り曲げて膣壁を強くこすりながら出し入れする。 「ひああぁっ、やあぁっ……う、くっ、んんんっ、んん〜っ」 「んうぅっ、ああっ、ふっ……はぁんっ、ん、あぁぁ……くっ、んああぁっ」 「いあぁっ、んっ、それ、気持ちいいっ、だめだめっ、だめぇっ……!」 玉藻の声が高く跳ね上がった。 身体を震わせる玉藻に合わせて湯船が激しく波打つ。 「んふぅっ、やぁんっ、んふっ、ん、あ、あぁっ、くうぅんっ」 「んっ、ああっ……はっ、はんっ、あはっ、あ、ああぁ……んああぁっ!」 指を動かす度に、ぬるぬるとした愛液が玉藻の中から溢れてくる。 玉藻の蕩けた声にあてられて、肉棒はこれ以上ないというほどがちがちに屹立していた。 「んんんっ、あっ、うぅっ……き、京太郎っ、もういいっ……」 「このままじゃ、指だけでイってしまうっ……」 「わかった」 ひくひくと痙攣を続ける膣内から指を引き抜く。 「はぅんっ……あっ、んん……はあぁ……はぁ……ぁ」 「京太郎……もう……」 切なげな瞳で俺を見つめてくる玉藻。 何も言わずとも、玉藻が望んでいることがわかった。 「入れるぞ」 「あぁ……ん……」 うなずく玉藻。 愛液で濡れた膣口に肉棒を当て、力を込めていく。 「あっ……んっ、はあぁぁぁ……っ、ふぁ……んん……」 指よりも遙かに太い亀頭がめり込み、玉藻の秘部が大きく広がる。 「んんんっ、んくぅっ……ぅ!」 にゅるぅっ 「くああぁぁっ、んんんっ、ふあああぁぁっ……!!」 「うぅんんっ、んふっ……んっ、あ、あああぁぁっ、うあああぁん……っ!」 玉藻が腰の傾きを調整した途端、ペニスが一気に根本まで膣内に潜り込む。 奥の壁に当たると、力強く玉藻の膣奥が締め付けてきた。 「うううぅ……、あうぅっ……んっ、ふあぁ、はあっ、はあぁっ……あぁ……」 「イった……?」 「んんんっ、あ、ああ……イってしまったっ……」 快楽に耐えかねて、身体を小刻みに痙攣させる玉藻。 「玉藻は本当に敏感なんだな」 このくらいでイってしまうなんて。 「うう……京太郎のものがすごすぎるんだっ……」 「あっ、待ってくれ……うんんっ、こ、この体勢だと奥にっ……」 絶頂に達したために力が入らないようで、腰を浮かせることができない玉藻。 膣奥をごりごりと亀頭にこすり上げられ、眉を寄せている。 「動くよ」 「ま、待て……んはあああぁぁっ」 構わず下から突き上げる。 「ふあぁっ、うくぅっ、あぁんっ……ああ、く、ああぁっ、ひいぃんっ」 「んっ、ひ、ひどいっ……待てって、言ったのにっ……」 「うああぁ……んんんっ、だめっ、気持ちいいっ……んあああぁっ、うくうぅっ」 水の中なので動きは緩やかだった。 にも関わらず、玉藻の膣内は凶悪なまでに俺の肉棒を締め付けてくる。 「くっ、うあぁっ、ん、あ、んはっ、やっ、やぁんっ」 「あぁっ、くぅ、んああぁっ、うっ……やんっ、くはっ、はうぅ、んはあぁっ」 玉藻はなされるがまま、襲いくる快楽に必死で耐えていた。 ひくひくと蠢く玉藻の膣内に刺激され、強い快感に襲われる。 「んふぅっ、ん、ふあぁっ、あっ、く、はんっ、くうぅん……」 「んっ、あはぁ……あうぅっ、ん、ふぅっ、はぁんっ、うっ、んん……っ!」 締め付けてくる膣壁を抉るように、肉棒を玉藻の奥へ突き入れた。 「あっ、うあぁっ……久しぶりで……すごく、熱く感じる……んあっ……」 「あぁんっ、んく、もっと……もっと、いっぱいっ、来てっ……!」 玉藻はぎこちなく腰を動かして、さらに肉棒の感触を味わおうとする。 膣内は溶けてしまいそうなほど熱くなっていた。 「はっ、あぁっ、んっ、んん……ふうぅっ、やぁっ、あううぅ……」 「あはっ……うく、んうぅっ、あん、んあぁっ、んはっ、ああぁんっ!」 ざばざばと湯船を波立たせながら、玉藻の膣奥にペニスを抉り込む。 愛液とお湯が混ざり、膣内は熱く溶けていた。 「あっ、んあぁっ……ま、またイクっ、京太郎、イっちゃうっ……」 「いいぞ、イってくれっ」 玉藻にさらなる快楽を与えようと、強く身体を打ち付ける。 「んはあぁっ、んっ、うああぁっ……やっ、だめっ、京太郎っ……」 「んっ、もう、もう本当にイっちゃっ、んああぁぁっ……!」 ぎゅうっと膣内が引き絞られ、身体が硬直していく。 激しい快感に襲われて、射精感が高まってくる。 「んんんっ、はああぁ……あああっ、あ、あっ、もう、だめっ……!」 「んああぁぁっ、あ、あ、私っ、イク、イっ……あああああぁぁぁっ」 「はあっ、はああぁっ……んんんんんんっ、あんんんっ、くあああああぁぁぁぁっ!」 ぐっと身体を反らせる玉藻。 登ってくる熱い塊を押し込めつつ、玉藻の膣壁をかき分けて肉棒を送り込む。 「んんん……っ、んはああぁっ、はあっ、んああぁっ……あくうぅっ、はぁ、うううぅぅっ」 「あっ、きょうたろっ……だめっ、んんんっ、ああぁっ、い、イってしまったんだっ……!」 「んんんっ、腰を止めてっ……んうぅっ、うあああぁぁっ!」 「俺も、もう少しだから」 玉藻が制止するが、無視して腰を動かし続ける。 「はんんっ、んああぁっ……京太郎……んんんっ、イったばかりなのに……うあああっ」 「こんなにされたらっ……身体がおかしく、なってしまうぅっ……んあああっ!」 びくびくと大きく身体を痙攣させる玉藻。 だが、こちらももう玉藻を気遣っている余裕はなかった。 「ふあっ……京太郎……だめっ、あああっ、んあっ、あああああっ!」 「わたし、わたし……だめに……あうぅっ、んっ、んうっ、くうぅっ」 玉藻の膣圧が高まり、根本から搾り取られるような圧力に襲われる。 下腹部全体が快感に染まり、精液がこみ上げてきた。 「んくぅ……っ、あんっ、ひゃああっ……うああぁっ、ふうぅっ、はあぁ……」 「だめ……もう、からだが……からだが、ばらばらになって……うああっ!」 玉藻のよく締まる膣内に、激しく根本まで肉棒をねじ込む。 ざばざばとお湯をかき分けながら、快楽をむさぼる。 「玉藻、もうイキそうだ」 「あうっ、きて、きて……京太郎の熱いの……いっぱいっ……なかに、なかにっ……!」 「みゃあっ、みゃっ……んあぁっ、ふあぁっ……ほしい、ほしいよぉ……」 玉藻は、焦点が合わない目で俺を見つめてくる。 激しく突かれながら、決して俺から目を離そうとしなかった。 「うあっ、く、はぁっ、はうぅっ、あはぁっ、ん、んうっ、はああぁっ」 「あっ、京太郎っ……またいくっ、いくっ、がまんでき、ない……ああああっ……!」 「ああ、俺もっ」 玉藻の快楽で蕩けきった顔を見つめながら、最後の一突きをえぐり込んだ。 「んあああぁっ、いくっ……うああああっ、いっちゃう、いっちゃう、いっちゃうっ!」 「んっ、あんんっ、んううぅぅっ……んんんんっ、はああああぁぁぁぁっ!!」 「ああぁっ、だめっ、みゃああっ……ああっ、あああっ、ああああああぁぁぁぁぁっっ……!!!」 ちゅるっ、びくっ、びゅくっ、びゅるっ! 玉藻が身体を跳ね上げた途端、抜け出た肉棒から精液が飛び出した。 「んんんっ、んああぁっ、あはぁっ、はあぁっ……はあっ、はあっ、はあぁ……」 「んくっ、うぅっ、ふあぁ……んうぅ、あああぁ……ぁ」 次々と吐き出される白濁が、玉藻の水着や顔、髪を汚していく。 「はあぁっ、はあっ、はあっ……はあっ……」 「あ、熱いのが、いっぱい……出てる……」 精子は肉棒を伝って玉藻の陰唇へとこぼれ落ちる。 「はぁ……はぁ……も、もう……ばらばらに、なりそう」 「いったって言うのに……あんなに、動かすから……はぁ……」 玉藻が荒い息の下から言う。 「京太郎……中に、出さなかったんだな……」 「動いたせいで抜けちまった」 「んっ、そうか……はあ、はあ……はあ……」 玉藻はぐったりとして荒い息をついている。 動くのも億劫そうだ。 「大丈夫か、玉藻」 「ああ……ああ」 朦朧としているのか、返事がはっきりしない。 「玉藻、一旦湯船から出よう」 「うん、そうだな……もう1回だ」 「え?」 「今のは中に出していないじゃないか」 「1回には数えられないぞ」 どういう計算なんだ。 「でも、疲れてるんじゃないか」 「ん? 私は大丈夫だ?」 とろんとした顔で笑う玉藻。 「だが、次はこっちがいい……」 そう言うと、玉藻は湯船のへりに手をかける。 「危ないぞ」 「んうぅっ……身体に力が……」 「きゃっ……」 転げ落ちそうになる玉藻の身体を支えながら、湯船から出る。 「大丈夫か?」 「ああ、京太郎のお陰でな」 湯船につかっていたせいか、玉藻の身体は湯気が出そうなほど熱く火照っていた。 「一度、風呂から出た方がいいんじゃないか」 「いや……このままがいい」 「もう、だだっ子だな」 「京太郎、早く……」 腰を緩やかに動かし、催促してくる玉藻。 「本当に大丈夫か?」 「大丈夫。京太郎のことなら何度でも受け止められる」 「わかった」 求められて嬉しくないはずがない。 玉藻の顔をこちらに向かせる。 「なん……あっ、んむっ……んっ、んふっ……」 喋りかける玉藻の口を唇で塞ぐ。 「あんっ……んむっ、ふぁっ、んっ……ちゅ……っ」 「んちゅうっ……んくっ、あふっ、ん……んぅっ、んっ……」 キスをしながら玉藻の身体をまさぐる。 つんと張ったおっぱいをなで回し、秘部の柔らかいところに指をめり込ませていく。 「んっ、京太郎……気持ちいいっ……んぅっ、んむっ、ちゅっ」 「ちゅぅ……っ、んくっ……んぁっ、そこ、だめぇっ、ちゅくっ、んふぅっ」 陰唇上部、小さな突起を刺激すると玉藻の身体が跳ねる。 ここは特に敏感だ。 「んふ、ぅんっ、はぁっ……やんっ、んふっ、んぅ、くあぁぁ……」 「う、うっ、あっ、うんっ……あふぅっ、んん……くはっ、や……っ!」 悶えながら、それでも玉藻は口を離そうとしない。 そんな玉藻の口内に、舌を差し込む。 「んぷっ、んちゅ、う……ちゅっ、ふ、うっ、あんっ」 「はくぅっ……あふっ、んぷ、ちゅっ、く……んっ、んちゅ……」 身体を揺らしながら、俺の舌に吸い付いてくる玉藻。 さらに奥へと誘おうと、自分の舌を絡めてきた。 「ちゅっ、くふっ……あうぅっ、ん、はっ、んっ、んああぁっ」 「ちゅる……んくっ、はうぅぅ、ん、はっ、くふぅ……んっ、あふぅ」 俺が舌を引っ込めると、今度は玉藻が舌を差し入れてきた。 激しいキスに、肉棒が痛いほど勃起する。 「んん……ちゅぅ、んふぅっ、あ、んうっ、んんん……っ!」 「ぢゅうっ、ちゅぱ、はっ、あ、んあぁっ、あく、はふっ、んちゅっ」 唾液を交換しながら、激しく求め合う。 もう我慢できない。 ぬるぬるの秘部に、固く張ったペニスを押し当てる。 そして、口を絡ませたまま、ずぶずぶと玉藻の膣内へ肉棒を侵入させていく。 「あああぁぁ……、んん〜っ……んむうぅっ、はうぅっ、んん〜っ」 膣奥まで陰茎を潜り込ませると、ぎゅうっと強烈な締め付けに襲われる。 息をつき、体内の感触をペニス全体で味わう。 「あんんっ、くんっ、んく、んふっ、はふううぅぅっ……」 「あぷっ、んああぁっ……いぅっ、くはぁっ、んんんんんんんっ……!」 玉藻の身体が反り返り、激しく膣内をわななかせた。 「んんんっ、んむぅっ……あふっ、んっ、くうぅんっ……ぷはあぁっ」 「んあぁっ……はっ、あはっ、んああぁっ、あ、あっ、はあっ、はあぁ……っ」 「玉藻、また……?」 「んうぅっ、んあぁっ……ずるいぞ、キスしながら入れてくるなんてっ……」 「こんなのっ、我慢できるわけが、ないだろうっ……んっ、はあぁっ……」 玉藻の膣内がうねり、肉棒を圧迫してくる。 「動かすぞ、玉藻」 「い、いや……待ってくれ、今はまだイったばかり……んくううぅっ!」 玉藻の膣奥にペニスを突き入れる。 「あくぅっ、はぁんっ、あんんっ、あふっ、はっ、んああぁっ」 「んっ、だめっ、もう……もうおかしくなるっ……んううぅっ、くうぅんっ」 「玉藻がもう一回って言ったんだからな」 下から突き上げ、玉藻の膣内を味わう。 「やぁんっ、ふあ、あ、んはぁっ、あうぅっ、ふうぅんっ」 「うああぁ……やっ、気持ちいいっ、京太郎っ、京太郎ぉっ……!」 「ん、あ、あぁんっ、だめになるっ、だめになっちゃうっ、あんっ、はああぁぁ……」 玉藻のしなやかな身体を抱き留めながら、その奥に肉棒を突き立てた。 粘液で滑りがよくなっていた膣内は、簡単に奥までペニスを招き入れてくれる。 「はんっ、やっ、ああっあはっ、んあぁぁ、あふぅっ、あ、うぅっ、くはっ」 「うあぁぁ……、あぁんっ、ん……んあぁっ、はっ、あ、んんんんっ」 後ろから手を回し、玉藻の胸を揉みしだく。 形のいいおっぱいの先端を指でつまみ、ぎゅっとつまむ。 「んああぁぁっ、ん、くっ、やっ……胸、だめぇっ、んはあぁっ、あくぅっ」 「はんんっ、そんなにしたら、潰れちゃうっ……ああぁっ、んぅ……っ」 乳首を刺激されたせいか、膣内の圧力が増す。 「玉藻は胸も敏感だ」 「んっ……京太郎に触られたら、どこも感じるんだっ……全部、気持ちいいっ……」 「んううぅっ……はっ、わ、私をこんなに乱れさせてっ……責任を、取ってくれっ……」 「ああ、一生かけて責任取る」 肉棒で玉藻の膣内の熱を感じながら返す。 すぐにでも射精してしまいそうなほどの快楽だが、不思議とまだ持っている。 「んふっ、あ、ん、嬉しいっ……京太郎とずっと一緒に、いられるんだな……」 「ずっと……ずっと私と一緒に、いてくれっ……んああぁっ……」 「もちろん」 「うふっ、あはぁっ、ん、くぅ、やぁっ……んうぅっ、ああっ、はあぁ……っ」 「ふあぁっ、あくっ……んうぅっ、う、くあぁっ……やあぁんっ、んんんっ」 玉藻は嬉しそうに眼を細めながら、俺の肉棒を受け止める。 そんな玉藻が愛おしくて、もっと感じさせたくなった。 「玉藻、もっと感じてくれ」 「んんんっ、今でも十分、気持ちいいからっ……はっ、んああぁっ、大丈夫っ……!」 亀頭で激しく膣奥を叩きながら、指でクリトリスを刺激する。 「あっくああぁぁっ、はああぁっ、あああぁっ……う、あぁっ、んんんっ!」 「あうううぅっ、あふぅっ、んう……やあぁっ、あ、ううぅっ、ひいぃんっ」 玉藻の嬌声が高く響く。 「んああぁっ、ああっ……だ、だめだっ、そこはだめっ……感じ過ぎて、おかしくなっちゃうっ……!」 「んううっ、いやぁっ、気持ちよすぎるっ……ふああぁっ、あくううぅっ」 愛液で指を滑らせながら、つんと張った突起を指の腹でぐりぐりと潰す。 「うくぅっ、はっ、んうっ、あ、あんっ、んふぅっ、やあぁ……んんんんっ」 「あふっ、んくっ、ん、あっ、やん、あんんっ……くうっ、あふっ、んああぁっ」 指で挟み込むように刺激すると膣壁がぎゅっと締まり、肉棒を圧迫してきた。 激しい快楽に、背中の辺りがぞわぞわと逆立つ。 「くうっ……」 「あああっ、もう、い、イキそうっ……またイってしまうっ……!」 「いいぞ、何度でもイってくれ……っ」 「いやあぁっ、んあぁっ……あっ、だめっ、もう我慢、できないっ……」 玉藻の身体が再び強ばる。 「うああぁぁんっ、ああああぁぁぁっ……はっ、あはああぁぁっ!!」 「あふっ、あんんっ、あ、うぅっ、くぅんんっ……んんんんんんっ、あんんんっ!」 絶頂を迎え、身体を波打たせる玉藻。 玉藻の膣壁がとんでもない圧力で肉棒を締め付けてくる。 「はああぁっ、ああぁっ、あっ、んああぁっ、あはっ、はあぁっ、はあっ……」 「はあっ、はあっ……んあぁっ、あうぅっ、んうぅっ……」 玉藻が大きく胸を上下させながら息をつく。 かわいくてたまらない。 「玉藻っ……」 長くて綺麗な黒髪をかきわけ、玉藻の首筋に吸い付く。 「あんっ、やんっ……ん……だめ……もう……」 「そ、そこはっ、くすぐったいっ……あふっ、んうぅっ、んんん……っ」 絶頂の余韻も収まらないうちに新たな刺激を受け、首をすくませる玉藻。 「玉藻は首も綺麗だ」 「だめだと……言っているのに……京太郎は……」 首筋を味わいながら、そのままうなじや耳の付け根まで舌を這わせる。 玉藻の汗が混じっているのか、ほんのりと塩気のある味だった。 「はうっ……あ……ぞくぞくする……」 「また……また、身体の中が、熱くなってくる……」 「わたし……こんなに、はしたない女だったなんて……んっ、あ…ああ……」 「大丈夫。そんな玉藻も大好きだ」 「また動いてもいいか?」 「……京太郎がしたいなら、いくらでも……」 「お前が気持ちよくなってくれるなら……何でもいい……」 蕩けた顔で嬉しそうに微笑む玉藻。 根本まで肉棒を挿し込む。 「あああぁぁぁっ、んやあぁ……あふぅ……んっ、あああぁぁぁ……」 「んううぅっ、もっと、もっと来てくれっ、もっとぉっ……!」 玉藻の求めに応じて、腰を玉藻のお尻に叩きつける。 肉棒が奥の奥までめり込み、玉藻は激しく身体を震わせた。 「うくうぅっ、あんんっ、や、あ、ああっ、くっ、うあぁっ、んううぅ」 「ひぃんっ、あふっ、ん、はぁっ、あ、うぅっ、やあっ、だめっ、だめだめぇっ!」 快楽に蕩けきった顔で俺を見つめてくる玉藻。 きゅうきゅうと膣内が締まり、もう達してしまいそうだった。 「んふっ、き、きょーたろっ、あっ、ま、またいくっ、いくいくいくっ……!」 「んああぁっ、あんんっ……きょーたろっ、だしてっ、中にいっぱいっ……!」 「わかった!」 快楽で痺れた肉棒の奥から先端へ、熱い塊が走る。 「ん、あ、ああぁっ、あんっ……き、きょうたろっ、んああぁぁっ!」 「ふぁ、んっ、く、うあぁっ、きょーたろっ、きょーたろっ、きょーたろっ!!」 「うあああぁぁっ、んんんっ、んううぅっ……はあぁっ、ふああああああぁぁぁぁぁんっ!!!」 びゅくっ、びゅるっ、どくっ、どくっ! 膣内で絞られ、大量の精液を中へと吐き出していく。 「ふああぁっ……あ、あ、あ……っっっ……」 「あ……あう……あ……はあ、ああ、ああぁ…………」 絶頂に達し、ぐったりとする玉藻。 身体の力が抜け、玉藻が俺にしなだれかかってきた。 「くっ……」 体勢が変わったせいで激しく膣壁でこすられ、さらに膣奥へ白濁を注ぎ込んでいく。 我慢に我慢を重ねていたため、止まる気配がない。 「んああぁっ、あっ……んううぅっ……」 「んっ……あっ、な、なんか……出る、かも……」 玉藻がうつろな顔で告げる。 「な、何が?」 ぷしゃああああぁぁぁっ! 肉棒が刺さったままの秘部から、何かがほとばしった。 「あああぁっ……んあぁ、んうぅっ……」 「お、おい、玉藻」 「んん……え、あれ……こ、これって……」 我に返ったのか、玉藻が顔を起こして股間を見つめる。 「うわわあぁっ、やっ……だめぇっ、と、止まらないっ……」 「見るなっ、見ないでくれっ……こ、こんなところ……」 頑張っているのだろうが、一旦出始めてしまったものはそう簡単に止まらない。 びくびくと膣内をひくつかせながら、液体を垂れ流す玉藻。 「うううぅっ、ああぁっ……ああっ、はあぁっ……」 黄金色の液体が、ちょろちょろと膣口の上からこぼれてくる。 精液とおしっこと愛液が混ざり、玉藻の秘部はぐちゃぐちゃになってしまった。 こぷっ ペニスを抜く。 膣口からとろりと精液が流れ出るとともに、玉藻の放尿も止まった。 「と、止まった……」 「まさか……この歳でこんなことを……」 頬を染める玉藻。 「大丈夫だよ、恥ずかしいことじゃない」 「でも……京太郎の前で……」 「うう、末代までの恥だ……」 「玉藻が漏らしても、俺は好きだ」 「好きだと言えば済むと思ってるだろう」 「馬鹿かお前は……もう、死にたい」 手で顔を覆う玉藻。 なんだか、Hのたびに玉藻が死にたくなってる気がしてきた。 「気持ち良かったってことだと思ってた」 「……それは、まあ……気持ち悪くはないが」 「というより、途中から……何がなんだかよく分からなくなってしまった」 「筧に触れられると、もうどうしようもなくなってしまうんだ」 「自分でもこんな風になってしまうなんて思わなかった」 玉藻が顔を真っ赤にしてうつむく。 「玉藻が感じてくれるのは、すごく嬉しいよ」 「だから、気にするなって」 「ああ言えばこう言う、京太郎には敵わないよ」 「でも、気は楽になった」 「なら良かった」 玉藻の頭を撫でる。 愛おしさで胸がいっぱいになる。 「玉藻、ずっと仲良くしような」 「もちろんだ」 「誰にも引き離されないくらい、くっついていよう」 自然に口を近づける。 「ちゅっ……」 もう、このまま一つに溶けてしまいたい。 止める者がいないことをいいことに、俺たちはいつまでも唇を絡ませ続けた。 「はああぁ……」 玉藻は水着を脱いでいた。 「なんていうか、疲れたな」 「ああ、身体が溶けてなくなってしまうかと思った」 元から疲れていた上に、激しい運動だ。 と言っても、何とも心地よい疲労感ではあった。 「泊まっていっていいか?」 「そうしてくれると、私も嬉しい」 嬉しそうに言って、玉藻が軽く抱きついてきた。 俺も、そっと背中に手を回す。 互いの優しい息づかいを感じる。 「これで、明日からまた頑張れそうだ」 「展覧会、間に合わせてくれよ」 「言うまでもない」 絵の提出締め切りは、夏休み明けだ。 明日からの4日間、玉藻は無休でカンバスへ向かうだろう。 俺も全力でサポートしていこう。 「今日は、本当に幸せだったよ」 半分眠っているような口調で玉藻が言う。 「私の人生で、大きな一日になったかもしれない」 「いい意味で?」 「もちろん」 「きっと10年後も、今日のことは忘れないと思う」 独り言なのか、呟くような声だった。 先のことはわからない。 だからこそ、意思が必要だ。 「隣にいる」 ぎゅっと、抱く腕に力を込める。 応答の言葉はなく、玉藻もきゅっと俺を抱きしめた。 「いやー、桜庭さんがあんな絵を描くなんてびっくりでした」 「芸術って感じです」 「モデル、筧さんですよね?」 「アンニュイでロックでスクールでウォーズな感じがよく出てましたよ」 「かなり意識した部分なんだ」 「いや、俺は何者だよ」 この日は、部員全員で展覧会を見学した。 会場内では喋れない分、外に出た途端に感想が噴出する。 「姫もさー、こんないい趣味があるなら教えてくれりゃ良かったのに」 言いながら、高峰は俺を見た。 「趣味なんだし、ひっそりやってもいいだろ」 「でもでも、もう周りが放っておいてくれないんじゃない?」 「賞と言っても一番下の賞だ。噂にもならないさ」 玉藻の絵には、審査員特別賞がついていた。 該当者もそれなりにいたし、特選だの金賞だの、ぱっとした賞ではない。 それでも俺は誇らしかった。 本気を出したら何でもできる奴なんだと、声を大にして言いたかった。 「そうだ、これから受賞記念パーティーをしようよ」 「いやいやいや、二人をお邪魔しちゃ悪いですよ」 佳奈すけが横目に俺を見る。 「画家とモデルの秘密の祝勝会か……もう完全に深夜帯だな」 「高峰先輩の下品さはアートですね」 「恐縮です」 静かに合掌する高峰。 結局、自分が玉藻のお目付役だったことは内緒で通すんだろうな。 その方が互いのためにはいいように思う。 「じゃあ、今日はこれで解散にしよっか」 「ういす」 みんなと別れた後、俺と玉藻はぶらりと学内を歩いた。 何となくここに来たのは、小さな思い出があったからかもしれない。 「そういや、ここでスケッチしてる玉藻を見かけたんだった」 「ああ……ずいぶん昔のことのような気がする」 実際は、つい二ヶ月ほど前のことだ。 あっという間だったが、密度の濃い時間を送れた気がする。 「実は、一つ考えていることがあるんだ」 水面で戯れる鴨を見ながら、玉藻が口を開く。 「来年度から、絵の学科に進もうかと思っている」 「おお……そっちで食ってくと」 「理想はな」 「親御さんには話したか?」 玉藻が首を振る。 「今の状態で話しても取り合ってはもらえないと思う」 「まずは勉強の成績を上げて、親の期待に応えた上での話かな」 「全てを捨ててという気持ちにはなれないんだ」 「俺はそれでいいと思う。玉藻らしいよ」 「不器用だからな」 玉藻が苦笑いを浮かべる。 「留学して政治家になるって話はどうする?」 「絵で挫折してからでも遅くないだろう」 「絵をやってみて芽が出ないなら政治の道に進む、というのも交渉材料にするつもりだ」 「といったところで、話がこじれれば、退学だの仕送りカットだのといったことにはなるだろうが」 「……まあ、そのときはバイトでもして頑張ろう」 「生活費削減のために同居でもするか」 「ははは、こじれるのが楽しみになってきた」 玉藻が気持ちよさそうに笑った。 「不思議なものだ。親と戦おうというのに、まったく暗い気持ちにならない」 「変わったからだろ、きっと」 「かもしれないな」 そう言って、玉藻は俺の腕を取った。 「変われたのなら、京太郎のお陰だ」 「それはお互い様だ」 「俺も玉藻と出会えて、ずいぶん変わったよ」 「言われてみれば、ずいぶん読書量は減ったな」 「気がついたら、読まなくても平気になってたんだ」 一人でいるときはやはり読書をしているが、それでもずいぶん減った方だ。 「人の出会いってのは不思議なもんだ」 「ああ」 玉藻が、俺の腕に頭を寄せる。 「そうだ……次に実家に帰るときには、京太郎にも付き合ってもらおう」 「両親や親戚に紹介しないとな」 「大丈夫かよ……」 一体、どんな感じになるのだろうか? 何十畳もあるような大広間で、藩主家臣勢揃いとか? ……まったく想像がつかない。 「心配するな。集まってもせいぜい2、30人だ」 「……」 やはりスケールが違った。 「ま、玉藻のためなら、出オチから滑り芸までなんでもやるよ」 「気持ちは嬉しいが、どっちもいらないからな」 「だよな」 「京太郎なら、何も心配することはないよ」 「いつも通りでいてくれれば、親も認めてくれる」 そう言う玉藻の表情には、不安の欠片もなかった。 「んじゃ、そん時はよろしくな」 「ああ、こちらこそ」 両親への挨拶だけじゃなく、これからは色んなハードルがありそうだ。 といっても、玉藻本人が立ち向かうことになる障害に比べれば、数も高さも大したことはない。 名家に生まれた以上、背負っていかねばならないものだし、玉藻も放棄しないはずだ。 だからこそ、きっと支えが必要になる。 ピンチに直面したとき、玉藻の隣にいる人間が俺であれば、こんなに嬉しいことはない。 「一緒に頑張っていこうな、玉藻」 誓うように言い、俺は艶やかな黒髪を撫でた。 昼休み。 飢えた生徒たちが腹を満たすべく中央広場を行き交っていた。 昨日で実力試験が終わり、皆一様に表情が明るい。 俺は図書部の部室に向かいつつ、読書を満喫していた。 「……あっ」 「おっと」 危うくニアミスを起こしかけ、立ち止まった。 「本を読みながら歩いていると危ないですよ」 立ち止まった人物に目を向ける。 「ああ、芹沢さん」 「こんにちは」 「こんにちは、すごい偶然だな」 こんなに人の多いところで知り合いに出会うなんて。 「いえ、偶然じゃありませんので」 「ん? 俺に何か用?」 「これからどちらに?」 「部室だけど」 「でしたら、途中までご一緒していいですか?」 「もちろん」 俺に並んで歩きだす芹沢さん。 「……?」 何か、甲高い音がした気がする。 「どうしました?」 視線を向けると、不思議そうな顔をする芹沢さん。 「何か音がした気が……あー、何でもない」 「で、俺に何の用?」 芹沢さんが、にこっと笑う。 「ミナフェスの記事、ウェブニュースで見ましたよ」 「図書部の評判、うなぎのぼりですね」 「私の周りでも、図書部を知ってる人がかなり増えました」 「芹沢さんが協力してくれたお陰だよ」 「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」 「真面目な話だって」 「芹沢さんがMCやってくれることになってから、チケットが馬鹿売れしたんだから」 「そういうことでしたら、お力になれて良かったです」 「名前を借りた感じになっちゃって悪いね」 「私もあれから、トークのお仕事が入るようになったんです」 「お互い様ですよ」 そう言って、芹沢さんが笑う。 「ところで、最近の御園さんの様子はどうです?」 こっちが本題らしいな。 「一生懸命活動してるよ。図書部にもずいぶん馴染んできたし」 「特別レッスンをほっぽり出しちゃうくらいですしね」 芹沢さんはため息をつく。 「相変わらず授業には消極的で、特別レッスンも断ってる、才能の無駄遣い」 「……なーんて言われてそうですよね」 挑戦的な目で言ってくる。 「芹沢さんの感想?」 「違いますよ」 「でも、私の知ってる範囲だと、そう言っている人は少なくないですね」 「音楽科の先生が図書部に抗議しに行ったって噂もありましたし……どうなんです、その辺??」 どこからか話が漏れているらしい。 「一応事実だな」 「図書部の皆さんは、どう考えてるんですか?」 「学業と部活動の両立は、自己責任でって認識だ」 「もちろん、人並みの心配はした上での話だけどね」 「なるほど」 芹沢さんが不満げにうなずく。 「私は、もっと積極的に関わった方がいいと思うんですけど」 「音楽科では、図書部が彼女を飼い殺しにしてるって話もあるみたいですよ?」 「飼い殺しねえ……」 御園は、俺たちに歌のことをほとんど話さない。 言いたくないってのが第一だろう。 でも、自分のせいで図書部に悪評が立ってることを気にしているのかもしれない。 「もっとも、それを喜んでる人もいるみたいですよ」 「強力なライバルが一人減りますからね」 「音楽科の人は物騒だな」 「相当ドロドロしてるみたいですから」 一瞬、寂しそうな笑みを浮かべる。 「で、芹沢さんは俺たちにどうしてほしいんだ?」 「俺たちの手で、御園が真面目に音楽に取り組むようにしてくれってこと?」 「簡単に言ってしまえば」 「そりゃ、教師の仕事だろ」 「教師の仕事は、やる気がある人を伸ばすことでしょう?」 「だだっ子をあやすことじゃないと思います」 「だから、俺たちにやれと?」 「一番近いところにいるじゃないですか」 芹沢さんがにっこり微笑む。 「だったら、芹沢さんが頑張ってみたら? 御園のこと、ずいぶん気にしてるみたいだし」 「もしかしたら、俺たちより親身かもしれない」 ちょっと煽ってみる。 「私は……」 芹沢さんが一瞬視線を逸らした。 普通に考えて、芹沢さんは御園に親身すぎる。 何かあるんだろうな。 「まあ、それはともかくとして……」 「馬を水辺に導くことはできるが水を飲ませることはできない、って言うだろう」 「本人がやる気にならないとなあ」 「やる気にさせるところから俺たちの仕事だって言うなら、もう、はぁそうですかってことだけど」 人にそこまで干渉する権利はあるのだろうか。 『この子を変えよう』って発想自体が、おこがましいような気がする。 「図書部の見解ですか?」 「俺個人の見解」 「なら、今の件を皆さんと話し合ってみていただけませんか?」 「心ない噂で図書部の評判が落ちるのは、もったいないですから」 「ご忠告、痛み入るよ」 「ふふ、では私はこれで失礼します」 ぺこりと頭を下げ、回れ右をした。 「あ、ちょっと待って。最後に一つ」 「はい、何ですか?」 「どうして俺に声かけたのかな」 図書部員は俺だけじゃない。 今の話をするなら、桜庭や白崎だってよかったはずだ。 「それはですね……」 「何か理由をつけて、筧さんと話したかったからです」 「……なーんて」 「それじゃっ」 まともな返事はせず、芹沢さんは去っていった。 ちょっとだけ、ドキっとしてしまった。 やっぱ女優さんなんだなあ。 ま、それはともかく、今の話はどうしたものか。 図書部が御園を飼い殺しにしている、なんて噂が広まるのは嬉しくない。 評判どうこうは二の次として、問題は御園だ。 話が変にこじれると、『図書部に迷惑かかるんで辞めます』とか言い出しかねない。 いや、絶対言う。 まずは、みんなと話し合ってみるか。 「よう」 「今日は遅いじゃないか」 「先にご飯食べてたよ」 「ああ、気にしないで」 部室では桜庭と白崎、佳奈すけが昼食を取っていた。 「今日は珍しいですね。いつもは一番に来て本を読んでるのに」 そう言って、唐揚げをついばむ佳奈すけ。 「でも最近は前より読んでない気がするよ?」 「ミナフェスで忙しかったから」 「これからはガンガン読むつもりだ、心配かけてすまない」 「爽やかに言われても困る」 指定席に座り、本を広げる。 「ういーす」 部室のドアを開け放ち、高峰がやってきた。 「いやー、夏だなぁ」 「ここに来るまでに、コーヒー1本空けちゃったよ」 2本の缶コーヒーのうち、空になった缶をゴミ箱めがけて放った。 「高峰さんっ、ナイッシュですっ」 「はいどもー、ありがとー」 手を振って声援に応え、高峰が隣に座った。 御園以外のメンバーが集まっているのは都合がいい。 話をするなら今だろう。 「ちょっと相談したいことがあるんだけど……」 と、芹沢さんから聞いたことを報告する。 御園が、歌に積極的じゃないのを憂慮している人がいること。 一部の人間には、図書部のよくない噂が広まっているらしいこと。 また、御園を快く思わない人間は、現状を喜んでいるということだ。 「あくまで噂のまた聞きだけどな」 「俺も知り合いから聞いたことがあるな」 「そいつは音楽科じゃなかったはずだから、結構広まってる話なのかも」 「千莉ちゃんに相談した方がいいかな?」 白崎の言葉に、みんなが考え込む。 「私はやめた方がいい気がします」 「自分の悪い噂を知り合いから聞かされるのって、結構しんどいですよ」 いつになく強い口調の佳奈すけ。 「俺もそう思う」 大体、御園の授業態度は今まで何度か話題になったネタだ。 嫌がられるのは目に見えている。 「しかし、放置はできないだろう」 「この件は、千莉を信じて任せるって言いませんでしたっけ?」 「あの時とは、状況が違う」 佳奈すけが言っているのは、図書部に教師が乗り込んで来た時のことだ。 あの時は、みんなで御園を信じる方向で話がまとまった。 「噂が事実なら、すでに事は我々と音楽科の先生、両者の問題では済まなくなっている」 「御園ひとりに背負わせるのは酷じゃないか?」 「うーん、まあ……」 佳奈すけが言い淀む。 「問題を放置すれば、図書部の活動にも影響が出かねない」 「私は、口を挟んだ方がいいと思うが」 「具体的にどうする?」 「御園に事情を話して、改善を促すべきだと思う」 「やめた方がいいって佳奈すけが言ったじゃないか」 「気持ちはわかるが、そもそも、学業と部活の両立は自己責任という約束だった」 「現実に影響が出そうなら、私たちが介入せざるを得ない」 正論だ。 「難しい問題だね、どうしたらいいかな……」 白崎が拳で頭を叩いている。 「放っておけばいいんじゃねえの」 「投げやりですね」 「違うって。一度信じるつったんだから、最後まで信じようってこった」 「御園と図書部の悪評が広まるまで待つのか?」 「でもさあ、千莉ちゃんってかなりデリケートだぜ?」 「ヘタな言い方すると図書部を辞めちまうかもよ」 一番の懸念はそこだ。 「私だって、御園を辞めさせたいわけじゃない」 「白崎、図書部としてどう対処する?」 桜庭が話を本筋に戻す。 「みんなはどう思う?」 「俺は放置に1票だな」 「あ、2票で」 「私はきちんと話すべきだと思うに1票」 「筧くんは?」 そうだなあ。そうだなあ。「じゃあ、俺も放置するに1票」 「合わせて3票か」 「放置で決まりですね」 「待て、白崎の5票が残ってる」 「新ルール!?」 「そんなのアリかよ」 「え、えっと……」 俺たちの投票は茶番だったようだ。 「きちんと話すべき、だろうな」 「さすが筧、わかっているじゃないか」 桜庭と完全に意見が一致したわけではないが、おそらく放置はないだろう。 「票が割れましたね」 「白崎の票で決まるな」 「ボス、ご決断を!」 「え、えっと……」 全員が、白崎の回答に注目する。 「わたしは……放置したくないかな」 「どうして歌に身が入らないのか理由を聞いて、悩んでることがあるなら一緒に考えてあげたい」 「お節介かもしれないけど、見ないふりはできないよ」 「て、天使様……」 「眩しくて何も見えねえ」 「私は最初から白崎の答えがわかっていたぞ」 「その割に、白崎とは若干意見が違った気がするんだが」 「放置しないという点では同じだ」 まあ、そうかもしれない。 「ま、つぐみちゃんがそう言うなら、それでいいんじゃない?」 「ですね。それが図書部って感じです」 みんな異論はないようだった。 「でも、さっき高峰が言ったことも一理あるだろ」 「正面から行っても『迷惑なら辞めます』で終わりになるぞ」 「あー、言いそうですよねえ」 佳奈すけが同意する。 桜庭も高峰も、深くうなずいた。 「そうだとしても、まずは話してみようよ」 白崎は、あくまで希望を捨てていないようだ。 「そうだなあ……」 「白崎が話せば、御園も強硬な態度にはでないかもな」 「白崎さん、マイルドに攻めて下さいね」 「う、うん……なんか自信なくなってきたかも……」 放課後、いつものように御園がやってきた。 「ギザ、相変わらずデブだな」 「ぼふぉふぉ……カモン」 デブ猫が、首をくいっとひねって挑発した。 「この野郎、猫のくせにいい度胸だ」 高峰がギザと喧嘩を始める。 「ギザ様って、たまに人の言葉を喋ってないですか?」 「気のせいだって」 「ですよね、ただの猫ですもんね」 「何か、部室の空気がおかしいです」 御園が部屋を見回す。 俺たちの緊張を感じ取ったのか……。 「猫のせいじゃないか」 「はあ、そうですか」 御園が椅子に座る。 「あ、あのね千莉ちゃん、話があるの」 「はい、どうぞ」 「あ、えっ……ううん?」 はたと御園に見据えられ、白崎は目を泳がせる。 「あのね……最近なんだけど、ほら、7月に入ったでしょ。どうかなって」 「はい? 暑いですね」 「あ、あぁー……そうだね、ちょっと暑いよね」 別の理由で、だらだら汗をかいている白崎。 「(気合い、気合いだよ)」 「(お前ならできる、自分を信じろ)」 「(最大の敵は自分ですよっ)」 御園の背後から、俺、佳奈すけ、高峰の3人が、ジェスチャーでエールを送る。 「えっと……そうじゃなくて、その、勉強とか?」 「前期の試験はお陰様で何とか」 「あっ、よかったね」 「……って、うう……」 白崎がうなる。 「ぐぐぐ……」 桜庭が、閉じた扇子の先を額に当てる。 じれったくて見ていられない、という顔だった。 「白崎先輩、本題をどうぞ」 「あ、ありがとう」 逆に助け船を出されている。 「う、うん……実はね、勉強がうまくいってるか心配だったんだ」 「ほら、声楽専攻って大変そうだから」 「何か困ってることとかないかなって」 「特にありません」 すげなくあしらわれる白崎。 「そ、それじゃ……クラスのみんなとはうまくやってる?」 「うまくはないですね」 「あ、じゃあ、困ってる?」 「別に」 「個人授業が多いので、クラスメイトとの付き合いはありませんから」 「さ、寂しくない?」 「いえ」 御園が怪訝そうな顔になった。 「その……変な噂が立ってて困るとか」 「……ああ」 部室内を見回す御園。 全員で、知らないふりをする一同。 「噂のことなら心配しないで下さい」 「私は慣れてますから」 表情も変えずに言う御園。 「だが……」 「桜庭」 口を挟もうとする桜庭に割り込む。 「(白崎に任せるんだろ)」 「(ああ、そうだった)」 歯がゆいのは、おそらくみんな一緒だ。 「あのね、千莉ちゃん」 「もし困ってることがあれば、相談に乗りたいんだけどなぁ」 「ありがとうございます」 「でも、間に合ってます」 「そ、そっか……」 「うん、わかった。これからも一緒に頑張ろうね」 「はあ……」 とりつく島もない。 惨敗であった。 「何なんですか、一体」 不機嫌そうに眉根を寄せる御園だった。 話も終わり、用事のある者から三々五々散っていった。 残ったのは俺と桜庭、そして白崎だった。 「ごめんなさい、ふがいなくて」 「決裂しなかっただけ良かったよ」 手慰みに本のページをめくりながら、話に加わる。 「千莉ちゃん、噂のこと聞いても平然としてるんだもん」 「わたしだったら、すごく落ち込んじゃうんだけどな」 「やはり、率直に言わないと駄目か」 「でも……あんまり責めたら辞めちゃうかも」 「そうは言ってもなぁ」 桜庭が悩ましげな顔をする。 「ねえ、筧くんはどう思う?」 「桜庭は、どうしてもがつんと言いたいのか」 「このまま放置って手もあるぞ?」 「後輩が道を外れたのなら、正すのも先輩の役目だと思う」 「一時的には嫌がられるかもしれないが、将来を考えれば御園にとってプラスになるだろうし」 桜庭らしい。 俺と違って、人を変えようという熱意がある。 「正しさなんて人の数だけあると思うけどな」 「だとしても、部活と勉強の両立は学生にとっては必須要件だ」 「御園には通じないと思う」 「『迷惑はかけない』って返ってくるぞ?」 「既に迷惑がかかりそうなんだが」 「その進め方で行ったら、『じゃあ辞めます』で終わりだ」 白崎と桜庭が、唸る。 「筧、何か名案はないか?」 「私は、こういう微妙なやりとりは苦手なんだ……頼む」 拝むような目で見てくる。 難問だ。 だからこそ、桜庭以外のメンバーはスルーしてきたのかもしれない。 その点、真っ向から取り組んでいる桜庭は誠実だ。 さて、どうしたものか。 正論で押すくらいなら、情に訴える方がまだ効きやすいだろうが……。 「まず情報を集めることじゃないか」 「歌に積極的じゃないのも理由があるんだろうしさ」 「理由がわかれば、御園を傷つけないで上手く方向転換させられるかもしれない」 「それができれば一番だが……根気がいりそうだ」 白崎もうなずく。 「ま、そんくらいは頑張ろうや」 「……相変わらずお人好しだな」 桜庭が苦笑した。 相手のことをいろいろ調べて、問題を取り除こうとしているのだ。 正論をぶつけて改善を促すより、何倍も手間がかかる。 「押して駄目なら引いてみるってだけだ」 「またまたー、照れちゃって」 白崎が肘でつっついてきた。 「よし……」 桜庭が扇子を畳む。 「筧、明日聞き込みに行ってもらえないか?」 「音楽科の教師にはアポイントを取っておく」 「俺が?」 「私はどうも正論に走りがちだ」 「情けないが、教師の言い分に賛同してしまう可能性が高いと思う」 目に浮かぶようだ。 「筧のように冷静な人間の方が、この仕事には向いていると思う」 「それに、御園と話をするということなら、私はその……自信が……」 「……」 かなり打ち解けてきたようだが、2人は相性がいいとは言えない。 桜庭も、自分の不器用さは自覚しているのだ。 「わかった、やってみるよ」 「すまない……先輩の仕事だのなんだの言ったのは私なのにな」 桜庭が申し訳なさそうに笑った。 「私はどうしたらいいかな?」 「白崎には他の依頼をこなしてもらいたい」 「え、でも、筧君一人じゃ悪いよ」 ま、俺一人でも大丈夫だろ。 「ヤバかったら助けを呼ぶから、他の依頼をやってくれよ」 「……う、ううん」 「ごめん、よろしくね」 「ああ」 御園の調査か。 あんまり人の内側には触れたくないが、この際仕方ない。 翌日、桜庭に案内されて音楽棟の一角へやってきた。 「あ、ここだ」 桜庭の行動は相変わらず迅速だった。 さっそく音楽科の教師に話を通し、御園の授業を見学する手はずを整えてくれた。 「相変わらず仕事が早いな」 「このくらいしか取り柄がないんだ」 「あんま卑下するなよ」 桜庭が苦笑いする。 などと雑談しつつ、御園がいる教室に向かう。 廊下を歩いている生徒達から、時折、冷たい視線が飛んでくる。 繊細で緊張感のある空気だ。 「もしかして、俺たちが図書部だってバレてる?」 「バレてはいるだろうが、前に来た時もこんな雰囲気だった」 となると、これが音楽科の標準的なスタイルということなのだろう。 「御園の担当教師と話をしたのだが、なかなか辛辣だったぞ」 「図書部の活動は有意義かもしれないが、御園の才能とは釣り合いが取れないということだ」 「ははは、本当のこと言うなって話だ」 「で、口論にでもなったか」 「まさか、その程度の分別はつく」 ならよかった。 「一つ考えたのだが、もしかしたら、噂の出元は教師かもしれない」 教師が別の生徒に御園の陰口を叩き、それが噂となって広がっていった……十分にあり得る話だ。 「そこまで嫌われてる?」 「嫌っているかはわからないが、授業態度は嘆いていた」 「他の生徒は自発的に遅くまで残って練習していても、御園はすぐに帰ってしまう」 「朝練も昼練もしないし、単位に影響のない科目はサボりがち」 「いたって普通の生徒だな」 「筧と高峰はそうかもしれない」 桜庭が苦笑する。 「だが、御園の場合、他にも問題がある」 「というと?」 「進路だ」 「進路? まだ1年だろ?」 「音楽科では、はやばやと進路を決めて、それに合わせた練習をするのが普通らしい」 「ところが、御園は進路も決めずに基礎トレーニングばかりやっている」 音楽科には、器楽(楽器演奏)の専攻もある。 何の楽器をやるか決めずに器楽に進む人間などいない。 同様に、何を歌うか決めずに声楽専攻に進むのはおかしい……ということなのかもしれない。 「受動的で進路が曖昧、才能はあるのにやる気がない……か」 「でも、それだけで悪し様に言うのもどうかと思うね」 「一流のプロスポーツ選手を目指す人間が、自主トレもせずに世界を目指すようなものだ」 「世の中を舐めていると思われたって不思議じゃない」 「御園は世界を目指しているのか?」 普段の態度からして、そんなすごい目標があるようには見えない。 「だから、同じ道を目指す人間にとっては歯がゆいんだろうな」 「一流の才能があってこの学園に入ってきたのに、世界を目指さないなんて嫌味でしかないぞ」 「うーん……」 自分の才能をどう使おうと勝手、と言ったのは高峰だったか。 俺も同意見だ。 以前は、望月さんから頻繁に生徒会役員に引っ張られた。 せっかくの能力がもったいないという話だったが、自分の能力をどうしようと俺の勝手だ。 『才能があるなら、俺じゃなくてもいいんですね』などと思ってみたりもする。 才能と自分が別物だとは思わないが、あまりうるさく言われると不満に思うのも人情だ。 「というわけで、担当教師としては、御園を矯正してくれるなら大歓迎ということだ」 「授業の見学も、あっさりOKが出た」 「それはありがたいけど、御園の許可は出てないんだろ?」 「交渉してみるか?」 「ははは、断られるのが目に見えてる」 「御園には見つからないようにするよ」 もし見つかったら、知り合いが声楽をやりたがっているとでも言っておこう。 「では、よろしく頼んだ」 「はいよ」 桜庭と別れ、レッスン室に向かう。 「今日のレッスンはここまでにします」 「ありがとうございました」 軽く息を吐いて、身体を平常に戻す。 「御園さん、少しいいかしら?」 「なんでしょう」 「特別レッスンのことです」 ああ、またその話か……。 「あなたには、あなたなりに大切にしたいことがあることはわかりました」 「それはある程度尊重しなければならないと、私も反省しています」 「……ありがとうございます」 いつになく殊勝なことを言う先生。 「でも、私としては、あなたが一流のソリストになる可能性を、どうしても潰したくないのです」 「ですから、来日された先生にお願いし、無理を言ってあなたのデモテープを聞いて頂きました」 「……」 驚いた。 この人が、自分のためにここまでしてくれるとは思わなかった。 「先生は、御園さんにかなり興味を持っておられましたよ」 「ぜひ指導してみたいとまで仰って頂きました」 先生が熱っぽく話す。 「……そうですか」 「御園さん、あなたはとても優秀です」 「その歳にして、もうオペラの舞台で活躍できる一流の声を持っているのです」 「正直なところ、私に教えられることはごくわずかでしょう」 「より上の世界を目指すなら、イタリアに留学して一流の教師に教えを請うべきです」 かつて、両親と一緒にイタリアでオペラを観たことがある。 歌を志す者なら誰もが魅了される声の持ち主たち。 彼らは、きらびやかな衣装に身を包み、舞台で歌っていた。 小さい頃は自分もああなりたいと思っていた。 「魅力的なお話で、嬉しいです」 「ですけど……」 「御園さん、これは他の生徒が泣いて羨ましがるほどのチャンスなんですよ」 「逃したらあなたは一生後悔します」 「でも……私は別に、オペラがやりたいわけじゃありません」 はあ、と先生はため息をつく。 「では、あなたは何を歌って生きていくつもりなのですか?」 「シャンソン、ポップス、それとも演歌かしら?」 違う……。 「私は、歌えるなら何でもいいんです」 「せっかくのお話ですが、特別レッスンは辞退させていただきます」 「御園さん!」 「すみません、用事があるので失礼します」 これ以上は、言ったところでどうせ自分の思いは伝わらない。 何度も経験してわかったことだ。 今さら何も変わらない。 ため息をついて、私は足早に部屋を出た。 「……筧先輩?」 俺を見つめ、御園が硬直する。 「よう」 努めて平静を保つ。 御園がいきなり部屋から出てきたから、立ち去る余裕がなかった。 「ここ、音楽棟ですよ。何か用ですか?」 本当のことを言ったら、追い返されてしまう。 ここは言い訳を考えよう。 「実は、来年、知り合いがここに入学することになってね」 「そいつが声楽を専攻したいって言うから、様子を見に来たんだ」 嘘をつくのは心苦しいが、仕方ない。 「本だけが友達かと思ってました」 実際はその通りだから困ったものだ。 「袖触れ合うも他生の縁ってやつだ」 「何の縁もなしに、この歳まで成長できないさ」 「そうですか」 無関心そうに御園が応じる。 「で、御園に一つ頼みがあるんだ」 「嫌です」 「早いわ」 「面倒なことを頼まれそうですから」 「聞くだけ聞いてくれって……大丈夫、すぐ終わるから、な」 「そのノリ好きですよね」 「繰り返しはギャグの基本かもしれませんけど、そろそろ減点対象ですよ、センパイ」 御園がくすりと笑う。 「気をつけます」 「で、何の話ですか?」 どうやら聞いてくれるらしい。 「えーと……一度ここを出てから話す」 音楽棟で騒ぐな、という周りの視線が俺たちに刺さっている。 「……ですね」 御園を連れて、音楽棟を出た。 落ち着ける場所にやってきた。 「音楽棟ってのは、やたらピリピリしてるな」 「慣れれば平気になります」 すました顔で答える御園に、自販機で買ってきたペットボトルのお茶を渡す。 「あ、お金……」 「奢るよ」 「いいです。筧先輩に借りを作ると後悔しそうです」 「話を聞いてもらうお礼」 「あとほら、歌の練習したら喉渇くだろ?」 「……ありがとうございます」 やれやれといった調子で、御園がお茶を受け取ってくれた。 「それで、話って何ですか?」 「さっき言ったけど、知り合いが声楽をやりたいらしいんだ」 「先輩として、御園からアドバイスが欲しいなと思ってね」 「シラバスを見て下さい」 シラバスというのは、簡単に言えば授業内容だ。 学園のサイトで公開されている。 「もちろん、シラバスは見てるんだ」 「だから、生の声ってのが聞きたくてさ……例えば音楽棟の雰囲気とか」 「あんな感じです」 ペットボトルを咥えつつ、御園が大ざっぱに答える。 「なんであんなにピリピリしてるんだ?」 「声楽系は腕のいい先生の取り合いになるんです」 「器楽はまだ自分の耳である程度調整が可能ですけど、声楽はそうもいきませんから」 「へえ、知らなかった」 「でも、いい先生ほど気に入った生徒を優先的に指導するんです」 「つまり、御園は気に入られてると」 「鬱陶しいんですけどね」 「御園が優秀だってことだろう? 歌姫って呼ばれるくらいだし」 「やめてください……」 そっぽを向いて、こくりとお茶を飲む。 「勝手にお姫様扱いなんて、本当に面倒くさいです」 「おいおい、誰かに聞かれたらヤバいだろ」 「TPOはわきまえてます」 「音楽棟では、こんなこと言いませんから」 御園が笑う。 「いや、後ろに先生いるし」 「ひうっ!?」 御園が慌てて振り返る。 「誰もいないですけど」 「……とかね」 御園の視線が氷点下になった。 「お疲れ様でした」 「ごめん、悪かった」 「悪い冗談です」 「心臓が止まったらどうするんですか、もう」 幾分、拗ねたように言う。 本気で驚かせてしまったらしい。 「で、あと聞きたいことはありますか」 「先輩の相手は疲れるので、早くして下さい」 「あー、じゃあ……」 「声楽の授業について、何か思うところはあるかな」 「教師陣は素晴らしいです」 「授業はわかりやすい?」 「感じ方は人それぞれですから」 「御園の感想でいい」 「普通です」 奥歯に物が挟まったような言い方だ。 「御園的にはいまいちな感じみたいだな」 「その質問、大事ですか?」 怪訝な顔をされる。 「授業を受けた人しかわからない感想こそ知りたいんだ」 「引っかかることがあるなら教えてほしい」 「そうですね……」 御園は小さく息を吐く。 「では、その人に一つだけ伝えて下さい」 「歌で生きていく覚悟がないと、ここでやっていくのは難しいって」 「授業が厳しいってこと?」 「はい、それが第一です」 「あとは、周囲も意識が高いので、居場所がなくなります」 御園がかすかに笑う。 実感がこもった言葉に思えた。 「ありがとう、ちゃんと伝えておくよ」 「ちなみに、今のは御園の感想?」 「一般論ですよ」 そう言って、曖昧な笑顔を浮かべた。 御園の言葉が自分のことを指しているなら、心に留めておくべきだ。 彼女が授業に消極的な理由に繋がっているかもしれない。 17時を過ぎた。 御園は先ほどから黙って俺の後についてきている。 放っておくと、ふいっといなくなってしまいそうな雰囲気だった。 「悪かったな」 「え?」 「色々と根掘り葉掘り聞いてさ。不愉快だっただろ」 きょとんとしている。 何のことですか、という顔だ。 「不機嫌そうだし、質問責めが気に障ったんじゃないのか」 「ああ……」 御園はため息をつく。 「嫌そうに見えましたか?」 「そりゃまあ」 仏頂面で黙りこくっていたら、他にどう見えると言うのか。 「すみません、違うんです」 「普通にしてるつもりなんですけど、周りからは不機嫌に見えるみたいで」 「何とかしたいんですけど、うまくいかないんです」 御園が暗い顔をする。 「変ですね、私」 「少なくとも普通ではないかな」 「……人に言われると腹が立ちますね」 「ちょっと待て、今のは怒るところか?」 「結構悩んでるんです」 可愛い悩みだ。 「わかった。その悩み、俺が解決しよう」 「いまいち信じられないんですけど」 「信じる心、大切」 「じゃあ試しに信じてみます。どうすればいいですか?」 「まずは笑顔だな」 にこっと笑ってみせる。 「無理です。面白くもないのに笑えません」 「いや頑張って楽しいことを想像するとか、そこは努力だろう」 「努力で何とかなるなら困ってないです」 「先生にはよくオペラ歌手を勧められるんですけど、私には絶対無理です」 「歌に気持ちを込めても、表情がついてこないんです」 「オペラ歌手ってそういう演技が必要なのか」 「歌劇って言うくらいですから。ヨーロッパの伝統的なミュージカルだと思えば近いです」 「演技では表情もすごく大事です。でも私は……」 御園がミュージカルか。 「合わないな」 「わかってますよ」 「そんなに怒らないでくれ」 「いえ、怒ってません。普通に返事をしただけですよ」 とてもそうは見えなかった。 「御園って、もしかして感情表現があまりうまくないんじゃないか」 「……」 黙り込んでしまった。 図星か。 「自分でもわかってます」 「でも、これが私の素なんです」 「損だよなぁ」 「そう思います」 どことなく落ち込んで見えた。 微妙な違いだが、何となく表情が読めるようになってきたかもしれない。 「あのさ、昔から美人薄命って言うだろ」 「はあ」 「美人に微笑まれたら男は気があるんじゃないかと喜ぶし、しかめ面をされたら嫌われたんじゃないかと落ち込む」 「本人にその気があってもなくてもだ」 「面倒ですね」 「男は昔から美人に弱いんだよ」 「でも、女性だって同性の綺麗な人には色々と思うところがあるはずだ」 「そうかもしれません」 「だから、美人は嫉妬や逆恨みを買いやすい」 「昔から不運に泣くことが多いんだ」 「それがどうかしたんですか」 「いやさ。御園は気苦労が絶えないし大変そうだなってことだよ」 「……私が美人だって言いたいんですか?」 「そうだな」 「筧先輩、下心がみえみえですよ」 「そんなこと言って、私をどうするつもりなんですか」 御園は両手でお茶のペットボトルを転がし始めた。 「別にどうもしないよ」 「油断ならないです」 どうしてだ。 「俺が言いたかったのは、別に御園が悪いわけじゃないってこと」 「感情表現に関しても、色々なバイアスがかかって悪く見えるだけじゃないかと思ったんだ」 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とも言うし。 「……励ましてくれてるんですか?」 「そうだと思う」 「じゃあ、一応お礼言っておきます」 「ありがとうございました」 「一応、ってところが引っかかるな」 「引っかかっておいてください」 なんだそりゃ。 「まあ、付き合ってもらったのはこっちだからな」 「礼を言うならこっちだろう」 「それもそうですね」 御園はぺろりと舌を出す。 可愛い仕草だった。 「なあ、御園」 「何ですか?」 「また相談に乗ってもらっていいかな」 「大して役に立たなくてもいいなら」 「本当?」 「その代わり、私も相談していいですか?」 「ああ、もちろん」 御園が小さく微笑んだ。 うまく御園に信用してもらうことができたみたいだ。 まずは第一歩、かな。 「それじゃ……あ」 御園が途中で言葉を切り、表情を固くした。 「あれ、筧さん?」 「ああ、芹沢さん」 御園の視線を追って振り返ると、芹沢さんが立っていた。 「どうしたんですかー、お二人で」 お二人で、を強調して意味深な笑みを浮かべる。 「同じ図書部員だし、一緒にいることもあるさ」 「そうなんですか?」 「てっきり秘密の逢瀬でも重ねているのかと思いました」 一緒にいただけで彼氏彼女なら、学園中カップルだらけだ。 「それは、激しい思い込みだよ」 「御園にだって迷惑だ」 「御園さんは彼氏いるんですか?」 「いません」 「でもさっき、筧さんと仲よくやってたみたいですけど」 「別に筧先輩とは何でもありません」 「でも、私はかなりお似合いだと思いますよ」 「そいつはどうも」 「……」 御園の表情には、警戒の色がありありと浮かんでいる。 「まあ、色々大変かとは思いますが頑張ってくださいね、筧さん」 「ああ、適当にな」 「いえいえ、適当はよくないですよー」 「なら適切にってことで」 しばし芹沢さんと見つめ合う。 「……あ、そうだっ」 「いいことを思いつきました」 「いいこと?」 「あ、いえ極めてプライベートなことですので」 踏み込むなと言われた。 「それではこれで」 「おう、じゃあな」 最後に御園へ視線を投げかけ、芹沢さんは去っていった。 あの娘、謎だらけだ。 「なんなんだろうな」 「さあ、わかりません」 そう言う御園の表情は、いつもより少し沈んでいた。 週末の休みを挟んで、月曜の放課後。 「意外なところから依頼が来たな……」 PCでメールチェックをしていた桜庭が唸った。 「どこからですか?」 「演劇部だ」 「へえ、すごいじゃん」 「え、なにがすごいんです?」 「ぶぉふ……ドゥフ……」 「ふぁおっ……ぐう……」 佳奈すけが、猫用のレーザーポインターでギザをもてあそびながら首をかしげた。 この猫、身体にポインターが当たると、何故か両手を挙げる。 夜間戦闘に嫌な思い出でもあるのだろうか。 「演劇部は文化系クラブの最大手なんだよ」 「部員数は400人以上、夏祭りや汐美祭の企画も本格的だ」 「演劇とかミュージカルとかコント大会なんかもやってるんだよね」 「あー、そう言えば、入学式の後の部活紹介でなんかやってました」 「大きなとこからお声がかかるようになったもんだ」 図書部の知名度が徐々に上がっているということだろう。 日頃の地道な活動の成果だ。 「と言っても、声がかかったのはメインの俳優班からじゃないがな」 「班とかあるんですか」 「演劇部は大所帯なんだ」 「有名どころだけでも俳優班、スタント班、お笑い班、声優班、舞台班に分かれてる」 「それなら別々の部活にすればいいんじゃないですか?」 「いや、予算獲得と施設利用の点から考えるとコングロマリット化した方が有利だ」 「機材もいいものが揃えられるし、動員も力業が効くようになる」 「色々考えてるよね」 「図書部も将来は部員400人くらいになると面白いかもな」 「白崎を生暖かく見守る400人会か」 完全に謎の集団だ。 「ち、血の気が引いてきたよ……」 「やはりこのくらいの人数が一番だな」 部室を見回す桜庭。 その目が、御園で止まった。 「御園」 「……はい?」 呼ばれて、雑誌から目を上げる。 「あ、もう始まってましたか」 どうやら熱中していて気付いていなかったらしい。 「クロスワードもいいけど、話に参加しような」 「筧に言われたくないよなあ」 「ですね」 御園がパズルの本を閉じる。 「では、話を続けるぞ」 桜庭が仕切り直す。 「依頼主は演劇部の声優班だ」 「演劇部は毎年夏祭りで演劇会を開いているのだが、これは俳優班が主体で行っている」 「声優班は今年できたばかりで、俳優班から有志を募って独立したらしい」 「そこで、声優班も俳優班とは別に夏祭りで何かしたいらしい」 「その企画を立ててほしいってことだね」 夏祭り── それは、汐美学園独特の行事だ。 いや、行事というよりは『イベント群発期間』といった方がより正確か。 夏休みには生徒が一斉に暇になる。 帰省や旅行、バイトなどで街を離れる人も多いが、それにしたって夏休み期間中ずっとじゃない。 汐美学園では、生徒の多くが学校周辺に下宿している。 つまり、常時、数万人の暇な生徒が街をぶらつくことになるのだ。 夏祭りが生まれるきっかけは、溢れる暇人をターゲットにした探検部の宝探し企画だったらしい。 大した宣伝もしなかったのに、イベントは大盛況。 この実績を受け、他団体も様々なイベントを企画するようになる。 結果として、夏休み中は、毎日どこかで何らかの催しが行われることになった。 これが『夏祭り』だ。 今では、夏祭り研究部がイベント情報を一手にとりまとめ、ウェブ上でイベントカレンダーを公開している。 俺みたいな読書中毒患者はともかく、夏休み前の生徒の話題と言えば、夏祭りネタが鉄板だ。 「やっぱり、声優って言うからにはアニメですかね」 「まだ受けると決まったわけじゃない」 「おとと、すみません」 舌を出して大人しくなる佳奈すけ。 「依頼の概要はこんなところだ。白崎はどう思う?」 「わたしはやってみたいな」 白崎はそう言うだろう。 「他のみんなは?」 「今回の依頼って、企画を考えるところだけを俺たちがやるのか」 桜庭がうなずく。 「自分の出し物くらい、自分で考えたらよさそうなもんだが」 「面倒だったんじゃねーの?」 やる気ゼロかよ。 「ミナフェスを企画した図書部なら、私達より面白いことを提案してくれると思って声をかけた、とのことだ」 「期待されてるんだね」 「めちゃくちゃハードル高いじゃないですか」 「だとしたら、ただのコンサートじゃダメってことですね」 「そういうことだな」 「まあ、声優班の班長はあの芹沢だからな。多少のひいき目もあるだろう」 「!?」 御園が顔を上げた。 俺の視線に気づくと、すぐにうつむく。 この依頼が、先週芹沢さんの言っていた『極めてプライベートなこと』なのか。 「1年なのに班長か。やっぱ人気声優は違うな」 「演劇部に声優班を作りたい、と言い出したのが芹沢だったらしい」 「言い出しっぺが班長をする流れになったんだろう」 「はは、うちと同じだな」 「あ、それじゃあ声優班は1年生ばっかりなのかな」 「いや、2年や3年もいるそうだ」 「先輩をまとめてるのか……すごいな」 「芹沢は大人に囲まれて仕事をしているし、しっかりしているから務まるんだろう」 「私たちとは大違いだね、千莉」 「……」 御園は答えない。 「どうした?」 「いえ」 ぷいっと横を向く。 何か気にかかることがあるようだ。 「他に質問は?」 「私はないです。ていうか面白そうですし、ぜひやりたいですね」 「うん、わたしもやりたい」 「白崎がいいなら私も賛成だ。高峰は?」 「文句なし」 「演劇部って女の子多いしさ、新しい世界に飛び立てるかもしれない」 「いつも通り、穢れてますね」 「現世の泥の中にこそ、御仏の心があるのです」 静かに合掌した。 「御園はいいのか」 「何がですか」 微妙な変化だが、いつもより若干表情が固い。 「反対じゃないのかってこと」 「皆さんが受けると言うなら、それでいいです」 「……そうか」 御園には考えるところがあるようだ。 注意して見ておこう。 「では、依頼は受けることにして、早速企画を話し合おう」 「他に意見はあるか?」 もう、声は上がらない。 企画を考え始めて1時間。 ネタが尽き、まったりタイムに突入していた。 今までに上がった案と言えば── 『アニメ』『人形劇』『影絵』『コスプレコンサート』『ミュージカル』といったところだった。 駄目ってわけじゃないが、いまいち決め手に欠ける内容だ。 「ミュージカルの発案者は、御園か」 「私です」 「少し説明をしてくれるか?」 御園が小さくうなずく。 「演劇部には声楽専攻の人も所属しています」 「だから普通の演劇よりは、長所を活かせるかと思いました」 「声楽って演劇もやるんだ」 「結構いますよ、歌も踊りも演劇もやるって人」 「どれも本質は同じですから」 「えっと、どこら辺が同じなんだろ」 「わからないな」 「歌う時は、歌に自分を乗せちゃ駄目なんです」 「自分を歌の方に合わせないといけないんです」 「踊りも演劇も自分を殺して役に徹しますし、その辺りは同じです」 「演じるわけか」 「そうとも言えますし、そうじゃないのかもしれません」 「自分でもわからなくなるくらい没入して、初めて最高の歌や劇ができるんです」 「へえ……」 みんなの視線が御園に集まる。 「歌も極めようとすると、そういう次元に行くんですね」 「すごいよね、一つ一つの歌にそこまで思い入れを持って歌うなんて」 「カラオケとはわけが違うな」 珍しく口数多く語る御園。 やはり、歌に思い入れがないってわけじゃないんだな。 「……聞きかじりですけど」 「もー、照れなくてもいいのに。千莉かーわいー」 「か、佳奈、やめてよ」 御園が顔を背ける。 「そうすっと、ミュージカルが、依頼人の強みを活かせるんじゃないか?」 「演劇も歌もできる人がいるわけだからさ」 「ああ、悪くないと思う」 「でも、ミュージカルなんてどうやって用意するの?」 「出来合いの台本なら本屋に売ってる」 「つっても、専門書店じゃないと駄目だけど」 「じゃあ、台本は買ってもらって、あとは……」 「待って待って」 「『脚本を買ってやってください』だと、図書部に依頼した意味がないんじゃないかな」 「『企画を考えてくれ』という依頼だから、要求に応えたことにはなると思う」 「それはそうなんだけど……満足してくれるかな」 「んじゃ、オリジナルの台本でも作る?」 「簡単に作れるの?」 「お話一つ作るわけですし、簡単ではないと思いますよ」 「そうだよね……」 「筧、お前作れないのか?」 「どうして俺なんだ」 「だってお前、図書部員やろが!」 「お前もな」 読書量で期待されてるんだろうが、俺は読み専だ。 「ここは佳奈すけがどうだ?」 「いやいや無理無理、無理です」 「私がお話なんて書けるわけないじゃないですか」 ぶんぶんと手を振る佳奈すけ。 「これはあれだな」 「いやよいやよも好きのうちか」 「ほんと待ってくださいよ〜」 「他に方法はないんですか?」 「話を作るということなら、文芸部に頼むというのも手だな」 汐美学園の文芸部には、プロデビューしている作家が何人もいる。 技量は問題ない。 「では、文芸部にお願いするということで」 「いやー、ホントは自分がやりたかったんですけどね!」 「やってもらって構わないぞ」 「なーんて、粋がってみたいお年頃なんです、ええ」 「仕方のないことを言うな」 「よし、じゃあオリジナルのミュージカルを第一候補として芹沢と話をしてこよう」 「そうだな、御園も一緒に来てくれないか?」 「私が?」 御園の表情が目に見えて固くなる。 「ミュージカルは御園の発案だろう? 細かい説明もあるんじゃないか?」 「……」 御園がうつむいた。 行きたくないオーラ満開だ。 「俺も行っていいかな?」 「芹沢さんと話したいことがあるんだ」 桜庭の目を見て言う。 御園に関係あることだと伝えたかったのだ。 桜庭は、すぐにうなずいてくれた。 「わかった、では御園と筧と私で行くことにしよう」 「よし。御園、頑張ろう」 「はあ……」 御園が気乗りしない溜息をつく。 気になるのは、御園と芹沢さんの関係だ。 何かと御園のネタを振ってくる芹沢さんが、今回は企画を依頼をしてきた。 隠された意図を勘ぐってもおかしくはないだろう。 直接二人を合わせることで、何か手がかりが見つかればいいが。 しばらくして、俺たちは演劇部の部室にやってきた。 並んだ教室からは、賑やかな声や音楽が流れ出てくる。 「どれが部室なんですか?」 「この階の教室は全部らしい。他にも稽古場が1つあるということだ」 「部員400人は伊達じゃないな」 「贅沢なことだ」 そう言って、桜庭が教室の一つに入っていく。 「こんにちは」 演劇部員に取り次ぎを頼むと、芹沢さんはすぐにやってきた。 「その節はどうも」 「図書部に依頼のあった出し物の件、いくつか案を考えてきたので意見が聞きたかったんだ」 「随分早いですね」 「夏祭りまであまり時間もないし、出来るだけ早いほうがいいと思ったんだが」 「そうでしたか、助かります」 「あ、他の部員さんも一緒なんですね」 芹沢さんはこちらに視線を投げかけ、にこっと笑みを作る。 「こんにちは」 「……どうも」 御園の態度に、芹沢さんは一度自分の髪を撫でた。 「今回は無理なお願いをしてすみません」 「ごちゃごちゃしたところですけど、こちらへどうぞ」 芹沢さんが、椅子と机を固めた場所に案内してくれる。 桜庭がざっと企画を説明する。 その間、御園は仏頂面で部屋の隅にある大道具などを眺めていた。 「ミュージカルですか」 「演劇部には、声楽をやっている人も多いと聞いている」 「歌と芝居ができるならミュージカルはどうかという発想なんだが」 「なーるほど」 芹沢さんが思案顔になる。 「ミュージカル以外には、他にどんなネタが出たんですか?」 「人形劇や影絵はどうかな?」 「それも面白そうですね」 「でも、小さな子供たちに見せに行くならともかく、夏祭りでやるのは少し違うかもしれません」 そうだろうな。 「あとはコスプレコンサートなんて意見もあった」 「いいですね」 「でも、それならミュージカルの方が面白そうかな」 どうやら、ミュージカルの反応が一番良いようだ。 「では、今のところはミュージカルということでいいか?」 「それでお願いしたいです」 芹沢さんが笑顔で了解してくれる。 「ミュージカルって言っても色々ありますけど、既存のものをやるんですか?」 「市販の脚本では面白くないという意見もあるんだ」 「文芸部にオリジナルのものを作れないか掛け合ってみようと思っている」 「あ、それいいですね」 「脚本についてリクエストがあれば、ぜひ聞いておきたいな」 芹沢さんはちょっと考える。 「そうですね……」 「まず、大道具が必要な舞台は難しいです」 「演劇部の舞台班は、夏祭りの準備にかかりっきりですから」 「できれば人の演技だけで見栄えがするものがいいです」 「なるほど」 「ああ、でもよく考えたら、オリジナルなら普通の演劇にした方がいいかもですね」 「ミュージカルだと、曲も作らないといけないですから」 「あと、せっかく声優班がやるんですから、私達ならではの要素があると嬉しいです」 「例えば沢山の声質を使い分けるとか、顔を隠して、一人何役もやるとか」 「普通の演劇じゃ、俳優班と同じになるもんな」 「はい、そういうことです」 「なるほど、参考にしよう」 芹沢さんの助言を桜庭がメモに書き込む。 「そんな脚本、用意できるんですか?」 御園が口を開く。 「汐美学園は才能の宝庫だ」 「脚本を書ける人材の10や20転がってるだろう」 「頼もしいですね」 「せっかく図書部に依頼をくれたんだ、できる限りのことはしてみる」 「ありがとうございます」 「では、一度声優班で意見をまとめます」 「わかった。こちらもまた進捗があったら報告する」 「はい、お願いします」 芹沢さんはぺこりと頭を下げる。 「御園さんも、歌を頑張って下さいね、応援してます」 「……」 黙ってうなずく御園。 「御園」 「ありがとうございます。頑張ります」 そっけなく言って、御園は一人部室から出て行ってしまった。 「(まったく……)」 「(訳ありだ、気にするなって)」 桜庭をなだめる。 「それじゃ俺たちも失礼するよ」 「はい……あ、筧さん」 「なんだ?」 「個人的なお話があるんですけど……お時間いいですか?」 「個人的?」 「ふふふ、個人的、です」 芹沢さんがわざとらしく笑う。 「なら、私は先に帰っている」 「それでは、引き続きよろしく頼む」 きっちりと頭を下げ、桜庭が出て行った。 「さて」 芹沢さんが、俺の方に向き直った。 「話ってのは?」 「御園さんのことです。筧さんのお耳に入れておこうと思って」 「商店街に『ラストノート』っていうジャズバーがあるんですけど、ご存じですか?」 「いや、ぜんぜん」 「ちょっと奥まった所にあるお店なんですけど」 商店街の奥まった所? そういや、昔、御園を見かけたことがあるような……。 「もしかして、ゲーセンの脇道を入ったところ?」 「あ、はい、『ヴィノレタ』っていう飲み屋さんの隣なんですけど」 「なんとなくわかった」 「で、その店と御園になんか関係があるの?」 「早朝に、一人でボイストレーニングをしてるみたいですね」 ボイストレーニング? 「なんでまたジャズバーで?」 「まあ、防音はしっかりしてますよね」 「あとはよくわかりませんけど、教室で練習したくない理由があるとか?」 芹沢さんが首をひねる。 「念のため聞いておくけど、いかがわしい話じゃないよな?」 「ボイストレーニングとは名ばかりの?」 「それは私にはわかりません」 『調べてみれば?』と言わんばかりだ。 体よく利用されている感じがするが、どのみち御園のことは白崎たちにも頼まれている。 「じゃ、ちょっと様子を見に行ってみるよ」 「変な噂が立つと、図書部のためにならないし」 「そこは、嘘でも『君のために頑張るよ』とか言った方が感じよくありませんか?」 キュートな笑みを浮かべる芹沢さん。 「そういうことは、彼氏にでも言ってくれ」 「声優に彼氏はいません」 「へえ」 「もう一度言います。声優に彼氏はいません」 繰り返された。 「一つ聞きたいんだけど、芹沢さんって御園とどういう関係? ずいぶん気にかけてるよね?」 「知り合いです」 「その先のことは、おいおいってことじゃ駄目ですか?」 笑顔のまま、問いかけてくる。 「どうかな……」 「御園の害にならないって約束できるなら」 目を見て言う。 芹沢さんは、微笑みながら綺麗な髪を撫でた。 「そんな約束はできません」 「プラスにしかならない人間関係なんて、あると思います?」 「例えば、図書部と御園さんの関係だってそうでしょう?」 予想以上にキレのある返しだった。 「んじゃま、御園との関係は追及しないでおこう」 「そうしてください」 芹沢さんの返事を聞き、俺は腰を上げる。 この人との付き合いも長くなりそうだ。 そんな予感を胸に、芹沢さんと別れた。 早朝、6時30分。 芹沢さんがくれた情報の真偽を確かめるため、商店街にやってきた。 春に御園を見かけた路地に入る。 飲み屋やら雀荘が並ぶ、アダルトな通りだ。 ジャズバーは、ヴィノレタって飲み屋の隣だったな。 「(……おお、あった)」 地下へと続く階段の入口に、『ラストノート』と書かれた看板がある。 営業時間は、20時から翌6時。 バリバリの夜の店である。 御園は本当にいるのだろうか。 迷っていても仕方がない、行ってみよう。 ……。 薄暗い階段を下りていく。 両側の壁には、ジャズライブのポスターが壁一面に貼られている。 割と硬派な印象のポスターが多い。 ……。 階段を下りきると、重厚な木の扉にぶち当たった。 ぴたりと閉まっている。 「すみませーん」 重いドアを引いて開ける。 「!?」 店内の空気が加圧されていたかのように、ドアの隙間からハイトーンが溢れ出した。 風が吹き出したのかと思うほどの圧力だ。 更にドアを開く。 溢れてくるのは歌声だ。 膨大で圧倒的な、声の洪水だ。 その透明さに、薄暗い階段が、一瞬光に包まれたかのような気がした。 これが、御園か。 同一人物には見えなかった。 店の奥、一段高くなったステージ。 艶やかに光るグランドピアノの隣で、御園が歌っている。 聴衆はいない。 椅子やテーブルだけが、静かに御園の歌声を聴いている。 「……っ」 御園の声が一際高くなり、ぞくっと快感が走る。 頭から空の彼方まで抜けていくような高音―― とても自分と同じ人間が放つ声だとは思えない。 歌姫だとか、世界レベルだとか、御園の歌声に対する評価は聞いていた。 だが、そんな言葉は、彼女のすごさを少しも表現できていない気がする。 「……はあ」 歌が終わった。 雨上がりの朝のように、空気中を光の粒が舞っているような余韻がある。 「……?」 御園が俺を見る。 軽く手を上げて応えた。 「筧……先輩……」 「邪魔してすまん」 「どうしてここに?」 険のある目をしている。 「ここで、御園らしき人物を見かけたって噂を聞いたんだ」 「誰からですか」 「声優さん」 ああ、という顔をして、御園は黙った。 「綺麗な声だった」 「ありがとうございます」 「お世辞じゃない、ほんとの感想だ」 「音楽のことなんて全然わからないから、信用できないと思うけど」 ガキの頃から、音楽を聴くという発想がなかった。 人がそれをどういう感情で消費するのかわからぬまま、ここまで来てしまったのだ。 「そういう人の感想の方が貴重です」 ぽそりと御園が言う。 「ん?」 「いいえ」 御園が椅子に座る。 「なあ、聞いていいか」 「この店は?」 「ジャズバーです」 「いや、どうやって知ったのかとか、どうやって借りてるのかとか」 「知りたいですか?」 御園が悪戯っぽく笑う。 「知りたいな」 「知ったら、ショックかもしれません」 御園が切なげに視線を逸らす。 「まさか特殊な契約を……」 「そのまさかです」 「おお……」 ちょっと目眩がした。 もちろん演技だ。 本当にそういう事情があるのなら、打ち明けないだろう。 「冗談ですよ」 「そういう妄想が好きですね、先輩は」 「健全ってことだ」 「で、実際は?」 「以前、ここのライブに来たことがあるんです」 「筧先輩が、自販機の下からお金を拾ってくれた時です」 「ああ」 たしか4月のことだ。 「それで、店長と話をするようになって……」 「閉店から店を出るまでの間なら、歌っていいって言われたんです」 「最後に、フロアの掃除はしないといけませんが」 「なるほど……」 「念のため確認だけど、危ないことはしてないな」 「どうでしょうね」 御園が笑う。 「真面目な話だ」 視線で訴える。 「あ、はい。もちろんです」 「なら安心した」 「心配してくれたんですか?」 「……どうだかな」 「……ふふ」 ジャズバーということしかわからなかったから、心配だったのだ。 昨日は、ネットで店の噂をいろいろ調べてしまった。 結果としてわかったのは、ジャズバー『ラストノート』は硬派の店だ。 ジャズを愛する大人が集まる店で、客層がいい。 もちろん酒は出すが、下品な酔い方をする奴は即退店……らしい。 「しかし、なんでまた一人で練習してるんだ?」 「教室では、人の目が気になりますから」 「ああ、あんま居心地よさそうじゃなかったしな」 「ええ。嫉妬されたり怒られたり、もう大変です」 御園が笑う。 「でも、どこかで練習しないとレベルは落ちますから」 「なるほどな」 甘い世界じゃないわけだ。 「でも、一人でやってて捗るのか?」 「先生も自分で教えられることは少ないって言ってましたから」 「どんだけレベル高いんだよ」 教師では届かないレベルに達しているのだ。 いや、スポーツでも芸術でもよくある話か。 「それに、先生は一番知りたいことは教えてくれませんから」 「知りたいこと?」 「……どうしたら、もっと楽しく歌えるようになるんでしょう」 どういう意味だろう? 「声楽科の人たちは、みんなすごいです」 「進路や目標を決めて必死に練習してます」 申し訳なさそうに御園が笑った。 「私も、将来を決めなくちゃとは思ってるんです」 「でも今のままでは、道を決めてもゴールまでたどり着けません」 「歌は競争の世界です……迷いがある人間なんて、あっという間に消えてしまいます」 「難しいもんだな」 御園的には、他の人たちと同じく道を定めたいらしい。 だが、今のままでは目標を定めても達成する自信がない。 甘いんじゃないかとも思う。 実力の世界に生きている人たちは、みんな迷いながら戦っているのではないだろうか。 いや、それを言うなら、御園はいま戦っているのか。 道は決めなくてはならないが、迷いが解けない。 周囲は、当然ながら彼女の内面的な事情は〈斟酌〉《しんしゃく》せず、怠けるなと責めてくる。 御園に高い才能があることも、それを増幅させる。 音楽科の教室は、かなり厳しい場所だろう。 でも、ここで折れたら、御園はもう歌の世界で大成することはないのかもしれない。 「甘えてるんですね」 「本当は、みんな迷いを振り切って練習してるんですから」 御園が店内を見回す。 「このお店で演奏していた人たちは、本当に楽しそうでした」 「どうしたら、ああなれるんでしょう」 「……」 さすがに見当が付きかねる。 演奏してる人を見たこともないし。 「すみません、変なこと言って」 「いや……大変な世界なんだって思ったよ」 「俺には、何のアドバイスもできなそうだ」 御園が寂しそうに笑う。 「でも、こんな話をしたのは初めてでした」 「……何で俺に?」 「ですよね、何で筧先輩なんかに」 「なんかとは、ひでーな」 苦笑しつつ、立ち上がる。 「怒りましたか」 「いや、練習の邪魔になるし、そろそろ帰るよ」 「そうですか……」 御園が店内の時計を見上げる。 「私もそろそろ掃除をしないと」 「掃除?」 「さっきも言いました」 「お店を借りてるお礼です」 御園がカウンターの奥に入っていく。 「(田崎さん、ありがとうございました)」 「(今日の声、どうでしたか?)」 「(はい……はい……わかりました。気をつけてみます)」 すぐに戻ってきた御園の手には、モップが2本握られていた。 「モップ二刀流とはさすがだ」 「私の細腕では無理です」 当然、一本は俺に突き出された。 「ですよね」 「私の歌のチケット代です」 「フロアの半分お願いしますね……センパイ」 「しゃーない」 モップを手に取った。 掃除を手伝うだけで、あの歌声が聞けるなら安いと思う。 御園は将来、B席7000円クラスの歌い手になるかもしれないのだ。 それに、御園を知るためにも、今後の朝練には付き合っておきたい。 掃除を口実にすれば…… 「フロア半分が今日のチケット代ってことなら……」 「全部俺一人でやれば、もう一回分、先払いになるな」 「え……」 「さて、いっちょやるか」 「ちょっと、先輩っ!?」 目覚まし代わりのチャイムが鳴り、放課後がやってきた。 早起きして御園の練習を見に行ったので、5限はぶっちぎって睡眠に当てたのだ。 ドアが開き、桜庭と佳奈すけが入ってきた。 「お疲れさん」 「筧も5時限目はなかったのか」 「ああ」 「ふー、疲れました」 「外、ホントにもう、何やねんっていうくらい暑いんですけど」 佳奈すけがハンカチで汗を拭く。 「どこ行ってたんだ?」 「文芸部です」 「脚本を請け負ってくれることになった」 「良かった」 思った以上にうまく話が運んでいるようだ。 「図書部の仕事は、脚本の進捗管理と内容の確認になる」 「後でみんなが揃ったら、担当を決めよう」 「桜庭がやるんじゃないのか」 「別件があるんだ。そちらの話を聞いてみないと何とも言えない」 「大忙しですね」 「夏祭りが近いからな。みんな猫の手も借りたいんだろう」 祭りとなると血が騒ぐのは日本人だからか。 「で、筧の方はどうなんだ」 「夏祭り前に、悪い噂は払拭しておきたいところなんだが」 「あれ、それって前に話してた千莉のことですか?」 「そうか、鈴木は知らなかったな」 「実は、これ以上悪い噂が広まらないよう筧に調査してもらっているんだ」 「あー……それで筧さん、千莉のこと気遣ってたんですね」 気付いてたのか。 佳奈すけは目ざといな。 「何か進展はありました?」 「そうだな」 今朝、御園の練習に立ち会ったときの話をする。 声楽専攻は、将来の目標を定め、その達成のために努力するのが当たり前の場所だ。 しかし、御園は違った。 歌が好きで、楽しく歌いたいから声楽を専攻した。 そのミスマッチが原因で、御園は浮いてしまっているのだ。 しかも、御園の能力がズバ抜けているため、話が余計に難しくなっている。 「御園なりに、悩みはあるんだな」 「目標とか進路以前に、歌の世界でやっていくかで迷ってるって感じですね」 「鍵になるのは『楽しく歌う方法』か」 「具体的にどうするかは、これから考えるよ」 「さすが筧さん、誰も聞けなかった話をすんなりと」 『お仕事きっちりですね』と佳奈すけが笑う。 「仕事でやってるわけじゃないさ」 「では、どういうつもりで?」 佳奈すけが、くすりと笑った。 「いや、まあ……図書部の仕事だよ」 「ま、私はどっちでもいいですけどねー」 「ぶふぉふぉふぉ」 「く……」 デブ猫にからかわれた。 「さて、私は出かけるぞ」 桜庭が立ち上がった。 「どこ行くんだ?」 「15時から打ち合わせがある」 「ここに来てもらってもよかったんだが、生徒会からの依頼でね」 「生徒会長の勧誘が始まったら、また面倒だ」 気を遣ってくれたらしい。 「ありがたい」 桜庭が出て行った。 「どうやったら楽しく歌えるか……ですか」 「同級生なんだし、何か聞いてないか?」 「う〜ん……」 言いながら、佳奈すけが机に身を伏せた。 「……ぐう」 「つまらんぞ」 佳奈すけが、がばっと身体を起こす。 「いやだって、筧さん」 「そんなデリケートなこと、簡単に訊けるわけないじゃないですか」 「だから、そこは同級生パワーで」 「いやいやいや、なかなか簡単にはいきませんって」 やっぱ難しいよな。 「じゃああれだ、何か探り出そうってんじゃなくて相談に乗ってあげるって方向で」 「同性じゃないと話しにくいこともあるだろうし」 「『付き合うとしたら、筧さんか、高峰さんか』とかですか?」 「ちげーよ」 「冗談です」 佳奈すけが、手をパタパタさせて笑う。 「ちゃんと、千莉をフォローしますって」 「それに、私だって千莉とは仲良くなりたいんです……これは、マジですよ」 顔の前に指を立てて言った。 こういうときの佳奈すけは裏切らない。 「よろしく頼む」 放課後。 桜庭が、全員揃ったのを見届けて話を始める。 「今回の依頼は生徒会からのものなんだが……」 「依頼内容は、応援団とチアリーディング部を和解させることだ」 「現在、この二者は夏季大会での応援方針を巡って対立している」 「抗争の果てに、応援団とチアリーダーのボスが結ばれるエンディングか」 「残念ながら、二人はすでに恋人同士だ」 アフターストーリーだった。 「ってことは、痴話喧嘩の延長ですか」 「だったら楽なんだが……」 桜庭が目頭を押さえつつ、説明してくれる。 「有力な体育会系クラブは、伝統的に応援団びいきかチアリーディングびいきか、あらかじめ決まっている」 「棲み分けができていたんだ」 「ところが、応援団とチアリーディングのボス同士がくっついたことでそれが崩れた」 「ボス同士がくっついたら普通は仲良くなるものじゃないですか?」 「今まではお互いに不可侵を貫いていたから伝統が守られていたんだ」 「ところが、ボス同士がくっついたことで話し合いの余地が生まれてしまった」 「結果、組織を巻き込んだ一大闘争に発展してしまったというわけだ」 「やっぱり痴話喧嘩じゃないですか……」 「ま、俺としては当然チアリーディングびいきだけどなあ」 「男のむさい応援なんかで頑張れるかよ」 「予想通り過ぎて興味も湧かない」 同意だ。 「経緯はともかく、この抗争で体育会系クラブは真っ二つに割れてしまった」 「生徒会の鶴の一声があれば収まるんだが、事情が錯綜してどっちが悪いとも言いにくい」 「そこで、第三者である図書部に動いてもらえないかという話がきた」 「うーん……これは大変そうですねぇ」 佳奈すけは最初から及び腰だった。 「体育会系には、気性の荒い連中も多い」 「ほうほう」 「なるほど」 1年生が高峰をちらりと見てからうなずいた。 「おーけー、どれだけ荒いか今から見せちゃうぜー」 「ふぉっ、ふぉおおおっ」 1人と1匹が、同じ格闘の構えを取った。 「ほらほら、落ち着いて。大丈夫だから」 「ふーふー」 「ぼふ、ぼふ」 こいつら、兄弟なんじゃないか? 「で、この依頼はどうする?」 「受けたいと思ってるよ」 「だって、喧嘩したままじゃ、夏季大会もつまらなくなっちゃうよ」 「ああ、ぜひ仲裁したいね」 「やっぱ、体育会系にとっちゃ大会は華だからさ」 桜庭もうなずいた。 「でも、演劇部の依頼はどうします?」 「担当を分けたらどうだ」 「応援抗争の方には、いざというときのために高峰が欲しい」 「俺、かつてないほど頼られてる気がする」 「よかったな」 「体育会系には多少知り合いがいるし、私も応援抗争の方がいいだろう」 「あと、白崎と筧もいた方がいいな」 「え、わたしも?」 「和みパワーと悪知恵が必要な場面もあるだろう」 「俺は悪知恵担当かよ」 さんざんだ。 「それだと、演劇部が1年生だけになっちゃいますよ」 「そうだね……じゃあ私も応援の方で」 「いやいやいや、私のこと、そんなに嫌い?」 「冗談」 「ですよね〜」 大袈裟に胸をなで下ろす佳奈すけ。 「じゃあ、誰がこっちへ来てくれるんですか?」 「お……」 「高峰先輩以外で」 「はい、御園さん早かった」 大喜利の司会か。 「今回だけは高峰が欲しい」 「だそうですよ」 「ふむ、姫にそこまで求められちゃ仕方がない」 「……引っかかる言い方だな」 桜庭がもにょもにょ言う。 「なら、俺が演劇部の方をやろうか」 「やたっ」 ガッツポーズをする佳奈すけ。 「筧がそちらだと4対2か。人数的にはもう一人だな」 「つぐみちゃんか千莉ちゃんだろ」 「千莉ちゃん、どうする?」 「え……別にどちらでも」 あっちにこっちにと視線が動く。 迷っている様子だ。 「じゃあ、わたしが演劇部の方に行こうか?」 「……はい、では」 御園がうつむく。 どうやら思うところがあるようだ。 「演劇部に提案したミュージカルって、御園が考えたネタだろ?」 「だったら、御園が行くのが筋じゃないかな?」 御園が顔を上げた。 「あ、言われてみればそうだね」 「千莉ちゃん、それでいい?」 「……はい、わかりました」 御園がこくりとうなずく。 「じゃあ、分担は決まりだな」 演劇部が、1年生2人と俺。 応援抗争は、白崎と桜庭と高峰、ということだ。 「筧、上級生として二人の面倒を見てやってくれ」 「面倒みてください」 「よろしくお願いします」 二人が俺を見上げてくる。 「りょーかい」 多少責任は感じるが、この二人なら問題ないだろう。 それに、御園と芹沢さんが近いところにいれば、何か動きがあるかもしれない。 図書部の活動が終わり、私は千莉とアプリオにやってきた。 「はー……あー……」 千莉が机の上でぐんにゃりと横たわった。 「なにか悩み事?」 「んー……」 それきり千莉は黙ってしまう。 彼女の場合、放っておくとこのままだ。 普段ならそれでいいけど、今日は筧さんとちょっとした取り引きをした。 頑張って聞き出さないと。 「何か言いたいことあるんでしょ」 「別に」 「言いたくないの?」 「そうじゃないけど……」 「ほらー御園さん、我慢は身体に毒ですよー」 「ぶっちゃけてくださいな」 「別に、ぶっちゃけることなんかないから」 「私じゃ力不足ですかね」 「そんなことないけど……」 「じゃあ、信用できないとか」 「信用は……」 「……」 「……」 「こらっ、ちょっとちょっとっ」 「あ、ごめん。信用できないわけじゃないよ」 「それなら沈黙しないでほしいなー」 「うん」 会話のテンポがなかなか独特だ。 「千莉、気に病んでることがあるんじゃない?」 「私で良かったら聞くよ?」 「でも、ただの愚痴だから」 「大丈夫だって、吐き出しちゃいなよ」 「……いいの?」 「うざいかもしれないけど」 「平気平気。いつもは私の方がうざいし、どーんと来てよ」 「そっか」 千莉が口を結ぶ。 言葉を探しているようだ。 ここは見守ろう。 「さっき応援抗争と演劇部でどっち行くかって話になったでしょ」 「迷って変な態度取っちゃったから」 「で、駄目だな私って」 「……」 「え、それだけ?」 「……うん」 その程度のことで悩んでたのか。 ……意外と気にしいというか、可愛い人だな。 「はあ……嫌になる」 「えっと、念のために聞くけど、誰に悪いなって思うの?」 「白崎先輩。気を遣わせちゃったから」 確かに白崎さんの気の遣い方はお母さん並だ。 「どうしてあの時、千莉は変な態度取ったのかな」 「私、どっちに行きたいかよくわからなかったから」 「あれ、そうなんだ」 てっきり筧さんと一緒の方だろう、と思ってたんだけど。 「演劇部の方は避けたかったけど、でも……」 そっか、芹沢さんと関わるのは嫌だけど、筧さんとは一緒が良かったってことか。 なるほど。 「でもさ、それにしてもあの態度はよくなかったと思う」 「まー……ちょっとねえ」 「あーもう、駄目だなぁ……」 机の上でストローの包装紙をぐしゃぐしゃと丸める。 「ナイス女子!」 「え?」 「あ、魂の叫びだから気にしないで」 「わかる人にはわかるんですよ、これが」 「ふーん」 どうでもいいけど、という視線を送ってくる千莉。 「佳奈、私どうしたらいいと思う?」 「え? 別にどうもしなくていいんじゃないかな」 「でも桜庭先輩に心配かけてる」 「あー、桜庭さんは、なんだかんだで面倒見いいもんね」 「白崎先輩にも悪いことした」 「白崎さんは全く頓着してないと思うなぁ」 「でも……」 はっきりしない。 「でも千莉の悩みもわかるよ」 「佳奈は悩みなんてなさそうだけど」 「失礼な。こう見えて私も女子なんですからね」 「まだ胸大きくなるよ」 「そこじゃないから」 千莉が、くすりと笑う。 「悩み相談はどうしたっ、もういいのかっ」 「うん」 「佳奈に話してすっきりした」 「そっか」 一応、面目は保てたようだった。 「千莉ってさ、変な時多いけど……でも大丈夫だと思うよ」 「変……」 「いやほら、素直な感情の表れっていうか」 「けど、図書部の人はみんな千莉のその辺理解してると思うし、心配しなくていいと思う」 「そうかな」 「うんうん」 「佳奈は私のこと、どう思う?」 「私もいいと思うよ。千莉にはそのままでいてもらいたいな」 「そうなんだ」 「私は千莉のリアクション、大好物ですよ」 「あ、ありがと」 素直に照れる千莉に少し驚く。 何となく性格がつかめてきた。 表面はクールに見えるけど、裏では割と純粋な悩みを抱えている。 持ち上げると嬉しそうにしてるし、ひょっとしたら誰かに甘やかしてほしいのかもしれない。 ……。 さて、千莉の悩みも発散したことだし、こちらの問題は落着だ。 私には、もう一つ気になることがある。 「ね、ところでさ」 「なに?」 「千莉、最近筧さんと仲いいよね」 「そんなことないと思うけど」 「ごまかしても駄目ー。私の目は節穴じゃないよ?」 「あれは、筧先輩が勝手に気にかけてくれてるだけ」 「へ〜え」 なかなか困ったことを言う。 「だって、私は構ってくれなんて言ってない」 「ほほー、こりゃ嬉しいですねえ」 「別に嬉しくないから」 「じゃあ迷惑?」 「迷惑……ってことはないけど」 「じゃあ嬉しい?」 「嬉しくはない、かな」 「ほんと〜に〜?」 「佳奈、しつこい」 「はいはい。それじゃそういうことにしておきますか」 「変な勘ぐりはやめて」 千莉の反応で確信する。 どうやら脈があるようだ。 ちょっと頑張り時かもしれない。 「あの、佳奈」 千莉が、伏し目がちにこちらを見てくる。 「なに?」 「……今日はありがと」 「え、何が?」 「愚痴、聞いてくれたでしょ」 「嬉しかった」 ポソリと言って、千莉は視線を逸らした。 図らずも、きゅんと来てしまった。 数日後、再び『ラストノート』を訪れた。 前回、フロアの掃除を一人で片付けたので、御園リサイタルのチケットはお代済みだ。 隅っこの椅子に座り、本を片手に歌声を楽しむ。 最初はこっちを気にしていた御園も、すぐに歌に没入していった。 「……」 しかし、御園の歌は本当にすごい。 読書のBGMにしようと思っても、気がつけば意識が御園に向いている。 本能的に無視できない、とでも言うのだろうか。 抑制の利いた声から大きな音量へ、そして低い響きから一気に高音へ。 なめらかな音のシフトに、知らず知らず聞き惚れてしまう。 「……ふう」 歌い終わった御園が、ゆっくり息を整える。 「お疲れ様」 「今の、何ていう歌なんだ?」 「正式な名前はないんですが、ムゼッタのワルツって言われてます」 「『ラ・ボエーム』というオペラから、一部を抜粋した歌なんです」 へえ、だから名前がないのか。 「御園はオペラの歌手を目指してるのか?」 「オペラのアリアは練習にちょうどいいので」 「歴史があって比較対象も豊富ですから、自分の声をどう使えばいいか研究もしやすいんです」 「なるほどな」 専門知識ばかりで俺にはさっぱりだ。 今まで俺が見ていた御園は、彼女の一部に過ぎなかったのだと、今更ながらに気づく。 「前も思ったけど、やっぱり、すごくいい声だよ」 「本を読んでても、気がつくと歌に集中してるんだ」 「せっかくなら、もっと上手い人のを聞いた方がいいですよ」 照れ隠しをするように、手元の荷物を片付け始めた。 昨日、佳奈すけから電話があり、一つの作戦を授かった。 その名もアメとムチ、ただしアメ9割作戦。 御園は甘やかしてほしい願望があるんじゃないか、と佳奈すけは言っていた。 試しに褒めてみたところ、微妙だが照れているように見えた。 それなりに効果はあるようだ。 「歌う上で、何か気をつけてることはあるのか?」 「喉を痛めないことと、体調を崩さないことです」 「のど飴舐めるとか?」 「それもありますけど、基本は変な歌い方をしないことです」 「あとは普段の食事で、刺激的なものは食べないようにしています」 「主に辛い物ですね」 そういえば、日頃の食事でも御園は優しい味付けのものを食べている。 喉のことを考えていたのか。 「細かいところまで努力してるんだな、すごいよ」 「努力なんて、大した価値はないです」 「どうして?」 「ああいえ、努力が無意味ということじゃないです」 「歌手に必要なものは、音感やリズム感、抑揚をつける表現能力……色々あります」 「でも、最後に勝負を決めるのは声質なんです」 「声は声帯だけで決まるわけじゃありません」 「身長で声の高低が変わりますし、骨格や肉の付き方でも変わります」 「声楽では、この身体が一つの楽器なんです」 御園は自分のお腹に手を添える。 よく、天使の歌声だの何だの言うけど、あれは生まれつきのものだろう。 どんなに努力しても越えられないものがある世界だとしたら、大変だな。 いや、世界を目指そうとしたら、どんなジャンルでもそうか。 「御園楽器は、一級品なわけだ」 「ありがたいことに、そう言われますね」 「やっかみもありますけど」 御園が寂しそうに笑う。 「ん?」 御園が身体を揺らした拍子に、甲高い澄んだ音が響いた。 この音……どこかで聞いたような。 「何の音?」 「あ、これです」 御園が何かを取り出す。 「音叉か」 音叉は先が2つに分かれ、フォークのような形状をしているものだ。 音叉は音程を取るために使う道具で、通常ラの音で鳴るもの……と何かの本に書いてあった。 「ご存じでしたか」 「小さい頃、音楽の授業で見たことがあるよ」 それ以来、縁のない代物だったが。 「練習に使うんだな」 「ええ……まあ」 歯切れ悪く言って、音叉をポケットにしまう。 「ちょっとしたお守りみたいなものです」 「大事なものなんだな」 「そこそこです」 そう言いながら、御園はポケットを撫でた。 仕草から、音叉への思いが伝わってくる。 大事なものなのだ。 「あ、もう時間です」 「先輩のせいで、おしゃべりしてしまいました」 責める風でもなく、笑顔で御園が言う。 「悪かった。次は黙ってる」 「でも、どうせ話しかけてくるんですよね」 「いやいや、黙ってるさ」 「本当ですか?」 御園が、くすりと笑う。 「もちろん」 「さーて、掃除するか」 「あ、そうですね」 二人連れだって、掃除用ロッカーへ向かった。 放課後、部室には佳奈すけが一人でいた。 「お疲れ様です」 顔を上げずに言う佳奈すけ。 「他のみんなは?」 「桜庭さんたちは、ついさっき出て行っちゃいましたよ」 「肉体派の人たちと語らってくるって」 ご苦労様だ。 「御園は?」 「さあー、まだ来てませんけど」 「佳奈すけ、さっきから何見てるの?」 佳奈すけは一心不乱に何かを読みふけっていた。 「文芸部の書いた脚本です」 「おお、もう完成か」 「いえ、まだですよ。これはあらすじです」 「何本か書いてもらったので、確認してるところですね」 「だよな。週半ばに頼んでもうできてたら凄すぎる」 「さすがにそれは無理ですよー」 「あ、筧さんも読みます?」 「ああ、読み終わった分をこっちにくれ」 「了解です」 印刷された紙束を半分ほど受け取る。 「お疲れ様です」 読み始めると、御園がやってきた。 「いらっしゃーい」 「佳奈、ここお店じゃないから」 「細かいことは気にしないの」 「他の先輩たちは?」 「桜庭たちはついさっき出て行った」 「熱い肉弾戦をするんだってさ」 「意味がわからないです」 「佳奈すけがそう言ってたんだよ」 「……なるほど」 冷気をまとった視線を佳奈すけに送る御園。 「筧さん、名誉毀損ですよ」 「鈴木節を真似してみたんだ」 「マジですか。でも鈴木度ぜんぜん足りないですね」 駄目だしされた。 「筧先輩、何してるんですか」 「文芸部から脚本のあらすじが上がってきたんだ」 「よしっと、私読み終わりました」 残り半分を受け取る。 「どうだった?」 「んー、いくつかいいのがあったけどね」 「満足できなかったのか?」 あらすじを読みながら、佳奈すけに聞く。 「やっぱりあれですよねー」 「あれってどれ」 「千莉早い、ツッコミ早いからっ」 「あ、ごめん」 息が合ってないようで微妙に合ってるのが微笑ましい。 「えっと、せっかくのオリジナルなんだし、汐美学園のみんなが見て楽しいものがいいよねって思った」 「そうだね」 「だから舞台は汐美学園がいいと思うんだけど、どうかな」 「いいんじゃないか」 「えへへ、どもども」 佳奈すけがてれてれした。 「どんなお話にするの?」 「あらすじはいくつかあったけど、悲劇はちょっとなーって」 うんうんとうなずく御園。 「愛と友情の物語がいい」 「おーっ、千莉わかってる!」 「私もそれがいいなって思ってたんだ」 意見が一致したらしい。 あらすじは悲劇ものとコミカルなもの、メルヘンぽいものと、青春もの3本の、合わせて6本だった。 今の話から行くと青春ものが一番近いか。 「それなら、文芸部にあらすじを書いてもらう前に思惑を伝えておくべきだったな」 「そうなんです」 「考えてもらった後であれこれ言うのって失礼ですよね」 「でも、佳奈の狙いは悪くないと思う」 「そうだなあ」 一思案する。 「ま、正直に言うのが一番いいだろ」 「もらったあらすじを読んでたら、いいアイデアが出てきた」 「そう伝えて、もう一度考え直してもらう」 「やってくれますかね」 「こっちの熱意次第だろうな」 「6本もあらすじを用意してきたってことは、向こうも決めかねてるってことだ」 「こちらが自信を持って推せるものがあれば、傾くかもしれない」 駄目なら向こうの思惑通りに進めてもらうか、こちらで引き上げてやるしかなくなる。 「チャレンジしてみたいです」 「それなら、文芸部と話ができるようにこちらのアイデアをまとめてみよう」 「誠意がうまく伝わるような形で、ですね」 「ああ、そうだ」 「よし、いっちょやってみましょう」 佳奈すけが腕まくりをする。 「頑張ってねー」 対照的に、御園はひんやりしていた。 「うーん……だめだめ、だめですね」 佳奈すけが熱く唸っていた。 「テーマがありきたりで面白くないです」 「けど、あまり難しいと客が理解できないんじゃないか?」 「そうですけど……諦めきれないです」 理想的なあらすじとは、という話をし始めて既に3時間が経っていた。 「くう……すう……」 日は沈み、御園は机に突っ伏して寝息を立てていた。 「あはは……寝てるよ、この子」 「練習やら何やらで疲れてるんだろ」 「目の前には飢えた野獣がいるっていうのに無防備ですね」 「野獣って誰のことだよ」 「いやいや、私が野獣に見えますか?」 俺のことらしい。 「ほら見てくださいよ、あの柔らかそうなほっぺた」 「触ってみたくなりません?」 御園は片方の頬を晒しながら寝ていた。 わずかに紅潮した艶やかな肌が、いかにも男心をくすぐる。 「触りたくない、と言ったら嘘になるな」 「ほらほらー」 「でも触らない。俺、紳士だから」 「じゃあ私が触りますね」 佳奈すけはそっと手を伸ばし、御園のほっぺたを突っつく。 「ふぅん……ん……いやぁ……」 御園が色っぽい声をあげた。 「うは〜っ、か〜わ〜い〜い〜」 変態がいる。 「佳奈すけ、やめとけって」 「気持ちよさそうに寝てる人を見ると、鼻にこよりとか差し込みたくなりますよね」 「ならねえよ」 飢えた野獣は佳奈すけの方だった。 「んっ……」 がばり、と御園が身体を起こした。 「お、おはよう千莉」 「起きたか」 「あれ……寝てました?」 「もうぐっすりと」 「筧さんがほっぺたにキスしてたよ」 「えっ、な、なんで!?」 御園がうろたえ、机の足にすねを打った。 「いったあ……」 あーあ、弁慶の泣き所だ。 「一応言っとくと、俺はキスなんてしてないぞ。佳奈すけの嘘だから信じないように」 「ご、ごめんね。冗談だった……」 「……」 じっとりした視線を佳奈すけに向ける御園。 「すみませんすみません、ほんの出来心でしたっ、許してくださいっ」 「もう……痛いし眠いし」 御園は立ち上がり、ドアヘ向かう。 「どこ行くんだ?」 「眠気覚ましに、外の空気吸ってきます」 「あ、それなら飲み物買ってきてほしいんだけど」 「佳奈?」 「ひいっ、まだお怒りだった〜っ」 「冗談だから」 「適当にジュース買ってくる」 軽く笑って、御園は出ていった。 「……」 唖然として見送る。 「御園の冗談は全然わからんな」 「同感です」 しばらくドアを見守り、一息つく。 「ぼうっとしててもしょうがない。さっさと決めよう」 「ですね」 再び脚本の方向性について話し合う。 「汐美学園で繰り広げられる愛と友情の物語、じゃテーマが広すぎます」 「もう少し絞りたいですね」 「愛と友情ねえ」 「図書部のシンクタンクとして、なにか意見はないですか」 ふむ、頑張って期待に応えてみるか。 「友情と恋愛は一つの根から生えた二本の植物である。ただ後者は花を少しばかり多く持っているに過ぎない」 「何ですか、それ」 「クロプシュトックの言葉だよ」 「愛も友情も、人間に対する慈愛という意味で同根だってことかな」 「意味はわかりますけど、観念的で伝わりにくいです」 「もっと肉感的な感じがいいんですけど」 「エロティックなやつか」 「いや、肉欲じゃなくてですね」 「そういえば、筧さんって恋愛経験あるんですか?」 「全く参考にはならないね」 「あらら、そうなんですか」 「佳奈すけはどうなんだ?」 「同じくです」 「お互い寂しいな」 「いやまあ、私は寂しい子ですけどね」 「でも筧さんの場合、実は好きな子がいたりしませんか?」 「ほら、最近特に仲いい子がいるじゃないですか」 わふわふした顔で佳奈すけが突っ込んでくる。 まったく、女子はこれだから。 「別に御園とはなんでもない」 「でもでも、千莉のあの素っ気ない態度に隠されたかわいさ、筧さんならわかるはずですよ」 「たまーにきゅんとすること言いますし」 言いたいことはわかるけど。 あまりそこを攻められても困るので、ちょっと反撃しよう。 「それを言うなら、佳奈すけも十分かわいいと思う」 「え……?」 「佳奈すけにだって、隠されたかわいさがあるはずだ」 「あの、えっとぉ……私ですか?」 「たまに頭を撫でてやりたくなることがあるな」 「は、はあ……うーんと、その、なんですか」 「私ってうるさいですし千莉より平凡で……あ、胸は平凡以下ですし」 「そこがいいんじゃないか」 「まあ、私と筧さんなら相性はいいかもしれないですけど」 「どういう点で?」 「またまた、筧さんなら言わなくてもわかるでしょう」 「まあな」 佳奈すけも俺も、自分の内側を隠して生きている。 そこをわかり合った仲、ということだろう。 「……それじゃ、私と付き合ってみますか?」 「いいかもしれないな」 「え……筧さん、本気ですか」 「もちろん冗談だけどな」 「はあ……もう駄目ですよ、こういう冗談は」 「緊張して汗かいちゃったじゃないですか」 「ははは、悪い悪い」 「お願いしますよ〜」 よほど緊張したのか、佳奈すけの顔は紅潮していた。 「……ん?」 「あれ、誰かいるんですかね」 「……にゃ、にゃーご、にゃーご」 「猫ですか?」 「いや、今のはギザっぽくないぞ」 「ぶうふ、うぃん……なーくう……」 声が小さくなっていく。 「なんか食うって言いましたよね、今……」 「ギザだな」 窓が開いてなかったから行ってしまったのだろう。 一応窓の外とドアの向こうを確かめたが、誰もいなかった。 「ま、気のせいかな」 御園かと思ったが違ったようだ。 「っとと……」 御園が、3本のペットボトルを運ぶ。 鈴木と自分の分、そして筧の分だった。 表情からは窺えないが、彼女の心は浮き立っていた。 夜遅くまで、鈴木や筧と一緒にいられることが嬉しいのかもしれない。 やはり自分は図書部が好きなのだと、御園は再認識していた。 「こんなの、久しぶりかも」 この学園に来れば、きっと楽しいことがあると思っていた。 自分の仲間が見つかると思っていた。 ところが、期待はあっさりと裏切られた。 声楽専攻には仲間なんていなかったのだ。 でも……と、御園は両手のペットボトルの重みを確かめる。 思わぬところで、仲間と呼べるかもしれない人たちと出会うことができた。 きっとそれが嬉しいのだろう、と御園は自らを分析する。 「あ……」 部室の前まで来て立ち止まる。 両手がふさがっており、ドアを開けることができなかった。 ペットボトルを床に置いて開けようとすると、中から話し声が聞こえてきた。 「いやまあ、私は寂しい子ですけどね」 「でも筧さんの場合、実は好きな子がいたりしませんか?」 「ほら、最近特に仲いい子がいるじゃないですか」 御園は動けなくなった。 鈴木の嬉しそうな声を聞いて、身体が固まってしまう。 鈴木が言っているのは自分のことなのだ、疑う余地もなく察知する御園。 「別に御園とはなんでもない」 御園の心臓が、強く脈を打った。 息がつまる。 「でもでも、千莉のあの素っ気ない態度に隠されたかわいさ、筧さんならわかるはずですよ」 「たまーにきゅんとすること言いますし」 「それを言うなら、佳奈すけも十分かわいいと思う」 「え……?」 浅く息をつく御園。 筧の言葉が、胸の奥深くで重みを増していく。 「あれ、御園じゃない」 「……っ」 びっくりして、ペットボトルを取り落としそうになる。 小太刀が不思議そうな顔をして立っていた。 「え、えーと……?」 「あ、小太刀。小太刀、小太刀凪」 「あ、ああ、小太刀先輩」 御園の記憶の底から、急に小太刀凪という人間が立ち上がってきた。 羊飼いの特性により、記憶が薄れていたのだ。 「どうしたの?」 「いえ、何でもないです」 溢れてくる感情を押し殺し、答える。 「もう8時過ぎてるけど。今日もこんな時間までやってるんだ」 「ちょっと色々あって」 言葉が表層を抜けていく。 自分が何を言っているのかよくわからなくなる御園。 頭がぐるぐると回って、限界だった。 「あの……これあげます」 「へ?」 御園はペットボトルを小太刀に押しつけた。 「いや、あの、なに?」 「それじゃ」 御園は振り返らず、小走りに去っていった。 部室の前には小太刀が残された。 「はあ? なにこれ」 ミネラルウォーターとオレンジジュース、そしてお茶だった。 「……ん?」 「あれ、誰かいるんですかね」 「あー……そういうこと?」 小太刀には、何となく状況がわかった。 しかし、まずはこの場を凌がなくてはならなかった。 「……にゃ、にゃーご、にゃーご」 「猫ですか?」 「いや、今のはギザっぽくないぞ」 「(な、なんだってえ……!?)」 ディテールにこだわるなよな、と内心で愚痴る小太刀。 「ぶうふ、うぃん……なーくう……」 「なんか食うって言いましたよね、今……」 「ギザだな」 「はあ……」 デブ猫として認識させることに成功し、小太刀はほっと胸をなで下ろす。 そろそろと足を忍ばせて部室前から退避する。 「……つかさぁ」 「私、なんでこんなことしてるわけ……?」 ペットボトルを手に、小太刀は小首をかしげた。 「みんないるな」 休日出動の依頼をこなしたあと、桜庭が全員の注目を集めた。 「……」 御園はむっつりと黙り込んでいる。 なぜか機嫌が悪い。 あの日、買い出しに行ったはずの御園は何も持たずに戻ってきた。 おまけに、朝練もしていないようだ。 「今日は何をするの?」 「夏休みも近いし、一応予定を聞いておこうと思ったんだ」 「帰省する人もいるかもですしね」 「わたしは、お盆あたりに帰省すると思う」 「そうか……なら、私はお盆を避けて帰省しよう」 「まったく、帰ってこい帰ってこいって、うるさくてかなわない」 「いやいや、親の愛だぜ」 「俺なんか完全放置だもんね。顔も忘れそうだよ」 「同じく」 帰って来いと言われたこともない。 というより、今、親権を持っているのが誰かわからなかったりする。 「ま、俺はバイトを頑張るよ」 「筧さんは、自宅警備ですか?」 「ああ、がっちり警備する」 「読書で引き籠もるのは勝手だが、孤独死するなよ」 「私からメールがあったら、必ず返事をしてくれ」 「暑かったらクーラーつけてね。室内でも熱中症になるんだから」 「へいよ」 俺は年寄りか。 「千莉はどーするの?」 「夏休み明けに発表会があるから、ずっと練習」 「ずっとって、どのくらい練習するの?」 「週に3日」 「そこそこあるねえ」 「うん……」 ため息をついて沈黙してしまった。 「(御園の機嫌が悪いな。何かあったのか?)」 「(いや、よくわからん)」 何を怒っているんだか。 「そういえば、音楽科は夏休みにサマーコンクールがあるはずだ」 「御園は参加しないのか?」 「あ、それ去年もやってたよね」 「去年大賞を受賞した人って、今チャート1位のシンガーソングライターじゃなかった?」 「へー、そうなんですか。よく知ってますね」 「えへへ、わたしも一応流行とか勉強してますから」 胸を張る白崎。 たわわに実った胸がせり出した。 「俺、生まれ変わったらホックになりたいんだよね」 「すげえ輪廻プランだな」 「お、おい、白崎」 桜庭が、ノートで白崎の胸を隠した。 隣で、佳奈すけが胸を張っているが、こちらはスルーする。 「佳奈ちゃんは夏休みどうするの?」 「私も高峰さんと同じで、ずっとバイトですよ」 「夏休みも働くんだ。偉いね」 「悲しき運命のバイト戦士ですからね。ほぼ毎日シフトが入ってます」 「千莉も練習が終わったら寄っていいんだよー」 果敢に御園へ話題を振る佳奈すけ。 「夏休みもアプリオやってるの?」 「夏祭りがあるから、通常営業だって」 「ふうん」 「1年組はまだ経験してないんだな。あの狂乱の宴を」 「そんなにすごいんですか」 「夏祭りの最中は、ほぼ毎日どっかしらでイベントをやってるよ」 「去年は海岸でやってたビーチバレーが面白かったぞ。身体を張った素晴らしい試合だった」 「その後の、スイカ割り大会がまたすごかった」 「スイカを500個も使ったらしい」 「うわー、見てみたいですね」 砂浜の環境的には大丈夫なのだろうか。 「夏祭りは生徒たちの活動の場だ」 「となれば、当然私たちの出番ということになる」 「え、まさか」 桜庭が、紙の束をどすんと机に置いた。 「夏祭りの興行手伝い、イベント発案、ビラ配り、ヘルプ作業など、42件の依頼が来た」 「あはは、すごいね……」 さすがに白崎も苦笑している。 「明日の昼までに帰省やバイト、練習などで活動できない日をSNSに書き込んでおいてくれ」 「それ以外は全部図書部ですか……」 がっくりと〈項垂〉《うなだ》れる佳奈すけ。 「きちんと休みを確保するよう努力する」 白崎に目を向け、話を促す。 「学園を楽しくっていうのは、わたしたちも含めてだからね」 「依頼してくれた人には悪いけど、わたしたちが夏休みを楽しむ時間もちゃんと作るつもりだよ」 「お姉様……なんて話のわかる人……!」 佳奈すけが目を潤ませる。 本気で感動しているらしい。 「オフは全力で楽しんで、図書部の活動も全力で頑張る」 「みんなでいい夏休みにしていこう」 「うん、そうだね」 「はいっ」 「だな」 みんな、やる気十分だ。 「筧くん?」 「ああ、俺も頑張るぞ」 そう答えつつ、御園の方を見ると。 「はあ……」 また嘆息していた。 週明け、文芸部へ依頼した脚本ができあがった。 何でも、週末に突貫作業で仕上げてくれたらしい。 ありがたいことだ。 「……うん、いいですね!」 佳奈すけが脚本を読み終え、顔を上げる。 「いい出来だな」 図書部でまとめたあらすじの改善案を、文芸部に説明に行ったのが土曜日の午前。 イメージがビシリと固まったとかで、あっという間に脚本が完成した。 「佳奈すけ、お手柄だ」 「いえいえー、私は大したことしてませんから」 「すごいのは私じゃなくて文芸部ですよ」 「でも、佳奈すけも手伝ったんだろう」 佳奈すけは素晴らしい熱意を見せ、一人で文芸部に残って脚本の制作を手伝っていた。 「お話を考えるのが面白くて、つい熱中しちゃいました」 「最初はウザいかなー、と思ってたんですけど文芸部の方々も乗り気だったのでよかったです」 「その点は、佳奈すけに頼り切りだったな」 「いえいえ、楽しかったので全然OKですよ」 「でもそのうち奢ってくださいね」 「マジか」 全然OKとか言っておきながらそれはどうなんだ。 「まあでも頑張ったしな」 「どもども、頭撫でてください」 「いやそれはちょっと」 「……」 ふと、気になって御園を見ると。 私を放置しないように、というじっとりした視線を投げていた。 「あー……」 「御園、脚本はどうだった?」 「……まあ、いいんじゃないんですか」 わざわざ注意を引いておいてこの態度。 まだ不機嫌らしい。 「えーさて、図書部内の見解も一致したことですし」 佳奈すけも、御園の不機嫌を察知したらしく話題を切り替える。 「筧さん、演劇部の皆さんは何か言ってます?」 「まだ何も言ってきてないな」 「ただ芹沢さんには今朝のうちに渡してあるから、今頃読み終わってるんじゃないか」 「問題ないといいんですけど……」 「中途版では評判良かったし、大丈夫だろう」 「気になりますねえ」 佳奈すけは、落ち着きなくそわそわしている。 「それなら、芹沢さんのところに行ってみるか?」 「え、いいんですか?」 「脚本の感想が知りたいんだろう」 「はい、すっごく」 にっこりと笑う佳奈すけ。 「待っててくれ、今メールする」 携帯を取り出し、芹沢さんにメールを送る。 脚本の確認をしてもらえたか、感想を聞きに行ってもいいかと送る。 「まるで我が子って感じだな」 「いやー、最終稿でかなり化けましたからね」 「私の意見で入れ替えたシーンもありますし、評判は気になりますよ」 「佳奈すけの案が入ってこうなったなら大したもんだ」 「お話を書く才能があるんじゃないか?」 本読みだし、人の心情を読み解く才もあるし、素質はあるように思う。 「ふふ、そうだと嬉しいんですけどね」 「今度、物語でも書いてみれば?」 「そうですね。機会があればやってみます」 結構乗り気だった。 俺の携帯が鳴った。 「メールだ」 芹沢さんからだった。 「芹沢さん、『ぜひ来てください』だってよ」 「やった、じゃあ行きましょう、すぐ行きましょうっ」 「……」 御園はえー、と恨みがましい目でこちらを見る。 あまり行きたくなさそうだ。 しかし一人で置いて行くわけにもいかないだろう。 「ほら、御園も行くぞ」 「……はい」 不承不承、という感じで御園は立ち上がった。 演劇部に向かう途中。 「あ、そういえば筧さん」 「何だ?」 「脚本に書いてあったと思うんですけど、演出で最後に歌を入れたいんですよ」 「ああ、あったな。どうしようか」 「どうせですし、オリジナルソングとか入れたくないですか」 「でも、曲を作るのが難しいからってミュージカルから演劇になったんだろ」 「でも一曲だけですし、劇の内容と多少ずれても大丈夫なので何とかなるかなって思うんですけど」 そうかもしれない。 「芹沢さんに相談してみるか」 「やった、お願いします」 「文芸部の人からお願いされたてたんですよ」 「図書部には歌姫がいるんだから、ぜひ歌ってもらえたらって」 「歌い手は御園なのか?」 少し後ろを歩く御園を振り返る。 「嫌です」 一刀両断だった。 「千莉、そこを何とかお願いっ」 「どうして私なの?」 「文芸部の人がね、入学式で千莉が歌ってるの聞いて感動したんだって」 「んで、その時のイメージでシーンを作ったってことで」 「それは文芸部の人の勝手」 「ですよねー」 苦笑いを浮かべ、佳奈すけが引き下がる。 とばっちりか……。 自分の歌でインスピレーションを受けてシーンを作ってくれたなんて、すごい話に思えるけどな。 御園の気が変わったときのために、可能性だけは残しておきたいところだ。 「芹沢さんには、歌い手についても確認しとこう」 「そうですね」 「……」 御園はぷいと横を向いてしまった。 「(筧さん……)」 「(今は御園の機嫌が悪い。放っておこう)」 「(らじゃーです)」 アイコンタクトと口パクで意思を伝え合う。 まずは芹沢さんに相談だ。 演劇部の部室は、いつにも増して騒がしかった。 「すみません、みんなはしゃいじゃって」 「大丈夫だよ」 「脚本、ありがとうございました」 「どうだった?」 「あの通りですよ」 演劇部員たちは、脚本のコピーを手に、さっそく役の取り合いをしている。 既にノリノリで演技をしている生徒もいる。 「喜んでもらえたみたいだ」 「こんなに熱くさせてくれる脚本は、久しぶりです」 「本当に良かったです」 佳奈すけも、表情がやや紅潮している。 頑張って作ったもんな。 「……」 御園は相変わらずのポーカーフェイスだ。 「あの、図書部の方たちですかっ」 「あ、はい」 弾んだ声で演劇部員の女の子が近づいてくる。 「これ、すっごくいいですよっ」 「あ、ありがとうございますっ」 それは佳奈すけが考えた部分だ。 「脚本を作った人から、配役に対して何か要望はないんですか?」 「えっと、作者からの希望は脚本に書いてある通りですね」 「後は全面的にお任せします」 「そっかぁ……」 「あの、何か問題ありましたか?」 「いい役が多いから、みんな迷ってるんです」 「デザートビュッフェに行った時みたいな気分ですよ」 芹沢さんが笑顔で補足してくれる。 「10回近くは公演するし、配役はローテーションにしようかな……」 「……なるほど」 御園がぼそりと呟く。 「それなら、不公平感もないか」 「でも、一人何役もやれるなんて器用なんだな」 「そうですね」 「……班長、それはやめましょう」 が、演劇部員の女の子は否定的だった。 いつの間にか、他の部員も集まってきている。 「駄目ですか?」 「やっぱり、演技のクオリティが落ちますよ」 「だったら、配役は固定で、日によって役者を交代しようか?」 「残念な役者の回に当たったお客さんがガッカリするって」 「それに、『声優班はやっぱこの程度か』って思われちゃうしさー」 「だねぇ。今回は俳優班越えが目標じゃんか」 皆がうなずく。 「班長、オーディション形式にしませんか?」 「補欠は必要としても、メインは一番うまい人がやるべきです」 「でないと俳優班を見返すなんて無理です」 「イエスイエス。頑張って脚本を作ってくれた人たちに悪いもんね」 「イカした脚本には、全力でぶつかろうよ」 「……わかりました。みんながそれでいいなら」 「いい脚本ありがとね、図書部員さん」 「いえ……こちらこそありがとうございます」 「何か、ここまで盛り上がっていただいて恐縮です」 佳奈すけは深く頭を下げた。 ここまで脚本を大事に思ってくれたら、頑張って作った甲斐もあったというものだろう。 「……」 御園は、ほとんど無言だった。 寂しいような悲しいような目で、盛り上がる演劇部員を見つめている。 「あ、筧さん。脚本で気になったところがあるんですけど」 「ん? どこ?」 「最後にある、エンディングソングって何ですか?」 「ああ……それな……」 ちらと御園を見つつ、ざっと説明する。 例の、脚本の作者が、御園の歌にインスパイアされて入れたシーンだ。 「なるほど……つまり、御園さんが歌った曲が流れるのが一番ってわけですね?」 「そういうこと」 芹沢さんの表情に、いたずらっぽい色が浮かぶ。 何か企んでるな。 「でしたら、ぜひ御園さんにヴォーカルをお願いしたいですね」 「むしろそれが自然?」 「図書部は企画を依頼されただけですから」 「もちろん、新しい依頼ですよ」 「図書部の御園さんという方に、ヴォーカルを依頼したいんです」 芹沢さんがにっこりと笑った 「今回のミュージカルは声優班の出し物ですよね?」 「声優班の方が歌うのが筋ですし、歌が上手い方は沢山いらっしゃるはずです」 いつも言葉少なな御園が、珍しく正面から応じた。 「……さすがに無理だって」 「御園さんの代わりはちょっとねえ……」 「……」 「だって文芸部の人は、御園さんの歌に感動したんでしょ?」 「なら、御園さんに歌ってもらった方が舞台のクオリティも上がるよ」 「大体、歌じゃ御園さんには勝てるわけないし」 「どうして……」 「誰もやりたい人はいないんですか」 御園は驚いた様子を見せる。 「そりゃやりたいけどねぇ」 「御園さん、この学園にあなたの代わりを務められる人なんていないんです」 「私は演劇部員じゃありませんから」 「それを言うなら、脚本だって文芸部にお願いしてますし、照明も音響も衣装も外に頼んでます」 「エンディングソングのヴォーカルを、御園さんにお願いするのはおかしいですか?」 「でも、一番大きいのは、作者が御園さんの歌をイメージしていたってことです」 「私達は、可能な限り舞台のクオリティを高めたいんです、それはわかって下さい」 「……」 諦めずに食い下がる芹沢さんに、御園が沈黙する。 俺たちが真剣に図書部の活動に取り組んでいるように、彼女たちも真剣だった。 見てくれる人に、自分たちができる最高のものを届けたい。 その強い思いが伝わってきた。 「改めて依頼します」 「御園さん、この歌を歌ってくれませんか?」 演劇部の人間も、そろって頭を下げた。 「……すみませんけど」 そう告げると、御園は静かに立ち去った。 「あ、千莉っ」 慌てて佳奈すけが追いかける。 「佳奈すけ、御園を頼む」 「わかりました」 御園を追って佳奈すけも出て行った。 「……はあ」 それを目で追い、ため息をつく芹沢さん。 「なんか、ごめんな」 「いえ、まあ大体予想した通りでしたから」 予想していたのか。 ということは、芹沢さんは御園の性格をかなり把握してることになる。 関係がさらに気になってきた。 「脚本の作者のご指名と聞いたら、私達も捨て置けませんよ」 「本当なら、私だって歌いたいですよ?」 「だってほら、ここにいる人たちは、基本目立ちたがりですから」 部員達が笑う。 自分では御園に敵わないと認めるのは、それなりに苦しいだろう。 だが、いい舞台を作るために、その思いを引っ込めたのだ。 配役のローテーション案を否定したのも、同じ理由だった。 笑いながらも、彼女たちは真剣なのだ。 「お願いします、筧さん。もう一度頼んでみて下さい」 「私たちからもお願いします」 他の演劇部員も詰め寄ってくる。 「必ずいい舞台にしますので、ぜひお願いします」 「私からもお願いします」 しょうがないな。しょうがないな。「もう一度だけ掛け合ってみるよ」 「その言葉を待ってました!」 先週から不機嫌な御園の態度が気になる。 一度きちんと理由を聞かないとな。 それに、御園はこの仕事を受けた方がいい気がするのだ。 楽しく歌う方法を探していると言った御園。 みんなと何かを作り上げる経験は、もしかしたらプラスになるかもしれない。 「芹沢さんの熱意には負けた」 「もう一度だけ掛け合ってみよう」 「その言葉を待ってました!」 芹沢さんが微笑む。 実は、ここまで予想していたのかもしれないな。 「依頼って形だから、御園にも断る権利はあるけど、それはわかってくれよ?」 「一方的なお願いだっていうのはわかってます」 「でも、よろしくお願いします」 芹沢さんが頭を下げる。 そして、上目遣いに俺を見てきた。 「……ま、まあ、頑張るよ」 「はい、お願いします」 とびっきりのかわいい声で言われた。 これは、演技だとわかってても、来るな。 「あ、芹沢のこと、お持ち帰りでいいですよ」 「彼氏欲しいって言ってましたから」 「ちょっと、アンタたちっ!」 芹沢さんが吠えた。 「はい、テイクアウトワンでー」 「芹沢ー、おめでとー」 盛り上がる面々。 「あー、今日のお稽古は、手加減できなさそうだ……かわいそうに」 芹沢さんが、絶対零度の笑みを見せた。 「ただいま」 「あ、おかえりなさーい」 いつもの席で、御園がちょこんと会釈をした。 大人しく連行されたらしい。 「あっちは大丈夫でした?」 「問題ない。佳奈すけ、ありがとな」 「いえいえ」 「……」 微妙な沈黙が訪れる。 「あーそーだー」 「文芸部に行って、脚本オッケーだったよーって言ってこないとー」 「よろしく」 空気を読んだ佳奈すけが、さっさと部屋を出て行った。 「御園、やっぱり駄目か?」 「さっき言った通りです」 ぶっきらぼうに言って、椅子の上で膝を抱えた。 「あの人達の舞台は、あの人達で作った方がいいと思います」 「芹沢さんの言い分も、筋が通ってるように聞こえたけど」 脚本家が御園を指名しているなら、それを満たすことが舞台の質的向上に繋がるということだ。 「わかります、そのくらい」 「納得できないことがある?」 「……はあ、先輩は、きっとSですね」 膝に顎を乗せ、ぽつぽつと御園が話し始めた。 「私には、声優班の人たちの考えがわからなかったんです」 「いえ、わからないっていうか、すごいなって思いました」 「あんなにあっさり、舞台のクオリティのために役を諦められるなんて」 「歌のことだってそうです」 「とにかく、いい舞台を作りたいってことなんだろうなあ」 「割り切れるのがすごいです」 「あの人たち、どんな気持ちで活動に取り組んでるんでしょうか」 「わからんよ、俺には」 「答えは期待してませんから」 御園が小さく笑う。 いたずらっぽい、子猫のような笑顔だ。 「だから、私みたいな人間より、あの人達が歌った方がいいと思ったんです」 「迷ってる人間が歌っても、いいことないですから」 細い声で言って、小さく溜息をついた。 「演劇部の人たちがすごいって言うなら、試しに飛び込んでみたらどうだ?」 「迷いが解けるかもしれないぞ?」 「……」 「課外活動だと思って、えいやとやってみろって」 「芹沢さんに頼まれたんですね」 御園が、膝の上に額をつける。 「頼まれたよ」 「でも、依頼だから断ってもいいと思ってる」 「俺が、推すのは、御園のためになるかもって思ってるからだ」 「ためにならなかったら?」 御園が顔を上げる。 こちらを試すような、からかうような顔。 行ける気がする。 「……そういう日もある」 「無責任です」 「音楽の専門家じゃないんだ、的確なことなんか言えるか」 「ただ、音楽よりは、御園のことの方が若干詳しい自信がある」 「……だからまあ、推したわけだ」 「そう、ですか」 また、顔を伏せた。 「ふふ……ふふふ……」 伏せた顔の下から、笑い声が聞こえてきた。 「恥ずかしいこと言うんですね」 「ああ」 こういうリアクションを期待しなかったわけじゃない。 我ながら汚い。 「もし、私のためにならなかったらどうします?」 「そうだな……何か一つ言うこと聞くよ」 「楽しみにしてます」 そう言って、御園が顔を上げた。 「やってくれるって解釈でいい?」 御園がうなずく。 「よかった」 「せいぜい頑張ってみます」 「俺も、できることがあれば応援する。音楽わからんけどな」 「期待しないでおきます」 御園が微笑んだ。 こうしてみると、なかなか可愛いな。 いや、今更か。 「あ、一つ応援してもらえることがあります」 「ん?」 「肩、揉んで下さい」 「は?」 まじまじと見つめてしまった。 「……な、何ですか」 「もういいです、揉んでくれなくていいです」 「いやいやいや、やるから、やるやる」 立ち上がり、御園の背後に回る。 既に、例のパターンに入る予感がした。 「もういいです」 「任せてよ、俺、上手いから」 「いいです、やめて下さい」 「大丈夫、すぐよくなるって」 「ほら、ほら……こう、こう……」 御園の肩を揉む。 「んっ……」 「ストップ・ザ・不謹慎っ!」 どかんと佳奈すけが現れた。 「ずっと聞いてればなんですか、破廉恥きわまりない!」 「ずっと聞いてたのかよ」 「あ、いえ……」 視線を逸らした。 「肩を揉んでもらってただけだって」 「だめだめ、離れて」 どこから持ってきたのか、ぴぴーと笛を吹いた。 仕方ないので、元の席に戻る。 「それはそれとして、エンディングの歌、御園が歌ってくれるって」 「え? マジですか?」 佳奈すけが御園をガン見する。 「うん、まじ」 はにかみながら、うなずいた。 「千莉、頑張ってね」 「ありがと」 「いやー、ほんと良かったです」 「このままだと、卒業するまで千莉の歌が聴けないんじゃないかって思ってたんですよ」 言われてみれば、割とありそうな話だ。 俺は『ラストノート』で聴いたけど。 「で、筧さん、どうやって千莉を口説いたんですか?」 「お前の想像よりは健全なやり方だ」 「相談に乗ってもらっただけ」 「ふーん、いーですけどね」 佳奈すけが口を尖らせた。 「あ、そうそう」 いきなり表情を変える。 忙しい奴だ。 「エンディングの歌ですけど、作曲家が決まりました」 「手が早い人で、サクサク作ってくれるってさ」 「そりゃよかった」 「曲が完成したらすぐ連絡するからね」 「いやー、楽しみになって来ましたよ」 にこにこ顔の佳奈すけが、御園の肩を揉み始める。 「ちょっと、やめてよ」 「いやいやいや、先生には頑張ってもらわないと」 何はともあれ、御園が依頼を受けてくれて安心した。 よい方に転べばいいんだが。 高峰から昼食に誘われ、アプリオまで出てきた。 一応佳奈すけの姿を探してみたがいないようだった。 「そういや、そっちの方は何か進展あった?」 「そっちの方って?」 炭火焼き地鶏定食を食べつつ、高峰に返す。 「ほら、演劇部のやつ」 ああ、図書部の依頼のことか。 「もう脚本が上がって、声優班は練習に入っている」 「それは桜庭から聞いたな」 「あと昨日の夜、エンディング曲が届いた」 「届いたって、もうできたのかよ。頼んだのってつい最近じゃなかったか?」 「御園がヴォーカルやるって聞いて、作曲の人が発奮したんだと」 「えらい張り切ってんな」 佳奈すけ曰く、夏祭りまであまり間がないので急ぎでお願いします、と伝えたらしい。 だが、ここまで早くできるものだとは思わなかった。 「御園に歌ってもらって不都合があれば調整する、って言ってたから仮組みみたいな状態じゃないか」 「歌に仮組みとかあるのかよ」 「さあ、わからんね」 歌には俺もそこまで詳しくない。 「そっちはどうなんだ?」 「もー大変よ。途中で桜庭がブチ切れて、くんずほぐれつの大乱闘」 「つぐみちゃんはおいおい泣き出すし」 「おい」 どんなことになっているんだ。 「そこに俺が颯爽と登場して、万事解決ってわけよ」 「話盛りすぎだろ」 「いやいや、今回の高峰さんはかなり格好いいよ?」 「きっと筧も男惚れするに違いない」 「そいつは楽しみだな」 せいぜい期待しておくことにしよう。 「おっと」 ポケットの中で携帯が震えた。 メールの着信で、差出人は御園だった。 「誰よ」 「御園」 「ラブレターか」 「携帯で告白は冴えないな」 適当に答えながら、本文を確認する。 「『最近、筧先輩が顔を出してくれないので練習がはかどってます。嬉しいです。』」 そういえば、あれから御園の練習を見に行ってないな。 もしかしたら寂しがってるのかもしれない。 「『エンディングの歌が届いたので今朝練習したのですが、うまくいかないところがあります。』」 「『これも筧先輩のお陰です。』」 早速、エンディング曲の練習を始めたようだ。 熱心で実に好ましいが、うまくいかないのは俺のせいじゃないはずだ。 「『筧先輩、よかったら相談に乗ってくれませんか?』」 「『来てくれたら特別にエンディング曲を聞く権利を差し上げます。』」 「『嘘です。あげません。』」 「何なんだ……?」 全体的におかしなメールだった。 文章のあちこちに、フリらしきものが隠されている。 構ってほしい、のだろうか。 「千莉ちゃんに罵られでもしたか?」 「そんな感じだ」 うまく表現できないので適当に答える。 「筧、それは我々の世界ではご褒美だ。ありがたく頂戴しろ」 「お前、立派な坊さんになれるよ」 返信を打とうとして、ふと考える。 うまく歌えないから相談に乗ってほしいとあるが、俺に乗れるような相談だろうか。 歌の知識なんてからっきしだ。 少し考えて、返信を打ち始める。 『練習、頑張ってるみたいだな。頭が下がるよ。』 『昼食を取り終わったら音楽棟に行くってことでいいか?』 『それはそれとして、うまく歌えない件は俺じゃなくて先生に相談してみた方がいいぞ。』 送信ボタンを押す。 「ふう……」 「悟りに達したか」 俺のため息に反応する高峰。 「俺には無理だ」 「知ってるか、仏性は誰にでも宿ってるらしいぜ」 「御園に成仏させられるかも」 「なんて羨ましい」 なんてアホな会話をしつつ、2人で箸を動かす。 携帯が震えた。 「また千莉ちゃんか」 「多分な」 「次は大好きだー、とか送ってみろよ。きっとうまくいくぜ」 「いくわけがない」 適当に受け流し、ディスプレイを見つめる。 「『ありがとうございます。音楽棟で待ってます。』」 「『でも、先生に相談はできません。授業と関係のない個人的なことは頼めません。』」 「『自分で頑張ってみます。あと筧先輩はお世辞を言わないでください。』」 俺、お世辞なんて言ったか? さっそく返信を打つ。 『それなら、どうして先生はデモテープを出してくれたんだ?』 『御園にはどんな形であれ、前向きにやってほしいと思っているんじゃないかな。』 『御園がやる気を見せればきっと応えてくれるよ。相談してみたら』 送信した。 「大好きだって打ったか?」 「打つか、馬鹿」 大惨事になる。 音楽棟にやってきた。 御園が壁に背を預けて立っている。 「よう」 「来てくれましたか」 「そりゃ来るだろ、約束したんだから」 「ああ、ですね」 御園がかすかに笑う。 機嫌はいいようだ。 「何かいいことがあったの?」 「先輩が言った通り、先生に話してみたんです」 「そうしたら授業時間を使って丁寧に教えてくれました」 御園の手にはCDがあった。 おそらく例のエンディング曲が入ったものだろう。 「相談したんだ」 「筧先輩がどうしてもって言うから、仕方なくですけど」 「はい、照れ隠し入りました」 「佳奈の真似はやめてください」 「いらっとします」 「似てた?」 「はい、似てました」 くすっと笑う御園。 「ともかく、ありがとうございました」 「お陰でうまく歌えるようになったと思います」 「先生はなんて言ってた?」 「大体は筧先輩の言った通りでした」 「どんな歌でもいい、これと決めて前向きになったことは評価できる」 「この歌なら、自分が世界で一番うまく歌える人間なんだと思えるよう頑張りなさい、って言われました」 「世界で一番か」 言うことのスケールが違うな。 「今までは歌いたいと思った人が好きに歌えばいい、うまいとかヘタとかどうでもよくて、その人なりに精いっぱい歌えばそれでいいって思ってたんです」 御園はCDを見つめる。 「でも、これは私が歌うために作ってくれた歌ですから」 「私が誰よりもうまく歌えないとだめですよね」 「ああ、そうだな」 御園は気付いているだろうか。 自分が、あの時の演劇部員たちと変わらない気持ちでいることに。 「……」 ここまで来れば、あとは御園一人でも頑張れるだろう。 今の御園の姿を見れば教師も御園を見直し、図書部の悪評は自然と立ち消える。 俺のやるべきことは、これで終わりだ。 「御園、これからも頑張れよ」 「ありがとうございます」 「何かあったら、また先輩に相談していいですか?」 「俺がいないと駄目か?」 「駄目だと思います?」 「はは、だよな」 御園が珍しく苦笑する。 「でも、いてほしいです」 「筧先輩が嫌でなければ」 俺は嫌だったのだろうか。 面倒事から解放されて嬉しいのだろうか。 御園と離れられて、それで俺は本当に満足なのだろうか。 図書部に残ると決めた時。 俺は、未知の自分と向き合おうと思った。 だったら――この後ろ髪を引かれるような感情とも、向き合う必要があるだろう。 「嫌なわけないだろ」 「御園の色々な姿を見られて楽しかったしな。できればもっと見ていたいと思うよ」 「な、なに急に変なこと言ってるんですか」 「本心だよ」 「はいはい……っとと」 御園の手からCDが滑り落ちそうになり、慌てて掴む。 「もう、危ないじゃないですか」 「しっかり持ってろよ」 「汗で滑ったんです」 「筧先輩、もっと涼しいところに行きませんか?」 「どこに行くんだ?」 「空きのレッスン室です。クーラーが効いてて涼しいですよ」 御園が角の教室を指す。 「いいけど、涼むなら部室でも」 「メールで送ったじゃないですか。エンディング曲を聞いてもらおうかなって」 「ああ、そうだった」 「聞きたくないならいいですけど」 「いやいや、ぜひ聞きたいよ」 俺は御園と一緒に、空き教室へと向かった。 御園の練習に付き合った後。 帰る前に部室へ寄りたいと御園が言い出したので、付き合うことにした。 御園を部室に向かわせ、俺は買い出しに来た。 「……すごかったな」 空き教室を使って、御園は俺だけのために歌ってくれた。 歌姫の歌声を独り占め、という贅沢な時間だった。 今までCDで歌を聞くことはあったが、生歌はそれとはまるで違っていた。 間近で御園の声を聞いていると、まるで空気の震えを感じ取っているかのように肌が痺れた。 「……よす」 「小太刀か」 図書館の前まで戻ってくると、小太刀と出会った。 「覚えててくれたんだ」 「忘れるわけないだろ……って、そうでもないのか」 「私の場合はね」 小太刀は小さく笑う。 「何してんの?」 「買い出しして、今から部室に戻るとこだ」 ビニール袋を持ち上げ、小太刀に見せた。 「部室に誰かいるの?」 「そのはずだけど」 「やけに静かだから誰もいないと思ってた」 「いつも騒がしくて悪かったな」 「ま、委員長も何も言ってこないし、いいんじゃないの?」 頭が痛い。 「で、最近どう?」 「ん、何が?」 「いやほらー、そろそろ筧くんも身を固めるお年頃じゃない」 「近所のおばさんか」 「恥ずかしがらなくてもいいでしょ?」 「ちょっと言ってみてよ、お目当ては誰?」 「特にいない」 すっと小太刀の眼が細くなる。 「んー、そうかなー? つい最近、ときめいたことがあるんじゃないの?」 小太刀は羊飼いだ。 もし、何らかの力で、俺の行動を変えているのだとしたら……。 「まさかとは思うけど、俺を誘導しようとか思ってないよな?」 「あー、それはない」 「羊飼いの仕事とは関係なしに、応援してるよ?」 「はあ、そらどうも」 「小太刀は、前からこういう話好きだよな」 「そりゃまー、年頃の乙女ですから」 「へえ」 「何よ、なんか文句あるの?」 小太刀が腰に手を当てた。 「ま、小太刀も頑張れよ」 「何よその上から目線」 「言われなくたって、頑張りますから。はいはい、頑張りますよ」 「んじゃーね」 乱暴に言って、小太刀は去って行った。 カウンターを通り過ぎ、部室へと向かう。 小太刀の言った通り、部室はしんと静まりかえっていた。 「御園、帰ったのかな」 中に誰かいれば、人の気配くらいするものだが。 「おっと」 部室には御園がいた。 だが、他の部員は姿が見えない。 御園は一人、椅子に座って机に突っ伏していた。 「すう……すう……」 「なんだ、寝てたのか」 ビニール袋を机の上に置いたが起きる様子はない。 知らないやつが入ってきたらどうするんだか。 疲れているのだろうが、それにしても不用心だな。 「くう……んん……」 御園の隣に座る。 「おい、御園。起きろよ」 「……んん、くう……すう……」 声をかけても、まるで起きる気配がない。 熟睡しているようだった。 できれば寝かせておきたいところだが、放置して帰るわけにはいかない。 「困ったもんだ」 ふと、御園の柔らかそうな頬が目に入る。 前に寝てた時は、佳奈すけが突っついていたっけか。 「おーい御園ー」 「起きないとほっぺた触っちゃうぞー」 「すう……すう……」 全く起きる気配はない。 ふむ、それなら……仕方ないな。 「本当に触っちゃうからなー」 指を伸ばして、御園のほっぺたを触ってみる。 「ふぁ……んんっ、うぅん……」 ぞくっとするほど艶っぽい声を出す御園。 「……」 御園の頬はとても柔らかく、肌もすべすべで癖になりそうな感触だった。 「おーい、御園ー」 再び御園の頬に触れる。 おお、柔らかい。 「ん……ふふっ、んんん……くすぐったい……」 悪いことだとわかっていてもやめられない。 「ふぁ……んっ……んん?」 ぱち、と御園の瞳が開いて目があった。 「あ」 「ほぁ……え、と……?」 手を引こうとしたのだが、ばっちり目が合ってしまったため動けなくなってしまった。 「え……あの」 「ええ……!?」 御園が飛び上がり、体勢を崩して倒れそうになる。 「あぶなっ」 「あ……」 手を伸ばし、身体をすくい上げるようにして支える。 そのせいで御園を抱きかかえるような格好になってしまった。 「その……悪い」 眼前すぐのところに御園の顔があった。 女の子特有の、優しく甘い香りが鼻腔をくすぐる。 「……」 御園はじっと俺を見つめ、何も言わない。 「御園?」 「……センパイ」 小さく囁き、御園は目を閉じてしまった。 「え……?」 いや、さ。 どうすればいいんだ、これは。 「おい、御園」 「……」 御園は息を詰め、眠ったように目をつむったまま動かない。 これは……キスをしろということなのか? だが、俺はまだ自分が御園にキスをする資格があるのかどうかよくわからなかった。 「御園、俺は……」 「……」 御園が目を開ける。 じっと俺を見つめて、首をかしげる。 「……ふふっ」 御園がくすりと笑う。 「なんだ?」 「筧先輩でも焦ったりするんですね」 「まあ、そりゃそうさ」 俺だって真っ当な男子生徒だ。 「じゃあ、今日はこれで許してあげます」 「んっ……?」 御園が俺の唇に人差し指を当ててきた。 その指を自分の唇に押し当て、いたずらっぽく微笑む。 「え、今のって……」 「さあ、何でしょうね?」 御園は俺が回した手を解いて、ちょんと離れた。 「……」 何を言ったらいいかわからなかった。 「すみません、待ってる間に寝ちゃいました」 「いや、別にいいけどな」 「佳奈にメールしたら、今日はみんな先に帰ったって言ってました」 「そっか」 「筧先輩、私たちも帰りましょうか」 「そうだな」 先ほどのことが頭の中でぐるぐると回って返事どころじゃなかった。 ほとんど自動応答に近い。 「センパイ」 「ん?」 「今日は練習に付き合ってくれて嬉しかったです」 「またお願いしていいですか?」 「ああ、もちろん」 「ありがとうございます」 御園が、綺麗な瞳を細めて笑った。 週末の日曜日。 御園から夏祭りの案内をしてほしいと言われ、灼熱の太陽の下、駅前で待ち合わせをした。 「あ、先輩」 「今日は暑いな」 御園が、目を細めて抜けるような空を見上げる。 あまりの陽射しの強さに、御園ごと蒸発してしまいそうだ。 「御園は暑いの平気な方?」 「寒いよりは暑い方が好きです」 「先輩は?」 「寒い方がいいな」 「もやしですね」 「オブラートに包んでくれよ」 「今日の暑さで溶けたのかもしれないけど」 「あれ、気にしてたんですか?」 御園がくすくすと笑う。 「ご機嫌で何より」 「せっかくの夏祭りですからね」 「でも、他のメンバーは呼ばなくてよかったのか」 「桜庭先輩たちは応援抗争が忙しいみたいですし」 昨日桜庭から報告を受けたが、応援団とチア部の抗争はまだ継続しているらしかった。 応援団の団長が、恋人であるチア部のリーダーの意見によってコロコロ主張を変えるのが問題みたいだ。 「佳奈すけは?」 「……さ、行きましょう」 露骨にごまかした。 先に歩き出した御園を追って海辺へ向かう。 「昨日のレコーディングはどうだった?」 「そこそこです」 控えめな表現ながらも、御園の笑顔は満足そうだった。 きっといい出来なのだろう。 収録が片付いたなら、演劇部声優班の依頼はほぼ終わりだ。 「あとは完成した曲を届けるだけだな」 「マスタリングに少しかかるみたいで、完成は数日後だってことです」 「りょーかい。後で佳奈すけに連絡しておくよ」 「いえ、私が伝えておきました」 「おお、ありがとう」 手際がいいな。 積極的に取り組んでくれてるみたいだ。 「どうだった、やってみて」 御園が数秒考える。 「少し、見えたような気がします」 「誰かに頼まれて歌うのって、なんだか新しい感じです」 「今までは、依頼といっても強制みたいなものばかりでしたから」 「なんかいい感じじゃないか」 御園が微笑み返してくれる。 どうやら、演劇部の仕事を受けてもらったのは正解だったようだ。 今までになく、御園が前向きになってきている。 このままの勢いで『楽しく歌う方法』ってのを、見つけてくれるといいんだが。 「ところで、今日は何が見たいんだ?」 「ビーチバレーです」 「ああ、高峰が言ってたやつか」 「そういうの興味があるんだ」 「そこそこです」 よくわからない返答だった。 ……まあ、わかっているけど一応確認しとくか。 「なあ御園、これってデートだよな?」 「な、なに言ってるんですか」 「これは先輩に夏祭りを案内させる遊びなんです」 「俺、遊ばれてたのか」 「いえ……とにかくデートではないです」 「オリエンテーションということにしとこうか」 「はい、それでお願いします」 落としどころを提示すると、御園は飛びついてきた。 ま、これはこれでいいか。 「わあ……」 一面に広がる眺望に御園が感嘆の声を上げた。 浜辺では多くの生徒たちが思い思いに遊び、身体を焼き、ナンパをしている。 「水着は持ってきた?」 「一応持ってきました……」 「じゃ、着替えよう」 「え……」 「嫌?」 「恥ずかしいです」 「いや、でも周りはみんな水着だし」 生徒たちのほとんどは水着で闊歩している。 服を着ている方が目立つくらいだ。 「先輩、いやらしいですから」 「大丈夫、少ししか見ない」 「少しは見るんですか」 「じゃあ全く見ない」 「傷つきます」 「どうしろって言うんだ」 「冗談です。それじゃ着替えてきます」 御園はくすりと笑って海の家に向かっていった。 「……お待たせしました」 水着姿の御園が姿を現した。 「……」 体型はスレンダーで、肌は目が覚めるほどに白く眩しい。 日焼け止めのCMに出られそうなほどだ。 「先輩、何か言って下さい」 「そ、そうだな……」 「ビキニって名前の由来だけど……」 「そんなことじゃないです」 「……馬鹿じゃないですか」 御園が拗ねた。 「水着、似合ってるよ」 「適当すぎです」 冷たく言って、御園がそっぽを向く。 しかし、その横顔は少し赤い。 「そう、そうです。ビーチバレーを見に行きましょう」 「12時と15時から開始するらしいです」 御園が話を逸らした。 「あと15分で12時か」 ざっと見回すと、バレーのネットを設置している一角が見えた。 「あれか」 「みたいですね」 「……12時より、当海水浴場の特設会場にてビーチバレー部によるスペシャルマッチが開催されます」 「皆様お誘い合わせの上、ぜひご観覧ください」 放送を合図に、会場の傍へわらわらと人が集まり始める。 「先輩、行きましょう」 「早く行かないと、いい席がなくなります」 御園がうずうずしている。 『そこそこ』なんて言っていたが、実は楽しみにしていたようだ。 「スポーツ観戦なんて久しぶりだ」 「はい?」 「いや何でもない」 「先輩、早く」 焦れた御園に手を引かれた。 御園の手は、しっとりと柔らかかった。 バレー観戦も終わり、俺たちはパラソルとシートを借りて休憩することにした。 「いやぁ、盛り上がったな」 「想像以上でした」 「まさか、あそこから逆転するなんて」 興奮気味に御園が言う。 一番予想以上だったのは、御園の盛り上がりっぷりだ。 点が動く度に、小さくガッツポーズをしたり、溜息を漏らしたりする。 周囲の観客から見れば控えめだが、御園的にはハイテンションだったと言っていい。 「ああ、ホントに驚いたよ」 「まさか、顎に来るとはな」 「……すみません」 逆転の瞬間、御園が繰り出した拳は見事に俺の顎を捉えた。 見事なアッパーだった。 完全に星が見えてたしな……。 「御園は、運動得意な方?」 「普通です」 「筧先輩は苦手ですよね?」 「読書なんかは得意だぞ」 「いつも左手で本を持ってるから、左腕は右の2倍くらい太いしな」 「いえ、そんな格闘漫画みたいな設定はいらないです」 「というか、読書はスポーツじゃないです」 溜息をつく御園。 実際のところ、俺の運動神経は中の中〜下だ。 一番ネタにならないエリアである。 「お互いインドアですね」 「だなあ」 二人で、ぼんやりと海を眺める。 「どうだ? せっかくだし、ちょっと泳いでみないか」 「泳げるんですか?」 「泳げるわ! 図書部員をナメすぎだ」 「なら、競争してみますか」 ミネラルウォーターを手に御園が立ち上がる。 どーせ私が勝ちますから、という顔だ。 「……ぁ」 御園の身体から力が抜けた。 「おいっ」 膝から崩れる御園を支える。 「大丈夫か?」 「すみません……急に立ったら……」 立ちくらみか。 ならよかった。 「立てるか」 「ん……と……」 御園が身体を動かそうとする。 しかし、小さく首を振るのがせいぜいだった。 普通の立ちくらみなら、1分もすれば動けるようになるだろう。 体調の面ではあまり心配ない。 「……」 しかし困ったな。 どうして水着が脱げかかってるんだろう? 受け止めた時に、指でもかかってしまったのだろうか。 指摘すればもう一発アッパーをもらえそうだし、かといって指摘しないのも不誠実だ。 やっぱり、きちんと指摘しておこう。 「みそ……」 「すみません、ご迷惑をおかけして」 「い、いや、俺はいいんだが」 胸元から目を逸らす。 水着のことを言いだすタイミングを失った。 「もしかして、いやらしいこと考えてますか?」 「まさか」 「でも、目が笑ってません」 「ドキドキもんなんでな」 「ろ、露骨ですよ」 「すまん、緊張して」 「せ、先輩……」 御園が恥ずかしそうに視線を逸らす。 「あ、あの、私……もう大丈夫です」 御園が立ち上がろうとする。 このまま立ち上がったらまずい。 周囲の人の視線にさらされてしまう。 「ちょっとまった」 「はい?」 「冷静に聞いてほしいんだが」 「……はい」 御園と見つめ合う。 「水着が脱げそうなんだ」 「……え?」 「水着が……」 本日2度目のアッパーをもらった。 「死んでください」 「すまん」 とはいえ、社会的には死んでいた。 水着脱げかけの女の子にアッパーをもらっている男など、どう見ても変態だ。 「先輩のせいで注目の的になったんですが」 「悪かった」 ともかく、謝るしかなかった。 「はやく指摘しときゃよかった」 「そういうことじゃないです」 ぷいと目を逸らす。 「……あんな風に言われたら、勘違いするじゃないですか」 「……」 ああ、そっちか。 「すまん」 「……」 御園が俺を見る。 「……別にいいですけど」 一段と不機嫌そうに目を逸らした。 「その代わり、この後、買い物に付き合ってください」 「俺と?」 「そうです」 そんなことでいいのか。 「おやすいご用だ」 二つ返事で申し出を受けた。 「……あれ?」 バイトに向かう途中。 高峰は、商店街で見知った人影を見つけた。 鈴木だ。 「何やってんのかね」 鈴木は、なぜか道の端に身を潜めていた。 何かを監視しているような雰囲気だ。 鈴木の視線を追っていくと、前方に2人組の姿があった。 筧と御園が並んで歩いている。 「ああ、そういうこと」 青春やね、と肩をすくめる高峰。 見なかったことにしておくべきか、それとも……。 「……」 鈴木の側面に回り、さりげなく表情を確認する。 「佳奈すけも大概だからなあ」 これも何かの思し召しだと思うことにしよう、と決める高峰。 「……よう」 高峰は鈴木に近づき、ぽんと肩を叩いた。 「おわっほう!?」 「えっ、ええ……あ、た、高峰さん?」 「なにしてんの?」 「いえ、んーと、人間観察ですかね」 「……もしかして、暇?」 「ほっといてください」 「……あ、すみません、急いでるんです」 「2人を見失っちゃうもんな」 「……見てたんですね」 去りかけた鈴木が高峰の方を振り向く。 「まあね」 「おっと、2人が動いたぞ。佳奈すけ、行こうぜ」 「あ、はい……ていうか、何で高峰さんと一緒に行動しないといけないんですか」 そう言いながらも、鈴木は高峰についていく。 「まあまあ、寂しい者同士、仲良くしようぜ」 「私は別に寂しくないですよ?」 「いやほら、呉越同舟って言うだろ」 「意味違いますから」 「俺も筧狙いだぜ?」 「はあ。なら私達はライバルじゃないですね」 鈴木がさらりとかわす。 筧と御園は何かを話し合った後、小さめの雑貨屋に入っていった。 「筧のやつめ、俺に黙って千莉ちゃんとデートか」 少し離れたところで、店内の様子を窺う。 「本当にデートなんですかね」 「ぱっと見はそうだな」 「まあ、ですよね」 鈴木が曖昧に笑う。 それを見た高峰が、眉をぴくりと上げた。 「デートじゃない方が良かった?」 鈴木が高峰の割と真面目な顔を一瞥する。 「言ってる意味がわかりませんね」 「ま、ならいいや」 鈴木が乗ってこないと判断し、高峰は話題を流す。 高峰の見立てによれば、鈴木は助けが必要なら自分からシグナルを出す。 乗ってこないということは、放っておいてくれということだった。 「おっと、やべえ。バイトの時間だ」 「ご苦労様です」 「おう、そんじゃまたな」 応援は心の中だけにして、高峰はまっすぐバイト先を目指した。 「……ふう」 こぢんまりとした雑貨屋から出て、外の空気を吸う。 可愛いもの系の小物が並んだ店内は、端から端まで女子テイストで満たされていた。 居たたまれないので、御園に断って先に出てきた。 「あら、あなた……筧くん、だったかしら?」 「はい?」 女性から名を呼ばれた。 どこかで会ったことのある顔だった。 「ああ、たしか御園の先生……」 「そうよ。覚えててくれたのね」 御園を担当している、音楽科の教師だった。 会うのは路電で一悶着を起こして以来だ。 「前回は……ごめんなさいね。取り乱してしまって」 「私も大人げなかったと反省してます」 「いえ、気にしていませんよ」 「御園も今はわかっていると思います」 実際に御園がどう思っているかはわからなかったが、この場はそう言っておく。 「それならいいんだけど」 苦笑する教師。 何か言いたげな表情だ。 「それで先生、俺にどんなご用でしょうか」 「あ、ごめんなさい。いきなりで驚かせちゃったわね」 「ただお礼が言いたかっただけなの」 「お礼?」 「最近、御園さんはすごくやる気を出して歌の練習に取り組んでくれているわ」 「あなたたちが、御園さんのために協力してくれたんでしょう?」 「特に何もしてませんよ。頑張ってるのは御園です」 「ふふ、謙遜するのね」 「あなたの姿を何度も音楽棟で見かけているわよ」 「芹沢さんからも、特に筧くんが色々よくしてくれているって聞いたわ」 芹沢さんもまた余計なことを……。 「図書部が御園の才能を潰そうとしてるって噂があったんですよ」 「放っておくのもアレかなってことで」 「そうなの」 「でも、これで変な噂もなくなるんじゃないかしら?」 「だといいんですけど」 「……お待たせしました」 雑貨屋の前に、御園が怖い顔をして立っていた。 「あら、御園さんもいたのね」 「こんにちは」 御園は頭を下げる。 「二人の邪魔をしても悪いから、私はこれで」 「御園さん、頑張ってね」 「……」 去っていく教師に、御園は無言で頭を下げた。 「さて、これからどうする?」 「……そうですね」 「まずは説明してください」 「何を?」 「今のはどういうことですか」 ……先ほどの話を聞いていたらしい。 表情が固かったので、そうじゃないかとは思っていた。 「みんな、噂のために動いてたんですか?」 「いや、お節介をしてたのは俺だけだ」 図書部のみんなが荷担していたことにするのはまずい。 そうなれば、御園は図書部そのものへの信頼をなくしてしまう。 「御園の悪い噂が気になって、俺が独断で色々始めたんだ」 「……そうですか」 「つまり私にアドバイスしてくれたのも、練習に付き合ってくれたのも、全部噂をどうにかするためだったんですね」 「半分はそうだ」 「おかしいと思ってました」 「なぜ筧先輩が私の面倒を見てくれるのか不思議だったんです」 御園の放つ冷気がどんどん勢いを増していく。 「騙すつもりはなかった。御園のためになればと思ったんだ」 「ありがとうございます。お陰様でもう大丈夫です」 「これで私から解放されます。よかったですね」 「待てよ、俺は……」 「もう帰ります」 「今日はありがとうございました」 俺の言葉を遮り、御園は頭を下げる。 「さよなら、先輩」 二日後、いつも通りのメンバーが集まった。 あの後、御園にメールを送ったが返事はなく、互いに忙しく顔を会わせる機会もないままだった。 「……ということで、報告は以上だ」 桜庭が仕切り、定例報告が終わる。 「各人、何か聞きたいことは?」 みんなの顔を見渡す。 「……」 不機嫌そうな顔で目を背けられてしまった。 まだかなり怒っているようだ。 ちょっと話を振ってみるか。 「御園は何かない?」 「ないです」 ……身も蓋もなかった。 何とかしたいが、今はしつこく迫っても逆効果になるだろう。 しばらくはそっとしておくしかなさそうだ。 「あ、そうだ、これなんですけど」 鈴木が鞄からCDの入ったケースを取り出す。 「なんだそれ」 「ここに来る前にもらってきた、エンディングソングですっ」 「おー、千莉ちゃんの歌ったやつか」 「完成したんだな」 「そうなんですよー。この後、演劇部に行って渡してくる予定です」 「その前に、一度聞いてみたいな」 「私も聞いてみたい」 「やめてください」 御園が冷たい声を出す。 「だ、だめかなぁ」 「せっかく御園が歌ったものだろう?」 「ぶおうふ、なご、なご」 「こいつも、聞きたいって言ってるぞ……おそらく」 「……私がいないところでお願いします」 御園が席を立つ。 御園は振り返りもせず、部室を出て行った。 「何かあったのか?」 「……」 少しの静寂の後。 「……筧さあ、千莉ちゃんと何かあった?」 「どうして俺に聞くんだ」 「何となく?」 どうやら、こちらの事情を少なからず察知しているようだ。 ごまかしはきかなさそうだな。 「筧くん、何か知ってるなら教えて」 「……」 みんなの視線が俺に集まる。 こうなった以上、何でもないで済ますわけにはいかないか。 「わかった。話すよ」 俺はみんなに、一連の出来事を話すことにした。 俺が話し終わると、誰ともなく溜息をついた。 「千莉ちゃんは、どうして怒ったのかな?」 「自分の知らないところで話が進んでいたからだろうな」 「今回の動きの半分は図書部のためだった」 「御園は、自分の気持ちが利用されたように感じたんだと思う」 御園は俺にそれなりの信頼を見せてくれていた。 俺はそれを裏切ったのだ。 「俺が上手くやれればよかったんだが……すまん」 「いや、任せきりだったのはこちらだ、筧が悪いわけじゃない」 「それに……筧の配慮のお陰で、被害はまだ最小限のところだ」 御園を探り始めたのは、図書部の悪い噂を何とかするためだった。 図書部全体の問題にするわけにはいかないので、俺一人が背負ったのだ。 むしろ、こっちの意図した通りに被害を抑えられたとも考えられる。 「ま、未来のことを考えますかね」 それぞれがうなずく。 「みんなで事情を話して謝ろうよ」 「いや。今のところ、悪いのは俺一人ってことになってる」 「話を広げるのは良くないと思う」 全員で謝れば、最悪御園が図書部を辞めかねない。 俺一人が嫌われている分には、個人の喧嘩の域を出ないで済む。 「ここは、俺に任せてくれないか? 何とか仲直りしてみる」 「できなかったらどうするつもりですか?」 「そこは気になるな」 二人が鋭いところを突いてきた。 話は簡単だ。 部活内で喧嘩をしている2人がいる。 仲直りができないなら、両方辞めるか片方が辞めるかだ。 どっちかが辞めるなら俺が……という思いはある。 だが、辞める辞めないは、本当に最終手段だ。 「今は、説得する方法だけ考えるよ」 「御園とは絶対に仲直りする」 強い思いがあった。 御園を辞めさせたくないのはもちろんだが、単純に仲直りしたかった。 仲直りして、もっと御園と話をしたかった。 あいつが楽しく歌えるようになるのを見届けたかったし、力になりたかった。 「……わかった」 「筧がそう言うなら任せる」 「ああ、頼む」 高峰も小さくうなずいて了承した。 「私達も、できるだけ協力するよ」 「……」 佳奈すけが、一瞬物言いたげな目で俺を見た。 「ここまで熱く語られたら、協力しないわけにいかないです」 「この鈴木佳奈、ひと肌脱ぎましょう」 「私はふた肌くらいかな」 「さあ、盛り上がって参りました!」 高峰がにやりと笑う。 「桜庭選手はどこまで行っちゃいます?」 「ゴールデンで放送できるレベルだ」 「昔はゴールデンでもぽろっといってたもんだぜ?」 「……筧、頼んだぞ」 桜庭が高峰をスルーした。 「ああ、何とかするよ」 ここまで熱意を持てるなんて、自分でも不思議だった。 俺は御園に、先輩後輩以上の感情を持ち始めているのかもしれない。 その週末。 桜庭からの招集があり、全員が部室に集まった。 「遅くなりました」 最後にやってきたのは御園だった。 「よう」 「どうも」 実に素っ気ない対応だった。 御園とは、あれから二人で話をしようとしていたが、全て失敗していた。 部室にも顔を出さないし、メールを送っても『忙しいので』で終了。 佳奈すけも全敗だったらしい。 ようやく顔を合わせたのだ、何とかしたいところだ。 「集まってもらったのは他でもない。急ぎの依頼が入ったんだ」 御園が着席したのを見計らい、桜庭が口を開く。 「音楽科の教師……いや、正確には生徒からだな」 『音楽科』という言葉に、皆の視線が御園に集まる。 「続きをお願いします」 御園は無表情を貫いた。 「8月下旬に、サマーコンクール……いわゆるサマコンがあることは知っていると思う」 「依頼は、同じ日に声楽専攻の生徒を主体としたイベントを開きたいというものだ」 桜庭が、更に詳しく説明してくれる。 汐美学園のサマーコンクール── 通称サマコンは、声楽専門のコンクールだ。 出演者のレベルが高く、テレビで紹介されるほど有名なイベントである。 審査員を高名な音楽家が務めることもあり、出演者の将来にとってもかなり重要なイベントだ。 出演できる生徒は20人程度。 かなり高い倍率の競争をくぐり抜けなくてはならない。 図書部への依頼は、サマコンに参加できない人の受け皿となるイベントの開催だった。 「つまり、声楽専攻限定のミナフェスをやればいいってことか」 「その解釈で問題ないと思う」 「去年も同じような企画があったらしいんだが、うまく形にならなかったとのことだ」 「はー、そこで私達にお声がかかったと」 「音楽科の先生も、わたしたちを認めてくれたってことだね」 「でもさあ、なんでまたサマコンと同じ日にやるかね」 「サマコン目当てに来る、海外メディアやスカウトの気を引きたいということだろう」 「そうすると、あんまりゆるいイベントにはできないね」 「人生賭けてる人がいるわけだしなあ」 本当に開催できるのか? 「いや、ところが、ゆるいイベントが期待されてるらしい」 全員が『え?』となった。 「教師陣も、生徒達に息抜きが必要だと思っているようだ」 「つまり、ミナフェスで問題ない」 「……いいですね、それ」 サマコンの話が出てから、初めて御園の表情が緩んだ。 ぴりぴりした空気を嫌っていただけに、教師の考えが嬉しいのだろう。 「千莉が乗り気なんて珍しいです、これはもう断れませんよー」 「うん、ちょっと大変かもしれないけど、頑張ってみようよ」 盛り上がったところで、桜庭が小さく咳払いをした。 「気を悪くしないで聞いてほしいんだが、この依頼、一つだけ条件が提示されている」 みんなの視線が桜庭に集まる。 「これは教師からの要請なんだが……御園をサマコンに参加させてほしいそうだ」 御園の表情が固くなった。 「依頼主からの注文なんだ。気を悪くしないでくれ」 「大丈夫です」 御園がか細く微笑む。 いや、微笑んだというより、無表情に多少色をつけた程度の笑顔だ。 「言われなくてもサマコンには参加します」 「では、この依頼は引き受けていいな?」 「はい、構いません」 「待ってくれ」 話を遮る。 「御園のコンクールは、交換条件にするようなものじゃないだろ」 「御園が納得できないなら、依頼は蹴るべきだ」 御園は図書部の活動に積極的だ。 つまり、サマコンを辞退しにくい。 教師がそこを計算していたとしたら、褒められたことじゃない。 「先輩……」 一瞬、御園の表情が揺れる。 悲しんでいるような、痛みに耐えるような、名状しがたい感情が垣間見えた。 「……大丈夫ですよ」 「私、もともとサマコンには参加するつもりでしたから」 「本当か?」 だったらさっきの表情は何なのか。 「私、このイベントがやりたいんです」 「みんなが歌を楽しめるイベントなんて、二度とできないかもしれません」 「この話がなくたって、どうせサマコンには参加させられてましたし」 むりやり自分を納得させるような物言いだった。 「つまり、図書部のためにサマコンに出るってことだろ?」 「……違います」 「声楽の世界に身を置いている以上、サマコンは大事です」 台本をなぞるように言う。 演技が下手だ。 「でも……」 「ありがとうございます」 「でも、大丈夫です。気にしないで下さい」 強めに拒否された。 決意は固いようだ。 「……わかった」 俺の言葉と共に、周囲が息を吐いた。 「千莉ちゃん、いいの?」 「はい、頑張って楽しいイベントにしたいです」 「うん、わかった……頑張ろうね」 「もちろんです」 御園の返答に、白崎も納得したようだった。 鈴木と高峰は何も言わずにうなずく。 「では、そのように話を通しておくぞ」 思わず腕組みをして唸る。 図書部を大事に思ってくれるのは嬉しいが、御園はサマコン参加を望んでいない。 こんな流れはアリなのか? 「……」 ……いや。 サマコンに出るという決心を変えられないなら、ポジティブな気持ちで参加してもらえるように頑張ろう。 もし上手くいけば、サマコンは大きな飛躍のチャンスとなるはずだ。 冗談抜きで、世界に飛び立っていくかもしれない。 よし、ひとつ頑張ってみるか。 「……」 私と千莉はアプリオにいた。 いつもは私から誘うことが多いが、今日は珍しく千莉からのお誘いだった。 しかし、誘ったはずの千莉は何を喋るでもなく、手の中で金属の棒をもてあそんでいた。 どうしたらいいんだろう? 「……」 ちら、と私を見てまた顔を伏せる千莉。 「あのー、御園さん?」 「なに?」 「いえ何でも」 「……」 つまらなそうな顔になる千莉。 もう少し押してみよう。 「ねえ、千莉さ」 「なに?」 「私に何か話したいことあるんじゃないの?」 「別に」 「あーもう。ほら、意地張ってないでとっとと言う」 「別に意地は張ってないけど」 「我慢は身体によくないよー?」 「……だって佳奈、聞きたくなさそうだし」 棒状のものを手の中で転がしながら、いじけたように言う千莉。 一応、こちらを気遣っていてくれたのか。 「いえいえ、御園さんのことなら何でも知りたいですよ」 「佳奈が『御園さん』って言うの、私を馬鹿にしてる時だから」 「そ、そんなことないよ」 「今どもった」 「御園さーん」 「もう、やめてよ」 「そんなこと言ってー、本当はいじられるの好きなんでしょ?」 「……」 「好きなんだよね?」 「……ちょっと好き」 くすりと笑う千莉。 それが可愛くて、千莉の頭をわしわしと撫でる。 「や、やめてよ、髪が……」 「ほら、早く言いなさいよ。言いたくてたまらないくせに」 「わかったからっ……」 持っていた棒をテーブルに置いて、私の手を押さえにかかってきた。 「あ、それ……なんだっけ」 「音叉」 「あ、そうそう、鳴らして使うやつだよね」 「声楽の人って、いつもこんなの持ち歩いてるんだ」 「歌手は、あんまり音叉使わないよ」 「え? じゃあ、なんで? 非常用のフォークとか?」 「お守り」 「昔、友達とお揃いで買ったんだ」 見たところ、小さな傷が沢山ついている。 ずいぶん昔に買ったものなんだろう。 「御利益はあった?」 何も言わず千莉は笑う。 つっこみにくいな。 「さって、それじゃ話を聞かせて」 「改まって聞かれると困るんだけど……」 「大した話じゃないから」 「じゃあ、私が当ててみようか。千莉が何の話をしたがってるか」 「わかるの?」 「一つ目は、サマコンとイベントの話かな」 「二つ目は筧さんの話」 「合ってる?」 千莉が少し驚いた顔をする。 「合ってる」 「それじゃ一つ目からね」 「サマコン、本当は参加したくないんでしょ?」 無言の肯定をする千莉。 「どうして?」 「私には不釣り合いな場所だから」 「なんで不釣り合いなの? むしろふさわしい場所じゃない」 歌姫と呼ばれるほどの実力があるのに。 「コンクールは勝負の場所だよ」 「戦う気がない人はいちゃいけないの」 「なんか難しいね」 うん、と呟いて千莉は黙る。 「コンクールなんて、なくなればいいのに」 「どうして昔は、こんなものが楽しかったんだろう」 独り言のような言葉だった。 「聞いてよかったらだけど、昔、何か嫌なことでもあったの?」 「……」 表情が固くなり、むっつりと黙り込んでしまった。 ビンゴだったらしい。 「今日はやめとく」 「そっか」 「うん、ごめん」 自分ではまだ踏み込めない領域がある。 寂しいと思う反面、少しほっとしたのもまた事実だった。 「……よし、じゃあ筧さんの話」 「え?」 「最近、何かあったでしょ」 「千莉の態度、おかしいよ」 「別に」 「いやいやいや、隠してもわかるから」 「本当に何もないから」 千莉がペットボトルのふたを開け、ミネラルウォーターを口に含む。 「筧さんのこと好きなんだよね?」 「……」 千莉が動きを止める。 前みたいに動揺しない。 心の中で受け入れて来ているのだ。 「好きなんでしょ?」 「好きじゃない」 「ふーん、じゃあ、私が筧さんにアタックしようかな」 「どうぞ……」 そっぽを向いて、千莉が答える。 「あ、そうそう……」 こっちもそっぽを向く。 「先週の日曜、商店街に行ったんだよね」 「……え?」 「だから、隠してもしゃーないってこと」 「うそ……」 「別に探してたわけじゃないよ。たまたま二人を見つけただけだからね」 千莉が私の顔をまじまじと見る。 「何を見たの?」 「雑貨屋さんの前で何か話してるとこ……あとは知らない」 嘘をついておく。 事細かに語っても意味ないしね。 「さっきの、二人のやりとりを聞いてたら、なんかおかしいんだよね」 「こりゃ絶対なんかあったなーって思ってさ」 「……はあ」 「佳奈は何でもお見通しだね」 自嘲するように笑ってから、千莉がぽつぽつと語る。 ここ一ヶ月ほど、筧さんが親身に相談に乗ってくれて、千莉的にはすごく嬉しかったらしい。 しかし、空気の読めない教師の登場により、状況は一変。 彼の優しさは図書部を心配するゆえのもので、自分への愛情からではないと気づいてしまったのだ。 「……なるほど、ね」 千莉の心情に合わせ、声のトーンを落とす。 「だから怒ってるんだ」 「怒ってない。勘違いしたのはこっち」 「でも、ガッカリはしてる」 「……」 千莉が唇を噛んだ。 がっかりしたということは、期待していたのだ。 「嬉しかった」 「お説教するわけでもなく、一緒に悩んでくれたから」 「でも本当は、先生に言われて仕方なく面倒を見てくれてただけだった」 ……筧さん、きちんとやることやってたんだ。 知らずのうちに、拳を握りしめる。 筧さんは、自分が踏み込めないところに踏み込んでいた。 自分よりも先に、千莉の気持ちを動かしていた。 やっぱり筧さんはすごい人だ。 それに比べて、自分の不甲斐なさったらない。 「……千莉、大丈夫だよ」 あの人は自覚しているはずだ。 他人の気持ちに踏み込んでいくことの意味を知っている。 踏み込まない道も、踏み込まずに済ませる方法もわかっていたはずだ。 でも、あの人は踏み込んだ。 それはつまり……。 「筧さんは、ちゃんと千莉のことを考えてくれてるよ」 「あの人、適当なことは絶対しないから」 「でも……」 「女子道師範代の佳奈様が言うんだから間違いないって」 「ね、大丈夫。ね?」 「……うん」 千莉が顔を上げる。 「少し楽になった」 千莉に笑顔が戻った。 何とか役目は果たせたかな。 安堵した胸の奥が、小さく痛む。 ……でも、本当にこれでよかったのだろうか。 このままじゃ、いつか胸が破裂してしまうかもしれない。 結果は薄々わかっている。 だが、それでも決着をつけなくては。 「……お」 メールが来た。 携帯を開くついでに時間を確認する。 22時を過ぎたところだった。 本を読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎていた。 「(まだ飯食ってないな)」 何か食うか。 本に栞を挟みメールを確認する。 送り主は佳奈すけだった。 「『起きてますか?』」 『起きてるけど、どうした?』 ざっと返信し、冷蔵庫を漁る。 何もない。 買い出しに行かないと。 また携帯が震えた。 佳奈すけからの返信だ。 「『今、筧さんのマンションの前です』」 思わず携帯を落としそうになった。 何で俺の家の前に? ともかく顔でも見てみるか。 「……あ」 屋外に出ると、佳奈すけがいた。 まさか本当にいるとは。 「ん?」 携帯が震える。 確認すると、佳奈すけからだった。 『すぐ帰りますんで、気にしないで下さい。』 「……」 思わず佳奈すけを見ると、気まずそうに苦笑いした。 「あっという間に降りて来ちゃうんですもん」 「いきなり外にいるって言うからびっくりしたんだ」 「どうした? 何かあったのか?」 「ええ、まあ」 佳奈すけが曖昧に笑う。 らしくない陰のある笑顔だ。 「少し歩きませんか?」 「ちょうどコンビニ行こうと思ってたんだ。ブラブラ行くか」 佳奈すけは、にっこりうなずき隣に並んだ。 連れ立ってコンビニへ向かう。 「いやあ、月が綺麗ですね」 佳奈すけに倣って空を見上げると、ビルの合間に月が見えた。 言うほど綺麗な月ではない。 どういうことだ? 「千莉と話せましたよ」 「そっか。何て言ってた?」 「おそらく筧さんの想像通りだと思います」 「そう言われてもな」 「いやいや、大体わかってますよね?」 察しがつかないと言えば嘘だ。 しかし回りくどいな。 「御園の話をしに来たんじゃないのか?」 困ったように笑う佳奈すけ。 「そうかもしれないですし、そうじゃないかもしれません」 「ただ、筧さんの決意を確かめないといけないなって思いました」 月が綺麗で、俺の決意か。 佳奈すけが読書家であることを考えれば、意図はわかった。 どうやら、色恋の川のど真ん中に来てしまったらしい。 「面倒だと思ってますか?」 「面倒だけど、適当に流すつもりはないよ」 佳奈すけが俺の目を見た。 「図書部の仲間だから」 丸く澄んだ目が、一瞬見開かれる。 だがすぐに、佳奈すけは微笑んだ。 底の深い、大人の微笑だった。 「私、死んでもいいわ……とは言えないんだ」 何かを選ぶということは、何かを選ばないということだ。 確認するまでもない、当然の話。 「ですよね」 「……わかってました」 『月が綺麗ですね』に『私、死んでもいいわ』。 さる二人の文豪が『I Love You』を和訳した文章だという。 本好きの人がよくネタにする話だ。 「しゃーないですね」 溜息とともに脱力する佳奈すけ。 それは、いつもの彼女へ戻るという合図でもあった。 言葉の上では何一つ、明らかにはしなかった。 だが、俺と佳奈すけの中では、一つの実らない思いがここで終わった。 「ごめんな」 「いいんです。所詮は自己満足ですよ」 佳奈すけは大きく伸びをし、足を止めた。 「筧さん」 「ん?」 「月が綺麗ですね」 「ああ、綺麗だな」 「くたばっちめえ、ってとこですよ」 「ははは」 ちなみに、『私、死んでもいいわ』と訳したのは二葉亭四迷。 一風変わったペンネームは、父親から言われた『くたばっちめえ』という罵倒から来たという。 和訳の話にしてもペンネームの話にしても、後世の作り話という説もある。 何にせよ、佳奈すけらしいネタだった。 「千莉のこと、お願いしますね」 「あの子、筧さんが図書部のために面倒見てくれたって思ってます」 「自分一人で勘違いして、舞い上がってたって」 「誤解だよ。俺は御園を……」 佳奈すけに焚き付けられる形ではあるけど、俺は選んだ。 今ならはっきりそう言える。 「千莉に、ちゃんと教えてあげてください」 「わかった。タイミングを見て必ず伝える」 もう少し段階を踏まないと、うなずいてはくれないだろう。 氷点下の状態からいきなり沸点に達するかというと、かなり怪しい。 もう少し温めてから行きたい。 「ま、あとは2人のことですから、2人でやってください」 「ただ、千莉をないがしろにしたら……大惨事ですよ? 筧さんが」 「肝に銘じておくよ」 佳奈すけがおどけたように笑う。 こいつには笑顔が似合う。 喜怒哀楽の全てを笑顔で表現する佳奈すけは、強くもあり弱くもあり、人として美しい。 「それじゃ私、帰りますね」 「ああ、気をつけてな」 「筧さん、ありがとうございました」 佳奈すけは深く頭を下げて、帰っていった。 「……あ、すみません」 通行人と肩がぶつかってしまった。 ぼんやり、してたな……。 「……はは、わかってたことじゃない」 乾いた笑いだった。 そう、わかっていたことだ。 私じゃ駄目だってことは最初から見えていた。 これはけじめだった。 「だって、諦められなかったんだもん」 わかっていたことだ。 何度も、何度もその言葉が頭の中でリフレインする。 わかっていた。 だって、千莉はあんなにも綺麗で、才能があって、しかも可愛いんだから。 スペックが違いすぎる。 初めから勝負になっていなかった。 「……」 校舎の輪郭がぼやけた。 こみ上げてくる感情を必死で押し殺す。 「よっす」 「……え?」 気付くと、誰かが隣に立っていた。 いつか、どこかで見たことがある人だった。 「あの……」 「あー、私? 通りすがりの図書委員」 「通り……」 さっきまで誰もいなかったような。 「それより、ほい」 図書委員がハンカチを差し出す。 「はい……?」 「いやだって、あんた泣いてるよ?」 「っ……」 そうか、私は泣いているのか。 そう思った途端……もう、我慢できなかった。 「うっ……くっ……」 涙が溢れてくる。 差し出されたハンカチを手に、目頭をぎゅっと押さえた。 「……泣くつもりなんてなかったんですよ」 「うん」 「別にこんなこと大したことじゃないって、そう思ってたんです」 「だって……別に、この人がいなきゃ死んじゃうって、そこまで思い詰めてたわけじゃないんですよ」 「ただ、ただ何となく、あーこの人いいなって、そう思ってただけで」 「でも一緒にいると楽しくて、いつも優しいからつい甘えちゃって、それだけなんですよ」 「うん」 「こうなることはわかってたんです」 「だって千莉と比べたら、私なんてダメダメですから」 「だから、あーあ、まあしょうがないよねって、それで諦められるって思ってたんです」 「どうせ勝負にならないって……」 「それなのに……どうしてこんな……」 堰を切ったように、言葉が溢れてくる。 独り言みたいに、意味不明なことを口走っているだろう。 それがわかっていてなお、感情を押し留めることができなかった。 「好きだったんだね」 「……すんっ、好きでしたよ。自分でも知らないうちに、好きになってました……」 「本当、馬鹿ですよね、今さらそんなことに気付いて何になるんですかね……」 「自分の気持ちをごまかすより、ずっといいんじゃないの」 「でも……フラれたんですよ」 「仕方ないって。そういう選択だったんだから」 「そんな簡単に諦められませんって……」 魂の叫びだった。 すっぱりと割り切れるほどに、弱い感情ではなかった。 「大丈夫、あんたには才能がある」 「……才能?」 「物書きになってみたいと思わない?」 「ふっ……ははっ、筧さんにも同じこと言われましたね……」 「見返してやりゃいいじゃん」 「すっごいの書いて、その男をぎゃふんと言わせちゃいなよ」 緊迫感のない声が、すっと入り込んでくる。 「……ふふっ、面白いですね、それ」 「ま、考えてみて」 図書委員は寮の方に向かっていった。 変な人だったな。 「……あ、ハンカチ」 借りっぱなしだった。 「あのっ……」 振り返る。 「……あれ?」 誰もいなかった。 身を隠すような時間はなかったし、隠れるような場所もない。 消えた、としかいいようがない状況だった。 「これって、もしかして」 ……羊飼い? 羊飼いに慰められた? 「ふふっ……なんだそりゃ」 事実は小説より奇なり、というのはどうやら本当らしかった。 佳奈すけと、夜の立ち話をしてから4日が過ぎた。 「よし、全員集まってるな」 桜庭と御園が席につき、報告が始まる。 ふと気になって佳奈すけの様子を見る。 「(……きらーん)」 佳奈すけはL字にした指をあごに当て、意味深な笑みを向けてきた。 無理をしているのか、はたまた立ち直ったのか。 少なくとも、気にするなと言っているのはわかった。 だから、俺も気にしないことにする。 「音楽科の教師から紹介されたイベントの正式名称が決まった」 「へえ、どういう名前になったんだ?」 「汐美学園夏期唱歌祭だ」 「かったい名前だな」 「国のおっきな大会みたいですよね」 白崎が苦笑いをするほどのネーミングセンスだった。 「私に言われても困る」 主催はあくまで声楽専攻の有志と教師だ。 俺たちは、縁の下の力持ちとして協力しているに過ぎない。 イベントの名前を決める権利は主催者にある。 「海外のメディアには『プライベートサマーフェス』、と銘打つらしい」 「わかりやすいのはいいけど、インパクトは欲しいよな」 「高峰さんが、声楽専攻の人たちに言ってきてください」 「すまん、押しが強い女性は苦手なんだ」 「俺は優しくて包容力のある、グラマラスで大人のお姉さんがいいね」 「はあ……」 「誰もお前の好みは聞いてないからな」 桜庭のツッコミが入った。 「桜庭、続きを」 「今日は声楽専攻の有志と唱歌祭のミーティングを行ってきた」 唱歌祭は声楽専攻主催ということで、唱歌祭の参加者は声楽専攻の人間だけに限られる。 参加者は、それぞれ持ち歌を一曲ずつ歌う。 サマコンのように賞はない。 最後に参加者全員で歌ってフィナーレを迎えるというシンプルな構成で行くという。 「開催日も決定した。8月22日だ」 「あと2週間ちょっとか」 急いで準備をしないと間に合わないな。 「ミーティングの様子はどうだった?」 「盛り上がっていたぞ」 「今のところ、声楽専攻の半数以上が参加したいと申し出ている」 「みんな、すごいやる気だね」 「だが、喜んでばかりもいられない」 「想定していた開催時間で取れる枠から計算すると、10倍以上の抽選倍率になる」 「10人に一人しか歌えないのか」 「厳しいですね……」 「これでは、みんなが楽しんで歌えるイベントとは言えないだろう」 「そこで教師と相談して、唱歌祭の会場をあと2つ増やすことにした」 「同時に開催することで、枠を倍増させることができる」 「大丈夫なのか、それ」 「確かに我々の手が3館に分散するのはかなり厄介だ」 「単純に考えると、2人で一カ所を回すことなりますね」 「そりゃしんどいな……」 みんなが押し黙る。 たった2人でイベントを取り仕切る苦労は、ミナフェスをやった経験から簡単に想像できた。 「できるよ」 「白崎」 「大丈夫、できるよ」 「だってミナフェスは、わたしたちだけの力で成功させたんじゃない」 「芹沢さんやアプリオのみんな、色々な人が協力してくれたから成功したんだと思う」 「足りないところは、みんなにお願いして手伝ってもらおうよ」 「手伝ってくれる人がいないか探してみよ?」 どんな時でも白崎はぶれない。 さすがは我等が部長だ。 「……そうだな」 「ですね」 「やりましょう」 「わかった。では具体的な検討に移ろうか」 「うん、お願いね」 「アプリオには話をつけてあるが、あと2カ所会場を押さえる必要がある」 「候補を選出して予算を聞き、音楽科の教師と決める」 「これは私がやろう」 「今回は音楽科持ちだからチケット売らなくていいのは楽だよな」 「次に、唱歌祭のスタッフを集める必要がある」 「唱歌祭を開催する上で手を借りられそうな人はいないか?」 「演劇部には舞台設置をする舞台班がいるはずです。そこと掛け合ってみます」 「よし、頼んだぞ」 「音楽科でもスタッフを募ったらどうでしょうか」 「今回の唱歌祭の趣旨に賛同してくれる人が、きっといるはずです」 「わかった。御園は音楽科で有志を集める算段を立ててくれ」 「えっと、どうやって……」 「筧、手伝ってやってくれないか?」 「わかった」 「……」 御園と目が合う。 何か言いたそうだったが、結局沈黙したままだった。 「印刷物とかはどうするんだ?」 「そうだな、白崎と高峰に手配を頼みたい」 「うん、わかった」 「みんな、今までも慌ただしかったがこれからはさらに忙しくなるぞ」 「気を引き締めて頑張っていこう」 「おー!」 「頑張ろうね」 皆が佳奈すけに合わせて拳を振り上げる。 御園をのぞいて。 「桜庭さん」 「ん、何だ?」 「千莉が、筧さんを見つめたまま動かないんですけど」 「……佳奈、なに言ってるの?」 「春が来たんだ。好きにやらせておこう」 「私は出てくるぞ」 「そうそう、あとは若人たちに任せとけって」 「お前も十分若いだろ」 「つぐみちゃん、俺たちも行こうぜ」 「あ、うん」 桜庭に続いて高峰、白崎が部室を出て行った。 「何だかもう公認カップルって感じですね」 「佳奈」 「怒っちゃやーよ☆」 「もう……」 「筧さん、ファイトですよっ」 佳奈すけは俺を見て、虚空にアッパーカットをして去っていった。 どうやらある程度は立ち直っているようだった。 声楽専攻の人たちとの話が終わった。 もともと主体となってイベントを進めていた人たちに、有志の募集をお願いしてきたのだ。 「よし、それじゃ報告しに戻るか」 「はい」 「……あら、あなたたち」 音楽棟を出ようとすると、見知った顔に出会った。 御園を担当している教師だった。 「お世話になってます」 「いえ、お世話になってるのはこちらよ」 嬉しそうに笑う。 「御園さんのことだから、サマコンに参加しないと言い出すんじゃないかって心配してたんだけど」 「やる気になってくれて嬉しいわ」 「……」 御園は何も言わず、うつむくだけだった。 「それじゃ失礼します」 「あ、御園さん、ちょっと待って」 「何ですか」 呼び止められ、顔を曇らせる御園。 「唱歌祭の方も大切かもしれないけど、そろそろサマコンの準備をしないとね」 「何を歌うか、もう決めたかしら」 「いえ、考え中です」 「なるべく早く決めて、練習に入らないといけないわ」 「あなたの人生を左右する、大切なイベントだもの」 「わかってます」 御園は無表情で答える。 それは、明らかな拒絶の表情だった。 「筧くん。御園さんのこと、くれぐれもよろしくお願いするわね」 「ちょっといいですか」 「何かしら?」 「御園は、絶対にサマコンに参加しないといけないんですか?」 「……先輩」 この先生は唱歌祭を盾に交換条件を持ちかけてきたのだ。 その真意を探っておきたかった。 「サマコンは、声楽専攻の人間にとって……いえ、汐美学園の音楽科にとって大切なものよ」 「なぜなら、汐美学園音楽科のステータスそのものだから」 「一部の海外メディアは、御園さんをサマコンの大賞候補として取り上げています」 「御園さんの歌を聞くために来日する音楽家の方もいらっしゃるわ」 「これでもし御園さんが参加しないなんてことになれば、大変なことになる」 「悪くすると、サマコンが築いてきたステータスに泥を塗ることになるわね」 「……」 「でも、原則として参加は自由でしょう」 「もちろん、無理強いはできないわ」 「ただ……もし参加しないなら、せめて理由は教えてほしいわ」 「自分が首になるわけくらいは知りたいもの」 能力主義を謳う汐美学園だ。 大賞候補をコンクールの参加に導けないようなら、汐美学園の教師として不適格だということだろう。 「大丈夫です」 「コンクールにはきちんと参加します。前にそうお伝えしたはずです」 「そう、よかった」 教師がほっと胸をなで下ろす。 「筧くん、気持ちはわかるわ」 「でも、御園さんの歌には、既に世界を巻き込むだけの影響力があるの」 「そのことを忘れないでね」 「……わかりました」 俺の返答に満足したのか、教師はうなずいて去っていった。 まあ、概ね真意は掴めた。 「先輩」 「いや、すまなかった。余計なお世話だな」 「今のは何ですか?」 「ただのお節介だよ。部室に戻ろうか」 「……待ってください」 御園は歩き出した俺の服を、ぎゅっと掴んできた。 「どうした?」 「どこに行くんですか」 「部室だけど」 「違うところにしましょう」 「は?」 どういう意味なんだ。 「いえ、その、なんですか」 「部室に戻る前に、ちょっとどこかにってことです」 そう言って視線を逸らす御園。 「……俺が一緒でいいのか?」 「私一人で行ってどうするんですか?」 御園に誘われたらしい。 「嫌なら別にいいですけど」 「いやいや、どこでも付き合うよ」 「ありがとうございます」 御園を連れて音楽棟を後にした。 やって来たのは、学園のはずれにある公園だった。 昼間は運動部がランニングをしていたりするが、この時間は人が多くない。 いるのは、カップルくらいだ。 「ここが目的地?」 「ええ、落ち着いて話せますし」 二人でベンチに座る。 「……」 「……」 沈黙が流れた。 御園の言葉を待ったが、上手く切り出せないようだ。 こっちから進めてみるか。 「これまでのこと、ごめんな」 「何がです?」 「教師に頼まれて御園の世話を焼いてたこと、ずっと黙ってた」 「御園が怒ると思って嘘をついたんだ」 「声楽志望の知り合いというのも嘘ですか?」 「ああ」 「そうですか」 冷たい視線を送ってくる御園。 「すまない」 「でも、途中からは自分の意思だ」 「御園と一緒にいるのが楽しかった。自分でも気付かないうちに、そうなってた」 目を合わせると、御園は微笑してから視線を逸らした。 「私こそすみませんでした」 「本当は筧先輩が悪いんじゃないってわかってたんです」 「なのに、先輩に当たったりして」 「気にしてない」 「私も、気にしてません」 「なら……仲直りってことでいい?」 「はい」 御園が小さく笑った。 「あの、聞いてもいいですか?」 「ん、なに?」 「先輩も気付いてますよね」 「私がコンクールに出たくないこと」 俺も、ということは他にも気付いた人間がいるのか。 きっと佳奈すけのことだろうな。 「だから、先生に色々聞いたんですよね」 「ああ」 教師が交換条件を出してきた理由は、知っておきたかった。 「先輩は、ずいぶん私のことが知りたいんですね」 からかうように見てくる。 「知りたいね」 「……変わってます、先輩は」 御園がくすりと笑う。 「なあ、御園」 「もしサマコンに出たくないなら、辞退もありだと思ってる」 「いえ、サマコンには出ます」 「図書部のために?」 御園がうなずく。 「そもそも、サマコンは実力試験みたいなものですから、辞退は難しいです」 御園は悟りきった顔で告げる。 腹は決まっているのだ。 「どうせ出るって決めてるなら、楽しんでいけないかな?」 「それは……難しいです」 「どうして?」 「……知りたいですか?」 うなずく。 聞かされるのは、シリアスな話だろう。 面倒を背負い込むだけだとわかっていても、知りたいと思う。 自分でも驚くことに、知識欲ではなかった。 御園の力になりたいからだ。 変われば変わるものだ。 「ここだけの話にしてください」 前置きをして、御園は語り出した。 「子供の頃、私には同じ音楽スクールに通う友達がいました」 「今の感覚で言えば、ライバルとか戦友みたいな感じでしょうか」 「毎日一緒に練習して、練習の後は買い物に行ったりして、とにかく仲が良かったんです」 「ある日、私と友達は大きなキッズコンクールに参加することになりました」 「そこで認められれば、さらに大きな舞台に上がれる」 「そう言われていたので、厳しい練習を一緒に頑張りました」 「実際、大きな舞台とか、有名になるとか、そんなことはどうでも良かったんです」 「当時は、一緒に歌っているだけで楽しかったんですから」 「私は無邪気でした。2人で一緒に頑張れば、2人とも認められると思っていたんです」 「でも、現実は違いました」 「誰かが教えてくれたんです……『有名になれるのはコンクールで勝った方だけだ』って」 「それが誰だったのか……よく覚えていません」 「当時の私にとって、それが誰かなんてどうでもいいことでした」 「その人は『お友達が負けたら、あの子はきっと歌をやめてしまうだろう』とも教えてくれました」 「……絶対に嫌でした」 「つらい練習を乗り越えてこられたのは、その子が一緒にいたからなんです」 「なのに、彼女が歌をやめてしまうなんて」 「私はわざと負けようとしました……手を抜いたんです」 「でも、勝ったのは私でした」 「今でも、表彰式の時の、あの子の目を覚えています」 「彼女は、二度と音楽スクールに顔を出しませんでした」 「私が、あの子から歌を取り上げてしまったんです」 「コンクールに勝った私は、新聞に取り上げられて有名になりました」 「テレビのドキュメンタリー番組にも出たことがあるんですよ」 以前、ネットで画像を見たことがあった。 髪が長い頃の御園だ。 「最初の頃は、いろいろな人が私の周りに集まってきました」 「でも、メディアの熱が冷めれば、お祭りは終わりです」 「気づいたときには、私の傍には、友達も切磋琢磨できるライバルもいませんでした」 「昔は歌うだけで喜んでくれた両親でさえ、温かい言葉はかけてくれないようになりました」 「私は独りになったんです」 「新しく友達を作ろうともしましたけど、駄目でした」 「有名になったせいで、みんな色眼鏡を通して見るんですよね」 あとはお決まりのコースだ。 孤独は、人をより孤独な世界へと追い込む。 自分の心を、自分で守らなければならないからだ。 「それでも騙し騙しやってきたんですが、汐美学園に入ってからは駄目でした」 「ここでは中途半端な人間はいらないんです」 「練習はしなくちゃいけない、期待には応えなくちゃいけない、やっかみにも耐えなくちゃいけない……」 「何より、覚悟を決めなくちゃいけない」 「毎日焦っているうちに、いつの間にか『あの頃に戻りたい』って思うようになっていたんです」 「歌っていれば楽しかった、あの頃に」 「歌が勝負の世界だってことはわかっています」 「競争や厳しいレッスンが嫌だとか、そういうことじゃありません」 「ただ、歌っても歌っても、何もないのが嫌なんです」 「探してた『楽しく歌う方法』ってのは、『あの頃に戻る方法』だったんだな」 「……あ」 「言われてみれば、そうかもしれません」 「戻れるわけないのに、馬鹿みたいですね」 御園が自嘲する。 御園の言う『あの頃』は、彼女にとっての理想の時代なのだろう。 歌っているだけで、友達と繋がることができ、親からも褒められた。 歌はコミュニケーションツールだったと見ていい。 ままごとや鬼ごっこと同列の、遊びだったと言ってもいいかもしれない。 だが今や、歌はそれ自体が目的であり、上手くなるために歌うことを求められている。 御園には、それがつらいのだ。 目立ちたいから、お金が欲しいから、誰かに喜んでもらえるから……人は様々な理由で努力する。 今の御園には報酬がない。 では、御園が欲しているものは何だ? 思い出すのは、御園がエンディングソングの仕事をしたときのことだ。 何かいい感触を得たようだった。 なら、求めているのは人との繋がりか、承認か……。 「打ち明け話は終わりです」 「すみません、暗い話で」 「謝ることなんてないさ。俺は楽しかった」 「はい? 何がですか?」 「御園の話を聞くのが」 「……筧先輩、変です」 御園が照れたように顔を逸らす。 「とにかく、サマコンには参加しますので安心して下さい」 「さっきも言ったけど、どうせ出るなら楽しんでほしい」 「ありがとうございます」 「でも、楽しめるかどうかは私の問題ですから」 寂しいことを言われた。 でも、だからといって諦めたくはない。 サマコンまで、あと2週間ちょっと。 なんとかしたいな。 一週間が過ぎた。 世間ではもうすぐお盆休みという時期だったが、俺たちに休んでいる暇はなかった。 依頼されたイベントの作業を片付け、部室に戻ってくる。 「ふう……」 「あ、お疲れ様ですー」 「あれ、佳奈すけだけか」 「そうですね。じきに戻ってくると思いますけど」 「そっか」 話している間も、佳奈すけは机の上で書き物をしている。 「千莉とはどうなりました?」 「ああ、最近返信をくれるようになったよ」 あれから何気なくメールを送ったら、会話に応じてくれるようになった。 以前のように謎の絡みも健在で、すっかり元通りだ。 「よかった」 「佳奈すけのお陰だよ。ありがとな」 「いえいえ」 控えめな返事だった。 「さっきから何書いてるの?」 「ああ、これですか」 「ちょっと本気で作家を目指してみようと思いまして」 「へえ、いいじゃないか」 「誰かさんのお陰で、いい感じに鬱屈した感情が溜まってるんです」 「作家にはこう、世にはばかるような屈折した情念が必要だと思うんですよね」 「負のパワーが満ちてる今がチャンスなんです」 「……ほう」 どうしよう、すごく絡みづらい。 「どんなものを書くつもりなんだ?」 「優柔不断な男のせいで、もつれまくる愛憎劇です」 佳奈すけがにっこりと笑った。 「……」 「なーんて、冗談ですよ。安心してください」 「冗談か、よかった」 「愛憎劇を書くのは本当ですけど」 あまり安心できなかった。 「何か打ち込めるものが欲しかったんです」 「ちょうどいい物が見つかったって感じですね」 「俺に手伝えることある?」 「そーですねぇ……」 「あ、それじゃもし私の本が出版されたら2000冊ほど買ってください」 「俺は出版取次か」 そんな大量の在庫を抱えてどうしろと。 「ふふっ、冗談ですよ」 「筧さんには、最初の読者になってもらいたいです」 「そんなことでいいなら、喜んで協力するよ」 「よかった」 「筧さんに面白いって言ってもらえるよう頑張りますねっ」 佳奈すけの屈託のない笑顔が、すごく眩しかった。 昼頃、桜庭たちが帰ってきた。 短い期間で体裁を整えるため、準備作業は急ピッチで進んでいた。 「白崎さん、帰省しなくて大丈夫なんですか?」 「確かするって言ってましたよね」 「うん、唱歌祭が終わってから行くことにしたんだ」 「みんなが頑張ってるのに、わたしだけ抜けるわけにはいかないよ」 「スケジュールの調整ができなくてすまなかったな」 「ううん、気にしてないよ」 「それより、玉藻ちゃんこそ大丈夫? 毎日遅くまで残ってるよね」 「心配するな。この程度で倒れるほど華奢にはできてない」 「男っすなぁ」 「格好いいですね」 「微妙な気分だ」 「まあまあ。図書部は桜庭さんがエンジンですから」 「エンジンは白崎だろう」 「いや、白崎はガソリンだな」 「可燃物ですよね」 「ふははー、みんな燃やしちゃうよ」 「元気だなぁ」 連日の疲れが身体に来ているはずだが、みんなテンションは高かった。 この調子ならうまく乗り越えられそうだな。 「それじゃ話を始めるぞ」 「演劇部舞台班と、当日のスタッフィングについて話をまとめてきた」 「私達は、基本的に会場の安全管理とお客様対応をしてくれということだった」 さらに詳しく聞くと、俺たちの下には臨時のスタッフが20人から付くらしい。 彼らに上手く仕事を割り振り、全体が上手く回るようにするのが俺たちの任務だ。 学食で言えば、フロアチーフみたいな仕事だ。 「ちなみに、会場は3つの予定だ」 「じゃあ、チームわけしないとな」 「今から決めよう」 「御園を除いた5人をどう配置する?」 「なぜ私を除くんですか?」 御園が声を上げる。 「御園はサマコンの準備があるはずだ」 「当日はスタッフをやっている暇はないんじゃないか?」 「それは、そうかもしれないですけど」 御園が目を伏せる。 「千莉ちゃん、もうサマコン本選に出られることになったの?」 「予選は明日、結果が出るのは来週月曜です」 「ずいぶんギリギリにやるんだな」 「少しでも練習時間を確保してもらいたい、という配慮みたいです」 「だったら、もし本選に入れなかったらスタッフをやってもらう……っていうのはどうかな」 「白崎先輩……」 「いや、御園は本選に行く」 「断言かよ」 「先生のお墨付きだからな。御園は今年のサマコンの目玉だ」 「御園の実力なら、ほぼ間違いなく本選に行くだろう」 「……」 つまり、白崎の案では唱歌祭のスタッフができないということだ。 「5人をどう配置するか、だけど」 「どこかの会場は、1人で担当することになるんだよな」 5人を3つの会場に配置するなら、2人、2人、1人という配分になるはずだ。 「ああ」 「だったら俺1人でやらせてくれ」 「私が1人でやるつもりだったんだが……いいのか?」 俺はうなずく。 御園は無表情で机を見つめている。 「御園、スタッフやりたいのか?」 「……はい」 「みんなで楽しく歌えるイベントっていうのは、私の夢だったんです」 そうだよな、わかってるさ。 「それなら、俺と一緒の会場でやったらどうだ?」 「サマコンと両立させようぜ」 「筧先輩……」 御園の瞳に生気が宿る。 「両立できるなら問題ないが……大丈夫なのか?」 「俺1人で会場を回すつもりで準備するよ」 「それなら、いつ御園が抜けても大丈夫だ」 「もしものことが起こったらどうする」 もしもとは、サマコンに参加できなくなるような事態のことだろう。 「御園、どうなんだ?」 「……大丈夫です。絶対に迷惑はかけません」 「お願いです。私にもやらせてください」 普通、コンクールの出演者は本番直前までに万全の態勢を整えて挑むものだ。 準備時間をスタッフ作業に費やし、本番できちんと歌えるのか。 考えれば考えるほど無茶な話だ。 「白崎、どうだろう」 白崎がどう答えるかはわかっている。 だが、予定調和であっても図書部の意思を決定するのは白崎だ。 「私は、千莉ちゃんがやりたいって言うならやってほしい」 「何か問題があるなら、みんなで支えればいいと思う」 「……ってわたしは思うんだけど、どうかな」 白崎がみんなを窺う。 誰からも反対の声は上がらなかった。 「いいみたいだぞ」 「……皆さん、ありがとうございます」 御園は深々と頭を下げた。 その様子を見て、高峰が俺にどすどすと肩をぶつけてくる。 「何だよ」 「この、憎いね」 「筧さん、熱いです」 「愛だな」 「違うって」 「へえ、違うんだ〜」 「違うんですか?」 わずかに口角を上げ、聞いてくる御園。 「御園、その質問はずるいだろ」 他の面子はただの冷やかしだろうが、御園が言ったら意味が変わる。 「聞いてみたかったんです」 「……」 「ふふ、一緒に頑張りましょう」 まあ、たまには御園に遊ばれてみるのもいいかもしれないな。 みんなが家路につく時間。 話がしたいと芹沢さんに連絡をしたところ、中央広場で待ち合わせとなった。 「……お待たせしました」 「忙しいところ悪い」 「いえいえ」 「でも20分ほどで戻らないといけないので、よろしくお願いします」 「りょーかい」 「で、ご用件は?」 「御園のことだよ」 芹沢さんが一瞬真顔になった。 「面白いお話でも聞かせてもらえるんでしょうか?」 「もしかして、お付き合いを始めたとか?」 「いやいやいや」 「なーんだ、残念」 さらっと流された。 「聞きたいのは、御園と芹沢さんのことだよ」 「はあ、何か?」 「御園と話しているうちに気づいたんだけど、芹沢さんって、昔御園と歌を習っていたよね?」 芹沢さんの視線がきつくなった。 「……あの子が言ったんですか?」 「いや、一言も言ってない」 「御園が昔の話をしてくれたんだけど……あとはネットで調べた」 「最近は、ほんと何でもわかりますよね……」 「まあ、コンクールの受賞者リストなんて、すぐわかりますけど」 芹沢が困ったように笑う。 御園が出ていたテレビ番組はネットに上がっている。 問題となったコンクールの名前を調べ、あとは検索検索検索だ。 「ちなみに、某事典に載ってる私のネタは、嘘が多いから気をつけて下さい」 「あ、そうなの?」 「大体、週に3回もラーメン次郎に行きません」 「うっそ、行きそうだと思ってた」 「どういうイメージですか」 「1日2時間、風呂に入るってのは?」 「そんな暇じゃないです」 「実家が総菜屋ってのは?」 「それは本当です。うちのさつま揚げ、けっこう美味しいんですよ」 芹沢さんが苦笑する。 「ともかく、御園を責めないでやってくれ」 「勝手に調べたことは、この通り謝る」 きちんと頭を下げる。 「はあ……もういいですよ」 「で、何が知りたいんですか?」 芹沢さんが腰に手を当てる。 「御園は、芹沢さんが歌を辞めたのは自分のせいだと思ってるみたいなんだ」 「ああ……あの子、まだそんなことを」 大きなため息をつく芹沢さん。 「本当に変わらないですね」 「2人は、小さい頃から知り合いだったんだよな」 「ええ、そうですよ」 「私も小さい時は音楽スクールで歌をやってました」 「でも、御園さんにコンクールで負けて、歌の道は諦めましたよ」 「理由を聞いていい?」 「音楽スクールって、結構お金がかかるんです」 「きちんと勉強しようと思ったらマンツーマンの個人指導ですし、よほど理解と余裕のある家じゃないと無理なんですよ」 「うち、しがないお総菜屋さんでしたから、今思えば両親もかなり無理してたんです」 「つまり、経済的な理由でやめたってことか?」 「それが第一です」 「コンクールで勝てば、奨学金みたいなものが出るかもしれなかったんですが……」 自嘲するかのように笑う芹沢さん。 「私、わかっちゃったんですよ。千莉には逆立ちしても勝てないって」 「もし千莉が負けてくれたら、なんてことも考えたりしましたけど、自分の耳は偽れないです」 「手を抜いた千莉にボロ負けですよ。もうどうにもならないです」 「だから、仮にコンクールで勝ったとしても、歌は辞めていたかもしれませんね」 芹沢さんが、御園を千莉と呼んだ。 昔は、名前で呼んでいたのだろう。 「私、負けず嫌いなんですよね」 「一番になれないのって悔しいじゃないですか」 「だから、一番になれる道を見つけて頑張ろうって思ったんです」 「それが声優?」 「ビンゴです」 指をピッと立てた。 「歌で負けても、演技じゃ負けません」 「誰よりもうまくなって、千莉を見返してやろうって思ったんです」 芹沢さんが明るく笑う。 表情には、当てつけや復讐といった、暗い色はない。 「激しいな」 「これくらい普通ですよ」 「ライバルからポジション奪っていくくらいの気概がないと、声優は生き残れません」 ネット情報によると、声優・芹沢水結は割と身体を張っているらしい。 基本的に、真面目で熱心な人なのだろう。 「ま、ともかくだ」 「一番になれなかったことが理由であって、御園に何か落ち度があったわけじゃないんだよな?」 話を元に戻す。 「どうでしょうね? 千莉がいなかったら私は今でも歌の道にいたかもしれません」 「御園が悪いと?」 「解釈次第です」 「手抜きで歌った子に蹴落とされた身としては、『あの子は何にも悪くない』なんて言えません」 「もちろん、だからと言って恨んでるわけじゃないですけどね」 「でも、元は友達だったんだろう?」 「……友達?」 「少なくとも御園はそう思ってるんじゃないか」 そうは言わなかったが、友達だと思いたい気持ちがあるのは確かだ。 「あの子、まだそんなこと言ってるんですか」 「芹沢さんだって、御園のことが気になっていただろう」 「そうじゃなきゃ、俺たちに御園のことを調べてくれなんて頼まないと思うんだけど」 御園なんていなければいい、と思っていたなら関わろうともしないはずだ。 だが、芹沢さんは御園に関わり続けようとした。 演劇部の依頼を俺たちに投げてきたのも、同じ理由だろう。 「千莉のことを気にしているのは否定しません」 「だからといって、友達じゃないですし、彼女を励ますつもりもありませんよ」 「歌手業や声優業は憧れ産業ですから、なり手は山ほどいます」 「この先、数多くのライバルを蹴落として進まなきゃいけません」 「私と千莉の先生は、よく『歌は花束』だって教えてくれましたけど、そんなファンシーなものじゃないですよ」 花束、か。 どういう意味で言ったのだろう。 「厳しい業界にいることは、御園もわかってるみたいだ」 「で、あんな煮え切らない態度を取ってるんですか?」 「厳しい業界だからこそ、今の自分じゃ駄目だと思って迷ってるんだ」 「歌を続けるかどうかも含めて、正念場だ」 「歌を辞める?」 芹沢さんが、真顔になった。 「千莉の声、エンディングソングで聞きましたよね?」 「もちろん。あれはすごい」 「声楽の道に進んで、あの子に嫉妬しない人はいませんよ」 「つまり、辞めるのはもったいないってこと?」 「そんなこと言ってません」 芹沢さんの表情が変わった。 この様子だと、彼女も屈折した御園ファンの一人なのかもしれない。 「俺としては、もしできるなら御園と仲直りしてほしいんだ」 「あいつにとっては、芹沢さんと歌っていた頃が理想の時代みたいだし」 芹沢さんと仲直りできれば、御園は前向きになれるかもしれない。 「まあ、筧さんの気持ちもわかりますよ」 「でも、友達に『戻る』ことはできませんよ。時間は前にしか進みませんから」 「じゃあ、友達に『なる』ってのは?」 「千莉次第ですね」 「少なくとも、本人がいないところで決めることじゃないです」 「そうだな」 「あれ? ゴリ押ししてこないんですね」 「芹沢さんの言うことが正しいと思うし」 友人を選ぶ権利は誰にでもある。 『戻る』のではなく『なる』のなら、当然のことだ。 「……おっと」 携帯を見ると18分が経っていた。 「話は終わりですか?」 「ああ、時間を作ってくれてありがとう」 「いえいえ、それじゃ私はこれで」 芹沢さんは軽くお辞儀する。 「芹沢さん」 「なんですか?」 「『千莉』を頼むよ」 「はあ?」 怪訝な顔をする芹沢さん。 だが、みるみる顔が赤くなる。 「む、昔の癖が出ただけです。勘違いしないで下さいね」 「もちろん」 「せ……御園さんは、私に歌を辞めさせたんです」 「そんな人が、授業をサボったり、くだらないことで実力を腐らせていたら腹が立つじゃないですか」 「さっさと目の届かないところに行ってもらいたいんです。以上」 顔を真っ赤にして、芹沢さんは事務棟へと帰っていった。 想像してたより、いい感触だったな。 二人の関係は、まだ完全には切れていない。 元に戻せるか…… いや、芹沢さん流に言うなら、新しい関係を作れるかは御園次第だ。 「日曜、サマコンと同じ日に汐美学園夏期唱歌祭が開催されます」 「入場は無料です、是非お越しくださいっ」 御園が美声を張り上げ、チラシを配る。 そのお陰で次々と人が集まり、瞬く間に紙の束が生徒たちの手に渡っていく。 「……終わった」 「こっちも終わりです」 「すみません、チラシの配布は終わりでーす!」 「詳細は音楽棟の掲示板にも貼ってあります。ぜひご覧くださいっ」 集まった人だかりに告げる。 チラシが終わったと知り、生徒たちは往来に散っていった。 「ふう……」 「お疲れさん」 「いえ、大丈夫です」 「張り切ってるな」 「この唱歌祭は、私にとって大切なものですから」 このイベントにかける御園の思いは、並々ならぬものがあった。 「あの……御園さん、ですよね。ちょっといいですか」 「はい、何でしょうか」 チラシを持った生徒が話しかけてきた。 「この唱歌祭、御園さんも歌うんですか?」 「いえ、私は唱歌祭では運営スタッフとして参加するだけです」 「そうですか、残念だなぁ」 「サマコンの入場券が取れなかったんで、唱歌祭で聞けるかなって思ったんですけど……」 サマコンの観覧者はメディア関係者などを除き、抽選になっている。 入場券はかなり希少で、なかなか手に入らないらしい。 「唱歌祭は、サマコンと違ってみんなで歌を楽しむイベントなんです」 「どの出演者もサマコンと同じくらい張り切っていますので、ぜひ聞きに来てください」 「きっと楽しいですよ」 御園が笑顔を見せる。 今までにない熱心さだった。 「……そうですか。ありがとう、行ってみますね」 「よろしくお願いします」 御園は小さく頭を下げ、生徒を見送った。 あの様子なら、きっと唱歌祭に顔を出してくれることだろう。 「……そういや俺、今まで歌のイベントとか見に行ったことないな」 「オペラもコンサートもないんですか?」 「ない」 「可哀想な人ですね」 「文化的未開人を見るような目はやめてくれ」 「歌は万国共通の贈り物です」 「時代も言葉も越えるんです……それを楽しめないなんて」 なるほど。 「『歌は花束』って話?」 御園が目を丸くした。 「誰から聞いたんですか?」 「決まってるだろ」 「……寝返りましたね」 御園の目が危なく光る。 「俺は御園派だ」 「ならいいですけど」 御園がそっぽを向いた。 怒ってはいないようだ。 「さて、チラシも配り終わったし、音楽棟行ってみるか」 今日はサマコンの予選結果が出る日だ。 もうそろそろ、音楽棟の掲示板に張り出されているだろう。 「一緒に来るんですか?」 「みんなに結果を教える約束なんだ」 御園がサマコン本選に参加するかどうかは、唱歌祭の運営に影響するからだ。 もちろん、みんな御園の動静を気にかけているからでもある。 「じゃ、行きましょう」 急いで服を着替え、音楽棟の廊下にやってきた。 掲示板の前には、声楽専攻の人間と思わしき生徒たちで人だかりができていた。 「やってるな」 「……そうですね」 大学の合格発表さながらに、生徒達が喜怒哀楽を露わにしていた。 「あんなに頑張ったのにっ!?」 「しょうがないよ……しょうがないって……」 顔を押さえて泣いてる子もいる。 サマコンに、どれほどの意気込みを持って挑んでいたかがよくわかった。 「……あれ、御園」 「あ、うん……余裕よね」 掲示板に近づくと、自然と視線が集まった。 皆、御園の顔を知っているようだ。 隣にいるだけで、息苦しくなりそうなくらいプレッシャーを感じる。 「……」 だが、御園は動じる様子もない。 「こういうものです」 「そ、そうか」 迷っている御園を見てきたせいか、別人のように思える。 弱みを見せるのは、あくまで俺たちの前でだけなのか。 少し嬉しくもある。 「さて、御園の名前は……」 サマコン声楽部門の出演者リストを見る。 「あった。一番下……大トリだな」 「はい」 大トリということは、トップ順位ということだ。 スポーツのように、本戦の出番は予選の順位が低い順になる。 さすが御園だ。 将来に迷っていても、この結果なのか。 「……筧先輩」 御園がリストを指さす。 御園の6つ上、そこに見知った名前があった。 その名は、芹沢水結。 「どう、して……?」 御園の声が震えていた。 俺にしても寝耳に水だ。 まさか、エントリーした上に、決勝に残ってくるなんて。 歌はやめたとか言いながら、トレーニングは怠っていなかったのかもしれない。 「あれ、御園さん」 狙い澄ましたかのようなタイミングで芹沢さんがやってきた。 ざっと人の波が引き、御園と芹沢さんを囲むような形で人だかりができる。 「誰、あの人」 「芹沢さん。ほら、声優の……」 「ああ……でもあの人って声楽専攻だっけ……?」 「あの子、どれくらい歌えるのかな」 「小さい頃は音楽スクールに通ってたって話、聞いたことがある」 「何かの雑誌で、演技力は折り紙付きの新人って載ってたよ」 周囲から囁く声が聞こえる。 「芹沢さん、どうして……」 「私、歌える声優を目指してますから」 さらりと言う。 「それに、今年の金賞は御園さんで決まりって下馬評みたいですけど、すんなり行ったら面白くないです」 「一人くらい、御園さんに挑戦する人がいてもいいかなって思ったんです」 ああ……と、感嘆ともため息ともつかない声が周囲から漏れる。 そう言えたらどんなにいいことか。 だが御園の実力は傍にいるほどよくわかる、とても敵わない。 そんな呟きが聞こえるようだった。 いや、御園に敵わないのは、芹沢さんだってわかってるだろう。 それでもなお、エントリーしたのは何故か。 「御園さん、今度は負けないから覚悟してくださいね」 「……」 御園は固まったまま動かない。 「それから、絶対に手を抜かないでほしいです」 「手を抜くのは他の出演者を侮辱する行為ですから、本気で勝負してください」 かつて、芹沢のために手を抜いた御園への、痛烈な言葉だった。 「それじゃ」 短く言って、芹沢さんは颯爽と立ち去った。 「……まさかなあ」 「……」 きびすを返し、御園が音楽棟を足早に出て行く。 「御園、待てよ」 ずんずんと歩いて行ってしまう御園に、ようやく追いついた。 早足で行く御園の隣に並ぶ。 「どうした?」 「あんな所じゃ話もできません」 前を向いたまま、御園が言う。 表情は硬い。 しばらく歩き、落ち着ける場所まで来た。 「一息入れよう」 自販機で買ったお茶を、ベンチに座った御園に渡す。 しばらく無言で喉を潤す。 御園は能面のようで、まったく感情が表れない。 何か思い詰めているのだ。 「心配しないでください」 「サマコンに出ないなんて言いませんから」 静かな口調だ。 感情を消しているのは、外から介入される余地をなくそうとしているのか。 何にせよ、楽しんでサマコンに出るって顔じゃない。 「なあ、御園」 「芹沢さんはどうしてサマコンに参加したんだと思う?」 「勝負したいみたいですね」 「勝負は見えてると思う」 芹沢さんは、予選7位だ。 御園との間には、ガチンコの声楽科の生徒が4人もいる。 さすがに厳しいだろう。 「なら、昔の腹いせでしょう」 「芹沢さんは、御園にもっと高いところに行ってほしいって言ってたよ」 「御園が望むなら、また昔みたいに切磋琢磨することもできるかもしれない」 「……」 御園の瞳を、わずかな感情が過ぎった。 それを隠すように、御園は押し黙る。 「俺なりに、どうやったら御園が楽しく歌えるか考えてみたんだ」 「昔みたいに、気楽にやれる方法をさ」 言葉を切り、表情を窺う。 動きはない。 「御園はさ、歌を通して誰かに喜んでほしいんじゃないかな」 「演劇部のエンディングソングを歌ったとき、ちょっといい感じだって言ってたじゃないか」 御園が歌に求めているのは、富でも名誉でもなく、人と繋がることではないか? それが、ここ数日での結論だった。 「さっきも見ましたよね? コンクールってああいう場所です」 「誰かが勝てば、誰かが泣く世界です」 「私が歌えば、誰かが悲しむんです」 淡々と言う。 「勝者と敗者がいるのは、そりゃ歌に限らず競争なら当たり前だよ」 「俺が言ってるのは、御園の気持ちの問題でさ」 「大丈夫です」 笑顔で言って御園が立ち上がる。 「待ってくれ」 思わず御園の腕を掴んだ。 「私が甘かったんですよ」 「昔に戻ろうとか、全ての人に喜んでほしいとか」 「大人にならなきゃってことですね」 崩れかけた壁を前より高く築き上げ、自分を守る。 それも一つの解決法だろう。 実際、そうやって強く生きている人もいるだろう。 でも、それは御園が望んだものじゃないと思う。 「御園……」 御園が笑う。 心で泣いて顔で笑うなら、いつものように、仏頂面でいてくれた方が何倍もマシだ。 「大丈夫ですよ」 御園が俺の手をほどこうとする。 柔らかな手が、俺の手を握った。 冷たい手だ。 御園の心を反映しているかのようだ。 「御園が楽しく歌ってくれたら、俺が嬉しい」 「……」 「喜ばせる人が思い当たらないなら、試しに俺を喜ばせてくれないか」 「図書部の、御園への依頼だ」 「筧先輩……」 御園が俺の目をまじまじと見た。 「……必死すぎですよ、私のことなのに」 「受けてくれないか?」 「考えておきます」 笑顔で腕がほどかれる。 御園は、すぐに数歩距離を取った。 「ありがとうございます、元気になりました」 「もう大丈夫ですから」 御園は相変わらず笑顔だ。 俺の思いは届いたのだろうか。 「本選、頑張りますよ」 「ああ……」 汐美学園夏期唱歌祭、およびサマーコンクール当日。 早朝5時、図書部のメンバー全員が集合する。 「それじゃ最終確認するぞ」 「はい」 「うっす」 俺たちの役割は、会場の安全管理とお客様対応だ。 各会場の連絡に使う携帯の確認を行う。 「何か質問はあるか?」 「ここまで用意してくれたら、もう何も言うことないな」 「ですねえ」 今日までドタバタとしながら、何とか準備を進めてきた。 あとは無事唱歌祭が終わることを祈るのみだ。 「玉藻ちゃんに任せきりだったね。ありがとう」 「なに、このくらい普通だ」 「おっと、もう一つ」 「御園、サマコン会場にはいつ頃行くんだ?」 「なるべくギリギリまで唱歌祭の会場にいようと思ってます」 「最終的な判断は御園に任せるが、土壇場で間に合わないとかは勘弁してくれよ」 「はい、わかってます」 はきはきと答える御園。 まあ、大丈夫だろう。 「筧、御園が途中で抜けるから大変だと思うが、サポートよろしくな」 「ああ、わかった」 俺は会場の管理をしながら、御園の面倒も見なければならない。 自分から買って出た役だ。 きっちりやろう。 「白崎、最後に一言いいか」 「あ、うん」 白崎に視線が集まる。 「今回はみんながバラバラでちょっと寂しいけど、出演者とお客さんのみんなが楽しめるよう頑張ろうね」 「宇宙最強伝説を更新しなくていいのか」 「あっ、それじゃ次は銀河最強を目指そうかな」 「それ、前より狭くなってません?」 「前が広すぎなんだよ」 「最初にハードル上げすぎなんだ」 「えへ、すみません」 ぺろと舌を出す白崎。 「細かいことはいいだろ。とにかく頑張るってことだ」 「男らしい」 「惚れるわー」 「マッチョですね」 「脳筋ってこと?」 「お前らな」 「さて、桜庭がキレる前に解散しようぜ」 「そうしましょう」 「誰がそのくらいでキレるか」 すでにキレ気味だった。 「それじゃみんな、頑張ってイベントを成功させて、後で一緒においしいご飯を食べようっ」 白崎がまとめ、皆が応の声をあげた。 宇宙最強からおいしいご飯とは……えらく身近になったもんだ。 「本日は汐美学園夏期唱歌祭にお越しいただきありがとうございます」 「本第2会場ではポップス、ロックなどを公演します」 「最後までごゆっくりお楽しみください」 いよいよ唱歌祭本番が始まった。 直前に行ったリハーサルで多少問題が出たが、本番前には全部潰せた。 早速最初の出演者が登場する。 「筧先輩、こっちは確認終わりました。問題ないです」 「ああ、こっちも終わりだ」 あとはトラブルさえ起こらなければ、舞台監督をやっている演劇部員にお任せになる。 「今回は楽だな」 「舞台監督さん、しっかりしてる人でよかったです」 邪魔にならないよう、会場の一番後ろにある長机で囲んだだけのスタッフルームでささやき合う。 「桜庭先輩みたいでした」 「ちょっと憧れますね」 御園とは正反対だな、とは言わないでおく。 「私には無理だ、って顔してます」 「いや、そんなことないぞ」 「それなら今の不自然な沈黙はなんですか」 「気のせい、気のせい」 「……」 じっとりとした視線を向けてくる御園。 ステージの状況を確かめるため、客席側に来た。 出演者の素晴らしい歌声に、早くも会場のテンションが上がっている。 「すごい……みんなもう乗ってますね」 会場には外国人の姿もちらほらと見える。 夕方から行うサマコンのために集まった海外のメディアやスカウトだろう。 「あそこ、メディアの人じゃないか」 「ええ、来てくれてよかったです」 最初の出演者が歌い終わると、すぐに次の曲が始まって出演者が現れた。 少しでも出演枠を増やすために、ほとんど余韻も取らずに進む。 次の歌手が高く澄んだボイスを響かせる。 「……レベル高いな」 「声楽専攻の人は、みんなほとんどがプロ級です」 「あとはどんな声が好きかっていう趣味の問題だと思いますよ」 こうして聞いていると、御園の発言も説得力を持って伝わってくる。 素人の俺には、どうしてこの人がサマコンに出られないのかよくわからない。 それぐらい魅力的な歌声だった。 「……でも、やっぱり御園には及ばないな」 初めて聞いたときは本当に鳥肌が立った。 歌を聞いて本気で感動したのは、後にも先にも御園の歌だけだ。 「お世辞はやめてください」 御園の歌に話題が移った途端、声が固くなった。 やはり、まだ御園の心は壁の中なのか。 「……すいません、急患ですっ」 ライブが始まって2時間。 ボランティアをしていたスタッフが、俺たちのいるスタッフルームに飛び込んできた。 「どうした?」 「お客さんの一人が、眩暈がするって言ってます。自力では歩けないみたいです」 「男性? 女性?」 「女性です」 「お客さんはどこにいる?」 「前列の方です」 「他に誰かついてる?」 「スタッフが一人、一緒にいます」 「よし、御園も一緒に来てくれ」 「わかりました」 やってきたボランティアのスタッフに留まるよう指示をして、現場に向かう。 前列の方で、人がすっぽりと抜けている場所があった。 近づいてみると、女性スタッフが、青い顔をした生徒を介抱している。 「あっ……」 「お疲れ様、様子はどう?」 「はい、その……少しずつ気分が悪くなって立ってられなくなったって……」 「君、何か持病はある?」 真っ白な顔をした女の子が首を振る。 素人判断は危険だが、立ちくらみの類かもしれない。 「とにかく、涼しいところに連れて行った方がいいな」 「そうですね……」 「じゃあ、御園と君、彼女に肩を貸してあげて」 「は、はい」 「わかりました」 側にいたスタッフの女子と御園にサポートをお願いする。 「すいません、道を空けてください。急患が通ります」 2人の前に立ち、人混みに声をかけながら進む。 ステージの進行を妨げないよう、なるべく最小限で声かけをしていく。 「あっ……」 ステージの大音量と人混みの雑音の中で、何かが聞こえた。 振り向くと、御園が硬直していた。 「どうした?」 「……いえ、大丈夫です。まずはこの人を連れて行きましょう」 「わかった」 2人を誘導して、会場の端っこへと連れて行く。 急患は問題なく対応できた。 人がこれだけいると、何が起こるかわからないものだ。 「……おっと」 携帯に着信があった。 時間的に桜庭からの定時連絡だろう。 「はい、こちら筧」 「桜庭だ。そちらの様子はどうだ」 「特に問題はない。そっちは?」 「ああ、こちらも順調そのものだ。隣で白崎があくびしてる」 も〜何でそんなこと言うの〜、という白崎の間延びした声が後ろから聞こえてきた。 向こうも平和そうだ。 「御園はどうしてる?」 「おっと、もうそんな時間か」 時計を見ると、16時を回ったところだった。 「そろそろ会場に向かってもらった方がいいと思う」 「ウォーミングアップなんかもあるんだろうし」 「ああ、声かけとくよ」 桜庭との通話を終え、辺りを見回す。 御園の姿は見えなかった。 「あれ?」 どこに行ったんだ。 御園の携帯に電話をかけてみる。 「……」 1コール、2コール、3コール……。 御園が出る気配はない。 「メールしとくか」 御園のアドレス宛に、メールを打ち始める。 「……すみません、電話をいただいたみたいで」 メールを打ち終える前に、御園がやってきた。 「何か用事ですか?」 「そろそろ、サマコン会場に向かう時間だからさ」 「そんな時間ですか」 御園が硬い顔になる。 額には大粒の汗。 髪も乱れている。 「ところで、どこ行ってたんだ?」 「お化粧直しです」 トイレ? 一体、どこの化粧をどう直したというのか。 よく見れば、手や膝が汚れている。 「化粧直し?」 「言わせないで下さいよ、恥ずかしいです」 そう言う顔が強ばっている。 「……嘘ついてるな」 「……」 御園の目を見る。 すぐに逸らされた。 「ほんと鋭くて、嫌になります……先輩は」 御園が視線を落とした。 「何があった? ケガしてないか?」 「落とし物です」 「……」 耳の奥に、甲高い金属音が蘇った。 「音叉ですよ、前に見せたことありましたよね」 御園が、お守りだと言っていたものだ。 「見つかったのか?」 御園が首を振る。 「探そう」 「いいんです」 走りだそうとする俺の袖を、御園が掴んだ。 「あの音叉は、昔、芹沢さんとお揃いで買ったものなんです」 「それをなくしたのは、過去は振り返るなっていうメッセージですよ」 「甘いことを言ってちゃ駄目だっていう……」 切なげに眉を歪める。 御園は自分すら騙せていなかった。 「だったら、どうして探し回ったんだ?」 御園の腕を取り、埃で汚れた手のひらを露わにする。 「……」 御園が顔を背けた。 「全部振り切って歌の道を突き進むってのは立派だけど、御園には向いてない気がするよ」 「でなきゃ、生き残れない世界なんです」 「人によると思う」 「御園だって、一時的には鬼になれるかもしれない」 「でも、10年、20年と歌い続けてる自分を想像できるか?」 御園がうつむいた。 「今まで話を聞いてきて思ったんだけど……」 「御園は、歌うことで誰かと繋がりたいんじゃないか?」 「金とか名誉とか、ただひたすら上手くなりたいとか、そういう風には見えないんだ」 金や名誉のために頑張れる人もいる。 歌の鬼みたいな人もいるだろう。 でも、御園は違うと思う。 「……」 肯定の言葉を飲み込むように、曖昧な笑みを浮かべた。 「前に言ってた、『歌は花束』って言葉だけどさ」 「先生は、御園みたいな人に向けて言った気がするんだ」 「どういうことですか?」 「花束ってのは贈り物だろ。歌も同じじゃないか?」 「誰かに贈ることで意味が出てくる……的な?」 「的なって……適当ですね」 「すまん」 「でも、誰かへの贈り物だと思って歌ったら、楽しく歌えるんじゃないか?」 「大事なのは、御園が楽しんで歌えるかだし」 御園が思案するような顔になる。 俺の言葉も少しは届いたようだ。 「だとしても、贈る相手なんていません」 「まさか」 俺もいるし、図書部のみんなもいる。 「芹沢がいるだろ」 「あの人は、私を嫌ってます。だから今回も……」 「そりゃ失礼だ」 「芹沢さんは、御園に立ち直ってほしいって言ってた」 「あいつは、こんなところで燻ってるような人間じゃないって」 「……」 御園の眉が歪む。 「芹沢さんは、声楽科でもないのにコンクールに出たんだ」 「普通にやれば負けるに決まってるし、声優がしゃしゃり出て来やがってって思う人もいるだろう」 「当てつけだけで出場するなんて、ちょっと割に合わない」 御園がうつむく。 どれほどの葛藤が彼女の中にあるのか、俺にはわからない。 でも、色んな感情が胸の内を行き交っているのだろう。 「……戻れるでしょうか、あの頃に」 「残念だけど、過去には戻れないよ」 御園が目を見開く。 「でも、新しく作ればいいんじゃないかな」 芹沢さんも、友達には『戻れない』と言っていた。 でも、これから友達に『なる』ことは否定していなかった。 「芹沢さんは、言葉じゃ納得してくれない気がする」 「思ってること全部、歌に込めて贈ってみたらどうだ?」 御園が、泣きそうな顔でじっと俺を見ている。 「行ってこい」 「音叉は俺が探しとくから」 しばらくの静寂。 ステージの歌も、観客の歓声も俺には聞こえなかった。 「……はい」 静かに、しかし強く言って、御園がきびすを返す。 華奢な背中は、すぐ群衆に紛れ見えなくなった。 一体、どんな歌を歌うのだろう。 できることなら聴いてみたいが、こっちはこっちで仕事がある。 さて…… 音叉を探すか。 「……」 御園は何か決意したようには見えたが、やはり音叉をなくしたのはショックだろう。 たとえて言えば、今の御園は風邪の治りかけだ。 ぶり返さないとも限らない。 何とか音叉を見つけてやりたい。 「いや、でもさあ……」 会場は大盛況である。 会場が揺れるほどジャンプしている観客の足下を、這って探すのか? 曲の合間を縫うか……。 「(……そうだ)」 携帯を取り出し、桜庭に電話をかける。 「どうした? 御園はもう行ったか?」 「ついさっき」 「ところで、一つ頼みがあるんだが」 「……サマコンだろう?」 見抜かれていた。 「ああ……でも、歌が聴きたいんじゃない。やることがあるんだ」 「何にせよ、持ち場から離れることには変わりない」 桜庭の強ばった顔が見えるようだ。 「頼む、どうしても行きたいんだ」 一瞬の間。 「……わかった、後は私達で何とかしよう」 「すまん、恩に着る」 「別に着なくていい」 「白崎と鈴木にそっちへ行ってもらうから、到着しだい交代してくれ」 「わかった」 「やれやれ、色男はこれだから困る」 苦笑混じりの声が聞こえ、電話は切れた。 思わず惚れてしまいそうな男っぷりだ。 白崎・佳奈すけコンビに後を託し、サマコン会場までやってきた。 唱歌祭の会場とは違い、緊張した空気がロビーにまで充満している。 大トリの御園まではあと3人。 芹沢さんは、既に歌い終えていた。 関係者じゃない俺は、控え室には入れない。 スタッフに頼み、目標の人物を呼び出してもらう。 「……筧さん?」 訝しげな顔の芹沢さんが現れた。 「呼び出してごめんな」 「いえ、もう出番は終わったんで構いませんけど」 「終わっちゃったのか」 「歌、聴けなくて残念だった」 「またまたぁ」 「それで、ご用件は御園さんのことですか?」 「ああ。ちょっと時間いいかな?」 「少しなら」 そう言って、芹沢さんは人目につかない柱の陰に俺を導く。 「御園は、きっといいものを見せてくれると思うよ」 「だといいですけど」 曖昧に笑う。 「本題だけど、芹沢さん、音叉を持ってない?」 「は? 音叉?」 芹沢さんが、目をぱちくりさせた。 「持ってませんけど、必要なら借りてきますよ?」 「音叉なら何でもいいわけじゃないんだ」 「御園とお揃いの音叉なんだけど」 芹沢さんが、じっと俺を見た。 そのまま数秒。 視線を逸らした芹沢さんが、首の後ろで髪を撫でる。 「もう、なくしちゃいました」 「……」 7月の初め頃、俺は芹沢さんと一緒にいるときに、音叉の音を聞いた……気がする。 正確には覚えていない。 だから、これは賭けだった。 「参考までに、いつ頃なくしたの?」 「歌をやめてすぐだと思います」 「さすがに、覚えてないですよ」 嘘をついているのだろうか。 「御園は今日まで持っていたんだ」 「だけど、唱歌祭のどさくさで行方不明になっちゃってさ」 「もし芹沢さんが持ってたら、貸してほしかったんだ」 「見つかったぞーって嘘つくんですか?」 「こう言っちゃ何ですけど、せこいですね」 「ははは、まあな」 「いや、照れるところじゃないですよ?」 芹沢さんが、ジト目になる。 「ま、なくても何とかなるとは思うんだ」 「ただ、御園が失敗する要素は、できるだけ減らしておきたかったからさ」 「必死ですねえ」 「そうな……自分でも驚いてるくらいだよ」 「ノロケって解釈でいいですか?」 「好きかどうかなんてわからない」 「今はただ、あいつが楽しく歌ってくれればそれでいい」 「俺も、意地になってるのかも」 「なるほど」 呆れたように、芹沢さんが息をついた。 「千莉って子は昔からそうです」 「自分が、どれだけ恵まれてるのかわかってないんですよね」 言いながら、芹沢さんがポケットに手を入れた。 「そういえば、筧さん?」 「ん?」 「ラーメン次郎って行ったことあります?」 「ないけど……量が多いんだろ?」 「実は、私も食べたことないんです」 「一応、週3女ってことになってるんで、味くらいはわかってないとまずいんですよね……」 わかりやすく視線を向けてきた。 「今度奢らせてくれ」 「わーラッキー、ありがとうございます」 言葉と同時に芹沢さんが見せたのは、銀色の音叉だった。 表面は傷だらけで、ほとんど光沢がない。 傷の一つ一つが、芹沢さんの歴史なのだろう。 「なくしたんじゃなかったっけ?」 「さあ? どこ情報ですか?」 芹沢さんが、にっと笑った。 「御園さんのために貸すんじゃありません」 「ぶきっちょで一生懸命な筧さんに免じて貸すんです、勘違いしないで下さい」 「ありがとう」 音叉を受け取った。 「それでは、次郎を楽しみにしてます」 ぺこりと会釈をして、芹沢さんは俺に背を向けた。 後ろ姿に、敬礼したい気分だ。 「……」 さて、あと一仕事だ。 まずは、音叉が見つかった旨のメールを御園に送る。 これで安心はできない。 携帯は楽屋に置きっぱなしだろうから、御園が確認してくれるとは限らないのだ。 五月雨のような拍手の中、俺はホールに入った。 大トリの一人前の発表が終わったタイミングだ。 次は、御園である。 薄暗い階段を急いで進み、最前列付近まで迫る。 空席はない。 不審人物一直線だが、目立たないよう通路に腰を下ろした。 「プログラムナンバー20。御園千莉さん」 事務的な女性の声が流れた。 ライブとはまったく違い、盛り上げようという意図は一切ない。 ざわついていたホールが、ビタリと静かになった。 ぽつぽつ聞こえる咳払いが、妙にうるさく聞こえる。 靴音と共に、舞台袖から御園が出てきた。 全くの無表情。 何も目に入っていないかのように、一直線にステージの中央に向かい、直立する。 マイクも譜面もない。 あるのは、御園の身体ただ一つ。 今しかない。 覚悟を決め、音叉を持った手を掲げた。 御園、気づいてくれ。 御園っ!! 「……」 御園が眼球だけを動かし、俺を見た。 音叉を振ると、御園の目がわずかに見開かれた。 今はコンクールの真っ最中。 御園と言葉を交わすことはできない。 だが、彼女の反応から、俺は俺のやるべきことができたのだと…… 「一言、言わせて下さい」 御園の声が、鏡面のように鎮まった会場に波紋を作る。 「減点になっても構いません」 「それでも、言わせて下さい」 会場が再び静寂に包まれた。 「この歌を、私の大切な友人に」 「そして、私を支えてくれた人達に捧げます」 御園の視線が、俺を捉えた気がした。 願望かもしれない。 いや、もう考えるのはよそう。 「よろしくお願いします」 御園の一礼に、拍手が起こる。 それも数秒。 凍るような静寂。 演者と伴奏が視線を交わす。 瞬転── ピアノの高音が静寂を砕いた。 歌、なのだろうか。 御園の身体から流れ出した音の連なりは、俺の持っていた歌の概念を越えていた。 それは、歓喜であり、哀泣であり、慰撫であり、慈愛であり、威令であり── 言語を超越し、直接的な感情の塊としてぶつかってくる。 思考の入り込む余地などない。 聴衆はただ、間断なくうねる音の奔流に身を委ねるしかないのだ。 今や、大講堂は御園の声に支配されていた。 誰も彼女から目を離せない。 誰も耳をふさげない。 呼吸すら忘れ、御園の意のままに、感情を操られる。 「……」 気がつけば、俺は講堂にいることすら忘れていた。 見ているようで見ていない。 聴いているようで、もはや聴いてすらいない。 次々と繰り出される、無数の色彩を旅していた。 これが、御園か。 俺は、なんて人間の傍にいたんだ。 いつの間にか、御園の歌唱は終わっていた。 時間の感覚はすでに喪われている。 巨大な質量に蹂躙されたかのような余韻が、大講堂に満ちている。 終わった。 まず、呼吸することを思い出す。 次に、瞬き。 そう、俺は歌を聴いていたのだ。 御園千莉の歌を聴いていたのだ。 会場が揺れた。 雷鳴が万も轟いたかのような拍手。 座っている人間などいない。 ステージ上で、御園がわずかに腕を広げる。 待ちわびた夏の陽を、一身に受ける向日葵のように── 御園の表情は眩しく弾けた。 頭が真っ白だった。 自分が、歌っていたという感覚もない。 ステージに上がって、筧先輩を見て、ああ良かったと思って…… あとは…… 夢を見ていたような気がする。 幼い頃から今までの、夢。 それは、音叉に刻まれた傷の記憶を、一つずつ再生するかのような時間だった。 もしかしたら、私はステージ上で泣いていたのかもしれない。 ううん、笑っていたのかな? 怒っていたのかもしれない。 ああ、でも、一つだけ確かな感覚があった。 私は、願っていたんだ。 私の声が、筧先輩に届くことを。 私の声が、図書部のみんなに届くことを。 私の声が、水結に届くことを。 ……届いたのかな? 「お疲れ様」 水結が目の前に立っていた。 「水結」 「言葉もないよ……すごかった」 「ねえ、水結」 「千莉に比べたら、私の歌なんて子供の遊びだね」 「友達になってよ」 「感想くらい言わせてよっ!?」 「……どうぞ」 「もう終わったから」 水結が鬱陶しそうに頭を掻く。 「泣かないでよ」 「え?」 泣いている? 私が? 手で頬に触れる。 「そっか、私……」 何故か笑ってしまった。 「おい」 水結が、私の顔にハンカチを投げつけた。 「私が泣かせたみたいじゃない、やめてよ」 「ごめん」 涙を拭く。 なんだか、懐かしい匂いがするハンカチだ。 「……なってあげてもいいかもね」 「ん?」 水結が腰に手を当てて私を見ている。 「友達にさ」 「水結……」 今度こそ、水結に泣かされた。 下を向くと、こぼれ落ちた涙が次々と床で弾けた。 「こんなに泣き虫だったっけ?」 「知らない……覚えてないよ……」 水結が私の肩に手を置いた。 それがなぜか、抱きしめられるよりも嬉しかった。 「そっか……そうだね……」 あれから、長い時間が経った。 お互い違う道を歩き、知らない人間になり、歩いて歩いて…… 何故かまた、道が重なり合った。 「私、泣き虫は嫌いだから」 「わかってる……今だけ……」 「……じゃあ、私も、今だけ……」 身体が、水結の熱に包まれた。 サマコンの授賞式は、予定よりも30分遅れて終了した。 御園の行為が問題となったのだ。 審議の結果、御園が受賞したのは金賞。 なんでも、審査委員長の鶴の一声が全てを決めたらしい。 この人物は、世界クラスの音楽家で、10年に1度しか笑わないと揶揄される人だという。 良くも悪くもキャラの濃い人物が、笑顔で『面白いからよし』というんだから周囲はどうしようもない。 「あー……おかえりなさーい……」 部室に戻ると、みんながぐったりと机に伏せっていた。 精も根も尽き果てた、という様子だ。 「ごふっ……ごほ……ごほ……」 デブ猫まで死にそうだ。 お前は寝てただけだろうと言いたい。 「サマコンどうでした?」 佳奈すけが重たげに頭を起こして聞いてくる。 「ん」 御園がトロフィーを見せる。 「……あ、なにそれ。まさか優勝したの?」 「優勝っていうか、金賞」 「すご!」 佳奈すけの声に、みんなが顔を起こす。 「触らせて触らせて〜」 「あ、わたしも」 「私にも見せてくれ」 「はい、ちょっと待ってください」 御園が机の上にトロフィーを置くと、女子たちがわらわらと手を伸ばす。 「千莉ちゃん、やったな」 「ありがとうございます」 「筧、お疲れさん」 「見てたのかよ」 「いや何となく」 「何となくで言うな」 お互い疲れてるせいでやりとりが適当だった。 「すごいなー……千莉ちゃん、よく金賞取れたね」 「別に大したことないです」 照れてるのか本気でそう思っているのか、謙遜する御園。 「名実共に学園の歌姫だな」 「ますます有名になっちゃうねえ」 「嬉しくない」 御園が疲れた顔を見せる。 「ま、何にしろよかったじゃないか」 「……あの、桜庭先輩」 「なんだ?」 「ありがとうございます、色々配慮していただいて」 「白崎先輩も高峰先輩も佳奈も、ありがとうございます」 「ああ、筧をコンサート会場に行かせたことか?」 「それなら気にするな」 「白崎も鈴木も暇だって言ってたから、ついでだ」 「そんなこと言ったかなぁ……」 「お姉様、そういうことにしときましょう」 「私たちの犠牲が、二人の歩むヴァージンロードになるんですよ」 佳奈すけが窓の外を指さした。 「なに言ってるの?」 「何にしろお疲れさんだ」 「今日明日は各人、ゆっくり疲れを取ろう」 「は〜い」 「よし、帰るか」 桜庭の声に、各々よろめきつつ立ち上がった。 「あの、一ついいですか」 「どうしたの?」 「このトロフィーなんですけど……ここに飾っていいですか?」 「え、うん……いいけど、千莉ちゃんはそれでいいの?」 「はい、みんなが力を貸してくれなかったらサマコンで歌えてないですから」 「これは図書部のみんなで取ったものだと思います」 すぐ目の届く位置、窓際にトロフィーを飾る御園。 トロフィー自体は小さな物だったが、どこかしら箔がついた雰囲気になった。 「私たち、別に何もしてないですよね」 「細かいことは言いっこなしよ」 「本当は筧さんのお陰って言いたいけど、照れ隠しってことですか」 「野暮言うなよ」 「……二人ともサボテン好きですよね」 御園がサボテンを手に取り、二人に近づいていく。 「おわ〜っ」 「さすがにそれは痛いだろっ」 佳奈すけと高峰が逃げだす。 「あいつら元気あり余ってるな……」 「若いからねぇ」 妙に老けたセリフを呟く白崎たち。 本当に長い一日だった。 化粧直しに部室を出ると、タイミングを見計らったかのように千莉が追い掛けてきた。 私に話しかけてくるまでの数秒。 どう対応するか考えた。 ……ま、いいか、何でも。 