冬は雪の季節、 白くかき消された記憶の季節、 あるいは報われぬ恋の季節――。 今年もこの〈永〉《なが》の里に雪が降る。 散り敷かれる雪の中に私は隠れ、 白い景色の中で雪解けを待ちわびる。 やがて誰かの強い願いが、 この雪を全て消し去ってしまうようにと……。 「そのとき! 厚い雲を割って差し込んだ一筋の光!」 「そこに照らし出されるは、可憐なる乙女の姿っ!」 「空! この青い空の果てにあの人はいる! この両手は翼! この両足は地を蹴る推進力!」 「私を包むのは恋という名の流体力学、それは現実からの飛翔! さあ飛び立つのよ、いまこそ無限に青い大空へと――」 「待つんだミス・マグダネルダグラス、残念ながら君が手にしているのは望遠鏡ではなく万華鏡だ!」 「止めないで、貴方にはタービンの回る音が聞こえないの? ほら、くるくるー、くるくるー! そしていま私のコンバッチョン……」 「ああーっ、ごめん、コンバ……ええーと……コンバッショ……あー、んー……!!」 「カーーーーーット!!!」 「うぅぅ……ごめんなさいー!」 「稲森さん、そこは『〈燃焼室〉《コンバッションチャンバー》』です! はい噛まないようにもう一度!」 「は、はいーっ! コンバッションチャンバー、コンバッションチャンバー、コンバッちょん……うーっ!!」 「〈呂律〉《ろれつ》は稽古あるのみ! あと、くるくるーのところ、本当に回るって台本にありますから、それでお願いします!」 「え? こ、これやるの? くるくるー、くるくる〜」 「うーん、戸惑ってる稲森さんは可愛いなぁ」 「外野は静かにしててください! 稲森さん、そうじゃなくてもっとショーリュー拳っぽく!」 「あーだめだめ、滅茶苦茶表情硬いです! ここは迷いを捨ててくださいっ!!」 「ま、迷うなと言われても……!!」 「監督代行、その演技指導はちょっと無茶だよ。だいたい俺たち、台本の意味だってよく分かってないんだから」 「主役の君がいまさらそんなことを!?」 「だって、台本途中までしかできてないし……なぁ?」 「そうよそうよ、監督代行は台本の意味分かってるんですかー?」 「そ、それはもちろん! 稲森さん、分からないことがあったらなんでもボクに聞いてください!」 「え? ええと……じゃあ、どうしてラブシーンなのに飛行機の話をしてるのかな……とか」 「そんな根本的なことをっ!?」 「ご、ごめんなさい……」 「コホン、まあいいでしょう。ええと、それはですね、本作品は『恋愛とは現実からの飛翔である』という着想から、飛行機を恋愛のメタファーと(略)」 「? ? ? ? ? ? ? ? ?」 「……も、もっと悩ませてますかボクは?」 「あ、あはは……で、でもっ、ちょっとは分かるような……!!」 「うーん、稲森さんは健気だなぁ!」 「だから部外者は静かにしててくださいっ!」 「で、監督代行、このあとの展開はどうなるんだ?」 「い……いま執筆中っ!」 「あのさ、監督代行……っていうか、恋路橋の友達が台本引き受けてくれたのはありがたいけどさ」 「本番まで日もないのに、途中までしか完成してないってヤバくない?」 「そ、それはそうだけど! でもこれは完成したらきっと傑作になるから! ポストモダンなラブストーリーの夜明けだから!!」 「はぁっ……たかだか記念祭の出し物にそこまで気合い入れるかね、寮生ってのは」 「あたしもそう思う。これだってボランティアなのにねー」 「それに、頼りの月音先輩はどっか行っちゃってるし……」 「こんなんじゃ本番に間に合わないよー!!」 「け、けしからんっ!! 君たちがそんな気構えじゃ、台本が完成してもいいお芝居にならないじゃないかっ!!」  ――と、そこへ! 「みんな、安心していいわよ!」 「あ、月音先輩!」 「監督ーっ、この緊急時にどこ行ってたんですかっ! ボクは孤立無援でこの舞台を守るために……う、うううっ!」 「ごめんごめん、泣かないでよ監督代行。けどほら、すごいものを見つけたわ!」 「それ……台本ですか?」 「そう、見つけたの、伝説の台本よ!」 「伝説の台本……?」 「こ、これは…………!!」 「ここから先は部外者立ち入り禁止よ。見学の人には出てもらって」 「なにー! そんな横暴があっていいのか!!」 「ごめんね、お願いしますっ!」 「稲森さんが言うなら喜んでー!!」 「はぁっ……困った人たちね」 「そんなことより監督、この台本…………!!」 「そう! いまからお芝居をこれに差し替えれば、台本の不安は一気に解決するわ」 「台本の差し替え!?」 「このまま完成しないかもしれない台本を待つよりは……ってことですか?」 「…………」 「でも、台本は恋路橋くんの友達が書いてますよ?」 「それっていいのかな……?」 「……」 「月音先輩、恋路橋くんのことを考えると、いまから差し替えっていうのは……」 「す……すばらしい!! 本物だ!! これこそあの伝説の台本じゃないですかっっ!!」 「差し替えましょうバンバン差し替えましょう監督っ!」 「ええーーー!?」 「さすが話が早いわ、恋路橋渉くん♪」 「ホントかよ……」 「で……でもこの本、ずいぶん配役が多いですよ。演出も凝ってるし……」 「……そうだよな、いまの面子じゃ無理だろこれ」 「ほ、本当だ……」 「いまの劇でも手一杯なのに!」 「人手がまだ必要だなんて!」 「なんてことだ、伝説の台本を目の前にして!」 「天よ、もっと寮生を! 我らに人手をっっ!」 「……でも、あいつがいるわ!」 「あいつ?」 「そうだ……彼がいた!」 「あいつか、いつもは全然使えないけど、困ったときには使えるヤツ!」 「そうよ、あいつがいればきっとなんとかなるわっ!」 「…………5021、5022、5023……」  数字を数えて足を運ぶ。  いずみ寮を出て大通りを北に、途中で通学路を外れて〈永〉《なが》〈郷〉《さと》市立公園をぐるっと一周。 「5756、5757、5758……」  裏道のハイキングコースを登るまで、さらに700歩。  高台の頂までざっと6000歩、約5キロの片道だ。 「ふぅ……6037……!」  到着!  誤差は37歩。6000歩きっかりで到着にトライすると、いつも少しだけオーバーしてしまう。  ため息で呼吸を整えた俺は、頂上に立ってあたりを見渡した。  日曜日の公園はカップルや親子連れで賑やかだ。けれど空が赤らんでくる時刻になると、とたんにがらんとしてしまう。  寮のみんなは、創立記念日に上演する劇の練習に燃えている。  なんとなく劇のメンバーに入らなかった俺は、結局時間を持て余して、一人ロードワークに勤しんでいるってわけだ。  永郷市を見渡せる高台――ここは昔からのお気に入りの場所だ。いまもジョギングがてらによく空気を吸いにくる。 「んー、いい天気! 夕方だけど!」  黄色くなった太陽に向かって伸びをする。  11月の空は高い。冷たくなってきた秋の風が、火照った身体を通り過ぎていく。  汗が引いていく。思ったよりも息はあがっていなかった。  走ることは得意なので、この程度のロードワークならちっとも苦にならない。  ……〈他〉《ひ》〈人〉《と》に言われて鍛えた脚。  けれど俺は運動部に入っているわけでもなく、無駄に鍛えてる感は否めない。 「少なくとも有効活用はできてないよな」  笑って肩をすくめる。  けれど、いつかこの脚が役に立つときがくるかもしれない。  たとえば大地震で交通機関がストップしたり、永郷オリンピックの聖火ランナーになったり、未知なる宇宙生物が大挙侵略してきたり……。 「ないなー、まずない」  現実はといえば、せいぜい体育の時間のサッカーでフル出場できる程度のお役立ち指数なのだ。  目的もなく鍛えてる脚――これを〈喩〉《たと》えるなら、そう、頑丈に作られた空き箱ってところだ。  けど、自分ではそれでもいいんじゃないの? って気がしてる。  綺麗な空気を吸って、汗を流していい景色を見ることができるんなら、鍛えた脚もそこそこ役に立ってるんじゃないか……って。 「そうですねぇ……」 「……?」  声のするほうを見上げると、綺麗なドレスを着た女の人がいた。  いつからいたんだろう。自分の世界に入っていたせいか、こんな近くにいた人の気配すら感じなかった。  ……ていうか、なんで生足!?!?  でもって、なんでスキニー!?!?  な、な、なんだこの人……!? なんかポワポワした暖かそうなの羽織ってるくせに、下の薄着っぷりは半端ないし! (にこにこにこにこ……)  そしてこのスマイル! このむちむち……ま、ま、まさか風俗? これって風俗の人!? 「あ、あはは……ども」  と、とりあえず会釈だよな。そして、目線をあんまり合わせないように俺は空を、空を見上げて――!  ――るつもりなんだけど、空よりも目先の巨乳に目が行ってしまうッッ!! (にこにこにこにこ……)  なんだこの異様な存在感!! その奇妙な毛皮の羽織ものゆえでしょうか、それとも胸と太もものお色気パワーか??(多分後者)  そして――かくも怪しくキョドってる俺に、その人は気さくに話しかけてきた。 「……大きくなりましたねぇ」  大きく!? お、大きくってのは、つまり! 「いいいいいいやこれは別に大きくなんてないですよ!! 不覚にもお粗末極まりないもので、そのっ!」 「ほら、あんなに生い茂って……」 「だだだだ断じてそんな毛深いってことはなくッッ!!」 「……空に届きそう」 「天をつんざくほどの〈屹〉《きつ》〈立〉《りつ》ッ!?」  テンパる俺の横で、謎の女性は黄色い葉をつけたケヤキの木を見上げていた。  な、なんだ樹木の話か……焦った、予想外だ。  そして俺は改めて女の人に視線を送る。  近所の公園にこんな格好、しかも周囲にテレビカメラおよびプラカード持った芸人の姿もなし……ううっ、謎だ、シークレットすぎる人だ! 「あの、ええと……!」 「それにしても、どうして今日なのでしょう……?」 「今日???」  なんだか遠い瞳で街を見下ろしていたシークレットさんが、一人合点してポンと手を打ち合わせる。 「あら……なるほど、そういう事ですのね。だから今日でしたのね」  ははぁー、なるほど、今日か!!  ……いやいやいや、わけ分からん! 分かるのは、つまりこれってきっとヤバい人だってことくらい!  そうだ、いま直感した! この人は、俺みたいな一介の学生がおいそれと触れないほうがよさそうな人に違いない!! 「覚えていてください、私は貴方のことを応援していますわ……」 「あ、あはは……はい、そりゃもう……!」  なにを覚えておけと……乳&太もも!? いや、もうこれ以上考えるな、危険だ!  目を合わせない、目を合わせない。人にはいろんな事情がある。だから目を合わせないっっ!  ……って、いないーーー!?  ふっと気配が途切れて、あたりを見渡す。  目路の限りに妖しげな女の人の姿はなくなっていた。 「お、おばけ……まさか霊視した!?」  よもや軽いトワイライトゾーンですか!? 確かに時刻は夕方、〈逢魔〉《おうま》ヶ時!!  この時間帯の符合は……間違いなく幽霊か!?(某スポ風の小文字で)  ――♪♪♪  うわ!? びっくりした、電話か……〈月〉《つき》〈姉〉《ねぇ》から? 「もしもし、実は俺いま幽霊を……」 「気の迷いよ、いいからすぐ体育館に来てちょうだい」 「はぁ!? 今すぐってのは、その?」 「10分以内!」 「10分!? ご、ご期待に添いたいところですが、それは最初に『む』がついて最後に『り』がつく……」 「なにゴチャゴチャ言ってんの。あんたなら来れるって、レッツゴー!(プツッ)」 「き、切った? 一方的に!!」  10分以内って、ここから学校まで小走りで20分はかかるのに! 「ああー、もう! わかりました、ダッシュで行きますよっ!」  携帯のストップウォッチをオンにした俺は、全速力で坂道を駆け下りる。  10分は新記録への大挑戦だけど仕方がない。見たばかりの幽霊のことも、頭のどっか隅っこに行ってしまった。  なぜって、『月姉』こと月音先輩には昔っから世話になりっぱなしで、もはやおいそれと逆らえるような間柄ではないからだ。  高台から公園の入口までダッシュで引き返す。  急な下りの坂道を減速ナシで走れるのも、幾度となくこの公園をランニングして鍛えられたからだ。  ――何のために?  とうの昔に考えるのをやめた疑問が、ふと頭をかすめる。 「……そういう性分なんだよな」  入口の柵を跳び越えて、公園の外へ。  月姉に呼び出されるのは、毎度のこと。けれど今日は、いつもより声が少し切迫していたような気がする。  この橋を渡れば、学校まであと少し――所要時間は8分弱。  ふむ……けっこうなんとかなるもんだ。  夕暮れの大橋。  朝は寮から学校へ向かう制服の背中が連なるこの橋も、日曜の夕暮れはひっそりと静かだ。 「……ん?」  学校のほうから小柄な女子が近づいてくる。  学校から私服で? 校則でアウトじゃなかったっけか?  ジョギングとスプリントの中間で突っ走る俺の視界で、彼女の姿はどんどん大きくなり……。 「よっ、今帰りか?」 「うん」  すれ違いざまに、いつものように言葉を交わす。  いつものように……。 「…………」 「…………あれ?」 「…………?」  驚いて振り返った。  位置を入れ替えた橋の向こう側で、彼女も不思議そうにこっちを見ている。  川面を渡る風が、彼女の髪をなびかせている。  ――誰?  彼女の瞳がそう言ってる。それは多分、俺の目と一緒で……。  ――誰だ、この子?  どっから見ても初対面だよ。なのに、知らない子になに挨拶してんだ俺は? 「ご、ごめん、人違いでした」 「……はい」 「…………」 「…………(ぺこり)」  控えめにうなずいた彼女が背中を向ける。  知らない男子に声をかけられたら、そりゃ不思議そうな顔もするよな。何やってんだろ俺? 「やべ、9分回った……!」  携帯のストップウォッチに目を落とした俺は、遠ざかる彼女に背を向けて、学校へと橋を渡る。  ――そのとき。 「…………!!!」  ふいに胸が締め付けられた。  背後から心臓をわしづかみにされて、そのまま持って行かれるような。  息が上がったとかそういうんじゃなくて、なんていうか……。  そう、まるで、泣きたくなるような、そんな感情が突き上げてきて……。  橋の向こうを振り返ると、小さく夕暮れの街に溶け込みそうな彼女が、立ち止まってこっちを見ている。  照りつける夕日から、その姿ははっきりと分からない。  誰なんだろう……?  初めて見る顔――けれど、どこか頼りなさそうな彼女の細い肩が、まぶたの裏側に刻み込まれる。  逆光で表情は分からない。  手をひさしにして、景色を滲ませる夕日を遮り、あらためて目を凝らしてみる……。  けれどもう、彼女の姿は見えなかった。 「……って、ヤバいっ!」  9分30秒――彼女の消えた町並みに背を向けた俺は、地面を蹴って走り出した。 「おそーい! 13分22秒!」 「はぁ、はぁ……じ、12分56秒!!」 「どっちにしても3分遅刻よ。でもよく公園から13分で来れたわね」 「はぁ、はぁ、怖い人に呼び出されたんで無茶しました!」 「優しく言ったつもりだけど? よしよし、身体はなまってないようね」  にっこり笑った月姉が、俺の肩をポンポンと叩いてから、パイプ椅子にかかっていたタオルを放り投げてくれた。  月姉の本名は、〈柏木〉《かしわぎ》〈月音〉《つきね》。ここ〈花泉〉《はないずみ》学園の6年生だ。  うちの学校は公立だけど一貫教育を売りにしていて、初等部が6年+上等部が6年の、12年制になっている。  俺は月姉の1つ下で上等部の5年生。  文武両道&才色兼備、学園きっての才女と言われている月姉は、おまけに気さくで面倒見がいいので、男女を問わず人気がある――。  そんな完璧超人を幼馴染に持った俺は、小さい頃から彼女に鍛えられてきた。いまでも月姉は、先輩というより姉貴みたいな存在だ。  ……とはいえ、こんな大勢の前でお姉さんビームを出されるのはちょっと困る。俺は月姉から視線を外して、あたりを見渡した。  どうやら体育館は舞台稽古の真っ最中だったようだ。  衣装はまだできていないものの、ステージの上には〈書〉《かき》〈割〉《わり》の背景が置かれ、出演者やスタッフ一同が勢ぞろいしている。  舞台監督の月姉、  それから俺の自称親友で監督代行の恋路橋はもちろんのこと、  舞台の上には演劇部の片岡を中心にした劇の出演者一同、  それに肩書きだけプロデューサーの雪乃先生までいる。  そして出演者のなかには、もちろんヒロインの稲森さんも……。 「……?」  クラスメイトの稲森さんと目の合った俺は、あわてて月姉のほうを向き直った。 「え、ええと! で、俺に用って? 買い出し? 掃除? なんかの修理?」 「そんな雑用で呼びつけたりしないわよ、まずはこれを見て」  月姉がよいしょと持ち上げたのは、古びた表紙の分厚い本だった。 「これ……台本?」 「そうよ、すごいと思わない?」 「えーと……すごい古い?」 「そうじゃなくて! タイトルを見て……ほら!」 「『姫巫女の恋』……?」 「伝説の台本よ、すごいでしょう」  珍しく月姉が頬を紅潮させている。 「……これを記念祭で上演するの?」 「よく分かったわね」 「まさか今から差し替えて?」 「もちろん!」  うーん……月姉はノリノリだけど?? 「なあ、恋路橋。確か今年の劇って、お前が推してた……なんだっけ、ミス・マクドヌルド……ってやつ?」 「誰がジャンクフードだ、けしからん! 君が言ってるのは『ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞(仮)』のことだよねっ!」 「そうそう、そのミス…………を上演するんだって息巻いてなかったっけ?」 「そんなこともあったね」 「おいおいいいのか? こんないきなり変更しちゃって……!」  昨日まで舞台を成功させようと張り切っていた恋路橋は、ぐるぐる眼鏡のレンズをキラーンと光らせた。 「天川君!! 確かに『ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞(仮)』はいい台本だけど、ここにあるのは伝説の台本なんだよ!」 「お前の友達が台本書いてくれてるんだろ?」 「確かにそれは断腸だっ! でも伝説の台本が出てきたんだから仕方がない! ボクたちは今日大いなる決断をしたんだッ!」 「さっきから伝説伝説って言ってるけど、どんなレジェンド?」  聞いた瞬間、恋路橋と月姉の表情が凍りつく。 「きっ、君はひょっとして……知らないとでも言うのか、この戯曲を!」 「え? え……?」  周りを見渡すと……みんなも驚いた顔をしている。  え? 知らないの俺だけ?? 「あー、え、ええと……あー、それね。その伝説かッ!!」 「姫巫女の恋だよ!!」 「そう、ひめこい!」 「無駄に4文字にするな、エロゲーか!!」 「ごめん、正直全然知らない!」 「ああーっ!! やっぱりそうか、けしからんっ! 唐橋みどりだよ、唐橋みどり! 本校が誇る卒業生の!」 「ふーむ……グリーン……」 「ああーっ、それも知らないなッ!!」 「賞だってバンバン取りまくった有名作家だよ! いわば平成最後の文豪! その唐橋みどりがデビュー前の本校在学中に書いた戯曲なんだってば!」 「それが伝説?」 「はぁぁ……どこから説明したら分かるかなキミは……」 「唐橋みどりが書いた戯曲っていうのは、都市伝説みたいな存在だったのよ。実物が見つかっていなくてね」 「だから『幻の台本』とか『伝説の台本』って言われているの」 「当時の舞台を見た人の間では、彼女の最高傑作は『姫巫女の恋』だとも言われている、まさに伝説なんだよ」 「唐橋みどりは若くして亡くなった天才なんだ。その人の台本が見つかったんだから、すごいことなんだってば!」  台本を書かせてる友人のことなんてお構いなしに、いつもは気難しい恋路橋までがノリノリになってる。  クールな月姉も目をキラキラさせてるし、出演する他のみんなも興奮した表情をしている――つまり、これがレジェンドパワーなのか! 「なるほど、なんか凄そうなのは伝わってきた!」 「もっと感激しろって、君ーー!!」  激昂した恋路橋にゆっさゆっさと揺さぶられる。 「やめて、襟を伸ばさないで! じゃあ伝説の台本が出てきてラッキー&ノープロブレムって事じゃないの?」 「それが違うのよ、この台本だとお芝居の規模が二回りくらい大きくなっちゃうのよね」 「そう、『ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞(仮)』に比べると裏方もたくさん必要だし、キャスティングも変えなくちゃいけない」 「主役級の登場人物が何人もいるから、足りないポストがいくつもあるのよね」  なーんか、だんだん雲行きが怪しくなってきたぞ。 「お、俺は芝居とか無理だからね!」 「そんなの知ってるわよ。とりあえず主要登場人物の二人は、主演の片岡君と真星ちゃんに引き継いでもらうことになってるんだけど……」 「監督が言うならやるしかないよな」 「が、がんばります!」  真星ちゃんっていうのは、稲森さんの下の名前だ。  見れば、興奮したメンバーの中で稲森さんと主役の片岡だけが、テンパった表情で台本のコピーに目を通している。 「長台詞も多いから、誰でもできるってわけじゃないんだ」 「ミスター・リンドバーグを頭から追い出すだけでも一苦労だぜ!」 「前はアドリブが多かったけど、今度はセリフたくさんあるから……」 「でも、いつ完成するか分からない台本よりはマシよ、がんばろう!」 「はいっ!」  稲森さんと片岡が、また台本とにらめっこを始める。 「大変そうだね……」 「でしょう? だから協力してほしいのよ!」  くるっとこっちを振り向いた月姉が、身を乗り出してきた。 「だ、誰に?」 「あんたに!」  びしっと人差し指をつきつけられる。  この距離で月姉に見つめられた俺は、蛇に睨まれた蛙のごとしだ。蛙はやだな、マングースに睨まれたハブにしとこう……たいして変わらないけど。  子供の頃から、月姉と俺の関係はこんな感じだった。  養護施設に入れられていた俺が、里親に引き取られたのが6歳で、その時からの近所づきあい。俺はこの人に一度たりとも頭が上がったことはなかった。  もっと身体を鍛えろって月姉のアドバイス(≒命令)でランニングをするようになって、それは今日まで習慣になっている。 「けど……足引っ張るかもよ?」 「なに言ってんの! そんなの承知の上だから安心してっ」 「ちったぁフォローしてください!」 「ごめんごめん」  口元に手を当てた月姉が楽しそうに笑う。  俺はときどき、主体性を持ちたいってだけの理由で、月姉の言いつけに反抗したりするんだけど、そのたびにあっさりとかわされてしまうのだ。 「期待してるわ!」  月姉にこう言われると、我ながら単純なことに、何かができそうな気になってしまう。 「で、俺は何をするの?」 「ズバリ人探し! 人手を集めてほしいのよ。スタッフもキャストも全然足りていないから!」 「人手かぁ……」 「そうよ、できるでしょ? 出演者は最悪一人欠けても、あんたが出るから平気だけど」 「いや無理ですから!!」  からかわれていると分かっているのに、つい本気で突っ込んでしまうのは、長年のうちに染み付いたお約束みたいなものだ。 「でもさ、先輩……人手が足りないって事情は分かるけど、どうして俺なのさ?」 「寮の中で一番ヒマしてるのは誰?」 「……俺って言いたいんだろうけど、あそこの有閑マダム(未婚)を忘れてませんか?」  舞台の上で手持ち無沙汰そうにしている雪乃先生をびしっと指差してみる。 「先生ー!」  こっちを向いた先生に向かって、月姉が大きく手を振った。 「柏木、本当にこのお芝居やるのー?」 「はい、やる価値あると思うんです」 「でも大変じゃないー?」 「でもやる価値はあります、伝説の台本ですよ、伝説の!」 「そっかー……ま、それならそれでいいわ。みんなに任せてるからっ♪」 「先生も協力してくださいますよね!」 「もちろん! えーと、今日は見たいドラマがあるから、明日10分くらいなら!!」 「そういうわけであんたの助けが必要なの!!」 「なんだかすごい説得力を突きつけられた気がする!」 「寮のみんながあんたに期待してるのよ。『祐真が来れば大丈夫だ』って頼りにしてるんだから! ねえみんな?」 「そうそう、祐真ぁー、頼んだぞ人探し!」 「ついでにジュース買ってきてくれ」 「俺コーヒー」 「できたら寮の掃除も代わってほしいなー」 「俺のも!」 「………………」 「ね! みんな頼りにしてるわっっ!!!!」 「どの口で言いますか!」 「……なによ、必要とされてるのは幸せなことだって、いつも言ってるでしょ?」 「決して救世主的ポジションで必要とされてるんじゃないことは痛感しました」 「……であったとしてもだよ!!」 「天川君っ! ここはボクら寮生一同が持てる力を結集して、この伝説の舞台を歴代最高傑作へと昇華させようじゃないかっっ!!」 「暑苦しい! 腕組むな、天井指差すな、眼鏡キラキラさせんなー!」 「で、結論としては手伝うの? 断るの? どっち!?」 「う、ううっ……!」 「て…………手伝います……けどっ!」 「ありがと!」  言葉のあとに不満を並べようとした俺を遮って、月姉がにっこりとうなずく。  出鼻を挫かれた俺は、余計な愚痴を喉の奥に引っ込めて、手の中の分厚い台本を見下ろした。 「……それにしても、いつもながら突然だよね」 「でも、いい舞台になりそうだと思わない?」  いいものを上演したい。そんな月姉や恋路橋の熱意は、部外者の俺にもよく分かる。  十二月の創立記念式典のあとに催される演劇発表会は、〈花泉〉《はないずみ》学園の寮生にとっての一大イベントなのだ。  昔は歌やダンスなんかもやっていたらしいが、いつからかそれが芝居になって、今年まで受け継がれている。  それは、文化祭の後〜期末試験の直前という無茶な時期に開催されるくせに、父兄も呼び入れるとても大がかりな行事で、  生徒たちの自主性による文化活動、という触れ込みで、入学希望者に配られる『学園のしおり』にもデカデカと載るような催しなのだ。  時期が時期だけに参加者は有志をつのる建前になっているが、この演劇発表会は代々のしきたりで、寮生が中心になって行うことになっている。  事実ここにいるのも、演劇部から助っ人にきた主役の片岡をはじめとする数人を除くと、ほとんどが寮生だ。  片岡は、劇団に入って本格的に演技の勉強をしている。  本当は部活や劇団の活動とかで忙しいはずなのだが、月音が頼みこんでなんとか主役を演じてもらう事になった。  生徒による自主的な催しなので、学校側からは顧問の教師が一人立ち会うだけ。しかも今年はそれが、むらっ気の多い雪乃先生ときている。  そうなると、必然的に監督を任された月姉の負担が大きくなるわけで、  そしてこの時期、見るからにヒマを持て余している寮生なんていうのは限られてくるわけで……。 「了解、俺も手伝うけど、人探しっていっても……」  大道具や小道具の美術スタッフ、照明、舞台設営、音響、それに演じ手である役者たち――役割によってあてがあったりなかったりする。 「……具体的にはどんな人を連れてくるの?」  指示を求める俺に向かって、月姉は胸を張って言い放った。 「主役!!」 「ああー、主役………………」 「主役ーーーーーっっっ!?!?!?!?」 「まさか日曜に下校のチャイムを聞くことになるとは思わなかったなぁ」 「ボクはここのところ毎週だよ。君はいっつもマイペースでうらやましいけれど!」 「今日から雑用係と役者探しを掛け持ちするんだから、いいじゃんか」  恋路橋と二人で校門をくぐり、寮まで一緒に帰る。  潔癖症で少し変わり者の恋路橋〈渉〉《わたる》とは、5年来のクラスメイトという腐れ縁だ。  俺たちの手の下で、コンビニ袋にねじこまれた分厚い台本のコピーが揺れている。 「この台本、今日中に読みきれるかな……」 「そうか! いざというときに代役に立てるように台本を丸暗記するんだね、すごいよ天川君!」 「誰がそんなことするか! 役を探すにしたって台本読まないとイメージが湧かないだろ」 「……前から思っていたんだけど、柏木先輩はやっぱり君を信頼してるんだね。キャスティングまで任せるなんてさ」  信頼……なのか?  頭にクエスチョンを点らせたまま歩く俺の隣で、監督代行の恋路橋は、道具や衣装の調達ルートなんかをブツブツと考えている。  恋路橋とは長い付き合いだけど、こんなにイベントごとにのめりこむのは珍しい。どっちかというと、委員長タイプのお堅い奴なのに。  つまりは……それだけの重大イベントだってことだよな。 「創立記念式典っていつだっけ?」 「12月3日」 「今日は11月11日だから……うわー、あと3週間もないのか!」  本来ならば、有志生徒による催し物なんだから、自主的な立候補によって配役が決まるのが理想なんだろう。  けれど、そんな綺麗事は言っていられないくらいスケジュールは切迫している。  なのに監督の月姉ときたら、役のイメージには妥協したくないとの高望み!  そのくせ、俺を舞台に上げることも検討してるっていうのが意味不明だ。ここはなんとしてでも配役のリストを埋めなければならないのだ! 「平気だよ、君ならなんとかできる」 「なにを根拠に?」 「だって君はボクの親友じゃないか!」  まるで頼りにならない励ましの言葉にうなずきながら、俺たちは山積みの課題を抱えて寮へと戻ってきた。  永郷町の中心街に建てられた『いずみ寮』。  田舎の学校なんだから、寮も校舎と同じ敷地に建てればいいと思うんだけど、離れた場所にあるのは寮生に通学の習慣をつけるためらしい。  ここに住んでいるのは、市立〈花泉〉《はないずみ》学園の寮生と一部の先生たちだ。男子は建物の下半分、女子は上半分と、同じ建物の中で暮らしている。  学生寮と教職員寮が合体した建物なので、いずみ寮ではイジメや不祥事が起きることもなく、平和でアットホームな寮生活を送っているのだ。 「ただいまー」  ロビーを抜けたところにある寮のリビングに顔を出す。ここは寮生たちのくつろぐサロンみたいな場所だ。 「ああー! また誰も捨ててない!!」  恋路橋が頭をかきむしる。リビングの隅に置かれたペットボトルのゴミ箱に、ラベルが貼られたままの空きボトルが山盛りにあふれていた。 「まったくけしからん! 1から10までけしからん!」  潔癖症の恋路橋が、ひとつひとつのボトルからラベルとキャップを分別して、足で小さく潰してはゴミ袋に放り込む。  寮には特別厳しい規則があるわけではないので、外出も自由だ。平日は必ず誰かがいるリビングも、日曜になるとがらんとひと気がない。 「天川君! 見てないで少しは手伝いたまえよ!」 「ええーと、台本読みとどっちを優先すればいい?」 「どっちもだ! ボクだってこれから大事な予定があるんだから」  恋路橋に促されて、ペットボトルのラベル剥がしを手伝う。こいつと一緒にいると、たちまち俺も模範寮生になってしまうのだ。 「予定って?」 「……」  恋路橋が黙って台本の入ったコンビニ袋を指差す。 「あ、そうか……」  恋路橋が台本を書かせている有志の友達に、今日の事情を説明しなくちゃならないんだ。それってかなりヘビーな役目かも……。 「監督代行も大変だな」 「君に気遣ってもらう必要はないよ」  恋路橋がことさら丁寧にリビングの片づけをしているのは、ヘビーな役割に向かう時間を引き延ばしているようにも見える。 「けどさ、前のミスなんとかって本は誰が書いたの? 俺の知ってる奴?」 「………………聞きたい?」 「なにその間は?」 「……後悔するよ?」 「………………(ごくり)」 「フ、フフフ……フフフフ……」 「わかった、いい! 聞かない!」 「わーー待って! 聞いてーーー!!!」 「どっちだよ!? いいよ、もういいですってば、後悔したくないし聞く耳も持たない!」 「天川君っ! 君はこのボク一人に深刻な秘密を背負わせたまま、いったいどこへ行こうっていうんだ! それでも親友か、空前絶後けしからん!」 「わーっ、とりつくな、男に抱きつかれても嬉しくないっ!」 「いいか、あの台本を書いたのは……」 「わーっ、やめろ、耳元はやめてー!」 「桜井先輩だッッ!!!」 「………………」 「桜井先輩ーーーっっ!?」 「そそそそそそそうか! どうりで妙ちきりんなタイトルだと思った。それで尻込みしていたのか……うん、わかったよ恋路橋、心の底から納得した!」 「天川君……このボクの苦悩を分かってくれたのかっ!!」 「もちろんだ! この報告はなにがあっても恋路橋の役割なんだよな! じゃ、俺は台本を読まないといけないのでお先にお休みーーーーっっ!!」 「あ、あーっ、ちょっと君! 天川君ーーっ!!」 「うぅぅ……親友が冷たい……」 「はぁぁ……恐ろしい裏事情を聞いてしまった」  しかし、恋路橋には悪いけど俺も自分の役割だけで手一杯だ。気分を切り替えて、台本のチェックと主役候補の洗い出しをしないとな。  今度こそは、いいところを見せてやる……! なんて、月姉を相手にするときは、いつもそんな風に身構えてしまう。  伝説の台本か……いったいどんな話なんだろう……。 「はぁぁ……っ、読破してしまった!」  自分の部屋に鍵をかけたまま、俺は夜中までかけて分厚い台本を読破していた。 「まさか一気に読んじゃうとはなぁ……」  集中力が途切れなかったのは、夕飯にレトルトカレー3杯を平らげてパワー補給できたおかげばかりじゃない。この台本が面白かったからだ。  桜井先輩の書いた前衛芝居みたいな台本だったらどうしようかと思っていたけれど、読み始めたらあっという間に台本の世界へ引きずり込まれてしまった。  そんなに読書家ってほどでもない俺がここまで引き込まれるんだから、伝説の台本――こいつはマジで凄い台本……かもしれない!  一言では感想を言い表せない。それは大昔の悲恋の物語だ。  悲しい筋書きだけど気持ちを揺さぶられるシーンがたくさんあって、ちゃんと芝居にしたら面白くなりそうな予感がビシバシ伝わってくる。 「けれど……」  少しだけ、気になるところもある。  台本に抜けがあったのか、後から書き足したと思われるページがあるのだ。  手書きの台本だから筆跡もまるで違う。そこを書き足したのは月姉なんだろう。  さすがに秀才の月姉らしく綺麗に間をつないでいるけれど、読めば別人が書き足していることがはっきりと分かってしまう。  欠けたページは……もとは何か大事な事件が起きていた場所らしい。月姉はそこをすっ飛ばして、先のシーンになじませてつなげている。  けれど、それだとなにかひっかかる。  ひっかかるんだけど……。 「うーん……」  良くできているんだけど、『幻の台本マイナスα』って印象なのだ。  とはいえ素人の俺が頭をひねっても、うまいアイデアがひらめくわけもなく……。 「まあ古い台本だし、仕方ないことなんだろうな……」  そうだ、失われたページの穴埋めをするのは俺の役目じゃない。  それよりも大事なのは、このお話にふさわしい登場人物の穴埋めをすることだ。  月姉にもらった配役リストを見ながら、あらためて台本の中身をふりかえる。  物語で重要な役割を担っているキャラクターのうち、4人に穴が空いている。  1 : 悲恋のヒロイン  2 : 高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)  3 : 小悪魔的少女  4 : 女たらしの色男  このなかでもっとも問題なのは、断然1番の「悲恋のヒロイン」だ。月姉が『主役!』と言い放った、まさに物語の中心人物となる古代の姫巫女!  俺の描いたイメージは、そう……どこか儚げで、寂しげで、透明感のある女の子――。 「…………あの子!?」  ……なんて、全然知らない子をスカウトするような無茶はできないよな。  これはあくまでも生徒による催しなので、うちの生徒以外は参加することができない決まりなのだ。  橋の上ですれちがったあの子……これまで校内で見たことがないところをみると、きっと他校の生徒なんだろう。  イメージはすごくぴったりなんだけどな……とりあえず主役は保留だ。  2番の高貴で清楚な感じの少女と、3番の小悪魔的少女も……残念ながらクラスメイトの顔を並べてもいまいちピンとこない。  要は、手近なところで済まそうなんて思わずに、ちゃんと自分でベストなイメージの相手を探せってことだ……! 「よしっ! だったらとことんやってやるぞ!」  言葉に出すと覚悟が決まる。動き出してしまえば、あとは走るだけだ。  自分のノルマが見えたら無性にテンションが上がってきた! 今日はさっさと寝て、明日から行動開始しよう。  ――八時十二分、市立〈花泉〉《はないずみ》学園正門前。 「おはよー」 「あ、おはようございまーす」  8時10分のチャイムが鳴るころから、登校する生徒の数が増えてくる。  いつもと変わらぬ登校風景――しかし、今日は植え込みの陰に未来の敏腕スカウトマンが潜んでいるのだ。 「よし、行くか……!」  深呼吸を1回。スカウトなんて俺には向いてない気もするけれど、覚悟はもう決まってる。  欠けた四人の登場人物を補完するのが、今日からの俺の役割だ。  よし、校舎に吸い込まれていく女子のなかから、有望そうな子に片っ端から声をかけていこう。 「おはよう……そこの君!」 「………………」  シカトか!? いや、怪しい奴に思われたのか? 「あ、あのさ、ちょっと話が……」 「………………」 「あ、そっちのあなたー?」 「………………(そそくさ)」 「あ、あのー」 「………………(すたすた)」  マジか、全く相手にされてない!? 朝の校門前ってこんなディスコミュニケーションな空間だったのか!?  いや待て落ち着け……そうだよな、俺のやりかたが良くないんだな。  スカウトマンってのはもっとこう、インパクトで勝負っていうか、相手を振り向かせてナンボっていうか……よしっ! 「ねえねえねえねえねえねえそこの彼女! 彼女どこ行くの? ねー、どこ行くのー?」 「学校!!」 「つかキモイ!」 「なにやってんですか天川先輩!!」 「あ、いや、その、コホン、実はだね……!」 「行こ行こ!」 「え? あ、ねえ、ちょっと……!!」 「ううっ…………空しい……」  なんてことだ、敏腕スカウトマンになったとたん、いつもの3倍避けられてる気がする。  と、そのとき背後から……。 「やあ、見ちゃいられないな。なんだいその街頭インタビューみたいな口説き方は?」  こ、この男のくせに妙になまめかしい声は……!! 「桜井先輩っっ!!!」 「やあUMA、久しぶり」 「一昨日会ったばかりです。そして珍獣っぽい呼び方をただちにやめてください」 「前向きに考えておくよ。ところでゆうべ、熟女系のいい無修正動画サイトを見つけたんだが、セキュリティソフトの設定が……」 「わーっ!! 朝っぱらから何言ってんすかっっ!!」  そう――この人だ、この人が『ミスなんたら』の台本を書いていた謎の作家。  6年の問題児、変態の桜井〈恭輔〉《きょうすけ》先輩!!  見てのとおり、桜井先輩は涼しげなルックスで女子からはモテモテなんだけど、残念なことに個性的すぎる性格のおかげで恋愛が長続きしたためしがない。  そのくせ本人が博愛主義を自称して、全ての求愛を同時に受け入れようとするものだから、寮の風紀をガタガタにする騒動屋とも言われているのだ。  そんな人が、なぜだか俺にはやけにフレンドリーときてる……。 「あ、ええと、このたびはその……いろいろ大変でしたね?」 「なんのことだい?」 「あ、いやその、恋路橋から聞いたんですけど」 「ああ、例の芝居か。幻の台本が出てきたとなっては是非もないさ。おかげでじっくり推敲する時間ができたよ」  さすが桜井先輩だ、自分の台本が没にされたというのにこのポジティブシンキング! 「フフフ……あの芝居は来年の目玉として温存しておく! それで決定さ」 「先輩は今年で卒業すると思うんですけど」 「さて、そう上手く行くかな?」  ニコニコしながらなんて不吉なことを言ってるんだ、この受験生は? 「で、君はなにを急にハッスルしてるんだい? クリスマスを寂しく過ごさないための第一歩ってやつかな?」 「そんな積極性があったらとっくに彼女できてます。実は、柏木先輩が……かくかくしかじか!」 「なるほど、たちどころに理解したぞ! そうか、配役が足りていないわけか!」 「フッ、上演までひと月もないのに、こうまでハードルを上げてくるとは……いかにも月音さんらしい。それで祐真が慣れない勧誘なんかをしているわけか」 「やっぱり、慣れてないって分かります?」 「丸出しだ。まあ、そういうことならこの僕に任せておきたまえよ。ええと、必要なのは主演の子だったね……ちょっと待ってろよ」 「いや、あのですね、先輩……!?」 「やあ、お待たせ」 「早ぇ!? いや、それ以前に……!」  先輩が俺の前に連れてきた女子を『見上げ』る。  おかしいな、姫巫女って小柄な少女なんだけど……俺視力落ちたかな。この子の身長、180cmはあるように見えるんだけど……。  そして俺よりも腕が太くて筋肉質な気がするのは……目の錯覚??? 「実に舞台映えすると思うよ。彼女のような逸材こそが主役にふさわしい、うん」  逸材だけど……舞台じゃなくてリングに立つべきじゃないでしょうか、彼女は? 「先輩、ちょっといいですか、こっち来ていただいて……」 「なにかね?」  桜井先輩を校門の影まで引っ張って、声を潜める。 「……本当は根に持ってません?」 「なにがだね、個性的で可愛い子じゃないか」 「ええと、個性的なのはそうなんですけど、主役は小柄で、透明感のある……」 「いささか無理があるか……ごめんよハニー、ちょっとした手違いだ。舞台のことは忘れてくれたまえ。次に会うときはホテルのスイートだ、アディオス!」  携帯番号を渡した先輩が、ひらひらと手を振ってでっかい女の子を送り出す。後輩の俺が言うのもなんだけど、なんてテキトーな人なんだろう。 「いいんですか、ホテルなんて口約束して?」 「ああ楽しみだよ、刺激的な一夜になるだろうね」 「どんだけストライクゾーン広いんですか、先輩は!」 「30億がストライク球さ。さて、君はスカウトに精を出したまえ。僕は台本作りから解き放たれた本能の赴くまま、狩りの季節を謳歌するとしよう」  かくして朝のスカウトは惨敗。  桜井先輩のような瞬間ナンパ技を持ち合わせていない俺としては、授業開始まで東奔西走してクタクタになってしまった。  けだるい始業前の5‐B教室。自分の机に頬杖をついて悩んでいる俺の前に、恋路橋が腰を下ろす。 「男に用はないよ」 「浮かない顔をしているね……そうだ、今日から寮に転入生が来るみたいだよ」 「そんなピンポイントで役柄ぴったりの子が見つかれば苦労しないよ……そうだ、男役も一人必要なんだよな、恋路橋やんない?」 「ば、ばかな! ボクは無理だよ、演出のほうが向いてるから!」 「そんなにいい人がいないものかな?」 「一応心当たりを当たってみたんだけどさ、みんな『試験前だから無理』の一点張りだよ」  そう、5年生二学期の期末テストは、受験のスタートラインでもあるのだ。こんな大事な時期に芝居を引き受けてくれる生徒なんているのか?  暇な人が見つかったとしても、監督である月姉のお眼鏡にかなうかどうかも分からない。 「はぁぁ……っ」 「そんなことでしょげるなんて君らしくないぞ! ほら、元気を出すんだ!」  恋路橋は思いっきりメラメラ燃えてるけど。なにか根本的にアプローチ方法を考えたほうがいい気がする。  途方にくれながら悩んでいると、始業のチャイムが鳴って、担任の雪乃先生が教室に入ってきた。 「はーい席ついてー、生徒のみなさんおはよー、今日も欠席なーし!」  いいかげんな点呼で出席簿をぱたんと閉じる。 「はい、ホームルームやりまーす。テレビの『おはよう占い』、今日の最下位はいて座でした。いて座の子は手を上げてー」 「ひぃ、ふぅ、みぃ……はーい残念ですが一日がんばるように! ラッキーアイテムは教科書、ラッキープレイスは教室よ、それじゃーねー」 「そんだけー!?」  雪乃先生、相変わらず朝はやる気ないなぁ。  低血圧女王な雪乃先生はさっさと教室を出て行こうとしたが、はたとドアの前で立ち止まり。 「言い忘れてたわ。今日から寮に4年生の子が新しく来ることになりました。寮生の子は陰湿ないじめをしないように注意しましょうー、じゃね♪」  転入生ってことは、放課後は恒例の歓迎会か……けど、いまはそんなことよりキャスティングのほうが不安だよ。 「天川君、あっちを見るんだ」 「え?」  恋路橋の指差すほうを見ると、窓際の席で稲森さんが一心不乱に台本を読み込んでいた。 「ぶつぶつぶつ……ならば、あなたに必要なのは剣ではなく、その花飾りと……ぶつぶつぶつ……ぶつぶつぶつ……」  いつもは彼女を取り巻いている親衛隊の男子たちも、今日はさすがに遠慮しているようだ。  窓際の稲森さんは、それくらい集中してるように見える。 「な、我らが稲森さんのためにも、なんとしてでも配役を揃えるんだ!」 「うん……そうだよな、責任重大だ」  稲森さんはクラスを代表する美少女ってだけではなく、学年を超えて人気のあるヒロイン的存在だ。  その稲森さんががんばってるんだから、こっちも手を抜くわけにはいかない。 「ボクも新しい演出プランを柏木先輩と完成させる! がんばるよ!」  まったくだ。稲森さんたちのためにも、月姉のためにも、見つかりませんでしたじゃ済まされない気がする。  それにしてもどうやって姫巫女役の主演女優を探そう。  イメージにぴったりで、しかもテスト前に劇の稽古に時間を割ける、お芝居のできそうな子を……しかも学校関係者で!!  なにかあるはずだ。これがうまく行かないと、舞台が……お芝居が……。  ……………………。  はぁぁ……考えすぎておなか空いた……。  ――ところがその日の晩、俺の心配は全くの取り越し苦労になった。 「はい、みんな注目してー!」 「紹介します! 今日からいずみ寮に入ることになりました、転入生の〈小鳥遊〉《たかなし》〈夜〉《や》〈々〉《や》さんです! 学年は4年生、みなさん仲良くしてください!」 「…………どうも」 「ああーーーーーーーーーーっっ!!!」 「……(びくっ!)」 「ど、ど、どうしたの天川君!?」 「な、なんでもないです、なんでも!」  思わず大声を出した俺に、周囲の失笑が向けられる。  けど、そんなことはどうでもいい。これって、まさに運命の再会!?  そうだ……きっと彼女は、この舞台のヒロインになるために転校してきた……のかもしれない!! 「今日は寮生のみんなが小鳥遊さん歓迎のために集まったのよ、さあ、主役はこっちに座って」 「………………」 「あらら、な、なんか大人しい子ね?」 「緊張しなくていいわよ、この寮にいるのはおめでたい人ばっかりだから」 「ひどい言い草だな月音さん。中にはこの僕のように、切れ味抜群のナイスガイもいるっていうのに」 「この上級生にだけは気をつけてね。毒性が強いから」 「………………」  寮母代わりの先生や、生徒代表の月姉が彼女に話しかける様子を、俺は遠くから観察していた。  さっきから彼女はうなずくばかりで口を開こうとしていない。  無口っていうか引っ込み思案な子なんだろうか。そんな印象を受ける。  これって……スカウトするには真っ向逆風の予感!? 「小鳥遊さんって、何組に入るの?」 「…………A」 「あ、うちと一緒じゃん。仲良くしようね!」 「……なんで?」 「え…………?」 「……………………」 「あ、はは……じゃ、じゃあよろしくね!」  全く会話の成立しなかった女子が、友達のところに逃げ戻っていく。  それからも、小鳥遊夜々と会話をしようと気軽に話しかけた連中は、ことごとくスルーされていく。  彼女は質問をされても短く一言で返事するくらい、彼氏の話とかを聞いても黙ってしまう。  内気を通り越した、人間嫌いな子? そんな印象だ。  お気楽な男子たちは、彼女の態度にも気付いてないみたいだけど。さすがに女子はちょっと変わった子だと思い始めたようだ。 「なんだ、祐真は年下が好きだったのかい?」 「わぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁ!? な、なんですか先輩!」 「さっきからずーっと彼女に熱い視線を送っているじゃないか。それくらい近くにいれば分かるよ?」 「違いますよ、彼女をなんとか芝居にスカウトしようと思って」 「へえ、いきなり上級者コースに挑戦かい。ガチ童貞のくせにすごい度胸だね」 「余計な一言でものすごく傷つけられたような気がするのは、錯覚でしょうか」 「はっはっは、フォークを喉笛に当てるのはやめたまえ。そうだ、なら君にひとつアドバイスをしてあげるよ」 「アドバイス?」 「それともあくまで自力で彼女を落としてみたいのかな?」 「とんでもない!! 老師、ぜひその奥義の一端を俺に!!」 「フフ、いいともさ。コホン……彼女みたいな地味っ子タイプはだね、一度断られたら下手に食い下がろうと思わず、日を改めて仕切直すといい」 「……はぁ」 「どうした? 気落ちしたような顔をして」 「その、断られる前提な感じがビシバシ伝わってきたので……」 「もちろんだとも、ああいうタイプはそう簡単に釣り上げられないのさ。仕掛けやポイントを探りながら、じっくりと取り掛かるもんだ」 「な、なるほど、やってみます!」  経験豊富な桜井先輩の言葉には説得力があるけれど、創立記念日までの日数を考えると、とてものんびりしていられない。  深呼吸をして、つとめてさりげなく、月姉や小鳥遊夜々の近くに割り込んで行くことにした。 「や、やぁ……」 「……?」  小鳥遊夜々が俺を見た。  俺を覚えているだろうか。彼女の表情からは何も読み取れない。  なんだろう、この不思議な感覚……うまくは説明できないけれど、彼女には独特な存在感があって……。 「あ、祐真……夜々ちゃん、こいつは5年の天川祐真。ボケッとしてるけれど根は善良だから、困ったことがあったらこき使ってあげてね」 「…………」  コクッとうなずいた小鳥遊夜々が気まずそうに視線を外す。  さて、まずはこの子と仲良くなるところからスタートしなくちゃな。 「昨日、橋のとこで会ったよね、覚えてる?」 「…………」 「あんときはゴメンな、なんか人違いしてて」 「…………」 「びっくりさせたかな? 俺もなんかビビったよ、誰と間違えたのかも謎なんだけど…………あ、なんか食べる?」  テーブルの上に盛られたお菓子の山から、チョコレートをつまんで彼女に渡すものの、首を振られてしまった。 「いらない? ダイエットしてるとか?」 「………………」 「でもさ、俺に言わせるとやっぱダイエットは運動だよ。食べるの減らすより、動いたほうが絶対にイイっていうか、成長期とかあるしさ」 「あ、別に俺、運動部とかじゃないから、運動させようっていうんじゃないから安心して……」 「ええと……その……」 「なんていうかさ……あ、カップメン何が好き?」 「………………」 「俺はやっぱり生麺タイプ! と言いたいとこだけど、寮生はビンボーだから100円以上は出せないんだよね。小鳥遊さんの家って……」 「あの……」 「ていうか俺、ほら、あれ? 5‐Bだから、なんか困ったことがあったら、なんでも言ってくれていいっていうか……」 「私、馴れ馴れしくされるの嫌なんですけど!」  その一言でリビングの空気が凍りついた。  大きな声を出してしまった夜々と、すっかりテンパった俺に、みんなの視線が集まる。 「あ…………」  口ごもった夜々は、うつむいたまま小走りでリビングを出て行ってしまった。 「あちゃー……」 「お…………俺?」 「どー見てもお前だ、天川!」 「あの子ドン引きしてたぞ! なんですか、この楽しくない空気はー?」 「全部お前が悪い! ひさびさの新入りを怖がらせやがって、ばかやろー!」 「そうだ円安も原油高もみんなお前のせいだ!!」 「罰として、この部屋片付けとけ!」 「う、ううう……ごめん!」 「やれやれ、引き際どこのレベルじゃなかったねえ」  かくして、みんなの飲み食いが終わったあとのリビングを、一人で掃除することになってしまった。  はぁぁ……この局面で、最悪のパターンでした。  主役のイメージにはぴったりなんだけど、多分明日から、俺、避けられるよなー。  はぁぁ……ため息が止まらないよ、あははは……はぁ。 「はぁー、難しい、難しい……」 「なんだい、1回避けられたくらいでくよくよしちゃって、それどころじゃないぞ!」  朝の7時半、寮食堂は寮生でごった返している。  ABCの朝食コースから1つ選ぶだけのクイックメニュー、そして席は早い者勝ち。  7時ごろにまじめグループの寮生たちがゆったりと食事を済ませ、7時半を過ぎると修羅場モードへ突入だ。  目の前で恋路橋はのりと卵と納豆の和風Aコースを食べている。俺が選んだのは、女子に人気があるパンケーキとヨーグルトのCコース……。 「正直、あんまり食欲がなくて……」 「3人分も食べるのに?」 「いつもなら5人分は行けるよ……はぁぁ、もそもそ……」 「擬音とは裏腹に大口開けてかぶりつくのはどうかと思うよ、ボクは」  7時半の修羅場モードが過ぎると、残るは8時に起きる不摂生グループだけ。彼らは朝食をスルーして学校に行くので、いつも朝食は余りがちなのだ。 「それだともったいないから、ささやかながら消化のお手伝いをしているだけで、決して俺が大食らいってわけじゃ……」 「微塵も説得力がないじゃないか、さあ、さっさと片付けて登校するぞ」  恋路橋と二人で、いつもの朝のやり取りをしていたら、いつもは不摂生グループの桜井先輩が声をかけてきた。 「やあチェリーボーイズ。爽やかな朝だね」 「おはようございます桜井先輩」 「そしてチェリーは余計です」 「なんだって? 祐真、君はまさか昨夜のうちに大人になってしまったとでも!?」 「まるでそんなことはありませんが!」 「なら合ってるじゃないか、はっはっは!」 「当たり前です! 婚前交渉なんてけしからん!」 「価値観は様々だね。ところで昨日の彼女はいないようだけど?」 「実は俺も探してるんですけど……」 「残念、夜々ちゃんはもう登校しちゃったみたいよ」 「つき……柏木先輩!」 『月姉』と呼びそうになったのを、慌てて訂正する。  みんなの前では先輩後輩、二人きりのときは幼馴染、それが俺と月音先輩との間のけじめだ。  思わず『月姉』が出てしまいそうになったのは、真面目グループの月姉がこんな時間に食堂にいるのが珍しすぎたからだ。 「やぁ、月音さんらしくないね。どうしたんだい、こんな時間に」 「昨夜は演出プランを立てるので寝られなかったのよ。桜井こそ珍しいじゃない、こんなに早起きするなんて」 「昨夜は諸々プライベートな案件が立て込んでて寝られなかったからね。睡眠は授業中に取ることにするよ……ふぁぁ」 「はぁっ……怒る気にもなれないわ、あら真星ちゃん、おはよう。珍しく遅いわね」 「台本読んでたら寝ちゃってました! 起きたらこんな時間でっっ!」 「えらい、えらいよ稲森さん! いま天川君もほかのキャストをつかまえるため、全力で動いてるから……!」 「あ、うん……ありがと……天川くん」 「あ、いや……べつに気にしないで……」 「おはよう、稲森さん!」 「おはよう、稲森さん!」 「おはよう、稲森さん!!」 「あ、お、おはよう……」  俺を押しのけるように親衛隊男子の行列ができて、口々に『おはよう』の挨拶を稲森さんに投げかける。  この親衛隊どもは寮生でもないくせに、稲森さんを守るため――と称して、いつも早朝の寮の外で彼女の出待ちをしているのだ。  それが今朝は遅いから食堂まで様子を見に来たのだろう。 「カバン持つよ、稲森さん」 「あ、ありがと……えっと、でも寮内には……」 「朝食はCコースでいいんだよね。頼んでおくよ」 「ありがと、でも自分でできるからっ!」 「まあまあまあ、そう言わずに!」  昨夜の小鳥遊夜々みたいに、彼女の周りにはいつしか黒山の人だかり。  話しそびれてしまった俺だけど、さすがに黒山の中に混じる気にもなれず、男子の間からちらちらとのぞく稲森さんの姿を目で追いかけるのみだ。 「相変わらず男子は元気ねー。人気者は大変だわ」 「まったくけしからん連中です。けど、それだけに動員数も今年は期待できますよ!」 「そういう理由で稲森さんを芝居に引き込んだのか!?」 「ば、ばかな、そんなことあるわけがないじゃないか! 彼女の起用はあくまでも物語サイドの必要性によって……!」 「そうね、本人もすごく真剣だし、よかったと思うわよ」 「柏木先輩が出演してくれれば、さらに女子の動員が見込めたんですが……」 「あたし? あはは、あたしじゃ駄目だって。ねえ?」 「いっそ主役やりません?」 「無理! 時間ない!」  もっともな話だ。舞台監督の月姉が忙しいのは分かってる。  けど月姉だって……女子も含めた人気度だったら、稲森さんに負けてないと思うけど。 「さ、ぐずぐずしてたら遅刻よ、じゃね!」  月姉がトレイを片付けに席を立つ。ほんとだ、俺もボーっとしてないでさっさと学校に行こう。  さーて、今日は1つくらい配役の穴を埋めてやろう、やるぞっ!!  ……そして、昼休みまでの成果はゼロ……はぁぁ。  大人しく授業を受けて、また休み時間に期待しよう。俺も期末の勉強そろそろやんないとまずいことになりそうだ。 「……なんか俺たち、飯ばっか食ってない?」 「食事時間しか話をしてないから、そう感じるんだよ」 「そうかもしれないな……ああ、おいしい、おいしい! よーし、午後もがんばるぞ!」 「君は本当に食事をするとたちまち元気になるよね」 「エネルギー補給してるんだから当然だろ?」 「その体質がうらやましいよ。ああ、忙しい、忙しい!」 「恋路橋はいま何やってんの?」 「照明のプラン作りだよ、柏木先輩に提出するんだ」 「へええ、恋路橋はなんでもやってんだな…………あ!?」  箸でうどんを挟んだまま、食事を中断する。  恋路橋のおかっぱ頭の向こうで、小鳥遊夜々が食事をしていた。  俺と同じく、うどんを〈啜〉《すす》ろうとしているが、その回りを囲んだ新しいクラスメイトの女子たちが、矢継ぎ早にあれこれ質問をぶつけている。 「小鳥遊さんの使ってた教科書って、うちと違うの?」 「……うん」 「じゃ、いきなりだと授業謎すぎるよね」 「………………(食べようとしてる)」 「どこから引っ越してきたの?」 「東京のほう……(食べられなかった)」 「うそー、いいな、東京!?」 「…………(食事リトライ)」 「東京の学校って、やっぱり狭いの? ビルだったりするの?」 「………………普通(リトライ断念)」  ありゃあ……質問攻めで全然食べられないみたいだ。うどんのびちゃうな。  そして同時に、昨夜の俺がいかにテンパってて無神経だったかを悟って、顔から火が出そうな気分。  やがて、ハラハラしている俺の視界で何度もうどんを上下運動させた夜々は、また不機嫌な顔になってしまい……。 「そろそろ食べていいですか?」  ぶっきらぼうな口調、そして向こうのテーブルに広がる気まずい空気……。  つまり、完璧にやっちゃった感の漂う現場が目の前に展開中!  やがて、さっさと食事を終えたクラスメイトがテーブルからいなくなり、夜々だけが残されてしまった。 「……というわけで、まったくけしからんのだが、ちょっと君、聞いてる?」 「ごめん、ちょっと待ってて」  俺は恋路橋をテーブルに残して、夜々のテーブルへ。  昨日のことを謝りつつ、もう一度仲良くなれるようにアプローチをしてみよう。  そう、変にアガらないように、できれば桜井先輩のようにスマートに。 「………………ずるるっ」 「そこのお嬢さん、昨日は悪かったね」  俺は思いっきり色男っぽい声色(俺基準)で、彼女の前に魔法の小箱を突き出した。 「知らなかったかい? うちの学食じゃ、天かすは無料なんだぜ?」 「……………………」 「あ、待って、ちょっと行かないで!!」  ……ってそうじゃない、桜井先輩は食い下がるなって言ってたぞ。  そう、ここは別れ際の好印象を残すだけで充分と考えるべし。 「じゃあね、また…………って、もういないーー!?」 「まただめだったよ恋路橋……ってそっちもいないのかよ!!」  う、ううむ……負けるものか。 「それで、今日も戦果はゼロだったのか……ううむ、思ったより厳しい局面だね」 「すまない、力不足で……」 「弱気になっちゃ駄目だよ、こういうときこそ強気で乗り切るんだ!」 「お……おう!」 「……………………ところで、あれ、どう思う?」  夕飯時の食堂は、朝と違ってけっこうがらんとしている。  自分の部屋でゆっくり食事をする生徒も多いし、時間帯もバラバラだからだ。  その、ひと気のあまりない食堂の隅っこで、夜々が一人ぽそぽそと食事をしていた。 「あれって?」 「あの子だよ、小鳥遊夜々」 「ああ、彼女はいい子だよね……うん、とっても」 「ほぇ? ま、まさか、カタブツの恋路橋〈渉〉《わたる》君が、あ、あの子に……!?」 「だって彼女は、ゴミをちゃんと分別して指定の場所に捨てるし、ゴミ袋が溢れていたらちゃんと取り替えてくれるし、全くもって問題ない!」 「……俺はこれまで、お前ほど名前を裏切ってる男を見たことがない!」 「な、なにをカリカリしてるんだ。焦る気持ちは分かるけれど!」 「いいから渡れ、その橋を! あーそりゃあカリカリだってするさ!」 「まいったな、そんなに雁首が見たいのかい? マニアックな二人組だね」 「うわぁあぁあっぁぁぁああぁぁぁぁああぁぁ!!!」 「せせ先輩! そのような風紀を乱す格好で寮内をうろうろするのはやめていただきたいっ!」 「やあ、気にしないでくれたまえワタルボーイ。風呂上りなんだから、ごく普通のスタイルだろう?」 「そうじゃない、1階は男女共用のスペースです! せめて男子エリアでやるように警告します!!」 「モテモテの先輩でも、さすがにそれはちょっと……」  そして、夜々のほうを見る。 「…………………………」  あああーーーーーっっ!! やっぱりドン引きしてる! おまけに俺も仲間だと思われてる構図だこれは!! 「ところでUMA、昨日の話の続きだが、このさい動画ダウンロードじゃなくてDVDの通販を利用しようかと思うんだが、君はアナルファッ……」 「失礼ーーーっっ!!!」 「うぐっ……!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……続きは先輩の部屋で伺いましょう! さあ、早く!!」 「け、けしからん……十中八九けしからんっ!!」  先輩のガウンの襟首をつかんで、食堂から隔離する。 「…………………………」  あああぁぁぁ……あの目は完全に仲間だと思われてる! 思われてるっっ!!  いつもと変わらない、雲の高い空を見上げる。  今朝も快晴、このうえなく上天気。けれど時間は確実に過ぎている!  だから俺はがんばって早起きをして、駅前から遠回りで学校に行くことにした。 『悲恋のヒロイン』のイメージにぴったりな小鳥遊夜々には避けられてしまったうえに、まだ重要な配役が3つも空いている。  1つ、高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)!  2つ、小悪魔的少女!  3つ、女たらしの色男!  夜々にドン引きされてる問題は登校してから考えるとして、残りの配役についても誰か候補を考えないと、スケジュールは容赦なく過ぎ去っていくぞ。  俺がここでモタモタしていると、みんなに迷惑がかかってしまうのだ。  駅の改札からぞろぞろとうちの制服があふれ出してくる。校門前での勧誘はあえなく玉砕したけど、駅前でひっかけたら少しは脈があるかもしれない。  ……と、目を皿のようにして生徒観察をする俺の近くに、似たように突っ立っている一人の女子がいた。 「真紅の羽根共同募金です、子供たちに愛の手をよろしくおねがいしまーす」  おお、募金活動してる!! いまどき珍しいな……しかも登校時になんて!  みたところ低学年の生徒だ。制服のデザインが違うから一目で分かる。 「よろしくお願いしまーす」 「お、俺?」 (にこにこにこにこ……)  ううっ、アップで頼まれると断ることができない……。  けど寮生の俺に金なんてほとんど…………。  ……って!?  こ、この子は……!  ああっ、いま気づいた! こ、この子の清楚なたたずまいは……! 「配役その1――高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)!?」 「は? え? あ、あの……?」 「あ、ゴホン! い、いやなんでも!」  小鳥遊夜々に続いて、また下級生を口説く展開か!? こ、今度も変な人だと思われたら泥沼だぞ、俺!  とりあえず第一印象が大事だ。俺が貧乏寮生だということに気づかれてはなるまい! ここは募金にも見栄を張って、財布の全財産を投入だっ!  行け、全財産ーーーーーっっ!!  ……………………5円。  あははは、あははははは……寮生のなかでもとびきり貧乏だったのを失念してたよ。  で、で、でも5円だからあれだよ。『ご縁がありますように』ってやつ! その願いを込めて堂々募金するぞっ! 「は、はい……」  俺は両手で5円玉を大ガードしながら、募金箱にちゃりんと投入……う、ううっ、さすがにみじめだ。 「どうもありがとうございました」  たった5円とは知らない彼女が、ぺこりとお辞儀をして嬉しそうに微笑みを浮かべる。  俺の胸に真紅の羽根を差すと、また改札から出てくる制服に向かって声をかけはじめた。5円じゃ羽根代のほうが高くつくよな、申し訳ない。  それにしても、学校に行く前に募金活動をするなんて感心な子だな。まさかディープな市民活動家とか……??  ……あんな大人しそうな子がそれはないか。  なんて思っていると、俺が見ている前でスーツ姿の男が募金少女にぶつかって駅に駆け込んでいった。 「あっ!」  小銭の転がる音。遅刻寸前ダッシュだったんだろう、スーツの人は女の子にぶつかったことなどお構い無しに構内へ消えていく。 「あ、あ……あ……」  女の子はあたふたしながら、ばら撒いてしまった小銭を拾っている。ずいぶん飛び散ったな……ここはもちろん、手伝ってきっかけ作りだ。 「ほら」 「ありがとうございます」  俺が集めた小銭を受け取った彼女は、枚数をしっかり数えてから控えめな仕草ではにかんでみせる。  5円しか募金できなかった俺も、ここは先輩らしくクールに決めるぜ。 「フッ……朝はどいつも殺気立ってるから気をつけろよ」 「は、はい……」  そして俺に見とれる募金少女。 「どうした?」 「あ、あの……!」 「ん?」 「あ、あのその……いえ……あの……っ!」  俺の顔を見て急にあたふたした女の子は、募金箱の中のお金をぎゅっと握ると、こっちに差し出してきた。 「こ……っ、これ! その……お礼です!」 「え? いいよ、そんなの」 「いえでも、その……い、一割……ですから!」  俺にお金を握らせた彼女は、会釈をして小走りに学校のほうへ……。 「あ、あのさ……」  行ってしまった。  お礼なんてよかったのに……そう思って彼女がくれたお金を見る。  …………5円?  う、ううっ、ご縁が戻ってきたか……。 「す、すばらしいっ!」 「うわ! ど、どうした恋路橋!?」 「こんな朝早くから募金活動で社会に貢献しているなんて、なんという篤志家の娘さんなんだろう、君もそう思うだろう!?」 「え? あ、う、うん……」  トクシカ? 風の谷? 分からん、相槌をうっておこう。 「ところで……ずいぶん親しく話していたようだけど、君、彼女と知り合い?」  ……なんだこの殺気は。 「知り合ってまだ5分くらいだけど?」 「そうか初対面か、うんうん、それならよかった!」 「……お前、あの子のこと知ってんの?」 「え? うん、まあね。少し前になるんだけれど、あの子、ボクが困ってたときにお金を貸してくれたんだよ。なんか運命を感じるよね」 「は?」 「これってロマンスの兆しだったりするのかなぁ……」 「おおー! 恋路橋もついに桜井先輩に毒されて橋を渡るのか!」 「毒された? ボクが?」 「ぐるぐる眼鏡の向こうにハートマークが透けて見えるぞ」 「はっ、ハートマーク!? ききききき君はボクのことをそんな目で見ていたのかっっっ、けしからんっ、なるほどけしからんっ!!」 「わかった、わかったら往来で騒ぐなっ! ロマンスはちっとも兆さないと思うけど、どうしてしっかり者の恋路橋が借金なんてしたんだ?」 「それは……恋路橋渉一生の不覚だったんだ……」 「ふむふむ?」 「実はおととい、購買の自販機ジュースを買いに行ったボクはサイフ忘れてしまって……そのときなんだよ、彼女と運命的な……」 「おーい、遅刻するぞ」 「ああっ!? 聞いておいてさっさと登校するとは何事だっ、けけけけしからんっっ!!」 「しかもあの子は指切りまでしてくれたのにっ! パパにも指切られたことなかったのにっっ!!」  恋路橋が熱弁をふるいながら追いついてくる。 「それのどこがロマンスだ!」 「女の子にそんな風にしてもらうのは、初めてだったんだっ!」 「うぐ……わ、わかった……」  トキメキ期間まっしぐらな恋路橋が、ちょっとかわいそうな男子だってことがよくわかった。 「けど、知り合いでもないのに借金?」 「そこに運命を」 「感じない!」  そうか、とんでもなく博愛精神な子なのかもしれないな……。  なら、出演交渉の脈だってあるかも!?  恋路橋が借金してるんなら、あわてなくても接点はありそうだ。あいにくこいつのロマンスよりも、俺の頭は配役のことでいっぱいなのだ。  となると、あとは2つか……。  4つの空席がどれひとつ埋まってない状況だけど、ここからが勝負だな。  意気込んでみても、そう簡単にイメージに合った生徒が見つかることもない。  あっという間に昼休みになって、俺はまた昨日のように学食にやってきた。  なんとかいい雰囲気で小鳥遊夜々と話し合うことができればと思ったんだけど……。  あ………………。  いた、いたけど……。  なんか一人でぽつんと食事してる。  これってつまりは、早くもクラスで孤立してしまっているようなたたずまい。  うーん……あの態度じゃ無理もないけど、ほっとけないよな。 「よ」 「あ……」  夜々がハッと顔を上げる。  頼りなさそうな表情……そんな顔されたら、なおさらほっとけない。 「昨日は騒がしくしてごめんな、うちの居心地はどう?」 「………………」 「一緒に食事してもいい?」 「…………だめです」 「駄目……ですか?」 「……ナンパ嫌いだから」 「白昼堂々学食でナンパ!? ちがうちがう、ナンパじゃなくてスカウト!」 「…………(つーん)」  そ、そんな誤解をされていたのか……!! 「別にそういう目的で近づいたんじゃないからさ!」 「…………(じろり)」  う、ううむ……手ごわすぎる、この人見知り。でも負けるものか、ここはじっくり落ち着いて説明をしよう。 「マジな話でさ、俺は小鳥遊をヒロインにしたいんだよ」 「…………」 「来月の記念祭で、寮生が中心になって芝居やるんだよ。で、俺はその役者を探してるってわけ」 「そんでもって、ヒロインのイメージが小鳥遊にぴったりなの」 「…………」  ……うつむいてしまった、負けるものか。 「ほんとだって、ナンパだったらもっとうまい嘘つくよ(したことないけど)」 「…………(ちらり)」  一応は聞いてくれてるみたいだ。変な誤解をされるくらいなら、ストレートに全てぶちまけてしまったほうがいい。 「いきなり芝居に出ろなんて引くかもしんないけど、マジで小鳥遊のイメージにぴったりな役なんだ」 「それに相手役も俺じゃないよ。演劇部のちゃんとした奴がリードしてくれるし、俺はまだ他にも役者を集めなくちゃいけないし……」 「だから、こんな損な条件でナンパするわけないだろ?」 「…………(こくり)」  夜々が黙ってうなずく。人見知りは相変わらずのようだけど、とりあえず誤解は解けつつあるみたいだ。 「いきなり芝居に出ろなんてあつかましいとは思うけどさ、それだけイメージにぴったりだったんだよ。この学校の中でいまんところ小鳥遊が一番なんだ」 「…………そう……なんですか?」 「いまここで決めろとは言わないからさ、放課後の練習を一度見に来てくれないかな? そしたら俺の言うことも分かってもらえると思うし」 「…………」  夜々が口をつぐむ。邪険な態度ではなくて、真剣に考えてくれているようだ。  人見知りがすごいけれど、性格は真面目な子なんだな……。 「お芝居とか私できないけど……」 「見学するだけでも!」 「……それで気が済むなら、いいです」 「ありがとう!!」  ……よしっ!!  彼女の目の前でガッツポーズ……は引かれそうだから我慢だ。  よかった……無理強いはできないけど、稲森さんたちが真面目に稽古しているところを見たら、彼女も考えてくれるかもしれない。 「誤解も解けたようでよかった……で、ここで昼飯食べていい?」 「…………(あっちの空いたテーブルを指差し)」 「あ、はい……そうね、分かりました」  よしっ! やった俺! 一歩前進!!  一番大事なメインヒロインのキャスティングが前進したことを報告しようと、俺は放課後のリビングで月姉を待っている。  月姉は連日稽古の演技指導に追われていて、寮に帰ってくるのも外が暗くなってからだ。  俺の隣では恋路橋が新品のノートパソコンを広げて……。 「ん? お前ノーパソなんて持ってたのか! なにやってんの?」 「ママに買ってもらったんだよ。ああっ、覗かないでくれたまえ! ボクはいまたいそうプライベートな……あれ? ううむ……!」 「??」 「あ、あのさ天川君、すまないが、メールってどうやって送るの?」 「恋路橋、お前PC駄目なの!? なんのためのぐるぐる眼鏡だよ!」 「だ、駄目なわけがないじゃないか! 度忘れだよ度忘れ!」 「…………覗かないでほしいんじゃなかったの?」 「そうなんだけど、文面は見ないで教えてくれないかな」 「……やってみる」  もしそれが可能でも、大親友の俺がメールを覗かないわけがないじゃないか。  恋路橋のノートパソコンを見せてもらう。  ふむふむ……どんなメールを書いてるんだ? 「………………」 『親愛なるママへ。渉は今日も受験戦争の最前線で勇敢に戦っています。送ってもらったマイコンもあっという間にマスターできたので早速メールを送りました。学校の成績はいつも一番です。昨日のテストも満点でした、その前も満点です。一度は90点台を取ってみたいけれど、レベルの低い学校のテストは簡単すぎるみたいです。寮の生活はママがいなくて寂しいけど、渉は平気です。寮のみんなは困ったときにいつもボクを頼るので、すっかり保護者役になりました。先週は隣町のケンカ番長が寮に乗り込んできたので、軽く片手でのしてやりました。そんなボクに憧れたのか、上級生のガールフレンドもできました。彼女は才色兼備で寮生の代表をしているような人ですが、成績優秀なボクにはぞっこんラブで、毎日勉強を教えてあげています。寮のみんなはボクのことを渉様と……(略)』 「………………」 「恋路橋、お前……」 「な、なんだい、手紙を覗いたりしていないだろうね?」 「見てない! 見てないけど……!!」  月姉と付き合ってるって……いくらなんでもそれは。 「マ、ママを心配させないために、多少は脚色をしているけど……だからといって書き直したりはしないよね!? ね!」 「うん、送信するよ、ここクリックな」 「そこだったのか! 盲点だった……さすがは天川君、ボクの親友だ!」 「けどお前、マスターしたって言うなら改行くらい覚えろよ」 「……ええっ!? と、取り消し、取り消しは!?」 「もう送った」 「そんな天川君っっ!!」 「なにやってんのー? あら、ノートPC?」 「うわぁあぁぁぁっぁあぁぁぁっっ!!」 「……なによ」 「な、なんでもない、なんでもないです!」 「ほんとになんでもない、恋路橋と付き合ったりしてない!」 「わーっ、天川君っっ!!」 「もが、もががっ……か、柏木先輩! メインヒロイン、候補見つけました!」 「本当!?」 「ええ、本人はまだ及び腰なんだけど、明日にでも見学してもらおうと思って!」 「見学ならいつでもいいわよ、楽しみにしているわ」  なんて話をしていた、そのとき……。 「うぇぇぇぇん……ひどいですっ!!」  俺たちの目の前を、小柄な女子が泣きながら駆け抜けていった。 「……何いまの?」 「おや、あの子は4年生女子人気ランキング3位の○○さんじゃないか……」 「よく知ってるな!」  そして、それを追って現れたのは……。 「待ちたまえ、ふぅ……困ったベイビーだな」 「桜井(先輩)!」 「!? や、やぁ……月音さん」 「……ちょっと、また後輩に手を出したの?」 「まさか、デートの帰りに部屋に招待しただけで、手なんて出していないよ」 「その段階で、すでに手を出したことになるのではないかと愚考しますが!!」 「主観の相違だね。それにしても解せないな、彼女ときたらこの僕の本棚を見ただけで……」 「あのDVDコレクションを見たら普通はああなります!」 「なんですか、こないだだって『スカトロメモリアル・十三人の尻姫たち<無修正版>』ってのが間違えてボクの部屋に届いて……」 「!!」 「わ、ワタルボーイ……君はなんてタイミングで!!」 「さ、桜井……あんた……」 「あ、そ、それはもう処分したんですよね、先輩! 俺手伝いましたし!」 「あ、そ、そうだった、そうそう!」 「ふーーーーーーーーん?」 「あ、そ、そうだ、先輩に話したいことが、ちょ、ちょっとこっちへ……」 「やあ、命からがら助かったよ。それにしても君に助けられるとは意外だね」 「まあ、お礼というか」 「お礼?」 「桜井先輩! おかげさまで転校生の彼女、なんとか口説くことができました」  実際はちっともヒット&アウェイじゃなかったんだけど、それでもしつこく付きまとって嫌われることがなかったのは、先輩のおかげ……だと思う。 「ほう、それはよかった。で、締まりはどうだった?」 「…………あの」 「この僕の見立てだと、彼女は狭いうえに良く締めつける名器だと……」 「そんなんだから女子に逃げられるんです!」 「あははは……まさかまた1日で破局するとはなぁ」  桜井先輩があっけらかんと笑う。  この人はいつもそうなんだ。女子から言い寄られると、とっかえひっかえデートして、あっという間にフラれてしまう。  このルックスに幻想を抱いた女子を、奈落に突き落とす本性をなんとかしないと、先輩にちゃんとした彼女ができる日は来ないのかもしれない。 「こら桜井」 「な! ななななんだい月音さん?」 「あんたも、いい加減本当に好きな相手とだけつきあうようにしたら?」 「なかなかね、この僕の全てを受け入れてくれる相手がいなくて」 「そんな人がいるとでも思ってるの?」 「いつかは見つかる日まで、僕のラブハントは止まらない〈運命〉《さだめ》なのさ」  ため息をついた月姉が、女子エリアへの階段を上っていく。 「祐真、お礼だったら、そのうち具体的な形でな!」  月姉の後姿を見送った桜井先輩は、肩をすくめて自分の部屋に戻っていった。  翌日、放課後――。  ふぅ、またもめぼしい人材は見つからないまま放課後だ。  けれど今日は、小鳥遊夜々に舞台の稽古を見せる約束を取り付けてある。  なんとかいい返事がもらえるといいけど……緊張するな。  ほどなくして、ドアの前に夜々が姿を現した。 「…………あの、天川先輩は」 「え、祐真? いるけど……君、まさか祐真の彼女?」 「え? あ……」 「この子、4年の転入生じゃね?」 「はえーー! もうかよ天川!」  あ、あああーーーーー!!! ひ、ひどい展開だっっ!!! 「ちっがーーーー!! 寮でいろいろあんだよ、寮で!」  悲鳴を上げた俺は、夜々の手をとって急ぎ廊下へ避難。 「…………あの」 「違う! なんか誤解してるかもしれないけど、それは違うとだけ断言しておく!」 「………………」 「え、ええと……け、稽古見学!! 見学行こう!!」 「………………」 「おおー、やってるやってる」  体育館に入ると、舞台を中心に独特の熱気があたりを包んでいた。  そういえば勧誘をしてるわりに、稽古を覗いたことってほとんどなかったなぁ。 「あ、祐真……あら、夜々ちゃん?」 「…………(ぺこり)」 「どう、ヒロインのイメージに?」 「どうもなにも、いいわ! すごくいい! けど……よく捕まえたわね」 「フフフ、そこが俺パワー」 「調子に乗らないの、そっちの椅子を使っていいわ。どんなお芝居かよく見てってね」 「…………(ぺこり)」  黙ってうなずく夜々と並んで、隅っこのパイプ椅子に腰を下ろす。  舞台では、ちょうど稲森さんのシーンをやっていた。 「……それでは巫女としての力は、いったいどうして保たれるのでしょう!?」 「愛を貫くことが私の役目ではない、それは分かっている」 「王子にとって、彼女は妹ですか、姫巫女ですか、それとも……」 「カーット!! 真星ちゃん、いまのところ切らずに続けちゃおう。一気に追い込む感じで!」 「は、はーい! 追い込む感じ、追い込む感じ……やってみますっ」 「王子にとって彼女は妹ですか、姫巫女ですか、それともっ……!?」 「そうね、すごく良くなったわ、その感じで続けて!」  なんだかずいぶんシリアスなシーンみたいだ。  そういえば、稲森さんの取り巻きもシャットアウトされてるみたいだ。月姉の演技指導にも力が入ってるし、空気もピリッと張り詰めている。 「…………」  少し心配になって隣の夜々を見ると、彼女も真剣な顔で舞台に見入っていた。  ホッとして、俺も舞台に集中する。  稲森さんや、演劇部の片岡の演技は、がんばっているけれど、まだ急な台本にうまく馴染んでいないというか、ぎこちない感じがする。  それに、やっぱり主要登場人物が4人も抜けているせいで、なんだか歯抜けな感じがする。 「……あの」 「なに?」 「台本って、見せてもらえますか……」 「いいよ、ちょっと待ってて」  月姉から予備の台本をもらって、夜々に抜けている4人についての説明をしておく。 「…………4人も?」 「だからけっこう焦ってるってわけ」 「これっていつ上演されるんですか?」 「12月3日……あと2週間ちょい」 「………………」  かなりシビアな状況だけど、こういうことは最初に説明しておかないとな。  それでも彼女が尻込みしないように、フォロー、フォロー! 「台本いい感じだろ? これさ、唐橋みどりって脚本家が在学時代に書いたんだってさ」 「……え?」 「お、知ってる?」 「……知ってます、ドラマとか見てたし」  改めて台本に目を落とす夜々。  やがて彼女も、最初に台本を読んだときの俺みたいに、中の文字に引き込まれていった。 「…………」  黙々と台本を読み進める夜々……これで彼女が物語を気に入ってくれるといいけどな。 「あの……すみません、ここって……」  彼女が台本の途中のページを指差す。  あ、そこは……。 「すごいな、気づいた? そこだけ元の台本がなくて、スタッフで書き足したところなんだ」 「……そうなんですか」 「どう? まだ始めたばっかりだからぎこちないけど」  途中で月音先輩が声をかけにきたが、夜々は台本にすっかり没入している。 「あら?」 「……気に入ってるみたいな気がするけど」 「うん、いいわね」 「夜々ちゃん、あたしたちが夜々ちゃんにやってもらいたいのは姫巫女の役なの……そう、主役! 夜々ちゃんのイメージにぴったりなのよ」 「……主役?」  さすがに夜々が目を丸くする。 「そうなの、ぶっちゃけ主役。あたしたちも全力でフォローするけれど、楽じゃないと思うわ」 「そういうわけで、無理にやれとは言えないんだ」 「……(こくり)」  それから夜々は台本に目を落としながら、しばらく考えていた。  俺と同じなのかもしれないな。台本を読んで、引き込まれて手伝いたくなってるんだ。  けれど、彼女の役柄は、裏方の俺なんかとは比較にならないくらい重要なポジションで……。 「あのさ、今すぐ決めなくてもいいから……」 「……あの、や、やってみたいけど……でも無理かもしれないから」 「無理って?」 「私……人付き合いとかダメだから」 「そうね……それはなんか分かる」 「……ごめんなさい」 「謝ることないわよ、誰だって好き嫌いがあるんだから。大勢と仲良くするのが苦手だから参加できない?」 「…………(こくり)」 「ならコミュニケーションなしでもいいわ。あたしとだけ演技について話してくれたらね」 「……え?」 「ほかにも要求があったら言ってちょうだい、呑めることかどうか知っておきたいの」 「でも、そこまで……」 「それでも夜々ちゃんに主役やってほしいのよ、あたしの頭にビビッとイメージが来ちゃったの」  しばらく迷っていた夜々は、うつむいて指を折りながら、ひとつひとつ自分の考えを話しはじめた。  集団行動は苦手だし、慣れることもできないと思う。  仲間意識とか、そういう感じになれなくてもいいなら、勉強の一環として参加してみたい。 「それに……」 「それに?」 「……いいお話だったから、抜けがあるのが気になって」 「それなら充分よ! いいわ、監督権限でいまのお願いは全部引き受けるわ」 「さすが強碗、柏木先輩」 「なにそのライトな誹謗中傷」  かくして……。  大道具調達中らしい監督代行の恋路橋を携帯で呼び出した月姉は、舞台をそっちに任せると、体育館の隅で夜々につきっきりの演技指導を始めた。 「……わらわの、わらわの願いは」 「うん、もうちょっと声大きくしてみようか、無理じゃないところでいいから」  台本片手の夜々は、さすがに素人丸出しといった感じ。  けれど、その初々しさも、なんとなくこの物語の主役に似つかわしい気がする。 「どう、大変そう?」 「でも彼女が参加してくれてよかったわ! もうー祐真っっ、あんたはえらい! えらいえらいえらいえらいー♪」  俺を抱き寄せた月姉が、頭をくしゃくしゃに撫でてくる。 「わっ、ちょ、こら、月姉! みんなに見られる! 見られるから!」 「べつにいーじゃん、あたしは平気よ」 「俺がやなの! いい加減子ども扱いすんなよな、柏・木・先・輩!」 「はいはい、天川君」  そう言って月姉がクスクスと笑う。  みんなの前では幼馴染の月姉&ゆーまじゃなくて、普通の先輩後輩でいようって約束なのに、ときどき月姉はわざとそれを破ってるフシがある。  こんなところをクラスメイトに見られた日には、身の破滅すら感じるよ。 「ところで祐真、他のキャストは平気?」 「え? えーと……まあ、なんとか、高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)だったら!」 「あー、そっかぁ……できたら、小悪魔的美少女のほうを優先してちょうだい」 「小悪魔的美少女か……もっとがんばるけど、なかなかいい子がいなくて」 「分かるけどね、個性的な役柄だし……でもそれだけに今回のお芝居のキーパーソンになる役柄なのよ」 「そっか、台本だと……なるほどね」  確かに、台本を読む限り、性悪娘はトリックスターとしてキャラクターの立った役回りだ。 「あとの2役は棒立ちでも平気なんだけどねー」 「柏木先輩って、いつもえらい大胆なこと言いますよね!」 「本当にそうなんだから仕方ないでしょ。期待してるわよ、天川君♪」 「ら、ラジャー! うーん……小悪魔的美少女コンテストか……」  役柄は性悪で、トリックスター……。性格の悪い人間を探せとでも言うのかしら??  メインヒロイン選出というでかい山は越えたけど、この先2週間……まだまだ苦労しそうな予感がビシバシするなぁ。 「あ゛ーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」 「な、なんだ、どうした天川君っ!!」 「金がなくなったッッ!!!」 「またかい?」 「なぜだ、計算では月末まで持つはずでは……!?」 「また食費で使い込んだんじゃないの? いつもは自炊してたのに、最近学食でバクバク食べてるじゃないか」 「あ!!!! そ、そ、そういえば……!! スカウトで夢中になってバカ食いしてたような気がする……迂闊ッッ!!」 「またパンの耳を学食のおばちゃんにもらうんだね」 「う、うぁぁぁぁぁ……!! それは25日を過ぎてからの最終手段だというのにぃぃ!!」 「はぁぁ……まったくけしからないな。それじゃボクは忙しいから先に行くよ」 「あぁぁ、親友が冷たい……っっ!!」  し……しかし、いくら嘆いても無くなった小遣いは戻らない。  月末の仕送りを心待ちにしながら、俺は今日も今日とて役者探しだ。  こうなったらヤケだ、意地でも見つけてやる!!  ヒロインの次は、小悪魔的美少女! 小さな悪魔だぞ、悪魔! 小さくて悪い魔物だ!  こいつが厄介なもので、ちっともイメージが湧いてこない。  ……そこで!! ひとつナイスアイデアを我考案!  小さくて悪い魔物がやりそうなことって何だ? そこを考えてみた。  答えはそう、カッパライ! 連中ときたら映画じゃいつだってカッパライ!  つまりは万引き少女だ!!  ほらなんかイメージが湧いてきた! それこそが小悪魔系に間違いないっっ!!  ……かくして俺は、通学路を迂回してコンビニの前に来てみたわけだが。 「…………はぁぁ、肉まんおいしそう」  金もなしに来るコンビニの、嗚呼なんと空しいことか!  月末の仕送りまで、あと10日以上――この枯渇した財布を暖めるのは俺の体温のみなのだ。 「今週号のチャンプでも立ち読みして学校行こっと……」  さっそく勢いを挫かれた俺が、ふとコンビニの裏手に目を向けると、そこには……。 「なんとかひとつ……お願いッ!」 「ええ、いいですよ。ちょっと待ってくださいね」  んんん!? 雪乃先生!?  それにもう一人は、高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)候補の募金少女!!  これって〈千〉《せん》〈載〉《ざい》〈一〉《いち》〈遇〉《ぐう》のチャンス!? でも……5年の担任が下級生相手になにやってんだろう? 「ひぃ、ふぅ……みぃ……っと、はい、どうぞ」 「ありがとうっっ! 感謝感謝っ!」  小銭を渡して……ゆびきりしてる!?  これって確か、恋路橋がそんな話を……。  考えているうちに、募金少女改め小銭少女が立ち去って、雪乃先生はコンビニへ……。  い、いったい、この二人は何を……!?  ど、どうしよう、分裂して追えればいいけれど、あいにく俺の肉体はたったひとつ!  小銭少女を追っかけるよりも、お金を受け取った雪乃先生がなにをするかを見届けたほうが、この謎は解ける気がする!   かくしてコンビニを覗くと……。 「はい、これっ!」  雪乃先生は雑誌コーナーに直行すると、本日発売の月刊yanyanを手にレジへ行き、彼女から受け取った小銭で……。 「いや、ちょっとyanyanって!」 「教師が出勤時にラブ運上昇アイテム大特集号って!!」 「ヴィスカウント更家の必勝ダイエットウォーキングって!!!」 「はぁ……はぁ……やなもん見た」 「ふんふんふーん♪ あら、どしたの天川? 遅刻するわよー♪」 「低学年の女子に小銭借りてyanyanですか先生!!」 「ぎぎぎぎくっっ!? な、なぜそれを!? おのれ風魔、どこで千里眼を!?」 「昭和のノリは結構です。そして先生のクラスの生徒だったことを、こんなに気恥ずかしく思ったのは初めてです」 「あんあんーーっ、ちょっと待って冷静に返さないでー! ちがうのよーっ、あの子よくお金貸してくれるからついつい……!!」 「みみみ見逃してっ、Youはなーんにも見なかった! はい! いいわね! いいわよねっっ!!」 「肉まん」 「にく……?」 「あ、あーっ、さてはお釣りの額まで計算済み!? あ、あなどれない子!!!」  かくして、店に取って返した雪乃先生からほかほかの肉まんを受け取って交渉成立。俺は今日見た秘密を霊園まで持って行くのだ。 「だめよ、通学中は飲食厳禁! ほら、そこの裏手の茂みで食べなさい」 「あなたよく校則を持ち出す気になりましたね」  本番までの時間は迫っているけれど、そうそう毎日うまく行くってものでもない。小悪魔的美少女のイメージが固まらないまま、放課後になってしまった。  俺は、夜々の様子をちょっとだけでも見ておこうと思って、体育館に顔を出した。 「おー、今日もやってるなぁ」  夜々はさっそく舞台に上がって、台本片手に稲森さんたちと稽古をしている。  どうやらトラブルもないみたいだし、他の出演者の練習もはかどってるみたいだな。 「…………(ぺこり)」  舞台の上から俺に気づいた夜々が小さく会釈をする。  俺はそっちに手を振ってから、あらためて他の出演者を探しに行こうとしたところ……。 「……ん?」  今の人……あれ? 校内って部外者立入禁止だよな!?  それに、どっかで見たような……。  こないだ公園の上で会った……人?  気になって彼女のあとを追ってみたが、どこにも見つからなかった。  あんな派手な格好をしてるんだから、ちらっとでも視界に入れば気づきそうなものなのに。  ……目の錯覚? まさかね。  結局、それからは謎の女性を探したり、小悪魔的美少女候補を探したりと、校内を散漫とうろついているうちに夕方になってしまった。  そして寮に戻った俺は、今日もリビングでそれらしいイメージの子を物色中……。 「……なんて、見慣れた寮生の中に小悪魔がいるわけないってのは、分かりきってるけど」  それにしても、参ったな……。  今日は16日で、本番は来月の3日。しかも明日からは土日で学校はお休みときてる。 「稽古の時間もあるし……焦るよ、こりゃさすがに」 「さあ! そんな独り言の多い君には、うってつけの仕事がある! 寮の掃除をしたまえ!!」 「イエッサー!! って違う!! いきなりなんですか先輩、俺今日は当番じゃ……」 「そうとも、今日の掃除当番はこの桜井恭輔なのだが、あいにくデートの予定がトリプルブッキング」 「その段階で破綻してます!」 「フフフ……舞い込んだオファーは断らないのが信条さ」 「……それで、僕にはこないだのお礼を果たせと?」 「やあ、君の洞察力には感嘆を禁じえないよ、さすがは僕の後輩だ。それじゃあアディオスっ!」  ……行っちゃったよ。  さすがは桜井先輩だ。こっちが反論する気力を根こそぎ奪っていく。  と……まあ掃除当番の代役くらいは日常茶飯事だったんだけど、その日はちょっと違っていた。  寮の入口に張り出された当番表で確認したところ、今日の掃除当番は……。 『6年:桜井恭輔』 『5年:稲森真星』 「…………」 「稲森さんーーーーーー!?」  ま、マジで!? どどど、どうしよう、どうしよう!?  俺が寮の入口であたふたしてると、ものすごいジャストタイミングで劇の練習を終えた稲森さんが帰ってきて……。 「あ……ただいま」 「お、おかえりっ!」 「ただいま!!」 「ただいま!!」 「ただいま!!!!!」  その後ろからは、取り巻きの男子どもがものすごい威圧ぶり!?  さ、さすがは学園のアイドル……なおさら意識してしまいそうだ。  かくして俺は部屋着に着替えると、一足先に廊下の掃除を開始した。  ホコリ取りのモップをかけてから、ワックスがけ、最後にから拭き。 「あれ?」  少し遅れてやってきた稲森さんが、俺の姿を見て目を丸くした。 「はは……まあなんか今日はこんな感じで」 「ふーん……そっか」  納得したように自分もモップをかけはじめる。  稲森さんと二人で掃除……そして、このぎこちない空気。  はぁぁ……なんか緊張する。そして俺が緊張していると稲森さんも気まずくなるんじゃないかと気が気でなく、なおさら緊張してしまう最悪循環! 「桜井先輩、またデート?」 「え? あ、うん……」 「くすくす……それで、押し付けられちゃったんだ」 「す、鋭いね」 「うん、前は恋路橋君と一緒だったから」 「あの先輩は、俺と恋路橋をなんらかの便利なアイテムだと思ってんだ」 「くすくす、大変だよね」  稲森さんの笑い声で、俺の緊張が少しだけ解ける。  彼女とは1年生のときに同じクラスで、今年また同じ5‐Bのクラスメイトになった。  けれど俺なんかは、ほとんど彼女と口を利くことはない。稲森さんは取り巻きに守られたアイドルなのだ。  それに……。 「稲森さん、さっきの連中さ、下校のときも一緒なの?」 「え? あ、ああ……今日は特別! ほら、練習が遅くなったから、送ってくれるって言って」  そう、稲森さんの近くには、いつも親衛隊が隠れている。  連中はさっきみたいに、稲森さんに近づく男を何気なく排除するうえに、『誰も告白してはいけない』という〈沈黙の掟〉《オメルタ》を守っているのだ。 「いつもあれじゃ肩が凝っちゃうよ」  モップを使いながら、稲森さんがため息をつくように笑う。 「俺だったら、いつもじゃなくても肩凝るよ」 「ふふっ……なかなか鋭い」  彼女は、みんなから愛される学園のアイドル。純真無垢な性格で、誰にでも優しい。  けれど、本当の稲森さんっていうのは、ちょっとドジで、あんまり飾らない、身近な雰囲気のする子なんだと思う。  俺たち寮生はそれを知ってるから、あんまり彼女に干渉しないようにしているんだけど……。 「なんかよく笑うね」 「え? そ、そうかな? 学校だと暗い?」 「い、いやっ、全然そんなことないけど……!! やっぱちょっと大人しい感じっていうか」 「んー、そうなのかな?」  稲森さんに張り付いている親衛隊は、自宅通学の連中ばかりなので、彼女にとっては寮が一番落ち着く場所なのかもしれない。 「あ、なんか余計なこと言ってるかも、ごめん……」 「別に、そんなことないよ」  や……やっぱり会話がぎこちなくなってしまう。  それからしばらく、俺たちは無言でモップを動かした。  ぎこちない空気は、きっと俺が必要以上に稲森さんを意識しちゃってるからだ。多分それは、卒業するまで変わらないんじゃないかと思う。  入学したばかりの頃は、彼女のことを名前で呼んでいたなんて……今となっては、ちょっと考えられない話だ。  ……と、考えているうちに廊下の掃除は終わってしまった。 「さて、廊下も終わったし、あとは……」 「お風呂だけね」 「あ、そっか、フロだけね……」 「お風呂!?!?!?!?」  ……な、なんかいきなりこんなことになってるんだけど、これっていいことなんでしょうか!?  親衛隊的にはNGど真ん中だろうけど、そうじゃなくて、ええと、ええと……クラスメイトとして!! 「湯垢けっこうついてるねー」 「あ、う、う、ううううん!!」  はぁ……はぁ、はぁ、ドキドキする。心臓に悪い!  な、なんだこのシチュエーション!!  ていうかコスチューム! そしてアングル!!  確かに大浴場の掃除は体操着でやりますよ、やりますともさ! けどっ!!  タワシで湯船の掃除をしてる俺の頭上には、デッキブラシを持った稲森さんの……ふ、ふ、太腿がっっ!? 「しんどそうだけど大丈夫?」 「大丈夫! しんどくない! 超元気!」  同学年だから一緒に当番になることはなかったけれど、さ、桜井先輩ったら……こんな美味しいシチュエーションを俺に譲ってよかったのかしら!?  稲森さんにとって、俺はクラスの40分の1!  俺にとっての稲森さんもクラスの40分の1!  心の中で何度もそう唱えるんだけど、けれどしかし……この絵面は俺の予想を完全に上回っているわけで!! 「あいたっ!」 「どうした?」 「きゃ、きゃああ!?」  わーっ! 稲森さんが石鹸をスケート代わりにして華麗なトゥループ! 「危ないっ!」  あわてて湯船から這い上がり、手を伸ばす。  ――どんっ!  稲森さんの身体がどさっと俺の胸に落ちてきた。 「大丈夫?」 「はぁ、はぁ……ご、ごめんね、あー、びっくりした……」 「…………!」  そして二人同時に気づいた、この密着状態!! 「……っととと!!」  慌てて身体を離して、セーフティゾーンへ慌てて避難! 「あ、あ、あはは……ありがと」  稲森さんは俺を見て、照れくさそうな笑顔を見せる。多分、俺のほうが顔真っ赤なんじゃないだろうか。 「い、いや……は、ははは、こんな美味しいところ親衛隊に見られたら処刑モンだよな」 「え?」 「あ、あはは、なんでもないなんでもない!!」  はぁ、はぁ……ちょっと心臓に悪かったけれど、おかげで浮ついていた気分が落ち着いた。  親衛隊のほぼ10割を萌え転がす稲森さんのドジは、1年生の頃から変わってない。  当時のことが少しだけ懐かしくなって、俺のドキドキも少しだけ和らいだ気がする。 「舞台、面白いのになりそうだね」 「うん、みんなもがんばってるし、きっとなるよ」 「うん、台本が変わって登場人物が増えたけど、前の稲森さんが主役だった話も見てみたかったかな……」 「え?」 「い、いやその、そう思ってる連中って、けっこういるんじゃないかなーって思ってさ」 「無理無理、わたしNGの女王だったんだもん!」 「そんなに?」 「うん、もうひどいよ。月音先輩の雷が毎日どっかんどっかん落ちて」  そんな他愛もない話で笑いながら、一緒に風呂掃除をする。  なんか……やる気が再充電されるみたいな気がするな。 「あと3人……まだ決まらないんだ、早く見つけるから」 「ごめんね、天川くんを巻き込むみたいになっちゃって」 「稲森さんは気にしなくていいよ、柏木先輩の雷が怖いだけだから!」 「あははは……天川くんのほうが付き合い長いもんね」 「うん、それに……」  それに……役者探しを引き受けたのは、月姉だけじゃなくて、稲森さんにいいところを見せたい気持ちがあったのかもしれないし。 「え?」 「あ、ううん……なんでもない」  劇を手伝っているのが、ちょっとだけ誇らしい気もする。 「あと2週間ちょっと、がんばろうな」 「うん、がんばろうね」  間近に見上げた、学園のヒロインの笑顔はなんだか眩しすぎて、俺は少しだけ視線をそらして親指を立てた。 「じゃあ、デッキブラシ片付けてく……きゃー!」  ――がしゃあああああん!!  わぁぁ!! 俺が視線をそらした隙に桶に突っ込むなんてー!!! 「うぅぅぅ〜……なんでこんなところに石鹸がぁぁ……」 「ごめん稲森さん、稲森さーーん!!」  夢のような金曜の夜が過ぎて、土曜日の朝がきた――。  学校に行ってもいるのは一部の部活と、寮生の演劇関係者ばかり。そのなかで新しい役者を決めなくてはいけないときている。  ああ、なんて心晴れない週末なんだろう! これというのもいい人材がさっぱり見つからないからだ!!  けれど、俺の心には昨日の稲森さんが焼き付いている……あんな役得、おそらくこの先二度と訪れないだろう。ビバ寮生活!  なんてリビングで妄想にふけっていると……。 「おはよう」 「わわわっ、おはよう……!!!」  びっくりした……なんですかこの2人組!  いや……確かに芝居の舞台監督と主要キャストだから、ペアでの登場も不自然な組み合わせじゃないけど!! 「き、昨日ぶつけたとこ、大丈夫?」 「ぜんぜん平気、よくあることだし!」 「真星ちゃんまた転んだの?」 「あ、あはは……でも! 昨日は特別、石鹸が落ちてたから!」 「そっか! じゃあ次はバナナの皮に注意してね!」 「はぁーい……」 「土曜も稽古?」 「もちろん、夜々ちゃんなんて、朝から体育館行ってるし」 「本当ですか? わ、わたしもがんばらないとっ!」  俺もそうだ。早く役者候補を見つけなくちゃ……うぅぅ、嫌が応にもプレッシャー! 「祐真も一緒に行く?」 「え? うん……そうですね、柏・木・先・輩!」 「あはは……ごめんごめん」  昨日に続いて稲森さんと一緒なのはちょっと嬉しいけど、月姉め……何度言ってもすぐ名前で呼ぶんだからな。おかげで稲森さんもキョトンとしてるし! 「へえ、稲森さんもう役作りできてきたんだ?」 「そうよ、もう世界観にも馴染んできたし、がんばってるわよね。主演じゃなくなって肩の力が抜けたのかしら?」 「最初から主役は無理だったんですよー。月音先輩が強引だったんです!」  月姉を挟んで、俺と稲森さんと、3人並んで土曜日の学校へ向かう。  なるほど、役作りがうまくいってるから昨日も元気だったのかもしれない。 「前の台本ならイメージぴったりだったんだけどな」 「でも今のほうが向いてるかも、あんまり目立つの得意じゃないし」 「もったいないわねー」 「けど、今のほうが良くできてますよね?」 「そうね、セリフさえ間違えなければ」 「はーい……がんばりまーす」  学校につくと、何人かの寮生がすでに練習に入ったり大道具を準備したりしていた。  さすがに活気にあふれている。中でも大声を張り上げていたのは……。 「こらー、そこ! 木は下手じゃなくて上手ですから! まったく何度言えば分かるんだ、けしからんっ!!」 「渉くん、やってるわねー」 「あ、か、監督! ほらーっ、監督が来る前にセット組めなかったじゃないかっ! まったくこの怠惰な人夫どもめ、猛省を要求するっ!!」  こいつ、上に立つといきなり口が悪くなるな……親友としてはまったく嘆かわしい。  恋路橋に恨み言を言いながらも、ほかの寮生たちもみんな一生懸命働いている。  寮生が中心になって舞台を作るって実感が、本番が迫るにつれて高まっているみたいだ。  こいつは、俺もがんばらないと! 「お、小鳥遊?」 「…………(ぺこり)」  舞台の上で立ち位置を確かめていた夜々が、俺に気づくと律儀に会釈を返してくれる。  人見知りのする子だけど、素直だし、真面目なんだよな。  いきなり大役を任されてテンパってないといいけれど……ちょっと様子を見てみようか。 「調子どう?」 「……難しい、です」 「ああ、主役だから難しくて当然だよな」 「じゃなくて……私……人間嫌いだから」 「人間嫌い? そうなの?」  うつむいた夜々がぽつぽつと言葉をつなげるのに耳を傾ける。 「……みんなと感じ方が違うから」 「……うん」 「だから……みんなと仲良くできないし、だったらそのほうがいいって」 「そう誰かに言われたの?」 「…………」  夜々は黙って首を振る。 「俺はそんな感じしないけど…………ごめんな、変なこと言わせて」 「…………」  もう一度、今度はさっきよりも速くぶるぶると首を振ってから、夜々が舞台へと戻っていく。  けっこう強引に勧誘してしまった俺としては、夜々が芝居に出ることで嫌な思いをしないかどうか、気が気でないのだ。  どうかトラブルに見舞われたりしませんように……。  なんて思っていたら、さっそく!! 「おそーーーーーーい!!!!」 「なんだ、なにを激昂している恋路橋!?」 「ああ君か! 主役が遅いんだ! まったくけしからん!!」 「ええ!? まさか小鳥遊がなにかやらかした??」 「彼女じゃないよ、あの子はすばらしい! そうじゃなくて男の主役だっ!」 「ああ、片岡か……演劇部の」  片岡は、前の台本から引き続いて主演の王子役をつとめている演劇部の男子だ。演劇経験のある5年生の彼がいないと、さすがに舞台がまとまらない。 「まったくたるんでるっ! この重要な局面で遅刻なんてっ!」 「待って、いま電話してるから……あ、もしもし片岡君? 今日……そう練習、もう集まってるけど……え? 無理? どうして……え、土曜日だから!?」 「ちょ、ちょっと待ってよ! あの……あ、ンっ!」 「な、なにが起きたんですか、片岡に!?」 「え? あ、うーん…………」 「監督代行のボクになにを隠す気ですか、一言一句〈違〉《たが》えずに教えてくださいッ!」 「いいわ、じゃあそのまんま言うとね……『土曜でしょ? 今週は無理、休みだし』」 「遅刻どころじゃなかったーーーーーー!!!!」 「けど練習は自主的なものだから、強制もできないしねぇ……」 「け、け、けしからーーん! 未来永劫けしからんっ!!」 「そうカリカリしないの、監督代行」  あのカリカリすると手の付けられない月姉が、恋路橋をなだめてるなんて……す、凄い珍しいものを見てる気がする。  俺も土曜だからってウダウダ見学してないで、役者探しに行かないとな……! 「それじゃ、俺は」 「待った、ストーーーップ!!!」 「は?」 「ほら、いいところに代役がいるじゃない、恋路橋君!」 「いいところって……?」 「天川君よ。こいつ台本しーっかり読み込んでるし、土日をしのぐくらいならなんとかなるわよ」 「え? は? あの……?」 「君かぁ……」 「いや一方的に指名されたうえに、そんながっかりされても!!」 「ほら、さっさと舞台にあがって! 真星ちゃんの相手役ができるんだから本望でしょ?」 「はぁぁーーー!?」  ま、まさか……成り行きでこんなことになってしまうなんて!  稲森さんと差し向かいになって、俺は台本を片手に王子のセリフをチェックする。  シーン16……王子が〈許嫁〉《いいなずけ》だった隣の部族の姫君をフる場面。  俺が稲森さん扮する姫君をフるのか……お芝居とはいえ、立場が逆さまな気がするよ。  ん? てことは……設定上とはいえ、俺は稲森さんに好かれている男の役なのか!  こ……これは緊張するかも! 「…………ごくっ」 「天川君は棒読みでいいからリラックスして……姫はホンイキで行くわよ! はい……スタート!」 「……なぜ? なぜ今になってそのようなことを仰せになるのです?」 「貴女はなにも悪くない。貴女は初めて会ったときから変わりなく、この海原のように凪いでいた……これからもそうあってほしい(棒読み)」 「水面は静かでも、その下には逆巻く渦がありました! 雨雲が起これば荒れ狂い……嵐には白い飛沫を撒き散らしましょう」 「はいストーップ! どうしたの真星ちゃん?」 「あ……あのっ、ごめんなさいっ! 急に気持ちが切れちゃって」 「見てれば分かるわ、気を取り直してもう一度……スタート!」 「……なぜ? なぜ今になってそのようなことを仰せになるのです」 「カット! イントネーションおかしい。もっと感情に起伏をつけて!」 「う、ううっ、ご、ごめんなさい! そうですよね……もう一度っ!」 「……なぜッ! なぜ今になってそのよーーーーなことをOh!セになるのDEATH!!」 「カーット……」 「あ、う、うぅぅ……ご、ごめんなさい……っ!」  なんかシュールな空間になってきたぞ。  調子が良かったはずの稲森さんの演技が支離滅裂になってるのは分かるけど……。 「やっぱ俺が相手役だと乗れないんじゃ?」 「そ、そんなことないよ…………!! やるっ、今度こそ!」 「なぜ!!! なぜジャスト今になってそのようなことを仰せになるのですっ!!」 「ジャストとか要らない」 「ああーっ、なんでどうして……!? も、もう1回っ!」 「なぜ!! なぜ今になってそのよーなコト仰せになるのですっ!」 「貴女はなにも悪くない。貴女は初めて会ったときから変わりなく、この海原のように凪いでいた……これからもそうあってほしい(棒)」 「水面は静かだけど下には逆巻く渦がありましたっ! 雨雲が起これば荒れ狂うし、なんか嵐とか来たら白いしぶきが、しぶき撒き散らして……しましょうっ!」 「はい撤収ー」 「わぁぁーっ、すみません、すみませんっ! 撤収はダメですーっ!!」  これって、否定してるけど、やっぱ素人の俺が王子なんかやってるせいでボロボロになってるんだよな……。  かくして、それからも稲森さんの緊張は果てしなく続き……。 「姫、そこで両手を大きく広げて……」 「はーい……きゃあぁ!」 「細かくコケない! リアクション芸人か!」 「ごごごごめんなさいっ!!!」 「そこで姫が敵国の軍勢をなぎ払う!」 「とうっ、えいっ……きゃーーーーーっっ!!」 「自分がきりきり舞いしないー! きゃああっ、ちょっと危ないってば!」 「槍が重くて、重ーーーーっっ!」  ――がっしゃああああん!! 「わぁーーっ!! 精魂込めてセットした書割りがーー!!」 「な、何をするのです!! へっへっへっ、べっびんなねーちゃんだなぁ! ほらほら怖くねーから、こっちゃ来い? 来いやぁぁ!」 「姫! 下種な暴漢Aのセリフまで読まない!」 「…………えーと」 「最愛の恋人が死んでるのにぽけーっとしない!」 「空! この青い空の果てにあの人はいる!」 「それ前の台本!!」 「うぅぅぅ〜っ、す、すみませんーー!!」 「はぁっ…………もういいわ、休憩〜!」  ペースをすっかり乱した稲森さんの、常軌を逸した自爆NGショーはそれからも続き、午前の稽古は大混乱。  それはさながら、1年生当時の『ドジっ子真星ちゃん』の再来を見るかのようで……。  月姉がカットをかけたころには、すっかり灰になった稲森さんが舞台でへたり込んでしまう始末だった。 「ご、ごめんなさい……燃えてないのに燃え尽きたぁぁ……」 「はぁっ……真星ちゃんは世界に入り込むタイプだから、相手が変わるとペース狂っちゃうのかもね」 「あはは……はははは…………なんでこんなことに……」  すっかり崩壊してる……今日が関係者以外立入禁止でよかった。こんなところ親衛隊には見せられないもんな。  彼女のことはしばらくそっとしておいてあげよう。 「はぁ……なかなかうまくいかないものね……あ、ちょっとゆーま!」 「また名前で!!」 「周りに誰もいないんだし平気でしょ。おいでおいで」 「ぶつぶつ……そういうアバウトな考えをしてるから、人前でも名前で呼ぶ癖が抜けないんだ……で、なに?」 「夜々ちゃんのことで相談したいの」 「ん、彼女良くない?」  彼女のことなら推薦した俺にも責任がある。気持ちを真面目モードに切り替えて、月姉の話を聞くことにした。 「良くないってことじゃないの。彼女うまくやってるわよ。真面目だし、飲み込みも早いみたいだし、淡々とした感じは役柄にぴったりだしね。けど……」 「けど?」 「ん、今のところは比較的簡単なお芝居だからいいんだけど……」 「あ……そうか、後半は」 「そう、感情を出さないといけない場面が続くでしょ。けれど彼女はそれが苦手なのよね」 「難しい役だもんな」 「彼女の真面目さと存在感があればクリアできるとは思ってるんだけど……誰か彼女の様子を見てくれる人がいると助かるの」 「様子を見るって?」 「励ましてあげるとか、アドバイスをしてあげるとか……」 「アドバイスだったら月姉が……」 「あたしは監督よ。もちろん演技指導はたーっぷりするけど、そうじゃなくて、もっと付きっ切りになってくれる人がいたほうがいいかなーって」  付きっ切りか……さっき、人間嫌いだって言ってたけど……。 「そういうわけで、あんたに任せた!」 「俺ーー!?」 「あんたなら平気よ。彼女、人見知りが激しいけれど、あんたと話すときが一番落ち着いてるから」 「それに、ここにいる中で誰が一番ヒマな人だと思う?」 「断じて俺じゃないような気がするんですけど!!」  月姉ははたと気づいたように手を打って……。 「……そっか、抜けた役もあと3つあるし、代役もあるか……」 「忘れてたんかい!」 「しゃーない、最悪付き人は他の子も考えておくわ。けど夜々ちゃんを任せられるのは、あんたしかいないような気がするんだけど……」 「うぅぅ……!」  ううっ、有無を言わさぬ説得力……。  確かに……転校していきなり舞台に出ることになったんだから、誘った俺が頼れる存在になってやらないといけない気がする。 「…………」 「でもいいわよ。無理なことを頼むつもりはないわ」 「……無理じゃないけど」 「けど?」 「……けど、どうせなら月姉に命令されるんじゃなくて、俺のほうから協力を申し出るシチュエーションに持ち込みたかったなーと、切実に!」 「10年早いわよ、祐真じゃそこまで頭回らないでしょ?」 「……ぐぅ!」  く、悔しい……いつかその大口を叩けないようにしてやるっ! 「なーによその反抗的な目。あ……そうだ!」 「まだ何か!?」 「あとで大道具の片付けも手伝ってね。それから明日までに台本を頭に叩き込んでおくこと! 役者探しもあんたがギブアップするまでは任せるから!」 「なんなんすか、その3倍プッシュは!」  昨日、俺は重要なことを学習した。  『体育館に行くと仕事が増える!』  それはおそらくこの世の摂理であり、だから今日の俺は昼前になってもまだ自室でゴロゴロしているのだ。 「いててて……」  本当の理由は、大道具の持ち運びで酷使されて筋肉が悲鳴を上げているせいなんだけど……。くそう、月姉め。  結局、小鳥遊のお目付けをやるのは、配役が落ち着いてからでいいということになったけど。  つまりそれは『さっさと役を決めろ!』ってことでもあり……ううっ、プレッシャーだ! 「ううっ、いつまでも油を売ってるわけにもいかないし……学校行くか」  大きく伸びをして立ち上がる。今日も、部活で登校している生徒を見ながら、俺の脳内で小悪魔的美少女コンテストが開催されるのだ。  ……日曜に登校するほど部活に打ち込んでる子が、いまさら舞台の猛特訓に付き合ってくれるかどうかは考えないことにした。 「やぁ、おはようUMA……」 「きゃっ!」  リビングに顔を出すと、桜井先輩がまた寮生じゃない女子を連れ込んで甘いトークを囁いている最中だった。 「ハニー、気にしないでいいよ。あそこにいるのは用務員みたいなものさ」 「……だれがですか!」  っと、いかんいかん。朝っぱらから先輩にペースをかき乱されちゃダメだ! 冷静に、冷静に、無表情でなんでも受け流すぞ。 「おはようございます、先輩はいつも元気ですね(棒読み)」 「ははは、リビングで下半身の話はやめたまえ」 「ちっがーー!! 今のセリフそっくりそのままお返しします!!」  はぁはぁ……だめだ冷静になれない、この人が相手では無理だ! 「………………あ!!」  そのとき、唐突に天啓がひらめいた! 「ん、なにかね?」 「……1枠決まった!!」 「枠とは?」 「劇の配役ですー。先輩はめでたく俺オーディションに合格ですー(棒読み)」 「オーディション?」 「はいー。女たらしの色男役、先輩にぴったりでしたー(棒)」 「色男なのは生まれつきだが、この僕に舞台を踏めと?」 「だいじょうぶですー、先輩ならできますー(棒)」 「おいおいおい、全く無表情なままってのはどういうことかな? そこは泣いて土下座したり、風俗店のサービスチケットをよこすなりして交渉をするのが……」 「柏木先輩に見つけたって連絡しておきますー、ではごゆっくりー、学校行ってきますー(棒)」 「月音さんに!? おい待ちたまえUMA……ちょいとそこなチュパカブラ!」 「……まいったな、本当に行きやがった」 「きゃーー桜井先輩! 桜井先輩が舞台に出るんですかー?? なんか感激ーっ!」 「はははは、何を言ってるんだハニー、分かった、その話の続きはベッドでしよう」 「は、は、はいっ……先輩のお誘いならどこまででも……!」 「よーし、日曜なのに役が埋まるなんて、こいつは幸先がいいぞ!」  寮から外に出た俺は一気にテンションアップ! フフフ……その気になったら簡単に見つかるもんだ。  あの桜井先輩も月姉には頭が上がらないし、これで色男役はほぼ確定。  でもって高貴で清楚なお嬢様役は、例の募金&小銭少女になんとかオファーするとして――問題は小悪魔的美少女に絞られてきた予感がするっ!  なんて思案をめぐらせていたら、背後で。 「ぎゃーーーーーーーっ」  さっきの女の子が、悲鳴を上げて寮から飛び出してきた。  そうか……桜井コレクションを目の当たりにしたんだな……。  部屋に入るってことは、それなりの展開になることも覚悟していたはずなのに、それでも女子に悲鳴を上げさせる桜井先輩は、ある意味天才かもしれない。 「……っと、もうすぐ昼だ、急ごっと!」  とにかくやることは決まった。今日はちょっとだけ体育館に顔を出してから、小悪魔的美少女候補を探して学校周辺を探索することにしよう。  空は快晴……今日はなんだか、いい成果が出せそうな気がするっ!!  ……なんて思っててうまく行った試しなんてないもんだ!  結局昨日は、体育館で主役王子の代役をやらされて1日終了。  今日になってようやく演劇部の片岡が昼休みの練習に顔を出し、代役からは解放されたものの、イメージに合うような女子はまるで見つからなかった。  うーん、もう少しハードルを下げた方がいいのかな。  他の役があまりにイメージ通りに決まっているから、ついつい小悪魔的美少女にも多くを望んでしまう。  『似合わないこともない』レベルの子だったら、校内でもちらほらと見かけるんだ。夜々の事もあるし、こうなったらいっそ……。 「……うーん」  やっぱりもう1日。明日、明日までに見つからなかったら……妥協策発動だ。  今まで粘ったおかげで夜々や桜井先輩を引き込む事が出来たんだし、妥協で勧誘するんじゃ、相手にも、真剣に稽古してるみんなにも失礼だ。  そういえば、桜井先輩には月姉が猛プッシュをかけたそうだけど、本当に練習に顔を出しているかな?  桜井先輩が唯一苦手としているのが月姉だから平気だと思うけど……ちょっと体育館に顔を出してみることにしよう。 「もう、二度と……お会いすることはないでしょう」 「夜々ちゃん! 集中して、集中!」  体育館に入った俺に夜々が気づいたみたいだ。けれど演技中だったので、妥協なき監督様から叱責の声が飛んでくる。 「もう……二度と……お会いすることはないでしょう」 「ちょっと散漫としてる」 「…………すみません」 「いいわ、そこで隣国の姫!」 「…………(放心)」 「真星ちゃん!?」 「は、はいっ……」 「いいから落ち着いて」 「は、は、はいーっ!」  今日は夜々と片岡が相手だけど、なんか稲森さんの調子が悪そうだ。  そしてそんなイッパイイッパイの稲森さんを見て盛り上がってるのは、外野の親衛隊たち。 「やぁ、今日のまほっちゃんは生き生きしてるなー♥」 「ほんとほんと、いつもの魅力3倍増だぜ!」  ……なんて気楽な連中。 「しょうがないわね、一回休憩! ゆーま……じゃなかった天川君、ちょっと来て!」 「はいはい?」  なんの気なしにやってきた俺に、月姉は笑顔を引きつらせつつ。 「みんなの平穏のためにこっちでおとなしくしてようねー」 「えぇ!? いまのも俺のせい!?」 「あんたが来ると調子狂うみたいなのよ」 「昨日まで無理やり代役させておきながら!? あまつさえ小鳥遊の面倒まで……!」 「それはそれ、これはこれ! あたしの見立てもたまには狂うことがあるわよ!」 「つ……月姉が珍しく自分の非を認めてる!」 「まさかあんたがあそこまで期待に応えられなかったなんてねー」 「それをごっそりこっちに転嫁してきた!?」 「ごちゃごちゃ解説はいいわよ。ほら、隅で見学、隅で!」 「はいはいはい……ところで、桜井先輩の姿が見えないですけど」 「あいつさぁ、あたしが出演交渉しようとするたびにどっかに消えちゃうのよ。けどそれも時間の問題ね。絶対に逃がさないから安心していいわ」  うーむ……月姉に言われると説得力がある。 「それより、ちょっと夜々ちゃんの様子見てきてくれる?」 「早速?」  そういえば、今日はもう後半部分の稽古が始まってるみたいだ。 「昨日、ちょっと合わせてみたんだけど……やっぱり役柄をつかむのに苦戦してるみたい。どうしてもセリフを読んでるだけになっちゃうのよね」 「自然になってないってこと?」 「うん、まだ生きた姫巫女が見えてこないの」  月姉が首を振る。劇後半のクライマックスの盛り上がりは、まさに夜々にかかっているから舞台監督としても頭の痛いところだ。 「周りのみんながアドバイスしたりは?」 「口うるさいくらいにアドバイスしてるんだけど、彼女が宣言しちゃったのよ『感情的な演技はできない』って」 「あらら……」  彼女らしい言い方だけれど、それはちょっとみんな引くかもしれない。  言われてみれば、今日の夜々はみんなの稽古から放置されているようにも感じられた。 「優しく言っても聞き流されちゃうし、それでみんなの口調も荒くなるしね……だからクールダウンに長めに休憩挟んでるってわけ」  そういうことなら、今日は役者探しを中断してでも夜々の近くにいたほうがよさそうだ。 「なるほどね……そこで俺」 「の出番ってわけよ。さあ行ってらっしゃい!」 「それくらいは最後まで言わせてほしかった!」  また月姉の命令を聞く格好になってしまったことに口の中で文句を言いながら、夜々を探しに雑然とした体育館をぐるっと回る。  えっと、夜々は…………。  あれ、いない? さっきまではそこのパイプ椅子でぽつんと台本を読んでいたんだけど。 「なあ、小鳥遊見なかった?」 「あ? しらねーけど?」 「私も見てないなー」 「さっき舞台の裏手のほうで見かけたけど」 「ありがとう、稲森さん」 「稲森さん、土日特訓してたのに今日調子悪かったね」 「あ、あはは……ごめんね、またトチっちゃって」  出演者チームは、車座になってさっきの稽古の反省をしている。  みんなに囲まれているときの稲森さんには、やっぱり近寄りがたい距離感を感じるな。 「いいけどさ、やっぱ週末くらいは休み入れたほうがいいと思うよ俺は。あの姫巫女様は別だけどさ」 「小鳥遊は、実際どんな感じ?」 「どんな……って言われても、あの子演劇経験ゼロだしさ……ぶっちゃけやりにくいって」 「けど私よりセリフ噛まないし、真面目だからきっと平気だと思う」 「稲森は優しいからそんな風に言うけどさ、なんか彼女と向かい合ってると一人芝居してるような気になるんだよな」  口は悪いが、片岡の言ってることは月姉の意見とだいたい一緒だ。  うーん、雰囲気はいいんだけど、感情を入れた演技が課題か……俺にできることって何だろう。 「悪い、片岡もリードしてやってくれよ。俺もできるだけフォローするから」 「お前はそれよりキャスティングが優先だろ」 「ご、ごもっともです!」  微妙な空気になっている俳優陣の輪を抜けて、舞台の裏手に向かう。  果たして稲森さんの言うとおり、書き割りセットの裏側に夜々は一人でいた。 「……ううっ!」  な、なんだろう……すごいオーラが出ている。台本読みに没頭しているのかもしれない。  彼女の集中を乱したら悪いな……そう思って静かに近づくと。 「………………」  ――は?  彼女は…………黙々と気泡シートを潰していた。  気泡シートってのはあれだ、緩衝材で使われるビニールで空気の入ったプチプチなやつ。  なるほど、そうか。これって彼女が夢中で考え事をしているときの癖なんだな……。 「…………(ぷちぷちぷちぷち)」  うんうん、見ようによっては可愛いよな。風情があるっていうか……。  なんかこう、小動物っぽい可愛さっていうか、キュートっていうか……。  ええと、可愛い系の新機軸っていうか……。  ……全然いわねーー!!!!  だめだ、ぶっちゃけなんかちょっと病的な感じがする! ちょっとじゃなくてすごくする!! 「はい、休憩終了ー! みんな気合い入れていくわよ!」  背後から鬼監督の声が響く。声をかけそびれたまま夜々を見守っているうちに、休憩時間が終わってしまった。  気泡シートを離した夜々が急いでみんなのところに戻っていく。 「……あ」  途中、俺とすれ違って、ぺこりとお辞儀をする。 「あ、さっきはごめんな、俺が来たせいで鬼監督に怒鳴られてさ」 「……先輩に謝罪されることじゃないですから」 「練習、どう?」 「うまくやっています」 「困ったことがあったら何でも相談しろよ」 「…………(ぺこり)」  もう一度、小さくお辞儀をした夜々が俺の横をすり抜けて行った。  うーむ、バリア張られてそう……。  お芝居のキャスティングやら、小鳥遊夜々のケアやら、なにかと忙しい俺だけど、勉強やクラスの活動を放り出せるわけじゃないのが辛いところだ。 「まったく、君たちは掃除くらいまともにできないのか、けしからんっっ!!」  掃除をサボる男子に説教している恋路橋を横目に、ゴミ当番の俺はでっかいゴミ箱を抱えて校舎裏へ……。 「ふぅ、ゴミ捨て場遠いよなぁー」  俺は月姉に鍛えられてるから、ゴミ箱を抱えて校舎裏と校舎4階にある教室を往復するくらいなんてことない。  けれど、女子なんかはすぐサボりたがるし、おかげで教室のゴミ箱はゴミだらけになったりするし……。  ……って、なんか愚痴っぽくなってるな。いかんいかん、気持ちが焦ってるせいだ。  うん……もうキャスティング引っ張るのは限界かもしんない。  そろそろ誰か適当な子で手を打たないとやばいよな。  けど……。  いくら登場シーンが少ないと言っても、本番まで10日しかないんじゃ誰だって尻込みする。  ましてや小悪魔的美少女は、物語中で主人公を誘惑するキャラクター。それなりの演技力も必要になるんだ。  そんなことを考えていたら背後から足音が迫ってきて。  ――どかんっ! 「わたたっ! あぶねえ!」 「きゃああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! ここ、ここにブロックが置いてあって……」 「こっちこそごめんね、ボーっとしてて……」 「……あ!!!」 「稲森さん(天川くん)!!」  ――がこんっ! 「きゃああ!」  驚いた稲森さんがまたけつまずいた。 「そんなに慌ててどうしたの?」 「え、ええと……あ、あはは、どっか隠れるところある?」 「隠れるって言われても……と、とりあえずこの中?」  ……って、これゴミ箱じゃん! ありえねえぞ、俺!! 「ありがとっ!」 「えーーーーーーーっ!?」  稲森さんが有無をいわさず空のゴミ箱に飛び込んだところへ……。 「おーい、まほっちゃーーん!」 「大丈夫かー、オレたちがついてるぞー!」 「まほっちゃーん、このあたりは物騒だから出てきておくれー!」 「まほっちゃーーー!」 「ほっちゃーー!」 「ちゃーー!」 「……そのフォーメーションは何? 考えるの?」 「おお、天川か! もちろんだ!」 「まほっちゃんを見なかったか? 隠し立てするとためにならんぞ!」 「あっち走ってったけど……」 「ありがとう天川! お礼にゴミ捨て手伝ってやる! こいつを焼却炉に放り込めばいいんだろ?」 「わーーーっ、いい、いいから絶対放り込まないで!!」 「……ていうか、稲森さんに何かあったの?」 「まほっちゃんではない、我々はあのくだらない演劇に断固抗議するのだ!」 「抗議!?」 「そうだ、こともあろうにまほっちゃん演じる隣国の姫にはラブシーンがあるというじゃないか! そんなことが許せるかッ! 抗議だ、リコールだ!!」 「ラブシーン……って、抱き合うシーンがあるだけじゃん」 「法要! 否、抱擁だぞ! 公開ペッティングだ!! ありえんっ!!」 「いや、そんな趣旨じゃねーし。稲森さんがやりたいって言ってるならさ……」 「ええい、貴様では話にならん。雑魚はすっこんでいろ!」 「ざ……雑魚って」  そうして走り去る親衛隊の猛者たち……。  うーむ……あれって、どうなんだろうなぁ……。 「あいたたた……ごめんね、ありがと」 「なんか大変だね。連中、マジなの」 「わたしの口から月音先輩に降板を申し入れてほしいんだって……できるわけないよね」 「それで逃げてたんだ。でもあいつらほっといたらヤバくない?」 「うん……また手紙書いておくから、たぶん平気」 「手紙? メールじゃなくて?」 「そう、直筆で書いたほうが分かってくれるの」  そりゃ稲森さんの直筆お手紙がもらえたら、親衛隊の連中は狂喜乱舞するだろうなあ……。 「ほら、わたしとっさに自分の意見言うの下手だし、ね」 「稲森さんじゃなくても、あいつらにまくし立てられたら反論なんてできないって」 「あはは……そうかな?」 「そうそう……」  と、至近距離で目が合ってしまった。  オレは慌てて視線を外して……か、顔の赤くなってるのを見られたときのために、疲れて息があがってるふりをする。 「あ……あはは、あはははは!」 「あ、稲森さん、脛のとこアザになってる」 「あ、これ……今じゃないから。昨日の稽古で転んだときの」 「そ、そっか……あはははは」  そういえば、1年のころの稲森さんって、よく転んで生傷が絶えなかったよな。  最近、おとなしかったんだけど……こないだの稽古でのテンパりようは凄かった。 「そうだ、稽古って言えば小鳥遊のことだけど……やりにくい?」 「ううん、わたしは平気。大変だよね、いきなり主役だもん」 「うん……」  稲森さんがスカートについたほこりをはたく。 「夜々ちゃんがんばってるよ。わたしNG多いから、そんなことで不安にさせないようにしないとね」  みんな自分の役をこなすので精一杯なんだな。 「がんばってね」 「うん、がんばろうね!」  あ、なんかその言い方は嬉しいかも……。俺も同じスタッフなんだ。せめて俺が夜々に自信を付けさせてやれるといいんだけど……。 「うん、じゃね……って稲森さん、髪にガムが!!」 「……え? う、うそ、やだ……いたたたっ!」 「引っ張っても無理だって、ハサミハサミ!」 「うううー、ついてないー!!」  そういうわけで、俺はさっそく放課後の体育館に顔を出すことにした。  小銭少女を探しに低学年エリアをうろついていたせいで遅くなってしまったけど……。  ……って、また夜々以外の出演者チームが車座になってるし! 「お、おーい……また休憩?」 「…………そーだよ」  おまけにまた空気悪いし!! 「なんとか折り合いをつけられない?」 「やってるけどさ……それって俺たちだけがすることか?」  いま問題になってるのは物語の後半、それまで塞いでいた姫巫女が、感情豊かに変貌するというシーンだ。  しかし夜々はどうしても、その辺りの感情表現をうまく消化できないらしい。 「俺もあの子は雰囲気いいと思うよ。無感情なところも前半はピッタリだったしさ」 「でも後半だとそれが浮いちゃってるのよね」 「ちょっとあのままだと物語が成立しないよな」 「問題なのは、あの子がアドバイスを無視することよね」 「淡々と演じてるもんな……いくら言っても」 「もうちょっと合わせてくれないと迷惑するのよね」  うぅぅ……夜々の演技よりも、あのぶっきらぼうな態度に非難ごうごうといった感じだ。 「なに言っても、結局は『自分なりに全力でやってます』だもんな。監督もあの子には甘いしさ……」 「彼女なりにイッパイなんだよ」 「いきなりの飛び入りだから大変なのは分かるよ。けど、あんまりプロテクトされるとこっちがやりにくいんだよ」  主役の片岡が演じにくいのでは確かに問題だ。  夜々に優しい稲森さんや桜井先輩も、片岡ほど彼女とのカラミがあるわけじゃないから、フォローしにくそうにしている。  舞台裏を覗くと、夜々は今日も黙々と気泡シートを潰していた。  なにか声をかけてやるべきだろうか……。  でもすっかり疲れた顔してるよな……休憩の時間はそっとしておいてやろう。 「はい、休憩終わりー!」 「さあ、ここからが勝負です! みなさん気合い入れてがんばってください!」 「恋路橋は言ってるだけだからいいよなー」 「ねー」 「なにぃ、けけけけしからーーんッ! ボクを口先人間みたいにっ、ボクにはだね、まだ裏方の仕事がたくさん……」 「はいはいはい、わかりましたー!」  うーん、みんな疲れてイライラしてる。恋路橋も大変そうだなぁ……。  しかし、休憩時間が終わっても夜々がなかなか戻ってこない。ひょっとして気泡シートに夢中になってたりして!?  ここでみんなを待たせたら、また〈顰〉《ひん》〈蹙〉《しゅく》を買ってしまいそうだ。まずいぞ……。  ……やっぱり!! 「小鳥遊、休憩終わったぞ」 「……はい」  うわー、声が暗い……これはかなり迷ってるよな。 「……どうした? 苦戦してる?」 「…………(こくり)」 「……前半は理解できるけど、後半の心情がまだ理解できないです」 「それで淡々と演じていたのか」 「……(こくり)」  兄である王子のことが好きで、けれど国の行く末を憂うことで兄との恋愛をあきらめた姫巫女……。  夜々は、そんな姫巫女がその後も王子に未練を残しているのが、よく分からないというのだ。  そんなものだろうか。俺はすんなり納得できたけれど、自分が演じるつもりで台本を読んだわけじゃないから、どうしても第三者的な見方しかできそうにない。 「口で説明すれば済むってことじゃなさそうだな」 「…………みんなにも教えてもらったんだけど」 「結局、小鳥遊のなかでピンとこないと仕方ないことだもんな」 「…………?」  意外なことを言われたというように、夜々が顔をあげた。 「小鳥遊の解釈で演じるしかないんじゃないのか? 最初に言ってただろ、社会勉強だって」 「引きずり込んだ俺が言うのもなんだけどさ、この役に取り組むことで小鳥遊になにか得るものがあれば、それが一番だと思う」 「…………得るもの……」 「俺は、小鳥遊が一番役柄のイメージに合ってると思ったから推薦したんだ」 「だから納得いかない演技を言われるままにするんじゃなくて、小鳥遊が思う姫巫女を作ってほしいと思う」 「天川……先輩……?」 「うん……わかりました」  俺の手探りなアドバイスでも、夜々にはそれなりに効果があったようで、それからの練習は彼女なりに努力してへこたれずに演技をした。  もちろん答えが見つかったわけじゃないからNGの連発だったけれど、夜々が努力しているのが通じたのか、片岡たちも愚痴を言わずに付き合ってくれた。  もう大丈夫だと思った俺は、月姉に言い置いて小悪魔的美少女の捜索だ。  職員室のPCで画像つき生徒名簿から探すことにしてみたが、やはり4月に撮った写真だけではイメージがつかめない。  行き詰った俺は、またも下校する生徒たちをチェックすることにしたんだけど……。 「……だめだ、校門の横でジロジロやってたら、怪しい雰囲気出まくりだ」  ならば、と、校門の横にある大きな木の影から観察してみると……。  向かいの木の陰でも、俺と全く同じようなことをしている女子が一人!  あれは、いつぞやの募金&小銭少女だ!!  清楚な少女役…………うん、彼女なら行ける気がする。  ならば早速出演交渉を、と思ったけれど、小銭少女はそわそわと誰かを待っている風情だ。  忙しいときに声をかけて断られるわけにはいかない。ちょっと様子を見てからにしよう。  ううむ……彼氏でも待ってるのかな?  そんなうちに下校時間のチャイムが鳴って、運動部の連中や、体育館で練習をしていた寮生たちがちらほらと姿を見せ始めた。  せっかくなので小銭少女の様子を見ながら小悪魔的美少女候補がいないかをチェックするものの、出てくるのは見知った連中の顔ばかり――今日も空振り確定だ。  下校する生徒の波が一段落すると、稽古あがりの恋路橋が出てきた。 「…………ぶつぶつぶつ」  うーむ、相変わらずなにやらぐちぐち言ってる。と、そこへ……。 「恋路橋先輩っ♪」  な、なにーーー!!!!  小銭少女が恋路橋の名前を読んで、木の陰からぴょんと飛び出してきた! ま、まさか……恋路橋にもとうとう春到来の予感!? 「……ぶつぶつぶつ」  おおっ! しかし何やらぶつぶつと考え込んでいた恋路橋は、せっかくの女の子をガン無視!! 「あ、あ……ちょっと待ってくださいよーっ」  そして後を追いかける小銭少女。  い、いったいなにが起こっているんだ、恋路橋が女の子に後を追わせているなんて!!  こ、これは見届けねばッ!! 「……ぶつぶつぶつぶつ」 「先輩っ、せんぱーいっ、せんぱぁぁぁぁーーーーーーい! 恋路橋先輩っ!」  ああいうときの恋路橋は、いつもしょうもない愚痴を考えているか、お母さんへの手紙の文面を考えていたりして、耳から頭に情報が伝わっていないんだ。  見かねた俺が恋路橋を振り向かせてやろうと足を踏み出したとき、奇跡的に恋路橋が後ろを振り返った。 「あああっ、き、ききききき君はっ!」 「どうしたんですか、全然振り向いてくれないから……」 「あ、ごごごごめん! ちょっとボクは考え事をしていただけなんだ、ほんとに!」  そりゃ見れば分かる。そして小銭少女は恋路橋に右の掌を突き出した。 「先輩、はい」 「……え?」 「お金……くださいな」  お、お金!?  そ、そういえば恋路橋あの子からお金を借りたって言ってたっけ。考えてみれば雪乃先生もあの子から雑誌代を借りていたし……。 「あ、そ、そうだった……ご、ごめんね、いまボク財布持ってなくて……ポケットに100円しか」 「……そうですか」 「あ、明日なら、ええと明日だったら返せるから!」 「……ごめんね、ボクとしたことが忙しくて、すっかり忘れてて」 「いえ、平気です…………ちょっと、待っててくださいね」  にこにこ笑顔の小銭少女は、恋路橋を置いたまま物陰へ……。  携帯電話をいじり始めたけど、なにをやっているんだろう。  好奇心に負けた俺は、そっと彼女の傍らへ。 「ええと、山本興業はダメだし、永郷建設も無理……第三心中丸か、ここなら」 「なにをしてるの?」 「返済プランを考えているんですよ。飯場は所詮地続きなので、いっそのこと漁師さんにぴっぽっぱ……」 「まってーーー、やめてーーーー!!!!」 「きゃっ!? 誰かと思ったらこないだの……!?」 「なにやってんだー!! だめ、親友をマグロ漁船に乗せるわけにはいかないっ!」 「なんなんだ君は、血も涙もない高利貸しか!」 「……む!」 「そんなのお金を返さないほうが悪いんですから知りません、ええーと」 「まってーーー、やめてーーー!」 「どうしたんだい、なにをやってるの?」 「わー、恋路橋っ!」 「恋路橋先輩! マグロ漁船乗りましょう」 「え? え?」 「一緒に来てくださればパスポートなんかも取りますし!」 「無理だー! むしろ向こうの迷惑だ!」 「じ、じゃあ町金を紹介します! ええと借り換えと言ってですね……」 「だめー、大人の世界にこのボクちゃんを連れてかないでー!!」 「ええい、返済義務を放棄する輩にかける情けはありませんっ!」 「に、にげてー、恋路橋にげてー!」 「そうはいきませんっ!」  うお、小銭少女が0.5秒の早業で恋路橋の足をかけて転ばした。 「逃がしませんからっ!」 「だ、だ、だってボク、ママが! ママがー!」 「ああ、そうですね。物騒なことは言わずに、まずは親御さんをキャーン言わせてみましょう」 「ものすごい物騒だーー! わかった、わかったからちょっと待てー!」 「……はい、利息込みで571円、確かにご返済いただきました。持つべきものはお友達ですね」 「……………………」  結局俺は、入学以来ずっと手をつけないでいた財布の内ポケットの500円札に手をつけることになってしまった!  ああっ、どんなに貧乏しても決して手をつけなかった財布の守り神だったのに。 「はい、こちらが借用証書にお釣りの29円です、お確かめください」 「はい……」 「先輩、老婆心ながらご忠告しますけど、私は助かりましたが、そんなタダ貸しばかりしていてもいいことないですよ」 「………………」 「それでは、またのご用命をお待ちしてますっ」  唖然としている俺と恋路橋を残して、ぺこりとお辞儀をした小銭少女は駅の改札に消えていった。 「……いったい何だったんだ」 「……ボクも分からないよ、なにがなんだか」 「500円貸しだぞ」 「うん……って!? よく考えてみれば、なんで君がここにいるんだーっっ!!」 「いや、学校から普通に……」 「尾けて来てたの!?」 「ごめん、つい……お前の恋路がほっとけなくて」 「まったくだ、つい覗いてしまったじゃないか」 「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁあぁあぁッ!?」 「さささ桜井先輩っ!!」 「驚いた、ワタルボーイがまさか彼女にご執心だったとはなぁ」 「先輩、知ってるんですか?」 「女子のことで知らないことなどないさ。あの低学年の子はあっちで数百円、こっちで数百円と、非常にささやかな金貸しをしてるって噂だよ」  ま、まさか……見かけに反して、そんなしたたかな女の子だったなんて! 「イメージが崩れた……」 「イメージにぴったりだ……」  放課後――。  5限で授業の終わった俺が、夜々の稽古具合を心配して体育館に向かっていた……そのとき! 「やっほー、祐真ちゃん元気してる?」 「ここんとこ忙しくて元気かどうかも定かならずです!」 「いーわねー、男子はそーでなくっちゃ。じゃあ、ちょっとだけ手伝ってくれるかなー?」 「あ……ええと、ちょっと忙しいかも」 「すぐすむからー! ね、ね!」 「はい、これ! 社会科の準備室に置いてきて」 「うお!?」  にっこり笑った雪乃先生は、やおら俺の両手に重量級のダンボールを乗せてきた。 「意味わかんないっすよ! 俺これから劇の……」 「あたしだってエステ……じゃない職員会議があるんだから!!」 「エステ?」 「どういう耳してるの、職員会議よ!!」 「そ、そうか…………! なら仕方ない……」 「いや違う、それ全部先生の仕事です!」 「いーじゃなーい。やってくれたらお礼あげるから!」 「見損ないました、教え子を物で釣って働かせようなんて……」 「ここにね、学食の食券が3枚……」 「やらせてもらいます!!」  食券! しかも3食分!! つまりそれは連日のパンの耳生活からの脱却を意味するッ!!  それを思えばダンボールの1つくらい! 「じゃあ、こっちのもお願いねー☆」 「へ?」 「……だ、だまされた!!」  しめて20個のダンボールを社会科資料室に押し込んだ俺が、両手をダルダルにしながらフラフラと廊下に出ると……。 「ご精が出ますわねぇ」 「あー、いや、どうも……」 「………………」 「…………」 「ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!!!」 「あ、あ、あ、あなた、いつぞやの!」 「あらあら、覚えていらしたんですかー?」 「ずいぶん久々だったから思い出すのに時間かかったけど、前に公園の高台で会った人ですよね!!」 「はいー、おなつかしいですねえ」 「そこまで昔じゃないです! ていうか、こないだも学校で見かけたんですが?」 「はいー、私、シロツメと申します」 「あ、ども……俺は天川っていいます、天川祐真」  しまった思わず名乗ってしまった。 「ええ、よく存じ上げておりますわ」 「よく? あの、いやそうじゃなくて、ええと……まさか先生?」 「いえー、そんなご立派なものではありませんですわ」 「……校内は関係者以外立入禁止なんですが?」 「あー、そうですね。ですがお気になさらず。他の人は私に気づいたりしませんから」 「いやいやいや、そんな格好してたら100パー気づきます! いったいどこの歌姫ですか!?」 「くすくすくす、祐真さんは面白いですねー」  そういう問題じゃなくて……ハッ!?  こ、これはいわゆる変な人かもしれない!! よく分かんないけど近くの病院から抜け出してきたとか!?  どきどきどき……見れば普通に雪乃先生くらいの年齢っぽいけど、いきなり刃物持ち出したり、奇声を発したりされた日にゃ、俺はどうすれば……!! 「くらくら……ああ〜っ!!!」 「きゃーーーーーーー奇声ーーー!!!」  いや奇声は俺のほうだ。落ち着け!  落ち着けない、だってこの人倒れてるーーッ!! 「だだだだ大丈夫ですか!!」 「き、急に具合がぁぁ……」 「そんな唐突に!? どどどうしよう……水!? 水でも飲みますか?」 「エBアン汲んできて」 「あァ!?」 「嘘です、お水では……駄目なんです……」  嘘つくなよこんな時に。 「お茶……お茶があれば、治るんですけど……」 「お、お茶ですか?」 「ううー、くーるーしーいー」 「わ、分かりましたちょっと待ってて!!」  どきどきどき、びっくりした……いきなりぶっ倒れるなんて、なんなんだあの人はいったい!!  お茶、お茶、お茶……お茶なら自販機で売ってる。あの口ぶりからして、烏龍茶よりも日本茶のほうがよさそうだな。  お茶のペットボトルは学生価格で……100円。 「………………持ってねーーーー!!!」  忘れてた、俺月末まで文無しだったじゃん!! へそくりの500円も恋路橋に貸しちゃったし……ど、ど、ど、どうしよう!! 「いっそ叩くか!」  ――だんだんだんだん!!! 「なんてするわけねー! 誰か、誰かにお金借りて……いや、先生に連絡したほうがいいかしら? どどどどうする!?」 「どーう、なさいましたぁ?」 「おおおっ、小銭少女!! い、いいところにっ!!」  完全にテンパった俺は身振り手振りで状況説明。 「あっち、あっちで謎の歌姫が倒れて茶を所望!」 「はぁ?」 「落ち着け、そうじゃない! 向こうで具合を悪くした人がいて、お茶を欲しがってるんだけど、あいにく持ち合わせがなくて!」 「はいっ」 「ええと、だから…………今お金持ってる?」 「もちろんです!」 「よかった!」 「はい!」 「………………」 「…………(にこにこにこ)」  だめだ……ニコニコしてるだけで、代わりに買ってくれる気配がない。 「……お金、貸してくださいます?」 「はいっ、よろこんでー♪」  小銭少女は嬉々としてでっかいお財布をポーチから取り出した。  …………なんだろう、このもやもやした感覚。 「キャッシュ101、ご利用ありがとうございます。さっそくシステムをご説明いたしますね」 「キャッシュわんおーわん? いやあのさ、急いでるんだけどっ!」  こんなことしてる間に、さっきの謎の歌姫がこときれてたりしたら、寝覚めの悪さは想像を絶するというのにー! 「では手短にご説明いたしますね、貸付の限度額は1万円。利息は10日で1割の複利です♪」  なんかすごいウキウキしてる……この子からお金を借りるのはなんだかすごい怖い気がするんだけど、でも今は行き倒れが! 「あ、私3‐Cの日向美緒里です。ご利用の前に、先輩のお名前とクラスとご住所を……」 「天川祐真! 5‐B! いずみ寮! だから早く!」 「はい、今回はいかほどご利用なさいますか?」 「100円!! 早くしないとっ!」 「では最後に……」 「え?」  いきなり、小銭少女あらため日向美緒里が小指をからめてきた。 「契約しまーす」  な……なんでだ!? 俺は金を借りようとしただけで……。 「ゆーびきーりげんまん、うそつーいたら針せんぼんのーます! 指切った♪」 「……え? え?」 「あのー、天川先輩も一緒に……じゃないと指切れませんよ」 「これは……なに?」 「契約です! さささ、ちゃんと指をからめてください」  と言われても、女の子と小指をからめるなんて、物心ついてからは初めてだし。 「ゆーびきーり……先輩、一緒に歌ってください」 「あ、ご、ごめん」  2コ下の後輩でも、間近に迫られてにっこりされると、さすがにドキッとしてしまう。  これで恋路橋は恋の始まりを錯覚したのか……分かるぞ、その気持ち。  ……って俺はなにを悠長に思ってるんだ!? 「それじゃあもう一度いきますよー。ゆーびきーり……」 「ていうか早く100円ー!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……これ!」  かくしてダッシュで戻った俺は、シロツメさんに缶の緑茶を手渡した。  よかった……まだ息があって本当によかった。 「うぅぅ……ありがとうございますぅぅ…………こくり」 「………………」 「5点」 「採点!?」 「100点満点で5点です、こんな大量生産はティーとして認められませんわ(どぼどぼどぼどぼどぼ……!)」 「わーーーーっ!! なにするだァーーー!?」 「てゆーか息も絶え絶えだったのに!?!?!?」 「それとこれとは別です。こんな緑の〈色〉《いろ》〈水〉《みず》では元気になんてなれません。私、絶対に濃いハーブティでないと駄目なんですぅぅ(……がくっ)」 「先に言えーーーっ!!!」  ……はぁ、はぁ、疲れる。なんかすごい疲れるぞこの人!  貧乏学生が借金までして買ってきたのに、緑の色水だの、大量生産だの、挙句の果てには廊下に飲ませて……! 「ハーブティなんて校内でそうそう見つかるものじゃないから!」 「……いえ、そこに」  鼻をひくひくさせたシロツメさんは、いきなり目の前の社会科準備室を指差した。 「ほーら、やっぱりあったじゃありませんかぁ」 「………………」  資料室の中から(たぶん雪乃先生の)ティーセットを見つけたシロツメさんは、勝手に一服してケロッとした顔をしてる。  もういい、なにも愚痴るまい……。 「じゃ、俺はそろそろ……」 「まあまあ、そう言わないで飲んでいきましょうよー、ささ、一杯だけ、ぐいっと!」 「アフタヌーンティのイメージが壊れるなぁ……まあ一杯だけなら…………」 「あれ、おいしい?」  すごい、この人の淹れたお茶、マジで美味しい!! 「ごくごくごく……ぷはーっ」 「まあいい飲みっぷり……さあ、おかわりをどうぞー☆」 「いや、それより……ええとシロツメさんはどうして校内に?」 「あらぁ〜、ろうしてって、ろーしてなんれひょーねー、あははははははは!」  なんで真っ赤になってんだ!? 「いまのお茶……へんなもの入ってないですよね!?」 「はいってないれすよぉー、くすくす、くすくす……あはははは、なーんもはいってないれーす☆」 「うわー、なんかもう全然わけ分かんない! なんでこの人お茶で酔っ払ってるの!? でもって誰!? マジで誰!?」 「だれもなにもーー」  と、そのとき! 「こーら祐真ちゃん、いつまでかかってるのー?」 「ああっ、雪乃先生!!」 「あ、あーっ! こらっ、なに勝手にひとのウェッジウッド出してるのよーっ!!」 「いや、す、すみません! それはその、この人が……」 「少ないお給料やりくりして買ったんだから、勝手に触らないでよー!」 「準備室私物化してんのか……いや、そんなのはどうでもいい! 先生、ほらこの人が!!」 「この人この人って何言ってんの! 今日だけは大目に見てあげるけど、ひとのお茶を勝手に飲むのはドロボーなんだからっ」 「いや……あの……」  雪乃先生、視界にシロツメさんがまるで入ってないみたいだ……。  他の人が気づかないって、まさか本当に……。 「だから、そう申し上げたじゃありませんか〜」  音もなく立ち上がったシロツメさんがドアの向こうに消えて行く。 「ほ、本当だ……気づかない……」 「なにが本当なのよ、天川!!」  そして目の前に残ったのは怒りの治まらぬ雪乃先生。  これ……全部俺の仕業って流れですかーーー!?  はぁぁ……なんか意味不明な1日だった。  配役は見つからない、練習にも顔出せない、おまけにダンボール運びのせいで、手は痛いわ、あの小銭少女に借金まで作るわ……。  そこまでして労働したというのに、雪乃先生を怒らせて食券3枚もチャラにされてしまうなんて……うううっ!  せめてもの救いは、借金の利息が10日で1割だったってことだ。うん、良心的な金利でよかったよかった。  翌日の午前中もこれといって珍しいことは起きなかったが、昼休みに予想外の来訪者が教室を訪れた。 「…………」  おい、またあの子だぜ。  どよめく教室。もっぱら男子たちだ。  また変な目で見られないように、俺は彼女をすぐに廊下に連れ出した。 「どうしたの、なにか困ったことでもあった?」 「…………(こくり)」  うなずいた夜々が続ける。 「相談……したくて……」 「いいよ、飯時だし、学食でも行こうか」 「…………(こくり)」  こころなしか、彼女の態度は以前より素直になってきた気がする。  俺のことを少しずつ信頼してもらえているのかもしれない。 「うわ、混んでるな……今日、木曜か」  木曜はパンメニューのサービス日だ。学食にはここぞとばかりに生徒が押しかけていて、ちょっと話し込めるような雰囲気じゃない。 「別のところ行く?」 「…………(こくり)」  さすがに彼女の前で、購買のおばちゃんからランチがわりのパンの耳をもらうのは恥ずかしい。  うぅぅ……今日は昼抜きか。 「ん?」  あきらめて立ち去ろうとする俺のシャツを、夜々がクイクイと引っ張った。 「………………あの」 「…………これ」 「うおおお、パンだ! 耳じゃなくて調理されたパンだ!!! これ、俺の分も?」 「…………(こくり)」 「ありがとうー! ひゃっほう、行くぞ!」 「え? あ、あ……!」  そうと決まれば、夜々の手を引いて中庭までダッシュだ。  彼女に感謝しながら、俺たちは中庭のベンチで昼飯を食べることにした。  夜々は演技のことで俺と相談したいことがあるらしく、どうやらパンはそのお礼ということらしい。  そこまでしないでも……とは思うんだけど、もう彼女が用意してきてくれたんだから、食べないと失礼にあたるだろう。 「ありがと、ありがとー! いただきまーす!」 「ぱくり……ごちそうさま!」 「…………っ!?」  小さめなパン2つを一口で平らげた俺を、夜々がきょとんと眺めている。もちろん、全然足りてないぜ! けれどここはもちろん平気な顔で……。 「で、お芝居のほうはどう?」 「あ……」  自分のぶんのデニッシュをもそもそと食べていた夜々が、下を向く。 「…………姫巫女の気持ちとか……分からないところあって」 「どれどれ?」 「……ここで、後ろを振り向くシーンが」  夜々が悩んでいたのは、心の中で慕っていた王子から求愛され、それを断るシーンだ……。 「あの、台本持ってきたんです……」 「じゃあ、セリフ合わせてみる?」 「……(こくり)」  筋書きは分かるが、細かい動作にどんな意味があるのか、ちゃんと考えて演技をするように月姉から言われたらしい。 「……みんなに迷惑をかけたくないから、ちゃんと演じたいです」  いつも無愛想な夜々が、そんな内心を明かしてくれた。 「ああ……そうだよな」 「…………(こくり)」  まだ警戒はなくならないが、少しは俺のことを信頼してくれているらしい。  そんなこと言われたら放っておけない。台本もざっとなら頭に入っているし、俺の思う範囲で夜々の演じる姫巫女の心境をアドバイスしてやることにした。 「姫巫女は兄さんのことが好きなんだけど、結ばれない関係だって分かってるんじゃないかな」 「…………」 「だったら振り返るところは、勢いよく振り返るよりも、ためらいながらゆっくりのほうがイメージ出るんじゃないかな」 「……ゆっくり?」 「うん、7割くらいのスピードで」 「…………こうですか」  人目のある昼休みの中庭をものともせず、立ち上がった夜々が気になっているシーンを演じ直してみる。  何人かがこっちを振り向いたけれど、気にしている様子もない。彼女は人付き合いが苦手なだけで、引っ込み思案ってわけじゃないのかもな。  ……なんて俺が感心してると、そこへ。 「〜♪」  うわぁぁぁ!! で、出た、しかも連日!  昨日と全く同じステージ衣装的なものを身に付けた、謎のシロツメさんが堂々と中庭を横切っていった。  けれど周りの生徒たちは誰も彼女を気にしていない。誰にも気づかれない……って、いったいあの人は何者なんだ!?  う、ううむ……俺だけに見えるってことは……げ、幻覚かもしれない。そういやここんところ疲れているような気もしてきた。  かくなるうえは、夜々に変な人だと思われないように平静を保ちつつ……。 「やあ、なにも怪しいものは見えないな」 「…………!!」  だめだ、俺なに言ってる! 明らかに怪しいって、夜々もドン引きしてるし……。 「…………(じーっ)」  夜々が凝視している。その視線の先にいるのは俺じゃなくて……。 「なんですか……あの変な人?」 「あれ、見えてる?」 「…………(こくり)」  どういうことだ、俺と夜々にだけ見えていて、他の生徒には見えていないってことは……? 「先生を呼んできたほうが……」 「うん……ていうか、なんであんな格好してんだろう、あの人」 「……そういう病気なんじゃ」  デーハーな衣装でうろつく病!? 心方面の病気か……うん、そう言われるとそんな気がしてきた。  説得力のある夜々の意見にうなずく。するとそのとき、心方面にトラブルを抱えたシロツメさんがこっちをくるりと振り向き……。 「あらあら〜、一緒にいるんですね〜♪」 「――っっ!!!」  わぁぁ、ニコニコ手を振り、腰をしゃなりしゃなりとくねらせ、ものっっっっっ凄い嬉しそうな顔で駆け寄ってきた!!! 「へ、へんな人……!」  確かに変な人……そしてもしシロツメさんが周囲の生徒に見えないのだとしたら、傍からは俺と夜々が発狂して謎のリアクションを取ってるように見えてるかも!  最悪だ! 俺はともかく、転校したばかりの夜々が変人扱いされるのは忍びない……となれば!! 「小鳥遊、ここは俺が食い止める。君は早く校内に!」 「で、でも……!」 「いいから行け、舞台は任せたぞ!」 「……(こくり)」 「俺もすぐに追いつく……だから、最高の芝居をみせてくれよ」  別れのセリフを渋く決めた俺は、迫ってくるシロツメさんに全力で突っ込み……! 「こっち来てくださいっ!!」 「あら、あらあらあら〜?」 「あなた、なにやってんですかっ!!!」 「はいー、ちょいとお散歩などを」 「だから校内は部外者立入禁止だって言ってるのに!」 「まあまあ、そんなに堅いことをおっしゃらずにー」 「おっしゃりたくないけど、あんな人目のあるところで話しかけられても困ります! ていうか、あなたは結局何者なんですか!」 「はい、シロツメと申しますー♪」 「そういう意味じゃねーー!!」  ハッ……大人の人にガンガン突っ込んでしまった。自重しろ、俺! 「え、ええと……なんか他の人は気づかないとか言ってましたけど!」 「それはもうー」 「ガチで気づかれてたじゃないですかっ! 俺のとなりにいた子に!!」 「あらぁ、どうしてなんでしょうね。あの子とはどういったいきさつで?」 「え? あ、いやそれは……かくかくしかじか」  話さなくてもいいことなのに、俺は寮生でやる芝居のことと、夜々が幻の戯曲の主演に抜擢されたいきさつを謎のシロツメさんに説明してしまった。 「まあまあ、それは良いことをなさってますわ〜。さきほどのお芝居も劇の練習で?」 「あ、まあ……そんなところです」 「夜々ちゃんは感情を押さえ込んだ素晴らしい演技をされていますわ……ただちょっと気になったのが」 「な、なんですか?」 「あ、これ……台本ですかぁ? ふむふむふむ……ここ、ここのページのところ!」  シロツメさんが、クライマックスの少し手前のシーンを指差す。あ、それは……。 「そのページ、もとの台本から抜けてたんで、舞台監督が補完したんですよ」  すごいな、ぴたり月姉が補完したところがおかしいって見抜くなんて。 「そこなんですけど……姫巫女さんの兄王子への思慕は、子供の頃からあったのではなくて、兄妹が引き離されていた期間に育まれたのではないかしら?」 「……あ!」 「そして兄王子もきっと、姫巫女に愛の告白をしたのではないかしら、それを周囲の人間に聞かれていて……かくかくしかじか」 「……ふむふむ!」  なるほど、シロツメさんの言うように解釈すると、シーンがスムースにつながるような気がする!  そうか、なるほどねえ……そう考えれば物語の筋が……。  ……あれ? でもなんか変だぞ? 「あの、どうしてあなたは小鳥遊の下の名前を……?」  ………………。 「いないっっ!?」  ……うーん、いったいあの人はなんなんだろう。  寮の風呂に長湯しながら、俺は昼間のシロツメさんのことを考えていた。  放課後の体育館を覗いた俺は、夜々たちの練習を見ながら月姉にそれとなくシロツメさんのアイデアを話してみた。  台本の抜け部分を書いた月姉は、シロツメさんの別解釈をすごく気に入って、その場でセリフを差し替えることになった。  おまけにそれが俺の手柄になって、演劇チームから妙に信頼されてしまうという急展開。  ……うーむ、謎だ、謎すぎるよシロツメさん。  あの台本を書いた人って、もう死んじゃったんだよな……まさかシロツメさんが浮遊霊的なものだったりして??  なんて考えていたら……。 「わっ!?」 「うわっ、な、なんだ……恋路橋か、びっくりした」 「な、なんだ君か……君ならいいけど、ずいぶん長湯だね」 「ちょっと考え事をしてて」  ていうか、俺ならいいってどういうことだ?  そういえばずいぶん長いことつかっていたような気がする。恋路橋が驚くのも無理はないか。 「お前、いつもしまい湯だよな」 「いいだろ、ボクは一人でゆっくり入るのが好きなんだ」 「そりゃ邪魔して悪かったね……ん、なんでお前風呂なのに眼鏡かけてんの?」 「よよよ余計なお世話だっ! そんなのは個人の勝手で……!!」 「おかしいって、前曇るだろ、取ってやる!」  ――ざぶーん! 「いいよっ……わぶっ! え、遠慮するっ!!」  ――ばしゃばしゃばしゃっ! 「くっくっく……よいではないか、よいではないかー♪」 「やっ、やめたまえ、もが、がぼがぼっ、けっ、けしからんーっ!!」 「取ったー!」 「……………………!!!!!!!」 「もがっ、か、かえせーっ!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……け、けしからん、君という奴は十万億土けしからんっ!」 「こ、恋路橋…………お前…………」 「……なるほど、そんなことがあったのね」 「柏木先輩のいないタイミングで小鳥遊さんにクレームをつけるなんて、まったくけしからん話だよっ!」 「無理もないさ、月音さんと渡り合おうなんて考える奴は……」 「うぐっ」 「悪かったわね! で、夜々ちゃんは?」 「部屋で台本をあらためて読み込んでる」 「そっか……なんとかなりそう?」 「してみせるよ」 「……うん、ありがとね」  月姉がみんなの前でお礼を言ってくるなんて珍しいことだ。なんだかそれだけでやる気が出てくる。 「しかし天川君があんなに熱血漢だとは思わなかったよ」 「そうなの?」 「ああ、実にハンサムガイだったよ、あのときのUMAは」 「そ、そんなんじゃないですよっ! 俺はただ!」 「ただ、不器用でまっすぐな下級生をほうってはおけないヒーローだった……と」 「違いますっ!」 「感激したこの僕などは、今日からこいつをUMAじゃなくてハンサム君と呼ぶことにしたくらいだ」 「わぁぁ、往来でそんな風に呼ばれたらたちまち死にたくなります! これは単なるけじめの問題で!」 「そうムキになって否定しなくてもいいじゃないか、なあ、ワタルガール?」 「せめてボーイにしてください、けしからん!」 「と言いつつ……なんで寮に帰ってもこの格好なんだ?」 「この僕および関係者男子全員からのリクエストだよ。月音君も承認済さ」 「もう舞台まで間がないから、ちょっとでも役になりきれていいじゃない」 「ち、ち、ちっともよくないっ!」  寮のリビングでオレたちが遅くまで雑談をしていると……。 「あー、いたいた、柏木ー!」 「先生、どうしました?」 「探してたのよー。ねえ柏木、劇の宣伝ポスター描いてよ」 「は?」 「チラシは恋路橋と柏木に作ってもらってるけどさ、やっぱりポスターも必要じゃない? で、せっかくだから柏木に……」 「そ、それは……無理ですよ、お断りします」 「これはまた、ゆきちゃんも大胆なこと考えたね」 「いいじゃない、柏木だったら実力も……」 「いいえ、無理ったら無理です!」 「ほら、監督は忙しいから……」 「エロ学生には聞いてないっ! それに、いざとなったら監督はあたしがやってもいいしー♪」 「……それこそ無理だと思う」 「時間の問題じゃなくてイメージの問題なんです。このお芝居のイメージは絵じゃない気がして……」 「そうなのー?」 「今朝、チラシ用にと思って天川君と写真撮ってきたんです。ポスターにも使えると思いますよ」  月姉が、ポケットのケースからデジタルカメラのメモリーカードを取り出す。 「えー、写真かぁ」 「でも、いいカットもありますから!」  月姉必死だ。絵の話は嫌いなんだよな……。  普段の月姉なら即答で断ったりしないで、なんとか実現可能な方法を探すはずだけど、絵の話になるとそうはいかないみたいだ。 「柏木がそう言うなら大丈夫だと思うけど、なんかもったいないわねー。柏木くらい絵の上手い子が監督やってるのに〜!」 「あ、あっ……ええと、これ! ちょっと部屋のPCでチェックしてきます! それじゃ!」 「あ、ちょっと柏木ーー!!」 「行ったか……やれやれなんとも慌しいね」 「……で、恋路橋はさっきから黙々となにやってるの?」  月姉と雪乃先生のドタバタを完全スルーした恋路橋は、こそこそとノートPCでメールを打っているみたいだ。 「なになに、親愛なるママへ。今日僕は、下級生の女の子が演技のことをみんなに責められてるのを助けて、彼女に演劇の何たるかを教えてあげることにしました……」 「おい、それって俺のことだーーー!!」 「わーっ、盗み読みするなんてけしからん!」 「けしからんのはお前だ!」 「いいじゃないかUMA、お前はワタルガールがつい憧れてしまうほどのハンサム君だってことさ」 「ハンサム君!? そ、そのフレーズはいやだー!!」  翌朝、午前6時。  公園の石畳を蹴って走る。このままサイクリングコースを登り詰めれば、早朝ロードワークの折り返し地点だ。 「おーい、息切れてるわよっ」 「んなことないって!」  前を走る月姉に反論して、スピードアップする。  久々のロードワークだけどちっともキツくないのは、頭の中を占領していたキャスティング問題が片付いたからだろうか。それとも昨日の稲森さんとの……。  いかんいかん、雑念を振り払って走ることに集中する。月姉のペースは余裕で流せるほど甘くないのだ。 「ほらほら、遅れてるー」 「はいはいはーい!」  ちなみに月姉が走ってるのは『自転車に乗って』なわけだけど!  子供の頃から、月姉はなにかっていうと俺をロードワークに連れ出そうとする。  もともとは、ひ弱だった俺を鍛えるために月姉が一肌脱ぐ形で始まったロードワーク。  それがいつからか月姉のストレス解消みたいになってきて、俺がすっかり健脚になった今でも、ときどきこうやって付き合わされることがある。  俺自身、気晴らしに一人で走るくらいだから、全く構わないんだけど……。 「また何かイラつくことでもあった?」 「なに言ってんの。祐真が役者を見つけてくれたから、ご褒美のつもりで付き合ってんのよ」 「はいはい……それはまた光栄なことでございます」 「感謝がたりなーい、忙しいのにわざわざ時間割いてるんだからね」 「あー、ありがたい、ありがたいー(棒)」 「………………ふんっ」  ニヤニヤ笑いながら走る俺から、月姉がつんと顔をそむける。  いつも姉貴風を吹かせる月姉だけど、俺に突っ込まれると強がってムキになることが多い。  そんな月姉を放置プレイしながら、俺は朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでリフレッシュ。身体を動かすと気持ちが楽になることは、月姉から教わったようなものだ。  俺が4年になって寮に入るまでは少し疎遠だったけれど、寮生同士になってからというもの、月姉との関係はすぐに以前のように戻っていた。 「はい、ストーップ、少しなら休憩していいわよ」 「折り返さないの?」 「ちょっと用事があるの」 「……?」  自転車のカゴに乗せたバッグからデジカメを取り出した月姉が、広がる景色をファインダー越しに眺める。  高台から町を見下ろしながら、シャッターを切り始めた。 「なんの写真?」 「ちょっとね……宣材とか」 「センザイ?」  ……まいっか。月姉はいつも俺の知らないことで大忙しなのだ。  伸びをして朝の風に身を洗う。  すっかり冷えてきた。そろそろ12月、雪が降るとこんな風に寝転んで空を見ることもできなくなる……。  月姉とは、両親を亡くした俺が、里親の住むこの永郷市に越してきた頃からの知り合いだ。  お互いまだ子供だったが、あの頃から月姉は俺の姉貴分であり、兄貴分でもあった。  月姉は、両親を亡くして塞ぎ込んでた俺を励まそうと、ロードワークだのプールだの山登りだのと、俺の事をいろいろ引っ張り回してくれた。  当時から優等生で、学級委員や生徒会の活動をやってた月姉は、いつも俺の知らないところで忙しそうだった。  里親が仕事の都合で海外に行く事になって、俺が寮に入る事になった時も、いろいろ面倒見てもらった。  のんきな俺は、そんな月姉の横顔をずっと見てきたような気がする……こんな風に。 「本番まで、あと10日だよね」 「そうね、稽古できるのは8日ってところかな」 「なんとかなりそう」 「もちろん、誰が監督やると思ってるの?」 「前から思ってたけど、月姉のその自信が羨ましい……」 「自信じゃないわ、追い込んでるだけよ」 「どっちにしろさ」  デジカメの電子音が断続的に聞こえる。  凝り性の月姉は、気に入ったアングルが撮れるまで粘るつもりだ。さすがは元美術部だ。 「いいの撮れそう?」 「どうかな、あんまりいいカメラじゃないからね。一眼ならいいんだけど」  そういえば……月姉が絵筆を折ってから、もう4年になるんだな。  2年生までは美術部にいたけれど、俺をモデルにした絵を最後に月姉は絵を描くのをやめてしまった。  あのころ俺は、てっきりモデルのせいかと焦ったけれど、月姉から遠まわしに家族の事情だって教えられた。  月姉は自分の家族の話をしたがらないから、俺もそのことには触れずにいるんだけれど。  こうやって写真の構図にもこだわる月姉を見ていると、絵をやめたのはもったいなかったんじゃないかと思えてくる。 「転校生に、低学年の子に、恋路橋渉くんに、桜井なんて、ふつう思いつかない曲者ぞろいだから、気合い入れないとね!」 「キャスティング、外してた?」 「ぜんぜん、面白くていいわ」 「ならよかった。本番まで練習する時間もないし、毎日配役のことばっか考えてたよ」 「今日からはゆっくり見学でもしに来てよね」 「ああ、小鳥遊のこともあるし」 「そうよ、最後まで油断しちゃダメだからね」 「はいはい」  デジカメをしまった月姉がパンパンと手を鳴らす。  さて、ロードワークの再開だ。  月姉のためにも、俺のためにも、来月の本番が終わるまでは、どうかノートラブルでありますように……。  ……なんて俺の願望は、その日のうちから雲行きが怪しくなってきた。  ――昼過ぎ。  夜々の稽古の様子を見に体育館に入ってみると、そこには予想外の光景が……。 「こまった、こまった……あ、君いいところに!」 「うわっ!!!」  びっくりした……いや、予想外の光景ってのは、この恋路橋@美少女ではなくて!  なんか……緊張した険悪そうな雰囲気が体育館を覆ってる……?? 「困ったことになったよ、いまさっきみんなが……」 「恋路橋、俺と話すときは普通の声で頼む、お願い!」 「ダメなの、監督命令で女子になりきれって」 「なりきりすぎだ! まあいい、みんながどうしたって?」 「それが……」  舞台を囲んだ役者たちの間を、なんとも不穏な空気が漂っている。  今日は主演の片岡がいるけれど……あれ? 「稲森さんもいない?」 「なんか原因不明の知恵熱が出て今日は欠席だって」 「知恵熱……!?」  な、な、なんかすごいそれはアレだ! THE俺の責任!! 「ご、ごめん……それが困ったこと?」 「ちがうちがう、小鳥遊さんのこと!」 「柏木先輩が衣装の打ち合わせで席を外している間に、出演者一同が彼女を問い詰めていましたよ」 「おおっ、日向さん!? 稽古見に来たの?」 「昨日言いましたよ、今日は台本を取りに来ただけです。でもご安心ください、ビジネスはキッチリやらせてもらいますから! では、お先に失礼します♪」  ぺこりとお辞儀をして日向美緒里が体育館を出て行った。  険悪な空気をものともせず、実にマイペースだ……彼女は大物かもしれない。  ……って、それどころじゃない! 「小鳥遊がどうして!?」 「演技指導だよ。僕は別にいいと思ったんだけどねえ、みんな彼女の演技がやりにくいってさ」 「桜井先輩! ええと……やりにくいっていうのは、やっぱり後半部分?」 「そう、クライマックスへの感情表現がぎこちないってさ。この僕は初々しくて可愛いんじゃないかと思うんだが」 「気持ちが盛り上がるシーンも無感情だし、言っても直らないから、わざとやってるんじゃないかって話になったんだ」 「それで……小鳥遊は?」 「舞台の裏で反省中」 「そっか……ちょ、ちょっと見てきますっ!」  夜々が自分の演技を貫いていたのは、きっと俺の助言があったからで……。  そのせいでみんなに責められたんだったら、今ごろ夜々は……。  俺は慌てて舞台に上り、前に夜々が気泡シートを潰していた書き割り背景の裏側へ……。  やっぱり潰してるー!! 「…………ぶつぶつぶつぶつ」  なにやらぶつぶつ呟きながら、気泡シートを1つずつものすごい勢いで潰している。  ぶつぶつぷちぷちぶつぶつぷちぷち……!  すごい合わせ技だ……プチプチ潰しが内職にできたら、稼ぎで豪邸が建てられそうだ。  1シートをあっという間に潰し終えてしまった夜々は、ふと手を止めて。 「……バカになんてしてない」 「…………」  そうか、演技が認められなかったことよりも、みんなをバカにしてるって誤解されたことがショックだったのか……。  コミュニケーションが苦手な夜々だけど、嫌われても平気って思うような子じゃないことを、俺はもうわかっている。  けど、ほかのみんなはその辺まだ分かってないだろうし……。  ああっ、俺がもっとフォローしてやるべきだった……! って、まだ手遅れじゃないよな。  と、夜々を見ると、次の1シートがまたたくまに潰されて、その次のシートに手を伸ばして……むむむ! このままでは気泡シートがみんな潰されてしまう!  よ、よし……気泡シートが手遅れになるまえにっ! 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ……」  俺はダッシュで購買部へ行き、恋路橋から借りたお金で気泡シートを1ロール買って戻ってきた。  よし……最後の1枚にぎりぎりで間に合った。  夜々が最後のシートを潰し終える前に、ロールの巨大な気泡シートを四角くカットして、彼女の前に置いてやった。 「…………あ」 「……使えよ」 「………………」  しばらく俺を見ていた夜々が、気泡シートつぶしを再開する。 「俺も久しぶりにやってみようかな」 「小鳥遊には負けないぜ! あれ……早く潰すの難しいな」 「…………」 「くそ、この……ええいこうなったら」  俺は気泡シートを両手でひねって雑巾絞りのように一気に潰してやった。 「ふぅ、ざまーみろ!」 「……それ、邪道」 「関係ない! もう1シートだ、思いっきり潰してやる!」 「……!?」  俺の背後に業務用の気泡シートのロールがあるのを見た夜々が、目を丸くする。 「どうだ、まだまだシートはあるぞ!」 「……そんなに潰しきれないです」  夜々がようやく笑ってくれた……ほっと胸をなでおろしながら、俺は言葉を選んではなしかけた。 「自分なりの姫巫女ってのが……つかめた?」 「…………」  唇を引き結んだ夜々が首を左右に振る。  まだ夜々もどう演じたらいいか分からないのだ。でも、みんなのアドバイスでも納得できず、試行錯誤しているのだろう。  その最中で『やる気がない』って言われたら、そりゃあヘコむよな。 「なあ小鳥遊……もし小鳥遊が嫌じゃなかったら、しばらくマンツーマンでやってみるか?」 「まん……つーまん?」 「そう、個別練習ってやつ。大勢の前で演じるより、俺の前でやる方が気楽にできるだろ?」 「…………でも」 「こっちの代役は恋路橋あたりがなんとかやってくれるさ、俺から頼んでみるよ」 「…………」 「もっと上手くなってさ、あいつら驚かせてやろうぜ」 「…………(こくり)」  神妙な顔をした夜々が大きく頷く。 「じゃ、ちょっとこれ潰して待ってて」  大きめにカットした気泡シートを渡すと、顔を上げた夜々がかすかに微笑んでみせた。 「なあみんな、聞いてくれ」  夜々を問い詰めたのは、きっと片岡を中心にした出演者チームだろう。大きな声で呼びかけると、片岡たちが少し心配そうに近づいてきた。 「彼女、本当に大丈夫か?」 「ああ……あのさ、俺が言ったんだよ。彼女なりの納得できる姫巫女を見つけろって」 「え?」 「彼女、どうしても後半の感情が盛り上がってくるシーンをうまく解釈できなくてさ、けどみんなに合わせようとしてドツボってたんだよ」 「俺がアドバイスしたから、小鳥遊はあいつなりに姫巫女をものにしようとがんばってたんだ。決してバカにしてるとか、やる気がないわけじゃない」 「横から彼女に口挟んで悪かった。でも、それだけは分かって欲しいんだ」 「お前も稽古にびったり付いてたわけでもないのに、変なこと吹き込むなよな」 「……ごめん」 「天川君に彼女のケアを任せたのは監督だよ、だから謝るようなことじゃない」 「恋路橋……」 「だってそうだろ!」 「恋路橋が言うならそう思うーー♥♥♥♥♥♥」 「なんでそうなるんだーっ!!」 「月音さんも言ってたよ。彼女の雰囲気にあった姫巫女ができるのを待ってるってね」  月姉も、俺と同じように考えていたのか……。 「………………」  恋路橋と桜井先輩のフォローで、みんな黙り込んでしまった。  助かったような、険悪になったような……。 「けど、本番はすぐなんだぜ。俺にだって演技プランがあるし、少なくとも今の彼女じゃ使えないだろ」 「でも、現段階で人物がつかめてないってヤバくない?」 「監督もちょっと期待過剰だと思う」 「そうだよな……」 「みんな、あと少しだけ彼女に時間をやってくれないか!?」 「少し?」 「3日でいい、3日だけ彼女に考える時間をくれないか」 「3日でどうにかなるのかよ」 「必ず改善してみせる」 「お前が?」 「俺が彼女を推薦したんだ。彼女を助けるのは俺の役目だ!!」 「ふぁぁぁ……よく寝たー」  今日は日曜だ! 久しぶりに思う存分寝坊ができるーー……。  ……なんてことは全くなく!! 「……朝早くからごめんなさい」  3日以内に夜々の後半演技を克服しないと、大変なことになってしまうのだ! 「いいっていいって、それより何か役作りのヒントはつかめた?」 「……あんまり」 「そっか……まあ気にしないでさ、集中して稽古したら見えてくるものもあるかもしれないし!」  ――ぐきゅるるる……。  って、せっかくいいこと言ったのに、なぜ腹の虫が鳴る!! 「あ、あ、あははは……腹の調子が悪いのかなぁ」 「あの……天川先輩……!」 「え?」 「……えっと」  急に夜々がもじもじしだした。うつむいて、視線を左右しながら……。 「……あの、その、これ」 「お? 弁当!?」 「………………(作ってきたので)」 「本当、いつも悪いなぁ。ありがとー!!! うわー、なんの弁当だろう!?」 「わ、すごい、玉子焼きにウインナーにからあげにブロッコリーのサラダ!! ご飯もそぼろご飯だ、凝ってるなー!」 「……いえ…………あの、からあげはガーリック味なので」 「うまかったー! ごちそうさま!!」 「…………え?」  夜々は、あっという間に空になった弁当箱をしばらく見つめていたが、黙って片付けを始めた。  や、やってしまった……かも!! いくら嬉しかったからって早食いしすぎだ俺!! 「た……足りなかったですか?」 「平気! 満腹!!!」  ――ぐきゅるるるる……。  そしてこの正直すぎる胃の収縮を、ただちに活動休止に追い込む策はないものでしょうか……! 「……次からはもっとたくさん作ってきます」 「あ、あはは……ありがと……はは、は……」  腹ごしらえ未満の栄養補給も済んだ。食後は俺が主人公の代役になって、夜々の姫巫女の重要なシーンを通しで稽古してみることになった。  主役の俺は小国の王子で、姫巫女の兄という役回り。  かたや夜々の姫巫女は、兄への恋心を抱きつつも、国の神祇を司る巫女の立場から、兄への愛を諦めるという役回りだ。 「でも……お兄様に会えてよかった(棒)」  夜々の演技は、別れのシーンを含む後半のクライマックスで、とたんに不自然になる……ように見える。  素人だから専門的なことは分からないけれど、序盤の自分の気持ちを押し殺している姫巫女には、夜々の無口な演技が良く似合っていたと思う。  けれど、やっぱり後半の情緒が必要とされる場面になると、不自然にセリフが詰まったり、表情がつまらなそうに見えたりして、うまく行かない。  見てる俺よりも、きっと夜々のほうが悔しいのだろうが、これじゃみんなに悪く誤解されても仕方ないかもしれない。 「…………だめ」 「難しいもんだな」 「……(こくり)」  とはいえ夜々にやる気があるのがラッキーなことだ。ここはひとつ、腰を据えて稽古して行くことにしよう。  再び台本を読みながら、ぶつぶつセリフを呟いていた夜々が、ふと俺のバッグに入っているあるものに目を留めた。 「あ……」 「あ、これ……俺の私物」  昨日、購買部で買った気泡シートのロールの一部だ。 「……売ってるんですか? どうしてこんなものを」 「あー……ええと、ちょっと趣味で」  きょとんとした顔で俺を見た後、夜々はまた台本に視線を戻したが……。 「…………(もじもじ)」  どうも落ち着かないみたいだ。 「…………(そわそわ)」 「……ちょっと休憩する?」 「……はい!」  ハサミで気泡シートを切り分けて渡してやると、夜々は台本を開いたまま黙々と潰しはじめる。 「………………(集中)」 「……それやると集中できる?」 「……うん」 「あ……はい、すみません」 「そんなガチの敬語じゃなくてもいいよ」 「…………はい」  少し照れたように下を向く。  口数が異様に少ないのと、人見知りをするだけで、こうして見てるとけっこう無邪気な女の子だよな。 「……先輩」 「ん?」 「今日、これから時間ありますか?」 「時間? そりゃ、今日は予定なんも入れてないけど?」 「……あの、だったら……その」 「え、映画……行きませんか?」 「映画!?」  ちょちょちょちょちょっと待て!? こ、これは……これはどう解釈する??  夜々が、俺と、映画に、行きたがってる…………。  確かに俺は夜々の演技にアドバイスしたり、桜井先輩に変なあだ名をつけられるくらい入れ込んできたと思う。  それは彼女を劇に巻き込んでしまった責任感からなんだが、夜々がそれをどう受け取るかは別問題であって。  案外、いい先輩とか思われてるかもしれず……!?  ってことは、つまり……ッッ!!!! 「駅前でやってる映画、脚本がこの劇と同じ唐橋みどりなんです」 「…………!?」 「ああ……唐橋みどり!」 「はい!」 「あーそーね、なるほどねー、幻の台本書いたひとねー(棒)」 「……????」  金曜日の昼休み。  今日も俺は校内のあちこちをうろついて、出演者候補たりえる逸材の捜索中。  ふと生徒の集まる学食に足を向けてみたら、奥のテーブルの桜井先輩に呼び止められた。 「やあUMA、今日も食堂でピチピチギャルを物色中かい?」 「先輩と一緒にしないでください。で、台本はもう読み終わりました?」 「もちろんだとも、まあ、なかなかの台本だと思うよ」  おや、さすがの桜井先輩も目を充血させている。  月姉のプッシュに負けて舞台参加を了承した先輩は、台本を読み込んで役作りをすると宣言して、このところ毎晩睡眠時間を削りまくっていたのだ。 「先輩の未完の大作と比べても?」 「残念だが実力を認めざるを得ないな、おかげで楽しく演じられそうさ」  おおお、歩く唯我独尊の桜井先輩が素直に台本の良さを認めている……! さすが幻の台本!! 「安心したまえ、主役は見事に努めてみせる」 「主役?」 「要はこの僕がハーレムを作る話じゃないか、簡単なことだよ」 「何ページの何行目をどう読み解けばそうなりますか??」 「フッ……表紙の行間を読んだまでのこと」 「ふーん、頼もしいわね」 「つ、月音さん!?」 「演者はそのくらいでちょうどいいわ、鬼の舞台監督がたっぷり丁寧に演技指導してあげるから」  いきなり横から顔を出した月姉は、桜井先輩の首根っこをつかんだかと思うと……。 「さ〜あ、台本読みの時間をたーっぷりあげたぶん、これからはたーーーーっぷり稽古に時間をとってもらうわよっ!」 「いま長音が三つくらい増えてなかったかな!?」 「ぶつくさ言わない! さあ昼練よ、きりきり歩くっ!」  先輩をずるずる引きずって出て行った。 「ねえ、提案だけど、僕の役名は美丈夫の豪族じゃなくて、本名にならないかな」 「なるかっ!!!」  うん……これでいいんだ。あとは月姉がなんとかしてくれるだろう。 「ところで! ひとつ条件があるのだが!!」 「うわあぁぁぁ!?」 「台本でこの僕と結ばれる『高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)』は、飛びきりの美形にしてくれたまえよ! それだけは譲れないからね!」 「わ、わ、わかりました! でも先輩血まみれです!」 「これは魂の血潮だ! わかったか、男に二言はないと覚えておくがいい!」 「ははははい、必ずやっ!!」 「いーーーーから、来なさいって!」  あらためて血まみれで引っ張って行かれる桜井先輩……すごいなあ、月姉の勢いを前にしてもマイペースだ。  桜井先輩、どんな演技をするんだろうか。放課後は練習の様子を見学していくことにしよっと。  放課後の体育館。今日もみんな芝居の稽古に励んでいる。 「あ、天川君! 片岡君を見なかった!?」 「み、見てないけど……どうしたん、行方不明?」  いかんいかん……昨日の風呂場を思い出すと、恋路橋が相手だというのになんだか照れくさい。 「今日も来てないんだよ。しかも断りもなしに! まったくけしからんっ!!」 「そっか……あいつ演劇部だから、演技に心配はないんだろうけど」 「だからといってポンポン休まれたらいい迷惑だ、合わせ稽古だってできないし」  そうだよな、夜々と片岡がダブル主役なんだから、片方が欠けたら稽古だってやりにくいだろう。 「きっと急用でもあったんじゃ」 「それならそれで連絡をするのが社会人ってものだと思うよ!」 「いや学生だし……」 「ええいけしからんっ、携帯もつながらないし……ぶつぶつぶつぶつ!」  気ぜわしく携帯電話のリダイヤルボタンを押しながら、恋路橋が体育館を出て行った。  大道具や衣装の調達はあらかた済んだみたいだけど、監督代行の悩みの種は尽きないみたいだな。俺にはまず無理だ。  なんて思っていたら、向こうからのっしのっしと自信満々に歩いてくるのは桜井先輩じゃないか。 「お、来たか!」 「桜井先輩、調子はどうですか?」 「もちろん最高だとも、ビッグフット」 「もはやUMAの小カテゴリーで呼ぶのは勘弁していただきたい」 「しかし参ったよ、月音さんは生理になるといつもああなのかい……」 「うぐっ!」  高速で飛んできたパイプ椅子が桜井先輩の後頭部に激突し、その向こうにはお怒りゲージマックスの月姉が……!! 「はぁ、はぁ……桜井あんたセリフちーっとも覚えてないじゃないのっ!」 「お、覚えたとも! 覚えてから全てのセリフに僕なりのリファインを……」 「どっこもファインじゃないわ! クラウディーよ! レイニーよっ!」  ――がん! ごん! がん! 「ぐはっ……なあビッグフット、もう一度聞くけど月音さんは生理になるといつも……」 「うるさいっ!」  ――がごん! 「今日は徹底的に演技指導してあげるわ、来なさい!」  桜井先輩は首根っこをつかまれたまま、ズルズルと舞台に引きずられて行った。月姉も、相手が桜井先輩だと俺以上に容赦ないなぁ……。  そのまましばらく体育館で芝居の稽古を見学してみよう――。 「私には兄様がいます、兄様のためにここにいるのです」  夜々はまだ演技にぎこちなさが残るけれど、前半の仕上がりはよさそうだ。 「Butその兄様とやらの面影を切り捨てることこそ、ラブ・エクゼキューショナーたるこの僕のデスティニー」 「こるぁぁーーーーーっ!! 桜井っっ!!!!」  桜井先輩はセリフを勝手に変えては怒鳴られているけれど、なんかオーラがあるのと、色男なので、幸いみんなも配役には納得しているみたいだ。  しかし、片岡が休んでいると練習も大変そうだな。そういえば稲森さんの姿も見えない……?  と、そこへ……。 「みんな、おまたせー!」  稲森さんの登場で体育館がわっと活気づいた。 「ん、なんだ、なんなんだ?」 「真星ちゃんは料理も絶品だっていう話で昨日盛り上がってね、親衛隊の子たちの推薦で、今日はお手製ミックスジュースを差し入れてくれることになったのよ」 「へぇぇ! あいつらもたまにはいいこと言うね……」 「……って、稲森さんの料理が絶品????」 「そうとも、まほっちゃんは料理作りもシェフはだし、お菓子作りはパティシエ並み!」 「なんといっても我らが〈花泉〉《はないずみ》学園のパーフェクトヒロインだけに!」 「ちょ、ちょっとやめてよ、そんなんじゃないからっ!」 「照れない照れない、まさか見学の俺たちまでまほっちゃんの手作りジュースの恩恵にあずかれるなんて、光栄だなぁ!」 「これでこのお芝居も成功間違いなしってもんだ!」 「稲森……さん?」 「あ、あ、あはははは……と、とにかく飲んで飲んでっ!」  そして配られていく稲森さんの手作りジュース……。  不安だ、凶兆だ、そして蘇る4年前の記憶……!!!  あれは1年のクリスマスパーティー前夜。  当時はよくつるんでいた俺は、稲森さんの作ったクリスマスパーティー用試作ケーキ1号のテイスティングを頼まれて……。  そりゃあもう、狂喜乱舞で張り切って貪り食ってみたところ!  いやぁ、寝込んだ寝込んだ。3日寝込んだ。  料理させた稲森さんは『稲森真星』じゃなくて、確実に『稲森魔星』だと思った。ええ心から思いました。あのスペーシーな味は4年経っても忘れられないです!  その稲森さんが、手作り料理も絶品だって!?!?  い、いや……人類は進化する! なんかクロマニヨン人とかも進化したはずだし! 「の、飲むか……」  そうさ稲森さんは克服したんだ。きっと美味しくなってる、そうに決まってる……!  そう思って、手渡されたミックスジュースをゴクリとひと口! 「………………」 「ぷはっ、さすがは稲森さんだね! うーん、この美味しさはいい意味でけしからん! まーったくけしからん!」 「うん、テイストグッドだよハニー」 「本当ね、ハンドメイドっぽくないし……」  ジュースを口に含んだまま固まった俺の周りで、みんなの美味しいコールが広がる。  本当か? あ、味は……? 「ごくごくごく…………ん……んん!?」  こ、この味はっっ――!?!? 「連日の稽古の疲れの取れる味だなぁ……そう思うよね、天川君!」 「う、うん美味しい。普通に美味しい。びっくりしたっっ!!」  けれど、俺がよく買うスーパーの特売ミックスジュースと同じ味がするのは気のせいなのかしら???? 「へえ、ピーチと、オレンジと、グレープと……いろいろ入ってるのね」 「み、ミックスヂュースですからっ!」 「なかなかのものだよ、そう思うよな、夜々ちゃん?」 「…………(こくり)」  誰も気づいていないみたいで、ちゃっかりジュースをもらっていた取り巻きたちも歓喜の声をあげている。 「さすが稲森さんのジュースは美味しいなあ、甘露だよ、甘露っ!」 「あ、あはは……あはははは、よかったぁー」  うーむ、稲森さんの笑顔は引きつっている。つまりこの状況をまとめると……。  (1)みんなに料理得意だと持ち上げられて、お手製ジュースを作る事になった稲森さん。  (2)寮でがんばってジュースを作ったけれど、やっぱり大失敗。  (3)財布握り締めてスーパーにダッシュ!  (4)そして伝説へ……。  ……実に自然な流れができてしまった! 「ど、どうだった? おいしくなかった?」 「わぁ伝説!?!?」 「え? え?」 「ああああ、いや美味しい! ちょーーーー美味しい!! 間違いない!」 「よ、よかった……は、はは……」  かくして俺たちは時間差で映画館へ突入して、暗がりの中で合流することにした。  なぜかって? それはもちろん、『一緒に寮を出て、デートしてるって誤解されたらよくないし』って言われたからだ。  その通りだとも! 俺だって、これがデートだなんてこれっぽっちも考えたことなかったし!! 当然当然、ナイスアイデア!!  ……あー、でもなんだろう、この拍子抜け感。  なんて俺の隠れテンパりなど無関係に、夜々はまっすぐスクリーンを見つめている。  ドラマはストレートなラブストーリー。死病にかかった主人公とヒロインをめぐる、切ないロマンスだ。  ……うん、健全な男子学生にはちょっと退屈かも。  けれど夜々はスクリーンを見ながら……。 「…………」  泣いてる……。  瞳を潤ませている夜々に気づかないふりをしながら、スクリーンに視線を送る。  けれど、銀幕の向こうのラブロマンスよりも、隣で後輩の女の子がウルウルしてることのほうが、俺にとってはよっぽど気になる話であって。  意識しなくても、ついつい彼女の横顔を見てしまう。  かわいいな……。  よこしまな意味じゃなくて、そう思った。  比較的ベタな話だと思うんだけど、それでも感情移入して泣いている夜々――。  夜々は感情が薄いわけでも、感受性が低いわけでもないんだ。ただ、出すのが苦手なだけで。 「……!」  そうか……変に役を作ろうとするんじゃなくて、この感情を自然に引き出してやればいいんだ。  俺は、そのために何ができるだろう……? 「面白かった?」 「……はい、とっても」 「……でも」 「ん?」 「……お芝居の台本のほうが、印象的だったような気がします」 「あ、俺もそう思った。なんか妙な迫力あるよな、あの台本」 「……(こくり)」  小さくうなずいた夜々が言葉をつなげる。 「そう考えると……責任重大ですよね」 「そうなるか……」  夜々の顔は決意がにじんでいるようであり、少し疲れているようにも見えた。 「なんかさ、小鳥遊って真面目だよな……」 「そうですか?」  当たり前だけど、俺はまだこの子のほんの一部分しか知らない。  今日一日だけでもずいぶんと口数が増えたと思うけれど、それでも夜々はまだ謎の転入生だ。  自然と足が寮とは反対方向に向かっていく。夜々がきょとんとした顔で俺を見た。 「……?」 「ちょっと公園でも散歩してく?」  映画の余韻を薄めるように、いつもジョギングで使う公園をぶらぶらする。  俺たちは自然とお互いのことについて話していた。 「小鳥遊さ、けっこう一人でいるのが好きじゃんか。うちの寮とかうるさくない?」 「……でも、他にいくとこないし」 「どうして?」 「……私、小さい頃に両親が事故で死んだから」 「え?」 「里親になってくれたおじさんの家も、孫ができたりして手狭になって……だから寮のあるこの学校に来たんです」 「じゃあ、慣れるしかないな」 「…………(こくり)」 「けどさ……できるぜ、多分」 「え?」 「俺も一緒なんだ。ガキの頃両親が亡くなってさ。親戚の家に厄介んなってて」 「俺の場合はまあ、柏木先輩とかに面倒みてもらって、なんとかな」 「……そう、ですか」 「だからなのかなー、小鳥遊に主役のイメージがダブったのって」 「…………!」 「けど小鳥遊は小鳥遊だからさ……思うようにやってみろよ」 「……え?」 「………………」 「……で、でもずるい!」 「ずるい?」 「同じ境遇だって言っても、天川先輩は友達もいるし、みんなと仲良くやっているし!」 「小鳥遊だって変わってきてるじゃんか」 「そんなことない! ……です」 「あるって、たまに笑うしさ。映画にも俺誘うし」 「え、映画は、その……だって……!」  もじもじしながら、夜々が上目づかいになる。 「うまく感情出せるじゃん?」 「…………(むすっ)」 「いいじゃん、その感じを芝居に持ち込んでみろよ」 「お芝居に?」 「小鳥遊は、その……素になったときが、イイと思うよ」 「……先輩」 「今日は……ありがとうございました!」 「気にすんなよ、俺は付き合っただけだし」 「でも……なにか分かりそうな気がしました」 「そっか……俺も小鳥遊の知らないところが分かってよかったよ」 「……(こくり)」 「やべ、ちょっと遅くなったな、早く戻って稽古するか」 「……はい!」  元気に返事をする夜々に、こっちのテンションも上がってくる。 「じゃあダッシュで戻るぞ、ついてこい!」 「あ、先輩……!」 「?」 「帰りは別々ですよ」 「……その用心深さは大事だと思うよ」  ――昼休み。  劇の本番まであと何日もないけれど、昨日は夜々とずいぶん打ち解けることができた。  俺は自分にできることをやるだけだけど、今日から夜々の演技がどう変わっていくのか、ちょっと楽しみでもある。 「どうしたんだい、ニコニコして」 「ん? なんとなく、劇がうまくいくような気がしてきてさ」 「………………(凝視)」 「な、なんだその目は……!?」 「……ボクにも素晴らしい役が回ってきて嬉しいよ、本当に!」 「う、恨むな! ていうか恋路橋もノリノリだったじゃんか」 「ノリノリじゃない、監督代行としての義務感だっ! 君はそんな目でボクを見ていたのか、けしからんっ!」 「あの……」 「そんな目って?」 「お、お、女の衣装なんか着て…………その」 「あのぉ……」 「全くだ、この恋路橋が衣装変えるだけで、あそこまで見事に女子化するなんてなぁ」 「きき君が言い出した話じゃないかっ!! その口で、その口でーーーっ!!」 「稲森さん、今日も休みだけど大丈夫かなぁ」 「きけーーーーっ!!」 「あ……あの、天川先輩っ!!」 「小鳥遊(さん)!?」  呼ばれて振り返ると、そこには勇気総動員で大声を出した夜々の姿が。 「あの…………き、昨日は…………ありがとうございました(ぺこり)」 「いや、俺のほうこそありがとな」 「……え?」 「無理やり巻き込んだのに真面目に取り組んでくれてさ」 「…………」 「片岡との約束した今日が最終日だもんな。個人練習行くか?」 「……はい!」 「ああっ、話している最中だというのに……け、けしからん、まったくけしからん!」 「………………」 「けしからんけど……小鳥遊さんのことは天川君に任せるよ」 「体育館だと人目があるな……やっぱり見られてるとやりにくいだろ」 「あ……でもこっちなら」 「ここか……俺はいいけど寒くない?」 「平気です」 「じゃあさっそく始めるか」 「……あの、その前に」 「…………これ」 「おおおっ!? べ、弁当!?」  夜々がスポーツバッグから取り出したのは、まさに超巨大サイズのアルマイト弁当箱! 「昨日は少なかったので……今日は少したくさんですけど」 「おおーー、ありがとう! ありがとうっ!! パンの耳だけじゃ力が出なくてさぁ……おおお、中身も豪勢だ!」  ズッシリと重い弁当箱の中は、定番の玉子焼き、たこさんウインナをはじめ、一口ハンバーグに、コロッケに、から揚げにと、めくるめく幕の内の桃源郷状態! 「すごい、ごちそうだ!! しかもそれが重箱システム採用で二段に分かれているとは、なんという優れもの!!」 「でも……どうしてご飯が二箇所に入ってるの?」 「あ、そ、それは……その…………限界で……」  なるほど、どうやらご飯をたくさん炊いたはいいが、多過ぎて1つに入りきらなかったらしい。  良く見ると、ポテトサラダも二箇所に分かれているし……こ、これは名づけるなら神経衰弱弁当?  いやいやいや、そんなことは些細なことさ、なによりこのボリュームがありがたい! 「しかもうまーい! うまいよ小鳥遊っ!」 「……よかった」  夜々がホッとした笑顔を浮かべる。  こうして二人で話すときの小鳥遊は、本当に普通の大人しい後輩だ。  相変わらずの速攻飯で昼食をすませて、俺たちは舞台の稽古にとりかかった。  片岡のかわりの俺が兄の王子役を受け持つ。片手に持った台本は、もう何度も目を通してボロボロになってしまった。  夜々はもちろん台本なしでセリフを覚え込んでいる。最初は控えめだった演技にも、感情がだんだんと現れるようになってきた。 「いいじゃん、生き生きしてきた感じがする」 「本当ですか」 「その笑顔とかさ、舞台でも出してみろよ」 「…………は、はい」  そんな具合で稽古も順調に進むかと思われたが……ひとつだけ、どうしてもしっくりこないシーンがある。  姫巫女が王子との別れを決断するシーン。中盤のクライマックスだ。 「もう、二度と……お会いすることはないでしょう」  片岡にも文句を付けられたシーンで、ここで感情を出した演技をしないと確かに芝居に締まりがなくなってしまう。 「普通にヘコむ感じじゃなくてさ、もっとこっちに訴えかけるようにしてみるとか?」 「もう、二度と……お会いすることはないでしょう(棒)」 「……わるくないけど……もうひとつだよな」 「……言われてることは分かってるんですけど」 「気持ちが乗らない?」 「………………」  毎回このシーンで夜々はつまづいてしまう。  あんまり悩んで変なスパイラルに突入しても危険だ。なにかリラックスさせてやれるといいんだけど。 「……そうだ、映画館の感じでできないかな?」 「映画館?」 「昨日の映画だよ。小鳥遊、見ながら泣いてただろ? あのときの気持ちを思い出してやるとかさ」 「……な、泣いてなんか」 「いいからいいから、やってみろって。あのときの顔、すごく良かったからさ」 「み、見てたんですか!?」 「ちらっと」 「………………や、やってみます」  顔を赤くした夜々は、ふとポケットからロケットペンダントを取り出して、ぎゅっと強く握り込んだ。 「それ?」 「……お守りです」 「ロケットか……中を開けたら効き目がなくなるってやつだろ?」 「……!?」  急に、夜々がびっくりしたような顔でこっちを見た。 「先輩もそれ知ってるんですね?」 「それって?」 「ロケットは開けちゃだめだって話……私、それが普通だと思ってたんだけど、周りの子には変だって言われてたから」 「え? それって常識だろ。ニュートンに近いレベルで」 「そ、そうですよね……」  そう言ってロケットに気持ちを込める夜々。  昼休みはもうすぐ終わりだけど、今日中になんとしても役をものにしてみせる……。  夜々の真剣な横顔を見ながら、俺も気持ちを引き締めて台本をめくった。 「はぁぁ……疲れただろ、ぶっ通しだったもんな」 「……平気です、あの……」 「…………付き合わせてすみません」 「そういうのはナシにしようぜ。お互い様なんだし」 「……はい」  放課後、下校時刻が過ぎても先生に怒られるまで粘って練習した甲斐があって、夜々の演技は見違えるほど生き生きとしたものになってきた。  ……というのは俺の贔屓目かもしれないんだけど、少なくとも先週までとは違うって、それだけは自信を持って言える気がする。  ただ問題なのは……。 「……っと、メールだ」  携帯を開くと一足先に寮に戻っていた月姉からだった。用件は単刀直入。 『調子はどう? そろそろ全体練習に合流できると助かるけれど、もう少し引き伸ばしてあげてもいいからしっかり仕上げるのよ!』  うーん……気遣いしてくれてるな。ありがたい。 「今の……」 「あ、いや、友達友達、劇とは関係ないから」  夜々が不安そうに見上げている。そう、問題は、やっぱり涙の入るシーンだ。  本当に泣くのは無理でも、せめて泣いてることが伝わるような演技ができるといいんだけれど、彼女にはそれがどうしても難しい。  ためしに声を小さくすると呟いてるようだし、声を大きくしても叫んでるようにしか聞こえないのだ。  彼女なりの姫巫女の解釈でも、泣くことは不自然ではないと言ってるんだけど……素人がそれでいきなり泣けるってわけでもないんだよな。 「……ん?」  小鳥遊が俺の制服の袖をぎゅっと握ってきた。 「あの先輩……」 「迷惑じゃなかったら……私、もう少し練習したいです」 「……ああ、そうだな」  大橋を渡り、寮ではなく公園を目指す。あそこなら灯かりもあるし、夜でも練習できるだろう。 「……懐かしいな」 「……そうですね」  なんとなく呟いてしまったが……何が懐かしいんだろう?  変なことを言ってしまった。夜々もキョトンとした顔をしている。 「……最初、ここで会ったんだよな」 「そ、そうですね……」  ちょうど時間も今と同じ……夕闇の迫る頃だった。  あのときと同じ夕日の中、こうして二人でいることが、なんだか運命的なものだったような気がしてくる。 「王子と姫が別れたのも、橋の上だったと思うんだ」 「国境の橋……」 「そう、台本じゃ説明してないけれどな」 「……はい」  ふと夜々が歩みを止めた。  少し先で振り返った俺に向かって、口を開く。 「もう、二度と……お会いすることはないでしょう」 「……悪いのは私だ」 「誰かを想う心に悪など宿りません。兄様の気持ちを支えに、私は生きてゆくことができます」 「私もだ……ありがとう」 「兄様……私も……」 「帰るのだ、お前のいるべきところへ。私はもう振り返ることはしない。お前もそうあってほしい」 「はい、兄様……」 「……さよなら」  一瞬だけ夜々は言葉に詰まり、そして俺は彼女の頬を伝う涙を見た……。 「小鳥遊……」 「…………天川先輩」 「……理解できたような気がします、姫巫女の気持ちが」 「いい顔だったよ、映画館よりずっとな」  さっき俺が見たのは、まさに台本からイメージした姫巫女の姿だった。 「もう大丈夫だな」 「…………はい」  自信を言葉に出すようなことをしなかった夜々が、珍しくはっきりと頷いた。  俺たちの前には、彼女との出会いを思い出させるような夕日――。  この夕日が、夜々に霊感を与えたのかもしれない。 「行こうか……今日は遅くなっても、いまの感じを覚えるまで練習しよう」 「はい」  そうして橋を離れたとき――。 「……!」  一瞬、ほんの一瞬だが、胸を締め付けられるような思いがした。  橋の上の別離――懐かしくて、切なくて、胸の詰まるような記憶。  そんな経験もないのに、この夕日を見ていると切なさが胸の奥からこみ上げてくる。 「……?」 「なんでもない。さあ、公園で仕上げの練習だ」 「はい」  心に刺さった棘のような疼きを感じながら、俺は夜々をせきたてて足早に大橋を離れた。  稲森さんの差し入れジュースが功を奏したのか、午後の稽古は実にスムーズに行われていった。 「いまのセリフのあと、もう少し笑ったほうがよくないかしら?」 「……こうですか?」 「いい感じいい感じ……じゃあもう一度32ページから通してみましょう」  夜々もがんばっているし……うん、ジュースの正体は俺の胸の奥にしまっておこう。  そして俺がキャスト探しの旅に出ようとしたとき……。 「ちょっと天川君、こっち来て」  おおっ、月姉がまともに呼んでくれた! 「はいはい、なんですか柏木先輩?」 「天川君、あんたキャラクターは頭に入ってるわよね。真星ちゃんの相手役してくれないかな」 「え? えええ? 俺が!? でも台本とか」 「手持ちでいいから、はいはい舞台に上がって」 「ほ、本気ですかーー!?」 「………………」  な、なんかいきなりこんなことになってしまった。 「シーン19から行くわよ」 「はーい」  台本をめくる。シーン19、19……と。  稲森さん演じる隣国の姫に、主役の王子がキスを迫って寸前で拒まれるシーン……。 「って……えええええ!?」  そそそそんなシーンですか!? つ、月姉っっ!!  ハッと体育館を見渡してみれば、見学者エリアからこちらに向けてらんらんと光る親衛隊の視線!! 「……………………(じろーーっ)」  も……ものすごい眼力でこっちを見ている。さながら、俺が妙なことをしたらタダじゃおかないとばかりの臨戦態勢で! 「……………………(じろーーーーーーっ)」  う……うぜー! 極めてうざいです。片岡が稽古をサボった理由がなんとなく分かるような気がする! 「ご、ごめんね」  稲森さんが申し訳なさそうに手を合わせる。いや悪くない、稲森さんは全く悪くない! 「稲森さんこそ大変だよね、まああいつらが宣伝してくれるおかげで盛り上がってるらしいけど」  月姉が言うには、稲森さんの親衛隊はチラシ作りや配布なんかを無償で手伝ってくれているらしい。  おかげでこの忙しい時期に寮生の手が塞がることもなく、ずいぶんと助かっているらしい。  だから本当なら部外者シャットアウトで稽古したい月姉が、連中の見学を許しているのだ。  連中は外部協力者……広い意味で言えばスタッフ仲間みたいなもんだ。 「はい、スタート!」 「だっ、だめです王子、ご身分を省みずにそのようなお戯れを……」 「今の私にはソナたしか見エヌ!」 「カーット、声裏返ってる!」 「うー、すみませんっ!」  うぅぅ、だめだ緊張する。気持ちは分かるがそんなに睨むな、親衛隊諸君!! 「だ、だめです王子っ、ご身分を省みずにそのようなお戯れを……」 「今の私にはそなたしか見えぬ!」  よし、ここで王子は姫の肩を抱き寄せて……。 「……あ!」  緊張のあまり前につんのめった俺を、隣国の姫こと稲森さんが横に払おうとする。 「ご、ごめん……っと、わ、わ、うわっ!!」  巻き込まれた稲森さんがバランスを崩し、俺たちはつんのめりながら……舞台の上に!  ――転んだーー!! 「ああもう、カーット!!」  ……月姉のカットの声を遠くに聞きながら、俺はそれどころじゃない状況に陥っていた。  こ……これは……この状況はァーーーッ!! 「………………」 「………………」  俺の身体は完全に稲森さんに覆いかぶさり、か、顔が……こんな! 「あ……あ…………」  入学してからの5年間でありえなかった密着度! 髪の毛のいい匂い。  おまけに俺の唇に感じるふにっと柔らかいものは……い、いったい!? 「ええと……あ、あの……?」 「ご、ごめんっ……ほ……放心してた」 「わ、わ、わたしも……」  ていうか、俺の放心状態はまだ解けそうにない。だって……だって唇が……稲森さんの!! 「なにやってんだー?」  舞台の下がざわざわしてきた。ちょうどセットの陰に倒れたおかげで、みんなにこの状況は見えていない……そ、それが最大の救いだ。 「だ、だ、だ、だいじょぶ?」 「うん、手首ひねっただけ……ど、どくから……」 「う、うん……ありがと」 「え?」 「手首……支えてくれたんだよね?」 「いや、悪いのは俺だから……ありがと」  稲森さんを潰してしまわないように支えたせいで、手首をひねったのは間違いないけど……気づいてくれたんだ。 「おーい、天川君っ!」 「悪い、ちょっと手首ひねったみたい。稲森さんは平気だから」 「当たり前だ! まほっちゃんに何かあったら死んでもすまされんぞ!」  ううっ……死ぬどころか八つ裂きでも済まされないような気がする。 「あ、あははは……コケたコケた、あいててて」 「………………(じーっ)」  な、なんだこの眼力だけで人を殺そうとするような視線の群れは……。 「祐真、まほちゃんは無事かい?」 「ぶ、ぶ、無事です、怪我ひとつしてなくて全然元気ですっ!」 「そうじゃなくて、まほちゃんの唇は無事だったのかね」 「なにーーーーーーっ!! 唇!?!?」 「せせ先輩っ、いきなりなんですかその突拍子もない心配は!!」 「た、確かにッ! この天川は我らがまほっちゃんの上に故意に覆いかぶさること十秒あまり!」 「故意じゃない! 故意なんかじゃ」 「恋ーーーーー!?」 「違うってーー!! 先輩、俺がそんなことする人間に見えますか!?」 「ムキになることないじゃないか。イレギュラーな男女交際に持ち込むための用意周到な計画であったというだけの話だろう?」 「根こそぎ違いますっ!!」 「ほほ本当になんにもなかったから! ほほほほ本当ですよ! ほんとだってば!」 「稲森さん思いっきりどもらないで!」 「ごごごごごめんっ!」 「あーーーやーーーしーーーーいい!!!」 「怪しくないってば、ないないないないないない!!」 「なんでそんな息合ってるんだーー!」 「知るかーーー、偶然だぁぁ!」 「天川君、まさか君がこんなことをするなんて……ああ、けしからん!」  あぁぁぁ、注意一秒怪我一生……最悪だ! まさか稲森さんとこんなことに!  でも唇に残った彼女のほっぺたの感触を思い返すと、あながち最悪でもないような気がしてくるのは青春の証明と呼ぶべきでしょうか!  そんな風に思いながら横目で稲森さんを〈窺〉《うかが》うと……。 「………………!!(かぁぁ〜っ)」  そして思わず視線をそらしてしまう、俺の甘酸っぱい青春思考回路! 「…………なにこの空気?」 「わーーっ、なんでもないです、なんでも! 俺コケる、稲森さん巻き込む、手つく、挫く、倒れ込む、以上っ!! ほんとそれだけ!!」 「……なんでカタコト?」 「その態度、怪しい、怪しすぎる!」 「夜々ちゃんはどう思う?」 「…………(汗)」 「わーーっ、指差すな小鳥遊!!!」 「まさか、まさかっ、やはりちゅーしたのかっ!?!?!?」  ええい……きりがないわ!! もう付き合っていられるかっ!! 「ああしたよ! したともさ!!」 「なにーーーーーーーっ!?」 「本当!?」 「貴っ様ぁぁぁぁーーーっ!!!」 「体育館の床にたっぷりとなぁぁ!!」 「よかったー! よかったーーー!!」 「……はぁぁ、つ、疲れた。誤解は解けたよ稲森さん」 「あ、あはは…………くらくらくら……ばたっ」 「わーっ、まほっちゃんが倒れたー!! きっさぁまぁーーー!!」 「やっぱりそうなるのかー!!」  俺と稲森さんは、保健室に別々の理由で担ぎ込まれた。  俺はいろんなところの打撲。稲森さんは……どうも熱が出てるらしい。  保健の先生は知恵熱って言ってたけれど、本当は疲労もあるようだ。  稲森さんは連日の猛練習でスタミナ切れだったようで、カーテンに仕切られた隣のベッドですやすや寝息を立てている。 「稲森さん……」  稲森さんの寝顔を見る。  そうだ……俺はむかし一度だけ、彼女とキスしそうになったことがある。  けど、それはふざけていて、なんとなくだったから。  俺も、もちろん稲森さんも……。  あのときの悪ふざけを稲森さんは全然気にしてないみたいだけど、俺はどうしても意識してしまい、ぎこちないまま4年も経ってしまった。  唇に手を当てる。  そうか……俺が文句も言わずに舞台の手伝いをしてるのって、ひょっとして稲森さんがいるからかもしれない。  月姉を見返したい気持ちも、夜々に対する責任感もある。けど、少しでも稲森さんの役に立ちたいって気持ちも確かにあるんだ。  そんな気持ちにいま気づいた気がする……。  保健室を出て体育館に向かう。  唇を指でなぞると、稲森さんの頬の感触がまだ残っている……。 「よーしやるぞっっ!!」  なんかチューのハプニングで覚醒した! そうだよ、ここが雑用係である俺の見せ場なんだぜ!  大事なのは夜々のフォローに集中すること! そのためにキャスティングを早くクリアーすることだ。  土壇場に強いのが俺のいいところ! 月姉もそう言っている……だから回れ、俺の頭脳!!  かくして頭の中フル回転で体育館へ戻ると……。 「ゆーま!」 「月姉……また名前に戻ってる」 「そんなのどうでもいいわ、真星ちゃんどうだった?」 「なんか疲労と原因不明な知恵熱みたいなものだって」 「やっぱりおまえかーーー!」 「ご、ごめん……」 「困ったわね、練習は続けなくちゃいけないけど、真星ちゃんの役抜きだとどうしてもね」 「代役か……柏木先輩がやるとか?」 「監督が仕上がり見ないでどうするのよ」 「そっか……じゃあ前みたいに俺が代役やるよ、一応、台本は頭入ってるし」 「待てよ、綺麗どころを男にやられても雰囲気出ないって」 「確かに君の言う通りだ、ナンセンスだよ」  うううっ……それもそうか。  意気込んで来たものの、またしてもトラブルだ! しかも俺由来!  今はそんな場合じゃないはずだったのに。本当なら配役を決めて、夜々の練習相手になるはずだったのに!! それが配役どころか……。  ……ん?  配役……配役……?  ……はっ!!  そのとき、俺の脳裏にひらめき到来! 「つまり……あれがこうで、これがこうだから……!?」 「うおおおっ、そうか……そういうことか!!」 「決まった……完璧な配役だ!!!」 「配役!?」 「いや大丈夫、ノープロブレム!!」 「稲森さんの抜けた穴をどうにかできるのかい?」 「フフフ……もちろんだ、任せろ!!」  そして俺は集まってきた関係者一同をぐるっと見渡す。 「稲森さんの代役は、台本を頭に叩き込んでいて、なおかつイメージを壊さずに行ける人……つまり!」 「つまり!?」 「恋路橋、お前だ!!」 「えええーーーっ!?」 「なななな何をけしからんことを! ボクは監督代行だぞ、無理に決まってるッ!!」 「ところがそうでもない! 大道具の用意もあらかた終わったし、恋路橋はけっこう暇してる」 「でででもだからってボクが女役なんて!!」 「衣装係、集合ー! こいつに衣装とメイクしてあげて」  恋路橋をつかまえて衣装を担当してる後輩の女の子たちに引き渡す。 「でもまだ隣国の姫の衣装は……」 「確か清楚なお嬢様の衣装が出来てたんじゃないか? このさいそれでノープロブレムだ!」 「それもそうですね♪ じゃあ恋路橋先輩、こっちですー♥」 「え? うわ……こら、み、みんなも止めないのかっ! 無理だって、ぼ、ぼ、僕は上がり症でっ!」 「あー……でもなー、恋路橋はさんざんキッツイ演技指導してくれたんだしな」 「俺も、恋路橋ならさぞかし立派な演技ができるんだろうと思うぜ?」 「そんなぁぁぁぁぁ!!!」  フフフ、小うるさい監督代行が舞台に上げられるのを止める奴などいるはずもない。  ここまでは……思惑通り!  ――かくして5分後、恋路橋の即席メイクが完了した。  そして俺たちの前に現れたのは……! 「お待たせ、隣国の姫代行の登場だ!」 「うおおおっ!?」 「なにぃ!?」 「だ、だ、だ、誰っっ!?」  みんなが仰天するのも無理はない。  俺が連れてきた先には、新生ヒロイン恋路橋の姿が。 「な、なにが起きてるんだ天川君!? ボクは眼鏡がないと!!」 「眼鏡がないと…………かわいいかも」 「そうだ恋路橋、そこで隣国の姫のセリフだ」 「え? え……? ……『つらそうなお顔ばかりですのね、この頃の王子は……』」 「おおーーーーっ!!」  恋路橋の女子声を聞いていっせいにどよめく体育館! 「驚いたな……ワタルボーイ」 「ちょっと、これ……本当に渉くん? あんたよくこんなこと……」 「昨日風呂で一緒になったときに、ちょっとね」 「き、きさま! あんな美少女と一緒に風呂に入ったのか、この不届き者ーーー!!!」 「わぁぁ、落ち着けーーー!!」  かくして台本を丸暗記している恋路橋を稲森さんの代役に立てて、練習再開。  眼鏡を外しているせいか上がり症が出なくなり、ちゃんと役をこなせているようだ。 「何でボクがこんな目に……ぶつぶつぶつ」 「いいからセリフを言ってみたまえ、隣国のワタルボーイ」 「わ、分かりましたよ……コホン」 「……王子のいじわる〜!!」 「うおおおおおおっっ!!!」 「え、え、え、なに、なにこの反応!?」 「マァァーーーヴェラス! 素晴らしいよワタルボーイ、いやさミス恋路橋!」 「萌えたーーっ、俺にお前の恋路橋を渡らせてくれーーっ!!」 「お前らは稲森さんの親衛隊じゃないのか!?」  かくいう俺も、昨日の風呂では声も出なかったくらいだから無理もない。  さすがの月姉もこれには驚いたみたいで……。 「すごい……行けるわ!」  ひとつ誤算だったのは、舞台の回りが大騒ぎになって稽古どころじゃなくなってしまったことだ。  俺は目が点になってる月姉を、体育館の隅に連れていった。 「月姉、キャスティングについて相談だけど……」 「う、うん……」  驚き顔の月姉に大胆提案をつきつける。 「高貴で清楚な感じの少女(セリフ少なめ)に、恋路橋を推薦するよ」 「ええ!? で、でも彼は男子…………」 「やだーっ、やめて桜井先輩、抱きつかないでーっ!」 「…………じゃないわね、あれは」 「でしょ? なんといっても恋路橋はほとんど全ての役のセリフを暗記してるし」 「うん……わかった、それでいいと思う……」  おおおっ、月姉が俺のアイデアに全面賛成なんて珍しい。  神妙にうなずく月姉を見ていると、なんだか達成感がこみ上げてくる。  高貴で清楚な感じの少女さえ決まってしまえば、残る配役には理想的な相手がいる。キャスティング問題は今日でケリをつけてやる! 「これで穴の空いた役は残り1つね……」 「それももう見つけてるよ、ただ軍資金が必要なんだけど」 「軍資金……?」 「そう、103円ばかり」 「…………??」  キョトンとする月姉を尻目に、俺は090から始まる携帯番号をプッシュした。  朝の食堂は今日もごった返している。  徹夜明けの耳にはきつすぎる喧騒だけど、パンの耳生活の俺にとって、寮の朝食は貴重にして欠くべからざる栄養補給タイムなのだ。  一心不乱で大盛りライスをかき込んでる俺の前に、トレイを持った月姉が腰を下ろした。 「おはよ、珍しく早起きしてるじゃない」 「ああ、柏木先輩……ふ、ふふふ……」 「な、なによ、気味悪いわね。それに顔が疲れてるわよ」 「ふふふ……聞いて驚かんでください、ゆうべ徹夜してとうとうやりましたよ俺は」 「ち……痴漢!?」 「しねえ! そんなことで夜を徹しねえ!!」 「小鳥遊ですよ! すごいっス、究極の姫巫女爆誕といっても差し支えない!」 「ほんと、すごいじゃない」  月姉の顔にぱーっと笑顔が広がる。  この人はときどきこうやってすごく無防備な顔をするのがずるいと思うんだ、俺は。 「あとは鬼の舞台監督がその目で確かめてください、フフ、びびりますよ」 「そうね、楽しみだわ……ふふ、本当だったら褒めてあげる」 「乞うご期待…………ん!?」 「…………」  あ、稲森さんだ!  食堂の入口あたりで、もじもじしている稲森さんと目が合ってしまった。 「……!」  稲森さんもこっちに気づいたみたいで、目をぱちくりさせている。  もう体調よくなったのかな……俺との偶発的接触で熱を出したなんて、とてもじゃないけど目の前の月姉には言えないぜ。 「…………!」  しばらく逡巡していた稲森さんは、やがて意を決したように食堂の中に入ってきた。 「おはよっ!」 「お、おはよ……」 「おはよう、もう体調いいみたいね」 「はいっ、ファイト一発です! ねえ、あれからすぐキャスト決まったんだってね、すごい!」 「え? あ、う、うん……あ、あはは」 「あとちょっとで本番だから、私もがんばらなくっちゃ。天川くんもがんばろうね、ね、ね、ね!」  いきなり俺の手を取った稲森さんが、ぶんぶんと熱烈握手を交わす。 「あ、う、うん、うんうん!」 「それじゃ、ちゃっちゃと学校行って自己特訓してきまーす!」 「な、なに? いったい何があったのかしら……?」 「さ、さあ……」  何があったって、それはその……唇接近な大ハプニングがあったんだけど……。  でも、なんか稲森さん、照れ隠しにかものすごいテンション上がってるし、結果的にはよかったのかもしれない。  そうだよな、俺もいつまでもドギマギしてちゃダメだよな。稲森さんを見習ってノリノリで行こう! 「じゃあ俺も稲森さん見習って、遅刻しないうちに行ってきまっす!」 「え? う、うん……行ってらっしゃい」  よーしノリノリだ!  今日は夜々の特訓の成果お披露目もあるし、徹夜なんて気にしないでノリノリでアゲアゲだぜ! 「めぐまれない子供たちに、黒い羽根募金をお願いしまーす」 「…………あの子が、小悪魔?」 「うん、そりゃもう折り紙つきの!」 「……どこが?」 「まあ見てれば分かるって、ここにいて」 「うん……」  いつもは主導権を握ってばかりの月姉が、今日ばかりは俺を頼ってる雰囲気だ。なんかいいな、こういうの。 「おーい、日向さーん!」 「……天川先輩、まだ返済期限までは一週間ありますよ?」 「今日はそうじゃなくて、お願いしたいことがあって来たんだ」 「金銭のご用立てなら、いつでも喜んで!」 「違う違う……あ、とりあえずお金返すよ、100円が3日で103円」 「……はい、確かに」 「あれ、嬉しそうじゃないね」 「当然です。はぁぁ、7円もうけそこないました……」  ううむ、筋金入りだな、この子は。 「それはそうと、お願いがあるんだけど! 実はかくかくしかじか……」  俺が芝居の説明をはじめると、しょんぼりしていた美緒里の目がみるみる光を取り戻した。 「なるほど、私の力が必要なのですね!」 「そう、君じゃないとダメなんだ。ぜひ舞台に出てほしい!」 「いくら出しますか?」 「はぁ!?」  こ……これは予想外。いや、想定の範囲内か!  し、しかし金ならば……! 「無理!」 「先輩、そう言わないで!」 「日向さん……だっけ? お金は無理よ。校内でのアルバイトは厳禁」 「そうですかぁ……では私も無理ですね」 「日向さんも、しょんぼりして超ドライなことを言わないで!」 「ですけど、私には他にすることもありますし……」 「待って、お金は出せないけれど交渉は諦めないわ」 「……?」  きょとんとする俺たちの前で、今度は月姉が携帯でどこかへ連絡を入れた。 「日向さん、この募金のアルバイトは何時まで?」 「アルバイトは校則違反なのでしていません、これはただのお手伝いです」 「……お手伝いは何時まで?」 「7時までですけど」 「わかったわ、ちょっと待ってて!」 「……?」  ――10分後。 「なーにーよー、せっかく『ラブ魂』見てたのにー!」 「……先生、勤務中にドラマの再放送見ないでください」 「勤務時間じゃないわよー、アフター5!」  この二人が話してると、どっちが先生で生徒だか分からなくなってくるなあ。 「そんなことより雪乃先生! キャスティングが全部決まりそうなんです」 「本当、すごいわっ! うんうん、あたし柏木のこと信じてたー!」 「ですけど、それで少しお力を貸して欲しいんです。一人苦学生の子がいて、時間をとらせるかわりに学食の食券をお礼にあげたいのですが」 「えー、食券? それってアルバイトじゃない」 「アルバイトじゃなくて、あくまでも食事代という形で……」 「んー、教師としてはそういうの一応NGなんだけどー。でも、見えないところでこっそりとだったら……」 「ありがとうございますっ!」 「はぁ、食券……ですか?」 「そうよ、あなたも学校で食事することあるでしょ。最低でもランチで350円……それが10日分!」 「なるほど3500円相当ですね。日当としては安いですけど……いいですよ、お引き受けします」 「本当、助かるわ!」 「いえ、では5枚前払いで、あとの5枚は劇が終わってからという条件で……でも私、演技なんてしたことないから品質は保証できませんよ?」 「セリフさえ覚えてくれたら、あとはあたしが演技指導するわ」 「はい、セリフくらいなら一晩あれば覚えられると思います」 「頼もしいわね……台本は明日までに用意しておくわ」 「それでは明日からよろしくお願いいたしますっ」  ぺこりとお辞儀した美緒里が改札の向こうに姿を消す。これで……配役はオールクリアーだ。  その日の帰り道、珍しいことに月姉が手をつないできた。 「やるじゃない、見直したわ」 「いままで見損なってたんだ?」 「ふふっ……なに生意気言ってるのよ」 「あーあ、でも最後は結局月姉に締めてもらうことになったかぁ」 「自信持ちなさいよ、今日のあたしはあんたの手伝いをしただけよ」 「月姉……」  なんか今日の俺はちょっとカッコよかった気がするっ!  月姉と手を繋ぎながら歩いていると、達成感が胸の奥から込みあげてくる。  これって……稲森さんにチューしたおかげなのかな?  ――放課後。  ……って、ノリノリどころじゃなかった!! 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」  スキップを踏むくらいの勢いで放課後の体育館に顔を出した俺を迎えたのは、不安そうに沈黙する主要キャストの皆さん……。  こ、この重いムードはいったいなんなんだ!? 「ど、どうしたの?」 「小鳥遊さんが、片岡を怒らせちゃったの」  す、すごいな……衣装をつけたら心も女子か、こいつは。  いや、それはどうでもいい!! また夜々が片岡を怒らせただって!? 「なんで? どうして小鳥遊が!?」 「演技です。ぜんぜん直ってなくて……」 「いや、むしろ悪化していたな。ちぐはぐだったし」 「そんな、まさか……で、小鳥遊は?」 「体育倉庫。いま月音先輩と片岡くんと、三人で話してるの」 「変なことにならないといいけど……」  そんな……昨日はあれだけしっかり演技できてたのに。 「……寝不足がたたったか」 「そんな様子もなかったけどな……やる気はあったみたいだし」 「舞台の上で、急に固まっちゃったんだけど」 「パニックになっていたのかしら……返済日間近の多重債務者みたいでした」 「パニック?」 「うん、戸惑っていたみたい……」  そんな馬鹿な……。  昨夜の仕上がりを知ってる俺には信じられないけれど、実際トラブルになってるみたいだし……。  ……ん? 「……まさか」 「なに?」 「あ、ううん……なんでも……」  まさか……まさかとは思うけど。  夜々が自然な演技をできたのは、俺が相手役だったからでは……?  約10分後――話し合いが決着したのか、月姉たちが倉庫から出てきた。 「…………」  夜々の表情が暗い。  俺たちは固唾を呑んで月姉の言葉を待っている。 「いま、これからのことを話し合ったんだけど……」 「あとは俺から言いますよ。みんな、悪いが今回の舞台から下ろしてもらうことにした」  月姉たちを取り巻いたギャラリーから、悲鳴のような声があがる。 「片岡くん!?」 「そりゃそうだろう、急に台本は変えられるし、ヒロインとは演技プランの打ち合わせもできないし」 「俺は真面目に芝居をやってんだ。段取りも滅茶苦茶で、役作りもまともにできない舞台には正直もう付き合えないってことさ」 「そんな……主役のキミがそんなこと……」 「…………」 「そういうわけだから、あとは任せたぜ」  そう言い残して、主役の片岡は体育館を出て行った。  あとに残された俺たちには言葉もない。 「そんな、まさか片岡が……」 「…………やむなし、か」 「どうするんですか、これから?」 「なんとかするわ。絶対に幕を開けてみせるから……ちょっとだけ時間をちょうだい、ね?」 「……はい」 「…………」  月姉が盛り上げようとしても、重い空気は垂れ込めたままだ。  演劇部で、主役を何度も務めていた片岡だから、劇の中心人物を任せられたのだ。  今から俺が別の主役をスカウトするにしても……。  暗いムードを振り払うこともできずに、俺たちが立ち尽くしていると……。 「……なぜ? なぜ今になってそのようなことを仰せになるのです?」 「……真星ちゃん!?」 「水面は静かでも、その下には逆巻く渦がありました! 雨雲が起これば荒れ狂い……嵐には白い飛沫を撒き散らしましょう」 「みんなも練習しよ。もうすぐ本番だもんね!」 「そうですよ、私もギャラ分はキッチリやらせてもらいます」 「うん、そうだよね……行こう、小鳥遊さん」 「………………(こくり)」 「ノープロブレムだね。月音さんならこれくらいの逆境は跳ね返せるよ」 「みんな……」  稲森さんの言葉で、みんなが練習を再開する。  そうだ、みんなここまで力を合わせてやってきたんだよな……。  俺はたまらずに、片岡のあとを追って走り出した。  片岡、片岡……体育館から5‐Bの教室までを一直線に走り抜ける。 「待てよ、片岡!」  中庭の渡り廊下の先で、俺は片岡に追いついた。 「なんだ、天川か」 「今からでも、考え直してくれ」 「もう決めたんだよ、姫巫女に関わる気はさらさらないぜ」 「なんでだよ……台本が変わったのは急だったけど、今までがんばってきたじゃんか」 「………………」 「片岡! 夜々……小鳥遊だって真剣に取り組んでたんだよ。ふざけた気持ちなんかでやってたんじゃない、それは俺が保証する!」 「……あの子から聞いてるよ、お前との練習だと上手くいったんだろ?」 「ああ、小鳥遊は彼女なりに考えて……」 「だったら、それはお前の役だったってことじゃねえの?」 「俺の……役?」 「ま、俺もいまいち乗り切れなかったからな……ひとのことは言えねーけど」  片岡が、ポンと俺の肩に手を置いてきた。 「言ったろ、あとは任せたってな」 「片岡……お前……」 「それに相手役が素人じゃ、演劇部の俺には役不足だよ」  きびすを返した片岡が、ゆっくりと歩き出す。  俺の役……そうか、そういうことか。 「…………わかったよ、なあ片岡!」 「なんだよ」 「……当日は見に来てくれよ」 「よせよ……まあ気が向いたらな」  片岡を見送ってから体育館に戻ると、俺を見た月姉が、思いつめたような顔で椅子から立ち上がった。 「ねえ祐真!」 「……なに?」 「……いや、いいわ……なんでもない」  月姉が言葉を飲み込む。  舞台の上では、稲森さんたちが、主役のいない芝居の稽古を続けている。 「月姉……」  そうだ――俺のほうから月姉に意志を伝えるのは今だ。 「監督、お願いがあるんですけど……主役の王子役、俺にやらせてもらえませんか!?」 「あんたが!?」 「俺、台本ほとんど頭に入ってるんですよね、素人ですけど」 「ゆーま……」 「……学校では?」 「ごめん、天川君ね……」 「月音せんぱーい!」 「どうしたの、真星ちゃん?」 「手芸部に発注してた衣装が全員分届いてきました!」 「なかなかいい出来栄えだと思うよ、ほら」 「ほんと! こっちも代役が決まったわ!」 「本当ですか!? すごい!」  わっと舞台に活気が戻る。  月姉は少しだけすまなそうに俺のほうを見た。 「でも、本当にいいの?」 「片岡の衣装とサイズが合えば……だけど」 「合わせるわ、衣装くらい……みんなー、集合! 新しい王子役を紹介するわ」  月姉の回りに集まってきたスタッフ一同が、俺の姿を見て目を丸くする。 「まさか……新しい王子役って?」 「まままさかのまさかってことはないですよね!?」 「あ、あはは……そのまさかってことかもしれない」 「やれやれ、とんだブレイブマンがいたもんだね」 「無茶は承知してるわ……けど行けるわよ『姫巫女の恋』!」  そして、月姉の言葉に沸き立つ体育館。 「…………」  みんなと少し離れた舞台袖でこっちを見つめていた夜々は、俺と目が合うと、ぺこりと頭を下げた。 「それにしてもUMAがこんなに舞台に馴染むとはなあ」 「本当に、予想外でした」 「夜々ちゃんの相手役をしてたから、自然と板に付いたのかしらね。真星ちゃんも今日は緊張してなかったみたいだし」 「はい、すごくやりやすかったです!」 「まったく感心した! キミはやるときはやるって信じてたよ」 「片岡の演技を見てたおかげだよ」 「片岡か……彼を驚かせてやりたいね」 「そうだよ、ボクたちだけでもできるってところを見せてやるんだ」 「できるわよ、あと一週間、死ぬ気で練習すれば」  充実した舞台稽古の心地よい疲労感を感じながら、みんなで寮にむかってのんびり帰る。  文化祭のときだって、こんな風にみんなで一致団結したことってなかったよな。  やがて、大橋を渡って、川沿いの土手を歩いていると……。 「あ、そうだ! ねえみんな、舞台が成功するように、おまじないしない」 「〈呪〉《まじな》い?」 「そう、ほら……ここの土手、クローバーがたくさん生えてるの」 「ああ、そういうこと」 「クローバーの伝説か」 「……??」 「小鳥遊は知らないんだよな。この町に伝わるクローバーの伝説」 「伝説?」 「そう、クローバー伝説だよ! この町のどこかに、願い事をなんでも叶えるクローバーが生えているらしいんだ」 「そのクローバーは強い願いを持つ者だけが手に入れることができ、願いを叶える力があるんだよ」 「都市伝説っていうか、女の子向けのジンクスみたいなもんだよね」 「ええー、本当にあると思うけどなぁ」 「さ、さすがは稲森さん!」 「本当よ、本当に四葉をみつけた友達が、彼氏と結ばれたり」 「……なるほど、夢見がちなお年頃なんですね」 「ううっ……!」 「夢は起きて見るものさ。さあ、せっかくだから僕らも四葉のクローバーをゲットして、舞台を成功に導こうじゃないか」 「やれやれ、みんな思ったより子供なのね……」 「あった、あった、またあったわ! はい、10輪目!」 「柏木先輩、態度豹変しすぎです!」 「そうですよー、みんなの分も残しておいてください」 「簡単に見つかるんだもん、仕方ないじゃない……あ、またあった!」 「こっちも見つけたー!」 「ノンノンみおちゃん、残念ながらそれはシロツメクサではなく、カタバミだよ」 「しししし知ってました! カタバミを取ってって10円玉を磨こうと思ってただけですっ」 「うーむ……四葉の発見は確率論によって左右されるものだとはいえ、こうも見つからないとは……」 「ちょっと取りすぎたかしら……あら、祐真どうしたの?」 「あ、いや……ちょっと、こんなことしてて平気なのかなって」 「どうしたのよ、さっきまで元気あったのに」 「練習相手じゃなくて、自分の役だって思って舞台に立ったの初めてなんだ」 「空気変わるでしょ?」 「うん、全然違った……痛感したよ、やっぱり簡単なもんじゃないな……って」 「祐真……」 「片岡ほど上手くできるなんて思ってはいないけれど、そうでなくても失敗しないで演じるようになれるのかな……って」 「……やれやれ、せっかく見直してあげたのに。まああんたらしいけどね」  そして月姉は俺の前に四葉のクローバーを差し出して……。 「いいじゃない、ミスしても」 「……月姉?」 「それくらいあたしたちがフォローするわよ、安心しなさい」  クローバーを受け取る。  単純かもしれないけれど、月姉にそう言ってもらえて、少しだけ気持ちが楽になった。 「それにしても天川先輩って変わってますよね」 「日向さん?」 「自分からタダでリスクを背負い込むなんて珍しい人です」 「そのうち損しますよ……はい、これは保険です」  また四葉のクローバーを渡される。 「……ありがと」 「天川くん、はい、これは私から」 「稲森さん……」 「前はアガっちゃったけど、今日やってみて思ったの。天川くんと演技するのってすごくやりやすいって」 「本当?」 「うん、一緒にがんばろう……ね」  稲森さんからも一輪……。 「……うん」  自信喪失しかけていた俺の手に、幸運のクローバーが三輪。 「ありがとう、みんな。なんだかマジで元気出てきたよ」 「お互い様よ」 「そうそう」 「そうです、この借りはそのうち返してもらいます」 「よーし、あと一週間がんばるぞ!」 「驚いたね、食欲しかなさそうな奴だと思ってたけれど」 「なんで天川君ばかりが……け、けしからん! ボクのクローバーはどこだ!?」 「…………」 「あら、夜々ちゃんもまだ見つからない?」 「…………(こくり)」 「こっち、こっちのほうまだ誰も探してないよ、ほら」 「俺も探すの手伝うよ」  夕方の大川を渡る風が、俺たちの間を吹き抜けていく。  生い茂るクローバーを掻き分けながら、俺は久しぶりの充足感に身をゆだねていた。  あと一週間、本番まで時間はないけれど、このメンバーならきっと大丈夫だ。  そう、きっと――。 「あ、あった!」 「やったねー。よかったねー。おめでとー」  ――創立記念式典当日。 「いらっしゃいませー、今年も式典の後で寮生の演劇発表会があります。よろしくおねがいしまーす」 「今年も知的なエンターテインメントを寮生一同でお届けします、お誘い合わせのうえ体育館までお越しくださーい」 「うんうん、ずいぶん盛り上がってるみたいねー」 「思ったより大勢入っていますね」 「やっぱり幻の台本が効いたのかしら。さっきは地方新聞の記者さんも来てたわよ」 「先生、それみんなには内緒で!」 「あ、そうね。緊張させちゃうか。じゃあインタビューはあたしが代表して答えることにして……と」 「……今日はやけに気合いメイクしてると思ったら、そういうことですか」 「記者の人カッコよかったのよー、出会いはどこに転がってるか分からないでしょー」 「で、土壇場で決まった主役コンビは大丈夫? 楽屋にはいなかったみたいだけど」 「緊張してますね」 「無理もないか、特に天川はいきなり主役だもんね」 「はい……」 「でも……大丈夫ですよ、あいつなら」 「だ、大丈夫かな……いっぱい入ってるよ」 「大丈夫だよ、いままであれだけ練習してきたんだもん。がんばろう!」 「あとは出し切るだけですね」 「ふふっ、オーディエンスを釘付けにするのが楽しみさ」 「う、うん……緊張するな、緊張するな……(手に人の字をかきながら)」 「五、六人まとめて飲み込んでおくんだな。まあそれでも、主役に比べれば気楽なものだろうよ」 「天川先輩と、小鳥遊先輩は……?」 「……おこもりになってる」 「うーん……無理もないか」 「…………(どきどき)」 「…………(もじもじ)」  いよいよ本番を控えた控え室代わりの体育倉庫で、夜々はかなり緊張している。  できるだけのことはやった。多分いい感じに演技もできていると思う。  けれど1つだけ、夜々はどうしても詰まってしまうシーンがある。  ――シーン28、国境の別れ。このシーンだけが克服できないまま、本番を迎えてしまった。  俺の目から見れば上手く演じられていると思うし、月姉もOKを出しているから、克服できてないっていうのは正確じゃない。  監督的にはOKなんだけれど、夜々の中でまだ納得ができていないみたいで、それが緊張の原因なんだろう。  けれど、そんなレベルなら俺のほうがボロボロなわけで……。 「………………(どきどきどき)」 「…………(もじもじもじ)」 「……あ! だ、大丈夫か小鳥遊!?」 「え!? あ、えと……」 「気にするな! 観客なんてキャベツか大根が並んでると思えばいいってなんかの本に書いてあったぞ! なーんも緊張することなんてないからな!」 「は……はい」 「……とは言うものの、緊張するなって言われても無理だよな。けど安心しろ、俺なんか一昨日から一睡もできてないし、アハハ!」 「一昨日? 昨日じゃなくて……?」 「ベッドに入っても、セリフ忘れが気になって台本読んじゃうんだよな、まいったまいった」 「だ、大丈夫ですよ、先輩ちゃんとできてます」 「そ、そうか?」 「は……はい」 「…………あれ?」 「??」 「なんで俺が小鳥遊に励まされてるんだ?」 「…………くすくす」 「ま、いいか……じゃ行くか」 「はい」 「それでは、これより寮生一同による『姫巫女の恋』を上演いたします」  月姉のアナウンスで、いよいよ芝居の幕が開いた――。 「――それは今より遥か昔。まだ、この国がいくつもの小国に分かれて争っていた時代のこと……」  姫巫女の恋――それは太古の姫の悲恋の物語。 「私は〈天〉《あめ》〈地〉《つち》の神より力を授かりし姫巫女――今宵もお父上がお告げを求めに見えられる」  遠い昔、その国の王族にはこの世ならざる力を分け与えられた者が時おり生まれ、神託によって国を栄えさせてきた。  不可能を可能へと変えることのできる、神の力。  その力を持って生まれた少女は、物心がつく前から姫巫女へと祭り上げられ、国を守る宿命を担わされていた。 「お父さま、この力は災いから国を守るために与えられしもの……みだりに頼るものではありません」  幼い頃から戦禍の中で育った姫巫女は、天から授かったこの力で多くの民を救うことが出来ると信じていた。  しかし神に身を捧げた姫巫女は孤独な存在――。  そんな彼女の心の支えになっていたのは、自分に最も近い兄の王子だった。 「どうした、顔色が優れぬな。憂いごとがあるなら隠さずに話すといい」 「兄様……」  優しく頼りがいのある兄王子は、いつも影から姫巫女を見守り、支えてくれた。  いつしか姫巫女は内心で、兄に複雑な気持ちを抱くようになっていた。 「でも、この身は神に捧げたもの……誰かに心を寄せるなど、あってはならないこと」  姫巫女は神のもの、清らかな存在でなければならない。  ゆえに彼女は、兄王子への想いを寸分も表に洩らさぬように振る舞っていた。 「最近、姫巫女様は塞ぎ込んでいらっしゃるようだ……」 「王子はいつも姫巫女様のことばかりお考えですのね。ですがあなたの妻には、きっと私のような明るい娘がお似合いだと思いますわ」  時には、兄に言い寄る隣国の性悪娘の存在に心を痛めた。 「次の戦で大将首をあげたら、王に掛け合って姫巫女を〈娶〉《めと》るのも悪くはないな、ははは……」 「そなたも私のように強く美しい男に抱かれたくはないか?」  彼女を狙う実力者の美丈夫に絡め取られそうにもなった。  それらを全て受け流しながら、姫巫女は兄への思いを胸に秘め続けていた。  姫巫女は民のため、今の立場にいることを望んだのだから……。 「きゃああああっ! どなたか、どなたか助けて……っ!」 「何をしている暴漢ども、ご婦人から手を放せ!」 「助かりました……貴方は?」 「名乗るほどの者ではありません、ご無事でなにより」 「あの…………せめてお礼だけでも」  やがて兄王子が隣国の姫と恋に落ちても、姫巫女は二人の行方を見守るしかなかった。  わざとつれなく振る舞って、兄への思いを隠し通そうとした。 「兄様はこの国を継がれるお方、いつまでも巫女の私を妹のように思っていてはいけません」 「私がどうなろうとそなたは妹だ、それに変わりはない」 「分をわきまえてください、王子」 「……姫…………巫女様」 「はぁっ、いいわねぇ……二人ともよくできてるじゃない」 「はい。序盤は何度も練習したので、本番でもほとんど完璧ですね」 「さすが鬼監督ってとこかしら?」 「その呼び方はやめてください。それより……問題はここから」 「姫もご成長あそばされた……昔はいつも泣きながら私の後ろにくっついてきたものだが……」  妹である姫巫女につれなくされた兄王子は、彼女が自分のもとを離れ、一人立ちをしたことを悟る。 「……兄様、私はあの頃の私であってはならないのです」  そのような中、兄王子と隣国の姫は互いに惹かれあい、ますます親しい間柄になっていた。  隣国との間には昔から戦が続いており、王子と隣国の姫の結婚は両国の民を幸せにするものだった。 「王子、貴方の瞳にはなにが映っているのです? 国の民のことでしょうか、それとも誰か遠い想い人の……」 「王に遠いところがあってはならぬと、父から教わっております」 「王子のおっしゃいよう、嫌いではありませんわ」 「遠くに想い人などいない。この瞳に映るのは貴方の姿だけです」  国の誰からも慕われている王子と、隣国の姫が結ばれることで、姫巫女の願っていた平和が訪れることになる――。 「………………兄様」  やがて、王子と隣国の姫の仲が近づいても、姫巫女はその関係を見守るだけだった。 「……そんな、まさか王子のお相手が私たちの姫様だったなんて……!」 「いくら私が美しくても相手が姫様では勝ち目がないわ。王子を思う気持ちは姫様なんかに負けないのに、なんてついていないのかしら……」  姫巫女が王子への想いを諦めたのは、民を愛するがため。それに、血の繋がった王子は自分のことをただの妹としか思っていないだろうからだった。 「王子、このたびはおめでとうございます、これでこの国にも平和が訪れましょう」 「姫……」 「……王子?」  兄は自分を女として見ていない――そう自分に言い聞かせていたのだが……。 「やはり、私は自分の気持ちに嘘をついたままでいられない!」 「兄様……」  しかし真実は違っていた。  兄もまた姫巫女を愛していたのだ。 「ですが姫様が……」 「大王の命であの方と親しくするように言われていた。それが国のためであると……」 「しかし、しかし姫、私はそなたのことしか考えてはいなかった。そなたとなら、他国へ落ち延びてでも……」  思いがけない兄の言葉に揺れる姫巫女――。  しかし彼女は、民のためにその申し出を断ってしまう。 「なにを言うのです王子、そのようなこと……民はどうなります?」 「…………すまない、戯れだ」 「見たわ、見たわよ……王子の秘密を見てしまったわ!」 「こんな秘密を知ってしまうなんて……あ、そうだわ! そうよ、これならきっと王子を私のものにすることができるわ!」 「そのお話、本当なのですか?」 「はい、皇女様……私たちの国の姫と、隣国の王子のご縁談――このままで良いのでしょうか?」 「……よく知らせてくれました」 「いけませんな王子、この国を捨ててもよいなどと申されては」 「貴方を押し立てる長老方には悪いが、私はこの国を任せるにもっと相応しい者がいると思っているのですよ……」  暗躍する美丈夫。戦いを好む美丈夫は、穏健な王子を常日頃から快く思っていなかったのである。  やがて、王子には二つの嫌疑がかけられた。  ひとつは隣国に通じているのではないかという疑い、そしてもうひとつは神聖な巫女を汚したのではないかという疑い――。 「姫巫女様、このままでは兄王子のお命に災いが降りかかるやもしれません。王子をお助けになりたければ……」 「兄様を……」  〈幕〉《まく》〈間〉《あい》で一息いれる俺の横手に夜々が引っ込んできた。ここまでの演技は俺の目から見る限りはベストな仕上がりだ。  問題はこの先……ここからがいよいよ問題のシーンだ。  夜々がどうしても納得できないままに本番を迎えた、別れのシーン……。 「小鳥遊、全然いい感じだぞ。これまでで一番いいよ」 「………………」 「この調子なら……」 「……………………」  夜々の耳には俺の言葉がまるで入っていないみたいだ。  すごい集中力なんだな……このまま、そっとしておこう。  そして芝居はいよいよ問題のシーンへ……。  姫巫女は、流言で窮地に陥った兄王子を助けるため、美丈夫の力を頼ることになった。  しかし美丈夫の狙いは、この国と姫巫女に他ならない。  傀儡になった姫巫女に、美丈夫は兄王子を救う方法は一つしかないと告げる。 「王子、お迎えに上がりましたわ」  王子は隣国の娘と婚儀を結び、隣国の豪族である彼女の家に婿入りすることになった。  出立する兄王子を見送る姫巫女は、隣国との間にかかる大きな橋の上で、愛する兄王子と別れの言葉を交わす――。 「兄様!」 「すまない、私のせいで民に迷惑をかけてしまったな」 「いいえ、いいえ兄様……私も兄様に本当のことを隠していました」 「別れのときだ」 「兄様……」  いつしか体育館は水を打ったように静まり返っていた。  そして、練習ではついに流れなかった本物の涙が、夜々の頬を伝っていた……。 「もう……二度と……お会いすることはないでしょう」  静かで美しい涙……。  そのとき夜々が見せた表情は、舞台の上に立っていた俺が思わず引き込まれてしまいそうなほど、真に迫っていて……。 「夜々……」  思わず彼女の名前を呟いてしまった俺の声は、沸き起こる拍手の音にかき消されていった――。  ――芝居は続く。  やがて、美丈夫の暗躍で隣国との間に戦争が始まり、舞台は終盤のクライマックスに向けて盛り上がっていく……。  けれどなぜだろう。  王子の役を演じながら、俺の頭にはあのときの夜々の表情が焼きついて離れなかった。  かくして、寮生による『姫巫女の恋』は大成功に終わった。  体育館は割れんばかりの歓声。  カーテンコールで顔をだした俺は、一瞬だけ夜々と視線を合わせた。  拍手の中、俺を見つめる夜々の瞳は優しげに潤んでいて、  それはまるで蕾がほころびるような……。 「それでは、舞台の大成功を祝して……みんな、おつかれさまーー!!!」 「かんぱーい!」  かくしてジュースで乾杯して、その晩は大盛り上がり大会。  二学期まるまるかけて準備した舞台の成功に、桜井先輩たちはもちろん、いつもは抑え役の月姉や恋路橋までがハイになっている。  オレたちキャストはもちろん、寮生以外の協力者さんも集まっての打ち上げが始まった。 「月音さん、客席の反応はどうだったんだい?」 「びっくりするくらいウケてたわよ。もう最高!」  そう、舞台で演じてたオレたちにとって興味があるのは観客の反応なわけで、客席側から見ていた月姉の周りにみんなが集まってくる。 「そんなに?」 「先生なんて途中から泣きっぱなしだったんだから、ですよね?」 「だ、だーれがお芝居で泣いたりするもんですか」 「でもほら、あの別れのシーンで夜々ちゃんが……」 「……あううー」 「へええ、ほんとだー!」 「いいじゃない、ロマンなのよコバルト色なのよっ!」 「あのシーンは夜々ちゃんに持って行かれたな。で? 主役以外で一番拍手が多かったのはもちろんこの……」 「……この渉くんだったわね!」 「なんだって!?(ぼ、ボクが!?)」 「ほんとほんと、あの子誰だって男子が騒いでたわよ」 「男子を見て色めき立つなんて、ま、まったくけしからん!」 「けどお母さんも喜んでいらっしゃったわ」 「ま、ママが!?」 「渉くん、お母さんに主役やるなんて言ってたでしょ。おかげで大変だったわよ、途中で『うちの渉ちゃんが出てないざーます!』って」 「お前、またそんな嘘を……」 「ま、まさか来るなんて……ま、まったく……」 「けしからん! お前がだ!」 「けれどちゃんと説明したら、それからは喜んでくださってね、もう最前列からえげつない望遠カメラで激写しまくり!」 「やけにフラッシュがたかれてたのはそれだったのか……!」 「真星ちゃんの親衛隊にも恋路橋分隊が出来たりして、なんか本隊と揉めてたわよ」 「すんなり帰れたのはそのせいだったんだ……」  桜井先輩と稲森さんは微妙にショックを受けてるみたいだけど、ともあれ恋路橋効果で舞台が盛り上がったんならそれが一番だ。  俺の未熟な演技がフォローされてたかもしれないし……。  幕が下りてからは、クラスの連中や、父兄の人たちや、はたまた幻の台本の噂を聞きつけた演劇関係の人なんかも楽屋に押しかけてきて、大騒ぎ。  周囲を取り囲まれて質問攻めにあってる夜々を引っ張って、なんとか寮まで引き返してきたのだ。 「………………」  打ち上げが始まっても、夜々はまだ姫巫女から抜けきっていないみたいだ。テーブル回りの喧騒をよそに、窓際でぼーっと空を見上げている。  俺は紙皿に適当に取り分けたお菓子を持って、独りの世界に浸る彼女のところへ……。 「おつかれ!」 「……あ! お、お疲れ様ですっ!」  はっと、こちらの世界にもどってきた彼女と並んで、俺も空を見上げた。  昨日まで、このくらいの時間まで公園や学校で猛練習をしていたのが思い出される。 「よかったぜ、本番」 「……はい」 「練習の甲斐があった……ていうか、それ以上だったよな、あのシーン」 「……うん」  夜々が少し恥ずかしそうに下を向く。  そんな夜々からは、最初の頃みたいな冷たい感じはちっとも感じられない。 「先輩のおかげです」 「俺も小鳥遊のおかげで気合いが入ったよ」 「……先輩」 「いや、小鳥遊だけじゃなくて、みんなだよな」 「そうですね……」  口数は少ないが、彼女の声はとても親しげに感じられる。これも、一緒にひとつのことをやった仲間だからかもしれないな。 「終わりなんですね……」 「かなりしんどかったけどな、ようやく気楽な日常に戻れるよ」 「私は……少し寂しいかも」 「……分かるけどさ」  夜々がまた空を見上げる。  その横顔を見てるだけで、彼女の気持ちが分かるような気がする。 「芝居の稽古はなくなるけど、同じ寮の中で暮らしてるんだしさ、なんも変わらないと思うよ」 「……ううん、変わりますよ」 「なにが?」 「…………」 「もう、先輩は兄様じゃなくなるから……」  夜々のほうを見ると、夜々も俺を見ていた。 「え? あ、そ、そうか……は、ははっ」  な、なんだ。視線に射抜かれたようにたじろいでしまった!?  そうじゃなくて、ここは先輩らしく彼女を励ましてやるところだよな。 「小鳥遊、あのさ……」 「私、ずっとお兄ちゃんが欲しかったんです」 「……?」 「だから、お芝居の台本を見たときやってみたくなって……本当によかったと思ってます」 「……うん」 「でも、それってお芝居だから……」 「小鳥遊、あのさ、それだったら……」 「……?」  夜々に間近から見つめられて、俺は少しだけ勇気を出した。  それは、主役を引き受けたときの勇気+α程度の……。 「だったら心配すんなよ、俺が兄貴になってやるからさ」 「……先輩?」 「あ、あはは……やっぱ変なこと言ったかな?? つ、つまりだな、要は兄貴だと思ってくれていいっていうか、兄風味っていうか、兄フレーバー……」 「いいんですか?」 「そ、そりゃそうさ、小鳥遊が妹になっても不都合なんてないし……」 「…………うん、お兄ちゃん!」  お兄ちゃん……!? 「え……い、妹だったらこう呼びますよね……お、お兄ちゃん?」 「おう、そ、そうだよな……呼ぶ呼ぶ!」 「…………うん」  緊張した顔でうなずいた夜々は、それから口の中で何度も確かめるように『お兄ちゃん』を繰り返す。 「……お兄ちゃん、お兄ちゃん……お兄ちゃん」  いや『兄と思って』とは言ったけれど、『お兄ちゃん』はまずいだろう倫理的に!!  と、撤回を求めたい気持ちなんだけど……。 「ありがとう、お兄ちゃん」  そんな顔されたら「やっぱダメー!」なんて言えないじゃないか!!  けれど、けれどお兄ちゃんなんて言われたら……。 「おやーUMA先生、キミはいたいけな後輩にどんなプレイを強要してるのかなー?」 「やっぱりそう見られるのかー!!!」  ……かくして『姫巫女の恋・成功記念パーティー』は、『女装少年と変態シスコンお兄ちゃんを冷やかす会』へと悪夢の変貌を遂げ……  ……精根尽き果てた俺と恋路橋が部屋に逃げ帰ってもなお、夜遅くまで続いたのだ。  ――その夜。  ……どこからか声が聞こえる。  ――ちゃん。  ……キミハダレ?  それは、俺の奥底に眠っている声。  ――にいちゃん。  ……君は誰?  それは、いつか聞いた彼女の声――。 「――お兄ちゃん」  夜々?  そうか、君は夜々だ。俺をお兄ちゃんと呼ぶのは夜々なのだ。  けれど、どうしたんだろう。そんな寂しそうな顔をして……。  でも、おかしいな……なにかが変だ。 「お兄ちゃん……」  だって、小鳥遊夜々は俺の一個下の四年生だ。こんなに小さい子供じゃない。 「お兄ちゃん」  ここは……。  ここはどこだろう。  見渡せばそこは、草原のような、花畑のような……どこか懐かしさを感じる所。 「お兄ちゃんっ」  どうした、夜々?  俺が名前で呼ぶと、たちまち夜々の表情がほころぶ。 「……お兄ちゃん」  ああ、やっぱりこの子は夜々だ。  だってこの子は夜々と同じ声で俺のことを「お兄ちゃん」って呼んでくれる……。  俺を『お兄ちゃん』って……。  ――お兄ちゃん。  不思議と、涙が出そうになった。 「お兄ちゃん……」  クローバーが差し出される。  それは四葉の……幸運のクローバー。  僕は手を伸ばして、それを受け取って……。  そうだ、俺は夜々からクローバーをもらって……。  それから……。  とたんに夜々がうつむいて、世界がまっ暗になった。  ……それは、どうしようもなくやるせない、記憶の底の景色。  夜々?  どうしたんだ、夜々!?  俺がいくら声をかけても夜々はうつむいたまま。  顔を上げて、夜々。  夜々!!  声をからしながら肩を揺さぶる。  妹の名前を呼びながら、俺は夢の中で涙を流していた――。 「…………」 「……………………」  芝居の成功の余韻を噛み締める余裕もなく、翌朝から俺たちはさっそく非常事態体制に突入した!  演劇が終了するとすぐ、12日からは期末テストが始まる。  テスト8日前ともなると、全校生徒は挙げて学校と自宅を往復するだけの日々。  特に演劇組は試験勉強が遅れているため、遊ぶこともなくひたすら勉強の日々が始まる。  ……恐るべき教官たちとともに! 「これと……これと……これっ」 「こっちの10冊もだ!」  俺たちの前に積み上げられた参考書の山、山、山。  そしてその前で不気味に笑う月姉と桜井先輩!! 「さあ、ここからが学業の本分よ、わかってる?」 「はいっ!!」 「……何冊ある?」 「……10冊はあるよ、ヤバいな」 「……でも、どうしてボクたちだけ?」 「それは5年2学期の期末テストが、受験戦争最前線への上陸作戦だからだ! このテストは戦局を左右するぞ!」 「は、はいっ!!」 「ゆえに今回は特別に、本来なら受験勉強で追い詰まっていなければならないはずの、月音さんとこの僕が特別講師を引き受けることになった」 「寮生は芝居にかまけて勉強ができないなんて事実無根の誹謗中傷を、誰にも言わせないようにがんばりましょう!」 「……でも、実際勉強できなかったよね」 「……ボクはしてたけど?」 「……う、うらぎりものー!」 「私語が多いっ!」 「はいーーーっ!!」 「赤点取りたくなかったら、1日1冊ペースで詰め込むわよっ」 「なにがあろうと赤点だけは取れない身体にしてやるから、安心して任せたまえ」 「……受験直前のはずなのに、なんでこの人たちこんな元気なんだ??」 「……この人たちはきっと余裕なんだよ」 「さあ、なにごちゃごちゃ言ってるの、始めるわよ!」 「は〜〜〜いっ!」 「テストなんてものはコツとノリだ、覚えておくんだな」 「桜井も変なテクばっか教えないの!」  テストまであと8日――。  ぶっちゃけ当日までの勉強量よりも、当日俺たちにどれだけのパワーが残ってるかのほうが問題な気がする……!  ――そして、勉強以外に何の代わり映えもしない試験期間が過ぎ去って!! 「おわったーっっ!!」 「やー、死ぬかと思ったが、なんとか生き延びたなぁ」 「まったくまったく、さすがに先輩たちのヤマは当たってたね」  かくして戦いの終わりを喜び合う俺と恋路橋と、クラスの男子諸君。  テスト最終日が終わったとなると、俺たちの頭は成績表なんかよりも冬休みモードに切り替わる。  開放感と冬休みの期待感から、テンション高めに男子連中で雑談していたところへ……。 「……あ、あ、あの!」 「稲森さん?」 「き、期末試験お疲れ様っ!!」 「お……お互いに!」  さささっ……と横から顔を出した稲森さんに話しかけられ、俺はたちまちテンパりモードに突入した。  クラスの連中の輪から外れて、廊下に出る。  これは贅沢にも稲森さんとツーショット状態!?  あいさつ以外で彼女から声をかけられることなんて、そうそうある話じゃない。  芝居をやっていたときは、稲森さんと会話をする機会も多かった。  でも、終わってしまえばそれまでの関係に戻ると思っていた。  けど……どうしたんだろう、なんか稲森さんも妙にそわそわして見えるけど?  いったん沈黙が流れ、俺が必要以上にキョドってると、間が持たなくなった稲森さんが先に口を開いた。 「テスト……どうだった?」 「ま、まあまあ」 「そっか、私もまあまあ」 「だよね……あははは」 「あはは……」  なんだこの会話!?  そして稲森さんの向こうには、目を血走らせた親衛隊の面々が!! 「……ぐるるるるるるるる!!」  スズメバチの巣に一撃くれてやったら、きっとこんな殺気を感じられると思う!!  頼むよ……俺が稲森さんをフったのは芝居の中の話だぞー! 区別ついてるかー? 「なんかすごい視線感じる……」 「あ、ご、ごめんね……えっと、桜井先輩から伝言なの」 「あ、そうなんだ」  少しホッとしたような、がっかりしたような……それで話しかけてくれたのか。 「桜井先輩がなんか打ち上げやるんだって、しかも今日」 「打ち上げって芝居の? 今日!? もうやったのに……」 「うん、放課後だって……天川くんも来るよね?」 「もちろん」 「よかった……じゃ、またあとで」  手を振りながら、ちょっとだけ稲森さんに見とれる。  あの劇から、ひょっとすると俺を囲む何かが変わってきたのかもしれない。  うん、なんか……劇やってよかったかも。 「お兄ちゃん」 「……っととと! なんだ、小鳥遊」 「…………(むすっ)」 「あれ? いったい何でふて腐れ顔?」 「妹を苗字で呼ぶのって、おかしいと思います」 「え? あ、ああ……それは確かに」  しかしこのうえ下の名前で呼ぼうものなら、ますます変態お兄ちゃんキャラが確立してしまうじゃないか……。 「…………(じっ)」  でも、そんな顔されたら無下に拒絶できない! 「ええと、夜々……?」 「うん、お兄ちゃん……」 「今日、打ち上げをやるって桜井先輩が言ってましたよ」 「あ、ああそうか! それは楽しみだ!」  稲森さんのときと同じように驚いてみせると、夜々がにっこりと笑う。 「夜々はテストどうだった?」 「柏木先輩が見てくれたので、簡単でした」 「へぇー、俺はかなり苦戦だったよ。頭いいんだな、夜々は」 「えへへ……でも4年と5年じゃきっと難易度が違います」  ううっ、可愛いことを言ってくれる。  満面の笑顔で廊下の向こうに消えていく夜々を見送りながら、思いっきり息をつく。  確かに何かが変わってきた気がする、あの芝居から……。  そう、具体的に言うと……。 「まさか俺モテてる?」 「能天気すぎるプラス思考は、大きな借金の原因菌ですよ」 「わわわっ、日向さんっ!? いつの間に!?」 「さっきからいましたけど」 「さっき?」 「はい、稲森先輩とお話されていた時から……」 「げっ!? そそそそそそれはさておきテストどうだった?」 「そこは抜かりありません。自己採点で平均90点台は確実です」 「はぁぁ……こっちも余裕かぁ、たくましいね」 「後輩の女子に向かってその形容詞は、ちょっとおかしいですよ」  ……しかし他に適切な言葉があるだろうか?? 「そうそう、桜井先輩が今日打ち上げやるらしいんだけど、日向さんも来ない?」 「そうですねえ……今日は……っと」  そう言って美緒里は携帯をぴっぴっといじり……予定を確認してるのかしら? 「劇で助けてもらったお礼にさ、会費は俺たちが持つから……」 「あ……ちょうど空いてました、少しなら平気です」  絶妙なタイミングで美緒里がにっこり微笑む。 「じ、じゃあ放課後またな……」 「はい! では後ほど!」 「あれ? そういえば日向さんはどうして5年生のエリアに?」 「はい、それはタダ飯の匂いが……」 「っと、なんでもないです、ちょっと野暮用です! それではっ!」 「うーん……たくましい」  かくして放課後――といってもテスト期間なのでまだ昼前――俺たち寮生は、こぞって商店街のカラオケまで繰り出した。  参加したのは役者から裏方まで、劇の中心メンバーが15人ほど商店街に集結。  6年生からも、首謀者の桜井先輩はともかく、受験を控えた月姉も参加している始末。  なんにしろ、10月から続いた劇のドタバタと期末テスト終了。 「このトキメキは大切にしたいの〜♪」 「いえー、柏木せんぱーい!」 「月音先輩かっこいー!」  テスト明けということもあって、ただのカラオケのつもりがいつも以上に大盛り上がり。  もともと寮生の演劇チームに入るようなお祭り好きな連中だけに、主演の俺と夜々なんてそっちのけでテンションは上がる一方だ。 「恋路橋、女子曲歌えー!!」 「な、なんでボクが!? 君らもそーゆー目で見てるのか、けしからーーんっっ!」 「おやおや照れなくてもいいのに……さあて、次は可憐なアクトレス恋路橋たんの『天使のハートブレイク』ーー!」 「だから入れないでくださいっっ! わー、やめー! なんでカツラまであるんだっ!」  恋路橋の生餐タイムを挟みつつ、マイクが出演者の間を順番に回り、さらに盛り上がりを見せていく。 「Shake it down, Shake it down〜♪」 「かわいいー♥」 「ちょーちょ、ちょーちょ、なのはにとまれー♪」 「著作権的に優しいー♥」 「お前と俺がYOU&ME〜♪」 「先輩何度目だー!!」 「さーてさて、お待たせしました、ここらで定番『金多の大冒……」 「天川ひっこめー!!」 「ううっ、主演の出番が求められていない……」  マイクをスルーされ傷心に浸る俺の隣に、月姉が席を移してくる。 「ともあれテストお疲れ様。恋路橋君に聞いたわよ、そこそこがんばったみたいじゃない」 「鬼講師のおかげだよ。そういえば今日、先生いないね? こういうとき必ず来たがるのに」 「あぁー、雪乃先生ねえ……」 「残念ながら、採点ほうり出してでも来るって言ってたところを、運悪く副校長に聞かれてて撃沈」 「はぁぁ、そりゃまた先生らしいまぬけ展開……」 「へくしょっ! ぶえーーーっくょ!!」 「はぁぁ、歌いたい歌いたいうたいたーい! つがるーーーかいぃぃーきょぉーーーーーーーー!!」 「渋沢先生、静かにしてください」 「わかってまーす! ふぇぇーーん!!」 「さてさて、この桜井恭輔の美声でいよいよ宴も本格的に盛り上がってきたわけだが!」 「そうでもありませーん!」 「本当にそうかな、ハニー諸君!」 「はーい、もりあがってまーす♥♥」  ううっ、この支持率の差……! 「今年もいよいよクリスマスだ。ラブ☆パートナーのいる人もいない人も、寮生ならばクリスマスパーティーになるべく参加するように! 分かってるな!」 「イエー!!」 「長かった二学期もあらかた終わり、この先に待っているのは目くるめくウィンターバケーション! そうだな!!」 「イエーーーーーー!!!」 「そこで今年のクリスマスパーティーの実行委員を厳選したので、ここで発表する!」 「エーーーーーーーーーー!!!!!!」 「こらこらこら、その『ごめんこうむる』といった態度はやめたまえ。諸君の得意分野はリサーチ済みだ、無茶な分担にはしないから安心したまえ」  そうして桜井先輩がパーティーの分担を発表していく。  いずみ寮では毎年クリスマスパーティーをやっているが、それはみんなでお菓子やジュースを持ち寄ってリビングで騒ぐ程度のささやかなものだ。  けれど今年は桜井先輩がノリノリで、例年になく本格的なパーティーを開こうというつもりらしい。 「6年生は受験勉強があるんじゃないんですか??」 「もちろんだ、だから5年以下を中心に実行委員を決めてある!」  その一言で6年生大拍手&下級生大ブーイング!  それを完全黙殺して、実行委員という名の役割分担を発表する桜井先輩の図太さはさすがだ。  掃除から会計担当まで、カラオケに参加した寮生に次々と仕事が割り振られていく。 「なんだかハメられた気がする……」 「打ち上げよりも、こっちがメインだったっぽいな」  かくして桜井先輩の白羽の矢は、芝居とテストから解放されたばかりの俳優陣にも容赦なく降り注ぎ……。 「……次に、ゴージャス☆クリスマスディナー担当は、愛情弁当が極一部男子に大好評な4年の妖精・小鳥遊夜々ーー!」 「え? 私……!?」  驚いた夜々が俺を見る。  そういえば……夜々の弁当が美味いって、先輩に話したことがあったけど。そ、そんなところからリサーチが!? 「次ぃぃにぃ、巨大クリスマスケーキ担当は、『趣味はお菓子作り、好きな男性のタイプはやさしい人♥』5年のアイドル稲森真星ーーー!!」 「わ、わたしーーー!?」  ジュースの差し入れが裏目って、目を丸くする稲森さん。そして盛り上がる寮生一同。 「稲森さんの手作りお菓子はおいしいんだよ、楽しみだなぁ」 「……それって親衛隊が勝手に作ったプロフィールじゃなかったっけ?」 「さらには緊急参戦! 会場となるリビングの飾り付けは、『受験なんて楽勝です!』6年なのになぜか志願した柏木月音さーーーん!」 「楽勝なんて言ってない!」 「BGMは5年の恋路橋そしてレクリエーションは不肖桜井恭輔が担当します」 「ぼ、ボクが音楽!?」 「……桜井先輩のリサーチがすごいアバウトだってことは良く分かった」 「……ん? あれ? これで終わり?」 「天川先輩は担当が割り振られていませんね」  本当だ、助かったーーーー!!  ……なんて思わせておいて、あとで厄介な役目が回ってくるパターンかもしれない。油断はできないぞ。 「あのー、先輩?」 「どうした祐真」 「……えっと、俺は割り当てがないっぽいんですけど?」 「それには訳がある!」 「訳とは?」 「答えは簡単。リサーチの結果、天川にだけ得意分野が見つからなかったのさ」 「ああー、なるほどねぇ」 「み、認めないで!! ほら脚とか、走るのとか!」 「ならば祐真をマラソン担当大臣に任命する。イブの夜はハンディカム持って武道館まで100キロ走りたまえ」 「遠慮します!! 中継じゃなきゃ意味ないし!!」  ううう……仕事がないのは気楽でいいけど、理由が俺の無能にあったなんて……。 「だいじょーぶ、舞台で大活躍だったから、今度はゆっくりしてていいってことだよ」 「そうだよ、お兄ちゃん」  ううっ……稲森さんと夜々の優しさが身に染みる!! 「先輩、そんなことでうるうるしないでください」 「す、すまん、涙腺が……ん、そういえば美緒里ちゃんも割り当てがないんじゃ?」 「……私は寮生ではありませんから」 「そうか、クリスマスパーティは寮イベントだったよな」 「そうですよ、私はこれっぽっちも全然関係ないですから」 「………………」  おや、寂しそうな雰囲気……?  確かに寮のクリスマスは寮生中心のイベントだけど、美緒里が来ちゃいけないってことはないよね……。 「あのさ、もしよったら……」  とそのとき、マイク片手にやおら立ち上がった桜井先輩が……。 「さてさてさて! 宴もいよいよ最後のクライマックスを残すのみであるが、トリを飾るのはもちろん美声のヴィジュアル系であるこの……」 「またですかーー!!!」 「ゆーまっ、こういうときこそマイクを奪って!!」 「いや俺にトリは無理ですって、もっとふさわしい……そういや稲森さんまだ歌ってないよ、シメちゃえば?」 「ええーっ! 無理無理無理っ!」 「お、稲森先輩か! いいぞー!」 「いや、わ、わたしほら、舞台で喉がその……っ!」 「いーなもりっ! いーなもりっ!」 「そうか……ならばやむを得ない。この桜井恭輔、学園のヒロインになら喜んでマイクを渡すとしよう」 「そんなぁぁ……」  さらに広がる稲森コールの中、珍しく困った顔でジトッとこっちを睨む稲森さん。 「え? な、なんかまずかった??」 「さあ曲はもう入れておいたよ」 「うぅぅ……歌います……」  やばい、なんか嫌な予感がするけど……でもいまさら止められない!  そして曲のイントロが始まり、稲森さんがマイクを手に……。 「ぼえーーーーーーーーーーー!!!」 「うああぁぁ!! こっ……これはッ!?」 「あ、あ、あ……きゅぅぅぅ……」 「た……退避、退避ーーーーっ!!」  こ、こんなオチだったかっっ……ごめん稲森さんっ!!  阿鼻叫喚のカラオケから一夜明けた花泉学園。  テスト明けすぐ今日からしばらくは、短縮授業が続く――。  俺たち5年生には来るべき受験に備えての進学説明会があるので、午前のみの短縮授業。  けれどまだ受験に危機感の少ない大多数は、午後の時間をどう遊ぶかの模索に余念がない。 「じゃ授業しまーす……えーと、じゃテスト返すので、今日は反省しながら自習〜〜」 「先生、そんな適当な授業がありますか!」 「たまには生徒にだって息抜きがひつよ……ふぁぁぁ……チャイムまでじしゅぅぅ……」  雪乃先生が死にそうなのは、採点が激務だったのと、カラオケで発散できなかったのと、テストが終わって成績表の作成に追われているせいだ。 「ボクたちを自習させながら成績表をつけるというのは、教師としていかがなものだと思うけど」 「しょーがないよ雪乃先生だし……寝てないだけマシだ」  試験期間中から逐次戻ってきていた答案も、今日一気に帰ってきた。  教室のあちこちで聞こえる悲鳴と安堵の声。これが進路にも関わってくるから、ガチで進学狙ってる連中は必死なのだ。 「くっ、中間より少し落ちたけどやむを得ないか……天川君は?」 「ぼちぼち」  テストの結果は平均で60点ぎりぎり……赤点にはまだ余裕あるけど、決して喜べない中の下な成績。  もう一人結果が気になるあの人は……? 「……よしっ!」  窓際で小さくガッツポーズを取る稲森さんを見て、俺はほっと胸をなでおろした。  あれだけ芝居にかかりきりだった俺たちが、とにもかくにも惨敗をまぬがれたのは、月姉たちのスパルタ強化塾あったればこそだ。  ちなみに裏切り者の恋路橋は、それでも5教科で400点以上をたたき出していた……ああっ、けしからん!!  採点で燃え尽きた雪乃先生をはじめ、今日は先生方がそろってお疲れムードのようで、テスト明けの短縮授業はほとんどまるまる自習状態。  クラスメイトと他愛もないネタでダベってるうちに、あっという間に放課後になってしまった。  開放感とともに慌しく下校していくクラスメイトを見送りながら、俺も大きく伸びをする。 「いろいろあったけど二学期もいよいよ終わりか。冬休みは何して過ごそうか……」 「ああ、忙しい、忙しい!」 「恋路橋、今度はなにを焦ってる?」 「七五調でのんきに言わないでくれ! ボクはクリスマスパーティーの用意で目が回るくらい忙しいんだから!!」 「そ、そうか……そいつはごめん」 「ん? でもお前BGM担当だよな、そんなに忙しいとは思えないけど……はッ!? ま、まさか寮にオーケストラでも呼んで来ようとか!?」 「するもんかっっ! 君はどういう目でボクを見てるんだ、けしからん!!」 「やー、恋路橋のけしからんを聞くと安心するなあ」 「なんだそれは!? あのね、ボクはこれから所蔵する数百枚のCD音源から、クリスマスにふさわしい曲を選定しなくちゃいけないんだよ!」 「…………そ、そいつはご苦労様」  こいつそんなにCD持ちだったのか、あなどれん奴。 「マジで大変なら少しは手伝うよ、俺なんもやることないしさ」 「そうはいかない。これは鋭敏なセンスを要求される役目だから、他人が手伝える仕事じゃないんだよ」 「なーるーほーどー(棒)」 「それにボクよりも、ほかに人手のほしい人がいるんじゃない?」 「あ……!」  そうか――。  恋路橋の言葉で、俺の脳裏に昨日のカラオケボックスのシーンが蘇る……。 「ぼえーーーーーーーーーーー!!!」  そのシーンじゃねえ!!  そうじゃなくて、俺以外の演劇チームに割り当てられたクリスマスパーティーの当番――。  夜々にしろ稲森さんにしろ、一人で引き受けるには少し荷の重い仕事を割り振られていた気がする。  月姉だって受験勉強があるだろうし、そういえば美緒里もなにか首を突っ込みたそうにしてたよな……。 「それじゃ、ボクはさっそくCDの選定作業があるからこれで!」 「あ……うん」  恋路橋に手を振って、これからのことを考えてみる。  桜井先輩の思いやりか気まぐれか、ともあれ俺はクリスマスまで暇になるわけだ。  でもこれまでのパターンからして、ここで露骨に暇な顔をしていたら、かえって激重な仕事が湧いて出ることは必定――。  どうせするなら、押し付けられる仕事より、自分の意思で誰かを手伝おう。うん、それがいい!  桜井先輩と恋路橋はほっといてもよさそうだけど……ふむ。  ERROR!  手伝うとするなら……夜々を手伝ってやりたいな。  演劇では夜々に手伝ってもらったわけだから、今回はご恩返し。夜々が困っていたら手伝ってあげよう。  確か夜々は、料理担当だったはず。直接俺が手伝えることって少なそうだけど……まぁ一人より二人だな。 「よし決定。それじゃ早速寮に帰って夜々に……」 「お兄ちゃんっ」 「……!? や……夜々……」 「……どうかしましたか?」 「あ……いや、ちょうど今夜々のこと考えてたところで……どうしたの?」 「えっと、お兄ちゃんに相談があるのです」 「相談?」 「はい。クリスマスパーティーのことについて……私、お料理担当になったじゃないですか?」 「そうだね」 「それでですね、お兄ちゃんにお料理の相談にのってもらおうと思いまして」 「うん、別にいいよ」  ちょうど夜々の力になりたいって思ってたところだし。 「本当ですか? やった」 「相談ならいくらでも乗るよ。でも、俺料理とかはてんでダメだよ?」 「大丈夫です、料理は私が頑張りますから。お兄ちゃんは相談に乗ってくれるだけでだいじょぶです」 「そっか、まぁそれならいいけど……」 「……どうかしましたか?」 「いや……その、ちょっとは頼ってもいいよ?」 「……え?」 「いやほら、協力するって言ったし、出来る限りはやりたいからさ」 「料理はダメじゃなかったんですか?」 「そりゃダメだけど……でも力にはなりたいし……」  何言ってるかわかんないけど……出来る限りはしてあげたいっていうか……。 「…………?」 「ま……まぁとりあえず何作るか決めないとだね」 「そうですね。それじゃあ、どこかの喫茶店かなにかで……どうですか?」 「賛成。それじゃ一旦寮に戻って……」 「あ、せっかくだから待ち合わせしませんか?」 「待ち合わせ?」 「はいっ!」 「どうして? 一緒に行けばいいじゃんか」 「もう……お兄ちゃんは妹心がわかっていませんね。夜々は、お兄ちゃんと待ち合わせしたいんですっ」 「そ……そうですか……それじゃ午後2時に商店街の入口で」 「はいっ! ふふ、しっかり遅れて行きますからね」 「いや……別に予告は必要ないんじゃないかな……」 「いえ、これは遅刻予告です。今来たところ、ってちゃんと言ってくださいね?」 「まぁ、別にいいけど……」  なんとなく夜々がやりたいこともわかるし。 「ふふっ、楽しみですっ!」  夜々は嬉しそうに微笑んだ。 「…………」 「ごめん! ほんとごめん!! まじでごめん!!」 「なんだかんだ言って……夜々、お兄ちゃん待たせちゃ悪いなって思って、しっかり約束の時間通りに来ました」 「早すぎたら逆にお兄ちゃんが気を使うかなって……ジャスト時間通りで商店街の入口に到着しました」 「…………」 「それなのに……」 「それなのに……どうしてお兄ちゃんが遅れるんですか?」 「ごめんよ夜々! 月姉につかまってさ……逃げられなかったんだよ」 「……かわいい妹が、ぶるぶる震えながら待っていました」 「ご……ごめんよ夜々ー、後でコーヒー奢るから」 「お兄ちゃん来ない間……夜々一人ぼっちでした」 「パフェも奢るから! だから、許してくれよ夜々っ!」 「……ふふっ、冗談ですよ。実は……夜々も今来たところです」 「や……夜々……」 「ふふっ、こういうときの〈常〉《じょう》〈套〉《とう》〈句〉《く》です」 「ほ……ほんとごめんな夜々……」 「だから、もういいですってば。さ、行きましょう!」  夜々はにっこりと微笑むと俺の腕にからみついた。 「さてと、それじゃそろそろ打ち合わせやろうか」 「そうですね」  最初の軽い雑談も終わり、俺と夜々は本題に入った。 「えっと……まずは何から話しましょうか」 「料理だから……まずは品目じゃないか? 何を作るか決めちゃわないと」 「そうですね。クリスマスだから……やっぱりクリスマスにちなんだ料理がいいですよね」 「まぁそうだろうね。あとはそうだな……豪華さだな」 「豪華さ……」 「そう、豪華さ。パーティー料理だし、ど派手に行ったほうがいいかなって」 「ど派手……」 「せっかくのパーティーだし、贅沢しちゃおうぜ!」  予算は寮から出るだろうし、どうせなら美味いものを食べたい。 「う……うん! そうだねっ」 「ようし。そんじゃまずオーソドックスに七面鳥とかどうかな? やっぱクリスマスって行ったらターキーでしょ」  ちょっと高いかもしれないけど、まぁパーティーだし、ちょっとくらいの贅沢なら許してくれるでしょ。 「うんうん、いいですね! じゃあまず……」  夜々はメモ帳にかりかり。 『七面鳥、一匹』 「……え?」 「いいです七面鳥。クリスマスって感じですねお兄ちゃん!」 「ま……まぁそうだね」 「それじゃもっとど派手に行っちゃいましょう! お兄ちゃん何か案ありますか?」 「そうだなぁ……北京ダックとか……あれなら中華料理屋に行けば……」 「いいですねっ!!」 『アヒル、一匹』 「…………」 「お肉ばっかり……お魚欲しいですね。お兄ちゃん好きなお魚ありますか?」 「え……魚はなんでも好きだけど……しいて言うならマグロ……」 「お寿司の王様!! きらびやかでいいかもですっ!」 『マグロ、一匹』 「…………」 「あとはそうですね……冬ですから鍋物を一つ……ここはやっぱり豪華にすき焼きなんて……」 「ね、ねぇ夜々」 「リクエストですか!? もう何でも言っちゃってください!!」 「いや……えーっと……料理って、もしかして全部手作り?」 「え……もちろんそうですけど?」 「そう……そうですか……そうでしたか……」  迂闊……料理はてっきり出前かなにかで固めるものかとばかり思っていた。 「そうとわかってたらマグロなんて馬鹿な発言……ど派手なんて愚かな事は……」 「お……お兄ちゃん?」 「あ……あのさ夜々、料理のことだけど……」 「はい」 「その……出前とか、そういうのも使ったほうがいいかなって」 「出前?」 「そうそう。ほら、実際料理作るのは夜々だけだし……」  申し訳ないことに、俺は荷物持ちくらいしかできないわけで……。 「堅実に、簡単なものを事前に作っておいて、メイン的なものは出前で……ほら、餅は餅屋って言葉もあるくらいだしさ」 「そんな……出前なんて嫌ですっ! 全部自分で作りたいです」 「ぜ……全部!?」 「そうです、全部です」 「どうしてまた……そんなことになっちゃったのかな……」 「それは……任された仕事ですから、やっぱりしっかりこなしたいですし……」  夜々は少しだけ頬を染めて俺を見つめる。 「その時のおいしいを……独占したいから……」 「…………?」 「おいしいって言ってもらえるの……すごく嬉しいものなんです。他の人には……譲りたくありません」 「そ……そうなんだ」  正直意味はさっぱりだが、夜々の心意気だけは十分に伝わった。 「わかった。夜々がそんなにやる気なら、俺も全力でサポートするよ」 「ホントですか?」 「もちろん。かわいい妹が頑張ってるんだ、なんでも協力するよ」 「お兄ちゃん……」 「よしっ、そうと決まったら続き続き! まずはメイン料理を決めちゃおうか」 「メイン料理……ですか?」 「そうそう。まずはメインを一つ決めちゃって、それから次に腹を満たす用の簡単に作れそうな料理を何品か……」 「あ、だったらメモにあるこの三品をメインに……」 「だーめ、全部は無理だから一つにしぼろう」 「そんなぁ、全部作ろうよぉ……夜々頑張るよぉ」 「甘えてもダメ。とてもじゃないけど間に合わない」 「そうかなぁ……」 「どう考えても間に合わないって。俺は七面鳥がいいと思うけど……夜々はどう思う?」 「一つだけなら……夜々も七面鳥かな?」 「よし決定。それじゃ次に手軽に作れる料理を……」  俺はメモ帳に簡単に作れそうな料理をリストアップしていく。  今の夜々はやる気があっていいんだけど、ちょっと無鉄砲な感じがする。  そりゃ、熱意があるのは凄いいいことだけど、後先考えた計画はやっぱり必要だよな、うん。  まずはこういうところで俺が協力してやらないと。 「参加人数はこれくらいだから……量は結構必要だな」 「そうですね。買い出し大変そうです」 「その時は声かけてくれな、荷物持ちはいくらでもやるから」 「うん。ありがとね、お兄ちゃん」 「兄貴だから当たり前。味見とかもばっちりやってやるからな!」 「それはダメ。絶対味見じゃなくなっちゃうもん」 「ぐぐ……否定できない自分がいる……」 「ふふっ、大丈夫。お兄ちゃんになら夜々いつでもお料理してあげるから」 「あ、それはありがたいね」 「もちろん、妹だから当たり前です」  見ているだけでお腹が満たされるような、そんな笑顔を夜々は俺に浮かべた。  ここで俺が手伝うとするなら……やっぱり稲森さんだ。  桜井先輩の強引な仕切りでケーキ担当になった稲森さんだけど、俺の記憶じゃ、彼女の料理っていうのは……。 「………………(回想中)」 「……ううっ」 「な……なんだろう、この心の空に立ち込める暗雲は?」  なんとなくだけど、彼女を放っておくと、非常に良くない事態が巻き起こる予感がするッ!  それにカラオケで無茶振りしちゃったぶんも、なにかフォローができれば嬉しいし……。  ただひとつ気になるのは、俺なんかが稲森さんに付きまとうことが迷惑なんじゃないかって事だ。  迷いつつも足早に寮に向かおうとしていた俺の前に……。 「あ、天川くん!」 「おおっ、い、稲森さんッ!!」  校門の手前で、ばったり稲森さんに鉢合わせた。 「い、い、いま帰り?」 「うん、稲森さんはケーキ作りの準備??」 「あ、そうそう! そうなのっ!」 「ど、どんなケーキにするの?」 「そ、それはもちろん! えっと……これから考えるんだけどっ!」  学園のアイドルを前にして、またしても微妙な空気。稲森さんも妙に緊張してるし……ま、まさか!?  まさかケーキを口実に近づこうとしてるんじゃないかって、警戒されてる??  あぁぁ、鋭いよ稲森さん、つまり図星ってやつさぁ! 「そ、そっか……楽しみだな」 「う、うん、がんばるね!」 「…………(汗)」 「…………(汗)」 「…………(汗)」  なにこの間。  ものすごい穏当な軟着陸で会話が完結し、沈黙に支配される俺と稲森さん。  このぎこちなさは……入学したばかりのころを思い出す。  席が隣同士だったあの頃の俺たちも、ちょうどこんな感じでギクシャク会話してたよ。  それからはずいぶんと仲良しだったのに、俺が彼女を前にするとこんなにも緊張してしまうようになったのは、そう、あの時の……。  ……なんて追憶はどうでもいいッ!!!  な、な、なにか言わなくては!  そう、俺は稲森さんの手伝いをしたくて参上したわけで……う、ううっ!! 「あの、人手が足りないとかない?」  俺は稲森さんの視線を感じながら、精一杯の勇気を振り絞った。 「ヒトデ!?」 「うう海じゃないほうで!」  ううっ、こうやってアップに迫られると、振り絞った勇気が駄々漏れになっていく!! 「い、いやその……あははは、足りてるよね。稲森さんには手伝ってくれる連中も大勢いるし……」 「え? あ、えっと……」 「親衛隊の連中とか、きっと稲森さんがケーキ作るって知ったら……」 「――足りてないっ!」 「え?」 「た、足りてないよ……人手」 「ま、マジで? だって……」 「だって巨大ケーキだし! 一人じゃ持ち運べないしっ」 「どんなケーキにするかはこれから考えるって……」 「え? あ……!!」 「…………(汗)」 「…………(汗)」 「い、いま思いついたの、巨大クリスマスケーキ! ツリーつき!!」 「そっか、今ひらめいたのか! 派手で良さそうだね!」 「そ、そうそう、だから人手が足りなくて、ちょっと困ったなー……なんて……」 「お、俺、クリスマスまでけっこう暇なんだけど、迷惑じゃなかったら……」 「迷惑じゃない! ぜんぜん!」 「手伝っても?」 「う、うん……!」  こっくり頷く稲森さん。  や、やった……! 嬉しいけど……なんか、俺よりも稲森さんがテンパってるように見えなくもない……なぜだ? 「じゃあ……えっと、急いでこの場を離れていい?」 「急いで??」 「ここで向かい合ってると、いつ親衛隊に見つかって半殺しにされるかわかんないから!」 「あ……そ、そうだね。行こっか!」  稲森さんは、不意に俺の手を取って走り出した。 「はぁ……はぁ、はぁ……天川くん、大丈夫?」 「はぁ、はぁ……うん、鍛えてるから!」  息が切れるのは、走るリズムが違う事よりも、この不用意に高鳴った胸の鼓動のせいだ。  弾む胸の鼓動を感じながら、見慣れた通学路を寮へと走る。  女の子と手を繋いで下校するのは男子の夢イベントの一つ!  それが、よもやこんな形で実現するなんて……。  なんて幸せ気分に浸ってる場合じゃない! 手を繋いでるところなんて見られた日には、半殺しが全殺し+獄門になってもおかしくないから!!  けど……。  そういえば稲森さんと手を繋ぐなんて、いつ以来だろう……? 「はぁっ……はぁぁ、着いたぁ……天川くん、やっぱり体力あるね」 「走るのだけだよ。今日は生きた心地がしなかったけど」 「大丈夫、平気、見つかってないから……はぁ、はぁ」 「うん、稲森さんがそう言うなら信じるよ」 「…………」 「あ、あれ、変なこと口走ってたかな。あ、あはは……」 「ううん、そんなことないない、全然ない! あ、あははは……」 「何を初々しいカップルのごとき風情をかもし出しているんだい?」 「わぁぁあぁっ! 桜井先輩!!」 「やあまほちゃん、どんなケーキにするか考えてくれたかな?」 「は、はい! それはもちろん! えっと、いい意味でシンプルに……」 「なんと巨大ケーキ、ツリーつきだそうですよ!!」 「あうっ!? あ、天川くん!」 「え? ま、まずかった!?」 「なるほど巨大ケーキか!」 「やぁ、それはさぞかし名峰のごとくそびえるケーキになるんだろうね。なーに、寮の壁くらいいつでもぶち抜けるから、サイズは思い切り派手に頼むよ」 「あうう……は、はいぃ……楽しみにしててくださいっ!」  涙目の稲森さんが必死の笑顔を浮かべる。  で、でもさっき、巨大ケーキって……。  俺は手伝いどころか、なにかとんでもない迷惑をかけてしまったのかしら……??  月姉かなぁ……やっぱり。  もしかしたら月姉なら手伝いなんて必要ないかもしれないけど、前の演劇のときみたいな事もあるかもしれないし……。 「確か月姉は部屋の飾り付けだったっけ……」  飾り付けなんて全くの専門外。芸術センスゼロな俺に、果たして手伝いなんてできるのか……。 「まぁ、月姉が困ってたら声かけて……」  まぁどうせ子ども扱いされて終わるんだろうけど……言わないよりは絶対に良いはず!! 「さてと、戻るとするか」  俺は首をこきこきやって立ち上がった。 「ふぃ〜、ごっくらくごくらく♪」  風呂上りにコーヒー牛乳! これまさに鬼に金棒だね!! 「ごくごくっ……ん〜♪ ……ん?」  と、そこで月姉発見。  月姉はリビングの椅子に座り、なにやら白いスケッチブックを広げていた。 「…………?」  少しだけ興味を惹かれて月姉の隣に腰を下ろす。 「…………」  月姉は俺のことになんか全く気づかず、一心に鉛筆を走らせている。  珍しい、確か絵を描くのは嫌がってたはずだけど……。  俺は何気なくスケッチブックを覗き込む。  白い画用紙に描かれる、いずみ寮リビング。リビングにはさまざまな飾り付けがほどこされていて、画用紙の中ではもうクリスマスムード。 「へぇ……スケッチか」 「そうよ」 「へあっっ!? って、月姉」  いつのまにか、月姉はにやりと俺を見つめていた。 「覗き? そんなことしちゃうなんて、お姉ちゃんショックだな〜」 「そんなんじゃないって。装飾のスケッチ?」 「そうよ。まずは完成図ってのが必要かなぁ〜って、どうかな?」 「そうだね……うん、どれもいいんじゃない? あ、そうそう、装飾とか俺手伝うからね!」 「あ……うん」 「もうがんがん言っちゃってよ、俺なんでもやるから」 「ふふっ、ありがと」  月姉は優しく俺の頭をなでる。 「でも大丈夫、一人でできるわ。祐真は何もしなくても大丈夫」 「そ……そうなの?」  それはそれでちょっとショック。少しくらい頼ってくれてもいいのに……。 「もう、むくれないの。はいはい、本当に困ったときは声かけるから」 「まぁ、別にいいけどさ」  あんまり子供扱いしてほしくないなぁ……まぁ確かに月姉から見たら子供かもしれないけど。 「それより、どうかな? あたしとしてはこれなんかいいかな〜って」  月姉がぱらぱらとスケッチブックをめくる。 「祐真はどう? どれがいいかな」 「う〜ん………どれがいいか……」  というか、月姉の絵って久しぶりに見たけど、やっぱ上手いなぁ。 「月姉、絵上手いね」 「もう、そんなことどうだっていいでしょ。問題は飾り付けのセンス」 「まぁそうだけど……ほら、月姉の絵を見るの久しぶりだし」 「そ……そうだったっけ?」 「そうだよ。久しぶりに見てさ、うまいなぁって」 「そ、そう……。じゃあ……もうちょっと描いてみるね」  月姉は予想通りの反応。少しだけ不機嫌そうにまた鉛筆を走らせる。  かりかりかり……断続的な音を聞きながら、俺はふっと月姉のことを考える。  俺と月姉は子供の頃から仲が良かった。  子供の頃から家が隣同士ってこともあってか、俺と月姉はすぐに仲良くなり、一緒に遊ぶようになった。  月姉はその頃絵が大好きだった。子供の頃の月姉の記憶……鮮明なのは絵を描いている姿ばかり。それだけ月姉は絵ばっかり描いていた。  子供の頃は画用紙にクレヨン、学園に入ってからは色々な画法にチャレンジしたりと、月姉の絵に対する情熱はすさまじかった。  恐らくおじさんの影響が強いのかもしれないな。月姉のお父さんは画家だったから。  もしかしたら血筋ってやつかな? 月姉にも絵の才能があるのだと俺は思う。  才能……どうだろう、ただ純粋に大好きだったってだけかもしれないけど……俺にとって絵を描く月姉は憧れの存在だった。 「……何考えてるの?」 「あ……いや、別に」 「またまた、エッチなこと考えてたんでしょ? あたしの顔じろじろ見て……ほんと、祐真はエッチだな〜」 「そ……そんなわけないじゃん!」 「まぁいいけどね〜、男の子だし。ただ、無理矢理とか人目はばからずにはだめよ?」 「そんなことするわけないでしょ!」 「はははっ、冗談だよ、冗談っ」  月姉はからから笑いながら俺の頬を鉛筆でつつく。  そう、仲がいいのは昔も今も一緒。俺は月姉のこと大好きだし、月姉も俺のこと弟のようにかわいがってくれる。  ただ、月姉は絵を描かなくなった。まるでシャッターを下ろしたように、月姉は絵を止めてしまった。 「……ねぇ、月姉」 「ん〜?」 「絵、描かなくなっちゃったよね」 「……そうかもね」 「どうして? 昔あんなに好きだったのに」 「さぁ、どうしてかしら。ただ単に忙しくなっただけかもしれないし……飽きちゃっただけかもしれないし……」  月姉は俺の顔を見ないで鉛筆を走らせている。 「…………」  そんなわけあるもんか。忙しいってのは確かにあるかもしれないけど、飽きるなんて絶対にありえない。  あんなに好きだったのに、ある機会にぱたっと止めてしまったんだ、そんな簡単な理由じゃないはず。 「月姉……」 「……なに? お腹すいたのなら何か作ろうか?」 「…………」 「もう、ぶすっとしちゃって。かわいくない顔が台無しよ?」  頼りないからかなぁ……だから月姉は俺に話してくれないのかな……。 「ふぃ〜! 風呂上りのビール!! このために私は教壇に立ってるねっ!!」 「先生、生徒の前でそういう発言はいかがなものかと……」 「まぁいいじゃない、教師だって人間人間〜♪ ……ん?」  先生は月姉の手元を見るなりするするっと月姉の右サイドに侵入。 「ちょ……ちょっと先生!」 「なになに、柏木絵〜描いてるんだ。見せて見せてっ」 「べ……別に絵じゃありません、飾り付けをスケッチした落書きです。ほら、ラフですし絵なんて到底呼べるものじゃ……」 「うん、いいね!! うまいじゃんっ!!」 「は……はぁ?」  雪乃先生は絵をぱらぱら……。 「へ〜たいしたもんね。さすがというかなんというか……」 「……っ!?」  月姉の目がとたんに険しくなる。 「あ、そういや柏木」 「…………なんでしょう」  あ、トーン変わった。不機嫌モード突入だ。 「実はね、学校ロビーに飾る絵も描いてって校長が言ってるのよ。良い機会だし、描いちゃえば?」 「ほう……描いちゃえば……ですか」 「うんうん。あ、そうそう、あと美術の先生が光美展に出す絵描いてくれって……それから美術部の連中が……」 「…………」 「は……はは……」  そ、そろそろ空気読みませんか雪乃先生? 「……そうですか、わかりました」 「お〜、描いてくれる!? 良かった良かった!!」 「はい。それじゃあ早速、描きたいと思いますので」 「うんうんっ♪」 「脱いでください」 「………は?」 「だから、脱いでください。あ、下着だけは許します、ただ他は全部」 「あ……あの〜……柏木?」 「雪乃先生が描けって言ったんですよ? 教師なんですから、学生の成長を助ける義務がありますよね?」  月姉の目が猛禽のそれへと変貌していく。 「ま……まぁそれはそうかもしれなくも……」 「私、雪乃先生のヌードが描きたいです。というか、ヌードなら描きますから」 「い……いやでもヌードってのは社会的に……」 「大丈夫です、ここは無法地帯、そういうの許されるんです」 「そ……そうでしたっけ?」 「そうです、銀色の世界なんです。さぁ、脱いでください」 「う……いやでも、やっぱり健全に風景画とか!」 「わかってませんね雪乃先生、人体デッサンは最高の芸術です。風景画も確かに素晴らしいですが、人体デッサンこそが至高の芸術……わかりますか?」 「は……はぁ……」  こうなるともうどっちが教師だかわからなくなってくる。 「女性独特の曲線美……それらを巧みに描き、画用紙をステージにして躍る雪乃先生のあられもない裸体……ふふっ、考えるだけでぞくぞくしちゃいます」 「か……柏木?」 「学校ロビーに雪乃先生のヌードが堂々と張り出されるわけですか……いいですね! 燃えてきました!! さぁ、脱いでください!!」 「ひ……ひえ〜〜っっ……」  そして脱兎のごとく逃げ帰る下り坂教師。はぁ……なんかため息が出ちゃうのはなぜでしょうか……。 「まったく……このくらいで逃げるなんて。もうちょっといじってやろうかと思ったのに」 「じゅ……十分だったと思うよ?」 「そう? まったく……あたしは絵は描かないって言ってるのに……」  月姉は忌々しげにスケッチブックをにらみつけた。 「まったく……いい加減にして欲しいな……」 「…………」  どうして? どうしてそんなに嫌がるのだろう……。  品行方正で学校側にとって模範となる月姉なのに、なぜか絵を描いてくれという要望には絶対こたえない。  そこまでして絵から自分を遠ざける理由……。  なんでも知ってると思っただけに、月姉の知らないことがある……それがショックでしょうがなかった。  恋路橋たちはクリスマスパーティの準備に色めきたってるし、そうでない連中はすっかり冬休み気分だ。  特に予定もなく準備もすることもない立場は、気楽だけど少し寂しいところもある。  なんか無関係な人間にされたみたいで……。  カラオケの時の、美緒里の少し寂しそうな顔を思い出す。  あの時は誘いそびれてしまったけれど、似たもの同士って事で、あらためて彼女をパーティーに誘ってみようか。  などと考えながら、俺もひとまず寮へ戻ることに……。 「……む、殺気!」 「そこにいるのは誰だッ!!!!」 「……と見せかけてこっちだーーー!!!!」 「きゃっ……っととと!!」 「……日向さん?」  これはなんという〈千〉《せん》〈載〉《ざい》〈一〉《いち》〈遇〉《ぐう》。 「は、はい、いつもニコニコ『キャッシュ〈1〉《わん》〈0〉《おー》〈1〉《わん》』です!」 「いや今更俺に営業かけなくていいから!」 「まあそう言わずに、キャッシングのご用命は?」 「ないよ、全く」 「……そうですか、残念です」  まさかこの子は、ここで客を物色していたのかしら? 「お金の話はさておき、寮生以外には全然関係のないクリスマスパーティーの話なんだけど」 「はい?」 「もし良かったら来ない?」 「え? な、なにを言ってるんですか、私は部外者ですし!」 「別に寮生じゃなくても飛び入りOKだからさ、暇だったら」 「暇なんてとんでもない! 私は毎日ビジネスに忙殺されてます。年末は特にかき入れ時なので、うかうかと遊んでるわけにはいきません!」 「ほんとに?」 「ほっ、本当です! 今日も予定でびっしりなんですから、ああ忙しい、忙しいっ!」  恋路橋みたいなリアクションで背中を向けた美緒里が、さっさと校門から出て行ってしまう。  うーむ、本当に忙しいなら無理には誘えないけど……どうなんだろう?  かくして寮に戻った俺は、クリスマスの準備に追われる連中の邪魔もできずに、独り時間を持て余す。  うーん、これは暇だ。  演劇とテストが終わったら、たちまち時間を持て余すようになってしまった。  独りでゴロゴロしてるのもなんだし、ロードワークにでも出かけるかな……。  ――コンコン。 「はーい……恋路橋か」 「ふっふっふ……君のことだから、きっとグダグダしてるんじゃないかと思ったら、やっぱりそうだったね」 「出し抜けに失敬なことを言うな、俺はこれからロードワーク行くの」 「まあまあ、走るのは夜でもできるから、その前にボクのプライムセレクションミュージックを聴いて心を癒してみないかい?」 「音楽だって夜聴けるじゃんか……って、もう選曲すんだの? CD数百枚聴いて?」 「もちろん、そんなものはボクにかかれば楽勝さ」  ありえねえ。イントロしか聴いていないか、実はCDそんなに持ってないかのどっちかだ……多分後者! 「……で、パーティーが盛り上がりそうな曲が見つかったと?」 「そうとも、ボクなりに自信作を集めてみたんだけど……」  そうして恋路橋がバッグから取り出したCDを見てみると……。 『愛の手紙は幾星霜』? 『〈鶯〉《うぐいす》〈谷〉《だに》で逢いましょう』?? 『〈宙〉《そら》に星があるように』??? 「……なにこの昭和ミドルエイジ感満載なラインナップは?」  そして、なんだその自信満々な恋路橋の面構えは!? 「いやあ、若者らしい歌を選ぶのに苦労したよ。日本人ならやっぱり歌謡曲だからね、では最初のリコメンドは定番の『マドロス留年生』から……」  軽いめまいに襲われた俺の横で、恋路橋が持参したノートパソコンにCDを入れはじめる。 「いや待て! 大丈夫! 俺の部屋でCDセットしなくても平気だから!!」 「どうしてだい、親友の君がそんな遠慮をするなんて」 「名曲なのは聴かなくても分かるから、いますぐ柏木先輩にダイレクトに持ってくといいよ!」 「本当に? いやあ、さすがは親友だね、このセンスが分かってもらえるなんて……でもせっかくだからイントロだけでも」 「わかった、わかってる、理解してるから、急いで行ってこいーー!!」 「え? あ、ちょっと、君……!?」  恋路橋をなんとか扉の外に締め出して、大きく息をつく。  狭いながらも楽しい我が部屋が、危うく高架下の一杯飲み屋ライクな空間にされるところだった。  しかし……月姉があの選曲で納得するだろうか?  ううむ、桜井先輩のリサーチって、実は絶望的に信用ならないのでは??  恋路橋の選曲に、俺が茫漠とした不安感にとらわれていると……廊下の向こうからドスドスと足音が近づいてきて。 「ちょっと祐真! いったいあんたどういうセンスしてんのよ!」 「つつつつ月姉!? こ、ここ男子エリア!」 「関係ない! これは先輩による指導だから!」 「あうぅ、もしや……楽曲のことでしょうか??」 「あんたが太鼓判を押した自信の楽曲だって恋路橋君が言ってたわよ。あんな選曲でクリスマスパーティーを一体どーしようっていうの!?」 「な、なにーーー!? こ、こ、恋路橋ーーーっっ!!! そこにいるんだろ、出てこーい!!」 「だ、だって言ってくれたじゃないか! 魂を揺さぶる珠玉の名曲選だって!!」 「そんな新聞の全面広告みたいなこと言ってねー! お前は、お前って奴はこの俺までも……っ!」 「とにかく!!!」 「は、はいーっ!」 「こうなったら連帯責任よ。口げんかが済んだら、もう少しまともな曲を持ってくるように!」 「で、でもまともって言われても、ボクの持ってるCDはもう全部で……」 「お前はムード歌謡しか持ってないのか!」 「あんたはどうなの?」 「お、俺はまあ、ロック系ばっかで……ええと、ここらへんに」 「まあいいじゃない? ロックとクリスマスのコラボも♪」 「……って祐真くん、これはロックじゃなくてJポップって言うのよ」 「ど、どこが違うんでしょうか?」 「はぁぁ……これはまずいわ、いずみ寮最大の危機がこんなところに潜んでたなんて」 「こないだの劇よりもピンチですかっ!?」 「そうよ! だって飾り付けのイメージとBGMがぜんっぜん合わないんだから! そんなことじゃパーティーなんて開くわけにはいかないでしょ!?」  月姉、それはさすがにちょっとおかしいと思いますが!! 「うぅぅ、イメージに合うBGMっていうのは??」 「そうね、もっとスウェディッシュな感じとか? あ、でもスペーシーなのはNG。アコースティックでありつつエレクトロニカなサウンドスケープが……」 「……わかる?」 「……ぜんぜん」  宇宙語にはとんと詳しくない俺だけど、また『妥協なき月姉』の本領が発揮されようとしていることは分かった、そして覚悟した……。 「とにかくっっ!! 二人でもう少しBGMの在り方ってものを勉強し直してくること! いいわねっ!!」 「は、はいーーーっ!!」  ……って、なんで俺まで巻き込まれていますかーー!?  早朝、俺は月姉によって無理矢理起こされた。 「おきろ〜〜、朝だぞ〜〜!!」 「んんぅぅ……月姉?」 「おはよう祐真。ほら、起きて着替えて外に出る!」 「えぇ??」  起き抜けの為、意識がまだぼんやりとしている。 「いつまで寝てるの? ほら、さっさと起きるっ!!」  がばっ、と毛布をひっぺがされ、寒さが体全体を包み込む。 「さ……さみぃ……ひでぇ……」 「寒いのは当たり前、冬なんだから。走ってぽかぽかになろ〜♪」 「えっと……飾り付けなら手伝うから……もうちょっと寝かせて欲しいかも……」 「飾り付けはいいから、そのかわりダイエットにつきあってよ」 「ダ……ダイエット?」 「そう。祐真もお姉ちゃんがみっともない体になったら嫌でしょ?」 「い……嫌かも……」 「ならさっさと起きて支度なさい。5分!」 「は……はい……」  無論逆らう気概も根性もない俺は、凍える体を動かしてベッドから起き上がった。  いつものようにトレーナーに着替え、寮の前で待機。 「さみぃぃ……死ぬぅぅ……」 「何年寄り臭い事言ってるのよ。ほら、今日はちょっと長めに走るからね」 「は〜い……。それで、月姉」 「ん?」 「何かあったんでしょ?」 「……っ、何かって?」 「またまた、そんなごまかし通じません」 「べ、別になにもないわよ」 「嘘だね、それくらい俺だってわかるよ」  月姉の唐突なロードワーク……それはたいてい何かあった時に発生する。 「何かいらいらするようなことでもあったの? あ、もしかして昨日の雪乃先生?」  というかそれしか思い当たらない。 「む……さすが名探偵、これだけの証拠でそこまで見抜いていたとは……」 「そういう冗談はいいから。昨日の先生のこと気にしてるの?」 「……昨日のことだけならまだいいわよ」 「…………?」  聞くところによると、昨日のあれはほんの一部、前から先生方の猛攻が凄いらしい。 「顔を見れば絵を描け絵を描け〜って、もう耳にたこができるんじゃないかって」 「そんなにっすか……」 「しかも雪乃先生だけじゃないし。美術部顧問に生徒指導……あげくのはてには校長先生直々に……」 「な……なんだか凄いね……」  そりゃ確かにストレスも溜まるわ。 「あたしは描かないって言ってるのに……まったく、絵だったら美術部とかに描かせればいいじゃない……」 「えっと、相談なら乗るからね? なんでも言ってよ」 「ふふっ、祐真がそんな事言うなんて、お姉ちゃんびっくりだなっ」 「こ……子供扱いしないでってば! 俺は真面目に月姉の力になりたいなって……」 「わかってるって。気持ちだけで十分嬉しいよ」  にっこり微笑んで俺の頭をなでなで。 「つきね〜……そういうのももう止めてよ……」 「え、嫌なの?」 「嫌じゃないけど……そろそろ俺のこともうちょっと認めてくれても……」 「はいはい。……ふふっ、まったく、かわいいなぁ祐真」 「…………」  ダメだ……月姉にとって俺はまだまだ子供なんだな……。 「さてとっ、それじゃ早速行こうか! 今日はちょっとペース速めに行こうね」 「は〜い……」 「ほ〜らほら、もっとペースあげるよ〜」 「はっはっは……了解っ!」  月姉に先導されて俺はいつものコースを走る。  起きるときはつらいけど、早朝ランニングはやっぱり気持ちがいい。特に冬は走ってからが最高だ。 「はっはっは……はっはっは……」 「祐真〜、今日短縮授業でしょ?」 「はっは……そうだね」 「せっかくだし、どっか遊びに行かない?」 「いいよ……どこ行く?」 「そうね〜、せっかくだから真星ちゃんや夜々ちゃんも誘ってさ、ぱーっと行きたいわね」 「さんせ〜……っは、っは……」 「そうね、無難に……いやいや無難はつまらないから……」 「は……っは……つ……月姉、前みなって……危ないから……」 「大丈夫だって。もう何回このコース走ってると思ってるの?」 「いや……それはそうだけど……」  油断してるときが一番危険って良く言うし。 「う〜ん……候補にバッティングセンターとゲームセンターがあるけど……祐真はどっちがいい?」 「はっ……はっ……そうだね、久しぶりにバッティングセンターいいかも」 「お、気が合うね。でも真星ちゃんとバッティングセンター、相性悪いからなぁ……」 「バットになぜかボール当たっちゃうんだよね」  かなりすさまじいバッティングにもかかわらず。 「そうそう、しかも真上に……あがったボールで頭打って……う〜ん、却下かな……」 「それに夜々ちゃんも来るとして……あんまり派手な場所に行くってのもなんだし……祐真は……」 「月姉前っ!!」 「えっ!!?」  突然飛び出した子猫……このままだと月姉のこぐ自転車と子猫が……。 「きゃっ!」  反射的に月姉はハンドルを切って右に軌道をそらす。 「ちょ……月姉!!」  いきなりの方向転換に月姉の反応がついていかず、月姉と自転車はそのまま横に倒れ……。 「あ……あぁああっ……きゃあああっっ!!」  がしゃんっ!!! 「ありゃりゃ……月姉、だいじょぶ?」  道路に横たわる月姉に駆け寄る。 「いった〜〜……」  とっさのため受身も取れなかったのか、月姉は右足をかかえてうずくまってしまう。 「立てる?」 「いたたっ……うぅ、無理かもしれない……」 「まったく……ちゃんと前見て走らないから……」 「うぅぅ……だって……」 「だってじゃないよ。まったく」  俺は苦笑しながら月姉に背中を向ける。 「…………?」 「ほら、背負って行くから」 「や……やだよ、恥ずかしい……それに……自転車どうするのよ……」 「後で俺が取りに来るよ」 「…………」 「ほら、乗った乗った」 「……やっぱやだ」  月姉は拗ねたように顔を背けてしまう。まったく……こういうときくらいいいじゃんか。 「もう……じゃあどうするの? このまま怪我が治るまで待つ? それともわざわざタクシーとか呼ぶ?」 「…………」 「たまには頼ってもいいんだって。それに、体力だけなら自信あるから」 「……じゃあ……お願い」  月姉はゆっくりと俺の背中に体重をのせた。  元来た道をゆっくりと歩く。 「…………」 「……大丈夫? 重くない?」 「もちろん、全然重くないよ」  むしろ軽い。こんなに軽いんだ……ってびっくりするくらいに。 「月姉も……女の子なんだな」 「……なによ、それ」 「いや……なんとなく」 「…………ねぇ、祐真」 「なに?」 「……ごめんね」 「どしたのいきなり」 「……私が悪いわ……ごめん、よそ見してた」 「あぁそのこと……別に良いよ、俺だって前走ってたら後ろ向いて話しちゃうだろうし」 「…………」 「俺だって月姉と話しながら走ってるほうが楽しいからさ。ただ、怪我されるのは嫌だから……」 「……うん、気をつける」 「そっか……うん、それならいいや」 「うん……」  な、なんだこれ……少し調子が崩れる。  いつもの月姉は、毅然としてるっていうか……なんていうか……。 「……祐真?」 「あ……何?」 「ううん、別に……」  月姉は力を抜いて俺に寄りかかる。 「っ……」  体が熱い……走ってもいないのに熱が篭もっていく。 「つ……月姉……」 「たくましく……なったね」 「……へ?」  安心しきったような月姉の声。なんだか初めて聞くような声だな。 「肩幅もこんなに広くなって……お姉ちゃんびっくりだよ」 「まったく……いつの間にこんなたくましくなったのかな……」 「ずっと前からだよ。月姉が気づかなかっただけで」 「そっか……」  抱きしめる手に力がこもる。なんだか、ちょっとだけ嬉しい。 「ほら、わかったらもう子ども扱い、やめてくれよ?」 「……ふふっ、さぁ、それはどうかしら?」  月姉はいつもの声色に戻り、俺の頭を少しだけ撫でる。 「あ、こら月姉!!」 「まだまだ頭の中はお子様かもしれないし……油断は禁物」 「まったく……ちょっとは成長してるよ」 「そっか……ねぇ、祐真」 「ん?」 「……ありがと」 「…………」  なぜか言葉がでなかった。いつものように返せばいいものを……俺の脳内はまったく処理を施してくれなかった。  無事にいずみ寮に着き、月姉を部屋まで運んだ。 「……悪かったわね」 「気にしてないよ。それで、学校どうする?」 「う〜ん……様子見てみる。痛まないようだったら行こうかな」 「あんまり無理しないほうがいいよ?」 