千莉をはじめ、図書部の人間相手に肩肘張ったところで何も得るものはないのだ。 だって、みんな底抜けにいい人達だから。 「佳奈、待って」 幾分緊張しているのか、千莉が言葉を探す。 「今までありがとうね」 「どうしたの、唐突に」 「コンクールで悔いなく歌えたのは、佳奈のお陰」 「何度も相談に乗ってくれてありがとう」 「力になれたならよかった」 微笑みを返す。 「それに、筧先輩のことも」 「私がうじうじしているとき、背中を押してくれたから」 「どーいたしまして」 鈍い痛みを笑顔で流す。 「んで、Kさんとはどうなったの?」 「……まだ」 「いやいやいやいや、もうくっついた感じの話だったじゃん」 「これから、だから」 千莉がすっきり笑う。 詳細はわからないが、決心しているようなので心配いらないだろう。 「くっついたら、レポートよろしく」 「うん」 一皮むけたんだとわかる表情だった。 勝ち組は眩しい。 「じゃ、私、トイレ」 眩しさに背を向ける。 「ねえ、佳奈」 「今まで、私のこと、子供っぽいとか、鈍くさいとか思ってたかもしれないけど……」 「……」 足が凍り付いた。 千莉が言うようなことを考えてたわけじゃない。 でも何故か、やられた、という感覚があった。 私は見透かされない、という変な自信があったのかもしれない。 「これからも、よろしくね」 千莉が微笑んでいる。 おかしい。 自分の中で、何かがどんどん崩れていくのがわかる。 「仮にの話だけどさ」 「千莉が言っていることが当たってたとして、そんな奴と友達続けられるの?」 何故か、攻撃的な言葉をはいている自分がいた。 それでも千莉は微笑みを崩さない。 私なんかより、何倍も大人な気がする。 「友達は無理かも」 「だから、これからは親友にしてくれると嬉しいかな」 「……」 ずきゅんと来た。 なんてこったい。 鈴木佳奈が、こんなところで落とされるというのか。 「……やばし」 「え?」 「いろいろ漏れるから、トイレ」 「あ、ごめん」 千莉の声が沈んだ。 振り返る。 「一緒に行こうよ」 「やっぱりさ、女子は一緒じゃないと」 「ふふ、そうだね」 軽やかな足取りで、千莉が近づいてくる。 ……この人が親友か。 胸の中はまだモヤモヤとしている。 でも、時間と共に、全てがクリアになる予感がした。 そう、細かいことは全部後回しだ。 今は幸福な予感に身を任せていればいい。 御園と一緒に帰り道を歩く。 みんなが気を遣ってくれ、俺たちは2人きりだ。 「そういえば、芹沢さんと話はしたか?」 「はい、いろいろと」 「昔みたいに、仲直りは?」 「……いえ」 思わず足を止めた。 「そっか……駄目だったか」 「でも、新しく友達になりました」 「過去には戻れないんですよね、センパイ?」 御園が、すっきりとした表情で笑う。 てらいのない自然な笑顔だった。 「水結には怒られました」 「お前は、もっと自分が恵まれてることを自覚しろって」 「どの辺りが恵まれて見えるんだろうな」 「持って生まれた声質と……その、いろいろです」 御園の顔が赤く染まる。 友達とか、人間関係とか、そんなことを言われたんだろうか。 「ともかく良かった。安心したよ」 御園の頭を軽く撫でる。 もっと一緒にいたいが、御園も疲れているだろう。 「それじゃ、また明日な」 「今日はゆっくり休んでくれ」 「あっ……はい」 「今日はお疲れさん」 「……」 御園は黙ってうつむいてしまった。 がくん、と身体が後ろに引っ張られた。 「おっ……?」 「あ、あのっ」 御園が俺の服をつまんでいた。 「どうした?」 「その……」 「特にどうってことはないんですが」 しどろもどろの御園。 必死で何かを考えている様子だった。 「まだ先輩にお礼とか、色々言っていなくて」 俺は、礼を言われるような人間じゃない。 なぜなら、御園に嘘をついている。 例の音叉のことだ。 今、俺のポケットの中にあるのは、芹沢さんから借りたものだ。 御園の音叉が見つかれば八方丸く収まったのだが、結局見つからなかった。 「礼を言うのは待ってくれないか」 「え?」 怪訝な顔をする御園。 「俺は、御園に一つ嘘をついてるんだ」 「……嘘?」 御園が俺の顔をまじまじと見る。 そして、にこりと笑った。 「音叉のことですか?」 「……知ってたんだ」 「水結から聞きました」 「騙してすまなかった」 「御園の心配を少しでもなくせればと思ったんだ」 御園が首を振る。 「話を聞いたときは驚きました」 「騙すなんてひどいとも思いましたけど、水結に言われたんです」 「自分のために、ここまでしてくれる人がいることに感謝しなくちゃいけないって」 御園が俺の目を見る。 「先輩のお陰で、自分の歌い方を見つけることができました」 「みんなに気持ちを届けるために頑張っていこうって思えるようになりました」 「私のこと、ずっと見ててくれて嬉しかったです」 「本当にありがとうございました」 改まって言われると気恥ずかしい。 御園が熱っぽい目で俺を見てくる。 「俺が望んでやったことだから」 御園のことがずっと、気にかかっていた。 最初は桜庭たちに言われたから、図書部のためだからと思って御園に関わってきた。 だがいつの間にか、噂や図書部とは関係なく御園の傍にいたいと思うようになっていた。 御園が好きになっていた。 「そんな風に言われたら、普通誤解します」 「誤解じゃない」 「俺は御園のことが好きだよ」 御園が小さく息をのむ。 「だったら……聞いてください」 「私が先輩のこと、どう思ってるか」 か細く、消え入りそうな声で告げる御園。 そうか……そうだよな。 俺は自分の気持ちだけ伝えるばかりで、御園の気持ちに注意を払っていなかった。 「御園は、俺のことどう思ってる?」 「好き、ですよ」 御園の一言が、熱を伴って伝わってきた。 頭の芯が熱くなってくる。 振り返り、御園を瞳の中に収める。 見つめてくる御園の可愛らしさに、頭がくらくらしてきた。 「こういうの初めてだからさ」 「なんて言ったらいいのかわからないんだけど」 「こんなに好きなのは、御園だけだ」 普段はなめらかに舌が回るのに、今はこんな月並みな言葉しか出てこなかった。 「……嬉しいです」 「俺でよければ付き合ってくれ」 「はい、喜んで」 OKしてくれた。 「これで……恋人同士?」 「ですね」 「思っていたより呆気ない」 「ですね」 「……もう少し面白いことを言ってください」 「無茶ぶりするなよ」 「熱烈に愛を囁いてくれても困りませんよ、センパイ?」 御園がいたずらっぽく微笑む。 「今までの読書の成果を見せて下さい」 「おい、ハードル上げないでくれ」 困惑する俺を楽しそうに見ている御園。 「お前、愉しんでるだろ?」 「先輩が困った顔を見せてくれることなんて、ほとんどないですから」 御園はSだった。 こういう風に、可愛らしくからかってくるところが、妙にツボだったりする。 「センパイ、ほら、面白いこと」 「……」 困ったな、何も思い浮かばない。 「……ヒント」 「それじゃあ……」 御園が視線を逸らす。 「『これから、金賞のお祝いをしよう』……とか」 「……」 一人になりたくないってことか。 しかも、これからお祝いをすれば、日付をまたぐ。 会場になるのは、どちらかの部屋だろう。 「……言ってくれないんですか?」 残念そうな顔をする御園。 「『なーんてね』とかいうオチだろ?」 「言ってみなければわからないですよ」 マジか。 「……これから、金賞のお祝いをしよう」 「…………いいですよ」 「え?」 「えっ?」 お互い疑問符を突きつけ合う。 「いいって、いいの?」 「な、何を期待してるんですか……おかしいです」 そう言う御園も緊張で落ち着かない。 こっちまで変な汗が出てきた。 「やっぱり帰るわ」 冷たい目で見られた。 「いや、もう遅いし」 「明日になったら、お祝い気分が薄れます」 「でも、まだ俺たち……って、もう恋人同士か」 「そうですよ」 「でも、さっき恋人になったばっかりだ」 「時間は関係ありません」 きっぱり言われた。 「じゃあ、とりあえず、乾杯くらいは」 「おじゃまします」 「どうぞ」 久しぶりに御園の部屋へ入った。 以前よりぬいぐるみが増えている。 「……犬?」 ソファに鎮座するぬいぐるみを撫でてみる。 「失礼ですね、うさぎです」 「ぬいぐるみ、好きなんだ」 「本当は生きてる動物を飼いたいんですけどね」 御園はキッチンに回り、コップを出してきた。 「お水ですけど、どうぞ」 「ありがとう」 冷えた水を一気に飲み干す。 「はあ……生き返る」 「暑かったですね」 「そうだな」 答えながら、テレビの脇の本を眺めるともなく眺める。 御園の方をじっと見つめているのは少し恥ずかしかった。 「気になる本、ありました?」 「え? ああ、まあ」 「何だか上の空です」 「もしかして、緊張してます?」 「してるよ」 「実は、私もです」 そう言って、御園はくすりと笑う。 「まさか、いきなり部屋に上がることになるとは思わなかった」 「私、一人が嫌いなんです」 「いつも誰かと一緒にいたいタイプか」 「そう見えないかもですけど」 何となく、部屋のあちこちにぬいぐるみが置いてある理由がわかった。 「俺と一緒で楽しい?」 「先輩が楽しいことしてくれれば、楽しいです」 小悪魔フェイスでこちらを覗き込んでくる御園。 「フリがきついって」 「おちゃらけるの苦手なんだから、もう少しお手柔らかに頼むよ」 「ふふっ、また先輩を困らせちゃいました」 「喜ぶな」 「ぞくぞくします」 「このままだと御園に食われそうだな」 「……」 御園が恥ずかしそうに目を逸らす。 なに、そのリアクション。 まさか……いや、まさかだろう。 「あのさ、御園」 「なんですか」 「なにか、よからぬこと企んでないか?」 「……人の心の中を読まないでください」 当たってしまった。 いや、これは当てて良かったのか。 「御園さん」 「普通に呼んでください」 「じゃあ、千莉」 「あ……」 「ごめん、今のは冗談」 「えーっ!」 ものすごい勢いで抗議されてしまった。 「千莉って呼んでいいの?」 「はい」 「千莉さ、その……俺たち、まだ付き合い始めて間もないんだ」 「ですから、時間は関係ありません」 「そういうことを言ってると、マジになるかもしれないぞ」 「ケダモノですね。さすがセンパイ」 でも顔は嬉しそうだったりする。 からかわれているのか、本気なのか。 「今日は疲れただろうし、ゆっくり休んで、また次の機会にしないか?」 「私、平気です」 「いやほら……俺、汗臭いし」 「あ、そうですね」 「では、お風呂入れてきます」 「ちょっと待った」 千莉の服の裾を掴む。 「何ですか?」 「……本気なのか?」 俺の問いに、御園が真面目な顔になる。 「私は嫌じゃありません」 「もちろん、先輩が嫌ならやめますけど」 上目遣いに言ってくる。 女の子にここまで言われて、何もなしないのはナシだろう。 「じゃあ……御園、いいか?」 「……そんな呼び方じゃだめです」 間違えた。 「千莉」 「はい」 俺は千莉を、ゆっくりとベッドに押し倒した。 「きゃっ……」 ベッドに転がった千莉が可愛らしい声を上げる。 「どこか痛かったか?」 「いえ、大丈夫です」 「それより先輩、お風呂は……」 「ああ、忘れてた」 考えてみれば、今日は働きづめだった。 「私も汗かいてて……このままじゃ恥ずかしいです」 「でも千莉、いい匂いだ」 千莉からは微かな花の香りがした。 「やっ……先輩だめです、嗅がないでください」 「恥ずかしいです……」 「ごめん。でも、我慢できそうにない」 かわいい後輩のこんな姿を見て、我慢できる方がおかしい。 「さっきまで遠慮してたのに、積極的になるんですね」 「悪い」 「でも嬉しいです。先輩に求められてるんですから」 「千莉……」 千莉が一言紡ぐ度に愛おしくなってくる。 その愛らしい唇に、そっと唇を近づけていく。 「あ……」 「千莉……」 「んっ……んふっ……」 千莉の柔らかい唇の感触が伝わってくる。 それだけで何も考えられなくなった。 「んくっ……ふう、んっ……んん……っ」 「ちゅっ……んくっ、んっ……あふっ……」 「んっ、んん……あんっ、はっ……んうぅっ……」 唾液でしっとりと濡れた唇を互いに吸い合う。 俺の身体のすぐ下には、千莉の身体がある。 体温を感じながら唇をくっつける、ただそれだけの行為にここまで興奮するとは思わなかった。 「ちゅるっ……んっ、くぁっ……はっ、んっ、ふっ……」 「んっ、あふっ……ん、ちゅんっ……先輩っ……」 「はぁっ……んっ、ん……ふっ、ふあぁっ……」 止められない。 いつまでも千莉の唇を吸っていたい。 「んっ……くぅんっ、んん……っ」 「はあっ……んっ、先輩っ……んくっ、んっ……」 「んふぅっ……ちゅっ、んっ……はっ、あんんっ……」 唇を吸う音が、あごを伝って耳に響いてくる。 キスだけなのに、下半身は痛いくらいに勃起していた。 「んっ……はあっ……」 「千莉……」 「んっ、先輩のキス、すごく激しいです……」 千莉の息が荒い。 ちょっと興奮しすぎたか。 「苦しかった?」 「いえ、すごく気持ちよかったです……」 「いくらでも、ずっとずっとしていたいくらいいです」 とろんとした表情で千莉が見つめてくる。 こんなに喜んでくれるなんて、本当に嬉しい。 「それじゃ」 「あっ、んん……っ」 「んっ……ふっ、あぅ……んっ、んちゅっ……」 「ちゅっ、んくっ……んっ、はぁっ……あっ、んん……っ」 千莉の唇を貪りながら、もっと強い刺激が欲しくなってくる。 そっと、千莉の唇の割れ目に舌を入れてみた。 「あっ……あんっ、んんん……っ?」 「ふぅっ……んくっ、あふっ……んんんっ、んっ」 差し入れた舌を、ちろちろと自分の舌で舐めてくる千莉。 「んちゅっ……ふあぁ、くちゅ、んくっ……あっ、んぁっ……」 「あふっ、ああっ……ふうぅんっ……あ、ちゅくっ、ちゅっ、」 舌を絡ませて、互いの唾液を混ぜ合わせる。 気が遠くなるほど気持ちよかった。 「あんっ、ちゅっ、くちゅっ……ん、む、ちゅっ、んふ……はうぅっ……」 「はふっ、んふぅ……れろっ、んちゅっ、んむ、んくぅっ」 今度は千莉の舌が入ってくる。 小さく可愛らしい舌を、軽く吸ってやる。 「ん、あぁっ、あっ……ふあぁっ、あんっ……んくっ、んんんっ、あっ……」 「んっ、くぅんっ、んん〜っ……あんっ、んっ、んくっ……はあっ、あっ……」 舌を味わうように吸いながら、ゆっくりと口を離す。 「はあっ……はっ、ああっ……」 「千莉、大丈夫か?」 「先輩……先輩っ……」 千莉がきゅっと抱きついてきた。 「好きです……先輩っ……」 「俺も大好きだ、千莉」 「……キスってこんなに切なくなるものだったんですね」 「身体の中から熱くなって来ます」 「俺も初めての感覚だよ」 世の中のカップルが盛んにキスをする理由がわかった気がする。 こんなに気持ちいいものなら、毎日だってしたい。 「先輩」 「なんだ?」 「すごく暑くなっちゃいました」 「……服、脱がせてください」 今更躊躇するのも野暮だ。 「わかった」 服を脱がせ、ブラウスのボタンを外した。 「涼しくなった?」 「……逆効果でした」 「恥ずかしくて、顔から火が出そうです」 以前、水着を着た時に見せてもらった千莉の曲線美が、目の前にあった。 この身体に、何をしてもいいのだ。 「もっと……涼しくするか?」 「えと……あの……」 返答に困る千莉がかわいかった。 そんな千莉のお腹辺りに手を這わせる。 「ひゃっ……あ、んっ……」 「くすぐったい?」 「やんっ、ちょっとっ……くすぐったいですっ……」 「敏感なんだな」 「そっ……そうなんですか……?」 ちょいと指を立ててつついてみる。 「んひゃっ……んふふっ、な、なにを……」 「あっ、ふあはははっ、ちょっ、くすぐったっ……」 「せ、先輩っ……うふふっ、なんでくすぐってるんですかっ……」 腹を指でなぞっただけで、千莉の身体は面白いように跳ねた。 「はあ、もう……ひどいですよ」 「よし、真面目にやろう」 「それもどうかと思いますけど……」 「きゃっ……」 千莉のブラジャーに手をかけ、ゆっくりとずり上げる。 ぷるっ、と形のいい胸が震えた。 「やっ、はっ……恥ずかしいです……」 「大丈夫、綺麗だ」 息をする度に、ほどよい大きさの乳房が上下する。 「……んっ……」 そっと千莉の胸に触れる。 もっちりとした膨らみが手のひらに吸い付いてきた。 「くっ……あんっ、あ……はっ、んん……っ」 「ふぁっ、あっ……んっ、くぁっ……」 回すように手でこねくると、千莉が色っぽい吐息を漏らした。 膨らみの頂点にある、つんと勃ったものを指でつまむ。 「ひゃんっ、ああっ……」 「んっ……あっ、んくっ、あぁんっ……」 「どう?」 「はい……ぞくぞくってします……」 触っているうちに徐々に乳首が硬くなってきた。 桃色の突起に誘われ、口を近づける。 「あっ、筧先輩……な、何を……ああぁっ、んんんっ」 乳首を口に含み、軽く吸ってみた。 「や……んっ、はあぁっ、ふ……ああぁっ、ん、やっ、んあぁっ……」 「あっ、んふっ、あぁっ、んっ……くぅんっ、んん……っ」 千莉の身体が上下に跳ねる。 気持ちいい……のかな。 「んっ、んん……はふぅっ、んくっ、やっ……」 「ああっ、あっ、ふあぁっ……あんっ、くぁっ、んうぅっ……」 口の中でころころと突起を転がしながら、もう一方を手で刺激する。 「んんんっ、ふあっ……やっ、せんぱいっ……き、気持ちいいですっ……」 「あっ、そんな吸っちゃ……んっ、だめぇっ……」 そう言われても止められない。 千莉の膨らみをぎゅっと揉みしだきながら、乳首を吸い続ける。 「だっ、だめ、ですってばぁっ……ふあっ、んあぁっ、んっ、んふぅっ……」 「ひぃんっ、んっ、んん……お、かしくなっちゃうっ……」 口を離し、ブラウスとブラジャーを優しく外す。 「あっ、んんんっ、ふあぁっ……」 再び胸を愛撫する。 両手で乳房を揉みながら、つんと尖った先を舌先でこねくり回す。 「あぁんっ、んっ……くぅっ、うぅんっ、あっ、ああぁっ」 「やっ、そんなに舐められたら……じんじんしてっ……」 「ふああぁっ、んん〜っ……はっ、んくっ、ああっ、せんぱぁいっ……」 千莉の口から甘い吐息が漏れた。 元からの美声が更に艶を帯びている。 「んっ、くふぅっ……ああぁっ、せ、先輩っ、激しいですっ……」 「ふうぅっ、んっ、くあぁっ……」 口を離し、千莉の胸から手をどける。 さんざんに刺激された双丘は、火照って桜色に染まっていた。 「もう、先輩のばか……」 「どした?」 「胸ばっかりだと……切ないです」 もじもじと太ももを揺らす千莉。 下も触っていいよ、ということだろう。 「あ……」 白くてすべすべとした太ももを撫でた。 内側のきめ細かく柔らかな肌の感触を存分に楽しむ。 「ふっ……んっ、やっ……くすぐったいです……」 「ここもくすぐったいのか」 本当に敏感なんだな。 太ももの内側、股間に近いところからパンツの外縁部をそっと撫でる。 「あ……ち、違う……」 「違うって何が?」 「な、何でもないです」 「ただ、少し、その……優しすぎて、もどかしいです」 「……わかった」 意を決して、パンツの上から千莉の秘部に触れる。 「あっ……んあぁっ……」 「くぅんっ、んっ、ふぁっ……」 思った以上に柔らかくて、呆気なく指がめり込んでいく。 そのまま指を上下に滑らせてみる。 「あっ、んっ、んくぅ、ふああぁっ、ああっ……」 「んはぁっ、あくっ、ん、あ、んっ、ああぁっ……」 千莉から出てきたらしい、ぬるぬるした液体でパンツが滑る。 パンツの中がすごいことになっていた。 「濡れてるな……」 「やだっ、それ、はっ、先輩がっ、あっ……じらすからですっ、くうぅっ……」 「んっ、ふあぁっ……やぁっ、んん……っ」 ぬめぬめとした粘液が溢れ、千莉の秘部の上で指が滑る。 もうパンツはびしょびしょだった。 「千莉、お尻上げて」 「んっ……はい」 俺はパンツに手をかけ、そっと脱がせた。 「……んっ……」 千莉の秘部は粘液で濡れ、輝いている。 割れ目に埋もれるようにしながら、薄い桃色のひだが顔を出していた。 「先輩、そんなじっと見ないでください……」 「すまん……興奮してて」 「……どうですか?」 「綺麗だよ、すごく」 いやらしくて綺麗だった。 もう我慢ができない。 「千莉……」 「大丈夫ですよ。もう十分濡れてますから……」 「先輩の、入れてください」 千莉が微笑む。 あまりの可愛らしさに、頭がくらくらする。 千莉の誘いに乗り、服を脱いで千莉に覆い被さった。 「わ……」 「な、何ですか……それ……」 千莉は固く怒張した俺のペニスを見て驚く。 「何って……あれだが」 「いえ、その、思ったより大きいんだなって……」 「そうかな」 多分、標準的な大きさだと思う。 「だ、大丈夫でしょうか?」 千莉が心配そうな顔になる。 千莉の裂け目と比べると、本当に入るのかどうか怪しく見える。 かなり広げないと無理かもしれない。 「やめておくか?」 「こんなところでやめられたら……切なくて死んじゃいます」 「ひと思いにお願いします」 「できるだけ、痛くないようにするよ」 「お気遣い無用です」 「私は、先輩が初めての相手というだけで嬉しいです」 「痛かったとしても、大事な思い出になりますから」 可愛いことを言ってくれる。 これじゃ、愛おしすぎて、止まろうとしたって止まれない。 「じゃ、入れるな」 「……はい」 千莉の閉じた割れ目に亀頭をあてがう。 「あっ……先輩の、熱い……」 「千莉のここもだ」 どこに入り口があるのかわからない。 陰部の上で亀頭を動かして、千莉の膣口を探る。 「んっ、も、もっと下ですっ……」 千莉に導かれ、ようやく入り口を見つけた。 「行くぞ」 「はい……」 「んっ……ああっ、んくっ……」 腰に力を込めると、徐々に肉棒が千莉の膣内へと潜り込んでいく。 肉棒の太い部分が中に隠れた。 「んんんっ、っつうっ……あくぅっ、ふあああぁぁぁっ」 「んぅっ、んはあぁっ、あっ……んんんぅ、んああぁぁっ……」 引っかかっていたつかえが取れ、一気に千莉の膣内に肉棒が飲み込まれた。 「千莉、大丈夫か?」 「だい、じょぶですっ……」 千莉はつらそうに顔を歪め、うっすらと涙を浮かべている。 自分にはわからない痛みだけに、どうしようか迷う。 もしかしたら、死ぬほど痛いのかもしれない。 「つらいなら抜くよ」 「だめっ……だめですっ……」 ぎゅっと俺の腰を掴んでくる千莉。 「このまま、しばらくこのままにしてもらえれば、大丈夫ですからっ……」 「……わかった」 「はあ……はあっ、んっ……あはぁっ、はあっ……」 荒い息をつき、必死で堪えていた。 それに呼応して膣内が収縮し、肉棒を圧迫してくる。 「んっ、はあっ……はあっ……はふぅっ……」 「くっ……」 熱くぬるぬるとした膣壁がうねって快楽を与えてくる。 このままだと、動かなくても果ててしまいそうだった。 「せ、千莉……ちょっと手を離してほしいんだけど……」 「えっ、あっ……抜いちゃだめですよ?」 「いや、もう出そう……かも」 「んっ……まだ、もう少し我慢してください……」 千莉の膣内が亀頭から肉棒の根本まで、満遍なく圧力をかけてくるのだ。 これで我慢しろと言われてもきつい。 「少しだけ抜かせてくれ」 「だめ……ですっ」 「せっかく一つになれたのに、切なすぎます」 「ずっと……ずっと、こうしていたい」 「離れるくらないなら、このまま出して下さい」 「中に出したら……まずくないか」 「今日は平気な日ですから、安心してください……」 「……そ、そうか」 きちんと計算していたらしい。 「ふぅ……やっと落ち着きました……」 「痛くないか?」 「痛かったですけど、少し慣れましたよ」 「そっか」 「先輩……もう動いて大丈夫です」 「いや、今動いたらやばい」 肉棒はびくびくと脈を打っており、あと少しでも刺激を与えたら射精してしまいそうだった。 「イっちゃう、ってことですか?」 「そうだよ」 「……随分早いんですね」 「うぐ」 そのセリフは、男には禁句なんだがな……。 「あ、すみません……私、変なこと言いました?」 「いや大丈夫……」 ちょっと傷ついた。 「あの、先輩」 「男の人って、1回出したら終わっちゃうんですか?」 「いや、どうだろう……1回ってことはないかな」 千莉の裸を前にして、一度で収まるとは思えない。 何回でも行けそうな気分だ。 「……それなら、あの……続けて下さい」 「え?」 「も、もう、察してくださいよ」 「つまり、その……夜は長いみたいなことです」 「言わせないで下さい」 千莉が足をぱたぱたさせる。 「ちょっ……頼む、動かさないでっ……」 熱くぬかるんだ膣内できつく陰茎が締め上げられ、射精感がこみ上げてくる。 女の子の中がこんな気持ちいいものだとは思わなかった。 「ふふっ……これ、ちょっといいですね」 「先輩がかわいいです」 「なんだよそれ」 千莉がイタズラっぽい目で俺を見る。 「私、先輩にもっと気持ちよくなってもらいたいです」 「だから……動いてください」 千莉が無邪気な顔で見つめてくる。 可愛くてたまらない。 「わかった……じゃ、動かしてみる」 「はい、頑張ってください」 後輩にそう言われては、張り切るしかない。 俺は膣奥まで挿入した肉棒を、ゆっくりと千莉の中から引きずり出す。 「ああ……っ、あ、あんっ……」 「ふあぁっ、あ……あっ、ああっ、んんん……っ」 千莉が身体に力を入れる度に、強烈に肉棒が圧迫される。 「く、あふぅっ……あっ、んっ、くぅっ、あはぁ……っ」 「んやぁっ、んむっっ、ふうぅんっ……や、……ああぁぁ……ぁぁ」 「はっ、せんぱっ……んっ、すごいっ……気持ち、いいかもっ……」 最初は歯を食いしばっていたが、徐々に恍惚とした表情に変わっていく。 今や身体中がピンクに染まっていた。 「んっ、あはっ、ふああぁっ、んっ、く、はぁっ、あああぁっ」 「あっ、くぅんっ……んっ、あんっ、う、あんんっ、ふああぁぁんっ」 「やあぁっ、な、なにこれっ……すごいっ、先輩のっ……すごいですっ」 「おくっ……あんっ、気持ちいいっ……ああっ、んふうぅぅっ」 こみ上げてくる精液を必死でこらえ、千莉の膣奥を突く。 その度に、熱くなった肉壁にきゅうきゅうと締め上げられる。 「んっ、んあぁっ、くふっ……ああっ、ん、やぁんっ」 「んん……はあぁっ、あ、あんんっ、あっあっ、あくぅ……っ」 ふと、千莉の白い首が目にとまった。 「っ……あんっ、やっ、先輩っ……なにをっ……?」 白い首筋に顔を近づけ、唇で吸う。 吸いながら、千莉の奥を肉棒で突いて快楽をむさぼった。 「あっ……く、くすぐったっ……あ、あ、あっ、んっ、ふああぁっ」 「あ、やっ、ぞくぞく、しちゃうっ……ひああぁっ、ああ……あぁっ!」 首筋の張ったところから鎖骨、そして再び首筋へと舌を這わせる。 「だめぇえ、っ……そこっ、だめですっ……ああぁぁっ」 「いやああぁっ、あんっ、んっ、く、気持ちいいっ、んんん……っ」 「んっ、あっ、ああっ、もうっ……だめかもっ……ああっ、んくっ、くううぅぅっ」 首を甘噛みすると、千莉の身体が跳ねた。 「んひぃっ、ん、あ、うぅんっ……やっ、やっやぁっ……だめっ、先輩っ……」 「それだめっ……気持ちよくて、おかしくなっちゃう……っ!」 千莉の膣内は大きくうねり、一際強く圧縮される。 もう限界だった。 「せ、千莉っ……イキそうっ……」 「は、はいっ、来て、来てくださいっ……あああっ、先輩、イってくださいっ……ああっ、」 「んぅっ、あああぁっ、あ、ああっ、く、ふああぁぁっ、んんんっ」 ぐぐ、と精液が肉棒の中を上がってくる。 「ああぁっ、もう私もっ……んああぁぁっ、あっ、う、あ、ああっ、んんんんん……っ!」 「だめっ……んんんっ、んあああぁぁっ、あくぅっ、ああああぁぁっ!」 「先輩っ、せんぱいぃっ……あああぁぁぁっ、ふあああああぁぁぁぁぁっ!!!」 どくっ、びゅくっ、びゅるっ! 「くぁっ……」 千莉の膣内、それも一番奥に、肉棒から白濁が勢いよく爆ぜた。 「あああっ……あっ、っ……はあぁっ、ああぁぁっ……」 「う、あ……熱いの、いっぱい……はあぁっ」 絶頂に達したのか、千莉は小刻みに身体を震わせている。 「あっ……あ、はあっ……はあっ、はあっ……あぁっ……」 「はあっ……ぁ、すごい、たくさん注がれてます……はあ……っ」 精液は千莉の体内に拡がり、染みこんでいくようだった。 「はぁっ、はあ……す、すごいです……」 「すまん、いっぱい出た」 千莉はお腹を愛おしそうに撫でる。 「うっ……ううん、熱い……」 「身体、大丈夫か?」 「はい……熱くて、ふわっとして……どこかに行ってしまいそうです……」 「みんな、こんな感じを味わっていたんですね…………」 千莉がうっとりと目を細める。 女性の快感はわからないが、恋人と一つになれた幸福感はわかる。 何か、欠けていたものが埋まるような気がしていた。 「俺、すごく幸せだ」 「私もです……」 「結構不安だったんです……私、上手くできてましたか?」 「ああ、すごく良かった」 「ふふ……ふふ……」 心から嬉しそうに千莉が笑った。 その顔を見ていると、いつもの性欲とは違った感覚が下腹部に渦巻き始めた。 千莉と、もう一度一つになりたい。 「あのさ、千莉……」 「もう1回……ですか?」 「ああ」 「……だと思ってました」 千莉が、元気になった肉棒を見て笑う。 「ふふ、嬉しいです……私に興奮してくれて」 「興奮とは少し違うんだ」 「ただもう、千莉と繋がりたくて」 「なら、もっと嬉しいです」 くったりとしている千莉の身体を抱える。 「きゃんっ……」 千莉の身体を引き起こし、後ろから覆い被さった。 「あの、先輩……?」 「今度はこっちからいいかな」 「……先輩が見えなくてつまらないです」 「千莉の背中、色っぽいな」 「そ、そうですか?」 「おくれ毛がかわいい」 千莉の髪をかき分け、うなじに顔を寄せる。 シャンプーの香りと汗の香りが混じった、女の子の香りだった。 「先輩……わりと変態ですね」 「男の大半は、おくれ毛が好きだと思う」 「ふふ、そういうことにしておきます」 高峰なら同意してくれると思うが。 「んっ……先輩の、固いです……」 腰を密着させているため、大きく怒張した肉棒が千莉のお尻に押しつけられている。 「あっ、んん……くっ、はぁっ……」 千莉はゆっくり腰をグラインドさせ、陰部をこすりつけてきた。 「ふぁっ、すごい……んっ、ごりごりってしてますっ……」 「くっ……千莉っ……」 粘液で濡れた秘部で刺激され、さらにペニスが固くなる。 「んうぅっ、んくっ……あっ、ふっ、あ、あぁっ……」 「あっ、気持ちいいっ……んっ、あ、んくぅっ……」 ぐちゅぐちゅになった千莉の陰部で裏筋の辺りをこすられ、痺れるような快感が走る。 「んっ……先輩っ、あふっ……まだ、入れてくれないんですか……?」 「催促?」 「あっ、だって、先輩がじらすからっ……くっ、んっ、ひどいです……」 確かに焦らしすぎた。 こっちもあまり辛抱はできない。 「じゃ、入れるよ」 「あっ、んん……はいっ……」 千莉のお尻を押さえ、肉棒を膣内へと埋めていく。 「んんんっ、ああっ、くっ、ん、んっ、ふああぁぁっ」 「あっ、んああぁっ……いっ、くっ、ううううぅぅぅんっ……!」 びくびくと千莉の身体が波打つ。 熱くなった膣内がうねり、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。 「はんんっ、ああっ、ふああぁぁっ……はあっ、んはぁっ、んん……っ」 「千莉……大丈夫か?」 「んあぁっ……はあっ、はあっ……んっ、せ、先輩が……奥をごりってするから……」 「んっ……イっちゃいました……」 蕩けきった膣内に刺激され、快感に肉棒が震える。 だが一度射精したため、まだ持ちそうだった。 「動くよ」 「あっ……ま、待ってくださっ……ふああぁぁっ!?」 ぬちゅっ、ぐちゅっ、くちゅっ! 千莉の尻に腰を打ち付けるようにして、快楽をむさぼる。 「あううぅぅっ、ふうぅんっ、ん、んくっ、ああぁぁ……はあぁぁっ」 「あっ、んんん……うふぅっ、はんんっ、や、やあぁっ」 「だ、だめです先輩っ……んあぁっ、か、感じ過ぎて……おかしくなりそうですっ」 駆け巡る快感に、腰を止められない。 「んやっ、ん、あっ……あっああっ、くああぁぁんっ」 「くっ、んっ……先輩っ、んんんっ、ふうぅっ、あ、んむうぅっ」 「ふあぁっ、あくっ、や、ふぅんっ……んっ、にゃぁぁっ」 千莉の艶やかな嬌声と共に、身体が跳ねる。 身体を支えるために押さえた腹筋が、その度に固くなる。 「……こうして触ると、千莉って腹筋締まってるな」 「んん……あっ、な、なんですか……?」 「やっ、やっ……お腹むにむにしないでください……」 ゆっくりと肉棒を押し込み、千莉の膣奥を刺激する。 「ひんっ……ああぁっ、お、奥っ……んくうっ、ふあぁっ……」 ぐっと筋肉が締まると同時に、膣内もきゅうっと締め付けてくる。 「この身体から、あの声が出てくるんだなぁ」 「んっ、くぅんっ……へ、変なことに感動しないでくださいっ……」 「それにっ……お腹くすぐったいですっ……」 「くすぐったいだけ?」 筋肉に指を立て、くにくにと動かしてみる。 「ふやっ、やははっ……んんんっ、んもうっ、変なことしないでっ……」 「んうふふっ、んっ、やっ……おかしくなっちゃうっ……」 くすぐると身体がうねり、膣奥が締まる。 そこを突くと、再び身体が反応する。 「んっ、先輩っ……遊んじゃいやですっ……よぉっ」 「あっ……んふっ、もう、ばかっ……」 指を立てるのをやめ、そっと身体を支える。 「もう、あんまり変なことすると嫌いになりますよ……?」 「すまん、つい」 「……ごめんなさい、嘘です」 「このくらいで先輩のこと、嫌いになれないです……」 よかった。 「……あの、先輩」 「ん?」 「今度は……私が動いていいですか?」 「ああ、いいよ」 「んっ……それじゃ……」 千莉はゆっくりと腰を動かし始める。 「んくっ、ふっ……ああっ、ん、やぁんっ」 「あっ、あんっ、ん……んふぅっ、はぁっ、あ、んんんっ」 「ふああ、あ、ああ……、ふああぁっ、ん……んくっ、う、ああぁっ」 リズミカルに腰を動かし、肉棒に刺激を与えてくる千莉。 自分で動く時とはまた違う、もどかしい快感だった。 「んん……あ、ふぅっ……あっ、すごっ……気持ちいいっ……」 「あっ、んあぁっ、あ、く、うぅっ……んああぁっ」 「千莉……俺も動いていいか?」 こんなに艶めいた千莉を前にして、動かないなんて無理だ。 「んま、ま、待ってくださいっ……もう少しでっ……」 「あっ、ん、んっ、くあぁっ……ふうっ、あ、んふぅっ、ああぁぁっ」 千莉の膣内がきゅうきゅうと締まり始めた。 腰の動きが激しくなり、膣壁のあちこちでめちゃくちゃにこすられる。 「くっ……」 「ああぁっ、もっ……もうっ、い、イキそっ……ですっ、んあぁっ……」 千莉の粘液が太ももを伝って流れ落ちていく。 「くふっ、ああぁっ、あ、あっ、んあぁっ、っ……ふああぁっ」 「きゃうんっ、んっ……あっ、もうっ……ぅあ、ああ……っ!」 千莉の身体が小刻みに震え、腰の動きが止まる。 俺は千莉の腰をつかんで、激しく奥を突いた。 「きゃあぁんっ、ああああぁぁぁっ……あっ、んああああぁぁぁっ!」 「あくっ、ふっ……ああうっ、うっ、んんんんんっ……!」 千莉が絶頂を迎える。 膣壁が躍動し、熱くなった肉棒をこれでもかと締め上げてきた。 「んっ……い、いきなり動くのっ……反則ですっ……」 「あっ、はあぁっ……ああっ、ん、くっ、ああぁ……っ」 びくびくと身体を痙攣させる千莉。 可愛くてたまらない。 「千莉……」 玉の汗を浮かべる千莉の髪をかき分け、唇でそっと首筋に触れる。 「あっ……んっ、んふっ……筧、先輩っ……」 「くうぅんっ……んあぁっ、んっ……く、くすぐったい……っ」 後ろから首筋を吸い、舐め、甘噛みする。 白く綺麗な首を眺めていると、どうしようもないほど劣情をかき立てられる。 「千莉の首、好きかも」 「んっ、ふあっ……くぅんっ、あん、あっ、先輩っ……」 吸血鬼の気持ちが、少しわかってしまうかもしれない。 こんなに綺麗な女の子の首を目の当たりにしたら……。 「んん……あっ、やっ……そんなに首せめられたら……だめっ……!」 「ぞくぞくして……おかしく、なっちゃいそうですっ……」 俺は千莉の熱い膣内に、勢いよく肉棒を突き入れる。 「ああっ、ん、や、あぁっ、あくっ……やっ、いきなり激しい……っ」 「あっ、んうっ……ふあぁっ、あんんっ、く、うぅ、んっ、んんんん……っ」 「んんんっ、あうっ……んくっ、はあぁっ、や、ああぁぁんっ!」 「うっ、んん……気持ちいいっ、あっ、んんっ、せ、せんぱいっ……」 「すごい、感じてっ……もう、だめになっちゃいそうですっ」 「俺も、だ……っ」 絶えず伝わってくる激しい快感に腰が痺れていく。 熱くとろとろに蕩けた膣内とペニスが溶け合い、まるで一つになってしまったかのようだった。 「あああぁっ、んあぁっ……く、ふぅっ、あ、んんんっ、んああぁぁっ」 「あっ、ああっ、やっ、あああぁっ、は、んっ、んん……ふああぁっ」 ただひたすら、千莉の膣奥へと肉棒を叩き込む。 「せっ、せんぱいっ……せんぱい……っ! もう、もうっ……イっちゃいます……っ」 「ああぁぁっ、んっ、が、ああぁっ、ああっ、も、我慢できませんっ……!」 溶け合った下腹の奥から、熱いマグマのような塊がこみ上げてくる。 「んっ、ああぁぁっ、ふっ、ああぁっ、あ、あ、ああっ、はああぁぁ……っ!」 「あっ、せんぱいっ、筧せんぱいっ……ふぁああっ、くああぁぁんっ」 「千莉っ……!」 もう堪えられない。 千莉のお尻に叩きつけるようにして、腰をねじ込む。 「はああぁぁっ、あっ、ああっ、や、あ、もうっ、イクっ、くああぁぁっ」 「あっ、んっ、ふぅんっ……やあぁっ、みゃあああぁぁぁっ!!!」 「うあああっ、ふああぁっ、あっ、あああっ、イっちゃっ……うああああああぁぁぁぁぁっ!!!」 膣内から引き抜いた瞬間、千莉の背中に精液が飛び散った。 びゅっ、びゅくっ、どくっ、びゅるっ! 「ああぁんっ……あっ、あっ、あはぁっ、はあぁっ、はあっ……」 「はっ、んっ……あっ、せ、せなかっ……熱いっ……」 あまりに気持ちよくて、抜いた直後に出してしまった。 言っている間にも、次々と千莉の背中や後頭部に大量の白濁が降り注がれる。 「す、あっ……すごい、どんどん、出てくる……」 快楽で痺れ、思うようには身体が動かない。 しばらく、そのまま千莉の背中に精を放ち続けた。 「あっ……やっ、垂れてます……」 白濁液が、千莉の首筋に垂れる。 精液は脇腹も伝ってこぼれ落ちた。 「すごい……こんなに出るものなんですね……」 「何か恥ずかしいな」 「いいですよ……気にしないで下さい」 行為の熱気冷めやらず、千莉の胸は、まだ小刻みに上下していた。 「疲れただろ?」 「疲れましたけど……嬉しい疲れです」 「ずっと一緒に走っていたようなものですから」 千莉が微笑む。 「先輩、満足できました?」 「もちろん」 「やりたいことがあったら、何でも言って下さい」 「筧先輩なら、何をされてもいいんです」 「おいおい」 「……先輩は、私にされて嫌なことはありますか?」 「ないよ。千莉と同じだ」 「嬉しい……です」 そう言ってから、千莉の表情がかすかに曇る。 御園「先輩は、私みたいな女の子、平気ですか?」 筧「当たり前だよ」 筧「千莉のことが好きだから、こういう関係になったんだ」 御園「いえ、付き合い始めたことじゃなくて……」 千莉がためらう。 御園「その……こういうとき、いっぱい声が出ちゃう女の子です」 御園「自分でも信じられないくらいで、恥ずかしいです」 筧「ああ……」 女性は慎ましい方がいいと思っているようだ。 千莉の場合は、貪欲というより求めてくれているという感じだ。 俺としては、むしろ嬉しい。 筧「俺は、むしろ嬉しいよ」 筧「俺だけじゃなく男ってそういうもんだと思う」 御園「フォローありがとうございます」 筧「違うって」 一発では信じてもらえないようだ。 筧「俺にだって、嫌われたんじゃないかって不安に思ってることがあるんだ」 筧「千莉が初めてなのに2回も3回もしただろ?」 御園「いえ、求められるのは嬉しいです」 筧「俺も、千莉が感じてくれてたら同じ気分になるんだ」 御園「あ……」 俺の言わんとすることに思い当たったらしい。 筧「可愛い声が聞けるのは、すごく嬉しいんだよ」 筧「だから、心配しなくて大丈夫」 千莉の頭を撫でる。 御園「先輩の考えてること、少し理解できました」 筧「よかった」 千莉が首をひねり、顔を近づけてくる。 「先輩……大好き」 「俺もだ、千莉」 「これからよろしくお願いします」 「ああ、こちらこそ」 「んっ……ちゅっ、んちゅっ、ふっ……」 千莉の身体を支え、俺はそっと唇にキスをした。 千莉と付き合い始めて、もう1ヶ月以上が過ぎた。 ひやりと清涼な空気を肌に感じる。 さすがに10月ともなると、毛布一枚では少し肌寒かった。 近くで、高く澄んだ音が聞こえた。 「これでよし」 なんだ、千莉か……? 襲ってくる眠気を打ち払い、目を開ける。 「んん……?」 「おはようございます、京太郎さん」 一瞬、目を疑った。 千莉がいることは想像できたが、服装が斜め上だった。 「その格好は?」 「懐かしいですよね」 千莉が着ているのは、ビラ配りで使っていた衣装だった。 「ああ、まあ」 「どうですか?」 「すごくかわいい」 「よかった」 「今日は用事があって、少ししか一緒にいられません」 「お詫びに、これを着てみました」 今日は図書部の活動もなく、久しぶりにフリーの日だった。 だが、千莉には用事があるようだ。 「京太郎さんに、ご奉仕します」 顔を真っ赤にして、千莉がうつむく。 付き合い始めてから一ヶ月、千莉も俺を下の名前で呼ぶようになった。 気負いが抜けたのか、お茶目なことをしでかすようになってきたのだが……。 「ご、ご奉仕?」 んなこと言われても、俺は偉い人とかじゃないしなあ。 「ふふ、そうです」 「ご主人様、何なりと私にお申し付けください」 「メイドって設定なのか」 「はい、見た通りの服ですから」 なるほど。 「何でもしてくれるの?」 「はい、ご主人様が望むことならどんなことでも」 そうか、それじゃ何をお願いしようかな。 「だったら、まずは朝食でも作ってくれないか?」 「はい、承知しました」 千莉は小さく笑うと、キッチンへと向かった。 「できました」 千莉が用意してくれたのはトーストとハムエッグ、スープだった。 トーストには、イチゴのジャムが塗られている。 「簡単なものしか用意できなくてすみません」 「いや、これで十分」 そもそも、うちの冷蔵庫にはこの程度しかものが入っていないのだ。 「あれ? ジャムなんてあった?」 「自宅から持ってきました」 「これ、おいしいんですよ」 「そうなのか。ありがたいな」 「じゃ、いただきます」 千莉に感謝しつつ、朝食をいただくことにする。 「あ、待ってくださいご主人様」 「え、なに?」 「私が食べさせて差し上げます」 手を伸ばそうとする俺を制止し、トーストを手にする千莉。 小さくちぎって、俺の口の前に差し出す。 「はい、あーん」 「大丈夫、自分で食べるよ」 「はい、あーん」 「いやだから……」 「あーん、口を開けてください」 ……やらないと気が済まないようだ。 「あーん」 口を開けると、千莉がトーストを押し込んでくる。 一口で食べるには大きく、口の端にジャムがついてしまった。 「ティッシュティッシュ」 「大丈夫です」 ティッシュで口元を拭こうとすると、またも千莉から制止される。 「……なにが?」 「動かないでくださいね」 千莉が俺に顔を近づけてきた。 「お、おい」 「んっ、んちゅっ……ぺろっ、んふっ……」 「はいっ……綺麗になりました」 千莉は俺の口についたジャムを舐め取ってくれた。 「……ありがとう」 「ハムエッグもどうぞ」 「ああ」 千莉がフォークを動かし、ハムエッグを食べさせてくれる。 「スープも飲んでください」 スプーンでひとすくいずつ飲ませてくれた。 かなりもどかしい。 「……あちっ」 「あっ、ごめんなさい」 スープがズボンにこぼれた。 「すみません、すぐに綺麗にします」 「いや、自分でやるから」 「駄目ですよ」 千莉はティッシュで口元や、濡れてしまったズボンを拭く。 優しくズボンをこすってくる千莉。 その目が、挑発するような色に輝く。 なんだか、妙に意識してしまう。 「……あ」 刺激で大きくなってしまった。 「ふふ、ご主人様」 「なんだ」 「ここもご奉仕が必要ですか?」 いたずらっ子の顔をして聞いてくる千莉。 ううん、よくないな。 「千莉はどうしたいんだ?」 「京太郎さん、私に聞くのはずるいですよ」 「へえ、ご主人様の質問に答えないつもりなんだ」 「今はメイドのはずなのに」 「あぁ……そうでした」 設定を思い出してくれたらしい。 「千莉がどうしたいのか、言ってくれ」 「ご奉仕したいです」 「具体的には?」 「……お、お口で……その……」 「ご主人様の……これ、を慰めたい……というか」 千莉の顔が、湯気が出そうなほど赤くなった。 「ふむ、どうしようかな」 「いじわるしないでください……」 千莉は身体を寄せ、俺の股間に手を乗せてくる。 「では、力を抜いて、楽にして下さい」 「……ん、わかった」 俺は頭を優しく撫で、千莉に身を委ねた。 「それじゃ……失礼します」 千莉が俺の上に乗っかってきた。 その丸みを帯びた身体のライン、しなやかな動きは猫を彷彿とさせるものがあった。 猫の耳を模したカチューシャも似合っている。 「千莉、猫の真似してみて」 「いいですよ」 「……にゃー」 控えめに鳴く千莉。 「もうちょっと感情を込めてもらえると」 「んっ、にゃあん……ふにゃぁ……」 かわいらしく鳴くと、柔らかな身体を押しつけてくる。 「こういうの好きなんですか?」 「いや、耳つけてたから一応」 「それだけですか」 ぶすっとした顔をされた。 「あーいや、千莉はかわいいから、色々やってもらいたくなるんだ」 「白々しいですけど、まあいいです」 機嫌を直してくれた。 「じゃあ、頑張って猫メイドとしてご奉仕します」 千莉は俺のズボンを脱がし、下半身を露出させた。 「……京太郎さんの、もう固いですね」 千莉の柔らかい手に触れられ、一気に肉棒の硬度が増していく。 「千莉、ご主人様だろ?」 「ふふっ、そうでした」 「ノリノリですね、ご主人様」 「言い出したのは千莉じゃないか」 「それに、こういうのは楽しんだもん勝ちだろ?」 「ですね。かしこまりました」 「それでは失礼します」 千莉は微笑み、ゆっくり手を上下に動かし始めた。 「んっ……固いですね……」 「千莉がかわいいからだよ」 「毎日この格好をしますか?」 「いや、それは遠慮しておく。体力が持たなさそうだ」 連日こんな格好で迫られたら我慢できなくなる。 「干からびる」 「どうぞ干からびて下さい」 「そうすれば浮気もできませんし」 「もとから、俺は千莉ひとすじだ」 「心配してませんけどね」 千莉はちろっと舌を出す。 「れろっ……ちゅっ、ぺろっ……」 「はっ、んふっ……れるっ、ちゅっ……」 「んちゅっ、く……ふぁっ、んむ……っ」 「くっ……」 千莉の舌が裏筋の辺りを刺激してきた。 「あくっ……あむっ、んふ……ちゅっ、ぺろっ」 「んっ、くちゅ……れろっ、んふぅっ」 「はふぅっ、ん、ちゅっ、んくっ、ぴちゅっ……」 「んっ……気持ちいいですか、ご主人様……?」 舐めながら、器用に首を傾ける千莉。 「ああ、いいよ」 「んふふっ……ちゅっ、んむ……はふっ、んちゅ……っ」 根本から舐め上げるようにして、肉棒の上を舌が這う。 じんわりと快感が走り、背筋がぞくぞくする。 「んちゅっ、ん……れろっ、く、はむっ、あぅっ……」 「おい、千莉っ……」 千莉が肉棒を横から咥え、こりこりと甘噛みしてきた。 「んふふっ、んふ……んぐっ、く、あむ……」 「れろっ、ちゅっ、ん、むぅ……はぐっ、ん、んちゅ……っ」 敏感なところを甘噛みされ、鋭い快感が走る。 身体が跳ねてしまいそうだった。 「せ、千莉……咥えて」 「んん……ふぁい、ご主人様……」 千莉は素直に従い、ぱくりと俺のペニスを口に含む。 「はむっ、んく……ちゅ、れちゅっ、れろろ……っ」 「んちゅっ、はんんっ……ん、ふっ、ちゅるっ、んむぅぅ」 亀頭を頬張り、ゆっくりとあごを動かす千莉。 「んむっ、ぺろっ、ちゅ……んちゅっ、んん……くちゅっ」 「ふあぁっ、んふ……じゅるっ、ん、く、れろっ、あむ……っ」 唇で肉棒を刺激しながら、舌を動かし敏感なところに快感を与えてくる。 気持ちよさに身体中が熱くなってきた。 「んちゅっ、れろっ……はふっ、んちゅっ、んむっ、ふぅんっ」 「はっ、ちゅっ、ちゅくっ……ん、ちゅ、あふぅっ」 「う、あぁっ……」 歯が当たり、肉棒に強い刺激が走った。 それがまた気持ちよくて、身体が持ち上がりそうになる。 「……んちゅっ、んふ、ご主人様、どうですか……?」 「もうちょっと手加減してくれ」 「んっ……ふふふっ、このまま出していいですよ……?」 いたずらっぽく微笑む千莉。 「千莉、胸……触っていいか?」 「……いいですよ……」 千莉は手で自らを慰めながら、陰茎を咥えて顔を上下させる。 「ちゅっ……んふっ、んちゅ、れろっ、んむ、じゅる……っ」 「ん、じゅるっ、あ、あふぅっ、ぺろっ、ちゅ、じゅるっ、ちゅく」 時折、口から熱い吐息が漏れる。 千莉の胸元に手をやり、胸を覆っている生地を引き延ばす。 「んっ……はんん……っ?」 形のいい千莉のおっぱいが露わになった。 「気にしないで続けて」 「ん〜……」 そう言われても、と困った顔をする千莉。 「ちゅっ、ん、く……はむっ、ちゅぅ、れろっ、ちゅう……っ」 「れろ、んちゅっ、くふぅぅ、あ、はあっ……んくっ、あんん……」 千莉は熱い口内で肉棒をいっぱいに頬張り、快感を与えてくる。 耐えがたい快楽に、びくんとペニスが脈を打つ。 「ちゅ……じゅるっ、ん、はぁんっ、んあぁぁ、ちゅぅ……」 「んむっ、あんっ……れろっ、ちゅ、あむ……んっ」 「千莉……」 快感を堪えながら、千莉の胸に手を伸ばす。 乳房をこねくり回しながら、先っぽの突起を指で刺激する。 「んっ、あっ、ひぅっ……ご、ご主人様っ……それだめっ……」 「頑張って続けて」 「はんん……んちゅっ、ん、く……んふっ、ひどい……」 急に口の動きがたどたどしくなる。 「はむっ、んくっ……ちゅっ、は、ふぅんっ、んく、ふうぅ……っ」 乳首をこりこりと指で軽く押しつぶし、はじき、刺激してやる。 「はんっ……んっ、ああっ……じゅるっ、れろ……ちゅうっ」 「んっ……あ、んっ、だめっ……ぴりぴり……しますっ……」 千莉の身体が硬く強ばり、さらに動きがぎこちなくなっていく。 「んちゅっ、じゅる……んくっ、ちゅぱっ、はあっ、はあ……んんんっ」 「もう、ちゅくっ……んふぅっ、あっ……わかんないっ……」 頑張って口を動かしながら、苦しそうに悶える。 「ちゅうっ、んふっ、く、ああぁっ、じゅるっ、くちゅ……っ」 「んんんっ、は、あ、ちゅっ、んく……んふっ、はあっ、うぅ、はあぁっ、んんん……」 蕩けるような快感に、射精感が高まってきた。 「あふぅっ、あん……んちゅっ、くちゅっ、んく、ああんっ、ちゅ、くちゅ……っ」 吐息が早く浅いものに代わり、強く陰茎を吸う千莉。 「んふぅっ、は、んふぅっ、うぅっ……ん、ちゅるっ、ちゅ、くふぅっ……」 肉棒の根本をきゅっと唇で締め付けられ、一気に快感の度合いが跳ね上がる。 「はふぅぅ、んちゅ……ちゅるっ、はむ、ちゅうっ、はぁん……ちゅ」 激しく上下に動かし、肉棒をしゃぶる千莉。 とろとろの口内で刺激され、我慢の限界が近づいてくる。 「んちゅ、ちゅっ、ん、んふっ、はっ、ぺろっ、ぴちゃ……っ」 口の中で千莉の舌が絡みつき、裏筋を強く舐め上げてくる。 「千莉っ、そろそろっ……」 「んちゅっ、ふっ……はいっ、出してくださいっ……」 「ちゅく……じゅるっ、ふはぁっ、ちゅうっ、ん、はふっ、んむ……んぷっ、く、ちゅっ」 唾液を漏らしつつ、一心不乱にペニスを飲み込み続ける千莉。 「ん、ちゅっ……んふっ、ちゅうぅっ、じゅぱっ、ちゅっ」 「ちゅろっ、あ、ふ、んちゅっ……はふっ、ん、じゅるっ、んちゅ……ちゅうっ!」 びゅるっ、どくっ、びゅっ、びゅくっ! 「あんんっ、んくっ……んぷっ、ごくっ、んくっ……」 「んくっ……ぷあぁっ、あぷっ、ふああぁっ、んんんっ、ふっ、はあぁっ……」 「あっ、んん……すごい……っ、熱いです……あふぅ……」 飲みきれずに口を離した途端、白濁が辺りに飛び散る。 千莉の顔が濁った精液でべったりと汚れた。 「あ、はあぁ、はあ……んっ、髪にまで飛んできました……」 「わ、悪い……気持ちよくてつい」 「はっ……はあっ、はぁ……はあ……あぁ……」 「ふふ、ご主人様……綺麗にしますね」 そう言うと、千莉は漏れ出た精液でどろどろになった陰茎を咥えた。 「んっ、ちゅうっ、んく……じゅるっ、ぺろっ、んちゅ、れろ……っ」 「うっ、おあぁっ……ま、待て千莉っ」 「じゅるっ、んちゅっ……はふっ、んくっ、ちゅぱっ、ぺろっ……」 「んちゅっ……んっ、んふっ……?」 千莉は肉棒を咥えながら眼を細める。 イったばかりで敏感なのを知っていて、わざとやっているのだ。 「ご主人様に、そんなことしていいとっ……」 「んちゅっ、んぷっ、じゅるっ、んふっ、はふぅっ……」 「ぐっ……!」 肉棒の根本まで飲み込み、俺の吐き出した白濁を舐め取っていく。 あまりの気持ちよさに、声も出せずに悶絶する。 頭の中で火花が散る。 「せ、千莉っ……」 「んくっ、じゅるっ……ごくっ、んくっ、んちゅ……」 吐き出した精液を残らず飲み込み、笑顔を見せる千莉。 ようやく快楽の連鎖から解放され、ぐったりする。 「軽く死にかけた……」 「にゃ〜んっ、ごめんなさいっ」 千莉がかわいらしく甘えてきた。 「ご主人様のこれ……大きいままですね」 「どうしましょうか」 イった後にさんざん刺激されたせいで、肉棒は再び固く勃起していた。 「また千莉が慰めてくれるか?」 「ふふ、お任せ下さい」 千莉が俺の上にまたがってきた。 「失礼しますね、ご主人様……」 千莉の秘部が丸見えだ。 色素の薄い女性器は、愛液が垂れ落ちそうなほどに濡れそぼっている。 「すごい濡れてる」 「それは……京太郎さんが気持ちよさそうだったから……」 「それだけで?」 「そんなこと言うとご主人様のエッチなの、入れさせてあげませんよ?」 「こんなにかちかちなのに……いいんですか?」 イタズラっぽく挑発してくる。 放置は困るな。 「あ……」 千莉の秘部に手をやり、指で愛撫する。 「ご主人様、何するんですか……」 「んっ……ああっ……ん、んくっ、あうぅっ」 千莉から小さな喘ぎが漏れる。 「こんな濡れてるのに、そっちは我慢できるのか?」 秘部の上部、小さな突起を指でこする。 「んんんっ、あっくぅっ、ひっ……そ、そこだめぇっ、んああぁっ」 「うくっ、ひぃんっ、あうぅっ、うっ……ああぁぁっ」 声のトーンが跳ね上がる。 相当クリトリスが感じるみたいだった。 「千莉の弱点はもうわかってる」 「んん……はっ、ずるいですっ、そこ反則ですっ……あんんっ」 「やあぁっ、そこっ、だめっ、んああぁっ、んくうぅ……っ」 がくがくと腰が揺れ、千莉の秘部がいやらしくうごめく。 「ん……わ、わかりましたっ、んああぅぅ……ん、ふうぅっ」 「ご、ご主人様っ……入れさせてください……っ」 「どこに?」 「どこって、それは……わかるじゃないですか」 「手で教えてよ」 「京太郎さん、すごいご主人様っぷりですね……」 「でも……乗ってくれた方が、私も恥ずかしくないです」 そう言いながらも、千莉は自分の陰部に手をやり、花弁を広げる。 ピンク色の内部、てらてらと光る膣口が露わになった。 「うう……恥ずかしいです……」 「すごく興奮するよ」 「……私もです」 「何だか、自分が自分じゃないみたいです」 千莉が恍惚とした表情で言う。 「千莉は、責める方が好きだと思ってた」 「どういう思い込みですか」 「好きな人に滅茶苦茶にされたいって思うこともありますよ」 「あとは、好きなひとの荒々しい面が見たいというか……そんな感じです」 ギャップがいいのだろうか。 「なら、やってみよう」 「はい。お願いします、ご主人様」 「千莉、俺の物を自分の中に入れてくれるか」 「んっ……かしこまりました……」 千莉は俺のペニスを手にし、自分の膣口へと導いた。 そのまま、ゆっくり腰を落とす。 溶けそうに熱い女性器に、俺の固いものが吸い込まれていく。 肉のヒダをかき分ける感覚が、背筋を走る。 「あ……んっ、んはぁっ……あ、ん、ふああぁ……っ」 「くっ、だっ……だめ、すごく固いですっ、んうぅっ……」 千莉から甘い吐息が漏れる。 粘液でぬるぬるになった膣内に、みっちりと肉棒が収まった。 「あんっ、くっ……はあっ、ん、は、入りましたっ……」 「ご主人様、気持ちいいですか……?」 「すごくいいよ」 「でも、動いてもらわないとな」 「は、はい。仰せのままに」 千莉はゆっくりと腰を上下に動かし始めた。 「ふぁ……あっ、んっ、く、うぅ、んあぁっ」 「や、んっ、ふっ、ああっ……ん、や、あ、あぁっ、んあぁ……」 腰を下ろす度に膣奥がぎゅっと締まり、肉棒を締め付けてくる。 痺れるような快楽に、声が漏れそうになる。 「んっく、んふっ……き、気持ちいいっ、あんんっ、んうぅっ」 「あっ、ん、んっ、ふぅ……あうっ、ん、くっ、んはぁ……っ」 ねっとりとした肉壁に包まれ、快感が押し寄せる。 しかし千莉が腰を動かすスピードが遅く、かなりじれったい。 「千莉……もっと速く動かして」 「んっ、は、はいっ……頑張りますっ……」 千莉は激しく腰をくねらせ始めた。 汁っぽい音が規則的に響く。 「あっ、んっ、あはぁっ……ん、あ、くっ、んあっ、や、ふあぁっ」 「ううっ、うんんっ、ん、ふっ、くああぁ……あっ、う、あふっ、んふぅ……」 「ひんっ、んっ……あっ、ちょっ……だめ、かも……っ」 「……駄目って何が?」 「あん、これ以上早くしたらっ……んくっ、イっちゃうっ……」 「いいよ、イっても」 「んっ、そ、そうしたら……動けないです……」 「……頑張ってくれ」 「んん〜っ、あんっ、それは無理っ……ですよ……っ」 膣内の締め付けが激しくなり、腰の動きが緩くなる。 「自分が先に気持ちよくなるなんていけないな」 「あはっ、ん、んっ……ご、ごめんなさいっ……やっ、ほんと気持ちいいっ……」 「んあぁんっ、ああっ、あく……んっ、あ、ふああぁっ」 「ふあぁっ……んっ、もうだめっ……はっ、あ、ああぁぁ……」 千莉の動きが止まる。 ぶるぶると腕を振るわせ、必死に何かを堪えていた。 「仕方ないな」 こっちが動くことにしよう。 千莉の腰を掴み、身体を持ち上げる。 「んあぁっ……ご主人様……なにを……?」 「手伝うよ」 言って、俺は千莉の膣奥まで一気に肉棒を突き入れた。 「やあああぁぁっ、あああっ、あくうぅっ、んん……はあっ、あああぁ……っ!」 「ああっ、んんんっ……んあぁっ、あっ、ああっ……」 突然の一撃に、千莉は口をぱくぱくさせる。 膣内がきゅうっとすぼまり、肉棒がめちゃくちゃに締め付けられた。 「ご、ご主人様っ……だめっ……」 「千莉が自分で動かないから」 腰で千莉を身体ごと持ち上げ、亀頭が見えるまで引き抜く。 そして落ちてくる千莉の膣奥にペニスを叩きつける。 「うああぁっ、あ、くうぅんっ、んくっ、ふあぁっ…………ああぁぁっ!」 「んくうっ、やあぁっ、あっ、あっ、んふあぁぁ…………んあああああっ!」 千莉の嬌声が響く。 愛液でどろどろの膣内に激しく肉棒を突き込む。 「ああっ、んあぁっ、あふ……やっ、は、激しいっ……ん、んぁっ、ああぁっ」 「んっ、んふぅっ、こんなの、あぁっ、こ、壊れちゃうぅっ……」 千莉の身体が俺の上で面白いように跳ねる。 濡れた膣壁に刺激され、肉棒にこの上ない快感が走った。 「んっ、これ……すごいですっ、ああぁっ、あ、あっ、ご主人さまぁっ……」 「んはぁっ、奥がっ……んくっ、潰れちゃいますっ、からあぁ……」 亀頭は千莉の一番奥まで到達し、壁をこんこんと叩いていた。 熱くぬかるんだ千莉の膣内が激しくうねる。 「あっ、んん……こ、これじゃご奉仕、できないです……っ」 「んくっ、あ、ああぁっ、ご主人様っ、やっ、一旦止めてぇっ……」 「んっ……わかった」 高まってきた射精感を静めるため、動かすのをやめる。 「ああぁっ、あっ……はあっ、はあっ、はっ、ああぁっ……」 「はっ、はあっ……京太郎さん、激しすぎます……」 「腰が砕けるかと思いました……」 「悪い、気持ちよくて」 「もう……そんなに私の中、気持ちいいですか?」 「ああ、すごくいいよ」 今もきゅんきゅんと収縮を繰り返しており、陰茎を刺激し続けている。 放っておいても快感が高まっていく。 「……ご主人様を気持ちよくできて、嬉しいです……」 千莉が艶っぽく笑う。 「頑張って動きますね……」 腰を浮かせて肉棒を膣内から引き抜き、再び腰を沈めていく。 「んんんんっ、はっ……あんっ、ん、く、うぅっ」 「はっ、あふぅっ、あは……んくっ、んふ、んあぁっ……」 「やんっ……ああっ、ん、はっ、むっ、ふあぁっ、んっ、はぁっ」 千莉の腰がはねる。 吸い上げられるような刺激に、射精感が高まっていく。 「くっ……」 「はっ、あ……ああぁっ、ん、あっ、くっ、あああぁっ」 「あっ、んっ、はっ……ああっ、ご主人、さまぁっ、あん、やっ、んふぅ……っ」 「やぁんっ、んんんっ、くっ、気持ちいいっ……」 千莉の腰の動きに合わせ、こちらも腰を上下させる。 「ひゃ、あぁっ、あんっ、あ……っ、くぅっ、はあぁ……んっ」 2人の息がうまく合い、電撃が走ったような快感に襲われる。 「ふああぁ……ん、く、うぅっ、あっ、はあぁっ、うああぁんっ!」 「うっ、ううぅっ、き、気持ちいいっ、ですっ、あっ、も、もうっ、もうだめ……っ!」 千莉の熱くなった膣壁がぎゅっとペニスに吸い付き、耐えがたい快楽を与えてくる。 「千莉、イキそうだっ」 「ああぁっ、ん、んっ、は、はいっ……ご主人様も一緒にっ……んっ、あああぁっ」 「私も、くっ、もう……もうイっちゃいます……っ!」 「あああっ、んああぁっ、んくっ、ふ、や、あ、あっ、あぁっ」 「千莉っ……腰、浮かせてっ……」 このままでは中に出てしまう。 「んっ、そんなっ……ああっ、あんっ、くぅ、ああぁっ、あっ、も、もう少しっ……」 「ああぁっ、もう少しで、イキそうっ……んっ、あっ、やあぁぁっ」 腰をくねらせ、精液を搾り取ろうと膣内をうねらせる。 激しくこすられ、ぐぐっと精液がのぼってくる。 「あっ……ああっ、あ、イクっ、イキますっ、ご主人さまぁっ……!」 「んあぁっ、ふあっ、んくうぅっ……あっ……あんんっ、くああぁぁっ!!」 「やっ、イクっ……あああぁぁっ、あっ、あうううううぅぅぅぅっ!!!」 びゅるっ、びゅるっ、びゅくっ、びゅくっ! 「あああぁっ、あっ、あっ、あ、くっ……ふあぁっ、あふっ……」 「ひ……あはぁっ、はっ、はあっ、はあっ……」 「はっ、ふぁっ……あっ、すごく熱いっ……はぁ……あぁ……」 堪えきれず、大量の白濁を千莉の中に吐き出してしまった。 「うあ……っ」 ひくひくとうごめく膣内に誘われ、精液が吸い取られる。 「やっ、まだ出てます……」 「いっぱい……中に出ちゃいましたね……気持ちよかったですか……?」 「ああ。でも……中で良かったのか?」 うねる膣内に刺激され、びくびくと肉棒が跳ねている。 まだ精液が出ているようだった。 「だって……あそこで抜くなんて切ないです」 「気持ちよかったからいいんですよ」 「いいのかなぁ」 「大丈夫ですから心配しないでください」 まあ……それならいいか。 「それよりご主人様の、まだ私の中で硬いままなんですけど……」 「これ、あの……」 膣内の微妙な刺激で、陰茎は再び臨戦態勢になっていた。 こんなに可愛い千莉としているんだ。 力尽きるまで行こう。 「千莉、もう一回いいか」 「えっ……あ、でも……もうさすがに……」 ゆるゆると腰を浮かせる千莉。 「頼むよ、ちょっとだけ、すぐ終わるから」 「……例のフレーズ、初めて言葉通りの意味で使いましたね」 言われてみれば。 「でも、すぐに終わるのはちょっと」 御園がくすりと笑う。 「頑張る」 腹に力を入れ、千莉を貫く。 くちゅっ 「くああぁぁんっ、あふ、ん、ん……あ、ああ、ああぁっ、あふうぅっ」 「あっ……ま、待って、京太郎さんっ、本当にもうっ……」 「今はご主人様だろ」 「そ、そうですけどっ……」 千莉が切なそうな顔をする。 その表情が、またたまらなく可愛らしい。 「一気にいくからな」 「あんっ……え、ええっ」 腰を浮かせ、千莉の身体を突き上げる。 「きゃあっ、ぅんっ、はっ、ああぁっ、んにぁあぁぁっ!」 がんがんと膣奥をこづき、快楽をむさぼる。 千莉の愛液と俺の精液で膣内はどろどろだった。 「や、め、やあっ……ま、待ってくださいっ……これ以上は……っ」 「んっ、んあっ、んく、うぅっ……やっ、うあぁんっ」 膣奥を突く度に、結合部から大量の白濁がこぼれ落ちてくる。 「やあぁっ、くうぅっ、っ、ん、あ、あはっ、ううぅぅっ!」 「あっ、やっ……ま、待ってくださいっ、京太郎さぁん……っ」 「くぅっ……だめっ、んっ、あっ、あぁっ、あふっ、と、止めてっ……」 「すまん、無理だ」 ここまで来てやめられるわけがない。 熱を持った千莉の膣壁に激しく肉棒をこすりつけ、快楽を得る。 「はあぁんっ、あっ、ふ、んっ、く、ああぁっ……あくっ、ふあぁっ」 「ああぁぁ……ん、うぅっ、んく、ひぃんっ、んああぁっ」 観念したのか、千莉も自ら腰を動かし始める。 「うくぅっ、んくっ、んはっ、だめっ……やっ、んっ、すごい、気持ちいい……っ」 「くああぁっ、や、くっ……んっ、あっ、ん、ああぁっ、ふああぁんっ」 千莉は声を震わせる。 「千莉、猫真似は?」 「あっ……くぅっ、こ、こんな時に、ひどい、フリですねっ……」 「いつものお返しだ」 千莉の股に激しく腰を叩きつける。 ぱんぱんと互いの肌を打つ音が辺りに響き渡った。 「もうっ、ん、やあぁっ……にゃっ、にゃあぁんんっ」 「んん……なううぅっ、んああうっ、うくっ、ふにゃあああぁっ」 「千莉、かわいい」 快楽に耐えながら頑張って猫真似する千莉。 俺のためにここまでやってくれることに、感動してしまう。 「なあぁっ、んなぁっ、んく……ひゃううっ、あああああっ……!」 「す……すっ、好きっ……好きですっ……ふぅんっ、んああぁ……っ」 「千莉、出るっ」 再び精液が尿道をのぼってこみ上げてくる。 今にも飛び出しそうだった。 「あっ、んにゃあぁっ、あくうぅっ……わ、私もイキますっ、ふあぁぁっ」 「んなあぁっ、あんんんっ、ん、くっ……はううぅっ、あ、あっ、んにゅううぅぅっ!!」 「はぁっ……んあぁっ、ああっ、んふうぅっ、んにゃっ、にゃああああああぁぁぁぁぁっ!!!」 びゅるっ、どくっ、びゅるっ! 再び千莉の膣内で精液を解放する。 「あああぁぁ……はっ、はああぁ、ん……あぁっ、ああぁ……」 「あふっ、んふぅ……はあっ、はっ、はあぁっ、あ……」 激しく痙攣し、千莉も絶頂に達した。 千莉の膣内に収まりきらなかった大量の白濁が、結合部からあふれ出してくる。 「んっ……すごい出てる……ううぅっ……」 「はあっ……んっ、もう、中が京太郎さんでいっぱいです……」 きゅっと肉棒の根本が締め上げられ、残らず精液を搾り取られた。 とろっ 「ああ、まだ出てる……」 「く……っ」 熱い千莉の膣内から、ペニスが抜け出た。 空になるまで絞られ、頭は真っ白になっている。 「……ご主人様……」 千莉が見下ろしてくる。 「どした?」 「ご満足していただけましたでしょうか……」 「ああ、満足した」 頑張りすぎてひどくだるい。 これでまだ朝だというのだから信じられない。 「ふふ、よかったです」 「またしましょうね、京太郎さん……」 千莉は柔らかく微笑み、優しく俺にキスをしてくれた。 「ふああぁ……」 「くああぁっ……」 2人して生あくびをする。 「……気持ちよかったな」 「そうですね」 ぼーっとして頭が回らない。 朝から激しく愛し合えば、当然かもしれない。 「頭がくらくらします」 「千莉だって楽しんでただろ」 「そうですけど……」 「それに、千莉が欲求不満みたいだったからさ」 「俺も頑張ってみた」 「欲求不満って……違います」 「私はお詫びのつもりで京太郎さんに……」 「何のお詫びなんだ?」 時計を見ると、ちょうど9時になったところだった。 日曜にしては早い目覚めだ。 「……あっ!」 「京太郎さん、いま何時ですか?」 「9時を過ぎたな」 「もうこんな時間……遅刻しちゃうっ」 そう言えば、用事があると言っていた。 「何の用事なんだ?」 「えっと、それは……っと、きゃあっ!?」 何もないところでコケた。 「お、おい、大丈夫か?」 「いたた……」 よろめきながら立ち上がる。 「京太郎さんのせいで腰が……」 「腰? あ、ああ、ごめん」 激しかったってことか。 「ふふ、冗談ですよ」 千莉が悪戯っぽく笑う。 「……って、そんな場合じゃありません」 千莉はよろよろと出口に向かっていく。 「おい、待てよ」 「何ですか?」 千莉は靴を履こうと四苦八苦している。 「いや、さ。その格好で外出る気か?」 「あとパンツもはいてないし」 「えっ……?」 きょとんとして自分の服装を見直す千莉。 「あっ、そうでした」 おっちょこちょいだ。 「あと、身体は洗った方がいい」 「でも……」 「その、けっこう出したからさ」 言っている傍から、白濁の液体が千莉の太ももを伝う。 「……遅刻したら、京太郎さんのせいですから」 千莉が打ちひしがれた。 「千莉、急げっ」 「はあ、はあっ、はいっ……」 千莉と一緒に、小走りで約束の場所にやってきた。 「待ち合わせ場所はここ?」 「そうです」 千莉は不安そうにきょろきょろと辺りを見渡す。 まだ待ち人の姿がないようだ。 「悪い、そんなに時間がないとは思わなかったんだ」 少し配慮が足りなかったかもしれない。 「いえ、京太郎さんは全然悪くないです」 「私だって嬉しかったですし」 「でも、俺に求められたら断れないだろ」 「……はい」 「だったら、俺が気を遣わないといけないよな」 「ふふ、京太郎さん優しいです」 「大好きですよ」 「お、おう」 恥ずかしくなって顔を逸らす。 「……あーあーもう、見てらんないですねー」 道の向こうから投げやりな声が聞こえた。 「芹沢さん、おはよう」 「おはよう」 「あんまり早くないけどね」 待ち合わせの時間ギリギリだったが、何とか間に合った。 「ところで、なんで筧さんがいるんですか?」 「今日は千莉との約束だったんですけど」 サマコンの後、千莉と芹沢さんの距離は急速に縮まった。 今では、2人で出かけることも珍しくない。 「もし芹沢さんが怒ってたら〈宥〉《なだ》めようと思った。それだけだよ」 「それはよかったです。ついてこられたらどうしようかと思いました」 「駄目なの?」 「そりゃ、あなたはいいけどね」 「カップルにくっついて歩く身にもなってほしいかな」 「ふふ、一人じゃ寂しいよね」 「……容赦なくない?」 げんなりする芹沢さん。 「千莉に悪気はない……はずだ」 「はいはい、わざわざ筧さんが弁明しなくていいですから」 「きちんと適切な指導をお願いします」 「わかった。よく言っておく」 「それなら今回は筧さんに免じて許しておきましょう」 「京太郎さんは関係ないです」 「ま、いいからいいから」 「……」 納得いかないなあ、と千莉。 「ほら、そろそろ行こ」 「うん」 「それじゃ、楽しんで来いよ」 千莉に手を振る。 「はい、行ってきます」 「少しは考えてよね」 「女同士の用事なのに、彼氏を見せつけるとかひどいでしょ?」 「水結も彼氏欲しいんだ」 「いや、そういうことじゃなくて」 「じゃあどういうこと?」 「だからぁ……」 言い合いを続けながら、芹沢さんと千莉が遠ざかっていく。 まだ完全には打ち解けていないのか、それとも昔から二人はああだったのか。 わからないが、徐々に折り合いをつけていくのだろう。 「……よかったな、千莉」 小さくなっていく二人を見守りながら呟く。 「……京太郎さ〜んっ!」 不意に、道の先から千莉の澄んだ声が聞こえた。 よくここまで声が届くものだ。 「水結が京太郎さんのことっ……」 あ、芹沢さんに口を塞がれた。 なんだありゃ。 そう思いつつも、千莉への愛おしさがこみ上げてくる。 あいつを幸せにしないとな。 自然にそう思えたことに、俺自身が驚いた。 まさか、こんなことを考える日が来るとは思わなかった。 もちろん、嬉しい変化だ。 GW前のあの日、図書部の活動に協力すると決めて本当によかった。 「千莉、芹沢さんと喧嘩するなよーっ」 遠くから『しませんよー』という二つの声が聞こえた。 その響きは、これからの幸福な生活を約束してくれているようにも聞こえた。 5時限目、一人で読書にふける。 授業をサボって読む、『悪霊』は、また格別の味だった。 実力試験は先日終わったので、後は夏休みまで消化試合の授業が残っているだけだ。 放課後になれば、またみんなが集まって騒がしくなる。 その前に活字成分を補給しておかなくては。 「ちわーす」 「あれ、筧さんがいる」 ……呆気なく孤独の読書タイムが終わってしまった。 だが少し抵抗してみる。 「筧さん、5時限目どうしたんですか?」 「あー、ひょっとしてサボりですね」 「おう」 「実力試験が終わると急にやる気なくなりますよねー」 「私も全然気合いが入らなくて……」 「っと、でも私は先生が急に腹痛でいなくなって臨時休講になっただけなんですよ」 「だから筧さんとは違うんです」 「おう」 「……」 「筧さーん、最近ハゲてきましたよね」 「おう……って、ハゲてないから」 「やっと聞いてくれた」 にこっと笑う佳奈すけ。 「なに読んでるんですか?」 「『悪霊』だよ」 「ドストエフスキーの?」 おお、わかるのか。 そういや、結構読書家なんだったな。 「後期の長編でこれだけ読んでなかったから」 「確か5冊くらいありますよね。私『罪と罰』しか読んだことないです」 「気が向いたら、他のも読んでみたら?」 「『カラマーゾフの兄弟』とかいいと思う」 思わず本の話に乗ってしまった。 本を閉じる。 さすがに会話をしながら本は読み続けられない。 こっちの関心を引くために、読書ネタを振って来たのかもしれない。 「やった、筧さんタイムゲットです」 「何だよそりゃ」 「ぼふぉふぉふぉ」 「うるせえ」 相変わらず、人語を理解しているかのような猫だ。 「で、佳奈すけは何を語らいたいんだ?」 「そうですねぇ」 「最近面白い本に当たってないんです。何かお薦めはないですか?」 「さっきのカラマーゾフは?」 「いやあ、あの人の本はちょっと重くて」 「確かに好みは分かれるな」 「佳奈すけは、どんな感じの本が好きなんだ?」 「例えば物語なら、少し不思議系とかミステリーが好きです」 「ある日突然頭の中に別の人格が入ってくるとか、日記を読んでたら日記の世界に取り込まれちゃうとか、そんな感じです」 「ホラーっぽい感じ?」 「一応ホラーもいけますね。あんまり怖いのは嫌ですけど」 「夜、トイレに行けなくなっちゃいます」 「子供かよ」 「心が若いと言ってください」 「あ、でも胸の大きさは関係ないですからね?」 何故か言い足す佳奈すけ。 「あとはドキュメンタリー小説とか、雑学系の新書とか、芸能人のエッセイとか、まあ何でも読みますね」 「あれですね、読んでて『うわっ、まじでっ?』っていう驚きがあると嬉しいです」 考えてみると、いくつかタイトルが思い当たる。 「よし、ちょっと回ってみるか」 「回る……ですか?」 頭に疑問符が浮かんでいる佳奈すけ。 「ここは図書館じゃないか」 佳奈すけと一緒に部室を出た。 「あっ、そういうことですか」 ここの蔵書は膨大だ。 本を探すのに、ここより適した場所はない。 「さて、どこから行くかな」 妙にわくわくしてくる。 誰かと本探しなんて、今まで経験あっただろうか? 「いやあ、大漁です」 佳奈すけは俺がお薦めした本を前に、ほくほくしていた。 大小取り混ぜて15冊ほどある。 「外れだったらごめんな」 「いえいえ、筧さんの推薦ですから大丈夫でしょう」 「趣味が違う可能性もあるから、あんま期待しないでくれ」 本との相性は、人との相性と同じくらいナイーブなものだ。 自分によりよく適合する本は、結局のところ自分で探すしかない。 「その辺は心配ないと思いますよ」 「私たち、意外と趣味が近いんじゃないですかね」 「どういう意味で?」 「さあ、どういう意味でしょうねえ」 意味深な笑みを浮かべる佳奈すけ。 「何だ、ごまかしてないで教えろよ」 「ふふふー、やです」 「筧さんにヒントあげちゃうと、あとあと怖いことになりそうですし」 「人にお薦めを聞いといて、その態度はいただけないな」 「もう少し仲良しポイントがたまったら白状します」 「いま何ポイントなんだ?」 「そうですね、3ポイントくらいでしょうか」 それは高いのか低いのか。 「真面目な話、タイトルだけでも惹かれるのがいくつかありますね」 「いい収穫でした」 「あまり他人に教えないでくれよ」 「えっ、どうしてですか?」 「好きな本を他人に知られるのって、自分の頭の中を覗かれているような気分になるだろ」 「少し恥ずかしくないか?」 「あー……今、すごくどきっとしました」 「なんでまた?」 「思い当たる節がありまくるってことです」 「本選びって自分の内面が出るじゃないですか」 「わかってくれて嬉しいよ」 「では、この本の内容を分析して、筧さんの内面を探ってみます」 今の話を聞いてそれかよ。 「盛り上がってるじゃないか」 「筧くん、佳奈ちゃん、お疲れさま〜」 佳奈すけと話していると、桜庭と白崎がやってきた。 「よう、お疲れさん」 「何の話をしてたんだ?」 「ちょっとな」 「ほう、他人には言えないような話だったのか」 「人には言えない話なんだ……」 なぜか白崎の頬が赤く染まる。 何を想像しているのか。 「いえいえ、本のお話ですよ。筧さんからお薦めを教えてもらったんです」 「ふうん、それなら別に隠さなくてもいいんじゃないか」 「俺のお薦め本はトップシークレットなんだ」 「あ、2人とも見ちゃダメですよ」 「これは筧さんのお薦めですから桜庭さんたちには絶対見せられません」 頑張って小さい身体の後ろに本を隠そうとする。 わざとらしいフリだった。 「嫌がるものを無理強いする気はないから安心しろ」 「わたしは筧くんのお薦め、知りたいなぁ」 「だめですって白崎さんっ、秘密を漏らしたら私が処刑されちゃいますっ」 「これはトップシークレットなんですよ」 などと言いながら、白崎を止める気配はない。 「大丈夫大丈夫、筧くんはきっと痛くしないから」 「白崎さ〜ん」 「まあまあ。あ、これ面白そうだね」 抵抗空しく白崎に隠した本を漁られてしまう。 というか、全く抵抗しなかったが。 「ああ、すみません……筧さんの大切な内面が暴露されてしまいました」 「なに嬉しそうな顔してるんだよ」 「そう見えますか?」 「守る気なんて全然なかっただろうに」 「そんなことはないですよ」 「処分を言い渡す。明朝、断頭台の露と消えるがいい」 「うわわ、極刑じゃないですか」 「想像したら首のあたりがひゅ〜って寒くなってきました」 佳奈すけが首を押さえた。 「仲がいいな、お前たち」 「私も結構な本を読みますからね」 「ああ、読書繋がりか」 納得したような顔をする桜庭。 「筧さん、これ読み終わったらまたお薦め教えてくださいね」 「佳奈すけが明日も無事に生きてたらな」 「ああ、はかない人生でした……」 佳奈すけが天を仰いで嘆く。 意外と真に迫った演技だった。 「では始めようか」 図書部のメンバー全員が集まったのを確認し、桜庭が話を始める。 「今回はゲーム研究部からの依頼だ」 「ゲーム研究部では、毎年、夏祭りでゲーム大会を開催しているらしい」 「我々はそのヘルプを頼まれている」 「ヘルプって何するんですか?」 「当日に機器の準備をしたり、ルールの説明をしたりすると言っていたな」 「ゲームを遊ぶのにルールがあるんですか」 「大会だと、キャラは使っちゃダメとか特別な時間制限とか、ローカルルールがある時もあるよ」 「へえ」 「鈴木、詳しいな」 「ネットで大会の動画を見たことがあるんですよ」 「この中でゲームをやるのは?」 佳奈すけ、御園、高峰が手を挙げた。 「なるほど」 「御園もゲームやるのか」 「RPGとかアドベンチャーをたまにやります」 「一人でできる系か」 「寂しいやつだって言いたいんですね」 「そんなこと言ってないだろう」 「いいですよ、別に」 いじけられた。 「ろんろんろん、ろーんりー」 「……もう、ギザ様は」 御園が、デブ猫のためらい傷を、指先でつつっと撫でる。 「やぴょっ!?」 びくりと痙攣して静かになった。 よくわからんが、御園一流のテクだろう。 「佳奈すけは何やるの?」 「アクションですね。カーレースも大好物ですよ」 「おっ、いいね。俺もアクション大好き」 「高峰さんの場合、実際に身体を動かす方が好きそうに見えますけど」 「そっちも大好きだね」 どっちもいける口か。 「高峰はどんなゲームをやるんだ?」 「スポーツゲームとか格闘ゲームだな」 「いかにもですね」 「それ、面白いんですか?」 「俺が一番好きなのは監督になってサッカーチームを作るやつだ」 「最強の俺様チームを作るんだよ。楽しいぞ〜」 「はあ、楽しいかもしれませんね」 御園にはピンと来なかったようだ。 「ま、とにかくゲーム大会の依頼はこの3人でやってもらえばいいんじゃないか」 「おお、いいね。後輩2人組いいね」 「残念だったな、高峰。お前には別の依頼が待っているんだ」 「姫とのデート? 任せてくれ、一晩でゴールするぜ」 「お前、刺すぞ」 「ありがとうございますっ」 合掌する高峰。 「大体、肉体関係はゴールじゃない……二人の始まりなんだ」 びしり、と家紋入りの扇子で差された。 「知らねえよ」 相変わらず、変な方向に飛んでいる桜庭である。 「ま、それはさておき」 「今年、人力飛行機コンテストに初参加するチームが乗り手を募集しているんだ」 「向こうさんは、体力に自信のある人間を求めている」 「筧、頑張れよ」 「高峰の方が適任だろ」 「順当だな」 「この中で一番体力ありそうなのは高峰くんだし、私も高峰くんにお願いしたいな」 「はあ……つぐみちゃんにまで懇願されちゃ、しゃーないな」 「いっちょ、やったろうじゃないの」 「別に懇願はしてないが」 「まあまあ、気持ちよくやってもらおうよ」 「何だか微妙に作為を感じますね……」 「白崎の場合、それはない」 多分本心から気持ちよくやってもらいたいと思ってるに違いない。 「えっ、何のこと?」 「いえいえ、こっちの話です」 ぱたぱたと手を振って何でもないアピールをする佳奈すけ。 「私と白崎はまた別件があるからそれでいいとして……」 「あと空いているのは、筧か」 「やることがないなら、俺はここでみんなを応援していよう」 「本音は?」 「本が読める」 「そんなことだと思った」 「ずるいですね」 「暇なら私たちの依頼を手伝ってくださいよ〜」 「確かに、ゲーム大会を1年生だけというのは心配だな」 「筧、鈴木と御園を手伝ってやってくれ」 やっぱりそうなるか。 「わかったよ。後輩2人組、よろしくな」 「我々の中で唯一の男性ですからね。頼りにしてますよ」 「どうぞよろしく」 「お前らな」 こき使う気満々じゃないか。 図書部の活動が終わった後。 私は千莉を誘い、何となくアプリオでお茶をしていた。 夕食時の少し前、この時間はどんな飲食店でもお客が少ない。 自然、広い店内はがらんとして静かだった。 「ねえ」 「なにー?」 「さっきアクションゲームが好きだって言ってたけど、どんなゲーム?」 「ゲームセンターに、車を運転するようなやつがあるじゃない? ああいうのかなー」 「千莉はやったことある?」 「1回だけ」 「全然うまくできなかったから、それっきり」 わかる気がする。 最初は、他の車とぶつかっただけで焦っちゃうんだ。 逆走しちゃったりね。 「千莉、アクションはやらないの?」 「やらない。すぐやられちゃうから」 「画面にいっぱい弾が出てくるのとか、絶対無理」 「なんてどんくさい……」 「もう少しオブラートに包んでよ」 「うふふ、千莉ったらのんびり屋さんなのねっ」 「……やっぱり普通でいい」 拗ねたような顔をするところが可愛い。 私と二人きりでいる時の千莉は、普段とは微妙に雰囲気が違った。 同学年の私には、それなりに気を許してくれているようだ。 「千莉はRPGとかやるんだっけ?」 「うん」 「私もRPGやるよ。でっかいモンスターを狩ったりするやつだけど」 「そういうのは面倒だからあんまりやらない」 「戦うとか魔法とかを選ぶだけの方が好き」 「コマンド選択派ですか」 千莉は、マイペースでプレイできるものが好きなようだ。 性格だなあ。 「でも、この程度の知識でゲーム大会のヘルパーが務まるの?」 「大丈夫でしょ。専門的な知識が必要なら、最初から私たちに頼まないと思うよ」 「そっか」 詳しい話は来週聞くことになっている。 詳細がわからないうちから、あれこれ考えても始まらない。 「筧先輩はゲームやるのかな……やらないか」 「俺なら、ゲームをやってる暇があったら本を読むね」 「ふふ、少し似てる」 「いかにも言いそうだよね」 千莉と一緒にくすくすと笑い合う。 「筧先輩って、前は本ばかり読んでたよね」 「本人も言ってたけど、活字中毒なの?」 「うーん……あの人にとって、本を読むのは食事みたいなものなんだと思うよ」 「摂取してないと死んじゃう的な」 「勉強が好きってこと?」 「うーん、似てるような似てないような」 本当は違うと思う。 筧さんの読書への執着は、知的好奇心を越えている。 何か精神的なよりどころとなっているのだろう。 ……なんて、考えちゃうのはよくないな。 「佳奈ってすごい」 「何が?」 「筧先輩のこと、色々わかってるみたいだから」 「そう? 何となく言ってるだけだよ」 意図された毒のなさ、とでも表現すれば近いだろうか。 初対面の時から、筧さんには独特の雰囲気を感じ取っていた。 それは、とても親近感のある……。 「……あ、どうせなら、筧さん呼んでみる?」 「ここに? どうして?」 「学食なら静かに本が読めるでしょ」 筧さんは、本が読みたいからと部室に残っている。 早速携帯を取り出し、メールを打つ。 「私たちがうるさいんじゃ」 「細かいこと言わないの」 「細かくないし」 「ほーい、できた」 「なんて書いたの?」 「『アプリオは静かです。あなたの憩いの一時にぴったり。くつろぎの時間をお楽しみください!』」 「意味不明じゃない?」 「いいのいいの」 送信ボタンを押し、筧さんにメールを送った。 「佳奈って変なメール好きだよね」 「直球で変とか言わないでよ」 「この前送ってきた『邪レンジハンバーグ!!』は変じゃない?」 「あー、あれは電子レンジに袋のままレトルトハンバーグ入れちゃってね」 「爆発して中が大変なことになって、あーあっていう気持ちを伝えたかったんだ」 「伝わらない。絶対伝わらない」 「雰囲気がちょこっと伝わればいいんだってば」 「少しも伝わらないから」 「残念」 「ハンバーグに大変なことが起こったんだ、っていうのは伝わるでしょ」 「それはわかるけど、それしかわからない」 「十分です」 「新鮮なミステリーを皆さんに提供するのが私の娯楽ですから」 「面倒くさ」 「ぐっ……」 「ま、佳奈らしいけど」 拗ねたようにくすっと笑う。 「……おっと、返信きたかも」 私の携帯が鳴った。 届いた返信メールを開き、さっと一読する。 「ダメだったか」 「伝わらないって言ったでしょ」 「意味は伝わったみたい。筧さん脅威の読解力」 「見せて」 携帯を覗き込む千莉。 本文は『営業メールはお断りだ。今日はもう帰るからまた今度誘ってくれ。』だった。 「ほら」 「……筧先輩、さすが」 千莉がうなる。 「こういうの、なんて言うんだっけ」 「相思相愛?」 「また冗談言って」 「ふふ、ごめんごめん。以心伝心、かな」 「そうそれ」 ……実際は『魚心あれば水心』程度だろうけどね。 筧さんが私に合わせてくれているだけだ。 「あーあ、でも残念だなぁ」 「残念、か」 「佳奈って、筧先輩のこと好きなの」 「んー、ないかな」 好きか嫌いかで言えば、好ましいと思っている。 だが胸がときめいて苦しい、などということはない。 嫌いな人じゃないけど、まだ恋じゃない。 ……まだ? 「千莉こそ残念だったんじゃない?」 「どうして?」 「呼ぼうって言ったのは佳奈でしょ」 「だって、最近の千莉、ぼうっと筧さんのこと見てること多いから、てっきり……」 「う、うそでしょ……そんなことない」 「うん、嘘」 「……佳奈」 「きゃー、ごめんなさいっ」 「嘘はやめてよ」 「でもさ、さっき筧さんがゲーム大会を手伝うってなった時、嬉しそうな顔してたけど」 「それは佳奈も同じだった」 「私はほら、いつもニコニコ営業スマイルですし」 「私もそう」 「え、千莉が営業スマイルって?」 「馬鹿にしないで。私だってそれくらいできます」 「じゃあ、ちょっとやってみて」 「……ふっ」 「うわぁ……悪い顔してるよ、この子……」 何かを企んでいる人間の笑みだった。 「……そんなこと言うなら佳奈もやってみせてよ」 「ふふん、任せなさーい」 「どう?」 「くっ……」 「はっはっは、現役スマイラーに敵うと思ったか」 「スマイラー? なにそれ」 「とにかく、筧先輩に特別な感情はないから」 「そうかなぁ」 「そう」 「ちらっとは気になってたり?」 「なってない」 千莉はぷいっと横を向いてしまった。 憎からず思ってるってことかな? 「ま、いっか」 何にしても、千莉が私に秘密を打ち明けてくれるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。 いつか、そんな日が来るのだろうか。 週明け、月曜の放課後。 ゲーム研究部からの帰り道、佳奈すけに誘われてアプリオにやってきた。 「ね、静かでしょう?」 「ああ」 店内は落ち着いた雰囲気だった。 「で、これがタダか」 「はい、店員特権です」 俺と佳奈すけの前には、それぞれアイスコーヒーとアイスティーが置かれている。 曰く、店員は飲み物ならいくら頼んでもタダなのだという。 快適な店内に、いくらでもおかわりを持ってきてくれる店員さんがいて、しかも無料。 理想の読書空間だった。 「店員、ずるくないか」 「チーフマネージャーに昇格すると、フードもタダになりますね」 「俺もトライしてみるか」 「チーフになるには、閉店処理とホールのシフト管理ができること、昼休みに動員されるバイト50人の陣頭指揮を完璧にこなせることが条件です」 「……無理っぽいな」 「佳奈すけはチーフを目指しているのか?」 「いえいえ、私にだって無理ですよ」 「あの戦場の指揮官を務めるなんて寒気がします」 昼飯時のアプリオは凄まじい。 調理室からはよく怒声が響いてくるし、ホールスタッフも一切の無駄なく動いている。 「私のシフトほとんど朝ですからね。楽なもんですよ」 言って、アイスティーを吸う佳奈すけ。 「というわけで、これからはアプリオで読書しましょう」 「タダってのは魅力だな」 「佳奈すけが一緒じゃないと、やっぱ有料?」 「当たり前です、商売なんですから」 佳奈すけが、何か内に秘めた笑顔を見せる。 「筧さん、よかったら、ここで読書会を開きませんか?」 「俺と佳奈すけで?」 「そうですそうです。本を持ち寄って一緒に読むんです」 「干渉なしで本が読める上に、タダでドリンク飲み放題ですよ」 「悪くないな」 俺にとっては願ってもない話だった。 「じゃ決まりですね」 佳奈すけが嬉しそうに微笑む。 「あーあ、千莉も来ればよかったのに」 ゲーム研究部との打ち合わせには、御園も来ていた。 だが、打ち合わせ後、御園は用事があると言って先に帰ってしまったのだ。 「色々あるんだろ」 「色々ですか」 「……気になりますね」 「声楽のレッスンとか、そんなんだろ」 「いえ、気になるのは、筧さんの言う『色々』ってやつですよ」 「何か深い意味がありげな」 「ないけど」 適当に流しただけの言葉だ。 「私はともかくとして、筧さんなら、千莉のことに詳しいかなーと思ったんですけど」 「佳奈すけの方が詳しいんじゃないか」 ミナフェスまでの期間で、ずいぶん親しくなっていたように思う。 「もう一歩ってとこですかね」 「『詰めたくても詰められないこの距離が……ああっ』って感じです」 「知りたいことを教えてくれない、と」 「平たく言っちゃうと」 佳奈すけが、テーブルに手をついて頭を下げた。 「私が軽いキャラだからだと思うんですけど、最後のところで線を引かれちゃうんですよね」 「御園からしたら、からかわれているように思えるんだろうなぁ」 目に浮かぶようだ。 「何かないですかね、もっと仲良くなれる方法」 「……自分で考えろ。前にも同じ相談された気がするぞ」 「しゅーん」 「やっぱり、私みたいなのには無理ですかね……ちらり」 鈴木が上目遣いに見てきた。 「そういうことするから、いざって時に冗談だと思われるんだ」 ほんと憎めないな。 「難しいかもしれないけど、飾りっ気ない言葉を伝えることじゃないか」 「本当に難しいこと言いますね」 困ったように笑う。 俺や佳奈すけみたいなタイプは、飾りっ気なく誰かと接するのが難しい。 誰だって少なからずそういう部分はあるだろうけど。 「相手と親しくなりたいなら、武器だの鎧だのは置いていくことだな」 「正論ありがとうございます」 「そしたら、今の筧さんは武装解除してくれてるんですか?」 猫のような目で覗き込んでくる。 「どうかなあ」 「あー、逃げた」 「そっちは?」 「男の人は、チラリズムを愛するって聞きましたけど」 結局、佳奈すけも逃げる。 「ああ、だからさっきから見えてるのか」 わざと、視線を下の方に送る。 「ええっ!? うそっ!?」 佳奈すけが、バタバタと姿勢を正す。 「冗談だって」 「あ!」 「ちょっと、筧さーん」 「ははは」 佳奈すけが、真っ赤になって膨れる。 「ま、何にしてもだよ、人から信頼されたいなら自分を見せることだと思う」 「正論だけど、これしか思いつかない」 「ですよねえ」 佳奈すけが困ったように笑う。 「千莉の前でも、もう少し大胆に鎧が脱げるよう頑張ってみます」 「悪いな、役に立つことが言えなくて」 「じゃあ、罰として、これからも読書会に付き合って下さい」 待ってましたとばかりに、佳奈すけが笑顔になった。 「はいはい」 結局、一本取られたのは俺だったのかな。 「そういえば筧さん、さっきのゲーム研究部の件なんですけど」 復活した佳奈すけは2つめのアイスティーを頼み、聞いてきた。 「部長の視線、気付いてました?」 「よそ見ばっかしてたな」 ゲーム研究部の部長は、3年生でかなり恰幅のいい人物だった。 一見すると善人顔だったが、細目からこちらを窺う視線はなかなか鋭い。 「あの人、ずっと千莉のこと見てましたよ」 「タイプだったんじゃないか」 「おまけに、できれば例のコスプレをしてほしいって言ってきたじゃないですか」 「これは、どう見たって、そういう意図があるのかなーと」 「コスプレの元になったゲームを大会で使うからって言ってたけど」 「エターナル・オブ・ファイトですよね」 「そんなの表向きの理由ですよ」 ヘルプの仕事について聞いてみたが、期待されているのはルールなどの解説と、ちょっとした会場整理だけだった。 「要は、御園にコスプレコンパニオンをやってほしいんだろう?」 「でしょうねえ」 「佳奈すけはどう思う?」 「想像してたのとは少し趣旨が違うみたいだし、断るのも手だと思う」 「私はコスプレしても構わないですよ?」 「ビラ配りだって似たようなものじゃないですか」 それもそうか。 「となれば、あとは御園次第だな」 「ですねえ」 後で連絡しておこう。 「でも、できれば私はやりたいなぁ」 「ああ、やっぱコスプレ好きなんだ」 「コスプレじゃないです。ゲームですよ」 「ゲーム部の部室に、ハードとソフトが山ほどあったじゃないですか」 「少し胸がときめきましたね〜」 「面白いゲームが発掘できそうですし、私はやってみたいです」 「佳奈すけは多趣味だな」 俺は本しか読まないが、佳奈すけは何にでも興味を示す。 「まー、ゲームも本も、あまり他人を気にしなくていいじゃないですか」 「なので、さっぱりしてていいんですよね」 「なるほど」 「だからオンラインゲームとかはやりたくないんです」 「やってもいいかなって思えるのは、あの銃で人を撃つやつくらいですね」 「FPSのこと?」 「そうそう。あれ、何の略でしたっけ?」 「ファーストパーソンシューティング、一人称視点の射撃ゲームだ」 知識はあるが実際に自分でやったことはない。 プレイ風景を見た感じでは、やけに描写がリアルで血しぶきが飛ぶ物騒なゲーム、という印象だった。 「あんな感じでバリバリ銃を撃てたら気持ちいいでしょうね〜」 「ヘタだと一方的に殺されまくるらしいけどな」 「えーっ、それはちょっとストレスが溜まりそうです」 「うまくなればいいんですよ」 「……え?」 「うまくなればいいんです」 テーブルのはじっこから、にょきっと誰かが生えた。 「うわっ、えっ、きのこ!?」 「誰がきのこですか」 嬉野さんだった。 「ど、どうしたんですか?」 「面白そうな話をしていたので寄ってみました」 「ゲーム大会の話ですよね?」 「何で嬉野さんが知ってるんだ?」 「さあ、どうしてでしょう〜」 頬に指を当てて、かわいらしく首をかしげる嬉野さん。 豪快にごまかされてしまった。 ゲーム大会の話をしている時は傍に誰もいなかったのだが……。 「あ、ゲーム大会に興味があるってことは嬉野さんもゲームをやるんですか?」 「たしなむ程度にはやりますよ」 「最近は私でもできるような、簡単なゲームも多いですから」 「例えば?」 「嬉野さんのお薦め、聞きたいですね」 「お薦め、ですか」 「うーん……無難なところでモンスターを狩るRPGなんてどうですか?」 「あ、それはやりました」 「武器は何を使うんです?」 「笛ですね」 「しぶいチョイスですね」 「えへへ、よく言われます」 何の話をしているのかさっぱりわからない。 「他には何かあります?」 「私は牧場で動物を育てるような、ほわ〜っとして簡単でかわいい系をやりますね」 「あー、そんな感じがします」 「(似合わないな……)」 「あれ、筧君。いま何か言いましたか?」 きらーんと目が光った……ような気がした。 「いやいや、何も言ってないって」 「そうですか」 心の声を聞く能力でもあるのか。 恐ろしい。 「ところで、ゲーム大会では、どんなゲームが種目になっているんですか?」 「格闘ゲームと落ち物パズルゲーム、あとFPSだったと思います」 「FPS……何というタイトルなんです?」 「確かコール・オブ・ダークネスの2とか3とか言ってたような……」 「はあ、CoDとかファックですね」 「えっ……?」 「あ、何でもないです。今のは聞かなかったことにしてください」 「は、はあ……」 「FPSなら、どう考えてもバトルフィヨルドの方が名作ですよ」 「普通の感覚なら大会などではBFを選ぶものです」 「……」 唖然とする佳奈すけ。 「……という風に、知り合いの方が言ってました」 「ぜひゲーム研究部の部長さんには、BFを推しておいてくださいね」 「わ、わかりました」 「それではご機嫌よう」 気が済んだのか、嬉野さんは上機嫌でぽてぽてと歩いて行ってしまった。 何だったんだ、今のは……。 「……筧さん」 「ああ」 アプリオを出て、振り返りながら歩くこと10分。 ようやく佳奈すけが話しかけてくる。 「私はさっき、修羅を見ました」 「佳奈すけ、お前もか」 よかった、俺一人ではなかったようだ。 「あの人、いきなりファックとか言いましたよ」 「前々から妙に迫力ある人だなと思ってましたけど、あれはそんなレベルじゃないですね」 「絶対に人殺してます」 そりゃゲーム中の話だろ。 いや、確かに迫力はあったが。 「嬉野さん、バトルフィヨルドを勧めとけって言ってたよな」 「機会があったら推しとこう」 「本気ですか?」 「お前、『わかりました』って言ったじゃないか」 「うっ……すみません」 「ま、さらっと勧めとけばいいと思うよ」 「それもそうですね。勧めるだけ勧めてみましょうか」 それは次の機会だな。 「それよりさっきの嬉野さん、明らかにおかしいですよ」 「どうして嬉野さんは、私たちがゲーム研究部の依頼を受けたこと知ってるんですか?」 「関係者以外は知らないはずですよ」 誤魔化されたので追求しなかったが、俺も気になっていた。 「前に羊飼いのメール、調べてもらったじゃないですか」 「すごいと言えばすごいんですけど、やっぱりちょっと怖いですよね」 「メールを送ってきた相手の住所を割り出しちゃうって、普通はできないですよ」 確かに、あれには驚いた。 嬉野さんがただ者じゃないことがよくわかる一件だった。 「……知りたいですね」 「何か悪いこと企んでるだろ?」 「いえいえ、そんなことありませんよ?」 「ただ、嬉野さんのことをもっとよく知りたいなって思っただけです」 「他人の事情に首を突っ込むなんて、佳奈すけらしくもない」 「大丈夫ですよ。引き際はわきまえてますから」 「ま、自分の責任の範囲で頑張ってくれ」 「もちろん筧さんも協力してくれるんですね?」 「人の話聞いてるか?」 「だって〜、一人じゃ怖いじゃないですか〜」 「筧センパイ、お願いしますっ☆」 無茶苦茶だ。 とはいえ、俺も興味を引かれないわけじゃない。 「……仕方ない、ちょっとだけだぞ」 「わーいっ」 嬉野さんには多くの謎がある。 わからないことをそのままにしておくのは気持ちが悪い。 3日ばかり嬉野さんの様子を窺っていた俺たちに、まったく別方向からの事件が起こっていた。 「はあ……」 ゲーム研究部に向かう道すがら、佳奈すけがため息をつく。 「筧先輩、どうですか?」 「……そうなあ」 佳奈すけの携帯を何度も眺めてから、腕を組む。 今朝、佳奈すけの元に羊飼いからメールが届いた。 内容は『約束を守ること。さらばあなたの欲するものが与えられん。』だった。 メールにビビった佳奈すけは、朝一で連絡してきた。 「どういう意味だと思いますか?」 「字面通りにしか解釈できないなあ」 羊飼いと言えば小太刀だ。 さっそく確認を取ろうとしたが、まったく連絡が取れなかった。 「佳奈すけ、心当たりないのか?」 「うーん、何かあったかなぁ」 佳奈すけも本気で首をひねっている。 「こういう謎かけみたいなメール、本当にたちが悪いです」 メールの話を聞いてから、御園はずっと不機嫌だった。 佳奈すけが落ち込んでいることを心配しているらしい。 「先輩、何か思い当たる節はないですか?」 「小さな手がかりでもいいんです」 ないわけではない。 「羊飼いのメールって、今まで図書部全員に送られてきたよな」 「でも、今回は佳奈すけ個人宛のメッセージだ」 ふむふむ、と二人がうなずく。 「メールの内容は、要約すりゃ『約束を守れ』ってことだよな?」 「約束に心当たりがないなら、まったく用をなさないメールになる」 「だから、メールの約束は、佳奈すけが思い当たるものでないとおかしい」 送信者が勝手に約束したと思い込んでるケースもあるが、それはここで言っても始まらない。 「だとすると……アレですかねぇ」 「あれってなに?」 佳奈すけが御園に説明する。 うっかり嬉野さんと約束をしてしまった、別のゲームを勧めるという話だ。 「……それが羊飼いの言う約束なの?」 「さあ……」 「でも、そうだとして私がゲットできる、欲しいものって何ですかね」 「羊飼いが言うんだから、悪いものじゃないんじゃないかな」 小太刀曰く、羊飼いは人間をよりよい未来に導く存在だという。 悲惨な結末へのお導きじゃないだろう。 「だといいんですけど……」 不安は拭えないらしく、佳奈すけの表情は曇ったままだった。 「ただ、可能性としては、メールの送り主が羊飼いじゃないってケースもある」 「最初は私もそう考えたんです」 「でも、怖かったから途中で考えるのをやめたんですよ」 「どういうこと?」 「羊飼いの言う約束が嬉野さんとの約束なら、それを守らせようとする人、守らせて得をする人って誰だと思う?」 「まさか、嬉野さんが……」 嬉野さんには、メールから送り主を特定するだけのスキルがある。 羊飼いを装ってメールを送ることくらい簡単だろう。 ついでに、嬉野さんはこの件の利害関係者だ。 羊飼いを装うだけの動機がある。 「でも、約束ってゲームを勧めるだけでしょ」 「佳奈に直接言えばいいんじゃない?」 「そうも思ったんだけど……」 「嬉野さんって『かわいい系のゲームをやるんです』とか言ってて、FPSみたいなゲームをやることは隠したがってる感じがしたから」 「つまり、正体を明かさずに約束を守らせる方法が、そのメールってこと?」 「うん。きっと、筧さんも同じこと考えてたんじゃないですか?」 「あくまで、可能性としてな」 「ここは一つ、確かめてみますか?」 ちらっと俺を見てくる佳奈すけ。 「嬉野さんにアタックすると……」 普通に聞いて教えてくれるなら、そもそも偽装メールなんて出さない。 多少ひねったやり方が必要だろう。 「一応作戦はあるんだけど、試してみるか」 「イエス、サー!」 「準備はいいか」 「はい」 「……はい」 小さな声を返す、佳奈すけと御園。 よし、始めよう。 「……はあ、疲れた疲れた」 アプリオの席で、背伸びをする。 「ええ、へとへとですっ」 「ですね」 声は心持ち大きめ。 遠くにいる嬉野さんに聞こえるようにするためだ。 俺たちが立てた計画は、こんな感じだった。 「……まず、嬉野さんが羊飼いを騙ってあのメールを送信したとする」 「あの人のことだから、なかなか証拠は掴ませてくれないだろう」 「でしょうねえ」 聞くところによると、嬉野さんには謎が多く住居すらわかっていないらしい。 売れっ子芸能人のごとく、いろいろな場所で目撃証言があるのだ。 「となれば、目標は現行犯逮捕だ。メールを打ったその場を押さえれば、言い逃れもできない」 「できたら苦労しないですね」 「よく考えてみてくれ。嬉野さんの目的は何だ?」 「ゲーム研究部に、嬉野さんが推すゲームを推薦させることです」 「今日は何がある?」 「ゲーム研究部との打ち合わせがあります」 「じゃあ、もし俺たちが『羊飼いが意味不明なメールを送ってきた』ことを嬉野さんの前で話したらどうなる?」 「……あ」 「自分が嬉野さんなら、真意を知らせてもう一度ゲーム研究部と話すように促します」 「さらに『今日その話をしなければ、大会のゲームは決定してしまう』という予備情報を加えたら?」 「すぐにでも行動しないと手遅れになります」 「居ても立ってもいられないですね」 実際に大会のゲームを正式に決定するのは、もう少し先だと言っていた。 しかし、嬉野さんはその情報を知らないはずだ。 「つまり、うまく情報を与えれば、嬉野さんの行動をコントロールできるってことだ」 「なるほど」 「さすが筧さん」 二人の表情が明るくなった。 「結局あのメールって何だったんですかね」 「さあな。意味がわからんね」 俺たちの話は、きっと嬉野さんに届いているはず。 さて、どう動くか。 「明日は部室に集まるし、ゆっくり考えてみよう」 「ですね」 「あの、今日の件はどうするんですか?」 ぎこちないながらも、話を合わせてくれる御園。 「大会で使うゲーム選定の話?」 「それも明日部室で報告すればいいんじゃないかな」 「あれはゲーム研究部が決めることだ。俺たちがどうこう言う問題じゃない」 と、先ほどまで視線の端に捉えていた嬉野さんの姿が見えなくなった。 一体どこに……。 「……何の話なんです?」 「きゃっ?」 「わっ……!?」 にょき、とテーブルの端から姿を現す嬉野さん。 神出鬼没すぎる。 「(き、来ましたよ……!)」 佳奈すけが視線を送ってくる。 「ああ、嬉野さん」 「どうしたんですか?」 「いえ、何となく面白そうな話が聞こえてきたので来てみただけです」 「例のゲーム研究部の話をしてたんだ」 「なるほど、なるほど」 「嬉野さんもゲームやるんですか?」 「やりますよー」 「牧場で豚とか牛を育てる系をやるんだって」 「豚と牛……?」 「牧場でお野菜を作ったり、動物を育てたりする簡単で微笑ましいゲームです」 「私も、のんびり遊べるゲームが好きです」 「では、今度お貸しますよ」 話題がずれている。 「……それで、先ほど話していたゲーム研究部のことですけど、ゲーム大会のゲームが決まったとか」 嬉野さんが乗ってきた。 「ああ、そうなんだ」 「どんなゲームになったんですか?」 「えっと、格闘ゲームは『エターナル・オブ・ファイト』でパズルゲームは『とこぷるん』ですね」 「あと一つは……なんだっけ?」 「FPSは『コール・オブ・ダークネス3』だよ」 「俺たちが首を突っ込むことじゃなかったんで、報告を聞いただけだけど」 「ふうん」 嬉野さんの目が険しくなる。 「そ、それより嬉野さんに相談したいことが……」 段取りに沿って、佳奈すけが次の話を始める。 「何ですか?」 「また羊飼いからメールが来たんです」 「しかも、今度は私だけなんですよ」 「今回も差出人を調べてほしいんですか?」 「いえ、そういうわけじゃないんですけど……意味がわからなくて怖かったんです」 「どんなメールなんでしょう」 佳奈すけが携帯を嬉野さんに見せる。 しかし、携帯を見つめる嬉野さんは眉一つ動かさない。 「ふむ、なるほどです」 「何かわかったんですか?」 「鈴木さんに、何かの約束を守ってほしいってことじゃないんですか?」 そのまんまだ。 「でも、約束の内容がわからないんですよ」 「千莉とは来週ご飯を食べに行く予定ですけど……そのことですかね」 「うーん、わかりませんね」 嬉野さんが首をひねる。 「このメール、本当の羊飼いから送られてきたものだと思いますか?」 「え……えっと、どうでしょう」 予想外だったのか、返答が鈍る佳奈すけ。 「詳細は調べてみないとわかりませんが、ただのいたずらかもしれませんよ」 「だから、あまり真に受けなくてもいいんじゃないですか」 「あ、はい……」 佳奈すけは呆気にとられてうなずく。 「ふふ、あまり思い詰めると身体に毒ですからね」 「わかりました。ありがとうございます」 「それではご機嫌よう」 嬉野さんはそれだけ言うと、独特の歩調で去っていった。 後ろ姿を見送り、ため息を吐く。 「……筧さん、今のどう思います?」 「自然だったな」 あれが演技だったとしたら、なかなかの名演だ。 「どうしますか?」 「嬉野さんが動くまで待機だな」 「どれくらい待てばいいんでしょう」 「それは嬉野さん次第……」 と言いかけたところで。 レジに戻った嬉野さんが、近くのウェイトレスに話しかけた。 そして、1分ほどしてからアプリオを出て行く。 「尾行開始ですね」 嬉野さんを尾行する。 「……嬉野さん、どこに行くんですかね」 「あまり遠くじゃないだろう」 「あの格好ですしね」 嬉野さんは、ぽてぽてと並木道沿いに歩いていく。 「前から思ってたんですけど、嬉野さんって歩き方が特殊ですよね」 「手がペンギンみたい」 「……的確な表現だ」 いつも手が横に向いており、ちまちま歩くのでペンギンのように見える。 妙に楽しそうだ。 「嬉野さんのあれは素なの?」 「うーん……あんまり突っ込むと処理されちゃうからねえ」 「処理?」 「……教室棟まで来ちゃいましたね」 「あの格好で恥ずかしくないんだ」 嬉野さんはアプリオ制服のまま、教室棟までやってきた。 「私もあの格好で働いてるんだけど」 「ああ、でした」 ぽて、と嬉野さんの足が止まった。 「隠れろっ」 2人を柱の影に押し込む。 「……ん、なんですか?」 こちらに気付かれないよう祈りながら、息を殺す。 通りすがりの生徒に『こいつら一体何やってるんだ?』という白い目で見られた。 「気のせいですね」 柱から顔を覗かせると、嬉野さんが教室棟の中へ入っていくところだった。 こちらに気付いた様子はない。 「……行ったぞ」 「はあ……」 「危なかった……」 それぞれ安堵のため息をつく。 「……あの、先輩」 「なんだ?」 「腕、離してください」 「あ、悪い」 柱の影に御園を引き込むために腕を掴み、そのままだった。 手を離すと、御園は気まずそうにうつむいた。 「千莉、しっかりしてよ。見つかっちゃうじゃない」 「佳奈が奥に行ってくれないからでしょ」 「今のは佳奈のせいだからね」 「え〜……」 「喧嘩するなって。ほら、行こう」 「納得いかないなぁ……」 「なに?」 「いえいえ、なんでもありませーん」 子供か、お前らは。 「……おい、嬉野さんが携帯をいじってるぞ」 「本当ですね」 嬉野さんは廊下を歩きながら、携帯をいじり始めた。 もしかしたらメールを打っているのかもしれない。 「佳奈すけ、着信音は消してあるか?」 「あ、今やります」 「って、わっちゃぁっ……!?」 佳奈すけが携帯を取りだすと、すっぽ抜けて宙を舞った。 「ちょっ、なにやってるのっ!?」 すっぽ抜けた佳奈すけの携帯は、御園の頭上に飛んでいく。 「千莉、お願いっ」 「いった……!」 御園の頭ではねた携帯は、俺の手に収まった。 サッカーのクロスプレーさながらである。 「千莉、ナイスヘディング」 「何もよくないから」 「失礼しました」 佳奈すけが携帯を操作し、着信音を消す。 「さ、嬉野さんを追わないと」 どうやら、階段を上っていったらしい。 見失いやすいポイントだ。 「あっ……め、メールが来ましたっ」 「見せてくれ」 携帯を操作し、佳奈すけがメールを開く。 「えっ……?」 「……嬉野さんからか」 メールの差出人は羊飼いではなく、嬉野さんだった。 「『探し人は上の階で待ってます』って」 「……尾行、バレてたみたいだな」 「マジですか?」 バレてないと思っていたが、上手くいかないものだ。 「……じゃあ、失敗ですね」 「ああ」 「嬉野さんが上で待っているらしいけど、どうするか」 「バレてるのに無視するわけにはいかないよね」 「少なくとも佳奈すけは行かないと、今後のバイトに支障があるだろ」 「ですね」 にやりと笑う御園。 「え、ちょっとちょっと、待ってくださいよ」 「これ、私一人で行く流れなんですか?」 「心配しなくても行くって」 「尾行の顔ぶれは恐らくバレてるだろ。メンバーが減ってたら嬉野さんに怪しまれる」 アプリオで3人一緒に居るところを見せつけているのだ。 「あ、言われてみれば……」 「千莉、本気で私だけに行かせるつもりだった?」 「まあまあ、それじゃ行こう」 「あ……」 上階では、嬉野さんが笑顔で立っていた。 「待ってましたよ」 嬉野さんはいつもの調子で近づいてくる。 「どうして人の後をつけているんですか?」 「……」 俺の後ろで、佳奈すけと御園が息を呑む。 「実は、確認したいことがあって」 嬉野さんがくすりと笑う。 「私のことを、羊飼いだと思いましたか?」 「それとも、私が羊飼いを騙ってメールを出したと思いましたか?」 「両方とも疑ってる」 「先に言っておきますけど、私は羊飼いじゃないですよ」 「いやまあ、だとは思うけど」 「あ、完全に信じてませんね」 嬉野さんが、ぷっくりと膨れた。 「私としては、信じてもらいたいんですよね」 「筧君はともかく、鈴木さんとは職場の同僚ですから」 嬉野さんが、俺の後ろを見る。 「私も安心したいです」 「よかったら、嬉野さんの携帯を見せてくれないかな?」 「そうすりゃ、こっちも納得できるから」 証拠なんて、もう消されているかもしれない。 だが、普通なら他人には見せないものだし、ガードが緩い可能性もある。 「女の子の携帯には秘密がいっぱい詰まってるんですよ」 「あなたたちだって、いきなり携帯見せろって言われたら困るでしょう?」 佳奈すけと、御園がうなずく。 「それに何より……」 嬉野さんが笑顔で俺たちを見回した。 「あなたたちのためになりません」 どーん、と重い空気になった。 一体、彼女の携帯には何が入っているんだ。 「とはいえ、かわいい鈴木さんのためです」 嬉野さんが携帯を差し出してくる。 「ど、ども」 佳奈すけが携帯を受け取ってしまう。 「あ、忘れてました」 「ん?」 「もし、何も証拠がなかったら、何か一つお仕事を引き受けてくれませんか?」 「疑われた上に、携帯の見せ損ですから、そのくらいあってもいいですよね?」 にっこりと笑う嬉野さん。 「いや……」 「にっこり」 「……なんか、ハメに来てないか?」 「ハメ技は使いません。子供じゃあるまいし」 「はい、今、『ゆーても子供じゃん』って思った鈴木さんは、後で罰ゲームですよ」 「思ってないですからっ!?」 「さ、鈴木さん、どうします?」 「携帯の中に羊飼いの証拠がなかったとしても、お仕事一つ受ければいいんです」 「安心料だと思えば、安いですよね? 安いです、今だけです」 「う、うう……」 嬉野さんの話術に振り回されていた。 「佳奈、待って」 御園が嬉野さんを見た。 厳しい目をしている。 「嬉野さん、言ってることおかしいです」 「あら、どうしてですか?」 「佳奈のことを心配してるなら、取り引きなしで携帯を見せてくれてもいいと思います」 「千莉……ありがとう」 佳奈すけが泣き笑いの表情になる。 「でも、もう遅いの……」 「え?」 「携帯、見ちゃった。てへ」 頭をこっつんする、佳奈すけ。 「馬鹿っ!!」 「てへじゃねーよ」 「だってー、ボタンがあったら押したいじゃないですかー」 「ドアがあったら開けたいじゃないですかー」 「携帯があったら見たいじゃないですかー」 「私ってー、どっちかって言うとカワイイ系じゃないですかー」 「最後のやつ、語尾しか合ってない」 「しかもウザい」 どうでも良くなってきた。 「……んで、携帯には何が?」 「えーと……」 「さあ、蛇が出るか、蛇が出るか」 「それ、どっちもヘビです」 佳奈すけはスマートフォンを操作し、待ち受け画面を表示させた。 いつの間にか、待ち受け画面が変わっている。 「……あれ、え? なにこれ」 「どうしたの?」 佳奈すけが固まる。 「俺も見ていい?」 「ええ、いいですよ」 嬉野さんに確認してから、携帯を見せてもらう。 ……そこには、小さな女の子が映っていた。 どこかで見たことある面影だ。 「これは……」 「この子、泣いてますね」 「多分、おねしょしちゃって怒られたとか」 状況的にはそんな感じだった。 「それ、誰だと思います?」 「……あ」 これ、ひょっとして見たらまずいものだったんじゃないか。 「筧先輩の知り合いなんですか?」 「知り合い……あ、まさか」 「わかったみたいですね」 「望月さんか」 この顔立ちは間違いない、あの人だ。 「そうです。望月真帆さん、現生徒会長ですね」 「う、嬉野さん……なんて危険なもの待ち受けに……」 「だって〜、かわいいじゃないですか〜」 佳奈すけの真似をする嬉野さん。 「……鬼だ」 望月さん、こんな弱みを握られていたのか。 「その画像、望月さんとは『絶対に誰にも見せない』って約束をしていたんですけど」 「でも、かわいい後輩のためですからね〜、仕方ないですよね〜」 「あーあ、約束やぶっちゃいました」 「どうしましょう?」 「う、うあぁ……」 いきなり見たくないものを見てしまった。 なるほど、俺たちのためにならない。 「どうしましょう、これ」 「せっかく携帯を見せてもらうことにしたんだ」 「きちんと調べてみた方がいい」 「りょーかいです」 「ああ、鈴木さんに丸裸にされちゃいます……」 嬉野さんは、どこか嬉しそうだった。 まだ何かを隠しているのか。 「まずはメールを見てみますね」 「えっと……財相の何とかさんの会談、データを送りました。送金よろしくです?」 「学園理事の癒着について情報ありますか。120でいただきます」 「某国内部資料の流出、もみ消しの痕跡についてレポートをお送りします」 「……これ、何ですか?」 佳奈すけの顔から血の気が引いていた。 「さあ、何でしょうねぇ?」 どう見てもヤバいネタだ。 下手に首を突っ込むと、東京湾に浮かぶ系の。 「佳奈すけ、羊飼い関連のメールはないか?」 「はい……」 「……あ、ゲーム大会に言及しているものがありました」 佳奈すけが、どんどんメールを見ていく。 「……筧さん、羊飼いに関するメールはないみたいです」 「……」 証拠が消されているのか、最初からこっちの勘違いだったのか。 どちらにしろ、賭けはこちらの負けだった。 「というか、もはやそういう問題じゃない気がしてきましたね」 「そんな気がする」 「携帯、お返します」 「ふふふ、これで疑いは晴れましたね」 佳奈すけから携帯を受け取り、にっこりと笑う嬉野さん。 「はい、もう綺麗さっぱり」 「(それ以上に、嬉野さんが怖くなりましたけど)」 「はい?」 「いえいえ、何でもないです」 「よかったです。私も安心しました」 ニコニコ顔の嬉野さんである。 そりゃ、完全にハメたからな。 「じゃあ、俺たちはこれで」 全員で回れ右をする。 「あらあら、お急ぎですか? まだお話があるんですが」 「ですよねー」 「約束通り、一つ依頼を受けていただきますけど、いいですね?」 佳奈すけと御園が俺を見る。 「ああ、もちろん」 「では、後ほど正式に依頼をさせていただきますね」 「大丈夫です。断れないからって、無理なお仕事は頼みませんから……きっと」 「きっと」 「ですか」 がくりとうなだれた。 「それではご機嫌よう」 そう言うと、嬉野さんはぽてぽてと階下へ歩いていった。 「はあ……疲れました」 「私も疲れた」 「俺もだよ」 放課後から始まった尾行劇は、敗北に終わった。 時間はもう17時を過ぎている。 「筧さん、すみませんでした」 「ん、何の話だ?」 「いえ、変なことに巻き込んじゃったじゃないですか」 「完全にやぶ蛇ですよね」 「ま、気にするな」 「千莉もごめんね」 「携帯ぶつけたり、その、色々とさ」 「別に怒ってないよ」 「よかった……」 佳奈すけはほうっと安堵のため息を漏らす。 「いやもー、今回は勉強になりましたよ」 「本当、好奇心は猫を殺しますね。筧さんの言うとおりでした」 「次は気をつけます」 「気にするなって。先輩なんだし今回は俺の責任ってことで」 「しかし、嬉野さんは、どんな依頼をしてくるんだろうな?」 「怖いですね」 「無茶なのは断るさ」 「断って大丈夫なんですか?」 「おそらくは」 基本的にネタを愛する人っぽいし、恥ずかしい目に遭うくらいで済むだろう。 「……筧さん、ありがとうございます」 「一緒にいてくれなかったら、一人でドツボにはまってるところでした」 佳奈すけは相当負い目を感じているらしい。 「ほんと気にするなって」 「佳奈すけは可愛い後輩だ。何かあったときは……まあ、俺が何とかするさ」 「ど、どもです」 佳奈すけが柄になく照れた。 「ここにも後輩がいますが」 「もちろん、御園がやばくなっても何とかする」 「当然ですよね」 「とにかく、この件で困ったことがあったら、すぐに相談してくれ」 「はい」 「はーい」 「皆さん、おはようございます」 「……おはよう」 週が明け、俺と御園・佳奈すけの3人は、嬉野さんに呼び出された。 「ふふ、筧君は眠そうですね」 「そりゃ、いつもは寝てる時間だから」 早朝5時、嬉野さんから電話がかかってきて『6時にアプリオ前へ集合です』と言われた。 なぜ電話番号を知っているのか疑問に思ったが、聞くだけ野暮なので諦めて出てきた。 「佳奈すけ、その格好は?」 「バイト中だったので、そのまま出てきました」 「抜け出してきて大丈夫なの?」 ちらりと嬉野さんを見る佳奈すけ。 「はい、話は通してありますよ」 「職権の有効利用です」 濫用ですよね……とは言わないでおこう。 「で、嬉野さん、こんな朝早くから何の用?」 「前にお約束した、依頼の件です」 「うわ来た……!」 「鈴木さん、そういうことは心の中で呟きましょうね」 「う、はい……」 「嬉野さん、佳奈すけいじりは置いておいて……」 「わかってますよ」 「ただその前に、少し思い出話をさせてください」 「はあ、どうぞ」 「ゲーム研究部のことなんですけど……実は、もともとは私が立ち上げたものなんです」 「えっ? ほんとですか」 ……なるほど。 嬉野さんは、大会の使用ゲームが決まったと聞いても驚かなかった。 ゲーム研究部の内部事情に精通していたなら話は簡単だ。 あの時点で、既に俺たちの思惑は嬉野さんに筒抜けだったのだろう。 「私は、ゲーム大好きっ子でしたからね」 「と言っても、私がやるのは牧場で動物を育てるようなお子様ゲーではなく、FPSやRTSがメインですけど」 「前と言ってることが違いますけど」 「状況が変われば答えが変わるのは当然、ですよね?」 「……」 御園が言葉に詰まる。 「部長だった当時は私も張り切っていて、大々的にゲーム大会を開いたんです」 「時勢も手伝って、メーカーも協賛してくれる大きな大会になりました」 「その後、現部長に席を譲って、私は引退したんです」 「嬉野さんにそんな過去があったなんて……大ニュースですね」 「あ、今の話を他の人に漏らしたら、始末しますから」 「……え?」 「始末しますから」 「……」 佳奈すけの顔が引きつった。 「現部長はもともと誠実な人物だったのですが、権力を握って目が眩んでしまったのでしょうね」 「私の言いつけを破って、ゲーム大会で小細工をするようになったんです」 「例えば?」 「自分の知り合いが優勝するように、彼らが得意なゲームを選んだり、機器にちょっとした小細工をするようになったんです」 「そこまでして優勝したいんですか?」 「優勝者には、協賛メーカーからプレミアがつくような賞品が贈られるんです」 「彼らの目当ては、それですよ」 「主催者がイカサマ仕込んでるってわけか」 「これは、純粋に実力を競いたい参加者を裏切る行為です。絶対に看過できません」 嬉野さんが断言した。 ことゲームに関しては、正義感を発揮するらしい。 「ですから、私は現部長を糾弾しようと思いました」 「しかし、彼らもなかなか小狡いみたいで、シッポを掴ませてくれないんです」 話が読めてきた。 「だから、俺たちに、現部長のイカサマを阻止する手伝いをしろと」 「察しが良くて助かります」 嬉野さんがにっこりと笑った。 「どうですか。受けていただけますか?」 しばし考える。 話は真っ当で、白崎だったら二つ返事でOKだろう。 しかし、問題はイカサマを阻止する手段だ。 「具体的に、俺たちは何をしたらいいんだ? 返事はそれ次第になるな」 「簡単ですよ」 「大会で使用するゲームを変更するよう説得してきてください」 「……それだけ?」 「ええ、それだけです」 「汚れ仕事はその道の方にお任せしますから、どうかご安心を」 むしろ、ゲーム研究部の人が心配になってきた。 「嬉野さんが自分で説得するっていうのはナシ?」 「私が説得したら逆効果ですよ」 「彼らは、私を大会優勝候補として警戒してますからね」 嬉野さんも出場するのか。 そりゃ、説得には不向きだな。 「でも、俺たちはヘルプを頼まれてるだけだし、説得できるとは限らないけど」 「秘策があります」 「ほー」 「名案ですよ? 聞きたいですか?」 「あの、嬉野さん……念のため聞きますけど、聞かないっていう選択肢もあるんですか?」 「一応ありますよー」 顔を見合わせる俺たち。 「どうしますか、筧さん」 ううん、聞いたら嫌とは言えない雰囲気になりそうだしなぁ。 ここは一つ……。ここは一つ……。「聞くしかないだろ」 「ですね」 「仕方ないです」 「ふふ、うまくゲームオーバーを回避しましたね」 マジか。 聞かなかったら何をされていたんだ。 「ここはあえて聞かない」 「……本気ですか?」 「考え直した方がいいんじゃ……」 「2人とも聞きたいのか? 嬉野さんの秘策だぞ?」 「そ、それはそうなんですけど」 「聞かないと、もっとひどいことになるような」 だよな。 「秘策の内容はすごく簡単ですよ」 「部長の説得を、御園さん一人にしてきてもらうんです」 「私一人?」 突然指名され、御園がきょとんとする。 「現部長は御園さんの大ファンですからね。あなたになら甘いはずです」 「あー……そういうことですか」 佳奈すけと目が合った。 現部長が御園の方ばかり見ていた、と前に佳奈すけが言っていた。 「部長が図書部にヘルパー業務を依頼したのも、あわよくば御園さんとお近づきになるためでしょう」 「ですから、御園さんが熱心に推せばあの部長も揺らぐでしょう」 「大会の使用ゲームは、ゴリ押しすればまだ変えられるタイミングですから」 「やっぱり知ってたのか」 「それはもちろん、元部長ですから」 えっへん、と胸を張る嬉野さん。 「……御園、どうする?」 「説得するくらいなら別に構いません」 「ただ、変な格好をしろとか色仕掛けをしろと言われたら困ります」 「ちょっと褒めて持ち上げれば、すぐに浮かれて陥落しますよ」 にっこり笑う。 「嬉野さん、もう黒い部分を隠す気ないだろ?」 「まあ、あなた方には今さら隠してもしょうがないですし」 嬉野さんが開き直った。 「それならいいですよ」 「ありがとうございます。幸先のいいスタートで嬉しいです」 スタートって、これから何をする気なんだ。 「というか、なんでまた朝早く集合をかけられたんだ?」 「今日の放課後、ゲーム研究部の部長と会うセッティングをしてあります」 「それまでに、御園さんにはFPSの勉強をしてもらいます」 「説得に必要な基礎知識を頭に叩き込んでください」 「勉強ですか……」 御園が露骨に顔をしかめる。 「大丈夫ですよ、きちんとアンチョコも用意してありますから」 「200ページくらいありますけど、汐美学園の生徒なら軽いですよね?」 がさりと分厚い紙の束を取り出してくる嬉野さん。 あれを放課後までに覚えるのか。 「……筧先輩、助けてください」 「助けたいのは山々だけどさ」 「筧君では現部長を説得できないでしょうね」 「だそうだ」 「はあ……」 「千莉、応援してるから!」 「もう、他人事だと思って……」 御園は派手に落ち込んだ。 「よし、みんな揃ったな」 桜庭の声が部室に響く。 「はーい」 「さて、今週末で学園は夏休みに入る」 「スケジュールについては逐次SNSのグループに上げているが、みんな確認しているか?」 みんながうなずく……が、御園だけは違った。 御園は一人、プリントされた冊子を必死に読みふけっていた。 「おい、御園」 「このARはデフォルト3点バーストのブルパップ式で、リコイルが低く扱いやすい……」 「御園、呼んでるぞ」 「……はい?」 ようやく顔を上げる御園。 その表情には疲労と焦燥がにじんでいた。 「御園、話をしている時はこちらに耳を傾けてほしいな」 「すみません」 「千莉ちゃん、なに読んでるの?」 「これは、その……」 御園が言い淀む。 「ゲーム研究部の依頼で必要な資料だよ」 「ほう」 「すごい量だね」 「今日中にこれを覚えないといけないんです」 「マジか」 「FPS汎論とその周辺知識……?」 白崎が横から冊子を覗き込む。 御園の手には、嬉野さんから渡されたFPSの知識が詰め込まれたアンチョコがあった。 「論文か何かか?」 「そんなところです」 「大丈夫か、声が疲れてるぞ」 「ええ、まあ」 あまり大丈夫には見えない。 「差し出がましいようだが、筧に任せた方がいいんじゃないか?」 「何にしても、得意不得意があるだろう」 「あー……これにはやむにやまれぬ事情が……」 「ジャンケンで負けたの?」 「罰ゲームかよ」 「だってこれ、今日中に覚えるなんてすごく大変だよ」 細かい字でびっしりと埋まった冊子を眺める白崎。 「部長に、ゲーム大会のゲスト解説員をやらないかって御園が誘われたんだ」 「で、御園がぜひやりたいって言うから、覚えることになった」 「そうそう、私や筧さんではダメらしいです」 口からでまかせを言うと、佳奈すけがアシストしてくれた。 「大任じゃないか」 「でも、それならどうして今日中なんだ?」 桜庭の鋭いツッコミが入った。 「有名なコメンテーターとの初打ち合わせが今日なんだ」 「今日は16時からその打ち合わせなんですよ」 「というわけで、私と筧さんと千莉はそろそろ失礼します」 15時45分、そろそろ待ち合わせ場所に移動しなければならない。 「わかった、急ぎなんだな。また後日報告をくれ」 「了解」 「千莉ちゃん、頑張ってね〜」 「ガッツだ、千莉ちゃん」 「はい、ありがとうございます……」 白崎と高峰の励ましに、御園が遠い目をした。 俺と佳奈すけ、御園はゲーム研究部のある研究棟までやってきた。 「お待ちしてました」 待ち合わせ場所の中庭で嬉野さんと落ち合う。 「来ないんじゃないかと思って、少しびくびくしましたよ」 「さすがにそれはない」 「約束の時間は16時ですから……あともう少しですね」 「御園さん、資料の方は覚えられましたか?」 「……ダメです」 御園からギブアップ宣言が出た。 「もう無理。頭パンクしそう……」 俺も先ほどざっと資料を見せてもらった。 資料ではFPSの種類、ゲームによるルールの差異とそこから来る戦略性、ユーザーコミュニティの違いが綺麗にまとめられていた。 そこまではいい。 しかし、後半は兵器と軍事関連の知識とスラング用法のまとめだった。 御園が音を上げるのも無理はない。 「……千莉、こんなの覚えたんだ」 「覚えようとしたけどね」 「一週間くらいあるならともかく、たった数時間じゃ……」 「すみませんね、段取りに手間取ってしまって」 嬉野さんはほがらかに笑う。 「あの、嬉野さん」 「どうしました?」 「これって、少し話が違いますよね」 「褒めて持ち上げれば何とかなる……みたいなことを言ってませんでしたか?」 佳奈すけが異論を唱える。 「ええ、言いました」 「ただ、褒めるのにも相応の知識が必要ですからね」 「でも……」 「大丈夫です。こんなこともあろうかと次の手を考えてあります」 「聞こうじゃないか」 この人、まだ何か手を隠していたのか。 「じゃじゃ〜ん、こっそりお話しセット〜」 嬉野さんが自分のカバンから何かを取り出した。 「……何ですか、それ」 「骨伝導スピーカーです。御園さん、これを耳につけてください」 「はい」 嬉野さんから受け取ったものを耳につける。 小さなベージュ色のそれは髪に隠れ、完全に見えなくなった。 「あと、御園さんのカバンにこれを仕込みます」 ケーブルに繋がれた機器一式を、御園のカバンに移し替えていく。 「……あ、それってもしかしてCCDカメラですか?」 「ええ、あとは高性能マイクと、データを飛ばす通信機器ですね」 御園のカバンに手際よくセットする嬉野さん。 ……これ、盗聴機器だな。 「一体何をするつもりなんですか?」 「こっちのカメラとマイクで室内の様子を拾いながら、骨伝導スピーカーに指示を送るってことか」 「ふふ、ご名答です」 「説得を成功させるには、御園さんが個人的なお話として部長にお願いする必要があります」 「私が一緒にいたら作為に気付いてしまいますから、こういう装置を用意しました」 てへりと笑う嬉野さん。 思い切り場違いなリアクションなのに、妙にかわいいのがまた何とも言えない。 「……嬉野さん、そろそろ16時ですけど」 「わかりました」 「御園さん、簡単な通信テストをしたら本番です」 「頑張りましょうっ」 「善処します」 「御園、俺たちがついてるぞ」 「外で待ってるからね」 「うん……」 微妙な表情で、御園はうなずいた。 「……本日は、お時間を取っていただいてありがとうございます」 「いやいや、こちらこそ光栄だよ」 ゲーム研究部の部長が答える。 小太り体型で、太い眉が特徴的な顔だった。 「あ、一つお願いがあるんだけどいいかな」 「何ですか?」 「その……千莉ちゃんのサイン、もらってもいいかな」 「いえ、私はサインなんて書いたことないので……はい?」 「……わかりました。サイン書きます」 「ありがとう、それじゃこれに」 御園はしぶしぶ紙とペンを受け取り、サインを書き始めた。 「……御園さん、こちらの声に答えたり微妙な間を作ったりすると危ないです」 「何も聞こえていないふりをしてください」 ヘッドセットをした嬉野さんがマイクに向かって話しかける。 嬉野さんのカバンには小型ディスプレイが入っており、画面には御園とゲーム研究部の部長が映っていた。 「千莉の表情、固いですね」 「演技は苦手そうだもんなあ」 俺たちが呟くと、画面の中の御園がぎろりとこちらを睨んできた。 「あ、ちなみにこのマイク、集音性能が高いので2人の声もばっちり向こうに届きますよ」 「……先に言ってくれ」 「せ、千莉、がんば〜」 御園が何かぶつぶつと呟いている。 機嫌が悪くなってしまった。 「(……なによ、2人とも好き勝手言ってくれて)」 御園は乱雑にサインを書き殴り、部長に返した。 「これでいいでしょうか」 「おお〜っ、やった……千莉ちゃんのサインだ〜っ」 「……」 半眼になる御園。 気持ちはよくわかった。 「あ、ごめんごめん。それで話ってなんだい?」 「はい、その……」 「部長が汐美学園で最強のプレイヤーだという噂を聞いて、お話を聞きたいと思ったんです」 「え、最強って僕のこと? いやあ、照れるなぁ」 「言うほどじゃないけど、でも言われてみれば確かに最強かもねぇ」 「なんたって前回のゲーム大会では、僕がリーダーを務めるチームが優勝したからね」 部長が自画自賛を始めた。 「確か、部長がお好きなゲームはCoDですよね」 「そうそう、よく知ってるねぇ」 「それはもう……部長には個人的に興味がありまして……」 御園の口元がひくひくと引きつっている。 嬉野さんに言われて、無理をしているのがバレバレだった。 「いいですよ、御園さん。その調子です」 「見てください、この部長のだらしない顔を」 「ピンヒールで踏みつけて、鼻の穴を4つに増やしてやりたくなりますね」 「嬉野さん、それは言い過ぎでは……」 画面の中で、御園が吹き出して笑い始める。 「余計なことを言ってる場合じゃないですよ」 「嬉野さん、次の指示を」 「おっと、忘れてました」 「では次は、こう言ってください」 「ぶふっ……」 「ど、どうしたの?」 「いえ、何でも……」 御園は必死で笑いを堪えていた。 「(もう、嬉野さん変なこと言わないで)」 「もしかして、千莉ちゃんもCoDやるのかな?」 「えっと……私はCoDよりも、BFの方が好きなんです」 部長はあからさまに落胆した顔を見せる。 「せっかくですから、BFで部長の勇姿が見たいです……駄目ですか?」 「えー……どうしよっかなぁ、困っちゃうな」 「でも、千莉ちゃんもFPSやるんだ。ちょっと意外だね」 「どんなプレイスタイルなの?」 「プレイスタイル? ええと……」 御園が慌てる。 「……と、こんな感じに答えてください」 嬉野さんが御園に指導する。 御園が答え、部長がさらに突っ込んだ質問をする。 そんなやりとりを繰り返すうちに、だんだん御園の受け答えがしどろもどろになっていく。 自分でわかっていないことを話すため、イントネーションや間がおかしい。 部長もだんだん不審に思い始めてきたようだった。 「……これ、まずい流れですよね」 「質問に転じないとだめだな」 しかし、この部長もなかなかの玉だった。 こちらの望む話に持っていこうとすると、うまい具合にはぐらかすのだ。 どうしてもこちらのしたい話に乗ってきてくれない。 「嬉野さん、何とかなりませんか?」 「ううん……色仕掛けが一番手っ取り早いんですけどね」 「早いのはわかるけど、NGだ」 「御園が色仕掛けなんてしたくないって言ってる」 「でも、そうなると今まで通り質問に答えて、地道に信頼を勝ち得るしかないです」 「まあなあ……」 嬉野さんの言には納得できるものがある。 しかし、このままではジリ貧に陥ってしまう。 何か打開策はないか。 「(いつまで言い合いしてるの、早く次の指示を出して……!)」 「あのさ、千莉ちゃん。さっきから様子がおかしいけど、どうかしたの?」 「すみません……」 「その、ちょっと頭が痛くて」 「そっかぁ、それじゃ話はまた今度にしよっか?」 「いえ、それは……このまま続けたいです」 「んー、でも……」 御園は、動揺を隠し通せなくなっていた。 「(もう無理、このままじゃバレちゃう……!)」 画面の中で、御園が立ち上がった。 慣れない会話に、行き詰まってしまったのだろう。 「参ったな……」 「えっと……」 考え込む嬉野さん。 万事休すだ。 「……千莉、足の運動」 「ちょっと足が疲れたって言って、また座って」 嬉野さんに近寄り、佳奈すけがマイクに向かって話しかける。 「ごめんね千莉、ドタバタしてて」 「でも、私たちが最後までサポートするから」 「お願い。私たちを信じて、頑張って」 「……佳奈すけ」 佳奈すけの気持ちが届いたのか、御園は佳奈すけの言う通りに足を屈伸させ、再び座った。 「嬉野さん、筧さん、私がしばらく時間を稼ぎます」 「その間に次の方針を考えてください」 佳奈すけは嬉野さんからヘッドセットを取り、自分で付け直す。 「千莉、部長に好きな人がいないか聞いて」 「嬉野さん」 「はい、考えましょう」 御園とこの部長は、ほとんど会話を交わしたことがない。 5秒も沈黙が続けば気まずくなるだろう。 俺たちが結論を出すまでに3分ほどかかった。 その間、佳奈すけは滞ることなく御園をサポートし、話を引っ張り続けてくれた。 ゲーム研究部部長との話が終わった。 「……はあ、疲れた」 緊張の連続で、御園はすっかり憔悴していた。 「お疲れさまでした」 「皆さんのお陰で、無事に目的を達成することができました」 御園が頑張った甲斐もあり、部長は大会の使用ゲームをBFにすると約束してくれた。 「すみません、御園さん」 「遠隔操作なんて初めてだったので、色々と手間取ってしまいました」 「段取りが悪くてごめんなさい」 「いえ、気にしないでください」 御園が笑顔で答える。 多少ゴタついたものの、目的を達成することができた。 終わりよければ、というやつだろう。 「最後、あの部長タジタジでしたね」 「御園のお手柄だな」 「いえ、佳奈が裏で支えてくれたからうまくいったんです」 「私一人だったらとっくに諦めてました」 「いいチームワークでしたよ」 「ああ、ばっちりだった」 うまい具合に互いを支え合っていた。 「ありがとね、佳奈」 「いやー、別に大したことしてないよ」 「そんなことない」 「普段はふざけてばっかりだけど、今日はすごい助かった」 「佳奈のあんなに真剣な声、初めて聞いたかも」 「あ、あははは……」 佳奈すけは頬を赤くして顔を伏せた。 「(……鈴木さん、デレデレですね)」 「(褒められ慣れてないんだ)」 嬉野さんとこそこそ話し合う。 普段はふざけてばかりいる佳奈すけ、初めて聞いたという真剣な声の佳奈すけ。 御園は佳奈すけの表裏を、鋭敏にかぎ分けたのかもしれない。 「佳奈すけ」 「はい?」 「今回は、お前の素の声が聞けた気がするよ」 「もう少し、自分に自信を持っていいんじゃないか」 ミナフェスの前、佳奈すけは、人と上っ面で接している自分の不誠実さを嘆いていた。 そして、先日のアプリオでは、鎧を脱げない自分を……。 佳奈すけが考えている『素の自分』ってのがどういうものかはわからない。 でも、進まなきゃ道は開けないだろ? 「筧さん……」 「何の話?」 佳奈すけはうつむき、考え込む。 「……うん、よしっ、行きますかっ」 「どこに?」 「あのね、千莉」 佳奈すけが、御園を見る。 「え、はい?」 「実は今まで、千莉のことちょっと天然だなーって思ってたんだ」 「いきなりひどいんだけど」 「そうだね、ごめん。私ひどい人だった」 「羊飼いのメールが来たとき、千莉は私のために怒ってくれたよね」 「こんなに心配してくれる人がいるんだって、結構嬉しかったんだ」 「それは……だって、図書部の仲間だし」 今度は御園が照れた。 「だからね、きちんとお返ししないといけないなって思ったの」 「千莉が困ってる時は私が助けなきゃって」 そんな佳奈すけの思いが、御園のピンチを救った。 「図書部だと、私がやらなくても桜庭さんや筧さんがいるからすごく楽だった」 「でも、それじゃダメかもって思えるようになったんだ」 「千莉のお陰でね」 この勢いは、彼女特有のものだ。 「急に何の話なの……?」 「うーん、ちょっとした意思表明かな」 「これからは、もう少しオープンにして付き合っていきたいなって」 「なんだ、そんなこと」 御園はくすりと笑う。 「別に今まで通りでもいいよ」 「私、佳奈と二人で話しするの好きだし」 「ううっ……千莉っ、あなたはなんていいやつなんだ〜っ」 感動したのか、御園にべったりと抱きつく佳奈すけ。 「ちょっ……な、何してるの?」 「千莉〜っ、愛してるっ」 「はあっ?」 「あ、あのね佳奈、私普通だからね、わかってる?」 「わかってますわかってます」 「だったら胸に顔を埋めないでっ」 「これはこれで、ちょっとふかっとしてて……」 「や、やめてよっ」 何をやっているんだか。 「くすっ、仲が良くて羨ましいですね〜」 じゃれ合っている佳奈すけと御園を、遠い目で見つめる嬉野さん。 「嬉野さんは、ああいう友達はいないの?」 「筧君と同じですよ」 「そりゃあ……寂しいな」 「もう慣れました」 嬉野さんと釣り合うような人間なんているのだろうか。 いたとしても、嬉野さんのような人たちが、心の底から信頼し合うことは難しいかもしれない。 「でも私と筧君なら、結構いい線行くかもしれませんよ?」 「それ、告白みたいだ」 「あるいは、地獄への招待状かもしれませんね」 ニコニコ笑いながら、嬉野さんが告げる。 本気かどうかはわからない。 もしかしたら、本人もわかっていないのかもしれない。 そんな風にして、自分と他人をごまかしながら生きていくのが癖になっているのだろう。 「ただの冗談ですよ」 「わかってる」 なんて答えたけど。 半ば本気なのかもしれない、ということもわかっていた。 「……ああもう、はーなーれーてーっ」 「もう、千莉ちゃんはつれないなぁ」 ようやく御園から離れる佳奈すけ。 「はあ……はあ……疲れてるんだから余計な体力使わせないで……」 「いい運動になったね〜」 がくりと首を落とす御園。 言い返す気力もない、と言ったところだろう。 「はいはい、それじゃお開きにしましょうか」 「はーい」 「嬉野さん、これで個人的なお願いっていうのは終わり?」 「はい、終了です」 「後は私が直々に、あの部長を懲らしめてやります」 「ほー、何するんだ?」 「正々堂々とゲーム大会で勝負しますよ」 「正面から打ち砕くんですね」 「格好いいです」 「でも、あの部長も相当腕に自信があるみたいなこと言ってましたけど」 御園が付け加える。 「ご心配なく。ゲーム大会に合わせてワールドランカーたちを招聘しますから」 「ドット単位の正確なエイムができる、素晴らしい仲間たちです」 「……それ、汐美学園の生徒じゃないよな」 ゲーム大会に参加できるのは、この学園の生徒だけだったはずだ。 「学籍簿は私の手中にあるので問題ありませんよ」 「そうですか……」 「全然正々堂々じゃないですね……」 「ゲームプレイは小細工なしですよ」 嬉野さんは、いつものようにかわいらしく微笑む。 やっていることは真っ黒なのに、どこかしら憎めない人だった。 「それでは、私はこれで失礼します」 「あ、鈴木さん」 「はい」 「友達は大切にしてくださいね」 「……わかりました」 「それでは、皆さんに素晴らしい人生があらんことを」 嬉野さんはぽてぽてとアプリオへと去っていった。 「……」 そんな嬉野さんの後ろ姿を見つめる。 先ほどの佳奈すけと御園のやりとりに、嬉野さんも何かしら思うところがあったのだろうか。 だとしたら、それはどんな思いだったのか。 「私たちも帰りましょうか」 「その前に部室に寄りたい。サボテンにお水あげるの忘れてた」 「あ、私も行くよ」 「筧さんはどうします?」 2人は部室に寄っていくようだ。 俺はどうしようか。俺はどうしようか。「……そうだな、俺も行く」 嬉野さんが気になるが、今はこの2人と一緒にいるべきだ。 「筧さんも部室寄りですか?」 「ああ、色々あって疲れただろ。お疲れさま会ってことで2人に何か奢るよ」 「お〜っ、やったぁ。お菓子食べたいですね」 「今日は甘い飲み物が欲しいです」 「はいはい、それじゃ買い出しに行こうか」 「先生〜、お菓子は1人何円までですか〜?」 「300円までな」 「安いですね」 「筧先輩の後輩への愛情はたかだか300円ですか」 「は〜い、賃上げを要求しま〜す」 こいつら、徒党を組みやがって。 思わず苦笑してしまう。 「わかったよ、1人500円までな」 「ふむ、仕方ないですね」 「妥協しますか」 「お前らなぁ」 遠慮のない後輩たちを引き連れて、俺たちはアプリオを後にした。 「……すまん、2人とも。先に帰っててくれるか?」 「えっ、まだ何かあるんですか」 「野暮用だよ」 「……そうですか」 「それじゃ筧先輩、また明日」 「おう、またな」 「頑張ってくださいね」 佳奈すけは微笑んで、御園と共に去っていった。 「……気付いているんだろうな、あれ」 きっと俺がこれからどこに行くか、佳奈すけにはわかったのだろう。 とはいえ、何か致命的に勘違いしている気もするが。 「さてと」 アプリオに向き直る。 あの時見せた嬉野さんの後ろ姿が、妙に気にかかっていた。 佳奈すけには御園がいる。 だが、嬉野さんには誰もいないんじゃないか。 きっと俺と同じで、誰とも心を交わらせずに生きてきたのだろう。 そんな人が俺に言ったのだ。 嬉野さんと俺なら結構いい線に行けるかもしれない、と。 「地獄への招待状、か」 気にならないわけがない。 その招待状を、受け取ってみたかった。 「……よし」 俺は嬉野さんを追い、アプリオへと向かった。 ゲーム研究部の部長を説得してから一週間が経った。 「こんにちは」 アプリオで黙々と本を読んでいたら、嬉野さんから声をかけられた。 今日は佳奈すけと、朝から読書会を開催していた。 「お二人で読書ですか?」 「えへへ、読書会なんですよ」 「なるほどなるほど、あまり読書をしない御園さんをハブろうという、狡猾な作戦ですね」 「人聞きが悪すぎて驚きました」 「あれ? お二人の仲を深めたいという趣旨では?」 「違うって」 面倒なので話題を変えよう。 「そういや、昨日はお疲れさん」 「嬉野さんの勇姿、脇から拝見しましたよー」 「もう、世界遺産級のテクニックでしたね。さすが、仕事をサボって練習……」 「はい?」 「いえ、ぜんぜんサボってなんかないですよね。勘違いです、おっかしいなぁ」 俺たちがヘルプを依頼されていたゲーム大会は昨日、無事に終わった。 先週末から夏休みが始まったが、昨日までずっとゲーム研究部の依頼で働き詰めだった。 そのため、今日が夏休みに入って最初の休日だった。 「嬉野さんが、あんなに上手いとは思わなかった」 「ふふ、ありがとうございます」 ゲーム大会に出場した嬉野さんのチームは、FPS部門で見事優勝を果たした。 最終戦では部長のチームと激突。 文字通り血祭りに上げた。 「負けが込んできた時の部長、面白かったですよ」 「顔が白くなったり赤くなったり、涙目でシャウトしたりしてました」 嬉野さんの圧倒的テクニックの前に、部長は殺しに殺され、最後は発狂したかと思うような叫び声を上げていた。 「プレイに集中してたので、あの豚野郎の無様な姿を見られなかったのが残念です」 「豚野郎って……」 佳奈すけが半眼になった。 「ま、部長も少しは懲りたでしょう」 「はあ……」 どちらかというと、ゲーム研究部より嬉野さんの方が不穏だが。 「それでは、引き続き二人きりの読書会をお楽しみください」 「どうもお邪魔しました」 「引っかかる言い方ですねえ」 「そう聞こえてしまうのは、鈴木さんに期するところがあるからですか?」 「……すみません、何でもないです」 嬉野さんがにっこり笑う。 「と、お別れの前に、もう一つお話があるのですが」 「何?」 「特別なお願いです」 「ま、またですか……?」 「聞くだけ聞くけど」 「ふふふ、警戒しないで下さい」 「今回は、図書部の皆さんに普通の依頼をするだけです」 「あ、そういうことでしたら、また話は別ですね」 「誠心誠意、相談に乗らせていただきますよ」 嬉野さんがうなずく。 「図書部のサイトを拝見したのですが、今は依頼の受け付けを縮小しているとのことでした」 嬉野さんの言葉通り、現在の図書部は受け付ける依頼を絞っている。 というのも、夏休みには汐美学園特有の行事『夏祭り』があるからだ。 この学園では、夏休みになっても半分以上の生徒は実家に帰らない。 3万人近くの若人がぶらぶらしていれば、自然、巨大な暇つぶしが必要になる。 そこで企画されたのが『夏祭り』だ。 『夏祭り』期間は、夏休み一杯。 数え切れないほどの部活や団体が、それぞれ好き勝手な企画を実施する。 今日は探検部の宝探し、明日は水泳部の遠泳大会、1日休んで、次の日は気分を変えて茶道部の野点……などなど。 面白そうなものをつまみ食いしていくだけで、漏れなく退屈しない夏休みを過ごすことができるのだ。 で、図書部は、頼りになる助っ人として、様々な団体から引っ張りだこだった。 依頼を全部受けていたら、10人に分身しても足りない。 「私がお願いするのも、夏祭りに関する依頼なんです」 「つまり、融通を利かせて受けてくれと」 「察していただいてありがとうございます」 「それと、正確には私というよりもアプリオからの依頼なんですよ」 「アプリオから?」 「ええ、店長からお願いをされまして」 「今年の夏祭り期間中に、学園OBや学園外のお得意様が集まる日があるんです」 「お得意様ですか?」 「ここは学生街ですからね」 「周辺地域の皆さんのご理解があって成り立っていると言っても過言じゃありません」 「日頃お世話になっている皆さんをアプリオにご招待して楽しんでもらおう、ということです」 「他にも、遠くから学園OBの皆さんがお子さんを連れていらっしゃるんですよ」 「将来お子さんたちがこの学園に通いたくなるよう、汐美学園の良さを伝えていくという趣旨もあります」 へえ、いい話じゃないか。 「そこで何か催しができないか、というお話でして」 「なるほど、そういうことなら話を通せるかもしれない」 「アプリオには、ミナフェスでお世話になりましたしね」 「ふふふ、ありがとうございます」 案外普通の……いや、かなりまともな依頼だった。 「ただ、最終的には部長の白崎が決めることだから、確約はできないな」 「そこは、鈴木さんが、アプリオ代表として何とかしてくれるんですよね?」 「ええ、職場のピンチとあらば、できる限り頑張りますよ」 佳奈すけが力こぶを作る。 「あ、お願いがもう一つあるんですが」 「これも私ではなく、店長からのお願いなんですけど」 「図書部がビラ配りの時に着ていた衣装を店長が見て、いたく気に入ったみたいなんです」 「あれでぜひ一つ何かやってほしい、とのことです」 「あっ、それならOKです」 「即決かよ」 「特に店長のお気に入りは、京子さんみたいですよ」 「ほら、こうなるだろ」 もうこの展開は飽きたよ。 本当、勘弁してくれ。 「京子さんは転校しました」 「あら? 鈴木さん、本当ですか?」 「あ、やってくれると思います」 「佳奈すけ、俺を売る気か」 「いえいえ、私はいつでも筧さんの味方ですよ」 「お前の言葉は軽すぎるわ」 「うぅっ……そうですよね、私って本当ダメですよね……」 「ああ、なんて損なキャラなんだろ……」 佳奈すけがよよと泣き崩れる。 「素で落ち込むなって」 「芝居だと思いますよ」 「バレましたか」 ケロリと立ち直る佳奈すけ。 「で、冗談はともかく、どうしますか?」 「まずはみんなに相談だ。俺たちだけじゃ返事できない」 「お願いします」 「ただ、繰り返しになるけど確約はできないからな」 念を押しておく。 「あ、そうだ。もう一つ店長からの伝言があったの忘れてました」 「もし依頼を受けてくれたら、アプリオでの飲食は全部タダにしてくれるらしいですよ」 「1回限りで恐縮ですけど」 「……筧さん」 「ああ」 「これは、何としても受けましょう」 「頑張ってみるか」 リッチな生活をしているわけじゃないし、飲食タダは大きい。 それに、佳奈すけがやる気になってるんだ。 ここは乗ってみよう。 「……というわけなんだ」 図書部のメンバーを緊急招集し、さっきの出来事を話した。 「なるほど、アプリオからの依頼か」 「無下にはできないですね」 「でしょ?」 「それに、アプリオで食べ放題飲み放題はかなり魅力的だよなぁ」 高峰と御園は乗り気だ。 「ううん、だがそれは問題がある」 「図書部は基本的に報酬を受け取らない方針だろう」 「これも報酬に入るんですか?」 「私みたいなバイト人間は、食費が浮くとすごく助かるんですけど……」 「あんまり堅苦しくすると依頼主からジュース1本受け取っただけで報酬ってことになっちまうぞ」 「もちろん、高峰や鈴木の気持ちもわかる」 「だが、食事に釣られてえこ贔屓をするなんて良くないんじゃないか?」 図書部には夏休み前から夏祭りに向けた多くの依頼が殺到している。 今はその半分以上を断っている状況だった。 そんな中で、後から出てきた依頼を優先的に受ければ贔屓となってしまう。 「すごくいいお話だし、できれば受けたいけど……贔屓は良くないよね」 「白崎に同意だ」 「筧さん……」 佳奈すけが助けを求めてくる。 実際、白崎と桜庭の言い分はしごく真っ当だ。 しかし、結論を出す前に、この話はしておいた方がいいだろう。 「筧、何か言いたいことがあるのか」 「実はさ、アプリオには、無理を通して場所を貸してもらった借りがあるんだ」 「ミナフェスでは快く貸してくれたんじゃなかったのか?」 「佳奈すけは何も言わなかったけど、最初、アプリオは貸し出しを渋っていたらしい」 「俺たちはぽっと出の部活だし、大金が絡む話だったからな」 「それを、佳奈すけが頑張って説得してくれたんだ」 「か、筧さん……どうしてそれ知ってるんですか?」 佳奈すけが驚く。 きっと隠し通したかっただろう。 「そんな経緯があったのか」 「佳奈ちゃん、どうして言ってくれなかったの?」 「いやー、男は黙って背中で語るものじゃないですか」 照れて、苦笑いを浮かべる佳奈すけ。 「とまあ、アプリオにはそういう借りがあるわけで」 「そのアプリオの店長が、俺たちに力を貸してくれと言ってきたんだ」 「催し物は、日頃お世話になっている方たちに見てもらうんです」 「私たちが頑張れば、この学園のことをもっとよく思ってもらえるかもしれません」 「これって、学園を楽しくすることに繋がりませんか?」 「うう〜ん……そうだよね……」 白崎が悩み始めた。 「受けりゃいいじゃんか」 「しかし、理由に説得力がなければ納得はできないぞ」 「いやさ、この依頼って順番は守ってくださいで後ろに並ばせるような話じゃないと思うんだよな」 「俺は借りたものはきちんと返したい」 「お役所仕事で渡世の人情を踏みにじるような真似はしたくないね」 高峰が悠然と語る。 こういう時の高峰の安定感はすごい。 「くっ……人情か。確かに人情は大切だな……」 桜庭も揺れ始めた。 「それに、今入ってる他の依頼ってぶっちゃけて言えば大したことないじゃん」 「バーベキューの手伝いとか、草野球大会の数合わせとかさ。そんなの俺たちじゃなくたってできるだろ」 「そうですね」 「私は、私たちにしかできないことがやりたいです」 「白崎さん、桜庭さん。お願いしますっ」 「私も、店長のご恩に報いたいんです」 佳奈すけが頭を下げる。 「白崎、どうする?」 「……受けよっか」 「どっちがいいのかわからないけど、でも、少なくともみんなはやりたいんだよね?」 「はい」 「ああ、やりたいな」 「やりたいです」 「俺もだ」 「だったらやろうよ。それでいいと思う」 「白崎がそう言うなら、私も賛成だ」 「じゃあ、やるってことで……決まりですか?」 「うん」 「決まりだな」 「やった〜っ!」 佳奈すけが飛び上がる。 「筧さん、援護射撃ありがとうございますっ」 「いや、佳奈すけの頑張りがあってこそだ」 今日の佳奈すけは、アプリオ代表の名に恥じない頑張りだった。 後できちんと嬉野さんに伝えておこう。 二日後の昼休み、俺たちは部室の椅子にぐったりと座っていた。 「みんな、食欲は満たされたか?」 「いやー、満たされすぎて溢れるくらいです」 「おいしかったです」 「タダは最高のスパイスだな」 嬉野さんに依頼を受ける旨を伝えた後、さっそく店長の厚意に甘え、アプリオで昼食を満喫して来たのだ。 おごりということで、容赦なく食べてしまった。 「わたし、外食久しぶりだったかも」 「白崎はいつも弁当だもんな」 「自分の料理と比べて味はどうでした?」 「さすがにお店で出すものには敵わないよ〜」 白崎が頬をかく。 「昼食談義はこれくらいにしよう」 「今日は、アプリオでやる催し物の内容を決める」 「わーい」 「待ってました」 「受けたサービスに応えられるものにしようじゃないか」 「うん、そうだね」 「ああ」 「頑張ります」 みんな、やる気がみなぎっていた。 ご飯一つでこれなのだから、なかなか現金な集団だ。 「さて、みんなが食休みをしている間に店長から依頼の詳細を聞いてきた」 「まず、開催日は8月11日だ」 「今日が7月23日だから……準備期間は2週間強といったところだな」 「結構短いですね」 「ああ、その中で我々ができることを考える」 「開催時間は17時から19時、その間、我々が出し物に使える時間は30分だ」 「1人5分ずつで枠が埋まるな」 「ええっ、みんなで一緒にやるんじゃないんだ……」 「いや、今のは例え話だよ」 「観客というか、食事会の招待客は200人ほどいるからな」 「白崎一人で5分はきついだろう」 「200人もいるのかぁ……」 「あー、緊張してきたよー。手に汗かいちゃった」 手をにぎにぎとさせる白崎。 「店長たってのお願いとして、例のコスプレ衣装を着てほしいとのことだ」 「子供連れで参加する人も多いらしく、子供が楽しめるような出し物が一つは欲しいということらしい」 「またですか。もうすっかりコスプレ屋ですね」 「むしろ懐かしいな」 「わたしは嫌いじゃないよ」 「俺はやらないぞ」 「特に店長がお気に入りなのは、京子さんだそうだ」 いや、もうそれ聞いたから。 「俺はやらないからな」 「筧さん、タダ飯食べましたよね?」 そうだった。 「筧、タダより高いものはないんだ」 ああ知ってる。 「特に反対もないようだからコスプレは決まりだな」 「桜庭さんはいいんですか?」 「最初は嫌がってたのにな」 「とっくに慣れた」 「私も慣れました」 「俺は慣れない」 「コスプレはいいとして、ではその格好で何をするかだ」 俺の意見は華麗にスルーされた。 「30分間ずっと踊ってるわけにもいかないですね」 「千莉が歌うっていうのは?」 「嫌」 「千莉ちゃん、いい歌があるんだよ」 「『恋するニャンダフル・デイズ』っていうやつ」 「はい?」 「千莉ちゃんが前にコスプレしてたキャラの、キャラソング」 「キャラソングなんてあったんだ」 「というか、何で高峰さんがそれ知ってるんですか?」 「俺、意外とそういう方面も強いのよ?」 「いえ、何にしろ歌いませんから」 「聞いてみたかったな」 「わたしも聞いてみたい」 「あ、ほら筧さんと白崎さんがこんなことを」 「嫌です」 鉄壁の防御だった。 「歌でもいいんだが、御園一人に歌わせ続けるわけにはいかないだろう」 「一小節も歌いませんから」 「どのみち尺の長い出し物が必要ですね」 「トークショーはどうだろうか」 「何を話すんだ」 「怪談でも何でもいいだろう」 「えー、ご飯を食べながら怪談とかなくないですか?」 「だったら女子3人でガールズトークでもやったらいいんじゃないか」 「あれ、高峰さんいま誰を省きました?」 「あ、ごめんごめん。間違えた」 「わざとらしいな。そんなに血を見たいのか」 桜庭が腰を浮かせた。 「いやいや、俺はこの中じゃ桜庭が一番女の子らしいって思ってるんだぜ」 「……馬鹿らしい」 そう言いながら、桜庭は浮かせた腰を戻す。 「ドゥフフフフフ」 「うるさいぞ、ギザ」 デブ猫が、桜庭をからかってくれた。 話を戻そう。 「劇でもやったらどうかな」 「劇ですか」 「コスプレ衣装で普通のことをやっても仕方ない」 「そのキャラになり切って何かをやるんだとするなら、どうしたって劇っぽくなるだろう」 「ですねえ」 「30分の短い劇をやればいいか」 「面白いんじゃないかな」 「いいんじゃない?」 「私もいいと思います」 概ね賛同を得られたようだ。 「でも、待ってください」 「どうした?」 「劇はいいんですけど、台本はどうするんですか?」 「コスプレの劇なんだから、出来合いの台本なんてないよね」 「筧が書いてみたら」 「俺かよ」 「ガチンコ図書部員なんだろ? こういうところで力を発揮しようぜ」 「俺は読む専門なんだ」 「では、この中で脚本が書ける人間はいるのか?」 みんなが顔を見合わせる。 「佳奈」 「……え?」 「佳奈は書けると思う」 「はあっ? どうして私!?」 「だって、変なメールよく送ってくるし」 「あれ、創作でしょ?」 「確かに、佳奈すけは文才ありそうだ」 想像力豊かというか、ほとんど妄想力と言っていいほど変化に富んだメールが飛んでくる。 「えーっ、いやいやいやいや、待ってくださいよ」 「無茶ぶりよくないですって」 「わたしも佳奈ちゃんならできると思うなぁ」 「ちょっ、白崎さんまで……!」 「佳奈すけ。無茶ぶりに応えてこそ真の芸人だ」 「うわー……マジですか……」 「鈴木、どうする」 「真面目な話、無理なら他に頼める人を探すぞ」 「桜庭ちゃんよぉ」 「私だってこんなことは言いたくない」 「ただ、後になって『やっぱりできませんでした』じゃみんなが困るだろう」 桜庭は冷静だった。 「はあ……」 佳奈すけががくりと肩を落とす。 「佳奈すけ、どうするんだ?」 「……わかりました。やりますよ」 「あーもう、ここで応えなきゃ鈴木佳奈じゃありませんよね。やりますよ、やったりますよっ!」 「今回は私が全国の鈴木を代表して立ち上がりますよ!」 「見ていてください、全国の鈴木さん!」 いきなり燃え上がった。 「頑張れよ」 「さすが佳奈」 「おい、大丈夫なのか?」 「勢いだけじゃ困るぞ」 「任せて下さい! 私、こう見えて熱い女ですよーっ」 「佳奈すけがやるって言ってるんだ。信じようぜ」 「玉藻ちゃん、大丈夫だよ。佳奈ちゃんならきっとできるから」 「……わかった」 「ただ、進捗は逐一確認するからな」 「いざという時のために別口でヘルプも探しておく」 「一週間で物にならなかったらバトンタッチだ」 「それでいいな?」 「異存ありません」 佳奈すけも覚悟を決めたようだ。 「桜庭、その進捗確認は俺に任せてくれないか」 「佳奈すけをサポートしたい」 「筧さん……ありがとうございます」 先ほど佳奈すけの見せた根性には、かなり惹かれるものがあった。 できるかどうかわからないものに、果敢に挑んでいく。 俺にはない一面だった。 それに…… 全国の鈴木さんだの何だの言ってるときの目は、真剣そのものだった。 「私は別に構わないぞ」 「佳奈、私も手伝う」 「千莉もありがとう」 「いやあ、持つべきものは友達ですねっ」 佳奈すけが嬉しそうに微笑む。 「筧、友達だってよ」 「ま、そう思ってくれるならありがたいね」 今までの俺は『何を考えているかわからない、怖い先輩』だった。 友達に昇格できたのなら大躍進だろう。 方針が決まった後。 俺と佳奈すけ、御園の3人で嬉野さんの元へ報告にやってきた。 「そんなわけで、出し物はコスプレキャラによる寸劇になりました」 「面白そうですね。いいと思います」 「どんな劇になるんですか?」 「それはこれから考える予定です」 「佳奈が脚本を作ります」 「へえ、鈴木さんがお話を作るんですか。楽しみですね〜」 「嬉野さんから、何かこれをやってほしいっていうリクエストありますか?」 「お色気シーンが欲しいですね」 「えっ……本気ですか?」 「それはちょっと……」 「誰が脱ぐんだ?」 「京子さんで」 「決まりだね」 「俺が脱いで誰が喜ぶんだよ」 「はい」 「はい」 「はい」 くそ……このノリか。 どうせ逃がす気はないのだ。 いい加減に諦めてほしい。 「ふふふ、脱ぐのは冗談ですよ」 「お食事会ですから、皆さん余興は食事を食べながら見るんです」 「筧君の脱ぐところを見ても、食欲がしぼむだけですから」 悔しいと思ってしまう当たり、俺も壊れ始めているのかもしれない。 「つまり、結婚披露宴とか、ディナーショーみたいなものですか」 「そんなところですね」 何となく想像がついた。 「ですので、脱ぎたいという気持ちはわかりますが、公序良俗を乱すことはご遠慮願いたいです」 「何でこっちが脱ぎたい感じになってんだよ」 「あら? 不思議不思議」 不思議なのはあんただ。 「笑わせるのはありですか?」 「それはいいと思いますよ」 「良かったな、得意分野じゃないか」 「頑張りますっ」 「と言いますか、当日は店のお得意様が集まりますから」 「クスリともできないようなお寒い劇だったら、鈴木さん責任取ってくださいね」 「うええぇっ、すごいプレッシャー来ましたよ!?」 「責任って何をさせる気ですか」 「具体的には、鈴木さんを荒縄で縛ってアプリオの天井から吊します」 「うわー……公然羞恥プレイですか……」 「頑張れよ」 「佳奈、頑張って」 「え、何ですかこれ。また私一人で頑張る流れなんですか?」 御園もだんだんフリというものがわかってきたらしい。 「いいですよ、わっかりましたよ。荒縄いいじゃないですか。もういっそ、そっち方面に目覚めてやりますよっ」 「佳奈すけ、逞しくなったな」 「鞭も用意してあげる」 「あっはっは、ありがとうございます。2人がいじめるから耐性つきましたよ」 「もう鞭でもローソクでも何でも持ってきてください。全部まとめて私が面倒みますよっ」 何とも清々しいやつだ。 佳奈すけが持っている底抜けの明るさが、少し羨ましかった。 「ふふ、その意気ですよ」 「鈴木さん、頑張ってくださいね」 嬉野さんは終始、嬉しそうに微笑んでいた。 明けて月曜日。 佳奈すけは、週末で脚本を仕上げてきた。 「早いじゃないか」 「時間の配分もよくわからないんで、とにかく思いつくままにざーっと書きました」 「どうだった?」 「うーん、難しいですね」 「小説と違ってセリフしか使えないんで、どうしても説明口調になっちゃって」 「大丈夫だと思う」 「オペラでも『おお、そなたは何とかからやってきた、どこそこの誰じゃないか』みたいなセリフがあるし」 「う……先にそれ聞いとけばよかったなー」 「まだ時間はあるし、後で直せばいいと思う」 「何にしても、まずは読ませてもらおうかな」 「あ……はい」 佳奈すけはカバンから紙束を取り出す。 「御園、先に読むか?」 「後でいいです。先輩からどうぞ」 「はいよ……」 と、脚本の表紙をめくる。 「待ってください」 「ん?」 「読む前にお願いがあります」 佳奈すけが真剣な顔で見つめてくる。 「改まってどうした?」 「面白くなかったら、正直に言ってください」 「悪くはないんじゃないの、みたいな慰めはいりませんから」 「でも、脚本書くの初めてだろ? いきなり100点狙いは……」 それでは何も書けなくなってしまう。 「甘っちょろいこと言わないでください」 「つまらない劇をやって、嬉野さんやアプリオの店長に恥をかかせるわけにはいかないですよ」 「ヘルプに任せた方がいいものができるなら、それでも構わないんです」 「もしダメだったら、ずばっとやっちゃってください」 素晴らしい心意気だ。 佳奈すけのこういうところ、好きだな。 「……わかった。そこまで言うなら俺も覚悟を決める」 「佳奈すけの熱意に応えるためにも、あえて鬼になろう」 「はい、お願いしますっ」 熱い闘志をたぎらせ、見つめ合う俺と佳奈すけ。 「いつからスポ根?」 「御園も燃えろよ」 「そうだそうだー。ほらっ、一緒に盛り上がって!」 「……よっしゃあ、燃えるぜっ」 「……」 「……」 普段の御園とあまりにギャップがありすぎて、思わずリアクションを忘れてしまった。 「頑張って乗ったのにこの扱いですか」 「あーいや違うって!」 「びっくりしただけだから!」 「もういいです。スポ根は2人で好きにやってください」 「私は後ろからばっさり切る役に徹します」 御園の声が冷気を帯びた。 「……以上、問題がありそうな箇所を挙げてみたんだが」 「ぐはぁ……あ、ありがとうございました……」 メモを取り終えた佳奈すけが、机に突っ伏した。 初稿には問題点が山ほどあり、修正の入らないページが見あたらないほどだった。 「先輩、佳奈が瀕死です」 「佳奈すけが望んだことだ。甘んじて受けてもらうしかないな」 脚本を読んだ第一印象では、筋はいいように思えた。 しかし、今のままでは観客が楽しんで見ている姿を想像できない。 「御園は、俺の指摘で同意できないところとかあった?」 「いえ、ないです」 「だそうだ、佳奈すけ」 「はい……」 やはりというか、佳奈すけはかなりしょげていた。 初めて作ったものを滅茶苦茶に言われれば、誰だってこうなる。 「どうする? やめたいならやめてもいいけど」 「……いえ、やりますよ。こんなぼっこぼこで交代なんて冗談じゃないです」 「いま指摘を受けたところは、明日までに直します」 「明日で大丈夫なの?」 「時間ないからね。大丈夫、やるよ」 「わかった。じゃあ明日、ここで待ってるから」 「はいっ」 頑張れよ、佳奈すけ。 「な、直してきましたっ」 次の日、佳奈すけは約束から1時間遅れでやってきた。 「お疲れさん」 「お疲れ様、佳奈」 「すみません。どうしても気になるところがあって……」 佳奈すけが脚本を差し出してくる。 「気にしないでいい。早速読ませてもらうよ」 「はい……」 佳奈すけが固唾を呑んで見守る中、脚本を読む。 「……この部分、ちょっと気になる」 「どこですか?」 隣に来て脚本を覗き込んでくる佳奈すけ。 髪の毛がふんわりと頬に当たった。 「あー……ここは、桜庭さん扮する玉桜が嫉妬を表現するシーンです」 「このシーン重くないか。食事中に見せられて喜ぶかな」 「でも、ここで嫉妬を見せとかないと話が繋がらないんですよ」 「観客に『話を繋げるためなので我慢してください』って説明するわけにもいかないだろう」 「うーん、そんなにダメですかねぇ……」 「わかりました。意図が伝わってないかもしれないので、ちょっと実演してみましょう」 「千莉、ここの玉桜役の桜庭さんやって。私は雪華役の白崎さんやるから」 「えっ、私が?」 「恥ずかしいんだけど」 「なに言ってるの? 千莉だって当日はみんなの前で演技するんだよ」 「そっか……この『にゃんにゃーん』っていうの、私が言うんだ……」 御園は化け猫メイド役で、にゃんにゃん言う役回りだ。 実際、格闘ゲームの中ではそういうキャラだというから仕方ない。 「さ、ちょっとやってみよ」 「20ページの最初から。はい、千莉よろしく」 仕方ない、とコピーした脚本を手に立ち上がる御園。 「……ほ、ほーっほっほっほっ、ふざけないでちょうだい。どこから見てもわたくしは完璧でしてよ」 「御園、棒読みでよくわからない。もう少し情感を込めてくれ」 「うっ……恥ずかしいですよ、これ……」 「ふ、ふざけないでちょうだいっ、どこから見てもわたくしは完璧でしてよっ!」 「玉桜、あなたのどこが完璧なの?」 「少しばかり才能があるからって調子に乗って、高慢ちきで身勝手で、いつも偉そうで」 「あなた、性格が最悪じゃない」 「何か、すごくぐさっと来るんだけど……」 地味に御園が傷ついていた。 「千莉、これ演技だからね?」 「……わたくしの性格を言うならあなたもでしょう、雪華っ!」 「ぶりっこして黒い本性を隠して男を騙しているだけじゃないっ、この性悪女っ」 「あーら、それは嫉妬なの?」 「そういえば、あなたは京太郎様に嫌われてるものね」 ちなみに俺は『京太郎』という名の男剣士役が割り当てられている。 役というか、俺の名前そのままだった。 「やだやだ、見苦しい」 「あ、今日は京太郎様とデートの約束だったんだ。それじゃーねっ」 佳奈すけが一歩下がる。 脚本ではここで雪華が袖に下がり、玉桜の一人芝居が始まることになっている。 「くっ……どうして、どうしてわたくしだけ……!」 「わたくしだって、京太郎様を……」 「……」 御園が黙り込んでしまった。 「どうした?」 「いえ……お、お慕い申し上げているというのにっ!」 「すまん、今の繋げてもう一回な」 「え〜……」 「千莉、大事なところだから」 「……わかった」 喉の調子を整え、やり直す。 「くっ……どうしてわたくしだけ……!」 「わたくしだって、京太郎様をお慕い申し上げているというのにっ!」 「なのに、誰もわたくしの本当の姿を見てはくださらない……」 「京太郎様……あなた様のためなら、わたくしはどんなことでもできる」 「この気持ち、雪華や猫やアプリオ店員などに負けるものではありません……!」 「見ていらっしゃい、佳奈っ……必ずやこの思い、届けて見せますわっ!」 「え、私?」 「御園、そこ雪華ね」 「あっ、すみません……つい」 何だ、ついって。 「筧さん、どうでしたか?」 「今の流れ、そんなに重くないと思うんですけど」 「ああ、よくわかった。これは一種のギャグなんだな」 一連の流れを見て理解した。 年頃の女性がやれば真に迫って見えるかもしれないが、俺たちがやっても『若造が何を』という感じだろう。 ましてやあのコスプレ姿でやるのだから尚更だ。 「わかっていただけましたか」 「悪かったな。ここはこのままでいいよ」 「いえいっ、やった!」 「でも、今のって本番では桜庭先輩がやるんだよね」 「そうだよ」 「桜庭先輩が今の演技をやってる姿、想像できないんだけど」 「えーと……やってくれないと困っちゃうかなぁ」 「やらせるさ」 「みんなの総意で佳奈すけに脚本を任せたんだしな」 「おお、筧さんが格好いい……!」 「こういう時は頼りになりますね」 「まあ、それも出来のいい脚本がきちんと完成すれば、の話だ」 「ダメならヘルプにバトンタッチだからな」 「うっ……そうでした。頑張ります」 「それじゃ検討に移るぞ。修正点を挙げよう」 「はい」 「はーいっ」 大問題が発覚したのは、次の日のことだ。 桜庭はいざという時のために、文芸部の人間をヘルプとして手配してくれていた。 その人に、鈴木の書いた脚本を見てもらったのだ。 「……山の盛り上がり、ですか」 「その人曰く、展開を大げさにして山を作らないとオチがつかないそうだ」 「なるほど」 佳奈すけが神妙にうなずく。 顔には、疲労の色が滲んでいる。 あまり寝ていないのだろう。 「これからオチを変えるとしたら、半分以上修正する必要がありますよ」 「明後日には、図書部のみんなに脚本を見せる予定ですよね」 「明日中に直さないとアウトか」 「残念だけど、そうなるな」 部室が沈黙に包まれる。 鈴木が疲弊していることはみんなわかっていた。 「……やりますよ」 「明日までに、全部直してみせます」 「さっきから頭がフラフラしてるけど」 「はっはっは、ちょっとした頭の運動ですよ」 強がりを言う佳奈すけ。 それを見た桜庭が深くうなずいた。 「では、明日まで頑張ってみてくれ」 「わかりました」 「先輩」 桜庭を鋭い目で見る御園。 「佳奈すけがやるって言ってるんだ、それが全てじゃないか」 「でも……」 「大丈夫だって、一日二日寝ないくらいで人間は死んだりしないから」 「そういう問題じゃないから」 「あ、じゃあ、何か千莉からプレゼントが欲しいなぁ」 「もし私の脚本が採用されたら、千莉のおうちにご招待っ」 「……って、だめ?」 「別にいいけど」 「お、おおっ……これは燃えてきたっ」 「頑張って千莉のうちに招待してもらって、部屋を漁るぞ〜」 「え? ちょっと待って、なにそれ?」 「はいっ、それでは鈴木、直してまいりますっ」 佳奈すけはハイテンションのまま部室を飛び出して行った。 佳奈すけが出て行ったドアを見つめながら、桜庭が閉じた扇子で頭をコツコツ叩く。 「しかし、鈴木がここまで一生懸命になってくれるとは思わなかった」 「どういう心境の変化だろう」 「佳奈は、ああ見えて真面目です」 「本人は軽いって思ってますけど」 御園が少しだけ誇らしげに言う。 「本人が聞いたら、芸人殺しはやめて下さいとか言うんだろうな」 「ははは、目に浮かぶ」 ここ数日考えてみたが、佳奈すけには、しっかりとした考えがあると思う。 『このままだと、みんなを裏切っちゃう気がするんですよね』 かつてそう言った佳奈すけが、重要な仕事を引き受け、積極的に努力しているのだ。 周囲から焚きつけられて引き受けた体ではいるが、そこには固い決意があったと見ていい。 熱血だの何だの言っているのは、照れ隠しなんだろうな。 真面目な照れ隠しには、ちゃんと乗るのが礼儀ってもんだ。 きっと、佳奈すけもそれを望んでるはずだ。 とすれば、俺にできるのは、佳奈すけが無茶しすぎないよう注意するくらいか。 7月29日。 これが佳奈すけの作る脚本の最終稿だ。 今日で目処が立たなければ、桜庭が声をかけておいたヘルプにバトンタッチとなる。 「筧さん……直してきました……」 「よく頑張ったな」 「大丈夫、佳奈?」 「うう……うん」 疲労と睡魔でよれよれになった佳奈すけから、改稿された脚本を受け取る。 ページをめくると、修正の多さにぎょっとした。 「う……」 「おい、佳奈すけ」 「……あ、すみません」 「俺と御園が読み終えるまで寝てていいよ」 「でも……」 「いいから。少し寝てろって」 「はい……ありがとうございます……」 ばたっと机に倒れ込んだかと思うと、佳奈すけはすぐに寝息を立て始めた。 本当に限界まで頑張ったのだろう。 「あの、筧先輩」 佳奈すけが寝たのを見計らい、御園が声をかけてくる。 「少しやり過ぎだと思います。身体を壊したら元も子もないですよ」 俺だってそう思う。 だが、これは佳奈すけ自身が望んだことだ。 「まあ……いいんじゃないか」 「何がいいんですか」 「こうして何かに本気で情熱を傾けられるのって、人生の中でそう何度もあるもんじゃないだろう」 「佳奈すけだって、それがわかってて頑張ったんだと思う」 「……」 「俺は正直、佳奈すけが羨ましいよ」 「だったら筧先輩が書けば良かったじゃないですか」 「いや……俺には佳奈すけみたいな情熱がない」 「そこも含めて、佳奈すけが羨ましいんだ」 静かに寝息を立てている佳奈すけを見つめる。 「……私も、佳奈が羨ましいです」 「色々な意味で」 「色々って?」 「知りたいですか?」 「ああ」 「……やっぱり内緒です」 御園が上目遣いで笑う。 「なんだよそれ」 3時間ほど寝かせた後、佳奈すけを起こした。 「……すみません、寝過ぎました」 「少しはすっきりした?」 「もうばっちり!」 半分寝ている顔でガッツポーズをする。 「嘘だよね」 「いやあ、気持ちは若いですから」 「身体は?」 「もうおばさんですねえ」 冗談が言えるなら大丈夫だろう。 「脚本、二人で読ませてもらったよ」 「はい」 答えに迷ったが、決めた。 「頑張ったな、佳奈すけ。すごく面白かった」 「この脚本で行こう」 「……ふふ、筧さんは優しいですね」 佳奈すけは寂しそうに笑う。 「嘘ですよ、それ」 「話の繋がりはおかしいし、キャラにも相当無理があります」 「最後の山なんて、本当に面白いかどうか自分でもよくわかってないんです」 「私がこんな演劇を見せられたら、何だこれって言いますよ」 佳奈すけの自己評価はシビアだった。 実際、無理に山を差し替えたために話の繋がりやキャラに無理が出ていた。 新しい山も、すごく面白いとは言えない。 「でも、俺は面白いと思った」 「もういいです」 「千莉、正直に言って。これでいいと思った?」 「面白かったよ」 「……千莉までそんな嘘つくんだ」 落ち込んだ顔をする佳奈すけ。 「正直に言うと、ドタバタしててかなり馬鹿っぽい話だと思う」 「でも、ご飯を食べながら見るには、これくらいでちょうどいいよ」 「子供にもわかりやすいと思う」 「……」 俺も同意見だった。 出来は完璧とは言えないが、楽しめる内容だと思う。 むしろ、短時間でここまで作った佳奈すけが偉い。 「俺はこの脚本で行きたい」 「嬉野さんやアプリオの店長は納得してくれると思いますか?」 「それはわからない」 「え、ちょっと、適当過ぎやしませんか」 「向こうは向こうの趣味があるだろうからなあ」 鈴木が、ええ〜っという顔をする。 「じゃあ、二人に見てもらった意味ないじゃないですか……」 「早とちりするなって」 「佳奈すけの脚本で行きたいって言った以上、嬉野さんにはこいつの面白さを堂々とプッシュする」 「お前は安心して見てろって」 「私も応援するから」 御園も笑顔で同意してくれた。 佳奈すけが野菜の生産者なら、俺は販売者だ。 一度売ると決めたからには、責任と自信を持って売る。 それが、手加減せずに評価してくれと言ってきた佳奈すけへの礼儀だろう。 「……ほんと、大丈夫ですかね?」 「心配するなって。嬉野さんが反対しても、俺はこれを押す」 「私も」 「……」 俺たちの気迫に押されたように、佳奈すけが目を逸らす。 「んじゃもう、いいですよ。面白いってことでガツンと行きましょう!」 「よし、決まりだな」 「わーいやったぁ!」 「私の脚本が採用された〜っ、きゃっほ〜うれし〜っ!」 やけくそ気味に盛り上がる佳奈すけ。 「佳奈、おめでとっ」 「ありがと〜っ、千莉っ」 ハイタッチをして盛り上がる2人。 「俺も俺も」 「わ〜いっ、筧さん最高〜っ!」 ハイテンションで手をたたき合う。 「佳奈すけ、お疲れさん。清書は俺がやっておくよ」 「え、いいんですか?」 「脚本は任せきりだったからな」 「それに、今清書なんかしたら、山ほど誤字が出そうだ」 「図星です……よろしくお願いします」 佳奈すけが、しおらしく頭を下げた。 こうでも言わないと、こいつは休んでくれないだろう。 「千莉、約束覚えてる?」 「うちに泊まりに来るってこと?」 佳奈すけがうなずく。 「今日これから……いいかな?」 「うん、いいよ。約束だしね」 「やたっ」 「ただし、部屋を漁らないこと」 「うっふっふ、もちろんです」 「怪しいなぁ……」 「でも、お泊まり会とか本当久しぶりだなー」 「何年ぶりだろ」 「私は初めて」 「えっ、今までしたことないんだ」 御園がこっくりうなずく。 「よ〜し、それじゃ今日はお泊まり会の作法を教えてあげよう」 「作法なんてあるの?」 「あるある」 また変なことを吹き込まれているな。 「筧さん、私たち帰っても大丈夫ですか?」 「ああ、いいよ。お疲れさん」 「あ、それじゃ筧さんもお泊まり会に参加します?」 「困るよ、いきなりそんな」 「わかってる、佳奈すけの冗談だって」 「2人でゆっくり楽しんでくれ」 「はーい、楽しんできます」 「頑張って働いてくださいね」 「はいよ」 ここからは俺の仕事だ。 二人には、ゆっくり休んでもらおう。 「……おじゃましまーす」 「いらっしゃい」 恐る恐る部屋に入る鈴木。 「こ、これが……歌姫のお部屋ですか」 「その呼び方はやめて」 「えへへ」 鈴木は獲物を探す肉食動物の目で、室内にサーチをかける。 前回鈴木がこの部屋に来たときは、まだ御園と親しくなかった。 しかし、今ならば気兼ねなく部屋を探索できそうだ。 「変なところ勝手に触らないでよ」 「わ〜、猫ちゃんだ〜、かわい〜」 部屋の隅に置かれた、白い猫のぬいぐるみを抱きしめる鈴木。 「この子、名前は?」 「……ぬいぐるみに名前なんて付けるわけないでしょ」 「でもタグに何か書いてあるけど」 「キャンベル?」 「わっ、見ないでよっ」 ぬいぐるみを奪おうとする御園の手を、鈴木が華麗にかわす。 「へえー、キャンベルちゃんかぁ」 「もう、勝手に触らないで」 「いいじゃない、私も小さい頃はぬいぐるみに名前つけてたし」 「そんな風に持ったらキャンベルが可哀想でしょ」 「ああ、そっちなんだ……」 大人しく御園に猫のぬいぐるみを返す鈴木。 「さて、それじゃまずはお風呂に入りますか」 「暑くてベタベタだし」 「あのさ、佳奈」 「うん?」 「一緒にお風呂入るの?」 「え? いやいや、あれは冗談だよ」 「私は別に入ってもいいけど」 「(お、おお〜……?)」 鈴木は首をひねる。 これは一体どういうお誘いなのだろうか。 「いやあ、銭湯とかに行くんならともかく、家風呂じゃ狭くない?」 「一人が湯船で一人が外なら何とか」 そこまでして一緒に入るんかい、と内心突っ込む鈴木。 「そっか……」 「わかった。千莉がそこまで言うなら、私も覚悟を決めるよ」 「え、なに覚悟って」 「頑張れば行けるかもしれないし」 がし、と御園の両肩に手を置く。 「……あの、佳奈。何か変な勘違いをしてない?」 「千莉、一緒に桃色の壁を越えようね」 鈴木はにやっと笑う。 「……この手、離してほしいんだけど」 「よく見ると千莉っておいしそうかも?」 「きゃあっ、ちょっとっ!?」 かくして、女同士の鬼ごっこが始まった。 「あー、楽しかったっ」 鬼ごっこの後。 お風呂と食事を終え、鈴木はソファに転がった。 湯上がりの肌を御園から借りた服に包み、鈴木はご機嫌だ。 「佳奈って無駄に元気だよね」 「こら、無駄って言うな」 「ごめん。でも本当に完徹なの?」 「しましたよー」 「途中、リポペッタンDを3本くらい飲んだからね」 「それがまだ効いてるみたい」 そんな馬鹿な、と思う御園。 「でも、そろそろ限界なんでしょ?」 時間は夜の9時。 寝るにはまだ早い時間だったが、鈴木は布団に入りたがった。 「なにを言っているんですか」 「お泊まり会最大の醍醐味と言えば、ピロートークですよ」 「……ピロートークってエッチなのだよね」 御園はずず、と身を引く。 「あ、間違えた。パジャマトークね、パジャマトーク」 「眠いから間違えただけだってば」 「それならいいけど」 「まったくもう。襲うなら寝入ってからに決まってるでしょ」 「怖いからそういう冗談はやめて」 「あっはっは。大丈夫、私ノーマルですから」 「信じられない」 「さて、パジャマトークですよ」 「話題をすり替えようとしてるし……」 「いやいや、違うから」 「では問題です。女子のパジャマトークと言えばお題はなに?」 「さあ……」 「ブブー、不正解」 「まだ何も答えてないんだけど」 「正解はコイバナです」 「恋の話ね」 「ということで、まずは千莉の好きな人を聞いてみましょう」 「何で私からなの?」 「はいっ、千莉さん。今ときめいている男性は?」 一方的に会話を進める鈴木。 ずるいなぁ、と思いつつ御園は答える。 「別にいません」 「ずばり、筧京太郎さんですね」 「……どうしてそうなるのかわからない」 「別に好きじゃないし」 「わたくしだって、京太郎様をお慕い申し上げているというのにっ!」 「そう叫んでたじゃん」 「あれは劇のセリフでしょ」 「あの時の千莉、ものすごく情感があったなぁ」 「こう、身につまされるというか、真に迫ってたよ」 「というか真実でしたね、あれは」 「飛躍しすぎだから」 「筧さんを見てると、きゅんと胸がときめかない?」 「ときめ……かない」 御園が言い淀む。 それを鈴木が見逃すはずがなかった。 「おおっと、今のは?」 「違うからね」 「へ〜、ほ〜?」 「もう、違うんだったら」 「佳奈ばっかりずるい」 「そっちこそ、筧先輩のこと好きなんでしょ?」 「いやいやー、私は千莉が一番ですから」 「またそうやってごまかす」 「佳奈は、自分のこと知られるのが怖いんでしょ」 「うぐっ……痛いところを突きますね」 「友達に隠し事するのは誠実じゃないと思うな」 「い、痛い痛い、そこ私の急所だからっ」 鈴木がソファの上で悶える。 こういうリアクションを恥ずかしげなくできるところは可愛いよね、と思う御園。 「ほら、素直に話しなさい」 「はぁい……」 「筧先輩のこと、どう思ってるの?」 「うーん……えー……あー……」 「えっと、これって正直に言う流れなの?」 「友達に隠し事するのは……」 「わ、わかりました。言います言います」 「筧先輩のこと好きなんでしょ?」 「……まあ、ちょっと好きかも」 「ちょっと? 本当は?」 「うーん、なんて言えばいいのかなぁ……」 「私ね、親が頑張ってくれて、小さい頃から私立に通ってたの」 「結構有名な私立の女子校でね」 「そのままエスカレーター式で大学まで行くこともできたんだけど、途中で汐美学園に切り替えたんだ」 「つまり、この学園に来るまでずっと女子の園で過ごしてきたわけですよ」 「そうなんだ」 「そうするとほら、異性と全く触れ合わないんだよね」 「恋愛なんて、遠い世界にある理想郷の出来事みたいに思ってたわけ」 「だからよくわからないんだ」 「筧さんって優しいからつい甘えちゃうんだけど、これが好きってことなの? とかさ」 「……わかるかも」 「あの人って他人を求めてない気がするんだ」 「俺は放っておかれるのが一番いいんだ、みたいな」 「ふうん」 「近づきづらいっていうか、近づいても別に何とも思われないんだろうなっていうか」 「だからきっと相手になんてされないだろうしね」 「頼れるお父さんとかお兄ちゃんとか、憧れの人みたいな……そういう感覚だと思ってる」 「わかるかな、これ」 「うん、わかる」 「私も同じだから」 御園が大きくうなずく。 「何なんだろうね、あの人」 「寂しくないのかな」 「うん、寂しくないんだろうね」 鈴木にはわかっていた。 筧という人間は、他人に期待をしていない。 期待しないから裏切られることもない。 「佳奈はどうなの?」 「え?」 「寂しくない?」 鈴木の内心に気づかぬまま、御園が無意識に核心を突く。 「寂しくないよ」 「ほら、今は千莉がいるからね」 「そっか」 「千莉は?」 「私も寂しくない」 「それって、私がいるから?」 「……うん」 「あ、ありがと」 互いに互いを求め合う関係。 気恥ずかしさに、笑いがこみ上げてくる。 「くっ……あはは、あはははっ」 「ふふ、ふふふっ」 「あー、恥ずかしいなぁ、もう」 「馬鹿だよね」 「なに言ってるんだろ、私たち」 「さあねー。でも、これがお泊まり会の醍醐味ってやつですよ」 鈴木はごろんとソファの上で転がった。 「私、こういうの生まれて初めて」 「今までこういう風に話をする友達はいなかったの?」 「親が許してくれなかったから」 「テレビに出て有名になってからは、一人で外に遊びに行くのも禁止だった」 「あー、そうなんだ」 「佳奈は女子の友達がいっぱいたんでしょ?」 「いっぱいでもないけどね。いるにはいたよ」 「羨ましいな」 「女子校っていいよね」 「いやいや、千莉は女子校の恐ろしさを知らない」 「女っていうのは群れると恐ろしい生き物になるんだから」 「大奥とかも、凄まじい嫉妬と陰謀の中、日々権力闘争に明け暮れてたんだよ」 「へえ……」 「表向きはお淑やかさを保ちながら、裏では恐ろしいくらい権謀術数を巡らせてるからね」 「お嬢同士の権力争いなんて日常茶飯事だし、敗れたら即クラス階級の底辺まっしぐら」 「いつもと違うこと言うと『それ、あなたのキャラじゃないでしょ?』なんて訂正が入るし」 「自分の階級を超えたオシャレとかしちゃうと、『あなたレベルの人が何を気取ってるの』みたいな目で見られるからね」 「ひ、ひどいねそれ……」 「いやもー、あれはちょっとした監獄ですよ」 「お勤めご苦労様」 「ええもう本当、娑婆の空気はうまいですねえ」 「あそこに比べたら今はすっごい気楽」 鈴木は大きなあくびをする。 そろそろ栄養ドリンクの効果が切れてきたのかもしれない。 「女子校時代で今も付き合ってる友達はいないの?」 「ゼロですよ、ゼロ。一からやり直すつもりで汐美学園に来たからね」 「ふーん」 「だから、図書部に入るまではほとんど一人だったよ」 「寂しく一人でご飯を食べて、休み時間は一人で本を読んでさ」 「寮に帰ってきてもやることないし」 「もうお一人様バンザイって感じ」 「それは私も一緒だよ」 「あっはっは、お互い寂しい人生だねえ」 「ふふ、そうだね」 ひとしきり笑い、沈黙が訪れた。 「……ね、千莉」 「なに?」 「これからもよろしくね」 「変なの。急になに?」 「ううん……なんでもない」 「こっちこそよろしくね、佳奈」 「うん……」 鈴木のまぶたは既に閉じていた。 「佳奈、おやすみ」 「ごめんね。ちょっと、眠いかも……」 「いいよ。それじゃ、また明日」 「うん……」 次の日の放課後。 俺たちは教室を借りて、台本の読み合わせをすることになった。 「……では、簡単に説明しますね」 台本を配った佳奈すけが、いつになく緊張した声で告げる。 「この脚本はアプリオ店長からのリクエストで、コスプレ前提で作られてます」 「コスプレにはそれぞれ元となっているキャラがいるので、それに準じた設定です」 説明を聞きながら、皆コピーされた脚本をそれぞれ読み込んでいく。 「まず、白崎さんは戦う巫女の『雪華』です」 「巫女ですが腹には一物抱えたどす黒いキャラで、よく『ちっ、使えねえな』とか呟きます」 「面白そうだね」 「ほら、わたしってもともと腹黒キャラだし」 「いや、それはない」 「ないな」 「ないわ」 「ないです」 総否定だった。 「そうかなぁ……」 納得できない、という顔をする白崎。 「次に、桜庭さんは女剣士の『玉桜』です」 「高飛車な性格が災いし、30歳半ばにして異性と浮いた話一つなく、行かず後家という設定になってます」 「……何とかならないのか、その設定は」 桜庭が頭を抱える。 「え、桜庭にぴったりじゃん」 「ぜいやぁっ!」 「あだあぁっ!?」 飛んでいった消しゴムが高峰の額に命中し、高峰は撃沈した。 「すみません。もうその設定で脚本書いちゃったので、今から変えるのは難しいですね」 「まあ、徹夜をしてまで頑張って書いたと聞いてるからな」 「悪意はないものと信じよう」 「元の格闘ゲームの設定をそのまま使っているだけですから、悪意なんてないです」 「む……そうか、わかった」 御園に注釈を入れられ、納得する桜庭。 「次は千莉で、化け猫メイド役の『キャンベル』ね」 「えっ、あれ? 名前が変わってる……?」 「前はもっと違う名前だったような気がするんだけど」 「うん、変えちゃった」 ほがらかに笑う佳奈すけ。 悪巧みを力で押し流そうとする時の顔だった。 「佳奈……!」 「キャンベルかわいいじゃん。駄目なの?」 「……もういいです」 御園は疲れた表情でため息をつく。 「キャンベルはおとぼけトラブルメーカーで、いつも厄介事を持ってくるという設定です」 「ふうん、トラブルメーカーか」 「いいじゃない、キャンベル。千莉ちゃんのこのセリフが早く聞きたい」 「どれですか?」 「この『いやぁん、京太郎に変なとこ触られたにゃーんっ』ていうの」 「……後で何度でも聞かせてあげますよ」 はあ、とため息をつく御園。 脚本を作っている最中、御園はさんざん自分のキャラについて文句を言っていたが、ついに覆らなかった。 今や諦めの境地といったところだろう。 「そして高峰さんは、変態執事の『ギリアン』です」 「態度は常に慇懃無礼、婚約者が8人もいながら男性にも色目を使う、生まれつきの変態ですね」 「高峰にぴったりだな」 うんうんと満足げにうなずく桜庭。 自分だけが汚れ役じゃないと知って安心しているようだ。 「千莉ちゃん、どう思う?」 「別にいつもと変わりませんね」 「うふぉっ……」 御園の言葉で、高峰が派手に仰け反った。 「で、筧さんは京子にするつもりだったんですが、反対されたのでやめました」 「何でだよ。おかしいだろ」 「私なんて行かず後家なんだぞ。納得できないな」 「いやいや、筧さんの意思を尊重したのではなく、単なる配役上の都合です」 「男役がもう一人必要だったんですよ」 「ふむ、それならいい」 「仕方ないな」 なんだそれ。 「筧さんは多くの女性を泣かせてきた、イケメン男剣士の『京太郎』」 「私は剣の道を歩む者、なんて言いながら多くの女性を落としてきた憎い奴です」 「なるほど、納得だ」 「ぴったりだね」 「そうですね」 「筧、羨ましいぞ」 「俺に言うな。佳奈すけが勝手に決めたんだ」 しかも、この劇の中じゃ俺は悪者だ。 「そして最後は私、巨大学食アプリオのウェイトレス、『佳奈すけ』です」 「常識人で平和主義者、みんなに仲良くしてほしいと思っている、心根の優しい少女ですね」 「お前自分だけずるくないか」 「佳奈ちゃんだけすごくまともだよね」 「えー、そうですかねえ?」 口笛を吹く真似をする佳奈すけ。 「脚本家なんだから、これくらいの役得は認めてやれよ」 「筧さん、いいこと言ってくれました」 「それに皆さん誤解してますけど、常識人なんてはっきり言って脇役の設定ですよ?」 「皆さんが目立つように、私はあえて一歩引いてるんです」 「言われてみれば、そうか」 「わたしは腹黒キャラやってみたいし、いいけどね」 「ちっちっち、佳奈すけ甘いな。俺はごまかされないぜ」 「要するに俺たちが変なことをやってボケて、佳奈すけがそれにツッコミ入れるって構図だろ?」 「ボケが外れても自分は痛くないってポジション取りだよな」 「なに、そういうことなのか?」 「脚本もそうなってるぞ」 「佳奈すけは、ツッコミ役とナレーションを合わせたような役回りだ」 桜庭は最初から脚本を見直し始める。 「ふう、高峰さんは鋭いですねえ」 「あたぼうよ。俺が何年芸人やってると思ってんの?」 「お見それ致しました」 「筧、お前はこの不公平な配役をあえて見過ごしたのか?」 「佳奈すけの意思を尊重したんだ」 「甘やかしすぎだろう……」 桜庭が脚本を目で追っていく。 「私のこのセリフなんてひどいぞ」 「なんだ、ほーっほっほっ、て。こんな風に笑う人間、見たことがない」 「それはほら、演出ですから」 演出……便利な言葉だ。 「桜庭さん、試しにここでやってみてください」 「できるかっ」 「私は脚本の制作中にそれ、やりましたよ」 「玉藻ちゃんの演技、見てみたいな〜」 「その時になったらな」 「何を恥ずかしがってるんですか」 「そうですよ。恥を振り切るために、ここで一旦リミッターを外しておきましょう」 「うん、それがいい。あとあと楽になるぞ」 「お前たち、本気で言ってるのか?」 「もちろんです」 「恥ずかしがってると演技なんて絶対にうまくいかんよ?」 「その通りだと思います」 「玉藻ちゃん、やってみようよ」 「……わかったわかった。やる、やればいいんだろう」 桜庭が深呼吸する。 「情感込めろよな」 「棒読みは恥ずかしいですよ」 「うるさいな、集中できない」 既に桜庭の頬は赤く染まっていた。 「じ、じゃあ行くぞ」 「……ほーっほっほっ、ふざけないでちょうだい。どこから見てもわたくしは完璧でしてよっ!」 「……」 「……」 「……」 「……」 示し合わせたわけではないにも関わらず、全員が黙した。 不思議な連帯感だった。 「それじゃみんな、頑張ろうか」 「はーい」 「もうさぁ、こういういじめはナシだろぉ……」 桜庭は膝を抱えて縮こまった。 練習が終わった後。 俺と佳奈すけは台本の修正に取り組んだ。 声に出して読んでみると、また新しい改善点が見えてきたのだ。 「桜庭さん、名演でしたね」 「あれはなかなかそそるものがありました」 佳奈すけは机に向かい、脚本に修正を入れていた。 昨日の今日で疲れているだろうに、佳奈すけは残って練習で判明した脚本の不具合を調整している。 一人で残すのも可哀想なので、俺も部室に留まっていた。 「特に高笑いはハマってましたよね。入れてよかったです」 「演出とか言ってごまかしてたけど、狙って入れただろ」 「いえいえー、あの高笑いも格闘ゲームのキャラ設定そのままですから」 練習中、桜庭は終始ぶつぶつと『なんで私が……』とか独り言を呟いていた。 行かず後家の不遇なキャラ設定なので、劇中ではみんなからの扱いがぞんざいだった。 「ちょっと気になったんだけどさ」 「格闘ゲームのキャラって、そんなに細かい設定がついてるものなのか」 ゲーム自体はやらないが、格闘ゲームがどんなものかは知っている。 大抵はキャラが必殺技を打ち合いながら一対一で戦うだけなので、設定が必要になるとは思えない。 「筧さん、甘いですね」 「原作の『エターナル・オブ・ファイト』はイラスト集と一緒に設定資料集なんかも売ってるんですよ」 「キャラのフィギュアとかも出てるらしいです」 「やけに詳しいな」 「そりゃもう、脚本のために自腹で設定資料集買いましたから」 「なんだ、言ってくれれば折半したのに」 「いえ、かなり楽しめたので自分の趣味の物ってことでいいですよ」 もくもくと脚本を直し続ける佳奈すけ。 「佳奈すけって、そういう才能があるのかもな」 「はい? 才能ですか?」 「脚本とか物書きとかの才能だよ」 「そうですかね。自分じゃよくわからないです」 「こんなの、書こうと思えば誰でも書けるんじゃないですか?」 佳奈すけは総じて自己評価が低い。 もう少し自信を持ってもいいと思うんだが。 「でも楽しいですよ」 「芸人魂っていうんですか? みんなを楽しませてやるんだって考えると、力が湧いてきますね」 「はは、佳奈すけらしい」 「ですねえ」 佳奈すけと一緒に笑う。 「あ、悪い。声かけたら邪魔だよな」 「大丈夫です」 「そうだ、ちょうどいいんで手伝ってください」 「俺にできることなら」 佳奈すけは立ち上がり、脚本を持ってくる。 「この部分、直してみたんですけど、いまいちしっくりこなくて」 「一緒に実演してみてもらえませんか?」 「わかった」 対象のシーンはクライマックスだった。 京太郎と雪華がいい雰囲気になったところで、みんなが邪魔に入るというシーンだ。 「私が雪華をやるので、筧さんは京太郎をお願いします」 「おう」 「修正した脚本、手元になくて大丈夫ですか?」 「いや、大丈夫。今見て全部覚えた」 「筧さーん、格好良すぎですよ。ちょっとは遠慮してください」 「何を遠慮すればいいんだ」 意味がわからない。 「じゃあ行きます」 「……京太郎様、お待ちしてました」 「雪華さん、ご無事でしたか」 「はい、あなた様をゲットするため……あーいえいえ、愛の証を立てるために、数ある苦難を乗り越えて来ました」 「今、ゲットするとか……」 「うふふふっ、いやですね、何かの聞き間違いでは?」 「さあ、私と最後のエンゲージを迎えましょう」 そう言うと、佳奈すけは俺に近づいてくる。 「いや、私はまだ修行の身。雪華さんのお気持ちは嬉しいが……」 「だめです、逃げないで」 佳奈すけは懐に入ってきて、俺を見上げた。 「私がどれほどの思いでいるか、あなた様はご存じないのです」 「できることなら、この胸を開いて私の全てをお見せしたい……」 「……あ、筧さん。ここで雪華の腰に手を回してください」 「お、おう」 佳奈すけの腰に手を回し、小さな身体に添える。 すると、佳奈すけはその手に体重をかけて身体を反らせ、ぐっと近づいてきた。 ……まずいな、これ。 相当恥ずかしいぞ。 「京太郎様……一度でいい、この唇にあなた様の印を授けてください」 「そうすれば私は、もう何も思い残すことはありません」 「……本当によろしいのか」 「はい……」 あと少し身体を引き寄せれば、佳奈すけの唇が手に入る。 そんな距離に佳奈すけがいた。 「と、いう感じなんですけど……」 「おう」 佳奈すけの柔らかな身体が、俺の懐にすっぽりと収まっていた。 その感触を手放したくなくて、見つめ合う。 「えっと、あの……」 「うぅ……」 「……これ、どうすればいいんだ?」 「ど、どうしたいんですか」 「放していいの?」 「か、筧さんが放したいなら……」 なんだ、それは。 「放したくなかったら放さなくていいのか」 「そ、その場合はどうしますかねえ」 しどろもどろで答える佳奈すけ。 正直言って、冷静でいられる状況ではなかった。 演技とはいえ、キスをするつもりで佳奈すけを抱き寄せたのだ。 「キス……してみる?」 「え、ええ〜っ……ほ、本気ですかっ」 わからない。 これは演じている京太郎なのか、それとも素の京太郎なのか。 自分でも区別がつかなかった。 「嫌ならいいけど」 「うあぁ……いやあ、その質問はきついですよぉ……」 「だ、だって私、ただの後輩ですよ……?」 ただの後輩か。 ……まあ、そうだよな。 「はん、はんっ……はんっ!」 視界の端で、猫がシャドーボクシングをしている。 まったくの異次元だ。 「すまん、調子に乗って悪ふざけしすぎたな」 身体を起こし、佳奈すけに回した手を離す。 「……」 佳奈すけは顔を真っ赤にして固まっていた。 「おーい、佳奈すけ。戻ってこい」 「はっ……すみません、夢の世界に旅立ってました」 ぶるぶると顔を振る佳奈すけ。 「大丈夫か?」 「もう筧さんったら、冗談きついですよっ」 「私が止めなかったら何をする気だったんですか?」 「いやあ、キスしてたかも」 「わっはっは、筧さんたらお茶目さんですね〜」 「出来心だ。許してくれ」 本当にさっきはどうかしていた。 気の迷いってやつだ。 「演劇にかこつけて後輩のファーストキスを奪うとか犯罪ですからね?」 「もう……めっ、ですよっ」 指でつんつんしてくる佳奈すけ。 「あっと……それで今のシーンはどうでしたか?」 「ちょっと過激すぎるな」 「俺が対処に困るから、もう少しマイルドにしてくれ」 「そ、そうですよね。勢いで白崎さんにキスされたら困りますし」 「桜庭にどつかれそうだ」 「ふふ、それは見てみたいです」 「勘弁してくれよ」 「はい、わかりました。それじゃここはマイルドにしておきます」 「近づいて手を繋ぎ合う、くらいでいいですかね」 「ああ、それでいい」 それなら間違いも起こらないだろう。 「わっかりました。それじゃこの部分は明日までに直してきますね」 「明日?」 「ええ、もういい時間ですし」 時計を見ると、8時を過ぎていた。 「そうだな。今日はお開きにするか」 「それじゃ私、寄るところがあるんでお先に失礼しますっ」 「おう、お疲れさん」 佳奈すけは手早く荷物をまとめて、飛び出して行った。 何とか平静を装って図書館から出てきたものの、そこまでが限界だった。 「うわ、うわうわうわ、なにこれ……!?」 胸の鼓動は早く、一向に収まらない。 未だかつて、ここまで心臓の存在を間近に感じたことはなかった。 心臓が高鳴り、胸が苦しかった。 筧さんをただ見ているだけで、おかしいくらいに身体が熱くなった。 居ても立ってもいられず、飛び出してくるしかなかった。 「(やっばー……これ、まずいよぉ……)」 わかった。 もうわかってしまった。 私は、やっぱり好きだったんだ。 まぶたの裏には、まだ筧さんの姿がはっきりと見えている。 筧さんの面影を無意識のうちに追っている。 「筧、さんっ……」 ほんと、馬鹿じゃないの。 ちょっと抱きしめられただけで、呆気なく落とされちゃうなんて。 まさか自分がこんなイージーな女だと思わなかった。 「(待ってよもう、こんなのお手軽過ぎるでしょ〜……!)」 ずるい、不意打ちだ。 そう思うが、なかったことにできるほど簡単な感情ではなかった。 「(私……筧さんのこと、好きなんだ……)」 昔読んだ少女漫画で、ちょっと格好いい男子に優しくされただけで『きゅん』となる女主人公がいた。 その時は『ないない、こんなのあり得ないから』と鼻で笑っていた。 だが、自分の身に降りかかってみて、初めてわかった。 「(リアルだったんだ、あれ……)」 人を好きになるなんて一瞬だ。 ただ目が合っただけで、誰かを好きになってしまうことだってある。 何かの小説で読んだ一節が、真実であることを確信できた。 「(いやいや……だめだって、出てこないでっ)」 筧と至近距離で見つめ合った記憶が蘇ってきて、顔が熱くなる。 感情が一度に降ってきて、頭がどうにかなってしまいそうだった。 「(ああもう、なにやってるんだろ私っ)」 ちょっとした冗談のつもりだった。 筧さんを驚かせようと思って、わざとシーンを過激に書き直してみたのだ。 そうしたら、自分がびっくりする羽目に陥ってしまった。 演技で筧さんに言い寄られただけなのに、本気になってしまった。 「うあぁ〜っ……!」 「あっ……ちょっと……!?」 「いたっ!?」 「きゃあっ……!」 誰かにぶつかり、石畳の上に転がる。 完全に前方不注意だった。 「ご、ごめんなさいっ、大丈夫ですか……?」 「まったくもう……どこを見てるの?」 目の前にいたのは千莉だった。 「あれ、千莉……どうして?」 「佳奈が全然携帯に出てくれないから、直接来たんだけど」 それでようやく思い出す。 千莉の帰り際、一緒に夕食を取る約束をしたのだ。 8時くらいに、という話だったのに気が動転してすっかり忘れていた。 「ご、ごめんっ……ちょっと立て込んでて」 「別にいいよ」 「それで、夕食はどうする?」 「あ、あはははは……」 まずい、無理だ。 まともに平静を保つことができない。 落ち着かないと、そう自分に言い聞かせて深呼吸する。 「……どうかしたの?」 「ん、何が?」 「なにって、態度がおかしいから」 「それに顔も赤いし」 「(うわマジですかっ、顔に出てるのかぁっ)」 総崩れだった。 どこから手を付けていいかわからない。 「……もしかして、筧先輩と何かあった?」 「ええぇっ!?」 どうして知っているのか。 ひょっとしてあの現場を見ていたのだろうか。 「やっぱり」 「いやいや、え?」 「え、じゃなくて。さっきから挙動不審だよ」 「もしかして……筧先輩に変なことされた、とか?」 「あっはっはっは、まさか千莉さん」 「筧さんがそんなことするわけないでしょ、ねえ?」 大当たりだった。 もう心臓が痛くてたまらない。 「……ふうん、筧先輩を庇うんだ」 「まあ、佳奈がそれでいいなら追求しないけど」 「庇うだなんてそんな」 「一応聞いておくけど……隠し事、してないよね?」 「うっ……」 友達に隠し事をするのは誠実じゃない。 それが千莉と友達として付き合う上での、暗黙のルールだった。 仕方ない……話せる範囲で話そう。 「えっと……筧さんと一緒に、最後のシーンの練習をしてたの」 「うん」 「京太郎が雪華を抱き寄せるシーンでね、実演で筧さんに腰に手を回されて……」 「あまりに恥ずかしくて、わーってなって逃げてきたんだ」 ここまでは事実だ。 しかし、筧のことが好きになったことは言えない。 今はまだ勘弁してほしかった。 「それって、筧先輩がやり過ぎたってこと?」 「あー、うん、まあね」 それは本当のことだ。 キスしてみるか、なんて言われてどうしろというのか。 「それなら筧先輩に非があるんだから、謝ってもらったら?」 「え、いやあ……いいよ」 「どうして? このままでいいの?」 「ああ、違うの。もう謝ってもらったから」 「許してくれって言われたしね。だからもういいの」 「そっか」 「うん、心配してくれてありがとね」 千莉と話しているうちに、ようやく落ち着いてくる。 「……でも、許せないかな」 「筧先輩がそんなことするなんて思わなかった」 「え?」 「だって、いくら演劇の練習って言っても、2人きりだったら緊張するでしょ」 「そういう配慮くらいできる人だと思ってたのに」 「あははは……」 自分から進んで掛け金を外しに行った部分もあるので、何とも言えなかった。 しかもその罠に自分ではまって自滅したのだから、目も当てられない。 「ちょっと幻滅したかも」 「え、待って待って。筧さんは悪くないよ」 「私が手伝ってほしいって言ったから、練習に付き合ってくれただけだし」 「……また筧先輩を庇ってる」 「いやあ、その……」 本当のことを言おうとすれば、自分の気持ちを千莉に話すしかなくなる。 それだけはできなかった。 「筧先輩のこと、好きなの?」 「……ううん、別に」 ほとんど無意識のうちに、言葉となって出ていた。 筧さんを好きになってしまったことを千莉に話すのはよくない。 なぜなら、千莉もきっと……。 「そう、わかった」 「心配させてごめんね」 何とか平静を取り戻し、肩をすくめて見せる。 「行こっか」 「どこに?」 「帰るんでしょ? だったら晩ご飯」 「……うん」 ありがとう……ごめんね。 どうしても言い出せない言葉を、私はそっと心の中で呟いた。 瞬く間に一週間が過ぎた。 「……今日の練習はこれぐらいにしておくか」 「今回の通しはいい感じでした」 「だいぶ様になってきたな」 佳奈すけの書いた脚本を元に練習を重ね、何とか見せられる形になってきた。 不安な点はあるが、あとはもう出たとこ勝負になるだろう。 「そろそろ衣装を着て、本番前提の稽古をしておきたいな」 「そうですね」 「桜庭さんと千莉は、あの衣装を着て演技するとかなり破壊力が上がりますよ」 「千莉ちゃんの演技は今の時点でかなりヤバいけどな」 最初の頃、高峰は御園が台詞を言う度に『ぐふっ』などと呟いて倒れ込んでいた。 「高峰先輩は男色家でしょう?」 「役の上ではね」 「御園、痔ってやまいだれに寺って書くんだ」 「それがどうかしたんですか」 「筧……貴様っ、気付いてはいけないことに気付きおったなっ!」 「ふはははっ、ギリアンは貴様にお似合いだということだっ」 互いに変なポーズで向き合う。 「みんな、すっかり役者っぽくなってきたね〜」 「演技をしていると、けっこうテンションが上がるな」 「桜庭さんもすっかり行かず後家が板についてきましたね」 「ああ、お陰様でな」 「この劇のせいで本当に行かず後家になったら、一生鈴木を恨むぞ」 「大丈夫ですって。桜庭さんなら引く手あまたですよ」 「それならいいんだが」 苦笑する桜庭。 「さて、それじゃ今日は解散だ」 「明日も12時集合だからな。遅れないでくれよ」 「うっす、お疲れさん」 「玉藻ちゃん、一緒に帰ろ」 「ああ、わかった」 各人、ばらばらと部室を去っていく。 高峰はバイトがあるらしく、ダッシュで帰っていった。 「そうだ、鈴木は今日も残るのか?」 「はい、そのつもりですけど」 「根を詰めるのもいいが、少しは休んでおけよ。本番で倒れたら意味がないからな」 「らじゃーですっ」 「それじゃね、佳奈ちゃん」 「はーい、お疲れさまでした」 桜庭と白崎も帰っていった。 「さて、俺も帰ろうかな」 荷物をまとめて立ち上がる。 「あ……」 「ん? どうした」 「いえ、お疲れさまです」 佳奈すけがさりげなく視線を逸らす。 先週のキス未遂から、佳奈すけの態度がおかしい。 妙に態度がよそよそしかった。 「何か用事ある?」 「えーと……」 「脚本の検討に必要なら付き合うけど」 「……」 なぜか御園からじっとりとした目で見つめられた。 キス未遂の日から、佳奈すけだけでなく御園も態度がおかしかった。 2人の間で何かあったか、もしくは俺も絡んだ事態が進展しているのか。 どちらにしろ、あまり踏み込まない方が良さそうだ。 「いや、やっぱりやめておこう。佳奈すけもたまには一人で集中したいよな」 「いえいえ、そんなことないです」 「筧さんに手伝ってもらった方がはかどりますし、迷惑じゃなければぜひ」 気を利かせて引き下がったのに、逆に誘われてしまった。 「いいのか?」 「毎度付き合ってもらうのもどうかなって思ったんですけど、甘えていいなら甘えちゃいます」 「好きなだけ甘えてくれ。佳奈すけの役に立てるなら俺も嬉しい」 「えへへ……ありがとうございます」 「佳奈、私も残っていい?」 「えっ? あー、うん。いいよ」 「……邪魔なら帰るけど」 「いやいやっ、そんなことないって!」 「千莉がいてくれたら勇気1000倍だからっ、空も飛べちゃうかもっ」 「調子いいよね」 「ま、自他共に認めるお調子者ですから」 御園が苦笑する。 「そういうことですので、筧先輩もよろしくお願いします」 「お、おう」 何なのだろう、この御園の顔は。 「ごめんね、買い物付き合わせちゃって」 「別にいいよ」 佳奈すけが、劇で使う小道具を買いたいと言うのでついてきた。 「どの店がいいかな」 「小物が売ってる雑貨屋なら、そこの角にあるよ」 「じゃあ、そこに行ってみよっか」 足早に雑貨屋へ向かう2人の背中をのんびり追っていく。 「……筧先輩、遅いです」 「おっと、悪い悪い」 「別に財布だけ置いていってくれてもいいんですよ?」 にこっと笑顔で言ってきた。 「千莉、筧さんを困らせないの」 「別にいつも通りだけど」 「そうかなぁ」 つんとしている御園。 どうも、何か裏にあるようだ。 「なに二人だけで通じ合ってるの?」 「いやあ、これは違うから」 「……」 御園はご機嫌斜めだった。 「うわー、色々あるね」 「筧さん、これ見てください」 佳奈すけが指差したのは、ブックカバーだった。 「私、こういうの欲しいと思ってたんですよ」 「筧さんもお一つどうですか」 「おお、ブックカバーか」 サイズは様々、材質も紙製や布製、革製のものが並んでいる。 女性向けのカラフルなものも沢山あった。 「俺なら黒い革のがいいな」 触ってみると、手にしっとりと馴染む。 「お、渋いですね」 「ご年配の方が愛用してそうです」 こういう攻撃もあるのか。 「私はこういう可愛いのがいいですね」 パステルカラーのブックカバーを選ぶ佳奈すけ。 「筧先輩も、こういうのにしたらどうですか」 「女の子向け過ぎるって」 「ペアルックならぬペアカバーで行きましょう」 「佳奈、ブックカバーを買いに来たんじゃないでしょ」 「あ、そうそう」 「えっとね。おたまと、感じのいい扇子が欲しいの」 おたまと扇子は、劇中の雪華というキャラが使う小道具だ。 「扇子ならこっちにあるな」 扇子コーナーへ移動する。 ざっと見るといくつかグレードがある。 一番高いのは10000円くらいだった。 「いっぱいありますね」 「どれがイメージに近い?」 「アラフォーが持ってそうな、けばけばしい感じのがいいです」 「これは?」 御園が、紫檀でできた高級そうな扇子を手に取る。 「うーん、ちょっと渋いかなぁ」 「遠目に見て、一発で扇子だってわかるのがいいんじゃないかな」 「そうですね」 俺は、枝が白い木でできた扇子に手を伸ばす。 「あっ……」 と、同時に手を伸ばした佳奈すけの指に触れてしまった。 「おっと、すまん」 「いえ、大丈夫です」 佳奈すけは触れた手を抱え、曖昧に笑う。 「佳奈」 「ん、なに?」 「早く選ぼうよ」 「あ、そうだね。どれがいいかなー」 佳奈すけの反応は、明らかに今まで見たものと違った。 これはどう解釈するべきなのか。 「筧先輩は私たちから10メートル離れてください」 「それ、店の外にでちゃうって」 「そうですか、大変ですね」 うーん、当たりが厳しい。 ……だんだん状況が飲み込めてきた。 どうも、俺を佳奈すけから離そうとしているらしい。 「すみません、ちょっと失礼します」 「あれ、どこ行くの?」 「……トイレ」 御園は恥ずかしそうに言うと、俺たちから離れていった。 「なあ、佳奈すけ」 「御園がああなのって、もしかして俺のせいかな?」 「いえ、私のせいです。すみません……」 「練習中のことが原因なら、俺が悪かった」 「いえいえ、違うんですよ」 「これはもう、素直に話すしかないですね」 佳奈すけが〈項垂〉《うなだ》れ、話を始める。 「練習中にあの事故があった後、千莉に会ったんです」 ……事故、か。 あの件は、佳奈すけの中では事故という解釈らしい。 「そこで自分の話し方がまずくて、どうも誤解させちゃったみたいで」 「筧さんが私に変なことしたって思ってるみたいなんです」 「変なことしてないとは言えない気もするけど」 思わず苦笑する。 「いやあ……でも、あれって気の迷いじゃないですか」 「お互い悪気があったわけでもないですし」 「もちろん、悪気はないよ」 「変に誤解をさせるのも嫌だったので一部を濁したんですけど、それがいけなかったみたいです」 「どうにかして千莉の誤解を解きたいんですけど……どうしましょう」 「でも、事故があったのは事実だ。そのことは伝えた?」 「ええ、まあ……」 言葉を濁す佳奈すけ。 もしかしたら……御園に伝えてないことがあるんじゃないか。 「余計なお節介かもしれないけどさ」 「御園に言ってないことがあるなら、きちんと伝えた方がいい」 「そうですよねえ……」 佳奈すけがため息をつく。 「あの、筧さん」 「少し協力してもらえませんか?」 「もちろん、俺にできることなら」 「具体的にはどうしたらいい?」 「あの時、私たちは練習中にすごく恥ずかしい失敗をしちゃったんです」 事故の次は失敗か。 「その失敗が恥ずかしくて、今まで千莉に本当のことを言い出せなかった」 「筧さんがそのことを話さなかったのは、私を気遣ってのこと、みたいな感じに話せたらまとまるかなって思うんですけど」 「いいと思う。でも、どんな失敗をしたことにする?」 「そこが問題なんですよね……」 「説得力があって、無難な失敗があればいいんですけど」 「ううん……」 すぐには思いつかない。 「お待たせ」 悩んでいると、御園が帰ってきてしまった。 「お、おかえり」 「扇子、もう選んだ?」 「えっと、まだ」 「まだって……私がいない間、何してたの?」 「あー……それはその」 ちら、とこちらに視線を投げてくる佳奈すけ。 「筧先輩と何かあったの?」 「何かあったというか……ちょっとこの前の話をしたんだ」 「どうも千莉に誤解させちゃってるから、きちんと話をしないとねって」 「やっぱり隠し事してたんだ」 「ごめんっ、どうしても言えなくてっ」 佳奈すけが御園に説明を始めた。 あの練習中、実は佳奈すけがものすごく恥ずかしい失敗をしてしまったこと。 その失敗を俺に見られて、居たたまれず逃げ出したこと。 そして俺は他人に言うべきじゃないと思い、今まで黙ってきたこと。 「ふうん……」 「本当にごめん、千莉に隠し事してたのは謝るから」 「だから筧さんを悪く思わないで」 佳奈すけは、御園に向かって手を合わせた。 「わかった。佳奈がそういうなら信じる」 「でもさ。言えないほど恥ずかしいって、どんな失敗をしたの?」 「えっ……えっと……」 「正直に話そう。その方がいいよ」 「そうなんですけど……」 どうやら言い訳が思いつかないようだ。 何とか上手く切り抜けたい。 「実は、キスしちゃったんだ」 「え、キス……?」 「演技中に佳奈すけが転びそうになったんだ」 「で、助けようとしたら口がちょっとくっついたと」 「キス、というか事故というか」 自分で言っていて、一抹の寂しさが胸を過ぎった。 でも、佳奈すけは事故だと解釈していた。 二人の同意がないなら事故。 ……さっき指が触れ合ったみたいに、たまたま唇が触れ合っただけだ。 「うう、おああぁ〜……」 頭を抱えてしゃがみ込む佳奈すけ。 それを見た御園は、一瞬戸惑った顔をしてから、ふっと微笑んだ。 「……佳奈、よかったね」 「違うの、違うんだって。事故だったんだってばぁ……」 「わかった、大丈夫」 しゃがみ込んだ佳奈すけを、御園が立ち上がらせる。 「うう、ごめんね、千莉……」 「もういいよ。佳奈の気持ちはわかったから」 御園が俺に向き直る。 「筧先輩、すみませんでした」 「私、筧先輩が佳奈に何かしたのかと思ってました」 「御園はずっと佳奈すけを気遣ってたんだし、謝ることないさ」 「こっちも説明不足だったし」 「別に大したことじゃないです」 「それに、誤解してたら意味ないですし」 御園はほんのり頬を染めて照れた。 とにかく、この件は一件落着ってことでいいのかな。 「佳奈すけ、誤解が解けて良かったな」 「ええ、まあ……」 「どうした?」 「いえいえ、何でもないです」 「買い物続けましょう、買い物」 気を取り直し、さっさと売り場を進んでいく。 まだ何か引きずっているのだろうか? 大丈夫だと思うけど、注意しておこう。 嬉野さんから話のあった食事会が、いよいよ明日開催される。 明日に備えてしっかり休養を取るように、とのことで今日の稽古は早めに終わった。 「はあ……」 口数の少ない佳奈すけの隣を並んで歩く。 開催日が近づくにつれ、佳奈すけは元気がなくなっていった。 それで御園から励ましてあげてくれと言われてついてきたのだが……。 「佳奈すけー」 「なんですかー」 「元気ないぞ」 「ないですねえ」 「何でだよ」 「だって明日、本番なんですよ」 「不安じゃないですか」 「大丈夫だよ」 「全然大丈夫じゃないです」 「本当はもっと直したいところがあったのに……」 佳奈すけはこの期に及んでも、まだ脚本を修正したがっていた。 しかし、コロコロとセリフを変えられたら、とてもじゃないが覚えていられない。 脚本は3日前を最終版とし、それ以後の修正は凍結された。 「あれでも十分面白いって」 「そうですかね」 佳奈すけは目を伏せる。 「……怖いんですよ」 「誰も反応してくれなくて会場がシーンとしたら……」 「芸人なら耐えろ」 「あはは……私、芸人無理かもしれません」 いつもなら奮起する言葉も、今の佳奈すけには届かなかった。 「面白いって難しいよな」 佳奈すけが深くうなずく。 「例えば万人に勧められる本はどれですかって聞かれても、俺には答えられない」 「そんなものはない、と答えるしかないと思う」 「だって、人が何を面白いと思うかなんて千差万別すぎる」 「全員をフォローしようとすると、どうしたって無理が出るんだ」 「わかります」 「だから、こう考えるしかないと思う」 「できるだけのことをやったら、あとは面白いと思う人に面白がってもらえればいい」 「それ以外は、残念だけど自分の感性とは合わない人なんだ、ってな」 「……それでいいんでしょうか」 「もちろん、自分の殻に閉じこもっちゃダメだけどさ」 「でも全員は無理なんだから、最終的には自分と合う人に向けて頑張るしかないだろ」 プロの俳優でも、演劇そのものに興味がない人を振り向かせることは難しい。 俺たちにできることは、俺たちの劇を楽しんでくれる人に向けて精いっぱい頑張ることくらいだ。 「俺たちは、佳奈すけの作った話が面白いと思ってここまでやってきた」 「何度も何度も練習してきたんだ」 「それでも失敗するかもしれない。スベって笑われるのはみんな覚悟してるさ」 「その時は一緒に『あちゃあ、ダメだったね』って笑えばいい」 「筧さん……」 「佳奈すけ、みんなに甘えていいんだぞ。誰もお前を責めたりしないよ」 「まあ、嬉野さんは荒縄で吊り上げるかもしれないけどさ」 「ふふふっ、それはもうしょうがないですね」 「だよな」 「その時は筧さんも道連れにしますから」 「ああ、付き合うよ」 佳奈すけの表情が緩んできた。 少しは元気が出たかな。 「……筧さんって本当、優しいですよね」 「どこが?」 「ふふ、だから筧さんは怖いんです」 佳奈すけは小さく笑う。 「佳奈すけにとって、俺はまだ怖い先輩なんだな」 「筧さんは何でもお見通しなのに、優しいから誰にも悪いことは言わないんです」 「それって、私からしたら怖くてたまらないですよ」 優しいから怖い。 悪いことを言わないのが怖い。 つまりそれは、俺の内側にある佳奈すけへの感情を怖がっているということか。 だが、佳奈すけは俺を過大評価している。 「……俺のことを『何でもお見通し』って言うけどさ」 「もし本当にお見通しなら、本なんて読んでない」 「じゃあ、筧さんは、他人を見通すために本を読んでるんですか?」 「まあね。相手の気持ちがわからないと落ち着かない性格なんだ」 「つまり、俺は本を読んで、心の平穏を買ってるんだ」 「嫌なやつだよな」 今まで誰にも打ち明けたことのないことだった。 だが佳奈すけには言ってもいい……そう思えた。 「でも、嫌なやつって意味では私も同じですから」 自嘲気味に笑う佳奈すけ。 「汐美学園に入ってくる前、一人だけ親友がいたんです」 「その子と色々あってから、人付き合いが馬鹿らしくなっちゃいまして」 「一人で本を読んだりとか、寂しめの人生を送るようになったんです」 佳奈すけの影はこれか。 彼女には、自分の中に踏み込ませない領域があった。 「その後は……俺と似たようなもんか」 「ええ、多分」 きっと佳奈すけは親友との付き合いの中で、傷つけられるようなことをされたのだろう。 心を深く傷つけられた人間は、その痛みを生涯忘れない。 表向き克服したように見えても、心にできた傷がなくなることはない。 傷口を守るために巨大で堅固な壁を作り始め、そこに壁があることを隠すために柔らかな衣をまとう。 俺も佳奈すけも、きっとそういう人種なのだ。 「私、みんなと会ったとき携帯持ってなかったじゃないですか」 「ああ」 「あれ、壊したんですよ」 「え?」 「思いっきり壁に投げて、壊したんです」 「お陰で実家の壁には今でも大穴が空いてますよ」 「ダイナミックだな」 「ダイナミックでしたねえ」 ひとしきり笑い合い、夕日を見つめる。 鈴木の言動を見ている限りだと、そこまで深刻な様子はなかった。 おそらくは過去のこととして、ある程度気持ちにケリをつけているのだろう。 「……筧さん、人間って何ですかね」 「さあなぁ、人は支え合う生き物だってよく言われるけどな」 「面倒くさいです」 佳奈すけは即答した。 「俺も同感だ」 「どうして一人じゃ生きられないんですかね」 「限りなく、それに近づけることはできると思うけど」 今の社会では、その気になれば必要最低限のやりとりで生きていくことができる。 そういう意味では独り者には生きやすい時代だ。 「でも、私は無理ですよ」 「一人でいると……どうしようもなく寒いんです」 「寒い、か」 ほんの少し前までは、全くわからない感覚だったと思う。 だが……例えば、ある日突然、図書部のみんながいなくなったら、俺はどう思うだろうか。 何事もなく図書部の部室で本を読んでいられるか。 「それは、さっきの話と同じだ」 「どれですか?」 「一人では無理だからと言って、全員と仲良くする必要なんてない」 「気の合う人たちと一緒に頑張ればいいんだ」 「ふふ、ですね」 佳奈すけが笑う。 その横顔がすごくかわいらしくて。 ふと、聞いてみたくなった。 「なあ、佳奈すけ」 「何ですか」 「俺とお前って気が合うと思う?」 「うーん、どうですかねえ」 「筧さん次第じゃないですか?」 「お前、自分が合わせる気はないのな」 「ありますけどー」 「でも、筧さん次第です」 「ずるいぞ」 「知ってましたか、筧さん。女ってずるいんですよ?」 「言われてみれば、佳奈すけも女だったか」 「あー、胸のない女は女にあらずですか」 持ちネタでごまかす気か。 「佳奈すけ、かわいいよ」 「あーあー、きこえませーん」 「というかそういうジョーク禁止ですよ、だめだめ〜っ」 「何でだよ」 「今日のところはこれくらいで勘弁してくださいよ」 てへりと笑う佳奈すけ。 ごめんなさいされた。 支え合うのって、案外難しいもんだな。 「仕方ない、勘弁してやろう」 「えへへ、どもです」 佳奈すけの住んでいる寮が見えてきた。 「明日、頑張ろうな」 「ええ、頑張りましょう」 先ほどまで佳奈すけを覆っていた不安は、綺麗に消えていた。 アプリオの食事会が始まり、20分ほど過ぎた頃。 「……皆様、お食事、お飲み物はいかがでしょうか」 「何かございましたらお近くの係員までお気軽にお申し付けください」 嬉野さんがアナウンスを始めた。 「さて、お食事の途中ではありますが、ここで有志によるパフォーマンスをご鑑賞ください」 演目はいくつかあり、俺たちの出番は最後だ。 音楽科生徒の楽曲演奏、お笑い同好会の漫才、そして図書部の寸劇という順番になっていた。 「うわあぁ……緊張してきた〜……」 俺たちは既に着替えてスタンバイを済ませている。 最初の二組は15分ずつなので、俺たちの出番は30分後だ。 「白崎、まだだから」 「で、でも、うまくできるか不安で不安で……」 「大丈夫だ。その衣装、似合ってるぞ」 「うまくできないなと思ったら、舞台の前の方に行ってください」 「前に行くの?」 「そうすれば一時的にですけど、ごまかせますよ」 「へえー、どうして?」 「白崎、騙されるなよ。あまり前に行くとスカートの中が見えるぞ」 「ええっ!? ちょっと、佳奈ちゃん!?」 慌ててスカートの裾を押さえる白崎。 「あはは、緊張ほぐれました?」 などと話している間に、音楽科の生徒が演奏を始める。 トランペットの演奏が特徴的なジャズだった。 「うまいですねえ」 しかし、御園が微妙な顔をしている。 「御園先生がもの申したいってよ」 「千莉ちゃん、一言どうぞ」 「偉そうなことは言いたくないんですけど……」 「リズムがかなりぶれてますね」 「……わからねえ」 「私もです」 集中して聞いてみたが、ぶれているようには聞こえない。 常人ではわからない微細なズレなのだろう。 「……あ」 主旋律を支えていたトランペットが途中で引っかかり、調子はずれの音を立てた。 立て直すためか、一瞬トランペットの演奏が止まる。 「気にするなー、大丈夫だぞー」 「頑張ってね」 年配の観客たちから温かい声がかかった。 学生街の中で普段暮らしている人たちだけに、すごく寛容だった。 観客に励まされ、トランペット奏者がはにかみながら演奏に戻っていく。 「みんな、優しいですね」 「これなら、多少トチっても寒い思いをしないで済みそうだ」 「大丈夫だ。佳奈すけが頑張って作ったネタだからな」 「ああ、どっかんどっかんウケるぞ」 「ちょっとちょっと、この期に及んでハードル上げないでくださいっ」 「ふふっ、佳奈ちゃんのお陰で安心だね」 「もう、白崎さんまで勘弁してくださいよ〜……」 白崎も表情が緩んでいる。 これならミナフェスより気楽にできそうだな。 「それでは、次は図書部による寸劇です。題は『エターナル・ラブ』です」 「劇中ではアプリオの看板娘も大活躍しますので、皆さんぜひ楽しんでくださいね〜」 どっと笑いが起こった。 「(嬉野さん、余計なこと言わないで〜!)」 「(まあいいじゃん)」 佳奈すけと高峰がひそひそと呟き合っていた。 「それでは図書部の皆さん、よろしくお願いしますっ」 「……行ってきます」 最初は佳奈すけがナレーションをするシーンだった。 緊張で顔が固くなっている。 「佳奈すけ」 「な、何ですか?」 「お前、最高に面白い顔してるぞ」 大丈夫だ、きっとうまくいく。 そんな気持ちを込めて、佳奈すけを見つめる。 「……何ですか、面白い顔って」 「余計なお世話ですよっ」 佳奈すけはいつもの笑顔を取り戻し、軽やかな足取りで舞台へと進んでいった。 「あー、終わったぁ〜」 みんな着替える気力もなく、コスプレ姿のままぐったりする。 慣れないことで体力、精神力を大きく削がれた。 「大して動いてないのに、すっごく疲れたね」 「そうだな……」 「途中で転んじゃいました」 「あれは客席からはスカートの中が見えただろうな」 「どうして俺が客じゃなかったのか、それだけが心残りだよ」 「死んでください」 「はっ、喜んで」 執事らしく、丁寧に膝を折る高峰。 「わたしたちの劇、楽しんでもらえたかな」 「観客からはかなり笑い声があがっていた」 「一番笑いを取ってたのは筧先輩が殴られる場面でしたけどね」 「みんな、実感がこもってましたからねえ」 俺の役は、自分でも知らないうちに女性たちから惚れられて逆恨みを買う剣士だった。 どっちつかずな態度を取ってきた俺は女性陣全員からどつき倒され、俺の一人負けで舞台は幕を下ろす……という内容だった。 「……京太郎様は、いつもいつも、そうやって私たちを惑わしてばかりっ」 「もう、京太郎様のばかあぁぁっ!」 「くっ……」 白崎に平手打ちされ、がくんと膝をつく。 「京太郎は自分のことばかり考えて、他人のことなんて何も考えてないにゃっ」 「浮気者はこうしてやるにゃっ!」 「ぐほっ……」 御園の両手のひらが肋骨にめり込む。 一瞬、息が止まった。 「(……筧、耐えろよ)」 「京太郎様、どうかわたくしの愛を受け止めてくださいませぇっ!」 「ぐぼおぉっ……!」 事前の打ち合わせをしていたので、覚悟はしていた。 だが、本気を出した桜庭の回し蹴りは、予想以上に強烈だった。 「いやあ、皆さん鬼気迫る演技でした」 「ごめんね、筧くん」 「桜庭のが一番効いたよ」 きっと観客は演技だと思っただろうが、実際どれも相当痛かった。 「筧が『本番では本気でやってくれ』と言うから、仕方なくやったんだぞ」 「筧さん、桜庭さんの蹴りを食らって吹っ飛んでましたね」 「お、大げさなことを言うな」 「いやいや、身体が完全に浮いてましたから」 「あれは演技だって」 蹴りを食らった瞬間、自分で後方に飛んだのだ。 見た目の派手さはもちろん、衝撃を和らげる意味もある。 「何にしても、みんなが楽しんでくれたのはいいことだよな」 「佳奈ちゃんのお陰だね」 「そうですね」 「えっ、いやいやー、皆さんの演技が良かったからですよ」 「謙遜するな。お前の脚本ありきだ」 「鈴木、ご苦労だったな」 「頑張ったね」 「ど、どもです……」 珍しく、本気で照れている。 佳奈すけが、今回の依頼に強い決意を持っていたからこその、本気の照れではないだろうか? きっと、大きな達成感があるに違いない。 「そうだ、佳奈すけにご褒美やろうぜ」 「ご、ご褒美ですか?」 「佳奈すけのやりたいことをみんなで叶えてやろう」 「いいな、それ」 「うん、わたしもいいと思う」 「佳奈ちゃん、何かある?」 「そんなー、悪いですよ」 「遠慮するなって」 「たまには素直に厚意を受けとけよ」 「いやー、それじゃあ……私、お肉食べたいです」 「肉か」 「お腹空いたので安直に行ってみました」 「佳奈ちゃん肉食だもんね」 「今ならちょうど、砂浜でバーベキューなんていいかもな」 「おっ、それいいじゃん」 「みんな水着でさ」 「高峰先輩、下心がみえみえですよ」 「しょーがないじゃん、男なんだから。なあ、ギザ」 「ぶおん、ぶおん」 激しくうなずいている。 「でも、水着ですか……」 「どうした?」 「いえ、水着はボディラインがモロに出ますから」 ああ、そういうことか。 「佳奈すけ、気が利かなくてごめんな……」 「謝らないでくださいよ、余計みじめじゃないですかっ」 「でも、バーベキューはいいですね」 「じゃあ打ち上げを兼ねて、海辺でバーベキュー会なんてどうだ?」 「はい、ぜひやりたいですね」 「みんなもそれでいいか?」 一斉にうなずく。 「では決まりだ」 「筧さん、楽しみですね」 「ああ」 今日まで頑張ってきた佳奈すけを大いに労ってやろう。 「鉄板とかレンタルするなら早めにした方がいいぜ。この時期は予約一杯だから」 「む、レンタルか……考えていなかった」 「高峰くん、バーベキュー経験者?」 「バーベキューだけじゃなく、いろいろと、ね」 ニヒルに笑う高峰。 どう拾えばいいんだ。 「つまり、高峰が予約担当ということでいいんだな」 「うはっ、余計なこと言わなきゃよかった」 「よろしくお願いします」 「よろしくお願いします」 1年生が揃って敬礼した。 「わかりましたよ……」 「借りられるのは来週になると思うから、そのつもりで頼むわ」 嫌がる奴がいようもなく、全員で賛成した。 「あー、しんど〜……」 シャンプーとトリートメントが切れたため、買い物にやってきた。 疲れてるときに限ってなくなるんだよな……。 しかも同時と来た。 「ついでに本屋でも行こうかな」 筧さんに勧めてもらった本も、そろそろ読み終わってしまう。 新しい本が欲しかった。 「あ、筧さんと読書会やろっ」 思い立ったが吉日だ。 携帯を取り出し、『弾切れです、補給お願いします。アプリオ戦線にて待つ。』と打ってメールを送る。 返信を待ちつつ、本屋へと入った。 「おっ、きたきた」 はやる気持ちを抑えてメールを開く。 筧さんからの返信だった。 本文には『うちに山ほどあるから好きなだけ持っていけ。明後日でいいか?』とあった。 「おっと、これは……」 家に行けるんだ。 「うふふふ」 思わず笑いがこみ上げてくる。 向かいから来た男性に怪訝な目で見られてしまった。 「おっとと……」 往来で何をやってるんだろ。 顔を引き締め直す。 何にしても嬉しい申し出だった。 「……よっし、これでOKっと」 筧さんに『では明後日で。当日また連絡します。』と返信し、スーパーを目指す。 食費は抑えめにして、後でアパレルショップに行ってみよう。 そこでかわいい感じの下着とか買っちゃったりして。 「うはー……」 自分は何を想像しているのか。 とはいえ、気合いを入れておくに越したことはないだろう。 「……お?」 角を通りかかったところで雑貨屋の店内が見えた。 その中に、見知った顔があったような気がして立ち止まる。 思案顔で陳列棚を見ている千莉がいた。 「千莉?」 何か買い物だろうか。 千莉は何かを手に取り、レジへと向かって行く。 雑貨屋に入り、後を追ってみる。 「……」 声をかけようとして、千莉の後ろから近づく。 だが千莉が手に持っている物を見て……立ち止まる。 千莉が持っていたのはブックカバーだった。 「いらっしゃいませ。お預かりします」 「あの……すみません。プレゼント用の包装ってできますか?」 「はい、それでしたら包装紙とリボンのお色をこの中からお選びください」 ブックカバーは革製で、装飾が入ったダークブラウンのものだった。 千莉や私が使うには、渋すぎるデザインだった。 明らかに男性向けの物だ。 だとしたら、あれは一体誰にプレゼントするつもりなのか。 「……千莉」 後ずさりする。 ここにいたらまずい。 店を出て、足早に街路を歩く。 「やっぱりそうだったんだ……」 ずっとわかっていたことだ。 千莉が筧さんのことを好きなことなんて、わかりきっていた。 わかっていたのに『別に好きじゃない』という千莉の言葉を信用して、安心しきっていた。 そして、千莉も私と同じだ。 千莉に好きなのかと聞かれた時、私は『ううん、別に』と答えた。 その言葉を信用して、あれを買ったのだろう。 筧さんへプレゼントするために。 「……どうしよう」 本当のことを話すべきなのだろうか。 でも、そんなことをしたらきっと千莉と友達ではいられなくなる。 だって、これは筧さんの取り合いだ。 どちらが勝っても、どちらかが気まずい思いをすることになってしまう。 ……せっかく仲良くなったのに。 これから一緒に楽しいことができると思ったのに。 「千莉……」 どこを目指すとでもなく、歩いていく。 先ほどまでの浮かれていた気持ちは、跡形もなく消えていた。 アプリオ食事会の一週間後。 ようやく、バーベキューの機材がレンタルできた。 「わーお、すごい量ですね!」 用意したテーブルの上には串焼きの他、リブステーキにカルビなど、様々な肉が並んでいた。 佳奈すけの目がハートマークになっている。 「鈴木を労う……というのは建前で、なかなかいい肉があったのでな」 「つい買いすぎてしまった」 「心配ご無用です。私が責任を持って消費させていただきますっ」 鼻息が荒い佳奈すけ。 思ったより元気そうだ。 「……」 アプリオ食事会の日、佳奈すけから読書会の誘いがあった。 こちらはOKしたが、当日になって佳奈すけがドタキャン。 その後、一切連絡がなく、気を揉んでいたのだが……。 「玉藻ちゃん、ありがとね」 「いや、いいんだ」 「私もいっぱい食べたかったからな」 桜庭の視線がちらっと下を向く。 「桜庭先輩、どこを見て言ってるんですか」 「視線が胸に行ってるが」 「ははは、気のせいだろう」 「もう、玉藻ちゃんっ」 桜庭の気持ちはよくわかる。 水着姿の白崎は、胸にくっきりと谷間ができており、男子にとっては非常に目の毒だった。 「はいはい皆さーん、ただの脂肪に目を奪われないでくださーい」 「今回の主役は誰ですかー?」 「おい、まな板が何か言ってるぞ」 「言ってはならぬことをぉっ!」 「か、かったぁ……」 高峰の腹筋に佳奈すけの鋭いチョップが炸裂した。 ……が、佳奈すけの方が痛がっている。 「ふっふっふ、俺、脱いだらかなりすごいのよ?」 「さすが元空手部だ」 「鈴木。腹筋とあばら骨の間、真ん中を狙うといいぞ」 「鳩尾ですね、了解です」 佳奈すけが拳を固める。 「おっしゃあ、佳奈すけ来いっ」 「うりゃああぁっ!」 「や、やっぱ無理だった……」 佳奈すけの一撃に、高峰が沈んだ。 「いや、高峰はよくやったよ……」 開いたままの瞼を手のひらで閉じてやる。 「よし、無事復讐も果たしたところで、肉を焼こう」 「焼きますか!」 「その前に、佳奈ちゃんに一言もらおうよ」 「佳奈、よろしく」 「ええー、恥ずかしいなぁ……」 「今日の主役なんだろう?」 「わかりました」 小さく咳払いをしてから、佳奈すけはおずおずと前に出る。 「あの、今日はありがとうございます」 「脚本を書くなんて初めてのことで、最初は戸惑うことも多かったのですが、皆さんのお陰でいい劇にすることができました」 「特に千莉と筧さんにはいっぱいお世話になりました。ありがとうございますっ」 「別に大したことしてないよ」 「ああ、佳奈すけが頑張ったからこそだ」 「いえいえ、今回の成功は本当に皆さんあってこそでした」 「ありがとうございましたっ」 「さて、それじゃ皆さん、今日は一緒にいっぱいお肉を食べましょうっ!」 「よっしゃー、食うぜーっ!」 佳奈すけ慰労会&バーベキュー会が始まった。 「筧、この肉はもう焼けてるぞ」 「おお、サンキュ」 「鈴木、そっちの肉は新鮮だからちょっと炙る程度で大丈夫だ」 「あ、はいっ」 「高峰、一人で場所を使いすぎだ。ちょっと寄せるぞ」 「うおわぁっ、待てよ、俺のカルビがグシャグシャになったじゃねえかっ」 網の9割を占めていた高峰のカルビが圧縮された。 予想通りというか、桜庭の鍋奉行ならぬ網奉行っぷりが冴え渡っていた。 「一人で欲張るからだろ」 「俺はみんなのために焼いてるんだぞ」 「あ、それじゃ高峰さんのカルビいただきます」 高峰が肉を整列し直しているそばから、佳奈すけがさらっていく。 「おう、食え食え」 「今日は佳奈すけが主役だからな」 「私もカルビいただきます」 「ああ、いいぞ」 「それじゃ俺もカルビいただきます」 「筧、お前は少し手伝えよ」 高峰はひっくり返すので忙しく、カルビは3人でほとんど消費してしまった。 「お前らさ……俺の分は?」 「また焼けばいいだろう」 「焼けたら、またいただきますけどね」 「雛鳥に餌やってる気分になってきたな……」 「向こうは何やら大変そうだ」 「こっちは平和だねぇ」 桜庭が確保している3割ほどの網エリアは、白崎と共に平和利用されていた。 「千莉ちゃん、あっち行ってきたら?」 「あちらは規則が厳しいんです」 「横取りしようにも、桜庭さんのガード能力が半端ないですしね」 「ふふ、こちらに来るなら私の規則に従ってもらうぞ」 桜庭のテリトリーでは桜庭がルールだった。 「馬鹿野郎、規則なんざくそっくらえだ。焼き肉は本来戦争なんだぞ」 「なあ、そうだろ筧」 「まあな」 焼き肉は肉の奪い合いに網場利権の奪い合い、様々な力関係が交錯するバトルフィールドだ。 特に腹を空かせた男子だけで構成された焼き肉は、まさしく骨肉の争いとなる。 「お前たちの主張にあえて反論はしない」 「だが、こちらは永世中立国だ。敵対行為には無慈悲な反撃を行うぞ」 「具体的には?」 「機能中枢の物理的破壊だ」 かちかちと金属製のトングを鳴らし、にやりと桜庭が笑った。 「高峰、行ってこいよ」 「いや……たまには行儀良く食べるのもいいよね」 「日和ったか」 「さっきは戦争だって言ってたのに」 「戦力を見極めることも大事なことなんだぞ?」 「高峰先輩は頼りにならない、と」 「本当のこと言っちゃ駄目だろ」 「すみません、配慮が足りませんでした」 「筧、お前が一番えぐいからな」 そんなことを言い合いながら、もりもりと肉を消費していく。 一通り手を付けると、ようやく腹が落ち着いてきた。 「筧先輩、お皿出して下さい」 「お、サンキュー……って、何で野菜ばっかり入れてくるんだ」 御園が野菜を俺の皿にどんどん積み上げていく。 「すみません、スペースが足りなくて」 「野菜好きだからいいけどさ」 取ってもらった野菜をもくもくと食べる。 「それじゃ、お肉もあげます」 「ありがとう」 食べ終わったのを目ざとく見つけ、肉を積んでくる御園。 佳奈すけが肉を頬張る横で、御園はほとんど箸を付けなくなっていた。 「御園はもういいの?」 「ええ、あまり食べ過ぎてもいけないので」 「千莉は小食だねえ」 「え? そうかな」 「女の子って感じでいいよね」 「筧さんと並んで立ってるとすごく絵になるし」 「な、なに言ってるの?」 「いやいやー、お似合いだってことですよ?」 にやりと笑って、肉を食べる作業に戻る佳奈すけ。 ……変なやつだな。 バーベキューで腹を膨らませた後。 せっかく来たんだからということで、みんなは海に遊びに行ってしまった。 微笑ましい光景を眺めつつ、俺は砂浜で読書を楽しんでいた。 「筧さんっ」 「おう、お疲れ」 佳奈すけが戻ってきた。 水に濡れた肌が艶めかしく、すぐに視線を戻す。 「こんなところでも本ですか」 「地獄の釜に放り込まれる直前でも読んでいる自信があるね」 「不健康ですよ〜」 「いいんだ、別に」 そこまで長生きするつもりはない。 「佳奈すけはどうしたの?」 「いえ、ちょっとお腹が重くて」 「お肉食べ過ぎました」 「ふうん」 表向きは普段通りに振る舞っているが、今日の佳奈すけはどこかおかしかった。 突っ込んで聞いてもみるべきか否か。 「あ、この前はすみません」 「何のこと?」 「読書会です。急に都合が悪くなっちゃって」 「ああ、気にしてないよ」 「よかったー、あの後連絡できなかったので気になってたんです」 「用事って何だったの?」 「昔の友達が急に来るっていうんで、色々と案内してたんです」 「ほら、うちの学園って夏祭りが有名じゃないですか」 「そういうことか」 前に親友と色々あったと言っていたし、きっと他の友達なのだろう。 「ちょっと様子がおかしかったら気になってたんだけど、平気そうだな」 「心配いりませんよ。私はいつも元気ですから」 「おっと、胸は見ないでください」 「いや見てないから」 何なんだ、そのフリは。 「今日はお肉をいっぱい食べたので、きっと膨らみますよ」 「そのままでもいいんじゃないか」 「いやダメでしょう!」 「白崎さんを見る度に、私が劣等感でつらい思いをしていいというんですか?」 「そんな佳奈すけを見るのがお気に入りだ」 「……そういうこと言ってるとチョップしますよ」 「よっしゃ、来い」 女の子のチョップぐらい、屁でもない。 「ほほう……それじゃお言葉に甘えて行かせていただきますっ」 「どうりゃあっ」 「うぼっ……!」 佳奈すけのチョップが、俺の腹筋にめり込んだ。 「あれ、痛かったですか?」 「ははは、平気平気……」 本当はかなり痛かったが、やせ我慢した。 「そう言えば、劇では、みんな楽しそうに筧さんを攻撃してましたよね」 「あのシーン、本当に入れてよかったです」 「結構痛かった」 佳奈すけが脚本制作の最終日で変更した山が、あのタコ殴りに合うシーンだった。 どうかとは思ったが、そのままで通した。 「殴られる演技でよかったのに、どうして本気でやれなんて言ったんですか?」 「あそこはぬるい演技じゃ、絶対に笑えないだろ」 お笑い番組でも、とりあえず芸人が痛い思いをしていればそれだけで結構笑えたりする。 だが殴られたり痛がったりする様子をきちんと演技で見せる自信がなかったので、本気で殴ってもらったのだ。 「だから身体を張ってくれたんですか」 「佳奈すけの脚本にOKを出した以上、適当に済ますわけにはいかないからな」 「ありがとうございます」 「あの劇が成功したのは筧さんのお陰ですね」 「佳奈すけの脚本のお陰だ」 「ふふ、千莉と合わせて3人のお陰ってことにしましょう」 「りょーかい」 佳奈すけがそうしたいなら、それでいい。 「……筧さん」 「ん?」 「千莉のことどう思います?」 「どうって、どういう意図の質問なんだ」 「女の子としてって意味です」 「んー……まあ、かわいいと思うよ」 決して愛想がいいとは言えないが、純粋で芯の強い女の子だ。 毒舌も、慣れれば悪くない。 それに佳奈すけを気遣う優しさもある。 「もし、もしですよ。千莉が筧さんのことを好きだとしたらどうします?」 「そのとき考える」 「いやほら、仮定の話ですから。気楽に答えてくださいよ」 「そりゃ、御園が懐いてくれるのは嬉しいな」 「私に懐かれるより嬉しいですよね」 「いや、どっちも嬉しい」 「特に佳奈すけはずっと俺のこと怖がってたからな」 「その分、もっと嬉しいかも」 「はっはっは、私は前よりもっと筧さんのことが怖いって思うようになりましたけどね」 「はあ? なんでまた?」 「いやー、私って臆病なんですよ」 「ダメージコントロールっていうんですか。危ない橋には近づかないようにしてるんです」 「俺は危ない橋かよ」 「まあ筧さんが、ってわけじゃないですけどね」 話の流れでは俺に近づかないようにしていると読み取れるが、違うらしい。 だとしたら、危ない橋とは何のことなのか。 「まあ、危機察知能力が高くて先々が見通せるってことだろうな」 わからないので、一般論に逃げておく。 「いえ、筧さんほどじゃないですよ」 「謙遜するね」 「したくもなりますって」 「だって、危機察知能力が高いのって損じゃないですか」 「そうか?」 「他人より周りが気になって、どうしようか悩んで、考えた末に知らないふりして、罪悪感に苛まれたりする」 「気苦労ばっかりでいいことないですよ」 程度によるが、俺は気付いていながら知らないふりをすることにも、嘘をついて丸く収めることにも罪の意識は感じない。 もちろん、路面電車から白崎を救った時のように、命に関わる問題なら別だ。 利己的な欲求のために嘘をつくこともない。 ただ、だからといって全てを救うつもりも誠実に生きていくつもりもない。 自分にできる範囲でライン引き、どこまでなら手を差し伸べ、誰なら助けるのか峻別している。 その先については考えない。 感情を停止するラインを自分の中に作っているのだ。 「それに言い方は悪いですけど、女の子ってちょっとお馬鹿な方がかわいいじゃないですか」 「佳奈すけだってかわいいけど」 「どもです。そう言ってもらえると嬉しいですよ」 「でも、素で私よりかわいい女の子が周りにいっぱいいるので、やっぱり霞んじゃいますよね」 「例えば?」 「例えば白崎さんとか、千莉とか」 「女の子の私から見ても、あーかわいいなーって思いますよ」 「佳奈すけもああなりたいのか」 「願望はありますよ。でも、なれませんけどね」 「私はどっちかっていうと桜庭さんの路線ですから」 「路線?」 「ほら、桜庭さんって『かわいい』じゃなくて『凛々しい』って感じですよね」 「私はあっちを目指さないといけないんですよ」 何というか、色々考えているんだな。 「でもさ、別にどっちの路線とか関係ないんじゃないか」 「佳奈すけは佳奈すけのままでいいと思う」 「よくないです」 「私、自分が嫌いなんですよ」 脚本を作っている最中にも感じたが、佳奈すけは自己嫌悪が強い。 どうしてそこまで嫌っているのだろうか。 「……佳奈、どうしたの?」 「おっと、お疲れー」 御園がやってきた。 「佳奈が戻ってこないから、白崎先輩が気にしてた」 「あー、ちょっと食べ過ぎちゃってね」 「お腹が重くて」 「ふうん。じゃあそう伝えてくる」 「いや待って待って、千莉も少し休んでいこうよ」 「でも、邪魔しちゃ悪いし」 「何の話?」 「筧先輩と2人で話してるでしょ」 「こら、勘違いをしないように」 「ちょっと劇の反省会をしてただけですからね」 「ふうん」 「よしっ、筧さんとディスカッションしてだいぶお腹もこなれたし、いっちょやってきますか」 佳奈すけが立ち上がる。 「筧先輩も行きましょうよ」 「いや、俺はいいや」 「もやしっ子ですねえ」 「うるさいぞ。放っておいてくれ」 「千莉はしばらく筧さんとおしゃべりしていったら?」 「いきなりなに?」 「いや違うんだってば。筧さん、さっき独りぼっちで寂しそうだったし」 「そうなんだ」 「別に寂しくないんだけどな」 「またまたー、強がっちゃって」 「こんなところで本を読んでるの、筧先輩くらいですよ」 「それじゃ千莉、筧さんのこと任せた」 「ん、わかった」 「いやっほーっ、白崎さ〜んっ」 佳奈すけは元気いっぱいに海へと駆けていった。 「何だかなあ」 「あれで、佳奈なりに気を遣っているんだと思いますよ」 気を遣ってるのは事実だろうけど……。 果たして、何に気を遣っているのやら。 バーベキュー会が終わって、夜。 一人で夕食を作りながら、ぼうっと煮立つ湯面を見つめている。 「はあ……」 空元気を見せているとエネルギーを消費する。 体力とか精神力とか、そういうものとはまた違った何かだ。 この感覚には身に覚えがあった。 私立の女子校に通っていた頃に感じていた、倦怠感を伴うあの空虚な感覚だ。 「ねえねえ、知ってる? 鈴木ってあのグループからハブられたらしいよ」 「え、マジで?」 「鈴木、あそこのリーダーから結構かわいがられたじゃん。何かマズったの?」 「高橋を庇って対立しちゃったみたい」 「あー、キャラかぶってんもんねー、あるある」 「いやそうじゃなくてさ、高橋が嫌がってると思ってマジギレかましちゃったんだって」 「あ、そっちなんだ。それはまずいっしょー」 噂の当人である私にお構いなしでうわさ話を続けるクラスメイトたち。 もう一人の当事者である高橋は、鈴木を外したグループに混ざって愛想笑いを浮かべていた。 「くっだらな……」 昨日、その高橋からメールが届いた。 『ごめん、リーダーの機嫌損ねちゃうとお父さん困るから、私はグループを抜けるの無理かな。』 『それに私っていじられキャラ嫌いじゃないよ。気を遣わせてごめんね。』 少し前のこと。 私は、自分が所属していたグループのリーダーが、あまりに高橋をいじりすぎるので注意をした。 高橋は、私の親友だった。 「あのさぁ……言いにくいんだけど、最近やりすぎじゃない?」 「いじるにも限度があるでしょ。ちょっと考えようよ」 「はあ? 何それ、あなたのキャラじゃないよね?」 「鈴木こそ、自分の立ち位置考えようよ」 リーダーは私の発言を一蹴した。 取り巻きたちはリーダーに謝るよう促してきたが、私は謝らなかった。 自分は何もおかしなことは言っていない、そういう自負があった。 その結果が、これだった。 関係は冷え込み、私はグループから無視されるようになった。 私は高橋にメールを送った。 『高橋も、あんなしょーもないグループ抜けちゃいなよ。いっそせいせいするから。』 その答えが、あのメールだった。 「……いじられキャラが嫌いじゃないなんて、大嘘もいいとこでしょ」 それなら、リーダーのいじりに傷ついていることを、深刻な顔をして自分に打ち明けたのは何だったのか。 高橋は今もそのグループの中でみんなからいじられて、笑っていた。 卑屈な笑みだった。 あれは、かつての私だ。 外から見ると、その姿は道化師そのものだった。 「(……嫌だ)」 もう、あんな顔はしたくない。 私は私の思うように、ありのままの自分で生きるんだ―― 「……そう思ってたんだけどなぁ」 重いため息を吐く。 いじられ役に徹していると、本当の自分がどこにいるのかわからなくなる。 空元気を出すことによって消費されるのは、自分だ。 自分とは違う自分を演じているうちに、どんどん自分が削られて小さくなっていく。 今では、目を凝らしてもどこに自分があるのか見えなくなってしまった。 そんな自分が嫌で、そんな状況をどうにかして変えたくて、汐美学園に来たはずなのに。 「また同じことしてるよね、私……」 私は図書部のみんなに必要とされる自分を演じていた。 だって、みんなが私に何を望んでいるのか、わかってしまうから。 どうしても演じずにはいられないのだ。 そして筧さんに、千莉に必要とされるであろう自分を演じようとしている。 こんなこと、よくないとはわかっている。 でも、他に方法があるだろうか。 我慢をしなければ、手に入れたものを失うことになる。 かつてグループにいられなくなり、独りになったあの時のように。 それは嫌だった。 自分さえ我慢すれば、それで丸く収まる。 みんなの望む『鈴木佳奈』を演じていれば、誰も傷つかない。 でも、もう耐えられそうになかった。 「筧さん……」 ……私、どうすればいいですか? バーベキュー会から3日が過ぎた。 「……御園、ちょっといいか」 「はい?」 部活の打ち合わせが終わった後、御園に声をかける。 佳奈すけを捕まえようと思ったが、急ぎの用があるとかで逃げられてしまった。 バーベキュー会が終わってから、ずっとそんな調子だった。 桜庭たちが雑談に花を咲かせている中、こっそり御園に告げる。 「後で少し話がしたいんだけど」 「私もです」 「先に行って、外で待ってます」 短く告げて、御園は立ち上がった。 「帰るのか?」 「はい、今日は早めに失礼します」 「あーそうだ、御園。聞きたいことがあるんだが」 「何でしょうか」 「最近、鈴木の元気がない気がするんだが、何か知らないか?」 桜庭も何か感じているようだ。 「いえ、わからないです」 「……わかった。お疲れ様」 御園は一礼して退室した。 「佳奈ちゃんもだけど、最近、千莉ちゃんも元気がないよね」 「何かあったのかなあ」 「筧、2人はどうしたんだ?」 「いや、俺も心当たりがない」 「何か悩みがあるなら相談してほしいね」 「ああ。後輩が悩んでいるのに何もできないというのは、先輩として悲しい」 「今度、直接聞いてみるか」 「まあまあ、放っておこうぜ」 「誰だって、人に話せることと話せないことがあるだろ」 「当事者同士で解決できることなら、あまり外野が首を突っ込むべきじゃない」 「な、筧」 「ああ……」 わざわざ俺に確認する辺り、高峰は何か気付いているのかもしれない。 図書館の外で御園が待っていた。 「待たせた。暑くなかったか」 「暑いです」 「すまん」 「いえ、大丈夫です」 「誰かに見られても何だし、適当に歩くか」 「そうですね」 「……それで、お話って何ですか?」 「佳奈すけのこと」 そうだと思った、という顔をする御園。 「最近、おかしいよな」 「おかしいですね」 「一緒に遊んでる?」 「バーベキューの後は、夏バテだとか言って出てこないです」 「お互い避けられてるな」 「そうなんですか」 「俺も色々メールしたんだが、断り文句しか返ってこない」 「私は筧先輩が何か知っていると思ったんですけど」 俺が知っていることか。 ないこともないが、御園に話してもいいのかどうか。 でも佳奈すけがああいう状態なら、持ってる情報を共有しないことには始まらなさそうだ。 「御園、変なこと聞いていい?」 「内容によります」 「判断に困る返答だな……」 「じゃあ、とりあえず言ってみてください」 「御園は、俺のこと好きか?」 「はっ……?」 御園は立ち止まってしまった。 「今、なんて」 「いや、俺のこと好きかって聞いたんだけど」 「どうしてそんなこと聞くんですか」 「というか、別に好きじゃないですけど」 「ふうん」 仮定の話はあくまで仮定……なのかな。 まあ、顔を見ていると全く脈がないってわけでもなさそうだけど。 「今の質問、佳奈と何の関係があるんですか?」 「佳奈すけに訊かれたんだよ」 「御園が俺のことを好きだったらどうしますって」 「……」 御園がむっつりと黙り込む。 「他に何か言ってました?」 「あいつ、自分より、御園や白崎の方がかわいいと思ってるみたいだ」 「あと、自分が嫌いだとも言ってたな」 返事をせず、御園は疲れたように溜息をついた。 「で、筧先輩はどうなんです?」 「佳奈のこと、どう思ってるんですか?」 「……」 ここまで来れば、佳奈すけの思惑が想像できる。 ただ、誰がどう動くべきなのか。 「誤魔化さないで答えてください」 「多分、好きだよ」 「多分?」 「経験がなくてね、こういうことは」 「でも、あいつと一緒にいられたら……とは思う」 佳奈すけと一緒にいると楽しい。 ちゃっかり俺に甘えてくる佳奈すけを、俺は何だかんだ言いつつもかわいいと思っていた。 もっと俺に甘えてほしい。 もっと佳奈すけのことを見ていたい。 そう思う気持ちは、好きだと表現してもいいんじゃないか。 しかし、どうしても確証は持てなかった。 「なら、『多分』なんて前置きはいらないです」 「『好き』でいいですよ」 「……」 御園に言われて、ようやくしっくりきた。 俺は、佳奈すけが好きなんだな。 「私は、佳奈に告白するべきだと思います」 「そうすれば、佳奈すけが元に戻るか?」 「わかりません」 「でも、それ以外方法がないと思います」 「だって佳奈は、私に筧先輩を譲ろうとしているんですから」 「だよな」 御園も同じ結論に行き着いていた。 俺たちの推論が当たっているなら、一番の解決策は、俺が好きなのが『佳奈すけ』だと伝えることだ。 「俺のこと、受け入れてくれると思う?」 「告白が成功するかってことですか?」 「……ああ」 自分でも、馬鹿なことを訊いたと思った。 やや遅れて、これが人を好きになることの不安なのだと気づく。 失敗への不安。 確証のない道を、たった一人で進む不安。 それらを払拭したくて、俺は御園に尋ねたのだ。 「個人的には難しいと思います」 「……そうか」 「でも、何とかできる人がいるなら、筧先輩だけだと思います」 ……真剣に考えてみろ、ってことか。 「ありがとう、やってみるよ」 「ただ、どうしてもって時は俺に力を貸してくれないか」 「もちろんです」 「先輩と、佳奈のためですから」 御園が柔らかく微笑んだ。 いつになく、優しい笑顔だった。 「話は終わりですか」 「ああ、相談に乗ってくれて助かった」 「どういたしまして」 「先輩はこれから?」 「部室に戻るよ」 「では、私はこれで」 「もう帰るって言ってきちゃいましたから」 「お疲れ様」 「はい」 「筧先輩、頑張って下さい」 御園が俺の目を見て言った。 「……ああ」 「では、失礼します」 小さく頭を下げ、御園は学生寮の方角に立ち去った。 「……あれっ?」 図書館にやってきた佳奈すけが素っ頓狂な声を上げる。 「どうして筧さんが……」 「よう」 「どもです」 「今日は何しに来たの?」 「千莉とここで待ち合わせの予定なんです」 「御園は来ないよ」 佳奈すけの表情が固くなる。 「なるほど、そういうことですか」 「悪い、どうしても話がしたくて」 昨日、佳奈すけには何度か誘いのメールを出した。 だが応じてくれなかった。 そこで、御園に佳奈すけを呼び出してくれるよう頼んだのだ。 「二人で結託するなんて、どうかと思いますけどね」 「お前のお望み通りなんじゃないのか」 佳奈すけが、非難するように俺を見る。 だが、すぐに目を逸らし、小さく溜息をついた。 「今日は、筧さんと話す気力がないんですけど」 「なら読書会でどうだ? 話さなくてもいいし」 「本なら家で読めます」 「同じ場所に座ってるのもNGか?」 「しつこいです。筧さんらしくもないですよ」 佳奈すけが視線で警告してきた。 「今日の俺は、物わかりが悪いぞ」 「図書館で駄目なら、佳奈すけの家で読書会をやるかもしれない」 「う〜ん……」 佳奈すけが渋面になる。 「仕方ないですね」 「今まで、さんざん読書会に付き合ってもらいましたから、お返しです」 「ありがと」 理由は何でもいい。 付き合ってくれるならそれで十分だ。 いくつか本を選び、佳奈すけと一緒に座った。 「佳奈すけのチョイスは?」 「今日は軽食ですね」 佳奈すけの前には、新書サイズの本がいくつか並んでいた。 「筧さんは何ですか?」 「若きウェルテルの悩み」 主人公が許嫁のいる美しい女性に惚れてしまい、〈懊悩〉《おうのう》する話だった。 「これまたハードですねえ」 「そう?」 「思いあまって自殺しないでくださいよ」 「佳奈すけ次第かな」 「私どうこうじゃなく、スクールカウンセラーに相談して下さい」 「保健センターに、いい人がいるって聞きましたよ」 さらりとかわされた。 ろくに話が続かず、黙々と本を読む時間が過ぎていく。 何とかしないと。 「佳奈すけさあ」 「何ですか」 「それ面白い?」 「うーん、サプライズがないですね」 「なるほど。ちなみに、御園と最近会ってるか?」 「どうですかね」 「御園はあんまり会えてないって言ってた」 「へえ」 会話をバッサリ切られた。 「……筧さん」 今度は佳奈すけが話しかけてきた。 どうやら手持ちの本を読み終えたようだ。 「ん?」 「人間って、何ですか?」 「前にも聞かれた気がするけど」 「今回はもうちょっと掘り下げてみたいです」 佳奈すけの顔は真剣だ。 どんな答えを期待しているのだろう。 人間は一人じゃ生きられない……佳奈すけは、確かそんなことを言っていた。 「佳奈すけは、もし一人で生きられるとしたら、一人で生きていきたいか」 「一人の方が楽でしょうねえ……できるなら」 「どうして?」 「人間は支え合うものだって前に言ってましたけどね」 「一方的に体重をかけられたり、支えるのに条件をつけられたり」 「お互いの重さを計算してきっちり差分を要求されたり、支えるって言っておきながらいきなり手を放したり」 「いろいろあるじゃないですか、面倒なことが」 「もっと素朴にできたらいいんですけどねえ」 鈴木が、溜息と共に言葉を吐き出した。 「難しいだろうなあ」 人間はみんな、何事かを考えて生きている。 そうして利害が生じて、一致不一致が生まれたりする。 利害のはじき出し方にしたって、人によって違うのだ。 「ですよねえ」 「だからみんな必死なんですよね。支えてくれる人をなくさないようにしようって」 「言いたいことも言わず、嫌なことも受け入れて、与えられた役割を果たして……」 「そうやって、相手に合わせた鎧を着込んでいかないと見放されてしまう」 「結局、みんなが欲しいのは、人と支え合ってる体の自分なんですかね」 過去に嫌なことでもあったのか、鈴木はしみじみと言う。 「言いたくなきゃいいんだけど、昔、何かあったのか」 佳奈すけが俺をちらりと見た。 たっぷり10秒は逡巡した後、小さく溜息をつく。 「多少、ありました」 「私、女子校に行ってたんですけど、女子ってとにかくグループを作りたがるんですよ」 「しかも、グループ内では役割分担がきっちりしてるんです」 「佳奈すけの役割は?」 「今と一緒で、賑やかしで、いじられキャラです」 「で、まあ、ちょっとキャラからズレたことをやったらハブられまして……」 たはは、と笑う佳奈すけ。 初めて聞く話だった。 「そりゃ……しんどかったな」 「でも、それはそれでいいかなって思ったんですよ」 「キャラズレくらいでハブられるなら、どうせロクでもない関係なんだろうって」 「だから、汐美学園では、もうキャラ作るのはやめようって思ってました」 鈴木がうつむく。 「図書部に入ったとき、私思ったんです……ここでは素の自分で行こう、素直に生きようって」 「これだけいい人に囲まれて、真っ正直に生きられなかったら自分は終わりだって」 「昔、図書部に賭けてるって言いましたけど、そういう意味です」 鈴木が寂しそうに笑った。 賭けの結果は、表情から窺えた。 「もう、癖なんですね……無意識に鎧を着ちゃうんです」 「筧さんには、早々に見抜かれてたみたいですけど」 気づいたのは、俺が同類だからだ。 幼い頃の俺は、大人からの虐待を避けるため、相手の顔色を窺って生きていた。 相手の感情を読み取り、いかにご機嫌を取るかが俺の全てだったと言っていい。 佳奈すけ流に言えば、相手の気に入るデザインの鎧を瞬時に装着する必要があったのだ。 「図書部のみんなの前なら、鎧なんて必要ないだろ?」 残酷だと思いつつ、俺はその言葉を口にした。 「……それは……わかってるんです……」 「わかってるんですけど……脱げないんですよね」 佳奈すけがうつむく。 「みんな、鎧なんていらないって言ってくれてるのに、私は脱げないんです」 「身体に染みついちゃってるんですよね、キャラを作ることが……」 「私は、みんなの優しさを裏切ってるんです」 「ロクでもない関係しか作れないのは、他でもない私なんです……びっくりですよ」 溢れそうになるものを堰き止めるように、佳奈すけは笑った。 こんな時でも、彼女は涙を流さず微笑んでいる。 どうしようもなく、放っておけない。 今すぐ抱きしめて、勇気づけてやりたい気持ちになる。 「佳奈すけは、少しずつ鎧を脱げてると思う」 「またまたー」 「……あー、ほら、こうやって冗談にしちゃうんです」 「ほんと、馬鹿みたいですね」 「心配しなくても大丈夫だ」 「どうしてそう言えるんですか?」 「だってお前、脱がなきゃ申し訳ないって思ってるんだろ?」 「その『申し訳ない』ってのは、どう見たって佳奈すけの素じゃないか」 「え?」 「俺だって図書部員だ」 「少なくとも、俺には素を見せてくれてるんだろ?」 何とか勇気づけようと、精一杯優しく微笑む。 「でも、軽蔑しましたよね。こんな風に生きてるなんて」 「いや、まったく」 それを言ったら、俺なんか死んだ方がいい。 「筧さん、真面目な話ですよ」 「こっちだって真面目だ」 鈴木の目を真正面から見る。 「軽蔑なんてしない」 「俺はお前が好きなんだ……軽蔑なんかするか」 「へ?」 たっぷり5秒は空白があった。 「ちょ……う……何言ってるんですか」 佳奈すけが顔を伏せた。 みるみるうちに、耳たぶが赤く染まっていく。 「赤くなってるのは鎧の一部か?」 「こ、これは、その……」 鈴木が、両手で本を立て、顔を隠す。 隠しきれない部分は、さっきより真っ赤だ。 「前から言ってるじゃないか。俺と佳奈すけは似てるところがあるって」 「軽蔑する気になんか、これっぽっちもならない」 「だって、それは……」 「あ、うあぁぁぁ……」 情けない声を出して、佳奈すけが足早に図書館を出て行く。 「おい、どこ行くんだよ」 慌てて追いかける。 「おい佳奈すけっ」 腕を掴んで引き留める。 「だ、だめですって……今は顔見ないでくださいっ」 「真っ赤だな」 「いやいやいや、どういう羞恥プレイですかっ」 「佳奈すけ、真面目に聞いてくれ」 「俺はお前が好きだ」 まじまじと見つめる。 「じ、冗談ですよね」 「冗談じゃない」 「ここは冗談にしといてくださいよ〜」 「しない」 「いやあ、だ、だって、各方面にご迷惑をかけますよ」 冗談に逃げようとする佳奈すけ。 腕を引き寄せる。 「お前の気持ちが知りたい」 「そんなこと言われても……」 佳奈すけはまともに目を合わせてくれない。 頬を朱色に染めながら、口の中でもごもごと何か言っている。 「佳奈すけ」 「ほんと、困りますって……」 「私なんかじゃなく、千莉と付き合ってください」 「どうして?」 「だって、千莉の方がかわいいじゃないですか」 「俺が好きなのは佳奈すけだ」 「無理ですって」 「千莉は私の大事な友達なんですよ。その千莉が筧さんを好きなんです」 「そりゃ、佳奈すけの思い込みじゃ」 「違いますよ」 「私と筧さんがくっついたら、千莉にどんな顔して会えばいいんですか?」 「今まで通りとは……いかないか」 「当たり前です」 「友達の好きな人を奪っておいて、『やっほー、おはよー』なんて言えないですよ」 「それこそ、キャラ作りまくりじゃないですか」 「私は、千莉を絶対に裏切りたくないんです」 「こんな汚れた私に、正面から向き合ってくれてるんですから」 佳奈すけが睨んでくる。 本気の目だ。 「……佳奈」 「え?」 御園が立っていた。 「千莉……どうしてここに」 「そんなこと、どうでもいい」 強い口調に、佳奈すけが鼻白む。 「話を聞くだけって思ってたけど、我慢できない」 「佳奈、どこまで私を見くびるつもり」 「え?」 「私がいるから筧先輩と付き合えないって、つまり、私が信じられないってことだよね」 「筧先輩を取られたら、私が離れて行くって思ってるんでしょ?」 「……馬鹿にしないでよ」 投げつけるように、御園が言う。 「千莉……」 「私がその程度で友達をやめるような人間だと思ってるの?」 「だとしたら、悲しいよ」 御園は怒っていた。 友達だと思っていた人間から信じてもらえていなかったことに、本気で怒っていた。 御園の怒りはわかるが、佳奈すけには酷かもしれない。 佳奈すけだって信じたいのだ。 信じたいけれど、過去の経験がそうさせない。 思うようにならない自分に、傷つき、苦しんでいるんだ。 「千莉だって、筧さんのことが好きなんでしょ?」 「……好きだけど……今は関係ないでしょ」 「関係あるよ」 「千莉の好きな人、盗れない」 「気にしないで」 「気にしないわけないじゃん」 「……」 二人が黙り込む。 どうやら、三角関係の渦中に放り込まれたらしい。 「二人とも、相手のことを大事に思ってるだけじゃないか」 「なのに、こんな風にすれ違うのは悲しい」 「……わかってます……わかってますよ……」 佳奈すけがうなだれた。 自分で言っていて無責任だと思う。 お互いを思っていても、恋愛がきっかけで壊れる友情なんていくらでもある。 だからこそ苦しむのだ。 でも、壊れない関係だって少なからずある。 どうしたら、二人の友情は壊れずに済むのだろう。 「佳奈はさ、筧先輩のこと、好きなんだよね?」 「べ、別に……」 「嘘」 「さっき、『千莉だって』筧先輩のことがって言ったよ」 「…………あ」 佳奈すけがうつむく。 「佳奈、はっきりして」 「誤魔化していいところじゃない」 御園に促され、もじもじしながら呟く。 「……好き、だよ」 教師に怒られた子供のように言う。 「誰を?」 「筧さん」 「私じゃなくて、ちゃんと筧先輩に言って」 「うう……」 佳奈すけが、おずおずと視線を上げる。 「か、筧さん」 「……何?」 「あの……好き、です」 「俺も……だ」 「……ど、ども……です」 佳奈すけは顔を赤くして目を逸らす。 「両思いなら、もう私のことは関係ないよ」 「あとは佳奈がどう応えるかってことでしょ」 「でも……」 「大丈夫だから」 「え?」 「佳奈、約束しよ」 「正直言うと……簡単に気持ちを切り替えられるかどうかはわからない」 「すぐに筧先輩を諦められるか、わからないよ」 「千莉……」 「でも、佳奈とはずっと友達でいる……何があっても」 「約束するから」 「……」 佳奈すけが口をつぐむ。 本当なら、ありがとうと微笑みたいところだろう。 だが、過去の経験がそうはさせない。 佳奈すけは、約束や友情が一瞬で消えてしまう現実を知りすぎるほど知っている。 その恐怖は容易に身体から出ていかない。 ……いや。 なら、佳奈すけを支えるのが俺の仕事じゃないか? 性格が似ているなら、上手く支えられるかもしれない。 「佳奈すけ」 佳奈すけが、無言で俺を見た。 「一緒に頑張ろう」 「え?」 「お前、一人で戦おうとしてるだろ?」 「だって私の問題じゃないですか」 「違う」 「俺たちの問題だ」 「勝手に背負い込まないでくださいっ」 「私は、そんなことをしてもらうほど立派な人間じゃありません」 佳奈すけが顔を背ける。 「知ってるよ」 「!?」 佳奈すけが目を見開く。 「俺も同じだ」 「だからこそ、お前を支えられると思ってる」 「……筧さん」 佳奈すけが瞼を伏せる。 「こんなに言ってもらえるなんて、羨ましい」 「本当なら、私が言ってほしかったです」 そう言って、御園は小さく微笑んだ。 いつもの猫のような微笑みではない。 「悔しい気持ちはもちろんあるよ」 「でも、自分が好きな人が大切な友人と結ばれるのも、幸せだと思う」 「……千莉」 「ほらほら、もう強がらない」 「佳奈は、可愛くて傷つきやすい女の子」 御園が、佳奈すけの背後に回る。 「えいっ」 「わあっっ!?」 御園に背中を押され、佳奈すけが俺に飛び込んでくる。 「おっと」 「ひええっ!?」 胸の中に、小さな身体が収まった。 「〜〜〜っ!!!」 声にならない声を発し、佳奈すけが真っ赤になる。 「どうせ歩かなきゃならない道なら、一人より二人だろ?」 「二人より三人です」 御園が笑う。 あまりの強さに恐れ入る。 「……う、ぐす……」 嗚咽を漏らした佳奈すけが、俺から離れる。 それは、孤独だった少女の、最後の抵抗にも見えた。 「はああぁ……もおおおぉぉ……」 「ほんと二人とも、世界遺産級のお人好しですね」 佳奈すけが、目尻の涙を振り払って笑う。 「よく言われる」 「初めて言われた」 御園はそうだろう。 「で、俺とは付き合ってくれるのか?」 「……仕方ないですね」 佳奈すけが笑った。 幸福感に溢れた、穏やかな笑みだ。 「おめでとう」 「……」 佳奈すけが、無言で御園に近づく。 「ごめんなさい……ありがとう」 佳奈すけが、御園を抱きしめた。 「……佳奈」 感謝と謝罪、か。 言葉にならなかった、感謝と謝罪。 届ける先がなかった、感謝と謝罪。 世の中には、そんな感謝と謝罪が溢れている。 2つを同時に受け入れてくれる人が傍にいるってのは、本当に幸福なことだ。 「あのね、千莉」 「うん」 「ありがとう、背中を押してくれて」 「それとごめん。私、千莉のこと傷つけちゃった」 「自分が臆病なだけなのに、千莉はどうせ私のことを受け入れてくれないとか、人のせいにしてた」 「佳奈はいつも気にしすぎ……自分のことも、周りのことも」 「もっと好きなようにしていいと思う」 「それで佳奈を嫌いになる人なんて、図書部にはいないから」 「うん……ありがとう」 「すぐにできるかどうかはわからないけど……頑張ってみる」 ぎこちないながらも、笑い合う二人。 絆を確認するように抱き合ってから、距離を取った。 「あと、この際だから言っておくけど」 「なに?」 「佳奈って、自分で思ってるほど素顔隠せてないからね」 「私でもわかるくらいだから、みんなわかってると思った方がいいよ」 「……ま、マジですか」 佳奈すけが絶句した。 もしかしたら佳奈すけにとって今日一番のサプライズだったかもしれない。 「とにかく、もう少しみんなを信用すること」 「はい、ご迷惑おかけしました……」 「色々言ってくれてありがとね」 「もう、そんなの当たり前でしょ」 「友達なんだから」 「……千莉」 てやんでえ、と佳奈すけが鼻をすすった。 「……ふ」 「ふふふ」 思わず笑いがこみ上げてきた。 「え? 何かおかしいですか?」 「いや、何にも」 「ええ、何にも……ふふふ」 「ちょっと千莉、何なのよっ!?」 「秘密、秘密」 にぎやかにじゃれあう二人。 佳奈すけと御園がうまくいって良かった。 恋愛は戦争だという人もいるが、やっぱり祝福されたい。 ましてや、御園は佳奈すけの友人だし、俺にとっても大切な後輩だ。 御園の祝福は、俺たちにとって最高のプレゼントだ。 本当にありがたい。 ふと、涙が出そうになっている自分に気づいた。 佳奈すけと同じで、俺も変わったんだな。 ……図書部に入って、そして佳奈すけに出会えて、俺は幸運だった。 佳奈すけと付き合うことになってから数日が過ぎた。 せっかく恋人同士になったのだから、それらしいことをしよう、ということで佳奈すけをデートに誘ったのだが……。 「よ、来たな」 「……ども」 佳奈すけは、もじもじとして落ち着かない様子だった。 「どうした佳奈すけ、元気がないな」 「いやー、違うんです」 「デートとか初めてで……緊張してるんですよ」 「前は2人きりで本とか読んでたのに?」 「あの時と今は全然違うじゃないですか」 「そうかな」 「はあ、筧さんはいつも飄々としていられていいですよね」 「私なんて、朝から心臓バクバクなんですよ」 「別に取って食われるわけじゃないだろ」 「でも、単なる先輩後輩と恋人同士じゃ関係の格が違うじゃないですか」 関係の格とかまた変なことを言い出した。 「具体的にどう違うんだ」 「うーん、そう言われると困るんですけど……」 「期待感が違いますよね」 「期待感?」 「例えばー、今まではこれくらいだったんです」 と、佳奈すけは1メートルほど離れて立つ。 「それが、恋人同士だったら……」 「ほら、これくらいでもいいわけですよ」 30センチほどの距離に近づいてくる佳奈すけ。 確かに、恋人同士じゃなかったらかなり恥ずかしい位置関係だった。 「……あのさ、この距離だとわかるんだけど」 「佳奈すけって小さいな」 ちょうど俺のあご下に佳奈すけの頭がある感じだった。 「コンパクトと言ってほしいですね」 「まあ、抱きしめるのにはちょうどいいかもしれない」 「いっ……だ、ダメですよ、こんなところじゃ」 ざざ、と佳奈すけが後ずさる。 「今やるとは言ってない」 「……まあ、とにかく」 「違いはわかりますよね?」 「距離感は変わるな」 「そうそう、そういうことです」 「これからはもっと近づいてもいいわけだ」 「はい」 「それじゃ腕でも組むか」 「おっと、いきなりハイレベルな要求来ましたね〜」 「そんなに身構えるなよ」 思わず苦笑する。 「私は女子校出身だって言ったじゃないですか」 「男女関係については、ロマンチックな妄想の塊なんです」 「腕組んだらもう恋人同士ですよ」 「いや、組まなくても俺たちもう恋人同士だから」 「あ、そうでした」 「いやいや、そうじゃなくて」 いつもと違い、些細なことで慌てる佳奈すけ。 まあでも、これもかわいいな。 「ほら、これならいいだろ」 「あっ……」 佳奈すけの小さな手を取り、軽く引き寄せる。 俺と佳奈すけの間の距離が詰まり、30センチの距離で見つめ合う。 「嫌か?」 「いえ、嬉しいです……」 「本当に私、筧さんの恋人なんですね」 「ああ、間違いなく」 「やっと……実感湧いてきました」 佳奈すけからOKはもらったものの、俺もいまいち実感が湧かなかった。 だからこその、このデートでもある。 「よし、今日は俺たちが正真正銘の恋人同士なんだってことを2人で確かめよう」 「いいですね」 「いっぱいイチャイチャしような」 「あー、はい」 「恥ずかしがるなよ」 「恋人同士なんだから、したいこと何でもしていいんだ」 「胸に飛び込んですりすりしても?」 「もちろん」 「やった〜……って飛び込みたいところですけど、後に取っておきます」 「さすがにここじゃ人目がありますし」 「じゃ、後でな」 「はいっ」 「まずは軽く商店街でも流してみるか」 「そうですね。回りましょう〜」 佳奈すけの手を引き、商店街を目指した。 商店街に着いた。 「筧さん、どこに行きます?」 「特に目当てはないから、ぶらぶらして何か見つけたらその時考えよう」 「わかりました」 佳奈すけと手を繋いで商店街を歩く。 恋人同士になったせいか、今までと街が違って見えた。 なるほど、距離感か。 佳奈すけと近づいたことにより、他人との距離にも変化があったような気がする。 ……いいもんだな、恋人って。 「ふー、それにしても暑いですね」 「手が汗だくですよ」 「あ、気持ち悪いか。ごめんな」 「いえいえ、汗かいてるのは私の方です」 「ちょっと待っててください」 佳奈すけはハンカチを取り出し、俺の手を拭いてくれる。 「私の汗でべたべたさせてたら、筧さんに申し訳ないです」 「そんなこと気にしなくていいのに」 「いやいやー、恥ずかしいですよ」 「俺は佳奈すけの汗、嬉しいけどな」 手を繋いでいることで、佳奈すけの存在を間近に感じられる。 手の汗も、その重要な一要素だ。 「筧さん……結構エッチなこと言いますね」 「いや、今のエッチか?」 「はー、暑い暑い」 手でぱたぱたと顔を扇ぐ佳奈すけ。 その顔は、未だによそよそしさが残っていた。 「……うーん、何だかしっくりこないな」 「え、何がですか」 「ほら、前に冗談で俺の腕に絡んできてことがあっただろ」 「あの大胆さはどこに行ったんだ」 「だって、あれは単にじゃれてただけですし」 「嫌われてもいいや、しょうがないよねーで済む時代でしたから」 「今は違うのか」 「当然です。嫌われたらいやですよ」 「佳奈すけは本当に怖がりなんだな」 「すみません……」 佳奈すけはまだ吹っ切れないようだ。 「それなら、俺も御園と同じことを言おうか」 「同じこと、ですか?」 「あまり俺を見くびらないでくれ」 「俺はちょっとやそっとのことで佳奈すけのことを嫌ったりしない」 「もう少し俺のことを信じてほしいな」 佳奈すけの瞳を見つめる。 「……ふふ、そうですよね」 「私、また同じ間違いしてました」 「もっとわがまま言ってもいいんですよね」 「もちろん」 今思えば、逆境にめげず闘志を燃やして立ち向かう佳奈すけの姿に、俺は惹かれていたんだ。 「俺は、熱いお前が好きだ」 「全力でぶつかってこい。全部俺が受け止めるからさ」 「……わかりました」 「うん、何か見えてきました。素の鈴木佳奈で挑んでみます」 「もう遠慮しませんよ。いいんですね?」 「おう、どんとこい」 「筧さんっ」 ぎゅっと俺の腕を掴んできた。 腕を通して、佳奈すけの熱が伝わってくる。 「大好きですっ」 「ああ、俺もだ」 佳奈すけがさらに身体を寄せてきた。 今や俺と佳奈すけの距離は、ほぼ0センチだ。 ずっとこうしたかったんだな。 「これ、暑いな」 「ふふ、暑いですねえ。でも離さないですよ」 「一生ぶらさがってろ」 「わーいっ」 かわいいやつだ。 「あ、筧さん。一個お願いいいですか」 「ああ」 「鈴木や佳奈すけじゃなくて、もうワンランクアップしてほしいんです」 「呼び方か……じゃあ佳奈、でいい?」 「はい、それで」 少し恥ずかしいが、でも親近感があっていいかもしれない。 「それじゃ佳奈、俺のことも京太郎って呼んでくれ」 「や、それはちょっと」 「何でだよ」 「いやほら、年上ですし」 「そんなこと気にしなくていいのに」 「いえ、これは別に気を遣ってということじゃなく、素の私としてもここは大切なとこなんです」 「恋人同士になったとしても、筧さんを敬う気持ちをなくしたくないんですよ」 「確かに佳奈っぽい気の遣い方だな」 馴れ馴れしく見えても、要所ではきちんと礼儀をわきまえている。 それが俺の知る鈴木佳奈だ。 「でですね、色々シミュレートしてみたんですけど、京太郎さんって長いし呼びにくいんですよね」 「シミュレートしたのかよ」 「そりゃー、一晩使って色々考えましたよー?」 「妄想力逞しい……」 「京ちゃん、とかなら呼びやすいんですけどねえ」 「それでいいじゃないか」 「いやー、さすが京ちゃんは馴れ馴れしすぎるので却下しました」 「私と筧さんはそういう距離感じゃないです」 「難しいこと言うなぁ」 「で、出てきたのは京ちゃん、京さん、京様、京のすけ、キョーキョーとか……」 「おい、だんだん趣旨が変わってきてないか」 「えへへ、ツッコミどもです」 狙ってたのか。 「結局どんな呼び方をしても落ち着かなかったので、筧さんに戻ってきました」 「なので、すみませんけど今は筧さんのままで行きたいです」 「今はっていうのは?」 「あ、将来的には京さんって呼ぶ予定なんです」 「ほら、結婚したら私も筧になっちゃいますし、筧さんじゃおかしいじゃないですか」 思わず吹き出す。 「本当、色々考えてるのな」 「当然じゃないですかー」 「大切な、筧さんのことなんですから」 嬉しいことを言ってくれる。 「佳奈の好きにしていいよ」 「ありがとうございますっ」 歩調を合わせ、ぴったりと寄り添ってくる佳奈。 本当、幸せだな。 「……ん?」 「げげ」 「ようっ、筧じゃないか」 高峰と出くわした。 佳奈は素早く察知し、組んでいた腕を外して離れた。 「そっちは買い物か」 「ああ、買いたいCDがあったんでな」 「お前は?」 佳奈を見ると、視線をあさっての方向に向けた。 しょうがないやつだ。 「佳奈とデートしてた」 「えーっ!?」 「へえ、佳奈すけとね。羨ましいこった」 「いやいやいや、筧さん今さらっとバラしましたね?」 「別に隠すことじゃないだろ」 「おめでたいことなんだしさ、こういうのはオープンに行こうぜ」 「あー、そっか、そうでした。オープンに行かないとダメだったんだ……」 「あの、高峰さん。すみませんけど、リテイクいいですか?」 「よしきた」 「それじゃ俺、また向こうから歩いてくるわ」 「ありがとうございますっ」 「高峰、ノリがいいな」 「なに、芸人仲間のよしみってやつだ」 そう言って、高峰は俺たちから離れていった。 「よし、じゃあテイクツー行きましょう」 何なんだこれ。 「筧さん」 「なんだ?」 「次は腕、離しませんから」 「わかった」 とりあえず佳奈の覚悟だけは伝わってきた。 「ようっ、筧じゃないか」 「……おう」 「あ、高峰さん」 今ここで初めて出会ったように振る舞う佳奈。 なかなかの演技だ。 「どうしたんだ、2人で腕組んだりして」 「佳奈とデートしてた」 「えへへ、筧さんの恋人になりました」 「マジか。羨ましいこった」 「今後とも変わらぬご愛顧よろしくお願いします」 「おー、よろしくな」 朗らかに笑う高峰。 「……筧さん、こんな感じでどうですか?」 「いや、いいと思うよ」 「意外と自然体だったな。この調子で頑張れよ」 「はいっ。鈴木佳奈、頑張りますっ」 「俺と佳奈が付き合ってるって聞いて驚かないのか」 「お前らが仲いいのは見ててわかったしな」 「いずれこうなるんじゃないかとは思ってたよ」 そうなのか。 「それにな、俺は誰と誰が付き合おうと、そこに愛があれば応援するさ」 「おっと、何か格好いいこと言ってますね」 「ふっ、惚れるなよ」 「はっはっは、それは大丈夫です。筧さんにぞっこんラブですから」 高峰のお陰で佳奈はだいぶほぐれ、いつもの自然体に戻っていた。 ちょうどいい時に高峰に会えて良かったな。 「筧の方はどうなん?」 「どうって、俺も佳奈のことが好きだ」 「そりゃよかった」 「お前、女と付き合う気があるのか心配なとこあったし」 何だかんだで心配してくれていたようだ。 高峰らしい。 「俺もやる時はやるさ」 「それって、やらん時はやらんってことだろ」 「まあそうね」 「祝福するぜ、筧」 高峰は俺の内面にあるものが、何となく見えていたのかもしれない。 だからこんなことを言ってくれるのだろう。 「ああ、ありがとな」 「何だかいいですよねー。男同士の友情って」 「いいだろ? 羨ましいだろ?」 「俺と筧は女が入り込めないようなふか〜い友情の絆で結ばれてるからな」 「なにぃっ、筧さんは渡しませんよっ」 「甘い、相手を所有しようなんて考えているうちはまだ俺の敵じゃない」 「ほーお、言うじゃないですか」 「なんだ、やる気か」 「負けませんよ」 互いに威嚇しあう二人。 「往来で漫才を始めるな。周りの迷惑だ」 「おっと。ついいつものノリが出ちまった」 「えへへ、すみません」 「さて、そんじゃお2人さん、また部室でな」 「おう」 「さよならー」 高峰は商店街の雑踏の中に消えていった。 「はあ……行っちゃいましたね」 「そうだな」 高峰を見送り、佳奈と腕を組み直す。 「やー、参りました」 「ん?」 「知り合いに会うとやっぱり戸惑っちゃいますね」 「修行が必要かもな」 「さっきの反応を見ていると、まだ御園の前じゃ素でいられなさそうだし」 「うーん、かもしれません」 「うん、わかりました。修行頑張りますよ」 「まずは何をすればいいですか?」 「じゃあ手始めに、今度部活に行く時は腕を組んでいこう」 「えーっ……そ、それはさすがに……」 「修行の一環だ」 「んーっ、いや納得したいところなんですけどね」 「私の心情の問題は置いといて、図書部のみんなが居たたまれない感じになりません?」 「ま、何とかなるさ」 「豪快だ……」 佳奈が苦笑いする。 「今日は、筧さんの新しい面を見た気がします」 「俺もだよ」 今までこんな風に、心底から自分以外の誰かのために何かをしたいと思ったことはなかった。 いつも周りの要請があって、何か理由があって俺は動いてきた。 「変な人ですよね、筧さんって」 「私のどこが好きなんですか?」 言われてみれば、きちんと話したことがなかったか。 「きっかけは、そうだなあ……みんなに演劇の脚本をやってみたらって言われた時かな」 「あん時、佳奈は受けて立っただろ?」 「ええ、はい」 「結構感動したんだ……あの佳奈がって思ってさ」 「あんなの破れかぶれですよ?」 「俺なら絶対に逃げてただろうから」 「佳奈みたいに『鞭でもローソクでも持ってきてください』なんて、とてもじゃないけど言えないよ」 佳奈は、自分が支えきれるかどうかわからないものに立ち向かった。 そんな佳奈の姿が眩しくて、気が付いたら好きになっていた。 「え、なんですかそれ」 「つまり筧さんは私の芸人根性に惚れたってことですか?」 「まあ、そうなるのかな」 「はー、何がフックになるかわからないものですねえ」 「でも本当、筧さんの恋人になれてよかったです」 「私って幸せ者ですね」 そう言って、俺の肩に頭を寄せてくる佳奈。 そんな佳奈から伝わってくる熱が、たまらなく心地よかった。 「それじゃな」 佳奈を寮の前まで送り、別れを告げる。 「はあ、楽しかったのに……もうお別れなんですか」 「あっという間に時間が過ぎちゃいましたね」 「俺もそう思うよ」 「筧さんと一緒に住んでたら、お別れしなくてもいいのになー」 「同棲はさすがにまだ早いだろ」 「いやいや、筧さんさえ良ければ突撃しますよ」 「その勢いは嬉しいけど、同棲なんてしたら色々な衝動が抑えられなくなりそうで困る」 「んー、それはちょっと問題ありですか……」 「でも、行くとこまで行ってみるのも面白いと思いますけど」 にやりと笑う佳奈。 どこまで冗談でどこまで本気なのかわからない。 「待て待て、あんまり急ぐなよ」 「いやあ、私、猪突猛進ですから」 「そんな私が好きなんですよね? ね、筧さん?」 ぐっと近づいてくる佳奈。 まあ同棲もいいか、なんて心が揺れ始める。 「……なんて、冗談ですよ」 「筧さんを困らせるのは本望じゃないので、今日は引き下がります」 「今日は?」 「だってー、毎日一緒にいたいんですよー、イチャイチャしたいんですよー」 「この衝動、どうしてくれるんですか」 「こんなところでイチャイチャしてたら誰かに見られるぞ」 「もう少し普通の恋人を楽しんで、それから次に進もう」 「うーん、焦らしますねえ」 「でも、その方が面白いかもしれません」 佳奈が小さく笑う。 楽しそうに微笑む佳奈はあまりにかわいらしく、どうにかしてやりたい欲求に駆られる。 こんな子が、俺の恋人なのだ。 「あれ、どうしました?」 「……佳奈、やっぱり予定を変更していいか」 「え、はい」 「きゃっ……?」 佳奈の身体を引き寄せ、抱きしめた。 「あ、あの?」 「段階を踏むつもりだったけど、我慢できなくなった」 佳奈の小柄な身体は、すっぽりと俺の胸のうちに収まってしまった。 強く抱きしめたら壊れてしまいそうなほど華奢だ。 「わー……筧さんずるいですね」 「だったら私だって、我慢しませんよ?」 俺の身体に腕を回してくる佳奈。 頭を動かして、胸板にすりすりしてくる。 「あー、筧さんだー……」 「ずっとこうしたいって思ってたんですよ」 「そっか」 佳奈の頭に手を置き、優しく撫でてやる。 「あー、いいですねそれ」 「もう一生、こうしてたいです……」 「俺もだ」 佳奈の柔らかな身体と体温、そしてかすかに漂ってくるシャンプーの香りを感じて酔いしれる。 「筧さん」 佳奈が俺を見上げてきた。 「どうした」 「あの時の、続き……しませんか?」 「今度はただの後輩じゃなくて、恋人ですから……」 佳奈の言いたいことがわかった。 演劇の練習中に、キスをしそうになった時の続き……ということだろう。 「キス、していいのか?」 「はい……」 「誰かに見られてもいいんだな」 「構いません。もう……我慢したくないです」 「……わかった」 「んっ……」 俺はかがむようにして、佳奈の唇に自らの唇を重ねた。 「んちゅっ……んっ、はっ……」 「くっ……んんっ、ちゅっ……んふっ……」 佳奈の口から甘い吐息が漏れる。 柔らかい唇の感触に、一気に理性が飛んでしまった。 「んくっ、はっ……んんっ、んむっ……あっ……」 「んっ、ちゅっ、ちゅくっ……んんっ、んんっ……」 唇を重ねるというただそれだけの行為なのに、やめられない。 佳奈の全てを食らいつくしたいという欲求が巻き起こり、抗えなくなる。 「んふっ……あっ、か、筧さんっ……」 「あっ……んんんっ……苦しい、ですっ……」 佳奈の声に、我に返る。 「……すまない」 「筧さん、すごいキスしますね……びっくりですよ」 「何だか抑制が利かなくなった。悪いな」 「ふふ、いいですよ」 「私も筧さんとキス……もっとしたいです」 「佳奈」 再び佳奈の唇を塞ぐ。 「んっ、ちゅっ……ふうっ、んうっ……んんっ……」 「あっ、んちゅっ、んっ……ふっ、ああっ……」 「やぁんっ……んんっ、んうっ……」 佳奈の唇を吸い尽くし、わずかに漏れてくる唾液も吸う。 「んちゅっ、ちゅるっ……あふっ、あっ……ふあぁっ……」 「あんっ、んうっ……んん、くぅんっ……」 佳奈も負けじと攻めてくる。 ちろっと舌を出し、俺の口内に入れてきた。 「んんっ……あっ、ふぅんっ……ちゅっ、んっ……」 「んっ、んうぅっ……はっ、んふぅっ……」 佳奈の舌を自らの舌で迎え入れ、巻き込むように奥へと誘う。 舌と舌が触れる感覚に、脳が痺れていく。 「んんっ、んくっ……あっ……んっ……」 「んっ、こくっ……んくっ、んんっ……」 佳奈が喉を鳴らす。 俺の頭が上で佳奈が下にいるので、唾液が流れ込んでいくのだ。 佳奈はそれを飲み込んでいた。 「んっ、んふっ……あっ、んはぁっ……」 「悪い、唾液が……」 「えへへ……筧さんの、飲んじゃいました」 佳奈は屈託のない笑みを浮かべた。 「ごめんな」 「いえいえ、筧さんのなら全然平気ですから」 「もっと……飲ませてくれてもいいんですよ?」 「いや、今度は佳奈のを飲ませてほしい」 「えーと、それは体勢的に苦しい気がしますねえ」 確かに、佳奈を抱えないと無理だ。 「じゃあ、また今度な」 「はいっ」 「……筧さん」 名残を惜しみつつ、佳奈と離れる。 「なんだ?」 「これからいっぱい、いっぱいキスしましょうね」 「筧さんがキスしたいって言ったら、いつでもしますから」 「おう、唇がふやけるくらいな」 「あはは、そうですねっ」 「それじゃ今日は帰るよ」 「はい、また」 「おやすみ」 佳奈の頬に手をやり、そっと唇にキスをした。 図書部オフの日。 「あっ、筧さ〜んっ」 図書館までやってくると、佳奈が大声で呼びながら走り寄ってきた。 衆目を集めながら、佳奈が俺の前で立ち止まる。 「待ってましたっ」 「既視感のある展開だな」 ナポリタンを食べつつ、佳奈が部活をやめるとかやめないとか、そんな話をした時のことか。 あの時は、まさか佳奈とこんなことになるとは思わなかった。 「いやほらー、あれは単なるプレイだったじゃないですか」 「本来は恋人同士の通過儀礼的なものですし、やっぱり一度はやっておかないと」 「別に必須じゃないだろうに」 「筧さんは目立つの嫌いなんですか?」 「バカップルはちょっとな」 「キスは人目を気にしないでしちゃうのに?」 「あれは衝動的というか、佳奈がかわいいのが悪い」 「おっと、早速おノロケ来ましたね。その調子でお願いします」 何をお願いされたのか。 「ここでキスしときます?」 「いや、しない」 「発動条件がわからないなぁ……」 「少なくとも、明らかに人目がある時はしないよ」 「なるほどなるほど」 手に書き留めるふりをする佳奈。 「メモするなよ」 「ども、ツッコミありがとうございます」 きらきらっと効果音を発しながら微笑んだ。 「さてー、オチもついたことですしデートしましょうか」 「そうしよう」 ここは暑い。 早く中に入りたかった。 「では、失礼して」 佳奈が俺の腕に絡みついてくる。 「行くか」 「はい、今日もいっぱい回りましょう〜」 本を借りてきて、お互い静かに読む。 「……くすっ」 佳奈を見ると、目が合った。 小さく笑って再び本に視線を落とす佳奈。 「なあ、佳奈」 「何ですか」 「本当に読書会でよかった?」 「もっと2人で話ができるようなデートでもよかったんだけど」 今日のデートは、佳奈が読書会にしたいと言ってきた。 どこかに出かけるものだと思っていたので、少し拍子抜けしてしまった。 「いえ、いいんです」 「私、本を読んでる筧さんを見てるのが好きなんですよ」 「変わった趣味だな」 「そんなことないですよ。女子なら結構共感してくれるはずです」 「これで筧さんが眼鏡をかけてたら、ブラボーって叫びたくなっちゃいますね」 「図書館で叫ぶなよ」 「大丈夫ですって」 「それより、試しにこうやってあごに手を添えてみてください」 佳奈は自分のあごに触れる。 知的なポーズ、というやつだろうか。 「……こうか?」 「おわー、いいですねぇ、すごくいいですねぇ」 佳奈がうはうはした。 楽しいけど、ちょっとうるさいかもしれない。 「佳奈、もう少し静かにしよう」 「はーい」 俺たちは再び本を読む作業に戻った。 「……筧さん、筧さん」 「ん?」 佳奈が新たな本を持って戻ってきた。 「これ、一緒に読みませんか?」 隣に座ってくる佳奈。 「……『愛の深まるコミュニケーション』か」 「面白そうだと思いません?」 「ちょっとやらしいな」 「それはー、筧さんがエロス的な愛を想像するからです」 「愛にはアガペーもあるじゃないですか」 「あとフィリアな」 「おっと、釈迦に説法でした」 「それはいいとして、どうして一緒に読むんだ?」 「愛は一人じゃ育めないからですよ」 「なるほどね」 一応、理には適っている。 「2人で同じ本を読みながら、静かに語らうのもいいかなって」 「ふむ」 今まで俺は、ずっと独りで本を読み続けてきた。 それが当然だと思っていた。 「初めての試みだな。やってみよう」 「やたっ」 「それじゃページは私がめくるので、早いとか遅いとか言ってください」 「わかった」 佳奈と身体を寄せ合い、一つの本を読む。 小さな佳奈の手が、少しずつページをめくっていく。 「……あー、出ましたよ、ヤマアラシのジレンマ」 「これってすごく私に当てはまりますよね」 トゲの生えたヤマアラシは互いに近づきたくても、ある一定以上近づくと互いのトゲが刺さって怪我をしてしまう。 近づきたくても近づけない、というジレンマを表す言葉だ。 文中では、恋愛を愛情に変える過程でヤマアラシのジレンマをうまく克服しなければならない、みたいなことが書かれていた。 「これは誰にでも当てはまるんだよ」 「人間、誰だって自分が傷つくのは怖いんだ」 「でも、たまにすっと懐に入ってくる人がいるじゃないですか」 「例えば白崎さんとか」 「んー……あれは特別だろ」 「まあ、だからこそ世界遺産認定したんですけどね」 そうだろうとも。 「で、どう思います?」 「私たち、うまくヤマアラシのジレンマを越えられますかね」 「もう越えてるから心配ない」 「わーお、そうだったんだ」 「初耳です」 「俺は佳奈のいいところも悪いところもわかってるつもりだし、その両方が愛おしいんだよ」 「だから、どれだけ佳奈に傷つけられても大丈夫だ」 「ああもう、アマアマじゃないですか〜」 佳奈が照れた。 「でも、そう言えば佳奈が俺のことをどう思ってるかわからないな」 「え、愛してますよ? ぞっこんラブですってば」 「口では何とでも言える」 「うわー、手厳しいこと言いますね……」 「ごめんな、愛してるって言葉を疑ってるわけじゃないんだ」 「でも、例えば俺が佳奈にとって許せないことをしたらどうなるのか」 「俺にはまだわからない」 俺はまだ佳奈の全てを知っているわけじゃない。 佳奈のデリケートな部分に触れるような何かをしでかしてしまう危険があった。 「んー……」 「これはあれですね。逆パターンですね」 「逆パターン?」 「じゃあ私も同じこと言いますよ」 「筧さん、あんまり私を見くびらないでください」 「どんなことがあっても、私は筧さんのことを嫌ったりしませんよ」 「私を信じてください」 ……そうか、そういうことだよな。 俺が佳奈に言ったことは、当然俺自身にも跳ね返ってくる。 人に自分を信じろと言っておきながら、確かに俺は佳奈を信じ切れていなかったかもしれない。 「まいった。一本取られたよ」 「ふふっ、嬉しいです」 「初めて筧さんと対等になれたかもしれません」 佳奈が嬉しそうに笑った。 「そうだな」 「でも、やっぱり怖いですよね」 「信じてくださいって言うからにはヘタなことできないですし」 「身が引き締まりますよ」 「そうかもしれない」 自分を信じてくれ、という言葉は、相手に対して誠実であろうとしなければ口にしてはいけない言葉だ。 俺も、強く自覚しなければならない。 「佳奈の信頼に応えられるように頑張るよ」 「私も同じく頑張ります」 「ま、お互いほどほどにな」 「そうですね」 くすりと笑い合う。 「さて、次のページはっと……」 ページをめくると、佳奈の動きがぴたっと止まった。 そこには裸の男女が抱き合う写真が載っていた。 「あー……愛の営みですか」 「エロスだな」 文中では、男女の愛情を育む上ではセックスが重要な役割を果たしているということが書いてあった。 「えっと……筧さん、お聞きしたいことがあるんですけど」 「エロスに関する質問は困る」 「まあまあ、ジャブですから」 「とりあえず、聞くけど」 「筧さんって胸が大きい女性と小さい女性、どっちが好きですか?」 「出たよ……」 さあ、どっちだろう。さあ、どっちだろう。「胸の大きい女性の方がタイプだな」 「ああ……神は死んだ……」 ばたりとテーブルの上に力尽きる佳奈。 胸の小さな女性が好きだ、そう言ってやるべきなのだろう。 しかし、真実を隠すのは誠実さを欠く行いだ。 「でも、愛しているのは佳奈だ」 「お前の小さな胸でも我慢してやろうってことですか……」 「馬鹿だな」 「胸の大きさなんてどうでもいいってことだよ」 「俺はそんなことと関係なく、佳奈が好きなんだから」 「……なるほど」 「ある意味では大きなハンディキャップを乗り越えて勝利したってことになりますか」 「私って結構すごいですね」 強引すぎる解釈だが、佳奈が納得できたならそれでいい。 「胸の小さい女性の方がタイプだ」 「いやっほう、神はここにいましたっ」 「……佳奈、声が大きい」 「あ、すみません」 周囲から非難めいた視線が集まり、身体を縮こまらせる佳奈。 「本当は胸の大きさなんてどうでもいいんだけどな」 「俺は佳奈が好きなんだから」 「でも、エロス的な意味では見事筧さんのお眼鏡に適ったってことですよね」 「そうなるのか」 「あー、いっぱい愛してもらいたいです」 何を言っているんだか。 「とにかく、胸の大きさなんて気にするな」 「俺は胸の大きさで佳奈を選んだわけじゃないんだから」 「いや、わかりますけどね」 「でもここに書いてあるじゃないですか」 「身体の相性がよければ性生活は豊かになり、愛情にも拍車がかかるって」 「……読み上げるなよ」 「あっ……」 読書中の男子や女子から、種々雑多な思いの込められた視線が飛んできた。 「……あの、筧さん」 佳奈が立ち上がった。 「どうした」 「部室に行きませんか?」 「今ならほら、誰もいないでしょうし」 「ああ、そうしよう」 恥ずかしい会話をするなら場所を移すべきか。 しかし、誰もいないってわざわざ強調するのはどうしてだ? 部室にやってきた。 今日は部活動がないので誰もいない。 「ここなら、少しくらいうるさくしても大丈夫ですね」 「ほどほどにな」 「はーい」 佳奈はいつもの席に腰かけ、先ほどの本を開く。 「筧さん、早く来てください」 「一緒に読みましょう」 「その本、気に入ったの?」 隣に座って紙面を覗く。 裸の男女が描かれた先ほどのページが開かれていた。 「いえ、そういうわけじゃないんですけどね」 「筧さんのことを知るのに役立つんじゃないかと思って」 「知りたいことがあるなら、普通に聞いてくれよ」 「えー、いいんですか?」 「嘘は教えない」 「それ、本当のことも言わない可能性がありますよね」 「バレたか」 「当然じゃないですか」 「はっはっは」 「はっはっは」 「あの、ごまかされませんよ?」 ダメだった。 「わかったよ。何でも本当のことを答える」 「ありがとうございます」 「それじゃ……」 佳奈はちらっと視線を送ってくる。 「筧さんって、エッチなことに興味あります?」 「まあ、人並みには」 俺も男である以上、人並みに性欲はある。 「どんな方向性なんですか?」 「方向性?」 「あーいや、その、色々あるじゃないですか」 佳奈は本のページを行ったり来たりさせながらもじもじする。 なるほど、これが聞きたくて部室に誘ったのか。 「何かの雑誌で読んだんですけど、口がいいとか胸がいいとか、縛られたいとか……」 「いやいや、いたってノーマルだから」 前に高峰が拾ったエロDVDで言えば、ウナギとか大阪おかんは無理だ。 いや、大阪がどうこうじゃなく、熟女専ではない。 「それじゃわからないです」 「恋人の好みは把握しておかないとダメだって雑誌に書いてありました」 「雑誌の内容なんて気にするなって」 「もちろん、鵜呑みにする気はないですよ」 「でも、筧さんの好みは知っておきたいです」 そりゃ、俺だって佳奈の好みは知りたい。 「性癖も何も、俺はまだそういうことしたことないんだ」 「何がいいとかよくわからない」 「じゃあ、すれば好みがわかるんですか?」 「かもな」 「……よし」 「待て」 「え?」 「いや、お前、なんの決心をした?」 「今日は暑いですねえ」 あからさまなごまかしだ。 「筧さん」 「なに?」 「私たち、恋人です」 「そうだな」 「ってことは、いいんですよ」 「いいのか」 「はい、いいんです」 「ダメかもよ?」 「いえ、大丈夫だと思います」 何なんだ、このやりとりは。 「ってことで、行きましょう筧さん」 「おう、行ってこい」 「わかりましたっ」 びしっと敬礼する佳奈。 「……いやいや、一緒じゃないと」 「え?」 「筧さ〜ん、ごまかすのやめましょうよ〜」 「私から言うの恥ずかしいんですよ〜」 佳奈が何を言いたいのかはもうわかっている。 要するに、エッチしようということだ。 「うう……やっぱり筧さんは私なんて興味ないんだ……」 「違うって」 「だって乗り気じゃないですよね」 「ここ、部室だぞ」 「声出したら向こうに聞こえるかもしれない」 「我慢すれば大丈夫ですよ」 佳奈の決意は固そうだ。 いや、もう引っ込みがつかないと言った方が正確か。 何にせよ、ここで断れば佳奈がヘコむのは目に見えていた。 「……よし、わかった」 「あっ、えーと……本当にするんですか?」 「どっちなんだよ」 「うう、そうなんですけど」 女性は、初めての時ものすごく痛いらしい。 男と違って気持ちいい一方じゃないから、ためらう気持ちはわかる。 「無理はしなくていいから、な」 「いえ、大丈夫です」 「ここはやはり、行っておかないとダメでしょう」 どうしてここまでやる気なんだろう。 「本当に無理は……」 「だって、そこまで行けば本当に筧さんが特別な人になるんですよ」 「早くそうなりたいじゃないですか」 「……」 特別な人か。 「それに……女の子だってそういうの、興味があるんです」 「筧さんも興味、ありますよね……?」 頬を染めて、上目遣いで見つめてくる佳奈。 女の子にここまで言わせて、尻込みしていたら情けない。 「もちろん」 「よかったです」 「じゃあ、いいか? 佳奈」 「はい、お願いします」 佳奈は囁くように、小さな声で答えた。 「あの……筧さん」 机に乗せられた佳奈は、落ち着かない様子でもじもじとしていた。 「どうした?」 「あの、初めてなので諸々よろしくお願いします……」 「任せてくれって言いたいところだけど俺も初めてなんだ」 「嫌なことがあったら、すぐに言ってくれ」 「はい、わかりました」 佳奈の表情が少し緩んだ。 「筧さん、まずは何をします?」 「キスはどうかな」 「手慣れたところからってことですね」 「別に慣れてないよ」 未だにキスをすると頭に血が上ってしまう。 「ん……筧さん……」 佳奈の頭は俺より低い位置にあり、傍にいる俺を見上げる形になっていた。 そんな佳奈の髪を撫で、柔らかな唇を奪う。 「んっ……んふっ……」 「ん……んうっ、ふ……くんっ……」 「ちゅっ……あふっ、んぁっ……んっ、んん……っ」 「あ、んぅっ……はっ、あふっ……く、うぅんっ……」 見上げてくる佳奈の唇を、上から貪る。 雛鳥のように、下から俺の唇をついばんでくる佳奈。 「んちゅっ……あくっ、ふぁ……んっ、はぁ、んうっ……」 「は……んっ、んっ……筧さんっ、くっ、あぁぁ……」 佳奈の背中を撫でつつ、わずかに身体を引き寄せる。 それに応え、佳奈はかわいらしく吐息を漏らす。 「んっ、はあっ……ふっ、んちゅっ……んっ、んう……っ」 「ちゅくっ……んちゅっ、んふっ……ふぁっ、あん……っ」 佳奈の息が徐々に荒くなってくる。 何かに耐えるように、ぎゅっと握りしめた手が可愛い。 「んちゅっ、ん……あんっ、んふっ……んっ、んうぅっ……」 「ふっ……んっ、ちゅ……、はあぁ……」 俺が口を離すと、名残惜しそうに甘い溜息をついた。 「……筧さん」 「どうした?」 「もっとしたいです……」 まだ足りないようだ。 「じゃあ、もっとするか」 「ふふ、望むところですね」 佳奈の身体に覆い被さるようにして、再び口づけた。 「あんんっ……んっ、ふうっ、んっ、くぁっ……んん……っ」 「ちゅっ、んちゅっ……んくっ、は……あふっ、ん、あんんっ……」 佳奈の小さな口を吸い尽くしてしまうような、激しいキスを浴びせる。 「あっ、んくっ、んちゅっ……ちゅるっ、んくっ、んっ……」 「ちゅっ、んくっ……筧さっ……ん、ちゅっ、はあぁっ……」 佳奈も負けじと激しく求めてきた。 俺の唇を吸い、自らの口内へと引き込もうとしてくる。 「んくっ、ちゅっ……あっ、んっ、ふぁっ、ちゅんん……っ」 「ん、んっ……ちゅっ、ん……む、んっ、はんん……っ」 佳奈の口へ舌を入れると、唇をすぼませてしゃぶってきた。 舌を絡ませているだけなのに、目も眩むような快感に襲われる。 「はんっ、あくっ……んちゅっ、ちゅっ、んく、ぷぁっ……」 「んんん……あむっ、んふっ……ちゅっ、ちゅ、んちゅぅっ」 舌先で、ちろちろと俺の舌を刺激してくる佳奈。 じれったい快感に呼応して、身体中が熱くなってきた。 「はんんっ、ちゅっ、あく……んっ、あ、ん、ぢゅるっ、んふっ」 「あっ……んっ、んん〜っ、んうぅっ……あっ、ふあぁっ、はあっ……」 佳奈の口内から舌を引き抜こうとすると、いやいやをするように身体を揺すって吸い付いてくる。 「はあっ……はあっ、はあ……はぁ……ぁ」 「んっ……んくっ……こくっ」 こくんと喉を鳴らし、口の中に溜まった唾液を飲み込む佳奈。 「……どう?」 「んー……」 「……もっと、したいです」 「おいおい、キスだけで終わるつもりか」 「終わっちゃいますか?」 佳奈が微笑む。 俺の股間は既に固い。 「……多分、終わらない」 「えへへ、筧さんの……すごいですね」 「あの、触ってもいいですか?」 おそるおそる、ズボンの上から陰茎に触れてくる。 「わ、すっごい固いです……これ、何か違うものが入ってません?」 「こんなとこに何を入れるんだよ」 思わず苦笑してしまう。 「びっくりしました。こんなに固いんですね……」 手を動かし、固さや大きさを確かめてきた。 佳奈の手の感触が伝わり、じんわりと快感が広がる。 「くっ……」 「あ、すみません。痛かったですか?」 「いや、気持ちよかったんだ」 「それじゃあ……もっと触っても?」 「ああ、いいよ」 再び手を伸ばし、俺のペニスの感触を楽しみ始める。 「いやあ、これが男の人の……その、アレなんですね」 「しっかり見たの、初めてです」 「触ってみた感想は?」 「うーん……一言で言うなら棒ですかねえ」 もう少し情緒のあることを言うかと思ったら、そんなことはなかった。 「でも、筧さんが反応してくれるのは素敵です」 「楽しんでくれて何よりだ」 「あっ……」 股間に手を伸ばすと、びくっと佳奈の身体が震えた。 「すまん、ダメだったか?」 「ははは……別にダメじゃないです」 「すみません、やっぱり初めてって緊張しちゃいますね」 「触っていい?」 俺が聞くと、佳奈は頬を赤くして顔を伏せる。 「あの、筧さん」 「あんまり説得力ないかもですけど……私、覚悟できてますから」 「全部、筧さんの好きにして下さい……」 潤んだ瞳で佳奈が言う。 それだけで、胸が一杯になる。 「それじゃ……」 佳奈の秘部に触れる。 パンツ越しでも、他のどことも違う特別な柔らかさが伝わってきた。 「あっ……んん……っ」 佳奈の口からかわいい声が漏れる。 「んっ、ふあ……あっ、んく……っ」 「ふぅっ……は、あっ、んっ、あ……んあぁっ……」 布地の上からこすり上げると、佳奈の身体が小刻みに震えた。 既にパンツはしっとりと濡れている。 「これは……汗?」 「えーっと……さすがにそれはノーコメントですよ……」 指で秘部をこする度に、佳奈の身体が小さく跳ねる。 こらえるような表情がかわいらしい。 「んん……く、あんっ……はあっ、あ、あ……っ」 「あっ、ふぁ……んくっ、ん……ああっ、んあぁぁ……」 馴染ませるように指を左右に揺らし、柔らかい肉の奥へとめり込ませていく。 「あっ、あぁっ、んくぅ……やぁんっ、ああっ、うあぁっ」 「んっ、筧さんっ……それっ、まずいです……っ」 「ああっ……身体が熱くて……大変なことにっ……」 「熱くなってもいいんじゃないか」 指に力を入れると、パンツの生地ごとずぶずぶと佳奈の中へと潜り込む。 佳奈の奥は、確かにものすごく熱かった。 「んっ、くぅんっ、あっ……そ、そうじゃなくてですねっ……」 「はああっ……ん、んっ、あっ……やっ、んん……っ」 「あっ、そんなことしたらっ……パンツ、汚れちゃいますっ……」 「わかった」 パンツを引っ張って、佳奈の秘部へ直接指を当てる。 佳奈の陰部は、既にぬるぬるとした液体でたっぷりと濡れていた。 「ぬるぬるだ」 「やっ……もう、筧さんが触るからですよ……」 ゆっくりと指を動かし、陰唇の上をなぞっていく。 「ああっ、んあぁっ……ふっ、ん、んっ、くぅんっ……あっ、んん……」 「んうぅ……あっ、んあぁっ、んく……ああぁっ、ふうぅん……っ」 熱を持った秘部を指でこする度、何かに堪えるような表情を浮かべる佳奈。 どうやら気持ちいいみたいだ。 「こんな感じ?」 「んん……あっ、だ、だめっ……筧さんっ、気持ちよすぎですっ……」 「あっ、くうっ……んっ、ああっ、くあぁっ……やぁんっ……」 「ふあぁっ、くんんっ……じ、自分でするのと全然、違うぅっ……」 「……ん?」 佳奈も自分でするのか。 思わずその光景を想像してしまう。 「あっ……今のなしですっ、なしなしっ」 「いいや、しっかり聞いた」 「いやあ……その、何ですか」 「女の子だって、そういうことをしたくなる時があるんですよぉ……」 顔を真っ赤にして恥ずかしそうに呟く佳奈。 「別に恥ずかしいことじゃない」 「恥ずかしいです……」 「大丈夫だって」 「ううう……で、でも……」 「……ん?」 「筧さんのこと想って…………ですからね」 顔を伏せ、恥ずかしそうに言う。 「……」 これは来た。 胸が痛くなるほどに、どきっと来た。 「ありがとう」 愛情を込め、再び指を動かす。 「あっ……ん、あっ、んくっ、ああっ……あふっ、ん、やあぁっ……」 「んあぁっ、やぁっ、んはぁぁ……あっ、んうぅっ、うぅん……っ」 少し力を入れ、押し上げるようにして陰唇をこすり上げる。 指がクリトリスに差しかかると、佳奈はぴんと身体をこわばらせた。 「あっ、ああぁっ、んううぅ……ああっ、そこっ、だめぇ……!」 「んっ、ひあぁっ、んくうぅっ……ふああぁぁっ」 「……佳奈、ちょっと声が大きいかも」 感じてくれるのは嬉しいが、場所が場所だ。 今のは外に聞こえたかもしれない。 「ううぅっ……すみません、我慢します……」 「……佳奈、胸も触りたい」 「ええと…………は、はい」 佳奈が微妙に尻込みする。 胸が小さいことを気にしているようだった。 「大丈夫だよ、大きさなんて関係ない」 「俺は佳奈の胸が見たいんだ」 「すみません。気を遣わせちゃいましたね」 「胸……触ってください」 「ありがとう」 上着をめくり上げると、ほっそりとした身体と慎ましい胸が露わになった。 「指を動かしても大丈夫?」 「あ、ちょっと待ってください」 「よく考えたら、私だけしてもらってるのもおかしいですよね」 「私も筧さんの……気持ちよくしたいです……」 佳奈が、痛いくらいに怒張した陰茎に触れてくる。 「じゃあ……」 「はいっ」 嬉しそうにうなずき、ファスナーに手をかける。 「おお……」 顔を出した肉棒を手に、驚きの表情を浮かべる佳奈。 「すごく熱くて……肉の塊って感じです」 「これが入るんだぁ……」 おっかなびっくりという感じで、さわさわと手を這わせてくる。 「んっ……」 「わ、跳ねた……」 「触られると気持ちいいんだ」 「そうなんですか」 「じゃあ……こんなことすると、もっとよくなります?」 佳奈は両手で肉棒を優しくしごき始める。 「うん、気持ちいい」 「えへへ、じゃあ頑張ってみます」 「俺も負けない」 再び、愛液に濡れた陰唇をこすり上げる。 「あっ、く……んっ、あっ……うぅ、んん……っ」 「あん、んっ……や、声が、出ちゃいます……っ」 「頑張れ、佳奈」 そう言いつつ、指を動かすのはやめない。 膣口を探り当て、指を入れてみる。 「んんんっ、ぅんっ……あぁっ、んうぅ……あっ、や、ぁんっ……」 ぎゅうっと指を押し出すような強い締め付けに襲われる。 指一本でもかなりきつかった。 「はあっ、んっ……あはぁっ、んあぁっ……んくぅ……っ」 「ふっ、はんんっ……ん、うっ、あんっ、あっ……はあぁっ、んっ……」 「うっ……」 佳奈の柔らかい手で刺激され、ペニスにじんわりと熱が溜まってくる。 確かに、自分で触るのと他人に触られるのとでは全然気持ちよさが違う。 「んっ、あっ……筧さんも、気持ちいいですか……?」 「ああ、いいよ……」 きゅっとひねり上げるように亀頭をこすられ、痺れるような快感が走る。 意識をそらすため、会話を試みる。 「かわいいブラジャーだな」 「えへへ、こんなの見栄ブラジャーですよ」 「先っぽが擦れるからつけてるだけです」 「いやいや、本当にかわいいから」 「そうですかねえ」 「でも外しちゃうけどな」 「わー、意味なーい。……でも、お願いします」 照れ隠しでそう言う佳奈。 ちょっと手間取りながらもブラジャーを外すと、佳奈の白い乳房が露わになった。 そっと包むように手を添える。 確かに大きさはないが、胸にはふわっとした柔らかさがあった。 「……柔らかい」 「あ……嬉しいです」 胸を揉んでいると、徐々に先端の部分が固くなってきた。 「あっ……んっ、ふあぁっ……」 「胸も気持ちいいの?」 「筧さんに触られてるんだーって思うと……どこでも気持ちいいです」 「そっか」 胸の感触を楽しみつつ、秘部に当てた指を動かす。 「あんっ……んく、ひうぅ……んっ、あうぅ……あ、ああぁっ」 「んっ、ふぅっ……んく、気持ちいいっ……あんんっ」 佳奈は唇を噛むが、声を押し殺せてはいなかった。 「ひんっ、あんっ、ああんっ……やっ、無理っ、無理無理っ……」 「んはぁっ、あ、あっ、声、出ちゃいますぅ……ん、あぁん……っ」 声を抑えるためか、ぎゅうっと俺の肉棒を握ってくる佳奈。 強く根本からしごかれ、身体が仰け反りそうになる。 「んあぁ、あ、あっ、んくっ、はんっ……んあぅっ、う、んんんっ」 「やぁんっ、あはぁぁ……あっ、ふああっ、んうぅ……っ」 熱い愛液が止めどなく溢れてきて、秘部はどろどろになっていた。 「佳奈のここ、すごい濡れてる」 「んはぁっ、んくうぅっ……だ、だって筧さんが、気持ちいいことするからっ……」 「あんっ、こんなの……我慢できませんよぉ……っ」 声を我慢するのも忘れ、うっとりとした表情で見上げてくる。 「んっ、あふっ……ん、あ、あぁっ、んく……はっ、ふあぁぁ……」 「……筧さんの、すっごく熱いです……っ」 手で刺激され続けたペニスは固く張り詰め、今にも爆発しそうだった。 こすられる度に精液がこみ上げてくる。 「んあぁっ、あ……はんんっ、ん、や、あぅっ……あっ、やあぁっ……!」 「も、もうダメですっ……筧さん、どこか、飛んじゃいそうですっ……」 指でクリトリスをこすり上げると、佳奈の身体がぎゅっと強ばった。 「はあぁ……ん、あぁっ、あ、くっ……そこっ、気持ちいいです……っ」 「んはっ、ああぁっ、んあぁ……んくぅっ、うああぁっ!」 「手を止めてくれ……このままだと出そうだ」 我慢の限界だった。 「ふあぁっ……んっ、やですっ……筧さんも、このままっ……」 「このまま出したら佳奈に……」 「あんっ、いいですっ……んっ、全部、出してくださいっ……!」 さらに手の動きを早くし、強い刺激を与えてくる佳奈。 引く気はないらしい。 「んっ、あはあぁっ、んくっ……やんっ、あ、あっ、んあぁっ、ふあぁっ」 「やっ、筧さんっ……もう、我慢できませんっ、く、んあぁっ、んっ、あんんんっ」 「俺もだ……!」 指の腹でクリトリスを押しつぶし、強くこする。 「あっ、ふああぁぁっ、だめっ、筧、さんっ……だ、だめですよぉ…っ!」 「んっ、や、あっ、あああぁぁっ、くううぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!!!」 びゅるっ、びゅくっ、どくっ! 「ふああぁぁっ、ああぁっ……!!」 「くっ……」 佳奈の手の中で、肉棒が何度も脈を打つ。 「あっ、あっ……すごい、どんどん出てくるっ……あぁ……」 大量の精液が吐き出され、佳奈の顔、胸、身体中を汚していく。 「はあぁっ、あ……はあっ、はあ……んっ、はぁ……うぁ……」 「かけっ、いさん…、あっ……はぅ……これ、すごいですね……」 「ん……すごい、たくさん出てます……」 陰茎を握った手をゆるゆると動かす佳奈。 「ま、待てっ……くっ……」 佳奈に刺激され、再び白濁があふれ出る。 「わ……まだ出てますよ……?」 「や、やめてくれ……イったばかりは刺激されるとつらいんだ……」 「あ、男の人もそうなんですね」 そう言いながらも、吐き出した精液を潤滑油にしてペニスを刺激してくる。 「こら佳奈、やめろって……!」 「んふふふ〜……」 そっちがその気なら……! 「きゃああぁっ、あうぅっ……ま、待ってください筧さんっ……」 「私もイっちゃってっ……指、止めてくださいっ……!」 「わ、わかりました、こっちもやめますからっ」 やっと肉棒を握る手を止めてくれた。 「はあ……」 「ふああぁ……」 互いに手を止め、ぐったりとする。 「はあ……すごかったです」 「一瞬、何も考えられなくなりました」 「俺もだ」 「……ただ、ちょっと声が大きかったな」 「外に漏れてないといいんだけど」 「あー、すみません。全然我慢できませんでした……」 しばらく黙り、外に耳を傾ける。 「……」 「……」 「大丈夫……ですかね」 「何も聞こえないけど、どうだろうな」 「平気…でしょう。平気と信じましょう」 だといいんだが。 「それより、少し身体を拭いた方がいい」 「服についたら色々まずい」 ティッシュを取り出し、佳奈に渡す。 「お、おお……そういえば私、この格好で帰るんですね」 「匂いでバレるかもな」 「あはは、まー、その時はその時で」 楽観的だな。 「ところで……筧さん」 「これ拭くのはいいんですけど、別に後でもいいような気がしてきました」 「なんで?」 「だって……また汚れますよね?」 まあ、そうかもしれないけど。 「別にここでやめても……」 「筧さん」 佳奈が手を握ってきた。 「これで終わりなんて寂しいじゃないですか」 「それに……筧さんのここ、固いままですし」 「私、最後までしたいです……」 射精後に手で刺激されたため、肉棒は相変わらずそそり立ったままだった。 「佳奈がいいなら」 「構いません、ぜひ……」 「最後までお願いします」 「ああ、わかった」 「あんっ……」 机に腰かけ、佳奈の身体を抱える。 足を左右に持ち上げたため、佳奈は大股を開く形になっていた。 「あの、筧さん……この体勢でするんですか?」 「机や床に寝っ転がらせるのはどうかと思ってさ」 「まずいかな?」 「いえ、筧さんが見えないなあって……」 「これならどうだ」 身体を起こし、後ろから覗き込むように顔を出す。 「あ、いいですね」 佳奈の髪から、ふわりと花の香りが漂ってくる。 「う……筧さんの、当たってます」 「これが……私の中に入っちゃうんですね……」 がちがちに固くなった陰茎が、佳奈の柔らかい秘部に当たっている。 愛液で濡れたパンツごしに熱が伝わってきた。 「……入れるよ」 「は、はい」 とはいえ、足を抱えているために自分ではやりにくかった。 「佳奈、悪いんだけど……ずらしてくれないか」 「わかりました」 パンツをどけると、陰唇に直接肉棒が触れた。 「あっ……すごい熱い……」 「佳奈も熱くなってる」 佳奈の身体を持ち上げ、亀頭を一番柔らかいところに当てた。 「あっ、はっ……はあぁっ……」 肉棒の先端が、温かいものに包まれる。 そのまま、ゆっくりと佳奈の身体を下ろしていく。 「あくぅっ、はあぁっ……いっりました、あああぁぁぁ……」 「ふああぁっ、んっくぅっ、あっ……ひあぁんっ、んううぅぅっ……」 ぷつん、と何かがはじけて、佳奈の温かい肉の中へペニスが埋没していく。 愛液で十分濡れている上、佳奈の体重がかかっているせいで一気に奥まで入り込んだ。 「うああぁぁっ……これは、痛い……かもっ……」 「大丈夫か……?」 「えへへ……少し、じんじんしますね……」 覗いて見ると、佳奈の膣口は俺の肉棒に大きく押し広げられ、歪められていた。 佳奈は控えめに言っているが、かなり痛いのかもしれない。 「やっと……筧さんと、繋がれました」 「何だか、夢みたいです……」 佳奈の目尻に涙が浮かぶ。 痛みによるものか、それとも感激によるものか。 「俺も、嬉しいよ」 「ありがとうございます……んっ」 佳奈が眉をしかめた。 「このまま休もうか」 「……はい……ありがとうございます……」 「でも筧さん、動かなくて平気ですか……?」 「平気……じゃないかも」 「すごく気持ちいい」 熱くてぬるぬるとした膣内が、ぎゅうぎゅうと肉棒を締め付けくる。 動かさなくても十分に気持ちよかった。 「……わ、私の膣内って、どんな感じですか?」 「良すぎる。このまま出そうだ」 「……いいですよ」 「おいおい、まずいだろ」 「心配しないでください。大丈夫な日ですから」 「でもな」 「それに、初めてなんですよ?」 「きちんと最後までしておきたいじゃないですか」 「なるほど。よくわからない」 「ええ〜っ……いやいや筧さんならわかりますよね、一通りったら一通りですよ……」 「アプリオで言えば、お店を出るまでがエンタテインメントです」 余計わからなくなった。 「えーと、佳奈がどうしてもって言うならいいけど……」 「はい、どうしてもです」 佳奈は覚悟を固めているんだ。 俺がフラフラしてたらみっともないな。 「じゃあ、するからな」 「はいっ……」 嬉しそうにはにかむ佳奈。 「あっ、いま筧さんのがびくってしました」 「佳奈がかわいい顔するからだ」 「あは、ストレートですね」 きゅっと膣を締め付けてくる。 「ちょっ……きついって」 「我慢ですよー、筧さん」 「まだ動いてもいないじゃないですか」 「そう言うけどな……」 びくびくと脈を打つ膣肉に刺激され、休む間もなく快感が押し寄せてくる。 このままじゃ、冗談じゃなく動く前に出てしまうかもしれない。 「それじゃ……動かしてもいい?」 「はい、大丈夫です」 「痛かったら言ってくれよ」 「ふふ、はい」 「んはぁっ……んっ、くぅんっ……」 佳奈の身体を持ち上げ、肉棒を膣内から引きずり出す。 膣口が締まり、強烈な刺激を与えてきた。 「う……」 「ふうぅっ……くあっ、んあぁっ、くっ……」 「んっ、うぅんっ……いっ、んっ、くぅんっ……」 まだ少し痛むのか、顔をしかめる佳奈。 「佳奈、平気か?」 「んっ……全然、平気ですっ、はっ……ふっ、ああぁっ……」 気を遣ってくれているようだ。 「なるべくゆっくり動かすよ」 「んっ、はあぁっ……ん、ありがとうございますっ……」 「でも……筧さんも気持ちよくなってくださいね……」 「十分気持ちいいよ」 「んっ……あっ、嬉しい、ですっ……んんん……っ」 佳奈の身体を下ろすと、体重でずぶずぶと奥まで入っていく。 こつんと亀頭が一番奥に当たって止まった。 「すごいです……筧さんの、お腹の真ん中まで来ちゃってます……」 自分のお腹を撫でる佳奈。 「上から触ってわかるのか」 「いえ、さすがにはっきりとはわからないですけど……」 「でもこの奥らへんが、ぐうっと押されてる感じはします」 そう言って、へその下辺りをさする。 「初めてですよ、こんなの……」 「動いても?」 「はい、だいぶ慣れてきました」 「もっと激しくしても大丈夫です」 「わかった」 再び佳奈の身体を持ち上げ、肉棒を佳奈の膣内から引き出す。 そして、ゆっくりと腰を上下させた。 「よっ、くっ……ふぁっ、ん、はぁん……」 「あっ、あうぅっ、ん……筧さんっ、く、あぁっ……」 「んあぁっ、あ……んっ、やだぁっ、これ、気持ちいい、かもっ……」 徐々に、佳奈から甘い声が漏れ始める。 「あぁんっ、んふっ、んん……はあっ、あ、あっ……んああぁっ」 「やっ、んく……んはぁっ、ふうぅっ、う、んぅっ、あんんん……っ」 「あうぅっ、んっ、筧さんの……が、あぁっ、奥まで届くぅ……っ」 熱い肉壁の締め付けが肉棒を刺激してくる。 しかし、緩慢な動きではだんだん我慢ができなくなってきた。 「佳奈、もうちょっと速く動かしていいか?」 「ん……あ、ふあぁ……?」 蕩けた表情を浮かべ、首をかしげる佳奈。 だいぶ気持ちよくなってきている様子だった。 「早くするからな」 「ああっ! ふうぅんっ、あううぅ……あっ、ああぁっ! くうぅっ」 「んはぁっ、きゃ、あっ……筧さっ、激しいですぅっ……!」 「くふっ、やぁっ……んあぁっ! あうぅっ、んっ、んあぁっ」 佳奈の身体をリズミカルに動かし、快楽を貪る。 力を抜きすぎると佳奈の身体が沈み込み、奥の奥まで肉棒が入り込んでしまう。 それがまた、たまらなく気持ちよかった。 「んくぅっ、ふうぅっ……んあぁっ! んはっ、はうぅんっ」 「やっ、んあぁっ、あ、ん……んっ、んうぅっ、くぅっ、はぁっ、んんんっ」 「うそっ、っ、すごい……奥、気持ちいいっ……うくぅっ、うああぁっ!」 佳奈の嬌声が耳元で聞こえる。 「んうぅっ……や、あっ、んああっ、気持ちっ、あっ、よすぎ、ますっ……」 「ああぁっ、くぅ、んあぁっ……こえ、勝手に……でちゃい、でちゃいますぅっ……!」 「佳奈、こっち向いて」 「くぅ……っ、はいっ……?」 身体をずらし、佳奈にキスをする。 「あっ、んん……ちゅっ、んんん〜っ」 「んむっ、んちゅっ……ふあぁっ、んく、ちゅくっ、あんん……っ」 「んんん〜っ、あん……んちゅ、ちゅっ……んっ、んんん……」 苦しい格好にもかかわらず、しっかりと応えてくれる佳奈。 俺の唇に吸い付いて離れない。 「……ちゅっ、ちゅるるっ、んはぁっ、んんんっ」 「はふっ、ん、ちゅっ……れるっ、んちゅっ……くんんっ、ああぁぁっ」 キスをしながら動くと、快楽が何倍にもなる。 佳奈も同じらしく、今までより強烈な締めつけが襲ってきた。 「んくっ……」 「あんっ、んちゅ……ぷはああぁっ! ああぁっ……」 「あっ、もっ、筧さんっ、あんっ、ダメですっ……私、わたしっ……!」 「いやあぁっ、ぅまっ、ま、また……何か来ますっ……」 佳奈の膣内は熱く濡れ、膣口から愛液が溢れてくる。 濡れそぼった膣内に肉棒を突き入れる度に、電撃を食らったような快楽が走る。 「俺も……!」 「もう、無理ですっ……声、我慢できないっ……あ、ああっ!」 「んああぁっ、んうぅっ……んくあぁっ、はあぁっ! うあぁん……っ」 「うあぁんっ、んく、あ、あっ……ふっ、んはぁっ、ん、くぅっ、んんんっ!」 「ああぁっ、んっ、うああぁぁっ……んはっ、ううぅっ……んああぁっ」 佳奈は声を堪えることもなく、快楽に染まった嬌声を漏らす。 その艶やか声に、肉棒の根本から白濁がこみ上げてくる。 「ああぁっ、ん、んっ、ふあぁっ! あ、くっ、いやぁんっ、んああぁっ!」 「んうぅっ、あっ、筧さんっ……私、私っ、私……っ!」 「んん……筧さんもっ、一緒にっ……!」 激しい快楽に誘われ、射精感が高まっていく。 「ああっ! ん、んっ、ふあぁんっ! あ、うぅっ」 「かけっ、か、筧さぁんっ……来てくださいっ……!」 佳奈の身体を持ち上げ、一気に下ろす。 熱くなった膣奥に肉棒をねじ込むと、突き抜けるような快感が走った。 「いいっ、んあっ、あぁっ、んん……やっ、くんっ、んっ、うああぁぁっ!」 「ふあああぁぁっ、んっ、あ、あっ、んんんっ、んうううぅぅぅっ!!」 「ううぅっ、やあっ、んんんっ、あうぅっ……ふわあああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」 びゅるるっ、びゅくっ、どくっ、どくっ! 「あああぁぁっ、んん……あぁっ、ああああっ……!」 「うああぁっ……んくっ、すごい……た、たくさんかかって……ひ……あ……」 「はあぁっ、あはっ……ふあぁっ、はあっ、はあっ……はあっ……」 「も、もう……だめ、です……はぁ……はぁ……」 「あんっ、筧さん……たくさん、出てますね……」 「ああ……」 身体が跳ねてしまいそうなほどの快感に襲われ、まともに喋れない。 肉棒が脈を打ち、佳奈の身体に止めどなく精液を吐き出す。 「んっ、はあっ……筧さんの、びくびくしてますよ……」 「でも……中でも良かったのに……」 力を抜いて、ぐったりとしなだれかかってくる佳奈。 だが、俺のペニスはまだ硬度を保っていた。 佳奈の健気な言葉が効いている。 「じゃあ、次は中で……」 ぐっと佳奈の身体を起こす。 「え? いや……次回というのは……」 「だから、今から次回」 「佳奈と、中で繋がりたいんだ」 「そう言われたら……断れない……ひゃうっ!?」 言葉の途中で挿入する。 十分、熟したそこは、大した抵抗もなくペニスを飲み込む。 佳奈の膣内は、まだひくひくと動いていた。 「やぅ……筧さん……まだ、中が敏感で……また、すぐ……」 「佳奈っ」 一気にペースを上げる。 「ひゃああっ、筧さんっ、ちょっ……あっ、あっ、やっ、だめっ!」 「はげし……はげしくてっ、にゃっ……ひゃっ、あああっ、だめっ、みゃんっ!」 乱れた嬌声が、興奮を高める。 ぐっと締まった膣内が、ペニスを荒々しく絞り立てた。 「かけい、さんっ……ああっ、ああああっ、だめっ、ひゃあっ、にゃああっ!」 「きもちよくて……きもち、よくて……ひゃんっ、ふぁああっ、あああっ、あああああっ!」 腰の上で佳奈が躍る。 浮き上がり、落ちてくるタイミングで腰を突き出す。 結合部から飛沫が飛んだ。 「きゃうっ! 奥に当たってっ、だめですっ、筧さんっ、かけっ、かけいさんっ!」 「ふみゃあっ、あたまが……頭が白く、ふああああっ……か、けいさんっ、ああああっ!」 「きちゃいますっ、だめ、だめだめっ……かけいさんっ……みゃああっ、ひゃっ、にゃあああああっ!!」 佳奈の脚を精一杯開かせ、その中心に肉棒を叩きつける。 「イクぞっ」 「みゃんっ、かけいさんっ、ああっ、あああっ、やああっ、だめっ!」 「とぶ、とんじゃいます……にゃあああっ、イク、イクっ……ふああああっ!」 「かけいしゃん、いっしょに、いっしょに……ふああっ、あああっ、あああああっ!!」 「だめえっ、イきますっ……みゃああっ、みゃっ、やらっ、やらやらっ……みゃああああああああっっっっ!!」 びゅくっ! びゅくっ! びゅるっ! 佳奈の中でペニスが爆発した。 「ふあ……あ、あ、あ、あ、あ…………」 俺の上で佳奈が震える。 飛び出す精液に、体内から叩かれているようだ。 「みゃ、あ……か、かけい……さん……」 「はぁ……はぁ……佳奈……」 後ろから抱きしめる。 吐き出すものもなくなったのに、まだペニスは震えている。 「はあ……はあ……す、すごすぎ……です、よ……」 佳奈がぐったりと倒れてきた。 肉棒が抜けると、佳奈の膣内から大量の精液がこぼれる。 「もう、何も……できる気がしません……」 「俺もだ」 「ふふ……ちゃんと、中でしたね……」 「気持ちよさが、ぜんぜん違う」 「わたしも……そう思いました……」 身体中が脱力してしまうほどの快感だった。 もはや動くのも億劫だ。 「なんだか、ちょっと病みつきになっちゃいそうです」 「そりゃまずいな」 「あー……満足です」 「初めてが筧さんで、こんなに気持ちよくしてもらって……夢みたいですよ」 それはよかった。 「ただ、気になることが一つあるな」 「声ですよね?」 「ああ」 「あー……えっと私、そんなに大きな声出してましたか……?」 「もう普通に」 「う、うあああぁぁぁ……」 佳奈が真っ赤になった。 やっぱり女の子だ。 恥ずかしいところは恥ずかしいらしい。 普段の話し声ですら、扉の向こうから聞こえるくらいだ。 これは漏れていると思った方がいいだろう。 「ま、まずいですよ筧さん……みんなにバレたら……」 そうは言っても今さら過ぎるしなぁ。 「もしバレたら、俺のせいにしておけよ」 「筧さんが暴走して押し倒された……ってですか?」 「そうそう」 「そして、荒々しく私の唇を奪うと、服を脱がすのももどかしげに……」 「どこの官能小説だよ」 「意外と皆さん納得してくれるかも」 佳奈が顎に指を当てる。 「そこまで暴れん坊じゃないが」 「いえいえ、意外と暴れん坊でしたけど」 と、下を見る佳奈。 「今のは下品だな。指導1」 「はい、私も言ってから反省してます」 佳奈が頭を下げる。 「ともかく、筧さんだけのせいになんてしませんよ」 「私たち、彼氏彼女じゃないですか。いわば一蓮托生です」 「筧さんのせいにするくらいなら、一緒に高飛びして、どこかでひっそり暮らしましょう」 「お、おお……」 桜庭のように爽やかな台詞だ。 「鈴木らしくもないって思ってますね」 「いやいやいや」 慌てて否定する。 「ちょっと嬉しかった」 「ちょっと?」 「いや、かなり」 『一緒』に『一蓮托生』か。 ずっと触れてこなかった言葉だった。 でも、今は違う。 「ありがとな」 佳奈の頭を撫でる。 「ふふ、えへへ」 屈託のない笑顔を見せる。 佳奈は、いつも表情と感情の間に理性を挟んでいた。 こんな笑顔が見られるなんて。 「で、ほんとにこれからどうします?」 「……とりあえず、電気を消して、俺たちはいないことにするか」 「それから、頃合いを見計らって部室を出よう」 「ですね」 「でもその前に……あの、これどうしましょうか」 ちょんちょんと俺のペニスをつついてくる。 「……すまん、もうちょっとこのままで」 「んふふ、はいっ……」 残りわずかな時間。 佳奈を抱き、たっぷりと余韻を味わった。 大図書館で筧さんとデートをしてから数日後。 久しぶりにアプリオでお茶をしようと千莉を誘った。 「やあ、待った〜?」 アプリオには既に千莉が来ていた。 「待ってないよ」 「よかった」 やってきたウェイトレスにアイスティーを頼んで、席に座る。 「二人でアプリオって久しぶりだよね」 「そうだね」 「前はいつだったっけ?」 「いつだったかな」 「……」 「……」 微妙な間ができてしまった。 「何か、あれだね」 「あれって?」 「やっぱり普通にするの、難しいね」 「……そうかも」 筧さんと付き合うことになった私と、付き合えなかった千莉。 気にするなと言われても、どうしても気を遣ってしまう。 「今日は佳奈が頑張って」 「え、今日はってどういうこと?」 「今日は佳奈が私を呼んだんでしょ」 「だから」 千莉と二人きりで会ってきたらどうだ、と言ってくれたのは筧さんだった。 筧さんは私が千莉と会うことを尻込みしているのに気付いて、そっと背中を押してくれた。 「でもさ、その条件だと私がすごい不利だよね」 「毎回私が頑張ることになるよ」 二人で遊ぼうと言い出すのは大体が私だ。 千莉から暇とか何とか言ってくることもあるけど、遊ぼうとは言ってこない。 こっちが誘うのを待っているのだ。 「ふふ」 「いやいや、交代交代で」 「どうしようかな」 「千莉、ずるっこダメ」 「わかった、じゃあ次は私」 わかってくれたようだ。 「よっし、じゃあ今回は佳奈さんが頑張りますよ」 「わー」 ウェイトレスがアイスティーを持ってきた。 口を湿らせ、話を切り出す。 「早速だけど……千莉に聞いていい?」 「いいよ」 「千莉さ、この前雑貨屋でブックカバー買ってなかった?」 「……どうして知ってるの?」 バーベキュー会をしたあの日から、気になっていることがあった。 それは千莉が買っていたブックカバーのことだった。 「見ちゃったんだ、買ってるとこ」 「そっか、それならしょうがないね」 「確かに買ったよ」 千莉は隠さなかった。 「筧さんへのプレゼントだったんだよね?」 「うん」 「あげないの?」 「佳奈を差しおいてそんなことできないから」 「……そっか。それじゃブックカバーはどうするの?」 「最初は捨てようかと思ったんだけど」 「でも、勿体ないからお父さんにあげることにした」 「いいかもね」 よかった、無駄にならなくて。 アプリオの外、遠くを見つめる千莉。 「ブックカバー買うところ、見られてたんだ」 「だから佳奈は、私が筧先輩のこと好きだってわかったんだね」 「うん」 「言ってくれればよかったのに」 「あの時は私も筧さんのこと好きになってたから、どうすればいいかわからなくて声かけられなかったんだ」 「ごめんね」 「ううん、気にしないで」 「私だって、逆の立場だったらどうしてたかわからないから」 「千莉なら言えてたと思うな」 私と違って臆病じゃないから。 「そんなに私、強くないよ」 そうだろうか。 自分と比べれば遙かに恐怖への耐性はあるように思う。 「佳奈って、いつ筧先輩のこと好きになったの?」 「あー……えっとね」 「私と図書館の前でぶつかった時あったでしょ」 「あの時なんだ」 「うん」 「いやもー、練習中に筧さんにキスするか、なんて言われて気が動転しちゃって」 「気付いたら一目惚れですよ」 「まさかあんな簡単に自分が落ちるとは思わなかったなぁ」 「私、佳奈は初めから好きなんだと思ってた」 「図書部に仮入部した時から『この子、筧先輩に気があるのかな』って」 「だから私のうちに泊まりに来た時も、お兄ちゃんみたいって言ってごまかしてるんだと思ってた」 「いやいやー、あの時は本心からそう思ってましたよ?」 「ふうん、よかった」 「何が?」 「あの時、私に本当のことを言ってくれてたんだ」 ……そんなセリフを、臆面もなく言えるなんて。 私にはできないことだった。 もしかしたら、この子なら信じられるかもしれない。 『ずっと友達でいる』という、千莉がしてくれた約束を信じていいのかもしれない。 ううん、違うね。 信じるんだ。 私は、千莉を信じるんだ……勇気をもって。 「……千莉、ありがとね」 「何の話?」 首をかしげる千莉。 「んーん、なんでもない!」 「変なの」 いつか、私も千莉に約束しよう。 今はまだ難しいけど、私も千莉のように言えたらいいな。 「ねえ、佳奈」 「なに?」 「筧先輩のこと、好き?」 「えー……そんなの聞かなくてもわかってるでしょ」 「ちゃんと教えてほしい」 「そりゃまー、好きですよ」 「どれくらい?」 「うーん、どのくらいかー」 難しい質問だなぁ。 「……百年の愛を誓えるくらい、ですか?」 「ん?」 「鈴木さん、筧君と付き合うことになったんですね」 「出た」 「出現しましたね」 「ポップアップです」 嬉野さんが机の端からにょきっと現れた。 さすがにこう何度も繰り返されると驚かなくなる。 「普通に出てこられないんですか」 「アプリオはエンターテインメントでいっぱいのお店なんですよ」 「えっへん」 「あ、それ久しぶりですね」 「ま、エンターテインメントはどうでもいいです」 「どうでもいいの」 「今日は鈴木さんと筧君がお付き合いを始めた件について問い詰めたいです」 「ええー、問い詰められても何も出てきませんよ」 そう答えつつ、内心はヒヤヒヤだった。 「私も色々聞いてみたい」 「ですよねー」 「何が聞きたいんですか?」 「ずばり、筧さんとはどこまで行ったのか、です」 「やっぱりそれかー!」 わかってはいたけど、これは結構まずい状況かもしれない。 嬉野さんに凄まれたら、どんなことでも白状せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。 「では第1問、筧さんとデートはしましたか?」 「……しました」 「どんなデート?」 「それはー、別にどうでもいいんじゃない」 「よくないですよね?」 「よくないです」 うわ、結託したよ。 「えっと、商店街で一緒に買い物したり、図書館で読書会したりですね」 「筧君の自宅に行ったことはないんですか?」 「もしくは自宅に筧君を上げたとか」 「筧さんの家には行ったことありますよ?」 「普通に本を借りただけですけど」 「ふうん」 「つまらないですね」 「別に楽しませる気はないので……」 「第2問」 「え、あの、これいつまで続くんですか?」 「私たちが満足するまでですよ」 「筧さんとはどこまで行きましたか?」 「どこまで……えーと、海は行きましたね」 「ぶー、不正解です」 「御園さんが聞きたいのはそういうことじゃありませんよね?」 「ですね」 「御園さんが聞きたいのは、手を繋いだかーとか、キスはしたかーとか、その先はどうなのーとかです」 「あの、どうして『私が』なんですか」 これはまずい流れだ。 ちょうどいい、トイレに行きたいしどさくさに紛れて退席してしまおう。 「あ、私ちょっとトイレに……」 「まあまあ、待ってください」 がしっと嬉野さんに肩を掴まれた。 「トイレなんていつでも行けますから、先に答えましょう」 「い、いやあ……何事にも旬ってものがありますよね」 千莉に目配せをして助けを求める。 「大丈夫、トイレは逃げない」 「千莉〜っ、この裏切りもの〜っ」 「こういう話、御園さんだって聞きたいですよね?」 「はい、聞きたいです」 「本気ですか……?」 「大丈夫ですよ、ここには秘密を守れる女子しかいませんから」 「そうそう」 「千莉はともかく嬉野さんは怪しいしっ」 「んー? いま何か言いましたかー?」 「い、いえ……」 これはダメだ。 もう逃げられない。 私は観念して、2人に全てを打ち明ける覚悟を決めた……。 「……というようなことがありまして」 「ほほう」 昼間は御園と話をしてくるというので、夜に会う約束をしていた。 最近は、何もない時間のほとんどを佳奈と一緒に過ごすようになっていた。 「私と筧さんの情事が、嬉野さんと千莉に伝わってしまいました」 「……マジで?」 「まあ、初めてのキスからエッチの顛末まで、事細かに全てですね」 「部室でしたことも?」 「いえ、そこだけは死守しました」 ならよかっ……いや、よくないだろう。 目の前が暗くなった。 付き合っていることが知られるのはいい。 しかし俺がエッチで何をしたかまで知られてしまうのはつらかった。 「当分、アプリオには行けないな」 「そんなこと言わないでください。私なんかバイトで逃げられないんですよ〜」 「一緒に羞恥の荒波を越えましょう」 「まあ、一蓮托生ってことにしたしな」 「そうです、恋人同士の共同作業ってことで」 「しかし、相手が嬉野さんというのがシビアだな」 「わかりますけどね」 「でも佳奈と付き合い始めた以上、これは必然か」 嬉野さんに俺たちが付き合っていることを知られたら、間違いなく佳奈は根ほり葉ほり聞かれるだろう。 結局、知られるのが早いか遅いかの問題だった。 「ま、何とかなりますよ」 「前向きに行くか」 「はい、そもそも隠すことじゃないですし」 「それに、何というか、話しているうちにだんだん楽しくなってきちゃって」 「進んで教えたのか?」 「いやー、千莉の食いつきがよくてですね」 「あの千莉が目を輝かせてるんです」 「どんな風にからかわれるのか、今度会うのが楽しみだ」 「えへへ、すみません」 「千莉が言ってましたよ、『筧先輩、ワイルドだね……』とか」 御園の真似らしい。 「これからも定期的に教えてねって言われました」 プライバシーが駄々漏れじゃないか。 「でも、お陰で千莉と普通に話ができるようになりました」 「筧さんのお陰です。ありがとうございます」 「そうか……よかったな」 ものすごく複雑な気分だった。 「ちなみに、嬉野さんはなんて?」 「ああ、近いうちに私たちのビデオ撮りたいとか言ってましたね」 「それって、あっち方向のだよな」 「そうでしょうねえ」 佳奈が苦笑する。 「冗談だと思いますけど」 「じゃなきゃ困る」 例のスパイ道具を本気で仕掛けてこられたら、阻止できる自信がない。 「でも、悪いことばっかりじゃありませんでしたよ」 「うっふっふっふ」 「なんだ、気持ち悪いな」 「そんなこと言わないでくださいよ」 「これは筧さんにとって朗報なんですから」 そう言って、持ってきた紙袋から何かを取り出してくる。 「……それは?」 「じゃーん、アプリオの制服です」 「ま、まさか」 「そのまさかです」 「嬉野さんが、今日は特別に持って帰っていいですよって言ってくれたんです」 「ここでウェイトレスの格好をしてくれるのか」 「そうですよー。喜んでくれます?」 「ああ、嬉しい」 アプリオの衣装はかなりかわいい。 嬉しくないわけがない。 「それじゃ早速、着替えてきますね」 「楽しみだな」 「あ、覗いちゃだめですよ?」 わざとらしくウィンクをして、佳奈は脱衣所へと入っていった。 「いらっしゃいませ〜♪」 「おお」 アプリオの制服に着替えた佳奈のお目見えだ。 「どうですか?」 「かわいい」 「感動がまったく伝わってこないですね」 「何かこう、趣向を変えてお願いします」 「無茶ぶりだ」 さて、どう答えたものか。 「ああ、そうそう……佳奈と初めて会ったのはアプリオだったよな?」 「だからさ、やっぱり俺の中の佳奈って、学食の制服なんだよ」 「憧れの佳奈を独り占めできて最高だ」 わざとキザったらしく言ってみる。 どんなリアクションが来るか。 「ぐはぁっ……む、胸が痛い……甘すぎて死ぬぅ……」 「そこまでか」 意外に効いていた。 「いやいや、攻撃力高すぎて心臓がおかしくなるかと思いました」 「今のは確実に世界遺産です」 「もうやらない」 「たまにでいいです。じゃないと心臓が持ちません」 たまにって、またやらせる気か。 「さて、それじゃあ……」 佳奈が近寄ってくる。 「どうした?」 「またまたー、わかってるくせにー」 「これ、筧さんに喜んでもらおうと思って持ってきたんですよ?」 指で俺の胸にのの字を書く佳奈。 「そりゃまあ……ね」 その格好で喜ばしいことをするとなれば、答えは一つだ。 「でも、本当にその格好でして大丈夫か」 「嬉野さん曰く、『ちゃんとクリーニングして戻してくださいね』だそうです」 「了解済みってことか」 理解があるのは嬉しいが、そそのかされているだけという気もする。 「ささ、筧さん。そこに座ってください」 「今日は、ウェイトレスバージョンの私がご奉仕しますよー」 「わかった」 言われるがままにベッドの上へ座った。 佳奈はかがみ込むと、いきなり俺の肉棒を取り出した。 「お、おい」 「あ、もう大きくなってますね」 「制服を見ただけで、こんなになっちゃうんですか?」 「出す時に触られたからだって」 ……ということにしておきたい。 「ですよねー」 「でないと、アプリオに来る度に大変なことになっちゃいますしね」 こいつ、わかって煽ってるな。 「随分と失礼なウェイトレスだな」 「あ、すみません、お客様」 「でも、自分で興奮してくれるのって女としては嬉しいです」 佳奈が俺のペニスに顔を近づける。 「ふふふ、エッチな匂いがします」 「どんな匂いなんだ?」 「エッチな気分の時に嗅ぐと、何て言うか、こう……じわっと来るんです」 「フェロモンってやつでしょうか?」 「かもしれない」 「俺も、佳奈の匂いは大好きだし」 「きっと、好きな人だけが反応する匂いなんです」 「ほら、筧さんのここ、ぴくぴく震えてます」 「息がかかってくすぐったいんだ」 「すぐ、もっとよくしてあげますよ、お客様」 佳奈は小さな舌を出し、亀頭を舐めてきた。 「んちゅっ……ぺろっ、んん……」 「はあっ、んっ……くちゅ、あふっ、はあぁっ……」 佳奈の舌が、ちろちろと陰茎の上を這い回る。 「あむっ、はんっ、んちゅっ……んく、あんっ、んぷっ……」 「ちゅくっ、んっ、ちゅ……あん……ふぅんっ……」 「くぅ……」 背筋がざわざわするような、もどかしい快感が走る。 肉棒が跳ねて、佳奈の舌から逃れた。 「ふふ、ご注文は、こちらでよろしいですか?」 「ああ、注文通り」 「じゃあ、心を込めて続けますね」 妖艶に微笑み、佳奈が舌を伸ばす。 「あむっ、んく、ぴちゃっ、ん……はむっ、んふぅ……っ」 「んん……ふあぁっ、あふぅ……れるっ、んちゅっ……」 「おっ……」 亀頭の裏側、敏感なところを攻めてくる佳奈。 痺れるような快感に反応し、肉棒は反り返るほどに固くなる。 「わー……すごいですね」 「佳奈、ちょっとつらいんだけど……」 「そうなんですか?」 「気持ちいいんだけど、なめられてるともどかしい」 「お客様、欲張りですね、ふふふ……」 佳奈は小さな口で、俺のペニスを飲み込んでいく。 「あむんっ、くちゅ、ん……むぅっ、くぅん……はむっ、ちゅっ」 「んむぅっ、ふあぁっ……んう、んちゅ、あふっ、はふぅ」 口いっぱいに肉棒を頬張り、唇で刺激してくる。 「ああっ、んっ、ちゅうっ……はむっ、んく、ぺろ……ちゅるっ、ちゅ」 「じゅるっ、んふっ、はあぁっ……あっ、ちゅ、んっ」 根本まで陰茎をくわえ込む。 温かい口内に刺激され、快感で腰が蕩けてしまいそうだ。 「はぁっ、んちゅ、ぺろ……ちゅっ、んくっ、んふ……っ」 「んふぅ、ぢゅうっ、うっ……れろ、ちゅるっ……あんっ」 ぎゅっと唇をすぼめて強い刺激を与えてくる。 「んくっ、ちゅぅ……はふ……んちゅっ、んく、ぺろ……ふあぁっ、んちゅ」 「うんっ、んむ……あっ、んふ、くあ……んむぅっ、ああっ……」 亀頭の裏を、佳奈の舌が巧みに這っていく。 以前、気持ちいいと教えたせいか、執拗に同じポイントを攻めてくる。 「ま、待ってくれ。そこは……」 「んふふ……気持ちいいんですよね?」 「気持ちはいいけど、そこばっかり刺激されると……」 「遠慮なさらず、出していただいていいですよ、お客様?」 挑発的な目で佳奈が見上げてくる。 出したいのは山々だが、せっかくの機会。 簡単に射精してはもったいない。 「佳奈、お尻見せて」 「んむっ、ちゅぱっ……え……?」 「あと、自分で触ってくれると嬉しい」 「んっ、んぁっ……さらっとすごいオーダーしますね……」 「完全、裏メニューですけど」 「だめか?」 「仕方ないですね、お得意様ですから」 俺の物を咥えたまま、佳奈がスカートをずり上げる。 黒いストッキングに包まれた小ぶりなお尻が顔を見せた。 「かわいいお尻だ」 「んふぁ……うう……」 相当恥ずかしいらしく、すぐにうなじが赤くなる。 「手も頑張ってくれ」 「ふぁい……」 自分の秘部に手を伸ばし、もそもそと動かし始めた。 「あんっ、ふぁっ……やっ、んむ……ちゅくっ、ふぁ、はぁっ」 「くぅんっ、んはぁっ……あふっ、んん、はぁ……ふあっ、うぅんっ」 ときどき上目遣いでこちらを見つめてくる。 その表情がたまらなくかわいかった。 「ふぁっ……ちゅ、んぷっ、くんん……あうぅっ、ぢゅっ」 「……ふ、んあぁっ、ちゅっ、うんんっ、はむ……じゅるっ」 気持ちよくなってきたのか、佳奈のお尻が左右に揺れ始めた。 肉棒を咥えながら快楽に耐えている姿が、何とも扇情的だ。 日頃の佳奈からは、想像もできない。 「ちゅ、れろっ、んん……んあっ、んふぅ……ちゅぷっ、くぅんっ」 「んっ、ぢゅっ、はん……やっ、んはぁっ……ちゅく、ちゅう……っ」 「うっ……」 肉棒を強く吸い上げる佳奈。 凄まじい快感に、我慢しきれずに声が漏れてしまう。 「ふぁっ、ぴちゅっ……やぁっ、ん、んはぁっ、ちゅ、うぅんっ」 「はあぅ、ぢゅっ、んく……あふぅっ、はんっ、あ……ちゅうぅっ」 フェラをしながら腰をくねらせる佳奈。 佳奈も、だいぶ来ているようだ。 「もう、良くなってきてる?」 「ちゅるっ、んぱぁっ……んっ、はい……」 「佳奈のかわいい顔を見せてくれ」 「うう、そんなこと言われたら……」 顔を真っ赤にしながらうつむいてしまう佳奈。 「でも……筧さんも一緒にお願いします」 「わかった」 「はむっ……んっ、んあ……ちゅるっ、んふっ、んちゅっ」 「んっ、んむぅっ……はっ、じゅるっ、ちゅぱ……んぷっ、ふあぁっ」 ずっと咥えっぱなしで苦しいだろうに、健気に頭を動かし続ける。 「んはぁっ、くんんっ……ちゅぷっ、んくっ……ちゅっ、んあぁっ」 「うぅんっ、んぁ……んむぅっ、やぁんっ、ん……ぺろ、ふぅんっ」 佳奈の身体が小刻みに震えている。 襲ってくる快楽に耐えながら、必死で頑張る佳奈。 「あっ、ん、ちゅ……あうぅっ、やっ、んぅっ……あふっ、んくぅっ」 「ふぁっ、んむ……んくぅっ、うくっ、んっ、ふぅっ、んんん〜っ」 口の動きが止まり、何かに堪えるかのように目を細める。 「無理しなくていい」 「んん〜……」 咥えたまま、ふるふると首を横に振る。 「うぅっ、じゅる……んむぅっ、はぁ……ぺろろっ、ふぅんっ」 「あっ、はんんっ……ふあぁっ、うく……あふっ、ちゅ、んむっ」 口の動きに加えて、手で肉棒をしごいてきた。 刺激が倍増し、さらなる快感が走る。 「んむっ、んちゅ……くっ、あっ……ちゅうっ、んくっ、ぴちゃっ」 「はぅ、れろっ、ちゅぷ……やぁんっ、ちゅっ、ちゅぷっ」 温かい口の中で舐め尽くされ、根本から熱いものがせり上がってくる。 「うあぁっ、あふぅっ……んっ、じゅるっ、ん、ちゅぱっ」 佳奈の舌がペニスの上を這い回る。 これ以上我慢できない。 「く……出そうだ」 「んっ、ちゅぱっ、んっ……出して、出してくださいっ……」 「ふあぁっ、んく、ぴちゅっ、あふっ、ちゅ、んちゅっ、ちゅうっ」 激しく口と手を動かし、一心に肉棒へ刺激を与えてくる。 「んっ、あんんっ、んっ、ふあぁっ、ちゅ、あんっ、はぅっ、じゅるっ」 「はんっ、くっ、ちゅぷっ、んく……うぅんっ、ちゅるっ、あふぅ……っ!」 びくっ、びゅるっ、どくっ、びゅくっ! 「あぷっ、んぅっ、んく……」 「こくんっ、こくっ……」 佳奈の口の中に、溢れんばかりの精液を吐き出す。 「んくっ、こくっ……んっ、んぁ……ごくっ……」 脈を打ちながら、大量の白濁を佳奈の口に注ぎ込んでいく。 「んっ……はぁっ、んん……んく、んはぁ……っ」 佳奈は俺の出したものを、ほとんどこぼさず飲み干してしまった。 「んくっ……んっ……」 「ぷはあぁっ……」 「ふあぁっ、あっ……はあっ、はあっ……はぁ……」 「お客様……ご満足いただけましたか?」 「ああ……腰が抜けるかと思った」 「えへへ、なら良かったです」 「佳奈は、俺のツボがわかってる気がする」 「筧さんの表情を見て、真面目に研究してますからね」 「日々これ努力ですよ」 今でも十分気持ちいいのに、このまま成長を続けたらどうなってしまうのか。 「早く、一流の筧さんマスターになりたいですねぇ」 「もう十分なってる気がする」 「いえ、マスターを名乗るのは、筧さんを1分で満足させられるようになってからです」 「瞬殺じゃないか」 立つ瀬がなくなるな。 「へへ、冗談です」 「でも、満足してほしいってのは嘘じゃないですよ?」 「これ以上うまくなったら、佳奈無しじゃ生きていけなくなるよ」 「そこが狙いです!」 「……なーんて」 「ともかく、ありがとう」 上気した佳奈の頬を撫でる。 「どもです、お客様」 ほがらかに笑う佳奈。 本当に、佳奈は笑顔がかわいらしくて悩ましい。 「……わ、また大きくなりましたよ」 「ふふふ、本当に素直な子ですね〜」 ぺろっと肉棒を舐めてくる佳奈。 「待ってくれ」 「次は、俺が佳奈を気持ちよくしたいんだ」 「それはー……中に入れたいってことですか?」 「まあ」 「んー、どうしよっかな」 イタズラっぽい目で見てくる。 「嫌か?」 「まさか、じらしただけですよ」 「面と向かって言われたら、ちょっと照れるじゃないですか」 「そりゃそうか」 「でも、嫌ってことはないですよ……私は、ほら、いつでも……」 顔を赤くして、尻すぼみになる佳奈。 その純情さに胸が熱くなる。 「じゃあ、佳奈……」 「お願いします、いっぱい筧さんを感じさせてください」 佳奈をベッドの上に四つん這いにさせる。 「わっ……筧さん……」 更に、ストッキングと下着をまとめて下ろす。 「い、いきなりは……その、恥ずかしいというか……」 「ずいぶん濡れてたから」 「……うあぁぁぁぁ……」 佳奈が顔を真っ赤にする。 「じゃ、じゃあ……その、もう準備できてますので……」 「さっき、佳奈を気持ちよくしたいって言っただろ?」 指先で、佳奈の秘所に触れる。 「ひゃんっ!?」 熱いぬめりが俺を出迎えた。 少し力を入れれば、すぐに奥まで入っていきそうだ。 「んん……あ、く、はぁっ……筧さぁんっ……」 「ふっ、あぁっ……んっ、脱がしてくださいよぉ……」 「せっかくなんだから、アプリオの佳奈を楽しませてくれ」 「くぅんっ……はっ、んん、ふあぁっ……わかりました……」 わかってくれたようだ。 俺は佳奈の秘部に顔を近づける。 「わ、ちょっとタイムですっ」 「あの、筧さん……何をするつもりなんですか?」 「気持ち良くするよ」 佳奈の秘部を、指でほぐすようにこねくり回す。 「やっ、だめですよ、そんなとこっ……」 「大丈夫」 お尻を振って抵抗する佳奈を押さえて、佳奈の秘部に口をつける。 そのまま、一番柔らかいところに舌を食い込ませた。 「やっ……筧さん、そんな……んっ」 「あぁっ、んっ……だめ、駄目ですって……ああっ」 「んくっ、あん……はうぅ……く、ふぅんっ……」 「ああっ……んあぁっ、やっ、ホント、汚いですからぁ……」 「佳奈だって口でしてくれたじゃないか」 「そうですけど……んっ、はうぅっ、ふくぅっ、んああぁっ……」 漏れ出てくる愛液で、秘肉がぬるぬるになっている。 その上をじっくりと舌でなぞっていく。 「んはぁっ、あんっ、ふあぁ……あうぅっ、はっ、ん、あぁ……っ」 「うあぁっ、うく、んうぅっ……あくぅっ、ああ……うぅんっ」 太ももを小刻みに震わせる佳奈。 そんな佳奈の尻をがっちりと押さえ、舌を尖らせて奥までめり込ませた。 「あんん……やあぁっ、あぁん……ひああぁっ」 「んふぅっ、はあぁ……んんんっ、うく……やっ、ああぁっ……」 舌を動かしながら、手を乳房に伸ばす。 「ああっ!? んっ、あふ……んはぁ……ん、あぁっ、はあぁん……!」 「あんっ、んうぅっ……や、もうそろそろっ……」 二つの膨らみを包むように揉みしだく。 「ふあぁっ……恥ずかしいです……」 「佳奈、かわいいよ」 「んく……もう、筧さんっ……そう言っておけば、何してもいいと思ってませんかっ……?」 「半分思ってる」 「あんっ、やっぱり……でも、そうなんですけどね……」 佳奈の秘部を舌で刺激しながら、両手で胸を愛撫する。 「んくっ、あふぅ……うあぁっ、あんっ、あ、うんん……っ」 「んうぅっ……くっ、ひあぁ……うあぁっ、や、んふぅ……っ」 佳奈の声のトーンが跳ね上がった。 やはり、両方いじられると気持ちいいらしい。 乳首を指で軽く潰しつつ、お尻に顔を埋め、陰部を攻め立てる。 「んあぁっ、うあぁっ、やっ……筧さんっ、そんなにぐりぐりしたらっ……」 「やっ、んあぁっ、き、気持ちよくなっちゃいます……っ」 「なってほしいんだ」 「うあぁんっ、あくぅっ……で、でもっ……このままだと、イっちゃいますっ……」 「あんっ、やあぁ、ん……くんんっ、うあぁっ……くぅんっ」 びくん、と佳奈の身体が大きく跳ねる。 かなり快感が高まっているようだ。 「はあぁっ……はあぁ……」 「ちょっと、ホントまずいですよ……」 「どうして?」 手を止める。 「だ、だって……気持ちよすぎて大変です……」 「いいじゃないか」 「それは、そうなんですけど……」 といっても、自分が気持ちよくなってるところを見られるのは、正直恥ずかしいものがある。 「俺だって佳奈の口でイかされたんだ。恩返し的な?」 「的な? じゃないですよ」 「大体、筧さんは気持ちよくないじゃないですか」 「十分楽しいから心配しなくていい」 「うぅん……そこまで言うなら……」 「それじゃ、もっと強くするな」 「もー……!」 顔を寄せると、目の前で充血した佳奈の秘部がひくついている。 俺にさんざん攻め立てられ、秘部は愛液でべとべとに濡れていた。 「うあぁ……恥ずかしいよぉ……」 俺は秘部に舌を伸ばす。 割れ目の奥に折りたたまれた陰唇に舌を差し込んでいく。 「んんっ!?」 佳奈の身体が震える。 「んっ……さっきと、ぜんぜん……あうっ」 「筧さん、あの……ひぅっ、うあぁんっ……刺激が……あああっ」 舌の先でほじくるように、佳奈の膣口を刺激する。 少し力を入れ、ずぶずぶと舌を奥へと入れていく。 「ひゃうっ……や、駄目っ、駄目です駄目ですっ」 「あんっ、やあぁっ、あ、んっ……くんんっ、うあぁ……っ」 「やっ、ああぁっ……く、あんっ、んあぁっ、ふぅんっ、ひああああぁっ!」 胸を揉みながら、舌を動かして佳奈の膣内を味わう。 「うあぁっ、だ、だめっ……それ、気持ちよすぎますっ」 「んっ、筧さぁんっ、そ、そんなのすぐイっちゃいますよぉっ……」 佳奈が腰を揺らすせいで舌が抜けてしまった。 今度は、腰の動きに合わせて陰唇にしゃぶりつく。 「あくっ、ほんと、もう駄目ですから……ああんんっ」 「んくっ、あふぅ……うあぁっ、あうぅっ、あ……はんっ、うんんっ」 佳奈の腰ががくがくと震える。 胸を揉むのは片手にし、もう片方の手で佳奈のお尻を押さえる。 「かけい……筧、さん……身体が、しびれて……」 「くあぁっ、くんんっ……あふぅっ、ひあぁっ……ふぅんっ」 ぐっと佳奈の身体が弓ぞりになる。 舌を陰唇に密着させ、クリトリスごと、めちゃくちゃに舐め上げた。 「んっ、やあぁっ……うああぁんっ」 「うああぁっ、も、もう……筧さんっ、もう来ちゃいそうですぅっ……」 「ひんっ、だめっ、だめだめっ……我慢できないよぉ……っ!」 言葉をかける代わりに、より一層激しく佳奈を攻める。 「んあぁっ……ふぁっ、も、だめぇっ……あうぅっ、んああぁぁっ!」 「あっくぅっ……イ、イクうぅっ……んんんっ、あううううぅぅぅぅっ!!」 「ああっ、あああっ……ふあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 身体中が強ばり、ぎゅっと目をつぶる佳奈。 びく、びくんと数度、身体が痙攣する。 「はああぁっ、はあっ、あぁっ、あはぁっ……はあっ……」 「うぅっ……、はあっ、はぁっ……ふぁ……」 身体を震わせ、荒い息をつく。 「あっ、はあっ……ああ……ふあぁ……」 「ああ……はぁ、イっちゃいました……」 がくっと身体の力が抜け、へたり込みそうになる佳奈。 「気持ちよかった?」 「うぅ……もう、気持ちいいに決まってるじゃないですかぁ……」 「身体に力が入らないですよ……」 それならよかった。 「口でしてくれたお礼がしたかったんだ」 「それもう……優しいんだか負けず嫌いなんだか……」 「どっちもだな」 「ふあぁ……見事にやられました……」 佳奈がぐったりした。 嬌声をさんざん聞かされ、こっちは用意万端整っている。 ガチガチのペニスに難儀しながらズボンを脱ぐ。 「ん……あれ?」 「筧さん、いつの間に脱いだんですか」 佳奈が絶頂の余韻に浸っている間に脱ぎ終わっていた。 「今」 「あっ……」 肉棒を佳奈の秘部にあてがう。 熟れきったそこは、焼けるように熱い。 佳奈の受けた快感が、そのまま伝わってくるようだ。 「ま、待って、ちょっと待ってください」 「私、今イったばかりなので……その、インターバルを……」 「佳奈なら大丈夫だ」 「無茶苦茶ですよぉ」 「ほら、アルバイトにも休憩がありますよね?」 「入れるよ」 「あ〜ん、筧さ〜ん……」 非難の声を上げながらも、抵抗はない。 ぬるぬるの女性器に肉棒を突き立てる。 「うっ、うああぁぁっ、んくぅ……ふああぁぁっ」 「あっくうぅっ、は、入ってきたぁ……ひんっ、くうぅんっ……」 佳奈の身体が跳ね、膣壁がぎゅうっと俺のものを締め付けてくる。 しかし佳奈の膣内は愛液でどろどろになっており、肉棒の侵入を止めることはできなかった。 愛液に導かれ、ぴったりと奥まで入ってしまう。 「ふああぁっ、あんん……ううぅっ、筧さんで、いっぱいです……」 「くぅんっ、き、気持ちよすぎますよぉ……」 「俺もだ」 ペニスが、佳奈の内部に隙間なく包まれている。 「んっ……それならよかったですっ……」 「動いてもいい?」 「それっ……待ってって言っても聞いてくれないんですよね……?」 「いいですよ……好きにして下さい」 「最初はゆっくり動くよ」 膣奥まで挿入したペニスを徐々に抜いていく。 「ふああぁぁ……く……ひうぅっ、や……んくっ……」 「くっ、はぁんっ、ああっ……やぁっ、んく、ああぁっ……」 亀頭が見えるまで引き抜いた後、再び佳奈の中に肉棒を埋めていく。 奥の壁を叩くと、佳奈の身体がびくんと跳ねた。 「んっ、奥がすごく……こすれてますっ……」 佳奈が前屈みなので、そり立ったペニスが強く膣壁をこすり上げていた。 「ひあぁっ、はっ、んうぅ……くんんっ、やあぁ……ん、はうぅ……」 「あふっ、うぅん……んあぁっ、ううぅ、はんん……やあぁんっ」 みっちりと詰まった肉壁をかき分ける度に、じんわりとした快楽が走る。 佳奈の愛撫をしている間ずっと我慢をしていたので、より気持ちよく感じられた。 「ふあぁぁ……ん、うぅ……ああぁっ、あ、んっ、はんっ、くうぅ……」 「うぅっ、うあぁ……あんっ、はっ、く、あぁっ、ううぅ……っ」 少しずつ動きを早くしながら、佳奈の膣内に肉棒を押し込む。 ぎゅうぎゅうと膣壁で締め付けられ、思わず声が漏れる。 「くっ……んっ、んうぅっ、か、筧さんも、気持ちいいですかっ……?」 「ああ、すごいいいっ……」 「ふあぁっ、んん……よかったですっ、うぅんっ、くんん……っ」 「も、もっと気持ちよくなってくださいっ……うああぁっ」 襲いくる快楽に耐えながら、笑顔を向けてくれる佳奈。 本当にかわいい。 「わかった……っ」 佳奈の尻を両手で掴み、一気に引き寄せる。 「んああぁぁっ、ん、ああぁ……うぅんっ、はっ、あ、んっ、ひあぁっ」 「あうぅっ、んあっ、くあぁっ、す、すごい、気持ちいいっ……やぁっ、ああぁんっ」 佳奈の膣内が締まり、根本から絞り取られるような快感に襲われる。 強烈な刺激に、射精感が高まっていく。 「ああぁっ、きゃぅんっ、ひぅっ、う、あ、あぁ……か、筧さぁん……っ」 「んああぁっ、あぁっ……は、激しいですよぉっ……んああぁぁっ!」 熱くてとろとろの膣内に、これでもかと言わんばかりに肉棒をねじり込む。 互いの下半身が激しくぶつかり、水っぽい音が響く。 「やっ、ひんっ、ふあぁっ! う、あぁっ、あふぅっ、んん……っ、ふああぁっ」 「くうぅっ、はあぁんっ……やっ、あふ……ああぁっ、あうぅっ、ああぁっ!」 「くっ……」 息が切れるのも構わずに全力で佳奈の奥を突き続ける。 熱くなった肉棒が、溶けて佳奈と一体になってしまったかのような錯覚を覚える。 「やあぁっ、んくぅ、ああぁっ、あ、うっ、はああぁっ、んくっ、くああぁんっ」 「ふあぁっ、んぅっ……もうだめぇっ……か、筧さんっ……私、イっちゃいますっ……」 「俺もイキそうだっ……」 「うんんっ、きて、来てくださいっ……私の膣内にっ、いっぱいっ……」 腰を震わせながら懇願してくる佳奈。 「くっ……いいのか……?」 「はいっ……筧さんを、中で感じさせてくだいっ……」 突かれる度に、佳奈の小ぶりなおっぱいがぷるぷると震えていた。 乳房に手をやり、ぎゅっと握る。 「うああぁぁっ、あっ、んんんっ、胸だめぇっ……ふあああぁぁっ」 「あっ、んん、んっ……筧さんっ、筧さぁんっ……!」 「ううぅんっ、あっ、ふぁ……筧さんっ、ふぁああああ……っ!」 「佳奈っ」 互いに見つめ合いながら、高みへと達する。 「あああっ、ふああぁっ、もう我慢……できませんっ……!」 「んっ……んああぁぁっ、イクっ、イきますっ……ああぁっ、筧さんっ……!」 「あっ、あああぁぁっ……んんんんんんんっ、あああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 びゅるっ、びくっ、どくっ、びくっ! 「ふああぁっ、あううぅ……うあぁっ、あふっ、んあぁっ……」 佳奈に腰を打ち付けた瞬間、我慢に我慢を重ねたものが爆発した。 頭が真っ白になるほどの快感と共に、佳奈の膣奥へ一気に精液を放出する。 「ああぁっ……っ、ふうぅっ、ああ、来てる……筧さんのがいっぱい、来てるっ……」 「っ、はぁっ……ああ、温かいです……すごい、幸せ……」 身体をぴくぴくと震わせながら、小さく呟く。 ため込んでいた白濁を全て吐き出そうと、肉棒が脈を打った。 「んっ……あっ、筧さんっ……胸が潰れちゃいますっ……」 射精の快感で身体の自由が利かず、つい力がこもってしまう。 何とか胸から手を離し、代わりに佳奈の身体を後ろからぎゅっと抱きしめる。 「佳奈っ……」 「ぁっ……筧さんの、まだびくびくしてますね……」 精液を出し終えて、一気に力が抜ける。 「筧さん、大丈夫ですか?」 「身体に力が入らない……」 「ふふ、さっきの私と同じですね」 「あっ……」 身体に鞭を打ち、何とか佳奈から肉棒を引き抜く。 「きゃんっ……ああ、筧さんのが……出てきちゃいます……」 佳奈の膣口からは、俺が出したばかりの白濁の液体が大量に漏れ出てきた。 「すごい量ですね……どんどん出てきます……」 「悪い、出し過ぎた」 「いえ、嬉しいです」 「筧さんが私でいっぱい気持ちよくなってくれたって証拠ですから」 溢れ出てきた精液は、布団や佳奈のパンツ、そしてアプリオの衣装へとこぼれ落ちていく。 「制服、汚れちゃったか」 「あはは、これはアプリオをご利用の皆さんには見せられないですねぇ」 「俺も利用者の一人なんだけど」 「筧さんはいいんです」 いいらしい。 「とにかく、服を脱いで風呂に入ろう」 「はーい」 「あ、一緒にですか?」 「もちろんだ」 「えへへ、やったぁ」 それだけのことで喜んでくれる佳奈。 俺は幸せ者だ。 風呂上がり。 「……筧さん、どうぞ」 「サンキュー」 佳奈が氷を入れた水を持ってきてくれた。 「はあ……生き返るなあ」 「いっぱい汗かきましたしねえ」 「そうだな」 ベッドは二人の汗やら何やらで、ところどころシミができていた。 「……ところで、何でまだその格好なんだ?」 「いやあ、そう何度も借りてこられるわけじゃないですしね」 「もうちょっと頑張ります」 「ベッドとその服、あとで洗濯しないとな」 「はーい」 「明日はバイト?」 「ありますけど、もう一着予備があるので大丈夫です」 「しっかりクリーニングしときます」 眩しい笑顔を浮かべた佳奈の頭を、ぽんと撫でる。 「そういえば明日から新学期か」 「夏休み、あっという間でしたね……」 浮かれた時間が終わり、再び生徒の日常に戻ることになる。 佳奈といられる時間が減ってしまう。 「今日は、思い切りはっちゃけましょうよ」 「何する?」 「ふふ、筧さん専属ウェイトレスに何かご用はございませんか?」 「もう十分に尽くしてもらっているけどな」 「……あー、じゃあ、もう少し近くに寄ってくれ」 「はいっ」 佳奈が小さな身体を俺に寄せてきた。 「佳奈の身体、熱いな」 「そりゃもう、色々あってアツアツです」 「色々?」 「えー、それは聞かないでくださいよ」 「聞きたいな」 「筧さんへのラブ熱です」 「それだけ?」 「あとはー……筧さんに激しく求められちゃったからです」 「まだ身体の奥が少し痺れてますよ」 「大丈夫なのか、それ」 「いやいや、その、あーいうのの余韻が残ってるだけですから」 「身体に異常があるわけじゃありません」 「ならよかった」 「いや、よかったんですけど……ていうか言わせないでくださいよ〜」 「恥ずかしいなぁも〜」 ぐりぐりと頭を押しつけてくる佳奈。 「佳奈、よかったよ。最高にかわいかった」 「やですねえ、そんなこと言わないでくださいよ」 「これ以上私を惚れさせてどうするんですか?」 「もっと愛し合いたい」 「えへへ、了解です」 佳奈はさらに密着してくる。 「幸せだなぁ」 身動きが取れないほどの距離で、大好きな人の存在を感じられる。 それがこんなに幸福なことだとは。 「幸せですねえ……」 「でも明日から学園だし、そろそろ帰らないとな」 「えー」 既に夜の10時を過ぎている。 「帰りたくないです」 「俺も帰したくないよ」 「だったらいいんじゃないですか?」 「新学期の準備とか色々あるだろ」 「それに、佳奈は朝からバイトなんじゃないか」 「あー……バイトはしんどいですねぇ」 佳奈の朝は俺と違ってかなり早い。 「もう、どうして私たちが離れなくちゃいけないんですか」 「どうにかしてくださいよ、筧さん」 無茶ぶりだな。 「まあ、一緒に住めば離れなくても済むね」 「同棲ですか。いいですね」 「もういっそのこと、しちゃいましょうか」 「いや、まだ早いだろ」 「付き合って一ヶ月も経ってない」 「だってやなんです〜、離れたくないんです〜」 「やかましい」 頭に、びしりとチョップを入れる。 「あはは、すみません」 「いくら好きでもずっと一緒じゃ鬱陶しいでしょうし、筧さんは一人の時間も欲しいですよね」 「だから、冗談ですよ」 一人の時間、か。 図書部に白崎たちが来た時のことを思い出す。 それまでは、一人で本を読む時間が至上のひとときだった。 何者にも邪魔をされない時間、それこそが自分にとって必要な物だと思っていた。 でも、今は……。 「暮らしてみるか」 「え?」 「一緒に暮らそうか」 「……あのー、本気ですか?」 「さっき、まだ早いって言ってたじゃないですか?」 「気が変わった」 「変わるのはやっ!?」 「いやでも、私、かなり面倒な子ですよ?」 「知ってる」 「でも、俺にとって佳奈は、この世で一番大事な子なんだ」 「筧さん……」 一人の時間なんて、もういらない。 そんな時間があるなら、俺は佳奈と一緒に過ごしたい。 「同棲をする上での障害は?」 「えっと、私の寮は寮母さんとかがいるわけじゃないので、部屋にいなくても問題になることはないと思います」 「両親から連絡があるとしても携帯にかかってきますし……」 「筧さんさえご迷惑じゃなければ、問題はないです」 「それじゃ、後で必要なものを取りに行こう」 「筧さん……もう一度聞きますけど、本当にいいんですか?」 「佳奈は嫌か?」 「いえいえ、そりゃ筧さんと一緒にいられるならすごく嬉しいですけど……」 「俺だって同じだ」 「毎日、佳奈の顔が見たい。少しでも長く一緒にいたい」 「佳奈と一緒にいられない時間なんて、寂しいだけだ」 「本気でそう思ってる」 「……嬉しいです」 「筧さんにそう思ってもらえるなんて……」 「もう、このまま死んでもいいですね」 「勝手に死ぬなよ。まだまだやることがいっぱい残ってる」 「ふふ、何かありましたっけ?」 「結婚して俺のことを京さんって呼んでくれるんじゃなかった?」 「ああ……そうでした」 「まだまだ、いっぱいありますね」 佳奈の声は少しだけ眠そうだった。 心地よい疲労が、幸せなまどろみを運んでくる。 「筧さん」 「ん?」 「……私、手に入れましたよ」 「なにを?」 「欲するもの、です」 ああ、あれか。 『約束を守ること。さらばあなたの欲するものが与えられん。』という、例のメールのことだろう。 「佳奈は約束を守った?」 「さあ……どうなんでしょう。自覚はないんですけど」 約束とは一体何だったのだろうか。 「でも、きっと知らないうちに約束を守ってたんでしょうね」 「だから千莉がいて、筧さんがいてくれる」 「素の私を好きだって言ってくれる人たちが、傍にいてくれる」 「本当、幸せですよ」 きっと佳奈には、今までありのままの自分でいられる環境がなかったのだろう。 それなら、俺がその環境を作ってやらなければならない。 部屋のそこかしこに積まれた、数多の本に目をやる。 佳奈と一緒に暮らすためには本を処分しなければならないだろう。 一度読み終わったら二度と開くことなどないにも関わらず、こうして部屋に置かれているのは、こいつらが俺の相棒だったからだ。 かつての俺には、不安を切り開くためにこいつらの支えが必要だった。 だが、佳奈と共に生きる未来には不要だろう。 「佳奈……ずっと一緒にいよう」 「もちろんです、筧さん♪」 俺は祈る。 きっとどこかにいるであろう、俺たちの幸福を見つめている人たちに。 どうかこの幸せが、いつまでも続きますように―― 朝、いつものようにアプリオにやってきた。 佳奈はバイトなので、先に家を出る。 後から家を出る俺も、少しでも一緒にいられるよう、朝食はアプリオで食べるようになった。 「よっ」 「高峰じゃないか。どうしたんだ、こんな朝早くに」 「何となくな。まあ座れよ」 促され、同席する。 高峰の前には食べ終わった定食の膳が置かれていた。 「どもどもっ、ご注文はお決まりでしょうか」 「いつものね」 「はーいっ」 元気に答え、佳奈は去っていった。 もはやお決まりのやりとりだった。 「すっかり常連だな」 「そうね」 新学期が始まって2週間。 朝はここに通い詰めなので、メニューも固定化してきている。 「……で、どうなのよ」 「どうって?」 「佳奈すけとの同棲生活だ」 「あまり大きな声で言うなよ。一応秘密なんだから」 「おっと、悪い」 図書部のみんなには既に伝えたが、俺と佳奈は同棲を始めた。 部屋の整理に時間がかかり、一週間前からようやく一緒の部屋で過ごせるようになった。 「かなり快適だよ」 「いいよなぁ。毎日ご飯作ってもらってるの?」 「いや、交代で作ってる」 「佳奈だけにやらせてたら申し訳ないし」 「へえ、毎朝おにぎりと水で済ましてた野郎が手料理か」 「変われば変わるもんだ」 「そうだな」 自分でもそう思う。 佳奈との新生活は驚きと発見の連続だった。 今は毎日が楽しくて仕方ない。 「佳奈すけの方はどうなの?」 「かわいいよ」 「アホか、んなこと聞いねえっつの」 「どんな感じなのかってことだ」 そんな話をしていると、佳奈が料理を手にやってきた。 「お待たせしましたー、愛情いっぱいのラブラブ定食でーす」 「ありがとう」 本当はただの鯖焼き朝定食だ。 「佳奈すけ、俺もそれ1つ」 「すみませ〜ん、これ数量限定なんです〜」 「ちぇっ、だと思った」 「ていうか高峰さん、もう朝ご飯食べ終わってるじゃないですか」 「いやほら、デザートだよ、デザート」 「あ、それなら高峰さんにお勧めのデザートがありますよ」 「今日からスペシャルマンゴーパフェが200円引きなんです」 「朝からがっつり系だなぁ」 「大丈夫ですよ、高峰さんならぺろっといけちゃいますって」 「きーんと冷えててすっごくおいしいですよ〜」 9月も中旬に入ったとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。 冷たいという言葉にはかなり惹かれるものがある。 「よし、佳奈すけを信じて頼んでみよう」 「ありがとうございますっ」 伝票に素早くオーダーを書き記す佳奈。 「朝からそんなに奮発して大丈夫か」 「全然平気。夏休み中にバイトで結構稼いだからな」 「筧さんはどうします?」 「いや、俺はいいよ」 「わかりました」 「筧の時はやけにあっさり引き下がるな」 「そりゃ、筧さんに浪費させてもしょうがないですし」 「おいおい、俺ならいいんかい」 「おっと、すみません」 「でもおいしいのは本当ですし、200円引きでボリュームあって超お得なのも本当ですよ?」 佳奈がぺろっと舌を出す。 「ま、いいけどね」 「……鈴木さん、サボってちゃだめですよー」 ぬっと嬉野さんが現れた。 「う、嬉野さん……いつから朝シフトに……」 「今日はなぜだか、朝から来た方が面白そうな気がしまして」 謎すぎる。 「それはそれとして……いいですね、新婚さんは楽しそうで」 「いや、まだ結婚してないから」 「まだってことは、いずれ結婚する予定なんですか?」 「いやー……もちろんいつかはできたらいいなー、って思いますけどね」 「でもまだまだ先の話ですよー、あははは」 佳奈が猛烈に照れていた。 「筧君もその気なんです?」 「一応は」 「鈴木さん、一応だそうです」 「ひ、ひどい〜……私とは遊びだったんですか〜」 泣くふりをしつつ、指の間からちらっとこちらを覗いていたりする。 リアクション待ちだった。 「ほら、ここは男を上げるいいチャンスだぞ」 「ですねー」 「無茶ぶりもいいとこだな」 「そんな甲斐性ないこと言うなよ」 「そうですよ。頑張って周囲の期待に応えましょう」 俺に一体何をしろというのか。 しばらく考え込む。 「ふふ……もう、しょうがないですね」 佳奈が顔にかかった髪を指でかきあげ、近づいてきた。 「佳奈、なにっ……!?」 止める暇もなく、佳奈に唇を塞がれてしまった。 「んっ……」 「おー」 「本当に行きましたねぇ」 ふっと、佳奈の顔が離れる。 「佳奈、お前なぁ……」 「ふふっ、困ってる筧さんを見てたら、我慢できなくなっちゃいました」 唇を離して、こっそりと耳元で囁く佳奈。 「人前だってのに」 「えへへ、ダメですよねえ、私……」 これはきちんと言って聞かせる必要がありそうだ。 「まったく……仕方ない奴だな」 「罰ゲームでも何でもしますよ?」 佳奈がおどけて言う。 「んじゃまあ、そうだな、結婚でもしてもらうか」 「えっ……?」 ……その先、佳奈が何も言えないように。 今度は俺から、佳奈にキスをした。 「ごめんなさい。少し意地になっちゃってたかもしれません」 白崎がペコリと生徒会の役員達に頭を下げる。 「え? い、いえこちらこそ……」 多岐川さんも態度を軟化させた。 白崎の素直すぎる反応に戸惑ったようだ。 「こちらも、少し強く言いすぎたわね、ごめんなさい」 「い、いえいえ!」 「この件については白崎さんの意見を考慮して、生徒会でももう一度考えてみます」 「その結果をまた図書部にメールで報告するから、問題点を感じたら返信してちょうだい」 「前向きに検討するわ」 「政治家答弁みたいですね」 「私はすると言ったら、本当にします」 形のいい眉を少し吊り上げる。 望月さんまで拗ねてしまった。 「冗談ですよ、その辺は信じてます」 「そ、そう……」 望月さんの顔が少し上気した。 じっと見つめられる。 「……こほん。では、図書部との会議は以上、ということで宜しいですか? 会長」 「あ、そ、そうね」 望月さんが、表情を引き締める。 「今日はありがとう、筧君、白崎さん」 「お疲れ様でした」 意見がぶつかっていたが、それなりの地点に着陸できたんじゃないかな。 新参部隊の図書部にしては上出来だろう。 よし、撤退だ。 「帰ろう、白崎」 「うん」 「失礼します。今後ともよろしくお願いします」 そう言って、白崎とともに出口へと移動する。 「あ……」 「あ、あの、筧君」 「ん?」 「望月さん?」 廊下で望月さんに呼び止められた。 追いかけてきたのか。 「どうしました?」 「その、少し聞きたいことが……」 「何でしょう?」 「いえ、図書部のことではなくて……」 微かに頬を染めてうつむく。 おどおどしてるような、もじもじしてるような。 こんな望月さんは初めて見た。 「じゃあ、私は先に部室に戻ってるね」 「あ、おい、白崎……」 「大丈夫大丈夫。みんなには私が報告しとくから」 「それじゃね」 言って、白崎は一人行ってしまう。 顔が少しドヤ顔だったような。 『気を利かせた、私、偉い』オーラが漂っていた。 「筧君、一つ訊いていい?」 「はあ、どうぞ」 俺の思考は望月さんの言葉で中断させられる。 「さっきの会議だけれど、なぜ私の味方をしたの?」 「てっきり白崎さんの意見に賛同すると思っていたわ」 「何でと言われても……」 「皇太子に楽しんでもらうには、望月さんの意見が適切だと思ったからです」 「自分が図書部だからとか、そういうのは些末な問題ですよ」 「筧君……」 「協調性のなさには定評があるんで」 「生徒会役員に誘わなくて正解でしょう?」 「いいえ」 「貴方がますます欲しくなったわ」 ……〈藪蛇〉《やぶへび》だったか。 「ありがとう、筧君の考えはよくわかったわ」 「呼び止めてごめんなさい」 「いえ」 「じゃあ、また」 軽く手を上げて歩き出す。 「ええ、またね」 「筧と望月を二人きりにしてきた?!」 「た、玉藻ちゃん、図書室では静かにしないと」 「どうして、敵に塩を送るようなことをしたんだ?」 「女子力はどうした? どうして使わないんだ?」 「うーん、何ていうか、望月さんと筧くんって、何だかお似合いに見えたの」 「二人とも頭いいし、対等な分かり合える人達って感じがする」 「それに望月さん、やっぱりすっごく筧くん好きみたいだし……」 「そう思ったら、望月さんを応援したくなっちゃった」 「お前はどこまで、人がいいんだ……」 「鈴木じゃないが、世界遺産並みの人の良さだな……」 「ふふ」 「ふんふん〜♪」 「お帰りなさい」 「あ、うん、ただいま」 「さあ、もう一度、計画を練り直しましょう」 「……なんか、ご機嫌ですか?」 「そ、そんなことは。……さあ、仕事仕事」 「……ご機嫌だったと思うんですが……」 準備に追われるうちに、皇太子来訪の日はあっという間にやってきた。 「ここが、視聴覚室になっておりまして、その先が……」 桜庭を先頭に皇太子ご一同と、図書部が校内を練り歩く。 「こちらは音楽室です。施設はかなり充実していると思います」 桜庭の説明を、皇太子の横にいる白崎がすかさず英訳する。 完全にネイティブの発音で、こっちは単語しか聞き取れない。 すごいぞ白崎。 皇太子はそんな白崎の説明に熱心に耳を傾けている。 そして、時折、日本語で冗談を言ったりもする。 「いやー、あなどれないセンスをしてますよ、筧さん」 「さすが王室ですよね」 「いや、王室関係ないだろ」 「日本のこと、結構勉強してるみたいだな」 「忙しいはずですけど、立派な方です」 「くれぐれも、いつものノリで失礼をはたらかないようにしないとな」 俺達のデフォルトは失礼なのか。 が、通訳の白崎は、律儀に俺達の会話までも皇太子に伝えてしまった。 おいおい。 皇太子はすぐに大きな声で笑いだし、『イツモドオリデ、イイデスヨー』と言ってくれた。 和やかな空気が瞬時に出来上がる。 俺達はちょっと恥をかいたが。 「あ、そろそろお昼の時間だね」 「筧くん、アプリオに行こうか」 「ああ」 望月さんの尽力で、何とかアプリオで昼食を取ってもらうことが可能になった。 そのため、食堂周辺の警備は強化されている。 皇太子は今日の昼食を大変楽しみにしていたらしい。 この気のいい皇太子のために頑張って良かった。 食堂に一歩足を踏み入れると、大きなざわめきが聞こえてくる。 昼時のアプリオは、いつも通りの大盛況だ。 「いらっしゃいませ。お待ちしてました」 嬉野さんがいつもの笑顔で出迎えてくれる。 「予約席を頼んでおいたんですけど」 「はい、承っております。こちらへどうぞ」 嬉野さんに連れられて、席へと歩いていく。 その間、皇太子は周囲を物珍しそうに見渡していた。 「皇太子様、すっごく嬉しそうですね」 「ああ」 「良かった〜」 白崎達も皇太子の笑顔を見て、満足げに笑っていた。 食事が終われば、次は教師との懇親会。 皇太子の話し相手は教師が務めるはずだから、俺達の負担はぐっと軽くなるだろう。 なんとか無事に役目を果たせそうだ。 「すみません、こちらは予約席になっておりまして……」 「急にメンバーが増えちゃってさ、頼むよ。高いの頼むから」 「だいたい、学食で予約席って変じゃね?」 嬉野さんが困っている。 どうやら予約席にちゃっかり座って食事してる生徒がいたようだ。 「まずいな」 「皇太子のスケジュールは分刻みだ。すぐに食事をしないと後に支障が出る」 見ると嬉野さんも頑張ってるが、なかなかヤンチャな男子のようで埒があかないようだ。 「しゃーねーな、いっちょ俺が出張るか」 高峰が指を鳴らしながら、歩いていこうとする。 「ちょっと高峰さん、荒事はダメですよ」 ここでケンカ沙汰なんてそれこそ最悪だ。 他に席が空いていれば、いいんだが。 しかし、今はまさに昼食時だ。 そんなに、都合良くは―― 「あの、そこの皆さん、ここ空きましたから」 「窓に近いいい席ですよ、どうぞ」 「あ、ありがとう!」 白崎が親切な女子生徒の手を勝手に握って、ぶんぶん振った。 「い、いえいえ、どうぞごゆっくり」 そう言って、親切な女子の一団はサッと席を立つと出口へと向かう。 その中に。 「こんにちは、筧さん」 多岐川さんもいた。 「多岐川さんの友達だったのか」 「まあ友人でもありますけど」 奥歯にモノがはさまったような言い方をする。 「あの子達も生徒会の役員です。一年生ですけど」 「ああ……」 もしかして、生徒会も役員を何人か配置していたのか? 「あの程度のトラブルでおたおたしないでほしいです」 「ここまでして貴方達を気にかけている望月さんが可哀想ですから」 「じゃあ」 多岐川さんはそう言い残すと、すたすたと出口へと向かった。 この辺の手際の良さにはさすがに生徒会に一日の長がある。 勉強させてもらった、と感謝しよう。 「筧さん、早く座ってくださーい」 「筧、時間がないと言っただろう?」 「ああ、悪い」 俺は慌てて席についた。 望月さんに救われたか……。 「ええ!? 私が役員を配置したこと、筧君にバレたの?」 「はい、せっかくの望月さんのご厚意ですから」 「図書部の人達にもアピールした方がいいかと」 「……ふぅ」 「? どうしたのですか?」 「……きっと筧君、怒ってるわね」 「え?」 「内緒で役員を配置してたなんて、図書部を信頼していないと思われても無理もないでしょう?」 「ですけど、望月さんは図書部のメンツを立てるために、あえて内緒にしたんじゃないですか」 「その望月さんの優しさがわからないなら、筧京太郎もそれまでの男ということです」 「……しばらく図書部に合わせる顔がないわ……」 「……元気を出して下さい」 「あれ、望月さん」 「……あ」 皇太子を案内した次の週のことだ。 高峰と部室に向かう途中、ばったり望月さんに会った。 「よう、生徒会長さん」 「こんにちは」 「先週はお疲れ様でした」 「今日も生徒会の仕事ですか?」 「え、ええ、まあ……」 「じゃあ、私、多岐川さんを待たせているから……」 早々に会話を打ち切ると、望月さんはその場を去っていった。 「どうしたんかねえ、せっかく筧がいるってのに、逃げるように行っちまったぜ」 「忙しいんだろ」 「そう言いつつも、彼女の態度に内心、不安を隠せない筧京太郎であった」 「勝手に解説入れんなよ」 「もっちーを怒らせるようなことしたんじゃねえか?」 「いや、覚えがないな」 ……と思う。 イマイチ自信はない。 昼食時。 嬉野さんへの挨拶がてら、部員全員でアプリオへ向かう。 「あ、いらっしゃいませ」 「先週はお疲れ様」 「いえ、こちらこそ不手際があって、申しわけありませんでした」 嬉野さんが眉を八の字にして、表情を曇らせる。 「ううん、嬉野さんのせいじゃないよ」 「あの手のお客さんはどうしたっていますからね」 すかさず白崎と佳奈すけがフォローする。 「ああ、無理を言ってここに皇太子をお招きしたんだ」 「はい、感謝してます」 「そうそう、嬉野さんはそんな顔しないで、いつもスマイル、Lサイズのスマイルがいいよ!」 「ありがとうございます」 「では」 「嬉野スマイルLサイズです!」 「ぬおっ!?」 「佳奈すけより、すげー!」 嬉野さんは今、光り輝いていた。 ていうか、人間業を越えていた。 「1500円になります♪」 「値段あがってる?!」 「あはは」 「くすくす」 皆が笑顔になる。 「あ……」 「図書部の皆さん、こんにちは」 立ち話をしてるところに、生徒会コンビがやってきた。 「こんにちは」 白崎が明るく挨拶を返す。 「いらっしゃいませ〜」 そして、非番中の佳奈すけが営業スマイルを振りまく。 「お食事ですか?」 「あ、いえ……」 望月さんは、ちらちらと俺を見る。 視線がすごく落ち着かない。 「ごめんさい、また出直してくるわ」 そう言い残して、望月さんは俺達の前からそそくさと立ち去った。 「……すみません、今日は私も失礼します」 続いて、多岐川さんも望月さんの後を追う。 「何だ? 私達を見るなり」 「いえ、私達というより」 「筧さん、でしたよねー」 「いやいやいや」 俺が避けられてるのか? 「……筧、お前、マジで何かやったのか?」 「女性に不埒な事をするのは許さんぞ、筧」 「筧くんっ」 「まったく、覚えがないんだが」 とはいえ、望月さんの態度がおかしかったのは事実だ。 何か誤解されてたら困るし、気をつけておこう。 「みんな、ちょっと意見を聞かせてくれないか」 全員の視線が桜庭に集まる。 「新しい依頼が来たんだが……」 「……以上が依頼の内容だ」 桜庭が依頼内容を説明してくれた。 「弦楽部と吹奏楽部の仲裁ねぇ……」 高峰がはぁと息を吐く。 今度の汐美祭で、弦楽部と吹奏楽部はオーケストラを組んで演奏会を行うはずだった。 だが、互いに好きな曲を演奏したいと一歩も譲らず、未だに一度も合同練習ができていないらしい。 そんな現状を憂えた両部の一年生部員が、図書部に泣きついてきたのだ。 「未だに合同練習をしてないんじゃ、マズいでしょうね」 「最悪、汐美祭には出られません」 音楽の専門家にそう言われると、より深刻さは増した感じになる。 「じゃあ、一刻も早く仲直りさせないと」 「でも、これってよその部の問題ですよね」 「内部干渉っぽくありません?」 「確かに、悪くとられる可能性はあるな」 「でも、このままだと汐美祭に出られなくなっちゃうかもしれないよ」 「きっとたくさんの人が楽しみにしてると思うんだけど」 「やっぱ白崎はそう言うか」 「もちろんだよ」 笑顔で即答。 『学園をもっと楽しく』を旗印に俺達を集めた白崎が見過ごすはずもないか。 「とはいえ、図書部としてはよその部と遺恨は残したくねえよなあ……」 高峰も腕を組んで考え込む。 「図書部に依頼してきた子達が、部に居づらくなるのも避けたいです」 「依頼人の名前を出さずに解決できたらいいね」 「それ、難しくないですか?」 「活動の大義名分なしに行動するってことになるな」 「つっても俺達はただの図書部だし、何か権限があるわけじゃないし」 依頼もなしによその部に口を出すのはまずいか。 「いや、待て筧」 「見えたぞ」 決め台詞とともに、桜庭がぱちんと扇子を閉じる。 口元が不敵に吊りあがっている。 ちょっと嫌な予感がした。 「図書部に権限はないが、その権限を持っている組織がある」 「おい、まさか」 俺の嫌な予感はどんどん大きくなっていく。 「さすが筧、察しがついたようだな」 「察したくなかったけどな」 「あのー、すみません、この鈴木にもわかるように説明してもらえませんか?」 「わたしにも、わたしにも!」 佳奈すけと白崎が俺と桜庭の顔を交互に見やる。 「生徒会だろ?」 「その通り。彼らには皇太子の件で貸しがある」 「早速返してもらおうじゃないか」 やはりそうなるか。 図書部でこういう発想をするのは俺か桜庭くらいだろうけど。 「汐美祭のステージを仕切っているのは生徒会だ」 「ちゃんとステージに上がってもらえるのか、オーケストラの出来栄えはどうなのか確認したい……」 「などと理由をつければ、どちらの部も何もしないわけにはいかないだろう」 「あとは、生徒会長様に両方の部を取り成してもらえば、解決だ」 ふふん! とあごに人差し指と中指をあてて桜庭は得意げだ。 黒幕っぽい雰囲気が漂っていた。 「ほとんど全部やらせるのかよ!?」 高峰は驚きの声を上げる。 「桜庭さん、鬼ですね〜。素敵です」 そして、佳奈すけは微妙な賛辞を送った。 「前回はほとんどウチがやったんだ。いいじゃないか」 「う〜ん、生徒会に助けてもらうのは名案だと思うけど、あんまり何もしないのは、ちょっと……」 「わかりました! では図書部は、筧さんを現地に派遣しましょう」 「いや、なんで俺?」 なるべく生徒会とは距離を置きたいのだが。 「望月さんと対等に話ができるのって、筧さんくらいじゃないですか」 「言われてみれば……」 「納得の理由だな」 御園と高峰は佳奈すけに簡単に説得されていた。 「おい、そんなことないぞ。私だって」 「桜庭と望月さんが話すと、すぐケンカになる」 「向こうが売って来るんだ」 と、鋭い目をして高峰をにらむ。 「へいへい。まあ、そういうわけだ、筧」 「お前は今日から図書部の外務大臣だ」 「おめでとうございます!」 「頑張ってください」 「マジかよ」 思わず退部したくなってきた。 「冗談はともかく、筧くん、この件、生徒会と協力して解決できないかな?」 「やっぱり俺か」 「どうして、そんなに嫌なの」 「嫌っていうか、最近、望月さんに避けられてるっぽいんだ」 「ダメダメ、筧くん、もっと望月さんと仲良くしないと」 「これをきっかけに、仲直りして」 意外とスパルタな白崎である。 「筧、白崎部長のご命令だぞ」 「腹を決めろ」 「わかったよ」 「今から生徒会室に行ってくるから、さっきのメールを生徒会にも転送しておいてくれ」 「もうやった」 手回しのいいことで。 「行ってくる……」 俺は少し重い足取りで、部室を出た。 生徒会室の前まで来た。 入りづらいが、いつまでもここに立っているわけにもいかない。 意を決して、ノックを…… 「あら、筧さん」 する前に扉が開いた。 「そろそろ来る頃だと思っていました」 ああ、転送メールを読んだのか。 「どうぞ中へ」 「んじゃ、遠慮なく」 「本当は遠慮してほしかったんですが……」 「失礼します」 「あ、筧君」 「そう……筧君が来たの……」 うつむいていた。 やはり嫌がられているのだろうか? 「とにかく、座って」 「はい」 望月さんの正面の席に座る。 多岐川さんもいつもの定位置に。 「桜庭さんから転送されたメールの件ね」 「ええ、弦楽部と吹奏楽部がもめてるらしいんで、その仲裁を依頼されました」 「なんですが、図書部単独じゃ動きづらいんです」 「というわけで、生徒会に依頼されたという形で調査したりするのは可能でしょうか?」 「もちろん可能です」 即答してくれた。 「汐美祭のステージに彼らの合同オーケストラをあげるのは、生徒会の責任でもあります」 「今回の件は事前にトラブルの芽を発見できて、良かったと思っているわ」 「そうですか、安心しました」 望月さんはやはり話のわかる人だ。 気持ちのいいくらいの快諾に、ホッと胸を撫で下ろす。 「後の事は私が責任を持つわ。安心して」 「あ、いえ、待ってください」 ここからがちょっと難しい。 というか、ここが難しい。 「何?」 「生徒会の力はもちろん借りますが、今回の件は元々図書部に来た依頼なんで」 「図書部代表として、俺も手伝わせてほしいんです」 「え……」 俺の言葉を聞いて、目の前の会長の頬はどんどん紅潮する。 「そ、それは」 「筧君と、私がしばらく一緒に活動するということ……なの……?」 大きな目をさらに大きく見開く。 「そうなります」 「……う、うそ……そう……なの……」 もじもじしはじめた。 望月さんらしくない。 でもそのギャップが少し可愛らしいとも感じる。 「いえ、その必要はありません」 「汐美祭のステージに関することは、生徒会の管轄ですから」 「図書部はお呼びではありません」 いつも以上に鼻息も荒く、多岐川さんが反論してきた。 「俺達も、頼まれた以上、生徒会に任せてはい終わりってわけにも」 「それは図書部の問題です。生徒会には関係ありません」 つっぱねられる。 「邪魔はしないようにするから」 「筧さんはいるだけで邪魔なんです」 無茶苦茶な言いようだ。 俺に恨みでもあるのか? 「多岐川さん、何もそこまで強い言い方をしなくても」 望月さんがかばってくれた。 嫌われてなかったのか? 「筧君は筧君の責任を果たそうとしているのよ」 「それは悪いことではないでしょう?」 「そ、そうですが……あ、そうです!」 多岐川さんが慌て気味に、何かの資料を取り出す。 さっと目を通してほくそ笑む。 「図書部には今度、汐美祭でも私達の手助けをお願いしようと思ってたんです」 「そんなことを考えていたの?」 「はい、部の数は年々増えているのに、生徒会役員の人数はずっと同じです」 「ですから、ここは是非、筧さん率いる図書部にもご尽力いただこうかと」 俺は率いてないが。 「なるほど……それはいいかもしれないわね」 「はい! ですから、筧さんには別の仕事が……」 「でも、それなら今回の件を一緒に解決して、ステージの運営を任せるのが一番ね」 「は?」 「ほら、図書部にはミナフェスの実績があるし……」 「そうですね、みんなもすんなり入れると思います」 「その一環として、弦楽部と吹奏楽部の仲裁も手伝えれば」 「そうね、それがいいわ」 満面の笑顔。 顔は赤いままだが、嬉しそうだ。 「いいわね? 多岐川さん」 「……わかりました」 苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。 そして、キッとにらまれる。 多岐川さんには確実に嫌われているようだった。 「じゃあ、明日からしばらくこっちに顔を出すんで、よろしくお願いします」 椅子から立ち上がって、会釈する。 「こちらこそ、よろしくね」 「ふふ、やっと筧君がうちに来てくれたわ」 「いやいやいや、期間限定ですから」 「あら、残念ね」 望月さんが目を細めて笑った。 至って上機嫌だ。 俺を嫌っているなら、こんな顔はしない。 どうやら、俺の勘違いだったようだ。 なら、これまでの態度は何だったのだろう。 今日から俺の生徒会室通いが始まる。 手っ取り早く仲裁を済ませ、さっさと図書館に戻りたいものだ。 そのためにも頑張ろう。 生徒会室の前に着いてから、はたと気づいた。 現在の時刻は7時半だ。 こんな時間じゃ誰も来てないか―― と、引き返しかけたところで物音がした。 もう誰かいる。 俺はノブを手に、扉を開いた。 「おはようございます」 「おはよう、早いのね」 書き物の途中だった望月さんが顔を上げて、挨拶を返してくれる。 「早いのは望月さんだと思いますけど」 「ふふ、仕事は朝やった方が効率がいいもの」 そう言いつつもいつも夜遅くまで仕事してるよな。 つまり一日中仕事頑張っちゃってるということだ。 やっぱり俺にはとても無理だ。 本が読めなくなってしまうのは耐えられない。 「筧君、朝食は?」 「コンビ二で買ってきました」 白い袋の中のおにぎり1個とミネラルウォーターを見せる。 「それだけ?」 「朝はあんま食べられないんで」 「筧君は、普段から食が細いと思うわ」 「アプリオでも、ご飯を少な目にしてもらってるでしょう?」 「よく見てますね」 「それは……まあ……」 望月さんがうつむく。 が、すぐに顔を上げた。 「ともかく、きちんと食べなくては駄目。私達はまだ成長途中なのよ」 「栄養が足りなければ、骨も筋力も弱くなるわ」 眉根を寄せて注意される。 「はあ」 この上、家ではカップ麺ばかりとか言ったらどんな顔をされるんだろう。 「善処します」 「あまり善処する気のなさそうな返事ね」 「いやいやいや」 「まったく、仕方がないわね」 嘆息する。 「ちなみに、ここで食べても平気ですか?」 「どうぞ」 「んじゃ、失礼して」 おにぎりを取り出して、頬張る。 ミネラルウォーターで胃に流し込む。 朝食完了。 「随分早いお食事ね」 感嘆と呆れの入り混じった声だった。 「男の朝飯なんて、こんなもんですよ」 「消化に悪いわね」 「はぁ……何だか、筧君のことが色々と心配になってきたわ」 「まあまあ、俺のことは置いておいて仕事しましょう」 「なら、この資料に目を通しておいて」 クリップで閉じられた20枚ほどの紙の束だった。 中身を確認する。 例の合同オーケストラが使用するステージについて、事細かに記述してあった。 「わかりやすい資料ですね」 「要点が的確にまとめてあるから、頭に入りやすい」 「ありがとう。学年首位の筧君にそんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいわ」 「昨日、作った甲斐があったわね」 嬉しそうに微笑む望月さん。 「これ、昨日の夜だけで作ったんですか?」 「そうだけど? やっぱりどこか変?」 「いや、まさか」 すごい仕事の早さだ。 桜庭の事務処理能力に勝るとも劣らない。 「生徒会役員のすごさを実感しました」 「筧君だって、慣れればすぐできるようになるわ」 「どうかなぁ」 正直自信はない。 「ふふ、何ならお試し生徒会役員になってみる?」 「それはそれということで」 「じゃ、しっかり読ませてもらいます」 早々に話題を切り上げて、資料の熟読体勢に入る。 「……つれないわね」 拗ねたような口調。 ちょっと可愛いと思ってしまった。 「だから、その曲じゃあ、ウチの弦楽器が全然目立たないだろう?」 「じゃあ、そっちの提案した曲は何? 吹奏楽部はあんた達のオプションじゃないっての!」 弦楽部と吹奏楽部の部長を招集しての初会議。 開始5分で、もう言い合いが始まっていた。 「二人とも、もう少し冷静になってくれませんか?」 「いきなり感情的になってたら、話し合いにならないと思いますよ」 「な、なんだよキミは?!」 「生徒会にこんな人いた?」 「いえ、俺は図書部の筧です。以後、よろしくお願いします」 ここでようやく挨拶ができた。 「ああ、ウェブニュースで何回か見たことあるな」 「言われてみれば……」 「ていうか、図書部はこの件に関係ないじゃない!」 両部長から『部外者は黙ってろ』という言外の意味をこめた視線を向けられる。 「お言葉だけれど、彼は私が頼んでここに来てもらったのよ」 「会長がですか?」 「図書部には、汐美祭のステージ運営を手伝ってもらうつもりです」 「もちろん、それなりの権限は与えるわ。だから、図書部は立派な当事者なの」 「今日、筧君には私の希望でオブザーバーとして参加してもらったのよ」 「お願いだから、あまり彼をイジメないでね」 やわらかい笑顔を作り、両部長を見る。 笑顔なのに、どことなくプレッシャーを発しているように感じるのは何故だろう? 「イジメるなんて、いえ、そんなつもりは……!」 「ご、ごめんなさいね、筧君」 「いえいえ、気にしないで」 両部長の態度が一変する。 これが生徒会長のご威光か。 いや、望月真帆個人の実力か。 何にしても図書部単独で行動しないのは正解だった。 望月様々だ。 「私はどちらの曲も素敵だと思うけれど、どちらの部も譲らないのでは埒があかないわね」 「他の曲で、両部で妥協できる曲はないのかしら?」 望月さんが両部の顔を立てた折衷案を提示する。 「いえ、年に一回の汐美祭で妥協なんてできません!」 「ええ、吹奏楽部もそれだけは絶対に嫌です!」 突如二人の部長が連携した。 「でも、他に方法は……」 「お言葉ですが、会長は音楽の専門家じゃないですよね?」 「芸術には絶対譲れない一線ってモノがあるんです!」 「そうですっ!」 そこまで言うなら、二人で解決してほしいものだ。 こっちだって、好きで首をつっこんでるんじゃないんだが。 望月さんが、どれだけ忙しいと思ってるんだ? 「あの、すみません」 小さく手を上げて口を挟む。 「専門家じゃなくても、今のまま練習もしないんじゃ汐美祭に間に合わないのはわかります」 「望月さんは善意でこの場を設けたんです。そこは理解してください」 「筧君……」 「う……」 「す、すみませんでした……」 うなだれる両部長。 「いいのよ、わかってくれれば」 「さあ、全員が納得できる案を考えましょう」 そんな彼女の声で、会議は再開された。 「はぁ……困ったものね、あの二人……」 会議を終えて、望月さんと二人で小休止を取ることにした。 結局、この日、結論は出なかった。 両部の確執はただ単に選曲に関するモノだけではないようで、なかなかまとまらない。 ついには互いの容姿にまでケチをつけはじめる始末だ。 「かなり精神力を削られた……」 ティーカップを置いて、俺も息を落とす。 「思っていたより難問だったみたいね」 「難問というか、処置ナシというか」 正直、子供のケンカレベルだった。 「けれど、こちらから一方的に曲を押し付けるのは良くないと思うの」 「演奏のモチベーションは下がるでしょうね」 曲への思い入れが強いからこそ喧嘩になるのだ。 押しつけは最も嫌うところだろう。 「どうしようかしら……むむむ……」 望月さんが顎に手を当てて考え込む。 少し口をとがらせ、むむむと声を洩らしているのが、妙に可愛らしく見えた。 「時間をかけて考えてみましょう」 「そうね……今すぐには解決策が思いつかないわ」 「うん、今日のところは降参」 望月さんが微笑む。 いつもは落ち着いている雰囲気の彼女だが、こうしてみると普通の女の子だ。 「ねえ、筧くんはどんな本が好きなの?」 「ジャンルは決まってないですね」 「じゃあ、たとえば日本文学ならどうかしら? 太宰治とか夏目漱石とか?」 「そのへんは大体読んでます」 「望月さんは、好きな作家とかいるんですか?」 「志賀直哉かしら」 渋いな。 「以前、〈暗夜行路〉《あんやこうろ》を読んで感動したわ」 「あの人の文章は端正ですよね」 「そうそう。でも、景色が目に浮かぶのよね」 少し頬を紅潮させ、熱心に語る望月さん。 本当に好きらしい。 本の話が合うのはポイント高いな。 「あ、あの、望月さん」 いつの間にかそばに来ていた後輩女子がおずおずと話しかけてきた。 「あら、貴方は華道部の」 「は、はい! 先日は色々とご相談にのっていただいて、ありがとうございました」 「いいのよ、大したことじゃないわ」 「もう問題はない?」 「何もないです。部の皆、望月さんにとっても感謝してます!」 「そう、良かったわ」 「あ、つい話し込んじゃってすみません。それじゃあ!」 後輩女子は俺にまでペコリと頭を下げると、その場を去っていく。 「楽しい学園生活を」 その子の背に、望月さんはまた優しい声を投げる。 出口辺りで立ち止まったその子はまたペコリと頭を下げた。 「華道部で何かあったんですか?」 「部内の人間関係で少しね」 苦笑気味に言う。 「当事者の生徒にそれとなく近づいて、やんわりと注意してあげたわ」 イジメでもあったのだろうか。 これだけの数の人間がいれば、そういうこともあるか。 「そんなことまでやるのか……生徒会も大変ですね」 「あくまでも、やれる範囲でね。まるで図書部みたいかしら?」 「ええ、ちょっと思いました」 思考をさらりと読まれる。 「ふふ、実は最近こういう相談は減ってるのよ」 「きっと図書部のおかげね」 「なら、力になれて嬉しいです」 「え?」 望月さんが、意外そうな顔で俺を見た。 「俺、変なこと言いましたか?」 「いえ……私達のことをそんな風に思っていてくれたのね」 「図書部が生徒会を嫌ってると思ってました?」 「そこまでではないけれど、好意的だとは思ってなかったわ」 「うまく協力していければっていうのは、社交辞令じゃありません」 「そう、嬉しいわ」 「ちなみに、望月さんは俺たちをどう思ってるんですか」 「うーん、少し気に障るかしら」 望月さんが、冗談めかして笑う。 「実績は認めるけれど、やっぱり筧君を取られてしまったから」 「ははは」 笑って流すしかない。 「一応言っておくけれど、まだ諦めていませんから」 にっこりと笑顔で迷惑なことを言う。 でも、何故だろう。 今までみたいに嫌な感じはしない。 ──この空気なら訊けるかな。 「ひとつ訊いていいですか?」 「ええ、どうぞ」 「望月さん、ここんとこ、俺を避けてませんでした?」 「あ……ええ、そうかもしれない」 視線を外しつつも、正直に答えてくれた。 「理由を聞いていいですか?」 「俺が失礼なことをしていたのなら、謝りたいですし」 「え? 全然、全然よ!?」 望月さんが顔の前で手を振って否定する。 「むしろ、謝るのは私です」 「何でまた?」 話がまるで見えなかった。 「それは……」 望月さんは、先日の皇太子の件について話しはじめた。 アプリオに生徒会役員を秘密裏に配置してことで、俺達の気分を害したと思っていたらしい。 「こっちは助けてもらったんですから、怒ったりしませんよ」 「むしろ、さすがだなって思ってました」 「良かった」 心底ホッとしたという顔をする。 こっちこそ良かった。 女の子を暗い気持ちにさせたままなんて『人に優しく』の俺の主義に反する。 「さ、そろそろデートは終わりにして、生徒会室に戻りましょう」 「あんまり遅いと多岐川さんに叱られてしまうわ」 「デートって」 「ふふ、冗談よ」 ウインクして、微笑する望月さん。 案外お茶目な人だ。 「……ん?」 携帯で時刻を確認するともう9時を回っていた。 汐美祭のステージ関連の資料を読んでいたら、もうこんな時間か。 そろそろ帰るか。 が。 「多岐川さん、各部の来年度の予算はもう見積もれる?」 「運動部の半数近くがまだ報告書を未提出なので、難しいです」 「急いでね。大きな機材の修理とかがあったら、予算枠を簡単に超えてしまうわ」 「わかりました」 生徒会の皆様はまだ働く気満々であった。 今日一日居てわかったが、仕事量に対して、役員の数が少なすぎる。 改善すべきはまずそこなんだろうな。 「あ、筧君はそろそろ帰ってね」 「あ、はい」 「3日後にはまた、弦楽部と吹奏楽部との打ち合わせをするから、その時はまたお願いね」 望月さんは疲れた様子をまるで見せない。 でも、考えてみれば、図書部の依頼が入ったせいで彼女の負荷が増えたんだよな。 いくら借りを返してもらうとはいえ、こんな彼女の姿を見せられたら放ってはいられなくなる。 「あの、望月さん」 「ん? 何?」 目を細めて、俺を見てくれる。 「俺でよかったら、何か手伝います」 「……え?」 望月さんは俺の申し出に目をぱちくりさせる。 それはそうだろう。 今までずっと生徒会の勧誘を逃げ続けてきた俺がこんなことを言い出したのだ。 驚くのが当たり前。 「で、でも、筧君……」 「筧さんに手伝ってもらえることは、もうありません」 動揺する望月さんの言葉を遮るように、多岐川さんが割り込んできた。 「基本的に私達のしている仕事は、守秘義務が発生します」 「汐美祭のステージに関すること以外は、図書部の方にはお伝えできません」 「なるほど」 多岐川さんの迫力に気圧されつつ応える。 「そういうわけで、筧さんはお引取りください。お疲れ様でした」 「そう邪険にしないでくれ」 「じゃ、じゃあ、望月さん、また」 多岐川さんの頭越しに挨拶する。 「ええ、お疲れ様」 追い出されるようにして、生徒会室を出た。 いやまさに追い出された。 しばらく扉をじっと見る。 この向こうで望月さんはまだ働いている。 「お疲れ様」 ぽつりと口にし、俺は帰路につく。 なんだろう、この不完全燃焼感は。 生徒会室に何か置き忘れてきたような気分だ。 夏休みに入って数日。 休みだというのに、図書部には山のような依頼が持ち込まれてる。 というのも、汐美学園には夏祭りという珍しいイベントがあるからだ。 夏休みには生徒が一斉に暇になる。 帰省や旅行、バイトなどで街を離れる人も多いが、それにしたって夏休み期間中ずっとじゃない。 汐美学園では、生徒の多くが学校周辺に下宿している。 つまり、常時、数万人の暇な生徒が街をぶらつくことになるのだ。 夏祭りが生まれるきっかけは、溢れる暇人をターゲットにした探検部の宝探し企画だったらしい。 大した宣伝もしなかったのに、イベントは大盛況。 この実績を受け、他団体も様々なイベントを企画するようになる。 結果として、夏休み中は、毎日どこかで何らかの催しが行われることになった。 これが『夏祭り』だ。 今では、夏祭り研究部がイベント情報を一手にとりまとめ、ウェブ上でイベントカレンダーを公開している。 俺みたいな読書中毒患者はともかく、夏休み前の生徒の話題と言えば、夏祭りネタが鉄板だ。 といっても、今の俺の仕事は部活の仲裁だ。 「さて、と……」 朝食はどうするか。 確か冷蔵庫にはそろそろ賞味期限が危険域に達する牛乳があったはず。 シリアルも一食分くらいは、箱の底に残っていた記憶がある。 「それだけあればいいや」 望月さんが聞いたらまた、叱られそうな献立だ。 「顔洗ってくるか……」 ベッドから起き上がる。 「おっと」 待ってました、とばかりに携帯が鳴った。 「もしもし」 「もしもし、筧君?」 「望月さん、おはようございます」 番号を交換しておいたのが、早速役に立った。 「おはよう。ごめんなさいね、こんなに早く」 「別に構いませんよ」 「もしかして、起こしちゃったとか?」 「もう起きてました」 ギリギリだが。 「そう、良かったわ」 「何か急用ですか?」 「ええ、例の弦楽部と吹奏楽部のことなんだけど」 「昨日、廊下であの部長達が揉めたらしいのよ」 「暴力沙汰はまずいですね」 「そこまでは行ってないんだけど、かなりの剣幕で言い合いをしていたらしいわ」 「それを止めたのが職員の方で」 「揉めてるのが、職員にも知れ渡ったと」 「ええ、それで今日にも私、二人に会って話をするつもり」 「ああ、予定より早まったんですね」 電話の向こうで、望月さんがうなずく気配がした。 「一応、筧君からの依頼だから伝えておこうと思って電話しました」 「ちょっと待って下さい、望月さん」 「な、何?」 「もしかして、一人で会う気ですか?」 「そうだけど……」 「俺も同席します」 「でも、せっかくのお休みに悪いもの」 「筧君は生徒会役員でもないのに……」 「そんな遠慮のされ方は、嬉しくないです」 「俺の仕事でもあるわけだし、普通に呼び出してもらって大丈夫ですよ」 「押しの強い望月さんらしくもない」 「失礼ね。私だってちゃんとわきまえて押したり、引いたりしてるのよ」 「筧君の言い方だと、私がとても図々しい女の子みたい」 「少し傷ついちゃったわ」 「すみません」 「ふふ、ウソよ」 「嬉しいわ、ありがとう」 微笑する彼女の声が、何か耳にくすぐったい。 「じゃあ、待ってるわ。早く来てね」 「わかりました」 「それから……」 ん? 「男子に強く意見されるのって、久し振りだわ」 「……ああ、口調がきつかったらすみません」 つい興奮して。 「でも、嬉しいわ。どうしてかしら、不思議ね」 「これからも、そうしてくれる?」 「それは場合によります」 だって、望月さんは先輩で、生徒会長だ。 俺なんかが意見しなくちゃいけないような、間違った判断はそうそうしないだろう。 「つれないのね」 でも、当の本人は不服そうだった。 「すみません」 「ふふ、まあ仕方ないわね。いいわ、じゃあね」 望月さんはそう言い残すと、電話を切った。 「……」 しばらく携帯を見つめる俺。 「よし、行くか」 早足で台所に向かう。 朝食は行く途中で、オ二ギリでも買おう。 その方が早く、望月さんと合流できる。 「だから、その曲じゃあ、ウチが参加する意味がないんだよっ!」 「じゃあ、そっちの提案した曲は何? 吹奏楽部はあんたらのオマケじゃないのよ!」 二度目の会議のはずだが、何故か一度目をそのまま再現してる気がする。 事態は何も変化していない。 職員に注意されても、歩み寄ろうという姿勢はないようだ。 会議開始から、もうすぐ1時間経過しようとしている。 「二人とも、もう少し冷静になって」 望月さんの声にもどこか疲労の色が見える。 だろうな、俺だって実際疲れてる。 「会長、こっちは冷静ですよ、でも吹奏楽部が」 「はあ? どの口がそんな事言いますか!」 完全にケンカ腰だった。 もうどっちの曲がいいとかじゃない。 相手を倒すことに目的がすり替わっている。 「今年のウチの演奏を聴いたこともないくせに、こんな軽薄な曲を押し付けないでもらいたいな!」 「そっちだって、私達の演奏聴いてないのに、こんな古臭い曲を!」 まだお互いの技量も知らないのか。 ん? 待てよ。 それなら。 「望月さん」 隣の席の会長を見る。 「仮にこのまま合同練習ができなかったら、汐美祭はどうなりますか?」 「プログラムに一つ穴が空くことになるわね」 「今からじゃ、別の出し物の準備も難しいでしょうし」 「つまり、代わりになるネタがあれば、生徒会としては体裁が保てるわけだ」 「え? で、でも、それは……あ」 俺は驚く彼女の手の甲を軽く、指先で叩いた。 テーブルの下での行為。 正面の両部長には見えない角度。 「そ、そうね。一応の形にはなるわね」 何かを感じ取った望月さんが、すぐに俺に合わせる。 以心伝心だ。 「ええ!?」 「ち、ちょっと待ってよ! 私達、汐美祭に出られないってこと?!」 さすがに二人は焦りだす。 それはそうだろう。 突然汐美祭に出られなくなったなどと、他の部員に話せるわけがない。 このカードを切れば、彼らは嫌々ながらも協力するだろう。 でも、こんな形で表面上和解しても、演奏のモチベーションは超低空飛行に違いない。 それに、望月さんもこんなやり方は歓迎しないと思う。 上手い言い方はないか……。 「出場はできます」 「え?」 「ど、どういうことだ?」 「俺達が一番困るのは、汐美祭のステージで穴が空くことです」 「だから、保険をかけておきたいんですよ」 「保険?」 「両部が仲違いを続けて合同オーケストラが成立しなかった場合は、どちらか一方に出演してほしいんです」 「どちらかというと……」 「もちろん、人気がある方で」 「ならウチね」 「ああ? ウチだよ!」 また争いが激化した。 「ちょっと、筧君」 望月さんに『何、火に油を注いでるのよ』と目で叱られた。 『大丈夫』と、伝えるようにまた手の甲を軽く叩く。 「……」 望月さんが少し頬を染めてうつむく。 「ステージに上がるのはウチだ!」 「ウチよ!」 気がつくと、両部長は噛み付きそうな勢いで言い争っている。 「あの、不毛な争いは止めましょう」 「もうちょっと建設的かつ平和的に解決しませんか?」 「どうやって解決するんだ!」 「いいアイデアがあるなら、言ってみなさいよ!」 予想通りの反応が来た。 「わかりました」 「じゃあ、こんな方法は……」 会議を終えて、望月さんと並んで歩く。 「コンペねぇ……」 「どうしてこんなことになったのかしら」 望月さんは、俺の作戦に疑心暗鬼の状態だ。 「大丈夫ですよ」 「彼らの音楽に対する情熱と真摯さを信じてみましょう」 「本当に筧君の書いたシナリオ通りにいくのかしら?」 「ダメなら、また何か考えましょう」 「普通は、それもすでに考えておくべきよ、筧君」 確かにそう。 でも、現場で結果を出すには、こんな蛮勇も必要だ。 俺が図書部で学んだ事のひとつである。 「とにかく、こっちは元々俺達に来た依頼ですし、責任持って対処しますよ」 「でも、それじゃ」 「望月さんは他の仕事に専念して、たまには早く帰って休んで下さい」 「身体を壊してから後悔しても遅いですよ」 「筧君……」 「また9時過ぎか……」 過去10年間の合同オーケストラについての資料を読んでいたら、すっかり遅い時間になっていた。 「筧君、お疲れ様。もうお帰りなさい」 いったん書類を置いて、望月さんが俺を見た。 「望月さんは?」 「私はもう少し片付けてから帰ります」 俺は帰らすのに、自分は当たり前のように残るようだ。 「……手伝いましょうか?」 先日断られたことを再提案してみる。 「ふふ、ダメよ。多岐川さんに怒られてしまうもの」 「今日は、その多岐川さんもいませんから」 「いいえ。会長が規則を破るわけにはいかないわ」 「気持ちだけ受け取っておくわ。ありがとう」 やんわりと拒絶される。 最近仲良くなったとはいっても、やっぱり彼女は向こう側の人間で、俺はこっち側の人間だった。 手伝うことも許されないってのは少し寂しいな。 「なら、俺ももう少し資料読んでから帰ります」 「そう? なら、お茶を淹れましょう」 「美味しいお茶を家から持って来たの」 望月さんは微笑を作りながら、席を立つ。 「俺が淹れますよ」 俺も立ち上がる。 「いいから、ここは女の子に任せなさい」 望月さんは俺の席のそばにあるポットの方へと近づいてくる。 「これでも、美味しいお茶を淹れるには、色々と……きゃっ!」 俺の目の前で、彼女が突然体勢を崩す。 「おっと」 「あ……」 俺はとっさに望月さんを抱き止めた。 足元がフラついている。 やっぱり平気なフリをしていても疲労が蓄積しているのだ。 彼女のやわらかい感触が俺の上半身に染みこむように伝わってくる。 髪の匂いがした。 「か、筧君、あの……」 俺の腕の中で望月さんは、肩を微かに震わせていた。 反射的に俺は右手を伸ばす。 「……え?」 そして、彼女の頭を撫でていた。 お疲れ様という思いが伝わるように。 「か、筧君、その、あ、ええと……!」 「も、もう大丈夫だから、放し……」 「俺がもし」 「……え?」 「俺がもし、生徒会の役員になったら」 「望月さんを支えられますか?」 「っ!? か、筧君……」 望月さんが顔を上げる。 瞳が潤んでいた。 「あの、筧君」 「私……」 「私、前から、筧君のこと……」 多岐川さんに、以前念を押されていた。 引導を渡すなら、早いほうがいいと。 でも。 でも、俺は── 「望月さん、お仕事するなら私を呼んでください……あら?」 「あ……多岐川さん」 「お邪魔してます」 光の速度で俺と望月さんは離れ、定位置に座していた。 自分で言うのもなんだが神業だった。 「どうして筧さんがいるのですか」 「ここは、気軽に一般生徒が遊びに来ていい場所ではありません」 「お引き取りを」 多岐川さんは言いたいことをずらずらと並べた後、また俺をぐいぐいと出口へと追いやる。 「おいおいおいおい」 どこからこんな力が? 俺を追い出す時は、火事場の何とやらが機能するのか。 「多岐川さん、そんなにしなくても……」 「お疲れ様でした」 「おーい」 超事務的に挨拶されて追い出された。 多岐川さんには、目の敵にされてるなあ。 いい加減何とかしたいところだ。 次の日、状況報告を兼ねて図書部に顔を出す。 「よう」 「あ、筧くん」 「お疲れ様。何か困ったことはないか?」 久し振りに仲間達に囲まれて、平和な雰囲気にひたる。 で、報告。 五分後。 「なるほど、コンペを行うことにしたと」 「真っ向から対立してますね」 「筧さん、仲裁に行ったんじゃなかったでしたっけ?」 「筧くん、どういうこと」 俺は五人に囲まれて、突き上げを食らっていた。 「依頼は弦楽部と吹奏楽部を協力させ、汐美祭のステージにあげることだ」 「それを、逆に対立させるなんて……」 「筧先輩、もしかしてこの暑さで」 「お薬出しときますねー」 暑さで頭がアレになった人みたいに言われる。 「いいから、ちゃんと説明させてくれ」 「……どうします?」 「聞いてもいいけど……」 「筧さん、また口で上手いこと言って、私達を言いくるめませんか?」 「俺が日常的に人を騙してるみたいな言い方するなよ」 「金運を呼び込む印鑑とツボと掛け軸を、私からご購入いただければ信じます」 「騙してるのはそっちだ」 「あーもう、また遊ぶな、お前達は」 「話が進まない。筧、説明してくれ」 佳奈すけと俺の間に桜庭が割り込む。 「了解」 「騙すなよ?」 「騙さねえよ」 俺は簡単に作戦の概要を話した。 「ああ、そういうことだったんだ」 「弦楽部も吹奏楽部も、お互いの演奏を聴いたことがないのか」 「選曲の段階でつまずいてるからな」 「でも、筧の言う通りいくかね?」 「若干不安ではありますね……」 俺の立てた作戦はイマイチ賛同を得られていない。 まあ懸念する気持ちもわかる。 「私は筧先輩の考えに賛成です」 「私はどちらの部の演奏も聴きました。どちらの部もかなりハイレベルです」 「音楽に対して、真摯に取り組んでる人達でなければ、あの音は出せないと思います」 「ほら、御園もこう言ってる」 「いやドヤ顔はいい」 「で、コンペはいつなんだ?」 「なんと明日」 「随分急ですね」 「わたし達も聴きに行っていい?」 「ああ、人数が多いほうがいいと思う」 俺と望月さんだけじゃ、演奏者の方が圧倒的に多いからな。 「上手くいくといいですね、先輩」 「ああ、まったくだよ」 彼らの音楽に対する情熱と真摯さに期待だ。 「もし、失敗したら筧が依頼者に謝罪するんだぞ」 「京子の格好で」 「何でだよ」 「その方が許してくれそうだろ」 「ああ、俺ならすぐ許すね、速攻許すね!」 それはともかく連絡を取ろう。 「PC借りるぞ」 「ああ」 俺は今回の依頼者、2人にメールを出した。 午後7時過ぎ、俺はまた生徒会室にいた。 「あら、明日は図書部もコンペに来るのね」 「問題ないですよね?」 「ええ、もちろん」 「もし、本当に優劣をつけるとなると、少しでも多くの人の意見は欲しいものね」 「そうならないことを祈ってはいるけど……」 「ええ」 明日の段取りをノートに書きつつ、俺も同意した。 「……」 望月さんは黙って自分の仕事に戻る。 多岐川さんはずっと教務課に行ったきり戻らない。 「……」 「……」 沈黙が重い。 昨日、不可抗力とはいえ彼女を抱きしめてしまった。 「あの、筧君」 「私……」 「私、前から、筧君のこと……」 もし、あのまま望月さんが続きを言っていたら、俺は。 俺は何と返していた? 「あ、もうこんな時間ね」 「筧君、そろそろ帰ってね」 正面に座っていた彼女が俺を見て、微笑した。 「でも、望月さんはまだ仕事ですよね?」 「残念ながらね」 苦笑ぎみに口元を緩めた。 「もっと人を増やした方がいいんじゃないですか? 望月さんの負担が多すぎる気がします」 「誘えば役員になりたがる生徒はたくさんいるはずです」 さんざん勧誘を蹴ってきた俺ではある。 だが、望月さんのことを考えると、言わずにはいられなかった。 現に昨日、彼女は倒れかけたのだ。 「そうね。でも、誰でもいいわけじゃないから」 「筧君や多岐川さんみたいな人材は、そう簡単に見つからないわ」 「この汐美学園ほどの場所でもね」 自分の気持ちがわからなくなってくる。 昨日は、あと少しで自分から生徒会役員になろうとさえしていた。 読書時間を削ってまで生徒会で働く? ありえない……のか? 考えてみれば、最近はあまり本を読んでいない。 怠けているのではなく、読まなくても平気になって来ているからだ。 なら、生徒会役員になっても……。 「あ、そうだ、今夜こそお茶を淹れてあげるわ」 「飲んでから、帰りなさい」 立ち上がり、ポットを手にする望月さん。 「よく眠れるハーブティー。美味しいから、はい」 「ありがとうございます」 目の前に置かれたティーカップを見る。 温かな蒸気が立ち込めていた。 一口飲んでみる。 「ああ、美味いですね」 「良かった」 「筧君、あんまり食べたり飲んだりに興味がないみたいだから、少し心配してたのよ」 「でも、お茶の味がわかるなら、大丈夫ね」 俺にお茶を振舞うことが、そんなに嬉しいのだろうか。 彼女のまっすぐな好意を、跳ね除けることは俺にはできない。 いや、素直に認めよう。 俺は…… 「望月さん、遅くなりました。先生方がなかなか納得……」 「筧さん、まだ居たのですか?」 不機嫌そうな多岐川さんに思考を中断させられた。 「お疲れさんです」 「役員みたいに振舞わないでください。ここには一般生徒には見られては困る資料もあるんです」 「早々にお引取りを」 また強引に立たされて、出口に移動させられる。 「追い出されると、望月さんのお茶が無駄になる」 「お茶ならお家で好きなだけ飲んでください」 「お疲れ様でした。さようなら」 「おおーい」 昨日の再現である。 もう少し望月さんと話したかった。 せっかく心が決まりかけていたのに。 一人で家への道を行く。 思い起こしてみれば、望月さんと一緒に帰ったことは一度もない。 このままじゃ、望月さんとの距離は縮まらないのかもしれない。 彼女は生徒会長で多忙で、俺は図書部で割とフリーダム。 「変わらないといけないのか」 少し強くアクセルを踏んで生きてもいいのかもしれない。 じゃあ、具体的にどうすりゃいいのか? 夜空の星に向かって尋ねてみた。 あれだけの星があるんだ。 どれか一つくらいはきっと答えてくれるだろう――。 コンペ当日が来た。 図書部のメンバーを伴って講堂に向かう。 「おはようございます」 「おはようございまーす」 「来たぜー」 挨拶を交わしつつ、中へ。 「おはよう、図書部の皆さん」 「おはようございます」 生徒会からは望月と多岐川さんの二人か。 講堂を見渡すと、弦楽部と吹奏楽部の部員達がもうずらりと勢ぞろいしていた。 「おはよう」 「おはよう、筧君」 「おはようございます」 両部の部長が近寄ってきた。 二人ともどことなく緊張した表情をしている。 「今日は全員で来ました」 言って、後ろに立つ仲間達に二人の視線を誘導した。 「はじまして、図書部の白崎です」 「今日はいい演奏が聴けると楽しみにしてきました」 「あ、ああ」 「き、期待してくれていいわ……」 ますます緊張の度合いを強くする二人。 負ければ汐美祭のステージに立てなくなる。 それは彼らにとってかなりのプレッシャーなのだろう。 「あまり時間がありません」 「早速ですが、始めてもらってよろしいでしょうか?」 一方、多岐川さんは淡々と事を進めていく。 「そうね、講堂の貸し出し時間のこともあるし」 「最初は弦楽部、次は吹奏楽部でいいかしら?」 「わ、わかりました……! 皆、用意しろ!」 部長の一声で、弦楽部の部員達がいっせいに動き出した。 「ほら、譜面台倒すな! 何をやってる!」 「す、すみません!」 統率がしっかりとれた組織のようだ。雰囲気は文化部というより運動部のそれに近い。 そして、依頼者の1年生もこの中にいる。 この組織の中で部長に意見するのは確かに勇気がいるだろう。 「次は私達よ、皆、わかってるわね」 「練習の成果を全部出すのよ!」 「はい!」 「はい!」 吹奏楽部の雰囲気も弦楽部と似たようなモノだった。 この中の1年にもう一人の依頼者がいるが、心情と立場は弦楽部の依頼者とさして変わらないだろう。 「なかなか厳しそうな部ですね。ウチの対極って感じです」 「ウチはゆるゆるだからな」 「……主にお前達のせいでな」 「またまたー」 「ははは、言いがかりは困る」 少し離れたところから、部員達のひそひそ声が聞こえてくる。 俺と同じような所感を持ったようだ。 「筧君……」 俺の隣に立っていた望月さんがチラリと俺を見る。 「大丈夫かしら」 「昨日、依頼者二人に会って話はしました」 「返事は?」 「やるって言ってます」 「……できるかしら」 ため息を吐く。 「信じましょう。彼らだって俺達の後輩ですよ」 「そうね」 そうこうしてるうちに、弦楽部の部長が譜面台を指揮棒で叩く音が響いた。 コンペが始まった。 「良かったよ〜。弦楽部も吹奏楽部も!」 「やはりレベルが高いですね」 両方の部の演奏が終わった。 今から俺達図書部と生徒会役員は相談して、どっちが優れているかの判断を下す―― フリをする。 「筧」 「仕込みは大丈夫なんだろうな?」 「ああ、たぶん」 段取りはこうだった。 結果発表の前、俺が大きく咳払いをする。 その後、弦楽部の依頼者の生徒、吹奏楽部の依頼者の生徒が同時に提案するのだ。 何とか合同オーケストラを実現できないか、と。 聞けば大半の部員は合同オーケストラをやりたがっているらしい。 だが、発言力の大きいトップに向かって反対することに躊躇しているのだ。 なら、言いやすい場を提供する。 部員達の声なら、あの部長達も耳を貸すはずだ。 一人では演奏はできないのだから。 「失敗した場合は、本当に穴埋めを考えないといけません」 「その場合、どっちに演奏してもらいますか?」 「今考えるのは無粋じゃないか?」 「無粋って、あのですね」 多岐川さんが俺に食ってかかろうとする。 その時。 「筧君」 「そろそろ結果を発表しましょう」 「了解です」 俺は人の輪から離れて、会長の隣に立つ。 正面には両部の部員達がずらりと並んでいた。 まるで、睨むような目つきで俺を注視してる。 「皆さん、大変お疲れ様でした」 「今回のコンペは急遽、自分が発案したものです」 「準備期間がほとんどなかったにもかかわらず、見事な演奏を聴かせていただきました」 「……」 「……」 部長達は押し黙って、俺を見ていた。 二人とも追い詰められた猛獣のような顔をしている。 「それで、結果なのですが……ご、ごほん!」 「失礼。少しノドの調子が悪くて……」 演技のようにわかりやすく咳払いをした。 よし、立って発言してくれ。 「……」 「……」 だが、依頼をしてきた生徒2人は、どちらも動かない。 迷っているのだ。 合同オーケストラはしたい、しかし上級生には睨まれたくない。 そんな二つの思いの中で揺れているのが、わかった。 「……」 黙って二人を見る。 まだ二人は立とうとしない。 俺の沈黙を訝しがり、他の生徒達がざわめきだした。 これ以上引っ張るのは無理か。 でも、どうする? 「筧君、あとは私が」 「あ」 「筧君は喉の調子が悪いので、私が引き継ぎます」 「望月さん」 「(ありがとう、任せて)」 そっと耳打ちをしてくる。 「コンペの結果は……引き分けよ」 「ええー!?」 「おいおい、それ意味ないだろう?」 彼女の言に一層、生徒がざわめく。 「二つの部の演奏は大変素晴らしいものでした」 「だから、私はやはり貴方達が組んだオーケストラの演奏を聴きたくなったわ」 「考えてみて」 「汐美学園の弦楽部、吹奏楽部」 「どちらも今後も継続して活動していくでしょう」 「だけど、今年の、貴方達がそろって演奏できるのは今期だけよ」 「そして、合同オーケストラを組めるのは、汐美祭でだけ」 「貴方達、今、お互いの演奏を聴いて何も感じなかった?」 「一緒に、演奏したいと思わなかった?」 誰もが黙って彼女の話を聞いていた。 そして圧倒されていた。 望月真帆個人の持つカリスマ性に。 「俺、やりたいです……!」 「わ、私もです! やらせてください、部長!」 依頼者の生徒達がついに立ち上がる。 そして。 「私もです!」 「部長、お願いします……!」 「部長! 俺からも頼みます!」 「やらせてください!」 次々と賛同者が現れる。 いや、ほぼ全部の部員達が部長達に懇願していた。 一緒に演奏したい、と。 「……お前達」 「……貴方達」 両部長は予想外の展開に呆然としていた。 「お二人とも、もう意地を張るのはやめなさい」 「本当はもう、相手のことを認めてるのでしょう?」 望月は優しく諭すように、笑んだ。 「……わかったよ……」 「負けたわ、こんな風に説得されるなんてね……」 部長達が、同時に白旗をあげた。 「汐美祭、期待してるわね、皆さん」 「今日は、いい演奏をありがとう」 望月さんは両部に拍手を贈った。 俺もすぐに手を叩いた。 「頑張ってください」 「絶対聴きに行くから」 図書部の皆と多岐川さんも続いた。 「ありがとう!」 「全力で頑張ります!」 弦楽部と吹奏楽部の部員達は入り混じって、曲の相談を始める。 もう二つの部に壁はなかった。 「筧君……」 「終わったわね」 望月さんは俺を見て、微笑する。 ――その笑顔はほんの少し寂しそうだった。 「まったく、一時はどうなることかと思った」 一件落着の後、図書部でお茶をすることになる。 「だよなぁ、今回の計画はヤバかったよな」 「あそこで、当事者が動かないとは思わなかった」 「かなり体育会系のノリでしたからね」 「ああいう部の上下関係って結構厳しいモノがありますよ」 「でも、これで合同オーケストラの演奏が確定しました」 「うん、筧くん、お役目ご苦労さま」 白崎が笑顔で俺を労う。 「これで筧の生徒会通いも終わりだな」 「……ああ、そうだな」 そうか、これで俺は、もう。 望月さんと夜遅くまで、一緒に働いたりはできないんだ。 「……」 「ん? どうした筧」 「急にしゅんとしちゃいましたね?」 「どこか痛いの? 気分悪い?」 「いや、何でもない」 「悪いな、心配かけて」 「おーし、筧の図書部復帰を祝って、豪勢なスイーツでも頼むか」 「高峰先輩、素敵です。輝いてます」 「気を遣わせてすまないな、高峰」 「奢るなんて一言も言ってねえが、まいいか!」 「ふふ」 「くすくす」 皆楽しそうだった。 もちろん俺だって楽しい。 でも、俺の頭の中には、どうしても消えない人物がいた。 図書部は元々、白崎の発案で生まれた部だ。 今、白崎の周りには彼女を慕う心優しい仲間達がいる。 もう俺が居なくても大丈夫だ。 それなら。 それなら、俺は―― 図書部の活動を終えて、俺は一人夜の廊下を歩いていた。 窓の外はもう完全な闇。 夜9時だから当然だ。 まさか、この期に及んでまだこの時間帯にここを歩くことになるとは。 目的の部屋の前に着いた。 「はい、どなた?」 扉の向こうから、望月さんの声がした。 「筧ですけど、少しいいですか?」 「筧君? どうぞ」 「仕事中すみません」 「いいのよ、貴方には今回、お世話になったし」 「それは違いますよ、俺が望月さんの世話になったんです」 「最後の最後に、二つの部をまとめたのは望月さんですし」 「ありがとうございました」 その場で頭を下げた。 「ふふ、いいのよ」 「こんな形とはいえ、筧君と一緒に働けて嬉しかったわ」 「一緒に働いてどうでしたか」 「期待ハズレだったんじゃないですか?」 まずは気になることを確認した。 「そんなことないわ」 「仲違いした相手の仲裁で、一番大事なのはお互いを理解してもらうこと」 「どんな形にせよ、互いの演奏を鑑賞し合う機会を作ったのはいい判断だったわ」 「それ抜きに私がいくら説得しても、きっと彼らは動かせなかったでしょうね」 「筧君のお手柄よ」 「ありがとうございます」 胸を撫で下ろした。 「それで、今日はどうしたの?」 「お願いが二つあるんです」 「あら、またやっかいな相談事でも?」 「いや、今回は図書部は関係ありません」 「俺個人のお願いです」 「いいわ、聞きましょう」 「一つは、昨日、飲みかけだったハーブティーを最後まで飲みたいんです」 「ああ、そう言えばそうね」 「昨日はごめんなさいね。すぐ淹れてあげるわ」 そう言って、望月さんは立ち上がり奥へ移動しようとする。 「ちょっと待った」 「え? あ」 俺は隣を横切ろうとした望月さんの手をつかんだ。 「ど、どうしたの?」 「まずは、二つ目のお願いを聞いて下さい」 「こっちが本命なんで」 じっと彼女の顔を見る。 「か、筧君……?」 さあ、覚悟の時が来た。 「俺に」 「俺に望月さんを支えさせて下さい」 「……え?」 「俺は図書部を辞めます」 「そして、生徒会に入る」 「そうすれば、もっと望月さんを支えられるから」 「か、筧君……」 「そ、それは……どういう……」 「誤解を生まないように、極力シンプルに言います」 「俺は望月さんが好きです」 「……」 目の前の想い人は、一瞬大きく目を見開き…… 「…………やっと」 「やっと、筧君が……振り向いて……くれた……」 続いてポロポロと大粒の涙をこぼしだした。 「わ、私を……好きだって……言って、くれた……」 「待った……ずっと、待ってた……!」 「1年以上前から、ずっと……!」 「待たせて、すみません」 「あ……」 優しく望月さんを抱く。 思った以上に華奢な感触に戸惑う。 こんな細い身体で、毎日頑張っていたのか。 「……私で、いいの?」 「望月さんがいいんです」 「私は図書部の子みたいに可愛くないわよ?」 「望月さんが可愛くないなんて、誰が言ったんですか?」 「そいつは、俺が説教しときますよ」 「ふふ、もう……」 彼女は嬉しそうに笑って、俺の背中に腕を回した。 「貴方のお願い、きいてあげるわ」 「美味しいお茶を、毎日だって淹れてあげるし」 「私を支えても、ほしいわ」 「……彼氏としてね」 「嬉しいです」 好きな子に受け入れられた。 その事が、俺の胸をじんわりと温かくする。 「ただし、私からのお願いをひとつ聞いてくれたら、よ」 「もちろん聞きます」 「即答ね」 「望月さんの彼氏になりたいですから」 「そう」 「なら、言うわね」 「どうぞ」 「筧君、貴方は図書部に残りなさい」 「……?」 言葉を失った。 「つまり、遠回しに俺を振るってことですか?」 腕の中の望月さんの顔を見て尋ねた。 「違うわ、馬鹿」 眉根を寄せた彼女に、耳たぶを引っ張られた。 「あだだだっ!」 「1年以上前から好きって言ったばかりでしょ?」 「でしたね、すみません」 解放された耳を撫でながら謝罪した。 「筧君、私はこう考えているの」 「図書部は、この学園に欠く事のできない大切な組織で」 「そして筧君、貴方は図書部にとって、必要な人材だわ」 「だから、貴方には図書部にいてほしいの」 「図書部をそんなに評価してくれてたんですか?」 「ええ。今の一般生徒達はみんなどこか受身で、言い方は悪いけど生徒会の言うことをよく聞いてくれる」 「生徒会としてはやりやすいけど、これは決して正しい姿ではないと思うの」 「自分達の問題を解決するのは、本当は自分自身しかあり得ない」 「もっと、自立心を持って、自らが動いてほしいの」 「だから、図書部ですか」 「ええ、最初は頼りなかったけど、今では随分成果もあげている」 「生徒会に頼らなくても、何かができるってメッセージを学園に発信しているわ」 「生徒達には、いい刺激になったはずよ」 自分の属する組織にとってはやりにくくなったはずなのに、彼女は図書部を認めると言った。 大した度量だ。 「でも、俺達は決して生徒会に対抗してるわけじゃありません」 「そうね、考えが合えば協力する、合わなければ意見をぶつける」 「それでいいと思うわ」 「私だって、生徒会がいつでも絶対に正しいなんて思ってないもの」 「多くの国が二院制なのは、そのためでしょ?」 望月さんはあくまで学園全体を良くするという視点で話をしている。 それは、白崎と同じだった。 「だけど、正直なところ図書部はまだ組織として弱い」 「突発的なイベントならいいですが、生徒会みたいに長期間、ひとつの活動を続ける体力もありませんし」 「そうね」 「白崎さんは図書部の代表だけど、実務能力は残念ながらまだ低い」 「桜庭さんは能力はあるけど、一本気で融通がきかないことがある」 「はい」 的確な評価と言わざるを得ない。 「だから、筧君、貴方は図書部を育てなさい」 「能力と精神的柔軟さを持った貴方が、図書部のキーマンよ」 「だから、残れと?」 「ええ」 「それが、きっと生徒会のためにも、いえ、汐美学園のためにもなると思うの」 嬉しそうに笑う。 本心を言えば、望月さんを傍で支えたい。 でも、望月さんの言う通りだな。 彼女はいつも学園のことを考えて動いている。 そんな彼女を好きになったのだ。 だったら、俺だって……。 「わかりました」 「俺は、図書部で頑張ります」 彼女がここで頑張り、俺は図書部で頑張る。 それでいいじゃないか。 いや、むしろ、それこそが俺たちらしい付き合い方なのかもしれない。 「それでこそ、筧君ね」 「望月さんには負けましたよ」 両手をあげて、苦笑いを浮かべる。 「正直、俺が生徒会に入るって言えば、喜んでくれると思ってました」 「ふふ」 「もちろん、嬉しかったわ」 「でも……」 満面の笑顔で、俺の彼女は言った。 「私だって、この学園をもっと楽しくしたいの」 楽しい日々はいつだって駆け足で過ぎる。 気がつけば夏休みは終わっていた。 「筧、お前向きの仕事が来たぞ」 9月に入っても、もちろん図書部は平常運転だ。 日々転がり込んでくる依頼を、力を合わせて解決している。 唯一変わったことと言えば──。 「俺向き?」 「また部活同士の仲裁だ」 「生徒会にいる愛しの彼女と共同戦線を張って、対処してくれ」 にんまりと笑う桜庭。 望月さんと付き合い始めて約1ヶ月。 俺たちの関係は周知の事実となっていた。 「話してないのに、どうしてバレたんだ……」 「え? 本気で言ってるの? 筧くん」 「望月先輩、最近よく図書部に来るじゃないですか」 「筧がいないとすぐ帰るがな」 「筧さんがいると、結構長居しますよねー。わかりますよー」 「ですよねー」 バレバレのようであった。 「付き合うのはいいが、向こうに取り込まれるなよ」 「ないよ、彼女はそんな子じゃない」 「きゃーっ、かばってるよー」 「ないよ! 彼女はそんな子じゃないっっ!」 佳奈すけうるさい。 「ラブラブだな」 「筧先輩って、恥ずかしいですね」 「お前らのが絶対恥ずかしいよ」 このアウェー状態はしばらく続きそうだ。 「こんにちは」 部員達にイジられていると、件の人が現れた。 「おお、グッドタイミング」 「愛のテレパシーですね!」 「え? 何?」 目をぱちくりさせる。 「いや、何でもないから、真帆は気にしなくていい」 「え? あ、か、筧君……皆がいるのに……」 彼女が一瞬で真っ赤になる。 あ、しまった。 「ファーストネームだ」 「ですね」 「ご成婚も秒読みです!」 大盛り上がりである。 「会長、ちょうど良かった」 「図書部で処理しにくい依頼が来ているんだ」 「筧を貸すから、そっちも手を貸してくれないか?」 「ふふ、わかったわ」 「本人の意向は確認なしか」 「嫌なら断ってくれて構わないが」 にんまりがニヤニヤに変わった。 そう言われちゃ断れない。 というか、内心は嬉しかったのだ。 「では、早速、生徒会室で打ち合わせしましょう」 手をつかんで引かれる。 「さ、行きましょう」 彼女に引っ張られるようにして、外へと出た。 残暑厳しい9月、まだ陽光には夏の色が色濃く残っている。 でも、頬をかすめる風には、微かに秋の気配を感じた。 「俺たちのこと、バレてたみたいだ」 「でしょうね」 「真帆はバレると思ってたんだな」 「だって、毎日がこんなに幸せだったら、きっと顔や態度に出てしまうもの」 「隠せるはずないと思ってた」 「馬鹿……」 真帆の髪を撫でる。 「図書部はいいとして、ウェブニュースなんかにすっぱ抜かれたらどうする?」 「面倒になるんじゃないか?」 「初めはそう思っていたんだけれど、気にしないことにします」 「自分に嘘をついても何もいいことがないわ」 そう言って真帆は微笑む。 「真帆」 手を握る。 「あ……」 「もう、遠慮しなくていいんだろ?」 「ええ、もちろん」 真帆が手に力を込めた。 周囲を歩く生徒が、驚いたような目で俺たちを見ている。 でも、気にすることなんてない。 むしろ、大声で自慢したいくらいだ。 俺は望月真帆の彼氏だ。 「これから、よろしくな」 「ええ、こちらこそ」 「ふつつかものですけど、末永くよろしくね」 真帆が、茶目っ気たっぷりに笑う。 「嫁入りでもする気か」 「ふふふ、どうなるかしらね」 真帆が目を細める。 堂々と生きているからこその、曇りのない笑顔だ。 これからの人生、色んなことがあるだろうけど、真帆にはずっとこんな顔をしていてほしい。 「筧君、今日の依頼はどんな内容なの?」 「また仲裁。少し大変かもな」 「ふふ、大丈夫よ」 「貴方と私なら……」 そう微笑する彼女の長い髪を、風が優しくたなびかせた。 次の季節の到来を告げる風が。 真帆と付き合いはじめて、約2ヶ月が過ぎた。 付き合いはまあ順調だ。 図書部の皆も、真帆は以前より柔和になったと言っていた。 で、俺はそんな素敵な彼女の呼び出しに応じて、今、生徒会室に向かっている。 「はい、筧君?」 「うん」 「こんにちは、急にごめんなさい」 「全然いいよ、真帆なら」 「ふふ、お上手ね」 目を細めて、肩の辺りをツン、と指でつつかれた。 愛らしい仕草だ。 「いや、本気なんだけど」 「……ありがとう」 「さ、入って」 赤い顔でなるべく平静を保とうとしている真帆。 少しイジメたくなるくらい可愛い。 「どこでもいいわ、座って」 「ああ」 以前よく座っていた真帆の正面の席に座る。 と、真帆が俺の傍に寄ってきた。 立ったままだ。 「座らないの?」 「ええ」 「どうして?」 「考えてみて?」 真帆がにこっと微笑む。 何か企んでいるような顔だ。 「う〜ん」 考えてみる。 「ずっと座ってて、脚が痛くなったとか」 「馬鹿ねえ」 呆れたように目頭に指をやる。 「この方が、貴方のそばに居られるからよ」 「……ああ」 まさか、そんな可愛いことを考えていたなんて。 「お互い忙しくて、なかなか二人きりになれないじゃない」 「だから、せめて、ね」 俺の肩に手を置く。 「嬉しいよ……」 照れる。 「あら、赤くなった」 微笑しつつ、後ろから腕を回してくる。 「今日の真帆は、少し大胆だな」 「え? そ、そう?」 ちょっと不安げな顔をする。 「はしたなかったかしら……」 恥じ入っていた。 「そんなことはないけど、その、場所が場所だし」 「今までの経験から予想すると、いいところで多岐川さんが来ちゃうんじゃないかな」 そして、俺は叱られながら追い返されるという切ないエンドだ。 「多岐川さんは、今、部会に出てるわ」 「え? 一人で?」 「そろそろ、私抜きでもやれないとね」 「そ、そうか」 多岐川さんは来ないのか。 つまり邪魔はしばらく入らない。 そう考えたら、いきなり真帆に異性を意識してしまう。 もっと、彼女を強く感じたい。 真帆の体温と微かな髪の匂いを感じながら、俺は。 「真帆」 「あ……」 手をそっと真帆の頬に伸ばす。 「か、筧君、その……」 「キス……するの……?」 紅潮した顔で俺を見つめる。 少し不安げな表情。 「嫌か?」 「……」 逡巡する。 少し強引だったかな。 「ごめん、ちょっと雰囲気に流された」 手を離す。 「あ、待って」 そう言って、今度は真帆が俺の頬に両手を伸ばす。 「真帆……」 「筧君……」 見つめ合いながら、お互いゆっくり距離をつめていく。 そして、唇を重ねた。 「ん……」 「ん、ちゅっ、んん……」 身体が震えるほどの快感。 女の子の柔らかい唇に思考が鈍化する。 官能的な感触に、男の本能が鎌首をもたげた。 「ん……」 いったん唇を離す真帆。 「あ……」 声に微かに切なさが混じる。 もっと、彼女が欲しかった。 「真帆」 「あ、きゃっ」 少し強引に彼女を抱き寄せて、また唇を重ねた。 「あっ、んっ、ちゅっ、ん……」 今度は舌を深く真帆の口内に。 「んっ、あんっ、筧君、あっ、んっ、ちゅっ……」 最初は戸惑った彼女も、すぐに俺の行為を受け入れてくれた。 「ちゅっ、あっ、んっ、んん……」 「はぁ、んっ、ちゅっ、んんん……」 「はぁ、はぁ……」 「か、筧君……」 「真帆……」 潤んだ瞳を向けられる。 「私のこと、好き……?」 「好きだよ」 「ありがとう」 「私も、貴方が大好きよ」 「すごく嬉しいよ。真帆みたいな子に好かれて」 「お堅い女よ?」 笑って言う。 「真面目なんだよ。誇っていい性格だ」 愛おしさがこみあげてくる。もっと彼女とくっつきたい。 抗い切れない感情。 「真帆、もっとこっちに」 「え? で、でも」 「俺の近くに」 「え、ええ……」 真帆を俺の膝の上に乗せる。 さっきより密着度が増した。 「は、恥ずかしいわ、筧君……」 と、恥ずかしがる真帆もとても可愛い。 だから、悪いけどもう少しこのままでいることにする。 「二人きりだし、大丈夫」 「それにさっきより、真帆も楽な体勢だろう?」 「それはそうだけど……」 まだ少し不安そうだ。 「よしよし」 「あ」 ぎゅっと抱きながら、頭を撫でてやった。 「あ、筧……君……」 「筧君が、こんなに近い……」 「温かいわ……」 「真帆も温かい」 真帆の胸に手を伸ばす。 「あ、こ、こら……」 軽い抵抗。 かまわず、極力優しく手を動かす。 「あ、ん……」 「んっ、あっ、はぁ、ん……」 もう抵抗はない。 代わりに微かに吐息の混じった声が聞こえてくる。 「もう、筧君……」 「男の子って、やっぱりエッチなのね……」 「ごめん」 謝りつつも手は止められない。 真帆みたいにキレイな子を抱きしめて、興奮しない男なんていないだろう。 「い、いいけど……誤解しないでね」 「貴方だから、許すのよ……」 少し拗ねたような口調で言う。 大人びた物言いが多い彼女には珍しい。 「……直接触ってもいい?」 耳元でささやく。 「え?」 「……ええ」 真帆の上着をはだけて、下着の上から胸に触れた。 「あ、ああ……」 明らかに今までより艶っぽい反応が返ってきた。 学園で見る先輩の下着姿は、妙に艶かしい。 ブラの上からゆっくりと、愛撫していく。 「あ、あん……!」 「か、筧君、あっ、んっ、はぁ、んっ、やっ、あ!」 「ダメ、恥ずかしい……」 俺の指が真帆の乳房に触れるたびに、真帆は如実に反応した。 ぴくん、と背中が揺れる。 俺の愛撫で感じてくれてる。 そうわかると嬉しい。 もっともっと感じさせたくなる。 「真帆、胸どこがいい?」 「ど、どこって……」 かぁっと赤面。 「恥ずかしがらないで」 「そ、そんなこと言っても恥ずかしいわ……」 それはそうか。 仕方なく自力で探すことに。 俺は指の位置をズラしながら、胸を愛撫する。 「あ、んっ!」 「あっ、ああああ……」 どの辺りに触れても、真帆は感じてくれた。 元々感じやすいのだろうか。 「はぁんっ!」 俺の腕の中で、真帆が今までになく大きく反応した。 指先が胸の先――乳首に触れた時だった。 下着の上からでも、勃起しているのがわかった。 やっぱり、ここなのか。 「ああ……」 ゆっくりと背中のホックを外して、胸をあらわにした。 「筧君の馬鹿……エッチ……知らない……」 耳まで赤くした真帆に非難された。 「ごめん、真帆に気持ちよくなってもらいたいから」 両手で両方の乳首を軽くつまむ。 「ああああっ!」 直接触れる真帆の胸は、すべすべしていた。 その滑らかな感触を楽しみながら、先端を指先で優しく擦る。 「あっ、ああああ……」 「筧君、そこは、いやっ、あっ、んっ!」 「はぁっ、あああああっ!」 甘い響きを伴い、真帆が身体を震わせる。 俺は抱きかかえるようにしながら、胸への愛撫を続ける。 「んっ、あっ、やっ、あ、そんな……」 「筧君、んっ、はぁっ、んっ、あっ、そんなにつままない、あんっ!」 「やっ、あっ、ん……」 彼女の反応を見ながら、強弱をつけつつ触り続ける。 「いいみたいだね」 「い、言わないで、筧君……」 「今の真帆すごく可愛い。恥ずかしがらないで」 「ああ、筧君、筧君……」 俺の言葉が功を奏したのか、真帆はだんだんリラックスしてきたようだ。 背中に薄っすらと浮かんだ汗。 赤く染まった白い肌が色っぽい。 くらくらするくらい魅力的だ。 「あん、か、筧くん、もう、これ以上は……」 もじもじしながら真帆が、涙目で俺を見る。 「どうした?」 いい子いい子するように、背中を撫でながら聞いた。 「だから、これ以上、触られると、私……」 「その、濡れてきて……」 真帆の言葉で、下半身に注目する。 下着がぐっしょりと濡れていた。 布地の下、性器の輪郭がはっきりと浮かんでいる。 ものすごく卑猥だった。 「あ?! ひゃっ?!」 思わず手で触れた。 真帆の濡れた花弁を。 「あっ、ダメよ、筧君、そんな、あんっ」 「はぁっ、んっ、そんなとこ汚いから、あっ、ああっ!」 「あっ、やっ、あああっ、あんっ!」 身体をくねらせる。 俺は指の腹で、ゆっくりと撫でた。 じわっとまた真帆の奥から、愛液が染み出してくる。 下着はもう意味をなしていない。 それくらい、真帆の下半身は濡れていた。 「真帆、脱がせても平気?」 「え? そ、それは……」 「え、えっと……」 さらにもじもじする。 「あ……」 逡巡する真帆の返事を待たずに、下着を脱がした。 抵抗はなかった。 もう、俺同様、真帆も一線を越える覚悟をしたのだろう。 「濡れてる……」 「わ、わかってるわ」 「口にしないで……」 覚悟はしててもやっぱり恥ずかしいか。 「触るけど、平気?」 「そ、そっとね」 「もちろん優しくする」 「ん、お願い……」 愛液ですっかり濡れそぼった大陰口に指をはわせた。 「あ、ひゃっ……!」 跳ねるように、真帆の肩が揺れた。 「い、痛かった?」 途端に心配になる。 「う、ううん、違うわ……」 「ちょっと驚いただけよ」 「続けていいわ」 「うん」 細心の注意をはらって、愛撫を再開する。 「あっ、んっ、あっ、あああ……」 「んっ、あっ、はあっ、ん、あっ……」 「んんっ、あっ、ふぁっ、んっ、ああっ、んっ、んん……」 「筧君、んっ、あっ、はぁ、んん……んっ!」 小陰唇に触れる俺の指先は、もう第2関節のあたりまで湿っていた。 粘り気のある液体。 それをまぶすように、膣口の周辺に指で円を描いた。 「あっ、んっ、ひゃっ、あっ、ああ、ん……」 「筧君、や、優しい、さわり方……」 「んっ、あっ、あっ、ひゃっ、ああああっ! ふぁっ! あっ、はぁっ、んっ、んんん……はぁ、はぁ……」 真帆の肩から力が抜けていくのがわかった。 委ねてくれたのか。 そう思うと嬉しい。 「真帆、好きだ」 片手で秘部を、もう片手は乳房を揉みながら、耳元でささやいた。 「あっ、んっ、ふふ、耳くすぐったいわ……」 「真帆の耳、きれいな形だな」 「ふふ、ありがとう、あ、ひゃん!」 「き、急に、もう……あっ、んっ、はぁっ、んっ、はぁ、はぁ、あんっ!」 耳にキスをしたら、真帆の背中がぴくん! と反応した。 花弁をいじる指は、びしょ濡れだった。 とろとろしてる。 蜜がとめどもなく溢れてくる。 「あっ、んっ、はあ、んっ、あっ……」 「はぁっ、はぁっ、んっ、あっ、ああ……やっ……あっ……!」 「か、筧君……んっ、はぁっ、はあっ、あっ……ん……」 「わ、私、これ以上されたら、腰が抜けちゃうかも……」 「も、もう、お願い……」 じっと顔を見つめられる。 「真帆、無理に今でなくてもいいんだぞ?」 「今日は、真帆が気持ちよくなってくれれば、それで」 「そ、それは、ダメよ……」 「筧君にも気持ちよくなってもらいたいの……」 「それに……」 「ん?」 「一刻も早く、貴方のものになりたいから……」 「焦ることないと思うけど」 「だって、図書部の女の子は皆可愛いじゃない」 「私、たまに不安になるの……」 「心配しなくても、俺は真帆だけが好きだ」 まっすぐ目を見て、言い切る。 「頭ではわかってるし、信じてるわ……でも、それでも女は不安なものなのよ」 「確かな証が欲しいの……」 「いいの? こんな場所になっちゃったけど」 「ふふ、いいわ。私らしい」 「わかった」 「あっ! ああああああ!」 ゆっくりと真帆を貫いていく。 なるべく身体に負担にならないように。 「いっ、あっ、んっ……」 それでもやはり破瓜の痛みは避けられない。 「真帆」 腰を思わず引いてしまう。 「あ、やっ、止めないで、筧君……」 「はぁ、んっ、い、今、貴方のものにして、ほしいの……」 「でも、真帆が辛いのは、俺は嫌だ」 「い、いつかは、越えなきゃ、いけないことなのよ……」 「それなら、んっ、今、越えるわ……!」 真帆の意志は固そうだ。 ここで止めたらきっと傷つけてしまう。 「わかった。続けよう」 「え、ええ……ああっ!」 真帆の痛みを何とかやわらげたい。 そう思い俺は空いてる手で、真帆の胸の愛撫を再開した。 さっきより強めに、くにゅくにゅと揉みしだく。 「あっ、はぁ、あっ、筧君、んっ、ああっ!」 「はあんっ! んっ、あっ、あっ、ああああああっ!」 「んっ、あっ、胸は、あっ、んっ、感じて……くうん!」 「あっ、ふあっ、あっ、はぁっ、はあっ、あああああっ……!」 声に甘い響きが混じりだす。 快楽が痛みを中和してくれることを願う。 俺はペニスを侵入させながら、真帆の身体中をまさぐった。 「あ、筧君、そんなに強く、んっ、はぁ、ああん……!」 声に混じる快楽の度合いが、どんどん強くなる。 俺の手は真帆を感じさせるために、より強い刺激を与えるところを探し求める。 自然に手は真帆の股間に。 「ああああっ!」 「ひゃっ、あっ、んっ、はあっ、あっ、やっ、か、筧、君、やっ、ダメ……」 「筧君っ、そこは、あっ、ダメっ、あっ、ああああっ!」 俺の指先は、真帆の陰核に触れていた。 ぷっくりとふくらんでいるような感触。 愛液でベトベトの指の腹で、撫でる。 「あっ、はぁっ、あっ、んっ、あああっ!」 「筧君、筧、くっ、んっ、あっ、あっ、あんっ、くっ!」 「あはっ、ふああぁっ、んっ、くはぁっ、あああぁっ……!」 「はぁ、はぁ、んっ、す、すごい……筧君の、あっ、すごいの……!」 真帆の声にもう痛みの色はなかった。 良かった。 溢れ出る愛液を潤滑油にして、俺はさらに奥の方へとペニスを侵入させる。 「あっ、んっ、あっ、か、筧君の、感じる、はぁ、んっ……」 「うんっ、あっ、はぁっ、あっ、んっ、んんんんっ!」 「私の中を、あっ、んっ、押し、広げ、て……!」 真帆の声がますます艶っぽくなっていく。 その声が俺の興奮をさらにかきたて―― ふいに真帆の携帯が鳴った。 「あ……」 「気にしないで」 「で、でも……」 生徒会長としての責任感がそうさせるのか、真帆は携帯を手に取る。 まさか……。 「……は、はい……望月です」 電話に出た。 「あ、葵? え? そ、そう、部会長引きそうなの……あっ!」 俺が腰を動かしたせいで、真帆が艶を帯びた声を出してしまう。 「(筧君……!)」 物凄い形相で睨まれた。 わざとじゃない! と目で訴える。 でも、こんな状態じゃ、どうしたって……。 一度抜くべきか? 「え? う、ううん、平気よ。身体は別に、悪く……はあああっ!」 やっぱり抜こうとしても感じていた。 「(筧君、もう馬鹿……!)」 さらに睨まれる。 ごめんなさい! と頭を下げて陳謝した。 だけど、電話に出た真帆の方が絶対悪いと思う。 「ほ、本当に、大丈夫だから……え? 早退して、こっちに戻る?」 「そ、それ、あっ、し、しないで、いいから……」 「し、心配しないで、へ、平気だから……う、うん、じゃあね」 ようやく会話が終了した。 「多岐川さんに、病気だって思われちゃったわ……」 「何とか乗り切れてよかった」 「でも、今度からは出ないでくれるとありがたい」 「ごめんなさい、どうしても無視できなくて」 「いいけど、続きは、その……いい?」 「え? ……あ、ああ……ええと……」 「……して、よ……筧君……」 その言葉にまた少し興奮を感じつつ、俺は腰を再び動かし始める。 「あ、ああ……!」 「はぁっ、んっ、あっ、あっ、はあっ、んっ、ふあ、ああああん!」 「んっ、はぁ、筧君……あ、はぁっ!」 「んっ、あっ、はぁ、んっ、あああっ!」 「やっ、いやっ、んっ、あっ、はぁ、はぁ……」 「筧くんの、あ、熱い……」 「あっ、んっ、はぁっ、あっ、私の中に、強く……ああん!」 真帆の膣内が俺のペニスを包み込んで離さない。 ぎゅうぎゅうと痛いくらいだ。 「真帆、そんなに締め付けないで……!」 ぬるっとしたヒダに搾り取られるような感覚。 射精感がぐっと高まってくる。 でも、まだだ。 もっと、真帆を感じたいのに。 「そ、そんな、こと、い、言ったって……」 「じ、自分で、あっ、んっ、んっ、ふぁっ、あっ、くうっ!」 「コ、コントロールで、できな……あああっ!」 締め付けが強すぎで、押すことは出来てもほとんど引けない。 仕方なく、小刻みなピストン運動になる。 真帆の膣の壁に、カリをこすりつけるように。 「あっ! ああっ! はぁっ、ん、あっ、やっ、んっ!」 「あっ、やっ、はっ、んっ、あっ、あんっ、ああ……」 「んっ、ああっ、はあっ、ひやっ、んっ、あっ、ふあああああっ!」 「か、筧君、あっ、筧君、筧君……!」 「はぁっ、あっ、ダ、ダメ、あっ、わ、私、あっ、もうすぐ……」 「い、イっちゃ、あっ、ひゃっ、あっ、あっ、あっ……」 「真帆、いいよイって」 そうしないと俺だけが先に果てそうだ。 せりあがってくる射精感に耐えながら腰を動かす。 「あっ、イっちゃう、あっ、はぁっ、あっ、あ……」 「あっ、んっ、やっ、はあっ、あっ、あっ、あっ、ああっ!」 「筧君、好き、好き、好き……あっ、ひゃんっ、あっ、ああああっ……」 「ああああああああああっ!」 びゅくっ、どくっ、びく……っ! 「あっ、あああ……」 身体中に電気が走るような感覚がしたのと同時に、ペニスを引き抜いた。 思いの外、勢いが強い。 真帆の身体を俺の白濁液で汚してしまった。 女の子をこんな風に汚してしまったことに、罪悪感が胸に落ちる。 「ご、ごめん」 「え?」 上気させたままの顔で、何が? という表情を作る。 「痛かったろ? それに真帆を汚しちゃったし……」 「いいのよ筧君のだから……」 「それより……」 真帆はうかない表情になっていた。 「私、生徒会室で……しちゃったのね」 ああ。 今さらながらに、それが気になったのか。 「俺が強引に迫ったんだ。真帆は悪くない」 「責任をかぶってくれるつもりなのね、ありがとう」 「でも、どう見ても連帯責任でしょ、これは」 嘆息する。 「いや、でも」 一歩前に踏み出す。 「! か、筧君、その……」 「まだ、元気なのね……」 勃起してる愚息をモロに真帆にさらしてしまった。 「真帆がそんな格好でいるからだって」 「……まだしたいの?」 「えーと……」 「きゃっ」 真帆を抱きしめて、そのまま机の上に押し倒した。 「ごめん、したい」 「も、もう……さっき、あんなに出したのに……」 怒られた。 「ダメか? やっぱり」 「……もう、ズルイわ、筧君」 「そんな顔されたら、拒めないでしょ?」 「いいわ、来て……」 真帆の頬が染まる。 可愛い彼女だ。 指先で茂みの中を探ると、新たな蜜があふれだしていた。 「濡れてるから、もう入れてみる」 「え、ええ……」 「あっ、はあああっ!」 俺はペニスを再び真帆の膣口から挿入する。 滑りがよくなっていたためか、今度はかなりスムーズに俺のモノは真帆の中に沈んでいった。 「はぁ、はぁ、あっ、んっ、あっ……」 真帆は肩を息をしながら、俺を見上げる。 「痛い?」 「う、ううん、平気よ……」 「もう大分、貴方のもなじんできたみたい……」 「俺も真帆の中に、なじんできたかもしれない」 「こうしてると、何だかホッとする」 「それ、気持ちいいってこと?」 「ああ」 「ふふ、よかった……ん……!」 「少し動くよ」 「あっ! あっ!」 俺はピストン運動を始める。 最初の時より、スムーズに動ける分深く出し入れができる。 「あっ、んっ、あっ、はぁっ!」 「んっ、あっ、あっ、はぁんっ!」 真帆の形のいい乳房が揺れる。 見てるだけでさらに興奮が増してくる。 「んっ、あっ、か、筧君の、」 「お、大きく、なった……あん、んっ!」 俺が性的に興奮していることはダイレクトに真帆に伝わる。 「今の真帆がエッチなんだから、しょうがない」 夢中になってペニスを真帆の膣内で出し入れする。 亀頭がぬるっとした壁に撫でられる。 裏スジが、舌のようなもので舐め上げられる。 甘い痛みのような刺激が、俺の全身を駆け抜ける。 「んあっ、はぁっ、ああっ!」 「すごい、筧君、すごい……!」 真帆の視線が微妙に定まっていない。 慣れない性的刺激に最初は戸惑っていた彼女も、今はすっかり溺れていた。 「あっ、はあっ、んっ、あっ、すごいの、筧君の、ああっ……!」 「筧君のちょうだい、私の中に……」 「ま、真帆……!」 「い、いいのか?」 俺も息を荒げながら、訊いた。 「うん、初めてだから、初めての日に、筧君の欲しいの……」 「お願い、筧君、お願い!」 真帆がそう言ったと同時に膣がぎゅっと強くしまる。 睾丸が縮まるような感覚がして、唐突に射精感が高まった。 それも急激に。 「ま、真帆、出すぞっ」 「あっ、んっ、はぁ、あっ、うん、来て、筧君……!」 「あっ、んっ、はぁっ、あっ、あああああっ!」 「真帆!」 「あっ、」 「ああああああああああああああああっ!」 びゅるっ、どくっ、びゅくっ! 尿道を力強く液体が流れていく。 まさに搾り取られる、という感じだった。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「はぁ、はぁ……筧君……」 とろんとした目のまま、真帆は俺を見上げる。 「真帆……」 俺も真帆を見返す。 きっと今、俺も呆けたような顔をしているのだろう。 「……良かった」 「ちゃんと、貴方を受け止められたわ……」 「真帆……」 彼女の言葉に胸が熱くなる。 男よりずっと大変だったろうに、そんな事を考えていたのか。 「ありがとう、真帆」 「もう、俺は真帆しか見えない」 裸の彼女を包み込むように抱く。 「ふふ」 「それは、私もよ……」 「ありがとう、筧君……」 俺に応えるように、真帆が腕に力を込めた。 たとえようもない幸福感が湧き上がってくる。 今までどんな本を読んでも想像できなかった感覚だ。 「筧君とこんな風になるなんて、未だに信じられない」 まどろむような声だ。 「こんな風って?」 「こんな風はこんな風」 「女の子に変なこと聞かないで……ちゅっ」 首筋に唇の感触があった。 真帆は本当に可愛らしい。 生徒会長のこんな一面を、学園の誰が知るだろう。 「ねえ、筧君……今日で終わりじゃないわよね?」 「終わり? まさか」 「急に変なこと聞くなよ、びっくりする」 「だって、幸せすぎて、夢みたいで……今夜眠って朝になったら、全て消えてしまいそうな気がするの」 「大丈夫、ずっと一緒だ」 言葉が嘘でないと伝えたくて、真帆をしっかりと抱きしめる。 真帆が声にならない声を漏らした。 「また、抱いてね」 「え?」 「……あっ、今のナシ」 がばりと真帆が身体を離す。 「わ、私、何言ってるのかしら……おかしい、おかしいわ」 真帆の顔が真っ赤になる。 「いいよ、またしよう」 「も、もうやだ……どうしよ、恥ずかしすぎて……」 真帆が俺に抱きつき、顔を視線から隠す。 「恥ずかしくない。嬉しいって」 「っっーーー!」 「ははは」 真帆の背中を撫でる。 愛おしくて愛おしくて、気が変になりそうだった。 「……あ、あら?」 「あ」 俺たちの間で、また股間が存在を主張した。 いくら何でも元気過ぎる。 「ちょ、ちょっと何?」 「……すまん。勝手に反応して」 頭が冷静さを取り戻す。 ここは生徒会室。 多岐川さんにでも見つかったら大変だ。 「ま、まあ何だ……服、着ようか」 「ふふふ、そうね」 「葵がこんなところを見たら、気を失ってしまうわ」 もう一度、真帆が俺を抱きしめる。 「また、今度ね」 「……ああ」 慌てて衣服を身につけた。 さっさと通常モードに戻らないと。 「さて、ステージに関する打ち合わせは以上ね」 「何も忘れてることはないかしら?」 「うん、大丈夫だ」 資料にもう一度、ざっと目を通した。 漏れはない。 さすが真帆の作った資料だ。 「じゃあ、それを持ち帰って、図書部で検討してね」 「了解。すぐやる」 俺は資料を片手に立ち上がる。 「あら、いけない」 「忘れていたこと、あったわ」 そう言って、真帆は席を立ち、 「ん……」 俺のそばに寄り、不意打ち気味にキスをしてきた。 「ま、真帆……」 さっきあんなことをした後なのに、照れてしまう。 「……好きだよ、真帆」 ついそんな言葉を口をついて、出た。 「あ……」 真帆はそんな俺を見て、赤くなりながらも、にこやかに微笑んだ。 「私も好きよ、筧君……」 「さて、歌のことは筧さんにお任せして、私達はオーディションやろっか」 芹沢さんの呼びかけに応じ、部員達が準備を始める。 せっかくだし、見学させてもらおう。 「『そなたは私が憎くはないのか?』」 「『そなたの友に、家族に、祖国に弓を引こうという私が憎くはないのか!?』」 部員達が順に演技をしていく。 さすがに、みんな上手い。 「『ああ、そなたは……』」 「『そなたという男は……!』」 これでまだアマチュアだというのだから、さらに驚きだ。 どんな分野にせよ研鑽された技術を〈垣間見〉《かいまみ》る瞬間、人は自然に襟を正す。 俺も気がついたら、背筋を伸ばしていた。 「芹沢水結です」 感心してる間に、芹沢さんの番になる。 「……」 彼女は一度、目を閉じる。 集中力を高めようとしているのだろうか。 「ほら、芹沢さんの番……!」 「しっ……!」 ごく当たり前に、周囲の視線が彼女に集まる。 静かに目を開いた彼女は、 「『そなたは私が憎くはないのか?』」 「『そなたの友に、家族に、祖国に弓を引こうという私を憎くはないのか!?』」 息を飲んだ。 俺だけじゃない、たぶん周りの演劇部の部員達もだ。 芹沢水結の演技力は群を抜いていた。 ──この役は、もう決まったな。 オーディションが終わった。 選考は部員同士の投票で行われ、予想通り芹沢さんが意中の役を獲得した。 「あ、筧さん、まだいらしたんですか?」 「脚本提供者として見ておこうかと思って」 「もっともですね」 「どうでした? あの役、私で良かったですか?」 「良かったよ。きっと鈴木も喜ぶと思う」 「そう言ってもらえるのは役者冥利につきます」 嬉しそうに笑む。 いつも見せる社交辞令的な笑みとは少し違う気がした。 「ひとつ聞いていい?」 「恋愛関連の話なら、マネージャーを通していただければ」 「いきなり遠い人だと実感したよ」 「ふふ、ウソですよ。何でしょうか?」 「どうやったら演技が上手くなるんだ?」 他の部員だって、練習はしてるはずだ。 どこで差が付くのだろう? 「努力です」 「努力以外に答えはないです。コツがあるなら私が知りたいくらいですし」 にこやかな表情。 でも、その声には強い意志の力が感じられた。 ──周囲も努力してるのなら、私はそれ以上の努力をするだけですよ。 声なき声が聞こえてきた。 「ありがとう、とても参考になったよ」 両手をあげる。 降参だ、という意味をこめた。 「それじゃ、御園を待たせてるし、そろそろ戻るよ」 「あ、はい」 芹沢さんの表情が、一瞬だけ翳る。 どうしたんだろう。 「じゃあ」 「はい、いい台本、ありがとうござ……」 「芹沢さん、お疲れ〜」 「あーあ、やっぱ芹沢さんには敵わなかったよ〜」 芹沢さんの声を遮るように、部員達が俺達の前を横切る。 「あ、うん、お疲れ。もう帰り?」 「うん、これから駅前で残念会」 「私達、芹沢さんにまた負けちゃったからね」 「……」 何とも微妙な空気になる。 わざと皮肉を言ってるのだろうか? 「芹沢さん、仕事多いし夏祭りは譲ってほしかったな〜」 「うんうん!」 「手を抜けるほど器用じゃないんだよ、ごめんね」 「みんなのお芝居見てたら、こっちも力入っちゃって」 にっこりと笑って流す。 「あ、う……」 「す、すごいね、芹沢さんは」 「じ、じゃあ、行こうか?」 「う、うん、じゃあね、お二人さん!」 逃げるように女の子達は部室を出て行った。 「ふぅ……」 芹沢さんが脱力気味に息を吐く。 「……気にしなくてもいいと思うぞ」 「ありがとうございます。気にしてませんから大丈夫ですよ」 「こういうことはしょっちゅうなんです」 なかなかタフだ。 いや、勝負の世界じゃ当たり前のことなんだろうな。 「ならよかった。じゃあ、本当にそろそろ行くよ」 「はい、お疲れ様でした」 芹沢さんに別れを告げ、部屋を後にする。 「筧先輩」 「御園?」 音楽棟を出ると、なぜか御園が待っていた。 部室に帰ったものだと思っていたけど。 「随分、遅かったですね」 ジト目でにらまれる。 「芹沢さんと少し話してた」 「次のターゲットは芹沢さんですか、さすが筧先輩です」 「どんな肉食キャラだよ」 「それより、先に帰ったんじゃなかったのか?」 根本的な疑問をぶつけた。 「そ、それは……」 御園の視線がゆらゆらと空中を泳ぐ。 「健康のためにジョギングを」 下手すぎる嘘だな。 「制服でジョギングなんて、大変だったろ」 「ええ、汗だくです」 言ってから、御園が視線を逸らす。 「嘘です。すみません」 オーディションの結果が気になったのだろう。 「どうでした? オーディション」 「主役は芹沢さんだ。問題ない配役になったと思う」 「そうですか」 微かに喜びの感情が見えた。 「認めてるんだな」 「ま、まあ……実力は……」 「……って、私のことはどうでもいいです」 眉根を寄せる。 「それより、芹沢さんと何の話してたんですか?」 そんなことも気になるのか。 芹沢さんを嫌ってるわけじゃないんだよな。 以前、芹沢さんが御園の調査を依頼してきたことを思い出した。 「世間話だよ」 「世間話の内容を聞いてるんです」 食い下がってきた。 簡単に、世間話の内容を話した。 話の流れで、他の部員達とのやりとりも説明する。 「そんなことが……」 芹沢さんと演劇部の軽い衝突を聞いて、御園は眉をひそめた。 「どこにいても、優秀な奴ってのは少なからず煙たがれるよな」 「ですね」 御園はきっと芹沢さん以上に、あんな目に遭っているのだろう。 「想像以上につまらない話でした」 「そりゃ悪かった」 御園の不機嫌な台詞を笑顔で流す。 「でも、演劇部の人たちはすごいと思います」 「というと?」 「お芝居全体のクオリティのために役を辞退するなんて、相当な覚悟がないとできません」 「とにかく、いい舞台を作りたいってことなんだろうなあ」 「割り切れるのがすごいです」 「あの人たち、どんな気持ちで活動に取り組んでるんでしょうか」 「俺にはわからないよ」 「答えは期待してませんから」 御園が小さく笑う。 いたずらっぽい、子猫のような笑顔だ。 「だから、私みたいな人間より、あの人達が歌った方がいいと思ったんです」 「迷ってる人間が歌っても、いいことないですから」 細い声で言って、小さく溜息をついた。 「演劇部の人たちがすごいって言うなら、試しに飛び込んでみたらどうだ?」 「迷いが解けるかもしれないぞ?」 「……」 「課外活動だと思って、えいやとやってみろって」 「芹沢さんに頼まれたんですね」 「頼まれたよ」 「でも、依頼だから断ってもいいと思ってる」 「俺が、推すのは、御園のためになるかもって思ってるからだ」 「ためにならなかったら?」 御園が顔を上げる。 こちらを試すような、からかうような顔。 行ける気がする。 「……そういう日もある」 「無責任です」 「でも、たまになら、そういう日があってもいいかもしれませんね」 御園が微笑む。 「やってくれるって解釈でいい?」 御園がうなずく。 「安心した。芹沢さんも喜ぶよ」 「せいぜい頑張ってみます」 御園が歌の依頼を受けてくれて、本当に良かった。 彼女を動かしたのは、きっと演劇部や芹沢さんの熱意なのだろう。 御園が歌の依頼を受けてくれたことで、演劇部声優班からの依頼はおおむね完了した。 御園は音楽担当の生徒と歌の練習とレコーディングに入り、声優班は夏祭りに向けての練習を開始。 もう俺たちにできることはほとんどない。 紆余曲折あったが、依頼を果たせてよかった。 いつもとは気分を変え、図書部の面々と学食に来た。 それぞれが料理に手をつけ始めたところで、天井のスピーカーがぷつりと音を立てる。 「はーい、皆さんこんにちは。7月14日、ランチタイム・アベニューの時間です」 いつものジングルが流れ、お昼の放送が始まった。 「あともう少しで夏休みですね! 皆さんはもう夏の計画は立てましたか?」 「え? 私ですか? もちろん、ずっと恋人といっしょですよ!」 「お仕事、という名前のね♪」 「それでは、これからの約30分、私、パーソナリティの芹沢水結と一緒にお散歩しましょう」 いつもの調子で校内放送が始まる。 「おー、芹沢さんは今日も絶好調ですね〜」 「楽しい放送を聴くと、箸も進むってもんですよ」 「佳奈すけは、放送なくても食欲旺盛だろ」 「ですよね」 「それは言わない約束なのに!」 箸を持ったまま、テーブルにつっぷす。 そんな約束はしていないぞ。 「鈴木、しょんぼりですよ、主に筧さんのせいで」 ジト目を向けられる。 「すまん、これで許してくれ」 佳奈すけの皿にカニクリームコロッケを置く。 「わーい」 あっさり許してくれた。 「佳奈すけは簡単だな」 「自分、単純な女ですから」 「自分で言っちゃうんだ……」 「おいおい……」 御園と桜庭がそろって嘆息していた。 「ふふ、やっぱり、みんなと一緒のご飯は楽しいね」 「ホント、皆のおかげで楽しい部活だよまったく……」 「照れるなぁ」 「皮肉だというのはわかってくれているな」 桜庭がにっこり微笑んだ。 「……そうですね。確かに夏というと恋の季節って感じはしますよね」 「でも、私はまだ恋に恋する感じでいたいかな?」 「ええ、事務所的にも!」 「結構、突っ込んだトークをしてくるな」 「いやいや、今はこれぐらいじゃないと面白くないですよ」 「今や、芸人顔負けのアイドルとかいますからね」 「そうそう! この間、ケータイショップで、面白いことがあって……」 「しかし、よくこれだけ、次から次へと話題があるな」 「最近の声優は、トークの才能も要求されるのか」 難儀なことだ、と桜庭が閉じた扇子で側頭部をつっつく。 「才能もそうだけど、あいつは努力もしてるよ」 「ミナフェスの時、分厚い手帳にびっしりメモしてるのを見たんだ」 「あ、きっとネタ帳ですよ」 「素直に感心するよ」 箸を置いて、水を手にした。 「俺たちも見習わないとな」 「やっぱり努力ですね」 二人が力強くうなずく。 「お前ら、いつから芸人になったんだ」 「桜庭先輩、ここはツッコんだら負けなポイントです」 「ランチタイムアベニュー、今日はお別れの時間ですね」 「それでは、また明日、私とお散歩しましょうね。パーソナリティは芹沢水結でした」 「もう終わりか。あっと言う間だな」 「楽しい時間はすぐに過ぎてしまいますからね」 「筧、次は?」 「図書館学概論。そっちは?」 「休講。このまま部室に行くぜ」 「騒いで図書委員に目をつけられるなよ」 席を立つ。 「あ、そうだ。待て、筧」 「ん? 何?」 首だけ動かして、桜庭を見る。 「今日は部室に来るか?」 「そのつもりだけど?」 「また図書部に依頼が来たんだ」 「筧、ご指名のな」 「は?」 「……」 放課後になり、急いで部室に向かった。 「すまん、遅れた」 講義が思いのほか長引いた。 「ううん、わたしも今来たところだから」 「できたてカップルかよ」 「え? わたしたち、そういう風に見えるのかな?」 「知らねえよ」 リアクションまでできたてカップルみたいな白崎である。 「そういや、御園は?」 御園の指定席にはギザが置物のように鎮座していた。 「千莉ちゃん、今日は欠席だよ」 「外せないレッスンがあるんだって」 「はーん、はうん」 デブ猫が猫らしからぬ声で鳴く。 「結構なことじゃないか」 「御園は、もっと自身の才能を大切にした方がいい」 俺も自分の席につく。 「で、依頼があったってことだけど」 「現物を見せた方が早いだろう、これだ」 机の中央に、桜庭がメールをプリントアウトした紙を置く。 依頼内容は直接話すので、今日会いたいというものだった。 どういうわけか、先方は担当者として俺を指名している。 「どうして筧くん指名なんだろ?」 「もしかして、依頼に見せかけた告白!?」 「ええーっ!? そんな、ズルいよ!」 何がズルいのか。 「いや、女子とは限らないぞ」 「見えた……」 桜庭が開いていた扇子をパチリと閉じる。 「つまり、このメールは京子に惚れた男子生徒が」 「さっすが私的世界遺産の京子さん、吸引力は変わりませんね」 「何の世界遺産だよ」 「……ともかく、この依頼はスルーでいいんじゃないか」 「ええ? どうして?」 「私もスルーに賛成です」 「依頼内容を書かずに、筧さん一人を呼び出すって変ですよ」 「イタズラだと思った方がいいんじゃないか?」 「う〜ん、でも、もし、本当に困ってる人だったら……」 白崎以外はパスする方向に意見は傾いている。 俺も普段なら、現時点では動かない。 本当に切迫した何かがあるのなら、再びアクションがあるはずだからだ。 ……しかし。 「俺、行ってみるよ」 白崎を除く全員が、同時に間の抜けた声を上げた。 夕方になった。 俺は部員達を説き伏せて、一人、依頼人との待ち合わせ場所にいた。 足音がして文庫本から目を離し、顔をあげる。 「やっぱり、メールを出したのは御園だったか」 栞をはさんで、ページを閉じた。 「わかってたんですか?」 御園が目を丸くする。 「確証があったわけじゃないけど、メールを読んでなんとなくわかった」 「え? で、ですが」 訳がわからないという顔をしていた。 