「わかってるわよ。ほら、祐真は早く学校行く!!」 「はいはい……それじゃあ行って来るね」 「……うん、行ってらっしゃい」 「…………」  寮から出て、まずは深呼吸。 「ふぅ〜……はぁ……」  何度も何度も深呼吸。とりあえず余計な邪念を振り払う。 「はぁ……ふぅ………よしっ」  俺は両頬を少し強めにたたき、まずは自転車を取りに足を速めた。  いよいよ冬休みが近づいてきた20日、今日も学校はテスト明けの短縮授業だ。  短縮授業の内容は、ほとんどが期末テストの答え合わせと自習ばかり。  テストの数字で安心しきってしまった生徒一同にとっては、なんとも張り合いのない授業時間だ。 「けしからん、けしからん、ああまったくけしからん! 自習というのは自主的な学力向上を図るための時間であって……ぶつぶつぶつぶつ」  熱心な一部生徒は、それでも真面目に勉強にいそしんでいるみたいだが、俺も今日は男子の輪に混じっての雑談モード。  おなじみ恋路橋の『けしからん』も完全にスルーする気構えだ。 「親友の君までがそんなくだらない井戸端会議に加わるなんて、なんという堕落だっ! ああっけしからん! 空前絶後けしからん!」 「いいのかよ、親友なんだろ天川?」 「親友でも腐れ縁でも、テスト明けくらいはダラダラさせてー」 「そーだよなぁ……お、稲森さんがこっち見てるぞ」 「マジ!?」  一人が指差した方に全員で目をやると、帰ってきたテスト用紙とノートを抱えた稲森さんが、何か言いたそうにこっちを見ていた。 「あ、あのー」 「な、なんだ、稲森さん自習の相手を探してる!? ま……まさか俺と!?」 「バカあり得るか、角度的に俺の方見てるだろ!!」 「違うだろ、オーラはこっち向きだ!」  たちまち色めき立ち、そして殺気づく男子一同。  前の芝居があってから、稲森さんの人気度はさらに増したような気がする。 「よかったら、一緒にテストの復習とか……」 「え……俺!?」  まさかと思ったその瞬間、どこからともなく現れた男達が稲森さんを取り囲んだ! 「そうだね、ぜひ一緒にやろう!」 「うげっ!」 「まほっちゃんの答案は、いつも綺麗だなー」 「ぐはっ!」 「分からない問題はなんでも俺に聞いてくれっっ!」 「おごっ!」  稲森さんにお愛想しながら、次々に乱れ飛ぶ親衛隊の肘打ち。 「こ、こいつら半端じゃないな……」 「無理だ……とても近づけない鉄壁防御だぜ」 「あ、あのね、わたしはただテストの……」 「さあさあさあ、こっちの席について! いやー、いいなぁ……まほっちゃんと一緒に振り返る期末テスト・数学編!!」 「あー! うぅぅー!!」  そしてたちまち始まるプチ勉強会。稲森さんの姿が親衛隊の肉壁の向こうに埋もれていく……。 「あー、遠くの人になってしまった……」 「天川? おい天川生きてるか?」 「ううっ、あばら……あばらが2、3本……(がくっ)」  そして、今度は雪乃先生の世界史の授業。 「はーい、そういうわけで今日の授業はお待ちかねの自習でーす。よろしくね」 「またかー!」 「ごーめーんー! 成績表たまっちゃってるのよ、ちゃちゃちゃーっとやっつけちゃうから、今日はごめんねー!」 「やっつけで成績付けんなー!!」 「け、けしからん! 先生までこの大事な時期にたるんでいるっ!」 「まあ毎年恒例のような気もするけど」 「ほんと、この学校大丈夫なのかしらねー」 「なななんで柏木先輩まで5年の教室にいるんですか!」 「うちも自習だからよ、ねえちょっといい?」 「なんですか?」 「飾り付けのデザイン考えたから、ちょっと見てほしいのよ」  さすが受験目前だっていうのに余裕だな、月姉は。  どさどさと資料を出す月姉。どれも、ネットで見つけたページをカラープリントしたものばかりだ。  完璧主義の月姉らしく、徹底的というか、執拗なまでに資料をそろえている。  隣の席に月姉が座って、恋路橋と3人で資料を検討することになった。 「でね、テープはこれで、このモールをリビングのここからこっちに渡して……」 「ふむふむ……なるほど」  相槌を打ってはいるものの、どうも言葉だけの説明じゃ想像しにくい。ううっ、理解力がないのか、俺は。  月姉が得意の筆をふるって、イメージイラストにしてくれれば分かりやすいんだけどな。  ……なんて思っていたら。 「あの、リボンはこっちの赤緑のほうがいいと思います」 「うお、なんで夜々まで!?」 「えへへ、お兄ちゃんの声が下から聞こえたから来てしまいました」 「ばばばバカなっ! 聞こえたから来たなんて、そんなことが……!!」 「あー、夜々ちゃんのクラスも自習?」 「はいっ」 「だからって授業中にふらふらと出歩くなんて学級崩壊じゃないかっ! けしからん、ああ全くもってけしからんっ……」 「だ、だめでしたか……?」 「恋路橋の小言はまあ気にしなくていいけどさ、俺としてはクラスで『お兄ちゃん』は……」 「……」 「――うっ!!」 「いやっっ、ちょっと素晴らしい! うん、OK! お、お兄ちゃんだしな……は、ははは!」  そ……そんな寂しそうな顔をされたら、拒否するわけにはいかないじゃないか。 「でもちょうどよかったわ。お料理担当の夜々ちゃんの意見も聞いておきたかったの。どう? テーブルクロスは白がいいかなーって思ってたんだけど……」  月姉が水を向けると、夜々も熱心に写真を見ながら飾り付けの話に乗ってくる。 「だったら、ケーキ担当の稲森さんの意見も聞いてみたら?」 「真星ちゃんいるの? どこ?」 「あの親衛隊という名の鉄壁の向こうに……」 「あらあら、ほんといつも大変よねー」 「ねえ真星ちゃーん、ちょっと見てもらっていいー?」 「月音先輩!? はーい、いま行きまーす。ちょっとごめんねっ」  親衛隊に囲まれてテストの答え合わせをしてた稲森さんが、助かったという顔でこっちの輪の中に入ってくる。 「ごめんね、ファンサービスの最中に。飾り付けのプランに意見もらえると嬉しいんだけど……」 「見たいです。あ、このモールすごいかわいい!」 「でしょー、真星ちゃん気に入ると思ったんだ」  たちまち、稲森さんと月姉が俺の机の上できゃいきゃいと打ち合わせを始める。 「で、ここにツリーをどーんと置くの……オーナメントたくさん飾って、でも派手すぎないように」 「それ難しいですね」 「飾るもの次第だと思うわよ。ほら、夜々ちゃんのロケットみたいな、可愛いけど軽薄じゃない感じの」 「え? 私の?」  夜々が首から下げたロケットを指先で玩ぶ。 「あら? それどっかで見たと思ったら、天川君も持ってるやつじゃない?」 「……うん」 「まさかお揃いで!?」 「いやいやいや、俺はすごい昔から持ってたやつだし。全然関係ない! な?」 「……うん、そうです」 「すごいね、そんな偶然ってあるんだぁ」 「ほんと、珍しいわね。どんな写真入れてるの?」 「あ、だめです。ロケットは一度開いたらご利益なくなっちゃうから!」 「そんなジンクスあったかしら?」 「ボクは〈寡聞〉《かぶん》にして知りませんが!?」 「あったよ、だから俺もロケット大事にしまってるもん」 「ふーん、真星ちゃん知ってた?」 「ううん、初めて聞きました」  月姉と稲森さんが顔を見合わせる。うーん、これってやっぱり地方ルールなのか?  見れば、夜々は胸もとのロケットをぎゅっと大切そうに握り込んでいる。よっぽど大切なものなんだな。 「ま、それはさておき、これこれ……」 「オーナメントのカタログもいくつかプリントアウトしてみたのよ……ほら」 「わー、可愛いーー!」 「本当……綺麗」 「良さそうなのには○つけてるけど、あんまり予算ないから厳選しないとね」  かくして、俺の机を囲んだ女子チームが真剣にカタログの検討を始める。  そして輪の中心にいながらなんとなく疎外感を感じていた俺の背中には、突き刺さるような無数の殺気が……。 「うー、ぐるるるる…………!!!」  ううっ、無理もない……くわばらくわばら。 「ぬぎぎぎぎ、天川ぁぁ……!!」  って、こっちもか!?  学園のアイドルの稲森さんに、才色兼備の月姉に、姫巫女を演じてから赤丸急上昇の夜々に机を囲まれてるんだから、殺気もやむなし……。  しかしこいつは、浮かれているうちに友情の危機が始まってしまいそうな予感!? 「……? どうしたんですか、お兄ちゃん?」 「ちょっとね……喜びと恐怖を同時に噛み締めているのさ」 「……??」  早朝、俺は凍える体をさすりながら寮から出る。 「あ、おはよう祐真」  と、そこで偶然月姉と鉢合わせ。  月姉は昨日のことが嘘のようににまっと微笑んでいる。 「これから学校? せっかくだから一緒に行こうよ」 「そうだね。あ、足のほうはどう?」 「まぁまぁね。ちょっと痛むけど……歩けないほどじゃないかな」 「そっか……じゃあ行きは俺がこぐよ、それ」  月姉の自転車を指差す。 「え……?」 「そのほうが楽でしょ?」 「まぁそれはそうだけど……」 「あ、別に嫌だったらいいよ」 「…………」  月姉は少しだけ口を結び、俺と自転車を2、3度眺める。 「……じゃあ、お願いしようかな」 「あ……そう……」  ちょっと意外。てっきり断られるとばかり思ってたから……。 「どうしたの?」 「いや……なんでもない。じゃあ行こうか」 「そうね」  月姉は荷台にちょこんと腰掛ける。 「しっかりつかまっててね」 「……えぇ」  月姉の両手が肩に添えられる。 「…………それじゃあ、行こうか」 「うんっ」  するすると自転車は進む。  お互い無言がちょっとだけ気まずい。 「な……なんだか久しぶりだね」 「久しぶり?」 「ほら、子供の頃二人乗りしたことあったじゃんか」 「あぁ……そういえば。あの頃の祐真はひ弱だったよね」 「そうかもね……ほんと、懐かしいな」  俺と月姉がまだ小さい頃、今と同じように月姉を自転車の荷台に乗せたことがあった。  ただ、その当時は脚力もなく、フラフラしてしまってとてもまともに走れなかった。 「それが今じゃ、こんなに……」  呟くような月姉の声が耳に吸い込まれる。  なんだかちょっと恥ずかしい。通学路にはもちろん花泉の学生もいたりして、俺と月姉を奇異のまなざしで眺めている。 「……ははっ、こんなことしたら噂になっちゃうかも」 「噂? ……あぁ、そういうこと」 「さすがにちょっと恥ずかしいよね」 「そう? 私は別にそんなことないけど」 「そ、そうかなぁ」 「うん。まぁいいじゃん、気にしない気にしない」 「そう? ならいいけど……」 「そうそう。それに、お嬢様に運転手はつきものでしょ?」 「なんだよそれ」 「もちろん、言葉どおりの意味だけど? 祐真はあたしの運転手♪」 「そ……そうですか……」  それって、また次があるかもしれないって……そういうことだよな。 「……どしたの祐真?」 「ううん、なんでもない。よしっ、それじゃちょっとペース速めるよっ!」 「えっ……あぁちょっと祐真っ!!」  自転車は快調に進み、商店街へと進む。  最初は緊張してたりもしたけど、もう大分慣れた。いつものように月姉と談笑しながら学園へと向かう。 「それでね、クリスマスパーティーは思い切って……っ……」 「…………月姉?」  唐突に月姉の言葉が途切れる。 「…………」  俺は少しだけ視線を動かして月姉の視線を探る。  と、そこには二人の学生の姿。 「…………?」  見ると右手には油絵用のカルトンに画材道具一式。 「カルトンに画材道具……美大の予備校生かな?」 「そうみたいね……」  月姉のトーンが下がる。 「駅前に画塾があるのよ。国立進学者も多数輩出してる敏腕教室でね……」 「ふぅん……画塾ねぇ」  まぁ俺にとっては全く縁のない話。 「あの人たち、ゆくゆくは美大に行ったりするのかな……」 「……っ!!」 「いたたたっ、痛いよ月姉」  突然肩を思い切りつねられる。 「あ……ごめん」 「もう、どしたのさ月姉」 「な……なんでもないわよ……」  そんなわけあるもんか。どう見ても通り過ぎた二人の学生を気にしてる。 「美大かぁ……あ、俺さ、子供の頃からずっと思ってたんだけど……」 「ごめん、この話、やめましょう」 「……え?」 「そ……それより祐真、さっきの話の続き! ほら、クリスマスパーティーの……」  そのままうやむやにされ、美大の話はこの後持ち上がらなかった。  必死に会話を元に戻す月姉。ただぼろが出まくっていて明らかに〈狼〉《ろう》〈狽〉《ばい》しているのがわかる。  そこまで気にするなんて……月姉って絵をまだ引きずって……。 「祐真!! 何ぼけっとしてるのよ」 「あ……ごめんごめん」  そんな疑問が浮かびはするが、月姉に聞く事はもちろん出来なかった。  そして、12月21日の金曜日――いよいよ今日が二学期最後の日だ。 「はー、終わった終わった!」 「いつもながら長い演説だったね」 「まったく肩凝ったよ……」  朝礼におまけが付いた程度の終業式が終わって、あとはホームルームが終われば冬休み。  寮生も年末年始は実家で過ごす組がほとんどで、冬休みの到来とともに寮は帰省ムード一色になる。  成績表を開くと3の行列……体育の5だけがキラキラと浮いている。俺にとってはおなじみの成績。 「そのわりに上機嫌だね?」 「まあね、今日は夜々が夕飯を作ってくれるんだ」 「な、なんだって、まるで新婚家庭じゃないか! 君はいつからそんな不純なっ!」 「違う違う!! そーじゃなくて弁当をもってきてくれるだけだから!」 「そこまで妹なのかい、彼女は?」 「ふざけてやってるんじゃないんだよな。なんか真剣に妹やろうとしてくれてるみたいでさ、茶化して遠ざけちゃ悪い気がするから」 「ふーん……」 「なんだよ」 「いや、君もたいがいお兄ちゃんじみてきたよね」 「そうかぁ? っと、こうしちゃいられない。今日は出かける予定があるんだった」 「予定?」 「ま、ちょっとね……んじゃお先に……」  と、そこへ……。 「やあ待たせたね、さあ早速出かけるとしようか!」 「わ、桜井先輩!! 受験勉強お疲れ様です」 「ありがとう、あいにく勉強などビタイチやっていないがね。それより早速出かけることにしようか?」 「は? 俺は今日急いでますんで」 「ややっ!? こら待ちたまえ! なにを勝手なことをほざいているのかな、このUMAは」 「おまたせー!」 「月ね……柏木先輩? 稲森さんも?」 「……どうしたの?」 「やあ、月音さんからもこのドタキャン男に一言言ってくれたまえ、こいつときたら買い物に行く約束をすっかり反故にしようとしているんだ」 「や、約束!?」 「まさか……忘れちゃったの?」 「え? え? え? そんな約束しましたか? いつ??」 「あんたはねぇ……カラオケの時に言ってたじゃない。終業式のあとでみんなでプレゼントを買いに行こうって!」  マジか!? 全く記憶にないぞ、思い出せない! いくらバックログしても出てこない!!  そうか……あの日は稲森さんにマイクを回してしまったことで気が動転してて、どんな約束したかなんて全く記憶に残ってない。  でも、恋路橋をはじめ、みなさん俺と出かけるつもりでいるみたいだし……。 「申し訳ない! すっかり忘れて予定入れちゃってました!」 「もー!」 「まあ、君一人来なくてもたいした問題ではないさ……外せない用事なら行きたまえ」 「す、すみません、それじゃ今日のところは!」  はぁっ、ダブルブッキングしてしまうとは迂闊だった。  しかし、隣町の大型玩具店のクリスマス特価セールが今日までなんだ。どうしてもこれを逃すわけにはいかない。  プレゼントを買いに行く事には変わりないんだけど、みんなが買いに行くのはパーティーで交換する為のプレゼント。  あいにくオレが買うのは交換用じゃなくて、子供用の大量のおもちゃなのだ。  毎年クリスマス前になると、俺はプレゼントの買い出しに出かける。  俺が里親に引き取られるまで世話になっていた、養護施設の子どもたちに贈るためのプレゼントだ。  仕送りで暮らしてる俺の経済力で、みんなに行き渡るだけのプレゼントをゲットするには、クリスマス直前の激安セールが命綱なのだ。  恋路橋にも月姉にも内緒にしている、俺のささやかな秘密。  だってこんな話されたら、普通リアクションに困るもんな……。  ――夜。 「……うぅぅ、腹減った」  ふ、不覚、おもちゃを全力で選んでいたら、とんでもなく遅くなってしまった。  おかげで安くてもショボくないおもちゃを人数分ゲットできたけど、もう腹が減って死んでしまいそうだ。  夜々が作ってくれる夕食をあてにして、今日の食費分も全ておもちゃ代に回してしまったから、買い食いもままならず。  ううっ、スポーツバッグにズッシリ満載のおもちゃがやけに重いや……。 「うおぉぉ、着いたぁ……腹減ったぁ」  大荷物を見られないように裏口から寮に戻った俺は、コソコソしながらなんとか部屋までたどり着いた。 「もう10時だなぁ、腹減ったぁ」  さっき、リビングに夜々がいるのがチラッと見えた。 「ずいぶん遅くなったけど、俺の夕飯残ってるかな……腹減ったぁ」  ふらふらふら……廊下を歩く自分の足取りが頼りない。 「はぁぁ……もうとにかく腹減った、何か食べないと深刻に死んでしまう……」 「あ、お兄ちゃん……」 「や……夜々ぁぁ……(がくっ)」 「ど、どうしたんですか? び、病気!?」 「…………はらへったぁ……ごはん」 「………………」  俺を助け起こそうとした夜々だが、スッと立ち上がると、元の席に戻って雑誌をぺらぺらとめくりはじめる。 「夜々? あれ……ごはん?」 「……知りません!」 「な……なにを怒ってるのかな?」 「……約束してたのに」 「…………!!」 「今日はみんなでプレゼントを買いに行って、アイスクリームを一緒に食べるって約束をしてたのに!!」 「クリスマスのメニューの相談にも乗ってほしかったのにーーーっっ!!」 「俺、そんな約束までしてましたか!?」 「……(こくり)」  うなずく夜々の目に怒りの炎が宿っている!! 「す、すまん夜々! その件はいろいろと事情があって、本当に申し訳なかったと思ってる!」 「……もういいです」 「う、ううっ……てことはまさか……」 「なんですか?」 「まさか……今夜の……ごはん?」 「約束を破るようなお兄ちゃんには、用意してません!」 「わぁぁぁぁあぁあ、やっぱりーー!! そ、そこをなんとか!!」 「知りません、つーん!」 「そしてもう寝ますっ、おやすみなさい!」  かくして小走りで階段を昇っていく夜々と、リビングにゆっくり崩れ落ちる俺。 「…………お、俺は明日の太陽を拝めるのかっ!?」 「くぅぅ……腹減った」  ぐるぐる鳴る腹を抱えながら、とりあえず自室に避難する。 「はぁぁ……何か食い物……」  俺は非常食がないかと自室を探し回る。 「なんでもいいから……なにか……あ……あった!!」  棚の奥から出土した、ポテチ。いつのかはわからんが、そんなことはもうどうでもいい。 「い……いただきますっ!」  今現在唯一の食料である湿気ったポテチをほおばる。 「はむっ……んぐっ……ぅぅ……味がしない……」  塩をかけてみる。 「うぅぅぅ……しょっぱい……しょっぱいよ……」  しょっぱくってふにゃふにゃ……もう何がなんだかわからない。  とりあえず平らげると、示し合わせたように腹が鳴り出す。 「はぁぁぁ……余計腹減った……」  重力に逆らえず、俺はばたんとその場に倒れこむ。 「俺……このまま死んじゃうのかな……」  視界がだんだんゆがんでくる。 「天川祐真……空腹によりいずみ寮にて散る……うぅぅ……ギャグにしかならない」 「お……お兄ちゃん?」 「あぁぁぁ……とうとう幻聴まで……」 「もう……何言ってるの? ほら起きよ? こんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよ?」 「あぁ……せめて最後に腹いっぱい飯をかきこみたかった……」 「ご飯ならあるよ?」 「…………え?」 「ほら、口あけて? あーん」 「あ……あーん……」  ひょいっ、と口に入れられ、俺はゆっくりと噛み砕く。  口いっぱいに広がる甘いソースの味。 「…………なに?」 「エビチリ。いっぱい失敗しちゃったけど……ようやく成功」 「……あーん」 「ふふ……はい、どうぞ」  再び口に広がる心地よい感触。噛めば噛むほどに甘さが口に広がっていく。 「はむはむ……あーん」 「はい」 「はむはむ……あーん」 「はいはい。もうちょっといっぱいお口に入れようか?」 「入れて……というかがっつきたい」 「もう……じゃあ起きてください」  夜々が俺をゆっくりと起こし、俺の右手に箸を持たせる。  視界に広がるご馳走と、食欲をそそる香り。 「……ごくりっ」 「ふふっ、お皿は私が持ってるから……そのまま食べちゃってください」 「…………いいのか?」 「どうぞ」 「…………(ごくりっ)」 「ふふふっ、遠慮しないで食べちゃってください」  夜々の楽しそうな笑顔に見守られ、俺はエビチリに飛び込んだ。 「はぁぁ〜………うまかった!! まじでうまかった!!」 「ホントですか? 嬉しいです」 「もう最高! 夜々は命の恩人だよ」 「そんな……大げさですよ」 「そんなことあるもんか。いや〜夜々と結婚する相手は幸せだろうね」 「もう……お兄ちゃんったら……ふふっ」 「はははっ! ……って、夜々!?」 「……はい、もうずっと夜々です」 「あ……その……ごめん」 「え……どうしたんですかいきなり」 「それはその……俺、夜々との約束忘れてて……」 「あぁ……その事ですか。いいですよ、気にしてませんから」 「いや……だってさっきめちゃくちゃ怒ってたし……」 「あぁ……あれは冗談です」 「じょ……じょーだん?」 「はい、冗談です。ちょっとお兄ちゃんを困らせちゃおうかなって……ちょっとした悪戯です」 「なんだ……そうだったんだ……」 「びっくりしました?」 「そりゃしたさ。嫌われちゃってたらどうしようって」 「そんな心配してたんですか? ふふっ、お兄ちゃんかわいいです」 「ぐぐ……妹にかわいい言われた……」 「本当のことですから。それよりお兄ちゃん、まだお腹すいてます?」 「ぺこぺこ」 「ですよね。じゃあ一緒に来てください」 「…………?」 「はやくはやくっ!」  夜々はなぜか嬉しそうに俺の手をひっぱった。 「お………おぉぉぉぉ!!!!」  テーブルに広がるご馳走たち。その一つ一つが俺を見つめている。 「これ……全部夜々が?」 「はい。パーティーの予行練習をしていて、ついつい夢中になってしまいました」 「そうですか……」 「はい。さ、どうぞ遠慮せずに食べちゃってください」 「え……え?」 「お替りもたくさんありますからね」 「や……夜々ぁぁぁ……」 「きゃっ……お兄ちゃん!?」  俺は感激のあまり夜々に抱きつく。 「こんな甲斐性なしなお兄ちゃんでごめんなぁぁ……」 「そ……そんなこと誰も思ってませんから……ほら、ご飯冷めちゃいます」 「うぅぅぅ……頂きますっ!!」  俺は感激のあまり料理に飛びついた。 「はむっ……もぐっ………うめぇ………うめぇよ夜々ぁ……」 「ふふっ、本当においしそうに食べますね」  夜々は向かいに座って俺を楽しそうに見つめている。 「んぐっ……はぐっ……んめぇ……なんだこれ……初めて食うけどうめぇ!!」 「ふふ……よかった……です………」 「ばりっ……はぐもぐ……うわぁこのから揚げさくさくでやべー! うっめ〜……うめぇよ夜々!!」 「…………」 「…………夜々?」 「……すー……すー……」  気がつくと、夜々はテーブルにつっぷして寝息を立てていた。 「あ……そういや今までずっと料理の練習してたって……」 「すー……すー……」 「これだけの料理を一人で……」 「すー……おにぃ……ひゃん……すー……」 「…………」  俺は近くにあったバスタオルを夜々にかけ、残りの料理をゆっくりと口に運んだ。 「ほんと……美味いよ夜々」 「……ふふっ……おにぃひゃんっ……」 「起きるまでここにいてあげるから。…………おやすみ、夜々」 「……こそこそこそ」 「人影なし……物音なし……よし!」 「こそこそこそ……こそこそ……きゃっ!!」 「わっ、あ、あ、あっ!?」  ――どしん! 「い、いたたたた……ううっ」  ――カチャ。 「ん、だれ?」 「ーーーーっっっ!!!!!!(ずざざっ!!)」 「……誰もいない?」 「(どきどきどきどきどき……!!)」 「ふーむ、いま稲森さんの姿を垣間見たような気がしたけど……こんな時間に女子がいるわけないし……気のせいか、ふぁぁ、もう寝よ」 「はぁぁ……セーフ……!」  ――コンコン。 「天川くん?」  ――コンコンコン。 「あれ? 天川くーん?」  ――ドンドン! 「電気灯いてるのに……ねえ、天川くーん!」  ――ドンドンドン! 「ううっ、ここにいたらまずいよね……あ、開けるよ……いい?」  ――カチャ。 「あーまーかーわーくーん?」 「………………しーんとしてる?」 「は、入るよ……天川くん?」 「天川く……きゃああっ!? ゆ、祐真くんっ、どうしたのっっ!?」 「ど、どうして!? ゆーまくんが倒れてる! 返事がない、まるでしかばねのようだ!? そうじゃなくてこれって殺人事件!? か、鑑識をはやくーー!!」 「ハッ……だめ、落ち着いてわたし!」 「まず深呼吸して……天川くんしっかり! あれ、メモがある? そして……天川くんの手にはシャーペンが……!?」 「こ、これってダイニングメッセージ!? つまり、このメモにこの事件最大の鍵が!?」 「……………………」 「……………………」  ――ぐきゅるるるるる……。 「………………………………(汗)」  …………ああ、いい香りがする。  腹減ったなぁ……いよいよ幻臭を嗅ぐようになったか……。 「ふんふんふーん♪」  おまけに幻聴まで……はぁぁ、次は走馬灯が回る番かな……。 「…………いや?」 「これは……リアル美味しい香り!?」 「あ、天川くん……よかったー!!!」 「稲森さん!? どうしてここに!?」 「話はあとあと、ちゃちゃっと作れるもの作ってきたから、食べて食べて!」 「あ! ごごごはんーーーーーーーーっっ!!!」 「いっただきまーーがつがつがつがつがつがつがつがつがつ!!!」 「んーーーうまいうまいうまいうまいうまいうまいうまいうまいーーっっ!!!」 「う・ま・いーーーがつがつがつがつむしゃむしゃむしゃもりもりもり!!!!」 「よ、よかったー」 「ありがとー! ありがとーー! 感激だー! 俺の飢餓状態を稲森さんが察してくれるなんて!!」 「ううん、だって天川くんがダイニングメッセージを残してくれたから」  それを言うならダイイングメッセージ――いやしかしこの場合、ダイニングメッセージのほうが意味的に正しいかもしれん。  あー、しかしおいしいなぁ……いったいこれは何なんだろう!?  夢中で食べまくっていた俺は、あらためて自分が貪っている稲森さんの手作り料理に視線を戻す……。 「…………!?」  こ、これは……この粘液質の物体は……ッ??? 「あ、あはは……ちょっと見た目は悪いけど……ごめん」 「う、ううん、ぜんぜん……!!」  ごめん、いま否定したのは『見た目が悪い』じゃなくて『ちょっと』部分です。  というかコレが何なのか……見ても食べても分からないので、見た目がまともなのかすら判断できない! 「え〜と……これは……お好み焼き?」 「ち、ちがうよ! これが玉子焼きでしょ、それでこっちが鶏のから揚げで、スライストマトにー、マッシュポテトにー……」 「そいつらが全部ひとつの塊にジョイナスしてるのには、いったいどんな事情が……??」 「そ、それは、い、急いで作ったから!」 「そ、そうか……俺を飢え死にさせまいと……!!」  ぐちゃぐちゃの塊を(ありがたく)スプーンでつつきながら、俺は1年生のころのことを思い出す。  あの頃から稲森さんはとにかく料理が苦手だった。  彼女に作ってもらったミックスヂュースが原因で、俺は三日三晩寝込んだことすらある。  そう――こと料理に関して、彼女は真星ではなく『魔星』だった。 「ま、まずかった??」 「ううん、それがとっても美味しい……!」  不思議だ、昔はとても食べられない代物だったぐちょぐちょのカオス物体が、今は奇妙に美味しい。  これは俺の空腹ゆえ? いや、稲森さんの料理が上達したのか……見てくれはそのままに、味部分だけ! 「見た目悪いから恥ずかしいな……早く食べちゃって」 「うん、もう食べた。完食、美味しかった!」 「よかったぁ、今度はもう少し上手く作るね」 「今度……?? また作ってくれるの!?」 「え? あ……き、機会があったらってこと!!」 「そ、そうだよね、あ、あはは……!」  そして俺と稲森さんの会話は、またしてもぎこちないモードに突入してしまう。  入学当時と変わらない、意識しまくりのギクシャク会話――それがなんとなく心地いい。 「えっと……それで、どうして俺の部屋に?」 「あ、そう! ケーキのことなの」 「せっかくだから巨大ケーキにチャレンジしようと思うんだ。だから、あらためて…………」  一瞬、目が合う。 「そ、その……手伝ってほしいなーって思って……」 「う……うん、もちろん! 命を救ってもらったお礼に手伝わせてもらいます!」 「よかった……じゃあ、先生に見つかったら大変だから、そろそろ戻るね」 「うん、ありがと」 「ん……」  食器を片付けながら稲森さんがにっこりと笑う。  はぁぁ、かわいいなー。そりゃ親衛隊が付きまとうのも分かるよ。  謎料理の匂いのなかに、稲森さんの匂いが残っているような気がする。  なんとなく、疎遠になってた稲森さんとの3年間が、不意に埋まったような……。  ……なんて、都合よく受け取りすぎか。  などと、一人でいい気持ちに浸っていたら。  ――ドンドンドン!! 「!!!!」  ――ドンドンドン!! 「やあ、もう戻っているな童貞少年! 返事が無ければ勝手に入らせてもらうよ」  桜井先輩!? な、な、なんでいきなり!! 「あわわ……どどどどうしよう!」 「とととにかく隠れて! ベッドの下とか机の裏とかワードローブの中とかマンホールとか……!!」  そして、稲森さんが机の影に飛び込むのと、桜井先輩が部屋に入ってくるのが同時だった。 「やあすまん、夜食の邪魔をしてしまったか……ふむ、いい匂いだね」 「ははははいっ、平気です! いったいぜんたい何事ですか!?」 「なにを焦ってるんだ? まあ立ち話もなんだから失敬するよ……」 「いやっ、健康の為に立ち話にしましょう! 立って立って立ち尽くしましょう!!」  慌てて立ち上がって先輩の上陸を阻止する。  はぁぁ……ヤバいよ、いったいこの先輩は何をしに来たんだ!? 「いやね、君にひとつ頼みたい事があってな」 「なななんでしょう!?」  とにかく用事がなんであれ、一刻も早く帰ってもらわねば! 稲森さんの姿を見られた日には、社会的にも肉体的にも俺の命は風前の灯!! 「まあ、なんということはない頼みなのだが……なんだ、やけにこの僕の視界を塞ごうとするな?」 「きき気のせいです!」 「そうか? ふーむ……じろじろじろ」 「わー!! じろじろ見ないで、じっとしてーー!! 分かりました! 頼みごとくらい引き受けますけど、いったい何ですかっっ!?」 「そうか! さすがは永郷のUMA、話が早いな!!」 「いよいよ本物の怪物にしないでいただきたい!」 「いやいや……頼みっていうのは僕が台本を書いていた芝居の話なのさ」 「ミス・マクドヌルドがどうしたって奴ですよね、あれは……結局お蔵入りのままなんですか?」 「フッ、それがそうでもないのさ、つまり……」  口の端を持ち上げた桜井先輩は、それから俺の胸もとにビシッと指をつきつけて……。 「来年はこれを君がやりたまえ!!!」 「え!?」 「そうッ!! 来年度は君が監督となり、この僕の〈畢〉《ひっ》〈生〉《せい》の大作をズバリ、是が非にも完成させてほしいッッ!!」 「えーーーっっ!?」 「それから残りの台本も任せた」 「えぇぇぇぇーーーーーっっっ!?!?!?!?」 「はっはっは、なにを驚いている。容易に推測できた展開じゃないか」 「1から10まで予想外です! だいたいどうして俺が……」 「フフッ、まだ読みが甘いな……クリスマスの当番から君が外れたのは、明らかにこのための伏線だったじゃないか」 「謎かけにしても突飛過ぎます、絶対無理!!」 「男子に二言はないよ。そういうことで来年の演劇界は君の双肩にかかっている、さらば!」 「ちょ、せ……先輩!?」 「次に会うのは芝居小屋だ!! はっはっは……はーっはっはっは……!!」 「明日会いますよー!! 普通に!!」  俺の言葉に耳を貸さず、廊下の向こうを遠ざかっていく先輩の高笑い。  稲森さんが隠れているのがバレなかったのはよかったけど、でも……でも!! 「いきなり何事だーーーっっっ!!!!!」  夜々のお叱りを受けてから1時間――俺の命の灯火は、まさにかき消されんとしていた。 「うぅぅ……だめだ……し、しぬ…………」  力なく寝転がり、宙に差し伸べた手はむなしく空気をつかむのみ。 「走馬灯が……走馬灯が……ぁぁ」 「……まったく、なにをやってるのかな、この男は」 「おおっ、恋路橋……いつの間に」 「いくらノックをしても返事が無いから見にきたんだ。演劇でもしているのかい?」 「あいにくガチでノンフィクションさ……た、たべものぉぉ」 「悪ふざけはいいからちょっと聞いてくれ」  わ、悪ふざけしてない! 心の叫びなのに!!  と、届かないか……かつての親友よ。 「……そういうわけで、図書室のCDから食堂のおばさんのカセットテープまで、ボクなりにリサーチしてまとめた選曲のリストがこれなんだ」 「く……クリパのBGM……か……(がくり)」 「そうだとも! いいかい、ボクたちは今度こそ柏木先輩の信頼を……あれ、どうしたんだ?」 「………………」 「寝てる場合じゃないのに、まったく仕方がないな! ほら、一緒に来てくれるだけでいいから、さあ行くよ……っ!!」 「………………」 「ううっ、お、重い……はぁ、はぁっ」 「………………」 「き、君はいいかげん自分で歩きたまえっ……!」 「………………」 「はぁ、はぁ……ううっ、やっと着いた……さあ、ここだ入るよ天川君!」 「――却下!」 「えええーーーーーっ!?」 「で、でもこれは完璧なクリスマス仕様の選曲で……」 「商店街のBGMと一緒にしか聞こえない。だめだめ、話にならないわ」 「しっ、しかしボクとしてはっ!!」 「うーん、もっとあるでしょ? ジャジーなピアノがスウィンギンなポップスとか!」 「聞いたことありませんけどっっ!? ちょっと君、天川君! 君からも何か言いたまえっ!」 「………………」 「あーまーがーわーくーん!!」 「とにかく、もう少し視野を広げて選曲してくるように。言っとくけど、根負けして妥協したりしないわよ!」 「ううううっ……わかりました……」 「………………」 「うっ……ううっ、どうすればいいんだ……チャチなピアノが〈詩〉《し》〈吟〉《ぎん》なポップスなんて言われても、もうボクには何がなんだか……」 「………………」 「ねえ、天川君はどう思う……?」 「………………」 「ううっ……親友が口をきいてくれない……」 「……メール? 携帯に!?」 「誰だろう……ママからかな……ええと」 「日向美緒里!? あっ、あの……金貸しの女の子!?」 「うわ、うわ、うわっ、ま、まさかボクにママ以外の異性からメールが来るなんて!!」 「な、な、なんだろう……この時期、クリスマス前!? ま、まさか……」 「そういえばママが、渉ちゃんは女の子に絶対モテるって言ってた……なんだこの符号の一致は!!」 「そうかー、お金には厳しいけれど、ボクの魅力は伝わっていたんだなぁ……ねえ天川君、女の子ってどんな言葉で告白するんだろう??」 「………………」 「よ、よーし読むぞ……わくわく、わくわく」  ――ピッ。 『二学期営業終了のお知らせ』 『キャッシュ101は校内での営業を終了いたしますが、学校外では引き続きご利用いただけます。なお冬休み中は利用者の方にポイントサービスを――』 「ス……スパムメール!」 「………………」 「冬だ…………冬の時代だ…………(がくり)」 「………………」 「………………」  その夜、男子寮に思春期の屍が二つ生まれたと歴史は伝えている――。 「やぁ、おはようUMA」 「あ、おはようございます……早いっスね」 「モーニングコーヒーは一戦交えた紳士のたしなみさ」 「はぁ……あんまり突っ込まないでおきます」 「しかし珍しいな、今日はまほちゃんも早かったし」 「稲森さんが」 「ああ、散歩に行くってさ」 「へぇぇ、冬休みなのに早起きして散歩か……元気だなぁ」 「運動部でもないのにロードワークする君のほうが、よほど元気だと思うがね」 「いえいえ、元気さでは先輩には〈敵〉《かな》いませんよ」 「まあそれほどでもないがね……それはそうと、芝居は期待しているよ」 「ううっ、覚えていましたか……」 「……あ」  寮から公園を回るいつものロードワークコース。  土曜日の朝、冷たい空気の中も仕事に行くスーツ姿がちらほらと見える。  そんな中、大橋を渡ろうとした俺の視界に、稲森さんの姿が入ってきた。  稲森さんは橋を降りた土手で、草むらを覗き込んでいる。  散歩じゃなくて、探し物をしているみたいだ。 「………………」  俺はその姿を見送りつつ、いつもようにロードワークに……。  ……じゃない!!! 「だめだ、見かけてもスルーするのが癖になってる」  いっぺん自分にグーでツッコミを入れてから、欄干にとりついて声をかけた。 「稲森さーん!」 「あ……天川くん!」  こっちを向いた稲森さんが驚いた顔になる。俺は少し寄り道をするつもりで、橋のたもとに移動した。  昨夜、乱入してきた桜井先輩を追い出してから、稲森さんも慌てて部屋に戻っていったので、ほとんど話せなかった。  もちろんご飯のお礼も言ってない……。 「昨日、ありがとう……美味しかった」 「あ、あはは……ほんと? 前みたいに寝込んだりしなくてよかったぁ……」 「う、うん、上達してると思った」  思ったことを素直に伝える。  まだ緊張してぎこちない会話だけど、それでもここ数日で、稲森さんとずいぶん自然に話せるようになったと思う。 「探し物?」 「……うん、まあそんなところ」 「なに探してるの?」 「………………えっと」 「…………クローバー」 「あ……! そうか、懐かしいね……手伝うよ」  ここは、ひと月前にみんなでクローバー探しをしたところだ。  姫巫女の恋の稽古に明け暮れた日々を、少し遠いことのように思い出す。  けれど、稲森さんは俺とは別のことを思い出していたようで……。 「は、恥ずかしいな……1年の頃、よく付き合ってもらったよね」 「え? あ……うん」  付き合って……って言葉で一瞬ドキッとしてしまったけど、そういう意味じゃない。  そういえば、あの頃から稲森さんはクローバーのことを信じていて、俺のことをドライだって言っていたな……。  今度こそ本当に懐かしくなった俺は、クローバー探しを手伝うことにした。  稲森さんと一緒に雑草の茂る土手を見渡し、めぼしい場所に屈みこむ。  あちこちに色の褪せた冬のクローバーはあるけれど、目当てはもちろん四葉だけ。  1年生の夏ごろ、土手だけでなく山のほうにも足を延ばして、伝説のクローバーではない普通の四葉をいくつか見つけたものだった。  けれど今は冬だ。どのクローバーも元気がないし、残念ながら四葉も見当たらなかった。 「稲森さ……」 「え? あ……わたっ、きゃあああああっ!!」  斜面に足を取られた稲森さんが、大回転で土手を転げ落ちる寸前――手を伸ばして引き上げる。 「はぁ……はぁ、はぁ、びっくりした……」 「俺も。この時期に泳ぐハメにならなくてよかった……」 「うん……ありがと」  ようやく落ち着いた稲森さんが、背筋をそらして伸びをする。 「はぁ……ないねー」 「もう、四葉はあらかた摘まれちゃったかな」 「だよねー」 「今度は何を願うつもりだったの?」 「ん……」  1年生の稲森さんが願っていたのは、恋愛関係の他愛もない願い事だった記憶がある。 「ちょっとね、やり直したいことがあって……」  やり直したいこと?  なんだろう……俺がきょとんとしていると、稲森さんは急に話題を変えた。 「そうだ天川くん、桜井先輩のお芝居、やるの?」 「え? あ、稲森さん……聞いてた?」 「う、うん……台本の続きを書くって……」  昨夜、桜井先輩から突きつけられた芝居の話を、稲森さんは隠れながら全部聞いていたみたいだ。  ううっ、あえて考えまいとしていたが、やっぱりやらなくてはいけないんでしょうか……。 「や、やる……と思うけど」 「ほんと!?」  稲森さんが瞳をキラキラ輝かせる。  予想外の反応――つい見とれてしまいそうになった。 「天川くんが、あのお芝居やるんだぁ……ふーん、どんなのになるんだろ?」 「稲森さん、主演だったもんね。気になる?」 「うん、興味ある……!」 「でも、こないだの芝居も大変だったでしょ」 「そんなことないよ。練習も本番も楽しかったし、なんか逆にそれがないと退屈になりそうなくらい!」  いつも親衛隊に囲まれてニコニコしてばかりの稲森さんが、1年生のころみたいに熱弁する。 「そ、そっか……芝居好きなんだ?」 「え……?」  一瞬不思議そうな顔をしてから、稲森さんはあらためて強く頷いた。 「うん……そうかも。天川くんも楽しかったでしょ?」 「俺は…………うん、そうだな、楽しかった」  忙しくて目が回りそうだったけれど、それだけに充実してたし、達成感も――。  芝居をやるったって、俺一人じゃどうしようもない。  けれどもし、稲森さんが引き続き主役をやってくれるなら。また、こないだみたいに一緒に活動出来るのなら……。 「天川くん?」 「は、はいッッ!?」 「いま……どっか別の世界行ってた?」 「え? あ、ご、ごめん……ちょっと考え事」 「あはは……変わらないね、昔と」 「昔か…………」 「覚えてる?」  そりゃ覚えてる、思いっきり覚えてる!  だって、稲森さんのことは俺のトラウマでもあったから……。  花泉に入学したばかり、右も左も分からなかった1年生の頃――。  俺と稲森さんは『お友達』だった。  入学して、同じクラスの女子の顔と名前が一致し始めた頃――俺が特別に意識するようになったのが稲森さんだった。  当時は親衛隊も取り巻きもいなくて、席が近かった俺たちは、よく一緒に弁当を食べたり、くだらない雑談で笑いあったりした。  そんな毎日の中で、俺たちは普通の友達から、少しずつ特別な友達になりつつあったのかもしれない。  最初はテレビの話くらいしかしなかったのが、雑誌のコイバナなんかを見ては、こんなの現実にないとかいって笑ったり。  ある時は、理想のタイプを話し合ったり、ラブレターの練習をしたり――。  そんなある日、あの事件が起きた。  それは事件なんて大げさなものじゃないのかもしれない。けれど、俺と稲森さんの関係を変えてしまう事件だった。  その日の放課後、稲森さんはいつもみたいに雑誌を開き、ファーストキスの特集ページを熱心に読んでいた。  俺はそんな稲森さんをからかって……。  ためしにキスしてみよう――なんて言い出したのはどっちだっただろう。  今となってはどちらでもいい。  稲森さんとの記憶――それはキス未遂の思い出。  吐息の聞こえる距離、近づいていく稲森さんの顔。  唇が触れる寸前――。  俺は稲森さんから顔を離して『なんてね』って笑った。  いざという時になって、俺は照れくさくなってしまった。どうして彼女とこんなことしてるんだろうと、臆病になってしまったんだ。  稲森さんもその時は笑って、『なにやってんだろね』なんて言って。  この事はお互い口にしないって約束を交わした。  それから4年――俺も稲森さんも、キスのことは一度も口にしていない。  キス未遂がきっかけで、俺たちは気まずくなって次第に距離をとるようになっていったから。  二学期に入ると1年に可愛い女子がいるという噂が校内に広まり、三学期に稲森さんの親衛隊ができると、俺たちの距離はずっと遠くなってしまった。  2年でクラス替えがあって、それから3年間は別々のクラス。  学校で顔を合わす機会も減って、やがて5年で同じクラスになったとき、稲森さんは取り巻きに守られた別世界の存在になっていた。  未遂に終わったあの日の放課後、好奇心が俺と稲森さんを一度は近付けた。  それを思い出すと、俺はどうしても稲森さんと上手く話せない。 「またどっか行ってる?」 「え? あ、ああ、ごめん……せ、世界情勢とか考えてて」 「え?」 「い、いや……なんでもないです」  しどろもどろになりながら、頭の中では一つの言葉が回っている。  さっき稲森さんが言った『やり直したいこと』。  それって……。  ……なんて、まさか都合よく考えすぎだよな。 「あ、そ、そうだ、なんかケーキの相談があるって」 「え? あ、そうそう、そうなのっ!」 「俺にできることなら引き受けるけど」 「実は材料の買い出しがね……」  稲森さんと並んで歩きだす――キスをやり直したいなんて、都合のいい妄想を頭から振り払いながら。  実際あれからの俺は彼女にとって、単なるクラスメイト以下の存在になっていたわけで……。  それがあの劇の練習で、ほっぺたとはいえキスしてしまったのだから、むしろ何か謝罪しなくてはいけないくらいの気持ちだし。 「あ、待って!」 「な、な、なに?」 「えっと……このまま寮に戻ると……」  ――そうだった!!  稲森さんとツーショットで寮に戻ろうなんて、なんて命知らずな! 「えっと……ロードワーク行ってきます!!」 「う、うん……がんばって」  ありがとう、と手を振って稲森さんに背を向ける。  後ろ髪を引かれながら、俺はいつものコースへと戻っていった。 「はぁー、くったくったー♪」  昨夜の飢餓状態の反動で、ちょっと食べ過ぎてしまった。  おかわり自由なのをいいことに、キロ飯(ごはん1kg)行ってしまうなんてなぁ……。 「おーいたいた、天川ー!」  リビングに戻った俺を待っていたのは、昨日まで屍のようだった雪乃先生だった。 「ども、おはようございます」 「おはよ〜♪ いいねー、冬休み!」  うーん、こんなに露骨に元気になっていいものだろうか。 「ねーねー、クリパってどうなってんの? ちゃんと進んでる?」 「あれ? 月姉から聞いてませんか?」 「あっははは、聞いたかもしんないけど、ぜんぜん頭入ってない♪」 「いや、そんなこと偉そうに言われても」 「だから、教えなさいよー」 「……先生、クリパ出たいの?」 「なに言ってんだか、教師が参加しちゃ台無しでしょー」 「そんなことはないさ、パーティーは誰でもウェルカムだよ、ゆきちゃん♪」 「さ、桜井っ! あんたはまた教師に向かってえらそーに!!」 「この僕としては、いつも寮生を気遣ってくれるゆきちゃんには、クリスマスくらい彼氏さんとゆっくり過ごしてほしいけどね」  ――ぴきーん!  言ってはいけない発言に、雪乃先生は文字通り凍りついた。 「そ、そ、そうね! そうじゃなきゃおかしーわ! ああ、おかしい!!」 「メリクリはやっぱり彼氏だわ! そーに決まってる!! うん、桜井はいーこと言うわ!!」 「せ、先生、あんまり無理はしないほうが……」 「無理じゃないわよっ!! 彼氏くらい地元に5、6人いるってーの!!」 「そこんとこ夜露死苦! わかったかベイベ!」 「先生、歳と地元文化がばれます……」 「だーーーっ!! じゃっかましいっ!」  まくし立てた先生が、空気の抜けた風船みたいにしおれてしまう。 「いるもん……彼氏、いるもん……クリスマス、一人じゃないもん……ケーキだって、ちゃんとふたつ買うもん……」  かがみこんで、指先で床をぐりぐり。 「やあ、ゆきちゃんがあと5歳若かったらなぁ……」 「さ、さ、さ、さーくーらーいーーーーーー!!!!」  朝の修羅場が一段落したころ、見慣れぬ車が寮の前に横付けされた。 「はーい、手の空いてる子、集合〜!」 「なんだなんだ」 「何が始まるんだろう?」 「パーティー用の、食材が届いたんです」 「へえ……やっぱ今年は本格的だなぁ」  って、うわ……。 「そこ、ぐずぐずしてないで、手を貸す!」  白い、発泡スチロールの箱……これって確か、鮮魚を入れておくやつだよな。それが、1、2、3、4、5……いくつあるんだ!?  こっちの包みは肉みたいだけど……お、重い……ずっしり重い! 「誰か、ジャガイモの箱持ってください!」 「誰か男子! 3人、手伝って!」 「うーっす!」  人が入れそうなほどの、大きな網袋にぎっしりのタマネギ、同じく大きな袋に満載のニンジン、段ボール二箱のジャガイモ。  ネギの束、キャベツの山、果物類、ハーブ、名前を聞いても全然ぴんと来ない野菜まで……そりゃあもう食材の見本市状態。  食材の山を、今度は指示に従ってあちこちに収納する。 「うわ……すごいわね。どんだけ作るのよ?」 「このくらいなら、楽勝で食べられると思いますよ。ていうか足りないかも」 「どんだけ……」  あ、先生が引いてる……。 「全員があんた基準で食べるわけじゃないのよ」 「あー……お兄ちゃん。ちょっといいですか?」 「な、なに?」  赤いマジックペンが、俺の眉間に突きつけられた。 「い・い・で・す・か? これ、赤で書いてあるものは、お兄ちゃんは絶対に触れてはいけません。いいですね?」 「はあ……」  勢いにのまれてついうなずく。  夜々はそれを確認すると、キュキュッと、スチロールの箱に次々と中身を書いていった。  うわ、海老……ハム……スモークサーモン……チーズ各種……。  冷蔵庫じゃない方の棚には、クラッカーが箱単位、スナック菓子にチョコレート。  い、いかん、よだれが……。 「き・ん・しです、いいですかっ!」 「はい……すみません」  昨日のこともあって、夜々がちょっと怖い。  うなだれる俺を、それでもなお信用できないのか、夜々は紙を何枚か用意して……。 『食べないでくださいお兄ちゃん』 『食べてはいけませんお兄ちゃん』 『みんなが楽しみにしているんですよお兄ちゃん』 『この中身が減っていた場合、お兄ちゃんの仕業とみなします』  などなど、異様に迫力ある字体で書きつづり、箱に貼りつけていく。  ううっ、信用ないのか、俺……。 「食べることに関しては、仕方ないです」 「ううっ……反論できない」  昼下がりのいずみ寮――学期中はほぼ無人になる時間も、今日は寮生の騒ぐ声があちこちから聞こえてくる。  冬休みになると帰省する生徒が出てくるので、掃除当番も臨時編成になる。  今日は俺と恋路橋が玄関前を掃除する当番だ。 「いやぁ……昨日はどうなることかと思ったよ」 「今度から、約束事は掌にでも書いておくといいよ」 「ほんと、命に関わるからなぁ……」 「君は気楽だよね……はぁぁ」  俺は、食堂に運び込まれた食材の山を見たこともあって元気百倍。  一方の恋路橋は、〈竹〉《たけ》〈箒〉《ぼうき》を使いながらしきりにため息を洩らしている。 「選曲……かぁ?」 「柏木先輩のリテイクが厳しすぎるんだよ。今度の指定だってなにがなんだか……ううっ、ぼ、ボクはどうしたらっ!!」  うーん、恋路橋追い詰まってるなー。 「ねえ、スウェディッシュでスペーシーじゃないアコースティックエレクトロニカって、いったいなんの意味だか君に分かるかい?」 「さっぱりわからん!」 「ボクの音楽性が根本から否定されてるんだよ! ああっ、音楽は国境を越えるなんて嘘っぱちさ!」 「……どうしたんですか、浮かない顔ですね」 「あ、日向さん……ううっ……な、なんでもないっ!!」 「? どうしたんですか?」 「ほっといてやってくれ……テンパってるんだ」 「それはいいですけど……先輩は暇そうですね」 「出し抜けになんだ、そっちも暇そうじゃん」 「とんでもない、すっごく忙しいです! 家にはお歳暮業者の行列ができてます!」 「……じゃあなんで寮に?」 「え? えーと、ほら新規顧客の開拓とか、いろいろあるんです」 「ふーん……」  そのわりに、美緒里は手持ち無沙汰な感じで俺の周りをウロウロしている。  学校が休みだから090の客もつかまらないだろうし、やっぱ暇してるんじゃないかな。 「ふぁぁ、いい天気ですねー」 「そうだなー、掃除して1日終わらすにはもったいないな……空が高いや」 「天高く馬肥ゆる秋ですねー」 「もう12月だよ」 「…………そ、そうとも言いますね!」  それっきり、少し会話が途絶えた。俺は黙々と落ち葉を掃き集め、美緒里はぼんやりと青白い冬空を見上げている。 「はー、それにしてもお金が欲しい……」 「なんだその直球な〈述〉《じゅっ》〈懐〉《かい》!!」 「え? あ、こ、声に出てました? な、なんでもありません!」 「女子が冬空を見上げながらポツリ呟くセリフじゃねー!」 「いいんです、個性です!」 「でもそんなに金が欲しいなら、090なんて回りくどいことしないで、バイトでもすればいいんじゃない?」 「アルバイトは校則違反です」 「……は?」  ピシリと言ってのけられた……分からん、この子の価値基準が謎だ。 「分からん……君が真面目なのか、そうでないのか……ううっ、分からん!」 「ふふ、真面目な後輩ですよ?」  顧客名簿の入った携帯電話を持ちながら、よくそんなことが言える。 「顧客といえば……恋路橋先輩、パーティーの準備で忙しいんですか?」 「気になる?」 「い、いえ、気になんてなりませんけど、一応聞いてみたんです」 「25日さ、よかったらパーティーに来なよ」 「え? え??」 「毎年何人かは寮生じゃない連中も来てるし、問題ないからさ」 「そ、そ、そうなんですか……なるほど、そうなんですか」 「でも、でも私はいろいろと忙しい身の上ですから、そうですね、運良く暇になったら顔くらいは出せるかもしれないですけど、あくまで暇だったら」 「……うん、じゃあそれでいいよ」 「暇だったらですよ、期待しないでくださいねっ」  頬を紅潮させ、ちょっと目をキラキラさせた美緒里がもったいぶる。  うーむ、これは確実に来るな。 「まあ、目下パーティーはBGMがどうなるか怪しい状況だけどね」 「なるほど、恋路橋先輩はそれで様子がおかしかったんですか」 「……プラス、君のメールボムの影響もありそうだけど」  嗚呼! 寝起きに恋路橋から聞かされたメール事件を思い出すと、今でも目頭が熱くなるっ! 「メールボム?」 「いや……いいんだ、男ってのは愚かな生き物なのさ」 「……???」  それにしても、月姉の指定は用語の意味からしてチンプンカンプンだ。  恋路橋がああなってる以上、俺がなんとかしてやるべきなんだけど、いったいどんなジャンルをチョイスすればいいのやら……。 「先輩も表情重いですね?」 「まあね……アコースティックなエレクトロニカが頭の中でぐるぐる回ってて」 「ふーん、アンビエントな話ですか?」 「???」  なんかまた宇宙用語が降ってきたような気がする。  いや待て、この子はひょっとして……!? 「あ、あのさ……日向さんって、ひょっとして音楽詳しい?」 「え、特には……」 「……っととと!」  言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ美緒里が、急に思案顔になる。 「ぶつぶつ……恋路橋先輩……音楽……つまりそれって……………………」 「なるほど、そういうことですか(きらーん☆)」 「う、ううっ、その目の輝きは!?」 「先輩、もうご安心くださいっ! 音楽のことならエキスパートの私にお任せです!」 「さっき、特には……って」 「特に私は詳しいと言いかけたんです!」 「そ、そうか……」 「もう心配はご無用です。どーんな悩み事でも安価で解決いたしますよ、お任せくださいっ(きらきらーん☆)」 「有料かーーっっ!!」 「はい、明朗会計です!」 「バイトしないってさっき言ってただろう!?」 「私はあくまで謝礼を頂戴するのであって、雇用関係ではないのでセーフです」 「なんだその俺ルール!? ていうか、いったい何を解決してくれるつもりなんだ?」 「お悩みの趣旨は分かっています。ズバリ、クリスマスパーティーのBGMが決まらないんでしょう?」 「うぐっ……正解」 「ふっふっふ、そういうときは『みおりんプロデュース』にお任せですっ♪」 「みおりんプロデュースは、2つのハイクラスかつリーズナブルなコースによって、どんな音響演出のご相談も一発解決♪」  すげえ、いま思いついたとしか思えない商売を、いかにもシステマチックに語るこの才能……! 「して、2つのコースとは?」 「はい。レギュラーコースは、状況とイメージをもとに最適なジャンルと楽曲を口頭でアドバイスいたします」 「そしてDXコースはなんと! 専門のコーディネーターがCD購入に立ち会い、全面的なプロデュースをお約束するリッチ&ゴージャスなコースなのですっ!」 「専門のコーディネーター?」 「はい、私ですっ」 「……レギュラーコースでお願いします」 「ええと……レギュラーコースが300円、DXコースが305円になっておりますが?」 「うぐぐ……DXで!!!!!」 「はい、ご用命ありがとうございました。ではまた明日ー♪」  一気にまくし立てた美緒里が、スキップを踏むような足取りで消えていく。  ううっ……思いっきりカモにされたこの悔しさを、俺はどこへやればいいんだろう。 「ふわぁ〜ぁあ……」  午後まで眠っていた俺は、眠気眼をこすりつつリビングへ降りる。 「あぁ祐真、おはよ」 「おはよ〜」  俺はぼんやりと月姉の隣に腰を下ろす。 「なにやってるの?」 「見れば分かるでしょ、飾り付け作ってるの」  見ればテーブルの上には様々な材料が散乱している。 「へ〜、結構いっぱい作るんだ」 「予定ではね。とりあえず作れるだけ作って……派手なほうがやっぱいいでしょ?」 「そりゃそうだ。手伝おうか?」 「大丈夫、一人でできるわよ」 「ほんとかな〜?」  なんて、ちょっとからかってみる。 「ふ〜ん……ならちょっとやってみる?」  月姉はにやっとしてからテーブルから一枚の紙を取り出す。 「ほら見て、ここに絵が描いてあるでしょ?」 「サンタだね」 「そう。祐真、これハサミで切って」 「えっと……枠外を切るって事?」 「そうね。ほら、こういう感じで切って、部屋に張るの」  月姉は完成品を何枚か俺に見せる。 「へ〜、上手いもんだね」 「まぁ印刷したのを切るだけだから、そんな大変じゃないし。それに、シンプルだけどこういうのが一番低コストで映えるから」 「ふ〜ん……まぁやってみるよ」 「よろしく〜」  月姉は自分の作業に戻る。 「…………ようしっ」  腕まくりして準備完了! 俺は近くのハサミを装着して紙に挑んだ。  ちょきちょき……。  ちょきちょきちょき……ちょき。 「…………あ、やべっ」 「ありゃりゃ……ここかけちゃったよ……んならつじつまあわせでここを切って……」  ちょきちょき……ちょきっ。 「あちゃ……こっちも切っちゃった……まぁいいや、そんじゃ続けて……」 「没!!」 「わわっ、あぁまた切っちゃった……」 「最初の時点でもう使い物にならないの。片手がないサンタなんて怖すぎるわ」 「そこはまぁ、名誉の負傷ってことで」 「どうしてサンタが戦場に赴かなきゃなんないのよ!! もういいわ、祐真は待機か見学」 「え〜〜……って、まぁしょうがないか」  冷静に考えて俺にこういう作業は無理だし。 「わかればよろしい。あ、その代わり明日買い物付き合ってよ」 「ほんと!?」 「えぇ、パーティーで使う材料が色々足りなくってね。祐真は荷物持ち」 「なんでもやるって!」  よっしゃ、これでようやく月姉の役にたてる。 「ふふっ、それじゃあ明日起こしに行くからね」  月姉は満足そうに笑うと、自分の作業に戻る。 「……んじゃ、俺は走ってくるかな」 「明日に体力残しといてよね」 「わかってるって、そんなやわな体じゃないよ」 「はいはい。それじゃ行ってらっしゃい」  苦笑する月姉に見送られ、俺はトレーナーを取りに部屋に戻った。  翌日、日曜日。休日だからといって特にやることもなく、ぼんやりと惰眠をむさぼっていた。  とんとん……。 「はいはい……って、夜々か」 「おはようございます」 「おはよう。どうしたのこんな時間に」 「こんな時間って……もうお昼ですよ?」 「そうだけど……日曜日はたいてい午後まで寝てるし……」 「もう、そんなのダメですよ。健康によくないです」 「えー、日曜日くらいゆっくり寝たいって」 「私も気持ちはわかりますけど……あんまり寝すぎると逆によくないですし」 「みたいだよね。それで、どうしたの夜々?」 「えっとですね……お兄ちゃん今日暇だったりしますか?」 「今日? 暇だよ」 「よかった……でしたら私と一緒にお買い物行きませんか? クリスマスパーティーの買い出しに行こうかと思いまして」 「あぁ、荷物持ちね。了解、んじゃすぐに支度しちゃうよ」 「はい。それじゃあ私部屋にいますから」 「わかった。着替えたら夜々の部屋に行くよ」 「お願いします」  それから夜々と一緒に商店街へ。  商店街はもうクリスマスムード一色。路上でケーキを売るサンタに、赤白に光るだろう街路樹の飾り付け。 「こういうの見るとクリスマスだなーって気がしてくるな」 「はい。なんだかいいですよね、クリスマス」 「そうかねぇ……」 「そうですよ、ロマンチックです」 「ロマンチックねぇ……まぁ確かにケーキが食べられるのは嬉しいな」 「もう……夢がないですね、お兄ちゃんは」 「そんなことはないと思うんだけどなぁ……」 「ふふっ、冗談ですよ。でも、今年のクリスマスはいつも以上に楽しそうです」  夜々は俺の腕にしがみつきながら優しく微笑む。 「一人で過ごすクリスマスもいいですけど……やっぱり誰かと過ごすクリスマスのほうがいいです」 「そりゃそうだ、一人は寂しいよ」 「……そうですね」 「…………」  一人は寂しい。それはクリスマスに限ったことじゃないと思う。  何をするにも一人よりは二人のほうがいいに決まってる。ご飯食べるのも勉強するのも……。 「……クリスマス、楽しもうな!」 「…………うんっ」  ふわっと溶けるような笑顔を浮かべながら、夜々は少しだけ歩調を速めた。 「さてと、そんじゃじゃんじゃん買い込んでいこう!」 「はいっ。じゃあまず……野菜から行きましょう」 「わかった。ちなみに予算は大丈夫なの?」 「はい、といってももうぎりぎりです。ですからなるべくおっきくて、おいしそうなのを選びましょう」  夜々は両手をぐっと握り締める。 「いいですか、お兄ちゃん。お買い物は戦争です」 「おうよ」 「おいしい料理を作るためにも、ここは心を鬼にして戦いましょう。妥協は敵です」 「わかった」 「特売や品数限定に惑わされてはいけません。しっかりと心の目で見つめて、野菜やお肉たちと会話をするのです」 「会話か……やってできないことはなさそうだな」 「そうです。しっかりと向き合えば、それにしっかりと答えてくれる……お買い物とはこれすなわち情熱です!」 「伝わりまくったよ夜々!」 「はい。それじゃあ行きましょう……お兄ちゃん」 「おう」  俺と夜々はカートを引き連れ、戦場へと旅立った。 「…………って、言ってるそばからなにやってるんですか!!」 「え〜……だって新商品だよ?」 「お菓子買うお金なんかありませんよっ! ほら、行きますよ?」 「えー……だっておいしそうだよこれ?」 「子供じゃないですか! もう、早く野菜のコーナーに行きましょう!」 「え〜……いいじゃん、限定発売って! 数量限定って!!」 「完全に誘惑されちゃってる……」 「夜々〜……いいじゃん、一個だけ、ね? 一緒に食べようよ」 「はぁ……もう、しょうがないですね」  夜々は苦笑しつつも俺の持ったスナック菓子をかごに入れた。 「おぉ、ありがとう夜々!」 「いいですよ一個くらい。その代わり、一緒に食べましょうね?」 「もちろん! テレビ見ながら一緒に食べような」 「はい。もう……お兄ちゃんったら」  夜々はなぜか嬉しそうに微笑むと、近くにあったビスケットなどをかごに放り込んで行く。 「…………夜々?」 「あ、これは私用です。ちょうどいいですから、いっぺんに買っておこうかなって」 「お菓子を……あ、冬眠用に? 非常食としては抜群だからな」 「お兄ちゃんと一緒にしないでくださいっ。これは施設へのお土産です」 「施設? あ、そういえば夜々……」  俺と一緒で施設出なんだよな確か。  表情で察したのか、夜々は優しく微笑む。 「……はい。もう年末ですし、年に一度は挨拶に行こうかなって。色々とお世話になりましたから」 「えらいな夜々は」  頭をなでる。 「えへへ……おにいちゃんは挨拶行かないんですか?」 「行くよ。俺も施設には色々世話になったからね」 「じゃあ、お兄ちゃんも偉いです」  なでなで。 「う……なんだか複雑な心境……」 「恥ずかしいですか?」 「かなり。つ〜かここスーパー」  下手したら寮生がいる可能性があるわけで……。 「見つかったら大騒ぎだよ」 「…………私は別に構いませんが」 「俺はちょっと気にするな。さてと、それじゃ買い物続けようか」 「はいっ」  翌日、昼までにはまだ間がある午前10時――。  商店街の店が開き始める時間を見計らって、稲森さんと駅前で待ち合わせをした。 「おはよ!」 「お、おはよう」  ぎこちなく挨拶をして、並んで歩き始める。  昨日、稲森さんに相談されたケーキの材料の買い出しだ。  作るのが巨大ケーキとなると、買い出しの量も大変な事になるかもしれないというので、俺が荷物持ちとして同行する事になったのだ。  今日の買い物の主導権は、完全に稲森さん。俺たちはとにもかくにも、雑貨店の入った大型スーパーに足を向けることにした。  最初に、台所用品のコーナーを稲森さんが覗き込む。 「道具からそろえるの?」 「道具はほとんど持ってるんだけど、ケーキ型の大きいのだけは買っておこうかなーって」 「大きいのって?」 「うーん、このお店だと……25cmかな」  直径25cm――巨大ケーキって言うわりには、ずいぶんと控えめなサイズかもしれないけど、いいのかな? 「あ、このしゃぶしゃぶみたいなのは? もう少し大きそうだけど」 「それはシフォン用だから、こっち……」  稲森さんが陳列棚からケーキ型を引っ張り出す。 「へー、炊飯ジャーのお釜みたいなものか……これ、ジャーので代用したら大きいの作れない?」 「それすごい斬新、試してみるっ!」 「わぁー! 俺かなり思いつきで言ってるから実験は今度にしよう!!」 「あはは、じゃあ今回は25cmでやってみるね」  はぁぁ……どこまでが本気なのか分からないから恐ろしい。  と、一息ついたところで、怪しげな気配!?  さっきから感じているこの気配は……! 「……だれか尾行してる!?」 「え?」 「あ、いや、誰かがあとを尾けてるような気がして」 「ま、まさか私のレシピを盗むため……?」 「いや普通にありえないし!」 「うぅ……じゃあ、親衛隊?」 「そ、そういうことになるよね……」  稲森さんが申し訳なさそうに俺の顔を見る。ええい、悪いのは稲森さんじゃないんだから、ここは俺がしっかりしてないと。 「とにかく、俺は荷物持ちに徹してる感じにするから、安心して」 「う、うん……急いで買うね」  そこからはペースアップ。大型スーパーを回りながら、稲森さんが次々にケーキの材料をかごに入れていく。  俺は、どこかから降り注ぐ視線を感じながら荷物持ちだ。  そして、あらかた材料を買い揃えた俺たちの前には……!!! 「………………」 「………………」 「……これで全部?」 「そうみたい……」 「…………」  そう、そこには――。  大きめサイズの紙袋がたったひとつ。 「ごめん……一人で持てたね……」 「ま、ま、まあまあまあ! これは俺が持つよ!」 「い、いいよ、来てもらって悪いし……」 「いや男が持つでしょ、こういうのは」 「……そ、そういうもの?」 「普通そうだって」  親衛隊に守られている稲森さんだけど、彼らに身の回りの世話をされたりするのを嫌がる。  必然的になんでも自分でやる癖がついているみたいだ。  親衛隊がいたら、他の男と出かけることもないだろうし……。  きっと今からオープンカフェとか誘ったら、普通に割り勘になるんだろうな。  いやいや、ひょっとすると付き合ってもらったからと、自分で全額を出そうとしかねない。  なぜなら、俺が荷物を引き取ると、稲森さんはなんだか居心地悪そうにしているから……。  うーむ……。 「……じゃあ、二人で持つ?」 「え?」 「持ち手、片っぽずつ」 「あ……うん、そうだね!」  稲森さんに片方の持ち手を渡して、二人で商店街をゆっくり歩く。  こ、このフォーメーションは……親衛隊が尾行していたらと考えると、思いっきり危険ではあるけれど!!  でも、稲森さんが楽しそうにしているのを見ると、多少のリスクは引き受けてもいいって思えてくる。  や、やるぜ、来るなら来い、親衛隊……!!  ……という意気込みとは別に、しっかり緊張はするもので。 「お、お、お、おもくななない?」 「平気……あ、あはは……ちょっと照れるね」 「そ! そそそ……そうだぬぇ!!」 「あぁ〜……硬い、硬いよー、天川くーん」 「わぁぁぁ!? な、な、ななななんてことをっっ!?」 「え? だ、だって……」 「いやそんな! 硬いなんてこれ全然普通だし! どどどうして散歩してるだけでフルボッキ!? 俺そこまでガチで溜まってないし! 発散してるし!」 「え? え?? あの緊張してるな……って」 「は…………ッ!!」 「あ、あ、うあぁぁあぁぁぁあぁぁ!! なんでもない、忘れて! なんでもないっ!!」  な、な、なんたる早合点、俺としたことが最低な!! 「…………あ!」  しかもバレたしーーーー!!!! 「ややややややややだなーーーー!! そ、そんな意味じゃないし、ぜんぜんないしっ!」 「ご、ごめん! 完全にテンパってたから!」 「あ、あははは……平気、平気だし! それに別にそうなっても平気だし!」 「は!?」 「あ、あーー!! そ、そういう意味じゃなくて! じゃあどういう意味かっていうと、えーと、えーと……きゃっ、うわ、きゃぁぁぁ!!」 「わぁぁ、平地で転んではいかーーん!!」 「はぁ、はぁ、セーフ……あはは、へいき、へいきー!」 「あ、あはは……よかったー、あはははは!」  かくして挙動不審の二人組に、町行く人の好奇の視線が注がれる。 「あはははははは……く、果物買おーー!!」 「よ、よし、買おーー!!」  そうして俺たちは通りに面したフルーツショップへ。 「えっと、えっとフルーツは……や、やっぱり苺と、あとはブルーベリー♪」  稲森さんのテンションは明らかにちょっとおかしい……そして多分俺も。 「あ、あのさ……そ、それって自腹?」 「あ、ううん平気! 桜井先輩が、寮のレクリエーション費から出してくれるって!」 「そそ、それはよかったー!!」 「う、うん、よかったー!!」 「………………」 「………………」 「あ! えーと、えっと、他に冬の果物っていったら……う、うーん、キウイかなぁ……ねえ、天川くんは何が好き?」 「俺はもう、ほら、何でも好き!!」 「た、たとえば!?」 「え? えっと……好きなのは……はっさく!!」 「うわ、マニアック……!」 「だ、だめ?」 「ううん、平気! むしろ全然へいきーー! よーし、か、買ってみよーー♪」  うむむ……このテンションで買っていいのか? せっかくのクリスマスケーキが魔ケーキに発展しないことを祈るのみだ。 「ねえ、巨大ケーキってどれくらいのサイズになるの?」 「え、えーと……5メートル!」 「は!?」 「うそ、2mくらい」 「嘘かい!! つうか、まだでかいよ?」 「ちゃんとは決めてないけど、巨大って名乗るんだから、人間より大きくないと嘘になっちゃうと思うから」 「……?」 「そうでしょ?」 「えーと、ニュースで巨大ナメクジとかやってるけど、あれって……」 「きっと人間よりおっきい……!!」 「でっかくねーー!」 「だって見たことないもん、ナメクジなんて!」 「いやナメクジはあるでしょ!?」 「じゃあ、もうナメクジサイズにする!」 「ちっこすぎらぁ!!」 「ううっ、怒らなくてもーー!」  ……ハッ! ついいつもの調子で会話してたけど、稲森さんにツッコミ入れてるよ俺……。 「……?」  ううっ……なんだろうこの幸せな感じ!  好きな子にツッコミ入れるだけで、こんな幸せになれるなんて……!!  ――好きな子!? 「どうしたの?」 「い、いや、俺何言ってんのかなーって!! あ、あははー!!」 「…………?」  二人で袋を持って、てくてくてくてく……大橋の辺りまでやってきた。  向こうから、商店街から抜け出してきたような、サンタクロースの着ぐるみ集団が近づいてくる。 「なにあれ……」 「なんでこんなところいるのかな?」 「……?」  首をかしげた俺たちが、サンタ集団とすれ違おうとしたところで。 「まほっちゃんに妙なことしたら許さねえ……」 「……!!??」 「その手を本当につないだりしてみやがれ……」 「イブにお前を配ってやる!!」 「いいか、忘れるなぁ……!」 「………………(がたがたがた)」  呆気に取られてる俺を置いて、さっさとすれ違ってゆくサンタ親衛隊。 「……知ってる人?」 「い、いや、知らない……断じて知らない!!」 「……?」  稲森さんにチクったら、また申し訳ない気持ちにさせてしまいそうだ。くそう……それも計算のうちか、親衛隊め!  深呼吸、それから気持ちを切り替えて稲森さんに話しかける。 「商店街混んでたね」 「うん、年末は慌しいねー」 「俺も……そろそろ俺も準備しないとなーって思うよ」 「準備? パーティーの?」 「それもあるけど……お芝居、やるなら気持ちも切り替えないとなーって」 「あ……」  親衛隊には悪いが、俺は稲森さんの芝居を見てみたくなっている。  親衛隊のガードの向こうでただ微笑んでいるよりも、そのほうが稲森さんにとっていい事のような気がするんだ。 「……やるんだね」 「ん……本当はこないだまで悩んでたんだけど、今はやる方に傾いてるかな」 「ふーん……そっか」 「でもさ……俺まだ知らない事があるんだけど」 「なに?」 「そもそも『ミス・マグダネルダグラス以下略』ってどんな話なの?」 「えぇ!? 天川くん、それ知らないで続き書くって言ってたの!?」 「あ、あはは……桜井先輩、台本もくれなくてさ」 「私のでよかったら、いつでも貸すから……あ、でも……」 「でも?」 「シーンが細切れで読みにくいかも……」 「なるほど、それで台本くれなかったのかな」  分かりにくくても、何も手がかりがないよりはマシだ。  並んで歩きながら、うーんと考え込んでいた稲森さんは、ふいにぱっと明るい表情になった。 「あ、そっか……見ればいいんだ!」 「え?」 「演じてるとこ見たら、お話も分かるよね?」  目をぱちくりさせる俺に向かって、稲森さんがにこっと微笑んだ。  日曜日、昨日の約束どおり俺は月姉と買い物に来ていた。 「ようし、それじゃあじゃんじゃん買っていきましょう!!」 「おうやっ! それでまずは?」 「そうね……まずは飾り付けの道具かな? クラッカーとかそういうやつ」 「なるほどね。それじゃあ雑貨屋かな?」 「そうね、行きましょう」 「うん、あらかた飾り付け道具は買えたわね」 「かなり買ったね……」  気がつけば俺の両手には視界がふさがるくらいの荷物の山。 「そうね……ちょっと買いすぎちゃったかな」 「足りないよりはいいって。よしっ、それじゃ早速寮に帰って……」 「え、何言ってるの?」 「……え?」 「これからが本番のショッピングよ。今までのはほんの前座」 「あの……何を申しているのか私にはさっぱり……」 「いいから祐真はあたしについてくるっ! ほら、行くよっ!!」  月姉はずんずん先を歩いて行く。 「あ……あ〜ちょっと待ってよ月姉!!」 「ほらほら早くついてくる!」 「やっぱりクリスマスってなると商店街も華やかね、ふふっ、ほら見て祐真、サンタさんよ」 「はぁ……はぁ……ちょい月姉、早すぎだって」 「な〜に弱気な事言ってるのよ、男の子でしょ?」 「いや……でもこんだけの荷物持って……」 「ふぅん……。じゃあ祐真は、こんなにか弱いお姉さんに荷物を持たせようと、そう思ってるわけね」 「別にそんなことは思ってないけど」  それよりか弱いって言葉が俺は気になる。 「ならちゃっちゃと歩くっ! あ、祐真見て、このネックレス綺麗ね〜」 「ふぅ……ひぃ……ど……どれ?」 「ほら、これよこれ、なんだろこの宝石、キラキラしてて綺麗……」 「ごめん、見えないんだ前が」 「あらそう? ……ふふっ、ねぇゆ〜ま〜……このネックレス買って♪」 「そんな金あったら毎日ひもじい生活なんて送ってません!」 「ぶぅぅ……あ、じゃあゆ〜ま〜……この指輪買って」 「無理です!!」 「じゃあマンション買って〜♪」 「なんでそうなるんだよ!!」 「もう、甲斐性なし。そんなんじゃ女の子なんかついてこないわよ?」 「実際後ついて歩いてるし……。それに、学生にマンションねだるのはどうかと」 「そうね……ターゲットを間違えたかも。今度試してみようかなぁ……」 「だ……ダメダメダメ!! 月姉それだけは絶対にダメ!!」 「……ふふっ、冗談に決まってるじゃない」 「も……もう、あんまびっくりさせないでくれよっ」 「きゃははっ! 相変わらず面白いわね祐真はっ」  月姉はスキップしながら前を歩く。  まったく、今日の月姉は絶好調だな……って、まぁそこまで楽しんでくれるなら俺も嬉しい限りだけど。 「さてとっ、ゆ〜ま、次どこ行こうか!」 「そうだね……とりあえず荷物を寮に戻したいかな〜」 「むむ……そんな事言っちゃう。まだまだ買いたいものもいっぱいあるのに……」 「それはもう言っちゃいますね〜、これ以上荷物増えたら俺つぶれます」 「そうなの……」 「まぁせめて月姉がちょっと持ってくれたら……」 「頼りにしてるのに……」 「……え?」  今までの流れからは到底ありえない言葉が飛び出たような……。 「たよ……り?」 「……うん。最近祐真たくましくなってきたから、ちょっとは頼りにしてたのに……」 「月姉……」  なんだろう、今心の深奥が感激の悲鳴をあげたような……。 「それなのにそんな弱気発言……あたしちょっとショックだな」 「まぁしょうがない、じゃあ荷物の半分をあたしが……」 「ちょ、ちょい待て月姉!!」 「え?」 「こんな荷物、俺にとっちゃ真綿よりも軽いねっ! もっとじゃんじゃん買おうよ」 「あ……うん」 「荷物とか何それって感じだし!! こんなんで俺を倒そうなんて百年早いね!」 「いや、だけどさっき……」 「さっきはさっき! 今は今! さっきの俺と今の俺は全然違うから!!」 「そ……そうなの? 言ってる意味がよくわからないんだけど……じゃあ、お願いして良い?」 「任せとけっ!! よっしゃ、それじゃあ次の店へ超特急だ」  思いとは不思議なもので、重力魔法のごとく重くのしかかっていた荷物が、今は食パンよりも軽く感じる! 「あ……ちょっと祐真!!」 「行くぜ行くぜっ! 月姉のサポートは俺の仕事だっ!!」 「……まったく、単純だよねホント……」  それから俺は月姉に振り回され続け、気がついたら夕暮れ時。 「もう夕暮れかぁ、早いもんだね」 「そうだね、なんだかもう疲れちゃったよ」 「お疲れ、月姉」  月姉はちょっとだけ歩調を緩めて俺の横に並ぶ。 「久しぶりだよね、二人でお出かけなんて」 「あ……そういえばそうかも」  たいていどっか行くときは稲森さんや恋路橋がいたりして、二人きりで出かけるって最近滅多になかったかも。 「二人ってのもたまにはいいものだね」 「えぇ、本当にね」  月姉は夕暮れの空を眺める。 「……ねぇ、祐真」 「どしたの?」 「うん。あのね、あたし、祐真と二人っきりだとさ……なんだか楽なんだよね」 「……え?」 「いや……ね、もちろんみんなと遊ぶのも楽しいわよ? でも、たまに疲れるときとかあるなぁ……って」 「…………」 「これからさ、祐真。たまには二人きりでどこかお出かけしたり……したいな」 「もちろん、俺なんかでよければ」 「ホント?」 「うん」 「……ありがと」  安心しきった安堵のため息。月姉が人前では滅多に見せない、俺だけの特権。 「絶対に……約束だよ?」 「もちろん」 「ありがと……。さてとっ、それじゃあ帰ろうか!」  月姉は荷物を少しだけ持ち、少しだけ歩調を速めた。  午前10時――。  朝食をすませた俺の目の前には、軍資金がある。  昨日のいきさつを恋路橋に話して、CDの購入費用と、美緒里への謝礼に使う予備分を出してもらったのだ。  勝手に決めた話だったので、できれば自分で立て替えておきたかったが、あいにく俺はクリスマスプレゼントで散財してしまい、すっからかんだ。 「すまん恋路橋……そのかわりとびきりのBGMをゲットしてくるからな!」  さて、そろそろ美緒里の携帯に連絡を入れて、待ち合わせの時間を決めることにしようかな……。 「おはようございます」 「うわっ、テレパス!? なぜ俺の心を??」 「……は?」 「あ、いや……ちょっと早すぎやしませんか」 「そんなことはありません、スペシャルDXコースですから!」 「ええと、ただのDXコースでお願いします……」 「ううっ、目ざといですね。わかりました、DXコースですがフルに1日プロデュースいたします!」  うーん……やっぱり暇なんだな、この子。 「さあ、みおりんプロデュースDXターボコース! 目指すはCDショップです。わき目もくれずに行きましょう」 「CDショップといっても……でかい本屋も入れるといくつかあるけど?」 「試聴ができるお店は、駅前のディスクリンゴンと、レンタルのカヅラヤです。今日はその2つに絞りましょう」 「ははぁ……手馴れたもんだ、さすがはみおりんプロデュース」 「はい、みおりんプロデュースSPEDPGDXターボコースなんですから当然ですっ!」 「装飾はいくら増えてもいいけれど、料金は据え置きにしておくれ」 「むー、仕方ないですね……ですが、お金をいただく以上はキッチリ完璧なサービスをお届けするのが、私どものモットーです!」 「……キッチリ明朗会計でよろしくお願いします」 「分かりました! それで、柏木先輩からのリクエストっていうのは?」  ううむ、月姉のアーティスティックな要求を果たして上手く伝えられるだろうか。 「ふんふん……なるほど、だいたいわかりました。スウェディッシュでスペーシーじゃないアコースティックなエレクトロニカですか」 「よ、よくわかるね」 「ええ、お金をいただく以上はキッチリ完璧な……」 「わかった! 信頼してるから、お願いします! でも予算はCD一枚分!」 「はぁっ……渋いクライアントです」  かくして俺と美緒里は、駅前CDショップの試聴コーナーにやってきた。 「まずは10枚くらいざっと試聴しましょう」 「10枚……??」 「スウェディッシュといえば北欧系は外せませんから、これとこれと……あとはお店が売れているのをオススメしてるので、そこから流していきましょう」 「はぁぁー」  てきぱきとCDをプレイヤーにセットした美緒里が、イヤホンの片方を渡してくる。  頼りになるというか、底知れぬというか……夜々とは違う意味で変わった子だよな。  ――試聴中♪ 「…………どうですか?」 「へぇぇ、しっとりしててアダルトな感じだね」 「そうですねー、ムードもあるしBGMにも向いていると思います」 「ですがスウェディッシュポップは10年位前に流行した音楽なので、柏木先輩はそこにエレクトロニカを加えた新しい音を望んでいるのですね……ふむ」 「ええと、それでエレクト……ってのは?」 「男性器が〈屹〉《きつ》〈立〉《りつ》することですね」 「え!? や、あの……その……っ!!」 「くすくす……エレクトロニカは、ざっくり言うと電子音楽です」 「アコースティックなエレクトロニカというとアンビエントを連想しがちですが、そこにスウェディッシュのソフトロックなテイストを入れるとなると……」 「エレクトロニカでもポップ系……耳に心地よくて、難解じゃなくて、とはいえイージーリスニングではなく、ブレイクビーツなんてもってのほかで……」  ……宇宙語の会話に、下手に口は挟むまい。 「うん、ここはラウンジのチルアウト系から攻めてみましょう……そうですね、このあたりから適当に……」  新しくCDが10枚ほど積まれていく。  それを片っ端からプレイヤーに入れては、イヤホンから流れてくる音楽に耳を傾ける。 「……歌がない?」 「はい、BGMにするのならインストのほうがいいと思います」 「はぁぁー、面白いもんだね……お、この曲かわいくない?」 「そうですねー、打ち込みのリズムがボッサっぽいですけど、ポップでパーティーっぽい感じもあって、とってもいいと思います」 「よしっ! ようやく候補1号決定ーー!」 「わー、ぱちぱちぱちぱち♪」 「……それにしても、どこでそんな知識を仕入れているの?」 「それはですね、お金をいただく以上はキッチリ完璧に……」 「ううっ……恐れ入りました」  すごい商魂、すごいスキル……いったい何者だ、この子は。  芝居の演技も文句なしだったし、後輩のくせに月姉みたいになんでもできるし、正直感心させられる。  けど、せっかくのスキルを小銭専門の090金融に注ぎ込んでいていいのだろうか……? 「……!?」  あ、くっついてる!?  気づけば俺と美緒里との距離は、限りなくゼロに近くなっていて……。  服越しに彼女の体温が伝わってくる。 「……どうしました?」 「な、なんでもない」  美緒里が頭でリズムを取っている、それはイヤホンからの音楽と同期していて、自然と俺のリズムとも……。  う、ううっ……変に意識しちゃうじゃないか。 「……?」 「あ……ふふ……」  ううっ、俺の動揺が筒抜けになってるような気がするっ! 「な、なに?」 「いえ、なんでもありません……くすくす」  笑ってさらに身体をくっつけてくる美緒里。  なにこれ!? これもDXコースの一部!? 別料金!?  俺は慌てて身体を少し離し、視線をCDの並んだ棚に泳がせる。 「こ、こっちのCDは? ほら、クリスマスチューンの決定版って!」 「ふーむ、クリスマス用のコンピレーションアルバムですか……あんまりアンソロジーはおすすめしないんですけど」 「そ、そうなのか……」 「でも先輩がいいと思うなら、一緒に聞きましょう♪」 「お、おう……き、聞こう!!」  また別のCDを聞き始める――そしてまた、美緒里の身体がぴたっと密着してきた。 「ふふふ……」 「…………っ!?」  いま気づいたけど……こ、これって、全国男子の憧れ!!  通学電車で女子とイヤホンを分け合って音楽を聴こうイベント――じゃないのかッ!?  それは俺のような徒歩通学の寮生には無縁なドリーム!!  そ、それが……いまここに!? 「ふーむ、ちょっとクリスマスっぽすぎて、先輩の好みではなさそうですね」  でもなんでこの子は、俺なんかに……?  少なくとも、とても金づるになるようなタイプじゃないと思うんだけど。 「あのー、ちゃんと音楽聴けてます?」 「え? あ、う、うん……ていうかごめん、もう一度最初からいい?」 「くすくす、いいですよ……何度でもお付き合いします♪」  かくして、50枚からのCDとの出会いと別れを繰り返し、これという一枚をゲットすることに成功した。 「いやー、助かったよ」 「いえいえお礼には及びません、お金をいただく以上は……」 「キッチリやっていただきました、感謝!」 「…………むぅ……」  言いたいことを先回りされた美緒里が口を尖らせる。  しかし、さすがはDXコース……見事な首尾だった。これなら安いくらいだ。  そのかわり、美緒里は会計時に自分のポイントカードを出して、抜け目なくポイントゲット。  お互い満足顔で駅前から引き返してきたところだ。 「しかし、思ってたより安く買えたなぁ」 「はい、インポート盤は邦楽より500円から1000円はリーズナブルなんです」 「なるほどねー、恋路橋からは普通にCD1枚分もらってきてたけど、助かったよ」 「ふっふっふ、〈剰〉《じょう》〈余〉《よ》〈金〉《きん》が出ましたね(きらーん☆)」  う、うっ……その目の輝きは!? 「それでは、余ったお金で盛大に……」 「……それは無理、はい、今日のお礼」  俺は美緒里の掌に小銭を乗せる。 「でもでも……残りのお金で、オープンカフェでケーキ付きの……」 「自販機でジュース買って、公園でも行こうか?」 「はぁぁ……やっぱり渋いクライアントでした」 「友達の小遣いを使い込めるわけないだろ」 「……思ったより律儀」 「当然だ。ほーら、なんでも好きなのをお選び?」 「仕方ないですね……なら、これをいただきますっ」  150円する500mlペットボトルのボタンを迷わず押してから、美緒里は俺のほうを見てにっこり微笑んだ。 「うー、失敗失敗!」  夕日の中、公園の時計が5時を指している。  買い出しの帰りに公園を散歩しようって誘ったのに、まさかトイレに行きたくなるとは……不覚だ。 「せっかくのデート気分も、ぶち壊しだよね」 「ごめーん、お待たせ……」  手早くトイレを済ませて、戻ってみると……そこにいたのは。 「え……えっ、なんで!?」 「お菓子の材料を買ってたの……ちょっと買いすぎちゃったかな」 「私は飾り付けの道具を、ね」 「偶然そこでみなさんにお会いして、驚きました」 「うん……待ってたら、みんなが……」 「え……えっ、なんで!?」 「買い物してたんです、そしたらお兄ちゃんの姿が見えて……」  夜々は駅前のお店の袋を手にしており、中にはきちんと包装された箱が入っている。 「私は、飾り付けの材料を、ね」 「偶然そこでみなさんにお会いして、驚きました」 「で、デートだって誤解はされてないから、安心して!」 「はい、ご安心ください」  ううっ、なんで念押しされたんだろう……?? 「買い物してたんです、そしたらお兄ちゃんの姿が見えて……」  夜々は駅前のお店の袋を手にしており、中にはきちんと包装された箱が入っている。 「お菓子の材料を買ってたの……ちょっと買いすぎちゃったかな」 「偶然そこでみなさんにお会いして、驚きました」 「見た顔が歩いてるなと思ったら、みんな同じ行動パターンだなんて、こんなこともあるのね」 「買い物してたんです、そしたらお兄ちゃんの姿が見えて……」  夜々は駅前のお店の袋を手にしており、中にはきちんと包装された箱が入っている。 「お菓子の材料を買ってたの……ちょっと買いすぎちゃったかな」 「私は飾り付けの道具を、ね」 「美緒里ちゃんカラオケ以来だよね。ひさしぶりー♪」 「はい……こんな偶然ってあるんですね」  おお、みんなが出てきたから、美緒里が従順な優等生モードに入ってる! 「それにしても……」  何という偶然!  でもまあ不思議でもないか。この街じゃ、買い物をする場所も、その後のんびりできる場所も、すっごく限定されてるんだから。 「あははっ……なんかいいね、クローバー探したときみたい」 「ほんと、そうですね」  うん、確かに……。  二人っきりじゃなくなったのは、残念と言えば残念だけど……。  これって男子としては、思いっきり贅沢なシチュエーションですよ! 「両手に花?」 「四人いるからねー、祐真の両手じゃ足りないんじゃない?」 「両手両足に花……」 「…………(想像)」  ううっ、四肢にそれぞれ女の子をつかまらせて、ずるずる引きずって歩くさまを想像してしまった。どこの熱血世界の特訓だ!  しかし女子4人が揃うと、正直男には居場所がなくなるもので……。 「――だよねー」 「――そうねー」 「――ですねー」 「――そうですね」  ぺちゃくちゃと楽しそうにお話をする四名様の後で、俺の役割は荷物持ちという、ハーレムには程遠い状況。  右手に、右肘に、左手首に、左の肘に――花ではなくて荷物を抱いて、いざみなさんの後ろへ!  荷物に全身を包まれた俺を指差して、通りすがりの女子学生がクスクス笑ってる。  こ、これは義務だ……男の!! 「お兄ちゃん重くない? 少し持てるけど……」 「平気平気、兄をナメるなよー♪」  妹にそんな顔されたら、ついつい虚勢を張るのが男だぜ。 「大丈夫? ごめんね」 「いやいや。こういうのは男の役目だし!」  親衛隊の諸君――すまないが稲森さんの感謝はすべてこの天川祐真がいただいた。 「こうなるとわかってたら、もうちょっと買ってもよかったわ」 「――鬼」  月姉には逆らうだけ無駄。人は平等じゃありません。人の上には人がいます、福沢諭吉先生。 「すごい……先輩はちょっとした軽トラックですね」  ええと日向さん? 荷物に埋もれた俺の姿を携帯で撮影して、何に利用するおつもりか? 「町の職人写真コンクールに採用されれば3000円の図書カードが……(ぶつぶつ)」 「ううっ、顔にモザイクかかんないかなぁ……」 「よっせ、こらせ、ほいせ……はぁぁ、つかれる……」  やっと下りが終わった。 「だいじょーぶ? 祐真ー」 「な、な、なんとか……!!」  下り道は足にくるから、重いものを持ってる時は登りよりきつかったりする。 「…………なんか、思い出しますね……」 「ん?」 「みんなで、劇やってた時……」 「そうね」 「あれがなかったら、先輩たちとお知り合いになってなかったんですね」 「みんなでわいわい準備して、リハーサルして……楽しかったよねー」 「なんだかんだで結果も残せたし」 「天川君のおかげかなー?」 「ま、この中じゃ、一番苦労背負い込んだかもね」 「確かに、キャスティングと雑用と主演と……苦労してると思います」 「いやぁ、俺なんて……というか誰が背負い込ませたかを忘れないでいただきたい」  確かに怒涛のひと月ちょっとだったな……。 「いまになって振り返れば、いい思い出だよ」 「うん……」 「成功してよかったですね」 「月姉の演出と、みんなの演技のおかげだと思うけど」 「…………なに気を使ってんのよ、祐真がいなかったら上演できなかったわ」 「はは……いやそんな」 「天川くん……おつかれ♪」 「……お兄ちゃんは、よくがんばりました。花丸」 「………………!」  みんなが……こんなに認めてくれるなんて。  上演からずっとバタバタしてた緊張感が一気にほぐれていく。 「うっ、ううっ……みんな……ぐすっ」 「祐真……?」 「先輩……」  よかった、本当にやってよかった!!  駆け回って、主演まで引き受けて、疲れ果てはしたけれど、最後までやって本当によかった!! 「ぐすっ……みんな、今度のクリスマスパーティーもなんとしても成功させよう!」 「うん……」 「そうだね……」  うおおお、この全身から放たれる無敵のオーラ!  流れる涙も、両手を痺れさせていた荷物の重さも全然気にならないぜ! 「よーしッ、燃えてきた……やるぞおおおっ!!!」 「……とまあ持ち上げてやると、調子に乗った男は面白いように動いてくれるってわけ」 「ほんとだ……」 「思い通りですね……」  お、鬼だ…………。  女はみんな鬼だああぁぁっ!! 「恋路橋、おはよー」 「おはよう……あれ、おめかししてどこか出かけるの?」 「ん、ちょっとね……夜には帰るよ」 「まさか……デート??」 「こんな大荷物持ってデートなわけないだろ」 「……???」  怪訝そうな顔の恋路橋を置いて、寮をあとにする。  両手には巨大な紙袋、それから久しぶりに袖を通すちょっと高めの服。  12月24日――クリスマスイブは俺にとって特別な日だ。  年に一度、イブの日に俺は、交通事故で両親を失ってからの数年間をお世話になった養護施設を訪問する。  両手には、子供達のために買い込んだいっぱいのプレゼント。  施設で迎えたクリスマス――俺は両親を失った寂しさに独り泣いていた。  そんなとき、施設から出て行ったお兄ちゃんが、プレゼントを持って遊びにきてくれた。  もらったのは、一年前の戦隊ヒーローのビニール人形――。  そんなものだけど、子供心にはすごく嬉しかった。  品物だけじゃない、寂しいだけだと思っていた施設にもそんなイベントがあって、手渡しでプレゼントをもらえたことが、本当に嬉しかったんだ。  恩返しを始めたのは、花泉学園に入学してからだ。  最初は小遣いもなかったから、みんなに行き渡らせるには小さなチョコしか買えなかった。  そんなプレゼントでも、かつての俺みたいな顔をした子供達は喜んでくれて……。  そのまま今年まで、毎年の行事みたいになっている。 「お兄ちゃんサンタが遊びに行くからな、待ってろよ!」  紙袋を持ち直して足を速める。  大橋を渡ったころ、空から雪がちらほらと舞い降りてきた――。  買い込んだプレゼント抱え、俺は裏口から忍び足で侵入。 「メリークリスマスイブ、お兄ちゃんサンタです」  なんて呟きながらプレゼントを施設の食堂に置く。  どうしてこんな泥棒みたいな真似をしてるかっていうと、子供たちの夢を壊さないため。  子供の頃に絶対一度は話題にするだろう、サンタクロース。  施設にいる子供たちにとって、サンタクロースは夢の存在。ほとんどの人がサンタクロースを信じてクリスマスを過ごしている。  そんな子供たちの希望を壊したくはない。だから、俺は毎年こっそりプレゼントを置いていく。俺にとってはクリスマスの恒例行事だ。  施設にいる子供たちは、みんな小さな夢を握り締めて生きている。  お母さんがいつか迎えに来てくれる、大人になったらこんなことをしたい……そんな夢を心の支えに、みんなで協力し合って生活している。  俺も子供の頃はそうだった。寂しさに耐え切れずに泣いてばかりだった俺だけど、俺にはたった一つの希望があったから……。  今はうっすらもやがかかった俺の希望……覚えているのはそれが俺にとって一番の心のささえだったこと。  そんな希望を、壊したくはない。  たくさんのプレゼントと、子供たちへの手紙。それらを音をたてずに床へおろす。 「ようし、完了。それじゃ帰るとしようかな……」 「…………誰?」 「っ……!?」  ばれた!?  嘘だ……今子供たちは高山にハイキング……職員たちも子供たちと全員ハイキングに出かけているはず。  そんなわけない……もし今この時間にここに来るとしたら……それは……。  本物の泥棒さん……。 「…………」  一瞬時間が止まり、これからしなければならないことがぼこぼこと頭の中で泡を立てる。 「…………ごくっ」  大声で叫ぶ……は却下だ。そうなったら俺の計画自体おじゃん。  だったらどうする? 逃げる……いやそれじゃ根本の解決には……。  だったら戦う? 泥棒とさしで!? もし刃物なんか持ってたらどうするよ……。 「あ……あのぉ……」 「……っ……」 「えっと……夜々だよ、お兄ちゃん」 「……え?」  夜々…………お兄ちゃん?  俺は深呼吸しながら首をひねる。  と、そこにはなぜか夜々の姿。 「や……夜々」 「お兄ちゃん……」 「ま……まさか……夜々……」 「う……うん……ということは……お兄ちゃんも?」 「あ……あぁ……」 「そ……そうだったんだ……」 「…………」 「…………」  俺と夜々は少しの間無言で見詰め合う。  お互い考えていることは同じだろう。俺たち、同じ施設だったんだ……こんな偶然あるんだな……そんなことを夜々も考えてるだろう。 「…………プレゼント?」  夜々は俺の用意した白い袋を見下ろす。 「あ……うん。毎年クリスマスに……」 「サンタクロース?」 「の、真似事。子供の頃それが凄く嬉しかったから……俺もやりたいなって……」 「うん……私も子供だったら凄く喜ぶと思う。お兄ちゃん……優しいね」 「そんなことないって。じゃあ……一緒に帰ろうか?」 「…………うん、そうだね」  言葉少なく、俺と夜々は施設を後にした。  帰り道、なぜか気まずい空気が二人の間を彷徨っていた。 「ただいま〜」  寮へと帰宅し、俺は何か食べ物はないかとリビングに足を運ぶ。  リビングには何人かの寮生たち。そしてテレビを見ている月姉の姿。 「月姉っ、ただいま」 「……っ!!? ゆ……祐真……」 「うん、ただいま」 「お……おかえりなさい。今日は早いわね」 「月姉の方が早かったよね? それに今日はちょっと寄り道したし……」 「あ……それもそうか……ははっ、何言ってるんだろ私……」 「ほんとだよ。さてと、それじゃあ俺も一緒に見ようかな……」 「っ……!!」  月姉は慌ててテレビを消す。 「…………?」 「は……はははっ! テレビ、イズ、キエ〜ル♪」 「つ……月姉?」 「い……いまの祐真の記憶から消して……」 「う……うん、言われなくても。えっと、いいって別に見てても。一緒に見ようよ」 「い……いいわ、暇つぶしに見てただけだし……」 「そう……?」 「あ……そういえば飾り付け作んなきゃっ! それじゃ祐真、また」 「あ……ちょっと月姉っ!」  俺の言葉もむなしく、月姉はばたばたとリビングを後にする。 「……なんだありゃ」  俺は首をひねりつつもソファに腰を下ろす。 「…………」  何気なくテレビをつける。  番組は「芸術家の一生」という番組。有名な芸術家の作品を鑑賞しながら、その人の生涯をたどる……そんな内容だ。 「月姉……」  今までの不可解な行動が一気に解決すると、ふっと一つの結論が浮かび上がる。  月姉……本当は絵に未練があるんじゃないのかな……。 「うーむ……」 「やあ、祐真」 「っ!? さ……桜井先輩」  いつのまにいたのか、俺の横には桜井先輩の姿。 「探してたんだよ」 「俺をですか?」 「あぁそうだよ。実はね、祐真に提案があるのだよ」 「提案?」  なんだろう……変な内容じゃなきゃいいけど……。 「内容はクリスマスパーティーのレクリエーションなんだが……」 「お、今年は一体何をするんですか?」 「あぁ、ビンゴゲームをやろうかと」 「ふぅん、いいんじゃないですか? 定番ですし」  逆にありきたりすぎて桜井先輩っぽくないけど。 「あぁ、もちろん普通のビンゴゲームじゃないよ。みんなが喜ぶよう様々な趣向を用意してある」 「はぁ……それで、提案とは?」 「うむ。まず、ビンゴゲームには景品がつきものだ、そうだね?」 「そうですし、むしろなきゃやりません」 「そうだろう。そこで、ビンゴゲームを使ってある人にプレゼントをあげようと思ってね」 「ある人……ですか?」 「僕の永久のビーナス、月音さんだよ」 「つきね……っ……柏木先輩ですか」  あぶねぇあぶねぇ……。 「あぁ、変な意味があるとかじゃない、男子組の寮長として……ね。彼女には色々とお世話になったから」 「それはまぁ否定しませんが……だったら普通にプレゼントすれば……」 「ノンノン、粋じゃないね。そもそもそこに運命がないよ」 「全然意味はわかりませんが……まぁいいです。それで?」 「うん、そこでだね、ビンゴゲームで月音さんに景品をプレゼントしようかと。ようするにイカサマビンゴだ」 「ふむふむ、まぁわかります」 「僕が仕込んだイカサマなら、任意の相手に自由にプレゼントを渡せる。だがね、人手がふたりいるのだよ」 「そこで俺ですか」 「そういうことだ。協力してくれないかな?」 「う〜ん……」  まぁプレゼントをしたいっていう桜井先輩の気持ちは良いことだと思うし、イカサマビンゴも別段誰に被害が行くわけでもなし。 「別に良いですよ。協力します」 「そうか、それは助かる!」 「こちらも楽しみにしてますよ。それで、柏木先輩に何をプレゼントしましょうか?」 「それなんだがね、実はもう用意してあるんだよ」 「え、ホントですか!? 気になりますね〜、教えてくださいよ」  まぁ予想できる範囲としては、「無修正DVD」、「洋物エロ本」、「子供は使っちゃいけないおもちゃ」……なんてのがあがるけど。 「うん……プレゼントなんだが」  そんな俺の予想を桜井先輩はかなり斬新に打ち壊してくれた。 「絵画セットをね、もう購入してしまったんだ」 「絵画セット?」 「あぁ。月音さんが絵を描く姿をもう一度見たくてな……」 「桜井先輩、知ってるんですか? 柏木先輩が昔絵を描いてた事」 「あぁ、良く知ってるよ。月音さんの絵はそれはそれは素晴らしかったね。画一された画法、その中にある斬新なタッチ……今思い出すだけでも興奮する」 「そうなんですか……」 「あぁ……。まぁ、こんなの余計なお世話だってわかってるんだけどね」 「桜井先輩……」 「確かに絵を描いていない月音さんももちろん魅力的だ。だが、やはり絵を描いている月音さんのほうがずっと魅力的だと……僕は思うんだ」 「…………」 「しかしこれは僕のこじつけだ。余計なおせっかいになるんじゃないかと……心配でね」  遠い目をする桜井先輩を眺めつつ、月姉を考える。  月姉は本当に絵を捨ててしまったのだろうか……。  今では逃げるように絵から遠ざかっている月姉が、どこか現実離れして俺の目には映っている。 「……柏木先輩は」 「……?」 「先輩は……やっぱり絵が描きたいんじゃないかな。きっと、まだ絵が好きなんですよ」 「本当にそう思うのかい?」 「……はい」  正直自信はない。もしかしたら俺の気持ちがそう思わせているだけかもしれないけど……。 「今のつきね……っ……柏木先輩は、わざと絵から逃げているように思います。なにか……理由があるんじゃないでしょうか」 「理由」 「はい。その理由があるから、先輩は絵から逃げている。もしかしたら、まだ未練があるんじゃないかなって……思うんです」 「そうか……俺にはもう、絵は綺麗さっぱり捨ててしまったようにしか見えないのだけれど」 「なんとなくですけどね。美術室の前を通る時とか、町で絵画展の広告を見かけた時とか、ちらちらと気にしてるんですよ」 「そうか……。君がそう思うのなら、きっとそうなんだろうね」 「先輩、俺も協力します。柏木先輩きっと喜びますよ」 「………あぁ、そうだと良いね。あ、それから祐真」 「はい、なんでしょう」 「この前手に入れた洋物のDVDなんだがね、実にあれは斬新だったよ。特に後半のアナル責めが……」 「あぁ、最後さえなければ良い先輩なのに……」  ただ、プレゼントか……月姉どんな顔するだろ……。  桜井先輩の熱弁を聞き流しつつ、俺はぼんやりと月姉のことを考えていた。  イブが明けた25日――。  いずみ寮が赤と緑のクリスマスカラーに染まるのはここからだ。 「うーん……」 「むむー……」 「ふーむ……」  寮生も、クリスマスに向けてはりきってる面子と、そうでない面子との温度差が著しい。 「……寮生がいないな」 「もう帰省したのが20%、帰省の支度で部屋篭りなのが30%、ゆうべのデートから帰ってこないのが20%……」 「残る三割は、独身の暇人ばかりか……うーむ」 「人数なんて関係ないです、オレたちだけで盛り上がってやりましょうよ!」 「よく言った! ではさっそく王様ゲームの支度をだな……」 「こらーーーーっ!!!」  ――がすっ!! 「ふぐぁぁあッ!! つ、つ、月音さん……」 「しょーもない陰謀でリビングの場所塞ぐんじゃないの! 飾り付けできないでしょーが!」 「お、おお……それはすまない」 「いーからさっさと出て行くように! 飾り付けが終わるまでに戻ってきたら血の雨を降らすわよ!」 「は、はいーーーっ!!」 「はぁぁ……びっくりした」 「いやぁ、彼女の本気度がひしひしと伝わってくるようだ、たのもしいね」 「ニコニコしてるところなんですが、確実に永久歯が折れてますよ」 「愛の痛手が深ければ深いほど、情熱の炎は燃え上がるのさ……では失敬、この僕にもビンゴゲームの準備があるものでね」 「そうだ、ボクもママと帰省のプランを立てないと……天川君は?」 「やることもないし、忙しそうな人の手伝いでもするよ」  リビングからは、月姉のテキパキした指示の声が聞こえる。  まだお昼前、リビングに飾りが入ると、クリスマスムードがまた盛り返してきたようだ。  今日、明日、明後日と、帰省ラッシュを過ぎると、いまは賑やかな寮もガランと寂しくなってしまう。  そうなる前の最後のイベントだ、準備にも手を抜かず、目指すは今年最後の完全燃焼!  かくして俺は握り拳で気合いを入れて――――。  とりあえず、腹ごしらえしよっかな。  午後になると準備もいよいよ佳境に入る。  リビングでは飾り付けチームが様々な飾り付けをしていて、買い出しチームがどんどん戻ってくる。  ペットボトルがどんどんテーブルに並び、クラッカーなどが散らばって行く。  さぁ、あとはケーキと料理がくれば準備完了だ。 「あ……そういや夜々が料理担当だっけ……」  大丈夫かな……料理は結構な数だろうし、一人でパンクしてなきゃいいけど……。  なんて思っていた矢先、夜々がひょっこりとリビングに現れた。 「あ、お兄ちゃん」 「夜々。料理、間に合いそうか?」 「大丈夫です。自作の料理は作り置きを出して、残りはすべてオーダー料理にするつもりですから」 「なるほど、それならなんとかなりそうだな」 「はい。それじゃあお兄ちゃん」 「おう、頑張れよ」  夜々はひょこひょことキッチンへ移動。手伝おうかとも思ったが、夜々の表情を伺った限り、特にその必要もなさそうだな。  飾り付けしてる月姉発見。 「…………」  月姉は無言のまま飾りをアーチにしていく。  へぇ、うまいものだな……紙もやりようによってはあんな飾り付けになるものなんだ……。  ……うん、邪魔しちゃ悪いしな……もしかしたら他に手伝える事があるかもしれないし。  俺は少しだけ月姉を見学した後、ゆっくりとその場を後にした。  ん――寮の裏手でこそこそしているのは……稲森さん? 「こ、こっちです、こっち……!!」  寮の外に停まった車から、エプロン姿のおじさんが巨大な白い箱を出してきた。  アレは……町のケーキ屋のおじさん? 「はい、スペシャルジャンボクリスマスケーキ、おまちどお♪」 「あ、ありがとうござ……ううっ!? お、重い!!」 「気をつけてね、男の子呼んできたほうがいいんじゃない?」 「へ、へ……平気で……すっ、お、お金は振込みで!」 「はいはい、気をつけてね……10キロはあるから」 「は、はいぃぃ……」  い、稲森さん――ケーキも注文したのか!  いや確かに……賢明な判断だと思う。だけど……!  あのまま転倒したら史上まれに見る悲劇に発展しかねないぞ……ここは俺が手伝って!  ――いや、稲森さんに恥をかかせるのはしのびない。  かくして俺は携帯をプッシュして……。 「あーあー、稲森真星親衛隊いるか? オーバー?」 「稲森さんが手作りケーキを持ってきてくれたが、寮の裏手で運搬に苦戦中だ。至急来援を乞う、オーバー?」 「そうだ、こっちは手を離せないがよろしく頼む、オーバー?」  かくして、電話を切ってふたたび寮の裏手を覗くと。 「あ、ありがとう……みんな」  稲森さんのケーキを囲む黒い連中がゾロゾロと……さすがだ、任せたぞ親衛隊。 「ん……?」  食堂に移動する。 「なんだ……誰かに見られているような」 「ふーむ……?」  庭のほうから視線を感じたような気がしたけれど……。 「……!?」  い、今のは……。 「こそこそこそ……」  日向美緒里だ、なぜこんなところに。 「なんだ、誰もいないのかー」  わざと気づかないふりをして寮に戻る。  二階の窓から見下ろすと、美緒里は庭の茂みに隠れながら、リビングの飾り付けの様子をじっと観察しているようだ。  なにやらじれったそうに、そわそわしながら……。  うーん、これは……待ちきれなくてやってきたのだろうか?  素直に入ればいいのに、不思議な奴。 「はぁぁぁ〜……暇だ」  クリスマスパーティーの準備は順調で、遊撃を任された俺は特にやることもなくひなたぼっこ。 「あ、お兄ちゃん」 「夜々」 「なにしてるんですかこんなところで」 「いや、特にやることもなくぼけ〜っと。夜々は?」  見ると夜々の両手には大きな袋がぶら下がっている。 「ちょっとお買い物に行ってました。お魚お肉は鮮度が命ですから」 「そっか……それなら俺も荷物持ちすればよかったな」 「いえ、これだけですから。さてとっ、それじゃ早速お料理です」 「これから作るのか?」 「はい。下味などは大体終わっていますから、あとは焼いたり揚げたり煮込んだり……これからが一番大切な作業です」 「お、気合入ってるね」 「もちろんです。ほら、一緒に入りましょ? 風邪引いちゃいます」  夜々はほくほく顔で俺の手を引っ張った。  キッチンのテーブルに広がる様々な食材たち。 「なんだか……凄い量だな……」 「このくらいは作らないとすぐになくなっちゃいます」 「それはそうかもしれないけど……一人で大丈夫?」 「大丈夫です」 「さてとっ、それじゃ早速お料理開始です」  手を念入りに洗った後、夜々は真剣な表情で料理を始めた。 「まずはオーブンをチェックです……」  何束にもなったメモを見ながら、あせあせと動く。 「1時間………っと、設定温度はこのくらいで……」  かちかちっとオーブンをセットし、七面鳥を両手で持ち上げる。 「……っとと……」 「やるってそのくらい」 「だ……大丈夫です」 「大丈夫って……」 「……っ……よしっ、これで後は焼きあがるのを待つだけ……っと」  目をきょろきょろさせながら今度は下味のついた鶏肉を冷蔵庫から取り出す。 「……うん」  油を確認してから丁寧に鶏肉を鍋へと放り込む。  じゅじゅじゅ………。 「よしっ、それじゃこの間にサラダを……」 「そんじゃから揚げは任せなよ。このくらいなら俺にも出来るし……」 「だ……ダメです! 一人でできますから!!」 「そ……そう?」 「大丈夫です。こんなの余裕です」  むんっ、唇を引き結ぶ。 「レタスにトマト……きゅうりににんじん……」 「なぁ、野菜切るくらいなら……」 「お兄ちゃんっ!!」 「は……はい……わかりました……」  それからも夜々はキッチンを駆け回った。  料理は魔法とは良く言ったもので、本当に魔法を見ているようだ。  夜々が手を加えると、食材が料理へと変わっていく。どんどん食材が夜々の魔法によって料理に変わって行くのを、俺はぼんやりと見つめていた。 「ぼんや〜り…………ぱくっ」 「あ、お兄ちゃん!!」 「は……はい!?」 「今ウインナー食べました! つまみ食いはダメです」 「だ……だっておいしそうだし……」 「もう……なんですかその言い訳は……はい、あーん」 「あーん……ぱくっ……うん、うまい」 「おとなしくしててくださいね?」 「はーい……」  なんて頷きながらも……。 「………(じろっ)」  ターゲット補足……目標、プチトマト……。 「お兄ちゃん」 「は……はい!?」 「もう……めっ」 「ごめんなさーい……」 「まったく……子供みたいですお兄ちゃん」  なんて笑いながらも夜々の額には大量の汗。  そりゃそうだ、夜々一人にこの数の品目は過酷すぎる。 「次は……なんだっけ……」  メモを持つ手が震えている。さっきのフライパンが効いてるみたいだ。 「もうちょっとで炊き込みご飯炊けて……グラタンが5分後……パスタがもうちょっとで茹であがるから……あ……あぁぁ」  ふらふらふら………。 「や……夜々っ!?」  俺は慌てて夜々の近くにかけよる。 「あ……お兄ちゃん……」 「重いものは俺がやる。夜々は細かい作業だけ意識すればいいから」 「だ……大丈夫です……一人でできますから……」 「ダメ。これ以上やったら夜々倒れる」 「う〜……そんなことないもん……」 「説得力がない。気持ちは十分わかったから、ほら、一緒に頑張ろう?」 「お兄ちゃん……うん、じゃあお願いします」 「おう、待ってました!!」  なぜか夜々に頼られるのが嬉しくってしょうがない。  妹だから? 理由はさっぱりわからないが、とりあえず目下料理を作らねば! 「あ、お兄ちゃんそろそろシチューいいかもです」 「おっけい。それじゃ火を止めて……」 「かき回してもらえますか? それからちょっとだけ味を確認して……」 「おうよっ!」 「ちょっとですよ?」 「わかってるって!」 「ふふ……お願いします」  夜々は苦笑しながら自分の作業に戻る。  なんだか……楽しいな。料理なんてほとんど初めてなのに、なぜか楽しくってしょうがない。 「よしっ、味見OK! 夜々、ばっちぐー!!」 「ホントですか? それじゃあこれで最後ですっ」  夜々は勢い良くオーブンのふたをあけた。  オーブンから顔をのぞかせる七面鳥。クリスマスのメインディッシュもようやく完成し、料理も無事に終了。 「よしっ、後はこれをみんなに食べてもらうだけだな」 「はいっ!」 「なんだか楽しかったな」 「ホントです。一人で料理するより……全然楽しいです」  夜々はふっと体重を俺に預ける。 「ちょっとだけ休みます」 「椅子使う?」 「これでいいです。ううん……これがいいんです」  夜々は両目を閉じると幸せそうに微笑んだ。  クリスマスパーティー…………楽しくなりそうだな。 「んー、ここにもいないか……」  ケーキ作りを手伝おうと思ってたけど、肝心の稲森さんがどこにもいない。  そんなこんなで、俺は稲森さんを探して寮の中をうろうろ。  しかしどこにも姿が見えない。 「……携帯も留守電か」  その場で『ケーキ作りいつでも手伝えるから呼んでね』とメールを送っておく。  さて……と、あとは稲森さんの連絡待ちか。  せっかくだから、みんなの仕事ぶりでも見学しようかな?  そんなこんなしているうちにまたたくまに昼になり、やがて時計は午後1時に――。  うーん、おかしい。パーティーはあと数時間でスタートするけど、巨大ケーキってそんな短時間でなんとかなるものなんだろうか……。  稲森さん……なにか秘策があるのか?  と、そのとき、廊下の向こうから全速力のダッシュ音が……。 「――あ、天川くーーーん!!!」 「おおっ、ど、どうしたの、その頭!?」  おもいっきり後頭部が跳ねたヘアスタイルの稲森さんが、ドアのところで血相を変えている。  その髪型の意味するところ――つ、つまりこれは……!? 「寝てたーーーー!?」 「わーん、寝てたーーーーーーーーーっっ!!」 「わ、わ、わかった! とにかく急ごう、ケーキを早く!」 「う、う、うんっ、お願い手伝ってーー!!」 「ま、任せて……とは言えないけど任せて!」 「うぇぇーーん、ありがとうーーー!!」  な、なんかここまでドジな稲森さんを見るのは、すごい久しぶりな気がする。 「と、と、とにかく入って入って!」 「えぇ!? ここ……稲森さんの……!?」  いくら消灯時間ではないとはいえ、女子の……ましてや稲森さんの部屋に入るなんてのは、とんでもないことのような気がして……。 「ここでやるの?」 「もう下の台所は夜々ちゃんたちの戦場になってるから! おねがいー!」 「わ、わかった……入るよ!」  かくして俺は稲森さんの部屋へ――初めて足を踏み入れた。  うわー、さすがに綺麗にしてるなぁ。置いてある小物も可愛いし、それになんだかいい匂いがする。  こ、ここで稲森さんが毎日生活してるのか……ううっ、なんか感動だ! 「い、急ごう、急ごうっ、天川くんっ!」 「オッケー! できることなら任せといて……うわ、なにこれ!?」  部屋の奥に敷かれたビニールシートの上に、大量の円筒状の物体が置かれていた。 「それ、スポンジなの」 「ケーキのスポンジ? すごい、こんなのいつ……?」 「昨日までに作っておいたの……夜のうちに食堂のオーブン借りて」  見れば25cmのケーキ型もいくつか買い足されている。 「……それで力尽きた?」 「うぅぅ……ごめんなさい」 「いや、ごめんっていうか……偉い!! ていうかすごい、稲森さん!」 「え?」 「ここまで準備したんだから、こうなったら意地でも完成させないとね」 「う……うん!」  かくして俺たちは、大慌てでケーキ作りに突入。  最初の仕事は土台作りから始まった。 「これをね、こーゆー感じのピラミッドにね……」  稲森さんはまず、作り置いた大量のスポンジをピラミッド状に重ねると言い出した。 「おお、なるほどね! 普通サイズのケーキでピラミッドを作って、巨大ケーキにするのか!」 「うふふ……そういうこと♪」 「すげー、ナイスアイデア……だからシフォンケーキじゃダメだったんだ」 「そう、真ん中に穴が開いてると崩れちゃうからね」  そうしてスポンジを重ねて行く。 「…………あれ?」 「……このくらいが限界じゃない?」  稲森さんの巨大ケーキ、理想のサイズは5m!  けれど、下のスポンジが潰れないようにするとなると、2mはおろか、1mがやっとというところだった。 「うーーー、これじゃ巨大じゃないーー」 「いや、充分巨大だって、かなり立派だよ」 「そ、そう?」 「うん、みんなびっくりするって、大丈夫!」 「ふふ……よーし、じゃあ綺麗にデコレートして、なおさらびっくりさせないとね!」 「そうそう、その意気……って、時間あんまないけどね!」 「そ、そうだったーー!!」  ……けれど、ケーキ作りとなると俺の力はまるで及ばず、言われた事をやるだけの存在と化してしまう。  それでも、俺がいて良かった事が1つだけあった。  それは……。 「い、い、急げー♪ いっそげーーー!!」 「落ち着いて、時間ないけど落ち着いて稲森さん!」 「へいきー! 見てろーメレンゲ、れーっつ、さとうーーーっ♪」 「それは〈胡〉《こ》〈椒〉《しょう》ーーー!!」 「わぁぁ、じょ、冗談冗談! 気を取り直して、ここで大人のブランデー攻撃、ばしゅん♪」 「だから醤油ーーーー!!!」 「きゃぁぁ、なんでこんなところにお醤油がぁぁ……」 「それはこっちが聞きたい! はいブランデーはこっち。調味料の名前を言ってくれたら、俺が取るから」 「あ、ありがと……よーし、次は♪ つぎは♪ バニラエッセンスーー♪」 「はい!」 「と見せかけて、いっくぞ、グラニュー糖ーー♪」 「こらーーーー!!!」 「あうぅぅ……つ、ついいつもの調子で……」 「いつもこんな作りかたしてるんか!!」 「だって、そのほうが集中できるから……」 「してないしてない!」  こ、これが魔星か……!  俺はいま、魔料理の女王・魔星の正体を垣間見た気がするっ!!  それからも魔星クッキングの勢いは衰えを見せず……。 「ホイップ、ホウィップ、女王さま〜♪ (こつん)あ……きゃぁぁぁぁ!!!」 「わぁぁっ、く、崩れるーー!!」  間一髪、ケーキの崩壊を両手で食い止める俺――。 「ご、ごめん、ごめんねーーっ!!」 「へ、平気! 上は支えてるから、下のスポンジを組みなおしてーー!!」 「え!? えっと、これを抜いて、こっちに……」 「わー、そこ抜いたら全部崩れるーー!!」 「こ、こっち……?」 「そっちもだめーーー!!」 「ううっ、この〈面〉《ステージ》難しい……」 「ゲームじゃねーーー!!」  かくして、なんとか円錐形を保ったスポンジケーキを前に、今度はクリーム作りだ。  稲森さんの部屋に持ち込まれたカセットコンロがここでフル稼働する。 「はい、湯煎完了ーー!!」 「じゃこれ泡立ててーー!」 「はい、泡立て完了!!」 「これとこれ、下のオーブンであっためてきてーー!」 「りょーかいーー! でもお皿がないけど」 「戸棚から出して!」 「戸棚ってここ?」 「きゃぁぁぁ! そ、そこは下着入れーー!!」 「わぁぁ、危ない! 崩れる!!」 「あうぅぅ……ごめんなさい、戻しておいてー!」 「それから、後頭部の寝グセすごいんだけど?」 「それも戻しといてーーー!!」  かくして……まさに料理地獄と呼ぶに相応しい混沌の中、なんとか必殺の巨大ケーキが完成した。 「はぁ、はぁ、はぁ……お、終わったぁぁ……」 「終わったけど……万博にこんなのがあった気がする……」  そこには巨大な白いモニュメント。  この謎のオブジェを前にして、先史時代に飛来した宇宙的生命体が地上に残したと言われたら、きっとみんな信じると思う。 「ざ、斬新?」 「うん…………みんなびっくりする(違う意味で)」 「はぁぁぁ……よかったぁぁ……(がくり)」 「うん………………(よくないけど)」  かくして――全力疾走3時間余りを経て完成したケーキを前に、俺と稲森さんはぐったりと力尽きたのであった。 「はぁあぁぁぁ……暇だ」  何か手伝おうとは思うのだが、当日になっていまさら何を手伝えという話になってくる。  何か手伝おうとしようとすれば邪魔だと罵倒され、ぼろぼろになった体は自然と外へと向かっていた。  中にいたら邪魔になる。俺はしょうがなく凍える体を抱きしめて空を眺めていた。 「うぅぅ……寒いし腹減った……」 「……あぁ、こんなところにいた」 「月姉……」 「なにやってるのよこんなところで」 「一人でたそがれてた」 「なによそれ。ほら、早く来なさい!」 「ど……どしたの?」 「手伝って欲しいのよ。時間もないし、早く来てっ!!」  月姉はしゃがむ俺の手を引いて寮内に引っ張り込んだ。  リビングはもうクリスマスムード一色。様々な装飾が施されている。 「へ〜……なかなか良い感じになってるね」 「でしょ? でもまだまだね、やるからにはとことんやらなきゃっ」  月姉はそういい残して室内を駆け回る。 「え〜っと、俺は何をしたら……」 「とりあえずそこにいっぱい飾りがあるでしょ? それ壁に飾って」 「りょうか〜い」  早速飾りを壁にぺたぺたぺた……。 「あ〜ダメダメ、そんなに貼ったらクリスマスっぽくない!」 「そ……そうかな?」 「そうよ。確かに派手なほうが良いけど、クリスマスらしい感じは失いたくないじゃない?」 「はぁ……そうかもしれないね」 「お願いねっ」 「は〜い。クリスマスらしい……ってなんだろ……」  ぺたぺたぺた……。 「もう、そうじゃないっ! その飾りはもうちょっと右にして、他の飾りで引き立てるの……わかるでしょ?」 「は……はぁ……」  さっぱりわからないが……まぁとりあえずやってみよう。  ぺたぺた……。 「ぜんっぜんちがうっ!! それじゃイメージと全然違うわ!! クリスマスよ!」 「そんな、全然わかんないよ」 「はぁ……もういいわ、座ってて」 「うっそ〜」 「祐真、人には向き不向き、適材適所って言葉があるの。ちょっと見学しててよ」 「は〜い」  反論できるはずもなく、言われるままに俺はソファに座って月姉を見学。 「…………」  月姉は両手を必死に動かして、真剣な表情で壁を彩っていく。  一心不乱な月姉の姿。いつもの才色兼備な月姉は今はなく、一つの事にだけ取り組む、情熱溢れた月姉がそこにいた。 「…………」 「……どうしたの? 暇になっちゃった?」 「いや……綺麗だなって」 「あぁ、飾り付け? そうでしょ、ちょっと頑張っちゃったもの」 「いやいやそうじゃなくって、月姉の話」 「…………え?」 「真剣な月姉の顔、綺麗だなって」 「……っ……!」  月姉の頬が少しだけ染まる。 「ば……ばかっ、何言ってるのよ」 「本当の事だよ。いつもの月姉もいいけど、やっぱり俺は今みたいな月姉のほうが好きだな」 「……っっ!!」  月姉は右手に持った画鋲をぽろり。 「あっ……」 「あ〜月姉危ないって!!」  画鋲をキャッチして月姉にリリース。 「はい」 「っ……ありがと」 「気をつけてね?」 「う……うん……わかったわ」  月姉はなぜか俺から目をそらして頷く。 「…………?」 「す……座ってなさい」 「う……うん……」  意味がわからず着席。その間も月姉はあわあわと飾り付けを続行。  なんだか珍しいな……取り乱してる月姉って凄い新鮮。  レアな光景に喜びつつ、月姉の飾り付けを見続けた。 「う〜ん……」 「どしたの月姉」 「いやね、この星をツリーのてっぺんにのっけたいんだけど……」 「お、いいね。クリスマスだ」 「でしょ? でもあたしには届かなくって……脚立持ってこようかな……」 「あ、それなら俺がやるよ」 「祐真……?」 「それくらいならできるって。貸して?」 「あ……うん」  俺は月姉から星の飾りを受け取る。 「よっと……」  ひょいっと背を伸ばしてツリーの頂上に星を飾る。 「……うん、いいわね。ありがと祐真」 「これくらいなんのなんの。お役にたてて光栄です」  ようやく最後の最後で役に立てた。 「うんっ、終わりよければすべてよしっ!」 「…………?」 「なんでもない。よしっ、これであとは本番だけだね」 「そうね。クリスマスパーティー、盛り上がると良いわね」 「絶対盛り上がるって!」 「…………うん」  月姉と飾りを眺めつつ、時が過ぎるのを待つ。  クリスマスパーティー……いよいよ本番だ! 「メリークリスマス!!」 「メリークリスマスーーーっ!!!」  クラッカーが弾け、誰かがタンバリンを鳴らす音が重なる。  ジュースの入った紙コップを掲げて、いずみ寮のクリスマスパーティーが始まった。  恋路橋がCDを流すと、華やいだ音楽が寮のリビングを包み込んだ。  飾り付けをした月姉が、満足そうにその成果を眺めている。 「いやー、メリクリメリクリ♪」 「なんとか間に合ったね、メリクリー♪」  夜々の担当したクリスマスメニューが運ばれてきて、まったりと始まったクリスマスパーティー。  みんな和やかに料理をつまんだり、雑談をしたり……。  もちろん、参加費さえ払えば寮生以外の生徒も飛び入り歓迎だ。 「メリークリスマス♪」 「美緒里ちゃん、メリクリー♪」 「はぁ、はぁ……お招きありがとうございます。別件に次ぐ別件をあらかた片付けて、いま到着しましたっ」  いかにも今駆けつけてきた風を装う美緒里。  うん、あいつが朝から庭にいたことは俺の心にしまっておこう……。 「いらっしゃーい、こっちこっち……ゆっくりしていってね」 「ありがとうございます。わー、美味しそう……私オリーブのカナッペ好きなんです」 「夜々ちゃんが全部用意したのよ」 「食べてくれる?」 「よろこんで、あ……おいしいっ!」 「お、好感触。どれどれ……俺もこっちのチキンを……ぱくっ」 「ど、どうですか……?」 「うまーーーーい!! うまいうまいうまいうまいうまいっ!!」 「わっ、こら、かけらが飛ぶっ! 落ち着くんだっ!」 「ほらほら、がっつかないの。まだ山ほどあるんだから」 「夜々ちゃんのクリスマスメニュー、大好評ね」 「えへへ……よかったです」 「わわ、料理めっちゃおいしーーーい!!」 「うぉ、雪乃先生!? 今日はデートじゃ……もごもごっ!」 「ばか! よ、ようこそー、どんどん食べてってくださいー!」 「もう今日は食べるわよー、一年分食べつくしてやるんだからっ!!」  夜々の用意した料理は幸いにして大好評。 「あの引っ込み思案だった夜々がここまでするとは……う、ううっ、俺は嬉しい、嬉し美味いっ! がつがつがつがつ!」 「お兄ちゃん……」 「おーっと、ここでスペシャルクリスマスケーキの入場だー!」 「おおーーっ!!」  続いて登場したのは、稲森さんの特大クリスマスケーキ。  見事にデコレーションされた(実は市販の)ケーキに会場がどよめきに包まれる。  ケーキのような生クリームの塊のような不可思議な物体に、会場がどよめく。 「あ、あはは……食べて食べてー!」  謎の白い物体が、どんどん切り分けられてその姿を変えて行く。  稲森さんの手作りとあっては、それが何であろうと拒絶できないのは親衛隊諸君だ。  一人一人、おっかなびっくりケーキを口に運ぶ。 「んん……でも美味しい?」  それに続いて他の生徒たちも。 「あ、ほんとだ……おいしー!」 「やっば……この生クリーム、ヤバすぎない?」 「どれ……はむ……あ、ほんとおいしい!!」 「よかったぁぁーーっ!!」  かくして稲森さんと俺はハイタッチ。あのケーキ作りの大修羅場も、無事に報われたみたいだ。 「いやー、まほっちゃんのケーキはおいしいなぁ」 「おれもう4個目だよー!」  親衛隊を中心に、稲森さんの巨大ケーキがどんどん片付けられていく。 「ふぅ……ま、こんなもんでしょ」  飾り付けは理想どおり、料理もケーキも評判は上々、BGMもイメージどおりらしく、まとめ役の月姉もえらくご機嫌だ。  俺は月姉と紙コップで乾杯して、グレープジュースを流し込む。 「お疲れ、いつも大変だね」 「慣れてるから大変なことなんてないわよ……あ、ちょっとごめん」  会場の隅でなにやらケーキの分配でもめてる男子の仲裁をしに行く月姉――。  ああいうことをサラッとできるのは、月姉ならではだなぁ。  などと感心していたら……。 「めりくりですー♪」 「はーい、メリクリ……」 「って、シロツメさんっ!?」 「はいー、楽しそうなので来てしまいましたー」 「いや来たって……え? え?」  シロツメさんが持っているカップの中身は……やっぱりハーブティーだ!! 「大丈夫ですよ、みなさんからは見えませんから……」 「マジですか?」 「……!?」 「ど、どうも……(そそくさ)」  いや、めちゃめちゃビビってるんですけど……。 「あぁ、夜々ちゃんだけは別でしたー」 「ですよねー! ま、まあともあれごゆっくり!!」 「はーい、ごきげんよう♪」  ううむ、シロツメさん――何者だ??  かくしてパーティーは次第に盛り上がりつつ、時計の針も進んでいく。 「ふぇぇぇっ……なーによ、男がなによーーーーっっ!!」 「よ、よっぱらい……!?」 「これは珍しいものを拝見しました」 「わぁぁ、携帯で激写するの中止ーー!! 教師生命に関わるからやめなさい!」 「しょぼん……」 「先生、酒飲みすぎ、こっち、こっち!」  いつの間にやら持ち込んだシャンパンですっかり出来上がってしまった雪乃先生に肩を貸して、会場の隅へ……。 「んぁ、なーによ天川ーーっ、あはははは、おもしろーーい♪」 「な、なにが面白いですか?」 「あはははっ、顔、顔おもしろーい!!」  なぁぁ!? うぬぬぬ、失敬な!!!  ……いやよそう、酔っ払いに怒ってどーする。 「ねえー、天川は好きな子いるー?」 「ノーコメントです」 「そんなこと言わないでー! じゃあさー」 「将来あたしをお嫁にもらってくれるー?」 「え!? ちょ、わ……酒くさいっ! 顔近いですよっ! わーっ!」 「うぅぅ……天川くん……」 「こ、恋路橋!? お、お前はお前でこのややこしい時に何を!? まさかその格好が癖になって……」 「そ、そんなわけないに決まってるだろっ、け、けしからんっ!!」 「そうは言われても……わぁぁ、先生どこ触ってんだー!」 「しらにゃーい……むにゃむにゃ……ふふふっ」 「あ、天川君まで先生と淫らなふるまいに〈耽〉《ふけ》るなんて……」 「ご、誤解だー、俺はなにも!」 「で、でも一番けしからんのはこの人なんだー、この人が無理やりボクに……」 「やあ、ちょっとしたレクリエーションだ」 「なにがレクリエーションですかっ!」 「いやな、彼らからの熱烈なリクエストがあったものだから……」 「恋路橋、愛してるーーーーー!!!!」 「ほら、見ての通り大人気さ……」 「やだぁぁーっ、ボクはそんな趣味は一切ないからっ!!」  その声に今度は雪乃先生ががばっと起き上がり――。 「か……かわいー!! ねえ君、先生と結婚しよーー!」 「違う、俺と結婚するんだッ!」 「どっちもやだーーー!!」  に……逃げろ、地の果てまで逃げてくれ、恋路橋……!!  一方、恋路橋を巡る追走劇が繰り広げられているリビングの、また別のところでは。 「勝ったあああぁぁッ!! ま、ま、まほっちゃん……今度は俺です! めりくりー♪」 「お、おめでとー、めりくりー♪」 「めりくりー……はむ……むしゃむしゃむしゃ……ううっ、感動だ、もう死んでもいい!」  稲森さんを囲んだ親衛隊どもが、『メリクリでケーキを食べさせてもらえる権争奪腕相撲大会』などという、はた迷惑な即席イベントを開催中。 「しゃぁぁっ!! 次はお、お、俺に……めりくりー♪」 「はぁい……めりくりー♪」 「うりゃっ! 今度はオレです、オレっ!」 「ふぇぇぇ……めりくりー♪」 「はぁぁ……頭痛いわ」  かくして、クリスマスパーティーも佳境に至ると、もはや何を祝っているのかも分からぬカオス時空へと突入。  女装する恋路橋、追いすがる一部男子と求婚魔と化した雪乃先生、たけり狂う親衛隊に〈疲〉《ひ》〈労〉《ろう》〈困〉《こん》〈憊〉《ぱい》の稲森さん、そして頭を抱える月姉――。  そんなひどい混沌にさらなる拍車をかけたのは、もちろんあの人だ!! 「さあさあお待ちかね、いよいよ〈究極の遊戯〉《アルティメットゲーム》の始まりだ!!」 「その名も、ビンゴDEプレゼント・オルタネイティーーーーーーーーーーーーーーヴ!!!」  桜井先輩の大げさなマイクパフォーマンスに、リビングのあちこちで騒いでいた連中が集まってくる。 「すなわちこれは、毎年恒例『ビンゴDEプレゼント』の上位互換と思ってもらって間違いない! さあ、手元に配られたビンゴにご注目あれ!!」  ビンゴゲーム・オルタネイティブは、一見すると普通のビンゴゲームだ。  ビンゴに当たった参加者には、寮生一同が用意提供したクリスマスプレゼントが贈られる。 「しかしその真の醍醐味は、プレゼントに隠された指令書にあるッ!」 「ズバリ、プレゼントを受け取った人間は指令書の命令に必ず従わなくてはならないのであるッ!!」 「おーっと、いまさら辞退は許されないぞ。ではいざ……ビーンゴターイムッ!!」  桜井先輩の勢いに釣られて、歓声をあげる参加者一同。  かくして、クリパ真の混乱が幕を開けたのである――。 「ネクストナンバー……21ばーーーん!!」 「おっ、きたか? 揃ったぁ、ビーーーーーンゴ!!」 「おめでとう、君へのプレゼントはこの豪華『2DO Real専用コントロールパッド』だ!!」  う、うれしくねーーーー!!! 「そして君への指令は――ドン! 相撲部主将の大錦君と悶絶乳首相撲対決に決定した!」 「い、いやだぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」 「はっはっは、指令は絶対だ……やりたまえ」  かくして会場は阿鼻叫喚のクライマックスへ急転直下!  やっすいプレゼントに釣られて参加表明をした大多数の生徒が、一生物のトラウマを残す悪魔のゲームに巻き込まれていく――。  う、ううっ、こんなところで手持ち無沙汰っぽくしていたら確実に巻き込まれる!  誰か相手してくれそうな人はいないかと、俺はキョロキョロあたりを見回しながら会場を彷徨う……。  その間も悪夢のビンゴゾーンからは、また新しい悲鳴が聞こえてくる――。  う、ううっ、背徳だ、〈頽〉《たい》〈廃〉《はい》のクリスマスだ……ッ!!  怒涛のごとく盛り上がるビンゴ会場から離脱し、俺は腹を満たすために料理コーナーへと足を運ぶ。 「さてと、何を食べようかな……」 「お兄ちゃんっ」 「お、夜々。ちゃんと楽しんでるか?」 「はい。こんなに賑やかなクリスマスは初めてです」  夜々はにっこり微笑んで俺にジュースの入ったグラスを手渡す。 「乾杯しましょうよ」 「え……だってさっきやったばかりだし……」 「さっきはさっきです。それに、夜々のグラスはまだお兄ちゃんのグラスと乾杯してません」 「それもそうか……んじゃ改めて」 「はい。お兄ちゃん……メリークリスマス」 「メリークリスマス」  かちんっ。 「んぐっ……ふぅ〜……おいしいね」 「はいっ。今日のジュースは格別です」 「同感。疲れた後のジュースって最高に美味いよな」 「そうですね。お料理も無事に作れましたし、ジュースはおいしいですし、もう最高のクリスマスですっ」  幸せそうな夜々の笑顔。もうこれだけで十分な気分になってしまう。 「料理といえば、大好評だな夜々の手料理」 「そ……そうですか?」 「もう見たら一発だよ」  夜々の手料理はあらかた食べつくされていて、もうほとんど残っていない。 「あんだけ作った料理がもうこれだけ……それだけ好評だったんだろうな」 「嬉しい……」  夜々はグラスを両手で握り締める。 「こんな気持ち、初めてかもしれません」 「努力が報われるってのは最高の気分だろ」 「はい……」 「良かったな、夜々」 「…………うんっ」  ふらっ……。 「……夜々!?」  夜々の足ががくっと折れて体が沈む。  俺は慌てて夜々の体を支える。 「夜々……大丈夫か?」 「はい……その……安心したら……力抜けちゃって……」 「立てるか?」 「ちょっと……無理っぽいです」 「そっか……それじゃ夜々、ちょっとの辛抱な」 「え……お……お兄ちゃんっ!?」  俺は夜々の体を持ち上げ、そのままパーティー会場を後にした。  クリスマスパーティーの喧騒を背中で聞きながら、俺は夜々を部屋まで運ぶ。 「ごめん、ちょっとお邪魔するな」 「うん……いいよ」  俺は右手だけを使って夜々の部屋のドアを開ける。 「へぇ……これが夜々の部屋か……」 「お兄ちゃん……初めてだっけ?」 「うん、初めて。というか女子の部屋自体あんま経験ないかな」  月姉の部屋はたまに手伝いとかで行ったりするけど……それを除けば女子の部屋に入った記憶がまるでない。 「シンプルな部屋だね……夜々らしいよ」 「ごめんね……ちょっと散らかってるから……すぐ掃除しないと……」 「どこが。というかそんなことはさせません」 「でも……恥ずかしい……」 「掃除なら後ですればいいから、今はとりあえず横になろう」  夜々をベッドに寝かせる。 「寒いか?」 「ううん、平気」 「そっか……それじゃしばらく休もう」 「…………うん」 「何か飲む?」 「いらない……」 「お腹は?」 「すいてない」 「わかった。それじゃちょっとしたら様子見に来るから……」 「……行っちゃうの?」 「……え?」 「お兄ちゃん……行っちゃうの?」 「う……うん、そのつもりだけど」  いくら兄妹の仲が寮内に広まっているとはいえ、ずっと夜々の部屋にいるのは問題になる。 「大丈夫、すぐに戻ってくるから」 「…………すぐだよ? すぐだからね?」 「わかってるって。それじゃあゆっくり休んでるんだぞ」 「……うん」  それから夜々はゆっくりと〈瞼〉《まぶた》を閉じた。  こんこん。 「夜々」 「…………お兄ちゃん?」 「入っていいか?」 「……うん」 「それじゃ、お邪魔します」  俺は再び夜々の部屋に入る。 「具合はどうだ?」 「……うん、ちょっとだけ良くなったの」 「そっか……なら安心した」 「うん……ねぇ、お兄ちゃん」 「ん?」 「喉……渇いた」 「あ……はいはい。そんじゃお水……」 「うん……お兄ちゃん……」 「はいはい、んじゃ少しだけ背中浮かして」  俺はゆっくりと夜々の体を起こす。 「まったく……甘えん坊だな夜々は……」 「……こういうとき、妹はお兄ちゃんに甘えるものなの……」  夜々は少しだけ頬を染めてはにかむ。 「いいよ別に、お兄ちゃんらしいことができて俺も嬉しいよ。はい、お水」 「ありがと。…………んっ」 「腹は減ってないか?」 「ううん」 「ならいいや。他に何かして欲しいこととかあるか?」 「……頭なでて欲しいの」 「え?」 「ダメ?」 「いや、ダメじゃないけど……」  俺は少し苦笑しつつ夜々の頭をなでる。 「はぁ、幸せ……」 「まったく、夜々は安上がりだな。こんなんでよければいつだってやってやるよ」 「ホント?」 「もちろん。ただ、人前でのリクエストは禁止、恥ずかしいから」 「うん、わかった」 「良い子だな夜々は」  ふわふわの髪をゆっくりとなで続ける。 「んっ……ふぁ……幸せ……溶けちゃいそうです……」 「いや、溶けちゃったら困るよ。あ、それから夜々」 「…………?」  俺はポケットに手をつっこむ。 「お兄ちゃん?」 「今日は一生懸命頑張ったし、なによりクリスマスだから……」  そう前置きして俺は夜々の手のひらに小箱を乗せる。 「…………?」 「開けてみなよ」 「う……うん……」  夜々は少しだけ手を震わせながら小箱のふたに手をかける。  ぱかっと小箱のふたが開き、その時夜々が目を少しだけ見開く。 「わぁ……」  箱にちょこんと収まっている、銀色のブローチ。 「これ……夜々に?」 「もちろん」 「高かったよね? ごめんねわざわざ……」 「そういうと思ったけど、その必要は無用。ビンゴゲームの景品だから」 「ビンゴゲーム?」 「そういうこと。だから夜々は全然気にしなくって良いから」  もうこうでも言わないと夜々は絶対気にするだろうから……。  実のところ、この景品の出所はビンゴゲームで確かに間違いない。  当初の計画としては、夜々と一緒にビンゴゲームをやって、協力者である桜井先輩にビンゴしてもいないビンゴシートを渡して、景品をもらうって予定だった。  実際景品であるブローチは俺が買ったもので……まぁいわゆる八百長ってやつだ。  夜々はこういうの気を使うだろうし、何よりわざわざプレゼントって……恥ずかしいし。 「気に入って……くれたかな?」 「うん、嬉しい。ありがとうお兄ちゃん」  泣きそうなほどに目を潤ませて夜々は微笑む。  いや、まさかそんなに喜んでくれるなんて……ちょっと意外だな。 「お兄ちゃん、センスありますね」 「そ……そっかな?」 「そうですよ。こういうの女の子は弱いんですから」 「は……はは……それはどうも」  面と向かって言われるとちょっと照れくさい。 「ブローチ……クローバーの形してますね」 「あ……そうなんだ。なんとなく夜々に合うかなって……」  そう、本当になんとなく。理由とか意図とかそういうのは全然なくって、店頭でただなんとなくそう思った。 「綺麗ですね……ずっと見てても飽きないかもしれません」 「はははっ、それはさすがに……あ、そういえば夜々」 「…………?」 「ビンゴの景品には指令書が張ってあるんだって。それを実行しないとプレゼントはもらえないらしいんだ」 「え……あ、ホントだ」 「せっかくだし、やってみない?」 「あ……はいっ!」  夜々は小箱の裏側のメモをぴっとはがす。 「えっと……ですね……」 「なになに、なんて書いてあるの?」 「はい、もっとも親しい異性に……え?」 「……っ……」  夜々はぽっと頬を染める。 「ん……何が書いてあったの?」  俺はメモを覗き込む。  指令、もっとも親しい異性にキスをする。※いない場合はもっとも親しい同性にキスをする。 「…………」 「…………」  さ……桜井先輩! あなたなんてこと書いてるんですかぁぁ!! 「キスを……する……もっとも親しい異性……」 「や……夜々……」 「お兄ちゃん……」  今までの甘い表情がなりを潜め、夜々の瞳が引き締まる。  黒の視線が俺を射抜く。その瞳からは表情は全く伺えず、まるで夜空のようにその瞳は澄んでいる。 「…………」 「…………」  なんだろうこの空気……この無言……。 「え……え〜っと……ほら、ゲームだから!! 別にやる必要もないし!!」 「…………」  明らかに場違いな声が夜々の部屋にこだまする。もう、まるで自分の声じゃないみたいに。 「ま……まったく、桜井先輩ったらしょうがないなぁ……あ……はははっ……」 「…………」 「こんなゲーム、おかしいよねぇ!? やるわけないよ、うんうん、そりゃそうだ」 「やらないの?」 「そうそう夜々の言うとお…………っ!!??」 「…………」  まどろむような、ふわふわした感覚。  頬から伝わる、優しくって甘い感触。そこから何もかもが吸い取られるような……麻酔を打たれたような感覚。  それらが徐々に俺の意識に混じってくる。 「……ふぅ……はぁ……」  吐息が頬をなで、盛り上がる喧騒が徐々に遠ざかる。 「ゃ……ゃ……」  言葉が上手くでない。こんなことあるのかってくらい……動揺しまくってる。 「…………」  ゆっくりと唇が離れる。 「夜々……」 「…………」  夜々は頬を紅潮させながら俺の服をきゅっと掴む。 「お兄ちゃんだから……したんです」  決意を秘めた声色。目は片時もそらさずに俺を射抜いている。 「お兄ちゃんだからです……じゃなかったら……しません」 「う……うん……」 「忘れないでください……これが夜々の、ファーストキスですから……」  夜々はそれだけ言うと、ふっと体をベッドに倒した。 「もう……眠ります。今日は……なんだかよく眠れそうですから」 「う……うん……」 「おやすみなさい……お兄ちゃん」 「お……おやすみ……」  俺は機械のようにぎこちない動作で夜々の部屋を後にした。 「…………」  無言のまま自室に入り、俺はその場に倒れこんだ。 「……俺だって……初めてだったんだからな……夜々」  聖なる夜、クリスマス。どんな神秘が起こっても許される……いつもとはちょっと違う一日。  そんな一日が、ゆっくりと終わろうとしていた。 「…………」  さて、そろそろ時間だな。  俺は辺りを見渡して月姉を探す。  月姉月姉……あ、いたいた。 「柏木せんぱ〜い!!」 「……ん、あぁ祐真」 「こらこら、人前では天川くん」 「ふふっ、いいじゃない。今日はクリスマスパーティー、無礼講で行きましょうよ?」 「そういう問題かなぁ?」 「そうよ。それで、どうしたの?」 「あぁ……せっかくだし、月姉と一緒に楽しもうかなって」 「うん、いいわね、そうしましょうか。それで、何する?」 「ビンゴやりましょう!!」 「ビンゴ??」 「は……はいっ!!」  やべっ、ちょっと唐突過ぎたかな……。  作戦その1、月姉をさりげなくビンゴ会場へ! 「しょっぱなから雲行きが怪しい……」 「祐真?」 「あ……あぁなんでもない! ねぇビンゴやろうよ、俺ビンゴやりたい!!」 「い……いいわよ別に。せっかくだし、やりましょうか」 「ほんとっ!? やった〜〜!!」 「……祐真ってそんなにビンゴゲーム好きだったんだ」 「あ……あはははっ、いや俺って子供の頃からビンゴには目がなくって!」 「そうだっけ……」 「そうそうそうなんだって! それじゃ早速行こうっ!」 「え……あ、ちょっと祐真!!」  作戦2、とにかく月姉をビンゴに持っていく。  これは楽勝、桜井先輩の担当だ。 「……あっ、見てみて祐真、リーチっ!!」 「お〜すごいじゃん月姉!!」 「お〜早速火がついた我らが寮長柏木月音!! 彼女の美貌はもはや運さえも味方につけたのか!?」 「桜井っ! 馬鹿な事言ってないで次行きなさい!!」  会場に笑いがこぼれる。うんうん、良い感じだね。 「お〜っとこれは失礼。それでは次の番号……続くナンバーラッキー7! さぁどうだどうだ!?」 「び……ビンゴだあたし……」 「う……うっそ〜、すげ〜じゃん月姉!! さ……桜井先輩っ!!」 「お〜〜これはまさかの展開!! こんな序盤でビンゴを物にするとは!!」 「さぁもう説明は不要、第3ラウンド勝者、第一ビンゴをもぎ取ったのは柏木月音!! 花泉のエンペラーがとうとう神のイカヅチを落とした〜〜!!」 「誰がエンペラーよ!!」  がんっ! 「ぐはっ……は……ははは……さすが強運の持ち主だけあって当たりが強い!」 「まったく……馬鹿な事言ってないで次行きなさいよ」  苦笑しながらビンゴステージにあがるも、その表情は楽しんでいるようだ。  ビンゴできなかったやつらも月姉に拍手してるし、ようし、この流れながらいけますよ桜井先輩っ!! 「おめでとう月音さんっ! ビンゴできたときの気持ちなんか聞かせて頂こうか」 「びっくりしたわ。ストレートビンゴなんて……逆に運使いすぎたんじゃないかってくらい」 「はははっ、運は天下の周り物さ。さぁてそれじゃあお待ちかねの景品タイム……」  桜井先輩の言葉に場内が少しだけ静まる。月姉も多少は興奮しているようで、両手を握り締めて景品を待っている。  さぁ、ここからが本番……月姉は無事に受け取ってくれるのか……。  作戦3、月姉に景品を渡して、喜んでもらう。  桜井先輩はゆっくりと歩を進め、布のかぶった景品の前で止まる。 「ふふっ、何がもらえるのかしらね〜♪」  月姉はわくわく顔。望むべくは、景品をもらった後も笑顔でいてほしい。  桜井先輩も多少は緊張しているようで、少しだけ手を震わせながら布に手をかける。 「さぁ、今回月音さんに送られる景品は……それは……」 「ごくっ……」 「っ……」 「これだ!!」  ばさっ!! 「…………っ!!?」  月姉の目が見開かれ、この瞬間俺の中で時間が止まる。 「…………」 「うそ……でしょ……」 「…………」  まだ、まだわからない!  この後、月姉は笑顔を浮かべて……。 「な……によこれ……」  そんな呟きを俺は聞き逃さなかった。そんな呟きが漏れたとたん、足元がぐらっとぐらついたようだった。 「なんで……どうして……」  ほんの一瞬という時間だったろう、そこで月姉は様々な表情を浮かべた。  驚愕の表情から溶けた月姉は、徐々にその表情を悲壮に歪め、見るに耐えないほどの顔を浮かべた。 「…………」  考えたくない……だけど、これはどう考えても……。  それから時間が戻り、歓声が一気に吹き上がる。 「……あ……ありがとう……」  月姉は今では笑顔を浮かべつつ、桜井先輩から画材道具を受け取る。 「う……嬉しいわ……今度機会があったら……描いてみようかしら」  なんて薄っぺらいコメントを観客に聞かせ、景品に張られた課題を淡々とこなすと、笑顔のまま壇上から降りた。 「…………」  桜井先輩は困ったような表情で俺を見つめて来た。  わかってる……わかってますよ先輩。  月姉はゆっくりと、だが確実にパーティー会場から遠ざかっていった。  俺は、少しだけ覚悟を決めて月姉の後に続いた。 「どこだ……どこ行った月姉……」  途中までは姿を追えたものの、人ごみにまぎれて途中で見失ってしまった。  部屋には戻っていないみたいだし、パーティー会場に戻ったというのも考えづらい。  俺はあてもなく寮内を探し回るが、月姉の姿は見つからない。 「…………」  寮内にはもういない。そう予想した俺は静かに寮を出る。 「…………」  いた。 「……っ……」  まるで猫のように体をちぢこませ、顔をひざで覆い、言葉にならない嗚咽を漏らしている。  いつも気丈で美しい……そんな月姉は今はどこにもいなかった。 「どうして……どうしてなのよ……」 「月姉……」 「あたしは……もう絵を捨てたのよ?」 「…………」 「絵なんてもう描きたくないのに……なのにどうして……みんなして描かせようとするの?」 「…………」  何を言えば良いのだろう。こんなとき、俺は月姉に何を言ってあげればいいのだろうか……。  俺は月姉の隣に腰を下ろす。 「どうしてやりたくもないことを強要されなきゃいけないの? 絵を描くのって……そんなに大事な事?」 「…………」 「ねぇ、私って一体何? 絵を描かなきゃ私は生きてちゃいけないの!?」 「そんなわけないだろ」 「あたしは絵を描いていればいいだけの存在……あたしはただ絵を描いていればいいわけ!?」 「月姉っ!」 「じゃあどうしてみんなして絵を薦めるの!? 私は描きたくないって言ってるのにっ!!」 「月姉……落ち着こうよ。みんな別に無理矢理描かせようとしてるわけじゃ……」 「ならほっといてよっ!! あたしにはあたしなりに考えがあるの、確かにまだまだ子供かもしれないけど、あたしにだって意思があるの!」 「うん……」 「絵は描かない、止めたの、捨てたのよ!! いまさらそんな私がこんなものもらって……なにしろっていうのよ!!」  月姉は画材道具を忌々しげに持ち上げる。 「こんなもの……捨ててやる……あたしにこんなもの必要ないっ!」 「やめなよ月姉!」 「どうして、あたしは絵は描かないのよ!? 絵を描かないのにこんなもの置いておいてどうするのよ」 「だからって、捨てる事はないよ。せっかくのクリスマスプレゼントじゃないか」 「でも……部屋にこれはおけないっ!!」  月姉はまた嗚咽を漏らす。 「画材道具を置いておくなんて……そんなこと今のあたしには無理よっ……そんな……あたし、壊れちゃうわ」 「だったら……俺の部屋に置いておいていいから……」 「祐真の……部屋に?」 「うん、そう。別に荷物になるわけじゃないし、俺が預かる」 「で……でも……そんなことしたらもしかしたら祐真に先生たちが……」 「余計な事するなって? 大丈夫、そんなの気にしないから」  俺の手は自然と月姉の背中を撫でていた。 「俺はいつだって月姉の味方だよ? 月姉が困ってたら何が何でも力になる」 「……祐真」 「確かに頼りないかもしれないけど……でも、それでも力になるから……」 「…………」 「だから、そんな自暴自棄になんかならないでよ」 「……っ……」 「月姉がやりたいことを、月姉が選んでやればいいんだよ。誰にも強要なんかされなくっていい、やりたいことをやればいいんだから」 「……ゆう……ま……」 「ねぇ、月姉」 「う……うん?」 「月姉は……本当に絵が嫌いなの?」 「っ……」 「ごめん、絵の話ばっかり。でも、月姉が絵から遠ざかってるのって、ただ単に絵が嫌いなだけじゃないと思って……」 「…………」 「理由が知りたいよ月姉。俺……月姉の力になりたい」 「祐真……でもあたしは」 「俺には……話してくれないのかな? そんなに頼りないかな……俺」 「……違う、そうじゃない。そうじゃないのよ祐真」  月姉は俺の体に顔を寄せる。 「これはあたしの問題だから……だから、祐真に迷惑かけたくないの。祐真にだけは……」 「月姉……」 「頼りないわけないじゃない……あたしにとって、祐真は唯一の心の支え……今もいなかったらどうなってたか……怖いくらい」 「…………」 「今の祐真がいるから、今の私がいる……だから、そんな悲しいこと言わないで、ね?」 「う……うん」  今の喜びをどれだけの言葉で表せばいいか……俺にはわからない。 「さ……戻ろう、風邪引いちゃうよ」 「……うん、そうだね」  俺は安心して寮のドアへと向き直り……。 「っ……」  背中を包む暖かくって優しい香り。 「月姉……」 「……ありがとう祐真、いつもいつも」  抱きしめる力が少しずつ強まり、体全体に月姉の温もりが広がっていく。 「こちらこそ……ありがとう、月姉」 「うん……あ、ねぇ祐真?」 「…………?」  月姉は顔を俺の耳元に寄せた。 「メリークリスマス。二人っきりの聖夜だね」 「はぁーい、めりくりぃぃー♪」  お、おおっ……ここにもう一人、全身から助けを求めてそうな人がいるっ!!  親衛隊のガードがいかに固くても、なにを迷うことがあろうか! 「稲森さん、ちょっと柏木先輩が呼んでるんだけど……いい?」 「ええ? 月音先輩がー!?」 「ちょ、ちょっとごめんね……行かなくちゃ♪」 「はーい、もう満足ですー♥♥♥」  うーむ、親衛隊どもめ、稲森さんを堪能しつくしたか……。 「おまたせ、で、月音先輩は?」 「ん、ごめん……あれ嘘」 「え?」 「……迷惑だった?」 「あ! う、ううん……全然っ!!」 「……ありがと」  ほっと一息つく稲森さんに、グレープフルーツジュースのカップを渡す。 「とりあえず……ケーキ成功おめでとう」 「ありがとう、天川くんのおかげだよ」 「そんなことないって……あいつらも大喜びだったみたいだし」 「うん……はぁぁっ」 「疲れた? キツかったら先に上がっちゃえば?」 「ううん、平気平気。わたしビンゴやりたかったし!」 「び、ビンゴ!? 本気で!?」 「うん……どうかした?」 「い、いや……あれはちょっとオルタナだから、刺激が強いかもーとかー」 「すごい盛り上がってるんだもん、ね、天川くんも一緒にやってみようよ」 「お、俺もですか!?」 「せっかくのパーティーだもん、盛り上がらないともったいないよ、いこいこっ♪」  予想以上に元気な稲森さんに手を引かれつつ、再び阿鼻叫喚のリビングへ……。  ううっ、ここで稲森さんを守るのも俺の役目……なのかもしれないっ!! 「あ、リーチ! リーチきました!」 「おーっと、きたきたきたぞーっ! ビンゴ30番台、ビッグボーナスゲットだー!」 「学園のアイドル稲森真星、開始早々リーチです! これはもしや設定6なのかーー? 活気に満ちたいずみ寮ビンゴ会場、今夜も絶好調!!」 「続いてはナンバー42……きたきたきた、ビーーーンゴ!! やっぱり来ました稲森真星、ファーストチャンスを見事ゲット! 今夜は何かが違います!」 「やったぁぁーーー!!!」 「す、すげえ稲森さん!!」  さすがは稲森さん、アイドルのオーラは凡人と違う。参加するなり商品ゲットとは!! 「さあ、まほちゃんへの商品は……ダルルルルルルル、こちら!! 桜井恭輔秘蔵DVD3巻セット!」 「……DVD?」 「そしてお楽しみわくわく指令は――『待機』!! 待機です!」 「待機?」 「DVDってなんだろ……」 「お、俺が商品取ったら交換しよう、ね、ね、ね!」 「でも、DVD……」 「見ちゃいけない、稲森さんは絶対見ちゃいけない!」 「……あ!」  はっと顔を赤らめる稲森さん。  こ、ここは意地でも俺がまともな商品をゲットしなくては……!  かくしてビンゴゲームは進み……。 「おおっ、きた……リーーーチ!!!」 「おっとここで出た! 走る走る天川祐真! ビンゴのスパートも一流か!? さあさあ出してください取ってください、出血大サービス決行中!」  それにしても、あの先輩マイク持つと生き生きするなぁ。 「あ、俺ビンゴー!!」 「やったねー!」 「あ、ははは……これで稲森さんにDVDが渡らずにすむよ」 「欠食児童の天川祐真! ここは食料品をゲットしておきたいところだが……ダルルルルルルル、これだ!! 謎の書物!!」 「はぁ?」  謎の書物? もしやエロ本だったら……俺、というか稲森さんが絶体絶命だ! 「さて、プレゼントは当たりか外れか、ともあれ祐真への指令は――ドン! 『待機の人間とポキットランデブー』に決定だ!」 「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」 「これはもはや語るまでもない、二人でチョコスナック『ポキット』を左右から食べて、そのあとは好きにしてもらうゲームである!」 「お兄ちゃん……!?」 「桜井……あのバカ!」 「あ、天川ーーーっ、き、きさま、きさまぁぁ!!」 「おーっと、乱闘は禁止だ。さあ始めたまえ!」 「ま、マジですか?」 「ゲームだよ、ゲーム」  にこやかに笑う先輩からポキットを手渡された俺は、稲森さんのほうを振り向く。 「え……? え、え、え!?」  あうう、稲森さんすっかりテンパってる。  そして今にも目から血を吹き出しそうな形相でこっちを睨む親衛隊の面々。 「やっぱりこれ、ちょっと無理じゃ……」 「う、ううん! ゲームでしょ、やります!」 「稲森さん!?」 「だ、だって別にキスするわけじゃないし……ね、だいじょーぶ!」  稲森さんのピースサインで、わぁっ……と周囲が沸く。  そして、始まる「まほし」コール……!  過激な指令にすっかり慣れてしまったギャラリーには、ポキットランデブーごとき大した刺激じゃないのかもしれないけど、俺にとっては大事で……。  けど、この空気は――もはや退路なし!? 「わかった……行くよ」  ポキットのはじっこを咥えて、稲森さんと見つめ合う。  なんでいきなり、こんなことになってるんだろう。 「う、うん……っ」  そして、稲森さんがゆっくり反対側を口に咥えた――。 「いふよ……」 「ん……んう!」  脂汗をかきながら、稲森さんと目線の高さを合わせる。 「ん……ふぅっ……」  俺の唇と稲森さんの唇をつなぐ、一筋のポキットの道。  それを少しずつ唇の中に吸い込み、前に進んで行く。 「んふぅ…………ん!?」  鼻息が当たると、稲森さんの匂いがした。  石鹸やシャンプーみたいな、でももっと甘いような、不思議な香り……。 「んふーー……ん、んっ……もごもご」 「ん……」  唇が前に進む。  俺と稲森さんの距離が近づいてゆく。 「う、う……んんっ」  いつしか周囲の雑音は全く聞こえなくなっていた。  稲森さんの息はどんどん荒くなっていく。 「ん、んっ……」  稲森さんのピンクの唇がすぼまって、その中央にポキットが挟まってる。 「うっ……!」  こ、これって、キスよりもっとエロい想像しちゃいそうじゃないかっ!! 「ん、んっ……んーーー!」  俺が近づくほどに、稲森さんの顔はどんどん赤くなり、目はぐるぐるになって……。 「んふーっ、んふーーーーーっ……!!」  呼吸は荒れ、頭から煙が出そうな勢いでオーバーヒート。 「んんっ! んんっ!!」  あとちょっとで唇が触れそうなところで、稲森さんが肩を縮こませた。 「ごめん!」  いまだ――稲森さんの唇からポキットを引き抜いて、一気に噛み砕く。 「よし、完食……!」  はぁ、はぁ、終わった……マジで心臓に悪い、死ぬかと思ったよ。 「終わったよ、稲森さ……」 「んぁぁ……もうらめ……(がくり)」 「わぁぁ!? 稲森さん、稲森さーーーん!!」  ――10分後。 「ん、ん……」 「は……っ? こ、ここは……?」 「よかった、気がついた?」 「天川君……あれ、わたし」  食堂の椅子に腰掛けて意識を取り戻した稲森さんは、さっきのビンゴが夢だったのかと言うように、あたりを見回した。 「ビンゴのミニゲームで倒れたんだよ、やっぱり少し疲れてたのかもね」 「……!!」  そこでやっと思い出したのか、慌てて唇を押さえる稲森さん。 「大丈夫、やってないよ」 「え?」 「唇、ぜんぜん届いてないから」 「あ、そ……そっか、あ、あはは……ごめんね、ありがと」 「こっちこそごめん、あんな空気になっちゃって」 「ううん、楽しかったよ……スリルあったし」 「俺はスリルありすぎたよ、まだ心臓痛い」 「あはは……私も」  稲森さんと屈託なく笑いあう。  こんな風に話せるようになるなんて、二ヶ月前は考えられなかったな。 「やあ、いいムードじゃないか」 「……なら邪魔せんでください」 「おや、怒ってるのかい? せっかくプレゼントを持ってきてあげたというのに」 「……はい、まほちゃん♪ 部屋でヘッドホンをつけて見てくれたまえ」 「は、はい……っ!」 「わぁぁぁ、ちょっと待ってダメだって! 俺のと交換、交換しよう!」 「残念だがそれは無理なのさ……」  そうして桜井先輩は、ずしっと重い封筒を俺に手渡した。 「これ…………台本!?」 「白紙の台本は君へのクリスマスプレゼントさ!」 「それで素晴らしい本を作ってくれたまえよ……はっはっは、では失敬!」  ううー! 言いたいこと言って行っちゃったよ! 「白い台本……か」 「はは……ごめんね、こんなのプレゼントされたら稲森さん困るよね」 「ううん……欲しいな、その台本」 「え? でも白いよ?」 「うん、だから……」 「天川くんが中を書いたら、読ませてくれる?」  そのとき、こっちを見て微笑む稲森さんに、俺はいったいどんな表情を返しただろう。  んー、暇そうな奴、暇そうな奴――。  とにもかくにも、手持ち無沙汰と思われることだけは回避しなくては危険だ。  そのためには、同じく暇そうな奴をみつけてつるんじゃうのが手っ取り早いけど……。 「……あれ?」  美緒里がいた――。  月姉や夜々と楽しそうに話していた美緒里だけど、二人とも今は席を外していて。  みんなが楽しそうに騒いでいるパーティー会場の片隅に、美緒里はポツンと取り残されて携帯電話をいじっていた。 「…………」  こちこちと、メールでも打っているのだろうか。  周りの男子も、かえって忙しいのかと遠慮して美緒里には声をかけようとしない。 「ちょっと……ほっとけないな」  俺が美緒里を誘ったんだから、ほったらかしにしておいていいはずがない。  とりあえず、目の前でごった返しているビンゴ軍団の間を抜けて、美緒里のところへ……。 「おーい、日向?」 「…………!」 「……天川先輩」 「おー、無事かそっちは? まいったよ、このパーティはちょっとしたカオス御殿だ」 「どうしたんですか……?」  美緒里と並んで、テーブルに残った稲森さんの(購入した)ケーキなんかをつつきながら、現在のリビング各地の修羅場ぶりを説明する。 「くすくす……騒がしいと思ったら、それは大変ですね」 「笑い事で済みゃいいけど、そのうち決定的な不祥事が起きるぞ、このパーティーは」 「柏木先輩が目を光らせてるうちは大丈夫だと思いますけど」  そうか、月姉ならば桜井先輩すら駆逐できるはず……よかった。 「誘っといてなんだけど、こんなひどいバカ騒ぎで楽しめてる?」 「楽しんでるように見えますか?」 「え?」 「くす……けっこう楽しいです。超超超忙しい中、時間をやりくりして駆けつけた甲斐がありました」 「そ、それは何より」  こんなに偽りだらけのセリフを聞くのも久しぶりだ。 「ビジネスの手が離せなくて、あまり長居できないのが残念ですけど……」 「残りの時間、俺とウロウロしてみるってのはどう?」 「……そうですね、せっかくですからお付き合いします」  それから俺は美緒里をエスコートしながら、リビングのあちこちをふらふらと。 「やった、ビンゴー!」 「やあおめでとう、君への指令は『セクシーボイスで好きな人の名前を呼ぶ』だ!」 「お安い御用です……あん、好きですっ、諭吉先生♥」 「本人と印刷物と、どちらが本当に好きなんだろう……」  ビンゴの次は、ダーツに挑戦――。 「よしっ、スリーインザブラック!」  偶然か、実力か? 美緒里は恐るべき賞品ゲッターとなってパーティー会場を闊歩して行く。  うーん、こりゃエスコート役もなす術なしだ。  ある意味、男にはモテない子なんじゃないかって思った、ちょっとだけ。 「……? どうしました?」 「いや……楽しそうだな、って」 「はい、ありがとうございます……あ!」 「……?」 「あ、ちょ、ちょっとすみません……」  何かを見つけたらしく、美緒里は両手に抱えた賞品を俺に預けると、リビングの反対方向へと歩いていく。  美緒里の少し先では――4年の男子がパーティーから帰ろうとしているところだ。  あれって、まさかとは思うけど……。 「だから、いまは無理だって言ってるだろ!」  俺の予想は的中した。  間違いなく、あの4年生は美緒里のキャッシュ101の顧客だ。 「はい、ですからかわりに私物の差し押さえを……」 「それは困るんだって」 「でも、返済すると約束しましたよね?」 「したけど、守れないことだってあるよ」  ――聞いての通り、取立ては難航中のようだ。  先輩の俺が出て行けば、4年生は大人しく支払うなり何なりするだろうけど。  さすがにサラ金の取立てに協力するのは、なんか違う気がする。 「守るという約束をしたんです。守れないのなら、そのときはありとあらゆる手段を講じることになってしまいます……」  ぱちっ――美緒里が携帯を開く。 「ここに9日前の写真がありますけど、先輩は女子更衣室にこっそり……」 「お前、最低だな!!」  いきなり――4年生が美緒里につかみかかってきた。 「きゃっ……あ、やっ!」  髪の毛を引っ張って、携帯を取り上げようとする。必死に抵抗する美緒里の背中を羽交い絞めにして、太ももに膝で蹴りを入れる。 「おい、なにやってんだ!」 「くそ……こ、これで気が済んだかよ!」  俺が声をかけると、4年生は美緒里に財布の中の小銭を投げつけて、走り去ってしまった。 「大丈夫か、日向?」 「…………」 「おい?」 「あ……は、はい」  地面にへたり込んだまま放心状態だった美緒里が、ようやく正気を取り戻して立ち上がる。  トラブル慣れしていなかったのだろうか、目を白黒させた美緒里は、まだ言葉が出てこないようだ。 「危ないところだったな」 「平気です、この仕事にトラブルはつきものですから」 「金のトラブルを甘く見ない方がいいと思うけど……」 「はい、それもちゃんと対策を考えていますよ?」  うーん……俺が本気で忠告したんだけど、美緒里は聞く耳持ってくれない。  それでも、やはりショックだったのだろう。屈みこんで小銭を拾い集める美緒里は、途中何度か動きを止めて、ぼーっとしているようだった。  スカートからのぞいた太ももが赤く染まっている。明日には青痣になるだろう。  投げつけられたお金を懸命に探す美緒里の姿は、あまりみっともいいものじゃなかった。 「請求額より小銭がたくさんあったので、助かりました」  にっこりと笑う美緒里だけど、その表情はどこかこわばっている。 「帰ります……」 「わかった、駅まで送るよ」 「……ありがとうございます、あの……先輩」 「……?」 「このお金……パーッと使っちゃいませんか?」 「乾杯♪」 「かんぱーい!」  美緒里と二人、ドリンクのカップで乾杯する。  商店街のファーストフード店、俺の前にはバーガーとポテトまである。 「いいの? こんなおごってもらって……」 「はい、さっき拾った小銭ですから」  どうしてあの程度でここまでおごってもらえるんだろう……。  俺には分からなかったが、美緒里は『返済された』ではなく『拾った』と言った。  きっと、そのあたりになにか理由があるんだろう。 「ま、いいや。最後は変な形になったけど、なにはともあれ……メリークリスマス!」 「メリークリスマス! またお困りのときは……」 「こんな時くらいは、商売無関係にしない?」 「…………そうですね」 「ようこそ、私はミス・マグダネルダグラス、ここは〈西〉《さい》〈国〉《ごく》一と謳われるお父様の会社――」 「あら、会社ではなく基地のよう? おっしゃる通り、総従業員1万名の会社は、この巨大な鉄の箱の内側で空を飛ぶための基地として絶賛稼動中です♪」 「……ああしかし、人はその生い立ちを〈縦〉《ほしいまま》にできません」 「この巨大機関の令嬢として生まれた私の責務は、その全細胞を空を飛ぶことに傾けること。それが〈宿命〉《さだめ》……!!」 「そんな私が、あの日あの時あの瞬間、恋という名の千尋の谷にダイブしてしまうなんて、いったい誰が予測できたでしょう!」 「私をラブバレーすなわち愛の谷底に激しく突き落とした異性――それはミスターリンドバーグ、この人です!」  稲森さんがクルッとターンを決めて、俺を指差した。  芝居のセリフだと分かっていても、一瞬ドキッとしてしまう。 「とまあ、こういう出だしなんだけど……」  ――クリスマスパーティーから一夜明けた26日の午前中。  俺は、稲森さんと一緒に空いている教室に忍び込んで、桜井先輩の書きかけだった芝居を演じてもらっていた。  ヒロインのセリフだけだから完全な物語は分からないけれど、それでも姫巫女で舞台を経験したおかげで、芝居の雰囲気くらいは分かる。  最初から覚悟していたことではあるけれど、桜井先輩の脚本はやっぱり微妙に独特で……。 「なんか難しそうな芝居だね」 「……セリフが変だって、月音先輩も言ってたけど」  月姉のことだ、書いたのが桜井先輩だって知ってたら、思いっきりリテイクしてたかもしれない。 「稲森さんは、だいたい理解してる?」 「え、えーと……まあ、ざっくりとは、あはは……」  稲森さんの説明によると、この芝居はどうやら身分差の恋を描いた物語らしい。  主役は、航空会社の令嬢ミス・マグダネルダグラスと、飛行訓練生のミスター・リンドバーグの二人。 「この二人が恋に落ちる物語ってことか……」 「そうなの! 二人がいることで空を飛べるようになるから、恋がなりたつっていう……」 「二人で空を飛ぶの?」 「え? あ……うーん、た、多分……そうなるんじゃないかな……って、ただの想像だけど!」  どうやら主役の稲森さんも、桜井先輩の書きかけた物語の全貌は分かっていないみたいだ。 「うーん、これをどうやって芝居にしたらいいんだろう……」 「難しそう?」 「初めてのことだから、難しいかどうかすらさっぱり……そもそもどこで練習するかとか、そっちのほうもね」  体育館や体育倉庫は、今日も運動部の連中が使っている。  いつもは塞がっているところを、創立記念祭のときのみ、伝統的に寮生が貸りていたのだ。 「教室とかじゃ、ひと目があって思いっきりできないし、寮の部屋で稽古するのもどうかと思うし……」 「練習場所かぁ……ひとつ心当たりあるかな」 「え……?」 「……そのかわり、絶対秘密だけど」 「――そうか、屋上かぁ……!」 「いいでしょ、広くて」  確かに、ここなら少しくらい声を出しても人には気づかれない。けれどうちの屋上って……。 「……ここ、立入禁止だったんじゃ?」 「そう、こっちのフェンスがね……こうでしょ」  稲森さんが校庭側のフェンスをがたがたとゆする。 「うおおお、外れそう! 危ないよ、危ない!!」 「ふふ、来年工事するんだって」 「なるほどね……でも、誰か他の奴が来たりしないかな」 「あ、それなら大丈夫♪」 「どうして?」 「ここ半年くらい、わたししか来てないみたいだから」 「半年……?」  そんなに前から、稲森さんがこんなところに――?  ぐらついたフェンスに手をかけた稲森さんが、少し遠い目をして空を見上げる。 「たまにね、息抜きっていうか……」  そういうことか――。  彼女にまとわりつく親衛隊のことを思い出した。  連中の熱い視線を年中浴びている稲森さんにとっては、校内にやっと見つけた一人になれる場所なんだろう。  確かに、ここならば親衛隊も追いかけてこないだろうけど……。 「そんな場所、俺に教えちゃっていいの?」 「え? あ……うん、平気」 「だって天川くんは、誰にも言わないでしょ?」 「も、もちろん!」  稲森さんがにっこりと笑う。  ううっ……俺なんかのことを、そ、そこまで信じてくれるなんて……!! 「ありがとう、稲森さん……」  俺は、勇気を出して稲森さんにお願いをすることにした。  本当は、もっと早く言っておきたかったこと。  けれど俺自身の覚悟が決まらなくて、いままで言い出せなかった……。 「難しいかもしれないけど、芝居やってみるよ」 「ほんと?」 「うん、練習場所もなんとかなりそうだし……けどひとつだけ、どうしても必要なものがあって……」 「……?」 「あ、いやその……なんていうか……すごい勝手なことなんだけど……その」  しどろもどろになる俺を、稲森さんが不思議そうに見つめている。 「キャスティングなんだけど……もし良かったら……」 「主役は稲森さんにやってほしいな……って思って」 「え?」 「め、迷惑……かな?」 「……あ! う、ううん! ていうか、もともとそうなるって思ってたし……あ、あはは、わたしのほうがあつかましいよね、あはは……はは」  焦って笑いながら、それでも稲森さんが嬉しそうな顔をする。  俺が、芝居作りなんて大変そうな役目を受け入れたのは、稲森さんのこんな笑顔が見れるかもしれなかったからだ。  それに、稲森さんのアイドルオーラが炸裂する舞台があるのなら見てみたい。  自分なりに振り絞った勇気が報われた気がして、俺も自然と笑顔になった。 「……となると、他のキャストはどうするのかな?」 「とりあえず、相方が大事だよね」  稲森さんが真面目な顔でうなずく。 /* 「……演劇部の片岡に頼んでみてもいい?」 「天川くんがいいなら、わたしは全然平気だよ」 「よかった……ほかに心当たりもなかったし」  姫巫女のゴタゴタがあったので、稲森さんがなんていうか心配だったけれど、取り越し苦労だったみたいだ。  稲森さんがOKなら俺も片岡を誘いやすい。 */  未知の脚本作業や演出のつけ方など、不安要素は山程あるけれど、とりあえず主要キャストが決まれば大きく前進できる。 「ちょっと考えてみるよ」 「……うん!」  ぐらぐらするフェンスに手をかけた稲森さんの笑顔が、俺にはとても眩しく見えた。  とにもかくにも、これで主演女優は決定。  稲森さんと一緒に、芝居のことや桜井先輩の台本の話をしながら、寮まで戻ってきた。 「やるとなったらとことんやりたいけど、どこから手をつけたらいいか悩むね」 「決めなくちゃいけないことって、たくさんあるよね……」 「うん、主役が稲森さんってことと、桜井先輩の書きかけの台本を使うってことしか決まってないもんなぁ……」 「あと、監督脚本は天川くん」  びしり、と指をさされる。 「が、がんばる!」 「なにをがんばるんだい?」  いいタイミングで声をかけてきたのは、かつて監督代行を務め上げた恋路橋!! 「おぉぉーーー親友よっっ! 相談に乗ってくれーーー!!」 「ど、どうしたんだい!?」 「なんだって、ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞を君が!?」 「ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞を完成させるのは天川くんだって、桜井先輩が言ってたの」 「そうだったのか……ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞を天川君が……」 「タイトルはもっと短くしていいんじゃないかと思ってるけど!!」 「ほかにも決まっていないことが山ほどあって、まずはどこから手をつけたらいいのかなーって話してたの」 「最初に決めるのはいつ上演するかだとボクは思うけど」 「う……そっか」 「いつって……12月の創立記念祭じゃ?」 「……いまから来年末まで、ずーっとこの芝居引っ張れると思う?」 「あ……受験できなくなるね」 「3月とか?」 「そりゃまた急な……って、柏木先輩!」 「またお芝居やるんですか? お兄ちゃん」  昨日のパーティーの料理の片づけをしていた月姉たちが輪に入ってきて、図らずも『姫巫女』の主要メンバーが集結。  これに桜井先輩と日向美緒里が加わることになるのか……月姉だからこそまとめきれたメンバーかもしれない。 「あたしのときは、夏休みが終わるくらいから準備を始めたわね」 「だいたい3ヶ月……か」  しかも途中で台本の総入れ替えという修羅場が待ち受けていたわけだ。  そのわりに格好はついてた気がするのは、月姉が監督してたからか。 「忠告しておくなら、あんまり規模の大きい芝居にしないことね」 「ふーむ、規模か……」  姫巫女のドタバタを考えると、月姉のセリフは反省の弁にも聞こえる。  いずれにしろ俺には、あんな大人数はコントロールできないだろうし……。 「とにかく最初に決めるのは物語よ。キャスティングだって、お話がなくちゃ決められないわ」 「そうだよね、ストーリー次第で登場人物の数も変わるわけか」 「演劇部なんかはもともと人数が決まってるから、それに合わせて脚本を作らないといけないみたいだけど、それよりは楽だと思うわ」 「楽かな……だといいけど」 「夜々ちゃんも出てみたい?」 「え? わ、私は……」  少し考えてから夜々がうつむく。 「……姫巫女以外の役ができる自信はないです」 「でも、裏方のお手伝いするくらいなら」 「ボクも舞台に立たないのなら協力を惜しまないよ」 「あたしも卒業制作やらなんやらで忙しいけど、できることはやるからね」 「ううっ……ありがとう、みんなの力があると心強い!」 「でも……どうしてまたお芝居を?」 「俺にもよく分からないけど、いろいろ事情があって」 「ふーん、どうせ桜井あたりがからんでるんでしょうけど……まあ、祐真ならなんとかなるわよ」  肩をポンポンと叩いた月姉が食堂へ戻る。 「ホントに、できることだったらなんでもしますから……」  夜々もぺこりと頭を下げて、あとに続いた。  ありがたいな、二人のおかげで気持ちがぐっと楽になった。 「台本が出来て出演する人数が分かれば、裏方の人数も計算できると思うよ」 「お話……かぁ」 「それが決まらないと、何も動き出さないってことか」 「桜井先輩は好きに変えていいって言ってたよね」 「そ、そこまで……まさか……」  一瞬フラフラっとなった恋路橋は、机に手をつくと猛然とこっちを見上げて……! 「まさかあの人が、天川君にそこまで期待をかけていたなんてッ!!」 「俺も分からん。未完成な芝居をどんな脚本にしたものやら……恋路橋もよかったら一緒に」 「そこは君が考えたまえ、けしからんっ!!」 「恋路橋くん!?」  いきなり、恋路橋が握りこぶしを振り上げて激しはじめた。 「ど……どうした? もともと恋路橋はこの芝居に思い入れがあったから、相談できればと……」 「そうさ……うっ、ううっ…………そうなのに、そうだったのに!」 「なのに桜井先輩は天川くんを選んだんだーー!!!」  まるで初恋が破れた風情で、夕日(の差し込む男子エリア)に向かって走り去る恋路橋。 「そ、そうきたか……」 「はぁぁ……そういうことがあったのね」  恋路橋の落胆に気づかなかったのはうかつだった……すまん親友よ。 「台本まで他人を当てにしちゃいけないよね、一人で考えてみるよ」 「がんばろうね、きっといいアイデア出るよ」 「う、うん……」 『がんばってね』じゃなくて『がんばろうね』……ほんの僅かなニュアンスの違いだけで、こんなに心強く感じるものなんだな。  ん……こういうのは台本を書くときのヒントになるかもしれないな。 「あと、前と同じお芝居をやるなら、演劇部の片岡がいたけど……」  片岡については降板騒ぎでずいぶんドタバタしたので、姫巫女チームはあまりいい印象を持ってない気がする。 「稲森さん的に、片岡はキツい?」 「ううん……片岡くん、姫巫女をちゃんと最後まで見て、良かったって言ってくれたし」  稲森さんが俺の心配を先回りしてフォローする。 「よかった。俺も片岡が主役なら安心できるよ」 「主役……」 「で、いいよね? 稲森さん」 「え? あ! そ、そ、そうだよね……うん、いいと思うっ!」 「…………?」  姫巫女の恋、クリスマスパーティーの準備と怒涛の日々が終わって、ようやく本番を迎えた冬休み。  だけど、どうやらのんびりする暇はなさそうだ。 「よし! やるとなったら一気にやるぞ!」  その夜から、俺はパーティーでプレゼントされた白い台本と向かい合うことになった。  意気込みとは裏腹に、どんな話にするか、設定はどうするか、イメージの湧かないことだらけだけど。  とりあえず、思いついたセリフくらいはメモしておこう。  でも先輩の台本って、なんか台詞回しが独特で難しいんだよな。  うーん、熱い冬休みになりそうだ。  翌日の昼前、市立公園の噴水広場――。 「へぇ、お前と稲森さんで、あの芝居をやるのか!」 「まあ、いろいろあってそんな事になってさ……」 「あの芝居は台詞回しが面白かったな、潰れたの勿体無かったぜ」 「そこでなんだけど」 「悪い!!」  いきなり、片岡が俺に向かって手を合わせる。 「な、なんだ!?」 「言いたい事はだいたい分かるが、タイミングが悪い」 「これからの時期は忙しいんだ。演劇部の来年の公演と、俺が参加してる劇団の新作の稽古が重なっててさ」 「ううっ……そ、そこをなんとか!」 「なんとかするには台本を読んでからだな、出来上がったのを見てから考えるよ」 「ぐぅ……!」  ぐうの音しか出せない俺を見て、片岡が肩をすくめる。 「まあ、大変だろうけどがんばれって話だ……それじゃな!」 「そっかぁ……片岡くん忙しいんだ」 「そう上手くはいかないね……はぁぁ」 「………………」  悪い結果を報告してため息をつくと、稲森さんが申し訳なさそうな顔をする。 「あ、ぜんぜんぜんぜん!! 平気、なんとかなるから!!」  俺は稲森さんのそんな顔を見たくなくて、ゴールも分からないまま話し始めた。 「と、とにかく台本だよ。俺が台本を仕上げれば、なんとかなる!」 「あと、男じゃなくて女の方がメインになるような話にすれば、練習も出来ると思うし!」 「あ、その……一人で練習させて悪いけど!!」 「う、ううん! それくらいならぜんぜん平気!」  俺がテンパると、稲森さんもたちまち余裕をなくしてしまう。  暗いムードにならなくてよかったけど、本気で監督をやるんなら、彼女の前でテンパったりしないようにならないといけないんだろうな……。  うん、稲森さんの前でもアタフタしない……!  よし、心に強く刻み付けたぞ、落ち着くんだ俺!! 「あ、あの……それから、その……えっと、全然関係ないんだけど……」 「うむ、なんだね?」 「え?」 「あ、いや……な、なに?」 「あ、あのね……その、お昼……まだだよね」 「う、うん……まだだけど」 「えっと……下手だけど、お弁当…………作ってきたんだけど」 「ええぇぇぇえぇぇぇえぇぇーーーーー!?!?」 「お、お、お、おおおおお俺に!? 俺弁当!?」 「…………うん」 「マジで!? う、う、うわ、うわ、うわーーー!!」 「あの、嫌じゃなかったら……」 「嫌じゃない、全然嫌じゃない!! マジすか!? よっしゃ弁当! ゲット弁当ーーーー!!!!」 「…………ハッ!?」  俺ちっとも落ち着いてねえ!!  でも無理! 落ち着けるわけがない! だって稲森さんの手作り弁当なんだから!! 「えっとね、今日はナスとトマトのチーズ焼きと、シャケの塩焼きと、ジューシー若鶏の照り焼き弁当……」 「…………なんだけど、見た目があんまりよくなくて……」 「こ…………こっそり食べて」  二人っきりでどうこっそり食べるのかは分からないけど、稲森さんが大型弁当箱を開けると、そこには――。 「……違う意味でテンパりそうな」 「え?」 「あ、いやいやいや、なんでもない! 嬉しい、超嬉しい!!」  弁当箱いっぱいに広がった紫色のゲル状の物体が無毒であれば、なお嬉しいよ!! 「……い、いっただっきまーーす!!」  ――ずる、ずるるる……。 「ど、どう……?」 「…………(なぜか)おいしい!!!」 「ほんと、よかったぁー!」 「うん美味しい! ずるずるずる……美味しい! ご飯なのかドリンクなのかデザートなのか分かんないけど美味しい!」  前日のケーキ作りの事を思い出しながら、謎の紫ゲルを〈啜〉《すす》る俺。あのテンションで作られた弁当に間違いないだろう。  見てくれ要素をかなぐり捨てた弁当だが、それでも成功していた事で、俺と稲森さんの緊張も少しほぐれてきた。 「……そういうわけで、台本の事なんだけど」  俺は、昨夜なんとなく考えた自分のアイデアを稲森さんに相談する。 「セリフは桜井先輩テイストじゃなくて、ナチュラルな言葉にしてみようと思ったんだけど……おかしくなるかな」 「う、ううん……そんな事ないと思うけど」 「やっぱり桜井先輩みたいな言い回しでは書けないと思うから……」  だから、もし台本ができても片岡は出演してくれない気がしている。 「てことは、現実っぽい雰囲気になるのかな」 「うん……でもそうなると、人物の名前が合わないかなーとも思うし……」 「そこも変えちゃう?」 「え!?」 「あ、ううん……合わないなら、名前も変わるのかなーって思って」 「そうか……そこまで変えて…………でも、思い入れもあるでしょ」 「思い入れは……あるかな。でもまだわたしも、ミス・マグダネルダグラスがどういう人か分からないよ」 「考えれば考えるほど、選択肢がたくさんあるんだなぁ……」  二人で腕組みをして首をかしげる。  こうしていると、俺の芝居を稲森さんに演じてもらうというより、まるで一緒に芝居を作ってるみたいで……。 「……なに?」 「う、ううん……い、稲森さんがいてくれて心強いなって」 「そ、そんなことないよ! 考えなしで言ってるから、あてにしないで」 「ぜんぜんぜんぜん、超ためになる、参考にしてる!」 「あ、あはは……ちょ、ちょっとだけ前の台本で練習してみる? なにかアイデア出てくるかもしれないし!」 「そ、そうだね、それがいいかも!」 「でも……」 「え?」 「でも、天川くんがいいと思ったやり方が一番いいって思うよ」 「……稲森さん」 「なんて、ごめんねテキトーで……じゃ、最初から通してみるね!」 「ありがとね、疲れなかった?」 「ぜんぜん、平気だよー」  屋上での稲森さんの演技を思い出しながら、台本の方向性を模索する。  俺に付き合って、稲森さんは何度でも出来ているところの演技を繰り返してくれた。  それは俺の為っていうよりは、彼女自身がお芝居する事を心から楽しんでいるような、そんな微笑ましい時間でもあった。 「稲森さんの演技ってさ……」 「え?」  俺が感想を口にしようとすると、彼女の目が輝く。 「すごく楽しそうにしてるから、いいなーって思った」 「そ、そうかな……」 「うん、でもお芝居するのって楽しい」 「向いてるのかな?」 「どうだろ、片岡くんみたいには出来ないけど……でもやりがいがあるっていうか」 「やりがい?」 「なんか変だよね、姫巫女やってたときって本当に楽しくて……逆に」 「……?」 「逆に、それまで自分って何してたんだろー、なんて考えたりして、あはは……」  照れを隠すように稲森さんが笑う。  それは、俺にもよく分かる話だった。  特に毎日目的も無く、ぶらぶらしてた俺にとって、あの芝居の準備期間は目が回るくらい忙しくて……。  ……けれど、すごく充実していた。 「台本……出だしだけでも出来たら渡すから」 「うん、楽しみにしてる」  そうだ、もう一度あのときのドキドキ感を、今度は俺が作る事が出来たら……。 「あ、あと……これ……」  稲森さんは、バッグの中からまたハンカチに包まれた大きな弁当箱を取り出した。 「もうひとつ、お弁当作りすぎちゃって……い、嫌じゃなかったら」 「ほんとに? あ、ありがとーーーっ!!」  稲森さんから巨大弁当第二弾を受け取って、満面の笑みを浮かべる俺。  見た目のマイナスがあったとしても、クリスマスで散財してしまった俺には貴重な食料であり、なによりこれは稲森さんの手作りなわけで! 「……それじゃ、先に戻ってるね」  手を振った稲森さんが廊下へ姿を消す。 「ううう、感激だ……!!」  俺が言うのもなんだけど、やっぱりいいなー稲森さんは。そりゃ人気も出るよね……。  これって、一度は開いてしまった距離が、また縮まってきたような……。 「なーんてな……♪♪♪」 「なにが、なーんてな♪♪♪ なんだ?」 「うわっ!?」 「まほっちゃんと教室でツーショットなんて、いいご身分じゃねーか!」  冬休みの、しかも夕方の教室だというのに、わらわらと湧き出した親衛隊が俺を取り囲んだ。 「どういういきさつか、申し開きはできるんだろうな?」 「…………ううっ、親衛隊!」  こいつら、冬休みも稲森さんをマークしているのか……屋上で稽古するときも、細心の注意を払わないと危ないな。 「なんとか言ってみろぉ、天川!」 「なんとかって……柏木先輩に頼まれて、クリパ経費のお釣りを返しに来たんだよ」  もちろん口からでまかせ……本当の事なんて言えるわけがない。 「なんでまほっちゃんだけ先に帰したんだ?」 「一緒に帰ったら、お前らが誤解するだろ?」 「………………」  親衛隊が顔を見合わせる。  こいつらが稲森さんに必要以上に付きまとうのは、1年の頃の稲森さんがドジキャラとして認知されていたからだ。  天然なまほっちゃんを放っておけない! なんてスローガンで団結した親衛隊は、稲森さんに危険が及ばないように護衛する集団だった。  けれど稲森さんはドジキャラを封印したのか克服したのか、とにかくしっかり自立してしまい、今や親衛隊はただの取り巻きと化している。 「そ、そういうことなら、まあ今日のところは見逃してやる」 「当然だ」 「だが忘れるな、お前はポキット陵辱事件の下手人だ!」 「邪魔な虫は俺たちが消す!!」 「勝手に事件にするな! そして恨むなら桜井先輩を恨んでくれ!」 「あーーーー!!! おまえその弁当はなんだー!!!」 「……ぎく!?」  連中が目をつけたのは、まぎれもなく稲森さんお手製弁当!! 「い、いやこれは!」 「うるさい、貸せっ!!」  ――どがっ!! 「うぐっ……や、やめろ……!」 「ここここれはまほっちゃんの匂い!?」 「天川きっさまーーーーーーーーー!!!!」  怒りの親衛隊がハンカチをほどき、稲森さんの弁当を白日の下に――!! 「――!?!?!?」 「こ、これは……!!」  あぁぁ……魔弁当を見られてしまった! 稲森さんの秘密を守る事が出来なかったぁぁ!! 「なんだよー、お前の弁当か」 「……!?」 「焦ったぜ、無駄に可愛い弁当箱にしやがって」 「なんだよこのグチャグチャは、寮生は大変だな」 「変だと思ったぜ、まほっちゃんがこんな弁当作るわけがないよな、あはははは!」 「え? あ、そ、そうそう、なんだよお前ら、どーゆー誤解してんだよ!!」  とにかく危機は去ったような気がする。こ……ここは笑っとけ、笑っとけ! 「いやーー、あっはははははははは……!!」 「てことは、クリパのケーキをぐちゃぐちゃにしたのもお前かーーーーーーーー!!!」 「わーーー、そっちに来たかーーー!!!」 「〜♪♪♪」  テーブルの上を綺麗にして、ハンカチにくるまれた巨大弁当箱を開く。  すぐに立ち上る食欲をそそる香りに、腹の虫が盛大に合唱する。 「さーて、見た目はさておき味は抜群の、稲森さん愛情弁当を……」  ちょっと気を利かせて、食堂のレンジでチンしておいたのだ。さすが俺! すごいぞ稲森さん!  こいつで英気を養って、いざ、桜井先輩に負けない台本にチャレンジするのみ! 「それでは、いっただっきまーーーーー…………」 「んぐ!?」 「う……ぐ……ぐぐぐ……っっ!?」  ば、ばかな!! なんだこの再加熱したときの不味さは……そしてこのめまい……!?」  ふ、不覚……!!  魔星レシピに余人は手を加えるべからず……!! 「だ……だめだ……意識が…………!!」  景色が回る。あたりが暗くなる――結局その晩は脚本どころではなく、俺は意識を失った。 「空! この青い空の果てにあの人はいる! この両手は翼! この両足は地を蹴る推進力!」 「私を包むのは恋という名の流体力学、それは現実からの飛翔! さあ飛び立つのよ、今こそ無限に青い大空へと――」 「待つんだミス・マグダネルダグラス、残念ながら君が手にしているのは望遠鏡ではなく万華鏡だ――」 「止めないで、貴方にはタービンの回る音が聞こえないの? ほら、くるくるー、くるくるー! そしていま私の〈燃焼室〉《コンバッションチャンバー》は〈焼〉《しょう》〈結〉《けつ》無限大――!」 「………………(余韻)」 「…………はぁぁ」 「稲森さん?」 「なんか……伝わらないよね」 「桜井先輩が異次元世界に旅立っていこうとしてるのは伝わる!」 「でも……脚本のせいじゃない気がする」 「そんなことないって。ここ長ゼリフだし、謎単語ばっかだし」  今日も、桜井先輩の脚本部分を稲森さんが稽古中。  まだ監督としても脚本家としても始動出来ていない俺は、その様子を見学しながらひたすらイメージを固めている。  けれど今日の稲森さんは、イメージ通りに演じられないようで、ちょっとヘコみモードだ。 「うーん、テンション高くするのは苦手じゃないはずなんだけど……ここ、恋路橋くんからもリテイクたくさんもらったんだ」  稲森さんが眉間に皺を寄せて演じ方を考える。  恋路橋め、稲森さんにリテイクを出すなんてけしからん!! と、親衛隊の連中だったら言いそうだな。  でもこんな謎台本が、しかもぶつ切れで完成してくる中、みんなよく稽古をしてたもんだ……。 「あ……」  ――はらり。  稲森さんの目の前を白い雪花が舞い降りる。 「雪だ……!」 「降ってきたね……」 「うん……」  稲森さんが吸い込まれるように空を見上げる。 「雪って、どこから見えるのかな……」  手を伸ばした稲森さんの横顔に見とれてしまう。 「手の届くより向こうからだと思うよ」  一年生の時にそっくりな会話をした事がある。  そんな事を思い出しながら、俺は稲森さんとくすんだ灰色の空を見上げて……。 「ちょっと降りすぎじゃない?」  雪雲の灰色が濃くなって、細かい雪のかけらがみるみる降り積もる。 「早く寮に戻ろう、この雪マジだ!」 「うん……」 「……1日降るかな」 「うん……積もるといいね」 「今日は部屋にこもって台本書くよ、ちょっとでも進めて見てもらいたいし」 「…………」 「稲森さん?」 「…………」 「稲森さん!」 「あ……うん」  雪に見とれていた稲森さんが、はっと我に返る。 「雪好きだったっけ?」 「……うん」  そしてまた視線は雪空へ――。  次から次へ、雪ははらはらと舞い降りてくる。  遠い目で雪景色を見つめる稲森さんに、俺はしばらく見とれてしまった。  窓の外が明るい……これは、朝……か?  布団から出た途端に、寒さが全身を貫いた。 「……さむっ!!」  確かに朝だ。朝には違いなかったが……この外の明るさは。  ――雪だ!!  しかも思いっきり!! 「うわ〜、積もったなあ」  昨日のあの降り方だと、積もりそうだとは思ってたけど……。 「まさかこんなに積もるとはなぁ……」 「そうねー、予想外だわ、こりゃ」 「ゆ、雪乃先生!?」 「諸君らに集まってもらったのは他でもないわ!」 「……はい」 「は、はい!」 「うおっ!? いつの間に!?」 「そして俺も員数内ですか!?」 「積もったねー」 「さむいー」 「その通り、寒いから積もったわけよ。そこで私は諸君らに、直ちに寮前の雪かきを命じるものであるッ!」 「3人で!?」 「そう!」  稲森さん、俺、それに夜々と雪乃先生――。  しかし……。 「ここにいる人間の合計数は?」 「3人よ!!!」  ――ドン!!  言い放った雪乃先生が、思いっきりでっかいボストンバッグをズドンと雪の上に置いた。 「あたしはスキー……省してくるので、あとはよろしくねーーーーー♪」 「いま帰省の前にウィンタースポーツの名前ありましたよね!?」 「奮闘せよ、いずみ寮の存亡は諸君らの細腕にかかってるー! ちゃおちゃおー!」  ――帰った。 「………………」  あ、あの人は…………。  かくして俺たちは手袋やら長靴やらの装備を整えて、除雪作業を開始した。  寮の生き残りは3人。おまけに男手は俺だけだから、ひとつ頼りになるところを見せたいところだけど……。 「う、ううっ……くそっ!」  ……これはこれで、なかなか骨が折れるもんだ。  俺と夜々が玄関前の雪をのけて道をつくることになったが、スコップは重いので当然俺が使うことになる。  すると夜々は、ちりとりを持ち出してきた。 「雪が軽い今のうちなら、これでも結構使えます」 「おお、ナイスアイデア」  俺がザクザクと大きく開けた後を、夜々がちまちま綺麗にしてゆくフォーメーションが自然と確立されていく。 「悪いな、疲れたら戻ってもいいからな」 「平気です。それに道を開けておかないと、私も帰れないから」 「あ、そっか、夜々も帰るんだっけ」 「…………(こくり)」  そうか、夜々が帰った後は、いよいよ寮には俺と稲森さんの二人っきり…………。  なんて甘いよな、稲森さんも帰省して、俺一人寂しい新年が待ってることは言うまでもない。 「行きまーす!」  先行きの暗い新年の見通しを立てていたら、稲森さんの声が上から降ってきた。  四階の窓から、稲森さんが上半身を突き出している。  その手に握っているのは、逆さに持ったモップ。  モップの柄を使って、屋上から〈雪庇〉《せっぴ》状に張り出している積雪を落としてゆくわけだ。  これをしっかりやっておかないと、人が通りかかった時にどさっと雪の塊が落ちてくる可能性があるので、重要な役割だ。 「くっ……もうちょっと……」  思いっきり腕を伸ばして、上体をさらに突き出す稲森さん。 「あ、あ、ちょっと稲森さん!!」  これが余人ならば、いい度胸だと褒めてやりたいけれど、そうはいかない!  なぜなら稲森さんは……容赦の無いおっちょこちょ……。 「んーっ、えいえいえいーーーーっ!!」 「やーーーめーーーー!! あ、あ、うわ……」  雪に向かってモップを振るのだが、角度がまずく、何もないところにぶんぶん音を立てるだけ。 「よっ……はっ……たあっ!」  逆に、空振りでバランスが崩れて、空中で海老ぞって……わぁぁ、これは胸が突き出されてセクシャルな――じゃなくてッ!!! 「きゃぁぁ、無理しないでーー!!! 危ないから俺に代わったほうがいいってー!!」 「…………」  ん?  夜々が、雪かきの手を止め……俺と一緒に稲森さんを、じゃなくて――俺を、見ている。 「な、なに?」 「……お兄ちゃん、稲森先輩をどう思ってるですか?」 「ですかって……え?」 「そ……そう言われても……」 「すごく気にしてるように見えるんですけど」 「――!? や!! だって! ほら! 俺カントク、あの人主役!」 「それで、二人っきりで練習……」 「……!!」 「そして絶えず注がれる熱視線」 「熱視線!?」 「はい、稲森先輩を見るお兄ちゃんの目が……熱すぎます!」 「な……え……ええっ!?」 「すぐ目で追うし、見とれてるし、誰が見ても意識しすぎだって分かります」 「ま………………マジですか!?」 「真面目です!」 「そ、そ、それは夜々が身近にいるから、そんな気がしちゃうとか……」 「分かりません。親衛隊の先輩は殺人予告をしてたけど……」 「親衛隊にまで!?」  しまった……連中を刺激すまいとコソコソしていたが、とうの昔に刺激しまくりだったのかーー!! 「ハッ、そ、それよりも稲森さんだ! あんな危なっかしい……」 「うーっ! やーっ! たーっ!」  ――ガツッ! 「おおっ!?」  モップの柄が、ようやく〈雪庇〉《せっぴ》に激突――ぐさっと、柄の先端が突き刺さる。 「そこだ稲森さん、一気に……」 「えーいっ!」  ――ばこっ!  大きな、雪と氷の塊が、割れて、飛んで……! 「え? え……わああっ!?」  来た、なぜかこっちに、来たぁぁぁあ!?  白い塊が――頭上に、わ、わ、わあああっ!? 「お、お兄ちゃん、危ないっ!」  わかってる! 退避ーーーーって、転がりだした雪の塊が、積もった雪の斜面をごろごろと転がって――。  きょ、巨大化して迫ってくるーーー!? 「に、逃げてお兄ちゃんっ!!」 「あわ、あわわ……うげっ!」  足が滑った!  尻餅――仰向け……白いやつが……来る……スローモーション……巨大化……真っ白……。 「おにいちゃーーーん!!」 「う、うわあぁぁぁぁぁ!!!」  ――べしゃっっ!!  ――ごろごろごろごろごろごろ……!! 「……え? あ、あれ……天川くんっ!?」 「天川くん? あまかわく……うぶっ!? ぺっぺっ……なに、ゆ、雪玉!?」 「よーくーもーお兄ちゃんをーーー!」  ――びゅん、びゅんっ! 「きゃぁぁぁぁぁ!!」  かくして一対一の攻防戦を繰り広げる稲森さんと夜々。  ……真っ白い世界の中、笑い半分の悲鳴が遠くで交錯し……。  俺は、顔面で冷たい塊がじくじくと溶けてゆく、その感触だけを感じていたのだった……。 「うえっくしぃぃッッ!!!」 「うぅぅ……ごめん、ごめんねー!」 「平気、超平気……へっくし!」  無事に雪かきは終わったものの、俺ときたらあわや凍死とばかりに雪まみれ。  夜々と稲森さんの助けでなんとか生還を果たしたものの、リビングでしばらく沈没していた。  しかし今はもう完全復活! なぜならば……。 「じゃーん♪」  そう、俺の目の前には、稲森さんの真心料理ならぬ、魔心料理がほかほかと湯気を立てて……。 「うおおおお、うま…………そう」  こ、これは何? ねえグラタン? チーズフォンデュ?? 間違っても終電間際のホームに散布されがちなアレじゃないよね?? 「あ、あったまるかなーって思って……」  ううっ……相変わらずビジュアルには無頓着な料理だけど、今の所稲森さんが味で外したことはない。  不安と期待を胸に、一口含んでみると――。 「……ンまァァァアアァァァァァいっっ!!」 「良かったー、ホワイトチョコフォンデュを作ろうと思ったんだけど、うどんカルボナーラにしたの♪」 「んまい、んまい、んまい、んまい、あまい、んまい、んまいーー!!」  実は俺が叫んでいるのは『うまい』ではない――本当の心の叫びは5回目にこっそり忍ばせておいた。  それほどまでに……甘いっっ!!!  絶対チョコフォンデュを捨てるの忘れてる。忘れて生クリームと玉子ぶち込んでる!  うどんの違和感を忘れる程に、世にも恐ろしいカルボナーラとチョコの融合――なのに、なのに……。 「うぅぅ……なぜか美味い」  神の奇跡か悪魔の魔術か、稲森さんの作る料理はことごとくデタラメにも関わらず、なぜか美味しい。  美味いは美味いんだけど……やっぱ死ぬ程甘い。コショウが効いてるのに甘い! 「あ、相変わらず見た目は悪いんだけど……」 「あ、味を追求したんだよね……うーん、んまいあまいんまい!」  見てくれも栄養価もかなぐり捨てて、味だけを追求したんだな……甘いけど!  稲森さんの気持ちはありがたいけど、超砂糖の甘味力に頭がクラクラしてきた。 「…………(きらきら)」  け、けれど、こんなに期待感丸出しな顔をされたら、残すことなんて出来ないっ!!  ――かくして、怒涛の10分が過ぎ去り。 「ぷはー……ごちそうさま! 温まったー!」 「わぁ、一瞬だね♪」 「あ、あはは……長期戦にしてはいけない気がしたから」 「?」 「いや、なんでもない! いやー元気が出たよー、ありがとーー!!」  味蕾が根こそぎ磨耗しそうな甘さだったが、おかげで凍えていた身体にエネルギーが満ち溢れてきた気がする。  稲森さんは寒がってる俺のために、あえて甘い料理にしてくれたのかもしれない。 「おー、なんか温まってきた。ちょっとロードワークでもして燃焼してくるよ!」 「この雪の中を!?」 「……そうでした」  遭難と背中合わせのトレーニング計画は撤回。今日はそれよりも、書きかけの台本を見てもらう事にしようか……。  ふいに稲森さんがパチンと手を合わせた。 「そうだ、じゃあソリしに行かない?」 「ソリ……ふ、二人で??」 「うん、ソリ♪」  寮の物置にスタンバってたソリを肩に背負って、稲森さんと一緒に公園まで歩く。  ソリをするなら、学校よりも公園の高台の方が広くてスリルもあるので、だんぜん楽しい。  これだけ雪が積もると混んでるかもしれないけれど、よしんば滑れなかったとしても稲森さんと一緒の時間を過ごせるならそれでOKだ。  雪玉の罪滅ぼしのつもりなのか分からないけど、劇以外で稲森さんに誘われる事があるなんて想定外だったから、俺はかなり緊張している。 「い、稲森さん、疲れてない?」 「うん、天川くんこそ重くない?」 「全然平気! す、空いてるといいなー、あはは……」 「ん……そうだね」 「ど、どうしたの?」 「ううん……前は天川くん、苗字じゃなかったよね」 「前?」 「そう、ずっと前……」  俺と稲森さんにとって『前』っていうのは、姫巫女の練習をしていた時か、あるいは1年生の頃しかないわけで……。  1年の頃、俺は稲森さんを――。 「な、名前で呼んでたっけ?」 「そうだったかな……?」 「ど、どうだったかな……あ、あはは……古い話だから」 「………………」  なにを話してるかも分からない程舞い上がりつつ、早足で高台のコースを登る。  茂みを抜けると、白く染まった永郷の町を見下ろせる高台の頂に着いた。 「きゃあああああぁぁぁあぁあぁぁぁ――」 「がんばれー、稲森さん!」 「――あああぁあぁぁぁぁぁああああああ……っと♪」  稲森さんを乗せたソリが勢いよく斜面を下り、ターン気味に華麗なフィニッシュを決める。 「はぁーーー、たのしーーー♪」 「すげー、上手い上手い!」 「毎年滑ってるもん、今度は天川くんね!」  稲森さん、スカートでソリだなんて大胆すぎると思ったけれど、そうするだけの技術を持っていたか――うん、これは負けていられない。 「いきまーす、今度こそは雪まみれになりませんよーに!」 「うー、それはごめんってばー!」  稲森さんとソリを取替えっこしながら、斜面を滑ってはまた登り――。  気がつけば1時間程が飛ぶように過ぎていった。 「はー、疲れた」 「空いてるね」 「うん、ガラガラ……よかったー」  公園の高台には、俺達の他に3、4人の姿がちらほらと見えるばかりだ。 「冬休みじゃなかったら、みんなも連れてくるのにね」 「あ、う、うん……恋路橋とか、あはは……」  休み中のおかげで稲森さんと二人で来ることができたのだから、俺としては年末の大雪に感謝したい気分だ。 「ちょっと休憩しよっか、見て欲しいものがあるんだ」 「なになに?」  ベンチで一休みしながら、俺は昨夜から書き進めていた手書きの台本を稲森さんに手渡した。 「あ、これ!!」 「まだPCに打ち込んでないから読みにくいけど……」 「ううん、大丈夫……」  まるで飛びつくように、俺の手書きの文字に目を走らせる稲森さん。  やがて、ぶつぶつと口の中でセリフを呟きはじめ、キャラクターの世界に入り込んでいく。 「……ミスター・リンドバーグ『あなたは空ばかり見ているのですね?』」 「この空のどこかに、私の求めている人がいる――そんな気がするんです」 「私の足はいつでもこの大地を蹴って、そこへ飛んで行けるはず……」  役に入り込んだ稲森さんが、望遠鏡で空を見るポーズをする。 「『ミス・マグダネルダグラス、あなたが手にしているのは望遠鏡ではなく万華鏡です』」 「…………!?」 「……ここで驚く表情がうまく行かない」 「え?」 「あ、ううん……独り言。この台本、普通の言葉にしたの、すごくいいと思う!」 「ホントに?」 「うん、わたしにはとっつきやすいかも……」 「そのせいで、余計にセリフの意味を考えちゃうけど……」 「セリフの意味……?」 「うん……」  手書きの台本を膝の上に置いた稲森さんが、すっかり晴れた空を見上げる。 「ねえ、空を飛ぶってどういうことだと思う?」 「ミス・マグダネルダグラスのセリフだよね?」 「うん、どうして空を飛ぶのかな……」  空を見たまま、稲森さんは恋愛映画のヒロインのような顔になった。  俺も並んで空を見る。  口を閉ざすと、遠くから雪合戦をしてる子供達の声が聞こえてくる。  空を飛ぶ――。  桜井先輩の台本でも、度々見かけた言葉。  面白いもので、自分で書き直すのだと覚悟を決めたら、それまではスルーしていた言葉のひとつひとつが頭にひっかかるようになってきた。  空を飛ぶ――それはヒロインの会社が飛行機を作ってるから……?  じゃないよな、男と二人で飛ぶんだから。 「恋路橋くんは、空を飛ぶっていうのは恋愛事だって言ってたけど……」 「恋愛――?」  つまり、たとえ話ってことか。  ――空を飛ぶような気持ち。  ――舞い上がった恋愛感情。  ――くらえ、フライング・ラブハート・アタック!  うーん…………。 「…………」  こんがらがったまま、二人して空を見上げている。 「……空は飛べないよね」 「……そうだよね」  どうやら稲森さんの脳内も行き詰ってたみたいだ。 「………………」 「…………稲森さん?」 「………………」 「いなもりさーん?」 「……え?」 「あ……! ごめんね、ボーっとしてた」 「……ダメなの、役の事考えると変な世界に行っちゃうみたいで」 「それって、すごい才能なんじゃない?」 「え?」  稲森さんが目を丸くする。 「それだけ集中出来るって事だよね」 「や、や、やだな……そんな事ないよ! あ、あははは……!」  それから恥ずかしそうに笑った稲森さんは、慌ててソリを掴んで……。 「ちょ、ちょっと滑ってこよっかな……」 「……っと、ととと!?」 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」  こ、こ、こけたーー!? 「わーーーーーーっ!! 稲森さーーーん!!」  俺の見てる前で、稲森さんの身体がソリごと斜面を転がり落ちて行き……。  ――どーん!  木に激突――!? 「ヤバいよ、だ、大丈夫かー!?」 「…………」 「へ、返事してーー、いなもりさーーん」  俺が慌てて雪の斜面を駆け下りると、そこには――。 「あ、あいたたた……」  良かった……ギリギリでブレーキをかけて、木にはぶつかってないみたいだ。  ――なんてことはどうでもよくて!!  いや、どうでもよくないけど、それより、こ、こ、こ、これは……!!  白いっ!!!  雪が! いや靴下が! じゃなくて、ぱんつが!! 「うーぅぅ、ま、またドジったぁ……いたたた」 「い、稲森さん、パ……」 「え?」  俺はからくも言葉を飲み込んだ。  考えろ、超考えろ!! 『パンツ見えてる』なんて言えるか? 真実を彼女に伝える勇気があるのか!?  恥をかかせるぞ。そして気まずくなるぞ、ひょっとすると今後一生!! それでも言えるか、言えるのか俺!? 「ぱ、ぱ……」 「パウダースノーでよかったーーーーー!!」  ううっ、だめだ言えない……! 「え? あうう、腰打った……」 「だ、大丈夫!? 今行くからー!」  膝まで埋まる雪をかき分けて稲森さんに近づいてゆく。吸い込まれそうになる視線を引き剥がして、俺は辺りを見回した。  彼女のこんな姿を、他の奴に見せるわけにはいかないっ!!  視界には誰もいない……良かった。本当に良かった。  だって……だって、こんな!!  花泉学園のアイドルが……こんなパンツ丸出しで! し、しかも……なんか股間のところクッキリしてるし! 形分かりそうだし!! 「ごくっ……」  唾を飲む。  早く稲森さんを助けて、せめてスカートだけでも下ろしてあげないと――と思いながらも、無駄に積雪に足踏みをしてしまう。 「ま、待ってろー、もうすぐ着くぞー!」 「う、うん……ごめんね……!」  稲森さんは起きたくても起きられないみたいだ。ここは俺が助けてあげないと!  そのついでに俺の視線は、白いパンツをガン見状態。 「え……??」 「ま、待ってて! すぐ行く! もうすぐ着く!」  そう、ひたすら稲森さんのパンツ目指して、少しでもアップに……違う、少しでも早く助けてあげないと! 「……天川くん?」  そんな俺の目の前には、学園のアイドル稲森さんの生パンツ!  親衛隊の連中はこんな光景を夢見て、毎晩のソロ活動に励んでいることだろう……それはもちろん俺も例外でなくて!! 「………………天川くん、どこ見て……?」 「…………あーーーっっ!!!!」 「え!?」 「ま、まさかスカート……え? やだ?」  き、気付いた!? なんで!?  って、俺の視線か!? バカバカ、俺のバカ!! 「あれ、うそ……!?」  慌てた稲森さんが手をお尻に回して、スカートの位置を確認――。 「いたたたたっ!」  ――しようとして挫折した。 「だ、大丈夫? 腰?」 「わーん! み、見られたぁぁー!!」 「わぁぁぁ!? み、見てない! 見えてないから!!」 「ほ、ほんと?」 「ホントに! 何ひとつ見えてないから安心して!!」 「絶対!?」 「絶対絶対! 白い雪しか見えてない!」 「………………」 「…………パンツ濡れてない?」 「い、いや……ぜんぜん濡れてない!」 「やっぱり見てるーーーーー!!!!」 「み、見てない! スカートが濡れてないから! だから中も平気かなーって! それだけ、ほんとそれだけ嘘つかない!!」 「……ほんとに?」 「ほんとだって……はぁ、ようやく着いた、手ひっぱるからこっち」 「うん……ほんとに?」 「ほんとだって、色もわかんないし、食い込んでるとかも全然知らない!」 「ほんとかなぁぁぁーーーー!?」  わーーーっ、テンパってるときに喋るとろくなことにならない!! 「あ、あ、あははは……の、登ろっか?」 「そ、そうだね……あはははは」 「え、えっと……」 「ななななに!?」 「な、なんでもない!!」 「そ、そっか……あ、あはは……」 「み……み……見えてなかったよね??」 「うん、うん何も見えてない!!」 「そ、そうだよねー! よかったー! あ、あ、あははは……」 「……………………」 「……………………」  ううっ、この気まずさは過去味わった事の無いレベルだ。  恥ずかしがる稲森さんと一緒にいると、こっちまでドキドキしてしまう。  それが稲森さんにも伝わって、ドキドキがドキドキドキドキになって。  それがさらにフィードバックされることで、俺のドキドキドキドキはドキドキドキドキドキドキドキドキになり、さながら無限回廊のごとく……。  ――ばしゃっ!! 「きゃあ!」  悲鳴がして我に返ると、枝から落ちてきた雪の塊をかぶった稲森さんが、白い何者かに変わっていた。 「わぁぁ、大丈夫、稲森さんっ!?」  ――どしん!  ふらふらしたまま木にぶつかる稲森さん。当然上からは再び大量の雪が――。 「う、うわぁぁ!?」 「あ、あ、あ……ごめんーーっ!!」  ――どざざーーーーっ!! 「うぅぅぅ……冷たい……」  上空からの積雪攻撃で雪玉と化した俺達は、なんとか這い出してベンチまでたどり着いた。  まさか近所の公園で、アベック遭難しかけるとは思わなかった。 「平地でつまづく癖は変わらないね」 「そんな事無いよ、しばらくずっと大丈夫だったのに」 「……そういえば、稲森さんがドジだって話、最近あんまり聞かなくなったよね」 「1年の頃はひどかったでしょ?」 「そ、その、個性的だった!」  苦しいフォローを入れると、稲森さんがため息をつく。 「はぁぁ……克服したつもりだったのになぁ」 「克服?」 「そうだよ、これでもがんばったんだから!」 「つまり日頃から注意力をね……」  ――べしゃっ! 「きゃぁぁぁ!?」 「わぁぁぁ、雪合戦の流れ弾が稲森さんを直撃!? そしてまたもバランスを崩した稲森さんがよろめきながら斜面の方へーー!!!」 「実況してないで助け……あ、あ、きゃああぁぁぁ!」 「だ、だめだー! スカートのガードを優先したらーー!!」 「でも! だって……うべっ!! にゃぁぁああぁぁぁぁぁ…………っ!!」 「あ、あ、あ、転がっていく、花泉のアイドルが雪玉と化してーー!」 「もうやだぁぁぁぁぁーーーーー!!」 「……1日に3回雪玉になった人を初めて見たよ」 「うぅぅぅ……さむいぃぃ……はくしょん」  すっかりびしょ濡れになった稲森さんを連れて、急ぎ寮へ戻る。  こんな所で主演女優に風邪をひかれては大変だ。 「さ、俺のコート羽織って」 「ありがと、あぅぅぅ……下まで雪でびしょびしょ……」 「下って……」  濡れねずみになった稲森さんのスカートに目が行ってしまう。  下って靴じゃなくて……し、し、下着のこと!?  う、ううっ……思い出した!  というかさっきから頭の中では連続再生状態。  なんて、なんて素晴らしい光景――神様ありがとう……ありがとうー!! 「天川くん……ねえ、天川くん?」 「あ、な、な、なに!?」 「……どうしたの、顔赤いよ?」 「え? あ、あ、あははは……なんでもないなんでもない! 下着までびっしょりなんてた、大変だなーって思って!!」 「……あ!!」 「………………」  わぁぁぁ、俺はなにをテンパってなにもかも暴露してるーー! 「天川くん……そんな事考えてたんだ」 「ち、違…………」 「…………ごめんっ!」  今さら否定してもバレバレだ、素直に頭を下げる。  はぁぁ……俺はバカだ。稲森さんの信頼を失うには充分すぎるよな。 「……ちょっと意外」 「うぅぅ、すみません……」 「い、いいよ………………見せたの……わたしが悪いんだし」 「え?」 「あ、あはは……スカートでソリしちゃダメだよね! 忘れよ、もうぜーーんぶ忘れたーーっ!」 「そ、そ、そうだよね……わ、忘れたー!!」 「きれいさっぱり忘れたーーー! 忘れたから、もうぜーんぶナシ、ね?」  稲森さんが笑いかけてくる。う、ううっ……なんていい子なんだ! 「あ、あはは……は、は、はくしょん! うぅぅ、でもおかしいなぁ……どうしてだろ?」 「なななにが!?」 「ドジなの直したつもりだったのに……最近ちょっとひどいよね」 「ひどいってことはないけど、なんか懐かしい感じ……」  俺の知ってる稲森さんは、今と同じように恐ろしくそそっかしい女の子だった。  それがいつしか学園のアイドルみたいになって、親衛隊ができて……そんなうちに稲森さんからドジキャラの要素は消えていって――。  それが、姫巫女の頃からまた再発したって聞いた事があるけど……。 「うーん、どうしてなんだろう」 「……あ、でも」 「なにか心当たりでも?」 「天川くんと一緒にいると、緊張感なくなる気がする……」 「俺のせいだったのかーーー!!!」 「ちちちがうのー! そうじゃなくて、うーん……なんて言うのかな……」 「なんていうか……その……」 「………………」  稲森さんが考え込む。  俺は並んで歩きながら彼女の言葉の続きを待っている。 「……なんでだろうね」 「青い空は空気の壁――この空気に乗ることなんて、本当にできるのかしら?」  今日も稲森さんの練習は続く。 「ふむ……なるほど」  今は、桜井先輩に稲森さんの途中経過を見てもらっている。  稲森さんは自分の演技に自信がないみたいだけど、俺が見る限り、稲森さんのヒロインは華があってすごくいい。  ここで桜井先輩にも褒めてもらって、稲森さんに自信をつけてもらおうと思ったのだ。 「OKー! すごいいい感じ! ちょっと休憩する?」 「うん……最後のセリフがちょっと難しいから、もう少し練習するね」  休憩時間も台本に向かって呟いている稲森さんを置いて、俺は桜井先輩をベンチの陰に誘い、感想を聞くことにした。 「どうでした?」 「ふむ……台本はまあまあだ」 「おぉ!? 没が来るかと思ったら?」 「納得のいかないところは幾つもあるが、これはもう君の世界だから好きにするがいい。むしろ思ったよりも馴染んでいて驚いている」 「マジっすか? いやぁ、あはは……」 「やはりこの僕の見立てに狂いはなかったようだ。だが問題は……」 「も……問題は?」  桜井先輩はそこで、一呼吸挟んでから……。 「主演が駄目だ。これは致命傷だな」 「えぇぇーーー!? ……っとと!」  慌てて口を塞ぐ、それから声を殺して……。 「ど、どこがですか!?」 「演技に華がないんだよ。あれなら脇役に回したほうがいい」 「華がない???? え? えーー?」 「いや納得行かないですよ、それは。稲森さんに主役をお願いしたのは、むしろ逆で華があるからなんですけど!」 「君が言っているのはルックスのことだろう? 見た目の華やさに惑わされているだけさ」 「そ、そうですか?」 「いやむしろルックスが癌といえるな。ルックスに頼るせいで演技に思い切りが出ない」  冷静沈着な声で、桜井先輩が容赦なく稲森さんをぶった斬る。 「で、でも自信さえ付けてくれれば……」 「そう思うのは自由だ。ともあれ、まほちゃんのお芝居には人を惹きつける力がない。それは本人の演じたい形が見えてこないせいだ」 「…………」 「まほちゃんを元気付けるために褒めてくれと頼まれたから来たが、どうやら期待に沿うことはできないようだ、失敬するよ」 「え? あ、ちょっと……」 「言いたいことは言わせてもらった、あとは君たちの奮起次第さ。アディオスUMA! はっはっは!」 「ちょ先輩……えええーーー!!!」  な、なんなんだ……あの人は稀代のクレーマーか!?  ハッ……!?  背後に人の気配……それすなわち、最悪の予感!!! 「………………」  うわぁぁぁぁぁぁ!!! やっぱり聞いていたー!!!! 「……………………」  ふらふらと屋上の隅っこに移動した稲森さんが、ベンチにぺたりと腰を下ろす。  た、た、た、大変だ!! これは俺がなんとかしないと! 「稲森さんっっ!!」 「…………」 「あ、あ、あんな意見に左右されちゃダメだよ稲森さん! 俺たちが作ろうとしているのは、桜井先輩の書いたのとは別の物語なんだ!」 「桜井先輩は、自分の台本のイメージと稲森さんの演技が違っていたから、あんな辛口コメントを出したにすぎないんだと俺は思うよ!」 「だから自信を持って!! イケてるから、稲森さんの演技超イケてるから!!」 「全部思い当たる!」 「は!?」 「桜井先輩の……多分、私が感じてたモヤモヤってあれなんだ! すごい!」 「稲森さんも自覚あったの?」 「ううん……言葉にはできなかったけど、桜井先輩が代わりに言ってくれた……そうなんだ、私の演技って華がなかったんだ……」  そ、そうなのか? 俺は稲森さん個人の見てくれに惑わされているだけなのか?  けど、この空気のまま流されるのはまずい!! 「けど、俺には稲森さんの演技には華があるように見えるんだ」 「欠けてるところはあるかもしれないけど、だからって良いところが打ち消されるわけじゃないし……それに欠けてるところはきっと……」 「きっと、俺の台本ができてないせいだよ。お話の行く末が見えてないから、稲森さんも人物に入り込めないんだと思う」 「ううん、そんなこと……」 「俺もがんばって台本作るから……まだ頭の中真っ白なんだけど、がんばってみるからさ――だ、だから、がんばろう!」  稲森さんの前に立った俺は、大げさなジェスチャーで熱弁する。 「うん……そうだね、ありがと」  明るい笑顔になる稲森さん――。  どこか無理をしているような気がするのが、俺の思い過ごしだといいけれど。 「――むしゃむしゃむしゃ」  桜井先輩から借りたノートPCで、俺は慣れない台本作業を開始した。  所詮は素人、パソコンを前にしても、すらすらセリフが出てくるわけがない。  PCを使うのは、いったん紙に書いておいたメモをまとめて、その間をつなぐセリフを考えるときくらいだ。 「――むしゃ、もぐ、ぱり……」  稲森さんは演技に悩んでいるけれど、台本が最後までできていないのも彼女のスランプの一因だ。  台本が完成しないと――気ばかり焦るが、いったいどんな話になるのか、まだ想像も出来ないでいる。  いくつかの名作(シェイクスピアとか)をパクってみようと思ったが、それを読んでも稲森さんのイメージとなかなかひとつにならなかった。  そんな俺の目の前には――。 「ごくごくごく……ぷは、むしゃむしゃむしゃ……」  白いベトベト、緑のベトベト、赤いベトベト、ピンクのベトベト――色とりどり&てんこ盛りの差し入れ軍団(推定お菓子?)が山盛りに!  これ全部、稲森さんが作ったものだ。見た目はダンジョンの地下1階に出現しそうな感じだけど、味はすこぶる美味――ただし甘いけど!  桜井先輩の批評がこたえているのか、稲森さんはあれから食堂におこもりでお菓子作りモード。  暮れも差し迫っているというのに、おせちではなく大量の謎お菓子を製造しはじめたのだ。 「もぐもぐもぐ、じゅるるるっ……がつがつがつ……げーっぷ」  もちろん出来たものは全て引き受ける!  引き受けるけど――こ、このままだと3日で糖尿、5日で失明しかねないな。  水がぶ飲みで口の中の糖分を洗い流しながら、俺は昨日、出来かけの台本を読んだ稲森さんの顔を思い出す。 「ねえ、空を飛ぶってどういうことだと思う?」  あんなに熱心な彼女のためにも、なるべく早く筋立てだけでも決めなくちゃと思うけど……。  まだ全体のストーリー自体が〈靄〉《もや》の中にあるみたいで、なかなか先に進まない。  ……なんて頭を抱えているうちに、約束の午後の練習の時間になった。  俺は脚本を優先するという理由でパス。今頃稲森さんは一人、学校の屋上に戻って練習を再開してるはずだ。  やっぱり、脚本を止めてでも近くでアドバイスした方がいいだろうか?  いや、今の俺には彼女の欠点が見えていない――下手におだてても、稲森さんは喜ばない気がする。  そんなことを思いながら、稲森さんの残したベトベト砂糖菓子を口に運んでいると――。  携帯が鳴った。 「――月姉?」 「ああよかった……祐真、いま寮にいる?」 「うん、そうだけど……月姉は実家でのんびりモード?」 「それが大変なのよ! いま駅で1年生の子に会ったんだけど、切符忘れて出てきちゃったのよ。悪いけど届けてくれる?」 「マジですか? 俺いま……」 「あと20分で電車乗らないと、特急に乗り継げないんだって。いまから往復してたら間に合わないし……お願い!」  う……そ、それはピンチかも。 「……わかった、行くよ。駅の改札で待ってて」 「ありがとう、助かったわー」  言われたとおりに、後輩の部屋から持ち出した切符を持って月姉のもとへ。  俺から切符を受け取った月姉が、ホッとした笑顔を見せる。 「取り込み中に悪かったわね」 「いいよ、ちょっと行き詰ってたところだったから。身体動かすとリフレッシュになるし」 「劇の台本?」 「……まあね」 「楽しみにしてるわ、あの変な話がどんな劇になるのか」  ――そうだ、月姉にひとつ確認したいことがあった。 「月姉……稲森さんをどうして姫巫女にしなかったの?」 「え?」 「夜々が姫巫女に決まる前から、隣国の姫にしてたでしょ。どうしてかなって思って」  月姉は少し考えるような表情をしてから、肩をすくめた。 「主役以外の真星ちゃんも見てみたかったのよ。あと、片岡君とはちょっと合わないかと思ったし」 「……そっか」  合わなかったとき――片岡を残して、稲森さんを降ろしたってことか。 「それって、姫巫女だから?」 「そうよ、どうしたの?」 「ん、なんでもない。ありがと」  ぺこぺこ頭を下げる1年生の帰省を、手を振って見送った。  月姉は卒業制作がらみで学校に用事があったらしく、挨拶もそこそこに駆けていってしまう。  稲森さんが脇に回ったのは、片岡とペアを組む姫巫女には合わなかったからだ。俺は月姉の言葉をそう受け止めた。  けれど、オリジナルの台本を書いた桜井先輩はNGを出してるし……うーむ、難しいな。  せめて俺が、稲森さんを生かせるような台本を書けるといいんだけど……あいにく脚力以外に取り得なしのド素人だもんな。  などと考えていた帰り道――。  ……稲森さん!?  いまちらっと見えたの、稲森さんだよな。  屋上で稽古してるはずだけど……見間違い? なにか急用でもできたのだろうか。稲森さんが練習サボるなんて考えられない。  いや――桜井先輩にあんなこと言われた直後だもんな、集中できなくても無理はないと思う。  探してみよう。  稲森さんを責める気持ちは全くないけど、ショックを受けているんじゃないかと心配だ。  そうして小走りであたりを見回していたら、オープンカフェにいる稲森さんを簡単に発見した。  そして、稲森さんの周りには……。 「親衛隊か……」  いやな予感がする。  近くで聞き耳を立ててみると、どうも稲森さんは親衛隊のみなさんに学校から帰る途中でつかまり、そのままこっちに流れてきたようだ。  屋上で練習していることは秘密だし、ごまかしきれなかったんだろう。 「まほっちゃん、最近なにしてるの? 寮に顔出してもあんまり姿見られなくて寂しいよー」 「ごめんね、特になんにもしてないよ。友達と遊んだり、実家に戻ったりで」 「帰省はいつするの?」 「実家が遠いわけじゃないから、あんまり考えてないの」 「じゃあ明日みんなで年越ししない。まほっちゃんを囲む新年会!」 「え?」 「いいじゃん、やろうよ」 「いいなー、カウントダウンパーティーか!」  親衛隊の連中は稲森さんを引き込もうと、やけにテンション上がっている。  いやでもそれ普通に無理だし、男と外泊とかありえないし! 「俺たちの家だと問題あるからさ、いっそカラオケとかボーリングとかで遊びながらってのは?」 「あー、それなら安全だよね、行こうよまほっちゃん!」 「うーん……」  連中ハードル下げてきたな。けど無理は無理だって。  冬休みで親衛隊の連中も気が大きくなってるみたいだけど、連中と稲森さんの間にはいつも距離があったんだから。 「そうだね……考えとく。両親が許したらだけど」 「……え!?」 「やったー! いいお返事楽しみにしてます!」 「……うん」 「うおおお、燃えてきた! 最強の1年が迎えられそうだぜっ!」 「まほっちゃん、ばんざーい!」 「やだ、だめだよ、大きい声で」  背後のテーブルから聞こえてくる耳障りな親衛隊のバンザイコールと、稲森さんの笑い声――。  予想外、それこそ予想外の返答だった。  俺には稲森さんの笑い声が、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。  夜々も雪乃先生も月姉もいない、がらんとしたリビングで俺はテレビをぼんやり眺めながら、芝居の台本を考えるフリをしている。  頭の中を行き来するのは、芝居の物語よりも稲森さんのことばかりだ。  さすがに明日――大晦日は稽古の予定も入れてないから、稲森さんが寮にいなくても差し支えはない。  けれど……なんとなく寂しかった。実家に帰るのならまだしも……。 「年越しはあいつらとするのかな……」  俺は台本がまとまらず、稲森さんはどう演技したらいいか分からなくなっている。  俺と一緒にいたら、どうしても芝居に向き合わざるをえないだろう。今の稲森さんにとって、それは気の休まらない時間なんだと思う。  実際、親衛隊と一緒の稲森さんは、俺と稽古しているときとは全然違う顔をしていた。  うまくは説明できないけれど、どこか自信を持ってリラックスしているような……。  俺と一緒にいるときはあたふたとテンパっているのに、すごく落ち着いているような、そんな感じだ。  あの時の稲森さんの感じは、どこか自分と似ているような気もする。  そう、月姉と一緒にいるときの俺と……。 「月姉、か……」  俺の人格形成に絶大な影響を及ぼした、姉のような先輩の名前を呟いてみる。  月姉と一緒にいると、俺は前向きになれる。それは、月姉がなんだかんだ言って俺のことを認めてくれているからだ。  稲森さんも同じなのかもしれない。  親衛隊の連中は迷惑なほどしつこいけれど、あそこが稲森さんの一番自信の持てる場所だっていうのは理解できる。  迷っている稲森さんにとっては、自分を無条件に支持してくれる親衛隊のところが、自信回復の場所かもしれない。  それって少し危うい気もするけれど、俺は稲森さんが答えを見つけるまで、そっとしておいたほうがいいんだろうか……。 「大監督は暇を持て余しているようだね」 「先輩もこれから実家ですか?」 「ああ、地元の女の子との親睦を深めに遠征してくるよ」 「おやどうした、浮かない顔だね?」 「……先輩のありがたいアドバイスのおかげです」 「そうか、それは何よりだ!!」  ……だめだ、突っ込む気力もない。 「はぁぁ……」 「……今がチャンスだよ、祐真」 「え?」 「まほちゃんのことさ、この僕の言葉を踏み切り台にするんだね」 「チャンス……」  桜井先輩の批判をバネに、稲森さんが演技の壁を乗り越える。  そして彼女が自分らしい華のある演技に目覚めていく……そのチャンスということか。 「……そううまく行くと思ってます?」 「決め手はムードだね」 「は?」 「落ち込んだ彼女に甘い言葉をかけるためのムード作りさ。それさえ間違わなければ、傷心の女子なんてものはコロッと……」 「そんな話してねーーーーーっっ!!!!」 「フッ……そう照れなさんな。UMAの未確認な本心はとうの昔からお見通しさ」 「そのピンクの脳細胞でこさえた俺を、リアル俺と同一視せんでください!!」 「まほちゃんの演技に足りないのは色気だ!!」 「また急に……華じゃないんですか!!!」 「同じことさ。ラブストーリーのヒロインだよ、彼女が恋をすればそれで解決さ」 「え? え?」 「ええーー!? そんなんでいいんですか!?」 「そこで悩める祐真に現状打破のヒントをやろう。PCのお気に入りの『メディア』フォルダを開くことだ」 「は、メディア?」 「ではさらばだ……良い年末を!!」 「ああーー、また言いたい放題だっ!!」  くそう、なんとかあの人をギャフンと言わせてやりたいっ!  かくして、かき回すだけかき回した桜井先輩も帰省して、寮には俺と稲森さんの二人きり。  オープンカフェでずいぶん長居をしたのか、稲森さんは夕方になってから戻ってきた。  これまで、女子同士で遊びに行くことはあっても、親衛隊と遊んでいるなんて話は耳にしたことなかったのに……。  言いようのない焦燥感に駆られながらも、俺は桜井先輩のアドバイスを思い出す。 『傷心の女子なんてものはコロッと……』 「ままままままさか!?」  まさか、落ち込んでる稲森さんは、親衛隊の誘いにコロッと……コロッと!? 「うあああぁぁ!! それは俺が口出しできるよーなことじゃないんだけど、すごいモヤモヤするっ!!」  お、落ち着け、とりあえず桜井先輩のPCを開いてみよう。  きっとここに現状打破のヒントが……あるのかしら? 「ネットに接続して、エクスプローラーのお気に入りから、『メディア』フォルダ……と」 「…………なんか出てきた」 「動画ファイルエクゼキューター? G高位革命? モロ動画直リンク? う、うわ、うわ、うわ!?」  出るわ出るわ、明らかにX指定なサイトのリンク集が延々4ページ!  動画サイト、画像サイト、2ショットチャットから体験告白集まで!! 「すげえ、この地下リンク集は受験生の集められるレベルじゃないぜ……恐るべし桜井先輩!」 「でもどこが現状打破のヒントなのかさっぱりだ!!!」  中には『ラブシーンの研究用』ってフォルダまで入ってる。あの先輩、ポルノ書くつもりだったのか!? 「し、しかし……すごいな……ごくっ」  いや、待て! こんなところでアダルトサイトと戯れている場合じゃない!  正直(コチッ)今はそんなことしている場合ではないのだ(コチッ)俺には台本作成だのなんだのと(コチッ)やることが満載で……。  だから……(コチッ)その……(コチッ)(コチッ)(コチッ)(コチッ)(コチッ)  う、ううっ……リンクをクリックする手が止められない!!  ――夜が明けた。 「はぁぁあぁぁ……寝不足だぁぁ……!」  今日は大晦日。1年を締めくくる大切な日。  だのに俺ときたら、ほとんど徹夜で桜井先輩のお気に入りサイトを制覇してしまった! 「うーむ、年の瀬もいいとこなのに、なにやってんだか……」  マウスの手を休めて、ふと頭をよぎるのは稲森さんの面影……。  劇の稽古に付き合って、30日まで寮に粘ってくれた稲森さんだけど、さすがにもう実家に戻ったかもしれない。  それとも、あんまり考えたくはないけど、今日は親衛隊の連中と仲良く年越しパーティーに…………。 「……………………」 「うーーー(コチッ)くそぉぉーー(コチコチコチ)」  ハッ……いかん、このままではエロサイトと自家発電で今年が終わってしまう!  本当なら台本に向かってなければいけないんだけど、部屋にこもっていると悪い想像ばかりが膨らんでしまいそうだ。  桜井先輩も夜々も実家に戻り、稲森さんもいなくなった寮には、もう俺一人しか残っていない。  今年も去年同様、独り寂しい年越しになりそうだ。  あくびをしながらリビングに降りた俺は、テレビのリモコンに手を伸ばして……。 「おはよ!」 「うわ……!? 稲森さん、まだ寮にいたの!?」 「……え?」 「あ、いやいやいや! 変な意味じゃなくて、もう大晦日なのに……」 「あ……うん、ちょっとね」  変なこと口走るな、落ち着け! 心の中で自分に言い聞かせる。  とにもかくにも、稲森さんを前にして俺は少しホッとしていた。 「今日も……台本?」 「うん、そのつもり。特にやることもないし」 「そっか……」  それっきり口を塞ぐ稲森さん。  う、ううっ……できるのなら、昨日オープンカフェで聞いた話を確認したい。親衛隊と年越しするつもりなのか?  それに、芝居はまだ続けられるんだろうか……俺の頭の中をそればかりがぐるぐると回る。 「………………」 「……ねえ!」  稲森さんと同時に声をかけてしまい、顔を見合わせる。 「あ、そ、そっちからどうぞ……」 「あ、ううん、大したことじゃないから……」 「いや俺も全然なんでもないから……」 「じ、じゃあ……」 「外でご飯食べない?」 「――え!?」 「ま、ま、まままま、まさか稲森さんと食事に行けるなんてなー!!」 「と…………唐突だったかな?」 「ぜんぜんぜんぜんぜんぜん! いつも芝居に付き合ってくれるお礼に、今日はぜひとも俺のおごりで……」 「えー、そんなのだめ、ワリカンだよ」 「いやいや、ここは男が……」 「寮生でそんな余裕ある人いないでしょ?」 「いやでも……」 「それに…………あんまり好きじゃないな、おごってもらうの」 「え? あ、う……うん、そうだよね、それじゃ」  『好きじゃない』の一言で、俺はあっけなく降伏。  そういうわけで、まだ大雪の名残る商店街のオープンカフェで、稲森さんとランチをすることになった。  お互いにメニューとにらめっこして、一番安いパスタセットを注文する。  クリスマスプレゼントで無一文と化した俺だけど、年末の仕送りがギリギリで届いてくれたおかげで恥をかかずにすんだ。  遠い空の養父母に感謝――そして、これをチャンスになんとか稲森さんと仲良くなって……! 「………………」 「………………」  ううっ……変に気負ったせいか、緊張して声がかけられない。こんなツーショットは予想外もいいとこだし。  改めて向かい合った俺たちは会話の糸口が見つからず、料理が運ばれてくるまでの時間を無駄にもじもじと過ごしている。  テーブルを挟んだ二人の距離――。  日によって、それは近く感じられたり、遠く感じたられり……。  そうだ、俺はいまだに、稲森さんとの距離感をつかめないでいる。  昔は友達だった。ときたま、ちょっとその枠を踏み越えるくらい仲がよくて……けど、そのあとは3年間の没交渉。  芝居でまた距離が縮まった気がするけれど、俺はいまだに稲森さんと一緒にいると余計なことを考えて緊張してしまう。  どうやらそれは稲森さんも一緒で……二人でいる時間が急に増えても、それは1年の頃みたいな親密な関係には程遠い。 「さ、寒いね……」 「う、うん……」 「今日は……予定あるの?」 「ううん、別に……」  予定がない?  それって親衛隊の誘いは断ったってことだろうか……??  内心のドキドキを抑えつつ、迂回路で稲森さんと会話を続ける。 「年越しは実家でするんだよね」 「ううん……まだ分かんないんだ」  分からない……つまりそれは、やっぱり親衛隊の連中と……。 「………………」  稲森さんが視線を落とす。  昨日から、俺と彼女の間にはなにか透明な膜が張られているようだ。  そこへパスタとサラダが運ばれてきたので、いったん会話が中断した。 「あ、おいしー♪」 「ん……うまーーい!」  トマトソースを唇ににじませて、たちまち上機嫌になる稲森さん。  そんな表情ひとつで、俺はまた彼女のことを身近に感じてしまう。 「この店、ハードル高くて食事までは手が出ないもんなー」 「そうそう、いつもジュースばっか」 「仕送り直後くらいだよね……んー、うまい」  基本的に寮生は寮以外の食事に飢えている生き物だ。  会話もそこそこに、外食の贅沢を堪能していると――。 「ねえ、天川くん……」  フォークで皿をつつきながら、また少し距離のできた稲森さんが俺を見ていた。 「ごめん、昨日ね……練習サボっちゃった」  俺が聞きたかった話を、向こうから切り出してきた。 「あ……いや、そんなこと気にしないでいいから!」  心の準備ができてなくて、たちまち口数が多くなってしまう。 「だってほら、まだ脚本も未完成だし、練習だって今んとこ自主トレみたいなもんだから、ホントそんなのぜんぜん気にしないでいいし!」 「でも……ごめん」 「いや、あ、あ、あのさ、桜井先輩のことなら気にしないで。あの人ちょっと脳みそ溶けてるから……」 「ううん……そんなことないよ」  レモンの入った水を口に含んで、それから稲森さんはポツポツと自分のことを話し始めた。 「わたしって、姫巫女のときもそうだけど、役と自分を重ねすぎちゃうんだなって気づいたの」 「それは、夜々みたいになりきるってこと?」 「そう、それ! 夜々ちゃんほどすごくないけど……だから今は、これから自分がどんな風になるのか、台本読むのがすごい楽しみだし!」 「うっ……が、がんばる」 「だから、自分では向いてるのかなって思ってたんだけど……やっぱり何か違うな、って気づいちゃって」 「どこが違うの?」 「わたしのって、演技っていうよりも催眠術にかかってるみたいで……でも、それだけじゃお芝居にならないんだよね」 「桜井先輩の言ってたこと、厳しかったけど……正しいと思う」  そこまで言って、ようやくため息をつく。  そんな稲森さんを見ていると、すごく身近な人みたいに思えてきて……。  けれど、俺にはまだ彼女の本当の気持ちが全然分からない。  稲森さんは不思議だ……近づいたかと思うと、また急に遠くなる。 「稲森さんってさ……自分に自信ない人?」 「え?」 「…………」 「あ、ち、違ったらごめん!」 「う、ううん! 鋭いなーって思って……うん、自信なんてぜんぜんないよ……」 「いや、お、俺もさ、そういうとこあるから、ひょっとしてと思って……」 「……似てるのかな」  いや、俺なんかと稲森さんが似てるなんてことは絶対ないし。  それは、いつも取り巻きにちやほやされている稲森さんには似合わない弱音に思えた。 「どうして? 俺なんかと違って稲森さんは……」 「だって……勉強普通でしょ? 運動普通……あと歌ヘタ、料理も苦手、あんまり面白いこと言えない、それからドジ……」  稲森さんは、指を折りながら自分の欠点を挙げていく。 「……平均点どころか、追試受けなくちゃって感じ」 「でも、すごい人気あるし」 「取り得は見た目だけ、可愛いけれど観賞用……」  さばさばした顔で、さらに二つ指を折る稲森さん。  確かに俺も、一部の女子がそんな陰口を言っていたのを聞いたことがある。 「けど、それは……」 「……でもね、お芝居はいいって褒めてもらえたんだ」 「月ね――柏木先輩に?」 「うん、そうじゃなくても自分でも手ごたえあったし……なんか嬉しかったの」 「俺もいけてると思うよ、マジで」 「ありがと、だから天川くんと劇やれることになってすごく楽しかったし……」 「でも……自分が楽しくても、そのせいでお芝居をダメにしちゃ〈×〉《ばつ》だよね……」  いつもより少しだけ低いテンションで稲森さんが微笑む。  やっぱり桜井先輩の言葉が、稲森さんの中で大きなトゲになっているんだ。 「なんて、ごめんねこんな話で。なんかモヤモヤしてて」 「だ、だよね、そーゆーのはどんどん吐き出さないと! お、俺でよかったら話し相手くらいにはなるから……」 「うん、ありがと」  花泉のヒロインなんてもてはやされている稲森さんが、そんなコンプレックスを抱えていたなんて知らなかった。  親衛隊やクラスメイトに囲まれているのは、単に観賞用でしかないなんて。  姫巫女で、稲森さんがメインヒロインからサブの隣国の姫に移されたことを思い出した。  彼女自身が気づかせないようにしてたんだろうけど……たぶん月姉だって稲森さんのコンプレックスには気づいてないと思う。 「けど……俺はそんなことないと思うよ」 「え?」 「稲森さんがいると、芝居がダメになるなんてこと……」  稲森さんの焦りや悩みはなんとなく分かるけど、それってきっと必要のないとこで足踏みしてるだけだと思う。 「だって、稲森さんはやっぱ可愛いんだし……」 「稲森さんは可愛いだけじゃダメだって思ってるかもしれないけど、それだって存在感だと思うし!」 「ほら、可愛い子が笑ってるだけで、周りの連中はなんか幸せっていうか、いい気分になれたりするし……そういうのってあるんだよ」 「天川くん……」 「俺もそうだよ、俺だって稲森さんが……あ、いや、稲森さんのこと……」 「……え?」 「あ……い、いや、なんでも……」 「…………」  稲森さんは注意深く俺を見ている。  いつもの天然っぽい笑顔とはうって変わって、俺の言葉を聞き逃すまいとするような……。  な、なんでこんな空気になってるんだ? 俺はただ稲森さんを励まそうと思ってたはずなのに、勢いで変なこと口走って……。 「お、俺さ、稲森さんのこと……」  ううっ、すっかり舞い上がって言葉を制御できる自信がない……。  だって、こんなところでなしくずしに告白なんて失礼だし、断られるに決まってるし――そもそも俺は稲森さんにそんな下心なんて……!  でも、稲森さんが恋をすれば演技の問題は解決する……?  だめだだめだ、桜井先輩なんかの言葉に惑わされちゃダメだ!  と、と、とにかくっ!! 今の会話の趣旨はそうじゃなくて!! 「い、稲森さんのこと、いい役者だって思ってたから……ほら、姫巫女のときだけど!」  急なカーブを曲がるみたいに、俺は芝居方向へ会話のハンドルを切った。  すぐにコースアウトしそうになる言葉を、必死に制御する。 「隣国の姫ってさ、あの芝居で一番難しいポジションっていうか、シリアスとコミカルが両方あって、でも稲森さんは両方とも出せてたと思うし……」 「なんか、すごい稲森さんらしいっていうか……存在感あって良かったと思う、うん!」 「ありがとう、天川くんに言ってもらえると嬉しいな……」  ぎこちなく笑った稲森さんがまたフォークを玩ぶ。皿のパスタはとうに冷えてしまっている。 「…………お世辞だと思った?」 「ううん、そんなことないよ。けど、なんか迷惑かけちゃいそうな気がして……そういうのってなかなか抜けないんだよね、あはは……」 「ギブアップしそう?」 「そんなことないよ……!」 「だって……いまさらやめるなんて……」 「それは稲森さんがどうしたいかだと思うよ」 「……」  稲森さんが瞬きをする。  あれ、心なしかちょっと表情硬くなった? 俺は慌てて言葉を重ねて行く。 「いやだってほら、そもそもは俺がいい台本が書けてないから、稲森さんをかえって悩ませてるような気がするし……」  俺どっかで脱線してた? なんか変なこと言ったのか!? 「桜井先輩のクレームだってさ、あの人ほんの一部分しか見てないから適当だし、ぜんぜん自信なくすようなことじゃないと思うし……」 「それだけで自分の欠点に気づくなんて、むしろスゴイって思うし、才能っていうか……でも……」 「…………でも、稲森さんが悩んでるのも分かるから」 「だから俺、稲森さんのこと無理やり舞台に上げたりしないから……自分の気持ちで決めてくれたらいいよ」 「天川くん……」 「え、ええと、だから……」 「うん…………そうだね」  食事のあとすぐに寮に戻った俺たちは、休んでた分を取り返すように芝居の稽古を始めた。  もう少し稽古して、それで自信を取り戻したい――稲森さんがそう言ったからだ。  ……でもその壁は俺や稲森さんの予想よりも高かったみたいで。 「青い空は空気の壁――この空気に乗ることなんて、本当にできるのかしら?」  やっぱりというべきか……稲森さんの調子が悪い。  それは、横で見てる素人の俺にも分かるくらいちぐはぐで、セリフも読み間違いこそしないものの、どこか棒読みっぽく聞こえるし。  なんていうか……生き生きとしてないんだ。  自信のなさが、稲森さんの芝居を滅茶苦茶にしてる感じ――ミス・マグダネルダグラスに入ることができずに苦しんでいるみたいに……。 「…………はぁ」  台本のあるところまでひととおり通してから、稲森さんがソファーにへたり込む。 「いいんじゃないかな、もう少しやれば、自然に馴染んでくると思うし……」  口先だけの励ましなんて意味がないと思いつつも、俺はついフォローするようなことを言ってしまう。  稲森さんは役と自分を重ねる――なりきってしまう。  つまり、俺が書いているのは劇の物語であると同時に、舞台の上にいる稲森さんの話でもあるわけだ。  そんなものを、俺なんかが台本にしていいのだろうか……。 「ほんとにクローバーがあったらいいのにな……」  ソファーに身を投げ出した稲森さんは、励ましの言葉を上滑りさせる俺に、そう笑いかけた。  本当にこの芝居を、これ以上続けることができるだろうか。  桜井先輩の残したノートPCに向かいながら、俺は頭を抱えている。  外はすっかり暗くなった。PCの時計は18時を指している。 「稲森さん、立ち直れるかな……」  原作を書いた桜井先輩にああもダメ出しをされたら、悩むのも当然だ……。  けれど、あのまま稲森さんが潰れたらと思うと、気が気でない。  書きかけの台本で演技してもらう申し訳なさを感じながら、俺は稲森さんの悩みのタネになっている、華のない演技について考えている。  ヒロインになるには華がないなんて言われても、俺には正直ピンと来ない。  だって、俺はずっと稲森さんのヒロインを想像しながら台本を書いているわけで……他の人がヒロインをやるなんて想像もできないし。 「はぁ……」  稲森さんのことを考えていると、昼間の会話が勝手に頭の中で再生される。  励ましているつもりが、いつしか告白するみたいな流れになってて……。 「あれって、チャンスだったのかなぁ……」  あのとき飲み込んだ言葉を、もう一度引っ張り出そうとする。  俺は稲森さんのこと――。  好き? 「そりゃ好きだけど……いったん諦めてるわけだし、いまさら虫が良すぎるって」 「つまり、この『好き』ってのは『愛してる』とかそういうんじゃなくて、『憧れ』みたいな、どこか距離のある『好き』だったんだな、うん」 「………………なに独り言でフォローしてんだ、俺?」  けれど、一人で部屋にこもっていると、稲森さんの事が気になって仕方がないわけで……。 「……進歩してねーな……あの頃から」  ため息をついて寝転がった俺は、昔のことを思い出した。  ――それは俺たちが花泉に入学する三ヶ月前、白い雪の季節。  俺はこないだ一緒にソリをした公園の高台で、稲森さんと出会った。  そのときも稲森さんは、スキーで転んで足を挫いていて。  そのときから稲森さんは、駆けつけた俺が見とれてしまうほど可愛くて――。  俺は雪に半分埋まった彼女を助けて、家族のところまでおぶって連れて行った。  あのときは名前も聞かなかったし、お礼を言われるのも照れくさくて、すぐにその場を立ち去ってしまったけど……。  ――それから三ヵ月後の入学式。  桜の花びらが雪みたいに舞う中で、俺は稲森さんと再会したんだ。  ひと目であのときの彼女だって分かった。  舞い上がった俺が『ハジメマシテ』と挨拶したら、稲森さんも自然にそう返してきた。  きっと、スキーのことは覚えてなかったんだろう。  稲森さんにしてみれば、それが俺との初対面。  けれど、席が近かったこともあって、それからはよく一緒に遊ぶようになった。  あの頃の稲森さんは、まだ今みたいな学校のヒロインではなくて……。 「…………最近、よく思い出すな」  稲森さんに手が届かなくなってからは、ずっと封印していた思い出。  芝居のおかげで近づいた気がしていたけど、やっぱり稲森さんはどこか遠いところにいる……。  そんなことを考えてるうちに、時計は7時を回っていた。  それでいいのか……?  俺はそれでいいのかな?  稲森さんを、いつまでも観賞用にしておいて、親衛隊たちのマスコットにしておいていいのか?  少なくとも稲森さんは、そこから抜け出したくてがんばってる。  だから……。  芝居をやると決めたときの、稲森さんの嬉しそうな顔を思い出した。  そうだよ、だから俺は、彼女と一緒に芝居を作りたくなったんだ……!  もう一度、稲森さんと話してみよう――そう思って、俺は部屋を飛び出した。  昼間の会話だけじゃ、自分の気持ちを伝えられていない。もう一度、悩んでる稲森さんとちゃんと話しておきたかった。 「稲森さん、いる?」  無人の女子エリア――稲森さんの部屋をノックしても返答はない。  やっぱり……親衛隊のところに行ってしまったのだろうか。  ため息をひとつ。  吐く息とともに、一度は盛り上がっていた俺の決意も、たちまち身体から抜け出してしまうようだ。 「はぁ……一人で年越しか……」  携帯を握ったまま、テレビをつける。  もうすぐ格闘技の特番が始まる時間だ。それまでのつなぎに歌合戦のチャンネルに合わせる。  ちょうど1年前もここで、俺は同じように一人で座り、同じようにリモコンを操作してた。  手の中には携帯電話。いま稲森さんに電話をすれば、すぐに居場所も分かるだろう。  けれど……そんな俺の思い込みで電話をして、どうなるっていうんだろう。  本当は年越しで家に帰ったのかもしれないし、それを俺に報告する必要なんて、稲森さんには全くないんだし。 「はぁ……」  俺の勝手な都合だって、わがままだって分かってるんだけど……でも。  でも、もう一度だけ、とにかく稲森さんともう少し話をしてみたい。  そんなことを考えながらテレビの音楽を聞き流していると、ふいに稲森さんの言葉が蘇ってきた。 「クローバーがあったらいいのにね……」 「…………まさかね」 「………………」  ソファーから立ち上がって、テレビのスイッチを切る。 「…………なに考えてんだろうな、俺は」  コートをまとった俺は、そのまま寮を飛び出した。  一緒にクローバーを探した大橋に向かって、大晦日の住宅街を駆け抜ける。  稲森さんがそこにいるかどうかなんて分からない。  それでも、温かい寮のリビングでテレビを相手に時間を潰しているのが、とにかく嫌だったんだ。 「くーっ、寒ィっ!!」  全力疾走するのは久しぶりだ。  足を運ぶたびに激しくなる心臓の鼓動が、体内の血流を早くする。  体内をめぐる血の流れと、刺すような冬の冷気――。  外からの冷たい刺激が、同じところをぐるぐる回るばかりだった俺の気持ちを新しく入れ替えてゆく。  いま思えば、昼間のアレがいけなかったんだ。  『稲森さんがどうしたいかだよ』  あんなこと言っちゃいけなかったんだ。だって、それは俺も一緒だから。  俺は――。  俺はどうしたいんだ?  稲森さんとどうしたい?  その答えなら決まってる――稲森さんと一緒にあの劇を完成させたい。  稲森さん以外の人をヒロインにすることなんて、俺には全く考えられないことだから。  それを、ちゃんと言うべきだった。  なのに俺はあのとき、その答えを稲森さんに丸投げして――。  握りこぶしでこめかみをゴツンと叩いた。 「親衛隊の連中のほうが、よっぽど正直だ」  今度はちゃんと俺の気持ちを伝える。  稲森さんがお芝居に戻ってこれるように。  親衛隊の壁の向こうに、稲森さんが消えてしまわないように――。  大橋に着いた。  さすがに辺りは暗い――もちろん稲森さんの姿はどこにもない。 「はずれ……か……」  とっさのひらめきでここまで来たけれど、稲森さんがここにいることの根拠なんて、限りなくゼロに近い。  やっぱり、実家に戻ったか、親衛隊と一緒に遊びに行ったんだろう。  それでも走ったおかげで、少しだけ自分の気持ちを取り戻せたような気がする。 「気づくの遅いんだよな……」  携帯を見つめる。  いまの気持ちを、電話ででも稲森さんに伝えて――。  いや、やっぱり目を見て話をするべきだ。ボタンを押さずに、そのまま携帯をポケットに戻した。  いないものは仕方がない。  せめて四葉のクローバーでも見つかればと思って、足元の草むらを掻き分ける。 「大晦日になにやってんだかな……」  テレビも見ず、そばも食わずに、クローバー探し。  けれど、いまの俺にはこの冷たい空気が心地いい。  寮に戻るのを引き延ばしつつ、土手沿いの土をいじりながら、しばらくうろうろしていると――。 「……お!?」  三葉を掻き分けた指の先、そこには紛れもなく、四葉をつけた小さいクローバーが生えていた。  細く頼りない茎を、指先でプツンと引っこ抜く。 「見っけたよ、稲森さん……」  と、彼女の名前を呟いたとき――。  川沿いをこっちに歩いてくる人影が見えた。  あれは……。 「…………マジ!?」  間違いない――――稲森さんだ! 「おーい、稲森さん!」 「…………」  俺の声が耳に届いていないのか、いつも元気な稲森さんが、とぼとぼと暗い土手沿いの道を歩いてる。  やっぱりクローバーを探しに来たのかもしれない。けれどあの感じじゃ、きっと四葉は見つからなかったんだろう。 「稲森さん!」 「………………あ、天川くん?」  駆け寄った俺は、稲森さんの手にクローバーを乗せる。 「ほら……クローバー、いまそこで見つけたんだ」 「え??」 「あ…………」  稲森さんの手の中――摘んだばかりの四葉のクローバーは、まだ綺麗な緑色をしている。  それをじっと見つめる稲森さんの横顔を、スモークがかった街灯が照らしている。 「…………ほんとだ」 「うん……」 「ありがとう」  稲森さんがにっこりと笑顔をつくる。  冷たい空気に赤く染まった頬が、まるで初めて会ったときみたいで……。 「な、なんか思い出すな……昔のこと」 「いっしょにクローバー探した頃?」 「ううん、もっと前……入学したばっかの頃とか」 「………………」  さっきはあれだけあふれ出しそうだった言葉が、急に出てこなくなってしまった。  照れる俺の横顔を、稲森さんが見つめている。 「……天川くん、入学式のこと覚えてる?」  もちろん忘れるわけがない。スキーで転んだ稲森さんを助けた三ヵ月後のこと。入学式のあとにクラス分けがあって――。  ――桜の花びらが雪花みたいに舞う中で、俺は稲森さんと再会したんだ。 「クラス分けの発表してたときだったよね……」  ――ひと目であのときの彼女だって分かった。 「天川くんが私のこと見つけて……覚えてる? 『はじめまして』って言われたの……」  ――舞い上がった俺が『ハジメマシテ』と挨拶したら、稲森さんも自然にそう返してきた。 「あのときはびっくりしたなー」  ――きっと、スキーのことは覚えてなかったんだろう。 「だって……ほんとは『はじめまして』じゃなかったんだよ」 「……え?」 「でも、覚えてないよね……そのときはほんの一瞬だったから……」 「稲森さん……」 「あのね、そのとき天川くん……」 「スキーで転んだ稲森さんのこと助けて……」 「……!」 「……覚えてたんだ」  二人の声が同時に重なった。 「…………」  川の流れる音がやけに大きく聞こえる。俺と稲森さんはぽかんとした顔で見つめ合って……。 「あ、あはは……知らなかった」 「俺も……どうせ忘れてると思って」 「そ、そうだよね……ありがと、なんて5年遅れだけど」 「いや、ぜんぜんぜんぜん! あれ……じゃあ、あのころ稲森さんが俺と仲良くしてくれたのって、そのお礼だったとか……?」 「そ、そんなことないよ!!」 「げ、まさか仲良くしてもらってたわけじゃなかった!?」 「そ、そういう意味じゃなくてーー!!」 「な……なんか……楽しかったし……」 「…………うん、だから」  稲森さんが恥ずかしそうに下を向く。俺は照れくさくて空を見上げた。  大晦日、雲ひとつない夜空には、降ってきそうなほどたくさんの星。  なぜか知らないけど、このまま空を飛べるんじゃないかって思うような――。  そんな星空を見上げながら、俺は少しだけ勇気を出した。 「昼間はごめん……」 「昼間?」 「うん……稲森さんがどうしたいかだなんて、他人事みたいに言ってさ」 「え? え? 全然そんなの気にしてない」 「でも、あのとき俺……ちょっと逃げてたから」 「…………」  稲森さんは黙って次の言葉を待っている。  俺は一度唾を飲み込んでから、うつむき気味の稲森さんを振り返った。 「稲森さん……俺、やっぱり稲森さんと芝居作りたい!」 「祐真くん……」  稲森さんが顔を上げる。 「まほ……ちゃん?」  懐かしい名前で呼び合うと、止まっていた時間が動き出したような気がした。 「……うん、やる!」 「心配かけてごめんね……でもやめるつもりなんてなかったよ、ちょっと迷ってたけど」 「そ、そっか……よかった」 「けど、もう大丈夫、だって……」 「……あうっ!?」  勢いよくこっちを向いた稲森さんが、橋の欄干に手首をぶつけてうずくまる。 「うぅぅぅ……いたぁぁ……」 「だ、大丈夫?」 「ありがと……いたたた」  少し恥ずかしそうに笑う稲森さん。 「俺といるとドジになる現象は、どうやら健在っぽいね」 「うん……それね、たぶん1年のころを思い出しちゃうからだと思うの」 「1年の……?」 「うん、わたしがドジでも、天川くんがなんとかしてくれてたから……」  呼び方は天川くんに戻っていたけど、稲森さんはちょっとドキッとするようなことを言った。 「や、やっぱり名前で呼ぶのは照れるね……あはは……」 「そそそうだよね……あ、あははは……」 「はは……は…………」 「………………」  笑い声が途切れた。  稲森さんが俺を見てる。俺も稲森さんを見てる……。  こ、これって……このムードって……! 「い、稲森さん……っ」  わ、わかんないけど……キスってこういうムードでしない?  してもいいんじゃないのか?  キスしても……。  稲森さんに向かって足を踏み出す――。  たったの半歩、そこで俺は固まってしまった。 「…………」  足が動かない! こんなときに、まるで蛇に睨まれた蛙みたいに!  ううっ……無念!  俺は必死に呼吸を落ち着けながら、キスのかわりに稲森さんと手を重ねた。 「……?」 「こ、転ばないように……」  ぎゅっと握る、稲森さんは嫌がらなかった。 「ゆ、雪が残ってるから……足元」 「あ……そ、そうだよね、ありがと……」 「うん、あ、え、え、えっと……も、戻る?」 「え? え?」 「いや、だからその……もし他に予定ないなら、寮とか……」 「あ……そ、そ、そうだね……うん、戻ろうと思ってた!」  親衛隊との予定はなかったんだ……心の中の大きなつかえが、一気に押し流されていく。 「そ、そっか、予定ないんだ……あ、あはは……い、行こうか?」 「そ、そうだね……いこっか」  必死に手をつないでみたものの、そこまでが限界だった。  俺も稲森さんも、日ごろの10倍くらい緊張しながら、ほとんど口もきかずに歩き出した。  歩きなれた寮への道が、やけに長く感じられる。  二人並んで、会話らしい会話もなく、聞こえるのは少し早い息づかいだけ。  なぜなら、いま余計な言葉を挟んだら、この空気が全部台無しになってしまうような気がしたから……。  大晦日の夜。  俺と稲森さんは手を繋いで、寮までの道をゆっくりと歩いた――。  ――1月1日、午前7時。 「明けましておめでとーっ!」 「おめでとーーーー!」  東側のフェンスから、初日の出に向かって声を張り上げる。  元旦、俺と稲森さんは早起きをして、外が暗いうちに学校に忍び込んだ。  まだ暗い屋上で芝居の話なんかをしながら、新年の朝日が昇るのを待ち続けていたのだ。 「今年もよろしくーーーー!」 「よろしくーーー!!」  まぶしい光が、視界の隅々までを照らし出している。  太陽に向かって立つ稲森さんを見ながら、俺は目を細めた。  稲森さんと一緒に新年を迎える事は出来たけれど、昨夜は結局、期待していたような出来事は何もなかった。  キスはおろか、手を繋いでいたのも寮に戻るまで。  テレビで格闘技を見ているうちに、すっかりいつものテンションに戻ってしまい、何を話したかも覚えていない。  おまけに、そんなドギマギ空間にはまり込んでいるうちに眠気に襲われて、情けないことに俺から先にダウンしてしまった。  せめて一緒に初日の出を見ようと、朝稽古の約束を取りつけたのだが……。  でも、今まで遠いところにいた稲森さんと、こうやって一緒にいるだけで、けっこう俺としては幸せだ。 「すごい……綺麗」 「……眩しいね」 「え!? まま眩しいなんて、そんな、やだなーー!!!」 「は?」 「いきなりそんなこと言われたら照れるってー」 「いやいやいやそういう意味じゃ……」  ……って、なんで真意がモロに伝わった!? 「もうやだなー、きゃあっ……!!」 「わぁぁ、しかもそこは凍ってるーーー!!」  俺は全力のスライディングで、稲森さんが尻餅をつきそうな辺りに突っ込んでいく。  そう、稲森さんをドジから守るのは俺の役目だから! 「っと、セーフ……と、と、と? きゃああっ!?」  なのに稲森さんは転倒を回避しようと、無駄にケンケンしながら明後日の方向へ!?  ――どべしゃっ!! 「あうぅーー、つめたーーーーい!!」 「ううっ……さすがにこいつは支えきれない……」  昼まで稽古をした俺たちだけど、寮に戻ればフロアも違うのでお互いの動向がさっぱり分からない。  ずっと台本を書いていた俺は、喉が渇いたので食堂にお茶を飲みに行こうとしたんだけど……。 「あ、天川くん!」 「お、稲森さん、なにそれ?」  見ればテーブルの上は、色とりどりの季節商品が山積み状態。  カラフルな羽子板に、手作りコマと太い糸、それから和風の箱に収められたカードの束は――百人一首かな?  すなわちそれらは、古き良き伝統のお正月玩具。 「どうしたの、こんなにたくさん」 「雪かきの時、雪乃先生が物置で見つけたの。面白そうだから引っ張り出してきちゃった」 「へぇぇ、これも一応は寮の備品なのか……」 「……で、ちょうどそれを見てたところに、偶然天川くんがやってきたってわけ!」  ……なにその説明的なセリフ? 「せっかくだからやってみる?」 「いいの?」 「もちろん! こんな偶然が重なるってことは、やった方がいいって事だと思うよ♪」  ふとテーブルに目をやると、おもちゃの横には、紙皿に盛られたお菓子やらドリンクやらも並んでいて……。  ま、まさかこれって……俺の? 「偶然……?」 「そ、そう、偶然だよ、偶然!」 「え……? でも、そのお菓子は……」 「く、クリパの残りが偶然あったのでーー!!」 「全部なくなったって聞いてたけど……あれ、紙コップも2つあるし」 「い、い、糸電話つくってたから、偶然!!」 「ジュースも2人分注がれてる……」 「そ、それも偶然っっ!!」 「この色……」  この得体の知れない濁った色は……!?  こ、これはかつて、俺を下痢の渦に叩き込んだ、稲森さん特製のミックスヂュース!? 「ぐ、偶然ヂュースを作りすぎちゃって……!!」 「ぐ、偶然!?」 「ぐーぜん!!」 「わ、わかりました!!」  ううっ、稲森さんの偶然の心遣いに感激しつつも、ヂュースが怖くて泣くに泣けない……。  ――そういうわけで、台本作業をちょっと休憩して、正月らしいレクリエーションタイムに突入。 「それじゃー、いくよー!」 「う、受けて立とうー!」  数ある正月トイズの中から俺たちが選んだのは、むかーし寮にいた先輩が製作したという『正月満喫すごろく』だった。  なんと、この製作年度が昭和というヴィンテージすごろくは、互いが同じマスに止まったらバトルカードを引いて勝負する対戦仕様!  おまけにそのバトルというのも実に正月らしいもので――。 「えーと、コマ回し対決、カルタ対決、羽根突き、羽子板回し、ジュース一気飲みに、黒豆つまみ競走、熱々のお雑煮早食い勝負……」 「おおーー、それは盛り上がる!! 昭和の先輩もなかなかバラエティ向きなゲームを作るなぁ!」 「ね、お正月気分満載だよねー」 「ううっ……去年を思い出すと、なんて正月らしい正月なんだ……!!」 「あー、泣かない泣かない!」  かくして、稲森さんがいることに感謝しつつもゲームは開始され――。 「いくよ、えーと、えーと……バルスッ!!」  すごろくの説明書に書かれていた呪文を唱えて、ていっ……っとばかりにサイコロを振る稲森さん。  だがしかし……賽はコロコロとは回らずに、お約束の軌道を描いて俺の眉間を……。  …………直撃!! 「わぁぁーー! 目が、目がーーー!!!」 「は……はい、やっぱ掛け声は要らないと思う」 「うぅぅ、ごめんね……」  俺からサイコロを受け取った稲森さんが、景気付けに謎のミックスヂュースを一気飲みする。 「ぷはーっ、あらためて……ていっ!!」 「……2」 「ざんねん、次は俺ね……4!」  すごろくなんて、何年ぶりにするだろう。  花泉の寮生活が始まってからというもの、正月というのは独りでテレビを見て過ごすものだと決まっていたから。  それにいい加減すごろくで喜ぶ年齢でもないわけで……。  でも対戦相手が稲森さんともなれば、一気にテンションも持ち上がる。  それにしても、わざわざゲームの準備をして俺を待っててくれたなんて……。  稲森さんも、まさか俺のこと……?  い、いや、そんなことないよな、あるわけないって!!  でも、そう……別の言い方をするならば。  嫌いじゃないってことだよな!  おおーー、それだけで充分燃えてきたっ!!  なんて思っている間にも、すごろくのコマはどんどん進んで行き――。 「ここで3を出せば、早速バトルか、よーし……!」  コロコロコロ……。 「惜しい、4かぁ……わぁぁ、10マス戻る!!」 「よーし、ここで一気に引き離し……ていっ!」 「わーーーん、1ーー!!」 「おぉ、わんと上手くかけてる!」 「かけてないかけてない……あ、でも……てことは10マス戻って……」 「バトルだー!」 「ぴんぽんぱんぽーん、お知らせでーす! 実はこのゲームはバトルで負けると罰ゲームがあるのでーす♪」 「ば、罰ゲーム!?」 「そう! ほら、これこれー」  稲森さんが山ほどあるカードの束を扇状に広げる。  ずらーーーっと並ぶ罰ゲーム札の数々。 「ふむふむ、デコピン、ゴムパッチン、腕立て30回……このミスコンテストってなんだ?」 「女装でミスコンの真似するんだって! ちょっと面白そう!」 「へぇぇ、こっちのRQってのは?」 「女装でレースクィーンの真似だって!」 「……なにその女装率の高さ」  それだけでなく、こっちにはドリンク一気飲みなんて、別の意味で怖いカードもあるし……。 「バトルで負けたら、どれか1枚引くんだって♪」 「え? えーと、もし女装を引いたら……?」 「それはもう着るしかないねー♪」 「でも服が……」 「それなら平気! 恋路橋くんの着てた衣装を持ってきてるからー!」 「えええええ!? 本気ですか!?」 「ふっふっふ、似合うかもー、きっと似合うよー、着てみようよー♪」  熱心に……というか、それを超えて、目に星の輝きを宿す稲森さん。  恋路橋め……奴の女装が稲森さんに変な趣味を目覚めさせたのか!?  ……だとしたら大本の原因はやっぱ俺か、ううっ。 「こ、こーなったら是が非にも負けられない!」 「じゃあバトルカードめくるね……えいっ!」 「出ました。お正月恒例、百人一首ーー!」  ううっ、正月からテンション高い、高いよ稲森さん。  そしてたちまちテーブルに並べられる百人一首の歌人たち。 「2人じゃ読む人がいないから、坊主めくりで勝負ねっ♪」 「坊主を引かなければ勝ちなんだよな……よーし、負けないぞ」 「……ていっ!!」 「ぎゃあああああ、〈蝉〉《せみ》〈丸〉《まる》ーーーー!!!!!」 「はーい、罰ゲームカードをどうぞー♪」 「ううっ……女装だけは避けたい……ていっ!」 「おっと、これはラッキー。ドリンクタイムでーす♪」  稲森さんが紙コップ満杯のジュースを突き出してくる。  なにがなんだか分からないうちに、俺の目の前には濁りきった暗緑色のどろーり液体が……。  ううっ、これは別の意味で命の危険が迫っているような気がする!  けれど、さっき稲森さんはこのジュースを飲んでいた。  つまり、前みたいな悲劇は起きない……はず! 「い、い、いきまーす!!」 「どうぞー」 「ごくごくごくごく……ん、んん?」 「ど、どう?」 「んぐっ……美味しい!!」  よかったー! 本当によかったー! 稲森さんの上達に感謝。  見た目は工場の近くの川の水みたいだけど、味は抜群だよ! 特にこのほのかな苦味と、身体を燃やすような口当たりがたまんない! 「ごくごくごくごく……ぷはーっ、お、おかわり!」 「おっ、ノリノリですねー」 「もちろん! これで勢いつけて、稲森さんにも男装で罰ゲームをさせてやるっ!」 「ええ!? 男装? わたしが?」 「女子が女装してもペナルティにならないでしょーが」 「す……するどい!」 「じゃあ、わたしが負けたら……男装?」 「も、もちろん!! そうでないと公平じゃない!」 「あ、あははー、それはそれで面白そう。男装ってミュージカルっぽいし、ちょっと興味あるかも♪」 「ふ、ふっふふふ……稲森さんは軽く考えてるみたいだけど、ここで言う男装ってのはボーイッシュでそれなりに可愛い格好なんかじゃない」 「すなわち、罰ゲームなので、真にリアルな男の格好なのだ!」 「まずは靴下! 夏に比べればまだましだが、今でもやはり履き続けた靴下のにおいは強烈! 五キロほどランニングした後の靴下の着用が第一の条件!」 「続いてパンツ! これは新品を許可するが、ふっふっふっ、ぶかぶかの縦じまの、みるからにだっさ〜いオヤジ風なステテコ(旧名)は第二の条件!」 「第三に真冬なのでその上かららくだのパッチ。同じくババシャツにも似た長袖丸襟のシャツに腹巻きが第四の条件!」 「とどめはハゲたカツラと無精ひげのセット! ちなみにかつての寮祭で使われたものが物置に眠っているのを……」 「続きやるよー、えいっ!」 「ううっ、最後まで話したかったのに……!」  それからも、すごろくバトルはヒートアップ。 「ええいっ! やったー6!!」 「ろーく、ろーく……っと」 「きゃあああああ、1回やーすーみーだー!!!」 「よし、ここで一気に追いつく! えいっ!」 「いちーーーー!! 1か2ーーーーー!!!」 「よし、5! これで稲森さんの男装にまた一歩近づいた!」 「あ、あんまり近づかないでよー、えいっ! やった、5!」 「……1回休みだって」 「わぁぁぁ、忘れてたー!!」  正月早々、必要以上にノリノリなオレたち。  稲森さんのテンションが、特にいつになくハイになってる気がする。  それってつまり……。 「俺を意識してるってこと? な、なーんてね! なーーんてね!!!」 「おーい……あまかわくーん?」 「わぁぁ、口に出してた!? な、なんでもないなんでもない!!」  お、俺も充分高かった――!  でもゲームは負けない! 魔星特製ミックスヂュースで気合い補給だ! 「ごくごくごく……ていっ、2!」 「あははは、負けないよー、ええーいっ!!」 「稲森さん、コマ振ってどーすんだ、あはははは!」  あー、なんなんだろう、この急に湧き出してくるハッピーな感じは。 「あれ?? あ、あははは……なんかもうよくわかんないけど、くらえー!」 「あー、バトルだー!」 「バトルだー!」  すごろくに熱中してるうちに、なんだか頭がクラクラしてきたけれど、今度の罰ゲームははねつきだから大丈夫!!  あれ、羽子板はあるけど羽根がないぞ! 「あれー、気づかなかった!」 「平気平気、そういうときは羽子板バトルがある!」  変にアゲアゲなテンションを維持したまま、2人、向かい合って立つ。  その手にはおのおの1枚ずつの羽子板! と、そこで俺はあることに気がついた。 「あ、稲森さん……膝んとこ」  フレアスカートの下、すらっと伸びた稲森さんの脚の真ん中あたり……。  綺麗な形の膝に、絆創膏が貼ってある。 「あ、こ……これ今朝転んだときの、あはは……」  恥ずかしそうに絆創膏を隠す稲森さん。 「昔は、よく絆創膏貼ってたよね」 「そ、そうだったかも……あはは……ちょっと恥ずかしいけど……」  そして俺は、稲森さんが転びそうになるのを何度も助けてあげて……。 「………………」  い……いかんいかん。  思い出モードに入ると頭がボーっとしてくる。なんか視界もクラクラしてるし。 「よ、よーし、まけないぞー」 「わたしだってー」  羽子板バトルとは、全くもって単純な正月対戦種目だ!  (1)右手の人差し指の上に、逆さにした羽子板の角を置く。  (2)合図で支える手を外して、指一本でバランスを取る。  (3)先に落としたほうが負け!  ルールは以上。 「よーい!」 「どん!」  同時に手を離すと、当然羽子板は指の上でフラフラ動く。 「きゃっ、きゃっ……わ、わ、わっ……」  羽子板が傾いたら、そっちに腕を動かして、何とかバランスを取ろうとするものの……。 「ぬ、お、おっ、おっ……」  フラフラ揺れる羽子板を立てたままにするには、腕の動きだけでは足りなくて、体も動かさなくてはいけない――。 「どどどどどうだ稲森さ……っととと!!」  しかし、こんなバトルが転倒女王の稲森さんに向くはずもなく――。 「きゃ、あれ? あ、あ、あ、あ、あーっ!!!」  稲森さんの羽子板が、ぐらりと大きく傾いて、それを追うように体そのものが傾いて……。 「きゃぁぁーっ!」 「危ないっ!」  俺は羽子板どころじゃなく、テーブルに突っ込みそうな稲森さんの身体を支えようと腕を出した。  その瞬間、稲森さんが俺にしがみついて。  物理の法則。作用と反作用。稲森さんの体を止めると、稲森さんの全運動エネルギーが俺に作用して……。  稲森さん踏みとどまる。そして俺の視界が、柔道の技をかけられたみたいにぐるっと1回転――。 「わぁぁっ!?」 「ゆ、祐……ま川くんっ!?」 「いてっ、ケツ打った……!」 「うえ、上ーーーーっっ!!」  上を向いた俺の眉間に、宙を舞った羽子板が垂直降下! 「んげっっっ!」 「あ、天川くん、テーブル引っ張ったらあぶないー!」  もがいた俺がつかんだものは、テーブルの足!?  ぐらりと傾くテーブル。上にあったものがゴロゴロと絨毯に転がって、こまを踏んづけた稲森さんが――!! 「きゃ、あ、あ、あーーーーっ!!」 「平気、俺が下にいるっ!」 「で、でも、きゃあああああああっ!!」  ――どがっ! 「ぐえっ!?」  ひ、肘が……全体重乗せた肘が背中に……っ!! 「ご、ごめんっ、大丈夫!」  慌てて立ち上がろうとした稲森さんは、さっき俺がつかんでしまったテーブルの足を見事に引っ張って。  ――ドガッシャアアアアアアッ!!!! 「……………………うぇぇ」 「……………………し、死にそう」  そして、いろんな意味でゲームオーバー気味な俺の目の前に転がってきたのは、稲森さんがミックスヂュースを詰めていたオサレなボトル。  ――――――オレンジリキュール?? 「い、稲森さん……これ?」 「あ、オレンジの香料だけど……」 「ちっがーーーー!!! 酒だーーーーーーー!!!」  ど、どうりで頭はクラクラするわ、足元はふらつくわ……。 「あ、あはは、あはははは……そ、そういうこともあるよ! うん!」 「………………死んだ」 「わーん、ごめんーー! 死なないでー!!」 「あ、いいよー、入って」 「おじゃましまーす。わー、いい匂いだーー!」 「変わんないよ、男子の部屋と」 「でもなんか違う……香水っていうか、アロマっていうか!」 「何にもしてないけどねー」  こ、これが女子臭というものか……か、感動だ!! 「持ってきたよー、ほら、雪乃先生コレクション」 「あー、悪いんだ! 怒られるよー!」 「お屠蘇だって、お屠蘇♪」 「うー、でも、あとで買って返そうね」 「ならどこまで入ってたか、マーキングしておこう」  まだアルコールに頭を痺れさせながら、稲森さんの部屋に遊びにきた。  すごろくのつもりが、まさかの飲酒大会になったので、こうなったら校則違反ついでだと、初の飲み会をしてみようと稲森さんを誘ったのだ。  お酒は、雪乃先生の秘蔵コレクションが食堂に隠してあるのを拝借してきた。  甘口の日本酒と何かのボトル……よく分からないけど、飲めないってことはないだろう。 「えー、男子ってお酒飲んだりしてたの?」 「先輩に誘われて、何度かね……女子はそういうことないんだ?」 「しないよー! 見つかったら停学だよ!」 「じゃあ秘密にしとかないとね」  まったく、酒パワーがなかったら、こんな大胆なこと俺にできるはずがない。  けれど今は、自分ではやらないようなことをしているのが何となく楽しくて……。 「はいはい、そーゆーわけで、どーぞどーぞ……」  日本酒が注がれたグラスを手に、こっちをちらっと見る稲森さん。 「うぅぅ……」 「一緒に行こう、はい、かんぱーい♪」  かちりとグラスが合わさり、日本酒を流し込む。 「んぐ……ん!?」 「んーーーーーーーーーーーっっ!!」 「けはっ、はぁ……はぁぁ…………す、すごいね!」 「なんか喉熱いでしょ?」 「うん。うわあぁあぁぁあっっ……ってなってる!」  喉のところで両手の指をわしゃわしゃさせる稲森さん。 「先生とか、これ一気に飲むらしいもんなー」 「大人すごいね……」 「うん、すごい!」  会話の知性が足りないのもきっと酒のせいだろう。  お互い手探りで、未知の世界を歩くような感覚を楽しんでいる。 「はぁ……これおいしいね」 「先輩がよく言ってたよ、オレンジジュースで割るとだいたい飲めるって」  途中、ジンをジュースで割ると飲みやすいという事に気付いてからは、そっちばかりを飲み進める。  そんなうちに、また頭がクラクラしてきて……。 「えー、稲森さん、やっぱ彼氏いないの?」 「あ、天川くんだってそうでしょ? 寮の子はみんなそーだよ」  始めはいつもみたいに芝居の話をしていたのが、途中からはそんな微妙な話に脱線していく。 「女子はそうでもないでしょ?」 「わ、わかんないけど……でも時間ないし」 「受験だもんなー、あんま考えたくないけど」 「ねー」 「だから無理して彼氏作ったりしてみない?」 「えっ? どうして?」 「桜井先輩が言ってたけど、稲森さんの演技のこと……」 「え?」 「稲森さんが恋をすれば解決するって」 「………………」 「……がーん!!」 「じゃ、じゃあ、恋しないとダメってこと??」 「すりゃいいじゃん」 「え? ええ? で、でも……!」 「哀れな相手役は親衛隊に血祭りだろうけど……」 「そんなことないよー」 「いやあります。それは確実にある!」  稲森さんとこんな話をするのは、久しぶりだ。  稲森さんが俺にこんな話をしてくれるのは、酒パワーだろうか、それとも一緒に芝居を作る仲間だから? それとも……。  大晦日、手を繋いだ事を思い出しながら、俺は話を際どいコースへぎこちなく進ませていく。 「じゃあ稲森さん、彼氏ずっといないの?」 「え!?」 「あ、いや……えっと……」  ううっ、気になる。稲森さんの清純度数が気になって仕方がない!  親衛隊の誰かと変な関係になってたりしないかどうか、一緒に芝居をする相手役として知らなくてはならないのだ、そう是が非にも!! 「あ、あはは、あははは……!」 「あ、あははは……」  よし、無意味に笑いを挟んだところで……俺からカミングアウト作戦だ!! 「俺、彼女いませーん!」 「あ、わたしもー!」  おお、稲森さんも乗ってきた! 「そのうえ、実はまだ――」  『童貞でーす!!』……は露骨過ぎる! 「ファーストキスもしてないでーす!」 「まだしてませーん!」 「その先もまだでーす!」 「同じくー!」 「うそだーーー!!!」 「うそじゃないってば! 本当だもん!」 「そんなモテるのにー?」 「してませんー!」  頭がぼーっとしてるのをいいことに、俺はいつもなら絶対に話せないような話題で稲森さんに攻め込んでいく。 「……やっぱ恋してないんだ」 「あうっ!? ううっ……そ、それが演技の欠点だったのかな?」 「だとしたら、なんとか克服しないと!」 「う、うんっ!」 「稲森さん、校内で気になる男子とかいないの?」 「え? えっと……」 「………………」 「……いない?」 「んー……ど、どうかなぁ……?」  むむ、ここで俺の名前が出るなんて期待してないさ、いないですとも! 「じゃ、じゃあさ……例えば」  唾を飲んで、思い切って口にする。 「お、お、俺とか……異性として意識できる?」 「あ、天川くんか……わ、わかんない……あんまりそういう目で見たことないし」 「なら今、そういう目で見たとして!!」 「いま!?」 「え、えっと…………」 「むーー…………」 「そうだ、目をそらさず、じっと俺を見て……」 「じーーーーっっ……………………!」 「………………ZZZ」 「寝るなーーーーー!!!」 「だって、いきなり言われても無理だよー!」 「それに、そんなに男子と接点ないから……」 「そうなの、親衛隊とかは?」 「うーん…………距離あるよ、やっぱり」 「そっか……そうなんだ」  稲森さんの答えに、心の底からホッとする俺。 「じゃあさ、お、俺のことは置いといて、男子全般に興味とか、そういうのはないのかな?」 「あ、あくまでも演技の参考として聞いてるんだけど……」 「えっと……天川くんとか関係なしにだったら……」  そこであえて俺の名前を出さなくても! 「ないことも……ないかも」 「マジで? 芸能人でいうとどんなタイプとか!?」 「えーと、ふふふ……やさしいひとー」 「それなんの模範解答?」 「あとは……好きになった人が好きなタイプです♪」 「だからなんのテンプレ!?」 「だって……よく分かんないよ、経験ないし」  くすりと笑ってこっちを見る稲森さん。 「そっか、恋愛未経験かー」 「天川くんは?」 「お、俺は……ほら、日々恋愛してるし!」 「ええっ!? だ、誰と!?」 「まさか月音先輩!? や、夜々ちゃん!? それとも恋路橋くんーーー!?」 「……最後の選択肢を消去して、お願いだから」  なんだか攻め込んでるつもりが、逆に翻弄されてるような気がしてきた。 「うーん……」 「どうしたの?」 「いや、この手の話で嘘つかない女子なんていないって書いてあったけど……稲森さんもガード堅いなーって思って」 「えー、でも本当だよ。どこにそんなこと書いてあったの?」 「桜井先輩が教えてくれたサイト」 「サイトって?」 「え? い、いやそれは……たくさんありすぎて、その……」  あれ、稲森さん食いついてきてる……。  てことは……? 「………………(思考中)」  ……そうか!! 「コホン……えっと、どんなサイトかって口じゃ説明しにくいんだけど……」 「……??」 「……よかったら見に来る?」  そんなわけで、お酒とジュースと少しばかりのお菓子を持って、俺の部屋に会場は移動。  桜井先輩から授かった、ありがたーい研究サイトを稲森さんにも見てもらうことになった。  あ、あくまでも……資料として!! 「へー、大人の恋愛指南?」 「こんなサイトとか……資料だよ、桜井先輩が教えてくれた資料だから!」 「ふんふん、へー……管理人も女の人なんだ……ふむふむ」  思いっきりソフトな、恋愛の駆け引きみたいなことが書かれているサイトを最初に開く。 「女を口説く方法その1……?」  稲森さんはお酒の入ったグラスを口に当てながら、ノートPCの画面に夢中になった。 「えー、ないよー! これはない!」 「そ、そう?」 「うん、お酒を飲むとき隣に座るなんて、露骨すぎて逆に怖くなりそうだし……」 「そ、そ、そーだよねーー!!」  酒パワーでなんとか稲森さんの隣に並ぼうとしていた俺は、慌てて斜め45度のポジションに逆戻りする。 「で、でもほら、これは大人の恋愛ってことで……」 「そーかなぁ……アリなのかなぁ……」 「あれ、他にもサイトあるの?」  き、来た!? 稲森さんが、お気に入りフォルダに興味を引かれている。 「あるけど……そのお気に入りは見ないほうがいいよ」 「えー、どうして?」  ほんのり赤く染まった顔で俺を見る稲森さんは、今までに見たこともないくらい艷っぽい。 「ちょっと刺激強いサイトとかあるから……女子にはハードル高いかもなー」 「し、刺激?」 「まあ無理しないほうがいいんじゃないかな……大人の世界だし」 「なーんか引っかかるなぁ……男子より女子のほうが大人だよ?」 「天然の稲森さんからそんなセリフが聞けるとは、ちょっと意外」 「あ、ひどーい! もう見るからね!!」 「……ていっ!」  クリック音とともに、黒い背景色のサイトが画面に表示される。 「うぇ……!?」 「…………ごくっ」  いきなり開かれたのは、画像リンク集だった。  画面狭しとひしめくのは、少し大きめな明らかにアレなサムネイル画像軍団。 「こ、こ、これって!?」 「ししし資料です!!」 「なんの?」 「芝居の!!」 「資料…………」 「……かなぁ」 「た…………多分」 「え、えっと……本当に資料かどうか、ちゃんと確認したほうがいいよね……」 「………………」 「なんか言ってよー、天川くん!」 「あ、う、うん……理解して見るなら、とても勉強になる……と思う!」 「…………そ、そうだよね、資料だし」 「…………ごくっ」  ――静まり返った部屋に響くクリック音。  そうして、稲森さんはついに禁断の扉を開いてしまった。 「……!!!」  いきなり画面に大写しになったヌード画像に、稲森さんの表情が凍りつく。  無理もない……モデルさんは大股開きで、両手で太ももを抱えているポーズ。それがローアングルからモロだ! 「こ、こ……これ……!!」  口をぱくぱくさせてるけど、こんな画像から開くなんて、勇者すぎるよ稲森さん! 「や、ヤバい……よね?」 「バレたらヤバい!」 「う、うん……そうだよね」  意味もなくひそひそ声になった稲森さんは、それでもめげずに次の画像へトライする。 「うわ、うわ、うわ……た、たいへん!」 「うん、えらいことになってる」  またクリック――今度はモデルさんが自分でアソコの肉を広げて、中身を見せている。 「わわっ、やだ……見ちゃダメ!」 「うぶっ!? いやこれ知らない女の人だし!」 「でもだめーーー!」 「稲森さんだって見てるじゃん!」 「だだだって…………」 「うぅぅ……男子ってこんなの見てるの??」 「桜井先輩は少なくとも……」 「わぁぁ、また!? だ、ダメだよ……これはちょっとダメ! 早すぎる!」  同性のアレを見るのがよっぽどショックなのか、稲森さんはすっかり涙目だ。  ううっ……なんか申し訳ない。でもそんな稲森さんがエロすぎて、俺の股間もえらいことになってる。 「あーん、もう……なんでこんなポーズ取れるんだろ」 「うーん、なんでだろう」 「き……きっと借金とかして、両親人質に取られて、見せないと殺すって脅されて……!」 「いやでも本人笑ってるし」 「こ、これは無理やり笑わされてるのっ! 実はベッドに爆弾が仕掛けてあって……そうに決まってるー!」 「その設定無理ない?」 「だって、じゃないとありえないー! わーん!!」 「な、な、泣かないでー!」 「だって……(コチッ)、ああぁぁっ……(コチッ)、もう悪趣味すぎるー(コチコチッ)!」  うーん……泣いてるくせに、マウスカーソルは的確に次画像をクリックしてるよ稲森さん!  ――そして10分後。  拒絶反応かただのパニックか、最初はとにかくテンパりまくってた稲森さんだけど、2、3サイトを回るうちにすっかり慣れてきたみたいで……。 「わわっ、なんか入るよ、入ってるよ!!」 「う、うん、入ってる」 「すご……わ、わ、ちょっと大きすぎるー!」  パニクりながらも、どうやらすっかりノリノリになってるみたいだ。 「きゃぁぁ!? こ、このサイト刺激強いかも……あ、あ、こんな格好させるの犯罪だよー!」 「これくらいなら、クラスの連中も普通に体験してると思うけど?」 「えぇー!? だ、だって……うわ、うわ、咥えてる!! ありえないっ!!」 「いや、フェラ画像くらい見たことあるでしょ!」 「………………ないよー」 「なに今の間?」 「あ、あはは……で、でもでも、動いてるところ見たのは初めて!」  正月深夜の寮にて、動画サイトでダウンロードしてきたムービーを、食い入るように見つめる男子1名+女子1名。  稲森さんは動画に釘付けだけど、俺はむしろ稲森さんの反応に釘付け状態で……。 「やだ、やだ……すごい音立ててる!」 「わーん、本当に腰振ってるーー!!」  お酒の勢いがあるのか、ストレートな反応がどんどん飛び出してくるものだから、ついつい俺も口を挟みたくなる。 「女子って、感じると無意識に声出るって言うよね」 「で、でもあんな声は出ないよ!」 「でも、出るってどっかのサイトに書いてあったよ」 「え、演技だと思うけど……」 「じゃあ、これって迫真の演技なのか……芝居の参考になるかも」 「そ……そうだよね!」  慌てて、3Pのガチ本番動画を真面目に見入る稲森さん。 「やぁぁ、あんなとこ広げてる! 女の子怒ったらいいのにー!」 「そこはプロだから……あ、ほら、潮吹き潮吹き」 「え? きゃぁぁ……変態すぎるーー!」 「うわ、うわ……出てる、ほんとに……!?」 「これも演技かな?」 「え? わ、わかんないけど……わわ!?」 「やぁ!? うそ、ちょっと大きすぎる!」  筋肉質な男優のイチモツが大写しになって、稲森さんが両手で目を塞ぐ。 「すげー、さすが男優……」 「天川くんの……じゃなくて、だ、男子のはもっと普通??」  口の中で言い直した稲森さんが、指の隙間から恥ずかしそうに画面を見つめている。 「……興味ある?」 「ええ!? そ、そんなことないけど!」  さっきから、AV女優の喘ぎ声が部屋中に響いている。  きゅっと肩を縮ませる稲森さんを見ていると、気持ちがどんどん大胆になってくる。 「サイズはともかく……相手によってはあれくらい勃起するかも」 「え??」 「誰でもって訳じゃないけど……」 「い、稲森さんだったら……多分」 「天川……くん!?」 「いやほら、こないだ言ったじゃん! 稲森さんは可愛いし、可愛い子にはパワーがあるって! だからその余波っていうか……」 「でも……こんなに!?」  画面にアップになる男優さんのペニスを指差す稲森さん。 「な、なるよ……!」 「うそー!?」 「ホントだって、今だって一人で見てるよりずっと興奮してるし……」 「え!?」  心臓が飛び出しそうなくらい照れくさい……でも、ここまで言ってしまったのだからいまさら後へは退けない。 「そ、そうなんだ……でもそれって……」 「……稲森さんだから!」  勢いに任せて、まるで告白するみたいに稲森さんの名前を呼ぶ。 「……………………」  稲森さんがうつむいた。それから――沈黙。  PCから流れてくる喘ぎ声が、どんどん大きくなって聞こえてくる。 「し、信じられないならさ……」 「え?」 「……み、見る?」 「え? え?? それって……??」 「だって……ホントに勃ってるって分かれば、信じるでしょ」 「天川くん……」 「………………」 「見たら、信じられる……かな……?」  稲森さんの視線がキョロキョロと画面の上を彷徨う。  PCの動画では、女優さんが巨大なペニスを頬張って激しいフェラをしているところだ。 「………………」  濃厚なフェラ。酔っ払った稲森さんがそっちと俺の股間を見比べる。 「思いっきり見てるでしょ」 「え? え? え!?」 「いや、動画……」  あと一押し――そう思って俺はさらに攻め込んでいく。 「だ、だって……」 「女の子のアレよりは恥ずかしくない……から……」 「ちんこ見るほうが?」 「うん…………やだ、その言い方……」 「じゃあ、やっぱり見て確かめる?」 「あ? で、でも……!」 「……嫌なら仕方ないけど」 「あ、待って……!」 「ちょっとだけ……確認するだけなら……」  俺のシャツの袖を引っ張りながら、稲森さんが小さな声で呟いた。 「い、いくよ……」  ベッドに腰掛けた俺は、稲森さんのほうへ腰を突き出してからズボンのチャックをゆっくり下ろす。 「……あ、ま、待って」 「待てないよ、もう……」 「あん……待って、ちょっとだけだよ、ちょっと見るだけだからね!」 「嫌になったら目を瞑ればいいんじゃない?」 「そ、そうだけどー」 「ほら……!」 「う、うわっ!?」  じらすのをやめて、一気にズボンとトランクスを脱ぐと、稲森さんの声のトーンが高くなった。 「わ、わわ……すご……!」  稲森さんの顔の前で、俺のペニスは自分で驚くほど反り返っている。 「ほらね、稲森さんと一緒にいると……こんな」 「ほ、ほんとだ……お、大きい……よね?」 「ど……どうだろ、普通だと思うけど?」  親指と人差し指で定規をつくった稲森さんが、ペニスの長さを測るまねをする。 「はぁぁ……変なの、動画と一緒だね……」 「変……かな?」 「うん……天川くんにこんなのがついてるなんて、なんかちょっと変」  そう言いながら、興味津々といった目つきで俺のペニスを観察する稲森さん。 「あ……でもちょっと形違うね」 「じ、女子だって、人によって違うでしょ?」  画面にアップになってる女優さんのアソコを指差して見せる。 「そ、そうか……そうだね」  や……やっぱり違うんだ……!!  そ、そうだよ! 稲森さんのアソコはきっとこんな黒くないし、ビラビラでっかくないし! そうだ、そうに違いないっ! 「ううっ……!」 「ど、どうしたの!?」 「ご、ごめん……ちょっと刺激強くて……」 「稲森さんに見られてるってだけでエロいから……」 「やだ……そ、そう?」  返事のかわりにペニスがヒクッと反応する。 「きゃ、跳ねた!?」 「わ、うわ……手を使わないで動かせるんだ」  好奇心旺盛な瞳で、稲森さんが鼻先に突きつけられたペニスを見つめる。 「できるよ、ほら……」  期待に応えるように、俺は腹筋を使ってクイクイとペニスをお辞儀させる。 「きゃ、わ、すごい……自動で動く……!」 「エロい?」 「うん……」 「え? あ……そ、そうでもない……かな……?」  ハッと我に返り、慌てて取り繕う。そんな稲森さんを俺は自分のペニスごしに見ている。  稲森さんはもちろん何も見せてくれないけれど……でも、これだけで充分にエロすぎる! 「ん…………」  吐息――稲森さんの手がもじもじしてる。 「………………」 「触る?」 「え!? あ……や、やめとく……!」 「だって……だめだよ、見るだけって約束だし」 「でも、触りたそうにしてるから」 「そんなこと……」  口ごもる稲森さんの鼻先で、またペニスをヒクッと動かしてみせる。 「あぅ……?」 「触りたくない?」  今の俺は、自分でも信じられないくらい大胆になってる。 「あ……………」  もじもじしていた稲森さんが、上目づかいでこっちを見た。 「ちょっと触るだけでも……だめ?」 「ん……ちょっとだけね……」 「うん、ちょっとだけ……」  稲森さんは伸ばした人差し指の腹で、俺の先端部分をチョンチョンと突っついた。 「うっ!」  電気が走ったように、背筋がのけぞってしまう。 「はぁぁ……す、すごい……ね……」 「あ、あっ……!」  本当にすごい、ほんの少し指先が触れただけだってのに、声が出るくらい気持ちいい。 「うわ、うわ……跳ねてる!」  指先でチョンチョンされる度に、ペニスが勝手にヒクンと持ち上がってしまう。 「弾力ある……こ、これが……アレなんだ……」 「うわ……わたし本当に触っちゃってる……」 「んっ」 「ごくっ……やっぱり硬いんだね……」  いったん手を離した稲森さんは、俺の反応を観察する。 「あ……手、付けたままでも平気だけど……」 「ほんと……?」  ふたたび人差し指が伸びてきて――。  ――ぴとっ。 「あ、熱い……」 「んんっ……」  指先がくるくると円を描く。  信じられない……稲森さんの人差し指と、俺のペニスがつながってる……!! 「こんな風に勃起するんだね……」 「うん、稲森さんで勃起しちゃったよ……」 「嘘だよ……動画見たからでしょ?」 「嘘じゃないって」 「ん……そ、そうなんだ」 「でも、ネットのほど立派じゃないでしょ?」 「わ、わかんない…………」 「あ、あの……ね、本当はさっきのビデオ、恥ずかしいからあんまり見てなかったの……」 「こっちは恥ずかしくない?」 「は、恥ずかしいけど……見ないと悪いから……」  言葉と裏腹に、目を思いっきり見開いて指先に反応するペニスを観察している。 「動いてる……すごいねー」 「あぅ!?」 「き、気持ちいいの?」 「うん……すごい気持ちいい……」 「そ、そうなんだ……」 「い、稲森さん濡れてないの?」 「やややだなー、そんなわけないじゃん!」 「そ、そうだよね」 「………………そうだよ……」  タイムラグつきの否定――。  視線が合うと、慌てて稲森さんが目をそらした。 「で、で、で、でもすごいねー、ほんと、びっくりしたー!」 「あ、あっ、そんな強くこすったら……」 「わ、ご、ごめん……痛かった?」  慌てて飛びのいた稲森さんが、大きく息をついた。 「はぁ……はぁ、はぁ……」 「ご、ごめんね……わかんなくて」 「ううん、全然……気持ちよかったし」 「あ…………よ、よかった」 「けど……も、もうダメかも……終わりにしていい?」  言いながら中腰になって、逃げモードに入る稲森さん。  俺も、興奮の連続を過ぎると酔いが醒めてきた。理性が戻る前に、慌ててパンツを穿く。 「そ、そうだね、もう夜も遅いし……」 「う、うん……今日は帰るね……あ、あはは……」  ごまかすように笑った稲森さんは、慌ててドアを開けると……。  そのまま出て行くのは忍びなかったのか、入口のところで一回だけ俺のほうを振り返った。 「あ、ありがと……見せてくれて……」 「え? あ……いや……」 「じゃね、おやすみっ!」  スリッパの慌てた足音が遠ざかって行く。こ、転びませんように……!  稲森さんったら、あんなことされてお礼なんていいのに!  ううっ……今の『ありがと』はズキンときた、股間に! 「はぁぁ…………」  とうとうやってしまったような、何もやれなかったような、複雑な気分。  気がつけば、稲森さんがいなくなった部屋に、ノートPCのスピーカーから流れてくる喘ぎ声だけが溢れていた――。  二日の朝――黄色い太陽が部屋に差し込んできた。 「う……ううっ…………調子に乗りすぎたー!!」  とうに目は覚めていたが、ベッドの上でのた打ち回る。  昨夜は、稲森さんをオカズに抜きまくってしまった。  それはもう過去最高クラスのハッスルモードで、明け方までにどんだけティッシュを消費したか覚えてない。  射精しても、少し落ち着くとすぐに稲森さんの赤面した顔を思い出してしまい、また股間が反応してしまう。  そのループを10回以上繰り返しているうちに、すっかり外が明るくなっていたのだ。  身体は疲れているんだけど、緊張から眠気がほとんど来ない。  うたた寝をして、目が覚めてみると、とんでもない事をしてしまったというプレッシャーが押し寄せてくる。 「後悔……してるのとは違うんだよな」  独り言を言いながら廊下を歩く。  うん、男として悔いはない。  ていうか、あそこから先に進めなかった自分のチキンぶりが、むしろ悔いになってる程だ。  やってしまったことを後悔はしてない。  してないけど……。 「ううっ……どんな顔して稲森さんに会えばいいんだろう……」  恐る恐るリビングに降りてみると、稲森さんの姿はなかった。  かわりに食堂のほうから人の気配がする。  よし、大事なのは『おはよう』の挨拶だ……これで、今後の全てが決まるような気さえする!  俺が深呼吸で気持ちを落ち着けていると……。 「天川くん、おはよ!」 「わぁぁぁ!?」 「来て来て、月音先輩からおせちが届いてるよー!」 「お、お、おはようー!」  食堂に戻って行く稲森さんの背中に向かって、俺は完全にタイミングを外した朝の挨拶を投げかけた。  食堂のテーブルには、大きなおせちの重箱が届いていた。 「うおおお、すげえー!!」 「ほら、食糧難の寮生に救援物資……って書いてる」  紫色の風呂敷に包まれた、三段重ねの重箱――。  その伝票に添えられていたメッセージカードを手渡される。 「これ……柏木先輩が……?」 「うん、お芝居でがんばったご褒美だって♪」 「おおお、だったら稲森さんも食べないと!」 「そうだね……一緒に食べよっか」  ……とまあ、スムーズに滑り出したように見えた朝の一幕だったけれど。  向かい合って座って、おせちを食べているうちに、緊張の糸が途切れると、たちまち昨夜のことが頭をもたげてくる。  自然と無口になる俺――そしてだんだんと二人とも無口になっていって……。 「…………」 「…………」  いつしか俺たちの間を流れるのは、なんとも言葉にしにくい微妙な空気。  そして、こうやって稲森さんを前にしていると、嫌でも昨夜の事がリピート再生されてしまうわけで……。 「………………」 「………………」  ううっ……沈黙が重い……!!  学校のアイドルの稲森さんに、あんなことさせてしまったかと思うと、ゾクゾクするような背徳感を感じたりもするけど……。  それよりも今後の芝居の事とか、稲森さんが怒ってるんじゃないかとか、爽やかな朝日の下では、そういう事ばかりが気になってくる。 「………………」  でも、いつまでもこんな風にしてても埒があかない。  意を決して深呼吸……そして。 「あ、あの……」  俺たちは同時に声をかけてしまった。 「……!?」 「ど、ど、どうぞお先に!」 「いや、俺のは大したことないから……稲森さんの方が……」 「あ、う、うん……」 「わたし……今日から、実家に戻る……」 「あ、そ、そうなんだ!」  ううっ、いきなりか! やっぱ昨日あんなことしちゃったのが原因だろうか……。 「………………」  あ、謝っておいたほうがいいよな……取り返しがつかなくなる前に。 「………………」 「…………あ、あのさ」 「わ、わたしね……昨日の事、なーんにも覚えてない!!」 「え?」 「覚えてないのっ!」  いきなり、アップに迫った稲森さんがそんなことを力説する。  同意を求められて、俺も思わず首を縦に振った。 「あ、う、うん……お、俺も覚えてない!」 「だ、だよねー!」 「う、う、うん、もちろんー!!」 「じゃあ覚えてないってことで……約束っ」 「約束?」 「うん、覚えてないって約束しないとっ!!」 「わ、わかった、なんにもなかったってことで約束するっ!!」 「う、うん、約束!!」 「…………」 「…………」  再び押し寄せてきた、これまた気まずい沈黙。  二人でまた下を向いて、もじもじしながらおせちを口に運ぶ。  あぁぁ……まさか稲森さんで10回以上も自家発電したなんて言えない。  ましてや今も勃起してるなんて、言えるわけがないっっ!! 「じ、じゃあ……俺は、台本の続きがあるから!」 「うん……」 「目標は、新学期までに少しでも進めて、もっと稽古できるようにしておくこと」  そう宣言して階段を昇ると、後から稲森さんが声をかけてきた。 「あ、ま……待って!」 「……?」 「あ、あのね……ちょっと部屋、来られる?」 「部屋!?」  まさか、稲森さんの部屋……!?  なんて思うと、昨日の事を思い出して緊張してしまう。  けど思い出さない約束だから、なるべく考えない事にする! 「ちょっと、見てほしいものがあるの……」 「わぁぁ!?」 「………………すごいよね」 「こ、これ……マジで?」 「うん……」  今日もファンシーな稲森さんの部屋。  いちご柄のテーブルの上には、四葉のクローバーが2つ置かれていた。  ひとつは青々としたもので、もう一つはすっかりしおれている。 「こっちのしおれてるのが、俺が摘んだやつ?」  そう――大晦日の晩、大橋のたもとで稲森さんにプレゼントしたクローバーだ。  たった2日前のことが、ずいぶん昔のように感じられる。 「で、こっちのは……その前に摘んだっていうの?」 「うん……おかしいよね、こんなに青いのって」  稲森さんが首をかしげる。  青々としたクローバーは、今も土に根を張っているかのようだ。 「どこで摘んだの?」 「……不思議なところ」  瞳を閉じた稲森さんは、ぽつぽつと大晦日のことを話しだした。  大晦日――俺と稲森さんが、すれ違ったまま迎えた1年最後の夜の事。  あの夜、稲森さんは夜の土手を歩きながら四葉のクローバーを探していた。  演技の自信を取り戻したくて、そして自分の本当にやりたいことを知りたくて……。 「そしたら急に周りがぱーって明るくなってね……あとはよく覚えてないんだけど」 「気がついたら、これを握っていたの」 「つまり……キャトルミューティレーション!?」 「えぇぇ!? 宇宙人に実験されてた!?」 「も、もしくは臨死体験!」 「ぜんぜん元気なんだけど……」  稲森さんが話を戻す。  今でもおぼろげに思い出せるのは、一面にクローバーの生い茂る草原のイメージ――。 「あれって、クローバーガーデンなのかも……」  そこでひとつだけクローバーを抜いて、稲森さんは戻ってきた……らしい。  俺はあの時の、放心状態になっていた稲森さんの様子を思い出した。 「それで……俺がクローバー見つけたって言ったら、驚いたんだ」 「うん、夢かと思ってたんだけど……でも、クローバーが手の中に残ってて」 「じゃあこれが……伝説のクローバー?」  昔、稲森さんと一緒にさんざん探し回った伝説のクローバー。  それが、こんなにあっけなく目の前にあるなんて、そんな事……。 「不思議だ……確かに枯れないね」 「普通のクローバーなら、2日くらい経ったらへにょへにょになるよね?」 「うん……なんでだろう」 「これ……どうしようか」 「伝説が本当なら、願いが叶うんだよね?」 「うん……そうだよね」  いちご柄のテーブルに身を乗り出す稲森さん。  実際に願いが叶うかどうかよりも、ここで稲森さんと願い事を共有できるかもしれない事に、心が弾んでくる。 「じゃあ、稲森さんの一番大事な願い事を、こいつにかけてみる?」 「え?」 「あ、ううん……!」 「願い事はあるけど……クローバーを使っても仕方ない事だし」 「お芝居のこと?」 「ううん、そうじゃないけど……」  稲森さんが言葉を濁した。  あんまり根掘り葉掘り聞くと、昨日の事を思い出してしまいそうで、慌てて話題を変える事にした。 「た、試しになんでもいいから願いをかけてみる?」 「なんでも……?」 「うん……そうだな、何がいいんだろう……」 「そうだ……じゃあ、空を飛びたい!!」 「空?」 「だって、ミス・マグダネルダグラスは……」 「あ、ああ、その空を飛ぶ……か!」  納得……けどそれは、さすがに無茶な願いという気がしないでもないけれど。 「クローバーさま、クローバーさま、空を飛びたいですー!」  よく女子がやってるみたいに、胸もとでぎゅっとクローバーを握って目を閉じる稲森さん。  それから、しばらく沈黙が続いて――。 「………………」 「………………はぁっ」 「やっぱり………………飛べるわけないよねー」 「やっぱり……だって、本当に一番大切なお願いじゃないとダメなんでしょ?」 「うーん、もっと現実的な事ならどうかなぁ」 「現実的っていうと……」 「お芝居の成功を祈って……とか、台本がすらすら書けますように……とか?」 「あとは、お芝居に華が出ますように……とか」 「……どれも違う気がするよね」 「うん……」  稲森さんは、何がなんでも芝居を成功させたいんじゃなくて、自分に何が出来るのかを知りたくて芝居をやってるんだ。 「それじゃ、もっとお金とか、名誉とか?」 「えー、それは絶対違うよー!」 「じゃあ、あとは……恋の……」 「…………?」 「あ、な、な、なんでもない……!!」  慌てて口を塞ぐ。その話をするってことは、つまり昨日の記憶を掘り起こすってことだから! 「うーーーーーーん……」  それからしばらく二人で顔を突き合わせていたが、素敵な願い事は思い浮かばなかった。 「そういえば……最初に言ってた、稲森さんの願い事って?」 「えっと……内緒」 「そ、そっか……」  深入りはしないほうがよさそうだ。  ふと俺は、昨夜――いや、大晦日あたりから、少し考えていたことを思い出した。 「あ、あのさ……あらためてなんだけど」 「え?」 「あらためて……お芝居、がんばろうね!」  クローバーに願いをかけずに、自分達の力で――。  稲森さんのそんな気持ちが嬉しくて、つい言葉に力を込めてしまう。 「うん……」 「自信ないかもしれないけど……俺は稲森さんの芝居好きだし」 「ううん、もう平気、がんばる……!」 「あと、ミスター・リンドバーグなんだけどさ……!」  大晦日の夜、ふと心に降りてきたアイデアがあった。  何の勝算もプランもないアイデア――そいつを、勢いに任せて口にする……。 「俺、やるよ!」 「え?」 「リンドバーグ、姫巫女のときよりもキャスティングに苦しんだけどさ……」 「やっぱ片岡の代役って言ったら、俺しかいないでしょ!」 「天川くん……」 「まあ……稲森さんとラブストーリーなんて、分不相応かもしれないけど……」 「う、ううん……ぜんぜん! そんなことない!!」 「そっか、リンドバーグが……」 「うん、嬉しい……天川くんとお芝居できるの!」  力強く言われると、こっちが照れてしまいそうだ。 「……かなり賭けだけどね、他にもやることたくさんあるし」 「でも……きっと平気だよ」  今日は俺が稲森さんに励まされる。  彼女の大きな瞳には、きらきらと力強い光が宿っていた――。  それからしばらく、俺は稲森さんの部屋でいろんな事を話した。  芝居の話や、昨日の事、1年の頃の話なんかはまるでなくて、もっぱらテレビやクラスメイトの他愛もない話ばかり。  それを稲森さんがとめどなく話すのに、俺はひたすら相槌を打ちながら耳を傾ける。  なんでもないような日常の出来事が、稲森さんの言葉を通して聞くだけで、とても面白い物語のように感じられる。  まるで恋人同士みたいな時間――。  どうしてそんな風に感じるのだろう?  答えはすぐに分かった。稲森さんが本当に楽しそうな顔で話をしているからだ。  夕方――バスで実家に帰る稲森さんを、公園まで見送る。  稲森さんは、年末年始に寮で年越しイベントがあると嘘をついて居残っていたのだ。 「じゃあ、また来週ね!」  身軽な格好でバスに乗り込む稲森さんを見送り……今日からは、一人の寮生活だ。  だいたい毎年、4日になると帰省組がぞろぞろと寮に戻ってくる。  それまでに、少しでも台本を進めておこう。  大橋まで追いかけたバスの後姿が遠ざかっていく。  稲森さんは、自分にできることを探して舞台に挑戦している。  俺はそれを手伝いたくて、監督と脚本をやる事にした。  けれど、自分に自信がなくて臆病だったのは、どうやら稲森さんだけじゃない。俺だって同じだった。  部活や毎日の学校生活、恋愛の事だって、誰かに引っ張ってもらうまでは、自分から舞台に上がろうとしなかった。  