「文章を読むと、だいたいわかるんだよ」 「読点の打ち方とか、漢字の開き方とかに誰しも癖があるから」 「……筧先輩、すごいです」 「でも、どこまで文章中毒なんですか」 感心されて、すぐに呆れられた。 「部員の依頼はダメですか?」 こちらの顔色をうかがうように訊いてくる。 「問題ないと思う」 「白崎も反対するとは思えないし」 「良かったです」 心底ホッとしたように、微笑した。 「でも、わざわざメール出さなくても、普通に部室で相談してくれて良かったんだけど」 「それは……少し恥ずかしいです」 「高峰先輩なんて、絶対冷やかしますし」 高峰はその辺はわきまえてる男だが……まあ、御園はまだ付き合いが浅いからな。 「わかった、とにかくこうして依頼は受理されたわけだ」 「話してみてくれ」 「はい、ありがとうございます」 にこっと笑う。 御園の笑顔は可愛い。 ……などと口に出したら、氷点下の視線で凍死させられそうだ。 「筧先輩、一緒に来てください」 御園が俺の手をつかんでずんずん歩いていく。 やけに気合が入ってるな。 学園の外れにある公園に連れて来られた。 と、御園が急に立ち止まる。 「……筧先輩」 声をひそめていた。 「ん?」 「ここからは忍び足で」 「なんで?」 「しっ、大きな声もダメです」 びしっと立てた人差し指を自分の口元に寄せる御園。 何が起きようとしてるんだ? 仕方なく、そろそろと歩く。 御園はベンチの陰に隠れるように、身を縮めて中腰の体勢をとる。 俺も並んで同じ格好になる。 「あれを見てください」 御園のささやくような声に、指で示された方を見た。 「『ああ、たとえそれでも、キミを愛してる!』」 「『キミの笑顔のために、僕は喜んで、この手を血で汚そう!』」 芹沢さんが熱演の真っ最中だった。 声量なのか声質なのか、かなり距離が離れているのに、はっきりと台詞が聞こえる。 「芹沢さん、こんなとこで練習してたのか」 「ええ、一昨日から始めたみたいです」 「私がここで補習をサボ……自習していたら、急にやってきて……」 「だから、私、とっさに隠れたんです」 「いや、なんで?」 「その日、芹沢さんはここで2時間くらい練習して帰りました」 俺の疑問は素敵にスルーされた。 「一昨日、筧先輩、芹沢さんが部活で少し浮いてるって言ってましたよね?」 「ああ」 「芹沢さんはここ最近、特に練習に熱が入ってるそうです」 「元々、熱心だったけど、最近さらに拍車がかかったらしくて」 「どこ情報?」 「ネットと聞き込みです。図書部のやり方といっしょですよ」 「それと合わせて、一昨日からここで芹沢さんを覗いていたと」 「少し、少しです」 恥ずかしそうに言う御園。 「世間的にはストーカーって言うだろ」 「ち、違います。私は心配で……」 つい御園が声をあげる。 「(……ん? 今、誰かの声が……)」 びたりと演技を止めた芹沢が周囲を見渡す。 「……」 「……にゃ、にゃあ」 全然、似てないし。 「……猫か、ダメね……集中、集中!」 芹沢さんは練習を再開した。 えええーーー。 「ふぅ……やりました」 やり遂げた顔の御園。 ホントかよ。 「それで、御園の依頼は何だ?」 「芹沢さんを盗撮してほしいとかじゃないだろうな?」 「あ、当たり前です」 「筧先輩は、私を何だと思ってるんですか!」 「あ、こら」 慌てて御園の口をふさぐ。 「……んぐ!?」 「(? やっぱり誰かが……)」 芹沢さんがさっきより機敏な動作で周囲を観察しだした。 見つかるかもしれない。 「御園、一時撤退だ」 御園の口を押さえながら言う。 「……」 御園はこくこくとうなづいた。 待ち合わせの場所まで戻ってきた。 「はぁ……」 「何とか見つからずにすんだな」 「物陰で女の子の口をふさぐなんて、一歩間違えたら犯罪ですから」 妙に楽しそうに言う御園。 「誤解を招く発言するなよ」 桜庭あたりに聞かれたら、鉄拳制裁を進呈されそうだ。 「芹沢さん、最近大きなオーディションで落ちたそうなんです」 「それで、練習量を増やしたのか」 「はい。それで、ピリピリしちゃって周りの子達も、芹沢さんを敬遠気味になってるみたいです」 「なるほど」 努力の人、芹沢さんらしい話だ。 「誰かが傍にいて、見ててあげた方がいいと思うんです」 「このままだと身体を壊すかもしれませんし、第一……」 「周りから人が離れていってしまうので」 「……友達が心配、ってわけか」 「……」 「たぶん、そうです」 「でも、たぶんもう友達じゃありませんけど」 「芹沢さんは私を嫌ってます」 「私が勝手に心配してるだけです」 そんなこと、ない。 そう言ってやりたかったが、俺はその言葉を飲み込んだ。 軽々しい言葉を場当たり的に口にするのは、誰のためにもならないだろう。 「筧先輩、芹沢さんをしばらく見守ってあげてください」 「何で俺が?」 そこがわからない。 「頼りにできるのは先輩だけなんです」 こういう仕事は高峰の方が向いていると思う。 でも、相性の問題で、御園は高峰をそうは見ないんだろうな。 「筧先輩って、女の子の心を掴むポイントを知ってますから」 「体験談?」 「違いますけど」 さらりとかわされる。 「一応、言いますけど、あくまで見守るだけですよ?」 「もし何かあったら、桜庭先輩に物陰で筧先輩にいきなり口をふさがれたってメールします」 笑顔で脅迫か。 「最善を尽くそう」 苦笑しつつ、後輩にそう答えた。 「ありがとうございます」 可愛い後輩が可愛い笑顔になる。 しゃーないな。 ──こうしてかなり強引に俺の次のミッションが決定した。 次の日の放課後。 俺は御園との約束を果たすべく、公園へと向かう。 「『お前はいつもそうだ……』」 「『普段は従順なくせに本当に大切な事は、いつも一人で決めてしまって……』」 昨日と同じく、芹沢さんが熱心に稽古をしていた。 話しかけるのがためらわれる空気だ。 だが、昨日のように陰からこそこそ見守るのは無理がある。 「筧先輩、明日からの作戦を立てましょう」 「ああ、何でも事前準備は大切だからな」 孫子曰く、戦う前に勝敗は決している、だ。 「偶然通りかかった筧先輩が、芹沢さんの練習に協力を申し出る、というのはどうでしょう?」 「俺、普段あそこ通らないけど」 「ですから、たまたま通りかかるんですよ」 「つまり、たまたま公園を通りかかった俺が、」 「たまたま、練習してる芹沢さんを見かけて、」 「何となく、練習の協力を打診する、と」 「はい」 「御園、どうしてドヤ顔なんだ……」 めちゃめちゃ穴のある作戦だ。 だが、綿密な計画を立ててる時間もない俺は、御園の計画に賭けてみることにした。 芹沢さんの旧友である御園が立てた計画だ。 期待したい。 「あら? 筧さんじゃないですか」 「よう」 「どうしてこんなところに?」 「たまたま散歩してたんだ」 「たまたま通る場所には見えませんけど?」 公園は学園の外れにある。 いるのは、デートしているカップルかジョギングしている運動部くらいだ。 「たまたまに理由を求められてもなぁ」 「いつもとは違う場所で読書したかっただけなんだ」 ポケットから文庫本を取り出してみせる。 「なるほど、そうですか」 相変わらず半信半疑の顔だが、芹沢さんはそれで矛を収めた。 「芹沢さんはお芝居の練習?」 「ええ、部室ではお仕事の練習がしづらくて」 「はいはいプロは違いますね、みたいな顔で見られますから」 言葉に反し、明るく笑う芹沢さん。 芹沢さんにとって、部室はホームグラウンドじゃないのだろう。 それどころか、アウェーなのかもしれない。 「芹沢さん?」 「はい?」 「一人で練習しててもつまらないだろうし、良かったら俺が付き合おうか?」 「いえ、今日は別にいらないですけど」 「あ、そう」 あっさり瞬殺された。 「どうしたんですか? ぼんやりして、筧さん、やっぱり変ですよ?」 疑惑の目を向けられる。 「ああ、ごめん。だったら、こうしよう」 「芹沢さんの練習が終わるまで、ここで本読んでていいかな?」 「はあ?」 「大丈夫、邪魔しないから」 「本読んでる時の俺なんて、銅像みたいなもんだからさ」 「練習終わったら、声かけてくれ」 彼女からちょっと離れて、早速文庫本を取り出す。 「ち、ちょっと待ってください。どうしてここで本を?」 「んー」 隠すでもないか。 「まあ、一言でいうと、心配だから?」 嘘ではない。 「……え?」 「暗くなると、ここ、人通りがほとんどないだろ?」 「でも、芹沢さんは夜まで練習しそうだし」 「当然です」 「私は練習することでしか、夢を追えません」 「誰よりも努力してきましたし、これからもします。それが私の自信です」 芹沢さんが淡々と言う。 「というわけで、練習が終わったら駅か寮まで送らせてもらえればと」 「いえ、まったく意味がわからないのですが」 「送っていただく理由なんてありませんし」 ジト目で見られる。 常識で考えてキモいよな。 「あの……誤解されても仕方ないこと言ってるってわかってますよね?」 芹沢さんが俺を見て、にっと笑う。 否定しないとまずい気がする。 しかし、御園のためにも、依頼人の名前を出すわけにはいかない。 ……やむなしか。 「そりゃまあ、もちろん」 「なるほど。つまり『そういう』ことだと?」 「解釈は任せるよ」 「へー、そうですか、そうですか」 「私が心配で家まで送ってくれますか」 にまにま笑う芹沢。 汗が背中を伝う。 なかなか面白い後輩じゃないか。 と、芹沢さんが何か思いついた顔をした。 「なら、夜道は危な〜いことですし、送ってもらいます」 「そこで本でも読んでてください」 「え……」 さらりと言って、芹沢さんは池の方を向いた。 これはどう解釈すればいい。 俺が芹沢さんに気があるという誤解を、彼女は受け入れたということか? つまり、告ってないのにOKされたというパターン。 ……なわけない。 彼女なりの考えがあるのだろう。 「筧さん。か け い さ ん」 「はっ」 気がつくと、芹沢さんが俺の肩を揺すっていた。 どうやら、本の世界に没入していたらしい。 「もう練習終わり?」 「はい、今日はここまでです」 携帯を見ると、さっきからたっぷり2時間は経過していた。 「2時間か、すごい集中力だな」 「それを言ったら筧さんです。読み始めたら本当に動きませんでした」 「読書くらいしか能がないんだ」 「いざとなったら、銅像のパフォーマンスで稼げるかもしれません」 「将来、路頭に迷ったらやってみるよ」 「で、もう帰るってことでいいのかな?」 「はい、お待たせしました」 「私、一人暮らしですので、あっちです」 二人並んで歩きだす。 話によると、芹沢さんの家は商店街の先らしい。 桜庭の家より南側ということだ。 「今更なんだけどさ、男と二人で歩いてて大丈夫なのか?」 「本当に今更ですね」 「ネットに顔と住所がさらされるくらいは覚悟した方がいいかもしれません」 「マジか」 「冗談です。私はまだ騒ぎになるほど有名じゃありませんので」 「いつかはそこまで行きたいですけど」 芹沢さんがにんまりと笑う。 根拠もなく、この子なら有名になれそうだと思ってしまう。 そんな雰囲気が、もしかしたらスター性と呼ばれるものなのかもしれない。 「ちなみに、別口で行きたいところがあるんですけどいいですか?」 「いいけど、どこ?」 「牛丼屋さんです」 「は? 牛丼屋?」 「牛丼屋さんって女一人だとちょっと勇気いるじゃないですか。男の戦場って感じですし」 「最近、私がやってるウェブラジオで牛丼関係のメールをいっぱいもらってるんです」 「このあたりで一つ、食べてきましたーっていうのをやりたいんですよね」 「ということで、付き合っていただけないでしょうか?」 なるほど、俺と一緒に帰ったのはこういうことか。 「ああ、全然構わないよ」 「ホントですか、ありがとうございますっ」 芹沢さんがぺこりと頭を下げる。 「練習が終わった後もネタ作りなんて大変だな」 「いえいえ、役者は全てが勉強ですから当たり前のことです」 「それに、自分に返ってくることですしね」 さらりと言ってのける。 やはり、プロとして働いている人間はただの生徒とは違う。 悪い意味ではなく、自分を一つの商品として考えることができるのだ。 「じゃ、早速行くか」 「はい、よろしくお願いします」 「つゆだくとかオプションがあるんですよね?」 「ああ、試してみるか?」 「デビュー戦からですか!? うわー、緊張します」 などと喋りながらオレンジ色の店舗を目指す。 約30分後、俺たちは店を出た。 「どうだった?」 「美味しかったです。いままで遠慮してて損しましたよ」 「こう言ったら牛丼に失礼かもしれないですけど、私、ジャンクなもの好きなんです」 「ならよかった」 「お味噌汁とお新香、ありがとうございました」 「練習頑張ってたから、ご褒美ってことで」 「いえいえ、私なんてまだまだです。明日も頑張ります」 「明日もか」 もちろん、と芹沢さんがうなずく。 「〈芸事〉《げいごと》は、1日休むと3日戻るっていいますから」 「立派だなあ」 「普通です、普通」 芹沢さんが苦笑する。 「……あ、私はこの辺で大丈夫ですので」 脇道に差し掛かったところで、芹沢さんが足を止めた。 道の先は住宅街だ。 「今日はいろいろありがとうございました」 「図書部の活動は大丈夫だったんですか?」 これが活動だ。 とは、言えないか。 「今は忙しくないから大丈夫」 「ですか」 「なら、私から図書部の筧さんにお願いがあるんですけど」 芹沢さんが後ろで手を組んだ。 「明日、練習に付き合ってもらえませんか? 一人ではやりにくい練習なんです」 「というと?」 「掛け合いというか、相手が目の前にいた方がいい場面でして」 「筧さんは、立っていてもらえればそれでOKですので」 願ったり叶ったりである。 「喜んで協力するよ」 「ありがとうございます」 「じゃ、気をつけて」 「はい、お疲れ様でした」 ちゃきっと敬礼みたいなことをして、芹沢さんは回れ右をして帰っていった。 お芝居の練習も一緒にしてくれる人がいないのか……。 想像していたより、一匹狼なのかもしれないな。 後ろ手で扉を閉じて、部屋に上がる。 ようやくホッとした。 意識してなかったが、小太刀や図書部以外の女子とこんなに長時間いっしょにいたのは久し振りだ。 少し疲れた。 家では珍しくインスタントコーヒーを作る。 リラックスしようって時に来客か。 このタイミングは小太刀だろう。 「はいはい」 「どうした?」 「悪いけど、テレビ見せてくんない?」 「またかよ」 「お邪魔しまーす」 さっさと部屋に入ってきた。 「まだいいって言ってないが」 「駄目なの?」 「……1時間な」 「さーんきゅ」 小太刀は、いつものようにベッドに転がり、テレビの電源をつける。 「ん?」 メールだ。 芹沢さんかな? 『今日はお疲れ様でした。上手くいきましたか? 御園』 御園からだった。 『今日のところは大丈夫。明日も練習に付き合うことになった。』 差し障りない返信をする。 「お?」 またメールが。 さっき登録したばかりのアドレス。 芹沢さんだ。 『今日は送って下さりありがとうございました。明日のことですが16時にアプリオ前で待ち合わせしましょう。 芹沢』 今度は芹沢さんからだった。 『了解。明日も頑張ろう』 書いたメールを一回読み直して、返信。 ……。 「うおっ?」 連続でメールが届いた。 またすぐに読む。 『順調ですね。さすがに女の子の扱いが上手です。 御園』 『明日はよろしくお願いします。今から楽しみです。 芹沢』 着信時間を確認すると、秒まで同じだった。 気が合ってるな。 「……」 何とかメールのやりとりをできるくらいには、あの二人も仲良くなってくれればいいのに。 おせっかいにも、そんなことを考えてしまう。 芹沢さんは、最初御園の調査を図書部に依頼した。 御園は芹沢さんを見守ってほしいと俺に頼んできた。 二人は少なくとも、忌み嫌い合ってるのではないのだ。 「たぶん……」 「ん? 何よ?」 「あの二人、もう少し仲良くなれそうだと思って」 「あの二人って?」 「御園と芹沢さん」 「へぇ、変わったコンビじゃない」 「……そうでもないか」 関心薄そうに言って、小太刀はテレビに視線を戻す。 これからどうなることか。 「お待たせ」 「あ、こんにちは、筧さん」 待ち合わせ時間の5分前、俺たちは約束の場所で合流した。 「来てくれて嬉しいです」 芹沢さんが微笑む。 「可愛い後輩の依頼だよ、すっぽかすはずない」 「可愛くなかったらすっぽかすんですか?」 「芹沢さんは心配しなくていいんじゃないか」 「あ、お世辞ですね。ありがとうございます」 ニコニコ顔の芹沢さん。 お世辞も言われ慣れているのだろう。 「で、どこで練習するんだ?」 「音楽棟の練習室が借りられたので、そこでお願いします」 芹沢さんの後について音楽棟に入っていく。 音楽室に着くなり、俺は芹沢さんの真正面に立たされた。 どうしたって、顔をまじまじと見ることになる。 改めて見るとすごく可愛い。 きりっとした眉が、彼女の勝ち気な性格をよく表していた。 「立ってるだけでいいの?」 「はい」 「意味あるのかな?」 「大アリです」 「目の前にいる人に向かって台詞を言うだけで、感情がすごく込められるんです」 「普段もマイクの向こうに誰かがいるって思いながら演技してるんですよ」 「へえ」 こっちは素人だし、言われた通りにしよう。 「では、始めます」 そう言って、芹沢さんは姿勢を正す。 「『ああ、それでも、貴方は私を置いていくというの?』」 一台詞で部屋の空気が一変する。 切ないBGMでも聞こえてきそうな、すり切れそうな雰囲気だ。 「『こんなに、好きなのに……』」 「『貴方だって、私の気持ち、ずっと前から気づいてたよね?』」 立っているだけでいいと言われているのに、思わず返事まで考えてしまう。 きっと、芹沢さんの演技がすごいということなのだ。 「? どうしました? 筧さん」 「え?」 「どうして、目を逸らすんですか?」 「いや……」 「割と照れた」 「しっかりしてください」 「きちんと私を見ていてくれないと、感情を込めにくいです」 芹沢さんがぶすっとした顔をする。 「悪かった、すまん」 もう一度、芹沢さんを見る。 「『私、貴方を愛してます!』」 「……」 いきなりハードルの高い台詞が。 これ以上ないほどの視線がぶつかってくる。 思わずドキリとした。 「筧さん。失礼ですけど、無理なら今日は帰ってもらった方が」 「ここを借りられる時間は限られてますので」 「いや、すまん」 芹沢さんの態度には、照れや冗談の入る余地などない。 表情と同時に気持ちを引き締める。 「わかっていただけたみたいですね」 芹沢さんがにこりと笑う。 「さ、続けますよ」 しばらくして、芹沢さんが緊張を切った。 「少し休憩にしましょう」 「ふう……」 自然と溜息が出た。 こっちまで身体が緊張していたことに気づく。 練習の序盤こそ、芹沢さんの言葉は演技だと思っていたが、途中からは現実との区別がなくなっていた。 演技だろうがなかろうが、言葉に込められた感情は本物だったからだ。 感情がこもった言葉を延々受け取れば、そりゃ疲れる。 「割とハードだった」 「お疲れ様でした」 どちらからともなく、壁際のベンチに腰を下ろす。 「あ、そうだ。これ、よかったら」 鞄からのど飴を取り出す。 必要になるかと思って購買で買ってきたものだ。 「ありがとうございます。遠慮なく」 芹沢さんが飴をなめる。 「のど飴があるのとないのとでは、かなり違うんです」 「今日はちょうど切らしちゃってたんで、すごく助かります」 芹沢さんが持ち上げてくれる。 自然にできるところは世慣れた印象だ。 「しっかし、役者さんの演技ってのはすごいな」 「立ってるだけなのに、こっちまで本気にさせられたよ」 「そう言ってもらえると嬉しいです」 「演じている方も、本気でやってますから」 「俺も、その場で芹沢さんに返事したくなったよ」 「『貴方のことを、愛しています』」 「『もちろん、俺もだ』」 一瞬見つめ合う。 演技にもかかわらず、胸が高鳴る。 「……とかね、こんな感じ」 「筧さん、素質があるかもしれませんね」 「はは、まさか」 芹沢さんの本気を見せられたら、自分に才能があるなんて思えない。 「この後、まだ練習するの?」 「ここでの練習は終わりです」 「今夜はスタジオでレッスンがあるんですよ」 「大変だな」 「いえ、当たり前のことですから」 と、芹沢さんは笑ってかわす。 「有名な音響監督のレッスンなんですが、やっと参加できることになったんです」 「今日は初日なんですけど、すごく燃えてます」 「ある意味リベンジですからね」 拳をぐっと握る。 「リベンジ?」 「この間、結構大きなオーディションがあったんです」 「最終選考まで行ったんですけど、落ちちゃったんですよね」 「そのときの審査員が、これから会う音響監督なんです」 「気まずくないか?」 「まさか」 「むしろ、あれから成長した自分を見てほしいくらいです」 「これはチャンスですよ」 勢い込んで、芹沢さんが俺の手を握ってきた。 「上達するためなら、過去の遺恨も何もないと」 「遺恨なんてありませんよ」 「私の技術が足りなかったから落ちただけです」 「仮に他の事情があったにしても、それは私が考えても仕方ないことですから」 芹沢さんの言葉には迷いがなかった。 「……すごいな」 「いえ、そんな」 芹沢さんが、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。 ……と、握り合った手に目が行く。 「ひゃっっ!?」 「ど、どうして私の手を!?」 「いや、握られたのは俺なんだけど……」 ……。 …………。 「……あ、えーと……」 「失礼しました」 顔を赤くして、ぺこりと頭を下げる。 大人っぽい人だと思っていたが、こういう所もあるんだな。 御園に頼まれたのとは別に、芹沢さんのことも知りたくなってきた。 夜12時前、芹沢さんからメールがあった。 『今日のレッスン、音響監督に褒められました。 筧さんが練習に付き合ってくれたお陰です、ありがとうございました! それでは、おやすみなさい。 芹沢』 よかったじゃないか。 メールの文字から、今にも躍り出しそうな気持ちが伝わってくる。 少し練習に付き合っただけなのに、我がことのように嬉しくなる自分がいた。 「さてと……」 読みかけの文庫を持って、椅子に深く腰掛ける。 今日は夏休みの休養日。 部活もなく、一日読書を満喫できる日だ。 「……?」 「もう、夕方か?」 部屋を満たしていた淡いオレンジ色の光に、時間の経過を知らされる。 「(飯食うの忘れてた)」 まいっか。 夕飯は食うとして、それまでにもう一冊くらいは読めそうだ。 ……。 机に積んでるある未読の小説に手を伸ばしかけて、はたと気付いた。 平日なら芹沢さんが練習している時間だ。 もしかして、今日も練習してるんじゃないか? 「……」 一度、気になりだしたらもうダメだ。 小説を元の位置に戻し、立ち上がった。 予想通り、芹沢さんはそこにいた。 平日は仕事をこなしながら部活で練習、ここでも練習、音響監督の特別講習も受講。 そして、休みの日もここで練習。 すごい気合いだが、身体が多少心配になる。 「芹沢さん」 「あ、筧さん、こんにちは」 芹沢さんはいつもの様子で頭を下げた。 「来てくれるなんて思いませんでした」 「あれ? 約束とかしてたっけ?」 「あーいえ、ぜんぜん、何でもないです」 慌てて手を振る芹沢さん。 「それで、どうしました?」 いつもの笑顔に戻る。 「今日も練習してるんじゃないかと思って、少し心配になったんだ」 「たまには休まないと」 「その辺の体調管理はできているつもりです」 「今までだって、どんなハードスケジュールでも倒れたことありませんから」 得意げに胸を張っていた。 「倒れるかどうかが基準ってあたりで危ない」 「ははは、仰る通りですね」 ちょっとバツが悪そうに、俺から視線を逸らす。 「では、少し休憩することにします」 並んでベンチに座る。 驚いたことに、芹沢さんは昼食を取らずにぶっ続けで練習していたらしい。 購買で買ったサンドイッチとミネラルウォーターを渡す。 「またすみません……」 芹沢さん頭を下げる。 「お腹空いてた?」 「ええ、ぺこぺこです」 「集中すると、つい他のことを忘れちゃうんですよね」 苦笑する芹沢さん。 本を読んでるときの俺と一緒か。 「演技とか業界のこととか全然わからないから、完全に余計なお世話なんだけどさ……」 「芹沢は、頑張り過ぎないように気をつけろよ」 「あ……」 「筧さん、今、私のこと呼び捨てにしましたね?」 「あ、すまん」 つい御園や佳奈すけと話してるみたいな気分になってた。 「いえ、気にしないで下さい」 「むしろ、筧さんが先輩なんですから、呼び捨てでいいですよ」 「いいのか?」 「ええ、是非」 「年上にさん付けされると、落ち着きが悪くて」 「なら、そうするよ芹沢さん」 「あの、戻ってますが」 ぷんすかという感じで怒る。 「あ、サンドイッチ食べてよ」 芹沢の膝の上でぽつんとしている包みを指して言う。 「はい、では遠慮なく」 芹沢がぱくりと三角形のパンをくわえる。 「ああ、このタマゴ美味しいです」 今、俺の前にいる芹沢水結は、まったくもって普通の女の子だ。 少し前まで感じていた芸能人オーラとかまるでない。 でも、彼女を身近に感じたせいで、否応なしに異性として意識してしまう。 「練習の成果は上がってる?」 ごまかすように話題を切り替えた。 「ぼちぼちです」 「特別講習はどう?」 「まだ一回ですから、これからって感じですね」 「そうか」 簡単に効果が出れば苦労しないか。 「あ、でも、いい報告があるんです」 「例の音響監督に、また大きなオーディションを受けないかって言われました」 「すごいじゃないか」 見込みがなければそんな話は持っていかないだろう。 やはり、芹沢の技量は高いのだ。 「今度こそ、あの監督に……」 芹沢が表情を引き締める。 「今度こそ、あの監督に私の実力を認めさせます……!」 静かに闘志を燃やす芹沢。 まっすぐな情熱に胸を打たれた。 仲間に疎まれようと、挫折を味わおうと、決して諦めない。 彼女の、その強さには素直に敬意を表したい。 「好きだよ、そういう気合い」 「好き、ときましたか」 「前半だけ抜き出すなよ」 「ふふ、ですよね」 芹沢がにっと笑う。 「つっても、嫌いってことじゃないぞ」 「え? ええ……?」 目に見えて、芹沢の頬が上気した。 前回、からかわれたのでその仕返しだ。 といっても、あながち冗談じゃない。 芹沢のことを好ましく思っているのは本当だ。 「びっくりしますから、そういうのはやめて下さい」 芹沢が少しむすっとする。 直球のアプローチが好きなタイプみたいだ。 「悪い悪い」 「さて、と」 サンドイッチの最後の欠片を口に放り込み、芹沢は立ち上がった。 「もう一セット練習します」 「ここで読書に励んでいいか?」 「……うーん」 芹沢がわざとらしく考えるふりをする。 「じゃ、特別ですよ」 「筧、新しい依頼が来た」 図書部に顔を出すと、桜庭が開口一番言った。 「最近、大人気だな」 「今度は何だ? またコスプレでビラ配りか?」 「ビラ配りなら任せてっ」 白崎が腕まくりしそうな勢いだ。 「完全に慣れきってますね」 「私、まだ恥ずかしいですが」 「いや、残念ながら、ビラ配りの依頼ではない」 「残念って……桜庭も意外と好きだな」 「高峰は向こう10分黙っててくれるか」 物騒に目を細めてから、桜庭がプリントを配る。 「納涼カラオケ大会の協力依頼?」 件名にそう記されていた。 「ああ、ボランティア部からの依頼だ」 「元々、年に一度、身寄りのない子供達のために開いていた小さな催しものだったらしい」 「今年は開催から十周年ということで、派手にやりたいそうだ」 「なるほどなあ」 資料を更に読むと、ボランティア部は人数が圧倒的に足りないらしい。 その辺をフォローしつつ、カラオケ大会を更に盛り上げてもらえれば、という依頼だった。 ボランティア部がボランティアを募集するという、謎の構図になっている。 「わたしは大賛成だよ」 「わたし達の活動で、学園外の人まで楽しくなってくれれば言うことないもん!」 「おお〜、白崎部長のやる気ゲージ、ダダあがりですよ、筧さん」 「そうだろうなぁ」 白崎が一番食いつきそうな案件だ。 「ミナフェスでの実績が買われたんだと、私は思う」 「会場は?」 「またアプリオを貸し切るそうだ」 まさにミナフェス再び、だな。 「私も基本的には協力に賛成だ」 「ただ……」 そこまで言って、桜庭が少し表情を曇らせる。 「どうした? 桜庭」 「問題が二つある」 「ボランティア部はイベントの目玉として、御園に歌ってほしいと言っている」 「あー、なるほど」 「確かに、千莉ちゃんが歌えば目玉にはなりそうだが……」 みんなの視線が自然に御園に集まる。 「いいですよ」 「え? マジ?」 「私の歌で皆さんが楽しくなるなら、私も嬉しいです」 「是非、やらせてください」 御園あっさり承諾。 いや、承諾どころか今までになく前向きに歌おうとしている。 「千莉ちゃん、ありがとう〜」 「え? あ、ち、ちょっと、白崎先輩!」 キラキラと輝く瞳をした白崎が御園を思いっきりハグしていた。 先輩が後輩を優しく可愛がっている。 微笑ましい光景だ。 「いやぁ、眩しいですね」 「アリだな……これで明日も戦える」 「……」 おかしい奴らがいる。 それはともかく。 「で、桜庭、もうひとつの問題って?」 「ああ、実は……」 「MCを筧さんがやるんですか?」 「じゃんけんで負けたんだ」 芹沢の問いかけに、力なく答える。 「でも、どうして図書部にMCの依頼が?」 「ボランティア部の人たちは、みんなトークが苦手らしい」 一言で言えば、みんなシャイなのだ。 「でも、図書部をアピールするチャンスですよ」 「ああ。というわけで、頑張ろうとは思ってるんだ」 「それで、私にMCのコツを聞きに来たと?」 「忙しいのは知ってるけど、さくっと上手くできるように頼むよ」 「いや、さくっとは無理ですけど」 「とにかく部室に入ってください。まずはやってみましょうよ」 「すまん、恩に着るよ」 高峰ばりに手を合わす。 「何言ってるんですか、困ってる時はお互い様ですよ」 手を引かれる。 あまりにも自然に手を握るから少し驚いた。 「あ、筧さん」 「ん?」 「そのイベント、御園さんは……」 ああ、気になるのか。 「御園も歌うよ。喜んでた」 「そうですか……」 微笑する。 御園が歌うことが芹沢は嬉しいのだ。 「さ、行きましょう♪」 演劇部員達が練習する中、部室の隅っこの方へ芹沢と移動する。 「では、まずは思った通りにやってみてください」 「私が筧さんを審査しちゃいますから」 芹沢が俺の真正面にパイプ椅子を置いて座る。 真っ白な太ももが目に眩しい。 「さぁ、ご自分のタイミングでどうぞ」 にまにまと笑う。 楽しそうだ。 たまには審査する側に回りたいってところか。 「わかった、よろしく頼む」 「はーい、頼まれました」 一回咳払いしてから、即興でスピーチをする。 「皆様、本日は御忙しいところ、ご来場いただき誠にありがとうございます」 「汐美学園ボランティア部の主催する納涼カラオケ大会も、今年でめでたく10周年を迎えました」 「これも、ひとえに諸先輩方、ならびに皆様のお力添えの賜物であると……」 「固っ! 筧さん固すぎですよ!」 挨拶の途中で容赦ないツッコミがくる。 「固いか……」 「それじゃ、企業の創立記念パーティーとかの挨拶ですよ」 「生徒主導なんですし、もう少しフランクで楽しいイメージにした方がいいです」 「お客さんもかしこまっちゃいますよ」 白崎にスピーチのアドバイスをしていたのに、いざ自分でやってみればこの調子。 上手くいかないもんだ。 「あんまり意識しないで、普段の筧さんっぽくやった方がよくないですか?」 「素の俺で行ったら、まあ暗いしつまらんぞ」 「いやいや、なかなかの逸材だと思いますよ?」 「ありがと」 お世辞をもらった。 「でも、そうなると、くだけた挨拶を考えないといけないな」 「参考までにってことで、私がやってみましょう」 芹沢がイスから立ち上がる。 「はーい! 今日は集まってくれて、みんなありがとーっ!」 「ボランティア部主催のカラオケ大会も、今年でついに10周年! みんなの応援のおかげだよ!」 「今日はみんなのソウルフルな歌声を、会場いっぱいに響かせて、夏の暑さを吹き飛ばそうね!」 「……とまあ、こんな感じで」 「さすが、本職はびしっとくるなあ」 沸き立つ会場が目に浮かぶようだ。 「誰でもできますって」 「マジかよ」 「……あ、そうだ」 ポンと手を叩く芹沢。 「スピーチの本を何冊か持ってますから、取ってきますね」 「ありがたい。頼むよ」 軽やかな足取りで、芹沢が部室を出る。 「あれ? 貴方、図書部の……」 「確か筧さん?」 「ああ、お邪魔してます」 この間、芹沢と役を競った部員達だ。 「もしかして、芹沢さんに会いに来たとか?」 「え? まあそうかな」 「あの子も余裕だよね。部室に彼氏を連れ込むなんて」 「いやいや、彼氏じゃないから」 「あれだけ実力があれば、そりゃ天狗にもなるでしょ」 「あーあ、私も芹沢さんくらいの才能があればなー」 その言葉がトリガーになった。 ガラにもなく。 「芹沢は、才能だけじゃなく、人一倍努力もしてる」 「え……」 「君らも努力してると思うけど、芹沢はもっと努力してると思うよ」 「その差が、結果に出ただけだ」 「彼女の成果は彼女自身の力で掴み取った正当なもので、楽して手に入れたものじゃない」 「芹沢の名誉のためにも、せめてそれは認めてあげてくれないか?」 「あ……」 「そ、それは……」 目の前の女子が凍りついたようになってしまう。 俺にしてはやり過ぎだったが、後悔はない。 「言い過ぎかもしれないけど、頼むよ」 「あー、い、いえ……そんな」 「わ、私達こそ……」 「筧さん、取って来ました!」 「……どうしたんですか?」 本の束を抱え、芹沢が戻ってきた。 微妙な空気をすぐに察知したようだ。 「な、何でもないよ」 「じ、じゃあまたね、芹沢さん」 逃げるように目の前の女子達は駆けだして行った。 「? どうしたんだろ、あの子達」 「ああ、世間話してただけなんだ」 「それにしては変な感じでしたけど……」 「まいっか。時間もないですし、スピーチの練習をしましょう」 そう言って、抱えてきた本の束をどさりと机に置いた。 芹沢と肩を並べて家路に就く。 「これからは、筧さんも毎日練習ですね」 「ああ、テキスト読んで頑張るよ」 芹沢から借りた本は2冊。 俺が持っていたハウツー本的なものじゃなく、プロ仕様の本格的なものだ。 気合いを入れて読み込もう。 「今日は時間を割いてもらって悪かったな。芹沢の方が大変だろうに」 「いいんですよたまには。気分転換にもなりましたし」 「気分転換?」 「練習、行き詰まってる感じなのか?」 「ええ、まあ……」 少しだけ表情が陰る。 「昨日の特別講習で少しきつく指導を受けまして」 「私は、役の気持ちを頭で考えていて、役になりきれていないって」 「ふうん、あれだけできても駄目なのか」 以前、練習に付き合ったときは、芹沢が台詞を言うたびにドキリとさせられた。 好きだ、と言われた時は本気で照れてしまったほどだ。 「嬉しいですけど、筧さんは全般的に評価が甘めですから」 「世の中には私より上手い人が星の数ほどいるんです」 「その中で生き残っていくことを考えると、まだまだですよ」 苦笑しつつ、芹沢は星空を見上げる。 並んで歩きながら、芹沢の横顔を見た。 芹沢は一人、厳しい世界で生きている。 そして、これからもその過酷な世界で勝ち抜いていくという。 「……」 彼女の迷いのない表情は尊敬に値する。 尊敬? 何か違うな。 綺麗……そう、綺麗なんだ。 胸に甘い痛みのような感触が落ちる。 「こんなことでめげてる暇はないんですけどね」 「オーディションの日程も決まりましたし、もっと自分を追い込んでいかないと」 「いつになったんだ?」 「7月23日です。筧さんの本番と同じ日ですね」 「偶然だな。その日はお互い勝負ってことか」 「本当は筧さんのトーク、見に行きたかったんですけど」 「いや、暇でも見に来なくていいから」 「あ、そうだ、図書部の人に頼んでぜひ動画を」 「絶対、図書部にメールとかするなよ」 あいつら、嬉々として撮影するに決まってる。 「あ、振りですね」 「違うって」 スタスタと先に歩いていく。 「あ、待ってくださいよ」 「ボディーガードが先に行ってどうするんですかー?」 すぐに芹沢に追いつかれる。 「捕まえた」 腕を組んできた。 「お、おい」 突然のスキンシップに焦ってしまう。 「筧さん、照れてます」 「そういうのはまず事務所を通してくれ」 「ふふふ、はいはい」 口ではそう言うが、離す気はないらしい。 ……何とか、こいつの手助けをしてやりたい。 そう考えた瞬間、胸の甘い痛みが増したのを感じた。 「は? 役になりきれないのを何とかしたい?」 帰宅後すぐ現れた小太刀に話を振ってみる。 「プロがわかんないのに、私がわかるわけないっしょ、アホか」 「ですよね」 「あったりまえでしょ」 ぞんざいにそう言うと、小太刀はベッドに寝転がってテレビをつける。 俺も何となくぼんやりと画面を眺める。 若手芸人が下手なモノマネをやっていた。 「あははは!」 俺には何が面白いのかわからないが、小太刀には受けている。 こんなのより芹沢の技量の方が数段上なんだが。 第一線で活躍するには、技量以外の何かが必要なのか。 「あー、筧、さっきの話だけど」 「ん?」 「集中力の問題じゃない?」 「芹沢の集中力は半端じゃないと思うが」 「でなきゃ、何時間もぶっ続けで練習できんだろ」 「必死にやれるってことが、集中できてるってことじゃないよ」 「いや、必死にならないとできない時点でダメじゃない?」 「はあ?」 なかなか興味深い意見だ。 「ほら、お笑いなんかでも面白い人ほど自然体でやってない?」 「素で面白いみたいな」 「才能でやってるってことじゃないか?」 「力が抜けてるってことよ」 「端から見て頑張ってるってのは、どっかに力が入ってるってことでしょ?」 「つまり、集中できてないってことになるんじゃない」 「言われてみりゃ、そうかもしないな」 「とかとか、適当に言ってみた。責任取らないからね」 「わかってるよ、ありがと」 「(力を抜くか……)」 確かに、芹沢はいつも一生懸命さが表に出てた気がする。 小太刀が帰った後、御園に電話することにした。 少しでも芸能関係に近い人間の意見が欲しい。 「もしもし」 「夜分に悪いな、ちょっといいか?」 「まだそんなに遅くないですし、いいですよ」 「芹沢のことで、御園の意見を聞きたいんだけど」 「……はい」 一瞬、御園が緊張したのがわかった。 芹沢の名を出したからだろう。 俺は芹沢の近況と、今悩んでることについて簡単に説明した。 「連続でオーディションに落ちると、さすがに芹沢さんも落ち込むかもしれません」 「受かってほしいです」 はっきりと芹沢のことを思う言葉を口にした。 間違いなく、御園は芹沢の友人だ。 それが嬉しかった。 「でも、私も演技は素人ですから……」 そりゃ仕方ない。 「御園はさ、歌う前、どうやって集中してる?」 「集中ですか?」 「……」 「すみません、考えたこともないです」 絶望的な答えが返ってきた。 御園は天才肌の人間だ。 そもそもこんな悩みとは無縁なのか。 「好きな歌を歌えるってだけで、気分が高揚して……」 「今は楽しんで歌ってますから、すっと歌に入れます」 「……なるほど」 言いたいことはわかるが、あまり参考には……。 ん? 待てよ。 「ありがとう、参考になった」 「そうですか?」 少し驚いたような声。 「これから、ちょっと芹沢と話すからもう切るな」 「え? 筧先輩、芹沢さんの携帯の番号知ってるんですか?」 「割とすぐに交換したけど」 「くれぐれも、節度ある交際をお願いします」 「おやすみなさい。失礼します」 「節度ある交際って……」 まじまじと自分の携帯を見つめながらつぶやく。 やれやれ。 「と」 御園との会話が終わって1分経たずに、着信がある。 芹沢だ。 すぐに出る。 「もしもし」 「もしもし」 「よ、夜、急にごめんなさい」 「その、迷惑でした?」 何だかえらく恐縮してるようだった。 「全然迷惑じゃないよ」 なるべく優しい声で言う。 「良かったぁ」 心底嬉しそうな声に、こっちまで嬉しくなる。 「実は明日も特別講習があるんです」 「上手くできるかなとか、また注意されちゃうかなとか、不安になっちゃって……」 「芹沢は誰よりも努力してるよ、自信を持って大丈夫」 「……ありがとうございます」 「筧さんにそう言ってもらいたくて、電話したんです」 「すごく、ホッとしました」 「電話くらいいつでもしていいよ」 「あはは、筧さんの優しさは海より深いですね」 いつもの芹沢に戻りつつある。 良かった。 「芹沢」 「はい」 「俺が言うのもおこがましいけど、結果は気にしないで、楽しくやったらいいんじゃないかな」 「え?」 「楽しんでやることが、何よりも集中力を高めるんだと思う」 「当事者にとっては難しいかもしれないけど……」 「オーディションに受かりたいとか、上手くやろうとか考えるのを一旦脇に置いてみたらどうかな」 「ど、どうして急にそんなことを……」 「芹沢の努力が報われてほしいからだ」 御園に頼まれただけでなく。 純粋に俺自身の気持ちとして。 「……」 「わかりました。筧さんの言うとおりにしてみます」 「ああ、頑張って」 「おやすみなさい」 「おやすみ」 芹沢が電話を切った。 「……」 俺はしばらく携帯を持ったまま、ぼんやりとしてしまう。 耳にはまだ微かに芹沢の声の、くすぐったいような感触が残っていた。 芹沢の辞書に休みという文字はない。 今日も今日とて、俺はいつもの練習場所へ移動する。 あ、もういた。 今日はいつもより早い……ん? 「!」 俺を見つけた芹沢がぶんぶんと手を振った。 まるで迷子の子供が、人ごみで親を見つけたかのようだ。 「筧さん!」 「おわっ」 駆けて来た勢いそのままで抱きつかれた。 おいおい、なんだなんだ。 芹沢が転ばないように支える。 「やったんです! 私、やりましたよ! 筧さん!」 「OK、OK。わかったから、まずは落ち着いて」 「あ、ご、ごめんなさい」 芹沢が素直に身体を離す。 興奮からか頬が紅潮していた。 「聞いてください」 「昨日の特別講習で、すごく褒めてもらえたんですっ」 「これなら明日のオーディションも間違いないって、太鼓判までもらっちゃいました!」 「やったじゃんか、おめでとう」 「ありがとうございます」 「これも、筧さんのアドバイスのおかげですっ」 言葉の勢いのまま、がばっと頭を下げた。 「努力の成果だって」 「いえ、努力を結果につなげてくれたのは筧さんです」 「アドバイスをもらってから、登場人物の心情が、すんなり身体に馴染むようになったんです」 良かった。 芹沢の努力が認められようとしている。 これを聞けばきっと、御園も喜んでくれるはずだ。 「……」 御園か。 その名前を思い出し、胸に微かな痛みが走る。 「誰かが傍にいて、見ててあげた方がいいと思うんです」 「でも、たぶんもう友達じゃありませんけど」 「芹沢さんは私を嫌ってます」 「私が勝手に心配してるだけです」 「連続でオーディションに落ちると、さすがに芹沢さんも落ち込むかもしれません」 「受かってほしいです」 「……」 言ったら、きっと御園に恨まれるんだろうな。 いや、もしかしたら目の前の芹沢にも。 だけど、俺は。 「ふぅ……」 ため息を吐く。 それでも、二人の本心を知ってる者としては──伝えないわけにはいかなかった。 「芹沢に一つ聞いてほしいことがあるんだ」 少し真面目な声を出す。 「はい、なんでしょう?」 雰囲気の変化に、芹沢は戸惑った表情を浮かべた。 「今まで芹沢の練習を見てきたけど、これ、御園に頼まれたんだ」 「……え?」 芹沢が目を見開く。 「う、嘘……ですよね?」 首を横に振る。 「御園は芹沢を心配してたんだ」 「お前が、オーディションに落ちて凹んでるんじゃないかって」 「あと、練習を頑張り過ぎて身体をこわすんじゃないかって」 何かを言いかけ、芹沢は唇を閉じる。 視線を落とし、言葉の意味を咀嚼するようにしばらく沈黙した。 さっきまでの明るい興奮はない。 「……信じられません」 「どうして?」 「私と御園さんはひどい別れ方をしました」 「それっきり縁が切れてるんです……ありえません」 「御園はそう思ってないんじゃないかな」 「どうして、筧さんがそんなこと言えるんですか?」 「昔何があったかはわからないけど、少なくとも御園は芹沢を気にかけてる」 「それは疑いようがない」 「……」 俺の言葉に、芹沢が唇を結ぶ。 「芹沢だって、本当はそうなんじゃないのか?」 「わ、私は……」 「御園が歌うって教えたとき、すごく嬉しそうな顔してたぞ」 「……」 芹沢は肩を落として、うなだれてしまう。 完全なおせっかいだった。 二人がどうなろうと、所詮は他人事だ。 昔の俺なら、絶対に余計なことは言わなかっただろう。 でも、今は芹沢に幸せになってほしいと思っていた。 そのために、御園と心を通わせることが必要だと思ったのだ。 「最後は芹沢が決めることだけど、もし御園と話し合えるなら、そうした方がいいんじゃないかな」 「俺にできることがあるなら手伝うよ」 芹沢は黙ったままだ。 いろいろ考える余地があるということは、二人の関係はまだ流動的なんだろうな。 ……即断を促すようなことでもないか。 「ま、ゆっくり考えてみて」 「……そうします」 辛うじて、芹沢が答えた。 「じゃ、明日は頑張ろう」 芹沢に背を向ける。 「あ、待ってください」 すぐに呼び止められた。 振り返る。 「御園さんの気持ちはわかりました」 「良かった」 「でも」 でも? 「でも、一つ聞きたいことがあるんです」 芹沢の目には情熱が感じられた。 さっきまでとは違う。 「筧さんが親切にしてくれたのは、全部御園さんに頼まれたからですか?」 直球が来た。 ど真ん中だった。 「……それは」 きっかけは、もちろん御園の依頼だ。 でも、もとから嫌々じゃない。 演劇部からの依頼を通し、芹沢には興味を持っていたのだ。 「一昨日、部活の子が2人、謝りに来たんです」 「筧さんも知ってる子だと思います」 あの二人か。 「自分達の努力不足を棚にあげて、今まで色々ごめんって……」 「私の彼氏に叱られたって言ってました」 「二人を注意してくれたの、筧さんですよね?」 「おそらく」 頬をかきながら答えた。 「私、すごく嬉しかったです」 「あとちょっとで泣いちゃいそうなくらい、嬉しかったですっ」 目を細める芹沢。 部活の中で孤立気味だった彼女にとっては、嬉しいサプライズだったのだろう。 「私、筧さんが力になってくれるのは、御園さんに頼まれたからじゃないって勝手に妄想してるんですけど」 「その……迷惑じゃないですか?」 「……ああ」 芹沢の表情が緩む。 「でしたら、あの……もっと、もっと都合良く解釈しちゃってもいいですか?」 「つまり、ずっと前に言ったみたいに『そういうこと』だって」 真っ赤になった顔を伏せる芹沢。 思えば、一人で芹沢の練習を見に行ったとき、そんな話をしたな。 練習に付き合う理由を聞かれて答えに窮し、芹沢に好意がある体で話をまとめたのだった。 巡り巡って、虚が実になったということか。 「答えてくれないと苦しいです、筧さん」 芹沢の切羽詰まった表情に、ほっこりした気分になる。 一生懸命に言葉を探してくれているのだ。 「そういうことだよ」 「……」 感極まったように息をのむ。 今すぐ駆け寄り、抱きしめたい衝動に駆られる。 でも、さすがにできない。 「芹沢の返事、待ってるから」 気恥ずかしくなって、背を向ける。 「あ、待ってください、筧さん」 再度、呼び止められた。 芹沢は真っ赤な顔のまま、言った。 「筧さんに、お願いがあります……」 ボランティアイベント当日。 進行全般を任された図書部の面々は、アプリオに集まる。 「ついに、この日が来ちゃいましたね! 御園さんっ!」 朝からハイテンションな佳奈すけが、もうすぐ舞台へ上がる御園の肩をパシパシと叩く。 「調子はどうですか?」 架空のマイクを御園に向ける。 「せ、精一杯歌うだけです」 御園が律儀に答えていた。 意外に付き合いがいい。 「緊張してませんか?」 「最初はしてなかったけど、今は佳奈のせいでちょっとしてる」 「鈴木……」 「佳奈ちゃん……」 桜庭と白崎が嘆息混じりに佳奈すけを軽くにらんだ。 「佳奈すけ、ザブトン全部没収だな」 「ひいいっ! あと1枚でハワイ旅行だったのに〜!」 スポンサーはどこなんだ。 「ならば、矛先を変えるためにも、今度は初MCを務める筧さんにインタビューです」 計算高いですね、鈴木さん。 「緊張してませんか?」 「全然してません」 「自分、緊張とかってよくわからないんで……」 器のデカイ若者を気取って答えてみる。 「ウソつけ」 1秒で看破された。 「だけど、筧くん、本当にリラックスしてるね……」 「意外だな、筧にこんなに舞台度胸があるとは……」 「勝敗は戦う前に決しているんだよ」 「準備万端ということですね! これは筧さんのMCも楽しみです」 確かに準備はした。 これ以上ないくらいの。 「すみませーん、図書部の方!」 「もう始まりますんで、御園さんとMCの方、そろそろお願いします!」 「行こう、御園」 「はい」 御園と二人で、歩き出す。 「千莉、筧さん、頑張れーーっ!」 「頼むぞ」 「楽しんできて!」 部員達の声援を背に、俺達は舞台袖へ移動した。 イベント開始三分前。 舞台袖から観客席を見ると、席は全部埋まっていた。 満員御礼。 全員が舞台に注目し、開会を今か今かと待っている。 きっと今日は盛り上がるだろう。 「いよいよですね、筧先輩」 「ああ」 「そろそろ行きましょうか?」 「そうだな、じゃあ……」 俺は御園の肩に両手を置き、 「え? 先輩……」 そっと、御園の身体を舞台の方へと押した。 「か、筧先輩? え? あ」 戸惑う御園。 当然だ。 MCを務めるはずの俺が行かないのだから。 その代わり、舞台には── 御園の友人が立っていた。 「はい、皆さん、大変長らくお待たせしました!」 「これ以上、お待たせしないためにも、さくさく進行しちゃいますね!」 「……せ、芹沢さん?」 「おおっと、何と皆さん、イベントの冒頭から、我が学園の誇る歌姫、御園千莉さんのご登場ですよ!」 「大きな拍手を!」 観客席から割れんばかりの拍手と歓声が届く。 さすが芹沢だ。 最初から、みんなのハートを鷲づかみだ。 「……」 「ん?」 「オーディションは……」 「今日、大事なオーディションがあるんでしょ?」 「もちろんキャンセル♪」 いたずらっ子のような笑みを浮かべて答える。 「ええっ!?」 舞台上であることも忘れて、御園が声を上げる。 「せっかくの機会でしょ!?」 「そうね、大切な機会だった」 「だけど……」 「御園さんと同じステージに立てる機会は、もっと大切だと思うから」 「せ、芹沢さん……あの、私……」 「はいはい、湿っぽいのはあとであとで」 「今日は、いっしょに楽しもうね!」 「う、うん……!」 御園はぐいっと手の甲で、涙を拭う。 もう満面の笑顔だった。 「はーい、では、ボランティア部と図書部による、この夏、最大のイベント!」 「第10回、納涼カラオケ大会! いっしょに盛り上がりましょうね!」 今、大きく温かな歓声に包まれて、芹沢と御園が並んで舞台に立っている。 歌う前の御園に、芹沢が話を振り、御園もちょっとボケたりしていた。 そのたびに笑いが起こる。 もうずっとコンビを組んでいた二人のようだ。 「これで依頼完了か」 俺は舞台の袖で、二人の姿を見ながら微笑んだ。 「はーい、皆さんこんにちは。9月1日、ランチタイム・アベニューの時間です」 「もう夏休み終わっちゃいましたね! 皆さん、夏バテなんてしてませんよね?」 「私はもちろん、元気いっぱいですよ! この夏いいこともありましたしね♪」 「それでは、これからの約30分、私、パーソナリティの芹沢水結と一緒にお散歩しましょう」 夏休み明け、初日。 久し振りに図書部のメンバーとアプリオで昼食を取る。 芹沢の放送を聴くのも久し振りだな。 「芹沢は相変わらず元気だな」 箸で鮭の切り身をほぐしながら、桜庭がひとつ息を吐いた。 「そういう桜庭さんはお疲れですか?」 「少々夏バテのようだ」 「玉藻ちゃんは夏休み、人一倍頑張ってたから」 「ボランティア部のイベントも打ち合わせはほとんど一人でこなしてましたし」 「お疲れさん」 それぞれ、桜庭にねぎらいの声をかける。 「な、何だ急に、き、気持ち悪いな……」 照れつつも嬉しそうな桜庭。 「わ、私のことはいいんだ」 「それより筧、お前はどうなんだ?」 「は? 何のことだ?」 こっちにお鉢が回ってきた。 「聞けば、この夏、ある女子生徒と随分と親しくなったそうじゃないか? ん?」 「ほう」 「ほほう」 女子達の視線と関心が一気に俺に集中する。 何故、それを? ちらりと御園を見る。 「……」 御園は俺と目が合うと気まずそうに、視線をすぐそらす。 噂の出所が判明した瞬間だった。 「ある女子生徒って誰なんだろう……」 白崎が考えだす。 個人名はさすがに伏せられているようだ。 「で、その子とはどこまでいったんですか?」 「いやいやいや、どこにも行ってない」 「は? 付き合ってるんなら、デートくらいしただろう?」 「だから、誰とも付き合ってないんだ」 芹沢からはまだ返事はもらえていない。 会えば笑って話はするが、全部世間話だ。 それが、芹沢の返事なのだろうか。 なら仕方ない。 「あ、それでこの夏あったいいことなんですけど」 「ひとつは、久し振りに友達と同じステージに立てたことなんです」 「あ……」 芹沢の言葉に、御園が微笑む。 「あ、千莉ちゃん、すっごい嬉しそう」 「ええ、嬉しいですから」 「!? 天邪鬼の御園がこんなに素直になるなんてよっぽどだぞ!」 「誰が天邪鬼ですか」 子猫がじゃれ合うようなケンカがまた勃発した。 放置推奨だ。 「それから、もうひとつのいいことなんですけど」 「何と、私、前から気になってた男の子に告白されちゃいました!」 「ごふっ!?」 気管支にお茶が!? 「だ、大丈夫? 筧くん」 白崎がハンカチを差し出してくれた。 「何を動揺してるんだ?」 「まったく筧はもっと平常心をだな……」 「私は仕事も一直線ですけど、恋はもっと一直線ですよ!」 「事務所のOKもやっと昨日、取りました!」 え? それは、つまり。 「だから……」 「2年R組の筧京太郎くん! 大好きです! これからもよろしくお願いしますね!」 一瞬、空気が凍り、 「筧かよ!?」 「筧なのか!?」 「筧くんなの!?」 「筧さん!?」 目の前で部員達が叫び、 放送を聴いていた、生徒達がどよめきだした。 人気アイドル声優の突然の恋人宣言である。 「まあ、そうだろうな……」 あいつも困ったものだな。 今度言って聞かせないと──などと、落ち着いていられない。 「おい、いたぞ、あいつだっ!」 「芹沢水結ファンクラブを差し置いて、やってくれたな、筧さんとやら……」 俺は現在、渦中の人であった。 「高峰、悪いけど俺のトレイも片付けておいてくれ」 早々にテーブルを離脱した。 「逃げたぞ!」 「追えーーっ!」 昼食もそこそこに、たくさんの男子生徒を引き連れて走り回ることになる。 これから芹沢と付き合っていくのは大変だ。 かるく目眩がしてくるが…… 「筧さん、大好きですよ♪」 きっと、苦労以上に楽しいのだろう。 彼女の明るい声を聞いて、自然と胸が躍った。 残暑も少しずつ遠のき、ようやく朝晩が涼しくなってきた。 その日、俺は彼女に呼び出されていた。 授業後の少し寂しい廊下を一人歩く。 「芹沢、いる?」 約束の場所に着いて、扉を開ける。 誰もいない教室の中央に、彼女は一人立っていた。 何やら真剣な表情をしている。 「大事な用事って何?」 言いながら近づいていくと……。 「好きです!」 いきなり告白された。 「あ、ああ……知ってるけど」 「うん、私も知ってました」 にこっと笑う。 一気に空気が弛緩した。 「いや、なんでまた今さら……」 「私達のことじゃなくて、また告白する女の子の役なんですよ」 「あー、仕事か」 「また筧さんに練習に付き合ってもらいたくて」 「そういうことなら、いくらでも」 「ふふ、ありがとうございます!」 飛びつくように抱きついてきた。 「あ、こら」 人目がないと、芹沢はよくこんな風に身体をくっつけてくる。 嬉しいが、理性的な意味で正直困る時もある。 「あーもう、どうして私がくっつくと嫌がるんですか?」 「女の子として傷ついちゃいます」 「嫌じゃないけど、ほら、場所とかあるだろ」 両腕で優しく彼女の身体を包みながら言う。 「ふふふ、ここならいいってことですね」 すりすりと頬や鼻先を俺の胸に擦り付けてくる。 たまらず、ぎゅっと抱いてしまう。 「もっと強く抱いてもいいんですよ?」 上目遣いで言われる。 「そりゃ、さすがにヤバイというか……」 「芹沢が欲しくて、自制が利かなくなる」 「筧さんは理性が強すぎますね……」 「そんなことはないと思うけど」 「じゃあ、私では感じてもらえないですか? 異性として……」 芹沢の腕が俺の背中で交差する。 これ以上ないくらい、俺と芹沢は接触していた。 「……証明してみてくださいよ」 ここまで言われたら、引けない。 「……芹沢」 「あ……」 芹沢の顎をそっと右手で持ち上げた。 察した芹沢が目を閉じる。 「ん……」 「ん、ちゅっ、ん……」 「はぁっ、筧さん……んっ……」 最初は浅く。 だんだん深く唇を重ねる。 「んっ、ちゅっ、んっ、んん……」 「んっ、ちゅっ、はぁ、んっ、筧さん、はぁ、んっ……」 芹沢の頬がどんどん赤みを増し、目が潤んでくる。 そんな顔を見てるだけで、俺の心臓も── 「あ……」 か細い声を上げて、芹沢の身体から突然力が抜けた。 「お、おい」 慌てて強く抱き寄せる。 もう少しで倒れるところだった。 「ご、ごめんなさい」 「どうした? 疲れてるとか?」 「い、いえ、その……」 うつむいて、もじもじしだす。 「筧さんに、抱いてもらってキスされて……」 「嬉しいんですけど、恥ずかしくて、どうしようどうしようって考えてたら……」 「私、オーバーヒートしちゃったみたいで……」 「すみません、演技以外の恋愛は未熟者なんですよ、私……」 赤くなった頬を自分の指先で、つつきながら苦笑する芹沢。 「芹沢は可愛いな」 もう一度ぎゅっと抱く。 「そ、そうですか?」 「ああ」 身体を寄せたまま、髪を撫でる。 「うう……」 さっきまであんなに積極的だったのに、今はもう緊張してこちこちだ。 芹沢は芸能人だが、そっち方面はとてもウブな子だ。 だから、俺もあまり芹沢に強く求めたりはしない。 ゆっくり進めばいいと思っている。 「あ……」 「か、筧さん……」 「ん?」 「……私に当たってるこれ、その、とっても……固いというか……」 俺から視線を逸らした芹沢に指摘された。 だが、生理現象はどうしようもない。 「ひゃっ、ち、ちょっと動いたような?」 彼女は俺の股間にうろたえていた。 「あ、当たってる、うう……」 「ま、まあ……生理現象ってことで諦めてくれ」 「うう、筧さんにこんな無遠慮なパーツがあるなんて」 「ちょっとショックです」 そういうわりには俺から身体を離さない。 そんなところが可愛くて仕方ない。 「あまり嫌われると、少し悲しいんだが」 「え? いや、き、嫌ってはいませんけど」 「でも、さっきから腰を引いて俺に抱きついてるし」 「こんな状態で腰をすりつけたら、私エッチな子じゃないですか! できませんよ!」 ぶんぶん顔を横に振る。 「確かに淑女ではなくなるか」 苦笑する。 「……」 「えいっ」 覚悟を決めたという感じで、芹沢がぺとっと俺の身体に完全にくっついた。 「あ」 芹沢の女の子の部分に俺の股間が密着する。 「か、筧さん、あ、今ぴくってなった……」 「あと、心臓の鼓動がすごいです……」 「芹沢だって……」 やわらかい感触に我慢できなくなる。 俺はまた芹沢の顔を片手で上げて、 「あ、ん……」 唇を重ねる。 脳髄が蕩けるような、甘い感覚。 浸っていたい。 いつまでも芹沢とこうしていたい。 が、そういうわけにもいかない。 理性をフル動員して、何とか芹沢の唇を解放する。 「さて、練習しよう」 「また芹沢の前に立っていればいいんだろ?」 ごまかすように言って、芹沢から離れた。 名残惜しいが仕方ない。 「……」 「いえ、筧さんは、ご主人様はイスに座ってください」 「ご主人様?」 「今度の役は、若くてカッコいいけど病弱なご主人様に恋しちゃうメイドの役なんです」 「病弱だから、座ってろと」 「左様でございます、ご主人様」 真正面に芹沢メイドさんが立つ。 もう役に入ってる。 「……今から、ご奉仕しますね」 「……筧さんに」 「は?」 ご主人様じゃないのか? と問おうとした瞬間、俺は固まってしまう。 芹沢が俺の足元にひざまずいたからだ。 「お、おい」 急なことに戸惑う。 「い、いいから、ほら私にまかせてください」 「か、筧さんは、ご主人様なんですから、もっとどっしりと座っていてくれればいいんです」 どもりながらも強気な姿勢はくずさない。 「無理しなくてもいいって」 「む、無理なんかじゃありませんよ」 「私が、筧さんの火照りを今から鎮めてあげますから……」 微笑する。 そして、俺の股間をまさぐるように撫でた後、 俺のペニスを露出させる。 「あ」 俺のそこは、すでに固くなっていた。 「っっ……」 芹沢の顔が瞬間沸騰したようになる。 「こ、こんな、なんですか……」 感心していた。 そして、まじまじと見られていた。 さすがに恥ずかしい。 「さ、触ってもいいですか?」 おずおずと尋ねてくる。 「ま、まあ」 率直に聞かれると恥ずかしい。 「あ、ありがとうございます、触りますね……」 何がありがたいのか……。 芹沢さんの手が俺に触れる。 「あ、熱いです……」 軽くカリの部分を指の腹で撫でられた。 「くっ」 それだけで、腰が浮く。 軽く電流が走ったような感覚だ。 「ふふ、可愛い声出ましたね」 「いただきました」 「アフレコかよ」 「あ、また筧さんの大きくなりましたよ?」 「それに、ぴくぴくってなってます……」 恥ずかしいので描写しないでほしい。 「芹沢が触ってくるから興奮してるんだ」 「ふ、ふふ、何言ってるんですか……」 「まだまだこれからですよ……」 そう言って、芹沢は少し強めに俺の竿を握り……。 「ん……」 先端を口に含んだ。 「んっ、ちゅっ、ん、んん……」 「んっ、んっ、ちゅっ、んっ、ん……」 「はぁ、はぁ、んっ、ちゅっ……」 「く……」 今までとは比べ物にならないくらい強い刺激が送り込まれた。 思わずのけぞりそうになる。 「ん、ちゅっ、ん、んんん……」 ぺちゃぺちゃと淫靡な音を立てて、芹沢が俺の性器を咥えている。 小さな口を目いっぱい開けて、キレイな唇が俺の亀頭に何度も触れている。 生温かい感触。 芹沢の口内の熱を、ペニスで感じる。 「ん、ちゅっ、ん、んん……」 「ちゅっ、んっ、はぁ、んっ……」 「ん、ちゅ……」 「はぁ、はぁ……ど、どうですか? 筧さん」 唾液に濡れた手で竿をしごきながら訊いてくる。 「どうって……」 「もちろん、気持ちいいですか? って意味ですよ」 芹沢は俺の性器を愛撫しながら、目を細める。 何だかいつもの芹沢と雰囲気が変わってきたような。 役者だからか。 それとも、女の子はエッチをする時はこんな風に変わるものなのか。 「気持ちいいよ」 「はっきり言って未知との遭遇だ」 「ふふ、筧さんはこんな時までユニークですね……」 「ちゅ」 不意打ちで亀頭にキスされる。 腰に力が入らない。 だんだん芹沢に溺れていくのがわかる。 「筧さんの目がエッチっぽくなってきました……」 「仕方ないだろう」 こんな状態じゃ他にどうしろと。 「筧さん……」 「私のこと、エ、エッチな子だって思ってますか?」 「少し」 「……筧さんだからですよ」 「筧さんだから、私、こんなことできるんです……」 そう言うと芹沢は、制服の上着を脱ぎ始めた。 「お、おい」 制服だけでなくブラまで取ってしまう芹沢。 その肌は傾きかけた日のせいか、赤みを帯びて輝いている。 「目のやり場に困るな……」 芹沢は胸を完全に露出させていた。 手に余るほど、豊かな双丘。 頂上には、可愛らしいピンクの乳首が乗っている。 「任せておいて下さい……」 また亀頭全体を芹沢にくわえ込まれた。 「くっ」 声がもれてしまう。 「ん、ちゅっ、んっ、んんん……」 「ん、ん、んんん……」 「ちゅっ、んっ、んんん……!」 さっきよりも深く飲み込まれていた。 舌が裏スジの周辺を何度も往復する。 「芹沢、そこ……」 「ん……」 芹沢が微かに目を細めた。 『弱点を見つけました♪』とその目は言っていた。 「んっ、ちゅっ、んんん……」 「んっ、んっ、あっ、んっ、ちゅっ……」 案の定、舌で執拗に同じところを攻められる。 「っっ……」 一瞬、高ぶった射精感を必死に抑えた。 「気持ちよさそうですね」 「芹沢が、こんなの見せるから」 「あ……か、筧さん、あっ……」 我慢できずに、芹沢の胸に手で触れた。 人差し指と中指の間に、乳首を挟む。 軽く揉みながら、擦った。 「あ、やっ、ん……」 「んっ、はぁ、あっ、やっ、ん……」 芹沢の肌はしっとりとしていた。 少し汗ばんでる。 そして、乳首はすぐに勃起した。 「芹沢のだって、固くなってきた」 「あ、当たり前じゃないですか……!」 「好きな人に、触られたら……あ、ん……」 「女の子は、誰でも、こうなっちゃうんです……んん!」 芹沢は肩を震わせて、感じていた。 息遣いが少しずつ乱れていく。 「筧さんにも……お返し、です」 「ん、ちゅっ、んん……」 「ちゅっ、んっ、んっ、ちゅっ、ちゅっ、ぺろっ……」 俺の愛撫に対抗して、芹沢の奉仕はさらに激しさを増す。 べたべたに濡れた自らの手でサオを何度もしごきながら、唇でペニスのカリの部分を刺激する。 芹沢の口の感触が、目に映る光景が、汗の匂いが、全ていやらしかった。 「芹沢……」 「ん!?」 芹沢にフェラチオされながら、再び手を伸ばして芹沢の素肌に触れた。 何もさえぎるモノのない、乳房を直接揉んだ。 「ん、んんんん! んんっ!」 こりこりになった乳首を指先でつつきながら、胸の感触を手のひら全体で味わった。 「はぁ、んっ、あっ、んんんっ!」 「あっ、んっ、あっ、はぁ、んんんっ!」 芹沢から送り込まれる刺激が少し弱くなった。 俺に愛撫されたせいだ。 お尻を少しイヤイヤという風に振っていた。 集中できないのがご不満なのだろうか。 「芹沢にも気持ちよくなってほしいんだ」 胸を愛撫しつつ、頭も優しく撫でた。 「んっ、んん、んっ……」 納得したのか、大人しくまた俺のペニスに刺激を与えだす。 「んっ、ちゅっ、んっ、ん……」 「ちゅっ、んっ、んっ、んん……!」 右手全体で彼女のバストを撫で回しながら、俺は自分の声が震えているのを知る。 再び射精感がせりあがってくる。 「んっ、ちゅっ、ん、ん……」 「んっ、んんん!」 芹沢の手と首の動きが加速する。 ぬるっとした芹沢の指が、俺の性器にからみつく。 「ん、ふっ、んっ、ちゅっ、んん……!」 「はぁ、んっ、ちゅ、んっ、んっ、んんん……!」 舌で、何度も裏スジを舐めあげてくる。 「芹沢の肌、熱いな……」 火照った肩をそっと撫でる。 玉の汗が、つっ、と流れて、肌をつたう。 艶かしい。 俺はどんどん深みにはまっていく。 芹沢にはまっていく。 「んっ、んっ、んっ、ちゅっ、ん……!」 芹沢の頭に手を載せる。 「そろそろ……出るかも……」 「……」 いったん中断して、俺を上目遣いで見る。 「ん、ちゅっ、んん……」 でも、そのまま続行される。 「お、おい、まずいって」 芹沢の肩を掴む。 「……ふいふいふえす」 「……ふぉふぉふぁふぁ、かけひふんふぉふぁひてくだふぁい……」 芹沢が、出していいと目で訴えかけてくる。 「いや、でも」 「んっ、ちゅ、んっ、んっ、んんん……!」 「んっ、んっ、ちゅ、ちゅっ、んっ……!」 問答無用とばかりに激しく愛撫してきた。 「く……芹沢……」 「ん、ちゅっ、んんんっ……!」 「んっ、はぁ、んっ、ちゅっ……!」 ダメだ、もう抗えない。 「んっ、んぁっ……ちゅぱ……はっ……んっ、んく……」 こみあげてくる欲望を制御できない。 「ちゅぱ……んぐっ……ん、んちゅ……っ」 「芹沢、も、もうすぐ……」 「ん、んんっ……!」 はい、と返事したような気がした。 「んくっ、んふ……んむぅ、ちゅ……ぅっ!」 「くっ……!」 睾丸が痙攣するような感覚。 「ちゅぱっ、んちゅ……ちゅぷっ、んっ、ぅんんっ、ぢゅっ……」 「んちゅっ! んくっ! んんっ、くちゅっ、んっ、ぢゅぷっ!」 びゅくっ、びゅっ、どくっ! 快感が身体を突き抜ける。 「んんんんん!?」 「んっ、くっ、んんんんっ、んくっ、んくっ……」 芹沢が精液を飲み込んでいる。 「大丈夫か?」 潮が引くように、冷静になった俺は途端に芹沢が心配になる。 「へ、平気ですよ……んっ、げほっ……」 「け、結構、いっぱい飲んじゃいました……」 「ふふ、苦いって本当なんですね……」 気丈に笑う。 「別にここまでしなくても」 「ふふ、あいかわらず優しいですね……」 「大丈夫ですよ、毒じゃありません……」 「大好きな彼氏が、私で感じてくれた証明みたいなものです」 「私、ちっとも嫌じゃありません」 「……馬鹿」 「きゃっ!?」 しゃがんで目線を合わせ、芹沢を強く抱いた。 「俺をこれ以上、惚れさせてどうする気だ……」 「ふふ、もちろん私しか見ないようにするんですよ」 「とっくに芹沢しか見てない」 「……本当ですか?」 「ああ」 愛しい彼女の背中を撫でながら答えた。 「だったら……」 「今、ここで私を、筧さんのモノにしてください……」 「わかった」 「こ、こうですか?」 仰向けになった俺の上に、芹沢に腰を下ろしてもらった。 二人の性器が至近距離にある。 「この格好、すごく恥ずかしいです……」 「悪いけど我慢してくれ」 「うう、私、教室で、男の人にまたがってる……」 羞恥心で顔が真っ赤になっている。 芹沢には悪いが、とても可愛い。 魅惑的なカーブを描く太ももにそっと手を触れた。 「ひゃっ!?」 「か、筧さん、急に、あ、もう、ん……!」 触れるか触れないかの微妙な距離で撫でる。 「あ、やっ、ん、筧さん、やだ……」 「触り方がエッチっぽいです……」 「エッチなことしてるからいいんだ」 芹沢が腰を振る。 無意識なんだろうが、それは男の興奮を煽る行為だ。 「芹沢はどこも可愛いんだな」 太ももを撫でる手を徐々に移動させる。 スカートの下の腰へ。 そして、割れ目へ。 「あ……」 芹沢が少し腰を引く。 俺はそれを片手で抑えて押しとどめる。 「濡らさないと、芹沢が痛いから」 「そ、それは、そうなんですけど……」 「は、恥ずかしすぎです……」 「もう結構濡れてる」 指先についた愛液を見て言う。 「うう、冷静に言わないでください、筧さん……」 「冷静じゃないって」 もう頭がくらくらするくらい、俺だって興奮している。 でも、濡らさないと、痛い思いをするのは芹沢だ。 「はあっ! あっ、ああ……」 「あっ、やん、そ、そんなとこ、あっ、んっ……!」 優しく指の腹で、芹沢の小陰唇を撫でる。 「あっ、あっ、はぁっ、ああ……!」 「んっ、あっ、ひゃっ、んっ、あああ……」 「か……筧さん、んっ、あっ、やっ、はぁんっ!」 とろとろと透明な液があふれてくる。 芹沢が感じてくれている。 そう実感できたのはちょっとした感動だ。 「芹沢は感じやすい方?」 「そ、そんなこと、わかりません……」 「他の子のことは、わかりませんから……あん!」 これなら、あともう少し濡らせば大丈夫かもしれない。 俺は中指の先を、膣口に入れた。 つぷ、と音がした。 「あっ!」 ぴくっ、と芹沢の背中が跳ねた。 今まで一番大きな反応。 また愛液が溢れ出す。 「あっ、んっ、あっ、か、筧、さん……」 「筧さんの、ゆ、指が……」 「私の中に、んっ! 入って……! ああっ……!」 「芹沢、感じる?」 「う、うんっ、か、感じる……」 「か、筧さんの、指が、あっ、私の、あっ、ひゃうっ!」 指先がぐちゅっという音を立てた。 もう十分だろうか? でも、もう俺の方が我慢できない。 芹沢の中に、自分自身を挿入したくて、たまらない。 俺は指先をゆっくりと引き抜き、芹沢の腰を改めて抱える。 「あ、筧さん……」 芹沢が俺をちらりと見た。 「芹沢、いいか?」 「うん……」 「来てください……」 微笑して、芹沢は俺を受け入れると言ってくれた。 胸の奥がじんわりと温かくなる。 嬉しかった。 彼女に愛されていると実感した。 「痛かったら言ってくれ」 「……もし、痛いって言ったら、どうするんですか?」 「もちろんそこでやめる」 「……じゃあ、絶対言いません」 そう言って、口を真一文字に引き結んだ。 「いくぞ……」 「は、はい……」 両手で芹沢の腰を持ち上げ、膣口をペニスの上に── 「あっ!」 「あああああああっ!」 「ひっ、あっ、あっ、い、いっっ〜〜〜〜」 苦悶の表情で、歯を食いしばっている芹沢。 「痛いか?」 芹沢が、ふるふると首を振る。 「あっ、んっ、か、筧さん……」 「はっ、あっ、はぁ、はぁ……お、思ったより……」 「平気、みたい、です……」 絶対ウソだった。 「お、おい、もう止め……」 「や、やめないで、くださいっ……!」 全部言い終わる前に、先に言われた。 「も、もし止めたら……」 「わ、私、悲しくて、悔しくて、今夜、きっと、寝られません……!」 「でも、痛いんだろ?」 「ぜ、全然ですよ……!」 「私、ちゃんと最後まで、筧さんと、したいです……」 「お願い……」 涙目で笑って、懇願された。 もう止めるわけにはいかない。 「わかった……」 俺は芹沢の負担を減らすように、ゆっくりと挿入を再開した。 「あっ、んっ、あっ、はぁ、ん、あああ!」 「はぁ、はぁ、はぁ……んっ、んっ!」 濡れ方がもしかしてまだ足りないのか。 そう思った俺は、挿入しながら空いてる手で再び芹沢を愛撫することにした。 すべすべな内腿に指を這わせる。 「あっ! ひゃん! そこは……あんっ!」 声に痛み以外の響きが混じりだす。 俺は少し身体を起こして、芹沢の乳首に手を伸ばした。 「はあんっ!」 そのまま、包むようにゆっくりと乳房を揉む。 「あっ、あああああ……!」 「やっ、あっ、んっ、あっ、はあ、ん……」 芹沢の反応が明らかに変化してきた。 「芹沢、好きだ」 胸から腰に手を移し、結合したまま囁いた。 「あ、やっ、ん……筧さん……」 「筧さんが、私とエッチしながら、好きだって……んんっ!」 「んっ、あっ、ひゃうっ、ああん!」 花弁からさらに愛液がしたたってくる。 俺は少しずつ、亀頭で芹沢の膣内を押し広げるように進んでいく。 「あっ、はぁ、あっ、あああああっ!」 「あ、熱い……筧さんの、熱いよ……」 「芹沢もすごく熱い」 「あん! 今、ぴくって、なった……」 「芹沢の中が、すごく気持ちいいから」 芹沢が少し動くだけで、締め付けられて快感がすごい。 油断したら、すぐに射精してしまう。 でも、もっと芹沢にも気持ちよくなってもらいたくて、愛撫を続ける。 「え? あっ!」 俺は結合部のすぐそばにある陰核に触れた。 皮の中でぷっくりと膨らんでいるのがわかる。 「あっ、はぁ、んっ、あっ、そこは……ダ、ダメ……ああっ!」 「筧さん、そこは、あっ、嫌っ、あっ、か、感じすぎちゃう……!」 挿入しながら、愛液で濡れた指でなぞるように愛撫する。 「あっ! あっ! ああああっ!」 「やんっ、あっ、はうっ、んっ、くうんっ!」 「す、すごい……わ、私、あっ、んんんっ!」 芹沢の声から痛みの色はほとんど消えていた。 俺は芹沢を上下に動かすだけではなく、下からも突き上げる動きを加える。 「あっ、あっ、んっ、あっ!」 「か、筧、さん、あっ、き、気持ち、いい、よっ!」 「んっ、あっ、わ、私、だんだん、頭の中が真っ白に……!」 芹沢の身体への負担を気にしていた俺も、徐々に自分が制御できなくなる。 気がついたら、腰の動きは速度を増していた。 「あっ、はぁっ、はぁっ、あっ、んっ、あああっ!」 「こ、こんな、の、あっ、は、初めて、あっ、あああああっ……!」 芹沢の膣内のヒダが亀頭を撫でるように、蠢く。 破瓜の血と愛液の混じったものが潤滑油となり、それがさらに快感を増幅させる。 「ああんっ! あんっ……んっ! はあんっ! んっ、くっ、ああ……っ!」 「わ、私、あっ、んっ、はぁん!」 「も、もう、い、いっちゃう……!」 「芹沢っ」 「ああっ、はあっ! んく、あっ、うぁあ……っ!」 「筧さん、筧さんも、いっしょに……!」 「俺も、もう少しだ……!」 「んっ、筧さんっ、筧さん……あああっ!」 「やっ、だめっ、だめだめっ、来ます、来ちゃいますっ!」 「あっ、も、もう、いっちゃ……あっ、あっ、あっ、あああ……!」 「んんっ、あ、あっ、あああっ! くぁあああああああああぁぁぁっっっ!!!」 びゅるっ、びゅうっ、どく……っ! 芹沢の膣内に精を放つ。 瞬間、身体中を電流が駆け抜けるような刺激が走った。 腰が震えた。 芹沢も射精の瞬間、若鮎のように軽く跳ねた。 「あっ、んっ!」 そのままの体勢で、息を整えながら余韻を味わっていると、芹沢がまた微かに身体を震わせた。 「どうした?」 「はぁ、はぁ、はぁ……か、感じてるというか……」 「すごく、くすぐったいんです」 「ていうか、恥ずかしいから訊かないでくださいよ……」 軽く拗ねてみせる芹沢。 「すまん」 「筧さんは優しいですけど、たまにデリカシーがありません」 「今後の課題ですね」 「了解、頑張るよ」 彼女にそう言われちゃ仕方ない。 「じゃ、抜くぞ」 「はい……」 「あ、拭いた方がいいか?」 芹沢の股間を見て言う。 「ぅ……だ、だから、それがダメなんですよ!」 すぐにまた叱られてしまった。 「これでいいですね」 衣服を整え、窓を全開にして空気を入れ替える。 「さて、ではでは、筧さん」 可愛らしい笑顔を浮かべて、俺の彼女は言った。 「練習を再開しましょう!」 「こんにちは♪」 「あ、水結」 「また来たのか……」 桜庭が疲れたような顔をして嘆息する。 10月に入ってから、芹沢は頻繁に部室を訪れていた。 その回数はただごとではなかった。 しかも、毎回特に用事はないらしい。 「芹沢さん、今からお茶淹れるね」 「ありがとうございます」 「あ、今朝買ってきたクッキー美味しいですよ。食べます?」 「あ、サンキュー」 「美味しいね」 「だね〜」 テーブルの一角が瞬時に女の園に。 「完全に女子の憩いスペースと化しているな」 「ここは図書部だぞ。まったりとした空間にしてどうするんだ」 「なあ、白崎」 「ふえっ?」 白崎までクッキーを堪能していた。 「白崎……」 桜庭がちょっと不憫だった。 まあ、でもこんな日常なら大歓迎だ。 芹沢と御園。 まだどことなくきごちなさは残るけど、間違いなく友人同士だ。 そんな二人を心静かに見守りつつ、俺は読書に勤しむ。 「筧さん、一人で読書なんてつまらないです」 「筧先輩、あっちでお話しましょう」 件の2人が俺のところにやってきて、腕を引っ張る。 「あー、千莉、なに筧さんの腕つかんでるのよ?」 「だって、私の図書部の先輩だから」 「私の彼氏だよ! 少しは遠慮して」 「でも、ここは図書部だから」 「……」 「……」 無言でにらみ合う。 「おいおい、ケンカはもうなしだぞ」 同時に怒りの声を上げる。 気が合っていた。 「とにかく、あっちでお茶を飲みましょう」 「さ、筧さん、立って立って!」 笑顔の御園と芹沢に即されて、仕方なく立ち上がる。 当分、心静かに見守るってわけにはいかないようだな。 二人の友情はこれから、なのだから── 「いらっしゃいま……あ、筧君でしたか」 「あ、もうシフト入ったんだ」 「いえ、あと15分程ありますよ」 「暇なので早めに出ただけです」 「じゃあ、少し時間いいかな?」 「私とですか?」 嬉野さんが目を丸くする。 「駄目なら出直すけど」 「いえいえ、構いませんよ」 「指名料……っと」 嬉野さんが伝票に何か書き込む。 「やっぱ有料か」 「冗談ですよ」 相変わらずの嬉野さんだ。 ちょっと沈んでたように見えたけど回復したらしい。 「飲み物くらいなら奢るよ」 「私、随分安いですね。まあ、筧君では仕方ないです」 「ゲーム大会の件ではお世話になりましたし、お付き合いしましょう」 ぽてぽてと奥へ進む嬉野さんについていく。 二人で飲み物を注文して、席に着く。 「それで、何のご用ですか?」 「もしかして、本気で私と地獄に行きたくなりましたか?」 ほがらかに物騒な事を言う。 「行き先は地獄確定なの?」 「どうでしょう? 筧君次第かもしれません」 「女は付き合う男で変わるとも言いますしね」 にぱっと笑う。 「ただ、まあ、天国に行ける確率は低そうですねえ」 「何でまた」 「天国は、天国に行ける資格を持った人しか行けないでしょう?」 自分にはその資格がないと言外に言う。 彼女に何があったのか。 「嬉野さんのこと、天使だと思ってる奴も多いんじゃない?」 少なくともビジュアルは。 「ええ、本当にありがたいです」 「彼らの将来が心配になっちゃいますけど」 どうも自分へのハードルを上げたがっているようだ。 遠まわしに、自分に関わるなと牽制してるのか。 でも、さっきは。 「でも私と筧君なら、結構いい線行くかもしれませんよ?」 とか言ってたのになあ。 態度が一貫してないのか、こっちの様子を見ているのか。 ……ま、後者か。 「あ、時間切れですね」 もう15分経ったのか。 「では、私は仕事に戻ります」 「ああ、ありがと」 嬉野さんが怪訝な顔をする。 「どうした?」 「筧君、何をしにアプリオに来たんですか?」 嬉野さんが俺の目を覗き込む。 胸の奥まで探られそうな視線だ。 「何となく寂しそうだったから様子を見に来ただけ」 「あらあら、生意気なことを言いますね」 にっこり笑顔で言う。 怖すぎる。 「私は、これはこれで楽しくやってます」 「一緒に楽しくやれるなら、また遊びましょう」 「それではご機嫌よう」 席からぴょんと降り、回れ右。 トテトテと去って行った。 同情はいらんと来たか。 自尊心が強いんだな。 遠ざかる背中を見送りながら、そんなことを思った。 「(私が元気なさそうですか……何様のつもりでしょう)」 「(……筧君には、ちょっとお仕置きが必要なようですね)」 週が明けて、月曜日。 「昼メシにしようぜ、筧」 「購買? 学食?」 「俺はどっちでも。まかせる」 「……学食にするか」 ちらっと嬉野さんの顔が浮かび、そう答えていた。 「お、最近は嬉野さん推しか」 「さーな」 「佳奈すけ情報が入ってるぞ」 嬉野さんに会いにいったことがバレたか。 ま、隠すことでもない。 「何か言いたいことでもあるのか?」 「いや、べーつにー」 「いらっしゃいませー」 店内に入ると、のほほんとした声が出迎えてくれた。 「こんにちは」 「ハロー、子猫ちゃん」 「ハロハロ。筧君と、おつきの人」 「筧のオプションの扱いかよ!? 高峰だから、高峰」 「冗談ですよ、場を和ますための嬉野流のサービスなのです」 控えめな胸を張る。 「では、お席にご案内しまーす」 「はい、比内地鶏のタルタルソースがけと、夏季限定〈鱸〉《すずき》のムニエル定食です」 にっこり笑顔で、美味そうな料理をテーブルに置く嬉野さん。 「小鉢をひとつおまけしときます。他の皆さんには内緒ですよ?」 「あんがと」 「いいねー、嬉野さん、好感度アップだねー」 「いえいえ、お互い様です」 嬉野さんの場合、ただより高いものは……のパターンに注意だ。 「あらあら筧君、タダより高いものはないって顔をしちゃ駄目ですよ」 「まさか、情けは人のためならずってくらいですよ」 「ふふふ、困った人ですね」 「ははは」 「……何これ?」 殺伐としてきた。 「ウソウソ、冗談ですよ♪」 「これも場を和ますための、嬉野さん一流のサービスなんです」 「アプリオは、帰るまでがエンターテインメントをモットーにしておりますので」 「そうだといいなって、すごく思うよ」 「では、ごゆっくり、筧君……と、七峰君」 くるっと踵を返し、厨房の方へ向かう。 「……わざとだよな?」 高峰が肩を落としつつ俺を見た。 「多分な」 放課後。 「夏休みは皆で合宿しませんか? 強化合宿!」 「うんうん、いいかも。がっちり強化しようよ」 「いや、私達の何を強化するんだ」 「え? 何でしょう? 忍耐力とか?」 「その合宿、行きたくない」 「温泉で我慢大会したらいいんだよ」 かしましい女子達は、パソコンで近場の旅館とかを検索しつつ盛り上がっていた。 俺は読書。 「がー、すー」 高峰は机につっぷして昼寝である。 依頼がない時の図書部はとんでもなく暇なのだ。 図書部のくせに、本を読もうとする奴がいないのはどういうことか。 「ういーす」 小太刀が現れた。 「へい、らっしゃい」 「いつから寿司屋になったのよ」 「何、握りましょうか」 「……あーもう、取りあえずコハダ」 小太刀がめんどくさそうに応じる。 「で、どうした小太刀?」 「暇そうにしてるから、いいネタあげようかと思って」 「依頼か、聞こう」 桜庭が扇子を閉じる。 「図書館に新刊が届いたんだけどさ、今月すっごい多いんだよね」 「だから、整理手伝って」 「図書委員の仕事だろ?」 小太刀が、ああん? という顔をする。 「まー、図書委員って、なまけもんが多いよね実際」 「例えばほら、うるさい部活を図書館から追い出さないくらい職務怠慢なわけよ」 「やっぱ、今日から改心した方がいいかな?」 「へいへい、行きますよ」 立ち上がる。 「おい、高峰」 「すぴぴ……」 爆睡してやがる。 それなりの力仕事だし、女性陣を引っ張るのもかわいそうだ。 「筧だけで大丈夫、ありがとさん」 「んじゃ、行ってくるわ」 「悪いな、ありがとう」 みんなに見送られ、部室を出る。 「じゃあ、古い本は台車に積んで倉庫に運んで。きびきびやんないと日が暮れるよ」 「はいよー」 「私は向こうの本棚やってるから」 そう言って、小太刀は洋書関係の本が多くある棚へと移動した。 「やるか……」 自室の本は出しっ放しだが、本の整理自体は嫌いじゃない。 面白そうな本がみつかることが、ままあるからだ。 一冊ずつ丁寧に本を入れていく。 小太刀の話では、古い本は処分するらしい。 読んでない本を捨てるのは気が咎める。 「あのー、ダンボールの中の本は借りられないんでしょうか?」 聞いた声に横に視線を動かす。 「あら、筧君でしたか。ご機嫌よう」 「よう」 意外なところで意外な人に。 「今日は図書委員のお手伝いですか?」 「ああ、図書館利権に絡め取られててね」 「ええ、ええ、人の世というのはそういうものです」 妙に納得している嬉野さん。 「それで、その本は借りられませんか?」 ダンボールの中にある本を指差した。 『リレーショナルデータベース その基礎理論と未来』という表題がついていた。 技術書のようだ。 「小太刀ー」 向こうにいる小太刀に手を振った。 「んー、何?」 「これ、貸し出しOK?」 「OK。何ならあげてもいいけど」 「だとさ」 嬉野さんに本を渡す。 分厚い本なので、思わず持てるか心配になってしまう。 「ありがとうございます」 嬉しそうに本をぎゅっと胸に抱く。 「でもさ、その本古くないか? 技術書なら最新のモノの方が良くない?」 「え? ああ、大丈夫ですよ」 「この本で知識を習得するつもりは、さらさらありませんので」 「は?」 「だいたい、私が今さらデータベースの基礎を勉強すると思っているのですか?」 「みくびるにもほどがありますよ?」 笑ってるのに、なぜか微妙に怖かった。 「私の論文が無許可で引用されているらしいので、その調査です」 「結構なご趣味で」 斜め上のレベルだった。 「あ、お見合いネタですね、わかりますよ」 「では、まず年収を教えてください」 「嬉野さん、そういうお見合いしたいのか」 「いえいえ、大切なのは愛ですよ」 「でも、年収1000万以下だと愛が芽生えないんです」 「どんな植物を育てるにも、水が必要ですものね」 完全に男の敵だ。 「という女が昨日テレビに出ていたので、思わずその人のクレジット請求額を2桁上げてしまいました」 「本当に手間をかけさせるビッチですよね」 ふう、と手の甲で汗を拭う嬉野さん。 さらりと犯罪の告白を聞いた気がした。 「まあ、ほどほどに」 「なんて、全部冗談ですよ」 「筧君には、ジョークがわかる大人になってほしいです」 「ええ、はい」 疲れてきた。 「じゃ、本の貸し出しはカウンターで頼む」 「今から読んじゃいますから、ちょこっとだけ時間をくださいね」 「では、また後で」 嬉野さんは、例のペンギンのような歩調で閲覧席へ向かった。 愛らしい後姿とは裏腹に、危険すぎる生き物だ。 嬉野さんが技術書を読み終わるのと、俺の作業が終わるのはほぼ同時だった。 結構分厚い本だったのに、大したものだ。 本の分野は違えど、俺と同じ速読というスキルを彼女も持っているようだ。 嬉野さんと一緒に図書館を出る。 「図書部というのは、本当に図書に関するお仕事もするんですね」 「意外です」 「今日はたまたま」 苦笑して答える。 「筧君達は、本当に何でも屋さんみたいですね」 「こう見えて、仕事は選んでるけどね」 やはり世間はそんな目で俺達を見ていたのか。 「別にいいじゃないですか」 「これからも、無報酬で依頼者の無茶振りに振り回され、馬車馬のごとく働くのです」 「すばらしいじゃないですか」 まぶしい笑顔で言う。 何が言いたいんだ。 「今のところ一番、無茶な依頼をして来たのは嬉野さんだけど?」 「え? そんなに無茶なことは言ってないと思いますが」 「コスプレビラ配り」 ああ、と嬉野さんが手を打つ。 「そんな事もありましたね」 「筧君が、新しい快感に目覚めるきっかけになったアレですね」 「目覚めてないけどな」 とは言え、あのイベントがきっかけで図書部の知名度が上がったということもできる。 嬉野さんは、実は恩人なのかもしれない。 「そういえば、嬉野さんって、なんでアプリオのバイトしてるの?」 「ただの趣味ですよ」 「趣味って、どの辺が?」 飲食業か、制服か。 「経営とか、運営全般ですねえ」 「あ、そっち」 意外な方向だ。 「店長から経営面を任されてるんで、その辺りが一番ですよ」 「マジで?」 「大マジです」 「何を仕入れてどう売るのか、どんな人材をどう配置するのか、どうモチベーションを上げるのか……」 「考えれば考えるほどパラメータの関係が複雑で面白いです」 「普通に経営してるんだな」 「ま、シミュレーションゲームみたいなものです」 「損失が出ても困るのは店長ですしね♪」 あっさり言う嬉野さん。 この人は、どこまでの能力を持っているのだろうか。 噂では学園のネットワーク管理にも携わっているようだし、プロの中での一線級なのだろう。 「それに、アプリオには色んな人がいますから、人を眺めているだけでも飽きませんしね」 「結局、人間より予測がつかないものはありませんし」 「……」 嬉野さんも人を観ている人種なのか。 本人も匂わせていたけど、俺たちは似ているのかもしれない。 「よかったら、今度はアプリオで働いてみませんか?」 「筧君は半年に1人くらいの逸材だと、私は思うんです」 微妙にリアルな評価がとても嫌だった。 「それ、女装してってこと?」 「当たり前です」 「男子が男子の格好しても、芸にならないでしょう!」 ぷんすかしている。 「お断りだ。夏休みは夏休みで図書部は忙しい。夏祭り関係の依頼がぎっしりなんでね」 「なるほどー、それは大変ですね」 嬉野さんがうなずく。 「アプリオも最近大変なんですよ」 「ウェイトレスの一人が、部活にかまけてなかなかシフトを増やしてくれないので」 「……にっこり」 「……」 佳奈すけのことを言ってるらしい。 気まずい。 「そうだ! こういうときこそ、図書部にメールを出せばいいんですね」 「……あ、うん、そうね」 全体的に悪質な人だな。 まあ、飽きなくて楽しいけど。 夏休み。 しかし、俺達は朝から図書部の部室に集合だ。 「筧、嬉野からお前をご指名で、依頼のメールだ」 「は?」 あの人、本当に出してきたのか。 「どうするつもりだ?」 「今まで世話になっているし、受けた方がいいだろうな」 何だこれは、神が与えたもうた試練なのか。 「やるにしても、女の子がやった方がいいんじゃないか」 「絶対お前が適任だ」 真面目な顔で言ってくる。 評価されるのは嬉しい。 が、もう京子は勘弁だ。 「ん? 何? どうしたの?」 「どうしたんですか、お二人とも」 他のメンバーが部室に入ってきた。 「どうも筧が頑固で困っているんだ」 「いやいやいや」 「もう少しわかりやすく説明してくれないと」 「つまり、京子はもう死んだと思ってくれ」 「えー、それは残念すぎますよ」 佳奈すけが唇を尖らせる。 「筧、お前、勘違いしてるぞ」 「この依頼は、先日のゲーム大会の件だ」 「……そうなの?」 桜庭が力強くうなずく。 「どうやら、せっかく変更した課題ゲームが、また元に戻りそうなんだ」 「だから、前回の担当者の筧に、また担当してほしかっただけだ」 「で、どう思う、筧」 「喜んでやります」 そう言う他はなかった。 早速、御園を伴って嬉野さんに会いに行く。 今はちょうど休憩時間らしい。 「こんにちは」 「失礼します」 客じゃないので、遠慮がちに声を投げる。 「あ、お待ちしてました」 トテトテと嬉野さんがやってくる。 「今はお客様もほとんどいらっしゃいませんし、店内でお話しましょう」 俺達は嬉野さんに案内されて、一番奥の席に座る。 「はい、どうぞ」 いったん奥に引っ込んですぐ戻ってきた嬉野さんにお冷を振舞われた。 「どうも」 「ありがとうございます」 「では、早速お話をしたいのですが」 「課題ゲームが、前のに戻りそうなんだって?」 「そうなんですよ! あの部長と来たら!」 嬉野さんが帽子を床にたたきつけた。 ……。 …………。 「取り乱しました」 帽子を拾いかぶり直す。 何がしたいんだ。 「ともかく、約束を反故にするなんて許せません」 「課題の変更は、御園さんとイチャつける見返りだったんですから」 「あの、どこでそんな取り引きが……」 「おっと」 「とにかく彼はゲーマーの風上にも置けない人間です。ファックです」 「でも、おかしいな」 「あの部長、俺はともかく御園にはえらくご執心だったよな」 「今回の件は御園との約束でもあるし、普通に考えたら守るんじゃないか?」 「私もそこが若干気にはなっているのです」 「何にせよ、事実確認が必要だな」 「また行くんですか……」 御園が露骨に嫌な顔をする。 「頼むよ」 「……わかりました。すごく気は進みませんけど」 ため息混じりだが同意してくれた。 「ゲーム研究部に行くなら、3時頃にしてもらえませんか?」 「私もご一緒できると思いますので」 「図書部の仕事だし、俺たちだけで大丈夫だけど」 嬉野さんが、顔の前でちっちっちと指を振る。 「彼には、誰との約束を破ったのか勉強してもらわないといけません」 と、純真な笑顔を浮かべる。 言う通りにしないと、こっちに被害が来そうだ。 「じゃあ、3時にゲー研の部室前で」 「はい、了解です」 「部長が更迭されていた?」 ゲーム研究部との話し合いを終えて、部室に戻る。 俺達の報告を聞いて、メンバーは呆気にとられていた。 「要するに、ゲームの変更は部長の独断だったんだ」 「で、部員全員から突き上げを食らって退部させられたらしい」 「というわけで、課題ゲームは元の通りってわけだ」 「部長さん、みんなに話してなかったんだ」 「リーダーが突っ走っちゃうと、部員が困るのにね」 「それで、今のトップはなんと言ってるんだ」 桜庭が扇子で顔を扇ぐ。 「今のトップは前の副部長なんですが、昔の部長の約束だから無効の一点張りです」 「嬉野さんの勧めるゲームは、古いと」 「……あの副部長、月のない夜は気をつけるべきですね♪」 にっこりと笑っていた。 でも、明確な殺意が瞳に浮かんでいる。 「ひぃーっ」 「うう……」 佳奈すけと御園が怯えて、抱き合う。 「嬉野さん、ウチの後輩が怖がってる」 「あ、すみません。子供には刺激が強すぎましたね」 ふっとすぐ殺意が消える。 出し入れが割と簡単らしい。 「それでどうするの筧くん」 「話はつけてきた」 「さすが筧、頼もしいな」 「ただ、その……」 口ごもる。 言いづらい。 「ん? どうしたんだ、筧」 「どうして黙っちゃうんですか? 筧さん」 高峰と佳奈すけが眉を寄せる。 「……ゲーム勝負です」 御園がつぶやくように声を落とす。 「え? な、何?」 「ゲーム研究会とゲームで勝負して、私達が勝ったら競技ゲームを変えてもらうことになりました」 部室が一瞬静かになる。 「それ、サッカー部とサッカー対決みたいな話だろ? 勝てんのかよ?」 「厳しいだろうな」 「アホか……」 うなだれた桜庭が、机にごちんと頭突きをした。 「いや、これでも頑張った方だぞ」 「最初はまったく交渉の余地がなかったんだ」 そもそも変えても向こうには何もメリットがないからな。 「筧君があまりにも不甲斐ないので、私が提案したのです」 「ゲームのことはゲームでカタをつけましょうと煽ったら簡単にのってきました」 「後先考えない相手で、助かりました」 ニヤリと口の端を吊り上げる。 「で、誰が勝負するんだ?」 「筧先輩と嬉野先輩です」 「FPSのマルチ対戦でデスマッチをすることになった」 「へー、筧さん、FPSやってたんですか?」 「ああ、もちろん触ったこともない」 「だよね……って、ええっ!?」 白崎に二度見される。 「大丈夫なんですか?」 「今から練習するよ」 「あれだろ、昔流行ったインベーダーゲームみたいなもんだろ?」 「いや、団塊世代のお父さんみたいなボケはいらない」 実際のところ、ゲームのハードすら持っていない俺だ。 自信はない。 自信はないが、依頼を受けた以上は頑張ろう。 「大丈夫ですよ、筧君」 「勝負の日までに、筧君を凄腕ゲーマーにしてあげます!」 嬉野さんが、えっへんと胸を張った。 「明日から、筧君は私とFPSの特訓です」 「最低限の食事と睡眠以外、すべての時間をFPSのプレイにつぎこんでもらいます」 「いや、それはちょっと……」 過酷な要求に逃げ腰になる。 「ズブの素人を達人レベルに引き上げるのですから、当然でしょ?」 「……そうな、ぐずぐず言っても仕方ないか」 勝負の日は8月下旬。 新しい体験だと思って、いっちょやってみよう。 夜が明けて、特訓の日がやって来た。 「おはようございます、筧君」 そして、大きなトートバッグを抱えた嬉野さんも我が家にやって来た。 「おはよう、いらっしゃい」 「今からお茶淹れるから、適当に座ってて」 と、キッチンに足を向ける。 「いえいえ、そんなお気遣いは無用です」 「飲み物なら、いっぱい買って来ました」 「ほら、筧君の好きなミネラルウォーターもです」 トートからごろごろとペットボトルが出てくる。 あと、ゼリータイプの携帯食も。 「これだけあれば、今日一日はもちますから」 「お茶なんて淹れる必要はありません」 そんな暇があったら、1秒でも多くプレイしろってことか。 かなりキツイ特訓が予想される。 「お手柔らかに……」 「ふふ、そんなわけにはいかないでしょう?」 小首を傾げて、微笑んだ。 「前にも聞きましたけど、FPSの経験はゼロですね?」 「はい」 なるほど、と嬉野さんが腕を組む。 「では、何はともあれ、操作に慣れないといけませんね」 と、PCでゲームを起動する。 画面にリアルなCGが映し出される。 ほとんど実写の戦争映画のようだ。 「個人的にはあまり好きじゃないんですが、入門用としては最適のゲームです」 「これを嬉野さんと二人でやってくわけか」 「いえ、人間と対戦する前に、まずはAIと遊んでもらいましょう」 「今日の目標は、このゲームをハードモードでクリアすることです」 長い一日になりそうだ。 マニュアルを読み、さっそくプレイ開始。 いきなり戦場のど真ん中。 爆音と銃撃の音が、耳を〈聾〉《ろう》せんばかりに轟く。 すげえな。 こういうゲームは初めてだ。 土砂降りの銃弾の中、おぼつかない操作で前に進んでいく。 「え? 10秒ってどういうこと?」 「あ、着弾までの時間です。気にしなくていいです」 「あれ? 民間人撃っちゃ駄目なのか」 「そういうこともあるんです」 最初は嬉野さんと話す余裕もあったが、ステージが進む毎にどんどんゲームに没入していく。 ストーリーも面白いし、臨場感がすごい。 人気なのもわかるなぁ。 数え切れないほど戦死するうちに、少しずつ操作は慣れてきた。 「うーん、覚えが早いですね、いいですよー」 気がつくと、嬉野さんがぴったり横に座っていた。 肩越しに、身体の柔らかさが伝わってくる。 そういえば、今日はいつもと違って私服だ。 ウェイトレス服を見慣れているので新鮮だな。 座っているせいでスカートの裾が上がり、白い太ももが見える。 気にするなと言われても気になってしまう。 「フラッシュバンッ!」 「おわっ!!」 「よそ見はいけませんよ」 「ういす」 戦場のそれとは違う鼓動を感じながら、画面に意識を戻す。 「(ふふふ……)」 「??」 ゲーム開始から2時間が経過した。 「少し慣れてきたみたいですね」 「なんとかね」 死ぬ回数も減ってきたし、どうにかこうにか、イメージ通りにキャラを動かせるようになってきた。 「その調子その調子、とにかく練習です」 そう言いながら、嬉野さんはトートバッグから据え置きのゲーム機を取り出した。 「それは?」 「暇つぶし用です。テレビ借りますよ」 嬉野さんが、テレビにケーブルを挿し込んでいく。 別のゲームで時間を潰すようだ。 下手なプレイをずっと見てるのも暇だろうしな。 「あの……」 嬉野さんが、俺の隣でゲームをやっている。 それは全然構わない。 だが。 「何で膝枕?」 「うーん、高さがちょうどいいんですよー」 「いや、そういう問題じゃなくて、俺も一応男だから」 嬉野さんの頭は、胡座をかいた脚の間にすっぽりはまっている。 つまり、嬉野さんの後頭部が俺のサブアームに接しているわけで、緊張感もひとしおだ。 「男には戦場が似合います」 嬉野さんが、ぴっとPCの画面を指す。 「ほら、3階の窓にスナイパー」 「おっと」 特訓しながらなので、こっちも余裕がない。 話ながらのプレイはまだ無理だ。 「まあまあ、私のことは気にせず、頑張って下さい」 「いや、でも、嬉野さん……」 付き合ってもないのに膝枕はさすがに……。 嬉野さんは、危機感とかない人なのか? 「角を曲がるときはクリアリングをしっかり」 「あっ」 「はい動く動くっ、止まらないでっ」 「よしっ」 ぼんやりしていると、すかさず檄が飛ぶ。 だめだ、膝枕をどうこう言ってる暇がない。 ゲームに専念して、嬉野さんの柔らかな刺激を忘れてしまおう。 「ふふふ」 部屋に西日が差してきた。 「よーし、クリアだ……」 3度目のスタッフロールが流れる。 ようやくハードモードをクリアした。 あー、目がチカチカする。 「……ん?」 「すー、すー」 ふと横を見ると、嬉野さんが丸まって眠っていた。 いつの間にか膝枕もやめていたらしい。 「嬉野さん、終わったんだけど」 「うーん、すぴー、すぴー」 漫画みたいな寝息を立てている。 しばらく寝かせておこう。 「う、う〜ん、むにゃむにゃ……」 「もう食べられませんよ、筧君……」 「定番すね」 「……シット……」 寝言も物騒な人だ。 「う〜ん」 ころころと寝返りを打ち、スカートが危うい感じになった。 スカートがめくれてどきりとしない男はいない。 「(まったく、わざとじゃないのか)」 なるべく見ないように直しつつ、タオルケットをかけてやる。 さて、練習も終わったしどうするか。 まずゲームを終了させると、デスクトップに見慣れないファイルがあった。 『筧特訓プラン』というテキストファイルだ。 嬉野さんが作ってくれたのか。 開いてみる。 「??」 何故かブラウザがフルスクリーンで立ち上がる。 そして流れだす、エロ動画。 「えええっっ!?」 慌ててブラウザを閉じ…… フルスクリーンなので、ウィンドウの閉じるボタンがない。 こういうときはどうするんだっけ? そう、キーボードで。 ……ごくり。 思わず画面に見入る。 そして、もはや本能的にベッドを見てしまう。 正確にはベッドの上の嬉野さんを。 さっきかけてあげたタオルケットが、なぜかどかされている。 白い太ももが眩しい。 いきなりドアが開いた。 「ういーす、かっけいー」 「あ……」 「え?」 「(シット……)」 時間が止まる。 硬直した俺たち二人の上を、艶っぽい喘ぎ声が流れていく。 「か、筧……が……」 「ベッドに幼女を寝かせて……」 「それでも昂ぶらない自分を奮い立たせるために、エロ動画をガン見している……」 嬉野さんが、がばっと起き上がる。 「あれ?」 「あ……」 嬉野さんと見合った。 「えーと……お取り込み中失礼しました」 小太刀が出て行った。 どうするこの状況。 さっきの戦場よりも冷たく厳しい。 取りあえず、ディスプレイを落とし、スピーカーの電源を切った。 「嬉野さん、説明を」 「ハードモードクリアのご褒美にと持ってきたのですが、お気に召さなかったみたいですね」 「ご褒美にしては悪質だったような」 「しかも寝たフリしてなかったか?」 「ふふ、気のせいですよ」 嬉野さんが、ぴょこんとベッドから降りる。 ディスプレイをつけ、さくっとブラウザを閉じた。 「操作には慣れましたか?」 「ハードモードでも、ほとんどやられなくなった」 「ビューテフォー」 嬉野さんのお腹が、可愛らしい音を立てた。 「そういえば、補給ゼロでしたね」 「あ、カップラーメンでよけりゃ作るよ」 「わお、大好物です」 顔の脇で両手を握った。 想像以上の喜びようだ。 「ちょっと待ってて」 カップラーメンにお湯を入れ、テーブルに持ってきた。 「うーん、早くもいい香りです」 「よく食べるの?」 「恥ずかしながら、割と」 「こういうもんばっかだから、成長……」 言いかけて、嬉野さんを見た。 「にっこり」 嬉野さんの手が、床に置いてあった帽子に伸びる。 次の瞬間── 「なっ!?」 視界が塞がる。 腹に何かが乗ってきた。 ふわりと甘い香りが鼻孔に届く。 嬉野さん? 「幼女なんていませんよ♪」 「あうんっ!?」 腹に一発重いものが決まった。 「筧君、ラーメンが伸びますよ」 「はっ!?」 もう3分経ったのか。 床から起き上がると、嬉野さんはもうラーメンを食べていた。 俺もそれに倣う。 「さっき、嬉野さんに襲われた気がするんだが」 「気のせいでしょう……ずるずる」 嬉野さんの前で身長関連の話題は自殺行為のようだ。 「ところで、筧君は彼女いないんですか?」 「突然だな」 「いないよ……ずるずる」 「男色ですか……ずるずる」 「言うと思ったけど、違うから……ずるずる」 「だとすると、おかしいですね」 「何が?」 顔を上げると、嬉野さんもこっちを見ていた。 「いえ、何でもないです」 そう言いながらも、首をひねりながらラーメンをすする。 どうも何か企んでる気がする。 「本当に送らなくても平気?」 「ありがとうございます。遠くないので大丈夫ですよ」 玄関で靴を履きながら、嬉野さんが答える。 「あ、FPSの練習ですけど、パッドの感度をいろいろ変えてみて下さい」 「自分に適した感度を探しておくのは重要です」 「わかりました」 「それでは、ご機嫌よう」 言って、嬉野さんはドアから出て行った。 すると急に俺の部屋の中が静寂に塗りつぶされる。 雰囲気の落差が激しすぎて戸惑う。 台風一過を連想してしまう。 ま、台風にしては楽しい台風だったけど。 「さて」 再びゲームを起動する。 次に嬉野さんと会うときまでに、もう少し上手くなっておこう。 ゲーム研究部との勝負の日は刻一刻と近づく。 当然、学園にいる時も俺は特訓だ。 数日前からオンライン対戦を始めたが、これがまったく別世界。 「おーい、全然勝てないじゃんか」 「あ、そこ右、右っ」 「見えている敵になんで当たらないんだ、もどかしい」 「静かにやらせてくれよ」 外野がやいのやいの言ってくる。 「初めは誰でも勝てないものです」 「筧君は、確実に上達してますよ、気長に気長に」 何故か椅子の上に正座している嬉野さん。 その指導スタイルは、基本放置だ。 「頑張るねえ……よっと」 「っっ!?」 グレネードかっ!? 反射的に身体が動く。 「高峰、ゴミはゴミ箱まで持っていって捨てろ。行儀が悪い」 「へーい」 なんだ、空き缶か。 驚かせやがって。 「……ふふふ、見ましたよ、筧君」 「え?」 「空き缶の音が、グレネードの音に聞こえてましたね?」 「いい感じに病気になってきましたよ」 妙に嬉しそうな嬉野さん。 「筧さんが、いつの間にか危ない人に」 「このままでいいのかな」 駄目に決まってる。 ……が、これも試合までの辛抱だ。 「なあ、俺にも少しやらせてくれよ」 「あ、私もやりたいです!」 「ち、ちょっとだけ私も」 みんなも徐々にFPSに興味を持ち出したようだ。 「うっさいぞ、図書部ーっ!」 鬼の形相の小太刀が怒鳴り込んできた。 「あんたらね、声がうるさいのはまだしも、ゲームはいかんでしょゲームはっ!」 当然の結果である。 嬉野さんとのFPS特訓の日々は続く。 俺は、本来読書にあてる時間を全でFPSにつぎこんだ。 嬉野さんもバイトのシフトが入ってる時以外は俺を鍛えてくれた。 その結果、俺の腕前もそれなりには上がってきたと思う。 ここ数日は、ようやく嬉野さんとコンビを組んで戦えるようになった。 勝負の日の前日。 俺たちは、相も変わらずFPSの練習に励んでいた。 「うん、いいですいいです、ナイスキル」 「筧君は状況判断が速いので、前衛が向いていますね」 「私はまあ、見た目通りのんびりですから、後ろでスナイパーでもやりましょう」 「りょーかい」 「私がやられないように、全力で動いて護って下さいね」 「任せてくれ」 オンラインでプレイしていればわかるが、俺の腕なんてまだまだだ。 でも、嬉野さんの動きにはついて行けている。 頑張れば、足手まといにはならないだろう。 「今まで、よく頑張りましたね」 隣に座った嬉野さんが、肩を俺の腕にぶつけてくる。 並んで座るのが、気がつけば定位置になっていた。 というより、嬉野さんが進んで隣に座ってくるのだ。 ゲーム中に身体を押しつけてくるのは毎度のこと。 体育座りでパンツが見えそうになったことも数え切れない。 そのたびに俺の脈拍が上がる。 嬉野さんが帰った後にどっと疲れるのは、ゲームでの疲労が半分、自制のための精神力消耗が半分だった。 「こうやって一緒に練習するのも最後ですね」 嬉野さんが少し寂しそうに言う。 横を見ると、上目遣いの潤んだ瞳が俺をじっと見ていた。 また心臓が躍る。 その言葉が、喉元まで上がってきた。 言うべきかどうかずっと逡巡していた言葉。 口にしてしまえば、今の関係が変わってしまうかもしれない。 いや、確実に変わる。 しかし、もう限界だ。 二人きりで練習するのは今夜が最後。 今を外せば、もうこんな雰囲気にはならないかもしれない。 「(……よし)」 覚悟を決める。 「嬉野さん、あのさ」 華奢な肩を両手で掴む。 「な、何? 筧君」 「一つ確認したいんだ」 こくりと嬉野さんがうなずく。 これからの言葉を予感してか、柔らかそうな頬が桃色に染まった。 「俺の勘違いだったら申し訳ないんだけど……俺のこと、好き」 「わ、わ……」 「……な体を装ってるよね?」 ……。 …………。 ………………。 「……バレましたか」 「バレてる」 「……」 嬉野さんが、口の中で放送できないことを言った。 「筧君は、聡明すぎるのが玉に瑕です。ぷんぷんっ」 「ぷんぷんじゃねーよ」 「何でまた、意味不明なことするんだ」 嬉野さんはぶすっとした顔で、俺から少し距離を取って正座した。 「お仕置きです」 「はあ? 俺、何かした?」 「私のこと、寂しい女だって言いましたよね?」 「筧君の癖に生意気です」 言ったか、そんなこと? 「ピンと来てないようですね」 「すまん」 「きーーっっ!」 「何となく寂しそうだったから、様子を見に来たって言ったじゃないですかっ」 「その偉そう感? 上から感? 許せませんっ」 ぶんぶん手を振ってご立腹である。 しかし、どうしても迫力が出ないビジュアルだ。 「うーん、そっか……気分を害して悪かった」 「その、落ち着いた感じがムカつくんですったら、もうもうもーーーっ」 床をゴロゴロし始めた。 人生どこで人をキレさせるかわからないものだ。 「パンツ見えてるから」 「はっ!? 安売りしてしまいました!」 がばっと正座に戻る。 「ともかくですよ」 嬉野さんが、自分の膝の前の床を指でコツコツ叩く。 「あなたにはお仕置きが必要になったわけです」 「毎日密着してくるのがお仕置きなのか?」 「それはお仕置きへの〈前奏曲〉《プレリュード》です」 「私の魅力にメロメロになった筧君が告白して来たところを、こっぴどく振る想定だったんです」 「あ、ああ……」 つまりは誘惑大作戦だったわけか。 ずいぶん肉欲方面に偏っていた気がしたが。 「でも、さすが筧君です」 「よくぞエロスの波状攻撃を耐え抜きました」 敵ながらあっぱれ、と言う顔をする嬉野さん。 「いや、あれで落ちる人はいないとおも……」 「はい?」 嬉野さんの手が帽子に伸びている。 しまった! 「いやっ、そうじゃなくっ」 「はぐあっ!?」 少し気を失っていたようだ。 顔にかけられた帽子を取る。 「でだ、魅力がないって話じゃなくて、いきなり身体で迫られたらビビるだろ」 「作戦ミスでしたか……難しいものですね」 神妙な顔になる嬉野さん。 本気で色仕掛けが通用すると思っていたらしい。 「嬉野さんの気に障ることを言ったのは悪かった、ごめん」 「でも、お仕置きだからって、危ない真似はよせよ」 「俺だって、一応男だからさ」 「つまり、慎重に行けば筧君を落とせた……」 「私に魅力を感じていたってことですね?」 嬉野さんがニヤリと笑う。 「さて、どうだか」 「きー、また余裕ぶって!」 「怒るなよ」 「わぷっ」 帽子を嬉野さんの頭に戻す。 「むむむ……」 魅力を感じていなかったと言ったら嘘になる。 でもそれは、嬉野さんの人柄にだ。 俺は嬉野さんが嫌いじゃない。 人を一歩離れたところから観察する性格。 そこから見え隠れするある種の孤独は、不器用な誘惑からも確証づけられる。 きっと俺たちは似ているんだと思う。 人に興味があっても溶け込むことはない── そういう人種だ。 「ややこしい話は、ゲームの話が片付いてからにしないか?」 「それより、ゲームの練習しないと」 「わかりました」 「もう、誘惑しませんからね。後悔しても遅いですよ」 「りょーかい」 とか何とか言った、2時間後。 「すぅ……すぅ……」 嬉野さんは、俺の肩にもたれて寝オチしていた。 「(やれやれ……)」 安心しきった顔で寝ている。 しばらく起きそうもないな。 ……。 嬉野さんを起こさないように、ベッドに運ぶ。 「うーん……芋スナはいけませんよ……」 「……」 健やかな寝顔。 前にベッドに寝かせたときとは違い、色気も何もない。 でも、前よりも嬉野さんが可愛く思えた。 ……実は、落とされていたのか? 苦笑しつつ時計を見ると、23時ちょうど。 起こすのも酷か。 とすると、俺はどこで寝るかな。 光が目を刺した。 朝か。 床に作った即席の寝床から起き上がる。 「あだだ……」 さすがに身体が痛い。 肩を回しながらベッドの様子を見る。 ……嬉野さんがいない。 ベッドにあるのは、綺麗に折りたたまれたタオルケットだけだ。 玄関には靴がないし、帰ったらしい。 拍子抜けたような、安心したような気分で床に座る。 「あれ?」 テーブルの上にメモがあった。 『お世話になりました。お仕事があるので帰ります。 襲わなかったことは高く評価しますよ。 嬉野』 「ふ……」 思わず笑いが漏れた。 こんな気持ちになる朝は初めてかもしれない。 今日の朝飯は、アプリオにするか。 「いやあ、待ってたよ」 「今日はよろしく」 嬉野さんと図書部のメンバーを伴い、ゲーム研究部の部室へ赴く。 「時間が惜しいから、早速始めて構わないかい?」 「いえ、その前に」 「マウスとキーボードは持ち込みでいいですか?」 「もちろん」 承諾を受け、俺たちは自分のマウスとキーボードをPCに繋ぐ。 すぐにゲームを立ち上げ、クリック1つで試合が始められるようにする。 「今日はチームデスマッチですから、相手をひたすら倒せばOKですよ」 「りょーかい」 チームデスマッチは、チーム同士でひたすら撃ち合うだけの単純なゲームだ。 やってもやられても、何度でも復活する。 相手チームメンバーを倒した回数の合計が、先に一定数に達したほうが勝ちだ。 制限時間内に勝負がつかなかった場合は、倒した回数が多い方が勝ちとなる。 難しいことは考えず、相手をひたすら倒せばいいのだ。 「いよいよこの日が来たな」 「筧さん、頑張って下さい」 「頑張ってね、筧くん」 「きっと勝てます」 「伊達に練習していたわけじゃないんだろう?」 それぞれが、それぞれの言葉で応援してくれる。 「やってみるよ」 女子の黄色い声援を続けて受けて、ちょっと照れくさい。 「女子の応援団つきかよ」 「副部長! 負けられませんよ!」 向こうは気勢を上げている。 「はい、動作チェックOKです。さくっと始めましょうか」 指定された席に座る。 緊張で手汗が滲んできた。 作戦は簡単。 俺が前衛で突撃、嬉野さんはスナイパーとして背後の高所から敵を撃つ。 相手を倒すのはもちろんだが、できるだけ動き回って相手を遮蔽から引きずり出すのが大事だ。 遮蔽から出た奴は、嬉野さんが漏れなく倒してくれる。 「二人とも生き残りますよ、筧君」 「ういす」 「大丈夫ですよ」 「筧くんの背中は私が守りますから」 嬉野さんと笑顔を交わし、マウスをクリック。 画面上でカウントダウンが始まる。 5 4 3 2 1 スタートと同時に走る。 「え?」 俺の脇を、すごいスピードで嬉野さん操るスナイパーが駆け抜けた。 あれ? スナイパーじゃなかったっけ? などと戸惑っているうちに、スナイパーの背中が遠ざかって消えた。 「うわっ!?」 「あっ!?」 あっという間に二人が散る。 ちらりと嬉野さんを見る。 完全に無表情、瞬きすらしない。 指だけが精密機械のように動き、無駄弾一つなく敵を屠っていく。 「ほい」 戦場の青空に、スナイパーライフルの射撃音が長く尾を引いた。 「お話になりませんでしたね」 勝敗はあっさり決まった。 嬉野さん一人に、相手は手も足も出なかった。 ちなみに、俺は一人倒しただけだ。 「……圧勝だな」 「それは、いいけど……」 「筧さん、まるで見せ場なかったですね」 「……というか」 「筧、いなくても良かったんじゃね?」 「本当のこと言うなよ」 おそらく嬉野さんは、初めからこうなることがわかっていたのだ。 自分一人いれば勝てるとわかっていて、なぜ俺を練習させたのか。 そりゃまあ、俺に例のお仕置きをするためだろう。 ほんと困った人だな。 苦笑してしまう。 「筧君、ナイスキルでした」 「ういす」 ハイタッチする。 嬉野さんの笑顔を見たら、細かいことはどうでも良くなった。 楽しかったし別にいいか。 「まあ何にせよ、勝てて良かった」 「うん、これでゲーム大会のゲームは変更決定だね!」 「ちょっと、待ったああああああああっ!」 突然、副部長が叫んだ。 「今の勝負は無効だっ!」 「は?」 「往生際が悪い、男らしくないぞ」 「そもそも前提条件がおかしいんだっ!」 「いや、意味がわからん」 「無効の理由は何ですか?」 「嬉野君だっ!」 副部長が、びしっと嬉野さんを指差した。 「え? 私ですか?」 意外な言葉に目を丸くする。 「嬉野君は図書部じゃないだろう?」 たしかに、今日は図書部とゲーム研究部の勝負という話だった。 だからってなあ……。 「先に言えよ、後出しジャンケンだぞ」 「はい、言いがかりレベルです」 当然のごとく、反論する。 「何とでも言え」 「とにかく、嬉野君を外して再戦しないならゲームは無効だ」 言いながら、副部長はバツが悪そうに視線を逸らす。 一応、自分が無茶を言っているのはわかっているようだ。 これなら、もっと揺さぶりをかければ何とか── 「仕方ないですね」 「なら、再戦してもいいですよ?」 嬉野さんが話を進めてしまう。 「ゲーム研究部も、外部の人を呼んできたらどうですか?」 「もっと腕の立つ助っ人を入れてもらっても構いませんよ」 可愛らしく胸を張る嬉野さん。 「いやいやいや、嬉野さんちょっと」 慌てて駆け寄り、耳打ちをする。 「(せっかく勝ったのに、再戦なんて……)」 「(どうせなら、もっと強い人とプレイしたいじゃないですか)」 そんな理由か。 「OK、再戦だ」 「おい、あの人を呼んで来い」 副部長が隣の男子を見ずに、言葉を落とす。 「え? あの人ですか? しかし……」 「いいから、行け!」 「は、はいっ!」 副部長に怒鳴られた部員が慌てて、コンピュータ室を飛び出していった。 「用心棒が来るらしいな」 「楽しみですね♪」 大物だ。 「どんな人だろう……」 「わからんが、まあ嬉野がいれば大丈夫だろう」 「圧倒的でしたからね」 「き、来ていただきました!」 「忙しいのだから、これっきりにしてちょうだい」 意外に早く助っ人は到着した。 男子部員の後ろから、一人の女性が入ってくる。 見覚えがあり過ぎる。 「あら?」 「も、望月さん?」 部屋が一瞬ざわめいた。 「筧君に……図書部の皆さん……」 「あなた達、一体何を?」 眉根を寄せて、俺達を見る望月会長。 「ゲーム研究部の助っ人が望月さんとは思いませんでした」 「彼らには以前、生徒会のネットワーク環境構築を手伝ってもらったのよ」 「気が進まないけれど、断れなくて」 望月さんもFPSをやるのか。 意外すぎる。 「俺と会長、嬉野君と筧君、この組み合わせで再戦だ」 「今度は物言いはなしにしてくれるか?」 先に釘を刺しておく。 「ああ、そっちが勝てば競技ゲームは変更しよう」 「望月さんが聞いてます。もう言い逃れはできませんよ?」 「その通りだ。まあそっちが勝てばの話だがな」 自信の満ち溢れた笑みが口元に浮かぶ。 これは相当の腕前なのか。 「わかりました」 「筧君やりましょう」 嬉野さんは嬉しそうに笑うと、一人でさっさと席につく。 強敵と戦えることが心底嬉しいようだ。 「じゃあ、望月さん、お手柔らかに」 「こちらこそ」 望月さんも静かに着席した。 「では、再戦だ」 部長の声と同時に現れたのは、妙に可愛らしい画面だった。 「あら? ゲームが違うようですが?」 画面中央に現れた女の子のキャラクターが口を開く。 「クイズ、マジカルカレッジ!」 画面中央ではしゃぐ妖精さんを尻目に、嬉野さんに問う。 「これもFPS?」 「いえ、一昔前に流行ったオンラインクイズゲームですよ」 「副部長、ゲームが違うぞ」 副部長が静かに首を振る。 「FPSで再戦するとは言ってないだろう?」 つまらないことを言いだした。 FPSでは嬉野さんに敵わないと判断して、小細工をしてきたか。 「これはまずいぞ……」 「昨年、汐美学園のクイズ研究会が全国大会で優勝した」 「確か三つ編み眼鏡の女子がアホみたいに強かったんだよな。テレビで見たよ」 「そして、三つ編みの女が生徒会長だということは、学園内では公然の秘密です」 嬉野さんがくすりと笑う。 「何ですかその新情報は」 「いかに筧が博識でも望月には……」 桜庭が唇を噛む。 「すみません、筧君。私が再戦を受けたばかりに……」 嬉野さんがうなだれた。 「大丈夫ですよ、取りあえずやってみましょう」 「インターフェロン」 「桂剥き」 「北大西洋条約機構」 「わ、わお。さすがチャンピオン」 「……マジか」 問題は難しくない。 俺も答えはわかっている。 だが、早押しで歯が立たない。 望月さんの押しは神速だ。 漫画だったら、ボタンから煙が出そうなレベルである。 「1つも取れねーじゃねぇか」 「筧くん、答えはわかってるみたいだけど……」 「ああ、でも押しで負けてる」 「筧さん、嬉野さん、頑張ってくださーい」 「先輩、頑張って」 佳奈すけと御園の声援を背に受ける。 驚異的とはいえ相手は人間。 何とかなるはずだ。 「……」 何ともならないこともあった。 何もできないまま、更に3問取られてしまった。 「う、嬉野さん……どうする?」 「どうもこうも……」 「何か考えておきますので、筧君はとにかくボタンを連射して」 「わかった」 「ふふふ、ふふふふふ……」 望月さんのらしくない笑いが響く。 「こう見えても、子供の頃は早押しの真帆と呼ばれたものです」 「率直に言って、ダサいですね」 「昭和の風を感じる」 望月さんが咳払いをする。 「誰にでも取り柄の一つはあるものですね」 あんたは取り柄の塊じゃないか。 悦に入ってる望月さんはともかく、どうにかしなければ。 と、俺が悩みだしたところにスペシャルな感じの効果音が流れた。 「ここからボーナスクイズですよ」 「本日、8月19日にちなんだ問題をいっぱい出しちゃいます! ポイントも通常の2倍です!」 「一気に大逆転できるかもしれないから、頑張ってね!」 「筧君!」 嬉野さんが一瞬、俺を見る。 『これが最後のチャンスです』とその目は言っていた。 「わかってる」 大きくうなずく。 「ふ、ボーナスクイズは確かに得点も高いが、超マイナーな難問ばかりだ」 「答えられるわけがない、諦めたまえ」 何もしてない副部長が、勝ち誇った顔をしている。 「やってみなきゃわからないさ」 難問なら、望月さんでも早く押せない可能性がある。 「では8月19日……俳句の日にちなんだ問題ですよ〜」 俳句か。 多少本を読んだことはあるが……。 「では、第一問!」 「……」 「……」 息を飲む。 「俳人、正岡子規の有名な句、『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』は夏目漱石の句に対する返句でした」 「では、その句は?」 「マニアック過ぎます、無理ですよ」 周囲の人間が首をひねる中―― 「え?」 「まさか……」 ボタンを押したのは俺だ。 「鐘つけば 〈銀杏〉《いちょう》ちるなり建長寺」 「正解でーす♪」 「な、何?!」 「筧君、グッジョブです!」 隣の嬉野さんとハイタッチ。 「た、たまたまだ! こんな難問そうそう答えられるわけがない!」 そう強がりつつも副部長は焦っていた。 今のは確かにたまたまかもしれない。 俺はそんなに俳句の本は読んでないし。 「第二問でーす♪」 おっと。今はとにかく集中だ。 俺は、ゲームに再び集中する。 そして。 「風や闘志抱きて丘に立つ」 「残鐘」 「立石寺」 「正解でーす♪」 「筧君、いけます、いけますよっ」 嬉野さんが手を握ってくる。 気がつくと、俺達のスコアは望月さんペアを抜いていた。 「一つのジャンルを深く攻められるときついわね……」 望月さんの感嘆の声が聞こえてくる。 昨年の王者から過分な評価をいただいた。 これなら勝てるかもしれない。 「でも、残念だったわね」 「最後に勝つのは私です」 「??」 「筧君、ボーナスクイズは終わりです」 「残りは通常問題が3問です」 3問中、1問は取らないとこっちの負けだ。 通常問題は簡単だし、早押し勝負になる。 そして、今までの実績は全敗だった。 「通常問題、ラスト三問でーす♪」 悲痛な想いとは裏腹にゲームの音声は明るい。 「ICPO」 「23時間56分3秒」 「く……」 あっと言う間に追い込まれる。 答えはわかっているのに、反応で負ける。 「まずい……」 「ファイナル・クエスチョーン♪」 何の策も浮かばないまま、最後の問題を迎える。 スコアは同点。 この問題を取らなければ負けだ。 自分の反射神経にかけるしかない。 意を決すると、隣の嬉野さんがウインクをしてきた。 何か策を思いついたのか? 確かめる間もなく、次の問題が流れる。 「ぼんやりと無自覚に過ごすこと。それをお酒に酔ったような……」 正解がわかった。 「あ、携帯を落としました」 「……っっ!?」 回答権利を獲得したのは…… 俺だった。 「筧くん、やった!」 「はぁ……」 望月さんの諦め混じりの溜息を聞き、俺は答える。 「酔生夢死」 「YOU WIN! おめでとー♪」 「筧君、やりましたっ!」 イスから飛び降りた嬉野さんが、俺を背中から抱きしめた。 「ちょ、ちょっと、嬉野さん」 周りから勘違いされそうだ。 「あなた、まだあんなものを持っていたのね」 望月さんが、恨めしげな目で嬉野さんを睨む。 「言ってることがわからないですね。私はただ、携帯を落としただけです」 嬉野さんがうそぶく。 そういえば、嬉野さんは望月さんの恥ずかしい写真を持ってたよな。 さっきはあれを使ったのだろうか。 「もう少し節度のある方だと思っていましたけど、残念です」 「節度はありますよ」 「例えば同じネタは二度と使いません」 そう言って、嬉野さんは携帯を操作する。 「はい、削除完了です」 「どうせデータは複製してあるんでしょう?」 「そんなケチくさいことはしません。チンピラじゃあるまいし」 望月さんが、険しかった表情を緩める。 「あなたは相変わらずですね」 「そちらこそ」 二人が何やら話し始める。 俺にはわからない話だ。 「こっちの負けだ、競技に使うゲームは変更するよ」 「え? ああ、よろしく」 依頼だから頑張ったが、正直どうでもいい話だった。 「これで、図書部への依頼も完遂だ」 「嬉野さん、これでいいんだよね?」 「ええ、大変満足いく結果です。ありがとうございました」 嬉野さんがぺこりと頭を下げる。 一件落着である。 「それにしても、筧さんは俳句の知識がすごいんですね」 「カルトクイズの世界でした」 「運が良かっただけだよ」 「俳句関連の本は大して読んでなかったけど、知ってるところからクイズが出たんだ」 「ちなみに、何冊くらい読んでたんですか?」 「20くらい? よくわからん」 「ガチじゃないですか」 「お前、やっぱり少し変だ」 「いるよなー、こういう奴」 「試験の前に、ぜんぜん勉強してないとか言ってて100点取るのな」 「先輩、友達なくしますよ」 「余計なお世話だ」 「いらっしゃいませー」 「こんにちは」 「時間通りです、さすが筧君は紳士ですね」 「いやいや、それほどでも」 夕方、再び嬉野さんからお呼びがかかった。 ゲーム対決で勝ったお祝いに、お茶を奢ってくれるらしい。 「さあ、お好きな席にどうぞ」 「今日はお疲れ様でした。筧君がいなかったら完全に負けてましたよ」 「クイズでは役に立って良かった」 「FPSだけだったら、俺、完全にいらなかったしな」 「そう思うかもしれませんけど、実際は違うんですよ」 嬉野さんが優しく笑う。 「筧君がいい動きをしていたから、向こうは私に集中できなかったんです」 「私に集中していたら、今度は筧君にやられてしまいますからね」 「スポーツでもゲームでも、点数を決めた選手だけが偉いわけではありません」 「キル数しか目に入らないゲーマーは3流ですよ」 嬉野さんが慰めてくれた。 「役に立てて良かった」 「ま、あの程度の相手なら、私一人でも何とかなりますが」 「どっちだよ」 いきなりはしごを外された。 嬉野さんらしい冗談だ。 「なら、俺をゲームのパートナーに選んだのは、お仕置きのためだったのか?」 「かもしれませんね」 ニコニコ顔の嬉野さん。 言葉でははぐらかしながらも、表情は肯定していた。 「結局は、嬉野さんの手のひらの上か」 「怒りましたか?」 「全然。新しいこともできたし、楽しかったよ」 ゲームなんて放っておいたらやらないし、何より、嬉野さんと話せたのが楽しかった。 「なら良かったです」 「私としては、筧君が私の手のひらに収まらなくて困っていたんですけどね」 嬉野さんが神妙な顔になる。 「え? どのあたりで?」 「例えば、クイズゲームでは私は手も足も出ませんでした」 「そもそも、FPSで私がほどよく手を抜いていれば、副部長を怒らせることもなかったでしょう?」 「クイズに持ち込まれることもなかったんです」 「まだまだ視野が狭いです」 「なるほど」 「というのは、本題じゃないんです」 「おい」 コントならこけてるところだ。 「筧君は、私にすっごい新発見をもたらしてくれました」 「ほー、というと?」 「よく眠れるんです」 嬉野さんが、ぴっと人差し指を立てる。 「は?」 「先日、筧君の部屋で眠らせてもらいましたよね?」 「私、夜中から朝まで爆睡でした」 「ああ、低反発枕が良かったのかな」 「枕は関係ないです、枕は!」 嬉野さんが、帽子を床にたたきつけた。 「取り乱しましたね」 「いえ、先に言われてしまうと困るのですが」 嬉野さんが、すごすごと帽子を拾って被り直す。 「ともかく、よく眠れたんです」 「こんなことは何年ぶりだか思い出せません」 嬉野さんの声に誇張したようなところはなかった。 安らぐということだろうか? なら嬉しい話だ。 「不眠症だったりしたの?」 「ええ、若干その傾向がありました」 嬉野さんが不眠か。 原因はわからないが、何か深いものを抱えている気がした。 「だから、今朝は自分にびっくりしました」 「寝付きもよかったですし、夢も見ずに朝まで一直線です」 嬉野さんが目を細める。 何か大切なものを手に入れたような、そんな笑顔だった。 「よかったら、これからも傍で寝かせてもらえませんか?」 「……ええと」 一瞬混乱した。 なんだこりゃ。 いわゆる告白なのか? ……嬉野さんの言葉だけに、まったくわからない。 「これ、お仕置きの一環?」 「違います、真面目に真面目なパートナー契約ですよ」 「筧君と一緒にいると、いいことがある気がするんですっ」 嬉野さんの声が高くなる。 周囲の視線が集まってきた。 「嬉野さん、声」 「あ、すみません」 嬉野さんが赤くなる。 珍しい表情だった。 「告白してもらったと思っていいのかな?」 「ち、違います、契約です」 「具体的にどうしろと?」 「暇なときには一緒にいてもらえればいいんです」 「それは、夜も?」 「の、望むところです」 えっへんと胸を張る嬉野さん。 いや、あっさり決めていいのかよ。 再考を促す意味でも、意見をしてみる。 「でもさ、俺も男だからいろいろあるかもしれないぞ」 「私には何も感じないんじゃなかったんですか?」 「エロスの波状攻撃も、見事にかわしていましたし」 「変に迫られたから困ってただけだって」 仮に据え膳だったとしても、無理矢理口に突っ込まれたら食いたくなくなる。 そういうことだ。 「野獣ですね」 「野獣だ」 「でもまあ、それもいいでしょう。パートナー契約に加えておきます」 こっくりうなずく嬉野さん。 おいおい、それじゃただの恋人関係だ。 「……」 いや、もしかしたら、お仕置きとか契約ってのは、嬉野さん流のコミュニケーションなのかもしれない。 嬉野さんのどこか浮き世離れした生き方や、人を観る性格から考えると、おそらく人との距離が遠い人なのだ。 だから、お仕置きや契約といった言葉で関係を構築する。 もちろん、単なる照れ隠しの可能性もある。 どっちにしろ、嬉野さんは俺との繋がりを求めているのだろう。 どうする? 嬉野さんのことは、もとより嫌いじゃない。 似たもの同士ということもあるし、人柄に興味もある。 うぬぼれが許されるのなら、もしかしたら、俺は嬉野さんにあってるのかもしれない。 ……よし。 「んじゃ、パートナー契約してみるか」 「ありがとうございますっ」 嬉野さんが満面の笑顔になる。 「よろしくな、これから」 「はい、こちらこそ」 パートナーシップ成立の握手を交わす。 妙な告白もあったものだ。 ……人に不器用な俺たちらしいのかもしれない。 「あ、そうだ。お茶を奢る約束を忘れていました」 「すぐ持って来ますから、待っていてくださいね」 俺の返事も待たず、嬉野さんがキッチンに下がる。 「お待たせしました」 トレイにコーヒーカップを載せ、嬉野さんが戻ってきた。 「はい、どうぞ」 ことっとカップを置く。 「どうも」 「よーく、見てから味わってくださいね」 よく見る? 言われるがまま、コーヒーカップを見る。 「ああ」 カフェラテの上に、複雑な星のマークが描かれていた。 ラテアートってやつか。 いや、それはいいんだが。 「この星、何?」 「ええっ! 知らないんですか……うう」 嬉野さんがしょぼくれる。 「すまん……教えてくれると嬉しい」 「メダル・オブ・オナー……米軍の最高勲章です」 「まだまだ勉強が足りないようですね」 「なるほど」 「つまり、今日の俺の戦果を認めてくれたってことか」 嬉野さんに微笑む。 予想に反し、返ってきたのは冷たい視線だった。 「な、何か台詞がむかつきますね……こう、モヤモヤします」 「ええっ!?」 「勲章は剥奪です」 そう言うと、嬉野さんはカフェラテにスプーンを入れ、ぐるりとかき回した。 「私のことをモヤモヤさせるなんて生意気です」 「筧君のことは、これからビシビシしごいていくことにします」 「パートナーとして恥ずかしくないよう、しっかりついてきて下さい」 「はーい」 俺の返事に、嬉野さんは満足そうにうなずいた。 どうやら、大変な契約を結んでしまったらしい。 これからが楽しみだ。 紗弓実と付き合い始めてから、もうすぐ2ヶ月。 あっちの趣味が趣味なので、俺たちのデートはもっぱらゲームだ。 「うっ……ああ、もう、もう駄目ですっ」 「よし、2連勝」 「うぬぬぬ……ぬわわぁぁぁっ!?」 紗弓実がじたばたする。 FPSでは歯が立たないが、パズルゲームは俺の方が強かった。 「どうして……どうして、この私が」 「こういうのは、何手先まで読めるかが勝負だ」 紗弓実がぎりぎりと歯ぎしりをする。 「違います、この背もたれの角度が悪いんです」 「もう少しリクライニングして下さい」 背もたれをガチャガチャいじる。 「おーい、壊すなよー」 「このくらいで壊れる椅子なんて、椅子じゃありません」 前からわかっていたが、紗弓実は大体において鬼である。 「それより、罰ゲーム」 「覚えていやがりましたか」 「ゲーマーだろ? ルールーは守れって」 「仕方ないですね」 罰ゲームは、俺に頭を撫でられること。 ご褒美じゃないところが紗弓実らしい。 「よし、なでなでなでなでなで」 膝の上で頭を撫でられる紗弓実。 どんどん顔が赤くなっていく。 「ぐぐぐ……モヤモヤ、モヤモヤします」 「喜ぶところだろ?」 「私と京太郎はパートナー、つまり対等なんです」 「それなのに頭を撫でるなんて、あきらかに目下に対する行為です」 「……そのはずなのに、なんだかモヤモヤして」 妙な矛盾に小さな胸をかき乱されている紗弓実。 「上とか下とかじゃなく、ただ紗弓実が可愛いから可愛がりたいだけなんだ」 「むかーーっ!」 かわいがりすぎるとすぐキレる。 「可愛いと言えば、何でも許されると思ってませんか?」 「私はそんな単純な女ではありませんっ」 決然と言い放つ紗弓実。 こういう、めんどくさいところが可愛いのだ。 「ややこしい奴だな」 ゲームのコントローラーを置き、紗弓実を抱きしめる。 「わわ、ぜんぜん話を聞いてませんね」 「撫でなきゃいいんだろ?」 「だ、駄目ですよ、これもモヤモヤします」 「ふーん」 さらに腕に力をこめる。 「うう……聞いてくれません」 抵抗が弱まる。 ほぼ同時に、腕の中の体温が熱くなってきた。 「京太郎の汗の匂い、少しします……」 「悪い、汗臭かったか」 「いいえ。安心する好きな匂いです」 「京太郎の傍だとよく眠れるのは、もしかしたらこの匂いのせいかもしれません」 つぶやいた後、紗弓実は俺の首に両腕を回した。 「ん……」 すぐに俺達の唇は近づき、唇を交わす。 「ん、ちゅっ、んっ……」 「ちゅっ、んっ、ちゅっ……」 何度も何度も深く唇を重ねあう。 手には紗弓実の華奢な身体の感触が。 正直、同級生と抱き合ってる感じではない。 もっと、年下の子とキスしているように錯覚する。 「京太郎……」 「紗弓実……」 ようやく唇を離して、お互いの顔を見る。 朱にそまった頬がまた愛らしい。 心臓の鼓動が止まらない。 「……」 「……」 無言になる。 微妙に気まずい時間が流れていく。 「京太郎、したいですか?」 「は? 何を?」 思わず聞き返してしまう。 「む、それを女の子に言わせるのですか」 「案外、ドSですね……見直しました」 いや、見直されても……。 何にしても俺の失言だ。 「可愛い彼女とこんなことをしてるんだ、したくないわけないさ」 「駄目か?」 「いいですよ」 「……マジか」 あっさりすぎた。 「何を慌てているのですか?」 「パートナー契約を結ぶときに話はしましたよね、この先に進んでも平気だって」 「こ、これは、契約のうちなんです」 そう言いながら、紗弓実の首筋が赤く染まっていく。 こいつが契約だのお仕置きだの言うときは、決まって恥ずかしいときだ。 素直に乗ってやるのが円滑にやっていくコツである。 「それじゃ、契約を履行してもらおうかな」 紗弓実を少し強く抱きしめる。 「は、はい、存分にどうぞ」 テレビの液晶画面に映った紗弓実が、ぎゅっと目をつぶる。 不安と期待がにじんだ表情だ。 愛おしさで胸が一杯になる。 「可愛いな、紗弓実は」 思わず頭を撫でてしまう。 「ぐうう……また頭を撫でて……」 「すまん、可愛すぎてつい」 「きーーーっ! 恥ずかしすぎますっ!」 紗弓実が顔を真っ赤にして叫んだ。 「ははは、可愛いな」 「ぷちんっ」 紗弓実の中で、何かが切れた。 「京太郎には、前代未聞のお仕置きが必要ですね」 「え?」 紗弓実の目が完全に据わっている。 まずいことになった。 「だっしゃーっ!」 「おわあっ!?」 肩を押され、仰向けにされる。 お仕置きは近接戦闘なのか。 視界に紗弓実が入った。 正確には紗弓実の下半身が。 「これが、お仕置き?」 「はい、下に見られる気持ちをわかってもらいます」 「さ、やるべきことをどうぞ」 おずおずと、体重がかけられる。 汗とも花ともつかない香りが、鼻孔一杯に広がった。 同時に紗弓実の緊張も伝わってきた。 ここで引くのはあり得ないな。 「よし……いくぞ」 「いくぞ、じゃありません。京太郎はご奉仕側です。させていただくんです」 紗弓実はノリノリだ。 「じゃあ、僭越ながら」 「はい、頑張って下さい」 下着の上から、紗弓実の花弁にキスをした。 「ひゃうっ?!」 「京太郎、何て倒錯したプレイを……!」 いきなり人の顔に股間を押し付ける人には言われたくない。 かまわず、指で撫でながら唇を強く押し付ける。 「あっ、あっ、んっ!」 「はぁっ、んっ、あっ、あああ……」 「きょ、京太郎が、んっ、あっ、ああ……!」 「私のエッチなトコを舐めて……あああっ!」 紗弓実はあきらかに興奮していた。 俺はすべすべの紗弓実の太ももを撫でながら、何度も下着越しに紗弓実の割れ目を愛撫する。 彼女の中から愛液が滲んでくる。 俺の唾液と愛液でもう紗弓実の性器の形はくっきりと浮き出していた。 「紗弓実……どう」 指の腹で花弁をイジリながら、彼女を見上げる。 「ま、まだまだ足りません。気が抜けてますよ……」 少しとろんとした目つきで、紗弓実は俺を見下ろす。 「よし……じゃあ、パンツ脱いでもらっていいか」 「お仕置きされている側が要求するなんて……」 口の端を吊り上げて笑う。 「いや、無理ならそれで」 「いいんですよ、わかってます、わかってますから」 見事なドヤ顔だった。 「直接触りたくて仕方ないんですよね」 「い、いいですよ」 「じゃあ、脱いであげます……」 「……」 至近距離で展開された光景に思わず息を飲む。 初めてのエッチでここまで見ていいのか? 一気に興奮度が増した。 「ぬ、脱ぎましたよ……エッチな京太郎の望み通りに……」 「嬉しいですか?」 首から上を真っ赤にしながらも、微笑する紗弓実。 きっとめちゃくちゃ恥ずかしいはずだ。 「はっきり言って下さい。嬉しいですか?」 「嬉しい」 言葉にするまでもなく、俺のペニスはもうカチカチだ。 下手すれば、何もしなくても出てしまうほど興奮している。 「よくできました。ほら、触っていいですよ……」 「あ、ああ」 「あ、息が……」 もじもじしだす。 すると、目の前のキレイな縦スジも恥ずかしそうに蠢く。 たまらなくなって、唇で触れた。 「はぁっ、ああん……っ」 「んっ、あっ、ひゃ、ん、ああああっ、ん……」 「はぁっ、あっ、んっ、やっ、か、京太郎、そ、そんなに、くぅ……ん……」 俺の舌がスジをゆっくりとこじ開けて、ゆっくりと紗弓実の中へと入っていく。 深くなるにつれて、紗弓実の反応は如実に変化する。 表情が女になっていく。 「ああん! んっ、あっ、んんっ!」 「んっ、ひゃっ、はぁっ、ああんっ!」 「んっ、あっ、あああんっ!」 ぷるぷると身体が震えだす。 俺はぐっと紗弓実の脚をつかんだまま、ゆっくりと舌先を出し入れした。 紗弓実の愛液と俺の唾液が混じりあい、ぴちゃぴちゃと音を立てる。 「あっ、やっ、か、京太郎の、舌……」 「す、すごく、あっ……!」 紗弓実の顔が興奮と羞恥でポッと火照りだす。 でも、どこか嬉しそうでもある。 微かに口元が緩んでいた。 「京太郎、まだ、……まだ、足りませんよ……」 「そう? すごく気持ちよさそうだけど」 「錯覚です。ぜんぜん気持ちよくなんて……」 言いながらも、快感に眉を歪める紗弓実。 「もう少し褒めてくれないと頑張れないな」 「新兵のくせに生意気です」 「飴と鞭ってのがあるだろ」 「口の減らない新兵ですね……」 そう言って、紗弓実は制服の上着に手をかけた。 一瞬、躊躇して。 それから一気に、首元までブラウスとセーターをまくり上げる。 小ぶりだけど、キレイで可愛らしい双丘が俺の眼前に現れた。 乳首はもうツンと勃起している。 「京太郎、どうです?」 「綺麗だ」 「ふふ……もっと、正直に言って下さい……興奮してるって」 「あ」 紗弓実は手を伸ばして、俺の股間を制服のズボンの上から撫でた。 それだけで、ぴくんと俺のペニスは反応して動く。 「もう、すごく固いですよ」 「仕方ないだろ」 彼女とこんな体勢でこんな事をしているんだから。 「京太郎はいやらしいですね……さらにお仕置きです」 紗弓実が腰を動かして、わざと花弁を俺の口元に擦り付けるようにしてくる。 「紗弓実だって、こんなに濡れてるじゃないか」 「知りません」 指での愛撫を再開する。 「あっ、はぁんっ! んんっ!」 「んっ、やっ、京太郎の指が……あああっ!」 「あんっ、やん、中に、中に入ってくる……!」 広げた花弁にキスをした。 そして、そのまま嘗め回した。 「はぁっ、こ、こんなエッチなことを、平気でしちゃうなんて……!」 「京太郎は、本当に変態ですね……」 言いつつ自ら腰を動かす紗弓実。 「え? あっ、あああんっ!」 「あっ、そ、そこは、京太郎っ、あっ、んっ!」 「ダメ! ダメですっ! ひゃんっ!」 割れ目の上にある、ウィークポイントを攻める。 クリトリスは一番敏感なはず。 そこを重点的に舌先で、攻撃した。 「ああんっ! ダメ! ダメですよぉ……!」 「そこは、感じすぎ、ちゃっ……あっ、ひやっ、んっ!」 「ダメェ……、京太郎、ダメですぅ……」 身体をぶるっと震わしながら、紗弓実はいやいやと顔を横に振った。 こんな紗弓実は初めて見た。 可愛い。 悪いけど、もっとこの可愛い紗弓実を堪能したい。 俺は紗弓実が脚を閉じないように、両手でがっちり押さえたまま愛撫を続ける。 「あああっ!」 「はぁっ、んっ、そんな、もうっ、あっ、んっ!」 「京太郎、京太郎っ、んっ、はあんっ!」 罵倒しながらも、自ら腰を激しく動かしている。 愛液もどんどん流れてくる。 紗弓実は俺から送り込まれる快感に夢中になっていた。 「あっ、んっ、ひゃっ、ああっ……」 「ああ、こ、こんなの、ダメなのに……」 「や、止められな……ひゃっ、ああん!」 彼女が俺の愛撫でこんなにも感じている。 それが嬉しかった。 ここまできたら、彼女に絶頂まで登りつめてほしい。 俺は指で包皮を剥き、唇で紗弓実の陰核を軽くはさんだ。 「ひゃうっ?!」 紗弓実が一瞬、背筋を伸ばす。 今までで一番大きな反応だった。 「あっ、やっ、そ、それダメ、あっ、京太郎っ、ダメぇ……」 「そ、それ以上は、あっ、わ、私、が、我慢が……ひゃあうっ!」 「我慢できなくなっちゃいます……!」 「どうぞ」 俺は紗弓実の制止を聞かず、愛撫に没頭する。 ぷっくりしたクリトリスを舌先でつつく。 小陰口に何度も口づけをする。 紗弓実に刺激を送り続けた。 「ああんっ! ダメです、京太郎、あっ、んっ!」 「そんなに、そこばかり刺激しちゃ……くうんっ!」 「あっ、あ、ああっ……」 「紗弓実、我慢しないで」 指でとろとろの花弁を撫でながら言う。 「え? で、でも、そ、そんな……無理です……」 「ほら、もっと気持ちよくなって」 ちゅっ、と音を鳴らしてクリトリスにキスをした。 「ひゃああっ?! ダメっ、京太郎、そんなとこにキスしちゃ……」 「ああっ、んっ、もう、あっ、んっ、いかせて……ぅああ……っ!」 返事をする代わりに、もっと激しく口で愛撫する。 「えっ、あ、あっ、ああっ! 違うっ! 違うのっ……」 「お、おトイレに……行かせて……」 予想外の言葉に、俺は口を紗弓実の股間から離す。 その間、ずっと紗弓実はプルプルと震えていた。 「ああっ、はうぅっ、あっ、ああっ、くうんっ、あはぁっ……!」 「うう……あっ、んんっ、も、もう……ああんっ、だ、だめ……っ、だめえっ……っ!」 「あっ、あああああああっ!」 愛液を分泌するとともに紗弓実は失禁してしまった。 俺の顔に両方の混じりあった液がかかる。 かすかなアンモニア臭が一気にたちこめた。 「あっ、んっ、あああ……!」 「んっ、あっ、はぁっ、んっ、ああ……!」 「ダメ……止まんない……です……」 「き、気持ち、いい……です……」 恍惚とした表情で、紗弓実は身体をぶるっと何度もふるわせた。 不思議と汚らしさは微塵も感じない。 それよりも本来なら絶対見ることのない彼女の痴態を目の当たりにして、俺は妙な興奮を感じていた。 「あ、う、うう……」 「は、はぁ〜〜……」 俺の顔の上でお小水を流してしまった彼女は、事が終わると一気に脱力した。 「京太郎……何てことでしょう……」 「お仕置きするんじゃなかったのか」 「うう……はい……」 しょんぼりしている。 が、すぐに顔を上げた。 「いえ、これがお仕置きです」 「どうです、思い知りましたか!」 紗弓実が割とアホということは思い知った。 「ああ、でも、正直死にたいです。初めてで、こんな……」 いきなり素になった。 リアクションに困る。 「……呆れてませんか?」 「全然呆れてない」 「……嫌いませんか?」 「俺が紗弓実を嫌うなんて、ありえない」 手をのばして、そっと頭を撫でた。 「はう……」 一瞬で彼女の表情がやわらぐ。 「じゃあ、その……」 「ん?」 「証拠を見せてください……」 紗弓実はそう言うと、俺からいったん離れる。 俺は紗弓実をベッドに寝かせて、腰を抱え上げるようにした。 「うう……こんな格好ですか……」 紗弓実が顔を赤く染めながらも、非難の声を上げる。 「ごめん、俺も慣れてないから」 「この体勢がやりやすいっていうか……紗弓実は嫌?」 「い、嫌じゃないですけど……」 「何だか、落ち着かないです……」 きゅっとシーツを握りしめながら、弱々しく言う。 紗弓実らしくない声。 「もしかして、怖い?」 「な!? そ、そんなことは……」 「ちょっとしかありませんっ!」 力強く言い切る。 ちょっとは怖いのか。やっぱり。 「なるべく痛くないようにするから」 「い、いえ、そんな気遣いは……」 「ありがたく受け取ります!」 いばって言うなよ。 苦笑する。 こんな時でもやはり紗弓実は紗弓実なんだな。 「いくぞ……」 「は、はい……!」 「はうっ!」 「あ、あああっ!」 俺が腰を前に少し動かすと、紗弓実が苦悶の声をあげる。 「さ、紗弓実」 すぐに腰を戻す。 「あ、ダメですよ、京太郎」 「ちゃんと、してくれないと……」 薄っすらと涙が浮かんだ目で見上げられる。 「いや、でも」 「すごく痛そうだし、俺の方が無理だ」 彼女を苦しめるのは俺の本意ではない。 「な、何を言ってるのですか? 京太郎」 「わ、私は全然痛くありません! 平気です!」 「は、早く、続けてください……」 紗弓実は手を伸ばし、俺の手をぎゅっと握る。 だが、まだ俺の覚悟が固まらない。 「す、少しくらいの身体の痛みなんて、いいんです。それより、」 「ここで、京太郎を受け入れられなかったら……」 「心がもっと痛みます。だから……」 「紗弓実……」 彼女の気持ちに打たれた。 紗弓実の放った弾丸に、俺はまさに今撃ち抜かれた。 「来てください、京太郎……」 「痛くてごめん」 「だから、全然平気ですよ……」 まだ強がるのか。 俺も慣れてはないけど、少しでも優しくしないと。 そう考えながら、ゆっくりと再び彼女の中へ。 「んっ! あっ! はぁっ!」 「ああっ!」 目じりに涙を溜めて、彼女が痛みに耐える。 「紗弓実」 「へっ、平気です……」 「そ、それより、京太郎……」 「ん?」 「もっと、わ、私に触れてください……」 「京太郎の手、すべすべしてて私、好きなんです……」 「わかった」 挿入をいったん止めて、紗弓実の身体に触れた。 手のひらにそっと触れる小さな乳房を、軽くもみしだく。 かすかに弾力を感じる程度の紗弓実の胸。 乳首を指ではさみながら、ふるふると震わせた。 「あっ……!」 ぴくん、と紗弓実が肩を揺らす。 乳首がまた固くなってきた。 声に微かに甘い響き。 「紗弓実、胸がいいの?」 乳首をはさみながら尋ねる。 本当は聞かなくても反応でわかる。愛液もにじんできてる。 でも、聞いてみた。 「そ、そんなこと……」 「言えませんよ、エッチですね……」 「私の彼氏は意地悪です……」 「気持ちいい方が、痛くなくっていいだろう」 言って、俺は右手で胸を愛撫しながら、左手で紗弓実の太ももを撫でた。 「あっ、やっ、んっ!」 「京太郎の手が……あっ!」 ソフトタッチで紗弓実の身体を愛で続ける。 しっとりと汗ばんだ肌が魅惑的だった。 「あはっ、んっ、あああ……」 紗弓実の花弁から、たくさんの蜜があふれだしてきた。 大分痛みが緩和されてきたようだ。 俺は挿入を再開した。 「あっ、はっ、んっ、あああっ……!」 「んっ、はぁっ、あっ、ああんっ、んっ!」 紗弓実は身体を震わせながらも、俺を受け入れていく。 ぬるっとした膣の壁を押し広げるように、ペニスを入れていく。 半分くらい紗弓実の中に埋まった。 奥まではまだあるが、今回は初めてだしこのくらいか。 「紗弓実」 「は、はい……」 「少しだけ動いていいか?」 「た、たくさんでもいいです」 また強がって。 なるべく早くすませたほうがいいのだろうか。 俺は亀頭を肉の壁にゆっくりと小刻みに擦り付けるようにした。 「あっ、あっ、あああっ!」 きゅっ え? 突然、紗弓実の膣が強く俺のモノを咥えた。 まるで俺の隙をつくように、俺は捕獲された。 「あっ、んっ……うくううぅぅ……はぁ……あはぁんっ!」 ぬめぬめしたヒダが、俺に強い快感を送ってくる。 「んっ、あっ、あっ、んくっ……あっ、ああっ、ああああぁっ!」 彼女の声が大きくなる。 「はぁっ、あ……んっ、あっ、あ、ああっ、ぅああああぁ……っ!」 俺は夢中で腰を振りながら、紗弓実の顔を見た。 破瓜の痛みに耐えている少女はもういなかった。 俺との交わりに、一心に喜ぶ彼女がいた。 「あっ、はっ、あっ、い、いい、です、京太郎……!」 「あっ、んっ、はぁっ、あっ、こ、こんなの、は、初めて、ああっ!」 「ひゃっ、あっ、そこ、そんなに、こすった、ら、あっ!」 紗弓実は両脚で俺の腰を挟む。 それにより、不意に深く挿入してしまう。 「んっ! ああっ、あぅっ、あぁ……っ! ひぁっ、あ、ああっ、はあぁっ!」 俺は抑えていた射精感が限界に来たことを悟った。 「紗弓実!」 「きょ、京太郎。あっ、あああっ、京太郎っっ!」 「はぁぁっ、やっ、あっ、はう……っ、あ、あ、あんっ、んああ……っ!」 「あっ! きゃうっ、ああっ、あぁっ! あぁっ、はっ、ああんっ、んああああぁぁっ!!」 「あああああああああああああああっ!」 びくっ、びゅっ、どくっ! 発射寸前のところで、俺はペニスを紗弓実から引き抜いた。 「あ、あああ……ぁ……」 俺の精液が、紗弓実を白く汚した。 自分でも信じられないくらいの量の精液だ。 快感が半端じゃなかった。 これが好きな子とのセックスがもたらす快感なのか。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 紗弓実は肩で息をしながら、俺を見上げていた。 少し焦点の定まらないような瞳。 「びっくりしました……」 「気持ちよすぎ、です……」 「自分が、溶けて、なくなっちゃうみたいで……」 「でも、なくなりはしませんでした……」 「紗弓実がなくなったら、俺が困る」 「くす、平気ですよ」 「私は京太郎とずっと一緒ですから……」 紗弓実もにこっと笑む。 「それより、京太郎……どうして……」 「え?」 「私、初めては、京太郎を全部受け止めるつもりだったんですよ?」 それは、抜かないでほしかったということか。 でも、それは。 「はい、もう一度です」 「今度は、全部、私にくださいね」 「……いいのか?」 「もちろんですよ」 「私はあなたのものなんですよ、京太郎」 「わかった。ありがとう」 俺はすでに硬度を取り戻していた肉棒を紗弓実の膣口に再び触れさせる。 「ああっ!」 愛液と精液が潤滑油になって、するっと、すぐに飲み込まれる。 まるで生き物のように、紗弓実の中は蠢いていた。 濡れたヒダや、膣壁がうねるようにして亀頭をどんどん奥へと導く。 背中にぞわっと快感が走った。 「ああんっ! すごい……すごいです!」 「あんっ、んっ、さっきより、もっと奥に、ああっ!」 「んっ、あっ、はぁっ、すごいです、京太郎、すごい、すごいっ!」 紗弓実は再び脚を俺の腰に巻きつけるようにする。 絶対に逃がさない、という風に。 逃げるつもりなんか毛頭ない。 紗弓実と、ずっといる。 「紗弓実の中、すごい……」 「ど、どうすごいですか?」 「気持ちよくて、ぎゅっと、なって……」 理性がどんどん削られそうな快楽だ。 「い、いいですよ、京太郎」 「京太郎も、どんどん気持ちよくなってください……!」 「本よりも、何よりも、私に夢中になって……!」 そんなの、紗弓実が一番に決まっている。 「世界の何よりも大切だ」 「あっ、はぁんっ! はぅ……ぅあん! んんっ! くぅっ!」 「京太郎っ、京太郎っ……!」 「私も、京太郎が、世界で、一番、好き……はああぁん……っ!」 ピストン運動の激しさが頂点に達する頃、俺の中で二度目の射精感がせりあがってくる。 今度は、彼女の中で。 「うっ、ああぁっ、京太郎っ、ふぁあっ、んんっ、あっ、あっああぁ……っ!」 「んんっ、あぁっ、あぁんっ! あっ、うあぁっ、はあぁっ……ああっ!」 「紗弓実!」 背筋に電流が流れ、目の前が一瞬、ホワイトアウトした。 「くあぁ……はあぁ、ん、あぁぁ……うぁあ……っ! はっ、あぁ、ふあぁ……」 「うあぁっ! んっ、あ、ああっ、んくっ、は、あ、ああっ、あっ、あっ、ああっ!」 「やああっ! ああんっ! あ、あ、あぁっ!? ぅあ、んっ、はあっ、うああああぁぁっ!!」 「ぅああああああああああああああああぁぁっ!!」 びゅくっ、びゅぅっ、どくっ! 俺と紗弓実は同時に二度目の絶頂を迎えた。 尿道を大量の精子が通過するのが、実感できた。 「あ、あああ……」 俺は今、愛する彼女の中に注ぎ込んでいる。 受け入れられた。 それが実感できて、たまらなく嬉しかった。 「はふぅ……」 すっかり力の抜けた紗弓実はまるで糸の切れた操り人形のように、ベッドにこてんと寝転がった。 「……これは、すごいですね……圧倒的な快感です……」 「確かにすごい」 知識では知っていたが、体験して初めてわかることもある。 その最たるものかもしれない。 「新たな喜びを発見してしまいました……」 「これから、二人でもっと探求していきましょう」 目を細めて紗弓実はそう言った。 さっきまであんなに痛がっていた子の発言とは思えない。 「さて」 しばらく裸で抱き合って眠っていると、同時に腹の虫が鳴るという珍事が起きた。 「行きましょうか」 少し遠いが、二人で学食に行くことにした。 「いらっしゃませー、あ、筧さんに嬉野さん」 扉を開けると、俺達の後輩がしっかりと勤労していた。 「よう」 「御機嫌よう」 「うわー、もしかしてデートですか? 妬けますね〜」 早速、佳奈すけがちゃちゃを入れてくる。 「いえいえ、これはただの食事です」 「女の子とデートするのに、学食なんてありえないじゃないですか」 「デートなら、最低でも海の見えるホテルのレストランを予約していただかないと」 「……」 ハードルが高すぎる。 「……こんな上司ですみません」 何故か佳奈すけが謝っていた。 「ごちそうさまでした」 満腹だ。 食器を下げると、紗弓実がだらりとテーブルに突っ伏した。 さて、これからどうしよう。 軽くデートしたいと思っていたが、さっきいきなりクギをさされたし。 「あのさ、紗弓実」 「何でしょう?」 「この後、デートしようと思っていたんだけど、あいにく海の見えるホテルの予約は取れてない」 ていうか、ドコにあるのかも知らない。 「あらあら」 「仕方ないですね、京太郎」 「ごめん」 「では、私と図書館デートなどをしましょうか」 「そんなんでいいの?」 めちゃくちゃ貧相なデートだ。 「だって、京太郎、本好きじゃないですか」 「私が京太郎が喜ぶことをしてあげたいと思うのは当然でしょ?」 嬉野スマイルが輝く。 天使モードの紗弓実が降臨した瞬間だった。 俺は心の中で小躍りした。 「それで、その隣で、私は本を読んでる京太郎をじっと観察してますから」 「集中できないって」 「ふふ、ただ普通に京太郎を喜ばすだけじゃ面白くありませんから」 「意地悪な彼女だ……」 苦笑する。 「私はただ甘いだけの彼女じゃありませんよ」 「嫌いになっちゃいますか?」 にまにまと笑いながら訊いてくる。 「わかってるくせに」 自然に苦笑が微笑にスライドした。 「ふふ、ですよね」 紗弓実が嬉しそうに破顔する。 ゲームだけでなく、これからは人生のパートナーとなる人。 願わくば、彼女の背中を俺がずっと守れますように――。 「業務報告書──」 「8月30日、月曜日。」 「ミナフェスの成功以来、図書部には大小様々な依頼が舞い込むようになった。」 「彼らは、可能な限り依頼を受けており日々忙しく活動している。」 「特に夏祭り期間は数多くの依頼をこなし、八面六臂の大活躍であった。」 「(活動の模様は、添付の写真を参照されたし)」 「観察対象である筧京太郎も、積極的に活動を行っている。」 「他部員との交流も重ねているが、誰かと強い関係を構築するまでには至っていない。」 「読書への依存も相変わらず強く、このままなら遠からず目標を達する可能性もある。」 「引き続き、注意深く観察を続ける方針である。」 「また、図書部のメンバーとも継続的に接触を続ける予定である。」 「羊飼い(見習い)、小太刀凪──っと」 ようやく書き終え、ボールペンを置く。 「はー、終わり終わり」 いまどき手書きしか受け付けないってのは、ホントどうかしてる。 一つ息を吐き、注文しておいたアイスティーで喉を潤す。 喫茶店の大きな硝子窓の外では、通行人が真夏の太陽に焼かれている。 見ているだけで汗腺が開きそうだ。 ボスの話だと、正式な羊飼いになれば暑さも寒さも感じなくなるらしい。 そればかりじゃなく、代謝や睡眠など、生命としてのあらゆる制限から解き放たれるという話だ。 それはつまり、人間を超えるということだ。 早く、羊飼いになりたい。 羊飼いになり、この身に絡みついた煩わしいもの全てを脱ぎ捨てたい。 「……うむ」 アイスティーを更に飲む。 暑い外界を眺めながらのコールドドリンクは最高だ。 羊飼いになれば、こういう爽快感とも無縁になるだろう。 少し寂しい気もするが、私はもう、ずっと前から決めている。 後戻りはしない。 8月31日、午後2時半。 クーラー全開の部屋で、俺は本のページを繰る。 夏休みの最終日といえば、生徒が1年で最も勉強する日だろうが、俺は違う。 夏の課題がある授業を取っていないので、夏休みは基本フリーだったのだ。 ……図書部の活動さえなければ。 夏祭りの依頼を全て終わらせた時点で、俺に残されていた夏休みはたった3日。 俺はその全てを、全身全霊を傾けて読書に当てた。 インターホンが鳴った。 このタイミングで客か。 1ページでも本を読みたいというのに。 とはいえ、客が誰かは想像がついているので仕方なくドアを開ける。 「やっほー、筧……って、どうしたのよ、その顔っ!?」 「ん?」 「ん? じゃないわよ。目の下にクマできてるし、頬こけてるし、無精ひげ生えてるし」 「完全、修行中って感じの顔になってる」 「図書部員らしい、引き締まった顔だろ?」 自分じゃ見えないが、3日間の全てを読書に費やした果ての顔がこれだ。 「それ、死にそうな顔っていうのよ。身体大丈夫?」 「身体は大丈夫だ。本に熱中しすぎただけだし」 「はあ、ほんと読書馬鹿よね」 大袈裟に溜息をつく小太刀。 「で、なんの用だ? 見ての通り超忙しいんだが」 「デートに付き合ってくれない?」 「断る」 「断るな」 「そこをあえて断る」 「断るな」 「お風呂入って着替えて、30分後に私の部屋に来て。よろしくね♪」 それだけ言って、ドアは閉められた。 「デートねえ」 本は読みたいが、どうしたものか?本は読みたいが、どうしたものか?ここは波風立てずに行こう。 相手が小太刀じゃ、頑張っても断り切れないだろうし。 せっかく小太刀から誘われたんだ。 久しぶりに外に出てみるか。 そう決めて、俺は風呂場へ向かった。 約30分後。 身支度を整えた俺は、小太刀の部屋にいた。 「何もない部屋だけど、ゆっくりしてね」 謙遜でも何でもなく、本当に何もない。 床に分厚い本が一冊転がっているだけだ。 相変わらず、ここでは生活していないらしい。 「今日は自宅デート?」 「うん、最近流行ってるみたいだし。一気に距離を縮めるチャンスかもね」 冗談めかした口調で言いながらも、小太刀の目は真剣だ。 楽しいデートじゃないらしいな。 「何か話があるっぽいな」 「うん。羊飼いのことで、筧に話しておかなくちゃならないことがあるの」 あっさりと言って、小太刀は床に座った。 目で促され、俺もはす向かいに腰を下ろす。 「夏休み前、私が羊飼いの仮免中だって言ったこと覚えてる?」 「ああ、覚えてる」 「私はね、正式な羊飼いになるための試験を受けてる最中なの」 「ああ、だから仮免か」 「試験ってのは、筆記とか実技とかあるのか?」 「実技オンリーね」 「ま、それはどうでもよくて……」 小太刀がスカートのポケットから何かを取り出す。 軽い破裂音。 クラッカーから飛び出したリボンと紙吹雪が、ひらひらと俺の頭に乗った。 遅れて、火薬独特の香りがツンと鼻孔に届く。 「一次試験合格、おめでとー、おめでとー、おめでとー」 「おお、おめでとう、小太刀」 とりあえず祝っておく。 自分で自分のお祝いにクラッカーを鳴らすとは寂しい奴だ。 その上、デートをネタに俺を引っ張り出すとは、寂しすぎて涙も出ない。 「いや、受かったのはアンタだから」 「そうなんだ……って、はあ!?」 「だから、筧が羊飼いの一次試験に……」 「勝手に受験させるなよ、出願してないから」 寝耳に水過ぎて、冗談にしか聞こえない。 「したでしょ?」 「してねえよ」 「またまたー」 「いや、ほんとだから」 小太刀が、俺の顔を見て黙ること3秒。 「ま、いいわ。ボスに会えばわかるでしょ」 小太刀が立ち上がる。 「連れてってあげる」 「ボスってのは?」 「羊飼いで、私の上司で、私の試験監督」 「そう言われて、ついて行くと思うか?」 「あははは、警戒しないでよ」 「羊飼いは、人間の幸福のために活動してるんだから、危害なんて加えないって」 「ホントかよ」 「私が嘘ついたことあった? ……ああ、あるか」 自己完結した。 「ごめん、ついてきて下さい」 「筧を連れて行かないと、私が大目玉なの」 手を合わせられる。 やれやれだ。 「……怪しい話じゃないんだろうな?」 「変なもん売りつけられたりするのは困るぞ」 「大丈夫、私が保証する」 ま、助けると思って行ってやろう。 「わかったよ。付き合おう」 「そうこなくっちゃね」 ニッと笑い、小太刀は床に置いてあった本に近づく。 分厚い百科事典みたいな本で、がらんどうの部屋には、いかにも似合わない。 「何の本?」 「ひーみつ♪」 言いながら、ぱたりと本の中ごろを開き、やや黄ばんだページに左手を伏せて置いた。 「筧、カモン」 屈んだまま、小太刀が俺に右手を伸ばす。 「ボスに会いに行くんじゃないのか?」 「だから、こっちに来て」 「はあ」 意味不明だが、近づいてみる。 小太刀に手首を掴まれた。 「おい……」 「じゃ、行こっか」 瞬間、開いた本が眩い光を放った。 光はどんどん大きくなり、部屋の隅々までを白く塗りつぶしていく。 「ちょっと待て、どうなってんだ!?」 「筧でも慌てるんだね、かーわいー」 「アホか、ボスのとこ行くんじゃなかったのか」 「ちゃんと行くって……」 「筧の大好きな、魔法の図書館にね」 視界を覆っていた光が霧散していく。 「……」 現れたのは、見覚えのある光景だった。 何度も何度も夢に見た、魔法の図書館だ。 俺はまた夢を見ているのか? いや、違う。 目の前に小太刀がいるし、俺の手はまだ彼女に握られている。 伝わってくる体温も本物だ。 おそるおそる呼吸をしてみると、普通に息ができた。 「ようこそ、魔法の図書館……正しくは、祈りの図書館へ」 「これ、現実なのか?」 「もちろん。ほっぺたつねったげる?」 小太刀に頬をつねられた。 「あだだだ、古典的過ぎる」 痛覚はおいておくとして、記憶は連続している。 やはり現実なのか? 「どうやってここに来たんだ? 確か本に触って……」 「羊飼いは、本を出入り口にしてどこへでも移動できるの」 と、小太刀は足下を示す。 床には、2メートル四方はあろうかという本のレリーフがあった。 よく映画とか漫画に出てくるワープって奴だよな。 そんなのアリなのか? 現にこうやって移動している以上、信じるしかないのか? 「この図書館ってどこにあるんだ?」 携帯を見るが、ばっちり圏外である。 とすれば、地下か山奥か。 「ま、いきなりじゃびっくりするわよね」 苦笑しつつ、小太刀が解説をくれる。 それによると、まず、祈りの図書館は物理的に存在するものではないらしい。 簡単に言えば、人間一人一人の頭の中にあるということだ。 ……。 あらゆる人間は、無意識の領域で一つの精神世界を共有しているという。 例えるなら、各個人の足の裏から意識の糸が伸びていて、それら全てが世界の中心にあるたった一つの種に繋がっているイメージだ。 普通の人間は、意識の糸や種を認識することはできない。 祈りの図書館は、まさにその種の中に存在するという。 誰もの心の中にあるけど、誰も認識することができない。 それが祈りの図書館だ。 「いやぁ、そう言われても」 「いきなり納得はできないわよね」 「ただ、こうして今自分が立っていて、行き来ができるってのが全てかな」 「論より証拠だと」 「まあいいや……取りあえず話は聞くよ」 小太刀の言葉の真偽を判断するのは、それからでも遅くない。 「図書館ってのはどうやってできたんだ?」 「羊飼いが一生懸命、建てたのか?」 「ちょっとややこしいんだけど……」 「それは、私が説明しよう」 小太刀が説明しかけたところで、遠くから声が聞こえた。 声の主は、10メートルほど先に立っていた。 「あ、ボス」 「あれが上司?」 「そう。ほら、行くよ」 小太刀にせかされ、上司へ近づいていく。 歩いてくる俺たちを、その人は穏やかな表情で見つめている。 「やあ小太刀君。よく連れてきてくれたね」 おっさんが、俺に温和な笑顔を向ける。 「私は小太刀君の上司にあたる羊飼いで、羊飼い771号」 「本来、羊飼いには名前がないんだけど、番号をもじってナナイって呼ばれてる」 「初めまして、筧です」 「ははは、初めましてか……やっぱり、覚えていてはもらえなかったかな?」 ナナイさんが目を細めた。 「どこかでお会いしてましたっけ?」 「ずいぶん昔になるけど、本を読んでる君と話したことがあるんだ」 本を読んでいる? 「『君みたいに、必死な顔で本を読む子は初めて見たよ』ってね」 「あ……」 思わず、目を見開いた。 そう、そうだった。 頭の中で、ドミノが倒れるように記憶が蘇ってくる。 「なるほど。つまり君は、この世の全てが書かれている魔法の本が欲しいんだね?」 「うん、そうなんだ」 「おじさんは、その本の在処を知っているよ」 「本当?」 「魔法の本はね、魔法の図書館にあるんだ」 「でも、魔法の図書館には誰もが入れるわけじゃない」 「僕は入れるの?」 「それは、これからの君の努力次第だな」 「どうしたらいいの?」 「人に優しくすることだよ。心から人の幸せを願うんだ」 「よくわからない」 「ふふふ、いつかわかる日が来るよ」 「その日が来たらおじさんが迎えに来よう。そしたら、魔法の図書館に案内してあげる」 「うんっ」 「これは、図書館へのチケットだ。絶対になくしちゃいけないよ」 「あの時の、おっさん……」 「ははは、おっさんとは手厳しい。実際違いないけどね」 ナナイさんが苦笑する。 「じゃあ、俺がここに呼ばれたのは」 「君が、あの時の約束を守ってくれたからだ」 「人に優しくできたってことですか?」 優しいなんて馬鹿らしい。 俺は、自分のことしか考えていない人間だ。 「馬鹿らしいと思ってるだろう? 自分は利己的な人間だと」 見透かされた。 「でも、そう気づくことが大切なんだ」 「自分の至らない面に気づくことこそが、人に優しくする第一歩だよ」 ナナイさんが、俺と小太刀を見て言う。 どちらかと言えば、小太刀に向けて言っているようだ。 「ところで、図書館の成り立ちを説明してくれるって話でしたけど」 「ああ、そうだったね。ごめんごめん」 と、ナナイさんが説明を始める。 まずは、この図書館の成り立ちから。 図書館は、人がみな持っている『よりよく生きたい』という願いが集まって生まれたものらしい。 時代や地域、宗教を問わず、人は祈り、願う。 人類が生まれてから今まで、それこそ無数の祈りが、人類が共有する意識の中に降り積もっていった。 それら無数の願いが渦となり、例えれば、宇宙に漂うガスや塵の渦から新しい星が生まれるように── 1つの凝固点として図書館が生まれたということだ。 図書館がいつできたのか正確なことはわからない。 でも、人間社会にシャーマンが生まれた頃には、すでに存在していたと言われているらしい。 「ぼんやりした話ですね」 「百年崇められた巨木にだって神が宿るというだろう?」 「人類発生以来積み重ねられた祈りが図書館になっても、不思議はないだろう?」 「はあ……」 祈りの図書館には、人間の全ての過去と未来が書かれた本が収められている。 でも、それだけでは現実世界に何の影響も及ぼさない。 蔵書を読み、その知識を以て人々を手助けする存在が必要となる。 それが、羊飼いなのだ。 ナナイさんによれば、本1冊は、人間1人の人生に対応しているらしい。 中身は、簡単に言えば人生のフローチャートだ。 つまり『ここで、こうしたら、こうなる』という人生の分岐条件も把握できるということだ。 だからこそ羊飼いは、人間に的確なアドバイスができる。 「ここにある本には、今を生きる人間の全ての過去と未来が書かれている」 「筧君の言葉で表現するなら、魔法の本さ」 「僕たちは、その知識を人類の幸せのために使う」 「人をコントロールするのではなく、その人がより良い人生を送れるようサポートする」 「つまり、図書館や羊飼いは、人類の願いが生み出した『人類の奉仕者』なんだ」 温和な微笑を絶やさず、ナナイさんは語った。 「人ひとりの願いなんて塵みたいなもので、大した力はないかもしれない」 「でも、それが積み重なれば、誰か一人くらい幸せになってもいいと思う」 「たとえ願いが実現しなくても、願うことは無駄にはならない……そんな希望があったっていいんじゃないかな?」 大層な話になっているが、ピンとこない。 桜庭だったら、『馬鹿か?』で一蹴しそうな話だ。 「……」 正直、リアクションに困っていた。 だが、穏やかに語るナナイさんの表情に茶番っぽい雰囲気はない。 「まあ、口でいくら言ったところで、納得はしてもらえないだろうね」 「ええ、すみませんが」 「筧さあ、何で信じられないのよ」 小太刀がぶすっとした顔をした。 「私が図書部に送ったメールなんて、未来がわかってなきゃ送れないでしょ?」 「それに、筧だって未来予知をするときには、ここの幻影を見てたんでしょ?」 「いやまあそうだけど……」 いろいろ説明されたが、精神世界だの願いだの、証明できることは何もない。 しかし、俺は現に祈りの図書館に立っているのだ。 少なくとも、その経験を否定することはできなかった。 「まったく、どうして筧が一次試験合格なんですか?」 小太刀がナナイさんに食ってかかる。 「それを考えるのも、君にとってプラスになるだろうね」 「はあ……いつもの返しですね」 小太刀が、うへーという顔をした。 スルーしていたが、一次試験とかいう単語も出てたな。 「小太刀から一次試験がどうこうって話を聞いてるんですが、どういうことですか?」 「俺は、試験を受けた記憶なんてないんですが」 「そうか……」 ナナイさんが、少し困ったような顔をする。 「幼い頃の君との会話で、私は、君に羊飼いになる意思があるのかと思ってしまったんだ」 「だから、一次試験はあの時から始まったことになる」 「俺の知らないところで、いつの間にか試されていたってことですか」 「すまないけど、そういうことなんだ」 冒険小説のように、試験と称して障害をぶつけられたわけじゃない。 俺は俺の思うように生きて来ただけだから、問題ないだろう。 「いやまあ、害があったわけじゃないからいいですけど」 「で、めでたくも、筧は無事試験に合格したってわけ」 横合いから小太刀が口を挟んできた。 あまり機嫌が良くないらしい。 「一次試験って、どんな内容だったんですか?」 「昔伝えた通り、人に優しくすることだよ」 「優しくって言っても、人によって解釈が違うと思うんですが」 「基準は私の主観だよ」 「羊飼いの試験には、決まった形がなくてね」 「正式な羊飼いが、こうと決めればそれが試験になってしまうんだ」 いろいろと向こうの都合もあるらしい。 「さて、一番大切な話をしよう」 「筧君は、羊飼いになるための一次試験に合格した」 「望むのなら、最終試験を受けることができるけど、どうする?」 「最終試験に受かったら、羊飼いにならないといけないんですか?」 「どちらでも構わない。筧君の希望次第だ」 「試験に落ちたら?」 「別に健康を損なうわけでもないし、デメリットはないと思うよ」 「あ、もちろん試験は無料です」 ナナイさんが人の良さそうな笑みを見せる。 この人を見ていると、どうも厳しいことを言いにくくなるな。 「……課題の内容は?」 「今までと同様、『人に優しくし、誰もの幸せを願うこと』だね」 「具体的には……いや、具体的な指標はないんですよね?」 「うん。一定期間が経過したら、僕が個人的に判断するよ。もちろん途中で下りても構わない」 即断しかねた。 聞いた話はどうにもフワフワしているし、人をあっさり信じるほどピュアでもない。 可能性は残して保留というのが無難か。 「少し時間を下さい、ゆっくり考えてみます」 「ちょっと筧、何言ってんのよ。せっかく試験に受かったってのに」 「いや、自分から志願したわけじゃないし」 「普通に考えて、こんな話にホイホイ乗れるか」 「アンタ、私のボスが信じられないっての?」 小太刀が目を三角にして、腰に手を当てる。 「ま、迷うくらいならやめた方がいいかもね」 「羊飼いは、やる気がない人間がなるものじゃないから」 小太刀が挑戦的な言葉を投げつけてきた。 「小太刀君、乱暴なことを言ってはいけない」 「どうする、筧君? 返事は明日でも構いませんよ」 ナナイさんが再度押してきた。 「確認ですが、途中で降りてもいいんですよね?」 「もちろん。デメリットはありません」 なら、試しに受験ってのは悪くないのかもしれない。 もし合格しても、羊飼いになるかどうかは選べるのだ。 羊飼いのことはよくわからないが、貴重な体験ができると思えば損ではないだろう。 何より、さっきから俺を睨んでいる小太刀を黙らせることができる。 「じゃあ、試しに受験します」 「……はあ」 小太刀が大袈裟に溜息をついた。 「よかった。安心しました」 ナナイさんが目を細める。 アルカイックスマイルというのか、どっかの仏像のような微笑だった。 「それでは、今後のことは小太刀君に質問して下さい」 「小太刀君、よろしくお願いしますね」 「はい、精一杯頑張ります」 小太刀の返事を聞いてから、ナナイさんが俺に右手を差し出した。 羊飼いか。 どんな体温をしているんだろう? 「頑張ってみます」 差し障りのない答えを返し、ナナイさんの手を握る。 さらりとした感触。 手を握ったことすらすぐに忘れてしまいそうな手触りだった。 「……」 「どうしたんだい?」 「いえ」 手を離す。 「じゃあ筧、細かいことは戻ってから説明するから」 小太刀がナナイさんの前を辞する。 俺も、それに従った。 「ああ、筧君」 2、3歩進んでから呼び止められた。 「君に試験を受けてもらったのには、もう一つ大きな理由があるんだ」 「それは、君の本だよ」 「俺の?」 「君について書かれた本さ」 「そこに書かれていたんだ。君は立派な羊飼いになるってね」 「つまりそれは、確定した未来ってことですか?」 「違う違う、無数にある未来のうちの一つさ」 そう言って、ナナイさんは小さく手を振った。 「失礼します」 ナナイさんに頭を下げ、小太刀の後を追う。 「はい、到着〜」 現実世界への戻り方は往路と逆。 大きな本のレリーフの上に乗るだけだった。 「小太刀の部屋、だよな?」 「もちろん」 携帯を見ると、午後5時前だった。 小太刀の部屋に来たのが3時くらいだったから、2時間も経ってないのか。 ふと、窓の外から子供の遊ぶ声が聞こえた。 映画の主人公みたいな経験をしたのに、周りはいつも通り平和だった。 軽く目眩がしてくる。 「疲れた?」 「ああ、ひどいデートだったよ。退屈しなかったけどな」 「それは何より」 「なんか喉渇いた」 緊張のせいで、気がつかないうちに喉がからからになっていた。 「悪いけど、水かなんかくれる? 私も喉渇いちゃった」 「んじゃ、うち行こう」 「今日のエスコート料ってことで、ミネラルウォーターくらいはおごるから」 小太刀と共に、俺の家に移動する。 「しかし、暑い」 ミネラルウォーターを飲みつつ、クーラーを全開にした。 小太刀も、カットソーの裾をパタパタさせながら水を飲む。 「はーー、おいしっ!」 「スポドリのCMみたいだな」 「おっと、私にも清純系の芽が出てきたか」 こんなのが羊飼いだっていうのだから、世の中わからない。 「で、今後はどうすりゃいいんだ?」 「あー、試験の話ね」 もう一口水を飲んでから、小太刀は床にぺたりと座った。 「まず、私は試験監督ってことになってるから、きちんと敬うように」 「はいはい」 「で、羊飼いの説明はさっき受けたと思うけど、正直さっぱりでしょ?」 「さっぱりだな」 「実際、図書館や羊飼いの存在を科学的に説明することはできないわ」 「そもそも、あんたの未来予知だって、理屈は説明できないでしょ?」 「ああ」 理屈も証拠もないが、結果として未来を見ることはできた。 問い詰められればそう答えるしかない。 「だから、百聞は一見にしかずということで、明日から私の仕事に付き合ってもらうから」 「具体的には?」 ふむ、と小太刀が腕を組む。 豊かな胸が揺れた。 「この学園に正体不明の羊飼いがいるらしいの」 「そいつ……私は黒山羊って言ってるけど、黒山羊を学園から排除するのが私の仕事」 「ちなみに、これが私の最終試験の課題ね」 黒山羊を排除できれば、小太刀は羊飼いになれるってことか。 なら、協力してやりたい。 「黒山羊の手がかりは?」 「生徒会の裏にいるって情報があるわ」 「望月さん達か」 羊飼いが頑張ってる人のサポートをするのなら、望月さんあたりは格好のサポート対象だろう。 「黒山羊の目的とか人相とか性別は?」 「これから調査するところ」 「情報少ないな」 小太刀曰く、わかっているのは、黒山羊が他の羊飼いとほとんど接触を持たないこと。 そして、祈りの図書館にも稀にしか顔を出さないということだけらしい。 要は一匹狼なのだ。 「なんでまた、生徒会の裏にいることだけわかってるんだ?」 「さあ? 私に言われても」 「ナナイさんに聞いておいた方がいいぞ」 「はいはい、後でね」 「じゃ、俺は、黒山羊を学園から追っ払う手伝いをすればいいんだな?」 「ええ、筧と一緒にやるのは不本意だけど」 小太刀がペットボトルを潰す。 手伝うのはこっちなんだが……。 「嫌ならやめるけど?」 「ボスの命令なのよ、筧とやれって」 「(何で筧なんかと……)」 小声だが、しっかり聞こえていた。 今日は俺に対する当たりがきついな。 「俺、何かしたか?」 「別に」 「ただ、アンタみたいに意識が低いのが試験に受かったのが気に入らないだけ」 「俺だってなんで受かったかわからないんだ、八つ当たりは勘弁してくれ」 「大体、人に優しくとか無茶苦茶すぎる試験だろ」 「ナナイさん的には、どんな基準で優しさを見てるんだ?」 俺が人に優しいなんて、甚だ見当違いだ。 「さあ? 細かいところは私にもわかんない」 「ただ、一つ確かなのは〈依怙贔屓〉《えこひいき》しないことね」 小太刀が人差し指を立てる。 「私の解釈だと、家族も恋人も友達も他人も、全部平等に扱うってこと」 「誰かを選ぶってことは、その他を捨てるって話か」 小太刀がうなずく。 「その点、筧は才能あったんじゃない?」 「どういう意味だ?」 「図書部に入ってから今まで、誰とも特別な関係にならなかったでしょ」 「一次試験の監督として、あんたの行動をずっと見てきたけど、けっこうドライだしね」 「人を冷たい人間みたいに言うなよ」 苦笑しながらも、氷で首筋を撫でられた気分になっていた。 「まあ何だ、つまりアレか? 彼女も親友も作らなかったから合格したと」 「平たく言えば」 「馬鹿らしい」 「人間関係なんて、そんな風に見るもんじゃないだろ」 「つっても、いちいちウェットになってたら羊飼いなんてできないからね」 「私達はいつも、人類全体のことを考えなくちゃいけないの」 「人の未来がわかる存在が私情に流されたら、大変なことになるでしょ?」 「いくらでも悪用できそうな能力だしなあ」 あらゆる人の未来がわかるなら、それこそ世界を牛耳れるかもしれない。 「ちなみに、俺が試験に落ちてたらどうなってたんだ?」 「未来予知の能力もそのうち消えて、普通の人になるわね」 「普通か」 荒れた人生を送ってきたせいか、普通という言葉にはどことなく惹かれる部分もある。 「どっちが良かったんだろうな」 「あんたがどうかは知らないけど、私は普通なんてまっぴらよ。くだらない」 吐き捨てるように言う。 俺はどうだ? 羊飼いになりたいのか? 今のところ、なりたいとは思えない。 「んじゃ、私は帰るわ」 「どう取り組むかは筧の勝手だけど、邪魔だけはしないで」 「私は、試験に落ちるわけにはいかないから」 真剣な顔で念を押してくる。 冗談じゃなさそうだ。 「……それじゃ、お邪魔しました」 「明日の夜から仕事に入るから忘れないでね」 「わかった」 俺の返事を聞き、小太刀は部屋から出ていった。 平等、か。 さっきの小太刀の話が妙に胸に響いていた。 「図書部に入ってから今まで、誰とも特別な関係にならなかったでしょ」 「一次試験の監督として、あんたの行動をずっと見てきたけど、けっこうドライだしね」 期間内に彼女も親友も作らなかったから……合格。 なんだそりゃ。 人を捕まえて、ひどいことを言う。 大体、彼女を作るために図書部をやってるんじゃない。 図書部のメンバーは大事な友人だ。 誰が上とか下とか、特別とか普通とか、そういう関係じゃないんだ。 「……」 などと考えながらも、胸の奥で引っかかることは多々あった。 白崎達と出会ってから今まで、俺はいつも波風立てない道を選んでいなかったか? 波風を立てない、誰も特別扱いしない、平等── 言葉は違うが、共通するところがあるのかもしれない。 「……おのれ……」 筧は一次試験で落ちると思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。 大体、筧がボスに期待されてるのも気に入らない。 私だって真面目にやってるのに。 これで筧に負けた日には、もう自信喪失どころの話じゃない。 なんとかしなきゃ。 「……お」 きらりと、頭の中にアイデアが閃いた。 「ふふふ」 待ってなさい、筧。 どこまでも続く無限の本棚。 誰も知らないのに、誰もが知ってる。 どこにもないのに、どこにでもある魔法の図書館。 そこに隠された魔法の本には、世界の全てが書かれている。 世界はわからないことだらけ。 だからこの世は怖いことだらけ。 なのに、みんなは笑ってる。 なのに、みんなは楽しそう。 あるとき僕は気がついた。 みんなが笑っていられるのは、わからないことなんかないからだ。 みんなはきっと、魔法の本を持っているんだ。 僕も魔法の図書館に行きたい! そうすれば、きっと…… きっと…… 「夢か……」 久しぶりに見る── そして、ガキの頃から幾度となく見た魔法の図書館の夢だった。 いや、正確には祈りの図書館か。 ずっと夢に見ていたものが実在するなんて、それこそ夢のようだ。 しかし、嬉しいかと言われれば複雑だ。 そもそも、祈りの図書館は俺の逃げ道だった。 記憶にこびりついた四畳半。 屋敷の北端にあった薄暗い空間で、俺は理不尽な大人達に弄ばれながら幼少期を送った。 世界は敵だらけで、俺はさながら狼の中で孤立した羊。 戦うための牙はなく、ただただ周囲の大人達のご機嫌を取った。 頼ったのは本だ。 本を沢山読めば、大人達の気持ちがわかり、ご機嫌を取れると考えたのだ。 童話に毛が生えたようなものを読んでも、大人の気持ちなんかわからない。 それでも、幾度となく挑戦と失敗を繰り返し、結果として俺は大人達の呪縛から解放されていった。 羊でも、狼の中でやっていける! この成功体験が、心の平穏と読書を分かちがたく結びつけることになったのだ。 本を求める気持ちはより強くなり、魔法の本や魔法の図書館なんてものを夢に見るようになった。 ……。 年齢が上がり、四畳半の外に出たとき、俺は信じられないものを見る。 同年代のクラスメイトたちが、毎日楽しそうに生きているのだ。 当時の俺は、彼らが魔法の本を持っているからこそ気楽に暮らせるのだと考えた。 クラスでたった一人、魔法の本を持たない自分。 俺は、魔法の図書館に行く日を夢見た。 そこにたどり着かなければ、俺はずっと取り残されたままになってしまうから。 「……」 暗い幼少期だ。 夢を見た弾みで思い出してしまったが、もうしばらく思考に〈上〉《のぼ》せたくない。 大体、こんな人生を送る羽目になったのも…… 誰のせいだ? 腹に乗せていた本が、床に落ちた。 父親か。 顔も名前も覚えていないが、一体どんな人間だったのか。 嫁さんに次々と逃げられた挙げ句に、本人も蒸発。 もう無茶苦茶だ。 理不尽な大人のことを知りたいなら、まずこいつのことを知るべきだったのではないか。 などと思い少し思考を巡らせてみるが、見事に思い出せなかった。 要は、その程度の存在だったってことか。 「ん? なんだこれは」 愛用のノートPCを叩いていた桜庭が声を上げる。 「どうしたの?」 「依頼がきてるんだが、内容が……」 桜庭が、皆に見えるようPCをぐるりと回す。 「ええと……筧君を攻略したいので……」 「好みのタイプを教えて下さい……ですか」 ざわり……と、部室の空気が揺らいだ。 女性陣が真剣な顔になる。 「どうする、この依頼は?」 「普通に考えれば、悪戯ボックス行きですかねえ」 と、デスクトップのフォルダを指さす。 「ちょっと待ってよ佳奈ちゃん」 「本当に筧くんのことを好きな子の依頼だったらどうするの?」 「どうするんですか?」 「どうするんですか? 好みのタイプを教えて、さらにアタックしちゃったら?」 「え? ど、どうするって、それは……」 「た、玉藻ちゃーん」 後輩二人に見つめられ、白崎が桜庭に抱きついた。 「よしよし、怖かった怖かった」 「ま、悪戯としておくのが穏当だろうな」 白崎の胸を触りながら、桜庭が言う。 「あ、あの、玉藻ちゃん?」 「そこは頭を撫でるシチュエーションじゃ……」 「ああ、すまない、間違った」 桜庭が扇子を開いてパタパタする。 「筧さんって、好きな子いるんですかね?」 「年頃の男だ、もちろんいるだろう」 「そういうことじゃなく、この中にってことです」 鈴木の言葉に全員が一瞬真顔になる。 各自の思いは共通していた。 皆、筧を憎からず思っているし、その先を想像したこともあった。 筧の優しい言葉に胸が熱くなったこともある。 しかし、もう一歩足りない。 逆に言えば、もう一歩進めばうまく行きそうな気がしているのだ。 つまりは、友達以上恋人未満という言葉を地で行っていた。 「やっぱり、白崎じゃないか?」 「ええっ!? 玉藻ちゃんだよ」 「佳奈だよね?」 「いやいやいや、千莉でしょ」 「ううん、やっぱり、桜庭先輩ですよ」 「まさか、ここは鈴木だろ」 「やっぱりお姉様ですよ」 「絶対、佳奈ちゃんだって」 「いやいや……って、何周するんですか!?」 むずむずした気分で相手を立てる面々。 しかし、謙遜半分本気半分というのが実際のところだ。 それぞれ、漏れなく『もしかして行けちゃう? 行っちゃう?』などと妄想していた。 「ちなみに、筧さんの好みのタイプって知ってます?」 鈴木が全員に振る。 「さあ?」 「さあ?」 「さあ?」 三人が、同じ角度・方向に首をひねった。 「とするとアレですかね、実は女の子に興味がないとか?」 「それで、今までの煮え切らない態度にも説明がつくかと」 「まさか、筧の奴、高峰のことが……」 「そんな、まさか……」 「ま、本人に聞いてみるのが一番早いだろう」 「そろそろいらっしゃいますかね」 4日ぶりの図書館である。 購買のレジが激混みで遅くなってしまった。 「ういっす」 部室に入ると、みんなの視線が俺に集まった。 「筧くんって、高峰くんが好きなの?」 なんだそりゃ。 「別に嫌いじゃないが」 「ええっ!?(くらり)」 白崎が目眩を起こした。 「何なんだ一体……ほらギザ、どけ」 「ドゥフ」 俺の席にのさばっていたデブ猫をどかし、椅子に座る。 「筧、白崎のことは置いておいて、真面目な話だ」 桜庭が真剣な顔になる。 「好みのタイプについて聞かせてもらおう」 「なるほど……まずはどこが真面目なのか聞かせてくれ」 「これですよ、筧さん」 ノートPCを見せられた。 『筧さんの好みのタイプを教えて下さい』か。 「悪戯だな」 「やっぱり、そう思う?」 「悪戯じゃないにしても、部員個人についての依頼は受けない方がいいだろ?」 「全員のスリーサイズを聞かれたら、素直に答えるのか?」 女性陣が顔を見合わせた。 「何でもやるといっても、線引きは必要だな」 「うう……そうだね」 「依頼はともかく、筧先輩の好みのタイプって気になります」 「御園ってそういうの気にするの?」 「相手によりますけど」 そりゃどういう意味だ。 「で、筧さんの好みは? 可愛い後輩に教えて下さいよ」 「どうなの?」 「どうなんだ?」 4人がじりりと距離を詰めてくる。 「いや、特にこれと言っては」 明確な好みなど気にしたこともなかった。 今まで、誰にも執着することなく生きて来たのだ。 人は優しくするべき対象ではあったが、それ以上のものではなかった。 「筧は、前から好みの話をはぐらかす」 「恥ずかしがらなくていいんだよ、筧くん」 更に女の子がにじり寄ってくる。 面倒なことになって来た。 冷汗が垂れたところで、ドアが開いた。 「お、おう、高峰」 「く……いいところで」 女性陣が距離を取る。 「いやー、今日も暑いわなー」 言いながら、高峰の席に座っているギザをどかす。 「おふ……あふんっ」 「気色わりー猫だな」 席に着いた高峰が、缶コーヒー2本のうち1本を開けた。 「あー、そうそう、ちょっと聞いてよ」 「俺さあ、今年で退学になるらしいんだわ」 「へえ」 「災難だな」 「ですね」 ……。 …………。 「ええっ!?」 「なんだとっ!?」 二人がハモって立ち上がった。 「退学って言ったか?」 「ああ、退学」 「さっき生徒会に近い友達から聞いたんだけど、びっくりしちゃったよ、ははは」 軽く笑って、缶コーヒーに口をつけた。 「余裕でアフタヌーンショット決めてる場合じゃないよ、高峰くん」 「ま、騒いでもしょうがないじゃん」 「高峰……」 桜庭が身を乗り出す。 そして、缶コーヒーを持った高峰の手を掴み、机に置かせた。 高峰も真面目な顔になる。 「事情を聞かせてくれ」 「やれやれ、姫が本気じゃ仕方ないな」 高峰の友人の話によると、退学の理由は空手だった。 スポーツ推薦で入学したにもかかわらず、空手もやらずにプラプラしているのが問題となったらしい。 もし学園に残りたいなら、他の専攻への転部試験に合格する必要があるとのことだ。 ちなみに、この処置は高峰だけではなく、似たような状況にある生徒すべてに適応される。 予備調査として生徒会が作成したリストの中に、高峰の名前があったらしい。 「だったら、転部試験に受かればいいんですね」 「無理無理無理、俺、馬鹿だし」 「努力もせずに諦めるな」 「桜庭ちゃんよ……できることと、できないことってのがあるんだぜ?」 「そもそも、スポーツ推薦でなきゃ、こんなハイレベルな学園入れなかったわけだし」 桜庭が黙った。 実際、汐美学園に一般入試で合格するのは大変だ。 かなり偏差値が高い生徒しか合格できない。 おまけに、転部は入学よりハードルが高いと来ている。 で、高峰の学力はといえば、全国的に見て平均より低かったはずだ。 転部への道のりは、根性論ではどうにもならないほど険しい。 桜庭だってわかっているのだろうが、彼女のまっすぐさが、思わず口から出たのだろう。 「私も、歌がなければここにいられません」 「御園ちゃんも気をつけなよ」 いつもは高峰に毒舌をぶつけている御園も、このときばかりは悲しげに眉を歪めた。 「高峰くん、諦めちゃだめ」 「いや、だから勉強は……」 「勉強は駄目かもだけど、その前に生徒会に相談に行こうよ」 「ちゃんと事情を聞いて、向こうがおかしいなら取り消してもらわないと」 白崎が強い調子で言う。 「まずは事実確認からか」 女性陣がうんうんうなずく。 そんな様子を、高峰は少しだけ目を細めて見ている。 「なんか悪いねえ、面倒かけて」 どこまでも軽い調子の高峰。 放っておいたら、何もせずにさらりと学園から消えてしまいそうだ。 「馬鹿かお前は、仲間のピンチだぞ」 「高峰さんも、ちょっと気合い入れて下さいよ」 「わかってるって」 「早速、放課後から動くか?」 「早い方がいいだろうな」 「了解。望月さんにメールしておくよ」 望月さんか。 そういや、小太刀が追ってる黒山羊って奴は生徒会の裏にいるんだったよな。 ついでに様子を窺ってみるか。 生徒会にアポイントを取り、事務棟に来たのは16時前。 大人数で押しかけるもの変なので、メンバーは白崎、桜庭、俺の3人だ。 高峰本人は、当事者が行くと荒れるから、という理由で部室で待機している。 「当の本人が来ないというのも間が抜けた話だ」 「一番大変なのは、高峰くんなのにね」 「あいつなりに、気を遣ってるんだろ」 昼休み、話し合いをする女性陣に目を細めていた高峰を思い出す。 まるで眩しいものを見ているかのようだった。 「本人が気楽なんだから、俺たちも気楽に行こう」 「高峰だって、これからずっとシリアスになられちゃ息苦しくなると思うぞ」 「そうだね。まだ決まったわけじゃないんだし」 「失礼します、図書部の白崎です」 白崎を先頭に生徒会室に入った。 「お久しぶり、図書部の皆さん」 「夏祭りでは、ずいぶんとご活躍だったようね」 「お陰様で、いろいろなところから声をかけてもらえました」 「それは何よりでした」 望月さんが笑ってうなずく。 そんな望月さんの後ろには、副会長の多岐川さんが控えている。 「今日は時間がありませんので、よろしければ本題に入っていただいてよろしいですか?」 「そうね。ご用件は?」 「ウチの高峰の件だが……」 桜庭が話を切り出す。 望月さんは、いつもの鷹揚な姿勢を崩さず、適度に相づちを打って聞いている。 対して、後ろに控える多岐川さんは無表情。 「……」 多岐川さんと目が合った。 少し視線を合わせる。 時間にして2秒程度の後、向こうが目を逸らした。 あまり歓迎されていないのがわかった。 しかも、多岐川さんは桜庭の話に集中していないときた。 「なるほど……話はわかったわ」 「どうやら、私達の近くに気の早い人間がいたみたいね」 望月さんが微笑んだ。 誰かが情報をリークしたと言っているのだ。 「最初に言っておくと、そのプランはまだ検討段階なの」 「汐美祭の準備で忙しくなっているし、少なくとも私の代で決定されることはないわ」 望月さんの任期は、おおむね9月一杯だ。 10月上旬には生徒会選挙が実施され、世代交代となる。 今までの伝統を考えれば、次の生徒会長は副会長の多岐川さんだろう。 「でも、検討はしてるんですよね? どんな方針で考えてるんですか?」 「私からご説明しましょう」 多岐川さんが、少し首を傾けて微笑んだ。 髪がさらりと揺れる。 彼女の説明はこうだった── 努力に結果が伴わないことは往々にしてある。 それを責めようとは思わない。 でも、努力をしていない人間にコストをかけるほど、この学園も生徒会も甘くない。 推薦で入学したにもかかわらず、遊んでいる生徒にかかる経費は完全に無駄である。 そういった生徒には学園を辞めてもらい、浮いた経費を一生懸命努力している生徒に分配したい。 また、遊んでいる人間がいることは、互いに切磋琢磨しようという学園の雰囲気を悪くする。 人間は楽な方に流れる生き物だし、堕落する要素はできる限りなくしておきたい。 「『生徒は常に能力向上を目指すべきであり、さもなければ他の学園に通えばよい』というのが、汐美学園の基本方針です」 「その観点からも、適切なプランだと思っています」 多岐川さんが、淀みなく自説を述べた。 言葉を探す場面もなかったし、いつでも言えるように準備しているのだろう。 そして、内容にも筋が通っていた。 普通の学園ならスパルタ過ぎると問題になるだろうが、ここは汐美学園だ。 怠惰な人間は存在してはならない場所だった。 もし高峰が当事者でなかったら、俺も賛成していただろう。 「仰ることはわかるんですが、少し厳しすぎるんじゃないでしょうか?」 「優れた結果を残す近道は、まず優れた環境に身を置くことです」 「とすれば、私達としては優れた環境を作れるよう努力しなくてはなりません」 「それが、私達を生徒会役員に選んでくれた皆さんに対する義務です」 「誰でも挫折することはあると思います」 「そんなとき、すぐに切り捨てられてしまうような学園は、優れた環境とは言えないと思いますが」 「再チャレンジの機会ということなら、他の専攻への転入試験を考えています」 白崎の反応は予想済みとばかり、多岐川さんはさらりとかわす。 「スポーツ推薦で入った人間に、転入試験は厳しすぎるんじゃないか?」 「スポーツ推薦の方は、勉強ができないと言うんですか? 侮辱では?」 「それは揚げ足取りだ」 「一つのことに打ち込めば打ち込むほど他に回す時間は減る、というだけのことを言っている」 「毎日、絵画に打ち込んでいたら、なかなか学問へは手が回らないだろう」 「そこを踏まえて、例えばボーダーを下げるなどの対処をしたらどうだ?」 桜庭がしっかりと反論した。 「お二人とも、できるだけ生徒を残したいからこその意見ですよね」 「私は削りたい側の人間なんです。前提が違いますよ」 「前提は変えられないのか?」 「変えられません。私には私の理想があります」 ぴしゃりと言った。 「……」 望月さんが黙ったまま腕を組む。 何か言いたそうだが。 「でも、運動をやめた人にだって、それぞれ事情があるだろうし」 「怪我とか家庭の事情とか、どうしようもない理由で運動できない人もいるはずです」 「そこでやめてしまうなら、それまでじゃないでしょうか?」 「怪我から立ち直った選手も沢山いるはずです」 「それに、私は結果で判断するとは言っていません」 「努力していない人には辞めてほしいと言っているだけです」 「過激だなあ」 「理想の学園を作るためです」 「多岐川さんの理想が、みんなの理想とは限らないけどね」 「……」 激しく睨まれた。 望月さんと比べると余裕がないな。 理想主義というか思い込みが強いというか。 他人に弱みを見せたくないタイプかもしれない。 「なんのかんの言っても、本決まりじゃないんですよね?」 「ええ。その通りよ」 「つまり……」 「私が生徒会長にならなければ、廃案になるかもしれないですね」 「逆に言えば、私が生徒会長になった暁には必ずこのプランを実施します」 「どうしても止めたいのなら、生徒会選挙に立候補して私に勝つことです」 「多岐川さん」 話を大きくした多岐川さんを、望月さんがたしなめた。 「望月さん、弱腰では改革はできません」 「それとも、私が選挙で負けるとお思いですか?」 「選挙で白黒つけるのではなく、まずは話し合うのが理想じゃない?」 「それにね、図書部とは互いに補い合って活動していきたいの」 さすがは現生徒会長。 落ち着きが違う。 「筧さんがいるからですよね」 「ち、違うわよ。そんな公私混同はしないわ」 顔を赤くする望月さん。 ぜんぜん落ち着いてなかった。 「望月さんには私がついてます。どうしてあんな男を」 「(……あんな?)」 「なんか、もめてるね」 「まったく、女同士で気持ち悪い。なあ筧」 「いや、桜庭が言うなよ」 「な、何言ってるんだ。私はあれだ、もう少し侘びさびがある」 「それに、男子にだってきちんと興味がある」 そりゃそうだろうけど、胸を張って言われてもなあ。 「ともかく、私は主張を変えるつもりはありません」 「ご都合が悪いのなら、正当な手続きで止めてみて下さい」 「どうです白崎さんも生徒会長に立候補しては?」 明らかに挑発されていた。 多岐川さんは、何でわざわざ敵を作ろうとするんだ。 仮に、多岐川さんの勝利が決定的だったとしても得策ではない。 俺たちを選挙に引っ張り出していいことがあるのか? 白崎を見ると、興奮気味の顔をしていた。 「白崎、今日は一旦帰ろう」 「でも、このままじゃ高峰くんが」 「白崎が立候補しなくても手はある」 「要は彼女が次の生徒会長にならなければいいだけの話だ」 「私だって、生徒会長になるような器じゃないよ」 「だけど、他人任せにしたら、負けたときに後悔するから」 確かにその通りだ。 自分たちが矢面に立たず、結果として高峰が放校になったら夢見が悪いだろう。 「私は生徒会選挙に立候補します」 「選挙で白黒つけましょう」 「ちょっと待て」 「白崎、よく考えて返事をしろ」 「考えてるよ」 「高峰くんを放っておけないでしょ。それだけで十分」 こういうときの白崎は、計算や打算は一切捨ててしまう。 感情論の王道をばく進する、困った部長だ。 ともかくも、ここで返事をする必要はない。 まずは引き取ろう。 「ま、今日は事情を聞きに来ただけだし、一旦帰ろう」 「白崎さん、今ここで立候補手続きをしてもらってもいいですよ」 「望むところです」 「待て待て待て待て」 挑発してくる多岐川さんをちょっと睨んで牽制する。 「望月さん、多岐川さん、忙しいところ時間を取ってもらってありがとう」 「ああ、お陰で状況は飲み込めた」 二人がかりで話を打ち切りにかかる。 「いえ……ごめんなさい、妙なことになってしまって」 「では、私も仕事がありますから」 望月さんも協力してくれた。 彼女にしても、予想外の方向に話が進んでしまったようだ。 「それじゃ、失礼する……ほら白崎、行こう」 「うん……」 「ご機嫌よう、図書部の皆さん」 多岐川さんの笑顔に見送られ、生徒会室のドアに向かう。 つと、桜庭が隣に並んだ。 「(話を切ってくれて助かった)」 「(勢いで話が進みそうだったからな)」 「(一緒に来てもらって良かった)」 そう言って、桜庭は目を細めた。 「葵、どういうつもりなの?」 図書部の面々が出て行くのを待ちかねたかのように、望月は多岐川に向き合った。 「私、何か間違ったことを言いましたか?」 「不適格な生徒の退学処分は、重々検討した上での結論です」 多岐川は、尊敬する先輩の視線にも動じない。 「私は、生徒の反応を見ながら、少しずつ進められればと思っていたのに」 「望月さんは、最後までその姿勢でいて下さい」 「貧乏くじは私の代が引きますから」 澄んだ笑顔を向けられ、望月は思わず目を逸らす。 自由な毎日に埋没してしまう生徒の存在は、特別生徒という慇懃無礼な名前までつけ、昔から問題になってきた。 生徒会用語でいう、特生対策だ。 人は時間と共に変わる。 学園がどれだけ注意を喚起しても、様々な事情で努力を続けられない生徒が出るのは当然だった。 今回のような対処は、何度も俎上に上っては先送りにされてきた。 いわば、国政の増税法案のようなもので、代々の生徒会役員が受け継いできた時限爆弾である。 それを、多岐川は自分の代で引き受けるという。 「美談にしてしまってますけど、私の野望でもあるんです」 「この学園を世界レベルにしたのは、あの生徒会だって言われたいですから」 健気な笑顔を作りながら、多岐川は自分の野望のいくつかを伏せていた。 とても望月には聞かせられない内容だったからだ。 「……」 筧が先程言った通り、それは多岐川の理想ではないかと、望月は思う。 しかし、望月は口にはしない。 自分は、汐美祭を最後に引退する身だ。 特生対策を実施するのが多岐川なら、自分はとやかく言うべきではないのかもしれない。 いや、多岐川の暴走を止めるのは、教育してきた自分の責任ではないのか? そんな逡巡が、彼女の胸をかき回していた。 「ともかく、何をするにしても生徒会役員の本分を忘れないで」 「生徒会役員が学園を作るのではない、生徒が学園を作るのだ……ですね」 「ごめんね、熱くなっちゃって」 部室で事情を説明するなり、白崎が頭を下げた。 「いや、つぐみちゃん、謝るのはこっちだよ」 「そもそも、俺の自業自得なんだから、気にしなくていいんだぜ?」 高峰がフォローする。 「高峰先輩、今から空手は頑張れないんですか?」 「……」 高峰には珍しく、一瞬無言になった。 「……悪い。事情があってな」 高峰が空手を辞めた理由は、怪我としか聞いていなかった。 もっと深い事情があるのかもしれない。 「あー、こんなことなら、黙っときゃよかった」 「それは違うぞ、高峰」 桜庭がぴしゃりと言う。 「お前は仲間だ。だからお前の問題はみんなの問題だ」 「……まったく……熱血女め」 「あのな、こっちがどれだけ心配していると……」 「まあまあまあまあ、まあまあまあまあ」 佳奈すけが割って入る。 「ここで桜庭さんに問題です」 「私は今、何回『まあ』と言ったでしょう?」 「8回」 「正解っ!」 「では、喧嘩を続けて下さい……って当てちゃ駄目ですよ」 「佳奈、何がしたいの?」 御園が冷たい視線を注ぐ。 「でも、白崎は本気で立候補するつもりなのか?」 「だって、それ以外に退学を止められないみたいだし」 「恥ずかしい写真でも撮って、ちょっと相談させてもらえばいけるかもな」 「本人じゃなく、友人や家族から追い込んでいくとか」 「多岐川先輩の家の近所に嫌がらせの張り紙をしますか」 「サラ金の取り立てか」 「実際にやれば、年末を待たずに退学になるだろうな」 「曲がったことはしちゃ駄目だよ」 「あははは、ですよね」 白崎の性格上、正攻法しか採用しないだろう。 「しかし白崎、お前は当選したらどうするんだ?」 「どうするって……どういうこと?」 「生徒会長になるんだぞ? 望月と同じ立場になるんだ」 「学園の未来についてビジョンはあるのか? 他の役員はどうする?」 退学の話については、白崎が当選した瞬間に解決すると言っていい。 では、それから先の1年間、白崎はどのように学園を導いていくのか。 『高峰の退学は防ぎたいけど、学園のことは考えてません』では通らないだろう。 そもそも、主張がなくては選挙戦を戦えない。 「今までと変わらないよ?」 「この学園が楽しくなるように、一つ一つ考えていくつもり」 「少なくとも、退学者を沢山出すような学園にはしたくないかな」 「予想通りの答えです」 溜息が漏れた。 「あ、あれ? 駄目?」 「駄目ということはないが……」 「ざっくりしてるな」 「ビジョンはざっくりでいいんじゃないですか? むしろ、ブレないことこそ重要っていうか」 佳奈すけがフォローした。 「図書部の活動だって、その場その場で考えてきたんだよ」 「だから、生徒会もなんとかなると言うのか?」 「第一、図書部は白崎だけで活動しているわけじゃないだろう」 桜庭の口調が強くなる。 自惚れでもなんでもなく、みんながいたから図書部はやってこられた。 それは、白崎だってわかっているだろう。 「そっか……会長になったら、私一人で考えないといけないんだね……」 「馬鹿を言うな、白崎には私がいる」 「どっちなんだよ!?」 「いや、どんな状況になっても白崎を助けるのが私だった。問題あるか?」 「はあ、まあ、お好きにどうぞ」 「頼られたいだけですね」 「千莉、本当のこと言っちゃ駄目だから」 後輩にまで見透かされているし。 「そっか……そうだよね……」 独り言のように言って、白崎が黙り込む。 「白崎、私は何があっても応援する」 「玉藻ちゃん、ありがとうね」 「でも、やっぱり少し考えてみるよ」 「私だけならまだしも、みんなを巻き込んじゃうかもしれないし、図書部の活動もあるし」 白崎が寂しげに笑う。 部室がしん、となった。 冷静になれと主張したのはこっちなのに、いざ白崎がしょげると悪いことをしたような気持ちになる。 「あの……言い過ぎたかもしれません」 「ううん、みんなの言うことは間違ってないよ」 笑顔で返され、御園は言葉を継げなくなる。 「さて、今日は今日の活動をしようか」 「そうだな……では、結論はまた後日ということで」 「今日も簡単な依頼がいくつか来ている。PCを見てくれ」 みんなが曖昧にうなずき、この日の図書部の活動が始まった。 事務作業を始めて3時間。 トイレに行こうと廊下に出た。 「あ、筧先輩」 御園と遭遇した。 今日の御園は、写真展のアンケート集計に行っていたはずだ。 「手伝いはもう終わったの?」 「はい、アンケートの数が少なかったのですぐでした」 「お疲れさん」 「いえ、大したことありません」 最近の御園は、積極的に図書部の活動に参加している。 なおかつ、授業もそこそこ真面目にやっているらしい。 「それより、あれから白崎先輩は?」 「なんも言ってない。悩んでるみたい」 「そうですか」 顎に手を当てて少し考え込む御園。 「即決されるのも困るんですが、それはそれで白崎先輩らしいのかとも思って」 「どうしたらいいのか自分でもわからなくて」 聞いてもいないのに喋りだした。 アンケート集計をしている間、悶々としていたのだろう。 「筧先輩は……」 そこまで一気に言って、御園はハッとなった。 「いえ……すみません、一人で喋っちゃって」 顔を真っ赤にして縮こまる。 御園をドライだと言う人もいるが、実際はそうでもない。 ……とまあ、それはそれとしてトイレに行きたいのだが。 「ははは、別にいいけど」 「何ですかその笑いは」 「困ってる後輩を見るのがそんなに楽しいですか」 「楽しいな」 御園の目が鬼のように冷たくなった。 高峰なら身もだえするに違いない。 「はぁ、嫌になります」 「筧先輩には、言わなくていいことばかり言って」 「頼れるお兄さんみたいに見えるのかも」 「褒められてると思っていいのかな?」 「もちろん」 御園がくすりと笑う。 「代わりに、筧先輩の言わなくていいことも聞かせて下さい」 「例えば?」 「好みのタイプとか」 「今日、はぐらかしましたよね?」 上目遣いに見てくる。 ここまでの話の流れが計算済みなら恐ろしい話だ。 ……さて、それはそれとして、下腹部の限界が近い。 「いやまあ、今もはぐらかすけどね」 「ここだけの話にします」 「どうしてそんなに知りたいんだ?」 「え? ……ええと……」 「実は、先輩の弱みを握れるからとか」 「違いますっ、気になるからですっ」 慌てて叫ぶ。 ……。 「……なな、なんて、誰かが言ってました」 「ま、何事も精進精進」 いい加減限界なので、御園の頭をぽんぽん撫でてから脇を通り過ぎる。 「あ、先輩、待って下さい」 「いや、実はさ、トイレに行こうと思ってて、そろそろ……」 「……え?」 「うあ……すみません」 「じゃ、そういうわけで」 しゅたっとトイレに走る。 ……。 …………。 「……あ、逃げられた」 「んじゃ、帰ろーぜー」 21時過ぎ、帰り支度を整えたみんなが立ち上がった。 今夜は小太刀との仕事がある。 まずは一人になり、彼女を呼び出さなくてはならない。 「あ、俺は本を探してくんで、もう少しいるわ」 「じゃあ筧くん、また明日ね」 活動中も、白崎は時折遠い目をしていた。 立候補について悩んでいるのは明らかだ。 「白崎、大丈夫か?」 「うん、もちろんだよ」 「それじゃ、また明日ね」 「ああ、また明日」 それぞれ別れの挨拶を交わし、部屋から出て行く。 部室には、俺一人が残された。 さて……。 みんなが帰ったことを、さっそく小太刀にメールする。 すぐにメールが返ってきた。 『遅いじゃない! まあいいや、今すぐ行く』 ちょっと待たせてしまったらしい。 謝っておこう……。 「!?」 突然、何かが光った。 咄嗟に目をつむる。 「あだっ……引っかかった。あれ? ちょっと」 なんか聞き慣れた声がするが。 おそるおそる目を開く。 「おわあっ!!」 部室の奥の床から、小太刀の上半身がのぞいていた。 「こ、小太刀。おまえ……生きてるのか?」 「はあ? あ、筧、手伝って」 上半身が、俺に手を伸ばしてくる。 よくよく見れば、床の上で開かれた百科事典から小太刀の上半身が生えていた。 「お前さ、ホラー映画のアレみたいな登場するなよ」 「あはは、びっくりした?」 「(百科事典も通らないか……ダイエットかなあ)」 一人でブツブツ言っている。 「で、どうすりゃいいんだ?」 「引っ張って」 「はいよ」 小太刀の手を取り、引っ張る。 「あだだだだっ」 「あ、もうちょっと……いい感じ、おっけーおっけー」 引っ張っていた腕から、突然抵抗が消えた。 「ひゃあっ!?」 小太刀もろとも、仰向けに転倒。 「ごふっ!?」 激しいボディプレスをくらい、口から腹の中身が飛び出しそうになった。 「あたたた……ベタな展開すぎて死にたい」 「こっちは物理的に死にかけたわ」 頭だけを持ち上げると、小太刀が俺の腹の上に座っていた。 パンツが見える角度なので、もう一度仰向けになって天井を見る。 「ごめんねー、引っかかるとは思わなかった」 「それはいいから、まず下りろや」 「はいはい。悪かったわね、重くて」 乗っていた体重が消えた。 「小太刀、怪我はないか?」 立ち上がりながら尋ねる。 「大丈夫。そっちは?」 「平気」 「それより、心臓に悪いから、いきなり出るのはやめてくれよな」 「いやー、すんません」 悪びれた様子もない小太刀。 まあいいか。 「さて、調査に行こう。望月さん達が帰る前に張り込まないと」 「あ、そーね」 机から落ちたものを整理し、部室を出る。 15分後。 俺と小太刀は、事務棟の入口が見える木陰にいた。 出てくる生徒会役員を観察するためだ。 ターゲットの登場を待つ間、昼間の件を小太刀に説明しておく。 「ふうん。言われてみれば妙ね、その多岐川って女」 「ああ、明らかに白崎を挑発してきた。敵を増やしてもメリットはないはずなんだ」 「黒山羊が絡んでる可能性も否定できないか」 「かもな」 小太刀が神妙な顔で事務棟を見る。 22時近くだというのに、まだ煌々と明りが点っている。 生徒会室がある階も例外ではない。 汐美祭の準備で忙しいのだろう。 「そういや、多岐川さんが怪しいかどうかなんて、本を読めばわかるんじゃないのか?」 「その人の人生の全てが書かれてるんだろ?」 小太刀が、なぜかぶすっとした顔をする。 「私は仮免だから、許可された人以外の本を閲覧できないの」 「だから、宝くじ当てる方法を教えろとか言われても無理だからね」 残念。 ……あれ? ちょっと待て。 「小太刀が図書部に変なメール送ってた頃って、本を見て俺たちの状況を把握してたんじゃないのか?」 だからこそ、適切なタイミングで俺たちを誘導するメールを打てた。 「そうなんだけどー、あの後ボスに怒られたのよ。お前の仕事は違うだろって」 「で、関係ない人の本は読めなくなったの」 「それ、仮免だからじゃなくて自業自得だから」 「うっさいわね」 口をとがらす小太刀。 「じゃあ、ナナイさんから本の情報を流してもらうってのはどうだ?」 「そしたら、黒山羊の正体も一発だろ?」 「閲覧権限がないってことは、情報ももらえないってことよ」 「ナナイさんに黒山羊を探してもらえよ」 「黒山羊探しは私の試験なの。ボスを頼ったら不合格になっちゃうわよ」 「今は言われたようにやるしかないわ」 「……ならしゃーないか」 自力で探すことが課題なのか。 試験のネタにするくらいなんだから、黒山羊ってのは大した奴じゃないんだろう。 世界征服を企む凶悪犯とかなら、ナナイさんが放っておくわけがない。 「で、白崎は挑発に乗ったの?」 「いや、立候補するかはまだ迷ってる」 「今回ばかりは、周りを巻き込むからって」 「そんなん今更じゃん。なにカマトトぶってんのよ」 「お前と違ってデリカシーがあるんだろ」 「ああん?」 「おふっ!?」 脇腹に手刀を入れられた。 「で、あんたらどうすんの? 立候補させんの?」 「誰かが多岐川を止めないと、高峰が放校なんでしょ?」 「ああ、誰かが止めないとな」 じゃあ誰が? 図書部から立候補者を選べと言われりゃ、やっぱ白崎か。 学園での知名度もあいつが一番だ。 だが、白崎が当選でもすれば、俺たちも生徒会役員になる可能性が出てくる。 その覚悟があるのか。 「ま、私としちゃ、図書部全員で頑張ってほしいわね」 「俺たちの本に、その方がいいとでも書いてあったのか?」 「筧が誰かとくっつけば、試験に落ちるでしょ」 小太刀がヘラヘラ笑う。 「ひでえ野郎だ」 「あれ? 試験に受かる気満々?」 「それとも、さっそく彼女候補でもできたの?」 「ちげーよ。ただ、落ちろと言われるとイラっと来るだろ」 「ったく、甲斐性ないわね」 完全に余計なお世話だ。 今のところ、羊飼いになりたいわけじゃない。 だが、それと彼女を作る作らないは無関係だ。 俺が俺の意思で決める。 「あ」 小太刀が、突然声を上げた。 「どうした?」 「虫除けスプレー忘れた」 「どうでもいいわ」 「よくないわよ、虫さされの跡ってかっこわるいじゃない」 「筧、血液型は?」 「O」 「よし、だったら、先にやられるのはそっちだね。奴らをよろしく」 「はいはい」 「んじゃなんだ、俺が敵を引きつけてるから小太刀はその間に逃げてくれ」 適当に棒読みで言う。 「ひゅー、すてきー」 しかし、小太刀はリラックスムードだな。 黒山羊を追う仕事ってのは、実はたいしたことないのか? 「生徒会も出てこないし、質問いいか?」 どうぞ、と目で言われる。 「羊飼いって、何ができて何ができないんだ?」 「その辺のことがわからないと、羊飼いになるかどうか検討できないし」 「あー、そうねえ……」 「人の未来が書かれた本が読めるって話はボスがしたわよね?」 「ああ。その知識を使って、人をより良い人生に導くんだったな」 たしか、人類の奉仕者とか言っていた。 「それが一番大切な能力ね。あと、補足があるとすれば……」 小太刀が腕を組んで説明してくれる。 「本を出入り口にした移動と、寿命とか病気とか身体的な束縛から逃れられることかな」 「あと、一定時間で人の記憶から消えるっていうのもあるわね」 「ああ……」 夏休みに入る前、小太刀のことを図書部の奴らが忘れてたことがあった。 小太刀の正体を見破る、大きな手がかりの一つだったな。 ……ふと、疑問にぶつかる。 「だったら、俺はどうしてナナイさんとの会話を覚えてるんだ? 子供の頃の話だぞ」 「それは私も気になってたの。何か心当たりはない?」 あの人と接触したのは、ただの1回。 何年も前に、羊飼いの試験を課された時だけだ。 あの時、何を話し、何をしたのか。 「そうだ……」 鞄の中から読みかけの本を取り出す。 そして、愛用の栞を引き抜いた。 「これ、ナナイさんからもらったんだ」 「見せて」 古ぼけた栞を、ためつすがめつ観察する小太刀。 「ああ、ズバリこれね」 「どういうこと?」 「うーんと、どっから説明したらいいかな……」 と、考えてから、小太刀が口を開いた。 「祈りの図書館には、全ての人間について書かれた本があるって言ったでしょ?」 「つまり、筧なら筧、白崎なら白崎ってタイトルの本があるってわけね」 「そいつの人生の全てが書かれてるわけだな?」 小太刀がうなずく。 「つまり、本っていうのは存在の証明とも言えるんだけど、羊飼いには自分の本がないのよ」 「正確には、羊飼いになるときに自分の本を抹消するの」 「だから、羊飼いは人の記憶に残らなくなるし、寿命もなくなるし……つまり、人という存在を超越すると」 「はあ、なるほどな」 「で、栞は、おそらくナナイさんの本の欠片なのよ」 「そいつを持っていたから、記憶が微妙に残ったと?」 「だと思う」 栞をよく見てみる。 言われてみれば、古文書の切れ端に見えなくもない。 「それ、すごく特別なものだからね。大事にして」 「ああ」 そんなこと言われてもなあ、と思いつつ栞をしまう。 「はあ……ボスはなんで筧なんかに目をかけるんだろう」 「聞こえてる」 「聞こえるように言ってるから」 ふん、と粗く鼻息をついた。 「あ!」 「ん? 蚊に刺されたか?」 「ばっか、生徒会が出てきたの」 小太刀が事務棟のエントランスを顎で指す。 見れば、望月さんと多岐川さんが出てくるところだった。 「尾行する?」 「手がかりもないし、まずは試してみよう」 「じゃあ私が先に行くわー。筧は面が割れてるでしょ?」 「頼んだ。俺は時間を開けてついて行くよ」 「おっけー」 やがて、俺たちの前を二人が通り過ぎていく。 「大丈夫よ、あなたの思うようにしなさい。責任は私が取るから」 「ありがとうございます。でも、望月さんにご迷惑が……」 「いいのよ。気にしないで」 望月さんが、多岐川さんの肩を軽く撫でた。 「(仲いいみたいじゃない?)」 「(みたいだな)」 数時間前に話をしたときは、多岐川さんから望月さんへの一歩通行という感じだった。 でも、今の印象ではお互い大切に思っているようだ。 もちろん、愛情ではなく、先輩後輩の信頼という意味で。 「(さーて、ミッション開始ね)」 二人が通り過ぎて1分ほど。 小太刀が立ち上がった。 尾行が始まり、しばらく時間が経過した。 望月・多岐川←小太刀←俺、という尾行の並びは変わっていない。 「おっと」 15メートルほど先を歩く小太刀が、街路樹に隠れた。 俺もすぐに隠れる。 生徒会の二人が、正門前で立ち止まったのだ。 そのまま数分。 多岐川さんが頭を下げ、学生寮方面に歩きだす。 ここでお別れか。 「……?」 望月さんが、街の方角に10メートルほど歩いてから足を止めた。 何か迷っているように周囲を窺い、学生寮の方角へ歩き始める。 何をするつもりだろう? 前にいる小太刀が俺を見た。 ジェスチャーで、行け、と告げる。 学生寮が林立するエリアに入ったところで、望月さんは建物の陰に身を隠した。 別の場所に隠れている小太刀と合流する。 「(筧、あの人、なんで尾行してるの?)」 「(俺がわかるかよ)」 しばらく観察を続けてみる。 多岐川さんは、変わった様子も見せないまま寮の一つに入っていった。 普通に帰宅したようにしか見えない。 望月さんは、まだ物陰に隠れている。 何かが起きるのを待っているのだろうか。 「(あんた、知り合いなんでしょ? 今度、それとなく探ってみてよ)」 「(いや、いま聞いてくる)」 「(え、ちょっと!?)」 建物の陰を出て、望月さんに近づいていく。 距離にして、約20メートルといったところだ。 「望月さん、何してるんですか?」 「ひゃっ!?」 文字通り、望月さんが飛び上がった。 「か、筧……君? 何してるの?」 「帰りがけにちらっと背中が見えたんで、挨拶しようと思って追ってきたんですが」 「望月さんは?」 「ええと、私は、知り合いに用事があって……」 額を汗が伝っている。 望月さんでもこういう顔をするんだな。 「気のせいだったらアレなんですが、多岐川さんを尾行してませんでした?」 望月さんが目を逸らした。 「望月さんのことですから、まっとうな理由があるんでしょうし、深くは追及しませんが」 望月さんが、窺うような視線を向けてきた。 「俺で力になれるようなら、協力しますよ」 「望月さんが尾行してたってことも、ここだけの話にしておきますから」 「……」 数秒の沈黙ののち、望月さんが口を開く。 「葵……多岐川さんのことが心配で、様子を見ていたの」 「心配?」 「良くない噂を耳にしたのよ。夜中に外出しているとか、していないとか」 望月さんが暗い表情になる。 演技をしているようには見えないし、本気で心配しているらしい。 「あの子、最近様子がおかしいから何かあったんじゃないかって」 「おかしいっていうのは?」 「生徒会の仕事のことなんだけど、突然、考え方が極端になってしまったの」 「今日も、白崎さんを挑発して……あんなことを言う子じゃなかったんだけど」 突然、考え方が変わったか。 要因はいくつも考えられるが、黒山羊のことが気になるな。 羊飼いから道を示されたら、考えを変える人も少なくないはずだ。 「俺もおかしいと思いました。わざわざ対立候補を増やすなんて何のメリットもないですし」 「いつもの生徒会なら、何となくお茶を濁してすませるところですよね?」 「……もちろん」 「あ、いえ、そんな姑息なことは考えてないわ」 恥ずかしそうに咳払いをする望月さん。 「それで、尾行して何かわかりましたか?」 望月さんが肩をすくめた。 「そうですか」 「こっちも、役に立ちそうなことがわかったら連絡しますよ」 「ええ、よろしくね」 「……あと」 望月さんが視線を逸らした。 「尾行していたことは、内緒にしておきますよ」 「今の話を聞いたら、望月さんが悪いとは思いません」 「ありがとう。よろしくね」 望月さんが微笑む。 うまく安心させられたようだ。 「それじゃ、私はこれで帰ろうと思うけど」 「あ、俺も帰ります」 「ご一緒してよろしい?」 望月さんは、正門の近くのゴージャスな寮に住んでいると聞いている。 途中までは帰り道が一緒だ。 「もちろん」 「……あ……」 建物の陰からこっちを見ている小太刀が目に入った。 『あー、そー、ふーん』といった顔をしている。 「何かあるなら、遠慮するけど?」 「ああいえ、ちょっと野良猫がいただけで」 「え? 猫?」 望月さんがきょろきょろする。 「ああいえ、大した猫じゃないんで」 望月さんに向き直る。 「それより、望月さんと一緒に帰れるなんて光栄ですよ」 「光栄なんておかしいわ、同じ生徒なのに」 望月さんと下校することになってしまった。 すまん小太刀、話の流れ的にどうしようもない。 「ちわー、野良猫でーす」 「大した猫じゃないんで、特技はまあ、お魚くわえて逃げることくらいでーす」 望月さんと別れて少しすると、刺々しい声が飛んできた。 小太刀が仁王立ちである。 「よ、よう」 「ようじゃないわよ」 「こっちは筧を心配してたのに、なんで仲良く二人で帰ってるのよ? 意味わかんない」 「すまん。行きがかり上、断れなかったんだ」 「へーえ、その割には楽しそうだったじゃない?」 「何が『望月さんくらいの髪の長さ、嫌いじゃないですよ』よ」 「ばっかじゃないの、ばっかじゃないの、ばっかじゃないの」 3回も言われた。 「一緒に帰ってるのに、つまらなそうな顔できないだろ? そっちこそ考えろ」 「はい来た、逆ギレ来ましたよ」 「まーいいですけどね。誰と仲良くなっても。私はむしろ大歓迎ですから」 何が大歓迎なのか。 「置き去りにして悪かった」 「じゃあ、今度また、海外ドラマ見に行っていい? 毎週徹夜で」 またかよ……。 「お前、いい加減テレビ買ったら?」 「いやー、まとまったお金持ってなくて」 「言われてみればそうか」 「というわけで、筧先輩を頼るしかないんです」 「わかったよ、しゃーないな」 「やったー、いぇい、いぇい」 謎のポーズを取った。 「さ、帰るぞ」 今度は、小太刀と並んで歩きだす。 店員の声に見送られ、桜庭はコンビニを出た。 「(ああ……)」 忙しさにかまけ、夕食がコンビニ総菜になってしまったことを桜庭は恥じていた。 同時に、盛りつけは最低限きちんとすることを固く誓い、家路に就く。 女の細腕にビニール袋が重い。 とある十字路で桜庭は足を止めた。 立ち止まるともなく止まったというのが正確なところだ。 学園を背にし、右に曲がれば筧の家、直進すれば桜庭の家。 図書部に入部して以降、幾度となく二人が別れの挨拶を交わしてきた十字路だ。 「(筧はもう家に帰っただろうか?)」 桜庭は、立ち止まったまま筧の家の方角を見やる。 このところの習慣と言ってよかった。 毎日部室で顔を合わせているくせに、ここに来ると桜庭の胸は切ない音を立てた。 歩行者用の信号が青に変わる。 さあ行こうと足を踏み出し、また戻す。 踏み出し、また戻す。 都合、4度それを繰り返したところで、信号は赤に変わった。 「(何をやってるんだ、私は)」 もしかしたら未来を暗示しているのかもしれないと、多感な桜庭は思う。 想いを告げられずにモジモジしているうちに、信号は赤に変わってしまうのだ。 「(ああ、もう……)」 空いた手で頭をコツコツ叩くと、喧噪の中から耳慣れた声が飛び出してきた。 「(筧?)」 桜庭は、咄嗟に目の前の文具店に飛び込む。 手にしたコンビニ袋を見られたくなかったのだ。 閉じた自動ドアの向こうで、筧が立ち止まる。 「(え……)」 隣には、小太刀がいた。 「(こんな時間に何を……やはり、小太刀はあなどれないな)」 道々、望月さんから聞いた話を共有する。 「なる。予想通り、多岐川ってのが怪しいわね」 「突然、人が変わったってのがポイントだな」 「重点観察対象にしときましょ」 顔写真に赤丸をつけるようなニュアンスで、小太刀が言う。 「しかし、羊飼いって存在がいまいちわからないな」 「日頃の生活っていうか、通常業務は見せてもらえないのか?」 アレができてコレができないとか、規則も複雑でわかりにくい。 「うーん、どうしようかなあ」 小太刀が腕を組む。 「ああ、ちょうどいい仕事があるわね」 「そしたら、明日か明後日の放課後、5時くらいから時間もらっていい?」 願ったり叶ったりだ。 「明日は忙しそうだから、明後日がいいな」 「りょーかい。んじゃ、明後日で」 「ちょうどいい仕事ってのは、どういうこと?」 「サポート対象が、あんたの知り合いなの」 「誰?」 「明後日のお楽しみ」 「ほー」 「悪いことするわけじゃないんだよな?」 「もちろん」 当然でしょ、と言う顔をしてから、小太刀がにっと笑う。 「私達は羊飼い」 「人をより良い人生に導く存在よ? 人にとってマイナスになることはしないの」 「ナナイさんは、人類の奉仕者とか言ってたけどな」 「若干ニュアンスが違うんじゃないか?」 「言葉の綾だって」 手をヒラヒラさせて、軽くあしらう小太刀。 「ま、害にならないならどっちでもいいけどな」 「そうそう」 「……」 ケラケラと笑う小太刀を見ていると、何かが気に掛かった。 なんだろう? 小太刀について、考えなくてはならない気がする。 「ん? どったの?」 「……あのさ、変なこと聞くけど、俺たちって結構前に会ってない?」 「さあ? 道ですれ違うくらいはしたかもしれないけど」 「そっか……うん、まあそうだな」 「あらやだ、もしかして運命の再会とか信じちゃってるピュアハート?」 「ちげーよ」 「さ、帰ろ帰ろ。なんか疲れた」 「あはは、恥ずかしがってるしー」 などと騒ぎながら、俺たちはマンションに入った。 本を閉じて寝ようと思ったところで、携帯が震えた。 白崎からのメールだ。 本文には『まだ起きてる? 電話していいかな?』とあった。 時計を見ると、午前2時過ぎ。 あいつがこんな時間にメールしてくるなんて、よっぽど悩んでいるのか。 こっちから電話をかけることにする。 ……。 …………。 白崎は、2コールで電話に出た。 「あ、筧くん、かけてもらっちゃってごめんね。起こしちゃった?」 「まだ起きてたから大丈夫」 「そっか、よかった」 簡単なやりとりからでも、白崎の〈懊悩〉《おうのう》が伝わってきた。 「立候補のことで悩んでるのか?」 「あ、やっぱりわかっちゃう?」 「うちの部員なら誰でもわかる」 「あはは、だよね」 笑い声にも元気がない。 こういう白崎と話しているのは辛いな。 「白崎は、立候補したいのか?」 「うん……あれからずっと考えたんだけど、やっぱり高峰くんを助けないと」 「それに、多岐川さんが生徒会長になったら、学園が息苦しくなっちゃいそうだから」 立候補の動機は昼間と変わっていなかった。 白崎にとって強い感情だということだろう。 「結局は、わたしのわがままだよね」 「高峰を助けたいのはみんな一緒だ。要は誰が立候補するかってことで」 どっかの誰かが立候補するなら、そいつを推せばいいとも思う。 「誰かが立候補したとしても、その人がいい人とは限らないよ」 「多岐川さんと同じようなタイプの人なら、何も変わらないじゃない」 「まあ、そうな」 こんなことにも気づかなかったのは、単に選挙に絡むのが面倒だっただけなんだろうな。 さてどうしたものか。 基本に立ち返れば、俺は白崎に興味を持って今の活動を始めた。 そして、活動の中で変わっていく自分自身に興味を持った。 今はまさに、白崎が新しいチャレンジをしようかというタイミングだ。 ここで降りるのはもったいない。 ……。 羊飼いの最終試験もあるのに、おまけに選挙対策か。 また、忙しくなりそうだ。 「やっぱり、立候補するなら一人でやったほうがいいのかな」 「みんなに迷惑かけることになるよね」 呟くように言う。 「もしかして、部活辞めるとか考えてるのか?」 電話の向こうから、小さく肯定の吐息が聞こえた。 そこまでの決心か。 「馬鹿言うなよ。白崎が辞めても誰も嬉しくない」 「でも……」 「でもじゃない」 「ううん、でも、でも」 「もういい……白崎は立候補しろ。俺が手伝うよ」 「え?」 白崎が息を飲む。 「本当に?」 「ああ、ガチンコ図書部員に二言はない」 「何か急に胡散臭く……」 「んなこと言うと、切るぞ」 「わー、待って待って。手伝って下さい、お願いします」 何度も頭を下げているのか、電話に空気の音が乗る。 意地悪く、沈黙を作る。 「あ、あの、筧くん? 聞こえてる?」 「……あれ? 切れちゃった? 怒らせちゃった? うわーん、どうしよ……」 「聞こえてるよ」 「ひゃあっ!?」 「ちょ、ちょっと、もうやだぁ……」 白崎がべそをかきそうになっている。 「ははは、悪かった」 「お詫びに、選挙は全力で手伝うから」 「……筧くん」 白崎の表情が明るくなるのが見えるようだった。 「本当にありがとう……でも、どうして?」 「いろいろ」 「えー、教えてよ」 「高峰を助けたいってのが一番」 「あとはまあ、白崎一人じゃ絶対落ちるだろうから可哀相になった」 「ぶー、そんなに頼りないかなぁ……」 白崎の独力じゃ、おそらく落選してしまうだろう。 サポートは必要だ。 「明日は、みんなに話をしてみよう」 「桜庭は手伝ってくれるだろうけど、他の人はわからない」 「筧くんが手伝ってくれるなら、みんな手伝ってくれると思う」 「買ってくれるのはありがたいが、そりゃわからん」 「ううん、絶対」 白崎がほくそ笑んだ。 何を企んでいるのか。 「とにかくありがとうね、筧くん。勇気出してメールして良かった」 「何かする度に、筧くんにはお世話になっちゃうね」 「いや、いいんだ。世話してるつもりはないから」 白崎をフォローすれば、仕事も面倒も増える。 でもなぜか、白崎に引っ張ってもらったような気になってしまうのは不思議なものだ。 「あ、そうそう」 「今日信頼筋から情報があったんだけど、今夜は小太刀さんとデートだったの?」 「え?」 どうやら誰かに見られたようだ。 「小太刀とは会ってたけど、別にデートとかじゃない」 「そうなんだ……(よかった)」 「ん?」 「あ、何でもない何でもない何でもない」 「……変な勘ぐりは嬉しくないからな」 「それじゃ、また明日」 「あー、ちょっと待って!」 「どうした?」 「あ、あのね、筧くん?」 白崎の声色が変わった。 「わたし、あの、その……すごく筧くんのこと、頼りにしてるよ?」 「ほ、他の人が言ってくれないようなことも言ってくれるし、いろいろ教えてくれるから」 「そりゃどーも」 「だから、ほら、部活のこととかじゃなくても……ええ、いろいろ教えてくれたら嬉しいかも」 上目遣いが見えるような声だった。上目遣いが見えるような声だった。「いつでも相談に乗るよ」 「ありがとう」 「あの……わたし馬鹿だから、つまらないこと聞くかもしれないけど、いい?」 「もちろん」 「ふふふ、良かった」 「OK、何について知りたいんだ?」 「そんな、闇の情報屋さんみたいな台詞じゃなくて……」 白崎が拗ねる。 あれ? これはもしかして、アピールされてたのか? 「今後の話ね」 「悪かった。何かあったらいつでも相談してくれよ」 「うん、そうするね」 「んじゃ、お休み」 「うん、お休みなさい」 「今日は本当にありがとう」 最後に聞こえたのは、白崎には珍しく妙にしっとりとした声だった。 昼休み、白崎はさっそく決意のほどを示した。 午前中のうちに立候補用の書類まで用意する周到ぶりだ。 「高峰くんのため、明るい学園のため、立候補したいと思います」 「待っていても、誰かいい人が立候補してくれるとは限らないでしょ?」 「だから、後悔しないためにも自分がやりたいの」 「みんな、手伝ってくれないかな?」 白崎の強い言葉に、みんなが真剣な顔になった。 「図書部の活動はどうするんですか?」 「今受けてる依頼が終わったら、依頼の受け付けを一時休止にした方がいいと思う」 「図書部の活動として選挙をやるイメージか」 「白崎先輩が当選したら、私達も役員になるんですか?」 「そうしてもらえたら嬉しいよ」 「でも、さすがに、役員になれなんて強制できないから、みんなの判断に任せるよ」 白崎の声にふざけたところはない。 桜庭はどこまでも白崎をサポートするだろう。 御園は、音楽との両立が不可能かもしれない。 佳奈すけは、さすがにそこまではー、とか言って引くかもしれない。 俺はもう、とことん付き合うと決めた。 「ま、俺どこまででも付き合うぜ」 「そんくらいしないと、借りばっかりになっちまうからな」 黙っていた高峰が口を開いた。 「ううん、借りなんかじゃないよ」 「高峰君のいいように決めてもらえば、それでいいから」 「……ありがとよ」 「昨日も言ったが、私は白崎を支える」 「俺も手伝うよ」 1年生が俺を見た。 「二人はどうかな? ぜひ、力を貸してほしいの」 しっかりした声で白崎が言った。 「うーん、そう言われてしまうと……」 「ね」 御園と佳奈すけが顔を見合わせ、小さくうなずく。 二人とも協力するようだ。 断りきれなくなる気持ちはよくわかった。 その点、俺たちは白崎に祟られているというか、よく調教されているというか。 「みんな、ありがとうね」 うっすらと涙を浮かべ、白崎はそれぞれの手を握り上下にぶんぶん振る。 もう、図書部の王道パターンだ。 「筧くん、ありがとう」 「はいよ。ま、頑張ろうや」 「うん、私にできることはなんでもするよ」 これでもかと手を握ってくる白崎に、思わず苦笑が漏れる。 「この調子で生徒全員と握手したら、票が集まるかもしれないぞ」 「某・田中さんも『手を握った数しか票は出ない』って言ってる」 「ああ、ドブ板選挙では握手が基本だと言うからな」 「私も親戚が出馬したときには、ずいぶん付き合わされたものだ」 そういや、藩主の娘だったな。 今でも、江戸時代の藩主の子孫が地方自治体の首長をやるケースは珍しくない。 「ま、何にしても相当厳しい選挙になるだろうな」 「うちの生徒会長は、前任の副会長が繰り上がるパターンが多い」 「そうなんですか?」 佳奈すけと御園が首をひねった。 「ああ、1年生は知らないかもしれないな……」 桜庭が二人にざっと説明する。 うちの生徒会選挙では、生徒会長のみを選挙で選ぶことになっている。 副会長やその他役員は、当選した生徒会長が適宜指名するのだ。 よって、生徒会長と生徒会役員の関係は極めて密になる。 大体のケースにおいて、次の選挙には副会長が立候補し、生徒会長が応援演説をする。 よほどのことがない限りは、副会長が当選し、次の生徒会長となっていく。 「仕組みが不健全です」 「あくまで、慣例であって規則があるわけではない」 「不満があれば誰でも立候補できるし、実際に世襲にならなかった例もある」 「じゃあ、白崎さんにも勝つチャンスが?」 「それはまた別の話だ」 桜庭が嘆息する。 「今の生徒会長は評判がいい」 「多岐川がよっぽどのボロを出さない限りは難しいだろうな」 「望月さんが白崎を応援してくれるか、そうでなきゃ、白崎が圧倒的な支持を得るかだな」 みんなの視線が白崎に向く。 真剣な表情の白崎。 すぐに情けない笑顔になった。 「ど、どうしよう……」 「やはり無策か」 さて、どうしたものか。 生徒会長選挙は10月上旬。 短期間で、どうやったら白崎を有名にできるのだろう。 今まで通り、図書部の活動を続けていればいいのだろうか? 9月下旬には汐美祭があるから、依頼は多いかもしれないけど……。 「……汐美祭か」 「私も同じことを考えていた」 「そこしかないかねえ」 2年生が揃って顔を上げた。 「汐美祭って、学園祭ですか?」 「ああ、無茶苦茶な規模の学園祭だよ」 汐美祭は2日間の日程で開催される。 生徒からして5万人もいるところに、さらに数万人の客が来るのだ。 商店街もそれを当て込んでキャンペーンを張るから、街全体が学園祭モードに変わる。 去年の経験だと、街が破裂寸前まで膨れあがるといった印象だ。 「去年、学園見学をかねて遊びに来たんですけど、すごい人でしたね」 「芸能人のライブなんかもありましたし」 「経済研究会や弁論部などは、国会議員や財界人の講演会を主催したりもするな」 「舞台としてはいいですね」 「でも、どうやって目立つんですか?」 ギザで遊びながら、御園が冷静な発言をした。 「そこが問題だ」 「いいネタが思いつかない以上、選挙ではまず勝ち目がない」 桜庭が腕を組み、頭をひねりはじめた。 「放課後、また話し合いませんか? 今すぐにっていうのはちょっと」 佳奈すけが控えめに意見を挟む。 反対意見はなかった。 放課後。 白崎の立候補届を選挙管理委員会に提出してから、俺たちは机を囲んで腕を組んだ。 議題はもちろん、いかにして選挙に勝つかだ。 汐美祭で目立つ必要があるところまではわかっているのだが、その先の案が出ない。 「まずは、催し物の人気投票で1位になるのが目標か」 人気投票で1位になれば、ウェブニュースでも大きく取り上げられる。 「しかし、去年の1位を覚えているか?」 「歌手のライブだったっけ?」 「世界一周屋台村じゃなかった?」 俺に至っては記憶がない。 去年の汐美祭は、自宅で単独読書祭だったからな。 「覚えていないだろう? 私もあやふやだ」 「1位になるだけじゃ、インパクトが足らないってことですね」 「その通り。それだけで選挙に勝てるほどのインパクトはない」 「かといって、汐美祭が終わってから選挙の下地を作り初めても間に合わないだろう」 「生徒会の人は、1年かけて名前を売ってるわけですからね」 汐美祭は、9月25日(土)〜26日(日)の2日間。 選挙の公示は9月27日(月)で、10月7日(木)に演説会、8日(金)が投票日だ。 汐美祭と選挙が近接している上に、選挙は公示から投票まで12日しかない。 選挙運動に時間がかけられないのだ。 今まで読んだ本の中に、ヒントはないだろうか。 「う〜ん」 腕組みをしたまま、立ち上がる。 「どうしたの?」 「気分転換に外の空気吸ってくる」 「あ、よく、それでアイデアがひらめいたりするよね」 「なるほど、期待しているぞ、筧」 「筧先輩なら、きっとすごいアイデアを思いつきますね」 「ハードル上げるなって」 筧が部屋から出て行くのを見計らい、女性陣が額を付き合わせた。 「ところで、昨日のメールのことだが」 「はい、決定的瞬間でした」 昨夜23時過ぎ、桜庭から女性陣に送られたメールには、1枚の写真が添付されていた。 映っていたのは、楽しげに会話する筧と小太刀の姿である。 言うまでもなく、生徒会の調査を終え、商店街で合流したときの一瞬を捉えたものだ。 「コンビニに行った時に、偶然見かけてしまった」 「夏休み前から、小太刀さんはやばいって話してましたけど、もうこれは……」 「昨日筧くんと話した時は、デートじゃないって言ってたけど」 「さて、どうだか」 部室に沈黙が落ちる。 毎日のように顔を合わせていながら、筧が部外者になびいたのが、女性陣のプライドを傷つけたのだ。 各々、筧を憎からず思っていたし、彼が彼女を作るなら部員の誰かだと想像していたことも大きい。 「例の依頼、受けてみるか」 「そうだね。筧くんの好み、調べてみようよ」 「調べてどうするんですか?」 「こっちでメロメロにさせちゃうとか?」 「大体、これだけ女が揃ってるのに、外に行くっていうのはどういうこと?」 拳を固く握り、くーっと嘆く鈴木。 もちろん、場を盛り上げるための彼女の演技だ。 「よし、決まりだ」 女性陣の間に、不穏な合意がなされた。 「図書部女性班として、この依頼を受けます」 「依頼者の学園生活をより楽しくするため、頑張って行こうね」 『はいっ!』っと、妙に気合いの入った掛け声が上がった。 要は、依頼にかこつけて筧の気を引いてみようという話だ。 そもそも、今まで思わせぶりな態度を見せてきた筧も悪い……なんて言い訳も忘れない。 「お前らさ、俺がいないところで話せよな」 完全に輪から外れていた高峰が、ちくりと言う。 「ああ、いたのか」 「いますよそりゃ、部員ですから」 ポケットに手を突っ込み、足を組む高峰。 「しょーがねえな、俺も筧狙いで行くか」 「おいデブ、お前もどうだ?」 「ロンモチ」 ギザがにやりと笑った(ように見えた)。 「やる気じゃねえか。こりゃ熱い争奪戦になりそうだ」 「ギザ様を巻き込まないで下さい」 「それに、こっちは真面目なんですから」 御園がぶすっとした顔で言う。 「へぇ……」 高峰だけでなく、その場にいた全員が御園の反応に目を見張る。 「あ、違います。依頼の話です」 「そ、そうだな。私達は筧を狙っているわけではない。あくまで依頼だ」 「そうそう、依頼でしかたなく、ね」 「へいへい」 語るほどにアレだなと思いつつも、高峰は生暖かく見守ることにした。 何にせよ、楽しい日常の1ページには変わりないと思ったからだ。 筧が戻ってきた。 女性陣が、慌てて椅子に座り直す。 「ん? 何か名案でも浮かんだ?」 「いや、話し合っていたんだがなかなか」 桜庭の嘘を、鼻先で匂いを嗅ぐように感じ取る筧。 だが、それを口に出して面倒は起こさない。 「実は、アイデアを思いついたんだが……」 筧が椅子に座る。 開陳したアイデアはこうだった。 簡単に言えば、選挙戦を汐美祭に持ち込んでしまう作戦だ。 まずは、白崎が立候補することをできるだけ早く告知する。 その上で、選挙の争点を単純化し、メディアを通じて対立図式を広めていく。 今回の争点は『退学者を多く出す、殺伐とした学園にしたいかどうか』だ。 無理矢理、『旧勢力VS新勢力』にしてもいい。 一番のポイントは、『汐美祭の人気投票が実質的に選挙結果を決める』というムードを作り上げることだ。 例年、生徒会はメインステージを企画している。 人気投票でも必ず上位に食い込む大人気イベントだ。 それを図書部の企画が倒せばインパクトは大きい。 続く選挙戦も優位に進められるだろう。 「世論形成については、嬉野さんか芹沢さんあたりに相談してみようと思う」 「ウェブニュースを上手く乗せられないと、そもそも対立構造が成立しない」 「なるほど……汐美祭を事実上の選挙にしてしまうわけか」 「しかし、人気投票で負ければ選挙は絶望的だな」 「人気投票で負けたら、どっちにしろ選挙は負けですよ」 「元々、ホームランを打たなきゃ勝てない選挙だろ?」 「というか、ホームランを打っても勝てるとは限らないものを、打てば勝てる所まで引き寄せるんだ」 話のスタート地点は、人気投票で1位になっても選挙では勝てないってところだ。 「伸るか反るかってとこだな」 「他のプランがあれば別ですが」 「それは、考えても出なかった」 「じゃあ、やってみるしかないです」 御園がさらりと言う。 「あのなあ、他人事じゃないんだぞ」 「あー、いや。それは御園もわかってるな」 自己完結し、桜庭が冷静になろうと深呼吸をした。 夏休みを経て、ようやく御園のノリがつかめてきたようだ。 「んで、どーすんの? 筧の意見は悪くないと思うけど」 全員が高峰を見た。 「なんだよ」 「高峰先輩が……」 「……話を進めた」 「いやー、俺だって多少はやりますよ。今回はほら、俺が原因でもあるしさ」 「ありがとう、高峰くん」 白崎がハンカチで涙を拭いた。 「あの、そこまでされると、日頃の俺ってなんなのって思うぜ、多少」 「心配するな、高峰の真面目なところはみんな知ってる」 「姫……」 高峰が目を輝かせる。 「……なんて言うと思ったか馬鹿め」 「おふっ、キツすぎる」 高峰が心臓を押さえた。 「では、筧の意見に異論はないということでいいな?」 反対意見はなかった。 「これは私の個人的な印象だが、今まで筧の意見を容れて失敗したことはなかったと思う」 「自信を持って頑張ろう」 みんなを勇気づけるためか、桜庭が言い切る。 「具体的な企画は頭を絞って考えよう。これで選挙の結果が決まると言っても過言ではない」 「ちなみに、来週水曜には企画書を提出しなくてはならないから、あまり余裕はないぞ」 いつも通り、桜庭の仕切りで話がまとまった。 その後、桜庭が会場確保の予備調査として電話をかけまくったが、成果はあがらない。 大きな会場は半年も前に予約が締め切られ、生徒会が割り当てを決めてしまった後だった。 これからでも間に合うのは、小さな教室だけだ。 教室の割り当てはざっくりしており、似たタイプの催しが固めて配置される傾向がある。 研究発表はこの辺り、喫茶店はこの辺り、お化け屋敷などのアトラクションはこの辺り、といった感じだ。 配置は生徒会の専権事項なので、意図的に目立たないところに配置されたら一発アウトである。 「ふふふ、どうやら私の出番のようですね」 ゆらりと立ち上がる佳奈すけ。 「ミナフェス再び、だね」 「その通りです」 「弥生シスターズの名にかけて、会場をぶんどって来ますよっ」 「うん、頑張って」 弥生シスターズか。 確か、白崎が面白いと思って発したギャグだ。 久しぶりに聞いたな。 「頼んだぞ、鈴木!」 「らじゃーです」 「私も付き合うよ」 1年生2人が、俺にガッツポーズをして部室を出て行った。 なぜ俺に? 「ねえ、筧くん?」 「ん?」 「弥生シスターズって何だろうね?」 「……いや」 「??」 純真な瞳で見つめられた。 視線で桜庭に助けを求める。 「ギザ、お前は何のために生きているんだ?」 「ぱらら、ぱららららら、らららー」 桜庭は逃げを打った。 「でも、あの二人、仲良くなって良かったね」 1年生が出ていったドアを見つめる。 「ああ、同級生がいるってのは何かと心強いだろうし」 「筧くんはやっぱり、年下が好き?」 「……いきなり何の話だ?」 さらりと混ぜ込んできた。 「ううん、聞いてみただけ」 「意味がわからん」 「まあいいじゃないか。同級生と下級生ならどっちだ?」 「別に俺の好みなんてどうだっていいだろ?」 「よくない。ぜひ知りたいんだ」 桜庭が真顔で言う。 ばっちり目が合った。 「いや、そんな見つめられても……」 「あ、すまない」 桜庭が開いた扇子で顔の下半分を隠す。 こんなやりとりを御園ともしたような気がする。 「その、何だ、知りたいというは知的興味というか一般論というか……」 どんな一般論だよ。 「それでそれで、筧くんはどっち?」「それでそれで、筧くんはどっち?」「まあ、同級生かな」 「あ、やっぱり」 「わかる、その気持ちはよくわかる」 二人が、笑みをかみ殺したような顔になった。 「よし、とっておきのお茶入れちゃおうかな」 「それがいい、うーんと濃くしてな」 「らじゃーっ」 白崎が席を立った。 こんなに喜ばれると、何か申し訳なくなる。 「これって、昨日来た悪戯の依頼だろ? 俺の好みがどーちゃらってやつ」 「あの依頼は断ることにしただろう?」 「ふうん」 二人の顔には、昨日の依頼だと書いてあった。 「んー、下級生かな」 「そう……だよね。私達なんて……」 よよ、と白崎が泣き崩れた。 「おい、筧、考えて発言しろ」 「だったら聞くなよ、こっちが迷惑だ」 「あれだろ? 昨日来た、悪戯の依頼だろ? 俺の好みがどーちゃらってやつ」 「あの依頼は断ることにしたでしょ?」 「どうだかね」 二人の顔には昨日の依頼だと書いてあった。 同級生と下級生、どっちかを選べば角が立つ。 そもそも、好みのタイプなんて考えたこともない。 ここは華麗に流そう。 「年齢は気にしないよ。気に入った子が好きな子だ」 我ながら恥ずかしい台詞だ。 「筧、自分で言って恥ずかしくなるな」 「ちゃんと答えてよー」 「いやさあ、これって、昨日来た悪戯の依頼だろ? 俺の好みがどーちゃらってやつ」 「あの依頼は断ることにしたでしょ?」 「単に興味があったから聞いただけだ、気にするな」 「ふうん」 二人の顔には昨日の依頼だと書いてあった。 1年生が帰ってきたのは、1時間ほどしてからだった。 「ただいまー」 佳奈すけは、見ただけで駄目だとわかる顔をしている。 「ええと……どうだった?」 笑顔を作って白崎が訪ねる。 「駄目でした」 「休憩所として一般開放することになっているみたいです」 「学校との契約も絡んでるみたいで、どうにもならないってことでした」 「すみません」 「謝ることじゃない。聞いてきてもらえて助かった」 二人がしょんぼりして椅子に座った。 白崎がすかさず冷たい麦茶を出す。 「ところで、筧さん?」 上半身は机に突っ伏したまま、佳奈すけが顔だけを上げた。 「どうした?」 「同級生と下級生、どっちが好きですか」 「……」 「……」 「……」 「あれ? 静かになっちゃった」 身体を起こし、佳奈すけが周囲を見回す。 「同じ質問を、こっちのお姉様方からされたんだが」 白崎と桜庭はニコニコしている。 「おおー」 「モーレツー」 「意外と昭和だな」 「ああ……」 なんか、部内が面倒なことになってきている気がする。 朝、携帯を見るとメールが来ていた。 送り主は御園だ。 『一昨日は、廊下で変なことを言ってしまってすみませんでした。トイレ間に合いましたか? でも、白崎先輩が立候補を決めてくれて、何だかスッキリしました。 仕事が増えるのは面倒ですけど、やっぱり白崎先輩には突撃してほしいと思っていたみたいです。 汐美祭、頑張りましょう。 先輩は読書家なので、上手い文章を書かなくちゃと思って、いつもメールするのは緊張します。 変な文章だったらごめんなさい。。。 御園』 どうやら、図書館の廊下でのやりとりを気にしていたらしい。 全然、気にすることないのに。 「……」 それはそれとして、最後のブロックはなかなかぐっと来る。 メールの着信は、午前2時過ぎだ。 遅い時間まで、一生懸命文章を練っていたのかもしれない。 今まで何度もメールしているのに、なんかありがたいな。 「(返信しとこう)」 もろもろの感情をまとめて返信する。 トイレは滑り込みセーフだったこと、白崎の立候補は俺も嬉しいということ…… そして、文章はおかしくないから気楽にメールしてほしいこと、などだ。 「(送信っと)」 数分して携帯が鳴った。 御園からのメールだ。 彼女は基本的にメールのレスが遅く、1日空くなんてのはザラ。 すぐに返事が来るなんて珍しい。 『トイレ間に合ってよかったです。 白崎先輩は、真っ直ぐなところが世界遺産ですもんね。 これからも頑張ってメールしま。』 最後の最後で『す』が抜けていた。 「惜しい」 「うーん」 白崎は背筋を伸ばして椅子に座り、ヤジロベエのようにお尻を軸にフラフラしている。 「ふうむ……」 腕と脚を組んだ桜庭が、手に持ったシャープペンの頭を唇に当てる。 「ふう……」 「ほへー」 御園は、いつも通り椅子の上で体育座り。 佳奈すけは机に突っ伏し、顔だけを真正面に向けている。 「見えた!」 「……いや、見えてないか」 話を始めてもう2時間。 ホワイトボードには、汐美祭の企画案がずらずら羅列されている。 もう空白がないくらいだが、これだという案は出ていなかった。 「桜庭さん、その『見えた』っていうのは癖ですか?」 「ん? 意識してはいないがそうかもしれない。不愉快だったか?」 「あーいえ、別にそんなんじゃないですけど」 「的中率低いですね」 「なんだと……」 目の前では見慣れたやりとりが展開されている。 笑うほど面白いこともないが、平和そのものだ。 昔なら、本が読めずに苛立っていただろうが、最近は平和に身を任せられるようになっている。 少なくとも、読書で不安を紛らわしていた過去には戻りたくないと思う。 俺も変わったもんだ。 いや、みんなが俺を変えてくれたんだろうな。 「……」 そろそろ、小太刀と仕事に行く時間だ。 今日は、俺の知り合いをサポートするってことだった。 「あーすまん、ちょっと出かけてくるわ」 「どうしたの?」 「小太刀と約束があるんだ」 「!?」 「おおっ」 「え?」 妙にリアクションが激しい。 「邪推してるだろ?」 鈴木を見る。 うちの女性陣には、小太刀と俺の関係を勘ぐって尾行に及んだ輝かしい実績がある。 「いやいやいや、してませんって」 そして、俺と鈴木には、図星だと『いやいやいや』と言うという癖がある。(白崎談) あんまり邪推されるようなら、きちんと言わないとまずいな。 自惚れになるかもしれないが、恋愛関係のもつれで部活崩壊なんてのはよくある話だ。 危険な芽はさっさと摘みたい。 やっぱあれか、ここは高峰と俺がくっつくというアブノーマルな展開があれば……。 ちらりと高峰を見る。 「わかってたよ、最後はこうなるってな」 高峰が静かに微笑み、片手でシャツの第2ボタンを外した。 完全に俺の思考を盗みやがった。 冗談でもこのネタはやめよう。 「ごめんな、汐美祭の企画も決まってないのに」 「何時に戻ってくるかわからんから、俺のことは気にしないで帰ってくれていいよ」 「まあ、用があるなら仕方ない」 「んじゃ」 鞄を持ち、部室を出る。 小太刀にメールを送る。 すぐに返事があり、図書館の前で待ってろとのことだった。 待つこと5分。 図書館の中から小太刀が現れた。 「お待たせ」 「おう、今日は図書館にいたのか」 「家にいたけど?」 「図書館の奥に、誰も入ってこない資料室があるのよ。そこにぴゅーんとね」 小太刀が指先で放物線を描く。 本を使って移動したらしい。 「小説だと、そういうこと言ってる奴が、後半で誰かに目撃されるんだよな」 「別に見られてもいいし。放っておけば忘れてくれるから」 「じゃ、時間がもったいないから行こっか」 小太刀が歩きだす。 「目的地は?」 「すぐわかるって」 数分後、俺たちは学食前にいた。 ここにいる俺の知り合いと言えば、佳奈すけか嬉野さんだ。 で、佳奈すけは今部室にいる。 「嬉野さんか」 「ぴんぽーん。今日の迷える子羊は、嬉野……読み方不明さんです」 「さゆみ、な、さゆみ」 「あーそうなんだ」 「で、仕事の内容は?」 「えーと、こっち来て」 小太刀が俺の袖を引く。 大人しくついて行くと、建物の陰に連れて行かれた。 「ちょっと見てて」 小太刀が手のひらを前に突き出す。 そして、目の前の空間を、まるで窓ガラスを拭くように真一文字に撫でていく。 「……」 声を失った。 手の軌跡に、淡く光る画像が現れたのだ。 まるで、画像に積もっていた風景という汚れを、小太刀が拭き取ったかのように見えた。 「これは?」 「嬉野の本の内容を図式化したものよ」 画像には、動物進化の樹形図に似たものが書かれている。 左から右に向かって、どんどん枝分かれいていく道の一つに、光の点が瞬いている。 そして、光の点は、わずかずつだが右方向にスクロールしていた。 「光の点が現在地」 「これが、嬉野さんの人生なのか」 「実際はもっと大きいけどね」 と、小太刀がスマホの画像を縮小するように指を動かすと、樹形図の全体が見えてくる。 さっきまで映っていた部分は、全体のごくごく一部であることがわかった。 嬉野さんの人生全体を日本地図だとするなら、最初に見たのは街の地図くらいの印象だ。 ちなみに、樹形図の多くの部分は暗く表示されており、明るい部分はさっき見ていた周辺だけだ。 「人の人生ってすごいわよねー。こんだけ可能性があるんだから」 「明るい部分と暗い部分のはどう違うんだ?」 「ああ、これね……」 小太刀がぶすっとした顔をする。 「暗い部分は閲覧禁止エリアなの。仕事に関係ないからね」 「じゃあ、今後嬉野さんがどうなるかってのは、あんま分からないんだな」 「いぐざくとりー」 羊飼いも、何でも知ってるわけじゃないのか。 「今、使えねえって思ったでしょ?」 「えーまー」 「はっ! どうせ使えませんよ」 「だから、筧や図書部のことで『これからどうしたらいいの?』とか聞かれてもわからないから、よろしくね」 言いながら、慣れた手つきで縮尺を戻す。 「もう少し進むと分岐があるでしょ? ここが今日のお仕事地点」 光の点は間もなくY字路にぶつかる。 小太刀がY字路を更に拡大すると、沢山の文字が現れた。 読めない文字だが、確かこれは、ナナイさんからもらった栞に書かれていた文字と同じだ。 「ふーん、ほー……子羊は、もう少ししたら怪我するみたいね」 「その怪我が人生を大きく変えちゃうって」 「具体的には?」 「ざっくり言うと、子羊は、将来人類の生活を一変させるようなソフトを作るらしいの」 「でも、ここで怪我をすると、いろいろあってソフトが作れないと」 「子羊も、あんま幸せになれないみたいね」 「つまり、嬉野さんが怪我しないようにするのが仕事ってことか」 想像の100倍は重要な仕事だった。 いわば、未来のゲイツだのジョブスが消えるか消えないかの瀬戸際にいるわけだ。 「どうやって回避するんだ?」 「ま、任せておいて」 小太刀が手品師みたいな企み顔をした。 「いらっしゃいませ、2名様ですか?」 「あ、友達と待ち合わせなんで」 「そうでしたか。では、ごゆっくりっ」 店員が離れていく。 「よし、さくさくいきましょ」 小太刀が、テーブルを数えながら、店の奥に進む。 「入口から、17番目、窓から6番目、と」 無人の4人席の前で足を止めた。 そして、何のためらいもなく、椅子の一つを横倒しにする。 「これでよし」 「これで?」 「これで」 見てればわかるから、と俺は店の入口まで連れて行かれた。 さっきの店員に不審者を見る目で見られながらも、観葉植物の陰から店内をじっと観察する。 「おっ」 バックヤードから、嬉野さんが出てきた。 妙に楽しそうに、ぴょこぴょこフロアを歩き回っている。 ゴミを拾ったり、テーブルを拭いたりしているところを見ると、定期巡回だろう。 「あら? 椅子が倒れています……誰でしょう、こんなことをしたのは?」 「というか、フロアの子はどうして気づかないんでしょう?」 「むー、ユカちゃんは職務怠慢です。後でフラッシュバンの刑ですね」 ブツブツ言いながら、嬉野さんが椅子を直した。 さっき小太刀が倒したものだ。 「ユカちゃんって子羊は、このあとの折檻で新しい快感に目覚めるんだって」 「いろんな意味で人生変わりそうだな」 「……お、戻ってきた」 フロアを一周した嬉野さんが、戻ってきた。 相変わらずご機嫌である。 本来なら、このあと彼女は事故に巻き込まれるはずだった。 ……大丈夫なんだろうか? 目の前で嬉野さんが怪我するとこなんて見たくないぞ。 何でもいいから事故に遭わないでほしい。 我知らず、嬉野さんに注目してしまう。 不意に目眩が襲った。 「……あ」 「いや……え? まさか……」 「どしたの?」 目眩の中、信じられない光景を見た。 バックヤードへのドアの前に倒れている嬉野さん。 抱きかかえるようにした左手が赤く染まっている。 ああ……そうだ…… そこに5本あるはずのものが、2本しかついていない。 押し切られたような断面からは、血がとめどなく溢れていた。 このビジョンが現実のものになったら……。 「ちょっと、どうしたのよ?」 「嬉野さんの未来が見えた」 「へえ、楽しそうにしてた?」 気軽に聞いてくる。 明るい未来を疑っていない。 「嬉野さんが怪我をする幻影が見えた」 「まっさかぁ」 「まさかじゃない。見えたものは見えた」 嬉野さんに目をやる。 バックヤードまではまだ時間がある。 「確認してくれ、本当にこのままでいいのか?」 「ダイジョブ、ダイジョブ」 「確認してくれ、頼む。ほんとマジで」 手を合わせる。 とにかく安心させてほしい。 「ったく……」 悪態を吐き、小太刀が物陰で小さく手を動かす。 現れたスマホサイズの画像を、どんどん拡大していく。 「……あ」 小太刀が小さく声を上げた。 「……席の数……間違えた……」 小太刀の顔から血の気が引く。 上下の歯が、カチカチ鳴っているのが聞こえた。 「どうすんだ、おいっ」 嬉野さんを見る。 バックヤードまではあと3メートル。 さっきまでは閉じていたドアが、なぜか開いている。 おそらく、このあと嬉野さんはドアに手を挟まれて……。 指を……切断……。 「ああ……時間、止まって……」 時間を……止める? そう、時間を止めりゃいいんだ。 「よしっ」 観葉植物の陰から飛び出す。 「嬉野さーーーーーん!」 腹の底から声を絞り出す。 「はい?」 嬉野さんがこっちを向いた。 不意を突かれたような、無防備な彼女に…… 「君のハートを、ヘッドショット!」 ぱきゅ〜〜ん。 右手で銃を作り、嬉野さんの胸を撃つ。 ……。 …………。 ………………。 「すごい……本当に、時間を止めた……」 「京さん、あんた……ホンマもんのタフガイやでぇ……」 感動のあまり小太刀が壊れた。 さもありなん。 俺は、それだけのことをやった。 ついでに言えば、社会的には〈殺〉《や》られた。 唐突に、ドアが激しい音を立てて閉まった。 「ひゃっ!?」 嬉野さんが、思わず2、3歩下がるくらいの勢いだ。 左手は…… 無事だ。 「やった……」 なんとか事故を防げたらしい。 これで、嬉野さんはハッピーな未来に進んでいける。 「あらあら」 嬉野さんが、にこやかな表情でこちらに近づいてくる。 「あらあらあらあら」 近づきながら、スカートの中から何かを取り出した。 「あらあらあらあらあらあら」 モデルガンだ。 「あだだだだだだっっ!!」 「もう、筧君ったら、公衆の面前で突然変なことを言って」 「いででででででっっ!!」 「ほんと、困った人ですね」 「おごごごごごごっっ!!」 「きゅんとしちゃったじゃないですか」 「す……すんません……」 散らばる無数のBB弾の上に倒れた。 「はあ、つまり、嫌な予感がしたからあんなことをしたと」 「そういうことです」 散らばった弾を全部片付けた後、俺たちは事情を説明した。 羊飼いについては一切伏せ、俺が怪電波を受信して蛮行に及んだという流れだ。 ちなみに、俺は床に正座である。 「4月の初めに、俺が白崎を救ったって話があったじゃないですか」 「ああ、はい。路面電車の事故ですね」 「そうです。今回も、あの時と同じで危ない予感がしたんです」 「なるほどぉ。言われてみれば、もう少しドアに近づいていたら危なかったかもしれません」 「でも、関係筋の話だと、あの時は生徒会の力を借りてもみ消したんでしょう?」 バレている。 いや、違う、本当に未来が見えてるんだ……信じてもらえないだろうけど。 「関係筋にお友達が多いんですね」 「ええ、メディアとは仲良くしておかないと」 恐ろしい話だ。 「あ、背中に弾がめり込んでる」 背後にいた小太刀が、俺の背中をつっつく。 「取ってくれ」 「あ、モデルガンは改造してませんよ。もちろん合法です。当たり前じゃないですか」 「まだ何も言ってませんから」 これが嬉野さんのギャグなのだろう。 「まあ、今回のことは忘れておきます」 「はい、お願いします」 「防犯カメラの映像は確保してありますから、今後は、私の機嫌を損ねないようにして下さい」 「間違えて、ネットにアップしてしまうかもしれませんから」 地球じゃ生きていけなくなってしまう。 ああ、そのときは羊飼いになればいいか。 「わかりましたか?」 「……ええ」 「返事が聞こえませんよ」 「はいっ」 学食を離れ、しばらく歩いた。 いつも先に立って歩く小太刀は、俺の3歩後ろでしゅんとしている。 学食を出たら文句の一つも言ってやろうと思っていたが、それも萎えた。 「筧……?」 「どうした?」 「怒ってる?」 「いや、もう怒ってない」 できるだけ優しく言ったが、小太刀はしょぼくれたままだ。 「ごめんね、私の確認不足で」 「……でも、本当に助かったよ。筧がいなかったら失敗してた」 「そしたら、きっと私の試験はもう……」 不合格で、羊飼いになれなかったかもしれない。 どうやら、そこが一番のショックだったようだ。 「次から注意しろよ。大体、小太刀は俺の先輩なんだからな」 小太刀の頭をくしゃっと撫でる。 「あ……」 「……う、うん、気をつける」 珍しく殊勝な返事だ。 「ああ、もういいよ」 「…………ありがと」 小太刀の表情に少し明るさが戻った。 「あ、先に帰って」 「お前は?」 「あと2件仕事があるから」 これからか。 時刻はもう19時前だ。 「明日にした方がいいんじゃないか?」 「今日の仕事は今日やらないと。どこで減点入るかわからないしさ」 焦りというのか、やや切羽詰まった表情が見えた。 さっきの失敗を取り戻そうとしているのかもしれない。 心配だ。 「俺も付き合うよ。一人じゃ大変だろ?」 「何? 私がまた失敗すると思ってるの?」 小太刀がぶすっとした顔をする。 「そこまでなめられたくはないわね、こっちはずっとやってるんだから」 「じゃあ、離れて見てるだけってことで」 「俺も、もっと仕事を勉強したいんだ」 「……ったくもう、何なのよ」 「ほんと、邪魔しないでよね」 小太刀がいつもの強気な口調に戻った。 これでいい。 「ほら、行くわよ」 小太刀がさっさと歩きだす。 「次はどこ?」 「文系校舎。将来の大作家の卵がスランプなんだって」 正直なところ、高峰は困っていた。 筧が出て行ってからというもの、女性陣が落ち着かない。 当然、汐美祭の企画も進んでいなかった。 「見えた! ……いや、ぱっとしないなぁ……」 頭に浮かんだ案を自分でボツにして、桜庭は頭をかく。 「こう、目が覚めるような奴がほしいですね」 「ギザ様、何か案を」 「あんっ!」 「……ん、何?」 ギザも振るわない。 御園の冷たい視線で感じているデブ猫から目を逸らし、高峰がスマホをいじりだす。 誰かが携帯を触りだしたら、会議はもう駄目だ。 「あー、なんかねーかなー……」 ブラウザを立ち上げ、ホームにしているウェブニュースを見る。 さかさかと動いていた指が、ぴたりと止まった。 「む! これは!?」 「来たぜぇ、目が、きんっきんに覚めるやつが……」 「え? なになに?」 スマホを女性陣に見せる。 『衝撃! 夕暮れの公然告白!』 『西日差す第一食堂アプリオで事件は起こった……』 「……か、筧……」 「こ、告白って……」 「しかも、なんでか嬉野さんに」 「ああ、こっちの趣味だったんですね」 「ロリ野郎」 ギザの声で、部室の空気にピシリとヒビが入る。 「筧……小太刀かと思っていたら嬉野か……」 「私達は目に入らないってことですかね?」 「黙っていられないね」 「ですね」 4人が力強くうなずく。 「(筧はん、あんた……ホンマもんのタフガイやでぇ……)」 筧の意外なネタ精神に、高峰の目頭が熱くなる。 「(やるか)」 「(うん)」 1年生がわずかに視線を交わす。 その瞬間、ある合意がなされたことに、他の者は気づかなかった。 「はー、終わった終わったー」 小太刀が大きく伸びをする。 22時過ぎ、ようやく今日の仕事が終わった。 この時刻、中央通りに歩行者はいない。 月の光を受けて白く輝く石畳に、俺たちの長い影が並ぶ。 「まさか、首吊ろうとしてるとは思わなかった」 「たまにあるんだよねー」 「天才畑の人って、やっぱどっか違うからさ」 慣れたものなのか、小太刀はお気楽である。 「『はじめてのおしごと』の感想は?」 「楽しかったよ」 「子供の感想か。私達はもっと崇高な仕事をしてるんだけど」 「言葉にすると長くなるけどさ……」 と、感想を述べてみる。 仕事を終えた俺の胸には、大きな達成感と充実感があった。 自分の行動が誰かのためになるってのは、想像以上に気持ちがいい。 嬉野さんについては、明確に事故を防げた。 文学青年は、目から鱗が落ちたようだと表情を輝かせて原稿に向かって行った。 さっきの化学系の青年は、生きる勇気が湧いたと言っていた。 普通に生きていたら、1日3件も人のためにはなれないだろう。 羊飼いになれば、これが仕事になる。 小太刀の言葉じゃないが、崇高な仕事に思えてきた。 「うん、そうそう。そういうことが聞きたかったのよ」 小太刀が満足げに笑う。 「目立たないしすぐに忘れられちゃうけど、意義のあることだと思ってる」 「ずっと覚えていられるより、お互い気持ちがいいと思うよ」 どれだけ人の役に立っても、羊飼いは、しばらくすると忘れられてしまう。 少し寂しい気もするが、一方では、むしろ記憶に残らない方が上品だとも思った。 いいことをして、あとはさっと記憶から消えていくってのはスマートだ。 覚えてほしくて、いいことをするわけじゃないしな。 「あー、そうそう。最初の子羊の仕事ではありがとうね。助かったわ」 「ああ、嬉野さんな。力になれて良かった」 「筧がいなかったら、失敗するところだった」 「やっぱ、筧は素質あるのかもね。私は昔から大して見えなかったし」 独り言のような言葉だった。 俺が慰めても嫌味になるだけだ。 「どうだかね。俺にはわからない」 「はっ、できる奴はみんなそうよ」 「あー、負けらんない。頑張んなきゃっ」 小太刀が自分でほっぺたを叩いた。 相変わらずの気合いである。 「小太刀は、羊飼いになってからの目標とかあるのか?」 「突然ね」 「ずいぶん思い入れあるみたいだし、試験の参考になるかと思って」 小太刀の羊飼いに対する思いの強さは、ここ数日、言葉の端々から感じられた。 「そんなに思い入れがあるように見える?」 「ああ、メジャーデビューを夢見てる駆け出しアーティスト的な感じだ」 「お先真っ暗っぽくない?」 「みんなそこから始まるんだ。俺だってそうだった」 「アンタ誰よ? 意味わかんないし」 「ま、冗談はともかく……」 小太刀が真顔になる。 「羊飼いになる以上は、人をよりよい未来に導いていきたいわね」 「特殊な能力持ってるわけだし、それが義務というか使命だと思う」 「能力がある人間は、それを遊ばせちゃいけないでしょ?」 能力か……。 望月さんか桜庭が同じようなことを言っていた気がする。 「立派なもんだ。普通の人が口にしたら危ない人認定だが」 「フツーの人と一緒にしないで」 「筧も、その辺自覚持ってね」 「はいはい」 少なくとも今日のお仕事体験で、羊飼いの通常業務は理解できた。 悪用しようと思えば危険な能力だし、その分、羊飼いには高いモラルが求められるだろう。 なかなか、やりがいがありそうな仕事だな。 「んじゃ、お疲れー」 「おう」 部屋の前の廊下まできた。 小太刀とはここでお別れだ。 「そいや、今日は抜け出して大丈夫だったの?」 「ま、大丈夫だろ」 「図書部、最近は何やってんの?」 「汐美祭に出ることになったんで、その企画」 「選挙の話はしただろ? で、選挙に勝つには汐美祭で目立たないと駄目って話になったんだ」 「へえ、ま、頑張って」 「関心ゼロな。俺たちゃ仲間だろ?」 「いやいや、敵でしょ、敵」 「夏休みの間に何回注意した思ってんのよ」 「悪いな、いつも」 「口だけじゃなく、本気で反省しなさいよ、まったく」 人差し指で胸をつんつんして来た。 「でさ、汐美祭で借りられる会場がなくて困ってるんだけど、ネタない?」 「適当に教室借りなさいよ」 「デカい場所を探してるんだよ。教室じゃ目立たないだろ?」 「そんなこと言って、図書館に話持ってきたらキレるからね」 人を殺しかねない目で見られた。 「こだっちゃん……」 「何よ」 「……冴えてる」 「はあっ!?」 「灯台もと暗しだな……図書館じゃ静粛にって固定観念に捕らわれてた」 「ちょっと待った、その固定観念大事! 大事にして! なに一皮むけた顔してんのよ」 小太刀が騒いでいるが、ここは無視しておこう。 俺たちは、汐美祭で負けるわけにはいかないのだ。 ここは口八丁手八丁で……。 「じゃあこう考えよう」 「ぶっちゃけ、今日みたいに部活から抜けるのは厳しいんだ」 「忙しいってのもあるけど、どうも、俺と小太刀の関係が疑われてるみたいでさ」 「やっぱ、抜け出すってシチュエーションは誤解を招きやすい」 「まあ、それは狙ってるから」 はい? 「なんでもない。んで?」 「誤解されるのは迷惑だろ? 小太刀にも気になる男くらいはいるだろうし」 「いないす、羊飼いだし」 「いるだろ?」 「いません」 「しつこいな」 「アンタがね」 負けるわけにはいかない。 「まあいい、じゃあ、仮にいるとしよう、思考実験な……はい、いる」 「そうすると、俺と誤解されるのは困るわけだ」 「でも、小太刀がいつも部室にいて、普通にしててくれれば誤解は徐々に解けるだろう」 「抜け出して会うってシチュエーションがまずいわけだから」 「あの……もう、詭弁ってレベルじゃないんだけど」 「思考実験、思考実験だって」 詭弁じゃなければ強弁である。 「誤解は解きたいが、部外者の小太刀はいつも部室にいられない。どうしたらいい?」 「そこで、汐美祭を利用するんだ」 「図書部に図書館を貸し出すことにして、小太刀はその監督のために部室に出入りする……仕方なく、だ」 「どうだ、これで堂々と図書部に出入りできるし、誤解も解ける」 今ここに、完璧な理論が生まれた。 「という解釈でどう?」 「おやすみ」 小太刀の部屋のドアが閉まった。 ミッション失敗か……まあいい。 真面目な話、図書館を会場にすることは考えていなかった。 もし借りられるなら、これほど目立つ場所もない。 交渉してみる価値はあるだろう。 まずは、みんなにメールだな。 「はあ……はあ……はあ……」 波打ち際を駆ける。 優しい波に足を取られそうになるけど、平気。 だって、転んでも彼が助けてくれるから♪ 「あはははっ、こっちこっち」 「女の私より遅いなんて、情けないゾ☆」 背後を走る彼に呼びかける。 わかってるよ、本当ならすぐにでも追いつけるのに、わざとゆっくり走ってくれているの。 振り返ると、夕日の中で彼の笑顔が眩しく躍った。 きゅん…… 急に泣きたくなるほど切なくなって、私の足は遅くなる。 だから、私達の距離はあっという間に縮まって…… そして…… 「セカイ、ふしぎ発見!」 「うあああぁぁあっっ!?」 跳ね起きた。 「はあ……はあ……はあ……」 俺は一体……? 周囲を見まわす。 俺の部屋だ。 「はあ……夢か…………」 どうしようもない夢だった。 パジャマが嫌な汗でぐっしょり濡れている。 時計を見れば、午前5時過ぎ。 「(くそ……)」 ベッドに仰向けになる。 こんな夢を見た原因はわかってる。 目に入るのは薄暗い天井。 今にも昼の惨事が映し出されそうな気がして、ぎゅっと目をつむる。 どうしてこんなことに……。 「いやー、京子ちゃんは相変わらず綺麗だね」 「ドゥフフ」 「お前らは喋らないでくれ、頭が痛くなる」 「図書館を借りるためですよ、京子さん」 「そうそう、ちょっとした我慢だ」 「これで図書館が借りられると思えば、安いものだろう?」 「大丈夫だよ。委員長も写真を撮るだけだって言ってたから」 「前の撮影を知らないから、そんなことが言えるんだ」 想像するだけで鳥肌が立つ。 「なあ京子、ちょっとの間、プライドを質入れするだけだろ?」 「余裕ができたら、また買い戻せばいい」 「そんな説得は初めて聞いた」 とはいえ、写真を撮られるだけで図書館が借りられるなら、悪い取り引きじゃない。 「京子ちゃん、お願いっ」 「お願いします」 みんなが手を合わせて拝んできた。 お人好し相手に、ひどい攻め方をするものだ。 「もうさー……最後だからな、ほんと最後だぞ」 「金輪際、頼まれても撮影なんかしないからな」 「京子さん、男ですっ」 「男と女、どっちやねん」 ぺしり、とやる気のないツッコミを入れる御園。 「わかったよ。しゃーない」 「お前、本当は撮影好きだろ」 「んなわけあるか」 再々々々度のこのパターン。 もう、図書館にいる以上離れられないのだろうか。 「(厳しい、厳しいぜ、人生……)」 脳裏を走馬燈が走る。 柔道部員に締め落とされた時にも思ったが、相変わらずひどい内容である。 ……。 大人の暴力から逃れようと本に頼ったガキの頃。 そのうち魔法の図書館なんていう幻想に取り憑かれ、幸か不幸か予知能力なんかを手に入れた。 最初は魔法使いだともてはやされたが、知人の不幸を的中させたことで評価は一変。 死神扱いされ、学校からはじき出され、施設に放り込まれた。 成長してきた俺を、実家が疎んだこともあっただろう。 「……」 施設には、これといった思い出がない。 覚えているのは、共同生活になじめず、ずっと本を読んでいたことくらいだ。 ……。 いや、何かあった気がするが、思い出せない。 覚えていないのなら、大したことじゃないんだろうが。 しかしまあ、見事な脱線人生である。 どこで、どうして、まっとうな道を外れたのか? これと言って怒りをぶつける対象はなかったが、強いて言えば父親という人なのだろう。 とはいえ、飲む打つ買うの三拍子揃ったろくでなしならともかく、殴る顔も覚えていないと来ている。 一体、どこで何をしているやら。 「(寝よ……ろくなもんじゃない)」 無理矢理、目を閉じる。 眠れば、心の傷も多少は癒えるだろう。 ……癒えてくれ。 「くそったれ……くそったれさぁ……」 昼休みの部室で、ミネラルウォーターを呷る。 「お客さーん、もうやめた方が……4本目ですよ」 「筧くん、昼間から飲んだくれちゃだめだよ」 「落ちねえんだよ、あいつの匂いがよぉ……洗っても洗ってもよぉ」 傷は癒えていなかった。 というか、部室にぶら下がったメイド服を見たら派手にフラッシュバックした。 「筧、白崎お手製のクッキーがまずくなるから、よそでやってくれ」 「玉藻ちゃん、京子ちゃんのお陰で図書館を借りられたんだから、もう少し言いようが……」 「あ、筧くん、よかったらこれ使って」 入浴剤を一包渡された。 「これね、新製品の入浴剤なの」 「泡がいっぱい出てパチパチするんだけど、嫌な匂いも取れると思うよ」 「そういう問題じゃないです」 まったくだ。 「筧さんの犠牲は無駄にはしませんよ」 佳奈すけが立ち上がる。 「皆さんっ! 私達は、ようやく汐美祭での活躍の舞台を手に入れたわけです」 「生徒会選挙に勝つためにも、すんばらしいー企画を考えなくてはなりません」 「違いますか? 違わないでしょう!」 「ふむ……まあ、そうな」 桜庭が、クッキーを食べながらうなずく。 「汐美学園が誇る大図書館だ、会場としては申し分ない」 「あとは企画勝負になるだろう」 「こんだけ広いんだから、もう何でもできるよな」 「何でもできるわけあるかーーっ」 ドアを蹴り開け、小太刀が入ってきた。 「あ、小太刀さん、こんにちは」 「『こんにちは』じゃないわ、このおっぱいお化け」 「ひうっ……」 胸を抱いて白崎が怯える。 というか、小太刀の方が大きいわけだが。 「うちの白崎に何を言うんだ、おっぱいクリーチャー」 「誰がクリーチャーか」 「それよりね、ここは図書館なの。お祭りだからって何でもやっていいわけないでしょ?」 「えー、焼きそば屋台とかだめ?」 「駄目。外でやれや」 物騒な面で、小太刀が俺たちを睨む。 「ご機嫌斜めじゃないか? どうした?」 「説明しないとわからない?」 「心当たりないですねぇ……」 「朝の占いが最下位だったとか」 「んなわけあるか」 腰に手を当て、小太刀が人差し指をぴっと立てた。 「まず、ひとーつ」 「私が知らないうちに図書館の貸し出し許可が下りていたこと」 「そして、ふたーつ」 「汐美祭まで、図書委員を代表して、あんたらを監視することになったこと」 「出世おめでとうございます」 「よっ、こだっちゃん!」 ぱらぱらと上がる拍手。 「左遷よ左遷。これからずっと図書部と行動しなきゃならないなんて……」 目眩でも起こしたのか、小太刀が目頭を押さえた。 どうやら、先日の思考実験がそのまま現実になったらしい。 「つまり、部室に常駐すると?」 「不本意ながらね。そういう話なんでしょ、桜庭?」 「ああ、会場を借りる際の交換条件になっている」 「好き勝手されても困るから、図書委員の監査役を一人入れてくれということだった」 「まさか小太刀になるとは思わなかったが」 「わたし達、信頼されてないんだね」 悲しそうに言う白崎。 『そりゃまあ』と、他の部員は顔を見合わせる。 「なんだろ、この疲労感……」 「ま、指名されちゃったものは仕方ないから、一応監視はするけどさぁ」 げんなりした顔で言いながら、余っていたパイプ椅子を引っ張り出し、腰を下ろした。 「粗茶でございます」 「うむ、くるしゅーない」 鈴木がすかさずお茶を出した。 湯飲みには、王将と書かれている。 どっから持ってきたんだ? 「ところで、小太刀さん」 「あん? 何よ?」 「先週の金曜日、筧さんと嬉野さんに何があったんですか?」 「そうそう。筧くん、小太刀さんと約束があるからって出て行ったのに、ウェブニュースにあんな記事が出て」 小太刀が、わざとらしく俺に一瞥をくれた。 目には悪戯っぽい色が浮かんでいる。 何か企んでるな。 「あー、どうしよっかなー。細かいことは秘密って約束なんだよね……私と筧の」 「へえ……」 「詳しく聞きたいな」 部室の温度が下がる。 「さ、ギザちゃん。お散歩に行こうか」 「はーい」 高峰とデブ猫がそそくさと出て行った。 「あ、俺もお散歩」 「まあ座りなよ若いの」 視線一つで有無を言わさず座らせられる。 「それで、何を秘密にしてるんだ?」 「別に秘密ってことはない」 「じゃあ、どうして嬉野さんに告白を?」 時間を止める必要があって……とは言えない。 羊飼いの件は、オープンにするかどうか決めていないしな。 罰ゲームとか言ったら、嬉野さんに対してひどいし……。 くそ、言い訳が思いつかない。 「ま、まあ……秘密、かな。はははは」 「うーん、やっぱ言えないよね?」 わざとらしくアヒル口を作る小太刀。 小太刀の奴、自分から誤解を生みに行ってないか? 「その、なんだ……二人はずいぶん親しいようだな?」 「前も言った通り、たまたま部屋が隣ってだけだ。なあ小太刀?」 「そうそう。ときたま一緒にテレビ見たり、ご飯食べたりするくらい」 話を盛ってきた。 なぜ焚きつける。 「あーちょっと、マジな顔しないでよ。心配しなくても付き合ってなんかないから」 小太刀から否定してくれた。 よかった、俺が穿って見ていただけらしい。 「本当ですか?」 「ほんとだって。隣同士だからちょっと話するくらいで」 「うん、たまーに恋愛相談になっちゃったりするけどね」 「そうそう……って、おいっ!?」 「筧の好みがめんどくさくてねー」 「大人しいのと積極的なの、どっちが好きなんだっけな……」 「ど、どっち!?」 「どっちなんですか?」 女性陣が色めき立つ。 「そうだ、積極的な方が好きだって言ってた」 「言ってねえ!?」 「積極的……」 「ですか」 誰も聞いちゃいない。 「あと、夜の羊飼いに天国まで導かれたいって言ってたかも」 「おいこら」 作り話だ。 「うわ……」 「それは……」 「筧……いくら小太刀が相手でも、話が直接的すぎるぞ」 「い、いや……大丈夫、私は平気だ、受け入れられる」 桜庭が意を決したような顔になる。 「いらねえよ、そんな包容力は」 「さっすが、年上の余裕だね」 小太刀が横目に1年生を見て言う。 「どういうことですか」 「私達だっていざって時は頑張りますよ」 「へー、例えば?」 「そーですね……って、言えるわけないじゃないですか」 何だか妙な風向きになってきた。 小太刀が完全に遊んでいやがる。 どういうつもりかわからないが、ここは一時撤退しておこう。 「おっと、そろそろ移動しないと4限に間に合わないな」 「え? いつもより早いね」 「いやー、ちょっと急ぐんだ」 さっさと荷物をまとめる。 授業にはまだ早いが、一刻も早く部室を出たかった。 「んじゃ、俺、急ぐんで」 「あ、一緒に行こうよ」 白崎が腰を浮かす。 「白崎さん、筧さんは急ぐって言ってますから」 鈴木が、満面の笑みで白崎を見た。 張りのある頬には『座ってろ』と書かれていた。 「……あ、う、うん……」 白崎が、虚を突かれたような顔をして座り直す。 「……」 「急ぐんですよね、センパイ」 「お、おう、じゃあまた」 「ではまたー」 「またー」 「(……ほう)」 妙に明るい1年生の笑顔に送り出される。 嫌な予感しかしないが、気にしないことにしよう。 「(ふふ……面白くなりそうね)」 4限の授業が終わった。 5限は空いてるし、部室で本でも読むか……。 と、思ったが、やめておこう。 部室に女性陣がいたら、静かに本を読ませてくれるとは思えない。 みんなが寄りつかない学食にでも行ってみよう。 教室を出て、第2食堂を目指す。 「……」 前方に危険人物を発見した。 鈴木佳奈だ。 どうしてこんな場所にいるんだ? 見つかるのは都合が悪い。 Uターンし、別ルートで学食を目指す。 「……ばかな」 反対方向にも見知った姿があった。 御園千莉である。 つまりあれか? 廊下の両側から挟み撃ちってことか? 偶然だ。 偶然に決まっている。 「あ、筧さん、偶然ですね」 「あ、筧先輩、偶然ですね」 「よ、よう……」 「あっれー、千莉もいたんだ?」 「たまたまね」 絶対嘘の顔だ。 「筧さん、これから部室ですか?」 「ああ、学食に行こうかと……」 「え、ホントですか? でしたら一緒に行きましょう」 「私達もご飯が食べたいと思ってたんです」 御園もうなずく。 佳奈すけが、偶然出会った御園の腹具合を知っているミステリー。 やはり、この出会いは仕組まれていたらしい。 「あ、そうだ、レポート書かないといけないんだった」 「筧先輩、レポートある授業取ってましたか?」 取っていない。 つーか、なんで俺の時間割を把握してるんだ。 「た、単発もんだよ。出席率があんまり悪いんで先生がキレたんだ」 「ちょっと自習室行ってくるわ。放課後には部室行くから」 立ち去ろうとしたところで、佳奈すけが大袈裟に声を上げた。 「あー、そうそう、筧さん」 「今週の土日って空いてます?」 「ど……」 「読書ってのはナシですよ?」 「え……」 「空いてますね?」 すごいプッシュだ。 「あ、空いてるけど……それが?」 御園と佳奈すけの目が光った。 なんだ? 蟹工船にでも乗せられるのか? 「よかったら、一緒に買い物行きませんか?」 ふう、買い物か。 「構わないけど、何買うんだ?」 「いろいろです。服とか」 「だったら、白崎とか桜庭の方が詳しいだろ」 「男子の意見が欲しいんですよ」 「じゃあ、た……」 「高峰先輩以外で」 「あいつが聞いたら出家しかねない台詞だぞ」 可哀相すぎる。 「ともかく、OKってことでいいですね」 「……まあ、いいけどさ」 「やった!」 「ありがとうございます」 佳奈すけが右腕にぶら下がってきた。 御園は左側にぴったりと近づく。 悪い気はしないが、周囲の注目は気になる。 「佳奈すけ、重いんだが」 「ちょっと体鍛えた方がいいですって。私がウェイトになります」 「はい、持ち上げて下さい」 佳奈すけが、ひしっと二の腕に掴まる。 「図書部員をなめるなよ……よっと」 ふんすと腕に力を入れる。 「おおおっ!?」 「筧先輩、そこそこやりますね」 限界ギリギリで佳奈すけが持ち上がった。 「無理」 佳奈すけを放り投げる。 「あだっ!?」 「女の子は大事にして下さいよ」 「あんまベタベタすると男に遊ばれるぞ」 「自分を大事にしろってこった」 「だって、佳奈」 御園がくすくす笑う。 「いや、そう言ってる御園も……」 ちらりと見ると、さりげなく俺の服を指先でつまんでいた。 「ベタベタですか?」 「ベタベタじゃないけど」 「……ああ、やっぱだめ」 身体をひねって御園の手をほどく。 「くすっ、照れてますね?」 「筧先輩、意外と可愛いところが」 御園が小さく笑う。 何とも〈蠱惑〉《こわく》的な笑みだ。 このままでは、何か大切なものを奪われてしまいそうだ。 「わ、悪いけど、そろそろ自習室に行かせてくれ」 「あ、お邪魔してすみません」 「じゃ、買い物の時間とか決まったらメールしますね。それじゃまたっ」 こっちの返事も待たず、二人がきゃーっと去って行く。 「……」 昼休みの嫌な予感はこれだったか。 しかし、二人はどういう意味合いで俺を誘ったんだ? 恋愛的な意味合いか、先輩後輩的な意味合いか。 ポジティブに考えすぎるのも気色悪いし、ここは落ち着いて様子を見よう。 5限の時間はまるっと読書に費やした。 やはり本はいい。 活字に没入していると、なんとも落ち着いた気分になる。 図書部に入ってから読書量は減ったが、ゼロにはできそうもない。 「お、幽霊みたいなのがいると思ったら、筧じゃないか」 後ろから追いついてきたのは、桜庭と白崎だった。 「ひどい言いぐさだ」 「逃げ水の中に立っているから驚いたよ」 「ああ、確かに見えるな」 遠くの石畳の上に、オイルだまりのような光沢が見えた。 「今日はホント暑いよね。地面で目玉焼きできそう」 ハンカチでは足らないらしく、白崎はハンドタオルで額の汗を拭う。 それに対し、桜庭は扇子を使いつつ、割と涼しそうな顔をしている。 ネクタイもきちっと結んでいるのはさすがだ。 「桜庭はあんま汗かかないんだな」 「白崎ほどじゃないな」 「あれか、高貴な人は汗をかかないように訓練するってやつ」 「ははは。生憎そこまで高貴じゃないんでな。目立たないだけでちゃんとかいてる」 と、ポニーテールを上げて、うなじを見せてきた。 ほつれ毛が、幾筋か白い肌に張り付いている。 何とも言えない色気がある。 「へえ」 「だろ?」 「……はっ!? お前は何をさせるんだ」 「見せてきたのはそっちだろ」 「……まさか露出狂の気が?」 「ない」 「……はずだ」 「何で自信ないんだよ」 「ねえねえ、私は高貴だから汗かかないよ」 「はいはい」 「あーっ、すっごく適当に流したー」 唇を尖らせる白崎。 「おかしい、白崎のギャグを聞いても涼しくならないな」 「それは面白いからだよね」 「ぜんぜん違う」 「えー、ひどいよー。ぶーぶー」 口でぶーぶー言う奴は初めて見た。 「白崎の髪型って暑くないのか? やっぱ慣れるもんなのか?」 「ううん、すっごい暑いよ」 にっこり笑う。 「あ、そうなんだ」 「わたしも、玉藻ちゃんみたいに髪結ぼうかな?」 「思い切って短くするのもアリかもしれないな」 「どうかなぁ……どうだろ?」 「筧くんはどんなのが似合うと思う?」 白崎が、自分の髪をポニーテールにしたり、首の後ろで二つ分けにしたりと、バリエーションを見せてくれる。 女の子は髪型一つですごく印象が変わる。 白崎の場合はどれもかわいかった。 「結構なんでも似合うな」 「元がいい奴は羨ましい。どう料理したって美味しくなる」 「だなぁ」 桜庭だって相当な素地だと思うが。 「もー、ちゃんと答えてよう」 白崎が腰に手を当てて膨れる。 「元がいいと言ってくれたんだ、良かったじゃないか」 「え? あ、そうか!」 「やだもー、筧くんは」 手をパタパタさせる白崎。 ほんと賑やかで疲れる。 図書館の自動扉が開くと同時に、冷たい空気が流れ出してきた。 「……これだなー、図書部で良かったよ」 「ふぁー、涼しいね〜」 3人で立ち止まり、しばしクールダウンする。 「あー、そうだ、筧」 「ん?」 「今週末は暇か? 暇だな? だと思った」 「喧嘩売ってんのか」 「何か予定があるの? 読書以外で」 「ふ……」 甘いな、先手を打ったつもりか。 「1年と買い物に行く約束してるが」 「ほ、ほう、買い物ね」 「……き、聞いてないなぁ」 いや、白崎に報告する義務もあるまい。 「で、どうした? 何か新しい依頼でも入ったか?」 「あーいや、その、なんだ……」 桜庭が視線を落とし、スカートのあたりで手をこすり合わせる。 「もし良かったらなんだが、一緒に買い物でもどうかと思っていたんだ」 「わたしも入れて、3人でね」 「……」 今週末は、買い物の当たり日なのか? 「ま、まあ、でも、1年と行くのなら難しいか、あは、あははは……はぁ」 「(ちょっと、玉藻ちゃん、くじけないで)」 二人でごちゃごちゃやっている。 「ちなみに何を買うんだ?」 「え? そ、そうだな……何がいいかな」 「(服、服)」 「おお、そうだった。服なんかどうだ? 男子の意見も聞いてみたくて」 またこのパターンか。 さて、どうしたものだろう。 土曜と日曜で分ける手もあるが、それもちょっとなあ。 むしろ、全員で行った方がいいかもしれない。 「1年も服が見たいって言ってたし、みんなで行かないか?」 「俺も、土日のどっちかは本が読みたいし」 「一緒か……」 「えーと」 二人が視線を交わしている。 「向こうがいいなら、私達は構わない」 「うん、筧君を2日連続で買い物に行かせるのも申し訳ないし」 「わかった。じゃあ、1年にも聞いてみよう」 「……一緒」 「ですか」 二人がにこりと笑う。 2年生と同じように、1年生の間でもアイコンタクトが交わされる。 「そうですね、2日連続じゃ、筧さんがかわいそうですし」 「では、日程についてだが……」 桜庭がざっと話をまとめる。 日曜の午後2時に駅前集合ということになった。 「(筧も大変ねえ)」 高峰が小声で話しかけてくる。 「(これって、そういう風に解釈していいのか?)」 「(そうねえ……まあ、大筋は)」 「じゃあ、筧さん、そういうことで」 「え? ああ、わかった」 「図書部はおさかんで結構なことねー」 部屋の片隅で黙っていた小太刀が口を開く。 椅子で脚を組んだまま、だらりとそっくり返っている。 「言いたいことでもあるのか?」 「ありますよそりゃ」 「汐美祭のことだよね?」 「もちろん分かってるよ。明後日が企画の締め切りだってことも」 「それそれ。図書館借り切ってるんだから、つまんない企画やられても困るからね」 「出し物がしょぼいと、来年の予算にも響くかもしれないし」 「わかっている。借りた以上は責任は取る」 桜庭が、司会然とした顔になる。 「買い物は企画がまとまってからの話だ」 「押忍」 「押忍」 「そうよー、高峰の首がかかってるんでしょ? しっかりやんなよー」 「小太刀ちゃんっ」 高峰が小太刀の手を取った。 「何?」 「さっきから、パンツが見えそう……」 「おりゃっ!」 小太刀の足裏が、綺麗に高峰の顔に入った。 「というわけで、企画ができるまでは休戦だ」 「余計なことは考えず、まずは企画を立てよう」 桜庭の声に、部室の空気が引き締まった。 汐美祭の企画の締め切りは水曜一杯。 それまでに、目立つ企画を考えられなければ生徒会選挙はまず駄目だ。 まずは、ここ数日が最初のハードルだ。 白熱した議論が続くこと3時間。 部室に西日が差し始めた。 クーラーだけでは足りず、それぞれが下敷きやらノートやらで顔を仰いでいる。 ホワイトボードには沢山の案が羅列されているが、どれもイマイチだ。 「なんつーか、せっかくの図書館を活かせてないんだよな」 「鈴木、図書館の良さとは何だ?」 桜庭が扇子の先で鈴木を指す。 「冷暖房完備で、何やってもOKなところです」 「うむ、正解」 「まな板ー、図書委員会と戦争するかー」 団扇をぱたぱた使いながら、小太刀が言う。 「なら、小太刀先輩も意見出して下さいよ」 「わたし、ただの監査……」 御園が無言でギザを抱きかかえる。 「……と、トイレ行こっかな」 カクカクとした動きで、小太刀が部屋から出て行く。 完全にギザがトラウマになっている。 「私達も休憩しよっか」 「そうだな……では、20分休憩しよう」 桜庭の声で、空気が一気に緩む。 ネタでも探しに外に出てみるか。 カウンター脇にある、各社の新聞を眺めてみる。 何か面白そうな記事はないだろうか? 「あら、あなたは」 新聞から顔を上げる。 立っていたのは多岐川さんだった。 「ああ、どうも。図書館で会うとは思わなかった」 「あまり来ないですからね」 愛想の一つもなく応えた。 「じゃあ、今日は何をしに?」 「汐美祭で図書館が某団体に貸し出されると聞きましたので、確認に」 「ああ、耳が早いね」 「図書委員長は、ハニートラップに引っかかったと弁明していましたよ」 「……ハニー?」 つまり何か? 俺がハニーってことか? 「さあな……求められたから応じたというだけのことだと思う」 「俺だって、好きであんな……うっ……うあああっ……」 嫌な光景がフラッシュバックする。 「あ、あの、大丈夫ですか?」 「すまない、取り乱した」 多岐川さんの目が冷たい。 「それで、図書部はどういった企画を行うつもりですか?」 「秘密ってことで」 「どうせ企画書提出するんだから、そのときわかるでしょ?」 「では、楽しみにしています」 「選挙に繋がるような企画だと、こちらも楽しくなるのですが」 挑戦的な笑みを浮かべた。 対抗意識をむき出しにされても困るよな。 「あれ、筧ー、何やってんの?」 小太刀が寄ってきた。 「多岐川さんとちょっとな」 「こんにちは、生徒会副会長の多岐川です」 「知ってる知ってる、有名人だもんね。こっちは図書委員の小太刀」 「委員長から聞いています。図書部の監査をすることになったと」 「うんそう。この人ら、無茶苦茶やるからさ」 小太刀が微笑むが、目は笑っていない。 黒山羊のことでも考えているのだろう。 「では、私はこれで」 多岐川さんが軽く会釈する。 黒山羊のことも少しは聞いておきたいところだ。 「そういや、先日、望月さんと話したんだけど」 「……え?」 多岐川さんが、返しかけた踵を元に戻す。 望月さんのネタは反応がいいな。 「望月さんが何か?」 「多岐川さんのこと心配してたよ」 「私のことを?」 一瞬、多岐川さんの顔に喜びの色が見えた。 「どういった内容か、聞いてもいいですか?」 「最近、少し焦ってるように見えるから、何か悩みがあるんじゃないかって言ってた」 「私は焦ってなどいませんが」 「さあ、望月さんがそう言ってるってだけだし」 「実際、専攻を頑張ってない生徒は退学ってのは、ちょっとやり過ぎなんじゃない?」 「その辺を見て、焦ってるって言ってるんだと思うけど」 「あなたにはわからないでしょうが、私は望月さんができなかったことをやっているだけです」 さして表情も変えずに、多岐川さんが言う。 「でもなあ……ちょっと変な噂を聞いてさ」 小太刀に視線を走らす。 「生徒会のバックにはいつも羊飼いがいて、この学園を操ってるって話」 「そうですか」 「羊飼いなんて実在するの?」 「実在はするでしょう? いろいろな噂があるわけですから」 「望月さん、そこを心配してたんだよ。多岐川さんが騙されてるんじゃないかって」 「騙されてはいません。協力しているだけです」 「……」 頭の中で多岐川さんの台詞をリピートする。 明らかに、会ったことがある人の言葉だ。 「もしかして、羊飼いと話したことあるの?」 「はい、ありますよ」 「……あ、そうなんだ」 さらりと来たな。 「ホントに? 嘘言っちゃってるんじゃないの?」 「本当のことです」 「羊飼いは、才能があり、努力を怠らない人間のところに現れるのでしょう?」 「なら、私のところに来てくれたことは、むしろ喜ぶべきことだと思っています」 自分が頑張っているから、羊飼いが来てくれた。 そう考えているなら、隠す話じゃないな。 仮に隠すとすれば、自慢になるから恥ずかしいって理由からだろう。 これは、持ち上げていけばいろいろ聞けそうだ。 「生徒会役員の間では、羊飼いに出会ったという話は珍しくありません」 「ゆくゆくはこの国のリーダーになる人間が集まっている場所ですからね」 少しだけ得意げに、多岐川さんは胸を反らした。 「参考までに、羊飼いとはどんな話をしたんだ?」 「私と、この学園の進むべき道についてです」 「よかったら聞かせてくれないか?」 多岐川さんが、まるで演説のように語りはじめる。 曰く── この国は今、停滞状況に置かれている。 もっとも深刻な問題は、若者が自信とやる気をなくしていることだ。 このままでは、あらゆる分野が徐々に弱体化していくだろう。 それを防ぐためには、日本から世界レベルの人材を数多く輩出することが必要だという。 先達が世界で活躍している姿を見れば、自分もああなれるかも、という希望が生まれる。 希望が自信ややる気となり、若者のレベルをより高める原動力になるということだ。 そして、日本中から優秀な生徒が集められた汐美学園は、世界レベルの人材を育成するのに最適な場所である。 つまりは、この学園のレベルを上げることが、日本の未来を明るくすることに繋がるというのだ。 その具体的施策として考えたのが、やる気のない生徒に辞めてもらうことだ。 学園の質を高めるには、まず怠けている人を消すのが第一と考えているらしい。 「退学処分になる人には、申し訳ないとも思います」 「でも、生徒会長には生徒達を幸福な未来に導く責務があります」 「あー、もっともだわー」 小太刀は腕組みをしてうなずいている。 すっかりシンパだ。 「つっても、やり過ぎは良くないんじゃないか?」 「ここが汐美学園でなければ、ほどほどのところで折り合いをつけていたでしょうね」 「でも、ここの生徒はハイレベルな教育環境を期待して入学してきたものと解釈しています」 「環境悪化の要因を排除することは、むしろ学園が提供してしかるべきサービスだと思いますよ」 「なるほどね」 筋は通っているのだ。 そもそも、理屈レベルでおかしい意見を押してくる人たちじゃない。 「それは、羊飼いの意見?」 「私の意見です。羊飼いはあくまでサポートをしてくれるだけですから」 ざっと話を聞いたところでは、多岐川さんのいう羊飼いが黒山羊かどうかはわからない。 仮に黒山羊だったとしても、破天荒なことはしていないみたいだな。 「好奇心から頼むんだけど、その羊飼いに会わせてもらえないかな?」 「こちらからコンタクトを取ることはできません」 「どうやって接触してんの? 手紙? メール?」 「電話です。番号非通知ですけど」 折り返しかけることはできないか。 「最近コンタクトがあったのは?」 「ええと……ああ、そう、10日ほど前でした」 「男? 女?」 「……男性だった気がします……あれ、どっちだったかな?」 自信なさげに多岐川さんが言う。 忘れかけていたのだろう。 記憶に残らないということは、接触したのが本物の羊飼いだった可能性が高くなる。 「ともかく、私から羊飼いを紹介するのは難しいです」 「でも、あなた方も、努力を続ければ会える日が来るかもしれませんね」 完全に上から目線だ。 羊飼いに会えたのがそんなに嬉しいのか。 「またコンタクトがあったら、教えてもらえないか?」 「私がそこまで親切だと思います?」 「そりゃ副会長だし……なあ小太刀?」 「もっちろん!」 二人で眩しい笑顔を作ってみる。 「……う」 多岐川さんがたじろぐ。 「(これだから図書部は……)」 「は?」 「では、私は仕事がありますので」 多岐川さんが話を締めた。 「引き留めて悪かった」 「いえ、話しかけたのはこちらですから」 「それではまた。汐美祭の企画書を楽しみにしています」 微笑を残し多岐川さんは去って行った。 「だってさ」 「黒山羊の尻尾が掴めたわね……妙に簡単に」 向こうからペラペラ喋ってくれたのだから、簡単も簡単だ。 何となく気色悪い。 「羊飼いに会ったのを、能力の証明みたいに捉える奴もいるんだな」 「実際、能力ない人のサポートはしないし、証明にはなると思うけど」 「不公平じゃないか? 人間の幸福を目指してるんだろ?」 「人間、何十億人もいるんだから、全員の面倒なんて見られないわよ」 「羊飼いって何人くらいいるんだ?」 「ナナイさんが771番なわけだから、大体800人くらいよ」 「そりゃ、全人類の面倒見るのは無理だな」 「そ。サンタさんだって、よい子にしかプレゼントくれないでしょ? 一緒よ」 サンタが急に俗っぽく見えるようになった。 「で、黒山羊のことは、これからどうする?」 「こっちから接触できないんじゃ、どん詰まりだ」 多岐川さんが進んで連絡をくれるとも思えない。 何か策はないだろうか。 「あー、筧くん、こんな所にいた」 部室の方から白崎がやってきた。 「ん? どうした?」 「休憩20分って約束だったでしょ? みんな待ってるよ?」 「ん……ああ、すまん」 「筧と大事な話があったの。ごめんねー」 「重要な、話?」 「そ、将来のね」 「んじゃ、筧、部室戻ろっか」 小太刀が俺の腕を引いて立ち上がらせる。 「あ、ちょっと、小太刀さん」 「何?」 「……な、何でもないです」 白崎の視線が俺に突き刺さっている。 「小太刀、暑苦しい」 「あ、ごめーん」 わざとらしいしなを作り、小太刀が離れる。 「じゃ、じゃあ、部室に……」 白崎が、憔悴したような足取りで部室に向かう。 やっぱり、小太刀は煽ってきてるな。 後で問い詰めてみるか。 図書部の散会後。 俺と小太刀は事務棟近くに潜んでいた。 目的はもちろん、多岐川さんの観察だ。 彼女と黒山羊に接触があったということ以外、有力な情報はない。 今できるのは、監視くらいだ。 「筧、ここ、蚊に刺されてる」 肘の外側を指さしてきた。 腕を思いっきりひねらないと見えない、絶妙な位置だ。 「外に突っ立ってりゃ、当たり前だ」 「薬塗ったげる」 ポケットからスティック状の塗り薬を取り出す。 俺の腕を取り、ちょこちょこと塗ってくれた。 「羊飼いになるのに、まさか張り込みすることになるとはね」 「おまけに、昼間は図書部の面倒見ることになっちゃったし、いいことないわ」 「んじゃ、これやる」 カバンから、あんパンと牛乳を取り出す。 「出たー、張り込みの定番……って、牛乳常温じゃんか」 「嫌ならいい」 「ありがとうございます、恐縮です」 敬礼してから小太刀はブツを受け取った。 「ところでさ、お前、最近うちの女子を煽ってないか?」 「煽る? なんのこと?」 「あいつらの前だと、妙に絡んで来るじゃないか」 「もしかして、筧の取り合いになるように私が仕向けてるって話?」 「じゃなきゃ、お前の態度は説明できないだろ?」 「さあ? 筧がそう思いたいだけかもしれないわよ」 小太刀がニヤニヤ笑う。 胡散臭い。 小太刀が、女子を煽って俺に突撃させようとしているとしたら、目的は何だ? 人的トラブルを起こして、図書部を混乱させることか? いや、小太刀にメリットがないな。 じゃあ、俺を、羊飼いの最終試験で落とそうとしている? 小太刀の話では、恋人、友人、家族問わず、特定の人間と強い関係を結ぶと羊飼いにはなれない。 なら、誰かと付き合えば不合格確定だ。 「……」 さすがにそこまでしないか。 1つの椅子を2人で争ってるわけじゃない。 小太刀に俺を落とす理由はないだろう。 個人的に俺を嫌いなら可能性もあるが、嫌悪感を持たれているようには思えない。 「私が煽ってるかどうかは置いておいて、もしアタックされたらどうするの?」 「前にも同じようなこと聞かれた気がする」 「気が変わったかと思って」 そうだなあ……。 小太刀の煽りのせいもあり、最近の女性陣は積極的だ。 昼間は半信半疑だったが、好意を向けられていると思っていいだろう。 俺にしても、みんなのことは嫌いじゃない。 じゃあ誰かと付き合うのか? なぜか、誰かと付き合っているところが上手く想像できなかった。 例えば、誰かと手を繋いで商店街を歩く。 そんな光景すら、自分には、吸血鬼が白昼堂々歩いているような違和感があった。 どうしてだろう? 「……アタックされたら考えるよ。捕らぬ狸のなんとやら、だろ?」 「煮え切らないわねえ、つまんないの」 答えあぐねているところで、丁度良く望月さん達が現れた。 お茶を濁してしまおう。 「ほら、多岐川さんのおでましだ」 「……あ、いいところだったのに」 小太刀が牛乳を飲み干す。 さて、今日は何か手がかりをつかめるだろうか。 「なーんも、起きなかったわね」 「ああ」 多岐川さんを寮の玄関まで尾行したが、収穫はなかった。 唯一わかったのは、多岐川さんはスキップができない……というか運動が苦手ってことくらいだ。 「明日はどうしよっか? 生徒会室にでも忍びこんでみる?」 「で、黒山羊が出るまで部屋の隅で体育座りでもしてるのか?」 「そうよねえ……意味ないわよねえ」 「だったら、多岐川の留守中にお宅訪問っていうのはどう?」 「一応言っとくけど、犯罪だからな」 「駄目出しするなら何か案を出しなさいよ」 「逆ギレかよ」 多岐川は、電話で黒山羊と接触したと言っていたな。 ということは…… 「多岐川の携帯の通話記録を調べるのはどうだ? 黒山羊の電話番号が分かるかもしれない」 「私の時みたいに、嬉野に頼むつもりでしょ?」 「ああ、交換条件を出されるだろうけど、調べられる知り合いはあの人しかいない」 「そっか、よくよく考えると、嬉野は京子ちゃんの生みの親なわけね」 小太刀が顔を輝かせた。 「……まあ、そうな」 依頼の交換条件として出されたのが、コスプレビラ配りだった。 あのせいで、俺の人生は……。 「うああっ!?」 「ちょっと、筧っ!?」 小太刀に肩を掴まれる。 「はぁ、はぁ……すまん、またフラッシュバックが……」 「嬉野さんに頼むのは、また今度にしよう」 「わかったわよ。じゃ、2、3日は地道に張り込みしましょ」 溜息混じりに小太刀が言った。 進展の見込みがあるのかないのか、さっぱり分からない。 「では、筧の提案してくれた企画はどうだろう?」 桜庭が、ホワイトボードにキュッと大きな丸を描いた。 囲われたキーワードは『参加型謎解きゲーム』。 先日新聞を眺めていたときに、最近の流行として紹介されていたものだ。 「どんなことをやるの?」 「俺も新聞とネットで調べただけなんだけど……」 まず、参加者数人が部屋に閉じ込められる。 部屋の中には、普通の家具が置かれているだけだ。 でも、よくよく探すといろいろなアイテムが出てくる。 例えば、ベッドの下に何も書かれていないメモ、引き出しの奥にルーペが見つかったとしよう。 メモには一見すると何も書かれていないが、ルーペで見ると罫線の一部が数字でできているのに気づく。 この番号が金庫の暗証番号になっており、金庫の中には脱出用の鍵が── といった具合に、いろいろ見つけては組み合わせ、脱出を目指す。 ゲームなので制限時間があり、それまでに脱出できなければ負けだ。 「ふうん……つまり、図書館から脱出するゲームにするんだね」 「基本はそうだな」 「宝探しとか、殺人事件の犯人を捜したりするバリエーションもあるみたいだ」 「お客さん、集まるかなぁ……」 白崎が不安げに言う。 「流行みたいだし、いけるんじゃないの?」 「失敗して、閑古鳥が鳴いたら泣けますねえ」 「会場が広いから、すいてると目立つね」 反応はイマイチだ。 「だが、この企画は当たれば大きいんじゃないか?」 「図書館なら千人規模のイベントができる。内容が良ければ、それが一気にプラス票に入る」 桜庭がポジティブな意見をくれた。 もちろん、狙いはそこだ。 「汐美祭での目標は、人気投票でトップを取ることだろう?」 「こぢんまりしたイベントじゃ、質が高くても、もらえる票数はたかが知れてる」 「動員人数が多くないと勝負にならないってことですね」 「……目的を忘れてました」 「いまんとこ、筧の案が一番盛り上がりそうかね……成功すれば」 「成功するかどうかは、わたしたち次第だよ」 同意の空気が広がっていく。 「私は勝負を賭ける価値があるプランだと思う。みんなはどうだ?」 異論は上がらなかった。 「よし、では、参加型謎解きゲームで行こう」 桜庭が一度ホワイトボードをクリアし、新しく『参加型謎解きゲーム』と大書きした。 「何とか期限前に企画がまとまったね」 白崎の安堵の表情につられ、みんなの緊張が解けた。 「企画書は私が書いて提出しておこう」 提出用紙は紙っぺら1枚の簡単なものだ。 詳細は決まってなくても提出できる。 「派手なイベントやるのはいいけど、図書館汚さないでよね」 「あと、飲食と火気は厳禁だから」 会議机から離れたところで、小太刀が声を上げた。 王将湯飲みで茶をすすりつつ、気が向いたときに意見を挟んでくる。 「任せとけって」 サムズアップする高峰。 「一番不安な奴に言われたわ」 「心配しないで下さい。できるだけ火を使わないようにします」 「できるだけじゃ駄目だっての!」 「小太刀も監査役になって大変だな、ははは」 「桜庭、後悔することになっても知らないからね……」 小太刀が黙然と腕を組んだ。 「参加型謎解きゲームって、どんな準備が必要なのかな?」 「まずは、シナリオと謎の作成、あとは宣伝と雑務だな」 「分担はどうすっかねえ」 「シナリオを考えるのは、大変そうだね」 「まさに企画の心臓だ。誰か希望者はいるか?」 みんなが顔を見合わせる。 さすがに立候補は出ない。 シナリオなんて、みんな素人もいいところだ。 「立候補がないなら、推薦? あみだクジかな?」 「文芸部の人間に頼むという手もある」 「しょぼいシナリオじゃ困るし、専門の人に頼めるなら、その方がいいかもな」 「あの……」 佳奈すけが、ちょこんと手を上げた。 視線が集まる。 「見つめられると何か照れますね。とうとう私にもモテ期が……」 「冗談はいい」 「ギャグ扱いですか!?」 佳奈すけが、くぅと目頭を押さえた。 「で、どうしたの、佳奈ちゃん?」 「よろしければ、シナリオの仕事をやらせてください」 「え? 立候補してくれるの?」 白崎が大きな目を更に大きく見開く。 「佳奈……」 「自信はあるのか?」 「ありません」 「でも、誰かにお願いして負けたら、後悔するんじゃないかなぁ……とかなんとか、てへり」 シリアスに耐えきれず、鈴木がギャグに走った。 「オッケー、佳奈ちゃんにお任せっ」 鼻息粗く、白崎が拳を握った。 「白崎、お前、勢いで……」 「勢いじゃないよ。佳奈ちゃんの心意気に感動しただけ」 「佳奈ちゃん、よろしくっ」 「はいっ、お姉様っ」 佳奈すけの手を白崎が握る。 「あ、あのっ、佳奈は私がサポートします」 二人の手に、御園が自分の手を添えた。 「完全に勢いじゃないか……」 桜庭が額に手を当ててがっくりする。 「これでいいじゃんか、姫」 「鈴木を信頼していないわけじゃないが、もし負けたらと思うと」 桜庭が不安げな顔をする。 鈴木のやる気は評価したいが、結果も出さなくてはならない。 図書部の良心である桜庭としては心配だろう。 「大丈夫だって。後は若いのに任せて、俺たちはあっちで……」 「しっぽり決めるわけないだろ」 「誰もしっぽりとか言ってないし。もー、姫はエロくて困るわ」 机の下で何事かが起き、高峰は机に突っ伏した。 最近の高峰は死に急いでいるな。 「佳奈すけ、任せて大丈夫か?」 「千莉も手伝ってくれるって言ってますし、大丈夫です」 「それに、物書きって、ちょっとトライしてみたいなーとか思ってたんですよね」 佳奈すけが、にっこり笑う。 でも、目は妙に真面目だった。 こいつなりに思うところがあるんだな。 ……なら、止めまい。 「時間もないし、1年には今週一杯くらいで素案を作ってほしい」 「いきなり本作業に入ってしまうと後戻りができなくなる。まずはネタチェックだ」 「やってみます」 「はい、頑張ります」 1年生のモチベーションは高い。 「なら、俺たちは広報と雑務に当たるか」 2年連中に言う。 「望むところだ」 「うん、頑張ろうね」 高峰は、机に突っ伏したまま、ぴくりと動いて返事をする。 これでようやく、企画の土台と役割分担ができた。 「ま、せいぜい頑張ってね」 「ふふふ、寂しかったら、混じってもいいぞ」 「誰が寂しがるか」 ともかくも、汐美祭が成功するかどうかは、この企画にかかっている。 そして、大本命である生徒会選挙の勝敗は、汐美祭の出来でほぼ決すると言っていい。 しっかりと準備を進めていこう。 図書部の解散後。 多岐川さんの住む学生寮で軽い聞き込みをしてみた。 「人品共に優れたお方のよーで」 「ほんと隙がない人だな」 多岐川さんは、寮長として絶大な人気を誇っていた。 堅物なところもあるが、真面目で公平、話もできるということだ。 「あんたら、多岐川と選挙でやり合うんでしょ……ご愁傷様」 「ダメ元だよ」 せっかく企画が立ち上がったのだ。 小賢しくいろいろやっていこう。 「んじゃ、帰るか」 「まだ多岐川が帰ってきてないし、尾行しておかない?」 「昨日何もないから、今日何もないとは言えないし」 小太刀が真面目な顔で言った。 そっか。 こいつは本気だったんだ。 「おっけー、行こう」 「ふう」 「はあ」 尾行してみたが、何の変化もなかった。 23時前に事務棟から出てきた望月さんと多岐川さんは、仲良く談笑しながら帰宅しましたとさ。 以上である。 「ま、明日も頑張ろうや」 「黒山羊め……見つけたらジンギスカンにしてやるわ」 「それ、羊な」 「ん?」 電話の音が聞こえた。 着信メロディーではなく、電話のベルだ。 「小太刀、電話じゃないか?」 「あれ? そっちじゃないの?」 「いや」 二人で周囲を見まわす。 「……」 「もしかして、あれかな?」 「……かも」 周囲に通行人はいない。 だが、あるものが立っていた。 公衆電話だ。 といっても、ガラスの棺桶みたいなものじゃなく、災害時用の小さなものだ。 「公衆電話って、鳴るの?」 「どの公衆電話にも番号が割り当てられてるはずだ、通信試験に使うやつが」 「つっても、普通のやり方じゃ番号は調べられないみたいだけど」 「どうする?」 「普通に考えりゃ、業者のメンテナンスだけど……」 「黒山羊かもしれない」 考えていることは同じだった。 そもそも、小太刀の携帯からして黒いルートで流通してそうブツなのだ。 黒山羊が公衆電話の番号くらい知っていてもおかしくない。 それに、業者の電話だったとしても、鳴ってたんで出ちゃいましたで済む話だ。 「出てみる」 「ゴーゴー」 電話に近づき、受話器に手を伸ばす。 緊張のせいで汗がにじみ出てくる。 「……もしもし」 自分の喉から、かすれた声が出た。 「私を探しているようだな」 出し抜けに声は言った。 当たりだ、という直感に震える。 「あなたが、多岐川さんに接触していた羊飼いですか?」 「その通り。私が黒山羊だ」 「……」 小太刀に目で合図をする。 吐息がかかりそうな距離まで近づき、受話器を共有する。 「あなたが黒山羊だという証拠はありますか」 「信じる信じないは、君の自由だね」 「ただ、私は電話を『かけてあげている』ということを忘れないでいてほしい」 「ですね……すみません」 電話を切られては困る。 機嫌を損ねないようにしないと。 「どうして、私に電話を?」 「会いたがっていたのはそっちだろう? 用件を聞こう」 どうやら、こっちのことを知っているらしい。 さすが羊飼いだ。 「あなたは、何のために多岐川さんをサポートしてるんですか?」 「多岐川君が優秀だからだ」 「彼女には、ゆくゆくは国を背負う政治家になってもらう予定だ」 「……」 どこか引っかかるところがあった。 だが、すぐには言葉にならない。 「なら、どうしてあなたはナナイさんから目をつけられているんですか?」 「間違ったことをしているようには聞こえませんが」 「ナナイ? ああ、あのスカした奴か」 「あいつは、私のやり方が気に入らないんだ」 「どんなやり方ですか?」 「羊飼い予備生たる君達には、是非とも聞いてほしい」 そう言って、黒山羊は一呼吸置いた。 「羊飼いは、人間のあらゆる未来を知る立場にある」 「では、そんな我々に与えられた役割とは何か?」 ナナイさんの言葉を借りれば、人がよりよい未来を迎えられるようサポートすることだ。 「人間を、幸福な未来に導くこと?」 小太刀が呟く。 「その通り」 「人類に正しい道を示すことが私達に課せられた使命だ」 言ってることはおかしくない気がする。 「それで、どうしてナナイさんと対立するんですか?」 「さて、こっちが教えてほしいくらいだ」 とぼけているのか、本当に分からないのかどっちだろう。 「あなたには、この学園から手を引いてほしいと思ってるんですが」 「俺は間違ったことをしていない。手を引く理由がないし、まだ目的を達していない」 「手を引かせるのが、こっちの仕事なんだけど」 小太刀が尖った声を出す。 「凄んだところでどうにもならないぞ」 「君達には私を見つけられないし、見つけたところで私を止めることとはできない」 「最も野蛮で確実な方法ですら、羊飼いには通用しないのだからね」 「そっか……不老不死だったか」 喧嘩腰では解決しないようだ。 「さっき言ってた、目的ってのは何ですか? 多岐川さんのサポート以外のことですか?」 「多岐川君のサポートも目的ではあるが、より大きな目的のための手段でもある」 俺の問いに、黒山羊が答える。 曰く── 彼の最終的な目的は、汐美学園をより効率的に生徒の能力を高める場所に変えることだという。 そう考えるに至ったのは、羊飼いの人手不足というひどく現実的な理由だった。 この学園には数多くの優秀な生徒がいるが、羊飼いのサポートが間に合わず、消えていってしまう才能も多い。 羊飼いを増やせればいいが、そうもいかない実情がある。 そこで、黒山羊は生徒達の本を調べ上げ、もっともロスの少ない解決法を研究した。 出た答えが、学園を徹底した能力主義に変革することだという。 「つまり、あなたと多岐川さんの理想が一致したってことですね」 「それで、多岐川さんをサポートしたと」 「誤解がないよう言っておくが、彼女のためでもある」 「それはいいですけど、お陰でうちの身内が一人、退学になりそうなんですが」 「高峰君だろう」 「ええ。勉強はできませんが、気のいい奴ですよ」 「少なくとも、放校になるほど悪いことはしてないと思います」 「な、小太刀?」 「え? まあ、一応ね」 「(お前、ちゃんと合わせろよ)」 「(いきなり振らないでよ、別のこと考えてたんだから)」 顔もくっつかんばかりににらみ合う。 「そう言うがね……もっと羊飼いがいれば、彼も空手をやめなくて済んだんだ」 「え?」 「羊飼いの数が限られている以上、どうしてもサポートに優先順位が出てしまう」 「手数が足りていれば、彼が運動をやめることはなかった」 「わかるかい? つまりは、高峰君のような事態を減らしたいんだよ」 病院のベッド数や医師の不足と同じ話だ。 全ての患者を救いたくても、マンパワーには限界がある。 つけたくなくても、優先順をつけねばならないのが現実だ。 より症状の重い患者から、より社会的地位の高い患者から……。 黒山羊は黒山羊なりの考えがあって行動しているらしい。 彼を排除していいのか、という疑問もあるが、それが仕事でもある。 実行するかどうかは置くとして、筋道は作っておかねばならない。 「……理解はできました」 「揚げ足を取るようですけど、先程、間違ったことをしていないから、手を引かないと言いましたよね」 「つまり、あなたのやり方が間違っていると指摘できれば、手を引いてもらえるんですか」 「私も誤った道は歩きたくない」 「君達の意見が正しければ、むしろありがたく拝聴し、行動を修正する可能性はある」 そんなことはないだろうが、というニュアンスだった。 「また会えるってことですか」 「公衆電話の下にメモがある。そこに電話を」 「では、貴重な意見が聞けることを期待しているよ」 電話が切れた。 「だとさ」 受話器を置く。 「ふうん」 ふと、横を向くと、目の前に小太刀の顔があった。 「お……」 「わ……」 思わず見つめ合ってしまう。 「な、何よ……私の顔に文句あるの」 「いや……」 文句はない。 なんだかんだ言って、小太刀は可愛い顔をしている。 「……睫毛、長いんだな」 「ば、馬鹿じゃないの」 ようやく小太刀が距離を取った。 今頃になって、ずっと花のような香りがしていたことに気づく。 男にはない香りだ。 「や、やめてよね、そういうこと言うの」 「あんたの試験のためにならないわよ」 「いや、それだと、俺が小太刀に気がある的な話になってないか?」 「ち、違うわよ」 「と、とにかく、お互い何かあったらまずいでしょってこと」 小太刀がぶすっとしてそっぽを向く。 「はいはい、終わり終わり」 小太刀が手ばたきをして話題を終わらせる。 「黒山羊の感想は?」 「そうだな……割と話がわかりそうな奴だった」 「理性的な性格みたいだし、言ってることもおかしくないし」 「私はけっこう共感できたかも」 「羊飼いは、もっと先に立って人間を導いていくべきよ」 「同意したら黒山羊を説得できないぞ」 あそっか、という顔をする小太刀。 「でも、小太刀の考え方が黒山羊に近いのは悪くないな」 「俺が小太刀を説得できれば、黒山羊も説得できるかもしれないってことだ」 「試金石にはなるかもね」 「そういや、メモがどうとか言ってなかったっけ?」 「ああ、そうだ」 公衆電話が乗っている台の下に手を這わせる。 指先に紙が触れた。 取ってみると、いくつかの数字が書かれている。 「固定電話の番号だな。ここにかければ繋がるのか」 「コンタクトの方法がわかって良かった」 「この番号から、持ち主のことはわからないか?」 「相手が羊飼いなら無理ね。私の携帯だって、どっかの誰かのだし」 そういえば、以前嬉野さんに調べてもらったんだった。 「しっかし、携帯にかけて来りゃいいのに、なんで公衆電話使ったんだろ」 「こっちのことを観察してるってアピールじゃないか」 「俺たちがいつどこにいるか把握していないと、公衆電話は使えない」 「携帯片手に俺たちを観察してんのか、俺たちの全てを知ってるのかはわからないけど」 「ま、本物の羊飼いなら後者でしょうね」 「黒山羊が本物かどうか疑っても、いいことないだろ」 「そね。接触できたのは向こうのサービスだし」 どうも黒山羊って奴は、サービス精神旺盛らしい。 そもそも羊飼いという存在が、善意の塊みたいなものだが。 他にもいくつか気になることがあるが、彼の正体を疑ったところで始まらない。 「ともかく、あとは黒山羊を説得するネタを考えるだけだ」 「そうね……じっくり考えましょ」 「黒山羊を説得できれば、私もようやく羊飼いね……ふふ」 小太刀の目がギラリと光った。 意欲十分だ。 俺はと言えば、相変わらず羊飼いになる気は起きない。 結論を出すのは試験に受かってからでも遅くないし、小太刀のためにももう少し付き合おう。 放課後の部室では、それぞれが汐美祭の企画を進めていた。 「玉藻ちゃん、遅いね」 「ああ」 桜庭は、2時間ほど前に生徒会から呼び出しを受けていた。 昨日提出した汐美祭の企画書について相談があると言うことだ。 何か、内容に不備があったのだろうか? 「みなさん、桜庭さんが戻ってくるまで、ちょっとこれを読んでもらえませんか?」 「参加型謎解きゲームのシナリオ案です」 佳奈すけがA4の紙を配る。 「お、早速できたんだ、すごいじゃん」 「いやー、思いついたこと並べただけなんで」 てれてれと謙遜する佳奈すけ。 「私も読みましたが、結構楽しいです」 「では、一つジャッジをお願いします」 佳奈すけが、がばっと机に伏せた。 「あんた、何やってんの?」 「恥ずかしくて、読んでるところを見てられないんだろ」 『正解!』と鈴木が手で○を作った。 とにかく読んでみよう。 「……」 ジャンルは殺人事件モノだった。 ストーリーは大体こうである。 少女は図書館の常連で、眉目秀麗、成績優秀、ザ・文学少女といった儚げな雰囲気を持っている。 図書館という地味な場所においては、非常に目立つ存在で、男子からの人気も高い子だった。 台風一過のある日。 少女は、図書館内で死体となって発見される。 死因は手首を切っての失血死。 遺体の脇に遺書らしきものがあったため、警察は彼女の死を自殺と断じた。 しかし、捜査が打ち切られた日から、図書館では少女の幽霊が出るとの噂が立つ。 ある日、噂に興味を持った生徒数人が、肝試し半分で夜の図書館に忍び込む。 ──この生徒というのがプレイヤーになるわけだ。 彼らが図書館に入ると、突然、すべての出入り口に鍵がかかる。 困惑する生徒達の前に、浮かび上がる少女Aの幽霊。 生徒達を見つめ、少女は静かに口を開いた。 『犯人を探して……』 ここからゲームスタートだ。 プレイヤーは、幽霊に導かれながら情報の断片を手に入れ、犯人を推理するのだ。 「おお……」 「いいんじゃない、いいんじゃない、いいんじゃない?」 「すっごく先が気になるよ」 「佳奈、きっと才能があるんだと思います」 反応は総じて良い。 俺も先が気になる。 「すごいぞ佳奈すけ、こんなの短時間でよく考えられるな」 「いやぁ、実は元ネタがありまして」 鈴木が顔を上げる。 妙にまじめくさった顔だ。 「この話……実話、なんです」 「え? この図書館であったことなの?」 「はい、5年前のことです」 「そして、いまだ犯人は捕まっておらず、少女Aはこの図書館をさまよっているんですよ」 「そ、そんな……」 部室に沈黙が落ちる。 ふいに── ──日が翳った。 「ほらそこにっ!!!!」 佳奈すけが空いた椅子を指差す。 「ぼくとインパ」 デブ猫がM字開脚を決めていた。 「きゃああっっっ!!」 「ひぅ……」 「とんだ夢の国ね」 別の意味で悲鳴が上がった。 阿鼻叫喚である。 「とまあ、こんな話ですよ、ええ」 一仕事終えた感じで、鈴木が額の汗を拭った。 「う、うん……お話は、良かったと思うよ」 「話は」 「話はね」 「では、桜庭さんに確認取ったら、これを進めてみますね」 ニコニコ顔の鈴木である。 「……ただいま」 「おかえり、玉藻ちゃん」 手で軽く応じて、桜庭は無言のまま席に座った。 「どうしたんですか?」 「ああ、うん……」 桜庭が机の上で手を握り合わせる。 「鈴木がせっかく作ってくれたシナリオだが……」 「日の目を見ることはなさそうだ」 全員が、桜庭の顔を見た。 「玉藻ちゃん、どういうこと!?」 「企画にNGが出た」 桜庭がカバンから書類を取り出し、机の上に投げた。 一番上の用紙には、『不受理』の赤いハンコが押されていた。 「……まさかな」 「こんな漫画みたいなハンコ……売ってるのか」 「そこかよ」 エスプリの利いたやりとりは、沈黙を重くしただけだった。 「理由は……なんですか?」 桜庭が、億劫そうに唇を動かす。 桜庭が机を叩く。 「なぜ……なぜ認められないんだっ」 「今年の汐美祭では、日頃の活動に基づいた発表をしてもらうことになりました」 「運動部はともかく、文化部にとっては良い機会だと思います」 「では、私達はどうしろというんだ?」 「公開読書会でもやれというのか? それとも図書部新聞でも配るか? 馬鹿馬鹿しい!」 「えーと……あなた、図書部員よね?」 いきなり正統な図書部の活動を否定する桜庭であった。 「……こほん。ともかく、それでは客が集まらない」 「発表するところに意義があるのだと思います」 「お客を集めるために、日頃の活動をしているわけではないでしょう?」 「詭弁だ」 「桜庭さん」 望月の後ろに控えていた多岐川が口を開く。 「こちらに、図書部設立時に提出された書類があります」 「活動内容の欄には『読書会や会報発行を通して、読書文化を広めること』とありますね」 「それがどうした」 「大変素晴らしい理念だと思います」 「ですから、汐美祭でも胸を張って日頃の成果を発表して下さい」 「今の図書部の活動は、以前とは違う。知っているだろう?」 「申請と異なる活動をしているなら、いろいろと考えることがありますが」 多岐川がニコリと笑う。 男性なら魅力的と見るかも知れないが、桜庭には小馬鹿にされているように見えた。 同時に、桜庭は笑顔に隠された挑発的な意図をも察していた。 即ち、図書部には活躍させない、という多岐川の意図だ。 「企画書の修正については、月曜日の正午まで受け付けます」 「今日は企画書を持ち帰っていただいて、皆さんとじっくり相談してみて下さい」 桜庭が無言で立ち上がる。 背筋が美しく伸ばされ、しなやかな脚線美が強調される。 同性である望月すら一瞬目を見張ったほどだ。 図書部の面々は既に慣れていたが、桜庭の立ち居振る舞いの美しさは群を抜いている。 「今までの私は、白崎を支えるために活動してきた。生徒会選挙についてもまた然りだ」 「だが、今日で気が変わったよ」 桜庭が多岐川を見つめる。 澄んだ瞳の奥に、確かな光があった。 「多岐川、私はお前を生徒会長にしたくない」 「ふふ、それは威勢の良いことで、姫様」 「失礼する」 「いやー、華麗に喧嘩売ったなあ」 「桜庭さん、素敵ですっ」 「かっこいいです」 「そう言ってくれるのはありがたいが、反省している」 「私の発言で更に審査が厳しくなったら、申し訳が立たない」 そう言ってから、マグカップの端を噛むようにしてお茶を飲んだ。 恥ずかしさと申し訳なさが混じり合っているようだ。 「気にするなよ。俺がその場にいたら同じこと言ったよ」 「ありがとう……気が楽になるよ」 桜庭が微笑む。 「んっんん」 「ごほっ、ごほっ」 1年がわざとらしく咳をする。 「まあなんだ、要は図書部っぽい企画にすればいいんだろ?」 「向こうの要求はそうだ」 「地味すぎます。図書部らしいことしたって、お客なんか呼べませんよ」 「佳奈すけ、全国の図書部諸君に謝れ」 「じゃあ、公開読書会をしますか?」 「それとこれとは話が別だ」 「何なんだお前は」 話を逸らしてしまった。 「つまり、図書部らしくてお客が呼べるのを考えなきゃならないと」 全員が首をひねる。 約1時間が経過した。 ロクな案が出ない。 そもそも、参加型謎解きゲームだって数日かけてようやく出た案なのだ。 すぐに代案が出るわけがない。 「小太刀さん、何か考えつかない?」 弱り果てた白崎が、助けを求めた。 離れたところで漫画を読んでいた小太刀が、本の上から目だけを出す。 「知らないわよ、あんたらの企画でしょ?」 「頼みます、小太刀さん。いくらでも肩揉みますから」 「お願いします」 それぞれ頭を下げる。 「あーもー、面倒くさいわね」 「あれじゃない? 全然別の案を考えるんじゃなくてさ、ちょっとひねるとか」 「要は、イベントに参加した人が、図書部っぽいなあって思えばいいんでしょ?」 漫画を棚に戻しながら小太刀が言う。 「参加型謎解きゲームで、図書部っぽいか……」 「シナリオをひねってみたらどうだ?」 「図書部を舞台にするとか、図書館をあまり利用しない人に図書館の良さを知ってもらうとか」 「ん〜、何かイメージ沸きませんね」 「例えば図書館に殺人鬼が現れて、殺す理由が『図書館の利用マナーが悪いから』とか」 「鬼か!」 「いや、殺人鬼だから鬼なのは当たり前か」 一人納得する桜庭。 「お話の中で、自然に図書部や図書館のことを知ってもらうんだね」 「図書館のプラスになるなら、図書委員会も応援できるかもね。委員長に一筆もらうとかさ」 「それなら、生徒会も文句言えません」 うっすらと光が見えてきた。 「ちょ、ちょっと、私の責任、重大すぎやしませんか?」 「たった2日でさっきみたいな話が作れたんだ、自信持てよ」 「佳奈は才能ある、平気。もっと熱くなって」 「千莉……無責任……」 「私も手伝うから」 鈴木が頭を抱えた。 「白崎、ここは役割分担を気にしている場合じゃないな」 「うん、締め切りまで、全員でお話を考えようよ」 「もちろん、メインは佳奈ちゃんにお願いするね」 「佳奈ちゃんが作ったお話をみんなで読ませてもらって、どんどん意見を言っていくの」 「そしたら、生徒会の人も納得できるものができるんじゃないかな?」 白崎が、菩薩のごとき笑みを浮かべる。 「お姉様……」 鈴木が顔を上げる。 「でも、もし満足できるものができなかったら……」 「その時は……」 白崎は高峰を見てから、顎に手を当てて考える。 「うん、その時はまた別の方法を考えようよ」 にっこり笑った。 「ったく、もうちょっとマシなこと言いなさいよ」 「みんなでやって駄目なら仕方ないです」 「そりゃそーだけどさぁ……」 不服そうに小太刀が腕を組む。 白崎の言葉は、決して諦めではないのだと思う。 彼女は、図書部の力を信じているのだ。 だからこそ、駄目なら仕方ないと言える。 「小太刀も協力してくれよ」 「えー、あー、そうねえ……まあいいか」 「よし、方針が決まったな」 「企画書の締め切りは月曜の正午だ。念のため、日曜の夜には完成版を作る目標で行こう」 「けっこうキツキツだなあ」 「もう少しゆとりは作れないか?」 佳奈すけの負担が大きすぎる。 「いえ……日曜夜なんて甘っちょろい」 「甘過ぎて甘過ぎて、甘茶でカッポレってくらいですよ」 「は?」 「土曜の夜までに、完成させましょう」 ガッツポーズを作って言った。 「はあ?」 どうしちまったんだ。 いきなり作家魂に目覚めたのか。 と、御園が何かに気づいたような顔をする。 「あ、そうだったね」 「うん、頑張ってみようか玉藻ちゃん」 「もちろんだ」 しかも、みんな同意してるし。 「そこまで頑張らんでも」 「何を言ってるんですか、筧さん」 女性陣(小太刀除く)が俺を睨む。 「日曜日は、デー……買い物です」 「……」 そんな話もあったな。 「いやいやいや、図書部のピンチなんだぞ、遊んでられるか」 「女はね、餌があった方が頑張れるんだよ」 「日曜遊んで、それで生徒会からNG出たらどうするんだ」 「出ないようなものを、土曜までに作ればいい」 ニヤリ、と桜庭が笑う。 こいつまで乙女チック思考回路発動か。 「(ここは乗せとけ)」 高峰が耳元で囁いてきた。 確かに、ここで勢いに水を差すのは得策じゃない。 まずは土曜の夜まで全力で突っ走った方が、総合的にはいいものができるかもしれないし。 よし。 「OK。土曜で仕上げて、日曜はぱーっと行こう」 「任せて、筧くんっ」 白崎を中心に団結の輪を作る4人。 『一時休戦』とか『ほしがりません勝つまでは』とか漏れ聞こえてくる。 「じゃあみんな、気合い入れて行こう!」 気炎を上げた。 「いやー、筧も大変ねえ」 「身がいくつあっても保たないね、こりゃ」 二人が、俺の肩に背後から手を置いた。 見なくとも、生暖かい笑顔が見えるようだ。 「図書部のためだろ?」 俺が多少ピエロっぽくなったって、図書部全体が上手くいくなら構わない。 それがみんなの幸福に繋がるなら。 昼休み。 部室に入ると、2年生の3人が俺を見た。 それぞれ、書類に目を落としている。 「あれ、1年は?」 「佳奈ちゃんの家で原稿書いてるんだって」 「修正案を作ってはメールで送ってくれている。全部目を通して意見をくれ」 桜庭が持った書類をヒラヒラさせながら言った。 ざっと見ると、5案ほどあるようだ。 「あの2人、もうこんなに作ったのか」 「徹夜に授業ブッチだからなあ」 「こっちが昼休みに入ったところで、向こうは仮眠だってさ」 こっちが読み終わった頃合いで、目を覚ます予定なのだろう。 「んじゃ、ぼんやりしてられないな」 さっそく修正案に目を通す。 昼休み終了の予鈴が鳴るが、誰も反応しない。 「玉藻ちゃん、次、必修じゃなかったっけ?」 「さあ、覚えてないな」 1年が頑張っているのに、2年がいつも通りじゃ格好がつかない。 更に30分ほどが経過した。 全員が修正案を読み終えたので、今度は案の検討に入る。 「ひとまずは、こんなところか」 議事録を作っていた桜庭が手を止めた。 各案について長所短所を話し合い、残すところは残し、駄目なところは削る。 頑張ってる1年には酷だが、まるっとボツになった案もある。 重視したのは、話の面白さと図書部らしさの2点だ。 どっちかだけ優れていても、汐美祭の趣旨には合わない。 「1年生、凹んだりしないかな」 俺の言葉を受け、二人が心配そうにノートPCの画面を見つめる。 「ああ……少し採点が辛すぎるかもしれないな」 「いいのいいの、こういうのはスパルタなくらいで」 「褒められて伸びるタイプだったらどうすんのよ」 途中から混じってきた小太刀が言う。 「佳奈すけは、どっちかってとMだから大丈夫だと思う」 「むしろ、褒められすぎると不安になるタイプだ」 「御園は声楽で批評されることには慣れてるだろ」 「いいところはいい、駄目なところ駄目って、はっきり言った方がいいんじゃないか」 「ふーん、ずいぶん詳しいんだね」 「さすが筧大先生だ」 からかい混じりの視線を向けてくる二人。 「見てればわかるレベルだろ」 「つーても、筧だって誰でも見るわけじゃないもんねえ」 「1年のことはどうしても気になるって言ってたじゃん」 「もう、捏造の相手はしないことにした」 相変わらず、小太刀が煽ってきた。 「やっぱり、若さには勝てないんだね」 「ちなみに、私達はどうなんだ? 褒められて伸びるタイプか、そうでないか」 「そうなあ……」 「白崎は、褒められて伸びるタイプだな。桜庭はドMだから、ビシビシ言った方がいいだろ」 「ど、ドMってなんだ!?」 「私のどこか、いじめられて喜ぶように見える」 顔を赤らめつつ、ぶすっとした顔をする。 「今、喜んでるじゃねーか」 「ああ、まさに」 「よ、喜んでなんて……そんな、私は別に……」 ぶつぶつ言いながら、顔がいっそう赤くなる。 いじりがいのあるリアクションだ。 「玉藻ちゃんに比べて、私はさらっとしてるよね。褒められて伸びるってだけだし」 一方で、白崎は拗ねていた。 「ま、SでもMでもいいから、さっさと1年に感想を送ってあげたら?」 「あ、ああ、そうだな」 桜庭が表情を引き締め、感想を送信する。 「佳奈、起きて、起きてよ」 ベッドで健やかな寝息を立てている鈴木を、御園が揺り動かす。 「うーん、むにゃむにゃ、見て下さい、Dカップになりました……」 「本当に夢だから、それ」 「はあっ!?」 鈴木が、がばりと身体を起こす。 「お、おはよう」 「何か今、すごく悲しいことがあった気がする」 「それより、先輩から感想が返ってきたよ」 「なんですとっ!?」 ベッドから半分転がり落ちながら、鈴木がPCのモニターに張り付く。 「ズバリ書いてあるから、心臓に注意」 「大丈夫……」 「うわー、あー、おほー、ひゃー」 椅子の上で身をくねらす鈴木。 「変態っぽいよ」 悪態を吐きながら、御園にも鈴木の気持ちは理解できた。 「対策を考えないと」 「うん、6時くらいには、新しいのを送らないとね」 「コーヒー入れてくる」 「任せたっ」 威勢良く言って、鈴木は玉砕と書かれたハチマキを頭に結んだ。 鈴木からのレスを待つ間、俺は部室を抜け出した。 呼び出しのメールがあったからだ。 図書館を出て、待ち人を探す。 ……おお、いた。 「こんにちは」 「あ、筧君。突然メールしてごめんなさい」 俺に気づいた望月さんが、にこりとする。 強い陽射しに逆らうように、望月さんは背筋を伸ばしている。 もうそれだけで風格が漂って見えた。 「構いませんよ。で、どうしました」 「え、ええ……暑いから、元気かと思って」 「……」 「……」 目を見ると、すぐに逸らされた。 何か話しにくいネタを持ってきたようだ。 「日陰に入りませんか?」 「え? ああ、そうね」 近くの木陰に入る。 ついでに、自販機でお茶を買って渡した。 「あ、お金」 「いいですよ、いつもお世話になってますから」 「ありがとう」 ペットボトルのお茶を飲んでから、望月さんは視線を落とした。 「どう、新しい企画はできそう?」 「頑張って考えてます」 「そう……」 溜息のように言った。 「どの面下げて言うんだって思うかもしれないけど、いい企画が出てくることを願っています」 「……」 企画にイチャモンをつけてきたのは生徒会だ。 なるほど。 「今回の駄目出しは、多岐川さん主導ですね?」 「ええ。汐美祭については、あの子に任せると決めていたの」 「でも、彼女の監督責任は私にあるわ」 「行き過ぎは止めなくてはと思うんだけど、止めたら彼女は成長できないと思う自分もいるのよ」 「結局、うまく線引きができなくて、こうして言い訳をしに来ました」 望月さんらしくもなく、しゅんとしている。 「図書部の皆さんから見れば、内輪の話はどうでもいいから多岐川を止めろって思うでしょうね」 「ですね」 生徒会内部の人材育成方針など、本来知ったこっちゃない。 「でも、考え方を変えれば、うちも助かってるのかもしれないです」 「どういうこと?」 「望月さんが多岐川さんのお試し期間を作ったことで、彼女の穴が見えてきたわけです」 「何もないまま選挙に突入していたら、間違いなく彼女が当選したでしょう?」 「そしたら、今年度末には不意打ちで高峰が放校になる流れです。まあ最悪ですよ」 「望月さんがお試し期間を作ってくれて、なおかつ手綱が上手く握れてないことで、俺たちには多岐川さんを落とすチャンスが生まれたと」 「素晴らしい発想の転換ね」 望月さんが、呆れたように言った。 「でも……ありがとう」 望月さんが安心したように笑う。 「学園全体から見ても、お試し期間を作って良かったんじゃないですか?」 「あの子が生徒会長にふさわしくない前提になってるけれど」 「望月さんに比べたら、器が小さいと思いますが」 「誰だって初めはそう。いろいろな経験をして、求められる姿に折り合いをつけていくものよ」 「生徒会長は生徒の利益を守るための存在なのだから、期待から大きく外れることは許されないしね」 「一番上にいるようだけど、本質的には生徒の奉仕者ね」 奉仕者か。 最近、よく聞く言葉だ。 「多岐川さんにも、思想が受け継がれればいいですが」 「そう願いたいわ」 望月さんの寂しそうな表情が、期待の薄さを物語っていた。 「話を逸らしちゃいましたけど、図書部のことは気にしなくて大丈夫です」 「むしろ、多岐川さんがボロを出すのは大歓迎ですから」 「ふふふ。じゃあ、せいぜいボロを出さないよう注意するわ」 口元に手を当てて笑う。 少し明るさが戻ったようだ。 「謝りに来たのに、なんだか慰められてしまったわね」 「いえいえ」 俺も慰めるつもりはなかったが……相変わらずのお人好しか。 いや、結局のところ、俺は人に強く出ることができないらしい。 相手の機嫌を多少損ねたところで、もう暴力を振るわれる心配なんてないのにな。 身についた癖、か。 「今日は、時間を取ってもらってありがとう」 「次の企画書、楽しみにしているわ」 「審査に手心を加えてもらえると嬉しいですね」 「あら、このお茶は賄賂だったのね? 感心しないわ」 望月さんが、顔の前で茶目っ気たっぷりにペットボトルを振った。 「バレましたか」 「ふふふ、冗談よ。それじゃ」 望月さんが遠ざかっていく。 彼女にも、理想とする学園の姿があるのだろう。 でも、彼女自身の理想と生徒の幸福は別モノだ。 そこにギャップが生まれたとき、どう折り合いをつけるのか。 奇しくも、多岐川さん本人が言ったように、人は楽な方に流れる。 地位や権力のある人間なら、自分の理想を優先する方が楽なのだ。 不真面目な生徒を切り捨て、能力主義の学園を作るのは一体誰のためなのか。 多岐川さんは、そこのところを考えるべきだろうな。 土曜日の夜、午後8時37分── 「お、終わった……」 「燃え尽きました」 机に突っ伏した2人が、手を握り合っている。 昨日から、『原稿提出⇒検討⇒原稿修正』の流れを繰り返すこと4度。 ようやく納得できるシナリオの骨子が固まった。 「素晴らしい働きだったぞ、二人とも」 「うん、なんだかもう、感動してきちゃった……」 涙声の白崎。 「褒めるなら、佳奈を褒めて下さい」 「いやあ……千莉のサポートあってこそです」 「二人とも、ほとんど寝てないんだろ? 今日は帰って休んだほうがいいぞ」 「申請書は私達が作っておく」 「いえー、最後までいますよ」 「大体、あんたら二人、寝不足で仕事できないじゃんか」 「……うう、それを言われると」 佳奈すけの気持ちは分かるが、もう十分だろう。 「明日買い物行くんだろ? さっさと寝ないと起きられなくなるぞ」 「そうそう。ここで帰ったら、明日は筧がご飯おごってくれるって」 1年生がずばりと立ち上がった。 「では、お疲れ様でした」 「お先に失礼しまーす」 あっという間に、二人が出て行った。 「……」 「筧、みっともないことは言うなよ。先輩の度量だろう?」 「わかってる」 ああでも言わないと、二人は帰らなかっただろう。 頼もしい後輩だ。 「さて、あとは私達の仕事だな」 ここからは、申請書類の作り直しだ。 生徒会にイチャモンをつけられた時のために、説明の仕方も練らなくてはならない。 1年生が作ってくれたシナリオも、説明が悪ければ台無しだ。 下手をすれば、企画が承認されない可能性もある。 勝負は、この企画が図書館の良さを伝えるためのものであることを、しっかりとアピールすることだ。 「じゃあ、最初にアピールしたいポイントを上げていこっか」 ホワイトボードを一度綺麗にし、白崎がマーカーを手に取った。 汐美祭の申請書類は、22時過ぎに生徒会に提出した。 結果は月曜までわからないが、やるだけのことはやっただろう。 帰宅後は、風呂に入って即ダウン。 つけっぱなしのTVから流れてくる声を聞くともなく聞きながら、夢と覚醒の間を漂う。 「……」 ふと、意識が浮上した。 ナレーターが発した、ある単語が釣り針になったらしい。 「(父親、か……)」 一体、今頃、どこで何をしているのだろう? 顔も名前も覚えていない、ひどく印象の薄い父親。 どんな男だったか……。 ああ、そうだ。 ふわりと、脳裏に父親の記憶が浮かび上がった。 忘却の川に沈んでいた岩が、水位が下がったことで、わずかに顔を出したかのようだ。 『ごめんな……ごめんな……』 父親はいつもそう言っていた。 ただいつも、ごめんな、ごめんな……と。 「(何を謝ってたんだ、あんたは?)」 〈靄〉《もや》に包まれた父親の影に問う。 答えはない。 その代わり、ごめんな、という声が聞こえる。 「(それしか言えないのかよ)」 『ごめんな』 「(違うだろ)」 『ごめんな』 謝るなら、改善の努力を見せればいい。 攻撃的な感情が、鼠花火のように身体の中を転がっている。 俺にしては珍しい、と自分で思う。 苛つくことは滅多にない性格なのだが。 「……」 鼠花火を踏みつぶすように瞼を強く閉じる。 眠ろう。 明日はみんなと買い物だ。 「……」 ……。 …………。 「……はっ!?」 TVから流れる、バラエティ番組の音声に気がついた。 画面上の時計は14時36分。 待ち合わせ時間は14時ジャスト。 やっちまった。 慌てて携帯を見ると、メールの着信を告げるLEDが光っている。 受信ボックスには、白崎、桜庭、御園、鈴木、の順で新着が積み重なっていた。 タイトルはそれぞれ平仮名で1文字ずつで、本文がない。 上から読むと、 ぞ。 い。 そ。 お。 「ぞいそお?」 などと、誰もいないところでボケても仕方ない。 着信順に読めば『おそいぞ』だ。 さっさと行かないと殺されるな。 洗面所に駆け込もうとしたところで、インターホンが鳴った。 このタイミングで来客か。 小太刀だろうか? 着替えないといけないし、早々にお引き取り願おう。 「あのさ……小太刀……」 ドアの外に立っていたのは、図書部の4人だった。 「小太刀です」 「小太刀です」 「小太刀でーす」 「小太刀です」 「……すまん、遅くなっちまった」 「お邪魔します」 「お邪魔します」 「お邪魔しまーす」 「お邪魔します」 「いや、ちょっと……」 抵抗する間もなく、4人が部屋に入ってきた。 「わー、ここが筧くんの部屋かぁ」 自分の部屋に私服の女子が4人もいる。 そのビジュアルだけで圧倒的な非日常感がある。 「では諸君、これからこの部屋で参加型謎解きゲームの予行練習をする」 「それぞれキーアイテムとおぼしきものを見つけて、私に報告するように」 他の3人が、元気よく返事をした。 「待て待て、それ、ただの家捜しだよな?」 「駄目か?」 「駄目だ」 「遅刻は良くて、家捜しは駄目か?」 「……」 それを言われると弱い。 「ふふふ、冗談だよ。家捜しなんてしないって」 「知らない方がいいこともありますから」 話がわかる奴らでよかった。 「出たっ、出ましたよっ」 「……」 一人、話がわからない奴がいた。 「来ましたよー、『黒死館殺人事件』に『ドグラ・マグラ』に『虚無への供物』」 「ああ、誰もが通る道ですっ」 鈴木が微妙な食いつきを見せていた。 世に言う三大奇書ってやつだ。 そういや、鈴木は割と読書家だったな。 「何となく、一度くらいはって気持ちになるだろ?」 「わかります、わかります」 「あー、台所、ガスが一口しかない。ここでちゃんと料理できるかな」 「する気満々なのはどういうことですか?」 「クローゼットは割と片付いているな」 読書ネタで遊んでいるうちに、他の3人は観察を始めていた。 「筧、本は本棚にしまうものだぞ」 「見りゃわかるだろ、キャパオーバーなんだ」 「こういうのは落ち着かない……整然と並んでいるべきものだ」 「大体、お前が住むわけじゃないだろ」 「そうとも限らないだろ」 「は?」 「あー、いや。住むわけないな……何を言っているんだ私は」 部屋の隅に行き、壁に頭突きを始めた。 近所迷惑もいいところだ。 「筧くん、スポンジってこれで良いのかな?」 見れば、白崎が流しに立っていた。 「そうだけど、どうすんの?」 「洗い物が残ってたから、気になっちゃって」 「いやいや、いいって。これから買い物行くんだろ?」 「すぐ終わるから大丈夫」 白崎がさっさと洗い物を始めてしまう。 「飲み物とアイス買って来たんで、冷蔵庫借りますね」 御園は御園で、冷蔵庫を開け始めた。 一体、何しに来たんだろう。 「筧っ!! 壁ゴンゴンうるさいわっ!!」 小太刀が乗り込んできた。 「うわっ、大人数っ!?」 「……って、桜庭、壁に頭突きすんのやめなさいよっ!」 「ていうか、あんたらは何で図書館でも家でもうるさいのよっ!?」 「一気に喋るなって」 また賑やかなのが増えた。 弱り目に祟り目じゃないが、今日は厄日だ。 「ああ、小太刀か」 「こんにちは、小太刀さん」 図書部の面々が集まってくる。 「本当にお隣さんだったんですね」 「疑ってたの?」 「なんとなく」 「残念でしたね、本当にお隣さんでした」 小太刀がバツの悪そうな顔をする。 「で、あんたらは何? 家に押しかけてアピール合戦?」 「先輩方はそうみたいです」 鈴木がニヤニヤしながら白崎と桜庭を見る。 「あ、アピールなんかしてないよ、ただ、洗い物があったから」 「そうだぞ、私のどこがアピールしていたんだ」 「同居オーラが出てました」 「それに、さりげなく本なんか片付けてましたよね」 「……う……」 後輩が先輩をじりじり責めている。 さて、どうしたものか。さて、どうしたものか。「まあまあ、御園も鈴木も目くじら立てるなって」 「別に立ててませんけど」 「もちろんですよ、センパイ」 1年生が揃って笑った。 ちょっと怖い。 「白崎も桜庭も大人げないぞ」 「私はアピールするつもりなんてないって」 「大体、先に買い物だの何だの言い始めたのは1年じゃないか」 二人がぶすっとした顔になった。 どっちかを取れば角が立つ。 みんな平等が一番だ。 「そもそも、今日は買い物って話だろ? 行くならさっさと行こう」 「いや、筧が遅刻したから、ここまで来たんだが」 「事実関係はご理解いただいてますか?」 「……はい」 うん、俺が怒られていれば、うまくまとまる気がしてきた。 「買い物私も行くー」 「おい待て」 小太刀の腕を掴む。 「(何よ、邪魔してほしくないってわけ?)」 「(お前、また煽るつもりだろ?)」 「(今まで煽ってたみたいな言い方しないでよ)」 「(いやいやいやいや)」 「か け い、その話はまた今度……ね?」 わざとらしい声を出す。 女性陣の視線が突き刺さっているのがわかった。 「……卑怯すぎる」 「じゃ、準備してくるからっ」 するりと俺の手をほどき、小太刀が出て行った。 平和にいきたいなあ……。 30分後。 女5男1で商店街を歩く。 もう十分恥ずかしい。 「で、服買うんだっけ?」 「うん、この先に『パステルパブリック』ってお店があるんだ」 「あ、PPは私も行きます」 「玉藻ちゃんは、どこかお気に入りのお店ってある?」 「こだわりはないな。いいところがあったら教えてくれ」 「うーん、桜庭さんの感じだと、どこがいいかなぁ……かわいい系に挑戦してみます?」 「私が鈴木みたいな服を着たら、即通報される」 「そうかな? 意外と似合ったりして」 女の子達がショップ談義に華を咲かせている。 俺はまったく入っていけない。 「ねえ筧、お店の名前ってわかる?」 「まったく」 「だよね……私もぜーんぜん」 「羊飼いやってると、俗世間に興味がなくなるんだよね」 「あっちの世界のことっていうか、自分に関係ない世界のことみたいに思えてくるの」 「へえ」 それは、俺が誰かと付き合っている場面を想像できないのと同じ感覚だろうか。 だとすれば、何か共有できる感覚があるのかもしれない。 「実際、店に入って楽しむこともできるわけだろ?」 「できるけどさ……自分が混じっちゃいけない感じがしてさ」 「人を、サポート対象としか見なくなっちゃうのかも。職業病よねー」 俺も似たようなものなのかもしれない。 親族からの暴力を受けていたガキの頃の俺は、いわば狼の群れの中で孤立した羊だった。 数でも力でも勝てるわけがない。 奴らの餌にならないためには、相手を知り、ご機嫌を取るしかなかった。 だから、周囲の人たちは、観察の対象でしかなかったのだ。 そんな幼少期を送ってきたせいで、俺の中にはずっと人間への不信が残っている。 人の群れの中で生きているくせに、なかなか周囲になじめない。 いつも漠然とした不安が首の周りにまとわりつき、『お前は生まれてくる世界を間違った』と囁いてくるのだ。 そう、今まさに俺は、白昼を歩く吸血鬼のようなものだ。 「わかるよ、そういう感じ」 「俺たち、割と似てるのかもな」 「同じ商売目指そうっていうんだから、似てて当然じゃない?」 小太刀がにっと笑う。 以前、小太刀から羊飼いの一次試験の話を聞いたときのことを思い出す。 彼女も親友も作らなかったから合格だったと言われた時、俺は悪寒を覚えた。 それは、かつての人間不信が俺の中で脈々と生きていると感じさせたからだ。 ……。 ……違う。 俺は、白崎達に出会って変わったんだ。 少なくとも、今は真人間だ。 「筧くん、なに難しい顔してるの?」 気がつけば、みんなが目の前にいた。 「ん? いや、何でもない」 「うそうそ、みんなの私服を凝視してたじゃん?」 「してないし」 「透視の練習でもしてたんですか?」 「さすが筧先輩ですね、驚きです」 御園から冷たい視線をもらった。 「えーと、こほん……男だから仕方ないかもしれないが、ほどほどに」 「その優しさは勘違いだ」 「で、どこの店に行くかは決まった?」 「決まらないから、全部行くことにしたの」 「あ、そう……」 全部回るのに、一体どれだけ時間がかかるのか。 厳しい1日になりそうだ。 「ほーら、筧さん、行きますよっ」 佳奈すけが、俺の右袖を掴む。 「あ……」 わずかに声を上げた白崎が、すすすと傍に寄ってくる。 無言で、白崎に左袖を掴まれた。 「重いんだが」 「え? どうして?」 「鈴木もわからないです。女の子が重いなんて都市伝説です」 わざとらしく、きょとんとした顔をしている。 「俺、都市伝説とか信じる方なんだ。はい、終了終了」 腕を引いて、二人を振りほどく。 「ほら、時間ないんだから早く行こう」 「遅刻したの、筧先輩ですけどね」 「珍しく意見が合ったな」 「はいはい、悪かったって」 ブツブツ言うみんなを、尻を叩くように進ませた。 「……」 「??」 振り返ると、小太刀が取り残されていた。 少し寂しそうな顔をしている。 もしかしたら、図書部員の中に混ぜるのは可哀相だったのかもしれない。 「小太刀、ほら、行こう」 「え? あ、うん」 小太刀が小走りに走ってきて隣に並んだ。 「悪いな、こっちで盛り上がっちゃって」 「ばーか、そういう気遣いしないでよ」 小太刀の指が俺の脇腹を突っつく。 「おうっ」 悶えた拍子に、肘が小太刀の胸を押してしまった。 「おわ……」 「お……す、すまん」 「う、ううん、こっちこそ」 二人して顔を逸らす。 「えーと、行こう」 「んだね、置いてかれちゃう」 「しかし、生徒会から手を引かせるため…………はぁ」 毎週恒例の業務報告書が上手くまとまらない。 慣れた作業なのに、今日に限って何だか集中できないのだ。 体調が悪いのか、糖分が足りていないのか。 「うーん、何だろ……」 気になることがあるような、ないような。 身体が遊び足りないと叫んでいるような、なんとも落ち着かない気分。 なんなんだろ、これ。 筧の部屋から、何か物音が聞こえた。 おそらく、本の山が崩れたのだ。 「うっさいぞー」 壁を叩く。 やり返された。 「あんじゃ、こりゃ」 パンチ。 また帰ってきた。 「うっさいのそっちでしょ」 3連打したら、筧が黙った。 ははは、大勝利。 ……。 …………。 「……ガキか!」 我に返ってしまった。 大事な報告書をほっぽり出して、何を遊んでるんだろう。 「はあ、仕事仕事」 筧になんぞ付き合っていないで、さっさと報告書を仕上げなくては。 溜息をつき、再びレポート用紙に向かう。 ……。 あれ? なんだろ? さっきより落ち着いてる。 「……」 どうやら、溜息と一緒にイライラまで出て行ったらしい。 集中できそうな予感がする。 よし、一気に仕上げてしまおう。 例によって、読書をしながら登校する。 9月に入っても暑さは相変わらずで、触れたページが汗で指に貼り付く。 図書部員にはきつい季節だ。 恨みを込めて太陽を見上げたのと、携帯が震えたのはほとんど同時だった。 桜庭からのメールだ。 速やかに内容を確かめる。 「(おお……)」 思わず声が出そうになった。 メールは、企画書が無事生徒会に受理されたことを告げていた。 みんなの努力が実ったのだ。 まだ企画が通っただけだが、これでようやく土俵に上がることができる。 汐美祭まではあと10日余り。 気合いで準備を進めていかないとな。 「おはよう、筧君」 正門をくぐったところで呼びかけられた。 雲のように軽い声。 にもかかわらず、朝の喧噪にかき消されることなく俺の耳に届いた。 まるで、属している次元が違うとでも主張するかのように。 周囲に視線を走らすと、少し離れたベンチにその姿を認めた。 この暑さの中、ジャケットまで着込んでいるのはある意味目立つ。 ……ああ、そういえば、羊飼いは暑さを感じないんだったな。 「おはようございます、ナナイさん」 「おはよう。良い天気だね」 「フツーの人間にとっちゃ、溶けるくらいの暑さですよ」 「おっと、これは失礼」 ナナイさんが謝る。 「時間が許すなら、少し話をしないかい?」 「2、30分なら大丈夫ですよ」 応えながら、ナナイさんの隣に座る。 「先日、小太刀君から報告書が上がってきてね……」 ナナイさんが切り出した。 視線は、俺ではなく生徒の群れに向けられている。 「黒山羊から課題を出されたらしいね」 「ええ、面倒な話になりました」 「ナナイさんの方でなんとかなりませんか?」 「ううん……」 こっちを見ぬまま、難問だなあという顔をした。 「捕まえようとしても逃げてしまうだろうし、羊飼いは物理的には消せないからなあ」 「黒山羊が課題を出してきたのは、むしろ幸運だと思っているんだよ」 「いい答えを返せば、手を引いてくれるわけだからね?」 「そしたら、いい答えを返すために、協力してもらえませんか?」 「黒山羊のことは、小太刀君に任せているんだ」 「小太刀君がアドバイスを求めるなら、応えるよ」 そう来るか。 小太刀は黒山羊の件を、羊飼い試験だと思っている。 まず助けを求めないだろう。 「俺たちが上手く動けなくて、面倒なことになったらどうします?」 「一応、そうなる前には手助けをするつもりだよ」 「頼りなく見えるかもしれないけれど、私も遊んでいるわけではないからね」 ナナイさんが俺を見て微笑んだ。 「だから、安心して問題に取り組んでほしい」 「はあ……」 つまり、黒山羊の問題は、ナナイさんにとっちゃ大したことではないのだろう。 いざとなれば、自分で解決できると考えているから、試験の課題にしたわけだし。 「そういえば……」 ナナイさんが、また前を向いた。 しかし、話し相手の顔を見ない人だ。 「小太刀君と合同で仕事をしたらしいね」 「報告書に、筧君がいなかったら失敗していたと書いてあったよ」 嬉野さんのことだろう。 「たまたま相手の未来が見えただけです。狙ってやったことじゃないんで」 「以前、小太刀君の未来も見たことがあったそうだね。どうだった?」 あれはたしか、ミナフェス前のことだった。 「真っ白でしたよ。真っ白なページに乗っかっているような気分でした」 「……へえ」 ナナイさんが俺の顔を見た。 「筧君の能力は、想像していたよりずっと強いみたいだね」 「どういうことですか?」 「羊飼いは、自分の本がないって話は聞いたかい?」 「ええ。自分の証明である本がないから、記憶に残らないって話ですよね?」 「そう。羊飼いになる時に自分の本を消すんだ。そして、消した本はもう戻せない」 「なら、論理上、小太刀君の未来は見えるはずがない。でも君には真っ白な未来が見えた」 「ですね」 ……待てよ、ちょっとおかしいな。 あれが、ああで、こうなるから…… 「じゃあ、小太刀が試験に落ちたらどうするんですか?」 「うん、そこだね」 ナナイさんが微笑む。 「小太刀君はまだ仮免許だ。つまり、試験に落ちる可能性がある」 「その時、人間に戻れないのは困るし、かといって記憶が残る状態では羊飼いの仕事に支障が出る」 「それでは困るから、仮免許の間は特別に本をないことにしているんだ」 「え? どうやって?」 「本棚から出して、金庫にしまっているイメージかな」 「ところが、筧君は金庫の中に本があることを見抜いた。さすがに中身は読めなかったみたいだけど」 「これだけの能力を持っているってことは、羊飼いの素質が高いと言うことだと思うよ」 「はあ……」 褒めてくれるのはありがたいが、実感が沸かない。 「本がまだ残ってるってこと、小太刀には伝えてるんですか?」 「いや、試験に落ちたときに伝えるつもりなんだ」 実際、知らせたところで小太刀は喜ばないだろう。 「『はあ? 私、試験に落ちるつもりないから』」 「『むしろ、そんな逃げ道みたいのがあるってのが気に入らない』」 とか、言いそうだ。 「小太刀君のこと、これからもよろしく頼むよ」 「あいつの方が先輩ですよ?」 「知識的な面ではね」 「でも、彼女が羊飼いになるには、きっと筧君のサポートが必要になると思うんだ」 「それは、あいつの本に書いてあったんですか?」 「ふふふ、ノーコメントだよ」 「ともかく、小太刀君や君と一緒に仕事ができる日を楽しみにしているよ」 「ええ」 反射的に合わせたが、俺は羊飼いになりたいと思っているのだろうか? 日常の仕事も経験し、多少は羊飼いのことを理解できたと思う。 自分の生活を捨ててまで、人間の幸福に尽くす。 それでいて、助けた相手の記憶には残らず、幸福だけを残して消えていく。 ボランティアを極めたような感じだ。 悪くないような寂しいような…… 何とも言えない生き方だ。 「それじゃ、引き留めて悪かったね。また近いうちに会おう」 「はい、ではまた」 別れを告げ、ナナイさんの元を離れる。 ……。 しばらく歩き、振り向く。 ナナイさんの姿はまだベンチにあった。 俺を見送るでもなく、穏やかな表情で生徒の流れを見つめている。 慈愛と諦観を混ぜ込んだような表情は、たとえるなら、仏像や聖人像に通じるものがあった。 ナナイさんだけが現実から切り離されているように、存在感がひどく希薄に見える。 もしかしたら、前を歩く生徒達は、ナナイさんの存在に気づいていないのかもしれない。 小太刀の話によれば、羊飼いは寿命や病気から解放されるのだという。 それはつまり、人ならざる存在だということだ。 あの人は今、どんな気持ちで生徒を眺めているのだろう? 「……」 俺の視線に気がついたのか、ナナイさんがこっちを向いて小さく微笑んだ。 なんだろう? 身体の奥で、何かが動いたような気がした。 深い湖の底でじっとしていた巨魚が、わずかに尾を動かす── そんな隠微な動きだった。 汐美祭の本格的な準備が始まる。 1年生チームは、シナリオや謎の作成、および演出。 2年生チームは、それ以外の全てだ。 広報・渉外をメインに、物資の準備などを引き受けている。 1年生が創作に集中できるよう、2年生が雑用を一手に引き受ける構図だ。 俺は全体のサポートを担当することになっている。 というのも── 「では、以上のチームで問題ないか?」 「あります」 「同じく」 1年生がズバリと言う。 「筧さんには、こっちのチームに入ってもらって、シナリオを手伝ってほしいんです」 「筧先輩は読書家ですし、一番目が肥えてると思いますから」 「シナリオのチェックは、必要なときに言ってくれれば、いつでもできると思うけど」 「いえ、アイデア出しとか、そういうところからお願いしたいんです」 「鈴木の言うこともわかるが、筧には広報関係の交渉に当たってもらいたいと思っているんだ」 「私達には、タフなネゴシエーターが必要だ」 「むむ」 「……」 部室の空気が緊張している。 「さあ始まりました。解説の小太刀さん、どう見ますか?」 「え? なに?」 「解説解説。ギャラ分働いて」 「あー、うん……こほっ」 「いやー、重要な局面ですねえ。筧がどっちにつくかで、彼女たちのモチベーションも変わってきます」 「ぶっちゃけ、汐美祭の結果はもちろん、生徒会選挙の結果すら左右しかねませんよ」 「さて、注目される筧君の去就ですが」 どうもこうもない。 今は一致団結が必要な場面だ。 「両方に求められてるなら、両方やるよ」 「筧が大変だろう?」 「まずやってみるさ。無理ならその時はまた考えよう」 ポジティブな体にしておけば、まず納得してくれるだろう。 「う、うん……まあ、そういうことなら」 「ですねえ」 「じゃ、そういうことで」 合意ムードが漂ったところで、さっさと結論を出してしまう。 「小太刀さん、つまらない試合になりましたが」 「まあ、誰にも行かないというのも、一つの選択でしょうね」 「……うるせえよ」 というわけで、シナリオに口を出しつつ、広報の仕事をすることになった。 自分で提案した以上は、きっちりこなしたいところだ。 「ねえ、ここの演出どうしよっか?」 「実際に見ながら考えた方がいいと思う」 1年生の二人が立ち上がる。 「調査に行ってきます」 「筧さん、良かったらお付き合いいただけませんか?」 お呼びがかかった。 「ああ、いいぞ」 「桜庭、少し外して大丈夫か?」 「問題ない」 「問題ないでーす」 白崎と桜庭が若干不機嫌なのは気づかなかったことにして、1年生と部室を出る。 「で、何をすりゃいいんだ?」 「演出を考えたいんです……」 と、佳奈すけが事情を説明してくれる。 普通の参加型謎解きゲームでは、会場や街の方々に貼られたクイズを解いたり、アイテムを回収してゴールを目指す。 図書館に当てはめれば、壁や本棚にクイズを貼ったりすることになるが、ひねりが欲しいという。 つまりは、図書館ならではの特色を出したいというのだ。 「図書館ならでは、か」 「せっかく図書館でやるわけですから」 確かに、部室で頭をひねっているよりは、図書館を見て回った方が良さそうだ。 「じゃ、まずはぐるっと見てみるか」 「りょーかいです」 3人で図書館をぶらつくことにした。 汐美学園が誇る総合図書館は、地上4階、地下4階という規模を持つ。 入口と部室を往復してる分には気づかないが、一通り見るとなると、かなり時間がかかる。 15分ほどが経過した。 まだ1階しかチェックできていない。 「しっかし広いね。無茶苦茶ですわ」 「図書館を全部歩き回ると、疲れるし、時間もかかるね」 「ダイエットにはなりそうだな」 「あー、筧さん、暗に太ってるって言ってます?」 「言ってねえよ」 「エリアを絞ろっか……でも、もったいないかな」 「クライマックスだけで地下を使うとか、シーンで分けたらどうだ?」 「もしくは、シナリオ的に使用エリアを限定するとか」 「なるほど……」 シャープペンの頭を軽く咥え、佳奈すけが考える。 そして、持っていたノートに何やら書き付けた。 「もうちょっと回ってみましょう」 「あ……」 本棚の角を曲がりかけた御園が、小さく声を上げた。 「ん、どうしたの?」 「何でもない。あの、こっちは行かない方が」 御園がためらいがちに言う。 「何で何で? あっちに何かあった?」 鈴木が御園を押しのけ、本棚の先に顔を出す。 「……お、おう……」 顔を引っ込めた鈴木は、いたたまれない顔をしていた。 「どうしたんだ?」 「いえ、それが、あの……ええと」 御園の顔が、見ている間に赤くなっていく。 これは珍しい。 「キスシーンが展開中です」 「ちょっと、佳奈っ!?」 「むむ……むー!?」 御園が慌てて鈴木の口を押さえる。 ほぼ同時に、離れたところで誰かが慌てて立ち去る足音が聞こえた。 どうやら、逃げたみたいだな。 「むむ……む…………むぅ……」 口を押さえられていた佳奈すけの身体から力が抜けた。 「え? 佳奈?」 「ぐったりんこ」 鈴木が床に倒れた。 「鈴木を殺しちゃ駄目じゃないか」 「やり過ぎました」 二人で、足下の佳奈すけを見つめる。 無言で、ひたすら。 ……。 …………。 「正直、こういうネタの潰し方はどうかと思います」 死体が喋った。 「つまらない方が悪いよ」 「千莉、厳しい……」 ブツブツ言いながら、佳奈すけが立ち上がる。 「しっかし、図書館でキスはやめてほしいですよね」 「見ちゃった方が悪いことしたみたいだし」 「わかるわかる」 「でも、話によると、キス以上のこともあるらしい」 「マジですか」 「ええぇぇ……」 「だって、こう、割と見通しいいじゃないですか」 「う、うん」 「探せば目立たないところもあるぞ」 二人が俺を見る。 「筧、さん?」 「体験談ですか?」 「ショックです。筧さんがそんな荒武者だったなんて」 「ちげえよ」 「本当だったら完全無理です」 真顔で言われた。 「筧さんって、彼女と街中でキスとかOK派ですか?」 「気になります」 「どうかな……二人は?」 考える間に、二人の意見を聞いてみる。 「私は……露骨なのは嫌ですね」 「でも、去り際にとか、その程度ならむしろ熱いかもしれません」 ニヤニヤしながら喋る佳奈すけ。 「私はさりげなくても無理かな。びっくりして寿命縮むと思う」 「出たよ、清純派。どーせ私はヨゴレですよ」 佳奈すけも、むしろ清純派ではないだろうか。 「で、筧さんは?」 そうなあ……。そうなあ……。「人前はやっぱアレかな」 「ふふ、ですよね」 「佳奈、実は露出狂?」 御園が意地悪くおどけて笑う。 「さりげなければって言っとるじゃろが、バカチン」 「去り際とか、さりげないのはむしろいいんじゃない?」 「ですよねー。やった、同志」 「筧先輩、案外ロマンチストですね」 男はロマンチストと相場が決まっている。 「ま、状況によるかな」 「いや、そんな温い回答されても」 「聞いてないです」 厳しい反応をいただいた。 「ま、何にせよ彼女ができてからだな」 二人が俺を見る。 言葉はないが、それぞれ瞳の奥に揺らめくものがあった。 一人だけでも吸い込まれそうになるのに、それが二つ。 思わずくらっと来てしまう。 「……もう少し見て回るか」 そそくさと先に歩き出す。 くいっと後ろに力がかかった。 振り返ると、二人がシャツの裾をちょこんと掴んでいた。 「な、なんすか?」 「少し疲れたんで、引っ張って下さい」 「体力ありませんから」 「い、いや……」 最後、二人の目が俺を覗き込んでくる。 「んじゃ、行くぞ」 「はーい」 「はーい」 しばらくかかり、ロビーに戻ってきた。 「やっぱり、図書館と言えばあの樹だよね」 「初めて見たときには驚いた」 二人が見上げるのは、カウンターの中心にある大木だ。 観葉植物がある図書館はいくらでもあるが、ここまで大きな木があるのは珍しい。 「シナリオに取り込めたらいいな、モチーフとしてさ」 二人がうなずく。 ……。 他に何かネタはあるかな? ふと、カウンターに並んだPCが目に入った。 利用者が、蔵書の有無や本の場所を検索するための端末である。 本の場所を地図として出力したり、携帯に送ることもできる優れものだ。 図書館はどこも似たような景色で、ほとんど迷路である。 広大な図書館で、この端末なしに目的の本にたどり着くのは不可能だ。 「検索用のPCは使えないか?」 「なーる、なんか行けそうな気がしてきましたよ」 ふむふむとうなずきながら、鈴木がメモを取る。 「どう? アイデアは溜まった?」 「うん。今までのシナリオに、新しいネタを混ぜ込んでみようと思う」 鈴木の表情は明るい。 頭の中で、いい話ができあがっているのだろう。 「じゃ、もう部室に戻っていいか」 「はい、筧さんありがとうございました」 「あとは、私達で頑張ってみます」 「おう」 多少は役に立てただろうか。 二人がどんなシナリオを作るか楽しみだ。 1年生と別れ、部室に戻った。 「お帰り。2人はどうだった?」 「上手くやってるよ。アイデアも浮かんだみたいだ」 「良かった。いいお話を作ってくれるといいね」 「息も合ってるし、期待できるんじゃないかな」 応えながら椅子に座る。 「そういや、桜庭は?」 「宣伝の打ち合わせだって。もうすぐ帰ってくると思うけど」 「そっか」 「手も空いたし、何か手伝うことあるか?」 「あ、じゃあ、このチェックお願いしていいかな」 100人分ほどの名簿と、宛名記入済みの封筒を渡された。 宛名の記入漏れがないか確認せい、ということだ。 今の部室には、こういう誰かがやらねばならない作業が山積している。 「宛名、直筆で書いたのか」 「その方が誠意が伝わるからって、玉藻ちゃんが書いてくれたの」 「達筆だなあ」 「玉藻ちゃんは、自分では言わないけど何でもできる人なの」 「書道も茶道も華道も日舞もお琴も……全部たたき込まれたんだって」 「それで保健体育ネタもこなすんだから、ほんとすごい姫だな」 「うんうん……って、それは姫と関係ないと思うけど」 などと喋りつつ、作業を進める。 「えーと、修智館学院の千堂瑛里華と……はあ、生徒会長か……よし、あった」 封筒を確認したら、名簿に線を引く。 「そういえば、二人で話すのって久しぶりだよね?」 「言われてみりゃそんな気もする」 「最近は、本読まなくて平気なの?」 「忙しくって、それどころじゃないな」 「それに、まあ、なんだ……最近は平気なんだ」 「ふうん、良かった」 嬉しそうに言う。 「良かったか?」 顔を上げると、白崎は下を向いて作業をしていた。 「そりゃそうだよ。一緒にいるなら、お話したいもん」 「壁作られてる感じもするし」 「そっか……悪かった」 「筧くんって、4月から態度がぜんぜん変わらないもんね」 「んなこたないさ」 「そうかな? わたしは結構心配してるよ?」 「もしかして嫌われてるのかなーって」 白崎が顔を上げた。 目が合う。 「……嫌いなわけないだろ」 名簿に視線を落とす。 「ほんとに?」 「ほんと」 「ほんとにほんと?」 「ほんとだって」 「しつこいと、嫌いになるかもな」 「ふふふ、ごめんね」 「ん〜、トゥーシャイシャイボ−イ」 「黙ってろ、三味線にするぞ」 わざとらしく音を立ててチェック済みの封筒を束ねる。 「白崎、クリップ」 「クリップ? ……えーと、シャイな筧くんが、クリップをご所望だよ〜」 「見つけちゃうぞー、ここかなー……それとも、ここかなー?」 白崎が、机の上の資料をあれやこれやと取り回す。 静かに探せねえのかよ。 「あ……」 書類の重しにしていたハサミが落ちた。 「おっと……」 屈んでみると、足の先にハサミが転がっていた。 机の下に潜り込む…… 「あ……」 「あ……」 机の下に潜り込むと、目の前に白崎の顔があった。 二人同時にハサミを拾おうとしたのだ。 「こ、こんにちは」 「ど、どうも」 気恥ずかしくなって、視線を逸らす。 スカートが短いのでパンツが見えた。 「……」 曖昧に視線を逸らしながら、ハサミに手を伸ばす。 「あ……」 「あ……」 手と手が重なってしまった。 妙に胸が高鳴る。 「な、なんか、漫画みたい」 「こういうこと、あるんだな」 白崎がぎこちなく笑ってこっちを見ている。 何かを言いたげに唇が開く。 リップグロスを塗っているかのように、桜色の唇が艶めく。 「ねえ、筧くん?」 「ん?」 「最近、女の子の様子が気にならない?」 例えば今のように、距離を詰めようとしていることか? 「どうかな」 「筧くんは興味ないかな?」 重なった手に力が込められる。 「あんまりみんなに優しくしてると、きっといろいろ考えちゃうと思うよ?」 「注意しとくよ」 ハサミを拾い、白崎に渡す。 「あ、……もう」 不満げな顔をして、白崎がハサミを受け取る。 「ふふ、ありがと」 床に屈んだままで白崎が笑う。 「何だか、かくれんぼしてるみたいだね」 「だな」 「あ、あの、筧くん、一つ聞いていいかな?」 「いいけど、机の下で聞かないと駄目なことか?」 「そうじゃないんだけど……どうしてさっきから目をつむってるのかと思って」 「目を開くと、白崎のパンツが見えるから」 「ええっ!!!」 急に立ち上がった白崎が、机に頭をぶつけた。 「きゅうぅぅ〜……」 「お前は漫画か」 まさか『きゅう』って台詞を口にする人間が実在するとは……。 「ただいま……」 「あれ? 誰もいないのか?」 そして、狙ったようなタイミングで入ってくる桜庭。 「お、お前たち、机の下で何をしているんだ!?」 「いや、大人のかくれんぼをだな」 机の下から這い出し、服装を整える。 「大人のかくれんぼって……お前、部室でなんていやらしいことを」 広げた扇子で、紅潮した顔を隠す桜庭。 「お前の頭はどーなってんだ」 相変わらず保体ネタが好きな奴だ。 「いたたた……頭ぶつけちゃった……」 白崎が頭をさすりながら、机の下から出てきた。 「筧くん、いきなりエッチなことを口にされると、びっくりするよ……」 白崎は、俺が『パンツが見えた』と率直に告白したことを非難しているのだ。 桜庭は完全に誤解していると思うが。 「なるほど……筧とは、少し話をしなくてはならないようだな」 「……何もしてないぞ」 もうやだ。 桜庭のお説教を楽しんだ。 その間、白崎は、クールダウンしてくると言って部室を出て行った。 「本当に何もないんだな」 「ないって」 「そうか……なら安心した」 桜庭が表情を緩める。 みんなの前ではあまり見せない、リラックスした表情だ。 俺の印象では、図書部の仕切り役ではなく普通の同級生としての桜庭の顔だった。 「宣伝の打ち合わせはどうだった?」 「予想以上に順調だよ」 「ウェブニュースはもちろんだが、今まで図書部が依頼をこなしてきた人たちも協力してくれることになった」 「ありがたい」 「最近は無理してないか?」 「筧には、いつもそんなことを言われてる気がするよ」 桜庭が苦笑する。 「そんなに仕事ばっかりの女に見えるか?」 桜庭が少し寂しそうに微笑む。 それでいて、わずかな興奮が頬の辺りに漂っていた。 「そうなるように、自分で自分を追い込んでいるようには見えるな」 「ははは、さすがに筧は何でもお見通しだ」 「いやいや、適当だよ」 「適当に言って正解なら、なおさらだ」 桜庭が痛快だと言わんばかりの笑顔を見せる。 「なんか悪いな、偉そうなこと言って」 「いや、こう言うと変に思われるかもしれないが、悪い気はしない」 「誰かに知られているというのは、案外気持ちがいいものだな」 「やっぱMなんじゃ?」 「かもしれない」 「でも、相手によるぞ」 桜庭が頬杖をついて俺を見た。 「見抜かれて気持ちいいと感じるのは、きっと筧には敵わないとわかっているからだと思う」 「買いかぶりだって」 「ふふ、そう思うならそれでいい」 桜庭の視線が、ちらりと時計を見た。 「あ、好き勝手喋ってしまってすまない」 「さて、そろそろ仕事に戻ろう」 見えない兜の緒を締めたかのように、桜庭の雰囲気が変わる。 「1年が頑張ってくれてるんだ、俺たちも恥ずかしくないようにしないとな」 「ああ、頑張ろう」 一瞬だけ俺を見つめ、桜庭はPCを開いた。 汐美祭まであと10日。 学園だけでなく、駅や商店街にもポスターが貼られ、街全体が学園祭ムードに染まりつつある。 数万人の客が来る汐美祭は、地元にとっても最大のイベントだ。 商店街も気合いが入るし、客を流す交通機関にしてもそうだ。 話によると、駅の職員には汐美祭シフトなるものが存在するらしい。 他の駅からも応援が駆けつけ、怒濤の混雑を神がかり的な動きで捌くという。 学園では、各団体の準備が本格化している。 公式に定められた準備期間は学園祭前の2日間で、授業も休みだ。 とはいえ、大がかりなアトラクションをやる気なら、2日ぽっちの準備期間ではどうにもならない。 気合いの入った団体などは、今から授業を全てサボって準備に充てている。 気合いの入っていない団体でも、今週の土日は強制登校というところが多いだろう。 図書部でも、準備は本格化している。 桜庭と白崎、高峰は宣伝用のビラやウェブサイトの作成。 御園・鈴木の1年生コンビは、シナリオと演出の詰め。 俺は相変わらずフリーで、そのとき必要なチームの手伝いをしていた。 「んじゃ、嬉野さんと話してくるわ」 「ああ、頼んだぞ」 今日の仕事は、嬉野さんにある依頼をすることだ。 既にアポイントは取りつけている。 「小太刀も行くか?」 「え? ……ごめん、忙しい」 暇そうにしていたくせに、急にカバンから書類を取り出した。 「俺、何か気に障ることしたか?」 「別にしてないから」 「ならいいけど」 何か変だが、思い過ごしか? 「じゃあ、私が代わりに」 「わたしも行こっかな」 「仕事があるぞ」 「佳奈、時間考えてね」 中腰になった白崎と鈴木を、それぞれのお目付が座らせた。 「行ってくる」 「あ、嬉野さんに、例の件よろしくお願いしますとお伝え下さい。言えばわかりますんで」 「?? ……わかった」 嬉野さんに指定されたので、中庭にやってきた。 なんで学食じゃないんだろう? 「あ、筧君、こっちです」 ベンチで菓子パンをかじっていた嬉野さんが手を振る。 「久しぶり……ってほどでもないか」 「ですねえ、前はさんざんな目に遭わせてくれて、ありがとうございました」 「ははは、すみません」 公然告白事件のことだ。 今思い出しても、頭痛がしてくる。 本気の告白というわけにもいかず、かといって冗談というのも失礼すぎる。 小太刀とナニがアレで、などとひたすら誤魔化して謝ったものだ。 「で、今日は相談があるってことでしたけど?」 「そうなんだ、実は……」 嬉野さんに相談したいのは、広報のことだった。 今回汐美祭に参加するのは、生徒会選挙で勝つためだ。 そのためには、汐美祭の人気投票が生徒会選挙の前哨戦であるとの認識を作る必要がある。 でなければ、人気投票で1位を取っても選挙に繋がらないし、信頼と実績の世襲候補は倒せない。 世論形成が非常に重要なのだ。 「関係筋から事情は聞いていましたが、そういうことでしたか」 「厚かましいお願いだけど、協力してもらえないかな?」 「ううん……本当に厚かましいですねえ」 「私が何でもできると勘違いしていませんか?」 笑顔のまま言って、メロンパンをかじる。 「できない?」 「できますけどね」 できるのか。 「でも、あまりオススメはしません」 「世論を形成した上で人気投票に負けたら、厳しいことになりますよ?」 「百も承知だ。もともと厳しい戦いだし、このくらいやらないと」 「心意気は買いますが、生徒会にはかなりの隠し球があるらしいです」 「つまり、勝てる可能性が低いってことですね」 指を立てて言う。 その唇に、メロンパンの皮が付いていた。 「隠し球って、具体的には?」 「よくわかっていませんが、どこかの団体に肩入れするつもりのようですね」 「こっちの作戦がバレてるのか」 「図書館を借りるときに、事情を説明しているのでしょう? 人の口に戸は立てられませんからね」 「ともかく、具体的なことはまだわかりませんが、引くなら今のうちですよ」 「そもそもが高峰君の問題なんですから、図書部が背負い込むことではないと思いますし」 嬉野さんが、まん丸の目で俺を覗き込んでくる。 おそらく、こっちの本気度を測っているのだ。 嬉野さんにしても、泥舟には乗れないということだろう。 「分が悪いのはわかってるし、引く気はないよ」 「それに、白崎が立候補するのは、高峰の問題だけじゃなく、この学園を行きすぎた能力主義にしないためだ」 「なるほどぉ……」 嬉野さんが腕を組むが、すぐにほどいた。 「ま、面白ければ何でもいいですけどね」 そうすか。 「先行投資と考えれば悪くないですし、いいですよ。手伝いましょう」 「その代わり、あなたたちが選挙に勝った暁にはよろしくお願いします」 「もちろん、可能な範囲でお礼はしますよ」 「結構です。仕込みは早いほうがいいでしょうから、さっそく今夜にも始めます」 嬉野さんは、すでに準備は終わっているといった顔で言った。 こうなることを知っていた、なんてことはないよな。 「お話はこれで終わりですか?」 「ああ、時間取ってくれてありがとう」 「いえいえ、どういたしまして」 パンを咥えたまま、嬉野さんが頭を下げた。 「ところで、今日はどうして中庭で待ち合わせを?」 「他ならぬ筧君からのご指名でしたからね」 「また学食でショッキングなことをされては困りますから、ここにしたんです」 「あの時は、ほんとごめん。今度、小太刀と埋め合わせに行くから」 「こ だ ち? どなたです?」 「えーとほら、俺と一緒にいた女の子で……」 「いえいえ、あの時は筧君一人でしたよ?」 嬉野さんは、本気でわからないといった顔をしている。 忘れっぽい人には思えないが。 「(ああ……)」 理由に思い当たる。 羊飼いは、短時間で忘れられる存在だったな。 あれからもう2週間経っている。 小太刀の記憶は、嬉野さんの中からなくなっているのだ。 「ごめん、俺の勘違いだった」 「ですよね? 変なこと言うからびっくりしました」 ぷくっと頬を膨らます嬉野さん。 「じゃあ、今度個人的に埋め合わせに行きます」 「ええ、10人分は食べてもらわないと埋め合わせになりませんからね」 「……うへえ」 厳しい戦いになりそうだ。 「あ、そうそう。あと、うちの佳奈すけが、例の件よろしくって言ってた」 「うーん、何のことでしょうか?」 こっちも忘れてるのか。 「言えばわかるってことだったけど」 「ふふふ、冗談ですよ」 「ちゃんと準備してますから、心配しないように伝えてください」 「了解です」 多少世間話をしてから、嬉野さんと別れた。 明るく振る舞うようにはしたが、さっきから小太刀のことが頭から離れない。 羊飼いは記憶に残らない……わかっていたことだ。 図書部のみんなが、小太刀を忘れかけていたこともあった。 でも、ここまで綺麗に忘れられているのを見ると、いたたまれない気持ちになる。 小太刀が行動しなければ、嬉野さんは大怪我をしていたかもしれない。 もちろん、助けたのはこっちの勝手だし、忘れられるのも仕方がないことだ。 わかっているが、気持ちの問題だった。 考え方を変えれば、羊飼いはサポート対象者との間に、何らかの達成感を期待してはいけないのだろう。 感謝されることを期待していては、やっていけない。 羊飼いは、人間と関係ないところに活動動機を持つ必要があるわけだ。 例えば、サポート実績が増えると、富や名声が得られるといったことならわかりやすい。 小太刀やナナイさんはどう考えているのだろう? 帰宅途中、小太刀と二人になったところで、話を切り出すことにした。 「小太刀、ちょっといいか?」 「いいけど、何?」 手を後ろに組み、そっぽを向いている小太刀。 「今日、嬉野さんに会ってきたんだけどさ」 と、今日の出来事を話して聞かせる。 「なーんだ、そんな話か」 「何だと思ったんだ?」 「別に何でもいいでしょ」 小太刀がそっぽを向く。 「サポートした人に忘れられるってことについて、どう思ってる?」 「手間がかからなくて助かってる」 「だいたい、覚えていられたらもみ消しで大変よ?」 「日頃から人目につかないように行動しなくちゃいけないし、こうやって話せないと思う」 「仕事の上ではそうだと思うんだけど、小太刀の気持ち的にはどうなんだ?」 「つまり、この仕事のやりがいというか……料理人なら、美味いって言われるのが嬉しいとかあるだろ?」 「ああ、そういうことね……」 小太刀があごに手を当て考える。 「私としては、人間をいい方向に導いてるって事実が大事ね」 「覚えてもらってるかどうかは関係ないわ」 「ふうん」 評価や感謝は関係なく、自分の力が役に立っているってことが重要なわけだ。 見返りを求めないわけだから、なかなか立派な心がけだ。 「小太刀は、どうして人間を幸福にしたいと思うんだ?」 「前にも言ったでしょ。せっかく役に立つ能力があるなら活用すべきだって」 「誰に頼まれたわけでもないだろ?」 「頼まれちゃいないけど、人を幸せにするのに文句あるの? 何? 今日は絡む日?」 小太刀が乱暴に髪をかき上げる。 「あーいや、すまん。黒山羊を説得するヒントになればと思ったんだ」 「小太刀は、割と黒山羊の考えに納得してたよな?」 「だから、小太刀を説得できるネタがあれば、あいつにも有効だと思ってさ」 「ふーん、で、何か成果はあった?」 「……まあ、多少な」 「使えないわねぇ」 やれやれ、という仕草をされた。 「小太刀も当事者だろ。つーか、お前の試験だろうが」 「ありゃ、気づかれたか」 小太刀がわざとらしく溜息をつく。 「でもさ、黒山羊の言うことが間違ってるとも思えないし、正直困ってるのよね」 「自分で自分を説得するようなもんじゃない?」 考えてみれば、主張が似ている人間をぶつけても埒が明かない。 『自分で自分を説得する』ってのは言い得て妙だ。 「黒山羊の件って、ナナイさんに報告してるか?」 「週1くらいで報告してるけど、それが?」 「聞いてみただけ」 「何よそれ」 つまり、ナナイさんは黒山羊の主張を知っていることになる。 今は様子を見ているのだろうが、状況が膠着すれば、小太刀が担当を外される可能性もある。 そしたら試験は不合格だ。 何とか小太刀が黒山羊を説得できればいいんだが。 「ともかく、何としても黒山羊を説得しましょ」 「羊飼いになれないなんて、絶対にありえない」 言葉を投げ捨てるように、小太刀が言った。 「何でそこまでして羊飼いになりたいんだ?」 「もー、しつこいんだけど。何でもかんでも、聞かないでよ」 会話を拒否し、小太刀が足を速める。 そんなにしつこかったか? 「ひゃっ!?」 先を行った小太刀が、小さく悲鳴を上げた。 近づいて確認する。 「……」 道ばたで、子猫が3匹じゃれ合っていた。 ああ、小太刀は動物が駄目だったな。 「子猫だろ? 大丈夫だ」 「う、うん……」 小太刀が、俺の服の裾をきゅっと握った。 さっきまでの威勢はどこへやらだ。 仕方がないので、服を掴ませたまま猫を迂回して進む。 ちらりと猫を見てみると、あどけない子猫だ。 白崎なら、きゃーきゃー言いながら写真を撮るだろう。 「あんだけ可愛いのに、駄目か」 「駄目……言葉が通じないってだけで、怖くて」 「通じたら怖いわ……」 そんなツッコミを入れていると、ふと、既視感を覚えた。 似たような経験を俺はしている。 まず、部室で小太刀がギザに怯えていたとき。 そして…… 施設で生活していたとき。 頭の中で、回路が繋がる感覚があった。 小太刀の顔を見る。 本気で子猫に怯えている、その横顔、髪型。 確かに、見覚えがある。 「おまえ……あの、小太刀か」 「……え?」 「〈柳井戸〉《やないど》ホームで一緒だった、動物嫌いの」 柳井戸ホーム。 俺が入っていた児童養護施設だ。 「違うのか?」 ……。 …………。 「……せーかい。動物嫌いの小太刀さんですよ」 つまらなそうに言う。 「そっか……」 やはり、小太刀とは過去に会っていたのだ。 どうして忘れていたんだろう? やっぱり、小太刀が羊飼いになったからか。 で、思い出したのは、このところ接触が増えたからだろう。 「ありがと」 「ん?」 「猫、もう見えなくなったから」 「ああ」 小太刀から適度に距離を取る。 「……」 妙な空気になった。 小太刀が、過去の話を歓迎していないのはわかる。 俺にしても、大したことは思い出せていない。 思い出したのは、小太刀という動物嫌いの子がいたことと、いつの間にか出所していたことくらいだ。 そもそも、当時の俺は読書中毒真っ盛りだった。 人と差し障りのない会話はするものの、それは脊髄反射に近く、脳味噌を1ミリたりとも使っていなかったのだ。 小太刀とのエピソードを忘れているのか、そもそもエピソードがないのか、判断つきかねる。 「ずっと前、私をケダモノから助けてくれたのは、覚えてる?」 「ケダモノ?」 大仰な物言いだ。 熊か猪にでも襲われたのか? 思い出そうとするが、何も浮かんでこない。 「あー、いいよ。大した話じゃないし」 小太刀が溜息をついた。 「小太刀は、俺のことを知ってたのか?」 視線だけで肯定する小太刀。 早く言ってくれれば、思い出せたのに。 口にしかかって、やめた。 何か理由があったのだろう。 「いろいろ忘れてて、ごめんな」 「筧は悪くないよ。私が羊飼いになったから忘れたわけだし」 「それに、元々親しかったわけでもないし、私が羊飼いになってなくたって……」 言葉尻は、独り言のようになって消えた。 忘れるほどのエピソードもなかったのだろう。 しかし、羊飼いの記憶というのは、すっぽりと抜けるものだ。 忘れるというより、存在したという事実ごと、ごっそりなくす感じだった。 そして、一度思い出してしまえば、忘れていたことなどなかったような気さえする。 今まで小太刀に接してきた人は誰でも、こうして忘れているのだろう。 おそらく、家族や友人すらも。 これが羊飼いになるってことか……。 「俺、大事なことを忘れたりしてないか? なんか借りてたりとか」 「ぜーんぜん」 「別に親しくなかったって言ったでしょ?」 「そっか……」 にっこり笑う小太刀の顔を見ていると、『なら良かった』とは言えなかった。 小太刀が黙ってるだけで、俺が忘れてることがあるんじゃないのか? 「深刻な顔されても困るんだけど。ほんと気にしないでよ」 「ぶっちゃけ、どーでもいいことだし」 「OK、気にしないことにする」 「よろしくね」 適当に着地点を見つけ、元の鞘に収まろうとする。 でも、小太刀の中で何かが出っ張ってしまっていることは感じられた。 こっちからは触れにくいし、困ったな。 小太刀との関係が、ねじれなきゃいいんだけど。 筧と別れ、部屋に戻った。 急に疲労感が膨らんだ。 家に上がり、まっさらなフローリングに仰向けになる。 「ああ……」 何でだろう? 何でこんなにぐったりしてるんだ? 「筧は悪くないよ。私が羊飼いになったから忘れたわけだし」 「それに、元々親しかったわけでもないし、私が羊飼いになってなくたって……」 「俺、大事なことを忘れたりしてないか? なんか借りてたりとか」 「ぜーんぜん」 「別に親しくなかったって言ったでしょ?」 「そっか……」 筧が以前のことを思い出した。 嬉しいような、嬉しくないような、複雑な気分。 施設にいた頃、私は筧がちょっと気になっていた。 でも、ろくに話もできなかったし、筧には思い出なんてないだろう。 あいつにとって、私はそれだけの存在だったのだ。 それだけだ。 それだけ……。 胸がきゅっと狭まった。 「……」 筧が気になっていたなんて、昔の話。 また筧が気になり始めるなんて、あるわけない。 ていうか、あっちゃいけない。 特定の個人に思い入れがあったら、羊飼いの試験は不合格になる。 今までの努力が無駄になるということだ。 絶対に、恋なんて……。 「馬鹿らし」 モヤモヤした感覚を打ち払い、私は目を閉じた。 『部室です、助けて』 3時限目の授業中、白崎から謎のメールが送られてきた。 冗談でこういう内容を送ってくる奴じゃない。 適当に理由をつけて教室を飛び出した。 廊下を走りながら、白崎に電話をかける。 ……。 …………。 ………………。 留守電に繋がってしまった。 「……くそっ」 ちょうど停留所に来た路電に乗り込む。 こういうとき、自分の足で走った方が早いと思いがちだが、実際は路電の方が早い。 冷静さが肝要だ。 ……。 しかし、いつまで経っても発車しない。 「緊急停止ボタンが押されましたため、この停留所でしばらく停車します」 「……ほう」 そう来やがったか。 「はあ、はあ、はあ、はあ……」 全力ダッシュで部室前に到着した。 外は残暑真っ盛り。 頭から水をかぶったみたいな汗の量だ。 ドアを開く。 「筧くん……来てくれたんだ」 席に座った白崎を、3人の男女が囲んでいる。 見たところ、白崎に怪我はない。 「何があったんだ?」 「私は新聞部の者です」 残り二人の男子生徒は、放送部の人間だという。 「さる筋から汐美祭のことを伺いまして、その取材に来ました」 「次の生徒会長選に立候補するという噂を聞きまして」 「なんだ、そういうことか」 途端に力が抜け、ぐったりと椅子にもたれた。 「あの……もしかして、走ってきてくれた?」 「助けてって言われりゃ、走っても来るさ。電話も出ないし」 「ごめん……助けに来てくれたら嬉しいな♪ って打とうと思ったら、途中で送信しちゃって」 緊迫感が違いすぎる文章だ。 「ぶふっ、ふぉふぉふぉ」 「おいデブ。今の俺は手加減できないぞ」 「……」 デブ猫が静かになった。 「で、取材は?」 汗を拭き拭き尋ねる。 「お陰様で、一段落ついたよ」 「なら良かった」 「せっかくですから、筧君のお話も伺えますか?」 「俺で話せることなら」 「ぜひお願いします」 新聞部の生徒がボイスレコーダーを机に置いた。 しばらくして、取材陣は部室を出て行った。 彼らは、昨日からネット上で広がっている噂に目をつけたらしい。 例えば── 『図書部は、次の生徒会選挙に立候補者を出すつもりらしい』 『汐美祭の裏側では生徒会と図書部が、次の選挙を見据えて火花を散らしている』 『汐美祭の人気投票で勝った方が、生徒会選挙を制する』 『生徒会と図書部の対立は、現副会長が計画している危険な改革が原因だ』 といったものである。 噂を撒いたのは、もちろん嬉野さんだ。 新聞部の質問は、噂の真偽の確認が主だった。 こちらとしては、噂を認めた上で、生徒会との対立姿勢を明確にするよう努めたつもりだ。 「うまく記事にしてくれるかなあ?」 「おそらく大丈夫だろう」 ミナフェスの時の事件を思い出す。 新聞部は、ミナフェスが生徒会への不満の表れだと解釈して記事を作った。 基本的に対立とか勝負といった言葉が好きな人たちなのだ。 とすれば、今回の件には一も二もなく食いついてくるだろう。 記事が書かれれば、ある程度の議論は起きると思う。 議論が起こったら、結論を賛成・反対の二元論化し、反対なら図書部に一票という流れを作り出す。 そこまで行けば、勝敗は議論の中身よりも、トレンドの問題になる。 「本当に、選挙が始まっちゃったんだね」 白崎がしんみりした調子で言った。 「よかったのかな、これで」 「大丈夫だ。みんな納得してる」 「ありがとう」 「……でもね、本当は生徒会と協力してやっていきたかったの」 「みんなで仲良く、楽しい学園が作れれば一番だと思ってたのにな」 そりゃ誰だってそうだ。 「仕方ないさ。向こうさんが相容れない意見を持ってるんだ」 「戦うところで戦わないと、結局、いつかは負けることになるぞ」 自分で言っていて、片腹痛い。 ずっと事なかれ主義で生きて来た俺が、どの口で言うのか。 「高峰のためにも、頑張ろう」 「うん、そうだね」 えいや、とガッツポーズを作って見せた。 白崎は強い。 人を信じ、任せることができるし、自分の主義主張のために戦うことができる。 本人は否定するだろうが、一種の才能だ。 目を細めて白崎を見ていると、チャイムが鳴った。 もう昼休みか。 「ねえ、筧くん」 「ん?」 「あの……ね」 ふとももの間に両手を挟み、白崎が言葉を探す。 「今日は、走ってきてくれて嬉しかったよ」 視線を逸らしたまま、そう言った。 「……」「……」「……お、おう」 「ま、まあなんだ……ちょうど暇だっただけだから」 柄にもなく、焦ってしまった。 「ふふ、昨日テレビでやってた、ツンデレってやつだね?」 「違うから」 「えー、どうかなー???」 白崎が、くすぐったそうに笑う。 妙に可愛く見えてしまったのは、きっと暑さのせいだろう。 「ま、何もなくて良かった」 「ふふふ、驚かせてごめんね」 そう言って、白崎は穏やかに微笑んだ。 明けて月曜日。 週末を挟み、学園の空気はより慌ただしさを増している。 汐美祭当週ともなれば、授業への出席率は如実に下がるし、仮に出ていても内職している生徒がほとんどだ。 屋外では、いたるところでDIYが行われ、学園中がかまびすしい。 授業の出欠に関するおおらかさは、この学園ならではだ。 生徒会VS図書部の記事は、土曜朝のウェブニュースに掲載された。 情報はネットを中心に広がり、掲示板では議論が盛んになってきている。 図書部の意見に賛同してくれる人が多いようだが、いかんせん問題意識を持っている生徒の数が少ない。 もっと広めていかないと、人気投票での勝利はおぼつかないだろう。 図書部のウェブサイトは、桜庭の手により汐美祭モードに書き換えられた。 『国内最大級の図書館が、今、脱出不能の牢獄となる』 『成功率1%に挑め!!』 『システムの暴走に隠された、とある少女の悲恋』 といったキャッチコピーが躍る中で、選挙の件も特集ページとして告知されている。 さすが桜庭はぬかりがない。 「戻りました」 出かけていた御園が戻ってきた。 白崎が出した麦茶を飲み、ほっと一息吐く。 その一挙手一投足を、みんなの視線が追う。 「それで、芹沢さん、何て言ってたの?」 「OKらしいです」 「おっしゃーっ」 「いえーいっ」 二人がハイタッチをする。 「お手柄だぞ御園、よくやってくれた」 「いえ、別に」 素っ気なく言いながらも、御園は少し恥ずかしそうにうつむいた。 「芹沢さんがヒロインの声をやってくれれば、もう勝ったようなもんですよ」 「桜庭さん、サイトでガンガン宣伝しちゃって下さい」 佳奈すけが言い終わる前に、桜庭は早くもサイトを更新する。 最近の芹沢さんは、業界でじりじり評判を上げているらしい。 図書部の仕事を受けてくれて良かった。 「千莉ちゃん、どうやって芹沢さんを口説いたの? おじさんに教えてよ」 「高峰さんには、特に秘密です」 御園がくすくす笑う。 参加型謎解きゲームの宣伝について議論したとき、芹沢さん投入案は真っ先に挙がった。 ミナフェスの実績を考えれば当然だ。 さっそく白崎が打診したが、結果は多忙を理由にNG。 諦めたところで、何故か御園が自分に任せてほしいと言いだした。 どうやってOKを引き出したのか、細かいことはわからないが、御園の笑顔は晴れ晴れとしている。 少なくともトラブってはいないのだろう。 「何にせよ、御園にとっては良かったみたいだな」 「そうですか?」 「ああ、前より、スッキリしたような顔してるよ」 「私は変わってないですよ」 はにかんで微笑む御園。 「そういう顔、今まであんまりしなかっただろ」 「……先輩、なんか、見られてるみたいで恥ずかしいです」 御園が赤くなって縮こまった。 「えーと、こほん……お二方、盛り上がってるとこすみませんが、進めさせていただいてよろしいでしょうか?」 「佳奈、盛り上がってないから」 「まあ否定しなくてもいいじゃないか」 「やめてくださいよ……もう」 周囲のニヤニヤ笑いから身を守るように、御園は椅子の上で膝を抱える。 そして、俺の感情を読み取ろうとするように、ちらりと俺に視線を送ってきた。そして、俺の感情を読み取ろうとするように、ちらりと俺に視線を送ってきた。心配そうな御園に、笑顔を返す。 「……ふふ」 自分に浮かんだ微笑みを隠すように、御園は抱えた膝に額をつけた。 「御園も困ってるから、その辺にしとけって」 「……む」 「ところで佳奈ちゃん、嬉野さんのお仕事はどう?」 「う、その話ですか……」 嬉野さんには情報工作活動とは別に、佳奈すけが演出を頼んでいるらしかった。 以前、例の件と言っていたのがそれだ。 「実は、先週末に新しいゲームの発売日があったみたいで、音信不通なんですよね」 「……大丈夫なんだろうな?」 桜庭が眉間を指で押さえながら言う。 「きっと、多分、おそらく」 「水曜には図書館でプログラムの試験をやりたいって言ってました。ゲーム発売前の話ですが」 「ほんとーに、大丈夫なんだろうな?」 「きっと、多分、おそらく」 嬉野さんのことだから、仕事は放り出さないとは思うが。 でも、かるーく、 「忘れてました、てへりてへり」 とか言いそうな人でもある。 佳奈すけ曰く、美麗で華麗で流麗な演出をお願いしているらしいので、期待したいところだ。 「1年は頑張ってんじゃん、2年はどーしたの?」 ポテチを食いながら、小太刀がツッコんできた。 「2年は全員で裏方仕事だよ。白崎と桜庭は特に頑張ってるぞ」 「わたしより玉藻ちゃんだよ」 「ビラとかウェブサイトのデザインも、会計も全部やってくれてるんだから」 「やめてくれ、白崎や高峰の支えあっての私だ」 桜庭がくすぐったそうに首をすくめた。 ミナフェスの例を出すまでもなく、桜庭の『縁の下力』は健在だ。 あらゆる事務作業を一手に引き受け、なおも労働意欲を失わない。 「そういえば、今朝、図書部のビラを持ってる人がいましたけど、誰が配ってるんですか?」 「ミナフェスの出演団体が中心になってるメンバーだ」 「ありがたいことに、先方からビラ配りを手伝うと申し出てくれた」 「なんでまた?」 「手前味噌だが、ミナフェスを開催したことで、うちのファンになってくれたらしい」 「そこに、土曜のウェブニュースだ」 生徒会との全面戦争という記事を見て、『いざ鎌倉』と駆けつけてきてくれたわけか。 「ありがたいことだね」 「こんな風に人の輪が広がってくなんて思わなかった」 白崎が、ほんわかした笑みを浮かべた。 「さっきから気になってたんだけど、筧はなにやってんのよ? ネタないの?」 「鋭いな」 いろいろなところに口を挟んでいるが、これをやりましたという大きな実績はない。 「筧くんだって、いろいろやってくれてるよ」 「具体的には?」 「え、それはその……ええと……」 数秒迷い、白崎が先日の『助けて下さいメール』の話を出す。 「初耳です」 「筧、詳しく聞かせてもらおうか」 白崎以外のメンバーが、ずずいと寄ってきた。 「なるほど、まとめると、白崎さんが筧さんに『きゃ☆』ってなりましたって話ですね」 「ち、違うでござるよ」 白崎が混乱している。 「つーか、筧は走っただけじゃないか? 助けてないし」 「そもそもピンチじゃなかったんだが」 白崎のメールが中途半端だったというだけの話だ。 「いやいや高峰。白崎はメールの送り先に筧を選んだ」 「そして、筧はメール一つで駆けつけた……そこには愛がある」 腕を組んで遠い目になる桜庭。 いつもの乙女妄想だ。 「あーそーなの? んじゃもー、付き合っちゃえば?」 「そうだね……って、だめ、だめだめ!」 「お姉様、露骨に矢印出てますが」 佳奈すけが小さく溜息をつく。 「ま、矢印云々は置いておこう」 桜庭が豪快に話題を戻す。 「ともかく、ウェブニュースに記事が出た以上、後戻りはできなくなった」 「新聞部も、思っていたよりセンセーショナルに書いてくれたようだし」 「汐美祭、負けられないね」 神妙な調子で白崎が言う。 その声に、各人の表情が引き締まる。 「ちなみに、生徒会はセンターステージのライブで押してくるらしい」 「やっぱそうなるか……今年は誰が来るのかなあ」 センターステージのライブは、毎年そこそこ名の知れたアーティストを呼んでいるらしい。 人気投票での順位は、アーティストの人気に比例してしまう部分があるが、鉄板の企画だ。 ……。 というか、日頃の活動に基づいた企画って話はどこに行った? 邪推はしたくないが、図書部への嫌がらせという意味合いもあったんだろうな。 「センターステージVS参加型謎解きゲームってわけですね」 「生徒会に勝てるの?」 小太刀がぽいっと疑問を投げかけた。 「勝てる勝てないじゃない……勝つんだ」 「ほー、大変な意気込みですな」 それをまったく意に介さず、定位置となったパイプ椅子で小太刀はそっくり返った。 「小太刀さん、ちゃんと協力してくれるんですよね?」 「大丈夫だって、ちゃんとやるから」 「でも、相手は生徒会でしょ? 意気込みで勝てるなら苦労しないかなって」 「だから、いま頑張ってるんです」 「ま、お手並み拝見ってとこですか」 「小太刀、あんま混ぜっ返すな」 「はーい」 図書部のメンバーが小太刀を睨む。 小太刀なりの配慮だったのか、図書部の面々に闘志の火が点ったようだ。 泣いても笑っても本番まではあと5日。 後悔のないよう頑張っていこう。 準備に忙殺され、あっという間に木曜日になった。 黒山羊の件にも手をつけたいのだが、いかんせん時間がない。 いや、解決策が見つからないというのが本当のところだった。 この日は、演出関連のリハーサルだ。 図書館が閉館してから、音響や照明を使い、調子を確かめている。 立ち並ぶパソコンのモニターには、少女の霊の顔が映ったり点滅したり、タイムリミットが表示されたりと、忙しい。 「嬉野さん、この幽霊、怖すぎるんですけど……」 「そうですか? これでもマイルドにしたつもりなんですが」 「もうちょっとゴア描写も足せますよ?」 「年齢制限入っちゃうんでやめて下さい」 今回の参加型謎解きゲームのシナリオでは、図書部員の少女の霊が図書館のシステムに乗り移り、人々を閉じ込めることになっている。 プレイヤーと少女の霊を繋ぐのが、図書館のパソコンだ。 プレイヤーは、モニターに映し出された問題に向き合い、回答を入力していく。 正解ならストーリーが進行し、さらなる問題が現れるという寸法だ。 この演出は、図書館らしさを強調するものでもあるが、人的コスト削減の役割も担っていた。 通常ならリアルなスタッフが担当する各種の進行を、パソコンが担当してくれるのだ。 俺たちは、非常事態に備えて待機しているだけで済む。 「ねえ、どうして私を見てくれないの……ねえ、ねえっ、ねえ! ねえっ!!」 切羽詰まった声が響いた。 少女の霊の音声テストだ。 「本気で怖いかも……」 「やべー、もう乗り移っちゃってるじゃんか」 「あはははははっ、だって仕方ないじゃない! わかってくれなかったのはあの人なんだからっ!」 「ひいっ!?」 突然、背後から少女の声がした。 「なーんてね。ども、こんばんは。様子を見に来ましたよ」 「お、芹沢さん」 「いや、本気で驚きました」 「……」 「あれ? 桜庭、どうしたー?」 「……」 桜庭が目を開いたまま固まっている。 「びっくりしすぎちゃったみたいだね」 「ギャップ演出ですか……姑息ですね」 「姑息とか言うなっ」 意識が戻ったようだ。 「私のお芝居どうですか? 雰囲気出てます?」 「十分すぎるくらいです」 「それは何よりでした」 にっこり笑った芹沢さんが、御園を見る。 「……よくできてると思う。ありがとう」 少し恥ずかしそうに御園が答えると、芹沢さんは満足げにうなずいた。 「お客さんの反応を見たら、修正したい部分も出ると思うから、そのときは連絡してね」 「最後の最後まで、クオリティを上げていきましょう」 「ええ、ありがとうございます」 「それじゃ、私は仕事があるんで、これでー」 芹沢さんが、慌ただしく図書館を出て行く。 相変わらず忙しい人だ。 「いやぁ、やっぱり声が入ると全然違いますね」 誰に言うとでもなく佳奈すけが洩らす。 「率直な感想はどう?」 「うーん、何て言うんでしょう?」 「私が作ってたシナリオはただの魚の模型で、水に入れても沈むだけなんですけど」 「それを芹沢さんが水に入れたら、なんとびっくり本物の魚になって泳ぎだしたって感じです」 まだ実感が湧かないといった顔の佳奈すけ。 「なかなか詩的な喩えじゃないか」 「うん、やっぱり佳奈ちゃんは才能あるんだよ」 「いやあー、それほどでもありますけどね」 「どっかに栄養がいかなかった分、こっちに行ったのかもしれません、ははは……ふう」 いきなり落ち込んだ。 「何言ってんの、そもそも栄養失調の俺に比べりゃなんぼかマシよ?」 「そうだよ佳奈」 「そっか、そうだよね」 高峰を踏み台に、佳奈すけが元気を出す。 踏まれた当人もきっと喜んでいるので問題ない。 「こう言っちゃアレかもしれないけど、実際、ここまでのものになるとは思わなかった」 「佳奈すけに才能があるってのはマジかもしれない」 「あはは、やめて下さいよ」 「読書家の筧さんに言われたら、その気になっちゃうじゃないですか」 「大体ほら、シナリオは私と千莉の共同作業ですから」 「私は見てただけ。ほとんど佳奈の仕事」 「ちょっと……もう……」 顔を赤くした佳奈すけが、何度も咳払いをする。 全方位から褒められて困っていた。 「いやー、まあなんというか、私にも役に立てることが見つかって安心しました」 「馬鹿を言うな、前から鈴木は役に立ってる」 「お前なしの図書部なんてない」 「そうだよ、もう佳奈ちゃんは」 直球純情派の桜庭が佳奈すけの肩を叩き、白崎は手を握る。 「どもども」 照れ笑いを浮かべながら、佳奈すけは一瞬だけ冷静な視線を俺に送ってきた。 こいつは無意味にシリアスな顔をする奴じゃない。 おそらく本音なのだ。 佳奈すけは、かつて図書部を裏切るかもしれないと言っていた。 あれからずっと、自他共に納得できる自信のよりどころを探していたのかもしれない。 だから、誰もやる人がいなかったシナリオで手を挙げた。 この仕事は、佳奈すけなりの果敢な挑戦だったのだ。 「何か最終回みたいなノリですけど、まだ汐美祭は始まってないですよ」 「これからもっとクオリティ上げてきますんで、ご期待下さい」 「よし、その意気だ」 「では、現場のことは1年生に任せて私達は部室に戻ろう」 「当日の段取りを詰めないとね」 「そうだな」 と、部室に戻りかけたところで、図書館入口の自動扉が開いた。 「こんばんは、図書部のみなさん」 現れたのは、生徒会の二人だった。 「敵情視察というわけか?」 「ただの巡回です。もう時間も遅いですからね」 望月さんが、図書館をぐるりと見回す。 そして、演出調整中のパソコンに目を留めた。 「図書館の備品を、ずいぶんと大らかに使っているのね」 「図書委員会が許可は出してるけどー」 「しかし、検索用の端末でプログラムを走らせるとは知りませんでした」 「汐美祭終了後、確実に現状復帰できるのかしら?」 「それはまあ、大丈夫だと思います」 「思います、では困ります。沢山の生徒が利用するのですから」 言いたいことはわかるが、絶対の保証などできるはずがない。 誰が担当したってトラブる可能性はあるのだから。 「私のプログラムに何か間違いがありましたか?」 カウンターの影から、嬉野さんがひょっこり顔を出した。 「う、嬉野……まさか、プログラムはあなたが?」 「私が作りましたけど?」 二人の間に微妙な空気が流れている。 「ごめんなさい、あなたが作っているなら心配ないわね」 望月さんが折れた。 一体どうしたことだ。 「ですね。むしろあんまりガタガタ言われると、手違いが起きてしまうかもしれません」 「例えば、ゲーム中に想定外の画像が表示されてしまうとか、そういったものです」 「もうわかりました、何も言いません」 望月さんが話を打ち切る。 どうやら、嬉野さんは望月さんの弱みを握っているらしい。 底が知れない人だ。 「白崎さん、あなたに質問があります」 多岐川さんが、白崎の前に進み出た。 果たし合いを申し込まんばかりの気迫に、白崎が及び腰になる。 「な、なんでしょう?」 「恣意的な報道のせいで、歴史ある汐美祭が生徒会選挙の前哨戦になってしまいました」 「この事態について、どう思いますか?」 「どうって……」 白崎が言い淀む。 「記事は、新聞部が……」 「私は、白崎さんに伺っています」 「ほう……」 言葉を遮られた桜庭がむっとする。 多岐川さんは、ここで白崎を論破して牽制するつもりだろうか。 「ええと……その……」 白崎がなんとか答えを見つけようとする。 しかし、なかなか言葉が出てこない。 「何も意見がないということですか……残念です」 「多岐川さんはどう思ってるんですか?」 「学園祭は、参加団体が日頃の活動を発表する大切な場です」 「それがゴシップ記事によって汚されてしまったということですから、非常に残念に思っています」 「もし仮に、誰かが新聞部を利用したとするなら、許しがたいことではないでしょうか?」 鋭い視線が俺たちに注がれる。 暗に、噂を流したことを批判してきた。 俺たちの作戦を知っているのだろう。 「所詮は、根も葉もない噂を元に書かれた記事だろう?」 「気分を害したのはわかるが、私達にはいかんともしがたい」 「根も葉もない噂はどこから出たのかという話をしていたのですが、まあいいでしょう」 多岐川さんが鼻先で笑う。 「汐美祭については、わたしにも聞きたいことがあります」 「今回、いくつかの団体の企画書が不受理になったと聞きました」 「そうですね。こちらの意図を理解していただけなかったので」 生徒会の主張は、その団体らしい発表をしてくれ、ということだった。 つまり、その団体の日頃の活動から乖離した企画だったのだろう。 「かわいそうです。せっかくの汐美祭なのに……」 「再提出までの検討期間は作りました。それは図書部の皆さんもご存じでしょう?」 「そういう問題じゃありません」 「企画を却下すること自体がおかしいです。生徒が生徒の企画を審査するなんて」 「学園祭の質を高めるためです」 「より良いイベントにするためには、多少ハードルを設けるのも仕方ないと判断しました」 「もちろん、私としては全ての団体がハードルを越えてくれることを願っているんですよ」 多岐川が挑発的な笑みを見せる。 本心から言ってるわけじゃないってことだ。 「汐美祭はみんなのイベントです、誰かを落とすなんておかしいと思います」 「それで汐美祭の質が下がるとしても?」 「みんなが全力を出した結果として質が低いのは仕方がないことです」 「生徒会長には、理想的な学園を作る責任があります」 「成績が悪い人を放校にしたり、企画を却下するのが理想の学園ですか?」 「人は楽な方に流れる生き物です」 「適度な痛みがなければ、学園のレベルもどんどん下がっていくでしょう」 「むむむ」 「むむむ」 二人が盛り上がっている。 確かに、多岐川さんのやり方なら、一時的には学園のレベルが上がるかもしれない。 だが、長期的にはどうだろう? 努力をしていない生徒は退学という方針が続けば、学園の空気が確実に悪くなる。 雰囲気が悪くなれば、退学者の増加や入学者の減少に繋がるだろう。 人気は下がっていくのに、成績は右肩上がりの学園というのも想像しにくい。 「多岐川さん。質問いい?」 「どうぞ」 「生徒が、多岐川さんのやり方を支持すると思ってる?」 「反対する人はいるでしょう。特に日頃不真面目に生活している生徒は嫌でしょうね」 と、俺たちを見る。 「つまり、反対意見は無視するってことか」 「数によります」 「現実問題として、生徒5万人の同意を得ることは不可能です」 「でも、説明していく努力は必要だよな」 「必要ですが、理想の実現のためには、ある程度は妥協が必要になる場合もあるでしょう」 「あんたの場合、最初っから説明する気なんてないんだろ?」 「どうせ全員は納得しないから、まーいっかってな」 「まさか。最大限の努力はします」 「その口ぶりではどうでしょう」 「あなたたち……」 多岐川さんの視線がきつくなった。 「……」 「ウチのウェブサイトでも、生徒会のやり方はおかしいって意見が多い」 「無視できる数だとは思えないが」 「それこそ、選挙をやれば明らかになることでしょう?」 「生徒会に反対する生徒が多いなら、私が落選するだけでしょうし」 多岐川さんは、自信に満ちた笑みを浮かべた。 自分は負けないと思っているようだ。 「多岐川さん、もうこの辺で終わりにしましょう。私達は巡回に来ただけです」 「あ、失礼しました。つい……」 望月さんが溜息をつく。 「見たところ、図書館の運用に問題はないようね」 「大がかりな仕掛けもあるようだし、素晴らしい企画になるよう祈っています」 「(どっちを応援してるんですか)」 多岐川さんがぶつくさ言っている。 「では、これで失礼します」 望月さんが、多岐川さんを引っ張るようにして出ていった。 あの人も、気苦労が絶えないな。 「活きのいい女だねぇ」 「ふう……疲れちゃった……」 白崎が、椅子に座り込む。 大型犬に睨まれた子犬みたいだったが、よく戦った。 「よく堂々と主張できたな、白崎」 「うん、負けちゃ駄目だと思って……」 「筧くんがフォローしてくれたお陰だよ」 へにゃっと笑う。 「さすが読書中毒患者は弁が立ちますね」 「頼りになります」 1年生に真顔で褒められた。 「わたしが多岐川さんに言ったことって間違ってなかったかな?」 「……何て言ってたっけ?」 「高峰、お前な……」 桜庭がげんこつを作った。 「私が言いたかったのは、学園を作るのは生徒だけど、いい学園を作るために生徒を選ぶのはおかしいってことなの」 「だって、学園の主役は生徒でしょ?」 「自分たちで道を選ぶならいいけど、選ばされるのはやっぱり違うと思う」 校則に触れたり、誰かの迷惑になっていない以上、上から生活を指導されるいわれはない。 友人や先輩が親身にアドバイスをしてくれるなら傾聴するだろうが、見ず知らずの生徒会長じゃなあ。 しかも、学園のレベルを上げるためと来ている。 こっちとしては、お節介以外の何ものでもない。 学園のモットーだの何だの理由をつけているが、多岐川さんは自分の理想を実現したいのだ。 もちろん、第三者的視点も重要だ。 社会や卒業生、親……はたから見れば、学園のレベルが下がるのは好ましくない。 彼らの要請を受け、また目を気にして、学園のレベルを上げようとするのは悪いことじゃないと思う。 その場合、生徒に理解を求め、自発的に行動を変えてもらうことが大切だ。 押しつけも切り捨ても、長期的には良い結果を生まないのは自明だろう。 「白崎の考えは間違っていないと思う。……理想論ではあるが」 桜庭がストレートに言う。 「う……やっぱり、わたしが世間知らずなんだね……」 「白崎一人だけで戦っていくなら、このままでは困るだろうな」 桜庭が、白崎の肩に優しく手を置いた。 自分たちが支えると言っているのだ。 「そうですそうです、白崎さんは一人じゃありませんよ」 「理想論だけじゃ進めないところは、みんなでカバーすればいいんです」 「ありがとう」 白崎が微笑む。 「白崎に、一つ意地悪な質問をしていいか?」 「え、何?」 「白崎のやり方を進めていって、学園のレベルがどんどん落ちたらどうするんだ?」 「おい、筧」 桜庭が睨んできた。 「選挙をやってれば、これくらいの質問は必ず出てくる。反論の練習だよ」 そう言いながら、俺には一つ考えがあった。 黒山羊の件だ。 奴は、自分のやり方に間違いがあるなら改めると言っていた。 黒山羊の目的と、多岐川さんの目的はほとんど一致している。 つまり、多岐川さんの問題を説明できれば、黒山羊も納得させられる可能性があるってことだ。 その意味で、白崎の反論は重要だった。 選挙戦で役立つことはもちろんだが、黒山羊も同じような質問をしてくるかもしれないからだ。 「レベルが落ちないように、一緒に頑張るよ」 「わたしも生徒の一人なんだから、みんなの責任にするのはおかしいしね」 「それに、わたしが頑張ってないと、誰も頑張ってくれないと思う」 白崎らしい、純粋な対応だった。 「それでもずるずる行ってしまったらどうする?」 「誰かを放校にすれば、確実にレベルは上がるんだ」 「そ、それは……」 白崎が唇をとがらせ、眉根に皺を寄せる。 「筧くん、ほんと意地悪だね」 「練習だって、練習」 「ううん……そこまで行ったらお手上げかな?」 「諦めるのか」 「みんなで一生懸命やって駄目ならしょうがないと思う」 「駄目な生徒の代表ですって開き直るよ」 「みんなを代表して怒られるのも生徒会長の仕事だもん」 白崎は胸を張って微笑んだ。 「……なるほどな」 俺も自然と笑っていた。 「お、おかしいかな?」 「いや、まったくその通りだと思って」 「笑ってるから、なんか馬鹿にされてる気がするよー」 白崎が頬を膨らます。 白崎の主張はごく当たり前のことだ。 なのに、自分が同じ主張をしているところは想像できなかった。 身に積もってしまった何かが、そうさせないのだ。 「……」 気がつけば、周りの奴らも白崎の言葉に聞き入っていた。 「白崎先輩は変わった人ですね」 「ええっ、そうかな?」 「気持ち悪いくらいです」 「がーん」 白崎がうなだれた。 御園の愛情表現は、白崎にはきつかったらしい。 「さすがは鈴木的世界遺産でございます。ありがたや、ありがたや」 手を合わせる佳奈すけ。 「つぐみちゃん、元気だしなよ」 「俺なら絶対つぐみちゃんを生徒会長に推すよ」 「俺もだ」 「無論、私もだ」 「白崎のやり方は結果を残せないかもしれない、だが、それでもいいと思う」 「会社や政治家じゃないですから、結果第一は変ですよ」 「ありがとうね、みんな」 みんなの声に、白崎が顔を上げた。 小太刀だけが一人、納得していない顔をしている。 「筧も満足したか?」 「ああ、これなら選挙もなんとかなるだろ」 「よし、では準備に戻ろう」 桜庭の号令で、俺たちは持ち場に戻る。 「小太刀、ちょっといいか?」 部室へと歩きながら、小太刀を引き留める。 「何よ」 「機嫌悪そうだな」 「良くないわね……私は白崎みたいな考え方、好きじゃないから」 「だと思った」 「あいつは極端な例だ。桜庭も言っていたけどみんなでサポートするのが前提だ」 「一生懸命とか全力とか、みんなでとか……ばっかみたい」 小太刀が溜息をついた。 「生徒会長なら、多少厳しくても、みんなのプラスになる道を探すべきじゃない?」 「白崎もそうするだろうよ」 「白崎と多岐川さんで違うのは、白崎はその厳しい道を一緒に歩いてくれるってことだ」 「それに、もし道で誰かがつまずいても、置き去りにしたりはしない。多岐川さんはその逆だ」 「つまずいた人のために、道を変えるなんて愚の骨頂だと思うけど?」 「それは選んだ道が間違ってたんだろうな……白崎の考え方では」 「やだやだ」 小太刀が鬱陶しそうに言う。 「で、用件は? 青臭い説教のため?」 「いや、さっきの多岐川さんの話を、黒山羊の説得に使えないかと思って」 「何の関係があるのよ?」 怪訝な顔の小太刀に理由を説明する。 多岐川さんの理想の学園と、黒山羊の理想の学園はおおむね一致していた。 なら、多岐川さんの将来的な挫折を説明すれば黒山羊も考えを改めるだろう、というものだ。 「なーるほど」 小太刀が腰に手を当てた。 「つまり筧は、白崎の意見を押せば、黒山羊が説得できると思ってんのね?」 「いや、強調したいのは多岐川さんが駄目ってこと」 「あの人は、最終的に自分の理想を大切にするタイプだ。政治家ならわからんけど生徒会長としては良くない」 「別にいーじゃんか」 小太刀は多岐川さん寄りの意見だ。 黒山羊の件についても、自分で自分を説得するようなものだと言っていたな。 つまり、現状は『白崎VS多岐川=黒山羊=小太刀』という感じか。 「……」 ふと、頭の中でいくつかの断片が繋がり、一つの可能性を示した。 気のせいだろうか。 どっちにしろ、今の段階ではまだ口にすべきじゃないか。 「黒山羊を説得できる方法って、他に思いつくか?」 「今んとこはない」 「じゃあ、取りあえずやってみようって言うんでしょ? あんたのパターンよね」 口をへの字に曲げ、腕を組んで本棚に寄りかかる小太刀。 「といっても、他に手を思いつかないのも事実か」 考えるふりをして、実は考えていないのも小太刀のパターンだ。 「ま、やってみますか」 「オッケー。ちなみに、説得の主役は小太刀で頼む」 「な、なんでよ……あんたやんなさいよ」 「あのさあ、お前の試験だろ?」 「えー、でもさぁ」 腕を組んで、左右に揺れる小太刀。 「仮に俺が説得して、小太刀が不合格になったらどうすんだ? 自分のことを考えろ」 「……」 「どうした?」 「けっこう、考えてくれてるんじゃん」 「なにテレてんだよ」 「テレてなんかないわよ。ばっかじゃないの」 小太刀がぷいっとそっぽを向く。 「ま、まあ、私の試験だし、私がやるのが当たり前ね」 「わかったわ、私がやります。それでいいでしょ?」 やれやれ、という身振りをされた。 なぜキレ気味なのか。 「じゃあ、明日の夜トライする感じでいい?」 「りょーかい」 「ほらほら、筧は早く持ち場に戻りなさいよ」 追い立てられるように、部室へと送り出される。 汐美祭の準備に追われて、最近は黒山羊問題が進んでいなかった。 でも、ここに来て解決の糸口が見つかった。 しかも、白崎と多岐川さんの言い合いからヒントを得たのだ。 どこでどう繋がるかわからないものだ。 いや……。 俺の推測が正しければ、こうなるのは必然だったのかもしれない。 「……」 全ては、明日だな。 翌日の午後8時過ぎ。 汐美祭の準備が一段落した隙を見て、俺と小太刀は外に出た。 もちろん、黒山羊に電話をするためだ。 携帯にイヤホンを差し、片方を小太刀につけさせる。 「いくぞ」 「……うん」 知らされていた番号に電話をかける。 呼び出し音が聞こえる。 「……」 「ずいぶん待たせたね」 居丈高な、黒山羊の声が聞こえた。 「どうも、久しぶりです」 「あんまり待たせるから、降参したのかと思っていたよ」 「まさか」 「すみませんが、電話を替わっていいですか? 話すのは小太刀です」 「ああ、もちろん構わない」 携帯を小太刀に差し出す。 「……」 小太刀は、無言のまま差し出されたものを見ている。 「小太刀、頑張れ」 「……うん」 小太刀が携帯を受け取った。 指先がわずかに震えている。 「もしもし……」 俺と一度視線を交わしてから、小太刀は口を開いた。 「それじゃ、ありがたく意見を拝聴しようじゃないか」 「あなたがサポートしてる多岐川だけど、彼女に任せていても期待した結果にはならないと思う」 緊張のためか、幾分固い口調で小太刀が意見を述べる。 内容は、昨日話し合った通りだ。 「あの人は、最終的に生徒の利益ではなく、自分の理想を優先するでしょうね」 「言葉の端々から、それが伝わってくるの」 「つまり、彼女はいずれ人気を失い、学園は変わらないと?」 「その通り」 小太刀の言葉をかみしめるように黒山羊が黙る。 沈黙すること数秒── 黒山羊は告げる。 『だとしても、多岐川が生徒会長になった方が総合的にプラスなのだ』と。 それは、あらゆる議論を吹き飛ばす、黄金の結論に聞こえる。 「私は羊飼いだよ? 結果は見えているんだ」 「……それは」 小太刀が言葉に詰まった。 小太刀が、携帯のマイクを手で塞いて俺を見る。 「生徒に頼まれたんじゃなければ、余計なお世話だろ」 「所詮は羊飼いの自己満足だって言ってやれ」 「でも、総合的に見たらプラスだって……」 「大丈夫だ」 勇気づけるために、強くうなずく。 小太刀の額を汗が伝う。 「う、うん……わかった」 一つ深呼吸をしてから、小太刀はマイクを塞いでいた手を外した。 「どうした、時間がかかるじゃないか? 相談でもしていたのか?」 嘲るような声。 「うるさいわね。それより質問の答えよ」 「たとえ総合的に見てプラスになるにしても、生徒の意思に反しているなら余計なお世話よ」 「生徒があなたに頼んで来たわけじゃないでしょう? 所詮はあなたの自己満足じゃない?」 「依頼がなければ動けないのなら、羊飼いは仕事ができない。羊飼いを否定するのかい?」 「否定はしないけど、取り組み方は考える必要があると思う」 「具体的には?」 黒山羊の声が若干低くなった。 重要な質問なのだ。 再び、小太刀が携帯を押さえて俺を見る。 「お前な、多少は自分で考えろ」 「間違ったら試験に落ちるって思うと、緊張しちゃって……」 冷汗をたらしながら小太刀が言う。 緊張を通り越して、小太刀は興奮しているように見えた。 「おいおい」 カバンからハンドタオルを取り出し、小太刀の顔の汗を拭いてやる。 「むぐ……」 「ナナイさんも言ってただろ、羊飼いは人類の奉仕者なんだ」 「人間が主で、羊飼いは従、そうだろ?」 「で、でも、それは……ボスの考えで」 「いいから」 落ち着かせるため、小太刀の肩を撫でる。 何度かうなずき、小太刀がまた携帯に向かう。 「羊飼いは人類の奉仕者よ」 「あくまで人間が主であり、羊飼いは従であるべきだと思う」 小太刀の声が若干うわずる。 自信がないのか……。 「いるね。そういうことを言う羊飼いが」 「しかし、従であった結果として、人が誤った方向に進んだらどうする?」 先日、白崎にぶつけた質問だった。 小太刀も問答を聞いていたはずだ。 「……それは」 小太刀が乾燥した唇を湿らせた。 「それは、羊飼いが実力不足だったということ……諦めるしかないでしょうね」 白崎の答えとは、ニュアンスがわずかに変わっていた。 羊飼いの実力不足とするなら、結局、羊飼いは導き手であることになる。 「……」 肘で小太刀を突っつくが、無視された。 「なるほど……つまり、極論、人間が駄目なら心中するもやむなしということか」 「そこで手を出してしまうなら、結局、羊飼いは自分のエゴで動いたってことになるでしょ」 ……。 …………。 「そういう考え方もあるか」 数秒の沈黙の後、黒山羊が小さく息を吐いた。 「少し検証してみる必要がありそうだ」 「納得してくれたってこと?」 「納得はしないが、私なりに確かめてみたいことができた」 「じゃあ?」 「ああ……生徒会の彼女からは手を引こう」 説得には至らなかったが、こっちの考えに興味は持ってくれたようだ。 ともかくは良かった。 「それってつまり、私の仕事も終わりってこと?」 小太刀が、誰に言うともなく呟いた。 小太刀の仕事は、黒山羊を学園から排除することだ。 目標達成と言えるだろう。 「筧……やった! 私、羊飼いに!」 小太刀が俺の手を握った。 俺の目を見て、何度も力を込めてくる。 これはさすがに照れる。 「面白い話を聞けて良かった」 「君が羊飼いになることがあれば、いつかまた会うときもあるだろう」 「……」 「別に、こっちは会いたくないけどね」 べっと小太刀が舌を出した。 「小太刀、替わってもらっていいか?」 「え? いいけど?」 電話を替わる。 「どうも。もう一人の方です」 「ああ、君か。後ろからいろいろと入れ知恵をしているようだね」 黒山羊は含み笑いを浮かべているようだ。 「一つ聞きたいことがあるんですが、いいですか」 「いいけど?」 聞きたいのは、先日から気に掛かっていたことだった。 「この試験、もしかして茶番じゃないですか?」 「つまり、あなたはナナイさんから頼まれて、こんなことをしているんじゃないですか?」 「ちょっとあんた」 小太刀が、俺の手を握りつぶさんばかりに握りしめた。 「そう思う根拠は?」 「話がうまくできすぎている」 いくつかの点を指摘する。 まず、黒山羊が俺たちに好意的すぎること。 わざわざ電話をかけてくるし、おまけに問題解決の方法まで向こうから提示している。 俺たちについての本を読む機会があったなら、自分が説得されることも知っているはずだ。 とすれば、可能性は未然に潰すのが常道であり、説得のチャンスなど作る必要はない。 むしろ、俺たちに課題を与え、説得されるために登場したように見えてしまう。 そして、仮に本を読んでいないのなら、もっと問題が出てくる。 『黒山羊』という名前を考えたのは小太刀だし、それは報告書にしか書いていないと言っていた。 しかし、最初の電話で黒山羊は自分を黒山羊だと名乗った。 祈りの図書館にも現れず、他の羊飼いとの接触がほとんどない黒山羊が、どうして自分のニックネームを知っていたのか。 おまけに、黒山羊は以前、俺たちに『羊飼い予備生たる君達』と言った。 なぜ、俺や小太刀が羊飼いを目指していることを知っているのだろう? そしてもう一点。 最後に補足だが、ナナイさんは黒山羊の件を重く見ていなかった。 重大な問題なら、まず小太刀の試験には当てないし、何らかのフォローをするはずだ。 何もないということは、大した問題ではないのか、その気になればいつでも解決できるのか、そもそも茶番なのか、ということだ。 黒山羊の正体について、顔も性別もわからないのに生徒会の裏にいることだけわかっていたというのも怪しい。 「ほう……興味深い指摘だね」 「アンタ、そんなこと考えてたの?」 「だって気になるだろ」 「ぜんぜん」 そうですか。 「私は君達の本を読んでいるんだ。それで説明が付くだろう?」 「君達が私を説得することは知っていたよ」 黒山羊は面白がるような声で言った。 「なら、説得されないように振る舞えばいいはずです」 「私はそもそも君達の敵じゃない」 「言っただろ? 私も間違いは犯したくないんだ。誰かの意見で方針を変えることに問題は感じていない」 「ま、そう言っちゃえばそれまでですけど……ずいぶんいい人ですね」 「善人じゃなきゃ、羊飼いはできないんでね」 「だとさ」 「何で私を見るのよ」 小太刀が膨れた。 「しかし、素晴らしい推理だった」 「善人ついでに、一ついいことを教えてやろう」 「君達がやってる謎解きゲームだが、初日に怪我人が出る可能性が高い」 「!?」 物騒な予言だ。 「原因は?」 「さあて……図書館内の安全確認をすることだな」 「では、君達とはこれでお別れだ。楽しい時間をありがとう」 ぷつりと電話が切れた。 「……あ、切れたか」 「なんか、ヤバイこと言ってたわね」 「ああ、怪我人なんか出たら、人気投票どころの話じゃない」 二人でうなずき合った。 「ところで小太刀」 「なによ筧」 「手を離してくれ」 「えっ!? あああっ!?」 わたわたと動く小太刀。 「……ごめん、黒山羊を説得できたのが嬉しくて……」 「ま、気持ちは分かる」 言いながら、ベンチから立ち上がった。 「ともかく、図書館に戻ろう」 「あ、あの、筧?」 小太刀が座ったままで俺を見る。 自動的に上目遣いだ。 「黒山羊を説得できたの、筧のお陰って部分が……その、少なからずあったような」 「……ともかく、ありがと」 しおらしく頭を下げてきた。 「妙に義理堅いな、お前らしくもない」 「私を何だと思ってるのよっ」 小太刀が吠える。 「その方がいい」 などと冗談にしたのは、小太刀の目に今までにない色を見たからだ。 勘違いだったら恥ずかしいが、もしそういうことなら、小太刀が試験に落ちる可能性もある。 ここはスルーしておかないと。 「よし、図書館行くか」 「あ、私はボスへの報告とかあるから、後から行くわ」 「わかった。んじゃな」 足早に小太刀の元を去る。 何だか逃げるみたいでアレだな。 ……そもそも、もし小太刀に気があるとしたら俺はどうするんだ? やっぱり、誰にも肩入れしたくないと断るのだろうか。 小太刀が、羊飼いへの未来を捨ててアタックしてきたとしても? 「……」 ま、そのとき考えればいいか。 筧が小走りに去って行く。 その背中から、目が離せない。 図書部員らしい厚みのない背中。 にもかかわらず、見つめてしまう。 「……やばい」 私は今、筧のことを頼りに思っていなかったか。 気の迷い、気の迷いだ。 黒山羊のことがあったから、ちょっと嬉しかっただけだ。 自分を戒めるように手を握る。 そこには、未だに筧の熱が残っているように感じられてしまう。 確実に、やばい。 わたしの中で何かが芽生え始めている。 それでなくとも、筧とは昔いろいろあったのだ。 火が点いたら止められなくなるかもしれない。 「あかん、ホンマあかんて」 思わずエセ関西弁になってしまう。 恋なんてしたら、羊飼いになるためにかけてきた時間が全て無駄になる。 それだけは、避けないと。 と、思っているのに、胸の鼓動はなかなか平常運転に戻らない。 妙な苛立ちを抱えたまま、私はベンチに座り、星空が胸の熱を奪ってくれるのを待つことにした。 図書館に飛び込む。 「みんな、聞いてくれ」 「慌ててどうしたの?」 本当のことを説明していては、時間ばかりかかってしまう。 「さっき、羊飼いからメールが来たんだ」 「汐美祭の1日目に、図書館で誰かが大怪我をするらしい」 しん、となった。 白崎は桜庭の手を握ったまま凍り、佳奈すけは御園の両肩に手を置いた。 「そのメールは本物なのか?」 「こっちを混乱させるために、多岐川さんが送ったとか?」 「割と姑息だね」 「本物だって証拠はない。でも、事故が起こってからじゃ遅いだろう?」 「まあ、そうですけど……」 みんな、半信半疑といったところだ。 「ま、取りあえず信じてみようぜ」 「本当に事故が起こったら、人気投票どころの話じゃないぞ」 ポケットに片手を突っ込んだまま、高峰が言った。 「そうだね。何かあってからじゃ遅いね」 みんながうなずく。 高峰のお陰で助かった。 「では、手分けして何か不審なものがないか探そう」 「筧、手がかりはないか?」 「ない」 「ドヤ顔で言わないで下さい」 「ともかく、怪我しそうなものを片っ端から探そう」 不安げな顔で、みんなが散っていく。 2時間ほどが経過した。 手がかりがない以上、虱潰しにしていくしかない。 落下しそうな照明はないか、倒れそうな本棚はないか、感電しそうなケーブルはないか…… いろいろと想定しながらチェックしたが…… 「一通りは確認したけど、これで大丈夫なのかな?」 「原因が特定できてないんだ、わからない」 「羊飼いも、嫌な指摘の仕方しますね」 「だよねぇ。もう解決したのかもしれないし、まだ見つけてないのかもしれないし」 不安はまったく拭えない。 「1日目はイベントを中止すべきだろうか」 「でも、人気投票が……」 「人の安全に代えられるか」 「筧、もう一周してみようぜ」 「ああ」 高峰とうなずき合い、女の子に目を向ける。 「筧さん、危険物も大事なんですが、このままだと準備が終わらなくなっちゃいます」 「それもあったか」 仮に危険物が見つかっても、準備が終わらなくてはイベントが開けない。 「捜索は俺と高峰でやろう。準備はみんなに任せる」 「うん、よろしくね」 再び図書館に散る。 何も見つからないまま時間だけが過ぎていく。 下校時刻を過ぎたためクーラーは切られてしまった。 止まらない汗が、さらに苛立ちを募らせる。 「高峰、どうだ?」 高峰が首をすくめる。 「そうか」 床に腰を下ろし、本棚にもたれる。 隣に座った高峰が小さく含み笑いを洩らす。 「どうした?」 「いや、なんか楽しくてさ」 「ピンチだぜ? 理解してるか?」 「わかってるよ、そんくらい」 「ただ、ま、楽しいんだ。みんなとわーわーやって、汗かいて走ってるのが」 高峰が天井を見上げた。 汗が首を伝っていく。 「普通の図書部は、静かに本を読むもんだよ」 「ウチは体育会系だからな。なにせ部長が熱血タイプだ」 「違いない」 高峰が放校になると聞けば、生徒会だろうと喧嘩を売る。 勝算なんか計算しない。 日頃は草食動物を絵に描いたような奴なのに。 いや、白崎だけじゃない。 図書部のメンバーは、何だかんだで情に厚い奴ばかりだ。 俺はどうだろう? 仲間は大切に思ってる。 でも、どうしても詰め切れない距離がある。 近づき、手を握り合おうとしても、身体に染みついた人への不信が足をすくませるのだ。 それは、飼い主に捨てられた犬が、人間を信じられなくなるのと同じだ。 みんなは手を差し伸べてくれているのにな。 「ああ、ここにいたのか」 桜庭が近づいてきた。 「成果はどうだ?」 男二人で首を振る。 桜庭が、渋面を作る。 「ところで、1年たちを一旦帰して、仮眠を取ってもらおうと思ってるんだが」 「疲れているようだし、明日も朝から最終リハーサルをしなくちゃいけない」 時計を見ると、もう23時過ぎだった。 明日は汐美祭当日。 早朝から夜まで働かねばならない。 「いいと思う」 桜庭がうなずく。 「私と白崎は風呂に入ってくるが、そっちはどうする?」 「俺も2人と一緒に入るよ」 「そうか……いや、さりげなく同じ湯船に入ろうとするな」 「仕方ない、そっちはバスタオル着用OKでいいよ」 「黙ってろ」 桜庭が面倒くさそうに切って捨てる。 「こっちは捜索を続けるよ。このままじゃ1日目が休業になっちまう」 「それはそうなんだが……」 「その、筧は図書部で軟弱だから、少し休んだ方がいいんじゃないか?」 桜庭が恥ずかしそうに言う。 「えーと……」 乙女チックな仕草に、こっちまでドキドキしてしまう。 「硬派の図書部員をなめてもらっちゃ困る」 「いやいや、頑張るとこじゃないだろ!?」 「せっかく勇気を出して気遣ってくれたんだぞ」 「言わなくていいっ!」 高峰の頭が本棚にめり込んでいた。 一瞬のことで見えなかったが、桜庭の足が動いたように思う。 「いや、す、すまない……筧を見くびっていたな」 「では、引き続き捜索を頼んだぞ」 俺の視線から顔を逸らし、桜庭は足早に立ち去る。 「桜庭、ありがとう」 背中に向かって言う。 「べべ、別にどうということはない……じゃあ、頑張ってな」 振り向かずに言って、桜庭は消えた。 「いやー、まっこて、よかおなごですたい」 「どこの九州人だよ」 高峰が本棚から頭を抜いた。 「お前、ほんと頑丈だよな」 「ま、多少空手で鍛えたんでね」 髪型を整えながら、高峰が立ち上がる。 俺も腰を上げた。 「そういや、空手のこと、あんま細かく聞いたことなかったな」 「細かく聞かないのが俺たちだろ。筧らしくもない」 「そうだったな……すまん」 俺らしくもないか。 そう、俺は人の中には入り込まないし、逆もまた然り。 正確には、入り込めず、入り込ませることもできない。 「ま、そのうち話すよ」 添えるように言って、高峰が捜索に戻る。 本気なのか、社交辞令なのか。 本気なら、また一つ、俺は負い目を背負うことになるのだろうな。 朝6時過ぎ。 徹夜で捜索を続けたが、何も見つからなかった。 消火栓の中や、トイレの清掃用の流し、貸し出しカウンターの引き出しの中まで念入りに調べたのだが。 「ごめんね、二人だけに探させちゃって」 「そっちはそっちで仕事してるんだ、ただの役割分担だよ」 2年女子は、風呂に入ってすぐに帰ってきた。 やはり徹夜で事務作業に当たっている。 仮眠を取りに行った1年も、2時間ほど前に戻ってきた。 俺たちだけが働いていたわけじゃない。 「羊飼いの言葉を信じるなら、1日目のイベントは見送るべきだろうな」 「でも、せっかく準備をしてきたのに……」 安全のためには、イベントを実施すべきではない。 1日目だけとはいえ、イベントを中止すれば人気投票には負けるだろう。 人気投票に負ければ選挙も苦しくなる。 苦渋の決断になるが、怪我人が出てからでは遅い。 「もう少し……もう少し待ってくれ」 「俺たちが見つければ、丸く収まるんだ。高峰、行こう」 「……ああ」 やる気を振るい起こし、もう一度捜索に出る。 「……」 「……真っ白だぜ、俺はもう……」 高峰と、カウンター脇のソファに座り込む。 さらに2時間ほど探し回ったが、成果はない。 日は完全に昇り、会場の外からは喧噪が流れ込んでいた。 あと1時間足らずで、汐美祭が始まってしまう。 「見つかりませんか」 「……ああ、すまん」 「お二人は悪くないですって」 諸々のセッティングは完了し、あとは手伝いの図書委員が来れば、いつでもイベントは始められる。 ……危険物さえ見つかれば。 「そろそろ、タイムリミットか」 「中止なら中止で対応に時間がかかる。本部にも届けなくてはならないし」 桜庭が時計を見上げて言った。 「そんなぁ」 「……」 1年生が泣きそうな顔になる。 「私だって、同じ気持ちだ」 「好き好んで、中止になんてするわけがないだろう」 唇を噛んだ桜庭の肩を、白崎が撫でる。 「なんてこった……」 高峰と並び、ソファにばったり倒れ込む。 せっかく準備して来たのに、こんなことで駄目になるのか。 「ここ……見えそうだよなあ……」 隣で寝ていた高峰が、ぽつりと呟く。 「何が?」 「いや、ソファに寝っ転がると、絶景じゃないか?」 高峰は、4階分の吹き抜けを見上げている。 「ああ……」 意味が分かると同時に脱力した。 各階には、吹き抜けに沿って落下防止用の柵がある。 スカートの短い子が柵にもたれていたりすると、下から見えてしまうわけだ。 一応、視線が通りにくいよう柵の間隔は詰まっているが、見えないこともない。 「こんな時に、しょーもないこと言うなよ」 汐美祭の人気投票で負ければ選挙も負け、高峰の放校も確定ってわけだ。 一番の当事者がこの調子か。 軽口でも叩かないとやってられないのかもしれないが。 「はあ……」 もう一度吹き抜けを見上げる。 「……?」 4階の柵が、一箇所だけ斜めになって見えた。 何度も確認するが、やはりわずかに傾いている。 「なあ、4階の柵、斜めってないか?」 「え? どこどこ」 「あーほら、あそこ……いいや、ちょっと見てくる」 4階まで上がり、柵をチェックする。 「(やっぱり)」 一箇所だけ、固定金具が緩んでいる。 試しに手で押してみると、たやすく内側に傾いた。 何も知らずに寄りかかったら……。 吹き抜けを見下ろす。 俺を見上げる5人が小さく見える高さだ。 こいつは、黒山羊に感謝しないといけないな。 「高峰ー、工具箱持ってきてくれー」 「まさか、高峰の煩悩が役に立つとは」 「良かった……良かったよう」 「あんな所から落ちたら大惨事ですよ」 「羊飼い様々です」 4人並んで、もう一度吹き抜けを見上げる。 天窓からの光が、何かの祝福のように女性陣へと降り注ぐ。 「よし、柵のことは二人に任せて、私達はイベントを進めよう」 「りょーかいです」 「絶対に成功させようね」 「もちろんです、みんなで準備して来たんですから」 自然と円陣を組み、中央で手を合わせた。 「よし、いくよーっ!」 午前10時── 汐美祭の開催を告げる花火が鳴り響いた。 天候は快晴。 花火の名残の白い煙が、ゆっくりと風に流れていく。 最寄り駅から学園への道のりは、アスファルトが見えないほどの混雑だ。 これらが全て、汐美学園に吸い込まれる。 正門が開かれるやいなや、文字通り堰を切ったように群衆が学園に流れ込む。 待ち受けるのは、ビラ配りの生徒達だ。 戦国映画の合戦風景さながらに、両軍が混じり合う。 一地方都市の人口にも匹敵する人間が織りなす、一大スペクタクルである。 そんな戦場に、図書部員の姿もあった。 人の濁流の中で踏ん張りながら、白崎、桜庭、高峰の3人がビラを撒く。 彼らをサポートするのは、図書部と生徒会との対決を聞いて集まったボランティア── いわゆる勝手連である。 彼らは『図書部を助ける』という目的の下に団結し、無償で協力を申し出ていた。 構成メンバーは、依頼を通して図書部と関わり合った生徒がメインだ。 ミナフェスの出演者はもちろん、ラブレター事件のカップル、ビラ配りや外食店の覆面調査を依頼した生徒もいる。 総勢30名を越えるビラ配り部隊が、お揃いのオリジナルTシャツを着込み、山のようなビラを配りまくる。 無報酬で活動している図書部にとって、彼らは、自分たちの成果を確認させてくれる貴重な存在だった。 協力の申し出を受けたとき、部員全員が歓喜したのは言うまでもない。 無数にある催しの中で、人気を集めるのはセンターステージだ。 ライブやダンスはもちろん、料理対決やミスコン、政治家を招いての討論会など、硬軟織り交ぜたタイムテーブルが作られている。 2日間、ずっと見ていても飽きることはないだろう。 最大の目玉は、最終日のラストに行われる有名アーティストのライブだ。 例年なら、パンフレットにアーティスト名が記載されているのだが、なぜか今年はシークレットとされていた。 未定なのか、よほどの大物なのか、学園のSNSでは数日前から様々な憶測が飛び交っていた。 各校舎では、多岐川副会長の言う『それぞれの団体らしい企画』が行われている。 書道部なら作品の展示、考古学部なら発掘成果の発表、株式研究会なら来年の株価予想、などなど。 意義は十分に認められるが、総じて地味である。 さて、我らが図書部だが…… 「ふふふ……もう、逃がさないからね……どこへも……どこへもっ!」 「えっ、何? これ、マジ過ぎない? うそ、うそ……」 「モニターに何か映ってるぞ……ああ、この謎を解けばいいんだ」 「1問目は……私の愛する動物は? だって」 「ヒントもあるね。一つ目の鍵は、星々の声が集う場所に? 何だろ?」 ちなみに、『星々の声が集う場所』というのは、天文学関連の本がある書架のことだ。 そこには4つの数字の羅列が書かれた紙が貼ってる。 数字が、日本図書コードと気づくかどうかが、ここでのポイントだ。 次は、検索用PCに戻り、コードで検索をかけると4冊の本が出てくる。 本のタイトルには、ある種類の動物に関連するワードが入っている。 ……といった感じでゲームは進んでいく。 ちなみに、1ゲームの制限時間は1時間。 無事ゴールにたどり着けた人には記念品が贈呈される。 ゲームとゲームの間には30分の入れ替え時間を取り、1日5ゲームを実施する予定だ。 「ふふふ……愚民共め、せいぜい惑うがいい」 俺たちは、部室で防犯カメラの映像を見ながら、イベントの進行をチェックしている。 緊急時の対応や、問い合わせなども俺たちの担当だ。 「防犯カメラの映像って、なんか興奮します」 「あー、あの人、ぜんぜんカバーがなってません。今死にましたね」 「違うゲームの視点になってますが」 シナリオ・演出担当の3人が、おやつ片手にあれこれ喋っている。 御園が椅子の上で体育座りをしているのはいつものことだが、嬉野さんは椅子の上で正座していた。 どことなく、置物のようだ。 「あれ? 今、よこしまな思考を受信しましたよ?」 嬉野さんが俺を見る。 「あ、えーと、自分、巡回行って来ます」 「あ、お願いしますー」 4階の柵は修理した。 しかし、黒山羊の教えてくれた危険が、柵のことだと確定したわけじゃない。 警戒を緩めるわけにはいかない。 「あ、私も行くー。図書委員の様子を見ておかないと」 小太刀がプラプラと付いてきた。 「何か話でもあるのか?」 「話がないと、一緒にいちゃいけない?」 「あほ」 「あっはっは、ドキドキした?」 「本気になったら、羊飼いの試験に落ちちまうぞ」 「あ……うん、そうね」 急にシリアスな顔になって、小太刀が呟く。 「で、話は?」 「黒山羊の件だけど、ボスに報告しておいたから」 「何か言ってた?」 「フツーに褒めてくれた」 「今後のことは、汐美祭が終わったら話をするって」 「試験、合格するといいな」 「ま、慌てなくてもすぐわかるわよ」 小太刀がにっと笑った。 どうやら、明るい観測を持っているようだ。 「しっかし、初回からなかなかの盛況じゃない?」 小太刀が、図書館を見回して言う。 10時30分からの回には、400人程度のお客が来てくれている。 最大で600人程度には対応できるはずだから、まだゆとりがある。 「お陰さんで、滑り出しとしては上々だよ」 「ビラと口コミで広がってくれればいいけど」 「そうねえ。ここまで来たら繁盛してほしいわね」 小太刀が深くうなずく。 「親身になってくれて嬉しいね」 「暇なのが嫌なだけ」 「あ、私、整理券配ってるとこ見てくる」 「俺も行く」 二人で図書館の外に向かう。 整理券は、図書館の玄関前で配布されている。 イベント開催中は、中に人を入れることができないからだ。 「おお」 外に出ると、黒山の人だかりがあった。 「現在お配りしている整理券は、13時半からの回でーす」 「12時からの回は満員となりました。申し訳ありませーん」 その前で、10人ほどの図書委員が、声をからして整理券を配っている。 「12時の回は満員か」 「13半時の回は、いま475番だって。こっちもすぐ満員になるんじゃない?」 「これ以上ないほど順調だな」 小太刀と喋っている間にも、ビラを手にしたお客さんが整理券をもらっていく。 正門前で配っているビラが効果を現わしているようだ。 「あ、筧先輩、ここにいた」 御園が図書館から出てきた。 「どうした?」 「ビラが足りなくなったようなので、補充をお願いします」 「あと、かなり暑いので、飲み物もお願いします」 「はいよ」 部室には、ビラの在庫が山のように詰まれている。 それを、台車に乗せて正門まで運ぶのだ。 「よし、小太刀、行くか」 「ったく、人使いが荒いわね」 午後8時過ぎ。 1日が終わり、俺たちは部室でミーティングを行っていた。 計5回行ったイベントの入場者は、合計で約2100人といったところ。 最初と最後の回は少なく、グラフにすると山型になっている。 内容についての評価は概ね好評だ。 「ふふふ、最近、ビラ配りに快感を覚えてきたぞ」 「山が減っていく感覚……忘れられなくなる」 「へへへ、甘いぜ玉ちゃん」 「わたしくらいになると、歩いている人の足を見ただけで、もらってもらえるか分かるもんね」 徹夜明けの二人は、妙にギラギラしたテンションになっている。 アドレナリンが出てる顔だ。 「(おっかしいなあ……あれがウケないってことは、私がズレてるのかなぁ……)」 佳奈すけはノートを見つめてブツブツ言っている。 シナリオや演出の修正プランを練っているようだ。 「(…………すぴぴ)」 御園は体育座りのまま寝息を立てていた。 高峰は腕組みをしたまま微動だにしない。 これは落ちてるな。 「汐美学園の皆さん、放送部の芹沢水結です。今日一日お疲れ様でした」 「ただ今より、人気投票の速報値を発表します」 「はっ! 忘れていた」 「一応言っとくけど、入場者数より、こっちが重要だぞ」 「そ、そうだったね」 寝ていた奴らも、むくりと顔を上げた。 「本日の投票総数は13269票です。昨年の初日と比べ11%増えました」 「では、注目の速報値です」 部室がしんとなった。 芹沢さんが、10位からランキングを読み上げていく。 「第4位は、心理学研究会による『私があなたを落とします』です。得票数は839」 「女子生徒が誠心誠意告白してくれるというサービスが、男性のお客様にヒットしたみたいですね」 「くっそ〜、行けばよかった」 本気で悔しがっている。 「第3位は、料理部の『激突、学生料理界の頂点を決めろ!』です。得票数は1077」 「歴代の学生料理コンテスト王者がぶつかり合う、見応えたっぷりの内容でした」 おお〜と、溜息が漏れる。 図書部も生徒会も、まだ名前が出ていない。 もし、10位以内に入っているなら、1位か2位ということだ。 「第2位は……」 「ゴクリ」 「……生徒会主催、センターステージです。得票数は1351」 「おおっ!! ここで生徒会ってことは、まさか、まさか……」 「そして、栄えある第一位は……」 「図書部の、『参加型謎解きゲーム、栞の記憶』です。得票数は1556」 「よしっ!!」 「やりましたね」 みんなでハイタッチや握手をする。 そして、白崎お約束の記念撮影だ。 「今話題の図書部と生徒会がワンツーフィニッシュとなりました」 「でも、差はほとんどありません。明日の最終結果が、ほんとーに楽しみですね」 「それでは皆さん、また明日お会いしましょう」 明るいBGMがフェードアウトし、放送が終わった。 「まずは一安心というところだが、気を抜いてはいけないな」 「たった200票差ですから」 油断すれば簡単に逆転されてしまうだろう。 ともかくも、気を緩めないことだ。 「嬉野さんには、ネット上に口コミを撒いてもらうように頼んでおくよ」 「上手くいけば、もっとお客が増えるだろう」 「私達は、ビラ配りを頑張ろう」 「ああ、今日の倍は配るぜ」 「私達は、シナリオをもっとパワーアップさせておきますね」 「うん、頑張ろう」 それぞれが今夜の仕事を確認する。 「私も何かやらないといけない空気にしないでよ」 「ううん、強制なんてしないよ」 白崎がにこにこする。 「ふん……ま、まあそうね……」 「図書委員と協力して、終わって出て行くお客さんに投票を呼びかけてみるわ」 「アンケート回収率を上げるのも大事でしょ」 小太刀が恥ずかしそうにそっぽを向いた。 「ふぉふぉふぉふぉ」 「猫風情が、鬱陶しいわ」 「では、各自、明日までにできることはやっておこう」 部員達の声が揃った。 俺は、嬉野さんに電話だな。 一通りの仕事を終え、俺たちは一度帰宅することになった。 俺や高峰は危険物探しで風呂に入る暇がなかったし、女の子も着替えや、女の子的な準備があるらしい。 「そういえば、小太刀はどうした?」 「あ、えーと……」 小太刀は『暑いタルいしんどい、んじゃっ!』とのたまい、図書館からワープで帰ってしまった。 卑怯な女だ。 「そういや、友達と会うとか言ってたな」 「そうか……なるほどな」 桜庭は、ちらりと俺を見て、すぐに前を向いた。 「すると、なんだ、つまり……ふ、二人きりということか」 「他に誰か見えてるなら、お祓いに行った方がいい」 「そういう話じゃないだろ……馬鹿」 小声でぼそりと言う。 もちろん、桜庭の真意は感じ取れている。 夜も10時を過ぎているというのに、駅前はかなりの人出だった。 汐美祭期間中は、街の商店もお祭りムードだ。 学園祭帰りの客を狙い、各店舗が手ぐすね引いて待っているのだ。 「汐美祭の時は、こんなことになってるのか」 「去年と変わらないと思うが」 「去年は家で読書に励んでたんだ。汐美祭の間は、図書館が閉まってたから」 「ふふ、筧らしいな」 「てっきり、つまらない奴だとか言われると思った」 「言わないだけだ。大人の配慮だよ」 「ですよね」 桜庭が微笑む。 「私は、やはりきつい性格だと思われているんだな」 「はっきり言うタイプってだけで、別にキツくなないと思うぞ。どっちかと言えば優しい方だろ」 「そ、そうか……」 桜庭が、嬉しそうにうつむいた。 「……」 「……」 人混みに押され、桜庭との距離が縮まる。 数歩ごとに、腕がぶつかるほどの距離だ。 「汗臭かったら悪いな」 「いや、私こそ」 桜庭が緊張しているのが、ありありと分かる。 「か、筧は、好きな髪型とかあるのか?」 「髪型?」 無理矢理、話題を作ってきたな。無理矢理、話題を作ってきたな。「何となく黒い髪は好きかな。日本人だからかもしらんが」 「そ、そうか……まったく、仕方のない奴だな」 桜庭が駄目になっていく。 「特にこだわりはないな」 「……そうか。すまん、突然変なことを聞いた」 しゅんとなった。 「まあでも、女の子に限らず、人間は中身だろ?」 「そこいくと、図書部のメンバーはいい奴ばっかで、ほんと良かった」 するすると、差し障りのない台詞が出てきた。 「私もそう思う」 誰かと肩がぶつかり、また桜庭との距離が縮まる。 手の甲が触れあった。 「っ……」 ぴくりと桜庭の手が震える。 しかし、向こうからは離れていかない。 「……」 手を握るべきなのか? いや、そしたら、桜庭を期待させることになる。 などと逡巡していると、桜庭の手が動く。 ほっそりとした指が、俺の指に…… 「ごめん、ちょっとどいてーーっ!!」 「へっ!?」 20人ほどの着ぐるみの一団が、何故か歩道を逆行してきた。 「桜庭っ!?」 「あ、こらっ!?」 「う、うわああーーーーーーーーーっ」 ファンシーな動物の群れに飲まれ、桜庭が流されていく。 一瞬の出来事である。 咄嗟に引き寄せることもできなかった。 「……えーと」 ま、死にはせんだろう。 忘れておくか。 約2時間後。 入浴と着替えを済ませ、俺は部室に戻った。 「お帰りなさい」 「おう」 「ご飯にしますか? お風呂にしますか? そ れ と も」 「シャングリラ」 「ぷっ!? ギザ様……シャングリラって……あはは、そのセンス……ふふ……」 まったくついて行けない。 徹夜と疲労でおかしくなっているのだろう。 変な人は置いておいて、桜庭である。 「お帰り」 「ああ、ただいま」 桜庭は無事だったようだ。 責める素振りも見せず、書類に目を落としている。 こちらも気にせず、椅子に座る。 「……」 すぐに、足をこつんと突っつかれた。 「(助けろ……馬鹿)」 「すまん」 「え? 何が?」 「こっちの話だ」 と、俺の携帯が鳴った。 嬉野さんか。 「お疲れ様です、どうしました?」 「え? ネット? はあ、はあ」 携帯のマイクを押さえる。 「桜庭、ネットを見ろだって。汐美祭関係の掲示板。緊急らしい」 「なんだろう?」 桜庭のPCの周りに、みんなが集まる。 「……これは……」 「どうした?」 俺も画面を見てみる。 「これ……どういうこと?」 掲示板が、あるネタで盛り上がっていた。 残念ながら図書部のネタではない。 センターステージの大トリで登場するアーティストの話題だ。 アイドルに疎い俺でも知っている、国民的人気を誇る男性アイドルグループだった。 「えっ、ほんとに来るんですか? うわ、どうしよっ!?」 「学園祭に来るなんて……すごくお金かかるはずですが」 「それ以前に、ランクの問題で普通は呼べないだろう」 学園祭に来る芸能人と言えば、基本的には若手が多い。 テレビで冠番組をいくつも持っているような人は、まず来ない。 「昨日の番組でもギャグが滑ってたし、実は落ち目なのか?」 「いや、そういうこっちゃないだろ」 忘れていたが、電話の向こうで嬉野さんが何か言っていた。 「というわけで、私の力ではどうしようもありませんのであしからず」 「ついさっきまでは、いい感じに図書部の話題を出せていたんですが、残念です」 「いえ、こっちこそ、無理言ってすみません」 礼を言って電話を切る。 そうこうしている間に、掲示板はアイドルの話題で溢れかえっていた。 図書部の話題は、ワイパーでぬぐい去られたかのように消えている。 「まさか、こんな隠し球があるとはな」 「すごい人気だね」 「せっかく頑張って来たのに……」 あまりの勢いに呆然となる。 人気投票の結果など、明日を待たずともわかっていた。 それぞれが、脱力した表情でPCの画面を見つめている。 図書部の話題があっという間に流れていったように、俺たちの戦意も跡形もなく消えていく。 なんてこった。 鋭い音で我に返った。 「まだ負けてません、戦いましょう」 「負けたと思った人から負けるんです」 御園が静かに言う。 「人気投票で負けたら選挙に出ないんですか? 違いますよね」 「なら、最後まで頑張って、少しでも知名度を上げないと」 異国の言葉を聞いたように、みんなが目をしばたたかせる。 今まで、御園が先頭に立って図書部を引っ張ることはなかった。 その彼女が、こんな力強さを見せるなんてな。 「そうだな……何を弱気になっていたんだ」 「今さら諦めるなんて、馬鹿みたいですよね」 部室の空気が軽くなる。 「勝負しないと、得られないものもあると思います」 「そうだね。諦めちゃいけないね」 白崎が目を細めると、御園は小さく溜息をつき、椅子に座る。 「……疲れました」 「千莉ー、感動したよー」 佳奈すけが御園の頭をわしゃわしゃと撫でる。 「やめて、佳奈」 「やめません、千莉への愛が溢れすぎて」 「もう……」 諦めてされるがままになる。 「よし、もうちょい頑張ってみるか」 「ああ、ここで挫けたらみっともない」 「うん。最後まで頑張ろうっ」 白崎の笑顔で皆がやる気になる。 いつもの図書部が戻ってきた。 汐美祭の2日目が始まった。 口コミとビラ配りの効果だろう、この日は、開幕直後から図書館にお客が詰めかけた。 朝イチの段階で、13時半までの回が満員となる盛況ぶりだ。 シナリオや演出もクオリティが上がり、出てくるお客さんの表情にも満足感が浮かんでいる。 ……だが。 「汐美学園の皆さん、放送部の芹沢水結です。汐美祭最終日、お疲れ様でした。」 「ただ今より、人気投票の最終結果をお知らせします」 楽しげなBGMとともに、結果発表が始まった。 いつもなら放送開始と同時にスピーカーを見上げるところだが、今日は誰も動かない。 「本日の第2位は……」 「図書部の『参加型謎解きゲーム、栞の記憶』です。得票数は2425」 「残念ながら、順位を落としてしまいましたが昨日よりグンと票を伸ばしました」 「初参加の団体としては、大金星ですね!」 芹沢さんも色々フォローを考えてくれたのだろう。 必死に褒めてくれている。 「そして、栄えある第1位は……みなさん、もうおわかりですね?」 「生徒会主催、センターステージです。得票数は3482票!」 「汐美祭始まって以来の……」 桜庭が放送を切った。 わかっていた通りの結果だ。 誰もが無言だった。 疲労感と徒労感が部室に充満している。 呼吸をすることさえ億劫なほどだ。 生徒会選挙の前哨戦と銘打った上での、圧倒的敗北。 生徒会の力を知らしめる結果となった。 先行きは、暗いどころの話じゃない。 「……」 話によると、ライブの最後に、アイドルから『俺たちに投票してくれ』という呼びかけがあったらしい。 で、女性ファンが丸ごと投票すればこの結果だ。 アイドルの呼びかけ一つで、俺たちの努力は消し飛んだのである。 一体、何のために徹夜で頑張っていたのか。 今思えば、参加アーティストを前日まで公表しなかったのは、俺たちをぬか喜びさせる趣向だったようにも思われる。 「(ここから、どうやって選挙に勝つ?)」 対応策は思いつかない。 代わりに頭に浮かんだのは、裏技ともいうべき策だった。 ……いや、まだ早いか。 浮かんでしまったそれを、頭の隅に追いやる。 「なあ……」 腕を組んでうつむいていた高峰が顔を上げる。 腕をほどくと、珍しく真剣な目で俺たちを眺めた。 「みんな、ありがとな」 誰もが黙って高峰を見た。 沈黙と視線に耐えかねたのか、高峰は苦笑しつつ視線をそらせた。 「言わないようにとは思ってたんだが、やっぱ、なんか申し訳なくってな」 「俺がしっかりしてりゃ……」 「高峰くんのせいじゃないよ」 白崎が高峰を遮る。 「そりゃ、最初は高峰くんのことがきっかけだったけど、今は……」 「高峰先輩とか、どうでもいいです」 「鬼か」 「鬼です」 御園がくすりと微笑む。 「わたしが言いたいのは、もうみんなの戦いになってるってことです」 「ですよ、高峰さん。ここまで来たら、高峰さんがどうなっても負けられません」 「……そっか」 一度視線を落としてから、高峰が笑った。 高峰のこんな顔を見るとは……。 いや、高峰にこんな顔をさせてしまう女性陣は、なかなかのもんだと思う。 俺には到底無理な話だ。 「高峰まで真面目なことを言うようになったら、図書部も終わりだ」 大袈裟に溜息をついて、桜庭が言った。 「選挙はこれからだ。まずは休んで、気持ちを切り替えようじゃないか」 珍しく、桜庭が場を盛り上げる役に回った。 空元気なのが丸わかりだったが、桜庭の心意気はありがたい。 俺も協力しよう。 「そうだな。このくらいで負けちゃいられない」 「汐美祭のお陰で俺たちの知名度も上がったはずだ。まだまだやれるさ」 「ええ、まだ終わりじゃないですね」 「昨日、言った通りです」 それぞれの表情に生気が戻ってきた。 「よし、今日はもう寝よう」 笑顔で立ち上がった。 「………………すぅ」 「もう寝てますが」 白崎は、さっさと落ちていた。 「ベタすぎる」 「部長が範を示してくれてるんだ、私達も見習おう」 「ほら白崎、帰って寝るぞ」 苦笑しつつ、桜庭が白崎の肩を揺する。 「うーん……大きいからって、いいことばかりじゃないんだよ、佳奈ちゃん」 「世知辛い寝言、ありがとうございます」 佳奈すけが目頭を押さえた。 桜庭が白崎を送っていき、俺は高峰と帰ることになった。 「二人で帰るのなんて、久しぶりだな」 「つーか、帰ったことあったっけ?」 考えてみれば、初めてかもしれない。 「実は友達じゃなかったのかもな」 「マジかよ。がっかりだ」 高峰が笑う。 「さっきは、少し驚いたよ」 「さっき? ああ、あれな」 高峰がそっぽを向く。 柄にもなくテレていやがる。 「ほんとにありがたいと思ってる」 「俺みたいな、授業料の無駄使い野郎のためにな」 少し顔を上げ、目を細めた。 いつも飄々としている高峰だが、今日はシリアスデーらしい。 「こういうことは、あんま言いたくないんだが……」 「空手に戻るとか、勉強を死ぬ気で頑張るとか、そっち方面には行かないのか?」 「……だよねえ……普通そう思うよな」 高峰が苦笑する。 「なんでだろうなあ……自分のことに、そこまで本気になれなくってね」 「それで迷惑かけてんだから、死んでくれって話だけど」 自分が一番の当事者だというのに、高峰は放校問題に積極的ではない。 半分諦めているというか、駄目なら駄目でよしというノリだった。 最初、俺たちに放校の話をしたときも、笑い話のつもりだったのだろう。 「空手にはもう戻らないって言ってたな」 「一度怪我すると、もうトップにはなれないんだっけ?」 「ああ、そんなことも言ったな」 「嘘だったのかよ」 言うまでもなく、怪我を乗り越えてトップになったプロ選手なんていくらでもいる。 感動系ドキュメンタリーじゃ鉄板のネタだ。 高峰の言葉を信じたフリをしていたのは、疑えば深い話になるからだ。 「空手を辞めた理由、教えるって言ったっけ?」 「気が向いたらって話だったな」 「別に、言いたくなけりゃ言わなくていいぞ」 高峰がちらりと俺を見た。 「言う気になったんだがな……。ま、筧は興味ないのかもしれんけど」 「悪い」 苦笑いを浮かべつつ、俺は、少々のショックを受けていた。 俺は、高峰のことに興味がないのだろうか? 友人の過去に興味を持てないとしたら、俺は他人の何に関心があるのだろう? 相手が攻撃してくるかどうかにしか関心がないなら、野生動物と変わらない。 「聞かせてくれよ。空手を辞めた理由」 いささか意気込んで言った。 「怪我が原因ってのは嘘じゃない」 「でも、あんとき怪我したのは俺だけじゃないんだ」 俺の顔を一切見ずに語る。 彼の口から出た告白は、どうにも救いのない内容だった。 曰く、高峰には尊敬する空手部の先輩がいたらしい。 実力人格共に優れた人物で、高峰以上に将来を嘱望されていた。 高峰はその先輩に気に入られており、おまけに先輩の妹と付き合っていたという。 ガッチガチの関係だ。 で、ある日事件が起きる。 練習の最中に、高峰は先輩に怪我をさせてしまう。 これが原因で先輩は選手生命を絶たれた。 「俺が、先輩の分まで頑張ろうってなりゃいい話だったんだが、実際は違った」 「空手部に必要なのはあの人だったんだ」 「周りからは、お前が怪我すりゃよかったって言われたよ……まあなんだ、一番言われたくない人にもな」 言葉は濁したが、一番言われたくない人ってのは、もちろん彼女だ。 「今にして思えば、向こうもショックでわけわかんなくなってたんだろうな」 「俺も俺で、受け止める余裕がなかった」 「結局、身の置き場がなくなったってわけだ」 最後には部員達と派手な殴り合いを演じ、部活を辞めることになった。 高峰が怪我をしたのはこの時だ。 「だからどうって話じゃないけど、あれ以来、どうもね……」 「なんつーか、世間様ってものがあるなら、そいつから取り残されちまった気がするんだ」 「……」 高峰が達観して見えるのは、この辺が原因なのだろう。 自分に疎外感があり、世間から距離を取っているのだ。 他者からの疎外感がある高峰と、他者に近づけない俺。 ベクトルは反対だが、似ているところがある。 こんな俺達だから、どこか引かれるところがあり、目立ったきっかけがなくとも友人になれたのかもしれない。 「ま、聞き流してくれ。別に大した話じゃないんだ」 「ああ、そうするよ」 それっきり無言になる。 夜空や路地や、たまに隣の男の顔を見ながら、歩を進める。 汐美祭の清掃が終わっていない学園には、祭の跡がそっくり残っている。 夜の墓地を歩くような気分になりながら、アーチや看板の間を歩いていく。 正門まで来て、高峰が背後を振り返った。 視線は、通り抜けてきた学園に向けられている。 「楽しかったなぁ、汐美祭……負けちまったけどな」 「楽しさと勝敗は関係ないだろ」 「違いない」 高峰が笑う。 「図書部に入ってから、なんつーかな、毎日が妙に眩しいんだよね」 「いいこと悪いこと色々あるけどさ、ひっくるめていとおしいっていうか」 独り言のように言う。 「ただ、みんなが幸せになればいいって思えるんだ……特に図書部の奴らにはね」 図書部の面々に対しては、俺にも同じような感覚がある。 俺みたいな人間を信頼してくれる彼らには、本当に楽しくやってほしい。 上から目線で申し訳ないが、そう思うんだから仕方ない。 もしかしたら、人間不信が克服できないことへの罪滅ぼしなのかもなしれない。 「珍しく共感できるよ」 「お、気が合うじゃないか」 「俺たち、意外と似てんのかもね」 「ご勘弁だぜおい」 「うおっ、冷たいなあ筧ちゃーん」 高峰が肩を組んできた。 「暑っ苦しいわ」 高峰を蹴り倒して引き離す。 「ああん、激しい……」 いつもの調子が戻ってくる。 汐美祭のかけた魔法なのかもしれないが、高峰からいい話が聞けた。 一歩、俺に歩み寄ってくれたということだ。 ありがたいと思う。 でも、俺はどう応えていけばいいのだろう。 「ねえ、もっと強くしてもいいのよ」 「うるせえよ」 明けて月曜日。 今日は汐美祭の片付け日に指定されており、授業は全て休みだ。 今日一日で学園を元に戻せよ、という強いメッセージでもある。 「……」 ベンチに見知った姿を見つけた。 向こうもこっちに気づいたのか…… いや、俺が来ることを知っていたのか、座ったまま小さく手を挙げた。 「お久しぶりです、ナナイさん」 「おはよう、筧君」 軽く挨拶を交わす。 「黒山羊の件、本当にお疲れ様」 「こんなに早く片が付くとは思っていなかったよ」 「いえ、たまたまですから……で、今日は何の用ですか?」 「そうだね。さっそく本題に入ろう。君も忙しいだろうし」 相変わらず、さらりとした癖のない笑顔だ。 誰にでも好かれるだろうが、味がない。 「最終試験の件なんだけど……合格だよ」 そうか……小太刀は合格したのか。 ま、めでたいことだ。 「あいつ、喜んだでしょう」 「ん? 合格したのは君だよ、筧君」 ナナイさんが目を細めた。 「俺、何もしてないですよ?」 「いやいや、黒山羊を説得すべく、いろいろと考えてくれたじゃないか」 「小太刀君の報告書にも、君の功績が大だと書いてあったよ」 「でも、俺は、そこまで羊飼いになりたいわけじゃ」 羊飼いについての印象はフラットだ。 小太刀と違って熱意があるわけじゃない。 「それに、俺の最終試験は黒山羊と関係ないですよね?」 俺の最終試験は『人に優しくし、誰もの幸せを願うこと』ことだったはずだ。 「あると言えばあるし、ないと言えばないね」 「でも、君に素質があることは十分に分かったよ」 「まったく実感がないです」 「そうかな? なかなか巧みな立ち回りだったと思うけど?」 巧み? 「羊飼いに大切なことは、誰にも平等に……裏を返せば、誰にも執着しないことだよ」 「贔屓や不平等は、できるだけ避けたいからね」 誰にも執着しない。 小太刀流に言えば、友人・家族・恋人問わず、誰とも深い関係を持たないこと。 「俺が、誰にも執着しないように動いていたと?」 「僕にはそう見えたけどね……何か問題でも?」 「いえ……」 ナナイさんの顔には、相変わらず笑顔が張り付いている。 なぜか、それが妙に気に触った。 「それに、君には優れた洞察力がある」 「見事、黒山羊の正体を看破したじゃないか」 そう言って大きくうなずいた。 「……やっぱり、ナナイさんが」 「そう、私が黒山羊だよ」 「小太刀君に、どうしても羊飼いという仕事について考えてほしくてね。あんな策を弄したんだ」 黒山羊の考え方が小太刀と近かったのは、黒山羊の説得を通して自分の思想を確認してほしかったからか。 自分で自分を説得するようなものだという小太刀の感想は、的を射ていたのだ。 「もう少し上手くやった方が良かったかもしれませんね」 「仕組みがストレート過ぎました」 「ははは、手厳しいなぁ」 「どうも人を騙すのは得意じゃなくてね……」 頭をかくナナイさん。 「じゃあ、小太刀は合格ってことになるんですね?」 「……残念だけど、もうしばらく様子見かな」 「結局、彼女は理解できていなかっただろう?」 「……」 つまるところ、ナナイさんが描く羊飼いの理想像は『平等』と『人間上位』という2点に尽きる。 特定の個人に固執せず、人間全体に尽くすことが彼の理想だ。 決して、先頭に立って人を導いていく存在じゃない。 『人間上位』の観点から、小太刀はまだ少しズレている。 人の上に立ちたいという気持ちが、言葉の端々、単語の選び方に出てしまうのだ。 「小太刀には、もう伝えたんですか?」 ナナイさんが首を振る。 小太刀は半分合格したような気でいたし、なかなか言いにくいだろう。 どれだけ落胆するか。 「その点、君はもう羊飼いの理想のあり方に気づいている」 「黒山羊を説得するときにした話のことですね」 「そうだね」 人が主であり、羊飼いは従。 未来が分かるからといって、人を選別したり何かを強要したりはしない。 仮に人が悪い方向に進んで行くとしても、それに寄り添う。 要はそういうことだ。 「自分には、理想の羊飼いってのが、あんま楽しそうに思えないですね」 ナナイさんが苦笑する。 「人はそもそも思い通りに動かないものだよ」 「期待すれば裏切られ、裏切られれば苛立ち、しまいには思うように動かしたくなる」 「だから、高い理想がある羊飼いほど暴走する傾向が強いんだ」 「歴史上の大きな悲劇も、そうやって引き起こされたものが少なくない」 「大切なのは、願わず、見捨てず、ただ寄り添う……そういうことだと思う」 それは、深い愛情にも、酷薄な無関心にも思える。 「やっぱり、自分には……」 「そうかい? 向いてると思うけど?」 「向いてないですよ」 何故か、強く反論できなかった。 「まあ、試験に合格したからといって、羊飼いになる必要があるわけじゃない」 「実際どうするかは、じっくり考えてみてほしい」 「返事の期限は?」 「まあ、2週間といったところかな。希望があれば延ばすけど」 2週間……選挙が終わった後か。 ま、キリとしてはいいだろう。 「わかりました。では2週間で」 「何か質問があれば、いつでも電話をしてね」 「番号を聞いていいですか?」 「もちろん黒山羊の番号と同じだよ」 「それじゃあ、またの機会に」 ナナイさんが軽く手を上げた。 「あ、一ついいですか?」 「多岐川さんなんですが、茶番の道具にされたってことはないですよね?」 「心配しなくても大丈夫。彼女は彼女の考えた通りに生きているよ」 「実際、私は何の入れ知恵もしてないんだ」 完全に信頼できるわけではないが、嘘をついているようにも見えない。 「そうですか。なら良かったです」 「筧君は優しいね……羊飼い向きだよ」 「どうですかね……それじゃ、また」 挨拶をして、その場を立ち去る。 初めは勢いよく歩き出したものの、10秒ほど進んだところで無意識に歩調が緩くなった。 「(どうするんだ、俺は?)」 気がつけば、羊飼いの最終試験に合格してしまった。 羊飼いになるかならないか、2週間で結論を出さねばならない。 羊飼いになれば、祈りの図書館に行き、人間の全てを知ることができる。 そして、人の幸福のために奉仕者として、永遠の時を生きることになる。 ナナイさんには悪いが、ひゃっほー最高ーとは思えない。 でも、どこか、心の奥底で惹かれる自分がいるのも確かだ。 魅力を感じているのは、おそらく幼少期に形作られた俺の深い部分だろう。 ガキの頃の俺は、本気であらゆる人間の動きを知りたいと願っていた。 降りかかる暴力から身を守るには、それしかないと思っていたからだ。 どこまでいっても幼少期の自分を捨てられないとするなら…… もしかしたら、ナナイさんの言う通り、羊飼いに向いてるのかもしれない。 「……」 振り返る。 ナナイさんはベンチに座ったまま、まだこちらを見ていた。 汐美祭の片付けが始まった。 なるべく早く図書館の業務が再開できるよう、午前のうちに片付けを済ませてしまう。 作るのは大変なのに、壊すのはあっという間だ。 先日まで学園を彩っていた装飾が、ものの数時間で姿を消す。 代わって姿を現わしたのは、生徒会選挙用の掲示板だ。 今までどこに片付けられていたのか知らないが、気づいたときには学園中に林立していた。 商店街が、一夜にしてクリスマス商戦から正月商戦へと模様替えするように、あっという間に選挙モードへと突入したのだ。 生徒会役員選挙は、今朝8時に公示、立候補者も発表された。 会長立候補者は、白崎と多岐川さんの2名。 名実共に選挙戦がスタートしたのだ。 「『未来への希望を汐美学園から』……だって」 多岐川さんのポスターを眺めて、白崎が言う。 「なーんか、爽やかな笑顔してますねえ」 「一見、いい人みたい」 「一見、とは失礼ではないですか?」 ゆっくりとした歩調で近付いてきたのは多岐川さんだ。 「汐美祭は残念でしたね」 「まさか、あんな人気アイドルを引っ張ってくるとは思いませんでした」 「生徒会のOBが、たまたま事務所の社長を務めていらっしゃったんです」 「たまたまか……そういうコネがあったとしても大人げないんじゃないか?」 「学園の知名度を上げられればと思っただけです」 「図書部をつぶしたかっただけでしょ」 御園の呟きに、多岐川さんは笑顔で応じる。 「人気投票の結果が選挙に直結するというのは、メディアが勝手に作ったものです」 「汐美祭は汐美祭、選挙は選挙。堂々と戦っていきましょう」 メディア作戦は俺達が仕掛けたものだ。 それを知った上での発言だからして、完全に嫌味である。 「お手柔らかにお願いします」 多岐川さんが余裕の表情で白崎に言う。 全員が白崎に注目する。 緊張するかと思いきや、白崎の表情にもまた、余裕があった。 「ええ、こちらこそ」 二人が軽く握手を交わす。 「ところで、望月さんは?」 「昨日で、実質引退されました」 「ずっとあなたを役員にしたかったようですけど」 不機嫌な顔で言う。 「何度も誘われたね」 「私が生徒会長になっても、あなたは誘いませんよ」 「そいつは残念」 望月さんならともかく、俺も多岐川さんの下で働きたいとは思わない。 「それではみなさん、ご機嫌よう」 多岐川さんが立ち去った。 「宣戦布告ってわけか」 「いよいよ本番だな」 生徒会選挙の投票日は、10月8日の金曜日。 その日の夜には結果が分かる。 選挙戦の流れとしては── 今週末の金曜日、10月1日に新聞部主催の中間世論調査。 来週の木曜日、10日7日に最初で最後の立会演説会。 8日、金曜日が投票日だ。 各立候補者は、投票までの間、思い思いの選挙戦を繰り広げる。 「よし、部室に戻って戦略を考えよう」 「うん。絶対に勝たないとね」 ぞろぞろと部室に向かう。 汐美祭での敗北は大きな減点だ。 諸刃の剣だとわかって仕掛けた作戦だったが、やはり痛い。 ここからどう挽回したものだろう。 「か、け、い、さん」 ぶらぶら歩いていると、鈴木が俺の顔を覗き込んできた。 「どうした?」 「今日は暗いですね? 何かありました?」 「俺が? 気のせいじゃないか?」 「でしょうか? なんか考え込んでる気がしたんですが」 佳奈すけが猫口になる。 悩んでいないと言えば嘘になる。 ナナイさんから、あんな話を聞いた後だ。 「佳奈すけは誤魔化せないな」 「こう見えて、筧さんフリークですからね」 ふんすと、鼻息を荒くした。 「相談に乗れることですか?」 「うーん、難しいかもしれないな」 「あはは、ですよねー。そしたら……」 と、佳奈すけが財布から何か小さな紙を取り出した。 「これ、学食の半額券なんです」 「1枚しかないんで、みんなには内緒ですよ」 オールメニュー半額、と書かれたチケットを握らされた。 「いいのか?」 「おいしいもの食べて、元気出して下さいよ。朝なら私もいますし」 「ありがとう。今度、行かせてもらうよ」 「ええ、ぜひぜひ」 にこっと笑って、佳奈すけは何事もなかったように歩き始めた。 相変わらず人をよく見ている。 2時間ほどかけ、選挙戦の方針を確認する。 ポスター掲示やビラ配りといった地道な活動を着実にこなすことが大事、という結論に至った。 どん底からのスタートであることは、誰しもわかっている。 だが、幸いにして戦意は喪失していない。 俺達は、ミナフェスをはじめとして、いろいろな経験をしてきた。 沈むことが何のプラスにもならないことを知っているのだ。 「体力勝負になりそうですね」 「頑張ろう、佳奈」 「体力なら任せてくれ。何でもするぜ」 「私は事務作業を受け持とう」 「すまないが、みんなにも手伝ってもらうかもしれない。そのときは頼む」 桜庭の意外な言葉に、みんなが顔を見合わせた。 「珍しいですね、桜庭さんが仕事をシェアするなんて」 「おいおい、体調でも悪いんじゃないか?」 「……日頃の私は何なんだ」 桜庭が、閉じた扇子の先っぽで側頭部を突っつく。 「仕事の鬼でしょうか」 「わかった。では、今回も鬼になろう」 「いやいやいやいや、いくらでも手伝いますから。ね、筧さん」 「俺は本読むし」 「何でここで裏切るんですか!」 「最近は中毒が抜けてきたって言ってたじゃないですか」 佳奈すけが吠えた。 「冗談だ、冗談」 「桜庭、いくらでも手伝うぞ。いや、むしろ手伝わせてくれ」 「あんまり協力的な筧も気持ち悪いが……ま、よろしく頼む」 桜庭が微笑む。 妙にさっぱりした表情をしている。 一体どうしたんだろう? それとなく周囲を表情を窺うと、喋っていなかった白崎が俺を見てにっこり微笑んだ。 