姫巫女の時は月姉に、今度の芝居だって桜井先輩に引っ張り出された格好だ。  けれど――それももう終わりなのかもしれない。  自分が真ん中に立つことを避けてばかりきたけれど、ひょっとすると、とうとう舞台に上がるときが来たのかもしれない。  そう……稲森さんと手を取り合って。 「行くか……!!」  今日は、久しぶりに走ってから寮に戻ろう。  回れ右をして公園のほうを向くと、ひとりでに足が前に進みだした。  朝起きて下に降りると、制服姿の寮生たちがわいわいがやがやと、登校前のひととき。  夜更かしして白い台本に向かってた俺は、あくびを噛み殺しながら顔見知りと挨拶をする。 「おはよー」 「おはよう、いよいよ新学期だね」 「始業式から遅刻しないよーにね」 「わかってます、ふぁぁ……」  今日から新学期――みんなの制服姿を見るのは、ずいぶん久しぶりな気がする。  俺も当然制服で、なんだかこれまた久しぶり。  そして、俺がついつい目で探してしまう相手は……。  稲森さんだ。 「お、おはよう……」 「お、おはよ……」  帰省するのが遅かったせいで、なかなか親が離してくれなかったらしく、寮に戻ってきたのは昨日遅く。  久しぶりに見る制服姿が、新鮮に見える。 「…………えっと、またよろしく」 「……う、うん、がんばろうね」  ひさしぶりの再会――しかも、別れる前にとんでもないことをしてしまった。  絶対秘密な関係を気付かれてはいけない。俺たちは申し合わせたように、ほとんど言葉を交わすことなく距離をとった。  うん……俺はともかく、稲森さんのイメージが大変なことになってしまう。 「おはよう、稲森さん!」 「真星ー、久しぶり! ちょっと太った?」 「おはよー、そんなことないってば!」  真星さんが女子の輪に飲み込まれていく。そして俺の周りにもむさくるしい男子の輪が。 「くそー、結局彼女ゲットできなかったぜー」 「俺もだ……天川は寮に入り浸りだったのか?」 「まーね、去年と同じ……」  同じリビングにいるはずなのに、もう稲森さんの声は女子の賑やかな笑い声にかき消されて聞こえない。  それまで俺と稲森さんの住む世界は、これくらい遠かったんだ。  せっかく仲良くなれたのにもどかしいけど、みんながいる所では、今までどおり距離を置いておいた方がよさそうだ。  それでもやっぱり、話ぐらいはしたいと思う。  帰省してた時はともかく、今はすぐそこにいるんだから、会話ぐらい……。  俺は休み時間の僅かな隙を狙って、稲森さんの席に近づいてみる。 「あ、あのさ、稲森さ……」 「………………はい?」 「何か用か、天川?」 「それはもしや俺たちに話せない用件なのか?」  ううっ……親衛隊のガードがきつくなってる……!! 「いったい貴方といることがどんな罪になるのかしら?」 「いつも両親に怒鳴られるわ、まるで学校をサボって盛り場に行こうとしてるみたいに」 「そうよ両親だけじゃないの、重役も、秘書も、みんなが私を篭の中に入れようとする」 「だから、ああ……貴方のことが知られたら、きっと迷惑をかけてしまう」 「少しの雨ならば飛行機を飛ばすことはできます、ミス・マグダネルダグラス。視界さえ確保できるなら、僕は雨に負けない」 「けれど、周りが見えないほどの悪天候なら、離陸せず天気の変わるのを待つべきです」 「けれど見て、もう雨は止んでいるわ」 「貴方は、計器を見て飛ぶの? それとも景色を見て飛ぶの?」 「………………」 「はい、オッケー!」 「……ふー、緊張した。リンドバーグって、こんな感じかな?」 「うん、すごい。王子みたいだった!」 「それってつまり演技に幅がないってこと!?」 「ふふっ、でも雰囲気出てたよ。ああ、リンドバーグってこういう人だったのかーって思ったし」 「それってどのへんが?」 「うーん……言葉にはしにくいんだけど……なんとなく、かな?」  稲森さんはよく、言葉にできないって言うことがある。  単にボキャブラリーがないというのではなく、稲森さん自身が自分の感じたものを言葉にしないで、フワフワした状態のまま留めているようだ。 「でも、天川くんの演技はいいと思う」 「ほんとに?」 「な、なんかね……マグダネルダグラスへのまっすぐな気持ちが分かるっていうか」 「それって……」  俺の気持ちが透けて見えてるってことなんだろうか。 「それにしても、いつまでこの場所隠しておけるかな……」 「見つかったら、まずい?」 「うん、普通に殺されます!」 「……そっか」 「ごめんね……」 「い、いや、稲森さんは悪くないよ、あいつらが勝手に付きまとってるだけだし」  あいつらっていうのは、もちろん親衛隊の皆さんのことだ。  稲森さんを囲んでの年越しプランが挫折してしまったせいで、彼らのガードは三学期に入ってからますます厳しくなった。  冬休みのうちは、そしらぬ顔して屋上に集合できたんだけど、今日なんかは……。  ――始業式と、新年1発目のホームルームが終わった頃。  さっさと帰り支度をしているクラスメイトをやりすごし、あわよくば稲森さんと一緒に屋上へ……なんて思っていたところに連中が出現した。 「………………」  また親衛隊だ……しかも超警戒モード。  徹底して相手をマークするディフェンダーのように、稲森さんの周囲を固めて、男を近付けようとしない。  特に俺を要注意扱いにしてるのが、目つきや動きの連携からよく分かる。  クリスマスパーティーのポキット事件から、連中は俺を目の仇にしてるのだ。 「……」  ちらっと、稲森さんがこちらを見る。  これ以上、教室に残っていても警戒されるばかりだ。  親衛隊の目を盗みつつも、稲森さんにだけは見えるように、人差し指で上(屋上)を指差してみせる。  稲森さんが無事に連中を巻くことを祈りつつ、教室を出ることにした――。  それから稲森さんは、先生に呼び出されたふりをして職員室にいったん立ち寄り、親衛隊をなんとか振り切って屋上にやってきた。  予定よりも30分遅れで……。 「……ほんと大変だよね、稲森さんも」 「ううん、ごめんね……本当にごめん」 「そんな気にしないでいいって、ほら、スリルがあったほうが芝居のテンションも上がるし!」 「それに……あいつらのお怒りもまんざら見当違いってわけじゃないしね」 「え……」 「あ……!」 「な、なんてね……あはは、ごめん……ちょっと変な事言ってたかも」 「あ、あはは……な、なんか照れるね……」 「そうかな? そんなこと、な、ないけど……」  お互いに照れながらぎこちない会話をする。  ついうっかり、正月の夜の暴走をなかった事にするって約束を、破りそうになってしまった。  稲森さんと二人っきりでエロトークしたり、勃起したアレを見せたりしたのが、今となってはただの妄想だったんじゃないかという気がしてくる。  桜井先輩だったら速攻でアプローチをかけてるんだろうけど、俺のスキルじゃ正月の夜のエロテンションまで持って行くことなんてできやしない。 「あんまり天川くんを困らせたくないな……」  稲森さんが眉を寄せながら笑う。 「困ってるって程でもないよ」 「走る時だってさ、平坦な道よりデコボコで障害物があるような所のほうが楽しかったりするし」 「……障害物」  稲森さんを慕ってる親衛隊を障害物呼ばわり――でも、実際そうなんだから仕方がない。 「や、やっぱ俺にとっては障害物だったりするわけで……!」 「あ、そういう意味じゃなくて……なんだか、台本にある『悪天候』と一緒だな、と思って」  空を見上げると、抜けるような青空のあちこちに濃い色の千切れ雲が浮いている。 「悪天候か……晴れるといいけど」 「このままじゃ、空飛べないもんね……この人たちも」  白い台本の残りページを指差して稲森さんが笑う。  役にのめりこむ稲森さんにとって、主人公とヒロインの恋愛は他人事ではなくなっているのだ。  飛行機を作る会社の令嬢と、パイロット訓練生の恋。  正月休みを使って、その物語をある程度は書き進める事が出来た。  けれど、この芝居がどんな結末を迎えるのか――新学期になっても、そこのところはまだ見えてこない。 「けど、この役やってよかったかもしれない。自分がリンドバーグだって思うと、物語が他人事じゃなくなってきたよ」 「天川くん……」 「ん?」  一瞬だけ、稲森さんが言葉に詰まった。  けれどそれはほんの一瞬で――。 「あ、ううん……がんばろうね!」  稲森さんはいつもみたいに笑って、俺にガッツポーズを取ってみせた。  事件が起きたのは、稽古を終えた下校の時間だった。  時間差で寮に戻るのがいつものパターンだけど、1月の屋上は身を切るような寒さなので、いつも先に稲森さんに帰ってもらうようにしている。  稲森さんのいない屋上で、独りセリフを練習したり、舞台をイメージした動き方を考えたりして、15分程してから階段を下りる。  その日も、もちろんそのつもりでいたのだけれど……。  教室から、とっくに寮に戻ってるはずの稲森さんの声が聞こえたのだ。  なんだろう?  胸騒ぎがして教室の方へ向かう俺の前に……。 「お前は出てくんな!」  し、親衛隊――!? 「稲森さん、教室にいるんだろ?」 「あいにく取り込み中だ、天川は屋上に戻ってろ」  屋上――バレた!?  嫌な予感がする、目の前の親衛隊を押しのけた俺は、ダッシュで教室のドアに取りついた。  中を覗くと、帰り支度をした稲森さんの周りを親衛隊の中心メンバーが囲んでいた。  いつものように、親衛隊の制服の壁の向こうに稲森さんの姿が半分以上隠れている。  今日は、現役の5年男子だけではなく、受験で忙しいはずの先輩の姿も見えた。 「…………」  慌てて声をかけようとしたけれど、不思議と威圧的な雰囲気はしなかった。  稲森さんは、一生懸命、連中になにか話しているところだ。  背後から、さっきの親衛隊が俺を押さえつける。  俺は抵抗せず、声も出さずに、稲森さんたちの様子を見守ることにした。 「最近、まほっちゃんオレたちに冷たくない?」 「まほっちゃんさぁ、そこまでして劇やらなくていいでしょ」 「天川の野郎はさ、絶対に下心で動いてるって。パーティーの時だって胡散臭かったじゃん」  寄ってたかっての説得しようとするのを、じっと聞いている稲森さん。 「……どうして、そこまでして劇なんかすんの?」 「姫巫女やってから、お芝居に興味があったの……それで最近は忙しくて」 「天川と屋上でお芝居やってるのが忙しかったんだ」 「まほっちゃん、演劇部に入ればいいじゃん」 「うん……それでもいいかもしれないけど」 「けど、今は天川くんの書いた台本でやりたいんだ」 「どうして!?」 「わかんないよ……けど」  稲森さんが鞄の紐をギュッと握る。 「けど、自分のやりたいことがこれだって、今は思ってるの」 「………………」  初めて見た。  稲森さんが、親衛隊の連中にキッパリと自分の意見を言うところを。  予想外の反応だったんだろう、親衛隊の連中が目を白黒させている。 「そ、そりゃ、まほっちゃんのやりたいことなら、俺たちは止めないけど……」 「けど、芝居なんてやらなくたってさ、まほっちゃんは充分かわいーし!」 「ううん、ようやく見つけられそうなの……わたしが出来ること」 「まほっちゃんは、芝居も上手かったよな。隣国の姫!」 「ああ、俺感動したもん!」 「俺も!」 「ううん……でも、わたしって本当はなんにもできないよ」 「そんなことないよ、まほっちゃんは料理万能だし!」 「ちがうよ、すごい下手なの!」 「料理万能って、誰かが言ってくれただけで……ほんとは下手なんだ」  『マジで?』『知らなかった』そんな囁き声が、親衛隊の壁の間を行き来する。 「……でも、ずっと下手って言えなかった」 「そ、それってさー、まほっちゃんが俺らの理想を壊したくなかったからだよね」 「そうかな……見栄っぱりだったのかも」 「期待に応えなきゃって、そんな事ばっかり考えてたし……多分それって、自信がなかったからだと思う」 「でもね、もう下手な事は下手って言えるようになりたいの」 「まほっちゃん……」 「わたし本当はドジだし、成績もよくないし、音痴だし、ほーんと何にもできないんだから」  静まり返った教室に、稲森さんの声だけが響く。  親衛隊を失望させないように、いつもイメージに気を使っていた稲森さんが、本当の自分を伝えようとしている。 「だけど、お芝居はやってみたいの。自分の足で歩いてみたい……」 「それって……天川と?」 「…………」 「…………うん」  稲森さん……!  稲森さんの言葉が、鼓膜から身体に染み渡る。  身体が熱くなって、震えだした。  俺の視界の中で、稲森さんを取り囲んだ親衛隊の壁が次々に崩れていく――。 「わかったよ……」 「芝居ができるの、楽しみにしてるから」 「みんな……」  あっさりと、親衛隊は稲森さんの囲みを解いた。  ぞろぞろと教室から出てきた連中が、一人ずつ俺の胸を小突いてくる。 「分かってるな、天川」 「稲森さん泣かせるような事したら、生きて卒業できんぞ!」 「……ああ、分かってる」  脅迫じみたプレッシャー。けれど、親衛隊の連中が稲森さんを思う気持ちが、痛い程伝わってくる。  任せてくれ――そう言いたいのをこらえて、言葉少なに連中を見送る。 「指一本触れたら許さねえからな!」  ……そっちはちょっと自信ないけれど。 「……おおおっ!?」  ベッドの中で目をぱちくりさせる。 「目が覚めた!!」  時計は――5時か!? えらい早起きしてしまった!  辺りは静まり返っている。  寮の目覚めはもう少し後、6時に食堂の準備が始まり、寮生の起床は7時頃だ。 「起きるか寝るか……それが問題だ」  今日は稲森さんと早朝稽古の約束をしている。  親衛隊の目を避けて練習する必要がなくなったので、早朝に集まる意味はあんまりない。  それでも朝稽古をしようっていうんだから、稲森さんはそれだけ燃えているのだ。 「稲森さん……」  この所、布団の中で思い浮かべるのは稲森さんの事ばかりだ。  親衛隊を相手に、俺と芝居をやりたいときっぱり言い放った稲森さんは、俺がいつも見てるドジな稲森さんとは違ってて……。 「………………(想像中)」 「………………(妄想中)」  あぁぁ……また想像が横道にそれて、エロエロな妄想に突入してしまった!  正月にあんな事があったせいで、ここんところ毎晩稲森さんでG行為に励んでいる。 「………………(妄想中)」 「ちくしょー、かわいーな稲森さん……!」  ズキズキと疼くトランクスの前に手を伸ばしてみると……。 「うわ、すげー……!」  我が事ながら、もの凄い勃起指数だ。ちょっと楽しくなってきた。  昨夜は力尽きるまで台本に挑んでいて、オナニーしてなかったせいだ。ここまでフル勃起だと、いっそすがすがしい。  この勢いで布団を汚すと大惨事だ。寒いのをこらえて布団を下半分だけめくり、ガッチガチに勃起したヤツを空気に晒す。  頭の中では、いつかの別れ際の稲森さんがにっこり笑ってる。 「『見せてくれて、ありがと』……だもんなー、エロすぎるって稲森さん!」  稲森さんに触らせた事を思い出しながら、勃起したモノに指を絡めてしごきだす。  ハプニングで頬にチューした事。  ポキットを食べながら接近した事。  お風呂掃除のブルマ。  それから指先で突かれた感触――。  ありとあらゆる稲森さんの思い出が頭の中を駆け巡る。 「あぁ……ヤバい、ちょっと気持ちいいかも……」  布団の中でだらしなくオナニーになだれ込む。  半分しか醒めてない頭のせいか、やけに夢見心地で気持ちがいい。  射精すれば頭もスッキリして、いい朝を迎えられる。そんな適当な理由をつけて手の動きを速くしていく。 「はぁ、はぁ……はぁっ」  正月から毎日オカズにさせてもらっている稲森さんの事を考えながら、まどろみの中でひたすら手を動かす。  布団の擦れる音、手の動くリズム、自分の息――それが全て稲森さんのものに思えてくる。  あの時、確かに俺は稲森さんを独占していた。  肩口を軽い痺れが走る。一気にしごくスピードを上げていく。 「あ、あ……あ……稲森さん、稲森さん……!!」 「は、はい……っ」 「あぁぁ、稲森さ…………」 「………………んんん!?!?!?!?」  今のは何!? 幻聴?? まさか幻聴!?  慌てて跳ね起きる。いや、まさか……!? 「げげげ幻聴だって、だってここは俺の部屋……」 「…………」  ――――――――!!!!!!! 「………………」 「………………」 「えーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」 「ひゃぁぁ……ごめんなさいーーっ!!」 「なななななんで、なんでどうしてなにゆえにっっ!?」  そうそこには、まごうことなき稲森さんの姿がッッ! 「あ、あ、あの……あのその……ちょ、ちょっと朝早く起きちゃって……」 「それで、それで……も、もしかして天川くんも早起きしてたら一緒に屋上行こっかな……とか思って!」 「ききき、き、来てみたら声がしてーーーーっっ!!」 「それで入ってきた!?」 「………………(こくり)」 「だ、だってね……だって、わたしの名前だったから、気付いてるのかなって!!」 「あ、あう、あう……!」  すげえ、オロオロすると人間って本当に『あうあう』って言うんだ! 身をもって知ったこの事実!  いやそんなことはどうでもいいッ!! 「ご、ごめん……っ!!」  稲森さんでオナってるのがバレて、しかもよく見れば、まだ勃起を晒したままじゃないか!! 「あ……っ!」  慌てて布団で下半身を隠すと、稲森さんが今さら両手で顔を覆った。 「ごごごごごごごめんなさいっ!! ま、まさかそんな取り込み中だったなんて思わなくてー!」  いや入口で気付くでしょ普通!! 「だからって入ってきますか、男子の部屋に、この夜中に!!」 「あ、朝だし……!」 「一緒!!」 「でも、あの……えっと……その、の、覗こうと思ったんじゃなくて……!!」 「その距離で!?」  稲森さんはベッドの脇から見てたわけだから……そりゃもう俺の勃起ちんこもワイドサイズに展開してたはずで……! 「えええええっと……あの……だから……」 「その……えっと………………」 「き、興味あった……とか?」 「えぇ……!? やっ、そ、そうじゃなくて、その……っ」 「らららラブシーンの相談とかっ、もっと出来たらいいなーとかっ、そそそんな事思ったりしてて……だからその……!!」 「その…………」 「と、とにかく、俺……着替えるから!」 「え!?」 「き、着替えるから……ちょっと早いけど、屋上……」  そう、とにかくこの状況を収拾するには部屋から出なきゃダメだ!  俺は布団の中に入ったまま、あたふたとトランクスを探すけど……ううっ、見つからない! 「で……でも……」 「な、なに!?」 「え、えっと……な、なんかね……わたしのせいで中断させたら悪いなって……」 「いやいやいや悪くない悪くない! だから早く朝稽古に……!」 「だ、だけど……!!」 「ななななに!?」 「えっと、あ……あの…………」 「……???」 「あ、あはは……えっと……せ、せっかくだから……その、最後までしてからでもいいよー、なんて……あ、あはははは!」  さっきから、俺のペニスは布団すら持ち上げるほどに存在を主張してる。  稲森さんは冷や汗をかきながら、それをちらちらと気にしていて……。  こ、これって……まさか!? 「ほら、お、終わるまで〈階〉《し》〈下〉《た》で待ってるから……ゆっくりでいいし!」 「ま、待って、稲森さん!」  声をかけると稲森さんがびくっと縮こまる。  俺は立ち上がって電灯のスイッチを入れた。 「あ……? わ、わ、わっ……!?」  上は寝巻きのTシャツ、下半身は裸のまま電気をつけると、慌てて後ずさりした稲森さんが壁にぺったりへばりついた。 「え? え? え……あの……わたっ!?」 「きゃぁぁぁ!?」  後ずさろうとして、置きっぱなしの雑誌に足をつっかけた稲森さんが、派手に尻餅をつく。 「あぅぅ……あいたたた……」 「あ、ああ、あっ、大丈夫っ!!」  俺が手を貸してあげようとすると、光速の後ずさりで壁にへばりついてしまった。 「あ、ご、ごめん……その……」 「最後まで……するから」 「い、今するの!?」 「うん……」  ベッドに腰を下ろした俺は、稲森さんの方を向いて、まるで衰えることのないペニスをしごき始めた。 「あ、あ、あ、天川……くん!?」  頭の中は半分思考停止状態のまま、こうなったら稲森さんに見せ付けてやろうなんて気持ちが前に立つ。 「わ…………わ、わぁ……ぁ……」  稲森さんはオロオロとその場に立ち尽くしたまま、どうすればいいか分からないでいるみたいだ。 「こ……こっち来る?」 「え? え?」 「そ、その、立ったままじゃ悪いし……」 「あ…………」 「…………うん」  手を出して誘うと、稲森さんは俺の顔じゃなくて股間を見つめたまま、ベッドの脇にちょこんと膝をついた。  稲森さんの前でオナニーをする。 「……(ちら)」  初めは恥ずかしそうにしていた稲森さんだけど、好奇心を抑え切れないようにちらちらと……。 「…………(ちらちら)」  やがては顔を思いっきり近付けて……。 「………………(じーーっ)」 「………………(じぃぃぃぃーーっ)」  電灯の下、手でしごかれるペニスを、稲森さんがただひたすら凝視している。 「あ…………あの……天川くん?」 「な、なに?」 「……恥ずかしい?」 「そ、そりゃ! やっぱり……多少」  ていうか、かなり……! 「でも、興奮してるね……」  あ、あ、稲森さんの顔がそんな近くに……! 「み、見える?」 「う、うん……見てる」  見てる……稲森さんが見てる……! 「ん………………はぁっ……」  俺のちんこをじーっと見つめてて、しかも顔まで真っ赤にして! 「あ、あ、あ……い、痛くない?」 「うん……」 「痛くないんだ…………はぁぁ……」  稲森さんとこんな事になるなんて、前は想像も出来なかったのに……!! 「す……すごいね…………あ、はは……」 「うん、見られてるのって、やっぱエロいし……」 「そ、そう……なんだ……ふーん……」  好奇心に目を輝かせる稲森さん――このアングルは、嫌でもあの夜の事を思い出してしまう。  あの時は触ってもらった。今は自分の手でしごいている――股間の疼きはもう止めようがない。 「あ、手……速い……」 「うん、見られてるから……」 「だ、だよね……んっ……」  鼻にかかった吐息を聞くだけで、心臓がドキンと跳ねる。  ペニスの向こうに稲森さん……ちんこの向こうに稲森さん! 頭の中を回るのはその言葉ばっかりだ。 「こんなとこ、親衛隊に見られたら……殺されるよね」 「う、うん……絶対言わないから」 「内緒?」 「うん……内緒……」  稲森さんと秘密を共有する――そんな風に考えると、余計に興奮が高まってしまう。 「じゃあもっと見る?」 「う、うん……」  顔が近付いてくる。  俺と同じように、稲森さんも過保護な親衛隊に反発してるのかもしれない。 「あ……っ」 「な、なに?」 「ううん……息当たった……」 「あ、ご、ごめん……っ」 「ぜんぜん! 気持ちいいし……」 「そ、そうなんだ……はぁぁ……」  稲森さんの吐息が雁首をくすぐる。  い、今……しゃぶってってお願いしたら、ひょっとして……フェラしてくれるかも!? 「……?」 「あ、い、いやその……っ」  けど、そこまでお願いするのは反則な気がして仕方がない。  芝居をだしにつかって稲森さんに近付いて、そこまでやらせるなんて……いくらなんでも外道すぎる。 「ま……まさか、こんな事になるなんてね」 「え? だ、だって天川くんが見てって……」 「そ、そうだけど……部屋入ってこんなとこ見たら、普通逃げるでしょ」 「だって……ちょっと興味あったし」 「な、なーんて……あ、あはは……」 「あ、はは……」 「………………ごくっ」  スカートの中で両足がもじもじしている。ペニスに近付いた稲森さんの顔が、どんどん赤くなっていく。 「あ、あと……ほら……」 「わ、わたしの名前呼んでた……から……」 「あ……ううっ、そ、それは……」 「………………あ、あの……あれって……」 「…………想像してたの?」 「…………!?」  ううっ……ごまかしようがない!!  照れくさくて、そのせいでかえってドキドキしてる俺に、稲森さんが攻め込んでくる。 「……してた?」 「う、うん……ごめん」 「う、ううん、いいよ……!!」 「それに、ちょ……ちょっと……嬉しいかも……」 「え? え……?」 「あ! へ、へんな意味じゃなくてね……!!」  その『嬉しい』に、変じゃないどんな意味があるというんですかっ!?  ううっ……ちんこ見てる稲森さんの顔……どー見てもエロすぎるし!! 「はぁ、はぁ……はぁっ……」 「あ…………ごくっ……!」  どんどんスピードアップしていく手のストロークに、稲森さんの視線が釘付けになる。 「ん…………はぁぁ……っ」 「な、なに!?」 「ううん……え、えっちだね……」 「ううっ……!!」 「ど、どうしたの?」 「う、うん……気持ちいい……」  ああっ、稲森さん絶対エロくなってる……俺のオナニーとちんこ見て、エロくなってる。 「な、な、舐めたり……してみる?」 「え!?」 「ふぇ、フェラとか……」 「…………!?!?」  しまった、稲森さんの顔色が変わった。 「なんて……だ、だ、だめだよね、あ、あはは……」 「あ、ん…………と…………」  またトロンとした瞳に戻った稲森さんは、しばらく俺の手の動きを目で追いながら……。 「………………」 「む、無理かも……ちょっと……」 「そ、そーだよね。ご、ごめん変な事言って!」 「う、ううん……」  俺の言葉が耳に入っていないかのように、ただじっとペニスを見つめている。 「ん…………」  吐息がさっきよりも近くから当たって、俺の手を湿らせている。それに……。 「…………………………」  それに、すごいエロい顔……! 「…………………………」  あぁぁ……ヤバい、その顔…………!! 「あ、あ、あ、イきそう……っ」 「う、うん……」 「見てて、イくから……あ、イくよ」 「うん、見てる……」  息が当たる。稲森さんの可愛い顔が……その顔に……! 「あッ、う、うっ……!!!」 「きゃっ!?」  目の前の稲森さんめがけて、一気に腰の緊張を解き放った。 「やぁ!? あ、あ……あっ!」  ――ビュルッ、ビュルッ……と、勢いよく射ち出された精液が尾を引いて飛んでいく。 「んあっ……ん、あ……!」  次から次へと、どんどん稲森さんの顔めがけて……! 「あ、あ……うわ……きゃんっ!?」  ああああ、すごい……頭が痺れる……ッ!!  稲森さんの顔に、さらさらした髪の毛に、煮えたぎった精液がぶつかり、弾け、こびりつく。 「はぁぁ……あ、あ……あっ……」 「稲森さん……あ、稲森さんっっ……!」 「あ、あ……ッ……ん、ん…………んんんっ……」 「あ、ん、んっ……はぁぁ……」  ひとしきり放出を終えた頃、稲森さんの顔は俺の精液だらけになっていた。 「す、すごい……ね……」 「ご、ごめん……すごいかかってる」  あ、あ……すげ、口にまで飛んでる……! 「ん、ちゅる……んん……」  し、しかも舐めてるし……!! 「ん……れろ、あ……あ……ッ!」  ぴくんと稲森さんの肩口が縮こまる。 「やだ…………ッ!」  なんだか分からないけれど、ふいに稲森さんは、ぎゅーっ……と自分のスカートを握った。 「……はぁぁ……ぁ」  少ししてホッと息をつくと、口の端にこびりついた精液を指先で唇に運ぶ。 「あ……ん、じゅる……ん、んっ」 「あ、あ、あ……!」  まだ痙攣の治まらない俺の視界で、稲森さんが手についた俺の精液を舐めて……飲んでる!! 「ん……れろ……ちゅっ……」  だめだ、目が離せない……。 「ん、ふぁぁ……な、なんだろ……変な味……んっ」 「な、舐めたりして平気?」 「え? だってネットで見たヤツでも……してたよね!?」 「そ、それはそうなんですけど……」  確かに前にぶっかけ動画を一緒に見た事があったけど……!  だけど、稲森さんがそんな事までするなんて……。  か……。  感動すぎるッッ!! 「ん、じゅる……はぁぁ……き、気持ちよかった?」 「う、うん……今までの中で最高によかった……」 「そ、そうなんだ……あはは、よかった…………」 「ん、れろ……んちゅる……はぁぁ」 「ね、粘っこいね……これ、顔射ってやつ?」 「う、うん……稲森さんに顔射しちゃった……」 「あはは……やだ……ちょっとやらしーね……」  いや、全然ちょっとどころじゃないですから! 「あ、ご、ごめんね……朝から……いきなり!」  少しして、急に我に返った稲森さんは、ばね仕掛けみたいに立ち上がった。 「す、すごいの見ちゃったな……あ、あはは……」 「あ、ありがと……ていうか、ほんとに……なんてゆーか……」 「や、やだな……あはは……」  急に照れだした稲森さんが、そそくさと部屋のドアに手をかける。 「まだ早いから平気だよね、か、帰るね……!」 「う、うん……」 「……っとと、その前に約束!」 「約束って、えっと……今のもなかったことに?」 「うん……な、なかったことに!!」  と言われても俺は股間ベトベトだし、稲森さんの髪の毛にもたっぷり精液がついてるんですけれど!! 「あ、あ、あの……し、シャワー浴びてこないと!」 「う、うん! 今日は朝稽古中止でいいから!」 「わかってるー!」  俺の精液を髪につけたまま、稲森さんが廊下に姿を消した。  誰にも見つかりませんように――。  そう真剣に祈りつつも、精液まみれの稲森さんが寮の廊下を歩いてるシチュエーションを想像すると、ついドキドキしてしまう。  ともあれ幸福感を満喫しつつ、俺はベッドにぐったりと仰向けになった。 「約束だ……稲森さんとの約束だぞ……」  今のは、なかった事に……なかった事に……。  ……で、出来るかなぁ!? 「はぁぁ……やってしまったぁぁ!」  ぶるるっ……と身震いしながら、寮を飛び出した。  昨夜からの雪がどっさり積もっているけど、寒さに震えたんじゃない。むしろ身体は熱かった。  稲森さん……稲森さん……稲森さん……!!  ああっ、その名を呼ぶだけで頭の芯が焦げ付いてしまいそうだ! 稲森さんにあんなところを見られて……それで……!!  ――どん!  いきなり後から肩を叩かれた。 「おはよーっ!!」 「い、稲森さん!?」 「早く行かないと遅刻だよっ♪」 「え? あ、あの……まだ7時半……」 「みんなが来る前に学校に着く約束でしょ?」  そうして稲森さんが、俺の腕を取って……って、ええっ!? 「や、その……なに……わっ!」 「いっくよー、だーっしゅ!!」  稲森さんに手を引かれながら、雪の積もった通学路を走っていく。 「ふふっ……くすくすくす、ふふふっ……」  なんか、すっごいテンション高いんですけど?? 「稲森さん……あの」  俺はそれよりも、今朝やらかしてしまった大暴走のほうが気になってるわけで。 「そ、その……今朝は、なんていうか」 「天川くん……」  ぴたっと足を止めた稲森さんが、手を繋いだまま俺の目を見る。 「な!? な……なに?」 「またしようね……」  ま、また!? またって、なにを!? 「なんてね……くすくすくす」 「いや……あ、あの……わぶっ!!」  いきなり、すっかり熱くなった俺の顔に当たってはじける雪の塊。 「あははは……えーーーいっ!!」 「うわっ、ちょ……なにを!」 「天川くん、顔が火照りすぎだよっ、とーっ!」 「うべっ……!!」  稲森さんが、道端の生垣に積もった白い雪を丸めて投げつけてくる。 「……やったな、このっ!」  俺も笑顔で応戦。さいわいこの早い時間の通学路なので、人通りもなし。 「きゃっ……あぶなかったー」 「えーいっ! 消える魔球!!」 「消えてない、うりゃっ!」  ――べしゃっ! 「きゃぁぁ! うぅぅ……こうなったら波動弾!」 「当たらない、たーっ!」  かくして、早朝の通学路にびゅんびゅん飛び交う雪の玉。  もちろん手加減してるけど……戦局はこっちが圧倒的に優勢だ。  手の大きさが違うから俺の雪玉のほうが当然大きいし、投げる間隔も早い。 「きゃーっ、きゃっ、あっ、やーん!」  うーん、やられてるくせに楽しそうだなぁ。  焦って両手を合わせる稲森さんだけど、その手の間から、雪はボロボロこぼれ落ちて。  ちっちゃな、平べったい円盤みたいなのが、へろへろと飛んでくる。 「隙ありっ!」  ぽん、ぽん、ぽんと、雪玉を放る。顔にはぶつけないように、っと。 「きゃんっ……あ、やんっ、あんっ!」  な、なんか、色っぽく聞こえるんですけど……。 「ひゃっ、背中っ、入って、きゃっ、ひあああっ!」  体をよじり、必死にくねくねする稲森さん……その仕草に今朝の光景がオーバーラップして……。  ううっ、こんな街中だってのに股間が反応してしまう!  前かがみになって慌てて背を向ける俺。  そこに――どかどかどかと、重たい衝撃が降り注いでくる。 「このっ、このっ、このっ!」  しまった、この反撃は予想外! 大きい雪玉が、立て続けに俺の背や頭に炸裂する。  ぬわ、おわっ!? なんだこれ……雪玉の量が半端じゃない!? 「えいえいえいえいえいっ!!」 「はいはいはいはいはいどうぞ〜♪」  そこには――稲森さんの横合いにちょこんと座りこみ、せっせと雪玉作りに励む曲者が約一名。  そしてそれに全く気づかずに雪玉を受け取っては投げてくる稲森さん。 「えいえいえーい……あれ、美緒里ちゃん?」 「日向ーーーー!!! お前はいったいなにを」 「はい、雪玉製造代行です、どうぞ稲森先輩」 「ありがと、えーいっ!」 「わぁぁ! だめだ稲森さん! その雪玉にはきっと……ぶべっ!」 「さあ今です、一気に纖滅しちゃいましょう♪」  そして美緒里が手書きのメモをこっちに向かってひらひらさせる。 「なんだその『値段表:ノーマル雪玉=個数×10円』って!!」 「ていっ、えいっ、せいっ!」 「わーーっ、稲森さん落ち着けーー!!」  それが悪魔の雪玉補給とは気づかずに、稲森さんの攻撃は勢いづく。 「だめだっ、稲森さんっ、その雪玉だけは駄目なんだ! 悪魔の誘惑に屈したら人類の尊厳が、財布の危機が……うぶっ!」 「ご心配なく、料金は敗者持ちでけっこうですのでー♪」 「お、お前はーーー!!!」  こうなれば目標を『戦艦イナモリ』から脇の補給艦『シュセンド』に変更!  稲森さんと俺の小遣いを守るためにも、まずは奴を潰さねば! 「えーい!!」 「うげっ! だららららららぁぁ!!」 「ひゃ!? うぎゃっ、ぎゃっ、ぐえっ!」  稲森さんの雪玉を食らった俺が、美緒里に反撃の雪玉をぶつける――魂のV字ラインがたちまちできあがる。 「うーぅぅぅ……ひどいことをしますね」 「だめだよー天川くん、後輩の子ばっかり狙うなんて」 「ちがうー、そこの悪魔が……」 「うげっ!」  かくして2対1の劣勢に経たされた俺の後頭部に、追い討ちをかけるように第三の雪玉が炸裂!?  ――ばごっ、ばごっ、どがっ!  次々に俺に当たった雪玉が、真っ白な霧となって破砕する。  こ、これは、女子の力ではない!? 「な、何をする!?」  振り向けば――そこにずらっと居並ぶは、重戦車のごとき稲森さん親衛隊! 「お前こそ、なにしてやがる!!」 「死ねっ、天川!」 「一斉射撃、開始ーーーー!」 「マジか……ぐえっ、ぎゃっ、うがっ……!!」 「えー、オプションとして、石ころ入りは100円〜」 「ダースでもらおう!」 「や、やめんかーーーー!」  かくして満足な反撃体勢も整わぬまま、前後左右からの徹底的な集中砲火にさらされ……。  0800、天川祐真、なす術なく轟沈――。 「あー、楽しかった……ね」 「たのしかったー♪」 「最高だったー♪」 「天川がいなけりゃもっと楽しかったー♪」 「ううっ……へくしっ!」  雪まみれにされた俺は、顔面がしもやけで、真っ赤っか。  温かい所に来たもんだから、鼻水も出て、散々だ。 「ごめんね、ちょっとやりすぎた?」 「いやー、やっぱりまほっちゃんは優しいなー」 「こ、この恨みは近日晴らさせてもらう……」 「あ、あはは……やっぱやりすぎてた……」 「あ、ティッシュ足りる? カバンに入ってるからあげるね――」  と、フォローするように身をひるがえす稲森さん。  いや、そんな素早く動いたら、きっと……。 「きゃっ!」  ――べしっ!  ああ、やっぱり転んだ。さすがに親衛隊のフォローも間に合わないほどの、見事な転びっぷり。 「だ、大丈夫かまほっちゃんーーー!?」 「へ、平気平気、なんてことないからー!」 「わ、鼻血!?」 「えぇ? あわわ、出てる!?」 「思いっきり」  そういって、逆に自分のティッシュを渡してやる。 「はい、俺のティッシュでよかったら」 「うううぅ……すみません」 「し、自然だ……!!」 「……何が?」 「天川の仕草が自然すぎて気持ち悪い!!」 「ううっ……俺たちの入り込めない空気が出来上がってしまったのか!」 「ぎく!? い、いやそれは……」 「でも、ドジっ子全開な稲森さんも素敵だーーー!!」 「しかし、まほっちゃんの新たな魅力を満喫するためには、天川と関わることを認めねばならないのか!?」 「おお、神よ! なぜ我々に、かくも厳しき試練をお与えなさるのですか!?」 「クオ・ヴァディス・ドミネ! ああああ!」  うーむ、ノリノリなのは伝わってくるけど、ついていけない。  身をよじり嘆き悲しむ連中をよそに、稲森さんは満面の笑顔。 「うぇぇ……鉄の味でイガイガするー」 「大丈夫?」 「へいきへーき! こんなのすぐ止まるから。あはははっ!」  だ、大丈夫なのか、このテンションで……。 「………………」 「稲森ー! さっさと保健室で休んできなさい、わかったー?」 「ふぇ……ごめんなさい」 「……きゅうぅぅ」  上を向いて鼻血を止めようとしていた稲森さんだけど、失敗したようでそのままのびてしまったのだった。 「のびてるまほっちゃんも素敵だーーーー」 「……お前達」  かくして、親衛隊が真っ先に気づいた稲森さんの微妙な変化は、すぐに周囲の知るところとなり――。  ――昼休み。 「いっただきまーす!」 「ごはんになると元気だねー、劇のほうはどうだい?」  恋路橋が向かいに座る。いつものことなので、断りもしない。 「台本は遅れてるけど、稲森さんの演技はいいよ」 「……稲森さん、なんか変わったよね?」  ぎくっ!? 「ど、どこが……!?」 「そうだなぁ、ちょっとドジになってたり、前より元気になってたり……」  ラブ方面にとんと疎い恋路橋なら平気だと思うけど、もし稲森さんと俺のことが知れ渡ったら、一瞬で身の破滅だ。 「き、きっとそれはあれだよ、役に入り込んでいるせいで……」 「いやあ、あれは、恋を知った少女の目だな」 「こ、恋!?」 「ぎゃあああ!! どこから湧いたんですかっっ!!」 「フッフッフ……恋の気配するところ我あり。美しき〈恋〉《こい》〈花〉《ばな》に宿る蝶――それがこの僕さ」 「自分の恋だけで満腹してください!」 「やあ、なかなか上手いことを言うね」 「それで桜井先輩、稲森さんが、こ、恋ですって!?」 「ああそうだね、つまり……」  さ、最悪だ……この流れは最悪すぎるっ!! 「先輩! それより劇の話ですけど……!!」 「な、ならば相手は!?」 「知りたいかね?」  お、教えなくて結構!! 「それは……」  わーーーっ!! 先輩、あんたは悪魔かーーー!! 「ミスター・リンドバーグだね」 「は?」 「まったくまほちゃんらしいよ。役に打ち込むあまり、劇中の人物に恋心を抱いてしまう……なんてね」 「そ、そうだったのかぁぁぁっ!! 稲森さんは役者の鑑だなぁ」 「そう思うだろ、カントク?」  桜井先輩がニヤニヤと俺を見る……ううっ、この先輩は確実に感づいているな。 「そ、そうかもしれないけど、とりあえず俺としては、稲森さんに恋人が出来たというような噂は広まってほしくない」 「その通りだね、さすが我が親友はいいことを言うなぁ」 「あ、あはは……それほどでも!」  はぁぁ……心臓に悪い。  ――夕方。  はぁ……今日も1日無事に終わった。  放課後、屋上での練習も、稲森さんの調子がよくて満足と言っていい仕上がりだ。  あとは俺の脚本だけだ……。 「それにしても、稲森さん……楽しそうだったな」  朝のドキドキタイム、雪合戦、それから教室でのやりとり――稲森さんはこのところ、すごく明るくてノリノリだ。  親衛隊のマークと鉄壁のガードを縫って、こっそり落ち合っては演劇の練習に精を出す。  二人、共犯のような気持ちでやっているから、すごくお互いを大事にしている。  かえって親衛隊の存在が、俺たちの距離を縮める役に立っているのかもしれない。 「ん……これって使えるかも?」  両親や会社に交際を反対されている、劇中の主人公たち。  彼らはまだそこに留まっているけれど、いまの俺たちの状況が、この先の物語のヒントになるかも……?  これって、まるで……。 「現実が劇を追い抜いたみたいだ」  いっそのこと、これからの現実の出来事を、脚本に反映してみたらどうだろう。  俺に恋愛経験がないせいで、芝居の脚本も嘘っぽい展開しか思い浮かばずに行き詰っていた。  けれど、これからの俺のことを書くなら、それにはリアリティがあるわけで……。  や、やってみるか……!? 「…………」 「…………ううっ、それはさすがに恥ずかしい!」  ――日曜日。 「はー、疲れた疲れたー♪」 「なんか調子いいみたいだね」 「あ、そう見える? よかったぁ」  教室に入った稲森さんが、鞄から新しいフェイスタオルを出して額をぬぐう。  日曜だというのに朝から屋上で芝居の稽古をして、ようやく一息ついた所だ。  三学期ともなると、休日に自主登校をしているのは、春大会のある運動部と俺達くらいのものだ。 「冬なのに暑いね……あははっ」  休日でも登校時は制服着用が決まりだ。冬服のまま稽古をした稲森さんの額には、ほんのりと汗がにじんでいる。  親衛隊に芝居を認めてもらってからというもの、稲森さんは絶好調みたいで、芝居にも思い切りがでてきたと思う。 「華のある演技ってやつ、結構掴んできたんじゃない?」 「ほんと!? やったぁ!」 「と、喜ばせといてなんだけど、素人意見だから」 「うー!」  いったん持ち上げたのを外された稲森さんが、口を尖らせる。 「それなら今度、片岡君に見てもらおっかなー」 「なに、そ、それだと俺の立場が……!!」 「だったら素人意見なんて言わないで、もっと威厳持ってくださーい!」 「あー、ウオッホン! ところで、今日の分の台本なんじゃがのう……」 「威厳と老け込むのは別だよ、天川くん」 「ウオッ……げほッ、げほ、げほっ!!」 「くすくす……で、台本って?」 「あ、いや……〈演〉《や》ってみて、何か気になったとこあるかなーと思って」 「うん……そうね、わたしじゃなくて、リンドバーグの方なんだけど……」  頬に手を当てて考える仕草をした稲森さんが、さっきまでの稽古を振り返りながら言葉を続ける。 「自分の気持ちを言うシーンがあるでしょ……『ミス・マグダネルダグラスが好きだー』って叫ぶ所……」 「リンドバーグが一番大切な気持ちを解き放つって所だよね」  クライマックスではないけれど、大事なシーン――実際に叫ぶ俺としては、気持ちのありったけを込めるつもりでいた所だ。 「うん、そこ……前の台本から気になってたんだけど……」 「一番大切な気持ちって、言葉になるのかな?」 「……!」 「好きな気持ちなら、もうそれまでの行動で伝わってると思うから、さらに言葉に出すと、軽くなっちゃう感じがして……」  そうかもしれない。稲森さんの意見には不思議と説得力がある。 「言葉にしないでインパクトが出るような演出をすればいいのかな」 「うん……例えば気持ちを言わずに、名前を呼ぶだけにするとか……」 「あ、それいいかもしれない……なら、見つめるだけでも行けるかも……」  稲森さんと二人、思い思いに意見を出しあっているうちに、少しずつ芝居の形が見えてくる。 「リンドバーグは、いつわたしを好きになったのかな?」 「最初のシーンだと思うよ。だから、セリフの終わりに一度振り向くシーンを入れてみるとか……」  稲森さんと芝居の事を話す時間は楽しい。  どのシーンのどの台詞に、どういう感想を抱いたか。そんなやり取りのうちに、稲森さんの考え方、感じ方がわかってくる。  それが呼び水になって、俺の中でモヤモヤしていた芝居のプランにも、次第にはっきりとした輪郭が与えられる。 「……ラストシーン、どうなるんだろうね」 「……ね」 「って、天川くんが書くんだし!」 「そうなんだけど! うーん、この二人どうなるんだろう……」  桜井先輩のメモに、ラストシーンは書いていなかった。  俺と稲森さんは、演じる事で登場人物の気持ちをトレースしながら、この先の展開を想像している。 「せっかくなら、面白いお話にしたいもんね」 「面白くないとダメだよなぁ……」 「見る人が面白くて、恋人になった二人が行き着くような……そんな展開……」 「あ……!」  ――キスシーン!?  ふいにそんな言葉が浮かんだ。 「え?」 「あ、いやその……」  ついそのまま口から出そうになった思いつきを、慌ててひっこめる。  バカめが、キスシーンなんて学校の芝居で出来るかっ!!  でも……もし出来たらどうする? 「……ごくっ」  稲森さんの唇に視線が行ってしまう。  俺と稲森さんの関係は、どこかマグダネルダグラスとリンドバーグに似ている気がする。  学校のヒロインで親衛隊に囲まれていた稲森さんと、存在感の薄い男子Aの俺――ここには歴然とした身分差があるわけで。  その二人が結ばれて……。  全校生徒の前で――キスとか!? 「そんな、わぁぁぁ!!」  首をぶるぶる振って煩悩を振り落とす俺の姿を、稲森さんが不思議そうに見つめている。 「な……なんでしょうか?」 「あ、ううん……ちょっと、不思議だなって思って……」 「え……?」 「天川くんって親衛隊の皆の事、悪く言わないよね?」 「……そうかな」 「迷惑かけちゃってる気がするのに、どうしてかなーって」 「んー、なんだろ……自分があいつらの立ち位置だったら、きっと同じ気持ちになるから……とか?」 「同じ気持ち?」 「だってさ、いくら1年の時のクラスメイトとはいえ、稲森さんの事を横からかっさらってくような奴に、ニコニコはできないでしょ」 「かっさらって……?」 「あっ!!! え、えーと、それは俺の気持ちじゃなくて、連中にはそう見えてるだろうなーって意味で!!」 「うん……そ、そっか……あ、あははは」 「そうそう、あ、あ、あははははは!」 「それに……」 「……?」 「それに、あいつらの稲森さんへの気持ちがさ……そりゃもう超強烈で。正直、こりゃ負けるなーっていうか……」 「…………ん」 「あ、いや……その、あ、あはは……なんか変な事話してるね」 「ううん……」 「そ、それならいいけど……はは、か、帰ろっか」 「…………うん」  稲森さんと一緒に寮まで帰る。  親衛隊の目を気にする事無く、俺達は一緒に歩ける様になった。  稲森さんと演じるラブシーンの事を想像しながら、稲森さんと並んで寮への道を歩く。  稲森さんの歩調に合わせながら、俺の気持ちは4年前にトリップして行く。  ――そうだ、あれは1年の夏休み前。  俺と稲森さんは、今と同じ様にラブシーンについて考えながら一緒に下校していた。  それは芝居のラブシーンじゃなくて、恋人ごっこのラブシーン。  あの頃は俺も稲森さんも恋愛への好奇心が凄くて、何度か恋人ごっこなんかをして遊んだ事があった。  もし自分に彼氏や彼女が出来たら、どんな事をするのか?  恋愛のシミュレーションをしているつもりだったが、今にしてみれば単なるおままごとの変化球みたいなものだ。  臭いセリフを考えては、ふりだけで告白して、ふりだけで手を繋いで、ふりだけでキスをして――。  実際には手すら握らずに、俺達は恋人の真似事を演じていた。 「――覚えてる?」 「うん、懐かしいね……告白ごっことか、あとは……」 「デートのふりして、わざと恋愛映画見に行ったり?」 「名画っぽいやつ!」 「あれ、つまんなかったよね」 「うん、今見ても分かんないかも……」 「ほんとにね、他にもなんかいろいろやったなぁ……若気の至りっていうか……」 「…………ラブレターとか」 「あ、やったなぁ……!!」  偽のラブレターを交換したのも、ちょうどそんな恋人ごっこの流れだった。 「確かあれって、稲森さんが憧れの先輩にラブレターを渡す為の練習だったっけ?」 「う、うん……よく覚えてるね」 「なんとなく、おぼろげだけど」  本当の事を言うと、あの時稲森さんからもらったラブレターは、まだ大切にしまってある。  俺の方はというと……精魂込めて書いたラブレターを稲森さんに渡せなかった。  ごっこのつもりが、あんまりマジな文面になってしまったのが恥ずかしくて、破り捨ててしまったのだ。 「俺の文才のなさは、あの頃から始まったのかも……」 「えー、そうかなぁ?」  そう、あの時は結局、適当にふざけて書いたダミーのラブレターを渡したんだ。 「多分ひどいラブレターだったと思うよ……なんか難しいよね、文字にするのって」  恋人ごっこに、偽のラブレター交換――。  未だに俺が稲森さんに対してぎこちないのは、その時の事がトラウマになってるせいかもしれない。 「もう昔の事だから、どんな内容か忘れちゃったな……」 「お、俺も……ぜんぜんぜんぜん覚えてないけど!」 「ふーん……」  そこで言葉を切った稲森さんは、いきなり、ぴとっ……と身体を寄せてきた。 「久しぶりに、手繋いでみよっか……」 「え? え?」 「ほら、こういうのも役作りだし……ね?」  手を握られる。ひんやりと冷たい感触に掌が包まれる。 「よし、行こっ……♪」 「うん……」  稲森さんに手を引かれるまま……心臓の鼓動を感じながら、歩き慣れた道を寮へと急ぐ。  頭の中では、あの頃、こっそり遊んだ恋人ごっこの思い出が駆け巡っている……。  ひょっとすると俺は、演劇という舞台を使って、あの事の続きをやろうとしているのかもしれない。  寮に帰ってから、早速台本の作成に取り掛かる。  稲森さんとの思い出や、こないだの自慰タイムの事を思い出してしまうと、ついつい手が止まりそうになる。  煩悩を振り払い振り払い、なんとか作品世界に入り込もうとしていたら――。  ――コンコン。 「いるー、天川くん」 「稲森さん? どうぞ、入って」 「あ、あはは、おじゃましまーす……」 「……!」  稲森さんは、まだ制服姿のままだった。  俺の部屋に学校と同じ稲森さんがいるっていうのが、ちょっとだけ新鮮に感じられる。 「ちょっと相談したい事があって……取り込み中だった?」 「ぜんぜん、ちょうど息抜きしようと思ってたとこだったし」 「い……息抜き……」 「何を想像したかなんとなく分かるけど、そういう息抜きじゃないから!!」  ほっとため息をつく稲森さんと、テーブルを挟んで差し向かいに座る。  一緒に寮に戻ってきたのが、ほんの3時間ほど前――日曜だっていうのに、一日中稲森さんと一緒にいる様な気がする。 「あのさ……さっき話してたラブシーンって、どんなシーンになるのかなーって思って」 「なんか、一度気になると落ち着かないっていうか……あ、あはは」 「そ、そうだよね、早く考えたいんだけど……」 「や、やっぱり、ラブシーン入るの?」 「わかんないけど……必要があれば」 「…………き、キスシーンとか?」  ぐぐっ……と、稲森さんが身を乗り出してくる。 「いや、いくらなんでもそこまでは!」 「そ、そうだよね、あ、あはは……なに考えてんだろ、わたしったらー!」  二人で声を揃えて、いつもみたいにぎこちなく笑う。  さっき稲森さんと話したせいか、1年の頃の事が次々に思い出されてきた。 「そ、そういえば、昔やった事あったよね……」 「……キス!?」 「覚えてない? ほら、夏休み前だっけ……ラブレター交換の流れで……」 「覚えて…………ないかも♪」 「やったよ、正確にはキス未遂だったけど……」  そう、あの頃の俺は好奇心の塊だった。(たぶん稲森さんも) 「休み時間に、試しにキスしてみようとかいう話になって、あれって確か校舎裏だったっけな……」  その時校舎裏にいたのは、俺と稲森さんの二人きり。  稲森さんが最初に目をつむって、俺はポーズだけだって自分に言い聞かせながら顔を近付けて……。  けど、本当はポーズなんかじゃなくて、本当にキスするようなテンションになっていて。  今なら本当にキスできる!  そんな風に思ってたんだけど……。  唇が触れる寸前になって、やっぱりどうしても出来なくて……だから俺は顔を離して。 「……みたいな?」  そんな事言ってごまかしたんだっけ……。  それで、稲森さんも笑って、変な空気になったのをお互いにごまかし合った。  ごまかせてホッとしたんだけど……。 「……それから、アイス買って帰ったんだっけ」 「うん……」  稲森さんが遠い目をしてうなずいた。 「ほんとはね……覚えてるの」 「ん、そうじゃないかと思った」 「昔から顔に出るタイプだったし、すぐ分かるよ」 「がーーん!! し、知らなかったー!!」  本気で頭を抱える稲森さん。  こういう所がまた、親衛隊の連中の保護欲を駆り立てるんだろうな……きっと。 「あ、あの時は……なんであんな事したんだろね?」 「う、うん……」 「なんかおかしかったよね……天川くんが空気壊してくれて、ちょっとホッとしたの覚えてる」 「やっぱキス未経験だったし、俺もなんか変なテンションになってたんだと思う!」 「未経験……だった?」 「あ……今も未経験だけど!!」 「くすくすくす……びっくりしたー、いつの間にかしてたのかと思った」 「そんな度胸無いよ……あったら大晦日の時だって……」 「え?」 「あ、いや、その……なんでも……」 「大晦日って?」  不思議そうな目で俺を見る稲森さん。  頭のどこかで変なスイッチが入って、俺はまた、あの時の校舎裏みたいな空気を感じてしまう。 「だ、だからさ……大晦日、一緒に帰った時……」 「うん……」  また、変な空気になってる。  それを感じながら、俺は口から流れ出る言葉を止められないでいる。 「あの時、本当はさ……手を繋ぐんじゃなくて……」 「……うん…………」  唾を飲む。いつの間にか、喉がからからに乾いている。 「稲森さん」 「は、はいっ!?」 「もし……もし、まだ手遅れじゃないなら……」 「やり直し、してもいい……?」  俺は、勇気を出して柵を踏み越えた。  目の前で稲森さんが俺を見つめている。  目をそらさずに、正面から見返した。 「………………」  やがて、俺を見つめながら……稲森さんはゆっくり〈瞼〉《まぶた》を閉じた。 「い、いい?」 「………………」  回り込んで、稲森さんの隣に身体を寄せる。  俺の野暮な質問に、稲森さんは答えずにキュッと目をつむっている。 「……………………」  顔を近付けると、緊張した息使いが聞こえる。  見ると、稲森さんは両手をぎゅっと握ったまま正座をしていた。 「稲森さん……」 「………………っ!」 「あ……んっ……」  吐息が混ざったかと思うと、唇が軽く触れた。 「ん……」  初めて感じる稲森さんの唇は、柔らかくて、今にも溶け出してしまいそうで。 「んん……っ」  俺は〈蕩〉《とろ》けそうな唇を追いかける様にして、稲森さんとキスをした。 「ん……ん、ん………………」  稲森さんの香りに包まれる。  唇の感触だけでなく、肌の温もりや、匂い、それに息使いまで――稲森さんの存在が俺の中に流れ込んでくる。 「ん……ん………………んん…………」  これがキス――ファーストキスなんだ。  1年の頃から何度も、夢にまで見た、稲森さんとのファーストキス。  俺だけじゃなくて、稲森さんにとっても最初のキス……そう思うと、雲の上の存在だった稲森さんが、まるで自分の物になったみたいに感じられる。 「…………ん、はぁぁ……ぁ」  ゆっくりと唇を離した。 「し、しちゃったね……」 「ん……うん……」 「ファーストキスが稲森さんだなんて……ちょっと感動」 「――!?」 「……………………」 「や、やだな…………照れるかも……」  恥じらいの仕草が、俺の気持ちを更に満たしてくれる。 「ほんと、ご、ごめんね……いきなり!」 「ううん、ねえ……天川くん……」 「な、なに?」 「も……もう一回、しよっか?」 「んっ…………ん…………ちゅ……ん、ん……」  稲森さんに誘われて、二度目のキス。 「ん……んん………………ん、んっ……!」  今度はお互いに唇をつけたり離したりして、キスを確かめるように唇を合わせる。 「んふ……ん、んっ……んん……」  稲森さんの身体が小刻みに震えているのが伝わってくる。 「ディープもいい?」 「え?」 「ん、舌……んっ」 「んぁ……? ん、ちゅる……ん、ん……」  桜井先輩のDVDや、ネットの動画で見たように舌を入れると、稲森さんの舌に受け止められた。 「んふっ、ん……ん、れろ……ん、んっ…………」  唇を完全にくっつける事はしないで、舌と舌をただ絡め合っていると、唇と舌から、稲森さんの体温が伝わってくる。 「ん、舌……」 「こ、こう……ん、んりゅっ……かなぁ……ん、んちゅ?」  舌が軽く絡まるだけで、稲森さんの呼吸はどんどん荒くなっていく。  たぶん俺の息も一緒だ。 「んっ、んちゅ……んんん、んちゅ……ん、んっ……」  稲森さんと粘膜をこすり合わせ、体液を交換している。  そんな想像をすると、身体が震えるほど気持ちがいい。 「んっ、れろ……れろれろ、ん、れろっ…………んむ、れろれろ……」  ただ舌をこすり合わせるのに飽きたら、小刻みに動かしたり――。 「んううっ? んぁ……ん、んーっ、ん……んんっ……」  大きく突き出して舌の裏から舐めてみたり。  はたまた、舌の先をくっつけて、押し合ってみたり。 「やぁ……ん、んんっ……ちゅ、れろれろれろ……んっ、んろっ、んろっ……」  おっかなびっくり誘ってみると、好奇心旺盛な稲森さんの舌もそれについてくる。 「はぁぁ……ん、れろ……ね、ねえ、んちゅ、天川くん……ん、ん、ん……」 「これ……舞台じゃ無理……ん、ん……だよね……」 「無理って?」  稲森さんの言葉を遮るように、しつこくキスを続ける。 「だから、こんなラブシーン……ん、んっ、できないよね……」 「確かに……一度やったら、やめられなくなりそう」 「あぁ……ん、んっ、ん……ばか……ん、んっ」  いつまでも稲森さんの舌と唇を感じていたい……そう思っていたら。 「も、もうそろそろ……げ、限界かも……」 「んん……どうして?」 「わかんないけど……んぁ、ん、ちゅ……や、やっぱストップ……」 「ん……んぁ……あ……っっ…………はぁぁ……っ」 「はぁ、はぁ……はぁぁ……」 「無理だよ、こんなの……お芝居にならない……」  白い額に汗が浮かんでいる。  俺の身体を押しのけてから、稲森さんは肩で荒い息をついた。  ――20分後。 「きゃぁぁ!? な、なにこれ? これは無理! ぜったい無理だよー!」 「う、うん……プロはすごいよね」 「やぁぁぁっ……あんな、うそ、お、お尻舐めてるしー!」 「ほんと……プロはすごいよね」 「プロとかそういう問題じゃなくてー!」  キスの放心から我に返った稲森さんと一緒に、正月の夜みたいにノートPCの画面を覗き込む。  過激な動画の数々に、稲森さんは釘付けになっている。  桜井先輩から借りっぱなしのノートPC――どうやらこれはサブマシンだったみたいで、今ではすっかり俺の持ち物みたいになっている。 「わぁぁ、な、なにあれー!?」 「マッサージ器でしょ、ほら、リビングにもあるやつ」 「ええええ……そ、そんなの使うの!? なんで!?」  『他の人のキスシーンを見てラブシーンの参考にしてみよう』なんて無茶な理由をつけて、エロサイト鑑賞会になだれ込んだ。  画面の中では、アソコがマッサージ器の振動で透明な雫を吹き上げている。 「こ、こんなのラブシーンの参考になるわけないのにーっっ!」 「きききき気持ちでやるんだよ!」 「気持ち?」 「ほ、ほ、ほら! イメージの世界っていうか!!」 「舞台では演じないにしたって、主役もヒロインも大人の関係になってるわけだから!」 「だ、だから……?」 「こ、こうやって、そういうときの人間の気持ちをトレースしたりして……」 「ふ、二人がどんなエッチをしてるのかとか、そういうところも、ちゃんと演技に活かせれば……な、なんて!」 「そ…………そっか……」  目茶目茶な理屈を信じ込んだ稲森さんが、大人しく画面に向かう。 「あ……!」  さっき潮吹いてた女優さんが、今度はうっとりした顔で巨大ペニスをしゃぶっている。 「やっぱり、フェラ……って、誰でもするんだ……」 「ふ、普通してるよね?」 「す、すごいね……大人って……」 「ね……」 「あ、あのさ……アレって、美味しいのかな?」 「お、おいしいって?」 「わ、わかんないけど、男子のアレを口でするのって、ど、どんな気持ちなのかなーって想像したから……あ、想像はしてないけど!」 「……どっち?」 「わーん、どっちでもいいからぁ!!」 「んなこと聞かれても俺男だし、そもそも経験だってないし!」 「あ、そ、そ、そうだよね……あ、あはは……やだ、なに聞いてんのかな、おかしいよね!」 「でも……どんな気持ちするんだろ」  ぽそっと呟いた稲森さんの横顔に、俺の視線は吸い込まれてしまった。  ほんのり上気した頬と、潤んだまま見開いた瞳――。  PCの中の女優さんの1万倍は艷っぽい稲森さんが、すぐ隣にいる。 「試しに……し、してみる?」 「――!!!」  思い切って誘ってみると、稲森さんは慌てて首を振った。 「や、やっぱ無理だよね……あ、あはは、ごめん」 「…………あ、あはは、ううん……あははは!」 「ま、前も聞いたっけ……しつこいよね」 「う、ううん、そんな事……あ、あはは……は……」 「どーしても無理!?!?!?」 「えぇぇっ!?」  目をみはった稲森さんが、すぐに視線を落とす。 「………………」 「……あ、あの…………ね…………」 「き、今日は……無理じゃないかも……」 「ほんと!?」 「…………(こくり)」 「おぉぉぉ、やったぁーーー!!!」  心の底からガッツポーズをして、稲森さんと向かい合う。  喉が鳴った。  い、今から稲森さんに……フェラ……してもらえるんだ。 「でも……やり方わからないから、教えてくれれば……だけど!」 「教える! 何でも教えるっ!」  がくがくがくがく!! 光速で何度も頷く俺の姿に、稲森さんが苦笑する。 「ん……じゃあ、やらないと悪いよね」 「うんうんうんうん!!」 「ん、もう……」 「わかった……じゃあ、ここで……横になって?」 「そ、それじゃあ、教えてくださいね、先生」 「は、は、はいっ!!」  こたつの上に仰向けになった俺の股間に、稲森さんが顔を寄せてくる。 「ふーん、まだ小さいんだ」  案外なんの抵抗もなく、稲森さんは俺のペニスを両手で包み込んだ。 「ふふっ、かわいーね……」 「キモくない?」 「ぜんぜん……もう2回も見てるし」  ぎゅっと、握る手に力がこもる。 「あ、ちょっと硬い……でもまだまだだよね、これって」 「う、うん……ごめん、緊張してるかも」 「ふーん……」  それから稲森さんは、慣れない手つきで半立ちのペニスをしごき始めた。 「ん……ん……んんっ……」  刺激は緩やかだけど、これが稲森さんの手だって思うと、たちまち腰が砕けそうになってしまう。 「天川くん?」 「な、なに……」 「見て……こっち」  視線が合うと、稲森さんがいたずらっぽい笑顔になった。 「ふふっ、こんな気持ちでやればいいのかな……」  それから、とろーんとした表情をつくって、俺を見つめてくる。 「そ、そんな顔されたら、舞台でも勃起しそう」 「んふふ……いろっぽい?」 「う、うん……そう、そうやって手首でしごく感じ……」 「あ、ほんとだ……どんどん硬くなってきた♪」 「あははははっ、すごいすごい……大っきくなったー♪」  稲森さんの手の中で、俺のペニスがどんどん充血していく。 「へー、ふふふっ……なるほどねー、くすくす……」  楽しそうに笑う稲森さんは、純粋にペニスの反応を楽しんでいるみたいだ。 「な、なんか照れるね」 「そりゃこっちのセリフです!」 「あはは、そうかもー♪」  すっかり勃起したペニスを両手で持ちながら、稲森さんは天然で楽しそうだ。 「これ……もう、フェラしても平気?」 「う、うん……舐めてみて」 「わかった……」 「ど、ドキドキするね……あ、あはは」 「う、うん……」 「えっと……そ、それじゃ行くね……」 「はむ……」 「――――ッッッ!!!!」 「ん……んん……んむ…………」  稲森さんの口に含まれた瞬間、肩口にビリリッと電気が走って、腰が抜けそうになった。 「ん……ん、んふーっ……ん、ん……」  こ、これがフェラ!?  温かい口の中って、信じられないくらい気持ちいい。  ただ咥えただけでこんなに感じるんだから、AVみたいなフェラなんてされたら、あっという間に射精してしまいそうだ。 「んー? こえれいいの?」 「あ、い、いいっ……すごい、上手」 「んんー?? ん、ん……んん……」  俺のペニスに抵抗がないのか、稲森さんは口の中でもごもごとペニスを動かそうとする。 「あッ!? い、痛い……歯が、歯がー!」 「んぁ、ご、ごめんっ……難しいね、こうかな……はむ……ん、んむっ、んも……っ」 「あ、あ、あっ……そ、そう……」 「んーん? ん、んっ、んくっ……ん……ん、んん……んっ、んっ、んっ……」 「そう、しごきながら……あ、あっ」 「んんん? んー、ん……んんっ……ん」  口にペニスを含んだまま、稲森さんがつぶらな瞳でこっちを見てる。  あの、学園のアイドルの稲森さんの口に、リアルで俺のペニスが飲み込まれてるなんて……ちょっと信じられないようなビジュアルだ! 「あ――ううっ!!」  だめだ、そんな事考えたらイッてしまうっ! 「んむ……んも……んんっ……じゅる……ん、んむ……」 「あ、あ、あ……さ、先のほうだけ舐めてみる?」 「ん……ぷは、ん、んちゅ、んむっ、んむっ、んっ、んっ、んっ……こ、こう?」 「あ、あっ、すごい、気持ちいい……」 「ふーん……ん、んむっ、んむ……ん、ん、んっ、んんっ……」 「ぷは……ん、んちゅ……これだけでいいの?」 「あ、あとは……わかんないけど、舌でれろれろとか……」 「ん、こお?」 「ん、んるっ、んろっ……ん、ん、んちゅ……」 「あううっ!? や、ヤバ……」 「あ、これ……いいんだ……ふーん、ん、んちゅ、んろっ、んろ、んろっ、れろっ……」  稲森さんは上目づかいで俺の様子を見ながら、楽しそうに舌を動かし始める。 「あ、あ、それで……手、シコシコってしてみて」 「ん、んちゅ……こお? ん、んっ、んむっ、ん、れろれろれろれろっ……ん、んじゅる……」  当てずっぽうの手ほどきを、稲森さんはなんでも素直に聞いてくれる。 「あ、あ、あと吸って!」 「吸う? んん……ちゅぅぅぅっ……ん、ちゅ、ちゅうっ……」 「あ、あ、あーっ……!!」 「ん、んちゅ、じゅるるっ……あ、これかも……ん、んちゅ、んじゅる……ん、んっ、ちゅぅぅっ……ぷは、けっこう難しいよ」 「はぁ、はぁ、はぁ……そ、そう?」 「あれ、でもいいのかな? ん……んっ、じゅるるっ、んぷっ、んぷっ……ん、んっ、ちゅううっ……んちゅ、んじゅる……」  すごい……なんだこれ、下半身がマジで〈蕩〉《とろ》けそうだ。 「硬い……ん、んちゅ、んじゅるるるっ……ん、んーっ、ちゅ、ちゅ、んんっ、んむっ、んちゅ……ちゅ、ちゅ、ちゅぅぅっ……じゅるるっ」 「ちょ、マジで……ほんとだめ……稲森さぁぁん……」 「んはぁ……んむ……んぷっ、んりゅっ、んるっ、れろれろれろれろ……ん、んっ、ふふっ……ん? んーんんっ?」 「んぁーーぁあぁぁ……や、ヤバいって、マジで!」 「あ、これだ……分かっちゃった♪」  メロメロになってる俺の反応を見て、指示を待たずに攻めてくる。 「んーっ♪ ちゅばっ、ちゅばっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅるるっ……んむむ……ん、じゅるっ、んぷっ、んぷっ、んぷっ……」 「聞いてってば、わぁぁ、聞いてー!」 「ん、んじゅ……ん、んっ、んふっ、じゅるる、ん、ちゅ、ちゅ……じゅる、んぼ、んぼっ、ちゅぽン……んぁ、ん、じゅるるっ」 「あ、あ、ヤバいよ……イきそう……あ、あッ!!」  頭に電流が達して、もう少しで射精しようというところで――。 「ぷはっ……ふふっ、くすくす……気持ちいいんだー?」  もう少しでイきそうってところで、稲森さんが口を離した。  しこしこしこ……さっき俺が教えた手の動きで、稲森さんがじらしてくる。 「面白いね、天川くんのそんな顔、初めて見るな……」 「うぁ、あ、あ……だって、なんかすごい上手くてびっくりしたから」 「えへへ……実はちょっと練習してたんだ」 「え?」 「雑誌とか友達に借りてね……」 「えへへ、おちんちん……」 「い、稲森さん!?」 「なんかかわいーな……天川くんの……ふふふっ」  手の中のペニスに頬ずりをして喜んでいる。 「あ、あっ……ねえ、口で……」 「やっぱり口がいいんだ?」 「ん、うん……もっとして……」 「えへへ……そう言われたら、しないわけにはいかないよねー」 「はむ、んぼ、んぼっ……」 「あ、あぁぁっ……それ……!」 「んふふ、んじゅる……んぷっ、くぽっ、んぽっ……ん、んーっ……ん、んっ、んちゅ……」  いったんコツをつかんだ稲森さんのフェラは、どんどん積極的になっていく。 「はぁぁ……ん、んぶっ、んふっ、んん……ちゅ、ぷはぁ、ん、ちゅ、ちゅ……ぢゅるるる……っ、ん、ん……」  一緒に見た動画みたいに、唾液をまぶして、舌を使いながら顔全体を動かして……。 「ん、じゅるる……ずびっ……んぶぶっ、んじゅるる……ん、じゅ、じゅっ、ん、ん、ん……んん、じゅる、ん、ちゅ、ちゅ」 「あ、あ、ああぁっ……す、すごいッ!」 「ぷは……ふふっ……どーお?」 「あ、あ、あ……やめないで!」 「くすくす……んーもう、仕方ないなぁ……」  いつの間にか、完全に立場が逆転していた。  手ほどきをするはずの俺が、稲森さんにいいように攻められて、情けないあえぎ声を洩らしている。 「あ、あ、いま咥えられたらすぐイきそう……」 「じゃあ、口じゃないほうがいい?」 「ちょ、ま、待って……!」 「んー、どっちかなー?」 「く、口でして……やっぱ口がいい!」 「あははっ……お口に入るまで我慢できるかなー?」 「頼むから、意地悪しないでってばー!」 「あはは、なんか楽しくて……くすくす……かわいいね、ゆーまちゃん♪」  ううっ……勃起したままじゃ返す言葉がない! 「はむっ……ん、んじゅる、んちゅっ、ちゅぶっ、ちゅ、ちゅ、ちゅっ……」 「あ、う……うーッッ!」 「んはぁ、にゅるにゅるするの……好き……ん、んっ……んぼ、んぼっ、ちゅぽ……んぁ、ん……んん、じゅる、ん、ちゅ、ちゅ」  雁首に熱い舌がからみつく。稲森さんのフェラは、まるで初心者とは思えないほど激しかった。 「ちゅるっ、れろれろ……んぶぶっ、んじゅるる……ん、じゅ、じゅっ、ん、じゅるる……ずびっ……ちゅるるっ」 「あ、吸って吸って……ッ!」 「ん? んーーっ! じゅるるっ、ん、んちゅ、ちゅ、ちゅ、じゅるるるっ……ぢゅぅぅぅぅっ……ん、ちゅばっ、ちゅぶぶっ……!」 「あ、あ、出るよ、出していい?」 「んむ、いひよ……ん、んむっ、んもっ、んむ……んちゅ、ねもねもねも……ふふっ、大きい……ん、ずびびっ……じゅびっ……」  俺の言葉を合図に、稲森さんの口の動きが激しくなる。頭が真っ白の染まった――。 「んっ、んもっ……んぶ……ん、んーーーーっ♥」 「の、飲んで……飲んでっ!!」 「んーっ、んく……んくっ……ごく……ん、んっ……じゅるるっ……」  喉が鳴る。あ、あ……飲んでる……俺の精液、稲森さんが! 「ん、んふっ……んむ……じゅるる……ん、んぐっ、んくっ……んふーーーっ……」  頭の中がキーンと痺れる。  稲森さんの口の中で、欲望が何度も解き放たれる。 「んくっ? ん……んん? ん……ふぅぅーーっ……んふーっ……ん、じゅるるっ、ごくっ……ん、んっ……」  稲森さんはひとしきり放出が終わるまで口を離さず、溜まりに溜まった濃い精液を、あらかた飲み下してしまった。 「んーーっ、んぽっ……んりゅっ……ん、んふっ……んんーーんン……」 「ぷはぁぁ……はぁ、はぁ、はぁぁっ……♪」  口から出したペニスを満面の笑顔で見つめる稲森さん。口元には、ドロッと濃い精液がこびりついている。 「楽しかったー♪ なんかね、普通に楽しかったよ。天川くんの面白い反応もたくさん見られたし」 「それはちょっとかなり恥ずかしいっ」 「なんてね、あははははっ……」  あっけらかんとした顔で笑っている。 「精液って、苦くなかった?」 「ううん、ミックスヂュースみたいなものだし、ぜんぜん平気だったよ……大人の味かな?」 「また今度してくれる?」 「くすくす……どうしよっかなー?」 「うふふ……、で、どうだった?」 「すごかった……才能あるかも」 「や、やだなー、あ、あはは……それほどでもー」 「花泉のアイドルがそこで喜んじゃダメだ!」 「俺の……は、その、どうでした?」 「うん、かわいかった♪」  ううっ……予想してたとはいえ、嬉しくない形容詞だ! 「ねえ、ゆーまくん……」  身じまいを整えて落ち着いた頃、稲森さんが急に俺の事を下の名前で呼んだ。 「………………!!」  ごくっ……稲森さんが一度喉を鳴らして、俺の方を見る。 「わたしね、もう照れない……」 「え?」 「ずっと、なんか距離があったみたいで……その、恥ずかしかったりしたんだけど」 「……?」 「ねえ、昔みたいに名前で呼んでいい?」 「あ、ううん、呼ぶだけじゃなくて呼んでほしい」 「俺にも……?」 「うん……」 「だ、だってさ、昔よりももっとすごいコトしちゃったんだし……」 「そ、それくらい……いいよね?」 「もちろん! 俺は嬉しいけど……!」 「よかったぁ♪」 「じゃあ……祐真くん? ゆーまちゃん?」 「いやいやいや、『くん』でしょそこは!」 「ちゃんでも可愛いと思うけどなぁ……くすくす」 「可愛くする必要がないってば!」 「じゃあ、俺は……まほちゃん? 真星?」 「んー、真星のほうが好きかなぁ」 「うん、なら真星……さん?」 「さんはいらないよー!」  そんなこんなで、『稲森さん』と『天川くん』から、真星と祐真になって向き合ってみる。 「う、うん、じゃあ……呼んでみる?」 「う、うん……そっちから」 「いやここはレディーファーストで!」 「なんでー? 祐真くんから言ってほしいのに」 「……あ!!」  お約束すぎる自爆をした真星が、うつむいてたそがれる。 「あ、あはは……き、気にしないで、真星……」  真星の事も名前で呼ぶ。うーん……なんかすわりが悪い。そのうちに慣れるだろうか? 「な、なんかやっぱ照れるな……」 「わたしも……祐真くん」 「真星?」 「くすくす……ゆーまくん……」  こ、このくすぐったさは致死量を超えてる!  けれど、そんな事で幸せそうな稲森さ……じゃなくて真星を見ていると、こっちも幸せになってくる。 「外では、天川くん……かな?」 「そうだね、稲森さん」  口に出して真星って呼ぶのも照れるし、頭の中で『稲森さん』を真星にするのも照れくさい。 「あ、あと、それから!」 「ラブシーンの練習……毎日はダメだからね」 「し、しないってば!」 「ていうか、また次があっていいの?」 「え!? あ、し、し、知らないけどっ……!!」  たじろぐ稲森さんを見てると、あんな事をした直後だっていうのに微笑ましくなってくる。 「なんか感激だな……だって、昔から稲森さ……真星ってモテモテだったし」 「なんていうか、正直ちょっと恐れ多かったから……」  ヘタレな告白をすると真星は寂しそうに笑った。 「ううん……モテてなんかなかったよ」 「またまたまた!!」 「ほんとだってば! わたしって絶対、後モテなんだと思う……」 「後モテ……サクサク?」 「ちーがーうー! 食べ物の事じゃなくて」 「後からモテるタイプのこと……男子が引っ越すときになってから『実は好きだったんだ』って告白されるの。いつもそうだよ」 「へぇ……ちょっと意外」  そうか、みんなが持ち上げるから近寄りがたい存在になっているんだ。  だから俺とは違う意味で、本当に何も経験しないまま今日まで来てしまった……。 「けど、ようやく普通になれた気がする」 「うん、結構恥ずかしいけど……こういうの、楽しいね」  屈託のない笑顔を向けられて、クールダウンしていたはずの心臓がドキンと高鳴った。  俺の動揺になんてすっかり気付くず、真星は照れ隠しするみたいに書きかけの台本をぱらぱらとめくる。 「なんかロマンチックだよね……一緒にラブストーリーを作ってるなんて」 「そうだね……」  真星が言っているラブストーリーは、きっとお芝居の話。  けれど、俺と真星のラブストーリーも一緒に作られているのだとしたら……。 「最高の恋愛にしようね」 「うん……」  親指を立ててみせると、真星も同じポーズで恥ずかしそうに微笑んだ。 「いえ……わたくしは、今日は遠慮させていただきます……」 「ミス・マグダネルダグラス、実は私も今日は空を飛べそうにない。それを伝えにきたのです」 「そうですか……あなたにも、空を飛べない日があるのですね」 「自分でも驚いています。私のフライトに欠かせないものが失われてしまったのですから……!」 「失ったものが何かは聞きません。今の私には、あなたの心に踏みこむ資格はありませんから……」 「んー……そこは、間を取ってみない?」 「うん、そうだね! 悩んでる感じ?」 「そうそう、即答だと冷たい感じがしそうだから」 「本当は訊きたいのを抑えてる感じね、一呼吸入れて……」 「そう、好きなのに気持ちがすれ違ってる感じ」  稽古をしながら、一緒に演技の打ち合わせをする。  俺がやってみたいことは、言葉にする前に真星に伝わってしまうみたいだ。  それは真星の察しがいいから? それとも、俺たちの気持ちが同じ方向を向いているからだったりして……? 「……あ、もうこんな時間か」  そろそろ教室に行っておかないと、みんなが登校してきてしまう。 「早いね……いい感じになってきたのになあ」 「それだけ集中できてるってことだよね」 「もうちょっと、時間が欲しいね……」 「……ちょっとならあるかも」 「え?」  『稲森さん』じゃなくなった真星の腰に手をかけ、抱き寄せる。 「ん……」  重なる唇。  熱い感覚。  ぞくぞくと立つ鳥肌。背筋にはしる甘い痺れ。 「んっ……んうぅ……」  真星の体が波打ち、ぴくっ、ぴくっと腰が震える。  フェンスから見下ろすと、登校してくるみんなの姿が校門の向こうにちらほらと認められた。 「はぁぁ……」 「大丈夫?」 「うん…………」  しつこい程繰り返したキスの余韻から覚めやらぬように、真星がぽーっと廊下を歩く。 「そろそろ別れたほうがいいかな」 「え!?」 「あ、教室……一緒に戻るところ見られるのもアレでしょ?」 「あ、そ、そうだよね……」  足を止めた真星が、先に行こうとする俺の袖を引っ張った。 「お弁当作ってきたから……」 「え、でも昼休みは……」 「うん、お昼じゃなくて放課後……おやつの代わりになるかなって」 「マジで? 嬉しいなー!」 「メニューは?」 「ふっふっふ、玉子焼きと、肉じゃがと、大学いもと、あとはお菓子とか……」  わーーー、全部砂糖がからんでるなぁ!! 「自信作だから楽しみにしてて!」 「そ、そいつは超楽しみー!」  これは甘いぞ……相当の甘さを覚悟しておかなくちゃ……。 「ちょっと、天川ー!」  ――昼休み、恋路橋とつるんで学食に行こうとしたところを雪乃先生に呼び止められた。 「先生? あ、ひょっとして?」 「出たわよ、年度末のスケジュール」  そうして1枚のプリントを渡される。  そこには今朝の職員会議で決定した、3月までの細かいスケジュールが書かれていた。  3月の予定が分かれば、現実的な劇の上演日を決めることができる。  3月にこだわっているのは、仕上がりの成果を桜井先輩が卒業する前に見て欲しいからだ。 「でもねー、いくらなんでも3月に体育館なんて貸せないわよー」 「卒業式に、卒業生を送る会……盛りだくさんだよね」 「ううっ、難しいかぁ……」 「そーねー、天川がその気なら、2月24日はどう? 日曜だけど、ここなら空けられるわよ」 「あと1ヶ月!?」 「間に合わないなら、体育館は諦めるのね」 「う、ううっ……!」  体育館が使えないとなると、会場になるのは教室とか、寮のリビングとか?  でも、できればあの広い舞台を使って真星の芝居を見てみたい。そのつもりで屋上でも練習をしていたわけだから。 「2月24日か……」 「今の芝居の規模ならたぶん不可能じゃないと思うよ」 「あとは、俺の脚本が間に合えばだけど……」 「どうする? 天川君……!?」 「――そういうわけで、2月24日に芝居をやることになりました!」 「2月!?」 「思ったより早いです」 「大丈夫なんですか?」  俺が声をかけると、恋路橋はもとより、別のフロアの夜々や美緒里まで顔を出してくれた。 「卒業式の準備、送る会、他の運動部も体育館を使うし――仕方なくって感じね」 「――ご名答!」  今回、月姉は口出しも根回しもしない。  俺が一人でどこまでやれるのかを興味深く見守るスタンスみたいだ。  そうだよな……花泉に入学してから5年、ずっと月姉と一緒だったけれど、来年からは最上級生になるんだ。 「お兄ちゃん……いよいよだね」 「一ヶ月で準備するのは大変ですね。飲み物の手配に椅子の貸し出し、街のお店に宣伝ポスター貼って……そして、なにはともあれチケットの値段!」 「いやそこはタダでいいから!」 『姫巫女の恋』だって無料上演だったのに、こっちの芝居が金を取れるわけがない。 「段取りはこれから急いで決めていくけど、その前に……」 「あらためて、力を貸してください、お願いします」 「お願いします!」  真星と一緒に頭を下げる。 「俺たちの個人的な芝居の準備に付き合ってもらうんだから、本当に助かるというか、ありがたい」 「かまわないよ、それに僕らにとってもありがたい話だし」 「はい、全然気にしないでください、お兄ちゃん」 「……ありがたい?」  ――なにがありがたいんだろう、そう聞こうとしたところで。 「あの、ちょっと気になったんですけど、いいですか?」  美緒里が思い出したように挙手をする。 「はいはい、どうぞ」 「裏方の話はともかく、まだキャスティングを聞いていないんですけど……」 「そうよ、登場人物けっこういるんでしょ」 「なんだっけ、前の台本にはいろいろいたでしょ。初の有人飛行に成功したダーク姉妹とか、音速のコンコルド伯爵とか……」 「うん、そのへんは今回全部なしにしたんだ」 「なし!?」 「どういうこと?」 「2人芝居にしようと思うんだ、そのほうが規模も小さくて済むし」 「えぇ!? 二人で!?」 「なんとなく、そのほうが今回はいいんじゃないかって……ね、稲森さん?」 「……うん」  真星がにっこり笑うと、心配そうな顔をしていたみんなも納得したのか、口をつぐんでしまう。  うーん、こういう天然のオーラが羨ましい。 「悪くない判断だと思うわ。それなら1ヶ月で間に合わせることもできそうね」 「とはいえ、今日から忙しくなるだろうけど……」  そうだ、もう稽古と脚本だけに集中してはいられない。  ここに集まってくれた元姫巫女チームのみんなと、舞台に向けての段取りや作業分担の打ち合わせをしないといけないし。  演劇部に頼み込んで、照明の機材やスタッフを貸してもらう交渉もしなくてはいけない。  そのためには舞台演出も考えなくちゃいけないし、そうなると月姉に細かいところは教えてもらう必要がある。  考えるだけで頭の中がゴチャゴチャになりそうだけど、さいわい姫巫女のときにあちこち雑用させられたのが役に立ちそうだ。 「衣装は?」 「自前」 「背景は?」 「書割りまでは考えてない、できるだけシンプルに」  みんなからの質問に、いま分かる範囲で答えながら、頭の中で舞台全体のイメージを固めて行く。  去年の月姉はこういうことをやってたんだな……。 「じゃあポスターは美術部にお願いするとして、印刷所はここか、ここ……」 「コンビニの拡大カラーコピーじゃまずいかな?」 「小規模ならそれでいいかもしれないけど、手間はかかるわよ」 「覚悟の上だよ」  前途多難なスケジュールと計画――だけど、苦労だけじゃない。  いま、俺が中心になって、このイベントを動かしているんだ。  いつもイベントとあれば、俺は一般参加の側だったし、姫巫女やクリパだって動かしていたのは月姉や桜井先輩だった。  それが今度は――俺が本当に中心。  月姉は手伝ってくれてるだけ。最終的な決定は、全部俺にまかされている。 「じゃあ、チラシは……」 「学校の印刷室を使わせてもらえるように、雪乃先生に頼んでる」 「発表はいつごろ?」 「できれば台本が出来てからがいいな、それまではみんな内緒にしてて」 「はい、楽しみにしています」  こんなことは初めてだ。  みんなが俺の回りに集まってくる。  そして俺が指示を出し、みんなに動いてもらう。  目の回るような忙しさになるだろうけど、それだけやりがいもありそうだ。 「がんばろうね」 「……うん!」  真星のほうを向いて親指を立てる。  俺がこんな風に自分で動くようになれたのは、真星のおかげだろう。  いつも誰かに動かされていたけれど、俺だって自分で何かを作り出すことができる。 「………………」  みんなと上演までのプランを話し合う俺を、いまや一番身近になった真星がじっと見つめている……。  ――なんだかんだ恋路橋と話しているうちに、午後の授業も終わって放課後。  真星と一緒に、雪乃先生にあらためて2月24日の上演をお願いして、がらんとした教室に戻ってきた。 「ふぅ……これでなんとかなるのかな……」 「おつかれさま、はいお茶」  お弁当とセットの水筒から、真星がお茶を注いでくれる。 「ありがと……お、親衛隊もいない」 「今日は忙しいって朝に言っておいたから。で、脚本ってどんな感じ?」 「え?」 「もう今までの読んでるだけでワクワクしてきちゃって……すれ違いそうな二人がどうやって一緒に空を飛ぶのかなー、とか♪」 「お、おー! そ、それは……ええと、まあ凄い感じに!」 「楽しみー、いつ読めるのかなー?」 「2月……」 「2月?」 「24日より手前には……」 「……おーい」 「ううー! 面目ない……!!」  これまでは、自分でつじつまを考えながらも、桜井先輩のメモ書きを参考にして脚本を書いてきた。  社長令嬢ミス・マグダネルダグラスと、飛行訓練生ミスター・リンドバーグとの出会い、育まれる恋心、立場と身分の壁、家族の妨害、そしてすれ違い……。  ひとつひとつの出来事は自分で考えながらも、だいたいその流れに沿って書き進めてきたのだ。  けれど、メモに書かれていた展開は、主役の二人がすれ違ってしまうってところまで。  その先はしばらく空白になっていて『結ばれる』としか書かれていない。  いよいよこの先は、自分で1から10まで考えなくてはならないのだ。 「そっか……どうして結ばれるんだろうね?」 「どうしてだろうねー」  二人して白い台本を前に頭を抱えてしまう。  現実の恋愛に沿って書くことも考えたけど、あいにくというか幸いというべきか、俺と真星は順風満帆。  だから、劇中の二人に反映させられるような展開もなかなか思いつかず……。 「うーん……どうなるんだろう?」 「発想をいったん広げてみようと思うんだ、2人芝居に縛られるくらいなら、いっそそこも取り外して……」 「自由に考えてみるってことね……ふーむ」 「ヒロインは元から大富豪の令嬢なんだよね……大金持ちなんだから、男に頼らなくても全然平気で――」 「あ、あ、そんなのだめーっ!」 「えっと、ミスマグはリンドバーグと血が繋がった、幼い頃に生き別れの妹で……!!」 「それは禁断の恋に!?」 「あ、あ、でも結婚できないとやだ!」 「だから許されざる恋に燃える二人は、最後まで周囲に認められず、二人が結ばれる世界を目指して飛行機で飛び立って……」 「それだ!」 「ぅぅ…………でもなんか違う」 「むー、テーマ変わってるか」 「障害が出てきて、それを乗り越えるのに、二人が力を合わせ、わかりあう……というのが王道だとは思うんだけど」 「そうだよね、二人で空を飛ぶってそういうことだよね」 「障害は家族もそうだけど……やっぱりライバルだよね、恋愛ものなら……」 「ライバルかあ……」 「………………恋路橋くん」 「げげっ!? まさかあの恥辱体験を再び恋路橋に!?」 「だ、だけど……それなら客の入りが見込める!!」  でも恋路橋を説得するのは至難の業だろうなぁ……。 「ん、待てよ……てことはつまり、俺が恋路橋とそれなりに熱いラブシーンを演じなければならない!?」 「それ受けそう!」 「だめーーー! 却下却下却下、女子しか喜ばないっ!!」 「でもでも全校生徒の半数は女子だよ!」 「ええい、なんでそこで本気の目を輝かすーー!!」  ――ぽかぽかぽか! 「あん、ごめんなさい、ごめんなさいー!」 「別のライバル! 別の障害! 別の危機!」 「――宇宙人!?」 「そうか、宇宙人!! 迫り来る地球の危機! それを前にして、今までのわだかまりを捨てた二人は、力を合わせて協力して!」 「手と手を取ったその時、繋いだ手からあふれ出るマジカルパワー! 希望あふれる変身の時!」 「空を見ろ星を見ろ、来たぞ我らがヒーロー、クローバー仮面Z!!」 「ち、ちょっと違うけど……そんな感じ!!!」 「ではクローバー仮面Zには、ノーブラノーパンに全身網タイツの稲森真星が一人二役で体当たり演技を……」 「わぁぁぁ……うそうそ、今のウソ冗談ーー!!」  ううっ! 雑談しててもまともアイデアがひとっつも出てこない。きっと考え方が間違ってるんだ……。 「そうだ――発想の転換!」 「また転換?」 「そう、クローバー仮面Zを回避するためだ!」 「ううっ、がんばります……」 「自分がヒロインになりきったとして……真星はこの先、どうなりたい?」 「うーん…………(妄想中)…………」 「……ラブラブっ♥」 「だよね……じゃあ、あの二人がラブラブになるには、どうしたらいいかを考えてみよう……」 「え…………(妄想中)…………!?」 「だ、だ、だめだよ! みんなの前でそんなお芝居できないしっっ!!」  なんか変なところに気を回した真星が、両手をブンブン振って否定する。 「18禁方向に考えなくていいから!!」 「え? あ……やだ……」  真星が真っ赤になる。うーん、想像力豊かだなぁ……。 /*  と、ふいに、なにか嫌な音が聞こえてきた。 「あれ……外?」  この音はまぎれもなく……アレか!?  そして二人が同時に振り返った窓の向こうには……。 「あぁぁ……雨だぁぁぁ……!!」 */  ――30分後。 「あーん♪」 「あーーーーーーーんっ」 「口、大きいよー」 「うん、でもめいっぱい詰めれば問題ない」 「えー? こ、これくらい……?」 「もうひょい!」 「こ、これくらいでどーだ!」 「はむ! むしゃむしゃむしゃむしゃ……んぐ、んぐぐっ……!!」 「ぷはーっ!! いいなぁ、この白米が喉を通る充実感。たまらーーーん!!!」 「うぅぅーー、だからすぐお弁当なくなっちゃうのか……」  俺達は、教室内ピクニックとしゃれ込んでいる。 「真星……♥」 「な、なに?」 「ううん、呼んでみただけ。まだ照れるな……名前だと」 「そ、そーかなぁ……あはは、でもキスするよりは照れないけど」 「舞台のラブシーンであんなキスは無理だよなぁ……舌でれろれろーみたいな」 「や、やだ、ゆーまくんったらー!」 「あはは、あははははっ……」  傍で聞いていたら殴り倒してやりたくなるような会話をしながら、魔星弁当の食べさせっこをする。  あれから、キスは何度もしてる。  その先にはなかなか進めないけれど、初めてのフェラを経験してからは、むしろ真星のほうがHに積極的になってきたみたいだ。  だから今日も、二人の話題もついそういう方向に行ってしまいがちで……。 「結局、ちんこが美味しいってのは都市伝説だった?」 「や、やだ……」 「あの……えっと……な、なんかね……わたし的にはアリだったかも」 「あ、味じゃなくてね……口の中って、ほら、温かいと気持ちいいしー」 「で、その……お……ちんちんって、けっこう熱かった……」 「……ごくっ」 「な!? ななな……なに!?」 「超やらしー」 「わぁぁぁ!? そ、そんなことないよっ!! 普通に報告しただけじゃんっ」 「超やらしー報告だけど」 「もーっ、言わせたくせにーーー! うらぎりものーー!!」  ――ぽかぽかぽかぽか!  やわっこい力で叩かれると、つい頬が緩んでしまう。 「ごめんごめんごめん、でもほら……」  真星の手を優しくつかんで、自分の股間に導いていく。 「やぁぁっ!?」 「ば、ばか……お、おっきくなってるよ……」 「だから、俺も超やらしーって事で」  どうしたんだろ。前は真星と目を合わせるだけでドギマギしてたのが、今じゃこんな事してる。  名前で呼び合うようになってから、なんか自信が持ててるっていうか、自分でも大胆になっている気がする。 「やらしーって……あ、あ、やん……」  ジッパーを下ろして、ペニスを出す。 「わぁぁぁ!? お、おちんちん出しちゃダメだってばー!」 「どうして?」 「だって、超やらしーから!!」 「でも、今なら誰もいないしさ」 「だっ、だめだめ、無理、教室でなんて……あ、あ、あぁっ!?」  白い手に握らせると、稲森さんの身体がキュッと縮こまる。 「あぁぁ……ん、もう、ばかぁー!」 「あれ……でもそういえば」 「な、なに……?」 「俺って、今まで見られてばっかりだ……!」 「えぇ?」 「今だって真星が恥ずかしがってるけど、恥ずかしいのはむしろ俺……これ、なんかおかしくない?」 「おかしくないよー! いっつも祐真くんが『見てー』って言うくせに」 「そそそんな人を露出マンみたいに言うものではないよ!?」 「だってそうでしょ……わたしは……」 「…………!?」  そこまで言ってから、真星がハッとした顔になる。 「あれ? えっと……ちょっと待って、この流れって……事は!?」 「稲森さんのも見たいなー」 「きゃあぁぁぁぁぁ、やっぱりーーー!!」 「だだだだめ……っ! でもだめだめだめだめだめっ!!!」 「えーー!!」 「だって無理っ、そんなの恥ずかしいし……!」 「――がーん!!」 「せ、せめて胸だけ!」 「ぜったい無理!」 「じゃ、じゃあ、ぱんつだけ!」 「むりーーーっ」 「スカートめくるだけってのは!?」 「ありえないっ!」 「うっ、ううっ……うぐっ、ぐすっ……ううっ……」 「あうぅぅぅ……な、泣きおとし?」 「うっ、ううっ……うぐっ、ぐすっ……ううっ……」 「もーーっ、分かったからっ!」 「お!?」 「き、今日はちゃんとしたパンツだから……と、特別にいいけど……」 「ほんと!?」 「でもちょっとだよ、ホントにちょっと!」  ちょっとでもなんでも、おおっぴらにパンツ見られるんならなんだっていい!  ソリのときに真星のパンツを見てしまったことを思い出す。  いったいあの記憶だけで、俺の精子が何十億匹玉砕していった事か!!  しかし、出来る事なら1分1秒でも長く見続けていたいのが人情というもの。  ――かくして、その交渉も熾烈を極め!! 「5分っっ!!」 「1分ーーーっ!!」 「ううっ……ならば4分!!!」 「だめーっ、2分、2分っっ!!」 「うぅぅぅぅ…………!!!!」 「なら3分!!!!」 「決まりー♪♪♪」  俺は天井に向かって歓喜のガッツポーズ。  よかったー、最初に3分って言わなくて本当によかったー!!! 「うぅぅ……なんか上手く丸め込まれた気がする……」 「そんな事無い、こんな平等な取引みた事無い」 「うぅ…………祐真くんてきとーだ」  ぶつぶつ文句を言いながらも、真星は自分のスカートの裾を両手で摘むと……。 「じ、じゃあ行くね……ちょっとだけ」 「う、うん、3分ちょっと!」 「3分きっかり!」  深呼吸をして、唾を飲み込んで、自分によーく言い聞かせて――。  真星のリアクションが、見てるこっちにも恥ずかしい心境をダイレクトに伝えてくる。 「じゃ、じゃあ…………はいっ!!」 「――!!!」  息を呑んだ。  俺の目の前の光景は、それほど衝撃的で、それほど感動的で……! 「うわうわうわうわ、すげ……!」  言葉にならない。だって目の前に、リアルな稲森さんのパン……パンツが――っ!!  ライトグリーンのナイロンショーツは、ソリのときに見たのとは全然違う、布地の小さいひもパンツで……。 「こ、これって……稲森さんの勝負パンツ?」 「し、知らない……っ!」 「それよりいま、稲森さんって!」 「ごめん、なんとなく……」  目の前にあるのは、何年も妄想しまくっていた生パンツ。  それくらい、稲森さんのパンツは俺にとって憧れで……。  今は真星よりも、稲森さんの方がしっくり来る感じがする。 「あうぅぅ……は、恥ずかしい……」 「ねえ、3分? ほんとに3分も??」 「うん、うん……!」 「あーーんっ、どこ見て返事してるの?」 「だって、こんな近くで見るの初めてだし……」 「あうぅ……も、もういいよね、じっと見てても一緒だよ?」 「だめ3分」 「うぅぅ……は、早く終わりにしない? ちょっと短縮ーーーとか?」 「だーめ」 「はぁぁ……はずかしいぃ……」  稲森さんの太ももがもじもじと合わさり、パンツの布地が形を変える。  へえ、紐って結構緩く結んでるもんなんだな……。 「トイレ?」 「え?」 「いや、もじもじしてるから」 「ちっ、ちがうよ、寒いだけ……!」 「そ、そっか……あははは、ごめん」 「うぅぅー……まだ見てる……」 「うん、目に焼き付けてるから」 「そ、それでひとりえっちするんでしょ?」 「する……絶対今日から」 「あんんっ……ばか……」  稲森さんの太ももがきゅっと合わさる。  もじもじした脚の動きを眺めていると、次第にパンツの紐が緩んできて……。  あれ、まさか……お、落ちる!? 落ちて……。  落ちたぁぁぁーーーーーーーー!?!? 「ひゃぁぁ!?」  はらり……。  目の前でパンツの生地が裏返り、小さい布切れとなって太ももから垂れ下がる。 「やだ……ちょ、ちょっと……!!」 「な、なんにもしてない、勝手に……ほどけて……」 「あぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!?!?」  うわ、これ……太ももの付け根にちょっとだけ見えてるの……。 「やっ、やっ……うそっ!?」 「……!!!!」  ま、ま、ま、真星の……おまんこ!?  わぁぁ……け、毛が薄すぎて、モロに見えてる!! 「あ、あ、あっ、だめーーーっ!!」 「ストップ! まだ3分経ってないー!」  必死に声を張り上げる。 「えぇぇ!? こ、このままーー!?」 「だって約束したもん!」 「で、でも、でもでも……!!!」  なんて言ってる間に、パンツは完全に落ちてしまった。 「わーーーん、見ないで見ないでぇぇ!!」 「うわすごい、モロだ……稲森さんの!」 「うぅぅ……恥ずかしいぃぃっ!」  生まれて初めて見た、リアルな女の子のアレは――なんかシュッとした割れ目と、ちょこっとはみ出した肉の唇で。  正直ぜんぜんグロくないし、かわいい……! 「み、見えてる!? 見えてないよね!?」 「み、見えてない……!!」 「そ、そっか…………はぁぁ……っ」 「……ちょっとだけしか」 「わーーーーん、見えてるじゃなーーい!!」 「お、俺だって見られたし、もっといろいろされたんだから……!」 「うぇぇぇぇん……でも、でも……!」  ううっ、なんて言ってる間にもう3分回ってる!!  真星はテンパってて気付いてないみたいだけど、でも……できるなら……もっと。  ……もうちょっとだけ、はっきり見たい! 「ご、ごめん、稲森さんっ!! 一生のお願い!!」 「な、な、なに!?」 「もっとよく見せ……」 「だめーーーーーっ!!!」 「でも、でも俺、見たら死んでも後悔しない!! ていうか死ぬ!!」 「わぁぁ、死んでもだめ!」 「じゃ、死なないから見せて!」 「そんなのめちゃくちゃだよー!」 「ほんとに、恥ずかしいのは分かるけど、ここからだと良く見えないから!」 「お願い、お願いしますっっ!!」  教室の床に額をすりつけて、土下座モードでお願いすると……。 「あ、う……ううっ……!」 「い、いいよ、わかったから顔上げてってば……!」  お、おおおっ……真星って本当は女神様なんじゃないでしょうか!? 「あ、あ、ありがとーー!! ありがとーー!!」 「う、うぅぅっ……なんでこーなるんだろ……ぐすっ……!」 「ちょ、ちょっとだけだからねっ!!」 「え!? こ、こんな格好……!?」 「ほんとにちょっとだけ……こうしないとよく見えないし」  机に手をついて、お尻を突き出したポーズのまま片足を上げてもらう。 「で、でも、でもこんなの……あ、あ、だめ!!」  口ではなんだかんだ嫌がりながらも、真星は望んだとおりのポーズをとってくれる。  そして――。  ついに俺の目の前に、稲森さんの秘密が……! 「や、あ、あ……あぁぁぁぁっっ!?」 「おおおおおおお!!!!!」 「わ、うわ……あ、あ……やだぁぁぁぁーーーっ!!」  す、すごい……稲森さんのまんこ見てる……!  きっとまだ誰も見た事がない。俺しか見た事がない、稲森さんの秘密の所……! 「うわ、うわ、うわ……見た、ついに見た!!」 「あ……あ……あぁぁぁん、見られたぁぁ!!」  こんなの、どんなエロ画像でも見たことない――それくらいの至近距離で、俺は稲森さんの秘密の部分をアップで見上げている。 「やっぱりだめ……こんなポーズ聞いてないよ! やぁぁ、どこから見てるの!?」  それは、ピンクっていうよりは赤く充血していて、少し口を開いていて……。  いろんな画像で研究してきたけど、本物はまるで違った。  ほとんどヘアがなくて……綺麗すぎる、稲森さんのここ……! 「あ、あ……見ないで……!」  お尻の肉がキュッと合わさった境目には、キュッと縮こまったお尻の穴まで……!  しかもその向こうには、稲森さんの恥ずかしそうな顔が見える――。 「やめて、やっぱりだめ、こんなポーズ恥ずかしすぎるーー!」 「で、でも……うわ、わ……すごい……」 「お、落ち着いて! 落ち着こう? ね、落ち着こうってば、祐真くんっ!!」 「むしろ落ち着いてないのは稲森さんだと思うけど……」 「だって……あ、あぁん……もう、どこから覗いてるのー?」 「でも興奮しない?」 「――!?!?」  一瞬だけ、真星の身体がビクンッと震えた。 「え? え……えっ!?」 「俺、稲森さんにちんこ見られたり触られたりして、すっごい興奮したから」 「ゆ、ゆーま……くん……」 「恥ずかしいとこ真星に見られてるんだ……とか想像して」 「んあっ!?」 「あ、あ……やだ、そんな事ないよ、それってちょっと特殊な趣味だと思うし……」  何もかも丸出しの稲森さんが、しどろもどろに反論しようとする。  そんな事をすればするほど、動揺してるのがよくわかるのに……。 「アソコの向こうに顔が見えるの、すごいエロい」 「そんな……だ、だめだよぉ……う、ううっ……」 「あぁぁ……もうドキドキしてきた。稲森さん平気なの?」 「し、しないよ……ドキドキしない……」 「でも、濡れてる……」 「え? あ……!!」 「んぁあぁぁ……ぁぁっ!」  手を伸ばしてそこに触れると、ヌルルッと指先に粘液がまとわりついてきた。 「わ……これ愛液?」 「んんんっ……ちがう……わかんない……っ」 「うわ、すっごい熱いし……ドロドロしてて……」 「あ、あ、あ……だめ……んぁぁ……」  チョンチョンと指先でつっついてみると、稲森さんの腰がカクンと反応する。 「わぁぁ……や、柔らかい……まんこ触っちゃった……」 「あぁぁっ……だめ、だめだめ……っ!」  初めて触れる女の子の性器を確かめながら、愛液を指先でからめとっていく……。 「クリトリスって、ここ?」 「んゥゥゥゥゥッッ!! ち、ちがうよ……」 「うそ、すごい声出たし……」 「んぁぁぁぁぁっ……あ、あ、あっ、だめ……んんんっ……んんっ!」 「やっぱここでしょ?」 「んぁ、んぁぁ!? いじわる……う、ううぁ……あん、ん、んっ!」  指先でこちょこちょいじってるうちに、息が荒くなってきた。 「んはぁ……はぁ、はぁぁ……んぁぁ……あ、あ、あ、はぁぁっ……はぁーーっ……」 「真星って、やっぱエッチだよね……」 「し、知らない……知らな……あ、あ、あ……あぁぁっ」  フェラのときの仕返しとばかりに、真星の反応を確かめながら、指先であっちこっちをつつき回す。 「だってここ……まんこだって感じやす過ぎるし」 「やぁぁっ……そ、そこの名前とか言うのだめ!」 「どうして?」 「だって……下品だし……ん、んっ」 「やだなー、稲森さんに下品なとこなんてないってば!」  ――くちくちくち、指の動きに合わせていやらしい音がしてくる。 「んあァっ? あ、あ、あっ……だからどうして苗字で呼ぶのー!?」 「そのほうがエロいから」 「もうー! わけわかんないってば……あっ、あ、あ、あァぁあぁぁ……」 「きゃ!? あ……だめ、やあぁぁァぁ!?」  指先にぐっと力をこめると、中指が稲森さんの中にヌプヌプとめり込んでいった。 「指とか〈挿〉《い》れた事あるの?」 「な、ないよ、ないっ……!」 「んぁァ!? う、うーーーーッ!!」  ぬるっ……少し奥まで入ると、稲森さんの身体が震えて指先が強く締め付けられる。 「ご、ごめん……痛かった!?」 「んぁ……ぁ…………ゆ、ゆっくりなら……平気かも……」 「いいの?」 「あ、だ……だめぇ……!」 「……どっち?」 「え? わ、わかんない……ゆっくり……ぃ……」  おねだりするような声に誘われるまま、中指を真星の中に入れていく。 「んぁ……あぁぁぁあぁぁぁぁっ!!」 「すごい、稲森さんの中に俺の指が入ってる……」 「えぇ? う、うそ……あ、あ、んぁ……ぁ」 「ほんとだよ、ほら……」 「んぁあぁっ!? あっ、あっ、だめそこ……あぁぁぁ……ッ!!」  指の腹をクイクイッと押し付けると、形のいいお尻が跳ね上がる。 「んぁぁぁ……だめ……ほんとだめなの、はぁぁぁ、んぁぁ……指〈挿〉《い》れちゃだめぇぇ……」 「すごい……真星の中、あったかい……」 「んあぁ!? あ、あ……ちょっと……あぃっ!? あ、だめ、だめだめだめっ……あ、あーーっ、んんんんんぅぅ……ッ!」  俺の指先の動きひとつで、真星がいろんな反応をする。 「やぁぁ……ん、ん、んぁ、んぁぁ、はぁ、はぁ……はぁっ、はぁぁっ……」  フェラを楽しんでいた真星の気持ちが、ちょっとだけ分かったような気がする。 「んぁ、んぁぁ、んんんぁ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁぁ……う、ううーーっ!」  親指で、さっき見つけたクリトリスをコネコネと転がしてみる。 「やァぁんッ……んあっ、あん、あ、あ、あっ……そこは、あ、あぁぁ……」 「お尻の穴ヒクヒクしてるよ」 「んえ? うそ、いやッ、うそうそうそ、いやッ……!」 「あぁぁ……もうだめ……あんっ、ん、んぁ、んぁぁ……だめだよーぉぉ……んんっ」  やっぱりクリトリスって感じるんだ……稲森さんの声のトーンが変わってきた。 「やだ、ねえちょっと……あ……あーっ、ゆーまちゃ……あ、あ、あん、ん、んんんーっっ!!」 「はぁぁっ……あっ、あ、あっ、そこ、ん、んぅ、ん、ん……んぁ、んぁ……はぁっ、んぃっ、んぃ、んぃぃぃ……!」  出し入れをどんどん速くしていくと、ふいに中の肉が指をキューーッと締め付けてきた。 「あぁぁ……あーっ、らめ、らめ……でちゃう……あぃ、あぃ、あぁぁ……ッッ」 「あ、イくの? イく?」 「ちが……い……ィィィィッ! あ……あ、あ……いっちゃ…………あ、あ、あぃ……ィィ!」 「あーーぁぁぁ!! おかしくなっちゃう……うぅぅ……ゆーまくん、わたし……あ、あーぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあぁッッ!!」  指の抜き差しに合わせて、透明な雫が迸ってきた。 「いやぁぁぁああぁぁぁ、うそ、なに……出てる……っっっ」 「うわ、潮吹き……!!」 「んァあぁぁぁぁあああぁぁぁ……出ちゃってるぅぅぅ……んあっ、あ、あぁああぁぁ……っっ!!」  休まずに指を動かすと、真星の腰がガクンガクンと上下する。 「もう許して……んァぁああぁあやぁあぁぁッ! もうだめ……あ、あ、やぁ、あ、あぃ、あぃ……そこ、そこばっかりだめーっ」  真星のアソコで指の愛液を拭うように、キュプキュプと出し入れを繰り返す。 「んぁぁああぁあぁ……も、もうギブ……あ、あはぁぁ……あ、あーっ、んあっ、あ、あ、やぁぁあぁぁぁあぁっ!!」 「すごい、処女でも潮って吹くんだ……」 「んんんんぁ、あーっ、あ、あ、あ、はぁぁぁ……あ、あーーーーっ!! あーーーーーっ!!!」 「なんかね、吹きやすい体質とかあるんだって……」 「やぁぁ、そんなのいいから……んあっ!? やぁ、あ、あ、んぁ、んぁぁっ……ぁぁあぁぁあぁあぁッ!!」 「すごい声……気持ちいい? 正直に教えて」 「わかんない……わかんないけど……あ、あ、あァァぁあぁあぁ、気持ちいいぃぃ……ぃぃ……」  俺の指で、真星がすっかり我を忘れている。  バタバタッと両足が跳ねると、同時にアソコの肉がギューッと締め付けてくる。 「い……ィィィィッ! あ……あ、あ……イク、イッちゃ…………あぃ、あぃ、あぃ……イイィィィィッッッ!」 「あ、あ……イッてる……稲森さんがイッてる」 「んぃっ、んぃぃっ……はぁぁ……んぁ、んぁ、んぁ……あ、あ、あ……あぁぁぁあぁぁぁ……」 「ん……はぁぁぁっ、はぁーっ、はぁ、はぁ……はぁぁ、はぁ……はぁーっ……」  脱力した真星が机に突っ伏している。 「はぁ……ひどいよ、めちゃくちゃ……はぁ、はぁ……あ!? きゃうううっ!!」 「あ、ちょ、ちょっと待って!!」  イッたばかりの真星に構わず、指先でアソコの中をくるくるとかき回す。 「だめ……でちゃう、出ちゃう出ちゃうッ……!!」 「ほんと? まだ出るんだ……」 「ちが……ちがうの……んんーーっ、手、手だめぇぇ……!」 「あ、あ、あぁぁッ……違うの、あの……あれ……あれなの、その……っ」 「あれって?」 「やぁぁぁッ、いじんないで……お、おしっこ……おしっこ出ちゃうっっ……!」 「え!? そ、それはやばい!!」 「やぁぁーっ、もうだめ、漏れちゃう、ほんと漏れちゃうっっ!!」 「ちょ、ちょっと待ってて!!」 「んあぁぁっ!?」  俺は慌てて稲森さんの中から指を抜いて、辺りを見回す……。  つ、使えそうなのって……こ、これか!? 「稲森さん、ここ、ここっ!!」  俺は手の届くところにある唯一の容器――紙コップを稲森さんのお尻にあてがった。 「やぁぁ……あぁぁぁぁ……ッッッ!!」  それは、本当にギリギリでセーフのタイミングだった。  限界まで我慢していた稲森さんのお尻が震えて、短い放物線を描いた水流が、途中でねじれを描きながらコップの中に落ちてくる、 「はぁぁぁぁぁ……ぁぁぁっ……んっ、んっ…………っ!!」 「すごい……たくさん……」 「やだぁぁ……もう信じられない……はぁ、はぁぁ……!」  アソコ丸出しの稲森さんが、俺の持った紙コップめがけておしっこをしてる。  信じられないくらい刺激的で、背徳的な眺め……。 「ごめんね、ぜんぜん気づかなかった……」 「うぅぅ……こんなとこ見られるなんてぇぇ……ぐすっ、ううっ……」  おしっこしながら稲森さんがイヤイヤをする。 「あ、あ、あっ……ちょっと、動いちゃだめ!」 「んぁ!? あぁんッ、動かさないで、こぼれちゃうからー!」  紙コップの半分を過ぎても、放出の勢いは衰えようとしない。 「すごい……けっこう溜まってた?」 「やぁぁ…………ばか、変態ーーっ!!」 「ご、ごめん……でも動いたらこぼれるから……落ち着いて、最後まで出しちゃおう」 「あぁぁぁぁん、もう最悪ーっ!!」 「ゃぁああっ! や、やだ……もう終わりじゃないの!?」  たっぷりの紙コップを隣の机に避難させた俺は、排尿を終えたばかりのアソコにまた指を差し入れていく。 「あ、あ、あっ、だめだよ……もうほんとに……んぁぁ……」 「な、なんていうかその……お詫びにもっかいイかせよっかな……なんて」  本当は、もうちょっと真星で遊びたいだけだけど。 「うそ、そんなのお詫びじゃないって……んぁ!? あァ、あァ、あんっ!」  指をゆっくり出し入れしながら、親指でクリトリスを転がす。 「ううぁ……やだ、ほんとダメだってば……あぃ、あぃ、あぃぃッ……そこ、そこずるいよ……あぁぁ……んああぁぁぁぁっ!?」  指が抜けそうになると、真星は大きな声を出した。 「これって、中も感じてるのかな?」 「はぁぁ、やぁぁ……もう知らない……あ、あ……だめ、もう中だめ……」 「あッ!? あ、あ、ああぁぁーッ! んあっ! んあっ、あはぁぁ、あはぁっ、はぁァ、はぁっ……」 「わ、すごいよ、中ぐちょぐちょ……」 「知らない……はぁぁ……はぁ、はぁぁ……あぁぁ、あ……あーーぁぁ、あーぁぁぁぁっ!」  脱力していた真星に、すぐにまた大きな波が押し寄せてくる。 「あァ!? あァーっ! んぁ、やぁぁ……あ、あーーーーっ、あーっ、あはぁっ! だめ、あ、あ、いィ、い……いぃィッ!」 「あ、あ、また締まってきた……」 「んんーーーーっ、だめ、だめだめだめっ、またきちゃうーーーぅぅぅっ!!」 「んあーっ、あ、あ、あーっっ! あ、あ、ゆーま……あ、あぅぅぅぅッ、あぁァ!」  すぐにまた、おしっことは違う透明な雫がほとばしってきた。 「うわ、すご……まだ出るんだ……!」 「違うよ、出ない……あ、あーっ、あァァーっ! あッはぁぁぁ……そ、そんな……あ、あァぁあぁ!」  荒々しく指を動かすと、真星はそのたびに信じられないくらい大きな声で喘ぐ。 「だめ当たってるっ! 親指…………あッ、あぃ、あぃ、あィィ…………ッッ!!!」  チュクチュクと音がするたびに、すっかり赤くなった真星の性器が透明な雫をもらす。 「あーぁぁーぁぁあぁ……ちがうの……指が……ぁ、ぁ、ぁ……だめ……もうわかんないぃィ……ィィィ!」  真星の身体がのけぞった。全身がビリビリっと震える。 「んぁああぁあぁああ……ゆーまくん、あ……あーっ、だめだめっ、そこだめぇぇ……あァ! い……いぃィイイィィィッッ!!!」 「――ッッ!! い……い、イく…………ゥゥゥゥッッ!!!」  上履きのつま先をピンと突っ張らせて、真星は全身を何度も痙攣させた。 「んあァァ……んあっ、あ、あ、あはぁぁ……あんっ、あんっ、あ、あ、あぃぃ……」  次第に喘ぎが力を失っていく……。 「んいぃィッ!?」  けれど、親指の摩擦を強くすると、たちまち声が裏返ってしまう。 「んィィィィ……ッッッ!! らめ、らめらめ……そこ、あッ、あッアッアッ……アーーーーッ!!!!!!」  今度こそ、両足の力がガクガクッと抜け落ちる。 「うぁぁ……あ、あ……ばか……あ、あ……はぁぁあぁぁぁっ……はぁ、はぁ……ぁ」  それでも指を休めずに動かすと、真星のばら撒いた水滴が、教室の床のあちこちに散らばっていった。 「はぁぁ、なんかもう感激……生きててよかったぁぁ!!」 「うぅぅ……もう、ひどい……」 「ほんとごめんね……でもすっごい楽しかった♪」 「ばか……祐真くん、えっち…………」  今更の様な事を言って、真星が口を尖らせる。  それから身じまいを整えて、教室の床に飛び散った愛液を雑巾がけした。  紙コップになみなみと注がれたおしっこは――ちょっと興味あったけど、稲森さんに言われた通りにトイレに流してきた。 「やだ……寒いよ、スースーする……」  おねだりをしまくって、今日の記念にナイロンの紐パンツをありがたく頂戴してしまった。  おかげで禁断のノーパン状態になった真星が、うらめしそうに俺の手の中のぱんつを見つめる。 「それ……ひとりえっち……するの?」 「うん、多分ドロドロにする」 「やぁぁ……だめだよ……そんなの!」  慌てて取り返そうとするが、スカートの上からお尻を撫でるだけで、力がカクンと抜け落ちてしまう。 「ひゃぁっ? あッ……ん…………ぁぁ……」 「もう……卑怯だよ…………」 「んーっ、かわいーなぁ、真星は♪」  たまらずぎゅっと抱きしめると、真星の両足がガクガクと力を失ってしまった。 「んぁッ!? あ、あ……あ、はぁぁぁ……ぁぁ……ッ!」 「大丈夫?」 「んぁぁぁ……わかんないけど……なんか怖い……」  俺の胸に顔をつけながら、真星が呼吸を荒くする。 「はぁ、はぁ、はぁ……はぁぁ……んぁぁ…………っ」 「……わたし……どうなっちゃうんだろ…………」 「ふぁ……」 「ふぁ……っ」 「ふぇっっくしょいッッッッ!!!!」 「あうぅぅー、風邪ひいた……」  しかもこの忙しい時期に、重病レベルのをやらかすなんて……うかつだった!!  朝から何度体温を計っても、熱は39度を下回らない。  月姉の手配で、朝イチで内科で受診して風邪薬をもらってきた。  今は、寮の備品の加湿器とストーブを部屋に入れてもらって、完全ダウン状態だ。  これというのも、昨日、稽古中に雨に降られたせいだ。  置き傘がひとつしかなかったので真星と相合傘して帰ったのだけど、背中からズボンの中までびっしょりやられてしまった。 「まあでも、真星が風邪引かなくて良かった……」  朦朧とする頭でそんな事を考えていたら、ドアをノックする音が聞こえて……。 「お、おはよー……」  真星が顔を覗かせた。 「や、やぁ……いいの? こんな時間に男子の部屋にいて」 「うん、みんな出掛けてるみたいで、あんまり人いなかったし」  静かにドアを閉めた真星が、ベッドの脇にしゃがみこむ。 「大丈夫……?」 「あ……あはは……まあ、なんとか」 「昨日、みぞれだったもんね。でもよかった、思ったより元気そうで」 「熱は9度あるけどね、あはは……!」 「ええー!? じ、重体だよ!? そんなに良くないの!?」 「さすがに重体にはほど遠いし、な、なんとかなる……!」 「ならないよっ、と、とにかくそのまま寝てて!」 「ていうか真星その格好……あれ、学校は?」 「日曜だよ?」 「あれ……そ、そうだっけ……だめだ、ボケてる」 「だからゆっくり休んでて!」 「それに……学校があったって、祐真くんの方が大事だもん」  う、ううっ……それはまさに、耳を疑うようなありがたい言葉……! 「きゃぁぁ、震えてるよ、た、たいへんーーっっ!!」 「こ、これは熱じゃなくて、感動に震えているのさマイハニー」 「わぁぁ、ついに世迷言まで!?」  そこはせめて、うわ言にしておいてください!  かくして大ハッスルモードが発動した真星は、俺の看病をしてくれる事になった。 「ちょっと待っててね。ダメ、起きてないで横になってるの!」  食堂と部屋を行ったり来たりしては、生姜湯を作ったり、お粥を作ったり。  生姜湯がブルーハワイみたいな色をしていたり、白粥がババロア状態になっているのは、気にしない気にしない!  それよりも……。 「わわっ!?」 「あいたたっ!!」 「きゃーーーーっ!!」  さっきから真星は、転倒3回、足の小指を家具にぶつけること2回、ドアに指を挟むこと1回……。 「うぅぅ、あと少し……!」  奇跡的に料理をぶちまけてないものの、すっかり満身創痍になっている。 「だ、だいじょうぶー、あいたっ!」  ううっ、熱で動かない身体がもどかしい……。 「はい、あーーーーーん♪」 「あーん」  頭くらくら状態の俺が不自由だろうと、真星はこんな介護サービスまでしてくれる。 「あ、うまーーい!!」 「やった♪ お粥初めてだから怖かったんだ……」  なぜかクルトンが浮いてるけど、とにかく温まるし美味しいや! 「ああうまい、ほんとにうまいっ!」  病人らしからぬ俺の食欲を前にして、真星も安心したみたいで……。 「ふふふっ、ならもう一口……あーん♪」 「あーーーーーん♪」  人目が無いのをいい事にバカップル状態に突入。  そんな恥ずかしい空間も、熱のせいで逆にハッピーに感じられる。 「はーい、そんなに慌てないの。まだお粥ありまちゅからねー♪」 「なんで幼児語!?」 「だって今日の祐真くん、赤ちゃんみたいに真っ赤でかわいーから!」 「そんな赤くなってる?」 「なってるよ。祐真くんって呼ぶより、ゆーまちゃんかな?」 「あ、あはは……なんてね」  かいがいしく看病をしてくれる真星を布団越しに感じながら、今日の俺はひたすら大人しい患者さんモードだ。 「あ……ちょっと、もうだめかも……」  乙女な茶碗に半分くらいお粥を残してベッドに沈み込むと、真星が心配そうに俺を覗き込む。 「わわ、ゆーまちゃんが食べ物残すなんて……」 「ご、ごめん……ちょっとクラクラして」 「ううん、ほんとに良くないんだね……」  風邪薬を飲んで布団の中にもぐりこむ。 「早く治さないと……こんなところでダウンしてる場合じゃないから……」 「だめだよ、無理しないで」 「うん、わかってるけど……」  少しでも脚本を進めておきたいし、なにより月曜日は、芝居の本番で使う体育館の使用申請を出さないといけない。  使用する4週間前に申請を出さなくてはいけない事になっているのだが、運動部も狙っているので週明けの月曜は早い者勝ち争奪戦状態。  放課後、誰が一番に体育教員室に駆け込むかの勝負なので、こればかりは稲森さんや恋路橋に任せるわけにはいかないのだ。  そんな大事な日に風邪をひくなんて、まったくついてない……。  なんて弱気になったらダメだよな! 「がんばるよ、ここで倒れたら、桜井先輩に真星の演技を見せられないもんな……」 「ゆーまちゃん……」 「忙しくなってきたけど、真星の芝居ならやりがいだってあるし」 「うん……」 「ゆーまちゃん……かっこいいね」 「え? そ、そんな事言われた事無いよ、俺……」 「ゆーま……」 「あ……」  仰向けになった俺の上に、真星の顔が近付いてきて……。 「ん…………ちゅる……」  キスされた。しかも舌まで入れて!? 「ん、んろっ……ん、ちゅ……んろろ……んちゅ……」  すごい……熱とキスと稲森さんの体温とで、頭がバカになりそう。 「ん、はぁ……おまじない」 「……え?」 「キスしたからきっと治るよ」 「真星……」 「……………………」 「もう1回……したら、もっと効き目があるかも……」 「あ、もー」 「ふふ…………ん……んんっ、ちゅ、ちゅ、んじゅる……ん、んろっ……」  舌と舌をからませる。頭の中がぐるぐる回る……。  キスしてるうちに薬が効いてきたみたいで、俺は眠りに落ちてしまった。  ――翌朝。 「――――!?!?!?!?」 「………………」 「……………………36.1度?」  ほんとに治ってしまった!!!!! 「な…………なんだったんだ、いったい!?」  頭すっきり、手足も軽い、食欲旺盛――どこから切ってもまさかの健康体。 「これって、キスのおかげだったりして……?」 「なんてねー!! まさかねーーー!!!!」  赤面しながらベッドの上を転がりまくる。  ありがとうまほちゃんっ! それくらい元気に満ち溢れてるぜ、今朝の俺は!!  かくして、その日の俺は脚本から体育館の申請まで、フル戦闘モード。  病み上がりだけど日程は待ってはくれない。今日は稽古には顔を出さずに別行動だ。  真星の看病に感謝しながら、体育館の申請を無事にすませて、あとは脚本を残すのみだ。 「お見舞いのシーンか……変則的なラブシーンになるかも」  忙しくなってきたけれど、真星の芝居を上演するためだと思えば、なんてことはない。  あと1ヶ月――やれるところまでやるだけだ。  ――午前6時。 「はぁ……はぁ……はっ、はっ……」  自転車の車輪を見ながら、俺はひたすら足を運ぶ。  小走りよりも早く、ダッシュよりは遅く――病み上がりのロードワークは、いつもより若干ハイペースに感じられる。 「どう、疲れる?」 「ん、そうでもないかな、もう完治したっぽいよ」  病み上がりのロードワークは、昔からの習慣だ。  めったに風邪なんか引かない俺だけど、たまに病気になると、治ったころを見計らって月姉がロードワークに連れ出してくれる。 「それにしてもあんた頑丈ねー」 「月姉のおかげじゃないかな、翌朝にはケロッとしててさ、おかげで時間のロスも少なくてすんだよ」 「へえ……」 「なに?」 「ううん、ずいぶん頼もしくなったじゃない」 「またまた、もうちょっとバテてるよ」 「それでも、なんとなくね……」 「そう? 月姉に言われると自信つくな」 「悪くないわよ、真星ちゃんのおかげかな?」 「…………!!」 「あはははっ……祐真も生意気になったわねー」  返答に困った俺が下を向くと、月姉は楽しそうに笑った。 「稲森さんのこともあるけど、今度は自分で考えて動いてるから、それがいいのかも」 「そうね、渉くんたちも喜んでるわよ」 「恋路橋が……どうして?」  そういえば前も『芝居をやってくれるとありがたい』なんて言ってたけど。 「いまあんたが劇なんか発表したら、次の創立記念祭の舞台監督は決まったようなものじゃない。おかげで受験に専念できるって喜んでるわ」  あ、あいつ……ぐるぐる眼鏡のくせに(偏見)そこまで!! 「いや、俺はそんな……」 「ふふっ、もう今年の予定決まっちゃったみたいね。がんばれー、祐真!」 「うわっ、ちょっとペース速いんですけど!」 「まだ平気平気、ダッシュいくわよー!」 「う、う……うおおおおおおおおっっ!!!」  走りながら空を見上げる。  こんなに近くにいるのに、いま真星はなにしてるだろう、なんて考えてしまう。 「ちょっと遠回りしていく? キツイかな?」 「ら、楽勝! もう1周!!」  間違いなく、俺がこのところ絶好調なのは真星のおかげなんだろう。 「うわ、もうこんな時間か!」  ロードワークから直接学校に向かうと、約束の時間を15分もオーバーしてた。  けれど、真面目な真星はきっと先に稽古を始めてくれているだろう。  信頼できるパートナーの存在に感謝しながら、俺は休憩もとらずに急いで屋上へと突っ走った。  ロードワークのテンションのまま、屋上まで一気に駆け上がって携帯の時計を見る。  6時50分――約束の時間を20分もオーバーしていた。 「はぁ……はぁ、はぁ、はぁっ……ごめーん、真星!」 「おはよー、ゆーまくーん♪」 「走ってたの? 息すごいよ」 「はぁ……はぁ、はぁ……ありがと」  腕で汗を拭う俺に、稲森さんが新しいフェイスタオルを手渡してくれる。 「ごめん、ちょっと遅れたね」 「ううん、先に一人でセリフ読みしてたから」 「さすが、主演女優」  少しくらい遅刻しても、稲森さんは文句も言わずに待っていてくれる。  クラスのヒロインとか、昔から憧れてた女の子とか、そういう付加価値を取っ払ってみても、根本的にいい子なんだよな、稲森さんは。 「……なに?」 「ううん、なんでもない……」  俺の中で、彼女は今でも『稲森さん』になったり『真星』になったりと忙しい。  約束をしたから呼ぶ時はいつも『真星』だけど、今朝みたいに心の中では『稲森さん』と呼ぶ事がよくあるのだ。  だからといって、『稲森さん』の時は彼女に距離を感じているのかといえば、決してそんな事もなく。  自分でも今一つ分からないでいる。 「ねえ、真星……」  多少のすわりの悪さを覚えながら、俺は稲森さんに声をかける。 「な、なに?」  近付いて来た彼女の手を取って、ひんやりする掌を俺の手で挟んで暖めてやる。 「ん……」 「今夜、時間ある?」 「う……うん、あるけど」  ピンクの気配を感じたのか、稲森さんが顔を赤くした。 「……じゃあ、一緒にお風呂入らない?」 「ええええ!?」 「俺、今日も多分夜中まで台本書いてるから、恋路橋が入ったあと――深夜にこっそり」 「こ、こっそり……一緒に!?」 「どう?」 「……バレないかな?」 「バレないって!」  寮の風呂場で、真星と混浴しようという禁断のプランだ。見つかったらただ事ではすまない事くらいよく分かってる。 「う、うん……いいけど、でも……」 「よーし、じゃあ決まりっ!」 「あ……う、うん……」  もじもじする『稲森さん』が、どんどん『真星』になっていく。 「なんかやる気がもりもり湧いてきた! ならあと30分、シーン17から通していこー!」 「お、おーっ!!」  顔を赤くした真星が、元気に手を上げる。  屋上で二人きりの稽古をしながら、俺は彼女がいるってことの幸せを噛みしめていた。  ――そして運命の時がやってきた!!  しまい風呂の恋路橋も11時には就寝する。  おまけに今日は桜井先輩がお忍びでラブホに外出、平日なので他の寮生も寝静まっている。  こんな時間に寮の隅にある風呂場に誰かいるなど、誰が想像するだろう。 「ま、真星……はやくこーい……」  洗い場で石鹸を泡立てながら、俺はドキドキしながら真星を待っている。  一緒にお風呂掃除をしたときから、ずーーーっと憧れていた混浴モード! それが、とうとう実現するのだ!!  俺が深夜の混浴に誘ったときの、真星の顔を思い出す。 「あああ、もう可愛いな、どーしてくれようっ♪」  あんなことやこんなこと……それこそありとあらゆるエロエロ妄想を真星に置き換えているうちに、すっかり股間は臨戦態勢を整えている。  もう、びっくりするくらいエッチなことをしてやろう……イかせて、イかせて、イかせまくって、それから……!!  せ、せ、せ、セックス……!? こ、ここでしちゃうか!? やってしまうかっっ!? 「うおーーーー、やばい、想像だけでこれはヤバい!」  本人を見る前に射精してどーする!  俺はシャワーを冷水にして心頭滅却――。 「どわああ、冷たい、冷たいっっ!!」  はぁ、はぁ、はぁ……ば、バカか俺は。  そうだ、こういうときの男はたぶん宇宙一のバカ存在になるんだ。俺がいま身をもって感じてる。  そのとき、脱衣所に気配!? 「き、き、来た……!!」 「ふんふんふーん……♪」  うわぁぁぁぁ、来た! 来たぞ……!! しかもなんかなまめかしい声で歌なんて歌って……!!  あああ、なんて可愛いんだ真星っ! 俺は夢を見てるみたいですよ!!  ――ガラガラッ!  扉開いたー!! 「あれー? んふふ……っ」  そして足音が近づいてくる……う、ううっ、も、もう耐え切れない……! 「ま、ま、まほっ……!!」 「あー♪ あーまーかーわーだー♪」 「げぇぇぇええええぇぇぇえぇぇぇぇぇッッ!!!!」 「あはは、びっくりしてる♪ なに驚いてんのよー」 「な、な、な、なにって、なに、なにーー!?」 「ふふふっ、裸でなにやってんのかなー?」 「そ、それは俺のセリフ……」 「あまかわー、んーっ♥♥♥」  だ、抱きついてきた!! うわ、先生のおっぱ……おっぱ…………いィィィ!? 「へー、天川ってけっこう筋肉ついてんのねー、ふふっ、すべすべー」 「い、いや、その……な、なにが、マジでなにが一体!?」  ……ハッ、これは酒臭!?  てことは先生、酔っ払って……!! 「んー、キスしちゃう? しちゃおっかー?」 「無理です、それはさすがに無理ー!!」 「なに言ってんのよー、ここは正直だゾ?」  なんか古い……いや、そうじゃなくて……そこ、そこは!! 「あははァ……かっちかち♪」 「わーーーーーっ、お、教え子に何するだァーーー!」  なんとか身をよじって逃れようとする俺だけど、あいにくの大混乱中につき、石鹸の泡に足を取られて……! 「いてっ!」  仰向けになってしまった。そうなると、上からはトローンとした目の先生が迫ってくるわけで……!! 「お嫁にもらってくれるって言ったじゃない……そうだよねー、あまかわー」 「いってなーーーい!」 「なによぉ、こんなむちむちのおねーさまに迫られて、嬉しくないのー?」 「ち、ちがうっ、先生じゃないんです! 半月前なら嬉しかったかもしれないけど、もうダメなんですってば!!」 「あははは……なに言ってんだかわかんなーい♪」 「やー、だめーーー!!」 「なにがよー、んっ……ねー、あまかわー?」  う、うわ、ヘア、ヘアが……先生のヘアがジョリってこすれて……!! 「ふふっ、おねーさんが教えてあげる……」 「おねーさん違う、先生! 教師! 聖職者!!」 「うるさーい、さあ、じっとしてるのよー、ボク……」  や、やばい、入っちゃうよ……そ、それはヤバいですってばーーー!!  と、そこに……。 「ゆ、ゆーまちゃん……背中、流そっか……」 「え…………!?」  ぎゃああああああああ!! ありえない、ありえないーー!! 「なによー、他の女なんかに見向きしないでっていつも言ってるのにー!!」 「………………」 「言ってない、初耳! ていうかこれは違うんだ稲森さん!!」  ああっ、思わず稲森さんに戻ってしまった……なんてことはどうでもいいっ!! 「…………ゆーま……ちゃん」 「……ご、ごめんね……なんか、邪魔……だよね」 「そ、それじゃ、あの、えっと……し、失礼しましたーーっ!!」 「待ってーー、聞いてーーーー!!!」 「なにを聞くのよぉ、ほーら、こーんな元気なくせに……」 「ちっがーーーーーーー!!!!」  そしてさらに俺たちが揉み合っていると――。 「こんな時間になに騒いでるのっ!」 「あーーー、月姉ーーーっ!!」 「ゆ、祐真!? え? え? ええーー!?」 「ち、違うんだ月姉、実は雪乃先生がいま……」 「…………くー、くー、くー」 「寝るなっっ!!!!!!」 「……わ、わかったわ……先生が酔っ払ってお風呂に入ってきたのね」 「うぅぅ、本当なんです」 「信じるわよ、あんたがそんなバカなことするわけないでしょ!」 「けど……」 「な、なんでしょうか?」 「早くその大きくなったのしまいなさい、ばかっ!!」  月姉にタオルを投げつけられる。う、ううっ……動転してました! 「けどあんたもどうしてこんな時間に……?」 「あ、そうだ……稲森さん!」 「え?」 「あ、いや……月姉が来る前に稲森さんにさっきの、偶然見られちゃって」 「はぁ!? で、真星ちゃんは?」 「ショックで逃げて……」 「はぁっ……なんてこと……」 「だ、だよね!! ど、どうしたらいいと思う??」 「そんなの自分で決めろ、ばかーっ!!」  ――トントントン! 「真星……?」  い、いや、真星はまずいよな。 「稲森さん?」  ――トントントン! 「もう寝ちゃった? 稲森さーん?」  ――トントントン! 「稲森さーん!」  男子禁制の女子エリア。そのど真ん中で、俺は真星の部屋のドアをノックし続ける。  一刻も早く誤解を解かないと、大変なことになってしまう。もう寮の規則なんて気にしてる場合じゃなかった。  ――トントントン! 「聞いて稲森さん、先生が酔っ払ってお風呂に乱入してきたんだよ」 「偶然なんだって、わざとあんなことする意味、ないだろ?」 「だから、本当なんだって、真星……!」  ――カチャッ。 「ゆーまちゃん?」  ああぁぁ、真星が出てきてくれた。毎日見てる真星の顔が、今は無性に嬉しくてたまらない。  ここで立ち話もなんだから、できれば真星の部屋で……。  そう思って中に入ろうとした俺を、真星の身体が遮る。 「だめ、部屋に入ったのバレるよ」 「そ、そうだよね……ごめん」 「どうして謝るの?」 「先生のことは偶然の事故なんだけど、でも……あんなことになっちゃって……ごめん」 「…………」  うつむいた真星がおずおずと俺の顔を見る。 「…………ううん、わたしのほうこそごめんね」 「真星……」 「ゆーまちゃんのこと……誤解しちゃって」 「あ、あんな状況だもん、無理ないって!」 「……ありがと、わざわざ来てくれて」  それから真星は、きょろきょろとあたりを見回した。そう、ここは消灯後男子禁制の女子エリアなのだ。 「でも早く戻って、見つかったら大変だから」 「う、うん……じゃあ、また明日」 「うん、また明日、がんばろ!」  はぁぁ……よかった、もう破滅かと思った。  これも童貞のくせに、下手にエロスにスリルなんかを求めたせいかもしれない。  真星……ありがと、俺のこと信じてくれて。  ――しかし、あんなドタバタ騒ぎが誰にも気づかれないはずもなく。 「よっ、桜井二世! ついに先生とヤったって?」 「………………」 「しかも二股かけてた女子にみつかって、部屋の前で土下座大会だって? やるなー、桜井オルタネイティブ!!」 「な……なんでそんな呼び方になる!?」 「芝居にかこつけて稲森さんひっかけるし、やりたい放題じゃんか、桜井ジュニア!」 「ううっ……こ、この風評は、おれの信用度を著しく失墜しそうだ」 「桜井ジュニアか……君もバカなことをしたもんだね、けしからんよ」 「ちがうーー! 偶然だ、不幸な事故だっ!! それのどこが桜井ジュニアだ、オルタネイティブだ!!」 「やあUMA、近ごろの君はまるで僕の一物のように呼ばれているそうじゃないか」 「ううっ……輪をかけて不本意です……!!」  昼休みのチャイムが鳴った。  最近、俺はやけにチャイムに敏感になった。  あと一月で、本番――。  それまでに20回、昼休みを経験するわけで……カウントダウンがいよいよ始まった感じがする。  とんでもないハプニングはあったけど、真星ともますますいい感じになってるし、恋路橋や月姉も協力を惜しまないでくれる。  あとは、俺の芝居と、台本の問題だけ……。  こうして学校に来てしまうと、芝居の事ばかり考えてしまう。  まるで寮祭とか学園祭の前みたいな気分。  だけど違うのは、そうなってるのは俺と稲森さんだけで、周囲と温度差があるのが変な感じだ。  そうか……部活やってるやつって、大会前はこんな風に感じてるのかもしれないな。  ――ぐきゅるるるるる。 「……あー、腹減った♪」  いつもならSOSコールに近い腹の虫も、そんなに気にならない。  なんたって、これから中庭で真星とお弁当タイムなのだ。  真星と一緒に食事をするのは、これが初めてだ。  こないだのお風呂乱入事件と、劇の練習を公表した事で、俺たちは公然と弁当を食べられるようになった。  もちろん彼氏彼女だってことは秘密。あくまで舞台の共演者であり、監督と役者の関係だ。 「……めしだー、めしだー♪」  ……かくして、階段を下りて玄関へ向かう途中。 「あうぅぅぅ〜〜っ!」  どこかで聞いた声がした。  購買部の前、都会の満員電車にも匹敵するぎゅうぎゅう詰めの生徒たち――。  その隅のほうで、見知った顔がうずくまっている。 「夜々?」 「あうぅ……負け……た……(がくり)」  飢餓軍団の圧力に負け、押し出されたな。  目に力がない。心が完全に折れて、もう一度突入する気力が失われている。  ううっ、妹よ、そんなことでいいのか!?  このままじゃ、夜々は昼を食べられないか、最後に残った栄養価に乏しい菓子パンの食事になってしまう。  そ、そうなっては兄貴分の名折れだぜ。 「……何が食べたい?」 「あ……」 「……お兄ちゃん!!」  腕まくりする俺を不思議そうに見上げた夜々は、やがてぱーっと蕾のほころぶような笑顔を見せた。 「買ってきてやる、リクエストは?」 「えっと、ハムサンドと……野菜コッペと……お茶っ!」 「わかった。そこで待ってろ! とうっ!」  俺は人垣に突進した。  すさまじい圧力が襲いかかってくるが、ロードワークで鍛えた足腰は伊達じゃない!  重心を落として押し負けないように構えて、じりじりと身をねじこみ、場所を確保。  くっ……今日は、いつもより手強い……受験生がいなくて、人数そのものは少ないはずなのに、なぜだ?  そうか、少ないからこそ、3分で売り切れるカツサンドや苺ロールを、今日なら買えると、殺到してるんだ!  ぬうっ、負けるものか!  買い終えて場を離脱しそうなやつを素早く見極め、空いたスペースをすかさず占拠! 「ハムサンドに野菜コッペ!」  超人的な速度で客をさばいてゆく購買のおばちゃんは、注文の洪水から見事に俺の叫びを聞き取り、目的のブツを渡してくれた。  空を飛ぶ硬貨、千手観音のような手の動きでキャッチしレジに入れるおばちゃん。  よし、作戦終了、離脱する! 「ほら……買ってきたぞ」 「わぁぁ……!!」  生還した俺を、夜々は奇跡を目の当たりにしたように、ぽかんと見上げた。  夜々の手の平に、収穫を置く。 「言ったろ、お兄ちゃんは強いんだ」  言ってないけど、ここは勢い。 「お、お兄ちゃんっ!」  感動に輝く夜々の表情。 「おうよ、妹のためならお安い御用……それじゃあな」 「あ……ま、待って!」  ――ぎゅっ! 「……夜々?」 「ね……お兄ちゃん、一緒に、食べませんか?」  俺の腕に抱きついた夜々が、目をうるうるさせて上目づかいにアピールしてきた。  う、ううっ……これは大抵のやつなら一撃必殺、たちどころに陥落しそうな可愛さだ。  し、しかし――俺には、行かねばならない場所があるっ!! 「悪い、実はもう約束が――」 「――っ!?」  まままま真星!? 「…………」  そしてその手には、明らかに俺のために用意された巨大弁当箱!  慌てて時計を見る。しまった、もう15分ちかくオーバーしてる――!! 「悪い……遅くなりました、ごめん!」 「見てたよ〜、優しいお兄ちゃんだね。なごんじゃった」  いいなぁ……こういうときに悪い方向にとらえないのが真星の凄いところだと思う。 「それ、弁当すごくない!?」 「ふっふっふ……じゃーん!」  真星が風呂敷に包んだ、巨大弁当箱を持ち上げてみせる。  その中身は四段重ねの、愛情たっぷり弁当超豪華版。  同じ寮に住んでる俺は、真星がそれを作るために、ゆうべは夜遅くまで、今朝も早くから台所にこもっていたことを知ってるわけで……。 「本当にごめん! ありがとうっ!」 「ふふ、いっぱい食べてねー」  かくして俺たちは中庭でランチタイム。  劇のことを知らない連中は、なんで真星が俺と弁当を食べているのか不思議そうな顔でこっちを見ている。 「ああ、うまい、うまいーー! がつがつがつがつ!」 「もうすぐお昼休み終わりだね、急いで食べないと」 「それくらいまかせとけっ! 夜々が弁当作ってくれたときだって……」 「……あ」 「……ん?」  ふいに箸を休めた俺を、真星が不思議そうに覗き込む。 「いや……どうせなら夜々も誘えばよかったなって思ってさ」 「あ……そうだね」 「みんなでわいわい食べりゃよかったのにね……だめだ俺、気がきかないなー」  失敗失敗……と頭を掻く俺を、真星は微笑みながら見つめている。 「……優しいね、ゆーまちゃんは」 「い、いや……そんなんじゃないって」 「ううん、優しいよ……」  ま、間近で見つめられながらそんなこといわれると……ちょっと照れます。 「ん〜〜〜〜〜っ、難しい、難しいーーー!!」  今日も白い台本を前に頭を抱える夜がきた。  とはいえ、俺もただ悶々と台本の前でうなってるわけじゃない。他にもやらなくてはいけないことが山積みなのだ。  台本はなかなか進まないが、今日は美緒里と劇に使うBGMの相談をして、ちょうど携帯を切ったところだ。  それでようやく、一段落ついた虚脱状態。  こういう催し物って、見ているだけなら楽だけど、やる方は思ったよりずっと大変なんだなあ……。  あと一月、いよいよこれから、実際の動きがさらに忙しくなってくるぞ。  期末試験もあるから、勉強だってしなくちゃいけないし。  はぁぁ……出来るならことなら、真星とただイチャイチャしていられればいいのにな。  ――♪♪♪  なんて妄想しかけてたらメールだ――!!  誰だろう、こんな時間に。音楽の件で美緒里とか? それとも恋路橋か? 「うぇ……!?」  俺は足音を殺して……階段を、そっと上がり……。  ふたたび禁断の夜間女子エリアへ……。  また誰かに姿を見られたら、そのときは停学もやむなし!  目的の部屋に向かい足音をしのばせる。  ――コツコツ。  ごくごく小さなノックに、すぐに応えてドアが開いた。 「ごめんね、こんな時間に」 「いくら月姉でも無茶しすぎ!! お風呂事件があるから女子の階ってだけでもまずいのに、部屋に来いだなんて……見つかったらどうすんの!?」 「それでも来てくれる祐真が好きよ?」 「ごまかされないよ! で、なんの用?」 「これなのよ、これ……」  月姉が部屋の中を指差してみせる。  いつもは整頓されている部屋に、机の上と――そればかりか床にも山積みにされている、紙の束。 「うわ……なにこれ?」 「寮生名簿と寮日誌、あと修繕記録とその他もろもろ――しめて過去6年分よ」 「卒業までに片付けておくつもりだったんだけどさぁ、あたしが卒業したら雪乃先生がこれ引き継ぐことになるのよ」 「ふむふむ?」  才色兼備の月姉が寮運営の手伝いをしていたことは知ってたけど、まさか名簿管理までやってたとは……。 「会計資料以外はたいていあるわ、これをまとめておいて、次の人が使いやすいようにしとかなくちゃいけないのよ」 「……で、それが俺と?」 「去年までは私も手をつけてなかったから、けっこう目茶目茶でね……まあ私が最後に全部整理して、今週中に受け渡しをするってことになったわけ」 「だからそれって、俺が月姉の部屋に夜這いかけるほどの問題なの?」  そのとき……珍しいことが起きた。  月姉が、俺から視線を逸らしたんだ。 「……ま……」 「……?」 「間に合わないのよ」 「間に合わないって……月姉が!?」  あらゆることに万能で、完璧超人の月姉――その月姉が、期限に間に合わないだって? 「このままじゃ間に合わないの!」 「それで……手伝ってほしいのよ」 「……できるって大見得切ったのに、すみませんできませんでしたなんて、最後の最後に、言いたくないから」 「…………」 「……分かったよ、俺も月姉のパーフェクト伝説が崩れるとこなんて見たくないし」 「祐真……」 「どうせ生徒会の引継ぎとか、卒業制作とか、頼まれまくって首が回らなくなったんでしょ」 「引き受けるときはもっと計画性持たないとダメだよ」 「…………反省してる」  驚いた……月姉がしゅんとするなんて、5年に1度の大珍事だ。 「俺、書類整理とか得意じゃないから、どこまで使えるか分かんないよ」 「ううん、ちょっとでもやってくれたら助かるわー、頼りにしてるっ!」 「いやぁ、あはは、まあ少しは頼ってくれてもいいけどさ……」 「それじゃ……」  どさっ、とノートの束を渡された。6年分の寮日誌――。 「頼んだわ、目を通して、これからいう場所に〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》貼ってって」 「住所や電話番号なんかの個人情報が書いてあったら黄色の〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》。誰と誰が恋愛関係だとかケンカしたとか、寮生間トラブルは青い〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》……」 「暖房が故障とか水回りがとかで、業者が来たって書いてあったら、そこは重要、赤い〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》ね」 「うっす……」  って、この量をかよ。  でも、月姉はそれ以上の量を、しかもパソコン使ってデータ入力もしながらやってるから、無茶だとも言えない……。  かくして、作業開始。 「………………」 「………………」  もくもく、もくもく……。  ページをめくり、目を通し、内容に合わせて〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》、あるいはメモをはさみ……次のページ……また〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》……。 「……月姉、喉渇いた。飲み物いい?」 「そこに用意してあるわ、外はNGよ」 「……月姉、ちょっと外の空気吸いたい」 「少しなら窓開けてもいいわよ」 「……月姉、トイレ」 「代わりに行ってくるわ」 「んな無茶な!!」 「……誰かに見られたら、潔く〈自刃〉《じじん》するのよ」 「どっちも無茶だ!」  かくして、命がけのトイレ休憩を挟みながら、黙々と書類とにらめっこ。  こんなことをしてていいのか、台本が俺を待ってるんじゃないのか、そんな焦燥感とも戦いながら、無言の時間だけが進み……。  さすがに集中力が続かなくなってきた。  ついつい、月姉のすらりとした足とか、部屋中になんとなく漂う女性っぽい匂いとかが、気になってきて……。  真星とは違う女の子の――。 「集中!」 「はいっ!」  だめだ、さすがは長年のつきあい。俺の考えてることなんてお見通しだ。  作業を、黙々と続けるしかなかった……。  ………………。  夜なので、部屋の外の気配が結構よく伝わってくる。  誰かが部屋を出て、歩いて、トイレか洗面所に行って……。  顔を洗っているのか、寝る前の肌の手入れか、洗面所で水を出している音もする。  お風呂上がりで、上機嫌な鼻歌……ありゃ雪乃先生だ。ううっ、巻き込んでやりたい!  ………………。  ――コンコン。 「!?」  急なノックにびくっとする俺、月姉も警戒した顔になる。 「……はい?」 「……月音先輩、すみません、ちょっと……いいですか?」  ま、真星――!?  ななななななんで!? 「あ、真星ちゃん? ちょっと待っててー!」  ヤバいって! こんな時間に、ここに、俺が月姉と二人っきりでいるなんて、ばれたら……!!  月姉と俺の関係は知ってるはずだけど、そんなの、この禁断の女子部屋では何の助けにもならないわけで。  月姉も、そもそも俺に手伝ってもらってるって暴露されるのは非常にまずいわけで……。 「……!」  月姉が素早くクローゼットを開き、俺は一も二もなく、そこに身を押しこむ。  ――バタン。戸を閉められ、部屋の様子は見えなくなった。  うわ……女性のクローゼットだ、月姉の服だ……顔に、全身に、まとわりついて、これはっ……。 「お待たせ。なに?」  月姉がドアを開けた気配。 「あの……ちょっと、聞きたいんですけど……その……」 「あ、天川君のことなんです……月音先輩なら、彼のこと色々知ってるかなって……」 「祐真の!?」 「は、はい……」  俺のこと知りたい……!?  声色から、真星のもじもじした様子が伝わってくるようだ。  月姉にそんなことを相談するってことは、つまり俺たちの関係についても説明しちゃうようなもので……それでも俺のことを知りたい!?  いや、そう思ってくれるのは嬉しいんだけど、今、このシチュエーションでは、それはっ! 「あたしも、祐真のネタなら沢山話してあげられるけど……」 「ほら、ごらんの通り、今はちょっと、明日までにしなくちゃならない仕事がこんなにあって……」 「そうですか……」  そうだ、月姉、その調子!!  悪いけど真星、今だけは、お互いのために引き取ってくれ! 「……あっ!?」  ピコーンと、センサーが反応したように、真星は鋭い声を上げた。 「座布団……飲み物……筆記用具……机とテーブルに二人分……?」  ――っっ!?!? 「これはつまりあれがああで……そこ、クローゼットのドアに服が挟まってる!!」  なにーーー!? どうした真星! こんな時に限って、なんだその探偵クラスの観察眼! 「か、鑑識、鑑識ーー!!」 「鑑識は呼ばなくていいの!! これにはいろいろわけがあって……!!」 「はっ!? 部屋の空気がこもってる……つまり今までここに誰かいて、クローゼットに慌てて隠れた……?」  待てーー、ストーーップ! 探偵推理ストーープ!! 「……女の子なら、隠れる必要はない……じゃあ男の人!?」 「月音先輩の部屋に来て、一緒に何かする男の人……つまりそれは……!」 「ま、待って、真星ちゃん、あのね、時間を考えて――」 「祐真ちゃんっ!!!」 「――!!!」  声は出さなかった――が、体が反応した。  クローゼットの奥に肘がぶつかり、ゴツンと音がする。 「あっちゃあ……バカ……!」 「いるんだ……やっぱり……」 「はぁ……祐真もうダメよ、出ておいで」 「あ……!」  月姉の服が収められたクローゼットから出てくる俺を見て、真星が怯えたような目になる。  ――ともあれ俺は速攻で土下座、月姉は大汗かいての釈明。 「ええとね、これはその、まず……!」  完璧をもってならしていた月姉が、自分の不手際、失敗を口にしなければならない。  プライドに関わるそれは、かなりの心理的負担。  月姉の口は重く、笑顔ではいるものの、笑みはこわばり、汗も沢山。  ――その姿は、言っていることの信憑性を、ひどく損なうもので……。  ぶっちゃけて言えば、ひどく見苦しく、懸命に言い訳してるようにしか見えないわけで……。 「……だから、それで、祐真を呼んで、手伝わせてただけなのっ!」 「そ、そうですよねっ!! 女子のフロアに、入りこむなんて……」  そのわりに真星が食いついてきた!? 「そうなのよ。祐真ならその点、平気だし!!」 「部屋に入れても……平気?」 「い、いい意味で、いい意味!!」 「そ、そうそう、いい意味でそういう関係だから! あたしと祐真って、昔からずっと……!」 「ずっとそういう関係……!」 「だからいい意味で!!」 「いい意味で何でもさせられるから、それで呼んだだけなの。深い意味なんてないから、ね、ね?」 「何でも……」 「月姉あんたはさっきから、行ってはいけない方へどんどん真星を追いやりまくってませんか?」 「そ……そうだったんだ……私が気づいてないだけで……」  ――ぎく!? 「二人がそんな〈爛〉《ただ》れた獣欲のパートナーだったなんてーー!!」 「はいぃぃぃぃっ!?」 「部屋に忍び込ませて、なんでもやらせちゃう関係を、ずっとずっとずーーーーっと続けていたなんて! ズバリ予想外でしょうッ!?!?」 「ちがう、ちがうの、つなぐとこ全然ちがうのー!」 「おまけにキャラも違ってるー!!」 「知らなかった! わたしがゆーまちゃんにしてあげたことなんて、二人はとっくに通り過ぎていたなんてーー!!」 「え〜〜〜〜〜〜!?」 「な、な、真星、何を口走ってますか、何をーー!?」 「わたし、自分がすごくHになったんじゃないかって悩んでたのに……月音先輩に比べたらやっぱりぜんぜん子供だったんだー!!」 「ゆーまちゃんは、もう月音先輩の着替えを見ても平気なくらい、女の人に慣れてるのに……」 「わたしったら、キスくらいでドキドキしちゃって……舞い上がって、わけわかんなくなっちゃって……!!」 「ふんふん……?」 「そこ、この状況で食いつかない!! 真星!! 待った、落ちつけ、超落ちついてーー!!!」 「平気です、わたしちょー落ちついてるから!」 「わかりますか、ゆーまちゃん、ちょーーー落ちついてるんです! 動揺なんかゼロだし、お菓子作りもがんばってるし、ゆーまちゃんのことちょっとでも……」 「わーっ!! とにかく深呼吸、ゆっくり深呼吸、落ちついて深呼吸! すー! はー!」 「すぅ……はぁぁ……とーーーっ!!!」 「とー要らない! もっと深呼吸ーーっ!」 「飲み物っ!」 「はいっ!」  突き出された右手に、スポーツドリンクのペットボトルを握らせる俺。 「ごくごくごくごくごく……ぷはーーっ、しみるーーーっ!!」 「アルコール入ってないから、なんにも染みないから!」 「心の底に滲みるのっ! はいそこに正座っ!!」  わあぁ、目が据わってる! 「ま、真星ちゃん……お、お、落ちついて……ね?」 「月音先輩は黙っててください、これは、わたしとゆーまちゃんの問題なんです!」 「は……はい……!」  なんでそこで引くーー、月姉っ! 「うー、ひっく……ぐすんっ!」 「ま、真星? その……ええと、違うんだよ?」 「ぐすぐすっ……いーんです、もーいいんですっ! ゆーまちゃんが浮気したことなんて怒ってないのっ!!」 「だからしてないってーー!!」 「でも、わたしなんかより月音先輩のほうがずーーっと付き合い長いし! ずーーっと大人っぽいし!! ずーーっとHも上手だし!!!」 「あのー……ひとつ深刻な憶測が混じってない……?」 「わ、わたしはああいうことするの、ゆーまちゃんが初めてだったから、ドキドキして混乱して全然気持ちよくできなかったし!」 「そんなことない! 超気持ちいい!!」 「ほー?」 「わぁぁ、そ、そうじゃなくて!!」 「いいの……浮気を許したわたしに責任があるんだって分かってるから、ゆーまちゃんにだって選択の自由があるって知ってるから……そうだよね……」 「だからたそがれるなーーーー!!!」 「浮気……」 「月姉はいいから耳を塞いでてください!」 「でも、でもわたしだって練習して上手くなるから! ゆーまちゃんを満足させるためだったら、む、胸でも、お口でも、せ、精液だって飲ん……」 「ぎゃあああああああああああ!!!!!」 「ゆ・う・ま〜〜〜?」 「いたい、いたいいたいいたいいたい!! こめかみ!! こめかみ!!」 「あんたは、一体、真星ちゃんに、なにをさせてるのかな〜〜〜〜〜?」 「あぁっ!? こ、これが月音先輩のテクニック……!?」 「ちっがーーーーーーーーーーーー!!!!!」 「い、いやー、そんなこととはぜーんぜん気づかなかったですー! あ、あはは、あははははは!!」 「………………」 「そ、そ、そうだったんだー! 寮の記録を整理! なるほどっ!! それは超大事なお仕事ですよねー!!」 「………………」 「そ、そーーんなこととはつゆ知らず、わ、わたし天川くんがてっきり青春街道を大いに踏み外しかけてるのかとー、風紀的に心配しちゃいましてー!!」 「………………」 「で、でも、何事もなくってなによりですよね、ね? あー、平和っていいなぁ! 世はこともなしで日本晴れですよねー!!」 「………………」 「……ゆーまちゃん?」 「きゃあああああああっ!! し、し、知りません! なーんにも知りませんっ!!」 「俺が……浮気?」 「してないしてないっ! 天川くんはなーんにもしてないっ!!」 「――とにかくっ!!!」 「秘密を知られたからには一蓮托生! 真星ちゃんにも作業を手伝ってもらうわ、いいわねっ!?」 「え、えーと……作業?」 「そうっ! 思いっきり時間ロスしちゃったからね!!」 「は、はいーっ!!!」  かくして、〈付〉《ふ》〈箋〉《せん》貼りの内職が一人増えたところで作業再開。  もくもくもくもく……。 「それにしても、二人がそこまで進んでいたとはねー」 「ううっ……!」 「ご……ごめんね、ゆーまちゃん」 「いや……稲森さんが誤解するのは仕方ないよ、俺がここにいること自体が問題なわけだし(じろり)」 「え? あ……う……ま、まああれよ、みんな内緒ってことで」 「そ、そうですね、そうですよねっ! あははは……」 「そうしてください、是が非にも!」 「ね、ね、それで、あいつどーやって真星ちゃんのこと口説いたの??」 「つきねーーーーーーー!!!!」 「い、いいじゃん、ほら……ちょっとした好奇心よ、好奇心! 姉としての!」 「そんな過保護な姉を持った覚えはあーりーまーせーんー!」 「もう、けちー!!」 「………………」  俺と月姉のやり取りを聞きながら、真星は黙々と手を動かしている。  どこか寂しそうな?  いや、安堵の微笑みだろう……ほんとに俺は、稲森さんに変な心配かけてばっかりだ。 「……ありがと」 「え?」 「その……ヤキモチやいてもらえてさ……嬉しかった」 「ゆーまちゃん……」 「真星……」  視線が絡み合う。  やがて俺たちの顔が近づいていき……。  ――ぱこーん!! 「こーらーーーっ!! 人の部屋で何をしてるかな、あんたたちは!?」 「あうぅぅ……ご、ごめんなさい」 「…………やった!」 「お……終わった……?」 「終わったわ、ありがとう!」 「俺はいいよ、稲森さんこそ……っと」 「くー……くー……」  真星は、とっくに夢の中にいた。 「……あんたたち、もう、行くところまで行ってるんだ」 「へ? あ、いや、まだ……その、ギリ手前って言うか……決定的なとこの手前くらいで……はい」  眠気のせいか、自分が何を言っているのか、半分くらいしかわからない。 「そーなんだ、でも避妊はちゃんとするのよ」 「了解!」  なぜか敬礼なんかして、俺は真星を抱き起こし、抱え上げた。 「おー、お姫様抱っこ……やるわね」 「鍛えてもらったからね……」 「ベッドへ連れこみ早速一発!?」 「……寝ろ、月姉」 「んー、そうするー」  俺たちよりずっと根をつめていた月姉は、糸が切れたようにベッドに倒れこんだ。 「……おやすみ」  言ってから気がついた……。  俺、こーやって真星のこと抱いたまま、女子エリアを闊歩するのか!? 「ふぁぁ……朝かぁ……」  あぐらのまま伸びをする。窓の外がすっかり明るくなってきた。  ちゃぶ台のノートPCに向かいながら、俺は朦朧とした頭でミス・マグダネルダグラスのセリフを考えている。 「この台本の白さ……ふふふ、熱いぜ……!」  月姉の手伝いをしていたので、予定がすっかり狂ってしまった。  せめて遅れを取り戻そうとノートPCを立ち上げてみたものの、寝不足のせいで視界は画面のあちらこちらをウロウロしている。  しかも慣れない脚本家生活のストレスか、それとも単に疲れか、さっきから下半身は永久半勃起状態!  いや、これはストレスじゃなくて、真星のせいかもしれない。  月姉の部屋で真星が口走ったきわどいセリフを思い出すと、ピンク色の妄想ばかりが頭の中を駆け巡る。 「あぁぁ……かわいいなー、真星……」 「脚本書きながら、横に座った真星がフェラしてくれたりしたら最高なんだけど……」 「な、な、なんてなー!!」  PCの画面を見ていても、そんな変態妄想ばかりが広がって台本は一向に進まない。 「これはいっそ抜いてスッキリコースが賢明なのか……?」  でも、ここまできてAVやエロサイトで射精するのはちょっと嫌だ。  できることなら……。 「はぁぁ……出て来い真星……ぼくらのまーほーしー!」  その数分後。  無意味に真星の名前を連呼したのが天に通じたのか否か――。  ――コンコン。  部屋のドアをノックする音がした。 「はーーっ……ごちそうさまー!」 「ふふ、どういたしましてー♪」  部屋の中に、バターの甘い香りが広がっている。  誤解したお詫びに……と、真星がパンケーキを差し入れてくれたのだ。 「月音先輩も祐真くんも、徹夜で作業なんて大変だよね……」 「うん……でも終わってよかった」  女人禁制の男子エリアだというのに、最近の真星はすっかり要領をつかんで、平気で俺の部屋まで忍んでくる。  親衛隊の監視の目がなくなったおかげで、真星の行動はアグレッシブだ。  今だって、さっき誤解したお詫びに……なんて理由で、朝食を差し入れてくれたのだから。 「ま……同じ大変でも、さっきまでは違う意味で大変だったけど」 「違う意味?」 「ん、なんか……溜まってて……」 「あ……そ、そうなんだ……」 「真星と一緒にいると、なんか変なスイッチ入っちゃうみたいでさ」 「祐真くんも?」 「え……?」 「わ、わ、わたしも……ちょっと変なんだ……あ、あはは……」 「そ、そっか……き、奇遇だ! 超奇遇!!」 「う、うん……!!」 「……………………」 「……………………」  な、なにこのピンクな空気……。 「わたし……お詫びしにきたんだよね……」 「う、うん…………」 「ケーキだけで足りてる?」 「そ、それって……?」 「ねぇ……足りてる?」 「…………ぜんぜん足りない」 「や、やっぱり? そ、そうだよね……」  誘導されながら意地悪なことを言うと、真星は嬉しそうにはにかんだ。 「ゆ、祐真くん……」 「う、うん……」  俺と真星は、ベッドの上で見つめ合っている。  それは決してムードがあったり、ロマンチックとかそういう世界じゃなくて、なんだかいつもよりぎこちなく、焦りながら……。 「な、なんか……あらためてって、き、緊張するね!」 「うん……」  ベッドに仰向けになった真星は、膝を立ててこっちを見ている。  俺はこれから何をするのかもまとまらないまま、真星の身体に手を伸ばして……。 「んっ……?」  目に付いた、膝の絆創膏に指で触れた。 「あん、ご、ごめん……」 「真星は生傷が絶えないよね……」 「うぅ……気をつけてはいるんだけどー」 「俺が守ってやらないといけないのにな……」 「あんっ……ん……」  また絆創膏を指でつつくと、真星の身体がぴくんと跳ねた。 「これって気持ちいいの?」 「ん、んっ……わかんない……んッ」  ちょんちょん、つつくたびに真星が敏感に反応する。 「真星の声、かわいい……」  俺と仲良くなってからドジが復活して、ふたたび貼られるようになった絆創膏――。 「え? あ……!」  そう思うと、なんだか妙に愛しくて、絆創膏の上からキスをする。 「やぁ……あ、あ、あっ……そ、そこはやっぱり違うと思う……」  膝にキスすると声色が少し変わった。 「気持ちよくない?」 「あ、あん……痛いからだよ……これ、痛いだけ……」  舌先で押し込むと、真星の両手にキュッと力が入る。  痛いだけ……本当かな……?  ううっ……確かめてみたくなってきた……。  キスしていた膝に両手を添えた俺は、稲森さんの両足をM字開脚するみたいに広げた。 「おぉぉ……!」  ぱかっ……と、目の前で視界が開けて、ソリの日に見たのと同じパンツが視界に飛び込んでくる。 「わ、わわっ、ちょ、ちょっとこの格好!?」 「なに……」 「あっ、うぅぅ……は、恥ずかしいかも……!」 「こないだに比べたらぜんぜん普通だって」 「で、でも、こんな足広げたことないもん……」  戸惑った顔になりながらも、真星は俺が広げた足を閉じようとはしない。  電灯の明かりを白く弾き返すパンツの中心を、指先でなぞってみた。 「んぁ……あぁぁっ……?」  わずかに湿った感触がある。 「やっぱり、さっきの……感じてたんじゃない?」 「あぁぁン……知らない…………」 「ね、上も見ていい?」 「む、胸?」 「うん……」  おずおずとセーターをたくし上げ、ブラのホックを外すと、ピンク色の乳首がぷるんと上を向いて飛び出してきた。 「真星の胸見るの初めてだ……かわいーな」 「そ、そうだっけ?」 「うん、実は。さすが大きいな、ぷにぷにだしー」 「そんなことないよ、普通だってば……」 「親衛隊の連中もいつも言ってるけどな、まほっちゃんの制服おっぱいが萌えるって」 「ああぁぁん……ちょ、ちょっと恥ずかしいよ……」 「1年の頃から大きいって思ってたけど、やっぱかわいい……」  手で隠そうとするおっぱいを、下からすくい取ってタプタプと揺らしてみる。 「おおー、ぷよんぷよんしてる」 「あん、ん、もう……あ、あっ……」  親衛隊のことを言われて、真星は余計に感じてるみたいだ。少し悔しくて、意地悪な気持ちが芽生えてくる。 「乳首勃ってる……」 「あ!? あ……あ、あっ!」  乳首をつまんで、優しくコリコリする。 「あ……はぁあぁ……だめ、だめだめ……あぁぁ……」 「あんっ、やん、つまんじゃ……あ、あっ……」 「感じる?」 「う、うん……ちょっとだけ……ん、んっ……」  キュウウウッと強く摘みあげると、開いていた両足がヒクンと持ち上がる。 「……こんなとこ、親衛隊に見られたら大変だよね」 「えぇ? や、やだ…………あ、あ、あんっ!」  ショーツをすりすりしてる人差し指に、湿り気が感じられてきた。 「あ、濡れてる……」 「む、胸弱いのかも……あ、あん、はぁぁ……」  枕をキュッとつまんだ真星の左手に、力が入ったり抜けたりする。 「あ、あん……はぁぁ……強くしないで……あ、あ、あぁぁ……」 「ほら、にちにち言ってる……」 「んんっ、知らない……んっ、んんン……んぁ……はぁ、ん……んっ」  パンツの中心線を、同じ力と速度で何度もなぞる。だんだん、真星のお尻がもぞもぞしはじめてきた。 「あん、ん……んんーっ……ん、んン……ん、はぁぁ……っ」 「パンツの上からじゃ足りない?」 「え? あ、あぁぁ……ん、平気……ん、んっ、ん……」  言葉とは裏腹に、稲森さんは物足りなそうだ。 「見てもいい?」 「ちょ、ちょっと待って……心の準備が……」 「だめ、お尻上げて……」 「あ……あぁぁ……ぁぁ……っ!」  すっかり染みのついたパンツを膝のあたりまで下ろすと、真星のアソコがトロトロに〈蕩〉《とろ》けているのが見えた。 「はぁぁ……また見られた…………ぁ」 「だって真星のここ好きだもん……わわ、すごいよ……お漏らししたみたい」 「あぁぁ……だ、だって……」 「ひょっとして、稲森さんも月姉のところにいて感じてた?」 「やだ、また苗字で……」 「いいから教えて?」 「んぁぁ……し、知らない……」  正直じゃない真星のクリトリスを、ツンとつつく。 「んあっ? あ、あ、あ……だめ、だめそこ……っ」 「どこ?」 「あぁぁン……知らない……」  稲森さんのまんこは、今日もトロトロに〈蕩〉《とろ》けて、粘り気のある愛液を滲ませている。  あれ……なんでだろう、やっぱり『稲森さん』のほうがエロく感じる。 「ねえ、稲森さん?」 「んあっ、あン、あン……やぁン……」 「舐めていい?」 「んぁ、んんぁ、あん、あんン……な、なに?」 「おまんこ……舐めてもいい?」 「やだ……んぁぁ……あん、ん……んん……」 「うん……祐真くんの好きなようにして……」  お許しを得て稲森さんのアソコに顔を近づけるとすぐに、むっと濃厚な真星の匂いが鼻先をくすぐった。 「あぁ? あぁぁ……そんなの、あ、あ……やぁぁ……」 「すごい……アップだ……!」 「うぅぅっ……祐真くん……あ、あ、んぁぁっ……」  間近から見る稲森さんの性器は、やっぱり小さくて可愛くて、そのくせヌルヌルにてかっていて……。 「あ、あ、あ……あぁぁ!?」  誘われるように唇をつけた俺は、たまらずに赤い粘膜にしゃぶりついた。 「ん……っ……ん、んッ……んじゅるるっ……ん、んっ……」 「んやぁぁ? あ、あ、あーーっ、あんっ……やだ、あ、あ、あ……っ」 「ん、じゅる……あ、なんか美味しいかも……ん、ちゅ、じゅるる……」 「やぁ……ん、ンッ……そ、そんなことないよぉ……やぁぁっ、あ、あ……やだ、祐真くん舐めてる……ぅぅっ!」 「ほんとだって、真星のマン汁、美味しい……」 「やぁぁぁ! そんなこと言っちゃやーーっ!!」 「ん、んっ……はずかしい?」 「はぁ、はぁ、はぁぁっ……うん、すごい恥ずかしい……死んじゃいそう……っ」  そんなことを言いながら、真星の反応がだんだん大きくなってくる。 「んぁ、あ、あ……だめ、そこばっかり……あ、あ、あぁぁ……やぁぁぁ、吸っちゃやぁーーっ!」 「どこがいいか教えてよ……」 「えぇぇ……いえないよ……んぁぁ、だめ、知ってるくせに……あ、あ、あっ……んぁぁ!」  鼻から下を真星の愛液だらけにしながら、ディープキスするみたいにアソコの粘膜を吸い上げる。 「あうぅぅぅっ!? う、ううぅーーっ……はぁ、はぁぁあン……んぁ、んぁぁ……」 「やっぱクリなのかなー?」 「んああっ!? だめ、だめだめだめ……そこ、そこそこッ!!」  クリトリスを舌先で押し潰して、ぐるぐるとねじりこむと、真星のボルテージが一気に跳ね上がった。 「あ、あーーっ、ちょ……あ、だめだよ……あん、ああーーんっ、祐真ちゃんっ……あ、あ、あッ!」  粘膜にキスしているだけで、次々にやってみたいことが浮かんでくる。 「んぁぁっ……あん、あ、あーっ、なにこれすごい、気持ちいい……あ、あ、そこそこそこ、気持ちいいッ、いいッ、いいッ、いいィィィ!」 「どこ?」 「んぁぁ、あ、あ、あ、あっ……だめ、イっちゃう、イっちゃうっっ!!」 「だめ、言わないとイかせない……」 「やぁぁ……お願い……あ、あん……う、うううーーーーっ!!」  いったん口を離すと、真星の腰がカクカクと動いておねだりをする。  憧れだった『稲森さん』を、俺だけの『真星』にしようと、さらに舌先を意地悪に回転させる。 「いじわる……う、うっ…………」  チョンとつつくと、真星の腰が跳ね上がった。 「んァ、んぁぁぁ……言うから、言うからぁ……う、ううっ……ぐす……っ」 「んっ、じゅるる……どこ?」 「あぁぁ……そ、そこ、そこ……エッチなとこ……えっちな……あ、あ、あ、んぁぁっ!」 「それじゃ分かんない」 「あっ? う……あ、あうぅぅ…………」  舌先を膣口に埋め込んで、ネプネプとじらしながら嘗め回す。 「んあぁーっ、あぃ、あィ、あぃっっ、すごい……んぁぁっ、すごい……ッッ」 「もっと上、上……もっと上のほう舐めて……あ、あ、いっぱい……あ、あ、あーっっ!」 「どこ?」 「あぁぁ……お、おまんこ……! ゆーまくん舐めて、んあっ、わたしのおまんこ、舐めて……あ、あ、あっ、そこ……おまんこ……ぉ!!」  とうとう、こらえきれなくなった真星の口から、〈堰〉《せき》を切ったように露骨な言葉が溢れてくる。 「あ、あーーっ、そこ、そこそこ……はぁぁ、感じちゃう……あ、あ、あっ!」  ご褒美に、さっきと同じように舌先でクリトリスを嘗め回すと、真星の身体が小刻みに痙攣を始めた。 「イッちゃ……あーーーっ、あっ、あっ、あっ、あっ……そこだめ、あ、あんっ、イくッ、おまんこイくッ……!」 「うああぁっ……だめ、イっちゃうわたし、おまんこ……イッちゃ……あ、あ、あぁぁあぁぁぁぁぁッッ!!」  トロロッ……と、大量の愛液が流れ出してくるのを、根こそぎ吸い上げる。 「んーーーんんんッ! んあぁっ、あ、あ、イく……イクイクイクッ!!」 「いッ…………んんんーーーーーーーーーーーッッ!!」 「あ……はぁぁ……ぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ……」 「イッた?」 「うん……ちょっとだけ…………あ、あはぁぁ…………はぁ、はぁぁ……」  ベッドの上で真星が放心したまま両足を広げている。 「今日の真星、なんかいつもよりエロいよ……」 「そ、そうかな……わかんない……あ、はぁぁ……」 「今だって丸見えなんですけど……いいの?」 「うん……はぁぁ、いいよ……いっぱい見て……」  イッたばかりの襞が、開いたり閉じたりしている。  濡れて開いた真星の姿を見ていたら、たまらなくなってきた。 「ねえ、お、俺も真星の口にたくさん精液出したい……」 「やぁん………………」 「で、でも……」 「………………口でいいの?」 「え!?」  ――ま、まさか……!? 「はぁぁ……だから……えっと…………口じゃなくて……」 「………………えっと、だから」  ためらいながら真星が勇気を振り絞るのを、俺は手に汗を握るような気持ちで見つめている。 「あ、あのね……その……わたしでよかったらだけど……」 「あの…………」 「…………おまんこ……しよ?」 「本当に俺でいいの?」 「ゆ……祐真くんがいいの……っ」  〈蕩〉《とろ》けた膣口にペニスをあてがってから聞くと、真星はぎゅっと唇を引き結ぶ。 「ま、真星……真星っ!」 「んぁぁ……ん、ん、ん……ッッ!」  俺はゆっくりと、でもこれ以上ないってほど焦りながら、真星の中に入っていく――。 「あ……あ、あ……ん、んッッ……!!!」  ぬるる……亀頭がすっぽりと飲み込まれたとこで、いったん息をつく……。 「んぁ……あ、あ……はぁぁ……」 「いきなりあんなこと言われてびっくりした……」 「はぁ……はぁぁ……え?」 「――おまんこしよ」 「あ……だって、そのほうが好きかな……って……あ、ん、ん、んんんーーっ!!!」  膝を抱えた真星の中に、再びヌプププッ……と入っていく。  セックスしてる……俺、真星とセックスしてるんだ……!! 「んーーーっ、んーーーーーッッ!!」  一気に入って行こうとしたら、急に中が狭くなって前に進めなくなった。  腕の下で真星の顔が苦しそうに歪んでいる。 「んぐ……う、うぅぅぅぅ……ッ!」 「い、いたい?」 「ん……うん……んッ……ッ!!」  これ、大丈夫なのか……? いったん抜こうと思ったが、真星のアソコがあんまりきつく締め付けてくるので、身動きが取れなくなってしまう。 「ん……んーーっ、だ、だいじょうぶ……ッッ!!」  カチカチに緊張した真星の全身に、力が入ってる……。  俺は半分挿入したまま、真星に顔を近づけた。 「ね、キスしよ……」 「え? あ、んぁぁ…………」 「ん……んんっ、んじゅる……ん、んっ、ちゅ、じゅるる……んんっ」  唇が開くと、膣内の締め付けも一緒に緩くなった。 「んぁ……ん、んーーーーっ!! ん、んふっ、んじゅる……ん、れろれろ……ん、んろっ……」  入口の近くで挟み込まれていたペニスが、ゆっくり奥へ進んでいく。 「んぁぁ……キス……ん、んちゅ、ちゅ、ちゅ……んーんんッ、んぅ、んはぁ……れろっ、れろれろっ……ん、じゅるる……」  すごい……どんどん真星の中に入っていく……。 「うううっ、ん、んぁ……ん、じゅるる……あん、ん……んぷっ、ん、んちゅ、んぁぁ、んぁーーぁぁ……!!」  キスで痛みを紛らわすように、真星が夢中になって舌を絡めてくる。 「はぁぁ、はぁーぁぁ……ん、んじゅる……んろっ、んろっ……はぁぁ……んぁぁ……んむ、んむんむ……ん、んーっ!」 「あぁぁ……入ってる……真星の中に入ってるよ……」 「うん、うん……ん、じゅる……はぁぁ……んちゅ、んろっ……わたしセックスしてる……ん、ちゅ、ちゅ、してる……ぅぅ」 「い、痛い?」 「んんぅ……らいじょーぶ……ん、じゅるる、れろろ……キスひてくえはら平気……ん、んろっ、んじゅるる……」  最初の締め付けを過ぎたら、中は広かった。徐々に腰の動きがスムーズになっていく。 「うあぁ……ま、真星……すごい……ん、んちゅ……」 「はぁぁ……んぉっ、んむっ、んろろ……ん、じゅるる、んちゅ、んーんんッ、はぁ、はぁ、はぁぁ……んにゅる……ん、じゅるる……」  ようやく締め付けから開放されると、真星の粘膜の感触がダイレクトに伝わってきて背筋を痺れさせた。 「あ、あ、あ……祐真く……んんんっ、んちゅ、ちゅ……あ、あーーっ、ん、んっ、じゅるる……ん、んぷっ……」  ヌルルッ……と、ペニスが根元まで真星の中に埋没した。  最初の千切れるような締め付けを過ぎたら、中は思ったよりも広いみたいだ。ヌコッヌコッ……と、徐々に腰をスムーズに動かせるようになる。 「あ、あ、あ……すごい、気持ちいい……ッ」 「うん……ん、んっ、じゅる……真星も大丈夫?」 「うん……はぁぁン、んんっ、キスのおかげかな……んぁぁ、も、もうあんまり痛く……ないかも……ん、んっ……」  処女を失ったばかりの真星が、にっこりと健気に笑う。  たまらなくなった俺は、真星の言葉に誘われるように腰の打ち付けを強くしていく。 「んあっ、んじゅる……ん、んっ、んんーっ、はぁ、はぁぁ……好き……祐真ちゃん……あ、あ、あ、あっ!」  何度も、何度も抜き差しをして、すぐにも射精してしまいそうなのをこらえながら、真星の中身をペニスで味わい尽くすみたいに……。  唇が離れると、すっかり〈蕩〉《とろ》けだした真星の呼吸が、俺の脳を痺れさせた。 「んぁ、うん、んぁ、んぁぁ……気持ちいいの……キス気持ちいい……」 「キスだけ?」 「ううん……あと、これも……あ、あ、あっ、あはぁぁ……あん、んんッ」 「なに?」 「はぁぁ、み、耳貸して……あ、あはぁぁっ……はぁ、はぁぁ……」 「んぁ、あ、あ、あ……おまんこ……」  耳に唇をつけた真星が、恥ずかしそうに囁く。  大きく持ち上げられたお尻の中心では、真星の性器がトロトロに煮えたぎっている。 「んぁぁ……おまんこがね……あ、あ、あ、あああぁぁっ……気持ちいいィィぃぃ……」  無理をして平気なふりをしているのかと思ったら、真星は本当に感じているみたいだ。  勢いをつけてヌッポヌッポ……と抜き差ししていると、たちまち真星の表情が崩れてきた。 「んぁぁ……あ、すご……あ、あーっ、あーっ、すごい、んぁ、んぁぁぁぁ……ァァ」 「すごいエロいよ、その顔…………これ、感じる?」 「うん、そうなの……んはぁぁぁ、あ、あ、あぁぁ……好き? ねえ、好き?」 「好き、エロい稲森さん……超好き……」 「嬉しい……あ、あッ、あぁぁあぁぁ……すごいぃぃ……入ってる……ぅぅっ……」 「ねえ、気持ちいい? んぁ、あ、あ、あぁぁ……祐真く……気持ちいいっ?」 「うん、最高……気持ちいい……」  真星の表情が幸せそうに〈蕩〉《とろ》けだす……。 「わたしなんでもする……あ、あ、あ……ゆーまくんが好きなことなら、ううぁっ……なんでもするからぁぁ……ぁあぁぁ……」  奴隷みたいな言葉を呟きながら、真星はひとりでどんどん乱れていく。 「俺も……真星が気持ちよくなれることだったら、なんでもする……」 「あぁ、あ、あ、あっ、んぁ、んああーーーっ、ねえ、ちゅーして……ちゅーしたいぃぃ……!」 「んーーんんっ、んちゅるるっ、んちゅ、んじゅ……んはぁ、んぁ、んぁああ……ッ!」  唇を合わせる。今度は舌を絡めた途端に、肉の締め付けが急にきつくなった。 「んぁ、あ、んんっ……んぉぉ……ン……んンーーッ!! ん、ん、んじゅるる……」  真星がキスで感じてるのが、肉のうねりから伝わってくる。 「しゅき……ゆーまくん……しゅきぃ……ん、んじゅるっ、れろれろれろ……んぁぁーーぁあぁああぁ……んろっ、んろっ、んじゅるるっ……」 「キス気持ちいい?」 「ん、んーっ、きもひぃぃ……お口と両方でしてるみたい……んぁ、んろっ……ん、ん、んぃ、んぃぃ、んんーーーッ」 「あ、あ、すご……真星…………ッッ」 「んあぁぁ……あむっ、んぅ、んじゅる……あ、イきそう……ん、んっ、んじゅるっ、ん、んんーーーーッッ!」  舌を舐めあいながら腰を突き込むと、そのたびに結合部からピュッピュッ……と透明の雫が吹き上がった。 「あぁぁ……ん、んじゅるっ……潮吹きながらイッてるの……?」 「わかんら……わかんらいィぃィイイィィッッ!! ンイッ、んぐ……んむ……んじゅる、んぁ、んはぁぁぁっぁン……ンーーーンンンンッ!!」  絆創膏の貼られた膝頭をギュッと抱えながら、真星の全身が何回も痙攣する。 「んぁ、んるるっ、もっとチュー……チューひて……んじゅるる、おくひいっぱいにひて……ぇぇ!!」  唇を合わせて唾液を吸い上げると、身体の中に真星の匂いが広がっていく気がして、まるで一つに溶け合ってしまいそうだ。 「んじゅる……あぁぁ、真星の唾、おいしい……」 「ん、んっ、んじゅる……ん、んーーっ、いっぱ……好き、好き好き……あ、あ、あ……ッッ!!」  真星から可愛い喘ぎ声を搾り出させるように、一番奥に突き込んでグリグリッと腰を回す。 「ん、んぐーーーーッッ!!!」  キュウウウッ……と中の粘膜がさらに締まり、真星の身体が硬直した。 「んぐ……んぅッ、んクッ……ンクッ……んッ、んィ……ンンンーーーーーーーーーッッ!!!!!!」  舌をヌルヌル合わせながら、靴下の足先がパタパタと上下に振られる。 「んじゅる……ん、ん……んッ……んはァ……あ、あ……あぁぁ……ッ……」 「真星……ごめん、俺もう止まらないッ……!」 「んあぁぁッ、あ、あ……いいよっ、あ、あんっ、イって……ゆーまくんも……あ、イって……ぇぇ!!」  唇が離れた……そのまま休まずに腰を動かすと、肉のはぜる音がして、真星がまた昇り詰めていこうとする。 「んあっ、あ、あ……痛いの……んぁぁ、痛いのすごいイイ……あ、あ、あっ!」 「うそみたい……真星エロすぎ……」 「だって……あ、あ、あーーっ、すごいの……入ってる、祐真くん入ってる……」 「あぁぁ……真星のまんこ、まだ潮吹いてるよ……」 「んぁぁぁぁ、らって……うッ、うーーーっ、はぁぁ、出ちゃ、出ちゃうの……ッッ!!」  ぱちゅんぱちゅん……と、肉と粘液の打ち合わさる音に混じって、パタパタとシーツの上に真星の愛液が飛び散る音がする。  俺のちんこが出入りするたびに、真星のまんこから愛液がほとばしっているんだ……。 「うん……あ、あぁぁ……おちんちん……あ、あ、んあっ、あん、あん、ああぁぁんんっ……だめ、おまんこ気持ちいい……」  アソコを串刺しにされた真星が、あれだけ恥ずかしがっていた言葉を夢中で口にする。 「いっぱい気持ちよくなって……あ、あ、あっ、わたしのおまんこ……いっぱいにして……あ、あァぁあぁぁッ!」 「だめだめ、まんこイイっ、まんこ……んいいっ……あ、あ、あぁぁ……イく、イっちゃう……ぅぅ!」 「ん、ンッ、真星……おまんこ好き?」 「好き、好きなの……好きぃ……おまんこ……いいっ……いいっ、あ、あ、あ、あ、ああああ、あぁ、あーーーーーーーーーッッ!!」 「うあぁァ、もっと……おまんこ、好き……すき、好き好き好き……ィィィィィッッ!!」  言葉が脳髓を痺れさせる。俺が昇りつめる前に、また真星の全身が痙攣を起こした。 「んはぁぁっ、あ、あ、ああぁっ、あ、あーっ、好き、ゆーまくん好きっ、あ、あーっ……!」  俺の名前を呼びながら、真星はキスするみたいに舌をチロチロと左右に動かす。 「あ、あ、あッ、真星エロいよ、ねえっ……顔に出していい!?」 「んぁぁ……うん……出して……らひて…………ぇ……」 「く、口開けて……ッ!」  俺は、AVで見たようにペニスを口に近づけ、自分でしごき上げた。 「んはぁァぁぁ……ゆ、ゆーまくん……あ……ぁぁ……」 「イくよ、真星……真星っ!」 「はぁぁ、だ、出して……出して、いっぱい……おちんちん……たくさん出して……」  絶頂の余韻に浸りながら、真星が口を開いて精液を受け止めようとする。  今からこの顔に精液かけるんだ……。  みんなが憧れてるこの綺麗な顔を、俺の精液で汚しちゃうんだ……!! 「あ、あ、出る……イくッ!!」 「あ、あ、ちょうらい……んぁぁ……」  ブルルッ、と全身が震えた――。 「ん――――ッッ!!」  腰が砕けるような快感が押し寄せてきて、脳の裏側で弾けた。  痺れるような刺激とともに射ち出された最初の精液が、真星の顔をまたいで飛ぶ。 「ん……っっ!!」  口を引き結んだまま、真星が俺の精液を受け止めた――。 「あ、あ……あッ、稲森さん……!!」 「ん……んうっ……ッ!」  ――ドプッ、ビチャッ……!!  次から次へと、精液が太い糸を引いて射ち出され、真星の綺麗な顔に当たってとびちっていく。  すごい……ドロドロになってる……稲森さんが俺の精液でドロドロになってる。 「んぁ……あ、熱……」  そうだ、俺は今射精しているんだ。  花泉学園のアイドルに……! 「はぁ……ん、ん、ん……っ!」  いつも休み時間に眺めていた『稲森さん』の顔に……!  俺のドロドロな精液が飛び散って、糸引いて、かかって、へばりついて……!!! 「んぁ、すごい……あ……んッッッッッ!!!」  身体が震える。  顔射を受け止めながら、真星がまた絶頂した――。 「く、口開けて……!」  俺の言葉に、稲森さんが素直に口を開く。  まだまだ放出は収まらない。精液は稲森さんの顔だけでなく、セーターや髪の毛にもたっぷりとそそがれていく。 「んあっ、あ……んぶっ……んろっ……ん、んふーーっ……」  唇、頬、鼻、髪の毛――いつもキラキラと綺麗な稲森さんの顔が、ドロドロの粘液まみれになっていく。 「飲んで……俺の精液……飲んでっ!」 「はぁぁ……精液……ん、じゅる……ん、んっ……んじゅるる……」  俺はひたすらペニスをしごいて精液を搾り出し、真星の口の中に注ぎ込んでいく。 「んぁ、ん、れろっ、れろ……ん、んぁぁ……」  小さい舌を突き出した真星は、まだ放出を終えない俺のペニスに唇をつけると、尿道口をペロペロッと舐めて刺激した。 「はぁぁ……はぁ、はぁ……ねえ、お、お掃除して……」 「うん……あ、はぁぁ……ん、んっ、んぶっ……」  精液まみれの真星が、鼻先に突きつけられたペニスに舌を伸ばす。 「おいひぃ……おちんひん……ん、んじゅっ、んはぁぁ……」 「あ、あっ……感じる……」 「ん、じゅるる……んぷ、んじゅる……ん、んんっ、んもんも……ん、じゅるる……」  精液と、愛液と、破瓜の血と、全てがドロドロに混ざり合ったペニスをトロンとした目で見つめ、舌でねぶりながら吸い上げる。 「はぁぁ……はぁ、はぁ……すごい……いっぱい……ん、んぁぁ……」  真星が口を離すと、ペニスの先から真星の下まで、精液がダランと糸を引いた。 「ん、んじゅる……はぁぁ……ん、んっ、じゅるる……」 「はぁ、はぁぁ……はぁっ、はぁぁ……」 「すごい……いっぱい……ん、んっ、じゅる……」 「ご、ごめん、ちょっと出しすぎたかも……」 「ううん、おいひぃ……ん、じゅるっ、ん、ちゅ、ちゅ……はぁぁ……ん」  恍惚の表情を浮かべたまま、真星が夢中で精液を舐め取っていく。 「んぁぁ……頭おかしくなりそう……あ、あ、んぁぁ、あ……ん、じゅる……」 「精液美味しいんだ……真星のH」  俺も一緒になって指でぬぐっては、イきそうな顔で舌を動かす真星に飲み込ませる。 「祐真くんの、いっぱい……ん、んっ……れろ、れるれる……ん、じゅる……」 「可愛い……じゃあ、全部飲んだらご褒美あげるよ……」 「んぁぁ、飲む……ん、んじゅる……ん、んっ……好き……ん、れろ、じゅるる……」 「あは……たくさん……」  飛び散った精液をあらかた舐め取ったところで、放心状態だった真星の意識がようやく戻ってきた。 「おかえり……」 「あ、あはは……ちょ、ちょっと興奮しちゃったかも……」  ちょっとどころではなく我を忘れていた真星が、恥ずかしそうに舌を出す。 「すごい……精液完食?」 「うん……やだ、そんなに見ないで……」  恥ずかしそうに舌を出す真星を見ていると、もっともっと気持ちよくして、滅茶苦茶にしてしまいたくなる。 「行くよ、ご褒美……あげるから」 「うん……な、なんだろ……?」 「それは、もちろん……」 「え? あ、あ……ッ!」  再び真星の脚を抱え上げた俺は、硬くなりっぱなしのペニスをねじ込んでいった。 「んやぁぁっ、ん、もう……強引……ん、ちゅるるっ、んちゅ、んじゅ……」 「だって、真星エロいんだもん……」  ニュルッ……と、今度は簡単に真星の中に入っていく。  終わったばかりだというのに、俺はもう1ラウンド延長戦に持ち込んだ。 「でもすごい……あ、あ、まだ感じる……んぁ、んぁ、ぁ、あ、あ、あーーっ!」 「あぁぁ……まだまんこ熱い……ほら、真星、俺のほう見て!」 「あぁぁぁ……すごい、そこ、そこそこ……そこトントンして……あ、あ、んぁぁっ!」  愛液を潤滑油にした俺は、真星のアソコが壊れそうなほど強くペニスを打ち込んでは、ゆっくりと引き抜き、また強く突き込む。  キスで夢中になっていた真星が、今度はペニスに夢中になってしまう。 「んぁぁぁぁーー、い、イきそう……すごいぃ……ん、んっ……んぁぁ、ん、んっ」 「いいよっ、まんこ締めてイって……ほら、俺の前で!」 「はぁぁ、えっち……んぁ、あ、あ、あぁ……あぁぁ」 「稲森さんのまんこ、ヌルヌルで気持ちいい……っ」 「イく……あ、またイっちゃう! んぁぁ、あ、あ、あっ、らめ……んじゅる……ちゅーして、イく……っ!!」  唇が合わさると、真星の方から舌を入れては、勝手に昇りつめようとする。 「んぁぁ……んむ、んちゅ、れろれろ、んじゅる……ん、んーーっ、んううっ、ん、ん、んーっ!」  真星とつながったまま、何度も何度もキスをする。  ベッドの上でつながったまま、オレたちは土曜日なのをいいことに、くたくたになるまで互いの身体を貪りあった。  目が覚めると、当然ながら太陽はずいぶんと高く昇っていた。  3、4時間というところだろうか……なんかぐったりと眠りに落ちてしまった気が……。 「………………」 「…………!?」  ベッドサイドから真星が、じーっと俺の顔を見つめていた。 「くすくす、おはよぉ……」  〈蕩〉《とろ》けるような甘い声で囁きかけてくる。 「お、おはよ……」 「………………」 「なに見てたの?」 「えへへ……祐真ちゃんの顔♥」 「祐真……ちゃん」 「だめ?」 「い、いいけど……ちょっと恥ずかしいかも」 「ふふっ……そうかなー、似合ってるけど。じゃあ二人っきりのときだけね♪」  時計を見ると昼過ぎだというのに、真星のラブラブ光線は絶賛放出中だ。  完全に恋する(元)乙女の顔になってる真星に圧倒されつつも、じんわりとした幸福感が湧き上がってくる。 「もうちょっと寝てていいからねー」  俺をベッドに寝かしたまま、真星は部屋の片づけまでやってくれる。 「お、おおー! これが桜井先輩のDVDコレクション……!」 「わぁぁ、そこは開放厳禁ーー!!」 「あん、そこらじゅうティッシュだらけ……わぁぁ、こんなたくさん使ってるー!」 「そ、それは真星がお漏らししたから!」 「やぁぁん、ちがうよー」  雑然とした俺の部屋の中を、下着姿の真星がちょろちょろと動き回る。  なんかこれって……写真に撮っておきたいくらい感動的な画なんですけど……。 「はー、きれいになったー♪」 「あ、や、やだ、そんなじーっと見たら恥ずかしいよ」 「だって綺麗だよ」 「き!? きき綺麗だなんて、やだなに急にそんなこと言ってるの♪」 「……真星さ、今日は暇?」 「あ……ごめん、今日は友達と買い物なの……」 「そうか、たまには芝居を離れるのもいいかも」 「ん、ごめんね……」 「それで、部屋着じゃなかったんだ」 「うん……祐真くんとおしゃべりしてからって思ってて」 「もう、このままじゃ行けないけどね」  精液でべたべたの髪の毛を差して、真星が笑った。 「じゃあ、明日の日曜は……空いてる?」 「うん……空いてる……かな?」 「そっか……あ、あのさ……嫌じゃなかったら……」 「う、うん……」 「その……あれだ、デートとかしてみる?」 「デート??」  その言葉で稲森さんの瞳が、きらきらと輝く。 「うんいいよー、しよっか、デート♥」 「でも予算的に公園なんだけど」 「あはは……ぜんぜん平気♪ じゃあまたお弁当作るね!」 「う……うん!」 「じゃ、じゃあそろそろ部屋で出かける用意しないといけないからー」  照れを隠すように、そそくさと立ち上がる稲森さん。 「あ、ちょっと待って!」 「え?」  俺は未練たらしく、彼女をちょっとでも引き戻そうとする。 「さ、最後におっぱい見せて」 「えぇーー!?」 「おねがい! もう一度だけっ!」 「ん、もう……仕方ないな……」 「…………はい」 「おぉぉぉ……感動!」 「うぅぅ……わかんないなー。男子ってやっぱり変だよね?」 「変だから男子なんですっ!」 「な……なんだろ、その説得力……」 「ついでに、パンツも脱いでほしーなー」 「ええーー? だめだよ、もー、えっちすぎる!」 「そこをなんとか!」 「ん……ばか……」 「こ……これでいい?」 「うわ、やっぱ綺麗……」 「もう……ほんとに目がキラキラしてるんだもん」 「それが男子って生き物です」 「……祐真くんだけだと思う!」 「それでもいいけど……じゃ、ちょ、ちょっとだけ舐めていい?」 「えぇぇ!? やぁ、時間、時間ーっっ!」 「そういわず……ん、れろ……ん、ちゅ、ちゅ……」 「やぁぁんっ、だめ……あ、あん……こら、ばか……あ、あぁぁっ」 「お、声がエロくなってきた……? すごい濡れてるし」 「んああぁぁ……やぁ、やん、あん、あん……やぁぁんっ、だめ!」 「ほんとに、ほんとにちょっとストップ、まずいって、もうーっ!」 「だめーーーっっ!!」  ――がんっ!!! 「はぁ、はぁ、はぁ……もー、えっち!!」 「ううっ、だ、だって……」 「もう……日曜まではだめなんだからね!」 「わ、わかった……なら日曜は思いっきり!!」 「やん……しらない……!!」  次にHする日にちを指定した形になってしまった真星が、顔を赤くして部屋を飛び出していく。  見送りに出るのは危険すぎるので、名残惜しいけれど俺はベッドで彼女を見送ることにした。 「真星……」  頼むから、誰にも見つかりませんように。  そして、廊下で転んだりしませんように……。  なんて思っていた矢先に。  ――どすん! 「――っっっ!!」  あぁぁ……無事か、無事であってくれ、真星――! 「ふぁぁ……」  いかんいかん、思いっきり寝てしまった!  徹夜で作業して、それから稲森さんと……ふ、ふふふ、ふふふっ♪  あー、なんか頭の中で♪♪♪がくるくる回ってる。  思い出すだけでにやけてしまう……俺はついに稲森さんと……!! ふふ、ふふふ……ふふふっ♪♪  なんてにやけながらリビングに降りてみると、寮の庭で元気に雪合戦をするわらべっ子の姿を発見した。 「えーいっ! 呪いの雪玉100連射!」 「きゃあああ、う、ううっ、やったなぁぁ! えいえいえいえいえいっ!!」 「甘いですっ、マルチプルあたーっく!」 「あううぅぅぅ!? う、うーーっ!!!」 「夜々と……日向かぁ……」  おおー、若いもんは元気だなー。  いつしか雪が降っていたみたいで、寮の庭には真新しい雪が降り積もっている。 「もー! どうして美緒里ちゃんそんなに当てられるの?」 「ふっふっふ……それは修練のたまもので……きゃああ!」 「やった! 隙あり!」 「きゃあっ、きゃ、きゃ、冗談なのにー!」  腕を振っている。走り回っている。転がっている。  美緒里はともかく、あの夜々が雪合戦とはなぁ……いつの間に、あんなに仲良くなったんだろう。  うんうん、いいな、仲良きことは美しきかなってやつさ。  さてと……俺もひとつ風呂にでも入ってリフレッシュしようかな。  おー、沸いてる沸いてる。  湯気にけむる風呂場に足を踏み入れる。まだ早い時間だけど、お湯はちゃんと張られていた。  さて、ゆっくり汗を流すことにしよう。昨夜の徹夜作業、それに朝方の……。 「ふ、ふふふ……ふふふっ♪♪」  あああ、いかんいかん、真星のことを思い出すと、速攻で下半身がおっきしてしまう。 「よかったなー、お前も今までへこたれずにいた甲斐があったよなー」 「誰のことかな?」 「わぁぁぁ!? 桜井先輩、いたんですか!!」 「いたともUMA、この時間の風呂場は戦士の保養地だよ」 「はぁ……保養地?」 「つまり、夜っぴいて肉ソードによる戦闘を繰り広げた戦士は、朝を迎えると泥のように眠る。そして目覚めの風呂というのがこの時間なのだ」  う、ううっ……身をもって味わったその説得力!  まずいぞ、この人に気取られたら大変なことになりそうな気がする! 「ところで調子はどうだい?」 「は、は、はい!?」 「ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞だよ、来月には発表するそうじゃないか」 「そうなんですよ、先輩には是非見に来てもらいたいんで」 「それは光栄だね。まほちゃんの男性経験は足りているかい?」 「はぁぁ!?」 「色気の問題だよ、僕の渡した資料は役立ってくれたかな?」 「そ、それは……」  正直、役に立ちまくりなんだけど、なんだけどーー!! 「ま、まあ……その、なんていうか……」  ううっ、これは話せない、トップシークレットだから話せないっ! 「なかなか、難しいものがあるっていうか、うん……」 「そうか……分からないでもない。なんといっても、まほちゃんは巨大乳首だって噂だからなぁ……」 「そ、そんなことないですよ!!」  ハッ……!!!! 「ほー? そうかそうか……はっはっは、まほちゃんの乳首は標準サイズだったかい?」 「あ、う……うっ!」  ご、ごめん真星っ!! 俺はバカな男だぁぁ!! 「え、ええと……その! なんというか! と、とにかく稲森さんのためにも、この件は内緒にっ!!」 「はっはっは、当たり前じゃないか」 「い、いいんですか?」 「この僕が、まほちゃんの破瓜情報を流すような無粋な男に見えるかい? ほら、安心したら早くその勃起した一物をしまいたまえ」 「あ、わわわっ!!」  ふ、不覚……! 真星のおっぱいを想像しただけで、俺の股間はそりゃもうやんちゃ極まる状態に成長を遂げていて……! 「どうやら、これからもここで会うことになりそうだね」  前かがみで股間を隠す俺に、先輩が握手を求めてくる。ううっ、なるべくなら会わないですませたい……。 「ともあれ芝居のほうは期待しているよ。さて、僕はこれから怒涛の下級生攻略三連戦だ……ほら見たまえ、この武者震いを」  ――ビキッ! ビキキッ!! 「わぁぁぁ!! そんなものを見せ付けないでくださいっ!!」 「やあ、照れることはないよ? フフッ(ブンッ、ブルンッ)」  う、ううぅ……しかもなんか敗北感を感じさせるサイズだ、この人。  ふう……風呂上がりに爆食して、気がついたらすっかり夜だ。  さて、24時間ほど放置してしまったけど、いいかげん台本の続きを考えないと……。  うーむ……。  けれど、稲森さんのことを考えると頭の中がフワフワして、ちっとも物語の中に戻っていけない。 「はー、いい汗かきました」 「あうぅぅぅ……はくしょん!」 「お、おかえりー」 「ただいま帰りました!」 「お兄ちゃん……や、やられました……」 「……みたいだね」  雪合戦の勝敗は見た目から明らかだ。  汗をかいていてもピンピンしてる美緒里と、雪玉のせいで服がぐっしょりの夜々。 「あ、ちょ、ちょっとすみません……やぼ用で♪」  携帯が鳴って美緒里が席を外した――。  あれって、やっぱりサラ金がらみなのかな……?? 「あぅぅ……最初は、夜々が優勢だったのに」 「だったのに?」 「窓から見てた桜井先輩が『1つ当てるごとに10円!』って声かけたとたん……」 「豹変した……!?」 「……(こくり)」  奥歯のスイッチを入れた、赤い機体に乗った、閉じていた目が開いた、超がつく野菜人になった、種が割れた……。  分身したとしか思えない四方八方からの猛烈な攻撃を受け、最後には夜々の上に雪だるまがどんと置かれてゲームオーバーだったとか。 「あの先輩……ろくなことしない」  しかも時間からすると、部屋で女子となんやらかんやらやってる最中じゃないか! 「はぁぁ……540円」  夜々がお財布から小銭を取り出して、ため息をつく。 「54発も雪玉くらったのか!?」 「私が4発当てたんで、差し引き……」  つまり、夜々は58発被弾した、と。 「可哀想に……こんなずぶぬれになって」  兄としては助けてやりたいが、金銭問題だけは別だ、すまん!  せめてもの代わりに、冷たく濡れている夜々の頭をなでなでしてやった。 「……えへへ〜」 「ちゃんとお風呂入っておけよ、冷えてるぞ」 「うんっ」 「お兄ちゃんは、やっぱり……優しいです」 「ふっふっふ……よしよしよしー」 「で、その優しいお兄ちゃんに、お願いがあるんですけど……」 「……お願い?」 「はぁぁ……540円……ふふふ、ふふふっ♪♪」  どっかで見たようなリアクションで美緒里が先を歩く。 「先輩、本当にありがとうございましたっ♪」 「もうやらないもん」  美緒里と、その隣でふくれっ面をしている夜々を眺めながら、俺は少し後ろを歩いている。 「へぇ……この二人って、いつの間に……」  夜々と美緒里――どっちも友達があんまりできなそうなタイプの二人だけど、一緒にいると妙にウマが合うみたいで、すっかり打ち解けていた。  夜々が、俺以外の誰かにふくれっ面を見せるのなんて初めて見た。 「ずいぶん変わったな……夜々も」  今日も、暗くなった道を美緒里一人で帰らせるわけにはいかないと、夜々からボディーガードを頼まれたのだ。  確かに、駅前には繁華街もあるし、低学年の女の子を一人で帰すのはちょっと危なっかしい。俺も二つ返事で見送りを引き受けてやったが……。  結局、1対1だともっと危ないなんて話になって、夜々もついてきたんだけど……。  ううっ、桜井ジュニアの汚名が、こんなところにも風評被害をもたらしてるとは。 「……♪」  三人並んで信号待ちをする。俺の右手に美緒里、左には夜々――。 「両手に花ですねー、天川先輩」  左右に女の子というのも、これも悪くはないけど……二人とも妹みたいなものだ。 「花だと思う? お兄ちゃん」 「ちっこくても花は花……か」 「なんですか、それー!」  ボディーガードの役得なのかもしれないけど、少し自重したほうがいいのかしら。  けれど、三人一緒にいると、話はついつい劇のことになってしまい、俺の口数も多くなる。  美緒里にはBGMの選曲を手伝ってもらっているし、夜々にもチケットやチラシ作りをお願いすることになっているのだ。 「……!」  そういえば、買い物に出ていた真星が戻ってくるのもそろそろじゃなかろうか? 「お兄ちゃん、どうしたの?」 「あ、いや……そうだな、ちゃっちゃと行こうか、時間も時間だし」  ともあれさっさと美緒里を駅まで送って、寮に戻ろう。 「じゃあ、こちらから行きましょう」  いきなり、美緒里が途中の角を折れ込んだ。  広い道じゃなくて、狭いけれど、確かに駅前へ直行できる、住宅街を縫う細い道。  遅刻しそうな時によく使う、短縮ルートだ。  だけど……ここって確か!?  途中にいくつか……その……夜になると華やかになる店とか、ホテルがあるんだよな。もちろん恋人たちが使う方。  通学時間帯ならともかく、今はもうすっかり夜で、その一帯は活動を開始してるわけで……。  俺の懸念をよそに美緒里はずんずん歩いてゆく。 「……っ」  夜々が、ぶるっと震えた。  やっぱり夜々も、あんまり気が進まないみたいだ。 「ふう……」  いかがわしい雰囲気の一帯を、無事に抜けた。  美緒里はショートカットの途中で10円玉を見つけて、えびす顔。  対照的に、夜々は顔を赤くして、ぎゅっと俺の腕にしがみついている。  そりゃそうだ。途中で、ホテルから出てきてキスしてるカップルを、まともに目撃しちゃったし。  お子様な夜々には、ちょっと刺激強すぎたかもしれない。 「もう明るいですし、ここまでで大丈夫です。見送りありがとうございました」 「せっかくだから駅前まで送るって」 「はぁっ、私なりに気を利かせたつもりなんですけど……」  俺の腕にしがみついた夜々を見て、美緒里がため息をつく。 「どどどんな誤解してんだーー!?」 「そ、そういうのじゃないから、お兄ちゃんは……!」 「ふふっ……冗談ですってば」  きゃっきゃっと笑う美緒里、そんななごやかな空気の中――。 「…………ッ!?」  ぞぞぞぞぞぞ――っ!  なにか恐ろしく嫌な予感が、最大限の警報となって俺を打った。  反射的に首を巡らせる。  そこには、視界の隅に――見覚えのある……ありすぎる姿が……! 「……!!」  でっかい紙袋、クラスの友達――そこにいるのは間違いなく、買い物帰りの真星!!  一方の俺はといえば――左腕にしがみつく夜々、右側に寄り添うようにしてはしゃぐ美緒里、そして背後にはラブホつき繁華街……!? 「…………こ、こんばんは」 「ここここんばんは……」 「あ、あはは……こ、これは良いお日柄で……」 「そ、その節はどうも……」 「なんですか、そのTPOをわきまえない挨拶は?」 「……くしょんっ」  くしゃみをした夜々が慌てて俺の腕を放すものの、もはや万事休す――! 「………………そ、それじゃっ!」  ぴゅーーーーっと、脱兎のごとく逃げていく稲森さん。 「あ、ちょっと、真星ー!?」 「待ってよ、どこ行くのー!?」  真星を追いかけようとした女子が、途中で立ち止まってこっちを振り返る。 「――最低っ!!」 「わぁぁぁ!! ちっ、ち、違う! 違いますこれは!!」 「最低……なんですか?」 「あぁぁぁぁ……最低だ……というより最悪だ……!!」 「いらっしゃいませー!!」 「妹と後輩のW丼、オーダー入りまーす!」 「……………………やっぱり」  予想通り、寮の中はすっかり俺のピンク疑惑で持ちきりになっていた。 「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん……くしゅん」 「いいからいいから! 夜々はお部屋で休んでおいで……」  とりあえず夜々だけでも風評被害から守ってやらねば、あ、兄の〈沽券〉《こけん》に関わる! 「あ、あ、天川君……!!」 「こここ恋路橋!?」 「き、君がクラスチェンジして遊び人になったって情報が乱れ飛んでいるんだけど、真偽のほどを聞かせてもらえないかっ!?」 「なってねーーー!!」 「君が、とっかえひっかえ女の子をコマしているっていうのは!?」 「ガセだ、ガセ!!」 「特にその股間の凶器がすさまじいというのもっ!?」 「事実無根だ!! ていうかお前知ってるだろ!!」 「で、でもボクはその……そういうのは知らないし! 目撃者がいるって! 風呂場で見てしまったって! あれは並じゃないって! まさに凶器だって!」 「さ、さ、さ、桜井先輩ーーーーーーー!!!!!」 「やあ、一気にここまで差を縮めてくるとはなぁ」 「根も葉もない噂に、変な信憑性をベタ貼りしないでくださいっ!!」 「パパパパパイプカットしてるってのはーー?」 「信じるなっ!!」 「はっはっは……君もなかなか大胆な役作りをするな」 「演技とはビタイチ関係ありませんけどっ!?」 「正直、君がこの僕の後継者を名乗るなど片腹痛いと思っていたが、今日の一件で見る目を変えることにしたよ」 「今ここに宣言しよう! 桜井恭輔は5年のホープ天川祐真を、正当なる後継者として承認するっ!」 「おおーーーーー!!」  そして、たちまち広がる納得のため息。 「いいです、しないで! 承認しないでーーー!!」 「あっ……!」  湯上がりの真星が通りかかったので、俺は慌てて後を追った。 「おお、天川が行ったーーーっ!」 「またしても必殺のトライを決めるのかーーっ!?」 「鍛えられた脚力を活かして、まさに獲物を狙うチーターのようだな」 「天川君っ、君は仮にも親友の目の前で……け、け、けしからーーーんっっ!!」  野次にかまわず、女子エリアの手前で真星に追いついた。 「待って、真星……違うんだ、さっきのは偶然で……」 「うん、わかってる」 「え?」 「浮気なんかしてないって、分かってるよ」 「ご、ごめん……」 「どうして?」 「誤解させるようなことをして……さっきのはさ、実は……」  真星の態度がどこかぎこちない。  俺は慌てて、雪合戦から先の話を、とにもかくにも説明した。 「……ってことで、夜々が寒がってしがみ付いてきただけで、決してホテルになんてことは!」 「そっか……よかった」 「や、やっぱり疑ってた!?」 「ううん、思ったとおりだったな……」  ううっ、やっぱり真星は俺のこと疑ったりしないで信じてくれてたのか……。  い、いい子すぎて泣けてくるっ!! 「真星……」 「あ……ちょっと、だめ、廊下で!」 「ち、誓いのキス、なんてどうかと!」 「それ……単にキスしたいだけでしょ?」 「……バレた?」 「それくらい分かるよ……えっち」 「でも……ありがと」 「真星……」  ううっ、健気だ! 俺なんかのことをそこまで……泣けてくるっ! 「明日、またお弁当たっくさん作るから……」 「おおお、楽しみだぁぁ!!」 「……そしてできれば甘くないメニューを!」 「あぅぅ……き、気をつけます……」 「はー、よかった……」  真星がいい子で本当によかった。  男子がいくら騒ぎ立てても、真星が信じてくれるんなら安心できる。  明日はデート!  芝居のことを少し忘れて、思いっきり楽しいデートにしないとな……。  ふ……ふふふ♪  いかんいかん、デートをするためにも、ちょっとでも台本を進めよう。  主人公とヒロインの仲直り――案外、ヒロインが主人公のことをとにかく信じ続けていた、って流れで書けるかもしれないな。 「うん……お、お? いいぞ……!」  方向性が決まったら……なんだか次々に芝居のアイデアが浮かんでくる! 「おおおおおお、この勢いは久しぶりだ!」  やばい、これは完全に覚醒した!  今夜は、徹夜にならない程度に夜更かしするぜっ! 「…………むむむ、朝かっ!!」  俺は布団からがばっと跳ね起きて、時計を確認した。  ――おお、目覚ましが鳴る8分前に目が覚めるとは! 「ふ、ふふふふっ……今日は気合いの入り方が違うんだぜ」  なんといっても、今日は真星とラブラブなデート!  真星が彼女になるなんて、姫巫女やるまでは想像もできなかったことだ……はぁぁ、こんなに幸せでいいのだろうか。  おまけに昨夜は台本もずいぶんとはかどった。  いろいろ誤解は生んだけど、美緒里や夜々にお願いしていた準備も順調――うん、すばらしい! 「さて……と、さっそく真星に……」  手を伸ばしたところの携帯がチカチカ光ってる。メールが届いているみたいだ。 「お、真星からだ……♪」 「〜♪」 「……ずいぶん上機嫌だね、〈淫祠〉《いんし》邪教の手先と噂されてる君が」 「ふっふっふ……誤解は解けるって分かったのさ、恋路橋も外出?」 「うん、ママとデパート……少し遅れちゃったよ、それじゃ!」 「おー!」  日曜の午前中、リビングは外出する人間の流れができて、少しだけにぎやかになる。  外に出て行く寮生たちを眺めながら、軽く伸びをして時計を確認。  真星は午前中からヘアサロンに出かけていて、今日のデートは公園で現地集合する予定だ。 「ふふ……ふふふっ♪」  思いっきり気合い入れてくるんだろうな……あの真星が、俺とデートするために。  そんな風に考えると、ついつい顔がゆるんでしまう。 「……?」  ふと、浮ついた視界の隅に、ソファーでぐったりしている女子の姿が入ってきた。 「……夜々?」  夜々だ、間違いない。  外出組の姿が消えて、急にがらんとしたリビングの隅、ソファーの端っこで夜々がぐったりと突っ伏している。 「おい、夜々、どうした?」 「…………ん……ん」 「なんだ寝不足か……ちゃんと部屋で……」  ――熱っ!?  手を触れた瞬間に分かった。夜々の体温が半端じゃない――! 「はぁ……はぁ……」  顔を赤くした夜々がはぁはぁと荒い息をついている。  そういえば、夜々はゆうべ雪合戦で思いっきり……。 「風邪か、待ってろ!」  慌てて管理人室に飛び込んで、体温計を取ってきた。  夜々の脇の下に入れて…………。 「……37度8分!?」 「あ、あはは……頭くらくらすると思った……」 「ずぶ濡れで見送りなんかするからだ」  夜々がゆうべ寒がっていたのも、このせいだったのか。あのとき気づいて、無理にでも見送りを止めておけばよかった。  とりあえず〈氷〉《ひょう》〈嚢〉《のう》を作って、それから……解熱剤がどこかにあったはずだ。  かくして俺は寮の中をどたばた、どたばた。  氷はあったが、風邪薬はどうしても見つからなかった。  仕方なしに、〈氷〉《ひょう》〈嚢〉《のう》をタオルでくるんで、夜々の首筋に当ててやる。 「……はぁ、はぁ」 「おーい、大丈夫か、熱か?」 「ああ、しっかりしろよ、夜々……」  外出する連中が、ちらほらと声をかけてくるが、さすがに夜々を押し付けて外に行くわけにはいかない。  こういうとき頼りになる月姉は、朝から学校で卒業制作の打ち合わせだ。  こ、ここは……兄である俺の出番か! 「……って、そういえば時間!?」  時計を確認する。――待ち合わせの時間オーバーしてる!! 「ちょ、ちょっと待ってろ!」  俺は夜々を寝かせたまま、とにもかくにも真星に電話することにした。 「ゆーまちゃん♪」 「真星……もう公園ついてる?」 「うん、いま来たところ。あー遅刻? 寝坊した?」  電話の向こうで真星の声が明るい。  う、ううっ……すまん、けれど真星なら事情を説明すれば分かってくれるはず……。 「実はさ、夜々が……」  夜々に聞こえないよう、リビングの隅に移動して真星に事情を説明した。 「……なんで、とりあえず医者にくらいは連れてってやらないと」 「……そっかぁ」 「うん……」 「でも、それじゃ仕方ないよね……夜々ちゃんは大事な妹なんだし」 「ごめん! なんか本当にごめん!」 「う、ううん……」  納得はしてくれたけど、さすがに落胆の色は隠せない真星の声――。 「でも、医者に見せたら合流するつもりでいるから、とにかくあとで電話する!」 「うん、夜々ちゃん大丈夫?」 「冷えただけだと思うよ、熱は高いけど」 「そっか、よかったぁ……」 「じゃあ、あとで連絡入れるね、ごめん」  携帯を切って夜々のところに戻る。  部屋着が窮屈そうだけど、さすがに俺が脱がすわけにはいかないし……。 「はぁ……はぁ、ごめんなさい、お兄ちゃん……」 「なに?」 「デートなんでしょ……だから……」 「あ、いいっていいって……向こうも分かってくれてるし、夜々が心配する話じゃないよ」 「はぁ……はぁ……ありがとう」  これは……解熱しないとどうしようもないな。 「よし、医者行こうぜ……おぶってってやるよ」 「……おにいちゃん」 「おう、任せろ!」  夜々を背負って、ダッシュで寮を飛び出そうとしたところで……。 「おはようございますっ……あれ、小鳥遊先輩?」 「おお、日向っ、いいところに!!」 「ど、ど、どうしたんですか? まさか禁断の逆駅弁……」 「熱あるんだよ、いまから医者に行く」 「え? わ、わかりました!!」  駅前の内科まで早足で移動する。  夜々のうしろには美緒里がついていて、小さな声でやりとりをしている。  昨日の雪合戦で風邪をひかせたことを、美緒里も反省しているみたいだ。 「ここだ……」 「先輩はここまでで大丈夫です、行ってきてください」 「え? でも……」 「いま小鳥遊先輩に聞きました、デート……なんですよね? 行ってきてください」 「夜々……」 「うん……美緒里ちゃんがいれば、夜々は平気だから」  妹みたいな二人の視線が、じっと俺をとらえる。 「わかった……ありがとう!」  病院で点滴でも打ってもらって、熱さえ下がれば夜々も歩けるだろう。  俺は二人に礼を言って、ダッシュで公園に向かった。 「――あれ?」  公園の待ち合わせ場所には真星の姿がない。  移動したのかと思って携帯を呼んでみてもつながらない。 「……どこ行ったんだろ?」  とりあえず、夜々のことを報告して、それから待たせたことを謝らないとな。 「…………どこ行ったんだろう」  もうとうに昼を過ぎて、時計は3時になろうとしている。  真星は寮にも戻っていなかった。  町の中もめぼしい場所は探したし、もし電車で移動してたりすると、追いかけようがない。  早く会って、とにもかくにも今日のことをフォローしたかったんだけど……。 「はぁ……疲れた」  結局夕方まで、真星の携帯コールしたり、探し回ったり……。  俺が戻るのよりも、夜々が病院から帰ってくるほうが早かった。  それにしても、公園にいないのは仕方ないとしても、携帯がつながらないっていうのは、明らかにおかしいよな。  せっかくだから昼からでもデートしたかったし、進んだ台本も見てほしかったのに……。  なんて、俺にそんなことを言う資格がないのはよく分かってる。  やっぱり、携帯切るくらい怒ってるのかな。 「けど……もし、何か事故にでも巻き込まれていたら!?」  そう思うと、いてもたってもいられなくなり、俺は再び真星を探しに外へと……。 「ただいまー」 「まほ……稲森さん!!」  真星を追いかけて、女子エリアの部屋の前までやってきた。 「うぅぅ……食べすぎたー!」 「まさか……弁当、全部食べたの!?」  確か今日も、俺用の特大弁当を作ってたはずだけど。 「あ、あはは……つい、ノリで……」 「どこ行ってたの、探したんだぜ」 「…………ごめん」  不意に稲森さんの表情が〈翳〉《かげ》った。 「あ、いや、俺のほうこそごめん……探してたのも謝りたくてさ」 「……ううん」 「さ、さすがに今日のはないなーって思ったけど、つい……」 「ううん……大丈夫」 「お、怒ってる……よね?」 「べつに……怒ってないよ」  怒ってないけど、真星の返事がなんかすごい暗い……! 「そ、そうか……あのさ……なんていうか……」 「ごめん、ちょっと疲れちゃった……」 ――ぱたん。  俺の目の前で扉が閉まる。 「…………真星」  男子禁制の廊下に取り残されたまま、俺はしばらく真星の部屋の扉を見つめていた。 「はぁぁ……」  リビングのソファーで途方に暮れたため息。  昨日は、夜々たちとホテルの近くでイチャついてるのが見られて、今日はデートに遅刻して……。 「そりゃ怒るよなぁ……」  いや、悪いのは俺だ……それは確かなんだ。  けれど、あの状況で夜々を見捨ててデートに出かけられるか?  無理だよ、その選択はありえない。  真星もそれは分かってるから俺を責めないんだろうし……ううっ、これは回避不能なトラップだったのか!? 「はぁぁ……」 「どうした、ジゴロのため息かい?」 「なんですそれ?」 「なんでもないよ、ひどく浮かない顔じゃないか。芝居の自信でもなくしたか?」 「…………そりゃあ、こっちにだっていろいろと恋の悩みがあるんです」 「ほう、恋の悩みときたか」  ――こんな人だけど、これでも花泉学園随一のプレイボーイだ。  俺はわらにもすがる気持ちで、桜井先輩に今日のことを相談してみた。 「ふーむ、そいつは板ばさみだな」 「やっぱり、ああいうときは夜々を放置してでもデートするべきだったんでしょうか?」 「それも一つの選択だな……うん、確かに女の子は喜ぶかもしれない」 「…………」 「でも、そんなことをして喜ばれても、君は嬉しくないだろ?」 「じゃあ、俺の選択は正しかった?」 「バカだな君は」  桜井先輩が前髪をさらりとかき上げる。 「正しさなんて関係ない、大事なのは安心できるかどうかだよ、未熟者」 「安心……それって……?」 「日頃の行いが大事だってことさ。この僕と君のどこが違うのか、あとは自分で考えるんだな……アディオス、UMA」  桜井先輩が席を立つ。  俺と、桜井先輩の違うところ……? 「………………」 「……………………」 「……………………はぁ」  ため息をついてベッドに仰向けになる。  気持ちが落ち着かない。  波立って、胸を締め付けてくる。  なのにわたしは、自分が怒っているのか、悲しんでいるのかもよく分からない。 「ゆーまちゃん……」  天井を見つめながらその人の名前を呼ぶと、わたしの時間が半日ぶん逆回しされる。  公園の高台。  雪の日に、祐真くんと出逢った思い出の場所――。  誰もいないベンチに腰掛けて、わたしは空を見ていた。 「…………なにしてるんだろ」  足元のクローバーを摘んで、太陽にかざしてみる。  三つ葉だった。  三つ葉のクローバーの向こうで、空はどこまでも遠く、高くて……。  わたしにはとても手が届きそうにない。 「…………」  練習しないと……。  デートがなくなっても、空いた時間でお芝居の稽古ができる。  わたしはお芝居が好きだから、そんな事はなんでもない。  けれど……。  まだ薄い台本のコピーを、手の中で丸めた。 「わたしたち、これからどうなるんだろ……」  祐真くんの脚本はまだ未完成で、二人の恋愛がこの先どうなるかも分からない。  ハッピーエンドだろうか、バッドエンドになっちゃうかもしれない。  わたしの分身と祐真くんの分身が、舞台の上で出逢って、恋をして、すれ違って……。  ――恋をして。  けど、恋愛ってなに?  空気の抵抗を抜けて、空に舞い上がる事?  なら、空を飛ぶってどういう事? 「……わかんないよ」  ずっと分からなかった。  祐真くんと話しながら、お芝居を演じながら、二人でベッドの上にいても、わたしはずっとその事を考えていた。  手の中のクローバーを握り締める。  祐真くんはここにいない。  わたしの所から、どこか広い世界に向かって行こうとしている。  そんな彼の姿が眩しくて、わたしはその後姿を眺めていて……。 「また、桜井先輩に怒られるかな……」  きっと、わたしはまだ主役になれてないんだ。  ラブストーリーの主役になれていない。  ステージの隅っこにいるくせに、ずっとスポットライトを探してる。  12月のある日、マグダネルダグラスとリンドバーグは偶然出逢った。  わたしと祐真くんも、あの雪の日にここで出逢った。  あの時、祐真くんの背中にしがみつきながら、わたしは恋に落ちたのかもしれない。  祐真くんの気持ちが知りたい。  三つ葉のクローバーを見つめる。  でも、祐真くんの気持ちは自分で確かめたい。  それが恋する事なんだって、わたしは思ってる。  桜井先輩の台本に書いてあった、空気の抵抗――。 「でも……」 「――どうしたら空を飛べるの?」  クローバーを握って、声に出してみた。  北風が三つ葉を揺らす。  それでも空は、ずっと、ずっと高い所にあった。  ――放課後、俺と真星は屋上にいた。 「ど、どうかな……?」 「うん…………」 「ちょっと、よく分からないかも……」 「ど、どこが?」 「うん……どうして二人が仲直りしたのかが、ちょっと……」 「う、うーん……やっぱりそこか」  俺は、月曜から5日間で書き進めた台本を、真星に読んでもらっている。  一度すれ違った恋人同士が、再び手を取り合って、そしてついに空を飛ぶシーン。  この物語のクライマックスだ。  なんだけれど……。 「ごめんね……ちゃんと読み取れてないのかも」 「そ、そんな事ないよ、俺もまだ自信持って書いてるわけじゃないから」 「こっちこそ、ごめん……」  デートをすっぽかしてから、俺たちの距離が少しだけ離れてしまったような気がする。  けれど、夜々の看病をした事が悪いんじゃない。発端はもっと前、雪乃先生がお風呂に乱入した頃から始まっていて……。  俺が遊び人だっていう噂が流れた事。  そして桜井先輩の言葉を借りるなら、真星が俺を信じられるように、安心させられなかったって事なんだろう。  だから、少しでも真星にフォローしたいんだけれど、どう言ったらいいのか……。  うまい言葉を探っているうちに、芝居の話ばっかりしている自分に気付く。 「クライマックスだもんな、もうちょっと気合い入れて考えてみるよ」 「うん……でも大丈夫?」 「祐真くん、忙しそうだから……」 「あ、そ、そんなことなら気にしないで!」 「確かに今はあっちこっちと打ち合わせしたりして忙しいけど、でも、台本書くのだって大事な仕事だし」 「うん……」 「できるよ、祐真くんなら……」 「真星……」  短い言葉が、ぐっと胸にきた。  こんな感覚を、どうしたら台本に出来るだろう。 「あ、あのさ……俺の事、変な噂が立ってるけど、あれ全部嘘だから……」  とにかく真星を元気にしたくて、俺はつい言葉をつないでしまう。 「俺、べつに他の子とそういうこと一度もしてないし」 「…………」 「あ、これって別に言い訳とかそういうんじゃなくて……」 「信じてほしい……いや、ていうか、真星に心配させたくないから」 「祐真くん……」  ――ドキッ! 「い、いま……一番大事な時期だし、せっかく真星の芝居がすごく良くなってるとこだし……」 「……最近、ちょっとスランプ気味だよ」 「そ、そんなことないよ、すごくいいと思う。マジで!」 「……優しいね、祐真くん」 「あ、いや、そんな……」  真星……いや、稲森さんにまっすぐ見つめられると、いまだに俺はテンパってしまう。  手が届いて、自分のものになったような気がしても、稲森さんはやっぱり俺の憧れの存在で――。 「あ、あの……俺さ、真星の事……絶対に遊びとか、そういうんじゃないから!」 「うん……」  流れに身を任せるように、俺は自分の気持ちを吐き出していく。 「その、前から俺にとって真星は、憧れてたっていうか……眩しくて」 「――!?」  こんな形で告白? 言い訳するみたいに? 「それに、好きじゃなかったらあんな事してないし……」 「あ、あのさ……天川くん!」 「え?」 「い、いいよ。あ、あはは……わたし噂とか気にしてないし、ほんと、ぜーんぜん平気だから!!」 「そ、そうなの? よかった……」 「うん、だからほんとに気にしないで! なんか逆に気を使ってもらってるみたいで悪いし、それに……」 「あれ……? それ……に…………」 「真星……?」 「あ……ちょ、ちょっとごめんね!」  急に立ち上がった真星が、小走りで屋上から降りていった。 「今……泣いてた? まさか……」 「でも……」  やっぱり、俺がなにか余計な事を言ったのかもしれない。  これがすれ違い?  まるで、一度は追い抜いた芝居が、現実に追いついてきたみたいな感覚――。  さっき、稲森さんに読んでもらった台本を読み返す。  二人がどうして仲直りしたのかは、俺が読んでも分からない。 「だめだな、こりゃ」  丸めて鞄に放り込んだ。  結局、ここから先の台本は真っ白のままだった――。  冬の高い空を見上げる。  最高の恋愛にしよう――って、俺は真星と約束した。  けれど、オレたちにとっての最高の恋愛ってなんだろう?  いくら空を見ても、その答えは浮かんでこなかった。  しばらくして、真星からメールが届いた。  ――朝から体調が悪くて頭痛がするから、今日は先に帰ります。  簡単なメールの文面に、胸騒ぎを覚えた俺は、急いで寮に戻る事にした。  稲森さんの部屋をノックする。  周囲の女子が変な顔で俺を見ているが、そんな事はどうでもよかった。  少し間があって、部屋の扉が開き――。 「天川くん……」 「稲森さん、大丈夫?」  誰が聞いているか分からないから、お互いに苗字で呼び合う。  今日は、そっちの方がしっくりくる感じがした。 「うん、本当にちょっと頭痛いだけだから……」 「なら、俺が看病するよ」 「だ、大丈夫だよ……」 「ほんとに平気だから、39度も熱があるわけじゃないし」 「でもさ……」 「ごめん、ちょっと今日は休ませて……」  ――ドアが閉められる。  稲森さん、最後はいつもの笑顔じゃなかった……。  俺のせいだろうか。  稲森さんが俺を責めたりしないのをいい事に、俺は心配ばかりかけて……。  そうだ、お風呂事件が問題なんじゃない。  一つ一つの誤解が悪かったんじゃない。  きっと、もっと前からだ。  忙しくて、芝居の事に夢中で、俺が稲森さんと一緒にいたのは、稽古とHの時くらいだった。  さっき、屋上で告白しかけたのを思い出す。  そうだ――俺は真星に、未だに自分の気持ちを伝えていない――。  そうして、もう一度ノックしようか迷っていると……。 「おい、天川」 「ん……?」  ――ドガッ!!!  鉄の拳が頬にめり込む。  俺の身体はなぎ倒されるように、植え込みの芝生の上に転がった。  口の中いっぱいに、鉄の味が広がる。 「立てよ、天川」 「いてーな……くそ」  親衛隊だ。こいつらがどうして怒っているのかは想像がつく。  胸倉をつかまれ、持ち上げられた。 「お前は許せねー!」 「わかってるよ……」 「俺が浮気者だって話だろ? 誤解だって言ってもどうせ信じないだろーな」  ――ドガッ!!!  また殴られ、今度は顔から芝生に突っ込む。 「いて…………畜生、アザ残るじゃんか……」 「誰もそんな事で怒ってんじゃねえ!」  ――ガスッ!!! 「くそ……じゃなんだよ?」 「見たんだよ、さっき!」 「まほっちゃんが、屋上から出てくるところ……」 「泣いてたよ、まほっちゃんが涙ぼろぼろ流して泣いてたっつってんだよ!!」 「――!!」  俺と話した後、真星は独りで泣いていた。  俺はそんなこと気付かずに……。  いや、気付いていたんだ。けれど、芝居を言い訳にしてほったらかしにして……。  胸倉を掴まれる。  クズみたいな自分が情けなくて、もうどうでもよくなった。 「わかった……殴れよ」 「ざけんな!!」  ――ドガッ!!!  ――ガゴッ!!!  ――ガスッ!!!  鼻血が頬から耳の後ろを伝って、芝生を汚している。  寮の庭から見上げた空はやけに高くて、俺にはとても届かない高さに見えた。  ――それでも。  ――たとえ空に手が届かなくても。 「それでも、空を飛ぶ事を止めるなんて出来ない」  俺の書いた言葉だ。  俺の分身でもある、ミスター・リンドバーグの言葉を裏切る事は出来ない。 「真星……!」  大晦日の夜と同じ様に、俺はジャンパーを羽織って寮を飛び出した。  結露したアスファルトに足を取られながら、頭の中の空気を入れ替えるように走り出す。  俺が真星を不安にさせたのは、どうしてだ。  変なタイミングで誤解が重なったり、デートをすっぽかしたから……でもそれは本当の原因じゃない。  俺が、ちゃんと自分の気持ちを伝えていなかったからだ。  今更、照れくさかったから。芝居の準備で忙しかったから。それに、憧れの稲森さんに告白するなんて恐れ多かったから。  ――そんな事はどれも理由にならない。  俺はいつしか真星以外の事に夢中になっていたんだ。  真星の為に芝居の準備をしているつもりだった。  けれどいつの間にか、俺は監督である自分に酔っていただけだったのかもしれない。  脚本を遅らせてでも上演の段取りを取り付けて、恋路橋や夜々に指示を出して、みんなをまとめて――まるで月姉になったみたいに有頂天だった。  けれど、俺にそんな自信をつけてくれたのは……。 「稲森さん……!」  その名前を口に出してみる。  真星なんて呼び方が、どこか照れくさかったのは、きっと俺のせいだ。  俺にとって、まだ真星は、稲森さんのままだったんだ。 「空を飛ぶ為に……か」  その為に、俺はちゃんと稲森さんに気持ちを伝えなくちゃいけないんだ。  今更、照れくさいと思っていた。  事実上恋人みたいなもんだし、今更告白なんて儀式は要らないと思ってたけど……。  けど、やっぱりそういう事って大事なんだ。  桜井先輩が言ってた言葉の意味がようやく分かった気がする。  俺は、流れに乗っていただけだ。  1年の時も、今も、流れを変えるのが怖くて、自分から動こうとしていなかった。  橋の欄干によじ登り、空に向かってジャンプする。  けれどそこには、重力と空気の抵抗があった。  空を飛ぶ事と、風に乗る事は、似ているけれど全然違う。  もう一度、今度は俺がエンジンを回す。  俺が真星を空に連れていく……。  過去の過ちを繰り返さない為に。  重力と空気の抵抗を突き抜けて、二人で空を飛ぶ為に――。  一夜明けた土曜日、俺は朝から部屋にこもりっきりで台本に取り組んだ。  ミス・マグダネルダグラスとミスター・リンドバーグがどうやってすれ違いを解消するか。  先輩に焚きつけられて慣れない劇を始めた俺と真星にとっても、それは大切な事だった。 「俺たちは、どうなればいいんだ」  ノートPCに向かって、昨日のジョギングを思い出しながら考えをまとめていく。  前に一度書いた台本は、リンドバーグがマグダネルダグラスに気持ちを告白して、二人が恋人に戻るというものだった。  けれど、告白っていうのは、ただの会話じゃなかった。  ただ気持ちを報告するだけじゃ、告白は成立しないんだ。  その事が分かっていなかったから、前の台本からは稲森さんに何も伝わらなかった。  あげくに俺は、あの時中途半端な告白なんかをして、稲森さんをかえって困惑させてしまったんだろう。 「――告白はただの言葉じゃない」  台本を書き進める。  告白は、儀式であると同時に、地上から離れるための動作なんだ。 「だから俺は……」  ただ真星を呼び出して、俺の気持ちを伝えるだけじゃ駄目なんだ。  真星の心に届くような言葉で――。  届くような場所で――。  時間で――。  多分、変に格好をつけた言葉だと稲森さんは喜ばない。  俺の気持ちを素直に伝えるしかない。  けどこれは、告白の儀式と矛盾しないはずなんだ――。 「――!!」  ふいに思い出したのは、雪の景色だった。  初めて会ったとき、俺と真星は雪の中にいた。  花泉に入学して、雪のように舞い散る桜の再会。  そして、告白もキスもできなかった大晦日――けれど手をつないだのも雪の中だった。 「雪……」  結露した窓を見て、ネットの天気予報を見る。 「永郷市の天気予報――今日の午後は、雪!」  雪だ。  俺と稲森さんの風景には、いつも雪が降っていた――。  雪が降ったら稲森さんに告白しよう。  途中で脚本に手がつかなくなった俺は、寮の入口でひたすら雪を待つ事にした。  この告白が、きっとこの先の脚本を変える。  それは間違いのないことだと思った。  空を見上げて、雪を待つ――。  三十分――。  一時間――。  三時間――。 「…………おーい!」  夕方になっても、雪の気配はどこからも感じられない。  おまけに太陽が、空の色をまっ黄色に染めている。  雪――雪はどうなった?  俺と稲森さんをつなぐ……雪は?  …………天気予報のうそつき!! 「……なんで降らないかな?」  うらめしそうに空を見上げながら、靴のつま先で地面を蹴る。  一日中部屋にこもって、ドキドキしたりソワソワしたり、そんなことをしているうちに、気持ちがドロドロに煮詰まってしまった。  いったん外の風に当たって頭を冷やそう――そう思って散歩に出ることにした。 「…………真星」  寮を出たところで振り返ると、真星の部屋の電気が消えているのが見えた。  軽いジョギングで流しながら、学校の前を抜けて並木道へ。 「はぁぁ……寒っ」  冷たい空気が、すっかり換気不良になった頭を覚ましてくれるようだ。  大橋を渡って、いつかみんなでクローバーを摘んだ川沿いの土手へと降りていく。 「伝説のクローバーか……」  なんでも願い事が叶う、魔法のクローバー。  真星は、摘んできたクローバーをどうするつもりだろう。  もしあれが本当に伝説のクローバーだったとしたら、真星は俺のことをいくらでも独占できるし、あんなに悩む必要もないはずだ。  俺が気のきかないフォローをして、真星を傷つけることもなかっただろうし。  やっぱり願い事が叶うなんていうのは都合のいい御伽話で――。 「稲森さん……」  わざとそう呼んでみた。  ここに立つと、あの頃のことが思い出される。  俺にとって、真星は今でもどこか『稲森さん』だったのかもしれない。俺なんかが触れてしまっていいのかどうか、まだ迷っている。  けれど、いま、真星のことを考えると、胸が苦しいほど締め付けられる。  真星を失いたくない――いや、そうじゃない、俺は真星を傷つけたくない。  無邪気なあの笑顔をいつでも見ていたくて……それで、真星のあの笑顔を見たくて劇をすることにして……。  それがいつの間にか劇に追われて、真星との間にできた距離に気づかなくて……。 「真星――!!」  冬の星空に向かって叫ぶ。  真星にとって、俺はそんなに必要な存在だったのか?  真星は芝居っていう目標を見つけて、キラキラと輝いていた。  俺はあくまでそれを助ける存在じゃなかったのか?  俺にとっての真星は何なのか、それは何度も考えた。  けれど、真星にとっての俺は何者なんだ――?  俺はただ、真星の笑顔を見ていたいだけだ。  それだけでよかった、よかったはずなのに。  ……そのとき、ふいに世界が光に包まれたような気がした。 「――!!!」 「ここは…………」 「……夢?」  あたりを覆う一面の緑と白い雪。  空は恐ろしいくらい青く透き通り……そして、そして俺の足元には数え切れないほどのクローバー。 「クローバー……ガーデン……?」  直感だった。  大晦日に、真星が足を踏み入れたというクローバーガーデン――。  俺が、そこにいる……?  屈みこむと、全てのクローバーが雪解けの雫にキラキラと輝いていた。  あれも、これも、それも……全部、四葉のクローバー。 「真星?」  真星が俺をここに連れてきたのだろうか、理由もなく、俺は一瞬そう思った。  大晦日、自分の芝居に自信が持てなくて、目標が揺らいでしまった真星は、迷いながらここに足を踏み入れた。  今は俺が、真星の笑顔を取り戻す術が見つからずに、ここにいる? 「探し物は見つかりましたか?」 「……あなたは!」  顔を上げると、そこにはシロツメさんが立っていた。  そうか、この人は……ここにいる人なんだ。  シロツメさんの姿を見た瞬間、俺はここにある全てを受け入れてしまった。 「……あなたは、ここの人なんですか?」 「はい、そうだったんですー」 「俺を……導いてきた?」 「いえ、それは違いますわ。ここは誰でも入れるところではありません。ここに入れるのは、人の幸せを強く願っている人だけ――」 「人の幸せ……」  それがクローバーガーデン――願いを叶えるクローバーの伝説。 「あなたのためのクローバー、探してみますか?」  呆然と立ち尽くす俺を見て、シロツメさんはにっこり笑った。  一面の緑のなか、俺は屈みこんでひとつひとつのクローバーに目を凝らす。 「俺のためのクローバー……」  どれもこれも同じような、しかし他には代えられない瑞々しい緑に輝いている。  この中に俺のクローバーもあるのか?  真星はそれを見つけられたんだ。  でも、俺には……このたくさんのクローバーが、どれも自分が摘むものだとは思えない。 「………………」 「見つかりませんか?」 「……うん、どれも違うような気がする」  その言葉に、シロツメさんがくすりと笑う。 「ならあなたは、クローバーに何を願うのですか?」 「俺は――」  俺は……真星をどうしたい? 「……俺には、好きな人がいます」 「ええ……」 「けれど、俺はいつの間にかその子を傷つけていて……」 「だから、謝って、俺の気持ちを伝えて……」 「それで……」 「はい?」 「……それで」  それで俺はどうしたいんだ?  それで真星に笑ってほしい?  それで真星を安心させたい?  それで真星を自分のものにしたい? 「…………」  そうじゃない!  そうじゃないのは分かる……けれどどこが違う?  俺はどこかで嘘をついているのか? 「祐真さん?」 「あ、うん……すみません、ごちゃごちゃしてて」  言葉にはうまくできないけど――稲森さんがよく使っていた言葉だ。  俺の願いも言葉にはうまくできない。  胸が張り裂けそうなほど、こんなに強く願っているのに――なのに言葉にしようとすると、たちまちごちゃごちゃしてしまう。  真星をどうしたい?  それが間違っているんだ――そこまで進むと、それは俺の本当の気持ちじゃなくなる気がする。  俺がどうしたい? 「俺は……」  そうだ、真星をどうしたいかじゃなくて、俺がどうしたいか――。  それはたった一つ、シンプルで、そしてゆるぎない願いだ。 「俺は……自分の気持ちを真星に伝えたい」 「……それだけで?」 「それだけです」 「本当にそれでよろしいのですか?」 「はい……」  そう答えたとき、ふいに俺は思い出した。  冬の公園で真星を助けてあげたこと。  真星と花泉で再会したこと。  そして――あの日出せなかった本当のラブレターを。 「俺……ラブレターを持ってます」  真星から受け取りっぱなしだったラブレター。  それはまさに、今の俺と真星の関係そのままだ。 「祐真さん?」 「思い出した……俺にはやり残したことがあって」 「…………」 「ありがとう……良くわかんないけど、俺のクローバーはここにないのかもしれない」 「そう思いますか?」 「はい」  俺がきっぱりそう言うと、シロツメさんは笑顔のまま右手で道を指し示した。 「貴方がそう思うのでしたら、それが本当の答えです、祐真さん」  気がつくと、俺は土手に立っていた。  夢――いや、そうじゃない。  出せないままだったラブレター。  それを思い出したとき、真星の心の中の棘が見えたような気がした。  あのときから俺たちは疎遠になって、そして、恋人になった今も、その棘は抜かれていない――。  俺はダッシュで土手を駆け上り、大橋を渡った。  少しでも早く部屋に戻りたい。頭の中には、真星への言葉が溢れかえっている。  それにしても、すごいタイミングでラブレターのことを思い出すことができた。  まるで奇跡みたいに、ラブレターのことが脳裏にひらめいたのだ。  まるで――奇跡みたいに――? 「真星?」  ふと俺は、真星の摘んだクローバーのことを思い出した。 「まさか、あのクローバーが……」  そうか、そうだったのかもしれない。 「待ってろよ、真星!」  もしそれが真星の起こした奇跡だったとしたら――それは俺がラブレターを書き上げることで完結する。  俺はまるで100mのスプリンターみたいな勢いで、寮へ向かう深夜の通学路を駆け抜けた。  寮に戻った俺は机に向かい、ただひたすらペンを走らせている。  書いては直し、進めては破り、頭の中にある言葉の渦をまとめて、形にしていくだけで信じられないくらいのエネルギーが必要だった。  いつしか、物語はクローバーの伝説になっていた。  ヒロインがクローバーの奇跡で道を示し、相手役の男はその道をただ前に進む。  シンプルな言葉で、けれど気持ちをこめて。  最初に書いていたのは、4年前のラブレターの再現だった。  あの頃の稲森さんの面影は、今でも俺の中の神聖な所にずっと残っている。  やがてそれがオリジナルな文面に変わっていき、稲森さんでなく、真星へのラブレターになっていく。  少し書き進め、また破って、一から書き直す。  気持ちをそのまま言葉にするっていうのが、こんなに難しい事だなんて思わなかった。  ――好き。  その2文字を伝えるのに便箋にびっしりの言葉が必要で、それでも足りなくなり。  かと思えば、全ては余計な修飾で、本当に必要な言葉は2文字だけだとも思えてくる。  紡ぐ言葉を見失うと、俺は昼夜構わずに公園まで走った。  初めて真星と会った場所で、自分の気持ちに向き合う時間を作る……。  あの時ふざけて書いたラブレターを、もう一度自分の言葉でやり直すために、自分の中にある精一杯の想いを、文字に変えて便箋に刻み付けた。  あの日、公園で稲森さんと出会って5年が過ぎた。  俺達は別々の道を歩いて、全然違う5年生になって――。  けれど、これからは真星と一緒に歩いて行きたいって思っている。  一緒に四葉のクローバーを探しに行った時の様に、恋人ごっこで背伸びした名画を見に行った時の様に。  俺は笑っている真星の顔を、誰よりも近い場所で見ていたいと思っている。 「………………」  屋上のフェンスにもたれて、稲森さんがラブレターを読んでいる。  便箋でたったの5枚。  それを書くのに丸3日かかった。  便箋100枚以上にびっしりと想いを刻み付けて、結局はほとんど没にして残ったのが5枚だった。 「祐真……くん……」  あの時のラブレターの代わりに――。  その言葉と一緒に手紙を受け取った稲森さんは、封を切る前から瞳を潤ませていた。 「遅くなって、ごめん……」 「ううん、そんな事ない……」 「ラブレター……もらうの2回目だな……」 「最初も祐真くんからだった……」 「あれは違うよ……俺の言葉で書かなかったから」 「じゃあ、初めてかな……」  便箋5枚の手紙を、稲森さんはゆっくり、噛み締めるように読み進める。  俺が書いた時と同じくらいじっくりと、時には戻りながら、瞳を潤ませて……。 「あはは……『好きだ』だって……」 「ばか……そのまま書いたら安っぽくなるって言ったのに……」  便箋をめくる。  稲森さんは、俺の書いた手紙の文章と触れ合う事自体を楽しんでいるように、ゆっくり、ゆっくり文字を追っていく。 「……台本も書かずにこんな事してたんだ」 「ごめん、ずっと書いてた」 「いまどきラブレターなんて書かないよね」  メールでもない、紙のメッセージ。  俺が綴ったのは、気軽な挨拶でも、コンパクトなキャッチコピーでも、ラブソングの歌詞でもない、自分そのままの不器用な気持ちだ。 「もう、手紙でまで謝らなくていいのに……」 「……ごめん」 「祐真くんの事、信じてなかったんじゃないよ」 「ただ自信が持てなかっただけ……」 「でも……一緒だったね」  5枚の便箋を最後まで読み終えた真星は、そう言って笑った。  そしてまた、同じ手紙を最初から読み返す。  俺の書いた言葉を呟きながら――。  繰り返し、繰り返し、真星は飽きる事なく手紙を読み返す。  潤んでいた瞳から、涙が落ちたのはいつだろう。  空の光が次第に黄色くなり、フェンスから見下ろす町並みがオレンジに染まる。  真星の指先が、西からの陽差しに照らされた言葉を追いかける。 「――僕の中にはずっと、二人のあなたがいました。いまでも僕は稲森さんに憧れていて、それよりももっと真星を愛しています」 「音読しないで」 「あはは……ごめん……」 「でもすごいな……わたしが前に書いたのって、『嫌じゃなかったらメールください』とか、そんな簡単な手紙だったのに」 「悩んでるうちにそうなったんだよ……」 「すごいね……」 「むしろすごい外してるかもしれないけど……」 「ううん、すごいよ、祐真ちゃんは」  そうして、何度も何度も同じ便箋に目を通す。  それはまるで台本を読むみたいに。  書かれている言葉を一つ残さず暗記するみたいに……。 「わたしね、きっと前から祐真くんの事、好きだった……」 「たぶん、入学する前から……」 「真星……」 「前にラブレター交換した時……ね」 「あれ……先輩にラブレターを渡す練習じゃなかったんだ」  真星の声が震える。 「告白ごっこも、恋人ごっこも……ごっこじゃなくて……」 「けど、わたしも逃げてたから……」 「真星……」 「でもよかった」 「もうクローバー探さなくてもいいんだ……」  いつしか街は夕暮れを過ぎて夜になる。  文字が読めなくなるまで、彼女はラブレターをめくって読み続けていた――。  何度も何度も、自分に向けられた言葉を噛み締めながら。  そこにいる相手が、自分とそっくりの悩みを抱えていたことを感じながら……。 「――空を飛ぶって、たぶん難しい事じゃないのよ」 「君がいれば、僕はどこまででも飛んで行く事が出来る」 「行きましょう、ミスター・リンドバーグ……私達の空の向こうへ」  何度も練習したラストシーン、その最後のセリフ。  真星の言葉が静かに消えると、大きな拍手がわき起こった。  打ち付ける雷雨のように手の合わさる音。  聞こえてくる大きな歓声。  2月24日の体育館――。  その広い舞台の真ん中で、俺と真星は見つめ合いながら拍手の音を聞いていた――。  芝居が終わっても、俺たちを取り巻いた人の輪は崩れそうになかった。  次から次へと挨拶の人が訪れては、あんなシンプルな芝居を褒めてくれる。 「うっ、うっうっ……よかったー、二人が幸せになれて本当によかったーー!!」 「あ、あ、ありがとうございますっ…………先生泣きすぎ」 「だって、ううっ、うええっ……あたしもあんなラブレターほしいー!」 「本当よかったわよ、悩んで作った甲斐があったじゃない」 「月姉たちが手伝ってくれたおかげだよ」 「最後のシーンがあんなに盛り上がるなんてね……真星ちゃんに感謝しなさい、舞台であんな泣ける子そうそういないわよ」 「あ、あ、あははははは…………恥ずかしぃぃ」 「…………っく、お兄ちゃん……」 「おぉ? 夜々、泣いてるのか?」 「お兄ちゃんのラブレター……ぐすっ、すごく温かくて、胸がきゅんってなりました」 「小鳥遊先輩ったら、うるうるしすぎですよ……もうっ」 「そういう美緒里ちゃんだって……う、う、うぇぇぇん!」 「はいはい泣くな泣くな、次は日向と夜々にも出てもらうよ」 「ということは、次回の監督は天川君がやってくれるんだね?」 「こ、恋路橋、どこで聞き耳を!?」 「さすがボクの親友! 本当に君が監督やってくれるなら、ボクも安心できるよっ!」 「平気よ、今回のお芝居をもう一度やると思えば、ね」 「12月の――創立記念祭でも、これを?」 「真星ちゃん、もう一度あのラブレター読みたいんじゃない?」 「は、はいっ……やってみたいです」  真星の目が、またキラキラ輝きはじめた。 「ねえ、ゆーまちゃんっ!」 「う、ううーむ……これは逃れられない宿命か……」  それからも真星の親衛隊に祝福のパンチをもらったり、恋路橋の親衛隊にどうして出演がなかったのか吊るし上げられたり、とにかく引っ張りだこ。  ようやく凶暴な人の輪から逃れたところで、あの人にも出くわした。 「はっはっは……なかなかいい出し物だったよ」 「桜井先輩!」 「やれやれ、この僕の名作を全く別物にしてくれたね」 「い、いやぁ……どうしてもあんな感じになってしまって」 「き、恐縮ですっ」 「かまわないさ……しかし、おかげでまた僕は、ミス・マグダネルダグラスの執筆に戻らなくてはならないじゃないか」 「オリジナル版ができたら、見に行きますよ」 「フッ、驚くような名作になるから楽しみにしてくれたまえ」 「ところで祐真、12月はこいつをまた上演するつもりかい?」 「いえ、まだ決まってないです……けど?」 「ふふふ、ならば12月は遠慮したまえ」 「ど、どうしてですかっ!?」 「だって、この僕の発表するオリジナル版と競合したくはないだろう?」 「そ、そんなぁーー!?」  春休み真っ盛りのいずみ寮。 「おっはよー、ゆーまくんっ♪」 「おはよー、真星」 「はい、トーストとスクランブルエッグがありますよー」 「わー、なんだか新婚みたいだー」 「くすくす……なんか楽しいねー」  無人の寮の食堂とリビングを勝手に使って、新婚さんごっこなんかをやっている。 「つまり俺達は、根本的には成長してないって事だよな」 「あれ、こういうの嫌い?」 「ぜんぜん!!」 「やっぱり……そうだと思ってた」  真星と一緒に、やけに糖分の多いスクランブルエッグと、トースト、それに謎のミックスヂュースで朝ごはん。  原材料不明の謎料理にも、すっかり慣れてしまった。 「ねーねー、今日はなにする?」 「どっか行こうか? それとも寮にずーっといるー?」 「じゃあ寮にいる!」 「寮でなにするの?」 「エロいこと」 「え!?」  『ミス・マグダネルダグラスと怒れる恋愛革命細胞』の上演から1ヶ月。  あの芝居をしてからというもの、真星はますます人気を集めてしまい、エロエロするどころか、デートすらままならない毎日だった。 「だから、今日こそは真星が引くよーなエロいことを、飽きるまでたっぷり、ねっちり、みっちりと!!」 「やぁぁぁっ、だめだめ! そんなのだめー!!」 「どうして?」 「だって、だって……そんな……だめだよー」 「誰も見てないよ?」 「そ、そうだけど!」 「いまさら恥ずかしがる仲でもないし」 「うぅぅ……」 「俺はただ、真星がイく時の可愛い顔見たいなーってだけで」 「わぁぁぁぁっ、朝からそんなこと言っちゃいやんっ」 「いやんって、懐かしいな」 「もう……ゆーまくん、春休み入ってから、そういうことばっか考えてる!」 「しょうがないじゃん、真星とずーっと一緒なんだから」 「ずーっと?」 「そう、ずーっと」 「え、えへへ……そ、そうだよね、あ、あははー♪」  そんな事で照れ照れになる真星と、毎日飽きもせずにバカップルなありさまを繰り広げている。 「とまあ、冗談はさておき」 「えぇ!? じ、冗談だった!?」 「久々に掃除でもしない?」 「いいけど、お掃除ならいつも……??」 「うん、部屋とか廊下じゃなくて……そうだな、風呂場とか」  そういうわけで、久しぶりに二人でお風呂掃除をすることになった。 「あはは、なんか久しぶりー」 「ね、懐かしいな……」 「まだ姫巫女をやり始めた頃だよね……4ヶ月……5ヶ月前か」 「あれからもうすぐ半年か……けっこう長かったね」 「あはは……ほんとだねー」  あのときと同じように、ブルマの『稲森さん』とお風呂場掃除だ。 「……なに?」 「あ、ううん……すごい眩しい」  ついつい正直な感想を言うと、真星の顔がサーッと赤く染まる。 「や、やだなー、いまさらそんな、あはは……祐真くん持ち上げすぎだってばー!」 「ほんとだって、まだドキドキするもん……稲森さんのブルマ」 「あ、そ、そっちかぁ……」  俺が『稲森さん』って言うときは、たいてい真星への萌え心が暴走しかけているときらしい。 「あ、あはは……じゃあ、やっぱりえっちな感じになったりする?」 「うんする!」 「そ、そーだよねー。寮、だれもいないもんねー」 「稲森さん……」 「あ、あうぅ……すぐ来たぁ……」 「大丈夫、理性あるから」 「うそだー、目つきが違ってるーーー!」 「は……恥ずかしいよ祐真ちゃん」  視界一杯に広がる真星の赤いブルマ。  俺は少しだけ喉を鳴らして指をブルマのしわにそわせる。 「ちょ、ちょっと……やだ、祐真ちゃん」 「やだ、もう止められない」 「そ……そんな……んっ……」  ゆっくりと、しわにそって指を上下にさする。 「あっ……やっ……くすぐったいよ……」 「んっ……やぁ……はっ……んんっっ……」 「ひゃっ……んっ……あぁぁ……」 「気持ち良い?」 「んんっ……んっ……ふぁ……はぁ……祐真ちゃん……」  真星の手が少しずつ震え始める。 「大丈夫? 無理なら足下ろしてもいいけど……」 「う……ううん……大丈夫。体柔らかいし」 「そうなんだ……初めて聞いたかも」 「うん……だから、気にしないでいいよ?」 「そっか……じゃあ……」  ブルマの感触を楽しみつつ、余った手で真星の足を撫でる。 「……っ……祐真ちゃん……」 「すべすべ……どうして男と女ってこんなに違うんだろ……」  夢中になりながら俺は真星の秘部とふくらはぎを撫でる。 「……っ……ふぁ……祐真ちゃん、手の動きやらしいよ?」 「そ……そうかな?」 「うん……ブルマ好きなの?」 「ど……どうだろ……考えた事もなかったけど……」 「ふふっ……祐真ちゃんブルマ好き……変態っ」 「な……そんなことないって。男は誰しもブルマに憧れるもので……」 「どうかな〜……祐真ちゃんもともとエッチだし……」 「ぐさっ!? そ……そんな風に思われてたんだ……」 「うん。だって変態さんじゃなかったらこんな格好させないもん」 「そ……そっかな?」 「そうだよ。だって……この格好本当に恥ずかしいんだから……祐真ちゃんだから特別なんだから……ね?」 「う……うん……」 「祐真ちゃんだから……触っていいんだからね?」 「真星……」  感動に打たれながらも俺の左手は動きを止めない。 「も、もう……祐真ちゃん?」 「ごめん……俺本当に変態かも……」 「……ふふっ、そんなの別にいいから……んっ……」 「やっ……ひゃぁぁ……祐真ちゃんっ……お尻震えちゃうっ……」  かわいい声をあげながら下腹部を回し、真星は俺の手に少しずつ圧力を加えていく。 「やっ……あぁぁ……はぁぁっ……祐真ちゃん……」 「お願い……祐真ちゃん……んぁ……くすぐったくて…… 我慢できないよ……」 「うん、わかった」  名残惜しい気持ちも少しはあるが、真星が我慢できないんならしょうがない。 「ちょっとお尻上げてくれる?」 「う……うん……」  持ち上がる下半身に手をもぐりこませ、俺は腰にあるゴムをゆっくりと引き上げた。 「んっ……」 「…………」 「やぁ……あんまり見ないでよ……」 「そんな事言われたって……こんなの正直反則だよ……」  びしょびしょに濡れた体操服に、太ももに引っ張られる真っ赤なブルマ。 「…………」  扇情的すぎる光景に、しばらく言葉をなくしてしまう。 「っ……祐真ちゃん……」 「綺麗だよ……ホント」 「嬉しいけど……やっぱり恥ずかしい」 「ごめん……うまい言葉思いつかない……綺麗だ……」 「うん……ねぇ、祐真ちゃん?」 「ん?」 「大好きだよ……」 「真星……」 「触って? ちょっと……エッチな気分なの……今……」 「う……うん……」 「さ……さわるね?」 「う……うん……」 「っ……んんっ!!」  ふっくらと膨れた襞にゆっくりと指を埋没させる。 「やっ……はっ……あぁぁあ……あぁあっ……」  真星の少しあったかい液に指をからませ、ゆっくりと出し入れを始める。 「んんっ! あっ……はっ……あぁぁ、やぁぁ……」 「ごめん……強い?」 「全然っ……気持ち良いよ……ぶるぶる震えちゃう…… 何も考えられなく……っ……なっちゃうよぉ……」 「んぁっ……やっ……ひゃぁあ!? 祐真ちゃん…… 祐真ちゃんっ……」 「あっ……はっ……ふぁっ……あぁぁぁ……んーーっ……ふぁあぁ……」 「はっ……ゆ……祐真ちゃん……」 「強くしないように……撫でるように……」  ふっくらふくれた豆に指をそえる。 「やっ!! だめ……だめ祐真ちゃんっ!!」 「どうして……? 気持ち良いよね?」 「気持ち良いよ……すごい気持ち良いよ? でも……」 「だったらいいじゃん……気持ちよくなっちゃおう?」 「だめなの……だめ……おかしくなっちゃうの…… 今だけでももう限界だから……っ……」 「我慢しなくて良いから……それに、感じてる顔見たいし……」  人差し指と親指でゆっくりとつまむ。  クリトリス……女の子が理性をなくすスイッチ……。 「真星……声上げちゃってもいいからね?」 「だめ……そこ触られるとおかしくなっちゃうの…… ダメなの……お願い……」 「いいよ、一緒におかしくなっちゃおう?」  というか、もう止める気が全然わかない。 「ゆ……祐真ちゃん……だめ……私の事嫌いになっちゃう……」 「ダメなの……お部屋で一度やってみたんだけど…… ダメなの……ダメなの祐真ちゃん……」 「…………」  そんな事言われて、止めろって?  無理だよそんなの。 「それじゃあ……行くね?」 「祐真ちゃん……お願い……お願いだから……」  俺はふっくら膨れた突起を少しだけつまみ……、  二本の指を使って擦りあげた。 「んあっ……ひゃぁぁあああ!!!」 「っ……!?」 「あぁああぁああ!! やだ……祐真ちゃん私ダメなの そこいじられるとやぁあああ!!!」  甲高い叫びに似た声を上げながら、真星は首を左右に振り回す。 「だめだめだめっ……ダメだよ祐真ちゃんっっっ……やぁぁあああ!!」 「…………」 「あぁああぁあああ!!! 祐真ちゃん……びりびりしちゃって…… 頭ぐらぐら……気持ち良いの……ぁあぁあああ!!」 「真星っ……」  なんだろうこの気持ち……言いようのない征服感。 「やああああああああ!!! あぁああっ、ひゃぁあああ!!!」  真星の腰が上下に動く。じゅぶじゅぶと俺の指が秘部へと吸い込まれ、そこからはゆっくりと愛液が染み出す。 「祐真ちゃん……祐真ちゃんっっっ!! もっと……もっともっと!!」 「お……おう」  俺は言われるままに愛撫を続ける。 「んぁっあっっ!! 気持ち良いよっ……祐真ちゃん気持ち良いよっ…… 私のあそこ……ぐじゃぐじゃだよぉ」 「一人でやるより気持ち良い?」 「うんっ、もう比較になんないよっ……ダメ……手止めないで…… ふぁっ……幸せ祐真ちゃん……このまま私…… どこか行っちゃうよぉぉ……」 「いっちゃう?」 「うん……うんうん!! ダメだから……お願い……このままで…… このまま続けて祐真ちゃん……あっ……ひゃぁあああ!!」  クリトリスってこんなにも感じるもんなんだ……ホント、世の中知らないことばっかりだ。 「真星……何かして欲しいこととかある?」 「うんっ……チューして……今凄くチューしたいっ……あそこじくじくで ……とにかく祐真ちゃんで……」  わけもわからず俺は真星に唇を寄せる。 「んぁっ……ちゅっ……くちゅちゅぱちゅぷっ……んはっ……はぅっ…… 祐真ちゃん……くちゅちゅぱ……んんっっ……」  両目を閉じたまま真星は舌を俺の舌に絡ませる。 「ちゅっ……ちゅぱれろっ……ふぁっ……あっ……祐真ちゃんっ…… 祐真ちゃんもっと!! もっと欲しいよ祐真ちゃんっ!!」 「んぁっ……くちゅっ……れろれろ……ちゅぱくちゅ……ぷはっ…… 祐真ちゃん……っ……じゅっ……」  クリトリスをゆっくりゆっくりつまみながら、狂ったほどに熱い口付けを重ねる。 「ふぁぁっ……あっ……やぁああぁっ……」  真星の手から離れた両足が俺の体を締め付け、それでも俺は愛撫を止めずに真星の快楽を誘い出す。 「ちゅっ……ぴちゅっ……ちゅぱくちゅ……んひゃっ……はぁあ…… ダメ祐真ちゃん……もうダメ私……」 「え……?」  俺は首をかしげながらあまった手で真星の体を撫で回す。 「うぁっ……はぁ……もうダメなの……破裂しちゃう…… ぼんっ、って……今私めちゃくちゃで……」 「いいよ、爆発しちゃえ」  トリガーが必要なら引いてやるから……。  捏ねる力を徐々に強くし、秘部の深奥を人差し指の腹で刺激する。 「あっ……はっ……やぁぁあ……私……わたし……もう…… あっ……あぁあ……」 「はっ、やっ……あ、あ、あ…………」  ひきつけのような真星の呼吸。 「ま……真星……?」 「あ……あっ……はっ……あぁあぁああああ!!!!」 「あ……はっ……やぁぁ……」  とうとう耐えられなくなったのか、真星は目に涙を貯めながら秘部から液体を噴射させる。 「やだよぉ……祐真ちゃん……見ないでぇ……最悪だよぉ……」 「…………」 「ゆ……祐真ちゃん?」 「…………潮?」 「や……やぁあああぁああ!!」  真星は目からぽろぽろ涙をこぼした。 「うぅぅ……恥ずかしいよぉ……このまま消えちゃいたい……」 「いや、別に恥ずかしくはないと……」 「うぅぅ、だって……祐真ちゃんにこんな姿見られて……」 「…………」  まぁ、正直驚いてないって言えば嘘になるよ、うん。  だって……あの稲森真星が……学園のアイドルで親衛隊まではべらせてた真星が……お風呂で……しかもブルマ姿で……。 「稲森真星、潮吹き、インいずみ寮……」 「うぅぅ……祐真ちゃんの馬鹿……嫌いになっちゃうからね」 「あ〜それは困る」 「じゃあ言わないでよ……本当は泣きたいくらい 恥ずかしいんだから……」  いや、泣いてるよもう。 「うぅぅ……死んじゃいたい……まさか祐真ちゃんに私の……その……」 「潮吹き?」 「や……やあっ、言わないでよっ!!」 「いや、まぁ気にしなくていいって。俺だって昔オナニー見られてるんだし」 「で……でも……私女の子……」 「でも俺の彼女。……でしょ?」 「……うん」 「だったら問題なし。ほら、涙拭いて……ダメだよ気持ち良いのに泣いちゃ」 「う……うん……ごめんね、祐真ちゃん」 「全然。さてと……汚れちゃったから……」 「うん……綺麗にしなきゃ……っ……」  真星は右手がぴくりと動く。 「……真星?」 「うぅぅ……ごめん祐真ちゃん、手に力はいんなくって……」 「そっか……わかった、じゃあ綺麗にしてあげる」  俺は近くに転がってたシャワーを手に取る。 「…………」 「気持ち良い?」 「う……うん……なんだかちょっと変な感じ」  気分が落ち着いたのか、頬を少しだけ赤らめる。 「っ……んっ……はぁ……」 「…………?」  シャワーで満遍なく真星の愛液を流す。 「やっ……祐真ちゃん……水強いよ……」 「……あぁ、そういうこと」  さっきの潮吹きがあったからか、真星は感じやすくなってしまったらしい。 「そっか……エッチだね真星は」 「そ……そんなんじゃないもん」 「強がっちゃって」 「ほ……ほんとだもん、シャワーあったかくて、気持ち良いだけだもん」 「ふ〜ん……」 「な……何?」 「じゃあそうだな……これでも?」 「っ!? ちょ……ちょっと祐真ちゃん……やっ……んんっ……」 「水に変えただけだよ?」 「わ……わかってるもん……シャワー冷たくて…… んっ……やっ……あぁあぁ……」 「強がっちゃって……」  でもそんな真星も最高にかわいい。 「どっちがいい? あったかいの? 冷たいの?」 「やぁっ……はぁぁっ……祐真ちゃんシャワー近すぎだよぉ……」 「ほら、綺麗にしないと。冷たい?」 「ひゃっ……あっ……やぁぁあ……」 「あっ……はぁあっ……祐真ちゃんっ……いじわるぅ……」 「だって真星かわいいんだもん……からかいたくなっちゃうよ」 「そ……そんなこと……やっ……んんっ…… お水中はいっちゃってるよぉ……」 「中? 中ってどこ?」 「やぁっ! 祐真ちゃんのばかぁ! 変態っ!!」 「そうかもね〜、真星の前でだけ」 「やっ……祐真ちゃん……あんまり意地悪しないでよぉぉ……」 「ごめん……わかってるんだけどさぁ……なんでか止まらないんだよ手が」  シャワーを真星のあそこに近づけ、ゆっくりと円を描く。 「んっっ!!」 「気持ち良い?」 「っっ……う……うん、気持ち良い…… お水に撫でられてるみたい……」 「やっぱり。前にやったことあるの?」 「な、ないよぉ……こんな経験初めて……んんっ!!」 「冷たい?」 「あ……はぁあぁ……」  安堵のため息を浮かべながら、真星の目じりがゆっくりと下がる。 「ちょっとは落ち着いた?」 「う……うん……気持ちよくって……なんだか幸せな気分……」 「そっか、それなら安心した。体洗う?」 「うん……洗いたい。……ねぇ、祐真ちゃん」 「はいはい、じゃあまず服脱がすね」 「はぁ、さようなら体操着さん……」 「なんだか寂しそうだね……いいよ、今度また着てあげるから」 「まじですか!?」 「う……うん……いいよ。そんなに好きなんだ……ただの体操服なのに」 「やった〜!! さてとっ、それじゃピカピカにしちゃおうか」  スポンジにボディーソープをセット。あわあわさせて準備完了! 「さてと……あ、ちなみに真星は体はどこから洗う派?」 「私? そうだなぁ……右手?」 「あ、俺と一緒! 俺もまずは右腕の肩あたり……この辺からかな?」  俺は穴あきスポンジをゆっくりと真星の右手に沿わせる。 「うん、私もそこらへんからかな。まずは右手を全体的に擦って……」  言われるままに右手を擦る。 「それから左手……って祐真ちゃんっ!」 「次はやっぱりお腹と胸の辺りをまんべんなくでしょ〜」  っていうかそれから後なんていつもは適当。 「やっ……ちょっと祐真ちゃん手がエッチ……」 「も……もう……結局こうなるんだよ祐真ちゃん……」 「ごめん……でも真星だって悪いよ」 「ど……どうして?」 「こんな体しちゃってるんだもん……そりゃ触りたくもなるよ」 「も……もう祐真ちゃん……せめてしっかり洗ってよ?」 「了解了解」 「は……はぁぁ……あっ……んっ……」 「ひゃっ……ちょっと祐真ちゃん……ふふっ、くすぐったい……」 「笑ったら負けだからね?」 「え〜……っ……っぷ……っっ……」 「んっ……祐真ちゃん……ちゃんと洗ってよぉ……」 「んぁっ……ちょ……祐真ちゃん……」 「ちょっと足開いて」 「う……うん……。優しく……ね?」 「わかってるよ」 「……ふふっ、気持ち良い」 「そう? それならこっちも嬉しいよ」 「っ……祐真ちゃん?」 「ここも綺麗にしないとね……さっき汚れちゃったから」 「も……もう……恥ずかしいから言わないでよ……」 「ごめんごめん」  何て軽口をかわしつつスポンジで円を描くように陰部をなで上げる。 「っ……はぁ……」  つやっぽい真星の声を間近で聞きながら、ゆっくり丹念に擦っていく。 「やっ……んっ……ふぁっ……」 「……気持ち良い?」 「う……うん……最高。あ、おっぱいとか……触って良いからね?」 「そう? ならお言葉に甘えまして」 「っ……祐真ちゃん……おっきくなってるね……」 「かなりね」 「…………興奮しちゃった?」 「しないほうがおかしいよこんなの」 「……エッチしたい?」  真星は右手で俺の愚息を捕まえる。 「真星……?」 「うん……そうだよ。私ばっかり気持ちよくって……こんなの不公平」 「そ……そんなことは……」 「祐真ちゃんっ!」 「ど、どしたの?」 「エッチしよっ!!」 「ま……真星さん!?」  もしやご乱心!? よもや真星の口からそんな言葉が出るなんて……。 「だってこんなの祐真ちゃんに悪いもん。こんなカチカチ…… かわいそうだから……」  真星はいとおしげに俺のペニスを握り、優しく微笑む。 「どんなのがいい? なんでもいいよ…… 祐真ちゃんの気持ち良いのが私もいいから……」 「真星……」 「祐真ちゃん??」 「最高だよ俺……このまま親衛隊に撲殺されても文句は言えない……」 「ちょ……ちょっと祐真ちゃん……気をしっかり持って!」 「どんなのでも……いいの?」 「え……あ……うん、いいよ。ははっ、もう今更だもん」 「真星……」  俺は最愛の人が微笑むのを見ながら、最悪な事に桜井先輩の動画サイトを思い出してしまっていた。 「ゆ……祐真ちゃん……あの……えっと……」  俺の上にまたがり、真星は困惑の表情を浮かべる。 「もしかして……このまま、その……するの?」 「もちろん」 「私が……上下に……動くの?」 「そうだね。ほら、真星も見たじゃんか」 「見たけどっ!! でもあれは映像の中の話で!!  やっぱり……こんな格好恥ずかしいよ……」 「……大丈夫?」 「うん……ね……ねぇ、祐真ちゃん?」 「…………?」 「すっごく……すごく恥ずかしいけど…… でも……祐真ちゃんがやりたいんだよね?」 「そう、俺がやりたいの」 「だったら……その……いいよ?」  陰部からは少しずつ愛液が漏れ始めている。 「じゃあ……行くよ?」 「うん……ゆっくりでいいからね?」 「…………うん、じゃあ……んっ……」 「っ……!!」 「んっ……あっ……やぁぁあ……」  動いていないのに入ってくる……なんだこれってくらいの締め付け。 「ふぁっ……んんんっっ……祐真ちゃん……」  じゅぷじゅぷと音を立てながら、徐々にめり込むように中に入っていく。 「あっ……はぁぁ……あんっ……あはっ……はぅん……っ……」 「……っ……」 「んっ……んんんっ……気持ち……いい……祐真ちゃん?」 「最高……すんごい気持ち良い」 「んぁっ……よ……良かった……んっ……んんっ……」  入りきった後、ゆっくりと体を持ち上げて、またゆっくりと降りて……。 「んんっ……はんんっ……んっ……んあぁっ……」 「…………」 「っ……んっ……んあっ……あっ……あうっ……」  真星は夢中で腰を上下に動かし、叫びたいくらいの快感が俺の中で沸騰する。 「真星……真星っっ!!」  真星の腰が降りるときに腰を上げて、あげるときに下げる……上り詰める愉悦に俺の頭からは火花が飛び散る。 「やっ……やぁぁっ……祐真ちゃん……祐真ちゃんっっ……」 「あっ……はぁぁっ……あっ……あっ……はぁぅ……ダメ…… まだいきたくないのに……っ……」 「ちょっと速度落とそうか?」 「うん……んっ……ふわっ……ひゃうっ……」  速度を落としつつ、俺は空いた手で真星の胸をいじりまわす。 「んっ……はぁっ……あぁぁ……ダメ…… あんまりおっぱいいじらないで……」 「そんなこといったって……真星のおっぱい気持ち良いんだもん」 「あっ……あんっ……んぁっ……やっ……」 「ん……んんっ……んっ……は……あぁぁあ……」  腰の上下が徐々に速度を増す。 「だめ……だめ祐真ちゃん……私……今日……」 「いいよ、俺もそろそろ出そうだから」  ピンクに染まる突起をいじりながら、俺も腰の上下を少しだけ早める。 「あぁっ……やぁ……祐真ちゃんっっ!!」  無我夢中に腰を振りながら、俺の名前を連呼する。 「気持ちいいよぉ……祐真ちゃんっ…… 私、今すごく気持ち良いよぉっ!」 「俺もだよ」 「やんっ……んっ……んっ……んっっ!!」 「んんんんっっ!! ふぁっ……はっ……ひゃぁっ…… あっ……はっ……んぁっ……」  徐々に喘ぎ声につやが増す。 「はうっ……んぁっ……あっ……あっ……祐真ちゃん…… 私……もう……」 「うんっ……うん……うんっ!!」  ぎゅっと締め付ける襞の束に、俺のペニスはとろとろに溶かされる。 「んっ……んっ、んっんっんっ……ふぁっ……あぁぁっ……やぁあっ……」 「真星……そろそろ俺も限界……」 「来てっ……来て祐真ちゃんっ!! 私の中…… 祐真ちゃんのでいっぱいにしてっっ!!」 「っ……!!」 「あっ……はぁっ……あ……あ、あ、あ…… ああぁぁあっぁああああああ!!!」  どびゅっ! びゅくっ! びゅびゅっ!  はじけたペニスは一気に真星の中に精を打ち込む。 「あ……あっ……はぁぁああ……」  リズミカルな鼓動に導かれるように、真星は徐々に動きを緩慢にしていく。 「ふわっ……あぁ……あぁぁ…………」  焦点を失った真星の双眸。かろうじて俺の目を見つめながらゆっくりと両手を俺の肩に添える。 「はぁ……はぁ……祐真……ちゃん……」 「……祐真ちゃん……大好き……」  真星の顔がゆっくりと降りてくる。 「ちゅっ……んっ……くちゅっ……ちゅぱちゅぱ……」  なすがままに俺は舌を真星の口に差し入れる。 「ふわっ……っちゅ……れろっ……くちゅ……」 「……っちゅ……あぁぁあ……祐真……っちゅ……」 「ちゅぱっ……くちゅちゅっ……ちゅるっ……ちゅぱっ……」 「はんっ……祐真ひゃん……んっ……ちゅっ……ちゅりゅっ……」 「真星……俺……」 「……おっきくなっちゃったね……」 「じゃあ、綺麗にしちゃおっか……」 「わぁぁ……祐真ちゃんのおちんちんだぁ…… 大好きな祐真ちゃんだぁ……」  〈蕩〉《とろ》けきった真星の声。暖かい息が俺のペニスにかかる。 「私が綺麗にしてあげるからね……それじゃあ……綺麗綺麗します……」 「んっ……っ……ぺろっ……んんっ……」 「っ……!」  生暖かい感触と痛いくらいに気持ち良い感触。  唾液にまみれた舌がカリ首を絡み取り、筋にそってなめあげる。 「っちゅ……れろ……ぺろっ……ふふっ…… 祐真ちゃんぴくぴくしてる……かわいっ♪」 右手を睾丸に添えて、左手でカリ首を擦りあげる。 「っ……っっ……ちょ……真星……」  そりゃ経験あるとはいえ、いくらなんでも凄すぎるんじゃないか? 「れろっ……っちゅ……ぺろぺろっ……んっ……祐真ちゃんお漏らし?」 「ち……違うって……」 「ふふっ、わかってるよ。ダメだよ、ちゃんと綺麗綺麗してるのに…… これじゃいつまでたっても終わらないよ?」 「ぺろっ……ふふっ……舐めても舐めても出てきちゃうね……」 「ちょっ……真星……」 「ふふっ、ぺろぺろっ……不思議な味……なんだろうこの味…… 祐真ちゃん味?」 「っ……真星……もうちょっと加減を……」 「ダメだよぉ、祐真ちゃんだって加減してくれなかったもん、 私だって頑張っちゃうもん」 「っ……っっ……」  気持ち良い……気持ちよくってダメになっちまう……けど……、  けど……ここで……ここでやられっぱなしでいいのか俺!? 「ぺろっ……っちゅ……ふふっ、気持ち良いんだよね、 おちんちんピクピクしちゃ……はっ……んんっ!!?」  俺は目の前にあった臀部にかじりつく。 「やっ……祐真ちゃんそこ汚いから……あっ…… ひゃうっ……っ!!?」 「やっ……んっ……んんっ……」  こうやって直に見ると、なんだか女の子の神秘に触れているみたいだ。  真星がそこまでやるんなら……俺だって真星の快楽引き出してやる。 「あっ……ちょ……祐真ちゃんっ!!  あっ……やっ……んぁぁあっ!!」 「はっ……やぁああ!! んぁっ……んんんっ……はっっ…… あぁぁああ!!」  ペニスから舌を離し、真星は狂ったように声を飛び散らせる。 「汚いから……だめ祐真ちゃん……ひゃうっ……んあぁっ……!!」 「汚くなんかないよ……だってここお風呂場だよ?」  舌をアナルに捻じ込ませ、膨れ上がったクリトリスを摘み上げる。 「やぁああああああああ!!!! 祐真ぢゃんっ!!  祐真ぢゃんっ!! ダメダメダメ!!」 「あぁあああっ……はうっ……んんっ……んぁああああああ!!!」 「お口がお留守だよ真星? 綺麗にしてくれるんじゃなかったの?」 「だ……だってこんなの……んぁっ……はっ、はっ……ひゃぁああっ……」 「も……もう……祐真ちゃんの馬鹿……私だって……はむっ」 「んんっ……」  ペニス全体に広がる暖かい感触。 「んっ……っちゅ……くちゅっ……じゅりゅっ……ちゅぱちゅぱっ…… んはっ……はむっ……ふむっ……ちゅっ……くちゅちゅぱ……」 「っ…………」  舌全体がカリ首に絡みつき、痛いほどの快感が下半身から吹き上がる。 「じゅちゅっ……くちゅちゅぱっ……れろっ……っ…… ぺろちゅぱっ……ちゅりゅ……くちゅくちゅ……んんむっ……」 「ま……ほし……」 「ちゅぱっ……ぐちゅちゅぱっ……じゅりゅりゅっ!! ふわぁっ…… はむっ……っちゅ……ちゅっちゅ……ちゅぷっ……くちゅくちゅ……」  鈴口を喉の奥に吸い寄せて、舌と口内全体で竿を刺激する。 「ちゅりゅっ……じゅぱじゅぱ……じゅぷっ……じゅりゅじゅぱ…… んっ……はむっ……ちゅぱちゅぱ……」 「…………」 「ふわぁっ!? んっ……んんんんっ!! じゅりゅっ…… くちゅっちゅぱっにゅちゅっ……ふわぁっ……っちゅ…… ちゅるちゅる……くちゅくちゅ……」 「…………」  徐々に舌の絡みが強さを増し、竿をしごく手が徐々に速度を増す。 「んんっ……ちゅっ……くちゅ……ぺろっ……はむっ……んんむっ…… じゅぷ、じゅぷ……じゅりゅりゅ……」 「じゅるっ……ぐぢゅぢゅ……ふわっ……祐真ひゃん…… きもひいい? 私のフェラ……きもひいい?」 「ちょっと気を抜いただけで出しちゃいそうだよ」 「ふふふっ……そっか……はむっ……っちゅ……ちゅりちゅぱ…… ぺろっ……」  ばちばちはじける視界の中、俺は必死で理性を保つ。 「んんっっ……っちゅ……ちゅりゅっぐちゅっ…… ふぁっ……は……あぁぁあああ!!!」 「ひゃあああ!! ゆ……祐真ちゃんっ!?」  秘部から漏れる愛液を舌に絡めて、アナルをごりごりと刺激。 「ふわっ……あぁっ……やぁあああ!!  祐真ちゃん……祐真ちゃんっ!!」 「…………」  これで終わりにしたくない……こんなに最高で甘美な時間……これで終わりにしてなるものか!! 「真星……真星!!」 「んっ……んんんっ……っちゅ……くちゅちゅぱれろっ…… 祐真ちゃん……ダメ……私今めちゃくちゃ……」  今あるのは男と女……俺と真星……それだけなんだから。 「ぐちゅっ……ちゅぱっ……ちゅぱちゅぱちゅぱ…… じゅりゅじゅる……んはっ……はうっ……んっっ!!  ふぁあっ……くちゅっ……じゅるちゅぱ……っちゅ……くちゅ……」 「っっ……ま……真星っ!!」  これ以上はもう無理だ……今俺は真星の口に噴射したい……それだけしか考えられない。 「くちゅちゅりゅくちゃじゅぷっ……ぷはっ……出して…… 出しちゃっていいよ!」 「……………っ!!」 「じゅる……じゅるる……んっ……じゅっ…… じゅりゅりゅりゅりゅ!!!!」  とどめとばかりに真星がペニスを思い切り吸い上げる。 「あ……あぁっ……ああああああっっ!!」  瞬間、視界が真っ白に染まった。 「ふわっ!?」 「っ……」  びゅっ、どびゅびゅっ、びゅびゅびゅっ!! 「あ……はっ……あぁぁ……」  真星は放心状態のまま俺の射精を見つめている。 「す……すごい……さっきあんなに出したのに……」 「は……はは……なんか頑張っちゃったみたいだね……」 「うわ……真っ白……べとべとだよ……」  とろんと目を細め、真星はゆっくりと舌を這わせる。 「ぺろっ……れろっ……ちゅるっ」 「ちょ……真星……」 「んっ……あったかい……祐真ちゃんの精液……あったかいね……」 「さ……さすがに恥ずかしいな……」  ここまで来て何言ってるんだって感じもするけど……。 「今日、いっぱい出しちゃったね?」 「明日からちゃんと機能するかちょっと心配だよ」 「大丈夫、ダメそうだったら私が元気にしてあげるから」 「は……はは……その時はお願いします」 「ふふふっ、それじゃお風呂掃除続けようか?」 「そうだね。というかすっかり忘れてたかも」 「こらこらっ。でも……ふふっ、実は私も今思い出したところ」 「なんだよ〜」 「はははっ!! それじゃあお掃除がんばろ〜」 「お〜〜!!」  それからも俺と真星は、汗だくになりながらクタクタになるまでHして……。  汗まみれのドロドロな身体を洗いっこして、今は大きな湯船を二人で独占している。 「はぁぁ……きもちいー♪」 「………………(じーーっ)」 「身体も綺麗に洗って、汗も流してすっきりすっきり……」 「………………(じぃぃぃーーーーっ)」 「な、なに?」 「……えっち!!」 「ごめーん、マジでHなんだ俺……ほら」 「やぁぁ!? ま、また大っきくしてるー!?」 「いまここで〈挿〉《い》れてみる?」 「だ、だめぇ! もーギブだってばぁ……ほんとにおかしくなっちゃうよ……」 「……なーんて、真星が嫌がることするわけないじゃん♪」 「さっきまでさんざんしてたくせにー!」 「嫌がってなかったくせにー!」 「あ!? う……うぅぅぅっ!!」  湯船の中で悔しがる真星を引き寄せて、キスをする。 「あん……ん、んちゅ……ん、んぅぅ……ぷは、はぁっ……」 「なんか、なにしても楽しいな」 「ん、はぁぁ…………ふふふっ……なんか贅沢だねー」 「うん……幸せー」  大変だった芝居も一段落して、春休みの間は真星と二人っきりでいられて、二人の関係も順風満帆で――。 「クローバーのおかげなんだな……」 「え?」 「真星、クローバー使ったでしょ」 「!?!? ……ど、どうして!?」 「分かるよ……彼氏だもん」 「あ……そ、そ、そうなんだ……」 「あ、あはは、そうだよね、彼だもんね!」 「うん……クローバーが思い出させてくれたんだ、ラブレターのこと」 「……んん??」  真星がキョトンとした顔で俺を見る。 「あれって真星でしょ? ほら、浮気疑惑で気まずくなったときに、クローバーの力で……」 「え? ちょっと……ちがうかも」 「はぁ!?」  待て待て待て、どういうことだ!?  それじゃ俺たちがクローバーで結ばれたっていう前提が……! 「クローバー……使ったんでしょ?」 「うん」 「あれって、本当に伝説のクローバーだったんでしょ?」 「わ、わかんないけど……そのあと枯れちゃったから、たぶん……」 「いつ枯れた!?」 「け、けっこう前……」 「ラブレターのときじゃなくて!?」 「ち、違うと思う……けど」 「ええええーーーー!?!?!?」 「じゃじゃじゃあ、なんに使ったの!? 富!? 名誉!? 権力!? 美貌!? レアカード!?」 「最後の分かんない! そんなんじゃないよ……ただ……」 「ただ?」 「え……っと、は、恥ずかしいから、また今度……」 「だめーーー!!」 「だ、だってぇ……」 「だって俺、ずーっとクローバーの奇跡だって信じてて!」 「そのおかげでラストの脚本もはかどってたわけだし!」 「そ、それなら、それでいいんじゃないかなー? な、なんて……?」 「やだーー、おーしーえーてー!!」 「えー………………!」 「………………」 「…………どうしても教えないと……だめ?」 「うん、だめ」 「……………………」  湯船の中でもじもじしてる稲森さんの額で、どんどん汗が玉を結ぶ。 「あ、あのね……」 「――むむっ!」 「風邪……」 「風!?」 「うん、治ったらいいなーって、思ったら……」 「え? 風……なに!?」 「………………」 「あ!? ま、まさか……」 「まさか、俺が風邪ひいて寝込んだとき!?」 「…………うん」 「オーーーーノーーーーー!!! 伝説のクローバーをそんなことのために!?」 「で、でも脚本のこととか、体育館を借りる手続きとかあったから!」 「けど、それと引き換えにするって、そんな!!」 「あ、あはは……もったいなかったかな?」 「たりめーです!!」 「お、俺は……てっきり真星のキスが効いたんだとばっかり!」 「あ、でもキスかもしれないし……!!」 「ありえなーーーい!」 「うぅぅ……だって……」 「そんな……ははは……ありえない……」 「伝説のクローバーを、俺の風邪なんかのために……」 「ほんと……真星って……」  ぎゅっと抱き寄せた。  俺だけの真星を、力いっぱい……!! 「え? ゆ、ゆーまくん?」  不覚にも目頭が熱くなってきた。  それは真星が、予想の斜め上をいく天然で……呆れるようなドジを平気でするから!! 「ありがと……」 「……う、うん……な、泣いてる?」 「な、泣いてなんかないやい!!」 「そ、そ、そうだよねー、あ、あはは……」 「………………(じーっ)」 「泣いてない!」 「は、はいっ……!!」 「…………………………」 「いーこいーこ……ゆーまちゃん……♥」 「わぁぁ、だから泣いてないやいっ!!」 「…………2055、2056、2057……」  数字を数えて足を運ぶ。  だだっ広い市立公園の周囲をぐるっと1周。 「2366、2367、2368……」  裏道のハイキングコースを登るまで、さらに700歩。  高台の頂までざっと2500歩、約2キロのコースだ。  三月も終わりに近付くと、春ののどかな日が続くようになる。  けれど今年は、月末ぎりぎりまで寒冷前線が動かずに、まるで冬の様な冷え込みだ。 「ふぅ……2462……!」 「おーい、ゆーまくーん!!」  軽く汗を流して高台の頂に戻ってくると、ベンチの向こうから俺を呼ぶ真星の声がした。 「もう雪もなくなったねー」 「うん、今日は寒いけど……春になるんだな」 「うん……すぐだね」  二人が出逢った思い出の場所を、並んで散歩する。  春休みに入ってから、月姉じゃなくて真星とロードワークに来る事が多くなった。  第一志望を余裕でパスした月姉と桜井先輩は花泉を卒業。  後、数日で俺達は最上級生になる……。 「なんか、あんまり自覚わかないけど」 「あ、あはは……わたしも」 「あ、見て……四つ葉」  稲森さんがその場で膝を折る。  クローバーの密生しているところで、四つ葉のクローバーが陽差しを浴びている。 「抜かないの?」 「うん、もういいの……」  クローバーの代わりなのか、真星は俺のラブレターを、お守りだなんて言って大切に持ち歩いている。 「あんな危険な文書は、できれば持ち歩いてほしくないんですけど……」 「うーん……考えとく」 「うぅぅ、考える気ないだろ」 「あ、あはは……ほら、流れ星ー☆」 「昼だ、昼!!」  時々こうやって愚痴を言ったりはするけれど、嬉しそうな真星の顔を見ていると、それはまあ、やむを得ないんじゃないかなんて思えてくる。 「あの日、雪が降らなかったんだよな……」 「え?」 「雪が降ったらさ、普通に告白しようなんて思ってて」  けど、待てど暮らせど降らなかったからラブレターにしたのだ。 「そっかー、それでこの手紙がー」 「だから出すなってばー!!」 「あはははっ……はははっ……」  ひとしきり笑った真星が、ふっと空を見上げる。  快晴とはいいがたい、灰色の空。  けれどあちこちに青い色が覗いて、日の光も落ちてくる。 「雲の上はみんな晴れてるよね」 「ああ、そうだよな……」 「………………」  まるで吸い込まれるみたいに空を見上げる真星――今は半分、ミス・マグダネルダグラスなのかもしれない。 「わたし、空を飛ぶって……まだ分からない」 「俺たちが恋をするって事」 「うん、でも…………」 「結局……飛べたって事だったのかな?」 「………………」 「これからなんじゃない?」 「え……?」  空を飛ぶのはこれから――きっと、いくらでも飛べる。  俺の言葉をゆっくり自分の中に落とし込んで、それから真星の顔にぱっと笑顔が広がった。 「そうか……そうだよね!!」 「それで、12月の創立記念祭の事だけど……」  おもむろに俺は切り出した。  寮生による12月の演劇は、先の芝居が成功したおかげで俺と稲森さんでやる事になっていた。 「次のお芝居?」 「ああ、願いが叶うクローバーの話ってどうかな?」 「…………すごい!!」  真星の瞳に、きらん☆……と光が宿った。 「また飛べるかな?」 「そう思うよ」 「……うん」  微笑む真星の頬に、はらりと白いもの舞い降りてくる。 「あ……!」  見上げれば、それは手の届かない空の果てから次々と。  真星と、俺と、そしてこの世界を包むように舞い降りてくる……。 「嘘だろ、こんな時期に」 「うん、嘘みたい……」  空を見ながら、真星がその場でくるりと回る。  俺は真星の手を取って、それから、二人で空に向かって叫んだ。 「雪だ――!」  思いっきり盛り上がったクリスマスが終わると、世間は一気に年越しへと切り替わる。  毎年思うけど、この切り替わりの早さはすごいよなあ。  一晩過ぎただけで、誰もがツリーを飾りサンタを待ち受けて盛り上がったことなんてなかったかのようにあわただしさを取り戻す。  お祭りの前は楽しいけれど、終わってしまうともの悲しい。だから、次のお祭りばかり見る……そういうことなのかもしれない。 「こそこそこそ……」 「お、恋路橋?」 「うわあぁぁぁぁっ!? って、な、な、なんだ……天川君か……」  異常なほどテンパった声で恋路橋がこっちを振り向いた。冬休みに入ったばかりなのに、えらいものものしい格好をしている。  恋路橋は外出着を着ていただけじゃない、手にたくさんのバッグ、更にはスーツケースも引っ張ってと、大荷物を抱えていた。  これから大晦日までの数日間に、寮生のほとんどが帰省してゆく。 「早いな、まさか朝一で帰るのか?」 「もちろんさ、愛する息子の顔を一刻も早くママに見せてあげるのが親孝行だよ」  なるほど、それだけならいつもの恋路橋なんだけど……今日は妙にビクビクした様子で後を続けた。 「き、君にだけは話すが……実は……」 「実は……?」 「こ、この数日というもの、おかしな視線を感じっぱなしなんだよ。みんなの態度も奇妙極まりないし!」 「奇妙とは?」 「そ、それは、何かを期待しているような眼差しっていうか! ほほを染め、目を潤ませて……!!」 「それは……つまり、あれか?」  まだ続いているのか、一部マニアックな男子連中による求愛活動は。 「そうなんだよっっ! クリスマスが終わったら遊びに行こうと、これまでろくに交流のなかった相手から、次々と誘われているんだ!」 「その際には、オプションとして清楚なお嬢様の舞台衣装を?」 「ああ、いったいどういうことなんだ。ボクは心身ともに強健な日本男児だぞ、連中は何を考えているんだ! まったく徹頭徹尾けしからんっっ!」  強健な日本男児というところには大いに反論したいが……この恋路橋の焦りようはだいたい分かった。 「だめだーっ! こんなところでグズグズしていたら貞操の危機だッ! あの悪魔どもに見つからないうちに出発しなくてはッッ!」 「騒ぐと悪魔どもを起こすぞ」 「わぷっ……そ、そうだった! 天川君、すまないが、ボクはこれにて失敬っっ!」  叫び声とともに、大荷物を抱え、寮の玄関を出て行った。  ……その後を追うように、ふらふらとさまよい出てきた人影が……複数。 「ああ……もう一度……一度だけでいいから、会いたい……あの娘に……」 「おお、麗しの君よ……一目見たその日から……」  あ、悪魔は既に起きていたか! 恋路橋、全力で逃げろッ! 地の果てまで!!!  俺は…………俺はちょっと遠くから見守らせてもらう、ごめん。  かくして、恋路橋を皮切りに寮生が次から次へと帰省していった。  バスや電車の時間が来るたびに、数人ずつ、荷物をかかえて寮を出てゆく。  元から少なくなっていた寮生が、さらに数を減らしてゆき、しまいにはほとんど無人となる。  年末の帰省は一週間ほど――夏休みに比べれば短いもんだけど、とはいえ寂しくなるな……。  寮生が少なくなるから、用意される食事も当然少なくなる。  一人で黙々と食べるのはちょっと寂しいな。  ……なんて、少し遅めの朝食を摂っていると、稲森さんが姿を見せた。 「おはよう」 「あ、稲森さんも、帰るんだ」  稲森さんは、大きなスーツケースを引いている。 「うん。本当は、明日でもよかったんだけど……わたし、方向音痴だから」 「大晦日までに帰れるように、移動の予備日をとってあるの。だから早めに出かけないと」 「そ、それは……」  いくらドジ連発の稲森さんでも、そこまでは……。  いやでも、演劇の練習中に山程見た彼女のドジっぷりからすると……あり得るか!?  電車で寝てしまって乗り過ごし……。  慌てて反対方向の列車に乗ろうとしたら、それがまたとんでもない的外れの行き先で……!  空港で、国内線と間違えて国際線に!  もしや、その妙に大きなスーツケースの中には、寝袋とか防寒具とか、冬の野宿も可能な装備一式が入っているのでは? 「わたし、頑張る」  むん、と勇ましく眉を逆立てる稲森さん。  そ、その仕草も、可愛い……。 「それじゃ、行ってきます。よいお年を」 「よ、よいお年を……無事な帰還を……」  心から願います、はい。  勇ましく歩いてゆく稲森さんの、スーツケースがゴロゴロゴロ。  その後ろを、自分の荷物を持った親衛隊の連中が、ぞろぞろぞろ。  なんというか、帰省というより、姫君のご出陣って感じだな、こりゃ。  そう言えば、稲森さんの親衛隊、恋路橋分隊の分離による人数減少が、まだそのままだ。  裏では、血で血を洗う内ゲバ状態に陥っているって噂だけど……恋路橋、俺はお前にとんでもない修羅道を歩ませてしまっているのだろうか。 「おはよっ」 「ごはん、まだ残ってる?」 「いくら俺でも、朝から全部は平らげないって」 「寮生がそろってる時ならあたしの分は残るかもしれないけど、人数減ってる今の時期は、全部食べられちゃう可能性があるでしょ」  容赦ない事をずばっと言って、月姉は自分の食事を取ってきた。  あれ、そういえば……。 「月姉、その格好……」  私服だけど、出かける服装じゃない。 「月姉は、いつ帰るの?」 「まあ……適当に、かな」  月姉の家は、市内にある。  同じ市内とは言っても、うちの学園へ通うにはちょっと距離がある。  でも、その気になれば、交通機関の予約などせずに、市営バスを乗り継いで帰れる。  帰省は全然イベントとならないわけだ。 「そっちはどうするの?」  家は……育ての親が両方とも、今は海外にいるわけで……。  来たいなら来てもいいって秋に言われたけど、面倒なんで断った。  そもそも、パスポート持ってないって、俺。 「居残り、ってことになるかな」 「ふうん……」 「今年はみんな帰るから、一人ぼっちになるわよ」 「え?」 「あたし、寮長だからね。みんなの予定はひととおり聞いてるのよ」 「今年は、ほぼ全員が帰省するわね」 「たまにそういう事もあるのよね。大抵は何人か残るらしいんだけど、今年は珍しい年みたい」 「夜々ちゃんは大晦日までいるそうだけど、ご両親の顔を見に行くから、元旦は出かけるそうで――」 「……どうする? あたし、残ってようか?」 「いや、いいよいいよ、おじさんおばさんに顔見せてあげなよ」 「……よそはどうか知らないけど、うちはあんまり居心地よくないからねえ」  へえ……そうなんだ。  柏木のおじさんは確かに、いかにも頑固そうというか、幼心には怖いイメージがあったけど……。 「今年はまして、これから受験でしょ。正直、帰らずに済むならその方がいいのよ」  あ、そうか、それもあったな。 「だからさ、祐真の為にも、残ってあげた方がいいかと思って」 「祐真、一人ぼっちになったら、寂しくて死んじゃうでしょ?」 「ウサギじゃないっての」 「飢えで死んじゃうかも。今日のお昼を最後に、寮のご飯はおしまいよ」 「え……!?」 「去年はどうだったの?」 「いや……ぎりぎりまで、出てたけど……」 「あ、そうか。去年は、5人ぐらい残っていたんだっけ」 「今年は、今日でもう5人切るから、食事はここで打ち切りって事でお願いしたのよね」 「月姉の仕業かよっ!」 「仕方ないでしょ。経費節減も寮長が気配りすることよ」 「自分で作る分には構わないけど、食材は自分で用意するように」 「それから、今晩から全館暖房も止まるから、各自自分の部屋で暖を取るように。お風呂は入る人が責任とガス代をもって準備する事」 「うう……辛いなあ……」 「……本当に大丈夫?」 「危ないかも……」 「人間らしく新年を迎えさせてあげる為に、残って面倒みてあげようか?」 「いやいや、それはいいって。大丈夫だよ」 「本当かなあ」 「大丈夫だよ。大丈夫だって」  ――月姉に見得を切った以上は、大丈夫だという事を示さなければ。  とりあえずは買い物だ。  混雑する前に街に出て、年越し用の食材をひととおり確保しよう……と……。 「……あ、しまった」  財布が空だ。  そういえば、今月分の仕送りをまだ受け取ってない。  食費を含めた寮費は、年度頭に一括納入しているけど、俺の生活費は毎月現金が届くようになっている。  海外からなんだし、銀行振り込みでいいと思うんだけど……。  海外赴任する前に、養父母は俺に、こう宣言した。  数字だけが増減する振り込みは教育上よろしくない。お金の大切さを知るために、必ず一度は直接手にするべし――。  で、毎月、俺は現金の入った封筒を受け取ることになっているわけだ。  おかげで、円相場にはいつも注目するようになった。  月末に急激な円安というのが最高だな、うん。向こうの負担が少なくてすむ。  受け取りに関しては、寮の管理人さんに印鑑預けてお願いしてる。  本当なら俺が直接受け取るべきなんだけど、配達時刻は大抵授業中だし、郵便局はちょっと遠くて面倒だから。  よかった、早めに気がついて。  管理人さんが年越しでいなくなってしまっていたら、受け取れないところだった。  ――と、思っていたら。 「…………え?」  ……管理人さんからは、受け取っていないという返事が返ってきた。 「そんな……おかしいなあ」  年末だから、配達が遅れているとか?  それならそれで仕方ないけど……手持ちがないのは、これから年越しを迎えるってのに、まったくもって不安極まりない。  ……本当に届くんだろうな?  も、もしも寮生の生命を支える仕送りが届かなかったら……。 「う…………」  雪に閉ざされたいずみ寮の中、無一文で迎える新年……うわぁぁぁ、想像するだけでゾッとする!!  いや、新年を迎えられればまだいい! 最悪の場合、金欠死ということも!! あたら若い命が永郷市に散ろうしているっっ!?  お、お、お養父さんに連絡ーーーーーっっ!!!  なんて、だめだだめだだめだ! まず時差がある! 向こうは夜だから、こっちの夕方まで待たないと電話できない……!!  それに……本音をいえば、『お金ないから送ってください』とか言って心配かけるのも気がひける。何かの間違いかもしれないし。  いざとなれば、食事のおばさんにお願いして、今晩と明日の分を作ってもらう事は出来ると思うけど……おばさんも帰ったら、その時は……。  財布の中を確認する。  …………。 「つ――月姉に借りる?」  いや! 駄目、却下!! 大見得切っておいて、いくらなんでもそれは情けなさすぎる!  つまりは……あれか! こういうときのお友達、俺の炭水化物の源!! 「これで生き延びる事ができます、ありがとうございますっっ!!」  学校の購買に出入りしているパン屋さんの店先で、俺は深々と一礼!  生命線となるパンの耳は、ありがたい事に豊作だった。  クリスマスにサンドウィッチがよく売れたそうで、その分パンの耳も沢山出たのだとか。  冬場なので傷む心配はないし、俺が来るかもしれないというので、袋いっぱいにわざわざ用意しておいてくれたのだ。 「ありがとうパン屋さん! 仕送りが無事に届いたあかつきには、誓って、いつも買うのより30円高いデニッシュパンを買いに来ますっ!!!」  感涙にむせびながら、しかしパンの耳だけで冬を越さずにすむように、俺は他の方法がないかどうかをさらに模索!  おせちだの、睨み鯛だのと贅沢は言わない! できれば雑煮! それがだめでもなんとか餅くらいは……餅くらいは食える正月を迎えたいっ!  ハッ……アルバイト!?!?!?  そ……そうだ、今からでも遅くない、日払いのバイトなら現金が手に入るっ! うまくすれば黒豆が買えるくらい出来るかもしれない!  校則ではバイト禁止……いや、でも冬休みの隙にちょっと離れた駅に通ってバイトするぶんには、誰にもばれやしない公算大!  走って鍛えた体もある。つまりは警備員とか工事、荷物配達、その他各種の肉体労働でもバッチ来い……!?  そして、俺の目の前には都合の良い事に本屋があるっ!! 「さーて、バイト雑誌バイト雑誌……っと♪」  立ち読みごめんなさい。でもって、今からでも間に合うアルバイトは……。 「こんにちは、天川先輩」 「うわぁああっっ、ひ、日向!?」 「む、なんですか? そのオーバーリアクション?」 「ななななな、なーんでもないっ!」 「むむっ、その手に持っているのは、アルバイトの雑誌……!?」 「うぐぐ……!」  だ、だめだ美緒里、その勘ピューター(死語)を働かせちゃいかーーーーんっっ!! 「ふふ……(きらーん☆)」  そ、その目の輝きっっ!? 「もしかすると……ひょっとしてですよ? 先輩、お金にお困りですかぁ〜(☆きらきらきらーん☆)」  うわぁぁぁぁぁ、お空に輝くティンクルスターが美緒里の両の目にっっ!! 「だっ、だめだー、それは夜空に返してやってーーー!!!」 「はい?」 「いやその、なんでもない、なんでもないっ! ましてやバイトなんかじゃない!!」 「ほっ……そうですよね。校則で禁止されているアルバイトを、天川先輩がこーっそりやろうなんて考えてないですよね?」 「そそそそそうそうそうそうっ!! 全然バイトなんて考えてないっ!」 「もちろんです、校則で厳しく禁止されていて、破ったら一発退学すら危ぶまれる日雇いのアルバイトを、天川先輩がこーっそり2、3駅隣に通ってなんか……」 「わーっ! わーっ!! 知らない、断じて知らないっっ!!!」  に、に、逃げてー! 恋路橋より遠くへ逃げて、俺ーーっ!!! 「…………」 「…………♪」 「…………」 「…………♪♪」  かくして俺はてくてく歩く、この町を。  そしてなぜか美緒里がてくてくついてくる、俺の後を。 「……えーと!!」 「はい、何でしょう」 「なんで、ついてくるのかな? アルバイトなんかするわけない俺の後を!」 「この方向へ行きたいからです。アルバイトなんてするわけない天川先輩が、偶然私の前を歩いていますけど」  これはあれだ! ディスカバったチャンネルで見たことがある――弱った獲物を遠巻きに追ってくるハイエナだかコヨーテだかの群れ! それと同じだ! 「えーと……」 「あー、どこかにお金を必要としてる人はいないかなぁ……」 「もうじき帰省するとか、その前にご両親へのおみやげを、山盛り買うとか買うとか買うとかぁ……」 「移動中にも豪華幕の内駅弁やその他普段は食べない山海の珍味を、食すとか食すとか断じて食すとかぁ……」 「そういったもろもろの渇望を満たすことの出来る、この世でただひとつ特効薬を必要としている哀れな人が、同じ空の下にきっといるはずなのに……!!」 「いつか、その人と私はめぐり合うことができるのでしょうか……はぁっ」  冬空を見上げてため息をついた美緒里の目は、完全に¥マークになっているわけだが。 「悪いけど俺は帰省しないし、別の空の下を探すといいよ」 「え?」 「俺ずっと寮にいるから、特効薬は必要ないんだよね」  すごい俺! よくぞやせ我慢を貫いた(大量のパンの耳を持ちながら)! 「……帰らないんですか?」 「いろいろあってね……帰るあても今んとこないから、去年も寮に残ってたし、今日だって、年越しの食料を買い出しに来ただけだから」 「年越しメニューでしたら、やっぱり口にも甘い良薬がたっくさん……」  誘惑に瓦解しそうな俺に向かって、その手つきはやめていただきたい! 「い……いや、大丈夫! だって……」  そうして胸を張った俺は、月姉に続いて見栄張りの第二弾! 「金ならあるッッ!!!」 「がーーん!!!!」  パンの耳を持ってよくぞ言い放った、俺! 「で、でもそのパンの耳は……」 「鯉のエサ!!」 「ええ!? いずみ寮に池なんて……」 「あるッ! 実はある!!!!」 「あ、あるん……ですか……」 「あるッ! 売るほどある! だから平気! 俺平気!」 「……そうですかー」  なんだ、肩落としてしまった……悪いことしたかな?  でも……ここで美緒里の『キャッシュ101』を利用するのは超危険だと本能が告げている! ご利用は計画的にと告げているッ! 「そういうわけだから、森へお帰り?」 「…………いえ、そういうわけにはいきません」 「このうえまだ俺に何か!?」 「いえ、先輩以外にも……」 「ま……まさか歳末大取立て祭!? 帰省前にちゃんと納めるものを納めていただかないとキャンペーン発動!?」 「少し違いますが……だいたい似たようなものです」 「……帰省の交通費くらいは残してやれよ」 「はい、もちろんですっ!」  ううっ、なんて屈託のない笑顔……これが運動部のマネージャーあたりだったら、すごく健全なやりとりだというのに。  しかし……この時期を狙うとはさすがだキャッシュ101。 「おお、UMAが帰ってきたか! 最後の最後で間に合って嬉しいよ」  桜井先輩も荷物を傍らに置いて、まさにこれから帰省の風情だ。 「ほう……クリスマス明けに女連れ……つまりホテル帰りだな?」 「先輩の生きてる世界は俺たちと違いすぎます」 「はっはっは、なにを馬鹿な事を。この僕などこれから駅前で、ひとときの逢瀬……あ、いや別れを惜しむ女性が1人2人3人4人……」 「………………(引いてる)」 「ほら、穢れない子が引いてるじゃないですか! それにしてもよくそれだけの予定をかぶらずにこなせますね!」 「?? 4人が別件だと言った覚えはないが?」 「5Pかっっ!!!! こ、このケダモノーーー!!!」 「やあ、そんなに褒めちぎらないでくれたまえ」 「………………(ドン引き)」 「ほらー、年末だってのにドン引いてるじゃないですか! さっさと逢瀬でも帰省でもいってきてくださいっ!!」 「あの……宿泊費のご用命は……?」 「お前も商売かっっ!!!!」  ――かくして、色欲の権化が帰省のために姿を消し、いずみ寮に平和が戻ってきた。 「……はぁぁ」 「……だめですね」 「どうしたの?」 「…………静かです」  美緒里に言われてあらためて冬休みの寮の様子に俺も気がついた。  いつも誰かがいて常にざわざわしている寮内が、今は耳が痛くなるくらいにしんと静まりかえっている。 「あ、お兄ちゃん……お帰りなさい」 「静かだな。みんな、もう帰っちゃった?」 「うん……みんなは、ほとんどお昼過ぎには出発しちゃって」 「それじゃ貸金の回収が……」 「はぁぁっ……新規顧客を引っ張れると思ったのに……」 「そっちがメインだったのか!!」 「お邪魔いたしました、失礼します……」 「あ………」 「いやいやいや、せっかく来たんだから、お茶ぐらい飲んでけよ」 「ありがとうございます、はぁ、お茶……顧客……」  うーむ、頭の中はそっちで一杯のようだ。  しかし、いくら彼女の目当てが瓦解しようとも、俺は断じて金欠を悟られるわけにはいかないのだ……気を引き締めていこう! 「……送ってこうか?」 「いえ、別に寄るところもありますから、お気遣いなく」 「……そっか、じゃあまた……年内?」 「どうでしょうか……失礼します」  かくして、当ての外れた美緒里がとぼとぼと家路についたあと、俺は養父母に国際電話をかけることにした。  寮の電話を少しなら無料で使わせてもらうことができる。俺みたいな海外通話は反則ギリギリの大技だ。 「1日遅れだけど……メリークリスマス」  海外滞在が長いおかげですっかりフランクになっている養母と挨拶をして、それとなく仕送りの事を聞いてみた。  向こうの現地時間では朝で、案の定、昨晩のクリスマスパーティでは大いに盛り上がったそうだ。 「はぁ……はい、はい……はい、いや、俺は大丈夫……はい、送った? あ、はいはい、了解です、多分もう受け取ってる、はい、はい……はい、それじゃ」  受話器を戻して、俺はしばらく考え込んだ。 「………………送った??」  いつも通り、仕送りはとっくに発送されているはずとの事だった。  むしろ、いつもと同じ額で足りるかと心配までされる始末。 「い……言えないっ!!」  そこまで善意で応対されちゃ、催促がましい事なんて言える訳がない。  つまり、これは……。 「………………」  明日には届くよな……うん。  もそもそとパンの耳をつまむ。  これが今日の夕食だ。  食堂のおばちゃんが作り置きしてくれたとしても、万が一にも仕送りが届かなかったら致命傷だ。最悪の状況に備えて、パンの耳に口を慣らしておこう。  それにしても、がらんとした食堂もそうだし、この食事の内容も、寂しいなあ……。 「あれ、どうしたの?」 「なんでそんなの食べてるんですか?」 「いやあ……それが実は……」  月姉と夜々――この二人になら、今回の事情を話しても大丈夫だろう。 「……というわけで、最悪年越しサバイバルが待ってるかもしれないんだ」 「郵便事故なのかな……」 「そうね。この時期だと郵便局もアルバイト動員して、年賀状の仕分けでおおわらわだろうし、何かあっても不思議じゃないわね」 「ううっ、リアルで不安になってきた……本当に届かなかったら、パンの耳で年越しか……」 「……哀れね」 「大丈夫だよ、お兄ちゃんなら! はい、今夜の差し入れ」 「おおっ、菓子パン!」 「夜食用だけど、お兄ちゃんが食べてくれるなら……」 「あ、ありがとう、ありがとう!! ああ、持つべきものはよき後輩だ!」 「仕方ないわね、じゃああたしも……」  おおっ、おにぎりだ! 「こっちの方がお腹にたまるでしょ」 「あ…………」 「感謝極まりない……はぁぁ、持つべきは優しい先輩と理解のある後輩か……」  しかしまあとにかく、すべては明日だ。  明日、仕送りが届きさえすれば万事解決。俺も楽しく新年を迎えられるというものだ。 「う…………」  もし、届かなかったら……。  ううっ、空耳でキャッシュ101の宣伝が聞こえる……指切りが迫ってくる……!!  た、頼むぞ! 明日、俺の命綱を届けてくれ!  ……そして、朝が来た! 「うおぉ……寒っ!」  昨日から全館暖房が切られているので、部屋を出ると冬の寒さが身に染みる。 「極寒はリビングも変わらずか……」 「おはよう」 「おはようございます」  寮に残っている二人も同じ感想みたいで、言葉数は少なかった。  とりあえず、食堂のおばちゃんが冷蔵庫に残しておいてくれた、最後のまともな食事を温めて……。 「いただきます」 「いただきます」  女性二人は、あらかじめ買っておいたらしいサンドウィッチとコーヒー、ヨーグルト等でオサレな朝食。 「こういうのもたまにはいいわね」 「そうですね」  本当にいいよなぁ……くっ、金さえあれば……。 「仕送り、今日届くはずなんでしょ?」 「届く届く! 楽勝で届く!」 「絵に描いたようなやせ我慢ね」 「そんな事ないって、俺はいつも楽天的に……」 「パンの耳で年越し……(ぼそっ)」 「うわぁぁぁ、言うな!!! お前はそんなキャラじゃない!!」 「困ってるなら貸してあげるわよ、あ、そうでなくてもお年玉って事で……」 「気遣い無用! 男一匹、何とでもなるから!」 「高楊枝? 武士気取りもいいけど、この季節、食べるもの食べておかないとすぐ体壊すわよ」 「平気、鍛えられてますから! 誰かに!」 「……意地っ張り」 「それも誰かに教わった事だから」  珍しく月姉を論破した俺は……寒空の下、寮の玄関に陣取って配達員が来るのを待っている。 「う……ぶるぶる」  寒い……。  太陽は〈燦〉《さん》〈々〉《さん》と輝いてるってのに、気温が上がらない。 「放射冷却現象ってやつかな。とにかく寒いや、さすが冬!!」 「…………ううっ、だめだこれは、じっとしてたら風邪を引いてしまう」  よし、走ろう。時間も潰せるし、体も温まって一石二鳥!  もし届いても、月姉がいるんだから、受け取ってくれるはずさ……うん。  俺はその辺を月姉に伝えると、動きやすい服装に着替えてランニングに出かけた。 「はっ、はっ、はっ、はっ……」  吐く息が白い。顔に当たる風が冷たい。  冬場は、いきなり全力疾走は危険だ。かたまっている筋肉がつりやすい。  小走り程度のペースで、ゆっくりと全身をほぐしてゆく。  年末という事もあってか、道をゆく車も、歩行者も少なく、走りやすい。  だいぶ体も温まってきた。よし、ここは橋の向こうまでダッシュだ! 「行くぞ……っと!?」 「……こんにちは、天川先輩」 「やあ、日向……んんん!?」  驚いた。冬休みなのに毎日よく会うなーとか、そういう話はさておき、俺の目の前にいる美緒里が両手で持っていた物は……。 「……なんですか?」 「いや……」  彼女が持っていたのはでかいショルダーバッグなんだけど、なんていうか……。  なんでしょう、バッグから突き出した長い棒は? そして熊手や鎌がカチャカチャと揺れてて、明らかにスコップの先と思われるものが顔を覗かせていて……。 「その荷物……まさか……」 「……ぎく!」 「ついに多重債務者に保険をかけはじめたか! そして夜な夜なこっそり死体の……」 「…………ご名答!」 「いや認めるな! こんな時期に大荷物をかかえて、どこへ行くのかな?」 「ふっふっふっ……それはですね」 「ふむ?」 「…………秘密です」 「そっか」 「ずいぶんあっさりしていますね。秘密の大計画があるんですよ?」 「そんなに興味があるわけでもないけど、お金がらみの計画?」 「ご名答、さすが先輩ですっ」  いや、簡単にわかるし、そこで『さすが』と言われても嬉しくない! 「よくわかんないけど、あんまり物騒なことはしないようにな」 「大丈夫です。いろいろあってやる気満々ですから! ふんふんふーん♪」  スコップだの熊手だのを満載したバッグを持ちながら、美緒里が軽やかに歩き出す。 「今はまだ話せませんが、この計画が成功したあかつきには、先輩にも一口かませてあげます」 「限りなくブラックな響きがするんですけど??」 「あはは……おっと、こうしてはいられません。失礼します!」  つむじ風のように美緒里が走り去っていった……。  あまり足を突っ込みたくない雰囲気を漂わせながら、日向美緒里が遠ざかっていく。  いったい何をやってるんだろうあの子は、謎だ……。  ……寮に戻ってみたが、やはり届いてはおらず。  とうとう日が暮れてしまった……このままだと俺の生活がもっと大変になってしまう。 「ちょっと祐真! 大変よ!」 「わぁぁ、やっぱり大変になるんだー!」 「なんの話か知らないけれど、こっちは本当に大変なのよ、大変!」 「えーーーーーーーーーーーーっっっ!!!! 誰かが受け取ったーー!?」 「……そう、郵便局は配達したって言ってるし、受け取りの記録もあるんだって」  月姉は、一日千秋の思いで立ち尽くしている俺を見かねて、直接郵便局に電話して配達の確認をしてくれたのだ。 「そ、そんな馬鹿な……管理人さんの所には来てないって……」 「受け取り確認の所には、サインで、天川と書いてあるそうよ」 「それって、誰かがお兄ちゃんになりすまして仕送りを受け取ったって事……?」 「それが一番ありそうな話ね」 「ルルルルパンじゃないですかっ! おのれ怪盗!!」 「難しいことじゃないわ。郵便配達の人が来た時に管理人さんより先に出て、自分が天川祐真ですと名乗り、サインして受け取る……」 「この寮の人になら誰にでもできますね」 「いまから犯人探しをしようにも、みんな帰省しちゃってるし……困ったわね」 「な、なんてこった……そんな展開になってるなんて……」  寮の誰が犯人かも大事だけど、俺にとってまさに切実なのは、仕送りを受け取るチャンスがなくなったって事だ!  理由をぶっちゃけて養父母から再度送金してもらうか、あきらめてパンの耳をかじりながら除夜の鐘を聞くか……あるいは。  月姉と夜々が困ったように顔を見合わせる。ううっ、このムードはなんか苦手だ。 「祐真、こういう事になったんだから、良かったらあたしが……」 「私も、あんまり手持ちありませんけど、ご飯をちょっと買えるくらいなら……」 「平気平気! いざとなったらまた仕送りしてもらえばいいし、とりあえずは自力でなんとかしてみるよ」 「お兄ちゃん……」 「そんな顔するなって。寮から追い出されるわけでもないんだし、新学期が始まるまでの話だしさ。本当にどうにもならなくなったら、その時頼むからさ」 「こういう時は甘えていいのに、どうしてこう意地っ張りなのかしらね」  それはきっと月姉にゴリゴリ鍛えられたせいだと思う。  そうだ、もともと予定のない冬休みだ、そこをいかにして乗りきるか……トライしてみるのも悪くない! 「最低限の食料は確保してるし、これくらいのピンチ、先月のキャスティング地獄に比べればどって事ないよ」 「大ピンチに追い込んで悪かったわね」  月姉が安心したように笑う。俺はちょっぴり虚勢を張りながら、鼻歌交じりで自分の部屋に戻る事にした。  ……でも、気持ちのどこかで、ここんところニアミスの多い美緒里の影がちらついたのも事実だ。  後輩のわりに頼りになる子だし、いざとなったら『キャッシュ〈1〉《わん》〈0〉《おー》〈1〉《わん》』を?  いやいやいや、それは全力で避けるべきだろう。むしろ校則にふれずに急場の資金作りをするアイデアを聞いたほうがいいか?  ……だめだ、美緒里がタダで教えてくれるとは思えない。  それにしても彼女、あんな道具抱えて何をしてんだろうな。  危ない事してなきゃいいけど……。 「ふああ……腹減ったー」  起床と同時に、腹が音を立てた。  金欠による食事量の減少が、俺の体にじわじわと影を落としつつある。ていうか元気過ぎるんだ、俺の胃腸が! 