何かネタがあるらしい。 後で聞いてみるか。 「そういや、公約とかマニフェストみたいのはどうなってんだ?」 「ああ、一通りは作っておいた」 と、桜庭がPCを操作する。 「なんか、昨日テレビ見ながら作ったみたいなノリですね」 「雑だと思う」 「う、うん……普通は、一番力を入れるんだろうけどね」 「失敬な。テレビなど見ながら公約が作れるか」 「こほん……深夜ラジオは聞いたがな」 「聞いてねえよ」 ちょっと恥ずかしい告白風味に言われても困る。 「冗談はともかく、ページを見てくれ」 桜庭がノートPCのディスプレイを見せてくれる。 桜庭謹製、白崎つぐみ候補の選挙ページだ。 『今日より明日、もっと楽しい学園に!』 というキャッチフレーズが先頭にあり、恥ずかしそうな笑顔を浮かべた白崎の顔が大写しになっている。 『皆さんへのお約束』というボタンを押すと、細かい主張が現れる。 主眼は、多岐川さんが掲げている施策への明確な反対表明だ。 多岐川さんは、やる気のない生徒にかけていた予算を、やる気のある生徒に配分することを基本方針としている。 例えば、補習授業のカットや、著しく成績の悪い生徒の放校処分などだ。 対する白崎は、逆に、補習を増やしたり専攻を変更するハードルを下げたりといった方針を掲げている。 白崎は、汐美学園の生徒ならば、上から強制されずとも自分の力で道を切り開いていけるはずだと主張する。 人に優しい候補者だ。 「一つ聞いていいかな?」 「トップページの私の写真、何で体操服なの?」 「いいんじゃないか?」 「いいと思います!」 「悪くないです」 「みんなおかしいよ〜」 まったくだ。 「ちなみに……」 桜庭がF5キーを押す。 画面がリロードされ、今度はコスプレ姿の白崎が映った。 「トップ画像はランダムだ。これでページビューも上がるだろう」 「いや、ユニーク数を上げないと意味ないだろ」 「そうは思ったんだが、やってみたら意外とネット界隈で話題になっているんだ」 「気に入った衣装ランキングの投票もされているらしい」 「全然期待してない方向だからね、玉藻ちゃん」 白崎がうなだれた。 「お姉様、やれることは何でもやらないと逆転できませんよ」 「そうそう。ヌード写真集を出すまでがアイドルの道なんだから」 「どこの話ですか」 「もういいよ……公序良俗に反しない以上は頑張ります……」 白崎が投げやりに言った。 佳奈すけの台詞じゃないが、逆転のためには多少の捨て身は必要だろう。 「さて、俺たちはポスター貼りにでも行くか」 「んだな。えーと、あれがポスターか」 高峰が、部室の端に積んであった紙の束を見る。 「御園は事務作業を手伝ってもらっていいか?」 「私ですか?」 御園が、意図を測りかねると言った顔をする。 当初は反りが合わなかった二人だ。 今でも仲良しとは言いにくい。 「い、嫌なら構わないが」 「ふふ、いいですよ。センパイ」 ビビリ気味の桜庭に、御園が悪戯っぽい笑みを向けた。 これは面白そうだ。 「んじゃ、私らは行きますか」 ペアになり、手分けしてポスターを貼っていく。 俺と組んでいるのは白崎だ。 背の高い俺が、白崎が切ってくれたテープでポスターを貼り付ける。 「自分のポスター貼るのって、すっごい恥ずかしいね」 「ほんと白崎も頑張るよな」 「もー、他人事みたいに言って」 「そりゃっ!」 背中を指でつっつかれた。 「お前、今、背中にテープ貼っただろ」 「貼ってない、貼ってないよ」 あからさまに声がうわずっている。 まあいい。 「しっかし、白崎が生徒会長候補か……」 「消極的な性格を直したいってのは、もう達成したみたいだな」 掲示板の上で笑っている白崎を見ると、隔世の感がある。 「……ううん、まだまだだよ。もう少し頑張らないと」 少し考えてから、笑いながら否定する。 「でも、ずいぶん人前で話せるようになったじゃないか」 「あがり症は昔に比べれば良くなったと思う。筧くんのお陰だよ」 「白崎の努力だよ、俺は何もしてない」 「だって、本も貸してくれたし、挨拶の練習にも付き合ってくれたし」 「あ、そうそう、最近『人を納得させる話し方』っていう本と『悩みと宇宙の声』って本を買ったよ」 「悩みうんたらは捨てていいと思う」 どう考えても胡散臭い。 「ビラ配りもずいぶんしたけど、やっぱりまだ緊張するんだよね」 「ちょっと気を緩めると、声がうわずっちゃって」 「……これからのことが少し心配」 今後は、人前で話す機会が確実に増える。 ビラ配りはもちろん、メディアの取材もあるだろう。 「立会演説会なんて、絶対無理だよ」 「あれは放送でやるはずだから、大人数の前には立たないぞ」 「え? ホント?」 「良かったぁ……一番心配してたの」 白崎が安堵の息を漏らす。 演説会は、体育館なんかに全生徒を集めて開催するのが一般的だろうが、汐美学園の規模では到底無理だ。 一度に可能な限り多くの生徒に声を聞かせようとなれば、放送や動画配信を利用することになる。 「これで……よしっと」 掲示板にポスターを貼った。 「次はどこだっけ?」 「学食の近くだね。5枚くらい掲示板があるはず」 「この学園、何でも多けりゃいいと思ってるよな……」 ポスターを肩に担ぐ。 紙の重さがずしりと来た。 「あ、シャツに埃が」 学食前の掲示板にポスターを貼っていると、白崎がセロハンテープで俺のシャツをペタペタし始めた。 「あのさ、気が散るんだが」 「だって、埃が気になるから」 「洗濯機にちゃんと埃取りつけてる?」 「つけてたと思う」 「あと、たまには洗濯槽も洗わないと駄目だからね。専用洗剤持ってる?」 「あると思うか?」 「あ、じゃあ、今度持ってくるね」 「洗剤よか、セロハンテープくれよ」 「あっ、ごめん」 白崎が、指先の一本一本にテープをつけて渡してくれる。 受け取る度に、指先が触れる。 白崎と目が合うが、どちらからともなく逸らす。 なんとも面はゆい。 「か、筧くん……なんかさ、こうしてると……」 「お、おう……」 「人差し指を宇宙人とくっつける映画を思い出すね」 「そこ行くのかよ!?」 相変わらず斜め上だ。 「え、どこに行くつもりだったの?」 「どこって……ま、まあ、チャリンコ乗って空に行くけどね」 「あはは、筧くん、カゴに入るかな」 「俺が宇宙人かよ。つーか、ネタ引っ張るなよ」 ツッコミで酸欠になりかけた。 一方、白崎はわずかに頬を染めている。 どうやら、宇宙人ネタはテレ隠しだったらしい。 「なにテレてんだよ」 白崎の腕をつつく。 「イティッ(ET)みたいな?」 「……」 もう駄目だ。 「ちょっとタイム」 白崎から離れ、クールダウンする。 別次元のセンスに、思考回路がショートしそうだ。 「……ごめん……つまらないギャグで……」 背後から、凹んだ声が聞こえた。 「筧くんと、指くっつけたりしてたらほら、なんか緊張しちゃって……」 振り返ると、しょぼくれた顔をしていた。振り返ると、しょぼくれた顔をしていた。「いいよ。俺もまあ、それなりに緊張したから」 「筧くんも?」 「……」 途端に嬉しそうな顔をしやがった。 何も言わず、掲示板に向く。 「筧くんも緊張したの? しちゃったの?」 「やっぱしてないわ」 「あー、しちゃったんだ。ふふふ、筧くんったら、おませさん」 「うるせえよ」 慰めて損した。 「つーか、普通緊張するか?」 「え? するよー」 「何で?」 「な、なんでって……それは、その……えーと……」 「何で?」 「だから、だからだから……もー、やだよ、筧くんっ」 真っ赤になった白崎が走り去った。 「ふう……」 面白かった。 さて、ポスターを貼ってしまおう。 「……」 白崎の奴、セロハンテープ持っていきやがった。 その後もごちゃごちゃやりながら、ポスター貼りを終えた。 9月も下旬だというのに、残暑が厳しい。 「ふー、疲れたね」 「……ああ」 相手が白崎以外なら、3分の1の疲労で済んでた気がする。 「あ、ちょっと待って……」 白崎がカバンからタオルを取り出し、首にかけてくれた。 ミントのスプレーでもしてあるのか、ひやりとした感触だ。 「ふふ、ひやっとするでしょ?」 「ああ、気持ちいいな」 こういう気の遣い方は白崎ならではだ。 ま、差し引きで若干プラスとしておこう。 「そういや、今日の桜庭、ちょっと変だったよな」 何か知ってる風だった白崎に、疑問をぶつけてみる。 「あ、うん、そうなの」 「昨日の夜電話があって、よくわからないんだけど、すっごく謝られて」 「……で、最後に迷いが晴れたって」 「ホントによくわからんな」 白崎が苦笑する。 一体、桜庭に何があったのか。 「玉藻ちゃん、汐美祭で負けたのがショックだったみたい」 「わたしもショックだったけど、玉藻ちゃん、負けたのは自分のせいだって」 「桜庭の言いそうなことだ」 「しばらく、いろいろ喋ってたんだけど、最後は迷いが晴れたって」 「重要なのは『いろいろ』の部分なんだが」 「そこは企業秘密です」 人差し指を立てて、白崎が言う。 「わたしにだって、言えないことくらいあるよ。玉藻ちゃんに聞いてみて」 「へいよ」 根掘り葉掘り聞くようなことじゃない。 桜庭が白崎に、若干ねじれた執着を持っていたのは周知のことだ。 ようやくその辺に自覚を持てた、ということだろうか。 何にせよ、桜庭がスッキリしたのならそれでいい。 「あいつも難儀な奴だよ」 「へくちっ!」 御園と事務作業をしていた桜庭が、可愛らしいくしゃみをした。 「クーラー弱くします?」 「あーいや、大丈夫。寒いんじゃないんだ」 「もしかすると、秋の花粉症が……くちんっ」 「あたっ」 くしゃみの拍子に振れたポニーテールが、御園を殴打した。 「桜庭先輩の髪、立派な凶器です」 「すまない。どうも理性では制御できない部分でな」 「は、はあ」 とりあえずは納得する御園である。 「しかし、御園は手先が器用だな」 「そうでしょうか」 御園は、封筒に手紙を入れては封をするという単純作業を続けている。 器用さが要求されるのは、せいぜいテープを切って貼る時くらいだし、それにしたって大したことはない。 「あの、無理して褒めなくていいですが」 「む、無理なんかしてない」 「私は昔から不器用なんだ。細かい作業をしていると、こう爆発しそうな気分になる」 「先輩にも弱点があるんですね」 「弱点ばかりだ、本当に」 しんみりとした口調に、御園がややたじろぐ。 「今日の先輩、褒めたり凹んだりおかしいです」 「あ、すまない。少し考えることがあってな」 「まあなんだ……これからもよろしく頼む」 そう言って、桜庭はぎこちない笑顔を御園に向けた。 「はあ、こちらこそ」 話してくれれば聞くくらいはするのに、と御園は思う。 しかし、いや……と思い直す。 言えない不器用さが、桜庭の可愛さなのだろう。 時間はまだまだあるのだ。 これからゆっくり聞いていけばいい。 自分の不器用さを棚に上げ、御園はそう納得した。 家まで帰ってくると、共同廊下に小太刀が立っていた。 腕を組み、硬い顔をしている。 「今日、ボスに会ってきた」 出し抜けに口を開いた。 表情から察するに、最終試験のことを聞いたらしい。 「結果、聞いてるんでしょ?」 「今朝聞いた」 俺は合格し、小太刀は保留ということだった。 小太刀は、俺が不合格にしたと言わんばかりの目をしている。 「何でアンタが私より評価されてるの? 納得いかない」 「俺に言われてもな」 「ナナイさんには掛け合ったのか?」 「もちろん。でも、不合格の理由は教えてもらえなかった」 「ねえ、どうして? どうしてアンタは合格で、私は駄目なの?」 「私の方がずっと前から頑張ってるのに」 「筧なんて、そもそもやる気ないじゃんか」 一息に言って肩を落とした。 小太刀の怒りは無理もない。 俺だって、なぜ自分が合格したのか、はっきりとはわからないのだから。 「今回は保留ってことだろ? まだチャンスはあるじゃないか」 「アンタに慰められても嬉しくないわよ」 「当たるなって」 なぜ小太刀が合格しないかは、自明だと思うんだが。 さて、どう伝えたものか。 「今回の試験の主眼はわかるだろ?」 「黒山羊とのやりとりを通じて、小太刀に羊飼いの心構えを知ってもらうことだ」 「そのために、ナナイさんは下手な芝居を打ったわけだ」 「わかってるわよ」 「でも、私はちゃんと正解したじゃない。だから、黒山羊も納得してくれたんでしょ?」 「外れちゃいなかったけど、100点じゃなかったんじゃないか?」 「どこが悪かったってのよ……」 小太刀が額に手を当てる。 「小太刀は、心のどっかで人間を導こうとか、幸せにしてやろうとか思ってないか?」 「ナナイさんの理想は人間上位だろ」 「羊飼いはあくまで人間のサポート役だから、そこで引っかかるんだと思う」 「……」 小太刀がそっぽを向く。 「ボスの理想は、ひっそり人間を見守って、人間がコケたら自分もコケるってことでしょ?」 「そんなの、普通我慢できないって」 「ナナイさんに言わせりゃ、それは、人間に期待したり願望があるかららしいけど」 「離れた場所から見ていれば、苛立つこともないってわけだ」 「……馬鹿みたい」 「なら、羊飼いなんていてもいなくても一緒じゃない」 小太刀が大きく溜息をついた。 「私、帰るわ」 小太刀が、自分の部屋に向かう。 「試験、これからどうするんだ?」 「どうもこうもないわ。合格するまでトライするだけよ」 「でも、今のままじゃ」 小太刀が足を止めて振り向く。 「前に言ったでしょ? 絶対に羊飼いになるって」 「それに、今さら真人間になんて戻れないし」 「私だってボスにスカウトされたんだから、可能性はゼロじゃないわけだし」 笑って言い、小太刀がドアのノブに手をかける。 「あ、そうだ……」 「汐美祭も終わったし、もう部室には行かないから」 「せっかく馴染んできたんだし、遊びに来いよ」 「どうしよっかな……ま、気が向いたらね」 「んじゃ、みんなによろしくー」 最後だけはいつもの口調に戻り、小太刀は部屋に入っていった。 まだ諦めないのか、あいつは。 「……」 何とかいい結果が出せればいいが。 入浴を済ませ、ベッドに横たわる。 朝っぱらから重い話を聞かされたせいか、いつも以上に頭が疲れていた。 希薄になる意識と入れ替わるように、遠い昔の記憶が浮き上がってくる。 『ごめんな……ごめんな……』 頭の奥で、父親の謝罪が聞こえる。 残響の中から立ち上ってくるのは、儚げな表情。 枯れ木に何枚か残った、落ち損ねの〈病葉〉《わくらば》のような笑顔だ。 そんな印象ばかりを覚えていて、肝心の顔は思い出せない。 『ごめんな……ごめんな……』 何が申し訳ないのか、いつも謝ってばかりの父親だった。 俺が事故で怪我をした時さえ、加害者でもないのに謝っていたくらいだ。 親が目を離した隙に子供が事故ったのなら話はわかる。 でも、そういうわけじゃなかった。 ともかくも、彼の口から出るのは謝罪の言葉ばかりだった。 「(くだらない……)」 謝罪を受けていたのは、いつも俺や母親達だった。 母親という検索ワードには、5、6人の女性の顔が引っかかる。 生みの親は、純白の大理石から掘り出したような、冷たい美人だった……はずだ。 調べりゃわかるのだろうが、名前も覚えちゃいない。 物心ついた頃には違う女性が母親を名乗っていたし、そもそも、母親は変わるものだと思っていた。 心的交流もなかったから、ろくろく印象がない。 唯一、鮮明に覚えているのは、親父が蒸発したときに母親だった女性だ。 それまでの母親と比べると容姿は劣ったが、肌が少し日に焼けた、よく笑う人だった。 どちらかというと、クールで気の強いタイプが多かった中で、最後の母親だけは異質だ。 父親はどうして彼女を選び……捨てたのか。 そしてなぜ……俺を……。 ああ、この情景か。 今まで忘れていたのが不思議なくらい、脳裏にくっきりと浮かぶあの時のこと。 『僕たちは幸せになれたはずなんだ……』 『ごめんな……僕は君達を、幸せにしてあげられなかった……ごめんな……』 そう言って、彼は背を向けた。 遠ざかる背中に、ガキの頃の俺は何かを言おうとしていたはずだ。 でも、喉が張りついて、なぜか声を出せなかった。 俺はあの時、何を訴えようとしていたのだろう? 選挙活動に忙殺され、瞬く間に時間が過ぎていく。 ポスター掲示やビラ配りに加え、メディアのインタビューなども受けているが、生徒の反応は芳しくない。 前哨戦で負けた図書部、という印象が払拭できないのだ。 選挙掲示板の前で立ち止まる。 立候補者は2名。 多岐川葵と白崎つぐみの一騎打ちだ。 いや、このままでは一騎打ちにもならない。 なんとかしないと。 「……」 おまけに、俺には羊飼いの問題もある。 ほんとどうしたもんか。 「いらっしゃいませー」 朝の学食に入ると、佳奈すけのキラキラした声が出迎えてくれた。 「あー、筧さんじゃないですか!」 「割引券、使いに来たぞ」 「やーりぃっ……じゃなくて、ようこそアプリオへ」 「あれだな……働いてるところ、久しぶりに見た」 「いやー、こう見えて毎日働いてるわけですよ?」 鈴木が一回りすると、短いスカートがふわりと浮いた。 「どうですか?」 「いや、服は見慣れてるから」 「筧さーん、ノリ悪いですよー。朝だからかもですけど」 「これが地だっつの」 案内された席に座ることにする。 せっかくの半額チケットなので、一番高いメニューをオーダーしてみた。 高級ホテル、マンドリン東京の朝食を再現したものだという。 普通に頼むと、¥1600という超学食級の価格である。 完全にネタメニューだ。 「あらあら、生徒会長候補の下僕さんじゃないですか」 嬉野さんが、テコテコ寄ってきた。 「おはよう」 「汐美祭ではありがとうな」 「いえいえー」 「推理ゲームではそこそこ頑張れたんですが、世論の方ではお力になれず申し訳ないです」 「ですから、お礼は割り引いてもらってOKですよ」 「あ、やっぱ取るんだ」 「当たり前です」 「鈴木さんといちゃいちゃしていたせいで、健忘症にでもなりましたか?」 「いちゃついてないから」 「それはともかく、生徒会選挙に勝った暁には、期待以上のお礼を必ず」 「そうですねえ……最低でも、学食の回線は太くしてもらわないと困りますよ」 にっこり笑う嬉野さん。 「しかし、勝てますか?」 ズバリ来た。 「いろんなサイトの予想を総合すると、現在の予想得票率は20%といったところですよ」 「あなたたちが勝ってくれないと、私がタダ働きになっちゃいますから、死ぬ気で頑張って下さい」 「りょ、了解」 死ねば何とかなるのなら……とまでは言わないが、何とかしたい。 「それはそれとして……」 嬉野さんがキッチンの方角を確認した。 「鈴木さんのことですけど」 嬉野さんが不満そうな顔をする。 「どうかした?」 「図書部のお陰で、ずいぶん普通になっちゃいました」 「は?」 「キャラが薄くなっちゃったんです。コメディアンとしては致命的ですよ」 唇を尖らせている。 「どうも、図書部は人を丸くしてしまうみたいですね」 「そういうことか」 出会った頃の佳奈すけは、かなりガードが堅い子だった。 だが、最近では彼女自身の努力もあり、キャラがマイルドになってきている。 嬉野さんはおそらく、初期型佳奈すけの癖がある性格に面白みを感じていたのだろう。 「佳奈すけが変わったのは、あいつの努力だよ」 「変わろうと思わせたのは、図書部でしょう?」 「どうかな」 「わかってるくせにウザいですね」 「かつての鈴木ファンとしては残念ですが、少しだけ羨ましいような気もするんですよね」 「2ドットくらいですけど」 嬉野さんが、少しだけ寂しそうに笑った。 「嬉野さんも、図書部に入ってみる?」 「ふふふ、考えておきません」 「ですよね」 「それじゃ、楽しい朝食を」 軽やかに手を振り、嬉野さんは去って行った。 佳奈すけが羨ましいねえ……。 ってことは、あの人は、佳奈すけに自分と似たものを見ていたのだろうか。 だからこそ、少し残念で、少し羨ましい。 ま、本当のことはわからないし、聞いても教えてくれないだろう。 嬉野さんとは、それでいいと思う。 完食。 さすがは1600円のクオリティだ。 「いかがでした?」 「すごかった。クロワッサンなんか、バターの香りがすごくてヤバイ」 「筧さん、語彙が乏しくなってます」 今まで食べてきたクロワッサンとは別物だった。 「少しは元気出ました?」 「え? ああ、お陰様で」 「はあ……駄目ですか」 咄嗟についた嘘は、あっさりバレた。 「いや、誤解があると困るんだけど、佳奈すけは全然気にしなくていいぞ」 「俺だけの問題だから」 「筧さんの問題だから知りたいっていうのもあるんですがー」 佳奈すけがちらりと俺を見る。 「とかなんとか、言っちゃったりして」 「ははは」 「ははは……」 「まあ、気にしなくていいと仰るならそうしますよ」 「ただその、気にしてる後輩がいるってことは覚えておいて下さい」 佳奈すけには珍しく、強く押してきた。 「優しい後輩がいるってのは覚えとくよ」 「どもども」 佳奈すけが、たははと頭をかく。 「ところで、嬉野さんと何しゃべってたんですか?」 「最近の佳奈すけは、いい意味で変わったなぁって話」 「え? どの辺がでしょうね?」 「人との距離の取り方だろうな」 「ああ……」 ストレートに返すと、佳奈すけの表情が幾分シリアスになった。 「ぜんぜんまだまだですよ」 「ミナフェスの頃から比べてたら、そりゃ多少は前進したかもしれませんが」 「シナリオの仕事やったのが大きかったんじゃないか?」 「……ですね。自信になりました」 お盆を胸の前に抱きかかえる。 無意識の防御姿勢だろうか。 「考えてみりゃもう10月だ。半年も経てばみんな変わるよなぁ」 「ですねえ」 縁側に佇む老夫婦のように、二人揃って溜息をつく。 「何ででしょうか……図書部って妙に落ち着くっていうか警戒心がなくなるっていうか……」 「そりゃ、部長があの調子だからじゃないか」 「ですね。白崎さんの美しさは、この鈴木が認定した世界遺産ですから」 佳奈すけが胸を張る。 白崎と接していると、自分の汚い部分が目に付くようになる。 でも、それは白崎が天使だからってわけじゃない。 かつて、あいつに自己改革したい理由を尋ねたことがあった。 帰ってきたのは『答えたら軽蔑されるかも』という答えだ。 あいつにしたって、人並みの不純さは抱えているのだ。 それでもなお、白崎は純粋に映る。 彼女のまっすぐさのなせる技なのだろうか。 「でも、自分が変われたとしたら、きっと筧さんのお陰だと思います」 「おいおい、今日はずいぶん持ち上げるな」 「俺はいつも適当なことを言ってるだけだって」 笑って誤魔化す。 「『適当』っていうのが、いい意味の『適当』なんですよ」 「つまり、欲しい言葉をくれたっていうことです」 佳奈すけが、親指を立てる。 「結構みんな言ってますよ。なんやかんやで筧さんに相談しているって」 「そりゃ知らなかった」 佳奈すけの笑顔が、ちょいと痛い。 みんなからの信頼に、俺は応えられてるのか? 悩むこと自体が傲慢なのか、自分を特別視したいだけなのか…… 「あんまり褒められると罰が当たるから、そろそろ引き上げるよ」 「佳奈すけも、他のお客が待ってるんじゃないか?」 「いやー、人気ウェイトレスも大変ですわ、はっはっは」 伝票を持って席を立つ。 「今日は来てくれてありがとうございました」 「ああ、また来るよ」 「筧さん……約束して……くれますか?」 頬を染め、流し目で見てくる。 何キャラだよ。何キャラだよ。「わかったよ、また来るって」 「ありがとーございまーす。てへりんこ」 お盆で自分の頭を叩く。 「つーか、毎日会ってるだろ」 「それとこれとは話が別ですから」 「気が向いたらな」 「ああっ、つれない……よよよ」 「はいはい、んじゃ、また昼休みにな」 佳奈すけと別れ、レジに来た。 「はーい、ありがとうございました」 「特別朝食セットが半額券使用で800円です」 「800円なら安いくらいのクオリティだったよ」 「自慢のセットですからね、えっへん」 嬉野さんが豪快に威張る。 「あとは、鈴木さんの指名料が500円に、トークセラピーが10分で1000円」 「合計2300円になります」 「ごちそうさま」 800円ちょうどを置いて、レジを後にした。 「あ、こら、遊び逃げはいけませんよーっ!」 相変わらず、斜め上のエンターテインメント食堂だった。 選挙活動に忙殺され、瞬く間に時間が過ぎていく。 ポスター掲示やビラ配りに加え、メディアのインタビューなども受けているが、生徒の反応は芳しくない。 前哨戦で負けた図書部、という印象が払拭できないのだ。 選挙掲示板の前で立ち止まる。 立候補者は2名。 多岐川葵と白崎つぐみの一騎打ちだ。 いや、このままでは一騎打ちにもならない。 なんとかしないと。 「……」 おまけに、俺には羊飼いの問題もある。 自分が羊飼いになるかどうかも大事だが、それ以上に小太刀のことが気に掛かっていた。 先日別れてから顔を見ていないばかりか、隣室からは物音一つ聞こえてこない。 軽くメールもしてみたが、返事はなかった。 一体どうしたんだろう? 「白崎つぐみです、楽しい学園を作るため、ぜひよろしくお願い致しまーす」 「みんなで明るい学園を作りましょー」 選挙戦も3日目に入った。 汐美祭に続き、お揃いTシャツの勝手連がビラ配りや演説を手伝ってくれている。 総勢100人は越えるだろうサポーターの努力にもかかわらず、戦況は芳しくない。 下校の生徒が減ったところでビラ配りは終了。 夜は、全員で作戦を練る。 「支持率、変わりませんね」 「まだ選挙戦3日目だ、そうそう変わらない」 「つまり、もう8日しかないってことか」 「高峰さん、それを言っては……」 「何かこう、空気を変えないと駄目だな」 「だねえ」 俺たちが頑張っていても、周囲は『どうせ負けるのに頑張ってるねえ』と生暖かい視線を向けてくる。 こんな雰囲気じゃ、頑張りが空転するばかりだ。 「嘆いても仕方ない、具体案を考えよう」 『具体案ねえ……』 誰ともなく呟き、思考タイムに入る。 30分ほどが経過したが、発言すらほとんどなかった。 これじゃどうしようもない。 「ゲームみたいに、裏技がありゃいいんだけどな」 「高峰さん、現実逃避しないで下さいよ」 裏技か。 汐美祭の人気投票に負けてから、ずっと頭の中で転がしているネタがあった。 羊飼いの力だ。 祈りの図書館にある本には、人間の人生全てが書かれている。 当然、白崎や多岐川さんの本には、選挙に関することも書かれているはずだ。 どちらかの本を読むことができれば、選挙に勝つ方法がわかるかもしれない。 残念ながら、俺の未来予知能力は、狙った未来を見ることはできない。 白崎の脱線事故の時のように、直近に起こりそうなことがふわっと見える程度だ。 でも、羊飼いなら、以前小太刀が見せてくれたように『こうすれば、こうなる』というのが明確にわかる。 万策尽きたときのためにも、準備をしておこう。 「電話してくる」 小太刀に電話をする。 何度かトライしてみるものの出てくれない。 留守電にメッセージを残して電話を切る。 忙しいのか無視されているのか。 今夜あたり小太刀の部屋に行ってみるか。 そう決めて部室に戻る。 外に出て、小太刀に電話をかける。 「……つまり、選挙の勝ち方が知りたいわけ?」 「ああ」 「そんなん無理に決まってるっしょ?」 「仕事に関係ない人の本は読めないって言ったじゃない」 「ですよねー」 「じゃあ、俺が羊飼いになりゃいいって話か?」 「……」 すぐに返事がなかった。 たっぷり10秒ほどの沈黙が流れる。 「ばっかじゃないの」 「そんな理由で羊飼いになるなんて、絶対許さないからね」 「部活のためだ」 「うっさいわ」 電話が切れた。 小太刀は、自分のために羊飼いになろうとしている。 折り合いが付かないのは当然かもしれない。 とはいえ、罵倒されるほど不純な動機だろうか? 仲間のために羊飼いになると言ってるだけなんだが……。 「(……あれ?)」 部室の方から、望月さんが歩いてきた。 「こんばんは」 「えっ? ああ、筧君……こんばんは」 気まずそうな顔で振り向いた望月さんは、気持ちを落ち着けるように自分の髪を数度撫でた。 「図書館に何か用ですか?」 「ええ、借りていた本を返却に来たの」 「なるほど」 そう応じたものの、信じられなかった。 この時期にライバルである図書部の近くに来るなんて、見る人が見ればニュースにされるかもしれない。 本の返却なんてのは、理由としては弱い。 「それじゃ、また」 「あ、はい」 望月さんは、テキパキした足取りで図書館を出て行った。 一体、何の用事だったんだろう? 家まで帰ってくると、廊下で小太刀と遭遇した。 「よう」 「……あ、筧」 数秒視線を交わした後、小太刀は顔を背けた。 「毎日遅いじゃんか。お疲れ」 「ありがと。そっちは?」 「フツーに仕事してる」 「上手くいってるか?」 「ま、ね」 短く言って、荒っぽく息を吐いた。 「それよりさ、今日の電話、何よ?」 「話した通りだ。選挙がヤバすぎるんで、なんとかならないかと思って」 「そんなことのために、羊飼いになろうっていうの?」 「仲間のために羊飼いになるのは悪いことなのか?」 「胡散臭〜」 「私は『人のため』なんて一番信用できないけど」 「お前はそうかもな」 「俺様ちゃんは違いますか。まーいーですけどね」 「あんた、施設に来るような目に遭わされたんでしょ? 何で今さら献身的になってんのよ」 「いろいろありまして」 「へいへい、そうですか」 小太刀がどんな人生を送ったかは知らないが、俺は図書部の奴らに出会えた。 いきなり人間は変われないだろうが、俺は変わろうと思っている。 『志を立てるに、遅すぎることはない』さ。 「ねえ、筧」 「あん?」 小太刀がじっと俺を見た。 「あんた、本気で羊飼いになるつもりなの?」 「必要だと思ったら」 「あんたも私も羊飼いになったら、ずっと一緒に仕事することになるかもよ?」 「そりゃまあ、羊飼いは不老不死らしいし」 「平気なの?」 小太刀の目が細くなる。 俺が失言をしたかのようだ。 「まだ想像できてない」 俺の返事を聞いて、小太刀は視線を落として唇を引き結んだ。 「どうかした?」 「何でもないですー」 「ま、あんたがどんな理由で羊飼いになるかは自由だけど、一度ボスにでも相談してみたら?」 「もしかしたら、NG出るかもしれないし」 「確かに、相談しといた方が良さそうだな」 「ところで、ナナイさんって、何で羊飼いになったんだ?」 「さあ? 聞いたことないけど」 羊飼いになりたがってるくせに、上司の経験すら聞いていないとは。 「ほんと他人に関心ないよな」 「あんたに言われたくないわよ」 「俺は人間大好きっ子だぞ」 「観察対象として、でしょうが」 「いきなり正解したら番組にならんだろ、撮れ高どうすんだ」 「知るかっ」 ズバリ核心を突かれ、思わずギャグに走ってしまった。 「大体さ、あんた、私が本当に他人に興味ないと思ってんの?」 じろりと睨まれる。 「違うのか?」 「……」 何ともやるせない目で俺を見る小太刀。 「違わないですね、はい。いいわもう」 「……じゃ、お休み」 目も合わせず、小太刀が街へ出て行く。 「お前、どこ行くんだ?」 「コンビニよっ」 言葉を投げ捨て、小太刀は足早に去った。 妙に絡むな。 頭の中で、小太刀とのやりとりを反芻してみる。 「……」 あいつ……まさか、俺に気があるとか言わないだろうな? 穿ちすぎか。 小太刀が誰かを好きになるなんて考えにくい。 大体、特定の人間に執着したら羊飼い失格だと教えてくれたのは、小太刀自身じゃないか。 しかし、もしかしてもしかすると、あいつは厳しい状態になるな。 ……推測に推測を重ねても無駄か。 さて、ナナイさんに電話してアポでも取っておくか。 そう決めて、俺は携帯を取り出した。 「ええ、はい。では、近いうちに」 ナナイさんとの電話を切った。 今は仕事で忙しいので、近日中にこちらから声をかけるということだ。 ちなみに、選挙に勝てる必殺テクニックは教えてもらえなかった。 やはり、普通の人間に本の内容は教えられないらしい。 「はあ……」 俺が羊飼いなら、一気に状況を打開できるのにな。 いや、安直すぎるか。 羊飼いになるなんて選択肢は、降って湧いたものだ。 まずは、自分たちの力で戦うのが正解だろう。 ……明日も頑張らないとな。 事態が大きく動いたのは、木曜日の放課後だった。 原因はウェブニュースのスクープ記事だ。 トップの見出しには『汐美祭の人気投票に不正……か』とある。 ちなみに『……か』はフォントがかなり小さい。 「スポーツ新聞かよ」 「いや、内容は意外とまともだぞ」 問題があったのは、1位のセンターステージに集まった票についてだ。 人気投票のアンケート用紙には、気に入ったイベントの名前を書き込むことになっている。 だが、センターステージの得票のうち1000票近くには、イベントの名前ではなく人気アイドルグループの名前が書かれていたのだ。 汐美祭実行委員では、これをセンターステージの票としてカウントするか否かで意見が割れた。 一方は、1000票はアイドルへの投票であり、イベントとは関係ないという主張。 もう一方は、アイドルはセンターステージに出演したのだからまとめてカウントすべきという主張。 揉めに揉めた結果、1位はセンターステージとするが、アイドルの問題については注記すべきという結論が出た。 しかし、いつの間にか注記は消えていたのだ。 ウェブニュースは『注記が消えた』原因について、生徒会の圧力を匂わせている。 そして、そもそも、出演者の人気で票が決まるセンターステージをイベントとして認めるべきではないという方向に話を向けていた。 図書部には有利な内容だ。 「白崎さん、今回の件についてコメントをお願いしますっ」 「生徒会が来年度の予算アップをちらつかせたという情報もありますがっ」 ビラ配りに出ようとした俺たちを待っていたのは、新聞部や放送部の取材だった。 野次馬の生徒も含めると、30人近くの規模だ。 「ええと……その……」 「生徒会を許しておいていいんですか?」 「いえ、ですから……あの、ええと……」 突然のことに、白崎のあがり症が再発する。 「白崎、大丈夫だ、落ち着いて」 「ミナフェスでも上手くやれたんだ、もう怖くないだろ」 顔の傍で言いながら、背中をぽんぽん叩く。 「あ、う、うん……そうだね……怖くない、怖くない……」 ぶつぶつ呪文を唱え、深呼吸をする白崎。 「白崎さん、コメントをっ」 「こ、今回のニュースには、とても驚いています」 「それに、ニュースが本当ならとても悲しいことだと思います」 何とか白崎がしゃべりだす。 「センターステージの得票は出演者によるもので、企画に対する評価ではないという意見もあります」 「この点については、どのようにお考えですか?」 白崎が、少し唇を尖らせて考える。 そもそも、生徒会はステージを作っただけだ。 アーティストに入った票を、生徒会の票としてカウントするのは無理があるという意見も多いようだ。 上手く叩けば、人気投票の結果をひっくり返せるかもしれない。 「ライブイベントは、出演者と場を用意する人間がいて、初めて成立します」 「どちらが欠けても、お客様に楽しい時間を過ごしてもらうことはできないでしょう」 「ですから、出演者に対する票を、生徒会票として数えることには賛成です」 「おいおい」 「ええぇぇ……」 白崎の口から出たのは、生徒会を擁護するような意見だった。 そりゃさすがにお人好しが過ぎるぞ。 「じゃあ、図書部は負けを認めるってことですか?」 放送部の子まで怪訝な顔をしている。 「いえ、別の理由で負けは認めません」 「と、言いますと?」 「今回の汐美祭では、生徒会による企画の事前審査がありました」 「企画が『その団体らしいか』という観点でチェックしたみたいです」 「私達も一度却下されましたけど、なんとか企画を練り直して、ようやく企画が通ったんです」 「でも、私達は運が良かった方で、残念ながら企画が通らず、汐美祭に参加できなかった団体もあります」 「ありましたねー、そういう話」 「では、生徒会の企画は誰かにきちんと審査されたのでしょうか?」 白崎が取材陣をぐるりと見回す。 「きっと手続き上の問題はないのだと思います」 「でも、皆さんが審査する立場でしたら生徒会の企画にOKを出しますか?」 周囲に考えさせる間を作る白崎。 スピーチ慣れしている人のトークだ。 ハウツー本の成果が出ている。 「これでは、審査に通らず汐美祭に参加できなかった団体が可哀相です」 「学園祭は生徒のお祭りですから、周囲に迷惑をかけていないのなら、誰でも参加できて然るべきだと思います」 「生徒が生徒を審査して当然の権利まで奪うなんて、ひどいことだと思いませんか?」 野次馬が、それぞれに話し始める。 見たところ、白崎の発言は好意的に受け入れられているようだ。 「何だか、別人みたいです」 「筧さん、白崎さんがこんなこと考えてたなんて知ってました?」 「知らなかった」 しっかりした口調だったし、即席で考えたこととは思えない。 だが、絶好の攻撃のポイントをわざわざ外すあたり、白崎らしい話だった。 結局のところ、あいつが怒っているのは、生徒が生徒を評価するという部分なのだ。 ビラ配りの場所へ向かう道すがら、桜庭が隣に並んで来た。 「筧、さっきはファインプレーだ」 「は? 何の話だ?」 「白崎の緊張をうまく解いたじゃないか」 「ここだけの話、どうも筧の言葉じゃないと落ち着かないらしい」 「どこ情報だよ」 「ふふふ、信頼筋だよ」 嘘くさいなあ。 「悪かったな、桜庭の役目をとっちまって」 「別に、気にしなくていい」 「私達はチームなんだし、みんなで白崎を支えればいいと思う」 「いや、そもそも、白崎を支えなければって考えもおかしいかもしれない」 「それぞれが協力し合っているだけのことだ」 そう言って、桜庭は小さくうなずいた。 「へえ」 どういった心境の変化だろうか。 白崎を支えてナンボだった桜庭が、こんなことを言うとは。 「私らしくないと思っているだろう?」 「ああ」 「いや、否定するところじゃないのか?」 「だって、お前、キャラ変わりすぎだろ」 「じ、自分でも変わったのはわかってる」 赤面して、桜庭がぷいっとそっぽを向いた。 「汐美祭で負けてから、自分なりに考えたんだ」 「私は白崎に何を背負わせていたんだろうって」 「……ほー」 桜庭が白崎に向ける感情が、どことなく歪んでいることは察していた。 といっても、それが悪いとは思わない。 誰だって歪んだ部分くらい持っているし、迷惑にならなきゃそれも個性だ。 白崎だって、少なくとも迷惑に思っていないだろう。 「筧も、気づいていたんじゃないか?」 「さてね」 笑って誤魔化す。 「肯定するならきちんと肯定しろ……意地悪」 「どうせお前は私の考えていることなんか、みんなわかっているはずだ」 満足げな表情で、不満を口にする桜庭。 「勝手に人をエスパーにするなよ」 「で、色々考えた挙げ句、前よりハッピーになったのか?」 「ああ、もちろんだ」 「ならよかった。今後も引き続き頑張れ」 サムズアップしておく。 桜庭が何を考えたのかはわからないが、悪いことじゃないんだろう。 「おい、こら」 桜庭が、ぐいと俺の袖を引いた。 「どうした?」 「あ、いや……」 桜庭自身、自分の行動に戸惑ったように視線を逸らす。 「か、かけ……」 「ああ」 「か、筧は私のことに興味がないのか?」 「……」 いや、えーと、これは。 どうも参ったな。 などと返事を考えていると、桜庭と正面から目が合ってしまった。 元から紅潮していた顔が、更に赤くなる。 「あー、いや、ナシ、今のはナシにしてくれ」 「べ、別に興味なんか持ってもらわなくても気にならない。ならないからな……くしゅんっ!」 なんかもう大混乱で目も当てられない。なんかもう大混乱で目も当てられない。「まあなんだ、選挙が終わったらゆっくり聞かせてくれ」 「……え? あ、ああ……」 「そうだな……こういう話は、時間があるときにした方がいい」 「いや、こほん……取り乱してすまない」 咳払いをして、冷静さを取り戻そうとする桜庭。 何だかほほえましいな。 まあなんだ、そっとしておこう。 「さて、ばっちりビラ配りするか」 「あ、ああ、そうだな」 額の汗を拭き、桜庭が表情を引き締めた。 金曜日の昼休み。 いよいよ、支持率中間発表の時が来た。 速報値はネット確認できるものの、やはり公式な数字が情勢に大きく影響する。 選挙戦の折り返し地点として、重要な意味を持つ。 「皆さんこんにちは、芹沢水結です」 「今日は、ランチタイム・アベニュー選挙特番!」 「支持率調査の結果や、今後の見通しについて色んな人にお話を伺っちゃいますよ!」 いつもの音楽と共に放送が始まった。 みんなの食事の手も、すっかり止まっている。 「なんか緊張で、目の前が白くなってきたかも」 「お姉様、しっかりして下さいよ」 「昨日から数字は盛り返してます。大丈夫です」 「う、うん……大丈夫……平気」 箸で掴んでいた卵焼きが、ぽろりと落ちた。 こんな白崎が、インタビューでは堂々と自説を述べるのだから人間わからないものだ。 「わあ、やっぱ白崎さんの卵焼き、美味しいです」 「お前、白崎が落としたものを食べるな」 「佳奈、私も狙ってたのに……出して、今すぐ」 御園が佳奈すけの脇を突っつく。 きゃいきゃいと、騒がしいことこの上ない。 「お前ら、放送が聞こえないから静かにしろ」 「平和でいいじゃない」 「さーて、あんまりじらすと怒られちゃいますから、注目の中間発表です」 「速報値では、多岐川候補の圧倒的優位が続いていましたが、なんと、ここで数字に動きが見られました」 「……ごく」 「支持率は白崎候補が53%、多岐川候補が31%、未定が16%となっています」 「よしっ」 思わず机を叩いた。 未定の生徒がすべて多岐川さんに行っても、まだ白崎の方が多い。 形勢逆転だ。 「どうやら、昨日のニュースが効いたみたいですねぇ。まさかまさかの大逆転となりました」 「さて、ここからはゲストをお迎えして、今後の流れを予想していきたいと思います」 「政治研究部の佐々木さんと、心理学研究部の松島さんです」 桜庭が、放送のボリュームを絞った。 「やったな、白崎」 「うん、まさかこんなことになるなんて思わなかったよ」 白崎が桜庭の手を取って、ぶんぶん振る。 「このままで行けば、勝てるってことですよね」 「こりゃ、ひょっとするとひょっとするぜ?」 「高峰先輩、勝てると思ってなかったんですか?」 「いや、そりゃあ……」 御園の冷たい視線に、高峰が止まる。 「もちろん勝てると思ってたさ、当然じゃん」 「ギザ様」 「ぶおうふっ」 デブ猫が高峰に飛びかかった。 「えっ、うわぁっ!?」 床で、高峰と猫が組んずほぐれつし始めた。 つーか、御園は猫使いか何かなのか? 「何はともあれ素晴らしい折り返しだ。後半も頑張っていこう」 「うん、まだまだ気を抜けないよ」 白崎がガッツポーズを作る。 しかし、本当にいいタイミングで人気投票の不正が発覚したものだ。 あのニュースがなければ、中間発表は残念な結果になっていただろう。 日頃の行いが良かったのか、誰かの作為があったのか……。 同時刻── 生徒会室では、二人の才媛が黙然としていた。 多岐川は、噴出しそうになる怒りを何とかこらえ、頭の中で次の一手を模索する。 対する望月は、静かに目を伏せているだけだった。 「まさか、このタイミングであんなニュースが出るとは思いませんでした」 「不運でしたね。でも、自業自得と言えばそれまでじゃないかしら?」 「望月さんっ」 先輩の思わぬ言葉に、多岐川が立ち上がる。 「望月さんは、どっちの味方なんですか?」 「もちろん、あなたの味方よ」 それ以前に、より良い学園を作るため現生徒会長としてやるべきことはやる、と望月は自分に言い聞かせる。 たとえそれが、可愛い後輩を裏切ることであっても。 胸の中の確固たる決心を、望月はおくびにも出さない。 「後ろ暗いことは、絶対にしてはいけないと教えてきたはずよ」 多岐川が唇を噛む。 「まだ、選挙は終わっていないわ」 「今回の件を教訓に、最後まで戦いなさい」 「……はい」 多岐川がうつむいた。 望月は、自身の卒業まで、多岐川にできる限りのことをしたいと思っていた。 選挙に勝つことより、真っ直ぐな人生を歩むことの方が遥かに重要だというのが、彼女の考えだった。 望月としては、多岐川が誤った方向に進むのは看過できないのだ。 「(つくづく、身勝手なものね)」 一方では学園のためと言い、一方では後輩のためと言う自分を見つめ、望月が独りごちる。 結局、守りたいのは自分だけではないのか。 そしてまた、後輩のゆく道をどうこうする権利が自分にはあるのだろうか。 そんな望月の疑問に答えてくれる人間は、彼女の傍にはいなかった。 土日は、休日返上で選挙活動だ。 ビラ配りや握手会はもちろん、放送部が作っている動画の撮影など、予定は目白押しである。 それは、ビラ配りを終え、部室へ引き上げる途上のことだった。 ベンチから手を振ってくる人を見つけた。 ナナイさんだ。 「おう、どうした?」 「悪い、ちょっと用があるんで、先に行っててもらえるか?」 「部室には来るんだろ?」 「ああ、1時間もかからんと思う」 高峰特有の優しさで、特に深いことは尋ねてこない。 みんなが去って行くのを見届け、俺はナナイさんの元へと向かう。 「悪いね、忙しいときに」 「いえ、時間を取ってもらったのはこっちですから」 夕日の中、ナナイさんは色のない笑顔を浮かべた。 「選挙、上手く行っているようだね」 「先日電話をもらったときは、厳しい状態だったみたいだけど」 「ええ、運良く相手がコケてくれました」 「まさか、ナナイさんの仕事じゃないですよね?」 「まさか、私じゃないよ」 笑顔で否定する。 しかし、一度羊飼いの存在を知ると、様々な事象が羊飼いの仕業に思えてくるな。 実生活を考えると、羊飼いのことは忘れるのが幸せなんだろう。 「それで、今日は私が羊飼いになった理由を聞きたいということだったね?」 「ええ、参考になればと思って」 「つまり、前向きに検討してくれていると解釈していいのかな?」 肯定しておく。 選挙が上手くいきそうな今となっては、俺が羊飼いになる必要はない。 しかし、わざわざ出てきてもらったわけだし話は聞いておこう。 「本当なら私の話をすべきなんだろうけど、羊飼いは自分の本を焼いた時に、人間だった頃のことは捨ててしまうんだ」 「だから、私の知り合いの、ある人の話をさせてもらうよ」 「お願いします」 その男性は、とある資産家の一人息子として生まれた。 性格は優しく、捨て犬を自分のベッドに入れて温めてやるような子供だったという。 容姿・学力・運動神経は凡庸だったが、家名と資産が彼を目立った存在にしていた。 田舎に住んでいたこともあり、地域の女性なら誰しも気にするところだったらしい。 「羨ましい限りだけど、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしってことだね」 「彼にとっては、それが不幸せの始まりだったんだ」 ともかくモテまくった彼が女性を初めて知ったのは、まだ子供の頃だった。 家のお手伝いさん数人に、悪戯半分でつままれたらしい。 親が居ない時間に暗い部屋の中で弄ばれる……それも月に2度3度。 子供にとってそれは、胸躍る経験とは言えない。 学校に上がっても、女性からの熱い視線は変わらなかった。 ここでも彼は多数の女生徒と関係を持つ。 もちろん、恋愛感情はない。 ただ、拒むということを知らなかっただけだ。 彼のモテっぷりを目の当たりにした同性は当然嫉妬する。 しかし、相手は権力者の息子であり、表だって敵対心を表明する者はいなかった。 その代わりに、陰湿ないじめが進行したのである。 やがて彼は登校を拒否するようになるが、親は体面を取り、子供の不登校を受け入れられない。 毎朝、無理矢理家を追い出された彼は、学校の片隅でただ息を殺して生きることしかできなかった。 そんな彼を女生徒は執拗に構い、それが原因でまた男子生徒に絡まれる。 どうにもならない連鎖だった。 「救われないですね」 「ちなみに、彼は未来を予知する力を持っていたみたいだね」 「筧君と同じような能力だよ」 「……」 「小太刀君から説明を受けたと思うけど、赤ん坊の頃は誰しも持っている能力なんだ」 「成長と共に消えるのが普通なんだけど、ごくごく稀に残る人もいるんだよね」 「羊飼いになって活躍する人には、そういう人が多いんだ」 「だから、俺も活躍すると?」 「それはわからない」 ナナイさんが苦笑する。 笑う気になどなれなかった。 名状しがたい嫌な予感が、俺の中でどんどん大きくなっていたからだ。 この先を聞いてもいいことはない。 直感がそう告げていた。 にもかかわらず、俺は続きを聞くことを止められない。 「で、その不幸な彼は、それからどうなったんですか?」 「優しい性格だったんだろうね、彼は誰も責めなかった……お人好しと言っていいかもしれない」 「それにね、彼は自分のことを普通の人間にはなれない欠陥品だと思っていたんだ」 「だからこそ、出しゃばらず、波風を立てないように生きていた」 「……」 自分のことを言われているようだった。 俺とナナイさんの知人の境遇は近いものがある。 もしかしたら、性格も似ていたのかもしれない。 「でも、彼にもたった一人だけ理解者がいたらしい」 「へえ」 「幼なじみの女の子だよ。使用人の娘だったらしいけどね」 「彼の身の周りのことを全部わかっていて、それでも友人でいてくれたらしい」 「救われたでしょうね」 「らしいね。彼は今でもその女の子を夢に見ると言っていたよ」 彼は、大学進学を機になんとか地元を飛び出し、都会生活で幾分の人間性を取り戻したという。 しかし、大学卒業後は、親の命令により地元に就職。 就職後はすぐ結婚の運びとなった。 この頃には、彼も一応は恋愛感情というものを持っており、あまたいる候補者の中から気に入った子を選んだらしい。 ところが……いや、まったく意外性はないが、結婚した女は財産目当てだった。 もちろん、夫婦間に愛情はない。 今まで唯々諾々と生きて来た彼が、ここでは多少の自己主張をする。 すなわち離婚である。 以後、彼は離婚と再婚を繰り返すようになる。 しかし、何度相手を替えても女性は彼を愛さなかった。 人が見ているところでは貞淑な妻らしく振る舞い、一人になれば遊蕩三昧。 当然、夫以外の男とも関係を持っていた。 子供も生まれたが、世に言われるような『かすがい』にはならなかったという。 それでも彼は女性の愛情を諦めなかったのだ。 「彼は何を求めてたんですかね」 「これだけの人生を送ってきたら、普通は女性に希望は持たないと思いますが」 ナナイさんが、か細く微笑んでから、遠くを見つめる。 他人からの伝聞を語るにしては、いささか感傷的すぎる表情だ。 語るうちに、他人の話を装うことを忘れてしまったのだろう。 「普通ならそうだろうね」 「でも、彼は何度失敗しても希望を捨てられなかった……どうしてだと思う?」 失敗の経験が積もれば、希望はなくなる。 それでも希望があったのはなぜか。 現実をまったく見ていなかったのだろうか。 「ああ……」 一つ思い当たった。 「もしかして、未来予知ですか?」 ナナイさんが微笑んだ。 「そう。彼には、何故か結婚する女性との幸せな未来ばかりがみえていた」 「だから、自分が上手くやれば幸せになれると信じていたんだ」 「それにね、彼は自分が欠陥品じゃないと証明したかったんだと思う」 そこに〈縋〉《すが》ったのか。 「でも、彼の未来予知は中途半端だった」 「筧君もそうだろうけど、一つの未来が断片的に見える程度なんだ」 「どうやったらその未来に辿り着けるかは、わからないんですね」 ナナイさんがうなずいた。 「彼も幸せになりたかったんだろうね。こんなはずじゃないとずっと思っていたんだ」 「だから、離婚のたびに自分を責めた」 「自分が上手くやれば君を幸せにできたのに……」 「こうなったのは、自分のせいだ……ごめんねって」 「……」 『ごめんな……ごめんな……』 頭の中に、父親の声が木霊する。 記憶の中の声と、ナナイさんの声が気持ち悪いほどに重なる。 「(まさか……)」 思わず、ナナイさんを凝視する。 こいつが親父なのか? まさか、そんなはずは……。 「どうしたんだい?」 「い、いえ……」 視界の中で、ナナイさんが微笑する。 『ごめんな……ごめんな……』 聞こえる。 親父の声が、脳味噌の奥から響いてくる。 「それで、彼はどうなったんですか?」 平静を装って話を続ける。 「何度か離婚を繰り返して、彼もさすがに折れかけた」 「でも、そんな彼を救った人がいたんだ……ずっと彼を見ていた幼なじみだよ」 彼は、これが最後と決めて幼なじみと結婚した。 この人と幸せになれなかったら、もう自分は駄目だと。 二人の間には、微妙ながらも愛情があり、それまでよりはマシな関係を築くことができた。 だがやはり、結末は変わらなかった。 幼なじみにも捨てられた彼は自分を責め続け、そして家を出た。 死ぬことも考えて街を彷徨っていたとき、羊飼いにスカウトされたらしい。 「どうして、羊飼いになることにしたんですか?」 「今まで、幸せにできなかった人たちを、幸せにしたかったと言っていたよ」 「それに、こんな自分でも誰かを幸せにできるのが嬉しいとも言っていた」 ナナイさんが静かに言う。 「なるほど」 埋め合わせがしたかったのだろう。 幸せにできる可能性があったのに、できなかった人たち。 そしておそらく、消えていった自分の希望に。 「優しすぎたんですかね、その人は」 「そうかもしれないね」 「長い話になってしまったけど、参考になったかい?」 「ええ、それなりには」 「今話してくれた人は、今も羊飼いを?」 「もちろん活躍しているよ」 「直接会って、お話を伺うことはできますか?」 ナナイさんの目を見て言ってみる。 「……担当している地域が違うから、難しいだろうね」 少し間を置いてから、ナナイさんは微笑と共に答えた。 「残念です」 「そうだね」 互いに視線を合わせる。 ナナイさんは、夏の陽射しから目を背けるように、すぐに視線を逸らした。 やはり、この人が……。 ナナイさんが、俺の父親なのか。 確証はないが、考えれば考えるほど目の前の人が父親に思えてくる。 今まで聞いてきた話も、父親の話として齟齬はない。 最近、妙に父親のことを思い出すようになったのも、ナナイさんと接触しているからだとすれば説明が付く。 だが、仮に父親だったとして、俺はどうすればいい? 「……」 親父……。 俺の人生を狂わせた元凶。 確か名前は…… そう、筧〈朝彦〉《あさひこ》。 虐待にさらされていた俺を守ってくれなかった男。 身体の痣を見つけても、ただ謝るだけで何もしなかった。 『父親さえまともだったら』 そう思うが、湧いてくる怒りはしかし、古漬けのようなものだった。 ずっと父親のことを忘れていたせいか、実感が伴わない。 これも、奴が羊飼いになったからだ。 羊飼いになったそのときから、俺や母親から父親に関する記憶が消えたのだ。 「本当なら私の話をすべきなんだろうけど、羊飼いは自分の本を焼いた時に、人間だった頃のことは捨ててしまうんだ」 耳の奥に、さっきの言葉が響いた。 「……」 そうか……捨てたのか。 ゆらりと、胸の中で何かが揺れる。 それは怒りとも悲しみともつかない、巨大な感情の塊だ。 虐待を放置したことに対する怒りより、それは遥かに強く、鮮烈な衝動だった。 これだけ苦労してきて、俺や母親は忘れられていいのか? 捨ててしまうんだ、の一言で済まされていいのか? 身体がじっとりと熱くなってくる。 「他に、何か質問はあるかい?」 ナナイさんの声で我に返った。 知らず、上の空になっていたらしい。 「ナナイさんは、羊飼いになったことを後悔していますか?」 咄嗟に口にした質問に、俺自身が緊張する。 後悔していないと言われたら、俺は再度捨てられることになるのではないか? なぜ、こんな質問をしたのだろう。 今さら、後悔していると言ってほしかったのか? それで多少なりとも救われる部分が、俺の中にあるとでも? 「もちろん、していないよ」 「充実した毎日を送らせてもらってるね」 いつも曖昧な笑顔を浮かべているくせに、わかりやすい、はっきりとした笑顔だ。 ですよねーという冷めた感覚と、ふっと重力を失ったような感覚が同時にやってきた。 「……そう、ですか」 とすれば、捨てられた俺や母親は何だったのか。 もう、過去をどうこう考えること自体が馬鹿らしくなってくる。 「ありがとう、ございました」 「また何か聞きたいことができたら遠慮なく」 「はい……ではまた」 頭を下げ、そのままナナイさんに背を向けた。 ナナイさんの視界から隠れたところで、俺は縁石に座り込んだ。 頭の中が、頭痛がしてきそうなほど混乱している。 父親のこと、母親達のこと、俺のこと…… 全てがごたまぜになり、夕日の中で煮立っている。 しばらく休まないと、部室には戻れそうもないな。 昨夜は日付が変わるまで街をさまよった。 しかし、小太刀の姿は見つからず、手がかりもない。 もちろん、向こうからの連絡はない。 本気で消えるつもりなのだろう。 最後に小太刀の顔を見てから丸4日経った。 数時間おきに小太刀の写真を見ては、記憶が薄れていないことを確認している自分がいる。 自分で自分が気色悪いが、そうでもしなければ落ち着いていられなかった。 そんな俺の胸の内とは裏腹に、選挙戦は順調だ。 投票を今週の金曜に控え、さらに白崎への支持が集まっている実感があった。 このままなら、本気で勝利はこっちのものだ。 週が明けた。 今週の金曜日は、いよいよ投票日だ。 ナナイさん問題で俺はぐったりだが、選挙戦は順調そのもの。 中間発表から、さらに白崎への支持が集まっている実感があった。 こいつはいける。 本気でやれる予感だ。 放課後。 図書館まで来ると、支持者に囲まれている白崎がいた。 握手をせがまれているようだ。 先週末から、こんな光景も珍しくない。 「あ、あの、か、かけ、筧先輩ですよね?」 不意に声をかけられた。 「そうだけど?」 「ふぁふぁ、ファンなんですっ」 「せ、選挙、頑張ってくださいっ!」 がばりと頭を下げ、あっという間に走り去った。 「……」 よもや、俺にまでファンができるとは。 選挙というのは恐ろしい。 人が散ったところを見計らい、白崎に近づく。 「お疲れ」 「あ、モテモテの筧くん、お疲れ様」 「見てたのか」 「すっごい見ました」 「良かったね、1年生にファンコールされて」 「なんで怒ってんだよ」 「別に怒ってないですよーだ」 ぷんすかしている。 「俺のことは置いといてだ……白崎も大人気じゃないか」 「うん、今日も朝からずっと握手してる気がするよ」 「そのうち、手相がなくなっちゃうかも」 冗談めかして笑う。 「候補者なんだから、むしろ感謝だな」 「うん、そうだね」 「あ、お二人とも、こんにちは」 「お疲れ様です」 鈴木を先頭に、残りのメンバーがぞろぞろやってきた。 「いよいよ今週で決着が着くな。頑張っていこう」 「最後まで気を抜かないことです」 高峰は、何も言わず親指を突き出した。 「よし、行こう」 「あれ? 何でしょう?」 御園の声で部室の入り口を見る。 ドアが開け放たれ、見覚えのある荷物が廊下に出ていた。 「お掃除が入る日なのかな?」 「そんな連絡は受けていない」 首をひねっていると、部室から見たこともない男子生徒が出てきた。 手にしているのは、椅子に敷いていた白崎謹製のクッションだ。 それを、無造作に床へと投げる。 「ちょ、ちょっと!?」 「何やってんだてめえっ」 高峰が走る。 「……」 「え? え? 何?」 部室には10人ほどの生徒がいた。 それぞれ、マンガを読んだり、携帯をいじったりしている。 さっきの男子生徒は、棚にある私物をゴミ袋に放り込んでいた。 半透明の袋の中で、マグカップが割れる音が聞こえた。 血が沸騰しそうになる。 「……ん?」 漫画を読んでいた男が、視線を上げた。 「おう、こんちは」 男子生徒が、漫画雑誌を机に投げてから立ち上がった。 ラグビー選手みたいな体格だ。 「ここで何してる?」 高峰と並び、女の子たちの前に出る。 「大掃除だよ、大掃除」 「久しぶりに部室に来たら、いろいろ持ちこまれてたからさ」 「はあ? ここは図書部の部室だぞ」 「わかってるぜ、もちろん」 男子生徒が白い犬歯を見せた。 「俺たち全員図書部員だからなぁ」 「馬鹿なことを言うな」 「お前達の入部を許可した覚えはない」 「そりゃ、俺達が入部したのは去年だし」 「なんだと!?」 からくりが呑み込めた。 「あんたら、幽霊部員だろ?」 「今日からは模範的な部員になろうと思ってよ」 「やっぱほら? 読書って大事だろ?」 部室にいた生徒たちが、へらへらと笑う。 図書部には沢山の幽霊部員がいる。 部室に来ないから幽霊と言っているだけで、規則上は立派な図書部員である。 「幽霊が何の用だ?」 「部室から出て行ってください」 「そ、そうですよ、ここは私たちの部室なんですから」 二人の声に、生徒たちはにやにや笑うだけだ。 見ればガラの悪いのが揃ってる。 「あ、そうだ……白崎さん、部長なんですからここはズバッと」 「悪いけど、さっきの部員総会で部長は俺になった。あんたらの部員資格は一時停止だ」 「委任状は……ほれ。部員の4分の3以上ある」 カバンから取り出した書類の束を、ドサリと机に置いた。 「なるほど……規則上は問題ないってか」 呟きながら、高峰が男子生徒に近づいた。 「んだこら?」 「わかってんだろ?」 高峰が拳を振り上げた。 「高峰くん、だめーーーっ!!」 白崎の叫びに、高峰の体がビタリと止まる。 それを見てニヤリと笑った男子生徒は、再び椅子に座った。 「あんたらに、一ついい知らせがある」 「選挙から降りてくれりゃ、部室も部員資格も元の通りだ」 「……え?」 「先に言っとくが、あんたらが選挙に勝ったからって、部員総会の決定は変わらねえぜ?」 「俺がうんと言わなきゃ、もう部員ですらないんだからな」 つまり、俺たちが選挙に勝っても、部室や部員資格は返ってこないということだ。 だが、選挙を放棄すれば高峰が放校になる。 どうすりゃいいんだ。 「よーく、考えるこった」 強い陽射しが、まるで重さがあるかのように俺たちにのしかかる。 突然、砂漠に放り出されたみたいだ。 拾えるものは何とか回収してきたが、多くの私物は置いてきたままだ。 みんなの中で、色んな感情が煮えたぎっているのが見て取れた。 でも、言葉にするにはあまりに混沌としすぎて、誰もが拳や唇を震わせるだけで何も言えない。 「学食に行こう。話はそれからだ」 返事はない。 反対もない。 冷静に喋り、動いているのは俺だけだ。 それぞれの前に、俺が注文したアイスティーが並んだ。 誰も口をつけない。 みな、うつむき加減で黙り込んでいる。 「部室……取られちゃったね……」 虚脱状態で白崎が言う。 「はい……クッションもサボテンも、みんな捨てられて……」 「……うっ……ぐす……」 うつむいて肩を震わせる。 普段は口には出さなかったが、御園は部室を大事にしていた。 いろいろな備品に、リボンやマスコットをつけていたのは御園だ。 「くそ……幽霊部員なんて認めていなければ、こんなことには……」 桜庭が、両手で頭を抱える。 「桜庭のせいじゃない。誰にも予測できないだろ?」 「だがっ!!」 俺をにらみつけ、すぐに視線を落とす。 拳が、自らを握りつぶしそうなほど強く握られていた。 「何とかできたんじゃないかと思わなきゃ……やってられないだろう」 涙声で言って、桜庭は目頭を押さえた。 「多岐川の奴、馬鹿じゃないのか」 「生徒会選挙でここまでやるなんて、考えられない……」 多岐川さんの差し金だとしたら、やり過ぎもいいところだ。 相手の選対事務所を潰そうとするなんて、ヤクザ映画じゃあるまいし。 「絶対に許せません」 「みんなで少しずつ作ってきた場所を……何も知らない人が壊して……」 一言毎に怒りを増幅させ、佳奈すけが立ち上がる。 「戻って取り返しましょうよ」 「ほら千莉、泣いてないで立って! ほら、立って!」 「佳奈すけ、座れって」 「座ってられないです!」 「座ってられるわけないじゃないですかっ!」 腕を掴むと、佳奈すけが頑強に抵抗する。 「……佳奈すけ」 「…………筧さぁん……」 佳奈すけが、糸が切れたように着席した。 「畜生が……」 高峰は、ほとんど無言でポケットに両手を突っ込んだまま座っている。 激情が凝固して人の形になったようだ。 そして俺は…… 怒りも涙もなく皆をなだめている。 心は妙に静かで、自分のことすら他人事のように見下ろしていた。 この感じは知っている。 ガキの頃、大人に殴られていたときの感覚だ。 痛いはずなのに、痛くない。 自分が殴られているのに、どこか遠い世界のことのように思える。 ぼんやりとしたベールを隔て、暴力的な映画を見ている気分だった。 心理学の本で読んだが、虐待を受けた人間に見られる精神的防衛機構の一つらしい。 それはそれでいい。 過去のことだ。 悲しいのは、過去の遺産とも言える防衛機構が、今もその動きを止めていないことだ。 みんなが怒っているのに、怒れない。 みんなが優しくしてくれるのに、溶け込めない。 やっぱり、俺は人として大事なものをどっかに置き忘れてきたのだ。 みんなの沈黙が身を苛む。 怒りや悲しみを共有できないお前は、仲間じゃないと言われている気分になる。 俺はまだ、あの四畳半から抜け出せていないのか。 「……」 いたたまれなくなり、席を立った。 ぐだぐだ言っても仕方がない。 冷静なら冷静で、やれることをやろう。 「望月さんに電話してくる」 「部室の件については、葵の関与を証明することができないわ」 「それに、部室の問題を持ち出すのは図書部にとって不利になるかもしれない」 「今の図書部は、学園に認められた活動とは全然違うことしてますからね」 「その通りよ」 今の図書部の活動がスルーされているのは、この学園特有のゆるさだ。 部室問題をつっつくとやぶ蛇になりかねない。 「多岐川さんのことですから、俺たちが反撃した場合の対応も考えてるんでしょうね」 「でしょうね」 「ごめんなさい、力になれなくて」 「いえ、望月さんのせいじゃないです……それじゃ」 電話はすぐに終わる。 建設的な話は何も聞けなかった。 要は中間発表の結果にキレた多岐川さんが、以前から仕込んでいた奥の手を使ったということだ。 規則上はまったく問題がないので手がつけられない。 「……終わったか」 気がつくと高峰が近くにいた。 「仕組んだのが多岐川さんだってのは証明できなさそうだ」 「そっか」 証明できれば、選挙妨害として堂々と訴えることができる。 こっちにとっては有利な材料だ。 だが、証明できなければ言いがかりでしかない。 「面倒なことになったな」 「冷静だな、筧は」 高峰が呟く。 「……仕方ないだろ」 「図書部が好きじゃねーのかよ!」 高峰が弾けた。 にらみ合う。 高峰の目は今までになく鋭い。 「本気で言ってんのか?」 「……すまん」 高峰が顔を背ける。 「言っちゃいけないことを言った」 「本当にすまん」 「いや、大丈夫だ」 高峰が力なく笑う。 「俺がこんだけ図書部に執着してるなんて、思ってもみなかった」 「キャラじゃねえよな」 「解脱の道は遠いな」 「まったくだ」 溜息混じりに言う。 「みんなは?」 「座ってるよ。そんだけだ」 ショックが大きすぎたのか。 「これからどうする?」 「選挙を捨てるか、部活を捨てるかの二択だろう?」 「早計だ」 「んじゃ、何かいい方法があるのかよ?」 まっとうな方法で、多岐川さんに手を引かせる方法は思いつかない。 かといって、暴力的な手段はみんなが納得しないだろう。 「……くそ」 「ま、ともかく戻ろうや」 「あ、筧くん……高峰くん」 椅子に座ると、みんなが顔を上げた。 つい1時間前まで、やる気に満ちていたメンバーとは思えない顔だ。 注文したアイスティーは、口をつけられることもなく、氷が溶けて薄くなっていた。 「話、できそうか?」 「ああ、大丈夫だ」 打たれ弱い桜庭が、無理に笑顔を作る。 「まずは、選挙と部活のどっちを取るかじゃなく、両方捨てずに済む方法を考えよう」 みんながうなずく。 発言のないまま10分が過ぎた。 考える以前に、誰もが戦意を喪失していた。 「図書部、なくしたくないです」 「私にとっては大事な場所ですから」 「千莉、それはみんな同じ」 話題が二択に戻ってしまった。 「なら、選挙を諦めるのか? ここまで頑張って来たのに」 「桜庭先輩は、図書部がなくなってもいいんですか?」 「いいわけあるかっ」 「よくもそんなに酷なことを言えるな」 「あ……」 御園がうつむく。 桜庭は、その頭頂を見つめ、悲しい微笑みを浮かべた。 「あのさ……俺のことは、気にしなくていいからな?」 「今から死にものぐるいで勉強すりゃさ、編入くらいできるっしょ」 「もちろん、みんなが俺のためだけに選挙やってるんじゃないのは知ってるぜ? そこまで自惚れちゃいない」 高峰が、妙に優しい声で言った。 悟りきったみたいな表情をしている。 高峰の学力じゃ、無理に決まっているのに。 「高峰……どうしてお前はそこまで馬鹿なんだ」 桜庭が顔を逸らし、また目頭を押さえた。 「部室や部活がなくても、選挙はできるんじゃないですか?」 「佳奈っ!?」 「だって、戦わなきゃいけないでしょ?」 「汐美祭に負けたとき、そう言ったのは千莉じゃない」 佳奈すけが御園の肩を掴む。 「そうだけど……」 御園がまたうつむく。 「高峰くんが許してくれるなら……わたし……」 「ああ、俺のことは気にするなよ」 「ちょっと待て、白崎が引いてどうする。お前が立候補してるんだぞ!」 「だって、このままじゃ図書部がっ!」 白崎が叫んだ。 「……選挙に出ることだって、そもそもはわたしが……申し訳ないよ、みんなに……」 激昂は一瞬で、すぐに風船のようにしぼんだ。 「桜庭さんはどうしたいんですか?」 「いつもみたいに引っ張って下さいよ」 「私は……私は……」 答えはなく、桜庭もまたうつむいた。 誰もが、結論を出すこと── 何かを選び、何かを切り捨てることに怯えていた。 「筧くんはどう思うの?」 白崎の言葉に導かれ、全員が俺を見る。 疲れ果てた捨て犬のような、泣きたくなるほど力のない視線だ。 「……」 意識が、白崎の視線の奥に潜り込む。 「……ああ」 よりにもよって、こんな未来予知か。 みんなが、それぞれ目を背け、沈んだ顔をしていた。 選挙は、図書部はどうなったのだろう? 俺たちの関係は? 細かいところは、いつものようにわからない。 ただ、残酷な結果だけをポンと投げつけられる。 こんな未来なら、見えない方がなんぼかマシだ。 「……」 もう一度だ。 もう一度未来を見てみよう。 俺が頑張れば、幸せな結末に至る道が見えるかもしれない。 「……っっ!」 再度、みんなの視線の奥に潜り込む。 無数の本棚と、そこに収められた、世界の全てが記された本たち。 中を読むことができれば、俺はあらゆることを知ることができる。 もちろん、現状を打開する術だって。 「……」 何故か、無数にある本のうち一冊だけが輝いて見えた。 あれだ。 あの本を読めば、俺たちは幸せな未来にたどり着ける。 根拠のない確信に従い、一歩踏み出す。 瞬間、身体が何かにぶつかる。 重い空気に押し返されるような感覚だ。 更に一歩。 「くっ……」 一歩近づく毎に、空気の粘度が増したかのように、俺の脚は重くなる。 『ここから先は、羊飼いの領域だ』 『人間のいるべき場所じゃない』 そう、図書館から拒絶されているように。 それでも、更に一歩。 もう一歩。 歪んだ視界の端に少女の姿が入った。 小太刀に間違いない。 驚愕に目を見開いた、彼女の口が動く。 「筧……」 「……こだ、ち」 ここにいたのか。 もう一歩。 タールの海を進んでいるかのように、脚が動かなくなった。 あと少し、あと少しで本に手が届くというのに……。 渾身の力で手を伸ばそうとする。 だが、関節が錆びついたように動かない。 「筧……」 「手伝ってくれ」 小太刀が、俺に向けて一歩踏み出した。 「ぐっ……!!」 鋭い頭痛とともに意識が戻った。 「(……だめ、なのか)」 俺の能力がもっと強ければ…… 小太刀と協力することができれば…… あの本を手に取り、みんなを救えたかもしれない。 「小太刀……」 「小太刀さんがどうかしたの?」 「あ……いや、何でもない」 そもそも今見たことは現実なのか? 俺の妄想かもしれない。 いや、ここは現実だと思って進もう。 未来予知の力は本物なのだから。 「これからのことだけど、明日、もう一度考えよう」 今の俺には時間が必要だ。 小太刀とコンタクトが取れれば道が開けるかもしれない。 「……そうだね。みんな疲れてるもんね」 「では、今日は解散ということにするか」 保留、という判断を待っていたのだろう。 それぞれの理由をつけ、みんなが立ち上がる。 「……ああ」 よりにもよって、こんな未来予知か。 みんなが、それぞれ目を背け、沈んだ顔をしていた。 選挙は、図書部はどうなったのだろう? 俺たちの関係は? 細かいところは、いつものようにわからない。 ただ、残酷な結果だけをポンと投げつけられる。 こんな未来なら、見えない方がなんぼかマシだ。 「……」 もう一度だ。 もう一度未来を見てみよう。 俺が頑張れば、幸せな結末に至る道が見えるかもしれない。 そうだ。 俺は羊飼いの試験に受かったんだ。 きっと素質があるに違いない。 「……っっ!」 再度、みんなの視線の奥に潜り込む。 無数の本棚と、そこに収められた、世界の全てが記された本たち。 中身を読むことができれば、俺はあらゆることを知ることができる。 もちろん、現状を打開する術だって。 「……」 何故か、無数にある本のうち一冊だけが輝いて見えた。 あれだ。 あの本を読めば、俺たちは幸せな未来にたどり着ける。 根拠のない確信に従い、一歩踏み出す。 ピリピリとした感覚が頭を走った。 更に一歩。 「くっ……」 一歩近づく毎に、空気の粘度が増したかのように、俺の脚は重くなる。 『ここから先は、羊飼いの領域だ』 『人間のいるべき場所じゃない』 そう、図書館から拒絶されているように。 それでも、更に一歩。 歪んだ視界の端に、ナナイさんが見えた。 彼の口が、かすかに動いている。 「本を自由に読めるのは、羊飼いだけだよ」 「……くそ……」 もう一歩。 タールの海を進んでいるかのように、脚が動かなくなった。 あと少し、あと少しで本に手が届くというのに……。 「ぐっ……!!」 鋭い頭痛とともに意識が戻った。 「(……だめ、なのか)」 俺の能力がもっと強ければ…… 俺が、羊飼いになれば…… あの本を手に取り、みんなを救えるはずなのに。 「(ごめんな……みんな……ごめん……)」 「筧くん、大丈夫?」 「筧?」 「筧先輩?」 「筧さん?」 「筧?」 みんなが俺の目を覗き込んでいる。 元気なんてこれっぽちもないくせに、俺を気遣ってくれる。 こんな、出来損ないみたいな俺を。 差し出された手を握ることすらできない俺を。 みんなを辛い目に遭わせちゃいけない。 ──羊飼いになれば、みんなから忘れられる。 ──誰か一人を選ぶことはできなくなる。 ──誰にも触れられぬまま、無限の時間を過ごすことになる。 頭のどこかが警告を発する。 もう、そんな理屈はどうだっていい。 だって、俺はもう、みんなの悲しい顔には耐えられない。 俺が羊飼いになれば、解決策が見つかる。 俺が何とかできるから何とかする。 それが全てだ。 「……」 これが、人の幸せを祈るってことなのかもしれない。 ただみんなが笑っていれば、それでいいと思える。 大切で、大切で、自分のことなんかどうでも良くなっていく。 どこか、心地よい痛みを孕んだ悲しさ。 真っ白な光の中へ身を投げ出すような感覚。 もしかしたら、親父もこんな気持ちで羊飼いになることを選んだのかもしれない。 だとしたら、俺はあいつを誤解していたのか。 「明日……」 「明日、結論を出そう」 自分の声ではないような声だった。 「……そうだね。みんな疲れてるもんね」 「では、今日は解散ということにするか」 保留、という判断を待っていたのだろう。 それぞれの理由をつけ、みんなが立ち上がる。 「集合は、学食の今日の席にしよう」 「あ、部室ないですもんね」 「そっか……そうですね」 全員が顔を見合わせた。 「……みんな、また会えるよね?」 泣きそうな声で白崎が言う。 「何を言っているんだ、当たり前じゃないか」 「でも、何だか急に不安になっちゃって」 白崎が口を押さえる。 重苦しい沈黙が落ちる。 誰もが崩壊の予感に怯えていた。 「そうです、今日はうちでお泊まり会にしませんか?」 「4人なら入ると思います」 「千莉、ナイス」 「悪くないな。そうしよう」 女性陣がうなずき合う。 こんな日だ、みんなでいた方がいいかもしれない。 「俺も混ぜて! クローゼットでいいから」 「女性限定です」 「えー……」 「高峰くんが泣いちゃうから、全部終わったら、みんなで合宿しよっか」 「賛成ですっ! 温泉行きましょう、温泉!」 「実家の方に、いいところがあるぞ」 みんなの表情に、少しだけ明るさが戻った。 こんな時こそ、みんなでいれば元気が出るってもんだ。 「よし、高峰、帰ろうぜ」 「しゃーねーな」 「じゃ、また明日な」 「うん、また明日ね」 手を振り、女性陣と別れる。 「なあ、高峰よ」 隣を歩く高峰に声をかける。 こいつだけには、軽く説明しておこう。 「一つ提案があるんだが」 「ああ、何よ?」 「真面目な話なんで、笑わないで聞いてほしい」 「りょうかーい。どーぞー」 ポケットに手を突っ込んだまま、高峰が言う。 「実はさ、羊飼いの知り合いがいるんだ」 「ほう……ええっ!?」 二度見された。 「信じられんと思うけど、こいつはマジだ」 「汐美祭の1日目、図書館の事故が予知されてただろ?」 「あれは、俺が羊飼いから教わったんだよ」 「お、おお……」 さすがに目を白黒させている。 「えーと、そいつって、俺たちにメールくれてた奴?」 「ああ。今まで黙っててすまん」 詳しく話しても仕方がないので、わかりやすい話にしておく。 「で、そいつにさ、部室のこととかアドバイスをもらおうと思うんだ」 「羊飼いなら、丸く収める方法がわかるはずだ」 「まあそうな。教えてくれんなら教えてもらった方がいいわな」 「……いや、でも、マジで?」 「マジ」 高峰が腕を組んで考える。 「それさ、金取られたりしない?」 「大丈夫。自己啓発セミナーとかじゃないから」 「ホントかよ?」 「嫌だぜ、行ったっきり帰ってこないとか」 念を入れてくる高峰。 勘がいいな。 「大丈夫だ」 「はあ、まあ、そういうことなら」 釈然としないけど反対する理由もない、といった顔だ。 「明日の打ち合わせまでには何とかしてみる」 「そっか……んじゃ、とりあえず期待して待ってるわ」 「おう、任せとけ」 妙に心配そうな顔をしているので、笑顔を作って答えた。 「じゃ、また明日」 「おう、お疲れ」 いつものように挨拶を交わし、高峰と別れる。 振り返りたい衝動に駆られるが、やり過ごした。 風呂に入り、新しい制服に着替えた。 何となくのけじめだ。 羊飼いになったところで、存在が消えるわけじゃない。 部屋の片付けなんかは後でいいだろう。 さて、ナナイさんに電話するか。 「……」 携帯を見ると着信が溜っていた。 みんなが、それぞれ2回ずつ電話をかけてきている。 「あいつら……」 思えば、図書部に入るまで、携帯なんて目覚ましにしか使わなかった。 今や、こうして着信履歴を眺めているだけで、みんなと繋がっている気分になる。 携帯に執着する人の気持ちがわかる気がした。 このままじゃ、決心が揺らぐ── そう思いながらも、メールフォルダを見てしまう。 数え切れないほどのメール。 それらの一つ一つが、俺がみんなの中にいた証だった。 白崎から送られてくる、テンションが下がるギャグメールも、 桜庭の妙に礼儀正しい真面目メールも、 御園の癖になる毒舌メールも、 佳奈すけの意味不明なメールも、 高峰の用件だけのメールも、 全てが財産だと思える。 人間不信から本にかじりつき、人と話すのも億劫だったかつての俺。 ちょっとは真人間になれたじゃないか。 変われば変わるものだ。 「よし」 感傷に浸るのはやめにして、今度こそナナイさんに電話だ。 ドアホンが鳴った。 「……」 このタイミングか。 例によって小太刀だろうか? ま、何にせよ無視だ。 もう一度、ドアホンが鳴る。 無視無視。 ドアが激しく叩かれる。 「筧くんっ、開けてっ、いるんでしょっ!」 「筧くんっ! 筧くんっ! 筧くんっ!」 ドアの向こうで、白崎が叫んでいる。 御園の部屋でお泊まり会じゃなかったのか? 「……」 出てはいけない。 ドアを叩く音が更に激しくなる。 「筧くんっ、開けてよっ!」 完全に近所迷惑だ。 ったく。 白崎には、ほんと調子を狂わせられる。 ドアに近づき、扉越しに声をかける。 「近所迷惑だぞ、白崎」 「筧くんっ、ここを開けてっ」 「悪い、ちょっと風邪気味でさ。また明日にしてくれないか」 「嘘だよね。筧くん、風邪なんかで引き籠もらない」 「風邪と読書の合わせ技一本だ」 「グンと来ただろ、引きこもりの風ってやつが」 「変なこと言ってないで、本当に開けて」 「最後まで見守ってくれるって約束したじゃない」 「わたしを置いて、一人で行かないでよ」 白崎の声が悲痛に歪んだ。 いきなり話が飛んだが、白崎が危機を察しているのは明らかだった。 「何言ってんだ?」 「高峰くんが教えてくれたの、筧くんの様子がおかしいって」 「……」 高峰に話したのは失敗だった。 「それで、みんなで考えて、やっぱり筧くんはおかしいって話になったの」 「顔と頭以外、おかしい自覚はないが」 「筧くんは顔も頭も平均以上だよ」 「……って、そうじゃなくて、今日、ずっと思い詰めたような顔してたじゃない」 「そりゃお前らの話だろ」 「筧くんが気づいてないだけ」 「今日の筧くん、わたし達を見て、すごい穏やかな顔してた」 「はあ?」 「目を細めて、なんか笑ってるみたいな」 「それなのに、とっても悲しそうで、消えてなくなっちゃいそうで……」 「最後に『また明日』って言ったのに、もう会える気がしなかった」 白崎が一生懸命に喋る。 彼女の精一杯の描写から想起される表情は、俺のものではなかった。 『ごめんな……ごめんな……』 「……親父」 「ねえ、筧くん、わたしを置いていかないでよ」 「置いていくなら、せめて理由を聞かせてよ」 「……」 脳裏に、あの日の記憶が蘇る。 何も語らず、謝罪の言葉だけを残して消えた父親。 取り残された、俺と最後の母親。 空虚な気持ちだった。 親父になにがしかの期待があったわけじゃない。 だが、西日に溶けていく父親の背を見たとき、最後まで残されていた蜘蛛の糸が切れたという実感があった。 もしかしたら、俺はいま、あの時と同じ思いを白崎に…… 「筧くん、開けて」 「……」 開ければ、元の世界に戻ってしまう。 わかっているはずなのに…… 「筧……くん……」 白崎はびしょ濡れだった。 白崎の背後に目を転じると、夜陰に小雨が光っていた。 「濡れてる」 「ゲリラ豪雨に遭っちゃって」 小首をかしげ、困ったように微笑む白崎の頬を滴が伝う。 濡れそぼった服や髪から落ちた水が、足下に水たまりを作っている。 「……」 自分を覆っていた、固い殻のようなものが割れる音を聞いた。 「……すまん」 白崎を正視できず、顔を背ける。 自分を支えられなくなり玄関の壁に手をついた。 「筧くん……」 俺を、溶けるように熱い身体が包んだ。 服が濡れているはずなのに、暖かさだけが伝わってくる。 これが、人か。 俺がずっと恐れたきたものは、こんなにも温かなものだったんだ。 「すまん」 「ううん、謝らなくていいよ」 耳元で、熱い吐息と共に声がした。 「だけど約束して」 「もう、一人でいなくなったりしないって」 白崎は、ここまで俺のことを思ってくれていたのか。 羊飼いの試験にかこつけて、みんなの気持ちをフワフワとかわしていた自分。 全員平等などと言いながら、結局、俺は誰のことも大事にできていなかったのかもしれない。 「ああ……約束する」 「うん」 俺を抱く、白崎の力が少し強くなった。 どうにもこいつには敵わない。 抱かれているだけで、葛藤やこだわりが跡形もなく消えていく気がする。 これが、母性ってやつなんだろうか。 「白崎、苦しい」 「……え?」 「あっ、ああっ!?」 慌てて白崎が離れる。 「ご、ごめん……わたし、その、ええと……」 白崎が目を白黒させる。 「気にしなくていい」 「……嫌じゃなかった」 「……」 白崎が目を見開く。 みるみるうちに、表情が明るくなった。 「あはは。それ、筧くんが痴漢に間違われたときに、わたしが言った台詞だよね」 「そんなこともあったな」 「人のネタはパクっちゃだめだよ」 「ま、わたしくらいの芸人のネタになるとパクりたくなる気持ちもわかるけど」 白崎が、ふふんと胸を反らす。 「うるせえよ」 白崎の頭を、ぐいと撫でる。 「さ、みんなのところに行こうよ」 「心配してるから、安心させてあげて」 「ああ」 静かに2回、ドアがノックされる。 「筧……開けろ」 桜庭の声がした。 御園の部屋でお泊まり会じゃなかったのか? 「……」 出てはいけない。 またノックされる。 「開けてくれ……筧」 「お前は今、ロクでもないことを考えている……違うか?」 「正解なら、開けてくれ」 ったく。 勘がいい奴だ。 ドアに近づき、扉越しに声をかける。 「不正解だよ」 「開けてくれ」 「悪い、ちょっと風邪気味でさ。また明日にしてくれないか」 「お前は風邪なんか引かない。高峰以上の馬鹿だろう?」 鬼か。 「読書で忙しいんだよ」 「最近、本を読んでいないじゃないか」 「だからさ。禁断症状が出てな」 「もういい」 「お前は何か危ないことを考えている」 「考えてない」 「嘘だ……だったら、どうして高峰だけに事情を話した」 「私達に聞かせたら、困ることを考えていたはずだ」 「……高峰め」 高峰に話したのは失敗だった。 「筧、よく聞け」 「お前は肝心なところがわかっていないようだから、教えておく」 「誰かを犠牲にして成り立つ仲間なんてものは、仲間じゃない」 「私たちに、お前を犠牲にさせないでくれ」 「……!」 「筧……私を、置いていかないでくれ……」 「……桜庭……」 脳裏に、あの日の記憶が蘇る。 何も語らず、謝罪の言葉だけを残して消えた父親。 取り残された、俺と最後の母親。 空虚な気持ちだった。 親父になにがしかの期待があったわけじゃない。 だが、西日に溶けていく父親の背を見たとき、最後まで残されていた蜘蛛の糸が切れたという実感があった。 もしかしたら、俺はいま、あの時と同じ思いを桜庭に…… 「筧……」 ……。 …………。 「ここを、開けてくれよぉ……」 「……」 「お前が一人で変なことをしたら、私はどうしたらいいんだ」 「頼む……顔を見せてくれ……筧……筧……」 よりにもよって、桜庭の泣き落としか……。 完全に反則だ。 「あ……」 ドアの外には、びしょ濡れの桜庭がへたり込んでいた。 戸外に目をやると、夜陰に小雨が光っている。 「濡れてる」 「一雨……あったんだ」 俺を見上げ、目を赤くした桜庭が子供のように微笑む。 濡れた黒髪が肌に張り付き、その白さをいっそう際立たせる。 「わかってるだろう……お前が好きなんだ」 「見られるだけで身体がどうにもならなくなるくらい、筧が好きなんだ」 「……」 自分を覆っていた、固い殻のようなものが割れる音を聞いた。 「……下品なこと言いやがって」 桜庭の前にひざまづき── 冷え切った身体を抱く。 「ああ……温かいな……」 「人んちの前で泣くわ告るわ、どうなってんだ」 「すまない……私は……駄目な女だ」 「駄目な女なんだ……本当に……駄目な女なんだ」 桜庭は、ここまで俺のことを思ってくれていたのか。 羊飼いの試験にかこつけて、みんなの気持ちをフワフワとかわしていた自分。 全員平等などと言いながら、結局、俺は誰のことも大事にできていなかったのかもしれない。 「まったく、駄目な奴だ」 桜庭が俺の背に手を回した。 俺も、桜庭の頭をかき抱く。 ひやりとした髪。 その下の頭皮は、燃えるように熱い。 これが、人か。 俺がずっと恐れたきたものは、こんなにも熱い。 「筧……置いていかないでくれ」 「…………わかったよ」 「お前みたいのが、一番放っておけないタイプなんだ」 「すまない……すまない……」 桜庭が腕に力を込めた。 こっちまでどうにかなりそうな熱だ。 小太刀だってドン引きである。 ……。 ……小太刀っ!? 共同廊下を歩いてきた小太刀が、無言で俺たちの後ろを通り過ぎる。 「……」 「……」 ばっちり目が合う。 無音で俺のことを指さして笑ってから、自分の部屋に入った。 「ん……何か、音がしなかったか?」 桜庭がとろんとした顔で聞いてきた。 「いや、まあ、うん……気のせいだろ」 「そうか」 安心したように息を吐いた。 「ここだと、人に見られるから、取りあえず中入れ」 桜庭を立ち上がらせ、玄関に入れる。 すかさずドアを閉めた。 桜庭の頬が桜色に染まっている。 「……なんだか恥ずかしいな」 「こっちもだ」 「と、ともかく、誰にも見られなくて良かった」 ほぼ最悪の人間に見られたが。 本当のことを言うと面倒臭そうなので、忘れておこう。 「さて、行こうか」 「どこに」 「みんなの所に決まっているだろう?」 「私は、筧を迎えにきたんだ」 凛々しい笑顔で言った。 まったく、さっきまでは、あんなにふにゃふにゃだったくせに。 「……ああ、行こう」 こつこつ、と控えめにドアがノックされた。 「筧先輩」 御園の、固い声がした。 部屋でお泊まり会じゃなかったのか? 「……」 出てはいけない。 またノックされる。 「開けて下さい。筧先輩」 「筧先輩のことですから、つまらないことを考えてるんですよね?」 勘がいいな。 ドアに近づき、扉越しに声をかける。 「すまん、体調が悪いんだ。また明日にしてくれ」 「嘘ですよね」 「本当だ」 「では、明日までここにいます」 おいおい。 「御園、いいから帰れ」 「別に、私がどこにいたっていいじゃないですか」 「よかない。帰れ」 「嫌です」 ドアの向こうで何か音がした。 どうやら座り込んだらしい。 参ったな。 頑固な御園のことだ、梃子でも動かないかもしれない。 帰ってもらう方法はないだろうか。 作戦を練っていると、ふと、カーテンの隙間から外が見えた。 ……雨か。 夜の闇を、街灯に照らされた雨が斜めに走っている。 夕立の名残か。 「くしゅん……くちっ」 「……」 いいタイミングだ。 狙ってやっているのだろうか。 「濡れたのか?」 「はい、びしょびしょです」 「早く開けてくれないと、風邪を引くかもしれません」 「悪質な脅しだな」 「悪質なのは筧先輩です」 「一人で、何をしようとしてるんですか?」 「羊飼いだか何だか知りませんけど、筧さんに不利益があるなら、私は嬉しくないです」 どうやら、高峰から話が伝わったようだ。 あいつに話したのは失敗だったか。 「俺一人でみんなを救えるなんてカッコイイ、とか思ってるなら間違いです」 「ただの裏切りです」 「……」 脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。 何も語らず、謝罪の言葉だけを残して消えた父親。 取り残された、俺と最後の母親。 空虚な気持ちだった。 親父になにがしかの期待があったわけじゃない。 だが、西日に溶けていく父親の背を見たとき、最後まで残されていた蜘蛛の糸が切れたという実感があった。 もしかしたら、俺はいま、あの時と同じ思いを御園に…… 「誰か一人に苦労させてまで、私、図書部を守りたいとは思いません」 「それが筧先輩なら……なおさらです」 「……御園」 そういう落とし方かよ。 俺たちが、御園を図書部に引っ張り込んだときより悪質だ。 まったく……。 「あ……」 ドアに寄りかかっていたのか、御園がこてりと廊下に転がった。 床に倒れたままの御園と、目が合う。 目が赤い。 髪から落ちた滴がスカートに落ち、パタパタと音を立てている。 「風邪引いたら、先輩のせいです」 御園が手を伸ばしてくる。 引っ張れということか。 青白い手を握る。 ……冷たいな。 そう思いながら、御園を引っ張り起こす。 「おと……と、と……」 立ち上がった御園がバランスを崩す。 とさりと、俺の腕の中に収まった。 手の冷たさからは想像できないほどの熱が、身体に伝わってくる。 これが、人か。 俺がずっと恐れたきたものは、こんなにも熱い。 「……すまん」 「いいです……別に……」 御園は、俺に体重を預けたまま動かない。 離れるには、こいつを突き返さないといけないが……。 「置いていかないで下さい、センパイ」 「……別に置いてはいかない」 「なら、どうして高峰先輩にだけ話をしたんですか?」 「……」 「言えないんですね」 「……そういうの、嫌です……」 御園が俺の胸に顔を埋める。 自分の中で、何か固いものが割れる音を聞いた。 「……悪かった」 御園の背中を軽く撫でる。 「筧先輩は馬鹿です」 鼻をすすり、額を押しつけてきた。 御園は、ここまで俺のことを思ってくれていたのか。 羊飼いの試験にかこつけて、みんなの気持ちをフワフワとかわしていた自分。 全員平等などと言いながら、結局、俺は誰のことも大事にできていなかったのかもしれない。 「悪かった」 もう一度言い、御園を強く抱く。 「く……苦、し……きゅぅ……」 「うおっ」 慌てて御園を離す。 「先輩……きつ過ぎます」 「すまん」 「ふふふ、筧先輩、今日はたくさん減点がありました」 「しばらくは、楽しくいじれそうです」 「お手柔らかに頼む」 「はい」 御園が微笑んだ。 こんな時だけ、可愛らしい年下の顔をする。 「小悪魔とか言われたことないか」 「ないですね」 「じゃあ、俺が最初だな」 「だからどうだって言うんです? センパイ?」 軽く笑って、御園が回れ右をする。 「さ、皆さん待ってます」 「……ああ、行くか」 ドアが激しく叩かれる。 「筧さんっ、いるのはわかってます」 佳奈すけ……。 御園の部屋でお泊まり会じゃなかったのか? 「開けて下さい、筧さんっ」 「……」 出てはいけない。 ドアを叩く音が更に激しくなる。 「早く開けてくれないと、ご近所迷惑ですよ!」 「筧さんっ! 202号室の筧京太郎さんっ!」 フルネームプレイか。 ったく。 手強い奴が来たものだ。 ドアに近づき、扉越しに声をかける。 「近所迷惑だぞ、佳奈すけ」 「筧さん、ここを開けて下さいっ」 「悪い、ちょっと風邪気味なんだ。また明日にしてくれないか」 「いやいやいや、さっきまで元気だったじゃないですか」 「ついでに読書もしたいんだ」 「じゃあじゃあじゃあ、看病させて下さいよ」 「間に合ってる」 「筧さ〜ん」 へこたれた声が聞こえた。 「じゃあ、まあ、開けなくてもいいですから、お話ししましょうよ」 「いや、もう寝るから」 「……わかりましたよ……お大事に……」 「もし看病が欲しくなったら、いつでも電話して下さい」 「ありがとよ」 「……なんて言うわけないじゃないですか」 「筧さん、いい加減にして下さいっ!」 一発、ドアが叩かれた。 「筧さん、一人で抱え込もうとしてます」 「私、図書部に入ってから今まで、怖かったけど頑張って自分を見せてきたんです」 「筧さんだって、何度も励ましてくれたのに……」 「どうして……どうして最後になって裏切るんですかっ」 佳奈すけの悲痛な声が響いた。 「裏切っちゃいない」 みんなのためじゃないか。 「裏切ってますよ」 「でなきゃ、私がこんなに悲しいわけないじゃないですか」 佳奈すけの声が詰まった。 「私は、筧さんがいたから図書部にいたんです」 「初めて、安心して話ができる人だったから」 「私の狡いところを知っても、嫌わないでいてくれるって思ったから」 「もっと、一緒にアホなことしましょうよ……」 「一人で、どっかに行かないで下さい」 哀切な声の響き。 佳奈すけは、ここまで俺のことを思ってくれていたのか。 羊飼いの試験にかこつけて、みんなの気持ちをフワフワとかわしていた自分。 全員平等などと言いながら、結局、俺は誰のことも大事にできていなかったのかもしれない。 「……佳奈すけ……」 脳裏に、あの日の記憶が蘇る。 何も語らず、謝罪の言葉だけを残して消えた父親。 取り残された、俺と最後の母親。 空虚な気持ちだった。 親父になにがしかの期待があったわけじゃない。 だが、西日に溶けていく父親の背を見たとき、最後まで残されていた蜘蛛の糸が切れたという実感があった。 もしかしたら、俺はいま、あの時と同じ思いを佳奈すけに…… 「筧さん……」 ……。 …………。 「筧さぁん……」 「……」 あの佳奈すけが泣いていた。 本音をほとんど見せない佳奈すけが。 「あ……」 ドアの外には、佳奈すけがびしょ濡れで立っていた。 外を見ると、夜陰に小雨が光っている。 「雨、降ってたのか」 「いい女になりましたか?」 鈴木が微笑む。 真っ白な頬を水滴が滑り、顎の先から落ちた。 「苗字は平凡ですけど、使える女だと評判なんです」 「……」 胸の奥で、固いものが割れる音を聞いた。 「他の鈴木さんに失礼だろ」 佳奈すけに近づき、冷え切った身体を抱く。 「わ、ちょっと、筧さんっ!?」 佳奈すけが抵抗する。 「悪かった」 「え?」 「……俺が悪かった」 「筧さん……」 抵抗がなくなる。 濡れた髪の間に指を滑らすと、細い身体がぴくりと震えた。 「……あったかいです、筧さんが……」 「人の身体って不思議ですね」 「ああ、同じこと考えてた」 最初冷たいと感じた佳奈すけの身体は、既に熱く感じるほどだ。 これが人か。 考えてみれば、積極的に人に触ったことなどほとんどなかった。 隠喩でも何でもなく、他人の体温を知らなかったのだ。 「ずっと、私達は似てるって思ってましたけど……勘違いだったみたいです」 「そうか?」 「筧さんの方が、遥かに重傷です」 「……」 「だから私、筧さんの傍にいますよ」 「私だけ筧さんに助けてもらったら、申し訳ないですから」 「別に助けちゃいない」 「俺はずっと、お前を見てるのが辛かったんだ」 「恐縮です……先輩」 御園のようにくすりと笑って、佳奈すけは俺から離れた。 鈴木の頬が、燃えるように赤い。 「あ、あんまり見ないで下さい……その、自分でも赤くなってるの、わかってるんで」 「別にいいだろ」 「だから見ないで下さいって」 鈴木が顔を逸らす。 髪の隙間から見える肌は真っ赤だ。 「あの、みんな待ってると思いますんで……」 「え?」 「私、筧さんを連れ戻しに来たんです」 「戻りましょうよ。みんなのところに」 「……ああ、行こう」 道すがら、みんなと別れてからの経緯を尋ねてみる。 聞かされたのは、こんな話だった。 それは、今から1時間ほど前のこと。 御園の部屋に集まっていた女性陣の元を、高峰が訪れていた。 「筧くんに、羊飼いの知り合いが?」 「ああ、全部丸く収まる方法を聞きに行くんだとさ」 部室を失った衝撃から抜けきれない女性陣が、顔を上げる。 「まさか……羊飼いなんて実在するわけないですよ」 「あいつ、汐美祭の前日に危険物があるって言ってただろ?」 「それを教えてくれたのが、知り合いの羊飼いなんだと」 「そんなこと……」 「否定しても仕方ないだろう」 「で、高峰は何が言いたい?」 高峰が、女性陣の顔を見渡す。 「俺だけに打ち明けてきたのが引っかかるんだ」 「羊飼いに話をしにいくだけなら、俺たち全員に言えばいい」 「なるほど……筧が自分のアイデアに自信があるなら、私達を元気づけるためにも、全員に伝えるだろうな」 「逆に、自信がないなら、高峰にも言わないだろう」 全員が困っているときに名案を思いついたら、その場で口にするだろう。 それだけでも、周囲に希望を与えられる。 アイデアに自信がないのなら、結果がわかるまで一人で行動するだろう……という高峰の推理だった。 「私達と別れてから、アイデアを思いついた可能性もあるが」 「それは違うと思います」 「筧さん、学食にいたときから様子が変でした……ぼんやりしたり、思い詰めたような顔をしたり」 「じゃあ、どうして高峰君にだけ」 「不安があったか、私達には話せないことがあったか……」 硬い表情で桜庭が言う。 「どういうこと?」 「話したら、私達に止められると思ったのかもしれない」 「例えば、大金を要求されるとか……ともかく、私達が聞いたら止めることだ」 「そんな……どうして、相談もしないで」 「それって、アレじゃないですか?」 「ここは食い止めるから、お前達は行けみたいな」 「まさか、そんなことするわけ……」 「いやぁ……筧ならやりかねない」 女性陣が高峰に注目する。 「俺が言うのもなんだけど、あいつは馬鹿だから」 「器用に見えて人一倍不器用だし……図書部のこと大事にして」 無言のうちに、皆が肯定する。 筧の周囲に対する距離感は、誰もが心配するところだった。 親しげに見えて、なかなか距離を縮めてこない。 半年以上一緒にいて、筧が個人的な悩みや相談を誰かに打ち明けることはなかった。 徹頭徹尾、一定の距離を保っていたのだ。 女性陣は特に、そのことに不安を覚えていた。 「電話だ。推論を重ねても意味はない」 すぐさま、白崎が携帯を開く。 ……。 …………。 「どうしよう……出ないよ……」 「……私もかけてみます」 ……。 …………。 鈴木が首を振った。 他人任せにできず、全員が順繰りに電話をかける。 しかし、筧は出ない。 それぞれの表情が強ばった。 思い過ごしかもしれないが、彼らを安心させる材料はどこにもない。 自分たちが落ち込んでいたせいで、筧が変な決心をしてしまったのだとしたら── その後悔が、それぞれの上に重くのしかかっていた。 「……わたし、様子を見てくる」 白崎が立ち上がった。 「お、おいっ!?」 「だって、筧くんだけを辛い目になんか遭わせられないよ!」 「……行っちゃいましたね」 「白崎先輩……」 「白崎なら、きっと上手くやる」 「様子を見てくる!」 桜庭が猛然と玄関に向かう。 「玉藻ちゃん!?」 「筧に何かあったら私はどうしたらいいんだ!」 「あー、もー、とにかく行ってくる!」 「……行っちゃいましたね」 「あんな桜庭先輩、初めて見たかも」 「玉藻ちゃん……頑張って」 「……」 御園が音もなく立ち上がる。 「千莉、どうしたの?」 「止めてくる」 「筧先輩、絶対変なこと考えてるから」 「お、おい、御園!?」 「……行っちゃった」 「千莉……」 「ここは御園に任せよう……」 「筧さんに会ってきます」 鈴木が静かに立ち上がった。 「ちょっと、佳奈!?」 「筧さんは、きっと一人で何かするつもりだと思う……そういう人だから」 「お、おいっ!?」 「……佳奈……」 「佳奈ちゃん、大丈夫かな」 「……鈴木なら、きっと上手くやるさ」 閉まったドアを見つめ、高峰は目を細める。 「(まったく、うらやましいこった)」 「……」 完全に見破られていたらしい。 高峰の奴……いらんところで華麗な動きを見せやがった。 ……ほんと、友達で良かった。 御園の部屋の前に到着した。 「さ、筧くん。お先にどうぞ」 「俺?」 「主役が先です」 「……わかったよ」 ドアノブに手を伸ばす。 緊張と気恥ずかしさで、体温が上がる。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 全員の目が俺に注がれた。 もれなく怒っている。 「言うことは?」 「……すまん、面倒かけた」 「よろしい」 桜庭が、弄んでいた家紋入りの扇子をぱちんと閉じた。 「誰かを犠牲にしなくちゃならないなら、こんな部活はとっととやめだ」 「くだらなすぎて話にならん」 「かっこいいと思ってるの、筧先輩だけです」 「一蓮托生でいいじゃないですか。ていうか、みんな一緒じゃなきゃ頑張る価値ないですよ」 「ぼぅふ」 高峰はちらりと俺を見て、かすかに笑っただけだった。 不意に、熱いもので胸が一杯になる。 今まで経験したことのない感覚だ。 「筧、座ってくれ。空席があると落ち着かない」 「……ああ」 すぐには脚が動かない。 何かで胸が一杯になり、立ち尽くすばかりだ。 俺は、何を考えていたんだろう。 「筧くん」 背後で静観していた白崎が、俺の背中を軽く押す。 御園の部屋の前に到着した。 「筧、先に入れ。みんなお待ちかねだ」 「俺から?」 「主役だろ」 「……わかったよ」 ドアノブに手を伸ばす。 緊張と気恥ずかしさで、体温が上がる。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 全員の目が俺に注がれた。 もれなく怒っている。 「筧くん、ごめんなさいは?」 「……ごめんなさい」 「よろしい」 白崎が、ふんすと鼻息をついた。 「いくらお人好しだからって、自分だけが何かすればーっていうのはナシだよ」 「くだらなすぎて話にならん」 「かっこいいと思ってるの、筧先輩だけです」 「私達、一蓮托生ですよ。ていうか、みんな一緒じゃなきゃ頑張る価値ないですよ」 「なご」 高峰はちらりと俺を見て、かすかに笑っただけだった。 不意に、熱いもので胸が一杯になる。 今まで経験したことのない感覚だ。 「さ、座ろう」 「……ああ」 すぐには脚が動かない。 何かで胸が一杯になり、立ち尽くすばかりだ。 俺は、何を考えていたんだろう。 「ほら」 桜庭が、俺の背中を軽く押してくれる。 御園の部屋の前に到着した。 「お先にどうぞ」 「俺から?」 「主役です、センパイ」 「ああ」 ドアノブに手を伸ばす。 緊張と気恥ずかしさで、体温が上がる。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 全員の目が俺に注がれた。 もれなく怒っている。 「言うことは?」 「……すまん、面倒かけた」 「よろしい」 桜庭が、弄んでいた家紋入りの扇子をぱちんと閉じた。 「誰かを犠牲にしなくちゃならないなら、こんな部活はとっととやめだ」 「いくらお人好しだからって、自分だけが何かすればーっていうのはナシだよ」 「私達、一蓮托生ですよ。ていうか、みんな一緒じゃなきゃ頑張る価値ないですよ」 「ふぁいん」 高峰はちらりと俺を見て、かすかに笑っただけだった。 不意に、熱いもので胸が一杯になる。 今まで経験したことのない感覚だ。 「さ、座ってくれ。お前の席が空いていると落ち着かない」 「……ああ」 すぐには脚が動かない。 何かで胸が一杯になり、立ち尽くすばかりだ。 俺は、何を考えていたんだろう。 「先輩」 御園が声をかけてくれる。 御園の部屋の前に到着した。 「さ、入って下さい」 「俺から?」 「なにビビってるんですか、主役は筧さんですよ」 「もう、お誕生席すわっちゃって下さいよ」 「……そうか」 ドアノブに手を伸ばす。 緊張と気恥ずかしさで、体温が上がる。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 「……」 全員の目が俺に注がれた。 もれなく怒っている。 「言うことは?」 「……すまん、面倒かけた」 「よろしい」 桜庭が、弄んでいた家紋入りの扇子をぱちんと閉じた。 「誰かを犠牲にしなくちゃならないなら、こんな部活はとっととやめだ」 「いくらお人好しだからって、自分だけが何かすればーっていうのはナシだよ」 「かっこいいと思ってるの、筧先輩だけです」 「ぐふふ」 高峰はちらりと俺を見て、かすかに笑っただけだった。 不意に、熱いもので胸が一杯になる。 今まで経験したことのない感覚だ。 「さ、座ってくれ。立っていられると落ち着かない」 「……ああ」 すぐには脚が動かない。 何かで胸が一杯になり、立ち尽くすばかりだ。 俺は、何を考えていたんだろう。 「筧さん、ほらほら」 佳奈すけが背中を押してくれる。 みんなの輪の中に入り、腰を下ろす。 改めて顔を見渡すと、胸が熱くなった。 「相変わらずの仏頂面だな」 「生まれつきだ」 奥歯をかみしめていないと、情けない顔になりそうだった。 「詳しい事情は聞かないが、私達の懸念は当たっていたんだろう?」 「……ああ」 俺の返事に、皆がうつむく。 「ごめんなさい……私達が落ち込んでいたせいで」 「こんな時こそ、元気を出さなくちゃいけないですよね」 「部室があんなことになったんだ、仕方ないさ」 「でも、筧さんのお陰で目が覚めました」 「皆さん、気合いを入れ直していきましょうよ!」 「鈴木の言う通りだ」 「多岐川の目的は私達の戦意を挫くことにある。ここで負けたら思うツボだぞ」 「そうだね」 「ええ、頑張りましょう!」 「筧にばっか、いいとこ持ってかれちゃ困るって話だぜ……なっ」 高峰が俺の背中を叩いた。 みんなの顔には、生気が戻っていた。 部室を奪われ、凹んでいた時の顔ではない。 俺は、みんなのこういう顔が見たかったのだ。 「……」 今日の夕方、学食で能力を使ったときに見えた幻影── みんなが、それぞれ目を背けていた、悲しくなるような幻影。 あれは、俺がスタンドプレーに走った挙げ句の光景だったのかもしれない。 いや、きっとそうだ。 「では、さっそく明日からの方針を決めていこう」 桜庭がいつもの調子で仕切る。 全員で視線を交わし、小さくうなずく。 「わたしは、選挙を続けたいです」 「部活や部室は大事だけど、それ以上に、この学園を楽しくしたくて活動してるから」 「部室がなくたって活動はできます」 「図書部じゃいられなくなったって、新しい部活を作ればいいじゃないですか」 「でも……」 部室への愛着が強い御園が、ためらいを見せる。 「御園、部活や部室がなくても私達は仲間だ。何を恐れることがある?」 「なんなら、卒業したってそれは変わらない」 「……ふふ」 御園が含み笑いを洩らす。 「相変わらず、桜庭先輩は臭い台詞が好きですね」 「悪いか」 「……いえ……すっごく好きです」 「選挙、やりましょう!」 御園が笑う。 「筧くんはどうかな?」 「今さらだけど、図書部に最初からいたのは筧くんだし、部室だって思い入れが強いと思うから」 白崎が窺うような目で見てくる。 考えるまでもない。 「このメンバーでいたら、どうせ忙しくて本なんて読めないんだ」 「部活も部室も、もうこだわらない」 「素直になれないお年頃ですね」 佳奈すけに言われてしまった。 「よし、決まりだな」 「いや、俺にも聞けよ!」 「お前は選挙をやってもらわなければ困るだろう?」 「ぶっちゃけるなよ、ムッツリプリンセ……」 高峰が水平に吹き飛んだ。 よく重力無視できるよな。 「じゃ、今夜のウチに、部室から必要な荷物をいただいちゃいましょう」 「え?」 佳奈すけがポケットから鍵を出す。 「部室の鍵、まだ変わってなければ入れますよ」 「なるほど……あくどいな、鈴木」 桜庭がニヤリと笑う。 「いやいやいや、桜庭さんほどじゃありません」 佳奈すけが、ふぇふぇふぇと笑った。 「書類やポスター、ビラ……選挙に必要なものを優先的に運ぼう」 「高峰先輩、力仕事ですよ」 「遊んでないで下さい」 「ほんと、人使い荒いよね」 それでも、高峰は嬉しそうに腕まくりをする。 俺も負けてはいられない。 「OK。ガチンコ図書部員のパワーを見せてやる」 「期待しないでおきます」 それぞれが立ち上がる。 気力は十分だ。 「みんな、最後まで頑張って行こっ!」 全員の声が、御園の部屋に響いた。 再び選挙戦が始まった。 投票は金曜日、残された時間はあとわずかだ。 最後のダメ押しとばかりに、ビラ配りもバージョンアップだ。 「白崎つぐみです。明るい学園を作るため、よろしくお願いしまーす」 「白崎つぐみに、あなたの1票をお願いします」 「みんなで楽しい学園を作りましょう。よろしくお願いします」 「明日の学園を作るのはあなたです。ぜひ白崎つぐみにお願いします」 昨日までの落ち込んだ空気も吹き飛び、今まで以上に明るい声が出ていた。 「なあ、京子」 「ん?」 「こいつは真面目な話なんだが……」 「凪ちゃんのおっぱいについて聞きたい」 「どこが真面目なのか、まず教えてくれ」 「あんたら、グダグダ言ってないでビラ配りなよ」 体操服の小太刀が現れた。 「てかさ、なんでその格好?」 「目立つ格好しろって言ったのはそっちじゃん。赤いし目立つっしょ」 「色の話なんかしてねえだろ。露出だよ、露出」 「他のみんなを見習おうぜ」 「たく、うっさいなあ……」 「んじゃあ、これでどう?」 小太刀がジャージを脱ぎ放つ。 「ゴール際、押し込んだーーーっ!!」 「凪はんっ! わかってた! できるってわかってた!」 「いろんな意味で目眩がしてくるな」 「何言ってんのよ、アンタのために身体張ってるのに」 「俺のため?」 「選挙に勝ったら嬉しいでしょ」 「そりゃまあ」 「だから恥ずかしいのに頑張ってんのよ、わかった!?」 顔を真っ赤にして言い、小太刀は群衆に向かって歩いて行く。 「みなさーん、白崎つぐみをよろしくお願いしまーす」 「よくわかんないけど、いい仕事しますよー」 「ねえ玉藻ちゃん……実は、小太刀さんが立候補した方が良かったんじゃないかな?」 「何を言う。あんな図書委員に白崎が負けるか」 「手伝わせておいて、鬼の言いようですね」 次の日から、再び選挙戦が始まった。 御園の部屋を新たな選対本部とし、最後の票集めに奔走する。 最後のダメ押しとばかりに、ビラ配りもバージョンアップだ。 「白崎つぐみです。明るい学園を作るため、よろしくお願いしまーす」 「白崎つぐみに、あなたの1票をお願いします」 「みんなで楽しい学園を作りましょう。よろしくお願いします」 「明日の学園を作るのはあなたです。ぜひ白崎つぐみにお願いします」 昨日までの落ち込んだ空気も吹き飛び、今まで以上に明るい声が出ていた。 部室に関するいざこざは、やはりニュースに取り上げられてしまった。 反応はまちまちだが、俺たちが元気にやっている姿を見せれば、きっといい方に転ぶはず。 「なあ、高峰」 「ああ?」 「ありがとよ」 「昨日、高峰がみんなに話をしてくれなかったら、俺は今頃……」 「マグロ漁船にでも乗ってたか?」 「似たようなもんだ」 「なら、止められて良かった」 「お前みたいにひ弱なのがいても、漁船の食い扶持が増えるだけだろうからな」 「……ま、そうな」 高峰の憎まれ口も心地よく感じてしまう。 調教されすぎだな、俺も。 「感謝の気持ちがあるんなら……」 高峰の手が、俺の腰に伸びた。 逃げる間もなく、メイド服のリボンがほどかれる。 「ああっ!?」 どこがどうなっているのか、はらりと服がはだけた。 「さあ皆さん、ハプニングタイムですよーーっ!」 「高峰、てめえっ!!」 「京子さん、女の子、女の子」 すかさず駄目出しが入った。 「た、高峰さんっ、もう、エッチなんですからっ☆」 「ねえ玉藻ちゃん……実は、京子ちゃんが立候補した方が良かったんじゃないかな?」 「何を言う。あんな男女に白崎が負けるか」 「女装させておいて、鬼の言いようですね」 「おっす」 ビラ配りを終えたところで、小太刀が現れた。 「あ、小太刀さん」 「小太刀姐さん、最近部室に来てくれないから寂しいですよー」 「あんたの姐さんになった覚えはないけど」 相変わらずのぶっきらぼうさだ。 「よう」 「……よう」 小太刀が目を逸らす。 「(姫、事情アリな気配ですぜ)」 「(ああ、あやしいな)」 脇で二人がごちゃごちゃ言っている。 「で、どうした?」 「あーうん」 「図書部、メンバー変わったんでしょ?」 「見事に乗っ取られました」 「ああ、そうなの」 小太刀が腕を組む。 「新しい図書部の奴ら、いくら言っても静かにしないから出禁にしたんで」 「本当か?」 「図書委員から、あーゆー人は認められないって声が上がったの」 「図書館の仕事、手伝っておいてよかったじゃない」 「姐さんっ」 抱きつこうとする佳奈すけを、小太刀が引きはがす。 「わたしは関係ないから。図書委員の総意よ」 「その代わり、活動再開するときは委員長に掛け合ってね」 んじゃっと言って、小太刀が立ち去る。 「これで、必要以上に部室が荒らされなくて済むな」 「ま、取り返せるとは限らんけどな」 「とにかく、小太刀さんには感謝しないと」 小太刀が、ここまで粋な計らいをしてくれるとは。 「こーだーち、どどんどどんどん!」 「こーだーち、どどんどどんどん!」 立ち去る小太刀を、サポーター風の声援が追い掛ける。 「やめんかーーっ!!」 走り去った。 「へへへ、あいつ、テレていやがったぜ」 「泣く子も黙る、強制青春グラフティですよ」 二人が危険な笑みを浮かべた。 10月7日、木曜日。 この日の放課後には、放送による立会演説会が予定されていた。 会場が、急遽大講堂に変更されたのは、昼休みのことだ。 大方、会場を群衆で埋めて白崎の演説を失敗させる目論見だろう。 ネット上の支持率速報値は、白崎61%、多岐川28%、未定11%。 よほどのことがない限り、白崎の勝利は揺るがない。 投票を明日に控え、多岐川さんの最後のあがきと言ったところだ。 5000人収容の大講堂は、7割ほどの入りだ。 それにしたって、3500人前後はいるわけである。 おまけに、前の方の座席は多岐川さんの支持者が占め、ステージに向けて怨念に近いオーラを送っている。 白崎を威圧するには、十分すぎる戦力だ。 演説会の様子は、当然ネット上に流されている。 俺たちが大きな減点をする可能性があるとすれば、この演説会だ。 「な、何か……すごいことに……なってるね」 舞台袖で演説開始の時間を待つ。 当然のように、順番はこちらが先に設定されていた。 無数の聴衆と先攻での演説。 白崎の顔からは完全に血の気が引き、マネキンみたいな肌の色になっている。 「ミナフェスも大丈夫だったんだ、必ず上手くいく」 「でも、規模がぜんぜん……」 「規模は違うけど、結局は白崎の気持ちの勝負だ」 「いつだって1対1だと思えばいい」 「う、ううん」 白崎が原稿に目を落とす。 しかし、すぐに視線を上げ周囲をせわしなく見回している。 文字を読む余裕もないらしい。 困ったな……。 客席で何やら歓声が上がる。 多岐川さんのファンが、煽っているようだ。 「何か、人増えたな」 「あ、あうあうあう……」 「おい、しっかりしろ」 「ハ、ハロー、タケオ。ジス・イズ・マイシスター」 「1年生の教科書か!」 「ていうか、英語ペラペラだったんじゃ?」 「どう見てもダメだな」 「筧先輩、何とかして下さい」 無茶振りだ。 演説の開始まであと5分もない。 「白崎」 「ひゃ、ひゃいっ」 「お前は一人で演説するんじゃない、俺たちみんながついてる」 「そうですよー、気持ちは一緒です」 「ステージの前はプロだって緊張します。楽しんでいきましょう」 1年生が、片手ずつ白崎の手を握った。 「失敗なんて気にするな。誰も白崎を責めたりしない」 「ああ、ここまでやれただけでも奇跡みたいなもんだ。気楽に行こうぜ」 白崎を時計の12時の位置にして、俺たちは自然と円形になった。 俺は6時の位置。 白崎の視線は、こっちが申し訳なくなるくらいに不安げだ。 催眠術でも暗示でも脅迫でも、なんでもいい。 とにかく白崎に勇気を与えなくては。 白崎と真正面から見つめ合う。 「白崎。つまんない話だけど、少し聞いてくれ」 「……うん」 「GW以降も図書部に残るって決めたときさ、俺、自分が変わるかもしれないって思ってたんだ」 「今までみんなとやってきて、俺はすごくいい方向に変われた」 「でもそれは、俺が変わったんじゃなく、みんなが変えてくれたんだ」 「俺一人だけじゃ、絶対に何もできなかったと思う」 「筧くん……」 白崎が呆気にとられた。 素っ頓狂なことを言いだした俺に驚いたのだろう。 構わない……俺は伝えたいことを伝える。 「情けない話だけど、俺はいま、人生で初めて毎日が楽しいって思えてる」 「今まで生きてきて……初めてだ」 みんなが真剣な顔で俺を見た。 俺は、図書部の誰にも過去を打ち明けていない。 自分の心の問題もそうだ。 何一つ伝えていないにもかかわらず、みんなは俺を変えてくれた。 説教やカウンセリングがあったわけじゃない。 ただ、毎日を賑やかに過ごすだけで、俺は変わっていけたのだ。 もう、一つの奇跡だとしか思えなかった。 「白崎、俺は図書部に入って本当に良かった!」 白崎が目を見開き、やがて優しく微笑んだ。 「かーらーのー?」 「え? いや、だから……」 「そしてー?」 「(筧さん、話が繋がってませんよ)」 「(綺麗に締めて下さい)」 「(入って良かったから何なんだ?)」 鬼かこいつら。 もういい、むりくり締める。 「し、白崎、手を伏せて出せ」 「え? こう?」 白崎が差し出した手の甲に、俺の手を乗せる。 「ふふ、見えたぞ」 桜庭は俺の手の上に乗せる。 それに、高峰、御園、佳奈すけと続く。 図書部の活動を初めて半年、円陣を組むなんて初めてだった。 俺に至っては人生初だ。 「筧くんの気持ち、すっごく嬉しい」 涙声で白崎が言った。 「自分を変えたくて活動を始めたのは、わたしも一緒」 「だから、筧くんに負けないように、わたしも頑張ってくるね」 「もしダメでも、絶対に見捨てないで」 一人一人が力強くうなずいた。 「筧、最後に一声頼む」 「よ、よしっ」 初めての円陣に、初めての声かけ。 もしかしたら俺は今、もっともっと沢山の初めてを経験しているのかもしれない。 「俺たちはチームだ。最後まで全員一緒に戦い抜くぞっ」 『おーっ!!』 みんなの声が揃う。 誰しもが笑顔だった。 思えば、それぞれ何かを変えたくて、こんな謎の部活にいたのかもしれない。 詳しい事情はわからないけど、みんなそれぞれ満足しているように見えた。 影のない笑顔が何よりの証拠だ。 「白崎さーん、そろそろお時間ですので、準備お願いします」 司会の芹沢さんが顔を出した。 「あ、はいっ」 「じゃあ、行ってくるね」 元気に手を振り、白崎がステージへと駆けだす。 ミナフェスの時のように、白崎を支えるのは俺だけじゃない。 図書部のみんなが、一つになって白崎を応援している。 いや、もしかしたら、俺たち全員の気持ちを、白崎が代表してステージに運んでくれるのかもしれない。 きっと、白崎ならやってくれる。 「いやー、筧さん、素晴らしいトークでした」 「お前らが鬼だってことはわかった」 「かーらーのーってなんだよ、無茶振りもいいとこだろ」 「お前がいきなりシリアスぶっ込むからだろ、びびるわ」 「そうです、いきなりはずるいです」 「ギャグにしなかったら……こっちだって……ぐす……」 佳奈すけが涙をためて笑う。 「ま、そういうことだ」 少し目を赤くした桜庭が隣に立った。 「とりあえず、何かは伝わったってことでいいのか?」 「お前が本気で喋ったんだ、伝わらないはずがあるか」 「桜庭……」 「相変わらず臭い台詞が好きだな」 「お、お前に言われたくない」 扇子を開き、桜庭は顔を扇ぎ始める。 ステージで歓声が上がった。 「始まるか」 舞台袖から白崎を見る。 「それでは、今期の立会演説会を始めさせていただきます」 「皆さんご存じだと思いますが、今回の立候補者は2名」 「前生徒会副会長の多岐川葵さんと、図書部部長の白崎つぐみさんです」 「前生徒会副会長の多岐川葵さんと、図書部……あれ? なぜか部長資格停止中の白崎つぐみさんです」 笑いにしてくれたのは助かった。 芹沢さんの配慮かもしれない。 「今日これから候補者の演説があります。しっかりと耳を傾けて、明日は投票に臨みましょう」 「それでは、白崎さんからお願いします」 指名された白崎が、聴衆に向かって深々と頭を下げる。 会場が震えるほどの拍手の中、白崎が演台に進む。 原稿を置き、一つ深呼吸をしたあと、白崎は俺たちの方を見た。 『大丈夫』 全員でサムズアップをする。 白崎は、微笑を浮かべて小さくうなずいた。 横から見れば、指先や膝が震えているのがわかる。 怖くないはずがない。 多少いい話をしたからって、人が魔法をかけられたみたいに変わることなんてない。 それでも白崎は前を向く。 白崎の声が聴衆の上を流れる。 決して流暢とは言えないが、言葉の一つ一つに人柄の真摯さが滲んでいる。 これこそ白崎の演説だ。 完璧な演説なんてできなくていい。 「白崎先輩、大丈夫ですよね?」 心配そうに御園が見上げてくる。 「ああ、大丈……」 「ですから、学園の主役は生徒で……」 ぴたりと演説が止まる。 大丈夫じゃなかった! 会場がザワつく。 「白崎、どうしたんだ」 「原稿にミスでもあったんですかね」 わからない。 準備は完璧だったはずだ。 「……」 白崎は、硬直したまま客席の一点を見つめている。 何かおかしなことでもあったんだろうか? 視線の先を追う。 「……」 目についたのは、通路にいる車椅子の少女だ。 年の頃は、俺たちより少し下。 制服を着ていないから、ここの生徒じゃないのかもしれない。 車椅子の少女が、ステージに向かって小さく手を振る。 それに応えるように白崎が微笑み、もう一度息を吸った。 「失礼しました……学園の主役は生徒です」 「生徒会長も一人の生徒ですから、その生徒会長が生徒を評価するというのはおかしいと思います」 無事、ランディングした。 なるほど。 車椅子の女の子は、入院している白崎の妹かもしれない。 白崎が、積極的な性格になろうと決意するきっかけになった存在だ。 演説を聴いてもらおうと、白崎が呼んだのだろう。 「つぐみちゃん、どうしたんかね?」 「さあなあ……」 「もしかしたら、いいことでもあったんじゃないか?」 「なんだよ、意味ありげに」 俺の勘を裏付けるように、白崎の演説は尻上がりに調子を上げていく。 白崎と妹、二人の間に何かプラス方向の交流があったんだと思う。 もう心配はないだろう。 立会演説会は無事終了した。 白崎の演説に問題はなかったし、選挙の大勢は決したと言っていいだろう。 「お疲れ様でした」 声をかけてきたのは多岐川さんだった。 「よくもまあ、しれっと顔を出せるな」 「部室の件といい今日の会場の件といい、おふざけが過ぎる」 「まるで、私が仕組んだような言いぐさですね」 「部室の件はそもそも……」 「いい、お前の反論など聞きたくもない」 桜庭が軽く手を上げて遮る。 「で、何の用?」 「筧さんに伺いたいことがあります。少しお時間いいですか?」 多岐川さんが俺を見た。 「悪い、先行っててくれ」 「筧さん、ファイトですよ!」 「喧嘩するわけじゃねーから」 みんなが、ぞろぞろと去って行く。 「部室のこと、ありがとう」 「いえ財布のお礼ですから」 多岐川さんが目を逸らす。 「で、用件は?」 「んじゃ、手短にお願いします」 「こちらもそう願いたいですね」 多岐川さんが俺を睨む。 憎悪すら籠もっているように見える視線だ。 「汐美祭の人気投票がニュースになる前日ですが、望月さんとどんな話をしましたか?」 「図書館で会話をしているはずです」 「前日?」 記憶を掘り起こす。 「ああ、望月さんが図書館に来たときの話か?」 「そうです」 あの時、望月さんは図書部の部室の方から歩いてきていた。 本の返却のためだと言っていたが、敵の選対本部の前を歩く理由としては弱い。 多岐川さんの口調から察するに、生徒会内部で何かあったな。 「図書館に来た理由を聞いたら、本の返却に来たって言われただけだな」 「嘘です」 「そんな理由で図書館に行くわけがありません」 「もしかして、望月さんが不正投票の情報をリークしたとか思ってるのか?」 「まさか」 「あなたが取り引きを持ちかけたのでしょう?」 「でなければ、望月さんが私を裏切るはずはありませんっ」 そういうことか。 前に見た限りだと、望月さんと多岐川さんは仲が良かった。 元々が世襲に近い生徒会役員だし、先輩後輩の絆は強いはずだ。 信頼する先輩が自分の意思で情報をリークしたなどと思いたくはないだろう。 多岐川さんは、何か否定する材料を求めて、わざわざ俺のところまで来たのだ。 かわいいところがあるじゃないか。 「葵、何をしているの」 大講堂から望月さんが出てきた。 「どうも、望月さん」 「筧君……こんにちは」 望月さんは、俺と多岐川さんを見て何か察したように姿勢を改めた。 「ご本人に聞くのが一番なんじゃないか?」 「そ、それは……」 多岐川さんがうつむく。 「不正投票のことかしら?」 「え?」 望月さんは、さらりと言い当てた。 「俺が望月さんに取り引きを持ちかけたと思われてるんですが」 「そう……私が不用意に図書館に行ったからね」 「葵……」 望月さんが多岐川さんの前に立つ。 「情報をリークしたのは私の独断で、他の誰も関係ないわ」 「!?」 多岐川さんがびくりと硬直する。 「私を……裏切るのですか?」 「入学からずっと、傍で支えてきたのにっ!」 「私を応援してくれるというのは嘘だったのですか!」 多岐川さんが怒鳴る。 「裏切ります」 「今のあなたを生徒会長にしても、学園は良くならないと思いますから」 「投票の件だけでなく、図書部の部室の件、今日の会場の件……みっともないにもほどがあります」 望月さんが真正面から答えた。 多岐川さんが唇をわななかせる。 「あなたを応援したいのは山々だわ。けれど不正をする人は応援できない」 「ましてや、次期生徒会長になんてできません」 「私はまだ現役生徒会長で、学園の未来を守る義務がありますから」 「……望月、さん……」 多岐川さんの身体から力が抜ける。 「ごめんなさい、葵」 「でも、これだけは覚えておいて」 「正々堂々戦うのなら、結果はどうあれ、私はいつまでもあなたの味方よ」 「……」 多岐川さんが顔を上げる。 「私はね、あなたに人として大切なことを守って生きてほしいの」 「これからの人生は長いのよ?」 「たとえ選挙に負けたとしても、間違った道に進みさえしなければ、きっといいことがあるわ」 望月さんは、穏やかな表情で微笑んだ。 たった1歳しか違わないはずなのに、まったく器が違う。 生徒会長としての1年が、望月さんをここまで大きくしたのだろうか。 「……失礼します」 多岐川さんが足早に立ち去る。 最後に目に入った横顔は、泣いているようにも見えた。 多岐川さんを見届け、望月さんが俺に向き直る。 「ごめんなさい、いろいろと迷惑をかけて」 「傍にいながら、部室の件も、今日の会場の件も止められなかった」 望月さんが深々と頭を下げた。 「望月さんの責任じゃないです。頭を上げて下さい」 「あの子、私が情報をリークしたのがショックだったみたい」 「本当は強引なことをする子じゃないんだけど」 「望月さんのこと、信頼してたみたいですからね」 望月さんが、少し嬉しそうに髪を撫でた。 「それに、お礼を言わなきゃいけないのはこっちです」 「望月さんが情報をリークしてくれなかったら、選挙ではボロ負けでした」 「部室については、早急に元に戻すように手配しておきます」 「あなたたちも、集まる場所がないと不自由でしょうし」 「助かります」 「それに、お礼を言わなきゃいけないのはこっちです」 「望月さんが情報をリークしてくれなかったら、選挙ではボロ負けでした」 「それは違うわ」 「汐美祭の人気投票の本当の勝者は、あなたたちなんだから」 「私も立場がなかったら、ぜひ遊びに行きたかったわ」 望月さんが気持ちよさそうに笑う。 「望月さんが、ああいうアトラクションで遊んでるのは想像できないですね」 「あら、私、こう見えて遊園地や絶叫マシーンは大好きなの」 「……マジすか」 意外すぎだ。 「明日はいよいよ投票日ね」 「ですね。あっという間でした」 「どの面下げてという話だけど、最後までよろしくお願いします」 「もちろんです」 それじゃ、と言って望月さんは事務棟の方に歩いていった。 部室の件も一件落着か……。 今思えば、俺にとって部室の件は大きな転機だった。 言い過ぎでも何でもなく、人生が変わったのだ。 望月さんにとっては、後輩の暴走なんだろうが、世の中どう転ぶかわからない。 考えてみりゃ、羊飼いがわざわざ指摘しなくても、人生の転機なんていくらでも転がっているのだ。 さて、みんなと合流しないとな。 学生寮方面を見ると、中央通りが西日で赤く染まっていた。 「(ああ、ひどい赤だ)」 まるで、あの日の夕焼けのようだ。 ひどく頼りない、風の一吹きで倒れてしまいそうな背中。 夕日の朱で、芯まで染まってしまいそうな、色のない背中。 よく言われるように、男は背中で語る生き物だというなら── 親父が語るのは、どんなことなのか。 「『ごめんね、ごめんね……』」 「『僕たちは幸せになれたはずなんだ……』」 「『ごめんな……僕は君達を、幸せにしてあげられなかった……ごめんな……』」 「『ごめん……ごめん……僕がもっと……』」 周囲の木々がさざめいた。 初秋の風が、まぶたの裏の幻影を吹き払う。 「……」 ふと、父親が蒸発した日の、母親の姿を思い出す。 西日で赤熱したような台所で、彼女は一人、ダイニングの椅子に座っていた。 自分で淹れたであろう茶にも手をつけず、背もたれにももたれず、背筋を伸ばし前を向き、微動だにしない。 明るかった顔からは微笑みが消え、真っ赤な部屋の中でその表情は青白く凍りついていた。 母親が哀れだった。 俺は、何も言えず、瞬きも忘れ、その光景を見つめ続けた。 瞬きをしてしまえば、次の瞬間、母親は夕日の中に溶けてなくなりそうな気がしていたんだ。 親父。 あんたがすべきことは蒸発だったのか? 熟柿の色に溶けてゆく女一人を作ることだったのか? 「『ごめんね』」 違うだろ。 母親も俺も、謝られたかったんじゃない。 今の俺には、母親の……そして、当時の俺の気持ちがよくわかる。 俺達は、親父がその能力で予見した『幸せな結末』がほしかったんじゃない。 ただ、幸せを目指して一緒に歩きたかっただけなのだ。 幸せを掴むまでには困難があるだろうし、場合によっちゃ不幸な結末に終わるかもしれない。 それでも、一緒に歩きたかった。 ごくごくありふれた、何の変哲もない願望。 父親には、それがわからなかった。 人に裏切られ続けたことが一つ。 そして、なまじ未来が見えたことが、親父から人とともに生きるという発想を失わせたのだろう。 親父はいつも、自分さえ上手くやれば周囲を幸せにできる思っていたのだと思う。 だからこそ、結果が伴わないのは自分の責任だと誤解したのだ。 『ごめんね……ごめんね……』 謝罪の果てに、親父は家族を捨て、人類すべてを幸福にする道を選んだ。 自分の家族すら幸せにできなかった奴が、どうして人を幸せにできるのか。 ロクなもんじゃない。 俺が親父を殴ったところで、文句を言う奴はいないだろう。 だが同時に、彼に哀れみを感じている俺もいる。 羊飼いになることは、親父にとって最後の救いだったのかもしれない。 人間をやめてまで家族の幸せを願った親父。 裏を返せば、人間をやめることでしか家族に関われなかった男でもあったのだ。 誰からも忘れ去られ、人や家族の役に立っているという希望一つを胸に生きる。 今、彼の手の中には何があるというのか。 「(無残なもんだ……)」 自分も、一歩間違えば同じ道を進んでいた。 親父を哀れむことができるのも、図書部のみんながいてくれたからだ。 親父……。 俺は羊飼いにならない。 共に進むべき仲間がいるから。 そして、俺を大切に思ってくれる人がいるから。 果てに待つのが悲しい結末だとしても、俺が必要とし、俺を必要としてくれる人と歩く。 だってさ、その方が楽しいじゃないか。 難しいことはどうだっていい。 いよいよ投票日となった。 1日をかけ、全校生徒による投票が行われる。 5万人の生徒がいるのだから、投開票にはそれなりに時間がかかる。 結果がわかるのは、今夜8時くらいになるという。 だがその前に、俺にはやるべきことがあった。 羊飼いの件を片付けるのだ。 ナナイさんとのアポイントは午後5時半。 いよいよ、決意を伝えねばならない。 望月さんの言葉通り、我らが部室は午前9時をもって返還された。 部員資格も元通り。 あれだけいた幽霊部員は、また霊界へと帰っていった。 御園の部屋に退避させていた荷物を戻し、部室が元の姿に戻ったのは午後4時を回った頃だ。 「ああ、この空気、懐かしいです」 御園さんが、ご機嫌で椅子の上で体育座りをする。 「御園。ずっと言おうと思っていたんだが、椅子の上で体育座りというのは行儀が……」 「まあいいじゃん。眺めもいいし俺はむしろ推奨したい」 「ひっ」 御園が慌ててスカートを押さえる。 「あはは、高峰さんったらクズなんですから」 「うーん、佳奈すけの罵倒も沁みるなあ」 高峰が腕を組んで目をつむる。 「もっと滲みるものをあげますから、高峰先輩、目をつむってて下さい」 「えっ、マジ! ひゃっほう!」 御園が、高峰の目の下に虫さされ薬を塗る。 「千莉ちゃん、それはちょっと……」 「大丈夫です。さ、目を開けていいですよ」 「はーい……おうわはっ!?」 高峰が身もだえした。 あれ、結構目に滲みるんだよな。 72時間耐久読書にトライしたとき、眠気覚ましにやった記憶がある。 いい子は真似しちゃいけない。 日が傾いてきた。 もうすぐナナイさんとの約束の時間だ。 「……ちょっと出かけてくる」 席を立つ。 「どうした?」 「……大したことじゃない」 詳細は笑って誤魔化す。 「筧くん、戻ってくるよね?」 「筧、信じていいんだな?」 「筧先輩、待ってます」 「筧さん、なるはやでお願いしますよ」 「ああ。心配しないでくれ」 心配そうなみんなに笑顔で応えた。 もう、悲しませることはしない。 そう伝わるように。 夕日に照らされ、学園は赤熱しているかのようだった。 またこの色か。 手の中で、ナナイさんからもらった栞を握る。 俺が羊飼いにならないと明言すれば、もう彼に会えないだろう。 おそらくは未来永劫。 よしんば会ったとしても、俺の中に記憶はない。 それが父親の選んだ道なのだ。 俺は彼に何を言うべきなのだろう。 今朝まで寝ずに考えたが、答えはまとまらなかった。 憎んでいるようでもあり、哀れんでいるようでもあり、結局のところ明確な感情がなかったのだ。 所詮はその程度のことだったのかもしれない。 中央通りに出、待ち合わせ場所のベンチを目指す。 いつもなら迷うことなく路電を使うところだが、今日は歩きたい気分だった。 重みのある赤い空気の中を、一歩一歩前に進む。 なぜか、父親と離別した日に向かって時間を遡行しているようにも思えてくる。 もしかしたら、俺はあのシーンをやり直そうとしているのかもしれない。 ならば、今の俺は父親の背中に何を思い、何を言うのだろう。 「……」 足が止まった。 ベンチに黒いしみのような人影がある。 下校中の生徒に気づかれることもなく、路傍の石のようにナナイさんはベンチにいた。 立ち尽くすこと数秒。 ナナイさんが小さく手を振ってきた。 「時間を取ってもらってすみません」 「いや、構わないよ」 「将来について返事をくれるということだったけど、いいのかい?」 「約束の期限は月曜日だよ」 「いいんです。もう決めたんで」 「君が後悔しないのなら、私はいつでも構わないけど」 回答を早めたのは、気分の問題だった。 羊飼いの問題を清算してから選挙の結果を聞くことが、白崎達に対する礼儀のように思えたのだ。 「さて、結論を聞かせてもらおうかな」 単刀直入。 いつもの微笑を浮かべたまま、ナナイさんが言う。 俺に期待しているのかどうかすらわからない。 「……俺は……」 一言いってから、再度唇を湿らす。 「俺は、羊飼いになりません」 「……」 「……」 無言。 ナナイさんは、微笑を張り付かせたまま俺を見ている。 「そうか……仕方ないね」 遊ぶ約束をキャンセルされた程度の軽さで、ナナイさんは言う。 「すみません、目をかけてもらっていたのに」 「いいんだよ、決めるのは君なんだから」 ナナイさんは表情を崩さない。 それは、謝り続けていただけの、あの頃の父親と同じ顔だった。 「君は優秀な羊飼いになるはずだったんだけどね……残念だよ」 「良かったら、理由を聞かせてもらえるかい?」 「俺には、友人がいるし、俺を大切に思ってくれる人もいます」 「あいつらとずっとやっていきたいんです」 「なるほど……でも、羊飼いになれば、もっと沢山の人を幸せにできるよ」 控えめながら、意見をぶつけてきた。 「他の人はいいんです。身の回りの人とやっていければ」 「いや、俺なんかじゃ、そもそも身の回りの人を幸せにできるかもわからないですし」 「羊飼いになれば、確実に幸せにできると思うけど」 「……それは違います」 思わず声が固くなった。 違う、そうじゃないんだ。 もしかして、あんたはまだわかっていないのか。 「結果じゃないんですよ。ただ、一緒にいたいんです」 「だって、一緒にいろいろやったら楽しいじゃないですか」 「そう……そうかもしれないね」 言葉とは裏腹に、ナナイさんの声は納得していなかった。 「前に、他の羊飼いの話をしてくれましたよね」 「俺、思ったんですよ。その人は、最後の奥さんと一緒に頑張るべきだったんじゃないかって」 ナナイさんの目を見て言った。 それでも微笑は崩れない。 本当にこの人が俺の父親なのか? 自信がなくなってくる。 「彼なりに努力していたんじゃないかな?」 「だからこそ、幸せになれなかったことに落胆して、羊飼いの道を選んだように思うけど」 「彼はいつも言っていたよ」 「人として家族を幸せにできないのなら、人ならざるものになっても幸せにしたいって」 ナナイさんが多弁になってきた。 そんなことに、冷たい興奮を覚える俺は何なのか。 彼をやり込めることに、過去への復讐を見ているのだろうか。 「どうでしょうか?」 「俺の想像ですけど、その人は家族に何も相談しなかった気がするんです」 「自分にも似たところがあるからわかるんですが、いつも自分の中で悩んでたんじゃないでしょうか」 「そうかもしれない」 「だからこそ、彼は何とかしようともがいていたんだと思う」 「それで、結果が出せない自分に絶望したって言うんですか?」 胸の中で感情が沸き立つ。 父親への怒りなんて、とうの昔に消えていたと思っていたのに……。 「彼は、どうしても家族を幸せにしたかったんだろうね」 「違うんですよ。ナナイさん……あなたの考えはズレてる」 「……母さん……最後の奥さんは、幸せな結末が欲しかったんじゃない」 「ただ、その人と一緒に生きていきたかったんだ」 「幼なじみだったんですよね、あなたの?」 「欠陥品みたいな自分を理解してくれる、たった一人の人だったんですよね?」 「私の幼なじみではないよ」 「そんなことは、どうだっていいんです」 もどかしさに突き動かされ、強固な微笑に向かって言う。 「どうして……どうして一人で行ってしまったんですか」 「家族を幸せにできないから、人間を捨てて羊飼いになるなんて馬鹿げてる」 「そんなことして誰が喜ぶんですか」 「あなたは結局、残される家族のことなんか考えてなかったんだ」 「考えたからこそ、羊飼いになったんだろう?」 「違います」 「人間を捨てなくても、良かったんですよ」 「ただ一言、一緒に頑張ろうと言ってくれれば……それだけで解決したことなんです」 「……」 「わかってくれよ……どうしてわかってくれないんだ……」 「アホみたいに幸せじゃなくても、一緒ならそれで良かったんだ」 自分でも想像だにしなかった言葉が、口から出ていた。 異物に見えたその感情はしかし、次の瞬間には、俺の身体に馴染んでいた。 ああ、俺は、あの時腹の底に押し込めてしまった感情を、今ここで吐露しているんだ。 10年以上経った今、ようやく。 「俺は、あんたと生きていたかったんだ」 その言葉を口にした瞬間、視界が歪んだ。 涙が石畳に落ちた。 「親父……どうして俺を捨てたんだ……」 「どうして……俺を……」 胸が痛い。 使用人達に殴られたとき、俺は自分を自分から切り離して痛みを忘れてきた。 だが、今日に限ってそれができない。 どれだけ暴力を受けても、どれだけ虐げられても感じなかった痛み。 そいつが、全身を駆け巡っていた。 ああ、そうか。 俺は悲しいんだ。 「……君は……」 「君は、私を誰かと勘違いしているようだね」 「え……」 ナナイさんの表情は、少しもの悲しい秋空を感じさせた。 少なくとも、微笑を貼り付けていなかったことは救いだ。 もし笑っていたら、俺はこの人をどうかしてしまってかもしれない。 「でも、君の気持ちを無下にはできない」 「もし例の羊飼いに会うことがあったら、伝えておくね」 「……はい」 ここに来ても、認めないのか。 もう、何もかもが遅いんだな。 ナナイさんは、完全に過去との繋がりを絶ち、我が子の叫びにも応えない。 そんな人に、人の愛情をどうこう言ったところで何も変わるまい。 俺たちは、とっくの昔に終わっていたのだ。 いや、こういう反応をされるってことは、ナナイさんは本当に俺の親父じゃないのかもしれない。 そう思うと、身体から力が抜けた。 心が冷え冷えと乾いていくのがわかる。 「貴重な意見が聞けて良かったよ」 「いえ、別に貴重じゃないですよ」 ゆっくりと立ち上がる。 いま、自分はナナイさんと同じような微笑を浮かべているのだろう。 「普通の人なら、みんな知ってることだと思います」 「自分が知ったのは、つい最近ですけど」 「へえ」 「図書部のみんなのお陰で、自分みたいな欠陥品でも知ることができました」 「よい友人に恵まれたようだね」 ナナイさんが微笑んだ。 「だから、俺は彼らと生きていきたいんですよ」 「再三ですけど、それが羊飼いにならない理由です」 ナナイさんが静かにうなずいた。 「君は、私に似ていると思っていたんだけれど……勘違いだったようだね」 「きっと似ていたと思います」 相手を観察し、機嫌をうかがい、適切な言葉を探し、波風を立てることを嫌う。 空気が読めるだの、お人好しだのと言われてはいた。 でも本当は、ただ人間を恐れ、人と触れあうことをしなかっただけのことだ。 「でも、俺は変わりましたし、これからも変わっていきたいと思います」 「少なくとも……もう、あなたと似ていた頃には戻らない」 ナナイさんと視線がかち合う。 決別の意思を瞳に込める。 ナナイさんはかすかにうつむき、視線の意味を舌の奥で味わうように目を閉じた。 「もし私が彼だったら、こう言うかもしれない……」 「……君が羨ましい、とね」 ナナイさんが、儚げに笑った。 俺の願望がそうさせるのか、心からの笑顔のように見える。 「それじゃ、名残惜しいけど、羊飼いの話はこれで終わりにしよう」 「今をもって、君は羊飼いになる権利を喪失する。異存はないね?」 うなずく。 ナナイさんもうなずいて返した。 「ここ一ヶ月は、君にとって辛い時間だったかもしれない」 「優秀な羊飼いを増やすためだったとはいえ、許してくれると嬉しい」 「いえ」 「あ、そうだ。これを返しておきます」 ポケットから栞を取り出し、ナナイさんに差し出した。 「ああ、私の本の欠片か」 これを手放せば、数日でナナイさんの記憶は消えるだろう。 別れではない、彼は……親父は、この世界に存在しなかったことになるのだ。 それでも、栞は返すべきだと思った。 「お別れだね」 ナナイさんが栞を受け取る。 白くしなやかな指。 一般に言う父親の手とはおよそかけ離れた、女性的な手。 この手が、俺に触れたことはあったのだろうか。 記憶にない。 思えば、それだけの関係だったのだ。 「じゃあ、これで」 ナナイさんが、ゆっくりと、億劫そうに立ち上がる。 彼だけがスローモーションで動いているかのように。 「……」 「いままでありがとう」 「……最後まで、ごめんね」 最後に、やはり微笑を残し、ナナイさんが俺に背を向けた。 あの時と、寸分違わぬ情景。 父親が、夕日の中に溶けていく。 その歩みは遅い。 どうやら、右足が不自由らしい。 忘却の川の底から、一つの記憶が浮かび上がってくる。 そうだ。 父親── 筧朝彦は右足が不自由だったのだ。 やっぱり、あの人が……。 「……」 考えてみれば、ナナイさんの歩く姿を見るのは初めてだった。 俺に正体が露見するのを恐れていたのかもしれない。 ……。 なら、どうして最後の最後に後ろ姿を見せたのか。 父親として背中で語りたかったのなら、もっと早く、向き合って語るべきことがあっただろう。 いや、それができない父親だったから、最後に背中を見せたのか。 確かに、俺はあの人から多くを教わった。 ガキの頃のあの日、魔法の図書館へ誘ってくれなければ、もっと壊れた人間になっていたかもしれない。 そして、一ヶ月前のあの日、羊飼いに誘ってくれなければ俺は孤独なままだったかもしれない。 反面教師という形ではあったが、俺は彼に導かれていたのだ。 全ては今更だし、彼らしい独善的な罪滅ぼしではある。 時間は戻らない。 俺たちが再び同じ親子になることはないだろう。 とすれば、彼にとって、最後に残された、最初で最後の父親らしい行為だったのかもしれない。 「(最後まで、ごめんね……か)」 父親が歩く。 思うようにならない足を、人生の重荷のように、引きずり、進む。 かつて、事故に巻き込まれて不自由になった足だ。 羊飼いになっても治らなかったとすれば、見方によっては親父が人間だったことの証ともいえる。 ……。 ……事故? どうして俺は、親父が事故に遭ったことを知っている? どうして……。 この目で、見たからだ。 俺が、この目で…… そうだ…… あの日…… 俺は……俺は…… 車に撥ねられそうになったところを、あの人に助けられたのだ。 「……京太郎……怪我は、ないか」 「う、うん……少し手をすりむいただけ」 「そうか…………ぐっっ!?」 「足、血が出てるよ」 「ごめんな……もっと速く動けてれば、怪我なんかさせなかったのに……」 「僕は大丈夫。それより、それより」 「ごめんな……こうなるとわかっていたのに……怪我させて……ごめんな……」 「ごめんな……ごめんな……」 「ごめんじゃないよ、父……」 「……とにかく、早く手当しないと」 「……」 どうして、今まで忘れていたんだ。 どうして、今になって思い出すんだ。 親父の身体の大きさを、 手のひらの熱さを、 微笑みの温かさを、 そして、あんな状況ですら、父という言葉を飲み込んだ自分を。 親父が消える。 右足を引きずり、夕日の中に溶けていく。 もう、二度と会えない。 俺の記憶からも消えてしまう父親に、俺は何をすればいい。 誰からも記憶されることなく生きていく父親に、何を残せばいい。 右足を引きずり、永遠の時間をたった一人で進んで行く父親に……。 「……父さん」 喉の奥から、ぽつりと単語がこぼれた。 それは、違和感の塊で、遠い異国の言葉のように感じられる。 「父さんっ」 親父の足が止まる。 石畳に縫い付けられたかのように、微動だにしない。 「俺はあんたが嫌いだ」 「……でも、ありがとう……俺を導いてくれて、ありがとう」 「俺は……」 「いま、幸せだ」 ……。 …………。 「父さんっ!?」 親父が、夕日に消えた。 最後の瞬間、自分が何を叫んだのか覚えていなかった。 ただ、突き上げるような衝動の残滓が、胸の奥でちりちりと燻っている。 親父は消えた。 ベンチの座面に、もう父親の体温はない。 一週間もすれば、俺の記憶からも消えるだろう。 それでも彼は歩き続ける。 人類と、そして、俺や母親たちの幸福を願いながら。 誰にも記憶されることなく── ずっと、ずっと── たった一人で。 「父さん……」 口にすると、苦いような感覚が胸に広がる。 俺の言葉は、親父に届いたのだろうか。 彼の行く先を、少しでも明るくできたのだろうか。 答えてくれる人はもういない。 彼の最後の言葉と、掲げられた右手を信じるしかないのだ。 「……あ」 風に乗り、何かが俺の眼前をひらりと通り過ぎる。 咄嗟に掴む。 「……」 手を開くと、そこにあったのは、親父に返した栞だった。 落としたのだろうか? いや、おそらく右手を挙げたときに放り投げたのだ。 風に吹かれて、俺の元へ届くことを信じて。 父さん……。 父親の栞を優しく握る。 そこには、俺を事故から救ってくれたときの、あの温もりが残っている気がした。 「(忘れなくていいってことか……)」 父親が消えた方を見る。 目をこらせば、まだあの後ろ姿が見えるような気がする。 俺も親父も生まれは選べず、どうしようもないものに絡め取られてきた。 人への希望を持てず、それでも人から離れられず、自分をこねくり回して生きてきた。 似た道を歩いてきた俺たちを別ったものがあるとすれば、それは図書部の存在だ。 毎日を賑やかに過ごせる友がいる。 その一事が俺を変えてくれた。 人と人との出会いってのは不思議なものだ。 望む望まざるにかかわらず、人をどんどん変えていく。 そういう意味じゃ、人は誰でも、誰かにとっての羊飼いになれるのかもしれない。 「……」 さあ、部室に戻ろう。 俺を導いてくれた、羊飼い達のところへ。 いよいよ投票日となった。 1日をかけ、全校生徒による投票が行われる。 5万人の生徒がいるのだから、投開票にはそれなりに時間がかかる。 結果がわかるのは、今夜8時くらいになるという。 「お疲れー」 「お邪魔しまーす」 小太刀と部室に入る。 「いやー、二人でいるのが自然になって来ましたね」 「別に、前と変わってないだろ」 「照れんなよ、きもいわ」 「照れてねえから」 高峰は無視して席に着く。 「私も一緒に結果を聞いていい?」 「もちろん。何度もビラ配り手伝ってくれたんだし」 「どうせ最近は入り浸りじゃないですか」 「おー、先輩は敬えよー」 小太刀が御園の頭を撫でる。 「それはすみません」 御園はぶすっとしているが、嫌がってはないようだ。 「はい、お茶。小太刀さんも」 「あんがと」 久しぶりのハーブティーだ。 やっぱり白崎のお茶は香りがいい。 緑地の水道で顔を洗ってから、図書館に向かった。 「よう」 みんなが一斉に俺を見た。 「今の『よう』ってところが、やっぱ筧だよな」 「いやいやいや、あのシャイな感じがいいんじゃないですか」 「何の話だ?」 「筧くんの、第一声はどんなだろうねって話をしてたの」 ほんとくだらない。 「で、誰か当たったのか?」 「わたしが正解です」 「私だ。この程度わからなくてどうする」 「私です」 「私です。当たり前じゃないですか」 「ああ、そう……」 悪い気はしない。 というか、当てられるのが嬉しかったりする。 「照れんなよ、きもいわ」 「照れてねえから」 高峰は無視して席に着く。 「はい、お茶」 「あんがと」 久しぶりのハーブティーだ。 やっぱり白崎のお茶は香りがいい。 「お、来たか」 部屋の空気が引き締まる。 「皆さんこんばんは、ランチタイムアベニュー選挙速報です」 「お相手はいつもの芹沢水結です。よろしくお願いします」 「いやー、大丈夫だと思っていても緊張しますね」 「ウ、ウン」 白崎はすでに硬直していた。 「白崎先輩、緊張しすぎです」 「ソ、ソウカナ」 御園に揺すられ、フラフラ揺れている。 「意外に器用な動きですね。芸人として嫉妬します」 「毎年、対立候補が出ない生徒会選挙でしたが、今年は熱戦になりました」 「前半の山は、汐美祭での人気投票でした」 「それぞれの思いを胸に……駆け抜けた、夏」 「甲子園番組かよ!」 滑舌の悪い女性キャスターの顔が浮かんだ。 ちょいちょいネタを挟んでくる芹沢トークを聞きつつ、4月からのことに思いを馳せる。 今思えば、あっという間の半年だった。 訳もわからぬまま、手探りで始めた活動。 ラブレターを拾ってみたり、コスプレでビラ配りをしてみたり、退屈しない毎日だった。 大きな転機となったのはミナフェスだ。 あのイベントのお陰で、図書部の知名度は一気に高まった。 夏休みには、各団体の手伝いに引っ張り回され、バイトだったら一財産築けるくらいには働いた。 後期に入ってからは、汐美祭に生徒会選挙。 息をつく間もないスケジュールだったが、なんとか無事に走り抜けられる……予定だ。 嬉しかったのは、依頼を通じて知り合った人がファンになってくれたことである。 無報酬でやっていた俺たちにとって、応援してくれる人が増えるのは何よりのご褒美だった。 彼らの協力なくしては、汐美祭も選挙も戦えなかっただろう。 正直、白崎の選挙公約には、それほど目立ったところがあるわけじゃない。 本人だって、どう見ても草食系だし、すごいことをやってのけそうには見えないだろう。 それでも支持を集められたのは、こいつなら悪い方には行かないだろう、という奇妙な安心感だ。 「さあ、現在、開票率は32%というところですが、どうやら当確が出たようですね」 スピーカー越しに紙がこすれる音がする。 新しい原稿が芹沢さんに提供されたのだろう。 「いよいよ来たか」 「はい」 「大丈夫、絶対に圧勝ですよ」 「ま、行けるっしょ」 「負けたら、俺が脱いでもいい」 「俺も脱ごう」 「みーとぅー」 「みんな、今までありがとう」 会議机の上で手を重ねる。 「本年度、生徒会長選挙、当選確実となったのは……」 「得票数7329票。白崎つぐみ候補です」 スピーカーから、その名前が流れた。 「よしっ」 「やりました」 「ひゃー、来ましたっ」 「きたじゃんっ!」 小太刀と握手を交わす。 誰彼となく握手を交わす。 「やったな、白崎」 「ううん……みんなのお陰だよ……」 「わたし……わたし……」 白崎が声を詰まらせる。 「さあ、白崎候補の選挙事務所から喜びの声ですっ」 「あの、ほんと……わたし……」 突如として、部室の外が騒がしくなった。 「あー、まったく……取材の奴らね」 「他の図書委員じゃ頼りないから、ちょっと応援行ってくるわ」 「ああ、頑張れよ」 「へいへーい」 ヒラヒラと手を振り、小太刀が出て行く。 「ちょっとアンタら、ここどこだと思ってんの!?」 「図書館よ、図書館! インタビューなんか外でやってよ!」 「あ、こらっ! ちょっと!」 「あ、あ、ああああああ゛゛゛〜〜〜〜〜っ!!」 「あー、姐さん、持ちこたえられませんでしたね」 「笑い事じゃない、全部ここを目指してるんだぞ」 「白崎先輩、これから大変ですよ」 「当選のインタビューだ。しっかり行こう」 白崎を立ち上がらせる。 「立ち会い演説会も上手くいったんだ。インタビューくらいは〈余裕綽々〉《よゆうしゃくしゃく》だろ?」 「ふふふ、もちろんっ」 親指を立て、満開の笑顔を見せた。 「んじゃ、ドア開けるぞー」 「しまってこーっ!」 「さあ来いっ」 白崎がファイティングポーズを取る。 「今年の選挙は終わりました」 「でも、本当の戦いは始まったばかりです」 「彼らが、どのような学園を作っていくのか、じっくりと見届けていきましょう」 「それではまた、来年の選挙特番で」 「……おめでとうございます、図書部の皆さん♪」 何とか取材を終え、家に帰ってきたのは夜10時前。 一人の少女が廊下に立っていた。 「おめでとさん」 腕組みをしたまま小太刀が言った。 「ありがとよ」 「取材、大変だったでしょ」 「大変だったのは白崎だ。小太刀にも迷惑かけた」 「お陰様で、うるさいのは慣れてるから」 皮肉を言い、小太刀は腕組みを解いた。 「羊飼いにならないんだってね」 「ああ、今日返事をした」 「筧が断ったせいで、私にもまた試験のチャンスが来るみたい」 「こういうのも何だけど、ありがと」 「どーいたしまして」 小太刀はまた試験か。 せいぜい頑張ってほしいものだ。 「ま、筧が自分から断らなくても、いずれにせよ無理だったかもね」 「図書部の子といい感じになったみたいだしさ」 「耳が早いじゃないか」 「美点ですのでー」 自分のほっぺたをツンツンつついて、にっこり笑う。 「ああ、そうそう、一つ謝っておきたいことがあるの」 「あん?」 「夏休み明けにさ、図書部に変な依頼があったでしょ?」 「筧君の好みが知りたいです(はあと)。みたいなやつ」 そういえば、あったな。 「……小太刀の仕業か」 「うん、ごめんね」 殊勝に頭を下げる。 「筧がさ、妙にボスから気に入られてるから、ちょっと悪戯したくなっちゃって」 「ま、私が小細工しなくても、みんな筧に気があったみたいだけど」 「……どうかな」 「うざっ、否定しなさいよ」 「いや、気があるなんて思ってなかったよ」 「偶然……もしくは、運命……そういうことかな」 余計にうざくしてみた。 「もういいわ、殺しかねない」 小太刀が目眩を起こした。 「いいわね筧は、何でも手に入れて」 目を押さえてうなだれたまま、小太刀が言う。 声のトーンが変わっていた。 「試験にも受かる、女にもモテる、真人間になる……言うことなしじゃない」 「同類だと思ってたのに、どうしてこんなに変わっちゃうんだろうね」 「それこそ、運だな」 「運っていうのが一番理不尽よね」 「あ、嫌味みたいになっちゃってごめん。気にしないで」 小太刀がすぐに笑う。 「小太刀は、これからどうするんだ?」 「この学園は仕事も多いし、しばらくフラフラしていると思う」 「それに、まあ、何よ……図書部の奴らも嫌いじゃないし」 少し恥ずかしそうに言う。 「へえ」 「いいじゃん別に」 「はいはい、じゃあね。またそのうちっ」 「おやすみ」 「べーーっだ!」 漫画のようなあかんべーをして、小太刀はマンションに入っていた。 あいつも、とりあえず食いっぱぐれる心配はないようだ。 羊飼いの道は正直おすすめしないが、あいつにも夢があるんだろう。 「……」 閉じたドアを見て、ふと思う。 あいつがあくまで羊飼いを目指すなら、俺たちとの繋がりは試験の邪魔だ。 最悪、小太刀から離れていくことも考えられる。 こっちはこっちで、生徒会としての活動が本格化すれば、小太刀と接する機会も減るだろう。 しばらくすれば、羊飼いの……小太刀の記憶は消える。 あいつの怒鳴り声が聞けなくなるのは寂しいな。 でも、どうしたらいい? 「……よし」 「(またここに来るハメになるなんて)」 馬鹿でかい校門を見上げ、嘆息する。 この学園とはすっぱり縁を切り、別の場所で羊飼いの試験に専念するつもりだったのに。 最後に筧と会ってから、あいつからは何度もメールがあった。 もちろん全部スルー。 筧との関係は、羊飼いになるためには邪魔でしかない。 なのに…… 「新しい試験の課題ですが、とある生徒達のサポートをお願いします」 「りょーかいです。どこの迷える子羊ちゃんですか?」 「汐美学園の新しい生徒会役員です」 「はい?」 「彼らの中には、今後、国を背負って立つことになる人材が含まれています」 「しかし、彼らが夢を達成するためには……小太刀君、君のサポートが必要です」 「で、でも、あいつら、もう私のこと忘れてますけど」 「何か問題があるかな? むしろ好都合じゃないか」 「あ、はい……そうですね」 「嫌なら試験を棄権することになるけど」 「行きます行きます。ばっちりやってきますから」 「ではよろしく。期待しているよ」 「(期待されてもなぁ……)」 気が乗らないこと山のごとしである。 あーあ。 ま、最後に会ってからもう2週間だ。 向こうも私のことを忘れてるだろうから、いいけどね。 ……ね。 時刻はちょうど昼休み。 通りには生徒が溢れている。 でも、誰一人として私を見ない。 こっちからアクションを起こさない限り、誰も私に意識を向けない。 自分が透明人間になったように感じながら、通りを進む。 こうしていると、優越感と解放感があった。 薄汚れた世界から解き放たれた気分になれるのだ。 図書館に入って、はたと足を止めた。 いつもの癖で図書館に来てしまった。 図書部の奴らは、新生徒会結成の準備で忙しい。 活動の拠点は、ほとんど生徒会室に移っているはずだ。 完全な無駄足。 でも、せっかくここまで来たし、部屋でも見ておこうかな。 「お……」 4人の図書委員グループが前から歩いてくる。 割と親しくしていた奴らだ。 図書委員の日常業務はもちろん、1回は食事したこともあったな。 そうそう。 汐美祭では整理券配りを一緒にやったんだっけ。 平凡でつまらない奴ら。 平凡でつまらないけど、気のいい奴ら。 そして、もう赤の他人になった奴ら。 視線を交わすこともなくすれ違う。 「あれ、今の人?」 「……ううん、何でもない。そういやさ、昨日のアレ見た? ブラモリタ」 そんな声に背中に聞き、足がもつれたような気分になる。 私がよく知っている場所は、もう私を覚えていない。 それは、世界から切り離されるということだ。 ……。 目の前には図書部の部室。 すぐにドアを開ける気になれなくて、部屋の外から中の気配を窺う。 どうやら無人らしい。 誰かいたら、こんなに静かなはずはない。 あいつらは一人でも騒がしい奴らなのだ。 私は、どうしてここに立っているんだろう? ついで? せっかくだから? 「知るか、馬鹿」 自分を罵倒しつつ、以前作っておいた合い鍵を取り出す。 「……」 見慣れた部室だった。 一時期は毎日のように通っていた場所だ。 若干荷物は運び出されているが、部屋の印象を変えるほどではない。 あいつらも忙しいのだろう。 しばらく人が出入りしていないのか、濃密な本の香りが漂っている。 あー、そうそう、こういう感じだった。 懐かしい気分になりながら、室内をぐるっと歩く。 ふと、机の上に、一客の湯飲みが置かれているのに気がついた。 王将という筆文字が書かれた、鮨屋にありそうな湯飲み。 しばらく私が使っていたものだ。 「……あれ?」 湯飲みを文鎮にして、封筒が置かれている。 なんじゃこりゃ? いくぶん茶渋のついた湯飲みをどけ、封筒を取り上げる。 表書きには『小太刀へ』とあった。 私宛か。 のり付けされた封を切って逆さにする。 10枚ほどの写真がバラバラと机に落ち、封筒の中には3つ折りの便箋が残った。 「……」 写真は、学園での日々を撮影したスナップだった。 部室で、図書館で、学食で…… いつもの騒がしい面々が、レンズにアホ面をさらしている。 まるで、眩しい向日葵の花弁を1枚1枚散らしたかのような写真たち。 眩しくて眩しくて、見ていられない。 馬鹿みたい。 「こんなもん、どうしろってのよ」 何だろう、妙に胸がざわつく。 それは、羊飼いを目指す人間にとって、あってはならない感情のような……。 気持ちに蓋をする思いで写真を置く。 手紙には、何が? 便箋に手を伸ばしかけ、止まる。 読んではいけない気がした。 こういう小賢しいことをするのは、おそらく筧だ。 どうせロクなことは書いてない。 そう思いながらも、便箋に触れてしまう。 私は、何を期待し、恐れているんだろう? 逡巡しならがらも、震える指で便箋を開く。 ただの便箋が、鉄板が折りたたまれたもののように、重く固く感じる。 「……」 『小太刀へ── 小太刀にとって俺たちが特別じゃなかったとしても、俺たちにとって小太刀は特別な存在だ。 また会える日が来ると信じてる。     筧京太郎』 少し神経質な文字で、青臭いことが書かれていた。 「桜庭の台詞か。バッカじゃないの」 何が特別な存在よ。 どうせ、私のことなんか忘れてるくせに。 ま、ご期待通り、今から会いに行きますよ。 なんと言っても、こっちは仕事だし試験だからね。 『こんにちは、初めまして』からまた始めましょう。 挨拶して、自己紹介して、また適度な距離感でやっていけばいい。 机の写真が目に入った。 そう、こんな日々は、もうなかったことになったのだ。 「馬鹿じゃないの……ホント、馬鹿」 誰に向けた言葉だったのか。 自分の声には想像以上に自嘲的な響きがあった。 鼻の奥がツンとする。 見習いとは言え、私は羊飼い。 結局、人間とは生きている世界が違う。 なれ合うことなんてできない。 「やだやだ、みっともない」 気分転換に窓を開ける。 「はぁ……やんなっちゃう……」 「ドンクライ、ベイベ」 「ぶっ!? デブ猫っ!?」 窓の下にデブ猫が座っていた。 「ぼふぉふぉふぉふぉ」 不気味な声を上げ、デブ猫が部屋に飛び込んでくる。 「ちょ、ちょっと、あっち行きなさいよっ」 猫の目は完全に据わっている。 よたよたと蛇行しながらも、確実に距離を詰めてくる。 飲んでる? 昼から飲んでんの!? 「じゃ、じゃあ、またねっ」 写真と手紙をひったくり、出口に走る。 ドアノブをひねるが、びくともしない。 「えええっ!?」 押しても引いても扉は開かない。 何で? 私は鍵閉めてないのに。 「にゃーにゃにゃー……じゅるっ」 「ひいっ!?」 壁にビタリと背中をつける。 全身が総毛立ち、脂汗が噴き出してきた。 「OK、話し合いましょ。そっちの要求は?」 「ふぁーふぁーふぁふぁー、ふぁーふぁーふぁふぁー」 「やめて……いい声で歌いながら近づいてこないで」 「や、駄目……動物は……ホント……」 嬉野さん特製のアラームが鳴ったのは10分前。 部室に侵入者があったということだ。 取るものも取りあえず、全員で部室に向かう。 「本当に侵入者なんているのかな」 「デブ猫じゃないのか?」 「窓は閉まってるから、デブ猫じゃないだろ」 「え? じゃあ、本気で泥棒ですか?」 みんなには話していないが、俺としては大きなネズミがかかっているのを期待してのことだ。 「や、駄目……動物は……ホント……」 「あ、あ、あ、あ、あ、あ……」 「たーすけてぇぇぇぇぇっっっ!!!!」 「悲鳴、ですよね?」 「幽霊部員が帰って来たのか?」 「さて、どうだか」 「俺が先に見てくるよ」 「筧くん、気をつけて」 ドアに手を伸ばす。 「誰だっ!」 「……あ」 大きな目を涙で一杯にして、一人の女の子が立ちすくんでいた。 「……か、筧?」 「ん? 誰?」 「あ……」 女の子の目が大きく見開かれた。 「あ、あの……私、図書委員でさ」 「物音がしたから、合い鍵で入ったの……あはは、あははははは」 「小太刀、いつの間に合い鍵なんて作ったんだ」 「いやぁ、ほら、図書委員なんで……」 小太刀の動きが止まる。 「いま、小太刀っつった?」 「ああ」 「……もしかして、覚えて?」 「ああ」 「久しぶり、小太刀」 「筧……」 小太刀の頬を涙が一筋伝った。 しかし、そんな感動の空気も一瞬。 小太刀の目が危険なほどに鋭くなる。 「アンタ、なにふざけたことしてくれちゃってんのよ」 「やっぱ怒るよな」 「あったりまえじゃない!!」 「あ、小太刀さん!」 ナイスタイミングで後続が入ってきた。 あっという間に囲まれる小太刀。 「最近会えなかったから心配してたんだよ」 「体調でも崩していたのか?」 「あんたら……どうして、私のこと……」 「何言ってるんですか?」 「あ、ううん、別に」 「2週間もどこ行ってたのよ?」 「小太刀先輩に怒られないと、調子出ないです」 「そうそうそう、バチッと罵倒してよ」 「いや、あんたら叱るために生きてるんじゃないんだけど」 「姐さん、見捨てないで下さいっ」 佳奈すけが、小太刀に抱きつく。 「気色悪いわね、離れなさいよっ」 「俺も俺もっ」 「触ったらブチ殺すからね」 「キツイの来たーっ」 「ふぁおっ、ふぁおっ」 他の面子は、小太刀の事情を知らない。 2週間ぶりに顔を出した友人と絡んでいるだけだ。 そんな緩い空気が、恐らく非日常にいたであろう小太刀を、いつもの世界に引っ張り込んでいく。 お節介と言えば、この上ないほどのお節介。 でも俺は小太刀に消えてほしくないんだ。 だって、こいつがいた方が面白いじゃないか。 「ちょっと筧」 みんなをするりとかわし、小太刀が寄ってきた。 「大歓迎だな」 「ふん、迷惑この上ないわね」 ぶすっとした顔の下には、薄く喜びの色が滲んでいた。 この顔が見られただけで、頑張った甲斐があったというものだ。 「お前、黙っていなくなるつもりだっただろ」 「別にどっちだっていーじゃんか」 「それよりさ……」 と、小太刀が俺を部屋の隅に引っ張る。 「なんで私のこと覚えてるのよ? 会わなくなって2週間よ」 「白崎が撮ってた写真を、毎日みんなに見せてたんだよ。無理矢理な」 「マジか」 あれから、白崎に頼んで小太刀が映った写真を集めてもらった。 小太刀アルバムを作り、とにかく毎日見ることにしたのだ。 そんなことで記憶を失う速度を抑えられるのか、確証はなかった。 「キモいわ」 「しょーがないだろ、他に手がなかったんだ」 「写真、ちゃんと処分してよね」 「小太刀次第かな」 「勝手にいなくならないって約束するなら、考えるよ」 「う……」 小太刀が上目遣いに俺を見る。 「俺たちの気持ちは、手紙に書いた通りだ」 「小太刀は大切な……」 「あー、わかったわよっ」 小太刀が顔を真っ赤にする。 「心配しなくても、仕事の絡みで、当分あんたらの傍を離れられなくなったの」 「マジか……」 「めちゃんこ不本意だけどね……ふふ」 小太刀は、無理矢理作った仏頂面を、すぐに緩める。 「ま、これからもよろしく」 「ああ」 小太刀と握手を交わす。 仕事の一環らしいけど、記憶がなくなる前に戻ってきてくれて本当に良かった。 羊飼いになるかどうかは、おいおい話をしていこう。 「か、筧君……やっぱり小太刀さんのこと」 「筧、握手の意味を教えてくれ」 「筧先輩、どういうことですか?」 「あのー、筧さん、私の前で何を?」 「おっと」 慌てて手を離す。 彼女の前で握手はまずかった。 「大体、どうして最近小太刀さんの写真ばっかり見てるの?」 「いやまあ、深い事情があるんだって」 「うん、じゃあ聞かせて」 「ずっと気になっていたんだが、お前は、どうして小太刀のことばかり気にしてるんだ?」 「いやまあ、深い事情があるんだって」 「ほう、では、後でじっくり聞かせてもらおう」 「最近、小太刀先輩の写真を見せてきたのと関係が?」 「いや、全然ないから」 「……お話し合いが必要ですね」 「最近、姐さんブームが来てましたよね」 「いやいやいや、全然来てないから」 「だったら、どうして毎日写真を見てたんですか?」 満面の笑みだ。 怖すぎる。 「つーわけで、小太刀、一緒に弁解を頼む」 「最近、あからさまに浮気を疑われててさ」 「彼女いるのに何やってんのよ。バッカじゃないの?」 冷たい目で言ってくる。 「……ホント、お人好し過ぎ」 そう言って、小太刀は微笑む。 固いつぼみがようやく開いたような、初々しい笑顔だった。 部室に日常が帰ってきた。 白崎、 桜庭、 御園、 鈴木、 高峰 そして、小太刀。 誰一人欠けることなく、みんなが笑っている。 小太刀と別れた日から、俺が夢見てきた風景だった。 よかった……本当によかった。 安堵の吐息と共に、俺は心に誓う。 どんなことがあっても、この風景を守っていこうと。 この日の午後、新しい生徒会執行部の陣容がようやく固まった。 生徒会長は、もちろん白崎。 会計、桜庭玉藻。 書記、御園千莉。 「はいっ、私は何をしたらいいんですか!」 「にぎやかし、かな」 「マジですか。まあ、適材適所だとは思いますけど」 「え、ええと……あなたはそれでいいの?」 「はあ。まあ、苗字も平凡ですし」 ちなみに、望月さんは前生徒会長として顧問に就く。 いろいろとアドバイスをくれるはずだ。 「期せずして、筧君を生徒会役員にすることができました」 「本当に、期せずして、ですか?」 「もちろんです。これからもよろしく」 高峰が肘でつついてきた。 「結局、落とされてやんの」 「なりゆきだろ」 「高峰先輩。この部屋は部外者立ち入り禁止ですよ」 「久しぶりにキツいの来た! ごちそうさまです!」 高峰が合掌した。 「……あの、高峰さんは信頼して大丈夫なのでしょうか?」 「大丈夫だよ、ああ見えて結構真面目だから」 「(さらりとキャラを潰しに来たな)」 「(ああ、恐ろしいことだ)」 ちなみに、意外や意外、副会長には多岐川葵が着任した。 「選挙では、ご迷惑をおかけしました」 「これからは、心を入れ替え、誠心誠意取り組んでいきたいと思っています」 仏頂面である。 溶け込むのには、少し時間がかかりそうだ。 ちなみに、多岐川さんを抜擢したのは白崎だ。 対立派閥のトップを、新しく組閣した内閣の要職に就けるのはよくある話だ。 といった、政治的な意図は当然白崎にはなく── 「河原で殴りあった後は、仲直りだよね」 という、安直な発想による。 最初、多岐川さんは丁重に辞退してきたが、どうやら望月さんの説得で折れたらしい。 何でも、彼らと過ごすことは、あなたにとって良い経験になるとかならないとか口説いたようだ。 「で、話を戻して悪いんだが、俺の役職は?」 「佳奈ちゃんと一緒で、遊撃部隊です」 「つまり、ザ・無職ですね」 「つらいとこだな、高峰」 「いや、お前もだぞ」 「……」 「やったねー」 高峰とハイタッチする。 「(図書部って、いつもこんな感じのノリなの?)」 「(いや、あいつらだけだ)」 「あ、あの……3人は、一応、参与っていう役職だからね」 「役員会での議決権もあるし、れっきとした生徒会役員よ」 「ふふふ、良かったですね」 「ったく……」 などと賑やかな俺たちを、一歩離れたところから小太刀が眺めている。 小太刀には、外部サポーターとして生徒会室に出入りしてもらうことになっていた。 「小太刀ー、頼むぞー」 「なんであんたらのために働かなきゃなんないのよ」 「まあまあ、そう言うなって」 乗り気じゃない顔をしているが、なんやかんや言って顔は出してくれる気がする。 ちなみに、芹沢さんや嬉野さんにも、同じく外部サポーターとして協力を要請してある。 「ま、仕事の合間にできる範囲でしたら」 「はい、別に構いませんよ」 「代わりと言ってはなんですけど、明日発売のゲームがあるので徹夜で並んで来て下さい」 「あと、代わりと言ってはなんですけど、学食のサーバーの増強と、ウェイトレス服も新調して下さい」 「あと、代わりと言ってはなんですけど……」 露骨に代償を要求されつつも、新生徒会の陣容は固まったのである。 「こんなメンバーで、上手くいくんかねえ」 高峰がソファに収まりながら言う。 「戦力的には、いささか不安があるな」 「そうだね……生徒会の仕事を覚えるところから始めないといけないし」 俺たちは、外から新しく入ってきた執行部だ。 今までのやり方や慣習を知らない。 「大丈夫です。私がしっかりと教育……いえ、サポートします」 「時間をかければ覚えられるものだから、心配は要らないわ」 「それより、あなたたちは、自分たちの強みを自覚した方がいいと思うの」 「強み、ですか?」 望月さんが笑顔でうなずく。 「あなたたちほど、沢山のサポーターに恵まれた生徒会執行部は今までなかったわ」 望月さんが小太刀を見る。 そして、窓から学園の敷地を見渡した。 「彼らとの繋がりを忘れずにいれば、きっと今までにないことができるはずよ」 「はい、ありがとうございます」 「それじゃ、私はこれで」 「あとは、あなた方で頑張りなさい」 軽やかに微笑んで、望月さんが部屋から出て行った。 残されたのは、新しい生徒会執行部の面々。 何のことはない。 図書部に、小太刀と多岐川さんが入部したと思えばいいのだ。 「会長、一つ挨拶を頼む」 「え? ……う、うん」 いつものように戸惑いつつ── それでいて、出会った頃より何倍も頼もしい顔つきで、白崎が俺たちの前に立つ。 肩書きのせいではないだろうが、白崎はまた一歩成長したように思う。 屈託がなくなったというか、今までわずかに存在してた、影のようなものがなくなった。 「新しく生徒会長になった、白崎つぐみです」 『知ってるー』とヤジが飛ぶ。 「これといって才能がない人間だから、きっとみんなに迷惑をかけると思います」 「でも、これだけは約束するね」 「わたしは、生徒の一人一人が、今よりもっと楽しく過ごせる学園を作ります」 「そして、絶対に諦めません」 「だから、みんな、これから1年間私を支えて下さい。よろしくお願いします」 白崎が深々と頭を下げる。 誰からともなく、拍手が上がった。 「これからも頑張ろう」 「よろしくお願いします」 「世界遺産を、見捨てるわけないじゃないですかー」 「ま、せいぜい頑張ってね」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 「面白くなるといーねぇ」 「全力でいこうや」 白崎を中心に、それぞれが言葉を交わす。 「筧くん、これからもよろしくね」 身を寄せてきた白崎が、耳元で囁く。 「ああ、こっちこそ」 白崎の手をきゅっと握る。 「お熱いこって」 「俺も頑張りたいなぁ」 高峰が黄昏れる。 「筧、これからもよろしく」 近づいてきた桜庭が、前を向いたまま言う。 「一緒に頑張ろう」 桜庭の手をきゅっと握る。 「お、おい、人前で……」 「まったくだ、お二人さん」 高峰が黄昏れる。 「これからもよろしくお願いしますね、センパイ」 近づいてきた御園が、上目遣いに言った。 「ああ、もちろん」 御園の頭をぽんぽんと撫でる。 「あーあ、俺の千莉ちゃんがいつの間にか……」 「最初から高峰先輩のものじゃないですから」 「ですよね」 高峰が黄昏れる。 「筧さん、これからもよろしくお願いします」 近づいてきた佳奈すけが、さりげなく言ってくる。 「こっちこそ」 佳奈すけの手をきゅっと握る。 「か、筧さん……」 「いいよなぁ筧は」 高峰が黄昏れる。 「ぶふ」 どこからともなく、のそりとデブ猫が現れた。 「あ、ギザ様もいらっしゃったんですね」 「全員集合だね」 「そうだ! 記念撮影しようよ」 「ああ。ここで撮らずにどこで撮る」 白崎がお得意のセルフタイマーをセットし、みんながひと塊りになる。 「はーい、点滅してるよー」 ここまで、ずいぶん寄り道をしてきた気がする。 いや……きっと、これからも変わらない。 俺たちは、そこらじゅうで寄り道をし、つまずき、迷い続けるだろう。 個人の力は小さい。 一人一人で立ち向かったら、すぐに挫けてしまうかもしれない。 でも、協力することを忘れなければ、最後にはきっと上手くやれるはずだ。 だって、俺たちはただの仲間じゃない。 共に困難へ立ち向かうことを約束した仲間なのだから。 「私は羊飼いを目指してんの。人と馴れ合ったっていいことないでしょ」 「おい、小太刀」 「はいはい、気が向いたらね」 「んじゃっ」 「おい、どこ行くんだ」 あいつ、まだ羊飼いを諦めないのか。 施設にいた人間は、それなりの目に遭ってきている。 あいつが人の幸福を祈れなくても、責めることはできない。 俺だって、最近までは同じだった。 でも、このままじゃ、どう転んでもナナイさんから合格の言葉は引き出せないだろう。 ……。 いや、それより心配なのは、別れ際の態度だ。 小太刀の奴、このままフェードアウトする気じゃないのか? ……放っておけないよな。 通行人だらけの道をずんずん進む。 目的地なんてない。 とにかく歩きたかった。 「(ふざけないで……ふざけないでよ!)」 筧が合格で、私が不合格? まったく意味がわからない。 何で私が落ちるのよ? 筧の説明なんかじゃ納得できない。 あー、イライラするイライラするイライラする。 すれ違いざま、カップルと肩がぶつかった。 ぶつかったのは女の方なのに、彼氏がすごい顔で睨んでくる。 ここぞとばかり、いいかっこしやがって。 まったく、嫌な男。 「……」 ……そうだ。 思わず足を止める。 男だよ、男。 不合格の原因は筧だ。 もやもやしている筧への気持ちを、ボスに見抜かれたに違いない。 羊飼いに大切なのは、全ての人に平等であること。 それはつまり、誰にも執着しないことでもある。 友人も家族も恋人も作らず、フラットな気持ちで人間を見守らなくてはならない。 でなけりゃ、平等に接することなんてできないのだ。 もう一度考えてみよう。 私は、羊飼いになるために今まで頑張ってきた。 毎日毎日、迷える子羊を幸せにするため、日本中を駆け回ってきた。 不老不死の羊飼いならまだしも、私は見習だ。 精神的にも肉体的もダメージを受ける。 ストレスで何も食べられない日もあったし、下手を打って怪我をしたこともあった。 永遠を前にして、不安で不安で一晩中泣き続けたこともあった。 それでも羊飼いになりたい。 この世界は私の生きる場所じゃないから。 ケダモノの世界を飛び出し、私は自由になるんだ。 ……。 幸いにして、私はまだボスから見捨てられていない。 今からでも挽回できるはず。 「……よし」 つまらない恋愛感情なんて切り捨てよう。 そして、正式な羊飼いとなり、もっともっと高いところへ行くんだ。 午後10時過ぎ。 小太刀の部屋を訪ねたが、部屋は無人のようだ。 電話にもメールにも反応がない。 ……。 まさか、このまま蒸発なんてことはないよな。 見習いとはいえ、小太刀は羊飼いだ。 10日も会わなければ、俺はあいつのことを忘れてしまう。 「……」 想像した瞬間に、胸がぎゅっとなる。 今までにない感覚だった。 唐突に、背後で足音がした。 「……」 「小太刀……」 小太刀が気まずそうに視線を逸らす。 「今までどうしてたんだ? 何度も連絡したのに」 「ちょっと仕事が忙しくて」 「おまけにさ、仕事先で携帯の電池切れちゃったの。ごめん」 ぺこりと頭を下げる。 「それより、私んちに何の用?」 「心配だったんだよ。電話に出なかったから」 「何か急ぎの用でもあったの?」 「ああ、ちょっと聞きたいことがあって……」 小太刀に、選挙の件をざっと説明する。 「はあ? つまり、選挙の勝ち方が知りたいってこと?」 「ああ」 「そんなん無理に決まってるっしょ?」 「仕事に関係ない人の本は読めないって言ったじゃない」 ばっかじゃないの、という顔をされた。 「なら、俺が羊飼いになりゃいいのか」 小太刀の表情が硬くなる。 「そんな理由で羊飼いになるなんて、絶対許さないからね」 「仲間のために羊飼いになるってのは悪いことなのか?」 「胡散臭〜」 「私は『人のため』なんて一番信用できないけど」 「お前はそうかもな」 「俺様ちゃんは違いますか。まーいーですけどね」 へっ、と鼻で笑われた。 「大体さ、選挙に勝った後どうすんのよ」 「羊飼いは途中でやめらんないんだからね?」 「そりゃまあ、不老不死らしいし」 「平気なの?」 小太刀の目が細くなる。 俺が失言をしたかのようだ。 「まだ想像できてない」 俺の返事を聞いて、小太刀は視線を落として唇を引き結んだ。 「なんでこんなのが合格なのよ……私が馬鹿みたいじゃない」 「すまん」 「あ、謝んないでよ……筧は悪くない」 気まずい沈黙が流れた。 「私は、羊飼いになること諦めてないからね」 「前も言ったけど、考え方を変えないときついんじゃないか?」 「私には、羊飼いしかないの」 「あんたがどうしようと勝手だけど、私の邪魔だけはしないで」 「俺、邪魔したことあったか? 協力しかしてないつもりだったけど」 「あるのよ、いろいろ」 視線を逸らしながら、小太刀が呟く。 「悪いけど、これからは部屋に来ないで」 「あと、仕事でしばらくは学校に行けないから……よろしく」 小太刀がドアの鍵穴に鍵を差し込む。 「じゃ、お休み」 「ちょっと待て」 ドアを開いたところで、声をかける。 「家でも学校でも会えないんじゃ、どうしたらいいんだ」 「電話してよ」 「出なかっただろ」 「それは電池が切れてたからだって」 小太刀がドアを閉めようとする。 「待て待て待て」 がっしりドアを掴む。 「離して」 「いきなりいなくなるのだけは、やめてくれよな」 「またお前のことを忘れるなんて、ぞっとしない」 「……」 小太刀が目を見開いた。 「べ、別にいいでしょ、もともと大した思い出なんてないんだから」 「4月から今まで、たくさんあるだろ」 頬がわずかに染まる。 「……覚えてないよ」 ドアが閉まった。 「……」 あいつ、本気で消えるつもりじゃないだろうな? さすがにないと思いたいが、この様子じゃあやしいものだ。 注意しておかないと。 「はあ……」 床にへたり込んだ。 頭の中で、筧の言葉が何度もこだまする。 『いきなりいなくなるのだけは、やめてくれよな』 『またお前のことを忘れるなんて、ぞっとしない』 「ぞっとしないなんて、今どき言わんでしょうよ……馬鹿……」 どうにも駄目だ。 胸のスイッチが入ってしまったのか、あいつの声を聞くだけで頭がフワフワする。 このままじゃ、本気で試験に落ちてしまう。 もし羊飼いになれなかったら……私はどうなっちゃうの? 頭の中で、かつての生活が蘇る。 家族からいじめ抜かれた幼少期。 他の子供が当然のように得ている『普通』には、どうやっても手が届かなかった。 悲しむことすらできなくなった頃、私は考えた。 おそらく、自分は何かの手違いでこの世界に生まれてしまったのだ── 根本が違うのだから、どんなに周囲の機嫌を取ろうとしても上手くいかない。 種類が違うのだから、何をしたってなじめない。 周りはケダモノで、私は人間。 普通に生きようとしたら、本来いるべき世界に帰るしかないのだ。 施設に入れられてからも、何も変わらなかった。 周囲は似たような境遇の奴ばかりだったけど、所詮は住む世界が違うのだから、話す価値もない。 結局は違う世界の住人だ。 何年かして里子にもらわれたけど、裕福で人の良さそうな里親夫婦はしかし、人ですらなかった。 でも、もう慣れたものだ。 生まれてきた世界を間違えたんだから、しゃーない。 しゃーない、しゃーない。 そう思っていたある日、私の前にボスが現れた。 羊飼いにスカウトされた時、私の心は清々しいほどに晴れ渡った。 やっぱり、私は生まれてくる世界を間違えていた── 私は、羊飼いになるために生まれてきたのだ── そう思えたから。 だから、私が羊飼いになれないなんてありえない。 つまらない感情に、惑わされちゃいけない。 「(……もう、この家には帰らない方がいいよね)」 土日は、休日返上で選挙活動だ。 ビラ配りや握手会はもちろん、放送部が作っている動画の撮影など、予定は目白押しである。 「白崎つぐみを、よろしくお願いしまーす」 「……しまーす」 ビラを配りながらも、視線は小太刀を探している。 前に小太刀と会ってから3日。 メールにも電話にも反応がない。 忙しいだけかもしれないし、まだ慌てるタイミングじゃないとは思う。 でも、理性とは別の部分が急いていた。 「ふう……」 午前中から続いた仕事がようやく終わった。 今日の子羊ちゃんは絵描き志望の女子生徒。 すれ違いざまに、持っていたコーヒーをこぼさせるという仕事だった。 コーヒーをこぼすことで、近くにいた男子生徒が助けてくれ、二人はこの先恋愛関係になる。 男は平凡な理系男子だが、彼との交流が女子生徒に良い影響を及ぼすのだ。 コーヒーが人生変えるなんて、当人は想像だにしないだろう。 「ったく、せいぜいお幸せに」 ぶつくさ言いながら、濡らしたハンカチでスカートにかかったコーヒーを拭く。 あー、こりゃシミになるわ。 羊飼いも楽じゃないね。 「……?」 筧の声が聞こえた気がして、反射的に顔を上げてしまう。 ……もう忘れるって決めたのに。 そういえば、今日は何をしてるんだろう? ビラ配りか、それとも握手会か、もしかしたらメディア出演かもしれない。 ビラを配っているなら、さっき聞こえたのは空耳じゃないのかも。 「(会えるかな?)」 そう思ってから、慌てて頭を振る。 『会えるかな』じゃない。 『遭遇しちゃうかな』だ。 だって、私は会いたくないんだから。 ……ともかくも、次の仕事には行かなくちゃいけない。 「白崎つぐみに、清き一票をお願いしまーす」 「どうした? 元気ないんじゃね?」 ビラを配っていると、高峰が声をかけてきた。 「ん? そうか?」 「さっきからキョロキョロしてるし」 「あ、あれか、美人でも探してんの?」 「いや、どっちかってと可愛い系だな」 「おいおい、誰だよ」 「つーか、俺に内緒で誰か狙ってるなんて水くさいじゃんよ」 「冗談だって。俺は高峰一筋だよ」 「ははは、知ってたよ」 高峰は、気持ちよく笑ってから、俺の背中を一つ叩いて離れていった。 高峰に気を遣われてしまった。 選挙に集中しないといけないな。 ちらりと携帯を見るが、返信はない。 小太刀の奴、何をしているのやら。 路電が近づいてきた。 騒音に負けないよう声を張る。 「白崎つぐみを、よろしくお願いしまーすっ」 「……あ」 人だかりの中に筧の顔が見えた。 これだけ人がいても、すぐにわかってしまった。 どうかしてる。 路電が減速、停車する。 「来週の投票では、ぜひよろしくお願いしまーす」 「白崎つぐみ、白崎つぐみが汐美学園を楽しくしまーす」 ドアが開き、筧の声が飛び込んでくる。 「……」 我知らず座席から腰が浮く。 何してるんだろう。 私は羊飼いになると決めたのに。 腰を椅子に押しつけ、目をつむる。 「よろしくお願いしまーす」 「あー、疲れた」 一仕事終え、校舎を出た。 今日、面倒を見た迷える子羊ちゃんは2人。 両方ともややこしいケースで、妙に神経を使ってしまった。 携帯にメールの着信があった。 筧だ。 このところ、1日1回はあいつからメールがある。 内容は他愛もないものだが、私と連絡が取れなくなるのを懸念しているらしい。 本当に勘がいい。 「(バイバイ)」 本文を見ずに削除しようとする。 『元気か?』という味も素っ気もないタイトルが、指先を迷わせた。 ……元気じゃないわよ。 ……誰のせいで苦しんでると思ってるの。 反論を脳内で繰り返し、結局、メールを削除できずに携帯をしまう。 はぁ、何でこんなことになってるんだろう。 筧を忘れなきゃいけないのに、忘れられない。 あんな奴、どーだっていいじゃん。 元々、大した関係じゃないんだし。 あれは4年前── 施設で初めて見かけたとき、筧は本を読んでた。 次に見かけたときも読書。 次も、その次も。 つまりは、『本を読む青年』の銅像が置いてあるのだと思い、私は諦めた。 再び筧と関わったのは、しばらく経ってからのことだ。 動物嫌いを周囲に知られ、男共にいじめられていたところを筧に助けられたのだ。 奴からすれば、読書の邪魔なので静かにさせたかっただけだろう。 くだらない話だが、嬉しかったのだから仕方ない。 それから、何度か話しかけようとするものの、緊張しすぎて全て失敗。 私が里親に預けられることで、甘酸っぱい時間は終わった。 それだけのこと。 だから、向こうがこっちを覚えていないのは当然だ。 溜息をつき、思い出をくしゃっと丸めて捨てようとする。 しがらみを全部捨てなくちゃ、羊飼いにはなれない。 「迷っているようだね」 不意に、横合いから声をかけられる。 自販機脇のベンチにボスが座っていた。 いつも神出鬼没だ。 「何のことです?」 「将来のことだよ」 ボスが穏やかに笑う。 色のない、さらりとした笑顔。 どことなく、筧の顔に似ている気もする。 「もし迷っているなら、君は羊飼いにならない方がいいのかもしれない」 「はあ? 突然何ですか?」 突き放されたように感じ、思わず声が高くなる。 通行人が怪訝そうにこっちを見るが、気にしない。 「いきなり見捨てないで下さい」 「見捨てはしないよ。全ては君が決めることだから」 「でも、今のままじゃ、羊飼いになるのは難しい」 「どうしてですか」 「それは、君が一番わかっているんじゃないかな」 わかっている。 筧が教えてくれた通りだ。 私は、人の幸せを心から祈ることができない。 生きている世界が違うのだから。 無言のままでいると、ボスは一つうなずいた。 「もしわからないというのなら、一つ質問をしよう」 「君は、筧君にどうなってほしい?」 「……筧?」 意外な質問だった。 「羊飼いになってほしいか、ほしくないか。それとも別の答えか」 羊飼い。 改めて、その単語を吟味する。 永遠の時を生き、人の幸福のために働き続ける。 にもかかわらず、誰からも記憶されることはなく、風のように無色透明。 ふいと現れ、どこへともなく消えていく。 喩えるなら、ちょいとストイックなサンタクロースだった。 誰もがその名を知っている。 でも、彼のパーソナリティを知る者はいない。 好きな食べ物、色、匂い、女性の好み……誰か答えられる? 世界中の子供を愛するが故に、誰も愛さない。 家族も友人もなく、ただ一人、子供のために生き続ける。 個性のない、役割に名前がついただけの存在。 そんなものに、筧がなるとしたら? 「小太刀君の答えは?」 いやいや、羊飼いは立派な存在だ。 筧がなっても問題ないはず。 なのに引っかかる。 なってほしい? ほしくない? 「なるほど、よくわかった」 答える前に、ボスが微笑んだ。 「え? まだ答えてないですけど」 「沈黙も『別の答え』の一つだよ」 「つまりね、やっぱり、君は羊飼いに向いていないということかもしれない」 「はい?」 疑問も一瞬。 ボスの言葉の意味を悟る。 今の質問は、迷ってはいけないのだ。 求められていたのは、『その人の望むように』と即答することだった。 それが、人を平等に扱うこいうこと。 ボスは、逆説的に、筧が特別な存在かどうかを訊いてきたのだ。 平等と人間上位の原則。 その二つの意味で、私は不適格だった。 でも……。 「私はね、羊飼いになることが全てじゃないと思う」 「人生は長い。いろいろな選択肢を考えてみるのもいいんじゃないかな」 「今になって、そんなことを言わないで下さい」 「私は、ボスに憧れて羊飼いになろうと決心したんです」 ありったけの想いを込めてボスを見る。 だが、ボスはいつものように優しく微笑んでいるだけだ。 その笑顔は、誰に向けられるときも温度差がない。 羊飼いは、あらゆる人間を平等に見る。 ボスにとっては、私も、かつての友人や家族も、遠い国の誰かも、同じ重さしか持っていない。 等しく、見守るべき人間だということだ。 そう……最初からわかってる。 私は人間なのだ。 生まれてくる世界を間違えた何者かではない。 星の数ほどいる、ちょいと不幸な人間の一人でしかない。 帰るべき世界なんてどこにもないのだ。 でもさ、逃げたっていいじゃない。 もし、人間を辞められるなら、辞めたいと思うじゃない。 こんなにもどうしようもない世界から、抜け出したいと思うじゃない。 でなきゃ、自分が消えるしかなかったのだから。 「チャレンジするのは自由だから、気の済むようにしたらいい」 「私にとっては、羊飼いになることが全てです」 「……諦めません」 言い放ち、会釈をする。 そのままボスの前から立ち去った。 「駄目か……」 小太刀にメールをしてしばらく経ったが、返事はない。 連絡が取れなくなって4日目。 今までにも4、5日連絡をとらなかったことはある。 でも、今回は別だ。 胸の奥で、どうしようもない不安が鎌首をもたげている。 「家でも学校でも会えないんじゃ、どうしたらいいんだ」 「電話してよ」 「出なかっただろ」 「それは電池が切れてたからだって」 電池のせいじゃない。 電波の届かないところにいるわけでもない。 3日間、メールに返信できないほど忙しいのか? それも考えにくい。 だとしたら、あいつは意図的に関係を絶とうとしているのだ。 なぜ? 「私には、羊飼いしかないの」 「あんたがどうしようと勝手だけど、私の邪魔だけはしないで」 「俺、邪魔したことあったか? 協力しかしてないつもりだったけど」 「あるのよ、いろいろ」 俺が、羊飼いになる邪魔をしているから? あいつが羊飼いになれないのは、第一に人の幸せを見守るスタンスに立てないからだ。 しかし、これは小太刀個人の思想の問題で、俺とは関係ない。 俺があいつを邪魔できるとしたら……。 「(小太刀が俺のことを?)」 まさかとは思う。 でも、もし正解なら、俺が小太刀の邪魔をしていることになる。 恋愛感情が邪魔になって先に進めないなんて、漫画じゃあるまいし。 そう思いながらも、胸が狭まるような感覚があった。 小太刀の羊飼いに対する思い入れは本物だし、できれば邪魔はしたくない。 とはいえ、小太刀が恋愛感情を捨てたとしても、おそらく羊飼いにはなれないだろう。 あいつは、根本的に人間を信じていない。 再三『導く』と口にしていたことからも、小太刀はつまるところ人の上に立ちたいのだ。 これじゃ、ナナイさんはOKを出さない。 このまま試験を続けても、ロクなことがないと思う。 「小太刀……」 ベッドに転がり、もう一度携帯を見る。 電話にもメールにも反応はない。 隣の部屋にもいない。 学園にも来ない。 このままじゃ、俺は小太刀を忘れてしまう。 図書部のみんなや嬉野さんがそうだったように、俺も綺麗さっぱり忘れるのだ。 忘れてしまえば、悲しみも辛さもないはずだ。 でも、それでいいのか? いいわけない。 あいつは大事な友達……。 そう、友達だ。 たまには部室に乗り込んできてくれないと、部活がしまらないじゃないか。 「……」 そこらへんを探してみるか。 手がかりはないが、偶然遭遇するってこともあるかもしれない。 高峰と別れてすぐ、小太刀に電話をする。 繋がらない。 仕方なく、メールで図書部の危機ともう一度会いたいことを伝える。 小太刀は見てくれるだろうか。 そもそも、祈りの図書館は電波が届いてるのか? 確か圏外だったよな。 「(……くそ)」 すぐに家に帰る気にはなれず、駅前のベンチに座り込む。 夜空を見上げると、さっき見た小太刀の幻影が頭に浮かんだ。 あいつはまだ、羊飼いになろうとしている。 だからこそ、祈りの図書館にいたのだ。 羊飼いになれば、永遠の中、誰にも記憶されることなく生きていかねばならない。 それは、どれほどの孤独だろう。 このまま、あいつを止めなくていいのか? 今の小太刀と、図書部に入る前の俺はきっと一緒だ。 人が信じられず、安らげる場所もない。 俺が読書で安息を得ていたように、あいつは羊飼いという人より高い位置に立つことで自分を保っていたのだろう。 同じ道を歩いてきた俺たちを別ったものがあるとすれば、それは人との関わりだ。 俺は、図書部の活動の中で人間不信を克服してきた。 みんなが克服させてくれた。 小太刀が、未だに自分を守るために羊飼いを志望してるなら、俺は教えてやりたい。 心を許せる仲間は必ずいる。 この世は捨てたもんじゃない。 そして何より、誰かと生きる毎日は楽しい、と。 図書部のみんなが俺に教えてくれたことを、今度は俺が小太刀に伝えるんだ。 今までもやっとしていた感情が、胸の中で明確な形を取っていく。 小太刀に幸せになってほしい。 同情でも哀れみでもない。 ただ、あいつの笑顔が見たいと思う。 「……そっか」 思わず声が出た。 これが、誰かを特別に思うということか。 人生で初めての感覚だ。 図書部のメンバーも大切だが、それとはまた違う。 わかってしまうと、人間を平等に見るなんてのは、どだい無理な話だと気づく。 どうしたって、小太刀のことを優先してしまうだろう。 こりゃ、羊飼いなんて務まりそうもないな。 小太刀とすれ違うことを期待し、商店街を一周してから家に向かう。 すれ違う人の顔もそれとなく窺ったが、小太刀は見つからない。 でも、新しい発見があった。 小太刀と似た髪の子を見るたびに、動悸が激しくなるのだ。 信じられないほど鮮烈な感覚だった。 まるで全身に電気が走るよう。 その一瞬、何も考えられなくなる。 世の多くの人間が、恋の歌だの詩だのを書く気持ちがようやく理解できた。 同時に、焦りも強くなる。 このまま、小太刀と会えなかったらどうなる? 想像するだけで、胸が痛くなった。 1時間ほどして、家の前まで帰ってきた。 小太刀の部屋には、やはり電気が点いていない。 メールの返信も、もちろんない。 ……駄目か。 階段を2階まで上がる。 前触れもなく雨が落ちてきた。 バケツをひっくり返したかのような雨。 ゲリラ豪雨だ。 吹き込む雨に、左半身は一瞬でしとどに濡れる。 だが、冷たさは感じない。 視線の先に、奇妙な隣人が立っていたからだ。 「……小太刀」 ふらふらと、数歩近づく。 「また会えて良かった」 「戻ってくる気なかったんだけどね」 言いながら、いつものように腕を組んだ。 「メール、見てくれたのか」 「別に」 しれっと返される。 おそらく見てくれたのだろう。 図書部のことを心配してくれたと思うのは、願望が入りすぎか。 「濡れるから部屋に入ろう」 「もう濡れてるじゃん」 小太刀がつまらなそうに笑う。 部屋に入る気はないようだ。 また消えるつもりなのだろう。 何とか引き留めないと。 「どうしていきなり消えたんだ」 「それより」 言葉が遮られた。 「夕方のアレ、どういうこと?」 「どうやって祈りの図書館に入ってきたの?」 どうやら、あの時のことは小太刀と共有できているようだ。 「夢じゃなかったのか」 「現実よ。ボスは夢だと思いたいみたいだけど」 「で、どうやって図書館に来たの?」 「図書部の奴らの未来を見たんだ」 「いつもみたいに能力を使ったら、祈りの図書館が見えてきた」 「信じられない」 「意識を保ったまま図書館に来られるなんて……」 小太刀が苦虫をかみつぶしたような顔になる。 「強い未来予知能力を持つ人間でも、あそこまで明確な形で図書館に入ることはできないわ」 「ボスが目をかけるだけあって、さすがの能力ね」 「んなこと言われても、実感が湧かないな」 溜息をついて、小太刀が説明してくれる。 祈りの図書館には、羊飼い以外に本を閲覧されないよう、人間の侵入を遮断する障壁があるという。 だから、通常、羊飼いの協力なしに館内に入ることはできない。 ただ、例外もある。 いわゆる未来予知能力者は、図書館に入らずとも、夢や幻視といった形で本の内容を知ることができる。 喩えるなら、本の内容が頭の中にダウンロードされるイメージだ。 しかし、俺は幽霊のような状態で祈りの図書館に現れたという。 未来予知の対象と目的が曖昧なまま、能力を使ったことが原因らしい。 稀に見る能力の強さだということだが……。 「何にしても、本が読めなきゃ意味ない」 「小太刀、俺に協力してくれないか?」 「本の内容を教えろってこと? お断りよ」 「ここで規則違反なんてしたら、絶対に羊飼いになれなくなっちゃう」 「やっぱ、羊飼いは諦めてないか」 「当たり前でしょ」 「大体、筧は試験に受かってるんだから、自分で羊飼いになって本を読めばいいじゃない」 「それも考えたよ」 「でも、俺は羊飼いにはならない」 「なんで? せっかく合格したのに」 「大事にしたい人がいるんだ」 特定の個人を大事にすることは、平等原則に反する。 今の俺には、人間全体の幸福より、ある人の幸福の方が重い。 「はあ? 今さら気になる女でもできたの?」 「だったら、試験中に申告しなさいよ」 小太刀が吐き捨てるように言う。 「気づいたのが最近なんだよ、仕方ないだろ」 「うっさいわ、ボケ」 キレ気味である。 「んで、誰が気になってんの?」 「お前」 小太刀が忙しげに目を逸らす。 「はあ!? バッカじゃないの!?」 「本気だ」 小太刀が、一瞬たじろいだように見えた。 「意味わかんないし、もう帰るわ」 小太刀が俺の脇を通り過ぎようとする。 「待ってくれ」 小太刀の手首を掴む。 「は、離してよ」 「もう、戻ってこないつもりだろ?」 「私の勝手でしょ。そのうちまた来るわよ」 「俺が全部忘れた頃にか?」 視線がぶつかり合うと、小太刀はするりと目を逸らす。 「小太刀には幸せになってほしいんだ」 「別に、俺の彼女じゃなくたっていい」 「だったら行かせてよ」 「私の幸せは、羊飼いになることだし」 「お前は羊飼いになれない」 きつい視線で睨んできた。 「あんたまで、そんなこと……」 「ナナイさんにも言われたのか」 「知らないわよっ」 激しくかぶりを振る。 「試験に受からない理由、もうわかってるんだろ?」 「!?」 腹立たしげな目で、俺を見る。 だが、やがて視線から敵意は失せた。 「何で……ボスと同じこと言うのよ」 手を離すと、小太刀は1メートルほど距離を取った。 立ち去る気配はない。 「私は、人の幸福なんて祈れない」 「あんただってわかるでしょ、同じ施設にいたんだから」 「ああ」 「あそこにいた人って、言ったらみんな訳ありじゃんか」 いわゆる虐待があった人間が多数。 その他にも、親を事故で失ったり、そもそも親が誰だかわからなかったり……。 何にせよ、施設にいた人間は、人間不信になるには十分な問題を抱えていた。 「今まで言ってなかったけど、筧と同じで、私にも未来予知の力があったの」 「それで、ナナイさんからスカウトされたのか?」 小太刀がうなずく。 「子供の頃は夢が現実になるのが嬉しくて、周りに自慢して回ってた」 「でも、それがどういう結末を生むか……わかってるでしょ?」 俺の場合は死神だの悪魔だのと言われ、クラスでの立場を失った。 やがては親にも話が伝わり、俺は厄介払いをされるように施設に入れられたのだ。 小太刀も似たような経験をしているのだろう。 ずいぶん前に、小太刀と能力について話をした時があった。 妙にリアルなことを言うと思ったものだが、その理由がようやくわかった。 お互い同じ経験をしていたのだ。 「施設に入ってからだって、不幸自慢するほどじゃないけど、それなりの目に遭ってきた」 「里親だってロクデナシだったよ」 「暴力振るうし、ゴミ箱漁るし、盗聴するし……」 「どうやったら、人の幸せなんて祈れるのよ?」 「……」 俺だって、見ず知らずの人間の幸せを祈れるような聖人君子じゃない。 そもそも、生まれてこの方、人の幸せなんて願ったことはなかった。 自分以外は敵だったからだ。 施設に入り、周囲に敵がいなくなっても身体に染みついた警戒心は、なかなか抜けなかった。 「俺も、白崎達と出会うまでは小太刀と同じだった」 「でも今は違う」 「図書部メンバーの幸福は願えるし、それに何より……お前の幸せを願ってる」 「やめてよ……」 小太刀が、辛そうに目を逸らす。 「つまり、筧は図書部で真人間になるリハビリしてたってわけね」 「そしたら、筧には感謝してもらわないと」 「図書部を集めたのは、この小太刀様なんだからね」 目の錯覚か、小太刀の瞳が潤んでいるように見えた。 「感謝してる」 「当てつけで言ってんのよっ」 言葉を投げつけてくる。 「羊飼いを諦めるのは辛いと思う」 「でも、このまま行ってもロクなことないんじゃないか?」 「うっさいです。自分のことは自分で決めますー」 「俺が最後まで付き合うから、普通の生活を目指してみないか?」 「うっさいっ」 怒気を孕んだ声が、雨音をはねのける。 「私はね、アンタみたいに生きられないの」 「羊飼いになれないから、じゃあ、これからはお手々繋いでいきましょなんて無理に決まってる」 「時間はかかるかもしれない」 「無理つってんでしょっ」 何かを振り払うように、腕を真横に振る。 「何が最後まで付き合うよ、アホらしい」 「大体ね、私はあんたらの人生を弄んだんだからね」 「図書部の話なら、感謝してるって言っただろ?」 小太刀が、濡れた髪を鬱陶しそうにかき上げる。 「アンタ勘違いしてる」 「私は筧を真人間にしたかったわけじゃないの。ただ、一次試験で落としたかっただけ」 「アンタが図書部に入れば、誰かとくっついて、試験はおしまいになるはずだった」 「回りくどいことを……」 「筧の本を読んだら、手段はそれしかなかった」 「読書中毒の人間なんか、ほっといたら誰かに特別な感情なんて持たないでしょ」 「アンタは元々、高確率で羊飼いになる運命だったのよ」 小太刀の目には様々な感情が浮かんでいた。 怒り、悔恨、悲しみ……。 しかし、声にはどこか懺悔に近い響きがあった。 「何でまた、俺を落としたかったんだ?」 「私よりボスに評価されてるのが気にくわなかったのよ」 「それに、気になってた……」 言いかけて、小太刀がはっとなる。 だが、思い直したようにきつく腕を組んだ。 「……気になってた人に忘れられたら、ちょっとイラっとくるでしょ?」 「しかも、そいつの試験監督は任されるし……能力は高いし」 「だから、ちょっとからかってやりたかったのよ。逆恨み……ただの逆恨み」 「アンタが忘れたのは私のせいだし、そもそもつまらない片思いなんだから」 言いながら、小太刀が自嘲的な笑みを浮かべる。 目尻から、涙が一筋落ちた。 「なのに……筧は、どの女にも引っかからないし、試験に受かるし……」 「……私をかまってくるし……」 「そのせいで、私は……羊飼いに、もう…………なれない……」 小太刀が唇を噛んでうつむく。 つまり、小太刀は俺を特別な存在として……。 これ以上なく、いびつな告白だった。 全ては、小太刀にとって最悪の道に進んだのだ。 俺は図書部の誰ともくっつかず、試験に合格。 更に悪いことに、小太刀は俺への感情のせいで羊飼いへの道を閉ざされた。 でも、俺にとっては悪くない未来だった。 いや、小太刀には感謝してもしきれない。 図書部のメンバーや、何より小太刀と出会わせてくれたのだから。 それに、俺の前にはまだ、小太刀と生きていく道が残ってるじゃないか。 「それでも、感謝してる」 「……やめてよ……」 小太刀がうつむいた。 薄い肩が小刻みに揺れる。 「小太刀のお陰で、俺は毎日が楽しくなった」 「世の中、そんな捨てたもんじゃないって思えるようになった」 「だから……だからこそ、お前に伝えたいんだ」 「……一緒にやってこう」 「…………」 小太刀はうつむいたままだ。 「私には無理だよ……今さら、人として生きてくなんて」 「ゆっくりでいいんだ」 「まずは、俺のことを信じてみてくれ」 「そしたら、次は図書部の奴らを信じてみたらいい」 「きっと、何かが変わるはずだ」 小太刀が俺を見つめる。 「毎日は、楽しいんだ」 「筧……」 気がつけば、雨は上がっていた。 小太刀の濡れた髪から水滴が落ちている。 ブラウスから透ける肌は、月光にいよいよ白さを増し、氷のような冷たさを感じさせた。 ずっと……。 小太刀も俺も、ずっとずっと見えない雨に打たれてきた。 傘を差し伸べてくれる人なんていなかった。 だから、一人で雨に耐えることばかりが上手くなってしまった。 ……いや、きっと雨に叩かれているのは不幸な人間だけじゃない。 程度の差はあれ、誰の上にも雨は降るのだ。 心身を凍えさせる、冷たい雨。 往く先を迷わせる、霧のような雨。 すべてを叩き壊す、暴力的な雨。 生きている限り、それぞれの上に、それぞれの雨が降る。 でも、もし誰かと手を繋ぐことができたら、 もし、誰かと抱き合うことができたら、 どんなに悲しい雨の中でも歌えるかもしれない。 どんなに冷たい雨にも耐えられるかもしれない。 「ずっと傍にいる」 「小太刀……俺は、お前が好きなんだ」 小太刀の華奢な肩に触れる。 少女は、眠りから覚めるように、ゆっくりと顔を上げた。 「んっ…………」 唇を塞ぐ。 どうしてどうしたのか、自分でもわからない。 ただ、小太刀を温めたいと思ったのだ。 「ちゅ……んっ……ふう……」 小太刀が苦しげに鼻で息をする。 でも、抵抗の意思は感じられない。 「ん……」 小太刀が離れた。 まん丸な目を涙に潤ませ、小太刀が俺を見ている。 「私、筧達を騙したんだよ」 「怒ってない」 「みんなだって、そう言うはずだ」 「でも……」 「大丈夫」 微笑んで答える。 小太刀は、何かを諦めたかのような顔で静かに首を振った。 「……私、駄目」 「何が?」 「もう、羊飼いになれない」 「だって、筧が特別になっちゃったから」 「小太刀……」 困ったような顔で笑う小太刀を、しっかりと抱きしめる。 熱い体温が、全身に伝わってくる。 これが人の体温か。 「責任、取ってよね」 「もちろん……ずっと一緒にいる」 小太刀がうなずくと、身体が一段と熱くなる。 これから先、俺たちは何度も雨に降られるだろう。 でも、心配は要らない。 小太刀と一緒なら、どんな雨にも耐えられる。 そんな確信と共に、俺は小太刀を抱く腕に力を込めた。 部屋に入り、身体を拭きつつコーヒーで身体を温める。 「で、何? つまり、祈りの図書館に忍び込んで本を読んでこいってこと?」 小太刀がバスタオルで頭を拭きながら言う。 「ああ。そうすれば、図書部を何とかする方法がわかると思うんだ」 「筧が、白崎とかの未来を見たらいいじゃない」 「試したよ。でも、見えた未来は最悪だった」 学食で見た未来の幻影は、みんなが顔を背け合っているものだった。 「きっと、このまま行ったら図書部は駄目になるんだと思う」 「だから、なんかこう、裏技的な解決策が必要なんだ」 「それを探してこいってか」 げーっという顔をする小太刀。 「でもさあ、なんか泥棒みたいだよね」 「ついさっきまでお世話になってたってのに」 冗談めかしているが、けっこう躊躇してるんだと思う。 祈りの図書館は、羊飼いを目指していた小太刀にとって、大切な場所だろう。 そこでイタズラをしようというのだ。 俺に当てはめれば、部屋の蔵書に落書きをするようなものだろうか。 「小太刀……」 「あ、へーきへーき」 俺の気持ちを読み取ったのか、言葉を遮り、ごしごしっと頭を拭いた。 「もういいの。私自身、羊飼いには向いてないってわかってたから」 「それに、私がどうなっても責任取ってくれるんでしょ?」 「どーなってもって言われると、考えるけどな」 「あんだそりゃっ!?」 バスタオルを投げつけられた。 「冗談だよ」 「介護が必要になっても見捨てないから」 「まったく……何でこんなの好きになっちゃったんだろ」 ぼそりと悪態をついてから、コーヒーを一口飲んだ。 「で、話は戻るけど、さっきの作戦には問題があるの」 「前にも言ったと思うけど、私、ボスに許可された本しか読めないのよ」 「昔、ちょいとばっかりしくじっちゃって」 「何やったんだ?」 「図書部を作る時に、手当たり次第にいろんな人の本を覗いたの」 「そしたら、すっごい怒られてさ」 「ああ……」 「お前、意外と直感で行動してるよな」 「そね。考えるのめんどいから」 「つーわけで、私ができるのは、筧を図書館に連れて行くことと、本を検索することくらいかな」 「で、俺が本を読むと」 小太刀がうなずく。 「ちなみに、誰の本を読むのがベストだと思う?」 「そうねえ……なるべく当事者の方がいいと思う」 「なら、白崎か多岐川さんか」 「あんま近い人はアレだし、多岐川さんにしとくか」 「りょーかい」 「ちなみに、図書館に行ったら、筧は見つかっちゃ駄目だからね」 「許可のない人を図書館に連れてくるのは、すっごいタブーだから」 「はいよ。完全にスパイごっこだな」 「いいじゃん、面白そうで」 「私も図書館に行くのは最後になるだろうし、パッと行きたいから」 少し寂しそうな目で、にかっと笑う。 小太刀が明るく振る舞っているのだ、俺もそうしよう。 「よし、決まりだ」 「すぐに行けるのか?」 「うん、今すぐにでも」 小太刀が、テーブルの上に、床に置いてあった本を広げる。 「前にもやったでしょ? この本に入ればすぐだから」 人差し指で、開かれたページをトントン叩く。 「よし」 小太刀に右手を差し出す。 「うん」 俺の手を小太刀が握る。 しっとりとして柔らかな感触。 初めて触ったわけじゃないのに、新鮮な感動があった。 きっと、互いの気持ちを確認したからだ。 「行こっか」 本が眩く輝く。 ページから溢れた光が、部屋を埋め尽くしていく。 「覚悟はいい?」 「ああ、行こう」 漆黒の空間に、本棚が並んでいる。 前後左右、そして上下にも。 あらゆる方向に本棚の列は伸び、果てはどこにも見えない。 「ちょっと、そこら辺に隠れてて」 「おう」 周囲に羊飼いの姿はない。 足音を忍ばせ、近くの本棚の陰に身を潜めた。 小太刀は、大きなPCのような機械の前で、何やら操作している。 「……」 しかし、静かだ。 人の話し声はおろか、物音一つ聞こえない。 図書館のあまりの広大さに、音すら吸い込まれ、消えてしまうのだろうか。 周囲の本棚には、同じデザインの背表紙がずらりと並んでいる。 タイトルも管理番号もなく、どれがどの本なのか、まったく区別が付かない。 ……。 現在の地球の人口は70億を越える。 つまり、少なくともそれ以上の数の本がここにあるわけだ。 どうやってお目当ての1冊を探すのだろう。 試しに、手近な本を手に取ってみる。 中のページには、判読できない文字がびっしり書かれている。 でも、文字の形には見覚えがあった。 昔、ナナイさんからもらった栞に書かれた模様だ。 「……」 小太刀の話じゃ、本を読むのは俺の仕事だ。 こんなもの、どうやって解読するんだ? 「筧、お待たせ」 悩んでいると、小太刀が戻ってきた。 「場所、わかったか?」 小太刀がうなずき、空中に小さなホログラムを出す。 見たところ図書館の地図だ。 「ついてきて」 小太刀の後ろについて歩く。 「筧、隠れて」 先行する小太刀の指示に従い、適宜姿を隠す。 10分ほど歩き、これで2度目。 「おや、君はたしか」 「ナナイさんの弟子ですよ。もう忘れちゃいましたか?」 「ああ、そうそう。そうじゃった」 小太刀が腰の曲がった爺さんと話している。 あの人も羊飼いか。 さっきすれ違ったのは、同じ歳くらいの女の子だった。 「もう、大丈夫」 少しして小太刀が俺の所に来た。 「さっきの爺さんは?」 「すっごいベテランの羊飼い。ナナイさんも尊敬してるみたい」 「へえ」 羊飼い内部にも、いろいろあるらしい。 「疑われなかったか?」 「大丈夫だと思うけど」 「なら良かった」 一安心だ。 「しかし、いろんな羊飼いがいるんだな」 「何で羊飼いになったんだろう?」 「さあ? 博愛精神にでも目覚めたんじゃない」 「お前、ほんと他人に興味ないよな」 「そうでもないけど」 小太刀が、ニッと笑った。 「さ、行きましょ」 更に5分ほどして、小太刀が足を止めた。 小太刀が床にしゃがみ込んだ。 なにかこう見えている気がするが、今は指摘している場合じゃない。 「見つけた」 小太刀が、一冊の本を指で指す。 「これが、多岐川さんの」 その他、数十億冊の本とまったく同じデザインの本だ。 目をつぶって一回転したら、もうわからなくなってしまうだろう。 「私は読めないから、後はよろしくね」 「いや、実は悪いニュースがある」 「さっき他の本を見たんだけど、中の文字が読めないんだ」 「読むんじゃないわよ、感じるの」 「無茶言うな、ブルースじゃないんだし」 「無茶じゃないわよ」 小太刀はいたって真面目な顔をしている。 「今まで、何度も未来予知をしてきたでしょ?」 「それはつまり、本の中身を読み取ってきたってことよ」 「そういやそうか」 何にしても、今は図書部のピンチだ。 手ぶらで帰るなんてあり得ない。 「とにかくやってみる」 小太刀から本を受け取る。 ずしりときた。 2、3キロはありそうだ。 この中に多岐川さんの人生が詰まっているなら、重いのか軽いのか。 目をつぶる。 今までの未来予知は、相手の目の中に飛び混むイメージを作ってきた。 でも、今は当人が目の前にいない。 だから、瞼の裏に多岐川さんを思い浮かべる。 想像の多岐川さんの瞳の奥── そして── 手の中の、分厚い本の中へ── 「……」 意識が帰ってきた。 見えた幻影は、かつて小太刀が仕事の時に見せてくれた樹形図のようなものだ。 樹形図はどんどん拡大され、最後には、ある一つの分岐点を映し出した。 おそらくは、多岐川さんの人生が変わる地点なのだ。 そして、俺の頭の中には分岐の条件や情景が流れ込んでいた。 「どうだった?」 「見えたよ」 「よーし、やった!」 「さっすが、小太刀様を差し置いて合格しただけのことはあるじゃん。いえーい」 小太刀とハイタッチをする。 「で、どんな感じ?」 「いや、それが……」 「うわ、しょーもなー」 小太刀がげんなりした顔をする。 「そんなんで、ホントに多岐川から部室取り返せるの?」 「らしい。とにかくやってみよう」 「へいへい」 やる気減退中の小太刀と、本棚の森を戻っていく。 しばらくして、スタート地点まで戻ってきた。 「さて、帰りますか」 もう一度周囲を見回す。 もうここに来ることはないだろう。 祈りの図書館── 俺が夢見ていた、世界の全てがわかる魔法の図書館。 ナナイさんに出会ったあの日からは、同時に心の支えでもあった。 魔法の図書館にたどり着き、世界の全てを知ることができれば、不安に苛まれることはない。 どんなに理不尽な人間に出会っても、恐れることはない。 ずっとそう思ってきた。 でも、俺が欲しいものは、もうここにはない。 「ああ、行こう」 早朝、6時45分。 俺と小太刀は、まだ人通りの少ない商店街にいた。 「で、ミッションは?」 「ベンチの上に、こいつを置く」 ベンチの座面に空き缶を置く。 あとは成り行き任せでいいはずだ。 これで上手くいくのか半信半疑だが、祈りの図書館の本を信じよう。 小太刀を促し反対側の歩道に移動する。 5分経過。 まだ何も起こらない。 ぱらぱらと登校していく生徒達は、空き缶の前を綺麗に素通りしていた。 「ほんと大丈夫?」 「ふぁあぁ……眠くなってきた」 「おいっ」 「えっ!?」 「あがっ、舌噛んだ」 「アホか。ほら、見ろ」 見知った顔がベンチに近づいていく。 「生徒会長じゃない」 早朝にもかかわらず、颯爽とした足取りで歩く望月さん。 朝日を受け、その姿はキラキラと輝いて見える。 「あ、空き缶に気づいた」 望月さんが、空き缶を拾う。 そして、近くのゴミ箱に向かう。 「なんかキョロキョロしてない?」 「ああ、何するんだろうな」 望月さんは、周囲を窺った後、野球のピッチャーのような構えを取った。 まさか……。 「ピッチャー望月、投げましたっ」 解説付きで投げた。 見事に外れ。 望月さんはそそくさと空き缶を拾い、今度は丁寧にゴミ箱に捨てた。 「ベンチに空き缶を置くなんて、誰かしら」 とってつけたように言い、望月さんは学園に向かった。 「あの、意味わかんないんですけど?」 「なんで、生徒会長のちょっと意外な一面、みたいの見せつけられなきゃなんないのよ」 「俺に言うなよ」 「これでほんとに図書部が助かるの?」 「この後、まだあるんだって」 「次のミッションは、1時間後だ」 「1時間後?」 1時間後、俺たちは学生寮付近にいた。 建物の陰から、一人の女子生徒の様子を窺っている。 その子は、ここ5分ほど、人待ち顔で寮の壁にもたれていた。 昨日遅かったのと、今朝早かったので、小太刀は俺にもたれてすぴすぴ言っている。 「おい、起きろ、来たぞ」 「え? 誰、誰が来た?」 いよいよ本命が来た。 多岐川さんが、立っていた女子生徒とわずかに言葉を交わす。 そして、何か紙のような物を交換すると、もう他人だといった素振りで離れた。 「尾行だ」 「ほーい」 尾行を続け、乗車率200%の路電に乗り込んだ。 2人の乗客を隔てた先に、多岐川さんが立っている。 朝っぱらから、目がらんらんに光っている。 なんつーか、夜中のテンションの顔だぞ。 「おっと」 「わああっ」 急制動。 脚を踏ん張ると、小太刀がぎゅっと抱きついてきた。 脇腹に豊かな胸が押しつけられる。 小太刀と俺じゃ、けっこうな身長差がある。 見下ろすと、押しつぶされた乳房の上部分がシャツの隙間から見えてしまう。 「ご、ごめん」 「いや……つかまってていいぞ」 「京太郎君は、今日からエロ太郎に改名っと」 「うるせえよ」 などと言っていると、路電が止まってドアが開いた。 強烈な力で出口へと押し出される。 「むぎゅっ!?」 「足下を探してくれ」 「は? 何を?」 「落とし物があるはずだ」 「はあ? 何言ってんのよ」 見回すと、多岐川さんが立っていた場所に財布らしき物が落ちていた。 人に押されながら、そいつを拾う。 「ったく、ひどい満員電車ね」 走り去る路電に向い、小太刀が喧嘩を売る。 「あんた毎朝あんなのに乗ってるの?」 「俺くらいになると、あの中でも余裕で本が読める」 「どーでもいいわ」 「で、ブツは?」 停留所から少し離れ、拾い物を検分する。 「財布ね……誰のかな?」 「本が正しければ、多岐川さんのだ」 カード入れを改めると、病院の診察券が出てきた。 名前は『多岐川葵』とある。 「財布拾ってどうすんのよ?」 「目的はこれだ」 札入れに、数枚の写真が入っていた。 被写体は全て望月さんだ。 公園の水道で水を飲んでいるところ。 デスクでうつぶせに寝ているところ。 急な階段を上がっているところ。 脚を組んで椅子に座っているところ。 そして、茶目っ気たっぷりの表情で空き缶を投げているところ。 『激写・望月真帆』といった感じの写真たちだ。 「うわ……これ、盗撮? あの子、こっち筋なの?」 「毎晩遅くまで一緒に仕事して、仲良くなりすぎちゃったってか?」 げーっという顔をする小太刀。 「いや、多岐川さんからの一方通行だと思う」 「あそっか、望月は筧一筋だったわね」 「(望月には気をつけないと……)」 何やら独り言を言っている。 「そうすっと、多岐川は、さっき写真を買ってたってことね」 「みたいだな」 「真面目くさった顔して、こんな写真どうすんだか」 「そうなあ……」 「ああっ!? こんな角度から写真を撮るなんて汚らわしい」 「でも、本当に汚らわしいのは、写真から目をそらせない私」 「……罵って下さい! お姉様、私の心が砕けるほど罵って下さい!」 「……なんて美しいおみ脚……少し離れたところから水鉄砲で水をかけてしまいたい……」 「って、感じか?」 「水鉄砲ってどういう趣味よ……ちょっと引いたわ」 「多岐川さんに言ってくれ」 「妄想したのはあんたでしょ」 「私に紙の水着着せて水鉄砲で濡らすプレイとかしたら、速攻別れるからね」 「お前の発想に引くわ」 深夜番組の企画かよ。 「じょーだんはともかく、これからどうするの?」 「財布を持って、多岐川さんと話をすればいいわけだ」 「うわ、こすいわー」 「良心的な方だって」 「これ持って新聞部にでも行ったら、スキャンダルで落選確実だぞ」 「そこを、部室と交換で許そうってんだから」 「一気に潰しちゃったらいいじゃん? 何で手加減するのよ?」 不満そうだ。 「白崎が知ったら嫌がるだろうからな」 「そんな勝ち方しても嬉しくないよ、とか言いそうだ」 「あの子のいいそうなことね」 小太刀がげんなりした顔になった。 「ていうかさ、その、わかり合っちゃってる感がイラっと来るんだけど?」 「妬くなって。大丈夫だよ」 「な、ならいいけどさー」 不満げな顔でそっぽを向く小太刀。 「はあ、はあ、はあっ……」 多岐川さんが、息を切らせて停留所にやってきた。 「あんなもん落としちゃ、そりゃ焦るよね」 「さて、行くか」 停留所の多岐川さんに近づく。 必死に探しているらしく、こっちにも気づかない。 「多岐川さん」 「え?」 多岐川さんが、弾かれたように顔を上げる。 「か、筧君……おはよう」 慌ててハンカチを取り出し、額の汗を拭う。 「どうも」 「探してるのは、これ?」 財布を見せる。 「あ……」 多岐川さんの顔が青ざめる。 「持ち主を確かめないといけなかったんで、中は見ました」 「なかなか、いー趣味してるじゃん」 「望月が知ったら、びっくりするだろうなー」 「ぐっ……そ、それは……」 「あー、びっくりじゃ済まないか……ねえ、ふふふ」 多岐川さんの額から、脂汗がだらだら垂れてきた。 「わ、わた、私を、脅すつもり?」 「いや」 一歩進み出る。 「また落とさないように気をつけた方がいい」 「大事なもの入ってるみたいだしな」 多岐川さんに財布を差し出す。 「え?」 多岐川さんが呆気にとられた顔になった。 「俺たち……図書部は、曲がったことはしたくないんだ」 「それで勝っても、後悔するだけから」 「筧君……」 多岐川さんが視線を落とした。 彼女は、根が正直な人だと思う。 じゃなきゃ、望月さんが副会長に指名するはずがない。 真摯に当たれば、きっと応えてくれるはずだ。 「相手にも、そうであってほしいと願ってる」 「少なくとも、望月さんは信頼できる人だった」 汗ばんだ多岐川さんの手に、財布を握らせる。 「……」 多岐川さんは、自分の財布を異物を見るかのような目で見てから、俺を見た。 「拾ってくれてありがとう。大事な物だったから助かりました」 「こちらも預かり物をお返ししますので、今日の昼休み部室に行って下さい」 「それでは」 ぺこりと頭を下げ、多岐川さんは俺たちに背を向けた。 その背を目で追いながら、小太刀が口を開く。 「意外にいい奴じゃん」 「望月さんが選んだ人なんだし、根は正直なんだろうな」 汐美祭の不正疑惑にしても、部室のことにしても、何かボタンをかけ違えただけなのだろう。 「で、これで一件落着ってわけ?」 「部室の件は」 「選挙の勝敗はわからない」 「せっかく本読んだんだから、そこまで見ておけばいいのに」 「先のことが分かりすぎるのもつまらないだろ」 「ま、そっか……これからは、普通の人間になるんだしね」 寂しそうに笑う小太刀の頭を撫でた。 「さて、みんなに連絡しないとな」 メールで、部室の件を報告する。 一刻も早く元気を取り戻してもらわねば。 「筧は昼休みまでどうすんの?」 「授業かなあ……あんま気分じゃないけど」 昨日からいろいろありすぎて、日常に戻れる気がしなかった。 「そっちは?」 「特に予定ないんだよね、どうしよっかな」 「一緒に授業にでも出るか?」 「混ざって大丈夫?」 「出席とらない授業だから平気だ」 「じゃ、久しぶりに勉強でもしますか」 小太刀が俺の腕に抱きついてきた。 「その前に、話したいことがある」 横合いから、静かな声が投げかけられる。 見ると、ベンチに……。 「……」 そう、ナナイさんが座っていた。 こんなに短時間で記憶が薄れている。 「ボス……」 表情を強ばらせ、小太刀が組んでいた腕をほどく。 話の内容は察しがついた。 俺も小太刀も、緊張しながら姿勢を正す。 「数時間前、人間を無許可で祈りの図書館に招き入れた羊飼いがいるとの報告を受けました」 「小太刀君、君のことだね?」 「はい、間違いありません」 「では、まず事情を聞かせてもらおう」 咄嗟に言い訳を考える。 「羊飼いの件です。結論が出たんでお伝えしようと」 「ほう? 選挙までにはまだ時間があるけど」 「忙しくなってきたんで、その前に報告しようと思ったんです」 「で、アポイント取ってなかったんですけど、小太刀に無理を言って連れていってもらったんです」 平静を装って答える。 ナナイさんは、微笑を湛えたまま表情を変えない。 「小太刀君、重大な規則違反であることはわかっているんだよね」 「……はい、もちろんです」 「よろしい。今後のことは、また後で」 穏やかな口調でナナイさんが言う。 小太刀も神妙にうなずいて見せた。 「さて、筧君、話を聞こうか」 ナナイさんが真っ直ぐ俺を見る。 ……羊飼いになるか、ならないか。 結論は出ている。 今の俺には、小太刀が大事だ。 仮に小太刀の存在がなかったとしても、俺には、全ての人を平等に見ることはできないだろう。 犠牲を払っても、守りたい仲間がいる。 「結論から言いますが、俺は羊飼いにはなりません」 「ずいぶんあっさり答えてくれるね」 「すみません」 「理由を聞かせてくれるかい?」 表情を崩さぬまま、ナナイさんが言う。 「俺には、全ての人を平等に見ることができません」 「きっと身内を優先すると思います」 ナナイさんが小さくうなずく。 「それに……これが一番大事なんですけど」 「俺は、今の生活がとても楽しいんです」 「全部捨てて、羊飼いになれるほど奉仕精神に溢れてないみたいです」 ナナイさんが、わずかに目を見開いた。 「今が楽しい、か」 ナナイさんが目元をほころばせた。 今までで一番の笑顔だった。 もしかしたら、いつもの微笑は顔に張り付いたもので、いま初めて笑ったのかもしれなかった。 「君とは、一緒に仕事がしたかったんだけど残念だよ」 「考えてみれば、俺が子供の頃から目をかけてくれてたんですよね」 「そうだね」 「君は、かなりの確率で優秀な羊飼いになるはずだった……稀に見る逸材だったんだ」 「期待に背いて申し訳ないです」 「いいんだ、仕方のないことだよ」 ナナイさんは、また薄味な笑いを浮かべた。 彼の中での俺は終わったのだろう。 「今、栞はもっているかい?」 「え? ああ、あれですね」 俺は財布から、昔もらった栞を取り出す。 長い間一緒に生活してきた栞だ。 これを渡せば、ナナイさんにまつわる記憶も数日で消えていくだろう。 正直、名残惜しい。 しかし同時に、これを手放すことで、俺は過去と決別できるような気がした。 今、俺にとって大事なのは、新しい未来だ。 考えてみりゃ、物に執着しない俺が、一枚の栞を5年も6年も使っていたのだ。 自覚はなかったが、相当大事にしてたんだな。 「ずっと大事にしてました。ありがとうございました」 「こちらこそ、今までありがとう」 栞を渡す。 ナナイさんが、少し寂しそうに目を細めた。 「さて、小太刀君」 「あ、はい」 黙っていた小太刀が姿勢を正す。 「筧君に頼まれたということだけど、規則は規則なんだ」 ナナイさんと小太刀が目を合わせる。 「君の仮免許は、取り消しになる」 「……」 言葉をかみしめるように、小太刀はわずかに上を向き、目を閉じた。 ずっと目指していたものへの道が、今、名実共に閉ざされたのだ。 寂寥感、虚無感、解放感……。 様々な感情が、小太刀のうちに去来しているのだろう。 「異論はあるかな?」 「ありません」 はっきりと、小太刀は言った。 「今までお疲れ様」 「私から誘ったのに、こんな結果になってしまい申し訳ない」 「……いえ、いろんな経験ができて感謝してます」 「筧とも再会することが……」 小太刀が、はっと顔を上げる。 「もしかして……私が筧に会えたのも……」 「君の人生を選んだのは君自身だよ」 否定も肯定もせず、ナナイさんは笑った。 「ボス……」 言葉を整理するように、ナナイさんが目を閉じた。 「小太刀君の本は、この後すぐに通常状態に戻します」 「つまり、君は普通の人間になるということです」 「羊飼いに関する全ての記憶も、すぐに消えるでしょう」 小太刀は無言でうなずく。 「では、質問がなければこれでお別れです」 ナナイさんが微笑む。 これで、最後か。 「お世話になりました」 「ありがとう、ごめんなさい」 「君達のこれからの人生が、幸多からんことを」 座ったまま、ナナイさんが小さく手を振る。 「行こう」 小太刀を促し、ナナイさんに背を向ける。 「……」 小太刀の手を握る。 しっとりと汗ばみ、かすかに震えていた。 無言のまま1、2分歩き、背後を振り返る。 「……もう、消えちまったみたいだ」 「うん」 羊飼い、か。 いつも学園のどこかにいるけれど、誰の目にも留まらない。 懸命に努力をしている人にだけ話しかけ、なんでも願いを叶えてくれるという。 そんな魔法使いみたいな奴が、俺たちの前に現れ、また消えていった。 願いを叶えてくれたのかそうでないのか、確かめる術はない。 ただ一つ言えることは、俺は今までの選択を後悔していないということだ。 空を見上げる。 高い空に、羊雲が浮かんでいた。 「羊飼いに、なれなかったね」 「ああ、そうだな」 小太刀の頭をくしゃりと撫でる。 「でも、ま、仕方ないか……向いてないしね……」 小太刀の声が震えた。 「俺は後悔してないよ」 「私だって」 手の甲で目をこすってから、小太刀が微笑む。 「これから、絶対楽しくなる」 「うん……そうだね」 嬉しそうに笑い、小太刀が再び腕を組んできた。 昼休みが待ちきれず、俺は15分前に図書館へ向かった。 小太刀は、授業の中身がさっぱり理解できず、開始20分で図書館に消えてしまっていた。 考えてみりゃ、あいつにいきなり汐美学園の授業はきつい。 「あ、筧くん」 「おう」 みんな同じ気持ちだったのか、図書館前には全員が揃っていた。 それぞれが、期待と不安がないまぜになった表情をしている。 「部室が戻ってくるのか?」 「おそらく」 「でも、一体どうやって!?」 「どんな魔法を使ったんですか!?」 1年生が勢い込んで聞いてくる。 「まずは、部室を確認してからにしよう」 「ぬか喜びだったらアレだしな」 合格発表を見に行く受験生のような、悲壮な覚悟で図書館に入る。 図書館に入ると、馴染みの図書委員たちがチラチラ見てきた。 気遣わしげな表情をしている。 部室はどうなっているのだろう。 自然と足取りが早くなる。 廊下はしんとしていた。 閉じられたドアの前に立ち、全員が息を飲む。 「入ってみよう」 ドアノブを回すと施錠されていた。 鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。 ゆっくりと、ドアを開いた。 部室は無人だった。 「あの人たち、出て行ってくれたのかな?」 「……」 机の上にメモが一枚置かれていた。 綺麗な文字で『預かり物をお返しします』と書かれていた。 署名はないが、多岐川さんの手だろう。 「戻ってきたらしいな」 「ああ……」 「良かった」 言葉少なに、しばらく立ち尽くす。 高揚はなく、ただただ安堵があるばかりだ。 ここが俺にとって大事な場所になっていたことに、今更ながらに気づく。 「私物、ちゃんと戻ってます」 「ホントだ! クッションもマグカップも……あ、千莉、サボテンもっ」 1年生が元気な声を上げ、ようやく時が動き出す。 窓を開けると、新鮮な空気が流れ込んできた。 ああ、この感じ……落ち着くな。 「もふもふ」 デブ猫も、もっさりと侵入してきた。 こうしてまた、いつも通りの活動が始まる。 「おー、部室戻ってきたんだ」 ひょっこり小太刀が現れた。 「ああ、上手くいったよ」 「おー、良かったじゃん」 小太刀とサムズアップをする。 「(二人の雰囲気変わってませんか)」 「(こりゃあったぜ、甘酸っぱい何かが)」 二人が声をひそめる。 早速感づいたようだ。 「あ、報告なんだけど、小太刀と付き合うことになった」 「そゆことで、ひとつよろしくー」 さらりとカミングアウトする。 「ああ、なるほど。道理で仲がいい……」 「って、ええええええっ!?」 「はう……」 白崎が机に頭突きを入れ、そのまま動かなくなった。 「負けました」 「所詮、筧さんも凡人っすね」 「目の前で揺れるアレに負けたんでしょ、アレにっ!」 「羨ましいのはわかるけど、アレアレ言うな、ちんちくりん」 「なんですとーー!?」 佳奈すけが荒れている。 「で、いつから?」 「昨日」 「昨日って、お前……私達がお通夜みたいなお泊まり会をやっている間に何を……」 「お前が想像しているようなことはしてない」 「なるほど……いや、別にみだらなことは想像していないぞ」 してたんだろうが。 「誤解してほしくないんだけど、小太刀には部室の件で世話になってたんだ」 「付き合うことになったのは、まあ、その過程でいろいろあって」 「部室と小太刀さんに、どういう関係があるの?」 顔を上げ、白崎が訊いてくる。 「そもそも、筧先輩は、どうやって部室を取り返したんですか?」 みんな話を聞きたそうだ。 しかし、説明するのは大変だな。 「後できちんと説明するから、少し待ってもらえる?」 「私からも、あなた達に言わなくちゃいけないこともあるし」 小太刀がいつもとは違う、真剣な口調で告げる。 おそらく、本気で羊飼いのことを打ち明けるつもりなのだろう。 「後っていつですか?」 「選挙明けかな」 小太刀が部室を見回す。 異を唱える者はいなかった。 「よし、では二人の件は終わりだ」 「みんな、目下の課題は忘れていないだろうな」 「もちろんだよ、選挙頑張らないと」 「部室も戻ってきましたし、もう怖いものナシです」 「ええ、頑張りましょう!」 「筧たちにばっか、いいとこ持ってかれちゃ困るって話だぜ……なっ」 高峰が俺の背中を叩いた。 みんなの顔には、生気が戻っていた。 部室を奪われ、凹んでいた時の顔ではない。 俺は、みんなのこういう顔が見たかったのだ。 「……」 学食で能力を使ったときに見えた幻影── みんなが目を背けあっていた、悲しくなるような幻影。 あんな未来は、絶対に迎えたくない。 「昨日思ったんだけど、部室が戻って来ても来なくても、選挙は続けるべきだったよね」 「だって、この学園を楽しくしたくて活動してるんだから」 「ええ、部室がなくたって活動はできます」 「図書部じゃいられなくなったって、新しい部活を作ればいいじゃないですか」 「うん、佳奈ちゃんの言う通り」 「わたしが立候補してるのに、昨日は落ち込んでてごめんね」 白崎が頭を下げると、みんなが微笑んだ。 「部活や部室がなくても私達は仲間だ。何を恐れることがある?」 「なんなら、卒業したってそれは変わらない」 「相変わらず、桜庭先輩は臭い台詞が好きですね」 「悪いか」 「……いえ……すっごく好きです」 珍しく、御園が心の底から嬉しそうに笑った。 「よーし、んじゃ、選挙活動を再開しようぜ」 「ああ、時間は無駄にできない」 それぞれが元気よく立ち上がる。 「あ、私も手伝うけど」 部室の端っこで見ていた小太刀が声を上げる。 「姐さんもやってくれるんですか?」 「ま、暇だから」 「彼氏と一緒にいたいだけですよね?」 「あんだとガキ?」 御園が首をすくめる。 「お前……千莉ちゃんをいじめるなら、俺をいじめてくれよ」 「黙ってろ、話がまとまらない」 桜庭が、高峰の背中を扇子で突っつく。 「小太刀、ぜひ手伝ってほしい。今日はこれからビラ配りだ」 「はいよー」 図書部+1人が、視線を交わす。 気合いは十分だ。 「みんな、最後まで頑張って行こっ!」 全員の声が、部室に響いた。 「はぁ……やっと終わったね……」 取材対応が終わったのは、夜10時前だった。 何度も何度も同じことを訊かれるのは、精神的に参る。 しかも、取材は白崎だけでなく、他の部員達にも及んでいた。 「何で私まで喋らされてるのよ」 「姐さん、世間的には、ビキニの図書委員ってことでキャラ立ってるらしいですよ」 「マジか……面倒くさ……」 小太刀が溜息をつく。 「さすがに今日は疲れた」 「早く帰って、明日に備えよう」 「言っても、もう10時ですけどね」 小さな笑いが起きる中、小太刀の表情は硬い。 「あの、さ……一ついい?」 小太刀が神妙な顔で言う。 「私、みんなに謝らなくちゃいけないことがあるの」 はっきりした口調で小太刀が言う。 羊飼いのことを告げるつもりだ。 「ちょっと……」 小太刀を引っ張る。 「何よ?」 「お前、図書部を作ったことを謝るつもりだろ?」 「おかしい?」 「おかしかない」 「ただ、話したところで、俺達もみんなも忘れるだけだぞ?」 「わかってる」 小太刀が神妙な顔になる。 「でも、謝らないわけにはいかないっしょ?」 「謝って許してもらわなきゃ、私はもうここにいられないと思うし」 「こんなとこだけ、真面目になりやがって」 悪態をついてみせるが、内心は嬉しかった。 小太刀は、図書部メンバーと真剣に付き合おうとしてくれているのだ。 「任せる。俺も応援するよ」 「もし追い出されたら、そん時は何してくれる?」 「そうならないように努力する」 「ばーか」 「正解は、お前について行くでしょ?」 にっと笑って、小太刀はドアに手をかける。 部室に戻って20分ほど。 小太刀は、自分が羊飼い見習いであることや、図書部を作った経緯などを説明する。 当然といえば当然だが、なかなか信じてはもらえない。 そこは、俺が意見を挟み、少しずつ納得してもらえるようにしていく。 「つまり、小太刀さんは羊飼いだったけど、今はもう辞めちゃったわけね?」 「で、私達に図書部を作るよう仕向けたのはお前だと」 「しかも、原因は筧さんへの逆恨み」 「……これはちょっと」 一様に当惑を隠しきれない様子だ。 「全ては私が始めたことなの……本当にごめんなさい」 小太刀が深々と頭を下げる。 「むう……」 「う〜ん」 「……」 「むむむむ」 「へくちっ!」 「ぶしっ!」 「……」 高峰とデブ猫のネタは完全にスルーされた。 「でまあ、結局、姐さんは筧さんをゲットしたわけじゃないですか、そこですよ」 「そこかっ!?」 「そこだ」 「いやいやいやいや」 「そこだよ」 「そこです」 女性陣が、うんうんうなずいている。 「つまりよ、筧はこう、自分の意思で凪ちゃんを選んだのかって話だよ」 「当たり前だろ。なんで命令されて人と付き合わなくちゃならないんだ」 「じゃあ、小太刀さんが好きなんだね?」 刑事のように、白崎が追及してくる。 「好きだ」 「10トントラック何台分?」 「知るか」 小太刀に睨まれた。 「……まあ、100台とかそんくらいだよ」 顔が熱くなる。 「見えた」 桜庭がぱちりと扇子を閉じる。 「筧は譲ろう」 「この件、私は小太刀を許す」 小太刀が目を見開く。 「私は今が楽しい。そして、図書部からいろいろなことを教わった」 「いや、図書部の活動を始めたことが、私の人生を変えてくれたと言ってもいい」 「小太刀には、感謝こそしても、恨むことはない」 桜庭が、俺が考えたようなことを、全部口に出した。 相変わらずキレキレだ。 「桜庭……」 「私も同意です」 「今はすごく楽しいですから」 御園が微笑む。 「私だって感謝してますよ」 「図書部には、返しても返しきれないくらい、色んなものをもらってますから」 「ま、そうね。俺は、全然気にしないぜ」 高峰も笑ってうなずく。 「わたしもだよ、小太刀さん」 「小太刀さんのお陰でみんなに会えたなら、感謝してもしきれないよ」 そして、新生徒会長も微笑んだ。 「……ありがとう……でも、一つ誤解があるの」 「え?」 「図書部結成のきっかけになるメールを私が出したのは本当」 「でも、道を選んだのは、みんな一人一人ってこと」 「羊飼いは、あくまで人間のサポートで……」 言いかけて、小太刀が止まる。 「人生は、その人のものだから」 何度も聞いてきた台詞だった。 でも、今回は小太刀の声に実感がこもっていたように聞こえた。 言葉が上っ面ではなかった証拠に、みんながくすぐったいような微笑を浮かべている。 「これからも一緒にやっていこう、小太刀」 桜庭を先頭に、それぞれが言葉の手を差し伸べる。 「ありがとう……」 「……みんな」 『みんな』 小太刀の口から、その言葉がこぼれることに大きな感慨があった。 小太刀が俺と似たような人生を送ってきたのなら、今までほとんど口にしなかった言葉だろう。 もしかしたら初めてかもしれない。 「よし、一件落着だ」 「これからもよろしくね、小太刀さん」 「はいよ、こっちこそ」 白崎が指し出した手を、小太刀がおそるおそる握る。 「小太刀さんに会えて良かった」 言うなり、白崎は両手で小太刀の手を握り、上下にぶんぶん振る。 「いだだだっ、痛いっての!?」 「ふふふ、恥ずかしがっちゃって」 目の前に、白崎とじゃれる小太刀がいる。 少しでも違う選択をしていたら、こんな小太刀は見られなかっただろう。 この人生を選んで本当に良かった。 「……終わったか」 嘆息と入れ替わりにナナイの胸に去来したのは、虚脱感とそしてわずかな安堵だった。 これから、筧京太郎と小太刀凪は普通の人間としての道を歩む。 彼が幸福を祈るべき人間が、二人増えたということだ。 「試験監督ご苦労」 音もなく、一人の老人がナナイの背後に現れた。 「これは、どうも」 ナナイは控えめに頭を下げる。 「しかし、惜しいことをしたのう」 「筧とかいう青年、前例にないほどの能力を秘めていたというじゃないか」 「ええ、残念です」 「彼ほどの優秀な人材なら、多少無理をしてでも羊飼いになってもらうのが人類のためだと思うが」 「試験に私情を挟んだのではないか?」 「まさか」 「彼らの人生も、その他の人間の人生も重さは同じというだけのことです」 「ふふふ、まあいい」 「彼らがこなすはずだった仕事は、君に頑張ってもらうことにしよう」 「了解しました」 家に帰ってきたのは、日付が変わる直前だった。 「ただいまー」 付き合うことになってから、小太刀は俺の家に転がり込んでいた。 同棲未満の居候といったところだ。 小太刀も慣れたもので、さっさと脱衣所で着替えを始める。 選挙の興奮で今日はかなり汗をかいた。 脱衣所から現れた小太刀は、なぜか夏の制服をまとっていた。 洗濯した普段着が、まだ乾いてなかったらしい。 ……アホか。 「何?」 「あ、いや……もう、小太刀が部屋に馴染んでるなと思って」 「迷惑?」 「全然」 「ま、居候として、お茶くらいは淹れさせていただきますよ」 ベッドに並んで座り、ペットボトルからタンブラーに移しただけのお茶を飲む。 「結構なお点前で」 「後藤園の人に言ってあげてよ」 小太刀は、お茶を一気に飲み干し、グラスをテーブルに置いた。 そのままごろりとベッドに転がる。 「ふう、ちょっと、ここ借りるから」 と、俺の膝に頭を載せてきた。 「男が膝枕か」 「いいじゃん、いいじゃん、高さと固さがちょうどいいんだって」 そう言って、小太刀が俺の太ももをペシペシ叩く。 付き合い始めてからというもの、小太刀のガードは一気に緩んだ。 同類だけに見せる隙なのだろう。 「今日はいい日だったな」 「んだね。選挙に勝ったし」 選挙の件はもちろんだが、俺が言いたかったのは小太刀の謝罪が受け入れられたことだ。 小太刀もそれをわかって、あえて口にしなかったのだろう。 シャイなのだ。 「みんなが話を聞いてくれて良かった。俺と同じ反応だっただろ?」 「……うん、だったね」 あの時のことを思い起こしているのか、小太刀はまどろむような口調で言った。 「何かね、びっくりしちゃった」 「ん?」 「みんな気色悪いくらい、いい奴だなって」 「先に言っとくけど、みんな裏はないからな」 「そうなんだろうね」 「……不思議……自分は何してたんだろうって思っちゃう」 小太刀が自虐的に笑う。 俺たちが送ってきた日陰の人生と、いわゆる普通の人生。 同じ世界なのに、当事者には別世界に思える。 両者を隔てる壁は、あるときは絶望的なほどに高く、あるときは子猫でもまたげるほどだ。 それは、希望ではあるが、無残な事実でもあった。 壁が低い場所を見つけられた人とそうでない人、そこにどんな差があるというのだろう。 「私さ、さっき部室で、羊飼いのことを話したじゃない?」 「羊飼いは、あくまで人間をサポートするだけで、人生を決めるのは人間だって」 「今まで何度も言ってきたことだけど、ずっと本気じゃなかったの」 「心の中で、馬鹿じゃないのって思ってた」 「でも……」 小太刀が寝返りを打つ。 「今日、初めて、それでいいじゃんって思えた」 「人を導くなんて、おこがましいって思ったのよ」 「もっと早くわかってたら良かったのにね……笑っちゃう」 何も言えず、小太刀の頭を撫でる。 皮肉と言えば皮肉な話だ。 「もし今、羊飼いにスカウトされたら受けると思う?」 「どうかな……受けないんじゃないかな」 「だよな」 人の中で生きていたら、どうしたって愛情に偏りが出てしまう。 それを乗り越えた先に羊飼いという存在があるのなら、ナナイさんはどんな心理で羊飼いになったのだろう。 今の俺には、まったく想像できなかった。 「よっと……」 小太刀が上半身を起こした。 「全員平等なんて無理じゃん。ねえ?」 小太刀が見つめてきた。 「無理だな」 「何で?」 小太刀が身体を寄せてくる。 顔がいっそう近づき、大きな瞳に吸い込まれそうになる。 身体の奥で、何かの灯が点るのがわかった。 「小太刀が大事だからだ」 「凪って言ってよ」 「凪が大事だから」 「私も、京太郎が大事……誰より」 どちらからともなく、唇が近づく。 「ん……っ、ぅあっ」 ついばむようにして、お互いの唇が触れ合った。 それからすぐに、ほんの少しだけ顔を離す。 超至近距離で、見つめ合う。 「……近いね」 「嫌?」 「ううん」 もう一度、凪の唇が近づいてくる。 「はぁ……んっ、ちゅ……ちゅぷ、ちゅ……っ」 今度は時間をかけて、お互いの唇を舐めあった。 偏った愛情を確かめ合うように、ゆっくりと。 「ん、ちゅく……ちゅっ、ちゅ、ちゅぅ……ちゅぷぅ、ん、ちゅ……」 「ちゅぷ……ぷはぁっ」 唇が離れる。 凪の頬は、真っ赤になっていた。 「京太郎、顔真っ赤」 「あ……」 どうやら俺も同じらしい。 「ねえ……京太郎は今、何考えてる?」 「……凪は?」 「私は……京太郎ともっとキスがしたいって」 そう言った凪の口を、俺は唇で塞ぐ。 「ん、ちゅ……ちゅる、ちゅぷ、ちゅぅっ。ん、ん……っ、んぅ……っ」 「んあ、はぁ……えへへへ」 唇を離して、嬉しそうに笑う凪。 そんな彼女の笑顔を見ているうちに、俺の欲求がますます強くなっていく。 「それで……京太郎は何を考えてるの?」 「……小太刀が欲しいと思ってる」 「……は?」 ゆっくりと凪に体重をかける。 「やっ、ひゃ……っ」 「ちょ、ちょっと?」 凪が戸惑いがちな視線を向けてくる。 視線は逸らさず、俺は凪の上に覆い被さった。 「き、京太郎……」 凪がキュッと、体を硬くする。 「これは……もしかして……」 「もっと凪と、近づきたいと思ってる」 「マジ?」 「マジだ」 「お、おお……」 小太刀がおののく。 「でもさ、こういうことって……その、恋人同士が……」 「アホか」 凪の頬にキスをする。 「……そっか、恋人同士か、私たち」 自分を納得させるように、凪が呟く。 「本気で忘れてたなら、割とショックだぞ」 「ごめん。急だったから混乱気味で」 「俺的には、結構我慢したつもりなんだけど」 「え、そう? スピーディーじゃない?」 「同じ部屋で暮らしてるんだ。気にならない方がおかしいだろ」 「ああ……ですよね」 凪が誤魔化すように笑う。 「もちろん、無理強いするつもりはないよ」 「暴走しても空しくなるだけだし」 「そ、そっか……ありがと……」 俺の下で、凪が視線を逸らす。 そのまま数秒、何かを考えている。 「……うん、だよね」 小さく呟く。 俺のお腹の下辺りで、布のめくれるような音がした。 「……う……」 スカートを、凪が自らめくりあげていた。 「いいのか?」 「し……仕方ないよね。私もその、京太郎のことは、特別になっちゃってるし……」 「もっと近づきたいっていう京太郎の気持ちは分かるし、嬉しいから、その……」 「……い、いいよ」 凪が真っ赤になった顔を逸らす。 羞恥心に耐えるような表情が、抱きしめたくなるほど可愛い。 「ありがとう」 大好きな女の子との距離を、ゼロ以下に縮めることができる。 その行為を、自身が強く望めるようになったこと。 そして、俺の望みを受け入れてくれる女の子が目の前にいること。 新しい幸福を、俺はゆっくりと噛みしめた。 「あ、あのさ……私、何か間違ってる?」 「無言になられると困る」 「いや、間違ってないよ」 不安を与えちゃいけないな。 改めて、凪の体に手を伸ばす。 「あ、ちょっと待ってっ!」 「は?」 「あ、あのさ……かっこわるいんだけど……」 凪が口の中でもごもご言う。 「わ、私、初めてだから……その……」 「……よ、よろしく」 上目遣いに見てきた。 からかっているのではない。 純粋な不安と期待が滲んだ表情だった。 「そっか、初めてなのか」 里親からの虐待は、そっち方面ではなかったようだ。 「いろいろ修羅場をくぐったけど、運が良かったのよね」 「……ま、信じてくれなくてもいいけど」 「信じるよ」 「それに、どっちにせよ凪は凪だ」 俺は凪が好きになったのだ。 過去を知って揺らぐなんてかっこ悪い。 「……かっこいいこと言って……馬鹿じゃないの」 凪が泣きそうな顔になる。 「凪……」 「ん……」 軽く口づける。 唇を離すと、凪の表情は明るいものに変わっていた。 「うん、しよう。私たち、1つになっちゃおう」 「ああ……ありがとう」 いくぶん緊張した微笑みを浮かべる凪。 恐がらせないよう、優しくシャツのボタンを外していく。 白いシャツの奥から、凪の乳房が現れた。 「……すごく綺麗だ」 「あんまり感動されるのも微妙よね……嬉しいけど」 図書部でもさんざんネタにした胸だが、実物の美しさは段違いだ。 視線も手も、吸い寄せられずにはいられない。 「触っていいよな?」 「うん、京太郎だけだからね」 「ありがとう」 二つの膨らみに手を伸ばす。 「やっ、んあ……っ、あ、ん……っ」 「柔らかい……」 直球過ぎる感想を口にしてしまう。 触れた指がどこまでも吸い込まれてしまいそうな柔軟性がある。 にも関わらず、仰向けになっても型崩れしない。 「すごいな」 「なんか……さっきから京太郎の目がマジなんだけど」 「……ごめん」 「息が荒くなってるし」 「ああ、すごく興奮してる」 「全く……何がいいんだか。こんなの脂肪の塊なのに……あっ」 「や……っ、ん、んっ……」 しかし凪も、その脂肪の塊を愛撫されて息を荒くしていた。 「な、なによぅ……」 「いや……気持ちいいなぁと思って……」 「だから……たかが脂肪の塊だって……や、やっ」 「あ、あ、あ……っ、ぅあ、あ……ああっ、んう、んぅぅっ!」 そう言いつつ、甘い声を漏らす凪。 素直なんだか、素直じゃないんだか。 「……今度はにやけてる」 「ああ、そうかも」 「気持ち悪っ」 軽く罵られてしまう。 でもその言葉さえ、今の俺にとっては愛しかった。 「凪……」 「何よ」 「かわいいな」 「む……胸揉まれながら言われても、嬉しくないし」 「そっか、下も触った方がいいよな」 「ばっかじゃないの」 「ち、ちがう、そう言う意味じゃ……あ、や、やあ……っ」 凪の股間に手を伸ばす。 「やっ、やん……っ」 凪に触れた指先に湿り気があった。 下着の上から触ったはずだが……。 見ると、下着には大きな染みができていた。 下着を押したことで、溜まっていた愛液が染みてしまったようだ。 「凪も興奮してるんじゃないか」 「こ、興奮なんてしてないわよ」 「これはちょっとその……濡れちゃっただけで……」 「意味がわからないんだが」 「いいの! と、とにかく胸を触られて興奮したわけじゃないから……」 「つまり、触る前から濡れてたんだな」 「揚げ足とるなっ」 凪が足をジタバタさせる。 こんなところもかわいく見えるから不思議なものだ。 かわいい恋人の、かわいい部分を更に指で刺激する。 「あ、や、や……っ、ぅや、や……やぁっ、やああぁぁぁ……っ」 「ひくっ、ん……やぁっ、そこばっかり……っ、だめ……」 指で押すたびに、下着の染みが広がっていく。 まるでスポンジか何かのように、奥からは体液が溢れ出してきていた。 「下着……あんまり汚さない方がいいよな」 「ふえ……え?」 俺は凪の、下着の端に手を差し入れる。 「……ん」 凪がぎゅっと目をつむる。 「大丈夫」 「何が大丈夫なのよ」 「恐がらなくていいから」 俺は両手に力を込めた。 「あ、や……やぁっ、やああぁぁぁ……っ」 抵抗する気配はあったが、実際の抵抗はほとんどなかった。 ひょっとしたらもう、体に力が入らなくなっているのかもしれない。 「あぅ……ぅんっ、うあ、んあぁぁ……っ」 下着と性器の間に、つーと糸が引いた。 慎ましやかな花弁は、愛液で艶めいている。 凪が感じているという事実だけで、俺の股間も硬くなっていく。 「なんか、スースーする」 そりゃこれだけ濡れてたら、ちょっと空気が動いただけでも涼しいだろう。 「触るよ」 「……う、うん」 返事を聞きながら、手を伸ばす。 「あっ……」 触れた瞬間、凪が反応する。 下着の上からとは反応が違う。 「んっ、ああっ……やっ、だめ、だめ……」 縦の溝に沿って手を動かす。 ぬるりとしたそこは、ほとんど抵抗がなく、指はするすると上下する。 「きょ、京太郎……ああっ、ひゃうっ、あああっ」 「なんか、ぴりぴりするよ……んんっ、はあっ、やああっ」 まだ刺激が強すぎるのだろうか? 「じゃあ、こっちで」 手を離し、凪の足の付け根に顔を近づける。 「……え? ちょっと」 「口でするからな」 「きょ、京太郎!?」 戸惑いの声をよそに、俺は顔を近づける。 「ひゃんっ!?」 口をつけた途端、凪が背を逸らす。 「や、や、や……っ、ちょと、ちょっとぉ……っ」 「なめていいなんて、まだ一言も……ひくっ、ひあっ、あ、あ、あああぁぁぁ……っ」 「いいから、いいから」 「ひゃんぅっ、んぅ……っ、うあ、あ……っ、よ、よくないわよ」 「キスの一種だと思ってくれ」 「そうか、キスなら……って、全然違うわよっ!」 「もう、ほんと、駄目だってば……ひゃんっ、んぅぅぅっ!」 言葉とは裏腹に、目立った抵抗はない。 割れ目の奥からは、滝みたいに愛液が溢れ出ていた。 「気持ちよくない?」 「は、恥ずかしいのっ! だってそんなところ……どう考えても、汚いし……っ」 「あ、ひゃ、やっ。や、や、やっ、ああっ、ああああぁぁぁ……っ」 「汚くないよ」 舌をすぼめ、膣口や上の突起を優しくなぞる。 「もう……やっ、あ……っ、うう、うぅぅ、京太郎の、舌が、動いてる……っ」 「うあっ、あっ、あう、はううぅぅぅ……っ」 「や、や、や……っ、ああっ、うあっ、ああっ、あああぁぁぁ……」 濃厚な甘さが、凪の奥から溢れ出ていた。 「ひく……やっ、んぅぅ……っ、やだ、声、出ちゃう……っ」 「こんな声、京太郎に聞かれたくないよぅ……っ」 「恥ずかしいところ舐められて、出ちゃう声なんて……」 「ひゃん……ああっ、ああっ、ああああぁぁぁぁぁ……っ」 凪の声に、快感の色が濃く出てきた。 舌の動きを加速させる。 「かわいすぎるぞ、ちょっと」 「ふえ……?」 「な……舐められながら言われても、嬉しくな……いぅっ、うく、ううぅぅぅ……っ!」 「ひゃんっ、や……あ、あ、あ……っ、ああっ、ああああぁぁぁぁ……っ!」 「だめっ、何かくるっ……くるっ、くるっ、、やああっ、ああああっ、あああああっ!!」 凪の体にキュッと力が入るのがわかった。 内ももがぴくぴくと痙攣し、やがて糸が切れたように脱力する。 「ひょっとして……イった?」 「ふえ……うあっ、ふは、はう……っ、そんなの、わかるわけないじゃない……」 「じゃあ……気持ちよかった?」 「それは……うう、ううう……」 凪が口ごもる。 答を急かすように俺は、ヒダを舌で撫で上げた。 「ひぐ、あ、ああっ、ああぁぁぁぁ……っ、だめ、だめだってばぁ……っ」 ヒダ同士の交わる部分がぷっくりと膨らんでいる。 この部分がクリトリスなのだろう。 「京太郎、だめ……だめだから、ほんと、許して……」 そこを舌の先で軽く押す。 「ひくっ、ひやああぁぁぁぁ……っ!」 「あ、あ、あ……っ、んあ、あああっ、あんぅっ。や、やあっ、やああぁぁぁ……っ!」 凪の体が震える。 「や、だ、だめ……っ、落ちる、落ちちゃう……」 「ん?」 「なんか……どこまでも落ちるてくみたいな感じがして……」 「んあ、ぅあぁ……っ、ああ、あああぁぁぁ……」 喘ぎながら、身体を震わせている。 こんなに感じてくれるなんて、本当に嬉しい。 「つらくないか」 「もう……わけわかんない……っ、体が、ふわふわしてる……」 「でも、嫌な感じじゃないんだろ?」 凪が小さくうなずく。 「あー、もう、何言ってるんだろ……」 「京太郎、ほら、今度はそっちが……その……」 凪が下の方に目をやる。 入れろということか。 凪もよく濡れてるし、大丈夫か。 「じゃあ……」 ズボンからペニスを取り出した。 「うわ……」 隆起したそれを見て、凪が目を丸くする。 「大きい……」 「普通だと思う」 とは言え、小柄な凪の前に出すと、やっぱり大きい。 「もうちょっと小さくなったりとか、しないの?」 「そんな都合よくいくか」 「だって、そんな大きいの……入るかな……」 「痛かったら言ってくれ」 凪の脚の間に腰を進める。 ガチガチに硬直したペニスを、手で凪のそこへとあてがった。 「熱くなってる」 「凪と繋がれると思ったら、それだけで……」 「私……求められてるんだ……」 「こんなこと、初めて」 凪が目を細める。 普通の人に比べれば、激しい雨の道を歩いてきた俺たち。 求めることも求められることも、新鮮な喜びに溢れている。 「お前と繋がりたい」 「私も、京太郎と一つになりたいよ」 「凪……」 「京太郎……」 「ゆっくり行くからな」 先端に愛液をまぶし、腰を少し進める。 「ひう……」 「あ……っ、あう、うぅぅ……っ」 亀頭の先に高い熱と、強い抵抗を感じた。 「大丈夫か」 「う、うん……あっ、ああ、うあ、あ……っ」 下半身に力を加えて、抵抗をかき分けていく。 「あ、あ、あ……ああっ、あ……っ、ひぐっ、ひく、ひう……っ、ひ、くうぅぅぅ……っ!」 抵抗は強いものの、俺の侵入を拒む程ではない。 溢れる潤滑油の力を借りて、俺のペニスは少しずつ、凪の中に埋まっていった。 「京、太郎……っ」 凪が体を硬くする。 彼女の体は、じっとりと汗ばんでいた。 「痛い?」 「痛く……ない……よ」 「無理するな」 「我慢できるから、へ……平気だって……」 「想像してたより、全然だから……意外と小さい?」 目尻に涙を浮かべ、凪がなんとか笑う。 変に気遣っては、向こうの我慢が無駄になってしまう。 「じゃ、続けるぞ」 凪の中に、さらにペニスを押し込んでいく。 「ひぐ、う……あっうう、うあ、あああっ」 「京太郎の……入ってくる……ああっ、ああっっ……」 熱い肉の隘路をくぐり、ようやく根本まで入り込んだ。 「凪、全部入ったぞ」 「そ、そっか……良かった」 「京太郎……私、気持ちいい?」 凪と一体になった部分が、快感で蕩けていきそうだ。 じっとしているだけでも、遠からず射精してしまうに違いない。 「ああ、最高だ」 そう言って、凪の頬にキスをした。 「ん……京太郎……嬉しい」 凪の体の力が抜けたようだ。 「少し、動いていいか」 「うん……好きにして」 腰をゆっくりとスライドさせる。 「あっ……ああっ、はうっ、あああっ」 凪の中から、愛液まみれの肉棒が出てくる。 それを、またゆっくりと入れ込む。 「はぁ、はぁ……うあ、あっ、あんっ、んむぅっ、んぅぅ……っ」 凪の中と、俺の陰茎が擦れる。 その味わったこともないような感触に、俺の下半身の猛りは増していった。 「あ、うあ、んあ……っ、や、や、や……あ、あっ、あああぁぁぁ……」 「ん、ふあぁ……っ、はぁ、はふ……っ、あ、はぁ、はひっ、ひう、うんぅぅ……っ」 凪の吐息が、少しずつ荒くなっていく。 「京太郎……激しい……っ」 いつの間にか俺の腰も、荒くなっていたらしい。 「悪い……」 少しスピードを緩める。 「あ、や……んっ、その、くらいなら……」 「このぐらい?」 「うん……それなら、大丈夫……。ちょっと、気持ちいい……かも」 「お……」 「な、なに、びっくりしてるのよ……」 「気持ちいいって言ってくれて嬉しいよ」 「だってそれはほら……、わ、悪いじゃない……。京太郎が、一生懸命してくれてるのに……」 「……」 「な、なによ」 「素直な凪なんて、貴重だと思って」 「あんた、なんてこと言うのよ」 「冗談だよ」 「冗談言ってる顔じゃなかったって……や、あ、ああっ、ああああぁぁぁ……っ!」 喋っている間に、抵抗は一層弱まっていた。 むしろ膣壁は切なげに、俺の陰茎に絡みついてくる。 「……ありがとうな」 そう言って、凪の頬にキスをする。 「や、もう……キスなら、口にしてよね……」 「でも」 「いいの……はむ、ん……っ」 俺と凪の舌同士が絡まり合う。 「ちゅ、ちゅぷ、ちゅる……ん……っ、ちゅく、ちゅるぅ、ちゅ……ちゅぅ……っ」 舌が絡む度に、下の締め付けは増していく。 「くっ、ん……っ」 「や、ひゃ、ちょ……っ、な、中でまた、大きく……ひゃっ、やあああぁぁぁ……っ」 俺の下半身に、自分の意思とは関係なく力が入っていく。 「くあぁっ……はあぁ、んあぁぁ……うぁっ、ああつ、……はぁ……はあぁ……!」 身体中の血液が、凪と繋がっている部分に集まってきているのがわかった。 「そろそろ、出るぞ」 「ふえ? 出る……? 出るって……あ、や、ちょ、ちょと……」 「ちょっと、だめっ……ああっ、京太郎っ、駄目だって、ああっ、ああああっ!」 凪は必死にこれから起こることを予想しようとするも、思考が体について行かない様子だ。 「ひゃっ、うあっ、……あっ……ああっ、んああ……っ!」 「はあっ! んんっ……や、んんっ、あ、はあぁ……!」 俺の昂ぶりはどんどんと大きくなり、もう止められない。 「ええ……? や、ちょ、ちょっと……あ、や、や……っ、や、んやああぁぁぁ……っ!」 「あ、あ、あっ、やぁ、あ、あ……っ、や、やっ、やあっ、あ、ああっ、あああぁぁぁ……っ!」 「ああっ、うあ、や、んああっ、や、くっ、ふあああぁぁぁぁっ……ぅぁぁぁあああ……っ!!!」 びゅくっ、びゅるっ、どく……っ! 「ひゃんぅぅ……っ! や、あ、あ……っ、ああっ、うああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 凪と繋がったまま、ペニスが震える。 結合部の奥からは愛液と共に、白濁した精液も溢れ出してきた。 「あ、や……っ、やだ、中……熱くなって……、はあ、うあ……っ」 「お腹の中で……ビクビクいってる……中で出してるんだ……」 どくっ、どくっ! 次々に押し寄せる射精の波。 「ひゃんっ、や……っ、やあっ、あああぁぁぁ……っ」 「うあ、ああ……っ、ああっ、あ、あ……っ、あああぁぁぁぁぁ……」 凪の膣が、俺の陰茎に絡みついて離さない。 膣壁に乞われるがまま、俺は凪の中に精を放ち続ける。 「んあ、はぁ……はぁ、はふ、はう……うぅ、うううぅぅぅ……っ」 長く続いた射精が終わる。 身体の中身をごっそり持っていかれた気分だ。 凪のそこは、愛液と血液と大量の精液でドロドロになっている。 「信じらんない……中で、出すなんて……」 「後先……考えてないでしょ……」 「申し訳ない」 「軽いし」 「……もう全然反省してる感じしない」 「気持ちよすぎて、どうしようもなかった」 感覚に理性が流されるなんて、初めての経験だ。 「あのさ、赤ちゃんでもできたらどうするつもりよ」 「きっちり責任取るよ。当たり前だ」 「そ、ならいいよ」 「いいのか?」 「いいって言ってるでしょ」 「するってことはそういうことなんだから、私だって考えてるわよ」 凪が耳まで真っ赤にする。 つくづく凪はかわいい。 何度でも抱きしめたくなってしまう。 「と、とにかく……勝手に中に出すのは禁止だからね」 「せめて危ない日かどうか調べてからじゃないと……」 「今日は……どっちだった?」 「だ、大丈夫だと思う」 安心したような、残念なような、複雑な気持ちになった。 理屈は抜きにして、やっぱり好きな人との子供は欲しいと思っているようだ。 「凪、うつ伏せになってくれないか」 「え?」 唖然とした顔になる凪。 「もう一度、凪がほしい」 戸惑う凪の体をうつぶせにする。 「ちょ、ちょっと、安全って言ったらこれ?」 「できてもいいと思ってる、それは本当」 「上手いこと言って」 「いつから情熱キャラになったのよ」 「凪を好きになってからかな」 「馬鹿じゃないの、もう……」 顔を赤くして、凪が目を逸らす。 OKと受け取り、俺は隆起したペニスを凪のお尻の間に置いた。 「さ、さっきより大きくなってるんじゃ……」 凪から俺は見えていないはずだ。 感触だけでわかるほど、俺のペニスは怒張しているのだ。 「凪を、滅茶苦茶にしたいんだ」 「どうしようもないくらい、気持ちよくなってほしい」 お尻の谷間にペニスを擦りつける。 「ほんと、男ってしょうがないわね……」 凪がキュッとシーツを握る。 「しょうがないけど……その代わり、気持ちよくしてよね」 「約束してくれるなら、めちゃくちゃにさせてあげる」 「凪……」 「しゃーない。だって私も、京太郎が好きだし……」 「好きな人に……めちゃくちゃにされたいって気持ちは、ちょっとあるし……」 「ああ」 もう、止まることなんてできない。 「うあ、あ……あ、あ、あ、ああっ、ああああぁぁぁ……っ」 精液と愛液で満たされた膣内をかき回す。 先ほどまでの抵抗は、全くと言っていいほどなくなっている。 ほんの少し下半身に力を加えるだけで、奥までペニスが入り込んでしまう。 「ちょっと……さっきより、深い……っ、いう、うくっ、うあ、ああ……っ」 「痛い?」 「大丈夫、もう慣れてるから……ああっ、あああっ!!」 言葉を証明するように、凪が首を逸らす。 「じゃあ、動くぞ」 「う、うん……や、あっ、あ、あ、あ……っ、ああっ、ああああぁぁぁぁ……っ!」 凪の腕を掴み、そこを支点にしてピストン運動を開始する。 「あ、ひゃ、や……っ、やあ……っ、や、や、やっ、やんっ、んぅぅぅ……っ!」 固く尖ったカリ首が、凪の中を攪拌する。 すぐに泡立った精液が、溢れ出してきた。 「すごい……、中、ぐちゅぐちゅいってる……」 「もう……恥ずいなぁ……や、あ、あ……うあ、あ……っ」 後ろから凪と繋がる格好は、腰を自由に動かすことができる。 そのため、俺の往復運動はどんどんと加速していった。 「あ、や……っ、激……しいよぅ、京太郎……っ、京太郎……っ」 泡立った精液を身にまといながら、俺のペニスはどんどんと凪の奥に入り込んでいく。 「京太郎ぅぅ……っ、深い、深いいぃぃ……っ」 「だめ、あんまり、深いところは……感じすぎて……あっ、やあっ、あああぁぁぁぁ……っ」 凪の指が、困ったようにシーツの上で蠢いている。 「奥が好き?」 「……っ」 凪の首元が、カァッと赤くなった。 俺はそのままペニスの先で、凪の奥を叩き続ける。 「あ、やっ、だ、だからだめだって……そんな、奥ばっかりされたら……っ」 「私、すぐ……あああっ、やあっ……すぐ、すぐ……あああっ、あああぁっ……」 凪の声が高くなる。 ペースを上げ、凪の奥深くにペニスを差し込んでいく。 「あ、や、や……っ、奥にっ、奥に、あああっ、やあああっ……」 「そんなに、擦られたら……もう、だめっ……やっ、やあっ、やああぁぁぁぁ……っ!」 「ひ……っ、う、うく、く、くぅぅぅ……っ、もう……っ、京太郎……、京太郎ぅぅ……っ」 凪の指先が震える。 震えは肩から背中を伝い、お尻にまで広がっていった。 「あ、や、だめ……またイク、イっちゃうよっ! もう、もう……うわっ、ふわ……っ」 「にゃ、やっ、ぅああぁぁ……っ、はぁっ、ああっ、あう……っ、うあっ、ああっ、ああぁぁ……っ!」 「ひくっ、ひんぅぅぅ……っ!」 凪の体が大きく跳ねる。 腕を掴んでいなければ、ベッドから落ちていたかもしれない。 「ああ……ふあ、あっ、あああぁぁぁ……っ」 「……もう、頭が真っ白で……ん……あ……」 凪の全身から、汗が噴き出している。 体はまだ小刻みに震えている。 背中越しに見える乳房と乳首までもが震えていた。 膣の締め付けが、一時的に緩む。 隙間から、泡立った2人の体液が溢れてきた。 「わたし……イっちゃった……」 「まだ、中が……あう……中が……ぴくぴくいってる……ん……あ……」 結合部を突き上げたまま、とろんとした声を出す凪。 刺激的なビジュアルに、さらなる興奮がこみ上げてきた。 「凪……」 「みゃ……?」 もう一度、凪の腰を掴み── 往復運動を再開させる。 「ひやっ、や、や、やっ……だめ……だめだって」 「いった、いったばかりだから……んんっ、んあっ、ああああっ!」 動きだしたペニスに反応するように、凪の膣内がまた締まってきた。 精液はもうほとんど外に掻き出されてしまっている。 膣壁と亀頭が、直接絡まり合う。 「だめぇ……イった後なのに、動かないでぇ……」 「もう、おかしくなるよぉ……お腹が、お腹が熱くなって、みゃっ、ひゃああっ」 「やあっ、あっ、ああっ、ああああ……っ、もう、もう……はあ、あっ、ああああぁぁぁ……っ!」 俺たちの間で弾けた飛沫が、どんどんシーツにシミを作る。 部屋に響く卑猥な音が、思考する力を奪っていく。 凪の腰をつかみ、ペニスで最奥を突く。 「ひゃあっ、奥っ、奥だめっ! だめっ、だめだめだめっ!」 「奥の方が熱いのが……っ、熱くて、やっ、やぁっ、やああぁぁぁ……っ!」 「だめ、また……頭が白く……っ、ふぁああっ、ああっ、ああああっ!」 「俺もまた……」 「……来てっ、中に………」 「一緒に……一緒に、気持ちよくなろっ!」 「凪っ」 全力で腰を振る。 「ひぐっ、や……ぅや、や、や……ああっ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 「あ、ああっ、ああぁぁぁぁ……っ、ひくっ、ひう、ひうぅぅ……、あああぁぁぁっ!」」 「ああぁぁ……、ああっ、あああっ……っ、や、や、や……っ、みゃあああっっ」 「やあっ、やあ……っ、ああっ、ああっ、あっ! だめだめ、だめっ、にゃああああああっっ!」 凪の膣内がぎゅっと収縮した。 びゅるっ! びゅくぅ……っ! 凪から押し出された肉棒が、激しく震えた。 「く……っ」 震える背中やお尻に、次々と精液を吐き出す。 突き上げるような快感に、意識を失いそうだ。 「や、やあ……っ、ああっ、あっ、うあ、あああぁぁぁぁ……っ」 「やあぁ……っ、ああっ……あ……あ……」 「んあ、はぁ、はう……っ、はうぅ、はんぅ……っ」 「また……いっちゃ……だめ……いっちゃった……よぉ……」 「ああ……」 ようやく射精が止まる。 こっちもぐったりだ。 「京太郎……いる?」 ぼんやりと凪が言う。 絶頂の余韻で意識がはっきりしないのかもしれない。 「ここにいる」 後ろから凪を抱く。 「ありがとな」 「ううん……よかったよ」 「私達……やっと、ここまで……来れたんだ……」 「ああ……」 たとえようもない解放感と達成感があった。 今まで降っていた雨が止み、雲が切れ、眩しいような青空が見えるような気分だ。 「凪……ずっと一緒だ」 「うん……ずっと、ずっとね」 そして、言葉をなくす。 幸福感の中、俺たちはずっと抱き合い続けた。 しばらくして、俺は濡らしたタオルで凪の体を拭いた。 「まだ……匂いが残ってる」 「シャワー浴びるか?」 「もうそんな元気ないわよ」 初めての行為は、やはり疲れるのだろう。 凪は随分と気だるそうにしている。 「もう、こんな状態で寝たら、あんたの夢見ちゃうじゃない」 「嫌?」 「別に……嫌じゃないけど」 「夢の中では、逆にあんたの方をめちゃくちゃにしてやるんだから」 「現実でしてくれてもいいぞ」 「馬鹿じゃないの、変態っ」 「ははは、悪いな変態で」 そう言って、凪にキスをする。 「ん……っ、んぅ……っ」 「……さ、とりあえず今日はもう寝よう」 「……一緒に?」 「一緒に」 「このまま、裸で?」 「うん」 「絶対……あんたの夢見ちゃう」 「夢の中でも、仲良くしてくれよな」 「だから……めちゃくちゃにしてやるんだって」 「はいはい」 俺は凪の体を引き寄せた。 2人の中に芽生えた偏った愛情を確かめ合うようにして、俺達は抱き合った。 電気を消して視界が暗くなると、俺達は本当に1つになれたように感じた。 ブラインド越しの光が目に滲みた。 携帯を見ようと身を起こす。 「……ん? ……うん……」 隣からくぐもった声がした。 そういや、昨日は凪と寝たんだった。 朝起きて隣に誰かいるなんて初めてのことだ。 改めて凪の寝顔を見ると、幸福感と少しの戸惑いで胸が一杯になった。 「凪……」 小声で囁き、髪を撫でる。 「ん……京太郎……むにゃん……」 凪が向こう側に寝返りを打ち、かけていた薄いタオルケットを持って行かれた。 そんなことすら幸せに思える。 空の雲が移動したのか、陽射しが一段と明るさを増した。 ああ……。 まるで、俺の人生に日が差してくるかのようだ。 屋敷の隅で膝を抱えていたあの頃には、想像すらできなかった明るさだ。 暗く湿った四畳半。 沈鬱な空気が、畳の奥の奥までしみ込んでいた。 もしかしたら、俺は、今の今まであの部屋に閉じ込められていたのかもしれない。 だが、それも終わりだ。 障子が開かれ、射し込んだ光が俺を照らす。 さあ行こう。 世界はこんなにも明るいんだ。 「……」 わずかな違和感があった。 それは消え去ることなく、むしろ際限なく膨らんでいく。 違う。 何かが違う。 そうだ。 あの日、あの部屋で、膝を抱えて泣いていたのは…… 俺じゃない。 後頭部を重い鈍器で殴られたような衝撃があった。 頭の奥の奥で、記憶の歯車が回りだす。 「……凪、なのか」 独白に導かれるように、かつての記憶が蘇る。 ……思い出した。 本当に短い期間だが、凪は俺の家にいたのだ。 あいつは、何人目かの母親の連れ子だった。 凪の母親は、金目当てで親父と結婚した女だ。 娘にはまったく興味がなく、凪はいつも薄暗い四畳半に押し込められていた。 俺と新しい母親には接点がなかったし、その娘となればなおさらだ。 顔も名前もわからない紙の上だけの義妹。 それが小太刀凪だ。 ……。 たった一人で息を殺して生きていた凪に興味を持ったのは、屋敷の使用人達だ。 奴らは、年端もいかない少女を弄ぼうと機会を窺っていた。 『またか』 俺も経験したことだったから、使用人達の考えには察しがついた。 放っておけば、間もなく少女は大人達の毒牙にかかる。 俺には関係ないことだ。 無視すればいい。 そう思いながらも仏心が起きてしまったのは何故だったのか。 おそらくは、凪の境遇に自分を重ねたのだろう。 ……。 狩りの日は間もなくやってきた。 母親が遊びに出かけた、薄暗い雨の午後。 使用人達は四畳半に滑り込んだ。 廊下の片隅からその光景を観察していた俺には、このあと起こることがよくわかっていた。 恐怖に震える少女。 生臭い、男の猫なで声。 少女が男の提案を拒絶すれば(当然拒否するのだが)、それはすぐに暴力的な咆吼へと変わる。 2、3発殴られ抵抗力を奪われた後、複数の男に組み敷かれ、異物に貫かれる。 だから…… 俺は、然るべきタイミングを見計らい物音を立てた。 それで、終わりだ。 ……。 お楽しみを邪魔された使用人達の怒りは、当然俺に向いた。 数日後、俺は彼らの暴力にさらされることになったが、それこそ慣れっこだ。 「……あ、あの……大丈夫?」 さんざんっぱら殴られた後、地面に倒れて空を見上げていると、少女は声をかけてきた。 「もう終わったから大丈夫」 「怪我してる」 「平気だ」 幼い凪が、血の滲んだ俺の手を取る。 「やめろ」 俺は手を引いた。 凪が、不安げな目で俺を見る。 「あいつらに近づいちゃいけない」 「この家では、自分以外はケダモノだと思った方がいい」 「でも、お兄ちゃんはケダモノじゃないよ……助けてくれたんだから」 凪の鼻声は、最初に俺をイラッとさせた。 そしてすぐに、むずがゆいような何とも言えない居心地の悪さを感じさせた。 「……ケダモノから生まれたんだ……ケダモノだよ」 「そしたら、わたしだって一緒」 あの時、凪はかすかに微笑んだのだと思う。 会話をしたのはそれっきり。 3ヶ月ほどで母親が離婚したため、凪は俺の家から消えた。 「……あ、あの……大丈夫?」 気がつくと、凪が心配そうな目で俺を見ていた。 「あ、ああ……おはよう」 「顔色悪いけど……もしかして、後悔してる? 私とこうなったこと」 「え?」 凪の言葉の意味を理解するまで時間がかかった。 「まさか、幸せに決まってる」 「悪いな心配させて」 頭を撫でてやると、凪が目を細めた。 「凪……俺さ、思い出したんだ」 「ん? 何を?」 「ずっと昔のこと」 「凪、ホームに来る前、俺の家にいたよな?」 数秒、きょとんとした顔をしてから、凪は神妙な顔になった。 「……そっか……私はもう羊飼いじゃないもんね」 少し悲しそうに笑う。 「お前、あの時の女の子だったのか」 「正解。3ヶ月くらい京太郎の妹だったよ」 「教えてくれてもよかったのに」 「ヒントは出したんだけどね」 「マジか? 気づかなかった」 「前に言ったじゃない。京太郎は私を『ケダモノ』から守ってくれたって」 「ああ……」 そうだ。 俺はあの時、大仰な言い回しだと思ったんだ。 普通、犬猫をケダモノとは言わない。 「あの時から、京太郎は私のヒーローだったの……みたいな?」 凪がおかしそうに笑う。 「健忘症気味のヒーローで悪かったな。夢が壊れたか?」 「まさか、夢は壊れてないよ」 「……現実になっただけ」 凪が俺の手を握った。 「ずっと、俺のことを思ってくれてたのか?」 「自惚れんじゃないの」 凪が握った手に力を入れる。 「こっちだって忘れたり思い出したり……」 「なんとなーく、いつも心にはあった。その程度よ」 そう言って、凪は笑う。 「ああ、でも、一つだけ忘れられないことがあったな」 「何?」 「京太郎が助けてくれたとき、最後に言ってくれた言葉」 「……覚えてないな」 「私はね、自分がケダモノだって言ったのよ」 「そしたら京太郎はこう言ってくれた」 「ケダモノはお前みたいに綺麗な目はしてないって」 ……。 …………。 「鬱陶しいガキだな」 「だよね、あはははっ」 凪が笑う。 笑いながら目尻を拭った。 「でも……そんなことでも忘れずにいるんだから、気に入ったんだろうね」 「私はずっと周りをケダモノだと思って生きて来たし、だからこそ生きてこられた」 「救いだったんだと思う」 凪がどんなひどい目に遭ってきたのか、詳細はわからない。 でも、彼女は周囲を自分より低い存在だと思うことで何とか自分を保ってきたのだ。 「つまり、昔の京太郎は私にとって特別だった」 「でもそれが、羊飼いを目指すようになってからは、かえって邪魔になっちゃったわけ」 特別な人間がいれば、羊飼いにはなれない。 「京太郎に救われて、京太郎に邪魔されて、忘れようとしても忘れられなくて、またこうやって京太郎に救われてる」 「私の人生にとって、京太郎ってなんだったんだろうね」 凪が寂しげに微笑んだ。 こいつの中での俺は、時期によって意味を変えながら、今まで生き続けてきた。 俺との出会いが凪にとって幸せなことだったのか、そうでなかったのか、俺にはわからない。 「俺と出会ったこと、後悔してるか?」 凪が弾かれたように顔を上げる。 「ぜーんぜん」 「ずっと曲がりくねったトンネルを歩いてきたけど、やっと外に出られた気分」 凪が明るく笑う。 あの時の少女が、今、こんなに幸せそうな表情を見せてくれている。 それだけで、達成感みたいなものが湧き上がってきた。 「よかった……ありがとう」 「なんでアンタがお礼言うのよ」 苦笑しつつ、俺たちは強く抱き合う。 「私は今、特別な人間がいるってこと、すごく幸せに思えてる」 「終わりよければ全てよしってね」 凪と軽くキスを交わす。 「久しぶりだね、お兄ちゃん」 凪が満面の笑みを見せた。 ……。 …………。 「はい?」 「いや、『お兄ちゃん』……みたいな?」 「いや、俺、妹とどうこうなる趣味ないし」 「外したっ!? 一撃必殺だと思ってたのにっ!?」 どういう思い込みだ。 「大体、もう凪には殺られてる。オーバーキルだぞ」 「わーお、くらっときたわ」 「次、お兄ちゃんとか呼んだら、いろいろ考えるからな」 「わかりました、もう言わないって」 凪が俺の額を指でつっつく。 そして、首に腕を絡めてきた。 そのまま唇を重ねる。 「ちゅ……ん……好き、京太郎……」 とろけるような囁きが耳に入ってくる。 何とも言えない心地よさだ。 「おっと」 携帯のアラームが鳴った。 土曜日だというのに、平日仕様になっていたようだ。 「あー、何よもう、タイミング悪い」 「すまん」 アラームを切る。 「今日、何か用事あるの?」 「いや、特には」 「飯でも食いながら、予定を決めよう」 「読書は?」 「もういいんだ」 ブラインドを上げると、爽やかな秋の光が部屋一杯に広がった。 時刻は8時前。 目の前には、久しぶりに心安らげる休日が横たわっている。 凪と一緒にどう楽しもう? 今までにない悩みに、俺の胸は躍っていた。 数時間後、凪のリクエストで商店街に出た。 買いたい物があるらしい。 「何を買うんだ?」 「服とか、生活に必要な物一式」 「ああ、凪の部屋は空っぽだったな」 「それなんだけど、もしよかったら、しばらく京太郎の部屋に置いてもらえない」 改めて頼んでくるってことは、居候じゃなく、ガチの同棲ってことか。 「構わないよ」 「でも、隣の部屋はどうする?」 「あそこ、私の部屋じゃないし」 凪の話だと、彼女は例の隣室以外にも生活のための部屋を借りているらしい。 しかし、それらはいわば『羊飼い専用の寮』で、凪個人が契約しているわけじゃない。 今後、羊飼いの記憶が消えることを考えると、面倒なことにならないうちに部屋を出たいということだ。 「他に頼れる奴はいないのか?」 「京太郎が無理なら、ネットカフェに長期滞在とか?」 「んなことさせられるか」 「んじゃ、よろしくお願いしちゃっていいってこと?」 凪が上目遣いに見てくる。 理性を捨てたくなるほど可愛い顔だ。 ネカフェ難民なんかしてたら、絶対ちょっかい出されるだろう。 「部屋が狭いのは我慢しろよ」 「もっちろん、ありがとね!」 凪が腕を組んでくる。 「よーし、早速買い物行こっか」 「お揃いの歯ブラシとかにしちゃう? コップに2本入れちゃったりして」 「いや、俺、電動使ってるから」 「アンタ、つまんないわねー」 「じゃあ、いーわよ、ブラシの部分だけ買うから」 「ああ、そうだ。お箸とかあるの、お箸?」 「あと、身体洗うのも柔らかいのがいいな。シャンプーはノンシリコンね」 新生活に心躍っているのか、凪が満面の笑顔で喋る。 もちろん、俺だってワクワクしている。 凪と何か新しいことを始めるというだけで、どんな冒険小説を読んでいる時よりも高揚感があった。 そりゃそうだ。 俺たちは、フィクションじゃなく、実際に冒険の旅に出ようとしているのだから。 「ったく、注文が多い居候だな」 「とりあえずワンズ行こう。全部揃うだろ」 「ういーす。あそこって、ついいろいろ買っちゃうのよね」 「そうだ、服も買わないと……あと、化粧品とお金と包丁と……」 「いやいやいや、今、さらっと物騒なこと言わなかったか?」 「包丁?」 「金だ。お前、無一文か?」 「ふふふ、よく気づいたわね」 「今月の生活費が出る前に羊飼いやめちゃったのよ」 顎に指を当て、名探偵のごとく目をキランと輝かせる。 相当やっかいな同居人を獲得してしまったようだ。 奇妙な隣人がクラスアップしたわけか。 「もういいや、俺払っとくから」 「やだー、京太郎、やさしー。もー、大好きー」 「後で返せよ」 「やだー、京太郎、鬼畜ー」 「そこはほら、いろいろ恩返しするからさ……ね?」 凪がぎゅっと身体を押しつけてくる。 「はいはい、期待しないで待ってるよ」 適当に流し、店を目指す。 3時間後、一通りの買い物を終えた。 両手には大量の買い物袋がぶら下がっている。 「んー、まあ、こんなところですかね」 ご機嫌な凪が、くるりと回って俺を見る。 手ブラだと身軽でいいわな。 「つーか、俺が限界。もう持てないから」 「もー、しっかりしてよ」 「……なんてね、持ってくれてありがと」 凪がいくつか荷物を負担してくれる。 「これからどうする? どっかでお茶でも飲むか、家に帰るか」 「帰ろうよ。京太郎が大変だしさ」 「りょーかい」 凪と並んで家を目指す。 家までは10分も歩けば着く距離だ。 今は、荷物の重さより、楽しい買い物が間もなく終わってしまうことが残念だった。 休日の商店街はかなりの人出だ。 買い物中から気づいていたことだが、凪はかなり周囲の視線を集めていた。 第一に顔がいい。 そしてやはり、胸にあるものが、すれ違う男の視線を引き留めずにはおかない。 「(……しかも、これじゃなあ)」 横目に見る。 斜めにかけられたバッグの紐が谷間に入り込み、凹凸が強調されていた。 自分の彼女が注目を集めるのは、誇らしいと同時に、やっぱり危険を感じたりもする。 「京太郎も好きだよね」 「え?」 「見てるでしょ?」 「何を?」 「はっはーん……まー、いいですけどね」 凪がにやりと笑う。 お見通しということだ。 「悪いな。男の本能だと思って諦めてくれ」 「大きいの、嫌い?」 「んなわけあるか」 正直、こだわりはない。 だが、大きい方がいいのは確かだ……申し訳ないが。 「なら大きくて良かった」 「コンプレックスだったりするのか?」 「別に? 疲れるとかいろいろあるけどね」 「でもさ、好きな人に気に入ってもらえるならいいや」 凪が笑う。 両手が荷物で塞がってなかったら、抱きしめてしまいそうだ。 「周りの奴らが結構見てるから気になるんだ」 「妬かないの」 「私はもう京太郎のものなんだから、他の人は指くわえて見てるだけでしょ?」 「だと嬉しい」 「浮気なんてしないって」 「私を受け止められるの、京太郎だけってわかってるもん」 凪が明るく笑う。 向けられた信頼に、胸が痛いほどに締め付けられる。 「ま、それはそれとして、たぎるものは夜まで取っといて」 「お、おう」 期待していいのだろうか。 昨日の今日だというのに胸が高鳴る。 「あ、筧くんだ……それに小太刀さん」 「よう、偶然だな」 「おっす」 白崎・桜庭コンビにばったり出会った。 「二人で買い物か。仲が良いようで何よりだ」 「いやー、それほどでも」 「ね、京太郎」 「きょ、京太郎?」 「お互い名前で呼ぶことになったの」 凪が腕を絡めてくる。 「わざわざ見せつけなくてもいい」 「まったく、付き合いたてのカップルほど手に負えないものはないな」 「どうせいちゃいちゃするなら、家で思う存分いちゃついてくれ」 「言われなくても、そうしますよー」 凪が舌を出す。 「お前は、いちいちつっかかるな」 「いーじゃん別に」 ぶすっとする凪。 俺が同性に感じた危機感を、凪も感じてくれてるのだろうか。 なら悪い気はしない。 「二人は買い物?」 「うん、ブラブラしてるの。久しぶりのお休みだから」 「選挙のせいか、そこら中で声をかけられて困る」 「生徒会長ともなると、パパラッチもいるらしいから注意しろよ」 「そんな、大袈裟だよ」 「いや、私も先日、ネット上で白崎のきわどい写真を見つけた」 シリアスな顔で桜庭が言う。 「玉藻ちゃん? 初耳なんだけど」 「そ、そうだったか」 「アンタ、保存だけして満足しちゃったんでしょ?」 「な、何を根拠に」 桜庭が扇子を開いて顔を扇ぐ。 その態度が有力な根拠だ。 「男がいないからって、女に行ったらおしまいよ」 「余計なお世話だ」 「いちいち喧嘩するなって」 困った奴らだ。 「じゃ、荷物もあるんでこの辺で」 「あ、うん。またね」 「じゃーねー」 それぞれ挨拶し、二人と別れる。 「小太刀の奴、私達のことをさんざん煽っておいて自分が持っていくとは」 「ね、びっくりだよ」 「でも、筧くんも楽しそうだし、いいんじゃないかな?」 「はあ……お前は、どこまで人がいいんだ」 祝日の午後、俺たちは借りてきたDVDを見ながら寛いでいた。 流しているのは数年前に流行った恋愛映画だ。 「生活用品だけどさ、前に買った分で足りそうか?」 「今んとこ大丈夫だけど、もうちょい生活してみないとわかんないかな」 「だよな。ま、何かあったらまた買いに行こう」 「んだね」 床で転がっていた凪が、不意に立ち上がった。 「隣、いい?」 「ああ」 身体をぴったりとつけ、体育座りをする。 「どうした?」 「別に。ただこうしたいだけ」 こてりと頭を預けてくる。 テレビでは、ちょうど男女が引き離されるシーンだった。 凪も何か感じるところがあったのかもしれない。 「……」 体育座りをしているせいか、元から短い凪のスカートがまくれている。 太ももはほとんど露わになっていた。 「凪、スカート」 「え? やだ、ごめん」 凪がもじもじとスカートを直す。 「……あ、いいシーンだったのに」 「巻き戻すよ」 「いやいや、そういう問題じゃないっしょ」 文句を聞き流し、シーンを戻す。 引き離されたかに見えた男女。 しかし、男は全てを振り切り女の元へ走る。 そして決め台詞。 女は悪役の手を振り切り、男の元へ。 「あかん、よう盛り上がらんわ」 エセ関西弁を発し、凪が床に転がった。 「あーあ、京太郎が変なこと言うから」 「しゃーないだろ、こっちだって気になるんだから」 「なんでそんなにスカート好きなのよ」 そう言いつつ、短いスカートを脚の間に挟む。 今日は、俺も凪も夏物を着ていた。 長袖一枚じゃ寒いと思ったら、次の日は半袖でも暑かったりと、この季節は服に困る。 「男がスカート好きなのは本能だよ」 「高峰も、絶対賛同してくれるね」 「そりゃアイツは大賛成でしょーよ、バッカじゃないの」 凪が拗ねたような顔をする。 本気でないのはわかった。 「悪かった、謝る」 「じゃああれね、罰ゲーム」 「はあ?」 「映画の主人公の台詞を、筧大先生に再現してもらいましょう」 凪がDVDを巻き戻す。 例の決め台詞のシーンだ。 『お前が全てだよ。一緒に行こう、誰に〈誹〉《そし》られても俺はお前が欲しいんだ』 当たり前だが、どシリアスなシーンである。 「完全に罰ゲームだろ」 「だからそう言ってるじゃん」 凪が俺の向い側で正座した。 じっと目を見てくる。 「はい、ゴー」 「ゴーじゃねえよ」 「恥ずかしがらないの」 「じゃあ、私がきゅんと来たら、ご褒美あげるから」 「ったく、しゃーねーな」 これは、こういう遊びなのだ。 凪も怒っているわけじゃない。 だから、乗るのが正解だ。 「よし、行くぞ」 意を決し凪の目を見る。 つい先日付き合うことになった彼女だ。 それだけで恥ずかしい。 凪の肌もかすかに上気してくる。 「お前が全てだよ」 「一緒に行こう、誰に〈誹〉《そし》られても俺はお前が欲しいんだ」 ……。 …………。 ………………。 ……………………。 「……あ、う、うん……どうぞ」 凪が真っ赤になって顔を逸らす。 そういうリアクションか! 「いや、馬鹿じゃねーのとか言ってもらわんと」 「言おうと思ってたんだけど……割と、来たかも……」 などと、もじもじ身体をよじっている。 割とアホな彼女だった。 「ご褒美は? きゅんとさせたらもらえるんだろ?」 「え? あ、そうだっけ」 「そうだっけじゃない」 「ご褒美がなけりゃ、俺がただの馬鹿になるじゃないか」 「ご褒美に釣られてああいうこと言っちゃうのも、どうかと思うけど」 「やらせておいてひどいな」 「はいはい、わかりました」 「で、何がもらえるんだ?」 「……そうねえ」 小太刀が妙に難しい顔になる。 一体、何を企んでるんだ? 3分後、俺たちは空っぽの隣室にいた。 小太刀は、最後の記念とか引っ越しの思い出とかブツブツ言っていたが……。 「いや、あの、どういうこと?」 「まあ座りなよ若いの」 「は、はあ……」 大人しく床に座る。 「後ろ向いて、目、つむってよ」 「ああ」 意味不明だが、ともかく言われた通りにする。 ……。 すぐに、衣擦れの音が聞こえた。 え? これは、もしかして……。 部屋を引き払う最後の思い出にってことなのか? 「は、はい……どうぞ」 うわずった声が聞こえた。 「お……」 一瞬、言葉を失った。 目の前に、2つの乳房を露出させた凪が立っているのだ。 「前のデート中、ずっと気にしてたでしょ」 「……ごくり」 返事もできず、唾を飲む。 俺は座り、凪は立っている。 そのせいで、乳房が頭上に迫り来るような迫力だ。 「あんま、じろじろ見ないでよ」 「今更だけど、やっぱすごいな」 「嬉しくない言い方ね」 「それ、どっかの喫茶店のジャンボパフェを見たときと同じリアクションでしょ」 「しかし、パフェは美味いだろ」 「意味わかんない」 恥ずかしそうに、凪がそっぽを向く。 「ともかく、きゅんとさせたご褒美だから、好きにしてよ」 「お、おう……」 大変ありがたいが、いきなり好きにしてと言われてもな。 油性ペンで落書きとかすればいいんだろうか? いや、絶対殺されるな。 ノーマルに行こう。 「じゃ、じゃあ」 凪の乳房に両手で触れる。 「んっ……手、冷たい」 「手が冷たい奴は……」 「心が温かいでしょ? ベタベタ」 「そりゃ失礼」 無駄話はやめ、胸に集中する。 凪の乳房は本当に柔らかい。 よく女の子の乳房はマシュマロに例えられるが、そんなのじゃ形容できない。 ほんの少し力を加えるだけで、俺の指の形に沿って形を変えてしまうぐらい柔らかいのに…… その力を抜くと、すぐさま元の形に戻ろうとしてくる。 柔軟性からは想像もできないぐらいの弾力性を備えていた。 「ん……あ……なんで無言なのよ」 「何か言ってくれないと、不安になるじゃない……」 「触ってるだけで、すごく気持ちいい」 「馬鹿じゃないの」 「凪だって、触られてるだけで……とか?」 「そんなことないから……ん……あっ」 反発しながらも声が漏れる。 「はぁ、うあ……ああ、やん……」 「もう、手の動きが……いやらしいよ……ああっ……」 早くも凪の息が荒くなってきている。 乳房の先端では、突起が膨らみ始めていた。 なめてくれと言われているようだ。 「……」 「ああっ、こらっ」 勃起した乳首を舌先でつつく。 凪の乳頭は、思っていたよりもずっと固くなっていた。 「京太郎……京太郎ぅ……あっ、んっ、やだっ、あああっ……っ」 舌の動きに合わせ、凪が声を漏らす。 胸の他の部分とは反応が違う。 「なんで、男の子って……んっ……胸なめる、の……?」 「あれね……幼児退行してるんじゃない……ああっ」 「かもな」 舌を引っ込め、それこそ赤子のように乳首を口に含む。 「んっ……あったかい……あああっ、あっ、あっ……」 「なんか……身体が熱くなってきた……胸、なめられてるだけなのに……んっ……あああっ」 凪の乳房がしっとりと汗ばんできた。 熟しきった果実が、内側から果汁をにじませているようにも見える。 溢れた果汁を、俺は舌先ですくった。 「ひゃんっ、やぅ……うくっ、うう、うううぅぅぅ……っ」 汗を喉奥に送り込みながら、乳頭の先を突いたりもする。 「ひん、んぅ、ん、んぅぅ……っ!」 時折乳輪のフチを、舌でなぞる。 「や、あ、んあ……っ、ああっ、あ、あああぁぁぁ……っ」 「はぁ、はぁ……はひ、ひう、うう……うあぁ……」 凪の声が、本格的に艶を帯びてきた。 もう、くすぐったいという領域は越えている。 「はぁ、はぅ……はぁ、もう、やだぁ……頭、ボーッとしてきたよぅ……」 「京太郎……もう、いやらしすぎるよぅ……ひゃんっ、やん……っ」 凪の吐息を感じながら視線を下に落とす。 胸の谷間に汗が溜まっていた。 ……確かここに挟んでもらう奴があったな。 「胸、好きにしていいって言ってたよな?」 「あ、うん……言った……けど」 「そしたら、胸で挟んでもらえないか?」 「は、挟むって……何を?」 「ま、まあ……アレを」 怪訝な顔をされる。 「それ、気持ちいいの?」 「いいらしい」 「……ほんと、男って意味不明よね」 嫌そうなことを言いながらも、割とすんなりうなずいてくれた。 「ありがと」 乳房から手を離し、ズボンとパンツを下ろす。 腹につきそうなほど反り返ったペニスが現れる。 「……これを、こうして……」 凪がしゃがみこむ。 ふわりと、乳房がペニスを挟んだ。 「く……」 「ど、どう?」 「こする感じにしてもらえる?」 「そ、そうね……これじゃ、刺激がないよね」 凪が、両手で乳房を支え、肉棒をこすってきた。 胸の間からは、俺の先端が覗いている。 「これ、口でした方がいい?」 凪が自分から提案してくれる。 気持ちよくさせようと考えてくれているのだ。 「ありがとう、頼む」 「じゃあ……ん、ちゅ……っ、ちゅく、ちゅ、ちゅる、ちゅぷ……」 「んっ、んっ……ん、ちゅ、ちゅる、ちゅ……ちゅぅぅ……」 すぐに唾液が馴染み、乳房の滑りが良くなる。 「いいぞ……上手だ」 「じゅりゅっ、ぴちゅっ、くちゅっ、ずるるっ……ちゅるっ」 「ん、ん……んぅ、んく、ん……っ、んあ、はぁ、はぅ……」 粘っこい音が部屋に響く。 その音だけでも、興奮が高まっていく。 「はぁ、ん……ちゅる、ちゅぷ、ちゅく……っ!」 「はぁ、うあ……あ、ん、ん……っ、んくぅ、んぅ、ん、んんぅぅぅ……っ」 「くちゅ、れろぉ……れる、れるぅ……ちゅ、ちゅる、ちゅ、ちゅぅぅぅ……っ」 凪の舌が器用に動く。 亀頭をざらりとなめ上げ、時折裏筋を突いたりもしてくる。 「凪……舌使い、すごくいい」 「ふふ……おっぱい、舐められたときの仕返し……」 「嬉しい仕返しだ……」 「馬鹿……。んっ、ちゅ、ちゅる、ちゅくぅ……っ、ん、ん、んっ、んむぅっ、んぅ……っ」 「んあ、はぁ……はぅ、はふっ。ふぁ、んっ、ちゅる、ちゅぅ……っ」 「うう……なんかこれ、してるだけなのに、変な気分になってくる……」 「目の前に京太郎のがあるし……挟んでるから、胸、熱くなってるし……」 凪が喋る度に、彼女の吐息が俺のペニスにかかる。 凪の息を浴びて、ペニスはますます膨張していく。 「目の前で……大きくなってくし……」 「あ……何か出て来た……」 乳房に絞られるようにして、尿道口からは先走り液が溢れていた。 溢れたその体液を、凪が舌先ですくう。 「……く……」 ぴりっとした刺激が走る。 「ふふ、腰、動いた」 「じゅちゅっ、ちゅぅっ、ちゅくっ、ぴちゅっ……」 「ちゅく、ちゅぱぁ……っ、れろ、れるぅ……んっ、んぅ、んぅぅぅ……っ」 凪は熱心にペニスを舐めてくれる。 射精感がじわじわ上がってきた。 「凪……一回、出していいか?」 「ん?」 凪が顔を上げる。 「京太郎、気持ちいいんだ」 凪が微笑んだ。 「いいよ……出して」 言うなり、凪は再びペニスを咥える。 「はんっ、ちゅるるるっ、じゅるるるっ……ぴちゅ、くちゅっ、んむぅっ、んぅ……っ」 「んむ……ぴちゅっ、じゅるぅ、くちゅっ……れろっ、れろれろれろ」 「ほら、京太郎……気持ちいい?」 「く……いい……」 自分の腰がゆらゆらと動き出す。 唾液で濡れた乳房の間を、肉棒がずるずる動く。 「ぺちゅっ、れろろ、じゅりゅりゅっ……ちゅっ、ちゅっ、ちゅるっ」 「いいよ、ほら、ほら……ちゅるるっ、れろ、れるぅ……じゅるるるるっ!」 咥えられたペニスが、一気に吸い上げられる。 射精感が一気に高まった。 「凪、もう……」 「はむぅ……んむっ、んぐ、ん、んぅぅぅ……っ」 凪が舌と唇で、出入りする亀頭を受け止めてくれる。 「ちゅっ……ちゅう……ん、んんっ、ちゅぱっ……ちゅうぅ……っ!」 「はぁ、ん……っ、んぅ、ん、ん……っ、ぅあ、ふあ、んあぁ……っ、はんぅ、んぅぅ……っ」 「ちゅ……ちゅぅぅ……っ、ちゅる、ちゅく、ちゅぷぅ、れろっ……ちゅるっ、ちゅるるるるっっっ!」 「ぐっ!?」 びゅぅっ、びゅっ、びゅくぅっ! 「ぷはっ……あっ、んんっ!?」 震えるペニスから、精液がほとばしった。 塊のように濃いものが、凪の顔や髪に飛び散る。 「んふっ……」 凪がペニスを咥え、口内で亀頭をなめ回した。 「うあっ」 びゅくっ、びゅっ、どくどくっ! 凪の舌に導かれるように、白濁が飛び出す。 「んんっ! んんんっ!? ……ん……んあ……」 「ぷは……ん、こく……こくんっ……ん……」 凪が喉を鳴らした。 「ふふ……気持ちよかったみたいね」 「ああ、びっくりするくらいだ」 精液まみれの凪。 にもかかわらず、その微笑みは女神のように清純だ。 「ドロドロにされちゃったんだけど」 「すまん」 「ほんとなら、違うとこで欲しかったな」 言葉の意味を察し、腰が震える。 「……よく考えてみたら、私が奉仕してたよね?」 「ご褒美に、胸を好きにしていいとは言ったけど……おかしくない?」 「確かに」 「なんか騙された」 「ありがと」 「滅茶苦茶、上手だった」 「それよ、それ」 「京太郎がおだてるから、私、その気になっちゃって」 凪が溜息をつく。 「惚れた弱みか」 「アンタが言わないでよ」 ぶすっとした顔で言う。 「悪かった……」 「じゃあ、今度は俺が奉仕する」 「そんなこと言われても困るって」 「お返しだからさ」 凪の手を取る。 「……う」 凪が目を逸らした。 「あのさ……そこ、そんなにして言われても、正直引くんだけど」 肉棒は、まだ隆々としていた。 「コントロールできないんだ、仕方ないだろ」 「はいはい、終わり終わり」 凪が距離を取る。 「凪っ」 「わあっ」 二人して、床に倒れ込んだ。 「あんた、わざとやってるでしょ」 「そう見えるか?」 「見える」 凪が立ち上がる。 仰向けに寝ている俺からは、短いスカートの中が丸見えだ。 「……」 「……なんで、ここで大きくなるのよ」 「いや……なんでだろ」 重苦しい沈黙の後、凪がにやりと笑う。 「ほんと、京太郎はスケベすぎ」 「私なんかかわいいもんだよね」 「え……」 凪が下着を下ろし、俺の上にまたがった。 「ムード壊した罰として、京太郎は動いちゃだめね」 「お、おう」 凪が、俺の上で自ら花弁を開いた。 「ほら、ここ大好きでしょ、エッチな京太郎は」 内側のサーモンピンクに反応し、俺の股間がたぎる。 「こっちは正直」 「く……」 凪が肉棒を撫でる。 「楽しそうだな、凪」 「え? や、あ……まあ、そうかも……」 「そう言えば、私が上になるのは初めてかもね」 「上の方が好き?」 「ち、違うわよ、これは京太郎がムードを壊すから」 「好きでやってるわけじゃないし」 「なるほど」 「冷静さがむかつくわね」 「ともかく、動かないで」 そう言うと、凪が腰を下ろしてきた。 膣口と先端がぶつかる。 そこは陰茎の感触でもはっきりとわかるぐらいに濡れていた。 「んあ、ん……っ、んぅ……京太郎の、すごく固い……」 「早く繋がりたいんだ」 「そう? じゃあ、ゆっくりね」 凪が、もう少しだけ腰を下ろす。 ぷちゅりと、亀頭までが挿入される。 「気持ちいい?」 「……溶けそうだ」 「もっと入りたい?」 「ああ」 「どうしよっかな」 凪が、微笑みながら腰を動かす。 亀頭だけが陰唇に弄ばれる。 「うあ……」 「んうっ……あっ、んっ……どう?」 「うあ……やっ、あ、あ、あ……っ、ああ……っ」 性器のみの一点で繋がりながら、凪が腰を振る。 みだらすぎる光景に、頭がクラクラしてきた。 「は、早く、頼む」 「こう?」 凪のヒダが、ペニスの中程までを飲み込んだ。 「んぅ……んぅ……っ、ん、んんぅぅぅ……っ」 肉棒の先が、温かい感触にくるまれる。 その温かい感触は、ドクンドクンと脈動していた。 「もっと?」 「もっと」 「京太郎、いやらしいね」 妖艶に微笑み、凪が腰を下ろしてくる。 「あ……ん……んふっ……中……こすれる」 鉄の棒のようになったペニスが、少しずつ凪に吸い込まれる。 「んんんっ……熱いよ、京太郎の……すごく」 「繋がりたいんだ、凪」 「あ、ああっ……私も、繋がりたい……京太郎……好き……」 さっきまでの攻めの姿勢はどこへやら。 うっとりと目を閉じ、凪が俺を飲み込んだ。 演技は長続きしなかったようだ。 「はあぁ……繋がった」 凪が溜息をつくと、膣内がぎゅっと縮む。 「凪、かわいいな」 「ふふ、ありがと」 「……じゃ、動くね」 凪が腰を動かし始める。 「ん、はぁ……っ、ぅあ、ふあ、んあ……っ、あ、あ……っ、あ……っ」 「や、や、や……ん、んぅ、んぅ……っ、ん、ふ、ああぁぁぁ」 いきなりグチュグチュと、エッチな音が股間から鳴り始める。 パイズリ後半からずっと欲しがっていただけあって、凪のそこはしっかりと濡れていた。 「ひゃ、あ……ああっ、うあ、ああ…………っ」 濡れた愛液が、陰茎を伝って垂れ落ちてくる。 俺の睾丸の辺りが、じんわりと温かくなっていた。 「どう? 気持ち、いい?」 「ああ」 「私も、私もきもち、いいよ……だって、ああんっ、京太郎と……繋がってるんだもんね」 「京太郎、もっと、いっぱい、気持ちよくさせてあげる」 凪が喜ぶと、結合部から愛液が溢れる。 また俺の睾丸が、じわりと濡れた。 「凪、もっと奥まで入れてくれ」 「え?」 「奥まで入れてくれよ」 「俺、凪ともっと深くで繋がりたい」 「あ、ううう……っ、そ、それは……」 急にギクリとしたように、凪が動きを止める。 「どうした?」 「えっと……奥まで、入れたい?」 「うん」 「あのその……リクエストに応えたいのはやまやまなんだけど」 「京太郎のがその、奥まで入って来ちゃうとね……変に、なっちゃうから……」 「は?」 「その……もっと長く、くっついていたいから、ね」 「凪……」 「だ、だめかな?」 凪がかわいすぎる。 こうなると、感じさせずにはいられなくなってしまう。 「じゃあ、俺から動くよ」 「あ、や、ちょ……ちょっと、ちょっとぉっ!」 「ふにゃっ、やっ、やあああぁぁぁ……っ!」 下から、凪の体を突き上げた。 凪が腰を落としきっていないので、すぐに浅い位置に戻ってしまうが、それでも確実に奥は叩けた。 「あうっ、やあぁっ、奥に、奥に当たってる! んんんっ、ひゃんっ、ああああっ」 構わず、2度3度と凪を突き上げる。 「ひや、や……っ、やあっ、あ、あ、あ……っ、や、やああぁぁぁっ」 「もう……早速、頭の中が、ピリピリしてきたぁ……」 凪の汗の量が、一気に増えた。 結合部からこぼれる愛液の量も、加速度的に増加している。 「やあっ、ああ……っ、ああ、あああぁぁぁぁ……っ」 睾丸が温かいどころではない。パンツの中までぐちょぐちょになってしまっている。 「ひ……くぅっ、うくっ、うあ、うあ……っ、あ、やっ、ひゃ……うぅぅぅっ」 「ちょっとぉ、もう……私も、動きたいんだってばぁっ」 凪が腰を落とす。 「ひゃんっ! くぅぅぅ……っ」 お互いの恥骨同士がぶつかり合い、間違いなく子宮口を叩いた感触が亀頭の先に残った。 凪の乳房が、たぷんと大きく揺れる。 「はぁ、ふぁ、もう、やらぁ……っ、頭、クラクラするぅ、体が熱いよぅっ」 「だめっ、だめっ、あああああっ……いつも私、先におかしくなって、だめっ、だめだめっ」 凪の身体がガクガク揺れる 「もう、もううぅぅっ、うあ、あ、あああぁぁぁ……っ」 「ひゃんっ! ひく……っ、ひんっ、ひくうぅぅぅ……っ」 また恥骨同士がぶつかる。 なんだかんだと言いながら、凪も腰の上下運動を止めようとはしない。 「凪……」 「な、何よ……」 「今更だけど……繋がってるとこ、よく見える」 「ふえ……? え、え、え……?」 「そ、そんなっ……あああっ、やだ、やだやだやだっ!」 言いながらも、動きは止めない。 むしろ、潤いはいっそう増したように思える。 「やあぁぁ……っ、やめてよね、もう……、見ないでよぅ……っ」 「京太郎にっ……恥ずかしいところ、見られてっ……あああっ、んっ、やあああっ」 恥ずかしがりながらも、凪は自分の股間から指を外そうとはしない。 むしろいっそう見せつけるように、入り口を広げていく。 「ひゃんっ、や、や……ひう、ひ……っ、ん、んぅぅぅっ!」 たぷんたぷんと揺れる乳房を仰ぎ見ながら、俺もどんどん昂ぶっていった。 「中で……いいんだよな?」 「うん、きてっ、中に出してっ……京太郎、京太郎っ!」 「あああっ、やああっ、いうっ、うあっ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ!」 「凪っ」 思い切り下から突き上げる。 「や、や、や……っ、だめ、だめだよぅ……それ、激しいっ、奥まで、来ちゃってる……っ」 「あああぁぁぁ……もう、もうぅぅぅっ、悔しいなぁっ、結局、京太郎の手のひらの上じゃない」 「やだっ、やだぁっ、体、浮いちゃうよ……っ、京太郎に乗ってるのに、乗ってないみたいに……」 「あっ、ああっ、ああっ、あああぁぁぁぁっ!」 熱くねっとりとした膣壁が、肉棒を締め付ける。 膣が全体をギュッと握りしめ、精を搾り取ろうとしてくる。 「あ、あ、あ……っ、来る、来ちゃう……っ、だめっ、だめだめだめっ……!」 「イク……イク、やだっ、京太郎の上でイっちゃう、イっちゃうよぅ……っ」 「んあ、あああぁぁ……っ、あっ、や、ぅやっ、やぁぁっ、や、んっ、やあああああぁぁぁっ!」 びゅるっ、びゅるぅっ、びゅく……っ! 「ひあっ、ああ……っ、あ、あ、あっ、あああぁぁぁ……っ」 凪の割れ目にペニスを埋めたまま、奥に吐精する。 ペニスが律動し、その度に凪の体も痙攣する。 「ひ、や、や……っ、あ、あ、あっ」 「中、熱い……、そんなに熱くされたら、また……」 「ひくっ、あ、あ、……あああ……」 どうやら凪はまた、絶頂感を味わっているようだ。 「はぁ、はぁ……ひくっ、ひう、うあ、はうぅっ」 凪の膣口からは精液と愛液が、混ざって垂れ落ちてきていた。 混合液は俺の下着どころか、ズボンまでをもぐちゃぐちゃにしてしまう。 「凪、ズボン、脱ぎたいんだが」 「え……?」 「服を脱ぎたいから」 「……だめ」 「は?」 「京太郎、動かない約束だったのに」 「いや、それは……」 「もう一回、罰ね」 凪が突然、腰を揺らし始めた。 「んあ、ああ……っ、ああ、あああぁぁぁ……っ」 「わっ、ちょ……ちょっと、待て……っ」 萎れかけていたペニスに、凪の膣壁が絡みつく。 ぬめりと締め付けに、また肉棒が固くなり始める。 「……っ、イったばっかりなのに」 「動いたら……どうなるの」 「変になる……」 「……」 凪が一瞬にやりと笑った。 しまったと思うが、もう遅い。 凪がいっそう激しく、腰を揺らした。 「ん、ぅあ、ん……は、はぁっ、はぁ……っ、うああぁぁ……っ」 「く……あ……っ」 頭の中がかぁっと熱くなる。 呼吸が、自分で怖くなるほど激しくなっていった。 「凪だって大丈夫なのか、そんなに動いて……」 「大丈夫なわけ……ないわよぅっ……」 「でも、私が……京太郎をよくするの……んんっ、あああっっ!」 凪が激しく動き出す。 「う、ああぁぁ……」 「ひっ、ひんっ、ひ……っ、や、や、やっ、やあっ、やああぁぁぁ……っ」 頭の中が痺れたようになってきた。 「んあ、あ……っ、京太郎の……まただんだん、固くなってきてるぅ……っ」 「ほら、良くなって……私で良くなって……んんっ、ああああっ、やっ、んんんんっ」 「はぁ、はぁ、はぁ……ひゃっ、や、や、やっ、ぅやっ、はぁ、はひ、ひくぅぅ……っ」 凪が動き、豊かな乳房が波打って揺れる。 快楽に耐えようとするその顔が、俺の快感をどんどん引き上げていく。 「京太郎、京太郎……っ、また、来そう……っ、来る、来ちゃう……っ」 凪の乳房が震え、汗が跳ねる。 「ふにゃ、や、ぅやぁ……っ、や、や、やっ、あっ、ううぅぅぅ……っ」 「京太郎……京太郎も、動いて……、下から突いてっ」 「あっ……やっぱり、動いちゃ、駄目……だめっ、だめだめっっ」 制止も聞かず、凪を突き上げる。 「あ、や、や……っ、京太郎に、お腹の中、掻き回されてるよぅ……っ」 「京太郎のが、中でグチュグチュってなって……あああっ、お腹、また、熱くなるぅ……っ」 精液まみれの膣が締まる。 凪自身はもうヘロヘロのくせに、締め付けはやけに強烈だった。 「ああぁぁぁっ、うあ、あっ、あん、んっ、んぅっ、や、や、やっ、や、やあああぁぁぁっ!」 「くっ……」 「ふえ、なに? もっと……締めるの? ん、んぅっ、んっ、んぅぅぅ……っ!」 「ああ……だめっ、もうだめ……っ、またイクっ、来る、来ちゃうよぅ……っ」 「にゃあっ、や、や、や……っ、あっ、ああっ、ぅあぁぁぁ……っ、ああ、ああああぁぁぁ……っ!」 「うあっ」 びゅくうっ、びゅる、びゅく……っ! 「ひゃん……っ、やっ、やあっ、やああぁぁぁ……っ!」 嬌声と共に、凪が背中を反らせた。 「や、ん……っ、京太郎……」 「や、ふあぁぁぁ……っ、ああ、あああぁぁぁ……」 「波が……また、きて……んんっ、あ、あ……あああうう……」 凪が、俺の上で身をこごめ、ガクガクと震えている。 「はぁ、はぅ、うあぁ……っ、んあ、ぅあ……っ、はうぅぅぅ……」 「はぁ、はぁ……、やぁぁぁ……」 さすがにぐったりとしてしまう。 凪も、呆然とした様子で息を整えていた。 「はひ、ひ、ひうぅぅ……っ、もう、身体中、京太郎まみれに、なっちゃってる……」 凪が独り言のように呟く。 「京太郎……好き、好き……好き……」 「俺もだ」 凪の太ももを撫でる。 凪がうっとりと微笑む。 「ごめんね、変なエッチして」 「大丈夫だ」 「すごく気持ちよかった」 「気持ちよければ、何でもいいの?」 「凪だからだよ」 「どうだか」 いたずらっぽく凪が笑う。 「私、京太郎に気持ちよくなってもらえるように頑張る」 「だから、他の人と、こんなことしないでよね」 ……。 …………。 「な、なに? なんで黙るのよ」 「あ、いや、今のは……割と、来たかも」 「へへ……でしょ?」 「きゅんと来たなら、どこへも行かないで、京太郎」 そう言って、凪が俺に覆い被さってきた。 洗いたての真っ白なシーツを伸ばす。 「今日はよく乾きそうだ」 「だねー。早く洗えて良かったわ」 二人ベランダに並び、ぼんやりと街を眺める。 新生徒会が発足し、しばらくが経過した。 「やっとこさ、私も真人間か」 「これからもよろしくね、京太郎先輩☆」 「うざいわ」 「あれ、年下好きじゃなかったの?」 「だったら、凪に行ってないだろ」 俺と同居を始めた凪が、一つ年下だと知ったのはつい最近のことだ。 気持ちの整理のため、柳井戸ホームを訪れた際に聞かされたことだった。 現在の凪は、勉強・図書部の活動・バイトの3本で忙しい毎日を送っている。 「いやー、しかし、勉強きついわ」 「京太郎さ、教え方がスパルタすぎない?」 「今まで全然勉強してなかったんだから、しゃーないだろ」 凪は勉強ができるタイプだ。 とはいえ、ここ数年は教科書すら開いてなかったのだから、かなり遅れている。 「へいへい、ぼちぼちやりますよー」 凪がニッと笑う。 「あ、そだ。今度の模試でいい成績取ったら、ご褒美くれる?」 凪が俺の腕をぎゅっと掴む。 豊かな胸が腕を包んだ。 「どういうご褒美だよ」 「うわっ、エロイこと想像してるし……信じらんない」 凪がおかしそうに笑う。 この歳で、1Kの間取りに2人暮らしだ。 どうしたって夜はそっちに走りがちである。 ちなみに今日もかなり寝不足だ。 「さて、洗濯も終わったし、勉強するか」 「えー、もうちょっと休憩ー」 手すりにつかまり、ぶらんぶらんしている。 「駄目」 「お願い……じゃあ、これであと10分」 凪が、俺の頬に軽くキスをする。 「ったく、しゃーないな」 「いえーい」 凪が、俺の肩に頭を寄せる。 「ねえ、京太郎? 私さ、最近気づいたことがあるんだ」 「ほー、何に気づいたって?」 「あんたは、私にとっての羊飼いだってこと」 「だって、ずっとずっと前から、私が幸せになる道を教えてくれてたんだから」 強い風にシーツが躍る。 それは、大空に飛び立つ鳥の羽ばたきにも見えた。 もうすぐ春が来る── 新しい季節を、俺たちはどんな風に歩いて行くのだろう? きっと、そこらじゅうで迷い、つまづき、寄り道をするに違いない。 時には、転んで動けなくなることだってあると思う。 でも、絶望はしない。 だって、俺たちはもう知っているじゃないか。 誰かと生きる世界は、そう捨てたもんじゃないってことを。 「ふう……」 風呂から上がって一息つく。 怒濤の一日だった。 髪を乾かすのも億劫だし、このまま寝てしまおう。 そう思ったとき、携帯が鳴った。 誰だろう。 「……」 漠然とした予感があって、メールを確認する。 送り主は、やはり白崎だった。 手早く返信を打つ。 『起きてるよ。出てこられるようなら、どっかで話でもしようか?』 メールを送信し、髪を乾かす。 白崎からどんな返事があるかはわかっていた。 駅前に出てきた。 辺りを見回すと、ちょうど白崎がやってくるところだった。 「あ、筧くん」 すぐにこちらを見つけ、白崎が近づいてくる。 「よう」 「ごめんね、疲れてたでしょ?」 「大丈夫」 「それに、疲れてるって話ならお互い様だし」 そうだね、と次期生徒会長が微笑む。 「眠れなかったのか」 「うん、なんだか目が冴えちゃって」 「今日は無理もないな」 白崎が少し照れたように笑う。 高峰の退学騒動に端を発し、白崎は生徒会長になった。 数ヶ月前には予想もしなかったことだ。 「これからのことは心配しなくても大丈夫だと思う」 「俺や図書部のみんなが白崎をバックアップするから」 「ありがとうね、筧くん」 「心配はしてない……っていうのかな、まだ実感がないんだ」 「わたしが生徒会長になっちゃうなんて」 「だよな」 俺もまだ実感が湧かない。 今回の件は、自分たちの実力で地歩を固めて得られた結果ではない。 偶然の力やみんなの協力があって、綱渡りに綱渡りを重ねてギリギリで物にした結果だ。 「力を貸してくれたみんなには、改めて礼を言っとこう」 「あ……うん、それかもしれない」 「ん?」 「わたし、みんなにありがとうって言いたかったんだ」 「生徒会長になれたことは嬉しかったよ」 「でも、それより嬉しかったのは、みんなで一丸となって頑張れたこと」 「図書部のみんな、選挙戦で手伝ってくれた人たちみんな、それから投票してくれたみんな」 「みんなのお陰で、わたし、すごく楽しかった」 「だから、みんなにお礼が言いたいの」 「それでモヤモヤしてたのかも」 自分の気持ちを確かめるように、白崎は空を仰ぎ見る。 ぶらぶらと歩いているうちに、住宅街に入った。 「みんなにお礼が言いたい、か」 「おかしいかな?」 「いや、おかしくはないさ」 「お人好し……とはちょっと違うか。白崎らしいって感じか」 「わたしは筧くんの方がお人好しだと思うけど」 白崎が俺の顔を覗き込んでくる。 「それほどでもないよ」 「……だって筧くん、みんなのために変なことしようとしてた」 「あれって、そういうことだよね?」 白崎が言っているのは、俺が羊飼いになろうとしていた時のことだろう。 「ねえ、筧くん」 「あの時、筧くんは何をしようとしてたの?」 聞かれた以上は答えるべきだろう。 しかし、羊飼いのことは話すべきなのかどうか。 「……簡単に言うと、いなくなろうとしてた」 「いなくなる? 引っ越すってこと? あのまま何も言わずに」 「そうだな」 「……」 黙り込む白崎。 「もし、実際に引っ越しちゃったら、わたし、すごく悲しいよ」 「白崎……」 「だって、そんなの酷い」 「何も言わずに引っ越しちゃうなんて、絶対に嫌」 「そんなの、やだよ……」 白崎は唇を震わせる。 瞳にはうっすらと光るものが滲んでいた。 「泣くなって。結局は行かなかったんだからさ」 「どうして? どうしてやめたの?」 じっと目を見てくる。 「……白崎が止めてくれたからだよ」 「白崎が来たから、やめた」 「わたし……?」 「ああ」 止めに来たのが白崎だったから、思いとどまることができた。 他の誰かでは駄目だった。 「ありがとな」 「白崎のお陰で、俺はまだここにいる」 「みんなと一緒に今日を迎えることができたんだ」 「筧くん……」 白崎が俺を見つめてきた。 潤んだ瞳が、熱を帯びたように輝いている。 胸の奥に熱いものが沸き上がってくる。 しかし、その衝動をどう伝えればいいか迷う。 「白崎には、どうお礼を言ったらいいかわからない」 「お礼? いいよいいよ、そんなの」 「わたしは、筧くんがここにいてくれるだけで嬉しいから」 「いや、本気なんだ」 俺が白崎にもらったものは、とてつもなく大きい。 自分が人の中で生きているということ── こんな自分でも誰かの胸の中に住んでいるということを、心の底からわからせてくれた。 俺のやろうとしたことは、一見かっこよかったかもしれない。 でも、それだけだ。 自分を大事にしないことは、俺を大事に思ってくれている人を裏切ることでもある。 そんなことがわかっていなかったのだ。 「白崎は俺を救ってくれた……大事なことを教えてくれたんだ」 「な、何か、そう言われると照れちゃうな」 白崎が頭を掻く。 「白崎は、俺にとって本当に大事な人だよ」 「ふふふ……もう、筧くんは……」 俺の雰囲気の変化に気づいたのか、白崎が真顔になる。 「よかったら、俺とずっと一緒にいてくれないか」 「……あの、それって?」 「ああ、そういうこと」 白崎にうなずく。 「俺、白崎が好きだ」 「好きだし、大切に思ってる」 「今回のことだけじゃなく、今の活動が始まってからずっと、お前にはいろんなものをもらってきた」 「か、買いかぶりだって……わたし、何もできないし」 白崎がぶんぶん頭を振る。 「それでも白崎が好きなんだ」 白崎の手を取る。 誰かに対し、何かを強く訴えかける。 真面目なだめ出しすら躊躇していた俺にとって、人生初の挑戦だった。 自分がいて、相手がいて── 何かを伝えようと、変えようと、働きかける。 そんな基本的なことができていなかった俺が、ようやく変われたのだ。 「白崎、付き合ってくれ」 「……」 白崎の顔が紅潮していく。 「駄目か?」 「う、ううん、ダメじゃないよ」 「……でも、本当にわたしでいいの?」 「ああ、白崎が好きなんだ。他の誰かじゃない」 「筧くん……」 白崎も俺の手を握ってくる。 「筧くんの家に走っていったときのこと、わたし、あんまり覚えてないの」 「ただ、筧くんと話をしなくちゃって、それだけ考えてて」 「とにかく、筧くんがどっかに行っちゃう気がして、怖くて、怖くて……」 「ありがとうな、白崎」 「ううん、いいよ……こうして、手を握ってくれたんだから」 白崎の目から涙が伝い落ちた。 「わたしも筧くんが大好き」 「……これからよろしくね」 「こちらこそ」 白崎が微笑む。 泣いているくせに、その顔はこれ以上なく幸福に見えた。 「さ、時間も時間だ」 「寮まで送るよ、彼女さん」 「え? いいよ、一人で帰れるから」 「送らせてよ、彼女さん」 「……心配だし、まだ離れたくないから」 「筧くん……」 白崎が俺の手をぎゅっと握る。 「よろしくね、彼氏さん」 「ああ」 見つめ合い、俺たちは月の光の下、歩きだした。 白崎を寮まで送り届け、帰ってきた。 「……恋人か」 身体がふわふわして、文字通り地に足が着いていない感覚だ。 頭の中は白崎のことでいっぱい。 寮からここまで、どんな道筋で帰ってきたのかも覚えていない。 彼女ができるって、こういうことなのか。 「実は夢だったりして」 ベタだが、一応ほっぺたをつねってみる。 普通に痛い。 携帯が鳴った。 白崎も同じような心境だったらしい。 それだけのことで妙に嬉しくなる。 「……」 メールを返そうと思ったが、途中でやめる。 直接話そう。 そう決めて、白崎に電話をかける。 呼び出し音が鳴る。 その1回1回が、妙に長く感じられる。 なぜだろう? 彼氏彼女になってから、初めての電話だからだろうか? 「筧くん? どうしたの?」 「あ、さっきメール届いたよ」 「う、うん……もしかして、怒らせるようなこと書いちゃった?」 「え? なんで?」 「だって、急に電話してくるから」 白崎の不安げな声が聞こえる。 「いや、そうじゃないんだ」 「メールの返事打つのがもどかしいっていうか、声が聞きたくて」 「……あ、そういうことか」 「わたしも、声が聞けて嬉しいよ。やっぱり、メールよりもぜんぜんいいね」 「ははは」 「ふふふ」 くすぐったいような気持ちになる。 「メールの返事だけど、今日告白したのは本気だから」 「逆に、疑われたら少しショックだ」 「ごめんね……嬉しすぎて、夢みたいで、どうしても確かめたくなっちゃった」 「実はさ、俺もさっき自分のほっぺたつねってたんだ」 「あははは、筧くんも?」 「もって、白崎もやったのかよ」 「やったよー」 「似たもの同士らしいな」 「筧くんって、よくわたしの真似するよね」 「こういうのインスパイアっていうんだっけ?」 「ちげーよ」 この感覚は真似できない。 「ね、筧くん。わたしたち恋人同士なんだよね」 「もちろん」 「それじゃあさ、今度デートに行こうよ」 「いいな、それ」 「白崎はどこか行きたいところあるか? 最初だし、白崎のリクエストで」 「うーん、それじゃあね……」 白崎は、あれこれと行きたい場所を列挙し始めた。 場所を聞くたびに、そこを歩く俺たちの姿が浮かび、幸せな気持ちになる。 一人では殺風景な場所も、二人でいるだけで色づいて見えた。 白崎も同じ気持ちなのか、あそこがいい、やっぱりここだ、と次々と候補を並べる。 「うーん、どこも楽しそうで決められないよ」 「だなあ」 「嘘っぽく聞こえちゃうかもしれないけど、わたしね、筧くんと一緒ならどこでもいいの」 「だって、絶対楽しいし」 「そんなこと言ってたら一生決まらないけどな」 言いながらも、内心嬉しかった。 彼氏と一緒ならどこでも楽しいなんて、付き合う前ならギャグにしかならない台詞だ。 それが今は滅茶苦茶嬉しい。 そして、驚くべきことに、俺も同じように感じている。 「俺も、白崎が喜んでくれるなら、どこでもいいんだ」 「も、もう……これじゃ、優柔不断カップルだよ」 「よし、じゃあアミダを作ろう」 「1から5までで、好きな番号言ってくれ」 「筧くんが数字言ってよ。わたしがアミダ作るって」 「いや、いいって。俺やるよ」 「わたしがやるって」 こんな不毛でくすぐったいやりとりが、この後、しばらく続くことになった。 2日後、9時55分。 土曜は何だかんだで忙しく、デートは日曜にずれ込んだ。 約束は10時、もう少しで白崎もやってくるはず。 「ん?」 遠くから、足音が近づいてくる。 確信はないものの、何故か白崎だという気がしてきた。 早くも、俺の頭は白崎に支配されているのかもしれない。 「はあっ、はあっ、はあっ」 やっぱり白崎だ。 へろへろになりながら走ってくる。 まだ5分あるってのに。 「おーい、白崎」 手を振り居場所を示す。 「あ……かけい、くん……はぁ、はぁ」 俺の前まで来て、白崎は手に膝をついた。 身体から湯気が出そうな勢いだ。 「はぁ、はぁ……間に合った?」 「まだ4分ある」 「よかったーーっ」 大袈裟に息をつく。 「少しくらい遅れたっていいから、あんまり走るなよ」 「コケて怪我したら大変だろ?」 「ううん、でも、初デートで遅れたら絶対フラれちゃうって思って」 「フルかよ」 苦笑しつつも、健気さが嬉しかった。 「ちょっと待ってて」 すぐ近くの自販機でお茶を買い、白崎に渡す。 「ほい、お茶」 「あ、ありがと」 「…………はぁ、おいし」 お茶を飲み、白崎が一息ついた。 「あ、お金」 「いいよ、おごりで」 「ええ!? 悪いよ、遅れそうになったのは私なのに」 「いいって。急いで来てもらったの嬉しかったから」 「うっ……そ、そうかな」 白崎の顔が赤くなる。 「こういうの、男は嬉しいもんだ」 「じゃ、じゃあ、次もギリギリで走ってくるねっ」 「普通に来てくれ」 「はーい」 白崎が俺の手を取り、ぎゅっと握ってくる。 「……手、繋ぐのか?」 「駄目かな?」 「いや……繋いだ方がいいな」 手に力を込め、白崎に微笑みかける。 「よかった。それじゃ行こっか」 「お待たせー」 白崎が膨らんだ買い物袋を持って店から出てきた。 「ふふ、いっぱい買っちゃった」 「いつもそんなに買うのか」 「うん、そうだよ」 「今日はデートだし、控えておこうかなって思ったんだけどね」 「いいのがいっぱいあったから」 白崎との協議の結果、今日は商店街をブラブラすることになっていた。 今出てきたのは『手芸の総合商社・ユカワヤ』だ。 「ここって前にも来たよな」 「あれ、筧くんと一緒に来たことあったっけ?」 「ビラ配りでコスプレが必要になった時、布とか買いに来ただろ」 「あーあー、あったねぇ」 「お陰で俺はひどい目にあったけどな」 白崎が作ったメイド服のせいで、とんだ災難に見舞われることになった。 「あれは玉藻ちゃんが言い出したんだよ」 「で、白崎も乗ったんだろ」 「えへへ、ごめんね」 ぺろっと舌を出す白崎。 「また違うの作ってあげよっか?」 「断るね。あれは白崎が頑張って作ってきたから仕方なく着たんだ」 「じゃあ、また頑張って作ったら着てくれるんだ」 「頼むからやめてくれ」 「ふふ、楽しみだなぁ」 「バニーガールとチャイナ服と看護師さんだったらどれがいい?」 「どれも嫌」 「例えば、例えばの話だから」 繋いでいる手をぶんぶん振る白崎。 バニーは股間的な意味でやめた方が良さそうだ。 チャイナ服か看護師か。 「看護師、かな」 まだ普通だ。 「ふうん、看護師が好きなんだ」 「おい、どうして買い物袋の中を確認する?」 「別に? 作れるかなーなんて考えてないよ」 こいつ、やる気だ。 看護師の格好などした日には、高峰とデブ猫に逆治療されかねない。 「でも、筧くんって優しいから、結局着てくれちゃうんだよね」 「本当にお人好しなんだから」 「いや、いい話にして断れなくするなよ」 それに、これからの俺は少しずつ変わっていくと思う。 嫌なものは嫌と言うし、欲しいものは欲しいと言っていきたい。 「白崎も、巫女さん以外にトライしたらどうだ?」 「ビラ配りもいい加減マンネリ化してるし」 「ええ〜、あれ、結構恥ずかしいんだよ」 「なんだ、楽しみにしてたのに」 「そ、そうなの?」 「もちろん。やっぱ可愛いし」 「でも、みんなに見られるのは、やっぱり恥ずかしいよ」 「それに、コスプレ生徒会長っていうのもちょっと……」 コスプレ生徒会長か。 なかなか、襟を正したくなる響きだ。 「あ、でも……」 白崎がもじもじする。 「筧くんだけに見せるなら、OKだよ」 「……ほう」 バニーガールとチャイナ服と看護師なら、どれがいいだろうか。 想像するだけで夢が爆発だ。 「筧くん……ちょっと引くくらい嬉しそうな顔してる」 「おっと」 咳払いをする。 「さて、これからどうする?」 「うーん……」 白崎は荷物を抱え直し、思案顔になる。 「それ、持とうか。重いだろ」 「大丈夫。中身は布とかだから軽いよ」 白崎は、買い物袋とは別にカバンも持っている。 そっちの方は、何か重そうな物が入っている様子だった。 「わたし、筧くんのおうちに行きたいかな」 「俺の?」 「うん、図書部のみんなで行ったことあるけど、今度は二人きりがいいなって」 「なるほど」 俺は全然OKだ。 「相変わらず本だらけだけど、それでもいいか」 「平気だよ。家デート楽しみ」 家デートか。 それもいいな。 「お邪魔しまーす」 「どうぞ上がってくれ。いま座る場所作るよ」 あちこちにできているブックタワーを部屋の端に寄せていく。 「相変わらずすごい量だね。全部読んでるの?」 「一応。最近はペースダウンしてるけど」 「忙しくなっちゃったもんね」 荷物を下ろし、手近にあった本を手に取る白崎。 「ごめんね」 「ん、何が?」 「本を読むペースが落ちたのって、選挙戦とかで忙しかったからだよね」 「いいんだ。気にしないでくれ」 「でも、生徒会に入ったらますます時間がなくなっちゃうでしょ」 「筧くんはそれでいいのかな……」 「他に熱中できることができたんだ。俺はいいことだと思ってる」 「だから気にするなよ」 「ううん……」 納得できない様子の白崎。 「俺は図書部でやってきたことに後悔なんてしてない」 「結構楽しかったんだ」 いや、本当は結構なんてものじゃない。 初めて他人と一緒にいることが楽しいと思えた。 「筧くん……」 「ありがとな、白崎。感謝してる」 「……わたしこそありがとうだよ、筧くん」 「これからもよろしくね」 「ああ、任せとけ」 ようやく白崎の顔に笑みが戻った。 「さて、片付いた」 「うん、それじゃね……じゃーんっ」 白崎はカバンの中から、段々重ねになったプラスチック容器を取り出した。 「もしかして、弁当?」 「ふふ、そうです」 白崎のやつ、ずっとこんなものを持ち歩いていたのか。 「馬鹿だな、重かっただろ。俺に持たせればよかったのに」 「だめだめ、サプライズにしたかったんだから」 「驚いた?」 「ちょっとな」 「えー、ちょっとー?」 「せっかく頑張ったのに寂しいなぁ」 きたよ、白崎の強引なフリ。 「……うっわーすげぇっ、俺のためにわざわざ弁当作ってきてくれたのか!?」 「やばいわ、めっちゃ嬉しい!」 「……」 「……」 「くす、合格っ」 今のは何の試験だったんだ。 「それじゃ食べよっか」 「おう、楽しみだ」 白崎と一緒に、テーブルの上へ弁当を広げた。 「……ふう、ごちそうさま」 「お粗末様でした」 空になった弁当箱を重ねて片付ける白崎。 「どうだった?」 「すごくうまかったよ」 白崎の料理はどれもこれも絶品だった。 「毎日自炊をしている人間のパワーを思い知らされた」 「ふふ、ありがとう。台所借りるね」 重ねた弁当箱を持ってキッチンへと向かう白崎。 「洗い物なら俺がやる」 「ううん、いいの。筧くんはゆっくりしてて」 白崎はキッチンで何か探し始める。 「どうした?」 「あ、うーんと、エプロンないかなって」 「すまん、持ってない」 自炊をしない人間には、そもそもエプロンを買おうという発想が無い。 「そっか、残念」 「エプロンがあれば新婚さんっぽいのにね」 くすっと笑って、洗い物を始める白崎。 「俺と白崎が結婚か」 「あ……えっとあのね、今のは例え話だから」 「なに言ってるんだろ、わたし」 顔を紅潮させ、わたわたしている。 こうして見ると、改めて白崎はかわいいと思う。 そんな彼女が俺の恋人になってくれた。 「〜♪〜♪」 ……確かに、エプロンでもあれば良かったかな。 「はい、終わり」 弁当箱を軽く水で流し終え、白崎が戻ってきた。 「お疲れさま」 「いえいえー、どうってことないよ」 笑う時、白崎は本当に優しい顔をする。 「……ん? どしたの?」 「白崎を見てた」 「……えへ」 俺の手をぎゅっと握ってくる白崎。 意外だが、顔が火照ってきた。 風に当たりたい気分だ。 「なあ白崎、ベランダに出てみないか」 「うん」 「どうしたの、筧くん?」 「あー、ちょっと風に当たりたくて」 「なんで?」 ストレートに聞いてくる。 ああ、実に白崎らしいな。 俺も素直に答えるか……。 「なんか、顔が火照っちゃってさ」 「……どうしてか、聞いてもいい?」 「白崎……」 「……あっ」 俺は、勢いに任せて白崎の肩に手を置いた。 「キス、してもいいか」 「あ……うん、もちろん」 嬉しげに笑んだ後、白崎がすっと目を閉じる。 おかげで俺も一呼吸分だけ落ち着きを取り戻せた。 「んっ……」 白崎の唇に自分の唇を重ねる。 伝わって来る白崎のぬくもり。 「ん、ふっ……んんっ、ん……」 俺の唇を優しく受け止めてくれる。 ついばむように、唇をつけたり離したりしてみる。 「んんっ……ふぁ、んふっ……んっ……」 「ん、ちゅっ……んぅっ……は、ふぁっ……」 溶けてしまいそうなほど、白崎の唇は柔らかい。 白崎の吐息を飲み込みながら、唇の感触をゆっくりと味わう。 「んっ……ぅんっ……んんっ、ふっ……」 「はっ、んぁっ、ん……ちゅっ、んむっ……」 ここがベランダで、道行く人に見られるかも知れない、なんて考えも一瞬頭をよぎった。 が、無視を決め込んで、ひたすら唇を寄せ合う。 「うん、んっ……ふぁっ、んふっ、んぁっ、あむっ……」 「ふっ、んうっ……はあぁっ……んはっ、ふぁ……」 ゆっくりと唇を離す。 「ん……ふぁ……筧くん」 「白崎」 ほんのり頬を染めた白崎が、俺の胸に顔を埋めてきた。 「積極的で、ちょっとびっくりしちゃった」 「ムードも何もなくて悪い」 「ううん……嬉しかった」 囁くように告げる白崎。 「わたしもずっと、筧くんとこんなことしたいなーって思ってたよ」 「でも、自分からする勇気はなかったんだ」 白崎が見つめてくる。 「今日は楽しかった」 「もう帰る?」 「うん。また一緒にデートしようね」 「もちろんだ」 「筧くん……好き」 そう言うと、白崎はもう一度軽く俺の頬にキスをした。 週明けの水曜日。 図書部にあった荷物のうち、必要なものをこちらの生徒会室に移す作業に取りかかっていた。 「いよいよだね」 「おう」 これからはこの生徒会室が、俺たちのホームグラウンドになる。 「白崎、そこの椅子に座ってみてくれ」 前は望月さんが陣取っていた、デスクの向こう。 どこかの大企業の社長が使っているような、でかくて革張りの椅子だ。 「え、わたし?」 「そりゃ、白崎が生徒会長だからな」 言われて、白崎はデスクの向こう側に回り込んで椅子に座る。 「……わ、すっごーい。柔らかーい」 「どうかな、筧くん。わたし生徒会長に見える?」 「全然見えない」 まだまだ、椅子に座らされてるという印象だ。 「ぶー、どうせ貫禄ないですよーだ」 「膨れるなよ」 「(おい佳奈すけ、つぐみちゃんと筧がイチャついてるぞ)」 「(しっ、見ちゃいけません)」 荷物の整理をしていた高峰と佳奈すけが、ひそひそと話をしていた。 「2人とも、手が止まってます」 「あはは、ごめん」 「筧は仕事しなくていいのかよ」 「できたてカップルを邪魔するほど野暮じゃないです」 俺と白崎が付き合い始めたことは、あっという間に皆に知られてしまった。 そもそも隠す必要ないが。 「ご、ごめん、わたしも何かするよ」 「生徒会長はどーんと座っててください」 「なんなら、葉巻とブランデーも用意しますから」 「じゃあ俺が手伝おうか」 「筧先輩は白崎先輩の相手をしててください」 「それが仕事です」 とまあこんな感じで、俺と白崎は作業を手伝わせてもらえなかった。 まるで腫れ物に触るような雰囲気だ。 「あーもう、おかしいだろうっ」 「どうしてここだとネットに繋がらないんだっ」 桜庭が脇にある事務机で悲鳴を上げる。 ……向こうも忙しそうだ。 作業が終わって外に出ると、真っ暗になっていた。 「思ったより遅くなってしまったな」 「桜庭、ネットは繋がったか?」 「心配するな。明日、嬉野にでも聞いてみることにする」 結局、繋がらなかったんだな……。 と、俺のお腹が鳴った。 「ふふふ、可愛い音」 白崎が隣に寄ってきた。 「筧くん、お腹空いちゃった?」 「みたいだ」 「学食でも寄ってくか?」 「え? うーんと……」 白崎がもじもじする。 「それもいいけど……」 「わたしの料理も食べてもらいたいな、なんて」 「そりゃ、ありがたいけど」 「今から作るのか? だって、もう遅い……」 「筧くんのためだから、頑張って作るよ♪」 白崎の手料理か。 前に弁当はいただいたが、温かい料理もぜひ食べてみたい。 「白崎が作ってくれるっていうなら、何時間でも待つ」 「大丈夫、そんなにかからないよ」 白崎が花のような笑顔になる。 「(完全に二人の世界だな)」 「(これかー、これが格差かー)」 「(すっごい、死にたくなります)」 「(見てられないです)」 「いや、でも、やっぱり学食とかで」 「学食じゃ、栄養偏っちゃうよ」 「(OK、宣戦布告ですね。やりますよ、やってやりますよっ)」 「(落ち着け、ここは堪えるんだっ)」 「ん?」 少し離れたところで、佳奈すけを桜庭が羽交い締めにしている。 何かあったのだろうか。 「あ、俺、用事思い出しちゃった。お疲れさんでした」 「そういえば私も用事があったな」 「白崎、また明日」 「え? あん、うん。お疲れ様」 「お疲れ様です」 「あ、千莉、待ってよ」 人がどんどん散っていく。 「えーと……みんなどうしたのかな?」 「気を利かせてくれたんだろ」 「そっか。みんなやっぱり優しいね」 白崎が目を細めた。 「食材がないから購買に寄りたいな」 「よし、それじゃ行こう」 「うんっ」 手を繋ぎ、二人で購買へ向かった。 「ただいまー」 「お邪魔します」 手料理をいただくため、白崎の自宅にやってきた。 部屋のあちこちに観葉植物や女の子らしい小物が置いてあり、何とも可愛らしい雰囲気だった。 「さすが白崎だな」 「え? 何が?」 部屋もエコでロハスだ。 「料理、俺も手伝おうか?」 食材をキッチンの前に置く。 「ううん、大丈夫」 「今日はわたしの料理を筧くんに食べてもらいたいから」 「そっか、わかった」 「それじゃできるまで適当に座って待っててね」 白崎は食材を持ってキッチンに入った。 エプロンをつけ、料理を始める。 「ふふ〜ん、ふ〜、ふふ〜♪」 楽しそうに鼻歌を歌いながら、手際よく調理していく。 何とも愛らしい。 「ふふ〜……あれ、どしたの?」 「白崎を見てた」 「やだなー、恥ずかしいよ」 てへへと笑いながら、てきぱきと手を動かす白崎。 「何だか本当に新婚さんみたいだな」 「ええ〜、そうかなぁ〜」 白崎がでれでれした。 「でも筧くんさえよかったら……いいよ?」 「おう、プロポーズされちまった」 「あっ……うわわ、違うのっ、そうじゃなくてっ……」 ぱたぱたと手を振る白崎。 「手が止まってる」 「もう、筧くんが変なこと言うからっ」 そう言いながら、白崎は上機嫌で料理を続けた。 「ごちそうさま」 「お粗末様でした」 白崎の手料理は、控えめに言って最高だった。 「どうだった?」 「すごくおいしかった」 「こんなまともな料理、何年ぶりだろう」 何度も母親が変わったため、俺にはおふくろの味というやつがわからない。 だが、そういう味があるのだとしたらこの料理がそれだと思う。 「ふふ、毎日ちゃんとしたもの食べないと駄目だよ」 「そうだけど、自炊はきついな」 「大丈夫、これからは筧くんの分もお弁当作ってあげるね」 「マジか。本当に奥さんみたいだ」 「ふっふっふ、新婚さんです」 ノリノリだな。 「でも、新婚ならその格好はちょっとな」 「駄目なの?」 「新婚と言えば裸エプロンだろ」 「はだ……えっ、えええぇぇっ!?」 飛び上がる白崎。 「か、筧くんってそういうのが好きなんだ……」 「いや、冗談だ」 「でも見てみたいんだよね?」 「そりゃまあ」 やってくれるなら、ぜひ見たい。 リビドーに嘘はつけない。 「……わかりました。それじゃやります」 「は? いや、おい!」 「筧くん、後ろ向いてて」 もぞもぞと服を脱ぎ始める白崎。 ……本気ですか? 「……どう、かな」 「お、おう……」 どうって、何を言えばいいのか。 真っ白な腕、すらっと伸びた白崎の足が眼前で露わになっていた。 「も〜、何か言ってよ〜、恥ずかしいよ〜」 「綺麗だ。その、綺麗すぎて……目に毒だな」 「うう……筧くんの前だけだからね、こんなことするの」 「わかってる。独り占めにしとく」 「ふふふ、ありがと」 白崎は体をひねって、自分の格好をまじまじと見つめる。 「これ、すごいよね。裸よりエッチかも……」 「そう思う」 特に胸の大きな膨らみが凶悪だった。 しかもエプロンの生地を通して、ぽっちりと2つの突起が見えている。 見ているだけで、変な気分になってしまう。 「さってと、それじゃ片付けちゃうね」 白崎は食器をまとめ、キッチンへと持っていく。 「ぶっ……」 白崎が後ろを向くと、さらに肌が露わになる。 背中、お尻、そして……太ももの内側にある割れ目まで見えていた。 これはやばい。 いくら何でもこんなものを見せられたら……。 「……白崎」 「なあに?」 立ち上がり、白崎の後ろに回る。 「あ、手伝わなくても大丈夫だよ。すぐ終わらせちゃうから」 「いや、手伝いたい」 後ろから、そっと白崎の体に腕を回す。 「あっ……か、筧くん……」 「ごめん、我慢できないかも」 「え、んんっ……?」 ぎゅっと白崎の体を抱きしめた。 片方の手は、白崎の大きな膨らみを鷲づかみにしている。 「……するの?」 「嫌?」 「ううん、いいよ」 「筧くんの好きにして」 白崎は優しく微笑み、うなずいた。 「あんっ……」 白崎を背後から抱きしめる。 エプロンの下に手を滑り込ませ、豊かな乳房に触れた。 「んっ……あぁっ、んふっ……」 身じろぎする白崎からフローラルな香りが漂う。 香りの元である白崎の髪に顔を寄せ、いっぱいに吸い込む。 「んぅっ……やっ、匂いをかがないで……恥ずかしいよ……」 「すごくいい匂いだ」 「んっ、筧くんっ……あっ、んんっ……」 白崎のさらさらとした肌の上を手でなぞっていく。 「うぅんっ……んやっ、く、くすぐったぁいっ……んふふっ」 片手で白崎の胸をもてあそびながら、もう片方の手で背中、脇腹、お腹をなで回す。 白崎が作り出す温かい曲線美に酔いしれる。 「か、筧くん……」 「どうした?」 「さっきからずっと撫でてるのは……?」 「綺麗だから撫でたくなるんだ」 白崎の体に触れているとゾクゾクしてくる。 二の腕から脇、鎖骨を通って首筋へと手を這わせていく。 「ふあぁっ、んううぅっ……く、くすぐったいよぉっ、んくぅっ……」 艶めかしく体をくねらせる白崎。 「くすぐったいだけ?」 「んんっ……ちょっと、気持ちいいかも……」 「ちょっと、か」 「あんっ、ふぁっ……嘘、すごく気持ちいい、ですっ……」 目をとろんとさせながら申し訳なさそうな顔をする。 「結婚したばかりで夫に嘘は良くない」 首筋をそっと撫でて、耳、うなじへと指を進める。 くすぐったいのか、はたまた気持ちいいのか、体を強ばらせて目を細める白崎。 「くふっ、んうぅっ……ご、ごめんなさいっ……」 「ちゃんと本当のこと、言うからっ……」 「それじゃ、どこが気持ちいいのか教えてくれないか」 「んっ……首のとこと、脇の下が……気持ちよかったっ……」 首と脇の下か。 「脇の下って、くすぐったくないのか」 「くすぐったいけど……んっ、筧くんに触られると、ぞくってしちゃうっ……」 お望み通り脇の下に触れ、指を滑らせる。 「ひあぁんっ、んふふふっ……くぅっ、んんっ、あははっ……」 感じながらも笑い声を漏らす白崎。 「本当に気持ちいい?」 「うふっ、んくっ、ん……はっ、よくわからないよぉっ……」 笑っているようで感じているような、複雑な表情をする。 「白崎、腕下ろして」 「あっ……」 腕を通してエプロンの肩紐を外す。 布がぺろんとめくれ、白崎の大きな乳房が露わになった。 「大きい……」 片手じゃ収まらないほどの膨らみだ。 「んうぅ……恥ずかしいよ」 「すごく柔らかい」 「あんんっ、ふっ……あぅっ、んうぅっ……」 乳房の外縁をなぞるように、ゆっくりと回しながら揉みしだく。 「くっ、うんっ……はあ、んんっ……」 「んうっ、あふっ……んっ、か、筧くんっ……」 胸を刺激され、甘い吐息を漏らす白崎。 外縁部から徐々に内側へ、中央の突起へと指を伸ばす。 「ふあっ、あんんっ……ひぁっ、んくっ、んんっ……」 びくんと体を反応させる白崎。 指先で乳首を転がし、重点的に刺激を与える。 「んうぅっ、んふっ……はっ、はあぁっ、あんっ、うぅっ……」 「ひんっ……か、筧くんっ、そこばっかりはダメぇっ……」 乳首を攻められ続け、悲鳴を上げる。 「それじゃ、こっちも触るよ」 「え……こっち……?」 白崎の背中を撫でながら、ゆっくりと下へ下へと向かう。 「あっ、んんっ……それって、んぁっ……」 背筋の溝をなぞるように指を這わせ、腰紐をまたいでさらに下へ。 ぷるんとしたお尻の割れ目を通り、白崎の秘部へ手を走らせる。 「ふあぁっ、あんっ……やっ、そ、そこはっ……」 「そこは?」 「んっ、ダメ、じゃないけどっ……恥ずかしいよ……」 指先が白崎の恥ずかしい割れ目に到達する。 「白崎、もう濡れてる」 指にぬるぬるとした粘液がまとわりついてくる。 白崎の秘部は既に熱くぬかるんでいた。 「だ、だって……筧くんがあちこち撫でるから……」 「気持ちよかった?」 「んっ……うん……」 今度は素直に答える白崎。 「もっと白崎を気持ちよくしてあげたい」 「でも……もう十分濡れてるし……」 「いや、まだ足りない」 「そ、そうなんだ」 というか、俺がまだ触り足りなかった。 「白崎、触るよ」 「うん……」 愛液をすくい取り、にゅるにゅると陰唇の上を滑らせる。 「んああぁっ、はんんっ、んふっ……はぁっ、んくぅっ、ううぅっ」 「うあっ、やっ、か、筧くんっ、ダメそれっ、き、気持ちよすぎるよぉっ……!」 びくびくと激しく腰を揺らす白崎。 かなり気持ちいいようだ。 「んふっ、ふぅんっ、んんっ……んうっ、くふっ、はあぁっ」 「ひっ、んくっ……や、やだっ、こんなに声、出ちゃうっ……!」 ただ指で撫でているだけなのに、面白いくらい白崎の体が反応する。 荒い息をつきながら嬌声を漏らす白崎。 「はんんっ、あふっ……くんんっ、ひあっ、あく、ううんっ」 「んっ、はあっ……あうぅんっ、んあああぁっ!」 陰唇の端、小さな突起をこすり上げた。 「くうぅっ、んふうっ、あんんっ……はあっ、んんんんっ」 「んあっ、ダメっ、そこ、刺激が、強すぎてっ……ひんんっ、くああぁっ」 指先がクリトリスを通過する度に甲高い声を上げる白崎。 「ふああぁっ、あんっ、もっ、筧くん、もうっ……!」 白崎が懇願するように潤んだ瞳で俺を見上げてくる。 「すまん、調子に乗りすぎた」 指を止めると、がくっと脱力する白崎。 「んうぅっ、んはっ……もう、指だけで満足しちゃうとこだったよ……」 「できれば満足させてみたいんだけど」 しかし白崎はふるふると首を横に振る。 「ダメだよ。筧くんも……気持ちよくなってほしいの」 「ねえ、筧くんも……出して」 ちらっと俺の股間に視線を送ってくる。 「わかった」 ファスナーを下げ、中から陰茎を取り出す。 白崎の色っぽい声のせいで、肉棒はガチガチに怒張している。 「あっ……すごく熱い……」 大きくなったペニスが、白崎のお尻の割れ目にぴったりと貼り付く。 白くてすべすべとしたお尻の感触に、ぞわりと毛が逆立ちそうな快感が走る。 「筧くん……入れるの?」 「いや、ちょっと馴染ませた方がいいかも」 肉棒を押し下げ、白崎の秘部にこすりつける。 「ふんんっ、はぁっ……んくっ、あうっ、ふぅんっ……」 「あんっ、か、筧くんっ……」 白崎の分泌したぬるぬるの粘液を亀頭ですくい取る。 そのまま白崎の素股に肉棒を埋めた。 「くんんっ……ふぁっ、筧くんの……すごく固い……」 「んっ……それに、ごりごりしてる……」 愛液で濡れた恥骨の辺りに肉棒を押しつけ、ピストンさせる。 これだけでも十分に気持ちいい。 とはいえ、ここで出してしまうわけにはいかない。 「……白崎、入れていいか」 「うん……いいよ」 こくんとうなずく白崎。 「んっ……あ、んん……」 白崎の愛液を纏った肉棒を、膣口に押し当てる。 「行くぞ」 「んっ……来てっ……」 腰に力を入れ、亀頭に圧力をかける。 「あんんっ、ひあぁっ、あっつ、いっ……んああぁぁっ……」 「ひうっ、んくぅっ……んうぅっ、あふっ、んんんっ……」 ぷつっと何かがはじけて、膣内に亀頭が潜り込む。 さらに力を込め、奥へと侵入していく。 「んああぁっ、は、入ってくるっ……んううっ、あはっ、はあぁっ」 「ううぅっ、くうぅんっ……いっ、つあぁっ……んあぁっ……」 内部の膣壁が、凄まじい圧力で肉棒を押し戻そうとしてくる。 「白崎、大丈夫か?」 「んんっ……平気、だよっ……最後まで、して……」 そうは言うが、白崎は眉根を寄せて何かに耐えている。 かなり痛いのかもしれない。 「我慢できなかったら言ってくれ」 「心配してくれて、ありがとう……」 「でも大丈夫だから」 気丈にも微笑む白崎。 「わかった。それじゃ……」 四方八方から圧迫してくる肉壁をかき分け、さらに陰茎を奥へと進ませる。 「ふんんっ、あうっ、んうぅっ……はっ、ふぅんっ、んんっ……」 「あっ……奥まで、来たっ……んはあぁっ……」 きつい膣内を押し広げながら、ようやく根本まで肉棒を押し込む。 「白崎、全部入ったと思う」 「んっ……はっ、あぁっ……ほ、本当?」 「ああ」 「嬉しい……わたし、筧くんと繋がったんだね……」 鼻をすすりながら涙ぐむ白崎。 ふいに、ぎゅうっと膣内の圧力が高まる。 「くぅっ……」 根本から搾り取るように圧迫され、陰茎全体がじんと痺れる。 「どうしたの?」 「白崎、中がきつい……もう少し緩めてくれ……」 「えっ……えっ? ど、どうやって?」 「いや、よくわからないけど」 「うーん……こう、かな」 ぐにゅっと白崎の膣がうごめいた。 「うぁっ……」 たっぷりの愛液で熱く蕩けた膣内でもみくちゃにされ、一気に快感が高まる。 「あれ、ダメだった……?」 「それをやられると……やばい」 まだ動かしてもいないうちに、早くも精液がこみ上げてきた。 このまま出てしまったら不甲斐ない気がする。 「白崎、動かしたい」 「うん……いいよ」 白崎のきつい膣内から、肉棒を引き抜いていく。 「んうっ……んっ、はぁっ、んあぁっ……」 亀頭が見えるところまで引き抜くと、再び白崎の膣内へ押し込んでいく。 「はぅんっ、んんっ、くふっ……んんっ、あくっ……」 肉棒と膣壁が強くこすれ、目も眩むような快感が頭の中を突き抜ける。 しかしきつい締め付けのお陰で、ほとばしりは何とか根本の方で留まっている。 「くっ……」 「あはっ……んっ、筧くんも、気持ちいいの……?」 「ああ、気持ちいい」 「俺もってことは、白崎も気持ちいい?」 「うん……筧くんが奥に来ると、ぞくぞくって電気みたいなのが走るの」 「こんなの、初めてだよ……んんっ」 もうさほど痛くないようだ。 これなら速く動かしても大丈夫かもしれない。 「んくっ、んっ、ああっ、はっ、んふっ、んんんっ……」 白崎の膣内から肉棒を引きずり出し、一番奥まで突き入れる。 ゆっくりとしたペースで何度も繰り返す。 「んあぁっ、んっ、ふぁっ……ううぅっ、くふぅっ、んあぁっ」 「やんっ、ひあぁっ、やだ、すごく、気持ちいいっ……!」 ペニスで奥をこづく度に、白崎の膣内が強く締め付けてくる。 熱い愛液がさらにあふれ出してきて、出し入れがスムーズになってきた。 「あふっ、んくっ、ふああぁっ、あんっ、あっ……あくっ、ふんんっ」 「は、ああっ……んうっ、くはっ、あう、うぅんっ、あううっ」 白崎のお尻へリズミカルに腰を打ち付ける。 膣奥へ突き込む度に、きつい締め付けが肉棒を迎えてくれた。 腰の動きに合わせ、白崎の胸も同時に刺激を与える。 「ふああっ、あんんっ、やっ、胸、揉んじゃダメぇっ……!」 「ひんっ、はあっ、あっく、くうぅんっ……うあああぁっ」 白崎の膣内を貪りながら、乳房の柔らかい感触も味わう。 「んんんっ、あっ、両方なんて、気持ちよすぎて……ひあっ、んはぁっ」 「はぁっ、あふぅっ、お、おかしくなっちゃうよぉっ……」 「我慢しなくていいんだ」 指先で乳首を転がし、もてあそび、押しつぶす。 「あああぁっ、んはっ、んうぅっ……先っぽ、いじっちゃダメっ……」 哀願めいた表情で甘い吐息を漏らす白崎。 そんな白崎を見ていると、もっと気持ちよくしてやりたいと思う。 「大丈夫だ」 「ふくぅっ、あふっ、んんっ……そんなに強くしたら……!」 俺に膣奥を突かれながら、ふっと笑みを見せる白崎。 かわいい、愛おしい……もっと白崎が欲しい。 感情が爆発しておかしくなりそうだった。 「白崎、もっと早くするよ」 「あぁっ、んふっ……ん、いいよっ……」 白崎は断らなかった。 それで、最後のたがが外れた。 「うああぁっ、あんっ、はあぁっ、ひっ、んんんっ、はううっ」 「んんっ、はっ、んくぅっ、あふっ、す、すごい、激しいっ……!」 速度を上げて白崎に腰を打ち付ける。 愛液でどろどろになった結合部からぴちゃぴちゃと水音が響いた。 「ひうっ、んはっ、はくっ、ひんんっ、うああぁっ、んんんんっ」 「うあぁっ、奥、ダメっ……気持ちいいよぉっ、んはあぁっ、あううぅっ」 腰を打ち付ける衝撃で、白崎の体が激しく揺れる。 膣奥で温められた肉棒は、快感と刺激で蕩けてしまいそうだった。 「あはっ、はぅんっ、ううぅっ、あっ、あっあっ、ダメっ、あああぁっ」 「やっ、んんっ、筧くんっ……わ、わたし、イっちゃいそうっ……!」 俺もそろそろ限界だった。 熱い塊は肉棒を伝って今にも吹き出しそうになっている。 「んんっ、うあっ、でも、わたしだけじゃヤだよっ……」 「筧くんも、イってっ……!」 「ああ、俺も……!」 力を振り絞り、白崎の膣内を存分に味わう。 「んくっ、ひあぁっ、あんんっ、んっ、か、筧くんっ……!」 「んあぁっ、来て、筧くんっ、全部っ、わたしにっ」 「白崎、イクぞっ」 「うんっ、わたしもっ……あああぁっ、イクっ、イっちゃうっ……!」 「んああぁっ、ああっ、ふんんっ、んくううぅっ、うああああぁぁぁぁぁっ!!」 「はっ、んああぁっ、んんんんんんっ、イクううううぅぅぅぅっ!!!」 びゅるっ、びくっ、びゅう……っ! 「ふああぁっ、あああぁっ、あううっ……んはあぁっ、はあぁっ……!」 「ああっ、はくっ……あ、熱いっ……お尻にっ……」 寸前に腰を引き、白崎の外へ白濁のほとばしりを吐き出した。 肉棒を白崎のお尻にこすりつけながら、大量の精液を放出していく。 「んあぁっ、はっ……はあぁっ、はあっ……はあっ、はあっ……」 「はあ、筧くんの……びくびくしてる……」 吐き出した白濁液が白崎のお尻や背中を汚す。 精子は乳白色の川を作り、太ももを伝って流れ落ちていく。 「はあ……はぁ……すごい、こんなに出るんだね……」 ぼたぼたとこぼれ落ちる精液を見て、感心したように呟く。 「出すぎて死ぬかも」 凄まじい快楽の波と入れ替わりに襲ってくる倦怠感で、体がガクガクする。 こんなに出たのは初めてかもしれない。 「ダメだよ、こんなところで死んだら」 「まだまだ付き合い始めたばかりなんだし」 「もう……かなり深い関係だけど」 「そっか、エッチしちゃったんだよね」 嬉しそうに微笑む白崎。 「筧くん、満足してくれた?」 「大満足だよ」 「ふふ、よかった」 「でも……筧くんの、まだ大きいような……?」 白崎はお尻を振って肉棒を刺激してくる。 愛液や精子で濡れたお尻で、射精したばかりの陰茎がこすり上げられた。 「こら、やめろってっ」 「あ……楽しいかも」 力が入らず自由が利かないのをいいことに、白崎はお尻で肉棒を刺激し続ける。 「んっ……ほら、筧くんの、まだゴリゴリってしてるよ」 「そりゃ白崎がそんな格好で動いてたら……」 「えいっ」 白崎は体をひねって、俺をベッドに押し倒した。 「お、おい……」 「はい、筧くんも服脱いでね」 手際よく服を脱がすと、俺を仰向けに寝かせる白崎。 「うぅ、この格好ってすごく恥ずかしいかも」 白崎は大きく股を開き、俺の上にまたがっている。 お陰で秘部が丸見えだった。 「筧くんから全部見えちゃってる……?」 「見えてる」 「やだ……あまり見ないでね」 顔を紅潮させる白崎。 「あ……筧くんの、びくってした」 「白崎がやらしい格好してるからだよ」 「見ないでってば」 「無茶言うな」 見ないでと言われても、自然と視線は秘部に釘付けになってしまう。 「じゃあ、わたしも筧くんの見ちゃうからね」 「好きなだけ見てくれ」 この体勢では隠しようもない。 「んん……これがわたしの中で暴れてたんだ」 「不思議な形だね」 まじまじと俺のペニスを見つめる白崎。 「わ、またびくってした」 「この子、わたしの中に入りたいのかな?」 肉棒をつんつんと突いてくる。 「……多分」 「自分の一部なのに、多分なんだ」 「えーと」 先ほどお尻で白崎に刺激されたせいで、肉棒は完全に勃起している。 このまま放置されたら生殺しもいいところだ。 「どうして急にアグレッシブなんだよ」 「だって、さっきは筧くんにいっぱい気持ちよくしてもらったから」 「今度はわたしの番だよ」 「分かった……白崎、頼む」 「ふふ、了解です」 そう言いながら、白崎は手で肉棒に触れてくる。 「すごい熱い……」 愛液と精液で濡れた陰茎をゆっくりとしごく白崎。 「んっ……いやらしい形してる……先っぽが膨らんで……」 「でも、固くて……びくびくって震えてるよ」 「くっ……」 「気持ちいいの?」 「ああ、気持ちいい」 白崎の手から刺激を受けて、亀頭が大きく膨らむ。 「あっ……大きくなった」 手のひらで亀頭をなでなでと撫で回してくる。 「ちょっ、それはまずいっ……」 気持ちよすぎておかしくなりそうだ。 「え、ダメなの?」 「白崎、もう……」 「我慢できない?」 艶っぽく笑みを浮かべて、腰を浮かせる。 「入れさせてくれ」 「うん、いいよ……」 ずっ、ずちゅっ、にゅるるるるっ 「あんんっ……んはっ、はああぁっ……ああぁっ……」 膣口に肉棒をあてがい、体を落とす白崎。 再び白崎の膣内にペニスが収まった。 「んああぁっ、んふっ、くぅんっ……うんんっ……」 肉棒を膣内に飲みこんで、白崎はぶるぶると体を震わせる。 「はっ、はあぁっ……んううぅっ……」 「どうした?」 「ま、待って……すごく、気持ちいいのっ……」 きゅうきゅうと膣壁が規則的に肉棒を締め付けてくる。 根本が引き絞られ、凄まじい快感が走った。 「イった……ってやつかな」 「……はあぁっ、んんっ……そう、みたい……」 「はあっ……はあ、んあぁ……」 息を整える白崎。 「落ち着いた?」 「うん……ああ、すごかった……」 「白崎って結構エッチだ」 「そんなことないよ。筧くんのこれが悪いんだもん」 ぐりぐりと腰を揺らして陰茎を刺激してくる。 「くっ……」 愛液で濡れた膣壁になぶられ、肉棒が快感に震える。 「んぅっ、んっ……筧くんの、さっきより大きい」 「お腹の中、いっぱいだよ……」 俺のペニスを根本までくわえ込んだ結合部がはっきりと見える。 「白崎、動くよ」 「あ、待って。今度はわたしが動くから」 白崎はゆっくりと腰を浮かせ、肉棒を体内から引き抜く。 「んんっ、あふっ……んうぅっ、くうぅんっ……」 「あぁっ……はふっ、んんんっ、んうぅっ、はああぁっ……」 今度は腰を下ろし、膣内へ陰茎をうずめていく。 緩慢な動きと強烈な締め付けが、じんわりとした快楽を与えてくる。 「んはっ、んっ……うあぁっ、くふっ、うんんっ……」 「あっ、んくっ、ふっ……んぁっ……」 腰を上げ、再び腰を下ろす。 と、その途中、かくんと白崎の体から力が抜けた。 ずりゅりゅっ 「んあああぁぁっ、ひうぅんっ、ううぅっ、あうううぅっ……!」 一気にペニスがめり込み、膣奥の壁へ到達する。 ぎゅうっと強く膣口が締まり、肉棒が四方から圧迫された。 「うっ……」 「んあぁっ、ご、ごめっ……力が、入らなくてっ……」 びくん、びくんと体を震わせながら、謝る白崎。 「いや、気持ちよかった」 「……もっと早いと、もっと気持ちいいと思うけど」 「んあっ……はっ、んうぅ……頑張ってみる……」 白崎は腕を使って体を支え、腰を動かし始める。 「ああっ、んっ、ふあっ……ひっ、んんっ、くっ、んっ」 「あんんっ、うんっ、あ……っ、んんっ、んうぅっ、はぁっ」 たん、たんと音を響かせながら陰部を打ち付けてくる白崎。 結合部からは愛液があふれ、刺激はなめらかだ。 「くうぅっ、はっ、うぅっ、ふぅんっ……んんっ、あっ、ああぁっ」 「やっ、すごいっ……奥まで、来ちゃってるっ……!」 きつく締め付けてくる膣内にこすられ、瞬く間に射精したくなってくる。 「白崎っ、ちょっと待って……っ」 「んはぁっ、はんんっ……やっ、やめたくないっ、んうぅっ」 「もっと、もっと気持ちよくなってっ……んっ、ふあぁっ」 白崎は俺を見つめながら嬌声を漏らす。 そうしているうちにも、精液は陰茎を駆け上っていく。 「白崎、イキそうなんだっ」 「ああぁっ、んううっ……いいよ、イってっ……!」 「あふっ……んっ、筧くんのイクとこ、見てみたいっ……」 腰を振りながら、秘部を見せつけるようにエプロンを大きくめくって見せる。 「んっ、あっ……筧くんの、入ってるっ、わたしの中に入ってるっ……」 「うあぁっ、すごく固くて熱いよっ……!」 もう限界だ。 熱い塊が亀頭の先端までこみ上げてくる。 「白崎、腰を上げてくれっ……もう、出るっ」 「ふぁっ、あくっ……いいのっ、このまま、出してっ……」 「ああぁっ、はんんっ、全部、わたしの中にちょうだいっ……!」 「ダメだって……!」 襲いくる激しい快楽に我慢ができなくなる。 「んっ、ああっ、はあぁっ、んっ、あっ、あっ、あんっ、ああっ、ふああぁっ!」 びゅるっ、どくっ、びゅくっ、びゅっ! 白崎の膣内めがけて、あらん限りの精液を吐き出す。 あまりの快感に頭が真っ白に飛んだ。 「んううぅっ……来てる……っ、熱いのが、いっぱいっ……!」 「はあっ、んあぁ……筧くんの、びくびくしてるっ……」 「ふあっ、はふ、ん……気持ちいい……」 ゆるゆると腰を動かし、さらに俺から精子を搾り取っていく。 「ぐっ……こ、腰止めてくれっ……」 射精したにも関わらず、延々と刺激し続ける白崎。 たまらず腰を掴んで静止させる。 「んんっ、やあ……もっと筧くんを気持ちよくしたい……」 腰をグラインドさせ、愛液と精液が入り交じった膣内で陰茎を刺激してくる。 「待ってくれ……!」 目の前がチカチカする。 限界を超えた快楽を与えられ、体が震えた。 「んんっ……はっ、んうっ、筧くんの、まだ大きいままだよ……?」 恍惚とした表情で腰を上下に動かし続ける白崎。 結合部からは俺の出した白濁があふれ出し、肉棒を伝って流れ落ちていく。 「あうっ、んふっ、いっぱいだね……」 「お、おいっ」 「あんっ、んうっ……んっ、あっ、また、固く……なってきたよ……」 白崎の膣内で刺激され、肉棒が再び勃起を始めた。 「白崎っ……」 白崎の腰を掴んだまま、下から強く腰を突き上げた。 「あああぁっ、んくっ、ふくうぅっ、あっ、やっ、うああぁっ」 「ど、どうしてっ……いきなり、激しいよぉっ……!」 がんがんと下から白崎に腰を打ち付ける。 膣奥をえぐると、圧力に負けて膣内からとんでもない量の精液が溢れてきた。 「あぁんっ、んんんっ、はあっ……あうっ、くんんっ」 「んくっ、はんっ……あっ、あっあぁっ、か、筧くんっ……!」 「んっ、すごいよっ、すごく、気持ちいい……っ、んはっ、ぅああぁっ」 白崎の膣内は熱くぬかるみ、俺のペニスを熱く包んでいる。 突き入れる度に、白崎は甘い声を漏らした。 「うっ、んんっ、筧くんっ……んっ、あぁんっ」 白崎は体を前傾させ、こちらに顔を近づけてくる。 俺も半身を起こし、白崎にキスをした。 「んふっ、ちゅっ……はふっ、ふぁっ、くぅっ、あぁ……っ!」 「んっ、ふうっ、あふっ……ちゅっ、んんんっ」 唇を交え、激しく吸い合う。 「はっ、あんっ……ひあっ、か、筧くんっ……あっ、んちゅうっ」 「んんん……っ、好きっ……大好きっ、ちゅっ、ん……、うぅんっ」 口を離し、至近距離で見つめ合う。 「あんんっ、筧くんっ……んはっ、はあぁっ、うっ、んっ、んんっ」 「白崎、好きだ……!」 「んふぅっ、あぁ……わ、わたしも、大好き、だよっ……うあぁんっ」 激しく突き上げ、白崎の膣内をむさぼる。 熱く潤んだ膣奥で締め付けられ、再び射精感がこみ上げてくる。 「ひあぁっ、あっ、くあぁっ……だめ、わたしっ……もう、もうっ……!」 「んうっ、はうぅっ、イっちゃうよ、筧くんっ……んんっ、あっ、ああっ、んんん……っ!」 気持ちよさそうに目を細める白崎。 「俺もまた……っ」 「ああぁっ、うんっ、か、筧くんと一緒にイキたいっ、んうっ、うああぁっ!」 ぎゅうっと一際強く、白崎の膣内が締め付ける。 搾り取るような膣壁の凶悪な圧力に、我慢の限界が近づく。 「んあっ、はぁっ、あぁっ、んっ、ううっ、あっ、ああっ、あああぁっ……!」 「イクよ、筧くんっ、もう、イっちゃうっ……んううぅっ、あううううぅぅっ!!」 「あっ……はあああぁぁっ、やああぁっ、くううううううぅぅぅぅんっ!!!」 びゅうっ、びゅくっ、びゅるっ、どくっ! 「んっ、ああっ、ぅあんっ……!?」 白崎の腰が持ち上がった瞬間、肉棒が膣外に躍り出た。 途端、白濁の奔流が白崎に向けて飛び出す。 「んはっ……やっ、ふああぁっ、あっ、ん……ああぁっ」 噴水のように吹き上がった精液は、白崎の身体中いたるところへ飛んでいく。 二度、三度と脈を打ち、乳白色の液体で白崎を汚す。 「ふあぁっ、はあっ、んあっ……はあっ、はあっ、はあ……」 「すごい……いっぱい出たね……」 ようやく精液を吐き出し終えて、ペニスが大人しくなった。 「う……」 声も出ないほどの快楽に、しばらく放心する。 「……筧くん、気持ちよかったかな?」 「……ああ。もう出ないくらいに」 凄まじい倦怠感に包まれ、指を動かすのでさえ億劫だった。 「良かった」 「初めてだったから、どうしたらいいか全然わからなくて」 「白崎……」 不安だったのだろう。 切なげに微笑む白崎が愛おしくなり、頭を撫でる。 「ふふふ、筧くん、大好き」 「俺もだ」 「いっぱい汚してごめん」 俺の出した精液はあちこちに飛び散っていた。 「いいよ。筧くんのなら、ぜんぜん嫌じゃないもん」 寝そべっている俺に顔を近づけてくる白崎。 「ん……ちゅ……」 軽くキスをし、俺を見つめてくる。 「筧くん……また、次もよろしくね」 「ああ」 昨日は結局、あのまま泊まり込んでしまった。 白崎が作ってくれた朝食を取り、学園に向かう準備をする。 「白崎、そっちはどうだ?」 「もうちょっとー」 白崎は、ぱたぱたと走り回りながら準備をしている。 「筧くんはもう終わったの?」 「俺は昨日のままだからすぐだよ」 とは言え、このままはいろいろまずい。 どっかの授業をサボって、昼休みまでに着替えておこう。 「あ、寮の外で佳奈ちゃんとかに会ったらどうしよう」 「気にしなくていいんじゃないか」 「でも……ほら、朝帰りっていうか一緒だと……」 「いずれバレるだろ」 佳奈すけや桜庭が本気で探りを入れてきたら、隠し通せるとは思えない。 「……そっか、そうだよね」 「堂々としてようぜ」 「うんっ」 白崎も準備が終わったらしい。 「……あれっ?」 「どうした」 「家の鍵がないの」 「いつもはこの中に入れてあるんだけど……」 玄関近くに置いてある、陶器製の小さな籠を指差す。 「一緒に探そう」 「でも時間がそろそろだし、筧くんは先に行ってていいよ」 「置いていけるか」 「ありがと」 ばたばたと部屋の中を探して回る。 「あれれー、おっかしいなぁ」 「キーホルダーとかつけてる?」 「ファーのついた猫ちゃん。千莉ちゃんにもらったんだ」 ふうん、なるほど。 ないとは思うが、一応ベッドの下を探ってみる。 「……あった!」 「あっ、よかった〜」 「どうしてこんなところに入り込んだのかね」 「うーん、昨日裸エプロンした時に服を脱いだから、その拍子に……」 「ああ、裸エプロンか」 「……」 「……」 はたと見つめ合ってしまう。 「あははは……何だか恥ずかしいね」 「……そうだな」 白崎の、あられもない姿を思い出してしまった。 想像するとまずい。 「……あ、時間っ」 言われて時計を見る。 「やばい、遅刻するぞっ」 慌てて家を出た。 「白崎、大丈夫かっ」 「うんっ」 手を繋ぐ。 白崎を引いて走る。 繋いだ手を、しっかりと握り返してくれている。 「はあっ、はあっ……」 「白崎も疲れてきたかっ」 「全然平気だよっ……筧くんこそ、息切れてないっ?」 「何をっ、図書部員の体力を舐めるなよっ」 さらに白崎を引っ張って走る。 路電の停留所が見えてきた。 ……あそこで、俺は白崎に出会った。 もしあの時、俺が臆病風に吹かれて動かなかったら……。 この温もりが失われてしまっていたら、俺はどうなっていただろう。 白崎の手を、もう一度握りしめる。 「白崎っ」 「……えっ、なぁにっ?」 「ずっと一緒にいような」 目をぱちくりとさせる白崎。 その表情が、満面の笑顔へと変わる。 「もちろんっ」 「わたしも、ずっとずっと一緒にいたいよ」 白崎が俺の隣に並ぶ。 寄り道だらけで、時には迷うこともあったけど……ようやくたどり着いた。 この先、何があるかはわからない。 でも、きっと大丈夫だ。 俺には、共に歩んでくれるパートナーがいるのだから。 「……」 まどろみの中、インターホンの音が聞こえた。 誰だろう? 宅配便だろうか。 起きるまで続ける気か。 仕方なしに時計を確認すると、10時ジャスト。 ようやく選挙が終わり、羊飼いの件も片付いた。 寝ていたいところだが仕方ない。 「筧、いるんだろう?」 桜庭? 何でまたいきなり。 急いで玄関に向かう。 「おはよう。悪いな寝起きで」 言い訳のように寝癖を手で押さえる。 「二度寝していたのか、仕方ない奴だな」 桜庭が苦笑する。 二度寝? 「いや、昨日の夜から一度も起きてないけど」 「つーか、なんで二度寝かどうか知ってるんだ?」 「なんだ、全然覚えてないのか」 桜庭が携帯を見せつけてきた。 俺から桜庭に宛てたメールがある。 「俺が送ったのか」 「当たり前だ」 「今日時間があるか私がメールしたら、これが返ってきた」 タイムスタンプは9時12分。 本文には『うちに来てくりゃ』とあった。 「来てくりゃ?」 「寝ぼけてたんだろう」 事情が飲み込めた。 つまり、寝ぼけたまま『うちに来い』とメールしていたのだ。 「なんか悪いな、変なことしたみたいだ」 「疲れてたんだろう、構わないよ」 「どうする? もう少ししてから来た方がいいか?」 桜庭が優しく気遣ってくれる。 「なら、5分くらい待ってくれるか? 用意するから」 そう言って、慌てて身支度を調える。 「お待たせ」 「そんなに慌てなくてもいいのに」 「ほら、襟が曲がっているぞ」 「おっと」 桜庭がシャツの襟を直してくれた。 「それで、俺に用ってのは?」 「ああ、そうなんだが……なんだか気勢が〈削〉《そ》がれてしまった」 何か気合いが必要なことをしたかったのだろうか。 「ほら、あれだ。今日はいい天気なんだ」 確かにいい天気だ。 秋の青空は、宇宙まで突き抜けそうなほど、すっきりと高い。 「だから……出かけないか?」 「もちろん……無理にとは言わないが」 桜庭が気恥ずかしそうに目を逸らす。 数日前、この場所で桜庭と抱き合ったことを思い出す。 あの時、桜庭は俺を好きだと言ってくれた。 勢いもあるだろう。 でも、全てがそうだとは思いたくない。 「よし、行こう」 俺の返事を聞いて、桜庭の表情が明るくなる。 「どっか行きたいとこはある?」 「もちろん」 約30分後、俺たちは部室にいた。 桜庭曰く、これからは生徒会の活動で忙しくなるので、図書部の活動は縮小せざるを得ない。 従って、現在図書部に来ている依頼を早急に解決する必要があるとのことだ。 基本的には、肩代わりしてくれる人を依頼人に斡旋するという形だ。 桜庭の友人や関係の深い団体に打診していく。 「この依頼は、ワンゲル部にでも頼んだ方が早そうだな」 「ああ……」 「ん? どうした」 じーっと俺を見つめていたので、声をかける。 「あ、いや、何でもない」 PCに視線を戻し、作業を再開する桜庭。 「……」 が、しばらくすると再びこちらを見てくる。 作業に集中できてない様子だ。 「あのさ、言いたいことがあるなら……」 「え? 何もないぞ。ふう、忙しい忙しい」 慌てて目を逸らし、またPCに向かう。 あからさまに変だ。 やっぱりアレだよな、あの日のこと、気にしてるんだよな。 「わかってるだろう……お前が好きなんだ」 「見られるだけで身体がどうにもならなくなるくらい、筧が好きなんだ」 「筧……置いていかないでくれ」 「…………わかったよ」 「お前みたいのが、一番放っておけないタイプなんだ」 「すまない……すまない……」 彼女の想いに、俺は明確な返事をしていない。 「……なあ、桜庭?」 「なんだ?」 「あの時は、ありがとな」 「何のことだ?」 口ではそう言いながら、桜庭がわずかに視線を逸らす。 わかっているのだろう。 「部室が乗っ取られそうになった時に、俺を止めに来てくれただろ」 「ああ、あのことか」 何度も咳払いをして、桜庭が居住まいを正す。 「すまない、あの時は気が動転して変なことを言ってしまった」 「何としても筧を止めなければと思って……恥ずかしい」 「じゃあ、本心じゃなかったのか」 「あそこで嘘がつけるほど、私は器用じゃない」 言いながら、桜庭の頬が紅潮していく。 こっちも気持ちをはっきりさせよう。 「あのとき桜庭が来てくれたこと、すごく感謝してる」 「桜庭が来てくれなかったら、今、俺はここにいない」 「そ、そうか……」 桜庭が照れたように視線を外す。 「あまりこういうことは聞きたくないんだが、お前は何をしようとしてたんだ?」 「引っ越しみたいなもんかな。学園から消えようと思ってた」 「図書部の部室を取り返すためにか?」 「ああ、もちろん」 「気持ちは嬉しいが、馬鹿なことを考えたものだ」 桜庭が腹立たしげに言う。 こんな風に腹を立ててくれることが、何よりも嬉しい。 「桜庭のお陰で目が覚めたよ」 桜庭からもらったものは大きい。 自分が人の中で生きているということ── こんな自分でも誰かの胸の中に住んでいるということを、心の底からわからせてくれた。 俺のやろうとしたことは、一見かっこよかったかもしれない。 でも、それだけだ。 自分を大事にしないことは、俺を大事に思ってくれている人を裏切ることでもある。 「桜庭を裏切らずに済んで良かった」 「お前は何でも知っているくせに、変なところが抜けているから心配なんだ」 「すまん。俺も自覚はあるよ」 桜庭を見る。 「だから……」 「ずっと傍にいてくれないか、桜庭」 「まあ、それは構わないが……」 そこまで言って桜庭が固まる。 「……しょ、正気か?」 「私が筧を好きだという話はしたが、でも……」 「俺だって、桜庭が好きなんだ」 「そ、それは、でも……」 風船から空気が抜けるように、桜庭が机に突っ伏す。 首筋が真っ赤だ。 「どうして私なんかを」 「桜庭は、俺の人生を変えてくれたんだ」 「それにもちろん、一人の女の子として可愛いと思ってるし」 「うあっ!? いい、もういい」 湯気が出そうなほどに真っ赤になった。 「返事は今すぐじゃなくてもいいよ」 「でも、真面目に検討してくれたら嬉しい」 「いや、答えるよ」 桜庭が背筋を伸ばす。 「喜んで、男女の付き合いをさせてもらおう」 「……」 ぱっと目の前が明るくなるような感覚。 「ありがとう、桜庭」 「後悔するなよ?」 「もちろん、後悔なんてしない」 しばらく見つめ合う。 恥ずかしそうに頬を染めている桜庭が、さっきより何倍も可愛く見える。 「何だか、急に恥ずかしくなってきた」 「ああ、顔が熱くておかしくなりそうだ」 苦笑しながら、桜庭が扇子を開いた。 「まさかこんな話になるとは思わなかった」 「でも、こうなる気はしてたよ」 「気付いていたのか?」 「二人でやるには仕事が少ないから」 「いつもの桜庭なら手伝いなんて呼ばない量だ」 「ははは、お見通しだったか」 苦笑する桜庭。 「でも、きちんと話ができてよかった」 「本当なら俺から切り出さなきゃいけなかったのに、悪いな」 「そう言ってくれると、私も勇気を出した甲斐があったというものだ」 柔らかく微笑む桜庭。 「なあ、筧」 「ん?」 「……そっち側に行っていいか?」 「もちろん」 桜庭はテーブルを回って俺の隣に座る。 手を伸ばせば届く距離に、桜庭がやってきた。 「緊張するな」 「ああ」 並んで肩をくっつけ合わせる。 「……私たちはもう恋人同士なのか?」 「当たり前だ」 「あまり実感が湧かないな」 「じゃあ、手でも繋いでみるか」 「いいかもしれない」 テーブルの上に手を出す。 その上に、桜庭がおそるおそる手を乗せてきた。 手のひらを通して、桜庭の温もりが伝わってくる。 「……これが筧の手か」 「ああ」 お互いの体温を確かめるように、指を絡ませる。 「夢みたいだ。こんな風に筧と手が繋げるなんて」 「俺も」 「ふふ、筧の手は大きくて柔らかい」 「桜庭の手はあったかいな」 互いに手の感触を味わっているうちに、少しずつ実感が湧いてくる。 自分の内にある乾いた部分に、水が染み込んでいく。 「何か、だんだん恋人の実感が湧いてきた」 「ああ、私もだ」 桜庭が目を細める。 余計な緊張が取れた、日溜まりのような微笑みだった。 ああ、俺はこの人と付き合ってよかった。 心からそう思う。 と同時に、もっともっと桜庭のことを知りたいと思う。 「なあ、今度デートしないか」 「デートか、いいな。私も常々してみたいと思っていた」 「しかし、図書部の残務と生徒会の準備を考えるといつ時間が取れるか……」 「……あれ、玉藻ちゃんと筧くん?」 突然ドアが開き、ひょこっと白崎が入ってきた。 「し、白崎っ……?」 「えっ……玉藻ちゃんが筧くんと手繋いでる?」 桜庭は慌てて手を離す。 「違うんだっ、これは……これは、その、何というか……」 桜庭が言いよどむ。 「俺たち、付き合うことにしたんだ」 「あ……」 桜庭に代わり、はっきり伝える。 隠す必要なんてない。 「おめでとう、二人とも」 「きっと……ううん、絶対お似合いだよっ」 白崎が満面の笑みを浮かべる。 「ありがとう、白崎」 「玉藻ちゃんにはずっと幸せになってもらいたいと思ってたんだ」 「白崎……いいのか?」 「玉藻ちゃんが筧くんのことを心配して飛び出して行った時、わかったの」 「筧くんのことを一番に思ってたのは玉藻ちゃんだったんだって」 「あんなに真剣な顔をした玉藻ちゃんを見たのは、初めてだったよ」 「……」 照れくさそうに頬をかく桜庭。 「筧くん。玉藻ちゃんのこと、大切にしてあげてね」 「ああ、もちろん」 「絶対、不幸にはしない」 「本人の前でやめてくれ。恥ずかしくて爆発しそうだ」 扇子で顔を扇ぎながら、桜庭は定位置の席に戻る。 「そう言えば、デートがどうとか言ってたね」 「ああ、今度できればと思ってて」 「さっきも言ったが、図書部と生徒会の仕事が……」 「だめだよ、玉藻ちゃん」 白崎が桜庭の言葉を遮る。 「せっかく付き合ったんだから、2人できちんと楽しんできて」 「だが……」 言いかけた桜庭が口をつぐむ。 昔の桜庭なら、猛然と反論したところだろう。 「わかった、みんなに甘えよう」 「うん、そうして」 「筧くん、玉藻ちゃんをよろしくね」 「ああ、任せてくれ」 白崎の頼みだ。 難しいけど何とか時間を作っていこう。 昨夜は二人とも遅くまで残って残務を片付け、何とか時間を工面した。 今日一日は桜庭とデートだ。 現在の時刻は9時半。 待ち合わせまではあと30分。 遅刻しないよう、そろそろ出かけよう。 「おっと」 靴を履こうとするとインターホンが鳴った。 「あれ?」 「お、おはよう」 なぜか桜庭がやってきた。 玄関で話をするのも何なので、とにかく上がってもらう。 「あれ? 待ち合わせって俺んちだっけ?」 「いや、待ち合わせ場所に早く着きすぎてしまったんだ」 「それで待ちきれなくなって……来てしまった」 「お、おお……」 一瞬驚いたが、徐々に喜びが湧いてきた。 俺のことを、想ってくれているからこそだ。 「でも、まだ30分前だよな。何時からいたんだ?」 「9時か……いや、もう少し早かったかもしれない」 「早すぎだろ」 「10月だからいいけど、冬だったら風邪引くぞ」 「あ、もしかして、桜庭家家訓で1時間前行動がすることになってるとか」 「なってるわけないだろ」 「遅れてはまずいと思ったんだ」 「それに……」 桜庭が扇子を開く。 「か、彼氏に少しでも早く会いたいと思うのはおかしいか?」 「……」 「……」 桜庭の顔が赤くなる。 「……」 「な、何とか言ってくれ」 「いや、嬉しい」 「そ、そうか……ならよかった」 桜庭が、ぱたぱたと扇子で顔を扇ぐ。 「で、これからどうする?」 商店街の店は10時開店のところが多い。 「まだ早いし、お茶でも飲むか」 「一度座ると、このまま居着いてしまうかもしれないぞ」 「それじゃデートにならないだろ」 「最近は、おうちデートというのもあるんだろう?」 「それに、私は筧がいればどこだっていいんだ」 「しれっと恥ずかしいこと言うなよ」 「別に恥ずかしくない」 「好きな人と一緒ならどこでもいいというのは真実だ」 瞳がきらりと輝いた。 自信満々である。 「あ、うん、そうね」 「筧は違うのか?」 少し心配そうに聞いてくる。 「いや、俺だって同じだ」 「ふふ、なら安心した」 桜庭がすっと身を寄せてくる。 そして、俺の肩に軽く頭を預けた。 「かわいいな、桜庭は」 「そんな柄じゃない」 言いながらも、桜庭は肩に頬をこすりつける。 みんなが、桜庭のこんな様子を見たら、真面目に驚くだろうな。 11時を過ぎた頃、俺たちは商店街までやってきた。 「桜庭って、休みの日は何やってるんだ?」 「ううん、そうだな」 歩きながら腕を組む桜庭。 「図書部を始めてからは、余暇があれば活動に時間を使っていた」 「その前は一週間分の家事をしたり本を読んだり、趣味に打ち込んだり……ま、色々だな」 「あれ? 桜庭の趣味って?」 「今は秘密だ。そのうち教えるよ」 「そっか、楽しみにしてる」 「これからは生徒会で忙しくなるだろうし、趣味に割く時間もなくなるかもしれないな」 「忙しくても、趣味は切り捨てない方がいいと思う」 「1日10分でもさ、趣味を楽しんでた方が仕事も上手くいくって」 「そうだな……筧の言う通りかもしれない」 桜庭が穏やかに微笑む。 「俺も、今まで以上に仕事を手伝うし」 「ま、ほどほどんとこでやっていこう」 桜庭の肩を撫でると、徐々に力が抜けていくのがわかった。 「頼む」 「ああ」 嬉しそうに微笑む桜庭。 笑顔がかわいくて、桜庭の手を取る。 「か、筧……」 「恋人同士なんだしさ、いいだろ」 「……恥ずかしいものだな」 「やめとくか?」 俺が手の力を抜くと、逆にぎゅっと桜庭から握り返された。 「馬鹿……」 小さく消え入りそうな声で告げる。 しばらく手を繋ぎながら、商店街を無言で歩く。 言葉は少なかったが、胸の中は妙に満たされていた。 隣を見れば桜庭がいる。 それだけのことが、心から嬉しかった。 「お、いい匂いがする」 「たこ焼きか」 「この匂い、空きっ腹に来るな」 「朝飯を食べてないのか?」 「いつも朝はほとんど食べないから」 「なら、少し早いが昼食にするか」 「たこ焼き?」 「いや、実は行ってみたい店がある」 「前から気になっていたんだが、一人では入りにくくて遠慮していた店があるんだ」 女の子が入りにくいってことは、牛丼屋とかラーメン屋とかだろうか。 「じゃ、そこにしよう」 「ちなみに、何の店?」 「ふふ、おにぎり屋さんだ」 「へえ、珍しいな」 「カウンターでおにぎりを出してくれるんだ」 「コンビニのおにぎりとはひと味もふた味も違うらしいぞ。ぜひ食べてみたい」 拳を握って力説する桜庭。 だいぶ思い入れがあるようだ。 「よし、じゃあ、そこに行ってみようか」 1時間ほどして、俺たちはおにぎりの店を出た。 最近流行っているらしく、店は大繁盛だった。 「いやあ、美味かったな」 「コンビニおにぎりとは別次元だった」 「特に塩サバと天むすは絶品だった」 「あれほどおいしいおにぎりは、今まで食べたことがない」 「桜庭、完全に無言になってたもんな」 桜庭は、おにぎりを3つも平らげていた。 蟹で無口になるってのは聞いたことがあるが、おにぎりで無口ってのは初めてだ。 「せっかくのデートなのに、黙々と食べてしまった」 「すまないな、不調法で」 恥ずかしそうにうつむく桜庭。 「いやいや、全然」 「これから長く付き合ってくんだし、気を張ってたら疲れるだろ?」 「それに、桜庭のいろんなところが見たいし」 「色々なところ?」 「好きなものとか嫌いなものとか、まあ色々だよ」 「桜庭は、部室では割ときちっと過ごしてるだろ?」 「だから、これからは色んなところを見せてほしいんだ」 「別に隠しているつもりはないが」 「そもそも部室は『外』だぞ。だらりとしている方がおかしい」 「だから、『内』を知りたいってことだよ」 「私の内側なんて、大したことはないが」 つまらなそうな顔で謙遜する。 「桜庭は自分で思ってるよりずっと魅力的だ」 「だから、俺だって好きになったんだし」 「期待に応えられればいいが」 「大丈夫」 桜庭の頭を優しく撫でる。 「お、おい」 「駄目?」 「……いや……」 桜庭が恥ずかしそうにうつむく。 綺麗なうなじが、さっと赤く染まる。 指先で髪の生え際をくすぐってみる。 「ひゃうんっ!?」 びくんとはねた。 可愛らしい声に、周囲の通行人の視線が集まる。 桜庭に腕をぐいと掴まれる。 「(いきなり何するんだ。変な声が出てしまっただろ)」 「(いや、すまん……つい)」 「(しかし、あんな声、どこから出るんだ)」 「(知るか、身体に聞いてくれ)」 涙目で言って、桜庭が離れた。 しかし、腕は離れない。 互いにしっかりと手を握り合わせ、前を向く。 「これからどうする?」 まだまだ時間はある。 「私は特に行きたいところはないが」 「じゃあ喫茶店にでも行くか」 「喫茶店に行ってもお茶を飲むだけだろう?」 「なら筧の家に行かないか? 私の家でもいい」 「どうも人目があると落ち着かなくて」 人前ではぴしっとしている桜庭だ。 プライベートな空間の方が落ち着くのだろう。 「じゃあ、うちにするか」 「ああ」 桜庭を連れて歩く。 「しかし、人目がない方がいいってのも、聞きようによっちゃアレだよな」 「聞く人が保体脳なら、いやらしく聞こえるだろうな」 「念のため、俺は違うぞ」 「あはは、今のはツッコんだ方が負けというやつだ」 桜庭がにっと笑う。 きちっとしているのに、意外と冗談好きなのが桜庭だ。 こういうところが付き合いやすい。 家に戻ってきた。 結局、ウィンドウショッピングをしたり、買い食いをしたりで、いつの間にか日が傾いていた。 時間が過ぎるのを、こんなに速く感じるなんて思わなかった。 桜庭が淹れてくれたコーヒーを楽しみながら、ぼんやりと窓の外を眺める。 「だいぶ日が短くなってきた」 「そうだな」 特に何をするわけでもなく、意味のない言葉を重ねていく。 贅沢な時間だった。 「……思い出すな」 桜庭はベッドに座ったまま、ぽつりと呟いた。 「ん?」 「あーいや、独り言だ」 「玄関を見ていたら、あの時のことを思い出した」 あの時……というのは、俺を呼び止めに来た時のことだろう。 「未だに少し不安なんだ……筧が、ある日ふっと消えてしまう気がして」 「今が幸せなことの裏返しなのかもしれない」 桜庭が苦笑する。 「桜庭……」 桜庭の背中を安心させるように撫でる。 「あの時は色々言ったが、本心は……単に筧を失いたくなかっただけなんだ」 「結局、私のエゴで筧を引き留めたんだ」 「それが、筧にとっていいことなのかそうでないのかも考えずに」 「俺は感謝してるよ」 桜庭が目を細める。 「こんな風に人を好きになるなんて、自分でも想像してなかった」 「桜庭が俺を変えてくれたんだよ」 「筧……」 桜庭を傍に引き寄せる。 「か、筧……?」 「俺はずっと傍にいるよ」 「何も言わずにいなくなったりしない」 「……嬉しい」 ゆっくりと桜庭に顔を近づける。 なぜキスをしたくなるのか、理由はわからない。 それが本能なのだとしたら不思議なものだ。 どうして、愛おしい人の唇に触れたくなるのだろう? 「んっ……」 顔を傾け、俺は桜庭の唇に優しくキスをした。 そこは、想像より圧倒的に柔らかかった。 「ん……んっ……」 「んっ……ん、んぅっ、ふ……」 桜庭の吐息を感じた途端、頭の中が白くなる。 「ちゅっ、んっ……はっ、んふっ……んっ……」 しっとりとした桜庭の感触が、唇を通して伝わってくる。 「ん……んはっ……筧っ、んぅ……んっ……」 わずかに顔を引くと、桜庭から唇を近づけてきた。 求められているという実感で胸が熱くなる。 「んふっ……ちゅっ、んぁっ……んっ、くふっ、ん……」 息を荒げながら、互いに求め合う。 「ちゅっ、ちゅ……んくっ、んぅっ……んはぁっ、はっ……」 ゆっくりと唇を離す。 間近に見える桜庭の顔。 潤んだ瞳に吸い込まれてしまいそうになる。 「綺麗だ、桜庭」 「やめてくれ……恥ずかしい」 桜庭はうっとりと目を細める。 「ずっと私と……一緒にいてくれ」 「ああ」 二人で微笑み合い。 もう一度、口づけを交わした。 この日は、桜庭と一緒に図書部の残務を片付けていたら遅くなってしまった。 「あー……終わったな」 桜庭は大きく伸びをする。 「これでほぼ片付いたか」 「まだ数件残っているが、目処はついている」 「筧のお陰で何とかなりそうだ」 「俺は大したことしてないぞ。大体は桜庭の手柄だろ」 桜庭は、生徒会での活動が始まる前に図書部の方を収束させようと頑張ってきた。 俺も手伝いはしたが、あくまで桜庭の補佐だ。 「その頑張りを支えてくれたのが筧だ」 「傍にいてくれたお陰で、すごく作業がはかどった」 「まあ、桜庭の役に立てたならよかった」 時計を見ると、夜10時を回ったところだった。 「時間も遅いし送るよ」 「いや、いい」 「遠慮するなって」 「違うんだ。今日はその……」 桜庭が口ごもる。 何か言いにくいことらしい。 「なんだ?」 「あー、その、なんだ……家まで帰ると遅くなりそうだから」 「だから……今日は筧の部屋にお邪魔しようと思っていたんだ」 「俺はいいけど、大丈夫か?」 「着替えは持ってきてある」 着替えってことは、泊まる気なんだよな。 つまり、そういうことか。 「迷惑ならやめておくが」 「いや、全然」 「桜庭と一緒にいられるなら大歓迎だ」 勇気を出して言ってくれたのだ。 俺が拒否するなんてみっともない。 軽く夕食を済ませ、二人でお茶を飲む。 テレビでは、つまらないバラエティー番組が流れている。 俺も桜庭も、うんともすんとも言わずに、並んで画面を眺めていた。 いや、顔だけはテレビに向けつつ、目はさっきから桜庭を追っていた。 「あ……」 「お……」 目が合った。 「な、なんかつまらないテレビだな」 「ああ、チャンネル替えるか」 リモコンに手を伸ばす。 「あ……」 「お……」 リモコンの上で手が重なった。 「すまん」 「いや」 手を引っ込める。 「あ、あれだな、テレビは消そう」 「ああ、それがいい」 「大体、最近のバラエティーはなってない」 テレビを消す。 沈黙が落ちた。 余計緊張が増したのは気のせいじゃない。 桜庭が身じろぐ。 それだけで、甘い香りが漂ってくるようだ。 短いスカートの奥や、うっすら赤く染まったうなじが気になってくる。 「桜庭」 ベッドに置かれた手に触れる。 「ひゃっ!?」 「あ、すまん」 手を引く。 「あ、いや、違うんだ。驚いただけで……」 桜庭から手を握ってくる。 しっとりと汗ばみ、緊張が伝わってきた。 向こうも同じことを考えてるんだろうな。 「綺麗だな、桜庭は」 頭を撫でる。 「何を言うんだ、急に……馬鹿」 呟くように言う。 「嘘じゃない」 頭の手を、首筋に下ろす。 「あ……」 桜庭の身体がぴくりと反応した。 首にさっと鳥肌が立ち、すぐにしっとりと熱を帯びる。 「ん……」 桜庭が、膝を2、3度こすり合わせる音がした。 「筧……」 桜庭が体重を預けてくる。 抱き止めると、上目遣いの表情が目に飛び込んできた。 「すごく、落ち着く匂いだ」 「汗臭いだろ?」 桜庭が胸の中で首を振る。 「筧とキスしてから、ずっとこうしたかった」 「俺もだ」 互いの鼓動が重なっている気がする。 それが共鳴しているように、どんどん胸が高鳴る。 「なあ」 「ん?」 「いいか?」 答えの代わりに、桜庭が俺の首に腕を回した。 ぎゅっと力を込めてくる。 柔らかな乳房が身体に押しつけられた。 白崎ほどじゃないが、桜庭だって大きな方だ。 ふっくらとした感触に、早くも俺の下半身は反応している。 「素直に言っていいか?」 「え? ああ」 「すごく、興奮している」 「自分でも信じられないくらい」 その言葉が、最後の歯止めを焼き切った。 「桜庭」 唇を重ね、そのままベッドに押し倒す。 「んっ………んふっ、んっ……」 「あっ、筧……」 「ん?」 「私は……その、初めてなんだ」 「わかってる」 桜庭の頬を手のひらで愛撫し、唇を近づける。 「筧……んっ、ん、ふっ……んぁっ……」 「んっ、んん……んぅっ……」 「嫌なことがあったらすぐに言ってくれ」 「筧にされて嫌なことなんてない」 「そう言ってくれると嬉しい」 桜庭の唇に吸い付き、思う存分その感触を楽しむ。 「ちゅっ……んっ、んくっ、ふっ……」 「あっ、はぁっ……」 口を離すと、桜庭から甘い吐息が漏れた。 「桜庭……」 俺は桜庭のネクタイを抜き、ブラウスを脱がせた。 「ううっ……」 脱がせた反動でベッドに倒れ込む桜庭。 「やっ、んっ……筧、手が……」 ブラジャーがはだけ、桜庭の乳房が露わになる。 桜庭を支えるために差し出した手が、桜庭の大きな膨らみにかかった。 俺も、自らのファスナーを下ろす。 「んぁっ……そ、そこは……」 「やめておこうか」 「……いや、大丈夫だ。続けてくれ」 そう言うものの、桜庭の体は少し震えていた。 気持ちよくて震えているのか、はたまた恐怖からなのだろうか。 「桜庭、怖いのか」 桜庭は小さく首を横に振った。 「怖いような、期待しているような……自分でもよくわからないんだ」 「でも筧に触られると電気が走ったみたいになる」 「すごく……気持ちがいい」 「嫌なら言ってくれ。すぐにやめるから」 「ふふ、優しいな、筧は」 桜庭は柔らかく微笑む。 大丈夫そうだし、このまま続けてみよう。 「ん……何か固いものが……?」 先ほど桜庭が引っ張り出したペニスを、桜庭の股間にこすりつける。 布越しに桜庭の熱くて柔らかい感触が伝わってきた。 「あっ……んんっ、筧の、固いぞ……」 「桜庭だから固くなったんだ」 「そ、そうか」 「でも……んっ、気持ちいいっ……」 秘部に肉棒をこすりつけるたび、桜庭の腰が艶めかしく動く。 しかも、どんどん熱くなってくる。 ペニスで柔らかい肉を味わいつつ、手を動かす。 「んうっ、あっ……んんっ、筧っ……」 マシュマロのような乳房の感触。 その中央にある小さな突起を指先でつまむ。 「あうぅっ、んくっ……ひんっ、そ、そこはっ……」 「筧、先っぽは……んっ、気持ちいいから、ダメっ……」 桜庭は体をよじって逃れようとするが、そうはいかない。 乳房を強く絞り、腕を引いて桜庭を拘束する。 「桜庭、腰を引かないでくれ」 「んくっ、だ、だってっ……やっ、んんっ……んうっ、ふっ……」 「あっ、ダメっ……そんな風に強くされたら、もっと気持ちよくなってしまうっ……」 少し強くしすぎたかと思ったが、これも気持ちいいのか。 桜庭の秘部に強く肉棒をこすりつけてみる。 「はあぁっ、んっ……んうぅっ、んぁっ……」 水っぽい音が響き、熱くぬるぬるとした感触に変わった。 「濡れてる」 「そ、それは筧が変なものをこすりつけるからだっ……」 「変なもので悪かったな」 「んんっ、や、やめてくれ、これ以上こすられたら、我慢できないっ……」 それならいっそ…… 桜庭のパンツを脱がせた。 「あっ……や、何を……」 「直接こすった方がもっと気持ちいいだろう」 俺は陰茎を桜庭の秘部に押しつけ、腰を動かす。 「あっ、んうぅっ……やんっ、んあっ……」 「か、筧っ……んはっ、ま、待ってくれっ……」 秘部からにちゃにちゃと淫靡な音が聞こえてくる。 桜庭の割れ目にこすりつけるたびに、じんわりと肉棒に快感が走る。 「気持ちいい」 「んっ、私もっ……気持ち、いいっ……」 「ふあぁっ、でも、気持ちよすぎてっ……おかしくなるっ……」 桜庭の腰がびくびくと跳ねる。 「うっ……」 陰茎が強くこすり上げられ、思わず声が漏れる。 「んんっ、ふっ……筧も、感じると声を出すんだな……」 「うっ……もっと、筧の声が聞きたいっ……」 「じゃあ激しく動かしても?」 「ああ、好きにしてくれ」 桜庭は体をねじってこちらを見上げてきた。 熱っぽく上気した顔で見つめられ、愛おしさがこみ上げてくる。 「わかった、動かすからな」 体を反らして桜庭の割れ目に強くこすりつける。 「あっ……んんっ、やっ、ひんんっ……」 「ふあぁっ、す、すごい……気持ちいいっ、感じ過すぎて、変になるぅっ……」 「んう、ふっ、あくぅっ……ん、んはっ……んんんっ」 肉棒が陰部の上を通過するたびに、強く体を強ばらせる桜庭。 桜庭の中から愛液があふれ出してきて、桜庭と俺のものを濡らしていく。 「んふっ、んくっ……ひあああああぁっ、んああぁっ」 一際強く、桜庭の体が跳ねた。 「どうした?」 「ひんっ、ううっ……いま、体に電気が走ったみたいにっ……」 「あまり奥をこすると、んあぁっ……お、おかしくなってしまうっ……」 クリトリスをこすり上げた時に悲鳴をあげたようだった。 どうやらここが桜庭の弱点みたいだ。 「もっと強くするよ」 「ま、待ってくれっ、そこはっ……んうううぅっ、あううぅっ」 亀頭の先でつつくようにして、桜庭が反応するポイントを執拗に責め続ける。 「ひううっ、んうっ、ふあぁっ……んああぁっ」 「やっ、だめっ、そこばかり強くしたらっ……ひあぁっ、んああぁっ」 桜庭の体がびくん、びくんと跳ねる。 活きのいい魚のように滑らかな肢体がベッドの上で踊った。 「ああぁっ、んんっ、はっ……んあっ、いっ、んつっ……」 調子に乗って動かしていたら、位置がずれて桜庭の膣口に亀頭がめり込んでしまった。 「すまん」 「はっ……んんっ、いや、平気だ……んあぁ……」 荒い息をつきながら、俺を見上げてくる桜庭。 「調子に乗りすぎた」 「あの、筧……もう十分に濡れてると思うんだ」 「そろそろ入れてくれないか……」 桜庭がゆるゆると腰を動かし、俺のペニスを刺激してきた。 じれったい快感に、我慢ができなくなってくる。 「……いいのか」 「ここまでしておいて入れてくれなかったら逆に怒るぞ」 「そっか……わかった」 腰を引いて、桜庭の小さな膣口に俺の亀頭を押し当てる。 「それじゃ行くよ」 「ああ、来てくれ」 膣口にめり込んだ亀頭に、力を込めていく。 「あっ……んううっ、んくううっ……つぅっ……」 「はぁっ、んはっ……いたっ……んああぁっ」 挿入を拒む膣内に、力を入れて肉棒をねじ込んでいく。 「んあぁっ、んいっ……くああぁっ、ああっ……!」 ぷつっと何かがはじけ、ずぶずぶと桜庭の中に陰茎が埋まっていく。 「桜庭、平気か?」 「んっ……はあっ、だ、大丈夫っ……続けてくれっ……」 あまり大丈夫には見えなかったが、ここでやめるわけにもいかない。 さらに力を込めて、肉棒を奥へと進入させる。 「んううっ、ふっ……あぁっ、筧が、入ってくるっ……」 突っかかりがあったのは最初だけで、あとは桜庭が出す愛液のお陰でぬるぬると奥まで入り込んでいく。 桜庭の太ももを伝って流れ落ちる愛液にはに赤い糸が混じっていた。 「初めてなんだな」 「んっ……そう言っただろう、気にするなっ……」 桜庭の体を引き寄せ、陰茎の根本まで桜庭の膣内に埋める。 一番奥まで入ってしまった。 「んっ、はあっ……あっ、んはっ……くぅっ、んっ……」 「桜庭……入ったよ」 「そうか、よかった……筧と一つになれたんだな……」 桜庭の瞳にはうっすらと涙がにじんでいる。 かなり痛かったに違いない。 「頑張ったな、桜庭」 「嬉しい……筧とこんな風になれるなんて」 嬉しそうに目を細める桜庭。 「まだ痛む?」 「ちょっとじんじんするが、そんなに痛くはない」 「それより、お腹の奥が押されて変な感じだ」 桜庭は結合部を見ようと、体を曲げる。 その途端、膣内が激しくうねり、肉棒が強く締め付けられる。 「ううっ……」 「あ、すまない。痛かったのか?」 「いや……痛くはないけど、気持ちよすぎて」 根本から絞り取られるように締め付けられ、限界に達しそうになった。 気を引き締めないとすぐに出てしまう。 「筧に喜んでもらえて何よりだ」 「俺はもう少しこうしていたんだけど」 「夜は長い。筧の気が済むまで何度でもしてくれ」 そう言って、桜庭は艶っぽく微笑む。 初めてにも関わらず、何となく妖艶さを感じるのは気のせいか。 桜庭をムチャクチャにしたいという欲望がこみ上げてくる。 「桜庭、動かすぞ」 「わかった。最初はゆっくり動かしてくれ……」 桜庭の膣内から少しずつ肉棒を引き抜いていく。 「あっ……んんっ、くっ、ふぁっ……あんっ……」 「はあぁっ、ひんっ、うあぁっ……ぞ、ぞくぞく、するっ……」 体を震わせる桜庭。 それに合わせて膣内も収縮を繰り返す。 強すぎる締め付けに、ペニスに抗いがたい快感が走る。 「くっ……」 亀頭が見えるところまで引き抜き、再び中へと押し込んでいく。 「んぁっ、んくっ……ふあぁっ、んうっ、んんんっ……」 「あっ、んんっ、中に、入ってくるっ……」 愛液で濡れた膣内は滑りがよく、引っかかることもなく奥へと誘ってくれる。 膣奥まで達すると、きゅうきゅうと膣内が締め付けてきた。 「んっ、筧……気持ちいいか……?」 「ああ、すごく気持ちいい」 「よかった……筧を満足させられるか、不安だった」 「もう少し手加減してくれると嬉しい」 「ふふ、それはできないな。もっともっと筧を愛したいくらいなんだ」 桜庭が小さくお尻を振る。 それだけで、電撃に打たれたような快感が肉棒を走った。 「んっ……う、あっ……」 「ま、待てっ、動かないでくれ」 「筧……その、もっと激しくても大丈夫だから……」 流し目を投げてくる桜庭。 あまりの色香に、頭がくらくらしてくる。 「後生だから、早く……」 桜庭の膣内がうねうねとうごめき、俺を誘ってくる。 ……覚悟を決めるか。 「わかった、それじゃもっと激しくする」 「ああ、来てくれっ……」 望み通りに、桜庭のお尻に勢いよく叩きつける。 「んあぁっ、あんっ……んくっ、ふっ、ううっ、んああぁっ」 「あくっ、んふっ、んっ……ああっ、んはっ、ふうぅっ」 桜庭の最奥までペニスをえぐり込む。 激しく腰を動かし、桜庭の膣内の感触をどん欲にむさぼる。 そのたびに、悲鳴にも似た桜庭の嬌声が響く。 「んはっ、んっ……筧っ、んはっ……強いっ、ふうっ、んんんっ」 「もっと優しくしようか」 桜庭はポニーテールを振り乱しながら首を横に振る。 「平気だっ、もっと、強くしても平気だからっ……」 「わかった」 俺は遠慮なく、自らの望むまま桜庭の膣内へと肉棒を突き入れる。 ぱちゅっと愛液をはじけさせながら桜庭をペニスで貫く。 「んふっ、あくぅっ……あっ、あっあっ、んあっ……いっ、んんっ」 「んはあぁっ、んくっ、ふあぁっ、ひぃんっ、んううっ」 熱くなった膣壁が肉棒を締め付けてくる。 陰茎はびくびくと脈を打ち、今にもはじけてしまいそうだ。 「んくっ、んっ、すごい、気持ちいいっ……んはっ、ダメになるっ……!」 桜庭の嬌声につられ、無我夢中で肉棒をねじり込む。 同時に、桜庭の胸を揉みしだきながら、先端をこねくり回す。 「んあああぁっ、あっ……やっ、ダメぇっ……胸も同時なんてっ」 「くうぅっ、んううっ、感じ過ぎて、変になるっ……!」 桜庭の体がぐっと反り返った。 襲ってくる快楽に、体中をピンクに染めながら目を細める。 「ああっ、んくぅっ、あふっ、んあぁっ……やぁんっ」 「うんんっ、んはっ、くっ、んんっ……あぁん! ふぅん……あくうぅっ」 腰を打ち付けると、桜庭のポニーテールがゆらゆらと揺れる。 開いた口からはよだれの糸が垂れていた。 「はあぁっ……筧、筧ぃっ……んううっ、もう、もうっ……!」 「んっ、筧っ……もう、イってしまうぅっ……!」 体が強ばり、膣内の締め付けが激しくなってくる。 「俺もだっ」 「んああぁっ、あっ……筧、好きだっ……んああぁっ」 「来てくれっ……私の中に、全部っ……!」 桜庭はとろんとした表情で俺を見つめながら懇願してくる。 「でも……!」 「あふっ、ひああぁっ、あっ、んくっ……やっ、ああぁっ」 「んううっ、イクっ……イってしまうっ……!」 「はあああぁっ、ああっ、んああぁっ、んくっ、んうううぅっ」 ぬちゅぬちゅと音をさせながら、桜庭の膣奥まで肉棒を突き入れる。 せり上がってくるほとばしりを堪えながら、ラストスパートをかけた。 「桜庭、俺も……っ」 「んっ、あああっ……来てくれっ、筧っ……はああぁっ、んあああぁっ、んんんんっ!」 「やあっ、あっ……イクっ、イって、んあああぁぁっ、はっ、んふううぅっ、ああああぁぁっ!!」 「あああああああああぁぁぁっ、んはっ、イクうううううううぅぅぅっ!!!」 どくっ、びゅくっ、びゅるっ、びくっ! 腰を引いた途端、肉棒が膣内から抜けた。 「んああぁっ、はっ、はああっ、んはっ……はあっ、んぁっ、はあぁっ……」 「うううっ……」 亀頭の先から大量の精液が吐き出され、桜庭の下半身を汚していく。 「んくっ、はっ……あ、熱い、出てるっ……筧のがたくさんっ……」 「あっ……んんっ、すごい量じゃないか……はあっ、はっ……」 肉棒が脈を打ち、止めどなく白濁が溢れる。 荒れ狂うすさまじい快楽の波に飲まれ、全身の力が抜けていく。 「はあっ、うう……」 乳白色の液体はあちこちに飛び散り、桜庭の内腿やスカートをベタベタにしてしまった。 「んっ……筧、大丈夫か……?」 桜庭が心配そうな顔で俺を見上げてくる。 「ああ、平気だ。気持ちよすぎて死ぬかと思った……」 「私もだ。あまりに気持ちよくて、体中がおかしくなっている」 桜庭の体は、未だ小刻みに震えていた。 「んあっ……バカ、今は刺激するなっ……」 指を動かすと、桜庭の体がびくんと反応する。 「それと左腕を強く掴みすぎだ。ちょっと痛いぞ……」 「あ、悪い」 激しい快楽に力の加減ができなくなっていた。 力を緩めると、桜庭は微笑む。 「桜庭のこと気遣ってやれなかったな」 「いや、筧に激しく求められている感じがしてよかった」 「いつもの筧より野性味があって、少し怖かったがゾクゾクしてしまった」 「そういう性癖?」 「え、いや、そういうことではないと思うんだが……」 自信なさそうに告げる桜庭。 「ちょっと乱暴な方が好きなのか」 「うーん……そうかもしれない」 「いや、いやいや。それでは私が変な人になってしまうではないか」 「そんなことはないぞ、うん」 「自分と恋人に嘘をつくのはよくないな」 「うっ……いや、だが……」 桜庭がエッチだということはよくわかった。 次は……。 ふと、ベッドの端にスポーツタオルがかかっているのを見つける。 「じゃあ、こういうのはどうだ?」 「えっ……?」 俺はスポーツタオルを手に、桜庭の体をベッドに転がす。 「わあぁっ……!?」 手早く桜庭の手をタオルで拘束し、尻を持ち上げる。 桜庭の体はころんと転がり、足を開いてぱっくりと陰部を晒す形になった。 「なっ……筧、どうしてこんなことをっ……」 あられもない格好に、顔を赤くする桜庭。 「かわいいぞ、桜庭」 「そうか……って、ごまかされないぞっ」 「しかも手が……動かせないじゃないか、筧っ……!」 じたばたと手足をばたつかせる桜庭。 だが手は拘束されてほどけず、足を持ち上げようにも俺が押さえているため徒労に終わる。 「どうかな」 「うう……怖い、けど……」 言葉とは裏腹にどことなく嬉しそうにも見えた。 「けど?」 「……」 わかっているくせに聞かないでくれ、という懇願の視線を向けてくる。 どうやら桜庭は本当にこういうのが好きみたいだ。 「うう……こんなのが恋人では嫌か?」 「いいや、最高だ」 「桜庭、本気でかわいいよ」 普段の凛とした姿からは想像もできない桜庭の痴態。 俺だけが知っている、本当の桜庭。 その事実が俺を興奮させる。 「言っておくが、これは筧が相手だからだぞ」 「筧が望んだから付き合ってるんだ」 「じゃあ感じてはいないと」 「うっ……」 赤くなった顔をさらに赤くする。 この体勢では、割れ目から滲んでくる愛液を隠せないのだ。 ……どうしよう、桜庭がかわいすぎる。 そんな桜庭に反応して、俺の陰茎は硬度を取り戻していた。 むしろ、最初の時より固く勃起している。 「……桜庭」 「ああ……大きいぞ」 俺の肉棒をうっとりと見つめる桜庭。 ひくひくと陰唇がうごめく。 それに合わせて、お尻の穴もひくついていた。 ……もっと桜庭をいじめてみたい。 「桜庭、入れてもいいか」 「ああ、筧の好きにしていい」 よし、それじゃ……。 ぴと。 「あっ、えっ……か、筧っ……!?」 桜庭が戸惑いの表情を見せる。 それもそのはず、亀頭は桜庭のお尻の穴にあてがっている。 「筧っ、ち、違うぞ、そこは入れるところじゃないっ……!」 「ここは駄目か?」 「んうぅっ……ば、バカっ、そこは、お尻じゃないかっ……」 「俺の好きにしていいって言ったけど」 「それはそうだがっ……こんなの、間違ってるだろう……」 一応抵抗の素振りを見せるが、真剣に嫌がっている様子はない。 だが…… 「今日は初めてだし、またいつかってことで」 「あ、ああ。そうしてくれ」 「ちょっと、びっくりしたぞ」 「驚かせてすまん」 「じゃあ……」 俺は亀頭を改めて桜庭の割れ目に沈み込ませていった。 ずぶ、つぷぷぷっ…… 「んはぁっ、あくっ……うううっ、あうぅっ!」 桜庭が、足をぴんと伸ばす。 「……桜庭、入ったよ」 俺の陰茎が桜庭の膣に根本まで飲み込まれた。 「さっきと違って、よく見える」 「い、いや……そんなに見ないでくれ……」 そう言いながら、桜庭も結合部を見つめていた。 ゆっくりとペニスを引き抜いていく。 「あっ、んく、くはっ……あふっ、ん、んんっ……」 しかし抜かずに、そのまま奥まで挿入する。 「んぁっ、はあ、はあぁっ……ま、また入ってきた……っ」 ぎゅうっと膣口がすぼまり、凄まじい締め付けが肉棒を襲う。 出し入れはスムーズで引っかかりはない。 中は桜庭の愛液でぬるぬると熱い。 「ううっ、あんっ、ふあぁっ……」 肉棒に突かれ、桜庭の陰唇がヒクヒクとうごめく。 そのまま腰を動かし、桜庭の中を味わう。 「んっ、はっ……ああっ、くぅっ、やっ、ああ……っ!」 「うああっ、んんっ、や、やめてくれ、筧っ……おかしく……やぁっ、くぅんっ……」 きつい締め付けに、じんわりと快感が走る。 「気持ち良すぎる?」 「んんっ、はっ……んあぁっ、あふっ、んんんっ……」 こちらの質問には答えず、顔を背ける桜庭。 桜庭は正直だ。 「んくっ、ふっ、んうぅっ……はぁっ、ふあぁっ」 「ひぃんっ、やっ……んんっ、んあぁっ……や、気持ち、いいっ……!」 漏れる吐息に、再び艶っぽい響きが混ざり始めた。 「あっ、あんっ、うぅんっ……くぁっ、あっ、ああんっ」 「ふうっ、うぅっ……あ、あんっ、うあぁっ、くうぅんっ、んんんっ」 体ごと打ち付けるように、肉棒を桜庭の膣穴にえぐり込む。 そのたびに桜庭は甘い嬌声を漏らした。 肉壁をこすり上げると、桜庭は気持ちよさそうな顔をする。 「んあぁっ……初めてなのに、こんなに感じるなんてっ……」 「くぅ……んっ、私はそんなっ……」 桜庭の一番奥、子宮口を突くようにペニスをねじ込む。 「やっ、そんな奥まで、入れたらっ……ふあぁっ、んんっ、うああぁっ」 「いやぁっ、んんんっ……そんなっ、駄目……っ!」 「んうっ、ふぁっ、はあぁっ、どうして、こんなに気持ちいいんだっ……」 肉壁の奥を刺激され、桜庭は体を仰け反らせる。 俺はピストンしながら、クリトリスを指で愛撫する。 「あああぁっ、んんっ……そ、そこはっ、んはぁっ、はああぁっ」 「んうぅっ、んっ、気持ちよすぎるっ……我慢、できないぃっ……!」 桜庭の声のトーンが跳ね上がった。 びくん、びくんと桜庭の足が痙攣し、膣壁が激しく収縮を繰り返す。 陰茎の根本を締め上げられ、射精感がこみ上げてくる。 「桜庭っ……」 「んあぁっ、はあっ、んあぁっ、また、イク、イってしまうっ……」 ぎゅうっと桜庭の肉襞が絞ってくる。 根本から蕩けてしまいそうなほどの快楽がペニスに走った。 「はあぁっ、んんっ、筧、筧っ……んはっ、くふっ、ひぃんっ、んううぅっ」 「あっ、んんっ、もう、もうっ……また、イっちゃうっ……!」 「俺もだ……!」 先っぽまでこみ上げてきた精液をこらえながら、桜庭の中へ突き込む。 「んあああぁぁっ、ああっ……ふああああぁぁぁっ!」 「ひあぁっ、んんんっ、あんんっ、イクっ、んくうぅっ、んはああああああぁぁぁっ!!!」 どくっ、びゅっ、びゅるっ……! 「うああっ……」 我慢に我慢を重ねた熱い塊が、桜庭の子宮へと吐き出される。 「はううっ、んうっ、はあっ、んああぁっ、はっ、んあぁっ……」 「やっ、んんっ、熱い、お腹の奥が、熱いっ……んううぅっ」 桜庭も同時に絶頂へと達した。 体を大きく痙攣させ、恍惚とした表情を浮かべる。 「んんっ、んはっ、はあぁっ、はっ……はあっ、はあっ……」 陰茎が脈を打ち、最後の一絞りまで桜庭の中へ白濁を流し込む。 「んあぁ、はあっ……んあぁ……」 桜庭の膣口がきゅうきゅうと締め付け、おねだりをするように肉棒を絞ってくる。 耐えがたいほどの快楽に、頭が真っ白になる。 たまらず桜庭の膣内から肉棒を引き抜いた。 「あっ……はぁん……」 桜庭が切なげなため息を漏らす。 上気した顔で、名残惜しそうにペニスを見つめていた。 「どうだった?」 「うう……筧が中で出したから、お腹が熱い……」 そういえば、勢い余ってそのまま中で出してしまった。 「大丈夫か?」 「ん……多分、平気だとは思うが……」 桜庭の陰唇がひくひくと動く。 ……とろっ 「あっ……ま、待て、ちょっとっ……」 桜庭が少しいきんだ途端、膣口から、愛液と精液が混じった液体が垂れていた。 とろっ 「いやあっ、うううっ……と、止まらないっ……」 「筧っ、見るな……!」 桜庭は羞恥で顔を真っ赤に染める。 必死になってこらえるが、精液はとどまることなく流れ出てくる。 俺はタオルを持ってきて、桜庭の秘部を拭いた。 「か、筧……何を……?」 「綺麗にしてあげようと思って」 自分が出した精液とともに、桜庭の愛液も綺麗に拭き取っていく。 「それくらい自分でできるから……」 「いや、やらせてくれ。俺のせいでもあるんだ」 桜庭の陰唇の奥まで指を潜り込ませ、優しくソフトにぬぐい取る。 「んっ……やっ、筧、そこはあまりいじらないでくれっ……」 「また気持ちよくなってしまうっ」 桜庭がぱたぱたと足をばたつかせる。 「どうした?」 「ううう、二度もイかされてしまうし、こんな風にお世話までされて……」 「こんなの、もうお嫁に行けないぞ……どうしてくれるんだっ……」 瞳を潤ませながら睨んでくる桜庭。 「大丈夫だよ、俺がお嫁にもらうから」 「……ぐす、本当か?」 「今日の桜庭、最高にかわいかった」 俺の言葉に、桜庭の表情が和らぐ。 「……筧さえ好きでいてくれるなら、それでいいか」 「愛してるよ」 「私もだ、筧」 「でも、こんな風に激しいのはもう少し慣れてからにしてくれ」 ……慣れたらいいのか。 でも、確かに初めてにしては少しやり過ぎたかもしれない。 「ごめんな、桜庭」 「いや、いいんだ」 「筧、ありがとう。すごく気持ちよかった」 桜庭は柔らかく微笑む。 結局、桜庭は最後まで俺のなすがままにさせてくれた。 今度する時はもっと優しくしてあげよう。 「んっ……」 目映い光が差し込み、目が覚めた。 寝ぼけまなこをこすりつつ、体を起こす。 「起きたか。おはよう、筧」 どこからか桜庭の声が聞こえる。 「眠い……」 「そうだな、私も眠い」 「でも、そろそろ起きて朝ご飯を食べる時間だ」 そうか……もうそんな時間か。 一応時計を見てみる。 ……6時半。 「早くないか?」 見ると、桜庭はキッチンで朝ご飯を作っていた。 「そうか? 私はいつもこの時間に起きているが」 「健全すぎる」 さすが桜庭だ。 「ふふ、もうすぐ朝ご飯ができるから顔を洗ってくるといい」 「ああ」 優しい声に見送られ、洗面所へ向かう。 こういう朝もいいものだ。 何ともくすぐったい気分になる。 冷たい水で顔を洗い、さっぱりした。 「悪いな、朝食作らせちゃって」 「気にしないでくれ。これくらいはしないと気が済まない」 エプロン姿の桜庭が振り返る。 「あれ? そのエプロンは?」 「ああ、これは自宅から持ってきた」 「そっか。用意がいいな」 どうやら、最初から朝食まで作るつもりだったらしい。 「筧と一緒に朝ご飯を食べるのが夢だったんだ」 「夢?」 「ああ、夢だ」 「同じテーブルについて、同じ朝ご飯を食べながら一緒にテレビを見たりする」 「特別な会話は何も必要ない」 「大好きな人と朝の時間を過ごすことが夢だった」 桜庭が俺との時間を大切に思ってくれている。 それだけで、じんわりと胸が温かくなってくる。 「なあ、筧」 「ん?」 「生徒会が始まれば、今まで以上に忙しくなる」 「二人の時間はなかなか作れなくなるかもしれない」 生徒会長になった白崎を、俺たちは助けていく。 そこは変わらない。 「大丈夫、みんなで頑張っていこう」 「もちろんだ」 桜庭が微笑む。 「それで、ものは相談だが、またここに泊まりに来てもいいか?」 「私の家に帰るよりは、通学時間が短縮できるから」 無理矢理だな。 思わず苦笑いしたくなる。 「散らかってるけど、どんどん泊まりに来てくれよ」 「ふふ、よかった」 桜庭は満面の笑みを浮かべる。 これからも桜庭と一緒に生きていける。 穏やかな笑顔を見て、俺はその確信を新たにした。 選挙から一夜明け、本を片手にまったりとした時間を過ごしていた。 何の憂いもなく本が読めるのはどれくらいぶりだろうか。 ああ、落ち着くなぁ。 こういう時に限ってメールだ。 誰だろう? 『お話がしたいので、お暇でしたら音楽棟で会えませんか?』 差出人は御園か。 何となくそんな気はしていた。 羊飼いになると決心した夜のことは、俺の中で終わっていない。 恋愛どうのを置いておいても、きちんとお礼をしないと。 「こんにちは、筧さん」 「あれ、芹沢さん?」 「すみません、お呼びだてして」 待ち合わせ場所に出向くと、御園と一緒に芹沢さんがいた。 「どうして芹沢さんがここに?」 「通りすがりです」 「私は傍観者ですので、お二人でじっくりと話し合っていただければ」 「……水結」 芹沢さんを下の名前で呼んだ。 随分親しくなったらしい。 「で、御園、俺に用事って?」 「ええと……」 御園が黙り込む。 ほんのりと頬が赤く火照っているように見える。 「千莉、約束でしょ」 「あ、うん……」 二人の間には、何やら打ち合わせがあったらしい。 御園が躊躇いがちに俺を見る。 「よかったら、声楽の練習を手伝っていただけませんか?」 「俺が? 歌のことなんか全然わからないけど」 「わかってます」 「私がサボらないように監視してくれればいいんです」 「ああ、なるほど」 人に見られてた方が集中できるって人はいるしな。 「でも、俺じゃなくて音楽科の人とかの方がいいんじゃないの?」 「専門的なアドバイスもできるだろうし」 「この子、筧さんがいいらしいですよ」 「むしろ筧さんじゃないと駄目みたいな?」 「……水結」 「ひゃー、こわっ♪」 芹沢さんが大袈裟に身をすくめる。 直々の指名は光栄だ。 なんか裏があるっぽいが、御園に悪意があろうはずもない。 それに、御園には伝えなくちゃいけないこともある。 ここは乗ってみよう。 「ほんとに監視してるだけでいいんだな?」 「はいはい、それはもう」 「よし、俺で良けりゃいくらでも手伝うよ」 「ありがとうございます」 「では筧さん、千莉をよろしくお願いしますね」 「ああ、了解」 ぺこぺこ頭を下げてから、芹沢さんはご機嫌で立ち去った。 「芹沢さんと親しくなったんだな」 「ええ、まあ」 二人の間に何らかの関係があることはわかっていた。 今まで詳しいことは聞いてこなかったが、興味はある。 「汐美祭の辺りから親しくなった感じがしてたけど、何かあった?」 「さすがに目ざといですね」 「悪いな下品な性分で」 「ふふ、いいですよ別に」 穏やかに笑ってから、御園が経緯を話してくれた。 何でも、芹沢さんに参加型謎解きゲームの声を引き受けてもらうために、御園はある条件を飲んだらしい。 それが『声楽と授業を真面目に受けること』だった。 なぜ芹沢さんが御園のことを案じているのか、御園は教えてくれない。 ただ、二人の間に、短期間では作れない繋がりがあることは口ぶりから察せられた。 「なるほどね、それで練習する気になったのか」 「ええ。水結は汐美祭でそれだけの仕事をしてくれましたから」 確かに、芹沢さん演じる幽霊は鬼気迫るものがあった。 大の大人でも思わず無言になるくらいだ。 「芹沢さん、これからどんどん売れてくんじゃないかな」 「だといいですけど」 素っ気なく言い、御園は芹沢さんが消えていった方角を見る。 無関心にも聞こえる言葉は、俺と高峰のやりとりのように、友人だからこそのものに聞こえた。 「で、練習はいつから?」 「あ、ええと……今日、これからです」 「時間、大丈夫ですか?」 こっちの表情を窺うように言う。 「もちろん」 「では、よろしくお願いします」 大きなレバーのついた扉を閉めると、外の喧噪は聞こえなくなった。 今日はもともと自主練習を行う予定だったので、音楽室を借りておいたのだという。 「音楽室ってこうなってるのか」 「初めてですか?」 「ああ、外の音が全然聞こえないんだな」 壁や天井も普通の部屋とは材質が違う。 壁をコツコツ叩いている俺を、御園がもの言いたげに見ていた。 「あの、先輩?」 「ん?」 「……あ、いえ」 珍しく御園が言葉を濁す。 「すみません、迷惑でしたよね」 「全然」 「御園と話したいこともあったし、かえって良かった」 「私とですか?」 「前、うちに来てくれたときのお礼を言ってなかったろ」 「別に、大したことじゃありませんから」 「そっか? 俺は、御園が来てくれて本当に嬉しかった」 「違うな……すごく救われたよ」 御園がうつむきがちに視線を逸らす。 「……私は、難しいことはわかりません」 「ただ、筧さんがどこかへ行ってしまう気がしたから、それで」 理屈なんていらない。 あの時、あのタイミングで御園が駆けつけてくれた。 それだけで十分だ。 「ありがとな、御園」 「あの後、少し風邪をひきました」 御園が唐突に言う。 「え?」 あの夜、御園は雨に打たれていた。 そのせいで風邪を引いたのだ。 「声が命なのに、喉が痛かったんです」 「レッスンもすっぽかしました」 「どう責任を取ってくれるんですか?」 言葉を重ねるごとに御園は笑顔になる。 本気で俺を責めているわけじゃない。 「じゃあ、お詫びに一つ恥ずかしいことを言うってことでどう?」 「いいですね。期待してますよ、センパイ」 いたずらっぽく笑う御園。 御園は俺に大切なことを教えてくれた。 自分が人の中で生きているということ── こんな自分でも誰かの胸の中に住んでいるということを、心の底からわからせてくれた。 俺のやろうとしたことは、一見かっこよかったかもしれない。 でも、それだけだ。 自分を大事にしないことは、俺を大事に思ってくれている人を裏切ることでもある。 そんなことがわかっていなかったのだ。 「御園のことが好きなんだ」 「俺と付き合ってもらえないか?」 御園が小さく息を飲むのが聞こえた。 自分の心臓が高鳴っている。 「……」 御園がうなずいた。 周囲の音が聞こえなくなったのは、防音室にいるからではない。 喜びが身体を満たしたからだ。 「いいのか?」 「はい……」 御園の顔が赤く染まっていく。 「ありがとう」 安堵と喜びを表す言葉が思い当たらず、それだけを口にする。 「いえ……」 御園の瞳には、恥ずかしさと戸惑いが同居していた。 「私が先輩の彼女ですか……少し変な感じです」 「そう言われるとショックだな」 冗談めかして応じる。 「絶対、他の人と付き合うんだと思ってました」 「私、けっこう面倒臭いですけど大丈夫ですか?」 「もちろん」 「御園が好きだから告白したんだ」 「なるほど」 御園の口元がほころんだ。 「よろしくな」 そんな御園の頭に、そっと手を乗せた。 「……先輩」 「なんだ?」 御園が、俺の制服の裾をそっと握った。 「勝手にいなくなったら困ります」 「いなくならないよ」 「絶対に?」 「ああ」 御園が身を寄せてきた。 数秒戸惑ってから腕を回し、優しく抱き留める。 「浮気とかしたら刺すかもしれません。注意して下さい」 「気をつける」 「ここは、浮気なんて絶対しないって言うところですよ、センパイ」 御園が俺の胸に額を当てた。 体温が感じられる。 きっと御園も俺を感じてくれているだろう。 羊飼いになっていたら、こうして触れ合うことの意味を失っていた。 「先輩、大好きです」 蜜のように甘い声がした。 初めて聞く声に、愛おしさがこみ上げる。 「俺もだ」 「はい」 子猫のような声を聞きながら、しばらく御園の体温を味わう。 緊張がほどけ、時間の感覚がなくなってくる。 「ずっとこうしていたいですけど、練習しないといけませんね」 「だな」 すっと身を離す。 寒い朝、誰かに布団をはがされたような気分だ。 「続きはまた今度」 「今度っていつ?」 「絡まないで下さいよ、今度は今度です」 御園が微笑む。 「そしたら、明日か明後日、時間作ってデートしよう」 「初デートですね? 喜んで」 「では、デートをご褒美に、今日は練習頑張ります」 「先輩は、私がサボらないように監視してて下さい」 そう言って、御園は鞄から譜面を出す。 「サボったらデートはナシな」 「厳しいですね」 「でも、デートがなくなって損するのはどっちでしょうね、センパイ」 いたずらっぽく笑って、御園が譜面台に向かう。 考えてみれば、御園の練習を聞くのは初めてだ。 こうして、少しずつ彼女のことを知っていこう。 祝日の月曜日。 俺は御園との待ち合わせの場所にいた。 「よう」 「筧先輩、遅刻です」 「え?」 時計を確認するが、まだ9時50分だ。 「まだ10分あるけど」 「冗談ですよ」 「でも待ったのは事実です」 「御園はいつ来たの?」 「9時45分です」 5分差じゃねーか。 何にせよ、御園を待たせちゃいけないってことか。 「じゃあ、今度から15分前に来るよ」 「そしたら、私は20分前に来ますね」 「意地でも俺を遅刻させるつもりか」 「ふふふ、これも冗談です」 くすくすと笑う御園。 どうやらご機嫌らしいな。 緊張してるかと思ったけど、これならリラックスしてデートできそうだ。 「待ち遠しかったです、先輩」 「ああ、俺もだよ」 目を細める御園が、本当に可愛く見えた。 一瞬躊躇した後、御園の手を取ってみる。 「あっ……」 わずかに体を震わせる。 「手、繋ぐのは嫌?」 「いえ……嬉しいです」 顔を赤くしながら、きゅっとこちらの手を握り返してくれた。 「よし、じゃあ行こう」 「はい」 俺は御園の手を引き、目的地へと歩きだす。 商店街近くのショッピングモールへやってきた。 「けっこう人がいますね」 「祝日だからか」 混雑の中、御園との距離がぎゅっと縮まる。 腕が触れ合い、胸が高鳴る。 「御園は、どっか見たいところある?」 「そうですね……」 「せっかくですから、初デートの記念になるものを買いませんか」 「お揃いのアクセサリーとか?」 「はい、いつも持ち歩けるものがいいですね」 「俺が持ち歩くって言ったら、財布、携帯……あとは本くらいか」 「携帯のストラップはどうですか?」 「ああ、そっか」 俺はストラップをつけていなかった。 これを機に買ってみるか。 「よし、それでいこう」 2人でショッピングモールを歩く。 通路の両側には、アパレルショップや雑貨屋が立ち並んでいる。 行き交う客は女性ばかりだ。 「女の子ばっかりだな。俺、浮いてないか」 「こういうところには、あまり来ないんですね」 「今までデートとかしたことないんですか?」 「御園が初めてだ」 「よかったです」 「浮気の心配がなくて安心?」 「どうでしょうか」 御園が楽しそうに笑う。 と、携帯のアクセサリーショップに差しかかった。 通路に面した棚には、大量のストラップがかかっている。 「お、ここはストラップが売ってるな」 「見てみましょう」 2人でストラップを見ていく。 「どういうデザインがいい?」 「かわいい感じですね」 かわいい感じ、と。 いくつか見繕う。 「これはどう?」 パステルカラーのビーズで作られた、いかにもカワイイ系のストラップを見せる。 「私はいいですけど、先輩がこれだと浮きませんか?」 「……ああそっか、お揃いだったな」 御園はいいとしても、俺がミスマッチか。 高峰にからかわれる未来が見える。 俺がつけても大丈夫そうなものとなると……。 「これは?」 黒とシルバーのシックなものを選ぶ。 「私には少しクール過ぎます」 「だよな。なかなか難しいな」 「先輩は格好いい感じが好きなんですか?」 「特に好みはないけど……」 「良かったら、御園が選んでくれないか」 「ではこれで」 御園の手が、巨大な虎の尻尾みたいなストラップに伸びる。 ストラップの方が携帯の何倍も大きい。 「いや、良識の範囲内で……」 「やっぱり好みあるんじゃないですか」 そう言いつつ、御園は並んだストラップに視線を巡らせる。 「……あっ」 「これを見てください」 小さな猫のフィギュアがついたストラップだった。 招き猫みたいなデザインで、男が持っていてもそこまで違和感はない。 「へえ、いいな」 「色違いで種類があるみたいです」 「これなんて、ギザ様にそっくりじゃないですか?」 毛色や色の付き方はデブ猫そのままだった。 「あいつにしちゃ、スリムだな」 「ギザ様が痩せてたらこんな感じなんでしょうね」 気に入った顔をしている。 「御園は、ほんとギザが大好きだな」 「先輩が嫌なら他のにします」 「いや、それでいい。かわいいじゃないか」 「嫉妬しませんか?」 「しないって」 「……私、これにします」 記念グッズが決まった。 男のプライドで、ここは俺が払うことにする。 イタリアン風のファミレスで昼食を済ませ、ショッピングモールを出た。 「何時だろ?」 携帯で時間を確認する。 「えっと、3時過ぎですね」 御園も携帯を取り出していた。 俺たちの携帯には、お揃いのストラップが揺れている。 「お揃いです」 ただこれだけのことで、恋人同士だという実感が強くなる。 「これからどうする?」 「先輩は、まだ時間ありますか?」 「もちろん、今日は1日空けてる」 初デートの後ろに予定を入れる奴なんていない。 「行きたいところがあるんです」 「どこ?」 「秘密の場所です」 そりゃ興味深い。 「じゃ、早速行ってみよう」 御園の手を取ると、しっかりと握り返してくれた。 思いを確かめるように、繋がれた手を互いに見つめる。 「ふふ」 「楽しめてる?」 「多少は」 少し生意気な返事が心地よい。 「さ、あっちですよ」 並木道を通って運動場のあたりを抜け、学園の外れまで来ると池のほとりに出た。 「到着です」 御園が嬉しそうに微笑む。 池があることは知っていたが、ほとんど来たことがない。 こうしてみると、なかなか風情があるところだ。 「ここが秘密の場所?」 「たまに、ここで歌の練習していたんです」 「朝はほとんど人が通らないですし、一人で練習するにはちょうどよかったので」 「音楽室とか借りられなかったのか」 「他の生徒のやっかみがあったり、先生の指導方針に納得がいかなかったり……色々あったんです」 「今はもう気にしていませんけど」 御園が淡々と言う。 ……選挙戦の裏で、御園には御園なりの戦いがあったのか。 決して、授業が面倒だからサボっていたのではないのだ。 「御園は、超不真面目生徒だと思ってたよ」 冗談めかして言う。 「結果だけ見れば不真面目だと思います」 「でも、先輩のお陰で少し真面目になりました」 「芹沢さんのお陰じゃなくて?」 「もちろん、水結のお陰でもあります」 「でも、先輩のことを好きになったから前向きになれたんです」 「先輩がいなかったら、水結にも素直にはなれなかったと思います」 「そっか。力になれて良かった」 実際には俺が何をしたわけでもない。 だが、間接的にでも御園を助けられたなら十分に嬉しいことだ。 「私にとっては、先輩が羊飼いです」 御園が微笑む。 今の俺には、なんともくすぐったい言葉だった。 「俺には、願いを叶える魔法なんて使えないよ」 「できるのは、傍にいることくらいだ」 「それが最高の魔法です」 御園が手を握ってきた。 「今日の先輩は、キレがいいですね」 「御園から合格点をもらえるとは」 「ふふふ」 びゅう、と池の方から冷たい風が吹いてきた。 数日前まで暑いと思っていたのに、いつの間にか涼しさを感じるようになった。 「ようやく涼しくなってきたな」 「少し寒いくらいです」 御園が身体を震わせる。 薄着すぎるんだろうな。 「……少し待ってて」 「え、あの……どこに行くんですか?」 「すぐ戻ってくるからっ」 俺は御園を残して走りだす。 「はい、お待たせ」 自販機で買った温かいお茶を御園に渡す。 「ありがとうございます、先輩」 小ペットボトルのキャップを開け、くいっとお茶を飲む。 「はあぁ……生き返りますね」 「寒くなってきたみたいだし、飲みながら帰ろうか」 「……」 しかし御園は動かない。 「ん? どうした?」 「まだ……帰りたくないです」 「でも寒いし」 「大丈夫ですよ」 そう言った傍から、風に耐えるように身を縮める。 無理をしているのが丸わかりだ。 「頑張りすぎだって」 「あっ……」 御園をコートの中に入れた。 「これなら寒くない?」 「……温かいです」 「でも、恥ずかしい……」 御園が顔を赤くしてうつむく。 だが、この時間、周囲に人は少ない。 「大丈夫、ほとんど人いないだろ」 「先輩……」 「ん?」 「……どうして私なんですか?」 どうして自分を選んだのか、ということか。 「難しい質問だ」 「難しいですか」 「逆に聞くけど、御園はどうして俺なんだ」 「他の奴じゃ駄目なのか?」 「駄目です」 即答だった。 「でも、どうして筧先輩なのかと聞かれても答えられません」 「気付いたら……好きになってましたから」 「俺もそうだよ」 一緒にいるうちに好きになっていた。 「でもな、好きになったのはいつの間にかだけど、付き合うのには理由があるんだ」 「……あの時、私が引き留めたからですか?」 うなずく。 「でも、そうだとしたら……」 「もしあの時、他の人が引き留めに来たら、先輩はその人のことを好きになってたかもしれません」 「実際に来てくれたのは御園だよ。それだけが事実だから」 厳密には、今までの全ての経緯が、俺が御園と付き合う理由だ。 今に連なる全ての出来事が一つでも違っていたら、俺はこうなっていなかった。 人によっては運命とも、ただの偶然だとも言うだろう。 「御園的に、こういう理由はNGか?」 「……駄目じゃないですよ」 「先輩と、恋人になれて嬉しいです」 俺を見上げる御園の顔が紅潮している。 互いの吐息がかかるほどの距離で見つめ合う。 あと少し顔を近づけるだけで、俺たちは……。 「先輩……」 御園が目を閉じる。 「んっ……ふっ……」 御園の体を抱きしめながら、その唇に自らの唇を合わせた。 「んんっ……ん……っ」 御園の温かな唇の感触に、全身が蕩けてしまいそうになる。 軽くキスするだけにしようと思っていたのに、離すことができない。 「んっ……んくっ、んっ……ちゅっ、んうっ……」 キスの抗いがたい魅力に取り憑かれ、御園の唇を吸い続ける。 御園も決して口を離そうとしない。 黙って俺の求めるままに受け入れてくれていた。 「はっ……んふっ、筧、先輩っ……ん……っ、好き、ですっ……ちゅっ……」 もしこれを誰かが見ていたら、なんて考えが頭をよぎる。 しかし、やめる気にはなれなかった。 「あっ、先輩、先輩っ……んちゅっ、んっ……んふっ……」 互いの唾液でしっとりと濡れた唇を吸い合う。 ただ口を合わせているだけなのに、理性が吹っ飛ぶほどの快楽が走る。 「ちゅっ、んくっ……ぷはっ……はあっ、はあ……」 「先輩……どうでしたか?」 「すごく、幸せな気分になったよ」 「私もです」 「キスってすごいですね……」 御園は俺の首筋に顔を寄せ、甘えてくる。 「もっとしたいです」 「俺も」 「ふふ、嬉しいです」 「また……してくださいね」 御園は俺の腕の中で、嬉しそうに微笑んだ。 御園とのデートから、3日が過ぎた。 「……ということで、明日はよろしく頼む」 部室に集まる図書部一同。 いよいよ明日から生徒会としての活動が本格的に始まる。 「この部屋を使うのもこれで最後か」 「そう考えると寂しいですね」 「別に使えなくなるわけじゃないんだから、またみんなで集まろうよ」 「その暇があるといいんだが」 「玉藻ちゃん、暇は作るものだよ」 「ああ、わかっている。落ち着いたらまたみんなでまったりしに来よう」 「それじゃ今からみんなでまったりタイム、っていうのはどうですか?」 「おお、いいね」 「……」 佳奈すけの発案に、御園が微妙な顔をする。 「……ん? どしたの千莉」 「悪いけど、私はこれから用事があるから」 「あ、そうなんだ」 御園は、ちらっと俺の方に視線を送ってくる。 今日はこれから音楽室で自主練習だ。 俺はその監督……という名目で御園と一緒にいる予定だった。 だが、2人で抜けたらバレバレだろう。 「千莉、なんで筧さんとアイコンタクト取ってるの?」 「……別に」 「ふっ、見えたぞ」 「筧、みんなに報告するべきことがあるんじゃないか?」 「え? あっ……あーはいはい、そっか、そういうことなんだぁ」 白崎が嬉しそうに笑う。 「ちょっと千莉、そういうことなの?」 「……」 御園はむっつりと黙り込んで視線を逸らす。 まあ、こうなったら仕方ないか。 「あー……その、なんだ」 「みんな、静粛に」 「筧が重大発表をするぞ」 「よ、待ってました!」 「そうやってハードル上げるのやめてほしいんだが」 「わくわく」 「筧さん、スタンダップです」 うるさいぞ、佳奈すけ。 「御園、みんなに話してもいいか?」 「……先輩にお任せします」 顔を赤くしてうつむいてしまう御園。 期待の篭もったみんなの視線を浴びながら立ち上がる。 「えー、このたび俺と御園は付き合うことになりました」 「黙っててすまない。みんな、よろしく頼む」 「わ〜っ、おめでとうございますっ」 「筧、御園、おめでとう」 「よかったね、千莉ちゃんっ」 「……ありがとうございます」 みんなにやんややんやと囃し立てられ、御園はさらに顔を赤くした。 「えー、それでは筧さん、今後の抱負をお聞かせください」 「二人で仲良くやっていきたいです」 「いま二人でやってみたいことはあるか?」 「一緒にいられればそれで幸せです」 「結婚はいつするの?」 「いや、それはまだ考えてません」 「筧さん、子供は何人くらい作る予定ですか?」 「先の話すぎるわっ」 何なんだ、この芸能人の記者会見みたいなノリは。 「とにかくおめでとう、筧くん、千莉ちゃん」 「みんなで祝福するよ」 「……白崎先輩」 「筧、羽目を外しすぎないようにな」 「そうだぞ千莉ー」 「余計なお節介だから」 「ま、筧にも人並みの甲斐性があってよかったよかった」 「余計なお世話だ」 まったく、揃いも揃って本当にお節介なやつらだ。 何とか部室を抜け出し、音楽室にやってきた。 「はあ……」 「……疲れたな」 「はい」 みんなの狂騒に付き合わされたせいか、歌の練習という雰囲気ではなかった。 「今日の練習はどうする?」 「やりますよ」 「でも……もう少しだけ休ませてください」 「そうしよう」 二人で椅子に座り、ぼうっと天井を見上げる。 「みんな、喜んでくれてたな」 「……よかったです」 ほっと息を吐く御園。 「明日からは忙しくなるけど、練習はどうするんだ?」 「練習は当分できる範囲にして、生徒会の仕事に慣れてきたらどうするか考えます」 「ああ、それがいいと思う」 「生徒会が始まったら、もうこんな風に先輩と練習できないかもしれません」 「何とか工面するよ」 「でも、筧先輩はみんなが頼りにしてます」 「私のわがままで独り占めにするわけにはいきません」 「練習なんて、本当は一人でもできますから」 そう言って寂しそうに微笑む御園。 「それなら、俺がわがままを言う」 「俺は御園と一緒にいたい。これからも一緒に練習するぞ」 「先輩……」 互いに見つめ合う。 「御園、好きだ」 「……私もです、センパイ」 御園に近づき、唇を合わせる。 「んっ……んふっ、あっ……」 「あ、くっ……んっ、ちゅっ……んふっ……」 潤った御園の唇の感触が伝わってきた。 御園が俺の首に腕を回して抱きついてくる。 「んんっ……センパイっ、んっ、うぅっ……んく、ふぁっ……」 「んちゅっ、んっ……はっ、んくっ、んっ……あんっ……」 顔を斜めにして唇を密着させてくる。 甘く、蕩けてしまいそうなキスだった。 「くふっ、ちゅっ……んふっ、ふぅんっ……んっ、うんっ……」 「んはぁっ……んっ……はあぁっ……」 御園は熱っぽい顔でじっと俺を見つめてくる。 腕は首に絡みついたままで、俺を離そうとはしない。 「先輩……」 「ん?」 「ここ、防音が効いているんです」 「だから……中で何をしても外には聞こえません」 「御園、まさか……」 「センパイ……羽目を、外してみませんか?」 ……この状況で、それはアウトだ。 抗えるわけがない。 「駄目ですか?」 「まさか。全然OKだ」 御園の体をさらに近くへ引き寄せる。 「あっ……先輩……」 もっと御園を感じたい。 ブレザーの中に手を入れて、御園の体を抱きしめる。 ベスト越しに、御園の柔らかい体の感触と体温が伝わってきた。 「んっ……」 御園の顔が数センチに迫る。 恥ずかしいのか、御園は顔を背けてしまった。 「御園」 「……はい」 呼びかけると顔を上げる。 間近に迫った唇に、俺は再び口づけした。 「んっ……んふっ、はっ……んんっ……」 「んくっ……んっ、ちゅっ……」 体を密着させ、御園の唇を吸う。 「はっ……んんっ、ちゅっ……んっ……」 「んむっ、んっ……はっ……あんっ……」 応じるように、御園も俺のブレザーの中に手を入れてくる。 そのまま背中まで手を回して、抱きしめるようにそっと力を入れてきた。 「んくっ……んちゅっ、んっ……んふっ、ん……っ」 「はっ、んむっ……んぅっ、ちゅっ……んっ、ふぁっ……」 「先輩……好きですよ」 口を離し、甘く蕩けてしまいそうな声で囁く御園。 「俺も好きだ」 「先輩のキス、すごく気持ちいいです」 「体がふわふわして……おかしくなりそうです」 「もっとおかしくなってもいい」 「先輩のエッチ」 「御園がこんなに魅力的なのが悪いんだ」 「私が悪女みたいな言い方ですね」 「違うか?」 「先輩限定なら、違いません」 そう言うと、今度は御園の方からキスをしてきた。 「んんっ……はっ、んふっ……ちゅっ……」 「んむ、んっ……んふっ、ちゅっ……ふっ、ん……っ」 下から突き上げるようにして、情熱的なキスをしてくる御園。 と、ちろっと御園の舌が俺の唇を舐めてくる。 「んちゅっ、んふっ、はっ……ん……ちゅぱっ」 「んっ、ふぁっ……んむっ、ちゅくっ……んぅ……ちゅっ」 御園の舌が俺の口内に侵入してきた。 俺が舌で迎えると、まるで自分の中に誘い込むかのようにチロチロと舌を絡ませてきた。 誘いに応じて、今度はこちらが御園の中に舌を差し込む。 「んううっ、んく、んっ……はふっ、んちゅっ、はぁっ」 「ちゅぱっ……んふっ、ん……んふぅ……っ」 舌を入れると、御園は唇をすぼめて吸い付いてくる。 それだけで全身に痺れるような快感が走った。 「んふっ、ん……ちゅぷっ、んちゅっ……ちゅっ、んん……」 「はっ、んく、ちゅっ……ぷはぁっ……」 「御園……」 興奮で頭がくらくらしてくる。 今すぐ御園を裸にして抱きしめたい、そんな衝動に駆られる。 ブラウスのボタンに手をかけ、一つずつ外していく。 「んぅっ……あっ……」 ブラウスをはだけさせ、ブラジャーをずり上げる。 ぷるんと、小ぶりだが形のいい乳房が露わになった。 「あぁ……」 御園は熱い吐息を漏らし、じっと俺を見つめている。 「……怖いか?」 「少し怖いです」 「でも……筧先輩のこと、信じてますから」 御園のその言葉で、少しだけ冷静になることができた。 「優しくするよ」 「先輩の好きにしていいです」 「御園にそう言われると、理性を試されているみたいで怖いな」 「試してみていいですか?」 小悪魔みたいなことを言い出した。 「お手柔らかに頼む」 「こっちは御園のこんな姿を見てるだけで、理性が吹っ飛びそうなんだ」 「ケダモノみたいな先輩、ちょっと見てみたいです」 「そんなこと言ってると本当に……」 「ふふふ、怖いですね」 御園はクスクスと笑う。 緊張している素振りは感じられなかった。 「胸、触るよ」 「はい、どうぞ」 了解を得て、御園のふっくらとした乳房にそっと手のひらを乗せる。 「あっ……」 ぴたっと吸い付くように御園の胸が手の内に収まる。 乳首は人差し指と中指の間に挟まった。 「んんっ……すごいです」 「先輩に触られたら、体中が痺れました」 その言葉を裏付けるように、ちょっと胸を揉んだだけで御園は体をびくんと強ばらせた。 「はっ……んんっ、ふぁっ……んぅっ……」 「やっ、だめっ……そんな優しく、しないでくださいっ……」 「激しい方がいい?」 「いえ……その……」 御園は困り顔で視線をさまよわせる。 ほとんど手を動かしていないにも関わらず、既に気持ちいいらしい。 「敏感なんだ」 「……よくわかりません」 「それより、先輩は満足してますか……?」 「満足?」 「私って白崎先輩みたいに大きくないですし、大丈夫かなって不安だったんです」 「先輩が……満足してくれるか」 なるほど、そういうことか。 「俺にとって大事なのは俺の恋人が御園だってことだ」 「胸が大きいか小さいかなんてどうでもいい」 「んっ……よかったです」 「先輩が大きい胸の好きな人じゃなくて」 「この胸、いいサイズだと思う」 「ほら、こんなにぴったりだ」 大きすぎず小さすぎず、ちょうど手の内に収まる。 その柔らかさを確かめるように、ゆっくりと揉みしだく。 「あんっ……んっ、ふぁっ……んくっ……」 「んっ、あっ……センパイっ……」 御園が目を細め、可愛らしい声を上げる。 「御園……」 「あ……センパイ……」 俺は御園の胸に顔を近づけ、そっと乳首を口に含む。 「ふぁっ、ひゃんっ……んうっ、く、くすぐったいっ……」 「ひぅんっ、んくっ、あっ……あぁっ、んっ、んうぅっ……」 唇で乳首の周りを撫でるようにしながら、舌先で乳首を刺激する。 同時にもう片方の乳房を手で優しく揉みほぐす。 「はっ、んううっ、んっ……んはぁっ、はっ、くぅんっ、んんっ……」 「やっ、センパイっ……んうっ、んくっ……ふあぁっ……」 御園がびくびくと体を震わせる。 感じているのだろうか。 気にせず、御園の乳首を吸う。 「んふっ……センパイ、赤ちゃんみたいですよっ……んぁっ……」 「んあぁっ、んっ、気持ち、いいっ……んくっ、んはっ……」 御園の体からはフローラルな香りが漂い、それが実に心地がいい。 いつまでも御園の体に吸い付いていたくなる。 「んくっ、ふっ……はぁっ、んっ、先輩っ……うんんっ……」 「あの、んっ……胸ばっかりじゃなくて、そのっ……」 御園が切なげに喘ぎながら、懇願の視線を投げかけてくる。 「あっ……やだ、見ないでください……」 胸から口を離すと、御園はもじもじとして股間を隠そうとする。 秘部を覆っているパンツがしっとりと濡れていた。 「気持ちよかった?」 「……」 御園は答えず、わずかに口を尖らせる。 聞かないでください、という心の声が聞こえた気がした。 「あっ……やんっ、んくっ……んふっ、んんっ……」 御園の秘部を指でこすると、パンツとストッキングを濡らしていた愛液が徐々にしみ出してきた。 「あふっ、んぁっ……やっ、んんっ……」 「んうぅっ……んっ、んぁっ……やっ、先輩っ……」 ぴっ……ぴぴっ 「あ、しまった……」 調子に乗って触っていたら、ストッキングが伝線してしまった。 どうやら爪を引っかけたらしい。 「悪い、御園。ストッキングが……」 「大丈夫ですよ。替えを持ってきてますから」 「でも、パンツはないので、その……」 パンツは濡れると困るってことか。 「じゃあ、脱がすな」 「はい……」 御園のスカートの中に手を入れ、ストッキングを脱がそうとする。 「……ん、これ、脱がしにくいな」 「ふふ、破いてもいいですよ」 「破くって……」 「伝線しちゃったので、もうはけませんから」 「やってみる」 御園の股間辺りに爪を立て、力を込める。 「あっ……んんっ……」 軽い音がして、ストッキングが裂けた。 御園のパンツと白い内腿が露出し、むっと女性の香りが漂ってくる。 「色っぽくなった」 「センパイ、変態っぽいです」 「御園のこんな姿が見られるなら、変態で構わない」 「開き直りですか。ますます罪深いですね」 御園が熱っぽい瞳で俺を見つめている。 「もしかして……御園も興奮してる?」 「……そんなことないです」 「さっきまですごく嬉しそうな顔してたけど」 「してません」 「恋人には本当のことを言ってほしい」 御園の秘部をパンツの上からこする。 布地の中にぬるぬるの液体が溜まっているらしく、指を動かすたびにくちゅくちゅと水っぽい音がした。 「んふぅっ、んっ……やっ、そんなの、ずるいですっ……」 「ずるくない。俺は本当のことを言ってるんだ」 「んっ、んあっ、んくぅっ……あっ、ひんっ、ふああぁっ……」 「わ、わかりましたっ……んっ、わかりましたから、とりあえず指を止めて、くださいっ……」 「んんっ、うぅっ……う、嬉しかったですっ……」 「センパイにストッキング破られたときっ……すごく、ゾクゾクしましたっ……」 「やっぱり御園も興奮してたんだ」 「んはっ、んあぁっ……先輩、だめですっ……そんなにしたら、パンツ汚れちゃうっ……」 そうだった。 既にパンツは御園の愛液でじっとりと濡れていた。 「パンツ、脱がすよ」 「……はい」 パンツに指をかけ、横にずらす。 「う……ん……」 御園の秘部が目の前に現れた。 ぷっくりとした割れ目が開いて、ピンク色の陰唇が露出している。 「先輩、恥ずかしいです……そんなにじっくり見ないでください」 「私の……どこかおかしいですか?」 「いや、すごく綺麗だ」 御園の陰部は愛液に濡れており、光を反射しててらてらと輝いて見える。 とてもいやらしい光景だった。 「御園、触ってみていいか」 「……はい」 触れてみると、すごく柔らかくてびっくりする。 割れ目を指でなぞると、ぬるっと指が奥に沈み込んでいく。 「んぁっ、はっ……んう、うぅっ……」 「ふっ、くぅんっ……んっ、あっ、ふあぁっ……」 秘部を指で刺激すると、御園の陰唇がひくひくとうごめいた。 まるでこちらを誘っているかのように、ピンクの肉が収縮を繰り返す。 「御園……」 御園の足を押し上げ、陰部に顔を近づける。 「あっ、な、筧先輩っ……何を……!?」 「御園のここ、舐めていいか」 「えっ……だ、ダメです、そんなところっ」 構わず御園の秘部に口を付けようとする……が、御園に頭を押さえられてしまった。 「どうして止めるんだ」 「当たり前です。汚いですっ」 「御園に汚いところなんてない」 「でも……」 逡巡したのか、御園の力が緩む。 「御園をいっぱい気持ちよくしたいんだ」 「そんな……」 御園の抵抗を押し切り、内腿の奥まで顔をうずめる。 「ひゃあんっ……んはっ、んんんっ、あくっ、うあぁっ、んああぁっ」 一際高く、御園の嬌声が響く。 「うんんっ、んふっ、んあぁっ……あっ、はあっ、くううぅっ」 「やあっ……んっ、気持ち、よすぎますっ……あああぁっ」 陰唇をなぞるように舌を這わせ、御園を味わう。 「あうぅっ、んうっ、んあぁっ……あっ、んあ、あく、くうぅんっ」 「やっ……だめっ、先輩っ……こんなのっ……んううっ」 「ふうっ、んっ、気持ちよすぎて、声が抑えられませんっ……んああぁっ」 「防音になってるから大丈夫」 秘部を舐め上げるたびに、御園の体が強く跳ね上がる。 「んんっ、でも、それでも限度がっ……あああぁっ、ひうっ、んんんっ」 「だったら声を我慢してくれ」 「はっ……そんなの、無理っ、ですっ……ひっ、んううぅっ」 内腿に力を入れ、足を閉じようとする御園。 抵抗する御園の足を強引に押し広げ、膣口の辺りを舌先でねぶる。 「ひあっ、んうっ……んあぁっ、あふっ、んんっ、あんんっ」 「はあぁっ、はっ、んはっ……気持ちよすぎて、おかしくなっちゃいますっ」 秘部にしゃぶりつきながら、御園を見上げる。 御園は蕩けきった顔をしていた。 「んうっ、はあんっ、くはっ、ああぁっ、あっ、あふ、ふんんっ」 「ひああっ、くんっ……んんんっ、うんんっ、筧、先輩っ、んはあぁっ」 膣口からは止めどなく熱い蜜があふれ出てくる。 じゅるっ、じゅぱっ、ちゅるっ 口を大きく開け、陰唇を丸ごと口の中に含んでめいっぱい愛液を吸い取った。 「あっ、ああぁっ、んんんっ……やっ、そんなの、だめぇっ、んくううぅっ!」 「ひんんっ、んうっ、やぁんっ、んあぁっ、センパイの、エッチっ……!」 御園が抗議してくるが、取り合わずに吸い続ける。 そのまま舌を這わせ、陰唇の上部にあるクリトリスを舌先でチロチロと刺激した。 「ひゃんんっ、んはあぁっ……やっ、そこは、ダメですっ、んうっ、うくぅんんっ!」 「んふっ、ふうぅっ、んんんっ、ひんんっ……あっ、だめっ、もう、もうっ……」 御園の体が激しく揺れ、強くしなり始めた。 「ああっ、センパイ、せんぱっ……もう、もうイっちゃいますっ、んあぁっ、くああぁっ!」 「んんんっ、あはあっ、はっ、はあぁっ……本当に、イっちゃうぅっ……!」 答える代わりに、さらに激しくクリトリスを攻め立てる。 「あ、やっ、やぁっ……だめっ、イクっ、センパイっ、イキますっ……!」 「んああぁっ、ああああっ、イク、イっちゃっ……んあああぁっ、んんんんっ、んあああぁぁっ!!」 「か、筧先輩っ、センパイぃっ……あああああぁぁぁっ、うあああぁぁんっ!!!」 ぎゅうっと体を弓なりにし、強ばらせる御園。 「んああぁっ、はっ、はあぁっ、はあっ、んうぅっ……はあっ、はっ……」 「ああ、ふあぁっ……あっ、んはっ、はあっ……はあっ……」 ビクビクと体を痙攣させつつ、御園は恍惚とした表情を浮かべた。 「御園……イった?」 「はあっ、はあ……はあ……い、イってません……」 「それ、どう見ても嘘だろ」 「んっ……んくっ、はあ……わかってるなら、聞かないでください……」 御園は顔を真っ赤にしながら膨れた。 「イった時の御園、すごくかわいかった」 「見てたんですか?」 「ああ、見てた」 「……今すぐその光景は忘れてください」 「冗談だろ。心のフォトフレームに入れて大事に飾っておく」 「先輩……それセクハラですよ」 ジト目で見つめてくる御園。 「それよりセクシャルな光景が既に目の前にあるんだが」 ヒクヒクと小さく痙攣を続ける秘部に視線を落とす。 「……もう、先輩のばか」 「すまない」 「そう思うなら、あまり恥ずかしい思いをさせないでほしいです」 「何度も言うけど、御園が綺麗なのが悪いんだ」 御園に責任転嫁してみる。 「本当にもう……しょうがない先輩ですね」 「でも……好きですよ、そんなセンパイ」 嬉しいことを言ってくれる。 「……続き、しますよね?」 「もちろんだ」 俺は御園の体を優しく起こし、ピアノに手をつかせた。 「んっ……センパイ……」 「御園、怖い?」 「いえ、怖くはありません」 「ただ……私ばかり見られて、先輩の方は見せてもらってないので」 ああ、そういうことか。 「御園も興味あるんだな」 「違いますっ」 「ただ自分の中に入るものを確認しておきたいだけです」 それもそうか。 「わかった。見せるよ」 ファスナーを開け、ズボンから肉棒を取り出す。 肉棒は固く勃起しており、びくびくと脈を打っていた。 「それが……先輩の、なんですね」 御園はじっと俺の股間で屹立しているものを見つめている。 「これが御園の中に入るんだ」 「すごくいやらしい形です」 「先輩にそんなものがついているなんて……」 「男なら基本的に誰でもついてるから」 「そうですけど」 御園は頬を染め、凝視を続けている。 やっぱり興味があるんだな。 「触ってみるか?」 「でも……先輩、早くしたいですよね?」 「そんなことはない」 「ふふ、いいんですよ。我慢しないで早く入れてください」 試されてるなぁ。 でも、御園がそう言うなら……。 「わかった。でもちょっと馴染ませよう」 「馴染ませる?」 口で説明するよりやってみせた方が早いだろう。 御園のお尻を左右に広げると、綺麗な陰唇が露わになる。 「やっ、そんなに広げちゃダメです……」 「少しの間だけだよ」 「でも……恥ずかしいです」 ゆらゆらとお尻を振って抵抗を試みる御園。 だが、しっかりとお尻を掴んでいる俺の手は外せなかった。 「動かすと入れられない」 「……先輩、もう入れちゃうんですか?」 御園は少し戸惑いの表情を見せる。 「大丈夫、まだ入れないから」 たっぷりと濡れている御園の陰部に亀頭を押し当て、愛液をすくう。 「んんっ……あっ、んくっ……な、何を……」 「濡らしてるんだよ」 愛液でぬるぬるになった亀頭を滑らせ、御園の内腿にこすりつける。 「ふあっ、んんっ……あっ、んぁっ、はあぁっ……」 「んううっ、やっ……先輩っ、んんっ、くぅんっ、んはっ……」 御園の秘部に陰茎をこすりつけ、愛液を塗りつけていく。 ぬめぬめとした感触が肉棒が包み、蕩けるような快楽に襲われる。 「御園っ……」 「んっ、はあっ……先輩っ……んくっ、ダメですっ……」 「そんなにこすられたら……あっ、気持ちよくなっちゃいますっ……」 御園はお尻を振っていやいやをする。 と、ストッキングを履いた内腿に強くこすられた。 「くっ……」 「あ……すみません。大丈夫ですか……?」 「いや、平気だ。すごく気持ちよかっただけだよ」 ストッキングの感触は肌よりも刺激的で、思わず声が出てしまった。 「御園……もっと内腿を締めてもらってもいいか」 「ええ、いいですけど……」 御園が内腿を締めると、肉棒がゅっと太ももの肉に挟まれる。 上には御園の陰部、両脇にはストッキングの残った太ももという具合だ。 「先輩の……すごく固いです」 「動かすよ」 御園の股間が作り出す三角形にペニスをうずめていく。 「あっ、んんっ……んふっ、はっ……ふあぁっ……」 「んうっ、はぁっ……やんっ、すごく、こすれてますっ、んんっ……」 「くっ……」 ストッキングのすべすべとした感触に、陰唇のぬるぬるとした感触。 二つが同時に肉棒へと伝わり、強い快感が走る。 「あぁっ、んっ……んうぅっ、くっ、ひあぁっ……」 「ふぅんっ、んくっ……き、気持ちいい、ですっ、先輩っ、んはぁっ……」 肉棒は愛液で濡れ、内腿のストッキングを濡らしていく。 滑りがよくなり、さらに快感が増した。 「俺も……気持ちいい」 「んんっ、あっ……それは、いいですけどっ……中には、入れないんですかっ……?」 「このままでも、かなり……」 「あうぅっ、んんっ……そんなの、ひどいですっ……ここまでしておいてっ……」 「きちんと、最後までしてくださいっ……んああぁっ」 御園の体がびくんと跳ねる。 「ダメっ……んっ、このままじゃ……私、またイっちゃいますっ……!」 「先輩の、入れてくださいっ……」 「ああ、わかった」 あまり焦らしすぎても可哀想か。 腰の動きを止めて、御園の内腿から肉棒を引き抜く。 「痛いかもしれない」 「大丈夫ですから……早く……」 辛抱できない、とでも言いたげにお尻を突き出してくる御園。 「わかった。それじゃ入れるよ」 「はい……来てください」 亀頭を膣口に押し当て、徐々に奥へとめり込ませていく。 「んんっ、んあぁっ……いっ、んくうっ、あううぅっ……」 「くんんっ、うああぁっ……はあっ、はっ……んああぁっ……」 御園の顔が歪む。 奥への侵入に抵抗する引っかかりに、一気に力を入れる。 「んあああぁっ、んっく、くうぅっ、んああああぁぁっ」 御園の中に肉棒がめり込んだ。 挿入していくと、ものすごい力で周囲から締め付けられた。 「んんんっ、いあぁ、はあっ……先輩、入りましたか……?」 「ああ、入った」 ペニスを押しつぶそうと膣内の壁が圧迫してくる。 そんな肉壁を押しのけながら、奥へ、奥へと肉棒を侵入させていく。 「御園、我慢できそうか」 「はっ……んんっ、大丈夫、ですっ……んうぅっ、ああぁっ……」 唇を噛みながら堪えている御園。 やはり相当痛いらしい。 肉棒に押し広げられた膣口からは血がにじんでいた。 「ふああぁっ、くっ、んんっ……んふっ、ふうっ、ふうぅっ……」 荒い息をつきながら、俺のペニスを受け入れてくれる。 きつい膣内をかき分けながら、ついに根本まで陰茎が入り込む。 「御園、全部入った」 「んんっ……先輩と、繋がったんですね……」 「ああ。繋がった」 「嬉しいです」 御園がぎこちなく微笑む。 きっと、痛いのに無理をしているのだろう。 「くっ……」 御園の膣内が大きくうねり、凄まじい力でぎゅっと肉棒を圧縮してくる。 あまりの圧力に、ペニスにじんと痺れが走った。 「御園、ちょっと力を抜いてくれ……」 「力……? どこのですか?」 「俺が入れてる、この中の力だよ」 「変なこといいますね。私は別に力なんて入れてませんよ」 力を入れていないのにこの締め付けなのか。 「いきなり先輩が入ってきたからびっくりしてるんです」 「前準備をしたはずなんだけどな」 「きっと、ストッキングで楽しんでたからバチが当たったんですよ」 ……バレていたようだ。 「すまない」 「いいですけどね」 「でも……しばらくこのままでお願いします」 「わかった」 肉棒を御園の膣内で留め、その感触を味わう。 御園の熱い肉壁が内部で大きくうねり、何もしていなくても気持ちいい。 「御園、中に入れられるのってどんな気分なんだ?」 「……初めての感触です」 「例えるなら……お腹の中に大きな杭を打ち込まれたような感じ」 「それは痛そうだ」 「痛いですけど、嬉しいですよ」 「それに……中がムズムズして、痛いだけじゃないというか……」 「気持ちいいってこと?」 「わからないです。今はただムズムズするだけです」 よくわからない。 「先輩はどんな感じなんですか?」 「熱くてぬるぬるの壁に、全力で押しくらまんじゅうを食らってる感じだ」 御園の中はとにかくきつい。 しかし膣内は熱い愛液で濡れており、動かすのに不自由はない。 「……全然わかりません」 「というか、その大きなものが自分にくっついてる感覚が想像できません」 「うまく説明できないけど、すごく気持ちいいんだ」 「その割には普通に見えますね」 「今は動かしてないから」 少し身じろぎをしただけで、痺れるような快感が走る。 全力で出し入れしたらどうなってしまうのか、想像もつかない。 「それじゃ……動かしていいですよ」 「痛くないか?」 「大丈夫です。もう慣れました」 「わかった。それじゃゆっくり動かすな」 「はい……」 俺はきつく締め付けてくる膣内から、ゆっくりと肉棒を引きずり出す。 「あんっ……んくっ、ふっ……んっ、ああぁっ……」 「はっ、んくっ……ひうっ、あっ、やぁっ、くうぅんっ……」 御園が目を細める。 半ばまで引っ張り出したペニスを、今度は再び中へと収めていく。 「んうぅっ、あくっ……ひんっ、あぁっ、大きいっ、んんんっ……」 「あっ、んんっ、それに、固いですっ……はっ、んはぁっ……」 膣壁が力強く収縮し、中へと潜り込んでいく肉棒を圧迫する。 強烈な快感に、頭の中が真っ白に飛んでしまう。 しかし物足りない。 「くっ……御園……」 「んんっ、んうぅっ……はい、何ですか……?」 「動くぞ」 じれったい感覚に我慢ができなくなる。 「んううぅっ、んくっ、はっ、んうっ、ひああっ、んあああぁぁっ」 「あくぅっ、やっ……先輩っ……いきなり、激しいですっ、くうっ、あああぁっ」 陰茎を一気に引き抜き、奥まで貫く。 衝動に身を任せ、御園のみっちりと詰まった肉壁を好き放題にこすり上げる。 「んああぁっ、んんっ、ひんんっ……んうっ、ああぁっ、んくうぅっ」 「はあっ……先輩っ、ケダモノですねっ、んはっ、んっ、くあぁ……っ」 「見てみたかったんだろっ」 「はあぁっ、んくっ……はい、見たかったですっ、いぁっ、あううぅっ」 「あっ……私のことをいっぱい、いっぱい求めてくれる先輩が、見たかったですっ……」 御園が愛おしくて、頭がくらくらとしてくる。 答える代わりに、御園の膣内へ激しくペニスを突き入れる。 熱くなった膣壁は柔らかくなり、包み込むように優しく肉棒へまとわりついてくる。 「んっ、あふっ……あくっ、んうぅっ、あ、あっ、うあぁっ」 「ひゃっ、んんっ、先輩っ……すごい、気持ちいいですっ、ああっ、はぁ……っ!」 「俺もだ……っ」 御園の膣内は愛液でとろとろになっており、挿入するたびに蕩けてしまいそうになる。 快感は限界を超え、もはやいつ射精してもおかしくない状態だった。 「んああぁっ、先輩っ……せんぱいっ、もう、ダメですっ……!」 「あくっ、私っ……イっちゃいそうですっ……!」 膣奥がぎゅうぎゅうと規則的に俺の陰茎を締め付けてくる。 御園の足はがくがくと震えていた。 「俺もっ……!」 「来て、くださいっ……んうっ、んっ、せんぱい……っ!」 中に出す……わけにはいかない。 「んああぁっ、やっ、ダメっ、ダメダメぇっ……せんぱぁいっ……!」 「はあぁっ、あうぅっ、イク、イっちゃうっ……んうううぅっ、あうううっ!」 亀頭の先端まで熱い塊がこみ上げてくる。 「御園っ……!」 「んんんっ、ふんんっ……先輩っ、先輩、せんぱいっ……ああああぁぁっ!」 「はあああぁっ、やっ、イっちゃっ……んあああああぁぁぁっ、くうううううぅぅぅんんっ!!!」 びゅうっ、びゅるっ、びくっ、どくっ! 射精する寸前、腰を引く。 ぶるんと抜けた肉棒から、大量の精液が飛び出した。 「くっ」 白濁の液体が御園の尻に、陰部に、そして制服にかかる。 あふれ出した精液は、御園の身体中を汚した。 「はああぁっ、はあっ……あんんっ、んぁっ、はっ……はあっ……」 「はふ、はあぁっ……はあっ、はあっ……あ、はあぁ……」 荒い息をつき、御園が体を震わせる。 「はあ……筧先輩、外に出しましたね……」 「もう、べたべたです……」 御園はくすっと笑う。 「ふふ、センパイ。いっぱい出ましたね」 「そんなに……気持ちよかったんですか?」 「ああ、すごいよかった」 あまりの快感に、未だ頭がチカチカしている。 気を抜くと後ろに倒れてしまいそうだ。 「元気すぎます。ピアノにまで先輩のが飛んでますよ」 言われて見ると、ピアノにも精液がわずかに飛んでいた。 「これ、他の生徒や先生も使うんですけど」 「あまりいじめないでくれ」 「ふふふ、冗談です」 俺を受け入れ、求めてくれる御園。 限りなく愛おしかった。 「……好きです、センパイ」 そう言うと、御園は笑みを浮かべた。 Hの後じゃさすがに練習する気にならず、俺たちは音楽室を出た。 「ごめんな、練習サボらせちゃって」 「いえ、大丈夫です」 「今度はちゃんとやろう」 「どっちをですか?」 「練習だって」 「……そうですか」 先ほどから御園の態度が素っ気ない。 御園からの誘いとはいえかなり強引だったしな。 「もしかして、後悔してるのか」 「……」 御園はむっと眉根を寄せ、睨んでくる。 「0点です」 「え?」 俺の手を振りほどき、ぎゅっと腕に絡みついてきた。 体を密着させ、頭をこすりつけてくる。 「お、おい」 「後悔なんてするわけないじゃないですか」 「私は幸せです」 御園の耳が赤く染まっている。 怒ってたんじゃなく、照れてたんだな。 「先輩も一緒に幸せになってください」 「一人で幸せになってたら、私が馬鹿みたいです」 「ああ、俺も幸せだよ」 優しく御園の頭を撫でる。 恥ずかしかったのか、御園は俺の腕の中に顔を埋めてしまった。 「大丈夫か、御園」 「……恥ずかしいです」 「そんなに恥ずかしいなら、腕を離せばいいのに」 「嫌です」 またむっとした顔で見上げてきた。 「恥ずかしいですけど……先輩にはわかってほしいんです」 「私がどれだけ先輩のことを好きなのか」 なかなか表には出さないが、御園は情熱的なものを内に秘めている。 ミナフェスでも汐美祭でも、みんなが及び腰になったところに気合いを入れてくれたのは御園だった。 この子の思いを裏切らないようにしないとな。 「……くしゅんっ」 胸の中の御園が、可愛くくしゃみをする。 「寒い?」 「いえ、大丈夫です」 言いながらも、御園の肌は冷たい。 「……ちょっと待っててくれ」 「え?」 コンビニの前で、絡みついた御園の腕をほどく。 「ひょっとしてまた何か買ってくるつもりですか?」 「そういうこと」 「……寒い?」 「いえ、温かいです」 御園は嬉しそうに目を細め、肉まんを口にする。 そのままテレビCMになりそうなほど、美味しそうな顔だ。 「この肉まん、まるで先輩みたいですね」 「どこが」 「どこだと思います?」 ジューシーなところ? いや、何の液が漏れてるんだって話だよな。 体型が丸っこいってことはないだろうし。 わからんな。 「中身がスカスカとか?」 「すごい、正解ですっ」 「よしっ」 「……って全然嬉しくないな」 「冗談ですよ、センパイ」 御園がくすくす笑う。 「それにホラ、この肉まん、中はぎっしりですよ」 肉まんの断面を見せてくれた。 「へえ」 顔を近づけて、よく観察する。 ……するふりをして、肉まんに噛みついた。 「ああっ!?」 「……もぐもぐ」 「なるほど、ぎっしりだ」 「先輩……」 御園が人を殺しそうな目で俺を見ていた。 「すまん」 「えいっ」 「あっ!?」 御園が、俺の肉まんにかじりつく。 「これでおあいこです」 「やられたな」 何だか楽しくて、おどけてみせる。 「ちなみに、正解はなんだったんだ?」 「え? もう忘れました」 御園がしらばっくれる。 「教えてくれよ。ほら、もう一口食べていいから」 「ふふ、じゃあ特別ですよ」 御園が俺の耳元に口を寄せる。 熱い吐息が耳にかかった。 「外はそうでもないのに、中身はすごく熱いところです……」 「はむっ」 「おわっ!?」 耳たぶを噛まれた。 「ふふふ、成功です」 心からの笑顔に、俺まで幸せな気分になる。 ああ、そうか。 こんな時間を積み重ねることで、俺たちは幸福に近づいていくんだな。 なら、もっともっと笑ってもらえるよう、頑張っていこう。 俺たちの温かな未来のために。 選挙が終わり、俺の生活は平穏を取り戻していた。 昨日に引き続き、今日も本と戯れる予定だ。 まずは腹ごしらえをしよう。 「……わお」 冷蔵庫を開けると、見事に空だった。 仕方ない、買い物に行こう。 高い空には羊雲が浮かんでいる。 夏の暑さも遠くに過ぎ去り、風も心地よい。 買い物日和だ。 「……あれ、筧さんじゃないですか?」 「よう、佳奈すけ」 外に出ると、佳奈すけとばったり出くわした。 何でこんな所に? 「奇遇ですね。買い物ですか?」 「ああ、そっちは?」 「散歩です。いい天気ですから」 「ま、暇なんですけどね、はっはっはっは」 佳奈すけが胸を張る。 「なら、一緒に買い物行くか」 「おっと、私にもモテ期到来ですか」 「タダの買い物だよ」 「わかってますよ」 佳奈すけの笑顔に、胸が高鳴る。 さらりとかわしたものの、羊飼いになりかけた事件以降、俺の中で佳奈すけの存在は大きくなっていた。 いや、正確には、今まで少しずつ積もってきた感情にようやく気がついたと言うべきか。 「よし、行こう」 「あ、待ってくださいよー」 勝手に歩きだした俺の後ろから、佳奈すけがついてきた。 「いっぱい買いましたねえ」 両手の買い物袋は、カロリーメイドやミネラルウォーターなどでずっしりと重い。 「いやー、現代的な食生活してますねー」 「そんなのばっかり食べてたら、栄養偏りますよ」 「栄養が欲しくなったら、佳奈すけに会いに行くって」 「マジですか、私の料理テクが期待されてます?」 「こういうのもアレですけど、私の女子力はその筋では有名ですよ」 「へー」 「すっごい、ぞんざいに流しますね」 「勘違いだって。栄養が偏ったらアプリオに行くって言いたかったんだ」 「わかってますよ。ちょっとときめいてみたかっただけです」 口をとがらす佳奈すけ。 こいつは、俺のことをどう思ってるんだろう? 「そういや、まだ佳奈すけに礼を言ってなかった」 「え? 私、何かしましたっけ?」 「あの時、俺を引き留めに来てくれただろ」 羊飼いになろうと覚悟を固めていたとき、佳奈すけは俺を引き留めてくれた。 あの時、佳奈すけが来なかったら……きっと俺は、自分の意思を変えることはなかっただろう。 最後の最後で、佳奈すけが俺をこの世界に繋ぎ止めてくれた。 「あはは……ありましたねえ、そんなこと」 「気にしないで下さい、あの時は私も熱くなってましたし」 「そうじゃないんだ」 話題を逸らそうとする佳奈すけを、声で引き留める。 「俺が今こうしていられるのも、佳奈すけのお陰なんだ」 「ありがとう」 「……筧さん」 神妙な顔で俺を見つめてくる。 「一つ聞いてもいいですか?」 「ああ」 「あのとき、筧さんは何をしようとしてたんですか?」 難しい問いだ。 本当のことを答えても、嘘をついていると取られかねない。 「この世に、人知れずみんなを助けている存在がいたとする」 「は? はあ」 「でもそいつは、人と話してもすぐに忘れられてしまう、誰からも忘れられる存在だ」 「そんなやつに、佳奈すけはなりたいか?」 佳奈すけが目を見開く。 「私は……なりたいとは思いません」 「誰にも覚えてもらえないなんて、いないのと同じじゃないですか」 「悲しすぎますよ」 「だよな」 佳奈すけならそう答えると思っていた。 「でも、筧さん、もしかしたら、ちょっとなりたかったんじゃないですか?」 「誰の記憶からもすっと消えて、それでいてみんなのために生きていけるって、すごく危険です」 「どういうこと?」 「すっごいネガティブですけど、人の一つの理想なのかもって思います」 「誰の記憶からも消えたい人って、きっと少なくないですよ」 鈴木が少し切なげに微笑む。 「あ、私は違いますよ。毎日楽しくやってますから」 すぐに慌てて付け加えた。 「なるほどな……考えてなかった」 考えてみれば、羊飼いになることは、巧妙に後ろ暗さが隠された社会的な自殺とも言えた。 人間のために自分を犠牲にすると考えれば、ヒロイックではある。 だが、人の記憶から消えるために人間への奉仕義務を負うと考えれば、印象がまったく変わる。 行き着く先は一緒でも、プロセスは違う。 ナナイさん……親父は、どっちの道を辿ったのか。 「さすが、佳奈すけの言うことはピリッとしてるな」 「え? よくわかりませんが、ありがとうございます」 曖昧に笑う。 「ともかく、そんな正義の味方に筧さんがなろうとしてたなら、止めて良かったです」 「私は筧さんのこと忘れたくありませんし」 「感謝してる」 「いえいえ、どういたしまして」 「筧さんにはいろいろ教えてもらいましたから」 「俺だってそうだよ」 「佳奈すけからは本当に大事なことを教わった。それこそ、人生観が変わるくらい」 「またまたぁ」 自分が人の中で生きているということ── こんな自分でも誰かの胸の中に住んでいるということを、心の底からわからせてくれた。 俺のやろうとしたことは、一見かっこよかったかもしれない。 でも、それだけだ。 自分を大事にしないことは、俺を大事に思ってくれている人を裏切ることでもある。 そんなことがわかっていなかったのだ。 「佳奈すけさ、あの時、俺の傍にいるって言ってくれたよな?」 「い、言いましたけど、あれはそのー、勢いというか何というか……」 佳奈すけが目を逸らす。 「本気じゃなかった?」 「……う、うう」 佳奈すけがうつむく。 本気ではあったのだろう。 ただ、人間、勢いってのがある。 今の俺だって、勢いに乗った方がいいタイミングだと思う。 「俺は、本気で佳奈すけと一緒にいたいって思ってる」 何も言わず、佳奈すけが視線を上げた。 「マジですか」 「マジ」 「佳奈すけのこと、好きだよ」 佳奈すけがピタリと動きを止める。 ……。 …………。 ………………。 「佳奈すけ?」 「……はっ!?」 「完全に時間が止まってました」 佳奈すけが額の汗を拭う。 「真面目な話、佳奈すけとなら、正面から向き合っていけそうな気がするんだ」 「駄目な人間だけど、付き合ってくれないか」 「そんな……筧さんが駄目だったら、私なんてゴミですよ」 「いいんだよ、そういう佳奈すけが好きなんだから」 佳奈すけの顔が朱に染まっていく。 「……いきなり押しが強くなりましたね」 ぼそぼそと呟く佳奈すけ。 「筧さんに、そう言ってもらえるなんて夢みたいです」 「でも、やっぱり難しい気もするんですよね」 佳奈すけが寂しそうに言う。 「どうして?」 「だって、みんなに悪いです」 「筧さんのこと好きなの、私だけじゃないですから」 「あの時は……」 「傍にはいますよ、後輩としてですけど」 「それじゃダメですか?」 「傍にいてくれるのは嬉しいよ」 「でもさ、俺は告白したんだ。友達でいたいわけじゃない」 「筧さん……」 佳奈すけがじっと俺を見る。 「お前しかいないんだ」 「……」 佳奈すけが息を飲んだ。 誰かに対し、何かを強く訴えかける。 真面目なだめ出しすら躊躇していた俺にとって、人生初の挑戦だった。 自分がいて、相手がいて── 何かを伝えようと、変えようと、働きかける。 そんな基本的なことができていなかった俺が、ようやく変われたのだ。 「そんな風に言われたら断れないですね」 「私だって筧さんのこと好きなわけですから……家の前で待ち伏せするくらい」 目尻に涙を溜めながら、笑う。 「付き合ってくれる?」 「はい、よろしくお願いします」 「こっちこそ」 佳奈すけの手を取り、ぐいっと引き寄せる。 「わあっ、 ちょっと筧さんっ!?」 ぽすん、と胸にぶつかってきた佳奈すけを抱きしめた。 「こ、これは照れますね……世界遺産級です」 「嫌?」 「いえ……嫌じゃありません」 「もっともっと、抱きしめてほしいです」 「……」 愛おしさがこみ上げる。 胸の中で、何度も佳奈すけの名を呟きながら、腕に力を込める。 「ふふふ、苦しいです、筧さん」 「すまん」 「いいんです、すごく安心します」 「ここが街中じゃなかったら、最高なんですけどね」 「あ、ああ……そっか」 言うまでもなく、周囲の視線が集まっている。 自分でも驚きの大胆さだった。 ま、冷静なうちは恋じゃないって言うしな。 「あれですよ、筧さん、まずはデートあたりから始めませんか?」 「いいね、そうしよう」 佳奈すけの身体を離す。 「明日は空いてる? 祝日だけど」 「はい、もちろんスッカスカです」 「よし、じゃあ、10時くらいに迎えに行く」 「いえいえ、申し訳ないです、駅前で待ち合わせでいいですよ」 「最初くらい紳士に行かせてくれよ」 「わかりました、では、私もせいぜいレディらしく準備しておきます」 佳奈すけがにっこり笑う。 夏の太陽も負けそうなほど、眩しい笑顔だった。 翌日、10時10分前。 佳奈すけが住んでいる弥生寮の前までやってきた。 祝日の今日は、学園の空気もどこかだらんと緩んでいる。 「……」 「あれ、筧くん?」 「ん?」 向かいから白崎が歩いてきた。 「学生寮に用事?」 「ま、そんな感じ」 「白崎は買い物?」 「これから玉藻ちゃんとデートなの」 いえーい、とVサインを作る白崎。 「羨ましいな」 「筧くんも一緒に来る?」 「いや、俺は待ってる人がいるから」 「あ、待ち合わせなんだ」 「わたしの知ってる人?」 「いや……」 説明した方がいいんだろうか。 でも、佳奈すけとの相談なしでオープンにするのもアレか。 「お待たせしましたーっ」 ずばん、と狙ったようなタイミングで佳奈すけが登場した。 「え?」 「おう」 「あれ? どうしてお姉様が?」 「たまたま、筧くんと会ったんだけど……」 佳奈すけに向かっていた白崎の視線が、そのまま俺にスライドする。 数秒の沈黙。 「筧くんが待ってたのって佳奈ちゃん?」 こくりとうなずく。 「付き合うことにしたんだ、昨日から」 「そうなんですー、彼ったらすごく大胆でー」 「筧くん、佳奈ちゃんに何したの?」 笑顔なのに目が笑っていない。 「いやいや、何もしてないから」 「普通ですよ、普通。告白して付き合い始めただけです」 「そうなんだ」 「……って、えええええっ!?」 いま驚くのかよ。 「そ、そっか、付き合い始めたんだ」 「意外ですか?」 「ううん、お似合いだと思う。おめでとう、二人とも」 白崎が柔和な笑顔を浮かべる。 「あんがと」 「でも筧くん、さっきのは減点だよ」 「何のこと?」 「わたしがこれから玉藻ちゃんとデートだって言ったら、筧くん『羨ましい』って言ったよね」 「はー、私と付き合ってるのを隠して、さらなる高みを目指しましたか」 「いや、あれは言葉の綾というか……」 独断でオープンにするのもどうかと思ったんだが。 「佳奈ちゃん、先制ポイントゲットだよ」 「ありがとうございます、お姉様。これでイニシア取れました」 二人がハイタッチをしている。 「いい話のネタができちゃった。さっそく玉藻ちゃんに報告しよっと」 「はい、新婚カップルみたいだったって言っておいて下さい」 佳奈すけが腕を組んでくる。 「はい、写真撮るねー」 すかさずカメラを構える白崎。 「おい、やめろって」 機関銃のようなシャッター音が聞こえた。 「あはは、慌ててる筧くんがパラパラ漫画みたいに撮れた」 「いいですねいいですね、年賀状に使います」 二人でカメラの液晶を見て喜んでいる。 「それじゃ、二人ともデートを楽しんでね」 笑顔を振りまき、白崎は去って行った。 「ふう、少し緊張しました」 「白崎が祝福してくれないと思った?」 「そこまでは思いませんけど、筧さんは人気者ですからね」 「佳奈すけにだけ人気があればいいんだ」 「うっは、くらっと来ますわ」 おどける佳奈すけの手を握る。 「行こう」 「はーい、どこへでもー」 商店街でウインドウショッピングを楽しんでから、喫茶店にやってきた。 相変わらずカップル比率の高い店だが、もう臆することはない。 「何にも買わなかったけど、いいのか」 「いいんです」 「一緒に歩けただけで、すっごく楽しかったです」 買い物中、アクセサリーや雑貨を買ってあげようとしたのだが、佳奈すけは固辞し続けていた。 俺のセンスが壊滅的だったのだろうか。 「初デートの記念にいいかと思ったんだけど」 「楽しいことを一気にこなしちゃったら、何かもったいないですから」 「ばっか、楽しいことはこれからいくらでも増えるって」 「すみません、貧乏性で」 佳奈すけが頭をかく。 「しかし、この店は相変わらずだな」 「あ、一緒に来たの覚えてました?」 「もちろん」 ミナフェスの前に、この店で図書部を辞める辞めないの話をした。 「お互い、図書部を辞めなくてよかったな」 「ええ、ほんとですね」 「辞めてたら、筧さんの彼女になることもできませんでしたし」 佳奈すけが、テーブルの下で足を絡めてくる。 「くすぐったいって」 「あの時も、少しだけこうしたの覚えてます?」 「気のせいかと思ってた」 「まさか。普通、足がぶつかったらすぐ謝りますよ」 「……なんて、筧さんはわかってたんですよね」 「いやいや、まさか」 足で佳奈すけの足をくすぐる。 「わひゃひゃ、くすぐったいです」 「こっちはどうだ」 「や、やめて下さいよ。そこから先はゴールデンじゃ無理です」 「おりゃ、逆襲っ」 「あ、こら、あはは……」 「ナポリタンと梅じそスパゲティ、お待たせしました」 「あ……」 「あ……」 伝票を裏返してテーブルに置き、ウェイトレスは去った。 「食べますか」 「おう」 額の汗を拭いつつ、運ばれてきた料理に向かう。 「んじゃ、いただきます」 「待ってください」 「ん? どうした」 「何か忘れてませんか?」 テーブルの上を見渡す。 料理は揃っているし、フォークやスプーンもちゃんとある。 机の端には粉チーズに紙ナプキン。 水も半分以上残っていた。 「全部あると思うが」 「いえいえ、足りないものがあります」 「何だよ」 「愛ですっ」 目を輝かせる佳奈すけ。 「冷めるぞ」 「ちょっと筧さん、それじゃ、冷めるのは私達の関係ですよ」 「……あ、今のちょっと上手かったですよね」 「……いただきます」 「ごめんなさいー、謝ります」 ほんと賑やかだ。 「で、具体的には何するんだ?」 「見てて下さい」 佳奈すけが、フォークにナポリタンを絡ませる。 「あ〜ん♪」 「この技、そのうち無形文化遺産になるぞ」 「がっちり伝承していきましょう」 ずい、とフォークを突き出してくる佳奈すけ。 当然、周囲の視線が集まっている。 『マジでやるのか?』 『実際やってるの初めて見た』 『つーか、あいつら図書部だろ』 といった声が聞こえてくる。 「筧さん、早く食べてください」 「恥ずかしいことをさせやがって」 仕方なく体を乗りだし、佳奈すけのフォークに絡まったナポリタンをいただく。 「ふふ、おいしいですか?」 「うまいよ」 マスターに感謝だな。 「どうしても一度やってみたかったんです」 「一度より二度だろ」 今度はこっちがフォークを突き出す。 「……え?」 佳奈すけが固まる。 「俺もお前に食べさせてあげないとな」 「いやいやいや、遠慮します」 「ほう、俺の愛を拒むのか」 「う……いやー、その、恥ずかしいじゃないですか……」 「お前が言うなって」 「筧さ〜ん……」 勘弁してくださいよ、という顔をする佳奈すけ。 「お前こそ観念して口を開けろ」 「うう、わかりました」 あ、と口を開けて……周りを見る佳奈すけ。 俺と同じことしてやがる。 「いやいや、待ってください。見てる人がいるんですけどっ」 「さっきもいたから条件はイーブンだ」 「くうぅっ……筧さんSですねっ……」 「どうしても気になるなら目を閉じてろよ」 「……なるほど」 佳奈すけは目を閉じ、口を開けた。 「よし、それじゃ行くぞ」 「あ、あの、鼻の穴に入れたりするのは勘弁してくださいね」 「あと、おでこに当てるのは、おでんじゃないとネタが成立しませんよ」 何の話をしてるんだ。 しかし、イタズラ心が芽生えてきたな。 「佳奈すけ、愛の量は1から5までどれがいい?」 「どっちが多いんですか?」 「秘密」 「えーーー、じゃあ10で」 「人の話、聞けよな」 フォークにパスタを巻き付ける。 これでもかと巻き付ける。 「いくぞー」 テニスボールにフォークを突き刺したみたいになったパスタを、佳奈すけの口に押し込む。 「あむっ……むぐっ、うほっ……むぐぐっ……」 佳奈すけのほっぺたが、食いだめをしているリスのように膨らんだ。 「むぅっ……筧さん、入れすぎですよっ……ふぐぅっ……」 「受け止めてくれ」 「はむっ、んぐっ……もぐっ、あむっ……」 「うぐ、もぐっ……んくっ……ぷはあぁっ……」 「はあぁ……筧さんの愛、強烈でした」 「あやうく鼻から漏れて、ヨゴレ系への道を突き進むところでしたよ」 「よく口に入ったな、こっちがびっくりした」 「鬼ですか筧さんは」 佳奈すけがげんなりした顔になった。 「悪かった。次はちゃんとするから」 「ほんと、打ち合わせ通りお願いしますよ、遊びじゃないんですから」 「……って、またやるんですか!?」 「あ、もう終わりなんだ」 少し寂しそうな顔をしてみる。 「い、いや、まあ、いいですけど」 もごもご口ごもりながら、再び目を閉じる。 やるのか。 なんだかんだで要求には応じてしまう性質らしい。 「じゃ、行くぞ」 「はーい」 ……あんまいじめるのは可哀相だな。 何か違うネタで行こう。 ……愛。 愛か。 相当恥ずかしいが、一瞬なら大丈夫だろう。 「佳奈すけ、愛とか好きか?」 「絶賛熱望中です」 「よし」 佳奈すけの口に、俺はそっと自分の唇を重ねた。 「ん? んん? んんんん?」 唇がもぞもぞ動く。 そして── 「……ん、ちゅ……」 唇を重ねてきた。 何をされているか気づいたのだ。 やばい……。 柔らかな唇の感触に、頭がクラクラする。 1秒以内に離れるはずだったのに、身体がそれを拒否している。 このままじゃ、バカップルの殿堂に入りかねない勢いだ。 何とかしないと……。 ちらりと片目を開く。 テーブル上のメニューブックが目に入った。 これだ! フロア側の手でそいつを手に取り、俺と佳奈すけの顔の脇で広げた。 これで、店内からの視線を遮ることができる…… はず。 「ちゅ……んっ……ん、ふ……」 「んむっ、んっ……ぷはっ……」 佳奈すけから離れる。 しっとりと潤んだ瞳が、俺を見つめている。 完全に冒険した。 たとえるなら、海パン一丁で南極横断するくらいの大冒険だ。 「りょ……」 「りょ?」 「料理は愛情!」 昭和な台詞と共に、テーブルに崩れ落ちる佳奈すけ。 そのまま気を失った。 佳奈すけとのデートから2日後。 生徒会として活動を始めるに当たり、図書部の残務を整理する必要があった。 「すっかり遅くなっちゃいましたね」 「ああ」 「図書部としての活動は一旦休止かぁ」 「少し寂しいな」 「ですねぇ、私たちを結びつけてくれた場所ですし」 寂しさを埋めるためか、腕に絡みついてくる佳奈すけ。 頭をぽんと撫でてやる。 「でも、人間関係が変わるわけじゃないだろ? みんなで生徒会役員になるだけだ」 「ですね。仕事もそんなに変わらなそうですし」 佳奈すけが明るい表情を取り戻す。 弥生寮の前までやってきた。 「着いちゃいましたね」 「ああ、ここでお別れか」 二人で話していると、あっという間だ。 佳奈すけとなら、何時間でも話していられる気がする。 「送っていただいてありがとうございました」 「気にするなって」 「こんな美人を一人で歩かせてたら、何があるかわからないからな」 「わーお、おじょーず過ぎて後が怖いです」 佳奈すけが笑う。 「じゃ、また明日かな」 「ですねえ」 「今日はこれでお別れです」 「だな」 妙なやりとりをして、二人で黙る。 「明日また会える」 「ですけど……寂しいです」 お互い繋いだ手を離せないでいる。 「あー、駄目駄目っ」 「鈴木は、こんな湿っぽい女じゃないんです」 「全国の鈴木さん代表として、世間に申し訳が立ちません」 佳奈すけが、えいやと手を離す。 「佳奈すけ、家でお茶飲んでっていいか」 「ちょっと、私の覚悟はどこ行っちゃうんですかっ!?」 佳奈すけが叫んだ。 「駄目か」 「そ、そんなの……」 「……いいに決まってるじゃないですか」 拗ねたような顔で視線を逸らす。 「でも、部屋あんまり綺麗じゃないです」 「大丈夫、俺んちよりは綺麗だから」 「でもでも、お茶、美味しくないかもしれません」 「俺だって、靴下が臭いかもしれない」 距離が縮まる予感がしたのだろう。 佳奈すけが、ささやかな躊躇を見せる。 そこがまた可愛いところだった。 「ふふ、とか言って本当は嬉しいんです……面倒ですよね」 「俺だって面倒だ」 佳奈すけの手を取る。 「ご案内します、彼氏さん」 「狭い部屋ですけど、どうぞ」 「お邪魔しまーす」 ナチュラルな家具で統一された、落ち着きのある部屋だ。 整理整頓も行き届いている。 「意外に綺麗だな」 「いやいや、私を何だと思ってるんですか」 「こう見えて結構きれい好きなんですよ」 「女子力、ぐんぐん来てるな」 「はっはっは、それほどでも」 「まま、適当に座っててください。お茶入れてきます」 「おう、さんきゅー」 テーブルの前に腰かけると、ガラス戸の中に本を見つけた。 どんな本を読んでいるんだろうか。 「筧さーん、ベッドに寝転んで匂いを嗅いだりしないでくださいねー」 「そんなことするか」 どこの変態だ。 