「うぅぅ……なんか食べ物落ちてないかなー」  冷えた廊下をたどり階下に降りると、食堂のさらに奥、厨房の方で何やら音がした。 「これは……」 「……ごくっ……」 「腹減っ……ん? 何やってるの?」 「あ、祐真」 「先程、先輩がこれを見つけたんです」  夜々が手にしてるのは細長いプラスチックの容器――夏に麦茶なんかを作る、あれだ。  それが数本。中身は……?? 「隅のとこに、隠すみたいに置いてあったのよ」 「どれどれ……」  まずは容器を確認。  手書きで☆マークが書いてある。1、2、3という数字も。 「誰かが置いていった物だと思うけど……」 「☆……あっ!」  もしかして……これは稲森さんの……。 「……心当たりあるの?」 「あ、いやいやいや、無いよ、全然無い!」  これが稲森さんの手作りヂュースだとしたら……。  い、言えない! 真実の稲森さんが実は恐ろしく料理が下手だった事なんて、当時を知る俺の口からは決して言えないっっ! 「うーん…………あ、真星ちゃん?」  ゲェェェーーッ!! なんでこういうとこで鋭いかな、この人!! 「稲森……真星、あ、そうか」 「いやいやいや、そうとは限らないよ、そうとは!」 「きっとそうよ、だって真星ちゃんあの時もお手製のミックスジュース差し入れしてくれたじゃない?」 「ああ! そうですよね」  うわぁぁぁ!! い、いいのか……これはおそらく市販のジュースではなくて、正真正銘、稲森さんのお手製ミックスヂュース……。  通称『魔星』の名にふさわしい、地獄の釜に充満しているものに等しい味と効力をもった、BC兵器並みの脅威の液体のはず……。  ボトルに耳を寄せてみる。 「ぷちっ……ぷち……ぷちっ……」  発酵の進む原液内で、小さな気泡が潰れているような音。  こ、これは……密閉空間で発生した、カビやら粘菌やら、そういった新種の生命体が、しきりに細胞分裂を繰り返している様な……。 「ちょっと、味見してみません?」 「あ、それいいかも」 「だめーーっ!! 良くない!!!」 「何よ、いったい?」  月姉の手が、容器の蓋にかかる!  ぐあああっ、バイオハザード、レベル4警報!! 「い、稲森さんいない時に勝手に飲むのはよくないっ!!」 「ふっふっふ、寮生の鉄則。見つかるような場所に食料品を隠さない! 見つかったが最後、根こそぎ食べられても文句言えなーい!」 「そ、そんな……月姉がそんなモラルハザードなセリフを!」 「……なんてね、冗談よ」 「ほっ……脅かさないでください、柏木先輩」 「このまま置いておいたら真星ちゃんが帰ってくる前に駄目になっちゃうから、飲んであげるのが親切ってものよっ」 「結局飲むんかーーー!!」 「なによ、騒がしいわね」 「お兄ちゃん、稲森さんのジュースになにか強い思い入れが……」 「そ、そうじゃない、そうだけどそうじゃないっ!」  ううっ、1年の頃に味わった稲森さん特製ケーキの味が蘇ってきた。まさに魔界! 言葉では言い表せない混沌の味!  ええと、ええと、稲森さんの名誉を守りつつ、この二人が納得してくれそうな理由を……何か……。 「ほほほほら! 本当に俺が飢えた時の、最後の命綱ってことで、残しておいてくれると大変ありがたいですっ!」 「あ……それで」 「もう、だったら最初からそう言いなさいよ、わかったわ。残しておいてあげる」 「お兄ちゃんの役に立つんだったら、喜んで」 「あ、ありがとー! ありがとー!(棒)」 「いいこと、限界まで来てからいきなり飲むんじゃなくて、その前から、少しずつ飲むようにするのよ」 「漂流した船の乗組員が、助けられた時、飢えた腹にいきなり食べ物つめこんで、消化できずに死んでしまった事例が歴史上いくつもあるの」 「消化するにもエネルギーがいるんだから、余力のあるうちに補充するように、わかったわね?」 「はいはいはいっ! 了解でありますっ!」 「……ふう……」  かくして、危機は回避された。  今、この瞬間にも、世界のどこかで誰かが、こんな風に世の破滅を防いでいるのかもしれない。  ともあれ、この場で地獄の蓋を開けずにすんだ。俺はひそかな満足感を胸に外出をすることにした。  ただの外出じゃない。これは年末を生き延びるためのサバイバルなのだ!  目標は、商店街の外れにある大型スーパー!  年末商戦でごった返しているであろうその中に潜りこみ、試食品や無料サービスを目一杯堪能するッ!  なんて名案だろう! 昨夜、空きっ腹を抱えて一晩中考えた甲斐があったというもの!  言うな!! それがホームレスな人達の知恵袋だって事は、俺だって百も承知なんだ!! 「……ふう」  満足満足。ソーセージやハンバーグから、魚介類、ミカンにジュース、コーヒーまで、フルコースで賞味させていただいた。  一応遠慮はして、一口、せいぜい二口までにしておいた。顔を覚えられない事こそが長続きの秘訣!  これで天川祐真はあと十日は戦えます。ありがとう、ありがとう大手量販店! 「奇遇ですね?」 「うわっ、三日連続!?」 「そうですね、狭い街だから珍しい事とも思えませんけれど」 「あれ……でも日向は、電車通学だったんじゃ?」 「それが何か?」 「……いや、おまけになんで制服姿?」 「花泉の制服を着てると便利なんです。人に声をかけやすいですし、キャッチのお兄さんに捕まることもないですし」 「ははぁ……なるほど」  電車でここまで来るのも、なんらかの経済活動を目的としているのかもしれない。ううむ、うかつに触れないでおこう……。 「…………」 「…………」  ……で、どうして俺の後を彼女はついてくる? 「……はぁ、暇ですね」 「暇!?」 「……暇です」 「おかしな事を言いましたか?」 「い、いや……君の口から暇なんて言葉が出てくるとは思わなかったから」 「そうですか……はぁぁ」  物憂げに空を見上げる美緒里……クリスマスパーティーの時は、あんなに意地を張って忙しいと連呼していたのに、今日の彼女はどこか頼りなげだ。 「……どうしたの?」 「……この時期はどうもダメです」 「年末か。大人は忙しそうだけど、冬休みのオレ達はのんびりしたもんだよな……」 「みんな帰省しているか、家でゴロゴロしています。もっと外に出るべきなんです!」  お……体力の低下がとみに問題視されている俺たちの世代に向けての、積極的発言? 「いや俺もそう思うんだよ、みんなもっと健全に体を鍛えるために……」 「外に出て、遊んで、お金使って、使って、使うべきなんですっ!」 「………………」 「それでこそ健全な経済活動というものなのに……はぁぁ」 「……同じ空を見ているようで、全然違うものを見てるってこと……あるよね」 「先輩……泣いてるんですか?」 「泣いてなんかないやい! だいたい日向が暇してるってことは、世界平和のためにいいことなんだ、そうに決まってる!」 「ど、どうしてですか?」  お、ほっぺたがリンゴみたいにふくらんだ……美緒里がむくれるのを見るのは初めてかも。 「わかりました、そこまで言うのなら、今すぐ街頭キャッチで困ってるお客さんをひっかけてみせますっ!」 「な、なぜそんな結論に!?」 「お金に困っている人に貸付をすることが、どれだけ社会貢献につながっているか、先輩に分かってもらうんですっ!」  そう言ってくるりときびすを返す美緒里……こ、これは本気だ。この子ならやる!  だめだ、町の風紀が! おまけにうちの制服着たまんまだしーー!!! 「待った、ちょっと待ったーー!」 「もうー! 手を離してください、威力業務妨害ーーっ!?」 「う……うるさい、世界平和のためだ!」 「な、なにが世界平和ですかぁぁ……!」 「うぐぐ……わかった、じゃあ寮に来いっ! お茶とお茶菓子つけるから!」 「本当ですか!?」 「な、なんでそこで目を輝かす!?」 「お帰り……と、あら?」 「こんにちは、お邪魔いたします……」 「ふうん……寮に後輩を連れ込むなんて、やるわね祐真も」  にま〜っと、それはもう人の悪そうな笑みを浮かべる月姉。 「ち、ちがいます! 全力で違います!!」 「そうなの?」 「はい、『お茶しなーい?』って誘われました」 「やめろーー! おおお前アッタマおかしいぞ!! あぁぁ、女子にお前って言ってしまった!!」 「はーいはい、慌てない慌てない、見なかったことにしておくから」 「見て、全部見て! 真実を見て!」 「リビングじゃ寒いでしょ。祐真の部屋にあがってもらったら?」 「先輩のお部屋……(きらーん☆)」 「コーヒーでも淹れるわよ。まあ、ちょーっと時間がかかるかもしれないけど、若いお二人で、ごゆっくり〜〜〜♪」 「いいっ、ここでいいです、ここで! 寮のリビング大好きーーー!!」  関われば関わるほど、美緒里を部屋に入れるのは、ものすごい危険な予感がする。 「コーヒーもいいよ! 水でいい、お冷ふたつ!」 「部屋になら持ってってあげるわよ?」 「……いいです、自分で用意します」 「お茶とお茶菓子……」 「ううっ、お、お茶と、こないだの茶菓子残ってる?」 「とっくになくなってるわよ、ほら、祐真がんばってエスコートしなくちゃ」 「だから名前で呼ぶなって!」 「ごめんごめん、じゃーねゆーま、がんばってー♪」 「だから名前でーー!!」 「早くしてください、ゆーま先輩」 「お前まで名前で呼ぶなーー!!」  まずお湯を沸かしてお茶を……ううっ、しかしお茶菓子がないと美緒里は許してくれなさそうな気がする。  強引に引っ張ってきたんだから、ここはなんとかしないとな……。 「ん……待てよ!」  そのとき俺の脳裏にひらめいた朝の光景!  確かここだ……この冷蔵庫の隅に……! 「ふ、ふふ……ふっふっふっ……待っていろ日向美緒里」  世間知らずの後輩に、先輩をからかった罰を与えてやろう。  そして俺は――あの☆印の禁断の容器に手を伸ばした……。  ………………。 「お待たせー♪」  お盆にひとつだけコップを乗せて、うやうやしく運んでくる。 「あいにくお茶菓子を切らしていたので、かわりに季節のミックスヂュース、プロヴァンス風です」  俺がテーブルに置いたコップの中には、濁った黄緑色の、謎の液体。  細かな泡が浮かんでいるのは、炭酸……ではなく、やはり……発酵……なんだろうな。  コップに注ぐ時に、甘いような、刺激物のような、何とも形容しがたいにおいがした。 「み……ミックスヂュース?」 「当いずみ寮のパティシエの自信作です。通好みの味付けになっておりますが、ぜひご賞味くださいませ」 「通好み……ですか、面白そうですね」 「それはもう面白いことうけあい! 特別なお客様ですから、特別なおもてなしをさせていただきます」 「面白い……」  見るからに面妖な液体を、美緒里がしげしげと覗き込む。  だけど、コップを手に取り、少しだけ揺らすと――それを口へ運び……。 「くんくん……匂いは、いいですね……」  そうなんだ……それは気づかなかった。 「それじゃ……いただきます」 「ど、どうぞ……」  うおおお……い、いま再び炸裂する、封印を解かれた4年ぶりの『魔星』メニュー!? 「ごくっ……ごく……ごくっ……」  一気に、飲んだ!!  美緒里の喉が動くのを、俺は食い入るように見つめた。 「ごくっ……ぷはあ……」  コップを空にすると、美緒里は満足したようなため息をついた。 「これは……すごい……不思議な……」 「う……!?」  口を押さえる。  しまった、酷い味ならともかく、腐っていたか……!? 「だ、だ、大丈夫か!?」 「う、う……!!」  美緒里の顔が、むくんだみたいにふくらむ。  首筋から耳まで真っ赤に染まる。  美緒里はくしゃみでもこらえるみたいに固く目を閉じて、そして……。  その両耳と脳天から、湯気がぶしゅううっと噴き出した!  そして……。 「ほひひぃぃぃ…………はふぅ…………!」 「だ……大丈夫か?」 「はふ……はあぁ……んああぁ……」  頬を上気させ、うっとりと目をうるませて……何というかその、ものすごく色っぽい声を漏らし、しどけなく体を傾けて……。  い、いったいあのミックスヂュースは、いったい……!? 俺はとんでもないものを飲ませてしまったんじゃなかろうか! 「おい、おい、日向?」  俺が彼女を助け起こそうとした、そのとき! 「おいしーーーーーーーーーーいっっ!!!」 「美味しいです、すごいです、これはっっ!!」 「な、な、なに……!?」  少し『ミックスヂュース』のこびりついているコップを、両手で捧げ持った美緒里が震えている。 「こんらに美味しいジュースを飲んだことがありませんれした、さすが特別なおもてなひ!」 「うそ……ど、どんな味?」 「すごいれす……甘さと、刺激と、熱さと、すべてを兼ね備えた……衝撃としか言いようのない……」 「ああっ……なんらか、〈身体〉《からら》が軽いれふ……悪いものが全部出ていったような!」  うおおお、美緒里の回りがキラキラしている! ていうか酔ってるし!! 「ああ……なんれしょうかこの多幸感……新雪の降り積もった草原を前にしているよう……真っ白れ、透明れ、澄みきって!」 「そんなにすごいのか……じゃあ、俺もひとくち……」 「らめですっ!!」 「な、なぜ!?」 「これは〈売〉《バイ》になりますっっ!」 「ば……ばい!?」 「そうれすバイです! これは売れます! めちゃくちゃ売れますっっ!」 「う、売れる……?」 「まずはここのパティシエを口説き落としまふ! そして原材料と調合比など詳しいレシピを買い上げて……それから先は独占製造、独占販売!!」 「原材料は果物メインれしょーから、問屋からのルートを開拓してれすね、仮に5000円で製造できる量から、顧客人数と利益率を……」  よ、酔っ払った脳内で、凄まじい勢いで計算が成されている!? 「ハッ……違うわ! ただ単品販売で儲けていてもたかが知れています! ここは……か、か、会員制っっ!!」 「そう! 最初は限られた人数のみに限定販売! それから顧客に口コミで宣伝、販売をさせて、一人あたり三人を新規開拓ノルマとすれば利益率は……」 「おい、ちょっと待って……」 「違う、まら生ぬるい! このジュースの中毒性をもってすれば、もっと高みが目指せるはず……!!」 「すなわち三人までは赤、四人目から儲けになるようにマージンを設定!! 子には、さらに孫の顧客を開拓させることで……ああああああああ!!!!」 「待てええええっ! 待て待て待てええっ!」 「たたた大金の予感れすっ!! 大もうけれす! このジュースこそが巨万の富を……」 「だめだ! それをマルチっていうんだーー!!!」 「マルチプルにお金が儲かるシステムれす! むしろ褒め言葉と解釈すべしっっ!! 先輩は特別にダイヤモンド会員からスタートしてもいいれすから!」 「いらん、俺は浄水器も羽毛布団も売りさばかんっ!!」 「こんなビジネスチャンスを前にして、それでも男の子れすか!!」 「いいれすか、いったん中毒にしてしまえばこちらのもの。以後は原液を薄めたレギュラードリンクと、プレミアドリンクというグレードを設定することで……」 「だめだーー! どんどん悪質なシステムになってやがる!! バイトもしない真面目な君がどうしてそんな!!」 「マルチも起業も校則では禁止されてませんっ!」 「そこが基準なの!?」 「先輩に足りないのは想像力れす! さあ思い浮かべてください! 黄金のピラミッドを、その頂点にいるのが私たちれす!!」 「毎日財布にお札がぎっしり、買いたいもの何でも買えて、らっきーはっぴーうっきうきー!」  ……カードは使わないのか。 「今こそお金のチャクラが回り始めるのです! すなわちぼろもうけの予感! 勝利の時がすぐそこに……あーっはっはっはっはっ!」  す、すげえ……$が、¥が、ぐるぐると、彼女の瞳の中で渦を巻いてる!! 「さあ共に行きましょう輝ける未来へ! このジュースがシャイニングデイズのオープンセレモニー! いざ、プロージット!!!」 「……残念ながら、そのパティシエはすでに死んでる!」 「え……?」 「うそ、嘘って言ってくらさい……!!」 「嘘じゃない、その人はいま、真の星になって夜空に輝き続けているんだ」 「そんな……それじゃ……だめじゃないれすか……」 「残念だが、あきらめてくれ……」 「うううっ……惜しい人を亡くしました……」  このさい嘘も方便。酔っ払った美緒里の妄想に任せていたら、俺も大金の誘惑にゆらぎかねない!  稲森さんには申し訳ないけれど、遠いお空の人になってもらうことにしよう。 「全くだ……だからもうあきらめて今日はお帰り?」 「そうします……はぁぁ、もったいない。なんてもったいない……」 「って、どさくさにボトルごと持ってくなーー!!!」 「それでは失礼します、ごちそうさまでした」 「ジュースのことはもう忘れろよ」 「果たして……それができるでしょうか」 「今度はもっとゆっくり遊びに来てもいいからね」 「柏木先輩!」 「はい、それではまた…………」  一礼した美緒里が顔をあげて、俺の顔を見る。 「…………」 「……?」  そのまま、彼女はじっと俺を見つめてきた。 「………………」  クリスマスパーティーの時もそうだったけど、ときどきこの子は俺の顔をじっと見るんだよな……不思議そうに。 「……な、なに?」 「いえ、ごめんなさい、ではまた……」 「美緒里ちゃん帰っちゃうんですか……また来てね」  顔を出した夜々が笑顔で手を振る。夜々と美緒里は、あれからリビングでやけに意気投合して、芝居の時の話なんかで盛り上がっていた。 「良いお年を……かな?」 「そうですね、良いお年を」  俺たちに手を振って、美緒里が小走りで駅へと向かう。 「見送らなくてよかったの?」 「あのね、日向とは全然そういう間柄じゃないから!」 「…………そうなんだ」 「……でもあの子、面白いわね。何だってあんなにビジネス好きなのかしら」 「家が貧乏とか?」 「そうは見えないけど……ま、祐真はあの子が道を踏み外さないように、しっかり見てあげることね」 「わかってる」  俺は何のひっかかりもなく、うなずいていた。  彼女の面倒を俺が見るのは当たり前のこと――その時、自然とそう思っていた。  だってそうだろ、あんな厄介な子、目を離せるわけがない。  彼女が去っていった方向を振り向きながら、俺は月姉たちに続いて寮に戻った。  その日、朝起きると、窓の外は雪で真っ白だった。 「うわ、真っ白ね」 「昨夜は降ってなかったのに、一瞬ですね」 「なんか別世界って感じだな」 「冷え込み凄かったですからね、昨日は」 「今日、帰ろうと思ってたんだけど……これじゃあバスもまともに動いてないわね……」  さすがに月姉も暖房の節約はやめて、リビングに温風が吹いていた。ありがたい。  俺たち三人は、それぞれの食事をとりながら、雪に覆われた庭を眺めていた。  テレビをつけてみると、ニュースキャスターが各地の大雪を伝えていた。どうやら広範囲な降雪だったようだ。  玄関を見に行った月姉が、戻ってきた。 「かなり積もってる。雪かきしないといけないわ」 「仕方ないですね」 「やりますか」  俺たちは防寒装備を整え、寮玄関に移動した。 「うわ、こりゃひどいな……」  入口のあたりに、屋根から滑り落ちたらしい雪がこんもりと山になっていた。  またいで歩くのも難儀するくらいの高さになっている。  物置からスコップを持ってこなくちゃいけないけど、そこへ行く途中も当然雪が積もってるから、大変だ。 「欲張るのはよして、とりあえず玄関先だけ通れるようにしようよ」 「そうね。とにかく道を開けないと」  山に登った俺と月姉が、それぞれスコップで雪かきを始める。 「……よっ、ほっ……」 「なかなか、きついな……」  普段走ってるけれど、使う筋肉が全然違うから、すぐ疲れが出てしまう。  雪かきは去年もやったのだが、きつさが全然違っていた。  去年は寮生が残っている時期に降ったから、人手が沢山あって、当然1人あたりの負担も少なくてすんだ。  だけど今日は、3人だけ。それも、月姉と夜々は女の子だから、実質的な戦力は俺1人。 「よっ、はっ……」  湿って重たい雪をスコップで左右に放り投げて、道を開いてゆく。  ドサーッと、重たい音がした。  うわ……屋根から落ちてきた雪が、今どけたのと同じくらい、またうずたかい山を作ってしまっている。 「気をつけなさい。かたまりがぶつかったら怪我するわよ……」 「わかった、じゃあ俺からも一言!」 「なに?」 「女子はあんま戦力にならないから、中で休んでるように!」 「ちょっと、なによそれ」 「いいからいいから、こういうのは男の仕事って相場が決まってるの……ほら」 「きゃっ、押すな……こ、こら……あ、あ、きゃっ、きゃぁぁぁぁ……」  雪のスロープをずるずると下まで滑り落ちていく月姉。 「あとは俺に任せて受験勉強でもしてるように!」 「ありがと……無理しないでね」  珍しく月姉が素直に言うことをきいてくれた。  ちょっといい気分だけど…………はあぁ、これは大変だぞ。 「こんにちはー!」 「え? うわっ日向!? なぜここに!?」 「はい、今朝起きてみたらいきなりの大雪だったので、お困りではないかと思って!」 「でも昨日『良いお年を』……って」 「昨日の事は昨日の事、手伝いますよっ!」 「……っていうかこの雪の中、どうやってここまで……って、な、なにぃぃ!?」  自信ありげに笑った美緒里が、やる気満々に長柄のスコップを掲げてみせる。 「はいっ、取り出しましたるはMYスコップ!」 「ありえねーー! そんなの持ってきたのか!?」 「念のためです、1本しかなかったら困りますから」  ……その判断は正しいのか正しくないのか、俺には正直よくわからん。 「それでは、てきぱきとすませてしまいましょう。雪は溶けたらさらに重くなりますよ」 「ううっ……なぜかすっかり仕切られている!」  かくして俺は美緒里と一緒に雪かきをすることになった。  ――サクッ! サクッ! サクッ! 「〜♪」  女子のかぼそい腕じゃ役に立たないと思ったが、彼女は持参のスコップを軽やかに使って、見る間に雪山を切り崩してゆく。 「す、すげえ……怪力か!?」 「違います! コツがあるんですよ」 「ただ掘るんじゃなくて、その前にさくさくさくと、こうコの字型に、縦に切れ目を入れるんです」 「それから、水平に刃先を入れると……ほら」  スコップの上に、サイコロのような雪の塊が綺麗に乗っかる。 「何もなしでやろうとしたら、このくらいのベタ雪ってけっこうくっつきますから、持ち上げるのも大変で」 「だからこうして、先に投げやすい大きさに切ってしまうわけです」 「はぁぁ……知らなかった」  う、ううっ、こいつは俺も負けてはいられない! 教わった通りにてきぱきやるぜ! 「へえ、確かにこりゃ楽だわ……なんでもよく知ってるな」 「こういう道具の使い方は慣れてますから!」  えっへんと、ささやかな胸を張る。 「日向さ、自分の家の雪かきはいいの?」 「はい、もう終わらせてきました」 「すげえ……どんなスタミナだ?」 「駄目ですよ、口を動かさずに手を動かしましょう。はい、さくさくっと!」 「は、はい!」  かくして、美緒里の参戦によって、そこから先の雪かきはあっという間に進んでいった。 「……はい、終了〜〜!」  かなりかかると思われた作業が、30分足らずで終わってしまう。 「ふぅ……お疲れ、マジで助かったよ」 「いえ、このくらい何でもありません……」  そしてまた、あの不思議そうな目で俺を見つめる美緒里。  これって……そういう意味……じゃなさそうなんだよなぁ、うーん。 「この雪じゃ、駅からここまで来るのも大変だっただろ」 「いえいえ、先輩のためと思えばこのくらい!」 「えっ……ちょ、ちょっと!?」  困惑する俺をよそに、美緒里はごそごそと、何やらポケットから取り出した。 「それで…………ですね。その……実は、先輩に、これを……」  封筒……?  可愛らしいデザインのもので、封にはハートのシールを使ってある。 「これ……読んでくださいっ!」 「日向……え……?」 「それでは、失礼しますっ!」 「ちょ、待てよ! お茶ぐらい入れるからさ」 「それはまた今度で! 今日はこれから、親と買い物なんです! ではでは!」  自前のスコップを引きずりながら、美緒里は小走りに去っていってしまった……。 「嵐のように来て、風のように去っていったな……」  そして俺の手の中には、かわいらしいピンクの封筒……封をするシールはハートの形をしている。 「ま……マジだよな」  やっぱり、彼女のあの視線は、そういうことだったのか……。  日向美緒里か……うん、変わったところは多々あるけど、でも確かに彼女は可愛いよ。  それに、小柄な割りになんでもできるし、金銭感覚が異常発達してる以外は、多分理想といっていい女の子かもしれない。  でも、まさか……そんな、いきなり告白なんてされても。 「なーにニヤけてるの?」 「……なんですか、この封筒」 「うわあああぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあぁッッ!? だ、だめ、見るな、見てはいけないーー!!!」 「なによ、あら……?」  俺の手から封筒をひったくった月姉の動きが、ぴたりと止まる。 「……ハートマーク」  な、なんてことだ、俺の心の準備もまだだっていうのに……!!  とりあえず、くたびれた体を休める。  こういう時は、甘いものと熱いお茶だ……。 「ふーっ、やっぱり日本人はお茶だなぁ」 「……で?」 「……で、とは?」 「だからそれで?」 「で?」 「逃避もいいけど、それ開けないの?」 「ううっ、ごまかしきれるとは思ってなかったさ」 「ラブレターですよね。初めて見ました」 「ほら、見ててあげるから、ここで開けてごらんなさいよ」 「へ、部屋で読むから大丈夫!」 「照れないで、今すぐ開けなさいってば」 「それは無理でしょ常識的に考えて! 日向にだって悪いしさ!」 「手紙は見せろとは言わないからさ。開いて、読むだけ。ね?」 「……それに何の意味が?」 「見たいのは手紙よりも、あんたのリアクション」 「お兄ちゃん……」  う、ううっ……月姉も夜々も、目がとんでもなくキラキラしてる。  告白の手紙を読んで恥ずかしがる、俺の反応を見て楽しむつもりか!  だけど……もう、部屋に逃げ戻ることなんてできる雰囲気ではなかった……。 「わ、わかった……わかったから……せめて、向こう側に行っててください……」 「はーい」 「楽しみねえ」  うううっ、意地悪だ二人とも……。 「……はぁぁ、もう今から緊張してる」  封筒を破らないように、丁寧にハート型シールをはがす。  心臓の鼓動が痛いほどだ。シールをはがしている最中に、月姉と夜々の視線のことなんかすっかり忘れていた。  まさか、女の子からラブレターをもらう日が来ようなんて。  美緒里のことを特別に想ってたってわけじゃないけど……やっぱり嬉しくないといえば嘘になる。  深呼吸をひとつ! いま、天川祐真はひとつ大人への階段を上ります。  ぺりぺりとシールがはがれ、封筒が開き……。  中からは、折りたたまれた紙片が一枚……。 「……ごくっ!」 「これは……」  ■請求書■  天川祐真様 摘要 出張作業費用    500円    雪かきレクチャー代 240円 小計 740円 「請求書!?」 「………………」  ――雪かき作業の、請求書だ。 「う……うぅぅぅぅぅ……!!!」 「きゃあ、お兄ちゃん? お兄ちゃんっ!?」  俺は、ゴンと頭をテーブルに打ちつけたまま、二度と起き上がることができなかった。  わからん、あの子だけは本当に分からん!!  右を見て、左を見て、気配を探る……。 「……よし!」  ダッシュ! 「はぁ、はぁ、はぁ……」  パンの耳生活のせいで、スタミナが落ちてるな。いつもならどうってことのない距離なのに息が切れる。  でもまあ、このくらい走れば、たとえつけてきていたとしても、まけたことだろう。  もちろん、まくってのは、借金取りこと日向美緒里だ。  あの請求額(740円)は、今の俺にはとても払える金額じゃない。  いやもちろん、そもそも払うべき金じゃないんだけど、あれだけ雪かきを手伝ってもらっておいて、それを強弁するのがなんだか気がひける。  うーむ、これすらもひょっとすると美緒里の想定の範囲内なのだろうか。  こういうとき頼りになる月姉は、雪が消えた昨日、とうとう帰省してしまった。  夜々は……、こういうことでは頼りにならない。というかむしろ圧倒され、向こう側に回りかねない。  今、美緒里の襲撃があったら、支払能力のない俺は…………。  う、埋められる!?  そして、生きていたくばさらなる借金を要求され……破滅の多重債務へまっしぐら!?  うわぁぁぁ……だめだ、人ごみへダッシュだ! まったく、大晦日だってのに、何やってんだ俺は……!! 「ああ……腹へった……」  いくら貧乏してても、胃袋の要求はいっかな収まらないんだよな。  しゃーない、またスーパーの試食でどうにかするか。 「ん……?」  目をしばたたく。  今、駅裏にある飲み屋街の人混みの中に、見慣れた――そして、見てはならない人影があったような……!? 「うわああああっ!?」  さすが美緒里、俺の行動を全て読んでいたかっ!?  い、いや……違う。俺には気づいてないようだ。  二十歳ぐらいかな、やや遊び慣れてるっぽい男、三人と向かい合ってる。  男たちはニヤけてて、美緒里はきつい顔。  逃げようかとも思ったが、その組み合わせが気になり、人混みを縫って、声が聞こえる場所までそっと近づいてみた。 「だーかーらー、金借りてやるって言ってんだろ?」 「その金でよ、一緒に遊ぼうぜ? 文句ねーだろ?」 「年越しでさ、パーッとヤろーぜ、パーッと!!」 「お断りします。私はただ、お金がなくてお困りの方に手助けをしているだけで……」 「だーかーらー、困ってるって言ってんだろ? 車の中が野郎ばかりで、華がなくてマジ参る」 「席いっこ空いてんだよ、だったら来るだろフツー?」 「初日の出見ようぜ、初日の出! 展望台でもいいし、もう車ん中でもいーや、パーッとよ!」 「………………できません」 「んだよ、聞こえねーよ」 「そっちから声かけてきたんだろーが」 「よし、決まり! 行こうぜ!」 「あ……あっ!」  男たちが美緒里の手を取る。こ、これは――ヤバすぎないか!? 「おーい、日向!!」 「あっ……!?」  俺は、いかにも今来たばかり、何も気づいていない風を装って、割って入った。 「わりーわりー、遅れてごめん」 「先輩……!?」 「いやどーも、すみません!!! 俺の彼女が、また何か!?!?!?」  俺は往来の真ん中、あらん限りのでかい声で男たちに会釈する。  その声で、みんなの視線が集まってきた。 「んだよテメー、男かよ?」 「おい、ウゼーよ行こうぜ」 「ざけんなよ、くそ……」  男たちは、ぶつぶつ言いながらも、離れていってくれた。  それにしても、思わず飛び出してしまったけど……。 「はぁぁ……死ぬかと思った」 「先輩!」 「ああ、もう大丈夫だろ」 「先輩すごいです……ちゃんと機転のきくひとだったんですね!」 「おい、なんかずれてるぞ!」 「ずれてません、本当にありがとうございました!」  そうして美緒里がぺこりとお辞儀をする。  本当に、こうしてると清楚で素直な後輩に見えるんだけどな……。 「もういいよ、たまたま見かけただけだから」 「ううん、お礼させてください」 「お礼?」 「はい! お礼ですっ!」  商店街のオープンカフェ……なんと俺は! 彼女の『おごり』でオレンジジュースを飲んでいる!  これは……多分ものすごい珍しいことに違いない! 「……?」  ストローを咥えながら正面の美緒里を見ると、今日も彼女は、いつかみたいに妙に大きな荷物をかかえていた。 「本当にすみません。ご迷惑おかけしました」 「まったくだ、日向のほうから連中に声かけたんだって?」 「がーん! な、なぜそれを!?」 「男Bが言ってた」 「う、ううっ……仕方のない事情があったんです」 「事情?」 「はい……顧客のみなさんが帰省だなんだと姿をくらませてしまい……」 「ふむふむ」 「いくらか残ったお客さんたちも、みな年末のイベントやら冬休みで大忙し」 「ふむふむ?」 「なので、なにもすることがなくて……つい」 「ああ、ついつい暇つぶしで新規開拓をしてしまったと、駅前の繁華街で」 「そういうことなんです」 「ばっかもーーーーーーーーん!!!!!」 「あうううっ!?」 「どこの世界に暇つぶしに飲み屋街でチンピラ相手にサラ金やる馬鹿がいるかーー!!」 「……はーい、ごめんなさい」 「う、うん……分かればいい、分かれば」 「けれど怪我の功名でした!」 「わかってねーな! お前なーんにもわかってねー!!!」 「でもでもでも! お芝居の再現みたいでした、王子が助けにきたときの!」 「あいにく助けるのは『隣国の姫』だよ」 「はい、稲森先輩の気持ちが分かったような気がします……やっぱり持つべきものは、頼れる先輩ですね!」 「頼れる……そ、そうかな? はは……」  ……ん? 俺はまた乗せられてる? 「はい、柏木先輩も言っていました。先輩は普段はまるっきり役に立たないけれど、いざというときにちょっぴり助かる、って!」 「あの女とはそのうちケリをつける」 「は?」 「なんでもない! けどな、俺だって、全てのいざって時に間に合うわけじゃないんだからな」 「はい、そこは充分気をつけます」 「だいたい声をかける相手が目茶目茶だ、どーみてもチンピラじゃんか。そりゃ絡まれるって」 「それはほら……なんとなく一攫千金の匂いを感じて……」 「そんな上手い話はねえ! そもそも金貸し、借金取りってだけでトラブルの請負人みたいなもんじゃないか。もう少し悶着を起こさないようにだな――」 「違います、お金の貸し借りはそんなものではありません」 「……な、なに?」 「いいですか、サラ金とは誠意の試金石です!!!」  う、うおお!? 美緒里の目がまた燃えだした!! 「はじめにキチンと返すことを約束してお金を借りる、それは約束です! 約束を守るのは人として一番大切なことです」 「トラブルを起こすのは、最初から約束を守る気のない悪者か、クレバーに物事を考えられないダメな人だけなんです」 「つまりお金を貸し借りすることで、その人がちゃんとした人か、そうでない人かを確かめることもできるんです!!」 「は、はぁ……」 「想像力です! まず借りる側になって考えてみてください。借金をする前に、自分に返済能力があるかどうか計算するでしょう?」 「それから約束しますよね、必ず返すって!」 「貸す側は、借りる側の計算と約束を信じて、命の次に大切なお金を貸しているんです! 信じられる人だと思うから、相手の誠意を信じて貸すんです」 「借りた人が受けとるお金は、私の信頼の証なんです! それをきちんと返してくれるというのは、その信頼に応えてくれるということ……」 「返済は借り手の誠意の証、貸付は貸し手の信頼の証!!」 「つまり、信頼と誠意をやりとりするのが金融業なんですッッ!!」 「う、うおぉぉ……ちょ、ちょっと感動した!!」 「なので、サラ金にトラブルがつきまとうなんてことはないのです」 「……でもさっき巻き込まれてたじゃん」 「あ! うぅぅ……」 「あーっ!! いま言いくるめられるところだった! あぶねー! あぶねぇぇ!」 「もーっ! どうして信じてくれないんですか!」 「日ごろの行い!」 「ううっ……痛いところを……」 「だいたい先輩が心配してるんだら、『分かりました』とか『目が覚めました』とか、そういうセリフは出てこないのか?」 「そんなことは万が一にも…………あ!!!」 「そうだ!!」 「な、なんだ!?」 「そんなに心配なら、先輩、ボディーガードになってください!」 「は……!?」 「はああっ!?」 「ボディーガードです! 警備員! SP! 〈近衛〉《このえ》騎士!」 「最後のすげえオーバーだ! そしてなぜそうなる!?」 「だって、私初めて言われたんです!」 「なにを?」 「あんな人ごみで、『俺の彼女』だなんて!」 「……………………あ!!」 「あれは芝居、超お芝居!」 「分かってます。でも、それくらい機転のきく人だったら、きっといいボディーガードになってくれるんじゃないかって……」 「うううっ、だからといって、お、おかしい!」  確かに、美緒里はどっか危なっかしいところがあるし、目を離したらいけない感を漂わせてはいるけれど……。  だがしかし、なぜに俺が……。  そういえば美緒里は、一昨日の請求書の話をここまできても持ち出さないし、CD選びの話や、舞台の代役の話も持ち出そうとしない。  そのへんを材料に交渉してきてもおかしくないイメージを持っていたんだけど、これって彼女なりのけじめなのだろうか……?  ううっ、美緒里の性格が俺にはいまいち分からない。 「わかった!! ボディーガードしてやる!!」 「本当ですか?」 「ああやる! けど、俺ができる範囲で!」 「もちろんですっ! 労働基準法に照らしてもお咎めない範囲で!」 「ただし、ひとつ条件がある」 「条件?」 「今回みたいにマジで危険なことが続くようなら、サラ金はやめること!」 「ボディーガードをやめるんじゃなくて?」 「そう! 金融業そのものをやめてもらう、どうだ?」 「すごい……つまり先輩は、そう約束することで、私が危ない橋を渡るのを自粛させようとしているんですね!」 「え?」 「わかりました、今回は先輩の言うとおりにします」  いや、そんなつもりはなかったんだけど……まあいいか。 「よし、それで決まりだな」 「それじゃ、今日はそろそろ帰るか……」 「最後に、約束……」  美緒里が小指を俺の前に出す。  これは……美緒里がお金を貸すときにする……。 「……ゆびきりです」 「ああ、わかった、よろしく……」 「ふふっ……」  誠意と信頼の証なのだろうか、俺と美緒里の小指がからむ。 「ゆーびきーりげんまん♪」 「うーそついたーら……死刑っ!」 「針千本……おいっ!!」  そんなこんなで、俺はなし崩しに美緒里のボディーガードに就任してしまったわけだが。  ほ、本当に良かったのか……!?  かくして美緒里のボディーガードとして転生した俺は、ある意味ホッとした気持ちで寮へと戻ることにした。  借金取りから逃げるつもりが、その借金取りのボディーガードに就任とは、〈人〉《にん》〈間〉《げん》〈万〉《ばん》〈事〉《じ》〈塞〉《さい》〈翁〉《おう》が〈馬〉《うま》、何がどうなるかわからないもんだ。  でもまあ、これで何とか無事に、金欠でも平和な年越しを迎えることが――。 「…………できそうにない」 「なにがですか?」 「ええと、3年C組の日向美緒里さん?」 「はい、何でしょう?」 「君はどうしてついてくるのかな?」  そんなでっかい荷物も持ったままで! 「だって、先輩は私のボディーガードなんですから」 「離れてしまってはガードができません」 「いや、でも……それは、俺についてくる理由にはならないと思うんだけど」 「はい、もちろん私にもちゃんとした理由があります」 「理由とは?」 「月末恒例の『寮生さん救済キャンペーン』です!」 「救済?」 「はい、大体月末になるとお金に困る方が、特に寮生さんには多くいらっしゃいましたのでー」  ううっ、身につまされる話だ……。 「私としては実にいいカモ……」 「なにを!?」 「い、いえいえっ、そうじゃなくて! ええと……いいかもしんない! 明日来てくれるかなー? いいかもー!!」 「分かった、落ち着け」 「そういうわけで、月末は信頼と誠意がフル回転する確変リーチだったんです」 「人間というのは、親元を離れると制御がきかなくなるって勉強になりました」 「ううっ……耳が痛い」 「あれ、でも、知ってるだろ。もう寮には俺と夜々しか残ってないんだぞ?」 「ええ。ですから、先輩か小鳥遊さんに」 「借りるかっ!!!」 「本当ですか? おかしいですね……におう……においます、ビジネスの匂いが!!」 「どこにするんだ、どこに!?」 「先輩が手に持ってた大量のパンの耳や、スーパーの試食コーナーのあたりから、ぷんぷんしてきました!」 「ぎぎぎぎくっっ!!」 「くんくん……くんくん……金のない子はいねが〜〜」 「な、なんだそのエコノミックななまはげ!?」 「そういえば、なまはげとおいはぎって似てますよね?」 「謝れ! 秋田県の人に謝れ!」 「いや……日向に限って言えば、追い剥ぎも大差ないか」 「……む!」  俺はことさら大声に笑ってその場をごまかした。  こ……こいつはなにか感づいてる! 俺の金欠を嗅ぎつけてやがる……!! 「……というのは冗談で」 「冗談かよ!!」 「ズバリ、先輩は格闘派ですか? 歌合戦派ですか?」 「俺は……やっぱ格闘見るけど」 「よかったー! やっぱりそうですよね、大晦日は格闘技!」 「日向も?」 「はい、ですけどうちは両親が歌合戦を決して譲ろうとしないので、毎年チャンネル権をめぐって両親と熾烈なバトルが繰り広げられるのです」 「……それで負けたのか」 「ま、負けてないですよ、譲ってあげたんです!」  おお、いつもの減らず口が出てきたな。 「なるほど……それで寮のテレビを狙ってきたと?」 「それと……もう一つ」 「ん?」 「先輩とゆっくりお話したかったし……」 「……!!」 「だめですか?」 「い、いや……駄目じゃないけど……まあ、年越しは人数多いほうがいいしな」 「よかった……じゃあお邪魔します」  はぁぁ、ビビった。なんか急に踏み込んでくるよな、この子。 「ん、まあいいや……それじゃ、ようこそいずみ寮へ」  リビングでは夜々がテレビを見ているところだったので、俺たち3人でちょっとしたお茶会になった。  美緒里は、やっぱり例の『ミックスヂュース』の隠し場所を聞き出そうとしてきたけど……。 「で、その残りのボトルとは……?」 「お兄ちゃんが知ってるけど、私は知らない」 「そうですか……しゅん」  俺があらかじめ夜々に言い含めておいたとおり、美緒里の目論見は達成されなかった。よしよし。  で……。  おしゃべりするうちにも、だんだんと窓の外、空の色が変わってきた。 「あの……お兄ちゃん」 「私、明日……初詣行って、そのまま家に戻ります」  養父母が、元旦当日でないと家に戻ってこないらしく、夜々は今日まで寮にとどまってたのだ。 「だからそろそろ、寝ないと駄目なんです」 「わかった、なら夜になったら起こすよ」  それから夜々がちらりと美緒里を見る。 「ごめんね。じゃ、おやすみ……」 「はい、おやすみなさい〜♪」 「…………」  にこにこと、夜々の後ろ姿に手を振る美緒里。  ……この子はいつ帰るのかな? 「あのさ……日向」 「はい?」 「ええと、もう暗くなるけど……帰りは何時ごろにする?」 「え?」 「ほら、送ってったりしないといけないし……」 「送る……?」  にっこりと、無邪気全開の微笑と共に、何のことかさっぱりわからないと言わんばかりに首を傾げる美緒里。 「いや、だから、暗くなるから……家の近くまで、送ってくから……」 「そんなこと、する必要ないですよ?」 「必要ないって、確かに人通りは多いかもしれないけど、女の子の一人歩きは……ボディーガードとして雇われた責任も……」 「ですから、歩かなければいいんです」 「……は?」 「外に出なければいいんです。というか、出る必要なんてありませんし」 「……え……と……」 「そ、それは、どういう意味なのかな?」 「答えは簡単……」  美緒里は、自分の大きなバッグを視線で示し、きっぱりと言い放った。 「私、ここで年越しさせていただきます」 「へえ…………年越し」 「って、なにーーーーー!?」 「大丈夫です、ちゃんと着替えも枕も持ってきてますから、ご迷惑はおかけしません」 「そういう問題じゃないっ!!」 「ではどのような問題が?」 「家! 家族! DNA! ご両親になんて言ってきてるんだよ!」 「今年は学校の寮で、友達と一緒にわいわいやりながら過ごすから心配しないで♪」 「……うちの親、喜んで送り出してくれましたよ」  絶句した! 「もし何かあったら連絡してくれって、寮長さんの名前も、柏木月音先輩、天川祐真先輩と教えておきましたし」 「おいっ!」 「さっき、先輩の方から、私を招待してくれましたよね?」 「え…………あっ!!」  そして美緒里はおもむろに携帯を開くと、ボタンを二三度コチコチと押して……。 「ようこそいずみ寮へ……ようこそいずみ寮へ……ようこそいずみ寮へ……」 「ほら……平気です」  かくしてあっという間に一年最後の陽が沈み、とうとう外は真っ暗になり……。  そして俺たちはテレビの前で大騒ぎしていた。 「そこ、いけー、ローロー! 足にきてる!」 「ボディに攻撃を散らして、ジャブですジャブ!」 「なにが赤組だー! ボーカル以外全員男じゃんかー!」 「衣装と大道具の概念が毎年崩れていきますー!」  格闘と歌合戦をその場のノリでザッピングしながら、夜が更けて行く。  去年はこれ、俺一人でやってたんだよな……。  なんて思うと、隣にいる美緒里がなんともありがたい存在に思えてくる。 「……はい?」 「ん、いや……面白い奴だなって思ってさ。正月は俺なんかより家族と迎えた方がよさそうなもんだけど……」 「うーん、そうでしょうか?」 「親は親で、いれば鬱陶しくなることもあるんです」 「ふーん、俺にはいまいち分かんない感覚だけど」 「あ……ご、ごめんなさい」 「いやいや、全然気にしてないからいいって。まあ親がいてチャンネル争いに負けたりすると、邪魔に思えたりもするかもな」 「負けてはいません、譲ったんです」 「はいはいはいはいはい」 「む……! うちの両親はケチなので、テレビは1台しかないんです」  ケチかどうかはわからないけど……なるほど、その血が美緒里にも。 「今年も、お年玉増額キャンペーンを秋からずーーっと展開してたんですけど、準備してるお年玉袋は千円アップしただけなんです……」 「お年玉なんて、もうもらう年じゃないだろ」 「歳は関係ないですよ、親がくれるというなら遠慮なくもらうものです」 「そんなもんか……」 「はい、自分が受け取らなくても相手は喜びません。もらうことで両方がいい気持ちになるんだから、それが一番なんです」  ふーむ、美緒里なりに一本筋が通った考え方をしてるんだな。  確かに、今の俺みたいな金欠人間には、お年玉でも何でもいいから、くれるなら一円でも欲しいわけで……。  ……っと、いかん。またこの子の理屈に取り込まれそうになってるぞ、俺。 「ちょっとトイレ行ってくる」 「はい……」  トイレで軽く用を足してリビングに戻ってくると……。  テレビの前にぽつんと座っている美緒里の後姿が見えた。  俺と一緒のときはずいぶんテンション高いけれど、一人でいるときの美緒里の背中は、どこか頼りなげで……。  そう、寂しそうな感じがした。 「お待たせ」 「あ、先輩! 早く早く! ちょうどいまゴングです!」 「お、グーッドタイミング!」  でかい男の殴り合いを見ながら、時計を気にしてみる。もう9時を回ってる。 「本当に帰らなくて大丈夫? 寮とはいえ男子と二人ってまずくない?」 「誰もばらさないから平気だと思いますけど……」  ううっ……そりゃ確かに俺もばらしたりはしないけど……。 「でもなあ!!」 「きゃあ、入った!」 「うおお、すげえ、モロだ! ダウン…………立てねー!!」  試合終了のゴングを聞きながら、手を取ってキャーキャーはしゃぐ俺と美緒里。 「はぁっ……ドキドキしましたね」 「ああ、テンション上がったー!!」  ……って、話そっちのけか、俺は!! 「…………ちょ、ちょっと寒くなってきましたね」 「ああ、リビングは夜になると冷えるのが欠点なんだよな」 「………………」  美緒里が俺の目を見る。  え? え……これ、どういうこと?? 「あ……えーと……お、俺の部屋来る?」 「はいっ」  う、ううっ……今のは言わされたと思う、確実に。 「わぁ! ここが先輩のお部屋ですかぁ……ふーん、なるほど……男の人の一人暮らしにしては片付いているんですね」 「片付いているというより、荷物が少ないんだ」 「あ、でも小型テレビがありますね」 「恋路橋のだけどな。貸してもらってるんだ」  ちょっと古い小型テレビのスイッチをひねって、格闘技のチャンネルに合わせる。  別の選手の紹介映像が流れ出すが、美緒里はそれよりも俺の部屋の方に興味があるみたいだ。 「あ、パンの耳……随分食べましたね」 「だから鯉のエサ!」 「はい、そうでしたね」  うぐぐ……なんか見透かされてるムード。 「あ、ええと……こっちは」 「わ、わーっ! わぁぁ!! 駄目だ、こっちは見ては駄目!」  そ、そ、そこは桜井先輩が貸してくれたDVDをはじめとする、女人禁制ゾーン!! 「ふーむ、なんでしょう……???」 「し、し、死体が埋まってるから!」 「ははぁ……それは物騒ですね。わかりました、男子の秘密を覗いたりしませんのでご安心ください」 「……分かってんじゃねーか!」  それからも、美緒里は格闘技大会そっちのけで俺の部屋のあちこちを見て回り――。 「ふむふむ……天川先輩って、こういう部屋で独りで暮らしているんですね」  ――なんて、薄ーーーいコメントでまとめやがった。 「いいから大人しく座ってください、お願い!」 「くすくす、すみません……でも、嬉しいです、寮の部屋なんて初めてだから」 「女子の部屋も?」 「はい、知りません……あっ、こたつ〜!」 「おう、さっきスイッチ入れたからもう暖まってるよ」 「入りましょう、こたつこたつ♪」 「こたつでそこまでテンション上がる?」 「はい、家は地べた生活じゃないので、こたつないんです」 「え? じゃあこたつの代わりにどこでくつろぐの?」 「リビングのソファーとローテーブルです」  な……なんか分からんけどハイソサエティの香りがするよママ! 「どうしたんですか?」 「いや……ちょっと異世界の話を聞いてるような気がしただけさ……」 「でも、こたつといえばやっぱりお茶とミカンですよね♪」 「うっ……お茶はともかく、ミカンなんて気のきいたものは――」 「ところがあるんです、ほら!」  美緒里が例の大きな荷物に手を突っ込んで、中からでっかいミカンをコロコロとこたつの上に転がす。 「うおおおっ、でかっ! すげええ!」 「はい、天川先輩は大きいほうがいいかと思ったので」  ハッ……ミカンが大きかったからといって、こうも簡単にはしゃいでは年上の沽券にかかわる気がする。 「コホン、日向は……こんなもの持って街中ふらついてたの?」 「はい」 「てことは、寮に来るのも予定どおりだった?」 「そ、そんなことないです、偶然です!」  うーん、彼女がハキハキ返答するたびに嘘っぽく感じてしまうのは、俺が色眼鏡をかけてるせいだろうか? 「い、いいから食べませんか」 「うーん、でも一個いくら……?」 「いやだ、これはサービスですよ。今日は私から押しかけているんですから、いちいちお金を取ったりしません」 「それはどこまでが本気で、どこまでが冗談?」 「はぁっ……寂しいです、先輩がこんなに人の心を信じられない人だったなんて……」 「どうして俺はこんなに人を疑う性格になってしまったんだ……」 「本当に、なぜなんでしょう?」 「そこの当事者、しれっとした顔で同情しない!」 「ええええ!? わ、私ですか?」 「それ以外に誰がいると?」 「はぁぁ……しかし心当たりが全くもって……」 「よくぞ言った。恋路橋にスパムメールを送ったり、ラブレターに見せかけた雪かきの請求書を…………ハッ!!」  し、しまった……俺は今、自分から踏み込んでいけない話題に!? 「あ、そういえば……(きらーん☆)」  うわぁぁああぁぁあぁぁ!! や、やってしまったー!! 「読んでいただけたんですねっ(にこにこ)」 「あ、もう次の試合始まってる! ムエタイVSブラジリアン柔術!」 「読んでいただけたんですねっ(にこにこ)」 「うぅぅぅ……よ、読んだけど!!」 「あ、あれは、今日、日向を助けたことでチャラになったんじゃ!?」 「誰がそんなことを?」 「……誰も言ってません」 「いやしかし、あの雪かきは俺からお願いしたというよりは、日向が親切心でやってくれたもので! だから……!!」 「…………(にこにこ)」  ううっ……なにを言っても論破されそうな気がする。 「じゃあもしかして、日向が俺にくっついてきたのは……」 「…………(にこにこ)」 「ひ、一晩中俺から取り立てするためだったりして?」 「…………(にこにこ)」 「うわぁぁぁぁ……無理だ、いまの俺に支払能力なんてこれっぽっちも……!!」  なんて大晦日だ……ブラックマンデーどころじゃない、返済を迫られ続けて夜を明かすなんて最低の一年の終わり、そして最低の一年の幕開けだ!! 「やっぱり……お金に困っていたんですね? そうじゃないかと思っていました」 「え? あ、そ、それは……その!」  し……しまったぁぁぁぁ!! おまけに金欠までバレてしまうとは……俺の馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!! 「……ふふっ」  しかし、そこでなぜか美緒里は、困ったような、照れたような笑みを浮かべた。 「心配しないでください。夜通し取り立てるなんて、そんな無茶なことはしません」 「……え?」 「支払能力のない人に取立てを迫っても何にもならないんです。返せないんですから」 「ううっ、身も蓋も無いけどその通り!」 「なので、もうこの請求書はなしにしちゃいましょう」 「え? い、いいのか!? よかった、よかったー!!」  なんだ、鬼の町金業者かと思ったら、むしろ慈愛に満ち溢れた女神のような子じゃないか! 俺のバカッ、こんな優しい子を疑ったりするなんて!! 「その代わり、ひとつだけお願いきいてくれますか?」  ――前言撤回! 「……なんかすごーい嫌な予感が」 「違います、ボディーガードは24時間一生拘束とか、今後の仕送りは全て美緒里口座に振込みとか、そんな無茶は言いません」  よ、よくそんなえげつない弁済方法を思いつく……! 「で、でも……そうじゃないことって?」 「それはですね……」 「………………(照れ)」 「ええと……その……(もじもじ)」  なぜか気まずげに視線を左右させる美緒里。い、いったい何なんだ!? 「その、げ、ゲームをやりませんか?」 「ゲーム?」 「はい、すごく簡単なゲームなんです。ルールはたったひとつ」 「る、ルールとは?」  き、金銭のやり取りがあるタイプだったらやだなぁ……。 「二人とも……今夜だけはタメ口で話すってルールです」 「……は?」  少し、理解するのに時間がかかった。  タメ口って……タメ口だよな、先輩後輩とか関係なしの。 「だめですか?」 「いや……べつに、それくらいなら全然いいけど……」 「ほっ……よかった」 「そんなの俺は全然いいけどさ、いったいどうしてそんなことを?」 「なんとなく……面白いかなって思っただけです、ゲームですよ、ゲーム」 「確かにちょっと新鮮かもな。あれだろ? カタカナ言葉喋ったら罰金、みたいなゲームと一緒の感じで」  トランプとかTVゲームとか、そんなゲームを想像してたけど……確かにこういうゲームも楽しいかも。 「そうですね、せっかくゲームなのでギャンブル性もつけましょうか?」 「!? い……い、いやそれはちょっと……危険な!」 「ぜったいスリルがあったほうが楽しいですよ。そうですね……間違えて敬語を使ったら、1回につき罰金10円とか?」 「乗った!!」 「い、いきなりですか?」 「そりゃ乗るだろう! だって俺いつも日向にはタメ口なんだし……圧倒的有利じゃない?」 「そうですね、じゃあ先輩にも何かハンデを……」 「俺は敬語とか勘弁してよ」 「そんなこと言いませんよ。じゃあ先輩も日向じゃなくて名前で呼ぶっていうのはどうですか?」  ん……それならわけない気がする。口に出すときは日向だけど、頭の中ではいつも美緒里って呼んでるし。 「そんなんでいいのか? 日向が自分から不利な条件でゲームしようとするなんて、ちょっと意外」 「だからゲームなんです♪」 「刻限はいつまで?」 「じゃあ……寝るまで、とか?」 「よし、了解だ……じゃあ始めるぞ! よーい……」 「スタート!」 「………………」 「………………」  タメ口ゲームが始まったが、俺も美緒里もほとんど口をきかずにテレビの画面を見つめている。  請求書をナシにしてもらって悪いけど、美緒里から100円でも200円でもむしりとってやろう。  そして最後は『本当にもらうわけにはいかないよ』って返してやるんだ。なんかカッコイイぞ、そんな俺。 「……なあ、もうスタートだよな?」 「そう……そう、だよ?」 「いつもの敬語アウトだからな、気をつけろ」 「わかってる、あ、あはは……平気です」 「10円!」 「あ! う、うぅぅ……」 「ひょっとして弱くない?」 「う……うん」  美緒里の奴、自分から言い出したくせにずいぶん緊張してる。  いまのうちに敬語使わせまくってやろうかしら? 「そんなこと話してる間に、ほら、テレビ」 「あ、ファイナルラウンド……」 「どっち勝つと思う?」 「あ、赤……」 「俺も赤、予想は気が合うな」 「……(こくり)」 「…………えーと」 「は……?」 「単語だけ話すのはどうかと思う」 「うぅぅ……ちょ、ちょっとすみません!」 「あ、また10円」 「あうぅぅ……か、顔洗ってきてもいいですか? 気持ちの準備ができてないので、し、失礼しますっ!」 「プラス20円……なんとかしないと火の車になるよ」 「はいーーっ!」 「合計50円」  かくして廊下の向こうに美緒里の悲鳴が消えて5分――。 「なんだ、結局判定で青か……つまらん」 「……おまたせ」 「おお、お帰り、さっき最後にコンボで50円行ってるから気をつけろよ」 「うん……大丈夫……」  確かにちょっとは落ち着いたみたいだけど、まだ口調にたどたどしさが残っている。 「大丈夫かなぁ……」 「うん、何か……まだちょっと落ち着かないけど」 「リフレッシュできなかった?」 「ううん……したよ」 「美緒里ってさ、家でも敬語なの?」 「うん……敬語かな……あ、ちょっとお茶飲ませて……ごくっ、ごくっ…………はぁぁっ」  まだ緊張してる……ま、そんな美緒里を見るのは初めてだから楽しいけど。  ともあれ――何やかんやで、誰かと一緒の年越しっていうのは、悪いもんじゃない。  年末ということで、あまり興味のある歌手は出てない紅白を適当に流し、別の局の格闘技と切り換えながら雑談をして、ゆっくりと時間が進んでいく。  ようやく落ち着いてきた美緒里は、罰金も50円から先には進まなくなっていた。  けれど11時を回ると今度はこたつの睡魔が襲ってきて、俺たちから口数をどんどん奪っていく……。 「ふぁぁ……もう紅白、演歌ばっかかな」 「ん、そうだねー」  美緒里もずいぶん目がトロンとしてる……おかげでさっきみたいにしどろもどろにはなってないけれど。 「もう眠い?」 「ううん、へいき……ふぁぁ」 「……ねえ祐真ぁ、リモコン取って」 「え……?」  な、なに今の自然な感じ……。 「あ、う、うん……!」  俺からリモコンを受け取った美緒里が、ぽちぽちと順番にチャンネルを変えていく。  あー……びっくりした。初めて名前で呼ばれたな……美緒里のやつ、眠くなったら急に落ち着いてきたみたいだ。 「ねえ、祐真ももう眠いー?」 「俺は……まあまあ」 「でも眠そうな目してるよ、くすくす……」  んー、こたつでぬくぬくしながら、いつもと全く違う雰囲気の後輩と年越しでバラエティ番組なんかを見てる。  今日の昼間までは想像もしてなかった展開だな……。 「……どうしたの?」 「いや……美緒里はどうして芝居に出てくれたのかなって思ってさ」 「ふーん……」 「どうして出てくれたの?」 「んー、お金……」 「嘘だ」 「分かった? ふふ……なんか祐真が大変そうだったから、助けてあげよっかな……って思ったの」  ――ドキッ!  ま、まただ……祐真って呼び捨てにされたせい?  いや、違う……そうやって俺を呼ぶときの美緒里の目が、なんだか妙に親しげで、こっちが戸惑うような表情になるからだ。 「なんかさ……口調、柏木先輩に似てる」 「そ、そうかな……あはは?」  何が気に入ったのか、美緒里が満足げにうなずく。  美緒里の雰囲気はどこか月姉みたいだけど、やっぱり違う。 「うん……関係、言ったっけ。小さい頃からの知り合いで、姉みたいなもん。頭あがんなくてさ」 「『月姉』だもんね」 「ど、どこでそれを!?」 「たまーに、口から出てるよ『つきねー』って……ふふっ、くすくす」 「嘘でしょ?」 「くすくす……さて、どうでしょう? でもそっか……やっぱりお姉ちゃんか」 「え?」 「ううん……いいなー、寮ってすごいよね、男子と女子がいつも一緒で」 「そうでもないよ、やっぱり階が違うとそんなに交流ないし」 「でも楽しそう、うらやましいな、ゆーまが……」  それから美緒里は、また間近から俺の顔をじーっと見て……。 「な、なんだよ、じっと見るなよ」 「くすくす、いいでしょ……顔見せて」 「俺の顔なんて見ても楽しくないだろ」 「ううん、楽しいよ……だーめ、照れてないで見せなさい」  ――ドキ! 「い、いまのタメ口通り越してない?」 「どーかなー、わかんない……あははははっ」  眠くてハイになってるのか、美緒里はさっきから笑ってばっかりだ。  最初はどうなるかと思ったけれど、すっかりタメ口にも慣れてむしろこっちに攻め込んできたりする。 「ねぇ、祐真は誰が好き?」 「な、なに突然?」 「稲森先輩? 月姉? それとも小鳥遊先輩とか?」 「好きってテレビじゃなくて現実の話!? わ、わかんないけど」 「あはは、照れてるー」 「照れてないよ」 「んーと……当ててあげる、月姉でしょ?」 「……どうして?」 「だって、祐真はお姉ちゃんが好きだから」 「な、なんでそう思う!?」 「だって分かるよ……ふふっ、図星って顔してるしー」  ううっ、なんなんだこの距離感。  お、俺の前にいるのは2個下の後輩なんだよな??  だめだ……なんかわかんなくなってきた。 「ふあ……あふ……」  照れ隠しに上を向いたら生あくびが出た。  こたつでのんびりしてたもんで、全身ゆるんで、眠い。 「眠い?」 「まだまだ……いけるけど」 「うそー、目がとろーんってしてる。ねぇ……耳貸して」 「……いいことしてあげる」  耳元で囁いた美緒里が膝を寄せてきた。  戸惑う俺の後ろに回って……な、何のつもりだろう? 「いいこと……♥」 「ご、ごくっ……それって……?」  俺の脳裏に浮かんでるのは、寮の個室をホテルと勘違いしてる桜井先輩の武勇譚の数々。  ま、まさか……それが俺にも!? 「……いまいやらしいこと考えてたでしょ? ちがうよ……ふふっ、ほら」 「ひざまくら、してあげる」 「ちょ……ええっ!?」  眠気が、一気に飛んだ。 「いや、それは! どうかと思うけど!」 「いいからいいから、ほーら、祐真くんこっちだよー」 「待て、待てって! いくらなんでも後輩の膝枕なんて」 「祐真、照れちゃだぁめ……」  肩をつかまれ、強引に引き倒される。 「わっ……わ……あ!?」  すぐに俺の頭が、むにっとした、弾力あるものに受けとめられた。  こ、これは……ふともも!!  美緒里の太ももか!? 「…………!」  ドキドキドキドキ……鼓動が強まり、全身が熱くなってくる。 「どうしたの?」 「う、ううん……」 「汗かいてるよー? こたつでのぼせちゃったかな?」  い、いやっ……この汗はそういうものじゃなくて!  お、男の部屋で深夜、こんな密着した距離にいる俺と美緒里……こ、これってつまり男のGOサイン出てる状況!? 「み、美緒里……」  そして、押し寄せる欲望のままに身を起こそうとした俺だが……。 「ふふっ……」  頭を、美緒里の手になでられた。そのままもう一度太ももの上に寝転がされる。 「じっとしてて……気持ちよくない?」 「いや、そんなことないけど」 「ふふ……だよね……くすくす」  小さな手があてがわれる。髪をなでつけ、額をなでる。 「あ、あふ……っ」  うわー、なんか情けない声でたーー!!  く、くそう……これが女子のぬくもりか! ……なんだろう、この心地よさ。 「ゆーま、緊張しちゃだめだよ……いいこいいこ」 「緊張というか、ちょっと恥ずいかも」 「誰も見てないよ……ね、寝ていいんだよ……おやすみー」 「うん……寝そう……」 「祐真くん子供みたい……くすくす……」 「…………」  美緒里の声音には、聞いたことのない、不思議な響きがこめられていた。  ずっと前に、聞いたことがあるような気がする。  そうだ、あれは――小さい頃。  ひとつ年上の女の子、月姉と遊んでいた時だ。  何から何まで頭が上がらず、子分として一方的に連れ回されていたあの頃。  疲れて、うとうとして、気がついたらこんな風に、月姉に膝枕されていた。  その、うつらうつらしてた時に、月姉の声がかけられてて……なでられてて……。  それがまさに、この美緒里の手、美緒里の声音に……似てる……。 「………………」  美緒里の手が、動き続ける。  俺の頭を、なで続ける。  俺は、動くに動けず――正直、その手と、美緒里のふとももがすごく気持ちよくって。  だんだんと、動悸はしずまり、落ちついてきて……心地よさばかりがぬるま湯みたいに全身を浸し……。 「ん……」  まぶたが、重たくなってきて。  テレビの音声も、どこか遠くから聞こえてくるみたいに変わり……。 「ミカン、いる?」 「ん……」  口を開けると、ミカンの房が、細い指で押しこまれてきた。  自分で皮をむいて食べるのと、全然違う味が口の中に広がる。 「…………おいし」 「うん、美味しいね……」  これは夢なのか、現実の声なのか、もうそれすらどうでもいい……。  そして、うつらうつら、気持ちのいいうたたねの境地に入りこんでゆく……。 「…………」  いま、美緒里が何か呟いたような気がした。  けれどその言葉は俺の耳をすり抜けて消え、甘く気持ちのいい眠りが押し寄せてくる。  なんか幸せ………………いい年越しだなー。 「ん……」 「きゃっ!?」  目を開くと……むっちりとした、弾力と温かさを兼ね備えたふとももと、その谷間がまず見えた。 「んぁぁ……」  頬と耳を埋めるそのたまらない感触。  そして、俺の手に絡みつく、柔らかい感触……。 「あ、あれ……あれ? ゆーまくん?」  俺自身の手が、ふとももをなでさするみたいな位置に置かれている。 「ん……んん?」  そして、美緒里のスカートが……その手によって、めくれて……!? 「あ、ちょ……ちょっと……!?」  ちらりと!! 白い……!! 三角形のッッ……!!! 「や、だ……だめーーーっ!」  ――ぽかっ! 「……!」  引っぱたかれて、完全に目が覚めた。  そうだ、俺は、美緒里の膝枕で寝ちゃってて……。 「もうー、ゆーまくん!」  美緒里は赤くなりながらスカートを直した。  だけど、俺を追い払おうとはしない。 「ご、ごめん、でも今のは不可抗力!」 「そ、そうだったかな……後半必死な感じもしたけど?」 「ぎ、ぎく……んががっ!」 「だめだよー、変なことしたらぁ」  俺の鼻をつまんだ美緒里が、耳元に顔を近づける。そ、それは俺の後頭部にもろに胸が……!! 「わかった、わかりました……ごめん、悪かった!」 「あ、10えーん」 「し、しまった……」  俺の方が気恥ずかしくなって、身を起こそうとすると、また美緒里の手が頭を押さえつけてくる。 「いいよ、まだ、寝てても」 「けどテレビ……」 「クライマックスの時には起こすから」  ちらりと時計に目をやると、うとうとしてたのは20分ほどのようだ。もうすぐカウントダウンか……。 「いや、もうすぐ0時じゃん」 「そう……だね」  残念そうに言った美緒里が身体を離す。 「はぁぁ……のぼせた……」  こたつとか、体温とか、その他いろんな意味でのぼせたよ。  理性を保っていられたのが不思議なくらいだ。 「よっと……あ、ああっ!?」  ひょこひょこと立ち上がった美緒里は、こたつの反対側へ戻ろうとして、いきなりコケた。 「えぇ!?」 「み゛ゃっ!?」  下半身がついてこなくて、前のめりになって、爪先をおかしな具合に浮かせて、ぴくぴくと……。 「あ、あ゛し……!」  ははーん、これはつまり……。 「大丈夫かー?」 「だ、大丈夫だから……きゃ! う゛う、うーーーっ、だめ、こたつ動かしちゃー!」 「しかししびれた人間を見たら決してほうっておいてはいけないと、小さい頃に月姉から……」 「それは間違ってるー、うぎ……う゛うぅ……ん゛あ゛あぁ……!」  泣き笑いのように顔を歪めて、あの名状しがたい感覚に悶える美緒里。  んんん!? パンツ見えそう……!?  って! それは先輩として超えてはいけない一線だと思う!!  なのでせめて、足の裏をつっつく程度に……。 「あ゛ううっ! もうー、ひーどいー!」  美緒里は倒れこんだまま、しばらく痺れに耐えていた。 「はふぅ……はぁ、はぁ……」  何とかやり過ごしたらしく、大きく息をつく。 「えっと……ごめん」 「謝るくらいなら、最初からしなければいいのにー!」  美緒里が口を尖らせる。  膝枕、ふとももに頬ずり、(意図的じゃないけど)スカートめくり、そして今のパンチラ直前……。  まるで挑発されてるみたいなイベントの数々なのに、美緒里の態度にそういうニュアンスはかけらもない。  美緒里の方も俺を意識してる様子ではあるけど、異性相手の緊張感とはちょっと違うみたいで。  まるでなんていうか……。 「はぁ……でも膝枕で足がしびれるようじゃ、お姉ちゃん失格かな、あはは……」  お姉ちゃん……。  な、なんてな、相手は夜々のさらに1個下だぞ、なに考えてんだ! 「お茶……いれてくるよ」  お湯がもうなくなってる。俺は変に浮ついた気持ちをおさめようと、ポットを持って立ち上がった。 「あ、待って、待って!」 「いいから休んでろよ、足まだしびれてるだろ?」 「平気、だから待って、祐真くん、待ってよー!」  何やらごそごそやってる気配……。  出てきた美緒里は、何やら重たげなものの入ったビニール袋を手に提げていた。これもミカン同様、あの大荷物に入っていた物のようだけど。 「なに、それ?」 「えへへ……まあ後のお楽しみ♪」 「うわぁ……真っ暗だね……」 「夜々は寝てるし、俺たちしかいないからな」 「……寒い」 「だから、部屋にいていいのに」 「ううん、台所借りたいから……」  そう言って、美緒里は俺の腕にしがみついてきた。 「わっ」 「うーん、ちょっとだけ暖かくなったかなぁ?」 「そ……そうですか?」 「20えーん!」 「あうう……しまった!」  指先はひんやりしているんだけど、俺にすがりついてきた美緒里の小さな体は、小動物みたいにあったかかった。  電気をつけて、ポットに水を補充する……うん、これでよし。で、美緒里は? 「コンロとお鍋借りまーす」 「60えーん」 「ちがうよー、いまは台所に言ったの」 「なんだそれ!?」 「くすくす……ずるじゃないよ、本当だもん」  笑いながら美緒里はごそごそと、例の袋から何やら取り出す。 「なんだ、それ?」 「じゃーん、年越しソバ!」 「マジ……!?」  目を丸くする俺の前で、美緒里がえっへんと胸を張る。 「そんなのまで用意してきたのか?」 「せっかくの年越しでしょ……おそばは外せないよ」 「そ、それはそうかもしんないけど……」  でも、これは……偶然持ってた、なんてものじゃ絶対にないから……。  ビニール袋も、商店街のスーパーのものだし……。 「やっぱ最初から準備してた?」 「ふふっ……どうでしょう〜♪」  お湯を沸かしながら、美緒里は歌うように言った。 「お邪魔するんだから、おみやげくらい持って行かないとね」 「…………」  時々しっかりしたことを言うんだよな、美緒里って。  大鍋に湯が沸くのを待つ間に、つゆの準備も進める。  少々の鶏肉と刻み葱、溶き卵。 「へぇぇ……さすが、料理もちゃんとできるんだ」 「もちろんです、ビジネスの……ああっ」 「今度こそ60円」 「ううっ……油断してた……」  トントンと葱を刻むまな板の音。  女の子の料理を隣から覗き込むのって、なんかいいな……。 「へぇぇ……器用なもんだ」 「ふふっ、ありがと。ほめてくれたから、祐真くんのは多くしてあげる♪」 「わーい、わーい!」  だしの、いい香りが立ち上り、腹が盛大に鳴った。 「すご、リアル欠食児童……」 「それを言うな!」 「くすくす……祐真が沢山食べるの知ってるから、元々多めに用意してあるんだけど……足りるかな?」 「おそばはあんまりお腹にたまらないから……早いけど、お餅も入れちゃおっか?」 「いい、いい、大歓迎! もうなんでもいい!」  ああ……なんて食欲をそそる匂い……ここ数日、パンの耳とスーパーの試食で食いつないでいたから当然だ!  こんな、こんなまともなごはん! ああ、胃が叫んでる、口からはよだれがじゅるじゅるり。 「ふふっ、そんなにお腹減ってる?」 「だって……うまそうだし!」 「美味しいの作ってあげるから、大人しく待ってよーねー」  本当の姉みたいに言う。  俺も、姉に言われたみたいな感じがした。 「それじゃ祐真くん、どんぶり出して」 「あいよっ」 「あ、でも、部屋に持っていくか。じゃあ、つゆの方は鍋ごとで……鍋敷きも出しておいて」 「おうっ」  なんか、あごで使われてるような気がするけど、美緒里の物言いはきわめて自然で気にならない。  俺の方も、月姉にずっと弟分として扱われてきたから、女の子の言いなりに動くのを体がおぼえてしまってる。 「熱っ! 祐真くん、お鍋、ザルにあけて!」 「おうっ! あちちちちっ!」  全身、ちょいとほかほかしていい感じ。  部屋に戻り、湯気を立ち上らせる丼を前に、向かい合ってこたつに入る。  ちょうどカウントダウンのバラエティは、いよいよ年越しの瞬間を迎えようとしていた。 「よーしっ、いっただっきまーす!!」 「ふふ、いただきまーすっ!」  手を合わせ、割り箸を左右に。  ペキッという音が重なった。 「ずるるるるる……」 「ずぞぞぞぞ……っ」  ソバを〈啜〉《すす》る音も重なる。  テレビの芸人がうるさいのでチャンネルを変えると、お坊さんのつく鐘の音が響いてくる。 「あ……これテレビじゃないね」 「ああ、駅のほうにあるお寺だよな」  近くのお寺で衝かれている、こちらは本物の除夜の鐘の音が、かすかに聞こえてくる。  俺は窓を開けた。  冷気と一緒に、重たい音が流れこんでくる。うーん、いいな、この新年の感じ。 「はっぴーにゅーいやー! 美緒里、あけましておめでとー」 「うん、おめでとー……おそばのびちゃうよ」 「平気、一瞬でなくすから!」  俺の言葉に美緒里が微笑む。  俺は除夜の鐘を聞きながら、猛然と年越しそばに取り掛かった。  ――こんこん。  ――こんこん。 「夜々、そろそろ起きる時間だぞ」 「ふぁ……おにいひゃん、ありがとうございます……」  今日の朝いちで実家に帰る夜々は、眠い目をこすりながら俺に頭をさげると、荷物の整理にとりかかった。  といっても、あらかた昨日のうちに片付いているみたいで、財布とか、携帯とか、そんな荷物ばっかりだけど。 「ふぁぁ……俺も寝るか……」 「……あれ? お、お兄ちゃん?」 「ん、なに?」 「えっと……日向さんは?」 「俺の部屋」 「え? ええっ!? まさか……一夜を……!」 「まあ、厳密に言うとそうなる」 「……そ、そうですか……はぁぁ」 「それから、夜々が想像してるような間違いは起きてないので安心してくれ!」 「そ、想像なんてしてません! でも……本当に?」 「昼間っから密度あったからさ、もう限界……俺も寝るよ」 「お、お、同じ部屋で!?」 「そりゃ……まあ」 「だ、だめです! これ!」  ……鍵? 「いやこれ、女子部屋……つうか夜々の部屋の……」 「私、すぐ初詣に行ってそのまま実家帰るから平気です! どうぞっ!」 「え? うわっ!!」  俺の後ろで部屋のドアがバタンと閉められる。 「………………(右を見る)」 「………………(左を見る)」 「…………ここで寝るの、俺?」 「……うーむ、この部屋で寝るのは無理あるって」  時計は七時半。夜は明けたけど、あいにくほとんど寝られなかった。 「……すー、すー」 「まだ寝てるか……」  ゆうべ、年越しそばを食べてから雑談をしていたら、ふいに美緒里が寝息を立て始めてしまったのだ。 「……起きてますよ」 「お、おどかすな!」 「おはようございまふ……ふああ……」 「おはよう。それから、あけましておめでとう」 「おめでとうございます……はわぁ……」  あくびをした美緒里が、よいっしょっと身体を起こす。 「ごめんなさい……寝起き……あんまり強くなくて……」 「いや、気にしなくていいよ」  ふーん……ぼーっとしてる美緒里ってのも新鮮だな。 「でも先輩、紳士なんですね……」 「え?」 「てっきり、何かしてくるかと思いました」 「なにか……? あ!! ああーーーっ!! さてはお前、昨夜の狸寝入りだったのか!?」 「途中から本当に寝ちゃいましたけど……」  はぁぁ……よかった! 起きたらヤバいと思って誘惑をこらえて、ほんっとーーによかった!! 「ともかく、新しい年になって、タメ口ゲームも終了だな」 「はい……な、なんか……おかしいですね、くすくす」 「そ、そうだな、なんか変な感じ……」  今は完全に先輩後輩に戻ってる美緒里が、昨日は月姉みたいに見えてたんだもんな。 「寝ぼけて変なこと口走ったかもしんないけど」 「でも……ちょっと、いい感じでした」 「ん……俺も」 「……ふふ……あ、あれ、えへへ……あ、あははっ」 「どうした」 「いえその……やだな……今になって、急に恥ずかしくなってきて……」 「昨夜はノリノリだったのに、やっぱり照れるんだ?」 「むしろだから恥ずかしいですっ、先輩のこと呼び捨てにして、他にも色々……」  そ…………そうだよな。  膝枕。ふともも。手ずからのミカン――思い出すだけで胸が弾み、顔が熱くなってくる。 「えーと…………」 「………………」  二人して、お互いに目を合わせることができず、もじもじ。  ま、参ったなあ……なんとも気まずいというか、気恥ずかしいというか。  色っぽいとかピンクじみたとか、そういう感じでもないんだけど、妙に相手が女の子だってことを意識してしまって。 「あの……」 「ええと……」  好きな子と二人っきりになった小学生みたいな、多分はたから見ればみっともないだろう、落ち着きのなさ。 「え、えっと……あのさ……」 「はい……な、なんでしょう……」 「この後、どうする?」 「後って……」 「初詣?」 「そ、そうですね……と、とりあえずテレビでも……」 「あはぁぁぁぁんっ……♥」 「……ってなんだーーーー!?」 「あ、あっ!」  ど、ど、どこかで見たことのある女性のあられもない姿が恋路橋の小型テレビにどーんと……! 「み、美緒里っ……これは、ちょ、ちょっと待て、なんだその手に持ってるのは!!」 「こ、これは……『人妻悶絶くいこみ縄責め失神絶頂36連発』!!」 「ぐあああーーーーーっ!!」 「み、見たな、お前ゆうべこっそりそれ見たなーー!!」 「残念ですが先輩は変態です……」 「ちーーーがーーーーーーーーうっっっ!!」 「それは違う! それは桜井先輩の!!」 「それがなぜここに?」 「か、借りたから……」 「やっぱりーーーーー!! 変態です!!」 「あうっ……う、ぐぐぐっ!」  全身全霊で潔白を訴えても、当然説得力はゼロ。  俺でもドン引きした先輩秘蔵のDVDを前に、もはやどんな言い訳も無用の介。 「……でもけっこう先のシーンが再生されてた気がする」 「そ、そそそそそんなことはありませんっ!」 「………………(汗)」 「………………(汗)」 「忘れよう(ましょう)!!」 「そうだ、全部忘れてなかったことにしよう!」 「そ、そうですね、な、な、なにも見ませんでした! 荒縄とかそんなものは!」 「それ以上掘るな!」 「は、はいっ!」  そしてオレたちがビシッと口をつぐんだ瞬間……。  ――ぐるるるるるるる。 「あうぅ……はらへった……」  しかし……朝メシ、どうしよう。  せっかくの正月だから、おせち料理とまではいかなくても、雑煮の一杯ぐらいは振る舞いたいところだけど、今の俺には高嶺の花。 「……お?」  いきなり、チャイムが鳴った。  珍しい。管理人室に用があるときしか鳴らされないから、俺もびっくりだ。 「よっ……と」 「宅配便……ですか?」 「いや、おせちの配達サービスだって……元旦に届けてくれるやつ」  俺は、美緒里の目の前のテーブルに、紫色の風呂敷に包まれた、三段重ねの重箱を置いた。 「なるほど。一人なら、この方が便利ですね」 「まあね……でも、これ……まさか美緒里が」  美緒里がぶんぶん首を振る。もちろん、俺は申しこんでなどいない。 「あ、伝票に書いてます『柏木様からご注文のおせちセットBコースです』って」 「柏木……そっか」  月姉が手を回しておいてくれたんだ。  ううっ……なんて粋なはからいをしてくれるんだ。もう一生頭が上がらないな、あの人には。 「ふーん……月姉、かぁ」 「な、な、なに?」 「あ、いえ……なんでも!」 「うん、なにも聞かなかった! それじゃ、おいしくいただくとするか!」  軽く手を合わせ、あらためて新年のご挨拶。 「今年もよろしく」 「よろしくお願いします」  おせちを食べつつ、テレビを見る。  テレビでは、何百万人という人が押しかける、全国各地の巨大神社の様子を中継していた。 「……美緒里、初詣は行かないの?」 「家族とは二日に行く予定ですけど、どうしてです?」 「いや、あれだけお賽銭が飛び交うんだ、ちょっとは拾えるかなって……」  俺も、おこぼれにあずかれるものならあずかりたい……なんてね。 「お、お賽銭泥棒だけは絶対に駄目です! ありとあらゆる信義に反します!」 「……と言うと?」 「お賽銭というのは、その人が神様に捧げるお金じゃないですか。神様にお願いを聞いてもらうための料金なんです」 「料金……?」 「はい、それを横からかっさらうなんて、その人の願いを踏みにじる行為です。許せません!」 「うん……説得力がある」  いかにも美緒里理論だけど、なるほど、悪どいことを考えた自分が恥ずかしい。 「あ、でも!」 「地面に落ちてるお金なら、拾った人のものですけど」 「な、なにーーー!?」 「だって、自分の手で賽銭箱に入れずに遠くから投げるなんて、横着です。そんな図々しいやり方のお願いなんて、守る必要はありません」 「そうですね……賽銭箱から50cmまでなら、入れそこないということもありますからいいですが」 「それ以上離れた場所に落ちてるものは、むしろ回収して市場経済の流れに戻してあげることが……」 「……初詣にゆっくり行くのもそれが目当てだったり?」 「まさか、あくまでついでです。最初からお金目当てで行くなんて神社への冒涜ですよ」  また、まともなことを……。 「てっきり正月財テク術なのかと思ったよ」 「本気でお正月に一儲けするなら、親戚の人たちが集まって、適度にお酒回るタイミングを計ることですね。泥酔まではいかず、上機嫌なぐらい」 「その辺りで、できるだけ可愛らしく振る舞って、お酌の一つも差し上げればですね」 「おじさんおじいさんたちからのお年玉も気前よくなりますし、ふっふっふ……これが一番カタイです」 「それは水商売の手口だ! まったく元旦から金金金金!」 「言い出したのは先輩です」 「ぐぅ……!」 「それに……お金の話はしない、ってことでいいんですか?」  やや邪悪っぽい笑みを浮かべると、美緒里はひらりと白いものをひるがえした。 「も、もしや、それは……!?」 「むっふっふ〜〜」 「じゃじゃじゃーんーーーー!」  某青いネコ型ロボットのような顔と声で、美緒里はその封筒をひらひらさせる。 「それは……おとし……玉袋!」 「変なところで切らないでください! ほしくないですかー?」 「い、いるか! 子供じゃあるまいし!」 「本当にいいんですかー?」  ううっ、ひらひらするその封筒を目で追ってしまう自分が情けない!! 「も、もらう筋合がないっ!」 「そうですか……それじゃ……」 「あ……!」 「はいっ、どうぞ祐真先輩っ!」 「わあい! わあい!」  先輩の俺がかくも無邪気に騒いでいていいものだろうか!?  でも、たとえ誰からもらってもお年玉はお年玉、俺の金欠病を救う唯一無二の特効薬!!  そして――封筒を開くと、俺の手の平に……☆ 「…………40円」 「はい、タメ口ゲームの罰金です♪ いやー、負けちゃいました」 「こ……こんな生活もういやだぁぁ!(がくっ)」  ――それから俺たちは一緒に神社まで行って。  二人で本尊に手を合わせて、そこでお別れすることにした。 「それでは家に帰ります。昨日から、本当にありがとうございました!」 「こっちこそ、寂しい年越しにならなくてすんで、本当に良かったよ。ありがとう」 「……えへへ、面と向かって言われると恥ずかしいです」 「………………!」  不覚にも、はにかんだその美緒里の笑顔に、胸が弾んでしまった……。 「は、早く帰ってさ、ゆっくり風呂にでも入れよな」 「はい、失礼しますっ」  テレを隠すようにさっさと後ろを向いて歩きだす。  ……神社を出る時、ちらっと振り向いたら、地べたを這いずるようにして小銭を探してる美緒里の姿が……見えたような見えないような……。  見えなかったことにしよう。何も見ていない、うん。  明けて正月二日、俺は完全に無人の寮でただひたすらに寝て過ごし(15時間ぐらい寝た)、翌三日となった。  三日になると、実家に戻っていた寮生のUターンラッシュが始まる。  寂しかった無人の生活が終わりを告げ、朝から寮ににぎわいが戻ってきた。  今年初めて寮生活を始めた下級生だと、まだもっと実家でのんびりしてくることが多いけど。  もうじき受験という上級生は、気持ちを切り換えラストスパートをかけるためにも、三が日も終わらぬうちに早々に帰ってくる。  そうじゃなくても、寮の雰囲気が恋しいとか実家が気詰まりとか、様々な理由をつけて早めに戻ってくるのも少なくない。  それにしても、何とか乗りきった……この砂漠にも匹敵する金欠、食欠、人欠の正月期間を……美緒里と月姉の援助のおかげでなんとか乗り越えられた。  交通機関が動き始める時間になると、早速Uターン組が姿を見せはじめる。  俺は早速お出迎え。 「うーっす、これ地元のおみやげな」 「あけおめ〜。とりあえず、おみやげ〜」  たちまち、テーブルには地方名産物が山積み。  傷みやすいものは冷蔵庫だけど、日持ちのきくものは神への捧げもののように、隅のテーブルに山積みにして数日おいておく。  いずみ寮の恒例行事ってやつだ。  大体は近隣県なので、あまり目新しさはないけれど、たまに遠方に実家があるやつがいて、そうなるとおみやげも実に面白い。  海外旅行に行ってきたのがいると、さらに種類が増えてきて楽しいことになる。  上級生になると、ウケ狙いでとんでもないものを持ちこんでくるのが少なくないけど。  中国の臭豆腐とか、世界一臭いと評判のスウェーデンの発酵食品、シュールストレミングを持ちこんできた先輩もかつていた。  そう言えば、桜井先輩が海外直輸入(直接買い付けてきた!)無修正超絶ハードコアDVDを持ちこんできて、月姉に逆さ吊りにされたこともあったっけ。  そんなこんなで、おみやげ奉納は毎年けっこう盛り上がるんだけど……。 「うう……っ(じゅるり)」  今の俺に食べ物の山は目の毒だ。  昨日丸一日、パンの耳しか腹に入れてない。腹が鳴る。しくしく痛む。 「なんだ天川、腹減ってんのか。じゃ、電車で食ってたやつだけど」  おお、スナック菓子のお恵みだ! 「じゃ、俺はこれ……パンだけど、いいか?」 「もちろん! 感謝!」  6個入りの菓子パン、うち2つ残っていたのをありがたくいただく。  その様子を見た他の寮生も寄ってきて、面白半分に俺に色々と食べ物をくれるんで、俺はさながら口を開けて待つひな鳥状態。 「ただいま。あけましておめでとう」 「つ……月ね……じゃない、柏木先輩ーーーっっ!!」 「な、なに……どうしたの」 「ありがとー! おせちありがとー!! 泣くほど嬉しかった!!」 「そ、そう、役に立ったんならよかったわ」  俺に手をぶんぶん振り回されて、若干引き気味の月姉だが、俺の感謝の気持ちはこんなものでは表しきれないほどだ。 「でも、もう女の子を部屋に連れ込んじゃ駄目よ」 「い、言っとくけど、やましいことは何もしてないから!」 「当たり前でしょ!」 「もししてたら、態度ですぐわかるわよ」  ううっ、そうか……長年のつき合いというやつは、こういう時に怖いなあ。 「天川君、あけましておめでとう。今年もよろしく」 「あ、お帰り……あけましておめでとう」  アイドル稲森さんも戻ってきて、ますます寮が華やかに……。 「……あっ!?」 「どうしたの?」 「瓶の位置が……あ、ううん、大した事じゃないんだけど……!」  瓶……?  あっ、あれか! あの『ミックスヂュース』!  まずい、勝手に手をつけたのがばれたら……。 「瓶ってなに?」 「う、ううん! なんでもないなんでもない! ぜーんぜんなんでもないから気にしないで!」  こっちから質問すると、隠してるつもりの稲森さんは、逆に慌てふためいてしまう。  ご、ごめん……稲森さん。  美緒里に飲ませた、あの一杯分しか本当に手をつけてないから! 「久しぶり! あけよろでことおめだね、天川君!」 「うん逆だぞっ」 「逆? なんだか分からないけど、ちょっと今時っぽくてよかったでしょ?」 「うん、でも恋路橋は普通が一番だ」 「……なんか相手されてない気がする。あのね、ボクは親戚一同の前でママから……」 「うん、テレビありがとな! おかげで部屋篭りが退屈しなかったよ!」 「うぅ……親友が話を聞いてくれない」 「あけましておめでとう、今年こそは未確認ではなく確認された生き物になるべく頑張ってくれたまえ」 「おめでとうございます、どうして日向と一緒に?」 「駅から外に出たところで、桜井先輩に声をかけていただいたんです」 「今日は……ええと、なに?」 「先輩は関係ありません。戻ってくる寮生さんたちとちょっと内緒のお話を……」  見れば、寮生の何人かがこそこそと逃げ出している。  返済の待ち伏せか……正月三日から営業開始とは、さすがだキャッシュ101。 「それにしても桜井先輩と美緒里か……かなり危険な組み合わせかも」 「何を言うんだUMA、みおちゃんはこんなに可愛い子なのに」 「え、えへへ……」 「全身から金ぴかのオーラを放っている少女など、そうそうお目にかかれるものではないよ」 「喩えるなら、さながら磨き上げた五円玉を思わせるその輝き!」 「すげえ……微妙に的確だ」 「小銭にご縁があるという意味でも間違いありません」  本人も満足してる!  桜井先輩と美緒里が、こんなに息が合うとは……。  そうか、これはあれだ! 水分と触れると爆発する劇物の金属ナトリウムを、灯油に浸して保存するってやつ!  うかつに触れるとえらいことになる相手でも、普通と違う人になら扱えるんだなぁ……。 「……なにか失礼な想像していませんか?」 「してないしてない、なーんにもしてない!」 「……ふうん、なるほど。僕が留守にしていた正月の間に色々あったようだね」 「え? え?」 「この桜井恭輔の目を誤魔化せると思ったのかい? まあこの場合は目ではなく耳だが、名前で呼ぶような仲になっているとは〈重畳〉《ちょうじょう》〈重畳〉《ちょうじょう》」 「きっと、年末の独り身を慰めてやろうと置いていったDVDも、役に立ってくれたことと思うよ」 「…………!!」 「まるで役に立たなかったことを宣言させてもらいます!」 「ん〜? 何の話〜〜?」 「はっはっは……この僕の秘蔵DVDが、そこな祐真と彼女の仲を大いに進展させた件について話していたのだが……がふっ!!」 「桜井ーーー、あんたはまたそーやって寮の風紀を乱すよーな真似ばかりーーー!!」 「い、いたい……! こめかみは禁止だ、月音さんっ、こめかみは……!!」  かくして、寮内はどこもかしこもにぎやかだ。  静かだったのはほんの数日のはずなんだけど、懐かしくさえ感じられる。 「お、天川、ちょうどいい所へ」 「これ、お前向けだろ」  リビングの『祭壇』ではなく、こちらのテーブルの上に、重厚な存在感と共に鎮座している大きな包み。  ピン! と、妖怪ならぬ食べ物センサーが反応した。  こ、これは、食べ物だ! それもいいものだ!  わくわくしながら包みを開けると……。 「おおっ!」  まぶしい。  〈燦〉《さん》〈然〉《ぜん》と輝くような、重箱入りの、豪華駅弁!  ズワイガニの脚、ホタテ、牡蠣に海老。海産物てんこ盛りの、海辺の地方の、高級駅弁じゃないか! 「おお……ああ……!」  神社よりもよほど真剣に、心から手を合わせて俺は感涙にむせぶ。  わざわざ、腹を減らした俺のために誰かが買ってきてくれたのか。ありがとうありがとう。 「で、では……いただきまーす!」  割り箸を割る手が震える。  最初の一口は、やはり正月、縁起物の海老から。 「……うまいっ!」  ぷりっとしたその食感。コンビニ弁当とは桁違いの味覚刺激、口中に広がる至福の感覚。  これだ。これが人間の食べ物だ。 「おお、おお、おお……!」  うれし泣きしながらむさぼる。  カニうめー!  ホタテGOOD!  炊きこみご飯も、味つけサイコー!  二段の重箱が、あっという間に空になる。  もうひとつある……。  これも……やっぱり……俺の分――俺の大食いを知ってて用意してくれたんだよな。 「ありがとうありがとう! さてさっそく2つ目も……!」  ぱくぱく、もぐもぐ、がつがつ、むしゃむしゃ。 「お前見てると、人生楽しそうだなあっていつも思うよ」 「まったくだ。見てるこっちまで腹減ってくる」  フッ……家でたらふくおせちとお雑煮と、その他豪華な正月料理を食べてきた連中にはわかるまい!  パンの耳と試食コーナー巡りで腹をどうにかふくらませる正月の切なさ、わびしさが!  そう――窮地に陥って初めて知る、人の情けのありがたさ。  年越しそばの美緒里。  おせち料理の月姉。  そしてこの、豪華駅弁のおみやげを買ってきてくれた寮生、我が心の友よ……! 「あっ……あああああああああっ!!」 「うわっ!?」 「なんだよー、いきなりぃ」  ふふふ……駅弁があまりに美味しくて、ついつい口調も幸せ一杯になってしまった。 「そ、そ、それはっ!」  指さす恋路橋の手が、ひどく震えている。 「ボクがわざわざ、店が開いた早々に買い求めてきた、1日50食しか出ない3800円の超高級海鮮弁当!」 「3800円!!」  道理で美味いはずだ。  そんな高いものをおみやげにしてくれるなんて、さすがは親友を名乗る恋路橋!  だが恋路橋は、ワナワナと身を震わせるばかり。 「ひとつはママ、ひとつは雪乃先生に頼まれて……!」 「え……!?」 「け……け、け、け、け、けッ!」 「けしからーーーーーーーーーーーーんッッ!!!」 「な、なんてことを、何という真似をしてくれたんだああああああっ!!」  がっくりと、恋路橋はその場に膝をついてしまった。  お……俺へのおみやげじゃなかったのか!! 「す、すまん! 食堂にあったもんで、つい早合点してしまって……本当にすまん!」 「謝ってすむものではないんだーー!」 「朝6時に起きて大混雑の電車を乗り継いで、販売している駅にたどりついた時にはそれでももう行列の最後尾で、最後の2個をようやく買えたというのに!」 「今年はもう手に入らないというのに……ママも、先生も、すごく楽しみにしているというのに……!」 「それは……悪かったよ……本当に……」 「喜んでほしくて……秘密で……こっそり買いに行ったのに……うう……」  うなだれ、ぽたぽたと床に涙を垂らす恋路橋。  うう……どうすればいいんだ……。 「お、俺が二人分喜んだってことで……」  よりによって最悪なフォローをしてしまった俺に向かって、恋路橋がキッと顔を上げた。 「空前絶後けしからんッ! かくもけしからん真似をされて、黙っているわけにはいかない!」 「ボクのブログで、いやブログだけでは足りない、最近始めた『みっくす』の日記で、全世界にこの悲劇を知らしめてやらなくては!」 「ああそうだとも、これは許せない、絶対に許すわけにはいかない! ボクの愛と尊敬の念の結晶が踏みにじられたのだから!」 「いや、だから、ごめんって……」  食っちまった以上は、元に戻すわけにもいかないし――限定発売じゃ、同じものを買ってくるってわけにもいかないし……。  だけど、これだけ怒ってる恋路橋に、どうすれば許してもらえるのか……。 「あの……ちょっといいですかぁ」 「み、美緒里……?」 「はい、何やらトラブルの気配を感じてやって参りました」 「当事者同士の直接交渉は、感情が絡みますんで何かと不自由!」 「ここはひとつ、このわたくし、日向美緒里におまかせあれ!」 「う……」  彼女に一度は思いを寄せたこともある恋路橋がたじろぐ。 「まあ大体の状況は、その空のお弁当と、聞こえてきた声でわかっています」 「これはどう見ても、勝手に食べてしまった天川先輩が悪いのは確かですね」 「うう……っ」 「でもー、確か噂によると……寮生の鉄則で、放置された食べ物は横取り自由っていうものが……」 「そ、それは……!」 「恋路橋、すまなかった! 鉄則はさておき、食ったのは俺だ! もう売り切れた弁当は買い戻せないけど……」 「ん……間違えて置いたのは確かにボクが悪かった」 「なら、弁償しましょうっ」 「弁償!? な、な、7600円か……!」 「けど、そんなお金持ってるの?」 「も、持って……」 「……ますよ、先輩!」 「え……?」 「ほら、お金ならなんとかなったって、昨日言ってたじゃないですか!」  昨日? 昨日は美緒里にも会ってなかったが……!? 「そっか……仕送り出てきたのね、よかったわ。けど、それだけじゃ恋路橋君の気が収まらないでしょうから……」 「天川君。あなたは『何でも言うことききます券』をすぐ3枚作って、恋路橋君に渡しなさい」 「ええっ……」 「それを渡されたら、恋路橋君の言うこと、何でもきくのよ」 「お母さんと、先生へのおみやげを勝手に食べてしまったんだから、そのくらいはしないとね。あと雪乃先生には天川君が事情を説明すること!」 「恋路橋君、これでどう?」 「は……はい」 「ほら、祐真」 「ごめんな……恋路橋」 「ううん、なんか大事にしちゃって……ボクのほうこそ」  ……と、恋路橋と俺の奇妙な友情に亀裂が入ることはなかったのだが。 「どういうつもりだ、お金のことがどうのこうのって!」 「でも、あの場でお金がないって言ったら、もっとややこしくなりましたよ?」 「そ、それはそうだけど……あとから金がないって告白したらもっとややこしく……」 「そんなことをする必要はありません」 「…………美緒里さん? あなたまさか?」 「ボディーガードが金欠でお腹ぺこぺこで、まともに動けないんじゃ困ります」  ぴらっ。  美緒里の手に、紙がひらめいた。  い……いちまんえんっ!? 「お弁当を弁償して、お釣りが2400円です」 「お、おぉぉぉぉぉぉっ!」  ……って、なにを有頂天になってる! 「でもそれ……借りるんだよね?」 「はい、お金は天から降ってくるものではありませんからー」 「けどけどけど!! キャッシュ101おなじみの金利だと……10日で1割の、複利だから……」  次の仕送りが届く月末までまだ20日以上……ということは、10日後には11000円、次はそれの一割で12100円……! 「無理ーーーー!! 無理、返済したら来月また借りることになる!」 「世の金融業はそうやって成り立っているんです」  こ、後輩女子の手によって多重債務者になってしまう!!  つまり、卒業前にブルーシートの寮に引っ越すことになってしまうのかーー!! 「……なんてね♪」  涙目になった俺の手を美緒里が優しく握って、一万円札を乗せてくれた。 「祐真先輩にそんなことはいたしません。1日あたり、0.0547%の単利でいいですよ」 「え……ええと?」 「1日あたりの利子が1万円の0.0547%、すなわち5.47円ということです」 「1年でほぼ2000円の利子ですから、利息制限法に定められた通り」 「ひと月で返していただけるなら、2000円÷12で、167円ですね」  ほ……法定金利?  俺は耳を疑った。  まさか、美緒里の口から、きわめて良心的かつ常識的な、法の範囲内の利率が出てくるなんて! 「む……なんですか、その、新種の生物でも発見したみたいな顔は?」 「いやあ……その……」 「まさか、美緒里が…………」 「こ、今回は特別です! あくまでも、ボディーガードである先輩のためだけの、特別な処置なんです」 「そうでなかったら、こんな貸し方、絶対にしません!」 「それは嬉しいけど……でも、借りるのは……」 「強制はしませんから、先輩が決めてください」  借りて弁償するか、借りずに次の仕送りまで待ってもらうか……。  恋路橋も自腹切ってるから、待たせたら怒るだろうな……それに月姉も。 「さあ、どうします?」  美緒里が一万円札に手を伸ばす。  そして俺は悟った――勝負は戦いが始まる前に、とっくに決していたのだと。 「借ります……ありがと」  戦いは一瞬で、俺の全面降伏で決着した。  ううっ、仕送りが消えたときもキャッシュ101にだけは手を出すまいと、あれだけ耐えてきたというのに……こんなところで! 「はい、どうぞ……ではこちらにサインと拇印ですねー♪」  それはそれはいい笑顔で、万札を渡してくれる美緒里。  それからしっかりと契約書(手書き!)にサインさせられ、拇印まで取られた。 「……よく朱肉なんて持ち歩いてたね」 「あらゆる事態を想定してこその金融道ですから! はい、ゆーびきーりげんまん♪」 「うーそつーいたら、はーりせんぼんのーますっ!」  ううっ、月姉だけでなく、美緒里にも頭の上がらない毎日が訪れそうな予感がする……。 「それじゃ、帰ります! ボディーガード、よろしくお願いしますね♪」 「ああ……任せておけ」  大口の契約を結んでご満悦の美緒里を、外まで見送る。  対する俺は、無一文の上にさらに借金を背負って、出るのはため息ばかり。 「それにしても、先輩ってすごい食いしん坊なんですね」 「もう、人の食べ物には無断で手を出しません……反省!」 「ふふっ……気をつけるのよ」 「……!?」 「あ、ご、ごめんなさい……うっかり」 「い、いや……いいよ」  はっとした。  大晦日の、あの……『姉』っぽい感じ……。  美緒里は、口ぶりこそ偉そうなものの、まるで俺を包みこむような、優しい微笑を浮かべていた。 「で、では失礼します。今後ともよろしくです、先輩っ♪」  はきはきした挨拶をよこし、くるっときびすを返す。  その様子は、いつも通りの、俺の後輩で――。  一瞬かいま見せた、年上のような雰囲気は、もうどこにも見あたらなかった。  ――朝。 「ん……」  ベッドから降りて、カレンダーを見つめる。  1月7日。冬休みも終わりだ。  前半は密度たっぷりだった冬休みも、最後の4日はゴロゴロしながら過ごしてしまった。  制服に着替えて階下に降りると、同じく出かける寮生たちでごった返している。  朝食をかきこむ中に、恋路橋の姿もあった。  弁償した7600円を使って注文した、それなりに高価な、地方の特産駅弁が、昨日ようやく届き、弁当問題もなんとか無事に解決した。  稲森さんも、『ヂュース』の件は自分の中で納得したらしく、普段通りの態度。  ……時折厨房で何かやっているのを見ると、まだ色々と挑戦してみているんだろう。  さてさて、久しぶりの学園だ。  始業式は、特にどうということもなく終わった。  受験する上級生のうち、かなりの数が姿を見せていないのが、ちょいと寂しいくらいだ。  いやまあ、来年は俺たちもそっち側になるんだけどな。  雪乃先生のホームルームが終わると、今日はこれだけでもう終了だ。  恋路橋あたりと適当に合流して、寮にでも戻ろうかと思案していたそのとき……。 「こんにちは」 「お、美緒里……てことは?」 「はい、早速お仕事に来ました」 「ちょ、ちょっと待ってくれ、利子なら今日はまだ……」 「そうじゃなくて、ガードマンをお願いしたいんですけど」 「あ、そっちか……よかった」  金を借りている負い目があると、ついついオドオドした態度になってしまうものだなあ。  ううっ……次の仕送りこそはしっかりと受け取って、身も心も楽になりたい。 「でも、教室までいちいち来るなよ」 「携帯のほうが良かったですか?」 「先輩を携帯で呼び出すのは失礼かと思って遠慮していたんですけど……」 「いや、失礼ってことはないよ」 「じゃあ次からは携帯にしますね」 「よろしく頼むよ。変な噂が立っても面倒だしさ」 「変な……?」 「……そういう意味じゃないぞ」 「はて、どういう意味でしょう?」 「…………」  からかわれているのか、そうでないのか分からない雰囲気の中、美緒里は上機嫌で学校の外へ……。 「おいおい、外なのか?」 「はい、そうですよ」 「外の客か……前みたいに変な相手じゃないよな」 「あ、違います。今日はそっちじゃなくて……」 「はい、荷物持ちお願いしますっ♪」 「…………は?」 「お願いします♪(にこにこ)」  ここは、商店街の外れにあるホームセンター。  そこの買い物かごをこっちに差し出しながら、美緒里が満面の笑みを浮かべている。 「ぶつぶつぶつ……それって、ボディーガードでも何でもないような……ぶつぶつぶつ……」 「ええっと、まずは……」 「聞いてねーーー!!」  俺のことなどほったらかしで、美緒里は園芸用具のコーナーにずんずん歩いてゆく。 「ええと、これと、これ……それから、これ……」  メモを手に、土壌改良剤やら腐葉土やら、何かの骨組みらしいものやら、色々とカゴに入れてゆく。  確かに土だの肥料だのの袋は、女の子が家まで持ち帰るにはつらそうだ。 「こんなの何に使うんだ? 何か育ててるの?」 「ふっふっふ……それは秘密です」 「でも、先輩になら、そのうち教えてあげます」  美緒里が2キロ入りの培養土と書かれた袋を、カゴに5つ……ううっ、これで10キロか。 「あれ……土なら、こっちに5キロ入りのがあるけど?」 「ううん、こっちの2キロのほうがいいんです」 「ふーん、成分が違うの?」 「分からないけど、これがいいって弟が言ってたし……」 「弟? 美緒里ってお姉ちゃんだったの?」 「え? あ……」 「……はい」  美緒里が少し恥ずかしそうにうつむいた。 「そっか……それでお姉ちゃんっぽい仕草が板についてんだな」 「え!? そ、そんな風に見えてますか?」 「ああ、大晦日に痛感した」 「……そうですか、ふふ」  少し寂しそうに美緒里が笑う。  小柄な後輩なのに、その表情はどこか大人びて見えた。 「弟に頼まれて買い出ししてるとか?」 「まあ……そんなものです」  暮れに見た、穴掘り道具を背負ってた美緒里を思い出した。  あれも、よく考えてみれば、園芸道具だったな……。  ふーむ……。  ホームセンターを出た美緒里は、なぜか駅とは反対方向の大橋のほうへ歩いてきた。 「ふう……10キロって言っても、土だとそんなに重く感じないもんだな」 「ありがとうございます、ここまでで平気です」 「え? いや、家まで運ぶよ」 「ううん、本当にここまでで大丈夫です」  買い求めた荷物を美緒里の家まで運んでゆくのも、当然ながら俺に求められる仕事だと思っていたが……。 「でも……」 「今日のボディーガードはおしまいです。また明日、今度はちゃんとしたボディーガードをお願いします」 「いいの?」 「はい」  10キロの土を俺から受け取った美緒里は、両手を使いながらも、慣れた手つきでそれを持ち上げた。  俺が立ち去るまでそこで見送っているつもりのようだ。 「分かった、じゃ、また明日」 「はい、ありがとうございました」  なんか、ただ買い物に付き合っただけのような気がするけど……。  首をかしげながら寮に戻る。  途中振り返ると、美緒里がまだ大橋の上からこっちを見ているのが分かった。  ぐう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。 「うう……はらへった……」  ぐうううううう〜〜〜。  腹の音が止まらない。  栄養が足りなくなった時の、あの冷や汗がにじんでくる。  ぐるるるるる……。  ぎゅううう〜〜〜〜ぐうう〜〜〜。 「天川ぁ、早弁してもいいわよー」 「嬉しいけど、先生がそれ言っちゃ駄目でしょ!」  ううう……とうとう先生にまでそんなことを言われた。  だけど、食おうにも食う物を持ってないのだ。あてにしていたパンの耳が、今週はお店の都合でもらえなかったのが致命傷だった。  ぐぎゅう〜〜〜〜〜〜。  少食を続けてきたから、胃は縮んできてるはずなんだけど……。  ずっと続けてきたトレーニングで、体が高カロリーを要求するようになってしまってるんだろう。  全身が、足りないと訴えてきている。  腹はもう、めしくわせーの大合唱。 「誰かー、天川にお弁当恵んであげてー」 「いや、それも変でしょ!?」  しかし、教室のあちこちからぱらぱらと、お恵みが飛んでくる。  ――アメ玉、お菓子、パン、おかずの一品、おにぎり。 「め、め、恵みの雨だ……!!」  かくしてやってきた昼休み……。  周囲が弁当の蓋を開けたりパンを食べたりで、昼食抜きを余儀なくされている俺には、拷問も同然の時間帯……。 「う、ううう……だめだ、これはヤバい」  このままだと、他人を襲ってメシを奪いかねない……。  食べ物の匂いがしないところ……屋上にでも待避しなくては! 「どうしたんですか? 地べたを這ったりして」 「お、おう……仕事か?」 「でも、悪いが……今は……だめだ……」  動けない。もしくは、苛立ちで不必要に厳しい態度を取ってしまいそう。 「これ……」  そのとき、俺の目をとらえたのは――美緒里の指の間にはさまれた、小さな紙片!! 「そッ、それは……!!!」  学食の……食券ーーーーーーッッ! 「う、う、うおぉぉぉぉぉーーッ!」 「……いりますか?」 「はふっ、はふ、はふはふ……ずるる〜〜〜っ」 「先輩、そんなに慌てて食べなくても、うどんは逃げませんよ」  もらったのは学食では一番安い「かけうどん」の食券だったけど、それでも今の俺には神の〈糧〉《マナ》にも等しい至上の美食。  麺はもちろん、つゆも一滴残さず飲み干し、人目がなければ丼まで舐め回したい気分。 「それにしても、美味しそうですね」 「え……美緒里食べたかった?」 「ううん、美味しそうに食べますね」 「いやぁ、めんぼくない。もしお望みなら、美味しそうな食事をもう1回リピートすることもできるよ。今度はたぬきかきつねで……」 「それは次の機会にしておきます」 「ううっ……そんなに甘くはなかった」 「では、お食事も終わったことですし、お仕事に行きましょう」 「ええと……ひょっとして、このうどんは報酬?」 「それは受け取る人の気持ち次第です」  ううっ……真綿ならぬうどんで首を締められてる気分だ。 「さて、最初のお客さまはあのクラスです」  2年生の教室か……懐かしいな、このあたりは。  俺は、下級生の教室に顔をつっこみ、美緒里に言われた相手を呼び出してもらう。 「はい、僕ですが……なんです?」  上級生の俺に呼び出されて怪訝そうにしている相手の前に、美緒里が姿を現した。 「いつもにこにこ、キャッシュ101です。昨年11月にお貸しした220円の返済について、お話にあがりました」 「だっ、だましたなあっ!」 「すまん……でも、お前も引っ張りすぎだ」 「先輩はだましてなんかいません。私がいくら来ても教室に入れてもらえないので、代わりに呼び出しをお願いしただけです」 「このさいですから、お年玉を切り崩して気持ちだけでも楽になったほうが、お得だと思いますよ?」  うーん……物腰柔らかなくせに、なんなんだろうこの迫力は。 「あのな、お前、口のきき方おぼえとけ! それが上級生への言いぐさかよ!」 「上級生でも下級生でも、お客様はお客様、約束は約束です。今日こそは返済をお願いします」 「うるせえんだよ! 3年のくせに、生意気な――」 「まあまあまあ、お前も下級生相手にムキになんなよ」 「げっ! 5年生連れてくるなんて卑怯だぞ!!」 「ありがとうございます、またご利用くださいませー」 「こんなサングラスかけたら、見にくいんだけど……」 「でも、いい感じです。そこでそうやって腕組みして、ふんぞり返った感じで立ってるだけで大丈夫ですから」 「……あ、来ました」 「もーうざいなぁ、いいかげんに……」 「………………」 「あ、あの……そ、その人は……?」 「気にしないで下さい、単なる関係者です」 「か、関係者?」 「さて……これによると過去2回、理由なく支払いが滞っているんですが、今日はお支払いいただけますでしょうかぁ?」 「は、払うわよ、払うから乱暴はやめて!」 「もちろんです、お客様に乱暴などするわけがありません」 「先輩、お疲れさまでしたっ」 「疲れた、確かに心が疲れた……罪悪感とかいろんなものが……ううっ!」 「さあ、あとは外回りをして完了です、サングラスはそのままで!」 「ま、まだあるの!?」 「こんにちはー、お姉ちゃんがきましたよー」 「あ、うん……」 「では問題です。120の1割っていくつでしょう?」 「12円……」 「よくできました、ではその12に120を足すと?」 「132円」 「うんうん」  美緒里がにこにこしていると、女の子がごそごそとポケットをあさりだした。 「……はい」 「はい、確かにご返済いただきました。もうお母さんのお財布に手をつけちゃダメよ」 「ごめんなさい……」  しつけをしてるんだか、トラウマを植えつけてるんだか全くわからんな、これは。 「じゃあ、また困ったことがあったらお姉ちゃんの携帯に連絡してね、あと向こうで遊んでる男の子達を呼んできてくれるかなー?」 「はーい、モンスターカードのお金を借りた子、手ーあげてー!」 「よくない、こんなの教育上絶対によくない!」 「ふんふーん、順調順調ーっ♪」 「先輩のおかげで、今日は過去最高の回収率です♪」 「……お前、一体どんだけ手を広げてるんだ」 「あきれてますか?」 「あきれるわ! まさか小学生にまで貸し付けてるとは……」 「信頼できる相手であれば、お客様の年齢は関係ありません」 「それに……小さい頃から、お金の大切さと怖さを知っておくのはいいことですよ?」 「なんか間違ってる!」 「どこがですか?」 「どこがって……うーん……」  ことお金のことに関しては、いくら反論しても言い負かされそうな気がする。 「先輩はもっと自信を持つべきです……ほら!」  美緒里は、昔ながらのガマ口財布を開いてみせた。  中には、小銭や千円札がぎっしり。 「げ、現金が……」 「先輩がいるだけで、こんなに回収できるなんて……すごい」 「これはいけます!」 「な、なに!?」 「借金の取り立てで、怖い人が出てくる理由が今初めてわかりました! どうして、こんな簡単なことを思いつかなかったのでしょう!」 「だ、だめだ、恐喝はいかーーーん!」 「恐喝ではありません、それが誠意を伝える方法だったんです!」 「はぁ?」 「お客様からお金を受け取るために、ここまでこちらは努力をしているのですよ……という思いを分かりやすい形でアピールすることが大事だったんです!」 「そ、それがサングラスの用心棒!?」 「はい、明日もこれでいきましょう! 先輩、よろしくお願いします!」 「あ、明日からも……これやるのか」 「もちろんです、これで元気つけてくださいっ!」  そして美緒里が扇のように広げたのは、きらびやかな学食の食券たち!! 「うわぁぁぁ、チキンカツ定食! マーボー丼! おまけに大盛りやきそば!!」 「私もじゃぶじゃぶ貸し付けますから、先輩ももりもり力をつけてください♪」 「う、嬉しいけど……なんでこんなに食券持ってるの?」 「お支払いは現金の代わりに、有価証券でも受け付けるようにしたんです。あのお芝居で、私も成長しました」  そ、そんなところで成長を実感してほしくなかった!  しかし美緒里の巾着の中には、学食の全メニュー分は余裕でありそうな、食券がぎっしりと……。  う、ううっ……その黄金の輝きに逆らえる自信が、今の俺には皆無です。  今日もまた、昼休みになるやいなや、美緒里が元気よく姿を見せた。  元から、上級生の教室だからといって全然物怖じしない子だったけど……。  愛想のいい彼女にクラスの連中も軒並みコロリと騙されていて、今では5年生相手に地道に顧客を増やしたりしている。  一度や二度、キャッシュ101を利用したくらいじゃ、美緒里の持つ謎の迫力には気づかないのかもしれない。 「おーい天川、美緒里ちゃん来てるぞー」  いまやクラスの連中ともすっかり顔なじみ。 「さあ今日も作戦会議です!」  引っ張られてゆく俺の背後から、意味ありげなひそひそ声が降ってくる。  うーん、悪評が立っていなければいいけど……。 「もぐもぐ、ぱくぱく、がつがつがつ!」  今日のランチはカレーライス、それもゆで卵つき!  疑問や不安は多々あれど、毎日食事をおごってもらえるこの状況から、簡単には抜け出せないのもこれまた事実!  美緒里の食券は無尽蔵に湧いてくるようで、俺はここに来て学食のメニューを全制覇しかねない勢いだ。 「ふふふー」 「な、なんだよ?」 「ううん、いつでも美味しそうに食べますね」  いつも美緒里はこんなことを言う。  俺の向かいに座った美緒里は、自分の皿に箸をつけようともせず、にこにこして俺を見つめてくるのだ。 「そんな風に食べてくれると、ごちそうしてあげる方も幸せです」 「はい、これどうぞ」  おおっ、Aランチつけあわせのフライドポテトが俺の皿に!! 「か、感謝!」 「油物は消化がよくないから、野菜も摂らないとだめですよ。こっちのサラダもどうぞ」 「はーい、わーい♪」  ………………俺は餌付けされてるのか? 「それでですね」 「今日、返済期限を迎えるのは、この5人なんですけど……」 「ふむふむ」  スプーンをくわえながら、写真つきの個人データに目を通す。  大体は、特に問題ない相手だが……。 「この延滞3ヶ月の6年生は……受験だから来てないんじゃないか?」 「はい、受験直前ですから必ず自宅にいるはずです」 「ちょっと待て、受験生の自宅に押しかけるのは……」 「本当に、どうして大切な受験の時期に借財をしてしまうのでしょうか……」  いや、そんな他人事みたいに……! 「でも大丈夫なんです、この写真を見てください」 「ふむ?」  美緒里が携帯の画面をこっちに向ける。  むむ……場所は大橋か。  さっきの6年生らしい人物と、制服の女子が……。 「って、お前これ……!?」  河原から撮ったものらしい写真には、欄干の上に見える、男女の上半身。  二人の顔が寄って、唇が重なっている。 「この人には、一緒に同じところに進学しようと言い交わしている恋人さんがいるんです」 「だから! 恋人の私生活を盗み撮りするなんてのは、人間の……」 「ところがこれは、恋人さんとは別のクラスメイトなんです」 「…………!?」 「ちょっと用事があって河原で探し物してる時に、たまたま見かけて撮ってみたんですが」 「なるほど、これを見せて、彼女さんに送るよとでも言えば……」 「本当に、どうして大切な受験の時期に、こういう逸脱をしてしまうのでしょうか……」 「……いくら貸してるんだ?」 「彼女さんへの誕生日プレゼントの資金にするという理由で、1500円。大口です!」 「そうか、わかった」  俺は美緒里の携帯をひったくると、速攻でその写真を削除した。 「あーーっ!!!」 「そのくらいの金のために、ひとの人生を左右させるわけにはいかないの!」 「うう〜〜〜っ!!」 「わかったわかった! 俺が話つけるから涙目になるなっ!」  ――実際に、俺がその上級生をつかまえ、事情を説明する羽目になった。  まあ、青ざめつつも素直に支払ってくれたから、穏便にすんだと言っていいだろう。  それにしても美緒里は、あの写真をもとにどんな恐るべき交渉術を発揮するつもりだったんだろう……。  ――そういうのが、何度か続いたある日。  いきなり、3人組の男子に肩をつかんで呼び止められた。 「おい、サラ金の片棒かついでる天川ってのはお前か。顔かせや」 「……いや、借りたものはやっぱ返さないと」 「払わないなんて言ってねえ!」 「この間は、ちょうど小遣いの前の日だったんだよ! それで持ち合わせがなかったのに、ないからって、利息をさらに増やしやがって!」 「融通きかせてくれてもいいだろうが!」 「本当にムカついてんだよ! 俺は払わねえからな! 借りた分は返すが、利子なんか一円たりとも払ってたまるか!」  んー、これはきっと修羅場ってやつなんだろうな。  毎日のように月姉にしごかれていたせいか、喧嘩で負けたことがほとんどない。  多分、ガチで鍛えてる柔道部員なんかには負けるだろうけど、普通の男子にすごまれても、あまり怖い気がしないのだ。 「借りる時に、説明は聞いたんだろ? 指切りもしたんだろ?」 「うるせえ!」 「まあまあまあ、気持ちはわかるけどさ、そこは男の度量を見せてやろうよ」  その余裕をもって、ゆったり、なだめるように話しかける。 「これが何万、何十万っていうなら、確かに利子はひどい話だし、怒るのも当然だと思う」 「だけど、せいぜい500円ぐらいだろ?」 「借りたのが400円、利子が増えて今じゃ532円だ! むちゃくちゃだ!」 「……知ってるか、女性へのアンケート、『こんな男の態度に引く』のトップ10」 「1位は『お店の店員にやたらと偉そうにする』で、2位が『10円単位まで割り勘にしようとする』だってさ」 「…………」 「じっさい、細かい金にうるさい男って格好いいと思うか?」 「むむっ……」 「好きな子とデートして、10円20円の差にうるさく言うような奴ってイケてるか?」 「こっちの店は同じメニューであっちより高いとか何とか、そういう話題で盛り上がる男がモテるか?」 「お前ら、そんなショボい奴になったりすんなよな!!」 「うう……っ」 「利子がついたって130円だろ、ジュース一本じゃん」 「下級生の女の子にジュースおごってやると思えば、別にいいんじゃないの?」 「…………しゃーねえな」 「なんだ、話わかるじゃん」  おお、いま俺は更生の瞬間に立ち会ったような気がする……!! 「待たせて悪かったな。迷惑料もこみだ。とっときな!」  人差し指と中指ではさんで、ピッと差し出されたのは、千円札。 「俺も、釣りはいらねえよ」 「ありがとな、助かったぜ」  残る二人も、迷惑料込みの返済金をピシッと彼女の前にそろえて置いた。 「は……はい……」  目を真ん丸にした美緒里の様子に、男子たちの自尊心も満たされたようだ。 「俺が言うのもなんだけどな、あんまりあこぎな商売するもんじゃねえぜ」 「相手が俺でよかったな。余計な恨みを買う前に、ほどほどのところで手を引きなよ、お嬢ちゃん」 「じゃあな」  くわえ煙草とコートが似合いそうな、渋さ全開の仕草で手を振り、去ってゆく。  その口元には、一仕事終えた、満足の微笑。背中に漂う男の世界。ハードボイルド。  人って、思いこみで変わるもんだなぁ……。 「…………」 「ん?」  気がつけば、美緒里が大感動の面持ちで俺を見上げている。 「ど、どんな魔法を使ったんですか!?」 「あの人たちは滞納者の中でもたちが悪い、すぐキレる人だったんです。それをどうやって……!?」 「人は生まれ変わるのさ……」 「先輩はやっぱりすごいです、これ……今日は特別に!」  美緒里の差し出したカツカレーの食券に、心の底からときめいてしまう俺が生まれ変われるのは、いったいいつの日なんだろう……。  ――そして、また別の日の昼休み。 「おーい、天川君」 「彼女さんが来てるよ」 「彼女!?」 「だ……誰が彼女だ、誰が!」 「そうですよ、やましい関係は一切ありません」  いや、彼女は別にやましくないと思うが……。 「おや? でも最近君たちの姿を繁華街や夜の公園なんかで見かけるって話が……」 「繁華街、夜の公園ときたらつまり……け、け、けしからーーん!! 学業を疎んじて、なにが目的の繁華街だッッ!!」 「いきなり激昂するな、誤解だー!!(なにが目的かは言えないけど)」 「はい、まったく心外です」 「そうだ、美緒里説明してやってくれ」 「そういう目で見られるのも無理はありませんが、天川先輩は私のボディーガードをしてくれているだけなんです」  ぽん、と俺の肩に恋路橋が手を置いた。 「天川君、君が高利貸しに加担しているとは思わなかったよ……」 「そ、それは訳がいろいろと!」 「いろいろと複雑な事情があるのです。具体的には、恋路橋先輩の駅弁の弁償金を全額私がお貸ししたこととか……」 「わ、わーーっ! そこまでぶっちゃけなくていい!!」 「そ、そうだったのか……それで君はこんな〈苦界〉《くがい》に身をやつして……!」 「苦界……」 「ああっ、君の借金の原因がこのボクにもあるなんて!! かくなるうえは恋路橋渉、友人を借金地獄から救い出すため、いくらかの援助は惜しまないぞ」 「あ、いえ……あの、ですから、今のは、天川先輩が私と一緒にいるのは、そういう公明正大な理由からだという説明をしただけで……」 「そうだな。俺も、500円ぐらいなら助けてやるぞ。天川には色々世話になってるし」 「俺もだな。いずれ陸上部に体で返してくれればいいから……ほいよ、1000円」 「じゃあ残りはこのボクがママの財布から……」 「ちょ、ちょ、ちょーーーと、ストーープ!!」 「だめ、だめ、だめですっ!」 「あのお金は、私が、先輩に貸したものなのです!」 「ですから返してもらうのは、先輩からでなければならないんです! それが信頼で、誠意で、約束なんですっ!」  おお、なぜか美緒里がテンパってる!  すっかり論理破綻をきたしている美緒里を見て、みんなが一斉にため息をつき、口元をニヤつかせた。 「あーあ、ごちそーさま」 「ま、そういうことなら頑張れ、天川」 「ああ、やっぱりそういう関係だったんだ……!」  一度は美緒里に心惹かれていた恋路橋が、勝手にダブルスコアでダメージを食らっている。 「いや、だからお前らなあ……!」 「もういいです、行きましょう先輩! 今日のお仕事です!」 「わ……ち、ちょっと!」 「やっぱそういう関係か……」 「だからちがーーーーう!!!」 「……はぁ、なんなんでしょうか、あの先輩達は!」 「そんな関係じゃないと懇切丁寧に説明したのに、勝手なことばかり、ああ、5年生にもなると人はこうも汚れてしまうのでしょうか……!」 「違うんだよな?」 「違います! 違うんだから! ぜーんぜん違うんだから!」 「そ、そうですか……」  彼女の背中を追いながらも、俺は、きっぱりと否定できない自分に気がついた。  美緒里にこうして引っ張り回されるのも、全然嫌じゃない自分にも……。  そんなこんなで、誤解と取り立てにまみれた日常が続いたある日の事。  午前の授業が終わった俺は、珍しく独りぽつんと教室にいた。 「………………」  ……美緒里が来ない。 「どうしたんだろう、クラスの連中はみんな学食行っちゃったし……」 「………………」 「うーん……俺は美緒里が来ないと、自分からは動けない人になっちゃあいないか?」  待っているのも落ち着かないので、こっちから出向いてみることにした。  一人で下級生のフロアに足を踏み入れるのは、少し気後れする。美緒里が一緒ならば、身の拠りどころもあるんだが……。  ええと、美緒里の教室は……ここか。 「ねえ、日向さんいるかな?」  顔をつっこみ、そこにいた子に声をかけると、ざわっと、教室に不穏な空気が流れた。  俺に、視線が集まってくる。 「な……なんだ?」 「日向さん……見てないです」 「今日休み?」 「朝はいたと思うんですけど……」  ん、どういうことだ?  朝はいたと思う……って、ずいぶんクラスメイトと疎遠すぎないか?  奇妙な違和感――。  そうだ、これって、転校してきたころの夜々にちょっと似てる。  そう言えば……美緒里がクラスメイトなどの友達と一緒にいるところ、見たことないな。 「そう、ありがとう」  俺が顔をひっこめると、教室の中が急にざわめいた。 「ほーら、言ったでしょ!」 「でもでもぉ! ありえなくない!?」 「そうだよ、あの日向に、彼氏できるなんて!」 「金で買ったんじゃない?」 「あるある、ありそう! きゃはははは!」 「いくら払ったのかな? 結構かっこよくなかった?」  ……ドア越しなのでくぐもっていたけど、言ってる中身はよく聞こえた。  お世辞にも、好意的な雰囲気じゃない。  美緒里って……クラスだとあんな扱い? 「………………」  歩いていると、当の美緒里に出くわした。 「先輩、探しましたよ」 「美緒里、あのさ今日――」 「今日のお仕事はなし、お休みです」 「私はちょっと図書室で調べものしますから……これ、今日の食券です」 「調べもの?」 「ちょっと野暮用です、ではではっ!」 「いや、ちょっと……美緒里……?」  呼び止めるのも間に合わず、俺の手には、学食の食券だけが残された……。  調べ物か。俺の知らないところで、また新しい商売のタネでも見つけたのかな。  そういえば園芸のことも分からずじまいだし。  けっこう長い時間一緒にいるけれど、俺は自分が思ってるほど美緒里のことを知っていないのかもしれない。 「…………食券、ポークソテーか。これ高いのに」  美緒里の手伝いをしないで、飯だけ食わせてもらうのは気が引けるな。  腹の虫は騒いでるけど、今日は昼飯を抜くことにしよう。  土曜日、久々に予定がなく、空は快晴。  こんな日は寮でゴロゴロしているのもいいんだけど、この時期はなかなかそうもいかない。  理由はひとつ、受験の、まさにまっただ中だからだ。  明日に試験本番という寮生が何人かいて、部屋の壁越しにも緊迫感が伝わってくる。  月姉、桜井先輩といった余裕の面々も、その雰囲気には抗えず自室にこもって勉強をやっている。  俺たち下級生も、寮にいると厳粛にならざるを得ないので、ほとんどが遊びに出かけている。  そんなわけで、俺も外で遊ぶことにした。  金欠状態はまだ続いてるから、遊ぶといっても、散歩ぐらいしかすることがないけど……。 「あれ?」  見知った――この一月の間に、誰よりもよく知ることになった相手の姿を見かけた。 「おーい、美緒里!」 「あ、祐真先輩」  ガチャ、ガチャと金物の音。  全身を飾り立てるような、穴掘りの七つ道具。 「前にもそんな格好してたよな、どこに行くんだ?」 「ええと……それは……」 「秘密です」 「その格好で秘密……そしてサラ金! つまり絞りかすになった多重債務者の死体を……」 「しません!!」 「しかし、何らかの悪だくみには違いないわけで……」 「ど、どうしてそうなるんですかー!?」 「むうう……それならいいです! わかりました、特別に見せてあげます!」  えっちらおっちら、大荷物を抱えて歩く美緒里についてゆく。 「いや持つから!」 「けっこうです……っ、これは私の道具ですから」 「いや、明らかに重そうなんだけど……」  って、ちょっと待てよ。  美緒里の思考パターンは、これまでのつきあいで大体把握できている。  つまりこういうときは――。 「タダで持つよ」 「ありがとうございます♪」  コロッと態度を変えた美緒里の荷物が、手の上にどさどさと落ちてきた!  長柄の〈鍬〉《くわ》と、これはハンマーに、なんだ、反り返ったポールが何本も。 「こ、これは……なに?」 「ビニールハウス用の支柱です」 「ああなるほど……って、ビニールハウス!?」  頭上に疑問符を浮かべたまま、俺は美緒里の後に従って歩いてゆく。  坂道を昇って行くと、途中から山道になってきた。 「着きました、あそこです」 「ここは……?」 「空き地!?」 「空き地のように見せかけて、ここは私の秘密実験場です」 「実験?」  実験と言っても、一部分にロープが張られて……なんか雑草が生えてるだけだ。 「実は、我が家に伝わる古文書を紐解いたところ、こここそが真の徳川埋蔵金のありかであるという言い伝えが……!!」 「だまされるなー!! その時間でバス釣りしとけ!! マザー作れ!!」 「……というのはもちろん冗談です」 「わかってらぁ! 乗ってやっただけだ!」 「さてさて、では作業準備……っと」 「いいから教えてよ」 「ふっふっふ……最高機密ですから簡単には教えられません」 「そんなご大層な秘密があるようには思えないんだけど……ズバリ、新種の野菜を作ってる?」 「残念、違います」 「むー……そもそもなに植えてるか知らないけど、全部枯れてるじゃないか」 「冬だから仕方ありません。春に芽吹くまで、今は下準備の時期なんです」 「ますますなにを育ててるのか、当ててやりたくなるな」 「ふふっ……見れば分かると思いますけど」  見れば分かる? ならばかがみこんで……。  ううむ……どう見ても雑草……枯れ草だ。  あ、でも、葉っぱの形に見覚えがある。  これ……クローバーかな? 「分かりますか?」  クローバーは、確か、耕すと土のいい肥やしになるから、他の作物を植える前に生やすことのある草だ。  それを生やし、土に肥料を与えて……さて、何を植えるのやら。 「ふっふっふっ……分からないのも無理はありません」 「そう簡単に見抜かれるようでは困るんです。私の、前人未踏の計画が台無しになってしまいますから」 「前人未踏とは大きく出たな」 「よっ……と」  美緒里は、自分の背丈より長い柄のついた〈鍬〉《くわ》を、大きく振りかぶった。  よろよろしながら、刃先を土にめりこませる。 「よっ……やぁっ!」  ざく、ざくと、土が削られ、小さな穴ができる。 「おいおい……こんなところに勝手に大穴空けて大丈夫なのか?」 「平気ですよ、ここは私が借りてる土地ですから」 「す、スケールでけえ!! 土地を借りるだって!?」 「そんな大げさなものじゃないですよ、レンタル畑って言って、結構安く借りられるんです」  美緒里の説明によると、この土地は永郷市が貸し出しているらしい。 「この辺りの人は、庭仕事に興味があったら自分の家で出来てしまいますから……ここ、あんまり人気ないんです」  本当は、大都市のサラリーマンをターゲットに貸し出しを始めたらしいんだが、レンタル畑自体がマイナーなこともあって、いまいち人気がないらしい。 「で……いまは何を?」 「穴を深く掘って、肥料を入れるんです」 「それで、何を育てるんだ?」 「秘密です」 「うーん……なんなんだろう」  で、美緒里は再び〈鍬〉《くわ》をふりかぶり、よろめきながら刃先を地面に。 「やぁっ……っと、ととと……はぁぁ、疲れる」 「もっと腰を落としたほうがいいんじゃないか」 「なかなか口で言うようには上手く行かないものなんです」  うーん、しかしこうやって見ているだけで非常にじれったい!  見守るうちにも、何度も〈鍬〉《くわ》を振るい、でも労力に比べて掘られた穴は悲しいほど小さくて。  道具をスコップに持ち換えて、こちらは雪かきの時に示した通り、なかなかの手つきだけど、いかんせん力がなくて作業がはかどらない。 「はぁ……はぁ、さ、作業を、百回手伝ってくれたら、教えてあげないでもないですよ」 「素直に手伝ってくださいとは言えないのかね」 「だ、だったらいいですよー! やぁっ! とうっ!」 「どうしても知りたいのなら、百回を九十七回に減らしてもいいんですけど……やーっ、はぁ、はぁ、はぁ……」 「………………もう少し見てからにしようと思うんだけど」 「うぅぅ……いいですよ! 見てるだけで分かるものなら……えいっ……えいっ!」 「はぁ、はぁ……はぁ、さ、さすがに私のボディーガードをしているだけあって、交渉が上手に……はぁ、なってますね」 「いいでしょう……八十回……これ以上は……はぁ、はぁ、はぁ……」 「あーもう……貸してみろ!」  俺は美緒里からスコップを奪い取って、地面に猛然と穴を掘り始める。 「さすが、鍛えてますね」 「えーと、ここからここまで、深さ50センチ以上の溝を掘ってください!」 「溝と穴は全然別物だと思いますけど!!」 「では訂正します、長い穴を……」 「それが溝だってんだ!!」  ザクッ、ザクッ……。 「はぁ、はぁ、はぁ……痛い!!」  雪かきの時と同じく、走るのと違って、普段使わない部位を使うから、あっという間に疲れが来た。  背中や肩が張り、足ががたつく。  まあ、これはこれで、いいトレーニングと思えばいいかな。体も温まるし。  俺が溝を掘っている間に、美緒里は例の曲がった支柱を組み合わせて、ビニールハウスを組み立てていた。 「ええと……ここを、こうして……こう……」  本職の人からみたら失笑ものの手つきで、ゆっくりと組み上げてゆく。  手慣れているかと思ったのに、案外初心者っぽいし……これはつまり、単なる趣味ではないのかしら!?  庭いじりが趣味で、仕事は高利貸し……って、オッサンか!? 「むむっ!! 今、この上なく失礼なことを考えませんでしたか!?」 「いやもう全く!!」  ふぅぅ……野生の勘、恐るべし。  結局、美緒里はなんにも教えてくれなかったが、俺は無心で畑を耕し続けたのだった。  ――放課後。  長かった……ついに、この日がやってきた!!  今日は美緒里からボディーガードはなしでいいと言われている。  どうやらまたあの謎実験場へ行くようだが、今の俺にとって、それはまた別の話!  なぜなら今日は……!! 「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」  俺はまっしぐらに寮へと駆けこんだ。 「管理人さん! 来てますか!?」 「はい、これだね」 「お……お、おおおおおッ!!」 「やった……やったああああっ!!」  来た、来た、来たあっ!  待ちに待ってた、仕送りがやってきたっ!!  俺は封筒を抱きしめ、歓喜に酔いしれた。  しかも、中身は、普段の月より多い3万円! 年末の電話を心配した養父母が、ちょっと色をつけてくれたのだ!! 「う……ううっ、ありがたい……!!」  この一月の貧窮生活で、お金のありがたみを骨の髄まで思い知りました。  俺は、養父母の飛び去った彼方の空に向かって深々と拝礼!  そして、速攻着替えて、寮を飛び出す。  美緒里はきっとあの畑にいるんだろう。  とにかく、やっとお金を返せる!  あの金にがめつい美緒里が、俺への借金だけは気にしていないみたいだが、とにかく肩身の狭い借金生活とはおさらばだ! 「美緒里ー!!」 「あれ……いない……?」  まだ来てないのか。 「む……」  畑の様子が、少し変化していた。  肥料を入れ、水をやったからなのか、地面を覆ったくすんだ色のクローバーが、少しだけ力を取り戻している。 「………………肥料を元気にしてどーする?」 「あ……先を越されちゃいましたか」  遅れてやってきた美緒里は、俺がいることがさも当たり前であるかのようにレンタル畑の敷地に入ってきた。 「美緒里、長いこと悪かったな」 「はい?」 「喜べ、やっと仕送り届いたんだ! 利子いくらになっているかな? とにかく全部まとめて払うから」 「あ……」 「えっと……その……」  妙に慌てたように、美緒里は視線を左右にした。 「あとでにしましょうか?」 「な、なんで」 「だっていま、手、汚れてますし」 「そんな汚れてないと思うけど……」 「で、でも帳簿持ってきていませんから、利子とか正確な数字が出せなくて……」 「年20パーセントの、日割りだろ? 計算すればすぐ」 「だっ、だめなんです!」 「なんで?」 「だって……間違っていたら困りますし!」 「携帯に電卓機能あるでしょ」 「そ、そうでした! もし合ってても、お釣りが、細かいのそんなに持ってませんから……」 「あ、それはそうか……こっち、万札だもんな」 「そ、そうですよ!」  なぜか、受け取らずにすんで安堵するように、美緒里は息をついた。 「それより、ちょっとこっちを手伝ってください。天気が崩れるって予報があったんで、屋根をかぶせたいんです」 「オッケー、わかった!」  早く返済したい気持ちはさておき……支柱をしっかり打ちこんだり、がっしり組んだりするのは、男の俺がやった方がいいだろう。  それからしばらく、二人して園芸仕事に打ちこんだ。 「あ、そこ、気をつけてください!」 「おっと、ごめん」  靴の下にはクローバー。  もしや……これは? 「……ここで何をしてるのか、よほど気になるようですね」 「どうして?」 「先輩……なにか感づいた目をしています」 「う……鋭い!」  教えてもらわなくても、なんとなく予想はつく……。  だってここは永郷市……永郷市といえば……。 「もしかして……四葉のクローバー、作ろうとしてる?」 「なっ……!?」  そんなオーバーな、と言いたくなるくらい劇的に、美緒里は顔色を変え、後ずさった。 「ま、ま、まさか……そこまで完璧に見抜いているとは!!」 「そんな、鉄のカーテンで機密保持は完璧だったはずなのに……」 「いや、あの……美緒里?」 「はぁ……さすがは私が見込んだ祐真先輩……見事な推理です……」 「明らかにハードル下げすぎだけど、四葉のクローバーなんてそう簡単に生えるのか?」 「簡単には生えないからやりがいがあるんです」 「難しければ生えるの?」 「はい、それは確実に生えます! そういう裏技があるって、本で読みました!」 「ふーむ……まあ、美緒里のことだから勝算あってやっているんだろうけど」 「……それを育てて、どうするの?」  四葉のクローバーは確かに珍しいし、縁起がいいなんてことも言われているけど……。  雑草といえば、単なる雑草にすぎないってのも確かなんだよな。  押し花にして、お守りとか、本のしおりとか、そういった小物に使うなら、ささやかな商売にはなりそうだけど。  美緒里がわざわざ、ここまで秘密めかして栽培するほどのものじゃないような。 「ふ……ふふふ……うふふふふ……」 「な、なんだ???」 「ふはははは、ここまで知られてしまった以上は是非もなし!」 「このさい祐真先輩には全てをお話いたしましょうそしてッッ!!」 「そ、そして……!?」 「そして、我が秘密計画の一翼を担っていただきます、そう! 名付けて作戦名『フォーリーブス』!!」 「………………」  ひゅるひゅるひゅると、風の音。  空を横切るカラスが一羽。 「ふぅ、いい風だ……」 「………………感動がありませんね」 「感動した感動した(棒)」 「棒読みにもほどがあります…………」 「とにかく!!」 「とにかく、その恋路橋あたりが好きそうな作戦名から、もういちど考え直してみよう」 「いやいやいや、だめですだめですっ! こ、これはただの四葉計画ではありません!!」 「いったいどのへんが……」 「いいから聞きなさいっ!!」 「は、はいっ!!」 「いいですか、とにもかくにもかっぽじってください!!」  美緒里は声を張り上げた。  そしてその目にごうごうと宿る黄金色の炎! 「祐真先輩!! この街に伝わるクローバー伝説はご存知ですかっ!!」 「はい、知っています!」 「そう、それは願いを叶える力を持つという伝説の四葉のクローバー!」 「そんなジンクスが女子の間に!」 「男子も信じてます! とにかくこの町の名物はクローバー伝説! いいですか!!」 「違う気がするけど、いいです!」 「私はそれを手に入れるんですっっ!!!」 「さあここからが本題です! まずは普通の四葉のクローバーを大量に栽培し!!」 「どうやって!?」 「ええい、質問無用!! とにかく四葉のクローバーを人工栽培し、それらに交配による品種改良を加え、果てはDNAを操作し掛け合わせ……」 「最終的には、人為的に伝説のクローバーを作り出してみせるのですっっ!!」 「そのクローバーを栽培することで、どんな願いも叶える幸運のクローバーとして、世界のエグゼクティブに破格の値段で売りつけることができますッ!」 「かくして我がプランは完成するのです! いまに見ていろプレジデント! 悠々自適のセレブ生活の始まりですっ!」 「ああ、なんという深謀遠慮……それがこのレンタル畑から始まろうとしているのです、ふふっ、ふふふ……ふははははははーーーーーー!!」 「で、具体的にはどうすれば人為的に作れるんだ?」 「はははは………………は……」 「そ、そ、それこそは企業秘密です! いくら先輩にでも秘伝のレシピは明かせません、さぁさぁ、作業作業っと!」  ……まだ具体案は無いんだな。  ま、いいか……クローバーの栽培が誰かに迷惑をかけるわけでもなし、美緒里の趣味と思って付き合うのも、べつに……。 「いけません!」 「んん? この聞き覚えのある声は!?」 「そんな理由でクローバーを使うなんて邪道です!」 「うおぉぉ、神出鬼没!? ここんところお姿を見かけませんでしたが、あなたは謎のシロツメさん!」  他人に姿が見えなくて、お茶で酔っぱらう、謎だらけで――。  そしてすらりとした――生足の……。 「色気に走っている場合ではありません!」 「い、いや、失礼、つい……」 「先輩、誰と話しているんですか……??」  きょとんと小首をかしげる美緒里。 「ん? ん?」  俺が誰かと話している風なので、きょろきょろ。  そうだよな。美緒里には見えないし、当然、声も聞こえてないんだ。  うーむ……この人の謎っぷりをどう説明すれば美緒里にわかってもらえるだろう。 「それはさておき、こんにちはお久しぶりですー」  美緒里に変に思われるといけないので、ぺこりと軽く頭を下げるにとどめる。 「どもども」 「まさか祐真さんが、こんなところで悪の片棒をかついでいるなんて……悲しいことです」 「ええと…………」 「これはよくありません、邪悪です、恐ろしい陰謀です……ああっ、私の声がみなさんに聞こえたら……!」 「言いたいことがあるなら伝えますよ……なんですか?」  俺は小声で、シロツメさんに耳打ちした。 「まあまあ、ご親切にありがとうございますー」 「それでは、そこの不心得な方に、こうお伝えくださいな」 「クローバーをお金儲けの道具にするなんて、断じていけませんと!」 「了解……」 「……誰かいるんですか?」 「んー、まぁ、一言では説明しにくいんだが……まあいいや、気にしないで」 「それより、ふと霊感に打たれたんだが」 「はぁ」 「伝説のクローバーをだな、お金儲けの道具にするのは、ちょっとまずいんじゃないかな?」 「そんな弱腰な物言いではいけませんーーーー!!」 「(わかった、わかりました!!)」 「クローバーをお金儲けの道具にするなんて、断じていかんのだ!」 「はぁ……なぜでしょう」 「(なぜなんですか?)」 「なぜって当然ですっ! 伝説のクローバーを不純な目的に使うなんて、いけません、ぜーーったいいけません!」 「不純な目的で使うのはよくない、本当によくない!」 「お金儲けが不純ですか?」 「あ、いや……それについては俺はいろいろ聞いて納得してる」 「不純じゃないですかー!」 「(そこ突っ込むと長くなるんで、スルーさせてください!)」 「ただな、その、クローバーの伝説が……」 「先輩……まさか本気で信じてます? 願いを叶えるクローバーなんて」 「なんですってーー!?」 「なんですって……あ、いや、うん」 「クローバーはあるんですっ! ガーデンだってちゃんとあるんだからーー!」 「ええと、クローバーは本当で、ガーデンに……」 「ガーデニングで増やした方がいいってことなら、確かにわかりますけど、四葉のクローバーさき乱れているガーデンだなんてプラズマですっっ!」 「プラズマじゃなーーーいっ!」 「(なんでシロツメさんがそうムキになります?)」 「だって私はこの町のことはなーんでも知っているんです、なのでムシャクシャしますー」 「私が言っているのは、抜いてもしおれない四葉のクローバーだけです。願い事がどうこうっていうのは、願望に尾ひれがついただけの他愛もないお話ですよ」 「せいぜいがとこ、町おこしのためのキャッチフレーズといいますか……」 「あ、もしそれっぽいものを作れたら、売るだけじゃなくて、雑誌やテレビに売りこんでみるとか……それはそれは素晴らしい未来が!」 「(……あんなこと言ってますが?)」 「う、うぎぎ……い、いいでしょう、少しあの〈無〉《む》〈知〉《ち》〈蒙〉《もう》〈昧〉《まい》なお嬢さんに、ありがたーーいお話を聞かせてあげます」 「いいか、今から俺がクローバーガーデンについてのありがたーいお話をするから聞いてくれ」 「それは今を去ること千数百年……上古の昔のまた昔」 「それは今を去ること千数百年……上古の昔のまた昔」 「具体的にはどのくらい昔なんでしょう?」 「いいから聞きなさいっ! それはある悲しい少女の物語……」 「いいから聞け! それはある悲しい少女の物語……」 「千数百年前の少女……生きていたら老婆ですね」 「うきーー! 祐真さん、私あの子きらいーーー!」 「頼むから茶々を入れずに聞いてくれ」 「はい、わかりました。それでその〈苦労婆〉《クローバー》ガーデンとやらは……?」 「なんかいま言ったー!! すっごい失礼なこと言ったー!!!!」 「お前、なんか失礼なこと言った?」 「いえ、それよりもさっさと〈苦労婆〉《クローバー》ガーデンとやらのお話を」 「うぎぎぎぎ……こ・の・ふ・ら・ち・も・のーーーーー!!」 「うわああっ!?」 「?」  つかつかと、シロツメさんは美緒里の真正面に歩み寄ると。 「もう怒ったわ! あんたなんかもー知らない! いくら願っても、ガーデンにはぜーったい入れないんだから!」 「この貧弱体型の〈守〉《しゅ》〈銭〉《せん》〈奴〉《ど》ー! 金貸しー! おっぺけぺー! このこの九族でーべそ!」 「べーのべーのべーーー、だ!」  こ、子供だ……子供のケンカだ……。 「あれ? なんだろ……なんだか急にイライラしてきました……」  こ、これがシロツメさんパワー!?  たとえ見えてなくても、低周波が体に悪影響を及ぼすみたいに、馬鹿にされてることはわかるのかもしれない! 「はぁ、はぁ……少し気が晴れました」 「最後に祐真さん、私からのメッセージをお伝えくださいー」 「(はい?)」 「みおりのひんにゅー」 「美緒里のひんにゅー?」 「なっ、なんですかいきなり! み、み、見たこともないくせに!!」 「ふふっ、勝ちました……女性の魅力部門では、お色気不足の守銭奴に完全に勝ったといえます……ふふふ、ふふふふー♪」 「(わぁぁ、俺を置いて勝手に勝利宣言しないでください!)」 「うううーー、どうしてこんなにイライラするんでしょうかぁぁ……!!」 「ふふふっ、ひんにゅー! やーいやーい、見えてなーい♪」 「(おいこらちょっと……あ、あれ? もういない!?)」 「に……にげた……ひどい……」  俺の前に、すっかり不機嫌になった美緒里を残して……!! 「あー、もういいですッ!」  美緒里は見えない物を断ち切るように腕を振ると、きっぱりと言い放った。 「とにかくそんな夢物語を信じてるなんて、頭の悪い証拠です! 先輩は猛省してください!」 「は、ははっ……」  そして、わしわしと、地面を踏みつけ始める。 「で……何してるの?」 「この間読んだ本に書いてあった科学的アプローチです。頭のいい人は科学を信じるんです」  その発言がすごく頭悪そうなんだけど、一時の気の迷いと思って聞き流そう……。 「いいですか、こうして軽く刺激を与えることによって、細胞分裂が活性化して、四葉となる突然変異が起こる可能性が高くなるそうなんです」 「もしもし、えらくトンデモっぽいんですけど……??」 「何か言いましたか!?」  ぎろっと睨まれ、慌てて否定。 「だから、踏むんです、踏む、踏む、踏んで、踏み、踏み、踏みっ!」  八つ当たりしてるようにしか見えないけどなあ……。 「えいっ、えいっ、えい、えい、えいっ、なにが、胸の、大きさ、ですかっ!」  うん、いっそそのほうが正直で清々しい。 「それに、日当たりも、あんまり良くない方がいいんです」 「日照時間が少ない方が、葉がより日光を求めて、細かく生えて、四葉になる確率が上がるそうなんです」 「本当かなぁ」 「ビニールハウスを黒いのにしてるのもそうです」 「気温は上げて、育ちをよくして、でも日光は遮って、より分裂を促す……と!」 「そして、四葉の生えた株を分離して、それをさらに栽培してゆけば、いずれは四葉しか生えないクローバーが生まれるのですっ!」 「はあ……」  伝承めいた話は信じないんだけど、うさんくさい俗説はウェルカムなのか……わからん子だ。  がに股気味に、わしわしとクローバーを踏みつける美緒里。  科学的アプローチにしては、どうにも間抜けで、情けない。 「ぼーっとしてないで先輩も手伝ってください。何としても栽培を成功させて、合理的に幸せになってみせましょう!」 「……なんだか、今でも十分幸せそうに見えるんだけど」 「褒めるだけじゃ、分け前はあげられませんよ」 「ほめてないし! もともとくれるつもりないだろ!」 「ううっ……鋭いですね」  やれやれ……シロツメさんの精神攻撃で、少し彼女の本当の顔が見えた気がするけど、そうなったらそうなったで目の離せない相手に思えてくる。 「でも……そんな苦労してまで伝説のクローバーを作ろうとしてるってことはさ」 「はい?」 「願い事の話も、完全に信じてないってわけじゃなくて、少しは、そういうこともあるのかなって思ってるんだろ?」 「そ、それは……」  ふっと、息をついた美緒里が少し遠い瞳をする。 「そうですね……」 「サンタクロースがいればいいな、いた方が面白いな……っていうのと同じようなものかもしれません……」  木曜の朝、珍しく月姉と一緒になった。 「おはよ!」 「あれ?」  自転車で後ろから追いかけてきて、並ばれる。  受験生はこの時期、自由登校となっている。学校に行ってもいいし行かなくてもいい。 「写真関係で用事があってね。ついでに図書館で、読んでおきたい本があって」 「卒業したら簡単には読めないから、今のうちに見ておかないと」 「すごいね……あれだけ読んでて、まだ読んでない本が残ってるんだ」 「秋口に本が増えたしね、一人が読める分量なんてたかがしれてるわよ」 「本は人類が積み重ねてきた知恵がつまったものなんだから、三年やそこらで全部読めてしまったら、その方がつまらないわ」  なんというか……学年トップ、進路はどこでも選び放題という優等生はやっぱり発想が違う。 「……ところで」 「ん?」 「美緒里ちゃんと、つき合ってるの?」 「は……?」  ……よっぽど間抜けな顔をしていたのだろう。  月姉もなぜか一緒に、あきれたような顔になった。 「その反応だと……全然図星じゃない、と?」 「当たり前です。何でそうなるの!?」 「大晦日に一緒に年越しした仲なのに?」 「夜々もいました!」 「当たり前よ。じゃあもし誰も寮にいなかったらどうするつもりだった?」 「え……」 「お、赤くなった……男の子ねー、祐真も」 「あんなにちっちゃかった祐真が、いつの間にかこんな立派な大人になりました」 「月姉!」 「まあそれは半分くらい冗談だけど」 「半分本気ですか!?」 「そう……実際のところ、どうなの?」 「寮でも、けっこう噂になってるのよ。ということは、学校ではそれ以上に広まってるってことでしょう?」 「保護者としては、本人に確かめておかないと」 「いや、確かめるも何も……」 「俺、例の弁当事件であいつに立て替えてもらってたからさ、それで手伝いやら、なんやら……」 「今月の仕送りは届いたんでしょ? それだけの関係だったら、さっさと返済しちゃいなさいな」  ちなみに、まだ犯人は判明していない。 「あーっとひとつ忠告! これまでの労働分はもちろん元本から差し引いて計算するのよ?」 「いやぁ……それが、昼飯ごちそうになっちゃって、労働はそのへんと相殺ってことで……」 「……あきれた」 「あんた、結構ズルズル行っちゃうタイプだったのね」  反論できない。 「……だけど、そういう、表面的な貸し借りだけ?」  意味深な風に言われて、俺は少し考えこんだ。 「……どういう意味ですか?」 「あなたが美緒里ちゃんと一緒に行動しているのは、借りがあるからという、それだけが理由なのかしら?」 「なっ……!」 「他に何か、感情的な理由があるんじゃないの?」 「そんなの……」 「あるわけない?」 「そりゃ、もちろん……」 「ふーん……でも美緒里ちゃんって可愛いと思うけどな?」 「え?」 「あはは、また赤くなった……じゃあね、お先!」 「な、なんなんすか、いったい!」  ううう……とんでもない誤解が生まれ、そして健やかに育っているな!  それを即座に否定できないのは困ったもんだ。  美緒里とのつながりか……。  俺だって、借りた金を返そうとはしてるんだけど、なんか受け取ってもらえなかったんだよな。  うーむ……美緒里はなにを考えているんだろう。  ――休み時間、俺はさっそく美緒里の教室に顔を出した。 「日向さんって今どこ?」 「トイレって、今、全速力で……」 「なに……また返しそびれたか!」  これで昨日から四回目だ。  校内での携帯通話はご法度だけど、こうなったらいっそ……。 「あのう……センパイ。何ならあたし達から、あの子に言っときましょうか?」 「え? なにを?」 「日向さん、先輩に無理やり借金させてるんでしょ」 「それにしても、日向ってひどいよね。利子かせぎたいからって、逃げ回るなんて」 「いや、そんなことが目的じゃないとは思うんだけど」 「ぜったいそうですよー、いつもお金のことしか考えてないもん」 「センパイ、あんな子やめたほうがいいですよ」 「いやいや……俺たち別にそういう関係じゃないから」 「うそ、みんな噂してますよ。二人ができてるって」 「あの美緒里も、ついに大人に……ってねー」 「マジか? いや本当にありえないんだけど」 「ありえない……それなら日向さんにそう伝えておきますよ」 「……いやそれもけっこう! つか、そのへんはほっといて」 「…………」  納得してない様子の女子を置いて、教室をあとにする。  何か……いやな予感がする……。  だけど、美緒里本人がいない以上、どうすることもできないわけで。  女子トイレの前で張り込んでも、美緒里は姿を現さない。  短い休み時間はすぐ終わってしまった。  俺はやむなく自分のクラスに引き上げた。  結局授業に遅れてしまった俺は、罰の校庭3周を(何事もなく)こなして、教室に戻ってきた。 「また、美緒里ちゃん?」 「あ、うん……お金、なかなか渡すチャンスがなくて」 「返してほしくないなら、いっそ着服してやろうか……なんてね、あはは」 「そんなことできないって分かってるのかもね」 「……どういうこと?」 「ん、なんとなくそんな気がしただけ」  もう少し話を続けようとしたところで、先生に怒鳴りつけられた。  ううっ……気になるなあ。  昼休み――。  仕送りをちゃんと受け取り、財布は充実しているから、今日はきちんと自腹でご飯が食える。 「あああっ!! これが自由の味だ……!!!」  感動だ……感動だけど、腹ごしらえしたら美緒里を探さないと!  女子トイレと更衣室以外なら、どこに逃げても追いつき、今度こそ支払いを済ませてやる。  廊下に出た途端、遠くの角に見慣れた長い三つ編みを発見した!! 「いたーーー!!!」 「え? あ、あ、あぁーーーーーっ!!」  俺の姿を見留めた美緒里がダッシュで逃げようとする。  な、なんで逃げるーー!! 「こらーーー、まてーーーー!!」 「はぁ、はぁ、はぁ…………っ」 「逃げるなー、金返させろーーー!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……ひぃ……!」  ええい、そんな鍛え方でこの俺から逃げられるものか。  じりじりと距離を縮めながらも、俺たちは一気に中庭を突っ切り、裏庭へと……! 「くらえ、スタミナ限界値からの光速スプリント!!」 「うおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」 「きゃああああああっ!」 「へっへっへ、ひと気のないところへ逃げ込んだのが敗因さぁ!」  目標、前方20メートル!  あと15……10……5……! 「つーかーまーえーたぁぁぁ!」 「きゃーーーーっ!」  腕をつかまれた美緒里が暴れる。  ええい、無駄な抵抗を。俺はそんな美緒里の眼前にビシリと一万円札をつきつけた! 「あ、いい天気……今日は洗濯物日和かも……」 「コーコ! コーコ!!!」 「…………」 「…………」 「ええい目をそらすな! ほーらぁ、美緒里の大好きな一万円だよー♪」 「だ、だ、誰ですか? 人違いですっ!!」 「僕らのヒーロー、ゆきっちゃんだよー♪」 「ワタシハ、ヒナタ・ミロリ……ニジュウニセイキカラコノチキュウニ……」 「貫禄充分な明治の思想家が美緒里とデートしたがってるよー♪」 「み、見えない……ああ、光がどこにもない! 手術は失敗だったのかしら!?」 「無駄な抵抗をやめろーーッッ!! こちょこちょこちょこちょ!!」 「きゃ、きゃっ、きゃあああああっ、み、見ます、見ますー!」 「それでいい」 「はぁ……はぁ、はぁっ……先輩は乱暴すぎます……はぁぁ」 「どうでもいい、ほら、借りていた7600円、利子つけても足りるだろ?」 「…………」 「だから目をそらすなーーー!!!」 「そらしてません、夏の太陽がまぶしかったからーー!」 「真冬だ! いーから現実を受け入れろー!!(こちょこちょこちょこちょ)」 「きゃぁぁ、ひゃ、きゃ、きゃぁぁああぁあぁぁ!!」 「ううぅ……清らかな乙女の身体を思うさままさぐるなんて……!」 「いいから、うけとれーーー!!」 「くすん……わかりました」  しょんぼりした美緒里が俺の一万円札を受け取り、しっかり電卓で利子計算してお釣りを返してくれる。 「どうしたんだよ、サラ金は誠意の試金石だなんて豪語してた美緒里がさ……なんだかおかしいぞ?」 「…………」 「俺はちゃんと指切りの約束を守って、借りた金を返した。美緒里はにっこりそれを受け取る。なにも問題ないでしょ?」 「……」  なぜか涙目で、美緒里が俺のほうを見る。 「え? な、なぜ泣く!?」 「泣いてなんかいません、もし泣いていたとしたら福沢さんとの再会が嬉しかっただけですから」 「泣いてないなら、それでいいんだ」 「…………くすん」  泣いてるよーー! 諭吉と関係なく泣いてる! 「ぐす……とにかく、いままでご苦労様でした。いろいろご迷惑をおかけしてすみませんっ!」 「え? え……?」 「それじゃ……私は」 「あの……美緒里さん?」 「後輩なんかに顎で使われて、さぞかし気分悪かったことと思います、でも、もう先輩は自由ですから」 「……アホか」 「な、なにがアホなんですか!」 「俺はもともと自由だっての!」  なんて言い張るのは嘘だけど、でも理屈としちゃ自由だったんだよな。  そうか……ここに来て、鈍い俺にもようやく美緒里がどうして逃げ回っていたのか分かった気がする。 「お金は返したけど、ボディーガードやめるなんて言ってないぞ」 「え……?」 「な、な、なんですか、どうしてそんな話をいきなり!!」 「その顔見れば分かるよ」 「…………うぅ」 「俺は、一緒に芝居をやった仲間が危なっかしい商売やってるから、ほっとけなくて付き合ってるんだ」  俺は美緒里の前に小指を突き出した。  大晦日、ボディーガードの約束をしたことと、正月に金を借りたことは全く別だから。 「……先輩はお人よしすぎます」 「お前はドライすぎるんだ。金の貸し借りと人間関係はイコールじゃないぞ」 「それは……一部のお人よしさんだけです」 「悪かったな」 「そんなことでは損をしますよ。私はもっとクレバーに……」 「うっさーーーーーい!!!」 「きゃああ!」 「とにかくッッ!!」 「は、はいーーっ!!」 「……正月は助かったよ、ありがと」 「…………先輩」  きょとんとした顔で美緒里が俺を見る。  瞳を潤ませ、見たこともないような素直な顔で……。  そうだよな、下手に議論するより、こうやって気持ちでぶつかったほうが美緒里にはいいのかもしれない。 「……ぐすっ」  鼻を〈啜〉《すす》って美緒里が立ち上がる。 「では、ボディーガードはこれからもお願いします」  それから、何事もなかったように、先に立ってすたすた歩き始めた。 「言っておきますけど、先輩の考えは的外れです」 「え?」 「先輩との関係が切れるのが怖くて、逃げてたわけじゃないですし、そんなことで泣いたりしてないんですからっっ!」 「先輩は、私を子供扱いしすぎです!!」 「ふーーーーーーーーーーん」  頬が自然とにやけてくる。 「な……なに笑ってんですか。感じ悪いです!」 「いや、べつに」 「ば、罰として、さっそく今日から集金回りです! 気合い入れてくださいっ!」 「はいはい、おまかせあれ」 「…………うーっ」  もうすぐ昼休みも終わりだ。  から意地を張る美緒里のあとについて、教室に戻る。  俺の中で、不可思議だった美緒里ってやつが、なんだか少し身近になったような気がした。 「いちについてー」 「………………(ごくっ)」 「よーい…………」 「………………(ごくっ)」 「どんっ!!」 「うおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおッ!!!」 「おお、スタートはほとんど同時だ!」 「あのチビもかなり走りこんでるな」 「しかし……この先の高台を回るコースを選んだのが運のツキ」 「勝負はスタミナのある我らラグビー部のものだ」 「長距離は瞬発力だけじゃ、どうしようもないからな、どうするサラ金屋?」 「ふふ……」 「なら、賭けてみますか?」 「ゴーーーール!! 1着、天川選手、6分12秒!」 「はぁ、はぁ……まあまあってとこか」 「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ…………」 「2着、主将さん、6分50秒ーーー!」 「そッ、そんな……」 「ばかなーーーーーーーーーーっっ!!」 「では、お約束どおり……ご返済のほうを〜」 「仕方ない、俺の負けだ……斉藤! 桑沢! 坂本! 払ってやれ!」 「ありがとうございますー、部員三名様分、合計786円、確かにご返済いただきましたー♪」 「るんるるんるるーん♪」 「やけにご機嫌だな、返済が滞りなくすんだのはめでたいけど」 「はい、先輩と主将さんの勝負に〈外〉《そと》〈馬〉《うま》がつきまして……」 「じゃーん、さらに300円の儲けになりました♪」 「お前、賭けたのか!?」 「はい、公正な契約にもとづいて」 「公正もなにもそれって校則違反ーー!!」 「校則では校内の賭博行為について、何の記述もありませんよ」 「むぐ……そ、それでも、学生らしからぬ不品行をするべからず、とか書いてあるだろう」 「はいー、主観の相違ですね」 「……反論する気力もない」  そんなこんなで、今日も俺は美緒里のSPに駆り出されている。  今やボディーガードなんだか、お助けロボットなんだか分からないスタンスになりつつあるけれど……。 「それにしても、先輩はタフなんですね」 「鍛えられてますから」 「月姉に……?」 「…………ま、そういう事」 「………………」  月姉のことを話すと、美緒里は少し寂しそうに笑った。 「で……次はここ?」  美緒里に連れられてやってきたのは、この前と同じホームセンターの園芸用品コーナー。 「はい、ではさくさくと行きましょうー!」  そしていつもの2kg培養土を次々とカートに放り込んでいく。 「あ、あの……ちょっと多くない? これって?」 「でも先輩なら平気です……だって」 「……月姉に鍛えられてますから(きらーん☆)」 「ひどい〈言質〉《げんち》の取り方だ!!」 「うぐ……うぐぐ…………ついたぁぁ!!」  総計30キロに及ぼうかという土の袋を担いで山道を登らされた俺は、レンタル畑につくなり大地に突っ伏した。 「はぁ、はぁ……はぁ、かけっこの100億倍キツイ……はぁ、はぁ」 「すごい、さすが月姉です!」 「ええい、ちくちく刺さるー!! はぁ、はぁ、はぁ……もう少し、いたわってくれても……」 「冗談です。はい、いい子いい子……」 「そんな露骨にいたわられたくねー!」  ……って!?  俺の前にかがみこんだ美緒里……つまり、顔の目の前に太ももが来て、それが吸い込まれた先には……ミニスカートの暗がりと、その奥の……!?  お、お、お、ヤバいよ、そのままだと……ぱんつが……。 「……先輩?」 「……ハッ!」  もしや、ぱんつ見たら拝観料取られるかも!?!? 「あ……」  慌てて顔をそむけた俺の反応に、美緒里はきょとんとした。 「……あー、なるほど(きらきらーん☆)」 「ぎくり!」 「せーんぱい、もしかして……?」 「なにか見ようとしてました? それとも見ちゃいました? 見ちゃったんですね?」 「み、見えてない! 見えそうになったけど、見てないっ!」 「あー、やっぱり見ようとしてたんだ」 「え? う、あ……」 「くすくす…………先輩は変態です、幻滅しました」 「うううっ!! 覗こうとしたのは悪かったけど、変態ってのはいくらなんでも……」 「いいえ、変態です」 「健全だー! 学生らしい健全な好奇心の範囲内!!」 「後輩の善意につけこんで、スカートの中を〈窃視〉《せっし》することがですか?」 「うぅぅ、それを言われると……!」 「くすくす……ねえ先輩?」 「な、なに?」 「どうしても見たいときは、コソコソしないでちゃんと言ってくださいね」 「え……え……え??」 「とーっておきの料金プランをご用意しておきますから!」 「すみません、もう見ません、二度と見ませんーーー!!」 「それでは、祐真先輩はそちらからお願いします」 「なんでもやらせていただきます!」 「はい、変態力の有効活用です」  ううっ……もう変態ってフレーズはやめにしてほしいなぁ。 「四葉があったらそれは残して、枯れてるのは摘むんだよな?」 「はい。弱いものは取り除かないといけません」 「生き残った強い、そして四葉のものだけをさらに増やすための第一歩です」 「伝説のクローバーは、抜かれても枯れずに、いつまでも生き生きとしているという噂を聞きました」 「植物の常識を越えた強靭な生命力! 四葉の中の四葉――ザ・四葉を生み出すために、がんばりましょう!」 「ザ・四葉って、100円ショップっぽいフレーズだなぁ……」  あ、聞いてない。  美緒里は一心不乱に、広がったクローバーを吟味し始めている。 「これはだめ……これも……あ、いけるかも……これは……」  ぶつぶつ言いながら、細かい葉を一枚一枚検分してゆく。  貸した金を回収する時とは比べものにならない、真剣な横顔……。 「………………(凝視)」 「……………………(凝視)」  美緒里って、かなり可愛い……? 「さぼらないで」 「はいっ!」  ううっ、すっかり使用人が板に付き始めている……問題だ。  ともあれ次第に暗くなる冬空の下、ひとつひとつクローバーをチェックしていく。  うーん、熱心だ。  熱心に見えるだけに、ひとつの疑問がわきあがってくる。 「それにしても、どうしてクローバーなんだ?」 「はい?」 「いや、金儲けの手段がさ」 「決まっています。この永郷市で一番有名なものといえば……」 「そうじゃなくて、他にもビジネスはたくさんあるだろ」 「ほら、デイトレとかあるじゃん。むしろ美緒里にはそういう知恵比べで金儲けするのが似合ってそうなのに」  1円単位まで細かく計算してお金を貸し付け、取り立てる――あの執念をもってすれば、デイトレ徹底攻略を果たして一攫千金も出来るだろうに。 「俺はこういうの好きだけど、ちょっと不思議だなって思ってさ……」 「分かりませんか……?」 「ん……分かんない」 「私、こう見えても女の子ですよ♪」 「女の子は、伝説とか、神秘とか、そういう言葉に弱いんです♪」 「………………」 「納得していただけましたか?」 「……プラズマは?」 「あいにく荷電粒子群にはとんと疎くて……」  美緒里め、どこまでもすっとぼけるつもりみたいだ。  まあ、話したくないのには、それなりの事情があるんだろうけど……。  そして俺は黙々と三葉と四葉の選別作業に戻る。 「……踏み込んで来ないんですね」 「……?」 「そういうところも似てるんだな……」 「何の話?」 「………………」  しばしの沈黙。  それから美緒里は腰を上げると、てててて……と俺の正面まで走ってきた。 「………………」  そして、いつもみたいに、じーっと俺の顔を見る。 「ど、どうした?」 「……先輩は、綾斗に似ています」 「…………」 「……………………誰?」 「弟です、ほら……」  携帯を裏返しにした美緒里は、バッテリーパックを本体から取り外した。  バッテリーの裏側に、古いプリクラの写真が貼ってある。  古い写真のせいか、印刷がすこしかすれていて良く分からないけれど……。  これ……小学生ぐらいの頃だろうか?  美緒里はすぐに分かった。面影はあるけれども、今の美緒里とは全然違う。  そして……仲良く隣に映っている男の子。 「似てますよね?」  美緒里はすぐにバッテリーを携帯に戻してしまった。 「似てたかなぁ……?」 「似てますよ」 「………………」  それから美緒里は、また俺の顔を見つめてくる。  どう反応したらいいか分からずに、俺も美緒里の目を見つめて……。 「………………」  こ、これって……キスしていいの? 「み、美緒里……っ」 「……とまあ、この話は内緒にしておいてください。トップシークレットです」 「あ、あ、ああ! わ、わかった!」  はぁ、はぁ……焦った!  俺としたことが、後輩相手にとんでもない暴走をするところだった……! 「くすくす……先輩はやっぱり変態さんですね」 「なななななんのことかさっぱりなんだけど! そ、それより美緒里には弟がいたのかー! いやぁ、びっくりびっくり!」 「俺一人っ子だから、姉弟のこととか全然想像できないんだけど、やっぱり弟って生意気だったりする?」 「そりゃもう、なまいきですよー。ぜーんぜん言うこと聞かないし、こっちの揚げ足ばっかり取るし!」 「美緒里の揚げ足を取るって、かなりな切れ者なんじゃないの? まさかうちの生徒!?」 「違いますよ、綾斗頭いいから」 「お前は自分の成績まで〈貶〉《おとし》めるようなことを言うな!」 「くすくす……だって本当のことですから」 「喧嘩とかするの?」 「しょっちゅうです! 悪いのはいつも弟で、謝るのはいっつも私なんですよ。やっぱり年上は損なんです」  俺と月姉もよく喧嘩したけど、悪いのも謝るのもたいがい俺だった気がする。 「口は減らないし、理屈っぽいこと言うし、本当に手に負えません!」 「なるほど……姉弟ってのは似るものか」 「む……! どういう意味ですか」 「でも好きなんだな」 「え……?」 「いや、弟のことさ……好きなんだなって」 「………………」 「うん……好き……」  ――ドキッ!  急に美緒里が大人びた表情になる。な、なんで俺はそんなことでここまでドキドキしてる!? 「あ、あはは……じゃ、じゃあ写真くらい変えてやれよ、こんな昔のじゃなくてさ」 「……ううん」 「だって印刷かすれてるしさ」 「でもこれ……いちばんいい顔で撮れてるから」  俺から視線を外した美緒里が、胸のところで携帯をぎゅっと抱きしめる。 「美緒里……?」  夕闇が次第に濃くなりはじめた。  携帯を握り締めた美緒里の表情が、こころなしか〈翳〉《かげ》って見える。  俺はそのとき、美緒里が口にしなかった言葉の裏側が分かったような気がした。  美緒里の弟っていうのは、きっと、もう……。 「…………」  『ごめんな』……そう言いかけた言葉を飲み込む。  美緒里の白い指が、三葉のクローバーを器用により分けている。 「早いとこ、終わらせようか」 「……はい」  それから、俺も美緒里と並んで黙々と手を動かした。  美緒里の制服のポケットで携帯のストラップが揺れている。  古いストラップ――これも弟からのプレゼントだったのかもしれない。  そんなことを考えながら、俺たちは空が完全に暗くなるまで、幸運を呼ばないクローバーを摘み続けた。 「おねえちゃん……」 「お姉ちゃん……か」  口の中で何度か呟いてみる。  『月姉』に比べて、なんとも甘ったれたような、その照れくさい響き……。  その言葉のあとに浮かぶのは、2個下の後輩である美緒里の顔だ。 「やっぱ、ありえねーなー」  思い出すのは、『姫巫女の恋』の打ち上げで夜々と話したときのことだ。  あのとき俺は、夜々に『俺が兄貴になってやるからさ』と言った。  実際、それから夜々は俺のことをずっと「お兄ちゃん」って呼んでいる。  はじめはくすぐったかったけど、俺のほうが年上なこともあって、今はもう違和感を感じない。 「でも『俺が弟になってやるからさ』はないよ! 絶対ねえーーー!!」  布団を丸めてじたばたと転がってみせる。  妹の夜々より後輩だぞ! その美緒里の弟だなんて……! 「お姉ちゃん……」 「ありえねー! 〈天地開闢〉《てんちかいびゃく》以来ありえねー!!」  ――じたばた、ごろごろ!! 「こらー、静かにしたまえけしからんっ!」 「ううっ、怒られてしまった……」  しかもきっと誤解されたはずだ、俺が変なサイトを見て悶絶してたって!!  咳払いをして、ノートPCの画面に視線を戻す。  そう……今夜、俺の部屋にはノートPCがやってきたのだ!!  その持ち主は誰あろう恋路橋! 「いいかい、変な目的には使うなよ! 後で履歴チェックするから、消さないでよ!」 「それから、僕のメーラーは絶対に開かないこと。これだけは死んでも守るように!」 「わかってるわかってる、ちょっと園芸関係の調べ物したいだけだから」 「それを信じたから貸すんだよ。まさか君にそんな渋い趣味があるとは思わなかった」  学校のPCを使ってもいいんだけど、どうしても調べておきたいことがあったのだ。 「検索……『クローバー』っと」  美緒里の、あの『科学的アプローチ』とやらが危うくて仕方ない。  弟の代わりにはなれなくても、少しでも知識を仕入れて、ましな結果が出るようにしてやりたいんだ。 「クローバーだけじゃ多すぎるか……もうちょっとキーワードを……」 『四葉』とか『栽培』というキーワードを付け加えて、再度検索。 「……ふーん」  結構見つかった。  四葉のクローバー栽培キット、なんてのも販売されてる。大して高価じゃないし、入手も簡単そうだ。  けどこれは……クローバーじゃなくて、似た種類の別の草か。それじゃダメなんだよな。  美緒里が望んでるのは、こういう普通のものじゃない。  押し花やアクセサリーを作ろう、なんてことを考えてるんじゃなくて、それこそ非現実的な『ザ・四葉』を作ろうとしている。  美緒里は、この街に伝わるクローバー伝説は全然信じてないみたいだった。  シロツメさんには悪いが、それは俺も一緒で、ああいうのは都市伝説の一種だと思っている。  ……だけど、枯れない草なんて、現実的に考えてありえないよな。  ということは美緒里が作りたがってるのって、結局は伝説のクローバーなのかもしれない。  本当に枯れないクローバーなんてのが栽培できたら、テレビ局がすっとんで来てバカ売れ間違いなし。がっぽがっぽの大もうけ……。  いや、シロツメさんに、めちゃくちゃ怒られそうだけど……。 「……シロツメさん……か」 「クローバーは実在します! ガーデンだってちゃんとあるんですから!」  クローバーガーデン……か、検索! 「うへ、たくさん出てくる」  会社名だったり、ゲームのアイテムだったり、商品名だったり……。  お、永郷市の都市伝説ってのがある。  伝説のクローバーが生えている場所がクローバーガーデン……うん、そうだよな。  でもって、主に学生中心の都市伝説か……。  この町の人ならたいがいクローバーのことは知ってる――だけど、大人が話題にすることってないのかもしれない。  ネットの世界ではそんなにメジャーじゃないみたいだし……。 「クローバーガーデンの探索……か」  小さい頃に、誰もがやった冒険ごっこだ。  四葉のクローバーの栽培キットなんかを検索するよりも、よっぽど夢がある。 「うーんロマンだよな、人生の調味料。そいつがなくては人生は味気ない!」  なんて、足を使う代わりに検索エンジンでクローバーガーデンを探してみる。 「伝説のクローバー――、ガーデン――」  俺は思いつくままに、検索のキーワードを増やしていった。 「謎――、伝説――、秘密――」  ううむ、どのキーワードでも、ヒット数が万単位だ。  もう少し変わったものを付け加えてみよう。  花泉学園――これはさすがに少ない。  しかし、いくつか見つかるあたりが怖い。  うちの現役生がやってるブログ、卒業生のサイト。この街に伝わるクローバー伝説について触れてるものが三つほどある。  ひととおり目を通すが、あまり足しになることはない。 「永郷――」  この市の名前とクローバーで検索してみた。  これも似たような結果しか出ない。クローバー伝説に関するサイトがいくつか見つかった。  それはそれで面白いけれども、やはり俺が求めている情報ではない。 「ふーむ……」  さらにいくつか、俺の名前とか、美緒里の名前なんてのも入れてみる。  脱線? いや、こういう息抜きだって大切なんですって。  ええと、月姉……真星……恋路橋……。  これ、恋路橋に履歴見られたら恥ずかしいな……適当にカモフラージュしておこう。  ……そうして、しばらくネットを探り回っている時だった。 「お姉ちゃん――」  ふと、そんなワードに、クローバーをかぶせたら……。 「お……?」  面白そうなサイトがあった。 『クローバー』『伝説』『願い』その他いくつかのキーワードに、『お姉ちゃん』で絞りこんで、ヒットしたものだ。 「なになに……『伝説のクローバーを育ててみようと思いました』……?」  ブログだ――『夜刀神日記』?  ブログ主のプロフィールは……男とだけ。それだって本当かどうかわからない。ネットだし、仕方ないな。  過去ログの、一番古い書きこみを見ると、まず、伝説のクローバーの話から始まる。 『四葉のクローバーは幸運を呼ぶという。でも、本当に願いも叶えてくれる魔法のクローバーがあるらしい。』 『その話を耳にして、手に入れたいと思った。』 『フラワーショップには売っていない。何件か回ってみたが、そもそもクローバーをお店で売ることは少ないそうだ。』 『永郷市を歩き回ったが、それらしいものは見つからない。いっそ栽培をしたほうが早そうだ。』 『インターネットで発見した四葉の栽培キットを購入した。』 『期待しながら育てたところ、確かに四葉のクローバーが生えたものの、これは別物だ。』 「『ただの草、幸運なんて嘘である。』……か、ずいぶんハッキリ書くなぁ」  それからも、このブログ主は根性があったのか執念深かったのか、あきらめずにクローバーにトライし続けている。  ここから、三葉のクローバーを四葉に品種改良する為の栽培編が始まるようだ。  ブログ主は調べられる限りの方法を調べ、そしてそれを片端から試している。 「踏みつける……黒く塗る……葉が分かれる先端に傷を付けて葉を増やす……」  おお! 美緒里がやっていたのより、一歩先を進んでる! 「美緒里も、これを先に見ておけばよかったのに……」 「いや、そう簡単にヒットするサイトじゃないから無理か、よし、俺が覚えておこう」  ブログの記事は続く――。  種を蒔く時期を変えたり、土質を色々なものにしてみたり、肥料の種類や水やりの量も調節したりと、えらい研究熱心だ。  暇な学生の俺でも、ここまで出来るかどうか……。  うん、まだまだ先は長そうだ……とりあえず、今日はこれくらいにしておこう。 「それじゃブックマーク……はまずいか。恋路橋のPCだもんな」  ブログ名の『夜刀神日記』とアドレスをメモしておく。  うん、このサイトは色々と役立ちそうだ。これからも参考にさせてもらおう。  ふっふっふ……美緒里の驚く顔が目に浮かぶようだ!  それから10日あまり、美緒里は発奮したように090金融の取立てに精勤し、ボディーガードの俺も東奔西走。  畑の手入れはしばらく必要ないらしく、山のほうへ行くこともないまま毎日が過ぎていった。  俺は、例のブログで仕入れた知識を披露したくてたまらなかったのだが、レンタル畑に行かないことにはどうしようもない。  まあ、美緒里にブログのアドレスを教えてやればすむ話なんだけど……。  できることなら、あの美緒里のぽかんと驚く顔をまた見てやりたくて、ついつい言い出さないままでいた。  ――そして、2月12日の放課後。 「ゆーまー!」 「うおおおおぉおぉぉ!!」 「ゆーま! ゆーーーまっ!」 「おおおおおおおおおおおおおおっ!!」 「ゆーまったら、ゆーまーー!」 「……柏木せんぱァァァァイッ(怒)!!」 「ああ、きたきた、待ってたわ」 「祐真じゃなくて、天川君!! 俺を呼び出すために名前大声連呼は金輪際やめていただきたい!」 「考えとくわ、それよりお願いがあるの」 「流すなーーーー!!」 「卒業式の少し前から、卒業生たちの写真展示が始まるのは知ってるわよね」 「ぐすん……こんな一方通行のコミュニケーションがあっていいものか……!」 「知ってるわよねー??」 「知ってるよ!! 去年も見たあれだろ? 廊下や空き教室使って展示するやつ!!」 「人気者の写真がなくなるのが恒例だとか、今年は桜井先輩に女子殺到の気配だとかいう!!」 「そこまで知ってるなら話が早いわ、それの仕事がちょっと手に余るのよ」 「それは実行委員会みたいな連中がやってくれるんじゃなくて?」 「そうなんだけど、在校生じゃわかりにくいことってあるでしょ?」 「二人並んで映ってる人が同じクラスかどうかとか、球技大会で得点してるこの人は本職なのかどうかとか」 「ははぁ、それで月姉が……相変わらずご苦労様です」 「で、祐真にお願いしたいことがあるんだけど……」 「力仕事? 納入されたパネルの移動とか、大判プリントお願いしに街へダッシュとか?」 「そういうのは、もっと近くなってから。データの整理よ、やってほしいのは」 「データって画像の?」 「そう、PCに入ってるのを分類してほしいわけ」 「デジカメで撮った、生のデータを集めてあるから。それのサイズをそろえて、内容別にフォルダ分けして……」 「はあ……」 「理解できてる?」 「そりゃ、まあ……持ってないけどPC使うことはちょくちょくあるわけで。もっぱらメールとネットぐらいだけど……」 「エクスプローラーは?」 「授業でやった」 「だったら十分よ」 「とりあえず機材とデータは揃ってるから、その辺の空いてる教室で作業してちょうだい」 「ええと、視聴覚室とかじゃなくて?」 「あれは教育機材、勝手に使えないの」 「でも、写真のデータを俺みたいな部外者が勝手にいじって平気なの?」 「データを持ち出したりしなければ平気よ。集まった写真は6年の各クラスでまとめてもらった物だから、変な写真は入ってないわよ」 「……期待はずれだったら悪いけど♪」 「そ、そんな期待はしてないですよ?」 「悪いけどお願いね、あたしは、卒業制作の方を進めなくちゃいけないの」 「そりゃまた大変だ……がんばって」 「頼むわね、あんたが分類してくれたデータは、私が引き継ぐから」 「え?」 「あんたがなるべく早く、きちんとやってくれれば、私も楽になるってわけ」  ずうううんと、どす黒いオーラが俺の全身にのしかかる。 「力の限り、全力でやらせていただきますです、ハイ……」 「まかせたわよ」 「はい……」  月姉が引き継ぐってことは、手を抜いたら速攻でバレるってことだ。 「ええと……ご期待通りにできるかどうかは、全く自信がないんですけど?」 「簡単よ。拡張子ごとにひとつひとつ見ていって、サイズ別、撮影日時別、行事別のフォルダに入れていくだけでいいんだから」  だけ……か。 「短距離スプリンターも100メートルを10秒で走る『だけ』でいいんだけど、それが簡単かどうかは……」 「減らず口をたたくな、男でしょ、授業でやったでしょー?」 「ううっ、やります……」  こうなった月姉には逆らえない。小さい頃から刷り込まれた上下関係というのは強力だ。 「それじゃ任せたわ、機材は職員室においてあるから。整理が終わったら呼びにきて」 「はーい……」  行ってしまった。  月姉も同じ場所で、一緒にやってくれるなら心強いけど……。  俺一人じゃ……ううっ、とんでもないミスをしでかさないか不安だ。 「そういうときこそ、みおりんプロデュースです♪」 「うわああああっ!? い、い、いつから聞いてた!」 「最初からです。先輩はラッキーですね、困ったときにすぐに救いの手が伸びてきます」 「こんな意図的に伸ばされた救いの手をつかんでいいのだろうか……」 「なにをぶつぶつ言っていますか? さあ、レギュラーコースとDXコース、どちらになさいます?」  うぅぅ……これはまさに、謝礼で借金が雪だるま式に増えて行く予感!  手術は成功したけれど患者は助かりませんでした的な展開じゃないですか? 「どう違うの? サービスの内容じゃなくて、料金は?」 「はい、料金はどちらも時価になっています♪」 「やだーーー! 助けてーーーー!! むしられるーーーー!!」 「ふんふんふーん♪」  かくして俺たちは職員室で受け取った機材を両手に持ち、えっちらおっちらと廊下を歩く。  美緒里が抱えているのは、教員用と書かれたノートPCと外付けHD、それにCD‐ROMドライブ。  俺はCD‐Rのメディアがぎっしりつまった紙袋を、左右それぞれの手に。 「どうしました? 浮かない顔ですね」 「すっかり疲労してるんです」 「はてさて、お手伝い料金をタダにまで値引きしたというのに、なぜでしょう?」 「言わずとも分かってるだろう」 「ふふふっ……分かりません」  確かに時価という恐怖レートは取りやめにしてもらうことができた。  その代わりに美緒里が要求してきたのは、『一度だけなんでも言うことを聞く』って条件。  これまでの関係で、そう無茶なことを要求してこないってことは分かってるつもりだけど……。  それでも、いったいどんなことをさせられるのかと思うと……。 「はぁぁ……」 「仕事に取り掛かる前から疲れていてはいけません。さ、先輩、早く行きましょう。こういうのは早く片づけた方が、報酬を請求する時に有利なのです」  月姉相手にそんな交渉が出来るわけないってことを知らないんだ、この子は。 「んー、空き教室って言ったら、受験してる6年生のとこですよね。さっさと行って占拠してしまいましょう」  機材を抱えた美緒里が、ぽんぽんぽんと階段を駆け昇ろうとする。 「おい、そりゃちょっと危な――!」  ――あっ!! 「きゃああっ!?」  ぎゃーーーーーっ!! つまずいた! 転ぶ――落ちるっ!!! 「わああああああっ!?」  両手の袋を投げ出した俺は、瞬時に飛び出し――飛びつき――祈り――念じる!!  ――どっしーーん!! 「あいたたた……!」 「だ、だ……大丈夫かぁぁぁ?」 「はい、おかげでなんとか……パソコンは守りました……」 「そんなことより、お前が怪我し――」  言いさした言葉が途切れ、喉が鳴る。 「こ……これは!!」  うわ、あ、あ、あ……。  俺の手が支えていたのは、美緒里の……おし、おし、お尻!?  いや、それは最悪不可抗力ってことで、致仕方なし!  だけどそのスカートのたくし上げられっぷりは、いかなることーーー!?  見た! 見えた、見てる、見てしまってる!!  何度かスカート越しに見えかけたはずの、布切れが! クロッチが! バックプリントが!! 「………………(忘我)」  ばくん、ばくん――鼓動が耳の奥、破裂しそうな勢いで打ちなさられる!  全身灼熱、興奮絶頂、一点集約――!!  ぱんつぐらい、グラビアでも動画でも、過激で透けて食いこんでなんての、いくらでも見てるはずなのに。  こ、これがライブの迫力!!! おまけにパンチラどころかパンモロだ!  そして両方の掌に伝わる、このぷにぷにの弾力感!!  うおおおおおお、俺の人生航路が一瞬にしてピンクロードに染まりだしたーー! 「はっ!? 一瞬我を忘れていたような……おい、大丈夫か!?」 「な、な、なんとか平気です、無事です! 弁償することになんかなりません……っ!」  その発想は、さすが美緒里! 弁償を全力で回避するため、上半身まるごとで機材一式を抱え込んでいる。  おかげで、下半身の風紀崩壊には全く気づいていないご様子。 「………………じぃぃぃぃ」  PCの無事を確認した俺の視線は、真っ正直に美緒里のお尻に吸い込まれてしまう。  すごいなぁ……本物だ、お尻って本当にあったんだ。  お尻が本当にあるのなら、伝説のクローバーもきっと本当にあるに違いないよ……うん。 「せ、先輩……や、バランスが…………」 「え、そ、それはまずい……!」 「パソコン……あ、あ、あ、ずれてきましたー!」 「わーっ、こらえろ! 助けてやりたいが、俺が手を離したらお前転倒するーー!」 「は、はいーーっ、がんばります、ん、んくっ……ん、んっ!」 「わーーー! わーーーーっ!!」  俺が騒いでいるのは半分以上PCの心配ではなく!  み、美緒里が身体をくねらせるものだから、ぱ、ぱんつの股間に……!  なんか縦のラインが走ってきたー!! 「が、がんばれ、美緒里、超がんばれ!!」 「は、はいっ、でも……う、ううっ!」 「もっと腰に力を入れろ、左右にねじるように!」 「は、はい……う、ううっ、お、落ちそう……っ!!」  いかん、マジでぐらぐらしてきてる! 「じゃあ何か別のこと考えよう! 別のこと!」 「べ、別って!?」 「え、え、ええと……キャッシュ101の取立てを緩和する案とか!」 「またその話ですか……ぜーったいに却下ですっ」  そのはずみに美緒里の態勢が少し安定する。 「よしー、そのままキープだ!(ぱんつも!)」  うおお、手に力が入る。こんな支えがいのある物だったら、死ぬまで支えていたい! 「あ、あ……あれ、なんか……手の感触が……?」 「あ!! ま、まさか……スカート!!」  わーーーっ! 気づかれたーーー!! 「うそ!? うそうそうそ、見えてる? やだーーーっ!!」 「わ、わーーーっ! 見えてない、なんにも見えてないっ!!」 「うそ、だってスカート持ち上がってます!」 「ところがびっくり、死角に入ってる! だから平気!」 「し、死角?」 「死角死角! 丸三角!」  現実は、死角どころかバックプリントの金魚まで丸見え状態なわけで……!  ああ金魚よ! お前はずっとそこで美緒里のお尻を守ってるんだなぁ……。  健気なやつ……お前は琉金かー? 和金かー? コメットかー?  金魚すくいで見かけたら絶対にすくってやるからなー。 「な、なんで黙っているんですか!」 「あわわわ!? いやすまん、つい金魚にその……!」 「…………!!!!!!」  し、しまったぁぁぁーーーーーーー!!! 「いーーーーやーーーーーーーーーっっ!!!」 「やだやだやだっ! 放してくださいーーーー!!」 「は、は、放したら落ちるっ! 滑る! 見事に転ぶッ!」 「ひどい! 最低! みーなーいーでー!!」 「きゃっ、あ、あわわ……落ちる、落ちちゃうーーっ!」 「だめだー! 落とすな、死守してくれーー!!」 「だったら見ないでくださいーーっ!!」 「ひゃあっ!?」  うわわわ、つい力が余ってお尻の肉をわしづかみに!! 「やん、や、やぁぁっ……触られてるーー! 変態、変態ーーっ!」 「変態って言うなー!」  こ、この騒ぎを聞きつけて誰か来たら停学ものだ!  し……しかしPCを落下させても、これまた大事! 「こらえて、こらえてくれーー!」 「だから、もう目をつむってーーーー!!!」 「うわぁぁ、お尻を振るな、支えられなくなるー!」 「きゃっ、あ、あん、だめ、落ちるー!」 「ご辛抱、ご辛抱ーーーー!!! うわぁぁ!?」 「きゃ、ああああああっ!!」  ――ズゥゥゥゥゥゥン!!! 「まったくもう……信じられません、人知を超越した変態さんです、良識のかけらもなくてぶつぶつぶつぶつ……」 「うぅ……面目ない」  6‐Bの教室、俺の目の前で美緒里はぷりぷり怒りながら、PC機材のセットを進めて行く。 「はぁっ……もう先輩の脳内をフォーマットしたい気分です、まったく、何を考えているんだか、ぶつぶつ……」  ノートパソコンを机に置き、起動させ、ハードディスクをつなぐ。 「うん、立ち上がりますね……HDも異常なさそうですし、ドライブはまあ平気でしょう」  階段から見事に落下した俺達だったけれど、美緒里がPCをしっかりと抱きかかえてくれたおかげで、奇跡的に機材は無事だったようだ。  その美緒里の全体重のクッションになった俺のほうが、節々を痛めている気がする。  しかし同情される筋合いはゼロなのだ。  その間も美緒里はPCのチェックを勝手にどんどん進めてゆく。  俺が任された仕事なんだから、俺がやるべきで、美緒里はアドバイスしてくれるだけでいいのに……。  しかし今の俺に発言権は皆無。  ましてや、作業をしようにも気もそぞろときている。 「…………(ちらり)」  うう……どうしても、美緒里の膝小僧に目が行ってしまう。  太腿の奥……スカートに隠された中に、守護神の金魚は今も泳いでいるでしょうか? 「…………なんですかッ!」 「い、い、いえ、なんでもッ!!」 「なんでもないなら、じろじろ見ないでください」 「う、ううっ……ごめんなさい」 「つーん!」  頭の中を今もぐるぐる回っているのは、美緒里のお尻と食い込んだぱんつの色形、その他諸々……。  し、しばらく大人しく作業を見守ろう。 「はい、ここからは先輩がやってください」 「は、はい……! え、ええと……こ、このウインドウがCDのほうで、こっちがHDで……?」 「逆です」 「すみません……(コチッ)……うわ、すげえ!」 「どうしました?」 「い、いや……その……沢山あるなって、写真」 「そうですね。拡張子もバラバラだし、これは面倒なことになりそうですね!」  ううっ……何かがチクチク刺さってくる。 「一枚一枚内容もチェックしなきゃならないんだから、一日仕事ですよ、これ」 「なあに、このくらい……一気に片付けてやるぜ!」  そう、土壇場に強いのが俺のいいところ!  なんて自分で自分を褒めながらマウスを握った俺は、たちまち冷や汗まみれになった。 「ええと……なんだ、このZIPってのは? これは……わっ、ええと、読み取り専用って? むむっ……!?」 「…………(冷たい目)」 「み、美緒里さーん!!」 「まったくもう」 「それはそこをクリックして……そこのOKってところですよ。それから、右クリックでプロパティを出して……」 「むむう……プロ……」  それから1分……俺のギブアップは早かった。 「はぁっ……どうしようもないですね」 「面目ない」 「祐真先輩だけじゃありません、柏木先輩も柏木先輩です!」  うわぁぁぁ、怒りの矛先はいよいよ月姉にまで!? 「柏木先輩は、月姉なんですから!」 「はぁ……」  美緒里の手元で、カタカタと小気味よく、キーボードの音が鳴る。 「それなのに弟の力量も見定めずに、こんな大変な仕事をまかせっきりにするなんて……〈姉道〉《しどう》不覚悟ですっ!!」 「し、姉道……!?」 「良く分からないけど、つまりこんな難題をふっかけたりするのは、姉失格ってこと?」 「ちがいます!」 「難題をふっかけるのはかまいません、それはお姉ちゃんの特権ですから」 「そ、そうなのかー!?」 「だけどお姉ちゃんだったら、弟に難題をふっかけても、最後まで見守ってあげなくちゃダメです」 「弟がもうダメだってときに颯爽と助けてあげることも、お姉ちゃんの大事な役目!」 「そ、そんなもんですか」 「はい、アメとムチで弟を生かさず殺さず、自分好みにカスタマイズ……あ、いえいえ立派な男性に導いてあげることが、お姉ちゃんの役目なんです」  俺は世界中のお姉ちゃんに不信感を持ちそうだ……。 「でもだいじょーぶ!」 「私は柏木先輩とは違います。祐真先輩にできないことは、ちゃーんと助けてあげます。あげますから♪」 「え? ええと……それってつまり……」  美緒里が俺のお姉ちゃんってことになりやしませんか、ちょっと!? 「なんですか、言いたいことはハッキリ言いなさい!」 「な、なんでもありません! なにか俺にできることは?」 「ありません。とりあえず、これはまかせて……!」  カタカタカタカタカタカタ……カチッカチッカチカチカチッ……。  美緒里はキーボードを素早く叩き、マウスをめまぐるしく動かしてクリック、クリック、クリック……。  俺は圧倒され、何も言えない。  う、ううっ、マウスの音ひとつ、キーの音ひとつするたびに、俺が弟にされていくような気がして怖い……! 「はぁっ、もう少しスピードアップしないと……」 「俺にできることは?」 「じゃあ飲み物買ってきて。甘いのは太るから、お茶かスポーツドリンク、お金は後で」 「はいっ……!」  あぁぁぁ……だめだ、月姉に長年植えつけられた条件反射だ!  おまけにリアルお姉ちゃんの美緒里は、声音に『姉力』がたっぷりとこもっている!  つ、つまりこれはあれか! やっぱり『俺が弟になってやるよ』展開なのかーー!? 「ぐずぐずしない、早く行くー!」 「はいーっ!」 「よしっ、おしまいっ!」 「終わった?」 「終わったーっ!」  バンザイして、大きく伸びをする美緒里。  窓の外はまだ何とか明るい。  画像データは思った以上に分量があって、俺がやっていたんじゃ明日の授業が始まっていただろう。 「助かったー。本当にありがとう!」 「いえいえ、このくらいなんでもありません」  お、おお……修羅場を終えた美緒里は、いつもの美緒里に戻っている。  よかった、よかったー! 「さて、それでは今回の謝礼についてなのですが……」  そこは戻らなくてもよかったー! 「ぎくっ!」 「必要経費、交通費、出張費、その他雑費を加えまして……」 「全部ゼロ、全部ゼロ!」  それに今回はお金じゃなくて『なんでも言うことをきく券』だったはずー! 「そこに精神的慰謝料をたーっぷり上乗せしますとぉ……(ぎらり☆)」 「ううっ……逆らえない」 「はい、出ました! 今回の謝礼は……」  俺の脳裏に、対〈窮〉《きゅう》〈乏〉《ぼう》生活用のマップが浮かぶ。  パンの耳をもらえるお店、廃棄処分前の弁当を狙えるコンビニ、交渉次第で同じく廃棄処分前の惣菜を分けてもらえる弁当屋。  さらば、財布の中の紙幣よ、今月分の小遣いよ……。 「明後日、1日私につきあってもらいます!」 「……え?」 「つきあうって……何をするの?」 「はぁ……残念です、いまの質問で祐真先輩の前半生が透けて見えました」 「え? え? なに……?」 「またお電話します、帰ってカレンダーを確認してください」  ――がらがら、ピシャ!  余韻もへったくれもなく、美緒里が出て行ってしまった。  え? 俺一人で帰るの?  ううむ……なんだろう、謎は謎を呼ぶぜっ!  こうなったら急いで帰ってカレンダーをチェックだ!  ……。  …………。  ………………。 「なにーーーーーーーーーーーーっっ!!!」  明後日!!  いよいよ明後日がやってきた!!!  うおおおお……これがあさってかー!  人生でこんなドキドキするあさっては初めてだぜっ!!  はぁぁ……学校行こう、よし、行くぞ、行ってやる!!  そ……その前に部屋を片付けておこう。  気を鎮めるためだ、うん、そう、鎮まれ……俺!! 「はぁぁ……(そわそわそわそわ)」 「はぁぁぁぁ……(そわそわそわそわそわ)」  そう! 明後日とはつまり2月14日! すなわちバレンタインデーである!!  もらう側の男子はもちろん、あげる側の女子も、とにかく浮き足立ち、落ちつかないことおびただしい緊迫の1日!  戦いは俺の知らない前日から始まっていた!  男は当然、もらえるのかどうか、誰からもらえそうか、気になる誰が誰にあげようとしているのか、そのあたりの情報収集に血眼。  女子も女子で、誰が誰にあげるのか。あげようと準備しているのか、他にライバルはいないのかと、半ば殺気だって周囲をうかがっている。  で、とうとう今日、バレンタインデー当日となると。  朝から、靴箱に入れてあっただの机に入っていただの、様々な情報が乱れ飛ぶ。  まったくもらえない、もらう見込みもない連中の、怨念じみた気配が漂うのもこの日の特徴。  しかし、ここに全くその戦と無関係になった男子もいた。 「天川君、ひとつ訊ねたいんだけど……」 「どうしてボクが女の子の格好をして、チョコレートを同じ男子に渡さねばならないのかな……」 「あー……似合ってるから、じゃないかな?」  あの衝撃的な女装以来、恋路橋には少なからぬ隠れファンがついている。  問題なのは、そのほとんどが男性であるということなわけで……。  そいつらが原動力となり、知人友人である女子が後押しをして、恋路橋女装同盟なるものが結成され。  女装した恋路橋に、頬を赤らめ恥じらいながらチョコを渡されることを終生の望みと定めた連中が、血判を交わしたという話もあり。  とうとう本日を迎え、恋路橋の周囲に危険な気配が〈横溢〉《おういつ》し――。  やむを得ず乗り出した生徒会執行部の大英断により、『バレンタインにあぶれた男子に恋路橋が10円チョコを渡すイベント』が催されるに至ったのだ。 「はぁぁ……けしからん、校内総出でけしからーん……」  いつもの『けしからん』も今日はとんと元気がなく、恋路橋を女装に追い込んだ俺としては、なんとも申し訳ない気持ちで一杯だ……。  かくなるうえは……。 「恋路橋……親友として一言だけ言わせてくれ」 「……?」 「今日のお前は、俺が知ってる中で最高に輝いてるぜ……非モテ男子のために、がんばってくれ!」 「あ、あ、天川くーーーんっ! やっぱり君は親友だぁぁーー!!」 「わぁぁ、でも抱きつくなーー! 俺の生命が危うくなるーー!!」 「はっはっは……はっはっはっは……」 「桜井先輩、どうしたんですかこんなところで」 「ん? この僕が外にいてはおかしいかな?」 「いや、今年もえらい騒ぎじゃないんですか? 先輩にチョコ渡す女子が行列作ったりして……」 「はっはっは……オーライ、オーライ」  ――ガガガガガ……ドルドルドルドル。  げぇ、2トン車入ってきたよ!! 「さあ、どんどん積み込んでくれたまえ」 「つ、ついにそんなスケールに!?」 「ああ、その通りだ」  あっさり言うのが、この人のすごいところだ。 「祐真に半分くらい分けてあげてもいいよ」 「いやっほう、チョコだ、チョコだー♪」 「……じゃない!! いいんですか! それぞれ想いがこめられたものでしょうに……」 「残念ながら、本命以外の相手からもらうチョコなど、単なる贈答品にすぎないさ」 「あれ……そのちっちゃい、いかにもな義理チョコは?」 「義理ではない……義理ではないのさ、フフフ……はーっははは!」  桜井先輩は小さなチョコを大事そうに握り締めて、トラックとともに走り去っていった。  あの大量のチョコは、いったいどうなるんだろう……もらえるかな? 「あ、いたいた」 「月姉。今、桜井先輩が……」 「知ってるわ。朝から混雑整理に借り出されてたもの……さっきようやく桜井参りがおわったとこよ」 「まったく、あんなやつのどこがいいんだか……」 「月姉はあげたの?」 「義理よ義理。あんたと同じやつ……はい」  月姉に小さなチョコを渡される。  あれ……?  これ、桜井先輩が、大事そうに持っていたのと同じ……?? 「どうかした?」 「い、いや……ありがと……」  さ、桜井先輩……ああ見えて報われない人だなぁ……!! 「なに泣いてんのよ」 「いや……人生ってうまくいかないもんだね」  かくして、5時間目終了と同時にダッシュで学校を飛び出した俺は、いま公園にいる!  いよいよだ、いよいよ俺の明後日が始まる――!! 「せんぱい!」 「や、や、やあぁあぁ……みィおりィ?」 「ごめ、ちょっと声がルパンだった……ん、んっ、ゴホン! ごほっ、ごほっ……げは、ごほ、げへ……ぐふっ、うぇーっふ!!!」 「……緊張するにも程があります」 「してない、緊張! 俺平気!」 「じゃあもう一度最初からやり直してください」 「せんぱい! すみません、遅くなってー」 「だだ大丈夫。俺も今来たばっかりだから」  ああ、何というお約束会話。  そして、やはりこれはデートなのではないかという期待値が上昇中!  いや、しかしそれで調子に乗って、みじめな思いをするのはいやだ。  美緒里の口から、今日1日付き合うことの真意を聞き出さなくては……。 「で、今日は誰から取立てを?」 「今日は営業しません」 「じゃあ……ホームセンターの……」 「クローバーも、もう少しほうっておいて大丈夫です」 「……えーと」 「先輩、映画お好きですか?」 「え?」  あ、いや、ちょっと待って……それは俺が言おうと思ってたのに!! 「じゃあ、行きましょう……下調べはぬかりありません、今日はみおりんプロデュース番外編におまかせください」 「え? あ、あの……?」 「先輩はついてきてくれるだけでいいので安心してください。永郷の穴場を紹介いたしますっ!」  もはや俺がリードする余地なんてこれっぽっちもなくなってる!? 「まずは映画ですっ!」 「……うん、でもこの時期って……」  正月からのヒット作もさすがに一段落して、今は地味なラインナップばかりだ。 「そう、今の時期はお金かけた大作じゃなくて、センスのいい小品が多いんですよ♪」 「そ、そうか……そうそう、そうだよね!」 「はい、ではこのオーストラリア産のホラームービーを……」 「名画系全スルー!?」  ともあれ気を取り直して、ホラー映画に特攻する。  切符売り場でチケット代を出そうとした俺の手を、美緒里がすっとひっこめた。 「私が払います」 「いや、それはないわ」 「いいえ、あるんです。だって、今日は私がお姉ちゃんなんですから」 「なんだって?」 「あ、言うの忘れていましたね。今日一日、先輩は私にエスコートされてもらいます」 「エスコート!?」 「はい、なので映画の料金も私が出します。おかしいですか?」 「お……おかしいけど、おかしくない」  エスコート……いや、エスコートはいいけど。  その前に『私がお姉ちゃん』って言ってなかったかしら? 「やー、おもしろかった!」 「本当、たのしかったですねー」 「ホラーなのに笑ったけどな!」 「やけに芝刈り機にカメラが寄ると思ったら、まさかあんな風に使われるとは思いませんでした」 「ず、ずいぶんマニアックに見てるね」  映画館を出て、テンション高いままに感想なんかを言い合って、ぶらぶらと商店街を練り歩く。  エスコートとか、お姉ちゃんとか言われて身構えたけれど、なんだか普通に美緒里と遊んでいる感じだ。  ……財布がちっとも軽くならないのが、なんだか申し訳ない気持ちにさせられるけど。 「ちょっと温かいものでも飲んでいきましょうか」 「いいのか?」 「はい、今日はバレンタイン特別メニューがあるんです」  オープンカフェに美緒里と一緒に腰を下ろす。  寒空の下、湯気を上げるホットチョコレートを口にするのもおつなものだ。  うちの生徒に見られたら、もろにデート現場って感じだけれど、美緒里が気にしてないんだから、俺も堂々としてなくちゃいけないよな。 「んー、うまいー」 「おいしー、久しぶりです、ここ」 「美緒里は無駄遣いしないもんな」 「もちろんです、お金を無駄に使ったらばちが当たります」 「じゃあ、俺におごる分は……?」 「あ……それは盲点でした、無駄ですね」 「うぅぅ、なんか機転利かせてフォローしてほしかった……」 「くすくす……」  空はまだ青いけれど、少しずつ黄味がかってくる……そんな時間。  俺の前で笑っている美緒里は、後輩のようであり、姉のようでもあり……あるいは……。  彼女?  い、いや、そんな……あはははは!!  ……って、なに心の中でまで笑ってごまかしてんだ! 「でも……ちょっとやりすぎじゃない?」 「今日の先輩はそんな心配しなくていいんです」  いや、そうは言うけど、映画館でのポップコーンにジュース、ここでの軽食にこのホットチョコレート……。  全部、美緒里が出してくれたものだ。 「大切なお金じゃない?」 「大切ですよ」 「んーと……だったら……」  どう話したらいいものやら、言葉の接ぎ穂を探っている俺の前で、美緒里がなにやらごそごそバッグから取り出してきた。 「はい……」  上品にラッピングされた、華やかな小箱。 「バレンタインチョコレートです」  チョコだ。どこからどう見ても。  美緒里のことだから、いつかのラブレターのように中身が請求書の束なんてことも……。 「うん、ありがと……」  いや、それはない。根拠はないけど、これって本物なんだと思う……。  受け取り、丁寧にリボンをほどき、包み紙をはがす。 「…………」  ラッピング同様、上品な形をした、紛う事なきチョコレートだった。  本物だ。  俺は一瞬でも美緒里を疑った自分を恥じた。  だって、これって……いつもの義理じゃない、男子なら一度は夢見る、これは……! 「ほ……本命チョコ?」 「いいえ、ボディーガード料です」 「……はァ?」 「せっかくのバレンタインなのでチョコにしてみましたが、まずかったですか?」 「………………」  俺は……。  俺は一瞬でも美緒里を信じた自分を……恥じはしないけど、虚しすぎる!! 「そういうわけで、今後とも末永くよろしくお願いいたします」  テーブルにぶつかるくらい、頭を深々と下げる美緒里。  あぁぁ……俺は末長く美緒里に振り回される運命なのだろうか。 「ん、末永くって……」 「……それは、つまり……」 「はい?」 「末永く090金融をやめないってことだな!?」 「……はい」  きょとんとする美緒里。  つまりそれは、やめるなんて考えたこともないって顔。 「ないんだな」 「皆目ありません」 「やめなければ、先輩もずっとボディーガードを続けられますし、いいこと尽くめですよ」 「いいこと?」 「はい、いいことです」 「いや、でも限度はありますよ? 俺受験するかもしんないし、卒業するだろうし」 「留年すれば問題なしです」 「ありまくりだ!」 「そんなけちなことを言わずに、留年しましょう」 「けちじゃない! 進学する!」 「ゆくゆくはクラスメイトですね」 「いつの間にか2留になってる!?」 「2留も2浪も、たいして変わりませんよ」 「いずれにしろ、俺2年足踏みすんのかっっ!?」 「……うぅぅ、そういえば、もう進学のことを考える時期だー!」  お、俺はなにも決まってない! いかん、このままでは本気で2留もあり得る! 「はぁぁ……恐ろしい未来図だ」 「あれ、落ちこみました?」 「落ちこむわ!」 「そうですか……」 「なら……元気出してください」  ――不意打ち、だった。 「んぐ………………!?」  何が起きたのか、理解できなかった。  美緒里の顔が近づいてきた。  目を閉じた美緒里の表情が、すごく大きくなって、見とれそうになったとき。  かちっ……と歯が当たった。  それから唇に、熱く、やわらかな感触……。 「ん……ん……」  頭の中が真っ白になった。  脳内が漂白され、何も考えられない――。 「…………はぁっ」  美緒里が顔を離した。  頬が赤い、目がうるんでいる――俺の目の前にいる、これが……美緒里?  見たこともないような、恥ずかしそうで優しげな表情を浮かべて、美緒里が俺を見つめている。 「元気……出ました?」 「………………」  まだ、俺は固まったままでいた。 「くすくす……」  指で、唇をなぞる。  今、確かにここに、美緒里の唇が――。  つまり、いわゆるあれだ、あれ、あの……。  キス……された……。 「………………!?」  頭が元に戻ってくる。  同時に、感情が爆発する。 「…………!!」  飛び上がりたいような、美緒里に飛びつき抱きしめたいような、振り回してめちゃくちゃにしたいような、とにかくじっとしていられない感じ。  だけど体は全然動かず、口がぱくぱく、指がわなわな、ひたすら震えるばかり。  キスされた……美緒里に……。  美緒里と、キスした……!  路上の、往来の、人前の、こんな所で!  顔から火が出る。汗が噴き出る。心臓が爆発しそうになる。 「な、な、な、な、な……っ!!!」 「すみません、いきなり……」  美緒里も、自分の唇をその指でなぞり、熱に浮かされたように、目を潤ませている。 「お前、俺にキスしたぞ!?」 「…………しましたよ」 「いや、キスしたじゃん……」 「だから、しましたってば……しつこいです」 「だって、キス……」 「…………(じろり)」 「いやその、あ、あはは……これもボディーガード料だったりして?」 「はい、先輩はちょっと高給取りです……」  美緒里が、また近づいてくる。  ――ドキン!  心臓に、熱い鉄の杭を打ち込まれたような気がした。  美緒里への思いが、それから一気に押し寄せてくる。 「ん……んっ」  今度は俺のほうから、美緒里に唇を重ねた。 「んんっ……ん、ん…………んっ」  美緒里の唇は、火傷しそうなほどに熱かった。  閉じていた唇が開いて、互いの体温が伝わってくる。 「んぅ……ん、んっ……ん……ん」  お互いの唇を味わいながら、手の指を絡ませ、握り合う。  唇だけじゃなく、体中で、つながった感じがした。 「ん、はぁっ……こんなところでキスしたら、ダメですよね」 「ちょっとヤバかったかな?」 「後は野となれ……です」 「ああ、しちゃったもんは仕方ない」 「はぁっ……あ、汗かいちゃいました、次行きましょうか?」 「つ、次?」 「はい、デートのプロデュースはまだ始まったばかりです」 「………………」 「どうしたんですか?」 「いや……やっぱりこれってデートだったんだ」 「え……?」  それから先は、まさにみおりんプロデュースの独壇場だった。  ボーリング、ゲームセンターあたりの定番スポットをはじめ、日ごろは無縁なブランドショップ(見るだけ)や、安めの時計屋(見るだけ)を回り、  果ては中古PCショップや郷土資料館、はたまた死体写真集専門店(素通り)に至るまで。  地元の俺ですら知らないような、マニアックな永郷めぐりを楽しむこと数時間。  すっかり日も暮れた頃……俺たちは、手を繋いで星が瞬く下を歩いていた。  特に言葉を交わす必要もなく、繋いだ手の温かさをお互いに心地よく感じ合いながら……。  ……ここまで歩いてきた。 「やっぱりこのあたりだと、まだ残雪があるんだな」 「最後はこんな所でごめんなさい」 「いや、いいんじゃない?」 「夜は、本当に殺風景ですよね」 「そんなことないって、空すげー綺麗じゃん」 「学校とそんなに違いません」 「いや、ぜったいこっちのほうが綺麗だ! 保証する!」 「……そうですかぁ?」  それから、二人とも黙ったまま空を見上げていた。  街灯のない真っ暗な夜空に、冬の星座が静かに瞬いている。 「……ちょっと寒いです」 「うん……」  美緒里の肩に手を回すと、小さい身体が俺の腕の中に入ってきた――。  二人で、星を見た。  思っていたよりも、ずっと星の数が多い。  オリオン座の三つ星はすぐに見つかる。  その真下に、もやのように見えるオリオン大星雲。  三つ星の左上には赤いベテルギウス。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンと結ぶ冬の大三角形。  オリオン座の右肩から斜め上に視線を動かすと、まずおうし座のアルデバラン、さらにその延長線上に、これももやのような、プレアデス星団、いわゆる昴。  美緒里が指差しながら、ひとつひとつの名前を挙げていく。  俺は白い指先を目で追いながら、美緒里の言葉を聴いていた。 「……人が死んだら、お星様になるっていうのは嘘なんです。小さい頃からわかってました」 「本に書いてあったんです。一番近い星でも、光の速さで4年以上かかるって」 「こうして見えてるほとんどの星が、100光年より遠いところにある。何千光年、何万光年と離れてるのだってある」 「……死んだ人が、そんな遠くに行くわけないですよね」  美緒里は、俺に身をもたせかけてきた。 「遠くに行くんじゃない。死んじゃった人は……」  美緒里が目を閉じる。  俺はその横顔を見つめて、また空に視線を戻した。  オリオン座以外の星座のありかが、また分からなくなる。 「ね、祐真先輩……」 「一度だけ……一度だけでいいんです」 「うん……」 「お姉ちゃんって……呼んでくれますか?」 「…………」  俺は美緒里を包みこむと、耳にささやくように言った。 「……お姉ちゃん」 「ん……」  美緒里は、俺の腕をきゅっと抱いて微笑んだ。 「なんか……照れますね」 「むしろ俺がな」 「ふふ、ありがとうございました」 「……ここ、綾斗の畑なんです」 「弟の?」 「はい……綾斗が、大事にしてた畑……バカなんですよ、ここいっぱいに四葉のクローバーを敷き詰めてやる、なんて本気で思ってて」 「できるわけないですよね……なのに、肥料買ってきたり、土ほじったりして、泥まみれになってたの」 「そういうバカ、俺も一人知ってる」 「………………うん」 「でも、綾斗は本当はバカなんかじゃないんですよ」 「小さい頃からすごく本読んでたし、色んなことを考えてたし……」 「私は、小学校のころすごく単純で、サンタさんとか、おまじないとか、みんな信じてたし、すぐ夢中になっちゃうんです」 「でも綾斗が、サンタさんが本当にいるなら時速900Km以上で移動しなくちゃならないとか、そんな意地悪ばかり言ってきて……」 「私、大嫌いでした」  過去形だ……。 「一緒にいると、比べられちゃうんですよ。綾斗は運動苦手だったけど、勉強できて……すごくできて、可愛くて……!」 「けんかばっかりしてた……本当は自慢の弟だったのに」  弟の話は続く。  小学校の頃の思い出、姉弟げんかをしたこと、そうやって進んで行った時間の先には、きっと弟との別れがあるはずなのに。  それをふたたびなぞるように、美緒里が言葉をつないでいく。  俺は、ただ黙ってそれを聞いていた。 「私、ガーデンのこと信じてました」 「願い事がかなうクローバーは絶対にあるって、四葉のクローバーだけが咲いてる魔法の場所がきっとあるって……」 「なのに、綾斗はありえないって言うんです」 「はは、誰かみたいだ」 「四葉が珍しいから幸運のシンボルとされただけで、クローバー自体は普通の草にすぎない、なんて……ほんと生意気なんです、あいつ」 「仲よさそうでいいじゃん……うらやましいよ」 「えへへ……そうですか?」 「けど……そのすぐあとに入院して……」  俺の腕をつかむ美緒里の手に、力がこもった。 「お母さんは風邪だって言ってたのに、全然退院しなくて、お見舞いに行くたびに綾斗痩せてきて……」  美緒里が視線を落とした。  暗い地面には、冬の寒気に耐えて春を待つ、丹精こめて育てているクローバー。 「そんなとき、綾斗に言われたんです……」 「クローバーにお願いすれば、こんな病気一発で治るかな……」 「……そんなこと、言ってくるんです」 「……私、ぞっとしました。すごく怖かった……だって、あんなに私のことからかってた綾斗がそんなこと言うなんて……」 「……だから、いつもと逆に私が綾斗に言ったんです」 「クローバーなんかプラズマなんでしょ、って」 「プラズマの意味も分かってなかったんですけどね」 「そんなことより、ちゃんとお医者さんの言うこときいて、早くよくなるようにって怒りました」 「そしたら綾斗は……『そうだね』って……弱々しく笑って……」 「それから綾斗は、よくなる時もあったけど、すぐまた具合悪くなって、入院と退院を何度もして……」  美緒里の声が震える。  胸が締め付けられるような思いで、けれど俺は一言も口を挟めずにただ立っているだけだ。 「どんどん痩せてって、ご飯も全然食べなくて、家でも点滴ばかり打ってて……また入院したっきり……」 「…………すぐ死んじゃいました」 「最後に部屋を出ていった時のこと、まだ覚えてます……」 「ベッドごと運ばれていく時、部屋を見回したんです。さようならって言うみたいに。だから、私……ああ、そうなんだな、って……」  声が途切れた。  美緒里の手をぎゅっと握る。 「こんな話、嫌ですよね?」 「美緒里が嫌じゃなかったら、聞いておきたい」 「くす……変わってますね、弟の話なのに」 「……美緒里の話だよ」 「……………………うん」  ――綾斗君の最後の入院は、ちょうど今と同じ季節のことだった。  今度はもう帰れないことを、綾斗君は淡々と受け入れていたようだ。 「入院した綾斗は、どんどん具合が悪くなっていって……」 「お見舞いに行っても、治療中か、寝てるかで……全然お話できませんでした」 「でも、ある日……綾斗が!」 「……すみません」 「綾斗が……お父さんもお母さんもいなくて、私だけの時、起きて……起きて、話しかけてきた」 「ひみつの話があるって……」 「綾斗は……お年玉をためて、クローバーを育てる畑を借りて……」  それが……この場所? 「生意気でしょ、小学生のくせに、土地なんて……」 「でも、ガーデン作るんだって……伝説の、魔法のクローバー、育てるんだって……」 「……もう、ぼく、無理だから……おねえちゃんに、あげるね」 「だめだよ、綾斗……」 「もらってくれる?」 「綾斗…………」 「……うん」 「約束だよ。魔法のクローバーはお姉ちゃんが見つけて」 「綾斗……」 「約束だから……ゆびきり」 「うん……ゆびきり……」 「私作るよ……魔法のクローバー、すぐ作って、綾斗の病気、治してあげるから!」 「ううん……違うお願いするから」 「違うお願い?」 「………………」 「綾斗……?」 「綾斗、どうしたの……?」 「…………」 「………………」 「……………………」 「綾斗…………私、わかんないよ……」 「………………」 「いくらお祈りしても、お医者さんが頑張っても、お父さんお母さんが泣き叫んでも、綾斗は生き返りませんでした」 「当たり前ですよね、だって、これは現実の世界なんですから」 「奇跡なんて起こらない。想いも願いも関係なく、時計の針は回って、人はいなくなるんです……」  俺はどうだろう……。  俺は美緒里のように、家族を看取っていったわけじゃない。  事故があったと聞かされて、そのとき急に家族が消えてしまった。 「……だけど、記憶は残るんです。約束も、心にずっと残ってる」 「奇跡なんてあるわけない。でも伝説はみんなが知ってます。信じて、願ってる……」 「綾斗も、それを信じて、自分でガーデンを作ろうとしていました……」  美緒里が俺を正面から見つめる。 「だから私はここにいるんです。指切りしたから、ガーデンを作るんです!」 「そのためには、お金……」 「ここだってタダじゃ貸してもらえません。奇跡なんてないんですから」 「奇跡はない……か、なんか分かるな」  俺も親が死んだとき、そう思った――。 「でも、あるといいな……」  美緒里は、また俺に寄りかかってきた。  俺は自分にしてやれる精一杯のことを――美緒里を抱きしめ、支えてやった。  美緒里を駅まで送り、真っ暗な道を寮へと引き返す。  美緒里は、弟との約束を守るために、あんな商売をしていた。  ゆびきりの約束――。  美緒里は必ず、お金を貸すときにゆびきりをする。  そうして集められた――そう、約束のお金で、弟のガーデンを守っていた。 「美緒里は、強すぎるよ……」  俺は、両親が死んだことを少しずつ忘れるようにした。  新しい生活を始め、月姉と出会って、ゆっくり自分を別の自分へと変えていった。  けれど、美緒里の中には、あの頃の綾斗君がそのままの形で残っているのだろう。  色褪せたりすることなく、鮮やかな、あの頃のままで……。  恋路橋にノートPCを借りて、あのブログをチェックしてみる。  『夜刀神日記』……よし、見つけた。  魔法のクローバーを育てようとしている人のブログ。  何か、美緒里にとって参考になることが書いてあるかもしれない。  俺は隅から隅まで丹念に読みふけるつもりで、画面に目を走らせ――。 「あっ……!」  いきなり、気づいてしまった。  ブログの、一番新しい記事。  その日付は……もう二年以上昔のものだ。  そして、その日付を最後に、ブログはまったく更新されていなかった。 「……だめじゃん、これ」  根気よく実験を繰り返していたブログ主もやっぱり挫折したんだろう。  魔法のクローバーなんていうのは、それほどに雲をつかむような話だ。  肩を落として、ノートパソコンを閉じる。  指で、唇に触れると、美緒里の吐息の感触が蘇ってくるようだった……。 「ふ、ふふふ……ふふふふっ」  いかん、気がつくと笑いが浮かんでしまう。  昨日は、色々とめまぐるしくて実感が全然湧かなかったけど。  俺はもう、バレンタインデートも、本命チョコも、おまけにファーストキスまでクリアした古強者ではないか、あはは、あはははは! 「……いやしかし」  美緒里が背負っている辛い過去のことを思えば、気持ちが引き締まる。  けれど、そんな美緒里の手を引いてやれるのは、俺だけなんだ……。 「うーん、俺だけ……かぁ」  美緒里に必要とされている。  その実感が、自分にこうも自信を与えるものかと驚くことがある。  事実、一晩経ってこうして教室に顔を出してみると、色々なものがすっかり変わって見えていた。 「……ニヤニヤしてんじゃねえ」 「まったくだ。殺そう」  昨日、何もなかったであろう連中が俺を取り囲む。 「まあまあ……天川にも遅めの春が来たということで」 「ここは大目に見てやろうじゃないか」  かばってくれるのは、恐らく俺と似たような、幸せな経験をしたであろう勝ち組の面々。  ここに、厳然たる格差社会が現出した。 「いやだ、バレンタインなんか大っ嫌いだああああっ!」 「ねたましい、ああねたましい、ねたましい!! だれか返歌しろーー!!」 「次に控えし、ホワイトデーかな――」 「むがーーーーーーー!!!!」  そうか、ホワイトデーか……俺は美緒里に……。 「……はぁっ」  ため息のたびに美緒里の姿が脳裡に浮かぶ。  オープンカフェで見つめ合ったときの美緒里、キスしたあとの恥ずかしそうな美緒里、熱心にクローバーを摘み分ける美緒里――。  一昨日まで、美緒里のことを可愛い子とは思っていても、ここまで思い入れたりはしなかった。 「ああ……恋をした男っていうのは、こんなにも愚かなものなんだろうか」 「な、な、な……」 「なんだとこのやろーー!!」 「そうだ!!」 「な、なんだ……?」 「昼飯代を節約して、ホワイトデーの予算をやりくりしよう、うん!」  美緒里の手伝いやって食券をもらえば、何とかしのげるだろう。  美緒里の食券で節約した昼食代が、美緒里のプレゼントへと還元される。うーん、エコロジーだ。 「よーし、とりあえずは、今日から、昼飯の節約だ!」 「……ん、あれ、どうしたの?」 「まあまあ、早まるなって」 「は、は、はなせ……っ、こいつに一撃くれねば気がすまん……!!」  ――昼休み。  俺は3年生エリアに向かって全力疾走。 「せーんぱい」 「お、おおっ、美緒里っ!」  向こうからもやってきた美緒里の姿を見た途端に、頭の中がキラキラきらめいた。  か、可愛い……!  なんで気づかなかったんだ……こんな可愛かったっけ、美緒里って! 「走って来なくてもよかったのに」 「ロードワーク、ロードワーク!」 「校内で?」 「ローカワーク! ローカワーク!」  ――ぼかっ! 「こらバカ男子ー!! 校内走るなって言ってるでしょーがっっ!!」 「うわぁぁぁぁ!? す、す、すみません!!」 「まったくもう、なっちゃいないわ! ぶんぶんぶんっっ!!」 「……こえぇぇ、なに怒ってんだ雪乃せんせー」 「今日は明暗くっきりですね」 「……???」 「それはそうと、今日のボディーガードは……」 「今日は必要ありません。追い込みの予定もありませんから」 「あ……そ、そうですか……」  ううっ、初日からホワイトデー計画の甘さが露呈してしまった。 「………………」 「がっかりした顔しないでください、行きますよー」 「どこに?」 「今日はお昼をのんびり過ごせますから……」 「はい、お弁当つくってきました♪」  きらーん♪  美緒里の手には、後光が差すほどに〈燦〉《さん》〈然〉《ぜん》と輝くランチボックスが!! 「お、お、おおおおおっ、感動だ!!」 「くすくす……はい、落ち着く落ち着く」  またお姉ちゃんのような口調で、俺の肩をぽんぽんと叩く。  美緒里に感謝すると同時に、美緒里任せな生き方を猛省しろ、俺よ!  ――放課後、いったん自宅に戻った美緒里と、駅前で待ち合わせをした。  今日は、俺のおごりで別の映画でも……と思っていたのだが。 「ブログ……ですか?」 「そうそう、クローバーのヒントになるんじゃないかと思ってさ、URLメモっといたんだ」 「本当ですか、そんなブログがあるなんて全然知りませんでした」  美緒里が目を丸くして俺を見る。  ブログの知識でびっくりさせてやることはできなかったけど、こんな目で見てもらえたら、それでOKって気がしてくる。 「まあ、難易度の高い検索をしたからなぁ……」 「私もいろいろ検索してみたんですけど……すごいです、先輩」  まさか検索ワードが『お姉ちゃん』だとは口が裂けても言えまい。 「それで、なんていうブログなんですか?」 「ええと……それがなんだっけ、夜刀とかなんとか、いやー、あはは……」 「ヨルガタナ?」 「なんかそんな名前、明日にでも携帯にアドレス送るよ」  見慣れてきた私服姿の美緒里に、ついつい俺の視線は流れてしまう。 「…………」 「ふむ…………」 「お、そろそろ前の上映が終わる頃だから、移動しとこうか……」 「待てません」 「え?」 「あ、あの…………映画じゃなくて」 「ブログ?」 「はい…………」 「早く……見てみたいです」  こ、これって……? 「そ、そ、そっか……やっぱり早いほうがいいよな」 「………………」  俺は心の中で深呼吸、それから思い切って美緒里に言ってみた。 「み、見てく……?」 「え?」 「お、俺の部屋に……まだ恋路橋のPCあるから」 「……それは名案ですね、さすが先輩です」  まるで予定調和みたいなセリフで、美緒里がにっこりと笑った。 「はぁ、久しぶりですねー、また雪かきするときはぜひご用命を……」 「しーっ、しずかに、しーーーっ!」 「そんなに大事なんですか?」  美緒里は寮生じゃないから分からないかもしんないけど、これはかなりなギャンブルだ!  フルオープンな冬休みならともかく、学期中に私服の女子を自室に連れ込むなど。 「……桜井先輩くらいしかやらない荒業だ」 「なるほど、ちょっとだけ事の重大さが伝わってきました」 「急いで帰ってきたから、リビングに人はいないと思うけど……」  思ったとおり、リビングに人の姿はないが、厨房ではおばちゃんがもう夕飯の支度を始めているようだし、階上の廊下を歩いている誰かの足音もする。 「人がいると……雰囲気、違いますね……」 「うん……」  いくら緩いいずみ寮といっても無法地帯ではない。  リビングや食堂は共用スペースだけど、当然女子の階は男子禁制で、男子の階は女子禁制。  もちろん、みんなある程度は破っているし、見つけても騒ぐようなことはしないんだけど……。  よりによって低学年の女子、しかも噂も立っている美緒里を連れこんでいるところを見られたら、一撃で性犯罪者扱いが確定する!  だって逆の立場なら俺でもそう認定する。これは人の世の定めなのだ。 「一気に駆け抜けるぞ、ついてこい」 「は、はいっ!」  抜き足、差し足で二階へ。 「なんか、悪いことしてるみたいですね」 「しっ!」 「前の時より、なんか、男くさいです」 「だから、静かに!」 「せ、先輩……!」 「やあ、みおちゃん、正月以来だね」 「こ、こんにちは……」  俺を完全スルーして女子にだけ挨拶するのは、さすがに桜井先輩。  けれど、この人ならきっと見逃してくれるはず! だって、毎日女子連れ込んでるから! 「こ、これは……いろいろとよんどころない事情がありまして、その……」 「恋路橋のですね、PCの、その、ブログが、アドレスを……待てなくて!」 「なるほど、全て理解した!」 「すごい……!」 「ついに祐真が恋人を連れ込んだということだね、いや卒業前にめでたい話だ」 「ど、どうしてそうなるんですかっ!!」 「だって君たち……付き合っているんだろう?」 「はい、そうです」 「…………!!」 「……違いましたか?」  ち、違わないけど、なにもそんなバカ正直に!! 「誰か出てくるといけない、さっさと部屋にしけこむんだね」 「はい、しけこまさせていただきますっ」 「頼むから桜井先輩に同調しないで!」 「はぁ、はぁ、はぁ……!」  10キロやそこら走っても全然平気だった心肺機能が、直線距離わずか5メートルほどの廊下移動で、オーバーヒート寸前。  運動以外で、ここまで心臓に負荷をかける経験なんてそうそうない気がする。  そんな俺をよそに、美緒里はいい気なものだ。まるで先生みたいに俺の部屋の整頓ぶりを検分している。 「ふむふむ……相変わらずよく片付いていますねー、感心感心」 「ま……まあね」  今朝片付けたとはさすがにいいにくいけど……。 「ほうほう、こっちも整頓されて……」  そして、カラーボックスの裏側のシークレットスペースをフルオープンに! 「わ、わーっ! ひとが極度の緊張から脱力してる隙に、どこ覗いてますかー!?」 「あれ、ないですねー『人妻悶絶くいこみ縄責め失神絶頂36連発』」 「さては、もう飽きちゃいましたか?」 「うん……」 「はぁぁ……別の女をとっかえひっかえと……」 「聞こえが悪すぎる! ていうかその記憶力は脳の無駄遣いだし……あ!? そ、そっちの棚は!!」 「おおー、新作がたくさんありますね。どれどれ……『隣のエッチなお姉ちゃん』『失神、〈実〉《じつ》〈姉〉《あね》監禁潮吹き〈達磨〉《だるま》地獄』ははぁ……嗜好にも若干の変化が」 「いやぁぁぁぁ! だめー、見ないでぇぇっ!」 「無駄な抵抗はやめなさい、ふっふっふ……恥ずかしいところまで丸見えですよー」  高笑いとともに、次々に俺の部屋の桜井コレクションを発掘していく美緒里。 「やめて、だめぇ、見ちゃいやぁぁぁ!!」 「いまさら泣いても無駄だってもんだぜ、もっと徹底的に辱めてやらぁ、へっへっへー♪」 「そ、それはDVDのリモコン!?」  あ、あ、あー! マジでトレイに乗せやがったーー!! 「いい子だから、おとなしくしてるんだぜ……とーっ!」  かくしてデッキに飲み込まれる実姉達磨地獄のDVD! そして美緒里の指先は再生ボタンへと……! 「うわああああっ……まて、そこから先はマジで犯罪!」 「なにがです?」 「だだだだって、公序りょうじょく的に犯罪!」 「皇女陵辱?」 「………………?」 「ぶーっ、正解は公序良俗です! ではではさっそく……ぽちっとな♪」 「あああああ!! お前はなにしに来たんだー!!」 「ひゃーーー♪」 「きゃぁぁぁぁ♪」 「うわーーーーーーー♪」 「………………」 「ふむふむ、ふむふむ……確かにこれは公序良俗によくありません♪」 「…………ぐすん」 「あれ……見ないんですか祐真先輩?」 「それにしても……この前回再生が停止されたと思われる40分前後は過激すぎますね」 「なぜここで再生が止められていたのか……これは事件の手がかりになるかもしれません」 「うっ、ううっ、うっ……俺の脳内サンクチュアリが手ひどく陵辱されている……」  かくして、美緒里の好奇心を満たす為に俺の自尊心が破壊され……。 「はー、堪能しました。こういう物を初めて最後まで通して見ましたけど……」 「やっぱり男の子は悪趣味ですね」 「そんな爽やかな笑顔で傷口に塩を塗らないで!」 「照れることはありません。女の子のことを知りたいって思うのは、男子の健全な欲求です」 「それが満たされないことで、先輩のような変態さんが生まれてしまうことを思えば……」 「俺が変態ってラインは確定してるのね」 「もちろんです、だってこんなDVDを毎晩毎晩……(ぽち)」 「わぁぁぁぁ、再生禁止ーー!」  俺は泣きながら美緒里からリモコンを奪い返し、停止ボタンを連打。 「いまさら隠さなくても、もう見ちゃいました」 「でも隠す! もう見せてやんない!!」 「もー、怒らないでくださいよー、ちょっとした冗談です」  それから美緒里は急に顔を近づけて、声のトーンを落とした。 「……そんなに興味あるんだ?」 「な、な、なにに!?」 「えっちなこと」 「えええエッチじゃなくて、異性への健全な好奇心!」 「なるほど、先輩は純粋に女の子のことが知りたいんですねー(再生)」 「そう、あくまでも若き日の向学心ゆえのこと!(停止)」 「ははぁ……それでこんなにたくさん無駄な資料を集めてしまったと(再生)」 「だからなんでDVDを再生するーー!!(停止)」  そして俺と美緒里のリモコン争奪戦は、つかみ合いに発展。 「祐真先輩が……んーっ、間違った教育を受けていないか……んぎぎ、心配なんですっ……お姉ちゃんとしては!!」 「お……お姉ちゃん!?」 「祐真先輩が……んううっ、子供っぽすぎるから……ですっ!」  じたばたとリモコンの奪い合いの末、力まかせに手の内に確保する俺。 「あん……! でも分かりました。先輩は間違った知識ばっかり勉強しています」 「ど、どうして?」 「こんなビデオ、やらせです!」 「そ、そうなの!?」 「もちろんです。アダルトビデオなんて9割がやらせなんです。女の子はこんな簡単なものじゃありません」 「それはどのへんが!?」  ぐぐっ、と前に身を乗り出す俺、美緒里が少し気圧されたように後ずさる。 「ど、どのへんって……先輩は何を聞きたいんですか?」  聞きたいこと……それって、美緒里が教えてくれるってこと!?  ごくり、喉が鳴る。 「たとえばいまの、ほら……えっと、し、し、し、潮吹きとか!」 「あれは特撮です!」 「マジで!?」 「はい!!」  し、知らなかった……AVがそんな大掛かりな映像作品だったなんて! 「じゃ、じゃあ……濡れるっていうのは」 「それも迷信です!」 「ええええ!?」 「くすくす……先輩、ぜんぜん経験ないんですね」 「う、う……そ、それはその……」  無念、いまさら取り繕えない……。 「美緒里だって経験はないだろ?」 「さて……どうでしょうか? ふふふ」 「ハッ!? ま、ま、まさかそんな非合法な手段でお金儲けを……」  ――ぼかっ! 「可愛い後輩が、そんな風に見えますか?」 「……見えません、ごめんなさい(鼻を押さえながら)」  しかしそのとき、俺の脳裏に雷光走る! 「ならば!! で……DXコースで!!」 「え?」 「だから『みおりんプロデュース』……DXコースで!」 「あのー?」 「俺にリアルな女の子を教えてくださいっ! このとーり!」  思い切って正面からぶつかった俺は、こたつに手をついて平身低頭。  心臓はもう破裂しそうなくらいドキドキ言ってる。 「そ、そうきましたか……うむむ……」 「………………もっぺん、このとーり!」 「このとおりと言われても…………うぅぅ」 「はぁっ…………わかりました」  よっしゃ! 俺は心の中でガッツポーズ。  美緒里はいったいどんなことを教えてくれるのだろうと、目を輝かして正座する。 「……しょうがないな、お姉ちゃんが教えてあげます」  目の前で立ち上がった美緒里が、ベッドに腰を下ろした。 「さて……と、なにを知りたいの?」  え? なにを……? はて……? そ、そこまで考えてませんでした! 「え、ええと……」  口ごもりながら、俺の視線は美緒里の太ももの間へ……。  う、ううっ……スカートのフリルが、その奥が気になる! 「こら、どこ見てるんですか?」 「ご、ごめん……つい! じゃなくて、ここが知りたい!」  びしっと美緒里のスカートを力いっぱい指差す俺。 「ふーん……先輩がそんなにえっちな人だなんて、幻滅しちゃいそうです」 「うぐっ! でででもほら、百聞は一見にしかずって言うし!」 「だから?」 「だから……えっと……その」 「ん?」  小首をかしげる美緒里…………ううっ、完全に呑まれてる。 「見たいの?」 「…………(こくこくこく)」  無言のまま高速でうなずく俺を、美緒里はじーっと見つめている。 「ふーん、どうしよっかなー?」 「そ、そこはDXの精神で!」 「そう言われればそうですね。じゃあ祐真先輩のも見せてくれたら……考えなくもないですよ?」 「へ?」 「お、俺の……何を?」 「さて、なんでしょう……くすくす」 「…………(ごくっ)」  こ、これは……ガチの挑戦状だ!  生唾を飲んだ俺は、美緒里の前に立つと……呼吸を落ち着けてからズボンのベルトを外しにかかった。 「お?」 「コレだったらいいけど……ヤバいよ、もうこんななってる……」  ズボンの股間が、普通に見て分かるくらい盛り上がっている。  美緒里と並んでDVD見てた時から、ズボンの内側ではヤツが痛いほど張り詰めてるのだ。  俺は半分破れかぶれな感じで、そいつを美緒里に見せ付けるように前に突き出してみせる。 「…………ごくっ」  唾を飲む音――俺はジッパーを途中まで下ろして、念を押すことにした。 「指切りしてないけど、や、約束な、俺が見せたら……」 「そんなところで駆け引きするなんて、男の子らしくないですよ」 「わ、わかったよ」  もういい。そこまで言うなら、今の俺がどんだけ抜き差しならないか見せ付けてやる、見てろよ美緒里!  そんな気持ちで、トランクスごと一気にズボンを下ろした。 「わっ! ……きゃ!」 「……………………(凝視)」  反動をつけてペニスが飛び出すと、いったんはのけぞった美緒里が、また身を乗り出してきた。 「はぁぁ……すご…………」 「ど、どど、どーだ!!」 「はぁぁ…………びっくりしたぁ」 「…………先輩、必死すぎます(きらきら☆)」 「目を輝かせながら言うセリフじゃないと思う!」 「か、か、輝かせてなんていません(きらきら☆)」  そんなことを言いながらも、カチカチになったペニスを上下に動かしてみると、美緒里の視線が追いかけてくる。 「こ、今度は美緒里が……」 「いつもはこれをどうしてるんですか? このDVD見て(ぽち)」  フルボッキ態勢で仁王立ちになった俺の背後で、AV女優の悩ましげな声が響き始めた。 「…………するの?」 「どうします?」 「わかった、見てろ……!」  美緒里の視線に操られるように、俺はペニスに手を伸ばして、ゆっくり上下にしごきはじめた。 「…………ごくっ」 「こ、こうするんだよ……し、知ってるだろ?」 「ほー、やっぱり必死だ……ふふ」 「そんなこと言うなー!」  あああ……俺は何をやってるんだ。後輩の女子を部屋に連れ込むなりAV見せて、あげくに目の前で公開オナニーだなんて!  最低だ、最低の先輩だ……! なんて思うと、なおさらドキドキしてくるあたりが、まさに最低。  でも、美緒里の目の前に俺の勃起ちんこがあるのって、なんかすごい不思議な感じがする。 「……いつの間にやら、俺が教える側っぽいんですけど!?」 「細かいことを気にしちゃダメですよ、くすくす……がっついて見えちゃいます」  笑った美緒里がリモコンでDVDを停止させる。それから……。 「ふふ……」 「……!!!!」  いたずらな笑みを浮かべた美緒里は、ベッドの上で片膝を立ててきた!  スカートがめくれ上がって、太ももの向こうにある縞模様の……ぱ、ぱんつがモロに!! 「み……美緒里っ」 「くすくす……声が上ずってます」 「そ、そうかな……」  思わず歩み寄ろうとする俺を、美緒里が片手で制止する。 「だめです、見るだけです」 「マジですかー!?」  そ、そんな殺生な! 「いいじゃん、ちょっとだけ」 「だめ、ちゃーんとシコシコしてください」 「う! し、します……」 「ふふっ……」  なんか今日の美緒里は変にエロい……それに、こんなチャンス初めてだし、場のノリを崩したくない。  俺は大人しく美緒里の前で右手を動かして……。 「あ、それ……こないだのと同じぱんつ?」 「!? に、似てるけど色違いです……!!」 「お、女の子は……その、気に入った柄で色違いとか、そ、そういう風に揃えたりするものなんですっ」 「そうだったのか!! てっきり安売りをまとめ買いしたとか、そういうことかと思ったら」 「ちちちがいます、断じて違います! 変な勘ぐりはしないでください」 「そうか、ごめん……」 「……って、なんで俺たちこんな状況で普通に話してんの?」 「そういえば……おかしいですね、ふふっ」 「あ、ちょ……手で隠れてて見えない」 「だーめ、がっつかないの……見えてるでしょ?」 「あんまり見えてないっ」  精一杯の不満を表すように、しごく右手の速度をあげていく。 「なんだか男の人のは……せわしないですね」  くすくす笑いながら、美緒里が足を心持ち開き気味にする。心なしか、太ももがモゾモゾしているようにも見える。  白い太ももの間に柔らかい布――その中心に……美緒里の、あ、アレがあるんだ。 「くすくす……」  布の向こうを透視するように凝視しながら、俺はひたすら右手の前後運動。 「そこって、パンツの上からでも気持ちいいの?」 「うん、気持ちいいですよ……ちょっとね」  俺に見せ付けるように指ですりすりする美緒里。 「あ、あっ……エロい……」 「先輩のほうがえっちです」  そう言いながらも美緒里は手の動きを止めない。よく見ると触れていないけど、そ、そんな動きを見せ付けられたら……! 「あ、ちょっとヤバいかも……」 「イっちゃう?」 「ま、まだ平気……」 「恥ずかしがらなくていいですよ、せっかくだからイっちゃいましょう」 「け、けど……」 「ね……私しか見てないから……くすくす」 「ま、まだ我慢する……ッ」 「ふぅん……」  ぱんつの真ん中で円を描くようにしていた美緒里の指が、へりのゴムをひっかける。 「なら……サービス♪」 「うおおっ!?」 「DXコースですから、特別ですよ?」  あ、あっ……でも、見えない!! 「も、もうちょっと……そっちの手を」 「んー、こっち?」 「ちがうッ! 右手じゃぱんつ戻っちゃうじゃん!! 逆、左手を向こう!!」 「こっちですか?」 「こっちじゃなくて、むこう! あぁぁ、もっと隠れるってー!」 「あははっ……声、外に聞こえちゃいますよ」  う、ううっ……美緒里のやつ、根っからの意地悪だ! 「はいここまでー。だーめ、近づいてきちゃ」 「う、ううーーーっ!!」  美緒里のアレ見てイきたかったのに、イきそびれた! こ、これは詐欺だ! 脱ぐ脱ぐ詐欺だ! 「先輩、ますます目が必死です!」 「ぐさっ……! だだだって、当然だろ!? 俺はもう全開で見られてるのに、美緒里はぱんつだけって不公平だ!」 「そうかなー、先輩が自分から脱いだように思うんですけど?」 「ちがーう! 美緒里が見せてくれたら、自分も見せるって……」 「考えるって言っただけですよ、くすくす……」  うぅぅ……この小悪魔めっっ!! 「……と、見せかけて」 「わぁぁ!! そ、そのままストップ!」 「ん? いいですよ?」 「あ、やっぱもう少し開いて……」 「えー、ストップって言ったのにー?」  ニヤニヤ笑った美緒里は、俺からぱんつの中が見えないよう、絶妙なコントロールで股間をガードしている。 「くすくす……のんびり屋さんの祐真先輩も、そんな真剣な顔をするんですね」 「す、するでしょそれは!」  腕と、それから西日の影になってて、もうちょっとで見えそうなんだけど、これがなかなか……。  くそ、見えるか……だめだ、目を凝らしても見えない……うううー、もどかしい!! 「ふふっ……手がお留守ですよ」 「わ、わかってる……」  き、気持ちいい……さっきから、心臓が痛いくらいバクバク言ってる。  けど、ここでイッたら全てが終わってしまう予感がするッ! 「……はぁっ」  ため息と一緒に、右手の動きをスローダウンさせた。 「……どうしました?」 「ん……やっぱり、刺激が足りないのかも」 「え? 足りませんか?」 「うん……ごめん」 「さっきのビデオより!?」 「うん……気持ちは嬉しいけど、DXコースってこんなものなのかな」 「まま待ってください、いったいなにが足りないんですか?」 「何がって……うーーん……」  大げさに考え込むポーズをとりながら、俺は頭をフル回転させる。  ここだ、ここが分水嶺だ。美緒里の好奇心を満たしても、美緒里のやる気をなくさせても、俺の負けなのだ。 「やっぱり……露出度的なものとか、あるのかなー?」 「そ、そんなことはありません!」 「…………(目で訴える)」 「…………うぅぅ……実物よりビデオがいいなんて、やっぱり変態です」 「め、面目ない」  このさい変態の汚名をかぶることくらい、なんでもない。  俺が目で訴え続けていると、美緒里の顔から余裕の色がなくなってきた。 「わ、分かりました……いつまでも先輩にそんな格好もさせられないし……」 「そ、それなら……」  しゅるるっ……呆けた顔でペニスを握ってる俺の前で、衣擦れの音がして……。 「こ、これでどうですか!」 「うおお!?」 「………………ううぅ!」  潔く服を脱ぎ捨てたはいいものの、やっぱり恥ずかしいのか、もぞもぞする美緒里。  しかし俺のほうも、そんなところに突っ込む余裕は一切持ち合わせてなくて! 「す、すごい……」  お、俺の部屋に……女の子が、下着姿で! しかもブラは下着とお揃いだ!!  エロい、エロすぎる!! AVなんかと比べたら全然ソフトな状況なのに、女の子の下着姿が目の前にあるってだけで、信じられないくらいエロい!!  ましてやそれが覗きでも盗撮でもなく、合意の上ってのは……もう考えられないシチュエーションなわけで!! 「……あ、でも胸は小さい」 「…………!!!!」  ――ごすっ! 「ぜ、贅沢すぎます、後輩になにを求めてるんですか!」 「す、すまん……つい(本音が)」 「あ……あーっ! 小さくなってる!!」  ほんとだ、いったんイく寸前だったのが、ドタバタで気を緩めたせいだ……。  しかし、これは好都合。 「んー、美緒里なりに努力してくれるのは分かるんだけど……」 「こ、このうえ、まだ!?」 「やっぱり……階段でパンチラしたときよりは、こないかも」 「ううっ……あ、あのときですか」 「はぁ……へんなトラウマを植えつけちゃったみたいですね」  がっくりとため息をつく美緒里。そこであと一押し! 「わかりました、このままではみおりんプロデュースの名折れです!」  お、おおおおお……そうだ、偉い美緒里っ! 「先輩、そこに寝てください」 「こ、こうでしょうか?」  言われるままにベッドに仰向けになると、斜め上を向いた半勃ちのペニスを美緒里が覗き込む。 「……小さい」 「そ、そんなことは……あ、ううっ!」  下半身に顔を寄せてきた美緒里に、ぎゅっと握られた。 「ふーん、でもちょっと硬い……なるほど」 「あ、そんな……いきなりしごかれたら……!」 「へえ、これくらい優しくしても気持ちいいんですね……ふーむ」 「そ、そうだけど……まさかDXコースってこういうこと……?」 「違います。わ、硬くなってきた……」 「あ、あ、そんな強く……ッ!」  情けないけれど、自然と腰がカクカク震えてしまう。美緒里はそれを押さえつけるように、俺の上に体重を乗せてきて……。 「もう、おとなしくしてるの、咥えられないから」  え…………え!? 「はぁっ……し、しますね…………」  息を整える。い、いま美緒里……なんて? 「ん……しょっと……」 「うわ!? え、え……あぁぁああぁああ!?」 「はぁ……んむ…………っ!」  いきなり、下着姿の美緒里が俺の上に跨ってきた。そして、ガチガチに勃起したペニスを、く、く、口に……!? 「そ、そこまで……あ、ぁ……すげ……!」 「んー…………ふー…………っ」  ガチガチに勃起したペニスを口いっぱいに頬張って、鼻から息をする美緒里。 「ん……んふ……ふーっ、ん……んっ……んん」  それから、ゆっくりと頭を上下に動かし始める。 「ん……んむ、ん、んっ……ん、ん……」  あぁ……熱い、美緒里の小さな口に飲み込まれてる……。  もちろん俺にしてみれば生まれて初めてのフェラ……つ、ついに俺にもこんな時がきたんだ。 「もご……ん、んふーっ……すぅぅ……んふーーーーっ……」  か、感激だ……感激すぎて、正直すぐにも射精しそうなのを必死にこらえてる。 「んっ……んもひんんーんぇむふぁ……ん、んむ……もご……」 「あぁぁ……なに言ってるか分かんないけど、すげー気持ちいい」  ペニスごと唾液を〈啜〉《すす》る音に、腰がヒクンと跳ねてしまう。 「ん、んふー、ん、じゅる……ん、んー……んン……ん」  全身が〈蕩〉《とろ》けそうな快感――。おまけに目の前にはルーカスもびっくりなほどの大アップで、み、美緒里のセミヌードが……! 「はむ……ん、ん……んっ……んおぉ……んうぉ」  す、すごすぎる……さっきはちらっとしか見えなかったパンツが、今はすっかりお尻に食い込んで、禁断の筋が真ん中でよじれて……ああっ! 「はぁ……ん、んー……じゅる、ん、んむ、んむっ、んむっんむっ……んふン……ん、ん、んっ……ぷはぁ……む……ん、んふーーーンンッ」 「んもひいーい? んぐ、んむ、んむっ……ちゅ」 「ん、うん……」  気持ちいいけど、モゴモゴ咥えられているだけなので、刺激が少なくてもどかしい……!  でも、ぎこちないフェラのおかげで、テンパってた頭がちょっと落ち着いてきた。  耳年増っぽい美緒里だけど、どうやらフェラのやりかたは全然知らないみたいだ。 「ねえ、美緒里ってさ、どこでそんなの覚えたの?」 「内緒です……はぁ、む……ん、んっ……ん、んぷ……んむっ、んふーっ」 「あ、それ……もうちょっともごもごやって」 「んン? んっ、んふー……んふぅぅ……ん、ん、もご、もごもご……んむ、んむむっ」 「あ、あ、それいい……フェラ上手だよ美緒里……」 「れらっふふほーふのえいおにはええ、まんろうはへへうぃふぇあう……ん、じゅるっ、じゅるる……」  DXコースの名誉にかけて満足させて見せます……か、見栄っ張り。 「れろ、れろ、れろ……ん、れろ……んふーっ、んもっ、んもっ……んむんむ……れろ……ん、んふーっ……」  鼻息を洩らしながらペニスを頬張る美緒里。俺の目の前ではイメージよりも大きいお尻がもぞもぞ動いて、誘っているみたいだ。 「あ、あと一押しでイけそうなんだけど」  美緒里は一気にとどめをさしたかったんだろうけど、こんな態勢になったら、こっちだって手を出さずにはいられない。 「んふ……ん、ん? んー!?」 「いいよね、ちょっとだけ……」 「んー!! んぐ……んんんーっ!?」  ボーダーのぱんつに指をひっかけ、お尻半分くらいまでずらしてみる。一気にいきたかったけど、ここから先は美緒里が協力してくれないと無理だ。 「おおー、金魚だ……」  なつかしき金魚との再会。しかし俺の好奇心は、むしろその上のお尻に集中してしまう。 「ぷは……やらぁ、み、見えてる!?」 「なにが?」 「お……おひり……ん、んぷっ」 「さっきから、視界のほとんどをお尻が占めてるけど」 「ほ、ほうじゃなくへ……んぐ……ほの……」 「あ、穴のとこ……っっ」 「あ、なら見えてない、ぜんぜん」 「ん、んふーっ……よはっは……んぶ、ちゅ、ちゅるる…………ん、ぷは……そ、それ以上ずらしたら……んむっ、駄目れふからね……ん、んっ!」 「り、了解……」  なんて言って……実は、モロに見えてるんだけど!!  すごい、つるんとしたお尻の谷間に、色づいてキュッと縮こまったお尻の穴がちょこんと咲いている。  はぁぁ……これが美緒里の……。 「んぅ……ん、んふーっ、ん、ふぅぅーー……ん、んもっ、んもっ……おむっ」  もぞもぞと腰が動くたびに、美緒里のお尻の穴がきゅっと閉じる。 「ん……かわいー」 「んーっ!? んぁ、ん、んっ、んも……んむっ……ん、んふーっ、ん、ん……ちゅ、じゅるるっ……」  美緒里のやつ、なんにも気づかないでフェラしてる……。  ここって、きっと一番恥ずかしいところだよな。そんなところを盗み見てる罪悪感で、なおさら気持ちがドキドキしてくる。 「んぁ……んふ、んむっ……ん、んーっ、んふぅぅ……ん、んっ」  丹念に、でも下手くそなフェラをしながら、美緒里のお尻がもじもじと動きだした。 「俺も触っていい?」 「んぁ……? ん、んっ……んちゅ……ん、んふーっ!」  答えないってのは……駄目じゃないってことだよな。指先で、下着の上から……。  ――ちょん。 「んんーっ!!」  軽く突っつくと、ヒクンと美緒里の腰が持ち上がる。  あれ……今、くちゅって……。 「んッ……んふゥゥーーーっ、ん、んっ、んふぅぅ……んんっ」  布越しに湿った感触――これって?? 「やぁ、さ、触っていいなんて……あ、んんっ、んむっ……」  や、やっぱり濡れんじゃん!! さっきの嘘か、変だと思った!! 「んーっ! ん、んっ、んふゥ……ンンッ」  俺はお尻を振って逃げようとする美緒里のぱんつを、指先で何度もつついてアソコにめり込ませる。  そのたびに、指先に湿ったぬめりが伝わってきた。 「ん、んっ……んーっ、んんー!! ぷは、先輩、それは……!」  焦って首を振る美緒里を尻目に、ショーツのゴムに手をかける。 「らめ、んむ……んー! んんーっ、んーっっ!!」  も、もう我慢できない……! 強引にぱんつを下ろしていくと、途中で諦めたのか、美緒里も片足を上げて協力してくれた。 「あぁんっ、先輩……あ、あ、あッ!?」  足首まで下ろして、初めて見る女の子のアレに指先を添える。直に触れた指先の感触に、二人で同時に息を詰まらせた……。 「……ごくっ」 「うぁ!? う…………ううーーーっ!」  こ、これが……アレか! 初めて見るちんまりとした性器が、窓からの西日に照らされている。 「マジだ、美緒里の……まんこ」 「や……やぁぁーっ!! 先輩だめっ、見ちゃだめですーっ!」 「け、けど、けど……こんな!」  濃いピンク? 赤? それとも……言葉では表現しにくい濃い色のビラビラが、透明な粘液でしっとりと濡れている。 「あ……あッ、そこ……そこは……ぁぁ……はぁぁァ……ンンッ」  よっぽど感じてるんだろう。おしゃぶりみたいに咥えていたペニスを口から離して、美緒里がアンアン喘ぎはじめた。 「んはァぁぁ……あ、あーっ、せ、せんぱ……ん、んんっ!」  すごい眺め……夕日に色づいた白い肌に、テラテラと光るアソコのお肉、その中心に美緒里のアレが口を開けていて……。 「あ、はぁぁ……そ、そこ……ん、んーっ、やん、やぁ、やぁぁ……っ」  それに、指先に伝わってくるこのぬめり!  ――つん! 「あ、あーっ、んああぁぁ!!」 「声が出るほど感じるって本当なんだ……それとも演技?」 「そ、そんな……あ、あ、あぁぁ……だめ、そこ、そこだめぇぇ……」  美緒里にとっては不本意かもしれないけど、ようやく、みおりんプロデュースっぽくなってきた。  俺は女の子への好奇心を丸ごとぶつけるように、美緒里のアソコに指を這わせていく。 「んあぁぁ!? あ、あーっ、だめ、そっち……あ、あ、あ!」  濡れた唇の中に指が潜り込むと、ネトッとした熱い粘液が絡み付いてきた。 「んううーーーーッッッ!!!! あ………………ッ、はぁ……っ、はぁっ、はぁ、はぁ、はぁぁ……はぁぁ……ッ」 「すごい……温かい」 「やんッ、だめ……だめです……あ、あ、あぁぁ……あんっ、んぁぁ、あ、あッ!」  ネチネチと前後に動かすと、美緒里が面白いように喘ぎ声をあげる。 「お漏らししたみたいに濡れてるんだけど、これも特撮?」 「んぁぁ、いじわる……んあっ、あ、あ、あッ……あァぁ……」  あれだけ俺に意地悪してた美緒里だけど、指でちょっといじられただけで、たちまち我を忘れてしまったみたいだ。  かさにかかった俺は、指先で粘膜の表面をこすり上げる。 「ひぁぁ!? あん、あぁッ……だめ、そこ、そこだめぇ」 「んと、ここらへんにクリトリスがあるはずなんだけど……」 「んあああーっ、あひっ、あひ、あはぁぁ、はぁぁぁ……ンン」 「あ、これ?」 「んぃぃぃッ!?」 「すごいね……美緒里って感じやすいの?」 「ち、ちがいます……あ、あっ、先輩がそこばっかりぃぃ」 「そこって?」 「うぅぅ……きゃんっ、あ、あ、あ……そこ、そこっ、クリ……」 「すごい勉強になる、クリって本当に感じるんだ」 「はぁぁっ……あ、先輩っ……あ、あっ、そこ、ん、んぅ、ん、ん……んぁ、んぁ……はぁぁぁ、あん、あんっ!」  つんつんつっついてると、美緒里の声色があからさまに変わってきた。 「やぁぁぁん! あ、あっ、あっ……だめぇぇ……っ」 「まんこ見られるのって、恥ずかしい?」 「んッ……平気……あ、あっ、だめ、広げないでぇぇ!」 「おわ……すご、真っ赤……糸引いてる」 「だめだめぇ……あ、あんっ、もう……こ、声出ちゃう……! んあっ、あ、あーーッ、あ、あーっ、あんっ、んんっ!!」 「咥えれば出ないから……ほら」  すっかり口がお留守になってる美緒里のほっぺたを、ペニスの先でつついてみる。 「ふぁぃ……ん、んむ……ん、じゅる、じゅるるっ……」 「ん……んん、じゅるるるっ……ふぁぁ、えっち……ん、んはぁ……ん、んちゅ、ちゅぶぶっ、ちゅぱ、ちゅぱ……ん、んっ……」 「うぁ!? す、すごい……美緒里フェラ上手い」 「んふっ、ん……じゅぶ、はぁぁ……すごい、んむっ、ん、んっ……ちゅ、ちゅ……んぷっ」  あらためて口に含んだ美緒里のフェラは、打って変わって積極的になっていった。  唇でペニス全体を挟むようにしながら、頭を振りたてる。 「んぁ、そ、そのまま抜いたり戻したりしてみて」 「んぅ……ん、ん? んーん? んじゅっ、じゅるっ……んぶ、んぶ、んぶっ……んちゅっ、んぷ、んぷっ」 「あ、それ、すごい……ッ」 「はぁぁ……ん、んぶっ、んふっ、ん……ぷは、ん、ちゅ、ちゅ……ぢゅるるる……っ、ん、ん……」  教えたわけでもないのに、美緒里は舌をからめながら唇でペニス全体をしごきはじめた。 「はんん……んぷっ、んぶ……ちゅ、ちゅ、んふっ、ん……んふーっ、ん、ちゅ、ちゅ、ん……じゅるっ」  しゃぶるたびに、アソコからはどんどん透明な粘液が湧き出してくる。 「はぁっ……こ、これでいいれふぁ? んむ、っぷ……んぷっ、れろれろ、ちゅ、じゅるるっ……んん、じゅっ、じゅっ……ん」 「あ、あ……もっと吸って、んんっ」 「はぁぃ……んんっ、ちゅぅぅ……んぶっ、ずちゅるる……ずびっ、ずびびっ……ん、じゅるるっ、じゅぱっ、じゅぱっ、じゅぱっ……ちゅぶぶっ!」 「もっほ? ん……んぷっ、くぽっ、くぽっ、んぶぶっ、んじゅるる……ん、じゅ、じゅっ、ん、ちゅるる……んふぅっ……んぼ、んぼっ……」 「美緒里……あァぁぁ、きもちいいィ……」  情けない声が唇を割ってこぼれてしまう。 「んふふ……ん、んーっ、んぽっ、んぽっ、んぽっ、じゅびびっ、んびっ……んちゅ、ちゅ、こぉ? ん、じゅるる……ずびっ……ん、ふふ」  俺の頭上では、美緒里のまんこが粘液を滴らせながら、ヒクヒク震えている。 「あぁぁ、すごいヌルヌル……やらしー、美緒里のまんこ……」 「やら……ん、れろれろ……ん、じゅる……先輩のもやらひぃ……あぁむ……ン、んぷっ、んぷっ、れろれろ、ほらぁ、ん、ちゅ、じゅぶっ、じゅぶぶっ……」  あの美緒里が、ペニスを口いっぱいにほおばって、AV女優みたいな〈蕩〉《とろ》けた表情を見せている。 「ん、先輩……んじゅ……ん、んっ、ん、んっ、んっ、んふっ、んふっ、ん、じゅるる、ん、ちゅ、ちゅ……じゅる、んぼ、んぼっ、ちゅぽ……んぁ、ん、じゅるるっ」  熱い舌が大胆にうねって、俺のペニスを愛撫する。 「ちゅ、ちゅぱっ……んちゅ、ん、おいひぃ、んちゅ、ちゅ、ちゅっ、ちゅぶっ、んちゅ……んあっ、んぷぷっ……はぁぁ、おひんひん……」 「あ、あ、それ……」 「もごもご……ん、じゅる……んっ、んっ、んふぅ、おっきぃ……んんん、ずびびっ……じゅびっ……」  吸い付いてくるみたいなフェラに、頭全体が痺れてくる。 「あ、あ、イきそう、手でしごいて……」 「んふ、ん、じゅるる……ちゅ、ちゅっ、んぷっ、ん、んーっ、んぐっ、ん、んぶっ、んぶっ、んぶぶぶっ」 「んぶ、ちゅ……ん、じゅるる、れろれろれろれろ、ん、んはっ、ちゅ、ちゅ、ちゅぶっ、んぶぶ……」 「んあっ、んんん……先輩ぃ……ちゅ、ちゅぱっ、んぷっ、んぷっ……ん、ん、ん……っ、じゅるっ」 「あ、あ、あ……これヤバい!」  俺が音をあげると、美緒里は口と舌の動きを緩めるのではなく、いっそう激しくした。  けど耐える、絶対耐える……ちょっとでも、この夢みたいな時間を引き延ばす! 「んふ……ん、んぷっ、んぷっ……ちゅるる、んぶっ、んっ、んっ、んっ、んっ、ん、んぷっ、んぷっ、ぎゅぷぷっ……はぁぁ、んごい……んふ」  こっちも負けじと、思いっきりクリトリスを転がす。 「んんんーーーッ!? あん……んぐっ、ちゅ、じゅる……ん、んはぁぁ……っ、ん、んーっ!!」 「美緒里っ、お、俺イきそう……」 「んあ、はぁぁ……んッ、じゅるる……らひて、ん……んろっ、んむむっ……じゅる、んぶ、んぶ……ん、んっ」  あ、あ、あ、俺射精するんだ……後輩の……あの美緒里の口の中に。 「んぁぁ、あ、あぃっ、んぐ……ん、んーっ、んぶっ、んぃっ、んぃぃぃ、んーっ!」  クリを転がしていると、美緒里の腰がカクカク上下して、指の腹にビラビラをこすりつけてくる。 「エロすぎ……あ、あ、イくイく……」 「いぅ、いぅいぅ……いっひゃ……ん、んぐっ……んぶぶっ、んはぁぁ……はむ、じゅるッ、ん……ん、じゅるっ、じゅる、ん……んーっ!!」 「んィッ、あーあッッ、はぁぁ……あ、ああっ、らめ、イふ、イっひゃう……ぅぅーっ!!」 「んーーーーーーッ!! んぅっ、んっ、ん……ぐぅぅッ!!」  うわ!? なんか顔の上に降ってきた! 「んおぉッ……んおおぉぉおぉ……んぉっ、んーっ、んろろっ……んんーーッ!!」  これ、潮吹き……!? 中でぐちょぐちょしてないのに、クリだけで? 「ヤバいよ、美緒里おもらししてる」 「んぃっ、らって、らってぇ……んぅぁああぁあぁぁ!!」  顔の上に生暖かい美緒里の潮が降ってくる。  美緒里の匂い……それが俺の理性の最後の壁を突き崩した。 「だ……だめだ、出る……ッ!」 「あ、あーーーっ、んぐっ、んぶ……れろ、じゅる……あ、あーーーーーーっ!!」  ぱしゃぱしゃぱしゃ……次から次へと透明な液体が降ってくる。  頭の中が真っ白になって、俺は美緒里の口内に高まった思いのたけを解き放った。 「んぐっ!? んッ、んむッ、んふーっ……ん! んぶぶぶっ! ん、んーっ、んふっ、んふーっ、ふーっ……!!」 「あ……あ、あ……ぁぁッ!! 飲んで……吸ってッ!」 「んーーーっ、じゅるる、んじゅる……じゅっ、じゅるるっ……ん……んぐっ、ん……ふぅぅ……ん、ん、んぐっ、んぶ……はぁ、はぁ……ん、ごくっ」  つっかえつっかえ、精液を飲み下していく美緒里。  受けきれなかった粘液が美緒里の唇からこぼれだし、小さな泡をつくる。 「ん……んーっ……んぐっ、ごく……んくっ……じゅるる、んぐぐっ……」 「はぁぁ……口の中で出すのって、すごい〈蕩〉《とろ》けそう……」 「んふっ、んっ、んはぁぁ……はむ、じゅる……じゅるるっ、ん……んーっ、んふぅ……じゅる、ちゅ、ちゅっ、ずびっ、ずびびっ……」  すごい……吸われてる……精液根こそぎ吸われてる……ッ。 「ぷはぁ……ん、へんぱぁい……ん、ん……ふぅぅ……じゅるる……ん、んっ」 「はぁぁ、気持ちいいな……」 「んふーっ、ちゅちゅちゅっ、ちゅぅぅぅっ、んっ、ん……んふーっ、ん、ん、ごくっ……んっ」  あ、あ……エロい、美緒里が喉を鳴らしてる……。 「んじゅる……ん……ぶほっ……ごえんなはい……ぷは、飲みきれない」 「い、いいよ……無理しないで」 「ん、へーき……んふっ、じゅるる……ん、じゅる……ちゅ、ちゅ……」  何度も何度も、飲みこぼした精液に舌を這わせ、舐め取っていく美緒里。 「はぁぁ……いっひゃった…………んじゅる……ん、んっ、ここまでするなんて……んじゅる、んんっ……れろ、ちゅるる……」 「予定外?」 「んん……そうれす、じゅるっ……はぁっ、DXどころじゃないれす、こんなの……ん、じゅる、ん、んっ……れろっ、れろっ」 「でも最高だった……もうちょっと見てていい?」 「あん、えっち……ん、ちゅっ、ちゅっ、しゅぶぶっ……」 「美緒里もだろ、太ももまで垂れてきてるし」 「やん! あぅぅ……もうだめです、やっぱり終わり」 「いいじゃんもうちょっと……ああー、かわいいなー、すごい可愛い♥」 「かわいい……ですか? グロテスクじゃなくて?」 「どこがグロいの? これが美緒里なんだなーって思うと、超可愛いけど」 「ばか…………ん、じゅる……はぁぁ、まだ硬い……ん、ぺろっ、れろっ、れろっ」 「精液って、本当においしい?」 「わからない……ん、頭ぼーっとしちゃって……ん、じゅる……でもえっちです……」  気がつけば、空はすっかり暗くなっていた。  あれから、互いの気がおさまるまで、しつこいくらいに触りっこをしてたせいだ。 「はぁぁぅ……うう〜〜〜!!」  エッチな匂いをまだぷんぷんさせたまま、美緒里がいきなり頭をかかえた。 「どうしたの?」 「こ、こんなの……予定にありませんでしたっ!」 「ごめんごめん、つい夢中で……」 「うーうーうー! はずかしいですっ!!」  ぶんぶん手を振り回す。 「下着は見られても平気だったのに?」 「全然違います! それに下着も平気じゃないし……あ、先輩も早く隠してください、目のやり場に困りますっ」 「今までしゃぶってたのに?」 「わぁぁー! そんな言い方だめ!」  ――べしべしべし! 「もう、DXコースの料金は覚悟しててくださいーっ!」 「そ、そうだった……いくら!?」 「お、お金なんかに換えられません! 先輩はずーっと私の奴隷ですーっ!!」 「……あんま今と変わらない気がする」 「う、うぅぅ……いーんですっ!」  真っ赤になって手を振り回す下着姿の美緒里と、しばし戯れる。  うーん、俺はいま、存分に幸せを噛み締めてる!!  やがて、落ち着いてきたオレたちは、並んでベッドに座ってまったりモード。 「はぁぁ……見られちゃいましたね」 「でも感動だった、見たの初めてだから……俺ぜったい忘れない!」 「私だってそうです……こんなの!」 「んー、キス……」 「ん……ちゅ、んん、ん……ちゅるるっ」  唇を合わせ、舌を軽くからめて唾液を〈啜〉《すす》る。 「はぁ……こんなことしちゃったら、いよいよ本格的に恋人みたいですね」 「みたい?」 「そうですよ、本物じゃなくて『みたい』です。だって………………」  足をぷらぷらさせる美緒里の影を、俺は視線で追いかける。 「俺が弟みたいだから?」 「…………」 「……綾斗とは、こんなことしませんでしたよ」 「そ、そりゃそうでしょう!」 「……でも、綾斗が生きてたら……してたかも」  その言葉は奇妙にリアルで、美緒里なら本気でやりかねないような気がしてくる。  急に焦りを覚えた俺は、下着姿の美緒里に顔を近づけた。 「俺、彼氏でもいいですか?」 「……ん、おまけしておきます……ん、ちゅ……」 「舌〈挿〉《い》れていい?」 「……もう、そういうことは聞かずにするの」  服を着て落ち着いたところで、俺は恋路橋から借りたままのノートPCを立ち上げた。 「もうー、いつまで見てるんですか」 「だってなんか嬉しくて……お、ここだ」  美緒里のスカートをめくって遊んでるうちにPCが立ち上がり、ノートパソコンのディスプレイに、あのブログが表示される。 「ほら、これ……魔法のクローバー育てたいって、色々研究してるブログで」 「あ…………!!!」  ――ドン!  いきなり、体当たりされた。  前のめりにPCにかじりついた美緒里が、俺からマウスを奪ったのだ。 「痛てて……どうしたの?」 「……………………!」  聞いていない。ものすごい目つきで画面を凝視している。 「これ……!」  ぎゅっと、美緒里の手が握りしめられた。  ぶるぶる、筋を浮かせて激しく震える。  目は画面に釘付けのまま、みるみる血の気が引いて、なのに汗がにじんでくる。 「……美緒里?」 「綾斗…………」 「!? まさかこのブログ……?」 「……………………」  俺の肩で、美緒里はほんのわずかにうなずいた。  美緒里はじっとブログの文字列に目を走らせている。  そうか、ブログの内容、それに、最終更新が二年前――。  二年前……それはきっと、綾斗君が自分の部屋で更新作業をできた、最後の日……。 「気づかなかった……ブログの名前も普通だったし」 「これ……ヨルガタナじゃなくて、ヤトです。〈夜〉《や》〈刀〉《と》〈神〉《がみ》って神様がいるんです」 「アヤトだから、ヤト?」 「うん、学校でもこのハンドル使ってたし……でもまさかブログ持ってるなんて」  美緒里は長文の日記を、噛み締めるように読み進めていく。  しばらくして…………ふいにマウスのホイールの回る音が途切れた。  美緒里はPCの前でうつむいていた。 「美緒里……?」 「……ごめんなさい、もう読めない」  ノートPCを閉じた美緒里は、その場で肩をすくめたまま震えだした。  ずっと眠らせていた悲しみと急に鉢合わせて、美緒里の小さな身体はいまにも壊れてしまいそうに見える。  俺は、手を伸ばして、彼女の冷たい掌を握り締めてやった。 「うおお、寒っ……」  一昨日の雪がまだ残ってる。  美緒里を部屋に連れ込んだあの晩から、永郷一帯の気温は急に冷えこんで、土曜日にはかなり雪が積もった。  年末と違って人手はあったので、雪かきにはなんの苦労もなかったけど。  で、日曜日は何事もなく過ぎて――今日、月曜日というわけだ。  寮を出て学校までの道すがら、気付けば視線はついつい美緒里の姿を探している。  彼氏4日目。  バレンタインデーから俺の頭の半分以上を、小悪魔な美緒里が支配している。 「おはようございます♪」 「おはよー」 「すごい積もりましたねー、いずみ寮の雪かきのご用命は……」 「今は人手が腐るほどあるから平気だよ」 「うーん、そこをなんとか……」 「俺に頼み込んでもなんにもならないって!」 「はぁぁ……頼りになりません」 「あのな!」  こうしていると、まるでこれまでと変わらない関係。  美緒里は俺と並んで話しながらも、携帯を開いて090金融の顧客リストをチェックしている。  多分、今日も放課後はボディーガードをやって、美緒里に振り回されて……。 「……どうしました?」 「一緒に登校するの初めてだよな」 「あ、そういえば! それなら腕も組んじゃいましょう!」 「えい……ふふっ」  美緒里が俺の腕にぎゅっとしがみ付いてくる。  絵に描いたようなカップルの通学風景。すなわち周りの生徒からは大〈顰〉《ひん》〈蹙〉《しゅく》。  でも、いまさら隠すようなことでもなし。  だって、俺と美緒里はこないだ、俺の部屋で……。 「ううっ……」  お、思い出したら否応無しに興奮してきた!  このケダモノ! ケダモノめっ!! 「恥ずかしいですか……?」 「い、いや、ぜんぜん平気」 「ふーむ……?」  少し考えていた美緒里が、ふと思いついたように顔を赤くする。 「先輩……だめですよ」  顔を赤くした美緒里がぱっと離れて歩きだした。俺はその手をおいかけて、こっちから握る。 「先輩……えっちです」  ううっ……たまらん! こんなラブコメまがいなことをリアルでできるなんて……す、すごい幸せだーーーー!!!  ――昼休み。  ラブコメオーラというのは午前の4時間授業程度では薄れないらしく、俺はチャイムと同時に教室を離脱。  美緒里と約束していた中庭へと、スキップで移動する。 「こらー、天川ぁ! 廊下は……」 「走ってないです、スキップだから!」 「かわんないわよー、ったく……どいつもこいつも、冬なのに春めいて……!!」  美緒里、美緒里……と。  あ、いたいた。 「みお……」  声をかけようとして、口をつぐむ。  美緒里が、なにか携帯に向かって大きな声を出していたからだ。 「でもそんなの急におかしい、納得できない!!」 「じゃあ相手の連絡先教えて! 直接話すから! いいでしょ!!」 「あと、契約した時の書類……ほら、電話機本体の下、引き出し!」 「いきなりなんて、納得できないよ! 意味わかんない!!」  怒ってる……誰と電話してるんだ。  友達……いや家族かな?  けど相手が家族だからって、いったいなにがあったらいつも大人しい美緒里があんな風に……?  俺の視線に気づかず、美緒里はしばらく電話口に向かって声を荒げていた。 「それじゃ! わかったらすぐ知らせてよね! 授業中でもいいから!」  長々と続いた会話が終わる。  俺は、さも今来た風を装って……。 「おーい、美緒里」 「あ、せーんぱい♪」  ニコニコ笑顔の美緒里。  だけど、今の俺にはなんとなく分かる。この笑顔が取り繕ったものだって。 「今、電話してた?」 「え? あ……ちょっと」 「大変そうだな、また取り立て?」 「いえ、そういうのじゃないんです……家に、ちょっと」  やっぱり家族が相手か。 「何かあったの?」 「はい、ベランダのプランターにミスジコウガイビルが出たので、駆除方法をレクチャーしていました」 「…………なんか難しい話だってのは分かった」  そして、美緒里がなにか隠してるのも。 「…………大丈夫なの?」 「なにがですか?」 「その……なんとかいう電話の問題は」 「はい、心配ご無用です」 「うん、けど……あのさ、本当はさっき聞こえて……」 「心配しないで」 「う、うん……」 「……なんて、ちょっとお姉さんっぽかったですか?」 「心臓に悪いからやめて、お願い」 「ほんとだ、顔赤いですねー……くすくす」  う、ううっ、どっちが年上だ? どっちが先輩だ? 「おなか空きましたね、そろそろ学食に……あ、あれ?」 「どうした?」 「ご、ごめんなさい! 食券の入ったファイル、教室に忘れてきちゃいました!」 「なにーーー!!」  ……って、言える立場でないことを再確認! 「そ、そういうこともあるって! は、ははは……一緒に取りに行こうぜ」 「そうですね……じゃあ、一緒に」  ――きーんこーんかーんこーん。 「………………げ!」 「お昼休み、終わっちゃいました」 「そ、そ、そういうこともある! あははは、あははは……!」 「おなか、空いてますよね……」 「いいっていいって! たまには休胃日を作ってやるつもりだったし! はっは、はっはっは……!」  笑い飛ばして俺は5年エリアへのっしのっしと立ち去る。  ああ、ノートルダムの鐘が胃壁にしみるなぁ……!  参ったなあ、あてにしていた食券が……。  ぐーーーー。 「そーゆーわけで、五賢帝の時代のローマ帝国はね……」  でも、それよりも、あの美緒里の様子が気になった。  ぐううううう、ぐきゅるるる……。 「……という、トラヤヌス帝のダキア侵略ののち……」  どうしたのかな。家で何かあったのか。悪いことじゃなければいいけど。  ぐー、ぐー、ぐるるるる、ぐぎゅるるる……ぎょろろろろろ。 「誰かそこのファックスとめてーーー!」  かくして、クラスのみんなのありがたい寄付によって、俺の空腹はわずかながら満たされたのだが……。  チャイムが鳴り、授業が終わっても、あいにく今日は掃除当番!  放課後には閉まってしまう学食を尻目に、恋路橋、稲森さんたちとクラスの清掃だ。 「雪、もうほとんど消えちゃったね」 「は、春が近いからじゃないかと思うんだボクは!」  恋路橋のやつ、稲森さんと直接話す時はけっこうテンパってるなあ。 「春、かあ……」 「もうじきだね、卒業式」 「次はボクたちが最上級生です、責任と自覚、うんうん!」 「先輩たち、いなくなっちゃうんだね……桜井先輩も、月音先輩も」 「そうだなあ……俺たちも、別々なクラスになるかもしれないし」 「ちょっと寂しいね」 「ボクたちの絆は永遠ですよ、稲森さん!」 「ふふっ……同じクラスになれたらいいね」  いつも変わらない、優しい笑顔の稲森さん。  美緒里っていう彼女ができたあとも、俺は稲森さんの前だとアガってしまう。 「月音先輩は進学するんだよね……芸大だっけ?」 「それは先生方の希望だって。行くのは、ええと、商学部の、広告デザイン学科だったかな」 「やっぱりすごい! じゃあ月音先輩とトップ争いしてた桜井先輩は?」 「あの人は、正直予想つかないところあるからなー」 「そもそも進学するのかどうかが……恋路橋、なんか聞いてる?」 「うん、文部科学省だって」 「は……?」 「文部省に行って、日本の教育を根底から変えるんだって。その前に東大に寄らなきゃいけないって言ってたけど」 「す、スケール大きいね」 「それが事実なら未来の日本が危うい……」 「でも……先輩たち成績すごいから、何の苦労もしてなさそうだよね。いいなあ」 「俺たちも負けてらんないよな!」 「……………………」 「ん? あれ、俺へんなこと言った?」 「天川くんって……最近、雰囲気変わったよね」 「……うん、変わった」 「え? あれ? そう?」 「前より、何ていうか……頼もしくなったのかな?」 「なんだか奇妙な余裕があるんだ、親友の目はごまかせないぞ!」 「いやいやいや、ごまかしてないし!」 「日向さんとの間になにかあったとか!?」 「ぎぎぎぎぎくぅぅぅっっ!!!」 「やっぱり……!」 「大人の階段を駆け上ったのかーー、けしからんッ!?」 「ないない、なーんもない、美緒里は一切関係ない!!」 「なにが関係ないんですか?」 「あーーーーーっ!」 「きたーーーーー!!」 「わぁぁーーーーーーっっ!!」 「はい……???」  な、なんというタイミング!  俺は慌てて鞄をひっつかみ、美緒里を回れ右させた。 「それじゃ、また明日! お先に! ではっ!」  そしてダッシュで教室をあとにする。 「じゃーねー(さよならー)」 「ふーん、美緒里ちゃんと天川くんか…………」 「あれはあれで、お似合い……なのかな?」 「あ……あれ? 恋路橋くん、どうしたの?」 「ううっ……天川君がどんどん遠くへ行ってしまう……」  ――がらーん。 「うぅぅ……遅かったか……!」  業者のいなくなった学食は、がらんとした無人の空間だ。  昼休みで基本的に営業を終わらせる学食。運が良ければ5時間目終了後に売れ残りのパンくらいはゲットできるんだけど。  授業終了後、さらに掃除当番でタイムロスしてしまったのだから無理もない。 「終わっちゃってますね」 「仕方ないさ……ふ、ふふふ……」  とはいえ、腹が鳴るほど減ってるわけじゃないのは、クラスの有志諸君によるお恵みのおかげ。 「すみません、お昼に食券忘れてたから」 「気にすんなって、全然平気だから」  というか、あんなにドライだった美緒里が気を使ってくれることが嬉しい。 「ま、寮の夕飯まではもつからさ……帰ろっか」 「ちょっと待ってください……ふふふ」 「こんなこともあろうかと、ゲットしておきました!」  そう言って美緒里が巾着から取り出したのは……。 「じゃーん、かしぱーーーん!!」 「すげーー! かしぱーーん!!」 「どこでこれを!?」 「ふっふっふ……時空を歪めて買ってきました!」  おおお……美緒里の手のなかにあるのは、〈燦〉《さん》〈然〉《ぜん》と輝く三色ロール……!?  しかも……このメーカーのパンは購買じゃ見たことがない!? 「まさか抜け出した!?」 「そ、そんなことするわけありません! ささささあさあ、食べて食べてー!」  やっぱり抜け出して買ってきてくれたのかー、俺のために! 「うっ、ううっ……むしゃむしゃ、ありがとう美緒里……あれ、なんでだろう、クリームがしょっぱいや……」 「泣くか食べるかどっちかにしてください。はい、お茶」 「うーおーーー、ありがたいありがたい。ぐびっ、ごくごくごく……ぷはーっ」 「はぁぁ〜〜〜っ、人心地ついたー」 「それは何よりですけど……祐真先輩には足りませんよね」 「いやー、そんなことは……」  大いにあるけど、ここは美緒里の好意に感謝しつつ、笑っとけ笑っとけ!! 「なので、さらに……どーーーん!」 「うわーーーー、パンが、パンがたくさーん!」 「でもいいのか、俺に食わせちゃって」 「今日のことは私のミスですから、気にしないでください」 「うーん、ありがたいけど……」  美緒里らしからぬうっかりは、やっぱり昼の、あの電話のせいだろうか。 「あのさ、美緒里……」 「んー?」  ――ドキ! 「どうしましたぁ?」 「あ、いや……えっと、なんだっけ……」 「先輩、目が泳いでます」 「おおお、泳いだりするもんか!」 「ふふっ……」  ふと席を立った美緒里は……向かいの席から俺の隣に場所を移してきた。 「み、美緒里?」 「誰もいないから、今なら平気です♪」 「え? え……」  今なら平気……って!! こ、これはまさか……禁断のお誘い!? こんな場所で!?  い、いいのか、神聖なる学食で、俺の命を支えるこの部屋で、そ、そんな狼藉に……。 「はい、あーーん♪」  チーズデニッシュを一口サイズにちぎって、俺の口元に運ぶ美緒里。  そ、そういうことか……変な期待をしてしまった(がくり)。 「もう一口……あーん♪」 「あーん……もぐもぐもぐ、あぁぁ、おいしい!」 「はい、次はもうちょっと大きいですよー、あーん♪」 「あーん……」 「ふふっ、こうしているとそれっぽいですね」 「う、うん……それっぽいそれっぽい、ていうか、もうこんなことしなくてもそれっぽくなってる」 「稲森先輩たち、気づいちゃってました?」 「…………かなり」 「そうですか、でも桜井先輩にも見られていますし、すぐに分かっちゃいますよね」 「そうね……けど、部屋でしてたことについては内緒にしてるから!」 「当たり前です」  むにっと、ほっぺたをつねられた。 「でも……クラスの男子も普通に経験して、H報告してるし……多分平気ですよ」 「さ、3年がH報告だと……!! けけけしからーーん! ったく近頃の若い連中は、術前術後けしからんッ!!」 「な、なんですか、それ?」 「ちょっと恋路橋っぽく言ってみた」 「しかし3年でHだと? うーーーーーっ、後輩の癖に生意気な……!!」 「なら、もっとけしからんことをしちゃえばいいんです」  驚いて振り向くと、美緒里がまた大人びた笑顔で俺を見つめていた。  たちまち回転を早くする俺の内燃機関! 「い、いいの? こないだよりけしからんことをして?」 「私とはダメですよ」 「なんだそれー! なら誰としろってんだ!!」 「ずばり、恋路橋先輩でしょう〜♪」 「いーやーだー! なにひとつ嬉しくない上に、一部男子から確実に命を狙われる!」 「けしからんことするなら……み、み、美緒里と……っ!」 「はぁっ……先輩はがっつきすぎです。おあずけされた子供じゃないんですから、もっと大きく構えてください、大きく」 「本能の前に子供も大人も関係ないやい!」 「先輩の本能は、えっちなことばかりなんですね」 「ぐぅ!」  そんな、間合いの探りあいのような会話をしながらも、美緒里の瞳が徐々に潤んでくる。  こ、これって……俺はどう解釈すればいいんだ!? 「先輩……♥」 「は、はい?」  まただ……また、あの甘いにおい……。  美緒里の体の、素肌のにおい。 「………………ふふ、なんでもありません」  まともに目が合った。  美緒里の大きな瞳が、あの時と同じように、熱く、妖しく潤んでいる。  教えてくれ、俺の心の声! いま俺はどうすればいい? 「……ゴーアヘッ」  了解! 任せてくれ!!  一度決定的な関係を持ってしまった二人は、もう平日も休日も関係ない。二人きりになってしまえば、好奇心の向かう先はたったひとつなのだ! 「あのー、美緒里さん?」 「はい、なんでしょう?」 「……キスしたいんだけど」 「ほー、学校で? ちょっと大胆すぎませんか?」 「したい! 学校でもしたいー! 思いっきりしたい! ディープなのしたいー!」 「はいはい、ゆーまくんがしたいのはこのHなキスですか? それともこちらの舌絡めるスゴいキスですかー?」 「両方!! 両方したーい!!」 「けしからーん!! なんですかそれは、ごうつくばりにはさせてあげませーん!」 「けしからんくても、したいしたいしたい!!」 「だーめーでーすー、チーズデニッシュの匂いはそんなに好きじゃありませんから」 「嘘だ! 前にチーズフランス食べてたくせに!」 「とにかくだーめ♪」 「じゃあ、お尻揉むだけ!」 「!? いきなりどうしてお尻になるんですか!?」 「だって美緒里のお尻超エロいしー!」 「……ううっ!!」 「そ、そういうこと言うの……ずるいですよ……」  ごっこ遊びモードから急に真っ赤になった美緒里が、あたりをきょろきょろ見回している……それってひと気がないか確認してるってこと??  うん、視界良好、誰もいない。 「で、でも学校ですし……やっぱり、そういうことは……」 「見てないから平気!」 「……………………」 「はぁ……仕方ないなぁ、祐真くんは……」  ため息をついた美緒里は、案外楽しそうに立ち上がると……。 「じゃあ、こっち来て」  と、俺の手を引いて、学食の端にある、自販機コーナーの前に引っ張っていった。 「(きょろきょろ)……ここなら、廊下から見えないから……平気です」  学食の自販機――そういえば最初に美緒里から借金したのも、ここだったよな……。  あの頃の美緒里は、礼儀正しい女の子のくせに不思議系の守銭奴で……正直正体不明だった。  その相手と、いまこんな関係になってるなんて、なんだか不思議な感じがする。 「先輩……」  俺は美緒里を抱きしめてキスをしようと……。 「あれ……え? え?」 「はい…………人に見られたら大変だから、ちょっとだけね」  自販機に向かって立った美緒里は、腰を突き出した格好でスカートをぴらっとめくり上げた。  下級生の制服のリボンの下から、おなじみの金魚さんがこんにちはする。 「こ、こっちだったの!?」 「だって先輩は、キスよりこっちのほうが好きなんでしょ?」 「そ、それは……そうなんだーー!!」  叫んだ俺は、美緒里のお尻を両手でわしづかみにして、もみもみもみ……。  本当はどっちも好きだけど、ごうつくばり認定されそうなので、ぐっと我慢しておく。 「あ……やん、あ、あん……っ!」  下着ごしに優しい力で揉んでいるだけなのに、敏感な美緒里はすぐに身体をびくびくさせ始める。 「はぁぁ……いつ見ても美緒里のお尻はかわいいなー」 「んぁ……ま、前と同じパンツにしてきたんですよ。これはわざとですからね」 「そうだったのかー、俺はてっきりローテーションとシンクロしたのかとー(棒)」 「ちがいま……あ、あんっ! もう、揉み方がえっちです……」 「それは心がHなので仕方がないのだ……んー、やらかいー、もみもみもみー」  こんなぷにぷにですべすべなお尻を、揉みたいときに揉めるなんて(一部虚偽)……彼女がいるって素敵すぎる!! 「あん、ん、んっ……気が済んだら終わりですからね……見つかったら大変です」 「でも、窓の外は全開だけど」 「こっち側なら、生徒は来ないから平気なんです……ん、ん」 「じゃあ、さっさと終わらせるね……んっと」  俺は美緒里の下着の中心部分、ぷにっと膨らんだアソコのお肉を指先で突っつきながら、ぱんつの横から指を滑り込ませた。 「んぁぁ!? え、え、そこまで……んぁ、しますか?」 「もちろーん……おや? おやおやおや?」  すぐに指先に伝わってくる、ヌルッとした粘液の感触。 「みーおーりーちゃーん?」 「ふぇぇ……な、なんですかぁ?」 「なーんか、もうヌルヌルしてるけど、これって……期待してた?」 「してない……あうっ! んぁ……うぅぅ……っ!」  ショーツの隙間から中指を入れた俺は、そのままヌチヌチと上下にこすりはじめる。 「んぁ、ん、んっ……だめ、ん、んーっ」  鼻にかかったような美緒里の喘ぎ声――たちまち、ボーダーの股間にジットリした染みが浮き出してきた。 「ほら、染みてきた……ん、ヌチヌチいってる」  パンツごしにアソコの肉をぷにぷにと膨らませて、クリをこする。  すぐに美緒里の声が余裕を失った。 「あ、あ、あーっ、だめ、だめっ、それ……こすれちゃうぅぅ」 「んー、Hな匂いしてきた」 「し、してないです……はぁッ、はぁぁっ、はぁっ……はぁぁぁっ、あ、あ、あ……あっ!」  お尻の前に屈み込んで、美緒里のアソコを指先でいじめる。  もう美緒里にどんな無理難題をふっかけられても、まとめて許せちゃいそうな、この眺め……! 「あっ、あーっ、だめ、そこそこ……んあっ、あーっ、あぁぁーっ!」  自分から誘惑してくるくせに、攻められるとあっけなく陥落してしまう美緒里が、腰をくねくねさせて身悶える。 「気持ちいい? ねえ…………お姉ちゃん?」 「あッ!? ゆーま、あ……あ、あーーーーッッ!」  ためしに『お姉ちゃん』って呼んでみたら、美緒里の反応は予想以上だった。 「う、うぁあああぁぁ……あーっ、ああーっ!」  ――ぷしゅっ……!  何かが吹き出してきた。ショーツにみるみるシミが広がって、太ももを伝ってくる。 「あはァ……あは、あ……あぁぁ……はぁぁっ……」 「潮吹いた?」 「し、しらな……んぁ、あ、あぃ、い……いいいッ……んーっ!」 「指、〈挿〉《い》れていい?」 「はぁぁ、あ……だめ……おかしくなりそうッ……やぁ、あ、あ、あん、ああーっ!」  返事を待たずに中指を美緒里の中にもぐりこませる。  場所が分からないから難しいと思ったら、恐ろしくスムーズにニュルッと奥まで入ってしまった。 「あーーーーっ! は、入って……あ、あ、あッ、入って……ぇぇ!」  美緒里の声が無人の学食に響く。俺はついつい窓の外にびくびくしながら、指先を進めていく。 「こ、これが美緒里の中……すごい……!」 「あぁぁぁーーーぁぁぁァ、感じすぎちゃう……あ、あーっ、そんなの……やぁ、お願い、抜いて抜いて、やぁぁ、あ、あーっ!」  奥についたら浅く抜いて、また奥まで……抜き差しを繰り返していると、性器全体がキューッと締まってきた。 「はぁぁっ……ん、んっ、あ、あ、すごぃぃ……中、あッ、ああんッ……ん、んっ、だめ、らめ……あ、あ、あ、そこそこ……ぉぉ……ッ!!!」  ぬちぬちかき回す……でも、初めての指でこんなに感じるなんて……美緒里のやつ、実はけっこう一人エッチしてたりして? 「あん! あぁぁ……ん、やん……ん、だめぇ、んああっ……い、今は……あ、あ、あっ、いま触っちゃだめぇぇ……ッ!」  言葉を無視して、チクチクと指を出し入れする。  いつもの学食で美緒里とこんな危険な遊びをしてると思うと、どんどんエロい気持ちがエスカレートしてくる。 「ねーお姉ちゃん、どこが気持ちいいか教えて?」 「やぁぁ、んぁ、んぁぁ……あ、あっ、あんっ、ばかぁ……」  中の壁をこすりながら勢いよく抜いて、またゆっくり差し〈挿〉《い》れる。 「平気だって、誰も聞いてないから……俺だけ……ねえ、どこ?」 「いやっ、あっ……あんっ、んんぁ、んぁ、んぃ、んぃ、んぃぃ……!」 「どこ? こっち?」 「ちが……あ、あ、あ……お、お…………」 「はぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ、ん……おまんこ……!! んぁ、あ、あ、あはぁぁっ……ばかぁ」 「よく言えたご褒美ね……ん、奥……!」 「あァァぁあぁ!? あ、あいぃっ、あ、あ、あーーっ! んひっ、んあっ、ぁぁあっ、ぁーっっ!!」  奥のほうで指を前後にクチクチ動かすと、美緒里の腰が前後にクネクネ動き始める。 「お姉ちゃん、指まんこ好き?」 「んああぁぁっ、好きぃ、ゆーまぁ……んあっ、あ、あ、あっ……好き、祐真の指……あ、あーっ、はぁぁっ……まんこ好き……ん、んっ!」 「もうらめぇ……めちゃくちゃにして、あ、あっ、もっと……おまんこ……あ、あーっ! んあっ、あ、あ、あぁぁ!」  促さなくてもエロい言葉を使いはじめた美緒里が、どんどん一人で昇りつめていく。 「だめ、おかひくなっちゃ……うッゥゥゥーーーーっ! うーっ、んぁ、あぃ、あぃ、あぃぃぃっ!!」  声のトーンが面白いくらい露骨に切迫してきた。タイミングを合わせて、奥のところを押し込むと……。 「あ、あぃ、あぃぃ……い、い、イうゥゥ……ッッッ!!!」  ぷしゅっと、また生暖かい液体があふれ出し、美緒里の身体が痙攣を起こした。 「んあっ、あおっ……ん、んぉ……ッ……う……はぁぁぁぁぁぁ……っ!」 「あはぁぁ……はぁ、はぁ……ん、んんっ……はぁぁ……はぁっ」  指を抜くと、ガクガク震えた美緒里は、糸が切れた人形のように自動販売機につかまった。 「あ……あ、あ……はぁぁ、はぁぁ……あ、あ、あぁぁ……」 「イッた?」 「はぁぁ……イっちゃった……恥ずかしい、学校なのに……あ、あ……あぁぁ……ぁぁ……はぁ、はぁぁ……」  愛液は特撮だと言い切った美緒里が、ショーツだけでなく太ももまでびしょびしょにして、荒い息をついている。  いまや自分だけの物となった美緒里のお尻を抱え込んだ俺は、ゆっくりと股間に顔を近づけた。 「ん……おいしそ……」  愛液の沁みたショーツに唇をつけて、じゅぅぅぅっ……と吸い上げる。途端に美緒里が息を詰まらせた。 「んあぁぁあぁっ!? あ、あっ……だめぇぇ……っ!!」 「ん……おいし……ん、じゅぅぅぅぅ……」 「あひっ、あ、あーーーっ、んぁぁーーっ……あぁぁ、あーっ」  しょっぱさとともに口から広がる、すっぱいような、生臭いような、不思議な匂い。 「ほんとにだめぇ……あ、あっ、もうだめ、おしっこ……もれちゃうっっ!」 「え!?」  俺は慌てて口を離した。  美緒里のおしっこくらい飲んでも平気なくらいテンションは高まっていたけれど、さすがに学食でおもらしはありえなさすぎる! 「うぅぅ……もう、ばかぁ……」 「ご、ごめん。やりすぎた……トイレ行ける?」 「へ、平気……あ!? あぁぁ……ぁぁ」  よろよろとスカートを下ろした美緒里の腰が砕けて、自動販売機によりすがる。 「んはぁぁ……歩けない……ぃ……」 「あッ! でもだめっ、も、漏れちゃう……先輩、連れてってくださいーっ!」  美緒里の手を引いた俺は、なるべくひと気のない6年生エリアの女子トイレを目指した。  扉の前で、美緒里を中に滑り込ませようとしたそのとき……。 「せ、先輩も来てくださいっ!」  急に袖を引かれた。 「え?」 「だって……まだ足ふらふらしてるから」 「け、けど、女子トイレだよ?」 「いいんです、もう……こっちです!」  足フラフラのはずの美緒里が、俺の腕を取って女子トイレの個室に連れ込んだ。  それから、個室の壁に俺を押し付けると……。 「はぁぁぁむっ……ん、んぶぶ……んぶっ、んちゅ、ん、んっ……」  ……猛然とむしゃぶりついてきた。 「み、美緒里!?」 「はっひのお返ひれふ……ん、んっんぅぅ……んじゅるっ、ん、んっ、ちゅ、ちゅ……」 「こんなとこで……!?」  女子トイレの狭いボックスの中、便器に腰掛けた美緒里が、正面に立った俺のペニスをしゃぶり上げている。  男子にとっては禁断の場所でこんなこと……。でも、誰かに見つかる危険のある学食よりかは、マシなのかも。 「ん、んじゅ……もう硬くなってきた、はむ、んっ、ん、ん、んぅ、すごい、あん、んーっ、じゅるる、んぶっ、んぶっ……」 「あうっ……そ、そんな強く……」  美緒里は最初っから本気モードだ。がっつくようにペニスをほおばり、唾液まみれにして舐め上げる。 「ん、んーっ……くちゅ、れろれろ、ちゅぷ……んろっ、ん、れろ……んぁ……」  フェラしたまま、美緒里の腰がもぞもぞともどかしそうに動きはじめた。 「ん……ん、気持ひいい?」 「う、うん……すごい……美緒里っ」 「んふ……へんぱいが良かったらいーの……ん、ちゅ、ちゅ、こーひて……ん、んっ、ちゅるる……んぷ、んぷ……ん、ん、んっ、んんっ……はぁぁァ……」  俺を見上げながら、美緒里が舌先を器用に使って口の中のペニスに包皮をかぶせようとする。 「んぅぅ……剥いてあげう……ん、じゅろろっ、ん、んーっ、じゅるっ、じゅるるっ!」  美緒里の口の中で、ペニスが剥きあげられ、また皮をかぶせられる。 「うあぁぁッ!? あ、あ、剥きながらこっち見て……!」 「ん、じゅるる……ん、んーっ、じゅるろ……こうれふか? ん、れろれろれろれろ……んーっ、んちゅ、ちゅ……」 「あ、あーっ、すごい、エロいっ!」 「んふふ……んーっ、んろんろんろ……ん、じゅろろっ、んじゅっ、ちゅ、ちゅ……んーっっ、んろっ、んろろっ……」 「あぁぁ、頭おかしくなりそう……いつの間にこんな上手くなったの!?」 「んぐ、んむ……れんひゅーひまひた……ふふふっ……ん、んちゅ、ん、んぼっ、んぼっ、ちゅる、ちゅるる……んじゅろろっ……」  練習ったって、こんなのすごい……前とは雲泥の差だ。気持ちよすぎる。 「ほーやって、ん、じゅる……ん、んっ、んちゅ、ちゅ、ねもねもねも……んもっ、んぶっ、んぼっんぽっ、んこっ……ちゅ、ちゅ、じゅるるっ……」  あぁぁ……情けないけど、たちまち腰が震えてくる。 「ん……今度は先輩がイく番……んじゅる、ちゅ、ふふっ、れろれろれろ……んはぁ、んぷっ、んぷっ、んぷ……ん、ん、ん、んんーっ! じゅるるっ」  いよいよ美緒里がスパートをかけて俺をイかせようとする。 「す、すごいよ、吸い付いてくる……」 「じゅる……んぷっ、んぽっ……んぁぁ、おいひぃ……んふっ、ん、じゅるる、ん、ちゅ、ちゅ、じゅるっ、ちゅ、ちゅるるっ……んン、ちゅ、ちゅーーっ」 「あ、あ、あ、そんな……先っちょばっか」  圧倒的に押し寄せてくる快感に逆らうことなんて、とうてい無理だ。 「ん、れろっ、れろれろれろれろっ、ふふっ……んーっ、れろれろれろ……ふふっ、てろてろてろ……ん、んっ、れろっ、れろっ……んふ」  舌を尖らせた美緒里が、ペニスの先から滲む透明な液体を念入りに舐め取ろうとする。 「先輩……んふふ、んぽっ、んぽっ、んぽっ……ん、じゅるる……どんどん出てくる……んーっ、んろっ、んろっ、れろ……れろれろ……ん、んっ、ちゅぅぅ」 「あぁぁ……美緒里の顔、エロすぎ!」  あの小悪魔な美緒里の口に、俺のちんこが出たり入ったりしてる。  そう思うだけで頭の芯がクラクラと痺れてくる。 「んんっ、んぁ……はぁぁ、すごい……ん、んっ、くぽ、くぽっ、ちゅ、ちゅ、ん、んーっ、じゅる、じゅるる……ん、んっ……」  すごい、フェラと69って似てるけど全然違う。  これってまるで……美緒里を性処理の道具にしてるみたいだ。 「んふぁぁ……ん、ちゅばっ、ちゅばっ、ちゅぶ、ん、れろ、んんっ、じゅる……れろ、れろれろ」  ピンクの唇に飲み込まれ、吐き出され、抜き差しするペニスを見ていると、下半身から次第に熱いものがこみ上げてきた。 「あ、あ……出る、出るよっ!!」 「だーめ、まだイかないで……はふ、はむ……じゅるろろろっ、んじゅるっ、ず……ずびびっ、んちゅ、んぶっ、ずびびっ……」 「無理、無理無理、出るって!」 「しょーがないな、んぐっ、んごっ、んぶ、んぶぶっ、んじゅるる……ちゅばっ、ちゅば、ちゅ、んごっ、んんっ、ん、ちゅ、ちゅ、じゅぶぶっ」  だめだ、頭がくらくらする。美緒里の綺麗な顔を精液でドロドロにしてやりたい……。 「んぽっ……口の中ヌルヌルで感じちゃうぅ……ん、れろれろれろれろ……ん、んむぁ……ん、じゅるる、んぶ、んぶ……ちゅ、ちゅ、ちゅ……じゅるるるっ」 「んぷっ、んぶっ、くぶっ、くぽっ、んっ……んっ、ん……んっ……んーーーーーーーっっ!!」  もう限界だった、痺れが脳に届く寸前に、美緒里の小さい口からペニスを引き抜いた。 「あ、あ……はぁ、はぁぁっ……!」 「んあぁ!? あ、あーーっ!!」  どぷっ……と、太い糸を引いて射ち出された精液が、美緒里の頭に降りかかる。 「あィ、いぃぃ……イく、ん、ん、んんーーーーっっ!!」  同時に、美緒里の身体が小さく震えて、しゃーっと、陶器に水流の弾ける音がした。  美緒里のやつ……顔射されながらおしっこしてる!? 「あ……はぁぁァァッ……やだぁぁ、あ、あ、あ、あッ、あァ、あァァ!!」 「あぁぁ……エロすぎ、美緒里エロすぎだって」  すがりつきながらおしっこしてる美緒里の顔に、ペニスを塗りたくる。 「あッ、あーーーぁぁ! ゆーませんぱい、ゆーませんぱいっ、ゆーませんぱいぃぃ……!」  すごい……頭がキーンと痺れるみたいな、すごい征服感……。  おしっこを終わらせた美緒里は、ふたたび俺のペニスを口に含んできた。 「もう……いきなり出すなんて失礼ですっ!」 「おひおき……ん、にゅる、れろ……ちゅ、ちゅぶ、ちゅぶぶっ」 「あ、そ、それは……!」  射精直後の敏感になった先端をくわえ込んで、チュウチュウと吸い上げる。 「ん、すごい……濃い……ん、じゅる、ん……はむ、ん、ちゅる……ちゅ、ちゅ……ん、ちゅ、ん、ずるるっ……んぶ」 「んぁぁ、ん、んふふっ、大きくなってきた……ん、もごもご……んぶ、じゅるる、くちゅ、くちゅ、ん……んぶぶっ」 「あぁぁ……また勃ちそう」 「ん、ちゅ、れろ……ん、ちゅ、ちゅ、らめ、ん……もご……ん……ちゅっ、ぷはぁ……」 「はい、おしまい♪」  中途半端なところでフェラを止めた美緒里が、口元の精液を拭ってイタズラそうに笑った。 「うわー、やばいやばい……!」 「ば、バレなかったかな……」  一目散に廊下を駆けながら、昇降口を目指す。  美緒里と一緒にトイレから出るところで、俺たちは、ばったり女子に鉢合わせてしまったのだ。  美緒里の機転で、さもトイレに探し物をしに来たふりをしてごまかしたが、ちょっと怪しまれたかもしれない。 「はぁぁ……心臓に悪かったです」 「見つかったら、明日からまともな学生生活をおくれなくなるところだったな」 「うん……ふふっ」 「なに?」 「ううん……でも楽しかったね」 「お、まだお姉ちゃんモード抜けてない」 「うん……ちょっと残ってます。私、お姉ちゃんになると、ちょっとえっちですね……あ、あはは……」 「てことは、今もか?」 「…………さて、どうでしょう?」  誘うように美緒里が笑う。  けっこう外道テイストにいじめてしまったような気もするんだけど、美緒里はぜんぜん応えていないみたいだ。  こっちも、あれだけ出したはずなのに、また力がみなぎってきて、全身がムラムラと落ちつかない。 「俺、まだこんなんなんだけど?」 「あ……ほんとだ……困ったね、まだ足りない?」 「美緒里は?」 「先輩は?」 「………………」  ――〈膠〉《こう》〈着〉《ちゃく》してしまった。  俺が気のきいた反撃を探っていると、美緒里がぽんと手をたたいた。 「そうだ! 綾斗の写真持ってきたんですけど、見ますか?」 「マジで、見たい見たい」  俺に似てるという噂の弟くんは、いったいどんな面構えなんだろう。 「じゃあ……外じゃなんですから」 「え?」  そ……そうきたか!?  俺は深呼吸をして、美緒里が投げてきたボールを受け止めた。掌にはドキドキの汗がにじんでいる。 「お……俺の部屋で見ようか?」 「そ、そうですね……なら、ちょっとだけなら……」  わざとらしい会話。それじゃ、とつないだ美緒里の手も、じっとり汗ばんでいた。  この勢いだと綾斗君の写真を見るのは、2、3時間後になりそうだ。 「ん……ちゅ、ん、んちゅ……じゅるっ、ん……んっ」  部屋についた俺たちは、夢中で唇を貪りあった。 「ん……んんっ、じゅる……ん、ちゅ、ちゅ……じゅるる……ん、るろっ……」  綾斗君の写真の事なんて一言も口に出さずに、さっきから唇と舌を重ね続けている。 「んっ、せんぱい……ん、ちゅる……ん、れろれろ……ん、じゅるっ、んっ、んっ……」  だんだん慣れてきたのか、美緒里は自分から舌を差し入れてきて、俺の口の中をあちこち舐め回す。 「んじゅる……ん、んっ、んんっ、んっ、んっ……はぁぁ、せんぱ……ん、じゅるる、ん、んふ……ン」 「んぁ……あー、気持ちいいな……ん、んっ」 「ん、うん……んるろ……んぁ、んんん……んん、んふーっ、ん……んちゅっ……ん、ん、じゅるる……」  キスに夢中になっている美緒里の、ブラの隙間から指を差し入れて乳首を転がすと、みるみる硬く尖ってくる。 「んじゅる……ん、んっ、んんっ、んっ、んっ……んーっ、せんぱ……ん、じゅるる、ん、んふ……ンッ」  俺は、ツンと尖ったのをつまんで、引っ張り上げてみた。 「やんッ……んっ、ん……んんんっ!? んぁ、ん、んーっ! んんんーーーっ!! じゅるる……ん、んくっ!」  小さな胸が乳首で釣り上げられ、形を突っ張らせる。たちまち美緒里の声が切羽詰ってきた。 「やぁぁ……ん、んぐっ、先輩エッチ……んむ……んんーッ! んーっ、んふっ、ん、ん……はぁぁ」 「美緒里だってエロいよ」 「あん、そうじゃなくて……んむっ、ん、んじゅる……キスがえっち……んじゅる……ん、んっ、んんっ、んっ、んっ……」  舌をなぞり、唇を唇で挟み、唾液を流し込む。 「んふっ、ちゅ……ちゅっ、ん、んっ……はぁァ、ちゅ、ちゅ……ん、んーっ、ちゅ……ん、んんぅ」  いつまでやっても飽きない。ずっとこのままキスをしていたくなる。 「はぁ……はぁぁ……せんぱい……」  学校でしたスリルのあるHもいいけど、こうやって部屋で間近から美緒里を見つめていると、たまらなく自分のものにしたくなってくる。 「美緒里……」  俺は美緒里の身体を抱き寄せて、スカートの中に手を差し入れた。 「やぁぁ、そこ……ん、んっ……んんっ! ちゅ、ちゅ……ん、んーっ、ちゅ……ん、んんぅ」 「わ……すご……」 「んぃっ? あ、あ、あっ……だめ、だめぇ……あん、んっ」  ショーツの隙間から指先で中を探ると、ほとんど愛撫の必要がないくらい〈蕩〉《とろ》けているのがわかった。 「おー……すごい濡れやすい」 「やん、知らな……あ!? んッ! んむ……ん、んんんーーっ!」  くちゅくちゅくちゅ……中で指を出し入れすると、美緒里の膝がガクガクと震え始めた。 「んぁ、んふっ、んっ、んはぁぁ……ぷはっ、あ、あんっ……んあっ、あはぁぁ、あはぁっ、はぁァ、はぁぁ……んんっ」 「だめ、キスやめちゃ……ん……」 「はいぃ……んっ……はぁぁ、む、じゅるっ、ん、はぁぁ、ん、んっ、じゅる……ちゅっ、ん……じゅるる……」 「ここ?」 「ん……んんんっ!? んぁ、ん、んーっ! んんんーーーっ!! じゅるる……ん、んくっ!」  こくこくと頷きながら、美緒里が必死に吸い付いてくる。 「んぁっ、ん、ん……ちゅ、じゅるる……ん、はぁぁ、ん……じゅるる……んぐ……んっ、んふ、んーーーっ!!」  クリトリスのありそうな辺りに見当をつけて優しくこすっていると、だんだん美緒里の息があがってきた。 「はぁっ、はぁ……むっ、ん、んぐっ!! んじゅる、んッ、んーーーーーんんん、んじゅ……ん、ん……ぷはぁ、はぁっ、はぁ……んんっ!!」 「美緒里……ん、んっ、お姉ちゃん」 「んっ、んむっ! んーーーっ、んぐ……ん、ンーーーーーーッッ!!」  不意に、ビクビクッと美緒里の身体が震えた。 「んっ……ん……ッ、んぁ……あぁぁ……ッ!」 「あれ、イッた?」 「ん……ん……はぁぁ……はぁっ、はぁぁ……はぁ……」  返事のかわりにぎゅっと抱きしめられる……俺の肩に顔をうずめたまま、美緒里は荒い息を貪った。 「美緒里、すっかり感じやすくなったよな」 「はぁ、はぁ……はぁぁ、違うんです……今のはぁ……」 「フェラしたせいで、余計感じちゃったんだろ?」 「――!?」 「う…………うぅぅ……!」  上目づかいで口を尖らせた美緒里は、急に俺のズボンの股間に手を伸ばしてきた。 「先輩のだって硬くなってます……さっき出したのに」 「あんなキスして勃たなかったらEDでしょ!」 「ん……そうですけど…………」  そのままズボン越しにすりすりとマッサージをしてくる美緒里。 「………………」  やば……小さい手で撫でられるだけなのに、すごい気持ちいい……声が出そうだ。 「ゆうま……」 「あ、え……?」 「ねえ……したい?」  俺の反応を見た美緒里が、年上みたいな声色で囁きかけてきた。 「……ん?」  したい……そ、それって? 「う、うん……いいの?」 「…………うん」  そ、そ、そうかーーー!!  一言でスイッチが入った俺は、美緒里の肩に手をかけると一息にベッドへ――。 「あ、ちょ、ストーップ! だめですよ、セックスはだめ!」  ベッドへ押し倒…………せなかった!! 「えぇぇ!? 今いいって言ったし!」 「そういう意味じゃないのっ、とにかく待って、だめっ!」  美緒里が俺の手を思いっきり振り払う。 「な、なんでーー!?」 「と、当然です、姉弟でHできるわけないでしょ!」 「……はぁ!?」 「だ、だ、だって……Hのときは弟でしょ……約束だよね、祐真くん?」 「そ、それはそう……ですけど……」 「姉弟でセックスするなんて……そんなことをしたがるのは変態ですよ?」 「――!!!」  う、ううっ……そんな! ならばこの期待感を俺はいったいどこへ持ってけばいいと?  ええい、いっそ犯してやろうか……そんな物騒な衝動に駆られそうになったところで、美緒里が耳を寄せてきた。 「でも、大丈夫なようにすれば……いいです」 「え?」 「ですから……その……ひそひそひそ……」 「おしり……?」 「…………(こくり)」 「お、お尻って……アナル!?」 「…………ろ、露骨です!」 「いや、露骨っていうか……えぇ!?」 「…………」 「……いや?」 「い、い、嫌だなんて、そんな……」  ここまで来て、嫌だなんて言えるわけがない。でも、ま、まさか、いきなり……。 「……………………」  お姉ちゃんの美緒里が、なにかを期待するような目で俺を見ている。 「うん…………じゃあそうする、お姉ちゃん」 「あっ……あぁぁ……ん、ゆうまぁ……」  俺は彼女の期待に応えるように囁いて、小さな美緒里お姉ちゃんの肩を抱き寄せた。  美緒里の身体をベッドに寝かせ、すっかり濡れたボーダーのショーツを足首から抜き取る。  アナルセックスって事は、う、後ろからだよな……できるのか、いきなりで!?  そう思っていると、美緒里は仰向けのまま両足を抱える格好になった。 「え? こ、このまま……?」 「だって、後ろ向きじゃ顔見えないでしょ」 「見たいの?」 「ち、違うよ…………ゆーまが見たいくせに」  そんなこと一言も言ってない! けど……でも、確かにこの方が……。 「……ごくっ」  改めて見ると……す、すごいポーズ……!  前は逆光で見えにくかった美緒里のアレが、部屋の明かりに照らし出されている。 「い、いくよ……」 「あ……! お、おっきいね……」  お腹ごしに勃起したペニスを見た美緒里が、思わず息を呑む。 「だって美緒里……お姉ちゃん、すごい格好してるし……刺激強すぎ」 「やぁぁ……ばか、仕方ないでしょ」  美緒里が恥ずかしがるだけで、赤く色づいた性器がヒクッと動く。頭がくらくらしそうだ……。 「お姉ちゃんのまんこ、すごい濡れてる……ヒクついてるし」 「あ、あっ……やぁっ」 「顔じゃなくてこっちばっか見てていい?」 「だめー、見せたくて見せてるんじゃないんだから……あ、あっ?」  またヒクッと動いて、新しい愛液が溢れてくる。 「見られるだけで感じる?」 「い、いいから……もうっ、は、早くするの……!」  半ば命令されて、カチカチに張り詰めたペニスの先端をお尻の穴にあてがうと、美緒里の腰が上に逃げた。 「怖い?」 「ぜんぜん……んっ……」 「ん……かわいー、お尻の穴♪」  ――つんつん。美緒里だけじゃなく、自分の緊張感もほぐすようにペニスでつっついてみる。 「やぁぁっ……ん、んーっ! 遊ばないでっ!」 「遊んでるんじゃなくて、馴染ませてるの」  いつも手玉に取られてる仕返しとばかりに、お尻の穴をペニスの先でぐりぐりとえぐってみる。 「んあっ……やぁぁ……あ、あっ、あっ……」 「くねくね動いて、なんかやらしーね」 「もう……あんっ! ほんとだめ……は、初めてなんだから……ばか……」 「いくよ…………いい?」  ぐっと体重を腰にかけると、ペニスの先が美緒里のお尻の穴の窪みに押し込まれていく。 「んうっ!? う……うっ! い、いいよ……ッ」  めりっ……と、肉の狭間をこじ開ける感触。 「痛くない?」 「うん……いたくな……ううっ!」  すごく痛そう……けど、美緒里の性器からどんどん新しい愛液が漏れてきて、お尻の穴と、あてがわれた俺のペニスを濡らしてくる。 「あん、ん……んっ……んふーっ……んっ、いいよ、来て……」  腰を奥に進めようとするけれど、ギュッと口を閉じた美緒里のお尻に阻まれてしまう。 「ん、ガチガチなんだけど……力抜ける?」 「う、ううっ……ぬ、抜いてる……っ」 「抜いてないよ、ほら……すごいキツい……」 「ぬ、抜いてるもん……ん、んっ……んっ…………」 「……こうかな?」 「んああぁぁっ!?」  クリトリスを指先でギュッとつまむと、美緒里の身体が限界までギューッと縮こまった。  一呼吸を置いてクタッと脱力する。そのタイミングで俺は美緒里の腰を抱え込み、腰を突き出した。 「んあ!? あ、あ……あ、あぇぇえぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!!」  メリメリッ……と、なにかを突き破るようにして、ペニスの先端が美緒里の中に飲み込まれた。 「あ…………! あ……ッ! あ……あぁぁあぁぁぁあぁぁ!!」  息を止めたまま、美緒里が悲鳴を上げる。 「美緒里……おねえちゃん……」  声……外まで届いたかもしれない。そんな風に思いながら、それでも腰をゆっくり奥へと進めていく。 「あが……あ……ッ! はぁぁっ、はあっ、はぁーっ、はぁぁーーーっ、はぁ、はぁ……」  途中、腰を休めると、美緒里は必死で空気を貪りはじめる。  想像以上の反応、だ、大丈夫なのか……? 「はぁ……あ、あぐ……うぅぅぅうーーーーーっ……はぁぁっ、はぁっ……」 「痛い……よね?」 「んぐっ、うッ、うーーーっ、うぐぅぅぅぅぅううぅぅぅぅッ!!」  美緒里の反応とは裏腹に、狭い入り口を抜けた先は案外スムーズで、ヌルヌルッ……とペニスが飲み込まれていく……。 「んやぁ!? はひぁ……はぁぁ……はぁぁぁぁッッ! あぐ……んんぁあぁあぁぁあぁぁぁぁあッッ!!」 「あ、あ、うわ……すご……」 「あぎっ……んぎ……ああああっ、だめ、動いちゃ……あああぁぁぁぁぁあーーーッ!」  すごい……ギューーーって締め付けられてくる! 「いた……いたいいたいいたいぃぃ……うぇァぁ? んぉ……あ、あ、あぐぅぅ……!!」 「あ、あ……すごい気持ちいい……美緒里……っ」 「い、いたぁぁ……ッ! あ、あーっ、せんぱ……やっぱり無理……あ、あ、あぃぃぃっ……っくぅぅ!!」 「ご、ごめん、すごいよ……すぐ出そう……」  お尻の締め付けが緩まるタイミングで、少しずつ腰を進めていく……。 「あ、あァァ!? あ、んあーっ、だ……だめぇぇ……あ、あぐ……うぐぐぐっ……ぅぅぅうううううっぅぅぅッ!!」 「あ……あーーーっ……すごい、入った……ほら、奥まで……」 「んぎ……うぐぐっ……んぁ、んぐ……あ!? ほ、ほんと……入ってる……」 「うん……すごい」 「あ、あーーっ、すごい、すご……うぅぅーーっ、うはぁあぁぁああッ……う、うーーっ!」  必死に呼吸を整えようとする美緒里だけど、俺が腰をちょっと動かすだけで、たちまち生々しい呻き声を上げてしまう。 「はぁぁ……あ、あぅぅ……うーーーーぅぅ……つながってる……ゆーまと……あぐ……う、うーーーっ!」 「あ、あ……お姉ちゃんのお尻に、俺のちんこ……入ってる……」 「あぎ……ん、ん、んぅぅ……んおおっ!? んぐ……んんーっ……んぅっぅぅぅぅうっぉおおお……ッ!!」  小さなお尻の穴を串刺しにされた美緒里が、動物みたいな声で喘ぐ。  今までに一度も聞いたことのない、苦しくて唸るような、それでいて艶かしい声……。 「んぅぅ……んうっ……んぎ……ぃぃぃッ……んいっ、う、うっ……んぁぁ、あーーーァァ、あぁぁーーーンン……」  奥まで〈挿〉《い》れて一息ついた俺は、あらためて美緒里の姿を見下ろした。 「すげ……エロい……」 「んあっ!? あ、あ……やだぁぁ……あ、あっ、あぐっ……ううっ……」  汗まみれで、小刻みに震える美緒里の身体――その真ん中で、美緒里のアソコがヌラヌラと愛液にてかっている。  家族も、弟も、誰も見たことのない美緒里の恥ずかしい姿を、今は俺が独占してるんだ……。 「やぁぁ、恥ずかしい……見ないで……う、ああぁぁああぁぁッ!? だめだめ、動いちゃ……あ、あーーーっ、んぁぁーーーーッ!!」 「可愛いよ、お姉ちゃん……」 「はぁ……はひァ……はぁぁ……もう、あ、あっ、それ……あ、あっ……なんか、あっ……それだめぇェ……」 「もしかして、感じてる?」 「あっ、あっ……わかんない……あ、あぁぁッ……んあっ……んぎ……ううぅぅぅ……うーーーッ!」  感じてる……初めてなのに感じてるんだ……! なんだか嬉しくなって、俺はもっと美緒里を喜ばせようと、腰の動きを早くする。 「らめぇぇぇーーーぇ……んぇぇ……んあっ、あーーーっ、あぐ……ぅぅぅぅッ!!」 「ご、ごめん、ちょっと強かった?」 「あ……あはぁぁ……あぁぁーーぁぁ……だいじょぶ……うぅっ、あ、あーっ……はぁぁーっ……はぁっ、はぁぁ……ン」  よかった……だんだん馴染んできたのか、美緒里がさっきより痛がらなくなってきた。  それと同時に、ペニスを押し潰しそうだった締め付けも緩んで、ヌプヌプと簡単に腰を動かせるようになってくる。 「んあっ、あン、あン……あううーーぅぅっ……はぁぁっ……いた……んんぁ、痛いのに……ん、んっ……おかしいです……ぅぅぅン」 「声エロくなってきた……やっぱ感じてる?」 「やぁ、んぁぁン……わかんな……あ、あ、あっ……んあっ、はぁっ……んぁ、あ、あ、熱い、お尻……あん、んんんーーーーんん、熱いぃ……」  すごい、美緒里が感じ始めたら、どんどん中がスムーズになってきた……。 「ああーっ、あ、あ、あ……はぁぁっ……感じてない……感じてないけど……んあっ、あ、ああっ、あァ、あぁ、だめ……あん、んはぁぁ……」  こ、これくらいがいいのかな……気持ちよすぎて抜き差しがつい大きくなると、たちまちペニスが抜けてしまいそうになる。 「んあっ……あ、あはーぁぁ……あーぁぁぁあ……あ、あーっ、んあっ、あ、あ!? あッ、ああッ、んぁあああっ! あ、あ、あーーっ!」  不慣れながらも腰を動かしていると、美緒里の反応が激しくなる場所が分かってきた。 「んあっ、んひっ……んぅ、んんぅぅぅっ、あ、あーーっ、すごい、あ、あっ、そこ、そこそこそこっ……あ、あーーっ」 「せんぱ……あ、あーーっ、だめぇ、だめーおかしくなりそ……あン、だめ、だめっ、お尻だめぇぇ、んおっ……おぉぉ……」  すぐにも射精してしまいそうになるのをこらえながら、美緒里の感じる上側の腸壁をこするように抜き差しを繰り返す。 「あ、あああーっ! あ、あーっ!! すごい、せんぱい……あ、あ、あう……ぅぐぐうううっ!」 「すごい中広がってる……なんか慣れてない?」 「んあっ、そんなこと……あ、あっ、んあっ、あーっ……あん、そこ、そっちは……あ、あン……ああーんン」 「実はこっちで一人Hしてるとか?」 「やぁぁ! し、しない、しないーーっ! んうううう……っ! あぁ、あーっ、ああーーっ!」  だけどいきなりこんな感じるなんて……あるのか?  よし、確かめてやる。 「らめ……んんんぁ……あ、あーっ、あ、あ、あっ、あっ、だめ……ぇぇ……」 「…………してるんでしょ、お姉ちゃん?」  お尻の穴を犯されながらお姉ちゃんと呼ばれて、美緒里の反応がひときわ大きくなる。 「んあ? あーーっ、んああぁぁあぁ……あぁぁ……あ、あぐ……うぅぅぅーーっ! やめ、もう……あ、あ、ごめん……んんーっ」 「教えてよ、お姉ちゃん……ほら」 「んぁ、んぉ……んあぁ、あーっ、んあぁーーっ……あッ、し、してる……してますっ」 「やっぱり?」 「んはぁぁぁ……んうぅぅっ、してるっ、してるの……あ、あーっ、おしり、いいィィ……おしりぃぃーーーぃぃい……ッ!!!」 「わわ、声でかい……枕噛んで」 「ん、んぐーーっ、んふーーーーーーーっ!! んいっ、んいっ、んいぃぃぃッ!」  言われた通りに枕に顔をうずめる美緒里。 「あぁぁ……美緒里のまんこ、パクパクしててエロい」 「やだぁぁ、せんぱ……祐真そっちばっかり……あ、あ、あはぁぁ……ん、んうぅぅっ!」 「いいでしょ、お姉ちゃんの、もっと見せて」  祐真と先輩、美緒里とお姉ちゃん――二つの呼びかたが入り乱れて、もつれるように快楽の坂道を転がり落ちていく。 「んぅぅーっ、あぇぇ……ぇあぁぁ、い、いいよ……ゆーまぁ……あ、あーっ、ゆうま、ゆうまぁ……」  初めてのアナルセックスで乱れまくってる美緒里を見ていたら、もっと恥ずかしい姿を見たくなってきた。 「お姉ちゃん……どこ見られてる?」 「はぁぁ……ん……んん……もう……ばか……あ、あ、あっ……しらな……う、うーっ!」 「どこ?」  聞きながら腰を突きこむと、美緒里のつま先がキュッと丸まって硬直する。 「んィィィッ!? あぁぁ……んんっ、ゆうまぁぁ……ここ……ここぉ……ん、んぁ、んぁぁっ……やぁぁ、ぐりぐり……ぃぃ!」  奥に突きこんだ腰を、ぐりぐり回してみる。 「ひッ!? んぐぅぅぅ……うぁ、うぁぁああぁあ……らめぇ、らめらめ、それぇぇ……あ、あっ、あァァーーーっ!」  ヌポヌポと抜き差しを繰り返すと、すぐに美緒里の表情が〈蕩〉《とろ》けだす。 「んあァあぁぁ変態ぃ……ほらぁ、み、見てぇ……おねえちゃんのおまんこ……あ、あっ、あんっ、見て……見てまんこ……あぃ、あぃ、あぇぇッ」 「ゆーまが見たいくせにぃ……ほら、ね、ゆーま好き? んぃ、んぃぃ……んぉ、おねーちゃんのおまんこ好きぃ?」 「うん、すごい好き……じっくり見ながらしてあげる」  美緒里を攻めていたつもりが、もう余裕なんて全然なくなってしまった。  俺は夢中で突き込み、抜き差しして、美緒里の喘ぎ声を搾り出そうとする。 「んああァアアァっ!? あ、あーーーっ、だめだめだめっ! こわれる……ぅぅっ、あ、あーーーっ、んあーーーっ!!」 「ヤバいよ……アナル癖になりそう……っっ」 「やぁぁ……あん、あんっ、先輩やっぱり変態ぃ……あぁッ!? あん……んーんんん……んぉぉっ!」 「お尻オナニーしてるほうが変態だと思うけど?」 「ちがぁぁ……っ、変態じゃないもん、ない……ぃぃぃっ、んぃぃ……あァ、あァあ、あーーーっ!」 「3年で一番エロいの、絶対お姉ちゃんだよ」 「ちがう……ちが……ああぁぁっ、らめ……もうだめ……あ、あうぅぅっ……んあっ、あん、あん、あんっ……んぃぃぃっ!」  美緒里が反論しようとするところをペニスで封じてしまう。 「ひぐ……ッ、んんぉ、んおっ、お、お、おっ、おおっ、ンぁぁ……ッッ!! んんぉぉああ! あーーーっ、だめだめだめぇぇぇ!!」  あああ、すごい……突き入れるたびに、美緒里のまんこが閉じたり開いたりして、目が釘付けになってしまう。 「んうぅぅっ……あ、お、おし、おひり……おしりぃぃ! あ、あはぁぁぁぁ、んぇぁ、んぁ、んぉ、んぉ、お……ッ」 「見てるよ、美緒里の……お姉ちゃんのエロまんこ見てる!」 「待っ……んぇぇ……んおっ、んーぁぁ、お、おっ、んんおっ、おぁぁ……ッッ!! んぇぁあああぁぁッ!」 「エロい声……イきそう?」 「ひ、ひがうの……ううーーーっ、これ……トイレ……してるみたい……あ、あっ、おちんちん……あーーーっ、奥……あーっ、押されるぅぅッ」  美緒里の反応がどんどん激しくなり、身体が小刻みに痙攣を始める。 「やぁぁ、イく……やぁっ……んあっ、んおっ……んぃぃ……ん、んぐぅぅ……あ、あーっ、んあァーーっ!」 「あ、あ、あ、あ、あ……あぃぃ……んーーーーッッッ!!!!!」 「ん…………あはぁぁあぁぁぁぁッ……はぁぁ……あ、あ…………ッ!!」 「イった……お尻で?」 「ちが……あ、あーーーーーっ!? もうらめ……あ、あはぁぁはぁ……はぐぁぁ……おひり……あ、あーっ、気持ちいいのおしりぃぃぃ……」  いったん脱力した美緒里のお尻に、また激しく腰を打ち付ける。 「んぁぁ……んおっ、んぉぉ……らめぇ、ゆるひて……あ、あーーっ、もうらめ……んぉぉっ、んぃぃ……ぃぃッ!」 「んあっ、あぎ……んぅぅっ、おひりバカになっちゃ……なる、あ、あ、イくッ……またイっちゃう……あ、あ、あ、あーーっ!!」 「エロいよ、超エロい……そんなアナルセックス気持ちいい?」 「ううあっ、あ、あーぁぁ、いい……いいっ、あぃ、あぃぃ、んぃぃ……好きィ……んぁ、あ、あーっ、好き好きっ……!」 「これ、ゆーまの……おちんち……いいの、いい、いいっ! んーーぁぁ、あ……アナルすき……んーーーーンンンッ、ゆーま、ゆーまも早くぅぅぅ」 「あぁ……もっとまんこ見せてくれたら射精しそう」 「うん……んぁ、見てぇ、ゆーまぁ……ま、まんこ見て……あ、あ、あ、あっ、あぁーっ! 見て見て……一緒にイくの……ッッ」 「あーーぁぁ、もうだめ……私バカになっちゃう……おひりでバカに……んぉぉ……なっひゃう……うーーーンぅぅぅっ!」 「んぁぁ、先輩っ、もっと、もっと突いてっ、お姉ちゃんのまんこ見ながら……んあっ、お尻の奥……突いて、ぐりぐりってしてーぇぇ」 「すごい……美緒里……」  後輩だけどお姉ちゃんみたいに振舞って、お金にがめつくて、でも頭はよくて、俺をからかってばかりいる美緒里――それが我を忘れて泣き喘いでいる。 「おしりが……あ、んあーーーっ、広がってる、広がっ……んんぉ、んおっ、お、お、おっ、おおっ、ンおお……ッッ! あーーーーー、あぁぁーーー!」  快楽に歪んだ顔と真っ赤に充血したまんこを見ながら、俺は何度も腰を打ち付ける。 「んぅぅああぁあぁぁァァ……!! あ、あーーーっ、出てる、はいって……るぅぅっ、はやく……あ、あ、イく、イくぅぅ……!」  完全に自制が効かなくなってるのは美緒里だけじゃない。痺れるような快感が背筋を這い上がってきて、俺の理性を飲み込んでいく。 「あ、俺もイく……イくよ、お姉ちゃん!」 「んあっ、あ、あ、イクイク……あァ、あぁぁあーーーっ、らひて! らして、らしてぇぇ!!!」 「あ……あ、あッ!!」 「んんああーっ、ああああぁぁぁぁあぁぁぁっっ!!」  ――どくんっ! 強い痙攣とともに、俺は美緒里の体内に熱く煮えたぎった欲望を解き放った。 「あッ……うぁああぁぁぁぁああアアアァアァ……!!」  美緒里の腸内に、次から次へと精液が打ち出されてゆく。 「ひぃ……ぁぁ……あぃ……んひぃ……いいっ……あ! あぁ! あッ、あ……っ! んぃぃ……気持ち……いいッ、いひぃんっ、ふぁァァ……」 「はぁ……はぁぁ、まだ……腰とまんない」 「んぁぁああーっ!? そんな、あ、んあ、ヌルヌル……あ、あーーっ、だめだめ、出たり入ったりぃぃ……んぉ、んぁぁああぁぁ……ぁぁ」  射精した精液を引きずり出し、また巻き込んで奥へと突きこんでいく。 「もうらめ……んおおっ、らめらめぇぇ、出ちゃう、中の出ちゃうぅぅ……あ、うぐぅぅぅ、んんぁ、んぁ、んぁ、あーーっ!!」 「あ、また締まってきた……まだイける?」 「もうらめ……むりぃ……あ、あァァ!? んひいぃ……しんじゃう、んっ……んんあぁ、あ、あ、イく……も、もぉらめ、らめぇぇ……!!」 「んあぁぁ……あ、あ、あ、あ……許して……あ、ああーーーっ、イクイクッ……また……うぁぁ、イくぅぅ……」  最後の一滴まで美緒里の体内に注ぎ込んでから、俺はゆっくりペニスを引き抜いた。 「んあっ……イくッ……あ、あ、あぁぁぁああアアアァアァッッ!」  最後、〈雁〉《かり》先が抜ける直前で、また絶頂した美緒里の身体がギューッと縮こまり、俺のペニスを締め付けてきた。 「うっっ……はぁぁぁ……あ、あぁぁ、はぁぁっ……はぁぁ……」 「はぁっ、はぁ、はぁ……はぁぁ、イッた……」 「うん……すごいの……あぁぁ……すごい……おちんちんどろどろ……ん、んっ……はぁぁ」  すっかり虚脱した顔で美緒里が俺のペニスを見つめる。 「お尻……大丈夫? あっちの世界行ってる?」 「わかんない……ん、ん、ん……なんか痺れててよく分かりませ……んんぁッ……あ……はぁぁ……」 「あ、あッ……ん、ふぅぅーーン……ん、んーーンン……」  美緒里が悩ましげに息をつくたびにアソコがひくひくする。 「はぁぁ……気持ちよかった」 「うん……わたしも……はぁぁ……ぁ、ぁ……」  開きっぱなしのお尻の穴を指先で優しくつついてやると、中の肉が収縮して透明な粘液がトロリと零れ落ちる。 「はぁぁ……祐真先輩……ぃぃ……」 「すごい……エロいとこ全部見えてる……」 「うンン……先輩のえっち……ぃ……」  放心状態の美緒里は、足を閉じるのも忘れたまま、あられもないポーズを崩さずにいる。 「ここ……すごいよな、入っちゃうもんだな」 「やっ、やんっ! だめです……触っちゃ!」  甲高い声をあげた美緒里が、ぶるぶるぶる……っと身体を震わせる。 「ん……んんんんッ! はぁ、はぁ……っ、もう、いたずらばっかり」 「まだ敏感?」 「ん……ずっと何か入ってるみたい……ん、んーーンっ……」 「やっぱ、こっち〈挿〉《い》れちゃだめ?」 「あッ、あん……だめぇ……もう……」  指先でトロトロにぬめったアソコをかき回すと、きゅっと閉じ合わさったお尻の穴から音がして、精液が溢れてくる。 「おー、逆流してきた」 「あァん、やぁぁ……はずかしい……」 「……戻してみたりして?」 「やぁ!? あーん、なにしてるんですかぁぁ!? んあっ、あん、んんーっ、もうッ! んひッ? い、いたずらしないでぇぇ……!」  それからも俺は観察したりいじったり、我に返った美緒里が慌てて足を閉じるまで、たっぷり10分ほど余韻を楽しんだ。 「はー、よかった……うまくいった……」 「はぁぁ……はぁ、はぁ……はぁぁ……いじわる……ばか、ゆーま……」  いつもはさんざん俺を挑発して手玉に取るくせに、いざHになると美緒里はすぐに自分を忘れて、いいように遊ばれてしまう。  今は必死にお姉ちゃんモードの体勢を立て直してるところみたいだ。 「それにしても軽い感動だった……人体の神秘だなぁ」 「うぅぅ、おしりいたい……」 「おお、大丈夫か!?」 「きゃぁぁぁ、なんでスカートめくるんですかぁ!」 「いや……傷にでもなってたら大変だと思って」 「だ、大丈夫ですっ……あ、あんっ」 「あれ、また逆流してきた!? 大丈夫、ティッシュティッシュ……ふいてあげるー♪」 「いいですってばぁ、ん、もう……しつこーーい!」  ――どがっ! 「あうっ!」  俺を蹴り飛ばしたはずの美緒里が、びくんと背筋をのけぞらせる。 「うぅぅ……また出てきたぁ…………」  俺から下半身をガードしながら、美緒里がティッシュで太ももを拭う。  制服のスカートが、すっかり皺だらけになってしまった。それってちょっと生々しいかも……次からは気をつけないと。 「あのさー美緒里、ひとつ素朴な疑問があるんだけど」 「……なんですか?」 「これって、童貞捨てたって言うのかな?」 「え? うーん、どうでしょう……私は処女ですけど」 「そ、そうなの!?」 「当然です……だってしてないし! んうぅぅっ、いたた……」 「そうか……ならば俺も童貞か!」 「しりません……んぁ!? あ、あの……先輩……」  お尻に手を当てていた美緒里が、ハッとこっちを見て顔を赤くする。 「ぱ……パンツはくから向こう向いてて?」 「なんで?」 「……恥ずかしいから!」 「えー? いまさら照れなくても! 着替えくらい俺にまかせろって!」  美緒里のぱんつを取り上げて、目の前でひらひらさせてみる。 「あ、こら、返しなさい!」  おおー、こうやってぴょんぴょん飛び跳ねる美緒里は、年相応に後輩っぽい。 「もーっ、返せ、返してー!」 「だーかーらー、はかせてあげるっての!」 「もうえっちです! いやぁぁー!」 「届くまい届くまい……ふっふっふ、もういい加減あきらめて足を上げるといいよ?」 「ていっ!(こきーん!)」 「ぐぇ……っ……!?」  い、いま、キーーンって! 俺の股間にキーーーーンッッて!?? 「言われたとおり足を上げましたけど、なにか?」  クリーンヒットにうずくまる俺からぱんつを取り返した美緒里が、しれっとした顔で笑う。 「な……なんでも……ないDEATH……(がくっ)」  それからしばらく、俺たちは裸になってイチャイチャしたり、キスしてみたり、触りっこをしてみたり……。  あっという間に時間が過ぎてしまう。 「ん……そろそろ帰らないと」 「もう?」 「ふふ……寂しい?」 「そ、そうじゃないけど……いまほら、まだリビングのあたり騒がしいと思うから」 「平気です、先輩からお金を取り立てに来たって言いますから」 「でもさ……」 「んー? やっぱり寂しい?」 「…………ち、ちょっとは」 「ふふっ、素直だね……ゆーま♥」  頭を撫でられた。  エッチなことが終わると、美緒里の姉モードがことさら強化されるような気がする。  子供扱いされるのに不思議と抵抗を感じないのは、そういう態度をすることで美緒里が俺に甘えているような気がするからだ。  ひょっとして、弟の綾斗君にもそんな風に甘えていたのではないかと思うと、少し気持ちがザワザワしてくるけれど……。  けれど、いまの美緒里の支えになっているのは俺だ。  美緒里の支え…………あれ、そういえば気になってることを、聞き逃したままだった。 「ひとつ聞いていい?」 「なーに?」  着替え中の美緒里が首をかしげる。うっ……かわいい!  ……じゃなくて!!  一度頭を振って、頭の中に充満したピンクの靄を振り払う。 「昼間さ、携帯で……あれ、なんだったの?」 「………………」 「……気になります?」 「なるよそりゃ」 「そっか…………」 「……家に市役所から連絡があってね、レンタル畑のサービスが終了するって」 「え!?」 「やっぱりダメなんですよ、あんなに不便なところに畑作っても、お客さんなんてつかまらないんじゃないかなーって、最初から思ってました」 「お役所の企画って見通しが甘いんですよねー。税金いくらでも使える気でいるから、ビジネスプランとして成り立っていないんです」 「そーゆーわけで、市役所から私に経営コンサルタントとして〈招〉《しょう》〈聘〉《へい》のオファーが……」 「おい待て、どこまでが真実だ!?」 「ううっ………………さ、さすが……騙されませんね!」 「うんうん、やっぱり私がパートナーに見込んだだけのことはあります」 「……いいから先を話しておくれ?」 「むー、ノリが悪いです…………」  先を話しづらそうにしていた美緒里だが、俺が黙っていると、仕方ないと言うように口を開いた。 「まあ……それでレンタル畑も規模を縮小して、一部の土地は、別の会社が買うことになったんです」 「てことは……美緒里のガーデン予定地も?」 「見ました? あの周り、誰も使ってなかったですよね?」 「うん……」 「日当たりはよくないし、微妙に斜面になってるし、だから、あんなとこ農地に利用する価値がないんです」 「じゃあ……」 「はい……なのであそこは別荘地にするんだそうです」 「……!!」  確かに、あの畑付近のロケーションはTVで見る別荘のそれに近いけど。  わずかな他の利用者は、あっさりと契約打ち切りを了承しているらしい。 「でも、今のレンタル期間が終わったらの話ですよ、更新ができないってだけで……」 「いつまで?」 「………………」 「…………4月です。正確には3月31日の23時59分59……」 「わかった、すごく分かりやすかった! でも閉鎖するんならかわりの土地とか……」 「ありません」 「閉鎖されないレンタル畑は、人気があるから空きなんてないんです。市役所の人がそう言ってたみたいです」 「そんな……それって勝手じゃん!」 「うーん、でも契約の途中打ち切りではないですし……」  いやいやいや……そんな冷静に話されても! 「わかった、俺が市役所にかけあってみる!」 「平気です、先輩は心配しないでください。それに一人や二人で苦情を言っても、無駄ですよ」 「俺たちでダメなら月姉に相談してみるし、なんだったら寮のみんなに力を貸してもらって――」 「本当に大丈夫です、おねーちゃんが何とかするから」 「なんとかって……」 「ふっふっふ……なにを隠そう、私には秘策があるのです。市役所のおじさま方も、あっと驚くウルトラC!」 「そ、その秘策とは――!?」  ふふんと笑った美緒里は、自信満々に胸をそらして――。 「あそこの土地を、買ってしまえばいいんです!」 「なにーー!? そ、そんなことが!?」 「ふっふっふ……可能です! あの土地のレンタル期限が過ぎたら、すぐにこちらで買い取るための策略をたーっくさん用意してあります」 「そ、その策とはっ!?」 「ふふふ、それは…………ッ!!」 「土地取引法にからむ非常にデリケートなお話になるので、先輩にも秘密です♪」  がくがくっと脱力する。 「そ、そうなのか……なんだか分からないけど、勝算がある?」 「もちろんです!」  美緒里の笑顔に気後れしながらも、俺は「がんばれよ」と肩をたたいてやった。 「わかった……けど、なにか困ったことがあったら隠さずに言ってくれよ。俺にできることならなんでもするから」 「はい……」 「あ! そ、そういえば……」 「さっそく困りごとが!?」 「は、はい……その……」  美緒里の顔がみるみる赤く染まる。 「なんだ、隠さずになんでも話してくれよ」 「はい…………あの、最後に……」 「うん?」 「と、トイレ…………」 「い、急ぐんです、ピンチなの……トイレーーっ!」  わぁぁ……マジだ、ニコニコしてるけど脂汗浮いてる!! 「わ、わかった、ちょっと待ってろーーー!」  俺は廊下に人気がないことを確かめてから、美緒里を急いで共用トイレのある1階まで連れて行った。 「はぁ……冷や汗かいた」  さいわい誰にも見つからずにトイレまでエスコートできたけど、もっぺん部屋に戻ってくるのは危険すぎる。  美緒里の鞄をいまのうちにリビングに運んでおいてやろう。 「それにしても、無茶しすぎだよな……反省」  部屋を見渡すと……乱れたベッドに点々とシミが残っているのが目に入ってきた。  美緒里と……しちゃったんだな。  普通のセックスじゃなかったし、ゆえに俺は童貞を捨てたんだか捨ててないんだか、非常に悩ましい状態なんだけど。  頭の中に浮かぶのは、あのときの美緒里の顔、声、吐息、それに肉の感触……。 「あー、でもよかったなぁ、可愛かった……」  これは、もうとうぶんDVDのお世話になることがなさそうな気がする。  エロモード全開な回想を抜けると、今度はH後の美緒里の仕草のひとつひとつが頭に浮かんでくる。  それから、さっき俺が心配したときに見せた屈託のない笑顔……。  けど、あの笑顔にかすかな危うさを感じたのは、俺の気のせいだろうか。 「…………早く鞄持ってってやらないとな」  美緒里の鞄を取って、外に出ようとしたら……。  ――生徒手帳が落ちた。  気になって手に取る。本来なら定期券を入れる裏側のポケットに、写真が挟まっていた。 「綾斗…………君か」  そこに映っていたのは弟の綾斗君に違いなかった。  美緒里に似てるだろうと思っていたが、そうでもない。というか全然似ていない。  目元や鼻の形が、似ていると言えば言える、ぐらいで……。 「マジかよ……」  綾斗君は、むしろ――美緒里よりも俺に、似ていた。  前に見せてもらったプリクラ写真は、かすれていて良く分からなかったけど、こうやってみると……確かに似ている。  顔の形や目鼻の配置が、俺の小さい頃にそっくりだ。  美緒里が俺を見た時びっくりしたのも、これなら納得できる。 「……見ないほうがよかったかな」  生徒手帳を閉じて、そっと鞄に戻す。  美緒里には、うっかり見てしまったと正直に話すことにしよう。  綾斗君は、自分の大切なお姉ちゃんとこんなことになったことを怒ってるだろうか……。  それとも、俺が似てることを、気持ち悪いと思ってるかもしれない。 「俺は……君にとってなんなんだろうな」  それは同時に、俺は美緒里にとってなんなのか、という疑問につながる。 「恋人……ってことでいいんだよな」  美緒里の嬉しそうな顔を思い出せば、この変な不安もすぐに溶け出してしまいそうだ。  さて、美緒里がトイレから出る前に戻らないと……。  俺は軽く深呼吸をしてから、美緒里の鞄を持って部屋を飛び出した――。 「……」 「…………」 「………………?」  ここは、どこ……?  思い出せない。見たことない。  でも、どこかで、見たことがあるような気がする。  一面の緑。怖いくらいに深い色。 「クローバー……!」  あたり一面に広がる、四つの葉を開いたクローバー。  エメラルドのように輝き、凜として。 「これだ……!」  わかる。はっきりわかる。これが、私の求めていた、作りたかったクローバー。  願いのかなう、魔法のクローバーだ。  ここが……魔法の場所……伝説の、ガーデン……? 「わぁぁぁぁぁぁっ!!!」  私は声を張り上げる。両腕を振り回す。  嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。  これがあれば、ここに来られたのなら、私の願いがかなう! 「そう、そうだよね…………!」  ここは夢の場所。  私の夢を叶える、クローバーガーデン……。 「……」  私は振り向き、そこにいるべき相手の名前を呼ぼうとして……。 「…………」  そこにいるべき……相手の……。 「…………」 「………………誰だっけ」 「……………………」  伝説のガーデンのただ中、クローバーの緑が目に刺さる。  なのに……なのに……。  私は自分の夢がなにかも思い出せず、ただ立ちすくんでいた。 「………………誰だっけ」 「それは無理!!」 「無理!?」 「そ、結論から言うと、はっきり言って考えられないレベルの話よ。市役所が企業相手に売り出そうとしてる土地を、横から買い取るなんて無理!」 「し、しかしそこには土地取引法のトリックが……!」 「そんな法律ないわよ」 「は???」 「国土利用計画法の間違いでしょうね……あるいは……」 「あ、あるいは?」 「どうせ知らないだろうと思って、祐真をかついだか」 「…………!!!」  絶句した俺を見て、月姉がやれやれとため息をついた。  ――美緒里には内緒で、俺は月姉にアドバイスを求めた。  月姉を頼ったことを知ったら美緒里は傷つくかもしれないが、どうしても彼女の話に釈然としないところがあったからだ。 「俺たちでなんとかして、別荘地を建てる計画を撤回させるってのはアリ?」 「ナシだと思うわ……公益性を考えたら、どうしてもね」  場所の不便さ、条件の悪さから、あのレンタル畑の利用者はほとんどおらず、わずかな他の利用者も、あっさりと契約打ち切りを了承している。  市の財政とか、そういう大人の話がからんでるんじゃ、俺たち未成年の出る幕じゃなさそうだ。 「それに買い取るっていっても、お金がないでしょ」 「土地なんて手の出せる金額じゃないよね」 「そうねー、一坪地主みたいに安く買うことができるケースもあるけど……それでも安くはないわよね」 「実は美緒里がすごい貯金をしてたとしたら?」 「額にもよるけど……別荘地になろうとしてるのを横から一部だけ買い取るっていうのは、ちょっと現実的じゃないわね」 「やっぱり……」  美緒里がやろうとしていることを想像して、俺なりに考えた打開策は、月姉によって完全に否定された。 「きっと美緒里ちゃん、祐真に心配させたくなかったんじゃない?」 「俺もそう思う……とにかく買い取れないんだったら、別な場所に畑を移し変えるしかないか」 「そうね、代替地を斡旋してもらうのが現実的じゃないかしら」 「考えてみるよ、ありがと、月姉」 「でも、あの子が畑仕事なんかに生きがいを見出していたなんて……面白いわねー」 「内緒だよ、内緒」 「分かってるわよ、誰にも言わないわ。で、なにを作ってるの? キュウリとか、ジャガイモとか?」 「まあ、そのへん……」 「マンション住まいだと、農作業なんてできないもんね。最悪、ベランダ農園も楽しいと思うけど」  美緒里の思いを知らない月姉は、気楽なものだ。  けれど、俺の口から話せるのはここまで、あとは美緒里が本当のところ、どうするつもりかってことだけど……。 「で、あんたは今日もボディーガード?」 「多分ね」 「ふーん……フラフラしてた祐真が、今じゃすっかり頼もしいお兄ちゃんってとこね。応援するからがんばって!」 「う、うん……(汗)」  どっちかといえば弟なんですと白状したら、月姉はどんな顔をするだろう。 「先輩、おはようございますっ」 「おう、おはよ」  今朝は大橋のたもとで待ち合わせて、一緒に登校だ。  始めのうちはなんだかんだと騒がれたが、今では周囲からカップルだと思われることも、すっかり平気になってしまった。  だって事実カップルなんだからしょうがない。通学路を歩いていたって、美緒里の顔を見ると……。 「…………?」 「や、やだ……もうー、そんなに見ないでください」 「いいじゃん、じろじろ……」 「お、思い出しちゃうじゃないですか……ん、もう」 「なにを?」 「し、しりませんっ!」  うーん、いいなぁ……この初々しい反応。  でもこれがスイッチ一つでお姉ちゃんモードに入ってしまうのだから、女の子ってのは分からない。 「ならもっと見てやろう……じぃぃぃぃ」 「えい」 「ぐあっ……目、目に指!!」 「遊んでないでちゃんと歩く。他の人の迷惑になるでしょ」 「はい……すみません」 「あ、それと、ガーデンのことだけど……」  世間話のように、さらりと美緒里は言ってきた。  俺の方がドキッとしてしまい、身体が硬くなる。 「大丈夫だから心配しないでね」 「本当か?」 「うん、平気よ、それに……」 「あんまり心配されたら、先輩に打ち明けたこと後悔しちゃいそう……」 「……う!」 「なーんてね。まーまー、大船に乗った気でどーんと構えてるよーに! わかりましたか?」  絶句したところにすかさず畳み掛けられ、俺は黙ってうなずくしかない。  ううっ……交渉術にかけては、美緒里に勝てる気がしないよ月姉! 「ではまたお昼にー♪」 「おう、授業がんばれよ」 「それは私のセリフです」 「…………はい」  美緒里は心配するなと言っていたが、授業中も俺の脳裏をよぎるのは美緒里のことばかりだ。  レンタル畑、俺とそっくりの綾斗君、実はけっこうHな美緒里、小柄に見えてボリュームのあるお尻、上達した舌使い、ピンクの……。 「……ハッ!?」  い、いかん……すっかり単なるエロシーン回想モードになってる!  ――そして、昼休み。  俺は、チャイムも鳴り終わらないうちに、全速力で飛び出す。  待ち合わせの学食に、ちょっとでも早く着くように。  美緒里と少しでも長くいられるように……。 「……って、こねーーーーーー!!!」  来たときはガラガラだった学食が生徒でごった返すようになっても、まだ美緒里は姿を現さない。  ううっ……これも新手のじらしプレイ? それとも、なにかよんどころない事情があるのかしら? 「はぁ……はぁ、あ、お兄ちゃん?」 「お、夜々! 大丈夫か?」  中でもごったがえしているパン屋の販売スペースから、夜々がよろよろと抜け出してきた。 「うん……メロンパン2つ確保できました」 「お前、たくましくなったな」 「お兄ちゃんのおかげだから……」  夜々が照れくさそうに目を伏せる。  お兄ちゃん……か、最近は弟扱いされてばかりで、すっかりこんな感覚を忘れていた。 「あ、そういえば……日向さん見ましたよ」 「え?」 「男子と一緒に裏庭のほうへ行ったから……てっきりお兄ちゃんと一緒だと思ったんですけど」 「裏庭か……ありがと」 「あ……お兄ちゃん」  夜々に礼を言って、すぐに中庭へ飛び出した。  美緒里の奴、また男子にからまれてんのか。  変な相手じゃないといいけど……もしひどいことをされていたら、ボディーガードである俺の責任だ。  疲れ知らずの足にムチをくれて突っ走る。  裏庭……多分、この先あたりに……。  ……いた! やっぱり! 「……では、このくらいではいかがでしょう?」 「ああ、いいのか……こんだけあれば間違いないって!」 「はい、では今回の特別契約についてのご確認をさせていただきます」  駆けつけた俺の目の前で、美緒里は4年らしき男子と契約の真っ最中。  よかった……因縁をふっかけられているんじゃないのか。  しかし、ボディーガードの俺も抜きで、いつもとは少し違うこの気配――。  な、なんだろう、危険な取引の匂いがする。 「今回は期間が限定されておりますが、元金に加えて、先輩が大穴を当てた際には儲けた額の2割を私に利子として……」 「わかってるって! 大丈夫、倍にして返してやるぜ!」  今しも、男子の手に渡されようとしている――分厚い封筒! 「ちょ、ちょっと待てーーっ!」 「わっ!? なんですか、邪魔しないでください!」 「邪魔じゃない! お前、何しようとしてた!」 「見ての通り、いつもの融資ですよ」 「いや、なんだその封筒!?」 「そ、それは……」 「答えなさい!」 「その……ですね……」 「こちらの先輩が、今日の競馬、絶対当たる穴が来てるから、軍資金をと……」 「却下ーーーーーーっ!!」  美緒里の首根っこをつかんで、持ち上げて連行態勢に入る。 「あ、ちょ、ちょっと!」 「お前もギャンブルは自分の金でやれ! ていうか、賭け事禁止だーー!」 「ひどい、営業妨害ですっ!」 「妨害じゃない! お前、いくら貸すつもりだったんだよ!」 「そ、それは……少額です」 「だから、いくら!?」 「ま、万単位ですけど……わ、私の財力をもってすれば、その程度はお茶の子で……」 「何万!?」 「にゅる万……」 「聞き取れん!」 「じ、十……」 「じ、十万きっかり!?」 「……と、ちょっと」 「ちょっと?」 「十万、ちょい……です」 「はっきりくっきり正確無比にはいくら!?」 「十……九万八千……円……」 「こらーーーーーーーーーっ!!!!!!」 「きゃああぁぁぁぁ!!」 「で、でも確実なんですよ!? これまでのデータ蓄積から、次のレースでの穴は間違いないと……」 「かんけーーねーーっっ!!! なんだその高額ドン! 初任給か!? 大卒か!?」 「あ、当たれば50倍以上なんです!! 2割の利子じゃ安いくらいです!!」 「当たるかそんなもんっっ!!!」 「あ、失礼……仕事の話です」 「なにが仕事かぁぁ!?」 「うぇぇ、すみません、すみません、すぐ電話切りますから、ちょっとだけーー!!」 「はい、もしもしっ。毎度おなじみキャッシュ101でーす……♪」 「あ、先生ですか!? はいー、誰でも歓迎なのが売りですから。で、いくらご入り用なんです? ああ、飲み代ですね。では2万でどうでしょう?」 「先生!? 2万!?」  相手が違う……貸し付ける額が違う……これまでとなにかが違ってる!! 「とうっ!」  ――ぴっ(電源OFF) 「あーーーーー!! 通話中になにするんですかーー!!」 「認めない、断じて認めないぞ俺は!」 「だって、お金必要なんですもんーー!!」 「…………!!」  美緒里がハッとした顔になって固まる。 「…………やっぱそのためか」 「そ、それはその……なんていうか……」 「やっぱ買い取るなんて難しいんだろ? 無理なんじゃないのか?」 「む、難しくなんてありませんっ、ただ、世の中なにが起きるか分からないので、予備の軍資金を……」 「………………」 「………………うぅっ」 「本当のこと言ってる奴が、目をそらすもんか」 「だ、だからって邪魔しないでくださいー!」 「するよ! 俺はボディーガードなんだから、お前を守るのは当然だ」 「だからって、ボディーガードがクライアントに逆らってどーするんですか」 「仕事でやってんじゃないだろ、お前が心配なんだよ!」 「……!!」 「祐真……せんぱい……」  美緒里がうるうるキラキラした目で俺を見つめる。  ちょ、ちょっと照れくさい……かも!! 「わかりました……先輩がそう言うなら、高額取引はしないことにします」 「うん……畑を守る方法だったら俺も一緒に……」 「大丈夫です、いくらでも作戦はありますから」 「作戦……大丈夫か?」  ううっ……美緒里がこういう目をしてるときは、なんだか暴走しそうで怖い。 「まだ心配しているんですか? じゃあ、今日は買い物に付き合ってください」 「買い物? なに?」 「ふっふっふ……それは来ていただいてのお楽しみです。あの土地を守る秘密兵器ですよ」 「お……そんなものが?」 「はい、ですが……私一人だと、判断が難しいものもあって」 「なるほど、それで俺の力が必要ってわけか! まかせとけ!」 「はい、頼りにしています♪」 「じゃあ、もう危ないことはしないと、指切りでも……」 「あ、あ! ちょっと待ってください、早く学食行かないと……また!!」  美緒里が携帯をこっちに向ける……昼休み終了まで、あと5分!? 「た、大変だ、い、い、いそげーーーー!!!」 「はいっ♪」  放課後――俺と美緒里はいったん自宅で荷物を下ろしてから、おなじみの商店街で待ち合わせた。 「買い物って? ホームセンター?」 「……どうしてですか?」 「畑を守るためのものを買うんだろ? だから、杭とかプラカードとか……」 「ふっふっふ……まだまだ甘いですね、祐真先輩は♪」 「だいたいせっかくのデートなのに、ホームセンターじゃ色気がなさすぎます」 「デート? 色気!?」 「ふふっ……まずは、あったかいものでも飲みませんか?」  意味深に笑った美緒里は、俺をオープンカフェへと引っ張って行く。 「私が払いますよ、もちろん。誘ったんですから」 「いや、俺も出すよ」 「いいのよ、祐真は……」  おなじみお姉ちゃんの表情にドキッとしかけたところで、美緒里の足が俺の足にちょんちょんと悪戯してくる。 「なんてね、んふふ……」  美緒里は、またしてもやけに色っぽい眼差しで、誘惑するみたいに俺を見る。  エッチになるとあんなに弱い美緒里なのに、そうでないときは、まるで勝てる気がしない。 「先輩の手、荒れてますよね……」  そう言って、俺の手を、指を、指の股を、自分の指でなで回す。  ぞくぞくしながら、美緒里の様子をうかがうと、まつげを伏せ気味の、上目遣いで俺を見返してくる。  その目が、Hの時みたいに、うるんで、少し閉じ気味で、目尻もほんのり赤く染まって……。 「この席、覚えていますか?」 「……美緒里にキスされた」 「お、えらーい……正解者にはご褒美です♪」  見えないように、俺の手をひっぱって、テーブルの下で、ふとももに……! 「ちょ、マジで……?」 「うふふ……」  すごいピンクオーラを出しながら、美緒里が俺にちょっかいをかけてくる。  そ、そんなことされたら……。 「あん……先輩、えっちです……」  指を太ももの奥に潜らせていくと、指先がぱんつに触れたような抵抗がある。  そこで店員さんがドリンクを持ってきて、俺は慌てて手を抜いた。  よりによってオープンカフェでなんてことを……狂ってるな、俺たち。 「お腹、減ってますよね? パスタ頼んじゃいましょうか?」 「え? あ……」 「じゃあ、これと、これ……お願いします」  俺がテンパってる間に、てきぱきと注文をする美緒里。  ……って、メニューの値段が4桁なんですけど!? 「おい美緒里、今日、お前変だぞ、一体どうして――」  運ばれてきたパスタの、実に上品な、そして食欲をそそる香り……。 「冷めますよ」  口の中がよだれでいっぱい、お腹も、みもふたもなく正直な声をあげる。  ――かくして俺の全面降伏。 「んぐ、んぐんぐんぐ……ずるるっ……んまーーーーーーい!!!」  学食のスパゲティとは格の違う、上品な味。  陶然となり、一瞬だけ他のことを忘れる。 「んふふっ……あいかわらずよく食べますねー」  むさぼり食う俺を、美緒里が、両頬を手で支えて、吸いこむような目つきでじっと見つめてくる。  そうしながら、テーブルの下では、相変わらず足で、俺の足を、こすり、つつき、なで回し……。 「お、おまえは……意地悪だー!」 「なんでですかぁ? おいしーいパスタもおごってるしー、甘々な恋人気分もお届けのSPDXコースですよ?」 「同時はやめて、同時は!」 「くすくす……かわいー」 「せ、先輩だッ、一応!」 「そうでした、一応先輩ですね?」  ――そんなこんなで、店を出ると、また美緒里は腕をからめてきて……。  って、さっきよりずっと大胆で、その、俺の腕に、胸の感触が……! 「あの、美緒里、胸……」 「嫌ですか?」 「……嫌じゃない」 「ふふふ、それでいいんです」  美緒里が俺を連れて行った目的の店――それは駅前の繁華街近くにある、こじゃれた……。 「な……!?」  こ、こじゃれた……ランジェリーショップ!? 「こ、これはまずいだろー!?」 「恥ずかしいですか?」  無邪気に笑う美緒里に、高速でぶんぶんと頷く俺。 「くす……だから、こうやって腕を組んで入るんです」 「い、いや……でも、あ、あ、あーー!」  ……入ってしまった。  それは男には立ち入ることを許されない、女の殿堂、女の砦。  見てはならない裏方、暗黒面が渦巻く闇の底。  ランジェリーショップ!  健全なる男性たる俺には、目の毒も毒、猛毒なのはもちろんのこと。  体型補正下着、寄せ上げブラ、パッドと、少年の夢を粉々に打ち砕くグッズもてんこもりなのだ。  そしてここでは、あらゆる虚飾が通用しない。  熟練を極めた店員の手と、それに握られるメジャーによって、アンダーバスト、トップ、そしてカップの大きさが、白日のもとにさらされる。  人によっては、知ることすなわち死をも意味する、危険な数値。  超極秘の個人情報が飛び交う女の武器庫に、美緒里は俺を誘ってゆく。 「か、かみさま、俺は今日、本当の意味で大人になるかもしんない……」 「はあぁ……」  俺は美緒里と並んで、ひと気のない公園のベンチにぐったりと腰を下ろした。  精根尽き果てるとはまさにこれ。 「はぁ……先輩は予想以上に優柔不断でした」 「無理! あんなの決められないっ!」  あぁぁ……思い出すだけで顔から火が出る。  フィッティングルームの前に、座らされた俺。  当然周囲は俺以外みんな女性で、その視線の雨が全身を貫く。  そして、カチコチになって待つ俺の前に、服を脱ぎ、あられもない格好になった美緒里が……!  それも、次から次へと、過激なグラビアでしか見たことのないような、淫靡で、卑猥なランジェリーを身につけて……!  ああ、ガーターベルトとストッキングが、生で見ると、こんなに破壊力が高いとは……!  太腿にくいこむ網タイツが、どれほど殺人的な魅力を発揮するか……!  まだ子供っぽさも残っていたはずの美緒里の体が、それを彩る下着次第で、あんなに印象が変わるなんて! 「うあぁぁぁ……もう、もう、もう!!」  石柱にゴンゴン頭をぶつけても、全然煩悩は追い払えない。 「……ついに暴走しましたか」 「しないでかー! あ、あ、あんな、あんな……!!」 「あんな……何?」 「あ、あんな下着つけたら!」 「つけたら?」 「え、エロすぎらぁ畜生ーーー!」 「ふふふっ、私の魅力にくらくらですね」 「だってお前、普段はまとめ買いのぱんつしかはいてないじゃん」 「む! そ、そんなことはありません!」 「でも……ドキドキしたんなら、それでいいんです」  ドキドキどころか……ムラムラも通り越して、ビキビキ言ってんですけど(下半身が)。 「はぁ……っ」  息をついて気持ちを落ち着ける。  今日はまるで、延々と焦らし責めをやられている心地だ。  腰から下が、骨そのものが発熱しているように、じんじんと疼いている。 「ふふっ、これならいけそうです!」  なぜか美緒里は拳を握ってガッツポーズ。 「な、何の話?」 「いいでしょう、先輩には特別に教えてあげます。これこそが、高額貸付に頼らないガーデンを守る作戦の一環――」 「つまり、役人を篭絡します!」 「あ゛」  俺のあごがすとんと落ちた。 「なぁに、市役所勤務の地方公務員など、本当は欲求不満を抱えてムラムラしているに決まっています。そこにこの私がそっと手を差し伸べてやるだけで」 「平凡な日常は一気に禁断のアルカディア! 私のお色気接待攻撃の前に、役人ごときは逆らう術もありません!」 「それを先輩の反応で確かめるのが今日の目的でした♪ ですが、これでもう大丈夫! あの土地に関係してる役人の理性も、もはや風前の灯!」 「どうですか、この完璧な計画は! 先輩との実験で作戦の有効性はまさに……」 「不許可ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」 「きゃぁぁ!?」 「ぜい、ぜい、ぜい……ふ、不許可すぎてびっくりすらぁ!!」 「作戦の遂行に犠牲はつきものですよ?」 「犠牲どころの話じゃねーー!! 金貸しのほうがよっぽどマシだ!」 「どうしてですかー、先輩の反応を見る限り、百発百中……」 「俺は元からお前が好きなの!」 「や、やだ……」 「ええい照れるな、そして家庭のあるオッサンに迷惑をかけるな!!」 「そんなことしても役所は動かないし、知らんオッサンに迷惑かけるだけだし、それすら失敗しそうだし、だめ! 無理っ!!」 「人間って、できない理由なら、いくらでも見つけられるんですよ」 「そういうレベルの問題かーー!!」 「はぅぅ……ごまかされませんね」 「はぁぁ、どうしてこんな簡単なことが分からないんだろう(でしょう)……」 「…………」  あー、むかむかする!  怒りと一緒に熱いものが突き上げてくるッ!(股間に)  こうなれば、この生意気な後輩にガツンと分からせてやる必要が……。 「…………(きょろきょろ)」  幸いあたりにひと気はなし……平日の午後が幸いしたか。 「……わかった、どうしてダメなのか分かりやすく説明しよう」 「はぁ……いいですけど、先輩が私を説得できるんでしょうか……」 「やってみないとわかんないよ」  口元に、自分でもわかるほどエロい笑みが浮かぶ。  ふっふっふ……こうなったらもう止まらないぜ!  俺は美緒里の腕を掴み、強引に引っ張り、人目につかない場所へ。 「いいか、俺の反応を見て実験するなら、まだそれは途中なんだ……」 「……祐真先輩?」 「男ってのはな、あんなに誘惑されたら…………」 「当然こうなるっ!」 「あ、あ……!? せ、先輩……こんなところで!?」  ベンチに両手をつかせた美緒里のお尻を抱えあげた。 「そう、こんなところで!」 「で、でも……あん……」 「市役所でオッサン相手にこんな事になるかもしれないんだぞ、分かってる?」 「そ、それは、舌先三寸で逃げ切りますからぁ……」 「現実を見ろ、ぜんぜん逃げられてないじゃん」 「そ、それは…………相手が先輩だから……」  ここでいきなり健気なことを言ってもダメだ! 美緒里にはガツンと分からせてやらないと。 「とにかく、お前は男の性欲をもてあそびすぎなの!」  そう言ってお尻に手を這わせると、美緒里は感電したようにビクンと震えた。 「俺を使って実験するなら、最後まで責任をとるよーに」 「で、でも……こんなところで……ですか!?」 「下着屋でルパンダイブされなかっただけ、ありがたく思えっ!」  お尻の左右に手をあてがい、ぴったり合わさった谷間を押し広げる。 「んぁ……ひゃあああっ!」  お、おおぉ……!!  つい心の中で喝采してしまう。いまや性器と同じくらいいやらしく感じられる美緒里のお尻の穴が、その姿を露わにした。 「ごくっ……美緒里のお尻の穴、丸見えだぞ」 「やぁ、だめだめ……恥ずかしいですってば」 「あ、キューッてなった……」 「あうぅぅ……あの、ほ、本当にするんですか?」 「もちろん!」  張り詰めていたズボンのチャックを下ろす。あてがおうとしたペニスが、愛液にぬるっと滑った。 「わ……すごい濡れてる!」 「あうぅぅ…………き、気のせいです!」 「やらしーなー。美緒里も興奮してたんだろ」 「錯覚です……んぁ、あうぅぅっ……うーっ」  お尻の穴がヒクヒク動いて、まるで俺を誘ってるみたいだ。 「ちょ、本当に待って……ここじゃダメ……み、見つかっちゃいます!」 「見つかりたくなかったら、声を抑えたほうがいいよ」 「む、無理ですよぉぉ……あ、あ、あ……ッッ!!」 「んううぅぅぅ……ッッ!!」  先っぽをあてがい、ちょっと前に押し込むだけでヌルルッと飲み込まれてしまった。 「え!? うそ……あ、あ、あ……だめぇぇぇぇ……ッ」  すごい、入る入る……こないだより楽に、ヌプヌプ入っていく……。 「んあぁぁ……あ、あーーーっ、はぁぁ、せんぱ……いぃぃぃッ」 「美緒里のお尻の穴、広がっちゃったのかな」 「んぃっ……んッ! あッ! あンンーーーッ! すご……すごいぃぃ……」 「もう痛くないんだ?」 「ンッ、んんーーーーっ、ん、んっ、ん……ううううぅぅぅ……ぅぅ」  ベンチをギュッと握ったまま、美緒里がコクコクと首を縦に振る。 「でもっ、んッ……あん……だめ、声……ん、んーーーーっ!!」  必死にこらえている。これなら平気そうだ……熱い美緒里の肉に包まれながら、俺はゆっくり抜き差しの運動を始める。 「んひっ……んっ、んーーーーーーー!! んんーー!! うぐ……ん、ンッ!」 「あー、すごい……美緒里のケツ……エロすぎ」  ピンクのすぼまりをこじ開けて、俺のペニスが出たり入ったり……。 「いやぁ……ん、ンッ……んーーっ、だめだめ……ッ、ん、んっ、んぃぃ……ッッ!」  ついつい見とれてしまう視線を上げると、うちの低学年の制服を着た女子が、噴水のあたりを歩いているのが見えた。 「あれ……美緒里のクラスの女子じゃない?」 「……っっ!? ん、んーーっ!? やだ、だめだめっ!」 「わぁ……声、バレるって!」 「うぅ!? だめ……だめですよぉぉっ……ん、んくっ、くぅぅぅ……ッッ!」  ハッと身体をこわばらせる美緒里。たちまちお尻の穴がキュウウウッと狭まってくる。 「あ……締まる……」 「んぁ、やぁぁ……だめぇ、ほんとに……あっ、ん、んんン……ンッ!」  括約筋の抵抗を突き破るように、腰を一気に奥まで。 「あひッ!? んぁ、うぅ、うぅぅぅうぅーーっ、そんなぁ、ふ、深いぃ……ィィィィ!」 「あ、あ、気持ちいい……それ」 「ひどいッ……んぐ、んィィーっ! だァ……だめだめぇぇ、見られちゃうっ!」 「ああーーっ、でもすごい締まる……!」 「もー、聞いてないーっ、んっ、んぐぐ……う、ううーーーーっ、声……でちゃ……んあぅぅ……」 「ごめんね、お姉ちゃん……かわいいよ」 「んあっ!? あ、あ、あッ……卑怯……あ、あーーっ!! らめらめぇぇ!! 見つかっちゃうぅぅッ」 「もうとっくにいなくなってるって」 「え? い、いじわ……るぅぅぅぅ……んんんぁぁあぁああぁッ!」  それで気が抜けたのか、美緒里がこらえていた声を洩らし始めた。 「やぁぁ……あ、あ、あっ……だめぇぇ、声でちゃうぅ」  これはさすがにヤバい……ヤバいのは分かるんだけど、もう腰が止まらない。 「ちょ、もうちょっとセーブして……美緒里」 「はぁぁ……はぁぁぁァ……ッ、ゆーまぁ……んぁっ、先輩ぃぃ、私おかしくなっちゃう……あ、んぁあっ、んぁーーーーーぁぁ……」  喘ぎながら、美緒里の白いお尻がクイクイッと左右に楕円を描く。 「あ、あーっ! おかひくなるっ……あぁぁ、もう我慢できない……あ、あーっ、あはぁぁ……ッ」 「なに腰使ってんの、エロすぎ……っ!」 「ちが……ちがうもん……んッ……うんんッ……んぁ、あ、あはァァあぁ……あーぁぁぁ……んぁぁああぁぁ……ァぁあぁあぁぁ」  言葉と裏腹に美緒里は腰をウネウネさせて、俺のペニスを中でたくさん擦ろうとする。 「あはァぁああぁあぁあぁぁーーーーぁあぁぁぁ、おしりぃぃ……いいーー、いいィィっ……いいのっ、あぁぁ、あぁ、んぁあぁあーーっ」  ヌポッヌポッ……と、二人の結合部から肉の擦れる卑猥な音がする。 「すごいの……杭打ち込まれたみたい……あ、あっ……あぁぁ……ゆーま、ゆーまぁぁ、んぁ、んぁ、んぁぁっ!」 「あ、あ、ヤバい……イきそう」 「ゆーまのおちんひん……おひん……んはぁぁァァァああァあぁ……きもひイィぃぃーぃ……んあぁぁ、あーっ、んああっ、あひぃぃ……」  ただでさえ今日はずーっとじらされてきたんだ。しかもこんな場所で、腰を振りまくって乱れる美緒里の後ろ姿を見てたら……!! 「あ、あ、出る……イくぞ……!」 「はぁあぁぁぅぅッ……きてぇ、来てぇぇ……ぇぇッ」 「んくゥゥっぅぅうぅぅぁあああぁあぁああぁぁぁあぁあぁあーーーッ!!」  腰の動きを止めずに、こらえていた衝動を解き放つ。 「あはぁぁ……あぁぁーーっ、あーーっ、せんぱ……あ、あ、あーーーっ」  まるで吸い込まれるみたいに、美緒里の中に精液が迸っていく。 「しゅごい……出てる……んあぁぁ、おひり出てる……あ、あぁぁああぁぁ……あぁぁーーぁぁ……」  頭が痺れっぱなしで、ちっともペニスが萎える兆しがない。俺は射精しながら、さらに強く腰を打ちつけた。 「えぇぁあぁ!? あぁ? あああぁ、あ……あーーーっ! ま、待って、それだめぇ……!」 「すごい、まだ全然できる……いくらでも出せそう」 「やぁぁっ、そんな、あ、あ、あーっ、押し込まれてるっ……んあぁ、んあっ、あーーっ、すごい、すご……いぃぃッ!」  ボタタタッ……と、美緒里の股間から俺の精液と、美緒里の愛液が滴り落ちる。 「ああぁーーっ、すご、すごいぃぃ……ゆーまのおちんち……あ、あーっ、すごいの、いっぱいぃ……」 「俺のちんこ好き?」 「うん、好き、好きぃ……ちんこ、んぁああぁぁっ、んーっ、んああっ、あッ、あん、恥ずかしい……ちんこ……ちんこ好きぃ!」 「うわ、すっごい締まるよ……!」 「らって……あ、あ、あッ、きもひぃぃから……あーっ、だめだめ、そこだめぇぇ!」  動き回るお尻を押さえつけて、めいっぱい奥までペニスを埋め込んで、ぐりぐり動かしてやる。 「あッ、あーーーッ! だめ、らめらめらめ! んあっ、あーっ! んぐっ……!!」  お尻を叩いて気付かせてやると、美緒里はイきながら慌てて口を塞いだ。 「んひっ、んふーーーーーーーーーーッ、んふ、んふ、んぐぐーーーっ、んむっ、んむっ……ん、んんんんんゥゥゥゥンン!!!」 「んぐぐ……んぃ、んく……んぃ、んぃぃ……んくっ! ンクンクッッッ……んーーーーーーーーーッッ!!!」 「ん……はぁぁッ…………んぁぁ……はぁぁ、あーぁぁ……んあぁ……あァぁ……」  ペニスを差したまま、美緒里の中の収縮を味わう。 「大丈夫?」 「はぁぁ……はぃぃ……んぁ、んぁ……はぁぁァァ……ッ」  すっかり脱力してグダグダになった美緒里が、けだるげな声で喘いだ。 「あぁあぁぁーぁあぁ、ずぼずぼ入ってる……すごぃぃ、おちんちん……」  それでも腰を動かすのをやめないでいると、また美緒里のお尻がクイッと高く持ち上がる。 「あはァァ……あ、あ、あ、またイく……あ、あーぁぁ……あぁぁァはぁぁンッ……ッン」 「あ……ほんとだ、締まってきた」 「あーぁぁぁ……い、イきそ…………ん、んくッ! んッ! んッッッ!!」  また……急に呼吸を止めた身体が硬直して、小さな痙攣を起こす。 「ん……はぁぁ……せんぱぁい……あたひ、おひりの穴……広がっちゃった……んぁぁ……ァ」 「じゃあ、俺ももう一回出しちゃおうかな……」 「あ……はぁぁ、はいぃ……あ、あ!? だめ、誰か来るっ!」 「え? わ……マジか!?」  どたばたっ……と、慌てて身づくろいをして、茂みの反対側から外に出る。  新聞を持ったサラリーマンが、さっきまで俺たちの座っていたベンチに腰を下ろすのが見えた。  と、とにかく、この場をさっさと離れないと! 「はぁぁ……セーフ……」 「もう……先輩、めちゃくちゃですっ!」 「実験の助手としては、完璧な働きをしたと思うけど?」 「うぅぅ……屁理屈ですっ!」 「とにかく、色仕掛けはとりあえずやめて……」  言いかけたところで、美緒里がお腹を押さえてキュッと身体を縮こまらせる。 「どうした?」 「あ、う、ううん? は、早く行きましょうっ」 「行くって?」 「寮に帰るんですよね、早く、早く……っ!」 「……?」 「あ、美緒里まさか、お腹?」 「ち、ちがいますっ! ぜんぜん……ちが…………ッッ!?」 「うぅぅぅっ……ちがうから、早くーーっ!!」 「わ、わかったわかった! 急ごう、な、な?」 「うぅぅーーーーっ、ゆーま先輩のばか!」  ――10分後。 「………………」  う、ううっ……怒ってる……!! 「………………」  そりゃ無理もないよな……あ、あんなことして。冷静に考えたら大暴走……。 「………………」 「……や! いやまあなんていうか、いいデートだった、うん!」 「………………」 「ど、どうしたんだ、上がれよ、遠慮しないでさ……あはは、あははは」 「………………先輩」 「は、はいっ!」  部屋に入った美緒里は、急に俺に身体を密着させて、首筋に軽く噛み付いてきた。 「んぃッ!?」 「はむ……先輩……約束破りました……」 「えぇ?」 「弟のくせにあんなことするなんて、おかしいです」  首筋を甘噛みしたまま、美緒里が文句を言う。  Hのときは弟になる……はっきり約束した覚えはないけど、今ではそれが当たり前になっている、俺たちの関係。 「ご、ごめん……」 「……いいけど」 「美緒里?」 「……『おねえちゃん』」 「み、美緒里お姉ちゃん……」 「ん……いいよ、許してあげる」  美緒里の口が離れる。勢い負けした俺が言われるままに弟モードに入ると、美緒里の膝が俺の股間を割って間に入った。 「あ……?」 「でも、最後中途半端だったよね?」 「う、うん……」 「最後までする?」 「み、美緒里……」 「美緒里……?」 「お……お姉ちゃん……」 「くすくす……」  トイレで気持ちを切り替えたのか、さっき公園で失ってしまった姉の優位性を、美緒里はすっかり取り戻している。 「……し、しよっか?」 「してほしいの?」 「うん……」 「ふふ、いいよ……でも今度は、ちゃーんとお姉ちゃんの言うこときくの、約束よー?」  いたずらに笑った美緒里が、俺の目の前に小指を突き出した。 「ふふっ……どう? 動いちゃだめよー?」 「あ……ッ、ううっ……!」  下半身裸になった美緒里が仰向けにされた俺の太ももにまたがり、勃起したペニスにお尻をこすりつける。 「こ、これで我慢しろと?」 「そうよー、動いたらおしまいだからね」  俺は両手を頭の上で組んで、微動だにできない。手を動かしたらすぐ終わりにすると宣言されて、いまや美緒里のおもちゃ状態。 「さて……と、ふふっ、わ、わ、硬いなぁ……エッチ」  エッチも何も、目の前に美緒里の後姿とお尻があると、あの痺れるような締め付けが頭の中に蘇って、勝手に下半身は張り詰めてしまう。 「……ふふっ、かわい♪」 「あ、あ……っ」  美緒里はお尻の谷間にペニスを挟んだまま、ゆっくり、ゆっくりと腰を上下に動かしはじめた。 「先輩さっき出したばっかりなのに、そんなに感じちゃうんですか?」 「仕方ないだろ、美緒里が……」 「あれー?」 「あ、うそ、お姉ちゃんが……え、ええと……ええと、な、なんだっけ?」 「くすくす、必死ですねー」 「違う! 敬語なんか使うから紛らわしくなるんじゃん」 「知りませーん……ふふっ、なんてね、祐真……ん、んんっ」 「あ、あ……っ!」  さっき公園でしたように、美緒里のお尻が楕円を描いてペニスを刺激する。 「くすくす……お仕置きよ……可愛い後輩に野外レイプ……なーんてしちゃう祐真くんには、おしおき……ふふっ」 「そ、そんな人聞きの悪い!」 「本当でしょ? 思いっきり犯されました、わーーん犯されたーー♪」 「あ、あ……ッ! で、でもそれは美緒里……お姉ちゃんが誘惑……」 「してないよ」 「え………………いや、してたんじゃ?」 「してなーい」 「そ、それは……主観の相違?」 「してないよね?」 「う、ううっ…………してないです」  すべすべのお肉にこすられて……思わず声が上ずってしまう。 「ふふふ……お姉ちゃんのせいにするなんて、悪い子ねー」  ぐいぐいと、お尻が勃起を押し潰してくる。 「ん、ふふっ……先輩のおちんちん……えっちですねー」  そんなこと言ってるくせに、美緒里のアソコだってヌルヌルになってる。粘液にこすられて、声が出てしまいそうだ。 「こんなHなおちんちんじゃ、暴走するのも無理ないですね。せっかくの実験も、相手を間違えました。だから、公園なんかで……」 「祐真先輩は欲望に流されすぎなんです!」  自分の恥態なんてすっかり忘れたみたいな顔で、美緒里がビシッとこっちを指差してみせる。 「そっ、それは美緒里が色仕掛けなんてするから……!」 「こんなにおちんちん硬くしてたら、なに言っても説得力ありませんよー」 「あ、あっ……!」 「ねぇ先輩……イきたいですか?」  美緒里が肩越しに俺の顔を見る。正直、こんな生殺しされてたら限界だ。  見慣れた自分の部屋で、下半身素っ裸の美緒里に、尻……尻コキされてるなんて……!! 「イかせてあげよっかなー、くすくす……」 「お、お願い……マジでもう限界……」 「イきたい? ねぇ、そーんなにイきたい?」  目で必死に訴える俺を、美緒里が楽しそうに見下ろす。 「だったら……お姉ちゃん、イかせて……でしょ?」 「あ……あっ」  悔しいような恥ずかしいような……でも、それよりも今は欲望が勝ってる! 「お姉ちゃん……イかせて……」 「んふふ……もういっかーい?」 「マジで?」 「んー、パンツ穿こっかな?」 「わぁぁ、お姉ちゃんイかせてっ!」 「あはは……最後にもう1回♪」 「お姉ちゃん、イかせてってば!」 「ふふっ……いいなぁ、先輩は無邪気で……」 「誰が言わせてんだっ!!」  ううっ……この言われよう。でも美緒里のお尻に〈挿〉《い》れたくて、とても逆らうことなんてできやしない。  おねだりのかわりに、自分から腰を動かしてお尻にこすり付けると、美緒里の声色が少しだけ変わった。 「あんんッ……ん、えっち……ん、んっ……ふふっ……」 「ああぁ、すごいヌルヌルしてる……」 「んっ……おちんちん、エッチだね」  美緒里の愛液が全体にからみついて、すっかりペニスがいやらしく光っている。 「ん、あ……っ、んんっ……どう? ここ……好き?」  腰を浮かせた美緒里は、お尻の穴でペニスの先をぐりぐりしはじめた。 「好き……あ、あ、すごい気持ちいい……」 「ふふっ……また〈挿〉《い》れたい?」 「うん、あ、あ、うんっ……」 「んぁぁ……ふふ、ゆーまはここ、大好きだよねー?」 「うん、あ、あ、いま〈挿〉《い》れたらすぐイきそう……」  また美緒里のお尻に締め付けてもらえる――そう思ったら我慢ができなくなってきた。 「あんん、こら……暴れないって約束でしょー?」 「けど……あ、あ、早く……」 「そーんなに〈挿〉《い》れたいんだ……んんっ」 「でもだーめ、もう壊れちゃうから……あん、ん、んっ……んうっ」 「そんな、ちょっとだけ! 5ミリ! 3ミリ!!」 「くすくす……なにそれ? まだダメよ……もーっと我慢するの……」  だんだん、美緒里の腰の動きが激しくなってきた。 「んあっ……ぁ……んはぁ、はぁ……ん、んっ、んんっ」  俺のペニスをお尻でしごいているというよりは、そそり立った肉の棒でオナニーしてるみたいな動き……。 「あ、あっ、エロいよそれ……」 「んー? そう? 気持ちいーい?」 「あ、あ……ッ、いいっ……」 「あ、あん……んっ、私もぉ……すごい、こすれるの……祐真のちんこ、硬くてきもちいいー♪」 「あぁぁ……ん、んん……やだ、私もエッチになってきた……ねえ、ゆーま見る? ほらぁ……」  中腰になった美緒里が、お尻の肉を左右に押し開いた。 「あ、あ、あっ!」  俺のペニスにさんざん突きまくられて、赤く膨らんだお尻の穴。その周りのお肉を美緒里の指が広げて……何もかもが丸見えだ。 「あん……ンッ、いいよ、見て……ん、んっ、ねぇ興奮する?」  半開きになった美緒里のアソコがヌルヌルになって、俺のペニスとの間に愛液の糸を引いている。 「う、うわ……すご……」 「あん、ふふふ……もう出る? 出ちゃう?」 「まだ……耐えるっ!」 「できるかなぁ……くすくす……ん、んふっ……はぁぁ、濡れてる……」 「んふ……んッ、ん、んっ……んーっ……祐真のおちんちん、大好き……ふふっ♪」 「なに言って……あ、やば……ちょっとギブ、ストップ……!!」 「だーめ、やめてあげない……ふふっ、お尻の中〈挿〉《い》れられないねー、出ちゃうよねー?」 「やだ、う……うく……ッッ!!」 「ふーん、そんな顔してイっちゃうんだ……ふふっ……ほらほら、どーお?」 「そんな……あ、あッ!!」 「いいよ……祐真のイく顔、見せて……」 「あっ、あ、あーーーーーぁぁッ!」  ――ビュルッ、ビュルッ! 身体が痙攣を起こし、宙に射ち上げられた精液が美緒里の背中やお尻に降り注ぐ。 「わ、すごい、出てる……ッ」  美緒里は、射精するペニスと眉を寄せる俺の顔を見比べている。 「はぁぁ……先輩、射精気持ちいい? 精液きもちいーい?」  脱力する俺の顔を肩越しに見ながら、美緒里の息が荒くなってきた。 「あん、エッチ……んぁ……あ、あんっ……私も……あっ、ん……んんんッ」 「ん……あ、あ、あ、あっ……ん、んーーーーーッ!!」  少し遅れて背筋をのけぞらせた美緒里が、小さく身体を震えさせた。 「んッ……んふ、はぁぁぁ……ふふっ……ゆーま先輩……くすくす……」  もう頭の中クラクラしてて、何も分からない……。 「あはは……出しすぎ、先輩のえっち……くすくす」  美緒里の得意そうな声を耳に素通りさせながら、俺は荒い息をつくだけで精一杯だ。 「ふふっ……まだかたーい♪」 「はぁ……はぁぁ……美緒里……」 「もう降参ですかぁ……ふふっ、こんなたくさん出た」 「ふふ、1回でいいんですか? 先輩のだーい好きな、お尻ですよー」 「ちょ、無理……はぁ、はぁ……っ」 「あれー? 公園では『いくらでも出せる』って言ってましたよねー?」 「ご、ごめん、ギブ……もうだめ」  がっくりと脱力する俺の上で、美緒里はそれからしばらく射精の余韻に浸っていた。 「あー、楽しかった♪」 「うぅっ……犯されたー」  あれから、美緒里に跨られたまま手と口でもう1回――それも射精する寸前まで高めておいて、不意にやめてしまうのの繰り返し!  俺が本気でギブアップするまで、さんざん遊ばれてしまった。 「うんうん……やっぱりお姉ちゃんと弟っていうのは、こうじゃないと嘘よね」 「決まりです、これからHするとき先輩は自分から動いちゃダメ」 「そ、そんな……!!」 「あはははっ……やーっぱり必死ですね」  ぐったりする俺をよそに、満足そうに笑った美緒里が、手で顔を扇ぐ。 「あー、汗かいちゃいました……お風呂入りたいな……」 「そ、それは無理! 大問題になるっ!」 「分かってますよー、ふふふっ……」  俺をからかった美緒里が笑う。  風呂はさすがに無理だけど、俺は洗面所でタオルを絞ってきて、美緒里と一緒に身体の汗を拭うことにした。 「はぁ……さっぱりした。ありがとうございます」 「なんか、今日はHなことばっかりしてますね」 「ん、ちょっとヤバいよな。それどころじゃないのに」 「……?」  美緒里がきょとんとした顔をする。 「いや、そうだろ。だってあと少しで……」  あと1ヶ月ちょっとで美緒里のレンタル畑は使えなくなってしまう。 「だからそのことだったら私に……」 「秘策なんてないんだろ?」 「……は?」 「分かるって……美緒里が本気で色仕掛けなんてするはずないし」 「あれー? どうして分かりました?」 「ふつー分かります! 俺のこと挑発して遊んでただけだろ?」 「おおっ、先輩にしては鋭い!」 「やっぱ、俺が力になれないかな……」 「……ん、大丈夫」 「でも」 「お姉ちゃんが考えてるから、祐真くんはいいの」 「美緒里……」 「やっぱりお金です。お金をなんとか工面すれば……あとは交渉次第ですから」  それも嘘だよな。美緒里の説明も態度も、どこか捨て鉢な感じがする。 「なあ、もうあのガーデンをそのまま残す以外の方法も考えたほうがいいんじゃないか?」 「………………」 「もし美緒里がなんとかあの土地を自分のものにできたとしてもさ、周りが全部別荘になったら、あそこだけ畑っておかしいだろ」 「…………それくらい、考えてました」 「でも……見つからないんだろ?」 「…………」  美緒里が口を尖らせて下を向く。少しおどけた態度を取っているけれど、本気で落ち込んでいるのかもしれない。 「だから……やっぱりクローバーだけ他の場所に移さないか?」 「クローバーは雑草だしさ、ちゃんと手入れすればそのまんま移植することもできるだろ。そこでまたガーデンを作ればいい、ガーデン移設計画だよ」 「だめ!!」 「どうしてそんなこと言うんですか? あそこは綾斗が……」 「そうだよ、別の場所でも綾斗君のクローバーがあれば……」 「ちがいます! 綾斗だったら、絶対にそんなところで逃げない!」 「逃げるんじゃないだろ。綾斗君はそういうこと、ちゃんと考えられる子だったはずだ……美緒里には分かってるだろ!?」 「分かってないのは先輩です!」 「綾斗はしない! しないもん! 絶対にしない!」 「信じられない! そんなこと言うなんておかしいです! そんなの、祐真先輩じゃない!」 「俺は……!」 「なんでお姉ちゃんの気持ち、分かってくれないの!?」  言って――美緒里は、ハッとした。  俺も、息をのんだ。 「………………」  美緒里が視線を外す。  どくん、どくん――鼓動が耳の奥で聞こえる。  俺は……。  俺は立ち上がった。  気配を察して、美緒里が後ずさる。  それを追いかけて、美緒里の腕をつかんだ。 「やだ……はなして……!」  ここにいるのはお姉ちゃん?  俺はお姉ちゃんの何? 「祐真、はなしなさい!」 「離さない」 「やっ! やめてっ! んぐっ……!」  もがくそのあごを捕まえ、無理矢理、唇を押しつける。  俺にかぶさっている弟の影を、振り払うように、美緒里の唇を貪り、細い腰が折れそうなほど抱き寄せる。 「んっ……んっ……んん」  舌をねじこむ。ミシミシ言うほどあごを強くつかみ、無理やり歯列を開かせる。 「んぐぅ……ぐっ……んぐぐっ!」  美緒里の舌を捕らえる。舌先をつつき、舐め回し、根元をほじくる。 「んぐ……ん……んぐぅっ……!」  喉で呻く美緒里に、唾液を送りこむ。逆に美緒里の唾液を〈啜〉《すす》り、音を立てて吸う。 「んじゅる……ん、んくっ……ぷはっ、はぁ、はぁ……っ、先輩……」 「……俺は、俺だよ」 「俺は綾斗君じゃないし、美緒里の弟でもない……」 「わかってます……そんなのわかってる!!」 「嘘だよ……だって俺も分かんなくなってた」 「……でも、でも、先輩は……綾斗に」 「けど違うんだ、俺は綾斗じゃない……美緒里の事も、綾斗君みたいには見てない」 「もう一度キスされたら、私、先輩のこと嫌いになるかも……」 「いいよ……俺は美緒里のこと好きだから」  唇をふたたび重ねる。  今度は強く、美緒里の言葉も、気持ちも、全部かき回すみたいに、唾液を〈啜〉《すす》って、呼吸を交わらせる。  美緒里が本気で抵抗しようとしても、二歳上の男子の力には絶対に敵わない。  それから俺は、蒼白になって身をこわばらせる美緒里の服を取り払って、肩を捕らえ、引き寄せた――。  ベッドの上に、美緒里が横たわる。 「ん……んんーーーッ!! うぅぅ……ーーッ!」  ベッドに押し倒した美緒里の上から、俺は彼女の中に入っていった。 「うぅぅ……ッ……んううーっ……いッ……ぐぅぅ……」  お尻よりもずっと簡単に粘膜の抵抗がなくなり、左右から締め上げる襞の中を美緒里の奥まで潜り込んでゆく。 「うあッ……う……はぁっ、はぁぁ……はぁぁ……ッ」 「美緒里……っ、ん、んっ……」  頭の中がクラクラと痺れそうだ。それくらい、美緒里の中は熱く、強く締め付けてくる。 「う……ううーっ、う……う……ううううぅぅ……」  俺を受け入れた美緒里は、それでも一言も話さず、唇を引き結んで耐えている。 「美緒里……かわいい……」 「はぁっ、はぁ、はぁっ……う、うくッ!! うぎ……ッ……ううーっ!!」 「ううーーっ……はぁぁぁっ、はぁぁっ……ふぅぅ……」  美緒里はずっと俺を弟にしようとしていた。  だから、美緒里のペースで動かして、Hも美緒里の言うなりにさせて。  そうやって、俺のことを弟と一緒にしようとしていた。 「はあっ、はぁぁ……んッッ!! ん……ぐす……んううっ……」  薄々はそれに気付いていたけれど、やっぱり俺は弟じゃない。  その関係は心地よかったし、美緒里みたいなお姉ちゃんがいればいいと思う事もあったけれど……。 「う……ぐすっ、うう……ッ、はぁっ……はぁ……はぁ……はぁっ」  そのせいで美緒里の何かが壊れてしまうのなら、このままそれを見てる事はできない。  俺を刻み付けたい、美緒里の中に。 「うぁっ!? あ、あっ、あん、あん、あ、あ、あ、あ……ァ」  美緒里が声を洩らした。考えていた奇麗事とは別に、頭の芯がだんだんと痺れてくる。  目の前で股を開いた美緒里。ツンと勃った乳首はきっと感じているからだ。 「あうぅ……ッ、ん、んんっ…………あぁ……あ……」  そして、何度もおあずけされていた美緒里のアソコに、俺のペニスが深々と刺さっている。  これで欲情してるのも、本当の俺だ。  美緒里の好きなばかりじゃない、美緒里のイメージとは違う俺なんだ。 「あうぅ……ッ、ん、んあっ……あ、あーーっ……あ、あ……」  美緒里の性器はドロドロに煮えたぎって、俺のペニスにからみついてくる。 「痛いか? 美緒里……」 「あうぅ……ッ、しらな……ん、んあっ……はぁぁ……あ、あ……!」  俺と一緒だ。美緒里の気持ちとは裏腹に、身体はすっかり敏感になっているみたいだ。 「あ、あっ、早い……んぁ……んあぁっ……あん、あ……あ、あ、ああああッ……」  腰を突きこむたびに、チュッチュッ……と粘膜のはぜる音がする。  そのリズムに合わせて、緊張していた美緒里の身体がほぐれてきた。 「はぁぁっ、あ、あ……先輩……あ、あんっ……あ、あっ……あぁぁ」  ペニスをゆっくり押し込むと、美緒里の口から熱い吐息が漏れる。 「んぁ、あ、あぐっ……変……これなんか……あ、あっ、変ですっ……うぁぁ……」 「キスしよ……ん、ちゅ……ん……」 「んはぁぁ……んあっ、んぷっ……ん、ん……れろれろ……ちゅ、ちゅっ……じゅるるっ」  美緒里はあっけなく俺の唇を受け入れた。美緒里に体重を預けないように、ほんの少しだけ唾液を交換する。 「ん、じゅるるっ……ぷは、んぁ、んぁぁ、あああっ……先輩……あ、あぁぁ……!!」  それからまた身体を離し、腰をゆっくり動かしていく。 「はぁ、あ、あ、あっ、んああっ……あ、あ、あぁぁ……」  抵抗していた美緒里の身体が開いてきた。ツンと上を向いた乳首を指先でつまみ、転がしてみる。 「んああっ、せ、せんぱ……あ、あ、変です……うぅぅ、どうしよう……私……ぃぃッ……どうし……あ、あ、あーーーっ!!」 「美緒里、すごい可愛い……」 「やぁぁ、だめ、あ、あーっ、すごい……あ、あっ、先輩が……入ってるの……あ、あっ、あんんっ……奥まで……あ、あーーっ!」  美緒里の手が俺の手首にすがりつくように、ギューッと握り締める。 「あァ!? ん、んぁ、はぁっ、あぁぁーっ、あひッ、あッ……はぁぁ、んんぁ、あぁぁ……」  白い肌の上で大粒の汗が玉を結んでいる。俺が奥まで突き入れると、美緒里の声が裏返った。 「んあっ、あーっ、あはぁぁ……どうしよう私もう……んぁあぁぁっ……うぁァ、どうして……あ、あ、あッ」 「気持ちいいんだろ、感じてるんだろ、俺のちんこで」 「んぁぁぁーっ、ちが……あ、あ、あぁぁ……ッ、そんな、あん、ん、んっ……んああぁッ」 「俺もすっごい感じてる、美緒里のまんこ……」 「やだやだ……そんなの、あ、あんっ、んぁぁ……あーっ、あっ、あっ……あぁぁッ」 「しょーがないよ、好きなんだから……美緒里の事」 「ひ……はァ……ん……ん、はァァ……あ、はぁぁ……はぁーっ、はぁぁ……ぁ!」  汗まみれの身体をぶつけ合い、快楽を貪る。美緒里の三つ編みが白い肌に汗で張り付いている。 「気持ちいい?」 「んーっ、んんーっっ! うぁぁ……んあっ……あ……あーっ!」  結合部が泡立って、血と愛液が混ざり合う。  血と愛液――まるで今の美緒里を見ているようだ。 「んぁ、ぁ、あぃ、あぃ……………ぁぁぁぁああああああッ!!」  一気に深いところまで突き入れると、弓なりになった美緒里がビクッ、ビクッ……と痙攣した。 「んああーっ、ああーっ……だめ……入ってる、入って……ああっ!!」 「美緒里…………ん、んんんッ!」 「んあっ、うァァッ、あ、あ、せんぱい、先輩、先輩、せんぱいぃぃぃッ!!」  綾斗じゃなくて先輩。そう呼ばれるたびに、美緒里が自分の物になっていくようだ。 「あ、あ……イきそう……美緒里、イくよ」 「んあーっ、あぃ、あぃ、あぃっ……んあっ、あ、あ、あ、あーっ、ああーっ!」 「……ッ!!」  美緒里の顔を、白い身体を網膜に焼き付けながら、俺は腰の動きを止めずに射精した。 「んんぁ!? あ、あーーーーーッ!!」  ドクッ、ドクッ……と、身体に残っていたありったけの精液を注ぎこんでいく。 「……ん!! んぁあぁああぁぁッ、あ、あ、あーーーッ…………ッッ!!」  美緒里の身体がこわばって、ガクガクッと震えた。 「あ……あ、あ……せ、せんぱい……ィィッ!!」  小柄な美緒里の身体を貫いた俺のペニスから体内へと、痙攣のたびに精液が飲み込まれていく。 「はぁぁぁ……んッ、ん……んぁ……はぁぁっ………………はぁっ、ぁぁぁっ……」 「ん……んッッ」  腰を浮かせると、放出を終えたペニスが美緒里の中からズルッと抜け落ちた。 「はぁ……はぁぁ……はぁ……」 「んぁ……あ、あ……あ、あッ……あれ……え? え……!?」  荒い息をついていた美緒里が、急に目を見開いて俺を見た。 「うそ……中に……? 本当に……!?」  ペニスが抜き取られたばかりの下腹部を覗き込む。  濡れて開いた美緒里の性器から、ドロッと出したばかりの精液が流れ出してくる。 「ああ……出しちゃった」 「え? え? なんで……? 嘘……なんで!?」  愛液と溶け合った精液は、三度目とは思えないほど大量で……美緒里の性器からお尻を伝って、シーツを濡らしている。 「そんな、先輩……ひどい、なに考えてるんですか、めちゃくちゃです!」 「うん……ごめん」 「せ、先輩……?」  優しく手を握る俺の事を、美緒里は呆けたような顔で見上げた。 「………………」  ベッドに身を起こした美緒里は、しばらくその格好のまま固まっていた。 「………………」  俺がタオルケットをかけてやると、ワンテンポ遅れてその目が俺をとらえる。 「せんぱい……?」  美緒里の唇が動いた。  同時に、両の目尻から涙があふれ、赤く色づいた頬を伝う。  俺はタオルで涙をぬぐってやりながら、美緒里に優しく声をかけた。 「明日からさ……もう昼の食券いらないから」 「…………!!」 「わ、分かりました……」 「明日からは、そんなもの……」 「………………っ」 「……美緒里、聞いてる?」 「分かりませんっ!!!!」  急に美緒里が、駄々っ子みたいな泣き顔になった。 「分かんないんですっ! なんで、なんで先輩までいなくなっちゃうんですか……!!」 「わかんないです、なんで……う、ううっ……うーーっ!!」 「ぐすっ、分かんないです、私ぜんぜん分かんない……………………………………!!」  ぽろぽろと涙がしたたり落ちる。ひとの話を全然聞いてない美緒里の肩を、優しく叩いてやる。 「……いなくならないよ」 「ぐすっ……え?」 「な……なら、どうして?」 「食券とか、報酬とか、そんなのなくても俺は一緒にいるから」 「一緒に、いたいから……」 「………………」 「……ぐすっ、うっ……うぅぅ……うぇぇぇぇぇん……………………!」  美緒里が俺の胸に飛び込んでくる。  小さい肩を震わせて、止められない涙を俺になすりつけて。 「先輩、いなくなると思った……もう終わりだって……」 「落ち着けよ、もっと」 「だって……ぐすっ…………だって……」  しばらくぐずっていた美緒里は、不意に顔を上げて俺を見つめた。 「でも、だったら……どうして…………こんなことしたんですか?」 「まだ分かんない?」 「…………」  美緒里がこっくりと頷く。  普通のことなら、俺よりずっと気が回るくせに。ああもう、だから俺は君のことをほうっておけないんだ。 「だって、俺は弟じゃないから」 「先輩……!」  美緒里が息を呑む。そしてまた、抑えきれない涙が両目からぽろぽろと零れ落ちた。 「…………ありがとうございました」 「いえ、どういたしまして」 「…………」 「…………」 「何でお礼なんか言ってんだ?」 「そう思うんなら『どういたしまして』もおかしいです」 「…………」 「いいんですか?」 「何が?」 「私、まだ本当に祐真先輩のことが好きか分かりませんよ?」 「いいよ、俺は美緒里のこと好きだから」 「…………!!」 「先輩は……ずるいです」  真っ赤になった美緒里が俺を見上げる。  その顔には、まだ泣き腫らしたあとが残っていた。  風呂に入って、ぐっすり寝て、起きて……その涙のあとが消えたとき、美緒里が俺のことをどう思うか、それで決めてくれればいい。 「気をつけて帰れよ」  とにかく、レンタル畑の契約が切れるまでには、まだ時間がある。  俺は自分にできるだけの準備を進めておこう。 「また明日……ですね」 「普通に昼飯食べよう」 「……はい」  美緒里が駅に向かって歩き出す。  明らかに股間に違和感をおぼえている、ひょこひょことぎこちない足の運び。  ここしばらく、いろんなことがありすぎたんだ。笑顔は元気だけど、美緒里の後姿はすっかり疲れたように見える。 「美緒里!」  俺は最後に大声を出した。 「……はい!」 「約束だからな……無理はしないこと!!」 「はい……わかりました」  小首をかしげた美緒里は、小走りで俺のところへ戻ってきた。  間近から俺の顔を見上げる。 「なら、指切り……しますか?」  いつもと同じ表情に戻った美緒里がにっこりと微笑んだ。  次の日、俺は美緒里と別々に登校した。  いつもみたいに通学路で待ち合わせて一緒に登校したかったのだが、朝から別に行くところがあると言われたのだ。  できるなら少しでも長く美緒里と一緒にいたかったけれど、電話口の美緒里の声はそれを望んでいないようだった。 「私にできること……考えてみます」  どこか捨鉢だった昨日の美緒里とは違う、はっきりと意思の感じられる言葉……。  畑のこと、綾斗君と俺のことを、美緒里なりに受け止めて考えている言葉に感じられた。  美緒里と交わした指きりを信じて、俺は自分にできることをしようと決めた。  美緒里のレンタル畑を守るためにできることは、いくらでもある。 「畑の引越し!?」 「また思い切ったことを考えたね」 「劇メンバーでなんとかできないかなって思ってるんだけど」 「そりゃあ、君の頼みなら聞かないでもないけれど……それって日向さんのため?」 「え?」 「そっかー、美緒里ちゃんのためなんだー! やるやる、なんでも手伝うから!」 「はぁっ、いいなぁー、自分のために命を賭けてくれる彼氏がいるなんて、素敵だよねー(きらきら☆)」  稲森さん超テンション高くなってるけど、命は賭けてない賭けてない、そんな危険なお願いしてない! 「いいけど、高利貸しの片棒をかつぐようなことは……」  美緒里には何度か煮え湯を飲まされている恋路橋が、警戒の色を見せる。 「美緒里のためだけど、今度のことは儲け話じゃないんだ」 「本当に?」 「本当に」 「………………」 「……わかった、彼女には借りもあるし、他ならぬ親友の頼みを聞かないわけにはいかないよ」  恋路橋が肩をすくめ、稲森さんがぱちんと手を合わせる。 「よーしっ……じゃあみんなにも、力を貸してもらお!」  ――昼休み、中庭。 「……というわけで、力を貸してほしーのーっ!」 「真星さまのおこころのままに!」  と、稲森親衛隊は、野ぶとい声でいっせいにこたえた。  こ、こいつら……忠誠ぶりが進化、いや深化してやがる……! 「僕の力になりたいっていう、頭のおかしい連中もいるんだけど、どうする?」 「あ、あはは……このさい何でもありがたい!」 「私も……ですか?」 「うん、お願いできるかな」 「はい、お兄ちゃんの力になれるなら手伝います」 「放課後に……美術室で作戦会議ですね?」 「ああ。先生が使ってもいいって」 「楽しみです。お芝居以来ですね、みんなで何かやるのって」 「そうだな……俺も、ちょっとワクワクしてる」  ――放課後。 「やれやれ、この僕にも呼び出しとは……UMAも偉くなったものだね」 「はーい、移動しまーす」 「粛然と、走ったりせず、廊下も塞がずについてくるよーにっ!」 「おおーーっ!」 「みんな、集まったわね」 「はい!」 「創立記念祭以来ね。もうこの顔ぶれが集まることなんて、ないと思ってたわ」  鬼の舞台監督がみんなを見回して嬉しそうに微笑む。 「それじゃ、打ち合わせどおり……行動開始!」  ――作戦1・ホームセンター。 「そうそう、そこの培養土を根こそぎ購入するから!」 「わかったー! 恋路橋の言うとおりにするー!」 「あ、嘘、予算が5000円しかないから、その範囲で!!」 「わかったー! 恋路橋の言うとおりにするー!」 「あと、言っとくけど、ボクは男だからー!!」 「わかったー! 恋路橋の言うとおりにするー!」 「うぅぅ……この連中の気持ちが全然分からない」  ――作戦2・雪乃先生。 「寮の庭の使用許可?」 「そうだとも、いずみ寮の敷地一部をガーデニングスペースにして、寮生憩いの場所にする計画が持ち上がっているんだ」 「ついては、ゆきちゃんの力で学校を動かしてもらえないかな?」 「だから先生に向かってゆきちゃんはやめろって言ってるでしょー!」 「まあまあ、あと1ヶ月ちょっとで、この僕とゆきちゃんは教師生徒のしがらみから解き放たれることだし……」 「だ、だからなに?」 「つまり、色とりどりの花が咲き乱れる寮の庭で僕らがデートしても、誰にも止められないということさ」 「あ、あんたは教師まで口説くのかっ!!」 「僕では不満かな?」 「…………!!」  ――ぼかっっ!! 「はぁ、はぁ、はぁっ……い、いいわ、校長にかけあってみるから。その代わり、二度とあたしにモーションかけたりしないこと! いいわねっ!!」 「や……やあ、ゆきちゃんは照れ屋さんだなぁ……(がくり)」  ――作戦3・測量。 「そっち、もう少し右だー」 「縦何メートル余裕ある?」 「12……3かな……それで壁ぎりぎりだ」 「こっちにも道を作って、出入りしやすくできないかな?」 「さすが、まほっちゃんは頭いいなー♪」 「……やれやれ、親衛隊も使いようね」 「先輩、どうでした?」 「保健室の桜井から電話があったわ。無事に使用許可も取れそうだって」 「よかった……でもどうして保健室?」 「交渉が大荒れだったって言ってたけど、おおかた先生に色目でもつかったんでしょ」 「はぁぁ、さすが桜井先輩……あれ? 天川くんは?」 「現地を見に行ってるわ、一人で行きたいって」 「ああー、恋人のところなんだ……いいなぁ(きらきら☆)」 「そうね……どうかしら」  ――作戦4・現地測量。 「ここにも来ていないか……」  月姉と決めた役割分担で、俺は畑の状況をあらためて調べにきた。  ここに美緒里のいることを少し期待していたが、どうやらそれは当てが外れたみたいだ。  レンタル畑全体の面積にくらべて、実際に美緒里がクローバーを育てている範囲はそう広くない。  そこに目をつけて、畑全体をどこかに移してしまえばいいというのが俺の考えだけど、まだ美緒里は納得したと言っていない。  それでも、レンタル畑を使えるタイムリミットは、あと1ヶ月ほどしかないのだ。  畑の移設にどれだけ手間がかかるか、はっきりとは分からないし、今のうちから準備できることは進めておいたほうがいい。  代替地については、市役所に問い合わせたりして探してみたが、これといっていい場所はなかった。  その辺の山にでも作れたらいいのだが、案外山ってのは個人の土地だったり、市が管理していたりして、勝手に使うことはできない。  結局一番安全な場所は、いずみ寮の庭ではないかという話に落ち着いた。 「早く月姉に連絡しないと……」  畑に必要な面積を、巻尺で計って月姉に連絡する、それが今回の俺の役目だ。  ついでに、どういう手順で何を移したらいいのか、自分なりに見極めなくちゃならない。  本当は、月姉が一緒にいてくれれば心強いのだが、このガーデンに勝手に誰かを連れて入ることはできない。 「この杭とロープは綾斗君がつけたものかもしれないから、当然移すとして……」  寮の庭だとビニールハウスにはできないだろうな、そのあたり、美緒里が納得してくれるといいけど……。 「ふぅ……こんなもんか」  何度か測りなおして、なるべく正確な数字を月姉に伝えるべく携帯を開く。  そのとき、最近登録したばかりの新しい着メロが鳴った。  この曲を登録してる相手は一人しかいない――。 「……美緒里?」 「……はぁ、だめかぁ」  地図に×印がまたひとつ増える。  私は小さくため息をついて、×だらけになった地図を眺めた。  今日1日で、いくつ回っただろう。  綾斗の残してくれたガーデンを守るために、私は足を棒にして一日中この近くを歩き回った。  学校もサボって、まるで死に物狂いになってるみたいで……けれど、私の心はどこかが冷え切っていた。  きっと相手の人も、私に熱意を感じなかったのだろう。誰もクローバーを移す場所は貸してくれなかった。  心の中で冷めちゃってるのは祐真先輩のことじゃない、綾斗のことでもない。そういうことじゃなくて……。  ガーデンのこと。  どうしてだろう、いまの私にはもう、あの畑はどうでもいい場所みたいに感じられている。  ――夢を、見た。  前に見たのと同じ、とても変な夢だった。  おぼろげな記憶の中、私はとてもきれいな場所で泣いたような気がする。  無くし物をした夢。  私が無くしたのは、探し物だ。  無くなったものを探していたつもりなのに、いつの間にか探すものをなくしてしまっていた。 「よーし、次がんばろう、おー!」  地図を畳んで、一人で気合いを入れる。  祐真先輩と一緒なら、もっと力が湧いてくることだろう。  冷めた熱意を抱えながら、私があきらめられないでいるのは、焦っているからだ。  焦り――。  何かをしなければならない。見つけるか、思い出すかしなければならない。  でも、何をなのか、それがわからない。  わからないけれども、じっとしてもいられない。焼けつくような、気の狂いそうな感じ。  どこかにある。  何が?  私の探しているものが、どこかにある。  それを見つけないと……祐真先輩との指切りを守れない。  それで学校も休んでしまった。  坂を駆け上がり、山に登り、ビルも登り、思いつく限りの場所を踏破して……。  へとへとになって、休みたくても焦りはそのままで。  また駆け回り、疲れ果て、倒れこんで――。 「……先輩」  祐真先輩は、ガーデンをどこかに移すって言っていた。  そのために寮のみんなの力も借りられるって……。 「それって、楽しいのかな……」  きっと、みんな盛り上がってくれるだろう。  去年の、劇の時みたいに。  あれはあれで、すごく楽しかったけど――。 「……綾斗、お姉ちゃんダメなのかな」  欄干につかまって水面を見下ろした。  全身がだるい。  身体よりも、気持ちが萎えてしまって足が前に進まない。 「そうだよね、まだ早いよね……」  あの借りた畑じゃない。  いつの間にかごまかしていた探し物を、今度こそ見つけないといけないから……。 「…………ここだっけ」  あと一ヶ月でなくなってしまう、弟と私のガーデン。  私はどこか遠いところを見るような気持ちで、それを眺める。  綾斗がいればそれでよかった。  綾斗の思い出を守ることで、私は幸せだった。  なのに、どうしてだろう……今はこの場所にいる自分に、違和感を覚えている。 「どうして!?」  私はうずくまった。  分からない。どうして、分からないの?  どうして探し物が見つからないの?  どうして綾斗はどこにもいないの?  どうして私は祐真先輩とちゃんと向き合えなかったの?  もやもやしていた疑問が、どんどん後悔の色に染まってゆく。  それが分からなくて、私は支えをなくしてしまったのかもしれない……。  私はなにを探しているの?  知りたい――!! 「…………!?」  そのとき――私は夢の中にいた。  見ているものが信じられなかった。  見たことはない。だけど覚えてる。私はここを知っている。  残酷なほど澄み切った青空。目の覚めるような、鮮やかな緑。  そして、どこまでも広がるクローバー……。 「四葉……!?」  深い、とてつもなく深い色合いの、四枚の葉。  私の足下から、はるか空と緑が接するところまで、果てしなく生い茂っているこれは、全部、四葉のクローバー!  じゃあ……じゃあ、ここは……ここは! 「わーーーーーーーーっ!」  私はバンザイして声を張り上げ、飛び回った。  ここだ! ここ! 私が探していた場所、来たかった所、約束の、伝説の、クローバーガーデン!  ――その時。  稲妻のように、脳裏に人の姿が浮かんだ。 「……先輩!」  慌てて携帯を開く。  指が震えて、毎日嫌ってほどいじっている携帯をうまく使えない。  焦って何度もリダイヤルボタンを押す私の前に、誰かが立った。 「こんにちは」 「あなた……は?」 「ようこそ、クローバーガーデンへ……」 「美緒里? 美緒里か? どこにいるんだ?」  携帯に向かって話しかける声が、次第に大きくなる。  よく分からないが、美緒里にいま、なにか大変なことが起きている――。 「どうした、聞こえない!」  アンテナは……立ってる。向こうの電波が悪いのか? 「……見つけた! 祐真先輩、見つけました!」 「どうした? なにを見つけたって??」 「見つけたんです! クローバー! 来てください!」 「クローバー? わかるように言ってくれ」 「見つけた、ついに見つけ(プツッ)」  何の前触れもなく、美緒里からの電話は切れた。 「もしもし? もしもしもしもし!? 美緒里! おーいっ! 美緒里! 場所ぐらい言え! 美緒里ーっ!」  かけ直したが、つながらない。電波の届かない場所に、という例のメッセージが流れてきた。  これは、ただごとじゃない。 「美緒里、どこにいるんだ……!?」  美緒里は場所を言わなかったけど、クローバーって言えば……いつかみんなでクローバーを摘んだのは……。 「大橋の土手か!?」  心当たりはそのくらいしかない、俺は携帯をポケットに差して慌てて山を降りることにした。  そして、レンタル畑の前の茂みを抜けると……。 「これが……伝説のクローバー」 「だめですよ、うかつにここのクローバーを摘んでは」  シロツメと名乗った女の人が、クローバーに延ばした私の指を優しくさえぎった。 「どういうことですか?」 「……コホン」  見慣れない、でも綺麗な女の人は、小さくひとつ咳払い。 「べーっ」 「は……!?」 「ふふ……これで、いつかのことは水に流しましょうね」 「あの……???」  わけが分からない、けど……なんか納得してしまった。 「本当はガーデンなんて、気取った名前で呼びたくはないんですけど……」 「じゃあ、これで願いが……叶う?」 「貴方のクローバーはどれですか?」 「私の……クローバー……?」  一面の緑を見渡す。  雪をかぶった緑の景色――この中に、私のクローバーがある……?  まるでおとぎ話。  小学生の子供も信じないような、夢のお話。  私の一番嫌いな、奇跡のお話。  だけど……。  だけど、私はきょろきょろと一面のクローバーから、自分のを探している。  それは多分――シロツメさんの笑顔が、とても透き通っていたから……。 「これ……」  見つけた。きっとこれだ……。  自分の足もと、すぐのところに、私は自分のクローバーを見つけた。  屈み込み、そっと手を伸ばす。  シロツメさんの細くて白い指が、それに重なった。 「クローバーは願いを叶えます」 「…………」 「でも、全ての願いが叶うわけではありません」  指先で触れる。  これが――魔法のクローバー……。  触れるまでもなく、わかる。人の手でこんなに鮮やかなクローバーを作り出すなんて、無理。  私も綾斗も、きっと叶えられない願いを追いかけていたんだ……。 「貴女の願いが叶えられるといいですね」  指に、細い茎をはさむ。  指の間に、四枚の葉。きらきらして、見つめていると吸いこまれそう。  力をこめた。  ぷつん。  あっさりと、茎はちぎれ、私の手に、クローバーが。  たったこれだけのことをするために、私たちは……ずっと……。 「………………」 「さあ、願いをどうぞ」 「………………」  シロツメさんの声は、風のよう。さわやかに吹くけれど、遠い。  クローバーの葉の、緑。  深緑の海が、葉に宿っている。底の知れない深い色。  ――願い。  この小さな葉にかける、私の、願い……。  それは……。 「こ……ここは!?」  俺は、あのレンタル畑から山道を下ろうとして……。  なのに、どうしてこんな場所に……。  だけど、ここは――どうしてだ、かすかに見覚えがある……。  まるでこの世ではないような、恐ろしく鮮やかで青い空、そして一面の緑……。 「クローバーだ……」  足を踏み出す。  足の下敷きになったクローバーは、俺が次の一歩を踏み出すと、すぐに起き上がって瑞々しい葉を広げる。  クローバーガーデン――。  美緒里は……ここにいるのか?  ほんの少し歩いたところに、俺は見慣れた女の子を見つけた。  小柄な身体に、長く編んだ三つ編み――美緒里に間違いない。 「美緒里、美緒里……?」  優しく揺り起こそうとして、俺は美緒里が手に四葉のクローバーを握っていることに気がついた。 「祐真……先輩?」  美緒里が目を開けたのは、それからすぐだった。 「心配したよ……大丈夫か?」 「はい……私……」  クローバーを握りしめた美緒里が、なにかを探すようにあたりを見回す。 「よかったな」 「……?」 「ここが、美緒里の探していた場所なんだろ?」 「……!!」  その一言で、美緒里ははっと顔をこわばらせた。  手にしたクローバーを見つめて、それから不意に立ち上がった。 「これ、願いの叶うクローバー!」 「……うん」  そうだ、ここはクローバーガーデンだから。美緒里はついにそれを見つけたのだから――。 「美緒里はなにを願うんだ?」 「私の……願い事…………」 「………………」  うつむいた美緒里が、何かを思いつめるように身体を震わせる。  それから俺の顔を見て……はっと瞳を見開いた。 「………………綾斗!」 「そうだ、綾斗……綾斗っ!!」  クローバーを手にした美緒里は、祈るような格好でガーデンに膝をついた。 「……美緒里!」 「綾斗……お願い!!」  そして、〈堰〉《せき》が切れたように、叫び始めた。 「綾斗! 綾斗を! お願い、綾斗を返して! 弟を生き返らせてっっ!」  緑のなかにひざまずき、蒼穹の果てに向かって声を張り上げる。  悲痛な響きが、緑の地面と青い空に消えてゆく。 「………………」  沈黙の中、わずかにクローバーが風に揺れた。 「………………」 「……………………どうして」  美緒里が声を震わせた。  クローバーはなにも答えず、美緒里の手の中で青々としている。  それは叶えられない願いだったのだろう。  クローバーに願いをかけても、死んだ人は戻ってこない。  なぜか、俺にはそれが分かった――。 「美緒里、だめなんだ、人の命は戻せないんだ!」  俺は、美緒里の肩を抱きとめ、叫んだ。  どうしてだろう、俺はこの場所を知っている。小さい頃から……。 「でも……でも!」 「こんなんじゃ、意味ない! 何にもならない!」 「だめなんだ、美緒里……」 「……………………」 「じゃあ、じゃあ……せめて!!」 「お願いします、綾斗が……綾斗が最後に望んでいた願いを、叶えてあげて!!」 「………………」 「…………どうして?」 「どうしてダメなの! 綾斗のお願い、どうして叶えられないの!!」 「美緒里……」  どうしてだろう、それは俺にも見当がつかない。  他人の願いではいけないのか、それとも、綾斗君の願いはもともと叶わない願いだったのだろうか――。  たとえば……。 「綾斗君の願いが、病気を治すことだったら……」 「ちがいます!」 「ちがうよ……綾斗は、そうじゃないって言ってた……」 「だけど、恥ずかしいから内緒だって……」 「お願い! お願いします! 綾斗の願いを叶えて!!」 「私なんてどうでもいいの、綾斗の……綾斗のお願い……叶えて、お願いします!!」  無理だと分かっていながら、美緒里は何度も声を振り絞る。  俺はそんな彼女の気持ちが分かるから、せめて肩を支えてやることしかできなくて……。 「お願いです! お願い――!!」 「おねが……う、うっ……うっ、く……っ、うぅぅ……ぅぅっ」 「…………………………」 「美緒里……」 「私、なにしてたんだろ……こんなことしても、何にもならないのに……」 「そうじゃないよ」 「だって私、綾斗のことなんて何一つ知らなかったんだ……」 「綾斗の願いも分からないし、綾斗がなに考えてたかも……全然わかんない」 「わかってるつもりになってただけなんだ……だから、私……もうだめ……あは、あははは……」  クローバーを投げ捨てようとする美緒里の手を、ぎゅっとつかむ。 「ダメじゃない……」  俺は美緒里を、もう一度抱きしめた。 「美緒里はダメじゃない。願い事を自分のためじゃなくて、弟のために使おうなんて、俺にはできないよ」 「だから、諦めんなよ……お姉ちゃん」 「…………!?」  ふと、誰かに肩を叩かれたような気がした。  美緒里がはっとして顔を上げる。 「ありがと……」 「あ……う……うう……!」  美緒里の顔がくしゃくしゃに歪んだ。  俺の服を、破けそうなくらい強く握る美緒里の目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。 「うわああああああああああああああっ!」  腕の中で、美緒里は号泣した。  俺は、美緒里が泣きやむまで、ずっとその背中をさすってやった。  静かな〈啜〉《すす》り泣きはガーデンに流れだし、緑の中に吸いこまれていった。 「…………!?」 「…………祐真、先輩?」  草むらのなかで目を覚ました。 「あれ……私たち……」  同じ夢を見ていた。  俺も美緒里も、その夢のことは細かく思い出すことができなかったが、美緒里の手の中には青々としたクローバーがある。  一目で魅入られる、瑞々しい美しさ。 「クローバーガーデン……?」 「………………」 「実在したのかな」 「多分……」  そのクローバーを手にした美緒里が、静かに目を閉じる。 「お願い――綾斗を……」 「……………………」 「なんてね……やり直し」 「綾斗の最後のお願いを、かなえて!」  ………………。  深い沈黙が落ちた。 「それ……ニセ物?」 「本物ですよ」 「ニセ物は、きっと私なんです……」  なにかを悟ったような顔で、美緒里が寂しそうに微笑んだ。  その夜――俺は寮の部屋に、半ば強引に美緒里を連れ込んだ。 「悪いな、無理言ってさ」 「いいですよ、うち門限とかありませんから」  携帯で自宅に送るメールを打ちながら、美緒里がはにかんでみせる。  俺は、恋路橋から借りたノートPCを起ち上げた。  ネットにつないで、開くのはもちろん、綾斗君のブログだ。 「先輩……」 「一緒にいるよ……家で一人で読むより、楽だろ?」 「……はい」 「読めそう?」 「うん……今なら読めると思います……きっと……」  美緒里と肩を寄せ合って、二年以上前のブログを読み進めていく。  日付の古い順に、綾斗君の生前を追いかけるように……。 「………………」  クローバーの栽培記録や日常のことを、ひとつひとつ読んでゆく。  まるで、アルバムをめくるみたいに。 「ふふ……綾斗ったら……」 「あれ、気にしてたんだ……そっか……」  大人びた文章から、日常の断片を掘り起こしては相槌をうつ美緒里。  ひとつひとつに、美緒里はうなずき、驚き、そして微笑んで、涙ぐむ。  俺は美緒里の思い出を妨げないように、ブログの文章に気を配った。  綾斗君の望みが、どこかに書いてないだろうか。  病気のことは、書かないようにしているのだろうけど、やはりあちこちに出てきている。  だけど、病気を治してほしいという望みは書かれていない。  なら、綾斗君は――何を願ったんだろう。  その答えか、せめてヒントでもあれば……。 「………………」  クローバーの栽培記録も、綾斗君の素性を知った上で見てみると、なんとも痛ましい。  更新日時でわかる。美緒里の説明と合わせてみると、入院と入院の合間の、わずかな時間を縫っては畑に通っていたようだ。  そして当然、そういうことをしているから……このブログには、友達の話が全然出てこない。  出てくる他人は、家族と、病院の人だけだ。 「綾斗は……学校も、途中からもう、全然行けなくなっていたし……」 「何とか行けるくらいになっても、休んでるから、友達いなくて……」 「入院多いから、〈伝〉《う》〈染〉《つ》るとか、バイキンとか、いじめられてたみたい……」 「学校で倒れて、救急車呼ばれたことも……蹴られて倒れたのを、病気のせいって、先生も」  簡素な日記の行間を、美緒里の言葉が埋める……。 「だから私、ずっと嫌いだった。学校とか、先生とか、みんな……」  美緒里に友達が少ない理由に触れたような気がした。  けれどもブログには、そんな苦しみのことなど一言もない。  日記の後半では、だんだんと子供らしい文体が見え隠れする。 「お姉ちゃんはリンゴを剥くのが上手。でも、美味しいリンゴを選ぶのはなぜか苦手で、酸っぱいのが多い……か」 「もう、綾斗ったら、なに書いてるのよ」  そのまま読めば、ほほえましい日常のエピソードだけど……これは入院中のこと。  最後の入院だ……。  そしてブログは、いつか見たクローバーの生育状況を書いた記事を最後に、更新が停止されていた。 「終わり……」  これ以上の情報はない。  これで終わり……か。  綾斗君の願い、わからないままだ。 「……待って」  美緒里がマウスを動かし、何やらクリックし始めた。 「何してるの?」 「コメントがある……最後のほうになにか書いてある!」  コメント? そんなのがあったのか。 「なにか書いてある?」 「はい、あ……移転してるんだ!」  美緒里の説明によると。  魔法のクローバーを育てるなんていう夢のようなブログなので、心ない中傷や荒らしのコメントが書き込まれるようになった。  それで、このブログはこのまま放置して、別な場所で続けることにした……と。 「じゃあ、移転先は?」 「待って、リンクがあるから!」  興奮を隠せない美緒里。俺もそうだ。  まだ終わりじゃない。綾斗君の願いごとは、そこに書いてあるかもしれない! 「おっ、来た!」 「あ……!」  どう見てもブログじゃない、大手サイトのトップページのような画面が出た。 「みっくす……」 「みっくす?」 「はい……SNSです、会員限定の」 「ああ、聞いたことある。SNSって……これのことか」 「会員じゃないと中に入れないんです……だからここに移転したんだ」 「じゃあ会員登録する? 俺の名前で……あ、これ恋路橋のパソコンだからまずいか」 「それにメルアドもいるんだよな……」 「それだけなら、うちでもできるけど……ここ、招待制なんです」 「招待制か……知り合いでやってるヤツがいればいいけど、寮でPC持ってるヤツ、少ないからな」 「……大丈夫ですよ、これがあります」  美緒里はいつも持ち歩いている鞄から、久しぶりに見る分厚い手帳を取り出した。 「そ、それは……!?」  出た、これが恐怖の……キャッシュ101顧客リスト!! またの名を……。 「美緒里ちゃんのえんま帳です」  ……確かに、これだけの人脈があれば、会員のひとりくらい見つけることができそうだ。 「さすが、美緒里」 「ふっふっふ……当然です。さっそく明日、片っ端からあたってみます」  ようやくいつもの調子を取り戻した美緒里が、自信満々な笑みを見せる。 「ああ、やろうぜ」 「……はい」  ガーデンの移設は、それから考えればいい。  四葉のクローバーを大事そうに乗せた彼女の手に、俺は自分の手を重ねた。  朝の食堂は今日も戦場だ。  自信満々の美緒里がSNS会員を探し始めて2日目。  さすがにプライバシー満載な顧客リストを扱うことなので、これは軽々しく手伝えない。  身近な寮生やクラスメイトに当たってみても、『みっくす』をやってる奴は見つからず、美緒里からの報告を待ち焦がれていると――。 「おはよう、天川君……ここいいかい?」 「おう恋路橋、おはよー」 「知ってるかい……君の恋人のこと」 「恋人……って、なんかくすぐったいけど……美緒里のこと?」 「そう……彼女、今度はソーシャルネットで一儲けたくらんでいるっていう噂だけど?」 「あ、それは……」 「なんでも片っ端から招待募集してるって聞くけど、みんな怖がってるみたいだよ」 「怖い?」 「あそこは招待した人が自分の友人として登録されるからね。うかつに招待して、中で商売でも始められたらたまんないって、女子が話してたよ」 「そっか……」 「みんなで用意したガーデニングスペースもほったらかしで、どうなってるんだい?」 「すまん、もうちょっと俺を信じて待ってくれ……あいつなりにいま戦ってる最中なんだ」 「けどお前、ずいぶん詳しいんだな……ん? あれ?」  記憶の糸をたぐりよせる……。  そういえば忘れたい過去だから封印してたけど、恋路橋って……。  俺が高級駅弁食べちゃったとき、『みっくす』で暴露するって……!? 「おい、恋路橋!」 「日向さんは招待しないよ」 「そ、そこをなんとか!!」 「いくら親友の頼みでも、こればっかりはダメ! ネット社会も信用第一なのさ」  ううっ……美緒里のスパムメール攻撃で寝込んだ恋路橋だけに、言葉に重みがあるっ! 「それはともかく……」 「……ん?」 「いや、君は応援してあげなくていいのかい?」  恋路橋の言うことももっともだ。  無事にみっくすに招待されるまで様子を見ておくつもりだったけれど、もし美緒里が苦戦しているようだったら、俺も何かしなくちゃならない。  そういうわけで、俺は放課後すぐに学校を飛び出した美緒里のあとを追って、おなじみのオープンカフェまで来たんだけど。 「………………(死)」  ううっ……惨敗の気配がする!!  テーブルに突っ伏したまま、美緒里が携帯のボタンをプッシュする。  それから、がばっと身を起こし……。 「もしもし、いつもニコニコキャッシュ101でございます。はい、日向です、いつもご利用いただき、たいへんありがとうございますー」 「はい、実は今日お電話さしあげたのは、新型商品のご案内……ではなくて! 個人的にお訊ねしたいことがありまして……『みっくす』ってご存じですか?」 「あ、そうですかー♪ それは何よりです! じ、実はですね、その招待メールをいただけないかと……はい、はい……はぁ……はい」 「本当にすみませんー、ご迷惑とは思うのですが……あ、あのちょっと待ってください、まだお話は……!」 「あ、あのですねー、実は先日、先生が薬局で『ぢ』の薬を買っているのを見てしまいまして……これが生徒間の噂に上ると、とてもよくないような……」 「こーーーーーーーらーーーーーーーーーーーっっ!!!!」 「きゃあああああっ!?」 「電話かせっ! すみません、なんでもないです、お騒がせいたしました! とう、スイッチオフ!」 「なっ、なにするんですかー! 今の相手は……」 「聞きたくない、そんな弱味は握りたくない! ていうか、ちょっと来いーーーー!!!」  ――かくして。 「………………(滅)」  こたつの板に額を埋めて、美緒里は燃え尽きた残骸みたいになっている。 「ゼロ?」 「ゼロ……」  ……まさか、誰一人として、招待してくれないとは。  あれから美緒里と合流した俺は、とにもかくにも美緒里の顧客リストに片っ端から電話をかけて、招待メールのお願いをした。  脅迫まがいの交渉は一切禁止、とにかく平身低頭、誠意を尽くしてお願いすれば……。  ……と思ったのが、甘かった! 『みっくす』を知らない、そもそもネットをやってないって相手が半分ほど。  会員になっているという人は、1割程度――それでも20人以上はいる。 「だけど、その全員が――」 「…………」 「――信用できない!!」 「うぐっ!!」 「――中で何をしでかすか怖すぎる!!」 「ぐさーーっ!!」 「――紹介した自分が迷惑するのはごめんだー!!」 「あうぅぅぅーーっっ!!」  とにもかくにも、けんもほろろ。  金融業者であるキャッシュ101の美緒里を紹介することに、みなが二の足を踏むのも、わからないでもない。 「はぁ……っ……」  かくしてテーブルに突っ伏した美緒里は灰になったまま、ため息をこぼしている。 「こんなに私、嫌われてたんですね……」 「仕方ないさ……お客さんから招待してもらうってのに無理があったのかも」 「……私、先輩のやり方は認められませんでした」 「え?」 「取立ても甘いし、借りてる人の言い訳に付き合っちゃうし、なんでも丸く収めようとするし……正直、もどかしいったらありません!」 「効率だって悪いし、リスクヘッジもできないし、自分から苦労しょっちゃうし……」 「でも……こういうとき、先輩だったらみんな助けてくれますよね」 「美緒里……」 「みんなでガーデンの引越ししたり、劇したり、パーティーしたり……」 「いいな……」 「ちょっと本気で落ち込んでる?」 「平気ですよ、もう分かってたことですから」 「私は、だめなんです。先輩みたいに好きになってもらえないから」 「まてーー! いますっごい負のスパイラル入ってるぞ!」 「そうですか……でも仕方ないです」 「やっぱり先輩と綾斗君は似てるんです。性悪女にからまれやすいから」 「いやいやいや、確かに取立ては厳しいと思うけどさ、美緒里は……」 「独りよがりだし、勝手に誠実だの信義だの……噴飯ものです。ご飯粒噴き出しちゃいます。噴火です。火山灰です。雨が降ったら泥流です」  意味はわからないが、自分を汚いものと思ってることはわかった。 「けど、俺がいる」  よし、いい台詞、決まった!!  ……と、思ったのに。 「先輩は鈍いだけです」  ばっさり切り捨てられた。 「ど、どこが!?」 「私が、どれだけ汚くて、だめな子なのか……知らないんです」 「俺は……美緒里のこと知ってると思うぞ」  悪いところもあるけど、それよりずっとたくさんの良いところを見てきた……つもりだ。 「そりゃがめついのは確かだけど、それだって……」 「こ、これでも……!?」  美緒里が自分の鞄から取り出した何かを、俺につきつけた。  ――封筒? 「…………あっ!」  血の気が引いた。  こ、これは……海外からの!!! 「まさか、これを受け取った生徒って!?」 「………………(こくっ)」 「だから低金利で俺に金を貸したり!?」 「………………(こくっ)」 「ボディーガード料に気前よく食券をくれたり!?」 「………………(こくっ)」 「バレンタインのデート代をおごってくれたり!?」 「………………(こくっ)」 「あげく俺が返そうと思った金を受け取らなかったり!?」 「………………(こくっ)」 「お、お前……」 「ふ、ふっふっふ……幻滅したでしょ? もう嫌になりましたよね?」 「わかったよ……」 「はぁ……っ、言っちゃった…………軽蔑しますよね」 「お前は、そんなに俺が好きだったんだな!!」 「はぁぁ!?」 「俺を手元に置いときたくて、そんな悪知恵働かせたんだろ?」 「いっ、いえ、ち、ち、ちがいますっ! これはもっと〈汎〉《はん》人類的な陰謀がその……!!」  俺はテンパる美緒里ににじり寄って、頬に手をあてがった。  たちまち美緒里は身を強ばらせる。 「……美緒里ってさ、俺と真逆だよな」 「ふぇ……?」 「俺ってさ、ほら、部活もやってないし、これって打ちこんでるものも特にないし、けっこう飽きっぽくて、空気読んで結局なんもしなかったりさ……」 「けどお前は、なんかその年で狂ったみたいに金融道突き進んでてさ、ガーデニングも凝りまくってて、毎日暇してた俺がビビるくらい忙がしそうでさ……」 「でも……」 「まあ、確かに俺はそれなりに友達多いよ。クラスの連中とも仲良くやってるし、寮の連中だってそうだし……」 「それに比べてお前の知り合いって言ったら、顧客ばっかでネットに招待してくれる友達もいないし……」 「…………」 「そんだけなりふり構わない奴、初めて見たよ」 「え……?」 「なんでも器用にこなすすげー後輩かと思ったらさ、サラ金もガーデンも、ぜんぶ綾斗君綾斗君で……綾斗君のことしか見えてないじゃん」 「…………だから、だめなんです。私先輩みたいに空気読めないし、友達もいないし……」 「友達がいないのはいらないって思ってたから……だから、ダメなんですよね。もともと好かれたりすることなんて……」 「俺は脱線しないかわりに無気力だったし、お前みたいな勢いがあったらいいなって思ってたし……」 「なんかそーゆーの……全然違うよな」 「正反対です……」 「だから俺がいるんだろ?」 「…………先輩」  ――♪♪♪  お、メールだ……なんだよ、いいところで……? 「美緒里……これ!」  俺は携帯を裏返して、美緒里にメールを見せてやる。  それは、みっくすからの招待メールだった。 「恋路橋ー、やっぱりお前は親友だ!」  うきうきと声を弾ませながら、『みっくす』の入会手続きをする。  すぐ隣に座った美緒里は、俺のシャツを右手でぎゅっと引っ張りながら携帯の画面を見つめている。  いくらヤケになって強がったところで、この右手が美緒里の本音なのだ。  俺を『みっくす』に招待したのは、やっぱり恋路橋だった。  会員になった俺が、次に誰を招待しようが自由だと書かれていた。 「……来た!」  すぐに登録完了の知らせが届き、携帯から『みっくす』に接続することができた。  あとは、美緒里のフリーアドレスに招待メールを送って、準備は完了。 「いよいよだな……」 「はい……あ、来ました」  PCの前に座った美緒里が、俺とは比べ物にならないほど手馴れた指使いでキーボードを打ち、会員登録をすませる。  それから〈夜〉《や》〈刀〉《と》〈神〉《がみ》のブログを開いて、リンクからみっくすにジャンプした。 「これか?」 「プロフィール……あやと、男、お姉ちゃんがいる…………」 「やっと会えた……」 「………………」  美緒里はもう、綾斗君のページを開いたときから泣いていた。  俺の知らない記憶の中で、弟を思い出しているのだろう。  祈るように組んだ両手にクローバーを握り、弟の願い事が分かったら、いつでもクローバーに想いを伝えられるように……。  そうして、日記のページを開いた……。 「綾斗……」  ――日記は、ほんの少ししか書かれていなかった。  一番最初に、これまでクローバーを育ててきた経緯が簡単に書かれている他は、3つしか更新がない。  移転する前から、病状が悪化していた綾斗君が最後に残した日記だった。  その、3日分だけの更新を、美緒里は順番に開いてゆく。  1つ目は、魔法のクローバーについて書かれていた。これまで見てきたのとそれほど違うことはない。  ただ、こんな一文があった。 『お姉ちゃんが、いつか、ここを見つけると思う。それまで秘密です。その方が面白いと思うから』 「ばか……綾斗ったら」 「結構いい性格してたみたいだな」  2つ目は、前の日記が書かれた、3ヶ月後。 「最後の入院の少しあと……病院で書いたんだと思う……ノートパソコン使ってたから……」  その日記では、自分の体調が悪いこと、更新できてあと1度だけだろうということが書かれていた。  そして3つ目――最後の日記。 「『僕は、病気です。治らないそうです』」 「『お父さんもお母さんもお姉ちゃんも言わないけど、もうすぐ死ぬと思う』」 「『魔法のクローバーがあったら、この病気を治してほしいって、前は思っていました』」 「『でもそれが無理なら……』」 「綾斗……」  美緒里の声が震える……それから先は声にならなかった。 「『お姉ちゃんが、幸せになれますように』」 「………………綾斗……綾斗っ!」 「『僕がいなくなっても、お姉ちゃんが幸せで、悲しまないように』」  先の言葉を読みながら、俺の声も震えていた。 「『お姉ちゃんに、楽しいこと、幸せなことがいっぱい来て、毎日笑っていてほしいです』」 「綾斗………………あやと……綾斗、綾斗…………」 「……『それが、僕の願いです。魔法のクローバーでかなえたいことです』」  にじむ視界の中、美緒里が子供みたいな声で泣きじゃくる。  俺はその細い肩を、綾斗君の代わりに、強く、強く抱きしめてやった。  日記は途中から、美緒里へのメッセージに変わっていた。 『お姉ちゃんは、いつも来てくれて、時々泊まって、僕が苦しい時には手を握ってくれます』 『だけど、いつも僕のとこに来てるなら、学校にもあんまり行っていないし、友達とも遊んでいないと思います』 『お姉ちゃんには、元気でいてほしいです』 『僕が遊べない分も、沢山、友達と遊んでほしいです』 『笑っていてほしいです。泣いてほしくないです』 『だから、もしクローバーが見つかったら、お姉ちゃんのことをお願いしようと思いました』 『お姉ちゃんに、言いたかったです。でももうお話できないので、ここに書いておきます』 『これまで、ありがとう』 『お姉ちゃんの弟で、よかったです』 『お父さん、お母さんと、仲良くしてください。あんまり泣かないでください。幸せになってください』  涙が枯れるほど泣いて、ようやく落ち着いても、美緒里は弟の日記を見つめていた。  美緒里は画面を、俺はそんな美緒里を見つめながら、ゆっくりと時間が過ぎていく。 「…………先輩、ひどい顔」 「おたがいさま……」 「よく喧嘩して、泣かしたっけ……」 「姉弟喧嘩か」 「はい、でも……最後に泣かされちゃいました」  それから美緒里は、目の前のクローバーをぎゅっと握った。 「綾斗ってバカですよね、そんなことお願いしたって……」 「あれ……でも、謎が残るな」 「……謎?」 「だって……なら、どうしてクローバーは願いを叶えなかったんだろう」 「知らないうちはともかく、いまここで願いが叶えられてもよさそうなもんだけど……」 「…………はあ」 「なんだよ、そのため息は?」 「あ、そうか……『幸せになりますように』じゃ、漠然としすぎてるから……」 「……本気で言ってますか?」 「え? 大真面目だけど……何が?」 「はぁ……あれだけ偉そうなこと言ったくせに……」 「え? え?」 「だっておかしいよ、幸せになるって願いをかけたのにクローバーはそのままだし」 「ほら、三葉になるって言ってたじゃん? 願いかなえたら葉が消えるってシロツメさんが……」 「……よーく分かりました」 「先輩は鈍感すぎます……いや、子供なのかしら?」 「なにが? だって……でも……」 「だから、私がいるんですね」 「………………!?」  そのとき――涙に潤んだ美緒里の微笑みが、俺の胸をひと突きに貫いた。 「…………美緒里」 「ふふっ……なるほど、よーく分かりました」 「ぜ……ぜんぜんわかんねー! なんで? だからなんで願いが?」 「それはですね……」 「それは!?」 「……秘密です♪」 「さあて、そろそろかな?」 「ボクの計算では、あと10秒……5、4、3……」  ――ガラガラガラッ!! 「はぁ、はぁ、はぁ……せんぱーいっ!」 「おー、美緒里ー!」 「もーっ、なにしてるんですか! 早く早く! 早く行かないと、ソイ丼デラックスがなくなっちゃいますよ!」 「しまったぁ! 走るぞ、美緒里ッ!」 「仲いーねー、いいなぁ……」 「けけけけしからんッ! 神聖な〈学〉《まな》び〈舎〉《や》を、食欲と●欲の魔宮殿にするつもりかッ! 〈天〉《てん》〈蓋〉《がい》〈万〉《ばん》〈里〉《り》けしからんっ!!」 「やーっぱり、なにかあったんだろーねー」 「なっ、なななななにかとはっ!?」 「最近なぜか寮で美緒里ちゃん見かけるし、天川くんも部屋にこもりっぱなしだし……」 「うわあぁあぁぁ!! 鰻屋二階けしからんっっ!」 「それ四文字熟語じゃないと思う……」 「はぁ……恋すると、女の子って綺麗になるよねー。美緒里ちゃんも、すごく可愛くなったし……」 「どこか大人っぽくて、でも明るいし……月音先輩も言ってたけど、クラスでも評判いいんだって」 「あの極悪非道な金融道から足を洗ったのなら、ボクはそれで充分です」 「そうだね。天川くんの影響かな? 今度訊いてみよっと」 「でも……ボディーガードをする必要はなくなったわけだし……ふむむ?」 「え……?」 「いや……いつもは090金融で忙しそうにしてた彼らは、その時間をどうやって潰してるんだろうと思って……」 「………………(妄想中)」 「………………(妄想中)」 「………………(妄想発展中)」 「………………!!」 「け、けしからーーーーーんッッ!! 天川君と軍人将棋で雌雄を決するのは、このボクに与えられた特権なのにーーーっっ!!!」 「こ、こうなったら今のうちに鍛えて鍛えて、誰も寄せ付けない最凶王者になってやるっ! みてろよ日向美緒里ーーっっ!!」 「………………(妄想解決)」 「あれ……恋路橋君は??」  ――放課後。 「はぁ……はぁ、はぁっ……」  終業のチャイムが鳴ってから1時間。  適当に校内をぶらついて生徒が減るのを待ってから、俺は体育館へと足を運んだ。  廊下と中庭をダッシュで駆け抜け、今日はどの部活も使用予定のない無人の体育館に足を踏み入れる。 「……来てるかな?」  うきうきする心をいったん鎮めて、わざとゆっくりした足取りで体育館の奥へ――。 「あ、先輩!」 「お、おう……あれ?」  体育用具倉庫の中に身を滑らせると、中から美緒里の明るい声が聞こえた。 「……美緒里?」  どこにもいない? 声はしたけれど……さては隠れて驚かそうってつもりか!?  ふふふ、美緒里も思ったより間抜けだなぁ、先に声をかけたら驚くわけが……。 「じゃん♪」 「わぁぁ!? こ、小悪魔的美少女コンテスト!?」  な、懐かしい――おまけに普通にビビってしまった……恥ずかしい。 「いったいどこでそんなものを!?」 「えへへ……そこの衣装ケースに入っていたんです」  目をぱちくりさせる俺を見て美緒里が笑う。 「どうですか……似合います?」 「ちょ、ちょっと新鮮かも」 「ふふっ……みおりんプロデュースの名に賭けて、先輩を飽きさせたりはいたしません♪」  このところ毎日、俺たちは放課後になると人目を忍んでデートを重ねている。  デートの内容は日によってまちまち。至極健全に手を繋いで散歩するだけの日もあれば、夜になるまでひたすら欲望を貪る日もあったり……。  そのあたりは、美緒里の機嫌と俺の交渉次第といったところだ。  けれど、もう俺たちの関係は学校でも噂になっているので、不健全なデートをするときは、場所を探すのに一苦労する。  今日も、美緒里の事前リサーチによって、無人の体育館で落ち合うことになったのだ。  ということは――つまり今日のデートは健全コースではなく……。 「み、み、美緒里……」 「先輩、覚えてます?」  肉欲棒魔王に半分憑衣された俺をよそに、くるっとターンした美緒里が右手を上げた。 「――どんな手を使ってでも、王子を私のものにしてみせる!」 「おおっ……それは隣国の娘!」  俺も美緒里のまねをして、懐かしいセリフを思い出す。 「私は貴女を幸せにすることができない……」 「ならば私が王子を幸せにして差し上げますわ」  芝居のセリフを思い出しながら口にすると、気持ちが三ヶ月前に戻ったような気がしてくる。 「どんな手を使ってでも……か」 「そうか……劇の筋書きどおり、俺たちがくっついたんだなぁ」 「あれはバッドエンドでしたけど?」 「現実はどっちかな……」 「あん……や、先輩……ん、んっ……」  隣国の娘を抱き寄せ、王子になったつもりで唇を奪う。  すぐに美緒里が身体を預けてきた。 「美緒里はさ、いつから……」 「え?」 「ん……いつから俺のこと気になってた?」  クリスマスパーティーの準備をしてた頃、よく美緒里が俺の顔をきょとんとした表情で覗き込んでいたのを思い出す。 「クリパの頃とか……」 「違いますよ」 「最初に会った時から……綾斗に似てるって思いました」 「だから私のものにしたかったんです。どんな手を使っても……」  結局、俺と綾斗君は違っていたわけだけど……。 「……にしたって、仕送り隠すのはやりすぎだ」 「でも、先輩を飢えさせたりはしませんでしたよ?」 「反省がなーーい!」 「あん、冗談ですってば……ん、おわびに……」  時計を気にしながら、それでも気が済むまでキスをして……それから美緒里は跳び箱に手をついて、お尻を持ち上げた。 「ふふ……」  衣装のスカートをたくし上げると、白いお尻が目に飛び込んでくる。 「え……パンツは!?」 「ん……ン、どうせ脱ぐから、着替えのときに脱いでおきました」 「それは……効率的っていうか、ロマンがないっていうか」 「あー、脱がしたかったですか? ふふふ……っ」  もろに図星だけど知らん顔をしておくと、美緒里はさらに大胆に挑発をしてくる。 「せんぱーい、今日はどちらがいいですかぁ? おしり? お……まんこ?」 「り、両方っっ!!!」 「あー、よくばり。んふふ……あ……あんっ……!」  たまらなくなった俺は、美緒里のお尻に手を乗せて肉のふくらみを左右に割り広げる。  何度も味わったのに、それでも夢中になってしまう小さなお尻の穴――その下で赤い粘膜が口を開けて、俺が入るのを待っている。 「最初は、前から……」 「あん、ん…………いいですよ、ゆっくり……ん……あ、あんんっ……」  ぬるっ……あっという間に美緒里に包み込まれた。 「ん……ぁああぁあぁッ……んあっ、あ、あ、あッ……あぁぁッ」  美緒里の甲高い声を聞きながら、生赤く充血した粘膜の奥まで一気に入っていく。 「あ……んあっ、あんっ……あ……いいぃ……う……うううーっ、んあ、んぁ、んぁ、んぁッ!」  上履きの足が床にこすれる。跳び箱がきしみ、美緒里の身体が前のめりになる。 「んあっ……あぁぁーーん、はぁっ、うあ……あんっ、あんっ、ん、んんぅ……ちゅ、んちゅ……」 「あーぁぁ、美緒里の、気持ちいい……」 「んんン……せんぱ……あ、あ、あァァッ……うあっ! んあっ、んあっ、あっ、あっ、あっ、あっ……!!」 「んぃぃッ……あっ、やっ、せんぱい……んあっ、いきなり激し……やぁぁあぁ、だめ、そんな早く……」 「美緒里が濡れまくってるから、すごい滑るんだ……」 「やぁぁ、んううーっ、ううああっ、すごいっ、あ、あ、あ、そこそこっ……!」  最初から激しく出し入れすると、美緒里の細い肩口が何度も震える。 「あんっ、ん、んぁあっ、すご……あ、あ、あっ、気持ちいい……あ、あーーっ」 「あ、あ、そう……お尻の穴に力入れて」 「んぁ、はぁぁ、あ、こ、こう……ですか……ぁぁああぁッ!?」 「ああぁ……すごい締まる、最高……」  目の前で美緒里のお尻の穴がキュッとすぼまり、それに合わせて襞が締め付けてくる。 「んあ、んあァ……あーーーーッ、あッ、あああぁぁッ! そんなのらめ……ぇ、んあっ、あっ、あ、あ、あああ……ぁ」  肉のはぜる音が狭い室内に響く。腰を打ち付けるたびに、美緒里が可愛い声で悲鳴を上げる。 「んああぁぁッ、あーーーっ、だめだめっ、強い……ィィィッ……んあっ、あーーーっ、きゃぁぁぅぅぅッ……ッッ……っうぅッ!」  美緒里が痙攣を起こしたのを見て、腰の動きを少し緩めてやる。 「んああっ、あぁぁ……すごい……んぁ、んあっ……あん、あ……あ、あ、あああーーぁあッ……」  美緒里が言葉で駆け引きをするみたいに、俺も彼女の反応を見ながらコントロールするようにHができるようになってきた。 「あぁぁ……ぁ………………はぁっ、はぁ、はぁ……はぁぁっ……」  あらためて、跳び箱に突っ伏した美緒里の身体を見渡してみる。 「はぁぁ……かわいーな……」  つい声に出してしまうほど、すっかり美緒里の魅力に参っている自分がいる。  隣国の娘の『どんな手を使ってでも、王子を私のものにしてみせる』策略にはまってしまったみたいで、すこしシャクにさわる。  おまけに、こんな風に無防備にお尻を晒してる美緒里を見ると、なにか意地悪してやりたくなってくるけど……。 「んぁ? あん……先輩? ん……? んぁ、んーっ……」  急に抜き差しをやめると、美緒里の腰がもぞもぞと動きだす。  パンチラを初めて見たときから、俺をすっかり虜にしてしまった美緒里の白いお尻――。  俺はおもむろに右手を上げて……。  ――パァン! 「きゃうううっ!?」  平手をお尻に打ち付けると、ビクビクッ……と美緒里の身体が跳ねて中の肉がキューッと締まってきた。 「うわ……すご、キツい……」  まるで初めてやったアナルセックスのときみたいな、握りつぶされそうな圧迫。 「やぁ、な、なにするんですかっ!?」 「うん、おしおき♪」 「お、おしおきって!? あ、やぁ……きゃぁあぁっ!?」 「考えてみたらさ、仕送りドロボーさんにちゃんとお仕置きしてなかったと思って」 「えぇ? やん、あぅぅっ……そ、そんなの今じゃなくても……きゃぁぁ、待ってーー!」  ――パァァァン! 「んにゃぁああぁぁッ!! んぁ……あ、あ、んぁぁ……ッ!」  白いお尻に赤々と浮き上がるもみじの形――それを眺めながら腰を回し、ゆっくり美緒里の中をかき回し始める。 「いぎィ!? んぁ、んやぁぁぁ、ひど……いですっ! んぁ……あぐっ、あんっ、ぶつの……やぁんあああっ!」 「なに言ってんだ、お金のことはキッチリけじめつけるのが美緒里のポリシーだろ?」  ――パァンッ! 「でも……んああっ! あん、ちが……あっ……もうらめ……あひィ、ああ、あああーっ!」  美緒里の括約筋に締め付けられたペニスが、これまでにないほど硬く張り詰めている。  ――パァンッ! 「やぁぁ、いじわる……うううううぅぅ! んぁ、んぁ、んぁ……ああ、だめ、だめぇ……あん、ん、ん、んぁ……」 「おぁぁ? すごい締まるっ……美緒里ぶたれて感じてるだろ?」  ――パァンッ! 「ちが……んいぃぃぃィィ! あうっ、動かしちゃだめ……んぁ、んんぁ、ああん……っ、感じる、感じちゃうーーぅぅぅぅ……」  平手を打ちつけながら、美緒里のお尻が壊れそうなほど激しく突きこんでいく。  ――パァンッ! 「んいぃぃぃィィ! あうっ、らめ、動かしちゃらめぇぇ……んぁ、んんぁ、ああん……っ」  すぐに美緒里のお尻が真っ赤に染まってきた。 「やぁぁぁ……あ、あーーーっ、痛い、いたいぃぃ……」  ――パァンッ! 「きゃぁぁんあっ、おしり……あ、あ、イく……うぅぅぅゥウゥゥゥッッ!!」  俺もイきそうだけど、美緒里の反応はそれ以上だ。  ――パァンッ!  お尻を叩かれたとたんに悲鳴のトーンが変わって、あっという間に昇りつめてしまう。 「んああああーーーっ、あん、あん……ん、だめッ、あ、あぃッ、あぃ……いやぁぁっ、イク、イク、イぐ……ッッ!!」 「すごい、もうイッたの?」 「ちが……あ、あ、きゃぁあアッ!! も、もうだめぇぇ……せんぱいぃ」  まだまだこの程度で許すものかと、さらに腰の打ち付けを激しくしていく。 「待って……まっ、あ……あああっ、あ……うぁぁぁああァアァッ! あぁーーーっ!!」  ――パァンッ! 「んぎぅ……ンアッ!! あァ……あっ……あはぁぁッ……ああっ……はぁぁァあぁッ!」 「美緒里のまんこ、めちゃくちゃ締まってる……俺も声出そう」 「やぁぁっ……だって、あ、あ、あぁぁッ……ん、んぃぃーーっ、んぃ、んぃ、いッ、いぁ、いぃぃぃぃッ!」 「こんなのが気持ちいいなんて、美緒里ってM?」 「違います……あんっ!! あがっ……んいいいィい……ひぁ、やだ、止めて、おしっこ出ちゃう……止めて、止めてぇぇ!」 「やっぱMだって、すごいエロい顔になってる」 「やぁぁ……だって、んあっ、あ、いいのっ、ぶつの好きっ、うぐあっ…………っっはァァーっ、んあおぉぉっ!」  動物みたいに唸る美緒里に、容赦なくペニスと平手を打ち込んでいく。 「んおおーっ、うぁぁああああーっ、おぁぁっ、うはァッ! っはぁぁぁッ!」 「あ、あ……締めすぎ、締めすぎだって……このっ」  ――パァンッ! 「あっはぁぁぁぁぁっ! うひっ、ひぐっ……いィィ、あぃ、あィ、あィィ……」  すっかり美緒里の性器が泡立っている。打ち付けるたびに、太ももを愛液がポタポタと伝う。 「いイッ、いいのっ! あはぁぁぁっ、あぁぁぁああああああ!!!!」  パンッパンッ……っと、美緒里のお尻に腰をぶつけながら、また手を振りかぶる。 「だめぇぇ、もう叩かないで、イっちゃう、イっちゃうううぅぅっ!!」 「イっちゃえ……」  ――パァァァァンッ! 「んィィィいいーーーィィィッ! はぁぅぅぅ……んあっ、あっ、あ……ああ……ぐぅぅぅゥゥゥゥ…………ッッッ!」  美緒里がガクガクッと痙攣して絶頂した。膣口がキューッと締まって、俺からも精液を搾り取ろうとする。  それを引き剥がすように、強引に抜き差しを繰り返すと、とうとう美緒里が音を上げた。 「んああっ、んぐっ、だめ、抜いて、抜いてェェッ……だめ、ほんとにだめぇぇ……抜いて、抜いてぇぇ、あはぁっ、んぁ、んぁぁ……」  ――パァンッ! 「イク、またイク……しぇんぱ……ごめんなさ……あ、あ、あ、もうイクの、イク、イク、イク、イク、イぐゥゥ……ッッ!!」  立て続けに絶頂した美緒里を、マットの上で仰向けにさせる。 「はぁぁ、せんぱ……ああぁあぁああッ……あぁ、あぁ、あーーぁぁぁ」  そのまま今度は美緒里のお尻を犯した。  最初にアナルセックスしたときみたいなポーズで、腰を抱え込む。目の前に抜いたばかりの美緒里のアソコが、ヒクヒク蠢いているのが見えた。  あのときはおあずけだったけど……もうどっちも俺のものなんだ。 「あ……はぁぁ……先輩……もう、あ、あ、あ……イっちゃいましたから……ッ」 「そんなに気持ちよかった?」  腰の動きを止めて、赤く染まったままのお尻をぴたぴたと叩いてやる。 「んやぁぁっ……ち、違います……叩かれてたのが気持ちよかったんじゃなくて……」 「こっち?」 「あぁぁァ……そ、そう……んぁぁ、せんぱいの、おちんひん……ん、んっ……んーーんぁぁ」  美緒里が両足で俺の背中を挟もうとする。 「あ、美緒里エロいな……ん、んっ」 「んあぁあーぁぁ……だって、んぁぁっ……あ、あ、そこ、そこそこっ、突いて! 動かして! 目茶目茶にしてぇ!」  何度もイッたせいか、美緒里はもう我を忘れているみたいだ。 「あ……はぁぁ……すご、い……ぃぃィッ! はいって、あ、あ、こすれて……ん、んぁぁっ、あ、あーーっ……」 「ほんと、美緒里はここ好きだよなー」 「やーーーっ、ちがいま……ちが、あ、あ、あーーーっ」  クリトリスをキュッとつまんでみると、肛門がペニスの根元を締め付けてきて、痺れるような快感が背筋を這い上がる。 「んぁぁぁっ、んぁっ……すきぃ……好き好き、すきぃぃぃ……っ!」 「なにが? 俺? ちんこ……?」 「どっちも……んぁぁ、だってお尻……んあぁぁ、気持ちいいんだもん……ん、んあっ、ん、ん、んーっ、イッちゃ、またイッちゃ……うぅぅぅっ!!」  叫んだ美緒里の身体が硬直して、のっぺりした腸の感触が雁首を圧迫する。 「んんんんぁ、あーっ、あ、あ、あ、はぁぁぁ……あ、あーーーーっ!! あーーーーーっ!!!」  腰を打ちつけながら空いた指でクリトリスをしごくと、美緒里の反応が一段と大きくなった。 「んーっっ!! んぁぁーッッッ!!! んぃ、いいぃッ、ンッンッ……んぁァァ、んーっっ!!」 「まだイかない?」 「ん、んーーっ! もう……あ、あーっ、んィィ、おああァァあぁッ!! や、だめ……っっ!!」  美緒里の身体が魚のようにのたうって、締めつけがさらにきつくなる。 「んーっっ!! んっ、んふっ、んふーっ!! はぁ、はぁっ、はァあぁあぁ……ん、んーっ!!」  奥まで一気に突きこんで腰を小刻みに前後させると、美緒里が面白いくらい反応する。 「んあっ、あ、あぃっ、い、イーーーーッ!! いや、あ、あ、らめ、そんな激しくしちゃらめぇぇ……!」  バタバタッと両足が跳ねる。跳び箱の上で美緒里の全身がキュッと硬直した。 「んぁあァ、あーーーーーっ!! あ……あ、あ……いく、いっちゃ…………あ、あ、あぃ……ィィ!」  美緒里が痙攣を起こしたところで、腰の動きをゆるめてやる。 「ひっ……………んぉぉぁぁぁっ、はぁーっ、はぁ、はぁ……はぁぁ、はぁ……はぁーっ……ぁぁ」  脱力している美緒里のクリトリスをしごくと、またすぐに悩ましげな声が戻ってくる。 「んぁぁ……せんぱい……やぁあぁ、私ばっかり……あ、あんっ、だめです、あ、あ、あっ……」 「だったら我慢しろよ」 「は、はいぃ……ぃィぃィイッ! ぃああっ、で、でも……でもでも……あ、あ、あぉぉっ、んぉぉ、んぉぉぁあぁぁぁぁーーーーーッ!!!」  必死に快感をこらえようとしても、ペニスがズリズリと腸の粘膜をこするだけで、美緒里の我慢はすぐに決壊してしまう。 「じゃ、今度はこっちな……」 「え? あ、あ……んぁぁ、あ、あーーーーっ!!」  お尻から引き抜いたペニスを、ヌルヌルの膣口に一気に突き入れた。 「んあぁぁ!? ううーーーーぁッ、あはぁぁぁぁっ、あーっ、あーっ! んあ、んあぁぁぁぁぁぁ!!」 「うわ……さっきより熱い……」 「だって……んあ、んあ……あァーっ、あ、うーっっっ、あ、すご……あ、あーっ、あーっ……んぁ、すごい、あーっ、あぁぁぁァァ!!」 「お尻とまんこ、どっちがいい?」 「んああァァ……ッ! り、りょうほ……んぃぃッ、んぁ、んぁぁぁ、やだ恥ずかし……ああ、あ、でも両方っ、どっちも……んぁ……あぁぁああぁ!」  隣国の娘の格好で、両方の穴を順番に貫かれた美緒里が汗まみれで悶える。 「んはぁぁーーーッ、あ、そこ、そこそこそこ、すごい……あァアァんぁ、んぁ、んんぁあぁ、んんんーーーっ!!」  声のトーンが切迫してきた。不自由な体勢から、美緒里が腰をクイクイ動かしはじめる。 「あーっ、あ、おまんこ……あ、あっ、あひっ、ひっ、やだ、またイきそう……先輩ぃぃい、いっちゃ……!!」 「なにそのイき顔……我慢するんじゃなかったっけ?」 「だって、だっ……あ、あーーっ、い、い、い、すごいっ、すごいっ、あァーーっ、あぃ、いひぃぃぃ……イク……ぅぅッ!」  俺は言葉で美緒里をいじめながら、まるで膣でペニスをこするように腰を打ち付ける。 「あ、あ、あーっ、だめ、だめだめだめぇ、いく、い、いーーーっ、イクイクイクッ!!!」  美緒里の身体が張りつめて硬直した。それでもペニスを突きこむと、また喘ぎ声が漏れてくる。 「はぁぁ……ぁぁ、すごい先輩……お、おなかの中……ぐちゃぐちゃ……あ、んぁぁ……」 「はぁーっ、はぁーっ、はぁ、あ、あ、うあっ、い、息出来ない……あ、はひ、ひっ、はぁ、あ、あ、あ…………はぁぁーっ」 「これで何回目?」 「わかんらい……んぁ、ううぁ……あ、ああぁあぁッ、んぁ、すごい、すごい、先輩の……すご……いぃぃぃィィイィ!」 「またケツ〈挿〉《い》れていい?」 「いいっ、いいっ……〈挿〉《い》れて……お尻でイくの……あ、あ、あ、んあぁぁっ!」  もう一度お尻に〈挿〉《い》れられた美緒里は、最初から切羽詰った声をあげた。 「あ、あぁ、そ……そこ、そこぉぉッ……あ、やぁああぁーーーーーーぁぁあぁあああぁぁぁぁああッ!」  括約筋がキューッと締まり、ペニスを根元から食いちぎろうとする。 「はぁぁあっ……ゆーませんぱ……せんぱいぃぃ、あーっ、だめ、だめですっ、らめ、か、感じすぎちゃうから……ァァ!」  パンパンと腰を打ち付けるたびに、快楽の電流が美緒里の理性を灼き焦がしていく。 「う……きぃぃぃッ! あ、あーっ、あァァーっ!」  クリトリスをギューーっとつまむと、美緒里のアソコから透明な液体がピュッと跳ね上がった。 「わ、潮……」 「やぁぁ……あ、あ、あぁぁ……すごいぃ、お尻……こわれちゃう……う、うぁぁ」  俺はお尻にペニスを〈挿〉《い》れたまま、物欲しそうにヒクついている美緒里の膣口に中指をねじ〈挿〉《い》れて、クイクイと中の粘膜をひっかけ、こすり立てる。 「んィィィィッ!? あっ、あーーーーぁぁぁぁッ! ああぁぁあぁぁぁああああ!!」  パシャパシャッ……と、透明な液体が指に押されるようにして噴き出してくる。 「やだぁぁ出ちゃう……あぁぁーっ! いやぁぁぁーっ、うぐ……っ、あ、うああっ、だめ、もれちゃうぅぅぅ!」 「わ……すっげ、噴水みたい」 「んあっ、あーっ、あぁぁーっ、だめ、だめっ、イクッ……ッッ!! う……ッッ!!!!」  指でこすりながら、腰の打ちつけを始める。先っぽが奥に届くたびに、トプットプッ……と新しい愛液が湧き出してくる。 「やぁぁぁ、んぁ、んんぃぃっ、んーーっ、らめ、だめだめ抜いてっ!」  ヌポッヌポッ……と音がするたびに、すっかり赤くなった美緒里の性器が、泡立ってひしゃげる。 「だ、だめ……あ、ああああ、ああああっ! だめだめ、もうだめっ、気持ちいいぃ……ィィっ!」 「んぁあーーぁぁぁぁぁ……あ、あ、イク……イきそう……だめぇぇぇっ、そんなのだめーー、あ、あ、あ、んぁああぁあぁぁぁぁッ!!」 「やめていいの?」 「ちがっ、あひゃぁああっ! あ、あァーっ! はぃ、あ、あーーーーっ、あーっ、ちんこ……あ、あ、もっと……あはぁああぁ……ぁ」  美緒里の声が裏返る。キツキツのお尻に締め付けられ、こっちが射精してしまいそうだ。 「あァァぁあぁぁ……ちんこいっぱい……いっぱ……ちんこいっぱい…………ちんこ……いっぱい……っ」  ちょっと角度を変えて突いてみると、美緒里の敏感なところに先がトントン当たる。 「だめ、ちんこ感じちゃ……イ……イく、イくイくっ……イくぅぅ……ッ、ちんこ、お尻いいぃぃ……く、いくぅぅーーぅぅ」  堪えきれなくなった叫び声に合わせて、次から次へと生温かい液体が吹き出してくる。 「いやぁぁ、あーっ、んああっ、あーっ、ああぁぁぁ、イクイク……もう、あ、もうイクゥゥゥゥッ!!」  またイッた。それにかまわず、中の壁をこすりながら勢いよく抜いて、またゆっくりねじ〈挿〉《い》れる。  俺に翻弄されてるようにみせて、美緒里はしっかり自分からも腰を押し付けて、ぐりぐり動かそうとする。 「んぇああああッ。もうやら、やめへ……ぇぇぇ、イッたの、イっちゃったのぉ……っ、うぐっ……ぅぅぅぅううううう……ッ!!」 「んんんぁーっ、あ、あ、また、うそ……やぁぁぁ、またイくッッ!!」 「ああ、俺も……イくから……」 「んぃぃぃっ……んぁっ、うあっ、あぐっ……うぁぁああッ! あっ、あっ、ああッッッ……イクイクッ、い……うううぅぅぅうぅぅッッ!」  全身がブルルッと震えて、ペニスを抜き放った俺は美緒里の口めがけて下半身の緊張を解き放った。  断続的に身体が震え、激しく射ち出された精液が美緒里の身体を汚した。 「はぁぁ……ッ、んあぁ!? あん……あ……んぶっ、あ、あ……はぁぁっ……ん、ん……」  すごい……美緒里が俺の精液でドロドロになっていく……。 「うぁぁ……はぁぁ、すごい……あ、あ、んぶっ、ん……じゅる……」 「あ……はぁ、はぁっ……はぁ……すごい出た」 「はぁ、はぁ、はぁぁ……うん……はぁ、はぁ……はぁぁ」 「あはは……べとべと……ん、ちゅ、先輩の精液、美味し……ん、じゅるるるるっ……んじゅっ、んじゅるるっ」 「ごめん……ドロドロだな」 「うん……もうー、先輩のえっち激しすぎますよぉ……はぁぁ、はぁ、身体壊れちゃいます……ん、じゅる……はぁぁ」 「あん、衣装汚れちゃった……ん、れろ……ちゅ、ちゅ、じゅる……んふふ……濃いの……ん、じゅるる……」 「ほら、こっちも綺麗にして……」 「あぁー、もっと濃いの出てる……ふふっ、ぁぁン、えっち……あむ、ん、じゅる……んぷっ、んぶ……じゅるるっ、ん、ん、んぶぶっ……」 「んーーーーっ! また先輩にイかされちゃった……」  制服に着替えた美緒里が、気持ちよさそうに伸びをする。  獣欲を解き放った俺は平均台に腰を下ろして、美緒里の着替えを眺めていた。 「なんか美緒里、Hするたびに可愛くなってない?」 「ふふふ……おだててもだめですよー、くすくす……」  口ではそういいながら、美緒里は褒められるとすごい嬉しそうな笑顔になる。  そんな顔をされると、反対にこっちが照れてしまうほど。 「あーせんぱーい、めろめろですかぁ?」 「ん……めろめろ」 「ふふっ……ちゃんと、飽きない工夫をしてますから♪」  立ち上がった俺は、制服の美緒里に顔を近づけて首筋にキスをした。シャンプーと汗の匂いを吸い込んで、くすぐったがる美緒里に何度もキスをする。 「……もう1回する?」 「だーめ……日曜までがまんして」  つんとおでこをつついてから、美緒里がいつもの挑発する目つきになる。 「あ、でもお口ならいいですよ……くすくす」 「やった♪ じゃあさっそく……」 「…………んん?」 「先輩……どうしたんですか? せっかくその気になったのにー」 「いや……外で声がするんだけど?」 「えぇ? そんなはずは……!」  まさか、さっきまでの声が聞かれていたのかも!? 慌ててドアの隙間から外を覗くと……。 「きゃぁぁぁぁぁ……!!」 「こ、これは……!?」  そこには赤いブルマをはいたマダムな集団が、黄色い掛け声でレシーブやトスの練習をしており……!? 「うそだろ、お母さんバレー……??」 「し、し、しまったぁぁ……!!」 「ど、どうした!?」 「す、すみませんっ、私としたことが、外部への貸し出し予定まではノーチェックでした!」 「な、なにーーーーー!!!」  しかしいくら嘆いたところで後の祭り。もはや脱出不可能な状態に変わりはない。 「…………どうする?」 「…………どうするって、今出たら……」 「何してたかバレるよね」 「…………(こくり)」 「………………」 「………………」 「鍵かけて…………もっかいする?」 「…………うぅぅ、迂闊でした……ぁ」  ――春、新年度はじまりの日。  月姉も桜井先輩も卒業して、いよいよ俺たちが最高学年だ。  6年目の俺たちにとっては、さして新味のない始業式――。  しかし、俺にとって新しいものも、今年は確かにあるわけで……。 「せーんぱいっ」 「お! 似合ってるじゃーん」 「えへへ……まあ、それほどでもありません」  いつものように待ち合わせる。  放課後、校門で待ち合わせて、俺と美緒里は一緒に帰る。  すっかり公認のカップルなので、いまさら恥ずかしがることはない。 「これでお互い上級生か……1年ぽっちだけど」 「ですから先輩さえ留年してくれれば2年でも3年でも……あ、4年目はありませんけど」 「そこまで経ってから切り捨てないで!」  暖かくなってきて、もう手袋なしで手を握っても全然問題ない。  冷たい手をお互いのポケットに突っこんで温める、というのができなくなるのはちょっと惜しいけど……。  でも、このさわやかな風と陽光があるなら、十分だ。 「ちょっと散歩してから帰ろうか」 「いいですねー、だいぶあったかくなりましたし」 「山の方、行ってみる?」 「……うん」  俺と美緒里は山の方をぐるっと回って、また大橋まで戻ってきた。  クローバーを移転させた、例のレンタル畑では工事が始まった。  フェンスに囲まれ重機に掘り返されて、畑があった場所は、元の面影などかけらも残っていなかった。 「うるうる……こうして時代は流れていくんですね……」  茶化したように言う美緒里だけど、オーバーでなくそういうことなんだと思う。  先輩たちはこの街を離れ、新しい後輩が入ってくる。  俺も、来年の春にはこの街を離れ、新しい道をゆく。 「そうだ! この間、雪乃先生と桜井先輩が、手、つないでるとこ見ましたよ」 「え!? あの二人、いつの間にそんなことに!?」 「それが七不思議です。一応、証拠写真はここに……」 「やめんか!!」 「うぅぅ……脅迫には使ったりしないからいいじゃないですかぁ」 「前は……ここでお別れでしたね」 「そうだな、俺はあっち、美緒里は向こう」 「いつも曲がる角を曲がらないのは、なんだか不思議な感じです」 「そのうち慣れるよ」 「そうですね……」  美緒里と一緒に寮の敷地に入り、建物の中に入っていく。 「いずみ寮のみなさま! 4年B組、日向美緒里、今日からこちらでお世話になります! よろしくお願いしますっ!」  ――そう、美緒里は始業式の今日から、いずみ寮の住人になった。 「先輩みたいに友達を作るには、一緒にいる時間を増やすことが第一です」  と両親を説得し、入寮を認めさせてしまったのだ。  急な申し出だったけど、卒業生である月姉と桜井先輩が、最後の仕事としてねじこんでくれた。 「その方が面白いじゃない」  というのが月姉の弁。  今年は入寮者が少なく、女子部屋が余っていたことも幸いした。  ともあれ、これで今日から、美緒里とは同じ屋根の下というわけだ。  入寮式の後は、運送業者が運びこんでおいてくれた荷物の整理で、新入生たちは大わらわ。  先輩たちが寮からも卒業していって、ここしばらくは寂しかったのが、ようやく少しは賑やかになるだろう。  月姉の部屋にも、桜井先輩の部屋にも新入生が入った。ちょっと感慨にふけってしまう。  来年、俺が寮を出たら、後輩たちが同じことを思うんだろうな。 「ゆーま先輩っ♪」 「お、もうすんだのか?」 「荷物なんて、元々全然ありませんから」  そうだよな。何か必要なら、その都度、家に取りに行けばいいわけで。  なにより、大荷物だったはずの園芸用品は……。 「外……見てきませんか??」 「いきなりかい! でも気持ちは分かる……行こうか」  寮の裏手、目立たないけれど日当たりのよい一角に、今年からガーデニングスペースができた。  パンジーだとかベコニアみたいな定番から、園芸部の謎植物まで、色とりどりのエリアの隅っこに、ロープでくくられたクローバーガーデンがある。  演劇チームみんなが準備してくれた場所に、2月の終わりから半月がかりで、美緒里と俺がレンタル畑のクローバーを移植したものだ。  一緒にクローバーを土ごと掘り返し、猫車(工事現場で使われるあの一輪車だ)に乗せて、二人でここまで運んできては、新しい土になじませていく。  美緒里は、肥料や土の種類、温室など、色々と条件を変えて栽培していたから、運んだ先でも同じようにしなくてはならない。  そんなこんなで、1週間程で終わると思っていた移植作業に、倍の半月が掛かってしまった。  雑草のクローバーにガーデニングスペースを割くのはどうかとも思ったが、そこは永郷市の伝説がものを言う。  市外から入学した生徒に向けて、寮生一同でクローバーガーデンの説明を書いた看板まで用意した。 「おー、元気元気」 「ふーむ……でも四葉はまだまだ少ないですね……」  ガーデンのクローバーは、条件がよかったのか素晴らしい繁殖ぶりで、今じゃもうすっかり緑の絨毯だ。 「そのうち生えてくるよ……」 「そうですね……こんなのが」  美緒里は懐から、青々としたままの魔法のクローバーを取り出した。 「伝説のクローバーか……使わないの?」 「うん……」 「まだ願い事が決まらない?」 「違います、これはもう使わない事に決めました」 「いいの?」 「うん……綾斗の願いは、先輩がもう叶えてくれてましたから。私にはもう必要ないんです」 「………………俺が?」 「……………………」 「はぁぁ……まだ気付いてなかったんですね……先輩ってやっぱりお子様」 「な、何がだ!? おのれ最上級生をつかまえて……」 「ですから!」 「これは先輩に差し上げます」 「え? でも、たしかクローバーって摘んだ本人じゃないと効き目がないって聞いたことあるぞ。俺が持ってても……」 「だからいいんじゃないですか」 「使わなければ、クローバーはずっと枯れずに残るんです」 「そ、そうだな……」 「素敵じゃないですか。いつまでもずっと残り続ける二人の記念……幸せのシンボルの、枯れない四葉のクローバー」 「…………」  あの現実主義者の美緒里が、そんなロマンチックな言葉を口にするようになるなんて。  人は、変われば変わるもの……いや、あるいは、こっちが元々の美緒里なのかもしれない。 「……ダメですか?」 「いや、ダメじゃない。全然だめじゃない!」 「ふふっ……それじゃあ、約束しましょう」  美緒里が小指を立ててにっこりと微笑む。 「どんな?」 「どんなのがいいです?」 「…………ずっと一緒にいよう」 「……そうですね」  美緒里の小指とおれの小指――太さの違う指と指をからめて、指切りをする。  言葉よりもずっと確かな、誓いの儀式。  そのときになって、ようやく……俺は分かった。  クローバーの願い……綾斗君のお姉ちゃんを、俺は、必ず幸せにするだろう――。 「……指切った」  それでも指を離すのがもったいなくて、俺たちは小指をつないだまま。  まともに照りつける陽光の中、寮の屋上に、人影が見えたような気がした。  笑顔の二人。片方はシロツメさんで、もう片方は――小さな、男の子……。 「よろしくお願いします、祐真くん」 「ああ、ずっとな」  目を細めると、そこには誰の姿もなく。  小指をつないだ俺たちの頭上に、うららかな春の空が優しく広がっていた……。  むう……朝か。  寝ぼけて見回した視界の隅に、昨日まではなかった物体を確認。  サッと、幕が上がったみたいに意識が醒めた。  そうだ、昨日はパーティーしたんだった。  騒いだよなあ。  楽しかった……のは事実だけど、何もかも忘れて、一年の憂さ晴らしとはいかなかった。  だって、月姉が……。  暗がりで見た思い詰めた顔が浮かんでくる。  やっぱり、あの時のこと、まだ引きずってるんだな……。  あのプレゼントは失敗だったかな?  いや、でもあんな笑顔を見せてくれたんだ。  とりあえず顔を洗ってスッキリしよう。 「うい〜っす」  部屋を出てみれば、寮全体がどこかざわざわとして、落ち着かない。  む……。  いかん、どうしても恋路橋を見ると、あの姿が……あの、見目麗しき美少女像が浮かんできてしまう。  それは俺だけじゃない。通りかかる寮生たちがみな、ちらちらと視線を恋路橋に注いでいる。  俺たち男が、というのはまだわかるけど、女の子が熱い視線を向けているのはいったいどうしたわけだ。 「……そうもえ…………せめ…………さくらい……」 「…………じょ…………れさそ……うけ……」  ……聞いてはいけない言葉がいくつか耳に入ってきたような気がするが。  俺は何も聞いてない。  女装萌えとか桜井攻めとか恋路橋ヘタレ誘い受けとか、そんな言葉は一言も耳に入れてない!  聞こえてたまるか! そういう世界に踏みこむのは桜井先輩にまかせてるんだ! 「やあ天川君。昨日は楽しかったねえ」 「よう」  気軽に挨拶した途端に、天×恋というつぶやきが聞こえた。  世界は色々と間違っている。いやホント。 「もう行くのか」 「ママが待ってくれてるんだよ、僕が到着する時刻に必ず駅のホームに迎えに来てくれるって」  そう、クリスマスパーティが終わって、いよいよ帰省ラッシュが本格的に始まるんだ。  寮がざわざわしてるのは、みんなが旅支度してるから。  毎年、年末にはほとんどの寮生が家に戻ってしまう。  気ままで楽しい寮暮らし、とは言っても、やはり家族の待つ家は家で、いいもので。  荷物をかかえ部屋から出てくる連中の表情はみなそれぞれに浮き浮きしている。 「それでは、行ってくるよ天川君。よいお年を!」 「おう、よいお年を! ママによろしくな!」  恋路橋を寮の入り口まで見送る。  そう言えば、昨日はあんなに飾り付けていたのに、今日はもう影も形もないってのがすごいよな。  テレビもそうだし街も、人だって、クリスマスなんてなかったかのように、年末一色に塗り変わっている。  でもまあ、それも嫌いじゃない。  正月といえば、外はしんしん雪景色、こたつにミカン、年越しそばを〈啜〉《すす》りつつ、遠く聞こえる除夜の鐘。  クリスマスの雰囲気のままの新年ってのは、悪くはないんだろうけど、やっぱりなんか違う感じがしてしまう。 「……ん?」  ゴロゴロゴロ。重たくやかましい音が近づいてきた。 「あ、稲森さん」  大きなスーツケースを引いている。 「稲森さんも、今日戻るんだ」 「うん。本当は、明日でもよかったんだけど……わたし、方向音痴だから」 「大晦日までに帰れるように、移動の予備日をとってあるの。だから早めに出かけないと」 「そ、それは……」  いくらドジ連発の稲森さんでも、そこまでは……。  いやでも、演劇の練習中に山ほど見た彼女のドジっぷりからすると……ありうるか!?  電車で寝てしまって乗り過ごし……。  慌てて反対方向の列車に乗ろうとしたら、それがまたとんでもない的はずれの行き先で……!  空港で、国内線と間違えて国際線に!  もしや、その妙に大きなスーツケースの中には、寝袋とか防寒具とか、冬の野宿も可能な装備一式が入っているのでは? 「わたし、頑張る」  むん、と勇ましく眉を逆立てる稲森さん。  そ、その仕草も、可愛い……。 「それじゃ、行ってきます。よいお年を」 「よ、よいお年を……無事な帰還を……」  心から願います、はい。  勇ましく歩いてゆく稲森さんの、スーツケースがゴロゴロゴロ。  その後ろを、親衛隊の連中が、ぞろぞろぞろ。  なんというか、帰省というより、姫君のご出陣って感じだな、こりゃ。 「………………」  さらに続々と、帰省してゆく寮生たちを見送る。  気がつけばもう昼を過ぎていた。  メシ時なんだけど、食堂にはあまり人の姿がない。  これから帰る人は、駅とか途中で食べるつもりらしい。まあ駅弁とか外食は楽しいもんな。  だけど、ちょっと寂しいなあ。 「月姉!?」 「おっ、祐真、おっはよー!」 「って、もう昼だよね。まあいいや、まずはごっはんごはん〜♪」  月姉の笑顔に、ホッとした。  長年のつきあいだ、作った笑顔かどうかぐらいすぐにわかる。  昨日のことなんてまるでなかったような、いつも通りの明るい月姉。 「……ん?」  いつも通り? 「いっただっきまーす!」 「……月姉」 「もぐもぐ。あによ?」 「月姉も、帰省するんだよな?」  前に聞いたぞ。クリスマスパーティ終わったらすぐ帰る、帰らないと親がうるさいって。 「ぱくぱく、もぐもぐ」 「月姉」 「がつがつ、むしゃむしゃ」  骨付きチキンに豪快にかぶりつく月姉。  起き抜けによくあんな重たいものが胃に入る……って、問題はそこじゃなく。 「月姉。帰るんだよな?」 「ごっくん」 「月姉!」 「あははー」 「まー、そのつもりじゃいるんだけどねー」 「つもりって……」 「帰ろうと思えばすぐ帰れるんだから、急がない急がない」  月姉の実家は、実はこの市内。  だけど歩いたり、自転車でというのにはちょっと遠くて、一度駅に行って、そこからバスに乗らないとならない。 「まあ、大丈夫ってんならいいけどさ……」 「準備はできてるの? そろそろ動かないと、晩飯どきに間に合わないんじゃないのか?」  すると月姉は、盛大に音を立ててお茶を〈啜〉《すす》った。 「ずるずるずる。まあその辺は適当に」 「適当にってなんだよ」 「……誰かさんの企みのせいで、色々思い出して、眠れなくなっちゃって」 「それで起きられなかったんだけど?」 「うっ……」 「……って、誤魔化されないぞ! それとこれとは話が別だ!」 「わーったわーった、わかってるわよ」 「駅に行きさえすればなんとかなるんだから、明日にでも帰るって」 「明日って、あのなあ!」 「なーんかさあ、面倒くさくなっちゃって」 「そういう問題じゃないだろう……」 「ずずずずず」 「大丈夫かよ……月姉らしくもない……」  まったく、普段のあのできる月姉はどこへ行ってしまったんだか。 「あたしらしい……か」  月姉は頬杖をついて、あらぬ方を見つめた。  その唇にくわえた爪楊枝がへこへこ動く。 「なーんていうかさあ……家に帰って、それが何になるっていう感じなんだよねえ」 「親に顔見せるっての、大事だろ。どんな親だって、子供の元気な姿を見たいもんだって言うよ」  月姉も当然、俺の境遇は知ってるわけで。  一瞬、その目に複雑な感情がゆらめいた。  それから、まっすぐに俺を見つめてくる。 「……そうだよね。親って、まあ、そういうもんだよね……」  なぜか、気圧された。  俺は、間違ったことは言ってないはずだ。  なのにどうしてだか、とんでもなく愚かなことを口にしてしまったような気がしてならなかった……。  午後になり、帰省の流れもおおむね落ちついた。 「あ、先輩」 「やあ。僕もとうとう立ち去らねばならない時がやってきた。惜しむ気持ちはよくわかる。だが時間だよ仕方がない。次の年までごきげんよう」 「誰に向かって言ってんですか」 「それにしてもつまらん。そうは思わないか」 「話がまったく見えないんですが」 「今年一年の集大成として、集めに集めたコレクションを、正月に集まる一族に堂々と披露しようと思っていたのだよ」 「……あれを?」  マジですか。あの女の子が泣いて逃げ出すDVDコレクション。 「頼むからやめてくれと親に泣かれては、さすがの僕もあきらめざるを得なくてね。まったくもって残念無念」  それを許す親がいたら顔を見てみたいもんです、ハイ。  ああ、つくづくこの人は、今年一年、変態に始まり変態に終わったなあ。 「……ところで」 「声をひそめても、DVDを預かるようなことはしませんからね」 「何を言っている。預けるつもりならば祐真の部屋に勝手に置いておくに決まっているだろう」 「現に、独り寂しく年を越すUMAのために、君の部屋に選びに選んだDVDをこっそり……ええと、三枚、四枚……」 「だあああああああああああっ!」  まったくこの人は……! 「……では今一度……コホン。ところで」 「月音さんの様子は、どうだ?」 「あ……」 「画材セットは、やっぱり嫌なようで、捨てようとまでしたんで、当面は俺が預かることにしました」 「そうか……なかなか、うまくはいかないものだな」 「僕としては、ぜひともまた彼女の絵を見たいところなんだが……」 「桜井先輩は、絵に興味があるんですか?」 「まあな。本当に昔の話なんだが」 「僕も美術部に所属していたことがあるのだよ」 「え? 初耳です」 「そうだろうそうだろう。当時を知る者以外、君たち後輩には一言も話したことがないからねえ」  なるほど、それで月姉の絵を知ってるわけか。 「でも今は……辞めたんですか?」 「どうしても耐えられない理由があってね」 「聞いてもいいことですか?」 「もちろんだとも。ぜひともあの残忍非道な決定について知り尽くし、後世に語り継いでくれたまえ」 「ごくり……美術部が、ひどいことを?」 「その通りだ」 「なんと、我が学園の美術部は……」 「あー、もしかして、ヌードデッサンを行わないって、そんなところじゃないんですか?」 「む。さすがは祐真、読みが鋭い」 「先輩とこれだけつきあっていればわかりますって」 「だが残念だな、外れだよ」 「え?」 「まさか学校の部活動で、ヌードデッサンなどという真似が認められるはずはないだろう?」 「性欲の〈横溢〉《おういつ》した男女の前に、芸術のためとはいえ、一糸まとわぬ裸身が差し出されるなど、破廉恥もここにきわまれり」  せ、先輩がまともなことを言っている!? 「だから僕は提案し、主張し、切望したのだ!」 「完全なヌードはいけない、きわどい部分は完全に隠しつつも、その肉体美のみを余すところなく観賞できる、うってつけの衣装!」 「色彩が乱舞し美が渦巻く情熱の衣装、すなわちサンバ――」 「ぐえっ!」  桜井先輩の首に、色とりどりの小旗をつけた飾り紐が巻きつき、締め上げた。  あれは確か、クリスマスパーティの飾り付けに使われてたもの……。  必殺の仕事をする時代劇でおなじみの、トランペットのテーマが鳴り響く。 「まったく、この変態がっ!」 「サ……サンバダンサーは……芸術だ……」 「本場の人を呼ぶなんてドあほうなこと考えるのは、あんたぐらいのものよ!」 「ど……どうぜんだ……かっじょぐの肌……ぐらま゛ーな胸……プリプリ……尻……げいじゅづ……ぐえ」  桜井先輩の顔色が青紫色に変わってくる。  飾り紐を巻き取りつつスルスルと近寄ってきた月姉は、自分の後頭部に手をやった。  またしてもあのテーマが。 「成敗!」  シャキンと抜き取ったのは、いつもつけてるかんざし。 「ぎあっ!」 「キジも鳴かずば撃たれまいに……」  チーン。合掌。南無。  ビシッとポーズを決めたまま、渋く言い放つ月姉であった。 「では、祐真。よいお年を」  さすがは変態、何事もなかったようにシュタッ! とさわやかに手を上げて挨拶。 「月音さんにもよろしく伝えておいてくれたまえ」 「あなたの幸せを、桜井恭輔はいつも願っておりますと」 「…………」  大したもんだ、あんな目に遭わされた直後にこの台詞が出てくるんだから。  ちなみに月姉は、当然見送りなどしやしない。 「これは本気だぞ。僕は、この心の全てをかけて彼女の幸せを願っているんだ」  あーはいはい……とはさすがに言えないから、苦笑だけですませる。 「では……おっと」  向きを変えた際に、手にしたスーツケースが斜めになり、倒れそうになった。  パタッ。軽い音を立てて、手帳のようなものが先輩のポケットから落ちた。  カードや定期券を入れておく、パスケースのようだ。 「落ちましたよ」  見るつもりはなかったが、開くかたちで落ちたので、入っていたものを見てしまう。  四葉のクローバー。  押し葉かな?  普通のものより若干瑞々しいというか、ついさっき摘んできたもののようにも見える。 「いや、すまない」 「なんですか、それ?」 「お守りだよ。幸運の……いや」 「ある意味、不運なお守り、とも言えるかもしれん」 「???」 「独り言だ、気にするな」  先輩はパスケースを受け取り、そっとポケットにしまい直した。 「では今度こそ、よいお年を。月音さんともども」 「よいお年を」  俺が女の子だったら魅了されてしまったかもしれない、実にいい笑顔を残して、先輩は去っていった。 「……でも…………あのクローバー……」  どこかで見たことがあるような気がする。  市販されてて、どこかの店で?  いや、そうじゃない……そうじゃなくて……もっと特別な……大切な……。 「みなさん、お帰りなんですね」 「うわっ!?」 「夜々か……びっくりさせるなよ」 「って、なんだよ、他人事みたいに」 「夜々はいつ頃出るんだ?」 「私は、帰省はしませんよ」 「あれ、でも……」  夜々は俺と同じく施設の出身だから、本当の両親はいない。  だけど、養父母がいるはずじゃ……。 「言いませんでしたっけ? 新しい家族ができて、家が手狭になったから寮に入ったんですよ」 「帰っても、客間とか、下手すると親の部屋で一緒に寝なきゃならない事になりますから」 「それくらいなら、戻らない方がいいんです」 「でも、寂しがらないか?」 「居残る友達も沢山いて、新年も楽しくパーティーやるって言ったら、喜んでくれましたよ」 「沢山……ね」  帰省の列が途切れた寮は、空っぽになって、何とも寂しい雰囲気に包まれている。 「いいんです」  夜々はぷいっと背を向けた。  ……とは言え、やはり人数が少ないというのはいかんともしがたいわけで。 「みんな、帰っちまったな……」  しんとして、空気が重い。  この寮に残っているのは、俺と夜々、それに月姉だけ。  その月姉だって、今日は寝過ごしただけで、明日になれば帰省してしまうわけで。 「…………」 「うわっ。どうしたの」 「別に!」 「……ごめん。家から電話来たんで、ちょっとね」 「寝過ごしたから明日にする、なんて、そりゃ怒られるって」 「それもそうなんだけどさ……」 「なんかあったの?」 「どうしても帰らなくちゃだめ? って訊いたら、怒ってさ」 「そりゃ怒るだろ」 「そうだけどさ……」  どうにも煮え切らない。  こういう月姉も珍しいな。 「まあいいや、パーッと行こ、パーッと!」 「パーッと、って何を」 「決まってるじゃない、みんながいたらできない事を、この際思う存分!」 「例えば?」 「野球拳!」 「やるかーーーーっ!」 「あらあ、あたしはいいのよぉぉぉん♪」 「ポーズを取るな!」 「あはは、真っ赤になってる、可愛いーの!」  くっそう、一方的にからかわれてる……。  だけど実際、本当に野球拳をやったら、俺が一方的に負け続けて、月姉と夜々の前で俺だけがすっぽんぽん……なんてことになりそうな気が。  長年培われた心理的な上下関係というものは、何ともしがたい……。 「おっ、いいところへ」 「祐真が、三人で野球拳したいって!」 「んな事、言ってね〜〜〜〜〜〜っ!!!!」 「いいですね。お相手いたしましょう」 「なっ、なに考えてんだ!」 「ところで、野球拳とはどのようなゲームですか?」 「知らないのかよっ!」 「野球拳とは、日本の宴会における伝統芸能であるっ!」  月姉が野球拳について、詳細に説明を始めた。  聞いている内に、夜々の表情は、こわばり、引きつり、血の気を無くし、そして一気に赤くなって――。 「そ、そんな事をっ! だめですっ! いやらしいっ! すけべ、変態、お兄ちゃんは変態です!」 「俺か!」 「そうだよね、祐真は変態だよね。あんなDVD部屋に隠してるくらいだもん」 「なんで知ってる!」 「……あるんだ」 「いや、その、それは……」  考えてみれば、桜井先輩とのやりとりを聞かれていたなら、それを知っていても不思議は……。  月姉の明るい笑い声が響いた。 「それじゃ、本番行こうか」  ドン! と、どこに隠してあったのか、テーブルゲームがいくつか取り出される。  全部、三人でできるやつばかり。 「夜は長いよ、楽しまなきゃ損だって!」 「そうですね。これなら、私もお相手できます」 「ようし!」 「あ、祐真はハンデつきね」 「なんで!」 「……DVD。変態。すけべ」 「変態……」 「……わかりましたよ。ハンデつけますよ、ええ……」  だめだ、勝ち目はない……。  まして月姉に俺が勝てる確率など、万に一つもあり得ない……。  その夜、俺は散々に負けて負けて負け通した。 「ん……」  朝か。  早起きする必要なんてないので、のんびりゆっくりベッドでまどろむ。  もう九時を過ぎているが、何の罪悪感もない。  静かで、いいなあ……。  コンコンと、ノックの音。 「……ん? はい?」 「あたし。入っていい?」 「えっ!? いいわけないだろ! 男の部屋だぞ!」 「いいじゃない、知らない仲じゃないんだし」  ドアノブが動いた。 「わっ、わっ、待った!」 「入ってきてほしくないなら、五分以内に着替えて、玄関に来なさい。走れる格好でね」 「走る……って、それかあっ!」 「昨日あんだけボロ負けした祐真への、罰ゲームよ。寒いから足つらないように気をつけてね。それじゃ、あと290秒」 「うわ、うわ、うわあっ!」  一瞬で眠気が完全に吹っ飛んだ。  俺はベッドから飛び出し、大あわてで着替えた。 「よーし、4分57秒、合格!」 「はぁ、はぁ、はぁ……む、無茶苦茶だ」 「いーからつき合いなさいな。今年最後のロードワークに、それ出発!」 「つき合えって、走るのは俺じゃないかよ!」 「細かいことは言いなさんな。ほらほら、走らないと首に縄つけて引っ張ってくよ!」 「俺は犬か!」 「大好きな散歩だよーよしよしいい子いい子さあ取ってこーい!」 「わんわん! って違うっ!」 「えー、いやなの? あたし、もし祐真が走ってくれたら……大事なもの……あげてもいいのにな……」 「え? だ、大事なもの……?」  ごくり。俺は思わず目を、月姉の体に這わせる。 「……走れ」 「はいっ」  反射的に返事して、ランニング開始……。 「はっ、はっ、はっ、はっ」  白い息を吐き出しつつ、足を動かす。  最初はやっぱり体が重かったけれど、走っているうちにだんだんと調子が出てきた。  1kmぐらいでやっと体が目覚めた感じになって、ペースを上げる。  冬の冷気が、火照ってきた体に心地よい。 「ほーれ、ほれ、ほれ、いけ、いけっ!」  坂道では、月姉の乗る自転車を押して足腰を鍛える。 「ぐっ、んっ……月姉、ちょっと太った?」 「バーカ言ってんじゃないの! あんたがなまってるだけでしょーが!」 「……大体祐真、あたしの体重、どのくらいだと思ってんの?」 「そりゃあ……50とウンkg……」 「ぐえっ!」 「んなわけないでしょ!」 「じゃあ祐真……あたしを抱っこして、直接重さ測ってみる……?」 「なっ、だ、抱っこ……って……っ!」  月姉を……抱きかかえる……!  ずるっ。自転車を押す足が滑った。 「わああああっ!?」 「きゃああああっ!?」  すんでの所で、踏みとどまることができた。 「…………ふう…………」 「び……びっくりしたあ……」  気がつけば、お互いの顔が、とんでもない至近距離。 「わっ!?」 「な、なによ? なに意識しちゃってるの、まったく」  そういう月姉の顔は、やけに赤かった。  俺がやたらとドキドキしてるのは、力使ったせいだぞ、うん。 「いいから早く押しなさい! ズルズル、お、落ちる、落ちてるって、ほら!」 「ぐぎぎぎぎ……!」  俺は歯をくいしばって自転車を押し上げ、どうにかこうにか坂の上にたどりついた。  さすがに息を整えないときつかった。 「さっすがあ、鍛えてあげただけのことはあるわね」 「こ、今年、最後だから、な……はぁ、はぁ……」 「ほほう……それじゃ、家でもまたしごいてあげよう」 「え?」 「誰もいない家で、どうせヒマでしょ。今年最後の日に、じーっくりトレーニングさせてあげるわ」 「あれ? 月姉に、言ってなかったっけ?」 「俺、家に戻らないよ」 「……なんですってえ!?」 「だってさ、うちの親、海外だぜ?」 「去年もそれで居残ってたから、月姉、知ってるとばかり思ってた」 「知らなかったわよ!」 「なんてこと……そうと知ってたら……最初から……ぶつぶつ……」  月姉はそれからしばらく、むっつりと押し黙って自転車をこいでいた。  なんだよ、なんだか気味が悪いな……と思いつつ数km走った時だった。 「ストップ! 方向転換!」  月姉の指が、ビシッと右側に向けられた。  そっちは……市街地じゃないか? 「目標、永郷銀座商店街! 進め!」 「銀座ぁ? なんでそんなとこ!」 「もうじき開店よ! 年末の買い出し行くなら急がないと混むわ!」 「買い出し?」 「ぐずぐずしない、ほら走れ!」  げしっ!  それこそ馬みたいに蹴りつけられて、俺はやむなく街へ向かって走り出した。 「ふう……着いた……」 「うわ、しまった、やっぱり混んでる!」 「そりゃそうだろ、年末商戦まっただ中……」 「ぐずぐずしない! 行くわよ祐真!」 「いや、行くって、俺、金なんて持ってないし!」  ロードワークなんで、ポケットには小銭が一枚きり。 「当然、あたしが払うわよ!」 「待てよ月姉、そもそも何の買い出しだよ!」 「お正月のに決まってるじゃない!」 「正月の? なんで?」 「帰ってから家族で買い出しに行けばいいだろ」 「…………」  なぜかきゅっと眉を寄せ、苛立った顔をする月姉。 「行くわよ!」  有無を言わせず俺を引っぱってゆく。  そして、バーゲンセール並みの大混雑をかき分けかき分け、次から次へとカゴにものを放りこんでゆく。 「百合根に大根、ニンジン、長ネギ、レンコン、里イモ、タケノコ、椎茸、〈生麩〉《なまふ》にこんにゃく……ええと、次は魚と肉……」 「おーい月姉! なんでこんな、いきなり……」 「正月飾りもいるわね。うわお金足りるかしら。祐真ちょっとカゴ見てて、ATM探してくる!」 「なんだってんだよ……」  ――そして俺は、大荷物を両手にぶら下げ、小走りで寮への道をたどった。  両手が振れないので、これは普通に走るよりもつらいぞ……。 「ほらほら、がんばって」  せきたてる月姉の自転車も、荷台に買い物が満載だ。 「ひい、はあ……」 「ほらほら、エビとかタコとか、すぐ冷蔵庫に入れないと! がんばれ!」 「な、なんでこんなに……」 「正月の準備はこれくらいいるでしょ? おせち料理に飾り付け。縁起物なしじゃ、お正月って感じしないしさ」 「いや、そうじゃなくて」 「こんなに買っても、月姉、持ち帰れるのか?」 「ん? 持ち帰るって?」 「いやだから、こんなに買い物して、どうやって家まで持ってくんだよ」 「持ってく? これを?」 「やだなあ、そんなわけないでしょ」  ご冗談を、とばかりにヒラヒラと月姉は手を振った。 「これ、寮でのお正月用」 「寮で、って……」 「誰もいないお正月は寂しいでしょう」 「だからこの月音お姉さんが、一緒に年を越してあげましょうってわけよ!」 「へえ、それは嬉しいな……」 「って! なんで!」 「だーかーらー、あたしが一緒に年越しを……」 「月姉は家だろ?」 「帰るのやめたんだもん」 「だめだろそれは!」 「だってさ、家帰っても面白くないし」 「祐真ひとりじゃ寂しいでしょ」 「夜々もいるって」 「あれ、夜々ちゃんは帰らないの?」 「あいつも俺と同じでさ……」  簡単に、夜々の素性のことを話した。 「へえ……夜々ちゃんがねえ……」 「なるほど、道理で扱いが難しいわけだ」 「でも、そうなると、祐真と夜々ちゃん、これから年明けまで2人っきりってことよね」 「それじゃもっと、あたしがいなくちゃだめじゃない」 「女の子と一緒にお泊まりなんて、おねーさん許しませんよ」 「本当にえっちな子なんだから祐真は」 「なんでそうなるんだよ!」 「家族いるなら、家に帰れよ!」 「そんなにあたしを追い出したいんだ」 「そうは言ってないだろ!」 「ムキになっちゃって、かーわいい♪」 「だーかーらー!」 「ふう……はいはい。わかったわよ」 「帰る帰る、帰ります。それでいいんでしょ?」 「でも、親の顔みたらまた来るからね」 「年越しソバは一緒に食べよ?」 「う……」  い、いかん……ほだされそうだ……。  こんな時にその顔は反則だぞ、月姉……!  正直、月姉と年越しってのは、嬉しくないわけがない。  だけど、それで月姉が家に戻らないってのはなあ……おじさんおばさんにも悪いし。  そう言えば月姉のご両親って、今どうしてるんだろ。子供の頃以来だからなあ。 「それならさ、俺も月姉と一緒に行って、おじさんおばさんに年末の挨拶するよ。それならいいだろ?」 「…………!」 「わかった。帰るわよ」  あれ……何か、すごく険しい顔つきになった……。  それきり、口をつぐんでしまう。 「……月姉?」 「…………」 「月姉」 「何よ?」 「用がないなら黙って走る!」  うわ、おっかない……。  どうしたんだろ。  おじさんおばさんと上手くいってないのかもな。  俺たちくらいの歳だとよくある話みたいだし。俺の場合は本当の親じゃないから実感ないけどさ。  触らぬ神に祟りなし。俺も、黙々と脚を動かした。  寮に戻る頃には、月姉の機嫌も直っていた。 「はーい、たっだいまー!」 「あーーーーっ!」 「い゛だぁぁぁぁ〜〜〜!」 「おにいぢゃんもぜんぱいも、どこいっでだんでずが〜〜〜!」 「おぎだら誰もいなぐで、消えぢゃっでで、ごわくて、さびじぐで……うえええええん!」 「ああ、ごめんよ……何も言わずに飛び出しちまったからな……」 「は〜いはいはい、それじゃ荷物運ぶの手伝って〜」  自分が元凶のくせに、しれっとしている月姉だった。 「管理人さーん、台所お借りします〜」 「ます〜」 「あ、それは冷蔵庫に入れといて。それは出しておいていいから。すぐ使うからね」 「はいっ」  女の子2人が台所で忙しそう。  買ってきたものを冷蔵庫にしまい、下ごしらえの必要なおせち料理をこれから準備するのだとか。 「いやあ、広くていいわあここ」 「そりゃ、一般家庭の台所とはなあ」 「冷蔵庫大きいし、プロ用のコンロあるのがいいわね」 「食器だけはいただけないけどな」  月姉の家、柏木家は芸術一家だ。月姉のお父さんは有名な画家。  だから当然、食器も強い美意識のもとに選別されたものを使っていて……。  子供の頃、柏木家でご飯を食べさせてもらった時、うちと全然違うなってびっくりしたのをおぼえてる。 「あ、しまった、祐真の大食い、計算に入れるの忘れてたわ」 「あたしたちだけならいいけど、これじゃ足りないかもしれないわね」 「え? ま、まさか……?」 「そのまさかよ」 「さあ祐真、もう一回、お買い物にレッツゴー!」 「あ、私も行きます! お留守番はいやです〜!」 「ひええ……」  ――かくして、再び俺たちは戦場へ。  さっきよりもさらに人出が激しくなっていた。 「ひええええええ……!」 「ああっ、夜々が人波に流された!」 「祐真、手を! 離しちゃだめよ!」 「おうっ!」  某闘志が一発のCMを思い出しつつ、月姉の手を握り――。 「………………」 「あ……」  思わず手を離しかけたら、ぎゅっと強く握られた。 「ば、馬鹿! 照れてる場合じゃないでしょ!」 「この人出よ、はぐれたらおしまいよ! し、しっかりつかんでなさい!」 「うん……」  一緒に遊んでもらってた、小さい頃のように、俺は素直にうなずいて、月姉の手を握りかえした。 「ずいぶん、力、強くなったわよね……」 「痛い?」 「ううん。離さないでね……」  どきっとした。  月姉の手が、ちっちゃく、やわらかく感じて……壊れ物みたいな感じがして……。 「うう〜う〜う〜う〜〜!」  帰り道、夜々は泣き通しだった。 「ひどいですぅ2人とも私を見殺しにして〜〜〜〜」 「いや、そういうわけじゃ……」 「流されてはぐれて見つからなくて、お金持ってないまま売場をうろうろ……」 「知り合いなんていないし、お兄ちゃんも先輩も見つからないし……寂しかったですよぉ……えぐえぐ」 「それは、その……」 「ごめん……な?」  まさか、ずっと手をつないでいたとは言えず……。 「えぐえぐえぐ」  俺も月姉も、気まずくお互いから視線をそらしつつ、寮への坂道を上っていった。  で、またしても先ほどと同じ、買い物の整理と、料理の支度。 「ええとね、まず鶏肉に、酒粕をみりんで溶いたものを塗りつけて……」 「こうですか?」 「そうそうそんな感じ。それを冷蔵庫に入れておくと、お正月くらいにちょうど漬かっていい感じになるのよ」 「エビも同じようにするの。こっちは西京焼きにしたいから、味噌と砂糖をみりんで溶いたものを塗ってね」 「はいっ!」 「うわ……量が多いから大変だぞこれは……」 「大食いさんがいるからねえ。頑張ろう」  手伝いたいところだけど、俺、食べる専門で、作る方はさっぱりだからなあ……。 「祐真、お腹減ったでしょ。今簡単なもの作ってあげるから」 「おおっ、助かる!」 「今日の晩ご飯、肉と魚どっちがいい?」 「今日は魚の気分」 「了解っ! まかせといて」  うわあ、月姉の手料理かあ。  俺のために作ってくれるなんて、なんだかウキウキしてくるな。  ……って、おいっ! 「晩ご飯って! 月姉、帰るんじゃなかったのかよ!」 「あれえ、そうだっけ」 「台所の方終わったら、次はお掃除と飾り付けもしなくちゃなんないでしょ?」 「終わったらもう夕方よ。今日は間に合わないから、明日にする」 「だからそれはっ!」 「じゃ、今から帰る準備してもいいけど」 「その場合、あんた、ごはん抜きよ。それでもいいの?」 「あ、でも、私が作れますよ」 「へえ〜〜〜〜」 「祐真は、あたしの手料理よりも、夜々ちゃんの方がいいってこと?」 「な!?」 「あたしよりも、夜々ちゃんを選ぶってことね?」 「やっ! そのっ! それはっ!」 「ゆ〜〜〜ま〜〜〜〜〜〜!!」 「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!」  ――そして、結局俺は、押し切られたかたちで、月姉がその日も戻らないことを認めてしまったのだった……。  ガバッ!  俺は目を開くなりベッドから飛び降りて、拳を握って気合いを入れた。 「……よし!」  時計確認。OK!  顔を洗い、心身ともに充実させて、時計をにらんでじっと待つ。  時間が迫る。  気合いだ、気合いを充実させるんだ。 「3、2、1……」 「月姉、起きろーーーーっ!!」  ドアを蹴破る勢いで乗りこむ。  今日こそは、月姉を家に帰すんだ!  でないとこのままズルズルと、大晦日まで居座りかねない。  そんなのはいけない。家族がいるなら、一緒にいた方がいいんだ。  だから、俺は……。 「あ……」  俺は……。 「あんた……」 「おはようございます、お嬢様」 「今日もまたすばらしくエレガントにしてエクセレントでございます」 「朝食のご用意ができておりますお嬢様。ティーはダージリンのセカンドフラッシュで」 「そう。それよりあたしはアッサムで淹れたミルクティーがいいわ。砂糖を多めに」 「かしこまりました。すぐにご用意いたします」  俺は優雅に回れ右。 「あ、待って、セバスチャン」 「なんでございましょうかお嬢様」 「忘れ物よ」 「ギャラクティカ・マグナム!」  ドゴオオオオオオッ!!!!  強烈無比のスーパーブロー。  俺は大の字になって吹っ飛んでいった。  BAD END  ……いやいや。  単に突き飛ばされて廊下に転がっただけで。  俺は痛みも忘れて幸せいっぱい。  ドアは閉じたが、この目で見たものはしっかり網膜に焼きついている。  これは焼き増しだ増刷だ脳内ハードディスクにばっちりコピーだ。  けっこう大きくて、ばっちり谷間があって。  ああっ、思い出すだけで後光が、輝く肌が、まぶしい体が! 「………………」  そうそう、これだこれ……まぶしいぜ見事だぜしびれるぜ! 「ぬふぅ!」  心眼全開! 妄想炸裂! 煩悩爆誕! 「おおおおおおおおおおおおおおお!」  み、見えた! 私にも見えたぞ! 「何を見ているのかなあ?」  月姉は満面の笑みで左を構える。  ゴゴゴゴゴ。その左腕にもスーパーブローが宿っているのだ!  おお、見えるぞ。月姉の後ろに惑星が、銀河が、宇宙が! 「まーーーったくもう!」 「祐真が男の子だってことは、あたしだってちゃんとわかってますけどね!」 「それにしてもあれはないんじゃないの? レディの部屋に朝からノックもなしで飛びこむ、普通?」 「あう……」  俺は正座。仁王立ちの月姉を前に、全身全霊かけての反省ポーズ。 「そんなこと言って、お兄ちゃん来るの知ってて、わざと着替えてたんじゃないですか?」 「お年玉代わりに、プレゼントよ、なんて」 「……誰がそんな真似するもんですか」 「それじゃ、帰るわ。祐真、駅まで送りなさい」 「え〜?」 「今年最後のトレーニング、させてあげるんだから、感謝するのよ!」 「それじゃ夜々ちゃん、よいお年を!」 「ぬっ……おおおお……!」 「ほれ、がんばれ!」  自転車の、後ろに月姉。  それだけならいいんだけど……片手に月姉のバッグを持って、片手でハンドル握ってペダルをこいでるので、不安定なことこの上ない。  ほら、グラッと! 「きゃあっ!」 「しっかりつかまって!」  ハンドルを握る右腕と、ペダルをこぐ太腿に、ありったけの力を注ぎこむ。  俺一人ならすっ転んでもいいけど、月姉を転がすわけにはいかない! 「ぬおっ、ぐっ、おっ、おおっ!」  歯を食いしばり、懸命にこぐ。  月姉も、さすがに怖いのか、俺の腰に腕を回し、強くしがみついてくる。  下り坂だから、スピードに乗るのはすぐだ。  だけどこんどはブレーキに気を使う。万が一のことがあったら目もあてられない。 「ふう……」 「やっぱ、男の子は力あるねー」 「そりゃ、鍛えられてるから、誰かさんに」 「……そうだよね……」  ……ん? なんか背中に……感触が。  頭かな、これ。 「この間も思ったけどさ……いつの間にか、おっきくなったよね……」 「そ、そりゃあ……もう……」  出会ってから何年も経つんだから。 「あーのちっちゃかった泣き虫ゆーまがさ……」 「今じゃ、こんなにでっかくなって……」  さらに月姉の腕に力が加わって。  ぎゅーっと。  密着。完全に。  顔を俺の背に埋め、厚手の服ごしにもはっきり感触がわかってしまう、やわらかなふくらみが――。 「あ、あの……月姉……その……」  あたってる、あたってますって! 「寒いのよ!」 「……へ?」 「あんたは必死でこいでるからいいけどね、何もしてないあたしは、風びゅうびゅう来て、寒いの!」 「へ……」 「天気予報見てないの? 寒冷前線来てて、今夜から明日にかけて雪よ、雪!」 「そ、そう……」 「……変なこと考えてたでしょ」 「そそそそんなことは」 「まったく、男の子はこれだから」 「えっち。スケベ」  一言も返せない俺であった。 「ふふっ」  ……ん?  今、月姉、笑った?  風の音が耳にうるさくて、よく聞こえなかった。  ――それからもずっと、月姉は俺にしっかりしがみついたままでいた。  背中にはやっぱりずっと、魅惑の双丘の感触があって……。  まぶたの裏には、朝に見たあのまぶしい姿がよみがえって……。  視覚と触覚の同時攻撃を、俺はペダルこぎとブレーキに専念することでどうにか防いだ。  つ、ついた……。  普通に走れば何ということもない距離のはずだけど、俺は心身ともにへとへとだった。 「ほい、おつかれさん」  ひょいと飛び降り、にっこりする月姉。  バッグを持った俺の手を、両手でひょいっと……つ、包みこみ!? 「あ、あの……!」 「働いてくれたお手々に、お礼♪」  もみもみ。さすさす。月姉は俺の右手を優しく擦ってくれた。 「お手々って……俺の本体は」 「んじゃ、頭出して。いい子いい子してあげる」 「子供じゃないっての!」  あーもう、この人は! 「それじゃね」 「行ってらっしゃい。よいお年を」 「あー、それはなしだってのに。忘れた?」 「戻ってくるっての、本気かよ!?」 「あたしをウソツキにするつもり?」 「いや、嘘とかそういう問題じゃなくてさ」 「本当に、家で年越ししないつもりかよ」  すると、月姉はいきなりまた俺の手を握り。 「祐真と一緒の方がいいもん」 「な……!?」  胸が、弾んだ。  ドキドキ。柔らかい手の感触、さっきの体の感触。  まずい、なんか意識してしまう。まともに月姉を見られない。 「……んふふ」  あ、また、月姉、変な笑い方した……。 「それじゃ。ちょっと行ってくるね〜〜」  俺の胸の高鳴りを裏切るように、何のてらいもこだわりもなく、月姉はさらりと手を離した。  そうだよな、俺ばっかり意識してたら、変態っぽいよな。 「よいお年……じゃない、それじゃ、行ってらっしゃい」 「着いたら、家の電話から連絡すること! 携帯は不許可! いいね、月姉!」 「ぶー、祐真のくせにえらそーに」 「前科ありなんだから信用できません」 「はぁ〜〜〜い」 「夜々ちゃんといけないことしちゃだめだよ〜〜〜〜」 「するかっ! こんなところで人聞き悪いこと言うなっ!」 「あはははは!」 「どんなに襲いたくなっても、あたしが帰ってくるまで、ちょっとの我慢だよ。できるね?」 「当たり前だろ!」 「あたしなら、襲ってもいいからさ……」 「え……?」 「それじゃっ!」  今度こそ本当に、月姉はバスに乗りこんでいった。  窓ガラス越しに手を振る月姉、振り返す俺。  今……最後に、変なこと言わなかったか?  聞き間違いだろ。うん、そうに決まってる。  それより、今はもっと気になることがある。  月姉、本当に帰るんだろうな。  月姉のことだ、途中で降りて、歩いて寮に戻ってくるなんてこともやりかねない。  実家からの電話が来るまで、油断しないぞ! 「もしもし。あ、月姉。着いた、そう、よかったよかった。うん、ちゃんと番号表示もそっちの家からになってるな」 「わかった。こっちも、本当に何もないよ。静かで怖いくらいさ…………だから、何もしないっての!」 「おじさんおばさんにもよろしく。それじゃ、おやすみ」  電話が終わると、耳が痛いくらいの沈黙が落ちる。 「そっか……本当に、今、月姉はここにはいないんだよな……」 「わっ!? あ、夜々か……驚いた」 「柏木先輩、本当に家に着いたんですか?」 「ああ。今度こそ本当だよ。まったく、世話が焼けるんだから」 「ふふっ。普段は柏木先輩が面倒見てる感じなのに」 「ああ見えて月姉って、結構ちゃらんぽらんなとこあるんだよな」 「ええと……どう答えても、お兄ちゃんか柏木先輩のどちらかに角が立ちそうなので、ノーコメントとさせていただきます」 「フッ、賢明な選択だな」 「ところで、晩飯どうする? 作るか、ピザか何か取るか……」 「作るのは危険ですね。おせち料理の材料がごっそりなくなっていそうです」 「俺、そんなに信用ない?」 「実は、柏木先輩に厳重に警告されてます。祐真を冷蔵庫に近づけないようにって」 「月姉っ! なんてことを!」  夜々の冷たい目つきが寂しい。 「だから、お弁当にしましょう。買いに行くならおつき合いします」 「そういえば、夜々はどうするの? 元日」 「あ、ええと、そのことなんですけど――」  夜々の口から、意外な名前が出てきた。 「美緒里に、家に来ないかって誘われてるんです」 「大晦日じゃなくて、元旦の夜に、泊まりに来てって」 「元旦に?」 「一緒に初夢を見ようって」 「ああ、なるほど……」  あの美緒里が、夜々とねえ。いつの間に仲良くなってたんだか。 「……行っても、いいですよね?」 「なんで俺に訊くの? 自分が行きたいなら行けばいいと思うよ」 「貴重な経験になると思うしさ、行っておいでよ」 「そうですね……そうします」  風が吹き、2人そろってブルッと震えた。 「おお寒っ……これ、本当に雪になりそうだな」 「柏木先輩、今日のうちに送ってあげられてよかったですね」 「まったくだよ。雪降ってたら、これ幸いと居座りかねない」 「なんで、家に戻るのそんなに嫌がるんだろうなあ」 「それは……家によって、色々ありますから……」 「あ……そうだったよな……」  夜々も、今の養父母の家に、居場所がないように感じてるんだった。  そして、月姉の家は……おじさんが、かなり気むずかしそうな人だったような印象がある。  外からは見えないことがあるんだろうなあ。  その日、朝起きると、窓の外は雪で真っ白だった。 「うわ、真っ白だなあ」 「昨夜は降ってなかったのに、一瞬ですね」 「なんか別世界って感じだな」 「冷え込みが凄かったですからね、昨日は」  ふたりしてリビングに張りついて、雪に覆われた庭を眺めていた。  テレビでも、ニュースキャスターが各地の大雪を伝えていた。どうやら広範囲な降雪だったようだ。  電話がかかってきた。 「はい、いずみ寮です……居残り組の天川ですけど……ああ、はい、積もってますね……」 「ええ、はい、ああやっぱりそうなりますか……いえ……わかりました、やります」  電話を切って夜々に伝える。 「……電車止まってるらしくて、管理人さん今日は来られないって。それで雪かきしといてくれってさ」 「仕方ないですね」  根が真面目な夜々は、別段不本意でもないようだ。 「じゃ悪いけど、手伝ってくれる?」 「はい、お兄ちゃん」  俺たちは防寒装備を整え、寮玄関に移動した。 「うわ、こりゃひどいな……」  入口のあたりに、屋根から滑り落ちたらしい雪がこんもりと山になっていた。  またいで歩くのも難儀するくらいの高さになっている。 「も、持ってきま、したっ」  夜々が雪を掻き分けながら、物置から二本のスコップを持ってきた。 「欲張るのはよして、とりあえず玄関先だけ通れるようにしよう。道が凍るとなかなかとけないから、しっかりやろう」 「はい、お兄ちゃん」  スコップを使って雪かきをはじめる。 「……く、これきついな……」  雪かきは去年もやったのだが、きつさが全然違っていた。  去年は寮生が残っている時期に降ったから、人手が沢山あって、当然1人あたりの負担も少なくて。  だけど今日は、2人だけ。しかも夜々は女の子だから、実質的な戦力は俺1人。 「よっ、はっ……」  湿って重たい雪をスコップで左右に放り投げて、道を開いてゆく。  ドサーッと、重たい音がした。  うわ……屋根から落ちてきた雪が、今どけたのと同じくらい、またうずたかい山を作ってしまっている。  はあ、これは大変だぞ。 「うう〜っ!」 「ん? 夜々?」  声はすれども姿は見えず。はてさて夜々はいずこ。  むぎゅっと、妙に弾力あるものを踏んだ。 「あっ!?」  すぐさま飛びすさり、スコップ……とはいかないので、両手で雪を掘っていく。  重たいベタ雪をかきわけてゆくと、夜々が出土した。 「うわー、すまーん!」 「ひどいです……お兄ちゃん……踏むなんて……」 「ごめん、まさか埋もれているとは思わなくて……」 「……死ぬかと思いました」  唇がすっかり紫色になっている。 「いったん休憩しよう。熱いお茶か何か飲まないとやってらんない」 「そうですね」 「へぷちんっ!」  とりあえず夜々を毛布で包み、湯を沸かす。 「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」 「紅茶でお願いします」 「あいよ」  たっぷりのミルクを入れて、夜々に差し出す。 「……あたたかい」  口を付けるなり、夜々はほうっと息をついた。蘇生したらしい。  自分の分を〈啜〉《すす》りながら、目線を窓の外に転じる。 「あれだけ働いたのに、全然減ってないように見えるのが嫌だよな」 「雪かきって全身使うからさ、ちょっとした有酸素運動だよこれ」 「……有酸素運動?」  夜々の目が光ったような気がした。 「朝、あれだけ腹に詰めたのに、もうエネルギー切れになりそうだよ」 「……弁当五つ分のカロリーが?」  夜々の目はさらに怪しく光った。 「うん。けっこう鍛えてるつもりなんだけど、普段使わない部分使うから、こりゃ明日あたり筋肉痛かな」 「……筋トレ引き締め効果まで……」  夜々がオーラを放っていた。 「どうしたの?」  ミルクティーを一気にあけると、夜々はすっくと立ち上がった。 「お兄ちゃん、仕事を続けましょう」 「え、まだいいだろ? もう一杯飲みたいんだけど……」 「甘いですよ。有酸素運動は一日わずか数時間の遭難で引き締め効果があって女の子を丸太ん棒からモデル体型に変身させてくれるんです」 「……ど、どうなされた!?」  夜々がおかしなことを言い出した。 「来てください!」 「ああ、ちょっとちょっと!」  張り切って再び玄関先に突撃していく夜々。 「せっせ、せっせっ」  夜々はすごく気合いを入れて、雪かきに励んだ。  だから当然、つきあわされた俺も本気を出さざるを得なかった。 「ふいー」  確かに大変な作業だが、力配分のコツを掴むと、あとはロードワークの要領でいくらでも粘ることができた。 「そっちの方はどう?」  振り返るとまたも夜々の姿がない。  まさか、また埋もれたか?  と思ったら、脇に押しのけた雪山にしがみつくようにして倒れていた。 「うわーっ!?」  また遭難してた! 「しっかりしろー、夜々ー!」 「うう……ヒマラヤが見える……」  夜々の指先が、雪面に『SOS』とメッセージを残していた。 「大丈夫だ、ここは日本だ!」 「あ……お兄ちゃん……疲れました……」 「頑張ったな、ほら、飴玉だ。カロリーを補充するんだ。寮に連れてってやるからな?」 「ダ、ダイエット……」  普通に痩せて見える夜々をここまで駆り立てるとは……ダイエットとは恐ろしいものだ。 「でもな夜々……たまに無理して運動しても、あまり筋トレ効果もダイエット効果もないんだ……」 「大事なのは毎日の継続なんだよ……」 「……うう……ダイエット……」  苦しげな響きが哀れみを誘った。  しかし、この分だと、ここよりもさらに山の方にある月姉の実家も、大変な事になっていそうだな。  雪が降ると、何が怖いって、斜面が……な。  まあ男手のない家じゃないから、大丈夫だろうけど。  ……ううむ、まずいなあ。  目の前で遭難しかけてる夜々よりも、ここにいない月姉の方を気にしてるなんてさ……。  ――で、次の日。  特にこれということもなく、だらだらと一日を過ごし――。  寮の電話が鳴ったので出てみると、月姉だった。 「あ、月姉。そっち、雪、大丈夫だった?」 「んー、それがさあ。うちの親、面倒くさがって車のタイヤ替えてなかったのよね」 「今年は降らない、なんて偉そうなこと言っててさ」 「朝、外見てため息ついてるんだから、まったく」 「それで、雪かきついでに、冬タイヤに付け直すのもあたしがやらされてさ」 「このか細い腕でジャッキ回して、重たいタイヤ転がしてよ。なんつー親だっての」 「でも、そうしないと買い物行けません、今日の晩ご飯ありませんなんて言われたら、やるしかないわけでさ」 「今日はもう筋肉痛でヘロヘロよ。まったく、誰にも見られずにすむのだけは、家でよかったわ」 「まあまあ。家だからいいじゃないか。久しぶりの一家団欒だったんだろ」 「団欒……ねえ」 「ま……あれも、一応そうと言えないこともないけどさ……」 「あれ、月姉、面白くないことでもあった? 声が沈んでるけど」 「……祐真、あんた今からうちまで来なさい」 「走ってくれば、二時間もあれば着くでしょ」 「何でだよ! いくらなんでも無茶だ!」 「何よ、せっかく人が、筋肉痛押してまでロードワークにつきあってあげようってのに」 「行くだけでも死にそうなのに、さらに走らせるつもりかよ!?」 「大体、俺だって筋肉痛だっての!」 「軟弱ねえ。もっと鍛えなくちゃ。男の子だもんね」 「というわけで、今からすぐ来なさい」 「だーかーらー!」 「それとも何? 夜々ちゃんと熱い一夜を過ごして、もう彼女と離れたくない、なんて?」 「な、な、な……なんつー想像を……」 「フケツだわっ! 変態よっ!」 「あたしの台詞取らないでほしいんだけどなあ」 「月姉が言いそうなことを先に言っておいただけだよ」 「じゃあさ、次にあたしが言うこともわかるでしょ?」 「む……?」 「夜々ちゃんに手を出したら殺すわよ」 「……は、はいっ!」  人は今の俺のポーズを最敬礼と呼ぶ。  なんというか、肉食動物と草食動物というか、捕食者と被食者というか……これが力関係というやつだ。 「まーもちろん、品行方正なゆーまクンが、そんな真似するなんて、あたしはこれっぽっちも思ってないけどさ〜〜」 「どうしても我慢できなくなったら、あたしの部屋入っていいからね。下着はタンスの、下から二段目の引き出し。どれ使ったかは事後報告でいいから」 「何の話だよっ!」  ああもう、この会話を、月姉を崇めたてまつってる学園の連中に聞かせてやりたい。  なんちゅー、お下劣で底意地悪くて根性曲がりで……。 「でも、祐真がいないと、寂しいな」  ……その……うん、性格に問題がないわけでもないかな、と思うこともたまにあって……。 「早く明日にならないかな。明日、約束通り、そっちに戻るからね」 「祐真の顔見ないと落ち着かなくってさ」 「それはその……ええと……」  思わずきょろきょろ。うん、夜々はいない。大丈夫だ。 「実は俺も……なんか寂しくて……」 「むっ!」 「ふふふ……聞いたわよ……聞いちゃった……」 「おーっほっほっほっ! 正体見たり天川祐真!」 「なんだってんだよ!」 「ふふ……まったく、甘えん坊なんだから、祐真は……」  そのからかうような声音に、なぜかぞくぞくっと震えが走った。 「わかったわかった、明日朝一で帰ってあげるから、待っててね」 「そんな風に言われると、俺、お母さんの帰り待ってる子供みたいな気がするんだけど」 「似たようなものでしょ」 「容赦ないな」 「言葉飾ってどーすんのよ。おねしょしてた頃から知ってる同士でさ」 「ま、そりゃそうだ……」  だから、いつまでたっても月姉には頭が上がらないわけだけどさ。 「でもさ、本当にいいのか? 正月に月姉がいないなんて、そっちの親戚も集まるんだろ?」 「だから、いいんだって」 「親戚なんて、集まってもうるさいだけ」 「大きくなったね、ぐらいならまだしも、将来はどうするんだ、やっぱり絵の道へ、父親の血を引いてるんだから才能はあるはず――」 「母とひっそり暮らしてた娘が、亡き父の意志を受け継ぎその背中を追うように同じ道を進む――なんてのは、ドラマやマンガだけで十分だっての!」 「え……?」  今――聞き捨てならないことを聞いたような。 「月姉、今……」 「え?」 「亡き父、って……!?」 「!?」  電話越しにも、月姉が息を呑んだのがはっきりわかった。  しまったと顔を歪ませたのが目に見えるよう。 「あちゃあ……やっちゃった……」 「おじさん……どうしたの?」  そうだ、最初からおかしいと思ってたんだ。  なんで、雪かきならまだしも、タイヤ交換なんて力仕事を、男性である柏木のおじさんがやらないのかって。 「いや、どーしたもこーしたもないんだけどさ」 「うちのお父さん、もうとっくに死んじゃってて」 「…………えええっ!?」 「いや、別に隠してたわけじゃないよ。言う機会がなかっただけで」 「いわゆるあれ、母子家庭ってやつなわけ、今の柏木家は」 「だから、団欒なんて言っても、母親と向かい合ってもそもそご飯食べるだけだし」 「口を開いても、大して話したいことがあるわけでもないしね」 「正月だって、あたしが寮に戻ることにしたもんだから、母親の方もさっさと実家の方に泊まる算段つけちゃってさ」 「明日、あたしと一緒に家出て、そのまま年越しよ」 「はあ……そうだったのか……」  夜々じゃないけど、家にもそれぞれの事情があるんだなあ……。 「それじゃ、明日ね。早いから、駅には来なくていいよ。特に荷物もないし」 「わかった。雪、溶けるとは思うけど、一応足元には気をつけて」 「そっちこそ。じゃあね。おやすみ」 「おやすみ」  電話は切れた。 「………………」  おじさんが亡くなってたなんて……。  知らなかったとはいえ、月姉に俺、けっこう無神経におじさんの話題振っちゃってたなあ。  月姉も、言ってくれたらよかったのに。 「あれ、お兄ちゃん。電話、誰だったんですか?」 「月姉から。やっぱり明日帰ってくるってさ」 「三人で年越しですか。嬉しいです」 「……」  そうだよな……嬉しいことだよな、月姉と年越しできるってのはさ。  だけど、どうしてだか――それじゃいけないような……何か大切なものを見落としているような気がしてならなかった。 「どうしたんですか、首かしげて?」 「いや、何でもない……」  ドンドンドン! ドンドンドンドン!  ドアをぶっ叩く音で、俺は眠りからたたき起こされた。 「わっ!? なんだなんだ!?」  しまった、寝過ごしたか!?  もう月姉が戻ってきたか! これは襲撃だ! 総員起床、第一種戦闘体勢を取れ! 「お兄ちゃ〜〜〜ん!」 「……へ? 夜々?」  予想外の展開にきょとんとした瞬間、全身を寒さが貫いた。 「うわっ、寒っ!」  雪が降るくらいだもんなあ。  急いで上着をつっかけてドアを開けた。 「どうしたんだよ」 「先輩が、柏木先輩が……うえええん!」 「月姉が!?」  べそをかく夜々から話を聞き、夜々の部屋に行ってみた。 「あ〜、祐真〜、おっはよ〜〜〜」  ベッドで、月姉が図々しく布団にくるまっていた……。 「なにやってんだよ!」 「帰ってきたんだよ。決まってるでしょ」 「いやそれはわかってるから……なんで夜々の部屋、それもベッドにいるのかってことで……」 「始発のバスに乗って出てきたわけね、あたし」 「そしたら、寒いわけ。雪もあちこち残ってるし、明け方早々なんで冷えこみも半端じゃなくて」 「手袋してても指がかじかむし、耳はきーんと痛くなるしでねえ」 「やっとこさ寮にたどりついて、ああこれで一息つけると思ったら、中まで冷え冷え」  そりゃそうだ。俺と夜々しかいないのに、全館暖房なんかするわけない。 「だから、すぐに暖を取りたくって、夜々ちゃんの隣に潜りこんだってわけよ」 「ぐすっ……ひどいです……あんなこと……もうお嫁にいけません!」 「なにした月姉!?」 「やーもう、やわっこくてあったかくてたまんないのよねえ、女の子って」  むに、むにと、手がなんとも卑猥な形にうごめいた。 「ふええええええええん!」 「雪山で遭難した時には、人肌であったまるってのがお約束じゃない?」 「自分の部屋に行けばいいだろ!」 「すぐにあったまりたかったんだもーん」 「これでも遠慮したんだよ? 祐真の部屋の方が玄関から近いじゃない?」 「う……」 「それでも我慢したんだから、むしろほめてほしいなえっへん」 「ほめるかっ!」 「柏木先輩って、こんな人だったんですか……?」 「あー……」 「そうなんだよ。実はこんな人なんだよ」 「みんなの前じゃネコかぶりまくってる」 「そうなのだにゃー」  手をネコ手にして夜々を差し招く。 「そーいうわけで、夜々ちゃん、スキンシップだにゃぬくぬくするのだにゃん♪」 「そ、そういうことは、お兄ちゃんとやってくださいっ!」  ――爆弾発言。 「おい……!」 「あ……!」  即座に、それこそ爆発したみたいに耳まで赤くなる夜々。  同じく、色々な気分が爆発して、全身がかっと熱くなる俺。  月姉だけが余裕たっぷり。 「祐真でもいいよ〜。夜々ちゃんのベッドでいい? それとも祐真の部屋行く?」 「んなことできるわけないだろっ!!!」 「いい加減出ろよ! 夜々が迷惑してるだろ!」 「はーい」  素直にベッドから降りる月姉。 「それじゃ、祐真の部屋行こっか」 「♂★◎∞℃☆♀!」  脳天から湯気を噴く俺。 「ふ、ふじゅんで、いせいな、こうゆう……!」  目をぐるぐるさせる夜々。  と――我にかえったときには、もう月姉の姿は廊下にあって、俺たちに背を向けていて。 「あーっはっはっはっはっ!」  高笑いを後に残しつつ、自分の部屋のドアを開け、部屋に消えていった。 「………………!」  からかわれた……朝から、完全に、もてあそばれた……!  がっくり膝を突く俺。  まだ混乱している夜々。 「いいか、夜々……あれは……あれこそは、柏木月音必勝の構え……後輩いじりのお姿なるぞ……」 「あれは尋常の先輩ではない。読めぬ……行動がまったく……」  それから少しして、何事もなかったように、動きやすい格好に着替えた月姉が姿を見せた。 「それじゃ、朝ご飯食べよっか」  月姉が手早く作ってくれた朝ご飯を食べる。 「おいしいです……!」 「でしょう」  にっこり、ご満悦の笑顔を浮かべる月姉。  こういう所は、完璧なお姉さんキャラ、有能にして憧れる先輩なんだよな。  それにほだされ、だまされてしまうと……さっきみたいな目に遭うわけだ。 「ごはん食べたら、まずは大掃除といきましょう。2人とも、自分たちの部屋の掃除、した?」 「う……してない……」 「です……」 「やっぱりね。誰かが言わないとしないのよね、こういうのって」 「寮全部なんてことは言わないから、自分の部屋ぐらいは、一年の最後に、綺麗にしましょう!」 「それ終わったら、午後からはいよいよ、おせち料理作りよ」 「わあい!」  ――と、いうわけで……。  この寒空の中、窓を全部開け放って埃を払い、はたきを振るい掃除機をかけ、最後は雑巾できちんと拭く。 「まあ……それなりに見えるもんだな、うん」 「終わった?」 「こっちも、終わりましたー」 「ようし、みんなお掃除終わったなら、休憩〜!」  談笑しながら、休憩、昼ご飯。  それからいよいよ、おせち料理作りだ。 「わっ、危ない!」 「ひゃっ!?」 「お、おどかすなよ月姉!」 「そんな持ち方したら、指切るっての!」 「いい、手はこう、猫手、指を曲げるの!」 「包丁は必ずその外側で動かすようにする!」 「でないと自分の指の一部が料理に混じることになるわよ!」 「げっ……」 「それ、嫌すぎます……」 「月姉、代わってくれよ。俺、食べる方の専門家だからさ……」 「なに言ってんの、どこかで練習しなけりゃ、一生できるようにはならないのよ!」 「それともなにか、下味をつける方をまかせてほしい?」 「年明け早々から、味つけに失敗したすさまじいおせち料理をお腹に入れたいっていうなら、まかせるわよ」 「うう……」 「皮をむく、切るってのは、多少失敗しても大した問題にはならないんだから、安心して練習なさいな」 「その辺も見越して、祐真には、形はあんまり問題にならないのをやらせてるんだし」 「え、そうなの?」 「先輩、ニンジンをねじり梅にしておきましたけど、こんな感じでいいですか?」 「……ええ、それでいいわ。ありがとう」 「干し椎茸の方、そろそろ戻ってると思うから、軸を落として亀甲に切るの、お願いできる?」 「亀甲って、六角形にですよね。はい、大丈夫です」 「それが終わったらこんにゃくね。ゆでてから手綱にするの」 「真ん中に切れ目を入れてねじるあれですね」 「お願いするわ」 「はいっ!」 「まだ何か、祐真?」 「……頑張ってこの簡単な作業を続けさせていただきます、ハイ……」  ふええ〜〜〜。  料理って、大変なんだなあ。  食べるだけなら簡単だし、レトルトものとか冷凍食品、カップ麺なら大量に作るのも楽勝なんだけど。  これだけ沢山の種類の食材を、それぞれに合った方法で調理して、きちんとした料理に仕上げるなんて、すごい仕事だよ。  調理方法だけじゃなくて、時間経過も計算しなくちゃいけない。  すぐできるものは後回し、時間のかかるものから手をつけていって、下ごしらえが必要なものはそれも計算に入れて……。  さらには、これは普通の晩ご飯じゃなくて、おせち料理だから、普段は使わない食材、やらない調理方法がぞろぞろ出てくる。  それをてきぱきこなしてゆく月姉って、本当にすごい。 「……なに?」 「え?」 「何か言いたそうに見てるから」 「いやあ、月姉と結婚する人って、幸せだろうなあって」 「まーたそういう定番台詞を言うんだからこの子は」 「でも、私もそう思いますっ!」 「これだけお料理上手で頭も良くて美人でスタイルいいなら、お婿さんなんてよりどりみどりですっ!」 「ありがと、夜々ちゃん」 「お礼に、はいあ〜んして」 「あ〜ん」 「まだ冷めきってないけど、味見」  月姉お手製の伊達巻きが、ひな鳥みたいに口を開けて待つ夜々へ。 「もぐもぐ……おいしいです!」 「甘くない?」 「私はこのくらいの方が好きですよ」 「それならOKね」 「あ〜ん」 「あらまあ何かしらこのカッコウみたいな大きなひな鳥は」  カッコウ。鳥綱カッコウ目カッコウ科。他の種類の鳥の巣に卵を産みつける『托卵』行為を行う。  先に生まれたカッコウのヒナは、周囲にある他の卵を巣の外へ放り捨て、自分よりも体の小さな『親鳥』が運んでくるエサを独占してさらに大きくなる……。  って、何てものに喩えるんだっ! 「月姉、ひどい……いたいけでナイーヴな少年の心は今ひどく大きく鋭く深く傷ついたっ!」 「英語本来の『naive』は、『世間知らず』とか『お人よし』って意味だって知ってる?」 「え……そうなの?」 「うんうん、祐真はnaiveよねえ」 「ぐれてやるうっ!」 「ぐれる前に、冷蔵庫からハムとエビ出してくれる? この間漬けておいたやつ」 「はい……」  だめだ、まったく歯が立たない……。  でも、困ったことに。  こんな風にあしらわれるのが、全然いやじゃないのも事実なんだよな。  月姉と一緒に何かしてるってのが、とにかく楽しくて仕方がない。  月姉の隣で、こうして同じことをしていられるってのが……。 「あーっ!」 「どうしたの?」 「みりん、足りないかもしれません。もうあとこれだけしかなくて……」 「あら。そう言えば料理用のお酒も、残り少ないかも」 「俺、ひとっぱしり行ってこようか?」 「………………」 「先輩、自転車お借りします!」 「はい、カギよ」 「……なんでだよ」 「祐真に行かせたら、なに買ってくるかわかんないでしょ」 「俺、そんなに信用ない?」 「少なくとも料理に関する限りは、夜々ちゃんにはないみたいね、さっきの顔つきからすると」 「あう……」 「まあ気にしない気にしない」 「夜々ちゃんが戻るまで、今あるものでできることから片づけていきましょう」  それからも、モタモタする俺と、テキパキ進めてゆく月姉とで、おせち作りは進められ――。 「はい、あ〜ん」 「え?」 「だから、あーん。いらないの?」 「いっ、いります、いる、いるからっ!」 「ぱくっ!」 「あ、そんなに急いで食べたら……」 「熱ちっ、あちあちあひはひぃっ!」 「茹でたばかりだから、中はまだ熱いって……遅いか……はいお水」 「ふう〜〜」 「まったく、祐真は食いしん坊なんだから」 「それについてはすみません……」 「あら、責めてるんじゃないのよ」 「むしろ逆。作ったものを美味しそうに、次から次へと平らげてくれるのって、作った側からすれば、嬉しいものよ」 「作ったけどまずい、やり直せって文句言われたり……美味しいって言ってもらえないのは、ちょっとね……」 「それって……」  もしかして……月姉の家……画家で、気むずかしい、おじさんのこと……? 「ああでも、味の良し悪しもわからないでとにかく量さえあればいいってのは、逆にムカつくわね」 「人がせっかく凝りに凝って仕上げた、半日仕事で仕上げたものを、ぱくぱくぱくと二分かからずに平らげてさ」 「『うん、美味しかったよ』だけで終わるのも、何というか、いや〜な感じ」 「ぎくぎくっ!」  身に覚えが……あるようなないような……。 「ええと、俺はその、ちゃんとわかってる……つもりだし……作ってくれた人には、いつも心からの感謝を欠かしたことはない……はずだけど……」 「ええ、ええ、そうでしょうそうでしょう」 「今からもう目に浮かぶのよね」 「テレビから流れる『あけましておめでとうございます〜』のにぎやかな声」 「それを聞きながらお重のフタを開けて」 「……五分後にはもう、今こうして一生懸命作っているおせち料理が、すっかり誰かさんの胃袋の中に」 「この苦労はすべて、わずか五分間のために」 「いやその、いくら俺でも、おせち料理はさすがに、そんなに無神経にがっつくことは……」 「へえ〜〜〜〜」 「まあ確かに、おせち料理は、味よりも縁起物って面が強いから、あんまり美味しいものじゃないな、ってのもあるわけだけど」 「あたしはちゃんと、味の方でも十分いけるってのを用意してるんだけどなあ」 「牛ステーキ肉の昆布捲きとか」 「むっ……」 「鶏肉の粕漬け焼きとか」 「むむむっ!」 「お正月だからお雑煮も当然用意するけど、この際だから二種類用意してみようかなって思ってるのよねー」 「あっさりした関東風、昆布だしに鶏肉と小松菜に四角焼き餅と、関西の味噌仕立て、大根や里芋と丸餅入りの二種類」 「でもこの前、長野風ってのを教えてもらって、ブリと葱をがっつり煮込むやつでさ、それも面白いなあって、用意はしてあるのよね……」 「ううっ……」  唾が湧き、胃が空腹を訴えてきた。  月姉の目が意地悪くきらめいていた。明らかに、俺がこうなることをわかって言っている。 「月姉の、いじわる……」 「んふふ。祐真をいぢめるのって、楽しいのよね〜〜」 「夜々だけじゃなくて、みんなに見せてやりたいよ。柏木月音ってのはこんな意地悪で性悪な――」  ひょいっと、月姉は顔を近づけてきた。  いきなり、月姉の『ど』アップ。 「………………」  これは、いわゆるあれだ、キスできる距離、目を閉じて顔をちょっと前に出せばすぐに唇と唇がくっつくわけで……。  月姉は、そっと目を閉じた。  胸が、爆発した。 「…………!」  俺は背筋にぴんと冷たい鉄串を射しこまれたような気分。  手が引きつり、呼吸が止まり、耳の奥で心臓の爆裂音だけがこだまする。 「……で?」  目を閉じたまま、月姉のつややかな唇が動いた。 「意地悪で性悪なあたしが、なに?」 「う……それは……その……」 「とっても美人で可愛くて、素敵な女性でしょ?」 「は、はい、そうです……」  それ以外の返答なんて、できるはずがなかった……。  で、風呂にも入って、いよいよ深夜、年越しと相成ったわけだけど――。 「なんで、俺の部屋なんだよ!」 「だって、リビングだと広すぎて、寒々しいじゃない?」 「あ、それはわかります」 「あたしの部屋にも夜々ちゃんの部屋にも、こたつ置いてないし」 「ここがいいのよ。適度に散らかってて、生活臭にあふれてて」 「なんですかそれはつまり、わたくしの部屋が掃除不十分で男くさいと申されますか?」 「みんなでこたつ囲んでまったりしながら年越しってのが最高じゃない」 「いやそれには何も異論はないわけですが」 「よーし! じゃあ決まり。おそばもここに持ってくるからね」  こう押し切られると、もう何も言えない……。  月姉が持ちこんできた携帯テレビを流しつつ、三人で適当にだべって時間を過ごす。  一年が終わる。  色々あったなあ。  中でも大きかったのはやっぱり、この間の演劇だよな。  自分たちで劇をやるってのももちろんだけど、それを通じて色々な人と新しく知り合い、すでに知っていた人の意外な一面を発見し。  人との関係が変わり、そして俺自身も……。 「ふふっ」 「な、なんだよいきなり」 「いや、こうしてると、なんだか家族みたいだなあって」 「あ、わかります。先輩がお母さん、お兄ちゃんがお兄ちゃんで私が妹!」 「……いっぺん死んでみる?」 「ガタガタガタガタすみませんすみませんすみませんすみませんすみません」  夜々には悪いけど、確かにそれは違うよな。  あえて言うなら、月姉がお母さんで俺がお父さん……。  ………………。  待てよ、それって……俺と月姉が夫婦ってこと?  お……おいっ!  いや、でも、確かに……今、夜々が言った中で……月姉がお母さん、ってのがなんだか嫌だったわけで。  前なら何の違和感もなく受け入れていたはずなのに。  何なんだ、この気持ちは……! 「お、そろそろおそばの時間かな。用意するから、夜々ちゃん、手伝って」 「あ、はーい」  そして、湯気をあげるどんぶりが三つ運ばれてきて。 「ずずずずず……」  年越しそばを〈啜〉《すす》る俺たち三人。  ああ、温まるなあ……。  空のどんぶり三つを脇にのけ、テレビに見入る。  小さなテレビ画面の中で、芸能人たちが一斉に声を合わせて年越しのカウントダウン。 「三、二、一……」 「ゼローっ!」 「あけましておめでとう!」 「今年もよろしく!」  こうして、一年が終わった――。  来年、いや今年はどんな年になるだろう。  一眠りして目が覚めたら、本格的に日が昇っていた。  初日の出を見ようと三人で言い合っていたんだけど、まったりこたつで過ごしていたら、睡魔が襲ってきてそれどころじゃなくなって。  一応男子の部屋ってことで、なんとか月姉が夜々を引きずって自分の部屋へ戻っていったわけで。 「あ、祐真」 「あれ? 月姉、なんで制服……?」 「いやあ、晴れ着持ってくるの忘れてたからさ」 「まあ一応、学生の正装ってことで」 「ううむ……でもまあ、それはそうかも」  俺も制服に着替えてきて、あらためてご挨拶。 「あけましておめでとうございます」 「今年もよろしく」 「むう〜〜〜」  寝ぼけまなこを擦りながら、夜々がぽてぽて降りてきた。 「うわっ!?」  まあ当然、制服姿の俺たちを見ればびっくりするよな。 「なにっ! うそっ! もう新学期!? 私そんなに寝ちゃったんですかっ!?」 「ないない、それはない」 「驚かせちゃってごめんな」  事情を説明すると、夜々も制服に着替えてきた。  で、三人そろったところで、あらためて新年のご挨拶。  それからいよいよ、おせち料理の出番だ。  三段の重箱。  それとは別に、オードブル盛り合わせ風な、お腹にたまる肉や海鮮料理系の大皿。  そして、お雑煮!  昨日月姉が言っていたことは、嘘じゃなかった。  本当に三種類のお雑煮が用意されていた。  夜々も俺も、慣れ親しんだ関東風はともかく、他の二種類に目を輝かせる。 「うわあ……なんか、お雑煮って言うとこういうイメージでしたから、味噌仕立てって新鮮です」 「だよな。こっちのブリ汁の方も、こりゃ美味い」 「お餅は食べ過ぎると大変だから、夜々ちゃんのは全部、半分しか入れてないからね」 「ありがとうございます〜〜」 「ええと、切り餅ひとつで、お茶碗一杯分のご飯と同じカロリーがあるんだっけ?」 「う……」  カロリーと聞いて、夜々の箸が止まる。 「でも……縁起物ですし……」 「何より……美味しいんですうううっ!」  半ば涙目で、うにょ〜んとお餅を伸ばす夜々であった。  で、今年最初のご飯を終えたら、さすがに制服は着替えて、三人で百人一首やらすごろくやら、正月っぽいゲームをして時間を過ごし――。 「それではっ! 行って参りますっ!」  かねてからの予定通り、夜々が美緒里の家に泊まりに行くことになった。 「おうっ。いい夢見てこいよ」 「頑張ります!」 「一富士二鷹三なすび、四扇五煙草六座頭。このうちのどれかを見るのよ」 「ええと……富士山の頂上で、鷹を肩に止まらせて、片手になすび片手に扇を持って、煙草をくゆらせている座頭さんの姿が夢に出てくればいいんですね!」 「そこまでまとめて見られれば大したものだと思うけど……」 「それじゃ、日向によろしくな」 「はいっ!」  静かだ……。  算数の問題です。3‐1は何でしょう。  答えは、俺と月姉の二人っきり……。  そうなんだよ、二人っきりなんだよ。  それも……明日まで、完全に……。  前からわかっていたことのはずなのに、今になって、やたらと落ち着かなくなってきた。  どどど、どうしよう!? やばいんじゃないか、このシチュエーション!?  いやまさか、いくら二人っきりだからって、月姉とそんな、そういうこと、するなんて……。  いけないよな、うん、いけないよ。  だけど、期待しているのも正直なわけで……。  い、いや、でも、そんなことダメだ、月姉に迫るなんて、想像しただけで脳天から湯気を噴きそう。  でも……月姉だって、俺のこと嫌いってわけじゃないはずだし……。  おいおい何を都合のいい想像してるんだよ。  もしそうだったら最高なんだけどな。  二人っきりなんだぜ。朝まで邪魔は入らないんだぜ。それなら、健康な男性として、期待することはひとつだろう?  何と言っても相手が月姉だ。月姉なんだよ。  この間まで夜々と二人っきりだったけど、全然そんな気にはならなかった。  そうだよ、このドキドキは、月姉だ……一緒にいるのが月姉だからなんだ。 「うわあああっ!?」 「きゃああああっ!?」 「って、何よいきなり?」 「いや、その、いきなりだったから……」 「はっは〜〜ん♪」 「さては、綺麗なお姉さんと二人っきりなんで、舞い上がってるんでしょ?」 「!?」 「ドキドキしちゃってたりして」 「すっ、するか! 大体、小さい頃から二人っきりなんて当たり前で……」 「この歳になってからは、初めてじゃない?」 「いや、でも、ロードワークなんかの時はいつも二人っきりで」 「夜までずっと二人だけ……なんてのは?」 「う……」 「ドキドキしてるでしょ」 「だから、そういうことじゃ……!」 「ふうん? へえ……ほう」  月姉はニンマリと、耳まで裂けるような笑みを浮かべた。  とすん。可愛いお尻を、椅子に下ろす。 「って……なんで、俺の隣に?」 「さあ、どうしてでしょう?」  座った椅子ごと、ずり、ずりと、さらに俺の隣に。 「これでも?」  椅子の肘掛け同士ががっつん。  月姉の膝が、俺の膝に。 「だ、だから、なんで、くっついてくるんだよ!」 「むっふっふー」  俺が椅子ごと逃げると、月姉もズリズリ追ってくる。  そして、また接近。接触。  今度は月姉の、膝はもちろん、手が、俺の肘に……肘から腕をたどって指先に……そこから俺の腿の上に……! 「なっ、なっ、なっ……!」 「さあ正直に言いなさい。綺麗なお姉さんと二人っきりの一夜に、死ぬほどドキドキしてるでしょ?」  さわ、さわ、さわ。月姉の手が、俺の太腿の上を、優しく、くすぐったく、なで回す。 「やっ、そっ、そのっ……そんなことはっ!」 「あれえ? そうなの? 違うんだあ。残念」 「もしそうだったら、あたし……祐真になら……許してもいいなって……思ってたのに……」 「!?」  月姉の唇に、俺の意識はズームイン。  ふっくらして、やわらかそうな、少しすぼめられて、そうまさにキスを待つような――! 「う…………!」 「本当に……ドキドキ、してない?」  唇が動く。濡れたような光沢。ちろっとひらめく舌。  ぞわっと、全身の毛が逆立ったようになる。 「つ……月姉……」  ごくり。喉が鳴る。心臓が破れそうなほどに打っている。 「あ、あんまり、挑発すると……本気で襲っちゃうぞ?」 「ふうん……」  月姉は、ますます面白そうに目をきらめかせた。 「あんたに、そんな度胸があるのかな?」 「体に訊いてみましょうか?」  さわ、さわ、さわ。さらに月姉の手が俺の体を這い回り、上体を前のめりに、俺に抱きついてくるような姿勢になって……。 「う……あ……!」  ガンガン、頭の内側で早鐘を打たれているようだ。手が震え、歯が鳴り、こらえようのない切迫した感覚が、下半身から噴き上がってきて……。  も、もう……だめだっ!  俺は月姉の体を、ガバッと抱えこんで――。 「さーて、っと」  ひょいっと、月姉は立ち上がった。 「え…………」  空振った腕が、むなしく自分の体を抱く。 「ちょっとお腹減ったかな。ご飯にしよっか」  珍妙なポーズで固まる俺を横目で見てニッと笑った。 「なんで俺の部屋なんだ?」 「どうせおせちの残りなんだし、せっかくお重に入ってるんだよ、食堂で食べたってつまらないじゃない?」 「いや、その理屈はわかるけど、なんでまた俺の部屋なんだよ」 「あたしの部屋だと、あたしがつまらないじゃない。汚れるのもいやだしさ」  こ、この人は……! 「それに、これもあるんだも〜ん!」  どどん! と効果音つきで登場したのは……。  い、一升瓶!? 「家から持ってきちゃいましたー♪」 「あたし達だけだから、問題ないよね?」  これは『湯』である。  『湯』なのである。もちろんそうなのだ。  厳選され、熟成された、普通じゃ手に入れにくい『湯』である。それ以外のものであるわけがない。 「熱燗もいいけど、そのままでもいけるのよね〜」  もちろん『湯』の話なのである。寒い時には温めた白湯も悪くないということである、うん。  トクトクトク……とぐい飲みに注がれる『湯』。 「おっと、お返しお返し。ご返杯に宴会部長もささ一献」 「いやいやこれはこれは」  二人そろって、かんぱーい。  くいっと空ける。  いや、美味い。するっと喉を通り過ぎ、腹に入って、そこではじめてカッと火がつく感じ。 「うおっ、来た来た」 「効くね〜〜♪」  月姉も、こくんと可愛らしく喉を鳴らし、湯を飲み干す……って、ええ、もう!? 「いやー、やっぱおいしいわあこれ」 「狙ってたのよね、正月用に買いそろえてたやつ」 「月姉……慣れてる?」 「ん? 飲む方、盗む方?」 「両方!」 「そりゃーもちろん……むっふっふっ」  ずっ、ずっ、ずっ。月姉が、俺の方へ、身を……寄せて……!? 「ゆーまっ♪」  ふにゃ〜っと、俺にもたれかかってくる。 「わっ!?」 「飲んでる〜?」 「まだ一杯目ですよ!」 「なんだなんだ、飲みが足らんぞーっ!」 「どこでそういうオヤジ的な言葉づかいおぼえてくるんですか」 「こんなの基礎教養のうちよ。常識ってもんじゃない」 「宴会知ってる女の子ってどんなもんでしょう」 「まーいいから飲め飲めきゃはははは」 「あの、月姉……まさか、もう?」  『湯』が回ってきたのかな?  いや、でも、俺の方も、胃の熱が全身に広がって、ふわふわしてきて……。 「くすん、あたしの杯を受けられないって言うの?」 「受けたら一生上下関係が固定しそうな気がするんですけどっ!」 「そんなの最初っから最後までとっくに固定してるんですけどっ!」 「俺は一生下っ端ですかっ!」 「そうだよ〜〜ゲボクゲボク〜〜♪」  さらにしなだれかかってくる月姉。  うわ、いいにおい。やわらかくて、熱くて。 「ゆーまはあたしの、ゲ・ボ・ク。文句あるか?」 「全くないであります」 「ないのよあるのよどっちなのよ〜〜ん」  赤くなった目元をニ〜ッとゆるめて、月姉はさらに体の力を抜いた。  しなだれかかるどころか、完全に俺に寄りかかって。  うはあ胸が真上から見えて谷間がばっちりこれは普段はお目にかかれない貴重なアングル。 「ほら、飲んで」 「はーい♪」  くぴ、くぴ。  あー、おいしいなあ。  おいしい飲み物、おいしい食べ物、おまけにこんなおいしいアングル。最高! 「ぷっはあ!」 「おー、いいねえいけるねえ!」  いやいやいや、おほめにあずかり恐縮ですハイ。  うおお、なんかさらにグルグルしてきて、カーッとなって、フワフワのクラクラで、いい感じなんですけど。 「うにゃ〜ん」 「はにゃーん」  わははははは。 「ねー、口移しやろーよー。映画なんかでやってるあれー」 「ふはははは、わかってないなあ、問題は俺が飲むのか月姉が飲むのかだ!」 「さしつさされつぅ〜?」 「飲みつ飲まれつ」 「おんみつあんみつ」 「わーっはははははは! ウケる、それチョーウケる! わはははは!」 「きゃはははは!」 「なーに笑ってんのよぉ、こらゆーま、聞いてんの?」 「聞いてます聞いてます、ハイハイ月姉の言うことならなんでも聞いちゃいますですよわはははは」 「んなことゆってると、口移し本当にしちゃうんだからね!」 「わはははは、それいい、それやろう、ぷりーずはいタコさん唇うにゅ〜♪」 「にゅ〜♪」  二人そろって盛大に噴き出した。 「あーっははははははは!」 「わーっははははははは!」  ああ、笑うっていいなあ。  笑う門には福来たる。一年のお笑いは元旦にあり。昔の人はいいこと言いました、ハイ。  飲め飲め、さあ飲めもっと飲め。今宵銀河を杯にして。ハイハイハイ、ハーイハイ! わはははは! 「ねー、ゆーま。ゆーまぁ」 「なんでございましょうかご主人様」 「おとしだまぁ〜ちょーだいちょーだいちょーだいよぉ〜〜」  ふにゃ〜んと、ぐにゃぐにゃになって抱きついてくる月姉。  俺もぐにゃぐにゃ、抱きしめかえす。 「月姉あったかーい」 「おとしだまぁ」 「ふにゃ〜」 「じゃー、おとしだまじゃなくていいから」 「ちゅーして」 「はーい。ちゅっ」 「おでこじゃないのー!」 「はーい」 「ん……」 「んっ……」  唇が、唇にくっついて、むちゅ〜。  う〜ん、あったかい、いや熱いな、月姉、熱くて、やわこくて、おっぱいむにむに、気持ちいい……。 「…………」 「ぷはあ……うわあ……」  くらくら。どきどき。うわ、なんか、すごく熱いぞ。ぽっかぽか、ストーブがんがん、汗じんわり。 「熱いね……」 「そりゃまあ、ちゅーしちゃったからさあ、ははは」 「お風呂、入ろっか」 「お風呂! いいですねえ、汗を流してさーっぱり! 行こう行こうすぐ行こう!」 「その……いっしょに……入ろ?」 「おお、混浴だ混浴だ、いーじゃんいーじゃんすげーじゃん! うわははは!」 「………………」 「むう…………」  かっぽーん。手桶を置くと、いい音がこだまする。  ざばあとお湯をかぶって、一息。 「えっと……」  誰もいなくて真っ暗な寮内を、風呂まで歩いてきたわけで。  風呂なんだから、当然、着てるものを全部脱いでるわけで。  どうも気になるんだけど……さっき、俺、月姉と、すごいことしなかったか?  まだフワフワしてて、色々とよくわかんないんだけどさ。  お風呂も……昨日、大晦日の夜には入ったけれど、お湯が明らかに入れ換えられていて。  俺は風呂の支度なんてしてないから、それはつまり……俺じゃない誰かがやったわけで……。 「そんじゃ、入るね〜」  脱衣場でごそごそ動いていた気配が、浴室に入ってきた。 「えっと……」  一緒に入るって……さっき……言ったような、聞いたような……えーと……。  ガラッと、浴室のガラス戸が開いて。  ぺたっと、裸足の足音がして。 「!?!?!?!?!?」  頭の奥の方を、ズンと重たいものでぶん殴られた感じ。  な、なんだ、これは。  とんでもなく綺麗で、とんでもなく可愛くて、やらしくて、えっちで、見とれずにはいられない、大好きな、愛らしい、ええと……! 「な、なに見てんのよ」 「いや…………綺麗だから……」 「一緒に入ろうって言ったの、祐真の方なんだからね!」 「そうだっけ?」 「そうよ」  ほわ〜んとして、よくわかんないや。 「ほら、洗ってあげるから、向こうむいて」  背を向ける。  ごし、ごし、擦られて。  うわあ……他人に洗ってもらうのって、こんなに気持ちいいんだ……。 「やっぱり、背中、広いね……」 「昔はあんなにちっちゃかったのにさ……もう、すっかり、男っぽくなって……」  そりゃ、男ですから。  背中と腕を洗われて、ええと、次は……? 「ほうら、前、前!」  前……っ……て……! 「うわっ!」  タオル、まずい、タオルで隠れてないっ! 「うわ……」  見たよ、月姉、一瞬呆然としたよ、あれは見たよ、まともに見たよ、俺のそこんとこ、しっかり見られたよおおっ! 「ちょ、待った、なし、今のなしっ!」 「だーめでーす。見ちゃったもーん」 「なんていうか、その……それ……そんななんだ……」 「すごいね」  うわああっ、穴、穴はないか、隠れる穴、潜りこむ穴! 「……それならお返しに、あたしの……見る?」 「え?」  ぽかーんと、頭の上に特大疑問符を浮かべる俺。  穴。あな……入る場所……。 「…………!」  なっ、何を考えてるんだ俺! 桜井先輩が感染してる! いつの間に!  きゅいいいいいんっ。頭の中で、渦が巻く。グルグルグル。ドリルのように猛回転。  視界が歪んで回転し、意識もぐるぐるスピンして、巡り巡って一回転。なぜか頭がスッキリした。 「月姉……その……水着、着てるんだよ……な?」  だから、入ってくるの遅くなったんだ。  季節は全然違うけど、一度実家に戻った月姉なら、用意してくることはできたはずだし。 「そう……思う……?」  月姉は、俺がこれまで一度も聞いたことのない声で言うと。  体に巻いたタオルを……開いた……。 「………………!」  目の奥に、今度は、色とりどりの火花が散った。  ちかちかちか。まぶしい。  つややかで、熱っぽい桜色に染まった肌。  タオルを引っかけている胸のふくらみの、根元から腋にかけてが丸見えで。  すっきりした脇腹から、細く、信じられないほどに細く引き締まったウェスト。  そして、男には絶対ありえない、たとえようもないほど美しい曲線。 「あ…………」  タオルの下からのぞいた素肌には、水着はおろか、大事な部分を隠す下着の一枚たりともつけていなくって。  つまり、それは……月姉は、このタオルの下は、生まれたままの姿……。 「あっ」  まだ前を隠している方のタオルが、ずれて、落ちかけた。  月姉はそれを慌てて押さえ――。  俺を見て、微笑した。  それは、声と同じく、俺がこれまで一度も見たことのない……謎めいた表情。 「祐真の……見ちゃったんだから……見せないと……ね……」  タオルが……完全に……落ちて……。 「…………!」  頭が、真っ白になった。  綺麗な……綺麗すぎるものが、そこにある……。  だいすきなかお……まるくておおきなふくらみ……まっしろなおなか、そして……。  そこ……それ……長く綺麗な足の間……毛と、スジ……縦の……。 「っ……!」  がん、がん、がん、がん。頭の内側から炎の妖精が出せー出せーと頭蓋骨をぶっ叩いているような感覚。  ドドドドドド。大排気量のバイクのエンジンみたいなこの音は、心臓、俺の心臓。血流が脳髄で大暴走。  いき。してない、ずっと、吸ってない。だけど吸えない、体が動かない、みつめるしかできない……。  お湯が、口に。ちょっと鉄くさい。血の味。鼻血。  くらっと、歪んだ。視界が。意識が。  まわる、ゆがむ、うわあ……。  最高に綺麗なものが、歪んで、ぼやけて、薄れていって……。 「祐真!? ちょっと、祐真! 祐真!」 「しっかりして! ねえ祐真!」  呼んでる……大事な人が……この声の方へ行きたい……行かないと……。 「んおっ!?」  い、いきなり、冷たいっ、わっ、わっ!?  体に、頭に、シャワーでぶっかけられてる、これ、水だ、冷水! 「祐真!」  だ、大丈夫だよ月姉……って俺、今、何を……。  目の焦点が……合って……。 「☆▽▲$§♯〒×∇◯℃!?」  かがみこんでる月姉の、ふともも、お尻、そしてその間に……スジ……割れ目……!  くらくら…………あ、また……ばたんきゅー……。 「祐真! ねえちょっと、祐真!」  見た……ものすごいものを……見てしまった……。 「………………?」  ん……あれ……。  えーと……ここは……。  なんか、頭の下に、気持ちいいものが……弾力があって、あたたかくて……枕? いや、これは……。 「やっとお目覚め?」 「わっ!?」  つ、月姉に、膝枕されてる!? 「のぼせてたのよ」 「俺の……部屋?」 「大変だったわよ、ここまで来るの」 「まさか、下の床で介抱するわけにもいかなかったし」 「そうか……俺……風呂で……」  じゃあ、あれは……のぼせる前に見た、あのすばらしく綺麗なものは……夢? 「あ……俺、服……これは……」 「ごめん。着せたんだけど、重たくて、しっかりとは……」 「わ、パンツ、逆」  尻に変な感触がある。トランクス、前後ろが逆だ。 「ありゃ。間違えた? ごめん」 「ってことは……っ!?」  見上げると、月姉は困ったように目を逸らした。 「……ごめん。全部、見ちゃった」  み、見たって、やっぱり……アレを……見られたってことか……? 「ぱんつも、こんなのどうやって入れるのかなって困ったんだけど、だんだん小さくなってきたんで」 「わーーーっ!?」 「男のアレって、すごいんだね……あんなに変わるんだ」 「うわあああああああっ!?」  跳ね起きようとして、クラクラッと来た。 「無理しちゃだめ」  優しい手に引き戻され、また太腿に顔を埋める。  吸引力。そこに顔が貼りつくようで、離れない、離せない、離れたくない。 「それに、気にしなくていいんだよ」 「お、おあいこなんだから」 「おあいこ……?」 「祐真だって、見たでしょ……あたしの……っ」  月姉は言葉に詰まり、真っ赤になった。  その手が、俺の頭から頬をなで、自分の太腿に降りて、内側へ……指し示すような動き。  そこ……月姉の足の間……逆三角形の、大事な場所……! 「………………!」  見た……そうだ、見たんだ。縦のスジ、モニターでしか見たことのない、女性の大事なところ!  って、月姉だよ、月姉のあそこ、俺、見ちゃってる!  待てよ……ということは……。 「ゆっ、夢じゃない!?」  現実だったのか? あれも、これも、全部!? 「夢だとでも思ってたの?」 「でもっ、俺、飲んで、回って……」  そうだ、月姉は、あれもこれも、俺と同じように、変になってたからじゃないのか? 「あたしは、全然回ってなかったよ」 「強いみたい。お母さんがそうだから、多分、血筋ね」 「でも、それなら、あれは……あんな……!」 「あんな? なに?」  月姉の手が、俺の頭をなでた。  細く、少しひんやりした気持ちのいい手が、髪を梳き、耳の後ろに降りてきて、首筋をなでさする。 「う……あ……」  ぞくぞくする。鳥肌とくすぐったさと、そして身悶えしたくなるような異様な感覚。  背筋から下腹部へ痺れが広がり、足が震え、指先が折れ曲がる。  顔を埋めている月姉のふともも。この張りつめた布地の下に息づく生の、白い、脚……そして股間……。  夢じゃないなら、月姉のあそこも……すべすべしたお腹も、おへそも……ぷるんと揺れていた胸も……全部、本当のこと? 「あ……じゃあ……!?」  月姉の唇。見上げた先に、三日月のように。  あそこに……俺の唇……触れた……? 「どう……思う……?」  低い声で、月姉は言った。  俺は首筋を撫でられながら、月姉の唇が動くのを見つめるばかり。 「夢か……本当か……わからない……?」  月姉の手が、俺の首筋から上がってきて、唇を指でなぞった。  その指を、自分の口元へ持ってゆき……ぺろっと、舐める。 「もう一度……試して……みる……?」 「あ……!」  俺は、ピンク色の三日月に、吸いこまれそうになって……。  自然と、体が起きあがって。  月姉と見つめ合う。  熱くうるんだ瞳。  触れたら、すぐに仰向けに倒れてゆくであろう、無防備な姿……。 「月姉……」 「……祐真」  名前を呼ばれて、心臓が破裂しそうになった。  その体に触れたくて、抱きしめたくて……その唇が欲しくて、たまらない……。  俺の腕が動く。自分のものじゃないように、震えながら、月姉の肩に近づいてゆく。  触れる……月姉に、手が、触れる……。 「!!!」  その時――不意に、ぞっとした。  違ったらどうしよう。  月姉が、本当はまだべろんべろんで、実は全然正気じゃなかったら。  あるいは、ここまでのが全部おふざけで、俺をからかい、弄んで楽しんでいるだけかも。  そんな時に俺が、今のこの興奮を、思いのままにぶつけたら……月姉は俺を――許してくれるだろうか? 「………………」  宙に浮いたまま、手がひとつ大きく震え……。  下に、落ちた。  俺も、月姉も、だらんとぶら下がったその手を、呆然と見つめた。 「つ、月姉は……俺と……したい……の?」 「………………」  俺を見る月姉の瞳が、極寒の光を宿した。  俺はその目つきに耐えられず、背を向けた。 「そ、その……後かたづけ……しなくっちゃ……」 「…………そうね……」  月姉も、手伝ってくれた。  だけど一度も、俺を見ようとはしなかった。  俺も、月姉を見ることはできなかった。 「………………」 「………………」  二人、黙々と片づけを続ける。 「……それじゃ、部屋に戻るわ」  月姉は立ち上がり、ドアに向かう。 「あ……月姉……」 「……」  月姉はぴたりと足を止めた。 「意気地なし」  荒々しく、後ろ手にドアが閉じられて。  足音が遠ざかり……階段を上がり……上の階を歩く音、そして自分の部屋に入る気配……。  しん……。 「………………」  な……。  意気地なし、って……。  どういうことだよ。  いや、この場合、意味なんてひとつしかないんじゃないか?  そうだ、あの瞬間まで、俺と月姉の気持ちはつながっていたんじゃないか?  校舎と校舎をつなぐ渡り廊下のように、通路はつながっていた。後は踏み出すだけ。  そこで、俺は踏み出せなかったんだ。  月姉との間に、線があった。これまで培ってきたあらゆることが変質してしまう、一線が。  この手が触れたら――月姉に触れたら……変わる。  小さい頃からずっと抱いてきた思いが、俺が月姉を見る目が、月姉が俺を見る目が……。  だから、あの線を越えるのをためらった。  怖じ気づいてしまったんだ。  その結果が、あの月姉の目、あの冷ややかな気配、そしてあの捨て台詞。  俺は――このままでいいのか?  このまま何もしなければ……明日には月姉は普段どおりの月姉に戻り、俺もこれまで通りに月姉と接し……。  だけど、今はまだぎりぎりつながっている通路は、固く閉ざされ、二度とつながることはないだろう。  それでいいのか? 「いやだ!」  そうだ、いいわけがない。  月姉だって、俺を誘っていた。俺が動くのを待っていたんだ。  今日の色々なあれもこれも、あんなにあからさまに、俺を誘惑してたじゃないか。  あれが嫌だったか?  いやいやいや。俺の中を隅から隅まで探しても、そんな感情はかけらもない。  じゃあどうして、踏み出さなかった?  頭の中で、思考が渦を巻く。  混沌とした流れはしかし、すぐにひとつの方向へと流れ出した。 「…………!」  俺は立ち上がった。  握った拳を手の平に打ちつける。いい音がした。  重苦しい薄闇の中を、ひたひたと歩く。  階段を上る。  女子の階。月姉の部屋。  ドアの隙間から、わずかに灯りが漏れていた。  俺はそっと、ノックした。 「月姉……」  返事が来るまで、少しかかった。 「どなたかしら」 「決まってるだろ、俺だよ」 「俺。変わった名字ね。どこの俺さん?」 「月姉! 俺以外に人はいないよ!」 「そうかしら。あたし以外にいるやつは、意気地なしでだらしなくて、この部屋に押しかけてくる度胸なんてどこにもなくて」 「ということは、今話している俺さんは、あたしの知ってる意気地なしとは別の人ってことになる」 「月姉、意地悪しないでくれよ……俺が悪かったから……」 「へえ。悪かった。それはまた、どんな悪いことをしたっていうのかしらねえ」 「謝るよ。悪かった」 「女の子の誘いを断り恥をかかせて悪かった、なんて最低最悪クラスのド馬鹿なこと言うつもりじゃないでしょうね」 「いや……そうじゃない……」 「じゃあ何かしら。みっともない真似して悪かった? どこがどうみっともないのかを言わずに頭だけ下げる、これまた最低最悪の言い訳」 「違うって」 「俺たちまだ、そういう関係になるの、早いと思うんだ」 「いや、全然早いとは思わない……というか、なりたい」 「へえ……またお猿さんなこと考えてるのね。男の子ってみんなそう」 「でも、それにしても、あたしの気持ちの方が気になるのよね」 「ごめん。あれ、取り消す」 「あれ、取り消しちゃうんだ。じゃ、あたしも本音教えてあげる」 「勘違いするんじゃないわよ。あれ、全部、誘惑して遊んでみただけなんだから」 「はい、おしまい。もう寝ましょ。おやすみ。また明日。ばいばい」 「……やだ」 「子供みたいなことを」 「月姉よりは子供だ。ひとつ下だ」 「当たり前のことを偉そうに言わないで」 「偉そうでも子供でも、何でもいいから、帰るのだけは嫌だ」 「言ったでしょ。からかっただけなの。マジになんないでよ、馬鹿」 「ごめん。謝ってるの、そこんとこなんだ」 「からかわれてたらどうしよう、真剣になって笑われたらどうしようって、それで、怖じ気づいちまった」 「……最低」 「うん。俺もそう思った。だから、来た。謝りに来た」 「月姉に笑われて、恥かいたところで、そんなの、どうでもよかったんだ」  そう――。  月姉が俺をからかっていて、本気で迫る俺を大笑いしたとして。  それで、何が困る? 何がまずい?  俺にしなだれかかってくる月姉が見られたじゃないか。  胸元に、とてもいい谷間が見られたじゃないか。  他に誰かいたらできない距離で、くっつけたじゃないか。  一緒にお風呂に入れたじゃないか。  それどころか……あんな……あんな姿まで……見せてくれたじゃないか……!  ここまでいい目に遭ってるってのに、どこに不満がある?  たとえ悪意のからかいだったとしても、柏木月音とあんな時間が過ごせるというなら命を賭けても悔いのないやつらが、学園にはぞろぞろいる。  俺だってその一人のはず。  いやそれどころか、そういう連中の先頭を突っ走っていたはず。 「俺……学園の誰よりも、昔から月姉を知ってる」 「でも、大事なのは、時間の長さじゃないんだ」 「………………」 「俺よりも、もっと前から月姉を知ってるやつがいたとしても……」 「それでも、気持ちは負けない。絶対に負けない」  月姉に迫る男がいたら、許せるか?  不可! 否! 絶対にNOだ! 「月姉が俺に本気でも、本気じゃなくても、どうであっても――」  呼吸をひとつ。  心臓が跳ねる。  気持ち。心。ぶつけたい思い。 「俺――本気で、月姉のこと、好きだ」 「ゆ……」 「好きなだけじゃない。月姉を抱きしめたい。キスしたい。お風呂で見たあの綺麗な姿を見たい。触りたい……」 「月姉が、欲しい」 「今日はできなかったけど、次の時には、必ず、俺がしたいこと、するから」  ……カチャリ。  小さな音と共に、廊下に、光の筋が伸びた。  入ってこいというように、ドアが開いた。  月姉の部屋。  だけど、光の中に月姉の姿はなく――。 「月姉……?」  入ろうとして、一瞬足が強ばった。  部屋と廊下の境目の、線。  俺はぐっと唇を噛みしめ、その線を、踏み越えた。 「…………!」 「うわっ!?」  ぐいっ。いきなり、ドアの陰から腕が伸び、引きずりこまれた。  熱い――とてつもなく熱い感触……。 「ん……!」 「!?」  唇……やわらかくて、熱いものが重ねられ……。  ふわっと、甘い香りに包まれて。  頭の中に、真っ白な光が炸裂して。 「ん…………」  ばら色をした唇が、ゆっくりと離れていった。  頬を染めた月姉が、熱い目で俺を見つめた。 「さあ、『次の時』だよ……どうする?」  心臓がばくばく。頭は真っ白。  だけど、やるべきこと、やりたいことだけは、レーザー光線のように、はっきりくっきり、そしてまっしぐらに伸びていた。 「こうする」  俺は月姉に歩み寄り、今度は俺の方から、唇を重ねた。 「んんっ!?」  唇だけじゃない。  俺は、唇を重ねながら、月姉の胸のふくらみに手を置いた。 「ん……!」  ああ……やわらかい……。  すごい。なんて素敵な手触りなんだろう。  これが胸。これが乳房。これが、月姉の、おっぱい……!  唇を味わいながら、ゆっくりと胸を揉みしだく。 「んっ、んっ……んぅ……」  月姉は眉を寄せ、眉間にしわを作ってぴくぴく震わせながら、その手を俺の手に重ねた。  だけど、振り払うではなしに、揉む俺の手を、さらに上から優しくなでさすり始める。  ずっと息を止めていて、耐えられなくなった。 「ぷはっ」 「はふ……ん……!」  今度は月姉の方から、唇をふさいできた。  二人そろって、鼻で荒く息をつきつつ、お互いの唇をむさぼる。 「ん……ん……んっ……んぁ……」  月姉の唇……ふっくらして、ちっちゃくて、甘くて。  唇だけで済んでいたのは、ほんの一瞬。  ちろっと、歯列に、熱くぬめる感触。 「んっ!?」  脳天に火花が散って、胸を揉む手もびくっと震えて。  舌だ、今の、月姉の舌……!  舐められた、そうだ、キスの時、エッチなキスは、舌を使うんだった。  俺も歯列を開いて舌を出し――。 「っ!?」 「んんっ!」  二人の口の間で、熱いもの同士が触れ合った。  びっ、びりびりって……脳天……目の奥……背筋、腰、股間に……!  舌だ、月姉の舌が、俺の舌を受けとめて、触れ合って、舐め合って。 「んっ、ん、んぅ……れろ、れろ……」 「れろ、れろ……ちゅ……んちゅ……ちゅ、ちゅっ、ちゅ……ちゅぷ……」  何度も何度も、白い火花が目の奥に散る。  びっしり鳥肌。震え。舌が動き、ぬめって擦れ合うたびに、腰が抜けそうなほどの恍惚感。  俺は舌と一緒に手も動かす。  手の平に感じる、弾力あるやわらかさ。  止まらない。止められるはずがない、こんな気持ちいいものが。 「ちゅ……ん……んあ……ん……んふ……」  手の動きに合わせて、月姉もうっとりした呻きを漏らす。  俺の手に重ねた月姉の手は、もうじっとり汗ばんで。  俺は月姉の腰を抱き、細いくびれからお尻に手をあてがって、ぎゅっと力を入れ、なで回し、指先で強く刺激する。 「んっ……ん……んふ……ふぁ、んぁぁ……」  月姉の体が、俺と同じように、甘い痺れの波に合わせてぴくぴく震えている。  密着した体から甘い匂いが立ち上って、めまいがする。  俺はますます舌を使い、胸を揉む。 「んっ、んっ……れろ……んっ、んあっ!」  月姉が、唇を重ね舌を絡めたまま、喉で強く呻いた。  俺の首をとらえている手に、ぎゅっと力がこもる。 「んっ! んっ!」  びくっと月姉の腰が震える。  膝が震え、揺れて、折れた。 「ふあ……あはぁ……」  とろけた、オスの本能を直撃するような甘い声の尾を引いて、ずるずると月姉はへたりこんでいった。  首を抱かれたまま、俺も一緒に倒れこんでゆく。  離れた唇の間に、唾液の糸が伸びた。  DVDでしか見たことがない、本物だ……などと冷静に考えることなんてできない。  少しでも月姉の甘い唾液を味わっていたくて、切れた糸がはりついた月姉の唇やあごを、俺はぺろぺろと舐め回した。 「もう……馬鹿……やめなさいよ……」  けれどもそう言う月姉の目は潤み、体は力が入らずに、しどけなくベッドに横たわるのみ。  俺は覆いかぶさって、まずはその体をなで回した。  服の上から、腰や脇腹、太腿を。どこもかしこも、手にたまらない感触を伝えてくる。 「ん……あん……」  心地よさげに、うっとり目を細める月姉。  月姉が猫だったら、ゴロゴロ喉を鳴らしていることだろう。 「あのね……祐真……」 「なに?」 「今さら、かもしれないけど……」 「うん」  うなずきながら、また月姉のおっぱいを揉みしだく。 「ん……あう……んもぉ……だめよ……言わせてよ……」 「うん。なに、月姉?」  うるんだ目で、月姉は言った。 「あたしも、祐真のこと、好き」 「月姉……!」  胸の奥から全身に、熱いものが広がった。  月姉は、胸を揉む俺の手に、さっきと同じように自分の手を重ねた。 「祐真の手も好き……」 「キスは、勢いだけで、まだまだ」 「あう……」 「でも、すごい……腰、抜けちゃった……」 「もう一回」  誘われて、軽く、ちゅっ。  これがキスなんだ。こんなにいいものなんだ。  何度でも、いつまでも、続けていたい……。 「祐真の体、好き……」  唇を離した後、目をのぞきこまれたまま、あごや首筋を優しく撫でられる。  月姉の指先が、さわさわとうごめいて、俺は鳥肌をびっしりたてて身震いした。 「月姉……つっ、月姉……!」  体が熱い。脳髄が焼ける。股間が燃える。  月姉が欲しい、欲しい、欲しい……! 「脱がせて……優しくね」 「……!」  俺は一も二もなくうなずくと、軽く浮かせてくれた腰に手をやった。  ベルトを外し前を開く。手が情けないほどに震えている。  ずるり……と、ズボンを脱がせる。  目の覚めるような、真っ白なふともも。  すでに風呂場で全部見ているはずだけど、まったく別物、違う興奮、深い感動。 「あ……!」  俺は感動の声を漏らしながら、その丸い腰から太腿、膝にかけて、何度も何度もなで回した。 「やん……もう……だめよ……えっち……」  小鼻をひくつかせ、心地よさげに身震いする月姉。  しっとり汗ばんだ、弾力ある太腿に、お尻に、腰に……どうして女の子って、こんなに綺麗なんだろう。 「こら。脚ばっかりいじらないの」  月姉はバンザイするように両腕を伸ばした。 「こっちも、脱がせて。そっとね」 「う、うん……」  こんなに血が煮えたぎっているのに、どうして月姉に襲いかからず、自分を抑えることができているのか不思議だ。  だけど、興奮のままに暴走するよりも、月姉の言うとおりにしている方がもっと気持ちいいって、体のどこかがわかってる。  だから、真っ白ですべすべのお腹から、少しずつセーターをめくりあげ、脱がせてゆく……。  ブラジャーが見え、丸い肩があらわになって、顔が抜け、腕が完全に抜けて。  下着姿の月姉に、俺は喉を何度も鳴らした。  飲みこむ唾に、少しばかり鼻血の気配もあった。 「…………やだ……」 「え、えっ、何がっ」 「あたしだけ……恥ずかしいから……」 「祐真も……脱いで……」  月姉の腕が伸びてきて、俺の――う、上じゃなくて、いきなりそっち、ズボンの方に、わ、わ、わっ! 「大丈夫。さっき、もう、全部見てるんだから……」  いや、でも、そういう問題じゃなくて……こころ、そう心の準備がっ! 「だ〜め」  悪戯っぽく笑いながら、月姉は俺のズボンを……。 「うわ。すごい……さっきより、もっと……大きいみたい……」 「そっ、それっ、はっ!」 「あたしも……ドキドキして、熱くて……なんか、きつい……」  月姉の指が、ブラの縁をなぞった。 「外して……」  俺の腕は、自分のものではないかのように、勝手に伸びて、月姉の背中に回る。  すべすべした肌に、確かに食いこんでいるようなストラップ。  慣れてないのと興奮とで、なかなかホックが外れない。 「こう……やって……こう……!」  取れた……!  肌に食いこんでいたストラップがゆるみ、カップが……そっと、ふくらみから外れて。 「やだ……」  恥じらう月姉の胸に、たわわに実る、ふたつの果実。  風呂場で見た時は、衝撃だけだったけど、今は違う。  感動だ。こんなに綺麗なものがこの世にあるのか。 「あんまり、見ないで……」 「………………」  言葉が出ない。月姉に言われているのに、目を逸らすこともできない。  次にどうすればいいのか、わかってる。知識はたっぷり持っている。エッチの手順は全部知ってる。  だけど……動けない……何もできない……。 「や……」  月姉が恥じらって身をよじる。それに伴いふくらみが形を変え、揺れる。  俺は、催眠術でもかけられているみたいに、その動きを目で追うばかり。 「いつまで見てるのよ……もう……やらしいんだから……」 「さわりたいんでしょ、これ?」 「いいわよ……さわりなさい……好きなだけ……ね」 「う……うん……」  月姉の言葉が、俺の呪縛を解いた。  いや――月姉に、俺は操られているのかも……。  俺の手が伸びる……ブラを外した時と同じように、勝手に――伸ばしているという意識もなく……。  手の平が、それに……ふくらみに、触れ……包みこみ……。  ふにっ……! 「んっ……」 「あ……」  やわらかい……。  俺の意識は手の平だけになる。  やわらかくて……弾力あって……手の中でたわんで、つぶれて……形を変えて……。 「ん……祐真の手……熱い……熱いよ……」  手の平に、くすぐったい感触。やわらかな中に突き出た頂点。月姉の、乳首。  親指と人差し指でつくる輪の間から乳首が突き出す。ぷっくりとふくれて、針でつつけば破裂してしまいそう。 「はあん……や……熱い……あ……」  ゆっくりと揉み続け――指を、突き出した乳首に近づけていって……。  指の腹で、そっと……。 「あんっ!」  びくっと、体が引きつった。  驚いたけど、俺だって何も知らないガキじゃない。  俺は構わず、乳首を軽く撫で続けた。 「んんっ……んう……うっ……んふあっ……」  指の腹で、くり、くり、くり。  月姉は目を伏せ、まつげを震わせて、懸命に激しい動きをこらえている。  だけどその体がどうしようもなく震え、眉は切なく垂れ下がり、揺れ動き――。 「は……あ……んっ……ん……ふぅ……」  ふとももが揺れ動き、膝をしきりに擦り合わせる。  俺は乳首を指ではさみ、少し引っ張りながら転がした。 「だめ……祐真……これ……こんな……あ……もう……」  月姉の声が震え、眉がきゅっと寄って、今にも泣き出しそうなほどに顔が歪む。  肌はもうゆで上がったみたいに桜色に染まって。 「祐真……祐真ぁ……あ……あっ……ふあ、あっ、んっ、くうっ、はあっ……!」  月姉が、少し血走ったようになった目で俺を見た。 「な、何してるのよ……いい加減にして……!」 「子供じゃあるまいし、こんな……胸ばっかり……!」 「だって、月姉の胸、気持ちいいし……月姉の声も、えっちで、たまんなくて……」 「馬鹿!」 「あ……」  月姉の膝が、俺の股間に触れていた。  そこは鋼鉄同然に硬くなり、先っぽは情欲の汁で濡れていて。  月姉の目が一瞬、そこに意識を奪われた、うつろなものになる。  喉を、月姉は大きく動かした。 「あ、あんまり、焦らすんじゃないの……意地悪は、嫌われるんだからね……!」 「もう、祐真だって、我慢できないでしょ……?」  月姉の膝が、俺のモノを擦る。 「セックス……して……いいよ、祐真……」 「月姉……!」  俺の中で、感情が爆発した。  気がつけば、月姉の腰から、最後の一枚の下着を、むしり取るように脱がせていて。 「きゃっ!?」  足首をつかみ、その脚を、いやらしい格好に開かせていた……。 「……あ……」  割れ目。あそこ。月姉の、一番大事な部分。  そこが、丸見えだった。  形は、映像で見た無修正のあれと、おおむね同じ。  でも色はずっとずっと綺麗で、鮮やかで、初々しくて。  形も、もっと小ぶりで、上品で。  だけど――。  脚のつけ根からもう、ぷっくりと土手が盛り上がっている。  割れ目の間から、たっぷりと充血した陰唇がはみ出している。  そして、口を開いたサーモンピンクのその部分からは、熱い汁がとろとろと漏れていて――。  こればかりは映像をいくら見ても絶対に感じることのない、甘酸っぱい、クラクラする匂いが……! 「や……見ちゃだめ……そんなに見ないでよ……そんなとこ……見ないの、こらっ!」  怒る声には、迫力がかけらもなかった。  逆に、俺に一番恥ずかしい所を見せちゃってるって、どんどん体が熱くなってきてるのが、手に取るようにわかった。 「あ、あんまり、女の子に恥ずかしい思い、させないで……ね?」 「祐真も、見せて……脱ぐ? それとも、あたしが脱がせる?」 「え、あ、自分で脱ぐよ……」  モノをさらけ出す時、心臓が破裂するかと思った。 「わ……!」  俺も、驚いた。まさかこんなになるなんて。  風呂場でも大きくなってたけど、そんなものじゃない。  赤く、硬く、猛々しく……凶悪なほどに。  サオは血管を浮かせ、亀頭はパンパンに張りつめて、鈴口からは白いものの混じった汁をあとからあとからにじませている。 「すごいね……あたしに入りたくて、そんなになってるんでしょ?」  月姉はまた大きく喉を鳴らすと、深呼吸して、体の力を抜いた。 「さ……来て……祐真……」 「うん……行くよ、月姉……」  俺は誘われるままに、月姉の脚の間に腰を入れる。  抱きかかえる形になった脚が、すべすべして、柔らかくて、たまらない。  モノの先端を、月姉のその部分にあてがう。 「んっ……」 「熱い……こんなに……」 「祐真のだって、熱いよ……」 「そ、それじゃ……いいよ……優しくね……」 「うん……」  腰に力を入れた。  火傷しそうなほどに熱いその場所の中でも、ひときわ熱い、蜜のみなもと。  そこに、興奮の汁ですでにてら光っているペニスの先端が、めりこんで……ゆく……! 「くっ……うっ……ぐ……」 「痛い? 大丈夫?」 「このくらい、平気……痛いのは、覚悟してるんだから……気にしないで、来て……」 「でも、優しくよ……優しくしてね……初めてなんだから」 「優しくしてくれないと、後でひどいんだから」 「お、俺……俺……!」  めりこんだその部分から伝わってくる熱が、俺の頭のどこかを麻痺させる。 「ひどいことされてもいい……いいから……入りたい……月姉の、ここに……!」  力がこもる。月姉を押さえつけ、体重をかける。 「祐真……?」  一瞬だけ、月姉は、信じられないものでも見たような、理解が追いつかないぽかんとした顔になり。  それから、びっしり鳥肌を立てつつ、押し寄せてきた痛みに苦悶した。  めり、めり、めり……音が聞こえそうなほどに、初めての入り口を強引に押し開いて、怒張した肉棒がめりこんでゆく。 「ぐっ、うっ、うっ……ううっ……!」  亀頭が完全に埋まった。  痛いくらいに締めつけてくる、狭い膣。  そこに……締めつけとは別な、抵抗を感じる。  月姉の、初めての証。  まだここを、この体を、誰にも許したことがないという何よりのしるし。 「いくよ、月姉、いくっ、入る……入るよ、月姉に、俺、俺……!」 「くっ……いいよ……来て……来なさい、祐真!」  決意の声を上げると同時に、月姉の手も、俺の腰にかかって、ぐいっと引きこんできた。  強引に、ずぶずぶと、ペニスを進め――。 「ぐっ……うっ……!」  みち、にち……ぶちっ……! 「あーーっ!」  膜が破れ……ペニスが、奥へ……信じられないほど深く、月姉の中に……入っていく……! 「うわ、あ、あああっ!」  ぞっとした。こんなに入るものなのか。大丈夫なのか。  知識では知ってるし、モニター越しにだけど見たことだってある。でも自分が体験するというのは全然違う。  こんなに――入って……熱くて……ああ……。 「う、う、うっ……ううっ……」 「月姉……入ったよ……俺、入ってる……こんなに……月姉の中に、こんな……すごい、熱い……!」 「うん、わかるよ……お腹……すごい……押されてる……なんか、怖いよ、これ……」  月姉は恐る恐る、自分の下腹に手を伸ばした。 「うわ……本当に……入ってるよ……」 「痛くない? 大丈夫?」 「痛いことは痛いけど、平気」  月姉は、つながっている部分を軽くつつくと、俺の体をなで上げてきた。 「ひゃっ、あっ……」 「痛いけど……嬉しいんだ……」 「体はね、痛いの。ここは当然痛いし、お腹も、押されてぐえって感じになってて、正直かなり苦しい……」 「だけどさ、心……ここが……」  月姉は俺の手を取り、自分の左の乳房に……胸に、あてさせた。  どく、どく、どく。強く、速い鼓動。 「胸が……熱くて……嬉しくて……たまんない……」  月姉は俺をまっすぐ見つめて、限りなく優しく微笑んだ。  その目尻から、涙がひとつぶこぼれた。  宝石のようだった。 「やっと……こう、なれたね……」 「やっと……って……?」 「したかったから……祐真と……これ……こういうこと……!」 「月姉……!」 「祐真は、いやかな? 女の子の方が、そういうこと考えてたら……」  月姉は、俺の指をそっとつまんで、自分の胸の、乳首に触れさせた。 「ん……こんな、えっちな女の子、いや?」  ぶんぶんぶん。俺は生ける首振り人形と化す。  同時に、月姉の中のものが、危険なくらいにふくれあがる。 「くっ……」  月姉の眉間にしわが寄る。痛いみたいだ。 「ぬ、抜くよ……一度、抜くから……」  腰を引いた途端に、がっしと脇腹を鷲づかみされた。 「こらっ……まだつながったばかりなのに、それはないでしょ」 「そんなことしたら、一生ぐちぐち耳元で言い続けてあげるからね……」 「いや、その、でも……」 「大丈夫。痛いのは最初だけって言うでしょ」 「それ、普通、男の台詞……」 「じゃ、男らしいところ、見せて。力強く、でも優しく、可愛らしく」 「最後のは違うと思うんだけど……」 「ゆーまは可愛いからいいの」  にっこりされると……たまらない。  この人が好きで好きで、どうしようもない。 「大丈夫だから、祐真も気持ちよくなるように、動いて」 「うん……」  ゆっくりと、腰を引く。  たっぷりと張りつめたペニスが、きつい膣に擦れて、ぞくぞくと鳥肌が立ち、思わず裏返った声が漏れる。 「あ、あ、あ……!」 「く……う……」  だけど月姉はやっぱり痛そうで。 「こら。気にしないの。大丈夫だって言ってるでしょ?」 「ほら、また……来て……」  誘われるままに、腰を進めた。  ずぶ、ずぶ、ずぶ……。 「ああ……はあっ……!」  熱い……きつくて、擦れて、包まれて、そしてめちゃくちゃ熱い、火傷する、溶ける……! 「ん……く……んあ……」  気持ちよくて、もっと動きたくて、たまらない。だけど月姉に痛い思いをさせたくない。  俺は、月姉を見つめる。月姉の目をじっと見つめ、表情全体を意識しながら腰を動かす。  ゆっくりとした抜き差し。月姉の反応を見ながら。  眉間が寄ったら動きを止める。まつげが震えるくらいなら続行。  ゆっくりと、抜いて、入れていって……。  一番奥まで入って、そこでじっとして……。 「んあ……ん……大きい……!」  また抜いて、また入れていって……。 「ん、んっ……く……うう……あ……」  ぞくぞくと、月姉が身震いする。  眉間のひくつきが、だんだん少なくなってくる。 「ん……ん……んふぁ……は……あ……」  俺はそろそろとした慎重な動きを続けた。  そうじゃないと、俺の方がたちまち達してしまいそう。 「なんか、だんだん……痛く、なくなって……きてる……ん……あん……」  月姉の手が、俺の体をしきりになで回す。 「ほら、祐真も……ピストン運動だけがエッチじゃないでしょ?」 「あたしは祐真に触りたいし、もっとくっつきたいよ。祐真は……どう?」  そりゃ、もちろん……返事の代わりに、つながったまま、覆いかぶさり、抱きしめた。 「あ……!?」  予想外だったのか、月姉がぎょっとする。  そして、次の瞬間――俺のものが入っている気持ちいい部分が、さらに熱を帯びた。 「はあんっ!」 「わっ、あっ!」 「や……なに……これ……やっ、あっ、これっ……な……だめ……あ……」  月姉の目が霞み、肌がなまめかしく上気した。  これまでリードしてくれていた月姉の眉が、頼りなく、泣きそうな形に垂れ下がる。 「やだ……これ……あ……」 「どうしたの?」  半ばは察しながら、俺はのろのろと腰を引き、またペニスを押し入れて――同時に、月姉の脇腹や腰周りをそっとなで回した。 「んうっ……んっ……あっ……!」  月姉の腕にびっしりと鳥肌が立ち、震え、膣内がさらに熱を帯び――濡れてきた。 「ど、どうしよう……これ……変……その……祐真……待って、あの、あのね……その……」 「まだ、痛い?」 「それが……んっ……なんか……痛くなくなってきて……逆に……すごく……あっ……んっ……」 「き……気持ち、いいの……!」  視線を逸らし、真っ赤になって言う月姉。  ペニスが破裂しそうなほどに硬くなって、月姉は痛みに顔を歪めた。 「あ、ごめん……」 「大丈夫……でも、もう一回……ぎゅって、して……」 「月姉……」 「祐真……」  キス。つながったまま、唇と唇。 「ん……ちゅ……ちゅぱ……ちゅっ……」 「んう……ん……れろ……れろ……」  触れ合う舌と舌。気持ちのいい接触。  頭の奥の方をかき回されているような心地がして、白い快感が全身を浸す。  股間がさらに力を増し、動かした時の擦れ具合がさらに良くなる。  腰が勝手に動く。 「……月姉……やば……止められない……よ……くっ……気持ちよすぎる、ごめん、ごめんっ、ああっ!」 「んっ、んっ、あっ、やっ、だめ、あっ、あっ、あっ……あっ!」  月姉は膣奥まで貫かれ、擦り立てられて、苦しそうに顔を歪め――。 「とっ、止めちゃ……だめっ!」  ――違った。 「やあっ、へっ、変っ、変よっ、これ、だめ、変になる、なっちゃう、あっ、やあっ、気持ちいいっ!」 「こう? これ? こうするの? 月姉!?」  ぐり、ぐり。腰の動きにひねりを加える。 「ひゃああああっ! やーっ! だめええっ!」  抜き差しする肉棒が、じゅぷじゅぷとぬめる音を立てている。  ぬらぬらしたそれが出入りしている、月姉の穴の……少し上。  充血してふくらんでいる小陰唇が合わさる部分に、小さな豆が顔をのぞかせていた。  これ……あれだ、一番敏感なやつ……クリトリス。  俺はペニスの抜き差しを続けながら、そこに手をやった。  たっぷりと蜜をつけた指先で、ぷっくりと盛り上がっている、つややかなピンク色の肉芽を……そっと……。 「ふああああっ!?」  月姉の体が跳ね、ひときわ激しい声が上がった。 「あっ! それっ! だめっ!」  俺はもちろん――やめるわけがない。  濡れた指先で、そこをいじり続ける。 「ひいいっ! ひっ! あっ! だめっ、だめえっ! やっ、あっ、あっ、あっ、あああああっ!」  月姉の別人みたいな激しい反応。  それにつれて揺れるおっぱい、くねる腰、跳ねる太腿。  我を忘れて漏らす声も、真っ赤に染まり歪む顔も、すべてが魅力的で、俺を興奮させ――。 「祐真っ、それっ、以上っ! めっ! らめっ! ひっ、はっ、ああっ! あああああっ!」  月姉の体がいきなり、びくんと痙攣して、硬直した。  ペニスが、痛いくらいに締めつけられた。 「うあああああっ!」  ただでさえきつかった膣がさらに収縮して、そこを往復するペニスに、耐えようのない刺激が来た。 「あっ! 出るっ! あっ! ああっ!」  出すこと以外、何も考えられなくなった。  腰を動かし、フィニッシュへと突進し――。  大きすぎる動きに、ペニスが抜けてしまった。 「んああああああああああっ!!」  どびゅっ! びゅっ、びゅくっ! びゅっ!  ぬめって、少し血の混じった糸を引いているペニスの先端から、白いものがほとばしった。 「あっ……あっ、あっ……あ……」  真っ白になる。あたま。きもちいい。でてる。 「ふあっ……やっ……あっ……!」  熱い体に、熱い汁が降り注ぎ……とろとろと伝い流れて……綺麗な体がぴくぴく震えて……やらしい……。 「はぁ……出た……すごい……こんなに……」 「ふあ……あ……」  肩で息をしながらへたりこむ。精液と一緒にあらゆる力も抜け出ていってしまった。 「ゆーま」  おいで、と月姉が腕を広げた。  俺は迷わず、裸のその体に身を預けた。  汗ばんだふたつのふくらみが、俺の肩口でつぶれ、たわんだ。 「ん……」 「はぁ、はぁ、はぁ……」  俺も月姉を抱きしめる。  二人そのまま、熱い肌をくっつけて、抱き合ったままじっとしていた。  他に、何もしたくなかった。 「しちゃった……ね……」  ちゅっと、唇に軽くキスして、月姉が笑った。 「ごめん……痛かっただろ?」 「いいんだって。嬉しかったし、途中から、もうそれどころじゃ――」  月姉は言葉を切ると、困ったように目を逸らした。 「あのさ……祐真……その……」 「変なとこ、見せちゃったと思うんだけど……」 「色々、変なことも言っちゃったんだけど……」  月姉の体がもぞもぞと動いた。  乳首を、俺の胸板に擦りつけてくる。 「はあん……まだ……熱い……」  甘いにおいが強くなった。  ぞくぞくとして、股間に力が戻ってくる。 「こういうの……いやじゃ、ない?」 「こういうのって?」 「女の子が、こんなに……えっちなの……」 「………………」  絶句したのは、あきれたからなんかじゃ当然なくて。  ハートマークというかピンク色というか、とにかく喜びと感動と獣欲とその他様々な感情が一斉に湧き起こって、どうすることもできなくなったからで。  俺は月姉を抱きしめて、ごろごろ転げ回った。 「きゃっ、ちょっ、やっ! こらーっ!」  もがく月姉に、俺は強引にキスをした。 「えっちな女の子って……最高!」 「もう……馬鹿」 「キスは、優しくしないとだめなんだからね……」  両頬をはさまれ、あらためて、深く長いキスをした。 「……でも、さ……」  ふと、月姉が声を落とした。 「本当に……祐真と、こうなっちゃったね……」 「うん……本当に、月姉と、こうなっちゃった……」 「あのちっちゃいゆーまクンと」 「あのおっきな月ねーちゃんと」 「今じゃこんなにでっかい祐真」 「今じゃこんなに可愛い月姉」 「年上を可愛いゆーな」  俺のムスコが握られた。 「ここも、こんなに……えっちになっちゃって、まったくもう……」 「月姉こそ、おっぱい、こんなにえっちになっちゃって……」  乳房を手に包み、やわやわと揉む。 「ああ、もう……どうしてこんなに気持ちいいのかな、おっぱいって」 「おっきくなって来たよ。祐真のエッチ」 「でも、面白いね、これ。こんなのがついてるなんて、男って不思議」 「女の人も不思議だよ。こんなになってて……あんなに沢山、入っちゃうんだから……」 「こら、乱暴に触らないの。もっと優しく、なでるように、だよ」  お手本とばかりに、鼻の頭を舐められた。  そのまま、ちろちろと、舌先でほっぺたに字を書かれる。 「何て書いたか、わかる?」 「『ゆ・う・ま』?」 「ぶーっ。外れ」 「『す・け・べ』でした!」 「本当かよ」 「じゃ、今度は背中でやってあげよっか?」 「背中だと、入れ墨彫るみたいだよな」 「それならいっそ、キスマークで絵描いちゃおっか」 「明日大変だって」 「……絵、か……」 「…………なによ」 「月姉、本当に絵がうまかったよな。小さい頃」 「そりゃ……家が家だし、ね」 「なんで、今は描かないの?」 「………………」  俺も、月姉も、裸。  お互い、何も隠さずに、一番近い所にいる。  とくん、とくんと、月姉の鼓動が伝わってきた。 「お父さんが、ね……」 「お母さんを、よく、絵のことでいじめてたの……」 「おばさんって、モデルもやってたんだよね」 「も、じゃないよ。元々モデルだったの。それでお父さんと知り合って、結婚したんだって」 「へえ……」 「だけど……契約してるだけのモデルなら、嫌になったら逃げればいいけどさ、結婚しちゃったんじゃ、逃げられないでしょ」 「それは……逃げたくなるようなことがあったってこと?」 「お母さんは、平気だったって笑うんだけど」 「ひどかったもの。上手く進まない時、怒鳴る、なじる、蹴倒す、ものを投げつける……!」 「だから、あたし……お父さん、嫌い」 「大っ嫌い」 「だから、絵も嫌い」 「だけど、あんなに上手いのに……」  俺の裸の肩に、月姉は爪を立てた。 「小さい頃はね、それでもまだ、楽しくはあったの」 「白い紙に、クレヨンや色鉛筆、水彩絵の具でどんどん世界が広がっていく」 「10歳ぐらいから、油絵も始めてみて……」 「最後に描いたのは、やっぱり……あの時?」 「……うん」  あの時。  制服を着た俺をモデルに、月姉が絵筆を動かし……。 「………………」  月姉が、俺の肩に軽く噛みついた。  俺の頬をなでる。  そこから手が上に行って、耳を過ぎ、髪の中に指を入れる。  髪の毛をかきわけ……俺の頭の、『ある場所』を、指先でとらえた。 「まだ、あるね……ここ……傷跡……」 「………………」  指が、そろそろと、その部分をなで回す。  2センチぐらい、いやもっと大きかったかな。すごかったもんな、あの時の出血。 「痛む?」 「いや……」  月姉の指先が、熱い。 「月姉……家出て、寮に入ったのは……これのせい?」 「………………」  また、肩に噛みつかれた。 「お風呂、まだあったかいよね。もう一回入ろっか」 「うん……」  立ち上がった月姉の、白くてとても綺麗な背中。  けれどもそこは、これ以上この話題を続けるつもりはないと、きっぱり告げてもいるのだった……。 「ん……」  朝か……。  すごく気持ちのいい、幸せな夢を見た。  初夢だ。初夢で、月姉と……月姉の中に入って、ひとつになって……。 「いや……!」  違う!  夢じゃない。現実だ!  それが証拠に、ここは俺の部屋じゃない。  月姉の部屋だ。  そうだ――少しずつ記憶が戻ってきた。  昨日、あの熱い時間の後。  一緒に、あらためて風呂に入り直して。  そこでも、裸のままじゃれ合って、気持ちいいことも色々やっちゃって。  そして、月姉の部屋、月姉のベッドで、抱き合ったまま眠ったんだった……。  気分は強烈なハイテンションで、眠らずにさらに月姉とエッチし続けていられそうだったけど、体は疲れていたのか、横になってすぐ意識が飛んだ。  そうか、夢は……見てないな。  初夢、見損ねた。  でもいいや。夢よりずっと素晴らしい記憶が残っているから。 「月姉……!」  全身に、感覚がある。  抱きしめたあの体、触れたおっぱい、入りこんだあの場所……あの熱さ、しめつけ……濡れて……月姉の声、悩ましく歪む顔……。 「んおおおっ……!」  起き抜けって事もあって、股間の息子が猛々しく天を衝く。  俺はベッドでひとり身悶えた。  ――ひとり? 「あれ、月姉……?」  目をこすり、部屋を見回す。  隣に、裸で一緒に寝たはずなのに……いない。  シャツ一枚を全裸の上に羽織って、窓際で優しく微笑んで『起きた、祐真?』なんて……こともない。 「いない……」  あらためて室内を見てみれば、俺の服は脱いだ時そのままに置いてあるけれども、月姉の服はどこにもないし。  ベッドが乱れているのも、俺が寝ていた半分の方だけ……。  室内には甘い、月姉の匂いはするものの、あの濃密な汗や色々な汁や精液の、やらしい臭気はかけらも漂っていない。  まるで、最初から俺しかこの部屋で寝ていなかったかのような。  まさか、本当に、あれは全部夢……? 「そんな馬鹿な!」  俺は急いで服を着た。  冷気の中を、急いで階下へ降りて行き……。 「あ……!」  月姉がいた。  その姿を見た途端に、カーッと全身が熱くなる。 「おはよう。お寝坊さんね」 「朝って言うにはもう遅いけど、おせちの残り、食べちゃいなさい」 「お雑煮ならお鍋の中にまだ残ってるから、温めて食べなさい。お餅は袋開いてる方を先に使ってね」  あ、あれ?  普通……だよな、この声音、この態度。  俺の方は、昨夜のことを思い出して、ドキドキするやら恥ずかしいやらで、まともに顔を見られないっていうのに……!  月姉は普通の、あまりにも普通の顔をして、正月特番のテレビなんか見てるわけで。  まさか、本当に夢だった……?  いや、さすがにそんなことは。  でもそれなら、この態度は……。  俺は言われた通り、おせちの重箱を取り出し、雑煮の餅をオーブンで焼き始めた。 「ええと……三つ葉はどこに……」 「冷蔵庫、野菜入れよ。包丁使う時は気をつけてね」 「むむ……」  おぼつかない手つきで三つ葉を刻み、焼けた餅を入れた雑煮の上に乗せる。 「ふう、できた……」  お盆を手に、月姉の向かいに陣取った。 「いただきます……」 「どうぞ」  ぱくぱくとおせちの残りをつまむ俺。  月姉は横目で時折こっちを見るけれど、それ以外は特にどうという反応を示さず、リラックスしてテレビに見入っている。 「……あ、あのさ……」 「なに?」 「昨日……の……こと……」 「うん」 「う……」  平然とした月姉を前に、俺は言葉に詰まった。 「……なに? じろじろ見て」 「いや……」  なんだよ……なんでこんな、いつも通りなんだよ。  まさか、忘れたのか?  いやいや、いくらなんでも、あれを忘れるなんて。  それとも、もしかして……一時の気の迷いだった、なんて思い直して、なかったことにしようなんて思ってるんじゃ……!?  そんな!  実は俺とエッチしたことを後悔してて……。  まさか!  どういうつもりなんだよ、月姉! 「………………」  待てよ。  なかったことにするにしても、このあまりにも普通すぎる態度は……逆に怪しくないか?  俺はあることに気がついた。  もしかして……。 「……月姉、ちょっと立って」 「なんで?」 「いいから」 「よくない。理由もないのに」 「ちょっと歩いてみてくれる?」 「だからなんでそんなこと……」  違和感があったのは、俺の分の食事、全部俺に用意させたことだ。  俺が料理はさっぱりで、当然台所で動くことにも慣れてないのはよくわかってるはず。  なのにその俺に色々言いつけるだけで、自分は椅子から一歩も動こうとしない……。  他の女の子ならともかく、月姉だ。文句を言いながらも色々用意してくれる面倒見のよさがあって、それでみんなに慕われてる柏木先輩だ。  それが、まったく動かないということは……。 「壁にタッチして、戻ってきてよ」 「むう……!」 「それとも、歩けない理由が何かあるの? いつまでもトイレ行かないつもりならそれでもいいけどね」 「わ……わかったわよ……!」  月姉はしかめっ面をして立ち上がった。  そして、リビングを横切り壁に行き……壁に手の平をトンとついて。 「……なるほど……」 「な、なによ! 言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」 「まだ、痛い?」 「………………!」  月姉は耳まで真っ赤になった。  そう、歩き方。月姉の。  普段の、颯爽とした足取りじゃなくて。  少し足を開いた感じの、要するにがに股ぎみに、ひょこひょこと。  それは、噂に聞く――Hなマンガなんかで見るし、実際の女子の経験談として耳にも入ってる、あれ。  初体験の後、まだ入ってる感じがして、変な歩き方になってしまうというやつ……。 「そ、そうよ!」  誤魔化しきれないとみたか、月姉はいきなり開き直って怒鳴り散らした。 「昨日は何ともなかったんだけど、起きたら、じんじんして、奥までずっぽり入ってるみたいで!」 「祐真のせいなんだからね! 知らないっ!」  逆ギレもいいところ。  だけど……そんな月姉が、とんでもなく可愛くて、どうしようもなくなってきた。 「じゃ、やっぱり、あれ……夢じゃなかったんだよな」 「当たり前でしょ! 夢だと思え、とでも言うつもり?」 「逆、逆。夢じゃなくて、本当によかった」 「だって、月姉と……できたんだから……」 「バ、バカ! そんなこと大声で言わないの!」 「大声でなんて」 「言ってるわよ!」 「月姉の方がよっぽど大声」 「違うわよ! 何よ、いきなり偉そうに!」 「あたしの、は、恥ずかしい所全部見ちゃったからって、いきなり態度変えないでよね!」 「いや、この場合態度が変わってるのは月姉の方……」 「違うわ! 変わってるのは、祐真の方よ!」 「俺のどこがどう変わったって言うんだよ」 「偉そうよ! 自信たっぷりになって!」 「そんなことないと思うんだけど……」  でも、言われてみれば確かに――月姉が、これまでとは違う人みたいにも見える。  俺は立ち上がった。 「な、なによ!?」 「うん……その……月姉の言うとおりかも」 「なにがよ! ちょっと、なんでこっち来るのよ!?」 「ああ……違うや、本当に」 「なに言ってるのよ! 来ないで!」  でも、月姉は真っ赤になったまま、立ちすくむばかり。 「月姉の態度も違うし、見た目も……すごく……」 「すごく……なによ!」 「いい」  言葉と共に、足が出る。 「綺麗」  一歩。 「最高」  また一歩。 「な、なに……を……」  月姉が、俺の腕の中。 「捕まえた」 「や……」 「離したくない」 「ばか……」 「昨日と、全然違って……月姉と、くっつきたい……くっついてたい……」 「……あたしも……だよ……」  唇が、重なった。 「ん……」 「んっ……ん……ちゅ……ちゅぷ……」  押しつけてから、軽く左右に動かして、唇で唇を擦る。  はさんだり、ついばんだりして、じゃれ合う。  その間もしっかりと相手の体に腕を回して、抱き合って。 「ちゅ……ちゅぱ……ちゅぷ……ちゅ……」  歯列が開き、舌がひらめいた。  俺の舌と月姉の舌、先端同士がちょんと触れ合う。 「んっ……!」  また、あの快感……頭の奥の方に閃光がはしり、白い電流が全身を痺れさせ……。 「ちゅぷ……れろ……れろ……れろ……ちゅ……ちゅぷ、ちゅぷ……ぴちゅ……」  月姉の舌が、気がつけば生き物のように俺の舌に絡みついている。  俺も、舌を動かす。ねっとりとうごめく熱い粘肉に、自分の舌を貼りつけ、舐め回す。 「ちゅ……んう……ん……んふぅ……んぅ……」  責められると弱いのか、たちまち月姉の呻き声が質を変え、体がぴくぴくと震え始めた。  俺がそうであるように、月姉の腕にもびっしり快感の鳥肌が立って、全身が痺れているんだろう……。 「はふ……ん……あ……」  唇が離れ、月姉はすっかり上気した、焦点の怪しい目つきで体をゆらめかせた。 「本当に……変わっちゃったね……」 「まだ言う?」 「だって……本当なんだもの……」 「俺が? 月姉が?」 「両方……でも、ひどいのは……あたし……」 「どんな風に変わったのさ?」  月姉は、体を抱く俺の腕に、そっと手を置いた。 「祐真から……逃げられない……」 「こんな風に捕まっても……何されても……逆らえない……よ……」 「月姉……!」  また、唇を重ねた。  抑えるなんてできなかった。この唇が欲しくて、むさぼりたくて、たまらなかった。 「ん……!」 「祐真……好き……!」  月姉の方からも、唇を押しつけ、舌を入れてきた。 「ちゅっ、ちゅっ、ちゅぱ、ちゅっ、ちゅっ……」 「んぁ……月姉……好きだ!」  また、キス。  何度も、何度も、何度でも。いつまでも。  唇が溶けて、頭も溶けて、とろとろになってゆく。  気がつけば俺は月姉の胸を、服の上から揉みしだいていて。  月姉の手も、俺の腰や太腿をなで回していて。 「ん……んぁ……!」 「んふ……ん……んっ、んっ……!」  舌を絡め合ったまま、喉でもがき、身を震わせ、鼻息は荒く、鼓動は激しく。  二人の唇の間で、粘つく音が鳴り、あふれた唾液が唇の端からこぼれて。  俺の股間は鋼のようになって、びくびく震える。  月姉のあそこもきっと、たっぷりと濡れて、ひくついて……。  したい、このまま、月姉と……また……あれを……! 「つ……月姉……!」 「はぁ、はぁ……祐真……!」  俺たちは、狂おしい熱に浮かされた、とろんとした目で見つめ合い――相手の服を脱がせようと……。 「あ…………!」 「………………」 「………………」  時間が止まった。  ああ、静かだなあ。正月だもんな。  陽の光が射しこんでいる。窓の外、木の枝にまだ残っている雪が、少しずつ溶けていっている。  今年もいい年になりそうだ。あけましておめでとう。謹賀新年賀正。はっぴーにゅーいやー。 「し……失礼しましたっ! ごゆっくり!」  大あわてで回れ右する夜々。  ドタドタ廊下を突っ走り上階へ駆け上がって部屋に飛びこむ。 「……き……」 「き?」 「きゃああああああああああああああああああああああああっ!!!!」  完全に我にかえった月姉は、脳天と両耳から同時に湯気を噴き出して、厨房へと飛びこんでいった。  大きな冷蔵庫の影に、生ゴミの袋みたいに完全に身を丸めて縮こまり、ぶつぶつつぶやく。 「見られた……みみ見られた……あんなとこ見られた……見られちゃった……!」 「………………」  俺も、一言もなくうなだれる。  確かに、夜々が戻っていてもおかしくない時間帯だったわけで。  俺も月姉も、人が来たことにも気づかないほど、キスに没頭しちゃってたわけで……! 「うう……!」  今頃になってやっと、俺も羞恥心のとりこになった。  見られた……あんなとこ、思いっきり、見られてしまった……! 「祐真!」  いきなり月姉が、弾かれたみたいに立ち上がる。 「はいっ!?」 「準備して! 出かけるわよ!」 「え、え? 出かけるって……?」 「初詣よ、初詣!」 「まだ行ってないじゃない! 丁度いいわ、行くわよ!」 「や、でも、そんな、いきなり……」 「いいから支度なさい!」  めちゃくちゃ強引に、半ば逃げるように、俺たちはもつれあって寮を飛び出した。 「ああもう、恥ずかしい! どうしてくれるのよ!」 「いや俺に言われても……」 「あんなとこ見られて平気なわけ?」 「平気なわけないだろ」 「でも、先に月姉がパニクってるから、俺は落ちついてしまうんだよね」 「あ……そうなの?」 「うん」 「むう……反省」  二人そろって、長々と息をついた。 「見られた……ね」 「見られちゃったよね」  月姉がいきなり初詣と言い出したのには唖然としたけど……。  確かに、あの後夜々と出くわしたら、どんな顔をすればいいのかわからない。  外に出て間を置くのも悪くないかも。 「さすがに、晴れ着までは持ってこられなかったなあ」  月姉はちょっと腕を上げて、自分の服装を示した。 「いや、もう、十分だよ……」  見慣れたはずの姿なのに、全然違って見えるのは、やっぱり恋人同士になったからか。 「そう? でも、ごめんね。どうせなら、着物見たかったでしょ?」 「う〜む」 「着物というなら、この際、あの伝説を確かめてみたいかも」 「伝説?」 「着物の下には本当に下着をつけないのかどうか」 「……バカ」  心底軽蔑した目つきが向けられた。 「一応教えておくけどね、今は下着つけるのは当たり前なの! あれは今みたいな下着のなかった時代の話!」 「パンツの線が見えていやだって時は、細いやつ……Tバックみたいなのをはいて、線が出ないようにするのよ」 「ほほう……」 「スケベ」 「だって、男としては、気になって気になって」 「そういう目で、初詣の女の子見てたわけ?」 「夏の、花火大会の浴衣の子も」 「どスケベ」 「でも今は……月姉のにしか興味ない」 「な……!」  月姉はまた真っ赤になり、慌てて周囲を見回した。 「バ、バカ! こんな所で何言ってるの!」 「あとでいいから、見せて?」 「やめなさい、変態!」 「そんなことばっかり言ってたら、桜井二世って呼ぶからね!」 「む……それはきつい……」  マジでへこむ俺。確かにちょっとスケベすぎかも。反省。 「もう……情けない顔しないの」  月姉の腕が、俺の肘にそっと絡められてきた。  寄り添い、体をくっつけてくる。  ちょっと歩きにくいけど、それ以上に、あたたかい。 「後で……ね」  聞こえるか聞こえないかくらいの声で、そっとささやかれた。  言ってから、恥じらうように、月姉はぎゅっと俺の腕を抱く。  胸の感触が伝わってきて、俺は思わず前屈みになった。 「空いてていいね。結果オーライかな?」 「だね」 「おみくじ引こっか」  社務所で、順々におみくじを買い、開いた。 「大吉!」  晴れやかに宣言する月姉。  その手の中に開かれたおみくじには、確かに大きな『大吉』の文字。 「待ち人来る、失せ物見つかる、金運よし、恋愛成就! やったね!」 「そう……」  俺の方はと言うと……。 「祐真はどう? 2人そろって大吉だよね?」 「それが、その……」  俺の方のおみくじを見せた。 「え……大凶って……」  俺だって何度か見直した。  でもやっぱりそこに黒々と書かれている、不吉な二文字は変わらない。 「ありゃ……」 「なんだよこれ。こんなのありか!? 普通、こういうのは入れとかないもんだろ!」 「まあまあ」 「小吉とかただの吉とかの、中途半端でつまらないのよりはずっといいじゃない」 「そういう問題じゃなくてさ……」 「正月から気分よくない?」 「ああ」 「じゃ……こうしよ」  月姉は俺の手からおみくじを取って、自分の大吉のおみくじと二枚重ね合わせた。  そしてそれを折りたたみ、ぎゅっとよじって、木の枝に結びつける。 「はい、これで相殺して、何もなし!」 「そういうものなのか……?」 「あたしの大吉を分けてあげたってのに、ご不満?」 「いや……ありがと」 「二人で、いいことも悪いことも分け合って……って、なんだか、結婚式の誓いの言葉みたいだね」 「それは……っ!」  思いっきり照れてしまう俺だった。  2人並んで、お賽銭を投げ入れ、柏手、合掌。 「………………」 「………………」 「なにを祈ったのかな?」 「月姉こそ」 「祐真と、これから、もっと仲良く……もっと好きになれますように」 「俺も、月姉と、もっと……幸せになれますようにって」 「祐真……」  月姉の手が、俺の手を取り、握った。  俺も、指を絡めて握り返す。  見上げてくる月姉。  どきっとする。体を熱い感覚が貫く。 「やばい……どうしよう」 「どうしたの?」 「また……さっきのが……」 「さっきのって?」 「めちゃくちゃ、月姉と、キスしたい」 「あ……」 「……実は、あたしも……」  ごくりと、喉が鳴った。  俺も月姉も、地元民の強みで、あることを知っている。  この神社の本殿の裏側は、滅多に人が来ない。  木々の向こうは急斜面で、遠くから目撃される可能性もまずない。  つまり、裏手は、格好の……Hポイント……。 「キスだけで……いいの?」  見上げてくる、上目遣いの視線に、また激しく喉が鳴る。 「ごくっ……」 「さっきの……約束……どうする?」  後で、見せてあげる――。 『後で』って、今さ!  その文字が脳内で、極彩色に点滅した。 「んぐ……!」 「ほら……離しちゃだめだよ。手も使っちゃだめ……」  神社本殿の裏側に回ってみると、まったく人気はなく、しんとしている。  多めに積もった雪がまだ残り、表に比べると冷え冷えとしている。  だが、熱い。心臓はばくばく脈打ち、鼻息荒く、全身が燃えるような感じになっている。 「ん……や……ひょれ……やあっ……!」  月姉が羞恥に身をよじる。 「なんれ……ひょんな……くひ……くわえへ……」  普通にめくらせるんじゃなくて、スカートの裾をくわえさせたのは、その場の思いつき。  だけど、やらせてみると……ものすごくいやらしい。  あのなまめかしい下半身を、パンストがぴったりと貼りついて包みこんでいる。  細いすね、膝、むっちりした太股、そして腰まわり。  たまらなく魅惑的な曲線美。 「ん……や……んぅ……」  まだ何もしていないけど、月姉はこの格好をひどく恥ずかしがって、しきりにお尻をくねらせ、太腿を閉め膝をくっつけようともじもじする。 「スカートの中……こんな風なんだ……」  俺はその、パンストに包まれたふとももをなで回し、ひきつり揺れるお尻を鷲づかみにした。  手の平いっぱいに、むちむちした尻肉と、それを包みこむパンストの感触。 「やぁ……んぐ……ひゃめて……や……」  くわえたスカートを離さないように歯を食いしばりながら、泣きそうな目つきで俺を見つめる月姉。  その表情にぞくぞくする。  俺はお尻を堪能すると、いよいよ手を前へ、その部分へ進めていった。  緊張と羞恥に張りつめている太腿の間……パンストがひときわ色濃くなっている、もっとも大事な所。 「ん……んぅ……」  月姉は羞恥に身をよじりながらも、わずかに脚を開いて、触りやすいようにしてくれる。  三本まとめた指を、そこにあてがった。 「んっ……」  中指を、押す。  そこだけ、ふにっと、柔らかい。 「ん……んぁ……んっ……らめ……」  何度も何度も、そこに触れ、押して、パンストの上から指を往復させる。  月姉の腰が悩ましく揺れ、膝が震える。 「らめぇ……んはぁ……はう、あう……はぁ……」 「熱いね、ここ……すごく……」  ぐっとその部分を押し、じっとしていると、指先にじんわりと、月姉のエッチな部分の熱が伝わってくる。  それは、湿り気を伴っていて……。 「あ……」  じわ、じわと、押した部分を中心に……。  最初はじかにその部分に触れるショーツに、次第に広がって、パンティストッキングにも……。  染みが……広がって……色が変わって……。 「はぁん……んあ……あう、あ……」  気がついているのかどうか、月姉は悩ましく呻き続けるばかり。  こんなに濡れちゃってるんだ……。 「うぅ……う……う……」  月姉が、何かをせがむように俺を見た。 「……もどかしいの?」  濡れたその部分を、指で軽く擦りながら、少し意地悪く俺は訊く。 「下着越しだともどかしくて、直接いじって、触って……〈挿〉《い》れて欲しくなってきてるんじゃない?」 「うぅ……!」  図星だ。でも羞恥で、うなずくことはできない。  怒ったように顔を歪めながら、その首筋から耳の後ろにかけてが、鮮やかな朱色に染まった。 「ふふ……月姉って、えっちになると、赤面するんだね……」 「んんっ!?」  眉を吊り上げ、そんなことないと意地を張る月姉。  でも、俺が指を立てて、軽くふとももから膝までなで下ろし、また上に戻ってくると……。 「んあ……ん……ふあ……」  ぞくぞくと身震いし、さらに肌を桜色に染めた。 「ほら、もう、真っ赤……」  自分でも自覚して、それがさらに羞恥を呼んで、月姉は耳まで赤くなる。  その腰に、俺は慎重に手をかけた。 「脱がせるよ……」  パンストを脱がせるなんて初めてだ。気をつけて、破らないようにしないと。  抵抗しない月姉の腰から、そろそろとパンストを下ろしてゆく。  張りつめたショーツの布地がまぶしく見える。  俺は、腰に食いこんでいる紐に沿って、幾度か指をはしらせた。 「うっ、んっ、んんっ! んっ!」  お尻がきゅっと締まり、ゆるみ、また締まって、ぶるぶる震える。  俺はさらに、腰を覆う最後の一枚に手をかけた。  ゆっくりと、紐をほどいてゆく。 「あ……!」  ほどけて……紐が落ちて……三角形の布地が、ゆるんで、ずれて……。  すごい……月姉の、生の割れ目……こんな場所で、あらわに……。  淡く生えた陰毛が正月の冷気に揺れ、縦の割れ目は興奮に充血して、土手の形がくっきり盛り上がって。  その下のところで、ずり下ろしたパンストが食いこんで、余計に肌の白さを際だたせている。  月姉が……柏木月音が、神社の裏で、あそこを出してる……。  すっかりいやらしい気分にとらわれて、割れ目を濡らし、身を震わせている……。 「ま……丸見えだよ……月姉の、やらしいとこ……」 「やあん……!」 「だめ……あんまり……見ちゃ……!」 「でも、こんな……すごい、濡れて、あふれて……どろどろだよ……」 「やあっ、言わないでよ……だめなんだから……こんな所で……やらしい……!」 「やらしいのは月姉だろ……こんなに……おまんこ、ふくらませて……ビラビラはみ出て、よだれ垂らして……」 「っ……!」  その部分の様子をまともに言われて、月姉は鞭打たれたように身をこわばらせた。 「やめ……て……!」 「なにをやめるの?」  俺はふとももをなで回し、強く揉む。  割れ目を左右に開く。月姉は身震い。あそこは興奮のピンク色、透明な汁まみれ。 「月姉の、穴……これ、すごい……こんなに……」 「やだっ、だめっ、そんなの……変態!」 「でも、さっきから、その変態の場所が、ひくひくしてるよ……こんな風に……」  指先でつつくと、月姉は逃げ出しそうにお尻を引いた。 「やっ……んっ……あ……!」 「ほうら……こんなに……!」  指先を少しだけ埋めて、引き抜くと、ねっとりとした細い糸が伸び、かすかに湯気を立てた。 「やあっ……だめ、や……だめよ……!」  俺は、月姉のもので濡れた指を、見せつけるように舐めて――甘酸っぱい味――また、そこへ……。 「ふあ……ああん……」  見つめる月姉の肌が、ゆで上がったみたいに紅潮する。  陰唇がひくつき、ぬめりが増した。  何度か軽く指先を往復させて焦らしてから、いよいよ指先を、熱い蜜壺に潜りこませる。 「あ……あっ! そこっ!」 「大丈夫? ここ、痛くない?」  昨日、これまで守ってきた処女を散らしたばかりの、えっちな穴。  そこに、指が……何の抵抗もなく、根元までぬるりと入ってしまう。 「わ……すごい……」 「あっ……ああんっ!」  いきなり、きゅっと締めつけられた。 「はあっ! やっ、あっ、あっ!」 「すごいや……これ……こんな……!」  指をゆっくり抜くと、媚肉が後を追うように絡みつき、富士山型に盛り上がる。  完全に抜けると、指先とその部分の間に、太い糸がねっとり伸びた。 「やあっ……お願い……指じゃなくて……」 「……ほしいの?」 「うん……!」 「だって、さっきから……キスした時から、ずっと……ずっと……!」  月姉はいやらしい手つきで 俺の股間を撫で回してきた。  俺だって、ズボンの中はもう大変な状態。  こんなにいやらしく誘われて、これ以上我慢するなんてできやしない。  俺だって、キスの時から、ずっとしたかったんだから! 「それじゃ、いくよ、入れるから、月姉……!」  急いで前を開いて、モノを取り出して……。  ……この格好じゃ、〈挿〉《い》れにくい。  俺は月姉の肩を抱き、くるっと向きを変えさせた。 「そこに手をついて……そう、こうして……!」 「やあっ……こんな……格好……だめえっ!」  くねるお尻がたまらない。  尻たぶを鷲づかみにして、左右に開く。  露出する後ろの穴と、その下のいやらしい割れ目。  もう、じっくりやっている余裕なんてない。  汁をにじませている先端を、熱く濡れそぼる月姉のそこにあてがった。 「んっ……!」 「ええと、ここ……に……こう……!」  ずぶり……! 「あああああああああっ!」  月姉が、いきなり遠吠えみたいな声を張り上げた。  いくら人が来ないと言っても、建物の反対側には今も初詣の客が参拝に来てるんだ。  慌てて月姉は口をつぐみ、その代わりとばかりに、真っ赤になった。  狭いけどものすごく濡れて、火傷しそうなほどに熱い膣内に、怒張したペニスがずぶずぶと入りこんでゆく。  昨日の今日なので、慎重に、ゆっくりやってるけど――。 「痛い? 大丈夫?」 「うん……平気」 「ちょっとだけ痛みはあるけど、全然……それより、何倍も……その……あ……!」  亀頭が全部消え、サオもどんどん飲みこまれてゆく。 「ふあっ……ああ、どうしよう……これ、好きかも……すごく……好き……あんっ!」  深く、深く、月姉の中に入っていって……。  とうとう、一番奥まで入りこんだ。 「あ……ふあ……ああん……入った……奥……深いよぉ……!」  俺の方も、昨日よりは落ちついている。  だけど、気持ちよさはもしかしたら、今日の方が上かもしれない。  月姉のお尻が、俺の下腹にくっついている。  ぎゅうっと、小さな手で握られているみたいに締めつけてくる膣。  〈挿〉《い》れただけでひくついて、細かなヒダヒダがペニスを揉み、奥へ引きこむように動いて、微細な刺激をもたらしてくる。 「あ……お……!」  ただ〈挿〉《い》れただけなのに、もう快感が腰から脳天へと突っ走って、どうにかなってしまいそう。 「ど、どうしたの、祐真!?」 「いや……気持ち……よすぎて……」 「月姉のここ……すごいよ……こんな……気持ちいい……どうしよう……」 「あたしも、すごいの……どうしよう……あ……」 「祐真の、熱くて、びくびくしてて……震えちゃう……このまま……あ……溶けちゃいそう……!」 「う……動いて……いい?」 「………………」  月姉の喉が大きく動いた。 「あ、あたし……おかしくなっちゃうかも……変になっちゃうよ……すごくえっちに……やらしく……」 「それでも、いい? 嫌いにならない?」  今度は、俺の喉がぐびりと異音を立てる。  黒い熱の塊が脊髄を駆け上がって、脳を灼く。 「月姉こそ……俺……月姉をめちゃめちゃにしちゃうけど……いい?」 「動いて、動いて、月姉のここも、体も、頭の中まで、全部ぐちゃぐちゃにしちゃうけど、いい? 俺のこと、いやにならない?」 「っ……はあっ!」  月姉は、こみ上げるものをもうどうすることもできないように、泣き顔で首を振り――。 「……してっ!」 「そうして! ぐちゃぐちゃにして!」 「思いっきり……犯してえっ!」 「――!」  俺は、腰を動かした。 「はあああああっ!」 「んああああっ!」  すごい……いいっ!  ペニスを抜き、押し入れる。  ぬめる膣を、張りつめきった亀頭でかきわけ、サオをずぶずぶとめりこませる。  〈挿〉《い》れる時に、熱い、とろけるような快感。  抜く時には、エラの裏側が、きつい膣のヒダヒダに擦れて、泣きたくなるほどの心地よさ。  たっぷりの愛液が掻き出され、脚のつけ根から太腿へと流れ落ちてゆく。 「あっ、あっ、あっ! あっ! ふああっ!」  白いお尻の間に出入りする男根。  月姉の背中が反り、腕が激しく震える。 「はっ、あっ、あうっ、や、あ、あっ、あっ!」 「月姉、いいよ、気持ちいい、いいっ、あっ、あうっ!」 「んああっ、あっ、はあんっ! だめ、なんで、こんな、あ、あ、あっ!」  俺は腰を振り、月姉の膣内を往復し続ける。  月姉のお尻も前後に動いて、より強く、激しく刺激を得ようとしてくる。 「昨日より、もっと、はあっ! これ、あっ、だめ、だめっ、だっ、めえっ! ああああっ!」  高い悲鳴と共に、いきなりガクッと膝が砕けた。  少しがに股気味に腰が落ちて――深々と、リズムをぶちこわしてペニスが突き刺さる。 「かはっ……あ……あ゛……!」  あごを反らし喉をさらけ出してわななく月姉。  俺は、その腰をがっしり支えると、深い部分に入りこんだペニスを、ぐりぐりと動かして、内側からいっぱい擦り立てた。 「はうっ、う゛っ、ぐっ……んあ゛あ゛っ!」  ぐちょ、ぐちゅ、ぐちゅっ。粘つく音が鳴る。 「やあっ、おとっ、らめっ! はああっ!」  今度は、逃げようとするみたいに、月姉は爪先で伸び上がった。  もとより無理があり、ぶるぶる震えた脚が、また落ちてくる。  そこを、突く。腰を、迫り上げる。 「ふああっ!」  繰り返す。何度も何度も、月姉の膣を、一番たっぷりと擦れるような動きで。 「あっ、あっ、あっ、あっ! あっ、あっ! はあっ、くっ、はっ、あっ、あああっ!」  次第に月姉の悲鳴が、狂乱の響きを帯びてくる。  それは俺の耳から入りこんで、脳髄をかき回し、ピンク色のミンチにしてしまう。  俺で、俺の行為で、俺とのセックスで、こんなに感じてくれてる……こんなにやらしく、悶えて、泣き叫んでくれている……! 「月姉っ! つっ、つきっ、うっ、うっ、くうっ!」  熱いものがこみ上げてくる。  俺は月姉のお尻に、しがみつくように指を食いこませ、しゃにむに腰を振りたくる。  泣きそうな声が漏れ、どうすることもできない。 「はあああっ、ああっ、んあんっ、あっ! くっ……ぐっ、あっ、あ゛っ、はあっ、あ゛あ゛っ!」 「らめっ、しゅごいっ、のっ、がっ! くるっ、あっ、あっ、あっ! ああああああああああっ!」 「んあああああっ! だめっ、だっ、もうっ! あっ!」 「来てっ、祐真っ、あっ、来てっ! ゆっ、ゆうっ、うっ、ぐっ、んうううっ!」  フィニッシュに向けての猛烈なピストン運動。  白いお尻が俺の下腹にぶつかって、パンパンと小気味よい音を立てる。  それと同時に、ぐちゅぐちゅ、じゅぷじゅぷと濡れた音も漏れ聞こえてくる。  ただでさえ熱い月姉の膣が、さらにほぐれ、ねっとりと絡みついてくる。  擦れ具合がよくなり、快感が高まって、猛烈な鳥肌と震え、裏返った悲鳴が漏れ……。 「はあっ、あっ、あっ、あーーーっ!」  ペニスがふくらむ。熱いものが会陰部から移動する。 「ふあああああああああああああっ!」  ぎゅぎゅっと、痛いくらいの締めつけが来た。  月姉の動きが止まり、全身ががちがちに硬直する。  