「本は見ていいか?」 「はい、オッケーですよ」 ガラス戸を開けて、背表紙を眺める。 「……本当に雑食だな」 色々あったが、一番多いのはやはり小説だった。 ハードカバーのものもある。 異色と言えるのは、工場の写真集だ。 うち一冊を手に取ってみる。 『工場──巨人と花』 パラパラめくってみる。 「お、おお……」 でっかい製鉄所のパイプの前で、和服の女性が縛られていた。 乳房や下着は見えていないものの、肌色は多い。 タイトルは、巨大な律動に貫かれて── 次のページでは、渦のようにうねる巨大なジャンクションの下で、やっぱり女性が縛られていた。 タイトルは、都市の胎動に抱かれる〈瞬間〉《とき》── どの層を狙って投げた球なのか理解ができない。 いや、佳奈すけみたいなのがターゲットなのか? 「お待たせしましたー」 「あ」 「あ」 佳奈すけの目が点になった。 「ああああーーーっ!!」 みるみるうちに佳奈すけの顔が赤くなっていく。 「すまん、俺は何も見なかった」 慌てて本棚にしまい直す。 「ちち、違うんですっ、待ってください」 「それは、通販で間違って買っちゃったんです。まさか縛ってるとか思わなくて」 「ま、まあ、芸術っぽい感じもするし」 「そう、そうです、芸術なんです」 激しく首肯する佳奈すけ。 「縛るのが好きなのか」 「違いますって!」 「縛られる方?」 「だから違います!」 「もー、信じて下さいよー、事故なんですよー」 「レビューにも、『巨大な施設と美人の圧倒的コントラスト』としか書かれてなかったんですよー」 佳奈すけが床をごろごろ転がる。 「わかったわかった」 佳奈すけの頭を撫でながら言う。 「明日部室に持っていって、みんなで審議しよう、な」 「筧さん……」 「……って『一緒に警察行ってやるから自首しよう』みたいなノリじゃないですかー」 「冗談だよ」 いじり甲斐がある。 「いじってみたかっただけだ」 「……寿命が縮みました」 佳奈すけがうなだれる。 「できたての彼氏に、縛りが趣味だと思われたら、もう絶望です」 「いえ、縛りが趣味な方をどうこう言うつもりはありませんよ」 律儀にフォローを入れつつ、佳奈すけがお茶を飲んだ。 俺も遠慮なくお茶をいただく。 「つまり、佳奈すけはノーマルだと」 「そりゃそうですよ」 「素敵な彼氏に優しく抱かれた……」 そこまで言って、佳奈すけが凍った。 「いえ、あの……筧さんがどうってことじゃなくて……その、一般論というか……」 「わかってるよ、俺だって同じだから」 「あは、あはははは……」 何故か正座した佳奈すけが、てれてれと下を向く。 お互い欲求を告白するはめになってしまった。 ごく当たり前の欲求だから、言わずもがなではある。 でも、いざ彼女の口から直に聞くと妙に嬉しかった。 「あの、筧さん?」 うつむいたまま佳奈すけが口を開く。 「ん?」 「今日、うちにいらっしゃったのって……」 「違うって。もう少し一緒にいたかっただけだ」 「で、ですよね」 安心したような、残念なような顔で笑う佳奈すけ。 俺だって男だ。 彼女の部屋に入るのに、期待がないわけがない。 こういうときは、やっぱり男から行くべきなんだろうな。 「でも、一般論で言えば、当然考えてなかった訳じゃない」 佳奈すけの目を見て言う。 「……私も、一般論で言えば……同じです」 床に置いた手を、佳奈すけの方に伸ばす。 床の上で指先が触れ合った。 「個人的にはどうなんですか?」 「もちろん、佳奈すけとしたい」 佳奈すけの小さな手を、ぎゅっと握る。 「佳奈すけ」 「……はい」 佳奈すけが、手を握り返してきた。 顔を見ると、俺から目を逸らす。 人形のように白い肌が、薄く上気している。 「ずっと大事にする」 頬に手を伸ばし、こちらを向いてもらう。 「嘘じゃないですよね?」 「もちろん」 「一番大事な人に嘘つくか」 佳奈すけは、俺の人生を変えてくれた。 その相手に嘘をつくなんて……。 「筧さん」 「佳奈すけ」 それっきり無言になる。 目と首の動きだけでベッドへの移動を促す。 「んっ……ふっ……ん……っ」 「ちゅっ、ふぁ……んっ……」 唇を重ねたまま、どちらからともなくベッドに倒れる。 「んぅっ……ん、くっ……あんっ……」 佳奈すけが、俺の上からキスの雨を降らせてくる。 積極的な姿が胸を熱くする。 「ちゅっ、うんん……あっ、ふ……んちゅ……っ」 「ん……ちゅっ……ぷはっ、はあ、はあっ……」 口を離して至近距離で見つめ合う。 「すみません、何だか止まらなくなっちゃいました」 「筧さん、好きです、好き好き……」 ぎゅっと俺の体に抱きつき、頬ずりをしてくる。 「子供か」 「ふふ、甘えたいお年頃なんです。ダメですか?」 耳元で甘く囁きかけてくる。 「ダメじゃない」 「ふふ、良かったです」 「でも……せっかくですし、筧さんにご奉仕したいですね」 「奉仕? 別にいいのに」 「私みたいな女を好きになってくれたんです」 「何かお礼をしたい気分でいっぱいなんですよ」 佳奈すけが幸せそうに微笑む。 そんな顔をされたら、断る気になんてなれない。 「なら、よろしく頼む」 「ふふ、ありがとうございますっ」 佳奈すけは軽くキスをして、自分の服を掴む。 「それじゃ……筧さん、上を」 「俺が脱がせていいのか」 「はい。恥ずかしいですけど……お願いします」 佳奈すけは、頬を紅潮させながら微笑む。 可愛らしくもあり、扇情的でもあった。 「じゃあ」 胸元のリボンをほどき、カーディガンとブラウスのボタンを順に外していく。 「あっ……ん……」 「どした?」 「……指がくすぐったいです」 「大丈夫大丈夫」 「あっ……ちょっと……あはは……」 身をよじる佳奈すけの服を脱がせていく。 佳奈すけの胸元が露わになった。 「きゃ……」 真っ白で艶やかな肌、慎ましやかな胸の膨らみが目に入る。 「筧さん、どうですか?」 「綺麗だよ」 「どこが綺麗ですか?」 「鎖骨のラインが実に美しい」 「わざと胸のことに触れるのを避けましたね?」 「いいですよ、いいんですよ……どうせぺたんこですからっ」 佳奈すけがいじけた。 胸の大きい小さいを論じるつもりはないが、佳奈すけを悲しませたいわけじゃない。 「そんなことないだろ」 「佳奈すけの胸には気品がある」 「本当ですか?」 「ああ、俺は佳奈すけの胸、好きだ」 「ふふふ、嬉しいです」 「ちなみに白崎さんの胸と私の胸、どっちが好きですか?」 「もちろん……佳奈すけのだ」 「今、迷いましたよね」 「迷ってないって」 「えへへ、冗談ですけどね」 「言っておくけど、俺が好きなのは佳奈すけだ」 「胸で選んだりしないから」 「わかってますよ」 「ちょっと筧さんをからかってみただけです」 「お前な」 まあ、わかってたけどさ。 「ふふ、ごめんなさい」 「お詫びに……触っていいですよ」 自らの胸を寄せる佳奈すけ。 柔らかそうな膨らみが持ち上がり、緩やかな谷間ができた。 「すごく柔らかい」 「女子の面目は保ててますかね」 「もちろん」 もっと触ってみたい。 俺は下から手を入れて、ブラを持ち上げる。 「やんっ……ああ……」 白くてふわっとした佳奈すけの膨らみが現れた。 「う……恥ずかしいです」 「大丈夫、すごく綺麗だ」 我慢できず、佳奈すけの胸に触れる。 柔らかな感触が心地いい。 「うんっ……くふっ、あっ……筧さんっ……」 「んっ……ううっ、んはっ、気持ちいい、ですっ……」 「ただ触ってるだけなのに」 「筧さんに触られてるだけで、ゾクゾクするんです……」 佳奈すけは目を細め、体を小刻みに震わせる。 「もっと触っていい?」 「んんっ……いいですよっ……」 さっきまでは撫でている程度だったが、今度は少し力を入れて揉んでみる。 「くふっ……んっ、はぁっ……んあぁっ……」 「やっ、んくっ……ふっ……んんっ……」 佳奈すけの口から甘い吐息が漏れる。 胸を揉んでいるだけで、ここまで反応してくれるとは。 「佳奈すけ、感じやすいんだな」 「あっ……そう、なんでしょうか……」 「筧さんのテクニックが、すごい可能性も……んうぅっ……」 そんなことはないと思うが。 ちょっと気にしつつ胸を揉み続ける。 「あぁっ……やぁんっ、んくっ……ふんんっ……」 「んうぅっ……ふあっ……あくっ、んっ、んうっ……」 すべすべとした乳房の感触を味わっていると、中央の突起が固くなってきた。 試しに、小さく膨らんできた乳首を指でつまんでみる。 「あうっ、んうぅっ……やっ、そこはっ……」 「気持ちいい?」 「んっ……はい、気持ち、いいですっ……」 それならいっぱい触ってあげないとな。 乳首を指の谷間に挟み込み、胸を揉みながら刺激する。 「んくぅっ……うあぁっ、あっ……ひんっ、んうっ……」 「はっ……あっ、すごいっ、鳥肌が立っちゃいそうですっ……」 そんなに気持ちいいのか。 「んふっ、やあっ……ダメですっ、そんなに気持ちよくしたらっ……」 「私が筧さんを、気持ちよくするつもりだったのにぃっ……」 いやいやと首を振る佳奈すけ。 「……私も筧さんを気持ちよくしたいです」 そう言うと、佳奈すけはずりずりと下の方に移動していく。 「さ、触ってもいいですか?」 「ああ、いいよ」 佳奈すけはズボンの上からそっと俺の股間に手を置く。 「わっ……すごい固いです……」 「佳奈すけがかわいいからだ」 「えっと……つまり私に興奮してくれたってことですか?」 「そうだな」 「てへへ、嬉しいです」 佳奈すけは微笑み、俺の股間の上で手を動かす。 さするように、優しく刺激してくる。 「くっ……」 「あ……今、びくんってなりましたよ」 「中でこんなに膨らんで……苦しくないですか?」 「ちょっと苦しい」 「それじゃ……出した方がいいですね」 佳奈すけはズボンのファスナーを開け、俺の陰茎を表に取り出す。 「わ……」 佳奈すけが顔を赤らめる。 「こんな形、なんですね」 「……いや、まじまじ見られると、ちょっと」 「す、すみません」 肉棒を握ったまま、佳奈すけが目を逸らす。 「あ、でも、気持ちよくしないと」 「無理しなくていいから」 「いえ、大丈夫です。ちゃんとできます」 言いながら、佳奈すけがペニスに顔を近づける。 「これが、筧さんの……」 熱い吐息がかかる。 びくりと肉棒が反応する。 「あ、すま……」 言い終わる前に、ぬらりとした感触が先端をなぞった。 「く……」 「はむっ……ぺろっ……んちゅっ、んぷっ……」 想像以上の快感が走り、勝手に腰が浮く。 「あんっ……す、すみません、ダメでしたか……?」 「い、いや、気持ちよかったから体が反応しただけだ。別にダメじゃない」 「結構敏感なんですね、ここ」 「それじゃ、こんなことしたら……どうですか?」 佳奈すけは自分の胸を寄せて、俺の陰茎を挟み込もうとしてくる。 「んしょっ……あれ、うくっ……んっ……」 だが、佳奈すけの大きさでは包み込むというわけにはいかないようだ。 「筧さん、すみません……私の胸は役立たずです」 「うう、女子として不甲斐ない……」 しゅんとして、悲しそうな顔をする佳奈すけ。 「気にするな。これでも十分気持ちいいよ」 「筧さんは優しいですね」 「本当だって。肌はすべすべだし、胸は柔らかいし」 それに小さい胸で何とかしようと力を入れているせいで、強く陰茎が締め付けられている。 ちょっとこすれるだけで、かなり気持ちいい。 「……わかりました。頑張ります」 肉棒を胸で挟みながら、ゆっくりと体を上下に動かし始める佳奈すけ。 「んっ……くっ、はっ……んんっ……」 「どう、ですかっ……筧さん、気持ちいいですかっ……?」 「ああ、気持ちいい」 胸を動かすことはできないため、体全体をこすりつけてくるように動かしてくる。 熱くて柔らかい乳房に挟まれ、じれったい快感が肉棒に走る。 「あっ……はぁっ、ふうっ……んっ……」 「筧さん……口でも、しますねっ……」 陰茎の根本を胸で刺激しながら、亀頭を咥える佳奈すけ。 「はぷっ、ちゅっ……んくっ、はぁっ、んんっ……」 「んく、んっ……れろ、ちゅぷっ、はふっ、んはっ……」 裏筋の辺りに舌を這わせ、刺激してくる。 「うっ……」 「あむっ……ふんっ、んぷ……ちゅぱ、んっ、ちゅく……」 「んちゅっ、はっ、んうっ……ぴちゃ……」 佳奈すけの唾液で肉棒が濡れ、いやらしい音が響く。 熱い口内でたっぷりとねぶられ、一気に快感が高まる。 「はぁっ、ちゅっ、ちゅぷ……あむっ、んん……っ」 「ちゅるっ……ふぁっ、れろ、ぷはぁっ……」 佳奈すけが口を離すと、ペニスと唇の間に唾液の糸ができる。 「ふあっ、はっ……はぁ、はぁ…………んっ」 今度は肉棒の先から根本まで、胸でこすり上げてくる。 佳奈すけの唾液で滑りがよくなり、気持ちよさが倍増していた。 「うくっ……」 「んっ……筧さんのっ、すごく熱いですっ……」 肉棒を胸でこすりながら、俺の足に股間をすりつけてくる佳奈すけ。 「きゃっ……んくっ、あぁっ……んんんっ……?」 膝を持ち上げると、ちょうど佳奈すけの柔らかいところが太ももに当たった。 そのまま佳奈すけの股間に振動を与えてみる。 「ひゃんっ……はっ、か、筧さっ……ダメです、それっ……」 「ちゃんと、動けなくなっちゃいますっ……」 それでも俺は止めない。 「それなら……こっちも負けないですよっ……」 佳奈すけは口を開け、唾液を亀頭に垂らす。 さらに滑りがよくなり、少しこすられただけで凄まじい快感に襲われる。 熱い塊が奥の方からこみ上げてきた 「くっ……佳奈すけ、出そう……だ」 「あんっ、ふぁっ……いいですよっ、このまま出してくださいっ……」 俺の足に陰部を刺激され、気持ちよさそうに目を細める佳奈すけ。 しかし俺への奉仕は緩めない。 少ない胸で挟みながら、懸命に動かしている。 「くぅ……もう……!」 「んふっ、んっ……はいっ、私にくださいっ……」 くちゅくちゅと胸の谷間から音をさせながら、激しく胸でこすりあげてくる。 びゅるっ、びゅっ、どくっ、びくっ! 「んはぁっ、んくっ……ぷあっ、あふっ……熱い、ですっ……」 「うっ……」 佳奈すけの胸に挟まれながら、勢いよく精液を噴出させる。 「あんっ……やっ、すごいっ……びくびくって、震えてますっ……」 佳奈すけの顔や胸、髪の毛にまで乳白色の液体が飛ぶ。 粘度の高い白濁液で、佳奈すけをドロドロにしてしまった。 「はあっ、んっ……はあっ、んふっ……はあ、はあ……」 「ああ……この匂い、頭がくらくらします……」 すんすんと鼻を動かし、恍惚とした表情を浮かべる佳奈すけ。 「悪い、全部かかったよな」 「いえいえ、いっぱい出してくれて嬉しいです」 「私の胸、気持ちよかったですか?」 「最高だったよ」 柔らかくて熱くて、思った以上に興奮してしまった。 「ふっふっふ、こんな胸でもきちんと筧さんを満足させられたっ」 「お陰様でコンプレックスが払拭できそうです」 気にしてるよな、胸のこと。 「佳奈すけは、胸も含めて全部最高だ」 「ふふ、嬉しいです……っとと」 佳奈すけの髪から、精液が垂れ落ちてきた。 「……一度拭いた方がよさそうだな」 「いえ、大丈夫です」 てへりと笑う佳奈すけ。 「さて、次は……」 「いよいよ本番ですね」 「佳奈すけ、大丈夫か」 「と言いますと?」 「女性の場合、初めての時は痛いっていうし、怖くないかと思って」 「まあ、いつかは超えないといけない壁ですから」 「気にせずお願いします」 「気にしないってわけにはいかないけど」 「でも、なるべく優しくする」 「はいっ」 憂いのない表情で微笑む佳奈すけ。 きっと俺のことを信頼してくれているのだろう。 それなら信頼には応えないと。 「佳奈すけ、おいで」 「んっ……はい」 佳奈すけを抱きしめ、ゆっくりとベッドに寝かせる。 パンツを脱がせると、既に佳奈すけの秘部は愛液で光っていた。 「あぅ……そんなに見つめないでください」 「恥ずかしいですよぉ……」 「佳奈すけ、濡れてる……」 「だ、だって筧さんが足で触るから……」 陰部に膝を当てて揺すっていただけなのだが、それでこれだけ濡れるとは。 「感じやすいんだな」 「うー、そうみたいです……」 「でも俺は敏感な佳奈すけ、好きだけどな」 「あ、それならいいか」 佳奈すけは素早く立ち直った。 「佳奈すけのここ、触ってみても?」 「あ……はい」 「恥ずかしいですけど……いいですよ」 佳奈すけは顔を赤らめてうなずく。 俺はそっと指で秘部を撫でてみる。 「んうっ……はっ……」 熱くて柔らかい佳奈すけの秘部が指に伝わってきた。 漏れてきた愛液でぬるぬるになっており、指がなめらかにすべる。 「あっ、んんっ……ふっ、んうっ……」 「ふぁっ……はっ、んくっ、あぁっ……んうっ……」 陰唇の内側をにゅるにゅるとこすっていると、指が小さな穴に潜り込む。 「くふうっ……んっ、あ、んはっ……あぁっ……」 ぶるっと佳奈すけの体が震える。 「ここに入れるんだな」 「んっ……はい、そうです……」 「それだけ濡れてれば十分だと思いますし」 佳奈すけが恥ずかしそうに告げる。 「いや、もうちょっと」 「ええっ……さては筧さん、私の体で遊ぶつもりですね?」 「佳奈すけだって、さんざん俺ので楽しんだだろ」 「そうですけど……」 俺だって、佳奈すけの身体をよく見てみたい。 再び佳奈すけの陰唇の上で指をすべらせる。 「ううっ……くっ、あぁんっ……あはっ、んっ……」 「あっ、んふっ……んうぅっ、ふぁっ……あくっ、あぁっ……」 ぱっくりと開いた割れ目に沿って、指先でねぶっていく。 「んううっ、あっ……んくっ、はっ……ふぅっ、んんっ……」 「やっ……か、筧さんっ、ダメっ……気持ち、よすぎですっ……」 「我慢しなくていい」 「そんなぁっ……んんっ、ふぁっ、はあぁっ……」 「んくっ、これじゃ、入れてもらう前に、イっちゃいますっ……」 佳奈すけは腰を震わせ、俺の指にびくびくと激しい反応を示す。 さらに指を走らせ、クリトリスの辺りを刺激する。 「ひああぁっ、んくぅっ、はうっ……んんんっ、んふぅっ」 「やあっ、ああぁっ、くぅんっ、んっ……そ、そこはダメぇっ」 一際強く、体をこわばらせる佳奈すけ。 「気持ちいいん……だよな?」 「あっ……んくっ、そこはっ……感じ過ぎちゃってっ……」 「んふぅっ、んっ……おかしくなっちゃいそうなんですぅっ……!」 感じてるなら続けよう。 小さな突起を指で押しつぶすようにして、くりくりと愛撫する。 「ふああぁっ、あくっ、やうぅっ、んんんっ……ひんっ、うふっ、ああぁっ」 「んんっ、ううう〜っ……ダメダメっ、筧さぁんっ、そこばっかりはダメですっ……!」 ぱたぱたと足をばたつかせ、抗議する佳奈すけ。 膣口からはトロトロの愛液が次々とあふれ出てくる。 放っておいたらベッドに垂れてしまいそうだ。 「佳奈すけ、すごい濡れてる」 「んくっ、はあっ……筧さんのせいですよぉっ、止められないですっ……」 膣口がうごめき、目を細める佳奈すけ。 「筧さん、もう入れてください……このままじゃ、切ないです……」 「わかった」 一度射精した肉棒は、すでに復活している。 佳奈すけの嬌声に煽られ、痛いくらいに固く勃起していた。 そんなペニスを、佳奈すけは凝視する。 「あれ……筧さんの、さっきより大きくなってませんか?」 「佳奈すけが興奮させてくれたからな」 そそり立ったペニスを陰唇の上に滑らせる。 「んううっ……はぅんっ、やっ……ん……」 「あっ……んふっ、くぅっ、んあぁっ……」 亀頭で佳奈すけの愛液をすくい取り、たっぷりと濡らしてから膣口にあてがう。 「入れるぞ、佳奈すけ」 「はい……」 ゆっくりと力を入れ、佳奈すけの奥へと肉棒をめり込ませていく。 「んううっ、いっ、ああっ……んっく、ふぁっ、はあぁっ……」 「あくっ、ひあぁっ、筧さん……筧さん……」 膣口から少し入った辺りで、何かに阻まれる。 さらに力を入れないと、奥へは進めなさそうだった。 「大丈夫か?」 「は、はい、大丈夫です……」 そう言うものの、表情は固い。 「無理そうならやめておくけど」 「やっ、嫌です。ここまで来てやめないでくださいっ」 「筧さんと一つになりたいです……」 潤んだ目で見つめてくる佳奈すけ。 そこまで言うなら、遠慮しているわけにはいかない。 「わかった、痛いかもしれないけど我慢してくれ」 一気に力を込め、佳奈すけの膣内へ肉棒をねじ込む。 「あっうあああぁぁっ、あんんっ、やっ、いったぁっ……んんんんっ」 「ひあぁっ、はっ、んつぅっ……うあああぁぁっ、あくぅっ……!」 タオルケットをぎゅっと掴み、痛そうな表情を浮かべる佳奈すけ。 膣口が大きく歪み、端から血がにじみ出ていた。 「もう少しだ……!」 愛液を潤滑油にして、さらに佳奈すけの奥へと肉棒を埋没させていく。 「んうううっ、はあぁっ……んいっ、くうぅんっ、ああぁっ」 「あっ、うくっ、か、筧さんっ、筧さんっ……!」 俺の服を掴んで、招き入れるように体を引っ張る。 ついに陰茎の根本まで、佳奈すけの膣内に肉棒が納まった。 「入ったぞ、佳奈すけ」 「はあぁっ……あんんっ、うあぁっ……痛い、ですっ……」 「でも、嬉しいですっ……筧さんと、一つになれましたっ……!」 佳奈すけは涙をにじませながら、俺を見上げてくる。 「よく頑張ったな」 佳奈すけは痛みを我慢して俺を受け入れてくれた。 たまらなく愛おしい。 「んんっ……はっ、これが初めての痛みなんですね……」 「どんな痛さなんだ?」 「ううん、比較するものがないので言い表しにくいです」 「でも、例えるなら……限界まで口を開けて唇の端が切れちゃった時の、すごい版?」 ……想像してしまった。 「筧さん、どうして口を押さえてるんですか?」 「痛い想像だ」 「大丈夫ですよ。入ってくる時は痛かったですけど、今はじんじんするくらいです」 「それより、筧さんの方はどうですか?」 「すごく気持ちいいよ」 膣内の圧力が凄まじく、握りつぶされそうなほどの力を感じる。 入れたままだと痛いくらいだった。 「えへへ、よかったです」 佳奈すけが笑った途端、膣内が大きくうねった。 「うくっ……」 根本から先端に向けて搾り取るように圧力を加えられ、眩暈がするほどの快感が走る。 まだ入れただけなのに、あやうく出てしまいそうになった。 「……どうしたんですか?」 「気持ちよすぎて、出そうになった」 「ふふ、膣内に出しちゃうんですね」 「いや、もちろん外に出すよ」 「いえいえ、大丈夫ですから。そのまま出してください」 「それはまずいだろ」 「もう、筧さん。どうして今日、自宅に誘ったと思ってるんですか?」 ……計算してたのか。 「でもなあ」 「お願いします、筧さんっ」 「せっかくですから、きちんと最後までしたいんです」 頼み込まれてしまった。 「……わかったよ」 「本当ですか? 直前で抜くとかなしですからね」 読まれてた。 「仕方ない、佳奈すけを嫁にもらうつもりでする」 「わーい、筧さん大好きっ」 嬉しそうに微笑む佳奈すけ。 「それじゃ佳奈すけ、動かすからな」 「は……はい、お願いします」 佳奈すけの体を押さえ、きつく締まった膣内から肉棒を引き出していく。 「ん……あぁっ、はっ……んくっ、はうっ……」 切なげに顔を歪める佳奈すけ。 「痛くないか?」 「はっ……ん、はい、平気ですよっ……んうぅっ、あくっ……」 引き抜いた陰茎には佳奈すけの血がまとわりついている。 「血が出てても平気なのか」 「女は毎月のように出してますからね」 なるほど、そういうものか。 「もうあまり痛くないので、普通に動いてください」 「わかった。でもしばらくはゆっくりな」 引っ張り出したペニスを、再び佳奈すけの膣内へ収めていく。 「んふっ……あんっ、んうぅっ、ふぁっ……はっ、ああ……」 「やっ、くうぅっ……ふっ、あぁんっ、あんっ……」 亀頭が奥の壁にぶつかると、熱い膣壁がうねって刺激を与えてきた。 蕩けてしまいそうなほどの快感だった。 「あんっ、あふっ、はぁっ……んっ、んあぁ……」 「あ、ひんんっ……あうぅっ、筧さんっ、気持ちいい、ですっ……」 ゆっくりと出し入れを繰り返す。 「くふっ、んう、うぅ……あんっ、はっ、はあぁ……っ」 「あっ……うああぁっ、ダメっ……やっ、本当に気持ち、いいっ……!」 甘い声を漏らし、蕩けた表情を見せる佳奈すけ。 早くも感じ始めたようだ。 「佳奈すけ、速くしても大丈夫か」 「んんっ……はい、でもっ……これ以上気持ちよくなったら、おかしくなっちゃうかもっ……」 もっとおかしくさせたい。 佳奈すけの体を押さえ、強く腰を引く。 「あんんっ、ひっ、あくっ……ふああぁっ、やんっ」 「はあっ、んくぅっ……すごっ、筧さんっ……激しい、ですっ……!」 愛液で濡れた膣内に勢いよく肉棒を押し込む。 陰茎が激しく膣壁とこすれ、激しい快楽に襲われる。 「んくっ、はあぁっ、あふっ、んっ、くううっ、うああぁっ」 「やっ、んっ、くうぅんっ……ひああぁっ、んんっ、んふうぅっ」 体ごと佳奈すけにぶつけ、膣奥まで肉棒をえぐり込む。 「ふああぁっ、んくっ、ひうぅっ、んくっ、ふっ、はあぁんっ」 「あっ、やあぁっ、筧さんっ、もう、イっちゃうかもっ……あああぁぁっ」 佳奈すけのあえぎ声が一際高く響く。 ぎゅうぎゅうとよく締まる膣内に締め付けられ、あっという間に射精してしまいそうになる。 「くっ……俺もイキそうだ」 「あんんっ、あっ、か、筧さんっ……中ですよ、中ですからねっ」 「んくっ……途中で抜いちゃ、ダメですよぉっ……!」 そう言って、俺の体に足を絡ませてくる佳奈すけ。 「わかった……!」 「ひあぁっ、あくっ、んんんっ、んふっ、いや、やぁっ、イクっ、イっちゃうっ……!」 「んんっ、筧さんも、一緒に来てくださいっ」 佳奈すけの膣内が激しく痙攣し、我慢の限界に達する。 「イクっ……あああぁぁっ、んくううぅぅっ、んああああぁっ!!」 「あっ、ああっ……あんんんっ、ふあああぁっ、イク、ううううううぅぅぅっ!!!」 びゅるっ、どくっ、びゅくっ! 「ああああぁぁっ、はあぁっ、んんんっ……あ、熱いぃっ……!」 「くぅっ」 熱い精液の塊を、佳奈すけの膣奥に勢いよく吐き出す。 「んううっ、あふっ、あぁっ……やっ、熱いのがどんどん入ってきますっ……」 「はっ、あうっ……筧さんので、中が灼けちゃいそうです……」 何度も何度も脈を打ち、佳奈すけの膣内に大量の精子を注ぎ込んでいく。 膣内がいっぱいになってしまったのか、結合部から白濁が溢れて流れ落ちる。 「んっ……筧さんの、まだ震えてますねっ……」 「うぐっ……」 さらに精液を搾り取ろうと佳奈すけの膣内がうねる。 あまりの快楽で、頭が真っ白になる。 「はあっ、はあぁっ……はあ……んっ、気持ちよかったです……」 佳奈すけが恍惚とした表情で見つめてくる。 「俺も気持ちよかった……」 まだ頭がチカチカする。 「ふふ、筧さん、ぼーっとしてますよ……」 「佳奈すけだってそうじゃないか」 「だって……お腹の中に筧さんの熱いものが溢れてきて、頭がおかしくなるほど気持ちよくて……」 「いやあ、てへへ……何だかよくわかんなくなっちゃいました」 幸せそうに微笑む佳奈すけ。 「まずいですねぇ……」 「何が?」 「まさか初めてなのにこんな気持ちいいなんて……病みつきになっちゃいそうです」 繋がったままの秘部を見つめる。 「ふふ、何だか蕩けて一つになっちゃったみたいな感じです」 「俺もそんな感じだ」 熱くぬかるんだ佳奈すけの膣内に入れていると、佳奈すけと一体になってしまったかのようだ。 「そろそろ抜いていいか」 「んっ……もう少し入れておいてください……」 ひくひくと膣壁が痙攣しているため、じんわりと快感が高まっていく。 このままだとまた大きくなってしまう。 「抜くよ」 ちゅるぅっ 「ぐっ……」 引き抜く際にゾクゾクと鳥肌が立ちそうなほどの快感が走った。 「あんっ……ああ、出ていっちゃいました」 佳奈すけが名残惜しそうに俺のペニスを見つめる。 「筧さんの、まだ大きいですね」 「佳奈すけの中が気持ちよすぎたせいだ」 「まだ入れられそうじゃないですか?」 もう一回するつもりなのだろうか。 「いや、初めてだし今日はこれくらいにしとこう」 「そうですか。まあ、私も体がガタガタですしね」 緩慢に体を動かす佳奈すけ。 ぴゅ、とろっ…… 「あっ……やんっ……」 佳奈すけの膣口から小さい音がして、だらりと乳白色の液体が流れ出てくる。 「筧さんのが出てきました」 膣内からは、トロトロと止めどなく精液が溢れてくる。 どれだけ中に詰まっているのか。 「筧さん、すごい量じゃないですかー」 「出過ぎだな」 「んふふ、気持ちよかったんですね」 「ああ、最高だった」 言っている間にも、白濁の液体は割れ目に沿って流れ落ちていく。 「布団が汚れるぞ」 「んー、それも悪くないかも」 「いいのかよ」 「筧さんの匂いがいっぱい染み込んで、いない時も感じられますから」 「……ボケかどうか判断しにくいな」 「ええっ、私、ボケてましたか?」 「ちょっとな」 「そうかなぁ、おかしいかなぁ」 首をひねる佳奈すけ。 「でも、そんな佳奈すけも好きだ」 「えへへ、その言葉、待ってました」 佳奈すけは俺に手を伸ばし、首に回してくる。 そのまま顔を近づけ、口づけをした。 「んぅっ……んっ、ちゅっ……」 「ん、あ……んくっ……ふっ、ちゅくっ、ふぁっ……」 口を離し、佳奈すけが微笑む。 「筧さん、大好きです」 「俺も大好きだ、佳奈すけ」 答えて、一生懸命に俺を受け止めてくれた佳奈すけの頭を優しく撫でた。 「はああぁ〜、ごくらく〜……」 エッチの後、佳奈すけと一緒にお風呂へ入ることにした。 「ちょっと狭いな」 「ふふ、くっついちゃいますね」 佳奈すけの体が、ぴったりと俺にくっついてくる。 想像より華奢な身体は、俺よりまるまる一回り小さい。 こんな身体で俺を受け止めてくれたのか。 きっと、壊れそうな思いをしたに違いない。 愛おしさがこみ上げ、思わず抱きしめそうになるのを、何とかこらえた。 「筧さん、どうでした? 満足していただけました?」 「ああ、最高に気持ちよかった」 「なら安心しました」 佳奈すけが、身体の緊張を解いたように感じた。 「佳奈すけはつらくなかった?」 「大丈夫です」 「ちょっと足がフラフラしますけど」 「乱暴だったかもしれない」 「いやいや、淡泊な感じよりは」 照れる佳奈すけの頭を撫でる。 後で髪でも洗ってあげようか。 「でも、やっぱり胸はないと駄目ですね。もう少し成長させたいです」 「そうでないと筧さんのが挟めません」 湯船の中で、ぷにぷにと自分の胸を揉みほぐす佳奈すけ。 「胸が大きくなるツボってのは実在するのか」 「してたら苦労しません」 「こことかどうだ?」 脇の下から手を回す。 「わにゃにゃっ!」 「ここは? こことか」 「や、駄目ですっ、くすぐった、くすぐったいですって!」 佳奈すけがジタバタ暴れる。 「あえてここか、いや、むしろ……」 「わははははっ!」 佳奈すけが暴れた拍子に、肘が俺の顎を捉えた。 「ごふっ」 「わあああ、筧さんっ!?」 「いや、大丈夫……でも、結構鋭かったな」 佳奈すけの頭を撫でる。 「すみません。まな板な上に、肘まで入れちゃって……」 「気にするなって」 「でも……」 まだ何か言いかける佳奈すけ。 胸の話題はもうやめよう。 俺はぜんぜん気にしていないのだから。 「これからは、胸のことは言いっこなしにしよう」 「俺は佳奈すけが、丸ごと全部好きなんだ」 「ふふふ、ありがとうございます」 佳奈すけが頭を後ろに傾け、俺の胸に後頭部を載せる。 「約束できる?」 「貴重なネタが一つ潰れますけど、約束します」 「よし」 もう一度、佳奈すけの頭を撫でる。 「……筧さん」 「ん?」 「本当に私が相手で良かったんですか?」 「当たり前だろ」 今さら言うまでもないことだ。 「でも、今でも思うんです」 「あのとき私が引き留めなければ、筧さんはもっと幸せになれてたんじゃないかって」 「私が無理矢理、筧さんを変えちゃったんじゃないかって……」 「馬鹿だな」 佳奈すけの頭を撫でる。 「だったら、佳奈すけが図書部を辞めるか悩んでたとき、俺が止めたのは間違いだったのか?」 「いえいえいえ、間違いだなんて。大正解です」 「俺だって同じだよ」 「……ありがとうございます」 呟くように言う。 「図書部に入って、俺は変わったんだ」 「そして佳奈すけ……」 「お前に会って、俺は生まれて初めて人を好きになれたよ」 ぎゅっと佳奈すけを抱きしめる。 「ありがとう」 「筧さん……」 佳奈すけが俺の腕をぎゅっと握ってきた。 「私、筧さんに喜んでもらえてますかね」 「もちろんだ。お前がいなかったら、俺はここにはいない」 「ふふ、嬉しいです」 にっこりと笑う佳奈すけ。 「佳奈すけも、図書部に入って賭には勝ったんだろ?」 「あはは、その話ですか」 苦笑する。 「もちろん勝ちましたよ」 「もう万馬券を当てたくらいなもんです」 「俺たち二人とも、図書部に感謝しないと」 「ですね」 「それと、今年の初めに、変なメールをくれた羊飼いにも感謝です」 「ああ」 小太刀の顔を思い出す。 あいつのちょっとした心の動きが、今の俺たちに繋がっている。 人と人ってのは、どんなところで影響し合うかわからないな。 「私、これからもみんなと一緒にいていいんですかね?」 「当たり前だ」 「お前がいなかったら、新生生徒会はお通夜になる」 「では、ご期待に応えて盛り上げていきますよー」 佳奈すけがガッツポーズを見せてくれる。 本当に頼もしい。 「筧さんとも、これからずっと一緒ですよ」 「ウザいくらいつきまといますから、覚悟してくださいね」 「寂しいなんて感じる暇もないくらい、ずっとですよ」 「望むところだ」 佳奈すけをぎゅっと抱きしめる。 不思議なことに、佳奈すけの身体が湯船のお湯より熱く心地よく感じられた。 力を入れたら折れてしまいそうなほど華奢なのに、こんなにも豊かで温かい。 大切にしないとな。 「ずっと一緒だ、佳奈すけ」 「はい、筧さん」 「花の世話をする人員が足りない」 ノートパソコンの画面を見ながら、桜庭が呻くように言った。 すっかりかび臭さの薄れた図書部部室には、いつもの面子が集まっている。 桜庭の言う花とはもちろん『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』で活躍した、パンジーだ。 現在でも逞しく花をつけている彼らの世話は、学生ボランティアによるところが大きい。 「そんなにやばいのか?」 「いや、今すぐにどうこうというわけではないのだが……」 「そろそろ来年以降の種まきのことも、視野に入れる必要があるからな」 「そうなると、今いるだけの人員では心許ない」 「……なるほど」 パンジーは冬から春の花だ。 近々散ってしまう。 花の散ったパンジーから種を回収して、その種で新しいパンジーを育てる。 そしてまた来年も新入生を花と笑顔で迎える。 それが繰り返されて初めて、『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』は完結する。 「種を蒔く頃になって人を集めるより、今のうちから花に慣れてもらった方がいいですよね」 「そうだな。で、ボランティアを募る方法だが……」 新聞部に頼むか、芹沢さんに頼んで放送で呼びかけてもらうか。 どちらも大きな効果が期待できそうだが、何か違うようにも感じる。 皆も俺と同じように感じているのか、各々壁や天井に視線を這わせていた。 まるで何か思い出そうするみたいに。 ……と、今まで黙っていた白崎が、急に立ち上がった。 「図書部がみんなに何かを呼びかけるなら、ビラ配りじゃないかな」 全員が一斉に白崎の方を向く。 まるで示し合わせたみたいに口を揃えて『それだ!』と言った。 そういうわけで、さっそく外に繰り出した。 久しぶりのビラ配りだ。 みんなのコスプレ姿が、妙に新鮮に見える。 「桜庭の和装コスに、千莉ちゃんのネコ耳メイド……」 「佳奈すけのウェイトレスは、外で見るとまた違った趣があるなあ」 「同感だ」 そんな中でも目を引くのは、白崎の巫女服だった。 巫女の衣装でありながらミニスカート丈というアンバランスさ。 揺れる裾を見ていると、こっちまでフワフワした気分になる。 「しかし俺としては、京子ちゃんがいないのが悲しいぜ」 「悲しかねぇよ」 「えー、京子ちゃんはビラ配りの華だったのになぁ」 「お前だって、嫌いじゃなかっただろ」 「アホか」 これ以上高峰につきまとわれるのは面倒だ。 「別の場所でビラ配ってくるわ」 「ああ、待って! 京子ちゃん!」 「京子じゃねえ」 高峰を振りほどいて、俺は学園の敷地内へと移動した。 食堂前の緑地、校舎の中庭などをビラを配りながら進む。 学園内の湖畔に着く頃には、ビラはすっかり無くなっていた。 「ふう……」 ベンチに座って一息つく。 どのぐらいボランティアが集まるかはわからないが、とにかくビラは配りきった。 食堂でも中庭でも、図書部というだけで、みんな好意的に話を聞いてくれた。 つくづく、影響力のある団体に育ったものである。 ……やっぱり白崎は凄いよな。 そんなことを考えながら、俺はぼんやりと空を見上げていた。 ふと視界の隅を、白崎の顔が横切った。 「……ん?」 なんだ今のは? そう思った途端に、目の前が真っ暗になった。 温かく柔らかい何かで、俺の両目が塞がれている。 1秒ほどの静寂の後、予想と何ら違わぬ台詞と声が、暗闇の世界に響いた。 「だーれだっ?」 「白崎」 「うわっ、即答」 温かい何かが俺のまぶたの上から離れる。 振り向くと、そこにいたのは当然白崎だった。 「すごーい。なんで分かったの?」 「あ、声でか」 椅子からずり落ちそうになる。 「いや、さっき顔が見えてた」 「あ、ばれてた?」 「ばれないと思ったのか? あんなにしっかり覗き込んで」 「いやでも……また間違えたら嫌だし」 「あ……」 俺と白崎が初めてデートした日の朝、白崎は俺と間違えて赤の他人に『だーれだっ?』をかましていた。 もう諦めたものかと思っていたのだが……。 「1回失敗したぐらいじゃ諦めないよ」 「いつか完璧な『だーれだっ?』を決めてみせるからね」 密かにリベンジに燃えていたらしい。 「ターゲットを間違えずにできたから、1歩前進」 「次の目標は、筧くんに気づかれないこと」 「まあなんだ……卒業するまでにマスターできるといいな」 「とりあえず座れば?」 身体を横に寄せて、ベンチにスペースを作る。 「ビラ配りは?」 「全部終わったよ」 「部室に戻ろうと思ったら筧くんが見えたから、こっちに来たの」 「筧くんは?」 「俺もここに来るまでに配り終わった」 「すごいな。あれだけの量のビラが1時間足らずで無くなったのか」 「うん、これもみんなのおかげだよ」 確かにその通りではあるが、さらりと言える白崎はやっぱり凄いと思う。 俺がそう言うと、白崎は照れたように笑った。 「そんなことないよぅ」 やっぱり可愛いな。 白崎が俺の彼女であることが、たまらなく嬉しい。 ちらりと白崎を窺うと、短い袴の裾から真っ白の太ももが伸びている。 どうしても視線が吸い寄せられてしまう。 「……筧くん?」 「あ、いや……なんでもない」 「まあでも、ビラを配りきったからって、ボランティアが必ず来てくれるわけじゃないからな」 真面目な話を振って、誤魔化そうとする。 「その時はまた、別の方法を考えたらいいよ」 今度はふにゃりと笑う白崎。 くそ、可愛すぎるだろ。 「筧くん? やっぱり、変だよ?」 そう言いながら、白崎が俺の顔を覗き込む。 覗き込んだ顔に、俺は自分の顔を近づけていった。 唇が軽く触れ合う。 「あ……」 白崎の唇が熱い。 小さく接触しただけなのに、彼女の熱っぽさが俺の唇に残っている。 「白崎……」 白崎が顔を上げる。 その顔は真っ赤だった。 「顔、赤くなってる」 「初めてのデートのこととか、思い出しちゃったからかな……」 「なんだかすごく……身体が熱くなっちゃってて……」 白崎は、困ったように視線を彷徨わせている。 「どうしよう……ここ外だし、学園だし……部活の、途中だし……」 「どうしようも何も……」 俺はごくりと唾を飲込む。 唾と一緒に、白崎の言葉や表情の持つ意味も丸呑みしてしまった。 「……ここは人目があるから、山の中に入ろう」 俺達は手を繋いだまま、湖畔のベンチから立ち上がった。 まるで何かから逃れるようにして、俺達は森の中を突き進んでいった。 途中からは『白崎と森の中を手を繋いで走っている』という状況が面白くなっていた。 夢中で森の中を駆け抜ける。 気がつくと俺達は、森のかなり深いところまで入り込んでしまっていた。 「はぁっ、はぁ……」 白崎の息が上がっている。 俺の鼓動も高鳴っていた。 「興奮……しちゃってるのかな?」 「どうだろう……」 とにかくここなら人目は無い。 俺は白崎を抱き寄せようとする。 「きゃ……っ」 下駄で長く走ったせいか、白崎は足をもつれさせてしまう。 そのまま俺の身体の……主に下半身部分に向かって、白崎は倒れ込んできた。 むにょりという、心地良い感触が下半身に触れる。 先ほど俺を目隠しした指よりも温かくて、柔らかい感触が布越しに伝わってくる。 想像通りではあったが、『だーれだっ?』の30倍は驚いてしまった。 白崎の乳房が、俺の股間の上に被さっていた。 「や、これは、その……ちが……」 「……違うの?」 白崎の大きな瞳が、俺を覗き込む。 「いや……違うわけじゃ、ないけど……」 俺の下半身から、白崎の上半身が離れる気配は無い。 むしろ積極的に、俺に体を預けてきている。 ぐいぐいと、押しつけているようにも感じる。 「あの……白崎?」 「うん……重たい?」 「いや別に、重たくはないけど……何を考えてる?」 「うーん……」 白崎が、小さく首をかしげた。 「ちょっと好都合かもって、考えてる」 「好都合?」 「試してみたかったことがあるんだけど……今、やってみていいかな?」 上気した表情から発せられる、白崎の言葉。 「この状況じゃ、駄目なんて言えない」 「えっと……てことは、いいのかな?」 「あ、ああ……」 ひねくれてると思われないように、素直に首を縦に振る。 白崎は微かな笑みを浮かべて、着物の前をはだけさせた。 大きな乳房が露わになる。 「ブラつけてなかったんだ」 「あ、う、うん……」 「着物でブラジャーを着けるのは変だって、玉藻ちゃんが……」 「あいつ……」 まあ、古式ゆかしく着るのなら正しいのかもしれないが。 「や、やっぱりブラは、着けた方がいいのかな?」 「いや、正式だとは思う」 「でも良かった。変じゃなくて」 気を取り直したように、白崎が乳房を持ち直す。 「……っ」 ゆさりとした刺激に、下半身が反応する。 「あ、ごめんね。苦しいよね」 白崎が、俺の下半身を優しくまさぐる。 「うわ……っ」 解放されたペニスが、白崎の乳房と直接触れあう。 「わ、わ、わ……っ、すごい、胸の谷間が、押し広げられてる……」 実に的確な白崎の報告。 「さすがにそれは無い」 「……本当に?」 「う……多分」 そう言われると、自信が無くなってくるくらいに、俺の陰茎は充血していた。 「やってみたかったことって、これ?」 「う、うん……。おっぱいで挟んだら、気持ちいいって聞いたから……」 「これも……桜庭情報?」 「あ、や、これは……独学」 「独学って……」 「……エロいな」 「ち、違うよ! い、いやらしいのは……違わないかもだけど……」 「ちょっとでも……筧くんに気持ち良くなってもらいたいって思って……」 「そりゃ、嬉しいな」 「……気持ちいい?」 「腰ごと溶けてしまいそうだ」 素直に言うと、白崎は機嫌を直したように笑う。 「なら、良かった……」 「じゃあ、動かすね」 白崎の両手が、キュッと中央に寄せられる。 身体ごと、乳房を上下に揺らし始める。 「んしょ……っ、ん、んっ、んぅ、んぅぅ……っ」 「んあ、あ、あ……っ、や、あ……っ、んぅっ、んんぅぅ……っ」 「うわ……」 想像以上の感触が、俺の下半身を襲った。 とにかく柔らかい。そして熱い。 乳房の表面にうっすらと染みだしている汗は、果汁か何かのようだった。 「ん……、はぁっ、はぅ……っ、ふあっ、あ、んっ、ん……っ、んぅぅ……っ」 それが俺のペニスをくるむ。 目が回りそうだ……。 頭の中がジンジンするのは、きっと血の巡りが足りていないからだろう。 血液が、下半身付近で大渋滞を巻き起こしている。 「筧くんの……すごく熱いね……」 そう呟いて、白崎がさらに乳房を寄せる。 「ん、んぅ……ん、ん、ん……っ、んぅっ、んぅぅぅぅ……っ」 「うわ……っ、うあ……っ」 陰茎が絞られるようにして、先端から先走りが溢れる。 「あ……、何か出てきた……」 溢れたカウパーは胸の谷間に落ち込んでいき、白崎の乳房を汚す。 「あ、あ、あ……っ、胸……ねちょねちょしてきた……・」 それが潤滑油の代わりになっているのか、乳房の動きが早まっていった。 ……改めて言うまでもないけど、ここは森の中だ。 風が木々の隙間を通り抜ける音や、時折鳥の鳴き声も聞こえてくる。 それらの野趣に富んだ音に、乳房と陰茎の擦れる音が混ざり始める。 ぐちゅり、ぐちゅ……ぢゅくっ、じゅぷぅ……っ。 「なんか……すごくエッチなことしてる気がしてきた……」 「わ、わたしも……」 「んああ……っ、ぅあ、ふはぁ……っ、はぁ、はぁ……っ、うあっ、はううぅぅ……っ」 白崎の興奮した吐息が、俺の亀頭にかかる。 その熱に促されるようにして、陰茎はまた先走りを吐きだした。 「お汁から……エッチな匂いがするね……」 「エッチな匂い?」 「うん……。この匂いを嗅ぐと、わたしもエッチな気分に、なっちゃう……」 「……これ以上?」 「これ、以上……」 それから俺達は沈黙する。 風の音と、乳房と陰茎の擦れる音だけが、しばらく森に響いた。 「そろそろ……入れても?」 「今日は……中で出しても、いい日だよ」 その言葉を聞いた俺のペニスが、ビクンと震えた。 「ひゃっ」 「……」 「……ふふっ、うふふふっ」 「あはは……」 余りに即物的な陰茎の反応に、俺達は思わず笑ってしまった。 「もう……このまま出ちゃいそうだね」 「いいかな?」 「あとでちゃんと、その……中にも、くれるのなら……」 「それは、もちろん」 「じゃあ……」 白崎の乳房が加速する。 様々に形を変えながら、陰茎に絡みついてくる。 「んぅっ、ん、ん……っ、んくぅっ、ん、んぅぅぅ……っ」 エッチな気分になったと言うだけあって、白崎の吐息はいっそう激しくなっていた。 「白崎の胸、気持ちいい……」 「あはは……、嬉しい……っ、ん、んぅ……っ、ん、んく、んっ、ふあ、ぅああぁぁぁ……っ」 白崎の乳首が固く勃起しているのが分かった。 乳首は固いのに、乳房は柔らかい。 女の子の体って、不思議だ……。 「何か……すごい見られてる気がする……」 「うん……、すごい見てる」 例えば……鎖骨に溜まった汗。妙に生々しい。 時々腰がくねるのは、やっぱり下半身がそれを求めているからなのだろうか。 「恥ずかしいよ……」 「でも、見てたい」 「もう……っ」 白崎の乳房が、また形を変える。 ギュッと強く、陰茎を圧迫する。 「うあっ、はぁっ、はぁ……っ、んぅっ、ん、んぅぅぅ……っ」 「やっぱり……筧くんの、すごく固い……。胸、擦れちゃう……」 乳房にカリ首が引っかかることを言っているらしい。 えらの張った部分を乳房が擦るたび、俺の尻にはゾワリとした快感が走った。 「はぁ、はぁ……っ、く、んんっ、ん……っ、ふあっ、あ……。筧くんの、震えてる?」 「……ああ」 尿道口が、何かを訴えかけるようにバクバクと動いている。 それを視認して、白崎がスパートをかける。 「うあ、あ、あ……っ、ああっ、あ……っ、んぅっ、ん、ん……っ、んぅっ、んぅぅ……っ」 「はぁっ、はぁ……っ、あっ、ああっ、あ、はふっ、ふぅ……っ、うんっ、んぅぅっ!」 より柔らかく、かつ激しく、白崎の乳房が俺を責める。 「いきそうだ……」 「うん……、うんっ、いっぱい、出して……わたしの胸で、気持ち良くなって……っ、ん、や……っ」 「わたしの胸に……筧くんの、いっぱい出してね……っ、はぁっ、ぅあ……っ、あ、あ、あ……っ」 「うあ、あ……っ、あ、ああっ! あ……っ、やっ、やぁっ、はぁっ、はぁ……っ!!」 「やっ、やぁ……っ、あ、あ、あ……っ、うあっ、ああああぁぁぁぁ……っ!」 びゅるっ、びゅくっ! びゅるっ、どく……っ! 「やあぁぁぁ……っ、すごい、いっぱい……出てる……っ」 全て絞り出されてしまったのではと思ってしまうほどの勢いで射精する。 「あ、あ、あ……っ、筧くんの、すごくビクビクしてる……」 真っ白な体液が、尿道口から飛び出してくいく。 「ああっ、ああ……っ、うああっ、ああぁぁぁぁ……っ」 白濁液が周囲に飛び散る。 白崎の乳房を、頬を、髪の毛を汚していく。 「うあぁぁ……、ドロドロ……、エッチな匂い、すごく濃い……」 「悪い……」 とりあえず謝りながらも、俺は白濁に染まった白崎から目が離せないでいた。 「いいよ。大丈夫……」 「これで終わりだったら、謝ってほしいかもだけど……違うもんね」 俺のペニスは、まだ白崎を汚し足りないと言わんばかりに、固い。 「もちろん」 「えへへ……嬉しい。ちゅ」 精液〈塗〉《まみ》れのペニスに、白崎がキスをした。 俺の股の間から立ち上がり、パンツを脱ぐ白崎。 さすがにパンツは履いていたようだ ホッとしたような、少し残念なような。 そんなことを考えている内に、白崎が準備を整える。 太い木の幹に手を添えて、丸いお尻をこちらに突き出した。 「あ……」 白崎の剥き出しになった臀部を掴む。 ゆっくりと、尻の裂け目を開いていく。 白崎の陰部が、にちょりと糸を引くのが見えた。 先ほど白崎が何度も腰をくねらせていたのは、この滑りを感じていたからだろう。 「すぐに入れても、大丈夫?」 「うん……」 ペニスを臀部にあてがう。 「あっ」 白崎の身体が、小さく震えた。 「筧くん、それ……違う方……」 「え? あ……」 見ると、亀頭の先がちょうど白崎の肛門に当っていた。 「……」 試しにその部分に、くにくにと亀頭を擦りつけてみる。 「だ……だめだって、そっちは……汚いから……っ」 「や、や、や……っ、ひゃ、や……っ」 「なんか気持ち良さそうだけど……」 「そ、そんなことな……っ、やっ、やああぁぁぁぁ……っ」 早くも白崎の臀部には汗が浮かび始めている。 「もう……っ、早く、入れてくれなきゃ……怒るよぉ……っ」 「入れるって、どっちに?」 「ど、どっちって……、決まってるじゃない」 「ううっ、ううぅぅぅ……っ」 「お……お尻じゃ、ない方……」 考えてみたら、ひどい質問だ。 白崎は耳まで真っ赤にして、モゾモゾと身体をよじる。 「……ぇるわけない」 「ん?」 「い、言える訳、ないでしょ……っ」 「もう……本当に、怒るよ……っ」 さすがに白崎の声には、微かではあるが怒気が含まれていた。 「悪い、冗談が過ぎた」 改めて、膣口の方に陰茎をあてがう。 「あ、ああぁ……、や……っ、やっ、やぁっ、あ、ああぁぁぁぁ……っ」 本来の穴に挿入すると、白崎の声からはたちまち怒気が薄れる。 「もう……変なこと、しないでよね……」 「悪かった」 反省の気持ちを込めて、肉棒を差し込んでいく。 「あ、あ……っ、ふあ、あああっ、あああぁぁぁ……っ」 白崎の奥から俺の陰茎を伝って、愛液が溢れてきた。 ポタポタと垂れ落ちて、地面を濡らす。 「はぁっ、はぁ……っ、ん、あっ、や、や……っ、んくっ、んぅぅぅ……っ」 「やああぁぁぁ……っ、中、どんどん気持ち良く、なってきてる……」 「うん……」 白崎の膣壁が徐々に開いていくのが分かる。 俺のモノを奥まで導き入れようと、内部が誘うように動いていた。 「1回出しておいて良かった……」 「ん?」 「出さずに入れてたら……すぐ終わってたかも……」 「わたしは別に……早くても、大丈夫だよ……」 「でも俺は、できるだけ長く白崎と繋がっていたい」 「まあ、わたしも……それは、同じだけど……」 そう言いながら、白崎の耳がまた赤くなっていく。 恥ずかしいことを言ってしまった……とでも思っているらしい。 「白崎……」 「う、うん……?」 「……可愛い」 「ふえ? え、えええ……」 白崎の耳や、うなじまで赤く染まっていく。 「ひょっとして……わたしで遊んでる?」 「遊んでないよ。心からそう思ってる」 「で、でも……にゃ、や、や……っ、や、やああぁぁぁ……っ」 「確かに白崎の反応を見て、面白いとは思ってる」 「やっぱり……遊んでる……っ」 「でも『可愛い』って思ってるのも、本当だ」 「え……そんなぁ……」 困ったように身をよじる白崎。 そんな様子を見ながら、俺は白崎が彼女で本当に良かったと思っていた。 「や、やぁっ、あ、ああっ、や……っ、ぅああぁぁぁぁ……っ!」 急に白崎の締め付けが強くなった。 「く……っ」 股間に生暖かい感触が伝わってくる。 結合部を見ると、膣奥で洪水でもあったみたいな勢いで、愛液が溢れ出していた。 「い……今の台詞に、スイッチを入れる要素なんてあったか?」 「あったよ、ありまくりだよっ! スイッチだらけだよぅ……っ」 「そんなこと言われたら、嬉しいって思っちゃうし……」 「思ったら、体が、うあっ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 白崎がしがみつくように、両手で木の幹を握りしめる。 ゆさっと木が揺れて、白崎の上に落ちる木漏れ日も揺れた。 「白崎……ちょっと声、抑えて」 「無理ぃっ、無理だよ、そんなの……っ、や、や、やっ、ひゃんっ、や……っ」 完全に、白崎の体には火が付いてしまったらしい。 「ああっ、ふああっ、あ、あ、あっ、あああぁぁぁぁ……っ」 白崎の喘ぎ声が森に響く。 かなり森の奥まで来たつもりだけど、それでも誰かに見つかりはしないかと心配してしまう。 「か、筧くぅん……」 子犬が鳴くような声で、白崎が俺の名前を呼んだ。 「あのね、筧くんばっかりだとずるいから、わたしも、言うね……」 「え?」 「わたしも、筧くんのこと、すごくかっこいいって思ってる……」 「筧くんの事が、大好き……」 「う……っ」 人のことは言えないくらい、俺の下半身が猛った。 「ひゃっ、や、や、やっ、んく、やああぁぁ……っ」 「筧くん……大きくなってる……っ」 「ああ……」 確かにスイッチだらけだ。 好きな女の子に好きと言われることがこんなに気持ちいいだなんて、思いもしなかった。 猛った気持ちを、俺はそのまま白崎に還元していく。 「ひゃ、や、や、や……っ、うあ、あ、あ、あっ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 俺も、ここが屋外だということは忘れることにした。 「筧くん……、大好きだよぅっ、もっといっぱい……っ、わたしの中、かき回して……っ」 「大好きな筧くんと1つになってる感じ……いっぱい味わわせて……っ」 「うん……。俺も、白崎のこと大好きだ……」 「大好きな白崎のこと、もっと、感じたい……」 「うん……うんっ、あ、あ、あ……っ、ふあっ、あ……っ」 白崎とより深く繋がりたい。 その業を満たすために、俺は両手にも力を込める。 白崎の尻たぶを、大きく外側に開いていった。 「あ、あ、あ……っ、お尻、広げられてる……っ、筧くんが、奥まで、入ってきてる……っ」 大きく開いた白崎の臀部から、甘酸っぱい匂いが立ち上ってきた。 俺と白崎が1つに繋がっている、その証の香りだ。 鼻からの刺激も加わり、俺の腰を動かす速度はどんどん上がっていった。 「やああぁぁぁ……っ、筧くん、筧くぅん……っ、や、うあっ、んああぁぁぁ……っ」 森に響く卑猥な音は、白崎の嬌声だけじゃなくなっていた。 お互いの下半身がぶつかり合う音まで、混ざり始めている。 「だめ、気持ち良すぎるよぅ……っ、体に力が入らないっ、頭、ジンジンするぅ……っ」 膣内の熱は、どんどん上昇していく。 白崎の太腿が小刻みに震えだした。 「白崎……もう少し我慢できるか?」 「ふえ……っ、ええぇぇぇぇ……!?」 「もう……っ、胸で……出させてあげなければ良かったぁ……っ、や、あぁ……っ」 「や、や、や……っ、やああぁぁぁ……っ」 「白崎の中、すごく気持ちいいから、俺ももうすぐだと思う」 「でも……そんなに激しくされたらぁっ、だから、駄目、だってぇぇ……っ」 叫ぶ度に、白崎は大きく息を吸い込む。 「ああっ、んあ、あ……っ、あ、あ、あ……っ、やっ、やあぁぁぁぁ……っ」 「う……あぁ……っ、か、筧くぅん……まだ……なの?」 「もう、だめぇ……っ、イクっ、イっちゃうよぅ……っ」 白崎の体の震えが大きくなり、背中が反り返る。 白崎の最奥を、何度も叩く。 「だめぇ……っ、そんなに深いところに入れたら……っ、やっ、や、や、や……っ、やっ、やあぁっ!」 膣壁が懇願するように吸い付いてくる。 その吸い付きから逃れるべく、俺は腰を揺らし続けた。 「もうイクよ……、イっちゃうよっ、そんなに激しくされたら、我慢できないよぅ……っ」 「筧くんの……また大きくなってる、わたしの中で、暴れて……っ、やっ、やああぁぁぁぁ……っ!」 「中で……いいんだよな?」 「うん、うん……っ、中で、いいよ……っ、そのまま……出してっ、筧くんの……いっぱい、わたしの中に……」 「大丈夫……というかもう、大丈夫じゃなかったとしても、無理だよぅ……っ」 「中に出してくれないと……、おさまり、つかなくなっちゃってる……っ」 「か、筧くんのせいだよぅっ、筧くんが我慢させたり、可愛いとか言ったりするから……っ」 「おまけに白崎のことが大好きだしな」 「…………っ! もう、もう……っ! 本当に……だめぇ……っ、」 「我慢、できなくなっちゃうよぅっ! 頭がクラクラする……っ、体、震えちゃってる……っ」 「じゃあ……出す……ぞっ」 「うん、うん……っ、いっぱいちょうだいっ、筧くんの、わたしの中に……っ」 「やああぁぁぁっ、ああっ、あっ、ああああぁぁぁぁ……っ!」 「ひゃ、や、や……っ、ああっ、あ、あ、あっ、んあっ、うあああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 「あ、や、やっ、ああっ、や、や……っ、やあっ、やああっ、やああああぁぁぁぁ……っ!」 びゅぅっ、びゅくっ、びゅぅ……っ! 「ぅああぁぁぁ……っ、あ、あ、あ……っ、中で、ビクビクしてる……っ」 「お腹の中、すごく熱いよぅ……っ」 猛りきった白濁を、白崎の中に注ぐ。 「や、や、や……っ、ひゃんっ、ひゃんぅぅぅぅ……っ!」 白崎は、体全体で喜びを表すかのように震えていた。 「おく、おくぅ……っ、一番奥で、出されてるぅ……っ、筧くんが、いっぱい入ってくるよぅ……っ」 精液を子宮に嚥下しようと、白崎の中がうねる。 「ん、んぅぅぅ……っ、んくっ、んっ、ん、んぅぅぅ……っ」 しかし白崎の中は狭い。 子宮で飲みきれなかった白濁が、奥からどんどん零れだしてきた。 「ああ……筧くんが、溢れちゃう……」 何を思ったか、白崎が下半身に力を込める。 「あ……っ、うあっ!」 「あ……んっ」 圧力を増した膣内に耐えきれず、俺のペニスは外に飛び出してしまった。 「はぁっ、はあぁ……あぁ……」 白崎の体が、小さく震えた。 「……気持ちよくなってくれたか?」 「もう……十分に、なった、よ……」 このままもう少し続けたい気持ちもあったが、さすがにあまり長くこの格好でいるのもどうかと思う。 白崎に、キスをする。 「や、ん……っ、んちゅ、ちゅぅ……っ」 「あ、ぅんん……っ、もう、こんなとこで……しちゃうなんて……」 俺と白崎は、少しの間その場で余韻を楽しんだ。 数日経った日の放課後、俺はいつものように部室に向かっていた。 「筧くん」 「よ」 部室のすぐ外で白崎と合流したので、そのまま2人で中に入る。 部室には既に、いつものメンバーが揃っていた。 「……全員揃ったな」 やはりいつものようにパソコンと向かい合っていた桜庭が、立ち上がる。 「皆に報告したいことがある」 部室全体をぐるりと見回しながら、桜庭がそう言った。 「なんだ、改まって」 「まあ聞け」 桜庭が、もったいつけるように咳払いをする。 「以前にビラ配りをして募った、『新入生を花と笑顔で迎えようプロジェクト』のボランティアの件だ」 一息にそう言ってから、桜庭はお茶を口に含んだ。 そう言えばそろそろ、反応があってもいい頃だ。 ビラは全部配ることができたけれど、実際にそれで何人のボランティアが来てくれるかはわからない。 集まった人数は0人……なんて結果だってあり得るのだ。 何か、図書部の力を試されているようにも感じる。 隣では、白崎も緊張した面持ちをしていた。 そんな中、唐突に桜庭が表情を綻ばせた。 「続々とボランティアが集まってきている」 「配ったチラシの枚数から考えても、驚異的な効果があったようだ」 「おお……」 部室の中に小さく歓声が上がった。 「やりましたねっ!」 「これで来年も、笑顔で新入生を迎えることができます」 俺と白崎もハイタッチを交わす。 俺達の不安は、完全に杞憂だったわけだ。 改めて、図書部はすごい団体に育ったのだと思う。 そしてその中心にいる白崎のことを俺は、誇らしく感じていた。 「もったいつけることはなかったろ」 「すまない」 「久しぶりに、不安そうな白崎を見たかったんだ」 「もう、本当にドキドキしちゃったよ」 どういう趣味してるんだ。 「それにしても……随分集まったんですね」 パソコンのディスプレイに映し出された集計一覧を見ながら、佳奈すけが言う。 「それだけ、図書部が支持されてるってことだろう」 「でもちょっと……それだけじゃ説明できないぐらいの量です」 言われて俺も、ディスプレイを覗き込む。 「おお……」 確かに異様な量だった。 配ったビラの枚数と集まった人数の対比で考えると……。 以前に行ったビラ配りと比べて、ざっと五倍の効果があったことになる。 「そう言えば……ボランティアの間で、プロジェクトに関する妙な『伝説』が噂されていたな」 桜庭はにやりと笑って、何故か俺と白崎の方を見た。 「伝説って……またそんな大仰な」 「その伝説ってのは?」 俺が問うと、また桜庭は俺の方を見てにやりと笑った。 同じ視線を、白崎にも向ける。 「ボランティア曰くだな……」 桜庭はやはりもったいつけるように、お茶を口に含む。 「花の世話をすると、巫女が恋を成就してくれると……」 「!!」 「……っ!」 俺の顔から、分かりやすく血の気が引いていった。 横を見ると、白崎も真っ白になっていた。 「巫女というと……白崎さんのコスプレ衣装ですよね?」 「その巫女が恋を成就ってことは……はは〜ん」 図書部の全員が、桜庭と同じようなにやけた視線を俺達に向けた。 「ど、どうしよう……」 小声で白崎が俺に囁く。 明らかに動揺している。 「お、落ち着け……」 そう囁き返す俺の声も、震えていた。 「なるほど、お二人はすっかり、学園で話題のカップルになっている、というわけですか」 「そりゃ確かに、日頃のお二人を見ていたら、神格化して御利益にあやかりたくもなりますよねー」 「……うん?」 どうやら湖畔のキスや森での行為を、誰かに見られたわけではないらしい。 俺達は2人同時に、ホッと胸をなで下ろした。 そんな俺達の様子を、『ただ恥ずかしがっているだけ』と勘違いしたらしい。 図書部員達による俺達への冷やかしは加速していった。 「どうですか? お二人で〈八百万〉《やおよろず》の神々に名前を連ねた感想は!?」 「はぁ、まあ……光栄です」 「きいい、否定する気ゼロですか! 妬ましい! とっとと私にも御利益を寄越せですよ!」 部室が騒がしくなっていく。 しばらくはこのネタでいじられそうな気がする。 「はぁ……びっくりしたね……」 「全くだ……」 その日の部活が終わり、俺は白崎と二人で帰路についていた。 「てっきり……森でのことが噂になってるのかと思っちゃったよ……」 「噂になってるのは、俺と白崎が付き合ってるってことだけみたいだな」 「うう……それはそれで、恥ずかしいかも……」 「うん、まあなぁ……」 別に隠すつもりはなくても、噂に上っているとなると、やはり少し面映ゆい。 「でもまあ、最悪の事態は避けられたみたいで良かったな」 噂も怖いが、万一外でエッチをしていたなんてことが桜庭にバレたら、俺は彼女に殺されかねない。 「もう、外でのエッチは控えようね」 「……楽しかったけどな」 「もう……」 怒ったように、頬を膨らませる白崎。 「でもまあ私も……嫌だったわけじゃないけど……」 「またやろうか?」 「でももう外は、本当にだめ」 「じゃあ家の中なら」 「それなら……いつでも……」 そう言ってから白崎は微かに、うなじを赤くした。 「……あのさ」 「うん」 「今日……ウチに、来る?」 「……うん」 白崎が小さくうなずく。 俺はうなずいた彼女の手を握る。 白崎の手は、早くも熱を帯び始めていた。 図書部には日々、様々な依頼が持ち込まれる。 そして依頼をこなすたびに、部室には何らかのモノが増えていく。 依頼の解決に必要な資料や、お礼にもらったお菓子などだ。 「このままではまずい」 最初に問題提起したのは、やはり玉藻だった。 「私から図書部への依頼だ。部室の片付けをしよう」 玉藻の号令の元、俺達は季節外れの大掃除をすることになった。 「玉藻ちゃん、これどうしよう?」 「個人情報が入っているし、シュレッダーにかけて廃棄した方がいいな」 「あれ? この文房具ってうちのでしたっけ?」 「あー、それは図書館から借りているものだ」 「後で返しに行くから、まとめておいてくれ」 「そうだ、食べきれないお菓子は図書委員への手土産にしよう」 「御園、悪いが簡単にラッピングをしてくれないか?」 「わかりました」 玉藻の見事な差配の元、部室の片付けは着々と進んでいった。 絵を描いているときの集中力もすごいが、みんなを仕切っているときの玉藻はやはり輝いている。 以前のように根を詰めすぎては元も子もないが、そこは俺が注意深く見守っていればいい。 何より、玉藻自身が楽しそうだしな。 ポニーテールを揺らしながら忙しなく動き回る玉藻を見て、俺は目を細めた。 「それから……これはどうしましょう?」 佳奈すけが机の上に広げたのは、例のコスプレ衣装だった。 「あー、そうそう、それな」 部屋の隅でシュレッダーの魔術師と化していた高峰がやってくる。 「謝っとかないといけなかったんだ」 「衣装に盗聴器を仕込んでいたんですね」 「仕込むか。てかなに? 俺ってそんなキャラなの?」 「違うと言えば……嘘になる感じですよね」 「そんなひどい」 「で、この衣装がどうかしたのか?」 「持ち主から言付けを頼まれてたんだ」 高峰曰く、制作者は衣装を図書部へ提供したいと考えているらしい。 「よく使ってもらってるし、実際似合ってたから、服も図書部にあった方が幸せだろうって」 「服の幸せねえ」 「それだけ愛情を持って、洋裁に取り組んでいるということだな」 「わかった。そういうことならありがたく、好意に甘えよう」 「実際、かなり使わせてもらっているし、買い取らせてもらうことも考えていたんだ」 「ならちょうどいい」 「向こうさんも、それとなく、布代くらいは的なこと言ってたから」 「これだけの衣装だから、材料費だけでも大変だと思うよ」 「ふむ……いくらぐらいになるんだ?」 高峰が提示した金額は、良心的なものだった。 実際には、布代にも足りていないのではないだろうか。 「かなりお買い得じゃないですか? お店で買ったら大変ですよ」 「うん、お得です」 「じゃあ、決まりかな」 白崎が全体を見渡す。 異論は上がらない。 何か引っかかるな。 理由はよくわからないが、簡単に買い取っちゃいけない気がする。 「あー、ちょっといいか?」 とりあえず、自分の意見を述べてみる。 「俺は、買い取るのには反対だ」 玉藻がほうというような表情をする。 他のメンバーも、意外そうな顔だ。 「理由を聞いてもいいか?」 「図書部の活動に金銭を絡めるのは気が進まないってのが一つ」 「あと、ビラ配りについてだけど、最近はあんまやってないよな」 図書部結成当初は周囲の人気もあり、かなり頻繁にやっていた。 「言われてみれば……そうですね」 「だから、衣装を買ってもそんなに使わないだろうし、もうコスプレしなくてもビラを受け取ってもらえるだろ?」 みんながうなずく。 「いつの間にか、コスプレが当たり前になってたね」 「ふふふ、人はこうして開発されていくのですよ」 「言われてみれば、普通の服だと、どこか物足りない気分になっていた」 「桜庭さん、最初は家名が廃るとか言ってましたよね」 「そういう鈴木は、1人だけ逃げようとしていたじゃないか」 最近じゃ、俺も迷わずに京子に化けていた。 重症だ。 「しかし、コスチュームの提供者に対するケアはどうする?」 「もう使わないんで返しますってのはアレだよな」 「いや、俺達がお友達価格で買い取らない方が、提供者にとってはいいんじゃないか?」 「デキもいいし、ネットオークションとかに出せばもっと高く売れると思うんだ」 間違ったことは言っていないと思う。 でも……何か違うようにも感じてしまう。 「確かに、一理あります」 「図書部の活動にお金を絡めたくないっていうのは、わたしもわかるよ」 「でも、私は衣装に愛着があったりします」 うーん、とメンバーが悩む。 「よし、結論は後日にしよう」 「今日のところは、各自持ち帰って洗濯するなりクリーニングに出すなりしてくれ」 1人2人と部員が帰って行き、部室には俺と玉藻の2人が残った。 「さっきは、話をひっくり返してすまん。まとまりかけてたのにな」 「気にすることはない」 「対案があるのはいいことだと思う。筋も通っていたし」 「……ああ」 それはそうなのだが、胸にはモヤモヤがあった。 「でも、みんな意外に衣装を気に入ってたんだな」 「一番意外なのは京太郎だ。あんなに嫌がっていたのに」 「玉藻だって恥ずかしがってただろ」 「それはそうなんだが……」 「いつの間にか、結構気に入ってしまった」 「別人になれる感覚がいいのかもしれない」 「変身願望みたいな?」 玉藻がうなずく。 「あの格好で人前に出ると、いつもと違う自分になれるし、開放的な気分になる」 「コスプレ熟練者の台詞じゃないか」 「そうなのか。ふふふ……」 何故か玉藻は楽しそうに笑う。 「あんまり、そっち方向に目覚めないでくれよ」 「やっぱ、不特定多数の人の目に触れるわけだしさ」 「ふふん、なるほど」 俺の顔を覗き込み、玉藻がにんまり笑う。 「私が、ビラ配りであんな格好をするのが嫌なんじゃないか?」 「だから、コスチュームの買い取りにも反対して……」 「……」 指摘された途端、納得がいった。 俺は玉藻を衆目に晒したくなかった。 彼女を独占したかったのだ。 「……図星だな」 本気で恥ずかしい……というか動揺していた。 自分にこんな感情があるなんて。 しかも、嫉妬に任せて意見し、まとまりかけてた議論をひっくり返してしまった。 これはもう自分が許せないレベルだ。 「……悪い、帰るわ」 「あ、おい、京太郎」 玉藻が声をかけるが、俺は振り返らず部室の外に出た。 30分ほど、外で頭を冷やした。 考えてみれば、嫉妬を見抜かれて部室を飛び出すってのも大人げない。 仕事もまだあるし、戻ろう。 部室の扉に手を伸ばす。 「ん?」 室内から妙な声が聞こえたような? ドアに鍵はかかっていない。 少しだけ扉を開き、中を窺う。 「……っ」 見てはいけないモノを見てしまった気がする。 慌てて視線を部室の外に戻す。 「……」 つまり、これは、えーと……。 確かめよう。 鍵も開いてるんだし。 玉藻……。 コスプレ衣装をまとった玉藻が、立っている。 そして── 股間を机の角に、押しつけていた。 「……」 これって、アレだよな。 玉藻が自慰行為に〈耽〉《ふけ》っている。 真面目なあいつが……自慰を……。 人間だからおかしくはないが、想像してなかった。 「ん……っ、ん……っ」 玉藻の腰がわずかに動く。 どうしたものか……。 素知らぬ顔で扉を開けるか、それともこのまま帰宅するか。 「はぁっ、はぁ……っ、ん、ん……っ、んっ、んぅっ、ん……っ」 迷っている間に、玉藻の声が高くなる。 考えてみれば、迷うような話じゃない。 それでも動けずにいるのは、俺が見たいと思っているからだ。 「きょう……たろう……、京太郎……っ」 「!?」 玉藻が俺の名前を呼ぶ。 見つかったのかと思ったが、どうやらそうではない。 「京太郎……ふふ、嬉しい……」 玉藻の唇が微かに綻ぶ。 彼女の脳内では、何らかのドラマが展開しているようだ。 「ふふ、うふふ……、うあっ、はぁっ、はぁ……っ、ん、んぅ……っ」 「あ、そこ……っ、んあ、うあっ」 机の角が、玉藻の下着に食い込む。 白い下着の中央に、くぼみによって作られる小さな影が見えた。 それから玉藻の左手が、机の上で動く。 まるで愛撫のように。 「はぁ、ふぁっ、ん……っ、ん、んぅっ、や……っ、そこ、は、あ……っ、ああぁぁ……っ」 右手は何かもどかしそうに、机の上を這い回っていた。 「…………っ」 やがて意を決したように、玉藻の右手が自身の乳房に伸びる。 「うあ、あ……っ、ああっ、ああぁぁぁぁ……っ」 右手が乳房を掴むと、弾けたようにして服の中から中身が飛び出してきた。 2つの乳房が、完全に露出してしまっている。 しかし玉藻は、構わず乳房を握る。 「あ、や、や……っ、京太郎……っ、激しい……」 「ああっ、あ、あ……っ、んっ、あっ、あああぁぁぁ……」 どうやら玉藻の中では、俺が触れていることになっているらしい。 妄想の中で、玉藻は俺に身体中を愛撫されているのだ。 「んく、うあ、あ……っ、胸、気持ちいい……っ、やあ、ああ……っ」 玉藻の瑞々しい果実が、玉藻自身の手のひらで形を変える。 指が食い込み、果汁が溢れるようにして、汗が浮き出してくる。 その汗の匂いまでもが、俺に届いてくるような気がした。 「んくっ、ん……っ、うあ、ふぅ、あ……はぁっ、はぁ……っ」 右手に負けずに、下半身の動きも加速していく。 恐らくはクリトリス部分に机の角を当てているのだろう。 その部分が良く擦れるようにして、玉藻は腰を前後に揺らしていた。 「はぁ、はぁ……っ、ふあ、や……っ、京太郎、だめ……っ」 「そこ、弱い……っ、あ、あ、あ……っ、うあっ、あああぁぁぁ……っ」 机を俺の代りにして、昂ぶっていく玉藻。 自分でするくらいなら、俺に言ってくれれば良かったのに。 どうしてもそう思ってしまう。 「あんっ、あ、あ……っ、や、う、や……っ、ああっ、あああぁぁぁ……」 右手の人差し指が、乳輪の周囲をくるりと撫でる。 「ひゃっ、や……っ」 彼女の指は焦らすようにして、乳輪の周りで円を描き続けた。 そして最後に、乳首を弾く。 「く……っ、んっ、や、やあぁぁぁぁ……っ」 弾かれたような玉藻の声。 「ひゃんっ、や……っ、やあぁぁぁ……っ」 急に玉藻の背筋が伸びた。 「んあ、ああ……っ、あ、あ、あ……っ、ぅああぁぁぁ……!」 玉藻の唇から吐き出される吐息が、一層甘くなったように感じる。 下着の中で、クリトリスの皮が剥けたんだろうか。 「直接は、だめ……っ、刺激が、強すぎる……っ」 彼女の言葉が、俺の確信を裏付ける。 だめと言いつつ、また腰を揺らす玉藻。 「うあ、あっ、あ、あ、あ……っ、んぅっ、ん……っ、んくっ、んぅぅぅ……っ!」 「声が、出てしまう……っ、こんなところ、誰かに見られたら……」 俺が見ているとは思いもしていないようだ。 「あ、あ、あ……っ、んあっ、うああぁぁ……っ」 俺が自己嫌悪に陥る一方で、玉藻は陶酔し続けていた。 「や、や、や……っ、ああっ、ああああぁぁぁっ、うあっ、ああぁぁっ、あ、あ、あああぁぁ……っ」 心なしか、下着の染みが大きくなったようにも見える。 「京太郎……だめだっ、私はもう……あ、あ……っ、うあっ、あ……っ、我慢、できそうにない……っ」 遠目にもよく分かるほど、玉藻の体が大きく震えた。 「もう……っ、あ、あ、ん……っ、だめっ、これ……や、やぁ……っ、すごい、うあ、あ……っ」 「ああ……っ、あっ、あ……っ、ああっ、ふああぁぁぁ……っ、やっ、んぅっ、んぅぅぅ……っ!」 玉藻の背中がピンと伸びる。 一瞬机の角と陰部が離れるが、慌てたように玉藻は体勢を元に戻した。 くにくにと、その部分と角を擦り続ける。 「だめだっ、イってる最中に、そんなことされたら……!」 下着の染みは、確実に大きくなっていた。 染みの一番濃い部分に角をあてがう。強く擦る。 「あ、う、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 玉藻の体から発せられた甘い匂いが、俺の鼻孔に届いた。 ああ……もう、だめだ……。 いつの間にか、俺の体も震え始めていた。 「んあ、はぁ、はぁ……っ、ん、んぅ……っ、んくっ、ふぅ……っ」 「すっかり、イカされてしまった……」 とろんとした表情で、玉藻がそう呟く。 「京太郎……まさか、嫉妬するなんて……」 「お前にもそういう、可愛いところがあるんだな……」 またそう言って、愛しそうに机の縁を撫でる。 「ふふ……」 「……っ」 気がつくと俺は立ち上がっていた。 そのまま躊躇せずに部室の中へ入る。 「……き、京太郎!?」 玉藻は最大級の驚愕と羞恥が混ざったような、何とも形容しがたい表情を俺に向ける。 「……玉藻」 恋人の自慰行為を散々観賞した直後だ。 言うまでもなく、俺のペニスは既に勃起しており、今すぐにでも抱きつきたい気分だった。 「え……ええっ? き、京太郎!?」 驚愕と羞恥を浮かべる玉藻の表情に、混乱が加わる。 「ひゃ、ちょっと、京太郎……っ、な、何? 何なんだ一体……」 「すまん……見なかったことにするつもりだったんだが……」 「あの……お前はいつから、見ていたんだ?」 「胸を……出す前から」 「……ほとんど最初の方からじゃないか」 「いやもうこれは……死のう。死ぬしかない」 「いや、まあ、その一人でするのは恥ずかしくは……」 「私は変態なんだ! もういい、全部壊してくれ!」 恥ずかしさのあまり、玉藻は錯乱気味だ。 俺も、もう考えるのが面倒になってきた。 「よし、俺も共犯になろう」 カップルが2人して変態なら問題ない。 いや、問題なくはないが、気は楽だ。 玉藻の下着を下ろし、俺はペニスを露出させる。 自分でも驚くぐらいに固くなっていた。 「私を見て、こうなったのか?」 「あんなの見せられたら仕方ないさ」 玉藻の脚を抱え上げる。 玉藻は自ら腰を揺らし、ペニスの先端にじっとりと濡れた陰部を当てた。 「……見ているくらいなら、早く入ってきてほしかった……」 「わざわざ……全部終わってから入ってくるなんて……」 玉藻が今にも泣き出しそうな声を出す。 「悪かったとは思うけど……なかなか勇気が出なかったんだ」 「それに玉藻は、怒ってると思ってたし」 「どうして……」 「だから……俺が嫉妬なんてするから……」 俺がそういうと、玉藻は一瞬キョトンとした表情を俺に向けた。 「何故……嫉妬されて怒らないといけないんだ?」 「いやだって……」 「や……いや、いい。説明は後でゆっくりと聞く」 「とにかく……それを、私の中に……」 玉藻の腰が揺れる。 もう俺の先端はぬるぬるだ。 「よし……」 玉藻の濡れそぼったそこに、ペニスを突き立てていく。 「あ、あ、あ……っ、んあっ、や……っ、ひゃうぅぅっ、うあ、あ、あああぁぁぁ……っ」 いきなり派手な嬌声を上げる玉藻。 高まりきっていたのだろう。 「すごい……っ、いきなり、もう……」 玉藻の背筋が震える。 「玉藻……」 「うん?」 「声……少し抑えて」 「そ、そうだった。ん……っ、んくっ、ん、ぁ、ん……っ、んぅっ、んんぅぅぅ……っ」 慌てたように、玉藻が唇を噛む。 いくら小太刀でもこんな時間までは残っていないと思うが、注意するに越したことはない。 「はぁっ、ん……っ、ぅあ、んっ、くぁ……っ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 玉藻のそこは、なんの抵抗も無く、俺のペニスを飲込んでいく。 「よっぽど……気持ち良かったみたいだな」 「蒸し、返すな……っ、また、死にたくなってしまう……」 「京太郎……私にこれだけ恥をかかせたんだから、責任を……、ちゃんととってもらうぞ……」 「……わかってる」 腰を玉藻に叩きつける。 「ひゃんっ、やっ、あ、んくっ、ああ……っ、ふあ、あああぁぁぁ……っ」 結合部から体液の飛沫が散る。 こんなに濡れているのは初めてだ。 「京太郎、激しい……っ、うあ、あ、あ……っ、ああっあああぁぁぁぁ……」 羞恥心なのか興奮なのか、玉藻の肌が桃色に染まっていく。 「そういえば……」 ふと思い出したように、玉藻が呟く。 「なぜ京太郎は……私が怒っていると思ったんだ?」 「玉藻は、公私混同を嫌うから……俺の嫉妬を、図書部の問題にすり替えただろ?」 玉藻がまた、一瞬だけキョトンとした表情を見せる。 それからクスリと、笑みをこぼした。 「なんというか……頭が良すぎるのも、考えものだな」 「私は……そこまでは考えていなかったよ」 「普段からお前は、そういう感情をほとんど表に出さないだろ?」 「だから……お前の嫉妬に気付けたとき、私は嬉しかった」 「あ……」 目の前の霧がさあっと晴れたように感じた。 同時に、玉藻にそんな不安を与えていたことを恥ずかしくも思った。 自慰の最中に玉藻が言った『嬉しい』という言葉の意味はこれだったのか。 「……今回の件で分かったけど、俺、実は独占欲が強いタイプらしい」 「ではその独占欲で……机に負けないぐらいに私を、気持ち良くさせてもらおうか」 「もちろん」 そう言って、俺は大きく腰を揺らした。 「ひゃ、あ、あ……っ、うあ、ああっ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 亀頭に掻き出されるようにして、奥から愛液が溢れてくる。 「や、あっ、あ……っ、京、太郎……っ、深い、深……っ、あ、あああぁぁぁ……っ」 「んんっ、く、ひゃっ、やあっ、や……っ、ひく、んうぅぅぅ……っ」 「少し、動きを抑えた方がいいか?」 「それは、だめ……っ、やっ、あ、あ……っ、んあ、あああぁぁぁ……」 「これ以上……、焦らされたら、頭がおかしく、なってしまう……」 そんなに焦らした覚えは……と思ったが、玉藻は自慰をしていたのだった。 「うん……、うんっ! やっぱり、京太郎のが、いちば……んぅっ、ん、んぅぅぅ……っ」 「くぅ、あ……っ、だからって、そんな奥ばっかりされたら……やっ、やあっ、やあぁぁぁ……っ!」 声が出るのは、もう諦めることにする。 むしろ彼女の嬌声をずっと聞いていたいと思い始めていた。 「京太郎……のが、奥に、当って……っ、うあ、うあ……っ、ああっ、あああぁぁぁっ」 玉藻曰くたっぷりと焦らされた膣が、肉棒に絡みついてくる。 ゾワゾワと全体を使って、俺を撫で上げる。 「やっ、あ、んん……っ、ああっ、あ、あ……っ、やああぁぁぁ……っ」 玉藻の白い肌が、徐々に朱に染まっていく。 「そろそろ、出そうだ……」 「うん……っ、私も、このまま京太郎のを、中に、浴びた……」 そこまで口にして、玉藻はハッと目を見開いた。 「……玉藻?」 「す、すまない……」 急に目を伏せ、震える唇から謝罪の言葉を漏らす。 「今日は……だめな日だ」 「……危ないのか?」 「危ない。相当に」 「迂闊だった……。どうりで、身体が……熱く……」 玉藻が悔しそうに呻く。 俺も同じ気分だった。 理屈では駄目だと分かるが、理性はなかなか納得してくれない。 「できれば……玉藻の中まで、俺のものにしたい……」 「そんなに私を、独占したいと……」 一時の享楽に流されそうになる。 しかし、最後の最後の部分で、玉藻がストップをかけた。 「……ああ、駄目駄目駄目」 玉藻が首を振る。 「お互い理性を持とう……残念だが」 心底未練がましそうな玉藻の声。 その声を聞いて、俺も少し冷静になる。 「その代わり……我慢してくれたら、京太郎には別のものを……」 「別の……もの?」 「私の……もう1つの穴も、京太郎のものにしていいぞ……」 もう1つの穴……。 それはひょっとして、膣口のすぐそばでヒクついている、ピンクの窪みのことだろうか。 「……後ろの方?」 「そ、そうだ……何度も聞くな、恥ずかしい」 「いや、でも……いいのか?」 「京太郎は……興味無いのか?」 「……無くはない」 「変態め」 「どっちが」 お互いを小さく罵り合うことで、俺達は合意を確認する。 「とにかく……1回出すな」 そうしないと、アヌスに触れたただけで、射精してしまいそうだった。 俺のペニスはアナルへの期待でギンギンになっていた。 「うあ、あ、あ……、京太郎……、さっきより……大きく、なってないか……?」 「否定できない……」 「独占欲が強い上に、変態か……」 「嫌いになるか?」 「いや、むしろ……嬉しいかも……っ、うあ、あ、あ……っ」 そんな変態のペニスに貫かれて、喜ぶ玉藻。 「そう考えると、玉藻もなかなかの変態だな……」 「私も……否定できない……っ、や、あ、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁっ」 「京太郎に……嫌われて、しまうかな……」 「いや……玉藻のそういうところも、好きだ」 「んああぁぁぁ……っ」 互いの変態性を受け入れたところで、俺達は更に乱れる。 「京太郎……私の体を、いっぱい汚して……」 「ああ……」 玉藻の中を、ギリギリまで味わおうとする。 「や、あ、あ……っ、ああっ、ふあ、あ……っ、あん、んぅっ、ん……っ、んぅ、んぅぅぅ……っ!」 ギリギリまで陰茎を膨張させてから、俺は一気に腰を引いた。 「ああ……っ、うあ、んあ……もう、や、や、や……っ、そろそろ……ひゃ、や……っ、限界……」 「や、んん……っ、あ、くあ……っ、うああっ、んああぁぁぁぁ……っ」 「ああっ、あ、ああっ! あ……っ、ぅあっ、あ、んあ……っ、ああっ、あああぁぁぁぁぁ……っ!!」 びゅっ、びゅく……っ! びゅくっ、びゅっ、びゅぅ……っ! 「ひくっ! ひう……っ、ひあ、あ、あ……っ、ひくぅぅっ、あんっ、はぁんぅぅぅ……っ!」 陰茎の先から白濁が飛び出す。 飛び出した白濁は、的確に玉藻の体を汚していった。 「うあ、うあ……っ、京太郎……っ、すごい……っ」 「ドロドロで、熱いのが……、体にいっぱいかかって……っ、うあ、あああぁぁぁぁ……っ」 玉藻が更に昂ぶっていく。 「うあ、はぁ……ひあ、あんっ、ひぁ……っ」 俺は俺で、奇妙な支配欲に満たされていた。 精液を玉藻の体に塗りたくることで、所有者としての証を刷り込むような感覚。 危ない感覚だな……。 そう思うも、美しいものを汚すことによる征服感は心地よい。 「京太郎……」 「うん……」 「ありがとう……、よく我慢、してくれた……」 「でも、まだ出し足りない……」 「わかってる……今度はこっちを……」 玉藻の腰が、ほんの少しだけ前方に出る。 「すぐ入れて大丈夫か?」 「わからない……大丈夫でなければ、またその時考えよう」 どうやら玉藻自身も、俺と早く交わりたくて仕方がない様子だ。 「そうだな」 亀頭の先を、玉藻のキュッと締まったアヌスにあてがう。 そのまま腰に、力を込めていった。 「ふわっ、あ……っ、あ、あ、あ……っ」 「うわっ」 玉藻の後ろの穴は、俺の肉棒をちゅるんと飲込んでしまった。 「……え?」 間違えて前の穴に入れてしまったのかと思った。 慌てて結合部に目を向けるが、ペニスが入っているのは、やはりアヌスだった。 「だ……大丈夫か?」 「えっと……その……」 玉藻は、驚いたような気恥ずかしいような表情を浮かべていた。 「意外と……簡単に入るものなんだな」 「簡単にって……」 「いや、痛みが無い訳ではない。入り口は、痺れたようになっているし……」 「圧迫感も、強いのだが……その、うあ、あ……っ、ああっ、んぅっ」 「何というか……少し、拍子抜けでは、あるな……」 はははと笑う玉藻。 その声に合わせて、括約筋がキュッと締まった。 「ひゃんっ!」 「うわ……っ、く……っ、玉藻……」 「う、うん……?」 「悪い……むしろ俺の方が、痛いかも……」 キュウキュウと、凄まじい圧力を俺の陰茎に加えてきていた。 「あ……す、すまん。えっと……どうすれば、いいだろう」 「とりあえず、動かしていいか?」 「う、うむ……。それで京太郎が、楽になるのなら……」 ほんの少し、腰を引いてみる。 「あ……あ、あ、あ……っ、んあ、あああぁぁぁ……っ」 玉藻の体内が、異物を押し出そうとするのが分かる。 陰茎が2/3程外に出たところで、俺は一旦腰を引くのを止めた。 「んあ、はぁ……っ、抜かれると、逆に深くまで入っていたことが、わかるな……」 「もう1回、入れるぞ」 「うん、ん……っ、んぅっ、ん、ん、ん……っ、んくっ、んぅぅぅ……っ!」 ゆっくりと、慎重に肉棒を沈めていく。 「ひゃ、あ、あ……っ、うあ、あ、ああっ、ああぁぁぁ……っ、奥、まで……入ってくる……」 「うあ、くっ、うあぁ……っ、入り口が、広がって……ひゃっ、や、や……っ」 「うくっ、やはり……大きく広げられると、少し痛いな……」 「大丈夫か?」 「うん……耐えられない痛みではない。それに、まあ、なんというか……」 「うん?」 「……初めての時を、思い出すな。ふふふ、これはこれで、いいかもしれない……」 痛みすら楽しもうとする、貪欲な玉藻。 「この感触も……しっかりと覚えておくようにしよう……」 初めて玉藻と膣で交わった日。 あの時は玉藻の痛みが強くて、俺はしばらくの間、腰を動かすことができなかった。 今回は俺が痛みから逃れるために、腰を揺らしている。 「あ、あ、んん……っ、や、やっ、うあ、あ、くぅ……うあああぁぁぁ……っ」 玉藻は少し焦燥感の混じったような、それでも十分に甘い声を漏らしていた。 「や、や……っ、背中、ゾワゾワ、してきた……」 「ひくっ、ん……っ、んぅっ、ん、んぅぅぅぅ……っ」 とてもアナルセックスが初めてとは思えないような、好反応を玉藻は見せている。 「……ひょっとしてさ」 「……うん?」 「お尻でオナニーとか、してた?」 「……っ!」 玉藻の体が、ビクンと震えた。 「……」 「……」 何か言いたげに、口をパクパクさせる玉藻。 「わ、私はその……京太郎に全てを捧げたい思ってるんだ……」 「だから、その……もしものことを考えて……」 徐々に声のトーンが落ちていく。 肯定の素振りだった。 「うう……」 「ありがとうな、玉藻」 「え……? や、いや、まあ……う、うん……」 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにうつむく。 可愛い。 そんな彼女の様子を見て、俺は心からそう思う。 「大好きだ、玉藻」 「え……あ、ああぁ……」 玉藻は戸惑うようにして、視線を泳がせていた。 「いろいろ考えてくれてありがとうな」 「あの……こっち、すごく気持ちいいよ……」 「……本当か?」 「ああ、すごい」 会話を交している間に、玉藻の中はすっかり柔らかくなっていた。 つるりとした感触の粘膜が、ほどよく陰茎を締め付けてくる。 「良かった……私だけが気持ち良かったら、どうしようかと思っていた……」 苦笑する玉藻の唇に、軽くキスする。 「ふわ……」 「絶対に1人にはしないから、安心しろ」 そう宣言してから、腰を強く揺らした。 「ひゃっ、や、や……っ、ひやっ、や、やああぁぁぁ……っ!」 既に性器と化した後ろの穴が、くちゅりという音を立てて応える。 玉藻のアナルは、膣に負けないぐらいにぐちょぐちょになっていた。 「やああぁぁぁっ、あ、んああ……っ、やんっ、んくっ、ん、んぅぅぅぅ……っ!」 腰を叩きつける度に、玉藻の乳房が揺れる。 左手の指が、もどかしそうにモゾモゾと動いている。 「京太郎……すごいぃ……っ、お尻、熱くなってきた……っ」 「背中の、ぞわぞわも、大きくなって……や、や……っ、ああっ、あっ、く、ああぁぁぁ……っ!」 ぞわぞわする玉藻の背中が、少しずつ反り返っていく。 一度柔らかくなった腸壁が、また締め付けを増し始めた。 「大変、だ……、頭が、くらくらしてきた……っ、これは、や、や……ひやっ、やああぁぁ……っ」 「イキそう?」 「うん……うんっ、イってしまいそうだ……」 「お尻……初めてなのに、こんなに気持ち良くなるなんて……ふえっ、くっ、うくぅぅ……っ!」 「俺も……すごく気持ちいい」 「京太郎……今度は、中で……!」 玉藻の直腸が大きくうねった。 腸壁全体で、陰茎を絞られる。 「あ、ああ……っ、あ、ぅあ……っ、や、やんっ、く、やあっ、やああぁぁぁぁ……っ!」 「ひあっ、は……っ、んんっ、んあっ、くあ……っ、ああっ、ああっ、ああああぁぁぁ……っ」 「あ、や、や……っ、ぃや、や、や……っ、やあっ、あっ、ああっ、うあ、あああぁぁぁぁ……っ!」 びゅっ、びゅぅっ! どくっ! びゅ……っ! 「ひゃくぅっ! ああぁぁぁ……っ、うあ、あ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 直腸にペニスを深く埋めたまま、精液を吐き出す。 「あ、や……っ、う、やああぁぁぁ……っ、ビクビク、すごい……っ」 「お尻が、広がって……くああぁぁ……っ、あ、あ、ああぁぁぁ……っ」 玉藻の体が小刻みに震える。 直腸の締め付けはますます強くなっていく。 「うく……っ」 「ゃんっ! あ……っ、んあ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 どうやら玉藻も絶頂に達したようだ。 「うあ、はぁっ、はぁ……っ、お腹の中が、熱……ぅあ、ああぁぁ……っ」 玉藻が絶頂の余韻を味わおうとするが、俺はまだ止まれない。 「え? ひゃっ、や……っ、ちょ、ちょっと……京太郎……っ」 腰を揺らし続ける。 「だめだ……っ、イってる最中に、そんなこと、されたら……っ」 玉藻の体が大きく震えた。 真夏にかくような量の汗が、彼女の全身から滴っていた。 「はあ、はあ……っ、はぁぁ……っ、もう、無茶、して……」 大人しくなりつつあるペニスをたしなめるように、玉藻がアヌスをキュッと締める。 内圧で俺の肉棒が外に出た。 「はぁっ、はぁ……はぁっ、はぁ、はぁ……ふあっ、はぁ……」 互いに動きを止める。 完全に脱力していた。 言葉を交わすこともできないまま、しばらく気力が戻るのを待る。 ……。 …………。 「ところで……」 「ん?」 「衣装の買い取りは……どうする?」 「……買い取りたい気分になってる」 あっさり宗旨替えをする。 「だが手元に残す以上、また私はこれを着て、ビラ配りをすることになるぞ」 「いいよ」 「多少は嫉妬するかもしれないけど、それも楽しいし」 俺の言葉を聞き、玉藻は嬉しそうに目を細めた。 彼女の服装に一喜一憂するなんて、昔の俺からは想像もつかないことだった。 でも、今はそれが楽しい。 これからも玉藻と二人で歩いていきたい── 改めてそう思う夜になった。 図書部の部室に入ると、女性部員が全員床に寝転んでいた。 「……なんだ?」 まだ残暑が厳しい日のこと。 夏のイベントラッシュを終えた図書部は、珍しく暇だった。 暇が過ぎた結果、みんなで昼寝でもしているのだろうか。 しかしいくらなんでも、床で寝るのは……。 呆然としていると、寝転んでいた千莉が俺に気づいた。 「あ、京太郎さん。お疲れ様です」 特に慌てるそぶりも見せず、当たり前のように立ち上がる。 それに続いて、白崎、桜庭、鈴木も立ち上がった。 「じゃあ次は、右腕を天井に向かって伸ばして、肘を90度に曲げて下さい」 「曲げた右肘を左手で持って、そのまま体を左側に傾けて……」 千莉の動きに合わせて、3人の女子部員がぐぐっと左に傾いていく。 なるほど、ストレッチをしていたのか。 「いつの間にか、ストレッチブームが来てたのか」 「肩こりがひどいという話をしたら、御園が勧めてくれたんだ」 桜庭が身体を伸ばしながら説明してくれる。 「声楽のからみで、御園はストレッチに詳しいらしい……いたたた」 「なるほどね」 繁忙期の桜庭は、毎日遅くまでPC作業をしていた。 肩が凝るのも当然だろう。 白崎も……大きい人は肩が凝るって言うしな。 そして佳奈すけは……。 「……佳奈すけは、ストレッチの必要があるのか?」 「な、なんですか突然?」 「てか肉体と精神の両面から、馬鹿にされた気がするんですけど」 「気のせいだ」 「凝りがなくてもストレッチは効果的ですよ」 「体をほぐすことで、代謝効率が上がったりします」 「……本当に必要なのか?」 「絶対馬鹿にしてますよね?」 恨めしそうな佳奈すけの視線をかわして、自分の席に座る。 ちょうどストレッチも終わったところだったようで、白崎達も定位置に戻っていく。 高峰もやってきて、部室にはいつもの面子が揃った。 「ふむ……確かに体が楽になった気がする」 肩をぐるぐる回しながら、桜庭が呟く。 「本当、色々なところが延びて気持ち良かったよ」 「千莉ちゃん、体を使うことにも詳しいんだね。ちょっと意外だった」 「声楽はある意味、体力勝負なところもありますから」 「声量も肺活量と比例しますし、基礎体力を作るトレーニングは欠かせなかったりするんです」 「へぇ……」 白崎が目を丸くする。 千莉と付き合い始めたころは、俺も声楽の運動部っぷりには驚いたものだ。 ストレッチはもとより、筋トレにジョギングなど、かなり身体を鍛えている。 さらに驚くべきことに、千莉にとってはそれが日常で、歯を磨くようにこなしていることだ。 歌姫の名は伊達ではないということだ。 「さて……今日はもう、図書部の活動はないですよね?」 「ああ、そうだな」 桜庭がこくんとうなずく。 元々することがなかったので、みんなでストレッチをしていたのだ。 「じゃあ、少し早いですけど、私はこれで失礼します」 「何か用事?」 「いえ、せっかくストレッチをしたから、少し走ろうかと思って」 「千莉ちゃん、頑張ってるね」 「いえ、このぐらいはやって当然です」 「やっぱり歌姫は言うことが違う」 最近の千莉は、誰かに『歌姫』と言われても嫌な顔をしない。 むしろその称号を、前向きに捉えているふしもある。 「荷物はどうする? 部室に戻ってくるのか?」 「俺が後で届けるよ」 「さすが、お姫様を守るナイトだね」 「このぐらいは当たり前だって」 「うわー、その余裕がなんかモヤっとしますわー」 ジト目になる佳奈すけをスルーして、千莉は部屋を出て行った。 「千莉ちゃん、前向きになったよね」 「ああ、みんなのおかげだって言ってたな」 「我々よりも、筧だろう?」 「ゼロとは言わないけど、やっぱり図書部の活動があったからこそだと思う」 実際に千莉は、図書部の活動を大切にしていた。 歌姫復活となってからは、特にだ。 『楽しく歌いたい』という願望の答えを仲間が持っていることに、彼女自身が気づいたからだろう。 「千莉が走ってるのって、学園内のジョギングコースなんですよね?」 「ああ」 「私もやってみようかな」 「最近、ジョギング流行ってますし」 「止めはしないけど、ひどい目に遭うと思う」 「はい?」 「あいつの走るペースは、すごいぞ」 「そりゃまあ……毎日走ってるんだったらそれなりのペースではあるんでしょうけど……」 「でもひどい目っていうのは、大げさでしょう」 「いや……」 俺は首をゆっくりと横に振る。 「なる、筧は体験済みってわけか」 「ああ、あれは過酷な体験だった……」 それは天気のいい日だった。 「たまには俺も、千莉につき合おうかな」 今まさにジョギングに出かけようとしていた千莉に、俺はそう声をかけた。 喜ぶと思ったのだが、予想に反して千莉は表情を曇らせる。 「気持ちは嬉しいですけど……やめておいた方がいいと思いますよ」 「何で?」 「ペースを落としたらトレーニングにならないので、手加減できませんし」 「ついて行けるって」 「でも、京太郎さん図書部ですし」 「図書部には図書部の意地がある」 意味もなくガチンコ熱が高まってきた。 「……じゃあ試してみます?」 「やってやろうじゃないか」 「ちなみに、もしついて来れなかったらどうします?」 挑発してきた。 乗った方が面白いだろう。 「千莉の言うことを、何でも聞いてやるよ」 「その代わりついて行けたら、俺の言うことを聞いてもらうからな」 「ご心配なく。そんなこと、万が一にもありませんから」 千莉がくすりと笑う。 正統派図書部のプライドにかけても負けるわけにはいかない。 ……勝ったら、何をしてもらおう? また、ネコ耳メイドにでもなってもらおうか。 さらには、人間語禁止などのオプションにも手を出すか。 「時間も惜しいですから、始めましょう」 「よしこい」 俺は勢いよく外に飛び出した。 「……今日は、この辺で勘弁しておいてやろう」 「五体投地で言われても」 千莉についていくどころの話ではなかった。 開始3分で早くも、千莉の背中が見えなくなる。 最初は冗談かと思ったが、いくらペースを上げても千莉の背中は近づかない。 こっちの体力は早々に尽き、最後は周回遅れの憂き目を見ることになった。 「勝負になりませんでしたね、センパイ?」 「ごめんなさい……」 哀れすぎる俺の隣に、千莉が腰を下ろす。 千莉の息は乱れてもいない。 「まったく、どうしようもない先輩です」 「面目ない……」 「走るのならせめて運動着に着替えてください」 「以後気をつけます……」 「まあでも、モヤシのわりには頑張りました」 「何も言い返せません……」 未だに息も整わない俺を見て、千莉は眼を細めていた。 「楽しいですね。京太郎さんをいじめるの」 「くそぉ……」 「でも、本当に感謝してるんですよ、京太郎さんには」 「そうやっていつも、私を楽しませてくれて」 どことなく冗談めかしたように千莉がそう言った。 それから髪をかき上げる。 さすがに汗はかいているようで、髪の先から跳ねる滴が見えた。 「最近、先生に褒められたんです」 「表情が、歌についてくるようになったって」 「……」 そういえば千莉はいつか、『歌に気持ちを込めても、表情がついてこない』なんてことを言っていたっけ。 「最近は自然に、表情を出せるようになっている気がするんです」 「これならオペラとかにも、挑戦できるかも……」 以前の千莉は、オペラへの出演を嫌っていた。 しかし声楽家にとって、オペラは最高峰の舞台だ。憧れはずっとあったのだろう。 今の千莉は、その憧れを隠そうとしない。 それが、『自然に表情を出す』という行為にも繋がっているのだ。 実際に、俺と話しているときの千莉はとても表情豊かだった。 ほんの短時間の会話でも、まるで四季が移ろうかのように、様々な表情を見せてくれる。 これも……千莉と出会った頃からは、考えられないような変化だ。 「どうしようもない先輩でも、歌姫のお役に立てることがあるのなら幸いです」 「うふふ……」 千莉は、夏の花のように、鮮やかに笑う。 その笑顔に励まされるようにして、俺はゆっくりと体を起こした。 ようやく、息も整ってきた。 「やれやれ、明日は絶対に筋肉痛だ」 「体はもう大丈夫ですか?」 「おかげさまで、何とか」 「じゃあ、場所を変えましょうか」 「うん?」 「だって京太郎さん、私の言うこと何でも聞いてくれるんでしょ?」 「……」 しまった。すっかり忘れていた。 「……何をすればよろしいのでしょうか」 恐る恐る訊ねてみる。 「京太郎さんにはマッサージをしてもらおうと思っています」 「何しろ私は、京太郎さんの3倍も走っているので」 「一言多い気がするが、まあそのぐらいなら……」 「……で、マッサージなのに、どうして木陰に移動しようとしているんだ?」 「マッサージされてるところ、人に見られたいですか?」 夏の花の笑顔を残して、千莉が木立の奥に消えていく。 言われてみりゃそうか。 「……」 まあどのみち、俺に拒否権はないのだ。 早くも張りの出始めている体に鞭打って、俺も千莉の後を追った。 「よ……ん……」 「……」 大きな木の幹に両手を着き、千莉が肩と背筋を伸ばしている。 挑発的に見えるのは、俺が汚れているからだろう。 「で、どんな風にマッサージしたらいいんだ?」 「はい」 「どこをほぐせばいいんだ?」 「京太郎さんも一緒に走ったんだから、自分の体のどの辺りが張ってるかとか、わかりますよね?」 「うん? まあそうだな……」 「そこをマッサージしてもらえれば」 御園がニッと笑う。 誘われているというのは、勘違いじゃないらしい。 木立で視線は遮られているが、声までは遮れないだろう。 普通のマッサージの領域を越えたとき、果たしてどうなるのだろうか。 「京太郎さん、約束ですよ」 仕方がない。 姫が機嫌を損ねる前に、望みを叶えることにしよう。 「じゃ、いくぞ」 まず彼女の腕を掴む。 「ん……」 千莉は小さく、声を漏らす。 「チキンですね……」 無難に体の末端から触り始めたことを非難してきた。 「俺はメインを最後にとっておく主義なんだ」 思わずそう言い返してしまう。 その言葉を聞いた千莉の目が、光ったように感じた。 「期待……しちゃいますよ……?」 千莉が自分の履いているショートパンツの裾を掴む。 そのまま布を持ち上げると、裾から何やら白いものが、チラリと見えたように感じた。 「……っ」 どうやら行くところまで行ってしまうことになりそうだ。 少なくとも千莉は、そのつもりでいるらしい。 意外に思いつつも、俺の胸にも微かなスリルをスパイスにした期待が、芽生え始めていた。 期待を糧に、千莉の腕をほぐしていく。 「ん……京太郎さんけっこう、上手いですね」 千莉の腕は柔らかい。 こんな柔らかい腕をした女の子が、あれだけの体力を備えているのだと思うと、改めて感心してしまう。 「京太郎さん……腕はもう、いいですから……。次……」 「うん」 次は……千莉の体で腕の他に露出している部分は、足だった。 彼女の左腿を、両手で掴む。 「ふあ……っ、ん……っ」 太腿の裏を、左右の親指で同時に押していく。 「あ、く……っ、それ、ちょっと痛い、かも……」 「やっぱり足は、結構張ってるみたいだな……」 さすがに筋肉が良くついている。 そのため腕に比べて多少は固いが、それでも女の子らしい柔らかさは保っていた。 「あ、あ……っ、もう少し、優しく……うあ、や……っ」 千莉が色っぽい声を出す。 おかげで俺も、その気になってきてしまう。 ギュッギュッと、少しずつ指の位置をずらしながら、足を解していった。 千莉の白いすべすべとした肌に俺の指が食い込む様子は、なんだか妙に淫靡に映った。 「力の加減は、こんなもんか?」 「あ、はい……。ちょうどいい感じに、なってきました……」 左の太腿とふくらはぎを、丹念にほぐしていく。 同様に、右の足もほぐす。 「さて次は……」 「足の、もっと上の方も……」 そう言って千莉がまた、ショートパンツを摘む。 裾から零れた白い布が、今度は確実に俺の視界へと飛び込んできた。 「(ショートパンツの上から触るような、野暮な真似はしないでくださいね)」 白い布はまるで、そう言っているようだった。 妄想上の声に導かれるまま、ショートパンツに手をかける。 そのままそれを、ずり下ろしていく。 当然のように、千莉の左手は抵抗しなかった。 「ん……」 瑞々しく真っ白な太腿と、それよりさらに白い下着が全貌を現わす。 「……外なのに脱がせるだなんて、変態ですね」 挑発するような千莉の声に、微かな緊張が混ざるのがわかった。 彼女の挑発には応えず、指を臀部の上に置く。 「え……っ、や……っ」 そのまま指先を這わせていく。 「んあ、や、ちょ、ちょっと……」 「あ、あ、あ……ひゃっ、やん……っ、や、あ……ああ……っ」 千莉のお尻をスケートリンクにして、10本の指先が思い思いに滑るような状況。 「これは……マッサージじゃないですよね……」 「でも気持ちいいだろ?」 「……っ」 「体がほぐれるような感じがしてると思う」 「そ、れは……」 実際にこれで体がほぐれるはずはない。 千莉の体には、ギュッと何かに耐えるような力が込められていく。 でも千莉は、それを口にしない。 千莉が求めているのは、はじめからマッサージではなく愛撫だったからだ。 その当初の望みに応えるべく、俺の指先が弧を描く。 「や、ひゃ……っ、んんっ、ん……っ、んぅっ、ん……っ」 「んっ、うあ、あ……っ、ああっ、ああ……っ、んあ、ああぁぁぁぁ……」 御園の吐息が少しずつ、性行為時のそれになっていく。 「ひゃんっ、うあ……っ」 彼女の体が小さく跳ねた。 肌を触っているだけなのにこの反応。 ストレッチをすることで運動効率が上がるらしいが、体の感度も上がったりするのだろうか。 それとも千莉の体には、元々このぐらいのポテンシャルが秘められているということなのか。 「何か……考えてますか?」 「うん。千莉はいやらしいなぁって、考えてる」 千莉のうなじが赤くなるのが見えた。 「うぅぅ……久しぶりに、京太郎さんの困った顔が見たかったから、思い切って誘ったのに……」 「もう、立場が逆になっちゃいましたね……」 「もうちょっと、京太郎さんをいじめるつもりだったのに……」 ついに本音が漏れてきた。 「ジョギングで散々いじめられただろ」 「あれは、苦しんでる京太郎さんです。困ってるのとは、別カテゴリー」 ここまで相手の反応を細かくカテゴライズするサディストも珍しいと思う。 まあ千莉の場合Sは仮面で、本質はMに近かったりもするのだけれど。 「攻守交代だな」 「ううぅぅ……、悔しい……」 「じゃあもう止める?」 「それは……もっと嫌です」 「ちゃんと責任をとって、私をいじめて下さい」 簡単にSの仮面を捨て去る千莉。 「じゃあ……」 ぷっくりと膨らんだ股間の中心を、指で触る。 「ひあっ!」 通気性の高そうな布地の奥に、熱い湿り気を感じた。 ……が、軽く触っただけで、俺はそこから手を離す。 「え? さ……触らないん、ですか……?」 「メインは最後にとっておく主義だって、言っただろ?」 「あ……」 ゾクリとしたように、千莉が息をのむ。 俺は千莉のシャツをめくりあげた。 「んぅ……っ」 一気にブラジャーもめくりあげる。 千莉の小さな……でもしっかりとした膨らみが、露わになった。 「外なのに……脱がせるなんて……」 そう言いながら、千莉の乳首は固くなっている。 「こんなだけどな」 「……っ」 千莉のうなじがまた赤く染まる。 髪が短いから、首筋の変化が分かって楽しい。 「立った……のを、どうする、つもりですか……?」 「どうしてほしい?」 「…………」 「言ってくれないと何もできない」 俺は臀部を触ったときと同じ要領で、千莉の背中に指を這わせた。 「あ、あ……っ、や、あ、あ……ああ……」 千莉の背中にゾワゾワと鳥肌が広がっていく。 同時に乳輪の赤みも増していく。 乳首も、さらに固くなっていった。 「はああぁぁ……っ、京太郎さん……そんなに、意地悪したら、だめです……」 そう言いつつも、千莉の表情はどこか楽しげだ。 「あ、あ……んっ、んぅっ、んぅぅぅ……っ」 千莉の背中は細くて小さいが、それでも臀部よりは広い。 俺の10本の指は、その背中を自在に撫で回す。 「は……っ、やぁっ、やっ、あ……っ、あ、くぅぅ……っ」 ビクンビクンと、千莉の体が震える。 乳輪の赤みが溶け出すようにして、彼女の全身が赤色に染まっていく。 「背中、気持ちいいんだ……」 「気持ち……いいですけど……」 もっと気持ちのいい部分があると言いたげに、千莉が体をよじる。 ここで彼女の意を汲むような野暮はしない。 乳房を避けるようにして、俺の指先はお腹側へと進行して行った。 「うう……あっ、あ……っ、や、うぁ、や……っ、やあっ、ああぁぁぁ……っ」 もどかしそうに体を揺らす千莉。 「もっと……上の方にも、あがってきて下さいよぅ……」 「こう?」 膨らみの縁の部分まで、指を持ち上げる。 「あ、あ……っ、ああ……」 千莉の期待に満ちた吐息を聞いてから、おもむろに指を腹部に戻した。 「やっ、ちょっと……」 乳房の代わりに、へそに触れる。 「もう、京太郎さん……だめですよぅ、切なすぎます……」 「早く、触って、ください……」 「……どこを?」 「う、うぅぅぅ……っ、む、胸を……」 絞り出すように、千莉が呟く。 「……りょーかい」 そう言って、乳房に指を向かわせる。 固さと柔らかさを併せ持った双丘を、指が駆け上っていく。 「や、あ……っ、あ、んんっ、あ……っ、あ、ああぁぁ……っ」 千莉が、今度こそ喜びに充ち満ちた声を上げる。 「んくっ、あ……あ……ん」 親指で、乳輪の縁をなぞる。 「ひくっ、ひあ……っ」 人差し指で、固くなっている乳首を刺激した。 「ああ……っ、ふあ、あ、あ……っ、ああっ、ああぁぁぁ……っ」 千莉の声が溢れる。 「そんなに声を出すと、誰かに聞こえるかも……」 「あ……そ、そうでした……ふぁっ、ん、ん……っ」 慌てて声のトーンを落とす千莉。 でも息は上がったままだ。 ジョギングコースを3周走っても上がらなかった彼女の息が、上がりきってしまっている。 「はぁ、はぁ……っ、ぅあ、あ、んんっ、ああぁぁぁぁ……っ、京太郎さん、京太郎、さぁん……っ」 「ん?」 「イっちゃい……そうです……」 「乳首だけで……?」 「だって……京太郎さんが、あんまり焦らすからぁ……っ」 「あ、や、もう……だめ、我慢、できない……っ、や、あ、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 千莉の体が、今までとは異質な震えを見せる。 「ひく、ん……っ、ん、ん、ん……っ、うあ、ああぁぁぁ……っ」 「んあ、あ……っ、あんっ、んぅ……っ、んぅっ、んぅぅぅ……っ」 小さく開いた千莉の口から、呻くような声が漏れた。 千莉の体表に大きな変化はないが、彼女の体はかなり熱くなっている。 「もしかして……?」 「ちょっと……だけですけど……」 そう言って、千莉が恥ずかしそうにうなずく。 それから俺の名前を呼んだ。 「京太郎さん……」 「ん?」 「もっと色々なところを、触ってほしいです……」 「……わかった」 マッサージから始まった愛撫を続けて行くうちに、2人の間には暗黙のルールが形成されていた。 それは『体に触れるときは直接』というものだ。 つまり千莉の体で露出している部分は、既に触った場所ということになる。 現時点の千莉の体で、布をまとっている部分は、1つしかない。 「……あとはどこを?」 「そこまで言わせる気ですか?」 さすがに意地悪がすぎるか。 「悪い」 最後の布地に手を伸ばす。 その部分を横にずらして、現れた秘密の部分に指を置いた。 「ひあ、あ……っ、んんっ、あ、あ……っ、うあ、く……っ、ぅあっ、あああぁぁぁ……」 千莉のそこは、ぐちゅぐちょに濡れていた。 入り口は微かに開いており、置いた指が吸い込まれそうになる。 「おっと……」 慌てて指を引く。 性器の表面だけを触るようにする。 「奥……来て、くれないんですか……」 「もう少ししてから」 「あ……」 先を期待してか、千莉の膣からはまた液が溢れてきた。 「また……焦らす気ですね……」 「嫌?」 「嫌ですよ……」 「でも……」 「うん?」 「さっきの……おっぱい、気持ち良かったし……」 散々焦らされた結果、千莉は乳首だけでイってしまった。 焦らされるのが嫌いじゃないようだ。 証拠に秘部がいっそう湿り気を増してきた。 「はぁ、はぁ……うあ、んっ、あ……あ、うぅ……あぁっ、んく、んぅぅぅ……っ」 俺は片手で膣の入り口を触りながら、もう片方の手で千莉の背中も撫でた。 「あ、ひゃんっ! や……っ、あああぁぁぁ……」 千莉の襟足が揺れる。 「全身が性感帯になってるみたいだ」 「京太郎さんの、せいですよぅ……ぅあ、んあ……あ、ああぁぁ……っ」 背中を撫でる手を、お腹側に移動させる。 「ああっ、や、んん……や、ぃやぁ……」 筋肉質の腹部を堪能する。 それから今度はスムーズに、乳房の方へと指を移動させていった。 「あ、ああ……っ、ああっ、あ、あああぁぁぁ……っ」 相変わらず固く尖ったままの乳首を指で弾く。 「ひく……っ、ぅく、うっ、うぅぅ……っ」 千莉の体に、異質な震えが産まれる。 何とか、震えが全身に広がるのを堪えているようだ。 「私も……今日は京太郎さんの主義に合わせます……」 「メインは……最後にとっておこうと、思います……」 「イクのは……京太郎さんの、それで……」 千莉が左手で、自らの臀部を持ち上げる。 千莉の入り口が、糸を引きながらゆっくりと開いていく。 必死に俺を誘おうとしている、その姿がなんともいじらしい。 「京太郎さんも……珍しく運動したから、体が張ってますよね?」 「珍しくは余計だ」 「特に張ってるところ……張りすぎて、凝り固まっているところが、あるんじゃないですか?」 「……まあ」 「今度は私が……京太郎さんを、ほぐしてあげますよ……」 「私の体で、京太郎さんの一番凝っているところを、マッサージしてあげます……」 「別に自分でもほぐせるが」 「もう……っ、これ以上の意地悪は結構ですっ」 「本気で泣いちゃいますよ」 潤んだような瞳で睨まれてしまう。 もういっぱいいっぱい、という感じなのだろう。 「わかった。じゃあお言葉に甘えるよ」 そう言って俺は、俺の体で一番凝り固まっている部分を取り出した。 一転千莉が目を輝かせる。 「私の中で、いっぱいほぐされて下さいね……」 精一杯の強がりを含んだ言葉に導かれるまま、俺は肉棒を千莉の中に突き立てた。 「んあ、あ……っ、あ、あぁ……っ、うあっ、あああぁぁぁ……っ」 御園の口が大きく開かれる。 「やんっ、ひゃ……っ、んんっ、やあぁぁぁぁ……っ、あっ、うくっ、うあ……んぅぅっ!」 大きく開かれた口から、世界レベルの声量が溢れてきた。 「千莉っ」 「え?」 「ここが外だってこと、忘れないでくれ」 「わ、忘れては……いないですけど……っ、あっ、や、や……っ」 「ああっ、んっ、やっ、あ、ああっ、あああぁぁぁぁ……」 「気持ち良すぎて……、ここがどこかなんて、どうでもよくなっちゃう……」 「ひゃんっ、や……っ、んんっ、やんぅぅっ!」 俺の陰茎がほんの数ミリ侵入するだけで、歌姫の声が放たれてしまう。 「もう……っ、京太郎さんが、焦らすからぁ……っ」 「すごいよぅ、こんな……入れられただけで体が反応するの、初めてかもしれません……」 「千莉……気持ち良くなってくれるのは、嬉しいんだけど……」 「だったら、もっと嬉しそうにしてください……」 「もう少し声を落としてくれたら、素直に喜べると思う」 「そう……言われても……っ、んんっ、あ、あ……っ、ああ、あああぁぁぁぁ……っ」 声は止まりそうもない。 愛液の量はどんどん増え、俺が腰を揺らす度に奥からこぼれ落ちる。 土の匂いに、千莉の匂いが混ざり始めていた。 「汗も、すごいな……」 「はい……、ひゃ、ん……っ、あっ、く、ん……っ、はぁぁ……」 ジョギング直後も千莉は汗をかいていたが、今はそのときよりも多い。 彼女そのものとも言える汗の匂いを、俺は胸一杯に吸い込んだ。 「なんか俺達しょっちゅう、汗まみれでエッチしてるよな……」 「嫌……ですか?」 「いや……千莉の汗の匂い好きだ」 「それはちょっと……」 「男は誰だって、好きな子の匂いは好きだって」 「また、そういうことを言う……や、んくっ、あ……っ、やあっ、あああぁぁぁ……」 千莉の匂いを一杯に吸い込んで、俺のピストンは徐々に激しさを増していく。 「ひくっ、ひん……っ、んく、あぁん……っ、んぅっ、んぅっ、あうぅ……」 「んっ、あっ、ああっ、んんっ、あ、く……っ、うあっ、あああぁぁぁ……っ!」 それに伴い、千莉の声もまた大きくなっていった。 「千莉、声……」 「わ……分かってますっ、分かってますけど……っ、んんっ、あっ、やっ、だめぇ、もう、我慢、できない……」 「声……溢れちゃう……っ」 「京太郎さん……、少しは手加減、してください……」 「……していいの?」 「いいわけないです……っ、や、や、や……っ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 「どっちなんだよ?」 「わかんないですよぅっ、声は、出したくないけど、手加減も、されたくない……っ」 「とにかく、そんなに激しくされたら……絶対に、声は出ちゃうんです……っ」 「でも、加減されるのも嫌ぁ……っ、もっと、めちゃくちゃにしてほしい……」 とんでもないことを言ってくれる。 「今、とても困ってる」 「私だって……困ってます……っ、京太郎さんは私が困ってないときに、困ってください……っ」 「じゃないと私……っ」 「はぁ……、千莉とならどこまでも、か」 初めて千莉と1つになった日に交した言葉を、ふと思い出した。 「な、なんですか……?」 「分かった。俺も腹をくくる。千莉はもう好きに声を出していい」 「その代わり俺も、好きに動かせてもらう」 「それで……もし誰かに見つかったら?」 「そのときは逃げよう」 「千莉と一緒になら、どこまででも逃げられそうな気がする」 「この状況で言われても、あんまり嬉しくな……や、あ、あっ、んぅっ、んあぁ……っ!」 「ああぁ……ん、や……っ、ひゃうっ、ううぅぅっ、うあ、あ、う……ひあ、あああぁぁぁ……っ」 彼女の膣全体が、俺の陰茎をきゅうっと締め付けてきた。 愛液の量も格段に増える。 「ひぐっ、んくぅぅっ、あ、んんっ、や……っ、ひあっ、うあっ、うあああぁぁぁ……」 千莉にも、好きに叫ばせる。 「ああもう……っ、声、止らないよぅ……っ、段々、怖くなってきました……」 「京太郎さんの……意地悪……ああああっ……」 「千莉、大好きだ」 「も……もうぅぅぅ……っ、こんな時に、言わないでくださいぃぃっ、そんなこと、言われたら……」 「ひくっ、ひうぅぅ……っ、うくっ、んあ、うぅ、んんっ、うああぁぁっ」 千莉の膣の締め付けが増す。 絶頂直後の柔らかさと、絶頂間際の締まりが同時に襲ってきた。 「私も、言いたくなっちゃう……」 「うん?」 「私も……好きです……っ、意地悪な京太郎さんが、大嫌いで……大好き……っ」 「んあ、あ、あ……っ、うあああっ、んんっ、あ、ああぁぁぁ……!」 そう宣言して、また千莉はボルテージを上げる。 彼女の声のトーンも、体の熱も上昇していく。 「京太郎さぁん……、このまま、中に……出してください……」 「ああ」 千莉の声に促されるように、俺は腰をいっそう激しく動かす。 「ひゃっ、や……にゃあっ、みゃっ、だめっ、やああぁぁぁ……っ」 「京太郎さん、中に、中に……ああああっ、やっ、やっ、ああああああっ!」 千莉の体が震え始める。 彼女が絶頂間際に何度も見せていた、あの震えだ。 「もう……イきます……ああっ、だめっ、いっぱいイク、イっちゃいますから……」 「くっ、ひあっ、う……っ、うあ、あっ、あ……っ、くっ、あ、あっ、あああぁぁぁぁ……っ」 「うん……っ、うん……一緒に、京太郎さんと一緒に……っ、もう、もうっ、や、や、や……っ!」 「ひくっ、ひやっ、やぁ……っ、うあぁっ、あ、んっ、あっ、ああっ、あああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 びゅうっ、びゅるっ、びゅく……っ! 「ひんっ、ひぅぅ……っ、うあ、ああぁ、うあ……っ、んあっ、はああぁぁぁ……」 ペニスを引き抜くと同時に、千莉の膝がガクガクと震えだす。 「あ、や……っ、やあぁぁ……っ」 中に出したつもりだったが、ペニスは外にはじき出されていた。 震える千莉に向かって、俺の白濁が何度も発射される。 「京太郎、さぁん……っ、や、だめ、震えるの……止らないぃぃ……っ」 「んあっ、はぁっ、はぁ……っ、うあぁっ、ふあぁぁぁ……っ」 気がつくと目の前のお尻は、精液でドロドロになっている。 「お尻が……熱い……」 まだ下半身を振るわせながら、千莉が呟く。 「はぁ……はぁ……中って言ったのに……」 「千莉の膣内が締まりすぎなんだ」 「それは、京太郎さんが……気持ちよくさせるから……ううぅぅ……」 千莉が恥ずかしそうに顔を伏せる。 「本当に歌姫の声が聞こえたの?」 「本当だって。サマコンで聞いた声だったから、間違いねぇよ」 「時々この辺を走ってるって噂もあるし、走った後に発声練習とかしてんじゃないかな」 「本当にいたら嬉しいなぁ。私歌姫のファンなんだ」 「………」 「………」 「千莉は……ファンと交流するつもりはあるか?」 「少なくとも今は無理です」 「だよな」 俺と千莉は、本当に走って逃げることにした。 しかし翌日俺は、階段も上れないくらいの筋肉痛になった。 まったく、今思い出してもひどい目に遭ったものだと思う。 いやトータルで考えたら……ひょっとしていい目を見たことになるのだろうか。 「なんか筧さん、ひどい目に遭うって言ったきり、黙っちゃったんですけど……」 「しかも複雑な顔をしながら、鼻の下を伸ばしてるよね……」 「放っておけ。どうせ恋の病の末期症状だ」 「それは……構ったところでロクなことはないな」 俺の携帯のアラームが鳴る。 千莉が走りに行ったときに、設定しておいたものだ。 「そろそろ時間だな。じゃあ俺も失礼するか」 そう言って俺は、自分の荷物と千莉の荷物も掴んで立ち上がった。 俺が公園に行くと、ちょうど千莉がジョギングを終えた所だった。 「お疲れ」 俺は千莉にタオルと、来る途中に買ったスポーツドリンクを渡す。 あの日以来さすがに、千莉のジョギングに付き合おうという気はなくなっていた。 その代わり俺は、彼女をゴール地点で出迎えることにしている。 「ありがとうございます」 千莉はタオルで汗を拭いて、スポーツドリンクを美味しそうに飲む。 今日も千莉の息は、ほとんど乱れていなかった。 「ご馳走様でした」 スポーツドリンクを一気に飲み干してから、彼女が俺の方を見る。 「京太郎さんにお願いがあるんですが?」 「何?」 「……また、マッサージ、お願いしていいですか?」 「あー……、米がもうなかったか」 米を研ごうと思ったら、米びつが空になっていた。 佳奈と半同棲を始めたことで、俺は極力自炊を心がけるようになった。 米って意外と減るもんなんだな。 今日は休日だし買ってくるか。 「佳奈、お米買いに行くけど、ついでに買ってくるものある?」 窓辺でアイロンがけをしていた佳奈に尋ねる。 「お米って言いました?」 「ああ、なくなりそうだから」 「ちょっと待って下さいね」 佳奈が、鞄から何かを取り出して持ってきた。 「買う前に、これにチャレンジしましょう!」 そう言って差し出されたのは、商店街の福引き券だった。 一等の景品は、なんと米10キロだ。 「おお」 「昨日アプリオの店長にもらったんですよ」 「学生街の福引きってことで、当たりが多い上に食料品が充実してるらしいんです」 確かに普通の福引きにあるような、旅行やテレビといった景品は見当たらない。 その代わり、味噌や缶詰、パスタにレトルトカレーなど、生徒の強い味方になりそうなものが並んでいた。 「今日は福引き最終日です。大物ゲットの予感がしませんか?」 「お米を買ってから、福引きで当たっちゃったら大惨事ですよ」 「そう簡単に一等なんか当たるかよ」 せいぜい、6等のパスタ300gがいいところだろう。 しかし万が一ということもあるし、『まず福引き』という佳奈のアイデアに異存はない。 「でもま、当たるかもしれないし、一緒に商店街行くか」 「そうしましょう」 「アイロン、あとシャツ1枚なんで、少し待ってて下さい」 最終日というだけあって、福引き会場には列ができていた。 景品コーナーを見ると、1等の米はもちろん、その他の食料品もまだ残っている。 期待が膨らんでくるな。 程なくして俺達の順番が回ってきた。 「佳奈、頼む」 「え? 私ですか?」 「佳奈の方が運が良さそうだ」 「ハードル上げないで下さいよ」 「わかりました。それでは不肖、鈴木が……アタックチャンス!」 よくわからない掛け声を発して、佳奈が抽選器を回す。 玉の色は、金が1等で銀が2等、以下順番に、赤、青、緑、白となっていた。 「とりゃっ!」 佳奈の気合い一閃。 抽選器が玉を吐きだした。 玉の色は…… 金。 「金!?」 「やりましたっ、米が来ましたよっ!」 「すごいぞ佳奈」 「はい、全国の鈴木さんのお陰です」 手を取り合って喜ぶ。 米を当てて感激している学生カップルというのも妙なものだ。 佳奈の声に被さるようにして、当選の鐘が鳴らされた。 「おめでとうございます! 特別賞です!」 ……ん? 「特別賞?」 「これ、金じゃなくて黄色ですね」 「は?」 金色に見えたのは光の加減だったか。 「特別賞は、商店街のお楽しみ袋です」 と、手渡されたのはやけに大きな紙袋だ。 持ってみると、大きい割にかなり軽い。 「……」 悪い予感がして、すぐに紙袋を空けてみる。 入っていたのは、レジャーシートに浮き袋、ビーチボール等々……。 「これは……泣く子も黙る、夏の売れ残りでは……」 「そうとも言うな」 「彼氏さんとデートするときに使ってくださいね」 「いやですよぉ、彼氏なんて」 「……じゃなくて、もう9月なんですけど?」 「クラゲに刺された時のために、薬も入れておきました」 「わー、気が利いてますねー」 抽選所を離れ、俺たちは道ばたのベンチに腰を下ろした。 「あーあ、絶対にお米だと思ったのに」 「俺も思った」 米が10キロあれば、2人で毎日食べてもかなり保つだろう。 返す返すも残念だ。 「どうします、この海グッズ?」 「通行人と物々交換していくと、最後はお米になるってオチですかね」 「わらしべ長者かよ」 空を見上げると、残暑の陽はまだまだ強烈だ。 最近の温暖化を考えれば、まだ真夏と言えるかもしれない。 「海、行ってみるか」 「マジですか?」 「9月だろうが10月だろうが、暑けりゃ問題ないだろ」 「ですね」 佳奈が微笑む。 「ちなみに、今からですか?」 「ああ」 「え、えっと……じゃあ、水着をとってこないと!」 佳奈が勢いよく立ち上がり、家に向かって走りだそうとした。 切り替えが早いのは、佳奈のいいところだ。 「慌てなくても海は逃げないぞ」 「でも、夏は逃げちゃうかも」 1時間ほどして、俺と佳奈は砂浜へ到着した。 日差しは真夏のそれで、日焼け止めなしで転がっていたら、すぐに丸焼けになりそうなほどだ。 しかし真夏さながらだったのは、日差しだけだった。 肝心の海はというと…… 「クラゲだらけですね」 「ああ……」 「私……海に嫌われてるのかなぁ……」 「どうした急に」 「筧さんと2人きりで海に来て、ちゃんと泳げたことがない気がします」 以前図書部のみんなと海に来たときは、絶好の海水浴日和だった。 しかし2人きりで海に来ると、人が多すぎたり、雨が降ったりして、まともに海水浴を楽しめたことがない。 そして今日はクラゲの海。 「まあ泳ぐだけが海じゃないし、とりあえず座ろうぜ」 俺は福引きの袋からレジャーシートを取り出し、砂浜に広げる。 「ほら」 「……なんか小さくないですか?」 レジャーシートは明らかに1人用だった。 俺達は本当に、残り物を掴まされてしまったらしい。 「ま、座れないことはないし……」 と、1人用のシートに2人で腰を下ろす。 互いの体がぴったりとくっついた。 「これは、怪我の功名ってやつですね」 「だな」 「もしくは、残り物には福があるか」 「ふふふ、ですね」 密着したまま、俺たちは黙って海を眺める。 白く泡立った波の先端が砂を濡らし、そのまま砂の中に溶けていく。 「ここはやっぱり……波打ち際に相合い傘とか、書いておくべきでしょうか」 「ああ、それを波がさらっていくわけだ」 「ですです。そして私は言うんですよ」 「『私たちの愛も、いつかこうやって消えちゃうのかな』って」 「『形あるものは、いつかその姿を変えていく。でも決して、完全に消えてなくなることはない』」 「『だから僕たちの愛も、消えることはないんだよ』」 「うはー、甘すぎて死にそうです」 佳奈がげんなりした顔をする。 一応その寸劇で満足したらしく、実際に佳奈が相合い傘を書くことはなかった。 俺達はまた黙って、波を見る。 静かな海。 わざとらしすぎるほどにきれいな波の音。 時折混じる鳥の声。 夏と秋が融け合ったような、微妙な色をした空の青と、薄く引き延ばされたような雲。 こんな状況で、しかも隣に女の子がいて、ただぼーっとしている自分を、俺は不思議に思う。 以前ならこの状況では、本が必須だった。 「なんだか不思議です」 佳奈が呟く。 「こうやって静かにしていても、何か喋らなきゃって気持ちにならないんですよね」 どうやら佳奈も、俺と同じことを感じていたようだ。 「筧さんは、大丈夫ですか?」 「私のことが邪魔だったり、しませんか?」 「邪魔なわけないだろ」 そう言って微笑む。 佳奈は安心したように表情を緩めた。 「でもやっぱり、不安に思うときがあるんです」 「今の私は、素の自分をさらけ出し過ぎているような気がするんですよね」 「それはそれで気持ちいいことなんですけど、でも出し過ぎじゃないかなって思っちゃったり」 そう言って、佳奈は困ったように笑う。 いつもがっちりメイクで外出していたから、すっぴんだと不安だということだろう。 気持ちは俺にもわかった。 「そういう不安は俺もあるな」 「素でいるのは楽なんだけど、その分、相手に甘えてるんじゃないかとも思うし」 「そう、それですよ」 「言うのもおこがましいですけど、やっぱり、同じようなこと感じてるんですね」 佳奈が身を寄せてきた。 「同じ悩みなら好都合だよ。2人で乗り越えて行けばいい」 「ですね」 「なんだか元気が出てきました」 「ならよかった」 「海に来て元気がないんじゃもったいない」 「あー、そうでしたそうでした」 照れたように笑って、佳奈が立ち上がる。 「次は、これで遊びましょうよ」 佳奈が、紙袋からビーチボールを取り出す。 「これなら海に入らなくても楽しめますよ」 「よーし」 2人で協力してビーチボールを膨らませる。 「いくぞ!」 まず俺がトスを上げる。 「絶好球!」 いきなり佳奈の痛烈なアタック。 「くっ!」 なんとかレシーブで受ける。 ふわりと上がったボールに、また佳奈がアタックを仕掛けてきた。 「とう!」 「うぐっ!」 俺のレシーブで、また山なりのボールが上がった。 「私の愛、受け取って下さいっ」 レシーブの手が弾かれるほど、重いアタックだ。 「く……何て重い……」 「私の愛は重いんです……さあ、もう一発」 「どりゃっ!」 ボールの弾道が不規則に揺れる。 「うおっ、ブレ球!?」 「私の愛はブレるんです」 「そいやっ!」 球が……消えた!? 「き、消える魔球かっ!?」 「私の愛は消えるんですっ」 「……って消えちゃ駄目だし!?」 動揺したせいか、佳奈のアタックは、あさっての方向へ飛んでいった。 「消えたなあ……」 「ブレるつもりも消すつもりもないんですが」 佳奈がうなだれる。 「ともかく、探しに行こう」 ビーチボールは岩場の陰に落ちていた。 「お、あったあった」 「愛をロストしなくてよかったです」 愛しげにボールを撫でる佳奈。 「形なんてなくても、愛は消えないって」 「またまたー」 「ひゃうっ!?」 可愛らしい佳奈を抱きしめる。 「くすぐったいです」 笑いながらじゃれついてくる佳奈。 小さな頭を撫でてやる。 「ふふ、すごく気持ちいいです」 佳奈の息が胸にかかって、少しくすぐったい。 それから急に我に返ったようにして、佳奈が俺から離れた。 「す、すいません。今のは、近すぎましたね」 「ごめんなさい、戻りましょう」 「俺も佳奈を抱いてると気持ちいいよ」 「え?」 「もっと佳奈と近づきたい」 「えっと、こ、これは……ネタですか?」 「本気だけど」 佳奈が、周囲を眺めてからごくりと息をのむ。 ここには、誰の視線も届かない。 波の音が遠くから聞こえてくるだけだ。 「私も……もっと、近づきたいです……」 「うん……」 それから俺達は、砂浜の上に倒れた。 「あ……」 俺の上に、佳奈が乗るような格好になった。 「なんか佳奈に襲われてるみたいだな」 「本当ですね」 佳奈が恥ずかしそうに笑う。 「大丈夫ですか? 筧さんに、下になってもらっちゃって」 「大丈夫。砂だから痛くないし」 「レジャーシートを持ってくればよかったですね」 「もういいよ」 俺は首を横に振る。 「佳奈……」 佳奈の顔に手を伸ばす。 「……筧さん……んっ、ちゅっ……」 近づいてきた佳奈の唇を受け止める。 「ん、ん、ん……っ、んぅっ、んぅぅぅ……」 佳奈の口の中に舌を差し込んでいく。 「んちゅ、ちゅ、ちゅる……っ、ちゅぷぅっ、ちゅ、ちゅる、ん、ちゅぅ……っ」 俺と佳奈の舌同士が接触をする。 2人の舌を伝って、俺の口の中に佳奈の唾液が落ちてきた。 それは、まるで何かの薬のように、俺の頭を陶然とさせる。 「うあ、はぁ、はぁ……っ、はぁっ、ん……っ、んちゅぅっ、ちゅっ」 「ふにゃ、や、あっ、ん、ん……っ」 「んあ、はぁっ、はぁ……筧さん……」 「上からされると、不思議な感じだ」 「私もそう思ってました……何だか、襲ってるみたいで」 佳奈が笑う。 「筧さんが好きすぎで、我慢できそうもないです」 「俺もだ」 「痛かったら言ってくださいね」 「それは男の台詞だろう」 「あはは、ですね」 照れ隠しに笑いつつ、佳奈の左腕がゆっくりと弧を描き始めた。 小さな指先が、俺の乳首を愛撫する。 「お……」 俺の上半身に、きゅっと力がこもる。 触れられた乳首を中心に、不思議な感触が広がっていった。 「結構、気持ちよさそうですね」 「なんだかゾワゾワする……」 「あはは、乳首が立ってきましたよ」 微笑みをたたえたまま、佳奈は俺の勃起した乳頭を摘む。 佳奈の指で、乳首をコリコリとこねられる。 「う、く……っ」 「ふふ……やっぱり男の人でも、気持ちいいんですね」 「もちろん、女の子と一緒だ」 俺は腕を伸ばして、佳奈の水着のトップスをめくりあげた。 「ひゃっ、ふあ……っ」 佳奈のささやかな膨らみが露わになる。 「外だから……すごく恥ずかしいです……」 さすがに緊張するのか、佳奈は落ち着きなく視線を動かす。 「大丈夫、誰も来ないから」 「完全に、根拠ゼロですよね……ひゃっ、んぅ……っ」 乳房の上に指を置くと、佳奈の体がビクリと震えた。 佳奈が俺にしたのと同じようにして、彼女の乳房を愛撫する。 「あ、あ、ん……っ、やっ、やぁ……っ、ひゃんっ、ひゃ……」 「なるほど。確かにすごく気持ちよさそうだ」 「ううぅぅ……っ、私も、ゾワゾワしちゃいます……」 佳奈も正直だった。 「あ……佳奈のも、先が立ってきたな……」 「え……?」 「可愛い……」 「や、ちょ、ちょっと……っ、筧さん、筧さぁん……っ」 俺はやはり佳奈がしたのと同じように、佳奈の勃起した先を刺激する。 「ひくっ、ひ……っ、ひんっ、ひんぅぅぅ……っ!」 そのまま乳首をこねる。 「あ、やっ、あ……っ、ひゃっ、や、や……っ、ひん、ぁうっ、ひくぅ……っ」 「筧さん……それ、だめ……っ、やっ、あ、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ」 「すごく気持ちよさそうだ」 思わずうらやましく感じてしまうほどに、佳奈の体は激しい反応を見せていた。 「感じてくれて、嬉しいよ」 「筧さんが、上手だからです……」 「ううん……ほんとは、筧さんならどこを触られても、気持ちいいんです……ああっ、んっ」 佳奈が快感に眉を歪める。 今度は、手のひらで佳奈の乳房をくるんだ。 「ぅあ、あ……っ、ん……」 そのままゆっくりと、佳奈の乳房を揉む。 「あ、あ……っ、あぁ、あ、ん……っ、うあ、あ……っ」 一転手を離し、今度はすこし強めに乳首を摘んだ。 「ひゃんっ! や……っ」 「か、筧さん……んっ、刺激、強くて……ああっ……」 今度は優しく乳房に触れる。 「やん……ん……っ」 人差し指で乳首を愛撫しながら、親指で乳輪をなぞる。 「そう……んっ、そう、いうのが……っ、んあ、あ……っ」 「や、あ、ん……っ、んぅっ、ん、くぅ、ん……っ、んぅぅぅ……っ」 「あ、ちょと……ひゃっ、体の、力、抜けちゃう……」 そう言った瞬間、佳奈の下半身がカクンと落ちた。 俺の下腹部の上に、佳奈の股間が乗る。 「あ……」 慌てて膝を立て直す佳奈。 今の一瞬で、水着越しとはいえ、お互いの性器同士が触れ合ってしまった。 俺のペニスは、佳奈の湿り気をしっかりと感じ取った。 「筧さん……熱くなってますね……」 「佳奈も……すごく濡れてる……」 「しょうがないです……筧さんにしてもらってるんですから……」 佳奈の唇が覆い被さってきた。 「ん……っ、んぅっ、ん……っ、んちゅ、ちゅぅ……っ」 また佳奈の唾液が、俺の口の中に落ちてくる。 心なしか、先ほどよりも熱くなっていた。 「はぁっ、んあ、ん……っ、んちゅ、ちゅる、ちゅ、ちゅぅ……っ」 互いの口内をまさぐりながら、俺は佳奈の下半身に手を伸ばす。 湿った布地に触れ、それを横にずらす。 「んっ……んんっ……ちゅっ、ちゅるっ……ちゅっ……」 佳奈もこの先を悟ったのか、俺の水着に手をかけた。 「ぷはぁっ、うあ、はぁ……っ、はぁ、はぁ……」 佳奈の唇が離れる。 離れたときには、お互いの性器が露出していた。 俺のものは、もちろんカチカチだ。 「佳奈、いいか?」 「はい、筧さんとなら、いつでも……」 そう言って、佳奈がほんの少し腰を落とした。 俺の陰茎の上に、佳奈の膣口が重なる。 性器同士が軽くキスするような距離感だ。 「うあ、ん……っ、やっぱり、筧さんの、すごく熱いですね……」 佳奈の下半身の唇が、陰茎から離れる。 愛液がツゥと糸を引く。 「佳奈はすごく濡れてる……」 「はい、筧さんが愛おしくて、どうしようもないです」 無意識にか、佳奈の腰が揺れる。 ペニスの先端がぬるぬるとこすられ、早くも興奮が高まっていく。 「どんどん固くなっていきますね」 「中に入ったら、もっと固くなると思う」 「……したい、ですか?」 「ああ、もう我慢できない」 「私もです……筧さん……」 佳奈がゆっくりと腰を落とす。 今度はキスではなく、しっかりと俺のものを体内に導き入れた。 「んくっ、んぅぅ……っ、あ、あぁぁ、あ……っ、ふあ、ああぁぁ……」 佳奈の小さな割れ目が、俺のモノを飲み込んでいく。 今まで何度も見てきた光景ではあるが、やはり挿入の瞬間は、息をのんでしまう。 「すごいよな……」 「はい……?」 「佳奈の中に、入っちゃうんだもんな……」 「そりゃもう……筧さんのことが大好きですから」 「ん、く、あ……っ、んあ、あ、あ……ああぁぁぁ……っ」 佳奈の狭い入り口が、俺の形に合わせて広がっていく。 形容のしようもないほどいやらしい光景だ。 「はぁ、はぁ、はぅぅ……っ、うあ、あ、はぁ……っ」 佳奈の息が、一気に荒くなる。 「大丈夫か?」 「正直ちょっと……入れるときはまだ、ドキドキしちゃうんですけどね……」 「やっぱりほら、筧さんの……大きいから……」 俺のが大きいというより、佳奈の体が小さすぎるのだ。 「無理はするなよ」 「してませんよぅ……入るときに、ちょっと緊張しちゃうだけです……」 「入っちゃうと……その、すごく……気持ちいいんで……」 長い髪に隠れた佳奈の耳が、カァッと赤くなった。 その耳を俺は、指で撫でる。 「ひゃっ、や……やっ、にゃっ、や、あ……んぅぅ……っ」 少しずつ、でも確実に、俺のペニスが佳奈の中に埋まっていく。 「あっ……はぁぁ……大きい……」 「筧さんが、中に……ひゃ、やっ、ん、んぅぅぅ……っ!」 一際大きな声を佳奈が発する。 結合部を見ると、佳奈の体は俺のペニスのほとんどを受け入れていた。 「はぁっ、うあ、や……っ、あ、あ、あ……っ、んあ、はあぁ……」 狭い内部がペニス全体を満遍なく締め付けてくる。 「ちょっと……休憩して、いいですか?」 「もちろん、無理するな」 「ふぁい……」 佳奈は俺の上体に体重をあずけて、呼吸を整える。 彼女の長い髪が俺の頬を撫でて、少しくすぐったかった。 「はぁ、はう……っ、んっ、ふあぁ……っ、はふ、はうぅ……」 呼吸の音に混じって、波の音も聞こえてくる。 時折海の方から吹く風に臀部を撫でられているようで、なんだかゾクリとしてしまう。 「本当に……外でしちゃってるんだな……」 「そう……ですね……」 「すみません、エッチな子で」 なぜか佳奈が謝ってくる。 「俺は大好きだよ。エッチな佳奈が」 「ぅあ、ああぁぁぁ……」 佳奈の耳がまた、面白いぐらいに赤くなっていった。 俺もまたその耳を触る。 「あ、ひゃっ、やん……っ、か、筧さん……っ、筧さぁん……っ」 「なら、私……もっと筧さんに気持ちよくなってほしいです」 「どうせエッチな子ですから……いろいろ、頑張りますから……」 そう言って、佳奈はゆっくりと体を動かし始めた。 先ずは腰を少しずつ持ち上げていく。 「あ、や……っ、あっ、や、や……っ、ふあ、あ……っ」 続いて逆に腰を落とし込む。 「ん……っ、んぅっ、ん、んぅぅぅ……」 「佳奈……」 「は、はい! 何でしょう……」 「すごく気持ちいい」 「ああ……じゃ、じゃあ……、じゃあ……っ」 俺の言葉にのせられるようにして、佳奈の腰の動きが、少しずつ速くなっていった。 「ひやっ、や、や……っ、うあぁぁっ、あ、くっ、あっ、ああっ、あああぁぁぁっ」 狭い佳奈の中から、愛液が溢れてくる。 「や、んっ、や……っ、筧さぁん……っ、どうしよう、腰が、止まらない……っ」 「筧さんに気持ちよくなってほしいのに……私が、気持ちよくなっちゃってるぅ……っ」 「大丈夫、俺も気持ちいい」 「本当、ですか……?」 「気持ちよさそうな顔、してるはず」 「んあ、あ……。して、ます……。ああ、本当だ、筧さん、すごく気持ちいいって顔、してる……」 「また、覚えておきますね……。筧さんが、これ、好きだって……」 「私が上に乗って動くの、気持ちいいんだって……やっ、ひゃ、やっ、やああぁぁぁ……っ」 佳奈の腰はどんどんと加速していく。 「あ、く……っ」 激しくなりすぎ、砂と擦れる痛みが強くなってきていた。 俺のその様子を、佳奈が敏感に察知する。 「痛い……ですか?」 「ちょっとだけ」 「と、止めましょうか?」 「いや……」 「でも……筧さんの背中……」 「いいから、もっと動いてほしい……」 俺は心からそう思っていた。 背中は確かに痛かったが、それ以上に佳奈が気持ちいい。 気持ちいい佳奈を、このまま感じていたかった。 「で、でも……」 「佳奈が動かないなら、俺が動くぞ」 そう言って、佳奈を下から突き上げる。 「筧さん……それ、激し……いっ、んぅっ、んぅぅぅ……っ!」 「気持ちいい?」 「よすぎて……頭が、クラクラしちゃいますよぅ……っ」 「俺も、頭がクラクラするぐらい気持ちよくなりたい。だから佳奈も、さっきみたいに動いて……」 「背中は……?」 「気にするなって」 「じゃ、じゃあ……」 納得したように、佳奈が腰の回転を再開させた。 それに合わせて、俺も下からの突き上げを行う。 「ひぐっ、ひくぅ……っ、や、あ、あ……っ、あんっ、んぅっ、ん、んぅぅぅ……っ!」 「筧さんのが……すごく深く入ってきてる……っ、奥に、当ってる……」 狭い膣内の再奥を、亀頭の先が何度も叩く。 その度に佳奈の膣内は、切なそうに俺を締めつけてきた。 「佳奈……あんまり絞めるな」 「それは……無理です……っ」 「気持ちよくて……筧さんが好きで、もっと欲しくて、身体が言うこときかないです……もうだめぇっ」 「そんなに絞められたら、出る」 「いいです、出して下さい……私ももう、イキそうだから……っ」 「むしろ、筧さんも出して……私と一緒に……っ、ひゃ、や、やっ、やあっ、あああぁぁぁ……っ」 「佳奈、このままじゃ中に」 「いいです、中で大丈夫です……あっ、ああっ、筧さんっ、筧さんっ」 「あああ、ちょっと、もう、わたし、わたし……あああっ、ああああっ、にゃああっ!」 「や、や……っ、あ、あ、あっ、や、らぁっ、もう、だめっ、だめぇぇぇ……っ」 「く……っ」 佳奈が思い切り腰を落としてくる。 「ぅあ、あ、あ……っ、筧さんが、いっぱい……っ、わたしの中に、わたしのにゃか……ああああっ」 「ビクビクしてる……っ、ビクビク、だんだん大きくなって……、や、や、や……っ」 「もう、このまま……イクっ、イっちゃう……っ、ひゃっ、や、やっ、やああぁぁぁ…………っ!」 「ああんっ! や……っ、あ、あっ、くっ、ああっ、んっ、あっ、あああっ! ぅああああぁぁぁっ!」 びゅるっ、びゅくぅ、どく……っ! 「やっ、あっ、や……っ、ああっ、うあっ、あああぁぁぁ……っ!」 もうだめだと思った瞬間、佳奈の体が大きく跳ねた。 ペニスが佳奈の体から抜ける。 締め付けから解放されたそれが、一気に精液を吐き出していった。 「はあ、はぁ……っ、あ、あ、あ……っ、やぁっ、やぁ……っ」 ペニスはビクビクと震えながら、精液を撒き散らしている。 「あ、ふにゃっ、や……っ、んあぁ……」 佳奈の体が、小さく震え続けている。 絶頂の快感が続いているのだ。 「はぁ……はぁ……も、もう……駄目です……」 「はぁ……ふう……頭が、まっしろに、なっちゃって……」 「感じてくれて嬉しいよ」 「か、かけい、さんは?」 「最高だった」 佳奈の頭を撫でる。 「ふふ……よかった、です……」 佳奈がうっとりと目を細める。 「筧さんのためなら、わたし……限界突破しますから」 「何言ってんだ」 苦笑する。 「……あ、あれ?」 俺の上で、佳奈が身体をよじる。 固いものが、身体の間でこすれた。 言うまでもなくペニスだ。 「まだ、固いですね」 「……すまん」 「大丈夫です……私、まだ……」 佳奈がゆっくりと腰を上げ、ペニスを性器にあてがう。 「ん……あっ……ああっ」 それだけで身体を震わせる。 まだ、絶頂の余韻が続いているのだ。 「佳奈、俺はもう十分だから」 「いやいや、私が、まだ……んっ、んあ……」 あからさまに嘘をついて、佳奈が腰を下ろし始める。 じゅっ……くちゅ…… 「ああっ、あっ、あっ……にゃああああっ」 「く……」 水っぽい音を立て、ペニスが吸い込まれた。 「んんっ、あああああっ!」 短い声を出し、佳奈が身体を反らす。 また軽く達したらしい。 膣内が震え、ぞくりとするような快感が伝わってくる。 「筧さん……動きますね……」 「無理す……」 言い終わる前に、佳奈が上下運動を始める。 「んんっ、あああっ、みゃっ、ひゃああっ……んんっ、ああああっ」 「んああっ、こすれてっ……あああっ、ああああっ、やああぁぁぁっ」 いきなりハイペースだ。 愛液が俺の腹に飛び散る。 「すごくいいぞ」 「は、はいっ……嬉しいですっ……筧さんっ、かけいさんっ」 「わたしでよくなって、よくなって、下さいっ……んんっ、ああああっ!」 佳奈の華奢な腰を押さえ、快感に任せて下から突き上げる。 「ひゃああっ、だめっ、かけいさんっ! あああっ、あっ、あっ、ああああああっ!」 「奥がぶつかって、あああっ、みゃあっ、あっ、あっ、あっ、みゃっ、ひゃっ、にゃああっ」 「またすぐにっ、すぐにっ……ああっ、やああっ、んんっ、あああああっ、なあああああっ!」 愛液が溢れ、淫猥な音が響く。 ぬるぬるの女性器に、俺のペニスが飲まれ、吐き出される。 めくれてはすぼまる陰唇は、泡だった愛液で光っていた。 聴覚と視覚まで刺激され、俺はあっという間に高みへと持って行かれてしまう。 「佳奈、行くぞっ」 「はいっ、きてっ、来てくださいっ……あああっ、やあああっ、みゃああっ!」 「わたしも、わたし……も、もう、い、いきますっ、あっ、ああっ、ああああああっ!」 「かけいさん、かけいさん……すきっ、だいすきっ、らいすきですっ!」 鈴木の腰が激しく揺れる。 「みゃあああっ、だめっ、だめっ……ああっ、ああああああっ!」 「ひゃうっ、ああああっ、かけいさんっ……もう、いっちゃ……いっちゃいます!」 「いくっ、いきますっ……みゃああっ、だめっ、だめだめっ……あああっ、あああっ、みゃあああああっ!!」 佳奈の身体が、ぎゅっと強ばった。 どくっ! びゅうっ! どくんっ! 突き抜けるような快感とともに、精子を吐き出す。 「あああっ……あああ……あっ……あ……」 恍惚となった佳奈の膣内に、俺の白濁が吐き出される。 「か、かけい……さん……あ……」 「最高だった、佳奈」 「……よかった……で、す……」 「ありがとうな」 「い、いえ……わたしも……最高、でした……から……」 力を使い果たした佳奈が、俺の上に崩れ落ちた。 立ち上がるには、しばらく時間がかかりそうだ。 お疲れ様、佳奈。 「あ」 「どうした?」 「ビーチボールが、なくなってる」 「あ……」 岩場に引っかかっていたはずのビーチボールが、姿を消していた。 辺りを見回してみても、それらしいものは見当たらない。 「まあ、結構風が吹いてたからな」 夢中になっている間に、またどこかに飛んでいってしまったのだろう。 どの方向に飛んでいったかもわからないので、もはや探しようがない。 「ああ、私の愛が……」 「ははは、大丈夫。形はなくても感じられてるから」 「も、もう……筧さんは……」 おどけるかと思いきや、佳奈は嬉しそうに微笑んだ。 こういう時が、すごくドキリと来る。 「……佳奈」 佳奈の唇を塞ぐ。 「ん……筧さん……大好きです……」 自分たちの住む町に帰ってくる頃には、すっかり日も暮れていた。 「何か……忘れてる気がするんですけど……」 佳奈が言う。 「何かって……何?」 「何でしょうか……」 海水浴にも行けたし、まあ、アレも楽しんだ。 でも確かに、何か忘れているような気もする。 「あ……」 自宅に戻り、部屋の電気をつけたところで思い出した。 自炊を始めてから、夜に帰宅する度に嗅いでいた甘い香りがしていない。 「あ、米だ」 「ああっ」 そもそも俺達は、米を求めて外出したんだった。 お互いの間抜けさに、俺達は顔を合わせて苦笑した。 「まあでも、今日はラブでお腹いっぱいです」 「そうか、ならよかった」 「……じゃあ夕飯は、1人で食べてくることにしよう」 そう言って俺は、1度脱いだ靴をはき直す。 「へ? なんでそうなるんですか?」 「米がないなら、外食するしかないだろ?」 倹約の流れには反するが、この時間ではスーパーも閉まっている。 「筧さんは、ラブでお腹いっぱいじゃないんですか!?」 「ラブはいっぱいだけど、腹は減ってる」 「そんなのずるいですよ! 私だってご飯は食べたいです」 「ラブでお腹いっぱいなんじゃないのか?」 「ご飯とラブは別腹です!」 そう言って、佳奈が慌てて俺にしがみついてきた。 なんだかんだで2人とも、食欲が旺盛な年頃なのだ。 「さて、何を食べようか」 「お肉ならなんでもいいです」 「肉な」 「はい。肉食系ですから」 肉となれば牛丼……は味気ないな。 どこかに焼き肉食い放題があっただろうか。 それともハンバーグのうまい店でもあればいいのだけれど。 まあ駅前まで行けば、何かしらの店はあるだろう。 「今日は出かけてばっかりだな」 「休日らしくていいじゃないですか」 「……それもそうか」 そうして俺達は手を繋いだ。 今日一日、夏を復活させてくれた太陽の姿は既に無く、秋の気配に満ちた風が俺達を追い越していった。 扉が開き、図書部の面々が入ってきた。 「はーい、勉強しゅうりょー」 凪が、くるくる回していたシャープペンを机に放る。 「まだ3問残ってるだろ?」 「だってー、集中力切れちゃったし」 「ずっとシャープペン回してただけだろが」 「だってー、全然わかんないんだもん♪」 凪の学力がみんなに追いつくのは、かなり先になりそうだ。 困ったもんだ。 「わかったわかった、今日はここまでな」 「ひゃっほー、京太郎、やっさしー」 教科書を出すときはグチグチやってるくせに、しまうのは瞬速だ。 「筧は、小太刀に甘いな」 「そりゃま、できたてカップルですからねぇ」 「どう? 羨ましい?」 「殺意しか湧きません」 御園がぴしゃりと切った。 「でもさ、勉強するなら家の方がはかどるんじゃねえの?」 「と、思うだろ?」 俺と凪は、このところ毎日のように部室で勉強をしていた。 図書部が丸ごと新生徒会執行部になってからも、この部屋は俺たちの憩いの場だ。 昼休みだけとか、2日に一回とか、頻度は人によって様々だが、やはり顔は出す。 なんのかんの言って愛着があるのだ。 俺だって、やはり部室は捨てがたい。 ……。 しかし、俺と凪がここで勉強しているのは、愛着とは関係ない。 「家だと集中できないのよね」 「京太郎が、すぐ保健体育ばっかり教えようとするから」 「下衆だな」 「小太刀さん、怖かったら逃げてきていいからね」 「信じるなよ」 「凪が、テレビだの飯だの掃除だの、すぐに逃避するんだよ」 実際、家には誘惑が多すぎた。 保健体育の実技が、誘惑のうちの一つであることは否定しないが。 「やはり、若いうちの同棲はただれるな」 「俺の友達にも何人かいるけどさ、まー実際、動物園よね」 「初めての彼女、初めての同棲……」 「近すぎちゃってどーしよ、可愛くってどーしようってやつですね」 「うちをサファリにすんな、まな板」 「振りがワンパターンなのは狙ってるんですよね、姐さん?」 「はい火がついたー。火薬庫に火がついたー」 二人がギャーギャー始める。 「でも……大変そうだよね。勉強」 弁当箱のウィンナーを突きながら、白崎が言う。 「ま、追試追試じゃ図書部の活動にも付き合えないし、少し頑張ろうってね」 「小太刀さん、ありがとうっ」 「そんなに図書部のことを思ってくれてるなんて、わたし知らなかった」 白崎が、ひっしと凪の両手を握った。 「あー、うん、どういたしまして」 微妙に気まずそうな顔をして、凪が視線を逸らす。 「わからないところがあったら、何でも聞いて」 「わたしも、できるだけ協力するから」 「よ、よろしくどうぞ」 凪も白崎には頭が上がらなくなったな。 こうして、白崎教は密かに広がっていくのだ。 「あー、白崎には、ほんと参るわ」 「あいつが部長やってる意味がわかっただろ?」 「そーね。あんなの敵に回したら、やりにくくってしかたないわ」 げんなりした顔で、凪が本棚を眺める。 ちなみに、俺たちは午後の授業をぶっちぎり、参考書と問題集を探していた。 何のかんの言いながら、凪の勉強ペースは速い。 自然、どんどん教材が必要になるのだが、全部買うのは財布的に厳しかったりする。 そこで図書館だ。 「数学はこの辺がいいな……」 「社会系は、ぶっちゃけ教科書丸暗記してれば問題ない」 「英語のヒアリングはどうすんの?」 「そればっかりは聞かないと上達しない」 「あー、地道系かぁ」 などと言っているうちに、借りる本は10冊を越えた。 全科目、少しずつ進めるから大変だ。 「なんか悪いわね、付き合ってもらっちゃって」 「気にするなよ」 「でもさ、元はと言えば私のわがままだから」 「いいんだ。これもデートのうちだと思ってるから」 「一緒に何かするだけで楽しいし」 「そう言ってくれるのは嬉しいけど、ほんと安上がりね」 「色気も何にもないじゃない」 「すぐそっちに傾くから、図書館で勉強してるんだろ?」 勉強していたはずがいつの間にか……なんてことは1度や2度ではなかった。 凪みたいな可愛い子、しかもできたての彼女と家にいるんだから仕方ない。 「ま、そうだけど……悪いなって」 「大丈夫」 凪の頭を撫でる。 「ふふ、こういうの好き。何か安心するの」 凪が目を細める。 「ねえ、目をつぶってよ」 「なんでまた?」 「いいからいいから」 「わかった」 何をされるか薄々察しつつも、目をつむる。 こういうことだから、俺たちはいつも……。 頬に凪の手が触れた。 ぐいっと下に引き下ろされ、唇に吐息が近づく。 「ん……ちゅ……」 「凪……」 「……ちゅ……っっ……」 軽くキスをして、凪が離れる。 「勉強に付き合ってくれてるお礼」 「図書館だぞ、ここ」 「キスしてるカップルなんていくらでもいるって」 「まあ、そうな……」 以前、御園や佳奈すけといるときにも、キスしてる人を見かけた。 「それ以上のことしてる人も……」 「……いるらしいな」 思わず目が合う。 まずい流れだ。 お互い何かを期待しながら、それとは口にせず、でも同じ方向に向かって進んでいる。 「絶対に見つからない場所があるんだってさ」 「へえ……どこ? 参考までに」 「聞いた話だから、定かじゃないんだけど」 目を逸らしつつ凪が俺の手を取る。 案内されたのは4階の隅にある書架だ。 「ここらしいの」 「へえ……」 周囲は無人だ。 1階から吹き抜けを通して人の気配が伝わってくるが、それもごくわずか。 たとえるなら、祭りの会場から、手に手を取って逃げてきたような印象があった。 「全然、人がいないんだな」 「古い本が多いからね」 「これなら、何してもバレなさそうだ」 手を繋いだまま、俺たちは隠微な視線を交わす。 「こんなとこでしちゃうなんて、ヤバいよね」 「まったく、図書館を何だと思ってるんだろうな」 「ほーんと……見つけたら、お説教確定……」 唇が触れ合う。 「ん……ちゅ……ふ……んんっ」 「……ん……京太郎、お説教されるよ……ちゅ……」 「見つかったら、だろ?」 「でも……だめだって……んっ……だめ……ふう、くちゅ……」 唇を舌で割り開く。 熱い粘膜が、俺をあっさりと受け入れる。 「京太郎……ちゅっ、ぴちゅ……くちゅ……ちゅっ」 「くちっ……ぴちゅちゅ……大好き……ちゅっ……んんっ」 舌がねっとりと絡み合う。 キスと言うより、もはや舌を使った愛撫だった。 口蓋や歯茎をくすぐっていくと、凪の体温が上がる。 「ぴちゅっ、くちゅっ、ちゅっ……んっ……んんっ……んんんっ……」 豊かな乳房に手を置くと、如実に反応が変わる。 湧き上がる快感をこらえるように、凪が身を固くした。 「ぷは……んあっ……あっ、ああっ……きょうた、ろう……」 「だめ……こんなところで……んっ、んあっ……だめ、だから……」 拒否の言葉を口にしながらも、抵抗はない。 これは互いへの言い訳だ。 行き着く先がわかっていても言い訳は必要で、むしろそれが媚薬ともなる。 「凪……」 大した返事も返さず、服の上から凪の乳房をまさぐる。 片手には到底収まらない乳房が、服の下で面白いように形を変えていく。 「んっ……ああっ、あっ……んんんっ、やっ、だめっ……」 「力が、抜けちゃう……んっ……あああっ……」 凪の身体から、かくんと力が抜ける。 怪我をしないよう、身体を支えながら膝立ちにしてやる。 「だめ、だって……ここじゃ……怒られちゃう」 潤んだ瞳が見上げてくる。 「大丈夫だから」 「でも……まずいよ……」 「でも、もう、こうなってるから」 俺の下腹部は既に準備が整っていた。 凪だって認識しているはずだ。 「だめか?」 「……本当に我慢できない?」 「ああ」 「しょ、しょうがないわね……今回だけだから、特別ね」 言いながら、凪がチャックに手を伸ばす。 何とも場にそぐわない音が、書架の間に響く。 ガチガチになったペニスが、凪の手で下着から外に出された。 「京太郎……こんなになってる」 「すまん」 凪に触れられ、それは更に大きくなっている。 図書館で局部をさらしているという事実も、興奮に拍車をかけていた。 「図書館で興奮してるんだ?」 凪の手がやんわりとペニスを包む。 「凪と一緒にいたら仕方ないだろ」 「私のせいにしないでよね」 くすりと笑い、凪が手を動かし始めた。 潤滑油がないせいで、手の動きはもどかしい。 段差に指が引っかかり、鈍い快感が背筋を走る。 「気持ちいい?」 「ああ、すごく」 「じゃあ、これは」 手で亀頭だけを包み、優しくねじるように揉んできた。 「く……」 快感に腰が震えた。 「痛い?」 「痛くはないけど、濡れてないから刺激が強いかも」 「口でしろってこと?」 うなずく。 「しょーがないな、京太郎は」 挑発的に微笑み、凪が口を開く。 「ん、ちゅ……ちゅる……っ」 温かな感触がペニスを包む。 「くちゅっ……ぬりゅっ、ちゅるっ……ぴちゅっ」 凪の頭が、ゆっくりと揺れる。 口内では舌がペニスの周囲をぬるぬると動いていた。 「うくっ」 背中と腰の境目辺りに、ピリピリとした刺激が走る。 「気持ち、いい? ……んっ、ちゅ……っ、ちゅ、ちゅるっ、ちゅぅ……っ」 「最高だ」 目だけで微笑み、凪が頬をすぼめる。 「ん、ん、ん……っ、ちゅる、ちゅ、ちゅ……ちゅぷっ、ちゅぅ……っ」 「れろ……ちゅうっ、ちゅく、ちゅぷぅっ、ちゅぅぅぅ……っ」 こなれた舌使い。 最初の頃と比べてずいぶん上手くなっている。 「ぴちゅっ……くちゅっ……すごく、固くなってきてる……」 「こんなとこでするなんて……んっ、ちゅっ、くちゅっ……本当は、嫌なんだからね……」 「じゅりゅっ……ん、んん……っ、んくぅっ、ん……っ、んぅぅぅ……っ」 嫌と言いつつ、凪のペースは上がっていく。 「うあ、あ……っ、口の中、ねちょねちょしてきた……」 先走りが出ているらしい。 「気持ちいいんだ……ぴちゅっ……ぬりゅっ、ちゅっ、ちゅっ……」 「くちゅっ、ちゅっ……んぅ、ん、ちゅぅっ、ちゅっ、ちゅぷぅぅっ!」 凪の舌が、肉棒の回りをぐるりと一周した。 「うわっ」 「んふふ……、これ、好きみたいね……。れろっ、ちゅぅ……っ」 「凪……すごく上手だ……」 「わかんない……ただ、京太郎の反応見て、勉強してるだけ……」 「くちゅちゅっ、ぴちゃっ……ちゅ、ちゅく、ちゅぅ……っ」 「く……っ」 「京太郎……反応がいいから。れろ……ちゅぷ、ちゅぅぅ……っ」 凪の舌先が、俺の裏筋をチロチロと刺激した。 「あ、うわ……っ」 「せっかくするなら……気持ちよくなって、ほしいから……っ、ちゅ、ちゅぅぅ……んっ!」 「はぁ、ふぁ……んっ、ちゅ、ちゅぅ……ちゅぷ、ちゅっ、ちゅる、ちゅうぅぅぅ……っ」 俺の表情に気をよくしたのか、凪の動きが速くなる。 「れろ……っ、ん……っ、うあ、はぁ……っ、ん、ふぁ、ん……んぅぅ……っ」 このままじゃ、あっと言う間に出してしまう。 時間稼ぎに、凪の胸元に手を伸ばしてシャツのボタンを外していく。 「やっ、ひゃ……っ!」 ボタンを数個外すと、凪の乳房が飛び出してきた。 「え……? あ、い、いつの間に……」 凪がようやく、俺のいたずらに気づく。 「ちょっと、図書館で胸出すなんて……」 凪の肌がぱっと染まる。 「俺はもっと出してるんだけど」 「京太郎はいいの」 拗ねたように言って、凪はまたペニスをしゃぶる。 「んあ、ん……っ、ちゅる、ちゅくっ、ちゅ……っ、ん、んぅ、ん……ふあぁっ」 「はぁ、はぁ……や、んっ、先から……出てきてる……」 どうやら先走り液が濃くなってきているようだ。 実際に睾丸の律動が、自分でもわかるぐらいに大きくなっていた。 「じゅるぅぅぅ……じゅくっ、ちゅ、ん……っ、ふあ、あ……っ」 「んぅぅ……っ、ん、うあっ、もう……何か、私も……胸、熱くなってきたかも……」 「ん?」 「何でもない」 「……ちゅ、ちゅる……っ、ちゅぅっ、ちゅく、ちゅぷ、ちゅぅぅぅ……っ」 「ちゅ、ちゅる、ちゅぅ……っ、ちゅるっ、ちゅぷぅ、ちゅ、ちゅぅぅぅ……っ」 凪の動きが激しくなってきた。 ストローで固形物を飲もうとしているように、頬をすぼめたまま、頭を前後に動かす。 「うあっ……くっ……」 一気に持っていかれそうになる。 そんな俺を目で確認し、凪はどんどん動きを早めていく。 「じゅる、ちゅ……ちゅぷぅっ、ちゅぅ、ちゅっ、ちゅる……っ」 「はぁ、ふぁ……じゅるっ、ちゅるぅ……じゅるぅっ、ちゅぅぅぅ……」 「ん、ちゅ、ちゅぅ……っ、じゅぷっ、ぶちゅ……んぅっ、んぅぅ……っ!」 立っていられないほどの快感に、本棚に寄りかかった。 凪は、俺にのしかかるようになりながら口を動かし続ける。 「ちゅ、ちゅぅ、ちゅる……じゅぷっ、ちゅぷっ」 「ちゅるっ、ちゅぅぅ……ん……んぅ、んぅぅぅ……っ! れろ……っ、んちゅ、ちゅぅぅぅ」 「くっ……もう、そろそろ」 「んん……、んっ……」 咥えたまま凪がうなずく。 そして、一気に動きを早めた。 「ん……んぅ、んぅぅぅ……っ! れろ……っ、んちゅ、ちゅぅぅぅ……っ!」 「ちゅるぅぅぅ……っ、れろぉっ、ちゅ……うっ、ん、ん、んっ、んぅぅぅ……っ!」 凪の手が、睾丸を柔らかく揉んだ。 ぞくりと背筋が震える。 「ん、ちゅ、ちゅる……ちゅぅぅっ!」 「ぅあ、はぁ、はぁ……れろぉ……っ、ちゅっ……ちゅぅっ、んぅっ」 「はぁ、はぅ……ん、んぅぅぅ……っ! ちゅぅ、ちゅるぅぅ……っ、ちゅぷ、ちゅ……っ」 「あ、ん……っ、ちゅるぅ、ちゅ……っ、ちゅ、ちゅく、ちゅる、ちゅぅ……んぅぅぅぅ……っ!」 びゅるっ、どく……っ、びゅくっ! 「んあぁっ……んんっ……!!」 ペニスから精液がほとばしる。 白濁液が、凪の上にぱたぱたと降りかかった。 「や……あ……ちょっと……」 凪の顔や髪が精液でドロドロになる。 「髪……なかなか、落ちないのに……」 「すまん……」 「……ま、しゃーないよね……それなりのこと、したわけだし」 凪がニッと笑う。 明るさと、精液に汚れた顔が合っていない。 「昨日の今日で、ずいぶん濃いの出たんじゃない?」 「凪が可愛いから、身体が頑張るんだろ」 「ばっかじゃないの」 まんざらでもない顔で、凪が言う。 「でも、誰も来なくて良かった」 「だね……ここ、本当に誰も来ないのかも……」 凪と目が合う。 関心事はわかっている。 最後までいくかどうかということだ。 「凪……いいか?」 「え?」 「最後まで」 「え、ふえ……っ」 演技か本気か、戸惑う凪を立ち上がらせる。 「え、ええ……? ちょっと、ちょっとぉ……っ」 下着を脱がせて、スカートの裾を持ち上げる。 「すまん、俺が止まれない」 「駄目だって、ここ、図書館なのに」 「だから、すぐ……見つかる前に」 何度も身体を重ねた経験から、お互い止まれないのはわかっている。 俺が暴走する体なら、凪も受け入れられるだろう。 「ほら、凪だって」 指先で凪の秘所に触れる。 案の定、そこは既に濡れていた。 「んっ……それは、だって……仕方ない……京太郎の、してたら……」 「だから、早く……」 ペニスの先端を凪に当てる。 それだけで、凪のアナルがひくりと動く。 「ひゃ、や……っ、き、京太郎……」 「あ、や、や……っ、だめ、だめ……だめ……」 「静かに」 「絶対、声出ちゃう……もし見つかったら、私……」 「すぐなら大丈夫」 言いながら腰を進める。 抵抗はない。 「あ、あ、あ……ああっ、あああぁぁぁ……っ」 じゅぷじゅぷと、ペニスが沈んでいく。 「やっ、や……ああっ、あ、あっ、うあ、あああぁぁぁぁ……っ」 凪の口から漏れたのは、思いの外控えめな声だった。 「や、う……ぅあ、あ……あ、うぅぅぅ……っ」 何とか堪えているようだ。 いっそう深く、ペニスを挿入していく。 「んっ、あああっ……入って、来てる……っ、ここ、図書館なのに……あっ、ああっ」 「京太郎の、馬鹿ぁっ。あんなに、誰か来るかも……しれないのに……っ」 艶の乗った声で抗議する凪。 「大丈夫だから」 根拠なく言い、深く挿入したペニスを動かし始める。 ねっとりと泡立つ膣内を〈攪拌〉《かくはん》し、膣壁に亀頭を擦りつけていく。 「ひう、うああ……っ、うう、んはぁ……ああっ」 「ひゃ、や、や……ひやっ、やっ、あっ、あううぅぅぅ……」 凪は完全に、体を本棚に預けきっていた。 腰を打ちつけるたび、本棚がぎしりと鳴る。 「うわ、ああ……っ、やっ、く、くぅ……」 「や、あ、あ……んぅっ、んぅぅぅ……うぅっ、うああぁぁぁ……っ」 震える凪の体の中で、乳房は特に大きく揺れ動いていた。 棚の仕切りと、凪の乳首が擦れる。 「ひ、く……うっ、ううっ、ううぅぅぅっ!!」 感度のいい凪の体は、それだけで反応をしてしまう。 「もう……京太郎が、シャツのボタンを外すからぁ……」 「ひく、うく……っ、うあ、あ、あっ! あ、やんっ!」 「ううう……あああっ、だめっ、ああああっ……胸が、熱いよ……」 乳房に片手を伸ばし、先端をつまむ。 つまんだまま、更に腰を速める。 「ひくっ、うくっ! うう、うううぅぅぅ……っ!」 「やっ、両方はっ……だめっ、ああああっ、うあああっ、ああっ!」 膣の最奥を叩かれて、凪はビクンと背中を反らした。 俺の手の中で、乳首がどんどん固くなっていく。 「あ、や……や、んああぁぁぁ……」 「もう……ほんと馬鹿っ、んあぁっ……んんっ、んんああああっ!」 凪の声が高くなってきた。 抑えさせるよりは、早く終わらせた方がいい。 胸を触っていた手をお尻に持っていき、ぐっと割れ目を広げる。 「んんっ……な、なに?」 「奥まで入れるぞ」 「あ、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁ……」 開いた秘所の奥の奥までペニスを入れる。 「や、うわあぁ……、や……っ」 「ああっ、ああ……っ、あ、あ、あっ、あああぁぁぁぁ……っ」 凪の性器は、俺のペニスのほとんどを飲み込んでしまった。 その状態で、俺は腰を揺らす。 「ひっ、くうぅぅぅ……っ! うわっ、わ、わ……っ、ああっ」 「あ、や、やぁ……っ、ふにゃぁ……っ、やんっ、んぅぅぅ……ああぁぁぁ……」 凪が抑えがちな、でも全然抑えられていない喘ぎ声を上げる。 恨めしそうに、俺の下半身を睨んできた。 「元気すぎ……っ、馬鹿ぁ……」 「うう……口でしたら、終わるつもりだったのに……んああっ、あああっ」 「俺が暴走したんだ」 「わかってる……そう言って、くれてるの……あああっ!」 「いいの、私も、私も、京太郎と……ああああっ、んなっ、繋がりたか……みゃあああっ!」 凪が背中を反らせる。 膣内が射精を促すように俺をきつく締め付けてくる。 「ああっ、あああぁぁぁ……っ、もう、だめっ、落ちる、落ちちゃうよぅ……っ!」 「ああああっっ、だめっ、だめっ……もう、や……ああっ、ああああっ!!!」 凪の柔らかな膣壁が、圧迫を強めていく。 いよいよ絶頂が近づいてきているようだ。 「はぁ、はひ……っ、ひう、ううぅぅ……っ、京太郎は……まだ?」 「もう少し」 「うう……私……もう、もうっ……んあああっ」 「我慢でき……我慢できない、よ……はああっ、あああっ、にゃああっ!」 「ああっ、あっ、んっ、く、やっ、やあっ、やあああぁぁぁ……っ!」 凪の尻肉をいっそう広げる。 俺は大きなストロークで、ひたすらに凪の奥を掻き回した。 「あ、あ、あ……っ、ああっ、ああ……っ、もう、や、や……ひやっ、ひゃんぅぅぅ……っ!」 温かい粘膜が、執拗にペニスに絡みついてくる。 それを振りほどきながら、俺は凪の子宮口を叩き続けた。 「ひくっ、うくっ、う、ううぅぅぅぅ……っ! や、や、や……や、あっ、あうっ、う……っ」 「うあっ、あくうぅぅ……っ! はぁっ、はぁっ、はぁ……もう、ほんと……やっ、やああぁぁぁっ!」 「ひゃう、はうぅぅ……うあ、あ、あ……っ、はう、はふぅ……」 凪はなんとか本棚にしがみついて、体勢が崩れるのを防いだ。 我慢できなかったようだ。 「あ……京太郎……わ、わたし……イって……」 「と、図書館で……イっちゃった……」 陶然となる凪。 しかし、俺はまだ止まれない。 凪の腰を掴み直し、もう一度腰を振る。 「んああっ! く、う……っ、や、ああ……っ、もう、もう……っ」 「ぅああぁっ……ほんと、だめ、だめ、だめだめぇっ……あっ、あああぁぁぁ……っ」 凪の尻肉が熱くなる。 膣の中はそれ以上に熱かった。 「またイっちゃう、イっちゃう、イっちゃう……はぁ、ひく、うあぁああっ」 「だめんなっちゃう……みゃああっ、ひゃあっ……うう、うあっ、あふ、やあぁぁああ!」 俺は達したばかりの、凪の膣内を掻き回す。 一瞬弛緩しかけた膣内が、俺のペニスに刺激されて、慌てたように再収縮を始める。 「うわ、うあ……んあ、あああぁぁぁ……」 その引き締まりを、固くなったカリ首で薙いでいく。 「ひぐ、いぐぅ……っ、あっ、あっ、ん……っ、や、だっ、だめっ、だめぇ……っ」 「や、や、やっ、ぅああ……っ、だめだよ、ふあっ、やっ、にゃあああぁぁぁ……っ!」 煮えたぎるような膣内をかき分け、凪の弱いところを突く。 「また……来ちゃうっ、ああぁ……ひゃっ……来ちゃうからぁぁぁっ……っ」 「来る……また……っ、あぁうっ、うあ、あっ、ああっ! う、んっ、うううぅぅぅ……っ!」 膣壁が執拗に、俺の肉棒へと絡みついてくる。 「ひっ、うぅっ! ああ……だめぇ……っ、うあ……あっ ああっ、んっ、や、ぅああぁ……っ」 「もう、だ、だめ……っ、きょうたろ、きょうたろっ……やっ……イクぅ……ああぁ、ぅああっ!」 「あ、あ、あっ、うあ、やああ……っ! いく……っ、あああっ! にゃあああああああぁぁぁっ!!」 びゅくっ、びゅるっ、びゅぅっ! 抜き出したペニスから、糸を引くようにして精液が飛び出した。 「や、ああっ、や……っ! やっ、やああぁぁぁ……っ」 痙攣する凪の背中に、2度3度と精液をまき散らす。 「はあ、はぁ、うあぁ……っ、はぁ、はう……っ、ふあぁぁ……っ」 「うう、あぁ……もう……あぁぁ……っ」 凪の尻肉に挟まれたペニスが、名残惜しそうにヒクついていた。 「大丈夫か?」 「だい……丈夫なわけ……ないでしょ……ばかぁ……」 荒い息の下から凪が言う。 「図書館で……2回も……わたしを……」 「でも、誰にも見つからなかった」 「そ、そうだけどぉ……」 「嫌だったか?」 「……ほんと、嫌な、京太郎……」 凪が拗ねる。 そんなところがどうしようもなく可愛い。 「可愛いな」 「そういうの、通用しないから」 「図書館でするの……これで、最後だかんね」 「……」 「返事は?」 「……はい」 放課後を知らせるチャイムが鳴る。 俺と凪は身支度を整え、勉強に戻っていた。 時間と共に、図書館の中に人が増えていくのがわかる。 「……そっか」 凪がくるくる回していたシャープペンを置く。 「どうした? 答えがわかった?」 「私達、図書館でしちゃったんだ」 「は? ああ……」 改めて言われると困る。 「相当リスキーだよな」 「言うまでもないけどね」 凪が苦笑する。 「部室なら……もうちょっと安全かな」 「……はい?」 「ううん、何でもない」 とぼけるように笑い、凪はまたシャープペンを回す。 部室か。 これからも、二人きりで勉強する日が続く。 とすれば、部室で何かあったりなかったりするかもしれない。 「……」 ま、エロいことはともかくとしても、これからも楽しい生活ができそうだな。 「実は、私の友達から相談を持ちかけられていて困っているんです」 トイレから出てきた御園は、俺の目の前に座わってそう切り出した。 「いや、俺が聞いていい話なのか?」 「ええ、ご意見をいただければと」 と、御園がぺこりと頭を下げた。 ちなみに、御園とはついさっき商店街で会った。 約束があったわけじゃない。 何か悩んでいる様子だったので、先輩として話を聞こうと思って家に呼んだのだ。 「で、友達がどうしたんだ?」 御園の説明はこうだ。 御園の友人に、女子の親友コンビA・Bがいるのだが、その二人が同じ男Cを好きになったらしい。 「そのAが、私に相談してきたんです」 「なるほどなぁ……友情と愛情の板挟みってやつか」 「そうなんです……はぁぁ」 御園が妙に重い溜息をついた。 かなり悩んでいるようだ。 「御園とAさんは、結構親しいの?」 「え? ええ、まあ」 御園が視線を逸らした。 リアクションが微妙だな。 ま、先に進むか。 「ちなみに、男はどっちの女の子が好きなんだ?」 「不明です。どうもはっきりしない人らしくて」 「そっか。じゃあ、AとBは、お互いCを狙ってることを知ってるの?」 「知ってると思います」 ということは、どっちかが出し抜くと友情が壊れる恐れがあるな。 友情を取ってCを諦めるか、一夫多妻の国に旅立つしかないんじゃないか? 「AとBで話し合って、先攻と後攻を決めるとか」 「ゲームじゃあるまいし」 「そしたら、一夫多妻の……」 「中東にも行きませんよ」 先回りされた。 「だよな……まだ若いもんな」 「年齢の話じゃないです」 冷たい目で見られた。 「なら、Cのことはなかったことにするのがいいんじゃ」 「忘れられるくらいなら、相談しないと思います」 御園が強い目で俺を見た。 妙に感情的だな。 「……」 ……あれか? 友人の話といって、実は自分の話ってパターンか。 「なら、Bのことは知らなかったことにして、Cにアタックか」 「無理です!」 「……いえ、無理だと思います」 御園の視線が泳ぐ。 これは、どうやら確定だな。 A・Bの片方は御園らしい。 そうなると、もう一人の女の子とCが気になってくる。 「まずは、Cの気持ちを確かめることじゃないか? それで全然話が変わるだろ?」 「例えば、CがAをバリバリ好きなら、Bが身を引けるかどうかって話になるし」 「あー……」 下手な鉄砲ではないが、ようやく御園になかった発想を投げることができたらしい。 御園は考え込むようにうつむき、軽く指を噛んだ。 「例えば……これもあくまでも、例えばの話なんですけど」 「うん」 「筧さんがCだったら、どちらかを選べますか?」 「俺が?」 「女の子2人から、どちらかを選んでほしいって迫られたら、決められますか?」 「うーん、AとBが知ってる人かどうかにもよるな」 「知ってる人です」 断言してきた。 真面目に考えてみるか。 ……。 …………。 「……どちらかのことが好きなら、片方を選ぶかもしれないな」 真面目に考えた結果が、そんな無難な回答だった。 「好きな方を、選ぶんですね?」 「好きな方がいれば、だぞ」 「そもそも好きって、なんですか?」 「は?」 「他人を好きになるって、どういうことなんですか?」 「それは難しい質問だな」 むしろ俺が教えてもらいたいぐらいだ。 というか、そのCとは一体誰なのだろう。 Aが御園で確定となると、歌姫からこれだけ想われている男がいるということになる。 ……となるとBは誰だ。 ぱっと思いつくのは佳奈すけだ。 芹沢さんも友達だろうけど、親友という表現はしない気がする。 Bが佳奈すけだとすれば、男は俺という可能性がけっこう出てくる。 1つの可能性に辿り着いたのとほぼ同時に、俺の携帯が鳴った。 画面を見ると、ちょうど俺が頭に浮かべた人物からの電話だった。 「とらないんですか?」 「あ、ああ……」 電話の応答ボタンを押す。 「筧さん。鈴木です」 そうだ。御園の親友といえば佳奈すけだ。 佳奈すけがB。 となると、Cは……。 「今、ご自宅ですか?」 「あ、ああ」 「ちょっと相談にのっていただきたいことがあるんですが」 「恋愛相談ならお断りだ」 「筧さん、もしかしてエスパーだったんですか?」 「いや、そういうわけじゃないんだけど」 「とにかく、今から伺いますので。ではではっ」 一方的に言って、佳奈すけは電話を切ってしまった。 佳奈すけも佳奈すけで、相当切羽詰まっているのだろう。 なんというか、面倒なことになってきた。 目の前にいる御園に視線を向ける。 「……」 御園は、固まっていた。 電話口から漏れる声を聞き取ったらしい。 「佳奈が来るなら、私は帰りますね……」 そう呟き、今度は一転焦ったようにして立ち上がる。 「いや別に慌てなくても」 「でも、佳奈と鉢合わせになったら誤解されちゃいます」 今の言葉と慌てようが、ABCの答えそのものでもあるのだが、狼狽した御園はそのことに気づかない。 「とにかく落ち付けって」 「はい?」 「佳奈すけは、恐らくマンションの下から電話してきてる」 「そんな、まさか……」 そのまさかのタイミングで、呼び鈴が鳴った。 「えっと、えっと……じゃあ、とりあえずここに……」 御園はクローゼットに隠れようとする。 「隠れた方がややこしくなる、いいから堂々としてろっ」 と言う間もなく、今度は玄関のドアが開かれた。 「筧さん? 入っちゃいますね」 しまった。 どうやら鍵を閉め忘れていたらしい。 というか、何で俺まで焦らなきゃいけないんだ。 「お邪魔しまーす」 とにかく、佳奈すけは部屋の中に入ってきてしまった。 結局御園は、クローゼットに隠れたままになっている。 「なんかバタバタしてませんでした?」 「そりゃ電話から1分で来られたら、誰だって慌てる」 「お待たせするのも悪いと思って、下からかけたんですが……ご迷惑でしたね」 佳奈すけらしからぬ行動だ。 よっぽど思い詰めているのだろう。 「取りあえず、場所でも変えて……」 「いえ、ここでお願いします」 決然と言い、佳奈すけが正座した。 覚悟が完了している。 「も、もしかして、友達の話か?」 「今日の筧さん、めちゃくちゃ冴えてますね」 いくら俺が鈍いといっても、この展開が読めなければおかしい。 「お前の友達と、その友達の友達が、同じ男を好きになったって言うんだろ?」 「そうなんですよ」 佳奈すけはますます昂揚していく。 世の中には占いを利用した詐欺行為があるらしいが、きっと占われる側はこういうテンションなのだろう。 ただ不幸なことに、俺は占い師でも、まして詐欺師でもない。 本来冷静に場を制御しなければいけない立場の俺が、場の混乱と佳奈すけの昂揚に呑まれてしまっていた。 「仮に私の友達を『A』と、Aの友達を『B』としますね」 「もう面倒だから、『S』と『M』にしないか?」 「……」 結果俺は、派手に口を滑らせてしまった。 佳奈すけが息をのむ。 恐らくクローゼットの中では、御園も息をのんでいるだろう。 「えっと……男性を、『C』として……」 「もうそれも『K』でいいだろ」 『お前達は俺のことが好きなんだろ?』と、同義の言葉を吐いてしまう。 自意識過剰で、大変恥ずかしい言葉だ。 完全に場の雰囲気で、言わされてしまった。 もちろん佳奈すけも、『自惚れないで下さい』とは言わない。 一瞬だけうなだれた後、覚悟を決めたようにキッと顔を上げた。 「そこまでわかってらっしゃるのなら、話は早いです」 「筧さんは、どうすればいいと思いますか?」 俺にわかるはずがない。 「筧さんは、私のことをどう思ってるんですか? 千莉のことは?」 「私は、千莉のことも大切なんです。だから、一体どうすれば……」 佳奈すけがにじり寄ってくる。 「ちょっと、佳奈すけ、近い、近い」 「答えて下さい、筧さんっ!」 いつの間にか俺は、ベッドの近くまで追い詰められていた。 もう1歩でも近づかれると、俺はベッドの上で仰向けに倒れてしまう。 そうなったところで、佳奈だって止まるまい。 恐らくは勢いそのままで、俺に被さってくるだろう。 いくらなんでもそれは危ない。 「筧さん……っ」 佳奈すけがその危ない一歩を踏み出そうとした。 「だめーーっ!!」 クローゼットの中から、悲鳴が上がった。 さすが歌姫とでもいうべきか、御園の声で佳奈すけは我に返ってくれた。 場の空気も、一旦クールダウンとなる。 おかげで佳奈すけは、御園が俺の家にいた理由なども、すんなりと理解してくれた。 「まあ……なんだな」 「同じタイミングで同じ相談事を同じ人間に持ち込むあたり、2人とも相当に気が合うってことだな」 「まさに親友って感じだな。仲よきことは美しきかな」 「……じゃ、俺はこれで」 「どこに行くつもりですか」 「ここ、筧さんの家ですよ」 「……鋭いな」 クールダウンに乗じてこの場をうやむやにしてしまおうとするも、さすがにそうは問屋が卸さなかった。 「とにかく、私は自分の気持ちに嘘をつきたくない」 「でも、佳奈を傷つけるのは、もっと嫌……」 「そんなの、私も同じだよ。千莉とずっと一緒にいたいけど、気持ちは抑えられないの」 「佳奈ぁ」 「千莉ぃ」 美しい友情だ。 大変いい話だと思う。 当事者が俺でさえなければ。 「私たち、どうすればいいのかなぁ……」 「あ、そうだ、これは筧さんの意見だけど……」 「……Cに決めさせるのも手だって」 最悪なことを言っていた。 「確かに、一番後腐れなく済みそう」 「Cが決めたなら、私達、何も言えないもんね」 二人が俺を見る。 「待て……待て待て、ちょっと待ってくれ」 「筧さん、どちらかを選んでください」 「筧先輩、お願いします」 「お願いするな」 「もうこれしか、方法がないんですよ」 「好きな方を選ぶって、筧先輩言いましたよね?」 「どちらかが好きだったら、だ。前置きを〈端折〉《はしょ》らないでくれ」 「好きじゃないんですか?」 「それならそれで」 「あ、いや……」 参ったな。 「今のは脈有りと見ましたよ」 じりじりと、2人に迫られてしまう。 「いやほら、2人とも好きなんだ。どっちも大切な後輩だし」 「……」 「……」 二人が冷たい目で俺を見ている。 「なんでこんな人のことを、好きになっちゃったんだろう……」 「私もそれは、時々考えなくもない」 「とにかく優柔不断だし」 目の前で溜息をつかれる。 さすがに心が痛むが、いっそこのまま幻滅してくれたらとも思った。 「でも恋って、きれいなことばっかりじゃないと思うんだ」 「こういう残念な感情も、全部ひっくるめて、恋なんだと思う」 「佳奈、いいこと言う」 「よりにもよってこんなときに、いいことを言わなくてもいいだろう」 俺のツッコミも、2人の耳には届かない。 先ほどまでの昂揚感が、2人に戻りつつあるらしい。 「後輩としての私たちは、同点なんだよね」 「他の判断材料が必要ってことか……」 もちろん俺はそんなこと、一言も言っていない。 「そう言えば、桜庭さんが前にこんなことを言っていたような」 「なになに?」 「『肉体関係はゴールじゃない。2人の始まりなんだ』って」 「それって……えっと……」 「男性と付き合うとなると、当然肉体関係が発生するよね?」 「そ、そう、だよね……」 ためらいながらも、御園がうなずく。 「だったらいっそのこと、2人同時にスタートラインに立っちゃうとか、どうかな?」 「それから誰と走り出すかを、改めて筧さんに決めてもらうの」 「……なるほど」 桜庭もとんでもないことを口走ってくれたものだ。 そして2人の解釈は、あまりにも恣意的すぎる。 「そういうことです、筧さん」 「なにがだ」 「……女の子の口から言わせる気ですか?」 「筧さん、最低です」 「なんで俺が悪いみたいになってるんだ」 「実際に、悪い部分があるからです」 「うぐ……」 理不尽と思うも、反論はできない。 「と、とにかく落ち付けって」 「まずスタートラインに立つとか、そんなのおかしいだろ?」 「じゃあ、今すぐどちらか、決めてくれますか?」 「……それは、なあ……」 「いやでもその……肉体関係を経ても決められなかったら、どうするつもりだ?」 「軽蔑します」 「死ねばいいのにって、思います」 「ますます俺が追い詰められるじゃないか!」 「後輩2人が、ここまで言ってるんですよ」 「女の子に、これ以上恥をかかせないでください」 俺の優柔不断と罪の意識と、後輩2人の熱気が混ざり合った結果、こういったことになった。 順番は、2人がじゃんけんをして決めたようだ。 俺に言えることは一つ。 もう、どうにでもなれということだ。 「優しくしてくださいね」 深くうなずき、御園の乳房に触れる。 「ぅあ……んっ」 「……」 御園の綺麗な肢体に触れると、身体がその気になってくる。 何のかんの言っても、男は単純だ。 「どうしました?」 「ちょっと、人生について考えてた」 「後にしてください」 「……はい」 素直にうなずき、乳房への愛撫を再開する。 「あ、ん……っ、んあ、あ……んぅっ、ん……っ」 「私も……協力するね」 そう言って、佳奈すけが御園の腿間に顔を近づけた。 「え? い、いいよ……」 「後学のためってことで」 「でも……は、恥ずかしい……」 「後で私のも見ていいから」 「佳奈、の……」 何を想像したのか、御園の体温が少し上昇した。 御園が小さくコクンと、唾を飲込む。 それをOKと受け取り、佳奈すけが御園の股間に顔を近づける。 「ん……っ」 御園が小さく震えて、さらに体温を上昇させる。 御園の体は微かに、汗ばんでいた。 「じゃあ佳奈、お願いね」 「うん……」 佳奈すけが御園のストッキングを、つまみ上げた。 そのまま御園のストッキングを破る。 現れた下着をずらし、御園の秘所に口を付けた。 「あ、や……っ、佳奈、いきなり、それは……っ」 御園が恥ずかしそうに体をよじる。 「でも、指だと傷つけそうで怖いし……舌なら、柔らかいから……」 「そう、かも……しれないけど……き、汚いよ?」 「ストッキング履いてたから……蒸れてるかもしれないし……」 「大丈夫……千莉のここ、きれいだよ……」 「美味しそう……んっ、ちゅぅ……っ、ぴちゅっ、ちゅぅ……っ」 「ひゃんっ、ん、んぅ……っ」 「ちゅる、ちゅ、ちゅくぅ……っ、ぺろ……っ、んっ、んぅ、んぅぅ……っ」 「うあ……っ、あ、あ、あ……っ、佳奈の舌、なんか、いやらしいよぅ……っ」 俺の腕の中で、秘密の花園的な光景が展開されている。 「ひゃんっ、ん……っ、ん、あっ、ん……っ、んあ、ああ……っ」 人差し指で、御園の乳首を転がす。 「あ、んっ、く……っ、うあ、あっ、ああぁぁぁ……っ」 御園の先端が、少しずつ固くなっていった。 「あ……」 「な、なに?」 「千莉……何か出てきたよ」 「や、やだ……っ」 「筧さん……やりますね」 軽くうなずきながら、乳首への刺激を続ける。 「ひくっ、ん……っ、もう……、先輩……ああっ」 「でも……気持ちよさそう……」 「そ、それ、は……ひゃっ、んぅっ、ん……ふぁっ」 鈴木が性器へのキスを続ける。 「ぺろ、れろ……っ、ちゅく、ちゅ、ちゅぅぅ……っ、ん、ちゅ、ん……っ、ちゅくっ、ちゅぅ……」 「千莉、すごく美味しい……ずっと、こうしていたいかも……」 「だ、め、だめぇ……っ、そんなに、舐めたら……ひゃっ、あ、あ……っ、うああぁぁ……」 徐々に水っぽい音が聞こえてきた。 「ちゅぅ……ちゅくっ、ちゅぱぁっ、ちゅ、ちゅぅぅ……っ、んぅっ、れろ……」 「あっ、や、や……あっ、やああぁぁぁ……っ」 「ん……っ、はあぁ……。まあ、ずっと舐めてたいのは、やまやまだけど……」 佳奈すけの手が、なにやらゴソゴソと動く。 「あった……」 俺のズボンのジッパーを探し当てると、それを少しずつ開いていった。 「千莉もそろそろ……大丈夫だよね?」 「う、うん……」 「じゃあ私は、ここまで……ちゅっ」 最後にもう一度、佳奈すけが御園にキスをする。 「ひゃんっ!」 「後は筧さんに……お任せします」 「ああ……」 俺も腹を決める。 佳奈すけが御園のストッキングを破ったように、俺は躊躇なく御園にペニスを突き入れた。 「や、あ……っ、あ、うあっ、あ……っ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ!」 佳奈すけのサポートのおかげもあってか、比較的簡単に挿入を行うことができた。 「御園の中、すごく熱い……」 「先輩、のも……く、あ……っ、熱い……、熱いです……よぅぅ……っ」 粘膜同士がねっとりと絡み合い、繋がりを深めていく。 柔らかい御園の膣壁が、俺のペニスをしっかりとくわえ込む。 その様子を、佳奈すけがじっと見つめていた。 「佳奈ぁ……そんなに、見ちゃだめぇ……っ」 「あ、ご……ごめんっ」 謝るも、視線を逸らすことができない佳奈すけ。 「佳奈……っ、佳奈ぁ……っ」 「いやその……なんというか、すごいなぁ……」 「筧さんの……めちゃくちゃ大きいし……、それが千莉の中に、簡単に入っちゃうし……」 「か……簡単じゃ、ないよぅ……」 「あ……痛い?」 「痛くは……ないけど……やっ、ひゃ、ひゃ……ひくっ、ん、ん……っ、うあ、ああぁぁぁ……」 「やっぱり……スタートラインに立つのって、大変かも……」 「苦しい感じ?」 「それはちょっと……あるかも……やっ! ひぐっ、ひく……はぅぅ……っ」 「筧さん」 突然佳奈すけが俺の名前を呼ぶ。 「なんとかしてあげてくださいっ」 「なんとかって……」 急に言われても困る。 「えっと……じゃあ……」 御園の胸を左手で優しくさすってみる。 「あっ、ふあ……っ、ん……っ」 心なしか、御園の声が和らいだように感じた。 「や、や……っ、あっ、ぅあ……っ、それ……気持ちいいかも……」 「いい感じですよ」 「おう」 胸への愛撫を続ける。 「私も協力するね」 佳奈が結合部に舌を這わせる。 「ひゃん……っ!」 「んぅっ」 ひんやりとした刺激を受けた膣が締まり、反対にペニスは膨張した。 「か、佳奈ぁ……っ、今のは……ちょっと……」 「え、これ……? ぴちゅっ」 「ひくぅぅ……っ!」 「うあ……っ」 「おおお……すごい、2人ともビクビクしてる……」 「佳奈ぁ……や、あ……っ、遊ばないでぇ……」 「エッチなお汁も……増えてるね……」 「えぇぇ……?」 そういえば、心なしか水音が増えたような気がする。 「まだ、苦しい?」 「苦しいのは……もう、大丈夫……」 「千莉、かわいい……私もなんか、変な気分……」 「ぴちゅっ……くちゅ……ぴちゅぴちゅ……」 佳奈すけが積極的に舌を使い始めた。 「ひあっ、あっ、あああぁぁぁぁ……」 御園の膣がきゅっと締まる。 刺激に促されるように、腰を強く振る。 「あはっ、あああっ……筧先輩っ……あああああっ」 「気持ち、気持ちいいですっ ……あああっ、んんんっ、ああああっ、だめっ」 「千莉……千莉……可愛いよ、ぴちゅっ、くちゅっ」 それぞれが、それぞれの快感に没頭する。 俺は思いきり、千莉を下から突上げた。 「ひっ、や……っ! 筧先輩……それっ、激し……やっ、あ、あ……っ!」 一際大きな声を上げる御園。 でも苦しそうな様子はない。 突き上げと同時に乳首を刺激する。 「やっ、だめ……っ、動きながら、おっぱいとか……あ、あ、あっ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 「だめになっちゃいそう……体、ゾクゾクしちゃいますよぅ……っ」 御園の柔らかい膣が、キュっと俺に絡みついてきた。 「千莉……すごく気持ちよさそう……」 「うん……そう、かも……っ、すごくっ、よくなっちゃってるかも……、や、あ……」 「先輩、先輩っ……大好きですっ……ああああっ、あああっ、やっ、だめええっ」 「千莉……気持ちいいところ、いっぱい見せて……くちゅっ、ぴちゅっ」 「や、あ、あっ! ああっ、ああぁぁっ、あああぁぁぁぁ……っ!」 「先輩……やっ、だぁ……っ、おっぱいも……下も、あ、あ、あ……っ、気持ち、いいです……」 「俺も、そろそろ……っ」 「うん……うんっ、先輩も、このまま……私でいっぱい気持ちよくなって……っ」 「ひゃんっ! やっ、んあ……っ、や、やっ、やあ……っ、ああっ、あああぁぁぁぁ……っ!!」 「はああぁ……っ! もう、もう……だめですっ、やっ、ああっ、んっ、あああぁぁっ!!」 「うあああっ……もうっ、もうっ……あああっ、あっ、あっ、ああっ! ああああっ! んああああぁぁ……っ!!」 びゅぅっ、びゅくっ、どくっ、びゅ……っ! 「うあっ、ああぁぁぁ……っ、ああ、あああぁぁぁ……」 ペニスが隆起し、同時に膣が締まった。 弾き出されたペニスが、次々に精子を放出する。 「あ、か、佳奈ぁ……っ、ごめ、ん……っ、んぅっ、やあぁぁ……っ!」 俺の射精が止らないのと同様に、御園の絶頂も止らない。 佳奈すけの目の前で、御園は何度も下半身を痙攣させた。 「ああっ……先輩……先輩……ん……あっ……あっ」 「千莉……気持ち良さそう……」 自分にかかった精液にも構わずに、佳奈すけがうっとりした顔をする。 「ひゃんっ、んあ、はぁ……っ、はぁっ、はぁ……っ」 「先輩……ずいぶん、出ましたね……」 「御園……気持ちよかった」 「ふふ……私もです……」 御園が幸せそうに微笑む。 「(うらやましい)」 佳奈すけが、ぽつりと呟いた。 「ごめん……次は佳奈が……」 「え? 私?」 きょとんとした顔をする。 「私だけ恥ずかしいところを見られるなんて、ずるい」 「……それに、佳奈だって、欲しいでしょ?」 御園がくすりと笑う。 鈴木がぎゅっと唇を噛んだ。 「いや、でも俺が……」 「大丈夫です」 御園の手が、俺のペニスに伸びる。 「あ……」 射精直後のペニスが、ゆるゆるとこすられる。 付着した愛液と精液が、にちゃにちゃと音を立てる。 「く……う……」 「筧さんの……まだ元気ですね」 「あんなに出したのに……素敵です」 俺の下半身は、自分でも信じられないほどにみなぎっていた。 「じゃあ千莉……今度は千莉が手伝ってね」 「……うん」 御園が自分の体を横にずらす。 空いた俺の正面に、佳奈すけがのぼってきた。 佳奈すけの服は御園によって、すっかり剥かれてしまっていた。 「わ、わわっ、ちょっと千莉……いきなり、脱がせすぎ……」 「汚れたら、クリーニングが大変でしょ」 そう言いながら、御園が微笑む。 「脱がせたかっただけって顔してる」 「ふふ、違うって」 「でも、1人だけ裸みたいで恥ずかしい……」 佳奈すけの肌にサァっと赤みが差した。 「……かわいい、佳奈」 「え?」 「すごく、女の子してる」 「筧先輩も、そう思いますよね?」 「ああ。肌がすごく色っぽいよ」 「あ、ありがとうございます」 俺の股間も更に固さを増す。 「ほら、固くなってる」 ペニスの先を、佳奈すけの太ももに当てる。 「やっ、ひゃん……っ」 「佳奈の方は、大丈夫?」 御園が指で、佳奈の入り口を触る。 「あ、あ……っ、やぁっ、やあぁぁぁ……っ、千莉っ、指……だめぇ……」 「怖くないよ……すごく、気持ちよくなるから」 先輩になった御園は、積極的に佳奈すけをサポートする。 御園の手が、佳奈すけの太ももの間をゆっくり動く。 「や……っ、あっ、ああっ、千莉の指……あああっ……」 「指で撫でられたら……すごく、ゾワゾワしちゃって……あ、あ……っ、ああっ、あ……っ」 「ますます、エッチな気分に……ひゃんっ、や……っ!」 佳奈すけの体が、小さく震えた。 「こんなことされてたら、本当に、すぐ、や、や……っ」 「ああっ、ああぁぁぁ……っ、うあっ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 佳奈すけの体が、また震えそうになる。 「かわいいよ……もういっぱい濡れてる」 「先輩が欲しくて欲しくて仕方ないんだよね……わかるよ」 「や、やめてよう……」 「ふふ、また濡れてきた」 二人が絡み始めた。 女性同士の行為というのは、こんな感じなのだろうか。 「こ、これじゃ……筧さんとする前に……ああっ、あんっ」 「先輩、あまり待たせないであげて下さい」 「ああ。佳奈すけ、触ってみて」 佳奈すけの手をペニスに誘導する。 細い指が、ぬるぬると俺を撫でる。 「熱くてぬるぬるしてます」 「ぬるぬるなのは、御園の中にあったからだ」 「千莉のエッチなお汁が手伝ってくれるんだ……」 「……そう言われると、ちょっと恥ずかしい」 「あ、でも……佳奈も私のを手伝ってくれたんだもんね」 「佳奈もいっぱい、気持ちよくなってね。気持ちいいところ、私に見せてね」 「うん……」 恥ずかしそうにうなずくと、また佳奈すけの肌に赤みが増した。 「佳奈すけ、行くぞ」 腰を進め、ペニスを佳奈すけに女性器に当てる。 「ひゃんっ……筧さぁん……」 「佳奈、頑張ってね」 御園が佳奈すけの尻肉を持ち上げる。 入り口が開いて、奥から甘い愛液が漏れだしてきた。 蓋をするように、ペニスを佳奈すけの中に埋めていく。 「ひゃんっ、や……っ、あ、ううっ、あ……っ、ああっ、うあっ、ああっ、あああぁぁぁ……っ」 佳奈すけの割れ目が、俺の一番太いところをちゅるんと飲み込む。 「ひんぅぅ……っ、やっ、うあぁぁぁ……っ」 「大丈夫?」 「大丈夫……だと思うけど……っ、うわぁっ、体が、ゾクゾクしちゃうぅぅ……っ」 「先輩……優しくしてあげてくださいね」 「わかってる」 「か……けい、さん……や、やっ、やあぁぁぁ……っ」 それにしても、佳奈すけの中は狭い。 まだ半分ぐらいしか入っていないのに、佳奈すけの中にほとんど隙間が無くなっていた。 入っている半分を、佳奈すけの中はキツく締め付けてくる。 「筧さんの……ひくっ、ひんぅっ! 大きいよぅ……」 「頑張って、佳奈」 御園が佳奈すけのお尻を持ち上げる。 少しでも入り口を広げようとしているのだろう。 俺はゆっくりと腰を動かしてみた。 「あ、ああ……っ、んあ、あ、あ……っ、あ、ああぁぁぁぁ……っ」 また、佳奈すけの体が震えた。 体に力が入ってしまうのか、足が閉じられそうになる。 「佳奈すけ……足を閉じたら、中が締まる」 「でも、でもぉ……っ」 「我慢してくれ、ただでさえ狭いんだから……これ以上締まったら抜けてしまう」 「無理……ですぅっ、どうしても、体に力が……ああっ、あ、あああぁぁぁぁ……」 仕方ない。強攻策だ。 俺は左手を、佳奈すけの太腿に差し込んだ。 「ふにゃっ」 鈴木が足を閉じないように、太腿を持ち上げていく。 「あっ……やっ……恥ずかしい……」 「でも佳奈、嬉しそうな顔してる」 ふっくらとした佳奈すけの太腿は、すべすべしていて柔らかい。 まさに女の子の足という感じがする。 「ほっぺたもそうだったけど、佳奈すけは全体的に柔らかいよな」 「や、や……筧さん、太腿ぷにぷにしてる」 「でもこの感触は……揉みたくなる気持ちも、わかるかも……」 「千莉まで!? や……っ、あっ、ああぁぁぁ……っ」 御園も、佳奈すけのお尻を指先でなで回していた。 佳奈すけのお尻が、細い指の形に窪む。 御園の指がどこまでも沈んでいきそうなほど、佳奈すけの体は柔らかかった。 「2人とも……だめだってばぁっ、もう、もうぅ……っ、やっ、あっ、や……っ、ああぁぁ……っ」 まるで抗議するかのように、佳奈すけの膣が締まった。 「うわっ」 その締め付けから逃れるように、俺は腰を揺らす。 「ひゃくぅっ! ひゃ、や、や……っ、やあっ、やああぁぁぁぁ……っ」 佳奈すけの体はとにかく柔らかい。唯一膣だけが、きつく締まっている。 御園の体はしっかりと引き締まっている一方で、膣は柔らかかった。 どちらもすごい体だと思う。 そのすごい体を、俺は今同時に味わっているわけだ。 ひょっとするとこれは、非常に幸運な状況なのかもしれない。 「んあぁ……はぁっ、はぁ……っ、ん、ふあぁ……」 そんなことを考えていると、いつの間にか右側からも吐息が聞こえ始めていた。 「……?」 見ると御園も、頬を赤くしている。 俺の右足の膝に熱い感触があった。 御園が、自分を膝にこすりつけているのだ。 「佳奈……すごく気持ち良さそう……ん……あ……私も、なんだか……あ……」 無意識にか腰がゆらゆら揺れている。 「千莉……いっしょに、気持ちよくしてもらおう?」 「ん……あ……うん……」 「で、でもぉ……」 「筧さん、千莉も、気持ちよくさせてあげて……」 「こうか?」 右の足を、前後に揺らす。 「あ、や、や……っ、うあ、ああぁぁぁ……っ」 たちまち御園の口から、甘い声が漏れ始めた。 「御園、自分でも動いてくれ」 「あ……ふぁ、ふぁい……んっ……ああっ」 言わなくても、御園はほとんど自分から腰を動かしていた。 「上手だ」 御園が感じ始めたのを確認し、俺は佳奈すけのために腰を動かす。 「や、ひゃっ! や、や、あぁ……ひやっ、やっ、ひんぅぅぅ……っ!」 焦らされ気味だった佳奈すけの膣が、盛大に愛液を漏らす。 「うあぁぁ……、あ、んんっ、あ……あうっ、うぅ、うううぅぅ……」 「あ、や、や……っ、筧さん……筧さ……んっ、んぅ、んぅぅぅ……っ!」 佳奈すけの愛液と、はじめから俺に付着していた御園の愛液が、中で混ざり合っている。 大量の愛液が、ピストン運動をサポートする。 「ぅああぁぁぁ……っ、ちょっとずつ、奥まで入って来てるよぅ……っ」 「ああ……」 俺はできるだけ奥で、佳奈すけを掻き回す。 「ああっ、ああ……、もう、だめ、だめっ……っ、んああっ、あっ、やっ、やぁっ、やああぁぁ……っ!」 狭い佳奈すけの膣内が、ますます締め付けを強めていく。 「佳奈……もっと佳奈の、気持ちいいところ、見せて……」 御園も上気しきった声を出す。 「うん……いっぱい見て……私の、気持ちいい……あ、あ、あ……っ、うあ、あぅっ、はうぅぅ……っ」 「私も……私も、また、また……あああっ、んんっ、ひゃっ……あああっ」 「もう……だめ、いよいよ、だめ……だめっ、頭がクラクラして……っ、背中も、ゾワゾワしちゃってる……」 「イク……イっちゃうよぅ……っ、筧さんに掻き回されて、千莉に、見られながら……っ」 「佳奈っ、かわいいよ……かな、かな……イク……私も、ああああっ、あああああああっ!」 「や、や、や……っ、ひや、ひあっ、ひあ……みゃあっ、うあっ、あああぁぁぁぁ……っ!」 「ああんっ! うあぁぁ……ああぁぁっ! んっ、やっ、あっ、ああっ、うああああぁぁっっ!!」 「んあああああああっっっ!!」 「あああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!」 強烈に締まった膣内に、ペニスが押し出される。 びゅぅっ、びゅくっ、びゅぅっ! 「ああ……っ、ひあっ、ひうっ、うんぅ……っ、んあ、あ、あ……っ、あああぁぁぁ……っ」 「はぁっ、はふ、はうぅ……っ、んあ、ふあぁぁ……っ、はぁ、はふぅ……」 「やっ、ああぁぁ……い……ひうっ、ひんっ、んぅぅ……っ」 俺のペニスが精液を吐き出しながら、何度も痙攣する。 今まで感じたことのない、圧倒的な快感だ。 「あ……う……うあ……筧、さぁん……」 体をヒクつかせる佳奈すけ。 「佳奈ぁ……」 「ん……?」 「すごく……気持ちよさそう……」 「うん……気持ち、いいよ……夢の中に……いるみたい……」 「ふにゃっ、や……っ、ああっ、あああぁぁぁ……」 「あっ、ぅあ……っ、うああっ、あっ、んぅ……っ」 「はぁ、はぁ……はふ、ふああぁぁ……っ」 俺の上で、二人がぐったりと脱力する。 「いっぱい……気持ちよくなっちゃった……」 「私も……」 御園も、普段からは想像できない妖艶な笑みを見せる。 俺の膝には、じっとりと愛液がしみ込んでいた。 「佳奈……すごく可愛かった……」 「そんなこと……ないよぅ……」 「ううん……。反応が女の子って感じで、私もキュンとなっちゃったもん……」 そう言って、御園が佳奈すけの入り口を触る。 「ひゃんっ!」 「そういうところとか」 「もう……っ、止めてよぅ、イったばっかで……敏感なんだから……」 「えへへ……」 「でも……千莉も可愛かったよ」 「あそこも……すごくおいしかったし……」 「も、もう……、恥ずかしいなぁ」 2人が、はにかんだように笑う。 俺もなんだか、満たされたような気持ちになっていた。 このまま3人でシャワーを浴びて、飯でも食って解散できたら、どれだけいいだろうと思う。 そうすれば、色々あったけど最高の1日だったと、日記にだって書くことができるのに。 ……いや、それを最高と思うのなら、俺はその最高を追い求めるべきなのではないだろうか。 決断力に乏しい男を卒業し、我欲にまみれ、自分に一番都合のいい状況を常に選ぶ── そんな男を目指すのだ。 俺はコホンと咳払いをした。 服を着た2人が、俺の方を向く。 「2人とも、すごく気持ちよかった」 「やっぱり俺には、どちらか1人を選ぶなんてことはできそうにない」 「だから……2人同時に付き合うとか、どうだろう」 「……」 「……」 ドライアイスよりも冷たい視線が2組計4本、俺に突き刺さる。 「……というのは冗談で」 結局こうなってしまう。弱すぎるぞ俺の我欲。 「でも実際、決めきれてないんだよな」 「ただ『まずスタートラインに立つ』って行為に、可能性を感じたのは確かだ」 その上、諦めも悪いときた。 「だから……えっと……」 「これをもう2、3回繰り返したら……どちらかに決めれるかも知れない」 「……」 「……」 一瞬、2人の顔に笑みが浮かんだように見えた。 でもそれはどうやら、失笑だったらしい。 「ほんと、優柔不断……死ねばいいのに」 「2人とも抱いておいて、最低……。軽蔑しちゃいます」 冷たい上に鋭い叱責が、グサリグサリと突き刺ささった。 「ただまあ、もう何回か繰り返したいという気持ちは、わかります」 「それは私も……」 お? ひょっとして丸く収まるのか? 「じゃあ今日は、とりあえずこれで解散ってことで」 「でも私はせっかちなので、何日も答えを待てません」 「私も……これ以上待たされたくないです」 「えっと、てことは……?」 「今日中に決めて下さい」 「その代わり筧さんが決められるまで、何回でもスタートラインに立たせてあげます」 「あ、それいい。さすが佳奈、いいこと言うね」 「ちょっと待て! さすがにそれは無理だ! 体が壊れてしまう」 「壊れる前に、結論を出せばいいんですよ」 「い、や……そうかもしれないけど……」 「私か千莉か」 「早く決めて下さいっ」 「か、勘弁してくれぇ……」 遂には2人から、思い切り潤んだ視線で睨まれてしまった。 ……なんか、俺が悪いような気がしてきた。 なら…… なら、きちんと清算を…… 「……ん?」 気がつくと俺は、机に突っ伏していた。 近くには読みかけの本が転がっている。 どうやら本を読んでいるうちに、寝てしまっていたようだ。 「何か……妙な夢を見ていた気がするんだけどな……」 あくびをしながら夢の内容について考えてみるが、どんな夢かは思い出せなかった。 まあ夢なんてそんなもんだ。 転がっていた本を手元に引き寄せ、ページをめくる。 が、違和感が拭えない。 夢以外にも何か、大事なことを忘れている気がする。 「ん……?」 どんよりとした頭の片隅に、何かが横たわっている。 頭をどれだけ揺らしても、その違和感は頭の中から出ていこうとしない。 ふとトイレから、水を流す音が聞こえてきた。 「あれ? ……誰かいるのか?」 俺はずっと、1人で本を読んでいたのではなかったか? トイレのドアが開く。 その奥から現れたのは、御園だった。 「失礼しました」 中座を詫びるようにそう言い、御園は当然のように俺の前に座った。 「……」 「筧先輩?」 「あ、いや……うん。御園が……、御園だよな。あれ?」 「寝ぼけてるんですか?」 「そうかも。ちょっとウトウトしてた」 そう認めると急に……忘れていたはずの夢の内容が、思い出されてきた。 この後御園は、きっとこう言う。 「これは断じて……友達の話なんですけど」 それから恐らく、俺の携帯が鳴るだろう。 発信者が誰なのか、携帯を見るまでもなくわかってしまう。 「とらないんですか?」 「あ、ああ……」 「筧さん。鈴木です」 慌てた御園がクローゼットの中に隠れる。 家の呼び鈴が鳴らされる。 これから先のことは…… また、繰り返すのか? 新生徒会執行部としての活動が始まり、半月ほどが経過した。 仕事は山のように転がり込んでくる。 それらをこなすだけで、完全に手一杯の毎日だ。 忙しいながらも、つぐみとの交際は順調そのもの。 今では下の名前で呼ぶようになっていた。 「う〜ん……」 デスクでつぐみが唸る。 最近、よく見る光景だ。 彼氏としては非常に心配である。 「どうした? ヤバい仕事でもあった?」 「そうじゃないんだけど……」 白崎が言いよどむ。 「気になることがあるなら、どんどん言ってくれ」 「ええ、できることなら何とかしますから」 みんなも、つぐみの周りに集まってきた。 「実はね、生徒会長になってから、学園のみんなに挨拶みたいなことをしてないなって思って……」 「ラジオの就任記念放送に出てましたよね」 「そうなんだけど、もっとこう生徒にとって身近な存在になりたいの」 「でも、最近はお仕事ばかりだから」 「なるほどねえ……」 「割と真面目に考えてんのねえ」 二人が腕を組む。 「生徒会報でも出したらどう?」 「それなら、会長の気持ちを伝えられると思うけど」 「う、うーん……」 微妙な表情を見せるつぐみ。 「それだ! 就任記念号を出そう」 「いいですね、いいですね、もう、白崎さん大特集ってくらいで」 「写真やインタビューを載せましょう」 生徒会室が一気に沸き立った。 「いいよー」 「あーいい、すごくいいー」 「うーん、もっと……もっと、大胆になっちゃおうか」 「ビューリフォー、んん〜、ビューリフォー」 高峰が、床を転がりながらシャッターを切りまくる。 「あの……ちょっと恥ずかしいよ」 「大丈夫、大丈夫、すぐフラッシュなしじゃ人生がモノ足りなくなるって」 「せやっ!」 「ごふっ!?」 足下に転がってきた高峰を踏みつける。 「何すんのよ筧ちゃん!?」 「つぐみにセクハラすんな」 「おっと、彼氏の前だった。失礼」 服の埃を払い、高峰が立ち上がる。 「写真、ずいぶん撮りましたね」 「俺としちゃあ、あと裸エプロンが欲しいな」 「あれは実在するものなのか? 実際やる人間なんて鈴木の言う世界遺産だ」 「なあ白崎?」 「う、う、うん」 「げほげほっ」 桜庭にまで世界遺産認定されてしまった。 「白崎さぁ、せっかく写真集作るんだから、もうちょっとサービスしなさいよ」 「それなんだけど……」 「会報も何か少し違う気がして」 「はあ? 何よ今さら?」 小太刀が口をとがらす。 「まあ待て、別に大したロスじゃないだろ」 「ああ、写真は別の機会にも使えるしな」 「ったく、白崎には甘いわよね」 「つぐみ、どのあたりが微妙なんだ?」 「うーん、わたしとしては、手作りクッキーを配るようなイベントがいいかなって……」 『そりゃ無茶だ』 全員が目で言った。 「よく考えて、どれだけ生徒がいると思っているの?」 「5万個も作れるはずないでしょう?」 「さすがにそりゃ無茶だけどさ」 つぐみの気持ちは無下にしたくない。 「アプリオとコラボってのはどう? 生徒会長の特別レシピって感じで期間限定メニューを作ってもらうとか」 「メッセージカードなんかもあると楽しいです」 「つぐみちゃん的にはどう?」 「うん、実現できたらすごく嬉しいよ」 つぐみが明るい笑顔で言う。 「なら、後は佳奈が頑張るだけ」 「わりと無茶振りだってわかってね」 「頼んだぞ、鈴木」 「わかりました、できる限りやってみます」 「大丈夫だって、俺に作戦があるから」 「ほ、ほう……ぜひ、拝聴したいですね」 二人が作戦会議を始める。 「あの……本気でやるつもり?」 「本気だが、何か問題でも?」 「い、いえ……」 多岐川さんからすれば、荒唐無稽に見えるのかもしれない。 ちょっとした思いつきでも、取りあえずやってみるのが俺たちだ。 「さすが佳奈ちゃん、なんとかしてくれたね」 「だなあ」 中2日で佳奈すけは話をまとめてきた。 いろいろと交渉があったらしいが、そこはシャイなあいつのことだ。 結果だけ伝え、苦労のほどはあきらかにしない。 「で、今日の試食は何種類あるんだ?」 「うん、10種類くらい作ってみたんだけど……」 「お、おお……」 「私、もう無理だかんね。昨日も7種類食べたし」 「私も、少し胸焼けが」 「昨日から、無性に漬け物食べたいんですよね、なぜか」 「私? 昨日の段階で無理。甘いものはちょっと」 昨日から続く、クッキーの試食ラッシュは、生徒会執行部の体力を地味に削っていた。 「白崎、気にするな。私はまだ……やれる」 「玉藻ちゃん、汗が」 「なあに、大したことない」 なぜか、俺は全然気にならない。 つぐみが作ったものだけに、いくらでも食べられた。 「うん、これも美味い……あー、こっちもいいな、もぐもぐ」 「いや、こっちも捨てがたい……むむ」 「京太郎くん、ちゃんと順番を付けてくれないと」 「お店に出せるのは、5種類ってことだから」 「順位なんてつけられない。だって全部美味いんだ」 「やっぱり、白崎の料理はすごいな」 「も、もう……京太郎くん、あんまり褒めないで」 「じゃ、じゃあ、これは?」 「はい、あーん」 「おお、サンキュー……もぐもぐ……最高だな」 「こっちは?」 「もぐもぐ……んー、世界遺産だ」 「な、なんですか……このピンク空間は……」 「目眩がしてきた」 「あの筧が、こんなんなっちまうとはなぁ」 「げに恐ろしきは。愛の力だな」 「こ、こ……」 「こんなの、私の生徒会じゃなーーーーーいっっっ!!」 「あーあ、キャパ越えちゃった」 「もどってくんのかね、あの子?」 「やっぱり、全部1位だな。よし、順位なしっ」 「もう、ゆとり教育みたい、ふふふっ」 「……ジーザス」 2週間ほどの試食を経て、俺は3キロ太った。 つぐみの愛が肉になったと思えば、むしろ誇らしい。 コラボキャンペーンは3日前から始まった。 販売されているのは、5種類のクッキーを可愛くラッピングし、メッセージカードをつけたものだ。 メッセージのバリーエーションは10種類。 さすがに直筆とはいかなかったが、つぐみの会長としての目標なんかが書かれている。 赤字にならなければ……と神に祈っていたが、蓋を開けてみれば全て杞憂だった。 生徒会長の特製クッキーは、連日完売のベストセラーになっていた。 「やったね、京太郎くん」 「ああ、やっと世界が、白崎の味に気づいたみたいだな」 「もう、褒めすぎっ」 白崎に胸をなぐられ、幸福な気分に浸る。 「あ、悪いけど、嬉野さんに挨拶してくるわ」 「今回もずいぶん協力してくれたみたいだから」 「よろしくね。後で私も公式にお礼をしに行くから」 「はいよ」 学食はいつも以上に繁盛している。 もちろん、コラボキャンペーンのお陰だ。 気になるのはその客層。 妙に男が多い上に、割と必死な顔をしている。 3キロ太った俺ではあるが、まだ正統派図書部員の勘は衰えちゃいない。 「あ、筧君、いらっしゃいませー」 「今回はお世話になったみたいで」 「いえいえ、こちらこそ。大反響で嬉しい悲鳴です」 「でも、ここまで大盛況とは思ってませんでした」 「ええ、私もです」 ニコニコ顔で言う。 「……なんでこんなに盛況なんですか?」 「どうしてでしょうね?」 「……ああ、クッキーを5個買うと、これがもらえるからでしょうか?」 と、嬉野さんがポケットからメッセージカードを出す。 表面は俺たちが準備したカードと同じだが…… 裏面には、白崎のコスプレ写真が印刷されていた。 間違いなく、以前、生徒会室で撮影したものだ。 「見覚えがある写真なんですが、データはどこから?」 「ある男子生徒が、メモリーカードを落としたんです」 「私の目の前で、偶然」 「わかりました、できる限りやってみます」 「大丈夫だって、俺に作戦があるから」 「ほ、ほう……ぜひ、拝聴したいですね」 ……高峰。 「筧君、誰も悪くありませんよ」 「データがなければ、今回のコラボは成立しなかったでしょう」 そう、高峰も佳奈すけも、頑張って交渉してくれたのだ。 「そして、生徒会長も、アプリオの店長も結果に満足しています」 もう、溜息をつくしかない。 「ちなみに、カードを10枚集めると、Sレア景品と交換できるんです」 「参考までに、どんな景品?」 「これです!」 嬉野さんが背後から巨大なお皿を取り出す。 豊かな丘が2つ連なった形のプリンだ。 「3Dデータもあったので、忠実に再現してみました」 「感触は筧君しかわかりませんので、ぜひクオリティアップにご協力を」 「せあっ!!」 プリンを、一気に跡形もなく食べ尽くす。 「あっ、ぷりん!? 私のぷりん〜!!」 「じゃ、写真のデータは後でちゃんと返してくれよ」 そう言い置き、踵を返す。 「うう〜、協力していただけたら、白崎プリンを1年分進呈しようと思っていたんですが」 「実物で間に合ってるから」 軽くサムズアップをして、店を後にする。 ……。 …………。 ………………。 「……あれ? ノロケオチですか?」 数日後、嬉野さんからきちんとメモリーカードが返送されてきた。 コラボキャンペーンは大盛況のうちに幕を閉じ、我が生徒会執行部の認知度は、また一段階上がることになった。 「く……つぐみの写真が、他の男の目にさらされるなんて」 「大丈夫、本物は京太郎くんのものだよ」 「つぐみ」 「京太郎くんっ」 ひっしと抱き合う。 「いいっすね、カップルは」 「そうでもないです」 「いちいち反応してるときりがないぞ、仕事だ、仕事」 「ういーす」 「く……く……」 「望月さーん、帰ってきてーーっ!!」 玉藻と付き合い始めて約半年。 年は改まったが、図書部の面々は相変わらずだ。 「よっこいせ」 「どりゃさ」 重い段ボール箱を2つ、床に置く。 「これ、全部白菜? 一体どうしたの?」 「以前、手伝いをした園芸部からの差し入れだ。今年は豊作だったらしくてな」 「私達、何かしましたっけ?」 「雑草抜きと土づくりを手伝ったよ」 「千莉、イモムシを見てきゃーきゃー言ってたじゃない」 「覚えてない」 図書部で芋虫を恐がるのは御園だけだった。 白崎と鈴木は喜んでいたし、玉藻は田舎の生まれなのでそもそも怖くないらしい。 「『大体、芋虫もいない畑の方が不自然なんだ』」 などと言っていたのを思い出す。 そんなところも俺にとっては好ましかった。 「差し入れはありがたいですけど、数が多すぎませんか? 10個はありますよ」 「新聞に包んで寒いところに置いておけば、結構保存できるよ」 「わたしなら2個くらいは食べられるかな」 いろいろメニューを考えているのか、白崎はニコニコ顔だ。 「つぐみちゃんは料理上手だからいいけど、俺は消費できないぞ」 「俺も自炊しないしなあ」 御園と鈴木も同意する。 さて、どうしたものか。 「みんなで鍋をしましょう」 「白菜を減らすには鍋が一番ですっ」 「今から? ここで?」 「もちろん」 「いいんじゃね? やってみようぜ」 「うん、楽しそうだね」 とんとん拍子に話が進み、1時間後には鍋の用意が始まった。 玉藻もエプロンを着けてやる気満々だ。 「玉藻ちゃん、今日は図書部の活動で大丈夫? 時間がなかったら無理しなくていいよ」 「心配しないでくれ」 「しっかし、まさか桜庭が画家になっちまうなんてな」 「1、2枚売れただけだ、画家を名乗るなんておこがましい」 玉藻は、秋の展覧会で審査員特別賞をもらっていた。 賞としては目立たないものだったが、客で来ていた画廊のオーナーが玉藻の作品をいたく気に入ったらしい。 以来、高額ではないが、玉藻の絵は全て画廊の主人が買い取ってくれている。 業界雑誌にも注目の新人として紹介されているみたいだし、もう立派なアーティストだった。 恋人としてはもちろん嬉しい。 とはいえ、一抹の寂しさがあることは否定できない。 自分の器ちいせーなぁと思いつつも、玉藻が遠い存在になったような気がしてしまうのだ。 「やっぱり、玉藻ちゃんには才能があったんだね」 「たまたまだ、たまたま」 「たまたまね」 「たまたまですか」 「お前ら、私が包丁を持っていることを忘れるな」 玉藻が不敵に笑い、高峰と佳奈すけが震える真似をする。 懐かしい空気だ。 最近の玉藻は、図書部と絵で滅茶苦茶忙しい。 充実はしているのだろうが、くだらない冗談を言い合う時間は確実に減っていた。 玉藻は変わっていってしまうのだろうか。 「京太郎」 玉藻が、すっと隣に寄ってきた。 「つまらないことを考えていたんじゃないか?」 「いや、別に」 「ならいいんだが……」 「少し切ない顔をしていたぞ」 「だとしたら、玉藻と話したかったんだな」 「ば、馬鹿、恥ずかしいことを言うな」 わずかに頬を染め、玉藻がそっと俺の手に触れる。 「んー、タッチ、ここにタッチ」 「うるせえよ」 「この猫は、本当に話しているように聞こえるな」 玉藻と二人で苦笑する。 「あ、玉藻ちゃん、お出汁どうしよっか?」 「ん、ああ、鰹と昆布で取っておこう」 もう一度俺の手に触れ、玉藻が鍋の準備に戻る。 鍋の準備が整った。 出汁が煮立った鍋を中心に、豚肉と野菜が色彩豊かに並べられている。 「わぁ、料亭みたいです……行ったことないですけど」 「盛りつけは玉藻ちゃん担当だよ。やっぱり絵心がある人が盛りつけると違うよね」 「あまり持ち上げるな」 「それより、早く食べようじゃないか」 「わーい」 佳奈すけが肉の皿を手に取る。 「待て待て、まずは白菜と椎茸の芯からだ、出汁が出る」 「まあまあ、細かいことはいいじゃないの」 「いや、こういうものには順番があるんだ」 「出たな、鍋奉行」 「失礼な、私はそこまで仕切り性じゃない」 「適材適所な気がします」 「うんうん。それに、別に鍋奉行って悪い意味じゃないよ」 しかし、玉藻はぶすっとしている。 「よし、今日は食べ役に撤しよう」 玉藻が持っていた菜箸を置いた。 「ほほう、いつまで我慢できるかな?」 「最後までだ」 「余計なことはせず、鍋を堪能させてもらうぞ」 びしっといい、玉藻が割り箸を割った。 ……。 …………。 …………だが。 「野菜ー、ダーイブ」 高峰が無造作に野菜を入れる。 「くっ」 「さあ、本命行きますよっ」 「肉、肉、肉、そして肉ですっ」 「お前……」 玉藻の腰が浮く。 「どうしました?」 「い、いや……その……何でもない」 「あ、鱈の切り身が分解しました」 「ぬおっ、すげえ灰汁だ!?」 「まるで、灰汁のバブルバスやー」 「……ぷちん」 ものの数分で玉藻がリミットブレイクした。 「……お前ら」 玉藻が静かに箸を置く。 「そこまで無茶がしたいなら……」 すっくと立ち上がり、部室の照明スイッチに手を伸ばす。 「おい、何するつもりだ?」 「た、玉藻ちゃん?」 玉藻がにっこりと微笑む。 「闇鍋としゃれ込もう」 「うおわーーー、すいませんっ!」 「やりすぎました、やりすぎました、やりすぎましたっ!」 2人が土下座していた。 「……冗談だ」 「いや、完全、本気の顔だった」 「お前らがわざと煽るからだろ」 「煽らなかったらネタにならないじゃないですか」 「そういう問題?」 「駄目だよ、食べ物は大切にいただかないと」 「そうそう、命をいただくわけだからな」 「お前が言うな」 玉藻が呆れた顔をする。 だが怒ってはいない。 むしろ、こんなやりとりを楽しんでいる風ですらある。 「じゃあ、俺が灰汁取るから」 「そしたら、みんなで一回鍋をさらおう」 「次のセットは、私の奉行で問題ないな」 「はい、よろしくお願いします」 こうして、玉藻の仕切りで第二セットが始まった。 鍋をがっつり堪能し、俺と玉藻は帰途についた。 「ああー、今日は久しぶりに遊んだ」 玉藻が歩きながら伸びをする。 「あんなんで良かったのか?」 「どういう意味だ?」 「いや、久しぶりにゆっくりしてたのに、大騒ぎだったじゃないか」 「いや、図書部はあれでいいんだ」 玉藻が俺の手を握った。 「京太郎は、もしかしたら何か心配してるのかもしれないが、私は以前と変わっていない」 「図書部が大好きだし、京太郎も心から愛してる」 玉藻は、俺がかすかな不安を抱いていたことに気づいていたのだ。 「私が一生懸命頑張れるのも、京太郎が傍にいてくれるからだ」 「……」 心配しなくても、玉藻は俺の傍にいる。 「……なんて、邪推だったかな」 「さあな」 「相変わらずシャイだ」 「誰がだよ」 玉藻の手をしっかり握る。 冷たい風の吹く1月の夜。 握り合った手だけは、ぽかぽかと温かかった。 「ほら、白崎先輩頑張って下さい。あと2キロですよ」 「はぁ、はぁ……千莉ちゃん、すごい体力……」 「これでも鍛えてますから」 「音楽も……身体が基本……なんだね……」 白崎と千莉の後方10メートル。 俺と高峰がちんたらと走る。 「いやー、運動してる女の子ってのはいいね」 「ああ、純粋に身体のラインが綺麗だ」 「何が、純粋にだよ」 「不純な意味でも綺麗だけど」 「ほー、彼女持ちは言うことが違うね」 今日は、マラソン大会じゃなく、ただの体育の授業だ。 選択科目が同じなら、学年が違っても一緒の授業になることもある。 「一つ打ち明け話していいか?」 「どうぞー」 「俺さあ、千莉ちゃんに罵倒されたいんだよね」 「はい?」 「だから、罵倒されたいの」 「何でまた?」 「山を登るのに理由はいらないだろ?」 『いいこと言った』みたいな顔されても。 「本人に頼んでみろよ」 「んじゃ、彼氏公認ってことでいいか?」 「わざわざ確認取るようなことか」 「アタックしてると勘違いされたら嫌だしさぁ」 「親友の彼女に手を出すなんざ、面倒臭くて仕方ないぜ」 律儀すぎる。 というか、もう少し他のことに気を回したらどうだろうか。 「というわけで、罵倒していただけませんか」 「嫌です」 「そこを何とか」 「嫌です」 「大の男が頼んでるんですが」 「嫌です」 けんもほろろである。 当たり前だ。 「高峰くん、一応そういうキャラだって思ってるけど一線は越えない方が」 「俺のロマンなんだ」 「男って、結局そういう生きもんじゃん」 「一緒にするなよ」 御園が小さく溜息をつく。 「……京太郎さん、高峰先輩を何とかしてください」 「OK、OK」 高峰に向き合う。 「高峰、ちょっと聞け」 「頼み込んで罵倒されても、それって、いわば養殖もんの罵倒だろ?」 「え?」 「男なら、天然もん目指さないと」 「あの?」 「筧、くん?」 俺の言葉に高峰が深くうなずく。 「なるほど。つまり、自然な流れの中で罵倒されていけってことか」 「……言われてみりゃそうだな」 「千莉ちゃん、キモいこと頼んでごめん」 「は、はぁ……わかってもらえれば、私は」 呆気にとられた顔で千莉が言う。 「えーっと、そ、それじゃ、一件落着ってことで、お茶淹れるね」 話題を逸らすため、白崎がそそくさとお茶の準備を始める。 第一段階はこれでいい。 「あ、そうだ。千莉、これやってみる?」 と、一枚の紙を見せる。 「クロスワードパズルですか?」 「今朝、クイズ研究部の人からもらったんだ。結構、難しいらしい」 「早速やってみます」 千莉がパズルに向かう。 さすがに食いつきがいい。 「(筧、サンクス)」 「(頼まれたからじゃないぞ)」 高峰がにやりと笑った。 「問題です。島は島でも、人体にある島は?」 「はあ? なんだろな?」 「うーん、結構難しいね」 最初は千莉だけが取り組んでいたパズルだが、いつの間にか全員が頭を付き合わせていた。 「島……島……」 「ああ、ランゲルハンス島じゃないかな」 「何それ?」 「内臓の一部だよ」 「あ、字数もぴったりです、きっと正解ですよ」 「筧くん、さすが」 「生物の教科書に載ってるだろ?」 「載ってたって、俺はわからんけどな」 「千莉ちゃんの彼氏は、ほんと秀才で参るよ」 「ふふふ」 千莉が嬉しそうに笑い、椅子の上で体育座りになった。 「もう、幸せそうな顔して」 「い、いえ、別にそういうわけじゃ」 「……こほん」 千莉が小さく咳払いをする。 それでも、人形のような顔は赤く染まったままだ。 「次の問題いきますよ」 「通称プミポン国王が治めている国は?」 「あ、これは知ってる」 「私も知ってます」 「じゃあ、千莉ちゃん書いて」 「えーと、タイですね」 「うん、正解。いえーい」 白崎と千莉がハイタッチをする。 こんな調子で、一つずつ問題を解いていく。 「そういえば、最近、声楽はどう?」 「お陰様で、楽しくやっています」 「ハイレベルなレッスンも受けさせてもらっていますし、順調ですね」 問題を解きながら千莉が答える。 「そっか、なら安心」 心底安心したような顔をする。 そもそも、千莉を図書部に誘おうと考えたのは白崎だ。 千莉の行く末には責任を感じていたのだろう。 「やっぱり、筧君のお陰?」 「だと思います」 「いやいや、努力したのは千莉だよ」 「誰かが誰かを変えるなんて、おこがましい」 「ふふ、京太郎さんがそう言うなら、そうかもしれませんね」 千莉が澄んだ笑顔を見せる。 「千莉ちゃんもずいぶん変わったよね」 「すごく、笑顔が穏やかになったよ」 「や、やめて下さい」 「高峰先輩に真面目なこと言われると、調子が狂います」 千莉が膝をぎゅっと抱える。 「ははは、まーそうよね。おじさんヨゴレだしな」 「そういう意味じゃないです」 「高峰先輩も、本当は優しいんですから、普通にしてたらいいと思います」 「おっと、完全にキャラ殺されたわー」 高峰がおどける。 「それより、最後の問題が解けました」 「あとは、濃い色のマスの文字を、順番に読むんだね」 「はい……えーと」 千莉が指で紙を辿る。 「た・か・み・ね・せ・ん・ぱ・い……」 「だ・い・す……」 『高峰先輩大好き』 それが、高峰謹製のクロスワードパズルに仕込まれた答えである。 当然、読んでくれるわけがない。 「千莉ちゃん、答えを聞かせてくれよ」 「さあ、勇気を出して、カモンっ!」 千莉が、パズルをくしゃりと握りつぶす。 「あ……」 「こんな暇なことをするなんて……」 「高峰先輩……本当にゴミですね」 絶対零度の視線と台詞。 半眼になった高峰が、胸の前で手を合わせる。 「天然物の罵倒、いただきました」 「あ……まさか、このために……」 策を弄して『好き』と言わせようとすれば、バレたときに罵倒が来る。 千莉は、高峰の奸計にはまったわけだ。 「う……く……」 「美味しゅうございました」 「ギザ様、成敗してください」 「ぎにゃっ!」 座っていた猫が、高峰の顔に覆い被さる。 「うわあああぁぁぁっっ!!」 「むぐっ……息ができ……な……」 高峰が静かになった。 「高峰くん、大丈夫かな?」 「大丈夫だろ、高峰だし」 やり遂げた顔で気を失っている高峰。 何が彼をここまで駆り立てるのか。 答えを知る者はいない。 「ところで、パズルを私に勧めたの、京太郎さんですよね?」 「気づいたか」 どうやら俺の番が来たようだ。 なぜ高峰に協力してしまったのか。 俺にもはっきりとはわからない。 ただ、一人の男の澄みきった煩悩が、俺を動かしたのは確かだ。 「同罪ですよね?」 千莉がにっこりと微笑む。 返事の代わりに、胸の前で手を合わせた。 「ギザ様、お願いします」 「ふぁおっ!」 高峰……。 俺もそこに行くよ。 登校する生徒も多くない時刻、佳奈以外の図書部メンバーが校門に集合した。 「ふぁあ〜ぁぁ、なんで朝っぱらから学食なんだ?」 「あれ? 高峰くん、聞いてないの?」 「ぜーんぜん。桜庭から7時に校門って言われただけで」 「それで来るんですから、高峰先輩も律儀ですね」 「お、褒められた。早起きは三文の得ってのは本当なんだな」 欠伸をかみ殺しながら高峰が冗談を言う。 「で、俺は何で呼び出されたの?」 「嬉野からメールがあったんだ」 「アプリオで面白いものが見られるらしい」 「何が見られるんだろうね?」 「嬉野さんからのメールってのがなぁ」 「まともなネタであることを願おう」 「でも、この時間なら、佳奈も仕事中ですよね?」 「のはずなんだけど、俺は何も聞いてないんだよな」 恋人である佳奈からは、何も聞かされていない。 面白いネタなら、真っ先に教えてくれるだろうに。 「もしかして、喧嘩してますか?」 「してないって」 「アホみたいに仲良かったのになあ」 「部室で私達にさんざん見せつけた罰が当たったんだ」 「人をバカップルみたいに言うなよ」 「筧くん、自覚なかったんだ」 みんなが溜息をつく。 佳奈とつきあい始めて2ヶ月。 そりゃまあ、部室でことに及んだこともあったが、俺たちは節度を持ってやっているはずだ。 「大体、バカップルなんてのは、人前で抱き合ったり電車でキスしたりする奴だろ?」 「そのものズバリですよね」 「ははは、まさか」 「(駄目だ、完全に自分がまともだと思ってる)」 「(いるよなー、こういうの)」 「はっきり言えって」 綺麗にハモられた。 どうやら、本気で俺たちをバカップルにしたいらしい。 困ったものだ。 「いらっしゃいませー」 「……って、皆さんお揃いでありがとうございます?」 「おはよう、佳奈ちゃん」 「お、おはようございます」 「あの、どうしてここに?」 「ふっふっふ、ふっふっふっふ」 背後から謎の笑い声が聞こえた。 「あ、嬉野さんが呼んだんですね」 「鈴木さん、人のネタを潰さないでください」 「そこは、『誰だっ!?』ですよね」 ぷりぷり怒りながら、レジカウンターの陰から嬉野さんが現れた。 「すみません。では、もう一度最初からどうぞ」 「やりません」 2人で話が進んでいる。 「で、俺たちはどうしたらいいんだ?」 「今のショートコントが面白いものですか?」 「ああ、いえ、本番はこれからです」 と、嬉野さんは佳奈に向き直る。 「鈴木さん、図書部の皆さんでも、ちゃんとしたお客様ですよ」 「う、うう……」 佳奈がうなだれる。 何かあったのだろうか? 「それでは皆様、お席にご案内しますね」 特に変わったこともなく席に案内された。 「こちらメニューです」 「なんかいつも通りだな」 渡されたメニューを開くと、ぱらりと紙が落ちた。 「ん? 特別サービス?」 「『アプリオのアイドル鈴木佳奈が、あなた好みのキャラクターで接客致します』?」 「はぁ、そうなんですよ……」 「先日、豪快にお皿を割りまして、罰として特殊なサービスをすることになりました」 佳奈が肩を落とす。 ちなみに、キャラクターは以下の5つから選択できるようだ。 『1、メイド』『2、看護師』『3、甘々の恋人』 『4、女教師』『5、生徒会長』 「高峰の本棚のようなラインナップだな」 「俺、ナースはそうでもないんだよね」 「完全にいらない情報です」 「というわけで、オーダーよろしくお願いします」 げんなりしながら佳奈が言う。 可哀相だが、佳奈の性格なら、むしろ積極的に遊んだ方が楽だろう。 どーんと行こう。 「じゃあ、わたしは、焼き鮭定食をメイドさんでお願いね」 「私は、そうだな……肉じゃが定食を生徒会長で」 「俺も同じのを女教師で」 「私はトーストセットを看護師さんで」 みんなが思い思いの注文をする。 空いているのは『甘々の恋人』か。 「筧さんは?」 「じゃあ、焼き鮭を甘々の恋人で」 「いつもと変わらないじゃないか」 「いやいや、俺たちさっぱりしてる方だから、たまには甘々なのもいいだろ?」 「はい?」 一瞬静かになった。 「ともかく、やるとなった以上、ハイクオリティな芸を目指して頑張ります」 決然と宣言し、佳奈はキッチンへ向かっていった。 「どんな生徒会長が飛び出すか、お楽しみだ」 「カメラ用意しておこっと」 「動画でお願いします」 「あー、こんなにあっけなく俺の夢が叶うなんて……ありがとう、嬉野ちゃん」 しばらくして、佳奈がキッチンから出てきた。 持っている料理は1つ。 1ネタずつ処理していくようだ。 ……まずは白崎のメイドか。 「お嬢様、いらっしゃいませだきゅん☆」 「っっ!? ごほごほごほっ!!」 白崎が飲んでいた水でむせた。 「この焼き鮭には、私の愛を、いっぱいいっぱい、ぎゅ〜〜〜っと詰め込みました!」 「ぜひぜひ、よーーーく、か・み・し・め・て、召し上がって下さいね♪」 頬に人差し指をあて、きゃるんと言い放った。 「お粗末様でございました」 ぺこりと頭を下げ、そそくさと去っていく。 「え、ええと……あ、あの」 「何というか、ある種、壮絶なものがあるな」 「ブラボー! 完全にブラボー!」 可愛すぎる! 素晴らしいメイドだった。 思わず立ち上がって拍手する。 「あの、先輩?」 お次は、女教師らしい。 「ふふふ、高峰クン」 「は、ハイッ」 「朝から肉じゃがを選ぶなんて、イケナイこと考えてるんじゃない?」 「昨日先生が言ったこと、聞いてなかったのかしら?」 「きょ、恐縮でありますっ」 「ねえ、わかってるの? 肉じゃがって、すっごく肉じゃがなのよ?」 「ほら、もう、肉じゃがが、こんなに肉じゃがしちゃってる」 「ふぁ、ふぁほーーーーっ」 「言っている意味がよくわからん」 「雑ですね」 「ブラボー! クライマックスブラボー!」 素晴らしい! こっちまで興奮してくる女教師だった。 「筧、くん?」 生徒会長、看護師と堪能した。 どれも最高の出来、さすがは俺の佳奈だ。 そして、最後は俺の番だ。 「お、お待たせしました」 やや顔を上気させ、焼き鮭定食を持った佳奈が現れた。 「ご、ごくり」 「ごくり」 一体、どんな恋人を演じてくれるのか。 佳奈のつぶらな瞳を、じっと見つめる。 「あ……ええと……」 「ん……と……」 何かを言いかけ、ためらう。 それを何度か繰り返し、佳奈はうつむいてしまった。 「私、恋人のお芝居なんてできませんよ」 「どうして……」 「まさか、俺のことが気に入らないとか!?」 「違いますって」 「だってほら、私……筧さんが好きすぎるんです」 「本人を前にしたら、恋人の振りなんてできないっていうかぁ、もう素のままで恋人っていうかぁ……」 テーブルに『の』の字を書く佳奈。 なんて……なんて可愛いんだ。 「佳奈っ」 その手を取る。 「筧さんごめんなさい、私には無理みたいです」 「もういいんだ」 「無理矢理、恋人のお芝居させるなんて、考えてみりゃお前への裏切りだ」 「俺は、正々堂々お前と付き合っていきたい」 「筧さん……大好きです」 「俺もだ」 華奢な身体を、ぎゅっと抱きしめる。 「(えぇぇ……)」 「(何これ?)」 「(お芝居じゃないのに、むしろお芝居っぽいなんて……)」 「(何がさっぱりしたカップルだ、馬鹿らしい)」 「おっと、こんなことしてたら、バカップルとか言われるかな」 「まさかまさか、私達素っ気ない方ですって」 「そっか、そうだな」 もう一度腕に力を込め、佳奈を解放する。 「あ、ご飯早く食べて下さい。冷めちゃったら美味しくないですよ」 「おっと、そうだった」 と、テーブルに視線を戻す。 「あれ?」 なぜか、他の4人は死んだ魚のような目をしている。 「どうした?」 「う、ううん、大丈夫、何でもない」 「ご飯、食べましょう」 「ああ……いただきます」 桜庭が暗い声で言う。 「おいおい、朝なんだから、元気出そうぜ」 「そーですよ、美味しくなくなっちゃいますよ」 「やっほー、いただきますっ!」 「素晴らしいっ」 佳奈が明るく笑う。 ほれぼれするような表情に、俺は改めてこいつの彼氏で良かったと思う。 「(こいつら、いつ自分たちの甘々さに気づくんだ?)」 「(さあ)」 「(でも、幸せそうでいいかもしれないね)」 「(あー、彼女ほしい)」 「ギザ様、気持ちいいですか?」 「あああん、おろろおん」 この日、俺と御園は空いた時間を利用して、デブ猫を風呂に入れていた。 風呂といっても、借りてきたタライにぬるま湯を入れただけのものだ。 「はい、腕の下洗いますよ」 「はにゃっ、はにゃっ」 「次は背中です」 「ふぉーう、ふぉーう」 御園に身体をなで回され、デブ猫はご満悦だ。 こいつを見ていると妙にイライラしてくるのは、俺だけじゃないだろう。 何故か、御園がセクハラされている気がしてくるのだ。 「いいご身分だな、デブ」 「ぐふぉふぉふぉふぉ」 「くっ」 こいつ、本当に猫なのか? 「ふふふ、よしよし」 「あみゃ〜〜」 腹をこすられ、デブ猫が緩んだ声を出す。 「ここがかゆいの? ここ?」 「ぱ、ぱらいそ……」 半分白目になり脚をぴくぴくさせている。 絶頂寸前の気配だ。 もう駄目だ、見ていられない。 「御園、洗うの交代しよう」 「え? いいですよ」 「まあまあ、やらせてよ」 御園にタオルを渡し、今度は俺が腕まくりする。 お湯に沈んだブラシを取り、デブ猫に向ける。 「さて、猫ちゃん、ショータイムの始まりだ」 「み゛にゃ?」 「遠慮するなって。すぐ楽しくなるから」 「のうっ、のうのうっ!」 俺が伸ばしたブラシを、デブ猫が機敏にかわす。 「おい、こらっ」 「くそっ、大人しく、しろっ」 日頃は緩慢なくせに、こんな時だけすばしっこい。 くそっ。 「ちわー。あー、疲れた」 そのとき、凪が部屋に入ってきた。 デブ猫の注意が、俺から逸れる。 「もらった!」 殺ったと思われた一撃にはしかし、手応えがない。 デブ猫は怪鳥のごとく跳躍し、俺のブラシをかわしていた。 「ふぁおっっ」 そのまま空中で一回転。 「あん?」 べちゃっと音を立て、デブ猫が凪の頭に着地した。 凪は動かない。 猫も動かない。 言うまでもなく、凪は動物が大の苦手だ。 立ったまま気を失ったのかもしれない。 「つーかさ、この絵面、やっつけすぎだろ」 「ですねえ」 「おーい凪、生きてるか?」 「あ、筧さんに御園さん、こんにちは」 凪がにっこりと微笑んだ。 「は?」 「え?」 「私の顔に、何かついていますか?」 「いえ、そういうわけでは」 「ふふふ、おかしな御園さん」 まるで深窓の令嬢のように微笑んだ。 な、なんだ、これは。 「お前、キャラ変わってないか?」 「私はいつも通りですよ」 「それより、筧さんこそこんなに汗をかいて、お加減が悪いのではないですか?」 そう言うと、凪は自分のハンカチで俺の額を拭ってくれた。 俺の知ってる凪は、こんなことをする奴じゃない。 「お、おい、凪?」 「あの、筧さん……」 「交際しているとはいっても、人前で呼び捨てにされるのは恥ずかしいです」 「いえ、いつも筧先輩といちゃいちゃしてますよね?」 「そんな、滅相もありません」 恥ずかしさに縮こまる凪。 「(筧先輩、これは一体?)」 「(わからん、わからんが……)」 「(わからんが?)」 「(この凪はアリだな)」 「(馬鹿ですね)」 などと言っている俺たちの前で、突然変異を起こした小太刀が椅子に座る。 上品に頬杖をつき、窓の外を眺めつつアンニュイな溜息をついた。 その頭の上で…… 「ふぁおん、ふぁおん」 デブ猫が、凪のお下げを手に持って動かしている。 「(これはもしかしての話だが)」 「(凪は、ギザに操縦されてるんじゃないか?)」 「(……筧先輩?)」 「(じゃなくて、動物に怯えるあまり、理性が焼き切れちまったんじゃないか?)」 「(ありえますね)」 「(とりあえず、ギザを頭から下ろすんだ)」 こくこくと御園がうなずく。 「凪さあ、頭、重くない?」 「いいえ、平気ですよ」 「……あ、もしかして、私の体調を気遣ってくれているのですか?」 「ふふふ、筧さんは優しいですね」 「くっ、眩しい!?」 キラキラと輝かんばかりの笑顔を向けられた。 いつもの凪とは全然違うが、すごくドキドキする。 「げ、元気なら良かった」 「最近、朝晩は冷えるから心配してたんだ。ははは」 「(筧先輩、ははは、じゃないですよ)」 「(何で優しい彼氏になってるんですか)」 背後から御園がツッコんできた。 「(おっと、そうだった)」 「(よし、俺が凪の注意を引くから、その隙に御園がギザを捕まえてくれ)」 「(了解です)」 御園が、すすすと凪の背後に回る。 「凪、お茶でも飲むか? 俺が淹れるよ」 「ありがとう。筧さんに淹れてもらえるなんて嬉しいです」 凪が微笑む。 だが、その表情がすぐに曇る。 「どうした?」 「あの、ええと……」 「アールグレイが飲みたいなんていうのは……わがままですよね?」 上目遣いで言う。 「ば、馬鹿だな、凪は。そんなのわがままに入らないって」 「よ、よーし、全力でアールグレイにするよ」 「そ、そうですか……すみません」 凪がはにかむ。 ずきゅーんと、胸を撃たれた。 その背後で、御園が静かにギザへと手を伸ばしている。 「もらった!」 「凪、伏せろっ!」 「きゃっ!?」 間一髪、御園の手が空を切る。 ギザはまだ凪の頭の上だ。 「ふう、危ないところだった」 「筧先輩、怒りますよ」 「すまん」 いつの間にか、凪の魅力に取り込まれていた。 駄目だ。 いかに可愛かろうと、これは本当の凪じゃない。 一時的なショック症状だ。 元に戻してやらないと。 「筧さん、どうしたんですか?」 「……凪……許してくれ」 凪を後ろから抱きしめる。 「え? えええ……?」 「突然、何を……」 もがく凪をぎゅっと抱きしめる。 これで身動きできないはずだ。 あとは、御園がギザをどかせば、凪は元に戻る。 さようなら……。 俺の可愛い、凪。 「御園っ! 今のうちに、俺ごと撃てっ!」 「意味わかりません」 何の感慨もなく、御園がギザを頭から下ろした。 ……。 …………。 ………………。 「……京太郎?」 凪の口から、いつもの声が聞こえた。 「戻ったか、凪」 「良かった……良かった……」 「ていうかさ」 「ん?」 「何抱きついてんのよ、この変態っっ!!」 重力が、消えた。 後に御園に聞いたところによれば── 実に華麗な凪の一本背負いだったという。 「つまり、誰ともくっつかないと羊飼い試験合格ってわけか」 「ややこしい話だろ?」 「んじゃさ、全員とくっついたらどうなるんだ?」 「そこだよ」 「俺も不思議に思ったから試してみたんだ」 「え?」 「でも……割と後悔してる」 玄関のドアが嵐のように乱打される。 「のわっ!?」 「くっ、見つかったか!」 「ドアが吹き飛んだっ!?」 「筧、私と付き合ってくれるんだろ?」 「筧くん、私に言ったこと嘘じゃないよね」 「尊敬する白崎さんでも、筧さんは譲れませんよ」 「誰にも負けません」 「いやいや、本命は私でしょ」 「……修羅場だ」 「なあ筧……」 「お、おう」 「俺、丸く収める方法を知ってるぜ」 「……」 高峰と見つめ合う。 それで気持ちは通じ合った。 「みんな、聞いてくれ……」 「実は俺、男しか駄目なんだ」 「そういうこと、悪いな」 がっちり肩を組む。 「そっか……なら仕方ないね」 「なんて言うと思うか、どアホーーーっ!!」