ぐちょぐちょに濡れているそこに、俺は深々と、限界を迎えたペニスを突き入れ――。 「んあああああああああっ!」  もうどうすることもできずに、熱いものを……ぶちまけて……! 「あ゛ーーーーーっ!」  どびゅっ! びゅっ! びゅくっ!  爆ぜたペニスが何度も脈打つ。  それに合わせて、膣もリズミカルに痙攣する。  より奥へ引きこみ、一滴残らず搾り取ろうとするような膣襞のうねり。 「あああっ、ああっ、あああっ!」  普段よりも激しく出て、さらに出続けて、放出が止まらなくて、俺は延々と続く絶頂感に身悶えし、泣き声を上げ……。 「ひうっ! あ゛っ! あ゛……!」  月姉は、腰ばかりを激しくびくんびくん痙攣させ、それ以外は何もできなくなって、体内を荒れ狂う快美感に溺れている。  目は焦点を失い、ひきつった頬にはよだれが垂れて、完全に理性をなくしている。  その膣奥に、さらに残滓をあふれさせると、さすがに力をなくしたペニスが、ずるりと抜け落ちてきた。 「あ゛……」  月姉のそこは、なおもモノが入った形のまま、ぱくぱくと生き物みたいに口を開閉させる。  ペニスが抜けた後から、どろりと白濁液があふれ出て来た。 「ゆ……ま……」 「祐真……ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……!」  まだあそこは丸出し、いやらしい汁をあふれさせたまま、月姉は俺にキスをせがんできた。 「ああ……祐真、祐真っ! ちゅっ! 好きっ! ちゅっ!」 「月姉……!」  俺だって!  俺は月姉を後ろから抱きしめ、熱いその唇を奪った。 「んむ……じゅる……じゅぷ、れろ、れろ、くちゅ、くちゅ、ぴちゃぴちゃ、じゅるっ……」  たっぷりと舌を絡め、唾液を〈啜〉《すす》り合ってから、ようやく離れて、息をついた。 「ん……もう……こんなに……」  困った顔で自分の下半身を見下ろす月姉。 「どうするのよ、これ……困ったなあ……」 「垂れちゃってるし、染みできてるし……ああもう、どうしよう……」 「ごめん……全部脱がせたら寒いかと思って……」 「バカ。問題はそこじゃないでしょ」  月姉は、スルスルと……え……パンストもショーツもまとめて、全部脱ぎ下ろした……? 「肩貸してね」  俺の肩につかまり、片足を抜くと……。  ショーツだけ脱いで、パンストでまた足を包みこんで。 「まったく……人には見せられないわ、こんなとこ」  脱いだショーツで、まだぬらぬらしている割れ目をぬぐった。  そして、それを――俺のポケットに押しこむ。 「よっ……まあ、こんなもんでしょ」  パンストだけを腰まで戻して、スカートを下ろすと、確かに見た目は異常なし。 「ん……まだ、出てくるけど……寮までなら何とかなるかな」  月姉は、来たときと同じように、俺の腕に手を絡め、上機嫌で歩き出した。  俺も、まあ……悪い気持ちではなかった。  むしろ逆に、月姉のこのスカートの中は、ノーパンにストッキングだけだと思うと、あんなに出した後だってのに、また妖しい気持ちになってしまった。  ――本殿正面に戻ってみると、普通に参詣客がいて、屋台があって。  あの建物の裏で、あんなことしてきたんだよな……。 「なんか、いきなり……願い、かなっちゃったなあ……」 「まあね。それはあたしも同じだから、気にしない気にしない」 「そういうもんか?」  ちょうどその時、絵馬が奉納されている神木の前を通り過ぎた。  様々な願い事を書いた絵馬が、寒風にゆっくり揺れている。 「……あれ……」 「どうしたの?」 「いや……」  この時期の願い事の定番、『受験がうまくいきますように』『志望校に受かりますように』って文字が目に入った。  そう言えば月姉、進路、どうするんだろ。  何も聞いてなかったけど……月姉なら成績いいんだから、どこへだって行けるんだろうけどさ。  焦ってないのも、余裕だからなんだろうけど……。  もし月姉が別な土地へ行く、なんてことになったら、せっかく恋仲になれたってのに、春にはお別れだ。  一年遅れで後を追いかけるにしても、月姉が行くようなところに、俺の学力でついていけるのかどうか、実に疑わしいわけで。 「う〜む……」 「うむ〜」 「真似すんなよ」 「あれ、同じこと考えてたの?」 「……と、言うと?」 「忘れた? 夜々ちゃん戻ってきてるでしょ」 「どんな顔して会えばいいのかなって」 「う……忘れてた……」  キスを見られて、ほとぼりをさますどころか……それ以上のことをやってきてしまったわけで。  寮に戻って夜々と対面したら、俺も月姉も、さっき以上に照れて、ぎこちなくなってしまいそう。  昨日とうって変わって、今日の夜は気詰まりになりそうだった。  で――夜々と俺たちと、お互い気をつかいまくって、息詰まるような一夜がようやく空けて。  翌3日は、朝からにぎやかだった。  寮に戻ってくる寮生たちの、いわゆるUターンが始まるんだ。  今年初めて寮生活を始めた下級生だと、まだもっと実家でのんびりしてくることが多いけど。  もうじき受験という上級生は、気持ちを切り換えラストスパートをかけるためにも、三ケ日も終わらぬうちに早々に帰ってくる。  そうじゃなくても、寮の雰囲気が恋しいとか実家が気詰まりとか、様々な理由をつけて早めに戻ってくるのも少なくない。 「……気をつけようね」  月姉にはそう言われた。  もちろん、俺と月姉が彼氏彼女となったこと。  それどころか、『できた』こと……やるべきことを思いっきりやっていることも。  そうでなくても月姉は注目されてるのに、余計な〈軋〉《あつ》〈轢〉《れき》が増えるのはよろしくない。 「そうだよな、月姉だって一応は受験あるのに……」 「まあ……ね」 「?」  また、何かが引っかかった。  でもまあ、交通機関が動き始める時間になると、早速Uターン組が姿を見せ始め、その疑惑もうやむやになってしまった。 「うーっす、これ地元のおみやげな」 「あけおめ〜。とりあえず、おみやげ〜」  たちまち、テーブルには地方名産物が山積み。  傷みやすいものは冷蔵庫だけど、日持ちのきくものは神への捧げもののように、隅のテーブルに山積みにして数日おいておく。  いずみ寮の恒例行事ってやつだ。  大体は近隣県なので、あまり目新しさはないけれど、たまに遠方に実家があるやつがいて、そうなるとおみやげも実に面白い。  海外旅行に行ってきたのがいると、さらに種類が増えてきて楽しいことになる。  まあ……上級生になると、ウケ狙いでとんでもないものを持ちこんでくるのが少なくないけどな。  中国の臭豆腐とか、世界一臭いと評判のスウェーデンの発酵食品、シュールストレミングを持ちこんできた先輩もかつていた。  そう言えば、桜井先輩が海外直輸入(直接買い付けてきた!)無修正超絶ハードコアDVDを持ちこんできて、月姉に逆さ吊りにされたこともあったなあ。  で、おみやげ奉納はそれなりに盛り上がるけど。 「正月どーだった?」 「まー、普通〜」  実家の話になると、盛り上がらないことおびただしい。  まあこの歳になれば、正月だからといって特にこれといったサプライズがあるわけじゃなし。  テレビの正月特番もありきたりだし。  帰省してから一週間も経ってないわけだから、そうそう目新しいことなんてある方がおかしいわけで。  ……そんな中、新鮮きわまりない、取れたてホヤホヤのネタを提供してしまったのは――俺だった。 「おい……天川、お前……それ……」 「?」 「あ〜〜〜〜っ!」  素っ頓狂な声に、みんなの注目が俺一身に集まる。  指さされる。その指は、まっすぐ、俺の……首筋に。 「キスマークついてる、こいつ!」  なにいいいいっ!? と、その場にいた全員が色めき立った。  しまった!  昨日、神社で月姉につけられたのが、まだ残ってたか!  見えないように隠してたんだけど、ワイワイやってるうちに、服がずれてしまってた! 「誰だ! 天川、相手は誰だ!」 「待て、落ちつけ! 問いつめても本当のことを言うとは限らん! 推理していくんだ!」 「そうだ、まずは容疑者をピックアップ!」 「今朝、もしくは昨日、天川と一緒にいた女子だ!」 「正月、帰らないで残ってたのは!? 誰か女子に聞いてこい!」 「おい、待て、待ってくれ!」 「確保ーっ! 天川を逮捕せよ!」 「おうっ!」  信じがたいほどに統率の取れた、無駄のない連携プレーで、俺はたちまち椅子に縛りつけられ、聞きこみの成果で相手がピックアップされて。 「あ、あの……?」 「小鳥遊夜々さん。あなたはこの正月、実家には帰らず、この天川容疑者と寮でずっと一緒だったそうですが……本当ですか?」 「はい、それはそうですけど……」 「では、これは」  ぐいっと、縛られている俺の襟元がはだけられた。  首筋ばかりか、鎖骨の下や胸にも、少し薄れてはいるものの、まだくっきりとしたキスマーク。  昨日……神社の裏で、昂りきった月姉が、勢いまかせに刻んだ、幸福感の証……。 「これをつけたのは、あなたですか?」 「………………」  あ……まずい……昨日から続く、あの冷ややかな目つきだ……。 「知りません」 「夜々、頼む、黙ってて――」 「黙ってるべきは貴様だ天川ぁ!」 「貴様には黙秘権はない! 弁護士を呼ぶ権利もない! ありとあらゆる人権などない!」 「正月早々からキスマークをつけるような幸せ者に、一切の情状酌量は無用!」 「いやむしろ有害! 有罪! Kill! Kill! Kill!」  な、なんという暗黒裁判……!  そして、弁護人たりうる唯一の人物は。 「柏木先輩にでも聞いたらいいんじゃないですか?」  月姉が大晦日に戻ってきていたことは、寮生の誰も知らないはずで。  その月姉の名前を、ぽろっと――あるいは意図的に――出してしまったわけで。 「月音さんだとおおっ!?」 「なぜだ、なぜ彼女の名が!」  ――そして、そこへ。 「ちょっと、何やってるのあんたたち!」  普段なら絶妙と言うべきなんだろうけど、この場合は最悪のタイミングで、寮長でもある月姉が、颯爽と登場してしまったのだった。 「何か騒いでると思ったら、何これは!」 「っ……祐真!?」  月姉はすぐさま俺と、はだけられた首筋周りを見てとって、状況を理解した。  キッと唇を引き結び、完全黙秘、何を聞かれても平常心という、そういう体勢を形作る。 「月音さん……まさかとは思いますが、我々はある質問をしなければなりません」 「我らのアイドルにして女神たるあなたが、まさかそのようなことは信じがたい……絶対にあってはならないことではありますが」 「つい今し方、天川祐真のこの、不埒きわまりない女性のくちびる痕に関して、小鳥遊夜々嬢より、あなたの名前が出たのですよ!」 「この件について何か一言!」 「……何のこと!?」  月姉の声音は、鉄壁だった。  どこからどう聞いても、この件とは無関係、寮内の秩序が乱れていることを怒っている、女子寮長としての威厳に満ちあふれていた。 「まさか、あたしがそんなことしたとでも!?」  ――だが。  その、顔色が。  昨日一昨日で、俺が発見した通りに。  首筋から耳の後ろにかけて。そして顔全体が。  ゆで上がったように、見事に……真っ赤に……染まっていったのだった……!! 「月音さん……それは……その顔色は……」 「ああ……まさか……よもやとは思っていたが……そんなことが……!」 「やっ! これはっ! 別に! 違うのよ!」 「違うとは、何がです!? 貴女が、天川のここに、このキスマークを刻みつけた張本人なのではないと!?」 「そんなこと、あたしが――するわけ……な……!」  月姉の顔はますます真っ赤になって。 「………………!」  月姉の唇はなおも動いたけれど、言葉が途切れ、目も左右に泳いで、伏せられて。  それは――どこからどう見ても、クロ……真っ黒の態度に他ならないもので。 「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」  ――その日、いずみ寮では、奇声をあげて窓から飛び出し、まだ残る雪に頭を突っこみ転げ回る男子の姿が多数目撃された。  この事件は、後に『1月3日の大虐殺』と呼ばれることになる。  状況は、翌日になっても変わらなかった。  いや、戻ってくる人数が増えただけ、より大騒ぎになった。 「これはもう、隠すだけ無駄ね。こうなったら開き直りましょう!」  月姉の提案によって、俺たちは2人並んで、戻ってきた寮生を前に……。 「ええと、そういうわけで……」 「あたしたち、おつき合いすることになりました」 「ラブラブなので、そういうわけで今後ともよろしく!」 「な……まさか……天川君、君だけはまさかそのようなふしだらな真似はするまいと思っていたのに!」 「よお、恋路橋、あけおめ」 「あけましておめでとう。今年もよろしく」  律儀なやつだ。 「なななななんということだけしからんけしからんまったくもってけしからん!」 「寮内で不純異性交遊というだけでも許しがたいのに、何と相手が柏木先輩だと!? けしからんけしからん実にけしからん!」 「あー……まあ落ちつけ、恋路橋……」 「あああああっ! 否定しない! 否定しなかったな、今、君は! 不純異性交遊という部分を否定しないとは、それはつまり、やっていると!」 「ええと……その……まあ……そういうことで……あはは……」 「な、な、な……!」  ばたーん。 「うわ、おい、恋路橋、しっかりしろ!」 「あーもう、みんな、うるさいわよ!」  こちらは女子に質問責めにあっていた月姉。  いきなり俺の所に来ると……頬を手ではさみ強引に顔をねじむけて……え、え!? 「ちゅうううううっ」  くっ、唇っ……キス……それも、ディープ……。 「ちゅ……ちゅぱ……」 「んあ……」 「ちゅぽっ」  唾液の音も派手に唇を離し、息をついて手の甲でぬぐう月姉。  ちなみに、耳まで真っ赤。 「さあ、まだ文句ある人、前に出なさい!」  その迫力に押され、沈黙が落ちた。 「でも……なんで、月姉の部屋に……」 「バラバラでいたら、色々うるさいでしょ?」 「一緒にいた方が、雑音が入らなくてすむから楽よ」 「いや、それはそうだと思うけどさ……なんというか……みんな、いるのに……」 「あれ、あたしと一緒にいるの、いや?」 「いや、全然そんなことは……」 「じゃ、オッケーってことで」  するすると、月姉は着ているものを……っ!? 「なっ、なにしてんだよ!?」 「なにって、脱いでるだけじゃない」 「でも、なんで、こんな時にっ!」 「いやなの、祐真?」  月姉は、悩ましい姿で近づいてくると、なまめかしい手つきで、俺の股間に手を……ひたっと……。 「んふ……ここ、こんなにしてるじゃない……」 「そそそそれは、そうなるのが当然というか当たり前というか……」 「新しいの、いっぱいつけちゃお?」  月姉は俺の服をはだけ……首筋に、胸元に、キスの雨を降らせ……。 「ね、祐真……これ、ほどいて」  なんとも扇情的な、ひ、紐パンの……腰のところにある結び目を示して……。  それをほどけば、大事な部分を覆うこの一枚が、はらりと落ちて、全部が丸見え……。 「もう、みんな知ってるんだし……ためらうこと、なにかあるの?」 「う……」  月姉の指が、俺の体を這い回る。  はだけた胸元に貼りつき、胸板をなで回し、乳首をいじり……俺はピクピク震え、股間を痛いくらいに怒張させて……。 「う……あ……!」  俺の指が、震えながら、月姉の腰に行って、紐の結び目をほどいて……はらりと落とし、アンダーヘアに彩られた割れ目をあらわにして……。 「ん……もう、えっち……」  月姉の、本気のキスを受けて。  舌をまさぐり、絡め合いながら、ブラも外して、まろび出た熱いふくらみを、手に包みこみ、揉みしだいて。 「ん……祐真……!」  のしかかってくる月姉を抱きしめ、そのままベッドに倒れこんで……。  ………………。  さすがに、女子フロアのトイレを使うわけにもいかないので、階下に降りて、男子フロアのトイレに滑りこむ。 「あ、ども……」  上級生がいた。 「ふん。いいご身分だな」 「自分は受験生じゃないし、柏木はどこでも余裕な優等生ときたもんだ」 「あ……その……すみません……」  受験本番まで二週間の先輩だ。ピリピリしてるのも仕方ない。  俺はひたすら低姿勢。 「いちゃつくのは構わんが、試験勉強の邪魔だけはするなよ」 「落ちたらお前らのせいだ、一生恨むからな!」 「はいっ!」  この時期の上級生は、本当にしゃれにならない人が多い。俺は平身低頭して何とか逃れた。 「おかえり〜」  ベッドの中、一糸まとわぬ姿で月姉が迎えてくれる。 「ただいま……」  服を脱ぎ、温かく柔らかい体が迎えてくれるベッドに潜りこむ。  すぐに抱きしめられ、たまらない快感に包まれる……。  ……が。 「月姉……あの……受験……」 「はむっ」  いきなり、半勃ちのペニスを口に含まれて、質問も何もかも、脳裡から吹っ飛んだ。  ――夜が明けた。  結局……朝日が昇るまで、延々と月姉と……その……重なってしまっていて……。  今も、つながったまま、同じベッドの中にいるわけで。  何度出したのかもうわからない感じで。  声だけは、出さないようにしてたはずだけど……どこまで頑張れたか自分でもわからない。  くうくう寝息を立てている月姉もそれは同じで。  大きく足を開くなんてのは序の口で、四つんばいになったり、自分から俺の上にまたがったり、それはもう色々なことを、積極的に。  俺が一方的に舐められて、乳首や腋や、腰……あそこをくわえられ、しゃぶられるのも、練習とかで、延々とやられて……。  月姉の口に、熱いものをぶちまけたし、月姉もそれを飲みこんで、しかめっ面をしていたし。  逆に月姉のあそこを舐めまくり、あふれてくるものを〈啜〉《すす》り、口中を月姉の汁でべとべとにして、月姉を何度も痙攣させて……。 「ん……」  月姉がうっすらと目を開けた。 「んふ……祐真だぁ……」  赤ん坊みたいな笑みを浮かべると、またぎゅっと抱きついてきた。  どこに触れても手が埋まってゆきそうな、柔らかい体。  まずはキス。  すぐに舌が触れあい、絡み合って、とろんとなってしまう。 「んあ……あはぁ……」  どっちがどっちの唾液を〈啜〉《すす》っているのか、もうわからない。  気がつけば乳首をいじっていて、気がつけばペニスを握られていて。 「ん……ん……あ……」  気がつけば、舌を絡め合いながら、下半身がひとつにつながっていて。  月姉の、どろどろに溶けた膣に、同じく溶けたペニスが混じり合って、ひとつのものになってくみたいで。 「ん……あ……」 「祐真……好き……」  甘い言葉をささやきながら、もぞもぞと動いて、互いの体をまさぐりあって。  激しい動きも、声も、ない。  ゆったりと、俺と月姉はひとつに溶け合って、深い恍惚感に浸り続けて……。  お互いに高め合ってゆく快感が、頂点を極めると、そのまま落ちていって、眠りについて。  目がさめると、また絡み合い、むつみ合って。  部屋の外では人の気配があり、歩く音がし、誰かがまた戻ってきた物音もする。  でも、俺たちは外界と遮断された、この甘い世界にどっぷりと浸りきったままでいた。  こんなに幸せでいいんだろうか。  月姉がこれまでよりもっと好きになって、好きで、好きで、もう他には何もいらないくらいになって。  月姉も、俺の言うことならどんなことでもするし、どんな場所でも見せてくれるくらいに、メロメロになって。 「ゆうまぁ……あう……んっ……ふはぁ……!」  俺に抱きついたまま、またおまんこをぎゅっと痙攣させて、イッた……。 「あ……」  うつらうつらしていた所から、浮かび上がってくる。  また、寝ちゃってたんだ。  もうすっかり夜だ。  朝からずっと、月姉とエッチしてたなんて……。  参ったな、こりゃ。 「喉……乾いたな……」  月姉は、さすがにややげっそりとした感じで、俺の隣で寝息を立てている。  俺は、月姉を起こさないように、そっとベッドから出て、服を着た。  なるべく音を立てないように、そーっと、そーっと……。  自販機でペットボトルの清涼飲料水を買い、その場で喉を鳴らして息をつく。 「ふう……」 「やあ、祐真」 「わあああっ!?」 「そんなに大声を出さないでもらえないかな」 「なにもいきなり出現したわけじゃない、最初からここにいたのだし、そもそも昨日すでに寮に戻っていたのだから」 「え……?」  あれ、昨日って……え?  全然気がつかなかった。  俺と月姉がくっついたって、寮全体が蜂の巣をつついたようになってたってのに、この人は全然姿を見せてなかったような……。 「でも、こんな時間に、何してたんですか?」 「玄関、裏口、水回り、ガスの元栓、電気系統などのチェックだよ。寮長の仕事だ」  あ、そういえば桜井先輩って、男子の寮長でもあるんだったっけ。  ん……待てよ。月姉も寮長で……それなら当然、月姉にも、そういうチェックの仕事があったはずじゃ? 「ああ、本当なら今日は月音さんの番のはずなのだが」 「わ……そ、それは……すみませんっ!」 「いや、謝らなくてもいいとも。寮長が2人いるのは、こういう時に便利なのだ」 「でも、言ってくれれば……」 「それは野暮というものだろう。何も言わずにこっそりと、というのが格好いいのだ」  誰も見ていないのに髪をかき上げポーズをつける桜井先輩である。 「でも、月姉……こういうこと、気がつかない人じゃないのに……」 「それだけ、君との恋愛成就に舞い上がっているのではないかな?」 「…………」  照れるというか、そう堂々と言われると、照れる以外に反応のしようがない。 「とりあえず、遅まきながら、あけましておめでとう」 「あ……はい、おめでとうございます……今年もよろしくです……」 「ああ、よろしく」 「君と月音さんとの仲も、よろしく行くといいね」 「う……それは、その……」 「これは皮肉ではなく、心からの祝福だよ」 「月音さんが幸せそうにしているなら、僕にとってこれ以上の喜びはない」 「……先輩、それは……どういう意味……」 「美女が幸せそうにしている。これ以上に望むべきものがこの世にあると言うのかね?」 「ちなみに、この場合君はどうでもいいのだよ。月音さんと結ばれておいて、幸せでないはずはないのだからね」 「むう……」 「ついては、ひとつ忠告なのだが」 「先ほどの君の驚いた声に比べれば、この一日、実によく抑えた、節度ある声の出し方だったのだが」 「………………!」  先輩が何の話をしているのか、すぐにわかった。というか、わからないはずがない。  あれだ、俺と月姉の……してること、この一日してたこと……! 「寮全体が、じっと息をひそめていたことに気がついているかい?」 「黙っていれば、時折聞こえてきてしまうわけでね」 「ああいやいや、非難しているわけではないのだよ。むしろ推奨し、かつ感謝しているのだ」 「男女を問わず、健全なる青少年たる我々として、これに興味を持たないわけがあろうかいやない」  見事な反語表現を用いると、先輩は妙なものをテーブルに置いた。 「それは……?」 「僕のおみやげなのだがね。起きあがりこぼしだよ」  なんだかちょっと、というかかなり、男のシンボルであるアレの形に似ている気がするのですが。 「それが、何なんです?」 「これは当然、振動を受けると、このようにゆらゆらと揺れて、しかし決して倒れないというのが売りなわけだが」 「これを部屋に置いておくとだね、一定の周期でもって、揺れ続けるわけなのだよ」 「地震計があればもっと精密に測定できるのだろうがね」 「最初はゆっくりと、だんだんとスピードアップしてきて、フィニッシュへと一直線、頂点、停止、別種の振動、そして停止」 「ううっ……!」  そ、その流れは……つまり、俺が月姉の上で動かしてる腰の動き……! 「昨日の今日なので、まだ、僕の土産である、これを含めた五個しかないのだが」 「五個もあるんですかっ!」 「先ほど言った地震計、ならびに聴診器、盗聴器を入手しようとしている連中の動きを耳にしている」 「う……」 「この件に関しては、僕は全面的に君たちの味方ではあるのだが」 「恋愛とそれに伴う行動は、自由だとは言っても、自分で責任を取れる範囲内にとどめるべきだと思うのだよ」 「はい……すみません……」  この忠告は、きくべきだろう。  そうでなくても、男子寮生たちの俺を見る目に、敵意というか、隔意を感じてるんだ。  立場が逆なら俺もそう思うだろう。  学園でも評判の美人とつき合い始めた男が、ずっと彼女の部屋にこもってエッチ三昧だとしたら……。  よくて無視、やっかみ混じりに悪口、攻撃。  初めてできた彼女に夢中になって、これまでの友人をなくすわけにはいかない。  気をつけないとな……。  ペットボトルを持って、部屋に戻る。  あらためて気にしてみると、室内には、俺たち2人分の汗やら吐息やらの、エッチな匂いが充満していた。  こりゃ、周囲に引かれても仕方ないよな。自重しないと。 「あ、お帰り……トイレ?」 「いや、喉乾いたから……月姉もいるだろ?」 「うん。ちょうだい」  そこで、月姉はニマッと笑った。 「ねー、祐真。口うつし〜」  うにゅーっと、タコみたいな口。  自重しないと……と思ったばかりだけど、月姉に誘われると、抵抗することができず……。 「ん……」  口に飲み物を含んで、月姉とキス。  舌を差し入れ、同時に飲み物を送りこむ。 「ん……こくっ、こくっ……」  口の端からこぼれるのも意に介さず、月姉は喉を鳴らして飲みほした。 「んふ……なんか、これ、いいね……もう一口……」  俺も、じんわりした幸福感に包まれて、言われるままにもう一度口移しで飲ませた。  それが終わり、ペットボトルの蓋を閉じると、待ちかねていたように、月姉にベッドに引きずりこまれた。 「起きたら1人きりで、寂しかったんだぞぉ」  ちゅっ、ちゅっとあちこちにキスされながら、服を脱がされてゆく。 「おしおき。今すぐ、あたしをぎゅーってしなさい!」 「うん……」  服を脱ぐと、裸の胸に、裸の月姉を抱きしめて、強く抱きしめた。 「んっ……うふふ……」  月姉は俺の首筋や鎖骨を舐め、腰を押しつけてくる。  そのまままた、もう何回戦目かもわからないHに突入しそうな勢いだったけど……。 「……月姉。桜井先輩が下にいてさ」 「へえ。戻ってたんだ」  まったくの他人事みたいに言う。 「当番……今日、月姉だったんだろ?」 「あー、そうだっけ?」 「桜井がやってくれたんだ?」 「うん……」 「今度お礼言っとくわ」  それだけで、月姉はもうこの話題には興味をなくしたように、俺への愛撫に没頭し始めた。  また、あの違和感をおぼえた。  月姉、何か……変なような……。  初H、多分初のオーガズムで、案外舞い上がってるのかもしれないけど……それにしても。  俺の知ってる月姉って、こういう無責任な人じゃなかったはずなんだけど。 「んふふ……いただきまーす」  ぱくっと、半勃ちのやわらかいペニスを、口に含まれ……お、おおっ!  でも、月姉がこういう人だってのも……こんなに、えっちだってのも……知らなかったわけで……。  人間、深くつき合ってみると、思っていたのと違う姿が見られるもの……そういうことなんだろうか。 「コツ、つかめてきたんだから……んっ、じゅっ、じゅるっ、じゅぷ、じゅぷ……!」  月姉の顔が上下するたびに、しゃぶられているペニスからとんでもない快感がこみ上げてきて、俺はそれ以上ものを考えることができなくなった。 「んぅ……うう……」  まただ……また、一晩中……その……してしまった……。  今日でもう、何日目だ……?  今は、昼なのはわかるけど、昨夜の次の日の昼なのか、それとも丸一日寝過ごしての昼なのか、区別がつかない。  まだ夢の中にいるようでもある。  ベッドから降りても、月姉と抱き合っている感覚がなくならない。  股間だって……月姉の、あの熱くてぬめる場所に入っているみたいだし、可愛い口にしゃぶられてるみたいでもあるし……。  やばい、また勃ってきた……。  月姉は、それはもう安らいだ、満足しきった顔で寝息をたてている。  大きい声こそ上げないけれども、これまでよりさらに、気持ちよくなるやり方を見つけたみたいで……。  昨夜も、俺に抱きついて声を殺したまま、何度も膣を収縮させ、全身を震わせた。  いきなりかくっと首を傾け、気絶しちゃった時はさすがに焦ったけど……。  おかげで、俺の肩口には歯形が刻みこまれてしまったし、背中にも、爪の痕が幾重にも。ちょっとヒリヒリする。  片方のおっぱいが丸見えになっていたので、布団を直してから、窓を開けて空気を入れ換えた。  た、太陽が……まぶしくて、黄色くて……ふたつ見える……。  俺は吸血鬼みたいにその場にへたりこんだ。  新鮮な、冬の空気が流れこんでくる。  深呼吸して、意識をはっきりさせた。  ベッドのシーツも、さすがにそろそろ替えた方がいいんじゃないかな。 「ん……」  いきなりの寒気に目が覚めたのかと思ったけど、呻き声だけで、起きる気配はない。  俺は、あらかじめ用意してあるタオルで軽く体を拭いてから、服を整えて部屋を出た。 「顔洗って……いやその前に……」 「腹へった……」  体を動かしたって意味じゃ、消費カロリーはランニング後と変わりないはずだけど……それとは違うものが消尽された感じがする。  腹に溜まるものよりも、精のつくもの……失われた特別な栄養素を補充してくれる食材を、体が強烈に欲しがってる感じ。  おせちはさすがにもう残ってないだろうけど……食堂は普通に始まってるはずだから、頼めば色々作ってもらえるはず……。 「あー……」 「わっ……あ、あけましておめでとうございます……」  今日は何日だって話だけど、今年の初顔合わせなんだから、別に変な挨拶じゃないよな。  先生も、戻ってきてたのか……って、そりゃそうだよな。 「天川。ここは女子の階なんだけど……」 「えっ!?」  あ、そ、そうだった! 「はあ〜〜」 「いや、大体の事情は聞いているから」  ビシッと、厳しい目つきで先生は俺の口を指さした。 「みなまで言うな。というか黙れ。のろけるな。こちらから質問するまでは、その口を開くことは禁じる。いいな?」 「は、はい……」  な、なんか、普段の雪乃先生と違う……別人のような危険なオーラが……。 「まーったく、どいつもこいつも、口を開けばあんたらの話題ばっかりでさ」 「聞かされる方も困るのよね。それも、新婚さんも裸足で逃げ出すアツアツぶりなんて聞かされてもさ」 「これは独身のあたしへの、形を変えた挑戦状なのかしら〜、なんてことも考えちゃってねえ……くくく……」  おお、雪乃先生の手が、血をしたたらせた鉤爪に……。 「で、本題」 「まあ、青春のジョードーってやつは、わからないでもないんだけどね」 「何年も教師やってりゃ、色々あるし、決定的瞬間っての見ちゃったことだって、ないわけじゃないし」 「でも一応はさ、女子の階は男子禁制だし、まして寮内での……そういうことはね、禁止なわけよ」 「あたしが見逃しても、上の方の先生が聞きつけたら、これはもう冗談じゃすまないのよね」 「まだ新学期前ってことで、これまでについては見逃してあげる」 「だけどこれからは、節度を保ってほしいんだけど……わかってもらえるかなあ」 「はい……それはもう、十分に……」  ひたすら頭を下げるしかない俺である。 「ならよろしい」 「柏木なら大丈夫だと思ってたんだけど……意外な子が、意外なことになるものよねえ」 「まあ……それは……」  まさか、月姉があんなにHに溺れるなんて……。 「柏木も……」 「う〜ん……」 「ねえ、天川。柏木ってさ……」  予想外の言葉が、雪乃先生の口から出てきた。 「卒業したら、天川のお嫁さんになるのかな?」 「は、はあっ!?」 「なんでそんな! そんなわけないでしょう! いずれはそうなるにしても、今はまだそんな、いきなり、決めるには早くて、早い、そのっ!」 「落ちついてよ。ただね、今の状況からするとさ……」 「失礼しますっ!」  気恥ずかしくて、逃げるように階段を駆け下りた。  メシを食いながら、考えた。  確かに、桜井先輩にも雪乃先生にも言われた通り、節度は守らなければならない。  正月からこの方、羽目を外しすぎた。  月姉から求めてくるからつい忘れてたけど、月姉だって受験生なんだ。  Hさせてくれるからっていい気にならず、月姉のためにもなるように、節度あるつき合いをしなければ。  ――そう思って、夜は、自分の部屋に引っこんだ。  なんだか、久しぶりな気がしてしまう。  いや、考えてみれば、このところ月姉の部屋に連続で泊まりこんでたから……。  いかんいかん、今日は健全に過ごすんだ! 「やっほ〜♪」 「わっ、月姉……!」 「わって、何よ、人をおばけみたいに」 「せっかくお風呂入って、すぐに来たってのに」  月姉の全身から、ほかほかする湯気が上がっている。  濡れた髪からはしっとりした匂いが、上気した肌からは甘くとろけるような匂いが。  そこにいるだけで、部屋全体が甘い香りに満たされる……。 「いや、でも、ここ、男子の……!」 「祐真だって、ここしばらく、女子の部屋にいたじゃない?」 「それはそうだけど、みんな気にしてるし、ここはちょっと落ちついて……」 「みんなだって、やってるよ」 「彼氏できたらいちゃいちゃいちゃいちゃ、彼女できたらベタベタベタベタ」 「年中行事ってやつ。毎年一組は必ずいるんだから、大して目くじら立てることでもないって」 「だけど、やっぱりさ……」 「それより……むっふっふ〜〜〜」  カチャカチャと、ベルトが外され……ジーンズの前が……開かれて……ショーツが見せつけられて……。 「ほら、どう? これ、いや?」  十分に、自分の下半身がもたらす衝撃を理解している意地悪な目つきで、月姉はニンマリして……。  するっとズボンを脱ぎ捨てると、こたつでぬくもる俺の隣に、強引に体を入れてきた。 「わっ!?」 「あったかーい♪」  い、いや、その……月姉の、生の脚が、俺の脚にぴったりと……。  それどころか誘うように、爪先でふくらはぎをくすぐって、太腿は密着して……。  下半身はもちろん、上半身も、腕を投げかけ、しなだれかかってきて……! 「月姉! 話がある!」 「うん、あるんだ? なぁに? 聞いてあげるから、言ってみて」  言葉に続いて、キスされた。  すぐにとろとろになってしまう俺……。 「その……目立ちすぎるって……節度を持てって、桜井先輩にも、雪乃先生にも……!」 「持ってない? じゃあ、やめる? もう何もしない?」  またキスされて、今度は舌をじっくりしゃぶられて……。  同時に、俺の手が引っ張られて、月姉の胸に……服越しに、あのやわらかなふくらみに……。 「んっ……月姉、ブラ、してない!?」 「ふふ……わかる?」 「ほら、ね、だから……わかるでしょ? 乳首……」 「う……!」  手が勝手に、揉む動きをしてしまう。  するとすぐに、セーターの下に盛り上がる生のおっぱいの、頂につんと突き出た……それの位置が、はっきりわかって……。  俺の手は、抗うことができないまま、毛織りの布地越しに、その突起をつまんで……いじって……。 「んう……えっち……祐真の、えっち……!」 「いや、だって、これは、月姉が……!」 「まだそういうこと言う?」  月姉の手が、こたつの中で……俺の、こ、股間を……すっかり硬くなってるそこを……! 「お口で、先に抜いてあげよっか?」  ちろりと、唇の間で舌がひらめく。  すっかりコツを飲みこみ、俺をたちまち射精へと導くテクニックを備えつつある、魔性の舌が。  その舌が、熱い口に包みこまれた俺の亀頭を、どれほど繊細に、また悩ましく舐め回すか、俺は身をもって知ってるわけで……。  月姉にしゃぶられたら、たちどころに俺は悶え、射精することしか考えられない、情欲の獣と化すこともわかってるわけで……! 「や、いやっ、で、でもっ!」 「でも……? なに?」  月姉の手が、こたつの中に俺の手を引きこんだ。  赤外線を浴びてほかほかしている、むっちりしたふともも……!  その感触がまた、手が埋まってしまいそうなほどに気持ちよくて……! 「節度っ、せっ、節度を……保って……!」 「節度使。中国唐朝中盤以降、傭兵集団の司令官としておかれた役職。安禄山・思史明の乱以降各地に置かれるようになる」 「……間違ってるかな?」 「いや……」  まずい、世界史は守備範囲なのに……! 「じゃ、オッケー。今日は祐真の部屋で、いっぱい、気持ちいいことしよう?」  理屈になってないって指摘するより早く、月姉の手が、俺の首筋やあご裏を這い回り始める。  俺は、ぞくぞくと身震いしながら、月姉の乳首やふとももから手を離すことができず……。 「ん……!」  月姉の唇も――避けることなんてできずに、重なり、舌を〈挿〉《い》れられて……むさぼられ……。  誘われるように、俺の方から月姉を押し倒す形になって。  そのまま……またしても、熱い夜を……。 「んっ……来て……祐真……!」  こたつの中で、俺は月姉の中に入りこみ……。  月姉は、下半身をこたつに埋めたまま、恍惚と身震いし、快感にとろんとなって……。 「はあん……気持ちいいよ、祐真……!」 「俺も……!」  俺もまた、なすすべもなく、ほとんど条件反射のように快感の虜となって。  月姉とつながったまま、胸を揉み、乳首をいじり、耳や頬に、そして口に、熱いキスをして。 「んあっ……あっ!」  俺の方が悶え、情けない声を漏らして、月姉に覆いかぶさっていった……! 「う〜〜ん……」  重たい……。  だけど、気持ちいい……。 「んっ……とおっ!?」  ずっしりした重みのある、温かいものが、ぴったり俺にくっついている。  月姉だ……。 「あ、そうか……そうだった、今日はこっちで……」  こたつの中で色々と愉しんでから、ベッドに入って、また抱き合ったまま眠りについて。  月姉の体が、俺の隣にある。  俺の左腕に、月姉の頭。いわゆる腕枕というやつだ。 「う……!」  まずい、痺れて、感覚が……。  でも、いいや。この間の膝枕のお礼と思えばどうということもない。  それにしても、なんか変なタイミングで目が覚めたな。  雰囲気が……変だ……。  なんだか、寮全体がざわついてる感じ。  コンコン。 「ん? あ、はい……」 「やあ、祐真。起きているかな?」 「わっ、あの、はい、起きてますけど、その……!」  裸の月姉とベッドにいる所なんて、見られたらえらいことに……! 「まあ僕ならそう気にしないでくれて構わないのだがね」 「そろそろ、出なければまずい時間だというのに、君たちの姿がないので、もしやと思い声をかけてみたのだよ」 「時間?」 「おいおい、カレンダーを見たまえ」 「カレンダー……1月7日……?」 「まだ正月気分かな? それはそれで幸せなことだが、あいにく夢は覚めるものでね」 「始業式、と言えばわかるだろう」 「………………!!!!!!」  しぎょうしきいいいいいいいいっ!!!  今日、月曜日、冬休みは昨日で終わりなんだったあああああっ! 「それじゃあ僕は先に行くよ。月音さんも、早く起こしてあげてくれたまえ。でないと彼女のイメージがまずいことになるのではないか?」 「は、はいっ!」  意味もなく最敬礼する俺。  足音が去ってゆき、沈黙が落ちる。 「ん〜〜……うるさい……寝かせて……」 「月姉! 起きて! 時計! 始業式!」 「とけい〜?」 「ん……」  月姉は、少し目を細めて時計を見た。  その目が、愕然と見開かれた。 「わ〜〜〜〜〜〜〜っ!?」 「そうなんだよ! 急いで!」  ベッドから飛び降りた月姉の、おっぱいがぶるんと揺れた――けど、見とれるどころじゃなかった。 「着替え! あたし、制服、上っ!」  ぱんつをはきながら慌てる月姉。  部屋を飛び出していこうとして、その脚がぴたりと止まる。 「……だめっ! 人いる! 見られる!」  そ、それは確かに……俺の部屋から飛び出してゆく月姉をまともに目撃されるのは、まずい……。  ――で、結局……寮内からほとんど人がいなくなるまで、月姉は自分の部屋に戻ることができなくて。 「んおおおおおおおおおおおおおおっ!」  2人そろって寮を飛び出した時には、もう時計の針は9時を過ぎていて。 「おっ先〜〜〜〜っ!」  自転車で自分だけ先に行ってしまう月姉。 「ずるいぞ〜〜〜っ!」  後を追いかけ全力疾走する俺。  あ、パンツ見えた。パンスト完全着用だけど、ちょっとだけラッキー。  だけどやっぱり……間に合わず……。  始業式なので、普通の授業みたいに出席を取ってないのがありがたい。  俺はクラスメイトの列に、何食わぬ顔して混ざった。 「よお幸せもんが」 「おう新婚さんが」  ドガッ! ベキッ! ゲシッ!  はたかれ、蹴られ、小突かれて……。 「正月そうそう大怪我とは大変だなあ」 「まあいいよな、優しく看病してくれる彼女がいるもんな、年上で美人で頭よくて」 「ぐああああっ!」  俺が月姉とつき合い始め――もうとっくに『できてる』ことは、寮生を通じて、クラス中に知られているらしかった……。 「あー、天川、ひどい顔だねえ」 「まあ、もてる男がやっかまれるのは仕方ないってことで、みんなもまあ殺さない程度にね」  な、なんちゅー先生だ……いやそういう人なのはわかってるけどさ……! 「ほんじゃ、今日はこれまで」 「明日から各教科の課題提出始まるから、みんな一夜漬けやノートの写し書き頑張るように〜〜」  げげっ……。  そうだ、そういうのが色々あったの、完全に忘れてた……! 「ああそうそう、それから、この時期なので」 「もうじき受験っていう上級生のピリピリ具合は半端じゃないので、気をつけるように」 「下手なこと言ったり、夜に騒いだりしてた場合、何をされても文句言えないので注意するように。特に寮生は気をつけること!」  そうか……そうだ、受験シーズンいよいよ本番なんだった。  その点、月姉は余裕だよなあ。さすがだな。 「……余裕……なんだよな……」  そう言えば、正月以来、月姉が勉強してるとこ見てないし……受験って言葉も一度も聞いてないけど……。 「では解散!」 「……ああ、天川。ちょっといいかな?」  やっぱり来たか。 「月姉……もとい、柏木先輩とのことでしょうか」 「まあ、そうと言えばそうなんだが……」  これだけ周囲に広まってるんだ、当然先生方の耳にも入って、不純異性交遊で問題になっててもおかしくない。 「柏木のことで、ちょっと気になって――」  ……そこへ、校内放送のチャイムが鳴った。 「柏木月音さん。柏木月音さん。職員室に来てください。繰り返します、柏木月音さん……」 「げっ……」 「ありゃ」 「こりゃ、あたしの出る幕なさそうね。じゃ、そういうことで」  ふらふら〜っと去ってゆく雪乃先生。  後を追いかけるように、俺も急いで職員室へ向かった。  ちょうど、職員室へ入っていく月姉を見かけた。  様子を見に行きたかったけど、呼ばれたのは月姉だけで、それなのに乱入するってのも自爆行為だ。  そう言えば、なんで月姉だけなんだ?  不純異性交遊、ってことで怒られるなら、俺も一緒に呼ばれなきゃおかしいよな。  なんで月姉だけ……? 「………………!」  職員室付近をうろうろしながら待つ。  これ、誰かに見られたら間違いなく不審者だな。  ああもう、強引に入っていって様子を見たい……!  あと一年学園生活があるんじゃなけりゃ、遠慮なくやるんだけどな。  ああもう、落ち着かない……! 「…………」  落ち着かない理由は、そうだ、月姉なんだ。  年末からここまでの月姉……。  どこか変だった。  毎日のようにHして、そればっかりで。  そりゃまあ、俺も悪いけど……。  月姉も……いくら気持ちよくったって、あんなにのめりこむような人じゃなかったはずだ。  寮長の仕事も、全然やってない――昨日もやってなかったよな……。  変だ、絶対に変だ。 「あっ……!」 「あれ、祐真」 「あれ、じゃなくてさ。放送聞いたから……」 「ああそっか。全校放送で呼び出されたんだもんね」 「待っててくれてありがと。じゃ、帰ろっか」  月姉は俺の腕に手を絡めてきた。 「わっ!?」 「なに照れてんの、いまさら?」 「だって、校内、人、見られる……!」 「もう知られてるんだから、堂々としてればいいのよ」 「そういうことじゃなくてさ!」  俺はちょっと強引に、月姉の手を振り払った。 「あん」 「そういうことしてるから、呼び出されて怒られちゃったんだろ?」 「俺の方は、雪乃先生が担任だったから、やんわり注意されるだけですんだけどさ……」 「あ〜……」  月姉は、変な顔をした。  一瞬だけ、目を真ん丸にして、それから慌てたように視線を逸らし、明らかに作り笑いとわかる笑みを頬に作ったんだ。 「そうだね。自重しようか……」 「……月姉。なに隠してるんだ?」 「いや、別に……」 「なに言われたの?」 「まあ……自重しろってことで……」 「雪乃先生も、俺じゃなくて、月姉のこと気にしてた」 「他になにかあるんだろ!?」 「怖い顔しないでよ。それよりさ、今日はどっちの部屋で寝る?」 「月姉!」 「受験生が、んなことやってていいのかよ」 「ん〜……受験生……まあ、そうなんだけどさ……」 「………………」  いやな予感がした。  無意識ではとっくに気がついていたこと。それが今、はっきりした疑念となって浮かび上がってきた。 「月姉……俺さ、どう思い返しても……月姉から、志望校聞いたことないんだけど」 「もうすぐ受験だろ。どこ受けるんだ?」 「確か、文系だったよな。国公立? 私大?」 「ん〜〜〜」 「月姉!」 「まあ、別に……」 「別にってなんだよ!」 「大きい声出さないでよ」 「はっきり答えてくれたら出さないよ!」 「………………」 「……て……ないわよ……」 「え?」 「だから、どこも受けないわよ」 「…………へ?」  言われたことが頭に入ってくるまでに、少しかかった。 「どこも……って……え?」 「特に行きたいとこも受けたい学部もなくてさあ」 「な……!?」 「それで、どうするんだって、進路指導にうるさく言われてさあ」 「そりゃ言うだろ!」 「どういうつもりだよ! なに考えてんだ! どうするんだよ!?」 「なるようになるでしょ」 「なるようにって……」 「まー色々言われたけどねー」 「今なら、センターはもう無理だから国公立はだめだけど、私大なら出願期間真っ最中だし」 「美大も、まだ間に合うって」 「月姉、やっぱりそっちの道に?」 「やっぱり……って、祐真もそう思ってた?」 「それは……」  俺は返事に窮した。  月姉は絵が、昔はものすごく上手かったわけだし……お父さんが有名画家なら、美大に進んでも違和感ないし……。 「いや……月姉が行きたいなら、医学部でも法学部でも……月姉、成績は文句ないんだし……」 「だけど、まず美大って思ったわけだ、祐真も?」 「そんな……ことは……」  月姉の、冗談めかした笑顔。  だけどその目に、異様な光があった。  これまでなら全然気づかなかっただろうけど、体を重ねて、誰よりも月姉の近くにいる今の俺には、はっきりとわかる。  微笑してみせている目の奥に、針の先のような、鋭い光がある。  返答次第では、その針を刺される。  失格、という烙印を押される。  月姉にとって、まったく価値のない相手とみなされてしまう……! 「どうなの? 美大って思ってた、やっぱり?」  これは……うなずいたら、終わる……大事なものが、失われる……!  冷たい汗がにじんだ。 「いや……別に……考えてなかった……」  これは本当。この先も一緒にいられるのなら、月姉がどの道に進もうとも構わない。  ふ、と月姉は息をついた。  目の奥の鋭い光が消えた。 「あはははは、そんな困った顔しないでよ。いじめてるみたいじゃない」  また腕を取られた。  今度は、振り払えなかった。  月姉は、俺の腕に頭をもたせかけてきた。 「人がどこ行こうといいじゃない、ねえ」 「うん……」  自転車置き場に行った月姉を待つ。  月姉の、あの態度……。  あれって、何というか……月姉に限ってまさか、とは思うんだけど……。  明日が試験だってのに、何とかなるってついついゲームに逃げてしまうような。  逃げる……そう……現実から目を背けて、目の前にある別なものに逃げてるだけなんじゃ?  本当に、月姉に限ってそんなわけないと思うけど……だけど……この所の月姉の様子……。  やたらとHを求めてきたり、所構わずいちゃいちゃしてくるあの態度は……。  進路を決めるってことから逃げて、Hに、肉体の快楽に逃げてるだけなんじゃないだろうか? 「お待たせ〜〜」 「………………」 「あのさ、月姉……進路のこと、やっぱり……きちんと決めた方が……」 「まだ間に合うんだろ? 月姉の成績なら、どこでも行けるだろうから、私立の上の方……」 「そうねえ……」 「受験じゃなくてもさ、どうするのかぐらいは言っておかないと、先生も、親も、心配するんじゃないの?」 「大丈夫。何とかなるって。人生なんてそんなもん」 「大きく見ればそうかもしれないけどさ、今はそういうレベルじゃ――」 「それなら、お嫁さん、なんてのは?」 「卒業と同時に結婚、もしくは婚約。花嫁修業に一直線!」 「掃除洗濯料理に裁縫、整理整頓完璧に! あなた、お帰りなさいませ、ご飯、お風呂、それともあたし? あはははは!」 「月姉、まじめに話そうよ」 「まじめだもーん」 「言ってること、雪乃先生みたいだぞ」 「え〜!? やだやだ、それだけは勘弁! きゃはははは!」 「………………」  誰ですかこの人は。  こんなの、月姉じゃない……俺の知ってる、憧れた、知的なお姉さんじゃ……。 「それより、ねえ、祐真……今日はさ、コンドームのつけかた、練習させて?」 「口でつけるの、やり方見つけてさ。試してみたいんだ。どうかな?」  言いながら、すりすりと胸を擦りつけてくる。  これは……この月姉は……まずいんじゃないだろうか?  放っておくわけにもいかない。  でも……先生の言うことさえ聞き流す月姉に、俺が一体何を言えるんだ……? 「……ふう」  風呂上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら、寮のリビングで息をつく。  部屋に戻れば月姉がいる。  真剣な話をしようとしても……二人っきりで、遠慮なく近づかれ、迫られたら――俺も流されてしまうわけで。  ダメだよなあ、俺って……ああこの素直すぎる息子が憎い。 「やあ、珍しいね、祐真がここにいるなんて」 「部屋に戻って、月音さんを安心させてあげた方がいいんじゃないのか?」 「みんなもそれを望んでいるよ。気がついているかね、ここ数日、君たちが部屋に戻ると、寮全体が静まりかえっていることを」 「う……それって、やっぱり……」 「先日の忠告を受け、できる限り抑えているその努力は買うが、時折抑えきれずに漏れ聞こえる声があり、揺れる音があり」 「うう……やっぱりですか……」 「祐真の呻き声が可愛いという評判が高まっているのはご存知ないだろうな、その様子だと」 「マジですかああああっ!」 「いや何も恥じることはない。生物として男女としてごく自然かつ当然の話だよ」 「君たちに影響されたのだろうな、この三日の間にも二人、異性の部屋に入ってゆく寮生が現れて」 「いやまったくもって、愛があふれて喜ばしいことだ」 「それ……全然いいことでも喜ぶことでもないように思うんですけど」 「見解の相違だな」  一番問題の部分を、桜井先輩はあっさりとその一言で片づけてしまった。 「……それで。最愛の恋人が待つ部屋に戻らず、こんな場所でたそがれているとは、どんな悩みがあるのかな?」 「……悩んでるように、見えますか」 「ふ。愚問というものだな。そう見えるからこそ話しかけているのだよ」 「まあ察しはつくがね」 「わかってしまうんですか」 「ああわかるとも。最初の関門を乗り越え結ばれた男女が、次に直面する困難それは」 「ある体位から次の体位へのスムーズな移行、これだ!」 「………………」 「一、入り口がわからない。二、入らない。三、入ってすぐに出してしまう」 「これらを乗り越えた男子が、次に直面する第四の難関がこの問題だ」 「ひとまず最初の体位で愉しみ、昂ってきて、さあ別な体位に移行しようとする」 「そこで、次の動きが決められず、止まってしまうのだ」 「どうすればいいかわからなくなり、動きが止まってしまうと、気持ちは萎え、焦りばかりがふくらんで」 「強引に行くことができればいいのだが……」 「できない場合は、失敗して無様をさらすくらいならと、それまでやっていたことに戻って、単調なくり返しのみとなり」 「……結局行為の幅は広がらず、狭い世界だけになり、それにも慣れてしまい、飽きがきて……」 「行き着くところは『あいつ下手くそ』という評判、男子一生の恥辱!」 「いい加減にしてくださいっ!」  当事者を直接知っているのに、こんなに生々しい話をされると、自分のことじゃなくても恥ずかしい。  まして、張本人だぞ俺は……!  恥ずかしい、恥ずかしすぎる! 「そういう話は、先輩の彼女か、自分の部屋でこっそりやってください! こんな場所で言うことじゃないでしょう!」 「むう……そのことで悩んでいたのではないのかい」 「違います!」  俺は立ち上がった。これ以上つきあっていられない。 「ああ、では祐真、最後にひとつだけ忠告させてくれ」 「なんですか、もう!」 「道が見つからないからといって焦るなよ」 「やるべきことが見つからない時、人は一番荒れてしまうのだ」 「…………?」  やるべきことが……見つからない時……。  それって……? 「いいか、穴は必ずそこにあるのだから、クリトリスと膣の間を丹念に探し、指は太すぎるから綿棒か何かで――」 「何の話をしてるんですかあああああああああっ!?」  だめだこの人はっ!  真面目な顔をしてたから、こっちも真面目に聞いてしまった! 「まったく、あの人は……!」 「桜井か……」 「近いうちに、決着をつけなきゃいけないみたいね」 「お、お手柔らかに……」 「それじゃ、祐真、しよっ♪」 「って、もう脱いでるし!」 「今からしたら、ちょうど終わったところでお風呂入れるでしょ?」 「今の話聞いてたのかよ!? みんな意識してるんだぞ!」 「だったら、思いっきり見せつけてやろーよ」 「だめ! 声出すのも禁止!」 「じゃ、声出さないように……むふふ」 「あたしは祐真のしゃぶるから、祐真はあたしのここ、舐めて」 「う……!」  ズキンと、痛いくらいに股間が反応。  おのれ、なんと無節操にして自堕落な我が分身よ……! 「でも月姉、進路のこと――これから先……!」 「祐真、責任とって、お嫁にもらってね♪」 「そんな……むぐっ!」  唇を唇でふさがれ、それ以上何を言うこともできなくなった……。 「みんな、おっはよ〜〜♪」  元気いっぱい、上機嫌で朝ご飯をぱくぱく食べる月姉。 「うっす……はぁ……」  頭が重く、体もだるく、箸をのろのろ使う俺。 「大丈夫かい、なんだか顔色が……それに頬もこけて……痩せてきてるような……」 「いや、まあ……大丈夫……だよ、うん……」 「それにしても月音さんは、朝から実に美しいねえ。瑞々しく、生気にあふれて、肌もつやつやで」 「花が咲くには、栄養がいるんだってこと……よくわかりました……」 「……吸われたみたいだね、その様子だと」  否定する気力もなかった。 「僕からの差し入れだ。飲んでおきたまえ」  市販されているものの中では最強の精力剤を、先輩は月姉に見つからないように渡してくれた。  今日からはもう、普通に授業が始まる。  よし、間に合った。  あのドリンク剤が効いたか、体の力もよみがえってきている。  これなら今日は大丈夫だろう。  ――冬期休暇中の課題、俺は月姉とH三昧だったから、当然、まったく手をつけていなくて……。  どの教科も、冷や汗だらだらの結果となった。  まずいよ、これ……!  で、昼休み。 「やっほ〜、祐真♪」 「わっ! 違うクラスに勝手に入るなよ!」 「細かいこと言わない言わない。すぐに出ればいいんでしょ?」  腕を取られ、引っ張られた。 「ほら、一緒にご飯食べよっ♪」  ずるずる引っ張られてゆく俺。 「ゆうまとゆうまとおひるごっはん〜♪」  そんな俺たちを、行き交うみんなが、じろじろと見つめてくる。  月姉は全然平気みたいだけど、俺はどうも、きつい……!  授業が、ようやく終わった。  しばらく頭を使う方から離れてたから、何とも、きつい……。  あれ、稲森さん。  なんだかずいぶん久しぶりな気がする。 「天川くん……この後、ちょっと、いいかな?」 「それとも、すぐ月音先輩と待ち合わせ?」 「いや、それは……待ちあわせはしてるけど、少しくらいなら」  なんだろ? 「なんか、久しぶりだね」 「うん……」 「それでね、あのね……」 「月音先輩のことなんだけど。受験しないって聞いたんだけど、本当なのかな」 「げっ……誰に、それを?」 「噂になってるの。受験する様子ないし、願書だした話もないし、先生が話してるの聞いたってのもあるし」 「それは……」  これは、否定するだけ無駄だな。 「俺も、心配してるんだ」 「それじゃ、その……月音先輩が受験しない理由……」 「もう三ヶ月だからって、それは……!?」 「!?」 「な、ないない、それはないっ! 絶対!」 「そうなんだ。よかった」 「わたし、天川くんのことも、月音先輩のことも好きだから、二人がおつき合いするようになったのは嬉しかったけど……」 「さすがに、それは早すぎるかなって」 「そりゃそうだって」 「そ、その、ね……えっちするのは、仕方ないと思うの。でも、子供は、わたしたちまだ学生なんだし……」 「う……いや、だから、それは……」 「……もしかして、稲森さんも……聞こえてた?」 「…………」  返事はしなかった。  だけど、スカートを押さえるようにした手が、ぎゅっと握られて……ぶるっと震えて、赤くなって。  こ、これは……親衛隊の連中が見たら、俺が殺されそう……。 「それで、ね……言いにくいんだけど……」 「声……とか……音とか……その……聞こえて……」 「ぐう……」 「二人、仲良くしてて……いつも一緒で……」 「それがね、その……桜井先輩が」 「……桜井先輩?」 「桜井先輩が可哀想だって、みんな言ってるの」 「寮長の仕事、ここ数日、ずっとやってる」 「月音先輩が受け持ちの日も、何も言わずに」 「あ……」 「わたしも、しっかりしてる月音先輩に憧れてて……どうしちゃったんだろうって……」 「言いにくいんだけど、寮の雰囲気、ちょっと、その……あんまり……」 「……わかるよ……」  そりゃ当然だ。  受験シーズンだってのに、受験しないらしい月姉と下級生の俺とが、人目もはばからずいちゃいちゃしてたら、忌々しく思うっての。  そうだ、考えてみれば、正月以来、夜々とまともに話をしてない。  挨拶さえろくにしてないんじゃないか?  稲森さんとだって、今こうして話してるのが、ずいぶん久しぶり――今年初めてなんじゃないかな。  まずいよ、これは……。 「わかった。控えるし、俺からも月姉にしっかり言っとく」 「ごめんね。責めるつもりはないんだよ。仲良くするのは、全然いけないなんて思ってないんだよ」 「わかってる。俺たちが調子に乗りすぎてるんだ。言ってくれてありがとう。ごめん」 「うん……」 「それじゃ。月姉が待ってるだろうから……」 「……あ、天川くん……」 「ん? なに?」 「その……ここだけの話……」 「誰もいないから、天川くんだから、天川くんだけに聞いてほしいし、絶対に誰にも言わないでほしいんだけど……」 「うん。なに?」 「その……」  稲森さんは、とんでもなく声をひそめ……顔を寄せてきて――そ、そんなに近づいたら耳に吐息がっ! 「えっちって……そんなに、いいの?」 「〜〜〜〜〜〜!」  稲森さん、まさか学園のアイドル稲森さんが、そんなことを! 「やーーーっ!」 「だって、誰にも聞けないし、聞いたら変な意味に取られそうだし……!」 「その……月音先輩が、あんなに夢中になっちゃうなんて……天川くん、もしかしたら、すごい人なんじゃないかって……」  稲森さんは、そこまで言うと、真っ赤になった頬を押さえて、うずくまってしまった。 「ふにゃ〜〜〜〜」  目がグルグルしてる。  俺も、頭がグルグルして、倒れそう。  脳天から湯気を噴いていることだけは間違いない。  ――だけど。  ここで、稲森さんの体がどうこうとか、彼女とえっちしたいなんてことは、かけらも頭に浮かばなかった。 「ええと……まあ、その……いいもんだよ……」  くらくらしながら何とか言う。  次の瞬間、脳裡に、月姉のヌードが、抱きついてきた素肌の感触が、つながったあの熱さがよみがえってきて……! 「おうっ!」  俺は前屈みになって、稲森さんと並んでうずくまったのだった。 「やっほー、ゆーまっ!」  ぶんぶん手を振る月姉。 「祐真と一緒に、歩いて帰ろうと思ってさ」  その笑顔を見た途端、また色々なことがよみがえってきて、俺は少しだけ――今度は少しですんだ――前屈みになった。 「あれれ? いけない子だね、キミは」  めざとく気づいて、月姉がニンマリする。 「それじゃ、帰って、しよっか?」 「それとも、帰る前に、初詣ん時みたいに……途中のどこかで……する?」  ちろっと舌をひらめかせ、この上なく妖しく、いやらしい目をする月姉。  その目だけで、俺は全身を熱い縄で縛り上げられたみたいになって……。  言おうと思ってたこと、全部頭から吹っ飛んでしまって。 「ほ〜んと、えっちだよね、祐真って」 「もうやめてって言っても、やめないで、ぐいぐい腰動かして、あたしを変にさせちゃうし……」 「出したばっかりなのに、口にくわえて、精液〈啜〉《すす》りながらしゃぶってあげたら、すぐ硬くしちゃってさ……」 「うう……う……」  人目があるので、月姉に襲いかかることもできず。  こんなことばかり言われてずっと硬直状態の股間を、どうにかしてやることもできず。 「あー、歩くとやっぱり疲れるわね。汗でちゃう」 「帰ったらすぐ、この蒸れたパンストのにおい、かがせてあげるね」  帰途、ずっと、脳髄をピンク色の湯気で蒸されているような心地のままでいた。  気がつけば、寮に戻ってきていて。  俺の部屋に、自分の部屋のように月姉も入ってきて。  俺は射精することしか考えられないロボットみたいになっていて、脱がされても、抵抗なんてできず……。 「うわ、くっちゃ〜い……汗のにおい……男の子だね……えっち……」  月姉が、俺の股間をじっと見つめる。 「舐めて欲しい? あたしの口で、出したい?」 「だっ、出したい……出させて……!」 「あたしのこと、好き?」 「好きっ、月姉、好きだよ、好きっ!」 「よし」  頬を染め目を潤ませた月姉は、俺の唇に軽くキスしてから、顔を下げて、股間のイチモツを――。 「あむっ……じゅる……じゅぷ……」 「んおおおおおおっ!」  蜘蛛の糸に捕らわれた獲物みたいに、俺は吸われ、たちまち体の中身を噴出させていって……。 「う〜ん、満足。そろそろ晩ご飯かな。お腹へったあ♪」 「うあ……う……」  吸い尽くされて、ミイラみたいになって、もう一滴たりとも出ない状態にされて……。  それでようやく、まともにものを考えられるようになった。 「あのさ……月姉」 「こういうの、そろそろ……控えようよ……」 「ん? どうしたの、いきなり?」 「もしかして、恥ずかしくなっちゃった?」 「あれだけ出しといて、な〜に言ってんだか」 「いや、そうだけど、そうなんだけど!」 「いくらなんでも、毎日だし……」 「俺たちのこと、変な目で見るのもいるしさ」 「放っときなさい。やっかみなんて下らない。まともに相手したらこっちのレベルが下がるわ」 「雪乃先生にも、桜井先輩にも言われたし……ちょっと俺たち、遠慮した方がいいんじゃないかな……」 「受験する人もいるんだしさ」 「………………」 「あれ、祐真、えっち嫌になっちゃった?」 「そんなことは……ないけどさ……」 「あたしのこと、嫌いになった?」 「いや、だから、それも……」  あれだけ出して、もう勃たないってのに、あられもない姿の月姉が近づいてくると、やっぱりざわざわと妖しい心地が湧き上がる。 「関係は今のままでいいからさ、少しだけ、控えようってことで」 「いいじゃない、雑音なんて聞かなくても」 「寮から出てけっていうなら、いいじゃん、出てさ、家から通おうよ」 「うち、広いしさ。祐真の部屋だって用意できるよ」 「あ、それいいかも。今年のうちに結納すませちゃってさ、来年、結婚しちゃおうよ」 「それは……無茶だよ、いくらなんでも」 「第一、結婚って、そんな、しちゃおうなんて軽く言うものじゃ……」 「真面目だねえキミは」  爪先で、股間をぐりぐりされた。  さっきは、蒸れたストッキングでこれやられて、情けなくもあえなく放出……いや、それはこの際関係なくて! 「ダメだよ月姉、こんなんじゃ!」 「月姉はさ、正月からこの方、誰かと話、した?」 「もちろんしてるわよ。朝も、ご飯の時も」 「あいさつだけだろ」 「ずっと俺といたんだから、おしゃべりなんかしてないよな」 「……そうよ。それがどうかしたの?」 「まずいよ。俺たち、みんなから嫌われかけてる。これだけ好き放題やってるんだから、そりゃそうだよ」 「ふうん」 「ふうんって!」 「いいじゃん、他人なんて、どうでも」 「な……」 「他の人見て、自分のあり方決めるなんて、それこそありきたり、つまんない」 「気持ちいいし、幸せだし、迷惑かけてないなら、それでいいでしょ」 「いやだから、迷惑にも……」 「じゃ、ホテルでしよっか。お金ならあたしが出すわよ」 「そういうことじゃないよ!」 「なんだ、やっぱり、えっちが嫌になったんじゃない」 「だから違うんだって!」 「じゃあ何よ」 「月姉、進路、どうする気だよ!」 「あー、また、それね」 「だから、祐真のお嫁さんだって」 「だーかーらーーーっ!」 「うるさいなあ。もしかして、疲れてる?」 「そういうことじゃなくって!」 「いいじゃないの、あたしの人生なんだから、あたしの好きなようにしてもさ」  月姉はベッドにごろんと横になった。  裸のお尻を見せつける形で、俺のマンガ本を開いて、足をぶらぶらさせながら読みはじめる。 「………………」  月姉……変だ。絶対変だ。  こんな人じゃないはずだ。  それとも、俺の買いかぶりで、実はこういう人だったとか?  いや……正月の頃は、ここまで自堕落じゃなかったはずだ。  あの時の月姉は、他人はどうでもいいなんて言い放つようなことはなかった。  俺と月姉しかいなくて、いくらでも声を出せて、素っ裸で寮内を歩き回っても大丈夫な時でも。  みんなが戻ってきた時に恥ずかしいからって、部屋を出る時はしっかり衣服を整えてたし、部屋にこもるにおいも気にしてた。  慣れた――ってことじゃないと思う。 (荒れて……る……?)  ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。  どこで聞いたんだっけ。  そうだ――桜井先輩だ。 「やるべきことが見つからない時、人は一番荒れてしまうのだ」  荒れる……。  荒れるって、いわゆる、不良化する、暴れる……そういうのだとばかり思ってたけど。  もしかして、月姉のこれって、月姉なりに、荒れてるってことじゃないのかな?  じゃあ原因は……やっぱり、進路のこと……?  そう考えると、しっくり来る。  この自堕落さも、やらしさも。  自分の進路から目を背けて、俺とのHに逃げてるんじゃ……? 「どうすればいいかわからなくなり、動きが止まってしまうと、気持ちは萎え、焦りばかりがふくらんで」 「………………」  じゃあ、そういう時はどうすれば……。  ええと、あの時先輩は……。  穴は必ずそこにあるのだから――。  それは違う!  あ、でも……穴じゃないけどさ……目標を見つけるってことなら、答えになってるかも。  目標。月姉が目指すもの。  なりたい自分、つきたい仕事、勉強したいこと。  そうだ、それだ。  それを見つけられれば。 「月姉」 「なに?」 「月姉ってさ、やりたいこと、ないの?」 「祐真とのえっちー」 「うん。そうだね。それだけ?」 「……お腹へった。ご飯」 「それから?」 「もっとえっちな下着も欲しいな〜。祐真が見ただけでギンギンに勃起しちゃうようなやつ」 「楽しみだよ。で、それから?」 「……何が言いたいのかな?」 「月姉のしたいことって、なに?」 「確か、数学はちょっと苦手。世界史は得意中の得意、英語国語は順調……」 「でも、小学生の時の将来の夢は、絵描きさん」 「ん……」  不機嫌そうに、眉が寄った。 「絵は? 美術」 「…………知らない」  月姉は布団をひっかぶってしまった。 「祐真。お腹へった。ご飯持ってきて」 「うん、月姉がちゃんと返事してくれたらね」 「祐真!」 「怒鳴ったってだめ」 「祐真っ!!」 「だめ」  俺はゆっくり言うと、頭に手をやった。  髪の間に、あの傷跡がある。 「月姉って、あの時から、絵、描いてないの?」 「………………」  布団の中から、猫みたいなうなり声が聞こえた。 「描くつもりはないの?」  また、うなり声。 「美術部なんだよね。幽霊なのは知ってるけど、籍はまだあるんでしょ?」 「絵、好きなんだよね?」 「…………」  うなりが、止まった。 「昔はすごく上手かったの、知ってるけどさ」 「あの後も……少しは、描いたんだろ?」 「先生たちが美大勧めてくるってことは、そう思わせるとこ、見せてるんだろ?」 「スケッチとかクロッキーっての? そういうのでも、チラッと見せてるんじゃないの?」 「幽霊部員でも、美術部だし、部室行った時、一度くらいは……じゃない?」 「……うるさい」 「描いてないの。描く気もないの」 「俺、月姉の絵、好きだったよ。あの頃も、今も」  ベッドの下から、俺はトランクのようなものをひっぱりだした。  あれだ。あの、クリスマス会の時の景品。  最初から月姉に贈るつもりだった、油絵具セット。 「これ、あるし……受験しないなら時間もあるだろ。何か描いてみない?」  布団の中で、とんでもなく剣呑な、ぐるると喉で唸る音がした。 「絵なんて、だいっきらい!」  月姉はいきなり、布団をはねのけて仁王立ちした。  仏頂面で服を着始める。 「月姉……」 「知らないっ!」 「これ……絵の具……」 「あげる!」 「いや、でも……」 「いらないって言ったでしょ! 祐真にあげるから、祐真の好きなように使いなさい!」 「そんなに絵が好きなら、それで好きなだけ描けばいいわ!」  ぷうっとほっぺたをふくらませた、ひどくむくれた顔をして、月姉は部屋を出て行ってしまった。  荒々しい足音が、階段を上っていって、自分の部屋へ消えた……。  その夜は、月姉は部屋から出てこなかった。  俺も、ずいぶん久しぶりに、一人で寝た。  一人きりのベッドは、やけに広かった。 「行ってきます……」  一人で朝食をとり、一人で準備をして、登校。 「あれ、どうした、夫婦ゲンカか?」 「うるせーよ」 「シングル生活について何か一言」 「やかましい」  普通に登校して、普通に授業を受ける。  あらゆるものが、彩度がひとつ落ちてるように見えたけど……。  別に、どうということもなく一日が終わった。  放課後、月姉とも会わず、街でちょっと買い物。  寮に戻り、俺は例の油絵具セットを取り出した。  絵を、描いてみよう。  月姉に言われたからじゃない。  俺自身の意志として、描いてみたいと思ったんだ。  月姉に、描いてみたら、なんて言ったけど。  自分自身がやってみたことないのに、他人に勧めるってのは、ちょっと不公平じゃないかなって。  自分で描いてみて、絵を描く気持ちを少しでも理解できればと思う。 「ええと……」  セットの中には、絵の描き方を説明してくれている冊子が入っていたので、それを参考にする。  美術部のやつに話をして、色々アドバイスをもらおうと思っていたんだけど、月姉と美術部の関係を考えると、それはまずい。  全部自分だけでやってみるのもいいだろう。どうせ本格的に絵の勉強をするってわけじゃないんだし。  まず……イーゼルってのか? 絵を描く時にキャンバスを乗せるやつ。  携帯用の、安いやつを、画材を扱ってる店で買ってきた。CD一枚程度の値段だからどうにかなる。  ええと、油絵の具だから、キャンバスに描くんだよな、画用紙じゃなくて。  キャンバスってのも、このセットには入ってなかったので、画材屋で買ってきた。  布なんだよな、キャンバスって。紙じゃなくて。  で、これに、セットに入ってる木炭で下書きをして、それから絵の具で塗るのか。なるほど、この辺は美術の授業と同じようなものだな。  ほほう、油絵の具ってのは、その名の通り、油で溶いて塗るんだな。なんだ、水も用意したのに、意味ないし。  まあいいや、まずは下書きだ。  ええと……何を描こう。  ヌードモデル――いかん、桜井先輩に毒されてる。  こういう場合はまず、リンゴとかバナナといった、静物画ってやつだよな。  でも、そんなの手元にないし……。  飲みかけのペットボトル。これでどうかな。  いや、つまらん。どうせ描くなら、楽しいものの方がいい。  じゃあやっぱり、ヌード? 「あ、そうだ……」  モデルは無理だけど、二次元のモデルならいるんだった。  DVDがある。  パッケージを適当な場所に立てかける。  う〜ん、いい感じ。パッケージにはポーズ決めてる写真が使われてるから、そのままでネタに使える。  ようし、描くぞ。 「……待てよ」  木炭で下書きってあるけど、折れたり、なくなったりしたら困るよな。替えはセットの中にある分しかないんだから。  一番最初から木炭というのはちょっと敷居が高い。シャーペンにしよう。芯が太いやつ。これなら失敗しても消せるし、なにより補充がきくのがいい。 「さてさて〜〜っと」  むむっ……。  キャンバスには、どうもこれは、書きづらいな。  やっぱりシャーペンじゃ無理なのか。  仕方ない、木炭にしよう。  これ……この黒い棒っきれ、鉛筆みたいに持つんじゃないんだな。指でつまんで持つのか。へえ。  で、これで、線を引いていく……。 「よっ……」  最初の線を一本。弓なりの線。  う〜ん、芸術的。そこはかとなくエロスを感じる。官能的だ。  ようし、この調子で行くぞ。 「ふんふふふ〜ん♪」  気分はすっかり大画伯。頭の上にベレー帽、口にはパイプなんかくわえちゃったりして。 「ふん……ふふん……ふ……」  線を重ねて……やがて、キャンバスには悩ましい女性の姿が見事に……。 「むう……」  やがてキャンバスに浮かび上がったのは、腰回りと胸ばかりが異様に大きな、辛うじて女性とわかる程度の絵。  これはあれだ、洞窟の天井なんかに描いてあるような、古代の、豊穣を祈願する女神像……。  やり直しやり直しっと……。  今度こそ、心をこめて、このえっちな格好のAV女優の美しい姿をキャンバスに。 「………………」  遮光器土偶。うむ。東北地方で出土した、古代のロマンを感じさせる逸品が、見事に描き出されている。  自分の才能が怖いぜ。 「――って、だめだだめだーっ!」  木炭は難しい、基本なんてない俺にはこういうのは難しすぎる!  やっぱり色だ、色をつけてこそ!  ようし、いよいよ絵の具を使う時が来た!  ええと、パレット、これに絵の具を出して……油で溶くのか。だから油絵の具なんだな。  あれ、瓶が二つあるぞ。どっちだ?  ペインティングオイルってあるから、こっちだろうな。  これを……説明書説明書……ええと、このちっちゃな容器に油を入れるのか。  で、絵の具をパレットに出して、筆に油をつけて、溶く、と。  絵の具……ええと、肌色ってないな。どうしよう。小さい頃の絵の具にはあったのに。  赤と白、それにちょっと黄色を混ぜるんだっけか。  赤……クリムゾンとバーミリオンってのがあるけど、どっちがいいのかな。  まあいいや、両方出しておこう。  で、白はこれ……白って結構使うんだよな。写生の時、一番最初になくなったおぼえがある。  で、黄色。  あ、下着が青いな。じゃあ青もいるな。コバルトブルーって、これか。へえ綺麗だなあ。  面白いから、これ、多めに使ってみよう。  さてさて、準備も整って、さあ塗るぞ。 「まぜまぜまぜまぜ……」  溶いた絵の具同士を、パレット板の上で混ぜ合わせて、望みの色を作る。  ううむ……なんか赤すぎる。白を混ぜよう。うわこれじゃロウ人形だ。黄色をプラス。今度は黄色すぎ。白追加。うまくいかないなあ。  いいや、塗ってみよう。  キャンバスに、筆を置く。おお初体験。すごいぞ、油絵に挑戦だ。  ぬりっ……。  ぬり、ぬり、ぬり……。 「むむう……」  おっぱいを塗ってみよう。男なら当然だ。  こんもり盛り上がる、淡い色の隆起。その頂に、赤い突起。  ………………。  腐りかけたプリンの上に、歪んだイチゴが乗っているようにしか見えないけど、多分それは気のせいだ。  で、細いウェストから、腰、長い脚。  それ、すーっと、絵筆を滑らせて美しい曲線を……。  ありゃ、途中で切れた。なんか伸びないなあ。もうちょっと油を増やした方がいいのかな。  ――三十分後。  だめだ。  試行錯誤の末に、俺は、芸術に王道なしということを身をもって学んだ。  キャンバスの上には、色彩の大爆発。もはや何を描こうとしたのか、自分でもわからない。  何かが、いや何もかもが間違っている気がするが、どこがまずいのかさえわからない。  やはり、未経験者が教わりもせずにいきなりというのは無理だ。  経験者に習うにこしたことはない。  というわけで、上階にある月姉の部屋にやってきたのだ。  コンコン。 「あー、もしもし。月姉、いる?」 「……いるわよ」 「俺。祐真だけど、ちょっといいかな」 「なあに? お姉さんのおっぱい恋しくなっちゃった?」 「いや、だから、そういうことは……!」  ここは女子の階で、夜々とか稲森さんとか、他の子に聞こえちゃうって! 「そうじゃなくてさ、絵を描いてみてるんだけど」 「絵!?」  声が一気に険しくなった。 「ほら、俺にさ、描いてみろって勧めてくれただろ、昨日」 「あれは……え、祐真が!?」 「うん、描いてみた」 「だけど、どうもおかしくて……道具の使い方も、絵の具の勝手も、全部違うみたいでさ」 「当たり前でしょ! 経験もないのに、いきなり油絵なんて……」 「悪いんだけど、教えてくれないかなって思って」 「描かないって言ったでしょ!」 「うん、描くのは俺だよ。月姉は、教えてくれるだけでいいから」 「いやよ!」 「そこを何とか。月姉しかいないしさ、美術関係の人、この寮に」 「あ、待てよ……桜井先輩がいたか」 「桜井!?」  ドアが開き、月姉が姿を見せた。 「あんた、まさかあいつに教わる気!?」 「久しぶり、月姉」 「……お久しぶり」 「やっぱり、綺麗だ」 「……何言ってんのよ、バカ。みんなに聞こえるわよ」 「じゃ、来てくれる? 絵の具が乾いちゃう」 「はあ……仕方ないわね」 「いい、祐真の頼みだから、特別なのよ。あたしは描かないわよ。いいわね」 「わかってる。ありがと」 「本当にもう……桜井なんかに教わったら、裸婦像か下着しか描かないエロ絵師になっちゃうわ」 「それはそれで……」 「あァ!?」  ビキビキと月姉のこめかみに血管が浮いた。 「いえすみませんですハイ」  小さくなって、俺は月姉を自分の部屋へ案内した。 「で、まあこういう次第で……」 「な……!」  月姉の目と口が、真ん丸になった。 「なにやってんのよおおおおおおおおおっ!!」  寮全体に響き渡るような、すさまじい声がほとばしる。 「あー……やっぱ、間違ってた?」 「間違ってるなんてもんじゃないっ!」 「うわ、あ、あ、あ、あ……!」 「これっ、赤っ、バーミリオン! なんでこんなに……ああ、ヒューか……」 「ヒューって?」 「安い、本物じゃないやつよ! よかった、本物だったらこれ、このチューブひとつで1200円ぐらいするんだからね!」 「げっ……」 「きゃーっ! 小学校の絵の具じゃないんだから、こんなにいっぱい出さなくていいの!」 「いや、筆を洗うならそのくらいいるかなって……」 「垂れてる! つけすぎ! 色も消えてる!」 「下書きしたあと、フィキサしてないでしょこれ!」 「ふぃきさ? なにそれ?」 「説明書にあるでしょ、これ、フィキサチーフ、定着液よ! これしないと線が絵の具に混じってにじんで……」 「まあ、この状態ならもうどうでもいいけどね……」 「それ、一番傷つく……」 「あのさ、これ、何を描こうとしたの?」 「芸術はヌードだと思って、あれを」 「DVD……って……」  パコン! 「アホかああああああああっ!」 「いつから桜井になったのあんたは!」 「いやそれは、先輩にも俺にもひどい言い方だと思いますが……」 「やかましいっ!」 「はあ……これだけいい道具そろえといて何やってんだか……」  月姉は、セットの中身をじっくり確認しはじめた。 「これ……初心者向けじゃないわね……」 「本格的に油絵やる人向けのセットじゃない」 「へえ、そうなんだ。桜井先輩が用意してくれたから。あ、お金は俺も出したけど」 「そうなんだ……」 「………………」  月姉は、絵筆を一本手に取った。  それを、今にもキャンバスにはしらせそうに握り……その手が震えて……。  ――元に、戻した。 「描かないんだからね」 「うん。わかってる」 「俺がやるから。絵を描く気分っての、知りたいから」 「思い通りに絵が描けるようになったら、楽しいんだよね?」 「思い通りって、それが一番難しいんだけどね」 「でも、まあ……確かに、絵は、楽しいわよ」 「何の気兼ねもなく、好きに描いていられるなら、だけどね」 「期待されたり、注目されたりってやっぱりきつい?」 「それもそうだけど、それ以外に、自分自身……」  ハッと、月姉は口をつぐんだ。  軽く首を振り、もう何も言うまいというきつい顔つきになる。  この話題はここまでだな。 「それじゃ、いい描き方、教えてよ」 「油絵って、何回もやり直せるんだよな? このナイフで削るってあるけど」 「それともあれ、ビリッ、ズバッて、これで切り裂いちゃうとか? そういうのマンガで見たことあるけど」 「バカ。それやったら、新しいキャンバス、張れないでしょ」 「画鋲ならあるよ。なんならトンカチと釘借りてきても」 「専用の道具があるのよ。張り方だって手順があるし」 「……本当に、何も知らないのね」 「だから、やってみようって思ったんだってば」 「俺みたいなのでも、簡単にちゃっちゃっと描ける必殺技って、ないの? テレビでそんなの見たことあるんだけど」 「ああ……こういうのでしょ?」  月姉は、絵筆を持った。  って……ええっ!? 「勘違いしないで! これは手本を作るためよ。あたしが描きたいわけじゃない。あたしは自分の絵は描かないんだからね!」 「う……うん……」  月姉は、パレットを持ち、キャンバスを見つめ――。  その目が生き生きと輝き、口元にわずかだけど笑みが浮かぶ。 「ええと……こうして……こう……」  うわ……手つきが、当たり前だけど、絵の具を溶くだけでも全然違う。  月姉はパレットに青を、多めに出した。  俺が先にたっぷり出した白と混ぜて淡い色を作り、幅広の筆で、キャンバスの上半分を豪快に塗り潰してゆく。  そこにちょいちょいと、白を使って……あっという間にふわふわした雲が描き出される。 「うわ……すごい……」  次は緑色。油で溶いた緑の絵の具に、これも白を混ぜて色を作り、細い筆でキャンバスに乗せてゆく。  見る間に、緑色の点がキャンバスにいくつも――これは……。 「クローバー?」 「この色はまだ使ってないからね」 「幸運の草だし、ちょっと色を置くだけでそれっぽく見えるから」  言いながらも月姉の手はなめらかに動き続け、俺の描いた異次元空間が、見る間に緑の草原に変わってゆく。 「うわ……うわ、うわ、うわあっ!」  たちまち、一面クローバーが生い茂る、美しい原野のできあがり。 「ま、こんなもんでしょ」 「こんなもんって……15分も経ってないって! すごいよ月姉!」 「こんなの、ただの手抜き画法よ」 「いや、でも、テレビで見たやつでも、こんな感じだったし、それより早くて、上手だよ!」 「いくらなんでもそれはないわ」 「でも……なんか、懐かしいような……こんな所、前に行ったことがあるような……」 「小さい頃、見たことあるような……」 「やめてよね。こんな適当なのでそこまで言われると、かえって不愉快だわ」 「いや、でも本当に、すごいよ。今の見てたら、俺だってやってみたくなるし……」 「これだけできるんなら、美大だって簡単じゃないの?」 「はあ……あのね、美大を狙うような人はね、みんなこのくらいは当たり前にできるの」 「元々絵が上手くて神童みたいに言われてて、県や全国のコンクールなんかで入賞するような人が、さらに技術を磨いてから受験しに行くのよ」 「そんな人たちと、ブランクあるのに、まともにやり合えるなんて、うぬぼれちゃいません」 「これ、すごいと思うんだけどなあ……」 「ただの手抜き絵だって」 「スポーツでも音楽でも、勉強の方でもそうだけど、上には上がいるのよ。いくらでもね」 「専門の道に踏みこんで、そういう人たちと勝負するほど、あたしには技術も度胸もありません」 「これだって、短時間で仕上げるための、受験用の技術だし。美大の受験だと、時間内に一枚上げなきゃならないからね」 「あ、そう言えばそうか……おじさんの絵って、なんかすごく細かくて、描くの大変そうだったもんね」 「まあ……ね」 「父の画法は、とにかく〈緻密〉《ちみつ》に、時間をかけてじっくり仕上げるものだったから……」 「このくらいのキャンバスでも、下手をすれば一月ぐらいはかかるわね。大作なら一年がかりよ」 「あたしも、前はそれを真似してたし、父も教えてくれたけど……受験用ってことで、早く描くのを習って」 「受験の準備、してたんだ?」 「小さい頃、いずれ必要になるからって、父じゃない先生から教わったのよ」 「父は怒ったわ。あんなインスタントな描き方で魂がこもった絵を描けるわけがない、芸術への冒涜だってね」 「その先生、可哀想に、父ににらまれて、いじめられて、画壇からは消えちゃった」 「今はどこかの街で、カルチャーセンターの講師でもしてるんじゃないかな」 「ま、芸術家なんてろくなもんじゃないっていう、ほんの一例」 「………………」 「はい、これで月音先生の絵画教室はおしまい!」 「片づけのやり方、教えてあげるから。わかってないでしょ?」 「うん」 「明日からは、もう少し絵の具を無駄にしないようにしなさいね」 「はあい」  小さい頃に戻った気分で、俺は月姉に何度もうなずいた。  月姉も、肩をすくめあきれたように息をつきながらも、案外楽しげに、後かたづけを手伝ってくれた。 「それじゃ……」 「外出るとわかるな。部屋、油のにおい、こもっちゃってる」 「それなら……」  月姉の表情から、自信が消えた。  ひどく頼りない、すがるような目をして……。 「あ、あたしの部屋……来る?」  一瞬、心が動いた。  独り寝の寂しさは昨日たっぷり味わった。  きっと月姉も同じだろう。  ――だけど。 「……遠慮しとく」 「もしかして、祐真、怒ってる?」 「いや。月姉の方こそ、怒ってるんじゃない?」 「別に、そんなことは……」 「じゃ、おやすみのキス」 「うん……」  ちゅっ。 「ん……」 「う……」  月姉は熱っぽく目をうるませ、俺は股間を反応させてしまった。  だけどやっぱり、自制心が勝った。 「それじゃ、おやすみ」 「おやすみ……」  月姉は、階段を上っていった。  その後ろ姿を見送り、部屋に戻ろうとする。 「わっ!?」 「すまないね。のぞき見するつもりはなかったのだが」 「リビングから戻ってみれば、部屋の前に彼女がいるものでね。出るタイミングを失ったよ」  キス、見られた……。  この人のことだから、ディープキスセレクションみたいなDVDを貸すと言い出すかも。 「……会話と、においからすると、彼女はとうとう油絵を?」 「一応、ちょっとだけ、手本を……」 「ほう! それは素晴らしい」 「本人いわく、手抜きだそうですけど。すごい綺麗なんですけどね、一面のクローバー畑」 「クローバー?」 「いや……まさかな……うん」 「どうかしたんですか?」 「いやいや。花は性器を、それも女性のあそこを示すとはよく言うではないか。その点クローバーはどうかなと」  やっぱりこの人は変態だ。 「絵は見せませんからね」 「それは残念だ。偉大なるフロイト先生にならい、描かれたものから、彼女の性的な深層心理を暴き出してみせようと思っていたのに」 「そういうことだろうと思ったからだめなんです!」 「はっはっはっ。彼女が何かしら描いたら、その時にはぜひとも拝見させてくれたまえ」  見せたら俺が月姉に殺されるだろうし、見ようとしたら桜井先輩が月姉に逆さ吊りにされるだろうな、きっと。  やっぱり嫌な顔はされたけど、月姉が絵筆を持ったということで、一歩前進。  ……これだけ上手いなら、美大の入試も大丈夫だと思うんだけどなあ。これでもダメなのかなあ。  もっと練習すれば、元々の素地はあるんだし、受かる可能性は十分あると……だから先生方も勧めてるんじゃないのかな。  いや、焦るな。まだまだ、これからだ。  俺も、明日はもう少しましなものを描けるようになりたい。  寝よう……。 「………………」  ――やっぱり、一人で寝るベッドは、冷たく、広かった。  ――次の日。 「帰ろ、祐真?」  朝は別々に寮を出たけど、帰り、こうして、一緒になった。  月姉も少しは反省したのか、この間みたいに、むやみやたらとくっついて来たりはしない。  だけどその分、捨てられた子犬というか、子猫というか、とにかく寂しそうな目をして俺を見る……。  思いっきり、心が揺れる。  でも、我慢だ。  月姉が俺を逃げ場にしてるのは明白。  だったら俺も、応じるわけにはいかない。  これは、月姉のためでもあるんだ。  並んで歩いてゆく。 「ねえ、祐真……」  それまでは押し黙っていた月姉が、おずおずと言い出した。 「手……つないで、いい……?」 「うん……」  俺も、月姉が嫌いなわけじゃない。もちろん。  そして当然、月姉を突き放したいわけでもない。  むしろ俺の方から、月姉に触れたかった。 「………………」  差し出されてきた手を、俺はそっと包みこんだ。  すぐに、ほっそりした手が動き、指が俺の指に絡みついてきた。  俺もそれを受けとめ、きゅっと握った。 「ふふっ……」  初めて、安心したように月姉は笑った。 「この前も思ったけど、歩くとやっぱり、ちょっと距離あるね」 「まあ、歩くのは、足に自信がないときついかな」 「鍛えてるもんね、祐真」 「誰かさんのおかげでね」  手を握り合ったまま、商店街をそぞろ歩く。  ちょっとしたデートだ。  月姉の機嫌も目に見えてよくなり、けっこう大胆に、俺の腕に胸を触れさせてくるようになった。  この調子だったら、寮に戻ったら、すぐHしちゃいそう。  だけど。 「ええと、そこのお店……」  俺が示した店を目にした途端、月姉の顔が強ばった。  昨日も俺が立ち寄った、画材用具店。 「……寄るの?」 「キャンバス、もう一枚あった方がよさそうだから」 「それに、ペインティングオイルだっけ、あれも半分使っちゃったから、安ければ買っとこうかなって」 「……外で待ってる……」 「うん、すぐ買ってくるから、待ってて」 「あ、待って! 変なもの買ってくるんじゃないわよ! 安いけどろくでもないもの多いんだから!」 「それなら、一緒に来て、教えてよ」 「うう……」 「祐真の、いじわる……」 「別に、月姉に絵を描けなんて言ってないんだから、気にしすぎだって」 「うそだ」 「嘘じゃないって」 「やなの! 絵はいや! 描かないからね!」 「だーかーらー!」  結局、どうにも雰囲気が悪くなってしまって。  一緒に寮には戻ったものの、すぐ別れてそれぞれの部屋に引っこんで。  俺は、夕食の後も、ずっと絵に挑戦し続けて。  月姉は――多分、部屋でじっとしてたと思う。  静かに、夜は更けていった……。  授業が終わると、俺はすぐに下校して、街に行った。  画材用具店じゃなくて、書店へ。  マンガ、ゲーム攻略本……じゃなくて。  目当ては、受験コーナー。  それも、普通の所じゃなくて、美大関係の受験案内書。  あんまり普通の学生には縁のない所だから、入学試験ひとつ取っても、どういうことをやるのかわからない。  入試内容と、そのための勉強……というか練習というか、どのような準備をするものなのか、知っておきたい。 「ふむふむ……」  美術大学といっても、国公立もあるし私立もあるし、学部から入試方法から、色々種類があるんだなあ。  一般入試の他に推薦入学があるのは普通の大学と同じだけど、その推薦方法が、自己推薦つまり自分で売りこむ、なんて所もある。  学科にしても、日本画学科、油絵学科、彫刻学科にデザイン学科……映像、建築系の学科もあるし、コンピューター関係の学科もある。  実技だけかと思ったら、学科試験もちゃんとある。国語と英語が専らだけど。  実技試験の方は、鉛筆デッサンは大抵の学科にあって、それだけで一日使うみたいだ。  試験時間は……ろ、6時間!?  学校によって違って、3時間とか4時間の所もあるようだけど、それにしてもすごい。  うわ、こっちの学校だと、朝9時30分に試験始まって、終わるのが16時30分だから……7時間!?  それとは別に、油絵とか彫刻とかを実際に作成する試験もある。それも5時間とか6時間だ。  一枚描くのに何日もかかるような技法でやってると、それでもまだ時間が足りないわけだ……。  こういう試験に、それぞれの学校で絵が最高に上手い受験生が集まってきて、その中でもさらに上手い人が合格してゆくわけか。 「う〜む……」  月姉は――あの時以来、絵はまったく描いてないわけで。  ブランクがあるんじゃ、才能は十分にあったとしても、今すぐ受験して合格ってのは厳しいかもな。  学科試験なら圧倒的に有利なんだろうけど……。 「ふむふむ……」  寮に戻ると、俺は恋路橋を探した。 「お、いたいた」 「わ、わ、わ」  俺を見るなり、慌ててきょろきょろし始める。 「月姉ならいないよ。俺だけだって」 「そ、そうかい? それならいいんだけど……」 「で、なんだい?」 「パソコン、貸してほしいんだ。ネットで調べものしたいから」 「むう……まさか、けしからんことに使うつもりではないだろうね!」 「それなら桜井先輩に頼むって」 「なるほど。一理ある」 「では、僕の部屋に来たまえ」 「いや、ちょっと長くなりそうなんで、できればいつもみたいにさ、俺の部屋で……いいかな」 「むむう……それは……」  恋路橋は、さらに挙動不審に周囲をうかがった。 「け、けしからん……まったくもって実にけしからん状態に……なっているのでは……」  あー……そうか。そうだよな。  俺の部屋が、いわゆる愛の巣になってるかもしれないって思ってるわけだ。 「それなら大丈夫だからさ」 「本当だろうね?」 「もしかして、興味津々か?」 「ばばば、バカを言うな! この僕に限ってそんなわけないだろう!」 「たとえどれほど君たちの声が漏れ聞こえてこようとも寮中にけしからん気配が充満しようとも!」 「この僕自身がそのようなことに興味を持つはずがない! 僕には稲森さんという天使がいるのだから!」  ……そんなこと言われると、からかいたくなってしまうなあ。 「それじゃ、行こうぜ」 「し、失礼するよ……します……」  月姉の気配でも感じたか、恋路橋はいつになく神妙に俺の部屋に入ってきた。 「おっと、悪い、月姉のぱんつ、落ちてた」 「脱いだら脱ぎっぱなしなんだよな、あの人、見かけによらず」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」 「けしからん! ああ、なんてけしからん!」  おおっ、出た! 恋路橋の『けしからん』、最上級バージョン!  俺もこれまでに二回しか聞いたことがない、レア中のレア発言だ!  いや、でも、これが出るってことは、しゃれにならなくなるぞ。 「悪い悪い、今の嘘。冗談だよ」 「な、なにいっ!? 悪質にもほどがあるぞ!」 「だから悪いって」 「むう……いいか、天川君。この僕といえども、許せる冗談と許せない冗談があってだな……」 「わかってるって。おわびに、ひとついいことを教えてやるよ」 「月姉のぱんつな、愛用してるのは……紐パンだ」 「ひっ……ひもっ……!?」  しばらく、恋路橋はフリーズした。 「おーい。恋路橋〜?」  目の前で手をひらひらさせても、反応なし。  さてどうしたものかと思った矢先、いきなり再起動した。 「らんっ!」  ――これは多分、『けしからん』の末尾部分だろう。 「ああっ、何ということを! 稲森さんというものがありながら、柏木先輩のけしからん姿を想像してしまった!」  頭をかかえ、よろよろと、『ひも……』なんてつぶやきながら出て行ってしまう。  やりすぎたかな……。  まあいいや、パソコン借りたお礼ってことで。  俺は早速、パソコンを起動して、ネットに接続し調べものを始めた。  帰り道、書店で調べたことを、さらに深く。  美大にホームページがあれば、そこを参照。  ネット上で情報交換している、美大受験生専用掲示板の書きこみ。  美大に行くための専門予備校なんてのもあるんだな。  他にも、美大を受験する人のために、っていうアドバイスを載せてくれているサイトがいくつもある。  そういうことを調べていくと、あっという間に時間が経っていた。  教室だとあんなに時間の進みが遅く感じるのになあ。  ノートに取ったメモも、かなりの量になった。  これも、普通の授業だとこの半分も書いただけでうんざりしてしまうのになあ。  自分自身の目的のために勉強すると、こんなに違うものなんだなあ……。  って、それはまあいいとして。 「やっぱり、予備校かな……」  月姉が美大を受験するとした場合、どうするのが一番いいか、ってことだ。  いくら月姉でも、今から受験準備、合格ってのはさすがに無理だろう。  そうなると、今年はあきらめて、来年の合格を目指して予備校通いってのが、一番現実的っぽい。  学科試験は問題ないわけだから、美術関連だけを強化するってことで、画塾――美術家が個人的に教えてくれる場所――に通うって方法もある。  ネットで調べた限りでは、この街にもそういう画塾がひとつある。講師も、それなりに実績のある画家のようだ。  この場合の実績というのは、もちろん教え子から美大合格の方。芸術家としての実績はまた別だ。 「ふむむ……」  まあ、こんな所だろう。  熱中してたせいか、思ったより早く終わった。  パソコンを、恋路橋の部屋に返しに行く。  恋路橋は、部屋の中で膝をかかえたまま、まだ紐がどうこうブツブツ言っていた。  かなり精神にダメージを受けたみたいだ。  知〜らない……っと。  で、今度は図書室から借りてきた、美術の本を開いて、基本デッサンの勉強。  いきなり絵の具を使い始めるってのは、さすがに無謀だった。  まずはきちんと下書きができるようになってからだ。つまりはデッサン、素描の練習。  机の上にリンゴとペットボトルを置いて、スケッチブックに鉛筆を走らせる。  フムン……そんなに複雑な形をしてるわけじゃないのに、ただ写生するだけでも、思った以上に似ないもんだな。  リンゴは歪んでるし、ペットボトルは傾いてるし。  まあ、いきなり上手くなんてできないし、そもそも上手くなろうとは思ってないから、気楽にやるさ。  だけどまったく目標がないのもつらいから――。  そうだな、月姉だ。  月姉のヌードを、きちんと色もつけて描くのを最終目標にしよう。 「おおおっ!」  やる気が出てきた!  そうだ、あのリンゴは、月姉のおっぱいやお尻を描くための基礎練習!  ペットボトルは、くびれたウェストやすらりとした腕、むっちりした太腿を描く練習だ!  そう――目に意識を集中し、念をこめて対象を見つめれば……リンゴはおっぱいに、ペットボトルは女体そのものに見えてくる……。  これぞ桜井先輩直伝、妄想アイ!  強く念じて見つめれば、歩いている姿も、服が透けて、ヌードに!  これが行き着くところまで行けば、指一本触れなくても、見つめて妄想するだけで勃起し、絶頂し、射精に至ることができると言う。  さすがの桜井先輩も、まだその域には達していないそうだが……。 「はっはっはっ、僕はすでに、女の子のバストサイズを一目で見抜き、乳首の位置を正確にとらえる技を完璧に身につけた!」  それは……すごい技ではあるけれど……。  そう、俺だって、月姉のバストサイズはこの手で知ってるし、乳首の位置だってばっちりだ。  そうさ、妄想すれば、月姉の姿だっていくらでも、本物みたいに浮かんでくる――。 「……どうしたの?」 「わあああああああっ!?」 「ほ、本物? 本物の月姉?」 「変な子ねえ。本物じゃなかったら何だって言うのよ。誰かの変装だとか?」 「触っていい?」 「え……」 「もう……やらしいんだから……」  近づいてきて……自分から、その胸を、俺の手に……。  ふにっ。 「わああっ!?」 「きゃああっ!?」 「何なのよ一体!」 「や、ごめん……ちょっと色々考え事してて……」 「んもぅ……馬鹿……」  ふに、ふに、ふに……。  ああ、おっぱい、気持ちいい……。 「ん……いきなり……そんな……あ……」  月姉の顔が近づいてきて――キス……。 「ちゅ……ちゅっ……ちゅぷ、ちゅく……ちゅ……」  舌……熱いのが……俺の口に入ってきて……舐め回されて、ぞくぞくと快感がこみあげてきて……。  鉛筆が床に落ちた。 「あ……」  俺は我に返り――月姉も、ハッとする。 「……絵……描いてたんだ?」 「うん。基本からってことで、デッサンだけど」 「ちょうどいいや、どう? アドバイスほしいな」 「むう……」  月姉はほっぺたをふくらませて、むくれ顔。 「何よ、せっかく人が……その……されてもいいな、って気分で……下着だって新しいのしてるのに……」  むむう、それは心が動く……。  でも、今は絵だ。これは月姉のためでもあるんだ。 「どうしても形が歪んじゃってさ」 「そっくりそのままに描こうなんて思わない方がいいわ」 「まずは全体をとらえること。画面の中の、どのくらいの位置に、どのくらいの大きさで存在するのか」 「曲線一本にこだわるんじゃなくて、最初は大まかに、輪郭だけ描くぐらいの気分で描くのよ」  月姉は鉛筆を持ち、サラサラとスケッチブックに手をはしらせた。  荒く、カクカクした線で適当に描いただけなのに――おお、リンゴとペットボトルに見える! 「あと、まだ始めたばかりなんだから、思った通りに手を動かせるよう練習することも意識して」 「このスケッチブック全部を埋め尽くして、そういうのが五冊ぐらいになったら、初めて少しはましになってるでしょ」 「うえ……そんなにかよ……」 「運動部の新入生が、初めて試合するまでに、どのくらい基礎練習やらされると思ってるの?」 「まあ、そりゃそうだけどさ……」 「すでにたっぷりと練習してる人たちに追いつこうとするんだから、その人たち以上のことやらないと、追いつけるわけないでしょ」 「はい……頑張ります……」  俺は果てしない道のりを思いつつ、再び鉛筆を手に取った。 「………………」  デッサンを始めた俺を、月姉は、つまらなそうに見ている。  迫ってきたら断ろう、断れるかな、新しい下着か……なんて邪念が俺の頭にはいっぱいに渦巻いていたけど……。 「…………」  月姉は、俺が鉛筆を動かしている間、一言たりとも口を開かず、近づいてくることさえしなかった。 「じゃ……戻るね……おやすみ」 「あ……」  何か言おうと思ったけど、その時にはもう、月姉は部屋を出ていってしまっていた。  朝、起きる。 「さて……」  顔を洗い食事を終えたら、部屋にこもって、鉛筆を取った。  今日は土曜日、うちの学園は休日だ。  丸一日あるならちょうどいい、今日はデッサンを究めるぞ。  月姉が言ってたじゃないか。先を行ってる人に追いつこうとするなら、その人以上に練習するしかない。  よく、芸術は才能がものを言うって言葉を聞くけど、それも正確じゃない。  才能でどうにかなる部分と、ならない部分がある。  デッサン力――見ているものをその通りに描き出す技能、あるいは思ったとおりの線を引く腕。  それは、才能とは関係なく、努力でどうにかなるものなんだ。  もちろん、最終的には才能が優劣を決めてしまうんだけどさ。  そこまでいかない、俺みたいな、芸術家を目指してるわけじゃない人間には、努力で到達できる領域で十分なんだ。  だから、努力。練習。積み重ね。 「………………」  上手く描こうと気負わずに、まずは描きたいように手を動かしてみる。  かたわらには昨日月姉がスラスラと走り描きしたデッサン。これをお手本に、まずはおおまかな輪郭をとらえる練習だ。  リンゴを、何枚も何枚も描いてみる。  ペットボトルも描いてみる。  少し引いて、こたつと、その上のリンゴを描いてみる。  むう……こたつが、まるで壁みたいになっている。遠近感がおかしい。  そうか、パースだっけ、引いて描く場合はそれも考えないと……。  本を開き、そのあたりについて書いてある部分に目を通す。  なるほど……。  自分で少しなりとも経験してみると、経験する前に読んだ時とは、理解度が全然違う。  最初の時は読み飛ばしていた部分に、実はすごく重要なコツが書いてあったりする。 「ふむふむ……」  鉛筆を持つ手の角度ひとつ取っても、実際にやってみた後だと、実によくわかる。  本を置き、今一度デッサン開始。  スッ、スッ、スーッ……と、曲線を描いてゆく。  こうしてみると、自然のものに直線ってないんだなあ……。  リンゴひとつ取っても、完全に左右対称ってわけでもないし、場所によって色合いも違う。  こんなにじっくり、ひとつのものを観察し続けたことなんてなかったから、何とも不思議な気分。 「おっ、これは……!」  自分でわかった、これまでのものとは明らかに違う。  いい出来だ。  ようし、これを、もう一枚……!  ――ノックの音がした。 「祐真。いい?」 「ん……どうぞ」 「今日も、描いてるんだ」 「うん。なんだか面白くなってきて」 「そう……」  月姉はベッドに腰を下ろした。 「ねえ、祐真……今日さ、これから……出かけない?」 「ああ……うん……でも……待って、あと五枚ほど描いてみてから」 「なんかいい感じになってきたんだよ。ほら、どう?」 「むう〜」  月姉はまた、ほっぺたをふくらませた。  不機嫌そうにうなりながらも、スケッチブックに目を通してはくれる。 「まあ……確かに、よくなってきてるわね」 「ん……?」  月姉の眉が寄った。 「どうしたの?」 「いえ……」 「気にしないで、描いてて……」 「変なの」  よくわかんないけど、まあいいや。  俺は鉛筆を動かし始めた。  リンゴの形が紙の上に描き出されてくる。沢山描いたから、だんだん慣れて、それっぽくなってきた。  ……と、自分じゃ思ってるんだけど、どうだろう? 「…………」  月姉が、気がつけば横合いからのぞきこんでいた。 「わっ!?」 「あ、ごめん。気にしないで」 「描いてる人の邪魔は絶対にするなって、小さいころ厳しくしつけられたから、そういうつもりはないの」  あ……それでか。あんなに露骨に誘ってきてるのに、絵を描いてる時は静かにしてて、ちょっかいもかけてこないのは。 「それより……」 「なに? どこか、まずいところある?」 「まあ、まだまだなんだけどね……」 「アドバイスをひとつ、先生」 「その手には乗らないからね」 「どんなにおだてても、あたしは絵は描かないんだから!」 「見たいんだけどなあ、月姉の絵」 「その手には乗らないって言ったでしょ」 「アドバイスならしてあげるけど、あたしは描かないからね!」 「紙、あるけど? 鉛筆も沢山」 「やらないって言ってるでしょ!」 「お手本、一枚」 「もうおしまいです!」 「それより……祐真、ちょっとこれ描いてみて」  月姉は棚から勝手に本やら何やら小物を取り出し、こたつの上に山積みにした。 「うわ……細かいよ、それ」 「時間かかってもいいから。何枚か描いてみて。できたら見せてね」 「もしかして、これは試練? 新たなるレベルに達した俺への、より困難な挑戦状?」 「はいはい、何でもいいから、描く!」 「は〜い」  で……これまでとは比べ物にならない困難の末、何とか描き上げたデッサンを、月姉に提出。 「はい、先生」 「うむ」 「…………」  あれ、やけに真剣に見入ってるな。 「もしかして、俺には隠された才能が!?」 「そんなもんがあれば人間苦労しないわよ。才能ってのは必ずどこかに飛び出てるものなの。それを周囲が見つけるかどうかよ」 「飛び出て……」  思わず、月姉の某所を凝視。  ばいんと突き出た、ふたつのふくらみ……。 「……こら」 「それとも、絵はやめて、こっちで遊んでくれるの? 大歓迎なんだけど?」 「むむう……」  ここで肉欲に負けたら、色々なものが台無しだよな。  それに……なんだか月姉も、あんまりそっちの雰囲気じゃない。  絵をやってるからかもしれないな。 「それじゃあ、もう一枚やってみるよ」 「最低でも五枚、それから配置を変えてまた描いてみなさい」 「それじゃ……お邪魔みたいだから、戻るわ。頑張ってね」 「うん……」  月姉は寂しそうに出て行った。  俺も、寂しくなった。  でも、月姉が自分を取り戻して、しっかりと将来を見据えるまでは、逃避のHにつき合うわけにはいかない。  ……俺だってつらいんだぞ。ものすごくつらいんだぞ。  一度抱きしめる快感を、つながる充実感を、一緒に寝る気持ちよさを知ってしまった後で、それがなくなると、喪失感は本当にひどいもんで……。  い、いや、集中だ、集中! 絵に集中!  余計なことを考えないためにも、早く上達して、絵を描く楽しさを理解できるようになるんだ!  ――俺は夜になるまで、ひたすらデッサンを続けた。  今日は日曜日。 「やあ。何やら絵に目覚めたそうだね」 「あ〜……もう耳に入ってましたか」 「ヌードデッサンをやるときはぜひこの僕を呼んでくれたまえ!」 「……と言いたいところだが、ヌードというもの、あれは見た瞬間はすばらしいのだが、描くとなると実に厄介でな」 「あのような、曲面ばかりで形成された肉体というものは、見て触れて揉んでいじって抱きしめるには実によいのだが、絵にするには非常に厄介だ」 「故に、のぞむべきはふくらみかけ、いやふくらんでいない相手! いわゆるつるぺた、ないぺた!」 「胸はなく、腰のくびれもなく、つるんとしたょぅじょの姿こそが最も望ましいモデル――」  ドゴォォォォォォォォッ!!! 「あんたという人はああああああああああっ!」 「こんな場所でなに言ってるのよ!」 「恥ずかしい言葉を口にするだけでもおぞましいのに、犯罪まで予告するなんて!」 「いい機会だわ、今日こそ完全に撲殺してくれる――」 「調子が戻ってきたようだね。こういう月音さんの方が美しいと、思うだろう、祐真?」  いきなりこっちに振るか! 「えっ……ま、まあ……それは……確かに……」 「……やだ……やめなさいよ、こんな所で……」  先輩に向けたのと似たような言葉なのに、響きも表情も全然違う、もじもじした態度で言う月姉。 「……ハッ! いない! 逃げられた!」  俺も気づかぬうちに、桜井先輩は見事に消え失せていた。  あの人には、ある意味一生頭が上がらないんだろうなあ……。 「で……祐真。今日、どうするの?」 「昨日のデッサン、できた? 後で見せてくれる?」 「うん。でも今日は、ちょっと外に出るつもり」 「お出かけ? 街行くの?」 「鉛筆がさ、もう少し柔らかいのが欲しくって」 「そうねえ、購買じゃ2Bまでだもんね。専門店いかなきゃそれ以上はないものね」 「もうちょっとしたら出かけるよ」 「あ、待って。あたしも行くから」 「……いいわよね?」 「だめだって言っても、ついてくるんだろ?」 「当たり前じゃない」  堂々と言い放つ月姉である。  桜井先輩じゃないけど、少しだけ、以前の月姉に戻ってる感じがした。 「お待たせ」 「自転車、使う?」 「あたしも歩くわ」  そう言って、さっさと先に立って歩き出した。  腕を組みたがるかなと思ったけど、そんなこともない。  いや、これが、今までの普通のあり方だったんだけどな。  もう一線を越えたのに、元に戻ってるってのは、どうも寂しい。  そして、商店街へ――。  買い物は、例によってこの間の画材店だったから、月姉はあまり明るい顔はしてくれなかった。  それでも、一緒にいるのは楽しくて、自然と笑顔が湧いてくる。 「それじゃ、次はさ、あっちのお店に――」 「悪い、あと一ヶ所、行きたいとこあるんだけど、いい?」 「うん、いいよ」 「ええと、確かこの辺……」 「?」  住所を書いたメモを片手に、うろうろ。 「この辺に、お店なんてあったっけ?」 「いや、お店じゃなくて――あった」  目的の家を見つけた。 「…………!」  家の脇に、小さな看板がある。  それを見た月姉の表情が、みるみる鬼のようになった。 「やられた……たばかられたわ……」  月姉はずんずん先を歩いてゆく。 「待ってよ、月姉」  完全無視で、さらに月姉の歩幅が大きくなる。  俺は小走りで後を追う。  いつも鍛えてる俺は、追いかけること自体には苦労はないけど……。  完全にむくれてしまった月姉をどうなだめるか、こいつはきわめて難しい。  まあ……月姉が不機嫌になるのも無理はない。  さっきの家、あれは、この街で一軒だけ、個人でやってる画塾だったんだ。  ネットと電話帳で調べて見つけた所。  月姉ともども、見学させてもらった。  夫婦でやってて、絵を直接教えるのは奥さんの方だということだった。  美大の受験を望むなら、それに対応できるカリキュラムを組んでもくれるらしい。  月姉、と言うより柏木の名前を出すのはよくないと思って、そのあたりは曖昧にしておいたけど……。 「待ってよ、月姉ったら」  ずんずんずん……と、寮への帰途をまっしぐらに歩んでいた月姉の足が、ぴたりと止まった。  振り向く。  きつい顔でにらまれた。 「……いい加減にしてよね」 「どんなに策を巡らしても、あたしは絶対に絵なんて描かないんだから!」 「わかってるって」 「そんなこと言ったって、見え見えじゃないの」 「自分で絵を描いて、あたしに教えさせてみたり」 「画材屋に引きこんだり」 「あんな所に連れていって……絵の現場に触れれば、あたしがその気になるかもって思ったのかもしれないけどね!」 「おあいにくさま! そんなつもりはないからね!」 「いや……今日の場合、ついてくるって言ったの、月姉の方だろ」 「だから、たばかられたって言ってるのよ」 「まったく、いつの間にこんなずるがしこい手をおぼえたのかしら……」 「環境が悪いのね。きっと桜井だわ。今度こそ逆さ吊りにして河に沈めてやらないと」  冗談に聞こえないのが恐ろしい。 「いや、桜井先輩は関係ないし」  一応、フォローはしておかないとな。 「それに、さっきのあそこ、月姉がいなくても、俺一人で話を聞いてくるつもりだったから」 「……あなたが一人で行って、どうする気?」 「よさそうだったら、習いに行ってみようかなって」 「絵の勉強?」 「当然だろ。絵の先生なんだから」 「なんか、色々描いてたら、面白くなってきてさ」 「熱中できるし、描けば描いただけ上手くなってきたの自分でもわかるし」 「案外、性に合ってるんじゃないかって気がしてきて」 「この際だから、本格的に勉強してみるのもいいかなって」 「本格的に、って……本気?」 「もちろん」 「まさか、美大行きたいなんて言い出すんじゃないでしょうね」 「そのまさかだ……って言ったら、どうする?」 「え…………冗談、よね?」 「俺、特にこれやりたいってものがなかったんだけど」 「絵、やってみてさ、これいいなって思って」 「狙えるものなら、美大、狙ってみたくなったんだ」 「あはは……はは……あははは〜〜」  月姉は引きつった笑みを浮かべる。 「祐真ったら、冗談上手いわね〜〜」 「冗談じゃないって」 「もちろん、自信なんて全然ないけどさ」 「でも、なんか、しっくり来たんだ」 「これだ、って感じ。やるべきものを見つけた、ついに出会った、みたいな」 「俺はまだ一年あるし、これから、できる限り頑張ってみようかなって思ってる」 「ふうん……ま、頑張ってね」  木で鼻をくくったような、全然本気にしてない反応だ。  だけど、本当に、俺は本気だった。  絵を描くのが、すごく面白い。  画塾を見学して、その雰囲気に触れたせいかもしれないけれど、こうしている今でも、周囲の風景をスケッチしてみたくなっている。 「本気なんだよ、俺」 「うんうん」 「……で、月姉はどうするの」 「どうするって」 「そりゃ、帰って、ご飯食べて」 「そういう意味じゃなく!」 「………………」 「私立なら、願書、まだ間に合うんだよな?」 「受験なんかしないも〜ん」 「じゃあ就職? そっちの活動はしてるの?」 「知〜らないっ」 「月姉……一体、何がしたいんだよ。卒業した後、どうするつもりなんだよ」 「前から言ってるじゃない」 「祐真のお嫁さん♪」 「月姉っ!!」 「そういうことじゃなくて、ビジョンだよ、将来設計、人生のビジョン!」 「話聞いてると、何にもないじゃないか」 「人生なんてどうなるかわからないんだし」 「いや、それはそうだけど、せめてこの一年のビジョンぐらいは示せるだろ」 「だから、祐真のお嫁さんになるんだって」 「二人で暮らす部屋決めて、祐真が学業に励んでる間、あたしはバイトして、夕方には落ち合って、一緒に帰るの」 「これ以上ないくらい明確なビジョンでしょ?」  思わず、俺はきつい口調になってしまった。 「そんなの、ビジョンでもなんでもないだろ」 「大体、俺と、その……そういう関係になる前だろ、センターの願書提出日って」 「そこで何もしてなかったんだから、その頃からもう、やる気なかったってことじゃないか」 「…………」 「お嫁さんなんて、本気で言ってるのかよ」 「そう言ってくれるのは嬉しいよ。俺だって月姉のこと好きだし」 「だけど、今の月姉が言っても、逃げにしか聞こえないんだよ」 「逃げ……ですって?」 「ああ、逃げだよ。逃げてるようにしか見えないよ、今の月姉!」 「…………!」  きつく吊り上がっていた月姉の目が、火を噴いたみたいになった。 「……そこまで言うなら、じゃああたしも言わせてもらいますけどね」  地鳴りのような音が、どこからともなく聞こえてきた。  ぞっと、背筋を冷たいものが走り抜けた。 「いい加減にして!」 「なによ、絵を描け、絵を描けって、これ見よがしに!」 「美大行け、狙える、才能がある……はっ! 馬鹿じゃないの!」 「あたしが描かないのは自分の意志なの! それを他人にどうこう言われる筋合いなんてないわ!」 「しかも絵を勧める理由が、もったいないとか才能があるはずだとか、画家の娘なんだからとか!」 「推薦で、いくらでもいいとこの私立に行けるだけの成績は収めてるのに、なんで美大しか勧められないわけ!?」 「あたしは絵だけの存在なの!? あたしの意志は無視!? 描きたくないって言ってるのに、なんで嫌がってることばかり勧めるわけ!?」 「う……それは……」 「人が嫌だって言ってるのに、描け、描け、そればっかり!」 「それも、直接言うだけならまだしも、間接的に、あの手この手で攻めてきて、いやらしい!」 「なに、あの画材セットは!? あんなの渡せば、あたしが昔を思い出して、ついつい絵を描くとでも思ってたの!?」 「そんな子供っぽい考えで人を動かそうなんて思う人に、ビジョンがどうこうなんて偉そうなこと言ってほしくないわ!」 「今の祐真もそうよ! 美大狙う!? 絵が面白くなってきた!? ふざけないで!」 「自分が本当にその道に進みたいわけでもないくせに、これ見よがしにそんなこと言って、気を引こうとして、いやらしい!」 「一緒に美大行こう、なんて言うわけ!? そう言えばあたしがやる気になるとでも!?」 「いや、そんなことは……」 「つき合ってるからって、自分の意見だけ押しつけるのはもうやめてよね!」 「何も知らないくせに!」 「…………」 「家の事も、あたしの気持ちも、何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」 「はぁ、はぁ、はぁ……」  刺し貫くような強烈な眼光が、俺をまともに射抜いた。  俺は貫かれ、串刺しにされて、何を言うこともできずに、立ちすくむばかり。  だけど――目を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな顔で息を荒げている月姉の姿に……。  気がつけば、自然と腕が動いていた。  頭へ。髪の間に刻みつけられた、昔の傷跡に。 「あ……!」  そこをなぞる俺の指先を、月姉は食い入るように見つめた。  ごうごうと音を立てて燃え上がるようだった月姉の眼光が、勢いを失い、弱々しい揺れを残すのみとなった。  それまでの勢いに変わって、罪悪感がその目にあらわれる。 「月姉……」 「俺、月姉のこと、好きだよ」 「ば、馬鹿……なんでそうなるのよ、今の流れで!」 「いや、最初に言っておかないと、誤解されるかもしれないから」 「俺、月姉が好きだ。何をやってるかは関係なく、月姉、柏木月音っていう人そのものが好きなんだ」 「この傷も……この気持ちには、全然関係ないんだ。そのこと、知っておいてほしくて」 「……何が言いたいわけ?」 「いやなこと言って、ごめん」 「ただ、月姉が俺にとってどうでもいい人だったら、こんなこと言わなかった」 「月姉が、何をしたいのか見つけられなくて、荒れてるのって、見てられない。耐えられない」 「荒れてなんか……!」  抗弁しようとした月姉だったが、すぐに目を伏せ、うなだれてしまった。 「絵のこと、嫌だったのは、ごめん」 「だけど、俺……描いてみて、思い出したんだ。昔から結構、絵を描くの、好きだったんだよ」  そう――昔は、そうだったんだ。  もちろん、子供の落書きみたいなものだったけど。  真っ白な紙に、どんどん自分の手で色々なものを増やしていくのが、無性に楽しくて。  結構上手って言われてたような覚えもある。 「好きなんだよ。だから、上手くなりたいし、美大だって狙ってみたい」 「プロの画家になる、なんてのは高望みだとは思うけど、それに負けないくらいの絵を描けるようになりたい」 「だから、月姉がいくら嫌がろうとも、俺は描くよ……見せつけるためじゃなくて、俺自身の楽しみだから」 「……でも……」 「月姉は、絵――絵そのものは、嫌いなの?」 「それは……」 「絵を勧められるのが嫌ってのはわかったけど……絵は、絵を描くことそのものは、どうなの?」 「俺は、月姉の絵……すごく、好きだったよ……」 「……!」  そうだ……俺、ある時からお絵描きをやらなくなったんだ。  絵を描かないどころか、描こうと考えること自体を意識から消してしまった。  それ、月姉のせい。  ある日、いつも遊んでくれるお姉さんだった月姉が、おじさんに習って、真剣に描いているところを見てからだった……。  一心不乱にキャンバスに向かってるその横顔が、とても……幼心に衝撃的なくらいに、その……綺麗で……。  そして、キャンバスに描き出された絵が。  学校で、水彩絵の具で描いたみんなの絵と、もちろん俺の絵とも、色合いから何から、何もかも違ってて。  こんなに綺麗なものが、すごいものが、あるんだって――衝撃を受けて。  しかも、それを描いた……何もないところからそれを生み出したのが、知ってる人、一緒に遊んでる相手だったってのが、さらに衝撃で。 「絵も好きだし……絵を描いてる時の月姉を見てるのが、すごく好きだった」 「時々、すごく嬉しそうな、楽しそうな顔するんだよ、月姉って……知ってた?」 「…………」 「月姉は、どうだったの?」 「絵を描いてる時、楽しくなかった? ワクワクしなかった?」 「それは……っ!」 「それは……」 「この間、お手本に一枚描いてくれた、あのクローバーの野原」 「あれ描いてる時、月姉、ちょっとだけ、昔の顔してた」 「楽しいって、すごく伝わってきたよ」 「適当なこと……言わないで……」 「わかるよ。月姉が、楽しいかどうか……喜んでるかどうか……だって、俺、月姉のあの時の顔も声も――」 「ば、ばかっ! こんな所で……!」 「…………馬鹿…………」  月姉は赤くなり、うつむいてしまった。 「……だけど……祐真……傷……それ……」  俺の頭の傷。 「それ……怒って……ないの?」 「あたしのせいなのに……あたし、それで……あんなのはもう……いや……」 「……月姉」  そっと、名を呼ぶ。 「俺、あの時の月姉の絵も、好きだったよ」 「祐真……」 「あんなことになっちゃったけど、いいなって思ってた」 「未完成かもしれないけど、俺、まだあれが、頭に残ってる……」  俺は、月姉に向かって、一歩踏み出した。  月姉は、後ずさろうとしたけど、動かなかった。 「月姉。あの絵、完成させてほしいんだ」 「いや――違うか。あの絵じゃなくてもいい。一枚だけでいいから、描いてほしいんだ」 「絵じゃなくったっていい。彫刻でもいいし、他のことだっていい」 「月姉が本当にしたいことをやってほしい」 「その顔を見たい。そういう月姉の側にいたい」 「……好きな人の、一番綺麗な顔、見たいんだ……!」  月姉の顔が、また赤くなり。  その目も、真っ赤に充血して、うるんできて。  肩が揺れ、口元が、笑い半分、怒り半分みたいな妙な形に引きつった。 「馬鹿……!」 「こんな所で……恥ずかしいわよ……どうして、そんなこと真顔で言えるのよ……!」 「こんな……恥ずかしい顔、させて……!」 「絵、描いてくれる?」 「しつこいわね……」 「描くわ……描けばいいんでしょ……もう……」 「じゃ、約束。ゆびきり、しよう?」 「ええ……」  小指と小指を絡めて、軽く引っ張り合って。 「いい、一枚だけだからね。一枚だけ。それだけだから!」 「うん。ありがと。ゆびきりげんまん♪」 「馬鹿……いつになっても子供なんだから……」  月姉と小指を絡め合っていると、体の一番深い部分がじんわりと温かくなってきて。  キスよりも、もっと幸せな気分になった。  目が覚めると、隣に裸の月姉がいた。 「……おはよ」 「おはよう」  軽く、お互いのおでこにキスし合う。  昨日、あの後、寮に戻って、自然とこうなったんだった。  離れていたのはほんの数日だけのはずなのに、月姉を抱きしめると、涙が出るほど懐かしく感じた。  月姉もそれは同じだったみたいで、俺たちは抱き合ったまま、しばらく涙ぐんでいた。  それから、静かに、だけどとてつもなく深い快感に包まれていって……。 「久しぶりに……小さいゆーまと遊んでる夢、見ちゃった……」 「この匂いのせいかもね」  室内に漂っている、油絵の具に使うオイルの匂い。  月姉は服を着終えると、窓を開け、颯爽と振り向いた。 「よーし、それじゃ、描きますか!」  ともあれ、心配してくれた人には報告しておかないと。  桜井先輩は――置いといて。  いや、真っ先に報告すべき人だとは思うんだけど、何というか、ほら、その、つまり……。 「やあ祐真。月音さんが、とうとう本気で絵を描いてくれる気になったそうじゃないか?」 「ど、どこからそれを!」 「おや当たりか」 「カマかけたんですか!」 「昨日の君たちの幸せそうな顔、満ち足りた夜、そして今朝方の、何かを吹っ切った風の月音さんの顔……」 「そのあたりから推測しただけの話だが、的中したのなら実に喜ばしい」  こ、この人は……!  まさか、ヌードを描く時に混ぜてくれとか月姉のヌードを描きたいとか言い出さないだろうな。  それとも……自分を描け、と言って脱ぎ出したりしないだろうな!? 「そうか……月音さんが、描いてくれるか……」  先輩は、ポケットの中の何かを握る手つきをした。  あれ、あの形……パスケースみたいだな。  年末、帰省するときに落としたやつ。  お守りだっけ、あの四葉のクローバー。  クローバー……か。月姉がこの間描いたのもクローバーだったよな。縁があるなあ。 「では、頑張ってくれ。完成したらぜひ見せてくれと、月音さんに伝えておいてほしい」 「はあ……はい、それは……」  あれ、それでおしまい? なんか意外……。  きょとんとしていたら、後ろから声をかけられた。 「祐真? どうしたの?」 「あ、月姉……」 「また桜井? まったくもう」 「桜井先輩って、美術部だったんだよね」 「まあね。ヌードばっかり描きたがって、それにのっちゃう馬鹿な子がいて、美術部が存亡の危機に陥ったこともあるってのに、こりないんだから」 「はあ……さすがだ……」 「俺も、月姉のヌードなら……」  ギロッとにらまれたんで、口をつぐんだ。 「そういうこと言うのは、静物のデッサン、まともに描けるようになってから言いなさい」 「はあい……」 「じゃ、今日はいよいよ、月姉の復活第一作ということで」 「一枚だけよ! その言い方だと二作目、三作目があるみたいじゃないの」 「いい、一枚だけよ。祐真が言うから、一枚だけ描くんだからね。わかってる?」 「うん、もちろん!」 「で――」 「ああ、柏木、ついに復活するって!?」 「……祐真……?」 「え、や、その、〈密〉《ち》〈告〉《く》るとかそういうことじゃなくてね?」 「雪乃先生はいつも月姉のこと気にかけてくれてたから、それで、報告しないわけにはいかなくて……」 「いやあ、柏木が絵を描いてくれるって言ったら、〈水尾〉《みのお》先生も喜んでくれてねえ!」  〈水尾〉《みのお》先生ってのは、美術の教師で、当然ながら美術部顧問でもある――。 「美術室使っていいってさ。美術部員と顔を合わせるのが嫌なら、部活が終わった後でもいいから、好きなように使えって、ほら、鍵」 「はあ……」 「いやあ、でもこれで、柏木画伯、二代目デビュー? すごいことになるねえ」 「………………」  あ……月姉の頭上に、黒々とした雲が湧いた……。 「お父さんも、喜んでくれるんじゃないかな?」 「そうですね」  うわ……極寒だよ、声が。  雪乃先生、柏木のおじさんが亡くなってるの、知らないのかな?  教師なんだから、そのくらいは耳に入れてるかもしれないけど……。  月姉が、おじさんのこと、嫌ってたことまでは知らないだろうなあ。 「それに、水尾先生もさ、柏木が描いてくれるんなら、その絵を今度の展覧会に――」 「そ、それじゃ、先生、鍵確かにお借りしました!」  急いで、月姉を引っ張ってその場を離れた。 「……帰っていいかしら」 「いや、それは」 「遊びに行きたい」 「いや、だから、一枚、一枚だけ!」  幸い、美術部員の姿はない。こんな時期だから、適当にさぼってるのかもしれない。 「約束しただろ? 一枚だけでいいんだから、な、な!?」 「一枚だけ、って言うけどねえ……」 「俺との約束、破る気じゃないだろ?」 「破った方がましかもね」 「そんなこと言わないでさあ、頼むよ」 「祐真も、水尾みたいなこと言うのね」 「頼むよ、才能あるんだから、って低姿勢で」 「いや、だから、その……」 「わかってるわよ。約束は約束だもんね」 「本当の本当に、一枚だけよ」 「うん」 「時間かかるわよ」 「うん」 「やる気なくしたら、やめるわよ」 「う……それは……」 「雑音、何とかしてね」 「わ、わかった……努力します……」 「じゃ、始めますか」 「あ、じゃあ、ええと……イーゼルと、キャンバス?」 「なに言ってんの。いきなりそんなわけないでしょ」 「まずはデッサンよ。祐真がやってるのと同じ」 「大体、何を描くかさえ決めてないのに」 「え、でも、それじゃ……なんでここに?」 「腕ならしよ。ブランクあるんだから、まずはデッサンからやり直して、勘、取り戻さないとね」 「なるほど」 「はい、じゃ、そこに立って」 「…………はい?」 「だから、そこに。モデルになってって言ってるの」 「お、俺が!?」 「人間をデッサンするのは基本よ」 「祐真、あんた、あたしが絵を描いてくれるなら何でも協力するって言ったわよね?」 「い、いや、そんなことは――」 「言ってない? へえ、じゃあ祐真は、何も手伝ってくれないんだ。人に描け描けって勧めておいて、自分は何もしないの?」 「いや……」 「それじゃ、そこに座って」  まあ、モデルなら……。 「ああ、椅子は使っちゃだめよ」 「……はい?」 「椅子はないけど、椅子に座っているように」 「何となくだけど、絵のモチーフにさ、『馬車馬のようにこき使われる哀れな少年』なんてどうかなって思ってるわけね」 「だから、はい、そこで、腰を落として、膝の角度は90度、椅子に座ってる感じで」 「ぐおっ……!」  こ、これは、あれだ、教室のいじめなんかでよくあるやつ、何もない所に座らせる『空気椅子』……!  月姉は――ニンマリと……耳まで割けるような、意地悪全開の笑み……!  ぬおおおっ、仕返しだ、俺、仕返しされてるっ!  確かに、月姉の気持ちを無視して強引に事を進めたのは俺だけど、雪乃先生に報告したのも俺だけどっ! 「あ、そうだ。いい練習になるから、それ持って今のポーズとって」  月姉が指さしたのは――美術室の窓際に鎮座します、純白の凛々しき男性の胸像。  言わずと知れた、ブルータス閣下にございます。  目鼻立ちのくっきりした、巻き毛の彼を抱きかかえ……これがまた石膏で、意外に重い……。 「ぬおおおっ……!」 「ああ、いいわあ。いかにも、『可哀想な男の子』『見るからに下働き』『末代まで尻に敷かれる』っていう感じだわ」  月姉は悪魔のように笑って、まっさらなスケッチブックを開いた。 「くうっ……」 「はーい、あんまり動いちゃだめよお」  サラサラと、鉛筆が動き出す。 「ぬおお……くうっ……ぐ……おおっ……」  ぶるぶる、ぶるぶる。腕が震える。腿が震える。腰が落ちる。 「ちょっと、モデルさん、動かないでってば」 「ぐ……だけど……これは……!」 「あれえ、あたしの絵が好きだって言ってくれたのに、それを生み出す作業には協力してくれないのお?」 「つ、月姉の……いじめっ子……!」  苦行はそれからも、延々と続いた。 「ぐおお……おおお……!」  太腿がパンパンに張り、腰も痛んで、動けない。  月姉は涼しい顔で、明日はどんなポーズ取らせようかなんて企みながら部屋に戻っていった。  ブランクがあるとはいえ、腕はさすがで、スケッチブックには何枚も俺の姿のデッサンが描き出されていた。  月姉が頑張ってるんだ、俺も頑張らないと!  だけど、これは……きつい……。  俺は、湿布薬のにおいをぷんぷんさせながら、這いずるようにして部屋に戻った。  次の日も、授業の後に、苦行が続いた。  『空気椅子』のポーズをとり続ける俺。  筋肉痛の太腿が、五分とたたないうちに痙攣し始める。 「はーい、動かなーい」 「ぬおおおおお」 「……う〜ん……」 「それじゃ、今度はブルータス君を、頭の上にのっけてみて」 「はいいいいい!?」 「別に、持ってる絵を描くわけじゃないんだから」 「そもそも、どんな絵を描くかさえ決まってないのに」 「そんな!」 「そういうもんよ」 「大体、あたしが約束したのは、絵を描くってことだけで、どんな絵なんて一言も言ってないでしょ」 「絵にしろ彫刻にしろ、作曲とか書道とかもそうだと思うんだけど、芸術って、自分の内側から湧いてくるものがないと作り出せないのよ」 「あたしはまだ、絵を描くって決めただけで、何を描くかって決めたわけじゃない」 「だから、これだ、これを描きたいってのが出てくるまでは、こうして色々手を動かし続けるしかないの」 「だから、ほれ、頭の上に」 「うう……」  頭上にブルータスを掲げる。  また、あまり使わない筋肉を酷使することになり、震え始める。 「それ、おっことしたら祐真が弁償だからね」 「とんでもなく高いってわけじゃないけど、それなりの値段するから気をつけて」 「そんな……無茶な……!」 「動かないでって言ってるのに」  ぷるぷる震える俺を、月姉はニヤニヤ見つめながら、鉛筆を動かし続けた。 「……ん……むう……」  俺をからかい、見るからにやる気なさげだけど……。  その様子が、少しずつ、変わってきた。 「………………」  意地悪い言葉が減ってきた。 「動かないで……」  たしなめる声からも、からかう響きが減り、真面目な気配がにじんでくる。 「………………」  そしてとうとう、冗談が完全に影をひそめ、無言のまま、シュッシュッと鉛筆をはしらせるばかりになった。  ぱらりと、スケッチブックをめくる。  スラスラと手を動かし、あっという間にまた一枚。 「月姉……喉渇いた、ちょっと休憩いいかな……」 「………………」  聞こえてない。  俺とスケッチブック、どっちを見ているのかわからない。  月姉の目は、両方を同時に見ているように、中間ぐらいの位置で固まっている。  また、ぱらりと、スケッチブックをめくった。 「月姉」 「……あ? なに?」  やっと気付いてくれた。  すごいな、この集中力……。  ――月姉がトイレに行っている間に、スケッチブックをのぞいてみた。  手が、いくつも描かれていた。  ブルータスを頭上で支えて、筋肉を張りつめさせた俺の手。  腕だけなのに、力が入ってるって、はっきりわかる。  全身を描いたやつも、すごく粗い線なのに、人の形もブルータスも一目でそれとわかる。  俺が苦しそうにしてる顔も、ブルータスの澄ました顔も、紙から浮かび上がってくるようだ。  やっぱり、すごいな……。  描き始めた最初の方と、集中してきてからとでは、線の勢いが全然違うのも驚いた。  俺の線が変わるのとは次元が違う。  最初のころでも十分過ぎる程上手いのに、後の方になると、『すごい』感じになっていく。  ブランク明けの、勘を取り戻すための基礎練習みたいなのでこうなんだから、一番描けていた頃に戻ったら、どのくらいすごいんだろうな。 「こらっ! 勝手に見るんじゃないっ!」 「わ、ごめん! でも気になって」 「見た罰に、そこで四つんばい!」 「ええ〜っ!?」 「今までのは何だったんだよ!?」 「いまいちだから、全部ボツ」 「そんなあ!」 「構図が決まるまで、モデルのポーズなんか何度でも変えさせるものよ!」 「いいからさっさと、ほら四つんばい! 犬のポーズ! ワンとお鳴き!」 「とほほ……わん」  逆らえず泣く泣く四つんばいになった俺の背中に、月姉はブルータスを乗せた。 「う〜ん、いい構図。祐真の情けなさが最高ね!」  この苦行、いつまで続くんだろう……。  あ、でも……四つんばいは、ローアングルで月姉を見られることだけは、ありがたかった。  自分の部屋で、筋肉痛と闘いつつ、スケッチブックに鉛筆を走らせる。  月姉を見ていると、俺もスラスラあんな風に描けそうな気がするけど、まあ当然、とてもそうはいかない。  それでも、あの月姉の集中した顔を思い出すだけで、やる気が湧いてくる。  追いつきたい。  俺だって、月姉を描けるようになりたい。  月姉の長い髪を、綺麗な体を、優しい目を。  俺が好きな人のあらゆる部分を、自在に描き出せるようになりたい。  俺は、時間の許す限りデッサンを続けた。  次の日も、似たような展開となった。  ただ、昨日と違うのは――。 「………………」  月姉が、最初から集中モードだったこと。  思えば、朝から、何か違っていた。  目の前にいる俺や他の人と話していても、どこか別な場所を見ているような目つき、上の空の受け答え。  そして、美術室での、集中モード。 「祐真。座って、腕組んで」 「はい……こう?」 「うん」  さらさら、さらさら。鉛筆の走る音。 「違うな。手、膝の上」 「はいっ」 「背筋伸ばして」 「はいっ」  ……また、さらさら、さらさら。  スケッチブックが何枚かめくられて。 「違う……背筋曲げて、力抜いてみて」 「こんな感じ?」 「うん。だら〜んと、リラックスしてる風に」  で、またそれをさらさら。 「う〜ん……違うなあ……」  さすがに見かねて、口をはさんだ。 「月姉、どんなのをイメージしてるの?」 「座ってるところ……かな」 「色々描いてみて、それだけはなんとなく決まったんだけど……さて、どうするか」  まあ、四つんばいだの空気椅子だのよりはよっぽどましか。 「それじゃ、ええと……腕、前に伸ばしてみて」 「ん……こう?」 「もうちょっと、右は伸ばし気味、左は曲げて」 「こうかな……」 「左手、手首返して、手の平上に向けて。ああ指は軽く曲げて」 「……これ、何のポーズ?」 「アホの子のポーズ」 「おいっ!」 「あははははは! 引っかかった引っかかった!」 「あのなあ……!」 「あ、でも、それ本当にいい感じ」 「動かないで。なんかピンと来た」  いきなり、月姉は大まじめになって、スケッチブックを手に取った。  サラサラサラ……シュッシュッシュッ、カリカリ、シューッ。鉛筆の音が、これまでよりさらにリズミカルだ。  なんなんだ、こんなポーズのどこに、月姉のインスピレーションを刺激するものがあるんだ。 「………………」  月姉は、一瞬もとどめることなく手を動かし続け――。 「……ふう」  ほんの10分としないうちに、スケッチブックを脇に置いた。 「できたの?」 「休憩よ。デッサンに完成も何もないわ」 「何かつかめた? どんな感じ?」 「ま、今のは、そんなに悪くなかったかな」  上機嫌に口元をほころばせる。 「見てもいい?」 「ええ、どうぞ」  思えば、そこでおかしいと気付くべきだったんだ。 「それじゃ……」  拝見、とスケッチブックをめくる。 「なんじゃこりゃあああああああっ!」 「あれ〜〜〜、間違えちゃったかなあ?」  ものすご〜く白々しくとぼける月姉。 「どう間違えればこんな風に描けるんだよっ!」 「いやー、絵ってのはモデルの本質を描き出すものだからねえ。祐真の本質をとらえちゃったのかもね。あはははは!」 「月姉っ!」 「はーい、今日はおしまーい。帰ろ帰ろっ!」 「月姉ええっ!」  だけど、本当に月姉は帰り支度を始めてしまった……。  自転車を押して、月姉が姿を見せた。  一緒に帰る。 「で、月姉。実際どう? 調子戻ってきた?」 「ん……」 「まあ、手は、それなりにね……」 「三日ぐらいじゃ、そんなに動くようにはならないけどさ」 「これはこれで、昔とタッチが違う絵になるから、面白くなってきた」 「それならいいんだけどさ」 「なんなんだよ、あの裸踊りは」 「祐真の裸が描きたかったんだもーん」 「あれはないだろ、あんなのは!」 「あたしの心の目にははっきり見えたのよ」 「桜井先輩の女性版みたいな発言は自重しようよ」 「むう……それはいやかも」 「まあいいや、祐真、荷物貸して。持ってあげるから」 「???」 「寮まで、走るわよ!」 「わ、いきなり、ちょっと!」 「おっ先〜♪」 「わーっ! 待って! 待ってくれえっ!」  ただでさえ筋肉痛のところに、走らされた疲労もあって、全身が鉛のようにだるい。  それでも、スケッチブックを開き、鉛筆を走らせる。  こういうことは、毎日の積み重ねだ。  コンコン……。 「はい?」 「入っていいかな?」 「……描いてたんだ」 「月姉に追いつくなら、月姉よりも沢山描かないと」 「頑張るなあ……」 「俺は俺で、美大に挑戦できるくらいになりたいからね」 「あ、ごめん。これ描いたら終わるから」 「いや……いいよ。そのまま、続けてて」  今気がついたけど、月姉も、自分のスケッチブックを手にしていた。 「……描いても、いい?」 「え? その……一緒に?」 「いや、それじゃなくて、祐真を。スケッチしてる祐真をスケッチ」 「だめかな?」 「いや、悪いことはないけど……」  なんだか、照れるというか、意識してしまうというか。 「俺の描いてるものは、描かないでくれよ。下手なんだから恥ずかしい」 「それも味ってものじゃないかな」 「描きにくいよ」 「まあまあ。そんなこと言ってたら、外での写生なんかできないよ」 「通りすがりの人がどんどんのぞきこんでくるんだから」  ……すみません、シャセイという言葉で別なものを連想してしまった不届き者がここにいます。 「じゃあ、お手柔らかに……」  俺は観念して、自分のデッサンに意識を集中。  月姉の視線を感じながら、鉛筆を動かす。 「………………」  月姉は、そんな俺をじっと見つめていた。  鉛筆は紙面にあてられているけれども、なぜかその手は、全然動いていなかった。 「……あのさ、祐真……」 「なに?」 「明日から、ここで描いちゃ、だめかな」 「ここで? 寮で、ってこと?」 「うん。この部屋がだめなら、あたしの部屋でもいいからさ」 「それは……月姉がそれでいいなら、俺もまあ、構わないけど……」 「でも、描こうとしてるの、こんな安いイーゼルに乗るキャンバスじゃなくて、もっと大きなやつだよね」 「それなら、道具もあるし、色々便利だし、美術室の方がいいんじゃないのかな」 「そう……なのよね……」 「美術室じゃ、いやなの?」 「いやってわけじゃないけど……知らない場所でもないし、道具は確かにそろってるし……」 「ただ……」 「ただ?」 「…………」 「なんでもない」 「?」  月姉なら、いやだったらすぐ、はっきりそう言って、強引に部屋で描くと言い出すはずだ。  どうしたんだろう。 「それじゃ、戻るね。おやすみ……」  俺の額におやすみのキスをして、月姉は部屋から出て行った。 「………………」  月姉の態度が気にかかって、デッサンの練習ができなくなってしまった。  仕方なく、寝た。  次の日。 「祐真。あのさ……今日も、描くの?」 「俺じゃなくて、月姉が決めることだろ」 「いやなら、寮でもいいし」 「何なら、無理して描かなくても……乗らないのに無理にやってもダメなんだよね?」 「うん……別に、描くのはいやじゃないんだけどさ……約束したし、描きたくなってるし……」 「もしかして、美術部関係で、なにかあった?」 「何もないわ」 「……少なくとも、あたし自身に関してはね……」 「?」 「ねえ、天川くん。月音先輩が、絵、描いてるんだって?」 「……それは……そうだけど……」 「やっぱり。先生たちが、すごく期待してるんだって」 「今度のコンテストに出して、入賞したら、卒業式の時に体育館に飾るって話になってるんだって?」 「へ?」  そんな話……知らないぞ……。 「すごいよねえ。やっぱりお父さんが画家だから、先輩もその才能受け継いでるんだよね?」 「美術部も全面協力で、部室を貸し切りにしてるんだってね」 「え…………それは……」 「天川くん、モデルやってるんでしょ? やっぱり、好きな人の方が、いい絵が描けそうだもんね」 「わたしも応援するから、がんばってね。柏木先輩にもよろしくね」 「……ありがとう……」 「…………」  授業が終わり、放課後。  俺は美術室へ。 「よっ」 「…………」  考えてみれば、月姉が描き始めてからこのかた、一度も美術部員を見かけてない。  下級生はいるんだから、現れてもよさそうなものなのに。  稲森さんの話が本当なら、美術の先生が勝手に気を回して、ここを月姉の貸し切りにしてるわけで。  気配りはありがたいけど、幽霊部員に追い出される形になる美術部員の気持ちはどうなる? 「どうしたの? 始めるから、座って。昨日と同じ、アホの子のポーズね」 「うん……」  そしてまた、月姉はデッサンを始める。  俺は黙って、ポーズを取り続ける。 「月姉……なんか、静かだよね……」 「そうだね」 「あたしたちだけで占領しちゃって、美術部の人に悪いかな」 「………………」  これは、知ってる――勘づいてるよな、月姉。  道理で、昨日の帰り道、俺を走らせたわけだ。あれって月姉のストレス発散法でもあるからな。  昨夜の、あの妙な態度も、多分同じ理由だろう。  だけど、月姉が言い出さない限り、俺の方から、やめよう、場所を変えようなんて勧められないわけで……。 「………………」  眉間に少ししわを寄せて、険しい顔で鉛筆を動かす月姉に、俺は何を言うこともできなかった。 「……こんなとこかな」  しばらく手を動かしてから、おもむろに月姉が言い出した。 「イメージ完成。これでいく。決めた」  立ち上がり、美術室の隅の棚を開ける。 「キャンバス出すから、手伝って」  俺が最初に描いたのよりもひとまわり、いやふたまわりぐらい大きい、いかにも本物の絵を描くっぽいキャンバスが、イーゼルにどんと乗っかった。  絵の具は、俺の部屋から持ってきた画材セット。  元々これは月姉へのプレゼントだったんだから、ということで、使ってもらうことにした。  月姉は、口では渋ってたけれど、結構嬉しそうだった。  月姉は、まずは下書き用の木炭を手にする。 「さあ……行くわよ……」  月姉の表情に、緊張が満ちた。  最初の一筆……って言うのかな、木炭でも。  後は早かった。月姉は腕を大きく動かして、みるみる下書きを描いてしまう。 「よし」 「お、見せて」 「だめ」  一言のもとに、禁止された。 「完成まで、見ちゃだめ」 「見たら、すぐ破くから」 「それは厳しい……」 「なんかね、途中で見られたら、その絵そのものを汚されたみたいな感じがしちゃうの」 「そんなもんなんだ……」 「平気な人もいるんだけどね。あたしは何かだめ」 「どのくらいで完成しそう?」 「さあ……今日中、ってのは絶対にないのだけは確かね」 「美大の受験なら、制限時間内に仕上げるために、ある程度のマニュアル的なテクニック使うんだけどね」 「好きにやっていいなら、あたし本来のやり方でやらせてもらうわ」 「本来の……」  それってつまり、おじさん――月姉のお父さんから叩きこまれた技法……。  お父さんのこと、嫌いだって言ってた――すごく反発してたのに、それで描くって……いいんだろうか。  もしかしたら、月姉のストレスの理由には、周囲の反応だけじゃなくて、そのこともあるのかもしれない。  こんなこと、訊くわけにはいかないけどな。 「それじゃ、色塗りといきますか」 「座って、さっきのポーズね」 「少し、動かないでいて。イメージ作っちゃうから」  ポーズを取った俺を、月姉はじっと見つめた。  少しまぶたを閉じ気味の、尋常じゃなく集中した顔つき。 「…………よし」  うなずくと、パレットに絵の具を出し、手早く混ぜ合わせて色を作り始めた。  絵筆を――置く。  まるで、俺の体にも筆が触れたみたいな気がする。 「………………」  月姉は、黙々と手を動かし続ける。  絵の具のにおいが広がってくる。  俺はじっと動かないでいたけど、時折月姉の姿を横目でうかがった。  一心に絵に集中している、厳しい……怖いくらいの顔つき。  だけど、綺麗だ。すごく綺麗。  心からそう思った。  月姉のことがますます好きになる。  大好きな人に、自分の姿を描いてもらう――そのことがたまらなく嬉しくて、幸せで。  ……性別は逆だけど、モデルをやっていて、柏木のおじさんと結婚したという、月姉のお母さんの気持ちがわかる気がした。 「………………」  そんな俺の思いをよそに、月姉はなおも集中して手を動かし続ける。  一気に大きく塗るようなことはしていないようだ。  薄目に溶いた絵の具を、少しずつ乗せてゆくやり方らしい。  ……一時間ほど続けたところで、月姉は息をついた。 「きゅうけーい。一休みしましょ」 「うい〜っす」  肩や腕を回して凝りを取る。  ずっと固定していたもんだから、関節がぼきぼき鳴った。 「お疲れ。日が沈むから、ちょっと間を置くわ。夕焼けは敵よ」  確かに、夕日が射しこんだら、色合いが全部変わって見えてしまうだろうからな。 「飲み物買ってくるわ」 「あ、俺が行くよ」 「あたしだって、体動かしたいのよ」  絵を見たらおしおきよ、と言い残して、月姉は廊下に出て行った。  ――それから少しして。 「…………!」  月姉の……怒鳴り声が、壁越しに聞こえてきた。 「………………」 「ど、どうしたの!?」 「別に!」 「怒鳴ってただろ。聞こえたよ」 「……水尾に会ってね」 「先生に?」  月姉の口元が、ひどく歪んだ笑みを形作った。 「この絵さ、今度あるコンテストに出すのがもう決まってるんだってさ!」 「いつどこで誰が決めたのかしらねえ! 描くあたし自身が知らないってのに!」  あちゃあ……水尾先生は善意で、それで月姉がやる気を出すと思ったんだろうけど……なんて無神経な……。 「君の絵がコンテストに入選すれば、部室を明け渡してくれている部員たちも喜ぶだろう、だって!」 「へいへい、大切な部室を使わせてくださいまして、本当にありがとうございます!」 「……頼んでそうしてもらってるわけじゃないっての!」  ああ……こりゃ、もう今日は、まともに進まないぞ。 「むう〜〜〜」  予想通り、そこから先、月姉はぶすっとしたままで、ろくに絵筆を動かそうとはしなかった。 「……ゆーま。その仏頂面、つまんない。明るい顔しなさいよ」 「こ、こう?」  白い歯を見せて笑顔をつくる。 「なにニタニタしてるのよ。気持ち悪い」 「うう……」  理不尽だ。でも耐えるんだ。 「こうして、あらためて見てみるとさ、祐真、あんたって……」 「不細工」 「ひどい……」 「いい男にしてあげるから、こっちおいで」  手招きされ、恐る恐る近づいてゆく。  ……いきなり、両方のほっぺたを引っ張られた。 「ほうらほらほら、これで美男子120%増し!」 「いだいいだいいだいいだい、づぎね゛え゛いだいっ!!」 「きゃははは変な顔〜!」 「痛いよぉ……」 「痛いの痛いの、飛んでけ〜!」  自分でやったくせに、他人事みたいに月姉は俺の頬をなで回した。 「……まだ、変な顔してるわねえ」 「そうだ、肌の色合いが悪いのよ。ちょっと塗ってみていい?」 「だめーーーっ!」 「ぶーっ! ゆーまが反抗期ーっ!」 「そういう問題じゃなくて!」 「何よ、人がせっかく、パプアニューギニア風のお化粧を施してあげようと思ったのに」 「そちらの人たちに悪意はありませんが、慎んでお断りさせていただきます」 「じゃあやーめたーっ」 「いやそれは」 「気が乗らないんだもん。今日はもうおしまーい!」 「でも、まだ時間たっぷりあるし……もうちょっとだけ、頑張ってみようよ」 「…………」  じとっ、と見つめられた。 「じゃあ……キスして」 「はい?」 「キス。それも、抱きしめながらの、熱い、優しいキス」 「してくれなきゃ、描かない。帰る」 「あー……」  困った人だ。  だけど、この要求は、むしろ俺も望むところ。  まず、月姉を立たせ、大きく包みこんで、ぎゅっと抱きしめる。 「あ……」  髪をなで、背中をなでて、腰に手をあて指先に力を入れて。 「んっ……ん……」  身もだえする月姉。  その吐息が、みるみる熱くなってくる。 「月姉……」 「祐真……」  腕の中の月姉が、なんだかすごくちっちゃな、可愛い女の子みたいに感じられた。  その唇に、唇を重ねる。 「ん……」  月姉の体が、みるみるトロトロになっていった。 「ん……んむ……んっ……」  舌は、ちょっとだけ触れ合わせたけれど、あまりたっぷりとはまさぐらない。  そのまま本番になだれこむ、むさぼるようなキスじゃなくて、これは甘い、雰囲気を楽しむキスなんだ。 「んあ……」  唇を離すと、月姉は真っ赤な顔をして、腰が抜けたようにへなへなと椅子にお尻を落としてしまった。 「月姉……絵、続けてくれる?」 「………………」  月姉はうなだれ、肩で息をしていたが……。  その顔が上がると、目の中に、不敵な……絶対的に俺より優位に立っている生き物の、力に充ち満ちた光が宿っていた。 「じゃ、勝負ね」 「勝負……?」  月姉の手が、俺の股間に張りついた。 「わあっ!?」 「これ……いじるから……」  月姉の指が、ジッパーをつまみ、下ろした。 「10分間、我慢できたら祐真の勝ち。我慢できなかったら、あたしの勝ち……」 「勝った方は、相手に何でもひとつ、命令できるの」 「祐真が勝てば、あたしに、絵を描けって命令すればいい。簡単でしょ?」 「う……」  10分も、月姉の手や指にいじられ続けるのか……。  もし耐え抜いたとしても、その時にはもう、俺は月姉で射精することしか考えられなくなっているだろう。  こんな勝負を受けても何にもならない――だけど、もうモノを取り出されていて、月姉の手が絡みついてきて……。 「はい、スタート……」  ガチガチに張りつめたペニスを、細く、少し冷たい指に握られると、もう勝負自体から降りることなんて、一切できなくなっていた……。 「ううっ、うっ、うっ……!」 「あれえ、祐真のこれ、もうなんか、限界っぽくなってるんだけどぉ、どうしちゃったのかなあ?」  月姉の指が、サオに絡みつき、上下にしごいてくる。  その動かし方が、最初の頃に比べるとずっと上手くなっていて、巧みに俺の性感を刺激して……。 「熱いよね。大きいよね。こんなにしちゃって、今にも精液出しちゃいそうだよね」  言葉でも焦らし、いじめながら、手をなめらかに、しかしゆっくりと動かす。  強く動かされたらすぐに出てしまいそうだけど、ゆっくりされているから、今にも出そう、出そう……という感じが延々と続いて……。 「はう……うう……あ……あっ……!」  息が荒くなり、目の焦点が合わなくなってくる。  意識が、月姉の指と、ペニスだけになる。 「こう? こんな風? ねえ祐真、あたしとHしてない時、こんなこと、してたの?」  声もまた、妖しい愛撫となって脳に染みこんでくる。 「男の子のオナニーって、こんなことするんでしょ? いっつも、部屋で、こう……シコシコ、してたの?」  月姉の手が、ちょっとだけサオから離れて、袋を包みこむ。  ごくごく軽く、表面をなでられるだけで、全身に鳥肌が立ち、たまらない快感が湧き上がる。 「あー、先っぽ、濡れてきた……えっちなお汁、出てきたよ……」  指にぬめりを絡めて、さらにねっとりとしごいてくる。 「まだ3分も経ってないのに、もう出しちゃうんだ? そんなに出したいの? えっちなんだね、祐真って……」  月姉の指が、亀頭で円を描く。  鈴口からあふれる汁を、指の腹で伸ばし、張りつめた敏感な部分の上で、ぬるぬると……。 「うあっ、あっ、そっ、それっ! はうっ!」  腰が引け、体中がぴくぴく震える。  だめだ、こんなにあっけなく出しちゃ、勝負、あっ、だめ、あっ、あっ! 「くうううっ!」  耐えろ、耐えるんだ!  ここで出したら、月姉が絵を描いてくれない!  月姉に絵を描き上げてもらうためにも、ここは、俺の全てを懸けて、耐える……! 「んふふ……もう、出そうだよ……出しちゃってもいいよ……出したいんでしょ、祐真?」  耐え……る……! 「そんな、切なそうな顔しちゃって……可愛い……」  月姉が、顔をペニスに近づけてきて……。  ま、まさか……!? 「すごい……じゅぷじゅぷ言ってる……ねえわかる、祐真、あふれてるお汁が、あたしの指で、こんなにやらしい音たてて」 「ううっ、うっ、うっ、や、やめて……!」  思わず哀願した途端に、月姉の口が悪魔じみた笑みを浮かべ、ぞくぞくと興奮に身震いした。 「そんな……可愛いこと言われたら……おねーさん、もう……たまんない……よ……」  月姉の口が開く。  握り、しごいているペニスに、近づけて……。  じくじく先走りをにじませる鈴口、破裂寸前にまで張りつめた亀頭――それが……。 「あむ……っ……!」  熱い――口の中に……飲みこまれて……! 「んあああっ!」 「ん……あむ……おっきひ……んっ、んっ……れろ……れろれろ……」  くわえられ、亀頭をキャンディーみたいにしゃぶられる。  月姉の頬が盛り上がり、うごめいて、それにつれて亀頭に火傷しそうな熱が生じる。  舐められてる、俺のペニスが、こんなところで、月姉に……!  制服姿の月姉が、俺のをしゃぶってる……こんなにいやらしく、舌をたっぷり使って、唾液まみれにして……ぬるぬる、ねとねとと……! 「ちゅっ、ちゅぷ、ちゅぷ、ちゅく、ちゅ、じゅぷ、じゅるっ、じゅっ」  粘着音を立てて、月姉は亀頭をしゃぶりまくる。 「あうっ、あ、あ、あっ、ああっ!」  腰が跳ね、全身が引きつる。  俺は泣きそうに顔を歪め、こみあげる快感に身悶えする。 「だめっ、月姉っ、あっ、あっ、あっ!」  月姉は、俺の弱い部分を全部知っている。 「れろ、れろ、れろ……ちゅぷ……くちゅくちゅ、くちゅ……れろ……」  裏筋の、縫い目のところを舌先でほじくられる。  エラに沿って舌が這い、弾くように刺激される。  最初にくわえてもらった時は、どうしていいかもわからず、ただ単調にぺろぺろ舐めるだけだったのに。  ほんの数日で、もうこんなに……上手に……いやらしく……俺のペニスのことを、すべて知り尽くして……! 「うあっ、あっ、ああっ!」 「ん……れろれろ、れろ、れろ、れろ……ちゅぱ、ちゅぷ、くちゅ、くちゅ、くちゅ……」  サオに浮き上がった血管の一筋に至るまで、徹底的に舐め回され、ペニスが唾液まみれになる。 「あむ……」  月姉は、ぬらぬらするペニスを、いよいよ深く飲みこみ、顔を勢いよく前後させ始めた。 「じゅるっ、じゅっ、じゅっ……じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ……」 「あうっ、あっ、あっ、あっ、あっ!」  顔が動くたびに、泣きたいくらいの快感がはしる。  足が震え、手が引きつる。  ペニスを内頬が擦ると、首の後ろや耳の奥がちりちりと痺れる。 「んっ、んっ、んっ……じゅるっ、じゅっ、じゅぷっ、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ」  月姉も、熱に浮かされたような目をして、夢中になって肉棒をしゃぶり、顔を動かしている。  学年一の美貌、男はもちろん女の子だって憧れる、麗しい唇に、俺の血管の浮いたペニスが出入りしている……! 「くうっ、だめ、あっ、あっ、あっ!」 「ん……じゅっ、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷっ!」  月姉は目元でニッと笑うと、とどめとばかりに、頬をすぼめて激しく吸い立て始めた。 「ああああああああっ!」  ひとたまりもなかった。  月姉の唇が、舌が、口腔粘膜が、そして手が、俺の性感を極限まで高めて、頂点へ追い上げる。  俺は汗を噴き出し、歯を食いしばって耐えようとしたけれど、抵抗は粉砕され、快感が一気に突き上げて……! 「じゅるるるるるるっ!」  出して、とばかりに吸い上げられた。  熱い口の中で、舌が、鈴口をほじくった。 「ひ……あっ! あああっ!」  びくんっ!  腰が引きつり、熱いものが、一気に――!  どびゅううっ! 「んんっ!?」  びゅっ、びゅっ、びゅく、びゅく、びゅくっ!  月姉の口の中で、ペニスが爆ぜて、熱いものが激しく噴出していって……! 「ん゛っ……ん゛ん゛っ!」  どく、どく、どく、どく……。  失禁したかと思うほど大量の精液が、舌の上に、喉の奥に、放たれて……。 「んあ……あ……!」  頭の中が真っ白になり、膝がガクガクして、立っていられなくなる。 「ん……」  月姉が、頬をすぼめながら、ゆっくりと顔を離した。  ねっとりとした、白くて太い粘液の糸が、ペニスと月姉の口をつなぐ。  それが切れると、月姉は眉間を寄せながら、喉を大きく鳴らした。 「ごくっ……ごく……んっ」  飲んだ……月姉が、俺の精液を……!  唇の端から、飲みきれない分が、白いよだれとなってしたたり落ちた。 「ん……すごい、濃い……濃すぎ……」  酔いしれたような目つきで、月姉はうっとり口にする。 「何日溜めてたの? もう、えっち……やらしすぎ……多いし、濃いし……」 「におい、すごい……これ、変になっちゃう……あ……」  月姉の目が、さらにとろんと霞みがかった。 「うふ……10分、もたなかったね……あたしの勝ち……」  やわらかくなってうなだれている、汁をにじませているペニスを、月姉は軽く指でいじくった。  それだけで、またぴくりと反応し、硬くなってゆく。 「それじゃ……言うこと、きいてもらうわよ……」  月姉は、肩で息をしながらへたばる俺に、妖しい目つきでのしかかってきて……。 「うふふ……」  自らスカートをめくり、股間を、俺のペニスに擦りつけ始めた……。 「んっ、んっ……」  熱い部分がペニスに押しつけられ、動いて、擦る。  パンストの感触が気持ちいい。  直接の刺激はもちろんだけど、この格好が、いやらしすぎる。 「ん……あは……硬くなってきたよ……」 「やーらしいんだあ……変態だね、祐真」 「う……」 「わかってる? あたしの中に入ってるわけじゃないんだよ? おっぱいでもないし、手でも、しゃぶってるわけでもない」 「パンツでさえないんだよ。わかるよね。パンスト。下着の、さらに上のやつ。それで擦られてるのに、もうこんなにギンギンにしちゃって」  月姉の腰が動き、サオの上を、パンストの〈縫〉《シ》〈い〉《ー》〈目〉《ム》が行き来する。 「動いちゃだめだよ。変態の祐真は、あたしに負けたから、言うとおりに、このままいじられ続けなきゃいけないの」  立て続けにいやらしい言葉責めをしてくる月姉の、顔はもう真っ赤で、興奮しきった顔つきだ。 「んっ……ほら、ほら、ね、擦れてるでしょ、祐真のこれ、こんなところで擦れて、気持ちよくなっちゃってるでしょ……?」  ずり、ずりと、黒いパンストが、赤くふくれたペニスを擦る。  熱い……パンストとショーツに守られた、その部分の熱を感じる。 「んっ、んっ……んっ……んっ……!」  腰を揺する月姉の口元や目尻が、快感にとろんとゆるんでくる。  擦れてる、月姉の敏感な部分が、俺のペニスに擦れて……感じてる……。 「ん……あ……」  一度出してるから、さっきのような激しい欲望はないものの、いやらしい月姉の腰の動きに、ペニスは完全に復活し、汁もにじんできている。  それがパンストを濡らし、染みを作って――。 「んあ……あ……あっ、あっ……ん……!」  違う。  俺の染みもあるけれど、じわりと広がってきたこれは、月姉自身の……内側からにじんできた、いやらしい汁だ。 「月姉……濡らして……こんな……」 「やあん、違うわ……違うの……これ……やっ、そんなんじゃ……ない……んっ、ないのっ!」  そうは言いながら、腰の動きは収まるどころか、さらに強くペニスを擦ってくる。  濡れた部分が張りついて、割れ目の形が浮いてきている。  大きくふくらんだ土手、その間の蜜をにじませる大事な部分。  そして、パンスト越しにさえそのありかがわかるほどに、勃起して大きく顔をのぞかせた、敏感な肉芽――クリトリス……。 「ふあっ、あっ、あっ!」  ぐいぐいと、月姉はそこを押しつけてきた。  俺も、腰を動かし、硬い肉棒でクリトリスを刺激してやる。 「あっ、あっ! やっ! だめっ!」  俺はさっきイッた。月姉はまだイッてない。それなら、今度は俺が責める番だ。 「月姉……勝負しよう」 「し、勝負……?」 「先にイッたら、負け。何でも言うこときく。いいね」  月姉の返事も待たず、俺はペニスを使って、月姉の割れ目を擦りたてた。 「そんなっ、あっ、あっ!? ふあああっ!」  たちまち月姉は快感の渦に巻きこまれた。 「あっ、やっ、擦れっ、はあっ!」  月姉の腰も、さらにぐいぐい動いて、クリトリスを擦りつけてくる。  パンスト越しに、陰唇もますますくっきり見えてきて、これじゃもう下着の意味がない。  月姉の顔が歪み、体のあちこちが引きつる。  俺にしがみつく手にも、ぎゅうっとすごい力がこもる。 「だめっ、あっ、ああっ! やっ、いっ、いくっ、いっ……らめっ!」  悶える月姉の姿、パンストに包まれた腰のうねるような動き……。  そのいやらしさに、俺も興奮し、また熱いものが迫り上がってくる。 「やっ、あっ、あっ、あっ、あああああっ!」  勃起しきった亀頭で、狙いすまして、強くクリトリスを押し潰した。 「あーーーーーーっ!」  月姉はあごをのけぞらし、腰をビクビク震わせた。  パンストの染みが、いっきに大きくなる。 「ううっ!」  そして次の瞬間、そのいやらしさにあてられて、俺も大波に襲われ、快感のきわみに達していた……。  どくっ、どくっ、どくっ……! 「あっ、あっ……あ……」  パンストを、あふれた白濁汁が汚してゆく。 「はふぅ……はぁ、はぁ、はぁ……」 「はぁ、はぁ、はぁ……ああ……祐真……!」  月姉が抱きついてくる。  俺も抱きしめ返し、全身が溶けてゆくような恍惚感の中、月姉と深くキスをした。 「ん……んちゅ……じゅるっ、じゅぷ……」  たっぷりと唾液を交換する、濃密なキス。 「うそ……!」  二度も出したっていうのに、そのキスで、萎えるどころかさらにまた、俺のそこは硬くなっていた。 「すごい……祐真、あなた……本当に、やらしいんだ……」 「そうみたい……」  俺は月姉を抱きしめ、服の下から手を入れて、大きく盛り上がったやわらかいふくらみを揉みしだく。  乳首をいじくりながら、月姉の耳に、熱い吐息と共に言葉を流しこんだ。 「それじゃ……月姉が、先にイッたから……俺の言うこと、きいてもらうよ……」 「あっ……う、うん……言うこと……きく……っ!」  乳首を刺激され、月姉は腰をいやらしく震わせた。 「えっち……するんでしょ……?」 「ここに……熱いところに……祐真の、熱いの、入れるんでしょ……!?」 「うん……そうしたい……するよ……今すぐ、入れる……思いっきり、犯す……」 「して……!」  ぎゅっと、しがみつかれる。  興奮のあまり、月姉はブルブルと震えている。 「だけど……俺が月姉に命令するのは、それじゃないよ」 「え?」  きょとんとした月姉の、目を見ながら俺は言った。 「月姉とつながって、すごく気持ちいいえっちするけど……」 「命令。今度は、一緒に、イクこと」 「……あ……!」 「いうこと、きいてくれるよね?」 「うん……一緒に……!」  月姉は涙ぐんで、身を起こし……。  大きく脚を開いた。 「ああっ……こんな……だめ……!」  この格好を恥ずかしがる月姉。  だけどその股間は、お漏らししたも同然の大きな染みができ、もうどうしようもなく発情した秘所をくっきりと浮かび上がらせている。  俺は月姉を抱きかかえ、その股間に、俺の肉棒を押しつけて……。 「あっ、待って! だめよ、これじゃ……脱げない……!」 「脱がなくていいんだよ」  俺は、月姉の股間に手をやって――。 「ぬっ!」  ビリッ!  濡れたパンストを、指先に力をこめて、引き裂いた。 「あんっ!」  月姉は驚いたものの、すぐに、されるがままになる。  荒々しい俺の動きに、ぞくりと身震いして、なまめかしい視線を肩越しに投げかけてきた。  あらわになった素肌、ふともものつけ根に、俺は指をはしらせる。 「んっ……あんっ、あっ、あっ……」  指先に、熱い素肌が心地よい。  濡れて、熱を帯び、しっとりと湿っているショーツ。  その縁をなぞってから、指を内側へ滑りこませ――。 「あんっ……」  逆三角形の小さな布地を、愛液まみれの指で、横にずらした。 「いくよ……」 「〈挿〉《い》れてっ……はやくっ!」  月姉は、ペニスがそこに近づいてきただけで、狂おしい声をこぼして頭を打ち振った。  もう、俺も月姉も、相手を焦らす余裕なんてない。  つながりたい、一緒に感じたい、一緒にイキたい。頭にあるのはそれだけだ。  ずぶううっ……。 「んあああああああああっ!」 「はああああっ!」 「来たっ、これっ、これええっ!」 「うっ、あっ、あっ!」  まるで吸いこまれるように、月姉のヴァギナにペニスが入りこんでゆく。 「大きいの、入ってきた……いっぱい……ああ……熱い……熱いよ、熱いっ……はああっ!」  俺は月姉と密着する。月姉のお尻と俺の下腹がくっついてひとつになる。 「んうぅ、ううっ……お腹、いっぱい……はあっ……」  月姉の体が、激しく震え、額に汗がびっしり浮いた。 「あ、あ、あ……だめ……これ、あっ、だめ……!」 「このままでも……いきそう……いっちゃう……!」 「待って、俺も、俺……熱っ……うっ!」 「動いて……お願い、う、動いて……擦って……!」 「いいんだね? すごいことになるよ? 大丈夫?」 「うん、平気だから……大丈夫……一緒に……だから!」 「月姉……!」  ぐいっと、腰を突き上げた。 「んあああああああっ!」  いきなり、月姉は高い声をあげ、あごをのけぞらせて痙攣した。 「んあっ、しゅごっ、ひっ! はああっ!」 「んっ、んっ、んっ!」  すごい締めつけ、すごい熱。月姉のあそこで、俺のペニスは焼けただれ、溶け崩れてしまいそう。  ぐちょぐちょの蜜壺に、鋼のようなペニスを大きく抜き差し。 「はうっ、あっ、あっ、あ゛っ!」  月姉は、もうイッてるんじゃないかっていうほど、激しく狂おしい反応を示した。  膣が何度も何度も締めつけてきて、愛液とは違う汁が何度か床に飛び散る。 「んああああっ!」  クリトリスをいじると、膣がまたきゅっと締まって、擦れ具合が増す。 「ああ、気持ちいい、いいよ、気持ちいい、月姉、気持ちいいっ!」 「ゆうまぁぁ……! 祐真のこれ、すごいの、しゅごっ、くてっ! おか、ひく、なゆ……っ!」  じゅぼっ、じゅぼ、じゅぼ、じゅぼっ!  腰を動かすたびに、激しい水音がして、接合部から新しい淫汁があふれて、俺の股間、腰まわりまでもべっとりと濡らす。  月姉のたっぷりしたお尻の間、アナルも、抜き差しに合わせるようにひくひくと開閉している。 「あ゛……ひ……ひぐっ、ひっ……はひっ……!」  月姉は目をむき、舌を出して、おかしな呻き声を漏らし始めた。 「はうっ、うっ、くっ、うっ、おっ、おっ、おっ……!」  腰を動かすごとに、電撃が全身を荒れ狂う。  気持ちいい……月姉の膣も、体も、声も、においも、ありとあらゆるものが……!  月姉の全身の毛穴が開いて、甘いにおいがたちのぼっている。  鼻孔から入りこんできたそのにおいは、俺の脳髄を麻薬のように冒し、月姉のことしか考えられなくする。  今もし、ここに誰かが入ってきたとしても、俺も月姉も、まったく気にせず快感をむさぼり続けるだろう。 「いくぅ……いぐ……もうらめぇ……いぐ、いくいくいく、いぐぅっ……」 「俺もっ、もうっ、だめっ、だっ……!」  じゅぼっ、じゅぼっ、じゅぼっ、じゅぼっ!  月姉の中を蹂躙し、乳房を揉み、耳を噛み。 「きっ、もちっ……いいっ……!」  声が裏返る。  女の子みたいな、子供みたいな声が漏れる。 「だめっ……もうっ……!」 「ふああああっ!」  月姉……。  月姉……仲良しの……大好きな……。 「おっ……おねえ……ちゃんっ!」  そう口走った瞬間――。 「あ゛……!?」  まったく別種の痙攣が、月姉の全身を貫いた。 「か…………はっ…………!」  飛び出しそうなほどに目をむき、あごが外れそうなほどに口を開いて。  しかし、その口からは、意味のある言葉はおろか、悲鳴さえも漏れることはなく。 「あ゛……お゛……かはっ……!」  切れ切れに、せきこむような、しゃがれたような異音が噴き出るだけ。  声も出せないほどの激烈な快感が、月姉の体内を駆けめぐっていた。  ヴァギナが猛烈に痙攣し、新しい汁を大量にあふれさせる。  奥へと引きこみ、搾り取るようにうねる膣襞。  勃起したクリトリス、張りつめた乳首の先端からは、目に見えないスパークが飛び散る。 「んおおおおおおおおおおっ!」  それに包まれ、搾り取られて、俺は――。  なにもかも溶け崩れ、月姉の中へ、俺自身が流れこんでいって――。 「ああああああああああああっ!」  灼熱の激流が入りこんできて、月姉の意識も一瞬で吹っ飛んだ。 「おうっ! あうっ! あっ! はあっ!」 「ひっ! ぐっ! あ゛っ! あ゛っ……」  二人、つながったまま、一緒にびくんびくんと痙攣した。  そして――俺は、月姉にすべてを注ぎこんだ、ぬけがらとなって。 「あ゛う……あ……」  よだれを垂らしながらがくりと首を折った月姉を、抱きしめながら、へたりこんでいって。  ペニスが抜けたところから、白い、信じられないほど大量の白濁液が、どろりとあふれてきた。  それは、ひくっ、ひくっと膣口が開閉するのに合わせて、いつまでもしたたり続け、パンストに粘っこい染みとなってこびりついていった……。  ――少し、失神してしまっていたようだった。  昼寝でもしたみたいな気分で目を覚ます。  最初、少し、自分が何者で、どこにいるのか、わからなかった。 「……起きた?」  この上なく優しい、女神のような声に、俺は相手が誰かを理解するより先に、感動に打ち震えていた。 「うん……」  あ、そうだ、月姉、柏木月音。俺の一番大切なひと。  その月姉は――椅子に腰掛けていた。  俺はそれを、床から見上げるかたち。  スカートをめくって、お尻の下にハンカチを敷いて、漏れてくる淫らな汁を吸いこませている。  脚を開き気味にしているのも、くっつけてしまうと濡れた股間がいやな感じになるからだろう。  そう、今、セックスしたんだよな……。  すごい、今までで最高のこと、やった……。 「よかったよ、祐真……最高」 「月姉……絵?」 「うん」  月姉は、何ともすごい格好をしながらも、キャンバスを前に、絵筆を手にしていた。  絵の具のにおいがした。 「なんだかね、今……描きたくなったの」 「今までのは、なし。やめ。全部、最初っから」 「だけど、いい感じ……すごくいい感じ。今なら、いい絵が描けそう」 「あたしの中に、祐真が、いっぱい。あたし、今、二人分」  ……そうかもしれない。俺が今、空っぽだ。 「だから、描ける。あたし一人じゃ描けなかった絵、今なら描ける。そんな気がしてる」 「ん……」  身を起こして、よく見ようとした。  だけど、腰から下が、丸三日間ぐらい走り続けていた直後みたいにガクガクで、起きあがることができない。 「そのままでいいから、待ってて」 「うん……」  俺はそれからしばらく、キャンバスに向かう月姉を、床から見上げ続けていた。  月姉は、綺麗だった。  セックスの後で、下半身はぐしょ濡れで、頬もまだ快感の余韻に火照っていたけれども、たとえようもなく、どうしようもなく、綺麗だった。  俺は、全身を空っぽにするような安堵のため息をついて、ゆっくりと目を閉じた。  それからは、月姉は憑き物が落ちたように、一心不乱に絵に取り組んだ。  いや逆に、何かが憑いたのかもと思うくらいの、ものすごい集中を示した。 「………………」  黙々と、手だけが動き続ける。  下手に言葉をかけることもできなそうな、真剣きわまりない顔。  鬼気迫る、ってこんな感じだろうか。  今思えば、柏木家の……月姉のお父さん、柏木のおじさんが、こんな雰囲気だった。  俺が遊びに行った時、何か描いていたのかもしれない。  俺たちが遊ぶ声がうるさかったのか、姿を見せて、じろりと睨まれて。  怒鳴られたわけじゃないけど、その目つきが、雰囲気が、ものすごく怖かった。  そう言えば、あの家で、月姉のお母さんをほとんど見かけなかったのは、アトリエの方でモデルをやっていたからかもしれないな。  こうして絵に打ちこんでる月姉を見ていると、血筋ってものを確かに感じる。  二代続いて高名な芸術家になった、なんて例はあんまりないのは知ってるけどさ。  画家の家に生まれた、ってことで育まれた感性というのは確実にあると思う。  先生たちが、成績優秀な月姉に、一般学部じゃなくて美大を薦めるのも、その辺りの目算があるんだろうなあ。  休憩だ。 「ふう……」  廊下で、軽くストレッチ。  同じポーズでじっとしているのは、思っていた以上に疲れる。  ヌードだろうとなんだろうと、プロのモデルってのはすごいものなんだな。 「やあ」 「あ、ども、先輩……」 「聞いたよ。月音さんが、いよいよ本気になったそうじゃないか」 「まあ、何とか」  まさか、俺とのHで……なんてことは言えないから、その辺は適当にお茶を濁して、と。 「元ではあるが、仮にも一時は美術部員であった身として、彼女に芸術の女神が降りてきたことは実に喜ばしい」 「お手柄だよ、祐真」 「はい……?」 「月音さんに再び絵筆を取らせることは、君ならできると思っていた」 「いや、君にしかできないと言うべきだろうな」 「………………」  まさか、とは思うけど……。 「桜井先輩……もしかして、知ってるんですか……?」  どうして月姉が絵をやめたのか。そのきっかけとなった、俺の頭にある傷に絡む、あの出来事……。 「なんの話だい? 何か隠していることがあるのかな?」 「い、いえ……」 「もしかすると、月音さんのお尻にある黒子の……」 「ええっ!?」  ドゴオオッ!  爆発音を残し、桜井先輩の姿は天高く舞い上がっていった。 「はぁ、はぁ……まったく、いきなり何を言い出すのよ、あの馬鹿は……!」 「月姉、お尻って……まさか、見せて!」 「そんなわけないでしょ! 祐真が一番よく知ってるじゃない!」  ……言ってから、場所と時間帯に気がついて、月姉は真っ赤になった。 「馬鹿っ!」  誤魔化すように怒鳴って、多分トイレだろうけど、月姉はずんずん歩いていってしまった。 「やれやれ……」 「荒れてきてるねえ」 「わあっ!?」 「祐真も、心しておくといい。ミューズはきわめて気まぐれだ」 「はあ……」 「愛されていたとしても、その愛は突如として消え失せる」 「いくらその愛を切望し、どれほどの供物を捧げようとも、一切顧みてくれないこともある」 「想いの強さなど何の意味もなさない、真に気まぐれで残酷な、それこそがミューズの本質……」 「………………」 「その〈寵〉《ちょう》〈愛〉《あい》を求めようとする月音さんは、これからが大変だよ。わかっているかい、祐真?」 「はい……覚悟はできてるつもりですが……」 「万が一に備えて、秘伝を君に教えておこう。どれほどに荒れている女性も一瞬で沈黙する技だ」 「そんなものが!?」 「機会は一瞬、一度で確実に成功させねばならないから、やる時は全ての気合いをこめてやるように」 「まず、荒れる女性をこう抱きしめて……」  先輩は腕を広げて、架空の誰かを抱きしめる格好をした。 「なるべく自然に、女性の腰に手をやり……できれば中指で、一発で――」 「お尻の穴を、こう! ぐいっと!」  ドガアアアアアアアアアアン!!  さらに壮絶な爆発音と共に、桜井先輩は星になった。 「ま、まともなことを言うかと思ったあたしが馬鹿だったわ……!」 「今の、聞いて……?」 「これ以上あいつの話をすると馬鹿が〈伝〉《う》〈染〉《つ》る! 戻るわよ祐真!」  哀れ、桜井先輩……。  再び、月姉はキャンバスと格闘し始めた。 「むむむ……」  桜井先輩のせいでストレスが、ってわけじゃないだろうけど、月姉の表情が険しくなった。  眉間にしわが寄り、絵筆の動きもとどこおりがちになる。 「………………!」  いきなり、月姉が立ち上がった。  後ずさり、遠くからキャンバスを見る。  全体を確認してるのかな?  モデルをやってる俺にも視線が来る。見比べてる。 「動かないで!」 「はいっ!」  例の、アホの子のポーズを慌てて固定。 「腕、下がってる」 「……こう?」 「まあ……そうね」 「むう……」  どうしたのかな。何か気にくわないところでも出てきたのかな? 「う〜〜ん……」  しばらく月姉は腕組みしてうなっていた。  そして、突然。 「……やめた」 「えっ!?」 「勘違いしないで。絵をやめるわけじゃないし、今日もまだ続けるわよ」 「え……じゃあ?」 「この絵をやめるってこと!」  きっぱり言うと、月姉はキャンバスをイーゼルから下ろしてしまった。 「ええ……でも……それ……」  昨日、あれだけ気持ちを通じ合わせてから、気持ちよさそうに筆を動かしていた絵なのに。 「大丈夫よ。今の方が、もっといいものできるから」  美術室の隅から木枠を取り出し、新しいキャンバス布を張り始める月姉。  俺には一応優しく言ってはくれてるけど、その顔つきは、危険というか剣呑というか、角の生えた般若顔手前の、近寄りがたいものだった。  ミューズの気まぐれ……桜井先輩の言葉が耳に蘇る。  芸術というのは、これだけやったからこれだけの成果が、と計算できるようなものじゃない。  俺ぐらいだったら、練習したらしただけ技術が上がるけど、月姉のレベルになると、もうそういう話じゃないんだ。  いくら悩み苦しみながら試行錯誤しても全然いいものができず、食事中にフッとひらめいたことの方が、はるかに上ってのはよくある話。  凡人が命がけで仕上げた作品よりも、天才が鼻歌交じりで作ったものの方が出来がいいってのも、残酷だけど、これまたよくある話。 「こっち来て」  まっさらなキャンバスを前に、招かれた。 「ぎゅってして」 「はい? いいの?」 「いいから。胸とかお尻、触っていいから」 「はあ……」  まあ、そう言うなら喜んで触らせてもらいますけど……。  月姉を抱きしめ、遠慮なくその胸を揉み、お尻に触れて……スカートの中にも手を入れる。 「………………」  昨日と違って、月姉が仏頂面というか、心ここにあらずという感じなので、人形を抱きしめてるみたいで、どうにも盛り上がらない。 「わかったわ。ありがとう」 「昨日の気持ち、思い出した」  キャンバスじゃなく、スケッチブックにデッサンを始める。 「……何してるの。戻って、ポーズ取ってよ」 「あ、はい……」  俺という男じゃなくて、俺を通じてその向こうに見えている、芸術的な理想の姿を見ている感じがして、なんだか寂しい。  月姉が絵に打ちこんでいるんだから、望ましいことではあるんだけど……。  ――結局、この日は、月姉が数枚デッサンを描いただけで、キャンバスは真っ白のままで終わった。  続く土曜、日曜は、全国的に受験の日だったので、先輩たちをはばかって、寮は静かだった。  この日の受験は関係ない月姉も、自分の部屋で静かにしていた。  多分、色々と構図を考えたり、デッサンしてみていたりしたんだと思う。  思うってのは、部屋に入れてくれなかったからだ。  食事時とか、寮のリビングで出くわすぐらいはあったけど、特にこれということはしなかった。  さすがに、同級生が人生を賭けた試験に挑んでいる時に、いちゃつくわけにはいかない。  桜井先輩だって、試験があって、姿を見せていない。  俺は、静かな時間を利用して、自分のスケッチに打ちこんだ。  やっぱり、絵を描くのって、結構俺の性に合っているみたいだ。  描いても描いても、飽きるってことがない。  描くたびに新しい発見があるし、少し描くものの置き方や角度を変えるだけで、また新しい意欲が湧いてくる。  色鉛筆でだけど、色をつけるのにも挑戦してみた。  夜……。  描いたものを見て欲しくって――本音は、顔を見たくって、月姉の部屋を訪れる。 「ねえ、月姉、どうかな、これ……」 「……まあ、いいんじゃないの?」  色遣いについて、あるいは影のつけ方とかバランスの取り方について、色々とアドバイスしてくれる。 「なるほど……」  月姉の机の上には、スケッチとおぼしき殴り書きが散乱していた。  中には明らかに破ったものもあり――荒んでいる感じが否めない。 「月姉……明日、ちょっと絵は休んで、デートでもしない?」  月姉は、見るからに不機嫌そうに眉を傾けた。 「今、それどころじゃないでしょ」 「コンテストに出すなら、二月までには仕上げないとならないわ」 「これからどんどんその辺でつつかれて、邪魔が入りそうだから、その前に進めておかないと、うるさいのよ」 「そんなときに、デートなんてしてる暇、あるわけないでしょ!」 「ちょうどいいわ、脱いで」 「ええっ!?」 「ヌードデッサンしたいの。脱いで、そこ座って」 「いや、それは……」 「寒いなら暖房強くするから。知らない仲じゃないんだし、いいでしょ」  強引に脱がされ、ポーズを取らされて――。 「ふうん……こうして見ると、けっこういい体してるのね」 「そりゃ、誰かさんにいつも走らされてるから」 「ひ弱だったゆーまクンを鍛えてあげたんだから、感謝しなさいよ」  少しだけ雰囲気がゆるむ月姉。  俺は、全裸でモデルになるというシチュエーションにドキドキして――思わず、股間が反応してしまう。 「ちょっと、邪魔だから引っこめといて」  少しの恥じらいもなくたしなめられ、哀れイチモツは意気消沈。  男性モデルって、これ、どうしてるんだろうなあ。  で、月姉は俺の体でデッサンし始めたけど――。 「………………」  眉間の不機嫌そうなしわはなかなか取れず。  頭上には暗雲が漂ったまま。 「もういいわ。服、着て」  一時間ほどで、そう言われた。 「う〜ん……」 「なに悩んでるの?」 「何かがね……足りない感じがして……」 「思い詰めると、かえって出てこないって言うよ。気分転換するのも時には大事じゃないのかな」 「わかってるわ。でも、あとちょっとなのよ。あと少しで、いい感じになりそうな……」  どこがどうダメなのか、なんて具体的に訊いても、俺にはさっぱりわからないだろう。  雰囲気を変えようと、ふと目についたものを話題にした。 「あれ、それ……」  絵の具と絵筆、その他一式、画材セットが置いてある。  プレゼントした画材セットは、美術室に置きっぱなしのはず。 「ああ、これ……家から取ってきたの。こっちでも色々描いてみたかったから」 「家? じゃあ今日、出かけてたの?」 「ええ」  月姉の家は、年末もそうだったけど、その気になれば半日かからずに往復できるからな……。 「それって、もしかして……おじさんの?」 「……そうよ」  暗い声で、月姉は言った。  月姉個人のものは、もうどこにもない。  月姉が絵を辞めた時に、全部捨ててしまったと聞いた。  だからそれは、おじさんの――月姉が嫌いだと言った、柏木のおじさんの、遺品ということになる。 「気に入らないけど……道具としては、やっぱり、いいものだから」  そりゃ、プロが使ってたものだもんな。 「……大丈夫。もう、あんなことはないから」  月姉は、俺を招き、そっと抱きついてきた。  その手が頬からこめかみへ、髪の中へ入って、俺の頭にある傷跡をなぞる。 「本当に、大丈夫だから……」 「うん。信じてるよ」 「祐真……」  子供の頃のように、頭をなでられた。  今では、俺の方がずっと背が高い。 「祐真、おっきくなったよね……」 「そりゃあ、ね」 「あたしは……あの時から、何か変わってるのかな……?」  月姉は、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。  少なくとも、俺の返事を求めている言葉ではなかった。 「前と同じように描いてる……でも、同じじゃ、変わってない……変わらなきゃいけないのに……あたしは、前とは違うよね? 違うはずだよね?」 「違うんだ……もう、違う……新しいあたし……絵を描ける、新しい絵を、ちゃんと描けるの……!」 「月姉……」  俺がつぶやくと、月姉は、まるで俺がそこにいるのに初めて気がついたように、ハッとした。 「ごめん。今日は、一人にしてくれる……?」 「ああ……うん……」  そう言われると、俺も引き下がるしかなかった。  暗く寒い廊下を、自分の部屋へ。 「あーーーーーーっ!」  男子の階に降りたところで、月姉のものらしい、激しい怒鳴り声が聞こえた。  何かを投げたような音もした。  様子を見に戻ったが――そのまま静かになったので、少ししてから部屋に戻った……。  朝、時報も兼ねてつけっ放しになっているテレビの、朝のニュース番組の音声が耳に入った。 「下り坂で、午後から曇り、夕方には雨でしょう」 「冷たい空気が入りこみ、突発的な大雨の恐れもありますので、みなさま外出時には傘をお持ちください」  見上げる空は青いけれども、確かに風がやや強い。 「雨かよ」 「嫌だよな、この季節の雨ってさ、寒くて」  一月の冷風に身震いしながら、俺たちはぞろぞろと寮を出てゆく。 「………………」  月姉は、起き抜けから仏頂面のままだった。  部屋でのあの声と物音は何だったのか、とても訊ける雰囲気ではなかった。  月姉たち上級生は、この時期は授業なんてない。  自主学習という形で、来たい人だけ来て、教室や図書館で勉強する。  俺たちはそうじゃなく、普通に授業があるわけで。 「……月姉……」  授業を受けながら、俺は月姉は今何をしてるんだろうって、そればかり考えていた。  美術室でキャンバスを前に、難しい顔をしてるのか。  あるいは、図書館あたりで本でも読んでいるか。  教室でスケッチブックに鉛筆をはしらせているか。  それとももしかして、今からでも間に合う私大受験に向けて、勉強でも……。  昼休み、美術室をうかがった。 「月姉……」 「………………」  月姉は、昨日よりさらに剣呑な、暗雲たちこめる様子で、キャンバスをにらみつけていた。  そのキャンバスには、ちらっと見えた分だと、ほぼ全面的に色がついていたようだけど……? 「色の使い方も試してみたくて、途中でやめたやつを、塗るだけ塗ってみたんだけど」 「どうも、ダメね。慣れてる筆でも、手になじんでない新しいことなんて、試すもんじゃないわ」  月姉はパレットナイフを手に、ガリガリとキャンバスから絵の具を削り始める。  使い方はそれでいいはずなんだけど……妙に力が入ってるというか、入りすぎというか。 「くっ……この……落ちない……わねっ!」  がりっ、がりっ!  鋭利なナイフを乱暴に振り回す。 「そんなにやったら、破けちゃうんじゃ――」 「だい、じょう、ぶっ! こういうのは丈夫にできてるんだから、この程度じゃ……」  ザクッ!  ある意味小気味よい音を立てて、パレットナイフがキャンバスに食いこんだ。 「あ……」  月姉の頬が、ぞっとする形に引きつり、こめかみに青筋が浮いた。 「……いいわ。どうせ練習してただけだし」  ビリリリリッ……と、キャンバス自体をナイフで切り裂いてしまう。 「おいおい」 「いいのよ。新しいの、あたしが買ってくればいいだけなんだから」 「それより祐真、今のうちに、もうちょっとデッサンしておきたいから、ポーズ取って」 「え? 今?」 「早くして! 昼休み終わっちゃうでしょ!」 「や、俺、まだメシ食ってな――」 「は・や・く」  声音こそ静かだが、月姉からは、逆らってはいけない、危険きわまりない気配が濃密に立ち上っていた。  俺は言いなりになって、例のポーズを取り――。  結局、昼メシを食えないまま、昼休みは終わってしまったのだった……。  そして――放課後。 「遅い!」  そんな、理不尽な……。 「いいから早く座って、ポーズ取って!」 「はい、はい……ただいまっ!」 「服! 襟の位置が昼と違う!」 「ええと、こう?」 「そうね……じゃあ、ポーズお願い」 「よっ……」  もう慣れてしまった、アホの子ポーズ。  何なんだろうな、これって。 「…………」  キャンバスに向かった月姉は、しかし、俺とキャンバスとを見比べて、低いうなり声を漏らした。 「腕の位置、違うわ。ちゃんと同じにして」 「こう?」 「違うでしょ。ほら、こうよ!」  デッサンを示される。  同じだと思うんだけどなあ……。 「だから、違うって!」 「どこが違うんだよ」 「わかるでしょ! 全然違うじゃないの!」  頭ごなしに怒鳴られると、いくら慣れてる俺でも、いい気はしない。  それでもできるだけ言うとおりにしようと思って、あれこれ腕を動かす。  だけど月姉のお気には召さないようで――。 「いい加減にして! 何やってるのよ!」  ドン! と、月姉は拳で机を叩いた。 「あたしに絵を描かせたいって言ったくせに、妨害するわけ!? どういうつもり!?」 「どういうつもりも何も、俺はちゃんとやってるよ」 「どこが! 全然だめじゃないの!」  あ……と、その時俺の脳裡に、あることが閃いた。  こんな光景、前にも見た。  眉を吊り上げヒステリックに怒鳴る月姉。描きかけのキャンバス。筆、銀色に光る油壺、独特のにおいを漂わせるパレット……。  あの時とまったく同じだ。 「う……」  抜糸して以来一度も痛んだことのない、頭の古傷が、この時いきなり、鈍く痛んだ。  歪んだ俺の顔が、月姉には、愚弄するように見えたんだろう。 「この……!」  ……月姉の動きが、スローモーションになって見えた。  そうだ、同じだ……あの時と……。  月姉が絵を辞めるきっかけとなった、あの時。  あの時……。  今とまったく同じように、俺は月姉の絵のモデルを務めていた。  だけど、月姉は、なかなか思うように描けない様子で。  最初のうちは抑えていたんだけど、だんだんイライラしてきて、怒鳴るようになってきて。  そしてとうとう、こんな風に、ものを投げつけてきたんだ。  あの時は――絵の具箱だったっけかな。  小学生が使う水彩の、角の丸まっているプラスチックのやつじゃなくて……本格的な、それなりに重たく硬い、木製のやつ。  俺は俺で腹立たしくなって、でも相手は実の姉も同然だったから、ムッとした顔をしていた。  そこへ、箱が飛んできた。  直撃だった。何が起きたかわからないまま、衝撃があって、痛みというより熱を感じて、ぶっ倒れて。  月姉の悲鳴、顔にくっついてる床。倒れたんだとすぐには理解できなかった。  起きあがったら顔がぬるりと汗で濡れて。  ぬぐったら手が真っ赤で。  額をつたい落ちてきた赤い汗が、目に入って、見るものすべてが真っ赤になって、鉄くさい臭いが鼻孔を満たして――。  俺はもう、何がなんだかわからなくて、この赤い色がひたすら怖くて、赤ん坊みたいに泣きじゃくった。  そうだ、あの時、家族みたいに……いや、本当の家族だと思っていた月姉に、いきなりあんなことをされて、どうしていいかわからなくなったんだ。  その後、俺は病院へ運ばれ、何針も縫った。  入院もして――。  家に戻ってみると、月姉は部屋に閉じこもって、顔を見せてくれなくて。  それきり、月姉とまともに会うことができないまま、月姉は寮に入ってしまい……。  絵も辞めたと、人づてに聞いて。  それから何年も経って、里親が海外赴任する事になって、俺も寮に入ることになって。  そこで久しぶりに会ったんだ。  大人になっていた月姉は、拍子抜けするくらい普通に接してくれて、あんなことなんか、なかったように振る舞って。  俺も、月姉がそう振る舞う以上、別につきつめる必要もなかったので、またつき合いを始めて――。  今、俺と月姉は、子供じゃない、男と女の関係を作って――お互いの全てを知り合っている。  この光景……月姉が俺にものを投げつけようとしているこれは、昔と同じ。  違うのは、月姉がずっと綺麗になっていること――。  そして、俺よりも目線が低いこと……。  俺は、月姉が投げたものを、かわすことも、受けとめることもできるだろう。  俺はまっすぐに月姉を見つめた。  整った顔を歪め、鬼のような形相で、硬い油壺を振りかぶっている月姉。  そう、今の俺は、月姉を――柏木月音のすべてを、受けとめられる……。 「………………!」  月姉の腕が震え、投げる直前のところで、止まった。 「あ……!」  握った油壺を見る。  その目が見開かれ、いやいやをするように首を振る。 「あたし……今……!」 「月姉」  俺は静かに声をかけた。 「投げてもいいよ。気が晴れるなら、俺は平気だよ」 「う……」 「投げないなら、落ちついて、続きをやろう」 「う……うう……う……」  歯を食いしばり、机に手を突いて、ブルブルと震える。  乱れた髪に隠れて、目は見えない。 「…………」  しゃくり上げるように、二度、三度とその背中が揺れ動いた。  引きつるような異音が、髪に隠れた口元から漏れた。 「あーーーーーーーーーーーーーっ!!」  唐突に、張り裂けるような絶叫が上がった。 「あーーーーーっ! あーーーーっ!」  赤ん坊のような、濁った悲鳴を立て続けに上げながら、月姉は――パレットや絵の具、筆を、画材箱に押しこみ始めて……? 「月姉……?」 「いやああっ! もういや、いや、いやああああっ!」  中身がぐちゃぐちゃの画材箱と、描きかけのキャンバスをかかえ――美術室を飛び出してゆく。 「月姉っ!?」  突然のことに、反応が遅れた。  俺が廊下に出た時には、もう月姉の姿はなく。  足音だけが、がらんとした校舎内に反響していた。 「どっちだ!?」  階段で、上か下か迷う。 「上っ!」  屋上――そんな気がした。 「月姉っ!」  屋外に飛び出すなり声を張り上げる。  だが――無人。  月姉の姿はなかった。 「あっ!」  見下ろした、校舎前、玄関口。  画材箱とキャンバスをかかえた月姉が転がり出てきた。 「月姉!」  叫ぶが、反応しない。  自転車置き場へ駆けこんでゆく。  俺は校舎内へ舞い戻った。  階段を一気に飛び降り、一階へ――玄関へ。  履き替えてなんかいられない、上履きのまま外へ飛び出す。  自転車に乗った月姉の姿が見えた。  大きなキャンバスをかかえているせいで、よろよろしている。 「どうした!? 何かあったのか!?」  女の子を小脇にはべらせている桜井先輩とすれ違った。  悪いけど、今は関わっている場合じゃない。 「月姉っ!!」  先輩の傍らを駆け抜け、突っ走る。  風が強い。  雲が異様に速く空を横切ってゆく。  小脇にかかえたキャンバスが風にあおられ、月姉は自転車もろともやたらと揺れて、あまり速度は出ていない。  それ目がけて全速力。  それでも、坂を下ってゆく自転車は、走るよりわずかに速い。 「月姉っ!!」  暗くなった。  日が沈んだかと思ったが、違う。  さっきから東側にあった、分厚い黒雲が、夕日を覆い隠したんだ。  完全に暗くなったら、月姉の姿も見えなくなってしまう――そんな気がして、死に物狂いで追いかけた。 「待って! 月姉っ!」  振り向いた月姉は、恐怖の形相を浮かべた。 「やああああっ! なんで! なんで来るの! 来ないで!」 「待てえええっ!」  あんたに鍛えてもらったこの脚は、伊達じゃない!  大きなストライドで、全力ダッシュ。  伸ばした手が、自転車の最後尾に、かかる……。 「やああっ!」  悲鳴を上げた月姉に、風が吹きつけ、ぐらりと揺れた。 「危ないっ!」  ガシャアンッ!  自転車が倒れ、月姉も――!  俺が、体を投げ出し、スライディングの要領で、ぎりぎりのところで月姉のクッションになった。 「ぐえっ!」  月姉の全体重が、胸板と腹にぶつかってきた。  滑りこんで擦れた背中や尻、その他あちこちが痛い。 「痛たたた……!」  呻く俺の額を、大きく冷たい雨粒が打った。  うわ、降ってきた……! 「月姉……大丈夫?」 「ゆぅ……ま……!」  月姉は起きあがった。  逃げようとする、その手首を捕まえる。 「やああああああああああっ!」  画材箱。振り回されたそれが、俺の頭をかすめる。 「あっ!」  俺がひるんだ隙に、月姉は立ち上がり。 「こんなもの……こんな……こんなの! なくなれ! 消えろ!」  常軌を逸した目つきで怒鳴り、大きく振りかぶると――。  まずは、画材箱が。  それから、キャンバスが。  欄干を越えて、投げ出され……。  遥か下の、黒い水面へと…………落ちて…………いった…………。  ………………。  水音は、聞こえなかった。 「あ……」 「は……はは……あはははは……!」  月姉は、投げ終えたポーズのまま、金切り声にも似た笑い声を上げ続ける。  長い髪がみるみる雨に濡れ、重たく体に張りついてゆく。 「は……はは…………あ…………あぁ……」  声がかすれ、途切れ、消えた。 「あ……!」  瞳孔の開いた目、異様に引きつった頬。 「あああああああああああああああああっ!!」  獣じみた悲鳴をあげて、顔をかきむしろうとする。 「よせ!」  俺は飛びつき、腕を押さえつけ、拘束具のようにがっしりと抱きしめた。 「やあああっ! 離して! 離せええええっ!」  月姉は猛烈にもがいた。  だけど俺は離さない。月姉も、俺の腕をふりほどく力はない。 「やああああああああっ!!」  肩に、噛みつかれた。  冬服なので大して痛くない。むしろ月姉の方が苦しそう。 「落ちつけ! 月姉、落ちついて!」 「ううううう……ううっ……あああっ……」  しばらく、月姉は激情の赴くままに暴れ続けた。  雨に濡れた俺たちの体から、白い湯気が細く立ち上った。 「………………」  ようやく、疲労した月姉の動きが止まる。 「ううっ……ぐすっ……うっ……ううっ……!」  顔をくしゃくしゃに歪めて、月姉はぼろぼろと泣き始めた。 「やだ……もう、いや……やだあ……いやああ……!」 「うっ、うっ、ううっ、ううっ……う……ぐすっ……」  しばらくそのまま泣かせておいた。  少し落ちついてきてから、声をかける。 「月姉……絵……なんで、あんなことを……?」 「さい……てい……だから……!」 「あたしが……最低……!」 「いやなのに……絶対にいやで、大っ嫌いだったのに、お父さんと同じこと、しちゃってる……!」 「お父さん……柏木のおじさん!?」 「……そう……」  雨に濡れながら、月姉は切れ切れに、俺も知らなかった柏木家の話をしてくれた。  ――画家として名を馳せていた柏木のおじさんは、芸術家によくあることで、非常に気むずかしく、かんしゃく持ちだった。  モデルだったおばさんと結婚してからも、おばさんをモデルにした作品をいくつも描いて――。  しかし、いつも会心の作品ができる、なんてわけがない。  納得のいくものができないと、苛立ち、声も態度も荒々しくなり、おばさんを罵倒し、ものを投げつけた。 「あたしも……あんなにいやだったのに……同じことしちゃった……!」 「それも、二回も!」  月姉はまた、俺の肩に歯を立てた。 「……前ので、もう絶対に絵なんか描かない、あんなことしないって誓ったのに!」  無理矢理、濡れた俺の髪に手を突っこみ、頭の傷に触れてくる。 「二度とやらないって……思ってたのに……」 「祐真に大怪我させて……血だらけにさせて……なのに、描き始めたらすぐ、イライラして、同じことしちゃってる!」 「こうならないように、変わろうとして、みんなのためになる人にって、面倒見のいいお姉さんにって……なのに!」 「変わってない……変われてないよ、あたし……全然変われなかった!」 「ぐすっ……ううっ……うあああっ!」  ドン!  突き飛ばされた。  隙を突かれ、俺の腕がゆるみ、月姉はするりと抜け出してしまう。 「月姉!」  月姉は、野生動物みたいに低く身構え、じりじりと後ずさってゆく。  その背中が、欄干に触れた。 「月姉……落ちついて……」 「ねえ、祐真。知ってる?」  妙に落ちついた、ぞっとするような声がその唇から流れてきた。  月姉の口の端が、笑みのかたちに吊り上がる。 「お父さんね、川で死んだの。この川。こんな、雨の日……」 「な……」 「描いてた絵がうまくいかなくて、当たり散らして、ふらりと出て行って……それが最後」 「遺体が上がったって、二日後に連絡来た」 「芥川、太宰、川端。お父さんも作家になればよかったのにね!」 「入水したって決まったわけじゃ」 「ふふふ……そうよね……そうだもんね……誰にもわからない、何を考えてたかなんて……」 「わからないなら、自分から飛びこんだかもしれないわけよね?」 「あたしも、お父さんの血を引いて絵の才能があるってんなら、そこのところも血を引いてるわけよね?」 「あはははは、同じことやってんじゃん、あたし! お父さんとおんなじだよ!」 「同じことして、祐真に怪我させて、反省したはずなのに、またやってる!」 「反省なんかしてないよ、この女は!」 「根っからそういうやつなんだよ! 本性がこれなんだ!」 「芸術のためなら他人を傷つけても構わない! 親の血を見事に受け継いでるよ! あはははは!」 「見てる、お父さん! あなたの娘は、見事にあなたの娘であることを証明したわよ!」  月姉は両腕を広げて、雨の降りしきる暗天に向かって、けたたましい笑い声を上げた。 「違うだろ!」  俺は、腹の底から叫んだ。  冷雨を吹っ飛ばし、雲を引きちぎらんばかりに声を張り上げた。 「違う! 全然違う!」 「同じなんかじゃない!」 「今度は、誰も傷ついてないだろ!」 「確かに前は傷ついた! だけど今度はその前に止められた!」 「俺は平気! 月姉も、誰も傷つけてない!」 「変わってるんだよ、俺も、月姉も、ちゃんと!」 「大丈夫、月姉がもしカッとなっても、俺が受けとめられるから! 今の俺なら平気だから!」 「あんたも……そう言うんだ……!」 「も?」 「お母さんと同じじゃないの!」  お母さん――モデルやってた、柏木のおばさん? 「お母さんもそう言ってた! お父さんにひどいことされても、大丈夫だから、ああいうものなんだからって、受けとめて、平気な顔して!」 「芸術家なんてそんなもん、これでいいものができるなら喜んでだって!」 「馬鹿じゃないの!? それじゃ芸術の奴隷じゃない!」 「芸術のためなら何をされてもいい!? じゃあ死ぬとこ描きたいって言われたら死ぬわけ!?」 「それでも喜ぶんでしょうね、地獄変みたいに! 炎に焼かれる妻を見て、嬉々として筆を振るうのよ!」  芥川龍之介の『地獄変』……地獄絵図を描くために、娘を生きたまま焼き殺し、その有様を見ながら筆を振るった業深き絵師の物語。 「あたしが焼かれても筆を取るだろうし、あたしだって、お父さんが溺れて死んでいくところを描こうとするのよ! 血筋なんだから!」 「月姉! もうやめろ! いいんだ、そんなに自分を責めなくても!」 「責めてるんじゃない! 本当のことを言ってるだけよ!」 「あたしはお父さんと同じ!」 「そして好きになった人は、お母さんと同じだっての!?」 「繰り返してるだけじゃない! どうすれば抜け出せるのよ! もうこんなのいや! いやなのに!」 「終わりにするの! 終わりに! 絵なんかもう描かない! やめる! 誰も知らないとこへ行く!」 「……馬鹿!」  バシッ!  俺は――月姉の頬を……ひっぱたいていた……。 「あ……!?」  衝撃で首をねじ向けたまま、月姉は何が起きたかわからないように、きょとんとしていた。  俺は、手の平に、焼けただれたような熱さを感じていた。 「月姉……もういいんだよ……」 「ゆう…………ま……?」 「そんなに気にしないでいいんだ。全部もう、昔のことなんだから」 「おじさんはおじさん、月姉は月姉。親子だけど、違う人間で、まったく同じなんてことはない」 「似てるってのは確かにあるだろうけど、まったく同じじゃないんだから、いくらだって変わるし、変われる」 「実際に、もう月姉は、おじさんと違うことできてるじゃないか」 「二回目は踏みとどまった。誰も傷つけずにすんだ」 「かんしゃくを起こした自分をわかってて、これじゃいけないってこともわかってる」 「それなら、何も問題ないだろ。どこがまずいんだ?」 「う……」 「この通り、俺は怪我ひとつしてないよ。月姉のおかげで、体も鍛えられたし、幸せになってるよ」 「だけど……いやでしょ! こんなあたし……こんな……かんしゃく持ちで、本性隠してて、平気で人を傷つけちゃう!」 「平気……なの? あの時も、平気だった?」 「それは……」 「今はどう? 今も、平気? 平気だったら、どうしてここにいるんだ?」 「………………」 「だけど……もう、あたしは……絵なんか……祐真だって、あたしのこと……愛想尽きたでしょ?」 「愛想が尽きる? なんで?」 「え……だって……」 「こんな、外面だけよくて、自分勝手で、世話が焼けて、子供みたいな、面倒な女の子……平気なやつなんて、世界中でも俺ぐらいのもんだろ」  俺は、大股に月姉に歩み寄り、腕を広げて、濡れた体をとらえた。  月姉は――逃げなかった。 「あ……祐真……やっ……だめっ!」 「やだ。今度は逃がさない」 「やめて! 馬鹿! あんたなんか嫌い!」 「俺は、好き」 「月姉のこと、何から何まで、そのかんしゃくの部分も、困ったところも、全部ひっくるめて、好きだよ」 「そうじゃなかったら、追いかけてなんか来ないって。違う?」 「………………」 「馬鹿……!」  雨が染みる肩口に、それとは別なものが染みこんできた。  月姉の目からぽろぽろとあふれる、熱い水滴。 「祐真の……馬鹿……!」 「大丈夫。俺がいるから。俺なら、月姉のこと、支えられるから」 「もう、子供じゃないんだから……」 「ぐすっ……もう……」  月姉の手が、俺の背中を、まさぐるように動き回った。 「いつの間に……こんなに……大きくなったのよ……」 「ちっちゃいゆーまが……こんな……」 「月姉こそ……あの強い、おっきなお姉さんが……こんなに……可愛く……」 「可愛いなんてゆーな」 「ごめん。こんなに、綺麗になって……」 「おじさんみたいなこと言わないで」 「うん、ごめん」 「謝るのやめて。情けない」 「うん……」 「………………」  それから少し、月姉は俺の胸に顔を埋めて、しゃくりあげ続けていた。  収まるまで、俺はずっと月姉を抱きしめていた。  降りしきる雨が服に染みこんで、冷たさが意識されてきた。 「ううっ……」  月姉がブルッと震える。 「帰ろう」 「うん……」  鼻を〈啜〉《すす》りながら、月姉はうなずいた。  冬の雨に濡れているのは、とんでもなく体温を奪われる。  俺たちは寮へ急いだ。 「……ん?」  一瞬、橋の反対側に、人影を見た。  桜井先輩……?  だけど俺たちは寮へ向かったので、それが誰だったのかを確認することはできなかった。 「う……ぐすっ……すん……ぐすん……」  自転車をこぐ月姉は、濡れた髪の先からしずくを垂らしつつ、ずっと〈啜〉《すす》り泣いている。 「月姉……もう大丈夫だから……」 「ちがう……ちがうの……」  月姉は涙をぬぐった。  すぐに新しい涙がその頬を濡らした。 「捨てちゃった、あれ……」 「絵と、絵の具?」 「うん……」 「捨てるんじゃなかった……」 「せっかく描いたのに……せっかく祐真がくれた絵の具だったのに……!」 「また描けばいいよ。絵の具だって、買えば何とかなるさ」 「あれが、よかったの……いい感じに描けてたの……」 「祐真を、祐真のくれた絵の具で、描きたかった……ぐすっ……」 「何で、捨てちゃったんだろ……もう描けない……同じのなんて、二度と……!」 「…………」 「う……ぐすっ……」  月姉は身を縮め、身を丸めて自転車をこいだ。 「ふう……」  ぬれねずみで寮に転がりこむ。 「月姉、お風呂入りなよ。男子が入らないように外で見はってるから」 「うん……」  他の寮生の手前、月姉は泣くのだけはやめていた。  だけど、寒さのせいだけではない、生気のない顔つきはどうすることもできず、のろのろと着替えを取りに自分の部屋へ向かう。  俺も、着替える。 「うわ、ずぶ濡れだ……へぷしっ!」  くしゃみが出る。鼻も垂れそう。しっかり温まらないと風邪引くぞ。 「とりあえず拭いて、月姉の後でお風呂入って、と…………ん?」  ダダダ、とものすごい勢いの足音が急接近。 「祐真!」 「うわああっ!? なんて格好で!」 「いいから! 来て!」  下着姿の月姉に行き会った寮生が、雷に打たれたように立ちすくむ。  月姉は他人の存在も目に入らない様子で、すごい力で俺を上階へ引っ張っていった。  月姉の部屋に、文字通り引きずりこまれる。 「見て!」  洗濯かごに、きちんとたたんで入れられた、濡れた制服、インナーシャツ、スカート。  開いた引き出し、下着入れ。替えのブラジャーとショーツ、キャミソール。 「馬鹿! どこ見てるの!」  これよ、と指さされた。 「え……!?」  今の月姉の部屋にあっても、特に違和感をおぼえなかった物体。  キャンバスと、画材箱。 「………………?」  最初は、理解できなかった。  どうしてこれが、ここに?  月姉も、最初は気がつかないまま着替えはじめて、途中で仰天したんだろう。  キャンバス。俺らしき人間の絵が下書きされて、少しだけ色がついている。  そして、画材箱。絵の具や何やら、画材一式の入った、まだ新しい箱……。  もうひとつ、別な箱がある。使いこまれた風の、古びた画材箱。これは確かに、月姉が昨日までこの部屋で使っていたものだ。  じゃあこれは……この新しい画材セットは……。 「これ……あれよね……」  ついさっき、雨の中、橋の上から川に投げ捨てられたはずの……。  いや、でも、そんな馬鹿な……。  だけどこの絵は、この箱は、どう見ても。 「お……同じものってだけじゃ……」 「でも、これ、確かにあたしが描いた……」  月姉は画材箱を開けた。 「絵の具の減りも、そのままよ!」 「そんな……!」  俺は呆然と立ちすくんだ。  そんなことが、あっていいのか?  あの広い川に投げ捨てたはずのキャンバスと画材セットが、俺たちが戻るより早く、この部屋に置いてあるなんて……!  誰かがあの時即座に拾い、超特急で届けた……馬鹿な!  第一、キャンバスも画材箱も、一滴たりとも濡れていないんだ。  まるで、最初からこの部屋に置いてあったように、乾いた状態でそこにある。 「間違いないわ……これ……本物……」  月姉はなおも確かめようと、画材箱の中身を全部確かめている。 「な……なに、これ……?」  月姉は何かを取り出した。  カードだ。  可愛らしくデフォルメされたお月様が隅でにっこりしてる、メッセージカード。 「『ぼくたちは』……『あなたの絵が』……『大好きです』……」 「『画材一同』……」  月姉はそのカードを凝視して、しばらく彫像になったように動かなかった。 「………………」 「どうしよう……祐真、これ、どうしよう……!?」 「ちょっと、怖いけど……」 「いいんじゃないの?」 「そんな!」 「こんなの……気持ち悪くない!?」 「捨てて、後悔してたんだろ? それが、もう一度だけ、やり直すことができるんじゃない?」 「それは……そうだけど……」 「月姉は、これが、おばけとか、妖怪とか、そういうものだと思う?」 「……ううん……」 「確かに、わけわかんないし、怖いっちゃあ怖い気もするけどさ」 「落とし物を、神様が届けてくれた――そう思えばいいんじゃないかな」 「もう一回だけチャンスをやろう、必ずこの絵を完成させるんだ。そんな感じで」 「うん……」  月姉は、指でキャンバスの縁をなぞった。 「あたしも、描きたい……この絵を、この道具で、完成させたい」 「おばけでも、妖怪でも、神様でも、なんでもいい。返してくれてありがとう」 「もう、二度と捨てたりしないから。必ず最後まで描き上げるから」 「がんばろう、月姉」 「ええ」 「……それじゃ、とりあえず、服着て、お風呂入ろうよ、月姉」 「え…………っ!?」 「きゃああああああああああああっ!!」  やれやれ……。 「へぷちっ! う〜〜、くしゃみ止まんないや」  まずいなあ、本格的に風邪引いちまったかも。 「……やあ祐真、帰ってたのか」  先輩も、雨に降られたのか、服が濡れて、しずくをしたたらせていた。  だが、それよりも目を引いたのは。  桜井先輩の頬に。  見事なもみじ……平手打ちの跡が刻みつけられていたのである。 「それ……どうしたんですか?」 「いやあ、感情豊かな女の子というのはいいねえ」 「一緒だった子ですか?」  またいつものように、端正な見た目からは想像もできない変態トークを繰り広げて自爆したんだろうな。 「あ、そうだ、先輩……不思議なことがあったんです」  俺は、原因の方はぼかして、川に落とした画材が戻ってきていたという話をした。 「いい方に考えれば奇跡、悪く考えれば怪奇現象ですよねこれって」 「それなら、いい方に考えておけばいいんじゃないかな?」 「ええ……俺も月姉も、そう思ってます」 「でも、こんなこと、あっていいんでしょうか」 「奇跡だとは思うんですけど、奇跡ってもう少し、何て言うか、命を救うとか街を守るとか、大きなことに関係してくるものじゃないかって」 「そうと決めたものでもないさ」 「この広い世界で、わたしとあなたが出会えた、小さな奇跡。はやり歌によくある歌詞だろう」 「奇跡なんてものは、案外そういう小さな、当人たち以外にはとるに足りないものなのかもしれないよ」 「はあ……そんなもんですかねえ」 「そうさ」 「君のような人と出会えたのは奇跡だと、今日の彼女にも言ったのだが……あいにく、理解してはもらえなかったのが残念だ」 「また変なこと言ったんでしょう」 「いやいや、ただ、口と前と後ろの三穴刺しを許してくれる君のような女の子に出会えたのは奇跡だと。ああもちろんバイブを使っての話だよ」 「………………」  この人に感動的な話を期待した俺が馬鹿だった。 「ところで、風呂は入れるかね。どうにも冷えてしまってね。ううっブルブル」 「あ、すみません。今、月姉が……濡れちゃったんで。次に俺が入りますんで、よければその時に」 「おお、濡れるとは、なんと甘美な響き!」 「月音さんが入った残り湯! これはぜひともグラスを持ちこみ、かぐわしくも香ばしいその液体をひとくち」  ……月姉が聞いたら、湯船のお湯を即座に抜いてしまうのは間違いないだろう。 「それにしても、うう、冷える……」  桜井先輩は、暖房の前に陣取り、濡れた上着を脱ごうとした。  パタッ。軽い音がして、上着のポケットからパスケースが落ちた。 「落ちましたよ……あれ?」  落ちたはずみで開いて、中が見える。  緑色の、押し葉……クローバー。 「ああ、すまない」  はて……こんなこと、前にもあったような。  あ、そうか。年末、帰省する時だ。 「先輩、それ……お守りでしたよね」  あの時は、確か……。 「四つ葉じゃありませんでしたっけ?」  今見たクローバーは、三つ葉だった。 「さて? これは見た通り、三つ葉だが?」 「はあ……いや、それならいいんですけど……」  持ち主が言うならそうなんだろう。  前の時四つ葉だったってのが、俺の思い違い。  あるいは、押し葉自体が割とありふれたもので、四つ葉のものと三つ葉のものを先輩はいくつも持っていて、気分で使い分けてるとか。  だけど――何かが腑に落ちなかった。 「………………」  パスケースをしまい直した桜井先輩は、不思議な笑みを浮かべた。  たとえて言うなら、甲子園の決勝戦を戦い抜いたエースピッチャーのような……何かをやり遂げた後の、疲労と幸福感が入り交じった顔。  俺は意味がわからず、居心地悪く視線を逸らす。 「……ねえ、祐真。僕は思うのだが……」 「報われぬ愛というものこそが、対価を得ることがない故に、最も純粋で、最も美しいと言えるのかもしれないね」 「しかし、美しいというのは残酷で……つらいものだよ」 「それを知らずにすむのなら、その方が幸せだろう、きっと」 「はあ……?」  すごく深いことを言われているようでもあり、普段の軽薄な美辞麗句のようでもあって、よくわからない。  先輩は静かに首を振った。 「いや、何でもない。よしないことを聞かせてしまったね」 「着替えてくるよ。そろそろ月音さんもお風呂から上がるのだろう? おお、ワイングラスを忘れないようにしなければ」 「だからそれは……」 「ワイングラスが何ですって!?」 「おお月音さん、湯上がりのあなたは美しい! これぞまさにミューズの化身!」 「じゃあ、ミューズの拳の一撃を味わってみるのも一興でしょうね。さあそこに直れ!」 「はっはっはっ。それでは祐真、一度失礼するよ。風呂で、男と男、隠すもののないつきあいをしようではないか」 「誤解を招く気たっぷりの発言は自重してください!」  はっはっはっ……と妙にエコーがかった高笑いを残して、桜井先輩は優雅に自室へと引き取っていった。 「世が世なら、あいつはマントでもつけて、夜の街をあんな風に笑いながら練り歩いてるかもしれなかったわね」 「それはあれ、怪人二十面相とか、怪人赤マントとか」 「でも途中で屋根から落ちるのよ、きっと」  やれやれ、月姉にかかっちゃ、桜井先輩も形無しだな。  食事の後、何とはなしに月姉の部屋に行って、奇跡のキャンバスと画材箱を前にした。 「見れば見るほど、不思議よね」 「確かに、投げたはずなのに……」 「うん……」  ベッドに座る俺。  月姉も隣に座り、頭をもたせかけてくる。 「月姉って、いいにおいするよね」 「なあに、いきなり?」 「テレピン油、だっけ? 絵の具のにおいが混じってる」 「油絵置いてるんだから、仕方ないわ」  俺ににおいをかがれて、月姉はくすぐったそうに身をすくめた。  お互いの体温を感じながら、ゆったりとおしゃべり。  深く、暗い部分をすべてさらけ出したせいか、月姉は人が変わったように饒舌で、子供っぽくなっていた。 「わっ、わっ、こらっ、くすぐらないで!」 「きゃーははは、だって、祐真の顔が面白いんだもん♪」  密着しているけど、あんまりHという感じじゃなくて、むしろべたべたと甘えてくるちっちゃな女の子のようだった。  いちゃいちゃしながら、月姉は吹っ切れたように、柏木家の、おじさんのことを沢山話してくれた。  やっぱり、悪い話、暗い話が多かった。 「でも……上手く描けなくて、かんしゃく起こしてたら、ほめてくれたことが一度だけあったの」 「描けなくて腹が立つのは、描きたいと本当に思っているからだ、その気持ちが一番大切なんだぞ、って……」 「その時の手が、大きくて、優しくて……あのお父さん、今でもおぼえてる……」 「そうなんだ……」 「……まあ、その後に、上手く描けないなら自分の腕を切り落とすぐらいの気持ちでいなければ、なんて続くんだけどね」 「そ、それは……」  芸術家というのはやっぱり、世間一般の感覚とはかなり違うようだ。 「それで言うなら、桜井先輩も、かなり芸術家っぽいですよね」 「桜井……うう……」 「あれ、何か地雷踏んだ?」 「あいつに告白された、って話はしたっけ?」 「え……えええええっ!?」 「そんなに驚かないでよ。もうずいぶん昔の話よ」 「同じ美術部だったし、確かに雰囲気は芸術家肌というか、センスがみんなと違ってて、興味はあったわ」 「今みたいな変態じゃなかったし」 「ええええええええええええええっ!!!???」  そ、それが一番の衝撃情報だ! 「でも、別に、つき合いたいっていうほどじゃなかったし……」 「なんか違うな、って感じしたの。上手くいかない予感というか、二年ぐらいで刃傷沙汰になりそうな感じ」 「そ、それは……」 「今日だって、聞いたんだけど……桜井、声かけてた子を置き去りにして、いきなり走り出したんだって」 「通りすがりの美女のお尻を追いかけていっちゃったとか何とか」 「で、おいてけぼりにされて、雨の中を泣きながら帰るその子の所に、ぬけぬけと戻ってきて、また誘うもんだから、切れて、もみじ」  平手打ちのジェスチャー。  なるほど、さっきの頬は、それか……。 「……ん?」  待てよ……走り出して……女の子を追って……?  橋の所で、ちらっと見えた人影は――あれ、やっぱり、桜井先輩だったんじゃないか?  月姉を追いかけて、俺の方が脚速いから追いつけず、あの時ようやくあそこまで来て……。  まさか――とは思うけど。  桜井先輩、今でも、月姉のことを……本気で……。 「ま、あたしがそんなことされたら、それこそ川に叩きこんでやるんだけどね。寒中水泳大会よ」 「うわ……」 「やっぱり、あの時断ってよかったわ。つきあってたら、パレットナイフが喉を切り裂く!」  うわうわ……冗談に聞こえない! 「お、俺は、大丈夫なのかな?」 「ふっふっふっ。さてどうかな?」  月姉は、いつぞやの逆に、俺の太腿を枕にごろりと寝転がった。  すりすりと、俺の脚をなでさする。 「だーいじょーぶ。祐真は、逆だから」 「逆?」 「寮に入って、久しぶりに会った時」 「ガション、って」 「それ、何の音?」 「パーツとパーツがきっちりはまった音」 「欠けていた所にはまるピースが来た感覚。これで自分が完全になる、みたいな不思議な気分」 「あとはもう、一直線。祐真しか見てなかったんだよ、実は。知ってた?」 「やたらとしごかれて、走らされたおぼえしかないんですけど」 「おかげで健康、健脚、健啖と三拍子そろってるじゃないの」  月姉の手が、雰囲気を変えて、俺の太腿や腰回り、股間に張りついてきた。 「こんなに……大きく……たくましくなって……」 「う……!」  これは……これまでで一番やらしく、一番深くつながり合えるエッチの予感……! 「祐真……しよ?」 「あ……ああ……」  ――だけど。  股間の反応が、鈍かった。  体が熱く、めまいがした。  月姉がやらしすぎるからだ。きっとそうだ。 「う……」 「祐真!? ちょっと!」 「わ……ひどい熱……!」  ――風邪、だった。  ――それから数日、俺は寝込んだ。  冬の雨に打たれたのが悪かったようだ。  月姉はぴんぴんしてるのに、これはもう、持って生まれたパワーの違いとしか言いようがない。 「それじゃ、行ってくるから。おとなしく寝てるのよ?」 「はあい……」  月姉は、やはり美術室の方が描きやすいということで、連日通いづめ。  月姉の様子が、それまでと明らかに変わったと、何人かが教えてくれた。 「柏木先輩が、美術室を開放したそうだよ」 「いや、元から開いてはいたのだが、自分一人で占拠している状態は心苦しい、気にせず美術部員も普通に使ってくれと、水尾先生に」  夜々も、久しぶりに顔を見せてくれた。 「柏木先輩が、今みんなの間で大ぶーむです」 「描いてる絵がすごいって評判で、美術室に見に行ったら、優しく絵の描き方を教えてくれて」 「美緒里が、先輩に目をつけてます」 「なんとか先輩と組んで、卒業前に似顔絵描きで『いっかくせんきん』を企んでるみたいなんですよ」 「おいおい……」 「そのためにはお兄ちゃんを落とすのが手っ取り早いって、待ち受けてたのに、お兄ちゃんが風邪なもんだから、そろそろこっちに押しかけて」 「面会謝絶!」 「は〜い。じゃ、帰るように言いますね」 「もう来てるのかよっ!」 「は〜い。具合どう?」 「まあ、何とか……汗も出ましたし、少し食欲も出てきたんで、そろそろ……」 「そっか。じゃあ柏木も安心だね」 「……いや〜、本当に、よくやってくれたよ」 「よく、柏木にまた絵を描かせてくれた」 「絵だけじゃない。柏木の雰囲気も、すごくよくなった」 「開き直ったというかなんというか……今までの優等生じゃなくて、かなり毒が出てきて……」 「泣かされてる先生が何人か出てきてるんだけど……」 「べ、別に、そのうちの一人があたしってことはないんだけど……本当だよ、あたし、教え子に泣かされるような情けない教師じゃないもん!」 「誰も訊いてませんが……」 「とにかく、前の柏木は手がかからなくてよかったんだけど、どこか自分を隠してる風があって、気になってたの」 「でも今は、すごく自然。前からしたら、信じられない失敗とかズッコケとかやるんだけど、なんだか周囲を安心させるのね」 「だから、これまでアンチ柏木だった子たちが、じわじわと宗旨替えしてきてる感じよ」 「へえ……」 「やっぱり男ができると違うのねえ。あたしもあやかりたいわ〜〜」 「ま、まさか、病人を襲う淫乱女教師出現!?」  ボカッ! 「そんなのは桜井だけにしときなさいっ!」 「……それより、柏木の絵のことなんだけど」 「あの絵、コンテストに出して、本当にいいのね?」 「いや、まあ、月姉がいいなら、俺の口出しすることじゃないですよ」 「まあねえ……。柏木も、前と違って、その辺のこだわりは全然なくなってて、先生が言うなら出してもいいですよ、って感じなんだけどね……」 「ここだけの話、実は……画商、って言うの? 絵を売り買いしてる人」 「そういう人が、探り入れてきたらしいの」 「柏木画伯の娘、神童、天才とうたわれていた柏木月音が、ついに絵筆をとった。コンテストに出てくる」 「しかも……かなり素晴らしい作品らしい」 「本当ですか?」 「本当も何も、モデル本人が一番よくわかってるんじゃないの?」 「いや、俺、下書きをちょっとのぞき見したぐらいで、色ついたのは全然。この通り寝込んでますし」 「ああそうか。じゃあ知らないんだ……」 「もしかして、すごいんですか?」 「まあ、あたしも見たけど……絵のことはよくわからないけど、あれはいい絵だと思ったよ」 「伝わってくるというか、胸にくるというか」 「水尾先生なんかおおはしゃぎで、美術部員たちに、あれを見習えってめちゃくちゃハッパかけてて、もう大変」 「あれで入選できなければ僕は美術を教えるのを辞めます、なんてことまで言っちゃって」 「その辺の評判聞きつけたんでしょうね、画商の人」 「すごいなあ……情報網、あるんだろうなあ」 「柏木の場合、お父さんがお父さんだから、その筋じゃ有名みたいだしね」 「で……本題。柏木がいる時に言った方がいいのかもしれないけど、心の準備ってのもあるから、先に話しておくわよ」 「……な、なんですか?」 「柏木は、美大進学だってはっきり言ったけど、今から受験して合格するのはさすがに、いくら柏木でも無理」 「ですよね」 「だから、浪人ということで、一年間、そういう専門の予備校だか塾だかに通う」 「それも聞いてます」 「この街を出るってことも知ってるよね」 「はい。東京の方に、レベルの高い画塾があるそうなんで、そっちに」 「うんうん。あたしが言おうとしてるのはそれじゃなくてね……」 「水尾先生に聞いたんだけど、別に美大を出なくても、専業画家としてやっていくのは不可能じゃないんだってね」 「美大は、テクニックを確実に学べるというだけで、絵を売る、いい絵を描くってことに、学校のキャリアは関係ない」 「だから、今の柏木がいい絵を描き続けられるなら、美大に行かないで、すぐプロの画家としてデビューすることも夢じゃない」 「実際、コンテストの結果次第では、画商のオファーも来そうだし」 「正直、実力よりも、現役学生、画伯の娘ってところで商品価値を見いだされてるだけかもしれないけれど――」 「それでも、可能性としてはあるわけね。もうプロになって、その世界に入っていくってのが」 「………………」  なるほど……。  遠回しに、俺の方の決意を訊かれているわけだ。  月姉がプロの画家になって、こう言うのも何だけど、売れるかどうかわからない不安定な世界でやっていくのなら。  月姉とつき合ってる俺は、どうするのか?  今、俺は、月姉と同じ道を行きたいと思って、自分でも絵を描いてみている。  性に合ってる感じがするから、美大も、狙えるものなら狙ってみたい。  美大と言っても色々ある。日本最高峰クラスはともかく、中堅ぐらいのところなら、偏差値トップクラスの一般大学よりは、まだ合格の可能性が高そうだ。  ただ、月姉が一足先にプロになり、不安定な世界でやっていくなら、俺はむしろ、月姉を支えられるように、堅実な職業を目指す方がいいのかもしれない。  だけど――美大に入ったからといって、画家にしかなれないわけじゃない。むしろ教職とか、デザイナー関係の就職数の方が多いはず。  そういう道を行き、月姉にできるだけ近い所を歩く――これも、選択肢のひとつだ。 「………………」  確かに、先に、一人で考えておきたいことではある。  雪乃先生の心遣いに感謝だ。  さて、どうするか――。  本当に決断しなければならない時までは、まだ猶予があるけれど……月姉が卒業する時までには、大まかでも方向ぐらいは決めておかないとな。 「むう……」  俺はひたすらに考え続け、そのせいでまた熱が上がった。  ――そして、熱がようやく引いて、久しぶりに登校する。 「油断しちゃだめよ。具合悪かったらすぐ医務室に行くのよ。お薬ちゃんと飲んでね」 「小学生じゃないんだから。もう大丈夫だって」 「あら、まだ頭が悪いみたいね」 「こらーっ!」  た、確かに、月姉、なんか性格変わってる……。 「うーっす」 「おう、久しぶり」 「来たな、画伯」 「は?」 「見たぜ、画伯」 「がはく?」 「絵だよ、柏木先輩の」 「モデル、お前なんだろ?」 「もしかして脱いだ? ヌード? 先輩の前で全部脱いでポーズとって大事なとこまでスケッチされた?」 「ばかやろ!」 「で……画伯って?」 「だから、あの絵だよ」 「お前、絵描いてたんだな。やっぱり彼女と同じ趣味ってことか?」 「まだ見てないの、天川くん?」 「完成してるの?」 「あと一息らしいけど、美術室で、誰でも見られるようになってるから――」  そう言われると、見ないわけにはいかない。  室内には入れなかったけど、ガラス越しに、室内に置いてあるキャンバスを見ることはできた。 「あれだよ」 「……ええっ!?」  キャンバスには、椅子に座り、キャンバスを前にしている男の姿が――。  つまり、俺……『絵を描いてる天川祐真』の絵!  あのアホの子ポーズは、これかあっ! 「天川くん、絵描いてたんだね。知らなかったよ」  な、なるほど、それで『画伯』か……! 「うわあ……うわ、うわ、うわあっ……!」  は、恥ずかしいっ!  自分がモデルにされて、それがあんな風に、きちんとした絵にされると、何とも、無性に、恥ずかしい!  油断した、油断してた!  裸踊りとか描きかけとか、そんなのしか見てなかったから、まさかここまで大真面目に描かれてるとは想像もしてなかった! 「格好いいよねえ」 「いや、いや、いや! 実物はあんなんじゃないから!」 「あんな目つきしてないし、あんなにきちんと筆持ってないし!」 「でも、先輩があのポーズを描こうと思う、何かがあったわけだよね?」 「う……!」 「そーよ〜〜」  と、月姉は事も無げに口にした。 「絵を描いてる祐真がさ、なんかよくって」 「あ、これ! って思って、それで描いてみたの」 「タイトルは、『志す青年』ってとこかな」 「本当は『無謀な挑戦』とか『天に挑む者』とか、そういうのにしたかったんだけど〜」 「一応はコンテスト応募作だから、無難にね」 「んな無茶な……」  がっくりする俺を見て、月姉は心底楽しそうに目を細める。  この人、本性、絶対にサドだぞ。本物だ。それも『ど』のつくやつ。 「あ、でも……」 「祐真、才能あると思うよ」 「絵の?」 「うん。だって、スケッチ見せてもらってるでしょ」 「立体の把握力って言うのかな、距離感とかパースの取り方とか、そのあたりの感覚全体が、いい感じ」  そう言えば月姉、俺のデッサンを、やけにじっくり見てたよなあ。 「じゃあ……自信持っていいのかな?」 「ええ」  抱きしめられた。 「大丈夫。絵を描いてる祐真の、情熱は、間違いなく本物だから」 「絵が好きだ、描きたい、いい絵を描きたいっていう情熱」 「そうでなくちゃ、描かないし――」  二人きりだってのに、声を殺して、耳に、熱い吐息も一緒に吹きこむように……。 「描いてて、濡れないし……」 「〜〜〜〜〜〜〜!」  一瞬で脳髄が灼熱し、全身の血液が煮えたぎった。  だけど、月姉は、絵が完成するまではってことで、Hを断って……。 「あ、祐真。自分でするの、禁止ね」 「絶対に禁止。もし自分でしちゃったら、祐真のヌードデッサン、廊下に張り出しちゃうからね」 「祐真が出していいのは、あたしだけ。あたしの手や口や、あそこでだけ」 「わかった?」 「は……はい……!」  俺を言葉や仕草で煽るだけ煽っておいて、肝心のところはおあずけなんて……。  生殺しにされた俺は、どうすることもできずに、悶々と転げ回るしかなかった。  そんな俺を見て、興奮を隠そうともせず、いけない部分をもぞもぞいじくる月姉。 「だってえ……我慢してる祐真……とっても可愛いんだもん……」  こ、この、サディスト! 悪魔ああああっ!  ――そして……絵は完成し。  早速コンテストに提出された。  コンテストでは、その父親譲りの構成力や色遣い、そして何よりも勢いが、高い評価を受けた。 「みんな下級生なのに、一人だけ卒業間近が混じってるってのも、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいんだけどね」 「上手い人は美大受験してるから、この時期に出てくるってのはちょっと……あはは」  謙遜する月姉だったが、悪い気はしていないようだった。  『志す青年』は――奨励賞を受けた。  早速、画商からのオファーが来た。  プロが多く所属する美術団体にも推薦してくれるという。  やはり、年齢と、柏木画伯の遺児ってことで、話題性優先で受けとめられているようだけど……。  月姉は、その辺は全然気にする様子はなかった。 「ま、評価してくれるならいいんじゃないのかな」 「評価されたくてもされない人はごまんといるんだから、お父さんの七光りだろうとなんだろうと、売れるんならそれでいいわ」 「買ってくれるなら、学資の足しになるわけだしね」 「月姉は、商売にされることは、抵抗ないの?」 「全然」  小気味いいくらいにきっぱりと、月姉は言った。 「いい絵が描けるかどうかが大事なの。自分が納得できるものを描けるかどうか」 「高く評価されたらもちろん嬉しいけれど、そうじゃなくても、自分が納得できていれば、それ以外は大した問題じゃないのよ」 「あたしが、祐真のこと好きっていうのと一緒ね」 「なっ……」 「好きっていう気持ちがはっきりしてるなら、周囲からどう見られようとも、なに言われても、大した問題じゃないでしょ」 「もちろん、好きなら何をしてもいいとか、自分が描きたいんだからどんなめちゃくちゃな絵でも、なんて言う気はないわ」 「人前はばからずHしたり、人を傷つけるような絵を描いたりするのは×。その辺はバランスの問題ね」 「とにかく、あたしは、売れる売れないはそんなに気にしないってこと。OK?」 「OK……」 「で、これが、春から通おうと思ってる、美術予備校のパンフ」 「え……プロになるんじゃ?」 「言ったでしょ、売れる売れないは問題じゃないんだって」 「自分の納得する絵を描けるようになるには、テクニックも必要なのよ。新しい技法も知っておいた方がいいし」 「それならやっぱり、美大が一番ってわけ」 「……それにさ……」  月姉は優しい笑みを浮かべた。 「祐真も美大行くなら、一緒に、同じ学年になれるでしょ?」 「それは……俺に、現役合格しろってことだよね」 「まさか、できないなんて言わないわよね? このあたしが見こんだ人が」 「そうやって逃げ道ふさいでから質問するのって、ずるいと思う……」  だけど、月姉と一緒に入学、同期として机を並べられるっていうのは――想像するだけでワクワクした。  同じ課題をやった場合、腕の差で俺が一方的にへこまされそうだけど……。  前途多難だなあ。 「……大丈夫?」 「心配だなあ。祐真って、押しが弱いっていうか、断固たる意志、何があっても突き進む勢い、そういうのが欠けてるからなあ」 「人を、弱虫みたいに……」 「だって、心配なんだもん……」 「あれよ、単身赴任する夫が浮気しないか心配する妻って、こんな感じなんだわ」 「もうちょっと別なたとえにしようよ」  月姉は、今はもう、心にわだかまっていたものを全て吐き出し、未来だけを見据えることができるようになっている。  その目から見ると、まだ色々と悩んでいて、進路についても決心しきれず、フラフラしているような俺は、さぞ心配なことだろう。  だけどなあ……月姉ほどの才能があれば、自信も持てるだろうけど。  俺は、絵の実力は美術部員以下だし、勉強の方だってごくごく普通でしかないし……。 「まずい……落ちこんできた……」 「ああもう、しっかりしなさいよ」 「……慰めてあげよっか?」  月姉の妖しい誘惑に、逆らえるわけがない俺だった……。  こういう所も、意志薄弱と言えば言えるのかもしれないなあ……。  ううむ、頑張らないと。  ――そして、さらに時は過ぎ……。  卒業式の日も近づいてきた。  合格発表が相次ぎ、悲喜こもごもの人間模様が展開される。  進路が望み通りになった人も、ならなかった人も、とにかく卒業したら寮を出なければならない。  その準備がじわじわ進んで、寮全体が少し重たい雰囲気に包まれている。  桜井先輩は、海外留学するそうだ。  あの変態ぶりが、無修正の国でさらに磨きをかけられるか――それとも、逆に世界を制覇してしまうか。 「僕が行く場所に道はできる! エロスは万国共通語! 待っているがいい、世界よ!」  ……本当に、エロスの世界チャンピオンになるかもしれないな、この人なら。  月姉も、東京の美術予備校に行くわけだから、もう部屋を契約し、引っ越しの日も決めている。  会えなくなるわけじゃないけど、慣れ親しんだこの寮から月姉がいなくなってしまうのは、寂しいなあ……。 「お届け物でーす!」 「おっ、来た来た!」  月姉宛に、荷物が届いた。 「なに、それ?」 「ふっふっふ〜〜」 「まあ、後で……楽しみにしといて」  謎めいた笑みを残し、月姉は部屋に引き取っていった。 「ん?」  寮の電話が鳴った。  たまたま一番近くにいた俺が、取る。 「はい。花泉学園、いずみ寮ですが」 「もしもし。私、柏木月音の母でございますが――」 「えっ!?」  思わず、失礼な声を上げてしまった。  月姉のお母さん……柏木のおばさん!? 「あっ、あのっ、俺、祐真です! 天川祐真!」 「あら! まあまあまあ……あなたが!」  電話の向こうでも、驚きの声が上がった。  おばさん……久しぶりだ。  小さい頃、たまにしか見かけたことがなくて……実は、あまり顔もおぼえていない。  モデル出身ってことは、かなりの美人だったんじゃないかなと、今なら思うけど、あの頃はそんなこと考えもしなかった。  それに……月姉の話だと、おじさんによく怒鳴られたり、かんしゃくをぶつけられて、ひどい目に遭わされて……。 「久しぶりねえ。元気にしてた? お話はよくうかがってますよ。うちのバカ娘、じゃない月音が、それはもう色々と教えてくれますからねえ」 「はあ………………?」  あれ……?  なんか……イメージが、違うな……。  芸術家の夫に見いだされた元モデル、結婚してからも傍若無人に振る舞う夫に苦しめられ……。  そういう話から、儚げな風情の、薄幸の美女を想像してたんだけど……。 「あっはっは。うちの娘、手がかかるでしょ? 小さい頃ならおてんばってだけですんだんだけどね、色気づくとこれがもう面倒でねえ」  ……ええと……和風は和風の雰囲気なんですけど、これだとまるで、エプロンつけてホウキ持って、ドラ猫と格闘してるような感じで……。  いえ、人間を声だけで判断してはいけないことはよく存じ上げているわけですが、ハイ。 「祐真くんは、いい男になってるんだよね? 月音が、帰ってくるたびに、それはもう嬉しそうに話してくれるんだよ」 「今度遊びにいらっしゃいな。寮だと、好きなもの食べられないでしょ? 言ってくれれば、何でも作ってあげるわよ〜〜」 「はあ……それは、そのうち、はい……」 「いやあ、やっぱり、美少年っていいものだからねえ。若い子と触れ合ってるのが、若さを保つ一番の秘訣なのよ。知ってるかな?」 「はあ……」 「あっはっは、どうしたのよ、元気ないなあ。昔は月音の尻に敷かれてたけど、もしかして今もそうなの?」 「あの子も、もう少し男を立てるの上手ければいいんだけどねえ。その辺下手なのよねえ、あたしの娘だってのにさ」 「はあ……」  それしか言えない。どうしろってんだ。 「……あれ、本当に、元気ないね。また風邪でも引いちゃった?」  ……また? 何で知ってるんだ? 「いえ……その……何というか……聞いてたのと違うんで、面食らって……」 「聞いてた? あの子、あたしのことどう言ったのかしら」 「もしかして、画家のダンナの言いなりで、いじめられてた元モデル……儚げでたおやかで、清楚で細身の幽玄な美女……そんな感じ?」 「はあ……」  いや、具体的には一言も聞いてないんですけど……。 「まったくもう、あの子は、人情の機微というか男女の関係というか、大人の世界は全然わかってないのねえ」 「まあ子供だから仕方ないんだけどね。親の姿なんて、なかなか客観的には見られないものよ」 「あの子の言ってるので正しいのは、あたしの見た目ぐらいよ。あっはっは」 「………………」 「確かにあの人はかんしゃく持ちで、絵がうまくいかないと荒れて大変だったけどさ」 「のってきて、集中してる時の顔が好きでねえ」  あ、俺と同じだ……。 「元々、それで惚れちゃって、こっちから押しかけ結婚しちゃったんだしさ」  ……はい? そ、そうなんですか? 「そういう立場だから、絵を描いてる時は、何を言われてもこっちはハイハイ従うしかないじゃない?」 「だけどあの人、上手く絵が描けて、一仕事終えたら、そりゃもうおとなしいものでねえ」 「そうなると立場逆転。そこまで色々やってくれたおしおき、たーっぷりしてやったものよ」 「……え?」 「だってほら、あたしの方が体大きかったし。あの人小柄で、あたしは170あるから」 「あたしが上に乗ると案外あの人も喜んで……っと、これは男の子に聞かせる話じゃないわね、失礼失礼、あっはっは」  ………………。 「まあ、今じゃすっかりいいおっかさんだけどね。上手に歳を取れたはいいけど、昔の服を着られないのだけが困りものだわ」 「昔を知ってる人には、夢を壊してしまってごめんなさいって言うしかないけどさ」 「しょうがないよね。夫がいきなり死んじゃうんだもの。小さな子供かかえて女一人、そりゃ貫禄もつくってもんでしょ、ね?」 「はあ……」 「まあ、あの人が残してくれた作品やら著作権料やらで、生活には苦労しなかったけどね」 「月音も、いい子に育ったと思うんだけど、どうかな?」 「今でもまだ生意気なところあって、そういう時はひっ捕まえて、お尻ぺんぺんしてやってるんだけど」 「聞いてない? あら、あの子、言ってないのね。ようし、今度戻ってきたらそれでいじめてやろう。むふふふふ」  あ、あの月姉を捕まえてお尻をひっぱたけるお母さん……。  想像もできないクリーチャーがこの世にはいるんだな……。 「……で、それはさておき」 「祐真くん。月音を立ち直らせてくれて、本当にありがとう」 「え……あ、いえ……」 「あの子、あれがあって絵を辞めちゃったけど、本当は好きで好きでたまらなかったのよ」 「それを抑えてたもんだから、痛々しいくらいに性根が歪んじゃって」 「月音さんは文句のない優等生です、なんて面談で言われるたびに、あちゃーって思ってたのよね」 「な〜に猫かぶってるんだかこの子は、って」 「人間、適度に自分を出して、正直に生きていかないと、どうしても歪むし、楽しくなくて、いい顔になれないからね」 「心配してたんだけど、女親の言うことなんか聞いちゃくれないし、父親はもういないし」 「あの性格じゃ、男もできないだろうしねえ……ってあきらめかけてたところだったのよ」 「まさか、彼氏になってくれるだけじゃなくて、また絵を描いてくれるまで立ち直らせるなんてねえ」 「本当に、ありがとう」 「いえ……俺は、俺の正直な気持ちを、月姉に伝えただけですから……」 「おっ、その謙虚さ、いい感じよ。いい男になったねえ、祐真くん」 「『……好きな人の、一番綺麗な顔、見たいんだ……』なんて、たまんない殺し文句よねえ。そんな風にささやかれてみたいわあ」 「なっ、なっ、なっ……!」  顔面が紅潮し、いやな汗がどっと噴き出る。  う、嘘だろおおおっ!  なんであれを知られてるんだ! 「それでメロメロになって、月音ったら、ずいぶんいい声で啼いたみたいよね?」 「周囲に聞こえちゃうから、声出すの抑えてるとさ、我慢してるのが変によくなってきちゃうのよねえ」  こ、この母娘の間に、隠し事はないのか!  シャッター! 近くに、秘め事を語る口を封鎖する対爆防護壁をお持ちのお客様はいらっしゃいませんか! 「あーっはっはっは、冗談よ冗談。思春期まっただ中の男の子にはきわどかったかな?」  いえ、そういう問題ではないと思うのですがいかがでしょうか裁判官。 「でさ、月音なんだけど」 「あの子って、芸術家肌というか、よく言えば繊細、容赦なく言うならバランス悪いところ、父親に似ちゃってるのよね」 「切羽詰まるとまた何かしでかすかもしれないからさ、祐真くん、アンタ見守っててやってくれない?」 「は……はあ……」 「面倒なこと言ってすまないけど、あの子はずっと誰かが側にいてやらないとだめだと思うのよね」 「月音のこと、お願いしていいかしら?」 「……は……はいっ!」  洪水みたいなおしゃべりに圧倒されていたけれど、それだけは、怒濤の中の岩みたいにきっぱりと言うことができた。 「よしっ! さすが男の子!」 「それじゃ、これからもよろしくね。今度遊びに来てね。つまみ食いはしないから安心して。あっははは!」 「は、はあ……」 「それじゃ、また。本当に来てよ。約束よ」 「はい……」  ………………。  電話は切れた。  俺は、ツーツーツーと聞こえ続ける受話器を手に、しばらく放心状態だった……。  脳味噌を菜箸でぐっちょんぐっちょんにかき回されたような気分で、よろよろと階段を上がる。 「あ、祐真」 「月姉……」  思わず見つめる。これが、二十年後には、今の電話の『あれ』になるのか……。 「今、電話空いてるかな?」 「空いてるけど……どうしたの?」 「いや、荷物ついたから、うちの親に連絡しようと思ってさ」 「ああ……それなら……今……」 「え? うそ! なんで呼んでくれないのよ!」 「いや、その……何も言えないうちに、切れて……」  あれは多分、俺と話してるのに夢中になって、当初の電話した目的を、きれいさっぱり忘れたくちだな……。 「まったくもう、お母さんったら!」  その言葉も終わらないうちに、リビングの方で、また電話の鳴る音がした。  出た寮生が、月姉を呼びにきた……。 「ふう……」  まだあの電話の影響が残ってる。  何というか……物事って、一面から見るだけじゃわからないことが多いんだなあ。  あ、でも……そう言えば……。 『ずっと月姉の側にいる』なんてことお願いされて、きっぱりハイって言っちゃったよな。  ずっと……。  それって、やっぱり――そういうことになるよな。  俺、あの肝っ玉母さんの息子ってことになっちゃうのか!?  ううむ……考え直すなら、今かもしれない。  コンコン……と、ノックされた。 「祐真。ちょっと、今、いいかな?」 「いいよ。どうしたの?」  普通なら、ノックしてすぐに月姉の方から勝手にドアを開けて踏みこんでくるんだけど――様子がおかしいな。  いいよと言ったのに、なかなか入ってこない。 「どうしたんだよ」 「あのね、昼の荷物……うちからの」 「ああ」 「それ、見せに来たんだけど……時間、ある?」 「もちろん。見せてよ。どうしたの?」 「それじゃ、せーの……っ!」  月姉が、部屋に飛びこんできた。 「あ……!」  は、袴姿……! 「えっへっへ〜〜♪」 「どお? どう、これ? 似合ってる?」  両脇を上げ、くるりと回ってみせる。 「うわあ……」  見とれて、しばらく言葉を忘れていた。 「あ、もしかして……卒業式の?」 「うん。卒業式に着なさいって」 「家に取りに行ってもよかったんだけど、今ちょっと手を離したくなくて」  月姉は今、『志す青年』に続く作品を描いている。  今度は畳ほどもあるキャンバスに描く大作で、卒業式までに仕上げようと、月姉は朝から晩まで美術室にこもりっきりだ。 「そっか……もう、卒業なんだな……」 「お別れってわけじゃないよ。これから、いくらでも会えるんだし」 「でも、月姉は寮を出ちゃうし、桜井先輩とか、沢山の先輩たちもいなくなっちゃうし」 「そういうものよ。来年は祐真たちが、後輩からそう思われる番よ」 「まあ、そうなんだけどさ」 「寂しいのはしょうがないよ」 「……それは、こっちだって同じだよ」 「ずっと、この寮で暮らしてたんだから」 「何年もの思い出がつまってる」 「それとも、あと数日でお別れ」 「そうだよね……」 「……まあ、そう落ちこまないの」 「新しいことが始まるって、そっちを思えばワクワクするわ」 「ほらほら、これだって、いい感じでしょ?」  月姉はまたくるっと回って、袴姿を見せびらかした。 「卒業式ぐらいでしか着ることないんだから、これ貴重よ〜〜レアなお姿よ〜〜」 「それもそうだけどさ……」 「む…………」  袴姿の月姉を見ていると……突然、胸が弾んだ。 「あ……」  すぐに月姉も気づいた。  俺たちは、相手のことがすぐわかる。  特に、えっちな気持ちになった時には……。 「……したいんだ」 「うん。今、こみ上げてきた」 「この格好で」 「うん。その格好だからこそ」 「コスプレ趣味? 変態」 「うん」  袴姿が近づいてくる。  俺はその体に手を伸ばす。  肩。腰。お尻。  胸……。 「ん……やん……」 「まだ、洗濯する日にちの余裕、あるよね……」 「……汚す気なんだ?」  月姉は、胸を揉む俺の手に、自分の手を重ねて、さらに強く揉ませながら、熱っぽく口にした。  その目が、とろんとなっている。 「この格好のまま、エッチして、いやらしい汁でべとべとにするつもりなんだ……」 「ああ……」  俺はきっぱり宣言すると、まずは月姉を抱き寄せ、キスをした。 「ん……」  唇を重ね、軽く舌をつつき合う。  それだけでもう、俺も月姉も、とろとろになっていた。 「月姉……綺麗だよ。すごく似合ってる」 「脱がせながらゆーな……ん……」  襟に手をかけ、ゆっくりと……押し開く……。 「ごくっ……」  首元の白い肌。鎖骨。胸の谷間――だんだんと見えてくるふたつのふくらみ……。  そして、完全に――開いて……おっぱいが、ぽろんとまろび出る……。 「あ……ブラ……」  重たげな丸いふくらみを、支える下着が、見あたらない。 「やん……」 「つけないで来たんだ?」  俺は乳房を、下から持ち上げ、軽く揉みしだく。  手の平いっぱいに、ふにふにした感触と、熱。 「あ……ん……ふあ……やん……」  揉まれると月姉はうっとりとする。 「乳首、まだいじってないのに、もう硬くなってる……」  そこにじわじわと指を近づけ、十分意識させてから、おもむろにはさみこむ。 「んっ……んっ、んっ……あっ……!」  月姉の肌がみるみる桜色に染まってゆく。  この変化がたまらない。 「はあん……ちくび、いやぁ……あ……だめ……感じちゃう……んっ……」  こり、こりと、指の腹ではさんで転がす。  指先で押し潰して円を描く。 「はうっ……んっ……くっ、ふ、はあっ……」  ぴくぴく痙攣する月姉の唇を奪い、甘い声も吸い取る。 「んむ……ちゅ……ぴちゅ、くちゅ、くちゅ……ちゅぱ……れろ、れろ、れろ……」  すぐに舌が出てきて、俺の舌に絡みつく。  俺も、月姉の舌をまさぐりながら、両方の乳首を刺激する。 「んっ! んっ、んっ! んーっ!」  月姉はくぐもった悲鳴をあげ、眉間を寄せて悶える。  動きの止まった舌をとらえ、根元からたっぷりと舐め回す。  乳首も、はさんで引っ張り、こりこり転がして、一番月姉の感じるやり方で刺激。 「はう、んっ、んっ、んふぅ……はうっ! んっ!」  月姉はひときわ高い声を上げ、びくんと大きく体を引きつらせた。 「今……イッたでしょ……?」  ぬらりと糸を引きながら唇を離す。  月姉は、あごに垂れた唾液をぬぐうこともせず、忘我の状態でふらふらと。  俺も、股間はとっくにガチガチだし、頭が溶けて、ぐつぐつと煮えたみたいになっている。  もう我慢どころじゃなくて、月姉の裸の肩に手をかけ、押し倒そうと――。 「……待って」  月姉は、うるみきった瞳で言うと、俺を押しとどめ、ズボンの前を開きはじめた。 「今日は……せっかくだから……胸で、してあげる……」  勢いよく飛び出したペニスを見ながら、月姉は自分で胸を寄せ、ただでさえ深い谷間をさらに深くして見せた。 「いや?」 「お……お願い……」 「うふふ……」  俺は、操られるように、月姉の前に立った。  俺の方が上から見てるけど、主導権は月姉の方……。 「それじゃ……それっ」  むにっ……。  とんでもなくやわらかく、気持ちいい感触が、肉棒をいっぱいに包みこんだ。 「うあ……!」 「うふふっ。熱い……祐真のこれ、すごいね……こんなに……」  おっぱいが揉まれ、こね回される。  はさまれたペニスが刺激され、手ともあそこともまた違う、ぞくぞくと震えるような快感がこみ上げる。  斜め下から中央に向けて、持ち上げられるおっぱい。  やわらかな肉にはさまれ、埋もれるペニス。 「ん……ん……んふ……」  月姉は、胸の快感を味わいながら、胸でするっていうこの行為に興奮している。 「なんか、これ、すごくやらしいね……」 「おっぱいでさ、おちんちんを、はさんじゃって……しごいて……」 「このままされたら、出ちゃうでしょ? 祐真、熱いの、出しちゃうでしょ?」  言いながらも乳房でしごき続ける。 「う……!」  さっきのキスでもうできあがっていた俺の肉棒は、先端から透明な汁をじくじくにじませている。  それが張りつめた乳房にまぶされ、ぬめりができて、しごかれる快感が倍加する。 「ほうら、いい顔……感じてるね、祐真……わかるよ、これから、伝わってくる……ほら……」  さらに強くはさまれ、しごかれた。 「うっ、あっ、あっ……!」  さらに鈴口から汁は漏れ、エラへ、サオへと、おっぱいを使ってまぶされていって、ぬちゅっ、ぬちゅっと音がする。 「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ……やらしい……」  月姉は手にぐいっと力を入れて、無理矢理ねじ向け、乳首をペニスに触れさせた。  しこった突起に、亀頭を、エラを擦られて、俺も月姉も、吐息を甘く震わせた。 「んっ、はっ、んっ……あっ……」 「やば、それ、月姉……エロすぎ……!」 「そ、そんなこと言ってたら……もっと……こんなことしちゃったら……どうする?」  月姉は、寄り目になって、自分の乳房の間から顔を出している、ぬらぬらする亀頭を見つめた。  あごを引き――口を開き……。 「れろっ……はむっ……」  舌が出て、舐められた次の瞬間、くわえられていた。 「んあああっ!」 「んふ……やらひぃ……れろれろれろ、れろ……」  キャンディーみたいにべっとりと舐め回されてから、舌先で鈴口だけをちろちろ刺激される。  鳥肌がびっしり立って、俺は裏返った声を上げて身悶えた。 「うあっ、そ、それっ、月姉、それはっ!」 「んふ……感じひゃう? ここ、きもひいひ?」  舌を伸ばしたまま、目を細めて淫らに笑う月姉。  ぬらつく舌が、亀頭を這い回り、さらにたっぷりと唾液をまぶしてゆく。  一度口が離れ、おっぱいが亀頭を包み――。 「うふふ、濡れた。いっぱい濡れちゃったね……べとべとだ」  ぬちゅ、ぬちゅ、ぬりゅっ、ぬりゅっ……。  おっぱいで、ぬめるペニスをはさまれ、しごかれて……。 「それじゃ、また……いただきまーす……はむっ」  亀頭をくわえられ、しゃぶられる。 「うっ、うっ、あっ……あっ……くっ、あっ!」 「ちゅぷ、ちゅく、ちゅ、じゅっ……れろ、れろ、れろ……ぴちゃ、ぴちゅ、ぴちゅ、くちゅ、くちゅ……」  月姉の唇が亀頭をはさみ、舌が激しく這い回る。  熱くぬめる舌からもたらされる快感に、俺は声を漏らし、身震いし、どんどん昂ってゆく。 「ん……どう? いひ?」 「あ……いいよ……月姉……出そう……もう、だめ……だよ……!」 「いひよ……らひて……じゅる、じゅる、じゅちゅうう……!」  頬をすぼめて、吸われた。  熱い頬肉が、亀頭にべったり張りついてくる。  舌も、一番敏感な部分に貼りついて、ざらざらした味蕾で刺激してくる。 「んっ、おっ、おっ……!」  おっぱいも、袋やサオをむにむに、ぐいぐいと刺激してくる。  溶けてく……先端から袋まで全部が、月姉にとろとろにされていくみたい……。 「じゅる、じゅる、じゅる……」  吸われる。あふれる先走りを、月姉は全部吸い取り、口にたまった唾と一緒に飲みこんでゆく。  さらに鈴口を、裏筋を、エラを、舐め回し……おっぱいでペニスを包み、揉みしだいて……。 「うっ、くっ、あっ……だめ……だっ!」  我慢も、もう限界だった。  会陰部がひくつき、腰が震える。 「れろ……れろ……」  月姉の舌が大きく亀頭を舐め回し、それがとどめになる。  限界。出すことしか考えられない。 「うっ、あっ、あっ、あっ! んああっ!」  腰をひくつかせ、俺の方から月姉の口でずぼずぼして……熱い痺れが……来る……くる、くるぅ……! 「んんっ!」  ペニスが一気にふくれ、熱を帯びた。 「ああああああっ!」  出る……! 「それっ……」  月姉はそこで、ちゅるんと、ペニスを口から吐き出した。  どろりとした、濁った糸を何本も伸ばす亀頭を、舌を伸ばしてれろれろと――。 「出しちゃえ」  どびゅっ! 「ひゃっ!」  どびゅっ、びゅっ、びゅくっ! 「あ゛…………ああ……!」  熱い白濁液が、月姉の顔に、胸に、降り注いでゆく……。 「あ……すごい……こんなに……いっぱい……」  月姉も、自分にぶっかけられた精液に、ひどく昂った顔つきになって――。 「あ゛っ!」  いきなり、目の焦点をなくして、激しく身震いした。 「はふ……」 「月姉……今……イッたね?」  俺は、硬度をなくしてゆくペニスを、月姉の頬や唇になすりつける。 「ん……れろ……くちゅ、くちゅ……れろ……」  じわりとにじむ、名残の精液を、月姉は舐めとり、〈啜〉《すす》り……喉を何度も動かした。 「んはぁ……すごい……祐真の、精液で……いっぱい……におい……あはぁ……」  完全に酔いしれ、我を忘れた顔つきで、月姉は舌を伸ばし、顔や胸、手にこびりついた精液を舐めとってゆく。 「やらひぃ……じゅる……こんなことひてる、あらひ……じゅる、れろ、れろ……」 「本当に……えっちだね、月姉は……」  俺は、さっきまでよりもさらにしこって、〈乳暈〉《にゅううん》からぷっくり突き出ている乳首を、そっと指でいじくった。 「んあんっ!」 「べとべとしてるよね……これ、たまんないだろ?」  ぬるぬるする乳首を、転がし、つつき、引っ張って指の間でこね回す。 「ふあ、あ、あ、だめぇ……ふああ……」  月姉は脚をぎゅっと閉じ、内側から噴き出るものを押しとどめるように、身を強く縮めた。 「んあぁ……あ……うぅっ……」 「また、イッちゃいそう? 精液でべとべとになったまま、乳首だけで、イッちゃう?」 「はう……らめ……あ……!」  月姉は、まだ白いものの残る口周りを舐めながら、俺のズボンに手をかけ、完全に脱がせた。 「だめ……胸じゃなくて、こっち……こっちに、欲しいの……!」  月姉は、下半身を裸にした俺を、ベッドに寝かせた。  袴を、もぞもぞ脱ごうとする。 「だめ。そのまま」 「やあ……濡れちゃう……えっちなにおい、いっぱいついちゃうよ……」 「つけるんだよ」  俺は月姉を引っ張り、その股間を、袴の上からぐいっと刺激した。 「ひゃあんっ!?」 「ここ……もう、ぐしょぐしょなんだろ?」 「興奮して、濡れて、染みて……もうとっくに、汚れて、やらしいにおい、つけちゃってるんだろ?」 「や……だめ……言わないで……」  口ではそう言いながらも、言葉責めにぞくぞくと鳥肌を立てている、潤みきった目つきをして、逆らわずに俺の上にまたがってくる。  俺は、袴の裾から腕を入れ、月姉の脚沿いに、愛撫しながら指先を進めていった。 「んあ……だめ……だめえ……ふあぁ……」  びくっ、びくっと身を震わせ、月姉はむき出しのおっぱいを揺らして悶える。  指先が、大事な部分にかかった。 「濡れてる……」  いちいち確かめるまでもなく、そこはもう大洪水、お漏らししたみたいにぐしょ濡れ。  お気に入りの紐パンの、紐をほどいて、あそこをむき出しに。 「や……んぅ……」  仰向けに寝る俺の股間では、復活したペニスが隆々と天を衝いている。 「ほら、月姉……自分で、〈挿〉《い》れてごらん……」 「やだ……だめ……だめよぉ……」  恥じらいながら、しかし情欲に抗うことができず、震えながら月姉は腰を落としてゆく。  邪魔な袴を思いきり脇によけて、ほぐれきってよだれを垂らしている熱い媚肉に、ペニスをあてがい……。 「いっ、いくよ……祐真……!」 「いいよ……そのまま、腰、落として……!」  月姉のお尻が落ちてきた。  ずぶり……! 「んああああっ!」  亀頭が膣口に入りこんだだけで、月姉はあごをそらして強く悶えた。 「やっ、これっ、あっ、あっ! しゅごっ! ひっ!」  ずぶ、ずぶ、ずぶ……。  体重が乗せられ、月姉の腰がどんどん落ちてくる。 「んあ……あ……」  ペニスが熱く、狭いものに包みこまれ、締めつけられて……。  ああ……気持ちいい……! 「ふ、は、はっ、あっ、あ……んあぁ……!」  とうとう、全部が月姉の中に飲みこまれた。  べったりとお尻が落ち、俺の腰にやわらかな重みがかかってくる。 「お、奥……突いて……深い……よぉ……!」  亀頭に、強い抵抗がある。一番深い場所、膣の奥の奥。  そこまで、肉棒が達して、刺激している。 「あう……う……は……あぁ……!」  串刺しにされたように、月姉はあごを上げ、おっぱいを震わせてぶるぶると震えた。 「こ、これ……今日……すごい……だめ……あっ!」  びくっと月姉は体を波打たせ、歯を食いしばった。  まだ初めての時と大して変わりない、狭くきつい膣が、さらにきつく、痛いくらいに締めつけてきた。  ぎゅっ、ぎゅっと続いた痙攣が、ようやく止まり、月姉の首がかくんと傾く。 「んはぁ……い、〈挿〉《い》れただけで……イッちゃっ……たぁ……」  すっかり力が抜けて、よだれを口の端ににじませながら荒い息をつく月姉。  その頬を俺はなでて、手を首筋へ下ろし、そのあたりをなで回した。 「ん……」  幸せそうに、俺の愛撫に身を委ねる月姉。 「今日、いつもよりエッチだよね、月姉……」 「おっぱいでしてくれるし……しゃぶって、精液おいしそうに飲んじゃうし……」 「ん……やあん……あ……」  俺は月姉の淫らさを言い立てながら、手をだんだんと下へ動かしていって、乳首を鮮やかに浮き上がらせているおっぱいを包みこんだ。 「ここも、熱くなって、ぱんぱんになって……」  指を食いこませ、揉む。  形が変わり、指の間から白い柔肉がはみ出してくる。 「ん……んぅ……はぁん……祐真ぁ……」  泣きそうな声を月姉は漏らし、頬を引きつらせる。 「やらしいおっぱい……前より大きくなってない?」 「だって、祐真が……いつも、揉むから……いつも、やらしく……しちゃうから……!」  乳首には触れないようにして、おっぱいを揉み続ける。  月姉は、じんわりと気持ちよくなってはいるものの、強い性感は得られず、脂汗を浮かせて身悶えた。 「はあっ、やっ……これ……だめ……」 「月姉がやらしいんだよ。おっぱいでこんなに感じる体になっちゃって……」 「俺のもの、飲みこんだだけで、イッちゃって……」 「は、あ、ああんっ! ふあっ……はあっ」  ぶるっと、さざ波のような震えがはしった。  まだ動いていないのに、ペニスでいっぱいになっている膣口の端から愛液が漏れてきている。  陰毛や袋が、甘酸っぱい粘汁まみれになってゆく感覚を楽しみながら、俺はさらに月姉を言葉責め。 「やらしいな……本当に、エッチだよ、月姉って……淫乱……セックス狂いの色情狂……」 「う……うう……ちがう……そんなんじゃ……!」 「今日は、何回イッちゃうの?」  俺は月姉の脇腹をなで下ろした。 「ひゃうっ!」  そこは弱いらしく、さわさわと愛撫すると、膣の方が小刻みに痙攣し始める。 「ひう、はう……んはぁ……」 「キスで一回。おっぱいで一回。精液浴びせられて、変態っぽく、一回。〈挿〉《い》れただけで、また一回……」  手をさらに下へ動かし、股間を強引に開く。  ペニスをくわえこみ、充血しきっている陰唇と、自分から包皮を押しのけて顔をだしているクリトリス。 「やあ……だめ……見ちゃ……」 「こんなになって、愛液漏らしまくって……さっきから、おまんこヒクヒクしてるよ……」 「や……あ……祐真……あ……!」  月姉は、しきりに喉を鳴らし、切なげに眉を震わせる。  全身が快感を求めて、熱くうずいて、もうどうしようもなくなってるんだ。 「こんなとこ、これでズボズボやったら、どうなっちゃうのかな」  ちょっとだけ腰を揺すった。 「あっ! ひっ、はっ、ああっ!」  俺は一度動いただけなのに、月姉の体がそのまま、止まらずにゆらゆらと動きはじめた。 「はああん! あんっ、あっ、あっ! やっ、これっ、すごっ、やっ、やめてっ! だめえっ!」 「俺は何もしてないよ? ほら?」  俺は月姉の乳首をつまみ、そのまま手を固定した。 「ひあんっ……はぁっ……はう……あっ、あっ!」  月姉の上体も、前後に動きはじめる。  俺が動かさない分、自分で動いて、乳首に刺激を得ようとする。  腰もまた、感じすぎるので控えめではあるけれど、前後に、擦りつけるような動きを繰り返す。 「ほら、ほら、動いてる、月姉が、いやらしく、自分から動いて……こんなに……ほら……」 「うそっ、あっ、あっ! だめっ……やめて……はあん……これ、だめ、やめて……動かさないで!」 「そう? じゃあ、動かすのやめるよ?」  俺は月姉の腰をがっしり押さえこみ、身動きできないようにした。 「あ……あっ!? はあっ……」  月姉は一瞬だけ安堵したものの、すぐに、前にも勝る欲求不満と体の疼きが襲い、顔を大きく歪ませた。 「うあ……あぁ……ぐ、う、ううぅ……あう……!」  がちがち歯が鳴る。目が真っ赤。腰が、腕が、はたから見てもわかるほどにブルブル震え出す。  膣襞が小刻みにうねり、音がするほど大量に愛液をにじませる。  月姉の全身の細胞が、快感を求めて声を上げているようだ。 「ゆ、祐真……祐真っ! ゆうまぁっ!」 「それじゃわかんない。どうしてほしい?」 「はっ、はやくっ! はやくうっ! だめっ、これっ、だめえっ! もうだめっ!」 「何がだめなの? どうしてほしいの? 言ってくれたら、その通りにしてあげる」 「は……それは……う……ううっ……んあああっ!」  なけなしの理性で崩壊を押しとどめようとした月姉だったが、燃え上がる体の欲求の前に、みるみるその目から意志の光が失われてゆく。  ぽろりと、涙がこぼれた。 「して……!」 「してっ! いっぱい、深く、ずぼずぼしてえっ!」 「えっちして、気持ちよくして、いかせてえっ!」 「お願い、はやく、もう我慢できないっ! はやくっ、はやくううっ!」 「ようし……イッちゃえっ!」  俺は、ぐいっと腰を突き上げた。 「は…………ふああああっ!」  いきなり、熱いしぶきが飛び散った。  きゅ、きゅっと、膣襞が脈打ち、ペニスを引きこむように強くうねる。 「いきなり、イッた?」 「はふ……わかん……なひぃ……」  舌をだらんと出して、月姉はきれぎれに呻いた。  その体が、自分の意志とは関係ないように、腰を中心にぐいぐいと、いやらしくくねりはじめる。  お尻が持ち上がり、落ちてくる。  円を描くように、ひねりも加わる。 「はふ、はあっ、あっ、くっ、はあっ!」  望んでいた快感が一気に押し寄せてきて、月姉は壊れた人形のように、ひたすら腰を振り続けた。  じゅぼっ、じゅぼっ。ペニスが膣に飲みこまれるたびに、あふれる愛液が重たい粘着音をたてる。 「ひいっ! ひっ! はっ! ふああっ!」  月姉は、笛みたいな異音を喉から立て続けに噴き出した。 「これっ! らめっ! 感じっ、しゅぎっ! りゅっ! 止まんっ、なっ、いっ! んあああっ!」 「そんなに感じちゃってるんだ? またイッちゃうんだ? いやらしい顔して、最高に気持ちよくなっちゃうんだ?」  俺は月姉の頬をはさんで、まっすぐ俺の目を見させた。 「や……あ……う、う、うっ……あ……ふあっ!」  月姉の瞳が、みるみる潤み、焦点が合わなくなってゆく。  顔を固定されながらも、その腰は上下に、淫らに動き続け、ますます自分で膣内をかき回して。 「はぁう……う……んおぁ……あ゛……!」  泣き笑いに似た、くしゃくしゃに歪んだ顔になる。 「らめ……ゆぅま……いく……いくぅ……っ! んっ!」  腰が落ちて、止まり、びくびくっと波打って。  ペニスを飲みこんだ膣が、これまでで一番の締めつけを。 「いく……い……んあ……あ……」  赤ん坊みたいにつぶやくと、月姉の口元からよだれが垂れた。  俺はそれをぬぐい、指を月姉の口に差し入れる。 「ん……ちゅぱ、ちゅぷ、ちゅぷ……じゅる……」  半ば意識が飛んだような状態で、月姉は糸を引くほどたっぷりと、俺の指を舐めしゃぶった。  指を舐められて、俺の方もぞくぞくする。股間がますます力をみなぎらせ、みっちりと膣内に充満する。  動きが止まった月姉の膣内を、今度は俺の方から腰を動かし、擦りたててやった。 「んあぁ……あ゛ぁ……ま゛っで……らめぇ……今は、まら……ひっ、はあっ!」 「だめ。待たない。俺だって、いきたいんだから……ほら、こんなに、大きくなってるだろ」 「んあああああっ! らめえっ! ひいっ、くはああっ!」  じゅぷっ、じゅぷっ、じゅぷっ……。  袴に大きな染みを作り、俺の股間はおろか、下半身をべとべとに濡らすほどに漏れ出ている愛液。  淫らなにおいが鼻孔をつく。  月姉の全身が汗に濡れ、様々な汁まみれになって、壊れた顔つきでがくんがくん体を揺らす。 「はぐぅ……はひぃ……はっ、はふ……はひ……ひぃ……あふぅ……」  月姉のヴァギナはすっかりほぐれきって、穴というより、ねっとりした液体の中を往復しているように感じる。  だけど、抜き差しするたびに押し寄せる快感もまた、尋常ではなく……。 「うあ……あ……あう……」  月姉の動きが、俺の動きとぴったり合って。  ペニスがしゃぶられて、溶かされてゆくようだ。  腕がぴりぴりして、指先が痺れる。  腰を動かして月姉を刺激しようとし続けるが、だんだん力が入らなくなってくる。 「ふああんっ、あっ、おっ、おっきいっ、ゆうまの、おっきいっ! しゅごいっ!」  体の力は抜けてゆくのに、股間は力を増す一方。  月姉の腰がくねるたびに、熱いものが背筋を駆け上がってくる。 「はぁ……あぁ……」 「あっ、いくっ、またっ、まらっ、いっひゃうっ!」  ぐうん、と月姉は反り返り、乳房を見せつけるようにして、全身を突っ張らせ、激烈に震えた。  それがゆるむと、また腰を動かしはじめる。 「どっ、どまんっ、ないっ……!」  くしゃくしゃの顔、あごからぽたぽた随喜の涙を垂れ流して、失神するまで終わりのない快感の渦にもてあそばれる。  俺も、月姉の狂乱ぶりと、ほぐれきった膣の感触とに、興奮はもう引き返せないところまで高まって。 「月姉、月姉っ!」 「ゆうまっ、ゆうま、ゆうまっ! しゅきっ、しゅき、しゅきなの、しゅひぃ……!」  手を握り合う。  指を絡める。  それだけで、白い閃光のようなものが目の奥にはしり、俺も月姉も、ぐにゃぐにゃになった。 「月姉……ずっと、一緒だよ……!」 「うん! いっしょ! いっしょに……いく……いっ、いく、のっ……いくっ!」  月姉は汗を散らして、俺の上で最後の動きを始めた。  濡れた乳房が揺れ、乳首がギザギザの軌跡を描く。  髪が踊り、肌がくねり、腰が上下に弾んで。 「はっ、はっ、はっ、あっ、あっ!」  俺も、月姉に合わせて腰を跳ねさせ、より多く、より深く、月姉の内側をえぐり、擦る。 「はぐぅっ、う゛っ、あ゛っ、あ゛っ! ゆうまっ、ゆうま゛っ!」  もう何度イッているかわからない、ぐちゃぐちゃになった意識の中で、月姉はただ、俺の絶頂をだけ待ち望んでいる。  俺も、月姉の中に、深い部分に放出することしかなくなった。  出したい……全部月姉に出して、溶け合って、ひとつになりたい……! 「月姉っ……つきっ……あっ……んあああっ!」  来た……大きな波……熱いかたまり……!  月姉のお尻がくねり、ペニスが根元から先端まで、すべての角度で、ねっとりとしごかれて。 「んああああっ!」 「ああああっ!」  二人の悲鳴が重なる。  あそこが熱い……熱い……熱いっ! 「あっ! あっ! ひっ! あああっ!」  顔が歪む。声を止められない。泣きたい。泣く。漏らす。漏れる。 「ひはぁ、あぁ、あ、あ、あ、あ、あ……!」  重なり、交わった声が、一気に高まっていって――。 「ああああああああああああああああああっ!!」  自分の声か、月姉の声かもわからない、激しい悲鳴と共に。  びゅびゅっ! びゅっ! びゅっ!  一番深いところに、熱いものが、弾けて! 「んああああああっ!」 「あ゛…………!」  月姉は、びくんと、一度だけ大きく体を波打たせた。  その口が、おかしな風に引きつり、ゆがんで。 「あ゛う゛……あ゛……ぐ……お゛あ゛……」  いきなり、大量の熱いものが、俺の下半身を濡らした。  月姉の口の端から、白い泡があふれてきた。  目がぐるりと裏返り、首が完全に力を失って斜め前にがくりと傾く。  そのまま、動かなくなった。 「うあ……あ……」  俺も、全身の関節が溶けて、筋肉が粘土になってしまったかのように、どこも動かせずに、ぐったりする。  なおもどくどく漏れ続けている精液と、力をなくしてゆくペニス、そしてそれにつれて、どこまでも落ちてゆくような、底知れぬ恍惚感……。  人形のように横たわる俺の上に、月姉が倒れてきた。  抱きしめ、息をつく。  月姉は、泡を吹き白目をむいて、完全に失神してしまっていた。  すごい……ここまで感じることができるんだ。  俺で、こんなになってくれたんだ。  プライドも羞恥心も、全てを捨てて、最も奥深い、生々しい有様をさらけ出してくれた。  俺もまた、泣き叫び、月姉以外の人には絶対に見せられない、恥ずかしい姿をさらした。  お互いの、一番深い部分まで入りこんで、全てを見せて、受け入れて、つながって……。  初めて、本当に結ばれた気がした。  俺は、全身がぬめるようになっている月姉を抱きしめ、気絶しているその唇に、唇を重ねた。  月姉のあそこは、まだ俺のものを包みこみ、締めつけてきている。  だけどさすがに、柔らかくなったペニスは、ぬるりと膣内から抜け落ちた。  その後から、どろりとした熱いものがあふれてきて、月姉が漏らしたものでぐしょ濡れの俺の下半身に、最後の一筆を描いた……。  ――これは、後で聞いた話だけど。  この時の俺と月姉の、あられもない声は、やっぱり漏れてしまっていて。  本気も本気、本当の快感に満ちた、濃密なセックスの気配に、寮中があてられてしまったとのこと。  男も女も、悶々として、どうしようもない気分になって。  さまよい出た男と女が、言葉もなく寄り添い、それぞれの部屋へ消えていく光景が、何度も見られ。  それをきっかけに誕生したカップルが、何組も……。  そして、俺のあだ名に、『画伯』に続いて、『夜の帝王』『下半身絶対勇者』『マスター』などの、あまりありがたくないものが追加されたそうだった。  さらに日にちが過ぎ――。  とうとう、今日は卒業式。  月姉の大作は何とか完成し、来賓も通る廊下に、堂々と展示されていた。  月姉のお母さんも、姿を見せた。  電話での印象以上に強烈にして猛烈。  俺と月姉と、桜井先輩を束にしてかかっても、とてもかないそうにない人だった……。  式典が終わると、卒業生は前庭で、在校生に取り囲まれて、写真撮影やら記念品やら、最後の告白やらで大騒ぎ。  月姉もその渦の中にいたけど、この時ばかりは、俺は遠慮して近づかなかった。  俺たちにとっての、ある意味本当の卒業式は、その後、寮に戻ってからだった。  今日でお別れする先輩たちを、残る後輩たちが送り出す。 「みんな、今日までありがとう」 「お別れするのは寂しいけれど、四月にはまた新しい人が入ってきて、新しい出会い、新しい生活が始まります」 「最上級生となるみんなは責任感を持って、先輩となるみんなはお手本となるように、勉強に部活に毎日の生活に、一生懸命励んでください」  俺、稲森さん、夜々、恋路橋……みんなで、心からの拍手。 「ぐすっ……先輩方、今日まで、本当にありがとうございました!」 「これからも、私たちは頑張っていきますので、どうぞよろしく見守っていてください!」 「先輩方のこれからが、幸せなものでありますように!」  ぼろぼろ泣きながら、在校生代表として、稲森さんが挨拶した。  ちなみに、春からの新寮長は、俺と稲森さんということになっている。  後輩一同から、先輩方一人一人に、プレゼントを手渡してゆく。  記念品と一緒に、あの年末の、寮をあげての演劇……あのステージの写真集が添えられていた。 「……ぐすっ」  さすがの月姉も、涙ぐみ、鼻を〈啜〉《すす》った。  そして、本当に最後のイベント。  先輩方の部屋の荷物を、在校生組が総出で寮の前に運び出す。  大掃除に匹敵する騒ぎの末に、寮の前に段ボール箱が山積みになる。  それを取りにくる業者のトラックを拍手で迎える。  そして、トラックが動き出すと――それで本当に、お別れだ。  卒業生たちが、寮を出てゆく。  これで、月姉も桜井先輩も、完全に寮生ではなくなった。  もう、みんなが同じ屋根の下で過ごすことは、二度とない……ひとつの時代が終わる……。 「では祐真、後はまかせたぞ!」 「秘蔵のDVDコレクションのうち、厳選したものを、君のために残しておいた!」 「寮内に隠してあるから、ぜひとも見つけ出し、濃厚にして芳醇なひとときを楽しんでくれたまえ!」 「この大馬鹿者がああああっ!」  最後の最後で、しんみりした空気を全部ぶちこわしてくれた。  さて、こんな終わり方で、いいのかどうか……。  だけど、涙よりは、笑顔の方がずっといい。 「本当に、色々お世話になりました。ありがとうございます」 「いや、僕の方こそ、君には心から感謝しているよ」 「……月音さんをよろしくな」 「はいっ!」  ――それが、桜井先輩との、最後の会話だった。  この人のことは、最後まで、つかみきれなかったような気がする……。  さらに日は過ぎ、とうとう月姉が旅立つ時が来た。  風が暖かい。  もうすっかり春だ。 「それじゃ、行ってくるわ」 「軽いね」  これから新生活へと旅立つというのに、月姉はあきれるくらい軽装で、態度も明るい。  おばさんも見送りに来てない。俺たちだけだ。 「だって、すぐまた会えるでしょ?」 「というか、会わなきゃならないでしょ」 「来年には、一緒に美大に行かなくちゃ」 「そうなんだよな……俺の方がむしろ、きついか……」  俺はこれから先、あの画塾に通って絵の勉強に励むことになっている。 「経験者からのアドバイスね。上手く描こうと思わないこと。楽しんで描く、それが大事よ」 「あと、途中であれこれ悩まないように。大体の場合、最初に直感的に浮かんだものが、結局一番よかったりするものだから」 「わかった……」 「それから、これ。卒業記念に、あたしからのプレゼント」 「……?」  A3ぐらいの大きさの、板……いや、キャンバス? 「家で、なんだか頭に浮かんで、描いてみたの」 「………………」 「これって……クローバー?」 「夢……かな。頭に自然と浮かんできてね」 「ほら、クローバーって、幸せのイメージあるでしょ。幸運のお守り代わりにって、祐真にあげようと思ったの」 「うん……」  鮮烈なその光景は、どこかで見たことがあるような気がした。  実際に立ったことのある場所――最も古い記憶のようにおぼろな、だけどひどく懐かしい……。 「……そんなに気に入った?」  ハッとする。何分も見入ってしまっていた。 「うん……大事に飾っておくよ。ありがとう!」 「どういたしまして。へへっ」  月姉は照れくさそうに笑った。  だけど、その顔が、不意に曇る。 「……心配だなあ」 「祐真、本当に大丈夫?」 「いや、そりゃもちろん」 「絵の勉強頑張るし、ランニングも欠かしません」 「浮気なんかもちろんしないし、桜井先輩みたいな真似も、後輩にはしませんし……」 「そういう事じゃなくて」 「……本当に、あたしとつきあって、大丈夫なのかなって……」 「あたしみたいなのとつきあってなければ、もっと別な、幸せな人生を送れるかも、って……」 「………………」  平気に見えても、やっぱり、不安だったんだな。  月姉のお母さんじゃないけど、こういうところがあるから、ずっと誰かが側にいてあげないと。  それはもちろん、俺だ。 「逆だよ。俺は、月姉じゃなくちゃ、幸せな人生は歩めない」 「画家だよ、画家。月姉とつき合ってなかったら、絵なんて描いてないし、こんな面白い道に進もうなんて思いもしなかった」 「これからも、月姉がいるからこそ、俺は楽しく、面白い毎日を送れるんだよ」 「こんなに幸せなことはないよ」 「……信じて、いい?」 「もちろん!」 「じゃ……お祈りさせてもらって、いい?」 「お祈り?」  月姉は、そっと俺の首に腕を回し、抱きしめてきた。  俺の胸に頭をつけて、軽く目を閉じ、つぶやく。 「祐真が幸せでいられますように。祐真が明るくいられますように」 「あたしが引っ張りこんだ道で、祐真が後悔することがありませんように……!」 「月姉……」  俺は月姉の背中をなでた。 「違うよ。絵の道に行きたいって思ったのは、俺自身の意志。月姉は道があるって教えてくれただけ」 「自分で選んだ道だから、どうなったって月姉のせいなんかじゃないし、後悔だって絶対にしないよ」 「……ぐすっ……」  軽く鼻を〈啜〉《すす》って、月姉は顔を上げた。 「それ、信じていいんだよね?」 「もちろん!」  もう一度、月姉を抱きしめた。  月姉は、俺に抱かれながら――小さな、可愛い袋を手にしていた。 「なに、それ?」 「その絵と同じ、あたしの方の、お守り」  月姉は中を見せてくれた。 「………………?」  四つ葉の、クローバー……。  演劇祭前に見つけた、あのクローバー。 「まだ持ってたの?」 「でも、これって、本当に大事な願いを一度だけかなえてくれる、魔法のクローバーなのよ」 「え……えっ!?」  月姉は、真剣に俺の目を見上げてきた。  まさか……ほ、本当に!? 「……なあんて、ね」 「冗談かよ」 「さあ」 「冷静に考えれば、ただのクローバーじゃないかって思うんだけど……」 「ほら、噂あったでしょ。何でも願いのかなう、奇跡のクローバー」 「あれって、これのことじゃないのかなあ、なんてね」 「まあ、四つ葉だし、本当に願いがかなうならすごいじゃない?」 「だから、持っていようって思ってね。袋作って、お守りにしたの」 「そうなんだ……」  似たようなものを見た覚えがあった。  桜井先輩の、パスケース……。  だけど、桜井先輩のは、どこにでもあるクローバーのようだけど、何かが違って見えた。  一面クローバーが広がる野原にこれがまぎれていても、見ただけですぐにわかる気がする。  願いがかなって奇跡が起きると、葉が減って三つ葉になってしまう、あの伝説の……。  まさか……川に捨てた絵が戻ってきた奇跡……あれは……。 「どうしたの?」 「いや……何でもない」  桜井先輩が自分から言わないのなら、俺も黙っていようと思う。  俺は心の中で、すでに日本を離れているだろう先輩に、深々と頭を下げた。  ――そしていよいよ、本当に、出発の時が来る。  俺は見送りに、ホームに立った。  数分間停車する列車のドアの側に月姉が立ち、俺はホームに。  いきなり、風が吹いた。 「………………」 「………………」  自然に、どちらともなく、手を握り合っていた。  指を絡め、しっかりと握る。  心は、お互いがそこにいること、つながっていることをはっきりと感じている。 「……ねえ、月姉」 「なに?」 「さっきの、お守りのクローバーだけど」 「何でも願いがかなうなら、来年の、俺と月姉の合格を願ってよ」  ……ははっ、と月姉は鼻で笑った。 「合格は、自分の力でできること。そんなことに使うわけにはいかないわ」 「自分の力ではどうしようもなくて、それがどうにかなるからこそ、奇跡でしょ?」 「まあ……そうだよな……」 「これはいつか、本当にお願いしたいことができた時に使うの」 「でも、月姉のその基準だと、いつまでも使えないなんてことにならない?」  すると月姉は、この上なく優しく微笑んだ。 「それでいいんじゃない?」 「あたしたちが使わないままでいられるなら、これは子供たちのものになるわ」 「子供たちが使わないですむなら、孫に、さらにその子孫に……」 「………………」 「こ……子供たち?」 「ふふっ」  月姉は、限りなく優しく、深い笑みを浮かべるばかりだった。  発車の時間が来て、俺と月姉の手が離れる。  これは、お別れじゃない。  新しい未来、月姉と一緒に歩む道への、第一歩。  体は離れていても、心はつながっている。  少しだけ別々の道を歩き、そして巡り来る次の春、ひとつになる。  俺は、小さくなってゆく列車に向かって、手を振る代わりに、握った拳を突き出した。  見てろ、月姉!  月姉は自転車でスイスイ行くかもしれないけど、俺の脚だって、そう捨てたものじゃないんだからな!  ――俺は、寮まで走って帰るべく、膝を屈伸させ、準備運動を始めた。  クリスマスが終わったせいか、一気に寮の人口は減った。  食堂はガラガラ。  好きな場所に陣取って、好きなだけ食べた。 「ふう……」  テレビも独占だ。  好きなタイミングでチャンネルを変えても、特に文句は言われない。  なにしろほとんど人がいない。  たまに姿を見せたかと思えば、例外なく荷物を提げていて、慌ただしく寮を出て行ってしまうのだ。  帰省するんだろう。  実家に帰らない寮生はほとんどいないから、長期休みの前半はたいていこのようにバタバタとしている。  そうやってしばらく時間を過ごしていると……。 「やあ、天川君」  大量の荷物を抱えて現れた。 「うわ、すごいな、完全武装じゃないか」 「帰省するんだからこのくらいの土産物は当然さ」  恋路橋が『当然』というところの荷物をチェックしてみる。  パンパンに膨れたカバンがまず目につく。  レジャー用の小さいやつじゃない。登山用の大型のだ。  帰省ならこれひとつで済みそうなものだけど……。  更にはこれまたどでかいボストンバッグが2つ。 「最大積載量ギリギリって感じだな」 「ボクの最大積載量は積めるだけだよ」  トラックに張るシールのようなことを言う。 「実家に戻るだけだろ? 何が入ってるわけ? 夢? 希望?」 「土産物がほとんどかな? これなんて、こっちのデパートでしか買えない有名なお菓子なんだけど」  と片方のボストンバッグから、菓子折を取り出す。  確かにそれは滅多に食べる機会がない、うまくて高いデパート菓子だ。 「……重いだろ。それ引き取ろうか?」 「なんで毎日会ってる君に土産物を渡さないといけないのさ」 「ちぇ」 「だいたいさっき朝食を食べたばっかりだろうに……」 「お菓子は別腹というか」 「うちのママと同じようなこと言うんだね、君」  恋路橋ママと被ってしまった。 「君、帰省は?」 「俺、帰省しないんだ」 「そうなのか」  真面目な顔で考え込む。 「もし良かったら、一緒にウチに泊まりに来るかい?」 「いや、とても耐えられそうにないんで気持ちだけもらっとくよ」 「どういう意味なのかなそれは!?」 「まあ今年は〈悠〉《ゆう》〈々〉《ゆう》〈自〉《じ》〈適〉《てき》な寮生活を楽しまさせてもらうよ」 「そう? あ、そろそろ出ないと」  時計を見やってから、恋路橋はしゅたっと片手を挙げた。 「それじゃ、行く年」 「来る年」  挨拶を交わすと、恋路橋はよたつきながら出て行った。  大丈夫なのかあれ?  恋路橋が出て行ってしばらくすると……。 ギシッ 「うわ、月姉っ?」  月姉が突然やってきて、隣の椅子に座っていた。 「……あー、面倒」  不機嫌そうだった。 「ど、どうしたの? 不機嫌そうだけど……」 「帰省しろって連絡が来て、不機嫌そうになってるの」 「月音先輩……あの……でもそろそろ出ないと……わたし電車なのでして……」  一緒に寮を出るらしい稲森さんは、後ろでおろおろしていた。 「まあ子供の義務だと思って、適当に骨休めしてきたら?」 「……休まったらいいけどね」  すっくと立ち上がる。 「ん、行くわ。寮に残っててもやることないし」 「お疲れ」 「じゃあ……」  申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げる。 「あ、うん……じゃ」  ふたりは連れだって寮を出て行った。  さすがにみんな帰り出すと、寂しくなるな。  クリスマス・パーティーが終わるまで粘ってる連中が多いから、終わった翌日から一気に無人化しちゃうんだよな。  それからの間、ぞろぞろと寮生たちが出て行く姿を見た。  俺はと言うとやることもなく、夕方までずっとテレビを見続けてしまった。 「祐真は今年も居残りかい?」 「先輩は今から帰るんですか」 「ああ。どうやら僕は最後発らしい。寮内から人の気配がほとんどなくなってる」 「もう俺一人だけかも知れませんね。シンとしてるし」 「いや、そんなことはない。そこの物陰に夜々ちゃんが潜んでいる」 「……っ!?」  指さされた辺りに、ひどく慌てたような気配が立ちこめた。 「ここは公共の場なんだし、遠慮せず出ておいでよ」  数秒後、夜々は観念したような態度で出てきた。  少し顔が赤い。 「別に、隠れていたわけでは……」 「君も帰省しない派?」  特に触れることもなく、先輩が訊ねる。  こういうとこ、さりげなくうまいと思う。 「……はい。どこかで何日かくらいは帰ろうかと思ってますけど……遠いので」 「そうなのか。俺一人だけだと思ってたよ」 「家、空き部屋がないから」 「ああ、そりゃ帰りにくいよねぇ」 「……あの桜井先輩、まだ帰らなくて平気なんですか?」 「やあ、二人っきりになるのにジャマだからはやく出てけというニュアンスのことを言われてしまったな、ははは」 「ち、違……っ!?」  夜々が泡を食う。  さすがに今のは露骨すぎたよ……。 「じゃあ僕は帰省させてもらうよ。あとはふたりの自由恋愛空間だけど……この公共空間を愛の巣に染め上げすぎないように注意することだよ」 「何言ってるですか」  カタコトになってしまった。 「では」  爽やかな笑みを残し、桜井先輩は去っていった。 「まったくあの人は……」 「……お兄ちゃん、一緒にテレビ見ていいですか?」 「ああ、もちろん。ふたりしかいないんだし、遠慮なんていらない」 「……うん」  たくさんある椅子のうち、すぐ隣に座ってきた。 「…………」  これは近い。  肩とか密着してるし。  そういや、昨日キスされたんだよな……。  一番親しい異性ということでキスをされたんだ。  異性+親しい+キス=俺  なんかエロチックな方程式だ。 「…………」 「…………」  いかん、意識すると加速度的に気まずくなっていく。 「少しの間しか帰らないんだっけ?」  とりあえず質問して誤魔化す。 「……子供ができて、私の居場所がなくなってるから」 「ああ、下の子がいるんだ」 「と言っても血縁じゃなくて……本当の親じゃないから」  そうか……里親に本当の子供ができたら、そりゃ居場所なくなるよな。 「……親の人に嫌われてるとか?」 「それはないですけど、あまり子育てのジャマしたくないから……帰省したとしても三日くらいですよ」 「そうか……夜々は偉いんだな」  俺がそう言うと、夜々はじっと俺の目を見つめてくる。 「……偉い?」 「ああ、偉いとも」  夜々は考え込む仕草をした。 「……帰省は二日くらいにしますね」 「え? なんで?」  この問い返しには、夜々は不満だったようだ。  ぴく、と片眉だけが動いた。  フォローしないといけない気がした。 「えーと、なんで……なんで二日、なの?」  どうなんだこのフォローは?  フォローとして成立しているのか?  わからないまま、手探りトークを強いられる。 「三日くらい帰省しようと思ってて……でも、もっと短くして二日にしてもいいかなって……その方が、偉いのかなって……」 「ああ、なるほど」  ちょっとだけ掴めた気がする。  つまり――。 「三日は寂しいかな。俺一人になっちゃうし」 「……そんなに寂しいんですか?」 「かなり寂しいな」  再度考え込む夜々。 「なら帰省は一日だけにしましょうか?」 「本当?」 「こんな広い場所で一人きりというのもつらいでしょうから」 「ああ、偉いぞ。冬休みはほとんど夜々とふたりきりってことで、よろしく頼むよ」 「うん、お兄ちゃん」  どこか満足そうな顔で、夜々は頷いた。  自然に目が覚める。  半身を起こし気味に時計を見て、一瞬ひやりとするが、今は冬休みだ。  脱力してベッドに沈む。  八時半だった。  学校があれば遅刻なんだけど、焦って起きる必要はない。 「さみー……」  部屋中が冷え込んでいる。 「うう……腹へった」  空腹では寝られない体質だ。  昼まで持ちこたえることは難しい。  唸りながら布団を抜け出る。  とりあえず着替えると、顔を洗いたくなってくる。  廊下は部屋より寒い。 「仕方ない、行くか」  廊下は予想通り部屋より冷えていたが、シンとして人気がないためいつも以上に寒く感じられた。  そうだ、帰省ラッシュでほとんど残ってないんだな。  洗面所に向かって歩き出す。  水道の冷水で顔を洗って眠気を覚ました。 「あ……タオル忘れた」 「はい」  指先にふんわりとした布地が当てられた。 「おわっ!?」  数歩ほど下がって後頭部を壁に打ち付けてしまった。 「ぐわ……」 「お兄ちゃん、大丈夫?」 「夜々か? いつの間に忍び寄ったんだ……っつぅ」 「普通にあとから来ただけですよ。それよりはい、タオル」 「わ、悪い。借りるな」  顔を拭くと、 「はい」  と夜々がそれを受け取る。 「おはよう、お兄ちゃん」 「うん、おはようさん」  夜々は自分も顔を洗い、俺が使ったタオルを嫌がるでもなく使って水気をぬぐった。 「……どうしたの?」 「普通、リアル妹ってそういうのは嫌がりそうな気がして」 「え、どうして?」 「兄貴の使ったタオルなんてキモくて使えねーよ、みたいな感じ?」 「……肉親にそんなこと言う人の方がキモいです」 「おお、いい人だ」 「当然です」  最初は気難しそうな女の子だと思ってたけど、深くつきあってみると印象変わるってあることなんだなぁ。  これは心にメモしておこう。  それからふたりで並んで歯磨きを済ませた。 「俺はメシ行くけど、夜々はどうする?」 「私もです」  食堂に向かった。  わかっていたことだが、無人だった。 「あ、今日って……もしかしてお休みなんじゃ?」 「いや、休み中でも、ちゃんと用意されてるよ」  奥のスペースに行き、用意されていた六人分の弁当を持って戻る。 「私、お茶淹れますね」 「よろしくー」  ふたりで朝食を摂る。  五人前の弁当を次々とたいらげるのがまだ物珍しいようで、夜々は食事中ずっと俺を見つめていた。 「こういうのんびりしたのも、たまにはいいかな」 「そうですね。騒がしいよりは、ずっと」  どうやら夜々は人が多いのはお好みではないらしい。  苦笑すると、それを見た夜々はむうーと頬を膨らませた。  で、食後。 「さて、テレビでも見ようかな」 「そうですね」 「あ、誰もいないし、夜々も好きなことしていいんだぞ?」 「はい。そうします」  移動する俺の背後を、夜々は裾をつまむようにしてぴったりとついてきた。  そして今、一緒にテレビを見ている。 「……夜々」 「はい」 「見たい番組ある?」 「お兄ちゃんの好きな番組を見てください」 「いいけど、見たいチャンネルあったら変えてもいいぞ?」 「はい、その時はそうします」  番組はどうでもいいみたいな雰囲気だった。  なんとなく落ち着かないものがあるが、そのうち番組に集中してくると、気にならなくなった。  テレビを見始めて数時間。番組も終わり、立ち上がって伸びをする。 「おお、まだ昼前か。休みはいいな」 「あとは夜々の好きなチャンネル見てていいから」  とリモコンを渡す。 「もしかして出かけるんですか?」 「いや。今日はもう夜まで見たいのないから、巣に戻ってるよ」 「あ……」  夜々が迷うような顔を見せる。 「じゃまあ昼飯の時にでも」 「はい……」  俺は自室に戻ることにした。 「さて」 「お邪魔します」 「ちょっと!?」 「?」  ついてきた。 「そんな気はしてたんだけど……」 「駄目なんですか? 心の兄妹なのに」 「そんな便利な言葉で……いや、それ以前にさ、私室には女人禁制だったりするんだよね。本当は」  特別行事だからお目こぼしされてるって部分はあったと思うし。 「柏木先輩とかも入れないんですか?」 「……いや、あの人は……入ってくる時は、勝手に入ってくるからな……」 「柏木先輩が良くて私が駄目だというのはこれは大変ずるいことですから、入ります」  この人もかなり強引ですねぇ!  夜々は素早く入室して、適当な場所に陣取った。  桜井先輩みたいにうまく女の子連れ込むテクがないからなぁ。  新学期になってもこんなことが続くと、変な噂になって問いつめられるかも知れない。  だけどまあ、今は安全なことは確かだ。 「仕方ないな。じゃジュースでも買ってくるよ。待ってて」 「一緒に……」 「すぐ戻るから、待ってていいって!」 「そうですか?」  トイレにまでついてきそうな勢いだ。  いくら〈懐〉《なつ》いてくれて可愛いったって、ちゃんと線引きしとかないとな……。  食堂の販売機で、ジュースを買って戻る。 「はいどうぞ」 「お金は……」 「いいよ、奢り」 「……すいません、いただきます」  受け取った紙コップに、夜々はちびと口をつけた。  普段はしっかりしているせいで気づきにくいが、実は相当な寂しがり屋なのかも知れないな、この人。 「さて、来てもらったはいいけど……この部屋にトレンドなものは何もないんだよね」 「心の兄妹の間にトレンドなんていらないです」 「……なんか引っかかるんだよね、その心の〜ってやつ」 「そうでしょうか?」 「なんか嘘っぽいというか、軽いというか」 「嘘じゃないですよ。本当の気持ちですから」 「そうなんだろうけど……そうだな、義兄妹ってのはどうだ?」 「義理じゃないですか。義理は良くないですよ」 「義理は駄目なの? 義兄弟といっても意味はふたつあって、義理の兄妹っての他に、義によって結ばれたふたりって意味もあるんだぞ?」 「義って何ですか?」 「義は……大義とかじゃない?」 「大義というと、具体的には何でしょう?」  これはなかなか難しい質問だった。 「それは……盗賊団を倒すとか」 「壮大な兄妹です」  夜々はこんなバカ会話にもつきあってくれる、いい子だった。 「ゲームでもやる?」 「いいですよ」  棚を調べてみる。  寮に入り立ての頃は、知り合い同士集まって夜な夜なゲームをしていた。寮生活への物珍しさからの行動だが、今はそういうことはあまりない。  それは修学旅行感覚のようなもので、長く続けば生活の影が色濃くなってくるのは当たり前のことだった。  だから今この部屋に来るのは、本当にごく親しい人間だけなのだ。  そういう人々はたいてい勝手に振る舞うので、わざわざゲームでもてなす必要はないのである。 「前は持ち寄りでいろいろあったんだけど、気がついたらなくなってるな……みんな持ち帰ってたのか」  あるのはトランプとウ○だけだった。  人生スゴロクくらいはあると思ったのに……。 「リビングに行けばオセロとかあるけど、どうする? 持ってこようか?」 「あ、ならお話ししましょう」 「夜々がそれでいいなら、俺はいいよ」  こたつの反対側に足を突っ込むと、すぐに夜々は口を開いた。 「実はこの間――」  学校のこと。寮でのこと。実家でのこと。  夜々の口からは、まるで急流のように言葉が溢れ出てきた。  あまりにも矢継ぎ早にトピックが射かけられるものだから、俺はほとんど相づち要員と化して、うんうんそうなんだと頷いているばかりだった。  激しいところはあっても基本的におとなしい子なのかと思っていたけど、けっこう自己主張はあるものだ。  聞き手に回って、ときおり質問に答えたりしているうちに、あるひとつのことに気付いた。 「なあ、そういやさ」 「……はい?」 「夜々ってまだ友達作ってなかったりする?」 「む……」 「友達なんてものは、自然にできるものを言うんです」 「わざわざ作るなんて発想が、そもそもおかしいのだと思いますよ」  むっとした口調でそう言った。  図星のようだ。 「でも、どうしてそれがお兄ちゃんにわかったんですか?」 「いや、おまえの話ってさ、なんか遠くから見聞きしていることばっかりで……なんとなくそうじゃないかなって思ったんだ」 「…………」  さらに図星だったのか、黙り込んでしまう。  もともと夜々にはそういう傾向があったのだと思う。学食での一件といい、人間関係に距離を置き気味なところは最初から感じられた。  ただ転入したてのクラスに溶け込む時期を、演劇の稽古が奪ってしまったのも事実だ。  少し責任を感じてしまう。 「……私は……別に友達なんて……」 「うっ……すまん……俺が演劇に誘い込んだばっかりに……」 「いえ、お兄ちゃんのせいじゃないです! それは絶対です!」 「……私、もともと人見知りする方なんで、仕方ないです……」  本人的にもちょっと気にしてたんだな。 「うむむ……ああ、まああれだよ夜々。演劇メンバーといい出会いをしたってことでさ。クラスメイトとはこれからも仲良くなる機会はいくらでもありそうだし」 「……イジメとか受けてたりするか?」 「いいえ、それはないです」 「ここの学校は、そういうのなくていいですね」 「ああ、うちはかなり平和な方だな。学校もそういうの見逃す方じゃないし、1年から持ち上がってきた古参のヤツらもそういうの嫌がる風潮だし」 「くだらない人間関係に惑わされずに済むのはいいことです」  夜々はうんうん頷いている。 「それに確かに、あの劇はいい体験だったと思いますし……私、後悔はしてません」 「そう言ってくれるとこっちも助かるよ」  あの劇は、良かった。  専門家じゃない俺にだって、あの体験はちょっとした出来事だったのだ。  共有したのはわずかな時間だけど、もの凄く濃密で、やり遂げたという一体感があった。反響だって凄かった。  そういう思いを、夜々と分かちあえるのが嬉しい。 「……正直、あんなに盛り上がるとは思ってなかったんです」 「しょせんは学生のやることかな、と。でも全然そうじゃなかった……」 「私、最初は嫌がってたじゃないですか?」 「うん。でもそりゃ当然でしょ。いきなり誘ったわけだし、期間は短い、セリフは多い、演技は難しいと来てるわけで」 「ううん……そういうことじゃなくて、最初からバカにしてたところ、あるんですよね。見下してたというか。どうせくだらないんだろうって……」 「もしかしたらてきとうに声かけられてるだけかもってことも考えてましたし……」 「いやいや、あれは配役をすごく重視しててさ」 「ハイ。そのことはすぐにわかりました。だからお手伝いしようって思ったんです」 「やってみたら、すごくいい台本で、すごく熱心で……正直、はじめてだったんですよ、そういう体験って」 「でもあの劇で思いました。世の中がつまらないんじゃなくて、私が見つけるのが下手なだけなのかなって」 「確かに、最初の頃はちょっと近寄りがたい感じだったよな。近寄ったら睨まれるくらいで」 「う……ごめんなさい……」 「そういう認識が、ちょっとは変化したってわけだ」 「昔の自分のままでいるよりかは……プラスになったんじゃないかなと」 「寮生とは仲良くなれたしね」 「はい、それは多少」 「あとはその積極的になった心で、クラスで友人でも作ればいいんじゃない?」 「いえ、友達はわざわざ作るものじゃないって考えは変わらないです」  きっぱりと首を振る。 「それは不純です」 「不純って……」  基本は孤高な人らしい。 「でも遊び友達とか、話し相手くらいは作ってもいいんじゃない? 自然にできても声かけて作っても、友達は友達だし」 「だったらお兄ちゃんが遊んでください。話し相手にもなってください」 「そりゃいいけど」 「よろしくお願いします」  すっかり丸め込まれてしまった。  それからしばらく話して、昼になると、またふたりで食堂に向かった。  ちょうど業者のおばちゃんが弁当を持ってきたところに出くわした。 「あ、どーも」 「あいよー。これ、お昼と夜の分ね」 「はい」 「あれえ、あんたたちふたりだけなの? 居残り六人って聞いてたけど」  探るような視線を向けられると、夜々は『ここ私の巣なんです』とばかりにさっと俺の背後に隠れてしまった。 「ええ。俺が少し大食いなので」 「にしても六人前あるんだよ? 次からふたり分にしとこうか?」 「ああ、いや、そのままで結構です」 「そう? それじゃあこのままにしとくけど……」  首を捻りながら、おばちゃんは帰っていった。 「おつかれさまでーす」 「…………」  おばちゃんが視界からいなくなると、ようやく夜々は巣から出てきた。 「隠れるほど危険な相手じゃないと思うよ……夜々」 「知らない人だったから、つい……」 「道を歩いて知らない人と出会ったらどうするんだ?」 「そういうのは平気なんです」 「お兄ちゃんだって自分の部屋に戻ってきて、暖をとろうとしたらこたつの中に髪の長い血まみれの女の人が折りたたまれるようにして潜んでいたらイヤでしょう?」 「Jホラーっ!? イヤとかそういうレベルじゃなくて、祟り殺す気まんまんなのは勘弁してください!」 「ほら、お兄ちゃんだって同じじゃないですか」 「いやいや、そもそもおばちゃんはJホラーじゃないからさ」 「それより食べませんか? お昼の分、まだあったかいうちに」  あったかい弁当と聞いて、瞬時に空腹を思い出した。 「食べよう」 「お茶淹れますね」  夜々が淹れたお茶を飲みながら、弁当を食べた。  そのあとはリビングで話したりテレビを見たり散歩に出たりと、のんびりとした時間を過ごした。  その全部に夜々はひよこのようにくっついてきたし、夕食を終えて自室に戻る時にも隊伍を乱すことはなかった。  会話は弾んだ。  話題はいくらでもあったし、こちらから話さなくても夜々はひたすら話しかけてきた。  夜々はなんだか他人の気がしないというか、特に緊張したり気遣いすることなく話を合わせることができた。  それぞれに入浴を済ませたあと、また話し込んだ。  消灯時間はあっという間にやってきた。 「そろそろ寝る時間か」 「そうですね……」  夜々の表情が曇った。 「俺、ちょっとトイレ行ってから寝るから」 「あ、はい」 「じゃおやすみ。また明日」 「はい」  俺はトイレを済ませて部屋に戻った。  あ、電気消していってくれたのか、夜々は。  ベッドに潜り込む。 「ふう……」 「おやすみ、お兄ちゃん……」 「ああ、おやすみ、夜々……」  そうして俺はゆっくりと睡魔に身を委ねて――上半身を起こした。  照明をつける。 「うあっ……」  床に布団をしき、完全な就寝体勢に入っていた夜々が、手のひさしで目を覆っていた。 「……夜々〜」 「何です? 目がびっくりしてます……」 「自分の部屋で寝ないと駄目だって」 「え? どういう意味ですか?」 「どういう意味も何もないよ。さすがにこれはバレたら問題になるからさ、夜々も自分の部屋に戻って寝た方がいいよ」 「兄妹なんだし、いいじゃないですか。それに誰もいないんですから絶対にバレません」 「それはそういうプレイなのであって実際の兄妹というわけじゃ……」 「プレイ?」 「とにかく問題だからさ。だいたい、男の部屋に泊まるのに無防備すぎるよ」 「それは信頼しているからですよ、お兄ちゃん」 「嬉しいんだけど、めっ」 「えー」  夜々は思いっきり不満そうな顔をした。 「自分の部屋に帰れと言うんですか? あの闇に満ちた廊下と階段を越えて?」 「闇とか気にしないで、普通に自分の部屋に戻ればいいんじゃないかなと……」 「もし何か出てきたらどうするんです」 「何かって何?」  夜々は考え込む。そして真面目な顔でこう言った。 「Jゴースト……とか?」 「そんな区分聞いたことないな……」  Jホラーによく出てくる幽霊って意味なんだろうか? 「これだけ暗いと、闇の勢力が光を追い払ってしまいますから、きっと出ますよ。人がいないというのも、まるで映画のような死のロケーションです」 「夜々、もしかしてさ」 「はい?」 「恐いの?」  夜々は長考した。 「…………脅威を感じています」 「じゃこうしよう。部屋まで送るから、自分のベッドで寝て……」 「えー、そんなこと言うのはひどいお兄ちゃんだけです」 「どうすりゃいいんだ」 「寂しい妹分の要望を聞いてあげてください」 「むぅ……あ、そうだ。かわりといっちゃなんだけど、明日一緒に出かけないか?」 「明日ですか?」 「予定はないだろ?」 「はい、特には……」 「俺も特に目的があるわけじゃないんだけど、ふたりであちこちブラつこう。せっかくの年末なんだしさ」 「なるほど、デートですね」 「……まあ、解釈は任せるけど。どうする? 条件はちゃんと自分の部屋で寝ること」 「むぅ、取り引き……でも、そうですね、ううん……」  しばし考え抜いて、 「わかりました。その条件でいいです。デートしてみたいです」  内心、俺はほっと安堵する。  あんなクールだった夜々がこんなに慕ってくれるのはすごく嬉しいけど、変わりようが大きくて、ちょっと距離を取りたかったのだ。 「じゃ決まりだな。さ、部屋まで送るよ」 「手をつないでくれますか? 広い建物で暗いの苦手なんです」 「ああ、わかった」 「途中、トイレに寄りたいです」 「ああ、わかった」 「トイレ中も手をつないだままの有線状態でいたいです」 「……どうするよ、それ……」  そんなわけで、俺と夜々は午後になってからのんびりと街に出ていった。  駅前とはいっても、この街は都会ではない。人も少ないはずで、混雑を見込んで早く出る必要などないのだった。  ……と思っていたら。 「うわ……」 「人が……」  駅前は街のどこにいたのかと疑われるほど、大勢の人々で賑わっていた。  わざわざ人が集まるようなスポットではないから、住人たちなのだろうけど……。 「やっぱり師走ともなると、みんな出てくるんだなぁ」 「人いっぱいです……」  人嫌いの夜々が、また俺の背中にパラサイトする。  俺は夜々の指先がつまむ上着の裾を通して、精神的安心感を収奪されるのだ。  でもそのかわり、俺もなんだかわからないモヤモヤとした嬉しさを感じてしまうから、ある意味では共生関係なのかも知れない。 「これは予想外だったな。どうする? 引き上げようか?」  夜々に向き直って尋ねる。 「それはノーです」 「そう? 適当にぶらつこうかと思ったんだけど、これじゃ目的決めて動かないと駄目だな……」 「クリスマスも済んだのに、こんなに慌ただしくなるものなんですね」 「そりゃ、ご年配の人や家庭のある人にとったら、クリスマスよりは大晦日とお正月がメーンイベントなわけだし」 「私としてはクリスマスの方が大きいんですが」 「確かに若者はそうだろうね。しかしどうしたもんかな。夜々は希望ある?」 「実は、予約してるお店があって……」 「え、そうなのか?」 「はい。晴れ着をレンタルしようかなと思って」 「お、晴れ着かー。初詣用ってことだよな?」 「そ、そうですね……」 「あの、それで、もしよかったら……お兄ちゃんと……」  指先を胸の前で絡み合わせる夜々。もじっとした動作が絡めた指先を混線させていた。 「ああ、いいよ。特に予定もないし」 「……よかった。予定埋まってたらと思うとちょっと恐かったんです……」 「まあ帰省もせずに寮に居残る人間だからな。予定なんて埋まっているはずもなく」 「じゃあ、ちょっとだけいいですか? そんな時間はかからないと思うんです」  夜々に案内され、俺たちはデパートの呉服屋に向かったのだった。  晴れ着を選ぶ間、俺はやることがなくなってしまったので本屋で時間を潰した。  夜々も当日のお楽しみとか言って、立ち会わせてはくれなかったし。  一時間ほどで手続きを終えた、手ぶらの夜々と合流した。 「気に入ったのあったか?」 「土壇場で予約したんですけど、結構きれいなのがありました」 「私くらいの歳の子はあまり晴れ着とか着ないみたいで、選び放題でした。すごくちやほやされて参りましたけど……」 「お店の人にきついこと言わなかったか?」 「む、さすがにそんな子供じゃありませんよ」 「ははは」 「あ、笑った」  夜々の手が伸びて、軽く腹部をつねられる。 「わっ、ちょっと、悪かったって! ごめんごめんっ」 「お兄ちゃんマイナス5点です!」 「……減点されてしまった」 「さてと、とりあえず夜々の用事はこれで終わり?」 「はい。あとはフリーです」 「どうしようかな。相変わらず人多いし」 「デパートの中もひどかったですね」  なんせ広々とした通路が人でごった返しているのだから、驚かされる。 「これじゃどこに行っても似たような状況かもな。でもまあ、歩こう。そんで早めに店に入れば、夕飯くらいにはありつけるだろ」 「あ、お食事していくんですか?」 「せっかくの外出だしさ」 「あれ? 夕食分のお弁当、来てましたよ?」 「それ夕食分じゃなくて夜食分だから」 「六人前です、お兄ちゃん」 「腹八分目ってとこかな」 「それプラス、外食……?」 「今日はいい日だ」 「……果てしなく太りませんか?」 「そう見える?」 「いえ……」 「俺は運動してるから、そのせいだと思う。食べるはしから消費されてしまうんだな」 「そういう一般論で説明できないくらい食べてるような……」  複雑な表情を浮かべる。  夜々とは知り合って間もないが、この表情自体には見覚えがある。  寮の女性陣との会話が今のような内容に及ぶと、居合わせた女の子は一様に同じ反応をするのだ。  そう……嫉妬なのである。 「でもさ、すごく運動してるんだぞ? 早朝に走り込んだり……」 「……ふうん」  夜々の目はどこまでも冷たかった。 「……まあ、とにかく歩こうじゃないか」  通りの向こうをつつくように指さして、歩き出す。夜々がすぐに後ろに張りつく。 「バックじゃなくてサイドに来たら?」 「えっ?」 「カモの親子じゃあるまいし。ほら、こっち来なって」  腕を引いて、強引に隣に持ってくる。 「わわっ!」 「後ろ歩かれてると話しにくいし」 「そ、そうですねっ」  少しあせあせしているのが可愛い。 「じゃあお言葉に甘えて……しつれいします」  そう言って、夜々はぎこちなく腕を絡めてきた。 「……!」  俺は心持ち仰け反り気味になってしまう。コート越しに、かすかな胸の膨らみが感じられた。 「…………っ」 「……これ、いいですね」 「えっ?」 「腕組むと、後ろにいるより安心できます」 「気に入ってもらえて幸いデス……」  にしても、少し密着しすぎの気がするが……さすがに今の夜々に向かって離れろとは言えない。  ちょっと顔が熱くなるくらいの出来事だが、このまま進行するしかなさそうだった。  夜々に合わせ、歩幅を落として歩き出す。 「しかしすごい人だなこりゃ。ハンバーガー屋の店内席まで満席っぽいぞ」  ガラス張りのファーストフード店だから、その混雑具合は外からでも確認できた。 「この分だと、喫茶店やファミレスの類も全滅ですね」 「さすがに夕方くらいになれば、家に戻る人も出てくるとは思うんだけど」 「あ、あのお店はなんです?」 「ああ、あれ一見オシャレに見えるけど、実はノーブランドの安い服ばっかり扱ってる地方の服屋さん」 「わあ」 「でもけっこうみんな利用してる……というか、あそこ以外だとデパートか、電車でもっと都会に行かないとだからな」 「わあ……」 「ああ、でもTシャツ買うならいい店だよ。1枚だと2500円だけど、2枚で4000円にしてくれるし」 「……冬じゃなければ良かったんですけど」  今は半袖Tシャツなんて、自宅でも着られないからな。 「服はいいですから、他にスポットみたいな場所ってないものですか?」 「そうだな……漫画喫茶、映画館、100円センター、アミューズメントパーク&本屋が合体した店」 「画廊もあったけどこの時期でも何かやってるのかな? 選択肢としてはそんなところか」 「100円センターって何ですか?」 「少し裏手にある100円ショップだよ。倉庫を改築して作ったみたいな店でさ。あの有名な……ドイソー? あれをパクッてみましたみたいな勢いの店」 「……ちょっと面白そうかも」 「面白いっちゃあ面白いよ。何でも売りすぎておかしなことになってるから」 「何でも?」 「食料品からゲームソフトまで何でも」 「カオスなんですね」 「そういうことだね」 「映画って何やってるんでしょう?」 「ごくごく当たり障りのない最新作かな。びっくりするくらい狭い劇場だけどね。ほら、あそこがそうだ」  映画館を指さす。 「ちょっと見たいかも……」  掲示された上映メニューを見て、夜々がおずおずと口にした。  劇場の前には行列やたむろしている客もなく、特に入場制限している様子もなかった。 「待ち時間はないっぽいね。そうだな……下手にうろついてもたかが知れてるし、入ろうか?」 「はい、そうしましょう」  俺と夜々は学生料金でチケットを買い求め、映画を楽しんだ。  見終わって出てくると、冬の日没は早く、外はすっかり薄暗くなっていた。一時間もしないうちに完全な夜になってしまうだろう。 「うーん」  出てくるなり、俺は唸ってしまった。 「……面白かったか?」 「すごく良かったと思いますよ」  夜々はパンフレットまで買い求めたのだから、言葉の通りにお気に召したのだろう。  しかし俺には、かなりきつい映画だった。 「お兄ちゃんは楽しめなかったんですか?」 「すげえベタな恋愛ものだったからさ……まったく変哲のない、展開も想像の範囲内で……」 「そこがいいんじゃないですか」 「そ、そうなんだ……そういうものなのか……なんかこう、盛り上がりとか欲しかったかなって思った」 「乙女心への理解が乏しいようですね、私のお兄ちゃんは」 「うお、そういうことになるのか……」 「そうですよ。ちゃんとそういうことも勉強しないと、モテない人になってしまいますよ。5点ほど減点します」 「また引かれた」 「でも、だいぶ暗くなってますね。どうします? これから……」 「ああ、じゃメシ行こう。このあたりだったらいろいろ知ってるし、気楽に食べられるところばっかりだから」 「……コース料理」  夜々が淡い期待を忍ばせた口調で、そんな不届きなことを呟く。 「なにその期待に満ちた目。俺たち学生ですよ?」 「ムードのあるお店……コース料理」 「もっと学生らしい店に行こうよ」 「そんなこと言って牛丼屋だったらショックです」  え? それって駄目なの?  驚いている顔を見とがめられたのだろう。 「……もしかして本気で考えてました? 牛丼屋に入ろうと?」 「や、安くて早くてうんまいのだよ?」  夜々は一瞬だけ険しい目つきを向けてきた。 「10点減点!」 「…………」  きつい採点が続いている。  結局、晩飯……じゃなくてディナーは、イタリアン系のレストランで食べた。  こじんまりとした店だったが、味はけっこう本格的だった。ただ量が笑っちゃうくらい少なかったので、食後でありながら俺はまだ空腹のままだ。 「おいしかった……牛丼屋に行かなくて大正解でした……」  呻くように夜々が言う。 「牛丼はあれはあれでガツンとうまいのに……」  まあ帰宅してから弁当もあるし、いいんだけどさ……。 「でもなんだか寒くなってきましたね。人もあんなにいたのに、こんな少なくなってしまって……」 「まあ師走の賑わいってことだったんだろうな。そうだ、俺も年越しに必要なものがあったら今のうちに買っておかないとな……」 「やっぱりお正月はどこも閉まってますか?」 「三日くらいまでは閑散としちゃうかな。夜々も必要なものがあったら買い込んだ方がいいかもな」 「……必要なもの……食料?」 「食事は寮で用意されるから平気。嗜好品とか、切れたらマズイ消耗品とか」 「なるほど……」 「どうする? どこか必要なところがあれば立ち寄ってもいいよ?」 「あ、いえ、大丈夫です」 「そう。じゃどうしよう……帰ろうか?」  そう言うと、夜々は心なしか寂しそうな態度を見せた。 「もう少し、歩きたいです……」 「そ、そんなに歩きたいんだ……」 「はい……」 「いいんだけど……これ以上進むと……いかがわしいホテルも絶賛営業中の繁華街に突入してしまうんだけど……」 「……っ!?」 「興味あるの?」  ぶんぶんと首を振る夜々だった。 「帰りましょう!」 「あ、それならさ、ちょっとだけ歩くけど……俺のお気に入りの場所にでも行く?」 「お気に入り?」 「空気が冷えて視界が通るようになってるから、景色もまた違って見えると思うんだよね」 「どこなんですか?」 「……隠すほどの場所じゃないから言うけど、あそこの高台だよ。のぼると街を一望できる広場があって、そこ」 「ああ……それは……ロマンチックかもです……」 「よし、じゃ決まりだ」  駅前からだと結構歩いたが、同行者から文句が出ることはなかった。  到着するなり、夜々は感じいったようにため息をついた。 「……きれい」  目線の先には、無数の灯りを含みいつもとは表情を変えた永郷の街並みが広がっていた。 「俺は朝の風景が好きなんだけど、夜は夜でいい感じになってるな」 「……きれい」 「こうして見ると、けっこう明るくて賑やかなんだなぁ。歩いてると、人もいなくて寂しい感じだったけど」 「……きれい」 「光が集まってるあのあたりが駅前で、まばらなのが市街かな。寮はどのあたりになるのかな……昼だったらわかるんだけど。夜々はどう思う?」 「……きれい」 「夜々ってけっこう語彙少ないよね」 「……減点20」  まずい、一気に落第してしまったかも知れない。 「と、とにかくだな、このショバは俺の大切なくつろぎポイントだから、夜々もつらいことがあったら自由に利用してくれよな」 「うん、する」  つい、と視線が持ち上がって俺をとらえる。 「でも本当につらいことがあったら……その時はお兄ちゃんと一緒に来たいです」 「あ……」  ぐっさりと射ぬかれたような気持ちになる。  心の奥あたりで脈動する複雑な感情を、正確に貫いている。  それをどう呼ぶのか、まだ今の俺にはわからないけど……。 「駄目ですか?」 「いや、いいよ。また来よう」  内心の動揺を押し隠して、軽く答えた。 「はい!」 「……来て良かった」 「そう? 連れ回した方としては嬉しい言葉だけど」 「でも、あれだな。ここを見せてあげられただけでも、来た甲斐はあったかな」 「…………」 「……優しいですよね、お兄ちゃんって」 「ん?」 「誰にでも、そんなふうに優しいんですか?」  探るような目つきで訊いてくる。 「いや、そうでもないと思うけど……こんなデートみたいなことは、ほとんどしないよ。桜井先輩じゃあるまいし」 「でも稲森先輩とか、柏木先輩とかと、仲いい……」 「え、稲森さんと仲良く見えるか? そんなことはないんだけどな……」 「確かにぎこちないけど、ワケアリって感じがします」  女の直感とはよく聞く言葉だが、いくらなんでもこれは鋭すぎる。 「い、いや、ワケアリというかなんというか……単に昔からの知り合いってだけでさ……」 「むー……」  納得していない様子は、その態度からありありとわかった。 「じゃあ柏木先輩はどうなんです?」 「あっちはね……まあ、姉弟みたいなものだから……確かに仲はいいんだ」 「認めましたね……」  犯罪を告白した者に告げるような冷たさで、夜々は目を光らせた。 「ちょっと、なんで怒ってるの?」 「他の人と姉弟になるなんて……これは浮気に該当しますよ」 「ちょっと待ってくれ」 「お兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んでいいのは夜々だけです」 「いや、誰からも呼ばれてないから。月姉とは呼んでるけど……クセみたいなもんだし、今さら別の呼び方しろと言われても……」  しどろもどろになる俺を見て、夜々はくすりと笑う。 「冗談です」 「何ぃ……!」  かいたこともないような、変な汗をかいてしまった。 「うろたえる様子が可愛かったもので、つい」 「あのなぁ夜々……可愛いって言われて嬉しい男なんていないんだ」 「そういうものですか?」 「そうだと思うよ」 「……私は、言われたいですけど……」 「…………」 「言われたい、すごく言われたい」  催促されてしまった。  なにやら妙に大胆な物言いは、夜々がムードにあてられてしまっているせいだろうか?  冗談めかした言い方だが、芯には熱っぽい本気が見え隠れしていた。 「……可愛い、よ。もちろん。劇の主役に抜擢するくらいだからね」  自分で催促しておきながら夜々は、俺の言葉に硬直し、俯いてしまう。  耳が赤く染まっているのは、寒さのせいか、俺の言葉によるものか。  からかわれた仕返しというわけでもないが、俺はさらに恥ずかしい言葉を接ぎ木していった。 「最初に出会った時、俺は夜々のこと知らなかったのに声をかけたろ? で、そのあとで演劇の役探しをすることになったけど、すぐに夜々のこと思い浮かべた」 「そういうことって、なかなかあることじゃないと思うんだ。そして夜々のことを選んだのは、単に外見だけってことじゃない……」 「なんとなく、わかったんだよ。あのヒロイン役の感情を表現するのに、この子が向いてるって」 「うまく説明できないから直感としか説明できないけど……なんだろうな、簡単に言うと、夜々のことは最初から他人って気がしなかったんだ」 「……私も……」 「橋ですれ違った時、ごく自然に言葉を返して……あれって、普段の自分からするとおかしいことで……」 「お互い、なにか波長みたいなものを感じたのかも知れないな」 「……お兄ちゃん」  回された夜々の腕が、少し力を強めた。  この緊密なようでいて壊れやすい状態を、無性に守らないといけない気がしてくる。  それはもう理屈とかじゃなくて、心の奥底から噴出してくるような感情だった。 「……あー」  でも、その気持ちを夜々に対してどう表現したらいいのかわからない。  隣で、密着している夜々が視線を持ち上げるのがわかった。だけど俺はその双眼をまともに受け止めることができず、夜景を見るフリをして受け流してしまった。  目線を結んでしまったら、もう引きはがせない。  もし気持ちだけが盛り上がってしまって、どうにもならなくなってしまったら……。  夜々とはまだ知り合ったばかりで、その上、妹分でもある。勢いに任せて突き進むことは躊躇われる。  だから、今はブレーキをかけた。  気持ちだけが一気に盛り上がるって、ものすごく恐いことだ。そのことを今、生まれてはじめて知った。 「……っ」  同じことに、夜々も気付いた気配があった。ふたりして無言で夜景を見つめていた。  そうしてたっぷり数分も経った頃、ようやく自然と話しかけることができた。 「寒くない?」 「寒いです」  軽快に答えは戻ってきた。いつもの調子だった。 「寮に戻って、あたたかいものでも飲もうか?」 「そうですね」  互いに目を見つめ合って話す。先ほどのクールダウンが効いたのか、気まずい思いにとらわれることはなかった。  俺たちは兄妹分みたいなものなんだと、自分に言い聞かせてみた。  今はまだな――  すぐにそんなリアクションが、心の奥から響いてきた。 「きゃっ!」  歩き始めてすぐ、夜々の腰がすとんと落ちた。 「うわ、大丈夫か?」 「いたたた……うー」  地面に座り込み、苦しそうに呻いている。 「足でも捻った?」 「ううん……ちょっと力が抜けて……坂道、歩いたせいかも」 「ああ、ここまで来るのにだいぶ歩かせちゃったからか……」  俺は走り慣れてるから疲れなかったけど、女の子の足だときつかったかも。 「ちょっと休めば、すぐ歩けるようになりますから」 「うーん、こんな寒空で休ませたらエスコート役失格だって言われちゃうからさ」  俺は夜々に背を向けてしゃがむ。 「おぶさって。きついところ抜けるまで運んであげるから」 「えっ? えええっ?」 「さ、はやく」 「で、でも……!」 「イヤなら仕方ないけど……」 「イヤじゃないです! 乗ります! 積載されます!」  夜々はおそるおそる両手を俺の肩にかけた。 「ちょっとやそっとじゃ潰れないから、ズッシリのしかかってきていいよ」 「……私、ズッシリはしてません」  と言いつつも、体重計に乗る時のように慎重に身を預けてくる。 「本当だ。やっぱり女の子って軽いんだな。びっくりするよ」 「軽いですか、私?」 「うん、羽みたい」 「…………」 「さ、行こうか」  夜々を背負ったまま、俺は歩き出す。 「わ」  軽快に進みすぎたせいか、夜々がびっくりしたように声を出す。 「怖い? ゆっくり歩いた方がいいか」 「いえ、本当に軽々と歩くから、驚いて」 「肩、たくましいんですね」 「そう? 上半身はそんな鍛えてないんだけどな」 「下半身は鍛えているんだけど」 「か、下半身って……!」 「はい?」 「だから……もう、知りませんっ」 「ええ? 意味がわからないんだけど…………あ」  しばらくして、夜々が絶句した意味に気付く。 「違う違う! そういう意味じゃないって!」 「そういう意味ってどんなですか!」 「どんなでもないって! ただ普通に……走り込んでるだけだって!」 「…………」 「夜々は思春期なんだ……」 「あ、当たり前じゃないですかっ」 「頼むから考えすぎないでくれよ……俺そんな不実に見える?」 「見えたり、見えなかったり……」 「み、見えちゃってるのか?」 「女の子とばかり仲良しだから……近くに女の子ばっかり」 「ハーレムの人みたい」 「ハーレムの人呼ばわりは勘弁してください」  なんだかすごく名誉が損なわれた気がする。 「女の子に慣れすぎてる人って、嫌いです」 「ぐわあ、そんなこと言われたら俺男子校に転校するしかなくなるよ!」 「……いいかも」 「マジで?」 「だって、そっちの方が……いいです。ケッパクで」 「潔白……共学は不実か……」  女の子って……。 「でも転校されたら、同じ学校に通えなくなっちゃいますね」 「そりゃそーでしょ……夜々は女の子なんだから」 「男装して潜入すれば平気?」 「スニーキングミッションっすか……」 「……楽しそう。そんな恋愛小説あったら読みたい」 「恋愛用なんかい、その設定は」  俺と男装した夜々がチョメチョメするってこと?  ……女の子の夢って無限に広がっているんだな。 「それにしても、本当に全然息切れないんですね」 「うん。体力には自信があるからな。まあ走り込んでるというのはそういうことですよ」 「私専用のタクシー……」 「なんか恐ろしいこと呟きませんでしたか今!?」 「なんでもないです」 「……そ、そう」  ま、満喫してもらえてるみたいだし、いいか……。 「……あたたかい、背中」 「俺もあったかいよ、夜々の胸があたって」 「んなっ!?」  夜々が上半身を仰け反らす。 「ちょっと、危ないって!」 「い、今……わいせつなことを言いました!」 「言ってねー! 考えすぎだ!」 「……本当に?」 「危ないからちゃんとよりかかっててよ! こんなことで夜々に怪我されたら悲しい!」 「…………」  すると素直に身を預けてくる。  ふとした言葉を深読みしたりする反面、真面目に気遣う言葉には妙に素直だ。 「なんとなく、女の子のなだめかたがわかってきた気がする……」 「何か言いました?」 「いや、気にしないで……」  まともに考えると、コートごしにそう体温が伝わってくるはずもない。  ただ密着しているから保温効果が高まっているだけなんだと思う。  密着……ああ、なんか夜々のせいで妙に意識してしまうな……。ちょっとだけだけど、胸の感触もわかるし……。 「お兄ちゃん……」 「ん?」 「今日、楽しかったです」 「そう? 楽しんでくれたなら俺も嬉しいけど」 「また行きましょう! 義兄妹はかたい絆で結ばれているので、いろんなところに遊びに行くものですよね!」 「き、絆とかはわからないけど、いろいろ遊びに行くのはOKだ」 「……本当? だったら、こんな帰り道でも寂しい思いをしないで済みます」 「寂しい?」 「楽しい今日が終わっちゃうのって、寂しいです」 「ああ、そういうこと」 「俺も子供の頃、友達と遊んでて夕方が来ると寂しかったよ」 「……夜々のは、そういう子供っぽいのとは違いますよ?」 「ははは、わかってるって。子供扱いしたんじゃないよ」 「大人の女ですよ?」 「そういうことにしとこうか」 「その言い方……ちょっと納得しにくいんですけど……」 「気にしない気にしない」  むーむー唸り続ける夜々。  だけど俺の口からは、笑いが止まらなかった。微笑ましすぎて。 「もう、自分で歩くからおろしてください!」 「いやだよ。まだこうしてる」  もうとっくに平地に入っていたけど、夜々をおろすのはなんとなくためらわれた。  このままずっと、楽しく話しながら背負っていきたい……そんな子供っぽいことを考えながら、寮への道を歩いた。  その日、朝起きると街を雪が覆っていた。 「しかし真っ白だなあ」 「ゆうべはふってなかったのに、一瞬ですね」 「なんか別世界って感じだな」 「冷え込み凄かったですからね、昨日は」  ふたりしてリビングに張りついて、雪に覆われた庭を眺めていた。 「しかしまたタイミングの悪い時に降ったな……」 「え?」 「これ、雪かきしないとマズそうだからさ」 「あ……」 「理解したか? そう、今寮に残っているのは我々ふたりのみ……」 「……ゆゆしき事態ですね」  テレビでも、ニュースキャスターが各地の大雪を伝えていた。どうやら広範囲な降雪だったようだ。 「まあ、この街は雪慣れしてるほうだから、街が麻痺するってこたぁないんだけど……入口付近くらいは除雪しとかないと、一度凍ったら大変だからさ」 「寮の管理人さんとか、やってくれないんですか?」 「いや、ここは例年……」  電話がかかってきた。 「はい、いずみ寮です……居残り組の天川ですけど……ああ、はい、積もってますね……ええ、はい、ああやっぱりそうなりますか……いえ……わかりました、やります」  電話を切って夜々に伝える。 「……電車止まってるらしくて、管理人さん今日は来られないって。それで雪かきしといてくれってさ」 「仕方ないですね」  根が真面目な夜々は、別段不本意でもないようだ。 「じゃ悪いけど、手伝ってくれる?」 「はい、お兄ちゃん」  俺たちは防寒装備を整え、寮玄関に移動した。 「うわ、こりゃひどいな……」  入口のあたりに、屋根から滑り落ちたらしい雪がこんもりと山になっていた。  またいで歩くのも難儀するくらいの高さになっている。 「も、持ってきま、したっ」  夜々が雪を掻き分けながら、物置から二本のスコップを持ってきた。 「ど、どういう分担にします?」  早くも息が切れかけている。 「欲張るのはよして、とりあえず玄関先だけ通れるようにしよう。道が凍るとなかなかとけないから、しっかりやろう」 「はい、お兄ちゃん」  スコップを使って雪かきをはじめる。  やったことある人にはわかると思うけど、この作業はかなり重労働なのだ。  十分もしないうち、全身が火照ってじっとりと汗ばんでくる。これだけやっても、雪はまだいくらでも積もっていて、まったく片づく気配がない。  そして気がつくと、長時間体を曲げたため腰が痛んでいたりもする。 「……く、これきついな……」  雪かきは去年もやったのだが、きつさが全然違っていた。  去年は寮生が残っている時期に降って、男全員(女子は免除)でちんたら除雪をしたのだった。  スコップが足りないからって、そこらにある板きれとか鍋を使っている者もいて、お世辞にも統制が取れた作戦行動とは言えないものだった。  正直、舐めてました、雪かき。 「これだと一日かかりそうだな……」  夜々の方はどうなっているのかと確認するが、姿が見えない。 「……ん? 夜々?」  シーンとしている。  白く分厚い雪は声を吸い込む。もう一度大きな声で叫んでみた。 「夜々ー!」 「……〜ぃ」  かすかな声が聞こえる。夜々は遠くに行っているのだろうか? 「夜々ー、どこだー?」 「……ここです〜」  すぐそばから聞こえたような気がするが、姿は見えない。 「夜々?」  まだ雪がまるまると残っている一角にざくざく侵入していく。  深雪だから踏むのが楽しい。いい気分でビスケットのような音を踏みしめていくと、ふにゃっとした感触の違う部分をとらえる。 「うう〜っ!」 「あっ、まさか!?」  すぐさま飛びすさり、スコップ……は使えないので両手で雪を掘っていく。  すると夜々が出土した。 「うわー、すまーん!」 「ひどいです……お兄ちゃん……踏むなんて……」 「ごめん、まさか埋もれているとは思わなくて……」  あまりのことに言葉が震える。 「にしても、なんでこんなことに?」 「屋根から雪のかたまりが落ちてきて、一瞬で遭難してしまったんです……」 「ヘルプミーしましたけど、無視されました……」 「いえ、聞こえなかったんデス……ごめんなさい……」 「……死ぬかと思いました」  唇がすっかり紫色になっている。 「いったん休憩しよう。熱いお茶か何か飲まないとやってらんない」 「そうですね」 「へぷちんっ!」  とりあえず夜々を毛布で包み、湯を沸かす。 「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」 「紅茶でお願いします」 「あいよ」  たっぷりのミルクを入れて、夜々に差し出す。 「……あたたかい」  口を付けるなり、夜々はほうっと息をついた。蘇生したらしい。  自分の分を啜りながら、目線を窓の外に転じる。 「あれだけ働いたのに、全然減ってないように見える」 「……ふたりでやるのは無理がある気がしませんか?」 「管理人横暴だな」 「まったくです。おかげでお尻まで踏まれてしまいました」  あのふにゃっとしていたのはお尻だったんだね……。 「しかし、どうする? ギブするか?」 「うーん……」 「さっきTシャツ替えたんだけど……思った以上に汗まみれでさ。雪かきって全身使うからさ、ちょっとした有酸素運動だよこれ」 「……有酸素運動?」  夜々の目が光ったような気がした。 「朝、あれだけ腹に詰めたのに、もうエネルギー切れになりそうだよ」 「……弁当五つ分のカロリーが?」  夜々の目はさらに怪しく光った。 「うん。けっこう鍛えてるつもりなんだけど、こりゃ明日あたり筋肉痛かな」 「……筋トレ引き締め効果まで……」  夜々がオーラを放っていた。 「どうしたの?」  ミルクティーを一気にあけると、夜々はすっくと立ち上がった。 「お兄ちゃん、仕事を続けましょう」 「え、まだいいだろ? もう一杯飲みたいんだけど……」 「甘いですよ。有酸素運動は一日わずか数時間の遭難で引き締め効果があって女の子を丸太ん棒からモデル体型に変身させてくれるんです」 「……ど、どうなされた!?」  夜々がおかしなことを言い出した。 「来てください!」 「ああ、ちょっとちょっと!」  張り切って再び玄関先に突撃していく夜々。 「せっせ、せっせっ」  夜々はすごく気合いを入れて、雪かきに励んだ。  だから当然、つきあわされた俺も本気を出さざるを得なかった。 「ふいー」  確かに大変な作業だが、力配分のコツを掴むと、あとはロードワークの要領でいくらでも粘ることができた。 「そっちの方はどう?」  振り返るとまたも妹分の姿は消えていた。  と思ったら、脇に押しのけた雪山にしがみつくようにして倒れていた。 「うわーっ!?」  また遭難してた! 「しっかりしろー、夜々ー!」 「うう……ヒマラヤが見える……」  夜々の指先が、雪面に『SOS』とメッセージを残していた。 「大丈夫だ、ここは日本だ!」 「あ……お兄ちゃん……疲れました……」 「頑張ったんだな、こんな細腕で……」 「気がついたら、全身に力が入らなくなっていて……」 「頑張ったな、ほら、飴玉だ。カロリーを補充するんだ。寮に連れてってやるからな?」  夜々を背負い、寮に戻ることにした。 「ダ、ダイエット……」  朦朧としているのか、背中でうわごとのように口にする。  普通に痩せて見える夜々をここまで駆り立てるとは……ダイエットとは恐ろしいものだ。 「でもな夜々……たまに無理して運動しても、あまり筋トレ効果もダイエット効果もないんだ……」 「……うう……ダイエット……」  苦しげな響きが哀れみを誘った。  今日は日曜日だ。  とはいえ、冬休み中の日曜などなんのありがたみもないのだけど。  今日は特に予定はなかったので、朝からロードワークに出てみた。  時間をかけて準備運動をして、ゆったり長距離を走り込む。戻ってくる頃には9時近くなっていた。  食堂で夜々と一緒に弁当を食べ、そのまま夜までテレビを見たり掃除をしたりして過ごした。  正確には、軽く部屋の掃除をしようと思ったら、あっという間に夜になってしまったという具合だ。  そのおかげで、部屋はだいぶすっきりした。  ……変わってないように見えるが、すっきりしたのだ。俺にはわかる。  落ち着いたところを見計らって、ドアがノックされた。  どうぞ、と返事をする前にドアが開けられ、夜々が入ってきた。 「お兄ちゃん、来ました」 「……まあ、いいけどさ」  夜々は俺が自室にこもって暇していると見るや、鋭敏に察知してやってくるのだ。 「おお、あまり怒られなかったです」 「まあ、寮則違反には違いないけど……こんな状況で言っても仕方ないし」  月姉のことを持ち出されても反論できないし。  夜々は両腕いっぱいに荷物を抱えてきた。 「で、それはいったい何?」 「はい、これはですね、夜々の大好物のお菓子です」  こたつの上にばさっと落とす。  それはお菓子の小袋で、レトルトみそ汁のように縦に連結されている。  商品名をタマボーロといって、ボール状の小さくてコロコロした菓子だ。  店でこのままぶら下げられて販売しているのをよく見る。 「子供の頃にたまに食ってたな、これ」 「大人買いしてます」  えらい量があるが、これだけ買ってもせいぜい2000円くらいのものだろうか? 「さ、遠慮しないで食べてください。お兄ちゃんの食欲を考慮して、多めに買ってきたんですから」 「いや、さすがに俺でもこの手のお菓子はそんなたくさんは食えないよ」 「そうですか? 私は逆にいくらでも食べられますけど」  夜々はすでに一袋目をあけて、ポリポリ食べている。 「一袋で充分だよ」 「なら残りはこの棚にあるフックにかけておきますね」 「お店みたいだな。いいけど」  俺もひとつもらって、ボーロを口に放り込む。  ビスケットのようなものだが、もの凄く柔らかく、口内で転がしているだけでとけてしまうのだ。  基本は幼児向けのお菓子なんだろう。 「おいしいですか?」 「ああ、うまいよコレ。でもさすがに飲み物欲しくなるな」 「あ、これどうぞ」  紙パックのドリンクを渡される。 「お、サンキュ」 「さて、それでは今日も……いいですか?」  お菓子をむさぼり食いながらお茶を飲み、ほどよく場がなごむ。  夜々は『ミスターそろそろビジネスの話をさせていただきましょうか』とばかりに鋭い目つきで俺を射抜いた。 「あ、ああ……わかってるよ……ちゃんとブツは用意してある……」  気圧されながらも、俺はブツをクロゼットの中から取り出した。  極太海苔巻きにも似たそいつを押しやると、夜々は不敵な笑みを浮かべながら胸元に引き寄せる。 「……ふふ……この手触り……これですよね……休日の夜は、これに限ります」 「そ、そうか……俺にはわからないが……アンタにはたまらないモノなんだろうな……」  心なしかハードボイルド口調になり、話を合わせた。 「この楽しさがわからないなんて、お兄ちゃんは人生を損していますね」  ハサミを手に、ブツを20センチ四方のサイズに切り取る。 「…………」  夜々がブツの切れ端を撫で回すくしゃりとした音が、室内に妙に大きく響いた。 「このくらいでいいでしょう……では……」  そうして夜々は、おもむろにブツの味見をはじめた―― プチ…… プチ……プチ…… 「ヨレもなく、空気の張り具合もいいですね……これは品質の高いブツですよ」 プチ……プチ…プチュ…… 「まあ、買ってからそんな時間経ってないしね……」 「あふ、あふぅ……っ」  夜々は気泡シートの虜だった。 「なんせ1ロールまるまる残ってるしな」  言うまでもないが、ブツとは演劇の時にストレス解消のため買い与えたあの気泡シートロールである。  さすが業務用だけあって、使い出はありすぎるくらいある。  夜々の手によって一日1メートルずつくらいは消費されているが、まだまだごんぶとノリ巻き状態である。 「気泡に……ボーロ……ここには全てがあります」 「恍惚の表情でそんなこと言われても困るな俺」 「お兄ちゃんもやります?」 「いや、俺は別に……」  気泡潰しは楽しいけど、そこまで執着するのってどうなんだろうな。  ボーロといい、小さくて丸いものが好きなかもしれない。 「ああ、困りました」  突然、夜々が眉宇を寄せる。 「どうした?」 「……両手がふさがっているのに、お菓子が食べたいんです」 「君は何を言っているんだ?」 「食べたい……このままでは食べたくて死にます」  これは、催促されているんだろうな……たぶん。  タマボーロをつまんで、夜々の口元に差し出す。 「じゃあ……口あけてくれるかな」 「あーん」  放り込む。ひとつぶだからすぐに食べてしまったのだろう。また口をぱっくりと開いた。 「あーん」  ひな鳥のエサの催促を連想するな。  母鳥の心境でボーロを運んでいると、夜々がふざけて指ごとくわえてしまった。 「ぐわ……」 「むぐむぐ」  離そうとしない。指先をぺろぺろと舐めている。 「……うまい?」 「おいひい」  夜々のやわっこい先舌が、指の腹をちろちろと刺激した。  どことなくHっぽい刺激なので、次第に落ち着かなくなってくる。 「あのさ夜々、そろそろ……」 「んー?」  ベロが指先に巻き付いて、さらに奥に引き入れようとする。  あ、それはまずい……背筋あたりから首筋にかけて、一気に痺れが走ってしまう。  まあその、いわゆる、性的な感じの刺激で……。 「ちょ、ストップ! 降参降参!」 「……んぁ」  ゆっくりと指を引き抜く。今のはけっこう危なかった(理性が)。  自分の理性って磐石だと思いがちだけど、ふとした一瞬でぐらっときてしまうものなんだなぁ……女の子と二人っきりでいる時は注意しないとだ。 「……むうー」  不満げだ。  ごめんよ夜々、でも早期の理性立て直しは君のためでもあるんだ……。 「そら、それより喉が渇いたろ? 飲ませてやろう……あーん」  ドリンクのストローを夜々の口元に持っていく。 「あ、あーん……」  いったい何をやっているんだろう俺……こんな姿、とても恋路橋や桜井先輩には見せられないぞ。  恥ずかしいという気持ちと、今は平気だという安心感がせめぎ合う。 「あーん、あーん」  気がつくと手が降りていて、夜々にエサを促されていた。 「はいはい」  苦笑しながらも、お菓子を取り上げる俺だった。  大晦日。  暖房で顔が火照ってきたので、外の冷たい空気に当たっている。  そう、今日は大晦日だ……夜々と二年参りに行く約束をしているわけだけど。 「寒……雪降らなきゃいいけど」  空を見上げて、少し不安になる。  山間の冬だから仕方ないとはいえ、日中だというのにどこか薄曇りだ。  降るとなったら一瞬だろうな。 「いや、そっちのがロマンティックなのか……?」  そんなことを考え込んでいると、玄関が開いて夜々が姿を見せた。 「あ、お兄ちゃんこんなところにいました」 「おめかししちゃってどしたの?」  夜々はうっすらとナチュラルメイクっぽいものをしている感じがした。 「晴れ着を受け取りついでに、着付けをしてもらわないといけないんですよ」 「あ、そうなんだ。でもこんな早くに行くの?」 「美容院も行ってくるので、時間がかかるんですよ」 「そっか。じゃ今日の二年参りはどうする?」 「神社で待ち合わせにしませんか?」 「OK」 「時間は十時くらいになると思います」 「十時か……待つのって夜々は大丈夫か?」 「たぶんですけど、そのくらいに行かないとメチャ混みだと思いますよ」 「ああ、そうか……それは考えてなかった」 「わかった。じゃあ現地で待ち合わせということで行こう」 「はい、じゃ行ってきます」  夜々はうきうきと出かけていった。  さて、俺は時間までどうしたものかな……さすがに二年参りに行く前にロードワークに出る気力はない。 「掃除……でもするか?」  ふとそんな考えを思いついた。  冷静に考えればまったくそんなことをする義理はないのだが……いや、あるな。  毎日利用してる施設なんだし、掃除する義理がある。ただそれを俺一人でやることが義理の〈範〉《はん》〈疇〉《ちゅう》かどうかという点だが……。  正直、他にやることはないため、妥当な選択に思えてくる。 「本当にやるのか? これは年末の大掃除だぞ?」  とりあえず雑巾と水を張ったバケツ、掃除機、はたきなどの掃除道具をリビングに集めてみた。 「やるとしたらここからだが……本当に、俺は掃除をするというのか?」  自分でも半信半疑だった。  とりあえず自室の掃除は、この間やってしまった。だから寮の共有空間だけ綺麗にすればミッションコンプリートということになる。  おとといの雪かきを思い出す。  今、共有空間の掃除に手をつけるということは、あの地獄の除雪作業を再現することになりはしないか?  そんな考えがよぎっては消えた。 「でも、やるしかないよな」  まず……まずハタキで上からホコリを落としていくことにしよう。  掃除は上からが基本だ。 「…………」  腰を曲げずに済むのでまず楽な作業だが、気がつくと一時間経っていた。 「まずい、ダスティングだけでこんなに時間がかかってしまったぞ」  掃除機を使って落としたホコリを吸い込んでいく。ホコリは卓上にも降り注いでいて、ここで俺は失敗に気付かされた。 「そうか、新聞か何かで養生しとけば良かったんだ、失敗した」  ひとつ賢くなったぞ。  次に洗剤を落としたバケツ水で、雑巾を絞り、窓拭きからはじめる。内側はたいして汚れもなかったが、同じ感覚で外側をひとふきした時にぎょっとした。  知らなかった。窓の汚れって、ひどくなると摩擦効果があるんだ。  一度拭いただけで、雑巾の一面が真っ黒になってしまった。雑巾の白い面を返して、もう一拭きするのだが、ワイパーでこそいだみたいな拭き跡が残ってしまう。  往復すると雑巾の汚れが拡散し、まるで掃除にならない。 「駄目だ、水洗いしないと」  よく見たら、サッシの内側部分にも黒い泥だかホコリの凝固したものだかがこびりついていた。 「半日程度で、終わるのか……?」  立ち入ってはいけない底なし沼に、足を突っ込んでしまったのかも知れない。  結局、リビングの掃除が終わる頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。バカだ俺は。  ……………………。  九時三十分頃、俺は夜々との待ち合わせ場所に向かうため家を出た。  二年参りといっても最寄りの神社で年をまたいでお参りするだけである。  まあ学生の身分なので、深夜まで出歩くのは立派な寮則違反なのだけど……今夜ばかりは人がいないのをいいことに見逃してもらおう。  さて、目的地に到着したわけだけど……。 「うわ、またか」  神社前には、若者を中心にした大勢の人達が、初詣のために集まっていたのだった。  オッサンや老夫婦、どう見ても年下の女の子、今風の若者、いろんな人が集まってきていた。  ひどいのになると、道ばたで酒を酌み交わしている連中までいる。  イベントなんだし人出は仕方ないんだろうけど、ちょっとしたカオスだよな。 「さて、夜々は……と」  辺りを見渡す。晴れ着姿の女の子は何人もいた。だが不思議と、俺の目が吸いよせられたのは一人だけだった。  外見じゃなくて雰囲気で察知したようなものだ。 「ん?」  その夜々らしき女の子は見知らぬ男から強引に綿飴を押し付けられている。  一瞬人違いかと思いかけたが、目があった瞬間はっと表情を輝かせた。 「お兄ちゃん!」  話している若い男を振り切るように、あたふたと駆け寄ってきた。 「やっぱり夜々だ」 「よかった、来てくれて……!」 「どうしたの?」 「知らない男の人がひっきりなしに話しかけてきて……さっきからずっと……人待ちだって言っても離れてくれなくて……」 「はは〜ん」  男の方を睨み付ける。そいつはそそくさと人混みに姿を隠した。 「まーイベントだし、そういうこともあるか……いつから待ってたの?」 「三十分ほど」 「うーん、そんだけの時間、立ってたら……まあ引っかかるか」 「でも人を待ってるって言ったのに、しつこくしつこくそれはもうしつこく……信じられない神経です!」  かなり憤慨しているご様子だった。 「粘り勝ちってのもあるらしいからね。しかし携帯で連絡くれればもうちょっと早く出たのに」 「うう……少し恥ずかしくて……」 「何が」 「晴れ着、見られるのが……似合ってなかったらどうしようとか、いろいろ考えてしまって」 「何言ってるんだよ。似合ってるって。似合ってないはずないだろー」 「ほ、ほんとうですか?」 「本格的なんだな、晴れ着。確かにそれは目を引くよ」 「ちょっと派手かも、と不安だったんですが」 「いや、すげえ似合ってる。見違えたよ。一発で夜々だってわかったくらいだし」 「そ、そうですか? それはまことに結構な、たいそう良いことです……」  安堵のあまり、言葉遣いがヘンになっていた。  実際、お世辞なんかではなく、今夜の夜々は本当に見違えるように可愛い。  晴れ着が似合っているということ以上に、楚々とした印象が全身を包んでいる感じだ。 「来てよかったなぁ」 「え?」  夜々がこのイベントを本当に大切に思ってくれていて、気持ちを込めて着飾ってくれたのがよくわかる。そういうのは態度にも出るのだ。 「うん。すごく、キレイだ」  誉めようという意識もなく、ダイレクトに思考が口をついて出る(だから語彙も少ない)。 「そ……っ」  跳ね上がりかけた声を、なんとか落ち着けて夜々は言う。 「……そうですか……私も、良かった……お小遣いはたいて……この想定外の……高評価に、なんといいますかその……感心しました!」 「…………」  感心? 「……っ」  ごにょっと口ごもって、それっきり夜々は面を伏せた。耳まで赤くなって、もうなんというかこのまま額縁に入れて飾っておきたいくらいだけど。  このままではオーバーヒートしてしまいそうだったから、話を進めることにした。 「行こうか、とりあえず境内に入っておこうよ。トイレとか平気?」 「平気です。せっかくのイベントですから、ぬかりなく」  済ませてあるということかな。そうだよな、着物っていろいろ大変そうだし……。 「で、境内には入れないのかな、これ?」 「あ、混雑しているみたいで、警備の人が少しずつ入れてるところみたいです」  そうこうしていると、警備の人がメガホンで誘導を開始する旨を告げた。 「じゃ行こうか」 「は、はい、よろしくお願いします!」  ぺこりと一礼して、肩を寄せてきた。歩調を合わせて境内へ。  鳥居の外も人が多かったが、入ってみるとさらにひどい。まさにすし詰め状態というやつで、もはや行きたい場所にも自力では行けなくなってしまった。 「これは戦場だな……夜々、離れるなよ!」 「はい、お兄ちゃん!」  周囲の人が移動すると、圧力で俺たちも同じ方向に押しやられてしまう。  抗うことなどできない。  立ち止まれば後ろから『邪魔だ』と怒号が飛んでくるし、そもそも体が密着しているので停止しようと足を止めたらたちまち将棋倒しになってしまう可能性さえあるのだ。  人の流れは参拝ルールに添っているので、変なところに連れて行かれる心配はなかったが、トイレは済ませておいて正解だったようだ。  手水場に向かってじりじりと動く群衆。  列とも呼べないような効率の悪い並びなので、順番が回ってくるのにかなりの時間がかかってしまった。  それでもなんとかお清めを済ませる。  すると後続の移動にともない、俺たちふたりは神前に運ばれていくのだ。 「夜々、大丈夫か……無事か……?」 「だ、だいじょうぶだい……その理由としては、だいじょうぶじゃないうちは、だいじょうぶだから……」  かなり駄目になってるっぽいぞ!?  なにしろ周囲に人がひしめきあっているので、常時押しくらまんじゅうに参加しているようなものなのだ。  俺はまだ男だからいいけど、夜々はただでさえ華奢なのに今日は慣れない晴れ着姿で、さぞかしきついのだろうと思う。 「う、う、ううう〜……」 「夜々、気分悪くなったら言うんだぞ?」 「わ、私のことは気にないで……お兄ちゃん……ぐるぐる」  ぐるぐるしている。 「もうちょっとの辛抱だ夜々。神前に躍り出れば、神が助けてくれる」 「そ、そうなんですかね……けっこう身近なんですね、神様って……」 「けっこう身近な方なんじゃないか? なんせ神様って、朝から夕方まで公務員みたいに執務してるってのが神社の設定らしいし」 「じゃ今は時間外ですね」 「む、そう言われるとそうだな……神は残業しないのか? できる男は残業しないというが、神ほどになると当然デフォルトで毎日がアフターファイブなのかもな」 「今日は特別な日だから、してると思いますよ」 「そう願いたいね……お、止まったか」  流動していた群衆が、ぴたりと停止した。  手水の時もそうだったが、参拝ともなれば一人少なくとも30秒はかかるだろうから、再び動き出すまでしばらくかかりそうだった。 「うう……人がいっぱいなの苦手です私……」 「夜々、安心するのはまだはやいぞ。あれを見ろ」  俺は神前を示した。そこにはさすがゴール(?)近くとあって、今まで以上の壮絶な押しくらまんじゅうが繰り広げられていた。 「……人はどうして争うのでしょうか?」  遠い目をして言われたら、俺も人類の行く末を案じる者の気持ちになって答えるしかない。 「それが人の業というものなのかも知れないな」  なんか偉そうだな俺。  あほな会話をしていると、突然四方からの圧力が強まった。 「きゃっ!?」 「なんだっ?」  どうやら境内にさらに人が入ってきたようで、一気に人口が過密化したらしい。もともとそんな広くない神社だけに、たいへんな混雑具合になっている。  人の圧力が、俺と夜々の間に隙間を作ろうとする。いったん離ればなれになってしまったら、合流するのは難しい。 「手を繋いでおいた方が良さそうだな」 「そ、そうですね……」  夜々の小さくて細い手を握る。寒さで指先まで冷たくなっていた。  ……最初から、こうしてやればよかったなと、少し後悔した。  やがて、じり、と人が動く。 「また動くみたいだけど……遠いなぁ。もしきつかったら一度抜けて、明日にでもまた参拝しなおす?」 「いえ! こうなったら最後までいかないと気が済みません!」  夜々は本気のようだ。 「そ、そうか、行くのか……夜々は男らしいな……」 「さあ、行きましょうお兄ちゃん!」  俺たちがゴールすることができたのは、そこからさらに30分も経ったあとだった。 「疲れたなー」 「はい、さすがに……」  あれだけ苦労して並んで、ようやく辿り着いたと思ったら……拝礼そのものは一分もかからずに終わってしまったのだった。 「どういうお願いしたんだっけな俺……?」 「忘れてしまったんですか?」 「いや、何かお願いしたんだけど、なんか神前に立っただけで満足しちゃってさ。いまいち記憶にないんだ」 「お兄ちゃんって……抜けてます……」 「そっちは? どんなお願いした?」 「どんなって……」 「そんなの説明できるわけありませんっ」 「なぜ怒るの?」 「知りません! お察しください!」  恥ずかしい願い事だったのだろうか……? 「……まあいいんだけどさ。とりあえず、二年参りも達成ってことでめでたしめでたしだ」 「そうですね。一仕事終えたって感じです」  それから俺たちは、しばらく無言でぼんやりと人の波を眺めていた。 「…………」  やがて一時を回る頃になると人が少なくなってきて、あれほどあった熱気が失せ、寒さが身に染みるようになってきた。  掃除やって押しくらまんじゅうやって夜中まで起きて、俺も疲れてしまった。  薄ぼんやりとした眠気をもてあます。  そんな状態でも、だいぶ前からじっと横顔に注がれる夜々の視線に、気付かないということはなかった。 「…………っ」  顔が近づいてくるのがわかる。だけど何の反応もできない。どう応じていいのかわからない。  かえって頭がぼんやりと濁っていることがありがたかった。冷静だったら、軽く混乱してしまっていただろうから。  接近するのは、話しかけるためだろうか。そうとも思えなかった。  夜々の上半身が伸び上がって、視野のはしを鮮やかな晴れ着の柄がよぎった。  そうして夜々の唇が、俺のそれに当てられていた。 「…………」 「…………」  一瞬、ありとあらゆる時間が止まったように思えた。  呼吸することも忘れるような時間の隙間、それでも言葉にできない乱れた思考が脳裏を駆けめぐっていた。  夜々が身を離した。  指の背で唇を押さえるように、俯いてしまう。 「えっと……」  声が妙に掠れていた。  気の利いたセリフ。気の利いたセリフ。気の利いたセリフ。  それが必要なのはわかるのに、具体的には何も出てこないから困る。 「あ……ありがとう」 「……いえ」  ピントの外れたセリフになってしまった。 「……っ」  横目で夜々の様子を確認する。大胆な行動の反動か、一回り縮こまってしまっているように見えた。  俺は男なのに、夜々に一方的に行動させてしまったらしい。  だからここからはリードしてやるのが義理というものなのだろうけど……困った、どうしたらいいのやらだ。  こんなとき桜井先輩がいてくれたら……って、それじゃ他人任せすぎる。  今は俺自身が態度を示さないといけない時だ。  たとえどんなに恥をかいたとしても……いや、むしろ俺の方が恥をかきまくるくらいの勢いで、夜々の気持ちに応える必要があるのだ。  今こそ、斬り込んでいく瞬間に違いない! 「あの、俺もさ……」 「好きです」  カウンター気味に、告白されてしまったのだった。 「あー……」 「お兄ちゃんって、呼んでる人におかしいかもしれないですけど……好きなんです」 「最初は兄妹みたいな関係でもいいかなって……」 「だって私たちには時間あるし、ずっと一緒に遊んだりお話しできたりしたらいいかなって、そのくらいだったんですけど……すぐにもっと親しくなりたくなってきて……」 「さっき……なんだか、キスしたくなって……体が勝手に動いて……ごめんなさい」 「いや、謝ることはないけど……」 「もうここまで来たら言ってしまいますけど……お付き合いしてほしいです」 「……あ、うん、お付き合いね」 「駄目、でしょうか?」  真っ赤な顔で、俺を見上げてくる。決死の覚悟が見て取れた。一方、俺は―― 「い、いや……駄目じゃないよ」 「……じゃあ……OK、ですか?」 「う、うん」 「…………」  すると、夜々は思いっきり身を寄せてきた。  横じゃなくて前。俺の胸元に唇を寄せるくらいの距離に、体重を預けてきたのだ。  おそるおそる背中に腕を回してやると、夜々は小さく喉を鳴らす。嫌そうではなかった。  というか、触っても嫌がらないんだ、ということがちょっとした驚きだった。 「…………」 「…………」  腕は回したものの、何も言えない……。  俺って本当に駄目な人かもなぁと思ってしまう。  そのうち経験豊富になったら、歯の浮くようなセリフがポンポンと出てくるのだろうか?  桜井先輩はいつも夜ごとにメロウなトークを繰り広げているのだろうか?  あの恋路橋もいつか結婚して、彼女やお嫁さんとの間でしっとりとした男女の会話を交わしたりするのだろうか?  混乱しているのか、わけのわからない考えばかりが渦巻いていく。 「夜々……そろそろ……い、行こうか……」 「うん、お兄ちゃん」  ああ、こんな唇と唇を接触させるような関係になっても『お兄ちゃん』なんだなぁ。  夜々の肩を抱くようにして、境内を出る。 「…………」 「…………」  ああ、沈黙が重い……。だからといって、つまらないギャグを口にする局面でないことだけはわかる。  とりあえず、当たり障りのない言葉を探す。 「寒くない?」 「……平気。あったかい」 「今は心も、あったかいから……」 「そ、そうか……心は便利だよな!」  クイックロードしたいよ今のセリフ。  しかしいざとなると女の子ってすごいな。色恋沙汰の機微ってものを最初から理解してて。  寮が近づいてくる。ようやく終わりが見えてきた。  今夜はゆっくりと眠って、明日すっきりした頭でいろいろ考えよう……。  と―― 「…………っ」  夜々がぴたりと歩みを止めた。 「おっと……ど、どうした?」 「お兄ちゃん……」  ひどく深刻な顔をしていた。  いや、これは切羽詰まった顔というのか。先ほどまでの甘えモードから一瞬で変化。  どうしたというのだろう。  俺のエスコートに不備があったのか?  それとも、気分を害する別の理由があったのか?  あるいは俺の顔が気にくわないのか?(そうだったら自決モノだ)  またもパニクる俺。 「夜々、どうしたんだ、そんな……言いたいことがあるなら、お兄ちゃんに話しておくれ」 「あの……軽蔑……」  軽蔑!?  俺、軽蔑されてる!?  ノー! 「待ってくれ……そんな、いきなり……さすがにそのハートのスピードには追いつけないよ……せめて理由を……」 「あの、軽蔑……しないで欲しいの……その……」  むむ? どうやら風向きが少し違う模様。 「必要な、ことだと思うから……いやらしい気持ちとかじゃなくて……つまり、私が言いたいのは……私のこと、軽蔑しないで欲しくて……」 「? ? ?」 「俺が夜々を軽蔑するってこと? そんなことあるわけないよ? なんで?」 「……あれを…………」  夜々が指さした先には、販売中の自動販売機があった。 「あれを、買って、欲しいんですけ……っ」  最後まで言い切れず、へたっと顔を伏せてしまった。 「あ、あの特殊な形の自販機は……まさか……」 「……とても、私には……か、買えなくて……」  確かにそれは、女の子に買えるものではないだろう。なぜならそれは、いわゆる避妊具の販売機だったからである。 「そ、そうだろうな……これは、男の役目だと思うよ、うん……」 「……うぅ……」  いや、待てよ?  特殊なゴム製品を購入する……それは、つまり……? 「え? あ? 夜々?」 「は、はい!」 「それは、必要な時もあると思うけど……き、今日、いる、のかな?」 「い、いる、のではないかなと、〈愚考〉《ぐこう》するしだいですが……」 「それって……今夜……その……………………ってこと?」 「…………ッ」  かすかにそうとわかるくらいの動きで、こくり、と夜々は頷く。  おかしいぞ?  予定では、さっきキスしたばかりだから、もっと何ヶ月かあととか事によっては結婚したあととかだとばかり思っていたのに……。  というか、キスされたってだけでも頭がぐらぐらしてるくらいなのだ。  こんな大問題に立て続けに立ち上がって来られては、俺には為す術がない!  しかし夜々はその気と見えて、羞恥に真っ赤になってはいるものの、一歩もこの場を動く気配がない。 「買う、のか?」 「…………」 「だって、これを買うってことは……」  いたす、ということでもある。  早すぎる……いや、世間様じゃあ案外みんな進んでいるのかも知れないけど。自分の感覚では、まだ先のことだと思っていた。  じゃあどうする? 断るのか? 「……………………」  有り得なかった。  そしてあれだけ夜々にリードさせて、この上先延ばしにするなんて選択肢もない。  気持ちは、充分すぎるくらいある。  興味だって……ある。  まったく問題ないような気がしてきた。 「……お疲れさまですお兄ちゃん」  気がつくと、買い求めてしまっていた。 「……き、記憶が飛んだ……っ?」 「え?」  体はあまりにも正直だったらしい。 「いや、戻ろう……俺たちのいずみ寮へ……」 「は、はい……」 「……俺の部屋だ」 「ええ……」  これからのことを考えると当然だが、夜々もいた。 「ええと」 「…………」  どうするんだ?  まずはやっぱり……キスだよな。さっきもしたけど。 「夜々……」 「あ……」  肩を引き寄せて、今度はこっちから唇を合わせる。 「ん…………」  合わせるだけのキスだった。もっと大人のキスがあるとは知識では知っているが、恐くてとても実践できない。  十秒ほど。そのまま凍り付いたみたいに固まっていた。 「……ぷはっ」  あ、息止めてたんだ。俺もそうだけど。  というか、キス中って呼吸しててもいいものなんだろうか?  荒い鼻呼吸ってなんか格好悪い気がするんだけど……。  それに、長くキスをした割には、なんとなく物足りない気持ちがある。 「夜々、もう一回……いい?」 「う、うん……」  今度は少しだけ、押し付け気味にキスをした。  最初は気付かなかったが、冷たい唇はしっとりと濡れていた。  なんだろう? リップクリーム? 口紅……?  ほんの少しだけ舌で舐めてみると、説明しようのない薄い味だった。 「……んん……っ」  ぴく、と身をよじる。けれど嫌がっている風ではないようだ。  息継ぎのため少し離して、また押し当てる。この行為には、なんとなく許可がいらないんじゃないかと思った。 「ふぁ……ん……っ」  角度をかえて、こすりつけるように動きをつけていく。夜々の小さな唇がほどけて、熱い口内の温度を感じるようになった。  その内側を味わいたいと思った。  ゆっくりと、舌を伸ばしていく。尖端が歯茎に触れた瞬間、夜々は驚いたように身を引いた。 「……っ……き、着物……脱がないと……」 「…………」  帯を外し始めた夜々の顔を、強引に振り向かせる。ぽつりと穴が穿たれたような隙間に、強めに吸い付いていった。 「んんっ……んんん……っ!」  夜々の肩が強ばったが、こちらにやめる気がないのを知ると、少しずつ力が抜けていった。  少し解放して、囁くように告げる。 「……口、あけて」 「…………」  素直に開いた上唇を、軽く挟み込んだ。  そうやって思いのままにいろいろなキスを試していると、やがて夜々の方からもおずおずと舌を伸ばしてくるようになった。  舌先を軽く触れあわせただけで、顔がサッと火照って何も考えられなくなりそうだった。  俺はとんでもないことしてるなぁ……と他人事のように思う。 「おに、いちゃん……はぁ……んんっ……」  ふたりの鼻息がそれぞれの頬をあたためる。その程度のことは、もう気にならなくなってきた。  なけなしの理性で衝動を抑えつけながら、乱暴になりすぎないように唇を貪る。  キスしながら、空いている手で体をまさぐる。着物の脱がし方がわからない。 「ん……」  困っていると、夜々が気を利かせて上半身をはだけてくれた。  途端に、白い胸が視界に飛び込んでくる。瞬間的に目を奪われた。  染みのない蛍光色の素肌だが、乳房の盛り上がりから裾野にかけて、かすかな濃淡がある。  あっという間に喉が渇いて、頭の中をグチャグチャした衝動が満たした。 「触って、いい?」 「……うん、さわって……」  てのひらを包むように張りつける。  柔らかい……!  ゴムっぽいのかと思っていたけど、全然違っていた。ふんにゃりとしていて、それでいて張りがあって……。 「さわられちゃった……」 「だって、もっとすごいこと、していいんだろ?」 「……うん……して、いいよ……お兄ちゃんなら……」 「夜々……」  マッサージするようにゆっくりこね上げる。  ふわふわのおっぱいの中で、少し異なった硬さの部分があった。乳首だ。  そこを指でつまんでみる。 「あっ……」  切なげなため息が漏れた。敏感なんだろうか。親指と人差し指の腹で、痛くないように絞り上げてみる。 「はっ……ん……んくっ」  夜々は背をたわませて、腰を後ろに逃がした。  もちろんそれでは愛撫からは逃れることにはならない。本気で嫌がっているのではなく、刺激に身体がびっくりしたという気配だった。  にしても、たったこれだけの刺激で……と驚かされる。  この桜色のかたまりを、口に含んで転がしてやりたい欲求に駆られた。でも今はキスをしながら胸を触っているので、突然そんな行動に出るのはリズムを乱す気がした。  ……なに、あとでチャンスはいくらでもある、はず。  よく考えるとえらいことだった。  俺がこれから夜々と付き合っていけば、何度もエッチする機会が来るということで……それはなんというか俺の想像を越えている。 「……あ……」  その時、俺は気付いた。 「…………」  夜々の体が、かすかに震えていることに。 「…………」  寒いから、ではないはずだ。  男の欲求は直情的だけど、女の子はそうではない。夜々に不安がないはずはない。けど、それを押し隠して俺に気持ちを告げた。  そのことを、俺は今まで気遣ってやれなかった。  ぎゅっ、と夜々の体を抱きしめる。 「……ふぁ……お兄ちゃん?」 「…………」  腕に力をこめて、しばらく抱きしめていると、夜々の手も自然と俺の背中に回った。  以心伝心が成立したような、照れくさい感じがした。  これでいい。これが正しいんだ。そう思った。 「……ありがとう……だいじょうぶだから……夜々、へいきです」 「ごめん、不器用で……慣れてなくて」 「慣れてたらイヤです」 「それもそうか」  俺たちは鼻をくっつけあってくすくす笑った。  夜々の震えが止まったのを見て、また口づけをかわした。唇をこすりあわせるようなキス。それが次第に水音にまみれた、濃厚なものに変化していく。 「ふぅっ……んむ……ん、んん……」  俺はもうためらうことなく舌を差しいれた。ディープキスというやつだ。これがとんでもない。脳みそが破裂しそうなほど気持ちいい。  その刺激は股間にも直結していて、ペニスはこれ以上ないくらい張りつめている。ズキズキとした疼痛は第二の鼓動のようだった。 「こっちも……」  着物の上から、膝のあたりに手をかぶせた。 「ん……」  さらに着物をはだける。臆することはなかった。俺の意図を察して、夜々も腰を持ち上げて協力してくれた。  そうして露出した脚の隙間に、指を潜らせる。 「ふぅんっ……!」  内股のあたりをさすっただけで、夜々は可愛らしく声を上げた。焦らず周辺を撫でさすりながら、さらに奥を目指していく。 「あっ……おにいちゃん、んあっ……!」  耳元で夜々の吐き出した吐息は、艶めかしくうなじを滑り降りていく。 「……さわるよ」  下着はつけていなかったらしい。着物の奥には、ダイレクトに女の子の中心部が隠れていた。  今はそこは見えないので、指先でまさぐって確かめる。  最初に見つけたのはかすかな茂みだった。サリサリとした感触を、『の』の字を描くように掻き分ける。 「やぁん……」  いつまでも弄っていたいという悪戯心もあったが、ほどほどで切り上げてさらに下方を目指した。  さすがにその瞬間だけは、夜々も身を固くした。 「あ、すごく湿ってる……」 「やだ……言わないでください……」 「ご、ごめん……」  指先がとらえた部位が、思ったより濡れていたことでつい声が出たのだった。  それにしても、夜々はこんな俺の愛撫でも感じてくれたんだな。  大切に触ってあげよう。  経験のない俺でもわかるのは、そこがきっとデリケートな場所であるということ。間違っても乱暴に指を突っ込んだりしないよう、注意しないといけない。  そうなると、あまりテクニカルなことはできそうにないけど……ええい、男のプライドより夜々の体だ!  指全体でまぶすようにしてタッチすることにした。 「はぁ……ん」  それだけのことでも、そこそこ性感はあるようだ。触り始めると同時に、夜々は小さく鼻を鳴らした。 「ふぁっ……あっ……ん……おにいちゃん……好き……」 「俺も好きだよ、夜々」 「嬉しい……」  ゆるく〈撹〉《かく》〈拌〉《はん》しているうち、次第に複雑な地形があらわになっていく。  見ることはできないが、きっと夜々の秘部は熱と蜜によって花弁のように開きつつあるんだろう。  露出した内側の部分をこするたび、夜々は自分でも制御できていないかのような、甲高い声を発していた。 「あっ……んん、あっ……あんっ……くぅ、んっ……!」  雫も少しずつ増えていき、指先だけでなく内股にまで滑り落ちてくるようになった。  指の根のあたりが、小さく芽吹く突起のようなものをとらえる。 「あっ! ああっ!?」  びく、と全身を震わせる。今のはかなり刺激が強かったようだ。  夜々の潤んだ瞳がじっと俺を射ぬいた。 「痛かったか……?」 「ううん、ちょっとびっくりしただけ……電気が、走ったみたいだったから」  デリケートな箇所なんだろうな。  指で揉みほぐすのは少しきついのかも知れない。なんとなくそう感じた。 「熱いよ、おにいちゃん……」 「俺も」 「……もう、したい?」 「え?」 「おにいちゃんのそこ……苦しそう……」  と示したのは、俺の股間部だった。 「夜々の中に入りたがってるんだ」  ぬるつく窪みで指を踊らせながら、耳元に吸い付く。 「はぅんっ! んっ……んあっ……」  蜘蛛を思わせる動きで愛撫をしていたら、ふとしたはずみでつるりと指先が穴に吸い込まれてしまった。 「んーーーッ!」  夜々の腰が一気に跳ね上がった。 「うわ、ごめんっ」 「……びっくりした……」  幸い、指先がほんの少し入っただけで、大事には至ってない。  大事とはつまり、乙女の証と言われるアレを指で破ってしまうみたいなことだ。  ほっとする一方、女の子の内側の感触に俺はまた没頭させられてしまっていた。  生暖かい穴がねっとりとまとわりついてくる感じだった。内側はひくひくと息づいていて、奥に誘うように蠢いていた。  そこは、もう充分に滴っている。  そうか、ここに入るわけだ……。 「ん、んんんっ……あっ……」  指先を捻りながら、そっと引き抜いた。ちゅぷ、という水音が大きく響いた。 「夜々、そろそろいいかな? たぶん平気だと思うんだけど」 「……お兄ちゃんがそう言うなら……うん」  信頼たっぷりに夜々が頷いた。 「ちょっと、最初は痛いかも知れないけど……我慢できなかったら言ってくれたらやめるから」 「うん……でも夜々だけじゃなくて、お兄ちゃんにも気持ちよくなって欲しいから、あまり気にしないで」 「夜々……ありがとう」  その言葉にますます愛情を募らせ、俺は買ってきた避妊具に手を伸ばした。  が、その手を夜々が押しとどめた。 「どうしたの?」 「最初だから……」 「え?」 「……危ないのはわかってるけど……最初だから……やっぱり……普通に、したい」  しばらくして意味を理解した。  夜々は『避妊しないで』しようと言っているのだった。 「いや、それはさすがに……」 「たぶん、だいじょうぶな日だと思う……だから、告白したの……」 「む、む、む……」  それは生で体験できるなら嬉しい。  でも、万が一のことがあったらと思うなら避妊はすべきだ。 「お願い……最初が、そういうのは、いやだから……」  避妊具を使った方を特殊なプレイだと思っているのかも。 「夜々……じゃあもし、万が一のことがあったら、俺に責任を取らせてくれるか?」 「……え……それって?」 「お互いにその覚悟があるなら、いいと思うんだ」  最初は驚愕していた夜々が、みるみるうちに涙目になった。 「……それは……夜々にとっては……嬉しい提案、なんだよ?」 「いいってことだな?」 「……うん」 「よし、なら……」  夜々の体にまとわりついていた着物を、大きくはだけさせる。  脱ぎ捨てた着物をシーツにして、上に覆い被さっていった。 「えっと……確か、このあたり……」  指先でペニスを持って、位置を探すのだが、なかなかうまく入らない。  小刻みに位置をずらして、腰をつんと上に持ち上げてみるのだが、夜々の内股や別の箇所にぶつかって阻まれてしまうのだ。 「あ、あれ? さっきは確か……」 「…………」  ああ、夜々が不安がっている。しかし焦るばかりでなかなか位置が定まらない。  見かねたのか夜々が、 「……入らないの?」 「これであってるハズなんだけど……おかしいなぁ……」 「落ち着いて、お兄ちゃん……夜々、ちゃんと待ってるから……」 「ごめん……もっと勉強しとけばよかった……」  自分のモノを掴んだまま、夜々の入口を闇雲に探し続ける。  なんとなく場所は知っているはずなのに、どうしてこう難しいんだろう? 「あ……こ、ここじゃないかなっ」  夜々の手が、俺の手首を引っ張る。 「ここ、か?」 「もうちょっと……んっ……たぶん、このくらい……」 「ちょっと待って……指で探してみれば……あ、あった、かな?」  脚の付け根のあたりをまさぐると、すぐに窄まりらしき場所を見つけられた。 「よし、ちょっと待っててくれ」  窄まりに向かって、竿の尖端を向けた。 「ちょっと待ってお兄ちゃんっ……そ、そこ違う! 違うのっ」 「えあっ?」 「そこ……まだ、だめ……」  まさか……。 「あっ? あー! ごめん……そんなつもりじゃなくて……」  なんと、俺はもうひとつの穴に挿入しようとしていた。 「ほんの少し……上だよ……」 「ほんの少し」  慎重にペニスの尖端をずらす。 「あ……」 「あ……」  俺たちはほぼ同時に、小さく声を出した。  ……見つけた。  間違いなさそうだ。たっぷりと蜜をたたえた、夜々の大切な場所。そこに俺の膨らんだ筒先を添えることができた。 「……駄目なヤツでごめん……」 「ううん……ちょっと、かわいかったよ?」  確かに俺は可愛いだけの男だ。返す言葉もなかった。 「じゃ、行くな……」 「うん、がんばって」  激励を受けて、俺は今度こそ、ゆっくりと腰を持ち上げていった。 「ん……んん……」  ゆっくりと潜り込んでいくと、途中で夜々がかすかに眉を寄せた。 「……夜々?」 「だいじょうぶだよ、痛くないから」  きっと、本当は痛いのだと思った。でもここまで盛り上がった気分を、無駄にしたくないのだろう。  それは俺も同意見だった。 「…………」  心を鬼にして、さらに奥を目指した。 「……んっ……! んく……くふっ……!」  じりじりと陰茎が埋没していく。潤滑油は充分で、こっちには痛みはない。  でも苦しげな表情からすると、向こうにはそうとう苦痛があるんだろう。  ……いろいろ苦労かけちゃって、悪いな、夜々。  いつかは通る苦痛なのだと言い聞かせ、根本まで腰を押し進めた。 「……くぅ、ううっ!!」 「できた……」 「ぜんぶ、はいった?」 「ああ、ちゃんと入った……」 「よかった……」  涙ぐんでいた。  たぶん苦痛と嬉しさが半々で。  俺は俺で、挿入できただけでいっぱいいっぱいになっていて。 「これから、動かないといけないんだけど……」 「う、動く?」 「うん、ちょっとびっくりするかも知れないけど……」  様子を見る感じで、腰を軽く前後させてみる。 「あ……んっ……!」  まだ負担が大きいのだろうか。夜々は唇を噛んで、身を縮こまらせている。 「……っ」  夜々の濡れた内壁が、優しく包んでくる。  締めつけはかなり強く、なにぶんビギナーの俺にはやや刺激が強い。ぎこちない動きで数回往復しているだけで、たちまち達しそうになる。 「お兄ちゃんも、痛いの?」 「あ、いや、これは痛いのではなく」 「……ではなく?」 「なんか、良くて」  照れくさくてそれしか言えない。 「……そ、そう」  夜々もびっくりした顔をしている。  悪いな夜々……俺はいささかスピーディーすぎる男かも知れない。 「嬉しい……」 「何っ?」 「もっと夜々で感じて……お兄ちゃん……」 「っ!」  まずい、今言葉だけでイきそうになった。なんとか歯を食いしばって耐えしのんだけど。  興奮がたかまると、動きを止めててもイったりするんだ……すごいな……。 「じゃ、ゆっくり動くよ」 「う、うん……」  暴発の防止に加え、夜々の苦痛を和らげるため、俺は激しく腰を振らないよう慎重な動きでピストンを再開した。  ……っていうか、これはピストンと呼ぶようなスピードじゃないけど。 「あふっ……ああ……んん……」  それでも突き上げるたび、夜々は肺を絞られたような艶めかしい息を吐く。  鼻から抜ける呻きが、俺の理性をじりじりと焙る。  つい激しい動きで終わらせてしまいたくなるのを、必死で抑えてペースを保った。 「はっ……んっ……はぁっ……あ、あ…………はぁぁ……」  静かな室内に、ロードワーク時のそれにも似た呼吸が響く。  動くたびに肌と肌が触れ、冷えた空気が追い出される。すべすべでふわふわな女の子の体が、腕の中で柔軟に形を変えていた。 「うう……」  なんというか、たまらない。  よくHは気持ちいいと言うが、そういう単純な言葉では説明しきれない。  少なくともペニスだけが刺激されるとか、女の子のアソコだけが快楽の源とか、そういうものではない。  触れあった部位と部位が感じあい、密着すればするほど相手が伝わってくる、いわば全身の快楽だったのだ。  小柄な夜々の輪郭を、体重を支えていない方の腕で抱きすくめる。応じるように夜々の腕が伸びてきて、するりと頭に絡んだ。 「はぁ、おにいちゃん……」  震える唇がたまらなく愛おしく、身を伸ばしながら吸い付いて思うままにねぶる。 「んんんんんっ!」  唇を離すと、粘度を増した唾液がつつーっと糸を引いた。  それがまたことさらいやらしく見えてしまい、俺は間髪置かず唇を重ね、舌を絡めていった。 「んむっ……んっ……んん……」  胸と胸がひっついて、汗でぬるぬるに滑る。ひしゃげた乳房が、律動のたびに形を変えるのがなんとなくわかった。 「はぁ……はっ、あ……はんっ、ん……んん……」  目を見つめ合って、ぬるぬると動き続ける。  夜々の荒い息遣いからは、すでに苦痛の気配は消えていた。そのかわり潤んだ瞳に、押さえきれない情欲が混入していた。  夜々も興奮している……。  勇気づけられた気分になり、つい腰の動きが加速しかかる。 「……んんっ! あああっ!」  夜々の声が、数音高くなって裏返った。 「あっ、ごめん、つい」 「ううん……いいよ……」  夜々が溶けるように微笑む。その顔だけで腰に火がつきそうになるが、気合いでねじ伏せる。 「おにいちゃんの、すきにうごいて……いいよ」 「いや……俺もすぐ終わっちゃいそうで」 「おわり?」  つまり射精。  だけど夜々には意味がわからないのか、とろんとゆるんだ顔にかすかな疑問を浮かべただけだった。  実は先ほどから興奮が振り切れているので、射精のタイミングさえわからない状態だった。  腰のあたりがうわついて、膨張しているかのように感じられる。いや、実際にも一部分が膨れているんだけど、なんというか歯医者で麻酔を受けた時のような感覚なのだ。  なのに前後に体を揺すれば、ぬるんだ膣内を往復している刺激は鮮烈に感じた。 「はぁ……はっ、あん……んっ……ああっ、あっ」  夜々の熱い吐息が耳元をかすめる。耳の奥がチリチリと鳴っていた。  もしかしてもう出していたらどうしよう。避妊してないんだし、気休めだとしても外に出さないといけない気がする。  自分でする時は、完全にタイミングがわかるのに……やっぱ実戦はまったく違うんだな。  とにかく、一度抜いて確かめなければならない。でも動きのリズムがゆりかごのようで、気持ちよくて切り上げる機会が掴めなかった。 「はぁ……はぁん……あっ……はぅ…………ん、うんっ……ああぁぁ……」  この声もずっと聞いていたい。ずっと夜々のぬかるみの中を漂っていたい。 「夜々、気持ちいい……っ」 「はぁっ……ん……ほんと……? 夜々のなか、きもちいい?」 「ああ、最高だよ。ずっとこうしてたい」  その言葉に、夜々がぶるっと身を震わせた。 「……ああああぁ……っ!」 「ぐわっ……!?」  突然、下半身がぐいと引っ張られる感覚に襲われた。 「わっ、わっ?」  夜々が身をひくつかせるたび、膣内の感触が変わっているのだった。  収縮しているのか、蠢いているのかはわからないが、とにかくペニスにかかる負担は一気に増大した。 「まずっ……!」 「ひゃんっ! んんんん……っ!」  大あわてで身を起こして腰を引く。  まだ射精感はなかったが、直感に従っての行動だった。その予感は正しく、引き抜いた途端に俺のペニスは盛大に噴出を開始した。 「んああああああっ……!!」  精液がたぱたぱと夜々の火照った体に降り注いだ。  危なかった……変な興奮で五感が狂って、イク寸前になっても把握できなかったんだ。  もし一歩間違えていたら、中学生モノ青春ドラマにおける妊娠の回みたいな展開にもなっていた可能性がある。 「……はああぁ」  嫌な汗がどっと出てきた。今夜のことは、いろんな意味で一生忘れることはできない経験になりそうだ。 「はぁ……はぁ……はぁ……」  精液を浴びたまま、夜々は荒い呼吸を繰り返している。 「うわ……エロい……」  俺ので、夜々が汚れている。あまりに冒涜的な図だったので、これが犯罪に当たらないのかどうか不安になってしまう。 「おにい……ちゃん……おわり?」 「ああ、終わったよ夜々……いたかったろ?」  頬を撫でると、夜々が手を重ねてきた。 「ううん……あまりいたくなかった」 「そうか……。ありがとう。すごく良かった」 「うれしい……」  精液をふきとって、着物を脱がせ、汗をぬぐっている最中に夜々は目を覚ました。 「……ん?」 「あ、起きちゃったか、夜々」 「お兄ちゃん……夜々、眠っちゃってた?」 「少しな」 「あっ、ごめんなさい……」  自分がアフターケアされていることを知り、夜々が胸元を隠しながら飛び起きる。  頭突きをくらった。 「ぐはうっ!?」 「あっ、ごめんなさいっ」  鼻から血が出てきた。 「おおお……」 「わっ、ごめんなさいっごめんなさいっ!」 「へいひへいひ」  ティッシュを鼻に詰め込んでじっとしておく。 「あ……着るものない……」  着物のままこっちの部屋に来てしまったから、着替えがないのだった。 「俺のシャツ、着る?」 「……誰もいないんだよね」  しばし考えて、夜々は俺の胸元に身を預けてきた。甘いにおいが、ふわんと鼻先をくすぐって、また勃起しそうになる。 「ん?」 「今夜はこのまま泊まってっていい」 「あ、ああ、いいけど……」  つい腰に手を回してしまう。 「明日、シャワー浴びる前に部屋に戻ればいいから」 「果たして無事に戻れるかな」 「……え?」  夜々の裸は、抱き心地が良すぎる。明日の朝まで、また変な興奮しちゃわなければいいけど。 「いや、こっちの話。気にしないで」 「……?」 「夜々」 「はい」 「……好き」  とりあえず言ってみた。 「!!」 「わ、私も……夜々も、お兄ちゃんが好きっ」  こんな関係になっても『お兄ちゃん』はそのままなんだな。まあいいけど。  俺たちは裸のまま、ひっしと抱き合ってキスをした。  ああ俺、もう童貞じゃないのか……。  いろいろとえらいことだ。生きてて良かった。 「あ、ひとつ忘れてました」  ふと真顔に戻って言う。 「ん、何?」  夜々は居住まいを正すと、指先を床につけて、頭を垂れた。 「あけましてあめでとうございます。今年もよろしく」  一瞬わけがわからなかった。  よく考えると、確かに新年の挨拶はしていなかったことを思い出した。 「そうか、二年参りからの一連のイベントがインパクト大だったのですっかり忘れてた」  ということで、俺も深々と頭を下げる。  厳粛な気持ちに、再びそそり立とうとしていた息子も無事に大人しくなってくれた。 「こちらこそ、あけましておめでとうございます」 「今年はいい年になるかなぁ?」 「今すぐ来年になったっていいくらいだ」  意味不明な返答をしてしまった。まだ脳が余韻を引きずっているらしい。 「ねえー?」  夜々がまたしがみついてくる。ぷにっとした感覚を抱きとめると、全身の毛穴がざわっとなる。  俺を第二ラウンドに駆り立てようというのか。くそ、そうはいくか!  夜々の体を気遣って今夜はこれで終わりにしようという善なる俺と、もっとガンガンにHしちゃえよという悪の俺との熾烈な(そして低俗な)戦いが繰り広げられる。 「ナンダイ?」  だから声もヘンになるんだよ。 「恋人なの」  甘えた口調でそう言って、夜々は俺の胸にほおずりする。 「ソ、ソウダな、恋人だ」  俺の内部で戦いはまだ続いている。 「ずっとだよ?」 「ズット?」 「そう、いつまでも恋人だよ?」  むちゅ、と唇を首筋に押しつけてくる。  ああ、そんなことをしたら俺内部の戦いはどんどん悪が有利になっていってしまうのだから一体全体どうしたらいいんだ?(混乱中)  新年早々の贅沢すぎる悩みに、俺は脂汗を流した。  目が覚めると、何かがいつもと違うという違和感があった。  部屋、に変化はない。  気候、も冬だからそれなりに寒い。  体調も悪くない。これについてはむしろ良いくらいだ。うまく言えないが妙にスッキリしていて、高揚したまま眠って起きたみたいな感覚。 「まあ、快眠だよな」  起き抜けだというのに体が軽い。  気分まで〈溌〉《はつ》〈剌〉《らつ》としていて、なぜそうしたいのかわからないが、窓をあけて世界に向かって叫びだしたい。  ……なんかヘンだぞ? 「ええと?」  とてつもない出来事があったような気がする。 「なんだっけ?」  いまいち思い出せない。どうも腰までふわふわした感じがするし。 「腰……?」  そのキーワードから連想される単語がいくつか脳裏を横切る。  腰・ダンス・セクシー・お尻・ベルト・ペニス……。 「……っ!?」  最後のひとつに引っかかった瞬間、昨夜の記憶が怒濤の勢いで甦った。 「どわーーーーーっ!!!」 「NOーーーーーっ!!!」  夢じゃない! たぶん夢じゃない!  俺は夜々とHなことをしてしまったんだーーーーーーっ!!  アイを確かめ合って恋仲になってしまったんだーーーーーっ!!  俺はベッドから飛び下り、そしてまたすぐにベッドに飛び乗った。 「くーーっ!!」  混乱したまま、踏み台昇降を何度か繰り返す。  どっすんばったん騒々しいことこの上ないが、これは有酸素運動だからダイエット効果は抜群だ(錯乱中)。 「そうか、読めたぞ!」  ベッドの上に立ったまま、パシンと手を打つ。 「つまり昨日までの俺は男の子で、今日からは男ってことだよ! まずいよ! もうピュアなボディじゃないんだよ!」 「って、いいことじゃん!!」  自分を殴る。 「ぐは……」  痛いところに当たってしまい、クールダウンした。 「待て……落ち着け俺」  ベッドはしに座って、頭の中を整理することにする。 「そうだ、俺は夜々と……そんなことになって、で頑張ってHして……」  いろいろ思い出してくる。  あまりにドリーミーな体験だったから、寝起きの脳がそれを夢と誤認するのもやむないことだった。 「そうだよ……俺ってもう童貞の人じゃないんだよ」  しみじみと思う。  誰もが通る道とはいえ、俺の視点からだとあまりにも衝撃的だった。絶叫昇降ダンスという醜態を繰り広げてしまうくらいには。  昨夜のことを細かに思い返してみる。 「…………」 「あ、あんまり細かく覚えてない……!」  あんだけ没頭していたというのに、頭の中には強烈な印象しか残ってはいないようなのだ。 「な、なんかものすごく損した気分だ……くそ!」  なんとか記憶を探って、要所要所のシーンだけは回想することができた。  ただ全体の流れを克明に、とまでは行かず、俺のはじめての思い出はイメージ映像多めで記憶されてしまった。 「はあ……仕方ないか」  よく考えると、俺と夜々はつきあっている状態なわけで、これからまだチャンスはいくらでもあるはずだった。いや、あってくれ……本気で。  そういえば、昨日夜々は一緒に眠っていたはずなのに、この部屋にはいない。  時刻を確認するとまだ七時半だった。  普通に自分の部屋に戻ったのだろうけど、なんとなく今ここにいてくれないことに不安を感じた。 「書き置きのひとつでも残ってないのか……?」  惨めったらしく机の周辺などを探ったりする。残念ながらメモの類は見当たらない。  そういえば部屋もベッドにも乱れた痕跡がない。  激しいことはしてないのでそう不思議でもないが、言うなればまったく行為の痕跡がないとも言えるわけで。 「……これで超リアルな夢とか妄想だったら失意で死ぬな俺」  いや待て。夜々ははじめてだったはずだから……普通に考えれば初体験で破瓜の出血とかあるはずだ。  すぐにシーツを確かめた。 「…………え?」  たいへんショッキングなお知らせです。  ないよ?  血のあと、どこにもないよ?  ないことはないだろうと思うのだが、どう見てもシーツは純白のままだった。  白くてふんわりとした柔軟な仕上がり。  頬を押しつけると優しく包み込んでくれるシーツの漂白具合は、攻撃的な商品名で知られるかの洗剤を思い出さずにはいられない。  そう、そのシーツはあまりにも白すぎた……!  にわかに超リアル妄想説が真実味を帯びてくる。 「嘘だろ……あんな妄想、リアルすぎるぜ……」  昨晩の圧倒的なディティールは、例えるなら次世代機以上だった。  もし妄想だとするならば、俺は情欲をこじらせてとうとう『その域』にまで達してしまったということになる。 「あ、あ、あ……」  世界がガラガラと崩壊していく気分だった。  あれから30分経った。  気がつくと食堂にまで来ていた。  腹が減っていた。 「…………」  シーツの白さに精神的打撃を受け、自分を取り戻すのに半時間もかかってしまったのだ。  いや、今も回復したとは言い難い。  ただ空腹すぎて、習慣と本能に引っ張られるようにして食堂に来た、というのが本当のところだった。  胃袋も心もからっぽなのだ。このままでは二重に倒れてしまう。  とにもかくにも食事を済ませ、そのあとで対策を練ろうと思った。 「……めし……」  見ると、バイキングは用意されていない。 「ああ、休み中は弁当だったっけ……」  今は腹に入れば何だっていい。  そう思って奥に向かうと、そこに夜々がいた。 「おはよう、お兄ちゃん」 「夜々!?」 「ど、どうしたの?」 「い、いや……ちょっといきなりだったから驚いて」 「ごめんなさい、お兄ちゃんがいたのさっきまで気がつかなかったから」 「いや、いいよ。おはよう夜々」 「うん」  と微笑んで、夜々は鍋をかきまぜる作業に戻った。  この夜々は、ゆうべ俺と快楽の園に旅立ってくれた夜々なのだろうか?  それとも現実世界に生きるリアルな(性交渉のない)夜々なんだろうか?  態度はいつもと変わらないように見えるが……よし、それとなく探ってみよう。 「夜々」 「はい?」 「昨日はいろいろあったね」 「二年参りのことですか? そうですね、たいへんな人混みでしたね」  参拝に一緒に行ったというのは、捏造された記憶ではないようだ。  よし、もっと深く確かめる……! 「う、うん、すごかったよな……」 「……そのあとはもっと凄かったけど(小声)」 「はい?」 「い、いや、何でもないっ」 「?」  ……スルーされた、のか?  くそ、真実はどこにあるんだ?  けど直に訊いてもし妄想だった時、致命的な軽蔑を浴びる気がする。  ……ここは遠回しに行ってみよう。 「俺、ゆうべ夢を見たんだけどさ」 「どんな夢ですか?」 「夜々の、夢」  ちょっとドキドキしながら言いきる。夜々はしばらくきょとんとした顔をしていたが、 「夜々も見ますよ、お兄ちゃんの夢。たまにですけど」  それは嬉しすぎる! 「……嬉しいけど、期待していた答えと違った……」 「期待?」 「あ、いやいや、こっちの話っ」 「変なお兄ちゃん」 「あのさ、俺の夢の話なんだけど……ただの夢じゃなくてさ」 「ほう」 「……ちょっとHな夢だったんだ……」 「…………」 「Hだってことは自分でもわかってる。ああそうさ、俺はHさ。けど、それもまた真実の俺の姿なんだよ。嘘偽りのない、まっさらな……。そんな俺のことを、夜々はどう思う?」 「Hです」 「あーっ!!」  これじゃただH認定受けただけだよ!  というか、夜々は完全に平常心を保っている。次世代妄想説の信憑性はますます高まってきた。 「あの、お兄ちゃん。これ、作ってしまってもいいですか?」  と鍋を示す。 「え、ああ……それ、もしかして朝食作ってるの?」 「お弁当が来たんだけど、なんだか量が少ないみたいで……」 「そうなのか」 「うん、おせちのお弁当だからかな? それでお兄ちゃんはちょっと足りないだろうと思ったから、お〈汁〉《つゆ》とかを作っていました」 「ああ、そうなんだ。悪いね」 「もうちょっとでできますから、待っていてください」  これは完全に、いつもの夜々だな。  Hなことをして関係が深まった夜々ではないらしい。 「……ああ、そうするよ」  どっと気が抜けた。  テーブルについて、ぼんやりと待つ。  失意の俺の口から、するすると白いものが抜けていった。たぶん魂とか、エクトプラズムとか、そういうのだ。 「ああ、このまま死んでしまいたい……」 「駄目ですよ、死んでしまっては」  夜々が重箱を持ってやってきた。 「はい、おせちです。今、お雑煮も持ってきますね」  ああ、お汁ってお雑煮だったのか。お汁、お汁るるる……。  お雑煮を想像して、胃袋がぎゅるぎゅると鳴った。心は空っぽでも体は正直だ。 「あや、大変です。先に食べててください」 「夜々のお汁……」 「は、はい!?」  ヤバい、思考が口から漏れてしまった。 「いただきます!」  食って誤魔化すことにした。 「あ、すぐにお雑煮持ってきます」  おせちは品目が多いから、一度食い始めると止まらない。袋菓子をむさぼり食っている時と似ている。  一段目のお重をほぼ完食したところで、大きなモチが四つも入ったお雑煮がどんぶりで出てきた。 「おかわりたくさんありますよ」 「さすが夜々さん、わかってらっしゃる」 「ふふ」  どんぶりを手に取る。 「おかわり」 「ま、まだひとくちも食べてないですっ」 「食べるのに一分かからないから、今のうちにおかわり」 「あああ……」  あたふたと夜々がキッチンに戻る。 「うまい!」  だし汁の絡んだ柔らかいモチ、いくらでも入りそうだ。 「お、おかわりですー!」  ちょうど二杯目がやってくる頃、一杯目はカラになっていた。 「ごちそうさま」 「お、おそまつ様でした……」  夜々もちょっと疲れていた。 「ごめん、いろいろ手間かけちゃって」 「いえ、お兄ちゃんが喜んでくれれば、夜々も嬉しいですから……」  ひっきりなしにおかわりを要求したので、その間夜々もずっと動くことになって、今ようやく自分のお雑煮を口にしはじめている。 「でもお兄ちゃん、朝に比べて表情がちょっと落ち着きました」 「え? 俺、なんかヘンだった?」 「そうですね……ちょっとキョドってましたね」 「……うわ」  錯乱してたし、余裕なかったからなぁ……。でもそういうの、はたから見たらわかるもんなんだな。 「今はこう、まったりしてます」 「満腹でいい気分だ。カズノコとモチは最高の組み合わせだ」 「良かった」  なんだか満ち足りてしまった。食の力は偉大だ。 「ごちそうさまでした」 「今日は俺が食器を洗うよ」 「え、いいですよ。お兄ちゃんは休んでいてください」 「それじゃ悪いよ。ごちそうになったしさ、いいから任せといてよ」  俺はどんぶりやお重を重ねられるだけ重ねて、キッチンに持っていった。 「あ……」  キッチンの奥に行って、ため息をついた。 「……なんか、疲れてたのかな俺……あんなリアルなエロ初夢見て……はあ」  一連の会話に、夜々と俺が一線を越えたという雰囲気はまるでなかった。  なかなか信じがたいが、本気で夢オチなのだろう。全身から力が抜ける。 「にしては、どうもしっくりこないんだよな……」  水を張って、使った食器を浸ける。  テーブルにはまだ大量のどんぶりが残っている。それらも回収せねば。  戻ろうとした途端、夜々と鉢合わせた。 「わっ」 「きゃっ、ごめんなさい! お皿、運ぶのだけ手伝おうと思って……」  夜々は両腕にお重の塔を抱えていた。持ち方がいかにも危うい。 「あ、悪いね。受け取るよ」 「じゃあ、お願いします」 「さ、さっさと洗ってしまうか」  お雑煮とおせちだから、しつこい汚れはほとんどない。洗い物はすぐに終わった。 「終わったぞー」 「おつかれさま、お兄ちゃん」  夜々はテレビをつけることもなく、リビングで待機していた。 「俺は部屋に戻るけど、夜々はどうする?」 「ひとつだけ忘れ物がありまして」 「忘れ物?」 「これ」  夜々は俺に近づくと、背を伸ばしてキス――に失敗し、歯と唇が激突する惨事となった。 「いてっ!」 「うあっ!」  ふたり同時に、唇を押さえてよろめく。メチャクチャ痛い。血の味がする。 「な、なん!?」 「ご、ごめんなさ……っ!!」 「って言うか、今キス、君キス……え? えええっ!?」 「いや、だからその、つまり、その、あのそのえっと……っ!!」  あたふたと両手をバタつかせる。腕の残像が見えるくらいの勢いで。 「何それ! 一人阿修羅ごっこ!?」 「そうじゃなくて、違うんですこれはっ、手違い……いや口違いでっ、私の想定とは大幅に違ってしまったんです! 〈遺憾〉《いかん》なんですっ!」 「口違いって! 別の人にキスする予定だったってこと? そんなの、お兄ちゃんは一生許すまじですよ!!」  わかると思うが、ふたりとも見事に錯乱中である。 「それも違うの! 口はお兄ちゃんの口であってるんですっ……ただ、もっとムードがあったらいいなって……だから夜々は朝から空気読みまくって……!」 「おかしいじゃないか!」 「だったらどうして、シーツが真っ白なんだ?」 「えっ? シーツ? ど、どうしてそのことを……っ!?」 「シーツは真っ白なままだったんだ! だから俺は、昨日のことは夢だと思って……」 「シ、シーツは洗濯しました!」 「何ぃぃぃぃぃっ!?」  新事実、発覚! 「しますよう! 血のついたシーツ、自分で洗濯しますよう!」 「な、なんでよっ? お兄ちゃんちっともわかんないよ! 血を見せてよ!」 「は、は、恥ずかしいからダメに決まってるじゃないですか!」 「え……えええええええぇぇぇぇぇぇっ?」  そ、そういうものなのかーっ? 「朝、苦労してこっそりシーツ交換して、今は洗濯機の中です!」 「なんという策士だ!」 「うう……夜々の計画、ズタボロです……」 「だって俺、そのせいで昨日のこと夢だって思いこみそうになって……」 「現実だよお兄ちゃん」 「……よかった……これなら名刺の役職欄に童貞って記さずに済む……」 「お、お兄ちゃん?」  正気を疑われる目つきで見られた。 「あ、いや、そうじゃなくて」  頬を平手で叩いて、渇を入れる。よし、目が覚めたぞ。 「まあ良かったよ、ほっとした」 「……さっきのキスがうまくいっていれば、もっといい感じだったのに……」 「ああ……それで妙に朝からすっとぼけてたんだな……」 「うう……予定と違いすぎます……」  なんだか俺が悪いみたいな気がしてきた。 「わかった、じゃやり直そう、キス」  ぐずる夜々の肩に手を置いてみた。  抵抗の気配はない。 「ごめんな、ムードのない男で」 「ぐす」  なんとなくいきなりマウストゥーマウスはまずい気がして、唇を頬に寄せた。 「ふぇぇ……お兄ちゃぁん……」  夜々の方から、顔を持ち上げて唇を接してきた。ああ、これはいい感じの導入です。  今度は、痛くなかった。 「ん……ちゅ……」  長時間、そのままくっついたままでいた。夜々のやわっこい唇を、いつまでも味わっていたかった。 「う……うう……」  苦しげな呻き。気付かず、しばらく抱きすくめたままでいると、夜々の体が強ばってきた。 「……んんんっ!」 「わっ」  夜々はもぎとるように唇を離し、ぷはっと大きな息継ぎをした。 「ち、窒息するかと思いましたっ」 「ご、ごめん」  キス中って息しちゃいけないんだっけ?  そんなこともないような気がするんだけど……。 「息、していいと思うよ」 「緊張すると、息が止まるんです」 「それに……鼻息、相手にかけるのって……恥ずかしいから……」  その気持ちはすごくわかる。わかるんだけど……こっちは全然物足りない。 「もっかいキスしたい。ダメ?」 「……い、いいですよ?」 「じゃあ」 「ん……」  キス再開。  あー、いい気持ちだ……ふんわりとして、それでいてしっとり潤いがあって……。 「ん、んん……ん……」  どのくらいだろう。30秒以上は経ったと思う頃、口を塞がれて苦しいのか、夜々はまた身をよじる仕草を見せた。  でも今度は逃がさない。  腰を抱きすくめたまま後頭部を押さえて、情熱的に唇を重ね続ける。 「……っ……っっ……ん……」  やがて諦めたのか、夜々の鼻息が俺の頬を撫で始めた。  それだけのことで昨夜の親密度を取り戻せた気がして、嬉しかった。でもこの場の勢いに乗じて、最後までいってしまうわけにもいかない。  ほどよいタイミングで俺は顔を離す。 「やー、ごちそうさまー」 「…………っ」  あ、ちょっと不機嫌そう、か?  いや、頬が赤いし、照れているようにも見える。夜々は自分の口元についた唾液を指先でつつくように拭うと、きっと俺を見上げた。  うむ、怒られるのだな。  俺は歯を食いしばって背筋を伸ばし、目を閉じた。覚悟を決める。  首筋に夜々の両腕が回され、体重がかかった。 「んむっ?」  驚いて目を開くと、夜々の顔が眼前にあった。 「んむ……んんん……んん……」  なんと夜々の方から、キスされてる。 「あむ……ん、ふぅ……んちゅ……」  たどたどしく唇をこすりつけてくる。時たまふっと強めに押しつけては離れ、また角度を変えてついばみキス。  首に夜々の体重がかかっているから、俺はあまり頭を動かすことができなかった。  とりあえず後ろに逃げ気味だった夜々の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。 「やぁ……」  恥ずかしげに声をあげられたが、こっちの方がしっくり来るんだから仕方ない。  夜々の股間が、少し俺の片脚に乗るような体勢だ。腰が噛み合うように密着し、口と口もねろねろと絡まり、頭がぼうっとした。 「夜々、ベロ、出して」 「あん、ん、んんっ」  奥で縮こまっていたソレを連れだし、いいようにねぶる。 「ふぁ、ん、んふぅ」  夜々の熱い呻きが、鼻を抜けて漏れた。  されるがままだった夜々の舌先が、こちらの攻撃をするりと抜けて攻めてきた。  チロチロと唇の表面をリップでも塗るみたいに湿らせていく。そのまま上唇をかぷりと甘噛みされて、俺は思わず呻いた。 「くす」  うう、笑われた……。  ならそっちも同じことをされてみろーということで、唇を食べるくらいの勢いで、はむはむれろれろもぐもぐとしか形容できないレベルの反撃を敢行した。 「っ!!?」  夜々が目を見開き、顔を横にそむけた。キスが断ち切れる。 「びっくりした……」 「今のはそっちからやってきたんだぞ?」 「……仕返しですから」 「まあ、けっこうなお手前だったけど」  緊張感がふっと緩んで、俺たちはドッキングを解除する。 「……部屋、来る?」 「いえ、洗濯しないと……それに……」 「それに?」 「今行ったら……されちゃいそうです」  む、なかなか鋭い。  実は今のキス攻防戦で、けっこうのっぴきならないことになっていたりする。  夜々とのことも夢オチでなかったわけだし、理性の蛇口は、安心でゆるみまくってしまっていた。  でも昨日の今日だからなぁ。女の子の側としてはどうなんだろうか? 「まあ……正直言うと、したいけどさ」 「ほら」 「夜々は、イヤか? 俺とするの」 「イヤじゃない、けど……けど……」  もじっと体を傾け、なぜか俺の胸板にソフトなショルダータックルを当ててきた。 「おおおっ?」  俺はスリップダウンした。 「きゃ! ごめんなさいっ! だいじょうぶっ?」 「……びびった……」  幸い、うまく手をついたからどこも打ってはいなかった。 「こ、転ぶなんて思わなくて! お兄ちゃん、逞しいから……」 「いや、今のは力抜いてたところを押されたんで、足が滑っただけだよ。怪我もしてないし心配ご無用」 「良かった……」 「で、けど、なんだって?」 「つ、つまりですね」 「……まだ、少し痺れてるので……」 「痺れてる?」 「ですから、昨日のあれで……はじめてだったから……まだちょっと」  少し考え、言わんとしていることに気付いた。 「あ、あー! そうか……うーん、まだ痛んでるの?」 「ちょっとだけ……痛みはさほどでもないんですけど、あと筋肉痛にもなってて……脚の付け根が……その、つまり」  恥ずかしげに俺を見上げて言う。 「普段、しない格好だったから……」 「そ、そうですか……」  気分は前屈み。  照れながらそんなこと言われて、反応しない男はいない。でも本人はわかってないんだろうな……クールそうで意外と純情だし。 「あ、でも、一緒に眠りましょうか? ア、アレは……できないですけど、寝るだけ」 「あー」  それは逆に襲わないでいられる自信がない。 「いや、わかった。じゃ今夜はゆっくり休むといいよ」 「ごめんなさい……明日だったら平気だと思うの」 「なんか生々しい会話だよねこれ」 「え? そうですか? でもこういうことはちゃんと話し合わないと……」 「男女の意識の違いってやつかね」  それより今日は元日だ。Hがなくとも楽しいことはたくさんあるはず。 「さて、じゃあ何して過ごす?」 「そうですね、家でゆっくりするのもいいですし、お散歩してお正月気分を味わうというのも捨てがたく……」 「じゃ、のんべんだらりと過ごす?」 「それはだめです! せっかくのお正月なんですから、もっと〈緻密〉《ちみつ》に計画を立てないと!」  〈緻密〉《ちみつ》な計画ってのは、当日の朝に立てるものではないんだけどなぁ。 「じゃ会議しましょう。座ってください!」  椅子に座るように促された。  夜々が向かい側に座り、熱弁を振るう。 「ではまず、どうすれば今日を楽しく過ごせるかということについて意見を……」  恋人になった一日目は、そんな他愛もない会話で始まった。  お正月二日目。 「今日という日が来たか」  こんな感慨深い朝を迎えたのは、生まれてはじめてだ。  初体験のあの日……全てが電撃的に起こった。心の準備もなしに。  しかし今日という日を迎えるにあたって、俺の心の準備はフル装備なのだ。 「ごめんなさい……明日だったら平気だと思うの」  昨日の明日は今日なのだ。  だから今日は平気でオールオッケーなのだ。 「にしても、ふたりっきりの時間も今日で終わりか」  明日あたりから帰省していた連中がどんどん戻ってくるはずだ。  この二日ほど夢心地の時間を過ごしてきたが、気持ち的には一瞬の出来事だった。  もっとこの空気にひたっていたい。  いずみ寮を夜々とふたりっきりで独占してしまいたい。  モヤモヤとして具体的なイメージこそわかないが、夜々とイチャつきたいという欲求だ。  だがまことに残念ながら、寮が恋愛無法空間なのも明日までである。  皆が戻ってきて、俺と夜々の関係がアンナコトになっていたら、さすがに問題になる。  関係はもちろん維持するにしても、振るまいの面では注意が必要だ。  慌ただしい日常が戻ってきたら、俺と夜々の夢工場はどうなってしまうのだろう? よもや営業停止なんてことにはならないと思うのだが……。  とにかく今日は大切な一日だということになる。  いかにして、充実した夢工場を実現するのか? 「難しい」  あまりにも短すぎる時間だ。  そもそも、夜々の言う『明日』とはいつからを指すのか?  普通に考えると……夜のはず。  だけど言葉通りに受け取れば、それこそ今だって『明日』だ。  事によっては、午前のうちから……いや、さすがにそれはどうなんだ?  そもそもどっちから、どういう会話の流れで『そうなる』んだ?  いや、この場合は男の俺が踏ん張るところのはずだ。  初体験では夜々にリードさせてしまったわけだし……。  世間一般のカップル様はいかようにしてこの難題を解決しているのだろう?  ああ、もっと桜井先輩の指導を受けておくべきだった……。  夜からなら……普段通りに生活すればいい。  きっと夜の雰囲気が、俺たちを助けてくれる。  けどもし昼から……という事態になった場合、俺が今すべきこととは……。 「…………」 「……シャワーくらい浴びといた方がいいのかな?」  よし、そうしよう……。  俺はタンスから予備の新しい下着を取り出す。  勝負下着という代物ではないが、清潔というならこれ以上のものはない。  その他、タオルなどの風呂セット・歯磨きセットを持って、部屋を出た。  いつもは洗面所に向かう人でごった返すくらいの時間帯だが、今日は人気なくシンと静まりかえっていた。  俺は歯磨きと朝トイレを済ませ、男を磨くために浴室に向かう。 「うおっ!?」 「お兄ちゃんっ!?」  浴室から出てきた夜々と鉢合わせした。 「お、おはようっ」 「……う、うん、おはよう」 「朝から、風呂?」 「ちょっと、シャワーあびてたの」 「そうなんだ、まあ女の子だもんな。普通そうだよな」 「うん、そうなの、夜々そうなの」  言葉が若干、幼児退行してる。 「その荷物……お兄ちゃんもシャワー?」 「ああ、男の子だからな」 「そ、そうなんだ、とてもいいことです、うん」 「じゃ俺、入ってくるよ、あはは」 「はい、夜々は朝食の準備してます、あはは」  ぎこちなく別れた。 「これってあれかな、同じこと考えてたってやつ……なんというか、お互いバレバレだよな、恥ずかしいったら……」  必要以上にごしごし体を磨きながら、俺はひたすら恥じ入った。  食堂では夜々が朝食の準備を済ませてくれていた。 「悪いね、なんか……」 「いえ……」  会話はすぐに途切れた。ほとんど無言の朝食。  これはきつい……。  なんとか話題を探すのだが、頭がゴチャっとしていて〈如何〉《いかん》ともしがたい。 「あ、今さらだけど、おはよう夜々っ」 「え、え?」 「言ってなかった気がしたから」 「しましたよ挨拶? 朝、お風呂場の前で」  ぐわ、そうだった!  こんな墓穴を掘るとは……俺が緊張してるって夜々にはバレバレなんだろうな。  こりゃ下手にさりげなく会話しようなんて考えない方が良さそうだ。 「…………」 「…………」  夜々も同じ認識だったのか、食器のかすかな物音だけを立てて、朝食の時間が過ぎていった。  その後、夜々がどうしても洗い物を自分でするというので、俺はリビングでくつろぐことにした。  テレビをつける。  景気の良い正月番組が、賑やかな雰囲気を伝えてくる。 「うう……」  だがもちろん、くつろげるはずもなく。 「洗い物、終わったよ」 「ああ、お疲れさん」 「……っ」  両手を腹の前で組み合わせたまま、夜々はしばらく所在なげな様子で立ち尽くしていた。 「あの、夜々、座ったらどう?」 「うん……」  手招くと夜々は椅子を引っ張り出し、俺の隣にぴったりとくっつけて座った。  こ、これは……!?  横目で夜々の表情を伺う。  うつむきがちで、いまいちわからない。  とりあえず察知できたのは、夜々も俺と同様、かなり緊張しているということだった。  緊張しているということは、向こうも俺と同じことを意識しているってことか?  いや、どうだろう……。  経験の浅い俺の勘違いって線も濃厚だぞ?  けど朝のシャワーがバッティングしたってことは、夜々だってそれなりの想定をしているってことで……。 「いかん」 「え?」 「ああ、いや、こっちの考え事でつい」 「そうですか……」  考えてみてもキリがない。  しかし確かめるにしても会話の糸口がない……ああ、そうか、今日の予定を確認すればいいのか。  よし、それで行こう。 「なあ、夜々」 「は、はい!」  ぴーん、という感じで、背筋を伸ばす夜々。  引っ張られて、俺も緊張が高まる。 「あ、あのさっ」 「なっ、何でもきいてくださいっ」 「夜々はきょっ、今日! 今日の夜々はっ!」 「は、はい……だいじょうぶですっ」 「ま、まだ何も聞いてないけど?」 「ですから!」  逆ギレ気味に夜々が叫ぶ。 「今日のお天気は大丈夫ですと言ったんですっ」 「そ、そう、今日はいい天気なのかっ」 「そうなんですっ」 「それはグッドだ!」 「ですよね、ですよね?」  何このテンション。今日の予定を聞こうとしただけで、いきなり未知の領域に突入。  誰かどうにかしてください。 「じゃ、そんないい天気だと、どこか行っちゃりたいとか思っちゃりたいわけ?」  言語機能にエラー発生。 「そうですねっ、気ままにショッピングにほっつき出たいですよねっ」  夜々の言語機能にもエラー発生。  でも流れとしては、ここがスムーズなトークのチャンスか! 「じゃあ、行こうぜっ!」 「行っちゃいますかっ?」 「でも店ほとんど閉まってる……」 「ですよね……」  急にテンションが下がった。 「…………」  沈鬱な空気がリビングの床に沈殿していく。 「……まあ、特に予定はないってことかな」 「……はい、出かける予定はありません」 「どっか行きたいところある?」 「いいえ、特には」 「ん、そうか……」 「はい」  緊張が緩んだことと重なり、ちょうどこのあたりで恋エネルギーが切れた。 「……じゃ俺、ちょっと二度寝してくるわ」 「え?」 「またあとでなんかして遊ぼうな」 「あ……」  うまくイチャつきたいのだが、このまま踏みとどまっても泥沼になりそうだ。  まだ一日ははじまったばかり。一度仕切直しをさせてもらおう。  昨日、事後はなかなかいい感じになったのになー。難しいもんだ。  情けないお兄ちゃんでごめんな夜々。  立ち上がり、夜々に背を向けて歩き出したその時。  背後から、抱きすくめられた。 「ごめんなさい」 「え?」 「夜々、うまく話せなくて、ごめんなさいっ」 「あ、いや、何? どうしちゃった?」 「昨日からずっと、緊張したままなの……」 「うまく話せないの。こんなよそよそしいのは、いつもの夜々と違うの」 「だから、行かないで欲しいの」 「う、夜々……じゃあおまえも……そうだったのか?」 「お兄ちゃんも?」 「ああ、実はそうだったんだ」 「なんだ、私一人で空回りしてるんだとばかり……」 「ふたりして、似たようなことで緊張してたんだな」 「考えすぎて自爆しまくりでした」 「夜々は別に自爆してなかったじゃないか?」 「してました。自分的にはけっこう」 「む、俺も自分的な自爆ならかなり踏みまくってたな」  こうも似てるのは、義兄妹の契りをかわしたせいなのだろうか。 「……あまり、気にしないでもっと素直になれば良かったのかも」 「それは感じるな。電撃カップルとはいえ、いちおう……しちゃってるわけだし」 「……ですよね」  もういいや。気にしてもしょうがないし、切り込んでいくことにしよう。 「単刀直入に訊くけど、Hの後遺症、まだ痛んでる?」 「うっ……いきなり……」 「大事なことよ。男は愛の獣よ。教えるのこと」  エセ中華風に畳みかける。 「ううう……」  夜々はカンカンに焼けたやかんのように真っ赤になっていたが、そのうち観念してポツリと口にした。 「……平気だと思うの」 「平気なのか……」  俺はわなわな震えた。平気ということは痛くないということで、それはすなわち接続可能ということでもある。  どうしたって続く展開を期待してしまう。 「う、うん、へいきなの」  くそう!  夜々の可愛らしさは憎らしいほどだ。  ダメモトで言ってみるか……? 「夜々、Hしたいんだけど」  言ったぞおぉぉぉっ! 「……うん、いいよ」  OKしたーーーーーっっ!?!? 「そ、そんなあっさりでいいのか!? HだぞH?」 「あっさりじゃない……前フリ、長かったと思うの」 「そうね……」  ごもっともな話だった。  よし、とりあえず軽くキスをしてみよう。恋人同士は恋愛映画みたいなスムーズな流れでキスを交わすのだ。  夜々の肩を抱いて、顔を近づける。 「!」  少し身構えられたが、別に嫌悪していたわけじゃなかったようで、つつく程度に唇を触れあわせることができた。 「……どうも」 「……はい」  他のカップルも、キスしたあとに挨拶とかしてるんだろうか……。  どうにもまだ俺たちのキスは、日常の延長線上になりきっていない気がする。  でもつきあい始めなら、こんなもんか。 「にしてもさ、出かける場所なんてないんだけど、こんな明るいのにこんなことしちゃってもいいもんなのかな」 「……帰省してる人たち、そろそろ帰ってくるんだよね?」 「ああ、明日あたりから続々とご帰投の予定だ」 「じゃあ、夜々たちの時間、今日だけだよ……」 「気付いていたか……まさにそうだ。俺たちが公然とくっつけるのも、今日あたりが限度だろうな」 「だったら……!」  腕の中で、夜々が身を乗り出す。ここまで来て俺の覚悟も決まった。  今はとにかく展開を進めて、あとは現場の判断だ!  行き当たりばったりとも言うけど。 「部屋、来る?」 「う、うん、行くです」  俺たちはぴったりと寄り添って、部屋に移動した。  ベッドの上に並んで腰掛ける。  さてと……Hだなあ。  二度目とはいえ、もちろんまだまだ戸惑いがある。  むしろ勢いでイタしてしまった一度目の方が、まだ抵抗がなかったかも知れない。  ええと、まずどうするんだ……キスか、キスだな。 「夜々……」 「あ、うん……」  肩を抱いて軽く引き寄せると、夜々の上体が半回転してこちらを向いた。  ほどよい高さにある唇に、俺のそれを重ねる。 「ん……」  ああ、幸せだ……。  胸が興奮で、弾けそうに膨らんでいる。  こういう感覚、子供の頃はよく味わっていた気がするな。  遠足の前とか、友達の家に新作ゲームを遊びに行く日とか、皆で映画に行く時とか。  体の中が楽しさでいっぱいになったような感覚だ。  今、夜々とのキスで感じているのとは若干色合いが異なるものだけど。  充実感というか、多幸感というか、そんな気持ちになるのは、ここ最近はなかった。  恋はいい。  人類が繁栄するわけがわかる。  ただ少し、胸の奥がちくりと痛むのは……なんだろう?  夜々のことを本当の妹みたいに感じていた影響なのか?  妹みたいに思いかけていた子と、こんなことになってる。  でも俺と夜々は本当の兄妹じゃないわけだしな。 「夜々の唇、柔らかいよな。女の子って感じ」 「お兄ちゃんの唇もおいしいです」 「は、おいしい?」 「お兄ちゃん味……?」  ほ、誉められてるのか? 「味はよくわからないけど……とにかく俺は一日中でもしてたいね」 「うん、していいよ」 「じゃもっかい」 「あむっ……」  不意打ち気味に塞いでやる。  キスと同時に全身がきゅっと震えるのが伝わってきて、愛おしさが込み上げてくる。  同時に体にもタッチしていく。  性急に触れたい気持ちをぐっとセーブして、衣服をはだけていく。  下着が露出したところで、俺の手が止まる。 「こ、これは……!」 「…………っ」  とんでもない下着だった。 「まるで……紐だ……」  最低限、隠れるところは隠れているけど、それだけだ。  あの人見知りで有名な夜々が、こんな紐を履いているだなんて……信じられない。 「い、いつも、こんなのを?」 「ううん……今日だけ」 「この下着は凄いな……」 「お、お兄ちゃん専用、専用ですっ」 「俺専用……」  よからぬ感情が、尾てい骨のあたりからビリビリと脊髄を駆け上ってきた。  今すぐこのエネルギーを暴発させたい。そんな気持ちを必死でこらえた。 「……っ」 「……似合わない?」 「いや、オールOK。オールグッド。もっとやって」 「……よかった……引かれるかなって、ちょっと心配だったの」  ある意味、驚かされたけど。 「すごく似合ってる……最高」 「ほんとう? かなり、嬉しい、かも」  糸のような下着だから、脱がせるときも足首を通す必要はないみたいだ。  サイドの結び目を解くだけでいい。  腰を持ち上げさせる必要がないのは、ビギナーとしてはちょっと気が楽である。  あらわにした素肌に、そっと手を置く。 「……っ」  なだらかな胸全体を押し包んで、じっくりと回すように押し上げていく。  夜々が熱い息を吐いた。  首筋に顔を寄せる。  甘くたちのぼる女の子の気配が、鼻孔を満たす。  そのまま唇と鼻を押し当て、こすりつける。 「んぁ……はあ……」  嬉しげに喉を鳴らす夜々。  ほとんど本能的にしたことだったのだけど、良かったようだ。  気をよくした俺は、しばらく喉元のあたりを顔全体で漂う。  これもいい……。  女の子を間近で感じられて、とても興奮する。 「お兄ちゃん……くすぐった……きゃっ」  ほんの少しだけ吸ってみると、夜々の上半身が軽く痙攣した。  首の辺りって、そんなに感じるんだ。  夜々が頓狂にも思えるほどの悲鳴を発する度に、俺の股間にはズクンと熱した重油のような劣情が流し込まれていった。  でもまだダメだ。  もっと丹念に、緊張を取ってやらないと。  夜々の体は、まだ所々に強ばりを残している。全てほぐしてあげるのが、今の俺のやるべきことのはずだ。  顔が首筋からさらに胸元に降りていく。  同時に、手も胸から腹部を目指して下降していった。 「あっ……あん……」  平皿のように美しく凹んだ腹部は、指を立てればそのまま沈み込んでいきそうな危うさがある。  柔肌を確かめようと立てた指先は、自然と中心に落ち窪む小さな窄まりへと滑りこんでいく。 「あっ、ああっ」  驚いたような声をあげて、夜々が身をよじる。  指でくるくると臍の入口をいらうと、夜々の下腹部がわななくように波打つ。 「だ、だめ……やっ、やんっ」  異質な刺激ゆえか。  夜々はどう反応していいのかわからない様子で、戸惑いがちの喘ぎ声を発した。 「お兄ちゃん……そこ、むり……」 「夜々のきれいなとこ、全部触りたくて……」 「え?」 「ここ、きれいだよ」 「…………でも……そこは……盲点なの」  おへそって盲点なんだ……知らなかった。  でも言い得て妙だ。  中級者向けということなのかもな。  夜々の薄く小振りなつくりの腹部は、輝くように白くて、見ていると妙な気分が鎌首をもたげてくる。 「本当にきれいだ……」 「……なんども言われたら……はずかしくて……死にそうになります……」  全身を茹であがらせて、夜々は腹部を隠すように身をよじる。 「だって、本当のことだからな」 「…………」  耳まで朱色にしたまま顔をそむけ、可哀想に震えている。  ちょっと誉めただけなのに、まともに話もできない状態になってしまった。 「ごめん、からかったわけじゃないんだけど……じゃあ、続けるよ?」 「……っ」  いよいよ指は、お腹の下方に辿り着く。  ごく狭い範囲に束ねられた短い茂みは、赤ちゃんの頭髪よりも柔らかく、指先に絡みつく。  夜々の体は、何もかもが脆く小さくソフトだ。  俺の意識と手つきは、精密機械を扱う者のそれに近づいていく。  くの字に曲げた指先が、結び目のような上端をかすめた。 「きゃ……んんっ」  まだ発達の気配がない夜々の秘部。  肉付きが薄く、閉じたままの蕾を思わせる。  一本の指を、縫い目に埋めるように上下させる。ゆっくり、丁寧に。  包皮に覆われた突起や、平らな内の粘膜、左右から閉じ合わされたような単純なつくりの陰唇……それらをいっしょくたに撫で回す。 「ああぁぁ……あ……んっ……!」  臀部をシーツにつけたまま、背筋だけがしなって浮き上がっていく。  夜々の秘められた場所。  その中程から下を、汗とは異なる液体が濡らしている。  指全体にまぶすように動かしていくと、綴じ目がめくれ粘膜のぬるみに接した。 「ひぅっ……んっ……あんっ……んん、んっ!」  秘所を弄りはじめると、反応も著しく変化している。  少しおっかないくらいの感じ方。だけどやめるわけにはいかない。  指の腹をうまく使って、器官全体をなぞっていく。 「ひぅ……う……あぁ、ん……ひん……」  てろんとした襞のようなものが指先と絡みあい、不思議な感じがした。  最初は部分的だった湿り気も、指でこねくりまわしているうちに、全体にねっとりと染み渡る。  夜々のあそこは、もう滴るくらいに濡れ濡れだ。  中はどうだろう……?  第一関節だけを立てて、放っておくと自然と被覆された状態に戻ろうとする、幼い夜々の奥に潜り込ませていく。  見ていないので場所がわからず、何度目かにようやく奥の狭い通路を見つけた。 「あぁ……いれ、ちゃうの?」  不安そうに夜々が言う。  不安を吸い取るように耳たぶを含んで、囁く。 「大丈夫」  それだけで安心したように夜々が微笑む。  俺は慎重に指先を奥へと押し進めた。  ぬめる膣内が、易々と指を呑みこむ。  力を抜くとするりと押し出されてしまうので、本当に入っているかどうか、間違えて内股あたりをただ押し込んでいるだけなのではないかと錯覚してしまった。  何度か出し入れするうちに、錯覚ではない確かな挿入感を指全体に感じた。  慣れなんだな……こういうのって……。  ぬめりの中に押し込む。  力を抜くと自然と押し出される。力を入れて引き抜く必要はないくらいだ。  繰り返していくうちに、少しずつ挿入の深度が増していく。  そのたびに、夜々の呼吸も荒くなった。 「あっ……あ……きゃんっ……んっ……!」  夜々の声、大きい。  声量というより、声が高いからよく響く。 「はぁっ……んっ、く……はっ……んんっ、あんっ、ああ……!」  耳元に響く。  頭がジンジンと痺れ、ものが考えられなくなっていった。  男の衝動に直接響く声だった。  視野がぐぐっと狭まるのがわかる。  指を挿入したまま、ぐるりと手首を返して内側を撫でた。 「ああぁぁぁ……」  夜々は脱力するような声を発した。  角度と接地面を替えながら、まんべんなくかき回していく。  ザラザラという感じはしない。むしろつるりとしたものだった。  多少の凹凸はあるようで、ときおり盛り上がった部分に引っかかることがあった。  その部位を、重点的にこそいでみる。 「あああうっ!!」  声が跳ね上がって、慌てて指を抜いた。  ちょっと刺激が強かった……かな? 「ああ……ああぁ……」  涙目で見つめられてしまうと、俺もたまらなくなる。  唇にむしゃぶりつく。  夜々は積極的に俺の舌を求めた。  互いに押しつけるように絡めて、離れ際に口全体で吸いたてる。  それは口内に生じた一連の感触が、継ぎ目なく切り替わるようなスムーズなキスで、あまりの快楽に一瞬我を忘れそうになった。  今のキスをもう一度体験したい。  夜々の前髪を片手でかき上げながら、求めた。 「んんんんんっ……んむっ……んぁ……」  同じ刺激が再現されるまで、何度も何度も挑みかかり……満足ゆくまで互いの舌を啜る。  終わった時には、さすがに大きく息をついた。 「……おにいひゃん……」  ろれつの回らない調子で、夜々が俺を見る。  それで、わかった。 「ああ……」  体をずらして覆い被さる。  ガチガチにそそり立った分身の、異様な硬さに改めて驚く。  外的変化ももちろんだが、感覚の増大にも凄まじいものがある。  ジンジンと脈打つ俺のペニスは、痛いほどに苦悶の信号を送ってくる。  本当に興奮するってこういうことなんだと、どこか他人事のようにしみじみ思う。  切っ先を、そっと夜々の膣口にあてがった。  クチュ、と鈴口と膣がキスをする。 「行くよ」 「うん」  場所よし、角度は……こんなもんかな。  体重に任せて腰を落とすと、抵抗なく陰茎は沈み込んでいく。  夜々の膣内は〈坩堝〉《るつぼ》のように熱く、思わず呻き声が出た。 「んん……っ」  恥骨が密着するまで腰を落とすと、俺のモノは根本まですっぽりと夜々のなかに収まっていた。 「痛くないか?」 「……だいじょうぶ……でも」 「でも?」 「お兄ちゃんので……夜々の……はちきれそうになってるの……」 「そ、そう……」  夜々の言葉は、たまに俺の頭を強打して真っ白にしてしまう。 「俺のも、はちきれそうだから、おあいこダネ」  ボケた脳細胞様は自動的にそんなオヤジ臭い返しをしてくださった。  くそ、下ネタじゃないか……。 「はじめてのときは、ちょっとだけちくっとしたけど……今日はあまり痛くないみたい」  俺の方にも女の子を痛がらせる趣味はない。  お互い安心してHできるんだと思うと、少し気が楽だし嬉しい。 「じゃあ……」  夜々の脇の下あたりに手をついて上体を支え、下半身全体をこすりつけるようにして出し入れを始める。  ゆっくりとした動作なのに、ビリビリくるくらい気持ちいい。  気分が高ぶっているせいもあるんだろうけど、夜々の中って……なんか……ゆっくりぐるぐる回っているみたいな刺激がある。神秘だ。  普通こういうものなのか、夜々だけがそうなのかはわからないけど……。  AVみたいに性急に動くよりも、今くらいのペースで動く方が具合いいみたい。 「はぁ、ん……あはっ……はぁ……んんっ……」  動きに合わせて、夜々は息を吐き出す。  その艶っぽい呼吸の合間に、不規則に引きつり気味の声が漏れる。 「あっ……んん、あっ、あっ……はぁ……はぅっ……ん、ん……んあっ!」  乱調子のリズムは、俺の頭をキスの時以上にぼんやりと濁らせていく。  ねっとりと膣内を巡る気持ちよさと、触れあう腰や太もものソフトな摩擦感、そして艶めかしいほどに青い吐息。  渾然一体となって、理性を麻痺させる。  ぐっと腰を押しつけた。 「ああっ、あん、あうぅっ……!」  尻上がりのかん高い悲鳴が押し出される。  たまらなくなり、顔を落として鎖骨のあたりを唇でなぞった。 「ああっ、ひうっ、あっ」  膣から来るものとは別種の刺激によってか、鎖骨が不随意的にひくついた。  身を乗り出すと同時に喉元を味わい、さらに顎から口元へと舌先を走らせていく。  辿り着いた口を強く吸う。 「ひゃうっ、んむっ」  あー、気持ちいい……比べては何だが、一人で致すのなんて目じゃない。  入れてる気持ちよさもある。けどそれだけじゃない。  強く抱いたら折れてしまいそうな、女の子の体が腕の中でうねっている……それがたまらないのだった。 「お兄ちゃん……夜々の……きもちいい?」 「ああ。夜々の中、すごくあったかくて、ずっとこうしてたいよ」 「いいよ、して……ずっとして……!」  夜々は俺にしがみついてきた。  俺も肘をついて、夜々の背中に手を回す。  柔らかい……!  もう胴体全部がくにゃっとした感じ。  男の体は粘土を固めたようないかつさがあるけど、女の子のは芯のない……猫っぽいというか、自在に形を変えそうな危うさがある。  それに熱い!  背中とシーツの間が、ほとんどこたつの温度だ。  柔肌の下を流れる血潮が、じかに熱を発していた。  胸同士を密着させて、腰だけを小刻みに動かす。  夜々に深々と入った状態だから、ペニスの尖端に張りだした部分が、奥壁の一点を執拗にこすることになる。 「ひうううんっっ!」  うわ、すごい声……。  でも俺自身も、尖端の強すぎる刺激に呻き声を上げていた。  目がチカチカして、視界が白む。  これ、ダメだ……もうこんなことしてたら一瞬で達してしまう。  大振りのストロークに戻す。  すると膣の粘膜がぴったりと竿全体にまとわりつく、あの感覚も戻ってくる。  就眠時のまどろみに似た、安心できる快楽。  夜々と長く愛しあえる歩調。  この濡れた洞窟を、隅々まで味わいたいと思う。 「ああっ、はぁっ、はんっ、んっ、はあんっ」  夜々のとろけた顔を見ながら、夢心地で行為にひたる。  男の性なんて、ちょっとこすってパーッと終わってしまうものだと思ってたけど、そんなのは全然快楽じゃないと思った。  というかもうこれを知ったら、一人Hじゃ満足できそうにないです、ハイ……。 「夜々ー、好きだー」 「はっ、はっ、あんっ、あ……夜々も、だよぉ……!」  ときおり、合い言葉のようにそんな会話を繰り返している。  今だけのことだろうけど、気恥ずかしさはまったくなかった。  新たな刺激を求め、腰を前後だけではなく、円を描くように動かしてみる。 「ひゃうんっ……!!」  襟に氷を入れられたように、夜々が鋭く吸気する。  そのまま円運動をしたり逆回転したり前後したりと、無軌道に戯れる。  今までとは異なった立体感のある官能が、腰にジワジワと広がっていく。 「ひんっ、あんっ、あん、あっあっ……んん、あうっ……ひゃっ……!!」  夜々には少し刺激が唐突すぎるようで、哀れなどに呼吸が乱れた。  けどそんな状態もめちゃくちゃ可愛い。 「夜々可愛い」 「ひゃ、ううんっ!」  動きながら心ダダ漏れに囁く。 「夜々可愛い、声可愛い、全部可愛い」 「あっ、あうっ、やぁ……うそぉ……!」  無意識に口をついて出てしまう俺の信じられないくらいこっ恥ずかしい言葉が、挿入の快楽とあわさって夜々を追いつめているらしい。  全身をしきりにねじって、処理しきれない羞恥と歓喜を体外に逃がそうとする。  抱いた背中で、夜々の背筋がもの凄く活発に運動しているのがわかる。  例によって俺は性感肥大によって、絶頂の限度線を見失っているわけだけど、ふと気がつくと膣内がぎゅうぎゅうに絞られていることに気付いた。 「どわっ……!?」 「あ、あっ、だめ、も、だめ、あっ、はんっ……!」  ただでさえ、油断してるとつるんと押し出されるくらいにきつい穴なのだ。  それがこの時ばかりは、ねじりを加えて奥に奥にと引き込んでくる。  あれだけ慎重にゆっくりHしていたのに、もう俺は射精寸前にまで持って行かれていた。  時間?  どれくらいだ?  ああ、時計を見る余裕さえない。 「ごめん、夜々……!」 「はうぅぅんっ!!」  中はまずい、の意識だけで腰を大きく引き抜くことができた。  瞬間、俺のペニスはホウセンカの種を思わせる勢いで爆ぜ、精液を噴射させていた。  いや、もう、本当に噴射。 「……あっ……すごいね…………やん、すごい……」 「すみません……」  ……いやまあ、確かに自分でもすごいと思うけど……繰り返し言わないでも……恥ずかしい……。  精液はおかしいくらいに出て、それは夜々の内股にぶち当たり、てろりと垂れた。 「男の子って……びゅーって出るんだ……」 「すみません……」  なんとなく詫びてしまう。  正気を失ったようにも見える虚ろに楽しげな表情で、夜々は射精を観察していた。  やがて射精が途切れる頃合いを見て、一度力んで残りを一気に絞り出した。 「ぐあぁ」  最後のひとしぶきにも、強い性感の爆発があって参った。  見届けた夜々が、ほぅとため息をつく。 「……きもちよかった?」 「ああ……すまん夜々。汚しちゃって」 「いいよ、夜々、いやじゃないから」  内股の精液を指ですくって、ぺろりと舐める。 「こらこらっ」 「……お兄ちゃん味」 「ぐー……」  照れ隠しに夜々の頭をくしゃりとかきまぜ、ティッシュを取り出す。 「じっとしててくれ、拭くから」 「え? え?」  なぜかそれは恥ずかしいらしく、目を白黒させる。 「しかしどんだけ出てるんだこれ……病気か?」  自己処理する時よりあからさまに大量……昨日より多いし。  今まで無駄に散っていった何億もの仲間たちの無念を晴らすため、精子たちも本気で来たのかも知れない。  これからきつい戦いになりそうだった。 「恥ずかしい……」 「全部きれいにしないとな」  ふきふき拭う。  これはこれで、けっこう楽しい作業だ。  もしこれが一人Hの時、部屋の壁とかにかかったものだったら、虚しいどころの騒ぎじゃなくなる。 「ものすごくいっぱい出たね、お兄ちゃん」 「……夜々の内もも、湯気出てる……」  交戦が激しすぎたためか、火照った内股からうっすらと煙がたちのぼっている。 「やー」  綴じ合わせて隠そうとする。  そのままごろんと横倒しにして、うつ伏せというか四つ足に近い格好になる。  つるんと卵の質感を持った臀部が、こちらに突き出された。  もちろん、真ん中には今まで俺のを可愛がってくれたクレヴァスと、キュッと結ばれた菊座も丸見えだ。 「…………ワオウ」 「え?」 「夜々……、見えてます」 「きゃ、やだ……」  片手で後ろを隠す夜々。  だが網膜には今の映像がくっきり焼きついてしまっている。 「あー」  脳内のスイッチが、またカチリと音を立てて切り替わってしまった。 「……お兄ちゃん?」 「ごめん……今ので、またきちゃった……」 「……え? きたって……え?」 「興奮しちゃったってこと」  夜々の隠している手を取り、股間に導く。  隆々と反り返る、我が子を。 「きゃ! こんな、熱い……」 「夜々のお尻、すごくエッチだったから……」 「でも……今、終わったんじゃないの?」 「……またしたくなっちゃった」 「えええっ?」 「うー、だめかなー?」  我ながら情けない声が出ていたと思う。  発情期のオスは切なく鳴くのです。 「……く、苦しいの?」 「苦しい、切ない、寂しい」 「ほわ、そ、そんなに……」 「もっと夜々の中にいたい、だって……すげえ好きなんだもん」 「お兄ちゃん……っ」  夜々の体内から、キュンという音が聞こえた気がした。 「じゃあ、する……?」 「したい!」  そりゃ叫ぶさ。 「……うん。じゃあ、しよ」 「いいのか?」 「夜々、お兄ちゃん好きなの。恋なの。だから……」  さす、とペニスの裏筋あたりを撫でる。 「また、夜々のなかに戻ってきて」 「うう……夜々!」  仮に今、恋路橋が部屋に入ってきても俺は挿入を中断しない!  そんなかたい決意のもと、夜々の背中にきつくキスした。 「きゃんっ」 「好きだ……好きだ、夜々!」 「お、お兄ちゃんっ!」  そして俺はそのままの格好で、腰を落とし、ペニスの筒先を性器に定めた。 「あ……この格好で……しちゃうの?」 「うん……したい」 「お兄ちゃん、かわいい……」  夜々が微笑む。  それを肯定と受け取り、俺はゆっくりと陰茎を埋没させていく。 「あ……埋まっちゃう……夜々のなか、いっぱいに……っ」  二度目の挿入。  だというのに、俺の脳裏には官能の火花が散る。  ……気持ちよすぎだコレ……有り得ないってくらい……感じる……。  裏側からの挿入だからか(後背位というやつ?)、また微妙に感触が違っているのも新鮮だった。 「うわぁ……夜々、これもやばいかも……」 「……んん……どこか、へん?」  声に不安がまじっていた。 「いや……逆……すごく良すぎて…………夜々に、ハマりそう……」 「……っ」  きゅっと膣が絞られる。  例えるならペニスをピアノ線でぐるぐる巻きにされ、微弱な電気を流された……みたいな逃れようのない危機感。  普通の時はねちゃっと張りついてくる感じなのに、たまにこうなるのは何故なんだ?  まさか……言葉に、反応して……?  だとしたら、うかつな俺のことだ。  またすぐに射精させられてしまいそうな予感がする。 「なら、して……すきなだけ……お兄ちゃんのすきなだけ、だして……」 「もう今日ずっとしてていい?」 「うん、いいよ……」 「夜々……くうっ!」  我慢できなかった。  腰をねじこむように突き出す。 「あぁぁぁっ!」  夜々の声が今までよりオクターブ高い。  膣の圧迫感も、体位の違いのせいなのか全然違う。  溶けかかった吸盤のような膣穴を、ゆっくり前後して味わう。 「あぁぁぁ……あっ……うあぁぁぁぁ……っ!」  呻きだか喘ぎだかわからないような声を出す。  気をよくして、できるだけ浅く引き抜き、潜れるだけ奥まで突き進むといった、大振りの腰使いを延々と続けた。 「んあっ……あああ……んっ、んあっ、あはぁぁ……あああぁぁ……」  微妙に突き入れる角度を変えると、新たな挿入感が生じた。 「ひあぁぁ……んぁっ……あっ、んっ……んんっ……はっ、はぁん、んっ……!」  抜いて、入れる。その連続。  無理のないスローな動きだから、息が切れるということはないのだが、気がつくと俺も夜々も全身から汗がどっと噴き出ていた。  性的興奮による発汗。  そう、俺たちはふたりとも同じように興奮し、感じていた。  愛おしさが増す。  突き上げた拍子に夜々が仰け反った。うなじから耳元にかけて汗で髪の毛が張りついているのを見て、焼け石を飲んだように腹の底が熱くなった。  横合いからキスをせがむと、向こうも本気で応じてくる。  たちまち激しいついばみ合戦。  どちらのものとも言えない唾液が垂れ、シーツに染みを作る。 「んむっ、んむ……んぁっ……はぁっ……ん、んん、ん、ん、んんんー……」  ベロ同士のキスには、もう抵抗もためらいもない。  舌がビリビリになるまで吸って、また腰を振り始める。 「うあっ……あっ……あぁぁぁ……あうぅぅぅ……」  ゆっくりと入れ、奥の感触を味わってから、また入口近くまで戻る。  慣れない行為だから引き抜く時に失敗して、全部抜けてしまうこともある。 「っとと……入れ直して、と」 「んく…………っ」  根本まで挿入すると、はらわたまでじんわりと温められてほっとする。  夜々の中に収めている方が自然な状態なのだと錯覚するくらい。  改めて腰を前後させると、少し遅れて夜々が声を上げる。 「……うあああぁぁぁぁ……っっ!!」  シーツをぎゅっと握りしめ、高々とあごを突き上げて。  なにやら二の腕とか、鳥肌が立っちゃってる。 「……あっ……んぁっ……あああぁぁぁ……っ!」 「……へ、平気? 痛いわけじゃないよね?」 「はぁ、はぁ、はぁ……」  ちらりと横目でこちらを見るが、返事もできない様子で、荒い呼吸を繰り返すばかりだ。  その半開きの瞳が色っぽい。  背中をペロペロと舐めると、汗の塩気と夜々の肌の薄い甘みがまじった味がした。 「きゃあっ……きゃ……んあぁぁっ」  両腕を突っ張って仰け反る。  この人、かなり感度ってやつが良いんじゃなかろうか?  スロースターターというか、だんだんと反応が深く鋭くなってる気がする。  それは俺自身にも言えるんだけど……。 「うー、気持ちいい、良すぎる」 「やぁぁ……はずかしいよ……おにいちゃん……っ」  いくら味わっても、まったく飽きるという気配がない。  やりたいことも山ほどある。  腕を前に回して、夜々の腹部をまさぐる。  うはー、腰ほっそいなぁ……お人形さんみたいだ……。  腹と背中の厚みも薄いし、手の大きな男だったら、両手の輪で指がついてしまうんではないだろうか。  よからぬ気分になりまくり。  さらに手を持ち上げて、夜々の胸を受け止める。  少し小さめだけどふっくらして、手の椀にすっぽりおさまる。  乳首発見。  つまんでコリコリとマッサージしてやる。 「……ああぁぁんっ! あっ、やぁっ!」  その途端、腰が止まっているにも関わらず、膣がぐねぐねと動いて俺のモノを絞り込んできた。  油断してると一気に射精させられそうだ。  ペトペトに濡れていて、ネットリとすがりついてくる夜々の膣壁を、振り切るように動きはじめた。 「あああぁぁぁっ、うあぁぁぁぁ、あっ、あっ、あーーーっ!」  気持ちいいからって下肢に力を入れてるのもマズい、すぐにイきそうになる。  力を抜いて、ゆるゆると前後する。  それはそれでまた別種の、脳に悪影響がありそうな麻薬的な快楽があるのだけど、長く楽しむのだったらこっちの方が良さそうだ。 「夜々、気持ちいい、あーもうなんか全体的に気持ちいい」 「おにいちゃぁぁん……夜々も、夜々も、すごくいいようっ」 「夜々も感じてくれてるの?」 「うんっ……うんっ、夜々、感じてるの……っ!」  経験が浅いのにこんな感じるなんて、いけない子だなぁ!  それでギンギンに勃起を強める俺も、かなり悪いお兄ちゃんだけどさぁ!  長らく挿入を楽しんでいたけど、ついに限界点が近づいてきた。 「あ、と、とっ……もうダメそう、また出そうになってきた……イッていい?」 「ふぁ……?」  とろんと濁った瞳が俺を見る。 「……うん、いいよぉ……イッて……」  もう本当、そのトロ顔だけでイキそうになるんで勘弁してもらいたいくらいだけど。  続けるうちに、だいぶ腰を使うコツのようなものもわかってきた。  とにかくこのまま一度清算してしまおう……。  両膝をベッドにつけ、腰だけを上下させて、夜々の入口付近を素早く擦り上げた。 「あっ、あっ、あっ、あっ!」  おおっ、凄い反応!  俺も筋力を総動員して、さらに機敏に反覆する。  ちょっとAV男優意識(実際にできているかは別として)。 「あっあっあっあっあっあっ……!!」 「あーっ、あっあっあっ、ああっ、あっああっ、んんんんんっ!」 「あー限界っ」  ズドンと根本まで貫き、ジワッと蠢く膣壁の感触に捕まる前に、素早くペニスを抜いた。 「んあああああああああっ!!」  気持ち的には童貞と大差ない人間を、大いにビクつかせるほどの大声で夜々が叫ぶ。  同時に、俺も射精した。 「ぐっ……!」  ま、またそんなに出るんですかーーーっ!?  俺はまたしても寒天状の精液を、呆れるくらい吐き出していた。 「はぅあっ……はん……はっ……あぁぁぁ…………あっ……」  ぐったりと枕に顔を埋める夜々の、無防備な尻のあたりにそれは降り注ぐ。  きれいなお尻を俺の精液が汚していく。  お尻パックできるんじゃないかってくらい出してしまった。  この射精量は立派な犯罪だ。 「……はぁ……はぁ……」 「はぁ……はぁん…………はー……」  むう、エロい……。  二度出して、なお!  なお……したい!  だがまあ、とりあえず今しなければならないこと。それはキスだ。 「夜々、よかった」 「んむっ」  ほとんど強引に奪う。  夜々の舌の動きは弱々しく、意識が途切れがちなのが伝わってきた。  それをいいことに、一方的に啜りあげてやる。 「んっ……んむ、んふっ……ふぁっ……や……あ……れろっ……んちゅ……」  夜々の口内にたまっていた唾液を、あまさず吸飲した。  アブノーマルな気もしたが関係なかった。  だってアブノーマルでいいし、もう……。  そのあと、またティッシュでお尻をふいてやる。  夜々の意識はほとんどなく、話しかけても来ない。 「よし。きれいになった」  にしても、綺麗なつくりの下半身である。  細い腰からなだらかに張りだしたお尻は、この年頃の女の子ならではって感じの初々しさがある。  お尻から伸びた両脚はまったく日焼けしていないから、蛍光灯みたいな透き通った白さが目立つ。 「恋路橋じゃないけどけしからん脚だ……」  だからだろうか。  まだ俺のものが、勢いよくそそり立っているのは……。 「…………」 「夜々ー」  ぐったりと脱力していて、なすがままの夜々だった。 「夜々さーん?」  薄目はあけている。ぼんやりと俺を知覚しているらしき気配はある。  でも話す気力ないみたいで、呼びかけても唇がかすかに震えるだけだった。 「……うー」  バテてる夜々も色っぽくていい。  思わず乳房の合間に顔をうずめてしまう。 「…………は……」  胸全体に口づけして、次は気の向くままに腹部に。  さっき気になっていたおへそにも、挨拶のキスをしておく。  アソコまで行ってしまうとさすがに嫌がるかも知れなかったので、いったん脇腹にそれていく。 「…………っ……っ」  声には出さないが、体をピクピクと反応させている。  脇腹だから感度が高めなのだろうか。  今度は尖らせた舌を毛筆のように当てたまま、脇の下まで一気に駆け上がってみた。 「……んぁっ!」  これには大きな反応があった。  調子にのってさらに大胆に責めることにする。  二の腕を持ち上げ、さらけ出された脇の下に渦巻きマークをひたすら描いた。 「……っ……ふっ……んっ……!!」  おーおー感じてる感じてる。  睫毛が震えて、今にも目蓋が持ち上がりそうだった。  腕全体を啜りながら辿り、最後は手の甲にキス。  すると夜々は目を開けた。困ったような顔をしていた。 「起きてた?」 「ちょっと寝てたかも」 「……でもペロペロされたから、起きちゃった」 「こういうの嫌い?」 「ううん……でも、口にはしてくれないのかなって……」  それはまた実に乙女らしいお願いごとだ。  言葉ではなく、行動で応えることにする。 「んん……っ」  水気たっぷりのキスをきっかけに、本格的に抱き合う。  三度目だというのに俺もすっかり興奮してしまっていたし、夜々の方も目尻を赤く染めて期待している風だ。  ここで突貫しなかったら男じゃない……と桜井先輩は言うに違いない。 「ちょっと抱きついてて」 「え……きゃっ!?」  ふとした思いつきから、夜々の上着を脱がせて背中を抱えて身を起こした。  俺がベッドの上に座り、夜々はさらにその俺にまたがる形だ。 「ん……」 「……あっ……ああっ」  それでもまだ入れる時には、俺にしがみついて少し不安そうにしている。 「また、入ったね」 「……うん……またいっぱいになった……」 「あ……やだ……」  繋がったまま向かい合ってしまう。  普通のHの時もそうだけど、身を起こしているとどこか日常の延長線上という気がする。 「こ、これ、恥ずかしいよ? 恥ずかしいんじゃないかなぁ……」 「恥ずかしいことならお互いもうとっくにしてるよ。違う?」 「違わない……かも……」 「これなら、ゆっくりできそうでさ」 「……んんっ」  唇を含んで情熱的にねぶっていると、夜々の呼吸はたちまち乱れてくる。  火がついたら、あとはもう自然の流れだ。  互いに抱き合って、ゆっくりと時間をかけてキスをする。  夜々のおっぱいが俺の胸板で潰れるのがまた心地良い。  ところが。 「……うまく動けない……」 「あはは……」  思ったように腰が使えない。  微動するくらいしかできそうにない。 「むむう……」 「おもしろい、お兄ちゃん」  笑われてしまった。 「……うう、ごめん」  とても恥ずかしい。 「いいよ」  なぜだか夜々はちょっぴり嬉しそうな顔をしていて、慰めるように鼻の頭を舐めてくれた。 「普通のにしようか?」 「うん」 「情けないお兄ちゃんでごめんよ」 「そんなことないよ」 「そうか?」 「……キス、好き……この格好だと、すぐできる……」 「ああ、なるほど」  女の子だから、そっちの方が重要なのかもな。 「あと、胸とか……」 「胸、触られるの好き?」 「……うん、好き」  片手で夜々の腰を支え、残った手で胸を触った。 「夜々の肌、白いよなー」 「んっ……日焼けしない人だからっ」 「そういえば、ここ、ちょっと前より膨らんでるね」  と乳首をつまんで回す。 「あんっ……うそだよ……んっ……」 「いや、本当だと思うけど……」  ふっくらとしていて、芽吹く直前の蕾のような感じだ。  最初はもっと小さく萎んでいたはずだから、確かに変化してるんだろう。 「……そんな……ことは……っ」  一瞬で耳が真っ赤になる。 「いや、恥ずかしがらなくてもいいよ、そういうの可愛いと思うし」  乳房に口を寄せ、赤ん坊がそうするように含んでみる。  ふんわりとしていて、艶やかで、幸せの味がした。 「あっ……は……ぅ……んぅ……」 「夜々も、したいことしていいからね」  口を離して言う。 「あ、うん……」 「でも……したいことって……?」 「いろいろチャレンジしてみたらいいよ。俺はおっぱいを触っているから」 「チャレンジ……はう……」  ということで、俺は気兼ねなく胸を鷲づかみにして、思うようにこねあげるという世にも楽しい行為にふけるのだった。 「はっ……ん……あっ……」  夜々も俺の体のどこかを愛撫しようとするのだが、その手は目的地が決まらずいつまでもふらふらと漂うばかりだった。 「えっと……えっと……っ」  俺の乳首のあたりに手をぺたっとつけるが、そこから複雑な手つきに発展する様子もなく、ただ押しつけただけで離れていく。  まあそうだよなぁ……男の胸なんて触っても面白くないだろう。  一方、俺の手は活発に胸を弄り続け、口も動員して首筋から胸にかけて接吻の雨を降らせていった。 「……あっ……んぁっ……あっ……」  どんどん受け身一辺に追いやられていく夜々。 「何もしないの?」 「……うん、夜々、お兄ちゃんに触られてる方が好きみたい……」 「そりゃ光栄だけどさ」 「……抱きつきたい……」 「ああ、いいよ。おいで」  愛撫を中断すると、夜々は首に両腕をまわしてひしとしがみついてきた。  無性に愛おしさが膨れあがる。 「感じさせてあげられなくてごめんなさい……」 「いいよいいよ、そんなの。本当はこうしてるだけでじゅうぶん気持ちいいんだ」 「……好きって気持ちだけで、もういっぱいだから……」 「俺もだよ。好きって気持ちが、器からあふれてる」  腰がもどかしいほど疼いてきた。  そろそろ夜々の中を自由に泳ぎたくなってくる。  片手を後ろについて支え、うまく下肢を使って腰を動かしてみた。  打ち込まれたペニスが、奥深い場所で不自由そうに身動きする。 「ひゃぁ……」  じりじりと奥を擦り上げる。  あまり大きくはピストンできないが、しばらく止まっていたからそれだけの刺激でもう俺は呼吸が止まるくらい感じてしまう。 「んんっ……あ……ん……はぅ……はっ……んっ……あんっ……」  すぐ目の前に、甘い息を吐き出しながら夜々の顔が揺れていた。  泣き出す直前みたいに濡れた目が、俺の目線をとらえる。  動いたのは同時だった。 「んむぅっ……んんーっ、んーーーっ!」  示し合わせたようなタイミングでのディープキス。  求め合う気持ちが、言葉なしで一致した瞬間だった。 「お兄ちゃんっ」  ぎゅうっと首に抱きつかれた。  そのまま俺の首筋に、音を立てて吸い付く。  あとがついてしまうかも、と思ったのも一瞬。  俺も汗で潤った乳房のふくらみを胸板で受け止めて、夢心地に落ちていった。  ああ、しかしなんて気持ちのいい体位なんだ。  もどかしいほどにジリジリした挿入感が、好きな子と抱擁したままとろけあう一体感で包まれているようだ。  イクための性急な動きがしにくいのは切ないけど、でもずっとこうしてもいたい。  そんなやるせない体位である。  いいにおいのするうなじの生え際あたりに鼻を埋めながら、俺は夜々に酔いしれた。 「ああ……きもちいいよぉ……」  子宮から絞り出したと思えるほど淫らな掠れがちの声で、夜々が語尾を跳ね上げる。  俺は無意識に性欲を燃えあがらせて、全身を突っ張らせて一度だけ思いっきり腰を突き上げた。 「ひゃあぁぁんっ!!」  その勢いで、腰を挟んで投げ出されていた夜々の膝が、俺の下肢をまたぐ形でシーツに触れた。 「すごっ……すごい……いい……っ」  う、感じまくってるんだ。  あの夜々が俺の動きで性的に興奮していると思うと、首筋のあたりが総毛立つ。  俺ももっと大きく動きたい。  けど持続してピストンするのはなかなか難しく、もぞもぞと小さく前後するのが関の山だった。 「あ……あ……」  今まで俺の動きを受け止めるだけだった夜々の腰が、波打つように前後に動き出した。 「あはあぁぁ……」 「くっ!」  すると、膣内で燻っていたペニスが前後に揺さぶられるとともに、上下にも長く抜き差しされる。  単調なピストンではない、二軸の動き。  生じる刺激は倍増どころではない。 「あっ、あっ、ひゃう、んっ、おに、おにいちゃんっ、あっ、んっ、くっ……!!」  動きを合わせて、うまく同調させていく。  焦らしていた分、長めのストロークで擦られる感触が、ビリビリと脳に響いた。 「くっ……それ、良すぎっ」 「わ、私もっ、んっ、んんっ、あっ、はっ、はぅ、んっ、んんんんんっ!」  陰茎の根本にとぐろを巻いていた熱情が、いよいよ迸ろうとしているのがわかる。  早く出したい。  だけど俺は、括約筋から力を抜いてぼんやりと意識を散らし、射精を先送りにしようと試みる。  せっかく夜々が腰を使ってくれているのだ。  幸せな共同作業。少しでも長く交わっていたい。 「あっ、あんっ、あっ、あぅんっ、あっ、あっ、はぁっ!」  夜々の腰使いと、俺の突き上げる動きが同期して、最大幅の挿入をもたらすようになった。 「はっ、はぁんっ、やぁお兄ちゃん夜々もう……もうっ!!」  すっかり上気し、汗まみれの顔で夜々が喘ぐ。 「ううう……ダメ、出る!」  限界を悟ると、今度は思いっきり力んでコンマ一秒でも時間を稼ごうとする。  蓄積された官能の波が、一気に弾けて俺の脳髄に流れ込んできた。 「あっ、あはっ、ん……んんんんんっっ!!」  膝の下に腕を回して夜々の体を持ち上げ、剛直を引き抜く。 「っ!」  大量に射精しながら、俺は全身を震わせる。  うー、腰が抜けそう……。 「はぁ……あ……あつい…………」  夜々の全身に着弾する俺の精液。  驚いたことに、それは三度目にも関わらず全然薄まっていなかった。 「く……」  ひとしきり精を吐き出すと、酸欠のせいかさすがに軽く眩暈がした。 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……はふ……」  ふたりで互いを支えあう形で抱擁し、呼吸を整えた。 「……腹、減った……」 「……のど、かわいた……」  どちらからともなく、くすりと笑い声がもれた。  それでいったん休憩しようということになった。  それから俺たちは、裸にシーツを巻き付けただけの格好で寮内を移動し、飲み物や食料を部屋に持ってきて、二人で飲み食いした。 「味、ちょっと薄くない?」 「そんな気がするね」  疲れてるってことなのかもな。 「がふがふ」  夜々は少量を口にしただけだが、俺は徹底的に食った。 「……すごい食欲」 「下手なスポーツより疲れたよ」 「…………っ」 「しかし、もうこんな時間なんだなぁ」  時計を見て俺はびっくりしてしまった。  なんととっくに昼をまたいで、午後になっていたんだから。 「けっこう時間経ってたね」 「こんなこと言うと俺のことHだと思うだろうけど、すごく充実してる……」 「……や、夜々もだよ……」 「おお、夜々もか!」 「う、うん」 「はじめての相手も夜々で良かった」 「はじめて、だったの?」 「ああ、もちろん。言わなかったっけ?」 「はじめて聞いた……」 「そりゃ悪いな」 「たしかに、ちょっといっぱいいっぱいだったよね?」  ぐさり。 「…………(暗い顔)」 「あっ、でも、その方が嬉しいから……っ」  慰められる俺だった。  それからふたりで横たわり、抱き合いながらいろいろと話をした。  つまらないことや普段のことや、学校のこと。  寮生活のこと、好物や将来のこと。  なぜか過去の出来事については、不思議とふたりとも触れることはなかった。  遊び半分で互いの体をいじりあうこともした。  日常会話の延長線上に、それはあった。  俺たちの間では、もうセックスを特別で神聖な行事にしないでもいいとわかったからだ。  夜々から気持ちの良い場所を教えてもらったり(さすがに恥ずかしがっていたけど)、逆に男の体のことを教えたりした。  途中、少しまどろんだりもした。  何時間かそこら。  片方が目を覚ますと、同期しているかのようにもう片方も起きた。  絆だろう、これは。  また話して、おふざけで触りあって、また眠って……。  で、俺は何度目かの浅い眠りを漂っていた。  この時、意識は半睡眠下にあったのだが、もう半分では夜々が起きている気配を察知してもいた。  なぜ目を閉じていてそれがわかったのかと言うと、夜々から極度の緊張が伝わってきたからだ。 「…………っ」  やがて意を決して、夜々が手を伸ばす。  次の瞬間、俺はペニスにしなりとまとわりつく冷たい指先を感じた。 「……っ」 「……あ……やわっこい…………ふだんは、こんな風なんだ……」  夜々の指は、陰茎の輪郭を探ってもぞもぞと動く。  俺が起きないよう、そっと触れているのだが……甘いな夜々、そいつは逆効果だ。  ソフトタッチは、かえって男の性感を刺激してしまうのだ。  しかも休憩によって性欲も多少は回復している。  夜々が俺にバレないタイミングを見計らって、興味本位でペニスをいじっているという、覗き見のそれに近い興奮。  全てが、俺の股間に血流を集める結果となる。 「……あ……えっ?」  焦る声。  そう、血液を吸った海綿体は、今や平常時に倍する勢いで膨張し、硬化してしまった。 「あ……あぁ……ぁ……」  それでも指を離さない夜々。さすがである。 「こんな……すごい、のが……私の中で……」  さす、と剛直をしごく。  こころなしか、さっきより強く握られていた。 「あ、ああ……あ……すごい……熱い……っ」  俺のを弄りながら、自分も興奮しているような口ぶりだ。  すでにソフトタッチでもなくなっている。  男の自慰に近いくらい思い切り握りしめ、上下に撫で回している。  そこで俺も我慢できなくなった。 「夜々ぁぁぁぁ……」 「ひゃ!? ……んむっ!」  もういきなりキスをしてやった。  まだ少し頭は寝ぼけているけど、その半睡状態が逆に官能を高める。  驚きで夜々の手はペニスから離れかけたが、俺の右手が機先を制した。  夜々の手首を掴み、そのまま導いて手コキを続けさせる。 「ん……あぅ……んむ……うん……」 「……夜々も俺のに興味あったんだ?」 「ち、ちが……」 「こらこら、ここまで来て誤魔化しなんてダメだよ。興味あるから触ったんだろ?」 「う……うう……」 「認めなさーいっ」 「……は、はい……ごめんなさい……」 「俺がHなのは男だから仕方ないけど、夜々もHなのは嬉しいなーっと」 「……はうはう……」 「なんだかやる気が出てきたぞ。そこで質問だ。寝ている俺の恥ずかしい部分をハァハァ言って触る夜々は……一言でいってどんな人?」 「え? そ、それは……」  乳首を押し潰しながら答えを強いる。 「夜々はHな?」 「ひな鳥ちゃんですーっ!?」  ひな鳥なんかい。  なかなかに詩的じゃないか。  俺は限度線を突破し、夜々に覆い被さる。 「……じゃあまた夜々の中にお邪魔したいんだけど、いいかな?」 「う、うん……」  全身から力を抜いて、脚を少し開く夜々。 「ど、どうぞ」  何度目かになる膣への挿入は、とてもスムーズだった。 「あ……おっきぃ……ふぁん……っ」  奥まで差し込むと、たちまち夜々の瞳が涙でうるうるになる。  満杯にしたお風呂じゃあるまいし、増えたペニスの分、涙が押し出されたというわけでもないのだろうけど。 「……動くねー」  宣言して腰を振る。 「きゃっ……んっ……あっ……!」  うう、相変わらず、けっこうのお手前……。  ピタピタに張りついてくる内壁が、粘り気たっぷりに蠢いている。  今日だけであれだけ出したのに、まだし足りないと思ってしまう。  俺がHなのか、夜々のが気持ち良すぎるのか。  どっちもということにしておこう……。 「はぁっ、はっ……ん! あ……あんっ……はんっ……んっ……んん、ん! はぁ、はぁぁ……」  数十回ほど行き来しただけで、夜々の全身にぶわっと汗が浮き、熱を発しはじめる。  まるでスイッチでも入れたみたいだ。  背中に手を回すと、ものすごく熱い塊を身につけている錯覚に、恐くなってしまうほどだ。  その熱波に、俺の理性などはひとたまりもない。  すぐに溶け落ちて、愉悦を貪るだけの存在になってしまう。 「あはぁ……熱い……あっ……はぁ、はぁ……あん! あっ……んん……あっ、あああ!」  時にリズミカルに、時に不規則に腰を突くと、ちゃんと刺激の差に応じて夜々の声色が変化した。  俺はセックスの快楽をペニスだけではなく、触れあう下腹部の肌の質感や、声、汗、におい、息遣い……そういった夜々の反応全てから得ることができる。 「はぁ、はぁ、はぁ……あぅぅぅん! おにいちゃん、すごいっ……ああっ……!」 「夜々のアソコもドロドロで熱いよ」 「ああ……っ」  膣壁の伸縮が激しくなった。  思わず動きを止めて、射精してしまいたくなるほどのうねりだ。  だけどまだまだ……こらえる。  振り切るように腰を前後左右に揺さぶる。 「……んあぁぁぁぁっ!」 「うっ、夜々……そんな締められると……っ」 「ひゃんっ、あっ、ん、はぁ! あ、あ、ああぁぁ……」  こっちの声はほとんど耳に届いていないようだった。  しかし何でここまで具合が良いんだろう。  相性が良いってこういうことなのか?  これだと今回も、そう長くは保ちそうにないだろうな。  一旦、浅い部分を小さな幅で動いて、感覚を散らしてみる。  こっちも尖端が刺激されるのでさほど効果的ではないけど……奥のグネグネ感に引っ張られるとすぐにイッてしまうだろうから、それよりはマシだ。 「やぁぁぁっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ!」  で、反対に夜々にはこういう突き方がきついらしい。  愛らしい形の眉をぎゅっと寄せて、どことなく困惑を思わせる表情で喘ぎ続ける。 「ああぁぁぁぁ、そっ、それだめぇぇぇっ!!」  夜々はしゃっくりのように呼吸を詰まらせながら、泣きを入れる。  だけど俺はさらに素早く浅瀬を掻き分けた。 「あっ、あっ、あんっ、あっ、あ、あ、あ、あ……あぅぅぅ!!」  枕に頬を押しつけて、ビクンビクンと身を震わせる夜々。 「はぅん! はっ、はんっ、あん、あんっ、あっ、あっあっあっ!」 「あああぁぁ……だめ、だよっ……夜々、もう……おかしく、なる……!」 「……俺も……そろそろ……また……!」 「来てっ……来てお兄ちゃんっっ!」  夜々の膣がきゅっとしまり、愉悦と快感によって俺は上り詰めた。  咄嗟に俺は夜々の膣内から怒張を抜き取り、夜々の真っ白な体に向かって射精した。 「やっ……あっ……あったかい……」  ぼんやりとした瞳で夜々は自分の体を見つめていた。 「はぁ……はぁ……お兄ちゃんのが……夜々のお腹とかに……」 「なんか……凄い出ちゃったね」 「うん……凄いね」  見つめあいながら俺と夜々は少しだけ頬を染める。  それにしても本当に凄い。朝から始めてもう何回目だ? 普通だったら精魂尽き果ててるだろうに……。 「お兄ちゃん……」 「ん、どうした?」 「次は……抜かなくて……いいよ……」 「えっ? でもさすがにそれは……」 「いいの……平気だから……」  俺を下から見つめる、優しく嬉しそうな目。 「俺……」 「夜々のなかで……イッてほしいの……」  お願いという形で、俺を甘やかしているのだとわかった。 「本当に?」 「うん……」 「えっと……その……」  夜々は少しだけ頬を染めながら俺を見つめる。 「早く……その、エッチしよ?」 「……え?」 「夜々、このまま見られてるの恥ずかしい……早く、お兄ちゃんとまた一緒になりたいっ」 「……っ!」 「う……ううう……」  しばし葛藤して、だけど結局、心の中で理性が音を立てて折れてしまった。 「……夜々っ」 「ひゃっ!」 「ひゃっ!? お、お兄ちゃん……」  俺は引きちぎるように夜々のブラジャーを取り去り、夜々の脚を持ち上げて肩に担ぐ。  奥の奥までまっすぐにインサートされる俺のペニス。  体を折りたたまれた夜々が、肺の空気を全て吐き出す。 「……はぁぁ……あ……あはぁ……こ、こんな格好で……?」  腰を波打たせ、夜々の奥と真ん中あたりを往復する。  入口の辺りよりもつるんとした感触だが、吸い付きはより強くなっている。 「あっ、あっ、あっ、あっ……う、あ…んんっ……あぁぁぁぁ!」  夜々が辛そうな声を出しはじめる。  呼気に隠せない疲労が混入していて、だけどそれさえも色っぽく愛らしい仕草に思える。  俺の動きは次第に速度を増していった。 「ううっ、ううぅぅ……あっ……あんっ……はぁ…あ…うぁ……あ、あ、あ……」  濡れた粘膜はどこまでも熱くまとわりついてきて、膣の奥でふたりの体の境界線がとけて混ざっているようにも感じられた。 「ひぃ……そんな、はぁんっ……動かれたらっ……夜々……もう、だめぇ……」  荒い呼吸の合間に挟まる涙声。  でも止められない。止められるはずがない。  達したら、本当に夜々の子宮にじかに射精することになるだろうな、とわかった。  それは本来ならすごく気をつけないといけないことなのだけれど……。  夜々と本当の意味でのセックスをする……という誘惑に、俺は勝てそうにない。  腰ごと夜々の内側に沈んでいくかのような体位で、俺は滅茶苦茶に動きまくる。  そろそろ限界が近い。 「はぁ、はぁ、んっ、だめっ、あっ、んん、だめぇ…はぅ、はっ、あんっ……!」  夜々の一番奥に射精する。  全力疾走のように体中の筋肉を駆動させながら、その瞬間のことばかりをぼんやりと考えている。  背骨をぞわぞわと這い上がってくるものがある。射精の予兆。 「夜々……!」 「う……お、おにいちゃん……もう……夜々……だめ……」  腰を打ち込むと、愛液が一気に溢れ、お尻の筋目を通って背中側にまで垂れていく。  トロトロに粘つく夜々の秘所。  何度突いても飽きないそこを、一回一回を噛みしめる気持ちで潜る。  いつの間にか俺は、括約筋を引き締めることで得る最大の感を、歯を食いしばりながら耐えているような状態になっていた。 「あ……あん……あぁん……はぅ……だめ……だめに、なっちゃう……ぁ……んぅ……だめ……だめぇぇぇ」  俺の下でたわむ夜々の体を見ていると、いじめているみたいに錯覚してしまう。  その空想にかえって興奮してしまう俺。  しかも切ない声で発せられる『だめ』という言葉はなぜかストライクらしく、俺の脳天をしきりに殴打していた。  うち最後の一撃が、射精をやり過ごせる最後の一線を粉砕した。 「だめ……出すね……っ!」  爪先に力をこめて腰を深々と沈めると、少しでもフィットする位置を求め、二度三度と小突いた。  めくられた夜々の腰が、さらに高い位置にでんぐり返る。 「……あ、あ…………う、ああああぁぁぁああぁぁぁぁぁ…………っっ!!」  切れ切れだった嬌声が連結され、長く震える尾を引いて、音階を駆け上っていった。  もみくちゃにされた夜々の四肢が、ひくひくと痙攣した。  内側の変化は、負けず劣らず活発だ。  奥に奥にと引き込む肉壁の流れは、俺のペニスを根本から引っこ抜くくらいの勢い。 「う……すごいっ……」  たちまち精液は絞り出され、夜々という漏斗の底めがけて一気に流れ込んでいった。  たぶん……すごく大量だこれ……。 「はぁ、はぁ……」 「はっ、はぁ、はっ、はっ、はん……は、あっ……はぁ、はぁ……」  長時間の射精が終わっても、俺はすぐには動けなかった。  果てた感触がまだ強く腰を麻痺させていた。  夜々の上に覆い被さったまま、荒い息をつくことしかできない。 「これ……すご、かった……」 「俺も……まいった……」 「……夜々のなか、いっぱいにされちゃった……」 「ちょっと激しくなっちゃってごめんな」 「……ううん、いいよ……夜々でえっちになるの、うれしいから……」  そんなこと言われたらまた固くなりそうだよ、夜々。  バランスを崩さないよう、慎重に腰を引き戻す。 「……う……」 「……あん」  抜いた途端、膨大な量の精液が溢れてきた。 「はぁ……はぁ……やぁぁ……垂れてるぅ……」 「いいよ、俺がやっとくから」 「……からだ、うごかないの……ちから、ぬけちゃって……」 「いいって。俺も夜々のこうするの、なんか幸せなんだ」 「…………っ」  例によってティッシュで後始末。  しかし多過ぎるなこれ。  もしかしたら気付かないうちに、中で一度か二度射精していたのかも知れない。  普通は気付かないということはないんだけど、あれだけの一体感だとあり得そうで恐い。 「……すぅ」 「ありゃりゃ?」  わずか一分ほどの間に、夜々は寝息を立ててしまっていた。 「うおっ!?」 「ううん……おにいちゃん……どうしたの?」  夜々が目蓋をこすりながら身じろぎする。 「夜々、いつの間にか夕方になってる」 「……ん〜…………え?」  身を起こして窓の外を見る。 「う、うそ……?」 「朝からはじめて、あっという間に夕方か……」 「そんな……時間かかってないような……?」 「没頭するってこういうことかと」 「た、たいむすりっぷ……」 「ないない」  でも体感では完全にそれだ。  確かに楽しい時間は速く過ぎるものだろう。  けど半日近くすっ飛んだのは初めてだ。  どんだけ没頭してたんだーって話だ。 「……あああ」  過ぎた時間ほど、仕方のないものはない。気にするのはやめよう。  ペットボトルを取ろうと床に手を伸ばす。 「きゃー!」 「な、なにっ?」 「怪奇現象ーっ!?」 「え、えええっ?」  夜々がベッド上から顔を出して床をのぞく。 「うっわぁ……」  そこには……丸められたティッシュが、大量に散乱していたのだった。  昨日、一日中エッチをした結果、俺たちの劣情も落ち着きを取り戻した。  ……というようなことはまったくなく、今日も今日とて朝からイチャつき三昧だ。 「はい、あーん」 「あーん」 「おいしい?」 「うん、うまい。愛情の分、うまみが増してるねこりゃ」 「……おせじ」 「いやいや、そんなことはない」 「だって、お弁当だよ?」 「確かに味自体に変化はないかも知れないけど、好きな人から食べさせてもらっているってのが、かなり影響するんだよ」 「…………」  とまあ、こんな具合で。  昨日、一日したあとで、一緒に夕食を食べて、一緒に風呂に入って、一緒に眠った。  朝も一緒に起きて、それでもなお密着が足りないとばかりにベタベタしているのだから、まったく普通じゃない。  恋の病とは言ったものだ。 「今日はどうしよう?」 「夜々とエッチする」 「き、きのう、あんないっぱいしたのに?」 「愛が深すぎて、またすぐしたくなっちゃうんだ」 「……また、つらくなっちゃった?」 「うん、ステータスが切ない状態になってる」 「あれ、切なそうだよね……」  夜々は男の興奮を見て、自分なりにそう理解してしまっているらしい。  うまいことに、それは夜々にとって『かわいそう』な状態に見えるらしいのだ。  実は昨夜も、夜中にムラっと来てもう一回お会い願ってしまった次第で……。  自分でも止められない勢いを感じる。 「でも、今日からリターン・ラッシュなんでしょ?」 「あ、そうか」  すっかり忘れていた。 「みんなの前でこんなことしてたら、バレちゃう?」 「そりゃバレちゃうって。一発かと」 「だよね……じゃ、誰か戻ってきたら、今まで通りに振る舞うようにしないとだね」 「安心してくれ、夜々」 「え?」 「俺たちは演劇経験者だぞ? あの厳しい演劇会の特訓だって、愛の力で乗り越えたんだ」 「……あの頃は……つきあってなかったような気がするよ……」 「いや、そうなんだけど、俺たちは赤い糸で繋がっていたっぽい」 「あ、それ夜々も思ってたの」 「最初からちょっと気になってたんだよな。どうしてかはわからんけど」 「夜々も、夜々も」  話しているうちに、座っている椅子ごとごっすんごっすん寄ってくる夜々。  ぴたり身を寄せ、肉体的な距離は0となる。 「これはやっぱり、ふたりの間に運命みたいなものがあったんじゃないかな」  けっこう本気でそう思ってたりする。 「し、小説みたいでドキドキするの……」 「それでホラ、演劇だってうまくいったんだから。これからだってうまくやれるって」 「そうだよね、人前では普通にしてて、人のいないところではくっつけばいいんだよね?」 「イエス、その通り」 「がんばろう、お兄ちゃん!」 「ああ!」  特にこの『お兄ちゃん』だよなぁ。  俺くらいの歳でもカップルは普通にいると思うけど、『お兄ちゃん』はないよなぁ。  これだけはバレたらまずいと思われる。 「でも、みんなが戻るのはさすがに午後だと思うんだよな」 「う、うん」  顔を寄せる。  なにげに手も胸元を撫でたりして。 「だから……もうちょっとだけひっついてたい」 「お、お兄ちゃん……だめだよ……そんな……こんなところで……」 「だって、夜々が可愛いから俺が切なくなっちゃうんだろ」 「そんなの……お兄ちゃんだって、かわいいもん」 「え? 俺は別に可愛くはないだろ?」 「……そんなことないです。えっちしてる時とか……がんばって動いてる時とか……かわいいよ?」 「ぐあ……」  そんな可愛さはいらない……。 「あとね、息が荒くなったときとか、呻いてる時とか……」  指折り数え出すではないか。そ、そんなに!?  というか俺、自覚もないままに呻いてたりしてたわけ?  信じたくないけど……あ、あり得る……! 「わ、わ、ちょっと待った! そこまで!」 「かわいさ勝負では、お兄ちゃんの方が勝ってるかも」 「は、恥ずかしいっ……!」 「あはは、またかわいくなってる。よしよし」  顔を覆った俺を、夜々がなでなでしてくれた。 「……恥ずかしいから、乗って」 「はい?」 「もうこうなったら恥も外聞もないから、気の済むまで欲望に忠実に行ってやろうかなと」 「もうこうなったらって言われても困るけど……の、乗るって何?」  夜々の体を抱き上げて、自分の膝上に乗せ、脚を開かせる。  騎乗の姿勢というやつだ。 「きゃっ!?」 「こうやってさ」  少しだけ高い位置にある夜々と、対面することになる。  呆れ顔だった。 「……これ……こころもち、えっちです」 「そこがいいんじゃないか」 「……そ、そうなの?」  しかし異存はないようで、おとなしくしている。  膝の上に乗っている女の子の重みには、男の心を沸き立たせるものがある。 「……あっ!」  またがって手を胸元で遊ばせているだけなので、バランスを崩しかける。  咄嗟に支えてあげたので落ちることはなかった。 「俺の肩に手を置いていいよ」 「こ、こう?」  夜々の両手に置かれると、人には見せられないくらいのいっそうラブリーなポーズになる。 「完成した」 「恥ずかしいな……」 「そう? 俺は盛り上がってきたけど」 「お兄ちゃんはえっちなんだ……たぶん」 「そんな当たり前のことを言われても今さらかな……ちょっと刺さったけど」 「だって、こんな格好してたら……」 「してたら?」 「……すごいキス、したくならないはずないもん……」  夜々の顔がアップになっていく。来た来た。  残り少ないふたりきりの時間、大切に過ごそう。 「夜々……」 「おにいちゃん……」 「やあ、ただいま戻ったよ」  俺と夜々は、接触5センチ手前でぴたりと凍結されてしまった。 「いや、さすがにシーズン中の帰省は疲れたね。特急は全線200%近い乗車率だったようだよ。おかげで廊下まで立ち客がいたくらいさ」  桜井先輩は卓上にふたつ紙袋を置き、手近な椅子に座り込んだ。 「留守中、何か問題はなかったかな?」  今、あなたの目の前で起きてますよ。とりわけホットなのが。 「ああ、そうだ。これおみやげ。といっても、毎年恒例のものだけどね。まんじゅうが寮生の分で、こっちの高級プリンは留守番を務めた君たちに買ってきたものだから」 「ありがとうございます」 「ありがとうございます」  俺たちは膝乗り対面のまま、機械的にそう答えた。 「しかし今日も寒いね。熱い珈琲でも淹れようか。君たちも飲むかい?」 「ありがとうございます」 「ありがとうございます」 「では、待っていてくれ」  ニヒルな感じのオーラを発しながら、桜井先輩は食堂に消えていった。 「……おりる」 「あ、うん……」  俺たちは素のテンションでドッキングを解いた。 「直撃したな……」 「うん……」  言い逃れできる余地など、ほとんどないだろう。  数分経って、先輩が三人分の珈琲を淹れて戻ってきた。 「ちょうど良かったよ。そのプリンは珈琲に合うと思うよ。さあ、うるさい連中が戻ってないうちにどうぞ」 「いただきます」 「いただきます」  それからの時間は、気まずいなんてものじゃなかった。  夜々は十分ももたずに机に突っ伏し、恥辱ストレスの煙をあげていた。  プリンもいいものなんだろうけど、ちっとも味なんてわからなかった。5つ食べた。  先輩は話したいことを話すモードで、田舎での出来事を面白可笑しく語ってくれた。  でも全然頭には入らなかったけどね。  不思議なことに、俺と夜々の不純異性交遊についてはまったく触れる気配がない。 「……見られてなかったんですかね?」 「……そんなことはないはずだけどなぁ」  もしかしたら目がすごく悪いとか、あるかも知れないけど。  とにかくなかったことになっているのなら好都合だ。このまましらばっくれてしまおう。 「……と、話し込んでしまったね。さて、残り数日の休みを大事に使うため、今日はのんびり部屋でDVDでも見て帰省の疲れを癒すかな」  もちろん映画ではなく、無修正とか裏モノとかだ。 「一緒に観るかい?」 「みません」 「みません」 「おや、そうかい? じゃあまた、昼時にでも」 「ゆっくり休んでください」  先輩はリビングを出て行く直前、頭だけ残すようにしてこう言った。 「あ、そうそう。ふたりとも、おめでとう」 「…………」 「…………」  揃って赤面する俺と夜々。 「……そりゃな」 「……ううう……恥ずかしい〜……夜々のキャラが……っ」 「キャラとか気にしてたんだ夜々」 「切腹したい……」 「まー先輩だったら人には言わないでいてくれるだろうからー、あーはははー……」 「ううううう〜っ」  両手で自分の頭をがんじがらめに抱えて、夜々は呻いていた。  まあ確かにこの人のがダメージは大きい。  けど、これからはちょっと警戒しないとな……。  超絶気まずい昼食を三人で食べ終わり、午後になる頃から、その他の寮生たちもポツポツと戻りはじめていた。 「やあやあ天川君、数日ぶり! あけおめ〜!」 「お、けっこう早かったな」 「女の子とふたりっきりで年越ししても、彼女いないままの存在であること確実の天川君をあまり長く放っておくのも気が咎めたからね!」 「彼女……いない……まま……」 「ん? どうしたんだい? 難しい顔をして」 「いや……いい……」  夜々とのことは、こいつには言えないことこの上ないからな。  とりあえず恋路橋は実家でママパワーを補充して、今が上り調子なのだ……とそう思ってやることにした。 「さて、お土産だよ。ママがいろいろ持たせてくれたんだ。だからここにはママの愛が詰まっている。いわば、愛のおすそわけさ」  恋路橋はたくさんの紙袋を机に置いた。 「……恋路橋は本当にお母さんが好きなんだなぁ」 「もちろんだよ! 素晴らしいママだよ! ボクを慈しんでくれるよ! 決して汚物のように蹴ったりしないよ!」 「……恋路橋の人生は大変だなぁ」  しかしすごい量だな、恋路橋土産。  中身は……野菜に袋菓子に箱菓子に缶詰に……さすが母の愛、大盤振る舞いだな。 「しかしながら、ママの愛はボクのものなのだーっ!!」  その土産物に、恋路橋が自ら食らいついた。  特に高そうな箱菓子を貪り食う。 「なんだよ! みんなへのお土産じゃないのか! こら、ちょっと寄こせ!」 「一番高いお菓子に一番の愛があるんだから、それは無理な相談だよ天川君! がうー!」 「こ、恋路橋様がまたご乱心、ご乱心めされたーーーーっっ!!」  夕方近くになると、もっと賑やかになる。 「うおーい、戻ったぞー。あー疲れたー! 風呂ー! メシー! 同時ー!」 「ただいまー。あけましておめでとうー。ことしもよろしくー。これお土産ー。自分で買いました、ハイ」 「……そうそう簡単に結婚相手が見つかったら苦労しないっつうの! あー、もうネチネチネチネチお小言ばっかり! 実家キライ! しいたけキライ! 大ッキライ!」  ひとりしいたけ(土産物)を投げつけながらリビングに突撃してきた酔っぱらいもいた。  もうこのあたりになると、いつもの寮の風景と大差なくなってくるな。 「しかし、毎度のことながら……」  天井に届く勢いで積み上げられたソレを見て嘆息する。 「うむ。もの凄い量の土産の山だね、天川君!」 「菓子類やフルーツジュースなんかは自然になくなっていくんだがね。問題はこのしいたけやら人参やらだ」 「調理なんてしないものね、うちの男どもは」 「それ、普通は女の子に言うべき言葉のような……」 「……祐真、許可する。ゴー」 「何がですか」 「〈生食〉《なましょく》」 「いくら俺でも馬じゃないんだから生で人参にかじりついたりしませんよ!」 「すごく餓えてたら?」 「それなら食べるしかないでしょう!」 「……食べるんだ……しいたけ生で」 「しいたけ持ってきたの先生じゃないですか!」 「だってごういんに持たせるんだもん! 重くなるってふてくされたけど許してくれなかったんだもん!」  この適齢期の人は子供だ……。 「ま、これを見ると毎年、休みも終わりだなって思うね」 「今年はどうします?」 「どーしよーかなー。しいたけ、豆腐、こんにゃく、人参、大根……いつものことながら、混沌としてまあ」 「なにしろ寮生全員分の土産物ですからね」 「……おなべ?」 「しかあるまいね」 「いつもの通りですな」  いつも通り。確かにそうだ。  絶えず賑やかなのがこのいずみ寮の風景なのだ。 「……………………」  だから人付き合いを避けてきた夜々が、土産を囲む輪にさらりと入れず、壁の華になってしまうのは当然のことだった。  夜々が打ち解けてないってことが原因なんじゃない。  こういうのは長い時間共有してきた雰囲気の有無なのだ。  だから、夜々とのことはバレないよう気をつけないといけないのだけれど。 「夜々、来てくれよ。鍋だってさ。なんか、これでできるのない?」 「……え? あ……できる、よ? お鍋は、どんな野菜でも……」  気をつけないといけないのだけれど、先人が後進を導いてやるのは当然だし、それを夜々にするのは当然、演劇の一件以来俺の役目なわけで。 「……ん? 妙だな……けしからんことに……近くに恋愛の気を感じるぞ?」  なんだよ恋愛の気って! 鈍い癖に鋭いやつだな! 「あ、あのね……これだったら、ニラとみょうがと野菜のおなべとかおいしいし風邪にも効果あるし、あとあと白菜と豆腐をぽん酢でとか色々と……」  せっかく輪に入っても、俺だけを見つめて話す夜々。  ひたむきな、熱量高めの視線。  恋路橋でなくとも、怪しいと勘付いてしまったりするものだろうか? 「フ……」  あーあ、桜井先輩が意味深な目つきでこっち見てるよ……。  さて、どこまで発覚せずに持ちこたえられるんだろうかね? 「やー、お邪魔する……よ……?」  ノートパソコンを小脇にやってきた恋路橋は、言葉を尻すぼみにしてドア付近に立ち尽くした。 「……最悪のタイミングで来たな」 「これはまた意外な先客だね、天川君」  その先客が、鼻先をつけるほど向かい合っていたノートから顔を引き剥がして、恋路橋を見やった。 「……お邪魔してます……」  再びノートに目線を戻す。  夜々は現在、冬休みの数学課題と格闘中である。 「いやいや。小鳥遊さんも僕らの仲良しグループ入りってことだね」 「誰が仲良しグループなんだよ」 「何を言っているのかな。君とボクが中核になって組織されたこのグループのことじゃないか」 「意味がわかんないんだけど」 「例の演劇の大成功以来、ボクらのグループは学内でも有数の知名度を誇っているのだよ? しかも君はその中核的存在じゃないか!」 「俺にはグループって意識ないんだけどな……」 「え? どういう意味?」 「恋路橋ってどこか他のグループのヤツかと思ってたよ」 「な、なんてことを! ボクの属しているグループは、ここだけだよ!」 「そーなんだ。知らなかったよ」 「き、君はもっとボクを大事にすべきだよ!」  夜々が顔を上げた。 「申し訳ありませんが解答中はお静かに願えますか?」  事務的な口調だった。 「は、はいぃ……!」 「す、すみません……!」 「……彼女、機嫌、悪いのかな?」 「難題にぶち当たってもう三十分も格闘中だからね」 「……あとおまえが来たから」 「ん? ボクが何だって?」 「いや、もういいよ」 「〈静〉《せい》〈粛〉《しゅく》に」 「ひいっ!」 「は、はい!」  ふたりっきりで話しているつもりだったが、夜々にも聞こえていたらしい。 「そんなわけでおとなしくしていてくれ」 「わ、わかったよ……」 「お兄ちゃん、これでいいの?」 「あ、うん、見るよ」  ノートを受け取って、数式を目で追っていく。 「あ、ここ計算ミスしてない?」 「え? 嘘?」 「ん……してるみたいだよ? 解と違ってるし……」 「…………」  無言でノートをもぎとり、消しゴムで乱暴にミス式を消していく……途中で力みすぎて、紙が盛大に破れてしまった。 「あ、やっちゃった」  微笑ましいミス。つい笑ってしまった。  しかし何気ない気持ちで夜々の顔をのぞきこむと……。 「……………………っっ」  と、とてもイライラして小刻みに震えていらっしゃる……!? 「や、夜々……まあ、そういうこともあるよね……ええと、なんだったら別のメモ帳とかで計算だけする?」 「……いい」  ぶすくれたまま、次のページに数式を書き込んでいく。 「お、お邪魔のようだね……うん」  プレッシャーを受け、そそくさと退散していく恋路橋。  自分勝手なタイミングでやってきたくせして、あっさり逃げるとは……。  恋路橋がいなくなった途端、夜々がノートを両手でひっくり返しつつずおーっと伸び上がったので、俺はビクッとした。 「数学がいじめるんですーっ!」  四つんばいになってのしのしと突進してくる。 「ぐどわっ!?」  もつれあってこんがらがる。 「お兄ちゃん、数学のやつが夜々をいじめますっ、これはひどいことですよねっ!?」  恋路橋に同じことをされていたら鉄拳炸裂もあり得るくらいの出来事だが、相手が夜々だとなると俺の反応も猫なで声になってしまう。 「ああ、ひどいヤツだ、許せないな!」 「じゃあやっつけて……お願い……?」  もつれた結果、膝枕状態になった夜々が、見上げながら懇願の瞳を向けてくる。 「でもそれじゃあ勉強にならないしさー……できたら自分でやった方が……」 「じゃあ、ふたりで力をあわせて解く」 「とは?」 「こうやってぇ」  波を思わせる動きでくねりと身を起こし、俺の両腕をそれぞれ引っ張って自分の座布団(本人持ち込み品)まで導いていく。  夜々の後ろから俺が抱きつく……二人羽織状態になる。 「……なるほど」 「これで頑張るの」  夜々が背もたれ感覚で身を預けてくる。  髪の毛からふわりフローラルな香りがした。 「うう、こんなことしてたら、俺……ちょっと困ったことになっちゃうかも……特にセクシー方面で……」 「どんな? どんな?」  わかって問いかけているのかぁ?  だとしたら、なんて小悪魔ちゃんなんだ夜々よ……とまたしてもプチオヤジ化してしまう俺だった。 「おおぉ夜々、そんな思いっきり背中を押しつけないでくれ……俺の喉元に頭をすりすりしないでくれ……」 「背もたれに深く腰掛けると気持ちいいんだよ?」 「自分が座るのはイヤだけど、座られるのはイイかも……」 「夜々にはピッタリなの」 「そ、それならば仕方ないでしょう」  いかんな、脳が溶けてる気がするぞ。 「お兄ちゃん、夜々、安全ベルトしたい」 「はて、それはなんだい? おにいチェアについている機能かい?」 「うん、ついてるよ。これだもん」  と、俺の腕を自分の腰に巻き付ける。 「おおお……」 「このベルトをすると、体と椅子がよりフィットして、勉強と愛の効率がアップするんだよ」 「そんなステキな機能があったんだ」 「この椅子はねー、いろんなことから夜々を守ってくれたり、いろんなことを教えてくれるんだよ?」 「当然だな」 「でも優しくしてもらうだけじゃイヤだから…………好きなときに、えっちなことしてもらってもいいかもしんないの……」 「何をおっしゃいますやらっ! もう、この界隈の女の子はもう! もう!」 「…………」 「……ほんとにいいの?」 「ん、何が?」 「わ、わかってるくせに」 「どーかなー?」  そこで会話が途切れた。 「……」 「……」  目線が合うと、引力が働いているかのように惹きつけられる。  唇と、唇が……。 「忘れ物忘れ物……っとおおぉぉぉぉぉぉっ!?」  邪魔者の乱入とともに、電光石火で離れる俺と夜々。  即座に恋路橋に詰め寄り、襟首を掴んで全力で揺さぶる。 「おうおうおうおうっ、メ、メガネがずれずれずれてしまうーーーーーっっ!!」 「そのまま忘れろぉぉぉぉぉ!」 「あああっ、ボクの記憶がぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」 「……ええと、なんだっけ? ああそうだ、ノートパソコンを忘れたんだった」  仕切直し成功。 「ほら、これだろ」 「やあ、これはありがとう。はて……しかし今、何かとんでもなくけしからん光景を目撃したような気がするが……」 「ははは、そんなこと。白昼夢に決まってるじゃないか、恋路橋君」 「いや、しかし確かに……不純な異性の交友を感じさせる場面が展開していたような……」  恋路橋の肩をがっしと掴む。 「ん?」 「俺を信じろ。同じ仲良しグループの相方でもある俺を」 「天川君……!」  恋路橋のメガネの奥に光るものがあった。 「ボクと君のエターナル・フレンドシップに疑う余地などありはしないよ!」 「よぉし、じゃあとっとと帰るんだ。ふたりの友情のために! いいな!」 「OK、天川君!」  恋路橋はウキウキと戻っていった。 「……あぶねぇぇぇぇぇ」  俺は脱力。 「よくごまかせたね……」 「力業だったけどな……ふう」 「じゃあ、続き」 「うっ……懲りないんだな……」 「どうしてこりるの?」  恋は盲目、なのだろうか。  とりあえず施錠だけはしておいて、元のポジションに戻る。 「えへへ」  ガード固い半面、思いこんだら一途なのかもなぁ、この人。  しかし今のは本当に危なかったな。 「……まずは数学を解こうか」 「えー?」 「いいから解くの!」 「……はぁい。なーんかいきなり機嫌わるいんですねー」  さすがにこの流れでキスやエッチする度胸はないわ。  注意してないと、ふとしたことでバレてしまうのが寮生活なんだよな。  さて、どうなることやら……。 「……さて、どう思う? みんなの意見を聞かせてくれる?」 「どう思うと言われてもぉ……」 「柏木先輩、議題が不明確ですよ」 「まあだいたい予想はつくがね」 「議題? そんなものは決まってるじゃない。先生のことですよ、先生の!」 「せ、先生?」 「ん、ゆきちゃん先生のことかな?」 「違う違う、先生って言ったら祐真先生のことでしょう?」 「……いつから天川君は教職を取られたので?」 「恋路橋君、君は本当に空気が読めないのねー」 「……それだけのことを言うことは、月音さんも勘付いているわけだよね」 「気付くってー! 絶対気付くわよ、あんなもん」 「あの、さっきからいったい何の話なのかなーと……」 「だって。どう桜井? この後輩たちの鈍いこと」 「ま、こういうものは人それぞれだからねえ。いいんじゃない?」 「個人の考えってんならいいけど、一応、あたしたちって寮長なんだからさ」 「え、これ寮長会議なんですか?」 「違うよ。かこつけてるだけ」 「では、いったいどういう意見を述べれば良いんでしょう? そもそもこれはどういう会議なので?」 「第一回あいつらつきあってんじゃねー? えーうそーまじー? 会議ー」 「……に、決まってるじゃない」 「…………」 「…………」 「……ふう、言っちゃった」 「誰と、誰がつきあってるんですか?」 「祐真先生と夜々ちゃん」 「えええっ!? う……うそ?」 「……そういう気配はまったくないようですが?」 「ちょっとちょっと、本気? あんなのミエミエじゃない」 「注意深く見ていればわかるはずだよ」 「食堂で離れて食べてる時だって、互いにチラチラ目線合わせてるし……ちょっとしたふたりの世界でしょ、あれは?」 「だ、だって、こないだ知り合ったばっかしなのでは……何ヶ月も経ってないですし?」 「恋がはじまるには充分な時間は一瞬からだよ」 「うそ……」 「それが事実だとするなら……深く静かにけしからんですね」 「深いのか?」 「それはもう……こういう非校則的な行いは許し難いものでありますから」 「まったくよ……人が手塩にかけて育てた野菜を引っこ抜いていかれたみたいな気分だわ……」 「子はいつか母から巣だっていくものだよ、月音さん」 「お姉さんはこの交際は認めませーん!」 「まったくです! 実にけしからん! 実にうらやましい!」 「ふたりとも嫉妬混じりもいいところだな」 「あの、月音先輩……」 「うん」 「天川くんが夜々ちゃんと……その……つきあってると仮定して……あっ、でもその仮定は未定であくまで仮の話でっ!」 「……ふたりは、いつから付き合ってるんでしょうか?」 「劇の最中からどんどん怪しくなっていったけど……まあ冷静に考えると帰省シーズンね」 「…………」 「柏木先輩、それは人のいぬ間に、ということでしょうか?」 「そう、あたしたちがいない隙に、ふたりは一気に『いっちょあがり〜』してしまったのよ……雰囲気に流されるようにね」 「そ、そんな……雰囲気で恋するなんて……ひどい……恋をバカにしてる!」 「いっちょあがり誠にけしからん! そういえば……天川君の部屋から出されたゴミ袋がいつになく満杯だったことには何か理由でも?」 「なんですって!?」 「それって……?」 「そのくらいでやめてやったらどうかな」 「桜井ー! あんたにはチームワークってものはないの?」 「違うよ。憶測をいくら重ねても仕方ないってことさ」 「そうですね、ここはひとつ、当人たちに任意同行を強制して、詳しい事情を……」 「話すわけないじゃないか、いちおう寮則では不純異性交遊は戒められているわけだし」 「ではどうしたら……」 「ほっとくのが一番だよ。それとも、また祐真に新しいあだ名でも考えてやるかい?」 「とりあえずハンサムを改めエロスとすることも視野に入れねばなりませんなー」 「ピッタリですね」 「…………賛成です」 「エロスか。いいね。エロス王子とかね。人混みで大声でそう呼んでみたいところだよ」  そんな話し合いを、俺はリビングの奥で一人隠れて聞いていた。  ……どうも自分の名前が聞こえてくると思ったら、とんでもない内容だ。  仲間に加わって弁解できるタイミングでもなかったし。  にしても、あっという間に怪しまれちゃってるんだなぁ。  桜井先輩が口をつぐんでくれたおかげで、決定的にバレたわけじゃないみたいだけど。  月姉がこういうのに騒ぐのはわかる。恋路橋もいつものあいつだ。 「……あああぁ」  しかし稲森さんまで、おかしくなっちゃってるのは……なんか怖いぞ。  俺は片隅で一人、これからの苦難を考えてため息をついた。 「おは」 「おはよう」  自分のトレイを持って恋路橋の隣に座る。 「今日から新学期だな……」 「その通りだよ。張り切って勉強に励もうじゃないか」 「よく真顔でそういうこと言えるなぁ」 「ボクは五年生の今こそが、もっとも大事な時期だと思うけどね」 「……違いないんだろうが、今はただただ憂鬱だ」 「いいかい天川君。学生の本分は勉強だ。決して恋ではないよ」  ぎくりと身を固める。  探る視線を送ると、恋路橋はもう食べ終わって食器を片づけるため立ち上がっていた。 「もう行くのか?」 「ああ、そうさせてもらうよ。始業式は人より早く登校したいんでね」 「いってら」  まあこういう状況じゃ、その方がありがたいか……。  目線を別の方向に転じてみる。 「……♪」  俺の視線を今か今かと待っていた夜々が、胸の前で小さく手を振っていた。 「……ぐあ」  手を振り返す俺。  だが食堂でこの対角線のボディランゲージはなかなかに目立ってしまう。  でも夜々の気分を害したくない一心での愛想全開。 「♪♪♪」  ああ、なぜそういつまでも手を振り続けるのですか……。  うれしはずかしの熱視線タイムは、俺が食べている間ずっと続いた。  なんせ食べている間中、ずっと夜々の視線を感じていたのだから困りものだ。  食事を終え(夜々が気になって三人分しか食べられなかった)、身支度を整える。  久しぶりの制服に袖を通して、玄関を出る。  その頃になると、完全に寮のラッシュアワーに直撃する。  最初のうちは友達と一緒に通学する者も多いが、そのうち誰もが自分のペースを優先するようになっていく。  一人での通学は、かえってほっとする時間だ。  流れに乗って歩いていると、腕に誰かが激突したように感じた。 「ととっ?」 「おにいちゃんっ」 「なんだ、夜々だったのか」 「驚いた?」 「すごく驚いた」 「よかったー」  何が良いのかはさっぱりわからないが、俺もよかったーという気分になってくるから不思議だ。  そのまま腕を組んで歩く。 「あ、それはちょっと危険かも……」 「え? どうして?」 「いや、この通学路って寮生多いし……ふつうに見られるかと……」 「だいじょうぶ、夜々、警戒したの」 「そうなの?」 「うん、知ってる人いないタイミングでアクセスしたから……それでもだめ?」  身長差を活かして、下から可愛らしく見上げてくる夜々。 「その表情は反則」 「え?」 「いや、なんでもない……俺ちょっと病気みたいで……」  恋の病という。 「今ちょっとキスしたくなっちゃったよ」 「……え……する、の?」 「しないしない。さすがにヤバいよ」 「じゃあかわりにくっつきながら学校行こう?」 「うれしいなー、あははは……けど、ちょっと歩きにくいかなー?」 「行こう」  一蹴されてしまった……。  案の定、同じ時間帯に通学している、名前は知らずとも顔くらいに見覚えはある人たちからの視線が痛い。  直接の知り合いがいないのが不幸中の幸いだけど、この分だと噂が連鎖すればすぐ露見してしまうことだろう。  せめて学内では注意しないと……。  新学期初日は、始業式とホームルームだけのスケジュールだ。  それもすぐに終わり、一限分まるまる使った大掃除に。  といってもたいして汚れているわけではないので、埃取り程度にだらだらとやっつけて、あっという間にホームルームになった。 「あー、終わった終わった」 「天川君、今日はこれからどうするの?」 「特に予定はなし」 「桜井先輩がメシ食いに行かないかって」 「あ、寮メシないんだっけな……そうか、考えてなかった」 「君の場合、食べなかったら即エンコだからね」 「どこ行く?」 「いつものメンバーで行くから、まあ駅前のあたりで適当に」  いつものメンバーというと、俺と恋路橋と桜井先輩の他は、月姉と稲森さん、たまーに雪乃先生が出しゃばってくるという感じの構成だ。 「……あー、でもどうなんだろうな」 「誰がだい?」 「いや、夜々がさ。置いてけぼりは可哀想かなと思って……」 「彼女なら、そこにいるじゃないか。さっきからずっと」 「えっ?」  廊下の方を見ると、鞄をさげた夜々が、落ち着きなくうろうろしながら教室内の様子をしきりに伺っていた。  で、目があった途端に、ピヨピヨと越境して教室に突撃してきた。 「お兄ちゃん、なかなか気付いてくれなかった……」 「うっ、ごめん」  廊下に来た夜々を直感で察知しないといけない局面だったのか……。  ヤバイね、恋愛ってけっこうカンが必須だ。 「小鳥遊さん、みんなで遊びに行くんだけど、一緒に来る?」 「お兄ちゃんは……?」 「俺も行こうかなって思ってたところだけど」 「じゃあ行きます」  即答だった。  で、みんなで街に繰りだした。  俺と夜々は最後尾を並んで歩いていて、うまく死角になっているもんだから、ちょっとでも隙があるとすぐに腕を組んできて困った。 「……夜々ー、このメンツ相手に隠密活動は無理だよ〜」 「……でも夜々……くっついてないと……寂しくて、なくなっちゃう……」  なくなるんかい。  正直、誰か振り向かれたらアウトなだけに、内心悲鳴ものなんだが……。 「すまん、この間だけでも自粛ムードで頼むよ」 「…………」  うわあ、涙目になったーっ!? 「わかった、いいよいいよ……夜々の好きにして」 「ほんと?」 「けどマジでバレないようにして。頼むよ」 「はぁい」  嬉しそうに腕を巻き付けてくる。  ちょうどその瞬間、前を歩いていた桜井先輩と稲森さんが振り返った。  きっと不穏な気配を察知したのだろうな。 「……おっと」 「…………!!」  何も話さず前を向いてしまった。  気をつかわれたのか、ビックリされたのか……。  ともかく早くもふたりに目撃確定である。前途多難だ。  よく利用するオープンカフェにテーブル二つ分陣取って、それぞれ注文を済ませた。  さすがに互いの姿がよく見えるここでは、夜々も自粛して…………くれなかった。 「ねえ、これおいしいの?」 「……さ、さあ、どうだろ……」 「こっちは?」 「おいしいんじゃないかなぁ」  気もそぞろなのは、夜々が隣にぴったりとくっついて座っているからだ。  人目とか一切気にしている様子はなかった。  当然、仲間たちの視線は冷ややかだ。 「……なんともはや、ここまで開き直られるとは参ったね」 「けしからん! 実にけしからん!」 「どこかの誰かさんには空気読んで欲しいなーっと」 「……ああぁぁ」  稲森さんが一人、どよーんと雨雲をまとっている感じで脱力していた。 「……いや、これは違うんだ……手違いなんだ……みんな……」 「ねえねえこのカップル用のパフェ食べたいの」  ぐおおっ、またそんなパフォーマンス性の高いものを選んでくれちゃって!? 「そ、それはさすがにやめないか……?」 「フルーツいっぱいでおいしそうだよ?」 「いや、だって、なあ……?」 「いいじゃないかこの際。いっそのこと、最後まで行ってみたらどうなんだい?」 「最後って何ですか?」 「ハートの形をした二人用のストローで、ひとつのドリンクを飲むんだよ」 「ステキかも……」 「ス、ステキかなぁ? って、桜井先輩はなんで写メ用意してんすか!?」 「青春の記録はしておくといいと思ってね」 「ちょっとちょっと……違うんですよこれは……なあ恋路橋、止めてくれよいつものやつで」 「何がだい? 君たちの不純な異性の交遊の証拠を記録しておくのは法的にも必要なことだと思えるけど」 「訴える気まんまんなのかよ! ね、ねえ柏木先輩、助けてくださいよ〜」 「つーん」 「うわあ、そんな露骨な……なんでそんないきなり当たり強くなってんですか」 「あたしに隠し事をしてたってのが許せないのよねー」 「いや、隠し事というか……もともとそっちのオーダーで行動した結果こうなったってのに……」  俺たちの会話をよそに、夜々はカップル用のパフェを注文していた。 「お兄ちゃん、注文しちゃった」 「ああ、見てたから知ってる……いいよ。それデザートに食べよう……」 「うんっ」 「いや、いいもんだね。そういう関係も」 「他人事みたいに……」 「夜々ちゃん、もし良かったら僕のことも『お兄ちゃん』って呼んでくれない?」 「いいえ、それはできません。ごめんなさい」 「お、断られちゃったか。やっぱりね」  それでも楽しそうなのが、この人の凄いところだ。 「夜々のお兄ちゃんはお兄ちゃんだけです」 「……うーん、祐真。あんたタラシの才能あるんじゃないの? ここまで来ると……」 「返す言葉もありません……」  夜々の純愛、恐るべし。 「……ぷすぷすぷすぷす」  そう言えばなぜかこの一日、稲森さんは一言も話すことはなかった。  最近、いずみ寮で流行っているもの……それはいじめ。 「お兄ちゃん、ちょっといいか?」 「……は?」  最初、それが自分のことだとはてんで思わなかった。 「なあ、祐真お兄ちゃんってば」 「……ナンダッテ?」  ギギギという機械音をともなって、俺の首は回った。  目の前に、クラスは違うが寮内ではそこそこ話す知り合いがいた。 「今、俺ノコトイッタノ?」 「お兄ちゃんなんて寮内じゃおまえしかいないだろ」 「な、何を言ってるんだ……俺がいつおまえのお兄ちゃんに……」  こいつは頭が可哀想なことになってしまったのか、と思いかけたが、正気を失ったようには見えなかった。  むしろ、どこか面白がるような様子さえ漂っている。 「これさ、当番表なんだけどさ、なんか俺の名前とおまえのが入れ替わってるみたいなんだよな。来週のゴミ当番が俺になってるけど……これ、違うべ?」 「……あ、本当だ」 「これって誰が作ってるんだ? 桜井さんか?」 「かな」 「じゃ書き直してもらうから、間違えるなよ」 「わかった」 「サンキュー、お兄ちゃん」  そいつは何の説明もなく、階段をのぼっていってしまった。 「……何なんだ?」  異変はそれだけでは済まなかった。 「祐真お兄ちゃん、携帯忘れてるよー」 「……は?」 「祐真お兄ちゃん、恋路橋って今どこにいんの?」 「……はあぁ?」 「天川」 「な、なんですか……?」 「何警戒してるんだよ」 「いや、最近ちょっと呼びかけられるのが恐くて……」 「そりゃストレスじゃないのか? それよりこれ桜井に返しといてくれ」  よかった、この人はまとものようだ……。 「これは?」 「俺の心を満たしたDVD」 「……下半身を満たしたじゃないんですか?」 「わかってるじゃないか天川。返す前に鑑賞してくれてもいいぞ」 「……遠慮しておきます」  先輩は俺の肩を叩いた。 「んじゃ頼んだぞ、お兄ちゃん」 「うわああああぁぁぁぁっ!!」  不意打ちぃぃぃぃんっ!! 「お兄ちゃ〜ん♪」 「教師でしょあなたは!」 「ひぃっ」  教師恫喝。 「どういうことなんですかこれは! 説明してくださいよ!」 「ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃぃっ!」 「理由を! どうか理由を!」 「あの子たちが、天川は仲の良い女子に自分をお兄ちゃんって呼ばせてるって言ってたから〜!」 「誰ですかそのはた迷惑な流行発信源は!」 「……あたしが言ってたって本人たちにはナイショにしておいてくれる?」 「白状しないなら先生が言ったって本人たちに告げ口しますよ」 「ひいんっ、柏木と桜井です〜っ!」 「なんですってぇ?」  そのふたりがリビングに姿を見せた時、俺は同じように心ない噂の被害を受け戸惑っていた夜々とともに詰め寄った。 「小学校かここはーっ!」 「やぶから棒になんだい?」 「騒がしいわねぇ」 「俺のこと妹マニアだって触れて回ったんですよねっ!?」 「いかにもだよ」 「当然じゃない」  ふたりとも罪のないような顔をしていた。 「そんなことしたらダメでしょ!」 「どうしてだい?」 「楽しいじゃない?」 「六年生になるとみんなそんなふうに人の心を失うものなんですかねぇっ?」 「祐真。実際問題、知り合ったばかりの下級生に自分のことオニイチャンなんて呼ばせてイチャついてたら噂になるのなんて当たり前なんだよ」 「オニイチャンなだけにイチャつくなんて言い訳は通じないから」 「……っ!」  くだらないシャレの解説に、夜々は顔をそむけて肩を震わせはじめた。  まさか面白かったのか、今の? 「ちちくりあうならそれ相応の積み重ねがないと、周囲の人間から見て目立つ存在になってしまうわけだ」 「ちちくり三年柿八年。噂されずにちちくりあうのには、最低三年のタメが必要ってことよ」 「……っ!!」  夜々がつまらないシャレに超受けてる。俺本気クレーム中なのにすごく萎える。 「いや……だからって雪乃先生にまで伝わるくらい広げなくてもいいでしょうに……」 「おお、ゆきちゃんが珍しくリアルタイムで流行に乗れたわけだね。これはメデタイ」 「珍しいことよね。祐真、お手柄」 「……俺、六年生男子とかからオニイチャンって呼ばれるのつらいっすよ……」 「オニイチャンなだけにイチャつくなんて言い訳してるからよ」 「してないでしょ!」 「うははは」 「何二度も言ってるの? 自信あったわけ? すごくつまらないんだけど? だいたい会話の流れと噛み合ってないし!」 「夜々ちゃんにはご好評っぽいけど?」  夜々はツボに入ってしまったようで、ずっと笑いを噛み殺し続けていた。 「夜々ぁ……頼むよ……」 「ご、ごめんなさいっ……」 「俺だけじゃなくて、夜々からもひとつ言いたいことがあるそうですよ! ほら!」 「え、あ、うん、そうなんです……あの、おふたりに私からも言いたいことがあります」  とたんに不機嫌そうな顔をする夜々。  そりゃそうだ。関係を茶化されて、夜々だってご立腹なのだ。 「言ってくれ! 言ってくれぇ夜々!」  夜々の怒りを知るがいい! 「お兄ちゃんをお兄ちゃんって呼んでいいのは夜々だけです」 「…………」 「…………」 「……いや、そういう問題じゃなくてだな……」  むくれる理由が全然違うよ、夜々……。 「あははははっ!」  月姉の爆笑にさらされ、俺は頭を抱えた。 「終わった終わった」  午前の授業の終わりとともに伸びをする。  二日目からはもう授業は通常日程に戻ってしまった。  久しぶりの午前フルでの授業は、なかなか精神に応えるものがある。 「恋路橋、メシは?」 「学食で食べようかと」 「俺も行こうかな」 「じゃすぐに出ようじゃないか。といっても、だいぶ混んでしまうだろうけどね」 「遅れるとご飯もの品切れになるからな。うどんやそばじゃ腹は膨れないし」 「はい、お弁当」  机にスカーフのようなものでキチキチに包まれた弁当箱が、どんと置かれた。 「おっ、サンキュー! こりゃ助かる……って、夜々じゃないか」  いつの間にか教室に夜々がやってきていた。 「今来たの?」 「来ちゃいました」  遠慮なく教室に入るようになってきたな。  最初の頃はおずおずという感じで、呼び出してくるだけだったのに。  というかこの人、恋に盲目になってるっぽいんだよなぁ……。 「これ、作ってくれたの?」 「はい、夜々の特製弁当です」 「こいつはありがたい」 「すごいサイズの弁当箱ですね。これぞまさにドカ弁」 「お兄ちゃんの一日の必要カロリーを計算し、それに基づいて作ったらこのサイズになりました」 「これは食べごたえがありそうだ」 「夜々の分も入ってるから、一緒に食べる必要があります」 「……小分けになってないの?」 「はい。合体させました。1つのお弁当を二人でつつくのが楽しそうだったので」 「アツアツの二人みたいだね……」 「事実です」 「じゃあ悪いけど僕は独りで寂しく学食に行かせてもらうよ」 「あ、悪い恋路橋……」 「小鳥遊さん、もしよかったら僕の椅子を使ったらいいよ」 「ありがとうございます、恋路橋さん」  夜々と相合い弁当を義務づけられてしまった。  というか、うまいやり方だな……これ。  自分の分の弁当を別個にすると、ブツだけ受け取って逃げるって事もできちゃうからな。  そんな事、する気もないけど……。 「まあ、いただこうかな……」  クラスメイトの視線が微妙に痛いが、これ以上ごねると夜々はむくれるはずだ。  精神力全開で素知らぬ顔をせねばならぬ。  しかしまあ、ダジャレとはいえちちくり三年とはよく言ったもんだよ月姉……事実だわそれ。 「じゃ机合わせようか」 「いえ、椅子だけで結構です。机はお兄ちゃんデスクひとつでじゅうぶんかと」  狭いよ……とっても狭いよ……。  でも否定しにくいので、恋路橋の椅子を対面に設置してやる。 「じゃあ、そこに座って」 「はい!」  夜々は恋路橋の椅子を持って、俺の右サイドに配置し直した。 「……わざわざ隣においでいただき、まこと感謝の至り」 「いえいえ。『密着』している方が良いと思って」  そんなでかい声で『密着』だなんてぇぇぇ……。  クラスメイト男女(特に彼氏彼女のいない人々)の冷たい視線は本当にクールで、マジでイジメ発生5秒前って感じで生きてる気がしない。  こうなったら早食いだ……。  急いで食えばこのきつい時間もすぐに終わるはずである。 「じゃ、さっそくいただこうかな! 空腹が故の不自然な高速喫食でね!」  俺が箸を手に取ろうとすると、夜々がそれを制した。 「お兄ちゃんには夜々が『食べさせて』あげる」  そんなハキハキした通りの良い声で『食べさせて』あげるだなんて言ったら……!!  わざと?  この人、まさかわざとやってる?  しかし夜々の顔は、ほこほことして無邪気そのもの。  これは天然……天然ものの純愛娘……っ!  案の定、食べさせて発言には教室の各所でかなり不穏なアンチ反応が見られた。  これ以上恋愛難民を刺激したら……本気で俺ヤバいかも。  苦痛の時間が始まった。 「どうぞ、お兄ちゃん」 「あ、ああ……いただきます……」  弁当を開けた瞬間、目に飛び込んでくる『U‐MA LOVE』というそぼろ文字に、俺の気は遠くなりそうだった。  そぼろ文字って古代象形文字と同じで今は滅びた言語だと思っていたけど、カップルの間では連綿と生き残ってきたんだなぁ。すごいや。  こんなものを人に見られたら、なんというか俺の人生の大事な時期がターンエンドになってしまいそうじゃないか。 「……祐真ラブだってよ」 「ばふーっ!?」  通りすがりのクラスメイトにいきなり見られたぁぁぁっ!  そいつは自分の席に戻ると、周囲のクラスメイトたちと話し込み始めたぁぁぁっ! 「祐真ラブ? ストレートすぎない?」 「マジで周囲見えてないなぁあいつら」 「なんだか僕、机にバナナの皮とか入れたくなってきちゃうなぁ」 「バカップルって公害よね。副流煙じゃなくて副流愛ってカンジ」 「精神的な健康を損なうから、実害あるよな」 「どうするよ、教室でキスとかされたら?」 「それ居合わせる方もきついんだよなぁ……」 「もしそんなことになったら、あとで天川にペナルティとしてジュース奢らせようぜ」  そのいつにないトントン拍子っぷりはどういうことなんだね諸君? 「ハレンチの度合いに応じたポイントで集計して、10ポイントまでが居合わせた全被害者にドリンク」 「それを越えたら食券、さらに50以上に達した時には大珍軒で海産ラーメンを奢ってもらうことにしようぜ」  あの一日20食しか作らず2500円という高額設定にもかかわらず遠方からも客がやってくるという超人気メニューをっ!?  そんなことになったら破産してしまうぞ! 「そうだそうだ、そうしよう」 「居合わせた人数が多い時ほど、天川へのペナもぐっと重くなる。まさに大岡裁きだな」  魔女裁判だろこれ! 「よし、じゃルールを作るから、これ速攻でみんなに回せよ。クラスの結束にかけてな」 「ええ、今こそクラスのみんなで立ち上がる時よね!」 「よっし、俺も回すの手伝うぜ!」 「なんだか忘れていた情熱を取り戻せそうだぜ!」  一人が携帯メールで討議内容のまとめを作ると、すぐに手分けして送信がはじまった。  最低のチームワークだ。見たくないよこんな闇の名プレー。  あああ、この場にいない連中にも情報が伝わっていく……。 「どうしたの、お兄ちゃん?」 「あ、いや……」 「はい、あーんしてあーん」 「ぁ、ぁーん……」  開いた口に、ミートボールが押し込まれる。 「おいしい?」 「……はい、とてもおいしい……です……」 「たくさんあるからね。はい、次はごはん。Lの字のところ♪ はーいあーんあーんあーん♪」  夜々超楽しそう。俺いやな汗が止まらない。 「あ、あーん……」 「3ハレンチポイント加算だろ、これは」 「高すぎだ!」 「きゃっ!?」  しまった、思わず立ち上がって叫んでしまった。 「あ、ごめん、こっちの話で……」 「……びっくりしたの」  しかも今ポイントつけたやつ、俺のツッコミはスルーの構えだし。  え、あーんしただけで3ポイントですか?  4回あーんで食券かよ……鬼レートだな。  くっ……なんとか自力で食べる状況を作らないとダメだ!  けどそのためには、夜々の申し出をうまく断る必要がある。  全部食べさせる気まんまんだもんなぁ……。  さてどうするか……。 「な、なあ夜々……食べさせてくれるのは嬉しいけど……その……個人的にはもっとがーっと食いたいかなぁなんて思っちゃったりして」 「でもね、夜々がお口に運んだ食べ物で、お兄ちゃんにもぐもぐしてほしいの。お兄ちゃんのもぐもぐを独占したいの」  何を言ってるんですかね、このガール。 「あの、ほら、男ってかきこみメシが好きだからさ……牛丼とかそうやって食うじゃん? 男ってそういう悲しい生き物なのよね」 「そうなんだ。じゃあ夜々、頑張ってがーっと食べさせてみる」  言葉通りに実行。 「おぼぼぼぼぼぼぼっ!?」  俺は、飯に溺れそうになった。 「ひ、人にやられると呼吸のタイミングが合わなくて危険かもごほごほごほっっ!?」 「難しいんだ。ごめんね……」  もろに器官に入ったぞ……。  くそ、他のうまい言い訳はないのか? 「……あー、夜々」 「なぁに?」 「夜々がちっとも食べてないじゃないか。俺はそれがすごく気になるな」 「夜々、あとででいい。今はお兄ちゃんがエネルギー補給しないと」 「いやー、なんか今日はだいぶ満腹になってきたよ。ふう、ちょっと苦しいくらいだ」 「……まだ全然食べてないと思うよ」  と、そのとき夜々のお腹が小さく鳴った。 「あはう……」 「ほらな? 成長期なんだからさ、食べないと」 「……お兄ちゃん……夜々、恥ずかしい存在でごめんなさい……」 「いいからいいから。さ、お食べ。ふたりでこなれた夫婦みたいに、ひとつの弁当箱をつつきあおうぜ!」  俺は自分の箸を手に取る。  よっしゃ、これからのもぐもぐはセルフサービスだぜ! 「…………」  突然、夜々が俺の腕を抱え込んだ。腕組み状態。 「え、夜々?」 「大変お兄ちゃん、愛の引力で夜々のお腕がはがれなくなっちゃったの」 「ニュートン力学に対する敢然たる挑戦!」 「自分じゃ食べられなくなっちゃったの。困ったの」 「完全に7ハレンチポイントは加算だろこれは……」  はい10ポイント達成! おめでとう君たち、ありがとう俺!  やべえ、ポイントの増減が判定者の感情に左右されるっぽい……。  下手したら海産ラーメン全奢りも本気であり得る! 「て、手を離せばいいんじゃないかな?」 「うーんっ」  夜々は力む素振りをする。 「だめみたい。愛の引力は二人の愛の深さで強まるの。だから人の力ではこのお腕はひきはがせないの」 「なんてこった……」 「どうしよう、夜々、飢えて死んじゃうかも」 「ああ、そういうシナリオね……」  夜々の意図が読めた。現状自由に動く唯一の腕は俺の片腕のみ。  つまり俺が夜々に対してあーんするように持ちかけてるわけだな。  そんな行為にどれだけのポイントがつくのか、想像もできない。  けど、夜々の教室中に届くような声であーんされるよりはマシか……?  くっ……夜々のプロパティを開いてボイスのチェックボックスをオフにしてしまいたい。  だが考えれば……単に攻守が逆転するだけだが、俺なら注目を集めない程度にテンションをコントロールしてあーんできるはずだ。  多少のポイントは覚悟して、クレバーに事を進めよう。今はそれしかない。 「OK夜々。なら俺が夜々に食べさせてあげるよ」 「うん」  俺はおかずを取って、夜々の口にそっと運んだ。 「…………」  しかし夜々は食べてくれない。 「…………」  これは、俺が逐一掛け声をしないと受け付けてはくれないという、頑迷なる意思表示であろうか? 「く、やるしかないか……夜々、あーん」  なるべく小さな声で言う。 「…………」  なぜ食べないのでござりまするか?(動転) 「や、夜々?」 「お口つついて」  こしょっとした小声で夜々が呟く。 「つつく? おかずで?」 「つついてつついて」  言われた通りに、箸で掴んだおかずで唇につんと触れてみる。 「ぴよ」 「ぴ、ぴよ……? ヒヨコ?」 「ひな鳥はエサを持ってきた彼氏さん鳥が巣に止まると、その揺れであー彼氏さん来たんだーってわかって嬉しくてピヨピヨ鳴くの」 「……それ親鳥なのでは?」 「夜々ワールドでは彼氏さん鳥なの」 「そのワールド、力学からして違うし、いろいろ大変そうだよね……」  ま、俺は今その世界に取り込まれているわけだけども。 「じゃ、いただきます」 「あ、はい、どうぞ」 「おいしい♪」  ようやく一口目を食べさせる事が出来た。  ああ、とても手間暇のかかるものなんですね。  周囲に人がいなかったら俺も全開で楽しめるんだけど……。 「はい、あーん」 「あーん」 「自分でも食べちゃお」 「あー、それは夜々のおしごとー」  俺の腕は、二人分の食欲を満たすべく〈八〉《はち》〈面〉《めん》〈六〉《ろっ》〈臂〉《ぴ》の活躍をした。 「夜々、おなかいっぱいです。あとはお兄ちゃんが食べていいよ」 「お、そうか?」 「じゃあとは夜々が食べさせてあげるね」  と腕が解かれた一瞬、俺は左手でドカ弁を持ち上げ、雄々しく立ち上がって追撃を封じ、一気にガツガツと流し込んだ。  ああ、これぞまさしく男のイートイン! 「やー!」 「ごちそうさま! 激ウマだったぞ!」 「そ、そう? おそまつさまでした……」  がっかりしておられる。  ごめんな……でも俺も必死なんだ、許してくれな。  なんとかこの一難は乗り越えたぞ。  そうだ、ポイントはどうなったんだろう? 「……現在のハレンチポイントは?」 「356ポイントだ」  ぎゃーーーーーっ!?  あんなに自粛したのにーーーっ!!  恋愛難民にとって、どんなに抑制されても恋愛行為はムカついて仕方がないということの現れなのかー?  俺の携帯にメールが飛んできた。  相手は教室内にいるクラスメイトの一人だ。  タイトルだけ確認してみる。 件名【賠償についてのお知らせ】 発信者【副流愛被害者の会】  読みたくないなー……。  案の定、内容は生き地獄を文章化したような代物だった。  やがて夜々が戻るのと入れ違いに、恋路橋が学食から戻ってきた。 「天川君、変なメールが来たんだけど、君何かやったの?」 「嫌愛権を発動されたんだよ……」  魂をごっそり削られた俺は、机に突っ伏すだけの存在になるしかなかった。  後に海産ラーメン全奢りはあまりにも酷であるとの主張が通り、卒業後の出世払い奢りという形で清算してもらうことができた。  でもそれは今日の一件だけなので、俺の愛の試練はまだまだ続くようだ。  愛の神様とかいるなら本気で助けて欲しい……。 「起きとけー、起きとけー」 「うう、またぁ……?」  早朝、月姉に叩き起こされる。  月姉のストレス解消テク、他力本願ロードワークの時間がやってきたのだ。 「久しぶりにロードワークに行くよー、5分以内に着替えて玄関前に集合ね!」 「……うあーい」  まあ走るの好きだし、朝飯が格段にうまくなるからいいんだけどさ……。  きっちり5分後、ウェアを着て玄関先に出る。  目はだいぶ覚めてきたけど、どうしてもあくびは出る。 「よーし、来たねー。じゃ今日も行きますか?」 「了解コーチ」  と、ここに驚きの〈闖〉《ちん》入者が! 「ちょっと待ってください!」 「あら、夜々ちゃん?」 「夜々、こんな時間に起きてたのか?」 「階下でお兄ちゃんの気配がしたから目覚めちゃったのです」 「……超人的な直感だ」 「で、その鋭い女のカンを持った夜々ちゃんは、どうしてここにいるわけ?」  うっ、なんか面白そうにニヤニヤしてるぞ月姉……。  ヘンに煽らないで欲しいんだけどなぁ。  夜々は胸を張って月姉に言い放つ。 「柏木先輩! 私もロードワークについて行きます!」 「いいけど、自転車はあたしのしかないから、夜々ちゃんも祐真と一緒に走ることになるよ? けっこうつらいけど、いいの?」 「もちろんです。お兄ちゃんについてく。それ、本望です」  なんか俺と月姉の距離感、だいぶ気にしてるからなぁ夜々。  つきあってないのは話してちゃんと納得してもらったけど、まだまだ安心しきれてないのかも知れないな。 「……ということだけど、お兄ちゃまはどう?」 「お兄ちゃまって言うのやめてよ。俺は別に構わないけど……夜々、運動とか平気か?」 「はい、どこまでもついていきます」  まあこれだけ言い切るからには大丈夫なんだろう。 「じゃいつものコースでしゅっぱーつ!」  軽く体をほぐしてから、俺たちは走り始めた。  夜々もいることだし、少しゆるめのペースで淡々と走る。  夜々は一歩半ほど後ろをぴったりとついてきていた。 「はい夜々ちゃーん、アゴひいてー、背筋伸ばしてー、フォーム崩れてるよー」 「……む」  速攻でダメ出しされたのがムカついたのか、夜々はむすーっとした顔で姿勢を改めた。  だらだらフォームを崩して走っても、無駄に疲れてしまうのだ。 「夜々、きつかったらペース落として、無理についてこようとするなよ?」 「つ、い、て、く」  多少息苦しそうに言うが、多少の余力はありそうだった。  まだ走り出して5分経ってないのだから当然か。  いつもよりペース落としてるし、これなら大丈夫かな? 「はないずみー、ふぁい、と! ふぁい、と! ふぁい、と!」  自転車から、とても適当な応援を送る月姉。  街並みを駆けること10分。  ようやく体もあたたまってきて、調子が出てきた。  夜々の様子を見る。 「はっ、はっ、は……んっ……はっ、ほっ……」  ちょっと呼吸が乱れてるかな。 「夜々、呼吸もフォームと一緒で乱さない方がいいんだぞ。俺がやってるみたいに鼻で二回吸って口で二回吐くようにするんだ」 「……っ」  もう言葉を出す余裕がないのか、黒々とした瞳をこっちに向けてぶんぶん頷いた。 「こらそこー、私語は叩くなー! 走るだけの生き物になれー!」  月姉だいぶ調子に乗ってる。 「……っ」  あー、見るからにいらいらしてるなー。  夜々は人間関係面はデリケートだからなー、こういうの嫌がるんだよなー。  月姉に聞こえないよう、小声で告げる。 「……気にするな。あれは一人芝居みたいなもんだから」  こくこくと頷く。 「きに、しな、いっ」 「よーし偉いぞ、夜々」  夜々は心底嬉しそうに微笑んだ。  その瞳がきらきらと輝く。 「お兄ちゃん……」  ああ、なんか絆っていいなぁってムード。  俺と夜々は、走るという行為の中で親近感を得ていた。  そんなふたりの間に、月姉の心ないシゴキ文句など入り込む余地はない。  俺たちはロードワークを通じて、真のスポーツマンシップで結ばれたのだ! 「はっ、はっ……お兄ちゃん……夜々……やったよ……っ」  やがて町内ショートコースを一周し、寮の入口が見えてきた。 「よし夜々、もうじきだ」 「うんっ」  キラキラと輝く朝日の中、俺たちは並んで寮の前に飛び込んでいった。 「ゴール……っ!」  夜々はそう口にして、アスファルトを力強く踏んだ。 「ウォームアップ終了。本ちゃんコースにゴー」 「イエスボス」  俺と月姉の自転車が寮を素通りしていく。  夜々だけが寮の前で立ち止まって、呆然と離れゆく俺たちを見つめていた。 「……あれ?」 「いやぁぁぁ、なんでぇぇぇっ!」  何か叫んでいるが距離が開きすぎていて聞こえない。 「祐真、おまえをマシーンにしてやる。俺の言うとおりにしていれば、おまえはきっと最強のボクシングマシーンになれるー」 「イエスボス」  ロードワーク中の定番ギャグ、ボクシング映画ごっこを楽しみながら、俺たちは朝の心地よい冷気を突っ切っていくのだ。  背後から慌ただしい足音がして、俺は振り向いた。 「ひーっ、はーっ、おにいちゃん、まってぇぇぇ……っ!!」 「おお、夜々。本ちゃんコースにもついてくるのか?」 「あれでっ、おっ、おわり、かとっ、思っ……!!」  息が上がってしまっていた。  無理もない。あんなドタ足で、しかも短距離とはいえほぼ全力疾走で距離を詰めたのだ。 「いやー、まあコースはいくつかあるんだけどさ、今日はちょっときつめのルートなんだよ」  といっても俺は慣れてるから全然疲労はないんだけどね。 「夜々もいくぅぅ」 「夜々……なんてすごいんだ。根性あるな」 「だってっ、夜々、ついてくっ、どこまでもっ……」  だいぶ苦しいのだろうに、夜々は切れ切れにそう言う。 「……どうやら、あたしは夜々ちゃんのこと、見くびっていたみたいね」  月姉はホロリと来たみたいだった。 「俺もだよ。俺の妹分は本当に凄いんだな」 「はーっ、はーっ、はーっ……」 「よし夜々、そこまで本気だというなら俺も心を鬼にしてペースを少し上げるよ。夜々にはインパラの気持ちになって、死ぬ気で食らいついてもらいたい」 「は、はい? はい? ペース、上げっ……?」 「今がだいたい50%くらいだから、75%くらいのペースにしよう」 「祐真、ふぁいと!」 「OK月姉!」  俺はスピードアップした。 「……は、はやっ!」  夜々も慌てて速度を上げる。 「ひっ、ひふっ、はふ、はっ」  苦しかろう。きつかろう。だが俺には夜々の奮闘を見守ることしかできない。  ここで手を貸したり休ませたりすることは、夜々の本気を汚すことになるからだ。  我が子を千尋の谷に突き落とすライオンの気持ちだ。 「夜々ちゃん、頑張れー。鋼の女になれー」 「ふうぅぅ〜〜〜っ」 「そろそろ第一の試練だぞ。頑張れ」 「……え、今度は、なに?」 「ここからが本番なんだ、夜々」 「え、まさか……アレを……のぼるの……?」  俺たちの前方に、迫り来るものがある。  圧倒的な偉容でそびえ立つそいつは……今まで何人もの未熟な走者を打ちのめしてきたのだろう。  夜々には大きな試練になるはずだ。  けど、今の夜々だったら……精神論だけで行けるはず! 「市内最大最長を誇る坂……通称『アステカの祭壇』! 今まで幾多のアスリートとカラテカが心臓を生贄に要求されてきたことから、そう呼ばれるに至った……」 「し、心臓……?」 「登らんとする者の心臓に致命的な負担を与える心臓破りの坂……そう、まさにアステカ太陽崇拝における生贄の儀式と同じなのよ!」 「あまりにきつい勾配なので、地元の人々はこの坂を車以外では使わない……ある意味、不可視の力で守られた聖域なのだ」  ちなみに付近にトレーニングジムと空手道場があるのだ。 「この坂は……永郷市に住まう道の形をした悪魔よ!」 「か、帰っちゃダメ……なの?」 「ふたりで乗り切るぞ! 俺についてこい!」  ダッシュで坂に突撃していく。 「あっ、ま、待って……これ、無理……無理だから……っ」 「おおっと、祐真選手! 何か忘れてるんじゃない?」 「そうだったよ月姉……」  月姉の自転車の後部にまわり、力一杯押し上げる。ロードワーク中の坂では、これも俺の仕事だ。 「あー、らくちんらくちん」 「く……さすがにきついが……坂道こそかえってハンデ有りでトライする!」 「そうそう、敬愛するコーチの自転車を、愛情こめて押してねー」 「あーーーーっ!?」 「夜々もいくーーーっ!」  後方から夜々が追いすがってきた。  よし、俺も負けてられない。  自転車を押す力を、いっそうに強める俺だった。  ようやくアステカの祭壇をクリアすることができた。 「ぜはーっ……ぜはーっ……ぜはーっ……!!」  夜々は俺の後方約20メートル地点をふらついていた。 「……いいのか、あれ」  息切れのあまり、朦朧としている。  めちゃくちゃなフォームだ。あれじゃあ疲労は蓄積するばかりだろう。  しかも直線道でもぐねぐね蛇行しているので、結果走行距離も無駄に長くなっているという負の連鎖。  交通事故も危ぶまれるほどだが、今は月姉がきっちり夜々についているので、その点だけは安心だ。 「そろそろギブしてこっちに乗ってくー?」 「はひぃ〜、は〜う……」 「……疲れすぎて聞こえてないみたいね」 「ん? 何か落としたよ、夜々ちゃん」 「……ぜい……ぜい……」 「あー……預かっとくね」  俺はペースを落として、夜々の隣に並んだ。 「夜々、ここで悲しいお知らせです」  低速で走りながら話しかける。 「……うぅ〜?」 「つらい出来事は、早めに覚悟しておいた方がいいと思ってな……前方をご覧ください」 「……あ……う?」  そこにアステカの祭壇をも上回る断崖絶壁のような坂が切り立っていた。 「あもーーーー!!??」  夜々は立ち止まって叫んだ。一気に気力がブチ折られたのだろうか。  あーあ、途中で止まると次走る時がきついのになぁ……。 「これが『アンデスの空中回廊』だよ夜々……」 「そ、そんなのついさっきもあった、ついさっきっ!!」 「あれはアステカの祭壇。これはアンデスの空中回廊。別物だよ」 「この市なんかおかしいんですけど!」 「なぜそう呼ばれるようになったか……それはこの坂道を登る者が、常に生と死の隣り合わせに晒されるからなんだ」 「ライフ・アンド・デス……すなわち、アンデス」 「……………………」 「どうだ、闘志が沸くだろ?」 「……生まれてはじめてダジャレに殺意が沸きました」 「これを乗り越えれば、あとは平坦な道ばかりだ。さあ夜々、頑張ろう」 「ギブアップ」  ぺこりと礼儀正しく一礼した。 「何ーーー! さっきの一体感はどこにっ!?」 「……もうむり……気力も0だし……」 「あ、そう……」  なんだろうこの寂しい気持ち。 「じゃ夜々ちゃん、そろそろ乗っていきなさいよ」  後部座席をぽんぽんと叩く。 「二人乗りは禁止だよ」 「夜々ちゃんの命より細かいルールが大事なの?」 「……あの……それ、夜々乗っけた後の事が気になるんだけど……まさか?」 「ばっかねぇ……当たり前じゃない」 「ぐぬぬぬぬぬぬぬ!」 「お兄ちゃん、しっかり!」 「祐真頑張れー! いただきはまだまだ遠いぞー!」  案の定、二人乗りした自転車を坂の上まで押すのは、俺の役目だったのだ。 「きつい……これは久々にきつい……!」 「鍛錬、鍛錬」 「ぎぎぎぎぎぎぎ……」 「だ、だいじょうぶ? 夜々、降りようか?」 「ダメよ。それじゃトレーニングにならないもん。それとも何? 乙女二人に対してあんた、あの言葉を言うつもりじゃないでしょうね?」 「……いや、二人分なら言ってもいいだろう、あの言葉を……」 「あの言葉……それはまさか……?」 「そうよ……乙女殺しのあの言葉……決して言われたくない、呪いの言葉よ」 「お、おも……」 「言うな!」 「いってえ!」 「……確かに、言われたくないかも……」 「だから無言でクールに押し続けてちょうだい。あたしたちの峠の景色見せてよね」 「……男は辛いなぁ」  〈疲〉《ひ》〈労〉《ろう》〈困〉《こん》〈憊〉《ぱい》で戻ってくると、ちょうど寮内の起床ラッシュが始まっていて、リビングも早朝テレビを見る寮生たちでぼちぼち賑わいだしていた。  だがまだ通学までは余裕がある。 「夜々、そっちも今のうちにシャワー浴びといた方がいいぞ」 「うん、汗だくになっちゃった」 「あたしはキレイキレイのまま〜」 「人に自転車押させてるからだよ」 「トレーニングは負荷がかからないと意味がないでしょ」 「二人分押させるなんて労基法に反してるとは思わないのか!」 「お願いしますから黙りやがっていただけませんでしょうか?」 「……」  ひどすぎて言い返せなかった。 「……いいよ、行こ、夜々」 「はい」 「あ、天川だ! おにいちゃーん! あはははは! おはよーお兄ちゃん! やーいおにいちゃんおにいちゃんー!」 「…………」 「…………」  まだ盛り上がってたのか、そのネタで。 「……先生、その遊びはもうブーム終わってるから」 「え、嘘でしょ? だってついこないだ始まったばかりで……」 「いや、流行が過ぎるのに一晩あれば充分です」 「ですよ」 「え、えー? それって早すぎない……?」 「……先生、かわいそう」 「あ……あっれぇ?」 「と、急ごうぜ夜々、シャワーも使うヤツ多いから、さっさと済ませよう」  俺たちは惚けた先生をその場に残し、浴室に向かった。  しかし、先生にまで筒抜けってのは、まずいかもだよなぁ。 「じゃ後でね」  廊下には人気はなく、夜々とふたりきりになった。  途端、ぴっとりと腕を絡めてきた。 「えへへ、今日の初すりすり」  と、頭を肩にこすりつけてくる。 「……んー、ほら、誰かに見られるとヤバいぞ。行った行った」 「えー……でも、素直にはーい。じゃまたあとで」 「あいよ。またな」  夜々が行った直後、二人連れの寮生が廊下を通り過ぎていった。  ちょっと危なかったな、今のは。  にしてもなぁ……これ、ただの仲良しごっこじゃないんだよな。  俺は夜々とエッチしちゃってるし、好きだってのは間違いないことだけど……。  夜々は俺のこと、お兄ちゃんって呼んでるわけで。  お兄ちゃん、お兄ちゃんか。  さっきの雪乃先生じゃないけど、なんだろうな、この心の底にこびりついたような引っかかりは。 「……わからん」  気にしてもしょうがないことだよな。  放課後。  テレビを見ながら夜々と談笑していると、月姉がやってきた。 「夜々ちゃん……ちょっといい?」 「……はい?」  珍しく深刻な顔をしていた。 「これ返すの忘れてたんだけど……」  と出したものは、ロケットペンダントだ。 「あ!」 「あ、それ……!」 「夜々ちゃんの落とし物。朝、落としたんで拾っておいたんだけど……」 「そうみたい、なくなってる……ありがとうございました」 「いや、それよりもね……ごめんなさい、フタが開いてしまったものだから、中身を見てしまったんだけど」 「……」 「ごめんなさい、わざとじゃないの」 「……なら、いいですよ」  受け取ったロケットを、両手で胸元に抱え込む。 「あの、でもね、その……中身の写真なんだけど……」 「どうしちゃったの、口ごもって」 「…………」 「ねえ……それって、子供の頃の祐真でしょ?」 「え、違いますよ?」 「え、なんでそこで俺が出てくるの?」 「いったいどういうことなの? ふたりって、本当の兄妹じゃないわけでしょ?」  月姉の顔が、いつになく真剣だ。 「はい。境遇が似てるだけで……」 「そうだよ月姉。俺と夜々はここに来てはじめて出会ったんだよ?」 「いや、でも……その写真は……」 「どんな写真?」 「……どんな写真って……大切な写真……」 「いや、ロケットなんだからそうなんだろうけど……誰の?」  夜々はしばし考え、首を傾げた。 「さあ……?」 「なんだそりゃ」 「わからない……大事な写真だってのはわかるんだけど……思い出せないの……」 「変な話だな。じゃ見てみたら?」 「えっ?」 「どうして驚くの? 夜々の持ち物なんだし、中身確認してみたら?」 「それは……」 「できないの?」 「そんなことは……ないと……思うけど……ロケットって、人に見せないものだし……」 「……ごめん、私もう見ちゃったから、その効力は切れてると思う」 「そう、ですか……」 「じゃあ……いいの、かな?」  自分でもよく理解できていない顔だった。 「まあ今回は仕方ないんじゃないか?」 「あ、思い出した……この中身」 「へえ、誰なの?」 「お兄ちゃんに見せるの、ちょっとイヤだな……あのね、これ、昔のお兄ちゃんなの、たぶん」 「ほほう、俺の前にもお兄ちゃんがいたと? 逆浮気かあ?」  手をわきわきさせて接近する。 「違うよ〜っ」 「あのさ! 真面目な……話なんだけど」  ほとんど一喝に近い月姉の声に、はしゃぎかけていた俺たちは白けてしまった。 「……どうしたの月姉、ピリピリして」 「その写真見たら、あんたもびっくりすると思う。あたしも正直、わけわかんないし」 「じゃ、その写真ってのは?」 「……これ」  夜々が渋々、ロケットの中身を見せてくれる。 「どれどれ」 「んー?」  ふたりでロケットの中身を確認する。 「……ねえ、これってどういう事なの?」 「うーん、これはね、月姉……」 「うん」 「俺の方がカッコイイかな」 「新お兄ちゃんは優しさのパラメータはすごく高いけど、かっこよさの数値は旧お兄ちゃんに軍配があがっちゃうかも」 「いやいや、それは節穴ってものでしょう。俺の方が人生経験も豊富でよりダンディですよ?」 「旧お兄ちゃんは美少年だから、美しさはこっちのが高いの」 「何ぃ〜? それは年齢補整だろ。それは不公平だな」 「お兄ちゃんだって人生経験豊富って言ったじゃないですか」  俺たちは声を合わせて笑った。  ただの楽しいふざけあい。月姉だけが難しい顔をしていた。 「……本気で言ってるの?」 「月姉、俺の子供の頃、知ってるじゃない。これ、別人だよ」 「だから、間違いないって言ってるのよ」 「でも顔、違いますよ。こうして並べて見ると」 「いやそれ、祐真なんだけど……」 「似てる……かも知れないけどね。同系統の顔つきだとは思うけど」 「偶然の一致ですよ」 「……本気で、言ってるってことよね?」 「そうだよ。年齢差があるからわかりにくいとは思うけど、別人だと思うよ」 「私もそう思います」 「…………そう」 「変な月姉」 「確かに雰囲気は似てるかもですね」 「ひとつ聞くけど……その旧お兄ちゃんって、今は?」 「それは……私、親に死なれてて……それで、だと思います」 「思う? その時に亡くなられたのではなく?」 「……記憶が、曖昧なんですよね……」 「月姉、そのくらいにしてあげてよ。つらい記憶なんだろうし」 「……ごめんなさい、よく思い出せないんです」 「…………」 「なんかヘンだよ、今日の月姉?」 「変なのはあんたたちの方でしょ」  そう言い残すと、月姉はさっと身をひるがえして去ってしまった。 「……なにアレ」 「さあ……」  まあそれでも、気になることはあったんだ。  あの時、ロケットを見て思い出したこと。 「……あった」  引き出しを片っ端から調べて、ようやく見つけた。 「確かに同じものだよな……すごい偶然だよな」  俺は身につけるのはやめてたからな。落とすはずがないんだけど。  ロケットの横のスイッチに爪を引っかけると、パチンと音がしてフタは開いた。 「…………」  女の子の写真。かなり幼い。小学校前くらいだろうか? 「この子は……夜々じゃない」  見ての通り、別人である。  この子は……俺の妹だ。  夜々の言い方に習うなら、旧妹とでも呼ぶのかな。  ……今はもういない。  ずっと昔に、いなくなってしまった。いや、俺がいなくなったのか?  どうだったか……実は、当時の記憶はほとんど残っていないんだ。  同じロケットを持っている。  同じように親を亡くして里親に引き取られている。  同じように親しい兄妹を失っている。  同じように記憶を失っている。  別におかしなことじゃない。決して起こらないことじゃない。  偶然の産物だ。  でも……なぜだか俺はこのロケットを開けることを、今まで考えもしなかった。  開けてはいけないのだとさえ考えていた節がある。 「大事……だったんだよな、この子のこと」  そう、大事な妹だった。  俺の人生で、最初に守ってやりたいと願った相手がこの子だ。 「守って、やれなかった……いや、親と一緒に死んだのだっけ? ん?」  つらい記憶だから封印したとでも言うのか?  思い出さないよう、ロケットを開けないよう自分に暗示でもかけたのか?  当時、物心つくかつかないかのガキだった俺が?  それこそ有り得ない。  けど三人でロケットの中身を見た瞬間、呪縛のようなものがほつれた感触があった。  この心がぞわぞわ蠢くような気持ち悪さは何なんだ? 「あれ……やっぱり、俺の方が……月姉の言うとおりおかしい、のか?」  この写真、夜々に確認してもらおうか?  俺の目には他人にしか見えないんだけど……。 「やあ天川君、どうしたの?」 「夜々はいない?」 「小鳥遊さんならさっきまでお笑い番組見てたんだけど、急に具合を悪くしたみたいで部屋に引き上げてしまったよ」 「……具合を悪く?」 「天川君、わかっているとは思うけど……お見舞いになんて行ったら大問題だからね」 「わかってるよ。女子の階は男子侵入禁止だってんだろ」 「その通り」 「……さすがにそこまで無茶はしないって」  なんだろう、ホッとしてる自分がいるな。  なぜ安堵するんだ?  なんかヘンだな、今日の俺は。 「ちょうどいいや天川君、これファイルの拡張子を表示する設定ってどうするのだったっけ? 君の言うとおり、慣れたらやっぱり見えてる方がいいみたいで……」 「悪い、あとでな……」  頭の中が泥水のように濁って、ぐるぐる回ってる。  気持ち悪いな……。  今日はもう寝てしまおう……。 「天川君……?」  学校が終わるなり、すぐに寮に引き返してきた。  最初にやったのは、養護施設に電話することだった。  呼び出し音が続く。 「出てくれるなよ……」  そう念じながら待つ。 「……いや、なんでだよ」  確認したくて電話してんのに、どうして出るなって念じるんだ俺は。  ……うう、なんか中に知らない自分がいるみたいで気持ち悪いぞ。  俺の祈りも虚しく(?)、相手が電話に出てしまった。 「天川です、どうも」 「あの……ちょっと昔のことで伺いたいことがあって……ええとですね」  施設の人に、俺の失われた妹について質問をした。  死んだとか、行方不明とか、そういう曖昧な回答が来るものとばかり思っていた。 「え? 生きてる……?」  俺たちの両親は、幼いころ事故死した。  その後、児童養護施設に兄妹揃って入り、しばらくをそこで過ごしたが、それぞれ別の里親にもらわれていったのだと説明された。 「あの……じゃあ、その子の名前ってわかります? はい、俺、なんにも知らなかったみたいで……」  職員さんもしきりに不思議がっていたが、その場で調べて教えてくれた。 「…………えっ?」 「あ、あの、引き取られた後の名前って……」 「小鳥遊……夜々……」  高山に登った時のように、鼓膜がツンと鳴った。  ああ、俺は戦慄してるんだと思った。  何か得体の知れない出来事が、俺たちに起こっている。  頭に強い負荷がかかったみたいに目の前が暗くなった。 「……いえ、平気です。ありがとうございます。じゃあまた」  機械的に礼を告げ、電話を切る。 「……えと、なんだ……どうすんだ?」  確認はした。  その後にどう行動していいのかが、さっぱりわからない。  何もしたくない、という思いが強い。  いや考えてはいけないんだ今俺が知ったことは本来永遠に忘れていなければならなかったことで。  そうでないなら俺は夜々とセックスをしてしまったわけで全てがもう手遅れで手遅れで手遅れで。 「う、うわっ……わあっ!」  わけのわからない感情が、嘔吐みたいに喉元から溢れそうになった。  なんでもいいから思いっきり叫びたい。  放課後すぐのリビングに人はいない。  でも10分もしないうちに帰宅部組が帰ってくるだろう。  悲鳴を押し殺す。  ……部屋に戻るべきだ。 「なんなんだよ……!」  コレが錯乱するってことなのか……怖いもんなんだな、取り乱すのって。 「お兄ちゃん……」  そこに、幽鬼のように青ざめた夜々が立っていた。制服ではなく部屋着だ。 「……今日、学校休んだのか。そんな気はしてたんだけど」  かろうじてそれだけを口に出せた。 「お兄ちゃん……おかしいの……」  〈憔〉《しょう》〈悴〉《すい》した様子で夜々が口を開く。 「これ、おかしいの……私たち……おかしなことになってるかも知れないの」 「よせ、夜々……考えるな」 「でも……」 「考えるな……何も考えるな……」  無理なことはわかっている。  だけど、そうするしか……この呪いのような事実から、逃れる術はないのだ。 「……どうしたら……」 「…………」  答えられるはずもない。  俺からして、混乱の渦中にいるんだから。  ああ、だめだ。もう自分を誤魔化すことはできない。  俺は夜々と……関係を持ったんだ。この世で最高の快楽を得た。もの凄く相性が良いのだとうかれながら。  避妊さえしていなかった。  今思えば、なぜそんな無防備に好きあったのかわからない。  怖い。  今はすべてが怖い。  俺と夜々が、子供の頃に離ればなれになったほんとうの兄妹だったなんて。 「……」 「……」  眩暈にも似た衝撃の中、俺も夜々もまともに会話することはできなかった。  だけど言葉にすれば、ごく簡単なことなのだ。  そう……。  俺たちは、罪を犯した。  それだけなんだ。  放課後、30分も過ぎると、教室に居残る学生の姿もなくなった。  恋路橋も帰ってしまい、今俺は独りで考えにふけっている。  授業は全く頭に入らなかった。  終了までじりじりと過ぎる時間が、息苦しかった。  考え……もちろん夜々とのことだ。  俺と夜々は養護施設から里親にもらわれていった子供だ。  子供の頃、両親が事故死して家族は崩壊してしまったのだ。  残されたのは、俺と妹の夜々。  ふたりは養護施設に引き取られて、後にそれぞれ別の里親のところに別れ別れになってしまった。  それは恐らく、悲しむべき出来事だったはずだ。  なのだが、記憶がない。  つらかったとか悲しかったという思いが、まったく俺の中には浮かんでこない。  ぽっかりと抜けたように、その部分だけが欠落している。  しかも妹のことを今までほとんど思い返すことがなかった。  不自然すぎる。  記憶喪失の一種なのだろうか?  あるいはつらい記憶から逃れるため、自ら記憶を封印してしまったとでも言うのだろうか?  わからない……。  不思議なことはまだある。  夜々も、俺と同様に過去を曖昧に喪失していたようなのだ。  仮に記憶喪失なのだとして、ふたり同時に同じように記憶をなくすなんてことがあり得るのだろうか?  でもそうでなければ、夜々と再会してその相手がまったくわからないということはないはずなのだ。 「そうか……あの時、橋で最初に出会った時……つい声かけたのは……」  まだ俺が演劇に関わる前、直前。  高台から学校に向かう途中で、俺は夜々とすれ違ったのだった。  あの時、俺達は互いに懐かしさを感じて、つい昔していたように声をかけあった。  記憶は忘れていたのに、体には関係が染みついていたんだ。  そうだ……夜々が俺のことを慕ったのも、兄と呼びたがったのも、全て偶然なんかじゃなかったんだ。  俺たちは互いの名前まで忘れていながら、失ったものを取り戻すように惹かれあい、そして……結ばれるところまで行ってしまった。  この過ちは、まさに記憶がない故のものだ。 「少し、思い出してきたぞ……」  子供の頃、俺と夜々は仲が良い兄妹だった。  本当に仲〈睦〉《むつ》まじいふたりだった。  そのままの感情を兄妹という歯止めなく今の世代に持ち越してしまったから、恋愛感情に急激に転化してしまったんだ。  夜々……。  いつも俺のあとをついてきた夜々……。  遊びに行くときも一緒だった。  おかげで俺は男友達からいつもからかわれていたっけ。  でも一心に慕ってくる夜々を俺は突き放すことができなくて、つい甘やかしていた。  夜々は遊び方を知らない子だった。  当然だ。生来の人見知りで、友達が少なかったんだから。  俺と遊ぶ時だけは、夜々は一人遊びから解放されていた。  一人遊びといえば、あの気泡シート潰しも俺が夜々に教えたんだっけ。  最初、夜々はうまく潰せなくて、いじけてしまったこともあったっけ。  それにあのお菓子……タマボーロ。  偏食の夜々はお菓子もえり好みが激しいくせに俺との買い食いを望んで、少ない小遣いからいろいろ試してようやくあれに辿り着いたんだよな。  なんでだよ……。  なんで、今になって思い出すんだよ。  夜々が俺の別れ別れになった妹だなんて。どんな罠だよ。  妹だって忘れていたなら、好きにならないわけがないだろ。  もう行くトコまで行っちゃってさ……俺と夜々は、男女の関係になっちまったんだぞ?  バレたら退学どころの騒ぎじゃない。  俺たちの里親だって、今は眠っている両親だって、心の底から悲しむことだろう。  ……確かに、子供の頃の俺は、夜々のことを大事にしていた。  その感情は恋愛とそう変わりないものだったはずだ。  もし兄妹のまま夜々と結ばれることがあったとして。  自分たちで悩んだ末にそういう選択をするなら、まだいいさ……。  けど俺たちは知らずに踏み越えてしまった。  本来ならその前に、たくさんふたりで悩まないといけないはずなのに。  苦労なしで、結果だけ手に入れてしまった。  そういう意味でも、これは過ちと言えるんだ。  何もかもがおかしい。気持ち悪い。  どうする? これから、俺たちはどうやってやっていけばいい?  夜々と兄妹であることがわかった今、関係を一旦白紙にする……常識的には妥当な判断だけど、俺たちにそれができるのか?  互いに独りで悲しみとかつらさと相対することになるんだぞ?  じゃあ関係を続けるのか?  今はまだ、寮内でも俺たち以外誰もこの事実を知らない。  ああでも月姉は……危ないかもな。  ロケットの写真……あれはマジで俺だったんだろうな。  あれを見ても自分だと判断できなかった俺は、やはりおかしいんだろう。  別れるのか、続けるのか……どっちにしても楽な道じゃあないだろう。 「夜々の気持ちも考えないと……」  そうだ、夜々がこの件についてどう思って、どう結論を出すのか。  今すぐにはまとまらないだろうけど、後々そのあたりについても話し合っていかないといけない。  冷静にならないとな。  いろんなつらい事態に耐えていくために。  そして夜々が落ち着くまで、俺がしないといけないこと……それは原因究明だ。  この奇妙な出来事に、果たして説明がつけられるのかどうか。  そこをスッキリさせたい。  理由がはっきり見えてくれば、冷静でいられる気がする。 「けど……できるのか……俺に?」  ただの学生に過ぎない俺に。 「……ん」 「天川、まだ残ってたの?」 「あ、先生……」 「もう教室閉めるわよ?」 「あ、すいません。帰ります」  鞄を手に取る。 「小鳥遊とつきあってるんでしょ? 帰りは一緒じゃないの?」  先生はニコニコしている。  そうだ、先生なら書類を辿って俺と夜々が兄妹だったということを調べることは不可能じゃないはずだ。  里親が違うためカムフラージュされているだけで、俺たちの関係はいつ露見してもおかしくない。  早く解決してしまいたい……。  無理なこととはいえ、つくづくそう思う。 「つきあってませんよ、別に」 「あれれ? 嘘?」 「仲は良いんですけどね。気の合う下級生ってだけです。今の若者は複雑なんですよ」 「嘘ばっかり」  一応、予防線のつもりだったけど、信じてはくれないか。 「失礼します」 「あ、わかった。ケンカしたんでしょ?」  心ない質問は無視して、そのまま教室を出た。 「夜々のやつ、今日も学校休んでたのかな?」  悩んでいたせいで今日は人付き合いがおろそかになっていた。  だから誰がどこで何をしているのか、まったく知らないのだ。 「……あまり悩んでいるのも不自然だしな」  寮に戻ったら、ひとまずいつも通りに振る舞おう。  悩むだけなら笑顔の下でもできるんだ。俺まで落ち込んでたら、夜々の支えにはなってやれない。 「……よし」  景気づけに走って帰るか。ちょっと恥ずかしいけど。  門のそばに立っているのはシロツメさんだ。  そういやあの人も、久しぶりのご登場だな……。  相変わらず、ふわふわの笑顔を浮かべている。 「……どう見ても俺待ちだよな」  というか俺の方をじっと見ている。  あの人と話すとわけわからなくて疲れるんだけどな……よりによってこんな時に、人の精神削りに来なくてもいいだろうに。  とはいえ、門を抜けねば寮には帰れぬ。  歩み寄っていく。 (にこにこにこにこ……) 「…………」  どんどん近づいていく。  そして至近距離に接近したその時。 「わっ」 「…………」 「驚きましたか〜?」 「ええ、とても」  ごく冷静にそう言った。 「まあ。それはしてやったりですわ〜」 「でも人を脅かすつもりがあるなら、次からは物陰に隠れていた方がいいですよ」 「あらま〜」  理解してないんだろうなぁ……。 「で、今日は久しぶりの出没のようですけど……また紅茶ですか?」 「いただけますの〜?」 「いや、今日はもうラストオーダー過ぎましたんで」 「あら〜、残念ですわね」 「どうしても欲しいというのなら、帰りに缶の紅茶くらいごちそうしてあげられますけどね」 「いえいえ、それには及びませんわ。今日は別の用件がございまして」 「別の用件?」 「…………」  シロツメさんは笑顔のままだったが、雰囲気だけが変わっていた。  『私、真剣なんですよ〜』というオーラが放射されているのだ。 「祐真さん、あなたを私のお庭にご招待いたしたく」 「お庭? ご招待?」 「ええ。春がとどまり冬がまつわる私のお庭に」 「……どうしたんです、いきなり? だいたいシロツメさんってホームレスなんじゃ?」 「それはまたひどい誤解ですわね」 「だっていつも飲み物にも事欠くような有様だったじゃないですか」 「それは外界に出ているせいですの。私はこちら側では緑の力がないと活動できないものですから」 「わからないなぁ……とにかく、シロツメさんの家に招待してくれると言うんですか?」 「いいえ、お家ではなく、お庭です」 「?? どう違うと?」 「お家はありません。お庭だけですから」 「だからホームレスで合ってるじゃないですか」 「あら〜?」 「でも土地は持ってるんですね」 「はい」  聞けば聞くほど謎の人だ……。 「つまりホームレスはそうなんだけど、土地だけは持っている。半分だけホームレス……デミ・ホームレスとでも言うべき存在ですね、シロツメさんは」 「もうその話題は結構です〜」 「怒ったのなら怒った顔してくださいな」 「そんな難しいことできません」 「そうですか……」 「お受けしていただけますか?」 「お庭に……行けばいいんですか? 今日これから?」 「でも構わないのですが……夜々さんも一緒に連れてきていただきたいので、そうですね。明日でどうでしょう?」 「夜々も?」  なんで夜々が登場してくるんだ? 「いや……それはちょっと難しいかも知れない……」 「今、お困りのことがあるんじゃありません?」 「!!」 「記憶のことで、何か」 「……シロツメさん、何か知ってるんですか?」 「そういったお話をするためにも、是非この招待を受けていただきたいのです」 「…………」  考え込む。なんとも怪しい提案だ。  なぜかはわからないが、俺たちの事情に何かしら通じている節もある。  どうする?  今はどんなものにでも頼りたいという気持ちはある。  けど夜々を連れて行くのは……どうなんだ? 「……そのお庭というのはどこにあるんでしょう?」 「すぐ近くです」 「すぐ近く……この永郷市内ってことですかね?」 「……祐真さんはお忘れでしょうが、あなたは一度そこを訪れたことがあるのですよ」 「何ですって?」 「そこは、ガーデンと呼ばれております」 「……ガーデン……」 「まだあなたがずっと小さい頃でした」 「だから忘れた……?」 「いいえ、そうではないのですよ。ガーデンとはそういう性質の場所なのです」 「怖いな……そんなところに、夜々を連れて行くのは……俺はあなたのことをそんなに知らないし……」 「本来、そこは求める者だけが辿り着ける、秘められた場所なのです。こうして私がじかに招待することはルール違反……」 「ですから祐真さん、これは私の謝罪の気持ちのあらわれだと思っていただきたいのです」 「謝罪だって……?」 「事情をお話ししたいのです。どうか……お願いします」 「…………」  俺と夜々の記憶のこと、本当にこの人が関与しているのだろうか?  とにかくここまで言われてしまっては、確かめないわけにはいかない。 「わかりました……明日ですね?」 「はい、場所は……あのあたりです」  シロツメさんは山を指さす。 「……は?」 「ですから、あのあたりまで来て頂ければと」  雄大な山々を指さす。 「いや、住所は?」 「ございません」  完全にホームレスの水準。 「……どうやって辿り着けと?」 「あの高台を覚えておられますか?」 「最初に出会った……?」 「はい! あそこのベンチの裏から山道が続いていますけれど、まずはそちらまでいらしてください。あとは……そう迷うこともないでしょうから」 「待ってください。シロツメさんの土地って、山の中にあるんですか?」 「ある意味、そうなりますわね〜」 「……それ、ただ勝手に庭を造っちゃっただけなんじゃ……」 「ずっと昔から住んでおりますの」 「大丈夫かなあ……あの、近くまで行ったら迎えに来てくれるんですよね?」 「大丈夫ですわ」 「……は、はあ」 「では夜々さんも連れて、忘れずにいらしてくださいね。時間はいつでも結構ですけど、明るいうちの方が良いですわね」  時間いつでもいいって、そんなの有り得ない。 「いやいや、迎えに来てくれるんなら時間は決めましょうよ。ええと……明日の十時につくようにしますから」 「そうですか。わかりました、ではその時間にお待ちしております」  シロツメさんは優雅な仕草で首を垂れた。  普段はほわほわ(性格)でぱっつんぱっつん(お体)のイメージが強いのに、この時ばかりは高貴さが滲み出るようで少し驚いた。 「……あ、あれ?」  そしてシロツメさんの姿は、目の前にいたはずなのに瞬時に掻き消えていた。  わけがわからない人だ。  けど……あの人は俺が思っていたより、近しくて重要な存在だったのかも知れない。  全ては、明日だ!  翌日。土曜で授業は休み。  俺は夜々を連れ、ここ高台までやってきた。  時間は9時半。  ちゃんと迎えに来てもらえるなら、問題ない時間だろう。 「…………」  夜々の説得は、思ったよりずっと簡単だった。  自室にこもったままの夜々を訪ねると、混乱に神経をすり減らした顔ではあったが、ちゃんと対応してくれはしたんだから。  シロツメさんのことはあまり話さず、ただ記憶の混乱について謎が解けるかも知れない……とだけ持ちかけた。  それは夜々にとっても気になっていた部分だったようで、シロツメさんの招待にも二つ返事で同意してくれた。  ただ夜々も夜々なりに考え込んでいたようで、道中楽しく談笑しながらというわけにもいかなかった。 「で、あっちの道か」  公園と隣接するのは、山々と豊かな自然だ。  一般の人が入らないよう注意書きがあちらこちらにあるが、向かおうと思えば特に苦労することなく山中に入れる。  もともとそう険しい自然でもないが、冬場などに迷い込めば危険かも知れない。 「…………」  夜々は俺が山道の方に向かっても、さほど怪訝な顔はしなかった。  それどころではないのかも知れない。  ともかくふたりで道なりに進んでいく。 「やっぱりこの辺りだと、結構冷えるな」 「……うん」  返事にも元気がないのは、まあ仕方ないことだった。 「……で、こっちだな」  山道をどんどん進むうち、さすがに不安に思ったのか、夜々が立ち止まった。 「あの……道、大丈夫ですか?」  夜々は俺のことを『お兄ちゃん』とは呼ばなくなった。 「大丈夫だと思うよ。なんとなく記憶してるし」 「記憶……?」  そうか、俺がシロツメさんの庭に来たことがあるって夜々には話していなかったっけ。 「って待て」 「??」  俺だってシロツメさんに聞かされて、はじめてお庭とやらのことを知ったのに。  なぜ、こんな道順を克明に記憶できているんだ? 「そうか……記憶は……モザイク状に忘れたり忘れてなかったりしてるんだ」 「え?」 「やっぱり俺たちはおかしな現象にとらわれてるってことだ」 「……私たちが? その……おかしな現象っていうのは……」 「俺もわからない。ただそれは……とても不可思議なものらしい」 「……冷静、だよね?」 「怖いか? 俺がおかしくなっちゃったとか思ってる?」 「そういうんじゃないけど……」 「実際、どこに行けばいいのかなんとなくわかるんだ。記憶が甦ってきているというのもあるんだろうけど」  恐らくその力は、関連する一切の記憶を奪うのではなく、最低限のキーワードだけを封じるものなんじゃないかと思ってる。  夜々やシロツメさんのお庭に行った記憶はなくしていたのに、道順はまるで昨日通ったかのように真新しい。 「…………」 「もし危険そうだったら引き返そう。けどもうちょっとだけ付き合って欲しい」 「……わかった」  夜々は少しだけためらって……。 「……お兄ちゃんを、信じる」  そう、呼んでくれるのか……。 「……はは」  なんだか、嬉しい。  この勢いで、失ったものを取り戻せるかも知れないという気分にもなってくる。 「行こう。もうすぐそこだ」  歩を進める。  そう、確かもうすぐだ。  もうすぐ、あれが起こる――。  俺たちは奥へ奥へと進んだ。  そして、それは起こった。  突然、目の前が暗くなったかと思いきや、次には一気に光が溢れて……そして。 「……っ!?」 「…………え?」  俺たちは、そこに立っていた。 「……本当に、来れた……」 「え? ええっ? なに、これ……ここって……」 「お庭……か」  明らかに、今までいた場所と地続きの世界じゃない。  地の果てまでも続く緑の原。  空に渡された緑の蔦のようなもの。  冷たいような暖かいような風が、止まることなくゆるりと吹き流れている。 「こんなことって……今まで山道にいたのに……」 「クローバー、か」  足下には一面のクローバー。 「これ……全部四つ葉なんだ……」  夜々の言うとおり、足下のクローバーは全て四つ葉だった。  普通の三つ葉のものがひとつもない。  見渡す限りの、四つ葉の庭。  ガーデン――  ああ、そんな話を聞いたことがある。  永郷に住む女の子たちの好むおとぎ話……クローバーガーデン。 「ど、どうするのお兄ちゃん?」  夜々が俺の腕を抱きしめる。  昨日今日と体の接触は避けていたようだったが、不安に負けたらしい。  この反応を見る限り夜々には……ガーデンの記憶がない? 「……ようこそいらっしゃいました」 「シロツメさん……」 「あ、あなた……学校にいた……!」 「小鳥遊夜々さん、ごきげんよう」 「…………誰……なの?」 「シロツメさん、話してくれるんですよね。俺たちの身に起きた出来事を」 「ええ、そのつもりです」 「どういうことなの?」 「俺や夜々の上に起きた記憶の混乱……それは、どうやらこの不思議な場所に関わることらしいんだ」  夜々は困惑だけを顔に浮かべた。  もっとも俺のも推測に過ぎない。まだ記憶はモザイクのままで、全てを思い出せたわけじゃないんだ。  俺がシロツメさんを見つめると、夜々の視線もそれにならった。  ふたり分の注目を受け、シロツメさんは謡うように話しはじめた。 「ここは私のお庭……クローバー・ガーデン」 「ここはどこでもない場所。人の手が届かず、人の足では決して辿り着けない場所」 「ここに来ることができるのは……強い願いを持った人間だけ。それもとりわけ純粋で、迷いのない想いでなければならない……」 「そんな、選ばれた方だけが辿り着くことのできる場所なのです」 「来訪された方は、この無数のクローバーの中から一本だけ持ち帰ることができる……」 「元の世界に戻り、そのクローバーに想いの丈を込めたとき……願いは成就するのです」 「ここは奇跡の断片であるクローバーを、本当に必要としている方にお渡しするために存在する……私の大切なお庭」 「クローバーガーデンにようこそ、祐真さん、夜々さん」 「……願いを叶えるクローバー。これが全て」 「何、言ってるの……?」 「ただし叶えられる願いは一本につきひとつのみ。そして一人が得ることのできるクローバーも一本のみ」 「さらにガーデンを訪れた方は、出ると同時にここでの記憶を全て失います。願いを実現するクローバーのこと以外の、全てを」 「ん、待ってくださいよ。それは……じゃあ、ここの記憶があるってことは俺は……?」 「はい、あなたが過去、ガーデンを訪れたことがあるというのはそういうことです」  俺がここに来た?  そして願いを叶えるクローバーを渡されて……それを使った? 「また夜々さん。あなたもここにやって来たことがあります」 「ええっ?」 「昔、まだあなたがたが幼い頃の出来事です」  懐かしむように目を閉じる。 「俺たちが……そろってここに……」 「ガーデンでの出来事には、当然私との会話も含まれます。ですから祐真さんや夜々さんが私の姿を見ても思い出せないのは、そういうことなのです」 「つまりシロツメさんは……」 「はい、この庭の主……とでも申しましょうか」  そうだったのか……。  お世辞にも納得できる話ではないけど……今の俺には、雪が水を吸うように理解できる。 「人の世から外れた場所に住む私の姿は、外界でも隠されます。ですがクローバーを手にしたことのある方にだけは、見通すことができるようになるのですね」  それで俺たちだけがシロツメさんの姿を目撃することができたのか。 「す、すてるす機能というやつですわね」 「無理に現代的解釈しないでもいいですよ……わかるから」 「……しかしまあ、願いを叶えるクローバーってのが本当にあったとはね」 「うふふ、今度は、ちゃんと驚いてくださいましたか?」 「……ええ、シャレ抜きで、驚きましたよ」 「しかし本当にお話しなければならないのは、ガーデンのことではありませんの。あなたがたの上に起こった出来事……それについて、私は謝らなければならない……」  来た……。 「……お兄ちゃん」  夜々はすっかり緊張に呑まれている。  俺は夜々の肩を抱いて、そばに引き寄せた。 「父と母、そして兄と妹……それがあなたたちの家族でした」 「幸福な家族の暮らしは、ご両親が事故で亡くなったことで一変してしまいました」 「ご両親は双方ともに親族がいなかったため、そのお子さんであるあなた方は施設に引き取られることになったのですね」 「兄妹は悲しみに打ちひしがれ、もし兄妹のどちらかが欠けていたら二度と抜け出せない心の病を患うことになったかも知れません」  施設での暮らしにはいい思い出がない。  虐待とかそういうネガティブな環境だったわけではない。  良心的な職員さんや孤児仲間たちには恵まれていたと思う。  ただ、俺と夜々がそれ以前に受けた傷があまりにも深すぎた。それだけだ。  そう……ふたりでいても、俺たちはなお弱かった。 「……そのこともあって、おふたりの絆はとても強いものになったのでしょうね」 「…………」 「でも結果として、ふたりはそれぞれ別の里親に引き取られていくことになったわけです」  そう……そこだ。  俺と夜々は、兄妹がいることだけを記憶していながら、互いの顔と名前、そして別離のことをまったく覚えていなかった。  いや、忘れていたというより、決して意識がそちらに向かないようロックされていたのかも知れない。  だから再会した兄妹の顔が判別できないという矛盾が起きたんだ。  そして俺と夜々がここを訪れたことがあるという事実……それはすなわち……。 「悲しんだ夜々さんは、その想いの純粋さゆえにガーデンへと迷い込んだのです」 「……私が」 「よほどお兄さんと別れたくなかったのでしょうね。あなたはここでクローバーを手に入れ、願い事が叶うということを私から聞かされると……すぐに望みをかけました」 「ふたりが、別れずに済むように願いを……?」 「いいえ。その願いは成立しませんでした」 「どうして?」 「クローバーも万能ではないのです。奇跡のひとかけら、それはごく限定されたものでしかありません」 「大きすぎる願い、非現実的な願い、他人を害する願いなど、クローバーの力でも実現できないことはたくさんあります」 「……兄妹の別れを取り消すのはできないと?」 「夜々さんは最初、そのことを願いましたが……受理されることはなかったようです」 「なら私はどんな願いをしたって言うんです?」 「夜々さんの願い……それは別れが〈免〉《まぬが》れることのできないものであるなら、兄妹ふたりがお互いのことを忘れてしまうように、というものでした」 「なんだって!?」 「……忘れる……互いに……」 「両親に先立たれ、その上、唯一の肉親とも引き離されてしまう……そんなつらい記憶を抱えたまま生きることを拒んだのですね」 「……でも確かにそれなら……俺たちの状態も説明ができますね」  夜々の願いで、俺たちは記憶を失ったのか。 「私の……せい?」  夜々の声が震える。肩も。 「子供の判断だよ、夜々。気にしたらいけない」 「でも……夜々がそんなことを願っていなかったら……私とお兄ちゃんは……」 「それほど精神的に追いつめられていたんですよ、当時のあなたは」 「そうだ。つらいことに立ち向かう術を知らないから子供なんだ。だから夜々が悪いとか、そういう話じゃないんだ」 「お兄ちゃん……!」  こんな震えて……可哀想に。  やっぱり夜々には俺が必要なんだ。  子供の頃は守る力もなかったし俺も弱かったけど……今は、昔よりはずっとマシになってるはずだ。 「……問題はそれだけではないのです」  シロツメさんの声は、どんどん重みを増していく。  いつもの陽気な態度は完全になりをひそめてしまった。 「まだ、何か?」 「お忘れですか? 祐真さん、あなたも私の姿を見ることができます」 「俺も……ここに来たんでしたっけ……あ、じゃあ願いを?」 「はい。あなたも同時期、夜々さんよりほんの少し遅れて、クローバーを手になさいました」 「お兄ちゃんは、どんな願いを?」 「……っ」 「……祐真さんは、夜々さんが悲しい思いをしないように、と願いをかけたのです」 「そうですか……」  だろうな。当時の俺が願うとしたら、そのくらいだろうな。 『兄妹が互いのことを忘れる』 『夜々が悲しい思いをしない』  しかし、このふたつの願いは、俺たちの上にどう作用したんだろう?  そんな疑問を読み取ったかのごとく、シロツメさんは言葉を継いだ。 「願いは競合してしまいました」 「まず夜々さんの願いが成就し……互いについての記憶を失いました」 「しかしその時点で夜々さんの悲しみは解決されてしまったため、祐真さんの願いは宙に浮く形になってしまったのです」 「無効になったと?」 「いいえ……悲しい思いをしない、という願い方ですから効果は継続しています」 「……そんなことがあるのか」 「クローバーは願いを叶えた瞬間に三つ葉に戻るようになっています。そして祐真さんのクローバーはまだ四葉のままです」 「シロツメさんは、そういうことがわかるんですか?」 「クローバーは私自身の力の末端でもあります。ごく曖昧にしかわかりませんが、誰によって摘み取られ、どんな願いを受け、どういう状態にあるのかくらいは感じ取れるのです」 「夜々のは三つ葉になったの?」 「ええ、あなたの願いは受理されましたから」 「俺、クローバーなんて持ってないけど……」 「祐真さんは、クローバーを確かに使いました。未解決のクローバーは、まだどこかに存在しています」 「……その場所までは残念ながら私にはわかりませんけれど」 「とにかく願いが解決されないままという出来事も初めての事でして。ガーデンも万能なものではないのです。一歩間違えれば人生を崩壊させてしまうこともあるかも知れません」 「それで俺たちの前にちょくちょく姿を見せていたんですか?」 「はい。ただそれだけではなく、あなた方が出会い、再び絆を取り戻した事も私にとっても喜ばしい事でした」 「いくら心が壊れる寸前だったとはいえ、互いの存在をなかった事にするのは……悲しい事ですから」 「そうだったんですか」 「でも……」 「わかっています。私も考えが及びませんでしたが……まさか、事実の忘却によっておふたりが恋愛関係にまで発展してしまうとは……思いませんでした」 「想像以上に、互いを強く思っていた兄妹だったのですね」 「……それで謝罪したいと言っていたんですね」 「はい……大変申し訳御座いません……」  深々と頭を下げた。 「シロツメさんには悪いけど、奇跡の力を使って問題を解決しようってのが、そもそもの間違いだったのかも知れませんね」 「…………」  シロツメさんはひどく寂しそうに微笑んだ。 「……まあ、俺もクローバーを使ってしまったようなので……シロツメさんを責めるつもりはないです」  使った当時の心境はぼやけすぎてとても思い出せないけど……。 「祐真さん……」 「実際、俺たちは難しい状況に立ってしまったので。けど……今度こそは、ちゃんと夜々のそばにいてやりたいと思います」 「……お兄ちゃん」 「これからどう夜々と向き合っていったらいいのかわからないし、夜々も同じような気持ちだろうけど……そうするべきなんだ」 「その件についてですが……実は、お詫びも兼ねてひとつご提案がありまして」 「何でしょう?」 「あなたと、夜々さんとの間にあった……出来事を……特例として忘れさせてあげることができるのですが」  俺は顔をしかめた。  出来事、というのはまあ、アレのことだろうな。 「……それも、シロツメさんの力か何かでわかったことですか?」  まさかとは思うが、フルピーピング状態なのか?  さすがにそれは看過できないんだけど……。 「いいえ、これは純粋に女のカンでして」  す、鋭い……。普段はこんなぽよんぽわんなのに……。 「記憶を封じていた奇跡の力が霧散してしまったことだけは私の方でも感じ取りました。クローバーの力を上回るほどの葛藤が発生したということですから……あとは妄想で」 「妄想……」 「本来ならクローバーの奇跡は一人につき一度だけ。ですが今回は特例ということで……いかがなさいます?」 「夜々、ということらしいけど、どうする?」 「え? どうするって……どうしたら?」 「俺たちが結ばれたこと、もう一度忘れさせてくれるんだって」 「……そうしたら、どうなるの?」 「あなたがたが兄妹である記憶はそのまま残りますから、今度こそ純粋な家族としての絆を取り戻すことができるはずです」 「昔、別々の家にもらわれていく時になくした、本来の関係に戻れるんだ」 「…………」 「夜々はどうしたい?」 「……私の……気持ちは……」  夜々は俺の胸元に額を押しつけ、黙り込んでしまう。 「じゃあ俺の意見を聞いてくれるか?」 「……うん」 「記憶は……このままで行く」 「消さないの?」 「ああ、消さない。今度は、消さない」  つらくても踏みとどまっていった方が、最終的には納得できるはずなんだ。 「……自分の中に、自力で触れることのできない場所があるのは気持ち悪い。それに今記憶を消したら、また逃げることになる」 「つらくても、今度のことは事故みたいなものだし……ちゃんと受け入れて、それで考えていった方がいいと思うんだ」 「…………」 「もちろん、ふたりでな?」 「……うん、そうだね」 「それにね……夜々も……忘れるのイヤ」 「夜々も、このままがいい」 「よし……」  シロツメさんの方を見る。 「今回は、お気持ちだけいただくことにします」 「本当に、それでよろしいのですね?」 「はい」  シロツメさんは、柔らかく笑った。 「あなたは本当に、大きくなったのですね」 「多少マシになっただけですよ」 「それも、今の親から愛情を注がれたり、月姉に鍛えられたり、桜井先輩からいろいろなことを学ばせてもらったり、雪乃先生を反面教師にしたり……」 「いろんな経験があってのことでしょうし」 「……夜々さんが少し羨ましいです」 「自慢の……お兄ちゃんですから」 「そのようですね」 「……わかりました。あとは、あなた方にお任せします」 「また特別なことですが、ここでの記憶もそのままにしてお帰りいただくことにします」 「シロツメさん……ありがとうございます」 「いいえ、私は何もお礼を言われるようなことはしておりませんから」 「それでは……庭を閉じることに致しましょう。あなたたちのこれからの足取りが、力強いものでありますように」  次の瞬間、俺たちが立っていたのは公園だった。 「……………………おわっ! 不思議っ!?」 「びっくり」  アンビリーバブル体験。 「ガーデンが閉じるってこういうことなのか……すごいな」 「夜になってるね」 「うおっ、本当だ? ウラシマ効果ってやつか?」 「違うと思うよ、お兄ちゃん!」  良かった。夜々、顔色良くなってる。  いろいろなことが解決して、方針も決まって、俺もスッキリしたし。 「あー、まあいいか。休み一日くらいは、不思議体験の代償だよな」 「……それに、いろいろ解決したもんね?」 「ああ、そうだな」  これからのことは、また改めて話し合っていくとして。 「あのね、なんだか昔の記憶が、ちょっとずつ戻ってきてるみたいなの」 「夜々もなのか? 俺もいっぺんにではないけど、ちょっとずつ別れる前後の記憶が鮮明になってきてる気がするんだよな」  時間が経てば、いずれクローバーの力で失った記憶は全て取り戻せるんだろうな。  よしよし、なんだかいい風向きだぞ。 「シロツメさん、お世話になりました」 「いえいえ〜」  背後にいた。 「どわあっ!?」 「きゃー!」 「なっなっなっどっどっどっ!?(なんでどうして!?)」 「ひとつ言い忘れていたことが〜」 「あの幻想的な別れはなんだったのかってくらい味気ない再登場ですね」 「祐真さんのクローバーの件なんですが」  あ、そっちが残ってたか! 「えーと、俺の願いはまだ未解決のままなんでしたっけ?」 「ええ、夜々さんが悲しまないようにするというものですが……」 「実はこれ、曖昧すぎてほとんど効力のない願いでして」 「……まあ、解釈の幅が広すぎて、クローバーも何していいのかわからんでしょうしね」 「はい。悲しい思いをしない……と申しましても、実際クローバー側もそう大きな力は持たないわけですから。はっきり申し上げて、お守り程度の御利益しかありません」 「なるほど」 「クローバーの方で、どのような悲しい気持ちに反応するかは私にもわかりません」 「小さな悲しみを軽減し続ければ、いつかはクローバーが力を使い果たして消滅することになるでしょう」 「そっちについては、特に対処しないでも平気ってことですね」 「はい、その通りです」 「夜々はどう思う?」 「お兄ちゃんのお守り……いいかも。このままで」 「……うーん、悲しみも人生の一部として受け止めるってのが理想なんだし、本当だったらズルせずキャンセルすべきなんだろうけど……」 「ま、これについては無理そうなんで放置でいいですよ」 「わかりました。お知らせは以上です。それではそれでは〜」  まばたきの隙に消えてるし。 「……やれやれ。最後までわけわからんノリだったな」 「ねえ、お兄ちゃん……」 「ん?」 「私とお兄ちゃんは、兄妹なんだよね?」 「ああ、そうだ」  今はもう、迷いなくそう言える。 「……だけど、あんなことになっちゃったね」 「そうだね、やっちまったというかなんというか」 「……私、お兄ちゃんのこと、昔から好きだったの」 「うん、俺も夜々が好きだよ」 「……これから、どうしよう?」 「うーん……そうだなぁ。まあとりあえず記憶回復おめでとうってことで、そこは素直に喜んでいいと思う」 「……その、あとは?」 「お互いに、冷静に整理する時間が必要だな」 「そのあとは?」 「話し合う」 「その話し合いでは、どんな結論が出るの?」 「話し合い次第だろうけどさ。夜々は、どう思う?」 「……お兄ちゃんに質問してるんだよ?」 「俺は……」 「セックス、しちゃってる。夜々たち、もう」 「どうしてそういうことになったの?」 「……そりゃ、互いに惹かれたからで」 「好きって、ことだよね?」 「それは間違いないよ」 「家族としてじゃない。異性として好きってことだよ?」 「うーん、そういうことになるね……」 「記憶が戻っても、夜々のその気持ちは消えないと思う……こういうことになっちゃったら、なおさらだよ」 「だから、冷静になる時間を置いて……」 「置いても変わらない」  ぴしゃりと言われてしまう。 「……それって、お兄ちゃんが心の整理をするための時間なんじゃない?」 「夜々の心はもう決まってるみたいな言い方だな」 「決まってるよ」 「つまり……異性として」 「当たり前じゃない」 「うーん……それはなぁ……実際問題……」 「健全なおつきあいがそんなに大事?」 「え?」 「お兄ちゃん、そればっかり気にしてるみたい」 「別に、不健全だっていいよ……どうせ、クローバーとかいろいろやっちゃってるんだし……夜々たちの人生、もうおかしいんだよ」  とても強気な女の子です……。 「今から取りつくろったって健全になんてなれないよ。ううん、そもそもなりたいだなんて思ってない」 「夜々は、今でもお兄ちゃんのこと好きなままだから!」 「ちょっと落ち着こう。少し声が大きいよ」  落ち着かせようと肩に手をかけると、振り払われる。 「……そんな触り方しないで!」 「な、なんだよ? 触り方って?」 「そんな、家族にするみたいな触り方しないで!」 「……!」 「お兄ちゃん、罪が怖いんだよね。だから兄妹としてやり直そうとしてるんだよね。でもね……夜々、怖くないんだ、それ」 「だから私、続けるよ?」 「いや、兄妹でつきあっても結婚できないんだぞ? 幸せになるのって難しいと思うんだけど……」 「本気で……言ってるの……それ?」 「…………」  どうだろう。  問われて、深く思考の根をおろしてみると、存外複雑な感情が理性の底で蠢いていることがわかった。  そこには夜々の言う通りの、罪に対する怯えみたいなものもあった。  健全でいるに越したことはない。  あやまちはあったのは仕方ないにしても、これからちゃんとした兄妹になれれば……と。  だけど俺は、これから夜々と結ばれないで過ごす日々について、まるで正視せずにそれらの答えを出している。  寮での暮らしは周囲の目があるから、夜々の関係をこらえる理由付けになるんだ。  だからこんなドライな考え方ができるのかも知れない。今はまだ。 「……正直に言えば……夜々のことは異性としても好きだけどね」 「じゃあ、ね?」  俺の腰に、横合いから腕を回す。  その仕草は完全に恋人のもので、わずかな性を意識させる。 「……いやー……それ……まずいって……」 「まずくないよ」 「だからさ……冷却期間を置いても……」 「いらないよ」 「背徳感がさー」 「レッツ背徳」  な、何ぃぃぃっ!?  夜々の意思は、どうやらかなり固いようだ。  つまり夜々は、兄妹である俺との間で、これから恋人としてもつきあっていくことを望んでいるということじゃないか。  まとわりつかれて頭をこすりつけられて、でも俺は何も反応できずにいた。  翌日曜の夜になった。  何もしていなかったわけじゃない。  昨日、あんなことがあってから一日……それなりに忙しく過ごした。  ……そう、俺の日曜日は逃走に明け暮れることで終わったようなものだ。 「疲れたあ……」  夜々に一日、追いかけ回された。  たとえば食堂では隣に密着して座し、そのまま食後の世話を焼こうとする。  当然、それだけでは済まない。  トレイの片づけやお茶汲みは言うに及ばず、口元の汚れを舐め取ろうとするに至って、もはや俺は緊急脱出をするしかなくなった。  夜々の恐ろしいところは、人の目をまったく気にしないところだ。  けどそんな赤裸々なつきあいをしていたら、あっという間に周囲から勘ぐられてしまうし、下手をすれば問題にもなるはずだ。  問題になるくらいだったらいい。  調べられでもして、俺と夜々の過去が洗い出されてしまったら……双方の親までも巻き込んだ騒動になってしまう可能性だってある。  寮では普通にしてくれと言ってもまるで聞いてはくれない。  周囲にかたくなに壁を作ってきた夜々だけど、そのエネルギーが今はそっくり愛情表現に注ぎ込まれている。  外野は関係ない。 「厄介だ……」  そりゃ俺だって夜々のことは異性として好きだし、問題がなければ交際していきたい。  覚悟ができているなら、兄妹であることを割り切って付き合うのもいい。  けどそれにしても、一度じっくり考える期間っていると思う。  ここでズルズルと意固地に関係を維持するのって、冷静な判断じゃないと思うんだけど……。  ということを夜々に言ったのだけど。 「……人を好きになるのに、冷静になんてなれない」  まあそりゃごもっともです……。  そんな理由で、俺はとりあえず自衛精神を発揮。  寮生の目があるところでは夜々との密着(接触とは言わない)を避けているのだった。  食堂以外でも危険地帯はある。  まずリビングだ。ここでくつろいでいると、十中八九、夜々が出没する。  どういうカンの良さなんだと叫びたくなる。  一定時間ごとに巡回しているのかも知れない。  どんな理由があっても、寮内ディープキスは御法度だろう、普通……。  他の寮内カップルを見たって、そんなあからさまにやってる連中はいないんだし。  あと自室。  特に日中の自室にいると、夜々は確実に尋ねてくる。  不在時はそのまま引き上げるらしいのだが、居留守を使うとなぜかその後10分おきにやってきてノック連打する。  まあほぼ確実に居留守はバレているということだろう。  これも周囲に『私たちつきあってますよー』と公言するようなものだ。  結局、日中は街に出かけるしかなかった。  それでも携帯はガンガンにかかってきたので、夕方になって寮に戻る前に出てみると、案の定……。 「そこどこですか? 今から行きます」  などとのたまった。  昨日のことがあってか、夜々は妙に俺に接近したがっている気がした。  夕食が終わり、風呂に入り……ようやく消灯時間がやってきてくれたのだ。 「こんなに夜が恋しいと思った日はないな……」  時間的にはまだ少し早いが、眠気が強まっているのでぐっすり眠れそうだった。  ということで、そろそろ休むか。  夜々との関係、ちゃんと話し合っていかないとなぁ。 「……ううん」  微妙に寝苦しいな。  音がした。ドアが開く時の、金具の音。  誰かが室内に入ってきたのか?  そんなことをしそうな人間……ああ、一人心当たりがある……。  その人物は、息も足音も殺して、そろりそろりと俺の方に忍び寄ってきた。 「…………」  近くにいる……。  どうすべきだろうか?  今ここで捕獲は可能だけど……できることなら、眠ったままやり過ごしたいところだ。  ううむ。よし、決めた。  相手の出方を見よう。  顔を見ただけで引き上げてくれるかも知れない。 「……はぁ」  侵入者が顔を寄せる。吐息が熱く濁って、体内の熱情を予感させた。  やばいかもな……。 「……おにいちゃん……好き……」  やっぱり夜々だったぁ……。 「んん……」  キスされてしまった。  体が強ばりかけるが、実は起きていることがバレると厄介だ。  されるがままにしておく。 「んん……ぺろっ……ちゅ……」  こっちの意識がないと思っているのか、最初は触れる程度だったキスが、次第に大胆なものに変わっていく。 「んんんっ、ん、あむっ、れろ」  舌を突っ込んできた。  つい応じそうになるが、理性の力でマグロ状態を保つ。  夜々の舌が、口内を舐め回す。  歯茎をていねいに味わうと、次は奥で横たわっているこちらの舌を巻き取ろうとする。  が、うまく行かない。  舌、短いんだなぁ……夜々。 「んん……」  夜々はより深く、唇を縦横に噛み合わせるようにして、再び舌を差し入れてきた。  口内をべろべろ舐められる。  ぐぅ、気持ちいい……。  何げにちょっとうまくなっているじゃないか。 「ちゅ、ん、んん、ちゅる……んむむ……あむ……はぁっ」  けど奥までは自由にできないと知り、夜々は愛撫を変更した。  歯茎と唇の間にある溝……そこに舌を挿入して、左右になぞりはじめた。 「んむ、あむ……ん……」  そこはかなりの性感帯だったようで、されている間中、脳がぐんにゃりと溶けていく錯覚を覚えた。  唇の裏に潜った舌を小刻みに動かされると、得体の知れない愉悦が全身に波紋となって広がっていった。  さんざん上側をこそいだ後は、下唇の溝にも移動した。  溝に反って左右に頭を振る。サラサラとした頭髪が、俺の鼻柱あたりを何度も掃いた。  まずい……これを続けられるとキスだけで勃ってしまいそうだ……どうか適当なところでやめて欲しい。  祈りも虚しく、夜々はその愛撫を延々と続けた。  生殺しの快楽……。 「……うあぁ……」  口が解放されると、情けない話だが喘ぎ声が漏れた。 「……ん……お兄ちゃんに……夜々の……飲ませる……の……」  うわあっ、唾液を流し込んできた!?  ツルツルとした夜々の体液が大量に流し込まれた。 「ん……んん……っ」  ちょっと抵抗があったが、窒息したくなければ飲むしかなかった。  自分のものとは異なる、夜々独特の味がした。 「……あ」  次に夜々が目をつけたのは股間だ。  やはりそこに目が行ったか。  バキバキになっちゃってるしね……。 「……おっきい……キスしか、してないのに……」  夜々の声は震えている。  だけど怯えているのではなく、興奮している感じだった。 「お兄ちゃんの、せいだから」  夜々の手が、パジャマの下を下着ごとずりおろしていく。 「お兄ちゃんが夜々のこと避けるから……」  布地が剛直の先でひっかかって止まる。 「……キスだけで、こんなおっきくするから……悪いんだよ……」  力をこめて一気に引き下ろすと、解放されたペニスがバネのように揺れた。  普通、俺が起きることを警戒したらビクビクになるはずだけど……なんかもう関係ないみたい……。 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……夜々、今からこれ、食べちゃうね?」  片手で亀頭を転がされ、そう耳元で囁かれる。  まさか、フェラチオをする気か……?  あの夜々がそんなことを知っていたなんて……。  いや、桜井先輩も言っていたな。 「フェラチオなんて今どきは小三でも知ってるよ。ネット全盛期だからね」  聞いた時には暗たんとした気分になったものだけど。  性の乱れってこういうことか。 「……っ」 「べちょべちょに、しちゃうから」  なんかこの夜々ちょっと怖いです……! 「行くよ……」  俺の股間に、夜々の小柄な体が滑りこむ気配がした。  ダメだ……もう完全にイタす気で来ている……夜這いモードだ。 「……既成事実」  そんな物騒なことを呟いて、夜々は陰茎に口付けた。  俺は薄目を開いて、いつになくみだらな妹の姿を盗み見た。  潤い豊かな唇の、もっとも肉厚な部分を亀頭に押しつける。  そのまま首を傾げるような動きをつけて、全体まんべんなく接吻する。 「んんっ……ん……ん……」  もうその時点でかなり気持ちがいい。  自然と肛門が締まる。  力みは括約筋を通じてペニスにも通り、強ばりがいっそう増す。 「……かたく、なった……!」 「やっぱり、お兄ちゃん、えっちだ……」  そりゃそうだろう……俺の年代でえっちじゃないヤツがいるもんか。 「……えっちだから……夜々も、えっちなこと、するの……!」  目が怖い。 「あん……あむ……」 「っ!」  軽く含まれた。  口内のぬるさにじんわりと包まれる。 (歯が……ちょっと……)  夜々は噛まないように注意していたが、それでもときたま当たる歯は、想像していたよりずっとチクチクとした。 「んん……ん……」  さらにもう少しだけ奥まで啜る。  吸飲の負荷が、俺の腰にかすかな危機感をもたらした。 (吸われると……いいんだな……)  まだ未知の快楽が隠されているようで、俺は期待に震えた。 「……ん……んっ……んくっ……」  夜々はさらに限界近くまで頭を押し出す。  俺の陰毛が鼻先をくすぐるまで夜々の顔は股間に埋められる。  けどそれでも、ペニスを根本までくわえることはできていない。  夜々は限界まで呑みこんだ状態で、苦しげに鼻呼吸を繰り返した。 「……ん……んぁ……ぷは」  一度吐き出す。  口元をぬぐって、もう一度挑戦する。 「んん……ん……あむ……んむむ……」  ゆっくり進んで、ゆっくり戻る。  ただそれだけの口唇愛撫を幾度か繰り返した末、夜々はこのアプローチを諦めた。 「……難しい」  そりゃなぁ……。  夜々は両手でペニスを握り、神様に懺悔するようなポーズ。 「射精……」  もちろん出ない。 「むう……」  夜々がくわえてきたことはショックで興奮したけど、肉体の快楽度はそう高いものでもなかったからな。 「じゃあ……こうすれば……んっ」  ぶつぶつ呟きながら、舌で竿を舐め上げる。 「……くっ」 「……あ……感じた?」  ツボに入る刺激を受けると、どうしても腰が跳ねてしまう。 「なら……」  片手で根本を持ち、ちょうど裏筋のあたりをぺろりと舐める。 「ん……ここが、感じるの……?」  夜々は執拗に、裏筋だけを舐め続ける。  舌の助走距離は徐々に長くなり、じきに根本からてっぺんまでを舌が往復するようになる。 「うう……っ」  丹念に舐められるのは気持ちいい。  刺激が竿全体を包む完全なものではなく、もどかしさがあるのもいい。 「れろ……んん……んむっ……」  夜々も次第にコツを呑みこんできて、舐めるだけではなく横に加えて上下に動かしたり、唇をつけて左右にこすりつけたりと、いろいろな工夫をするようになった。  俺の反応を見ながら、良さそうな方法だけを取り込んでいく。 「さきっちょと……うら……が弱い……」  あの夜々が、男の生理に精通していくなんて……。 「……射精……は?」  もちろんまだ出ない。  快楽は蓄積されていってはいるが、射精をもたらすほどのスパートには繋がらない。 「ぴくぴくしてるのに……」  手で握って、上下にしごきだした。突然の手コキ、目蓋の裏に星が散る。 「うあっ……くっ……!」 「!!」  俺の反応に驚いてか、夜々もまた動きを止めた。  そして手元を見つめて、納得したように呟く。 「……こういう刺激で……そうなんだ……」 「なら……やっぱり……」  てろりと舌を出して、亀頭をその上に乗せ、口内に引き込む。 「……うう」  なんか、すごいの来そう……。 「ん……んん……んんんっ!!」  唇で陰茎をすっぽり包み、思いっきり吸い立てた。 「うわ、あ、あ……」  ダメだ、声はもう殺せない。 「んっく……んっ……んっ……じゅぼっ、じゅるるっ!」 「うく……い……っ」  さんざんいじったあとのリトライだけに、先ほどの口淫と比べると何倍もの刺激がある。  どんなに我慢したところで、このまま夜々にイカされちゃうんだろうなと思った。  マズいと思う反面、恋い焦がれるように望んでもいた。 「んぶ……んっ、んっ、んっ、んっ!! ん……んんっ、れるっ、んぶっ!」  吸い込みながら、頭を前後に振る。  ぴったりと空気抜きされた口内の、頬の内側で包み込むように角度をつけ、啜る。  空気が漏れて、盛大な破裂音が響くこともあった。 「……っ……がっ……」  根本から引っこ抜かれるような吸飲に、腰が自然と浮いた。 「んっ、んちゅ、んんっ、んぶっ、んっ、んっ、ふむん……んん……んんんんっっ」  ああ、そんな緩急をつけることまで覚えて……。 「ぷはぁ……」  吐き出して、涎でべとべとになった竿を手でぐちゃぐちゃ音を立ててしごく。 「なんか、苦いの出てる……イクのかな……」  尖端から先走り汁が出ていることがバレた。  夜々は妖しく微笑んで、舌先を尿道にねじこむ。 「ん〜ん……ん、ん……」  尿道がこじ開けられるような感覚ははじめてのもので、俺は内心パニクる。 「……イッちゃえ……イッちゃえ……ほら……はやくっ……お兄ちゃん……イッちゃえ……!」  高速手コキ。 「れろれろれろれろ……」  亀頭の舌先ねぶり。 「んっぶっ、んんっ、んぶぶっ、んっ、じゅばっ、んっ、んん、んっ、ぺろ……」  バ、バキュームフェラってやつ?  なんというか、AV真っ青の荒技オンパレードだな。 「あ……あぅ……ぅ……」  俺は全身を引きつらせ、与えられる愛撫を受け入れるだけだった。 「んっんっんっんっんっんっ!」  うわぁ、強烈……! 「ん〜んむ、ぅむん……れる、れろれろ……んぶぶっ」  ますます勢いづき、多彩なフェラチオテクを繰りだしてくる。  刺激の質が入れ替わりながら、四方八方から責めてくるイメージだった。 「だめ……だ……」  体内のポンプが、根本に大量に精液をわだかまらせている。 「……んんんんんっ!」  男のオーガズムを読み取ったかのような、夜々のバキューム。 「……っ!!」 「……きゃっ!」  出ている。シングルプレイ時より確実にたくさん出ている。体感倍出ている。  その白濁した汚液は、至近距離にいた夜々の口内や顔を容赦なく叩いた。 「やった……お兄ちゃん、イッた……」  俺のところにまで、生臭い精液の臭いが届いてくる。  だというのに夜々に嫌悪感はないようだ。  うっとりとした顔で、愛おしげにペニスを舐め掃除している。 「あ……まだカタいの……?」  ……この下腹部の疼き具合から判断するに、夜々のねとつく膣内に潜り込まないことにはとうてい満足できそうにない。 「これでお口でもお兄ちゃんとえっちできるようになった……」  どうしよう……俺、起きた方がいいのだろうか。  起きてどうするんだ……?  行為を、中断する? できるのか?  ……無理だ。  スイッチ入っちゃってるし、これでえっちナシなんてまともじゃいられない。  うう、夜々とは距離を置いた方がいい時期なのに……どうして男ってやつは! 「じゃあ……次は……」  夜々が腰を浮かせる。  履いていたズボンを、その場でするりと脱いだ。  夜々はブルマを履いていた。  ……な、なぜ? 「……男の人は、こういうので喜ぶって……本当なのかな……?」  どこでそんな正しい知識を仕入れてきたんだ? 「……お兄ちゃん、起きてる?」  ヤバイ! 「…………」 「……寝付き、いい……」  少し残念そうだった。 「でも……見逃してあげないから」 「……どうしよう……ブルマ、見てもらえない……意味ない……」  高性能の薄目でバッチリ見てるけどね……。 「そうだ……こうすれば」  そう言って、夜々は指先でブルマの底を真下に引っ張る。  のびのびになってできた隙間に、俺のペニスを差し込んでしまった。  こ、これはまさか……! 「これで、無駄にならない……」  ぱつぱつに張っている小さめサイズのブルマ。  その収縮する力で、ペニスを刺激しようということらしい。 「……!」  うわ、ブルマってこんな感触なんだ……!  気持ちいい……良すぎる。  即興でこんな技を編み出すなんて……。 「んっ……」  動き始める。  先ほどのフェラチオとは違った、さらさらした布地の刺激。  スリスリと〈擦過〉《さっか》音が響き、そのたびに俺のペニス上端部がブルマ越しに輪郭を突き出す。 「ん……んん……っ」  途中、夜々の股間をもペニスはかすめて、発せられた甘い吐息が単調なリズムに彩りを添えた。 「もっと……もっと固くしていいよ……」  腰だけを波打たせる姿は、淫靡な踊り子さんみたいだった。  あの夜々がそんなことをしているというのが、俺の脳髄をチリチリと灼いた。 「あっ……ん……んぁっ……」  俺の先走りと、夜々の秘部から湧き出した愛液が、ブルマに染みを作っていた。  じわじわと高まってくる射精感。  まさか、これでイカされてしまうのだろうか?  不安に思っていると、夜々は動きを止めてブルマをずらした。 「……そろそろ……」  入れるのか……。  もう行為を止める気はさらさらない。  ただ与えられる快楽を、貪るだけの存在だった。 「んん……!」  すでにしとどに濡れていた秘部は、抵抗なく俺のモノを受け入れてくれた。 「……ん……あっ……はぁぁぁ……」  うわ、モロに騎乗位ってやつだよこれ。  本当に俺、夜々に責められてるんだ……。  異様な興奮を感じていた。  自分の中に、そういう性癖が隠れ潜んでいたことに驚く。  女の子にもみくちゃにされるのが、こんなに気持ちいいだなんて……! 「んっ……ん……ん、あっ……んん……あっ……」  腰を真上に持ち上げ、落とす。  熟れた桃に突っ込んだみたいに、夜々の膣から愛液が染み出た。  持ち上げて、落とす。持ち上げて、落とす。  ぎくしゃくとしたピストンとも呼べないようなピストンだが、一撃一撃が重いため、俺は脳天まで抜けるような官能に呻いた。 「はぁ……ん! んぁ……はぅんっ……ん……」  ちゃんと腰を浮かしているため、根本まで一気に挿入できる。  ぬるついた挿入感が続く。  反面、夜々には負担が大きいようでもあった。 「あ……ん……」  やがて筋力が疲労したのか、夜々は動きを止めた。  顎から垂れた汗が、俺の胸板に落ちてきた。 「これじゃ……だめ……」 「もっと……はやくコスるようなやつじゃないと……」  俺は今ので充分に気持ち良かったけど、確かにあれだと達するのに長くかかりそうだ。 「締め……れば……」  夜々は俺の腹当たりに視線を落とし、唇を噛んだ。  挿入されたペニスを包む膣肉が、その口径を一気に狭めるのがわかった。 「うっ、く……!?」  夜々って、自分で力んで締められるのか……。 「んん……この状態で……」  夜々が腰を使い始める。  俺は思わず体をくの字に折りそうになってしまった。 「ううっ……くっ……ん……!」 「感じてる……あっ……ん、これ……夜々も……夜々も……んあっ……!」  上下ではなく、前後に揺さぶるような腰使い。  そちらの方が動きやすいらしい。  挿入がスムーズになって、ペニスへの肉感が途切れなくなった。 「あっ、んっ……ふぅっ……んっ……ふぅんっ……ひゃっ! あん……あっ……んぐっ……んっ、ん……あはっ」  自分で腰を動かす時に得る快楽は、ある程度予想ができるものだ。  けど〈仰〉《ぎょう》〈臥〉《が》して動かない状態で一方的にしごかれるのは、自分で制御できない分、同じ行為でも違った快楽がある。 「はぅん……んっ……あっ、あぁぁ……はぁっ……ひゃんっ、んっ、ん、あああっ!」  夜々の首筋から胸にかけて、早くも汗が噴き出てきた。  大粒の汗は乳房の谷間を滑り落ちて、打ち合わされるふたりの股間に吸い込まれていった。 「はっ、はっ、あんっ、あっ、んっ、んくっ……おっ、あぁっ……は、はんっ、ん……ひゃああぁぁぁ」  いいところに当たっているのか、夜々の声は上擦って弾んでいる。  気持ちよさそうだなぁ……。  この子と、本当にずっといられたらいいのに……なんで兄妹なんだろう。  兄妹だと、いつか夜々は別の男のところに……。  だって、それが自然の摂理だもんな。 「……」  そんなのは、イヤだ……。  俺はすでに一度夜々のことを忘れて、のうのうと暮らしてきたんだ。  なんで二度も失わないといけないんだ。そんなのは納得できることじゃない。  世間が、寮が、親たちが……許さない。悲しむ。迷惑をかける。  だけど本音に嘘はつけっこない。俺の本当の気持ちは……たったひとつなのに。 「はぁん、はっ、んっ、あっ、ひっ、ひぅ……ん、んん……はぉん、はっ、ん……んあぁ、あぁぁ!」 「うう……っ」  締めつけが強すぎて、思考が中断される。  精液が絞り出される寸前まで来ているのに、自分の意思ではどうにもならない。 「はぁんっ、はっ……お兄ちゃんの……すごいっ……あっ、はぁ……んん……」  苦しげにも見える呼吸の合間に、唾液を〈嚥下〉《えんか》する夜々。  喉がかすかに動いて、どこか艶めかしい。 「やだ……どんどんよくなってくる……んんんっ!」  腰をすりつけるように動く夜々の体は、たまに突発的な痙攣に見舞われている。  そのたびに陰茎を包む粘膜の感触が、複雑に変化して俺を呻かせた。 「んあっ、あんっ、ん、んあぁぁぁ、す、すごいの……これ……んぐっ……あんっ!」  夜々の切羽詰まったような声。  性器の結合部分に熱い愛液がまとわりついていた。 「あああぁ……お兄ちゃん……夜々ので汚しちゃったよぉぉ……あ、ああぁぁぁ……」  なんて顔してるんだ夜々……。  天にも昇るくらいの激しい興奮に、さらに勃起を増大させてしまう。 「んっ……は、はぁぁ……お兄ちゃん、気持ちよさそう……」  身を前に倒して首筋に鼻を埋めてきた。 「お兄ちゃんのにおい……ん……これ、好き……」  うへ、女の子もそういう感覚ってあるんだな。  あ、舐めはじめた……鳥肌立ちそう……。  夜々は没頭するタイプらしく、一度舐めはじめると延々とそれを続けた。  たちまち首もとが唾液でベタベタになってしまう。  もちろんイヤじゃない。むしろ弱いくらいに感じる場所なだけに、俺の背筋はゾクゾクしっぱなしだ。 「んんー……ん……んむ……ちゅー……」  まいった、癖になりそうだ……。 「んあ……ん、ふっ……んんん……」  夜々の腰が8の字に揺すられる。  揺すりながら、身を起こしていく。 「ああぁ……はああぁぁぁ……」  そしてまた腰をこすりつけてくる。 「はっ、はっ、はっ、はっ、あっ、んっ……あんっ、んっ、はっ、んっ!」  ペニスが膣を通過するごとに、新たな蜜が分泌されていくのがわかった。  夜々の中は驚くほど熱く、その肉膜は濃密な愛液で潤んでいて、衝動がどんどん膨れあがっていった。 「うう……」  そろそろ限界が近くなる。 「お兄ちゃん……イクの……? いいよ……イッていいよ……」  そして夜々は、とんでもないことを口にする。 「……私の中で」 「っ!?」  それは……まずい……!  しかしその時には、すでに夜々の動きはラストスパートに入っていた。 「うあ……っ!」  ダメだ、持って行かれる!  もうどうにもならないことはわかっていたが、せめてもの抵抗として射精を少しでも先延ばしにしようと、俺は〈切歯〉《せっし》してこらえた。 「んっ、あっ、はっ、ん、んんっ、はぁ、あっ、あっ、ん……あ、んああぁぁぁぁぁぁっ!」  夜々が一足先に達すると同時に、膣が俺のペニスをがっちりと締めつけた。  撃ち出されつつある精液をおしとどめられたのは、わずか数秒ほどに過ぎなかった。 「……くぁっ!」 「あ……ああぁぁぁぁ…………!!」  出してしまう。夜々の体内に、自分でも呆れるくらいたっぷりと。  自然と腰が跳ね上がり、その度に夜々は小さく鼻を鳴らした。 「んっ……んんっ……ん…………んぁ…………」  全部出してしまった……。 「はぁ、はぁ、はぁ……イッたよね……?」  夜々はゆっくりと腰を浮かせる。  絡む肉を巻き込みながら、硬度を失ったペニスが引き抜かれる。  途端、今しがた放ったものが盛大に逆流してきた。 「……あっ、あん……」  ビクッと体が震え、夜々のかわいい色合いの菊座が収縮した。  すると膣から精液がかたまりとなって一気に溢れ落ち、シーツを汚した。 「……あいかわらず……いっぱい出てる……」  ずっと男性器を受け入れていた夜々の女の子部分は、痛々しいほどに赤く充血してひくついていた。  様々な体液で果肉のように水気のあるその場所を、俺の出したばかりの半勃ちペニスにゆるゆるとなすりつけた。  もしそのまま起きていたら、俺は復活してしまっていたはずだ。  けど幸いなのかどうか、一気に眠気がやってきて、意識は心地よく闇に沈んでいったのだった。 「ふう……」  大量の菓子パンを腹に詰め、ようやく一息ついた。 「でもパンが牛乳を吸って満腹にはなるんだけど、腹持ちは悪いんだよなぁ」 「人に買いに行かせておいてその感想はないと思うよ、天川君」  年が明けて資金難は解消されていた。  食べ物を好きなだけ買い込むことができるのは素晴らしいことだ。 「いや、悪いとは思うけど、その分奢ってあげたでしょ?」 「ボク、パンふたつで満腹になるからね……いまいちありがたみがないというか。総菜パン20個買って持ってくる労働に見合った報酬かと言われると……」 「う、それを言われると弱いな」 「で、どうしてまた今日はこんなコソコソしてるわけだい?」 「いや、ちょっと困ったことがあって……隙を作りたくないというか」 「だからってんな寂れたところで食べなくとも……」 「いやー、助かったよ」 「まあいいけどね。さて、それじゃボクは一足お先に戻らせてもらうよ。ここは寒すぎるからね!」  恋路橋が去り、俺は大きく息をついた。 「……疲れた」  昨夜は大変だった。  夜々の夜這いによって、俺の部屋は汗と体液にまみれた、不純異性交遊地獄になってしまったのだ。  シーツも下着もビチョ濡れ上等。恋路橋じゃなくともけしからんと叫びたくなるような有り様だった。  ……のはずだったのだが、朝起きてみるとシーツから下着から何から、全てがまっさらなものに交換されてしまっていたのだ。  あの後、夜々が片づけたんだろうけど。  夜々は俺が寝たフリをしていることに最後まで気付かなかったみたいだから、痕跡を隠滅するということはかなり意味深だ。 「中出し……しちゃったしなぁ……」  隠したということは、最悪、俺が知らない間に妊娠をする可能性もあるってことだ。  もしそんなことになったら……。  いや、まさにそれこそが夜々の狙いなのだとしたら?  シミュレートしてみる。 「ねえ、お兄ちゃん……この子……可愛いでしょう?」 「……このあたりとか、お兄ちゃんによく似てるよね? どうしてだと思う?」 「……この子はね……この子は……」 「お兄ちゃんと夜々の……やや子なんだからっっ!!」  ……ダジャレかい。  まあとにかく、そういう認知問題になってしまうわけだ。  俺は学校を退学するだけじゃなく、それぞれの里親からも責められ、二人で手を取り合って北国の街に逃げ、そこで貧しいながらも幸せに、将来性の無い生活を……。 「……つらい……」  昼メロみたいな雰囲気になってきた。  頭を抱える。 「いったいどうすればいいんだ……っ!」 「ねえ、お兄ちゃん……この子……可愛いでしょう?」 「ぎゃああああ!!」 「……どうしたの? 猫嫌い?」  へ、猫?  夜々が抱いていたのは猫だった。 「な、なんだよ……驚いた……」  妄想と同じセリフを口にしないでくれよ……。 「……最近、お兄ちゃんとうまくいってないから……これでなごむかなって思ったの……」 「なごみはしなかったけど凍りついたよ……」 「あ、この子ね、なごみって名前にしようと思うの!」 「……認知はしないよ」 「はい? ……きゃ!」  突然猫が暴れだして、夜々の腕から逃げ出した。 「あ……逃げちゃった……おかずたくさんあげたのに……」 「あいつはここら辺を縄張りにして、学生からエサもらいまくってるヤツなんだよ」 「不自由はしていないから、ひと撫でくらいはさせてくれるけど、義務を果たしたあとはつれないもんさ」 「だから、ここらじゃあいつはギムって呼ばれてる」 「そうだったんだ……」  夜々は周囲を見渡して、俺のそばに近寄ってくる。 「人、いないね……」 「さ、殺風景な場所だしな。こんなところで昼を過ごすヤツはいないよ」 「……でもお兄ちゃんは過ごしてたんだよね」  夜々の声が低くなった。 「それは……」 「ね、お兄ちゃん」 「な、なんだろう?」 「溜まってるんでしょ?」  ズボンの上から、股間を押さえつけてきた。 「うわああっ! な、なんでっ」 「……男の子は、そういうものだって」 「誰が!」 「桜井先輩」 「その人はヘンタイだーーーーっ!!」  あの人も女の子になんてこと教えてるんだ! 「手コキします」  手コキって聞こえた今! あり得ない! 「意味わかって言ってるのっ?」 「やっぱり手は基本だって」 「それも桜井先輩?」 「……から借りたDVDで見た」  そんなもの下級生女子に貸すなよぉぉぉ! 「は……じゃ昨夜のことも……」 「え、昨日、起きてたの?」 「違うよ!」 「……なぁんだ、じゃあ遠慮なんていらないよね」  夜々はチャックをおろし、隙間に手を差し込んだ。  冷たい手が布地をかきわけ、地肌に触れる。 「ちょっと……こんなところで……」  いくら人がいないからって……大胆すぎる……。  悲しいかな、触れられれば興奮してしまうのが男の性。 「あ、おっきくなってる……」  本当に野外で露出させられてしまった。 「ひとつ、訊いていいかな」 「なぁに?」 「どうして俺がここにいるとわかったわけ?」 「気配で」  もうどこに逃げてもダメなんだな。  そう思うと、性欲をねじ伏せてまで抵抗することが虚しくなってくる。 「いくよ……たくさん出してね」  どこか楽しげにそう言って、スナップを効かせた。 「……う」  握りは的確な強さで、弱すぎることも強すぎることもない。  さすが大変態である桜井先輩の映像資料に学んだだけのことはある。 「すごい、あつい……かたい……」  間近に勃起を見ても、夜々には怯える様子もない。  小動物でも愛おしむように、じっと愛情たっぷりの視線を注いでいた。 「ダイタンなんだな……夜々。女の子からしたら、それってグロテスクじゃないか?」 「好きな人の、怖くないの」 「寒いから、ゴシゴシこすって温めないと」  人の手で扱かれるのって……こう……違うものがあるな。 「ピクピク脈打ってる……かわいい」 「可愛いって言われて嬉しい男性器なんていないよ……」 「じゃあ逞しい? うーん、それにしては、よくお漏らししちゃうよね」  言葉責めは勘弁……。 「夜々の手ですぐにイッちゃうんでしょ……?」 「いや、そんなことは……」 「む」  夜々は強く竿を握り直した。 「わ、わっ」 「これでも?」  手が霞むほどに速度を上げ、責め立てる。 「……うう、まだまだ……」 「なら……!」  うわ、そう来たか! 「ん……んむっ……れろっ……」  寒風にさらされていたので、口内の熱さがいつも以上に染み渡った。 「今日は寒いから、夜々のおくちであっためてあげるね」 「ん……んむ……あむ、ん、ちゅ、んちゅ、んん……!」  口だけじゃなく、手での責めも続いている。 「夜々……本当にマズいってこれ……や、やめない?」 「いやれふ(いやです)。ん、んんっ……ん……んむ……れる、んむむ……あむあむ……」  ……実においしそうに舐めてる。 「……くうー」 「ん……んぁ……うむん、ちゅる……んぶっ、んん、んじゅる……んん……」  ああ、いよいよ頭がぼんやりとしてきた。  口では何と言っていても、体は正直だ……。 「んん、ん、ちゅ、ちゅる、ん、んぁ……んく……んっ……ふぅん……こうやってなめてると、どんどんえっちな気分になってくるんだ……不思議だよね?」  こっちも舐められているとどんどんえっちな気分になってくる。不思議だ……。 「んんっ、ちゅぷ……だいぶ、きたみたいだね……」  吐き出された俺のソレは、夜々の唾液で滴るほどにテラついている。 「さきっぽからも、ちょっと出てるみたいだし……やっぱりおもらししちゃったね、お兄ちゃん」 「ああ、良かったよ……でも時間ないし、そろそろ教室に戻らないとさ……」 「……まだこんなカチカチなのに? それに、いつもみたいにどばーって出してない」 「いや……それはさすがに……。なあ夜々、ものは相談だけど、学校での性行為は発見即停学というリスクを考えて、中断することによってひとつヘッジしてみないか?」 「あむっ……ちゅうぅぅぅぅ……!」 「どわっ」  話し合いに応じる気はないという意思表示なのか、含むと同時に思いっきり吸いたててくる。  引っこ抜かれる錯覚に腰が震えた。 「んっ、んっ、んっ、んっ……」  いったんフェラで出させるつもりだな……。 「んっ、んっ、んんっ、んむっ、ちゅ、ちゅる……ちゅ、ちゅ……ちゅう……っっ」  だんだん手と口の動きが合ってきて、我慢するのがきつくなってきた。 「なんだか……今日はいつもより興奮してる……?」 「いや、焦ってるというか……」  そうだよ、もし通行人とかに見られたらと思うと……。  思うと……体験したことのないような震えが、尾骨あたりから首筋まで長けていく。 「やっぱり可愛い……んむ」 「う、わ……」 「ふぅん……ん……むぁ……んん、むちゅ……ちゅる……」  口内を縦横にかき回すのは、剛直を根本で操る夜々の手だ。  亀頭を自分の頬肉にこすりつけ、舌を巻き付かせる。 「……それも、DVDから?」 「うむんむ」  夜々はくわえたまま頷く。  察するところ、洋物ディープスロート系のDVDかもな……いかにも先輩らしい。 「んんっ、じゅぱっ、んぁむ……ん、うむん、んっ、んっく……」  激しい……腰が砕けそうだ。 「ふふ……だんだん、おいしくなってきたよ……でもまだイカないでね、もっとイイことしてあげたいから」 「お気持ちは嬉しいのですが……」 「……胸がもっとあったら……おっぱいに挟むやつしてあげられたんだけど……」  一応挟む仕草はしてみるのだが、見るからに普通サイズのそれでは到底できそうにはなかった。 「桜井先輩、恨みます……」 「だからその分、おくちと手で……ね? んんっ……んふ、んぁ……れろ、ちゅる……」  吸われていない時でも、たんねんにねぶられる。  うう、温かい……。  こんなに寒くて下半身まで露出しているのに、まるで底冷えしてこないのが不思議だった。  フェラチオされているだけで、ハラワタまで保温されているみたいだ。 「んぁ……ふむぅ、んっ……じゅぱ、ちゅる……ん、んんっ……んあっ……ちゅぱっ……んんんっ」  思わず腰を引こうとすると、夜々の手が睾丸をやわらかく掴んだ。  それだけで動けなくなってしまうのが男という生き物だ。 「だめだよ……逃げたら……んぶっ、んん、んっ……あむん……ちゅる、ちゅ……ふ……んんっ……れろ……ちゅ、ちゅうっ、ぢゅうううっ!!」 「……つつっ!」  やはり強めに何度も吸飲されるのがきつい。  油断してるとあっという間に射精寸前まで持って行かれそうだ。 「んっ、んっ、んっく、んんっ、んぶっ、んっ、んっ」 「……そろそろ、だよね?」 「いや……」 「ゴックンしてあげると嬉しいんだよね?」 「な、なんだって……!」  このままでは夜々が、昼は妹で夜は娼婦のような女になってしまう。  男の理性全開で、節度ある態度を示さなくてはならない。 「いいや、俺はイカない……」 「……ふーん」 「もうこんなにヒクついてるのに?」 「なんと言われようと……我慢してみせるぞ」 「じゃあ、試してみようか」  先っぽをついばむようにキスし、そのままズブズブと呑みこんでいく。  ぴったりと唇が包み込んでいるせいか、つるりと喉奥まで持って行かれる。  根本までぴっちりと収められてしまうと、夜々の鼻先が俺の下生えの陰りに埋められた。 「んん……んぁむ……」  ゆっくりと吐き出し、吸入と唾液の潤滑を利用して一気に吸う。  その繰り返しが、徐々に速度を増していった。 「んむっ、ちゅ、ちゅる、あむっ、ちゅぱっ、うんっ、んっ、ちゅ、ちゅるる……!」  片手は竿に添えられ、唇が退く動きに合わせてせりあがる。  もう片方の手は常に陰嚢を転がしていて、多種多様な愉悦が重なって押し寄せてくる感覚に俺は呼吸も忘れて呻き声を上げた。 「んっ、んっ、んっ、んっ、んっ、んっ!」  夜々が追い込みをかけてきた。  あれだけ啖呵を切っておきながら、俺はもう限界に達していた。 「うぅ、だめか……っ」 「いいよ、イッて……たくさん出してっ……んんんんーーーーーっ!!」  両手で竿をしごきながら、先端付近をポンプのように強烈に吸いあげる。  俺は我慢するタイミングさえも外されて、呆気なく引き金を引いてしまった。 「……く……ああっ!」 「んむっ……ん…………んぅ…………ごく……」  口内への大量射精。  夜々は驚いた素振りはしたものの、嫌がる様子もなくそれを受け止めた。  その喉が幾度か動き、俺の精液を食道へと送り込んでいく。 「飲んだら……」 「んあぁ……ふぅ、ふぅ、ふぅ……」  飲みきれなかった精液が、夜々の口からだらしなく垂れ落ちた。 「……なんてことを」 「ふぅ……こんなに出るなんて……びっくりした……」  そう言って夜々が唇を寄せてくる。俺はつい上半身を反らした。 「……そっか……飲んだら、キスできないね」 「え? いや、それは……」 「これやる時は、事前にたっぷりキスしダメしておかないとだね」  そういう問題じゃないんですけどね……。 「ところで……お兄ちゃんはもうごはん食べたよね?」 「え? 一応、食べたけど……」 「じゃ、デザートがいるね」  夜々は立ったままスカートをめくり、下着を見せつけた。 「夜々……バカ、こんなところで……!」 「誰もいないよ」 「しかしなぁ……」 「ほら……ねえ?」  下着に指先を絡め、ゆっくりと引き下ろしていく。  焦ると同時に視線が釘付けにされ、やがて見えるか見えないかギリギリのところで下着のラインは止まった。 「ね……しよ?」 「…………」  断らないといけないのに……脳が……それを拒んでいる。 「ねえ?」  引き寄せられて一歩前に踏み出してしまう。 「……立ったままできるって、知ってた?」 「い、一応は」  すると夜々は、どうぞ入れてくださいとばかりにスカートを持ち上げた。  真っ白い太ももが、白日の下で輝いている。 「…………」  羞恥のため、目線をそらして地面のあたりを見つめる。  その態度が、無性に俺を高ぶらせた。 「う、夜々……」  避妊とかいろいろ単語が脳裏をよぎったが、もはや冷静に戻ることはできそうにない。  抱きつきながら、夜々の下半身に腰をぐいぐい押しつけた。 「あん……」  下半身をじかに見ていないので、なかなか互いの性器が噛み合わず、俺の獣じみた勢いは夜々の体を揺さぶるだけだった。 「……っ」  手を使って狙いを定める。  今度はすんなりと挿入することができた。  夜々のそこは、ほとんどこっちからは愛撫してないのに、もうすでに油でも塗り込めたようにぬめっていた。 「……んんっ」 「うあ……」  立ったままするとまた違う感覚がある。 「はぁぁ……これ……すごくみっちり入ってる……」 「ごめん……今日は、ちょっと激しく動いちゃうかも」 「いいよ……好きに動いて」  そう言われると同時に、俺は腰を叩きつけはじめる。 「あぁっ……んっ……んあっ……うう……あっ、あっ、んっ……きゃ……んっ!」  腰をしならせて鋭く侵入していく。そのたびに夜々は子犬が鳴くような声を発した。 「ふぁっ、あっ、あっ、お兄ちゃん……すごいね……やっ、んっ、あっ、あああっ!」  俺が夢中で腰を振るのが、夜々には微笑ましくも嬉しいようだ。  なんだかいいように乗せられている気がするけど、俺自身にもどうにもならないんだから仕方がない。  まだ数えられるほどしかしていないのに、夜々が見せる女の表情は多彩だった。  ひとつひとつが俺にとって未知の感覚で、怖いくらいに自制が効かなくなる。 「はぁんっ、はんっ、はっ! んっ、んぁ、ん、んっ、はぁっ!」  俺が荒々しく侵入するごとに夜々は肺の中身を全て吐き出し、苦しげに酸素を取り込むが、すぐに俺の挿入によって叩き出される。  股間からはくぐもったような水音が絶えることなく、溢れて伝った蜜はすでに下着を濡らし始めていた。 「んっ、んっ、あっ、んあっ、んんんっ……ん……んぐっ……あはぅっ! んっ、ひゃっ、うぅ……!」  夜々の声はかん高い。近くを通りかかった人がいてこれを聞きつけたら、どう思うだろうか?  まず間違いなくセックスの喘ぎ声だとわかるに違いない。  危険な状況。だけど俺の心は、そんなものさえ興奮の燃料に変えてしまう。 「あっ、あっ、お兄ちゃん……いつもより、ずっと……激しっ……んああっ!」  夜々の体をきつく抱き、一番深いところまで一気に挿入する。  腰を文字を描くように動かし、神秘の小径の隅々まで触れようともがく。 「あ……ああぁぁぁ……それ……いやらしいよ、おにいちゃん……」  衣服の上から胸に触れる。  厚い布地の奥で、ふんわりとした乳房が潰れる。じかに触れたいのに手が届かないのがもどかしい。  とにかく今は、体中で夜々と〈睦〉《むつ》み合いたかった。 「……あ……ん……んむむ……ん、ちゅ……れろっ……」  唇を求めると、夜々は必死に応じてきた。  リップか何かでヌルついた唇を、構うことなく一方的にねぶっていると、火がついたかのごとく激しくむしゃぶり返してくる。  あらゆる動作が停止し、濃密なキスの時間が続く。  息苦しくなるまで続けて離れると、ふたりの間に透明な糸がかかった。 「はぁ……はぁ……はぁ……」  俺を見る夜々のトロンとした表情は、あまりにも性を連想させ、ちょっと人前に出せるものではないとさえ感じるほどだった。  その顔が俺だけに向けられている。  他のみんながすぐそばで日常を過ごしている最中、俺たちだけがこんな淫らな行為に耽っている。 「くっ……!」  性的な連想が止まらなくなって、また情欲の銘ずるままに腰を振る。 「……きゃっ……やっ、あっ、ひゃんっ! んっ、う……んぁっ! ひゃあ……ほんと……すごい……!」  しばらく挿入したままでいると、夜々の内部もまた異なった触感を見せてくる。  最初はツルツルした滑る感じが、ネットリした絡みつくものへと変わってくる。  加えて襞の反応が、その時々で起こる。  それは夜々の感情と直結しているらしく、きつくなったり奥に引き込もうとしたりと変化が著しい。 「はぁ……はぁ……んっ……あっ……ふぁっ……んんんっ!」  夜々はもうくてんとしていて、脱力状態に近い。俺が支えてやらないと、いつ崩れてしまってもおかしくはない。  けど俺も気持ちよすぎて目が眩むくらいだ。このままだと、また知らないうちに限界になって射精してしまっているかも知れない。  中出し……そう、それがマズいんだ。それだけは避けないと……。 「ん……くっ……」 「あっ……ああっ……ふぅ……はっ、はぁぁ……ああぁあぁぁ……あうぅ……う……ん、んぁぁ……」  子宮から出て鼻から抜ける、艶めかしい声。  少し上擦っていることから、夜々もだいぶ感じ入っているのがわかる。 「ああぁぁぁ……お兄ちゃん……いいよ……すごく……」  耳元で吐息まじりに囁かれると全身が快楽に竦む。  俺の限度は刻一刻と近づいてくるのに、対して夜々のそれは漠然として遠い。  深く挿入して腰を押しつけても、浅く素早く動いても、左右に捻って腰文字を描いても、それぞれ違った顔でとろけてくれるのに。  人に見られるとマズい。  中出しはマズい。  溺れるとマズい。  兄妹なのにマズい。  気持ちよすぎてマズい。  いろんな感情が渦巻いてどうしようもなくなる。  とにかく早く終わらせないと、自分を見失いそうで怖い。  そんな懸念こそが、俺を絶頂に急きたてている原因なのだろうか。  遊びをやめて、夜々が一番感じてくれそうな辺りに狙いを定め、がむしゃらに掻き回してやった。 「あっ、あん! あん! あぅん! あっ、んんっ! あん……!!」  突き上げるたびに夜々の体がヒクつく。 「あっ、あんっ、あんっ、あんっ、あんっ、あんっ、あ、ああっ、んっ、んっ!」  声が弾み、呼吸が千々に乱れ、全身を仰け反らせて口をポッカリと無防備に開いた。 「ふぁっ、あっ、んっ、あんっ、あんっ、やっ、こんなのっ……も、だめぇ!!」  夜々が全身を震わせて小さく達する。  だけどまだ俺は止まらない。  夜々の中を往復する、快楽の波に囚われる。  濡れそぼった洞窟の中を、俺は幾度となく身動きした。くねっては伸び上がり、入り口付近まで抜け出てまた最深部まで沈潜する。 「あぁあぁぁ……はあぁぁぁ……んあっ……あ、うあぁぁぁぁ……」  夜々の声も勢いを失い、こちらの一挙一動に反応することをしなくなる。そのかわり長く尾を引く、嗚咽のような響きの嬌声が絞り出されるようになる。 「あああ……ああ……うあぁぁぁ……ん……お……だめっ……ん……また、何か、来ちゃう……んっ、んあぁぁぁぁっ!!」  大きく息を吸って、その腰を動かす事に専念する。  ただでさえ窮まっていた夜々の悲鳴が、ピタリと止まった。 「……あ…………う…………うぁぁ…………」  体だけを弓なりにして、ヒクヒクと身体を跳ねさせる。  口が開閉を繰り返して、動物のような呻きが漏れる。  俺がその間もずっと同じペースで動き続けていると、夜々の膣壁が螺旋を描いて引き込む強烈な反応を示しはじめた。 「うう……来た……」  魂まで抜き取られるのではないかと思うほど、その快楽は強い。  腰を動かすこともできなくなり、一番奥にまで突き入れたまま、止まっていても感じられる性の伸縮に翻弄される。 「うう……う……」  もう呻き声しか出ない。ビギナーには強すぎる愉悦だ。  下腹部が焼け石を埋め込んだように熱い。  ペニスが引っ張られ、先端が遠く引き伸ばされたように錯覚する。  視野は狭まって視界全体が暗くなる。  目頭の奥でチカチカと火花が明滅していた。 「……あっ…………あっ…………あくっ…………」  痙攣と同期して夜々がしゃっくりのように声を上げていた。  次の瞬間、俺はあっけなく怒張を暴発させてしまっていた。  射精は長く続く。  下腹部の熱量が、急速に陰茎を通過して体外に……いや、夜々の胎内に排出されていった。  その放出感は凄まじく、俺は夜々にすがりついてその終わりを待った。 「はぁぁ……はぁ…………ん、はぁ……」  終わっても、ふたりとも力を失って体を離す気力が沸かなかった。  外気の寒さが、行為による熱気を冷ましてくれるのを待って、身を引いた。  栓が抜けると同時に、白濁液がとろろ汁のように垂れ落ち、雪上に浅く沈んだ。 「……あぁぁ……いっぱい……たれちゃう……見ないで、お兄ちゃん……」  力尽きて秘所を隠すこともできない夜々が、為す術なく排泄する姿は、ともすればまた俺に点火してしまいそうなほど淫靡だ。  そして重大な戒めをまた破ってしまったことに思い至る。 「……ああ……また……」  中出ししてしまった。  反省する俺。  猛省する俺。  あれだけ自戒しておきながら、容易く陥落してしまった自分が情けない。  俺は性欲の権化なのか?  すでに午後の授業が始まるかどうかという時間になっていた。  今すぐ身を整えても、たぶん遅刻。  それ以前に夜々に至っては表情はとろけきったままで、うなじからは甘い匂いさえ立ちこめているし……もう一分二分ではどうにもならないご様子。 「どうするんだよ……午後の授業!」 「……ふふふ……」  夜々が〈嫣〉《えん》〈然〉《ぜん》と微笑んだ。  その顔は満ち足りていて、性交の余波である目尻の火照りがいやに目立った。  ……本気で、考えないと。  夜のいずみ寮。  自室。 「…………」  先ほどまでは恋路橋がやって来ていて、なにくれとなく雑談に興じていたが、ヤツが引き上げて一人になると途端に気が重くなった。  もうじき夜中になる。  また、夜がやってくるのだ。  こないだの校舎裏の一件で、俺は夜々との関係についてだいぶ頭は冷えていた。  だから今は考える時間が欲しいところだった。  なのに夜々は、俺に考える時間を与えまいとばかりに、毎晩夜這いを仕掛けてきた。  毎晩追い払うのに大変な苦労をした。  俺の意志が固いこともあって、なんとか今日まで寝技に持ち込まれずに済んだ。  今日も来るだろうか?  あれだけの熱意があるのだから、来るのだろう。  案の定、ノックの音が部屋に響いた。 「……来たか」  ここで放置しても解決しないことを俺は学んだ。  結局は、話し合いを経なければ、どうにもならないんだ。  俺は立ち上がり、ドアを開けた。 「来たの」  ドアが開くなり、するりと身を滑りこませて胸元に飛び込んでくる。  ごろごろうなうな、頭をなすりつけている。 「……毎晩、お疲れ様」 「だって、お兄ちゃん……全然夜々のこと愛してくれないから」 「愛してはいるって」 「じゃあ……今夜は?」  肩を両手で掴んで、そっと押しやる。 「……今夜は、生トーク」 「な、生……?」 「生だけに反応するんじゃない!」 「……生ピロートーク?」 「彼女がえっちなのって、俺はいいと思うんだけどね……だけど夜々のは違う……わざとやってるってわかるから」  夜々はきょとんとした。 「わざと?」 「俺が悩んでるのを知って、畳みかけようとしてる」 「…………」  夜々はヒョコ、と眉を動かしただけだった。 「確かに、夜々のことは好きだよ。好きじゃなかったらこんな関係にはなってなかった。だけどさ」 「だけど、何」  陽気さが消えた。 「……まあ座って。話だったら、朝までだって付き合うから」 「…………」  夜々は表情を引き締めて、こたつに膝を入れた。  背筋をぴんと伸ばして、態度は一変している。  完全に戦闘態勢。  ……ああ、どうかこじれませんように。俺は内心、祈ってしまった。 「……で?」 「結論から言うけど、冷却期間を置きたい」 「いいけど……何分?」 「……できたら、一か月単位で」 「そんなの長すぎです!」 「そう言うと思ったけど短かったら意味がないだろ。冷却期間で冷却できなかったら」 「お兄ちゃんが言う冷却って、なんだか結果がひとつしかないみたい」 「ど、どうしてよ」 「冷静になって、関係やめるって結論出そうって意味でしょう?」 「……どんな結論が出るかはわからないけど。でも、本来だったらそう考えるべきなんだし、よしんばもう少し違う結論に向かうのだとしても、熟考がいるってことだよ」 「……そんなの、本音ごまかしてます」 「俺はさ、この関係を悩んでいるんだよ?」 「もう既成事実があるのに?」 「だからこそ悩んでいるのだとも言える……」 「既成事実」  夜々は強調するように繰り返した。 「……があるから、俺の提案はダメって意味だね」 「覚悟を決めてしまえば、あとは楽になります」 「夜々のは覚悟が早いというか……葛藤をポイ捨てしただけっぽいので……」 「それいけないですか?」 「いやいや、ただ俺がね……ちょっと考えたいんだよ」 「それで、冷却期間を何ヶ月も置く?」 「そういうことかな」 「……わかりました」  俺は身を乗り出す。 「わかっていただけましたか!」 「断る」  維新志士を思わせる断固たる態度だった。 「だって、結婚できないんだぞー!?」 「すればいいです」 「いや、無理だろう! どう考えても!」 「…………式だけ挙げるのでも夜々は」 「ぐ……本当に覚悟しちゃってるのか……」 「はい」  と『お兄ちゃんまだ覚悟してないんですかダサいです』みたいな目で俺を見た。 「……手強い」 「手強いですよ。恋する乙女は」 「…………」  道理は通じないってことだ。じゃあ、どうする俺? 「ただ気持ちいい事がしたいわけじゃないです」  唐突に、夜々がそんなことを口走る。 「女の子にとってえっちって、愛されてる証なんです。だからそれをしないって、なんだか寂しくなります」 「……いや、まあ」 「愛情表現してもらいたいから、こうやって来てるんです」 「……弱ったな」 「イヤなんですか? 夜々の事」 「違うよ。複雑な問題だからちゃんと考えたり話したりしようって言ってるだけで」 「で、冷静になって出る結果は関係なくすってことですか? ただの兄妹に戻ると?」 「結論がそうとは限らないだろ。それにただの兄妹って言うなよ。兄妹でセックスするなんてのは本当は社会じゃ認められてないんだから」 「認められてなくてもいいじゃないですか」 「自分ら育ててくれた人とか、友達とか、そういう回りの人みんながどう思ってもか?」 「どう思ったって……好きってのが事実なんだから仕方ないです」 「それはちょっと自分勝手だと思うけど」 「じゃあ、最初から声なんてかけなければ良かったのに……!」 「そんなこと言われても……ああ、もう」  あれは月姉の命令とかいろいろあって、いろいろ結果的な面もあるし、最初から全てがわかっていたわけではないし……。  って、なんだかそういうことをいちいち説明してもまったく通用しない気がする。 「お兄ちゃん……ずるい……」  夜々としては俺とずっと付き合っていきたい。  けど俺は兄妹だからちょっと考え直したい。  これはちょっとした平行線だろう。  なんとかして落ち合うポイントを見つけないとダメなんだ。 「頼んでるんだよ。お互いに落ち着こうって。どのみち今の状況は自然なものじゃないし」 「…………」 「それで今後のことがどうなるかはわからないけど、いったん何ヶ月か普通の兄妹として暮らしてみてさ……で、改めて関係について取り決めていくってことで」 「夜々は、お兄ちゃんのこと異性としてしか見られないです」 「子供の頃から……そうだったから」 「……!」  それはそれで、ショックな発言だった。 「いや、でもそれって、子供心のことだと思うし……」 「夜々の場合、そこから普通の兄妹がそれぞれ兄妹離れしていく過程が抜けてるっていうか……」 「昔の感情引っ張っちゃってるって可能性もあるんじゃないか?」 「……そんなの、わかりません。だったらどうだって言うんですか?」 「だから冷却期間がいるって話でさ」 「冷却期間置いて、夜々の気持ち、変わらなかったら?」 「その時は……」 「……そこで、困ったような顔するから! だから答えは決まってるんだと思うんです!」  まいったな……これ。  時計を見る。完全に夜中だ。だいぶ眠気が出てきている。  途中、何度も会話は停滞していたからな。そのくらいは経つか。  しかも、これからさらに長くこじれていきそうな気配もある。  ……いや、滅多にあることじゃないし、腰を据えて向かい合うしかないか。 「俺だって夜々のことは好きだよ。普通の兄妹に戻るって、俺にとっても受け入れられるかどうかってくらいの結論だと思ってる」 「……そうは思えません。お兄ちゃん冷たいから」  冷たいかなあ……まあ、夜々が冷たいって感じるならそうなんだろうけど。 「とにかくだ、今はいろいろなことがあって、頭がわやくちゃなんだよ。それは夜々だってそうだろ?」 「……不思議なことだったとは思ってますけど」 「そこからしたって、まともにルート辿ってないと思うんだよ。俺はこの機会に、じっくりと整理した方がいいだろうって提案したい」 「夜々の意見だと、逆にそんなことでここまで来た関係をリセットしたくないってことです。一切、影響させたくないです」 「そういうわけにはいかんでしょ……」 「自分の気持ちに絶対の自信があるんです。そうでなかったら……お兄ちゃんとカラダの関係にはなってなかった」 「その気持ちを疑うわけじゃないけど……」  俺たちの話し合いは、それから数時間ぶっ通しで続いてなお堂々巡りの大ループという結果になった。  何度も同じ部分で対立し、着地点はようとして見つかる気配がなかった。  息詰まってしまって、互いに数分も無言でいる局面も幾度かあった。  眠気も襲ってきていた。  欠伸をしたら責められるような気がして、我慢できない時はうつむいて必死で噛み殺した。  ふと見ると、夜々も同じように眠そうな目を擦っている場面が見られ、なんだか千日手だなと感じていた。  そんな時だった。  クローバーの力で忘れていた、昔の細かい記憶が甦っていたことに気付いたのは。 「……」  話し合いで幼少期のことに触れた流れで、つい回想することがあったのでそれに気付いたのだった。  まるで昨日のことのように鮮明な記憶だった。  何年も前の出来事だと言うのに……これは明かに自然の思い出し方じゃなかった。  クローバーによって強制的に凍結させられていたものが解凍された……鮮度そのままの克明なビジョンだ。 「なあ、ちょっと話は変わるけど」 「え?」  流れは停滞していたので、思い切って尋ねてみた。 「子供の頃の記憶、クリアになってないか? クローバーから解放された影響で」 「……お兄ちゃんもそうなの?」  やはり夜々もだったか。 「そうみたいだな。今、いくつも昔のことを思い出してる」 「そう……」  夜々の顔色が変わった。 「……それでな……もういい加減、言っちゃうけど」 「夜々の俺に対する感情って……兄妹愛ありきだと思うんだよ」 「……どうして?」 「記憶がそう告げてる」 「どの記憶?」 「……仲の良い兄妹ではよくあることだと思うんだけどさ」 「やや、おにいちゃんのおよめさんになるー」 「だからかのじょつくったらだめー」 「だめだよー」 「……というようなことが」  典型的なやりとりだ。  普通は、ちゃんと経験を積むごとに視野も広がって、こういった感情からは抜け出していく物なんだと思う。 「あったけど……おかしくないよ……」 「そうだけどさ。兄妹で恋愛って……そんな無視していいもんなのか? 俺は夜々みたいには割り切れないよ……割り切るにしても時間が欲しい」 「……夜々は無視してる」 「割り切ってるから、人の目があっても平気で愛情表現しようとするの?」 「……好きじゃなかったらしないよ!」  ろ、論点の差し替え!?  なんて荒技を! 「そういうことを言ってるんじゃないって!」 「そんな叫ばなくても聞こえるの!」  頭にカッと血が昇った。 「そっちが叫……から……むぐぐッ」  かろうじて押し殺す。 「ぐ……うふぅ……!」  ぐわああああ、煮詰まるうぅぅぅぅ!  俺はあぁぁぁぁ、コトコト煮詰まったぁぁぁぁ、シチューーーーーーーッ!  食べ頃ーーーーーーッ!!  ……いかん、思う存分に冷静になれ俺。  キレたら悪い方にしか行かん気がしてならんし……。 「夜々、俺も好きだよ。イチャつきたいよ」 「……え? だったら……」  速攻でするりと肩をあらわにする夜々。 「ただ人前でやると……処分されちゃうぞ? 夜々はそこまで覚悟しちゃってる?」  夜々の手をがっちりホールドしながら説得する俺。 「……もしされそうになったら……戦うっ」  歯を食いしばり、力いっぱい抵抗する夜々。 「何とっ?」 「体制とっ!」  危険な思想だーーーーーっ!? 「それに……処分される理由がない……っ!」 「学校にはあると思うぞっ……あと寮にも……。不純異性交遊は禁止なんだしっ」  脱ぐ夜々と脱がせまいとする俺。力比べ。 「でもみんなやってるし……っ」 「それなりに隠れてうまくやってるよみんな……っ」  ふっと夜々が力を抜いて、俺の手からすり抜けた。 「どうして好きもの同士なのに、こそこそ隠れないといけないの?」 「夜々……」 「納得できないよ……それにお父さんたちだって、最初は驚かれるかも知れないけど……ちゃんと説明すればわかってくれるはずだよ……」 「…………」  そんな気はしてたんだ。  夜々があまりに純粋すぎるのは、幼い頃の気持ちをそっくりそのまま凍結……封印されたことに原因があるんじゃないかって。  シロツメさんの話を聞いてから、俺はずっとそう思ってたんだ。  排他的で、理由なく人を遠ざけることを厭わない性格。  それは子供の頃の悲しみとか苦しさを、ちゃんと当時のうちに処理しなかったためなんじゃないかって。  だから夜々の好きは、あまりにも純真すぎるんだ。  里親は俺たちの交際をどんなことがあっても認めないだろう。  うちの親の性格を考えれば確実にそう言えるし、夜々に至っては望んで引き取った一人娘だ。  娘に近親相姦しても良いと認める親なんていないんだ、夜々。 「まっとうに幸せにはなれないんだぞ?」 「お兄ちゃんがいればそれでいいもの」 「せっかく演劇で人と打ち解けたのに、そういう友達とか親しい人とか、みんなに心配かけるんだぞ?」 「夜々がお兄ちゃんを好きなことは、人に心配されるようなことじゃないもの」 「だから……お構いなしなのか……」 「むしろその方が、みんなに理解してもらえていいよ」  ああ、ダメだ……説得とかもう、そういう次元じゃない。  夜々が折れない以上、俺が折れるしかない局面なんだ。  ……なんだか話してると、本気で覚悟はできてるって気もしてきた。  正常か否かの問題を別とすれば、夜々の言うことは一本の筋しかないようなものだ。  でも俺がここで受け入れたら……事は100%問題化するだろうな。  もしかしたら、親同士が話し合って俺たちを引き離そうとするかもだ。  そうなったら……それでも夜々、おまえはいいと思えるのか?  俺は、それこそ認められない気がする。そうだ、だからこそだ。この俺の結論は。 「……俺も……夜々と離れたくない」 「でも、だから、ここは一度距離を置きたい」 「どう……して……」 「ここで冷静になれば、ずっと一緒にいることだってできるからだ。可能性を残すことになるからだ」 「夜々は今、愛し合いたいの」 「それやったら、最悪、今だけしか愛し合えなくなるぞ」 「そんなことない」  この瞬間、俺も覚悟を決めた。 「……そうか、わかってはもらえないか」 「それ夜々のセリフです」  俺はため息をつき、そして告げた。 「……冷却期間の話はナシにする」 「え?」 「そのかわり、夜々とつきあうのもやめる」 「…………」  夜々の顔にはなかなか理解が浮かばなかった。 「別れるってことだよ」 「……な……んで?」 「理由は説明したし、もう繰り返さない。冷却期間って提案が最良だったと思うけど、受け入れられないなら仕方ない」 「なんで、どうして別れるの……意味わからない」 「交渉決裂したから」 「お兄ちゃんが……余計なこと考えすぎなだけなのに……!」 「余計なことにだって大事なことはあるの」  俺たち、まだ保護者の必要な学生なんだぞ?  それもあと数年で終わる。今思い通りにならないからって、世界が終わるわけじゃないのに。 「わかんない……夜々のこと好きなの、嘘だったの?」 「嘘じゃないです。好きです。だから今は最大限に距離を置きます」 「そんなの一方的だよ……」 「妥協点がないんだから仕方ないよ。夜々も折れない。俺も折れないわけだから」 「…………」 「……無視するとは言ってないよ。俺は夜々のこと妹だって思うし。ただセックスとかキスとかはしないってこと」 「……そういうの、大事だって言ったのに」  恨みがましい目つきが俺を射ぬいた。 「なんと言われても決裂。もうしない」  夜々は両腕で自分の腹を抱える。 「……子供できたの」 「見え透いた嘘つくなあ! こんな期間で妊娠がわかるか!」 「カンでわかったの。できました」  ふと悲しくなる。 「……もしそうなったら、俺の言ったことは現実のものになるかもな」 「どういう?」 「俺とおまえは、引き離されて二度と会うことを許されなくなる。俺は処分を受けるし、おまえも親に監視されて暮らすことになる。下手したら見合い結婚させられるかもな」 「そんなの、説得するって……!」 「寮での不祥事だから、放校ってこともあり得るな。そうなったらまた施設に逆戻りだ」 「どうして……そんな意地悪なことばかり……」 「俺を信じて、今は言うとおりにしてくんない? 演劇の時みたいにさ……頼むよ」 「……そ……んなの……頼むなんて……ずるいよ……」  険しい顔をしていた夜々の瞳が、たちまち揺らめいた。 「……ううっ……ひくっ……ひっ……うぇ……う……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」  泣き出したーーーーー!? 「ちょっと夜々、そんな世界が終わるみたいな……」  思わず立ち上がって近寄ってしまう非情に徹しきれない俺。 「うぉ兄ちゃあぁぁぁぁんっ!」  腰に抱きついてきたが、抱き返すのはさすがに躊躇われた。  わきわきに指先を蠢かせ、俺は懸命にこらえる。 「ひん……ぐすんっ……ひくっ、ひっ……ううぅぅぅぅぅ……」 「いや、だから俺は、ふたりの先々のことを考えて……」 「えうぅぅぅぅぅぅぅぅ」  しどろもどろになる俺と、むせび泣くだけの夜々。  これもまた平行線か。  ふと、俺はこたつに片脚を突っ込んだような姿勢で目を覚ます。  いつの間にか眠ってしまったらしい。  寝不足で頭がぼんやりとしていた。 「……夜々?」  姿は見えなかった。とうに引き上げてしまったらしい。  念のため、自分の体をチェックしたが、寝ている間に性交した形跡はなかった。  ゆうべ夜々とあれだけ激論して、結局着地に失敗している。  こんな状態でも明日は学校には行かねばならない。  なんだかひどく気が滅入った。  昨日、金曜日の授業はまるで身が入らなかった。  当然と言えば当然と言える。  そして土曜日。  昼過ぎになって、月姉から話しかけられた。 「え……夜々が?」 「そうみたい。朝も昼も食事に出てきてないって」 「…………」 「昨夜もそうらしいから、けっこうぶっ続けで断食ってことになってるみたいね」 「そう……か……」 「で、様子見に行ったんだけど……部屋にはいるみたいだけど出てこないのよ」 「で、責任者の祐真にお出ましいただこうってわけ」 「別に、俺責任者ってわけじゃ……」 「……なんかあったの?」 「……………………」  こう、いきなり心の真ん中にテレポートしてくるみたいだな……この人は。 「女のカン」 「当たりでしょ?」 「……うん」 「そんな気配はあったしね。うーん……じゃあ、あたしも一緒に行くからちょっと夜々ちゃんの部屋まで来てくれる?」 「説得要員?」 「そんなようなものね」  で、そういうことになって。  寮は同じでも、女子側に入る事はあまりない。  月姉に引っぱられる俺は、途中好奇の目で見られまくった。 「ここ」  ほとんど心の準備時間も与えられないまま、月姉は扉をノックする。 「夜々ちゃーん、いるよねー?」  居留守前提みたいな声の掛け方をする。  こういう所、男らしいと思う。 「ごめん、入るよー」  寮長はマスターキーを使って夜々部屋の鍵を開け……ようとした。 「あれ? 開いたままになってた」  施錠していなかったって事だ。 「じゃ、お邪魔して、と」 「夜々?」 「……お兄ちゃん?」  夜々はベッドで寝ていた。  どうも想像していた状態とは違うな。  もっとこう、頑なで、貝に閉じこもるような……。  実際の夜々は、ぼんやりとした顔で俺たちを眺めている。 「なんか食事してないって聞いて」 「ああ……」 「で、下手人と思われる人物を連れてきたわけ。でもその様子だと、体調でも崩してたかな?」 「……体がだるくて……ずっと寝てました」 「だるい?」  月姉は夜々の熱をはかる。 「風邪ってわけでもないみたいね。痛いところとかある?」  夜々は首を振って否定する。 「月姉……ちょっと俺、話してみるよ」 「そう? じゃあたしは戻ってるけど……あ、一応言っておくけど、お手つきしたらダメよ。大問題になるから」 「わかってるって……」 「じゃ困った事があったらちゃんと相談するようにね、夜々ちゃん」 「はい……」  月姉は出て行った。  そのあたりに座って、さてどうしたものかと言葉を探す。 「……この前の事、気にしてるよな」 「してる」  だよな……。 「一晩泣いてれば、体調も崩れるよな……」 「だるいのは……本当だけど……寝てても……そのことばかり考えて、疲れる……」 「食事ってずっとしてないのか?」 「してない……なかなか起きる力が出てこなくて……」 「じゃ持ってきたら食べられそう?」 「……お兄ちゃんが持ってきてくれるの?」 「ああ、そのくらいは……できるのか?」  女子エリア常勤はまずくないか? 「月姉が許可くれれば可」 「……お話もできないのかと思った」 「兄妹ってところは否定してないから……」 「夜々、考えたんだけど……」 「うん?」  掛け布団の下から手が伸びてきて、俺の衣服をつまんだ。 「……夜々はもともと、お兄ちゃんを好きになるような人なんだと思うの」 「うーん」  ちょっと強引な解釈かも……。 「だめ?」 「保留」 「ずるい」  俺を咎める目つきも弱々しい。 「……正々堂々と真正面から回答することもできるけど、いいの? かなり厳しい回答になるけど」 「それ、いや」 「だから保留。しばらく大人しくしてろって意味」 「うう……」  不満そうな顔をしているが、一晩かけて決着がつかなかった話し合いが、今つくとは思えない。  夜々か俺が考えを変えるしかないわけだし……。  今は、何もかも保留にするしかない。 「じゃとりあえず夕食だけ持ってくる。話の続きは、体調が回復してからだ」 「うん……」  俺は月姉に話を通して、夜々の部屋に食事を運ぶ役を仰せつかった。  今日だけではなく、夜々が復帰するまでは女子エリアに立ち入る許可ももらった。  問題あるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、絶食されるよりはマシというご判断だ。  月姉が夜々のことを難しい寮生だと見ている証拠だろう。  他の女子に不安を与えるので、許可証も兼ねた腕章を作ってもらって身につけた。  これを身につけていれば、誰かに咎められても大丈夫だそうだ。  まあジロジロ見られるのは変わりないし、俺と夜々が寮内で噂のふたりになることは間違いないのだが……。 「本当に彼氏さん鳥にされてしまった」  難儀なことである。 「持ってきた」 「……ありがとう」  日曜日になっても夜々の体調は回復しなかった。  風邪ではないし、どういう症状なのだろう。  まあ精神的なショックが原因だと言われれば、ダメージ源の俺にとやかく言う権利はなさそうだ。  とりあえず食事を運ぶだけだ、今は。 「夜々、ごはん」 「……ん」  介護するように身を起こさせ、箸を握らせる。 「食べられる?」 「……ん」  寝ぼけ眼で箸を動かす。  一口……二口……三口……そこで箸を置く。 「食欲ないの?」 「……今日は、あまり」  昨日より悪化してるような気がする。 「元気になったら、また話そうよ」 「ん……」 「そのためにも食べないと」 「ちょっと油っぽくて……ダメみたい」 「そうか……じゃみそ汁だけでも飲んだら?」  夜々は弱々しい持ち方で椀を手にする。  取り落としそうになる。 「危な!」  すんでのところでキャッチし、そのまま俺が手を添えて口元に運ぶ。 「ごめんね……」  結局、食べさせてやることになったか……。  みそ汁も半分ほど飲んだところで、喉を通らなくなってしまった。 「朝だし食欲ないよな。とりあえず昼にまた来るか……」 「…………」  夜々はもう寝息を立てていた。  今さっきまで起きていたのに……。 「夜々?」 「…………」  昼食の運搬。  しかし夜々は眠ったままだった。 「ずっと寝たままなのか……もしかして?」  風邪ではないにしても病気の可能性ってあるんじゃないか? 「……あ……おにいちゃん……」 「起きたか」  ほっと息をつく。 「……お昼?」 「ああ。なるべく喉の通りがいいものばかり持ってきた」 「……ありがとう」  食べる様子を横で見守っていると、夜々は途中で手にしていた箸を取り落としてしまった。 「あ……ごめんなさい……」 「手に力が入ってないの?」 「そうみたい……痺れたみたいになってる」 「ぐうう……」  演技かもしれないけど、とても指摘できやしない。 「じゃあ俺が食べさせてあげるから」 「……あまり、食べたくない」 「朝もそう言ってたろ? さすがに何か口にしないと。ほら」  食べやすそうなものを選んで、口に運ぶ。 「ん……」  力無くくわえ、やたら時間をかけて〈咀〉《そ》〈嚼〉《しゃく》する。  おかずだけだ。ごはんはほとんど口に入らない。 「……ごちそうさま」  食べた量で言えば、朝よりはマシな程度だった。 「……ちょっと見過ごせないな。これ以上断食されると病院ってことになる」 「病院、いやだよ……」 「そんなこと言われてもどうしようもない。健康の問題だからな」 「それより……お風呂入りたい」 「え?」 「金曜日は入れたけど……昨日入ってないの……」 「そうなのか……うーん、俺が入れてやるってのは無理だから、月姉に頼む形でいいならお願いできるけど」 「お願いなの」 「わかった、じゃあそれは今日の夜にでも手配しておくよ。ただし」 「?」 「夕食はちゃんと食べること」 「……頑張ってみる」  けど結局、夕食でさえほとんど口にはできなかったのだ。 「どう? 夜々の風呂」 「ん、まあ滞りなく。スッキリして喜んでたわよ。髪乾かしてあげてる間はプリン食べてたし」  ちょっとは腹に入れたんだな、よかった。 「で、今後のことなんだけど」 「食欲も低下して、眠りっぱなしね……熱はないし、素人じゃこれ以上はできないんだけど」 「そうなるよね」  月姉は腕を組んで考え込む。 「本人とも話したけど、病院は嫌だって言ってるのよね」 「病人はみんなそう言うんだよ。うちの父親もそうだった」 「といっても精神的なものかも知れないんでしょ?」 「う……」 「……明日一日様子を見てみましょう」  そして月曜日。  夜々は学校を休んだ。  夕方、授業が終わるなり飛んで帰って、夜々の様子を見に行った。 「……夜々?」 「…………」  静かに眠っていた。 「…………」  苦しんでいたりつらそうな様子はない。  ただ静かだからといって、安らかとは限らないものらしい。  夜々の寝顔を見ていると、なぜか不安になってくる。  枕元に置かれたいくつかの食料品のうち、ミネラルウォーターのペットボトルだけが、わずかに量を減じていた。 「なあ?」 「…………」  声をかけても、まったく反応がない。 「……どうしたんだよ……夜々」  精神的なショックがいくら大きくても、こんな風になるものなのか?  着替えに戻る途中、同じく学校から戻ったばかりの月姉とすれ違った。 「あ、祐真。彼女どうだった?」 「寝たきり。あの、雪乃先生に連絡してもらえるかな?」  月姉の顔色が変わる。 「……まずそう?」 「医者に連れて行くタイミングは今だと思う。特につらそうというわけではないんだけど」 「わかった。ちょっと待ってて」  その場で電話をかけてくれた。 「すぐ戻るって。あたしはいざという時のための着替えとか用意しておくから、祐真もどこにも行かないで待機してて」 「わかった」 「……タクシーでいいの? 救急車は?」 「危機的な状況じゃないですから、タクシーで大丈夫です。祐真、手伝ってくれる?」 「はい」 「夜々、起きられないか?」 「夜々ちゃーん」  強く呼びかけられると、夜々は重たげに目蓋を持ち上げた。 「……な……に……?」 「医者行くから」 「……どうし……て?」 「どうしても。自力じゃ動けないだろうから背負ってやって」 「了解。先輩上着か何かを」  俺は布団をはいで、ぐったりと寝そべったままの夜々の体を持ち上げた。 「……」  ……力が入ってない。  四肢がぐんにゃりと遊んでいて、人を不安にさせる。  しっかりと背負ってみたが、夜々自身が俺にしがみついてくれないから少し怖い。 「上着……羽織らせるね」 「すいませんけど、後ろで押さえてくれません?」 「雪乃先生、お願い」 「あ、は、はいっ」  しっかりして教師の人。 「あ、タクシー来た。祐真、ゆっくりでいいから外まで来て。あたし先に言って話しておくから」  月姉は表に出て行った。  俺は夜々を連れて行かないと。 「夜々、しっかり」 「…………」  くそ、何なんだよこれ……! 「じゃ、お願いします」 「うん」  病院での検査結果には、異状は認められなかった。  夜々は点滴だけを受けて、その日のうちに寮に返されてしまった。  どうやら、重くは見てもらえなかったようだ。  月姉が俺の背から夜々をおろし、ベッドに寝かせた。  点滴のおかげか、少しだけ血色が良くなっていた。 「これからどうしたらいいんでしょうかね」 「……精神疾患の可能性もあるそうだから、場合によっては精神科だけど……」 「ご両親と相談の上ということに……」 「連絡取れないってどういうことなんです?」 「お仕事の関係でそうらしいのよ」 「じゃ手間暇かからないところで往診ってのは?」 「点滴往診だけは手配できるけど」 「…………」  なんだかこじれてきたな。  夜々の髪を撫でて、額から払った。  もしこの状態が、俺の拒絶に端を発しているというなら。 「……おまえの世界は、0か1かってことなんだな」  極端で純粋で……そして哀しい。  そうだ、俺は夜々の事を裏表なく幸せにしたいんだ。  けど俺は兄貴だから……許されない相手だから。  そのジレンマが、俺に言い訳を続けさせたんだ。 「…………」 「…………」  火曜日。  夜々はほぼ一日、眠り姫。  枕元の備蓄食糧は少量の減り。水分は補給している模様。  とりあえず最低限、命の心配はなさそうだった。  明日もこの調子だったら……俺も学校を休もう。  誰も知らないけど……兄貴なんだからな。 「…………」 「…………」  微動だにしない寝顔を見つめていると、不意にぱっちり夜々の目が開いた。 「……夜々?」 「お兄ちゃん……どうしたの?」 「夜々の看病してたんだ」 「……あ……そうか……あれ、でも……学校は?」 「目、覚めたのか?」 「……おトイレ」 「ああ、なるほど。手助けいるか?」 「……起こしてくれる?」  少し恥ずかしそうに言う。  夜々の背中を支えて、立ち上がらせる。 「寒いから上着羽織って」  肩からかけてやる。 「ありがとう……」 「背負っていってもいいけど」 「……大丈夫……自分で歩かないと……」  少しふらついていたものの、ちゃんと自分の足で部屋を出て行く。 「……よかった……起きて」  ほっとした。好調の兆しかと思ったのだ。  しかしそれから何分経っても、夜々が戻ってこない。 「……まさか!」  トイレに向かう。  女子トイレ……入るのは躊躇われたが、日中で人もいないし構うものかと突撃。  夜々は洗面台にもたれかかるようにして、意識を失っていた。  水道が流しっぱなしになっていた。 「夜々!?」  息はある。下を汚してもいない。手が濡れている。  用足しを済ませて手を洗っている時に倒れたか。  かつぎあげて、部屋に運んだ。 「ふー」  気絶したまま寝かせて、安らかなる眠りに移行するもんなのかね?  とりあえず苦しんでいる様子はないけど。 「……あ……れ?」 「気付いたか、よかった」 「……夜々……どうしたの?」 「トイレで気絶してたんだよ。で、俺がここまで運んできた」 「……トイレで……あ……ん……」 「安心していい。その手の問題は発生してなかった。たぶん済ませたあとで気を失ったんだな」 「そう……ごめんなさい……ありがとう……」 「……声、力入ってないな」 「うん、あまり、元気出なくて」 「食欲は?」 「……ないみたい」 「…………」  俺たちの間には、あの日の口論がいまだに挟まったままだった。 「ここで俺が嘘でもうんって言えば、良くなってくれたりすんのかな?」 「……嘘じゃだめ」 「だよなぁ」 「でもどうして……こんな、だるいのかなぁ……」  しんどそうに言葉を発し、目を閉じる。 「俺のせいじゃないかな」 「そうなのかなぁ……夜々……わからない……」 「あ……」  眠ってしまった。  俺も寝付きはいい方だけど、こうまで瞬間的に寝られるものなのか?  底冷えのする不安が、いつまでも消えなかった。  木曜日。  今日は点滴往診というものが来るそうだ。  だから俺も学校に行った。  授業が終わると即帰宅し、夜々の部屋に顔を出した。 「あ、先生」 「天川、早かったのね」 「ずっといたんですか?」 「ええ」 「往診って話は?」 「来たわよ。点滴してもらって、それと容体を診てもらったけど……単に寝ているだけだそうよ」 「精神疾患とかでもないんですか?」 「……過眠症みたいなものではないみたいね。今の段階では、ただ眠っているだけとしか判断できないっておっしゃってたけれど」 「…………」 「ときどきは自分で起きてるみたいだし、何かの疲労によるものじゃないかって」 「そう考えれば、小鳥遊は転入したばかりで演劇にも参加していろいろ慌ただしかったでしょ? そのあたりで積もったものがあったんでしょうね」 「先生……でも……」 「つきあってるんでしょ? 心配なのはわかるけどね。入り浸るのはやめてあげなさいね」 「……はあ」 「今日はあたしが見ているから」  居座る必要はなさそうだな。  自分の部屋に引き上げることにしよう。  にしても、夜々のあれが……医学の〈範〉《はん》〈疇〉《ちゅう》から外れるということは、どう考えても原因はクローバーだ。  人の記憶の奥底に食い込み、長期に渡って抑制をしてきた。  記憶というのはデリケートな領域であるはずだ。  クローバーだって万能の力ではないんだし、何か副作用があったのかも知れない。 「ふあ……」  いったんシロツメさんに相談した方がいいのかもな。  いつの間にか俺は、足のつかないような深くて暗い眠りに落ちていった。 「うー……腹……減りすぎ……」  強すぎる空腹が、俺を叩き起こした。 「……夕方」  そうか、今日は雪乃先生が夜々についているから俺の出番がなかったんだ。  寝そべっていたから、そのまま寝てしまったんだな。 「何時間寝ていたんだ?」  時計を見ると、時間が巻き戻っていた。 「ん?」  確か五時くらいだったはずだけど……なぜか時計は四時半。  携帯の時計でも確かめてみると、同じく四時半。 「……なんだ?」  頭がうまく働かない。  ちょっとリビングにでも出ようと立ち上がったはずが、ベッドにぶっ倒れていた。 「……ん?」  一瞬で、視野が黒一色に染まっていく。 「これ……な……」  これは……眠気だ。  けど普通じゃない、人を一瞬で昏倒させるほどの……高純度の睡魔。 「天川君! 寝坊は見逃せても無断欠席は罪が重いよ! ……って、天川君?」 「…………」  恋路橋……。  かろうじて友人の来室は感じ取れたが、指一本動かせない。  それに無断欠席だって?  何を言っているんだ? 「……まさか一日中寝ていたとか言うんじゃないだろうね」  一日中だって?  俺はほんの少しだけ寝こけていただけなんじゃないのか? 「こ……」 「なんだ、起きてるんじゃないか。雪乃先生は怒っていたよ。小鳥遊さんのところに入り浸って学校を休むようなら、許可証取り上げるって」 「……きょ……なん……び……」  言葉がうまく出せない。  眠すぎて、舌が回らないんだ。 「……ん? どうしたって?」 「きょ……よう……」  恋路橋、友達なら緊急事態だって察してくれー。 「よう……び……きょ……」 「ああ、今日の曜日? それはもちろん金曜日じゃないか」  ……金曜日。  雪乃先生に追っ払われたのが木曜日。眠ってしまったのがその夕方。  で今は金曜日の夕方で、俺は学校を無断欠席してしまった、と。  24時間、眠りっぱなしだったってのか?  う……空腹感とか尿意とか……いろいろなものが……。  今眠ったら大変だぞ! 「こ……トイ……レに……」 「ん? もっとはっきり喋ってくれないか?」 「トイ……レ……」 「トイレだって? 行けばいじゃないか……」  だから、自力じゃ動けないし気を抜いてると眠ってしまうんだって! 「まあ……来週はちゃんと来るようにね」  恋路橋は出て行ってしまう。 「………………ぁ……」  まずい、これでまた24時間とか落ちたら……粗相どころの騒ぎじゃない。  それに、これって夜々の症状と同じなんじゃないか?  つまり……つまりどうなんだ? 「…………」  思考は明確な形になる前にぼやけて、うまく結論に繋がってくれない。眠すぎるのだ。  そう、確実なのはクローバー……俺も、影響を……だから……。  ダメだ……落ちる……。 「あらあら〜、まあまあ〜」  この声……。 「祐真さん、ヨダレがこぼれてしまっておりますよ?」  シロツメ、さん……。 「……これは」  ふと深刻な顔になって、俺の頬に触れる。 「…………」  顔が近い今がチャンスだ。 「ト……イ……」 「トイ?」 「トイレ……連れて、いって……動け、ない……」  言えた! 「まあ。でも私の力では、殿方をどこかに運んでいくだなんて」  肩を貸してくれるだけでいいから……!  目は何よりも饒舌に語ったのか、シロツメさんはうんと頷いて俺の腕を自分の肩に回した。 「わかりました。やってみます」 「では……よいしょおー」 「よいしょおー」 「うーんうーん」 「…………」  一センチも持ち上がらない。 「殿方って重いものなんですね〜、がんばります〜」  俺……本当に漏らしちゃうかも知れない。 「……おかげで……助かりました……」 「いえいえ」  あのあと奇跡的に脚に力が入って、シロツメさんの介助と合わせてなんとかトイレまで移動することができた。  けど問題は……トイレに入ってからだった。  当然俺には一人で用を足す力もなく。  人に……手伝ってもらうなんて……。  しかも自力で支えられず添えられてしまうなんて……。  最悪だ。  この人はこの人でニコニコしているし。  まあいいや、忘れよう……。 「眠気も少しは覚めました……」 「眠気?」 「突然、眠くなって、一日すっ飛んでしまって」 「…………」  なんだろう、険しい顔して。 「夜々さんの方にも何かあったんじゃありません?」 「はい、そのことでちょっと相談しようかと思ってたところです」 「……夜々さんにお会いしたいんですが」 「あ、はい」  俺はシロツメさんを夜々の部屋まで案内した。  夜々は相変わらず、眠ったままほとんど反応を示さなかった。  こころなしか弱っているような気がするが、食が細くなっているのだから当然だろう。 「もう何日もこのままなんです。たまに……最低限の水とか食べ物を摂る時に起きるくらいで」 「…………」 「もしかして、これってクローバーの……?」 「……そのようですね」  やっぱりそうか……。 「願いについては覚えてらっしゃいますか?」 「ええ。でも夜々の願い……互いに記憶を失う……はもう叶え終わってるはずなんですよね?」 「そうですね」 「まさか記憶が戻ったせいで負担がかかっちゃったとか?」 「……いえ、これはたぶん……祐真さんの願いではないかと思うのです」 「お、俺のですか!?」  大ショックだった。 「確か無効になっていたとかじゃ?」 「無効になったわけではなく、保留されていたものが……今ようやく効果を発揮しはじめたということでしょうか」 「ガーデンからわずかな力の流出があったものですから……まさかと思って様子を見に来たのです……やはり、凶兆だったようですね」 「力の流出……」 「クローバーが奇跡を引き起こす時は、ガーデンから力を呼び込むのですよ」 「……でも……俺の願いは……」 「夜々さんが悲しまないに、という願いだったはずですね」 「そうです。確か俺は……その言葉のままに祈りましたよ。願いというか、祈りですけど」 「夜々さんは幼い頃の悲しみを封じられて、無感情のままずっと生きていたのではないかと思うのですが」 「再会した最初の頃もそんな感じでした。年相応に無邪気なんだけど、人に対しては心を閉ざしてるという感じで……」 「悲しみというものは、たいがいが人に関わることで生じるものですからね」 「……心を閉じていれば、哀しい出来事はそうは起こらない。だからこそ、祐真さんの願いはずっと力を持つことはなかったわけです」 「ごく最近、夜々さんが悲しむようなことが、ありましたね?」 「…………はい」  この人に隠し事をしていたら、解決するものもしなくなる。  俺は今までの経緯を全てシロツメさんに話した。 「……なるほど」 「つまり祐真さんが夜々さんから距離を取ろうとしたことで、夜々さんは強い悲しみを受けてしまったわけですね」 「そうか……それで、悲しみに反応して……俺の願いが……」 「具体的にどういう方法で悲しまないようにするか、指定はされていないのですよね?」 「はい。そのあたりのカラクリはわからなかったんで、漠然と……」 「そういう願いは、本来あまり強い効力を導き出せないものなんですが……なぜこんな極端な形で発現しているのかが不思議ですわね」  悲しみから逃れるための眠り姫。  でもそれは、人間としてのまともな生さえも放棄させてしまうじゃないか。  クローバーってのはそんな危険な力なのか? 「……こういうことは、よく?」 「いいえ。今回がはじめてです」 「そもそも祐真さんと夜々さんについて、願いが競合することは最初から予想していたんですよ。だからあなたがたが街に戻ってきてからは、ちょくちょく様子を見に来ていたのです」 「そうだったんですか……」  夜々と再開する直前、高台で会ったな。 「……これ、どうすれば良いんですか? このままほっとくとどうなるんでしょう?」 「どうなるかはわかりません。ただ祐真さんの願いは、祈りの段階にとどまっているということですから……もしかしたら状況を打開することはできるかも知れません」 「ほ、本当に?」  思わず身を乗り出してしまう。 「……え、ええ……でも」 「クローバー本体があなたの手元にあるなら……ですが」 「クローバー……」 「クローバーは願いを叶え終わると消えます。しかし叶えない限り、傷つけない限りはずっと手元に残ります。枯れることもなく」 「私のクローバーは一本の草の持つ小さい命に、かりそめの意思を与えられたシロモノです。人の願いを聞き入れるため、ごく簡単な判断力が与えられています」 「演算装置みたいなものですか……」 「ですから願いはハッキリとした明確なものでなくてはならないのですが……具体的には目的と手段を言葉に含ませることで、クローバーは完全に力を発揮するようになります」 「なるほど」 「たとえば……庭を色鮮やかにする……という願いでは、もしかするとペンキを塗りたくったように庭木の色が変化してしまうかも知れないのです」 「わかってきました……つまり庭の枯れ木に花を咲かせる……くらいまでハッキリしてるといいわけですね」 「ええ、本来ガーデンに辿り着くほど純粋な人の願いというものは、目的が定まっているものですから」 「……そう考えると、確かに俺の願いは漠然としてますね」 「今、祐真さんの願いはぼんやりと、手探りで進むように実現しつつあります。クローバーは人の命を殺めることはないはずですが……結果的にずっと眠りっぱなしになれば命を失う」 「!!」 「……あくまで可能性です。おそらく命が尽きる前に、クローバーは奇跡を解除するとは思うのですが……」 「運には頼れない……俺のクローバーがあれば、取り消しが効くんですよね?」 「いえ、祐真さんはクローバーに目的だけを願いましたから……まだ手段を追加する余地があると思いまして」 「手段……ええと、夜々が悲しまないように……が目的で」 「悲しまないように、何をしたいですか?」 「……俺は」 「それが手段です。うまく使えば、帳尻を合わせることができるのではないかなと」 「わかりました……俺、探してきます! どこにしまいこんだのかは記憶、ないんですけど……」 「なんとしても思い出してください。私はあの場所におりますから、何かあったらいつでもいらしてください……」  もう夜か……。  クローバー。俺が子供の頃に手に入れた……。  昔の記憶が戻ってはきたはずなのだが、まだ完全ではないらしい。  今ある記憶に、クローバー自体のエピソードは含まれていなかった。  自然な記憶の復帰を待ってはいられない。  なんとか理詰めで導き出さないと……。  どこにあるのだろうか?  寮か、実家か、施設か……。  まず寮はなくなる。  私物の中にもクローバーなんてものはない。  実家。どうだろう?  俺がクローバーに願いをかけ、当時里親に引き取られていった際……持っていったのかどうかだ。 「少し遅いけど……」  いや、緊急事態だ。俺は母親に電話をかけた。  俺が引き取られた時の荷物について尋ねてみる。  しかし当然というか、ふたりとも心当たりはないという。  ただ……俺の小さい頃の荷物は、まとめて保存してあるとのことだった。  確かめる価値はありそうだ。  明日は土曜日。学校は休みだ。  行って、確かめてみなければ……。  土曜日。  俺は朝から実家に戻り、くだんの荷物を調べることにした。  子供の頃の荷物は、収納箱に二つくらいのものだった。  ひとつは衣類などが入って、もうひとつは実家に来てから与えられた玩具の類だ。  ……そうだ、まだまだぎこちない関係だった親が、子供だった俺にいろいろと買ってくれたんだ。  俺はお客様気分で落ち着かなくて、こんな贅沢してもいいのかと心配で。  施設の仲間のこととか考えたりして……。  しかもこの時期、俺は夜々のこと忘れてたんだよな。 「いかん……今日中にクローバー発見しないとだ…あわてろ!」  感傷を棚に上げて、俺は事務的に荷物をあさった。 「……ない」  絵本の間まで一ページずつ調べたが、クローバーは発見できなかった。  もう一度、親に電話をかけた。  今度は〈直〉《ちょく》〈截〉《せつ》に、クローバーについて尋ねてみる。  心当たりは……なし。  俺の荷物で捨てたものにそういうものが含まれていた可能性について。  四ツ葉のクローバーというものは見たことがないとのご返答。 「……まいった」  詫びる親をねぎらって、電話を切る。  しかし落胆は抑えきれないものがある。  となると、まだ可能性があるとしたら施設か……。  施設……くそ、もう夕方じゃないか。  夜々の様子も見ておきたいし、一旦寮に戻ろう。  そして明日、施設に戻って総ざらいだ!  帰ってきて、最初にやったのが夜々の使っているシーツを乾いたものに取り替えることだった。 「…………」 「夜々……」  まずい徴候と言えた。  水も食料もまったく減っていない。  つまりずっと眠りっぱなしだったということだ。 「夜々、起きろ……なんとか起きて、水だけでも飲まないと」 「…………」  体を揺さぶっても、反応らしい反応は見られない。  やはり俺がクローバーを見つけてやるしかないのか? 「……祐真、とりあえず洗濯機回しておいたわよ」 「ありがと、月姉」  さすがに着替えとか体ふきは、月姉に頼んだ。  今さらだから俺がやってもいいんだけど、対外的にいろいろと問題があるから、より自然な方法を選んだ方がいいだろう。 「ちょっと見過ごせないレベルになってきたわね」 「……こんなのはまともじゃないよ」 「あんた、今日一日どこ行ってたの?」 「……探し物があって」 「こんな状況だから、ずっと一緒にいると思ってたのに」 「問題になるんでしょ、それって」 「……まあね」 「力仕事がいる時だけは、言ってくれれば出かけないようにするよ」 「あんたってそういうところ、本当に優等生よね」 「え?」 「ガキっぽくないってことよ。ちゃんとわきまえてて、思い通りにならないからってキレたり騒いだりしないから」 「……やることが決まってるからかな、それは」  本当は俺だって叫びたいくらい不安なんだ。 「実は、口論しちゃって……こうなる前の夜々と」 「……あら」 「だからそれでショックを受けてたとしたら、俺にも責任の一端がある……下手は打てないよ。俺、小心者だから」 「そうかそうか」  なぜか頭を撫でられる。 「……なんで?」 「あんただって傷ついてるんじゃないかなって思って」 「……どぉも」  危ない、ちょっと泣きそうになった。 「今、夜々ちゃんのご両親に連絡が取れないか手配してもらってるんだけど……つかないみたいね」 「……うちもほとんど海外にいるんで、似たようなもんです」 「祐真って……夜々ちゃんの本当のお兄さんなの?」 「…………」  突然の質問に、呼吸が止まる。 「ごめん、直感」 「……月姉、探偵になれる……」 「ビンゴなんだ」 「いろいろ事情がありまして、これには……」 「でしょうねぇ。不自然すぎるもの。考えれば、最初から怪しい部分はあったし」 「……ごめんなさい、詳しく話すことは……」 「わかってるってば。ちょっと寂しいけど、あたしも祐真の全てを知ってたわけじゃなかったってことだしね。でもひとつだけ聞いていい?」 「なに?」 「なのに夜々ちゃんと、付き合ってる?」  気圧されるくらい真剣な顔を向けてきた。 「……まあ、はい」  月姉の顔に様々な感情が波のようによぎっていった。 「そうか……」 「……ごめん」 「なに謝ってんのよ!」 「夜々は、わけありなんで……俺がついてないといけないから」 「いいからいいから……大変だと思うけど、応援してるから」  ばっしんと背中を叩かれる。  なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。 「いろんなものと戦っていくため、夜々ちゃんには元気になってもらわないとね」 「そうなんだよね……」  本当そうなんだよな……。  この問題を解決するためには、なんとかして俺が記憶の狭間に消えたクローバーを見つけ出さないと。  結局、日曜日になってしまった。  けど今日の予定は決まっている。  俺は身支度を調え、夜々の寝顔だけ確認しようと女子エリアに足を踏み入れた。 「あ、天川!」  ノックして扉を開けようとしたら、雪乃先生が飛び出てきた。 「え……先生? どうしたんですか?」 「小鳥遊、起きないのよ」 「祐真、昨夜からずっと」 「そうなんですか……」 「どうしよう? どうしたらいい?」 「落ち着いてください先生」 「……水もほとんど飲んでないみたいだし、そろそろヤバいと思う」 「となると、もう救急か」 「ですかね。生命維持だけでもやってもらえれば……あとは何とかします」  時間がない。 「ちょっと、どこ行くの?」 「夜々のことお願いします!」  廊下は走るなだけど、ごめん……走るわ。  俺は全速力で寮を飛び出し、施設に向かう。  寮にも実家にもなかったら、あとは施設しかない。  だけど……! 「……もしあそこに残していたとしても……今まで保存してくれてるもんか?」  とにかくじかに確認するしかなかった。  ……施設を出た。  探せる場所は全て探したつもりだけど、どこにもクローバーは見つからなかった。  そもそも卒園した人間の残していった私物が、長く残されるはずもなかった。  椅子や着物ならともかく、多少珍しい四ツ葉とはいえただのクローバーなのだから……この結果は順当だ。  物置をひっくり返し、今も残っている同世代の兄妹たちに聞き込み、古い職員さんに協力までしてもらったけど……ダメだった。  挙げ句、しおりにでもしたのかと施設内の書物を総ざらいしようとしたが、あまりにも無謀な行いだと気付いて挫折した。  こんな施設でも、図書室には何千何万という本がある。  ページごとにしおりの有無を確かめながら調べることは、一人ではまず不可能だ。 「……手詰まりか」  ここですんなり見つからなければ、あとはもう心当たり自体がなくなる。 「しかし、おかしいな……」  なぜクローバーについての記憶だけが、ここまでスッポリ抜けたままなんだ?  そう言えば子供の頃の記憶、もうほとんど戻ってる。  夜々の事とか、ガーデンを探し歩いた時の心境とか、施設当時の細かい出来事の数々とか……。  クローバーに願いをかけた時の記憶だけがないような気がする。 「……………………」  なんだろう、どこかで引っかかっている。  歩きながら考える。 「……あ、こんなところに来ちゃった……」  あまりにも肌寒かったから、人気がなくなってからは軽く走っていたら、いつもの癖でここまで来てしまったらしい。  苦笑して、寮方面に足を向ける。 「……待てよ?」 「さらにガーデンを訪れた方は、出ると同時にここでの記憶を全て失います。願いを実現するクローバーのこと以外の、全てを」  そう、だから俺は今でもガーデンでシロツメさんと会話したあたりの記憶だけは、取り戻していない。  俺にクローバーの記憶がないということ、それはもしかすると……。 「あり得るな……」 「あ、はい、天川です」 「あたし」 「月姉……か」  月姉のいつも陽気な声が、ぴんと張りつめたみたいになっている。  ……いやな予感がする。 「今病院なんだけど……夜々ちゃん、起きた」 「ええっ?」 「点滴を受けて検査してもらって……ずっと眠ったままだったんだけど、今さっき突然、起きて……」 「よかった……!」 「……祐真、ちょっと覚悟して聞いてくれる?」 「は、はい」 「夜々ちゃん、記憶喪失になってる」 「…………」  なんだって? 「すいません、もう一度! 詳しく!」 「目を覚ました夜々ちゃん、あたしたちのことがわかんないんだって。はじめて見る顔だって言うのよ」 「……まさか…………」  忘れる。記憶を、失う。  その問題は解決したはずなのに、どうしてまたぶり返した? 「どこまで覚えてるんですか?」 「……転入したこと自体、忘れてる。演劇のことも。こっちに来て知り合った人間のことは一人も覚えてないみたい」 「そんな……」 「一時的なものだってお医者さんは言うんだけどね……」 「じゃあ俺の事も……?」 「……祐真のことも、忘れてる」 「……そう、か」  受け答えはしていても、理解はできていなかった。 「ただヘンなのよ。お兄ちゃんがいるんだって言っててね。祐真はわからないけど、お兄ちゃんがいるって」 「え……」 「で……忘れたくない……って言ってる。意味は全然わからないんだけど、祐真には心当たりある?」 「忘れたくない……か」 「嫌だ、忘れたくない、忘れるの嫌だ……というようなことをずっと繰り返してる。ちょっと見てて不安なのよ……泣いてるからね、夜々ちゃん」 「祐真、どうしよう……お医者さんは、こういうのまともに取り上げてくれないのよ。ただの混乱だから、すぐ落ち着きますとしか言ってくれないのね」 「……でも、あたしはこれ危ないと思う。なんとなくだけど……大切なものが、今どんどん壊れているような気がする……」 「……俺、心当たり、あるかも知れない」 「そうなの? どういうこと? 祐真」 「話している暇が惜しい。ごめん、ちょっと俺、行ってくる」 「行くって、どこに?」 「クローバー・ガーデンと呼ばれる場所に」 「……え、それって……?」  悪いけど、電話をブツ切る。  本気で時間が惜しい。 「行かなきゃ……!」  そして俺は今度こそ、全速力で駆け出す。  彼女のお庭に向かって。 「シロツメさん……シロツメさーん!!」 「祐真さん」  最初は誰もいなかったのに、呼びかけると背後にシロツメさんが立っていた。 「……あ……シロツメさん、夜々の記憶が……消えて行ってるんです!」 「記憶が……?」 「病院から電話があって……どうもそうらしいです」 「…………」 「そういうことって、あるんですか?」 「わかりません……どういうことでしょう……見てみないことには……」 「夜々本人は、もう俺のことも忘れちゃって……でも記憶を失うことを怯えているらしくて、忘れたくないって泣いてるそうです」 「……つまり……でも、まさかそんな複雑な作用が……」 「少し、夜々さんの様子を見てきたいと思います」 「市営病院ってわかります?」 「はい、私はこの街を見守ってきた者ですから」 「夜々はそこにいます」 「祐真さん、ところでクローバーの方は?」 「そっちなんですが……記憶がまるでないんです」 「思い出せませんでしたか……」 「そういうことではなく……シロツメさん、行く前にひとつ教えてください。俺はクローバーをここで使いませんでしたか?」 「え? お庭で?」 「はい。ここに来た人間は、出ると同時にその記憶を失うんですよね? で、手には願いを叶えるクローバーだけが残される」 「はい、そういう作用を施しています」 「俺、子供の頃の記憶で、クローバーを使った記憶自体が戻らないんです」 「……なるほど、ここで使った場合、確かに出ると同時にそこでの記憶を失いますね」 「そういうことはあり得るのかなと」 「あり得ますねぇ。クローバーの使用する場所に、特に制限は設けておりませんから」 「シロツメさんはここの管理人さんだから、俺が使うのを見てないかと思って」 「……いえ、そんな記憶は……」 「でも……クローバーのガイドをしたあと、お客様をお外に戻す時……時間差がありますねぇ、そういえば……いやだわ、バグかも……」 「目の届かない瞬間がある、と。だったら俺の予測じゃ……たぶんクローバーはここにあります」 「ここの、どこかにですか?」  広大な草原を振り返るシロツメさん。 「祐真さん、だとするとそれは……」 「消えないんですよね? 願いを成就するまでは……」 「そのはずですが」 「俺のクローバーが効果を使い果たす前に、手段のワードでうまく願いの結末を誘導すれば……」 「それを、この中から探すと? 私には個々のクローバーの場所まではわかりません。砂漠でひとつぶの砂を探すようなものですわ」 「でも、ここにあるんだ! ここにあるんだったら……探すしかない!」 「二度も俺のことを忘れさせてたまるか!」 「祐真さん……」 「わかりました。では四ツ葉ではなく、三ツ葉と半分くらいの小さな四枚目の葉がついたものを、探してください」 「三ツ葉半?」 「クローバーは願いを叶えるため、幸運の触媒たる四枚目の葉を消費します」 「成就の途中にあるなら三ツ葉半ってことですね……わかりました!」 「夜々さんの記憶が失われているのは、祐真さんの願いと関係がありそうです。だから時間が経ってしまうと、あなたのクローバーは消えてしまうことになります」 「…………」  朧気にそうだろうとは思っていたけど、やっぱりそうか……。 「祐真さん、クローバーが願いを叶えてくれるのは、一人につき一本だけ。これを失えば……もう……」 「……」  そうか、話している暇はない。  すぐにでも探さないと!  俺は地べたにへばりついて、クローバーをかき分け始めた。 「願いをうまくそらす、手段のワードを考えておいてください」 「はい!」 「では、行って参ります」  シロツメさんの姿が消えた。  あの人が万能ではないのは知っていたつもりだけど……まいったな、思っていたより全然余裕がなかったんだ。  砂漠からひとつぶの砂を探すような作業。けど今は、そういうことは考えない。  とにかく三ツ葉半……俺のクローバーを視野に入れることだけを考えるんだ。  いや……手段のワードも、だな。  脳を使うのはそのふたつだけでいい。  俺は軽率だった。  けど悔やむのも叫ぶのも惚けるのも、全て後回しだ!  探せ!  探せ……!  探せぇぇぇぇぇぇぇ!! 「はぁ、はぁ、はぁ……」  夜々を悲しませないため……○○する。  手段を指定する言葉をどう埋めれば、巻き返しができるだろう?  茂みをかき分けながら、俺はそのことだけを考える。  とんち問題みたいなものだ。  三ツ葉半を見つけた瞬間、それをぶつけてやればいい……。  やり方次第では、記憶の欠損は最小限で済むかもしれない!  どんなに疲れても、眠くなっても、指先が切れて、血が滴っても……俺は止まるわけにはいかない。  頼む……。  見つかってくれ……! 「……………………」  捜し続けている。  俺は、もうそのためだけの存在と化していた。  手段のワードは……これでいいのかどうかはわからないけど……とりあえず決めたつもりだ。  あとは、見つけるだけ。  最終段階だ。  だから……どんなに疲れても頑張れるはずだ。最後なんだと思えば。  長い時間。  俺は無言で手だけを動かしていた。  もう何時間経ったろう?  三時間?  四時間?  いや……もっと経っている。  携帯の時計を見ればわかるが、その時間さえも惜しい。 「…………」  気がつくと、シロツメさんも向こう側の草むらを調べていた。  いつからいたのだろう? 「…………」  声をかけなかったということは、特別俺に知らせることはないのだろう。  話しかけることはなさそうだ。 「くそ……眠い……」  睡魔が襲いかかってきている。  集中力がじわじわと削られていく。  散漫になって、さっき調べた場所をもう一度調べたりしてしまう。  小一時間でも寝れば効率は上がるのだろうけど……だけど……とてもそんなことをしている余裕はない。  俺は……、 「……………………」 「祐真さん、祐真さん! 起きて!」 「……う、あ?」 「寝てはいけません! クローバーを探さないと、夜々さんが!」  え、俺……落ちてた? 「うわあ!」  飛び起きる。  そしてすぐに地面に向き直った。  探しながら、話す。 「俺、どんくらい?」 「……10分くらいでしょうか。私も気付かなかったので、申し訳ないです」 「いえ、すいません、起こしてもらって……」 「だいぶお疲れのようですわね」 「……でも、探します、今は」 「…………」  シロツメさんの気配が、哀しげに揺らめいた気がした。  顔を上げてみると、泣きそうな顔をしていた。 「……責任を感じる必要はありませんよ。子供の頃、ここに望んで来たのは俺と夜々なのだし……自業自得だ」 「……私は、このガーデンでささやかな幸せを……この土地に……」 「その話は、また今度聞かせてください。面白そうだ」  探索に戻る。 「……そうですわね」  シロツメさんも自分の場所に戻って、しゃがみこんだ。  見つかれ……見つかれ……見つかれ!  もしかするとすでに一日二日くらいは過ぎ去っていてもおかしくはない。  主観では、それだけの重い時の流れを感じていた。  眠気が尋常ではない。  油断すると一気に叩き落とされる感じだ。  効率の低下も明らかだ。  いよいよ切羽詰まってきた。  気合いだけではどうにもならない、肉体の限度……それは俺をますます焦らせる。  とにかく早くクローバーを見つけなければならない。  俺が捜すべきクローバー、それは……。 「……ん?」  クローバーは、どんなだ? 「シロツメさーん、クローバーってどんなのでしたっけ?」 「え?」  怪訝な顔で見られた。そんな変な質問だったろうか。 「クローバーですよ、俺が探す」 「三ツ葉半のクローバーですが……」 「ああ、三ツ葉半ね。はいはい……で、その三ツ葉半って、なぜ探すんでしたっけ?」 「祐真さん?」  シロツメさんがふらっと立ち上がった。  その目は不安に揺れていた。 「いや、すいません……ちょっと眠気が……ひどくて……徹夜はきついですね」 「徹夜……?」 「今が二日目だか三日目だかわかりませんけど、はは」 「………祐真さん」 「眠くてド忘れが……はは……これって、どうして俺、探してるんでしたっけ?」 「祐真さん!」  シロツメさんが駆け寄ってくる。  俺は抱きしめられる。 「……わ」 「ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」  胸が、当たっちゃってまぁ……。 「役得だなあ」 「シロツメさんにこんなにしてもらえるなんて……俺……彼女とかいないから」 「でもね、今はちょっと焦ってて……慌ててるって言うか」 「探さないといけないんですよ」 「けど……さっきからどうも眠くて……頭がハッキリしなくて……」 「慌てないといけないのに……俺……なんで慌てないといけないのか、思い出せなくて……」  ああ……胸が、痛い。  けどその苦痛さえ、鈍くぼやけて心の底に消えていく。 「夜々さんの願いを……祐真さんのクローバーが参照してしまったんです……」  抱きしめたまま、シロツメさんはそんなことを話す。  意味を解するのに少しタイムラグがある。 「……参照って?」 「祐真さんの願いは曖昧なものだった……夜々さんを悲しませない……だけどその具体的な方法はクローバー自身にもわからなかった」 「だから夜々さんが悲しみから逃れるために……クローバーを用いてかけた願いを……祐真さんのクローバーが参照してなぞったんです……!」 「…………」 「願いの履歴を繰り返した。そのために夜々さんを眠らせ、記憶の追加を止めて……」 「つまり……?」 「おふたりの記憶は、もう一度消えようとしているんです! おそらくは……あの日までさかのぼって……全て」  途方もないことなのだと思う。  けど……不思議と俺には他人事に思えた。 「確かに記憶がなくなれば……悲しいこともなくなっちゃいますね」 「祐真さん……でもあなたは……抵抗し続けた……だからあなたは夜々さんより症状が軽い……!」 「だから……頑張ってください……まだ……まだ探し始めて一日も経ってないんです……間に合うかも知れないのに……!」  励ましてくれてるんだ……ありがたい。  けどこう眠いと……もう……。  一番肝心な時に最悪の状態ってわけだ。  けどまあ……仕方がないってやつかなぁ。  俺、なんのために頑張ってたんだっけ?  俺……。 「…………ちょっと……眠……」  目を閉じて、心地よく闇に沈んでいく途中。  少女の顔を見た。 「!!」  泣いている、幼い少女。  別れたくないと叫んでいる。  それを見ているのは幼い俺……悲しい顔をして、少女と向かい合っている。  ああ、これは……おぼえてる。  とても悲しい出来事だ、これは。  で、これから起こった出来事は……?  闇に沈むのが過去ならば、未来は上に伸びている。  だから未来は上にある。  見上げると、そこは真っ黒だ。  俺は闇に包まれている。  幼い俺が未来に向かってたくわえた様々な記憶が、なくなってしまっているのか?  そしてこの最後の記憶までなくしてしまったら……おれは……いろいろな人とふれあってきた日々を、全てうしなう……。  ああ、そんなのはイヤだ……。  おれは……しってる。  ガーデンって場所にいけば……ねがいがかなうって。  もしおれが、そこにいけたなら、すぐだ。  すぐにつかって、ねがいをかなえてやる。  手にしたら、すぐに。  そのくらい……おれのねがいは強いんだ。  そうだよ。  夜々が悲しまないように、してやるんだ。  ……そうだ、夜々だ。  俺が頑張っていたのは、夜々のためだ。  これを忘れたらどうにもならない。  不意に視界が明るくなる。  一面のクローバー畑。 「……ここ……どこ?」 「……っ」  俺を抱きしめていた女の人が、顔を背けて肩を震わせた。  どうしたんだろう? 「ここ……ガーデン?」 「え……?」 「そうか……おれ、ついに……きたんだ……」  俺はふらふらと彷徨う。  そして……自然と、無意識のうちに、当時の俺と同じように振る舞った。  当時の場所に立つ。  覚えてない。  だけど同じだ。  当時の俺と、退行した今の俺は、同じだ。  だから……同じに振る舞う。  足下に手を伸ばす。  拾い上げたその手に……しなびかけた一本のクローバーが、握られていた。 「……なぁんだ……おれ、もうねがいを、かなえてるんじゃないか……」 「祐真さん、それは!」 「ならもう……夜々はかなしんでないんだよな……」  その場にしゃがみ込む。  自分がたいへんな瀬戸際にいる気はしたが、頭が働かない。  どうすればいい? 「願って! 祐真さん、願いなさい!」 「ねがいは……もう……」 「……わすれ……たくない……」 「え……夜々?」 「夜々さん?」 「夜々……クローバー……ねがいのクローバー……くださいしにきたの……」 「……」  ああ、俺といっしょだな。  俺たちは当時、ここに来たんだ。  だから今、心が昔に戻ったとしても……同じようにするんだ。 「お兄ちゃんとわかれるのいやだから……でも……わかれないといけなくて……だから……ぜんぶわすれちゃえって……おもって……」 「夜々、おまえ、こどもみたいなはなし方になってるぞ?」  体は大人なのに不思議だ。 「でもほんとうは……わすれたく……ない」 「夜々……」 「わすれたく……ないよう!」  それが本音だったのか。 「それが、ねがいか」 「うん……」  俺は手を見つめる。  そこにあるものは……三ツ葉にプラスして小さな葉がついただけの、奇妙なクローバー。  幸運の最後のひとかけらのクローバー。 「まだ、できるかなぁ」 「できるよ」  俺の手に、夜々の手が置かれた。  夜々……大人になるとものすごく美人になるんだな……。 「よーし……やるか」  ふたりの手がクローバーを掲げる。 「俺の願い……夜々が悲しまないよう、俺たちは互いに決して忘れないようにする!」  小さなおまけ葉がはらりと落ち……そしてクローバーもまた、大気にとけるように消えていく。  キラキラと輝き、しまいには粉雪のような粒子となって砕け、辺りに散り広まった。  そうして俺の心には今……夜々が温かく灯っている。 「兄妹ってのは小さい問題じゃないけど……まあ、気持ちに嘘はつけないわな」 「そのとおりだよ、お兄ちゃん」 「忘れるよりかは、罪深い方がマシだ」  俺は両手で口を押さえて立ち尽くしているシロツメさんに、笑顔を向けた。 「そうでしょ、シロツメさん?」 「……ええ」  この人の涙というものを、はじめて見た。  それから……しばらくの時が流れていった。  楽しく充実した毎日が瞬く間に過ぎ去り、気がつけば俺も手に職を得ていた。  最初はきつかったが、いつしか慣れると、仕事は自分のものとなった。  収入はまだまだ少ないのだが、マンションの一室を同居人とシェアしているので、生活に占める家賃の割合が低いことが救いだった。  そんなある日、同窓会のハガキが届いた。  同窓会といってもごく個人的な催しだ。  同学年ではなく、馴染みの集まり。  幹事の名前は……柏木月音。  月姉であった。 「……というかさ、祐真と夜々ちゃんは一緒に暮らしてるんだよね?」  月姉の何気ないそのセリフが、場の空気を一気に加熱させた。 「な、なんですって〜! 君は、君は、相変わらずそんな不純異性交遊を〜〜〜っ!!」 「落ち着けって渉。酒が入るとしょうがないなコイツは」 「まあ、順当なんじゃないんですかね。私には最初からバレバレでしたから、こうなるって予想はついてましたけど」  コイツも相変わらずだな……。 「いいな〜、いいな〜……」 「ちょっと、バラさないって約束だったじゃないですか……」 「バカ、自然にバレるってば。どう見てもあんたたちふたりメオトだもん」  ぐ……社会に出ても相変わらずの傍若無人っぷりで。 「ね、ね、籍は入れないの?」 「ええ……まあ。今のところは」  俺の隣で、夜々がはにかみながら答えた。  今の夜々を知っている人は、この子が昔はひどく人見知りしていたなんて信じないだろうな。  ずいぶん表情も性格も軟らかくなった。  その変転を見てきた俺の日々は、彩り豊かなものとなった。 「いいな〜、いいな〜……」 「しかし小鳥遊さんはお綺麗になられましたな。とても上品というか」 「昔っから可愛らしかったけどねぇ。ちょっとした貴婦人って印象だよ」 「こらこら、そういうの禁止ですよ男子は」 「おーおー、ナイト様やっちゃってぇ!」 「……はあ……まったく羨ましい」 「モロに本音じゃないか」 「恋路橋くんはお母さん美人だもんね。美人に慣れてるから、理想も高いんだよね」 「……そんな傲慢な人間ではないつもりだったんですが……どうも大学ではうまくいきませんでした……トホホ」 「大学というのは、身の程を知る術を学ぶところなんです」  串を頬張りながら、あまり空気の読めない人がそんなことを言った。 「いいな〜、いいな〜……」 「……さっきからうるさいなー、あなた何歳ですか?」 「ひ、ひどいっ!」  学生時代を彷彿させる、変わりないやりとりが嬉しい。  俺はそんな光景をしっかりと眼に焼き付けていく。  これも夜々との記憶には違いない。だから……覚えていられるはずだ。  みんな、それぞれの道に進んで頑張っている。  月姉は画廊に勤務しているらしいし。 「絵をお金に換えるって刺激的な仕事よ。あたしにはピッタリね」  桜井先輩と恋路橋は会社員。 「堅実でいいよね。お金もいいし出世は簡単だし」 「そ、そうなんですか? ……あれ、僕のところと違う……?」  稲森さんはお菓子を作るプロを目指して修行中らしい。 「今度、皆さんにごちそうしたいんです! ……もうちょっと腕が上がったら……」  日向は留年とかしてまだまだ気楽な大学生。 「……勉強がしたかったからわざと留年してやったんです」  雪乃先生は相変わらず独身生活教員暮らし。 「出会いが欲しいの……切実に……」  まあ、いろいろだ。 「祐真は永郷に戻るの久しぶりなんじゃないか?」 「そうですね。仕事の関係で、遠かったですから」 「夜々ちゃんとの暮らしはどう?」 「どうって何が? いや……うまくやってますよ?」 「うっうっうっ……」 「なぜ泣くんだ」 「ほっといてやってくれ。渉はいろいろあったんだ」 「なるほど……」 「小鳥遊、なんか落ち着いたね。昔は危なっかしくて脆そうな感じだったけど、今はもう面影からして違うし」 「祐真兄さんがいてくれるから」 「祐真兄さん」 「まだお兄ちゃんプレイ続けているのかい?」 「ええ、まあ……」 「なんとなくそう落ち着いたんですよ」 「それで本当に兄妹だったら刺激的な……」 「にしても! 思い出すなぁ。ふたりが演じたあの一世一代の大舞台!」  日向の話をぶっ潰すタイミングで、月姉が割り込んだ。 「柏木先輩、人の話の腰を折らないでくださいよ」 「あたしの話が優先よ後輩ちゃん!」  左右の頬をつまんで引っ張る月姉。 「むう〜っ、クールビューティーなのに〜! お金持ちになったら金の力で屈服させてやります〜っ!」 「できんのかー? おらー?」 「んぐ〜〜〜っ!!」 「ま、まあまあ」 「あの劇、うん、あれは良かった。ああいう刺激は、以来そうそうないね」 「確かに確かに、あの高揚感は一生モノですよ」 「今考えても震えがきちゃうんですよね……わたし、よく人前であれだけのことをできたなーと……」 「あれは天川が頑張ったのよね」 「誰かさんのおかげで、頑張らされたというか」 「でもそのおかげでふたりが仲良くなったんだから、感謝してよね」 「月音先輩には、感謝しきれないくらいしてますから」 「ちょっと聞いた? 演劇のときは誰にも心を開かなかった夜々ちゃんが……こんなに社交的に……!」 「まったくだ。姫巫女が涙するシーンが上手くいかないって、それはもう大変だったね」 「涙するシーン……あ、橋でのシーンですよね? 懐かしいなぁ……」 「そうそう。姫巫女が王子と別れる……えーと……何幕だったっけ?」 「ええと、確か……二幕? それとも三幕……セリフで言うと、確か……ええと……」  セリフ数の多い台本だったから、みんな細部までは記憶していないみたいだ。 「ここまで出てるんですけどね」 「誰か」 「……さすがにセリフまでは記憶してません。大事なのは感性ですから」 「確か、こんなんじゃありませんでしたっけ?」 「いいえ、いいえ兄様……私も兄様に本当のことを隠していました」 「で、俺の役で」 「別れのときだ」 「と続いて、そうして夜々が」  夜々を見つめると、少しだけ恥ずかしそうに笑って、付き合ってくれた。 「もう……二度と……お会いすることはないでしょう」 「……という場面だったんですよね?」  受けるかと思ったが、場がシーンとしてしまった。 「あ、あら? みんなもしかして引いた?」 「……引くというか……あんた、よく覚えてるわねぇ……一字一句……」 「す、凄すぎるんじゃない? ちょっと聞き惚れちゃった……」 「印象的な思い出ですから」 「すごーいねー」 「驚いたよ。まさかあの台本、今でも読んでるとか?」 「あれは返したじゃないですか。貴重品だから」 「その記憶力があれば、さぞや経理は楽だろうね、天川君」  恋路橋は経理をやっているらしい。悪いが似合っていると思う。 「……尋常じゃない記憶力ですね」  俺と夜々は顔を合わせた。  どうやら少しやりすぎたらしい。  こんなことは、俺たちの間では当たり前のことだから、ずっと暮らしていくうちについ感覚が麻痺していたようだ。 「……演劇は俺と夜々にとっては思い出なんで、それでどうしても忘れられないんです」 「にしても……凄いわ。びっくりした」 「ま……愛の力ってことでしょ。思い出……うんうん、そういうのは大事よ。永久に取っておけるものなら取っておきたいのが乙女心よね」 「結婚式やるなら呼んでね?」 「……やらないかも」 「えーっ? やってもらった方が吹っ切れるのに……」 「吹っ切る?」 「……コホン……何でもありません……」 「お金もかかるしね。そういう派手な事はしないでおこうって決めてて」 「はいはい、興味あるのはわかるけど、プライベートに踏み込まないの」 「そのとおり、親しき仲にも礼儀は大切です」 「どうして恋路橋先輩はいつもそんな当たり前のことをわざわざ口にするんですか?」  うまい具合に話がそれていった。  月姉はこっそり俺たちを見て、ウインクをしてくれる。  そうか……彼女は、俺たちが兄妹でそういう関係だって知ってるから、気をつかってくれたのか。  本気で感謝だなぁ、月姉には。  俺と夜々は、世間からは認められない恋をしている。  それはとてもつらく、こうして親しい人たちにも隠し事をしなければならないような……罪深い行為だ。  こんな道を進むのに耐えていけるのは、夜々との間にあったあらゆる事を……心の糧として、お守りとして、記憶にとどめておけるからだ。  俺は夜々のどんな言葉も忘れないし、ふたりで体験した出来事を寸分たがわず記憶することができる。  それは欠けない記憶だ。  死ぬまで消えたり霞むことのない、文字通りの完全記憶。  そして夜々もまた、俺の言葉や振るまいを忘却することはない。  ある意味、呪いのようなこの力は、あの日のガーデンで授かったものだ。  互いを忘れない。  クローバーにかけた願いが、このような形で実現したのだ。  だから俺と夜々は、互いに会話内容から服装・状況・表情……ありとあらゆる場面を全て暗記している。  片時も夜々のことを忘れない。  そのかわり、夜々も俺のことを忘れない。  もしかすると罪深いかも知れない俺たちの関係を支えるもの。  それは都合の悪いことを忘れてしまうことじゃない。  むしろ、全てを痛みとともに心にしまっておくことなんだ。 「すいません、そろそろお時間なんですが……?」 「もう終わりかい?」 「よーし、じゃあ二次会に行くとしますかー! あんたたちも来るでしょ? 滅多に会えないんだから、こういう時くらい最後までつきあってもらうからね!」  月姉の強引に言い分に、俺は自然と笑みがこぼれた。  見れば夜々も、口元を片手で隠すようにしてころころと笑っている。  それはそれは、楽しそうな顔で。 「いいですよ、お供します」 「素敵な思い出になりそうですから」  報われない道のりに、色褪せない記憶を添えて。  きっとそうやって生きていく。  失われた記憶に、失うことのない記憶を。  俺ちの上に、ふたつの奇跡が重なっていた。 「5021、5022、5023……」  数字を数えて足を運ぶ。  いずみ寮を出て、通学路を外れて永郷市立公園をぐるっと一周。 「5756、5757、5758……」  裏道のハイキングコースを登るまでにさらに700歩。  高台の頂までに6000歩、約5キロの片道だ。 「ふぅ……6037……!」  到着!  頂上に立ってあたりを見渡す。  日曜早朝の高台の眺めは、冬の透き通る空気とあいまって、どこか幻想的だ。日中ともなるとここもカップルや親子連れで賑わうが、今はまだほとんど人の姿もない。 「うん、無理してでも朝走りに来て良かったな」  寮のみんなが、創立記念日に上演する劇の練習に燃えているせいだろうか。劇のメンバーに入ってない俺も何か建設的なことをしたくなり、趣味のロードワークに出てきたのだ。  永郷市を見渡せる高台、ここは昔からのお気に入りの場所だ。いまでもジョギングがてらによく空気を吸いにくる。  この高台は、永郷でもっとも冷たい風が吹き流れる場所だ。それが駆けて火照った体には心地良かった。  運動部でもないのにこうして走ることが趣味になったのは、月姉……俺の姉的存在……に引っ張り回されたからだ。  今でも、俺はよくあの人に連れ出され、ロードワークごっこという謎のストレス解消に付き合わされている。  もっとも、こんないい思いもさせてもらってるし、恨んでいるわけじゃないけど。  ただこうまで鍛えるなら運動部でも良かったかなとは思いはするけど……。  でもひとりで黙々と走るのがちょっと好きなだけだしな。そう、こうして誰もいない公園を……。 「おはようございまぁす」 「……へあぁっ!?」  誰もいないはずの場所なのに、真後ろに女の人が立っていた。 「おはようございまぁす、です」 「お、おはようございます……」  いつからいたんだろう。自分の世界に入っていたせいか、まるで気がつかなかった。  こんな近くに来るまで気配も感じなかったなんて……。  ……ていうか、なんで生足!?!?  なんかポワポワしたあったかそうなの羽織ってるくせに、足元だけ異様にセクシーだ。 「…………」  な、なんか不思議そうな顔をしているけど……どうしたんだろう? 「あの……ジョギングの方、ですか?」 「さあ〜。私、起きたばかりなものですから」 「は、はあ」 「なのでまだ少々、頭がぼんやりとしていますわ」 「そうですか……」  会話がずれとる。噛み合ってない。起きたばかり? それは早この時間帯なら誰だってそうだろうけど……。 「そのお召し物なんですが……〈花泉〉《はないずみ》学園という〈学舎〉《まなびや》のものではありませんか?」 「あ、このジャージですか? ええ、そうですよ」 「まあ、ちょうどよかった! ではひとつお願いがございますの」 「な、なんでしょうか……」  うう、できたら関わりたくないなぁ。 「実はこれを、長くお借りしていたのですが……つい返し忘れてしまいまして」 「それは?」  女の人は、風呂敷のようなもので包んだ、結構大きめの荷物を足下に置いた。 「これは書物です」 「本ですか」  また書物とは、古めかしい言い方をするんだな。でもこの人の物腰には合っているように思う。 「はい、とても楽しかったですわ〜」 「で、これをどこに返せばいいので?」 「それが、私は学舎については詳しくはないもので……確か荷物がたくさん置いてある場所だったと記憶していますが」 「……荷物がたくさんあった場所ねぇ」  そんなのはいくらでもありそうだけど。 「離れがありますでしょう?」  女の人は、白い指先でくるくると空中に地図(らしきもの?)を描いて見せた。  その軌跡が見えるわけじゃないけど、たぶんものすごく下手な絵だ……。 「離れ……用具置き場かな」 「とても大きくて、祭壇のような台がある場所でした」 「ああ、体育館かな? 広いっていうと」 「たぶんそのように呼ばれていたはずです。室内の運動場でした」 「ああ、間違いないですね。これを体育館まで戻しておけばいいんですね?」 「はい、お願いできますか?」 「わかりました」  届けるだけなら簡単だしな。ここはサッと引き受けてしまって、変な因縁とかつけられないようにしておこう。 (じ……)  なんだ? じっと見られている……。 「あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」 「えっ?」  うう、できたら聞かないで欲しいんだけど……。 「い、いいんで。気にしないでください。俺は通りすがりのランナーですから」 「またまた、そんなご謙遜を」 「いや、本当に俺はただのイチ学生なんですけどね?」 「イチ学生さん? 変わったお名前ですわね」 「いや、名前と言いますか、世間から見た俺に対する印象と言いますか……」  かなりずれてるな、このお姉さん。 「……でも……そのお顔は……」 「な、なんでしょう?」  うわ、接近して来た! 「ふーむ」  ちょっと目線下げたら胸の谷間がもろだ。エロスが沈殿していそうな深い切れ目。  ああああ、どうしたらいいんだ、気持ちの整理ができない! 「あの……ご迷惑でなければお名前、教えていただけます?」 「……ぐ」  ダメだ、もう言い訳が思いつかない。 「……天川です」 「天川さん……なるほど、それは失礼致しました。人違いのようです」  美女は元の位置まで下がって、丁寧に頭を下げた。 「いえ、いいですけど……」  誰か知り合いに似ていたってことかな? 「では確かに本はお返しいたしましたわ」 「あ、はい」  そして未だ戸惑いを隠せない俺の目の前で、彼女は公園の出口ではなく山の方面に抜ける茂みに、もそもそと頭を突っ込んでいった。 「…………」  ま……どこに行くのもその人の自由なんだけどさ……。  かくして俺の手元には、謎の風呂敷包みが残されていた。 「さて、これを体育館に返却すればいいのか?」  う、結構重いな。いったん寮に持ち返ることにしよう。  部屋の隅に置いておく。  急ぎとは聞いていないし、明日にでも持っていけばいいだろう。  さて、今日はどうするかな。  どこかに出かけるか……寮でごろごろしてるか……。  演劇関係で知り合いは出払っているしな……リビングでテレビでも見てるか。  リビングには日曜日を持てあます寮生たちが、すでにテレビ鑑賞会を開いていた。  番組は……誰でも楽しめるような、最大公約数的なバラエティだった。  俺は決まった番組を見る人ではないので、これで充分。 「あははは」  こうして俺は、日曜という宝石のような一日を、怠惰に過ごした。  なになに、朝は走ったし、これでいいのだ。  そこそこ楽しく充実した時間。だけど俺はこんな時、よくこんなことを考える。  もし、よくあるように月姉から無理難題を要求する電話がかかってきたら……。  それをきっかけとして新しい出会いをしたり、何か大きなドラマに巻き込まれたり……そんなことがあったのではないだろうか?  時間を無為に過ごしているだけなのではないか?  俺は部活もやってないし、何かに全身全霊打ち込んでいるわけじゃない。  心の底で、物足りないというか……〈燻〉《くすぶ》る自分を感じることがある。  朝のように、体を動かすのはいい発散になる……。  ああ、そういえば朝に出会ったあの異次元っぽい人との接触は、ちょっとした事件だったのかもなぁ。  あまり発展しないようフラグ折りしちゃったけど……。  これか? これがいかんのか?  いや、でもなあ……あのふとももとおっぱいは殺人兵器だし、正しい判断だったと思うけどな。  待ちに待った夕食の時間。  俺の寮での馴染み……月姉たちが演劇の稽古を終えて学校から戻ってきたのも、ちょうどこの頃だった。 「はー、おなか減った」 「おかえり、みんな」 「いいわねー、あんたは暇そうで」  彼女が〈月〉《つき》〈姉〉《ねぇ》。  子供の頃からの知り合いで、今でも気さくなつきあいをしている。  というか、俺が一方的に遊ばれるだけってことがほとんどだけど。 「ただいま、天川君。相変わらずドカ盛りだね」  俺は常に人三倍以上の食事を摂らなければならないのだ。なんか消費カロリーが人より多いらしいけど、その有り余るエネルギーを有効活用しているとは言い難い。  と、こいつはクラスメイトの〈恋〉《こい》〈路〉《じ》〈橋〉《ばし》。 「……ご一緒します、月音先輩……」 「…………」  疲れた顔をした〈稲〉《いな》〈森〉《もり》さんが、少量の食べ物をよそったトレイを手に月姉の隣に座る。  この子もクラスメイトだ。昔ほどは話さなくなったけど……。 「どうぞどうぞ」 「うう……セリフ……セリフが……」  稲森さんは食べながら、何ごとか呻いている。  まあ彼女らはみんなで日曜まで使って演劇の稽古をしているわけで、その悩みも推して知るべしといったところだろう。  稲森さん、あがり症じゃなかったかな?  よく演劇なんてやろうなんて思ったもんだ……あるいは月姉に強権発動されたのか。 「どう、稽古の方は」 「順調よ順調。成功間違いなし!」 「……うう……セリフ……セリフがぁぁ……」  なんか座長と劇団員で放ってるオーラが正反対なんだけど……。 「台本もノリにノってますしね」 「いや……台本はイマイチ」 「なんですってーっ!?」 「もうちょっと引き込むものが欲しいところなんだけどねぇ……いい台本、どっかに落ちてないかしらん」 「今の台本、まだセリフが少なめだからいいじゃないですか……これ以上増えたら大変ですよ?」 「うーん……」  なんだかなぁ。  ――八時十二分、通学路にて。 「ふわぁ……」  この時間にこのあたりを歩いていれば、遅刻することは有り得ない。  欠伸を隠すこともなく、ちんたら道を歩いていく。 「祐真」  背後から俺に声をかけたのは……寮生の〈桜井〉《さくらい》先輩だ。  見たとおりの人で、日常生活でフェロモンを出しまくって女の子をとっかえひっかえしている。  だけど思いっきり引かれてフられることも多く、親しみの持てる人だったりする。 「昨日、最高の無修正サイトに辿り着いてしまったよ」 「また桜井先輩はそんな……どうせまたスカトロとかNTRとかわけのわからないことを言うんでしょう?」 「それらのブームはもう終わったよ」 「今は8歳から14歳くらいの女の子にヒモ水着を着せてはみ出た部分の映像をそのままにするとか」 「後は、小学生女児をくすぐりまくっていたぶる姿を収めたDVDとか、変化球系が隆盛だね」 「……聞きたくないです、そんな闇の世界の流行……」  とまあ、こういう人だ。  ルックスに騙されて近寄ってきた女の子が、すぐにそのヘンタイにやられて退散していく……という負のスキルコンボを持っている。 「そういえば先輩、恋路橋から聞きましたけど、台本書いていたんですって?」 「ああ、例の芝居ね。うん、なかなかに刺激的な内容になったとは思うんだけど、いささか独りよがりが過ぎたようだね」 「それでもお話作るとか、かなり器用なことだとは思いますけどね」 「ありがとう祐真。じゃこれお礼に」  メモを手渡された。 「例のサイトのアドレス。期間限定動画が多いから、急いで保存を……」 「俺はヘンタイ関係は結構ですってば! 俺、性欲薄いんで、普通のでいいんですよ!」 「そうなのかい? 残念だ……祐真は才能があると思うのに」  そんな才能いらないよ……。  だらだら歩いているうちに、学校が見えてくる。 「じゃまた」 「ああ」  桜井先輩は六年生だから学年がひとつ違う。玄関で別れる。  まっすぐに教室に向かうと、すでにほとんどの学生が登校してきていた。  恋路橋の姿もすでにあった。こいつは真面目だから、いつも学校に行くのが早い。 「おはよう、天川君」 「おは」  恋路橋は台本に赤ペンで何かメモ書きをしていた。 「なにそれ?」 「演出メモさ。台本をより良くするのは、最高の演出なのだよ」 「ふーん」  再三話に出ている演劇というのは、この学校の恒例行事のひとつなのだが、学生の自由参加なので結果的にやる気のある者が多く集まるのだ。この恋路橋のように。  過去には有名な脚本家を生んだ、由緒ある舞台であることも関係しているのだろう。  もっとも俺はそのあたりに興味がないので、詳しくは知らない。  問題は……この演劇が試験期間と重なっているという点だ。  演劇参加者は、事前にしっかりと試験対策が求められる。  試験勉強だけではなくセリフだって丸暗記が必要となれば、誰にでもわかる……それはまさに地獄のシフトだ。 「……くわばらくわばら」 「そういえば天川君、今日四年生に転入者がくるらしいよ」 「ひとつ下の学年じゃない。俺たちには関係ないだろ」 「いや、寮生になるのだそうだ」 「あ、そうなのか。ふーん」  まあ、それもさして珍しいことじゃないというのが本音だったりする。  あ、雪乃先生が廊下に見えた。今日は遅刻なしにホームルームが始まりそうだな。  担任からして遅刻することが多いというこのクラスでは、寝過ごしても万一の可能性に賭けることができるのだ。  さて、教室を見渡すと……来ていないのは稲森さんだけか。  台本がどうとか言っていたから、夜更かしでもしたかな? 「ふうふうっ」  などと考えていたら、ギリギリのタイミングで雪乃先生を追い抜き、稲森さんが教室に飛び込んできた。 「あ! こら稲森、それグレーゾーンだからねー!」 「す、すいません……っ!」  稲森さんは息を切らしながら、自分の席に向かった。 「…………っ」  ちらりとこちらを一瞥し、目が合ったと知るや即座に顔をそむけて、席についた。 「…………」  彼女ともいろいろあって……同じクラスになった時はちょっとつらかったけど……。  今はけっこう慣れてしまった。 「はーい席ついてー、生徒のみなさんおはよー、今日も欠席なーし!」  なげやりな先生が出席簿をぱたんと閉じる。 「はい、ホームルームやりまーす。テレビの『おはよう占い』、今日の最下位はいて座でした。いて座の子は手を上げてー」 「ひぃ、ふぅ、みぃ……はーい残念ですが一日がんばるように! ラッキーアイテムは教科書、ラッキープレイスは教室よ、それじゃーねー」 「そんだけー!?」  いまのどこがホームルームなんだ。相変わらず朝はやる気ないなー。  低血圧女王な雪乃先生はさっさと教室を出て行こうとしたが、はたとドアの前で立ち止まり。 「言い忘れてたわ。今日から寮に4年生の子が新しく来ることになりました。寮生の子は陰湿ないじめをしないように注意しましょうー、じゃね♪」 「今日は歓迎会か……今日は騒げそうだな」 「あくまでも歓迎会であることを忘れてはいけないよ天川君」 「わかってるって。でも1つ下だからなぁ……挨拶だけしたあとは、別に深くつきあうようなことはないんだろうけど」 「わからないよ、運命の出会いって可能性が残されているかも……」 「……ないよな、普通に」 「……そうだね」 「遅い! 祐真選手遅い!」 「な、なに……月姉……?」  リビングでは寮生たちがだらだらと飾り付けをしていた。 「ほら、時間ないんだからさ、邪魔なものどかしてテーブル並べて壁飾って、お菓子とドリンク用意して……」 「うわ」 「そこに〈脚〉《きゃ》〈立〉《たつ》あるから、飾りとかくっつけてくれる?」 「おやすい御用だよ」  見れば桜井先輩や恋路橋も手伝わされてるし、稲森さんの姿もあった。  このメンツが働いているなら、俺も遊んでいるわけにはいかないな。  飾り付けといっても、歓迎会の看板を取り付けて、紙テープで軽く周囲を彩るだけだ。  〈脚〉《きゃ》〈立〉《たつ》を担いで、俺は看板を取り付ける場所に目星をつけた。  ……………………。 「はい、みんな注目してー!」 「…………」  ふーん、あれが転入生なのか。  可愛らしい子だけど、なんというか難しそうな印象もあるな。  声をかけにくいオーラを放っているというか……。 「紹介します! 今日からいずみ寮に入ることになりました、転入生の〈小鳥遊〉《たかなし》〈夜〉《や》〈々〉《や》さんです! 学年は4年生、みなさん仲良くしてください」 「…………どうも」 「……ん?」  でもなんだろう、あの子……どこかで……?  んんん? 「今日は、寮生のみんなが小鳥遊さん歓迎のために集まったのよ、さあ、主役はこっちに座って」 「………………」 「あらら、な、なんか大人しい?」 「緊張しなくていいわよ、みんなおめでたい人ばっかりだから」 「ひどい言い草だな、月音さん。中にはこの僕のように、切れ味抜群のナイスガイもいるっていうのに」 「あ、あの上級生にだけは気をつけてね。毒性が強いから」 「………………」  寮母代わりの先生や、生徒代表の月姉が彼女に話しかける様子を、俺は遠くから観察していた。  なんとなく懐かしい気がするんだけど、俺があの子と知り合いだなんて記憶はないし、なんだろうこの既視感は? 「小鳥遊さんって、何組に入るの?」 「…………A」 「あ、一緒じゃん。仲良くしようね!」 「……なんで?」 「え…………?」 「……………………」 「あ、あ、あはははは……じゃ、じゃあよろしくね!」  全く会話の成立しなかった女子が、友達のところに逃げ戻っていく。  それからも、小鳥遊夜々と会話をしようと気軽に話しかけた連中は、ことごとくスルーされていた。  質問には短く一言で返事するくらい、彼氏の話とかを聞いても黙ってしまう、内気を通り越した人間嫌い? そんな印象。  お気楽な男子たちは、彼女の態度にも気付いていないみたいだけど。さすがに女子はちょっと変わった子だと思い始めたようだ。 「なんだ、祐真は年下が好きだったのかい?」 「わぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁ!? な、なんですか先輩!」 「さっきからずーっと彼女に熱い視線を送っていたじゃないか。それくらい近くにいれば分かるよ?」 「違いますよ、どこかで見た顔だなと思って」 「おやおや、そんな定番の口説き文句で仕掛けようとしてたのかい? 今どきそれはギャグにしかならないよ?」 「ちょっと、別に口説こうとは思ってないですって! ただ俺は本当に見覚えが……」 「はっはっは、みんなそう言うのだよ」 「いやまあ……つきあえるものならつきあってみたいとは思いますけどね」 「……んー、少しとっつきにくいタイプだから、祐真には難しいかもな」  あ、やっぱりそうなんだな……俺の見立てもそう間違っていなかったわけか。 「いや、本気でそんな大それたこと考えてないですよ。あんなタイプ、今まで周りにいなかったし……」  そこで気付いた。小鳥遊夜々が俺を見ていたことに。  ……なんだろう? 俺のことで気になることでもあるのだろうか? 「あ、祐真……夜々ちゃん、こいつは5年の天川祐真。ボケッとしてるけれど根は善良だから、困ったことがあったらこき使ってあげてね」  あら、紹介されちまった。いちおう会釈くらいしておこうか。 「よろしく」 「…………どうも」  中途半端なお辞儀と、消え入りそうな声。  それが、俺の彼女……小鳥遊夜々に対する印象を決定づけるものとなった。  その後、歓迎会は主役のおとなしさに引き下ろされ、たいした盛り上がりもなく終わった。  朝の7時半、寮食堂は寮生でごった返している。  ABCの朝食コースから1つ選ぶだけのクイックメニュー、そして席は早い者勝ち。  7時ごろにまじめグループの寮生たちがゆったりと食事を済ませ、7時半を過ぎると修羅場モードへ突入だ。  目の前で恋路橋はのりと卵と納豆の和風Aコースを食べている。俺が選んだのは、女子に人気があるパンケーキとヨーグルトのCコース……。 「これ余るんだよな」  だから遠慮なく大量独占させていただいた。 「5人分くらいあるよそれ?」 「別に今日にはじまったことじゃないじゃないか……」 「確かに君の大食漢ぶりは朝の風物詩のようなものだけどね。見るたびにカオスを感じるよ」 「今日を生きるために食べないとさ。それに朝は余るだろ?」  7時半の修羅場モードが過ぎると、残るは8時に起きる不摂生グループだけ。彼らは朝食をスルーして学校に行くので、いつも朝食は余りがちなのだ。 「それだともったいないから、ささやかながら消化のお手伝いをしているだけで、決して俺が大食らいってわけじゃ……」 「微塵も説得力がないじゃないか、さあ、さっさと片付けて登校するぞ」  恋路橋と二人で、いつもの朝のやり取りをしていたら、いつもは不摂生グループの桜井先輩が声をかけてきた。 「やあチェリーボーイズ。爽やかな朝だね」 「おはようございます桜井先輩」 「そしてチェリーは余計です」 「なんだって? 祐真、君はまさか昨夜のうちに大人になってしまったとでも!?」 「まるでそんなことはありませんが!」 「なら、合ってるじゃないか、はっはっは!」 「当たり前です! 婚前交渉なんて、けしからんです!」 「ところで、昨日の彼女はいないようだね?」 「友達もまだいないでしょうしね。まだ起きてなかったりして」 「小鳥遊さんだったらもう登校しちゃったみたいよ」 「つき……柏木先輩!」  みんなの前では先輩後輩、二人きりのときは幼馴染、それが俺と月姉との間のけじめだ。  それが思わず『月姉』と言いかけてしまったのは、真面目グループの月姉がこんな時間に食堂にいるのが珍しすぎたからだ。 「やぁ、月音さんらしくないね。どうしたんだい、こんな時間に」 「ゆうべ演劇の演出プランを見直してたら、ちょっとね。桜井こそ珍しいじゃない、早起きなんて」 「昨夜は諸々プライベートな案件が立て込んでて寝られなかったからね。睡眠は授業中に取ることにするよ……ふぁぁ」 「はぁっ……怒る気にもなれないわ、あら真星ちゃん、おはよう。遅いわね」 「台本を……セリフを……覚えていたら夜更かしで! 起きたらこんな時間でっっ!」 「えらい、えらいよ稲森さん!」 「……だいたい覚えたと思うんだけど、なにやら不安で……舞台にのぼったら全部忘れちゃうんじゃないかって……!」 「おはよう、稲森さん!」 「おはよう、稲森さん!」 「おはよう、稲森さん!!」 「あ、お、おはよう……」  稲森さんが食堂に入ってくると、たちまち男子の行列ができて、口々に『おはよう』の挨拶を投げかける。  中には寮生じゃなくて、このためだけに朝に寮までやってくる奴もいる。 「かばん持つよ、稲森さん」 「ありがと……」 「朝食はCコースでいいんだよね」 「ありがと、でも自分でできるからっ!」 「まあまあまあ、そう言わずに!」  昨夜の小鳥遊夜々みたいに、彼女の周りにはいつしか黒山の人だかり。  話しそびれてしまった俺だけど、さすがに行列の最後尾に並ぶ気にもなれず、男子の間からちらちらとのぞく稲森さんの姿を目で追いかけた。 「相変わらず、男子は元気ねー。人気者は大変だわ」 「ですが、それだけに動員数も今年は期待できます!!」 「そういう理由で稲森さんを芝居に引き込んだのか!?」 「ば、ばかな、そんなことあるわけがないじゃないか! 彼女の起用はあくまでも物語サイドの必要性によって……!」 「そうそう、本人もすごく真剣だし、よかったわー」 「柏木先輩も出演してくれれば、女子の動員も見込めたんですが……」 「あたし? あはは、あたしじゃ駄目だって。ねえ?」 「主役くらい張れるでしょう」 「あたしは監督が向いてるの」 「君は自分でも矢面に立てるタイプだと思うけどね。たまにはいいんじゃないか、自分が主役でも?」 「ないない。そういうのは、あたしの中でもう流行してないの」 「柏木先輩、演出の件なんですけど大道具の……」  なにやら身内の話し合いになってしまうと、俺には挟む〈嘴〉《はし》もない。  食事を胃袋に押し込んで、飲み物で流し込んだ。そうするとそろそろ登校するのに丁度良い時間になっていた。 「お先に」  仲間たちにそう声をかけて、腰を上げた。  さて、今日もお勤めを果たしますか。  そろそろ期末テストに向けて準備しておかないとな! 「……なんか俺たち、飯ばっか食ってない?」 「食事時間しか話をしてないから、そう感じるんでしょ」 「そっか、そうかもしれないな……ああ、おいしい、おいしい!」 「君は本当に食事をすると元気になるよね」 「エネルギー補給だもん、当然だろ?」 「その体質がうらやましいよ。ああ、忙しい、忙しい!」 「いまは何やってんの?」 「照明のプログラム作りだよ、柏木先輩に提出するんだ」 「恋路橋はなんでもやるんだな…………あ」  箸でうどんを挟んだまま、食事を中断する。  恋路橋のおかっぱ頭の向こうで、小鳥遊夜々が食事をしていた。  俺と同じ、うどんを〈啜〉《すす》ろうとしているが、その回りを新しいクラスメイトの女子たちが囲んでいて、矢継ぎ早にあれこれ聞こうとしている。  あの分なら、よほどミスらない限り溶け込めるんじゃないか?  俺は意識をうどんに戻した。 「……というわけで、まったくけしからんのだ」 「おまえ、PTAじゃないんだからさあ……」  夕飯時の食堂は、朝と違ってけっこうがらんとしている。  自分の部屋でゆっくり食事をする生徒も多いし、時間帯もバラバラだからだ。  その、ひと気のあまりない食堂の隅っこで、夜々がひとりぽそぽそと食事をしていた。 「……」  まあ最初のうちはな……そうなるのも仕方ない。友人だっていないだろうし。  でもここから先は、本人の社交性次第だったりする。  どのみちあくまで下級生のことだから、俺が口出しするのはあまりよくない。  恋路橋を見つけて隣接する。 「よっ」 「やあ」 「さ、エサの時間だ」 「……いつも思うけど、胃拡張なんじゃないかな君は?」 「ほっとけ」 「ああ、いい湯だった」 「うわぁあぁあっぁぁぁああぁぁぁぁああぁぁ!!!」 「せせ先輩! そのような風紀を乱す格好で寮内をうろうろするのはやめていただきたいっ!」 「やあ、気にしないでくれたまえワタルボーイ。風呂上りなんだから、ごく普通のスタイルだろう?」 「そうじゃない、1階は男女共用のスペースです! せめて男子エリアでやるように警告します!!」 「モテモテの先輩でも、さすがにそれはちょっと……」  ふと負のオーラを感じて、夜々のほうを見る。 「…………………………」  やっぱりドン引きしてる……おまけに俺も仲間だと思われてる構図だこれは。  まあ当然か……。 「ところでUMA、昨日の話の続きだが、このさい動画ダウンロードじゃなくてDVDの通販を利用しようかと思うんだが、君はアナルファッ……」 「失礼ーーーっっ!!!」  ――どがっっ!! 「うぐっ……!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……続きは先輩の部屋で伺いましょう! さあ、早く!!」 「け、けしからん……十中八九けしからんっ!!」  先輩のガウンの襟首をつかんで、食堂から隔離する。  さすがに公衆でのエロトークは見過ごせない。 「…………………………」  ああ……あの目は完全に仲間だと思われてる……いいけどさ別に……親しく付き合ってるわけじゃないし……。  そりゃ引くのが当然だよなぁ……。  いつもと変わらない、雲の高い空を見上げる。  今朝も快晴、このうえなく上天気。時間は確実に過ぎていくが、逆に今という時も一度きりなのである。焦る必要はない。  ちょっと気分を変えて駅の方まで足を運んでみる。  駅の改札からぞろぞろとうちの制服があふれ出してくる。  ……と、同じ方向に向かう制服たちの中、ひとりだけ突っ立っている女の子がいた。 「真紅の羽根共同募金です、子供たちに愛の手をよろしくおねがいしまーす」  おお、募金活動している!! いまどき珍しいな……しかも登校時になんて!  みたところ低学年の生徒だ。制服のデザインが違うから一目で分かる。 「よろしくお願いしまーす」 「お、俺?」 (にこにこにこにこ……)  ううっ、アップで頼まれると断ることができない……。  いいだろう……。  とりあえず第一印象が大事だ。俺が貧乏寮生だということを気づかれてはなるまい! ここは募金にも見栄を張って、財布の全財産を投入だっ!  行け、全財産ーーーーーっっ!!  ……………………5円。  あははは、あははははは……寮生のなかでもとびきり貧乏だったのを失念してたよ。  で、で、でも5円だからあれだよ。『ご縁がありますように』ってやつ! その願いを込めて堂々募金するぞっ! 「は、はい……」  俺は両手で5円玉を大ガードしながら、募金箱にちゃりんと投入……う、ううっ、さすがにみじめだ。 「どうもありがとうございました」  たった5円とは知らない彼女が、ぺこりとお辞儀をして嬉しそうに微笑みを浮かべる。  俺の胸に真紅の羽根を差すと、また改札から出てくる制服に向かって声をかけはじめた。5円じゃ羽根代のほうが高くつくよな、申し訳ない。  それにしても、学校に行く前に募金活動をするなんて感心な子だな。まさかディープな市民活動家とか……??  ……あんな大人しそうな子がそれはないか。  なんて思っていると、俺が見ている前でスーツ姿の男が募金少女にぶつかって駅に駆け込んでいった。 「あっ!」  小銭の転がる音。遅刻寸前ダッシュだったんだろう、スーツの人は女の子にぶつかったことなどお構い無しに構内へ消えていく。 「あ、あ……あ……」  女の子はあたふたしながら、ばら撒いてしまった小銭を拾っている。ずいぶん飛び散ったな……。 「ほら」 「ありがとうございます」  俺が集めた小銭を受け取った彼女は、枚数をしっかり数えてから控えめな仕草ではにかんでみせる。  5円しか募金できなかった俺も、ここは先輩らしくクールに決めるぜ。 「フッ……朝はどいつも殺気立ってるから気をつけろよ」 「は、はい……」  そして俺に見とれる募金少女。 「どうした?」 「あ、あの……!」 「ん?」 「あ、あのその……いえ……あの……っ!」  俺の顔を見て急にあたふたした女の子は、募金箱の中のお金をぎゅっと握ると、こっちに差し出してきた。 「こ……っ、これ! その……お礼です!」 「え? いいよ、そんなの」 「いえでも、その……い、一割……ですから!」  俺にお金を握らせた彼女は、会釈をして小走りに学校のほうへ……。 「あ、あのさ……」  行ってしまった。  お礼なんてよかったのに……そう思って彼女がくれたお金を見る。  …………5円?  う、ううっ、ご縁が戻ってきたか……。 「す、すばらしいっ!」 「うわ! ど、どうした恋路橋!?」 「こんな朝早くから募金活動で社会に貢献しているなんて、なんという篤志家の娘さんなんだろう、君もそう思うだろう!?」 「え? あ、う、うん……」  トクシカ? 風の谷? 分からん、相槌をうっておこう。 「ところで……ずいぶん親しく話していたようだけど、君、彼女と知り合い?」  ……なんだこの殺気は。 「知り合ってまだ5分くらいだけど?」 「そうか初対面か、うんうん、それならよかった!」 「……お前、あの子のこと知ってんの?」 「え? うん、まあね。少し前になるんだけれど、あの子、ボクが困ってたときにお金を貸してくれたんだよ。なんか運命を感じるよね」 「は?」 「これってロマンスの兆しだったりするのかなぁ……」 「おおー! 恋路橋もついに桜井先輩に毒されて橋を渡るのか!」 「毒された? ボクが?」 「ぐるぐる眼鏡の向こうにハートマークが透けて見えるぞ」 「はっ、ハートマーク!? ききききき君はボクのことをそんな目で見ていたのかっっっ、けしからんっ、なるほどけしからんっ!!」 「わかった、わかったら往来で騒ぐなっ! ロマンスはちっとも兆さないと思うけど、どうしてしっかり者の恋路橋が借金なんてしたんだ?」 「それは……恋路橋渉一生の不覚だったんだ……」 「ふむふむ?」 「実はおととい、購買の自販機ジュースを買いに行ったボクはサイフ忘れてしまって……そのときなんだよ、彼女と運命的な……」 「おーい、遅刻するぞ」 「ああっ!? 聞いておいてさっさと登校するとは何事だっ、けけけけしからんっっ!!」 「しかもあの子は指切りまでしてくれたのにっ! パパにも指切られたことなかったのにっっ!!」  恋路橋が熱弁をふるいながら追いついてくる。 「それのどこがロマンスだ!」 「女の子にそんな風にしてもらうのは、初めてだったんだっ!」 「うぐ……わ、わかった……」  トキメキ期間まっしぐらな恋路橋が、ちょっとかわいそうな男子だってことがよくわかった。 「けど、知り合いでもないのに借金?」 「そこに運命を」 「感じない!」  そうか、とんでもなく博愛精神な子なのかもしれないな……。  何もすることがない時は、リビングでテレビでも見ていれば、そのうち誰か知り合いがやってくる。  そうやって適当に話して暇を潰したり情報交換したりするのが、気取らない寮ライフの基本だ。  月姉が知り合い関係を引きつれて演劇の準備に明け暮れているため、夜になるまでただテレビを見て過ごすパターンが最近は多くなっている。  なのだが今日はなぜか恋路橋が、リビングでノートパソコンをいじっていた。 「ん? お前ノーパソなんて持ってたのか! なにやってんの?」 「ママに買ってもらったんだよ。ああっ、覗かないでくれたまえ! ボクはいまたいそうプライベートな……あれ? ううむ……!」 「??」 「あ、あのさ天川君、すまないが、メールってどうやって送るの?」 「恋路橋、お前PC駄目なの!? なんのためのぐるぐる眼鏡だよ!」 「だ、駄目なわけがないじゃないか! 度忘れだよ度忘れ!」 「…………覗かないでほしいんじゃなかったの?」 「そうなんだけど、文面は見ないで教えてくれないかな」 「……やってみる」  もしそれが可能でも、大親友の俺がメールを覗かないわけがないじゃないか。  恋路橋のノートパソコンを見せてもらう。  ふむふむ……どんなメールを書いてるんだ? 「………………」 『親愛なるママへ。渉は今日も受験戦争の最前線で勇敢に戦っています。送ってもらったマイコンもあっという間にマスターできたので早速メールを送りました。学校の成績はいつも一番です。昨日のテストも満点でした、その前も満点です。一度は90点台を取ってみたいけれど、レベルの低い学校のテストは簡単すぎるみたいです。寮の生活はママがいなくて寂しいけど、渉は平気です。寮のみんなは困ったときにいつもボクを頼るので、すっかり保護者役になりました。先週は隣町のケンカ番長が寮に乗り込んできたので、軽く片手でのしてやりました。そんなボクに憧れたのか、上級生のガールフレンドもできました。彼女は才色兼備で寮生の代表をしているような人ですが、成績優秀なボクにはぞっこんラブで、毎日勉強を教えてあげています。寮のみんなはボクのことを渉様と……(略)』 「………………」 「恋路橋、お前……」 「な、なんだい、手紙を覗いたりしていないだろうね?」 「見てない! 見てないけど……!!」  月姉と付き合ってるって……いくらなんでもそれは。 「マ、ママを心配させないために、多少は脚色をしているけど……だからといって書き直したりはしないよね!? ね!」 「うん、送信するよ、ここクリックな」 「そこだったのか! 盲点だった……さすがは天川君、ボクの親友だ!」 「けどお前、マスターしたって言うなら改行くらい覚えろよ」 「……ええっ!? と、取り消し、取り消しは!?」 「もう送った」 「そんな天川君っっ!!」 「なにやってんのー? あら、ノートPC?」 「うわぁあぁぁぁっぁあぁぁぁっっ!!」 「……なによ」 「な、なんでもない、なんでもないです!」 「ほんとになんでもない、恋路橋と付き合ったりしてない!」 「わーっ、天川君っっ!!」 「もが、もががっ……やめろこの……むぐぐっ」  などと戯れていると……。 「うぇぇぇぇん……ひどいですっ!!」  俺たちの目の前を、小柄な女子が泣きながら駆け抜けていった。 「……何いまの?」 「おや、あの子は4年生女子人気ランキング3位の○○さんじゃないか……」 「よく知ってるな!」  そして、それを追って現れたのは……。 「待ちたまえ、ふぅ……困ったベイビーだな」 「桜井(先輩)!」 「!? や、やぁ……月音さん」 「……ちょっと、また後輩に手を出したの?」 「まさか、デートの帰りに部屋に招待しただけで、手なんて出していないよ」 「その段階で、すでに手を出したことになるのではないかと愚考しますが!!」 「主観の相違だね。それにしても解せないな、彼女ときたらこの僕の本棚を見ただけで……」 「あのDVDコレクションを見たら普通はああなります!」 「なんですか、こないだだって『スカトロメモリアル・十三人の尻姫たち<無修正版>』ってのが間違えてボクの部屋に届いて……」 「!!」 「わ、ワタルボーイ……君はなんてタイミングで!!」 「さ、桜井……あんた……」 「あ、そ、それはもう処分したんですよね、先輩! 俺手伝いましたし!」 「あ、そ、そうだった、そうそう!」 「ふーーーーーーーーん?」 「あ、そ、そうだ、先輩に話したいことが、ちょ、ちょっとこっちへ……」 「やあ、命からがら助かったよ。それにしても君に助けられるとは意外だね」 「まあ、そのうち何か奢ってください」 「おやすい御用だよ」 「でも次もこんな風にフォローできるとは限らないですよ? もっとうまく常識人のフリしないと」 「本当の自分だから、つい出てしまうのだろうね」 「そんなんだから女子に逃げられるんです!」 「あははは……まさかまた1日で破局するとはなぁ」  桜井先輩があっけらかんと笑う。  この人はいつもそうなんだ。女子から言い寄られると、とっかえひっかえデートして、あっという間にフラれてしまう。  このルックスに幻想を抱いた女子を、奈落に突き落とす本性をなんとかしないと、先輩にちゃんとした彼女ができる日は来ないのかもしれない。 「こら桜井」 「な! ななななんだい月音さん?」 「あんたも、いい加減本当に好きな相手とだけつきあうようにしたら?」 「なかなかね、この僕の全てを受け入れてくれる相手がいなくて」 「そんな人がいるとでも思ってるの?」 「いつかは見つかる日まで、僕のラブハントは止まらない〈運命〉《さだめ》なのさ」  ため息をついた月姉が、女子エリアへの階段を上っていく。 「祐真、今日の礼についてはまた今度な」  月姉の後姿を見送った桜井先輩は、肩をすくめて自分の部屋に戻っていった。  ……学校に行く前にコンビニでも寄っていくか。  ……かくして俺は、通学路を迂回してコンビニの前に来てみたわけだが。 「…………はぁぁ、肉まんおいしそう」  金もなしに来るコンビニの、嗚呼なんと空しいことか!  月末の仕送りまで、あと10日以上――この枯渇した財布を俺は暖め続けるのだ。 「今週号のチャンプでも立ち読みして学校行こっと……」  さっそく勢いを挫かれた俺が、ふとコンビニの裏手に目を向けると、そこには……。 「なんとかひとつ……お願いッ!」 「ええ、いいですよ。ちょっと待ってくださいね」  んんん!? 雪乃先生!?  それにもう一人は、この間の募金少女か?  どういう組み合わせなんだ……? 「ひぃ、ふぅ……みぃ……っと、はい、どうぞ」 「ありがとうっっ! 感謝感謝っ!」  小銭を渡して……ゆびきりしてる!?  これって確か、恋路橋がそんな話を……。  考えているうちに、募金少女改め小銭少女が立ち去って、雪乃先生はコンビニへ……。  い、いったい、この二人は何を……!?  ど、どうしよう、分裂して追えればいいけれど、あいにく俺の肉体はたったひとつ!  小銭少女を追っかけるよりも、お金を受け取った雪乃先生がなにをするかを見届けたほうが、この謎は解ける気がする!  かくしてコンビニを覗くと……。 「はい、これっ!」  雪乃先生は雑誌コーナーに直行すると、本日発売の月刊yanyanを手にレジへ行き、彼女から受け取った小銭で……。 「いや、ちょっとyanyanって!」 「教師が出勤時にラブ運上昇アイテム大特集号って!!」 「ヴィスカウント更家の必勝ダイエットウォーキングって!!!」 「はぁ……はぁ……やなもん見た」 「ふんふんふーん♪ あら、どしたの天川? 遅刻するわよー♪」 「低学年の女子に小銭借りてyanyanですか先生!!」 「ぎぎぎぎくっっ!? な、なぜそれを!? おのれ風魔、どこで千里眼を!?」 「昭和のノリは結構です。そして先生のクラスの生徒だったことを、こんなに気恥ずかしく思ったのは初めてです」 「あんあんーーっ、ちょっと待って冷静に返さないでー! ちがうのよーっ、あの子よくお金貸してくれるからついつい……!!」 「みみみ見逃してっ、Youはなーんにも見なかった! はい! いいわね! いいわよねっっ!!」 「肉まん」 「にく……?」 「あ、あーっ、さてはお釣りの額まで計算済み!? あ、あなどれない子!!!」  かくして、店に取って返した雪乃先生からほかほかの肉まんを受け取って交渉成立。俺は今日見た秘密を霊園まで持って行くのだ。 「だめよ、通学中は飲食厳禁! ほら、その裏手の茂みで食べなさい」 「あなたよく校則を持ち出す気になりましたね」 「終わった終わった」  教室で友人と話し込んでいたら、こんな時間になってしまった。  時に用事もないし、夕食に備えて寄り道せずに戻っておくか。 「……ん?」  今の人……あれ? 校内って部外者立入禁止だよな!?  それに、どっかで見たような……。  こないだ公園の上で会った……人?  気になって彼女のあとを追ってみたが、どこにも見つからなかった。  あんな派手な格好をしてるんだから、ちらっとでも視界に入れば気づきそうなものなのに。  ……目の錯覚? まさかね。  放課後――。  真っ直ぐ寮に帰ろうと廊下に出たところで……捕まってしまった。 「やっほー、祐真ちゃん元気してる?」 「いいえ、体調を崩してます」 「いーわねー、男子はそーでなくっちゃ。じゃあ、ちょっとだけ手伝ってくれるかなー?」 「体調崩してるって言ったのに……」 「すぐすむからー! ね、ね!」 「はい、これ! 社会科の準備室に置いてきて」 「うお!?」  にっこり笑った雪乃先生は、やおら俺の両手に重量級のダンボールを乗せてきた。 「意味わかんないっすよ! 俺これから寮で夕食の献立表眺めてニヤニヤするっていう神聖な仕事が……」 「あたしだってエステ……じゃない職員会議があるんだから!!」 「エステ?」 「どういう耳してるの、職員会議よ!!」 「そ、そうか…………! なら仕方ない……」 「いや違う、それ全部先生の仕事です!」 「いーじゃなーい。やってくれたらお礼あげるから!」 「見そこないました、教え子を物で釣って働かせようなんて……」 「ここにね、学食の食券が3枚……」 「やらせてもらいます!!」  食券! しかも3食分!! つまりそれは連日のパンの耳生活からの脱却を意味するッ!!  それを思えばダンボールの1つくらい! 「じゃあ、こっちのもお願いねー☆」 「へ?」 「……だ、だまされた!!」  しめて20個のダンボールを社会科資料室に押し込んだ俺が、両手をダルダルにしながらフラフラと廊下に出ると……。 「ご精が出ますわねぇ」 「あー、いや、どうも……」 「………………」 「…………」 「ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!!!」 「あ、あ、あ、あなた、いつぞやの!」 「あらあら、覚えていらしたんですかー?」 「ずいぶん久々だったから思い出すのに時間かかったけど、前に公園の高台で会った人ですよね!!」 「はいー、おなつかしいですねえ」 「そこまで昔じゃないです! ええと、名前は……」 「はいー、私、シロツメと申します」 「あ、ども……俺は天川っていいます、天川祐真」  しまった思わず名乗ってしまった。 「ええ、よく存じ上げておりますわ」 「よく? あの、いやそうじゃなくて、ええと……まさか先生?」 「いえー、そんなご立派なものではありませんですわ」 「……校内は関係者以外立入禁止なんですが?」 「あー、そうですね。ですがお気になさらず。他の人は私に気づいたりしませんから」 「いやいやいや、そんな格好してたら100パー気づきます! いったいどこの歌姫ですか!?」 「くすくすくす、祐真さんは面白いですねー」  そういう問題じゃなくて……ハッ!?  こ、これはいわゆる変な人かもしれない!! よく分かんないけど近くの病院から抜け出してきたとか!?  どきどきどき……見れば普通に雪乃先生くらいの年齢っぽいけど、いきなり刃物持ち出したり、奇声を発したりされた日にゃ、俺はどうすれば……!! 「くらくら……ああ〜っ!!!」 「きゃーーーーーーー奇声ーーー!!!」  いや奇声は俺のほうだ。落ち着け!  落ち着けない、だってこの人倒れてるーーッ!! 「だだだだ大丈夫ですか!!」 「き、急に具合がぁぁ……」 「そんな唐突に!? どどどうしよう……水!? 水でも飲みますか?」 「エBアン汲んできて」 「あァ!?」 「嘘です、お水では……駄目なんです……」  嘘つくなよ、こんな時に。 「お茶……お茶があれば、治るんですけど……」 「お、お茶ですか?」 「ううー、くーるーしーいー」 「わ、分かりましたちょっと待ってて!!」  どきどきどき、びっくりした……いきなりぶっ倒れるなんて、なんなんだあの人はいったい!!  お茶、お茶、お茶……お茶なら自販機で売ってる。あの口ぶりからして、烏龍茶よりも日本茶のほうがよさそうだな。  お茶のペットボトルは学生価格で……100円。 「………………持ってねーーーー!!!」  忘れてた、俺月末まで文無しだったじゃん!! へそくりの500円も恋路橋に貸しちゃったし……ど、ど、ど、どうしよう!! 「いっそ叩くか!」  ――だんだんだんだん!!! 「なんてするわけねー! 誰か、誰かにお金借りて……いや、先生に連絡したほうがいいかしら? どどどどうする!?」 「どーう、なさいましたぁ?」 「おおおっ、小銭少女!! い、いいところにっ!!」  完全にテンパった俺は身振り手振りで状況説明。 「あっち、あっちで謎の歌姫が倒れて茶を所望!」 「はぁ?」 「落ち着け、そうじゃない! 向こうで具合を悪くした人がいて、お茶を欲しがってるんだけど、あいにく持ち合わせがなくて!」 「はいっ」 「ええと、だから…………今お金持ってる?」 「もちろんです!」 「よかった!」 「はい!」 「………………」 「…………(にこにこにこ)」  だめだ……ニコニコしてるだけで、代わりに買ってくれる気配がない。 「……お金、貸してくださいます?」 「はいっ、よろこんでー♪」  小銭少女は嬉々としてでっかいお財布をポーチから取り出した。  …………なんだろう、このもやもやした感覚。 「キャッシュ〈1〉《わん》〈0〉《おー》〈1〉《わん》、ご利用ありがとうございます。さっそくシステムをご説明いたしますね」 「キャッシュわんおーわん? いやあのさ、急いでるんだけどっ!」  こんなことしてる間に、さっきの謎の歌姫がこときれてたりしたら、寝覚めの悪さは想像を絶するというのにー! 「では手短にご説明いたしますね、貸付の限度額は1万円。利息は10日で1割の複利です♪」  なんかすごいウキウキしてる……この子からお金を借りるのはなんだかすごい怖い気がするんだけど、でも今は行き倒れが! 「あ、私3‐Cの〈日向〉《ひなた》〈美〉《み》〈緒〉《お》〈里〉《り》です。ご利用の前に、先輩のお名前とクラスとご住所を……」 「天川祐真! 5‐B! いずみ寮! だから早く!」 「はい、今回はいかほどご利用なさいますか?」 「100円!! 早くしないとっ!」 「では最後に……」 「え?」  いきなり、小銭少女あらため日向美緒里が小指をからめてきた。 「契約しまーす」  な……なんでだ!? 俺は金を借りようとしただけで……。 「ゆーびきーりげんまん、うそつーいたら針せんぼんのーます! 指切った♪」 「……え? え?」 「あのー、天川先輩も一緒に……じゃないと指切れませんよ」 「これは……なに?」 「契約です! さささ、ちゃんと指をからめてください」  と言われても、女の子と小指をからめるなんて、物心ついてからは初めてだし。 「ゆーびきーり……先輩、一緒に歌ってください」 「あ、ご、ごめん」  2コ下の後輩でも、間近に迫られてにっこりされると、さすがにドキッとしてしまう。  これで恋路橋は恋の始まりを錯覚したのか……分かるぞ、その気持ち。  ……って俺はなにを悠長に思ってるんだ!? 「それじゃあもう一度いきますよー。ゆーびきーり……」 「ていうか早く100円ー!!」 「はぁ、はぁ、はぁ……これ!」  かくしてダッシュで戻った俺は、シロツメさんに缶の緑茶を手渡した。  よかった……まだ息があって本当によかった。 「うぅぅ……ありがとうございますぅぅ…………こくり」 「………………」 「5点」 「採点!?」 「100点満点で5点です、こんな大量生産はティーとして認められませんわ(どぼどぼどぼどぼどぼ……!)」 「わーーーーっ!! なにするだァーーー!?」 「てゆーか息も絶え絶えだったのに!?!?!?」 「それとこれとは別です。こんな緑の〈色〉《いろ》〈水〉《みず》では元気になんてなれません。私、絶対に濃いハーブティでないと駄目なんですぅぅ(……がくっ)」 「先に言えーーーっ!!!」  ……はぁ、はぁ、疲れる。なんかすごい疲れるぞこの人!  貧乏学生が借金までして買ってきたのに、緑の色水だの、大量生産だの、挙句の果てには廊下に飲ませて……! 「ハーブティなんて校内でそうそう見つかるものじゃないから!」 「……いえ、そこに」  鼻をひくひくさせたシロツメさんは、いきなり目の前の社会科準備室を指差した。 「ほーら、やっぱりあったじゃありませんかぁ」 「………………」  資料室の中から(たぶん雪乃先生の)ティーセットを見つけたシロツメさんは、勝手に一服してケロッとした顔をしてる。  もういい、なにも愚痴るまい……。 「じゃ、俺はそろそろ……」 「まあまあ、そう言わないで飲んでいきましょうよー、ささ、一杯だけ、ぐいっと!」 「アフタヌーンティのイメージが壊れるなぁ……まあ一杯だけなら…………」 「あれ、おいしい?」  すごい、この人の淹れたお茶、マジで美味しい!! 「ごくごくごく……ぷはーっ」 「まあいい飲みっぷり……さあ、おかわりをどうぞー☆」 「いや、それより……ええとシロツメさんはどうして校内に?」 「あらぁ〜、ろうしてって、ろーしてなんれひょーねー、あははははははは!」  なんで真っ赤になってんだ!? 「いまのお茶……へんなもの入ってないですよね!?」 「はいってないれすよぉー、くすくす、くすくす……あはははは、なーんもはいってないれーす☆」 「うわー、なんかもう全然わけ分かんない! なんでこの人お茶で酔っ払ってるの!? でもって誰!? マジで誰!?」 「だれもなにもーー」  と、そのとき! 「こーら祐真ちゃん、いつまでかかってるのー?」 「ああっ、雪乃先生!!」 「あ、あーっ! こらっ、なに勝手にひとのウェッジウッド出してるのよーっ!!」 「いや、す、すみません! それはその、この人が……」 「少ないお給料でやりくりして買ったんだから、勝手に触らないでよー!」 「準備室私物化してんのか……いや、そんなのはどうでもいい! 先生、ほらこの人が!!」 「この人この人って何言ってんの! 今日だけは大目に見てあげるけど、ひとのお茶を勝手に飲むのはドロボーなんだからっ」 「いや……あの……」  雪乃先生、視界にシロツメさんがまるで入ってないみたいだ……。  他の人気づかないって、まさか本当に……。 「だから、そう申し上げたじゃありませんか〜」  音もなく立ち上がったシロツメさんがドアの向こうに消えて行く。 「ほ、本当だ……気づかない……」 「なにが本当なのよ、天川!!」  そして目の前に残ったのは怒りの治まらぬ雪乃先生。  これ……全部俺の仕業って流れですかーーー!?  はぁぁ……なんか意味不明な1日だった。  借金まで作っちゃったし……。  でも10日で1割か……利息が良心的でよかったよかった♪ 「おはよーっす」 「おはよう。急がないと遅刻だよ」  そう言って、恋路橋はトレイを片づけに行ってしまった。  今朝はちょっと出遅れてしまった。すでに食堂は人もまばらでガランとしている。みんな食べるものを食べて出て行ってしまったのだろう。  手近な席で大急ぎで胃袋に放り込む。 「…………」  まばらに居残っていた中にいた小鳥遊さんが、トレイを持って立ち上がる。  俺の横を通ってトレイを返却し、食堂を出て行った。鞄を手にしているから、この足で学校に向かうのだろう。  小鳥遊さんが来てからけっこう時間は経った。なのに誰かと会話している場面を見たことがない。  群れない子なんだろうな。  そして昼休みになった。 「さて、待ちに待った昼か!」 「食べに行くかい?」 「もちろん」 「今日は?」 「麺類かなあ」 「だったらそう急ぐ必要はないね」 「だな」  学食を利用する男子連中が、ぞろぞろと立ち上がって廊下に出て行く。  俺もその流れに乗ろうと席を立つ。  麺類みたいな不人気メニュー狙いなら、さほど焦る必要はない。窓際に寄って外の風景を見ながら大きく伸びをして体をほぐすと…… 「……………………」 「そろそろ行こうか」 「……悪い、俺ちょっとパスするわ」 「え?」 「昼、パスする……用事できた」 「て、天川君……そんなことをしたら君は……餓えて死んでしまうよ!」 「いや、死ぬほどハラヘリにはなるけど、死にはしない」 「パンくらい買っておこうか?」 「ああ……それ、頼める? 金、後払いになるけど……」 「20個とかは無理だけど……適当にいくつかくらいなら」  おやつ程度か。でもないよりは全然マシだ。 「恋路橋さん……頼みます……」  こんな時だけさん付け恋路橋を廊下に送り出すと、すぐに反対方向に走り出した。 「確かこのあたりだろ……」  このあたりだとさすがに人もいない。  目線を周囲に走らせると、すぐにそれは見つかった。 「……いた!」 「ちょっと、シロツメさん! 死んでるの!?」  悪いとは思ったけど、緊急時なので体に触れて揺さぶってみる。 「ゆ、揺れる……!?」  軽く揺すっただけなのに、胸の揺れ方が凄まじい。なんだ、これはセクハラになるんじゃないのか、と不安になる。 「う、ううん……うむにゃ……むにゃ……」  そんな気持ちよさそうにムニャムニャされてもなぁ! 「起きて、シロツメさん起きてって!」 「……あらあ? 祐真さん?」  良かった、目を覚ましてくれた。 「なんてところで寝てるんですか! こんなところで寝てたら胸とか触られちゃいますよ!」 「胸くらい……良いじゃありませんか……」 「な、なんですって! いいの!?」 「それに……寝ていた……わけ…では……ありませんの……」 「シロツメさん?」  なんだか息が荒いけど……。 「おなかが……すいてしまって……みうごきが……とれなくて……」 「まさか……餓えてらっしゃる?」 「ふふ……油断……してしまいました……」 「もし私が……消えてなくなってしまったら……お庭の植物を……誰が管理するのでしょう……?」 「そんなの枯れまくりですよ」 「おや、それは困りましたねぇ〜」  なんで笑ってるんだこの人。 「今、パンか何か買ってきますから!」 「あん……それだめぇ〜……」  変な意味に聞こえちゃいそうだ……。 「な、なんで?」 「ハーブティーが……よいのです」 「昨日もそんなこと言ってましたけど……」 「色水、禁止〜」 「贅沢っすねぇ!」  でもいちおう緊急事態なんだし、ここは言うとおりにしよう。 「ここじゃなんだから……すいません、立てないなら俺が運びますから」  膝の下と背中に腕を入れて、全身に力を入れてぐっと持ち上げる。 「おおっ?」  シロツメさんはけっこうすらっとして背が高く、少なくとも生身でみる限りでは俺の人生で最もナイスバディな女性だ。  ウエイトだってそれなりにあるのだろうと思っていたのに、とんでもなく軽かった。 「……か、軽いですね?」 「そうですか〜?」  これ、下手したら30キロとかないんじゃ……?  いやそんな馬鹿なことがあるはずはないし。 「と、とにかく運びます……」 「こんな風に抱っこされるのはじめてですわ〜」  どこまでも気楽な人なんだなぁ……。  しかし……胸元に抱き上げてみるとさらによくわかる……凄いボディライン……。  ボンキュッボーンというか、モデル顔負けというか、立体感満点というか。  しかもなんだろう、森の中にいるみたいな香りまで漂って。  ……いかん。このお体は青少年にはかなり有害だ。さっさと運んでしまおう。  俺は適当な目立たない場所に彼女を運び、そっと横たわらせた。 「祐真さん、逞しくなりましたね〜、感激です〜」 「……また変なこと言って……じゃ、ハーブティーを持ってきますから」 「お願いします」  そう微笑んで目を閉じた。  本当に力をなくした感じだな。急がないと。 「……社会科準備室か」 「雪乃先生!」 「あ、天川?」  ちょうど先生が一人でティーを楽しんでいる最中だった。 「それください!」 「……へ?」 「持ってきましたよ!」  魔法瓶から一杯だけをコップに注ぎ、手渡す。 「ああ、本物……本物の……ハーブティー……」  ハーブティーを飲むと、シロツメさんはすぐに回復した。 「ごちそうさまでしたー」  つやつやした顔色をしていた。 「……ひっく」 「やっぱり酔っぱらうんですね……」  なんというかすごく迷惑だ……。 「楽しくなってまいりまったー」 「ちょっとちょっと、困るんですよそういうの」 「でも楽しいので仕方ないのれすー! あはははうふふ」 「学校の授業じゃ酔っぱらいの介抱とか教えてくれないんですよ。元気が出たら帰ってくださいよ」 「いえ、そういうわけには、ひっく、まいりません」 「どうしてですか、何か用事でもあるんですか?」 「実はれすねぇ〜、あるのれすよ〜」  この人はどうも怪しい。  酔っぱらっている今なら、口を割るだろうか。 「その目的とは一体……?」 「それはズバリ祐真さんのことれーす! 祐真さんのことで気になることがあってそれを調べてるんれすね〜」 「気になることというにょわ、祐真さんのー、身辺でー、最近ー、科学ではー、説明できないー、不思議なことがー、起きていないかー、ということなんれす〜」 「なぜかと言うと、怪異は私が昔したことと関係あるかも知れず、それで気になってウロウロしちゃってましたー! でも目的は秘密ですけど〜、あはは」  全部話してるじゃないですか。  この人には絶対秘密の相談をしないようにしよう。 「……俺? 俺が目的?」 「祐真しゃん……どーひてそれを?」 「あなた、あなたが話したの今、全部」 「秘密ですからー、話したりはいたしませんー。嘘つくなんて悪い子ですね〜」  どっすんどっすん体当たりしてくる。 「あの……軽いし効かないし胸当たるんですけど……」 「むね〜?」  怪訝そうな顔で、自分の乳房を見下ろす。 「あ、いや、何でもありません……ところで、昼休みもすぐ終わるんで、話の続きを伺いたいのですが?」 「ああ、そうれふ」  シロツメさんは背筋を伸ばし、つんと上向き加減にふんぞり返ると、王様のような態度でこう命じてきた。 「夜々さんをナンパしなさ〜い!!」 「は、はぁぁっ!?」  なんだそりゃ! 「夜々さんを、ナンパして仲良くなってくださ〜い!!」 「どうして俺がそんなことを……無茶言わないでくださいよ! ナンパなんてしたこともないのに!」 「そうしないと歴史が狂うのです……ひっく」  シロツメさんはハーブティーをがぶ飲みする。 「だってあなたたちったら、ちっとも仲良くないんれすもの」 「そりゃそうでしょう」 「どうしてぇ?」  突然、馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。完全に酔っぱらいの所業だ。 「や、だって俺、夜々って誰か知らないですし……」 「……あ」 「ただ、どこかで聞いたこともあるような……」 「……小鳥遊夜々さんじゃないですか。この間、寮に入った」  小鳥遊……ああ、転入生のあの一匹狼っぽい……。 「……って、絶対ナンパとか無理ですからああいうタイプは!」 「でも、そうしてくれないと……お姉ちゃん悲しいですわ……」  シロツメさんはいじけて、俺の腹筋に『の』の字を書いた。 「あ、姉ならもうきついのがひとりいますんで、間に合ってますっ」 「なら妹で」 「シロツメさんの方が年上でしょう、どう見ても」 「そうです、妹役は夜々さんなのでした」 「へ?」 「……とにかくです。夜々さんとあなたに仲良くなってもらわないと……重大な……歪みが……」 「さっきから何を話してるんです?」 「…………」  急に真面目な顔をしてしまったぞ。 「……あの、シロツメさん?」 「ナンパの件、どうかよろしくお願いいたしますわ」 「いや、無理ですイヤです。手ひどく忌み嫌われて終わるだけですって!」 「そんなこともないはずなんですが……ご縁があるはずですから」 「いや、自然に知り合うならともかく……ナンパでどうこうできるとは思えませんよ。もし何だったら桜井先輩にでも頼んで、あの人にナンパしてもらいましょうか?」 「それはいけません! 祐真さんでなければならないのです!」 「その理由はどういう?」 「……それは、お話することは難しいのですが……」 「じゃあ俺もイヤです」 「まあ、それは困りましたわ〜」  困るのはこっちだよ、まったくもう……。 「あ……」  話の途中で、シロツメさんがふらつく。 「平気ですか?」 「平気、れっする」  ますます滑舌が怪しくなってきたぞ?  そういえばさっきからやけに茶量が多いし、ピッチも早い……これは悪酔いパターンなのでは? 「ひっくっ……へいき、でもへいきじゃない……へいきじゃない……でもへいき……」 「そろそろお家に戻った方が良いのでは……?」 「祐真しゃん……」  紅潮した顔と潤んだ瞳が、ごく近い距離で俺に向けられる。 「シ、シロツメさん……?」 「…………」 (ドキドキ……) 「うふふふふふふぅっ」  俺は腰が折れる寸前まで仰け反ってしまった。 「こ、こわい……酔っぱらいって……こわい……」  突然、シロツメさんはくるくると舞いだした。最後は両腕を広げながらピタリとポーズを決める。 「世界がぐるぐるしてますね〜」 「……ど、どうなんでしょうね」 「うふっ……うふふ……ひっく……うふふふふっ……なんだか、とても楽しくなって参りました!」 「それはあなたがヨッパだからです」 「はあぁ〜、気持ちいいですわ〜」  ふらふらと歩み去っていく。  片手に魔法瓶を持ったまま、じかに口をつけて飲んでいる姿は、もう完全にアル中のそれと同じだった。 「帰るんですか〜?」 「はい〜、気持ちが良いので帰ります〜、また来ます〜」  また来るのか……。 「気をつけて帰ってくださいよ、車とか危ないんですから!」  ひらひらと手を振って、危なっかしい足取りで蛇行していった。  心配だけど……さすがについていくわけにもいかない。 「しかし……小鳥遊さんをナンパしろ? いったい全体、どういうことなんだ……」  楽しい金曜日の授業が終わった。  土日は休みだから、好きに過ごせるぞ。  といっても、今の俺にすることなんてないんだけど……さ、どうやって過ごそうかな。  そんなことを考えながら歩いていると、校門のところでシロツメさんが倒れていた。 「ま、またっ!?」  しかも昨日と同じ場所だし!  いや、それよりも驚くべきところは、あんな目立つところに倒れているのに、シロツメさんを助けようとする人が一人もいないところだ。  下校時だから、門を抜けていく人数はかなり多いのに、誰もシロツメさんのことが目に入っていないみたいだ。 「あ……」  踏まれた……。  人を踏んでおいて気付かないなんてそうそうあることじゃないのに、当の本人は素知らぬ顔で校門を出て行く。  完全に気付いていないのか、あるいは無視しているのか。そういえば昨日の雪乃先生も変なことを言っていたような。  わからん……。  けど目の前で倒れている人を見捨てるってのはさすがにな。  俺はため息をついて、シロツメさんのそばに近づいた。 「ううん……」  意識がなく、ぐったりとしているが、まだ息はあるようだ。 「あの、もしもし?」 「……あん……」 「シロツメさん、こんなところで倒れてたら危ないですよ」  長い睫毛の列に縁取られた目蓋が、ゆっくりと開いた。 「……あ……祐真、さん?」 「またエネルギー切れですか?」 「はい、切れちゃいましたわ♪」 「嬉しそうに言わないでくださいよ……」 「祐真さんが助けにきてくださったのが嬉しくて、つい」 「……いや……そりゃ助けますけど……」 「とりあえず立てませんか?」 「自力ではちょっと……」  俺はシロツメさんに手を貸し、力を込めて引っ張り上げた。 「歩けそうですか?」 「まだ少しふらつきますけど」 「それってつまり……またハーブティーがいるってことだったりしますか?」 「はい!」 「またか……」  昨日の情景がありありと思い浮かぶ。 「……シロツメさん、ティー飲むと酔っぱらっちゃいますからね……」 「いいえ、酔っぱらったわけではないんですよ」 「とても気持ちが良くなって、全身が敏感に研ぎ澄まされて、ハイでアッパーな気分になってしまうんです!」 「えっ、それ、酔ってるんじゃなくて、ラリって……えええっ!?」  でも確かにハーブティーって草だから、そっち系の効能があってもおかしくはないけど……いや、けどまさかな……。 「つらいことがあっても突撃しよーっていう前向きな気分になれますし、集中力が異常に高まって地面に落ちてる小石の数まで数えられそうなくらいですわ」 「そっち系だーーーーーっ!?」 「え?」 「覚醒剤取り締まり法で逮捕されますよ!」 「はあ……でも私の姿は、Gメンにも見えないので、それは難しいと思いますわ」 「……よくGメンなんて知ってますね、そんな浮世離れしてるのに」  と普通に話していると、いつの間にか俺は帰宅する生徒たちから奇異の視線を向けられていることに気付いた。 「……え?」  な、なぜそんな目立っているんだろう?  別に変なことを話しているわけじゃないはずなのに……。 「さっきから、無数の冷たい視線を感じるんですけど……」 「ああ、それはですね、祐真さん。私の姿は普通の方には認識されませんから」 「え?」 「祐真さん、ひとりで話しているように見られているのだと思われます」 「な、なんだって……それじゃまるで変人さんじゃないか!」 「ご安心ください。私は祐真さんが変人だなんて思っておりませんから」 「ノォォォォォォッ!!」  俺はシロツメさんの腕を掴んで、人のいない安全圏まで引っ張っていく。 「ここなら人もいないし、いいだろう……」 「あのう、祐真さぁん」 「ああ、ハーブティーでしたっけ? 大丈夫ですよ、今日は念のために魔法瓶で持参してきていて……」  魔法瓶を取り出しつつシロツメさんに向き直ると。 「……カサカサカサ……」  か、乾いてらっしゃるっっ!! 「こ、これを飲んでくださいーーーーーっ!」  魔法瓶から一杯注いで、干物になりかけたシロツメさんの口に含ませる。 「こくこく……こく……」  飲んでる……。 「……ふぅ」  増えるワカメを思わせる勢いで、生気を取り戻していく。  やがて全身にみずみずしさが行き渡り、血色が戻ると、シロツメさんの目がゆっくりと開いた。 「シロツメさん! 良かった!」 「……これ、薄いですわ」  命の水にケチをつけた。 「泥酔対策として薄めに淹れたんです」 「これではトリップができません……幸せになれない」 「その幸せのなり方はダメなんですってば」  薄目に淹れたのが奏功したのか、シロツメさんの理性はずいぶんと保たれている。 「そもそも、どうして餓えた人間がハーブティーだけで蘇生するんですか」 「それはですね! 私ははっぱの力がないといきていけない存在だからですね!」 「はい〜?」 「ハーブティーはとても効率の良い栄養源なんです」 「聞けば聞くほどわからないです」 「おかわりください」  物足りなそうに、カップを掲げる。 「もうダメです」 「……祐真さん、いじわるです」 「なんと言われようとも」  いくら薄くてもたくさん飲んだら同じだ。このあたりで差し止めさせていただこう。 「で、やっぱり俺に会いに来たんですか」 「はい、そうなりますね」 「その後、夜々さんとのご関係はいかがですか?」 「その後とは言いますけど、昨日の今日ですよ」 「では、まったく進展は……?」 「ありませんって」 「そんな……!」 「どうして……親しくなってくださらないのですか?」  そんな涙目で言われてもなぁ……。 「だってほとんど言葉も交わしたことないですし、きっかけなく馴れ馴れしくしたらストーカー呼ばわりされるだけですよ」 「でも……おふたりは……祐真さんと夜々さんは……昔は……」 「昔?」 「いえ……」  シロツメさんは気まずそうに言葉を濁した。 「……もしや……祐真さんは……」 「は、はい?」 「……清いお体(童貞)なのでは?」 「ぎゃーっ!!」 「女性経験がなくて奥手だから、それで……?」 「いいじゃないですかそんなこと! ほっといてくださいよ! だいたいそんな決めつけて……実際は経験豊富かも知れないじゃないですか!」 「夜々さんをナンパしない=夜々さんひとりナンパできない=ナンパ自体したことがない=女性経験に乏しい=というか経験ナシ=清い肉体=清いから良いというものではない」 「言いがかりですけど当たってますけどおかしいですよねその結論!」 「深刻な事態です……」 「あなた、いったいどうしたいんですか!」 「ですから、私は祐真さんと夜々さんのおふたりに、仲良くなってもらいたくてですね」 「それは何故?」 「……それは」  シロツメさんは目線をそらすと、いつの間にかすめ取っていたのか魔法瓶から手酌でハーブティーをぐいと煽った。 「にょっぱらましたーですぅ」 「ハーブティーに逃げた!」  いったい何を隠しているんだ!? 「わかりまひた!」 「は、はい?」 「少しお時間をいただきましゅが、わらくしにおまかせくだしゃいませ!」  どんと胸を叩くと、シロツメさんは学校の外にさまよい出ていった。  俺は呆然とその姿を見送るしかなかった。 「……わっかんない人だなぁ」 「ふー、遅刻遅刻!」  二度寝してしまって遅刻寸前だ。けどどんなに遅れたとしても、朝食を食べないわけにはいかない。  と急いで食堂に向かっている途中。 「うわあっ!?」  曲がり角、出会い頭にぶつかってしまった。  こ、この展開は……美少女!?  そんな淡い期待も募るが、残念ながら相手は見知った顔の男だった。 「天川君……おはよう……」 「……おはよう……」 「出会い頭、だったね……」 「頬を染めるな……亡き者にしたくなるから……」 「なんとなくそうしないといけないような気になってしまったのだよ」 「朝っぱらからひどくしょっぱい気分になったよ」  恋路橋が立ち上がった。 「メガネを落としてしまったよ。どこだろう?」  何気なくその素顔を見てしまう。 「ぶっっっ!!??」  信じられないものを見た。  特番風に言うなら『その時ぃぃぃ取材班はぁぁぁ信じるらぁぁぁれないものを見ぃたぁぁぁぁ!!』だ。  巻き舌の表現はこれでいいのかな。いや、死ぬほどどうでもいいな。俺は動転しているな。  動転してしまったのは、恋路橋のノーメイクフェイス(メガネがメイクの一部であるとするなら)のせいだ。  ああ……まさか、あんなことがあるものなのか?  とても信じられない……。  も、もう一度見てみようかな? 「メガネ……どこだろう?」 「ぶほっっっ!!??」  見間違いじゃなかった……! 「……見なかったことにしよう」  俺は恋路橋をその場に置き去りにして、さっさと食堂に向かった。 「食っちゃるー」  どんぶりに山盛りメシ、焼き魚にみそ汁、柴漬け、納豆には刻みネギ入りのしょうゆも忘れない。  それにしても、まったく魚は罪深いよなあ。  おおよそどんな魚でも、食ってマズイと思ったものはない。魚は美味すぎる。  嗚呼、魚がいなかったら、俺いったいどうなっちゃうんだろう?  けど今日は普通の時間帯に起きることができたので、食堂は混み入っている。なかなか空いてる場所がない。  あ、空いている席がひとつだけあった。座らせてもらおう。 「ここ、いいですかー?」 「……え? 天川君……? い、いいけど……」 「い、稲森さん……」  ま、まさか偶然に見つけた空席が、稲森さんの隣だったとはーっ!!  しかし今さら席を立つのも不自然だ。稲森さんを避けているように受け取られてしまう。 「…………」 「…………」  気まずぅい!  せっかくの魚の味が、まったく感じられない。舌が緊張で麻痺してしまったかのようだ!  事務的に食事を終えて、俺は席を立つ。 「じゃ……また」 「…………」  返事ナシかよぉぉぉっ!!  テンション下がるわー。  なんかこういう時にしみじみ思うのは……人間関係って、難しいなぁってことだ。  昔のトラブルが元で向き合えない人がいるって、つらいわ。 「土曜日だ……」  学校はない。至福の一日だ。  明日は日曜であり、一見して至福の度合いは対等に思える。だが違う。  日曜を明日に残した土曜。このゆとりこそ、土曜の有意性に他ならない。 「しかしやることはない……暇だ!」 「…………」  なんだろう……この張りのない生活は。  目的がない人生ってこんな虚しいものなのか……。  ん、誰だろう? こんな朝っぱらから……。  今どきの寮生のトレンドは、土曜の朝食後の二度寝だ。  それを破ってまで遊びに来るなんて……どうかしてるぞ……。けどとりあえず出てみよう。 「はーい、どちらさん?」 「おはですわ〜」 「シ、シロツメさんじゃないですか!」 「過ごしやすい朝ですわね」 「……寒いですけどね」 「私、寒いの平気です」 「人に見えない存在は寒さにもガン無視されてんすか」 「……祐真さん」 「はい?」 「減点5ですね!」  ビッシリと指をさされて採点されてしまう。 「減点制度が導入……い、いつの間に?」 「今日からです。今日から祐真さんは、減点法によって採点されるさだめなのですわ」 「そんな個性を奪うような方法で人を測ろうだなんて!」 「本戦前から減点だなんて……確かに祐真さんには、経験が必要ですね」 「わからないですけど……とりあえず中に入ってください」 「いいえ祐真さん。今日は祐真さんが外に出る日なのですよ」  決然と胸をそらす。 「ええ?」 「祐真さん、私とデートしていただきます」 「え……デートって……ええええっ!?」  そうして俺は気がつくと……。 「……はい?」  こんな所に連れ出されていた。 「ここもずいぶんとハイカラな場所になりましたねぇ」  ビルを見上げるシロツメさんが、俺に腕を絡めながらそんなことを言っていた。  って、腕!? 「ちょっとシロツメさん! 腕、腕が!」 「腕がどうなさいました?」 「腕が動きません!」 「今は私がゲットしてますから」 「はわわ……」 「祐真さん、よくお聞きください」 「は、はい!」  無駄に緊張してしまっている。 「今日は私の体を使って、存分に女の扱い方を学んでいただきたいのです」 「そ、そんな言い方……誤解されちゃいますよ! さ、ささ誘ってるんですかっ!?」  存分に痛いな俺。 「はい、誘ってますよ。まずはデート慣れしていただかないと、ナンパも何もないですから」 「……ナンパ……まさかシロツメさん、これって小鳥遊さんをナンパさせるための予行演習?」 「ええ、そのとおりです。祐真さんはここでしっぽり男を磨いていただきますね」  しっぽりってそう使う言葉なんだっけ? 「よろしいですね?」 「……は、そりゃ構いませんけどね。シロツメさんみたいな美人とデートするなんて、そうそうあることじゃないですし」 「……え……な、何を……嘘……」  あ、可愛い反応。  シロツメさんも焦ったりすることがあるんだなー。 「私、神とかの部類に属する似て非なる得体の知れない何かなのですが〜?」 「し、死霊とかじゃなくて良かったですっ」 「それは……結婚を申し込んでいらっしゃる?」 「け、結婚っ!? い、いや! 今の生きる僕らの結婚は晩婚化の一方でして……」 「本当に困ってはいるのですが、なんとも少子化問題ばかりはまだまだ民営化されておりませんで、解決の目処も立たずといった具合で……」 「祐真さん、私のことをそんな目で見ていらしたんですね〜」 「あんたが要所要所でエロ補完しやすい言葉を使うからです」 「まあ。それでもやっぱり祐真さんは、夜々さんと乳繰りあっているのがお似合いですわ〜」 「だからなんで小鳥遊さん……」 「付き合えばわかります。おふたりはしっくり行くはずなんです。それは……このクローバー占いでも明かです」  シロツメさんはどこからともなくクローバーを取り出した。 「あ、四ツ葉だ」 「いいですかぁ? うまくいかない、うまくいく、うまくいかない……」  一枚ずつ葉っぱをむしっていく。最後の一枚になった。 「うまくいく……ね?」 「ダイタンな詐欺っすね、それ」  小学生騙すことも無理なんじゃないか? 「さあ、ではそろそろ参りましょう。祐真さん、私をステキにエスクードしてくださいね」 「確かどっかの国の通貨っすよ、それ」 「まあ?」 「エスコートですよね?」 「ああ、そうですわ。それですの」 「祐真さん、わかってらっしゃいますわね。その心意気を忘れないでください」 「は、はあ……」 「では出発ですね!」  こうして俺とシロツメさんのデート演習が始まった。 「学生一枚、大人一枚」 「……は?」 「学生一枚、大人一枚でお願いします」 「お一人様なのでは?」 「いや、ここに……」  相変わらず俺の真横でニコニコしてるシロツメさんを示す。 「祐真さん、私の姿は普通の人には見えませんので」  ぐわ、そうだった! 「が、学生一枚で!」  そうか、シロツメさんとの会話って、注意しないと独り言野郎になっちまうんだった。  そんな注意しながら、うまくエスコートしろってのか?  けっこうつらい試練だな、これ。 「……っ……っっ……っ…………ッ…………っっっ」 「……うーむ」  俺にすがりつくようにしてスクリーンを凝視してらっしゃる……。  映画内のトラブルに対応してビクついてるし。  ……まさか……不思議存在だから映画見るのはじめてとか? 「……まあ……まあまあまあ……」  ラブシーンになるとため息つきっぱなしだ。  まあ、それにしても劇場がガラスキで良かったよ。シロツメさんの座る場所もちゃんと確保できたしな。 「おおお……おおおおお……っ」  映画作ってる方も本望だろうよ、これだけドキドキしてくれたらさ……。 「素晴らしいお話でしたわー! 私、長い人生でこんな深く感動したことははじめてです!」  喫茶店の店外席に落ち着くと、シロツメさんは機関銃のように映画の感想を話しはじめた。  これが、止まらない。 「お話だけじゃなく、映像の方もなんといいますかこぉんな大きな絵がイキイキともの凄い音と一緒に全身に当たって……!!」  まあ映画初体験ってこんなもんなのかな。  これはこれで微笑ましくて、なかなか楽しい光景なんだけど。 「……それで、エスコートの方はどうだったんですか?」 「まあ、それはもちろん減点0ですわ!」 「よ、良かったら減点0になるだけなのか……」 「これなら夜々さんも大喜び間違いなしじゃありませんか?」 「いやぁ……そもそも一緒に行ってくれるかどうか……」 「あとですね、今どきの女の子は映画だけじゃそう喜んでくれることはないですね」 「そんなものなのですかね〜?」 「飽食の時代ですから」 「まあ……そんなことが……」 「まあ小鳥遊さんのことはともかく、今日はシロツメさんが楽しんでくれて良かったですよ」  お金ないのに映画とかね……一人分でずいぶん助かったけど……借金とかしちゃってますからね……ははは……。 「あら、また私ったら……祐真さんと夜々さんの練習にならないといけませんのに」 「またそれですか……」 「では次はどういたしましょう? デートでは普通、映画のあとはどうされますの?」 「まあ、適当にショッピングといきたいところですが……軍資金がないので、見て歩くってあたりでひとつ」 「お金がないのですか?」 「はいー、貧乏学生ですからー」 「それは減点50ですわね〜」 「金も魅力のうちなのかよーーーっ!? えげつねーーーーっっ!!」 「甲斐性なし♪ 甲斐性なし♪」 「やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!?」  耳を塞ぎたかった。 「結婚したあとは贅沢できませんと〜、愛が冷めてしまいますから〜」 「ある意味リアルですけどねぇっ!!」  さんざんだった。  なんだかんだ言って、女の人と遊び歩くとなれば、またたくまに時は過ぎ去る。  気がつけば日も暮れて、いよいよ楽しい一日も終わりが見えてきた。  となれば、男のすることはただひとつ。 「送ります」 「おや〜」  しかし俺はシロツメさんの家をしらない。  だから本人の希望した自宅最寄りの場所……にまでやってきたのだったが。 「……よりによって、こんな場所が……?」 「はい〜」 「俺、よくロードワークでこのあたりまで走ってきますよ」 「ご縁があるのでしょうね、うふふ」 「……本当、なんなんですかね、シロツメさんって」 「うふふのふ」 「俺たちのしらない不思議なことが世の中にはあるってことなんですかね……」 「半分当たり」  とシロツメさんは俺の鼻をちょんとつついた。 「……あっ」  悪戯されてしまった……おかえしに同じことをやり返してやろう。  最初はくすくす笑いながら顔ごとよけていたシロツメさんも、最後にはどうぞとばかり身をかがめて鼻先を突き出し、目を閉じた。  俺はそのポーズを見た瞬間、硬直した。 「こ、これは……っ」 「…………」  なんで目を閉じてるんだ?  この高さはまるで……まるで……。  誘っているのか? それとも天然なのか? 「……ぐ………………う……」  わからん、しちゃっていいのか、それとも冗談で済ませておくべきタイミングなのか……。 「……んー?」  目を閉じたまま、シロツメさんは怪訝そうに喉を鳴らす。  俺の方が葛藤に耐えられなくなり、結局鼻プッシュして事を終わらせてしまった。 「……さてと、あら綺麗な夕日」  シロツメさんは俺の内なる戦いなど知るよしもなく。  しかしまあ……彼女の言うとおりデートってのはいいものだった。  今日一日、ずっと過ごしたおかげで、さっきの悪ふざけあいみたいなこともできるようになったし。  まだまだ経験が足りてないのは間違いないけど、微妙に距離も縮まった気がするし。 「半分当たりって、残りの半分は?」 「それを言ってしまうのは、迷ってるんです」 「俺たちのしらない不思議なことは……半分だけある?」 「はい減点15。これはおばかさん減点です」 「いやな減点だー」 「全部は教えてあげられませんけれど、ヒントだけなら……」 「祐真さんは知らないとおっしゃいましたけど、そんなことはないんですよ」 「へ?」  意味がわからない。UFOとかUMAとか、知識としてそういうミステリーがあるのは知ってるけど……そういう意味じゃないんだよなぁ? 「私の存在も含めて、祐真さんにとっては知らないことでは……」  そこで『あら』と自戒の言葉を口にして、打ち切ってしまった。 「ど、どういう……それって?」 「ここからは宿題ですわ。ご自分で考えましょう。けど……これはそう大事なことでもありませんから」 「私はただ、祐真さんと夜々さんに幸せになってもらいたいだけなんです」 「俺と小鳥遊さん……」  それもわからない点だ。  なぜ小鳥遊さん?  なぜ俺?  なぜそのカップリング? 「……お手上げですよもう。シロツメさんの言うことは、俺にはさっぱり」 「寂しく感じることってありませんか?」 「俺ですか? 別にそんなことは……寮での暮らしは賑やかですし、親にも恵まれて、友人や先輩だっていてくれますし」 「でもときおり、言いようのない寂しさに襲われる?」 「……ごくたまに、そういう心境になったりもしますけど……でもそんなのは誰だって体験することでしょうし。俺の感じた寂しさが、特別な寂しさとは限らないでしょう」 「……そうですわね」  そう言うシロツメさんの方が寂しそうじゃないか。  どうしてこの人は、俺のことをここまで手間暇かけて気に掛けてくれるんだろうか。 「……俺の年頃の男子なら、寂しいって思うのはやっぱり彼女がいないからとかじゃないですかね」 「おやまあ。でもそんなあなたに朗報! あなたにピッタリのお相手が、身近な場所につい最近、現れましたの!」 「なるほど。俺にピッタリの相手が、身近な場所につい最近ですか」 「はい! その子と祐真さんは……ふたりでならどんな不幸に陥っても幸福になれるという、天に愛されたカップル」 「ほうほう!」 「いかがですか? 今日の経験を生かして、ひとつ声などお掛けになってみては?」 「……そういうのも、いいかも知れませんね」 「そのお気持ちは大切ですよ、祐真さん。私、応援しておりますので」 「そうですか? してくれますか?」 「もちろんです!」 「なんか、俺もその身近な相手のことが気になってきたみたいなんで」 「それはいい傾向ですわ。そういう気持ちになることが、男女の距離を縮める上では大切なんです」 「じゃ最近になって身近に現れたシロツメさん、俺と付き合ってくれません?」 「…………」  ピタリと、シロツメさんの笑顔が石化した。  でもすぐにいつもの柔和な表情を取り戻した。 「それはいい傾向ですわ。そういう気持ちになることが、男女の距離を縮める上では大切なんです」  やり直したよこの人。  でも俺の時間は巻き戻らないですよ? 「付き合ってください」 「……ええと、祐真……さん?」 「はい」 「小鳥遊さんとお間違えですよ?」 「小鳥遊さんのことはよく知りません。けどシロツメさんのことは知ってます。いい人だなとも思いますし」 「今日いろいろお話したら、すごく楽しかったんで……年下でも良かったら、青田刈り感覚でおひとついかがです?」 「……こ、困りました〜」  本当に困った顔をしてる。珍しくて可愛い。 「そ、そういう予定ではなかったものですから、私、大変戸惑っておりますっ」 「俺じゃダメですか?」 「いえいえ、そういうことはありませんけれども……あら……あら、ら?」  シロツメさんの顔が、ハーブティーで酔ったみたいに真っ赤になっていった。 「…………やだ……どうしましょう……っ」  リミッターを越えているらしく、酩酊時以上に赤みが増していく。ほとんどトマトを思わせるほどになる。 「い、意識はしてもらえてる、のですかね?」 「……………………っ」  オーバーヒートしたみたいに、シロツメさんは言葉を失い、俺から目線を外して足下に落としてしまった。  甘酸っぱい気持ちが俺の中にも湧き出てきて、それは舌を錯覚の甘みで痺れさせるほどだった。  こ、これは……恋の味っ?  鮮烈で新鮮な体験。 「……ゆ……祐真さん……」 「は、はい!」 「……減点……100です……」  なんじゃーーーーーーーっ!? 「ご、ごきげんようでございますのことと存じ上げますっ」  変な言葉遣いで、シロツメさんは茂みの中に飛び込んでいった。というか逃げたよ。 「う、うわあ、返事なしっすかあっ!!」  恥をしのんで勇気を振り絞った俺の立場は? 「残酷だ……恋愛って……残酷だ……!」  確かに今日の出来事は全て、俺にとって勉強になった……良い意味でも、悪い意味でも。 「バッキャローーーーーッ!!」  高台から街に叫ぶ。  このシチュエーションで他にできることなど、ないと思った。  恥をかきました。  もう当分、告白とかしたくない……。  いや、告白というと大げさなのかもな。  俺は別に彼女がいるわけでもないし、これから先、そういう相手と出会う気配もないし……そんな時、シロツメさんがいろいろ良くしてくれたから……だから好意を持った。  中には、困ることも多かったけどさ……。  人に見えないとかいろいろ未解明な部分も多いけど……けど男の子にとって年上の女性って謎が多いものだろ?(詭弁)  別に結婚を約束してくれって言ったわけじゃなくて、ちょっと付き合ってくれるだけでも……。  脈があったとは言わないけど、全然ダメだったようにも思えなかったんだけどなぁ。  断るにしても、もうちょっとこううまく断って欲しいというか。  減点100という全否定→激走逃亡。このコンボは俺の心に、PTSDを引き起こしそうだ。 「ああ……あああっ……!」  リビングで身悶える。  心の中でシーン回想をリピートするだけで、恥ずかしさでいてもたってもいられなくなる。 「あはぁん……っ!」  忘れたい!  この記憶を、因果地平の彼方にポイ捨てしてしまいたい!  週に一度しかない大切な日曜日を、後悔と気恥ずかしさに蝕まれて過ごしてしまった……。  一世一代の恋でもないのにこのダメージ。  これからの人生が思いやられる……。 「ただいま〜」  玄関から大勢の人間が一度に戻ってきた気配がした。  月姉の声が聞こえるってことは、演劇組だろうか。  姿が見えないことにも気付かなかったけど、日曜のこんな夜遅くまで練習してるなんて、あっちも大変だな。 「疲れた〜! ハラ減ったよ〜! 祐真ー、そこ邪魔ー」  その亭主発言は俺をことさらに踏みにじった。 「俺絶対この悲しみポジションからどかないですからねっ!」 「……何泣いてんの? イジメられでもした?」 「そうです、今し方あなたに!」 「天川君がこんなに乱れるだなんて……」 「…………」 「優しくほっといてくださいよう」  演劇組の三人は、顔を見合わせた。 「……どしたの? 明日はめでたい日なのに」 「?」 「……演劇会、だから」  ああ、明日だったっけ……。  そうか、だからこんな遅くまで頑張ってたのか。 「今日は最終リハだったんだよ」 「あーそー」 「だから祐真にはあたしたちのためにお茶淹れして欲しいんだけど」 「鬼か」 「どうして?」 「俺は昨日……」  言いかけて口をつぐむ。  月姉がニヤニヤしてこちらを伺っていた。 「昨日、何?」 「……お茶……謹んで淹れさせていただきます……」  寮では傷心している暇はない。  自室で籠もっていればいい?  だってそれ、えらく寂しいんだぜ……。  とりあえず人数分の茶を淹れ終わる頃には、陰々滅々とした気分も少しは晴れていた。 「うまい! なんかお茶淹れるのうまくなってる!」 「……なんででしょーねー……」  凹む。 「で、リハーサルはどう? いけそう?」 「フフフ……完璧だよ天川君。完璧と言わざるを得ない」 「……まー普通」 「おい、だいぶ意見に食い違いがあるようだが……?」 「柏木先輩が完璧主義者なだけで、仕上がり自体は上々なんだよ」 「トラブルもなかったしね」 「違うのよねー。トラブルがないことが大事なんじゃなくて、デキがどのくらい高まっているかどうかが大切なのよ」 「その観点だとよほどのデキでないとダメだし出そうですよね」 「先輩が思いつきで指示する無茶な要求を、可能な範囲で実現したつもりなんですが」 「いや、よくやってもらったと思うけどね……うーん」 「学生劇としてはよくまとまったけど、月姉的にはまだ突き抜けたものが欲しいって感じなのかな」 「そう、それ!」 「あれだけ……できて……不完全燃焼……」 「これ以上は暴動が起きます。ダメですよ、今夜新しい思いつきで演出変えたりしたら。本番は明日なんです。今のまま上演するんですよ?」 「ちぇー」 「…………」  演劇もこうやって参加者同士のあれこれトークを聞いていると、なんだか楽しそうだ。  参加すれば良かったかな、ともちょっと思う。  ……少なくとも恥をかくことはなかっただろうから。  教室に戻る途中、久しぶりにその姿を見てしまった。 「うおっ!?」  猛ダッシュで中庭に向かい、対象を確保。  人気のない場所に連行。 「シロツメさん!」 「祐真さん、お久しぶりです」  相変わらずのポワついた笑顔が懐かしい。 「しばらくの間、一度も顔見せないでー!」  俺はシロツメさんの家の正確な場所を知らないので、こっちの意思では自由に会うことはできないと言うのに。 「申し訳ありません。ちょっと考え事を……」 「考え事って……」  押せ押せでいろいろ問いただそうと思っていた気持ちが、たちまち萎んでしまう。 「まさか、例の件で……?」 「はてー、例の件、とおっしゃいますと?」 「例の件といったら……アレしかないでしょう」 「俺からシロツメさんに申し込んだ……あの件ですよ……」 「……ええと?」  小首を傾げる。 「とぼけますね……」 「デート練習をした時の件、と言わなければわかってはもらえないんですか」 「デート練習なんてしましたっけ?」  ほ、本気で忘れていらっしゃる……? 「ちょ、冗談でしょう? シロツメさん……?」 「いいえ、マジですわ。今日は本気でマジのお話があって来たのです」  シロツメさんの顔がきりりと引き締まった。 「今日、学校が終わったら高台にある青いベンチまで来ていただきたいのです」 「青いベンチというと……あれか」  高台にはよく行っているから、シロツメさんの言うベンチがどれかはすぐにわかった。 「……学校が終わったら、そこに行けばいいんですね?」 「はい、お待ちしております」 「わかりました……行きますよ……」  そこで返答をくれるとでも言うのだろうか。  そうあって欲しいものだけど……。  15分ほどでホームルームが終わると、俺の気持ちはもう高台に飛んでいた。  三々五々、遊びに行く話に興じているクラスメイトたちの中、恋路橋も落ち着かない様子だった。 「天川君、今日のご予定は?」 「ああ、悪い。今日はちょっと……」 「天川君、いる?」 「……柏木先輩?」  月姉の後ろには桜井先輩の姿もあった。 「恋路橋くんと真星ちゃんも。ね、これからみんなで遊びに行かない?」  みんなということは、俺と恋路橋、桜井先輩や稲森さんってメンバーだろう。  いつもなら断る理由もないのだけど……。 「すいません、今日だけはちょっと用事が……」 「そうなの? 盛り上がらないなぁ……」 「すんません」 「寮メンバーの親睦会なんだけどな。なんだか断られてばっかり」 「他にも声をかけたんですか?」 「……小鳥遊さんに」 「うわ、勇者だ! 勇者がいる! で、結果は?」 「もちろん、バッサリ」 「断られましたか……」  そうだよな……あの性格じゃ。 「声をかけたことに意味がある、とでも言いますか」 「小鳥遊さんは仕方ないのだとしても、天川君に断られるのは納得いかない」 「用事があるんですってば!」  俺は難癖をつけられないうちに、さっさと教室を出て行くことにした。 「あ、逃げる」 「またお茶淹れさせてもらいますからー!」  小走りに教室から逃げ出したのであった。  で、指定された場所……高台までやってきたんだけど。 「……あり?」  そこには先客がいた。女の子の。 「うわ! あれ、小鳥遊さんじゃないか……!」  青ベンチの回りを『ここ私の縄張りですから近寄らないでくださいね』とばかりにうろついている女の子は、なんと小鳥遊さんだった。  少し早く来すぎたのかもな。シロツメさんの姿は見えない。 「うーん……ここで間違いないわけだからな」  高台にはいくつかベンチがあるが、青いものはこれひとつだけ。  多少気まずいものがあるが、仕方ない。俺はベンチに向かって歩いていった。  やってくる俺に気付いた小鳥遊さんが、露骨なまでに怪訝な顔をする。 「……え?」 「や、小鳥遊さん」 「寮の……」 「天川だよ。何してんの、こんなところで」 「……個人的なことです」  ほとんど答えになってない。質問を突っぱねられたようなものだ。強力な対人バリアー。 「そ、そう……」  このまま立ち去れってことなんだろうな。まさに縄張りか。  でもこっちもシロツメさんと会わないことには、帰るに帰れない事情がある。 「じゃ、スンツレイ(失礼)して」  ベンチのはしにどっかりと腰を下ろす。 「……あの、まだ何か?」 「いや、俺ここで人と待ち合わせしてるんだよ」 「そうなんですか……?」  疑惑のまなざしで俺を見下ろした。そこまで疑わなくてもいいかと思うのだが。  お互いに待ち合わせか……? それも妙な話だ。摩訶不思議な話だな。  あまり考えたくないな……。 「……ところで、これ、君の?」  ベンチの真ん中あたりに、一通の封筒と袋菓子、缶ジュースが二本置かれていた。 「いえ、違います」 「なんでこんなところに手紙とジュースとお菓子が置かれているんだろう?」 「私が来た時にはもう置いてありましたから」 「……それもおかしな話だな」  この場には俺と彼女しかいない。  なのに、これ見よがしに置かれているおやつと手紙……。 「…………」  手紙が気になる……。  いいよな、持ち主いないし。  四ツ葉のシールで封がされた、白い封筒にそっと手を伸ばした。 「あ……」  では中身を改めさせてもらおうか。  『どうぞ御自由にお召し上がりください シロツメ』 「本気っすかぁぁ……」  超次元的展開に顔が歪みそうだ。  ヘンだヘンだとは思っていたけど、シロツメさんのはかりごとだったとは。 「何が書いてありましたか?」 「お菓子、食べてくださいって。たぶん、君と俺で」 「……はい?」  黙って手紙を渡す。  小鳥遊さんは文面に目を通すと、なんともいえない感情を含んだ目つきで俺を見た。 「……何?」 「私を呼び出した人と同じ名前でした」 「ああ……」  やっぱりシロツメさん……そんな策略を。 「呼び出されたというのは?」 「今日、電話で……まさか先輩の方にも?」 「ああ、俺も呼び出された口」 「……そうでしたか」  自分に関わりあるトラブルだと思ってか、少し態度が軟化した模様。  俺とシロツメさんの関係については、触れない方が良さそうだな……。  これだけ仕込んだのなら、姿を見せるとは思えないし。 「あの……私、呼び出されたんですけど、事情がわからなくて……このシロツメという方も知りませんし……」 「それは大変だね。けど、呼び出されたってのはどういう理由で?」  あの一匹狼な小鳥遊さんがのこのこ出てきているわけだし、よほどの理由があったんだろうか? 「……男女合同で親睦会をするので参加して欲しい、とのことでした」 「…………」  それ、合コンじゃん。 「その誘い方でよく出て来たね……小鳥遊さん……」 「え? 参加しないといけないんじゃ?」  そういう勘違いをしたか。 「ん、まあだいたい事情はわかった。俺もそれにやられたみたいだ」 「すみません」 「ど、どうして謝るの?」 「よくわからないんですが、私のせいっぽいので……」 「き、気にしないでいいよ?」 「……いえ、すいません……あとは私の方でなんとかしますから、先輩はお帰りください」  それも失礼な話だよな。 「せっかくだからこれ、食べない?」 「でも……」 「俺の察するところ、これをふたりで食べさせるのがそのシロツメって人の目的っぽいし、かえって後腐れないと思うよ」 「……じゃあ、先輩がお嫌でなければ……」  そうして俺たちは、おやつを挟んでベンチの両サイドに腰掛けて、合コンを開始した。  合コンとは言うが、盛り上がりは乏しいものだった。  態度が柔らかくなっても、仲良くなったわけではない。  会話もたいして弾まなかったし、ただおやつをつまんで口に運ぶだけだった。  こちらが質問することには、あまり踏み込んだものでなければ小鳥遊さんは答えてくれた。それは進歩と言えば進歩かも。 「じゃあ、私、帰ります」  おやつを食べて、五分ほどの儀礼的な時間を置いて、小鳥遊さんは立ち上がった。  普通は寮生同士、一緒に帰る局面なんだろうけど……こう宣言したってことは、その意志はあまりないってことなんだろうな。  わかってはいたけど、壁は厚いね。 「うん。俺はもう少し涼んでから戻るよ」 「じゃあ……」  ぺこりと腰を折って、小鳥遊さんは去って行った。 「やっだー先輩! 冬に涼むってそれヘンですよ、風邪ひいちゃいますよーっ!」  ……というほどのツッコミを期待していたわけではないが、軽いジョークを軽く流されるのは結構傷つくもんなんだな。 「……はあ、疲れた」  なかなかに精神的負担の大きな合コンだったな。 「寒いし」  今すぐにでも帰りたいけど、小鳥遊さんに追いついてしまうからな。  せめて十分くらいは時間を潰さないと。 「シロツメさん、やってくれるよ……」 「ど〜でしたか〜?」 「会話全然弾まなかったんです」 「あ、あら……?」 「俺と彼女の相性はイマイチみたいですよ?」 「そんなはずはないのですがー……不思議ですねぇ」 「けっこうつらい時間でしたよ? 悪い子じゃないみたいですけど、俺と打ち解ける気はさらさらなかったようですし」 「……そうなんですか……私の仕込みがうまくないばかりに……」 「いや、あれはもう仕込みがどうとかいう話では……」 「私の……計画が……」 「こういうのは、うまいご縁がないとダメかもですね」 「……しょんぼり」  俺もしょんぼりだよ。  とりあえず、もう合コンには参加しないことに決めた。 「天川君……いるかい?」 「なんだよ、その顔」  真面目なようで空回りをしている恋路橋が、いつになく重苦しいオーラをまとっていた。 「……ボクの顔に問題でもあるのかい?」  地の底から響くような声だ……。 「どうしたんだ……そんな、悪魔に魂を売り渡したような声で……?」 「……おめでたい人だね、君は……」 「なんだと?」 「君はモノの道理も知らない、哀れな子羊だよ」  メガネを指で持ち上げながら、恋路橋は不敵に笑った。  こいつ、いつもの恋路橋とは違う……! 「俺を愚弄するのか……恋路橋よ……」 「君もボクらと同じ穴のムジナだと言ったまでのこと」 「貴様……よくもそこまで抜かしおったわ……この、俺を目の前にしてッ!」 「何度でも言ってみせるさ。君は哀れな男だよ」 「恋路橋ぃぃぃぃっ!」 「ぐうっ、なんという気だ……!」 「答えろ恋路橋……俺のどこが、貴様の同類だと言うのだ……」 「いいだろう。教えてやろうじゃないか……天川君……」 「今日が何の日か、君は気付いているかい?」 「今日だと? ただの冬休みの一日ではないか」 「……甘いよ……今日は……今日という日は……」 「クリスマスイブなんだぁぁぁぁぁっ!!」 「ッッ!?!?」  恋路橋の気が膨れあがった! 「彼女のいる者はみんな街に繰りだしていった! 寮に残っているのは、寂しく哀れなひとり者だけなのだよ!!」 「な、何ぃぃぃぃぃ!?!?」 「だから言ったのだよ……君も同じ穴のムジナだとね」 「なんてこった……」  あまりのことに俺は膝をついた。  ここしばらく、いろいろなことがあってすっかり忘れていた。  モテと非モテをわかつ決定的な行事……クリスマスのことを。  当然、俺にはイブも当日も、予定などない。  こんなことなら……シロツメさんの言うとおり、もっと小鳥遊さんと親しくなっておくべきだった……! 「理解したようだね。だったら来てもらおうか……」 「俺をどこに連れて行くんだ……?」 「来ればわかるさ……」  そうして俺は、恋路橋に食堂まで連れて行かれた。  そこは……男の園だった。 「な、なんだこれは……?」  大勢の男が集まっていた。  ただの男ではない。寮生男子の中でも特にむさ苦しい部類の連中……選りすぐりの〈益〉《ます》〈荒〉《ら》〈男〉《お》たちだ。  今や食堂は、筋肉と男臭さが渦巻く魔の空間と化していた。  しかも全員……クスリでもキメたかのように目が血走っている。  ここそこから『むっふぅぅん』だの『ぬうぅぅん』だの『ミチィィ(筋肉音)』といった、猛者オノマトペが聞こえてくる始末だ。  うろたえるだけの俺に、恋路橋がメガネを光らせながら告げた。 「……彼らこそ、彼女のいない男たちさ」 「やはりそうか……これが……」  歯を食いしばり、呻き、ある者などは涙まで流し、目を見開いて全身を力ませているのだ。  耐えていた。  男たちは耐えていた。  孤独と虚しさ、そして自分らを取り巻く残酷な世界に対する怒りに。  そして俺はさらに気付いた。  食堂には七面鳥を中心とした、それはそれは豪勢な料理が並べられていたのだ。  これでは……これではまるで……。 「パーティーでもしようって品揃えじゃないか……まさか!」 「そうさ天川君……そのまさかさ!」 「参加資格彼女いない男のみ! 貴様と俺で過ごすイブ、今宵孤高の精神と鋼の肉体を讃え合おう、鳴り響けシングル・ベル!」 「女など無用だ! ムサ男だらけのクリスマス・パーティーINいずみ寮!!」 「ぎゃーーーーー!!」  これはパーティーじゃない、魔の儀式だ!! 「全員揃ったようだ……さあ、みんなドリンクを手に取ってくれ!」  益荒男たちがドリンクを手に取る。  俺もいつの間にか仲間にされ、手にドリンクを握らされていた。 「イヤだ、こいつらの仲間はイヤだ!」 「往生際が悪いよ天川君……もう逃げられないよ、ここまで来たらね……」  恋路橋が神に飲み物を浴びせかけるように、ドリンクを天に掲げた。 「メリー・クリスマス! 男……バンザァァァァイ!!」 「メリー・クリスマス!!」  男たちの胴間声が、食堂に響き渡った。 「めでたくない!!」  クリスマスが終わったせいか、一気に寮の人口は減った。  食堂はガラガラ。  好きな場所に陣取って、好きなだけ食べた。 「ふう……」  テレビも独占だ。  好きなタイミングでチャンネルを変えても、特に文句は言われない。  なにしろほとんど人がいない。  たまに姿を見せたかと思えば、例外なく荷物を提げていて、慌ただしく寮を出て行ってしまうのだ。  帰省するんだろう。  実家に帰らない寮生はほとんどいないから、長期休みの前半はたいていこのようにバタバタとしている。  そうやってしばらく時間を過ごしていると……。 「やあ、天川君」  大量の荷物を抱えて現れた。 「うわ、すごいな、完全武装じゃないか」 「帰省するんだからこのくらいの土産物は当然さ」  恋路橋が『当然』というところの荷物をチェックしてみる。  パンパンに膨れたカバンがまず目につく。  レジャー用の小さいやつじゃない。登山用の大型のだ。  帰省ならこれひとつで済みそうなものだけど……。  更にはこれまたどでかいボストンバッグが2つ。 「最大積載量ギリギリって感じだな」 「ボクの最大積載量は積めるだけだよ」  トラックに張るシールのようなことを言う。 「実家に戻るだけだろ? 何が入ってるわけ? 夢? 希望?」 「土産物がほとんどかな? これなんて、こっちのデパートでしか買えない有名なお菓子なんだけど」  と片方のボストンバッグから、菓子折を取り出す。  確かにそれは滅多に食べる機会がない、うまくて高いデパート菓子だ。 「……重いだろ。それ引き取ろうか?」 「なんで毎日会ってる君に土産物を渡さないといけないのさ」 「ちぇ」 「だいたいさっき朝食を食べたばっかりだろうに……」 「お菓子は別腹というか」 「うちのママと同じようなこと言うんだね、君」  恋路橋ママと被ってしまった。 「あ、そろそろ出ないと」  時計を見やってから、恋路橋はしゅたっと片手を挙げた。 「それじゃ、行く年」 「来る年」  挨拶を交わすと、恋路橋はよたつきながら出て行った。  大丈夫なのかあれ?  恋路橋が出て行ってしばらくすると……。 ギシッ 「うわ、月姉っ?」  月姉が突然やってきて、隣の椅子に座っていた。 「……あー、面倒」  不機嫌そうだった。 「ど、どうしたの? 不機嫌そうだけど……」 「帰省しろって連絡が来て、不機嫌そうになってるの」 「月音先輩……あの……でもそろそろ出ないと……わたし電車なのでして……」  一緒に寮を出るらしい稲森さんは、後ろでおろおろしていた。 「まあ子供の義務だと思って、適当に骨休めしてきたら?」 「……休まったらいいけどね」  すっくと立ち上がる。 「ん、行くわ。寮に残っててもやることないし」 「お疲れ」 「じゃあ……」  申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げる。 「あ、うん……じゃ」  ふたりは連れだって寮を出て行った。  さすがにみんな帰り出すと、寂しくなるな。  クリスマス・パーティーが終わるまで粘ってる連中が多いから、終わった翌日から一気に無人化しちゃうんだよな。  それからの間、ぞろぞろと寮生たちが出て行く姿を見た。  俺はと言うとやることもなく、夕方までずっとテレビを見続けてしまった。 「祐真は今年も居残りかい?」 「先輩は今から帰るんですか」 「ああ。どうやら僕は最後発らしい。寮内から人の気配がほとんどなくなってる」 「もう俺ひとりだけかも知れませんね。シンとしてるし」 「いや、そんなことはない。夜々ちゃんが残ってるよ」 「そ、そうなんですか?」  また小鳥遊さんか。いろんなところで交差してしまうな。  これを機にときめく展開に発展……するわけないし。 「ほら、噂をすればだ」  ちょうどのタイミングで、小鳥遊さんが姿を見せた。 「……どうも」 「君も帰省しない派?」  特に触れることもなく、先輩が訊ねる。  こういうとこ、さりげなくうまいと思う。 「……はい。どこかで何日かくらいは帰ろうかと思ってますけど……遠いので」  それだけ説明すると、小鳥遊さんは立ち去ってしまった。 「ちょっとは馴染んできたかなって具合だね」 「長い会話成立しないですけどね」 「少しでも話すなら、あとは個性だよ。さて、じゃ僕はそろそろ帰省させてもらうことにしよう。暇だったら彼女でも口説いてみれば?」 「どっかの誰かみたいなこと言わないでくださいよ、無理です」 「誰か?」 「こっちの話でした」 「では」  爽やかな笑みを残し、桜井先輩は去っていった。 「まったくあの人は……」  静かな冬休みになりそうだ。  その日、朝起きると街を雪が覆っていた。 「なんとまあ……」  朝起きて雪景色だと、異世界になったみたいでギョッとする。  電話がかかってきた。 「はい、いずみ寮です……居残り組の天川ですけど……ああ、はい、積もってますね……ええ、はい、ああやっぱりそうなりますか……いえ……わかりました、やります」  雪でここまで来ることができない管理人さんに変わり……居残りの寮生で雪かきをすることになってしまった。  まあ、こういうのはいつものことだ。 「……おはようございます」 「おはよう、小鳥遊さん。ちょうどよかった」  小鳥遊さんに雪かきの件について話す。 「わかりました。今からですか?」 「そうだね。けっこう時間かかると思うから、今のうちから始めてしまおう。ふたりしかいないし」  俺たちは防寒装備を整え、寮玄関に移動した。 「うわ、こりゃひどいな……」  入口のあたりに、屋根から滑り落ちたらしい雪がこんもりと山になっていた。  またいで歩くのも難儀するくらいの高さになっている。 「も、持ってきま、したっ」  小鳥遊さんが雪を掻き分けながら、物置から二本のスコップを持ってきた。 「ど、どういう分担にします?」  早くも息が切れかけている。 「欲張るのはよして、とりあえず玄関先だけ通れるようにしよう。道が凍るとなかなかとけないから、しっかりやろう」 「はい、先輩」  スコップを使って雪かきをはじめる。  やったことある人にはわかると思うけど、この作業はかなり重労働なのだ。  十分もしないうち、全身が火照ってじっとりと汗ばんでくる。これだけやっても、雪はまだいくらでも積もっていて、まったく片づく気配がない。  そして気がつくと、長時間体を曲げたため腰が痛んでいたりもする。 「……く、これきついな……」  雪かきは去年もやったのだが、きつさが全然違っていた。  去年は寮生が残っている時期に降って、男全員(女子は免除)でちんたら除雪をしたのだった。  スコップが足りないからって、そこらにある板きれとか鍋を使っている者もいて、お世辞にも統制が取れた作戦行動とは言えないものだった。  正直、舐めてました、雪かき。 「これだと一日かかりそうだな……」  小鳥遊さんの方はどうなっているのかと確認するが、姿が見えない。 「……ん? 小鳥遊さん?」  シーンとしている。  白く分厚い雪は声を吸い込む。もう一度大きな声で叫んでみた。 「小鳥遊さん!」  雪の小山の中から、小鳥遊さんが出てきた。 「……はい」 「う、埋もれてたの!?」 「屋根から大量に落ちてきて……でも平気です。怪我はないですから……」  怪我はなさそうだけど、かなり苛立っているご様子だ……。 「そ、そう……」 「……続けます」  小鳥遊さんの目が据わっていた。  反対方向の雪だまりに突撃して、スコップで切り刻んでいく。  怒りをぶつけてるな……あれは……。 「ちょうどいいや、こっちも飛ばして、さっさと終わらせてしまおう」  まだ雪がまるまると残っている一角にざくざく侵入していく。  深雪だから踏むのが楽しい。いい気分でビスケットのような音を踏みしめていくと、ふにゃっとした感触の違う部分をとらえる。 「……ふにゃ?」  土の感触とは違うような……なんだろう、猫の死体とかだったらイヤだな。  すぐさま飛びすさり、スコップ……は使えないので両手で雪を掘っていく。  するとシロツメさんが出土した。 「ぎゃー!」  死んでるーーーーっっ!! 「……うう……ん……」  生きてるーーーーっっ!! 「と、とりあえずここから出さないと……」  シロツメさんの冷たくなった体を引っ張り出し、ひとまず玄関先で雪のないところに寝かせる。 「小鳥遊さん、俺、ちょっとお湯沸かしてくるから!」  そう声だけかけて、寮に飛び込む。  質はよくわからないけど、適当に買い置きされていた紅茶を濃い目に淹れ、魔法瓶に詰めて戻る。 「これ、飲んでください!」 「白い……恋人……」  うわごとか?  血の気がない唇に、紅茶を流し込む。 「……ん……こく……こく」  意識はないにもかかわらず、シロツメさんは紅茶を飲み干した。 「ふう……」  顔に赤みが戻り、寝息が安らかなものになった。大丈夫そうだ。 「この人……燃費悪いんじゃないか?」  ひとまず応急処置はこれでいいとして、いったん部屋に運んだ方がいいかな。  小鳥遊さんには見えないだろうけど、寒風にさらしたままにしておくのは可哀想だし。 「あの……?」 「うわあっ」  すぐ背後に小鳥遊さんが来ていた。 「その人、どうしたんですか?」 「その人って?」 「その、女の人……ですけど」  おや? 「この、女の人?」  シロツメさんを指さす。 「ええ……他に誰かいますか?」  小鳥遊さんは……シロツメさんのことが見えてる? 「良かった……俺の妄想上の人物でなくて……」 「へ?」 「行き倒れていたんだ。それで……介抱を」 「行き倒れって……それにこの格好…………どこかで、見たような?」  他の誰もがシロツメさんを知覚できないのに、俺と小鳥遊さんだけが見える。  これは一体、どういうことなのか? 「とりあえず、暖かい部屋に運ぼうと思うんだけど……」 「手伝います」  そこからが大変だった。 「うふふあはうふふ〜」 「…………」 「……どうしてこの人、紅茶で酔っぱらってるんですか……?」 「いっときはどうなることかと思いましたわ〜」 「それで……あの、どういう理由で?」 「歩いていたら雪の塊が屋根から〜」 「小鳥遊さんと同じだ」 「…………」  小鳥遊さんが珍しく恥じらっていた。 「そのまま冬眠してしまうかと思いました」 「たまたま発見したから良かったものの、本当にそうなってたかも知れないんですよ」 「はい、いつもありがとうございます」 「いつも?」 「……この人、俺の知り合いなんだ」  小鳥遊さんの眉が、疑わしげに歪んだ。  そりゃ、怪しむよなぁ……。 「それでこういうこともはじめてじゃないから……まああまり気にしないで」 「……はあ」  疑惑度MAXだな俺。 「じゃ、私は雪かきに戻りますから」  と立ち上がりかけた小鳥遊さんを、シロツメさんが制した。 「あの、夜々さん〜?」 「は、はい……私の名前を?」 「はい、昔から存じ上げておりますよ〜? こんな小さな頃から」  シロツメさんが左右に振る手は、明らかに子供の頭の高さだ。 「いったい何を……?」 「おふたりは、ご兄妹なのですよ?」  唐突に、そんなことを言った。 「……はい?」 「兄妹?」  俺と小鳥遊さんは顔を見合わせる。 「シロツメさん、酔っぱらいすぎですよ」 「酔っていませんわ〜、本当のことなのれす〜!」  早口になると呂律が怪しくなるあたり、あからさまに酩酊しているんだけど。 「ふたりは、とても仲の良い兄妹だったんです」 「有り得ないよ、そんなの……だって俺は施設の出で……」 「私も……施設出身ですけど……?」 「え?」 「あ……」  俺たちはこの時、たぶん同時に強い違和感を覚えていたのだろう。 「あなた、何者なんです? それに先輩も……もしかして、からかってるんですか?」 「私はシロツメと呼ばれる存在です」 「……あの、失礼ですけどシロツメさんはどんなお仕事を?」 「はい、私は自分のお庭を大事に大事に見守っております」 「……自宅の庭を……そうですか……」  シロツメさんのただでさえ乏しい社会的信用が、一発で崩壊してしまった。  やっぱり無職ってダメなんだ……俺も注意しよう。 「シロツメさん……その説明……俺でもわからないんだけど……」 「そうですか? 私のお庭にあるクローバーは、困った人々をほんの少しだけ助ける力を持っているんです」 「……助ける」 「どうせだったら順番に説明してくださいよ」  俺もシロツメさんの素性には興味がある。 「そうですね、こんな機会、そうそうありませんものね! ではさっそく、当ガーデンのシステムをご説明させていただきたいと思います」 /* ☆☆☆奇跡をもたらすクローバーのご案内☆☆☆  四ツ葉のクローバー。  それは人の世にこぼれ落ちた、ミステリアスな奇跡のカケラ。  古来、四ツ葉のクローバーは人に幸運をもたらすものとして知られてきました。  なぜでしょうか?  それは四ツ葉のクローバーが、人の願いを宿したり放ったりする性質を持っているからなのです。  しかし残念ながらほとんどの四ツ葉は野に埋もれているため、充分なパワーを宿していることはまれです。  そのためヨーロッパでは四ツ葉のクローバーを夏至の夜に摘み取ることで、はじめて力が宿るものだと考えられているのです。  私どものガーデンでは、真に力を宿した四ツ葉のクローバーを大量生産することに成功いたしました。 ・あなたの願いを、クローバーは奇跡の力で叶えてくれます ・人を呪うために用いたり願いが大きすぎると、クローバーは効き目をあらわしません ・クローバーを使用できるのは、おひとり様一度、摘んだ方のみとなります ・願いをかけない限り、クローバーは枯れることはありません ・奇跡のクローバーは当ガーデンにてお渡ししております ・ガーデンへは強く純粋な願いをお持ちの方のみお越しいただくことができます ・駐車場はございませんので、お車での来園はご遠慮ください ・またガーデンでの記憶や係の者とのやりとりは、外に出ると同時に記憶から失われます、ご了承ください ※クローバーに関するルールだけは記憶したままお帰りいただけます */ ☆☆☆奇跡をもたらすクローバーのご案内☆☆☆ ■FOUR LEAVES CLOVER  四ツ葉のクローバー。  それは人の世にこぼれ落ちた、ミステリアスな奇跡のカケラ。  古来、四ツ葉のクローバーは人に幸運をもたらすものとして知られてきました。  なぜでしょうか?  それは四ツ葉のクローバーが、人の願いを宿したり放ったりする性質を持っているからなのです。  しかし残念ながらほとんどの四ツ葉は野に埋もれているため、充分なパワーを宿していることはまれです。  そのためヨーロッパでは四ツ葉のクローバーを夏至の夜に摘み取ることで、はじめて力が宿るものだと考えられているのです。  私どものガーデンでは、真に力を宿した四ツ葉のクローバーを大量生産することに成功いたしました。 ■PRINCIPLE ・あなたの願いを、クローバーは奇跡の力で叶えてくれます ・人を呪うために用いたり願いが大きすぎると、クローバーは効き目をあらわしません ・クローバーを使用できるのは、おひとり様一度、摘んだ方のみとなります ・願いをかけない限り、クローバーは枯れることはありません ■GUIDE ・奇跡のクローバーは当ガーデンにてお渡ししております ・ガーデンへは強く純粋な願いをお持ちの方のみお越しいただくことができます ・駐車場はございませんので、お車での来園はご遠慮ください ・またガーデンでの記憶や係の者とのやりとりは、外に出ると同時に記憶から失われます、ご了承ください ※クローバーに関するルールだけは記憶したままお帰りいただけます 「……というものなんですが、何かご不明の点とかございますか〜?」 「…………」 「…………」  ご不明というか、ツッコミ所がいろいろありすぎるんだけど。 「奇跡……のクローバーですか」 「はい」 「人を幸せにする……」 「はい!」  なんとも言えない空気が室内に漂ったが、シロツメさんだけがそれを感じ取れずにいた。 「……じゃ、私は雪かきに戻りますから」  今度はわりと容赦のない冷気を放射しながら、小鳥遊さんが退席しようとする。 「あの、夜々さん〜?」 「……なんでしょう」 「ですからおふたりは、ご兄妹なのですが〜?」 「奇跡とか、兄妹とか、もうたくさんです」 「もしかして、信じてもらえてませんか?」 「どう信じろと……」 「でも本当のことなんですが」 「こだわりますね、兄妹ネタ」 「祐真さんまでそんなことを……本当なんですってば〜」 「記憶にまったくないのに、どうやって信じられるってんですか」 「おふたりは記憶を失っているのですよ」 「まともな話じゃないです……天川先輩、一緒になって私をからかっているんですか?」 「いや、俺もサッパリわからない」 「子供の頃、おふたりはそれはそれは仲の良い兄妹でした。ところがある時……」  夜々が今にも帰りそうな素振りを見せたため、シロツメさんは慌てて説明をはじめた。 「ご両親に不幸があって……おふたりは、施設に行くことになってしまったのです」  両親の不幸。施設行き。そこまでは俺の記憶とも合致する。どうやって調べたのか、適当に言ったことが偶然当たったのか……。 「施設で暮らしていたふたりは、それぞれ別の里親に引き取られていくことになったのです」 「……」 「それを悲しんだふたりの純粋な気持ちは、ガーデンへの扉を開きました」 「そして……ふたりは悲しみから逃れるため、クローバーを使った……」 「夜々さんは最初、ふたりが別れずに済むことを願ったのかも知れませんが……すでに決まってしまった運命はクローバーの小さな奇跡では変えられません」 「結局、夜々さんは……お互いの存在をなかったことにしてしまったのです」 「……それで記憶が?」 「はい。互いの記憶を削除することで、悲しみの根本を断ってしまった……」 「なんか……」 「……」  奇跡とかが絡まなければ悲しい話なんだろうけど、簡単に信じられる内容じゃないんだよな。 「対して祐真さんは、夜々さんが悲しまないようにという願いをかけておられたようですが……そちらの願いはいまだ保留されたままという危険な状態にあります」 「はあ……」 「クローバーは、人の幸せを後押しする程度のものとして存在しています……決して、人の関係を不安定にするようなものではないのです」 「それでも……記憶をなくしたおふたりが、それぞれに新しい恋や生き甲斐を見つけることができれば、それでも良いと思いました」 「しかし記憶の喪失が新しい喜びに繋がるならともかく、再会しても他人のようにしか接することのできないおふたりの状態は……見過ごせませんでした」 「もしかしたらクローバーの奇跡は、人を幸せにすることはできないのかも……そう考えるようになったのは、最近のことです」  俺と小鳥遊さんは、毒気を抜かれたような気持ちになって、シロツメさんを見守っていた。 「それで……おふたりを見張るような真似をしておりました」 「それで俺のそばによくあらわれたんですか」 「最初は偶然でしたけどね」 「……それで、その奇跡の関係者さんが、実は天川先輩の妹であった私に何をさせたいんですか?」  小鳥遊さん、言い方にだいぶ棘があるな。 「できたらおふたりには仲良くしてもらいたいと思ってます……私は、頭があまり良くないので、何が正しいのかよくわかりませんけど……」 「祐真さんと夜々さんは仲良しであるべきだと思います……」  それでデートだナンパだって画策してたのか。 「先輩はどう思うんです? この話?」 「……俺は」  シロツメさんが不思議な存在だったのは間違いない。だとすると……今の話も本当ってこともあるのか……。  俺と小鳥遊さんが、兄妹……まったくそういう感じないんだけどな。  俺の沈黙を、小鳥遊さんは好意的には解釈しなかった。 「もういいです。ふたりして、私のこと騙そうとしてたんですね!」 「ち、違います……私はただおふたりに……」 「大きなお世話です!」 「小鳥遊さん、落ち着いて」 「私、あなたと付き合う気、ありませんから」  俺を睨み付けながら、小鳥遊さんはリビングを立ち去った。 「あああ、そんな……夜々さん……」 「……シロツメさん……ありゃないよ……」 「誠心誠意お話したんですが〜?」 「……無理でしょう……〈荒〉《こう》〈唐〉《とう》〈無〉《む》〈稽〉《けい》すぎて……俺はシロツメさんが他の人に見えないってのを知ってましたから……あ」  ひとつ符号することがあった。 「もしかして、俺たちにだけシロツメさんが見えるのと、クローバーを使ったのって関係あるんですか」 「はい、ガーデンにやってきた方は、私の姿を見ることができるようになります。よくおわかりになりましたね」 「……小鳥遊さんにはそういう前フリがないんだから、信じてもらえるハズないよな」 「ううう〜」 「ちょっと、泣かないでくださいよっ」 「だって、私のせいで、う〜〜〜っ」  出て行った小鳥遊さんが気になり、泣き出したシロツメさんを前にして何もできず……。 「……どうすりゃいいんだ」  誰か教えてください。  その後、俺は残りの雪かきに戻った。  すでに小鳥遊さんは作業に戻っていたが、俺のことはすっかり敵だと認識してしまったようで、作業終了まで一言も話してくれなかった。  部屋に戻ったのは、夕方近くになってからだ。 「……シロツメさん?」 「……すうぴい……」  泣き疲れたシロツメさんは、俺の部屋でぐっすり眠り込んでしまった。 「まだ寝てたのか」  せっかく新しい紅茶を持ってきてあげたのに。  ……まあ、あれだけ泣き続けたら大人でも疲れるよな。  ここまで泣くのだから、シロツメさんは本当のことを言っていると信じてあげたくなる。  ただどうも感覚的に信じがたいものがあるんだよな。小鳥遊さんに嫌われた今となっても、さほど心は痛まないし。  本当に俺と小鳥遊さんは、そんな強い絆で結ばれていたのかね。  家族。 「……家族」  なんだ、今の引っかかりは?  俺が今、脳裏に思い浮かべたもの。それを机の引き出しから取り出してみる。 「……」  このロケットは、俺が子供の頃から大事にしている……宝物だ。  いつ持つようになったのか、なぜ大切にしているのか。 「……なんでだ?」  わからないということはないはずだ。  どうやら俺には、大切な部分の記憶が欠け落ちているらしい。  おかしな話じゃないか。そう、自分の根幹がどこか足りていないということは、俺もなんとなく感じたことがあった。  でもまさか、本当に記憶が操作されていただなんて。  ロケットは開けてはいけないもの。お守りと同じに。  そんなジンクスなんてありはしないんだと皆は言った。  きっと皆の方が正しい。  なぜ不自然なジンクスを俺はでっち上げてしまったのか。  ロケットを開けば、それがわかる気がする。  俺はロケットのフタを開いて、中身を確認した。 「……やっぱり、そうなのか」  今と昔の姿という差がある。だけど濃い面影は、間違えようもない。  ロケットの中で微笑んでいる幼い少女……それは、小鳥遊夜々のものだった。 「あ、あれ?」  悲しいという実感はなかったはずなのに、この写真を見た途端、自然と涙が溢れてきた。 「あ……俺……なんで……?」  止まらない。  いくらでも流れ出る。こんなことはじめてだ。  ずっと悲しくて、泣きたいくらい悲しくて、だけど全てを忘れていて……それが一気に決壊してしまったみたいだ。  何年も置き去りにしていた悲しみで、俺は泣いてるのか。 「嘘だろ……こんな……っ」  未だに、記憶が戻ったわけじゃないのに。  悲しみだけ、甦ってしまった。 「……っ?」  背後から柔らかく抱きしめられる。  誰がそうしてくれたのか、見なくともわかった。 「……別に、シロツメさんのせいじゃないですからね」  キッパリ言ったつもりが、ひどい鼻声になっていた。 「祐真さん……ごめんなさい」 「違う……これは……たぶん俺たちの問題だから……奇跡とか、そういうのは、原因じゃないから……」 「それでも、やっぱりごめんなさい、なんです」 「泣かれてしまったら……私は他に何も言えないのです」  普段だったらよからぬことを考えてしまいそうな、背中に当たるふたつの大きな膨らみ。それが今だけは、俺を心細さから守ってくれている気がした。 「……俺は……別に寂しくなんてないんですよ?」  里親として俺を引き取ってくれ、今は法的にも親子になっている両親。 「本当の親や親戚もいないのに、なんでこんなにってくらいに、良くしてもらってるし」  不満のない、満ち足りた毎日。 「誰からも指さされずに、人並みの幸せがあって、帰る家だって今の俺にはあって」  気兼ねなく付き合える友人たち。 「不満に思ったことなんて一度もないのに……!」  ただ、みんなが帰省して寮で静かな時を過ごしている時、俺は別れを予期してしまう。  どんな関係にだって別れはある。  親と死別したこともそう。  今の義理の親とだって、いつかは死に別れることになるだろう。  もっと身近なところでも別れはある。  寮の仲間たちだって、来年からは欠けていく。  月姉や桜井先輩が卒業してどこに行くのか、俺は知りもしない。仮に知ったところで、何ができるわけでもない。  来年になれば俺も最上級生だ。その翌年にはこの寮さえ出なければならない。  その先だって同じだ。  進学しようが就職しようが、別れはいつでもすぐそばに横たわっている。  ありとあらゆる人間関係が、別れと紙一重だ。 「……そんなの……当たり前のことなのに……」  当然のことと知っている。  なのに、俺は。 「誰かと離れるのが……怖くて……」 「それは幼い頃の経験が、記憶がなくともトラウマになっているからです」 「……小鳥遊さんが妹って話?」 「あの出来事は、祐真さんだって悲しかったはずですから」 「でもあなたは、せっかく手に入れたクローバーさえも夜々さんが悲しまないようにと願っただけで……自分のことを願わなかった」 「…………」  回されたシロツメさんの腕は俺の体を離すまいとして、強く絡められている。  今はその力強さが、少し嬉しい。 「人の悲しみは、本来時間とともにゆっくり癒されるものなんでしょう」 「けど夜々さんの願いは、ふたりから幼い悲しみを根っこごと引き抜いてしまいました」 「癒されることがなく、経験として心を強めることもなく……祐真さんの理由もない恐れは、きっとそこから来ています」 「でも、別れがつらいのは誰だって一緒だと思って……」 「別れによって人は強くもなります。けど祐真さんは……その機会を失ってしまっている」 「小鳥遊さんと、俺が別れた時に?」 「はい。同じことが夜々さんにも言えます」  小鳥遊さんが悲しみを受け入れられず、全てを忘れることを望んだのだとしたら。 「夜々さんの悲しみは、当時のまま心の底で凍り付いているようなものですね」 「それ……あまり良くない状態なんじゃ……」 「命に別状はありません。奇跡がなくとも、自らの記憶を封じる方はおられますし」  それはそうなのかもしんないけど……。 「記憶って戻らないものなの?」 「いいえ。本人が望むなら、記憶が徐々に戻ることもあります」 「小鳥遊さんが、それを望むことはなさそうですね……」 「…………」  記憶喪失によって、俺は悲しみを克服してない。  だから……別離ということに対して、こんなにも悲しく感じるのか。  誰にでもある傾向なんだろうけど、俺の場合、それがちょっと人より強いわけだ。 「……涙……止まらないですね……冷静なつもり、なんだけど……」  一時は奥底から噴き出てくるような動揺があったけど、カラクリを知ってしまえば、どうということはなかった。  ただ感情は落ち着いても、涙だけは止まらないでいた。 「祐真さん……」  そんな俺がよほど不敏に見えたのか、シロツメさんはずっと俺のことを抱きしめていてくれた。 「ああ、そう……つまり俺は昔、シロツメさんに会ってるんですね」 「……大きく、なりましたねぇ」  愛おしむように、彼女は俺の背中に頬を押しつけた。  今日から新学期。……ちょっと憂鬱だ。 「おはよう」 「やあ」  さすが新学期、みんな面白いくらいに制服だ。 「今日はさすがの恋路橋も遅めなんだね」 「……不覚なことに、休み気分が解消しきれなかったよ……」 「それより早く食べないと、これからもっと混むよ」 「ああ……それじゃ俺も……」  自分の分をトレイに盛れるだけ盛って、空いている席を探すが、さすが朝の混雑、ほとんど空席がない。  中には座れぬならせめて暖をとろうとしてか、暖房のそばに陣取り、器用に立ち食いをしている者までいる始末だ。  さすがにこの分量を片手で支えながら立ち食う気にはなれない。  盆を手に空席待ちをしてみたが、なかなか空いてくれない。  寮生の数は変わらないのに、朝練がないせいか始業式とかは混むんだよな。  あ、空いた。  ようやくできた空きに、俺はためらうことなく突撃する。まごまごしていると、すぐに誰かに占拠されてしまうのだ。 「悪い」  一応左右に断って、身を隙間に押し込む。 「……………………」  隣が小鳥遊さんだった。 「あ……おは、よう……」  これは信じられないほど気まずい……。  信頼が底辺まで落ち込んでいるのが態度からビンビン伝わってくる。 「…………」  やがて食事を終えた小鳥遊さんが、不機嫌そうに席を立った。 「……はあ」  まったく味なんてわからなかった。 「天川君、行かないの?」 「……行く」  残りのエネルギー源を一気にかっこんで、俺も立ち上がった。  また今日から学校がはじまる。何不自由のない、幸せな日常が始まるんだ。  持ってきたビニール袋を、ゴミ置き場の決められた場所に押し込む。 「これでよし、と」  本日のゴミ捨て終了だ。  あとはホームルームを終えて帰るのみ。  教室に戻る途中のことだった。 「祐真さーん、祐真さーん」 「ありゃ、シロツメさん?」  たぱたぱとのんきな音を立て、シロツメさんが走り寄ってきた。  けっこう久しぶりだな……前に会ったのがいつだっけ? 「お久しぶりです。様子を見に来られなくて申し訳ありません」 「いえ、いいんですけど……」 「その後、夜々さんとのご関係は……いかがですか?」 「まだ俺と小鳥遊さんの関係修復を狙ってるんですね」 「それはもう、ガーデンの沽券にかかわることですから」 「期待に応えられなくて申し訳ないんですけど、進展なしです。つまり……関係はまったく冷たいままってことで」 「あああ……」  見る間にシロツメさんが萎んでいく。  さすが奇跡のクローバーを管理している(自称)だけあって、その落ち込み方も草花が枯れるのを早回しで見ているようだ。  シロツメさんは俺の目の前で、かなり小さくなってしまった。  あれ、これはただ落ち込んでいるんじゃなくて……まさか……? 「……えねるぎー……ぷりーず……」 「だから何でそういつも危険な片道運転なんですか!」 「めんもくありません〜……」  大あわてで雪乃先生のところから強奪してきたハーブティー(希釈2倍)を飲ませ、シロツメさんを介抱してやる。 「……水っぽい……もっと喉ごしがガツンと効いた、濃いハーデティーはありませんか?」 「べろんべろんになられても困るんで禁止です」 「そんな……へこみます」 「見た感じ、もう元気バリバリっすけど」 「それにしても……夜々さんのこと、このままではまずいのでは?」 「……それ、わからないんですよね……」 「な、なぜ?」 「彼女が今の状態を願ったんだから、無理に戻さなくてもいいのかもって思うと……兄妹って関係を抜きにすれば、俺と小鳥遊さんって相性そんな良くはないみたいですし」 「そんなことはありません! おふたりは立派に近親相姦できます!」 「ちょっとちょっと!」 「……いけないのでしょうか?」 「法律で認められてないでしょう!」 「あ、今はそうなんですか?」 「前は違ったとでも言いたげな言葉ですね」 「私が人間だった頃は、それ自体は別に……」 「へ? シロツメさんって元人間なんですか?」 「あ……ええ、まあ……」  認めはしたものの、シロツメさんは『しもうたわー』という顔をしていた。 「知らなかった……人間って、クラスチェンジあるんですね……」 「私は特例といいますか〜……まあ、あまり気になさらないでください」 「それよりおふたりのことを、ちゃんとしたいんです」 「と言ってもですね、もうちゃんとしようもないような気が」  案じてくれるのは有り難いけど、ここまで小鳥遊さんとの距離が開くと、打てる手はないような気がする。  たとえ記憶を一気に取り戻す術があったのだとして、それをすることで事態が好転するのかと言われれば……とてもそうは思えない。  子供の頃に受けた傷を、今そのまま受け直すことが……果たしてどう生活に影響を及ぼすのかわからないからだ。 「シロツメさん、やっぱりその話はなしにしませんか?」 「そんな……どうしてそんなことを?」 「俺も小鳥遊さんも特別に不幸というわけでもないんですよ。昔はどうだか知らないですけど、今はそれぞれの人生を生きてます。命が脅かされるわけでもなし……」 「今の小鳥遊さんの意思ってものもあると思います。それを無視して何かしたって……本当に幸せになれるとは限らない」 「……このままそっとしておいてやりませんか?」 「でも……祐真さんが寂しい思いをします」 「いや、あのくらいの寂しさは、きっと誰だって経験するものですから……俺がちょっとだけ我慢すればいい話で……とにかく俺のことはいいんです」 「そんなことおっしゃらないで!」  シロツメさんが心の隙を突くような動きで、俺の胸元に滑りこんできた。  胸板に手を添え、至近距離から見上げてくる。 「私のクローバーは、こんな悲しみを生むために作ったものではなく……!」  と、そこにゴミ袋をぶら下げた小鳥遊さんが現れた。 「あ……」 「あ……」 「あ……」  シロツメさんが電撃の勢いで俺から身を離す。 「あの、夜々さんっ、これは違うのです!」 「…………」  俺たちを無視して、ゴミ置き場にゴミ袋を収める。 「あの、夜々さん……?」 「……やっぱり、つるんでたんですね」 「いえ、決してそのようなことは……」 「バカにしてます……!」 「私の話したことは全て本当なんです。このままだと、夜々さんも祐真さんも、真実を忘れたまま生きることになってしまいます。ですから……」 「こんな煩わしい気持ちを味わうくらいなら、真実なんていらないです」  シロツメさんは言葉を失って、固まってしまった。 「もう本当に関わらないでください。失礼します」  行ってしまった。  もはや断絶は決定的なもののようだ。 「ああああ……」  シロツメさんのダメージは大きい。がっくりと肩を落として、柳の木のようにしなっている。哀れすぎて声をかける気にもなれないけど……。 「あの……この件はもう……」 「人をほんの少し幸福にするはずのクローバーが……こんな事態を招いてしまうだなんて……」 「……元気、出してくださいよ。そうだ、今度特別に高い茶葉を買ってきてあげますから!」 「……くすん」 「シロツメさん……また泣いて……」 「だって……」  傍若無人なまでに俺と夜々をくっつけようとしていたシロツメさんだけど、いよいよ関係が修復不可能なことを把握したと見える。  今までと明らかに落胆の深さが違っていた。  シロツメさんでも、こんな落ち込むことがあるのか……。  その背中がいつもより少し小さく見えた。  あれから数日が過ぎた。  時間が流れたといっても、毎日の暮らしに変化などあるはずもなく。  俺と小鳥遊さんの関係が、改善されるということはなかった。  もっとも彼女はもともと友人を作らないタイプで、俺ひとりに対してだけ冷たいというわけでもなかったから、寮内でもそう目立つことはなかった。  一方、シロツメさんはあれから姿を見せてはいない。  ひどく落ち込んでいたから、むしろ小鳥遊さんとのことよりそっちが少し心配だ。  尋ねていってみようか、という悪戯にも似た気持ちも出てくる。 「……住んでる場所、知らないんだよな」  こうして考えてみると、俺とシロツメさんの関係は実に細く頼りないものだ。向こうが姿を見せなくなったら、もう会うこともできなくなる。  なんだっけ?  ガーデンとかいうところに行けば会えるのか?  でも俺はすでにそこに行ってるらしい。クローバーを得る資格は一度だけということだから、もうその場所に導かれることはなさそうだ。 「携帯も持ってないだろうしなぁ」  ……なんか俺、シロツメさんと会うことばかり考えてる。 「…………」  結局、そういうことなんだよな。  だって、今俺のことを気にしてくれるのは、小鳥遊さんじゃなくて……。 「あ」  思い出した。俺とシロツメさんの繋がり……ひとつ手元にあるんだった。  シロツメさんと再会(?)した時に受けとった荷物、部屋に放置していたんだった。今日の今日まで忘れていたので中身も見ていない。 「あった」  雑誌類の下敷きになったそれを引っ張り出す。  布で厳重に包まれていて、かなり重い。中身は紙のようだ。本か、書類か……。  包みを解いて改めてみる。 「……台本?」  演劇か何かの台本のように思えた。それが何十冊もある。  俺の知るところのものではないが、学校の備品か何かだろうか? 「作者は……唐橋みどり」  誰だろう。聞いたこともない。クラスメイトや上級生、教師の中にもこんな名前の人間はいない。どこかで見たような名前という気もするけど……思い出せない。  台本そのものがかなり古そうだから、昔の人間が残したものってことになるのか?  それをどうしてシロツメさんが?  俺は軽い気持ちで台本をめくった。  最後のページを読み終わると同時に、俺は太い鼻息を落とした。 「面白ぇー、なんだこりゃ!」  もともと読書はあまりしない方だけど、これだけ夢中で話を追ったのははじめてだ。  設定とか、そんな目新しいものじゃないんだけどな。  展開だって……けど面白い。目が離せない流れだった。筆力があるってこういうことか。  面白いお話しってのは、凄い展開だとかぶっ飛んだ設定だとかが全てだと思っていたから、これには目から鱗が落ちる思いだ。  そして何気なく時計を見ると……。 「な……もう昼前かよ!」  またたくまに数時間が経過してしまった!  てっきりまだ小一時間ほどしか過ぎていないと思っていたら……。 「この台本……すごいな……」  かなり引き込む力がある展開が続いて、つい読みふけってしまった。 「最高の物語はタイムマシンのようなものだ。読者をほんの少し未来にタイムスリップさせてくれる」  何言ってるんだ俺。  しかしこれって、演劇祭で実際に使われたものなのか?  素人目にもかなりレベルが高いとわかる。これを俺と同じ学生が書いたというのであれば、とんでもないことだ。  悪いが今年やった演劇より、格段にハイレベルだと思う。 「……けど、どうしてシロツメさんがこれを持ってたんだ?」  なんだか嫌な予感がするから、これ以上考えたくない気持ちもあるけど。  ……ん? 誰か来たか? 「恋路橋か? 入れよ」  ドアが開くかわりに、再びノックの音がした。反対側の……窓ガラスの方から。 「こっち? って、うわあっ!?」  ガラスの向こうから、顔に鬱の縦線を降らせたシロツメさんが覗きこんでいた。 「幽霊かと思ったでしょ!」 「……ごめんなさい」  彼女を引っ張り上げて、薄いお茶を振る舞うと同時に糾弾した。 「おどかして、ごめんなさい……仲を取り持てなくて、ごめんなさい……」 「まだそれ引っ張って。あれから何日か経ちましたよ? もうそろそろ気持ちを切り替えたらどうです?」 「私は古い女なので、昔のことにぐちぐちとこだわります……」 「……きついですね」 「はあぁ〜」  シロツメさんはくるんと背中を丸めて、まるでおばあちゃんのようなオーラを発している。 「……いったいどうしたら、ぽよぽよしたいつものシロツメさんに戻ってくれるんですかね」 「私、ぽよぽよしてますか?」 「だいぶ」 「……ぽよ…………できません……とてもそんな気分では……」 「祐真さんは……なにやらお元気そうですね?」 「俺は気持ちをリフレッシュしましたから。この……ゴキゲンな物語でね」  と台本を掲げる。 「それは……!」  童女のような仕草で、こてんと首をかしげる。 「なぁんでしたっけ?」 「ぽよーーーっ!?」 「いや、これ、あなたから預かった台本! 高台で!」 「…………………………………………ああ、そういえば」  ぽんと手を打つ。  えらい長い時間考えてたけど、本当に思いだしたのか? 「これ、軽い気持ちで読んでみたら……なんか面白くて……元気出ちゃって」 「これってある意味、シロツメさんに元気づけられたようなものなのかなって思いません?」 「それは、あなたがたの先輩が書いたものですよ」 「そうだったんですか……在学中に?」 「ええ……もう、だいぶ昔のことですが」  シロツメさんは少し遠い目をした。 「最高の物語はタイムマシンのようなものです。読者をほんの少し未来にタイムスリップさせてくれるから」 「本来はこの学舎に保存されていたものですが、つい持ち帰ってしまったのです」  やべえ、シロツメさんにスルーされてる、俺……。 「……持ち帰った? 泥棒?」 「いえ、ついお借りしてしまって……」  遠い目をするくらい昔に書かれた台本を持ち帰り、それをついこないだ俺に返した……ということは? 「どれくらいの期間レンタルを?」 「ほんの**年くらいですわ〜」 「シロツメさんみたいな人がレンタル店で延滞金1万円とか取られるんですよ!」  それであんな場所で俺に渡してきたのか。 「一度読み出したら止まらなくてつい……」 「あ、その気持ちはわかる」 「私が言うのも何ですが、面白いですよね?」 「いや、面白いですよ」 「これまた私が言うのも何ですが、ヒロインがとても魅力的ですよね?」 「どんどん言ってください。まったく同感です」  同好の士、発見。  やっぱりこの人とは、波長が合うんだな。 「流れがいいですよね。するすると頭に入ってくるし、台詞回しもたまにびっくりするくらいいいのがあるし」 「そうでしょう〜」  シロツメさんは少し誇らしげに言う。顔にも笑顔が戻っている。 「実はこれ……昔の学生さんが、クローバーの力を借りて書き上げた台本なんです」 「な、なんと!」  驚きの新情報だ! 「凄まじく即物的な願いもあったもんですね」  純粋な気持ちと人を幸せにするお手伝いとか言ってなかったか? 「……とても困ってらしたので……」  シロツメさんは当時の経緯を話してくれた。  当時、一緒に演劇に参加してくれた仲間たちに良い思い出をと願うあまり、スランプに陥ってしまった女の子が、弱り果てた末に辿り着いたのがガーデンだったのだ。  彼女……唐橋みどりさんはクローバーに『傑作をものにさせて欲しい』と願い、実現された。  そうして完成したのがこの台本なのだ。 「じゃあ上演されたんですね、これ?」 「大盛況だったそうですよ?」 「へえ……」 「その成功をもとにして唐橋さんは、本職の脚本家としてご活躍されていますから」 「……唐橋……本職……」  どっかで聞いたことがあると思ったら……テレビの有名脚本家でそんな名前の人がいたような気がする。  詳しくはないからそれ以上は知らないけど。 「劇も終わって、私も様子を見に行った時に……その台本を見つけてしまいまして」 「あまりによくできていたため、つい持ち帰ってしまいました……」 「だったら一冊だけ持ち帰れば良かったのに」  シロツメさんは数十冊の台本を無意味に全ガメしてたんだからな。 「続きものかと思いまして……」 「あなたらしいミスですが……」 「読み終わったらすぐに返そうとしていたのですが、ついつい何度も読み読みしてしまい……気がついたら眠りの時期が来てしまい」 「眠りの時期ってのは?」 「力をたくわえるため年単位で眠り続けることがあります」  ね、年単位? 「……もしかして、シロツメさんって……すごく年上?」 「そういう解釈はされない方がよろしいかとー」 「そ、そうですね……あまりショッキングな新情報が出てきてもアレだし……」 「目覚めてすぐにこの台本を返却しないととも思い出しまして……私が長い間独占してしまったため、この台本を再演できなくしてしまったことは、申し訳ないと思っています」 「この台本、俺がちゃんと届けてたら、今年の演目さしかわってたかも知れないんですね……」  運命の分岐点的なものを感じる。 「……なんだか、夜々さんの一件といい、私のミスばかりが目立ちます」  機嫌良く話していたのに、また萎れてしまった。  これは相当に根が深いな。 「困ったもんですね……」 「ああ、いったいどうしたら?」 「どうしようもないと思いますよ」  女の子って、一度嫌ったらもうエターナル・アウトってことが多いだろうし。 「あああ〜」  頭を抱えて前後左右に揺れ動いている。なんか可愛い。  好きな相手をいじめたいって願望は、誰にだってあるのだろうけど、シロツメさんの場合勝手に自爆してくれる。 「愛が壊れてしまいます〜」 「あのですね、シロツメさん。小鳥遊さんと俺が兄妹なのはいいとしても、ナンパだのデートさせようとしたりしたじゃないですか」 「はい……いけません?」 「もし記憶が戻ったら、それはそれで居たたまれないことになると思いますよ?」 「……」 「でも禁断の愛というものは、一線を越えてしまえば濃密ではありませんか?」 「俺ビギナーなんで、そういうマニアックな路線はちょっと勘弁してもらいたいです」 「そう……ですか?」 「一線越えたらえらいことですよ。決裂して良かった。結果オーライです」 「でも……私は……」 「そんなことより、俺はシロツメさんが落ち込んでることの方が気になります」 「私は……こういう存在ですから……」  シロツメさんは台本を取り、ぱらぱらと手慰みにめくっていく。 「そういえばその本も、近親相姦を扱ってますよね……」 「そうでしょう? 兄と妹の禁じられた恋! 様々な困難が兄妹を引き裂き、それに立ち向かおうとするふたりに、ついには悲しい結末が……!」 「まさか……それで近親相姦にハマったというオチではないですよね?」 「近親相姦……いいと思うんですけど……ねぇ?」 「ダメですよ。ふしだらです」 「うう……ふしだら……」  シロツメさんは、そのまま壁に身を預けてしまう。 「……しくしく……八方塞がり……」 「……ああ、もう」  慰めても慰めても落ち込んで、まったくきりがないったら!  少しくらいだったら愛嬌の〈範〉《はん》〈疇〉《ちゅう》で可愛いと思えるけど、こうまで尾を引くとさすがに哀れに思えてくる。  どうしたらシロツメさんを慰めることができるんだろう?  そう考えた時、ふと脳裏に閃くものがあった。 「そうだ……ねえシロツメさん?」 「はい?」 「これ、ふたりで演じてみませんか?」  台本を取り上げて、そう告げる。 「……演じる、とは?」 「そのまんまですよ。この台本に出てくる主要登場人物のふたりを、俺たちで演じてみるという……まあ遊びです」 「遊び……でも、どうして?」 「登場人物になりきってみたいって思いません? 俺はこのお兄さん役の方に、かなり共感しちゃったんですけど?」 「ゆ、祐真さん……それは……」  シロツメさんは心なしかうろたえているように見えた。 「問題でもあります?」 「いえ……問題、というものではないのですけれど……」 「元気出るかもですよ?」 「…………祐真さんも?」 「そりゃもちろん」  その答えが、シロツメさんを決心させたようだった。 「じゃあ、ちょっとだけ……や、やっちゃいましょうか?」  あまり乗り気ではないのかなと思っていたら、幼い女の子のように頬を紅潮させ、シロツメさんはぎこちなく笑った。  やる気じゅうぶんだったのか……。  軽く(三人前)昼食を済ませて、薄目のハーブティーを淹れて、高台に出向いた。  俺とシロツメさんが安心して遊べる場所といったらやっぱりここだろう。  台本を渡された思い出の場所であり、何より人気がない。 「台詞は全部は覚えられないから、台本持ちながらやってみよう」 「私、覚えてますよ、だいたい」 「そりゃシロツメさんは延滞しまくって読み込んだからでしょ……」 「でも一応、私も一冊持ってと」 「実はみんなが演劇やってるのを見て、けっこう疎外感あったんですよね」  試験がなかったら、もう少し興味持てたと思うんだけどね。 「私も、読んでるだけじゃなくてちょっとごっこ遊びしてみたい気分になったこと、よくあります」 「それじゃ行きますよ?」 「はい、いつでもどうぞ」  服はそのままで(シロツメさんはそのままでも充分それっぽかったけど……)、台本を片手に開き持ち、向かい合って演技をはじめる。 「――それは今より遥か昔。まだ、この国がいくつもの小国に分かれて争っていた時代のこと……」  シロツメさんがナレーション部を読み上げる。  それも当然で、物語はシロツメさん演じる一人の姫の回顧録でもあるからだ。  シロツメさんの語りは落ち着いていて、初心者にありがちな照れや詰まりがまるでない。  心に直接語りかけるように優しく、そして暖かい声音が、見たこともない古都の姿を俺の心に浮かび上がらせた。  姫巫女の恋――それは太古の姫の悲恋の物語。 「私は天地の神より力を授かりし姫巫女――」  遠い昔、その国の王族にはこの世ならざる力を分け与えられた者が時おり生まれ、神託によって国を栄えさせてきた。  不可能を可能へと変えることのできる、神の力。  その力を持って生まれた少女は、物心がつく前から姫巫女へと祭り上げられ、国を守る宿命を担わされていた。  雨乞いや豊作の祈願など、農耕に関わる奇跡。  病気や怪我などに対する癒し。  戦での加護。  千里眼や災厄のお告げ。  世には苦しみが満ちていた。  幼い頃から戦禍の中で育った姫巫女は、天から授かったこの力で多くの民を救うことが出来ると信じていた。  しかし神に身を捧げた姫巫女は孤独な存在――。  そんな彼女の心の支えになっていたのは、自分に最も近い兄の王子だった。 「どうした、顔色が優れぬな。憂いごとがあるなら隠さずに話すといい」  悪戯めいたところはあるが、根は優しく頼りがいのある兄。それが俺の役柄。 「兄上にお話しするなどありません」  対して姫巫女は最初の頃は、実に無表情な女の子なんだ。  そう、小鳥遊さんみたいな印象。  それでも心密かに、兄王子に対して複雑な想いを〈懐〉《いだ》いてもいる。 「でも、この身は神に捧げたもの……誰かに心を寄せるなど、あってはならないこと」  姫巫女は神のもの、清らかな存在でなければならない。  ゆえに彼女は、兄王子への想いを寸分も表に洩らさぬように振る舞っていた。  兄には隣国の姫が、姫巫女には美丈夫が、それぞれ近づくようになる。 「兄様はこの国を継がれるお方、いつまでも巫女の私を妹のように思っていてはいけません」 「私がどうなろうとそなたは妹だ、それに変わりはない」 「分をわきまえてください、王子」 「……姫…………巫女様」  姫巫女が民のためを思うなら、兄への気持ちは秘めたままにせねばならない。  兄妹はすれ違うようになる。  次は、そんなふたりが久しぶりに心情を吐露しあう場面だ。 「やはり、私は自分の気持ちに嘘をついたままでいられない!」 「兄様……ですが姫様が……」 「大王の命であの方と親しくするように言われていた。それが国のためであると……」 「しかし、しかし姫、私はそなたのことしか考えてはいなかった。そなたとなら、他国へ落ち延びてでも……」  姫巫女は嬉しいと感じると同時に、悩みもする。  だが結局は、民のために兄を退けてしまう。  これだけならちょっとした悲恋の話で終わるところだが、兄妹のやりとりは性悪娘によって立ち聞きされてしまっていた。  娘は父親に告げ口し、その結果、兄には嫌疑がかかる。  ひとつは隣国に通じているのではないかという疑い、そしてもうひとつは神聖な巫女を汚したのではないかという疑い――。  兄を救うため、姫巫女は美丈夫の言いなりになり婚姻に同意する。  兄は性悪娘を〈娶〉《めと》らされ、その故郷である異国へと追いやられてしまうのだった。 「兄様!」 「すまない、私のせいで民に迷惑をかけてしまったな」 「いいえ、いいえ兄様……私も兄様に本当のことを隠していました」 「別れのときだ」 「兄様……」 「もう……二度と……お会いすることはないでしょう」  シロツメさん……いや、姫巫女の瞳から涙が流れる。そういう場面だ。  だがシロツメさんは本当に泣いている。  演技なのか、自然の涙なのか。  どちらにしても物語上、ここで姫巫女が〈滂〉《ぼう》〈沱〉《だ》と涙を流す場面は、無感情だった彼女が情緒を見せる重要な部分だ。  さらに物語は続く。  直後にはじまる隣国との戦争。  押し寄せる敵軍の勢いは止まらず、民は次々と殺されていき、ついには姫巫女の力が必要とされた。  姫巫女は自ら戦場に向かい、まじないの力を用いて、味方の戦勝を祈願。  味方は大勝し、侵略の危機を免れる。  しかし姫巫女は戦場で、瀕死の傷を負った兄の姿を見つける。  兄もまた敵国の兵として、戦地に送り出されていたのだ。 「…………」  俺は横たわり、力無く微笑んでシロツメさんを見る。 「そんな……そんな……!」  台本にない台詞……アドリブってやつだ。  確かに、この場面ではそんな風に〈狼狽〉《うろた》えるものだろう。  しかしシロツメさんの演技は凄い……真に迫るというか。  俺も当てられて、感情をこめて演技をする。 「どうした、涙など流して……せっかく再会できたというのに……」 「兄上……兄上……!」  もはや助かる術のない兄にすがりつく姫巫女。  兄妹の最後の会話で、台本のクライマックスとも言うべきシーン。 「私は生まれた国に刃を向けた。報いを受けるは当然のこと」 「あなたが受けるべき報いなど、ありはしません!」 「気に病むな。そもそも、おまえに気持ちを打ち明けてしまったのが、間違いの元だったのだ」 「それでは悲しすぎます……」 「私のことなど忘れてくれまいか……そして……おまえはその力で、民を導いてやれ……」 「忘れることなどできるはずがありません! 兄上! 兄上!」  ここで兄は息絶える。 「ああ、そんな!」  間接的にだが、自らの力で最愛の兄を殺してしまった悲しみで、姫巫女は感情を暴発させる。 「これはいかなる罰なのですか。よりにもよって兄上が、なぜ私の祈願によって命を落とさねばならないのですか」  天に投げかけられる、朗々とした声。 「どんな力があっても、悲しみはなくならないと言うのですか?」 「こんなことになるのなら、ともに逃げてしまえば良かった!」 「全てを捨てて国を離れ、どこでもいい……ふたりで暮らしていける道を探すべきだった!」 「巫女の力は、人を不幸にするものであってはならない……しかし私は、その戒めを破ってしまった! 兄を殺してしまったのだから!」 「ならば私は、もう誰もこの力を〈政〉《まつりごと》に使うことはできないようにしましょう。決して権力に絡め取られたりすることのないように!」 「私の力よ! 私をどこか、人の手の届かぬ場所に連れてお行きなさい!」  姫巫女が消える場面。  解釈では、姫巫女は望むままに兄の魂とともに現世を去る……ということになっている。  だが実際は――。  立ち上がるシロツメさん。  彼女を中心として、その足下に緑が滲み出てきた。 「えっ!?」 「……!?」  そして、涙を流し続けるシロツメさんを中心に、世界が緑一色に染まっていくのを俺は実際に目の当たりにした。 「嘘だろ……?」  こんなこと、実際に起こるはずがない。  起こるとしたら俺が幻でも見ているのか……あるいは……本当の力が、この場に働いているかだ。  本当の力。  ガーデンの主、シロツメさん。  昔は人間だったというシロツメさん。 「シロツメさん……まさか……この台本って……」 「……ええ」  涙はまだ流れている。  その悲しみが、断じて演技じゃないことに気付いた。 「この物語は、全て現実に起きた出来事を元にしていますから」  緑は辺り一帯を絨毯状に埋め尽くしていった。  山も街も全てがならされ、なだらかな草原へと塗り替えられる。  ただの草原じゃないことは見ればわかる。これは明らかに、現実のものではない場所。俺の知る世界から外れた場所なんだ。  空を舞い散る草の一本が、俺の頬にかかる。  それを手にとってみる。 「四ツ葉のクローバー……?」  手にあるクローバーと、辺りに存在する草の質感はまったく同じだ。  まさか、ここにある草の全てがクローバーなのか? 「ここは私のお庭……人はガーデンと呼びます」  悲しみをまとったまま、シロツメさんは俺に語りかけた。 「つまり……シロツメさんが……姫巫女?」 「遠い昔の話です。昔すぎて、想いが霞むくらいに」  脚本家の希望を叶えて傑作を与えたというクローバー。  考えてみれば、クローバーにお話が作れるはずもない。その奇跡は、シロツメさんが知るうちでもっとも悲しい自身の物語を分け与えることで成立したんだ。 「霞んでいた……心の中で、収まりがついていたはずだったのに……」  泣いている。  〈慟〉《どう》〈哭〉《こく》の熱量だけが抜けた、温度のない涙に思えた。  そう、これは悲しみの境を越えた、はるか昔の悲哀なんだ。 「はずだったのに……!」  ……演じたせいだ。  俺がたわむれに演じてみようなんて誘ったせいで、シロツメさんの感情を呼び起こしてしまったんだ。  迫真の演技……当然だ!  かつての自分をなぞった時、感情が高ぶらないはずがない。 「ガーデンが……再構築されてしまった……あの時と同じに……」 「シロツメさん……俺……」 「あの時も、こうだった……悲しくてつらくて、許せなくて、取り戻したくて、逃げ出したくて……」 「そう思ったら、私は人間としての生と引き替えに、自分だけの小世界を作り上げてしまって……」 「そう、逃げ出すための場所を……」 「そこで私は、力を権力に利用されないよう、大きすぎる力が人を不幸にしないよう、自らの力を切り刻んで種にしていきました……」 「種であれば好きな植物に育てることができましたし、小さな奇跡ならもし利用されても大きな不幸は起こらないと思ったんです」 「民を、助けるために?」 「いいえ……」 「何かをしていないと、心が押し潰されそうだったから……」  自分の持つ力が大きすぎるからって、小さく刻んで植え直して。  そんなことをシロツメさんはずっとやってきたのか……。 「……」 「私の国は、それから数百年を待たずに滅びてしまったそうです……でも戦場だったこの土地には、反対に次第に人が住みつくようになりました」 「戦場って、この永郷市が?」 「はるか昔、どんな歴史書にも載っていない時代には……この街の歴史は、とても古いものがあるんですよ?」  落ち着いたのか、シロツメさんの頬には涙の筋が光ってはいたが、やわらかく微笑みかけてくれた。  心臓が震えたかのように、呼吸が震えた。  ああ……。  俺はやっぱりこの人が……。 「私のいた時代は争いの日常でした。それは今でも世界のどこかであるのでしょうけど、永郷はずっと平和だったのです」 「それが私には嬉しかった。けど平和を生きる人々の間にも、小さな不幸はいくらでもありました」 「平和だけでは、人の問題を解決できないのだと。私のこの力は、そうした小さな穴埋めをするためにあるのではないかと」 「それでクローバーを……?」 「はい、おわけするようになったのです」  守り神なんだ、この人は……。  永郷市が、そう呼ばれる前から、ずっとこの地にとどまって見守ってきた。  気の遠くなるほどの時間を生きて、人でさえなくなって。 「祐真さん、ありがとうございます」 「ええっ? どうして……何に対して?」 「この遊びに誘ってくださって……当時のことを、思い返すことができましたから。悲しい結末でしたけど、本当に好きだったあの方の面影を……昨日のことのように……」  シロツメさんは喜びと悲しみが半々にまじった瞳を、遠く地平に投げかける。 「ガーデンは私のたかぶった想いと力によって編み上げられた世界。私が忘れかけていた、もっとも心を震わせた時を克明に思い起こすことで、こうして再生されたんです」 「いけませんね。長く生きてると……心が震えなくなってきてしまって」 「俺は謝るべきだと思ってますよ。シロツメさんに、悲しい思いをさせたって……」 「でもそのおかげで、ひとつ贈り物をすることができます」 「そのクローバー」 「これ、ですか?」  さっき絡め取ったクローバーだ。 「あなたが幼い頃、一度ここに訪れたことをお話ししましたね?」 「でもあなたの願いは、叶えられないままずっと棚上げにされてきた……それは、奇跡の力はまだ消費されていないことを意味しています」  俺の願掛けは、未だに未決だってことか。 「祐真さんのクローバーは、完全に願いを果たしていません。だから、先ほどお庭が整理された時に、それは外界と繋がりのある遺物として、祐真さんの元に引き戻されたのでしょう」 「願いの代価として、ガーデンでの記憶が捧げられる。そのクローバーは間違いなく、あなたの願いを宿したクローバーなのです」 「これが……」 「祐真さんは願いをかけたあと、クローバーをここに捨てていかれたのですね」 「俺の願いっていうのは、どんなでしたっけ?」 「夜々さんが悲しまないように、と」 「願いが無かった事には出来ませんけれど、言葉を付け加えて効果を絞り込むことはできますよ?」 「そう、たとえば……夜々さんが悲しまないようにするため、ずっとそばにいてやれるようにする……とか」 「それって、ストーカー……」 「でも……なるほど、目的のあとに手段を指定できるわけですか」 「漠然とした願いでは、奇跡の効果も薄まってしまいますので。もっとも自らの行動に対する決意として、あえてそう願われる方も、今までの利用者にはおいででしたけど」 「ああ、そういうの、いいですね。神頼みでないというか」  奇跡なんて、所詮はあってもなくてもいい力なんだと思える。  だってそのせいでシロツメさんは、あんな悲しい思いをしたんだから。 「俺は……小鳥遊さんは、ちゃんと自力で生きていけると思います……」 「祐真さんは忘れているだけなんです。あなたたちは、本当に仲〈睦〉《むつ》まじい、本当の絆の持ち主でした」 「ねえシロツメさん、俺と小鳥遊さんの関係って、もしかして……似てるんじゃないんですか?」 「……え?」 「あなたと、亡くなったお兄さんとの関係と」 「…………」 「……似ては、いなかったと思います。ただ……今の夜々さんの態度は、人だった頃の私と、重なるものがあります」  シロツメさんに感情を表に出すことが下手だった時代があるなんて信じられないけど、そんな頑なな女の子の心を開かせたのがお兄さんだったんだ。 「俺がもし、小鳥遊さんに好意を持って、彼女の心をときほぐしたとしたら……それって、シロツメさんにとって嬉しいことだったのはわかります」 「でもシロツメさんは神様なのに勘違いをしてる」 「私がどのような?」 「俺と小鳥遊さんの関係は、不自然なのかも知れない。けど……今、俺のシロツメさんに対する気持ちは本物ですから」 「…………いえ……それは……」  表情が目に見えて強ばる。  彼女は俺からのこの言葉を、ずっとそらし続けてきた。  けど今は、最後まで聞いてもらう。 「俺は、あなたに幸せになってもらいたいな」 「祐真さん……私はもう人ではないのですから」 「だってこんなところで一人で……寂しいじゃないですか。何百年も、そうだったんでしょう?」 「土地を見守っていくことが、私の喜びですから」 「でもあなたにはまだ人の情が残ってる! だから、好きになったんです!」 「う……あ……やだ……どうしましょう……」  視線を右に左に彷徨わせる。  けどどこを見渡そうが、今のシロツメさんを助けるものなど何もない。 「俺のことがそういう対象として見られないなら、言ってください。おまえみたいなクソガキは嫌いだって言われたなら、俺だって諦められます」 「そ、そんなこと言えませんっ」 「でも他の理由じゃ、俺引き下がれないですよ」 「いえ、でも、祐真さんには夜々さんが……」 「ならシロツメさんの力で、俺の気持ちをねじ曲げてしまうことですよ」 「それも、できません……」 「告白はね、されたら本音を返すのが礼儀なんですよ。告る方は、それなりの覚悟をしてるんですから」 「…………」 「好きです、シロツメさん」 「俺が死ぬまででいいから……つきあってください」 「入籍できません……」 「心で入籍すればいい」 「結婚式だって無理です」 「心で結婚式を挙げればいい」 「子供だってできるかどうか……」 「俺からして養子ですよ?」 「……人間じゃない……」 「でも女の人だ」 「…………」  言い訳もなくなったのか、胸の前で絡めた指先に目線を落とした。 「……私の仕事のせいで、不幸になった人がいます」 「俺と小鳥遊さんですか?」 「はい……」 「おっしゃる通り私は、あなたたち兄妹に自分を重ねていました。だから……どうしてもおふたりには幸せになって欲しかった」 「夜々さんがあの願いをした時、私は迷いました……大切な記憶を手放すだなんて、そんなのは限りなく呪いに近い……私自ら介入してでも、無効にすべきだった」 「でも……それができなかったのは私の迷いです……だからこんな結果を招いてしまった」 「不幸になった人がいるかぎり、私が幸福になることはできません」  全てを捨てて、守り神になったような人だ。  小鳥遊さんのことがある限り、俺の言葉は届かないのか……。 「いや……なら……」  手にしたクローバーを意識する。  まだ完全には力を発揮していないという。 「なら……これなら……きっと……」  クローバーを眼前に持ち上げる。  そして頭の中でまとめた言葉を、ゆっくりと押し出す。 「小鳥遊さんが悲しまないように、あの子が本当の強さを身につけられるよう……失った記憶を全て取り戻す!」 「!!」  リン、と軽やかな音が鳴り響いた気がした。  俺の手の中で、クローバーから一枚の葉が欠け落ちた。  願いは、成就した。 「なんということを……」 「人間はそんな弱くないです」 「悲しい記憶を乗り越えることができれば、強くなることはできると思います。少なくとも彼女だって、親を失った記憶は乗り越えてるはずですから」 「…………」 「これで、憂いはなくなったでしょう?」 「……まだ、あなたが……」 「今の願いじゃあ、俺の記憶は戻らないでしょうけどね……けど仮に戻ったとしても、俺の気持ちは……変わらないと思う」 「シロツメさん、好きです」  落ち着きをなくしてただ戸惑うばかりの彼女に歩み寄り、片手を差し出す。 「受けても、断ってもいいです。でも、それはシロツメさん自身の気持ちで決めてください。小鳥遊さんとか俺のことを引き合いに出すのはやめて欲しい」 「今はまだ、あなたのお兄さんほどの器じゃないけど……成長してみせますから」 「そんな……ことは……」  顔を覆う。  指の束が顔を撫でつけながら、左右に、幕が開くようにわかれていく。 「……ありがとう、祐真さん」 「長い間、ずっとこの地に暮らしてきましたけど、自分の幸せなんて考えもしなかった」 「幸せも知らない者が、人を救うだなんておこがましかったんですね……」 「シロツメさんは立派ですよ」 「祐真さん……でも、私は今回のことで思い知りました……もう人にガーデンは必要ないんだと」 「……シロツメさん?」 「ガーデンを、畳もうと思うのです」 「ここを、畳む」  ずっと人にささやかな幸福を贈ってきた、クローバーの伝説が……終わる。  どうなんだろう、それは良いことなのか悪いことなのか。  奇跡の力。あってもなくてもいい力。  俺にはよくわからない。けど、たぶん、きっと……。 「……シロツメさんが、そう決めたのなら」 「私という存在は、ガーデンとは繋がっているんです」 「繋がっているって、じゃあここが消えたら?」 「私もまた、永遠の眠りに就くことになります」  最初はなかなか理解が追いつかなかった。 「それって、シロツメさんが消えるってこと!?」 「私のような存在は、そういうものなのですよ」 「存在する意義を失えば、場を維持することはできないんです。ガーデンを投げ出して、私ひとりが幸せになろうとしても……いずれここは枯れてしまうことでしょう」 「そんなことって!」 「自然なことなのです」 「本来私は、とうの昔に死んでいる人間だったんですから」 「それはそうだけど……けど……だって!」 「なんだか、やりたいことをやり尽くした気分なんです、今」 「……何か、手はないんですか? シロツメさんだけ生き残る!」  心を誰よりも満たしてくれた相手がこの世から消え失せようとしているのに、黙ってはいられない。 「……ないことも、ないのですが……」  その呟きを俺は聞き逃さなかった。 「あるんですか!?」  シロツメさんに詰め寄る。 「え、ええ、まあ……」 「教えてください! 今すぐに!」 「でも…………っ」  なんだ? 恥ずかしそうにして……? 「シロツメさん!」 「わ、わかりました……」 「私は巫女としての力でガーデンと一体になりました。ですから、この場所と私はいまや一心同体です。ガーデンが消えれば私も消えるわけですが……」 「……私が巫女としての力を失えば……」 「失えば?」 「人に戻ることになりますから、あるいは……ガーデンの消滅に引っ張られることなく……」 「巫女としての力を失う! それだけで?」 「やってみましょう! って、巫女の力をなくすのってどうすれば?」 「…………どうすれば、いいんでしょうね?」 「赤くなってどうしたんです?」 「いいえ……どうも……」 「巫女の力を消す方法ってわからないんですか?」 「……っ」  待てよ? 台本にそれらしいくだりがなかったか?  先ほどまで演じていた台本を開いて確認してみる。 「……あった、ここだ。何々……神の代弁者である姫巫女は異なる部族の男と交わることでその力を失い…………」  交わる? 「……こ、これって……」 「……ですから……そういうことになりますね……」 「マジ、ワル」  〈本〉《マ》〈気〉《ジ》〈不〉《ワ》〈良〉《ル》。  いや、じゃなくてだな……。  つまり交わるというのは、絡むということで、くんずほぐれつという意味だ。  人間の男女がくんずほぐれつということは、おとーさんおかーさんなにしてるの? プ、プロレスごっこだよ……ということだからして、とどのつまり……。 「どおおおおおっ!?」 「……叫びたいのはこちらなのですがー」 「こ、こんな方法だとは思わなくて!」  ふとシロツメさんは表情を曇らせる。 「……それも、もしかしたらという話です」 「え?」 「確かに昔は、巫女の力は外の血と交わることで失われると言われていました」 「……実際にそういうこともあった、とも聞いています。ただ今考えれば、それも力を外に出さないための処置であるようにも思われますし」 「この言い伝えは、嘘だと?」 「……いえ、恐らく……個人差のようなものなのでしょう……ですから」 「賭け、ってことですか……」 「最悪、ふたりともガーデンの消滅に引っ張られて、世界の狭間に落ち込んでいってしまうかも……祐真さんを、そんなことに付き合わせることはできません」 「……シロツメさんは、結局、一度も俺の気持ちに向き合ってくれる気はないんですか?」 「そんなこと、言わないでください……私は……自分だけが幸せになることはできない身なんです……」 「だったら、俺の気持ちには応えられないって断ればいい……けどその理由に、ガーデンとか遠い昔の因縁を持ち出されるのはつらい」 「……」 「俺の手の届かないところにある理由で、気持ちをそらされるのはつらいです」 「俺じゃ、全然ダメですか?」 「そんなことは……小さな子供だったあなたが、逞しく育ってくれて……この胸がときめくこともありました……」 「シロツメさんは、長いこと頑張ってきたじゃないですか……だったら、ほんの少し……俺の一生分くらいの余生があったって、いいんじゃないですか……?」 「……そんなに……私のことを……」 「あの台本でシロツメさんは、申し出を一度断った……それで、一度後悔したんでしょう?」 「……はい……」 「もう一回、同じ選択をしようってんですか?」 「……でも……私……今の世で、どうやって生きていけばいいのかわからない……」 「生き残ったら、それを一緒に考えましょうよ」  肩に手を置く。  ふらふらと前後に揺れる、頼りなげなシロツメさんの体は、軽く力を入れただけで俺の胸元に倒れかかってきた。  それを、真綿よりも優しく抱きしめる。 「…………」 「……あなたのこと、好きです」 「……ありがとう……」  顔を寄せても、避ける素振りはもうなかった。 「ん……」  ああ俺……シロツメさんと、キスしてる。  経験ないはずなのに、いざとなったらやるべきことってわかるもんだ……。  シロツメさんの唇、おいしい……もっと味わいたい。 「んぁ……あむ……んる……」  焦らされたせいか、あまり遠慮しようという気にならない。 「ゆうま……さん……」  情熱的な接吻の結果として、しゃくりあげるような息継ぎをするシロツメさん。  唇を首筋に埋めると、髪のひさし内に残ったシロツメさんの匂いを感じた。 「シロツメさんの体、草の香りがするね……」 「……お恥ずかしい……」 「もっと、かがせて」 「………ぁ……」  引き寄せたシロツメさんの豊かな体が、かすかによじれた。  背後から彼女を抱きしめる形になった。  大きく張りだした胸元に手を這わせる。 「ふぅ……んっ」  さすがにビックリするシロツメさんだけど、交わる上でこういうことをするというのはわかっているはずだ……と思う。 「いや?」 「いえ……そんな……はしたない……ところ、なので……」  さすが長生きしてるだけあって、考え方が古風だ……。 「好きだから、触りたいし、はしたなくなんてないですよ」  耳元を掠めながら囁く。  シロツメさんの体から力が抜けていく。  改めて、俺は乳房を撫で回した。  それは見た目以上に手で触れることで、びっくりするくらい大きく感じる……。  全体を撫でつけていくと、いかにも窮屈そうな衣服から今にも中身がこぼれそうになる。 「脱がしますね……」 「あ……」  前を止めるため連なっている留め具をわずかにふたつ外した段階で、内側から押されるようにして胸元が大きく開いた。爆発、した。  これには俺も衝撃を受けて、手と呼吸が止まってしまう。  シロツメさんが泣きそうな顔をする。 「……いやぁ……」 「だ、大丈夫ですよ……キレイだから」 「あまり……見ないでください……」  それはできない相談だった。  俺はむしろ釘付けになって、剥き出しになった乳房を観察した。  どのくらいあるんだろうか……胸から下がった腹部のあたりはキュッと引き締まっているせいで、とんでもない光景に思える。  目線を落とそうとしても、胸の膨らみが邪魔してシロツメさんのおへそが見えないくらいだ。  胸自体も輝いているかのように白い。  長く生きてきた彼女なのに、昨日生まれたばかりのような白さ。  その雪白の柔肌が今はかすかに赤味を帯び、生々しく上下に動いている。  先端には桜色に息づくしこりが、ツンと尖っていた。  魅入ってしまう。これを、さっきまで触ってたのか……と思う。  急に喉が渇いてきて、音を立ててつばを飲んだ。 「……さ、触ります……」  そう宣言しておきながら、弱気なことにシロツメさんの反応を待つ。 「…………はい」  たっぷり十秒も待たせた上で、消え入りそうな声でうなずいた。  服の上からなんとなく揉むのとは異なり、剥き出しになったそれをどう愛していいのかしばし迷う。  とりあえず、下方からすくい上げるように持ち上げてみる。ずっしりとした重みが手に乗った。  じっくりとこねあげると、素直に変形する双球。 「う……」  凄すぎる。理性が一発で飛びそうになった。  現在進行形で胸を触っているという満ち足りた状態であるはずなのに、なぜか俺はもどかしい思いを持てあましていた。  唇を噛み、乱暴になりがちな手の動きを抑制する。 「……っ……ん…………ぅ……」  ゆっくりとした円運動で胸を絞り続ける。シロツメさんの体温と鼓動が、ときおり指先をかすめていった。  棚となって胸を支えていたてのひらをスライドさせ、胸全体を手で覆ってみる。  ……収まりきらない。完全にはみ出てしまっている。そして背後から抱いていると、もろに手ブラ状態だ。  頭の中で、導線がブチブチと切れていく音がした。  胸全体をじんわりと握りこむ。指が肉に埋まり、独特の弾力に包まれた。  左右の胸をリズミカルに揉みしだく。男としての夢みたいなものが叶って、痺れるような興奮が背筋を走る。  ちょうど左右それぞれの手の中心点あたりに、そこだけ異なった感触がコリコリと潰れていた。  ここも触らないとならない……。  妙な義務感にせっつかれ、胸のふもとあたりに置かれていた指先を、山の頂を目指して這いのぼらせる。  五本の指がそれぞれの乳首に群れ集い、キュッと絞り込むと、シロツメさんはあごを突き上げて震えた。 「……はぁっ……」  鼻に抜けるような声、だった。  驚きの悲鳴じゃない。子供が聞いてもわかるほどの、女の嬌声だ。  やっぱり乳首って、感じるんだ……  そうとわかったら、いてもたってもいられなくなる。今の俺には行為を続ける以外のことはできないのに、全力疾走したいような気持ちだ。  釣り鐘を思わせる膨らみを、ぎゅっと前方に引き絞ってみる。その状態で、人差し指と親指を使い、ダイヤルをつまむ方法で乳首をしごく。 「……はぁぁ」  シロツメさんの口元から安堵のため息が漏れた。  驚かせるよりは、じんわりと染み渡る安心を感じて欲しい。そう願って、乳房の隅々まで指の腹でさする。  オイルを塗り込めるよう、丁寧に優しく。  いつの間にか豊満なバスト全体が、汗に濡れてジュンと湿りはじめている。  特に乳房ふたつの密接する場所は、鎖骨や首もとから伝った汗が流れ込む谷間になっている。  その奥底から、媚薬を連想させる甘やかな体臭が漂ってきた。  人間の女性とは異なるだろう、森林浴のそれと似たにおいに、頭がクラクラする。  触れるごとに膨れあがるばかりの欲求を、今のところ発散する方法もなく、シロツメさんのうなじあたりに流れる髪束に鼻先を埋めた。 「……………………」  俺がいいように胸をこねくりまわしている最中、シロツメさんは黙って目を伏せていた。  彼女がこんな恥ずかしそうにしながらも黙っているのは、俺がここに触れてもいいと認めてくれているからだ。  その事実が、たまらなく下腹部を熱くさせる。  ずっと弄っていたいけど……コレは、彼女を人間にしてあげるための行為だ。  また俺の気持ちを、肌を通して伝えるためのものでもある。  あまり自分の欲求を優先させるのは良くない。  そう思うと、右手は重力に引かれてじりと下がっていった。  次にどうすればいいのか、俺の本能はなんとなく察知していた。 「あ……祐真さん……」 「怖いですか?」 「……そこも……手で……?」 「はい……大事なところだから……ちゃんと、準備しないと……」 「……そ、そうですよね」  じりじりと確かめる動きで、右手は目的地に近づいていく。  途中通った衣服の留め具を、ことごとく外していきながら。  俺はうまくできているだろうか? 桜井先輩、どうか見守っていてください……。  そんな祈りが終わる頃には、最後の留め具を外していた。  拘束力がなくなって、途端にだぼっとゆるむシロツメさんのドレス。できた隙間から、指先を潜り込ませた。 「あ……触られ、ちゃう……大事なところ……っ」 「……ごめん」  なぜか謝りながら、手を太ももの根本に滑りこませた。 「……え?」  こ、この人……下着つけてない?  昔の人ってそうなのか!?  わっ、わっ、直接触っちゃってるのかこれ? 「……あっ……あぁ……」  ふっくらと盛り上がった丘、指先全体に感じられる。 「……う……」  指先を慎重に動かして全体の形を確かめようとする。だけどその部分はくにゃっとしていて芯がなく、いまいち判然としない。  肉の唇のような構造をなんとか把握できたのは、たっぷり一分もこね回してからだった。 「ちょっと、湿ってますね……」 「ごめんなさい……我慢、してたんですが……」 「我慢しなくてもいいですけど……」  むしろウェルカム。 「嬉しくて……気持ちよかったので……体が……熱くなって……それで……」  俺の不慣れな手つきでも感じてくれてるのか。 「少し足、開いてくれると……」 「はい……」  むっちりと閉じ合わされていた脚の間に、少し余裕ができた。途端に流れ込んできた冷たい空気が、汗と愛液で濡れた指先をシンと冷やす。  寒さから逃れるように、中指をそっと内側に忍び込ませていく。 「あ……」  シロツメさんがかすかに身じろぎした。豊かな体を片腕でぎゅっと締めつけたまま、もう片方の手で秘部をまさぐる。 「……あ、ここ……」  押し込めば沈んでいきそうな濡れた穴を見つける。ここが……女の人の……膣口? 「ふぁ……あ……」  濡れた膣口のあたりを指の腹でマッサージする。  シロツメさんのぽっかりと開かれた唇から、熱い吐息がこぼれ落ちた。 「ああぁ……あ……あぁ……」  もっと、もっと感じて欲しい! 「あっ……祐真さん……そんな……がんばって……っ」  触れば触るほど、股間は水気を増してきた。  指の先端に絡むだけだった愛液が、今はもう大量に溢れ出し、指の付け根から地面に雫となって落ちていく。  熱くほぐれたその場所が、パクパクと喘ぐように蠢いていた。 「……あ……や……私……もう、立っていられない……」  次第に俺の腕にかかるシロツメさんの体重が、言葉通りのことを告げていた。  そうか……本当にする時には、寝てないとな……。 「じゃあ……そろそろ……」 「……は、はい……私……祐真さんと、結ばれたい……」 「俺も……好きだから……本当に……」  俺は襟元をゆるめ、邪魔なズボンを脱いでおく。ガーデンは冬だというのに暖かく、寒くは感じられなかった。 「…………っ」  首だけを巡らせてこちらを見たシロツメさんが、俺の裸を見て猛スピードで目をそらした。  ……でも、俺まだ下着を取ってないんですよ、シロツメさん……純情すぎです。 「シロツメさんも……脱いでおいた方が……」 「わ、私は……このままで……明るい、ですから……っ」  ぎゅっと衣類を前合わせにして、脱衣拒否を示す。……まあ、いいけど。 「ん?」  おろそうとした下着がなかなか脱げない。  力任せに引き下げると、下着を引っかけていたペニスが弾かれるように露出して、ぶるんと残像を残して震えた。 「……こりゃあ」  シロツメさんの体を弄るのに夢中で気がつかなかったが、俺のソコもすでにギンギンにそそり立っていた。 「……っ」  かすかな視線を感じる。  見られてる……な……。 「あの、初めて見るんですよね?」 「は、はい……」  シロツメさんがスローモーションを思わせる緩慢さで、視線を俺の股間に移した。 「あ……あああ……」  括約筋の辺りがムズついたのでぎゅっと締めると、それに合わせて怒張も激しく武者震いをした。 「きゃあ! な、何が……!?」 「あ、平気です……怖がらないで……ちょっと、切ないだけですから」 「切ない? 苦しいのですか?」 「はい、シロツメさんの中に入りたくて苦しいんです」 「あ……なら、すぐに!」 「いえ……ちょっと、今入れても……優しくできる自信なくなってきました」  俺の中の理性は、もうガタガタだ。  これじゃシロツメさんにつらい思いをさせるかも知れない。  性欲と愛情がせめぎあう。それでもやっぱり、最後に思ったのは彼女を大切にしたいという気持ちだった。 「ごめんなさい、ちょっと……一回、出しちゃいます」  俺は、自分の竿を握りしめて軽く〈扱〉《しご》きだした。 「祐真さん……祐真さん! いったい……!?」 「いや、ちょっと頭冷やそうと思って……ちょっと待ってください、すぐに終わるので」 「痛むんですか? 診せてください!」 「そ、そういうんじゃなくて……」 「こすったりして、痛くないのですか?」 「男が自分を慰める時はだいたいこのくらいなんですよ。叩いたりしてるわけじゃないから、痛くはないです。むしろ具合良いくらいで……」  どうして俺、女の人にオナニーの説明してるんだろう?  説明を聞いたシロツメさんの瞳に、決意の色が染めていく。 「そうしないと、切ないのですか?」 「ええ、けどあまり見られると恥ずかしいから、ちょっとあっち向いていてくれます?」 「…………あの、私が……やります」  シロツメさんが四つんばいになって俺のモノをマジマジと見やる。  さきほどまでの恥じらいが嘘のように、使命感に満ちた目つきをしていた。 「いや、そんなことはしないでも……」  不意に剥き出しの乳房が目に止まった。  この間にすっぽり収まったら、どんな感じなんだろう?  そうしようと考えたわけでもないのに、ぼんやりと思っただけで体は動いていた。 「あ……祐真、さん?」  前屈気味に、腰が前にせり出す。亀頭がシロツメさんの胸元に収まった。  シロツメさんは顔を引こうと思えばそうできたはずなのに、困惑の表情を見せながらも俺の行動を黙って見守っていた。  そのやや心配そうな面持ちを見た時、俺もようやく自分のだいそれた行動に気がついた。 「あ……すいません! つい!」  慌てて腰を引く。  なんてことを……ぼんやりしてたせいで、タガが緩んでた! 「ごめんさない! 勝手に……イヤだったでしょう?」  シロツメさんも少しぽかんとしていた様子だったが、すぐにいつもの笑みを向けてくれた。 「いいえ……これも、あなたの一部ですから……愛おしく思いますよ?」 「でも祐真さん……もしかして……手よりも?」 「それは、まあ、男ですから」 「普通の方々も、そういうものなのでしょうか? 私は詳しくは存じ上げないもので」 「する人はするって感じですかね」 「…………」  少し考え込んでから、シロツメさんは膝立ちになって胸の高さを調節する。  まさか……。 「動かないでください。難しそうですけど、がんばってみますから」 「悪いですよ、俺が我慢すればいいことだし……」 「逆の立場で、私が同じことを言ったら祐真さんは相手に我慢をさせますか?」 「……」 「私は……好きな子に、我慢してほしくはありません…………ちょっぴり、恥ずかしいのですけれど……」  そう言って、乳房の合間を俺の腰に密着させるのだった。  この感触、というか密着による安堵にも似た満足感は、とても言葉では説明できそうにない。  射精をもたらす刺激ではないのに、ずっと包まれていたい。 「熱い……祐真さんの……」  熱病に喘ぐように呟きながら、ぐいぐいと胸を押し当ててくる。  体重をかけられる度に、股間全体が胸に包まれる。うまい具合に谷間に竿が挟まる形になっている。  さすがに奥手のシロツメさんも、ただ圧迫するだけでは快楽に繋がらないと察してか、上半身ごと上下に揺すってくれてはいる。 「……どうでしょう?」 「気持ちいいです……」 「もう少し強くしてみますね」 「ん……」  ちょっとツボにハマる刺激が来た。 「すごい……脈打ってます……たくましい……」  はぁ、と熱い息が、ペニスの先に吹きかけられた。 「ううっ……」  思わず腰が突き出る。  弓なりに反った怒張は、シロツメさんの唇を横切りながら小鼻まで突き抜けてしまう。 「きゃ!」 「あ、また……ごめんなさいっ」 「ふふふ、やんちゃ、ですねぇ」 「男に生まれてごめんなさい」  申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 「これだけたくましいのですから、当然なのでしょうね」  と言ってシロツメさんはペニスに顔を近づけていく。 「な、何を……?」 「んん……ちゅ」  亀頭の裏あたりに、情のたっぷりこもった口づけをしてくれた。  たぶん彼女はそういった知識を持たないはずなのに……。 「ううっ!」  これは興奮する……しすぎるくらいに。  震えはシロツメさんにも伝わって、彼女に正解を悟らせる。 「お口……が? 良いのですか?」  さすがにこの指摘には、俺が赤面する思いだった。  照れくさくて何も答えられずにいると、シロツメさんはにっこりと微笑んで、俺の股間に顔を埋めた。 「ちゅ……ちゅうぅ」  両手の指を絡めて、あちらこちらにキスをしていく。 「んちゅ、ちゅ……ん、んむ……ちゅ、ちゅ……ちゅうぅ」  しばらく間近からペニスを凝視していたかと思うと、いきなり舌を出してアイスキャンデーを味わうように舐めあげた。 「んんんっ」 「んっ……くっ!」  顔を持ち上げて笑う。 「祐真さんの、味がしますね」 「……おいしくなさそうですね」 「おいしいですよ」  そして体をこすりつけながら、胸の中にペニスを覆い隠してしまう。シロツメさんは自らの胸を両側から押しつけて、その状態を維持する。 「ちょっとわかってきました……むちゅうっ」  谷間から露茎した亀頭部に、ねじ込むようなディープキスをした。腰全体が感電したように震えた。 「ん……んふっ……うぅん……んむ……」 「く……」  まったく嫌悪やためらいのない情熱的な接吻だ。出すまいと思っても声が漏れた。  もう我慢できそうにない、たぶんお願いすればシロツメさんはやってくれる。そんなことを考えたら、自然と腰が浮き上がった。  葉脈にも似た感触の唇を割って、ペニスの先端が少し口腔に潜り込む。  完全には挿入されない。ほんの少しの動きだったがシロツメさんには伝わったようで、キスが終わっても唇は離れなかった。 「ん……んちゅ……あむ……あむ……ちゅうぅぅっ」  もごもごと歯が当たらないように用心しながら、唇の輪は陰茎をずぶずぶと呑みこんでいく。  竿の部分は豊胸の間で転がされ、先端部はちゅうちゅうと吸い立てられる。 「ちゅ、ちゅぷっ、ん…ん……んふぅんっ……れろれろ、んちゅぅぅ……!」  これはかなり強い刺激になった。  今まで〈燻〉《くすぶ》っていた欲求が、大穴を開けて引っ張り出される予感がした。  もうじきだ……もうじき、楽になれる……。 「むちゅ、ちゅむ、ん、んむ、あむあむ……ちろ、ぴちゃ、ちゅうちゅう……」  はぁ、凄い……気持ちよすぎる……シロツメさんのフェラ。  やっぱり年上ってことなんだろうか。お互い経験ない者同士なのに。  包まれて、導かれる感じだ。 「ふぁ……どんどん、おっきくなって、おくちの中で……んむっ、ちうっ」  シロツメさんが胸を揺さぶると、そのよじれがペニスまで伝わる。彼女が垂らした唾液と汗でぬるぬるになっている胸の谷底に、とろけるような快楽が渦巻く。  自分で手でさすっている分には、突然射精感に襲われて達するということはまずない。自分でコントロールできているから。  けど今は……正直、いつ暴発するかわからない不安がある。  こうして、俺の股間なんかにシロツメさんの頭が浮き沈みしているのを見るだけで、どうかすると弾けてしまいそうになる。 「じゅばっ、じゅ、ちゅる……ん……あふぁ、ん、んん、ん……ちゅうぅ……ちろ、れろんっ」  ペニスの吸引と同期して、Hすぎる水音が幾度となく爆ぜる。  目と耳と局部と……五感全てで感じていた。 「ん、んあっ…むふぅっ…んっんっ……ちゅぴ、ちゅ……ん、んんんっ」  あ、そろそろ、来た。 「シロツメさん……そろそろ、いっちゃいそうなんで……」  ちゅぽん、と吸盤めいた音を立てて、シロツメさんの唇が離れた。 「……いっちゃう?」 「精が……出るというか……切ないのが、弾けるというか」 「そうすると、楽になりますか?」 「は、はい。だから……顔にかかってしまうので……」  最後は精液をよけられるよう手か何かで済ませてください、と言おうとしたのだけど。 「わかりました。強めに……その、しますので、どうぞ存分にイッてくださいな」  と笑い、胸元から飛び出た筒先に強くむしゃぶりついた。 「わあ!」 「じゅぶっ、んんっ、じゅっ、ちゅるっ、ちゅちゅ…んんんっ、んむっ、んぐっ!!」  シロツメさんの頭が小刻みに上下する。  胸のふくらみと唇の弾力と口内粘膜の熱さが、渾然一体となって溶けていく。いや、俺が融かされていく。 「……ダメだっ」 「んっんっんんん〜〜〜っ!」  強引に引っ張り出されるように、俺は盛大に射精をしてしまった。 「ああっ……!」  吸い出された精液は、シロツメさんの口内から顔から胸元から、全てをまんべんなく汚してしまう。 「まあ……これが……」  彼女のベロの上にぽってりと乗った精液の塊が、いささか恥ずかしい。俺のはしたない残滓。 「濃い……においですね……ふふふ」  その顔が、ちっともイヤそうじゃない。  いつもと同じぽやぽやの笑みを、大量の精液がデコレートしている様は、俺の尾骨あたりを電撃で打ち叩いた。 「あ、ティッシュ……ないか。ふくもの……ないんですよね……」  俺は自分の衣服から、ハンカチを出してそれでシロツメさんの顔と体をぬぐった。 「あら、ありがとうございます」 「口に入ったの、吐き出してください」  と手を差し出す。すると。 「……こくん」  口内の精液は、ゴックンされてしまった。 「あっ!」 「……不思議な味」 「もう、そんなことしないでいいのに……イヤだったら、イヤって言ってくださいね!」 「イヤではありませんよ。うまくいえませんが……こう、達成感があるくらいです」 「……」  無限大に愛おしくなってきて、俺は真正面からぎゅっと彼女を抱きしめた。 「あ……」  優しくシロツメさんを横たえる。 「祐真さん」  夢見がちな瞳が、俺を見上げてくる。  首筋に口づけながら、片手を脚の間に差しいれる。  そこはもう充分なくらい濡れそぼっていた。  もう大丈夫だと判断し、ドレスのような衣服を少しずらし、腰をあてがった。 「……ここ……だよな……」  位置がわからなくて焦る。 「手伝いしましょうか?」  ひんやりとした指先が、ペニスに巻きついてきた。角度を調節してもらうと、先端が熱く濡れた〈窄〉《すぼ》まりをとらえる。 「そのまま、いらしてください」 「何から何まで、どうも……」  膝と腕で体重を支えながら、シロツメさんの中に入り込んでいく。 「んんっ……!」  きつい、ぎこちない挿入感。だが濡れた膣穴は、決して侵入を拒んではいなかった。  寸刻みでペニスは沈み込んでいく。ちょっとずつ、ちょっとずつ。どこまで入るものかと不安がりながら前進していくと、やがて腰と腰の間に隙間がなくなった。 「は、入った……の?」 「……っ」 「大丈夫ですか?」 「ええ、私、幸せですわ」 「あ、ありがとう……でも、最初は痛いんじゃあ……」  シロツメさんは愛おしげに腕を伸ばし、俺の首を抱きかかえた。  言葉はいらないってことか……。 「ん……」  シロツメさんと視線を絡めながら、腰を引いていく、抜けるだいぶ手前で止め、再び潜り込む。 「あ、はぁ……」  数度動いただけで、鳥肌が立つような官能が腰回りを包む。  男と女の性器はどちらも粘膜だというのに、こうも感触が違うものなのか。  俺の強ばるモノに、形を持たない不定形の粘液がへばりついてくるようだ。  それは熱く濡れていて、差し込まれた突起を接着する作用でもあるのではないかと思われるほどだった。  だから入れる時だけではなく、抜く時にも引っ張られるような快楽が走った。 「あ……ん……ふぅ……」  未知の感覚に突き入れる。  熱く狭いぬかるみは、どこまでも深く柔らかい。  引き抜く時には、陰茎を膣に吸い上げられるみたいだった。 「ううぅ……」  気を抜くと、あっという間に漏らしそう。  はじめて射精をした時の感覚と似ていた。なんとはなしに性器を弄っているうちに、失禁寸前の不安に襲われるあれだ。 「あっ、あん……んく……あっく……」  かろうじて保っていた腕立ての姿勢は崩れ、肘をついた姿勢で全身でシロツメさんと絡まっている。  もっと深く繋がりたいという欲求が増す。 「好き、ですっ」 「あん……あっ……私も……」  音を立てながら濃厚なキスをする。さっき俺のをじかに愛してくれた唇だが、別に汚いとも思わない。 「んんんっ、んむっ……んちゅ……っ」  キスをしていると、シロツメさんの体がぐったりと弛緩していくのがわかった。  女の人のそんな酔態は、逆に男をガチガチに硬くするらしい。  膣に包まれたままのペニスが、異様なほどに増大しているようだった。 「祐真さん……口づけ、気持ちいいです」 「ずっと生きていてくれたら、何度だってしてあげますよ」  そう言うと、彼女は寂しげに微笑んだ。俺はその笑みを塗り替えたくてたまらなくなった。  カッとしたせいか、腰の動きが上擦り気味に痙攣する。反った部分が同じ箇所をいやと言うほどに摩擦する。 「あ……」  ぐにゃぐにゃに溶けていたシロツメさんが、その時だけは弓なりに硬直する。  つらいのか、いいのか……セックスは快楽を生む行為だけど、彼女は初めてなのだから、必ずしも良いことばかりではないだろう。  酷な責めを打ち切り、鉛が水に沈むようなゆったりとした動きで、奥まで陰茎を沈ませた。 「はぁんっ」  シロツメさんの桜色に染まった口から、安堵のため息が落ちる。 「すごく深くまで、いらしてます……私の奥、じんわり熱くなって……」  〈嫣〉《えん》〈然〉《ぜん》と、それが至福の状態であるかのように顔をほころばせる。 「シロツメさんっ」  豊満な胸をぶら下げているとは思えないほど、細い背中をきつく抱く。するとシロツメさんもまた、俺を力一杯抱き返してくる。  彼女の火照りと、ふたりの間で潰れる乳房を感じる。  そうやって狂おしいほどに肌を合わせながら、腰だけを妖しく蠢かせる。 「んはっ……あっ……はぁ、はぁん……ん……はぁ、はぁ……んっ♪」  不慣れなセックスに、ひやひやしながら腰を振り続けた。  これでいいのか、あまりよくないのか、仮にダメならどうすればいいのか……飛びかかった理性はなかなか明晰な判断を下してはくれない。  ただ不器用に繋がるだけだ。他に、どんな気の利いたこともできない。  シロツメさんと目が合う。 「うふ」  とろんと潤んだ目線が、俺の不安を拭い去ってくれる。この人を好きになって良かったと思う。  またキスをしたくなってしまった。  けど……もう何回もしてる。何度も求めるのは、いやしいだろうか。今さらながら、そんな遠慮もある。  俺とシロツメさんは、まだ恋人としての距離感を体験してはいない。 「……祐真さん」 「え?」  突然、彼女の唇が俺のそれを塞いだ。頭ごと引き寄せられたのだ。 「んぉ……んむっ」 「ん、ふぅ、んちゅ、ちゅ、れろっ」  ……俺が物欲しそうな顔をしていたのか、彼女のカンが鋭いのか、あるいはたまたまか。  とにかく、彼女の懐は俺が考えるよりもずいぶんと深いようだ。  夢中でシロツメさんを〈啜〉《すす》る。唾液を甘く感じるのは、錯覚なのかどうか。本能のままに舌同士をぶつけていく。 「んむっ、ん、あぅむ……んふ、ふっ……んん、ん、ちゅうぅぅ、ちゅ、ちゅ……はむっ」  漏れ出る声には明かな愉悦の色が滲んでいた。 「くっ!」  衝動的に凶暴な欲求が首をもたげ、俺は彼女を首抱きしながら強く腰を叩きつけた。 「ふぁ、祐真さん、祐真さぁん」  そんな声で呼ばれたら脳が溶けるよ……。 「あっ、んっ、んんっ、あっ、んふっ、んんんっ!」  俺の動きはだんだんと大胆なものに変化していく。  より多彩な快楽を求め、浅く突いたり円を描いたりといった変化を織り交ぜていく。ときおり膣の深部まで深く挿入すると、シロツメさんの呼吸が一瞬止まる。 「ああぁ……素敵……きもちいい」  乱れる彼女の呼気が、遅れて吐き出される。 「俺もそうですよ」 「うふふ〜」  笑みを向けられると、心が、体が震える。背中が全面総毛立った。  性に染まった顔で彼女と見つめ合う。 「愛してますよ」  甘える声で俺に愛を囁く。 「俺もです。激ラブです」  応じて、気持ちの丈を身近な言葉にして告げる。  照れくさいし、恥ずかしいやりとり。けど羞恥も一点を超えると、喜びに変わってしまうことを俺は知った。 「まあ、なら私もげきらぶです」 「いや、俺はすごく好きなんです。激ラブって言葉では全部伝えられないですね」 「私なんて、あなたの子供を産んであげたいくらいです」 「本当にそうできたら、どんなに良いか」 「……できるでしょうか?」 「ふたりで協力していけるなら」 「……そうですねぇ」  彼女の笑みから、寂しさを思わせる陰りがふっと消えた瞬間だった。 「愛してます、世界の全てより、あなたひとりを」  神様が口にしてはいけない言葉。  それを俺の魂は、極彩色の感動とともに聞いた。 「なら……絶対に……」  声が震えた。でも、押しとどめることなんてできやしない。 「はい」 「絶対に、あなたを、人にしてみせるから」 「はい」  俺は彼女に宣誓を捧げた。  必ず実現しなければならない。そういう気持ちで、今彼女を抱かないといけないんだ。 「ずっと、こうしていられたら……」 「ええ、そうしましょう」 「けど……もうそろそろ、俺……」  下の口に性器をバキュームされ続け、俺はもう射精寸前の状態だった。 「はい……では、いつでもどうぞ……そのまま、注いでくださいな」  このまま膣内に……いいのか? けど、彼女は……人ではない……いや、違う、そうじゃない。  人に戻ってもらわないといけないんだ。  子供ができるかも知れない。けど、構わないんだ。人の子を授かるなら、それは人だと言えるんだから。 「じゃあ、行きます」 「はいっ」  シロツメさんを抱擁したまま、力強い律動を送り込む。 「あっ、あっ、あっ、すごい、祐真さんっ」  ぐいぐいと腰を振るたびに、シロツメさんの体が上に上にと逃げていく。  追いかけるように覆い被さり、ペニスの先で彼女の奥を舐め続ける。甘美な快楽の味が、脳にジンジンと届いた。 「んっ、ああっ、あっ、んくっ、んっ、んっ、はぁ……あっ、あっ、んんんんんんっ!!」  子宮から出て鼻から抜けるような呻き声がシロツメさんの口から発せられると、俺の睾丸が竦みあがった。  竿の根っこに充満していた劣情が、一気に尿道を駆け上がっていく。  射精。 「くぅぅっ!」 「んぁっ、んっ、あっ……くぅんっ……」  彼女の両脚が、俺の腰に巻き付いた。  俺の陰茎は膣の奥深くに埋没し、そこに精液を長々と吐き出しはじめた。  俺もシロツメさんもぴたりと動きを止め、身震いしながら吐精の瞬間を共有する。 「あ…………はぁぁ……」  永遠の一瞬が過ぎ去ると、ふたりは同時に力を失った。  シロツメさんの乳房に顔を埋め、痺れのような余韻に打ちのめされる。 「はぁ、はぁ、はぁ……」  シロツメさんも身動きひとつしない。ただ喉をぜいぜいとさせて、空気を体内に取り込むことに専心している。 「気持ち、良かった……」  俺の声は、隠しようのない悦楽に震えていた。 「……素晴らしい……体験でした……」  同じような声色でシロツメさんも言う。  どちらからでもなく口を近づけ、奔放に舌先を結びつける。 「ん……んふぅ、ん、んん……ん、ふぅ……んっ」  彼女とするありとあらゆる行為が、ことごとく火花のような興奮を誘う。それはバチバチと想像上の音を立て、頭の中を焦がす。  それにしてもシロツメさんが、こんなに積極的だったとは思わなかった。シロツメさんの態度からは、ふたりで楽しんで気持ちよくなろうという思いが伝わってくる。  どんなに美人であっても、その気持ちがない相手とは今の十分の一ほどの快感も得られないだろう。  セックスって、たぶんそういうものだと思う。  けどこの人は、全力で俺を受け止めてくれた。だったら同じように、全力で生きることができるはずだ。  だから俺は……小さな神様としてではなく、ひとりの人間として生きて欲しいと思った。  人には見せられないくらい貪欲にねろねろと貪りあっていると、また膣内の分身が硬度を増していく。  そうだとも、一回で終わってたまるか。 「あら?」 「一回じゃ全然、おさまらないみたい」 「祐真さんは、やんちゃですものね」 「……否定しませんけどね。でもこういうの、シロツメさんとだけたから」 「わあ、お上手ですねぇ」  俺たちは鼻と鼻をつつかせあって、くすりと笑った。  それが二回戦への符丁となった。 「んふっ、んんんっ」  景気づけにキスをして、調子を確かめるためゆるゆると腰を動かす。  俺の硬度は充分だったし、シロツメさんの中もジュクジュクに熟れて食べ頃のままだった。  抜かずに二度目に入るんだな、と考えるとあまりの淫靡さに胸が膨れた。  小気味よい滑り具合に乗って膣道を出入りする。リズミカルな、一定した動き。 「ん……うん……あっ……」  余裕のある表情をしていたシロツメさんが、みるみるうちに呼吸を乱していく。 「はぁっ、はんっ……んっ、あっ、あっ、あっ」  細切れに吐き出される気息は、間を置かず上擦った悲鳴に取って代わられた。 「あっ、あっ、私、もう、こんなにっ…あっ…ふっ……あああぁぁ」  本人にしてみても予想外の感度だったらしい。情炎にゆるむ表情には、混乱と困惑も浮かんでいた。 「シロツメさん……すごい顔してる……」  それは男をどこまでも高ぶらせる顔だ。俺以外の誰にも、そんな顔は見せたくない。 「はぁ……だって、すごい……自分を、見失ってしまいそうで……はぁんっ」  言われてみると、膣の締めつけが最初に比べて『みっちり』してきている気がした。  膣径が狭まっているし、亀頭が奥をぐいぐい押してる感じがある。全体的にサイズがしぼんでいるようなのだ。  なんか、凄いぞこれ?  もっとその小径を味わいたくて、シロツメさんの太ももを抱えあげた。  挿入したままの剛直が、ぐにぃ、と膣肉をひん曲げる。 「あひっ……うううううっ!」  突如、歯を食いしばって何かに耐えはじめる。 「シロツメさん?」 「あっ……あっ……あ……きちゃ、きちゃうぅぅっ……」  俺は体位を変えただけで、他にはまったく動いていない。なのになぜ?  困惑しているうちに、彼女の体がひきつけを起こしたようになった。 「あ…………あく…………あ………………あぁぁ…………」  少し遅れて、シロツメさんの二の腕あたりにざっと鳥肌が立つ。まさか……イッたの? 「大丈夫ですか?」 「はぁ、はぁ、はぁん、あん、ん……あはぁ♪」  こちらの問いにも、答えられないようだ。  感涙に潤んだ瞳を、相変わらずの一途さで俺に向けている。 「シロツメさん……可愛すぎ」  彼女の脚を肩に担ぐ。かかとのあたりを肩に乗せると、いい塩梅になった。 「あんっ」  シロツメさんは協力的だった。柳の枝がまとわりつくように、美脚を預けられた。  古風な彼女にとって、足を高々と突き上げる姿勢は恥ずかしいはずなのに、全幅の信頼をこめて体を開いてくれている。きっと、頼めばどんな痴態でも見せてくれるんだろう。  俺の『好き』がこの人の『好き』に負けないように、気を抜くことなく愛情を注いでいこう。 「動きますね」  腕を伸ばして突き、扇に広げた膝立ちで腰を打ち込む。ペニスが今までと異なる角度で膣を貫き、奥のやや上あたりにあるしこりを容赦なく責めた。 「きゃんっ♪」  悲鳴と歓喜がないまぜになったかん高い声が、俺の鼓膜ばかりか劣情をも震わせた。  すっごい反応……。 「う、ううっ」  深々と埋めては抜く動きが連続し、腰が大きく波打つ。 「ああっ♪ あっ、んっ! んんんっ……あふっ…あっ、あん、きゃあっ♪」  喜悦をともなって弾む悲鳴。媚薬のような声に、俺はますます興奮を強め、前後の動きを加速していく。  単純な前後運動ではなく、こころもち8の字を描く感覚で揺する。スムーズに膣内を巡り、内壁をあますところなくひっかいていく。  シロツメさんの肉感的な肢体が、俺の動きを受けてバネのごとくたわんだ。 「あっ、あっ、あっ、あっ、あうっ、んっ、ああああぁぁぁ……」  またシロツメさんの声が切迫したものに変化していく。構わず突き続ける。  あっけなく、彼女は達した。 「あぁぁぁ……ふううぅんっ……」  眉をぎゅっと引き寄せて、切なげに唇を噛んでいた。  小さなエクスタシーが連続して彼女に訪れているようだった。  動きを止めると、ピクピクと襞が蠢いているのがわかった。 「こんなきもちいいの、生まれてはじめてですぅ」  呂律の回らない口調が、童女みたいだった。 「……ッ!」  本能がもっと愛せと叫んでいる。素直に従い、彼女の狭い道に投身するように潜り込む。 「あっ、んっ、あっ、ああっ……はぁぁぁ♪ んうっ、おっ、あっ、ひゃん、ひんっ、んっく!」  千変万化に移り変わる嬌声を聞きたい一心で、俺の挿しいれる角度は一突きごとに無秩序に変化した。  反応が大きいなと思われた角度は、これみよがしに集中砲火を加えた。すると。 「あはああぁぁぁぁ……」  容易く達して、全身を痙攣させる。  固くしこった乳首が淫らに震え、ぱっくりと開いた唇からはしどけなくヨダレを垂らす。  キスをするかわりに、肩に乗った彼女の細っこい足首を吸った。 「はぁぁ……祐真、さぁん……あっ、んあ…ん、くぅ…………あぁ、また……また、きちゃいそうですぅ……」  さっきまでは唇を噛みしめて声を抑えている風だったが、シロツメさんはもう小さな絶頂ひとつ耐えきる力がないようだ。  四肢が脱力しつつあり、目前に迫った性の爆発をこらえる素振りさえ見せない。 「あ……ほらぁ、もう私……ふるえて……ひっ、ひあ…あ……あぁぁぁ……」 「…………ん、うううぅぅぅぅぅぅぅっ!」 「お……」  膣圧が急激に高まり、結合部に水しぶきがあがる。  達している最中もインサートを続行した。  シロツメさんの上体は声もなくよじれ、片方の肩が浮いた。 「……きゃっ……っ」  またシロツメさんは登り詰める。もう止まらないようだった。  そして俺もまた、彼女を沸騰させることに没入していった。 「ふぁ……また……またぁ……ひうぅぅぅぅ」  一分ごとに達した。 「……あっ、ああぁぁぁぁ……しんじゃう、しんじゃいますっ……」  汗、唾液、愛液。あらゆる体液を漏らしながらむせび泣いた。 「うああぁぁぁぁ、あぁぁぁぁぁぁ、あああぁ、あああぁぁぁぁぁぁ」  愉悦の波に高みに押し上げられ、獣のように呻いた。 「……は……はぁ…………あ……ひ……ぁ…はふ……くぅ……!」  濃密な官能が、ごく短い時間に一気に押し寄せ去っていった。  腰を止めることができたのはたまたまだった。  俺はまだ二度目の絶頂に至っていないし、彼女も最後の大波を迎えてはいなかった。  ただそれはすぐ鼻先に迫っている。 「……ああ……もう……このまま……じっとしてても……いっちゃいそう……祐真、さん……ッ」 「俺も……そんなとこです……」  休めば持続時間が回復するという局面は過ぎ去っていた。  引き抜けばその衝撃で達するだろうし、あと数度往復しただけでやはり俺たちは弾けてしまうという有り様だ。  けれど停止していても、ジリジリとではあるが終わりが接近してくる。 「ああぁ……くる……きますぅ……あん……だめ……あっ……」  顎を突き出して喘ぐシロツメさんは、もう本当にあとがないようだ。  虚ろな視線が俺の胸板あたりを彷徨うばかりで、まるで焦点を結ばない。 「……シロツメさん!」  どうせイクなら、俺がイカせたい。  彼女にのしかかり、スリコギの動きで腰をなすりつけた。 「あはぁん♪」  シロツメさんが甘やかな鼻声で鳴いた。  限界まであまり余裕がない。俺はがむしゃらに腰を捻り、ねじこみ、かき混ぜた。 「あっ、あんっ、はぁんっ…ひゃ、あぁんっ、あっ、あっ、あああっ♪」 「シロツメさん……出るっ!」  上昇していく性感を意識しながら、猛然と律動を送り込んだ。 「あっ、あっ、あんっ、はんっ……んんっ♪ あふん、きゃ、あんっ、はぁぁぁぁぁんっ!!」  シロツメさんの呼吸がぴたりと止まる。肩に乗った両足が、俺の頭を左右から挟み込む。  膣の締めつけは、それ以上に強く俺のペニスに負荷をかけた。 「くぅっ!!」  シロツメさんの子宮と壁一枚隔てただけの場所に、俺は長く激しく精を放つ。  本当ならもっと何度でも愛しあえる気がした。  だってはじめてなんだから……これだけの高まりが、俺を突き動かしているんだから。  けど……彼女を人に導かないとならない。全てを忘れて〈睦〉《むつ》みあうために、そうするんだ。  だから今は、これで全てを吐き出すつもりだった。  射精中も自然と腰が跳ねた。  そのたびに、新鮮な精液が肉欲の源から引っ張り出されて、彼女の子宮に向けて流れ込んでいった。  きゅう、と膣が小さく鳴っていた。膣に入った空気が、精液によって漏出したかのようだった。 「あ……あぁ……はっ…………はぁぁぁ……」  完全に、睾丸がカラになるほど出し切って、俺はようやく性器を抜き取った。  ふたり分の体液が混じって白いあぶくとなったものが、肉棒に引っ張られて逆流してきた。  シロツメさんの足首を掴んで広げ、その淫靡な光景を網膜に焼き付ける。 「……やぁ……そんな、見られたら……恥ずかしいです……」 「はは……」  いかんいかん、今すごくワイルドなテンションになってた。  赤面しながら足首を揃えて草むらにおろす。  ちょうどその時、火照った体を冷ますかのようにゆるやかな風が吹きつけてきた。 「あ、風……」  しばらくその恩恵に身を浸した。  汗が乾く頃になると、乱れた呼吸も整っていた。  寝そべったままのシロツメさんが、あぐらをかいていた俺の膝の皿を、指先でこしょこしょとくすぐった。 「わあ、なんです?」 「うふふふふ〜♪」  顔に『幸せいっぱいです』と大書きしてあった。 「……ん……こほん」  どうも俺にはプレイボーイの才能はないようで、笑い返そうとしてぎこちなく口の端が歪んでしまった。  かわりに、手を伸ばしてシロツメさんと指を絡めた。 「えっち〜、しちゃいましたねぇ〜?」 「そ、そうですね……一説によると」 「いっぱいしちゃいましたねぇ〜?」 「そ、そうらしいですね……噂では」 「気持ちよかったですねぇ」 「か、風の便りでそう聞きますね」  俺のてのひらを占うように開いて、指先で渦巻きマークを描く。こそばゆい。 「照れ屋さん〜♪」 「ああ、もう、俺はシャイなんですよう!」  あまりの羞恥に、片手で顔を覆った。 「〈睦〉《むつ》みあっている最中は、いろいろ嬉しいことを言ってくださったのに〜?」 「それ、レア台詞なんです……そういうことにしといてください」 「うふふ〜、あなた」  あなた。 「は、はい!」  過剰反応してしまうほどに嬉しい響きだった。 「ねえアナタ? なあおまえ? の関係ですね〜」 「阿吽の呼吸ってことですかね」 「おしどり夫婦ですわね〜」 「……ありがとう、シロツメさん」 「はい、こちらこそ。とても貴重で、すがすがしい体験でした。是非またお相手していただきたく」  普段のシロツメさんだったら三つ指ついて頭を下げそうな言葉だ。  寝そべったまま乳房さえ放り出し、まるで南国の奔放な恋人たちみたいなルーズな空気の中で言うその態度に……一線を越えた者同士の距離感、親しみを感じた。 「そのために、あとは……生き残るだけですね」 「仮にここで散ってももう悔いはありませんが、その通りです」  ふと不安になって目線を合わせる。 「……ダメですよ、諦めたら」 「はい〜」  大丈夫かな……どうも軽いんだよな、この人。 「ねえ、あなた?」  耳がこそばゆくなるような声色。俺は無意味に嬉しくなる。 「はい?」 「そこはー、優しく『なんだいおまえ?』って言って欲しいですー」  と絡まりっぱなしの俺の指をくにゃくにゃと弄んだ。 「ああ、それでは……な、なんだいおまえ?」  時代が違いすぎないか? 「あのですねぇ……私の唇が、すごく無防備に寂しがってるみたいなんですけど〜?」 「…………」  なんて愛くるしいことを言い出すんだこの人は。一秒ごとに好きという気持ちが更新されてしまうじゃないか。  とにかく寂しさを補填すること自体に異論はない。  身を倒して、シロツメさんの唇を吸った。 「ちゅ、ちゅう……んちゅ……ちゅ」  軽く連続するキス。気分がまったりしている時には、こういうのもいい。 「うふふふふふ〜♪」 「笑ってばっかり」 「あなただって、ずっとにまにましっぱなしですー」  げ、そうだったのか。自分じゃ気がつかなかった。  だって……シロツメさんへの告白。そして性の営み。投げ掛けあった愛の言葉の数々。  それらひとつひとつを反芻するたび、俺の胸にじんわりとした暖かみが灯る。  全部なんらかの方法で記録保存しておきたいくらいだ。  彼女の言葉、仕草、態度、声……ああ、全てを完全に記憶できる記憶力があればいいのに。 「……生きてて良かったあ」 「……プチ神様やってて良かったあ」  俺はつい吹き出してしまった。 「プチ神様って!」  確かにそんな感じだけどさ。  ふたりでしばらく笑いさざめいていると。 「死にませんよ」 「……え?」  ほとんどいきなりのタイミングで、そんな決意を口にする。  指絡めをほどき、シロツメさんはころんと反転。  草原の少女さながらに立て肘に顎を乗せ、目の動きだけで俺を見つめる。  笑みの基礎は残しつつも、どこか真面目な顔を見せて。 「……本当に?」 「ええ。少なくとも、最初から諦めるようなことはいたしません」 「全力であなたのもとに戻って参りますよ、このシロツメは」 「うん……それ、マックスに期待。いや、そうならないとイヤ」 「それじゃあですね……渋ーい声で『シロツメ、必ず俺のもとに戻ってこい』って言ってくださいな♪」 「なぜ渋い声……」 「いいから、早くお願いします〜」  渋い声なんて俺声色ライブラリーにあったかな?  できるだけ低い声で告げる。 「シロツメ、必ず俺のもとに帰ってこい」  シロツメさんは破顔一笑して、狂ったようにごろごろと転がり回る。 「ちょっとそこの元神様! 何? どうしたの?」 「今の祐真さん、可愛いカッコイイ〜!」 「どあ……」  遊ばれた!  しかも萌えられたっぽい。 「じゃあ次はワイルドな〈胴〉《どう》〈間〉《ま》〈声〉《ごえ》で『戻ってきたら、またぶちこんでやるワイ』と」 「山賊じゃん! 全然格好良くない!」 「そういうのもいいものですよ?」 「下品! 下品です!」 「……あれだけのことをしておいて〜?」  それを言われるとぐうの音も出ないが。 「言ーえ! 言ーえ!」  単身はやし立ててくるよこの人。  くそ……俺はそんな下品な男とは違う!  俺が言うとしたら……そう、俺が言うんだったら……。  考えているうちに、言葉にしていなかった気持ちが充満してきた。  ほとんど憤然として見える勢いで立ち上がる。 「……俺はシロツメさんともっと何度でもHしたい。こんなんじゃ……全然足りないよ」 「ほ……?」  ごろごろしていた彼女の動きがぴたりと止まった。 「好きなんだよ。愛してる。一瞬の愛じゃなくて、ずっと続く愛ですよ?」 「あの、ちょいとお待ちに……」 「最初は怪しい人だって思ってた。けどつきあいが深まると、段々としょうがない人だなって思うようになって、それで最後は気になる人になってた」 「それもこれも、シロツメさんの奇行が俺たちのことを案じての行動だってわかったからだ」 「あらあ〜?」 「あなたは小さな俺たち兄妹のことを気にして、餓えて死ぬかも知れないってのに毎度毎度人里まで降りてきて……もうバカかってくらいで」 「俺はたいがい鈍いヤツだと思うけど、自分のことを気に掛けてくれる人を好きにならないほどの木偶人形じゃないよ!」 「こ、この展開は……いったい……?」 「残念でした! 小鳥遊さんとくっつける前に、記憶とやらを取り戻す前に、俺はシロツメさんを全開で好きになってしまっていたのです!」  なんか楽しくなってきたぞ。 「シロツメさんは、頑張りすぎなんだ! 昔のこともそうだけど、人でなくなったあとにまで仕事をして……その失敗の後始末を自分でして……」 「人に尽くしてばかりじゃないか! 人間にだって老後があるのに、じゃあシロツメさんはいつ自分の幸せを手に入れればいいってんだ!?」 「……あうあうあう」 「ふたりいれば人間は簡単に幸せになれるんだよ!」 「だから……だからさ! それを俺が手伝ってあげるってのは、俺からシロツメさんにプレゼントできるささやかな、人力の奇跡なんだよ!」 「……まうまうまう」 「四ツ葉のクローバーの奇跡、神秘的で、大いに結構! けど俺があなたに渡すのは、何の変哲もないしがない三ツ葉のクローバーです」 「だって三ツ葉だったら、恋占いをしても好き嫌い好きで恋が成立するんです!」 「ゆ、祐真さんが……壊れたぁぁ……」  草原いっぱいに広がるくらいの大声を張り上げる。 「俺の幸せに奇跡はいらないんだ! 俺はただ……人間としてシロツメさんと愛しあいたいんだ!」 「そのためには、なんとしてもシロツメさんに生還してもらわないといけないんだ! シロツメさんはそのことをもっと重くとらえるべきだよ!」 「あ? え? はい……」 「生まれてはじめて異性を愛したって感じなんだ! この感動は……最高だ! 人を好きになって、人を愛していくってことを、シロツメさんと学んでいきたい!」 「だから……戻ってきてくれよ、俺のところにーーーーっ!!」  ジンとした余韻が、全身を支配している。  性の震えとは違う、感情の快楽が俺を貫いたのだ。  言いたいこと全部言い切ってやったわ。 「あ……あはははは………は………」  珍しくシロツメさんが処理落ちしてる。どうしたんだ? 「さすがに……ちょっと……キザだったかな?」 「ぃぇ……そんにゃ……」  そんにゃ? そんな……か? 噛んでる? 「ですから……」  言葉に詰まったかと思うと、その顔がぐらぐらと煮えて朱色になっていく。おおっ!? 「……………………ッ!」  真っ赤になりすぎて目鼻が見えないってことがあるんだな。へえー、勉強になる。  このまま放っておいたらどうなっちゃうんだ? 「おおおおっ(お気持ち)、うううう(嬉しく)、おもおもおもおもっ(思います)……!」  シロツメさんは何とか会話を進めて平常心を取り戻そうとして……そして。 「……………………」  羞恥に沈没した。 「何かご返答ございましたら」 「……参りました…………直球は……私……人間だった頃から……苦手で……」 「勝った」 「……まけ」 「じゃあシロツメさん、生存ってことで!」  親指を立てる。 「……はい、します……しますから……がんばりますから……」  両手で俺の拳を挟み、シロツメさんは言ってくれた。 「オッケーです。よろしく」 「……本当にもう……あなたときたら……」  やんちゃな弟を見つめる目で、シロツメさんは俺を見た。まだほんのり赤味が残る頬を隠しもせずに。 「これは?」 「はじまりましたか……」 「シロツメさん、まさかこれ?」 「はい……ガーデンの、崩壊ですね」 「とうとう……」  地震が大きくなっていく。建造物がないからそう危険はないが、そろそろ立っているのがきつくなってきたあたりで……天が割れた。 「おおおっ!?」 「私の気持ちが揺らいだ時が、ガーデンの終わり……私もまた、人への回帰を望んでいる? だから崩壊がこんな早くはじまった……?」 「それとも……私が、乙女ではなくなったから……?」 「どうします?」 「祐真さん、あなただけでも、今のうちに現世に……」  俺は無言のまま、シロツメさんの腰にしんなり抱きついた。 「やわっこい。すき」 「……避難する気、ありませんですか」 「一蓮托生。あと……諦め防止の保険」  シロツメさんは生に対する執着が薄いと思うから、諦めてしまわないように、甘えまくってやる。 「……しかたない人……でも」  この時だけ、彼女は母親のように笑った。 「生き残れたら私、あなたのこと一生離しませんからね……」 「願ったり叶ったりだ、それ」  崩れゆく天上。  裂ける地表。  噴き上がって散じるクローバー。  ガーデンの崩壊が、はじまろうとしていた。  俺たちは、世界の崩落を気にするでもなしに、抱擁しあって唇を重ねていた。 「あ……?」  気がつくと、俺は暗闇の中に立っていた。  立っている?  俺は本当に直立しているんだろうか?  上下の感覚が曖昧でよくわからない。  地面を踏みしめているような気もするし、宙を漂っているようにも思う。  そうだ、彼女は? 「……シロツメさん?」 「はい」  声はすぐ近くから聞こえてきた。  けど姿は完全な闇に覆い隠されて、まったく見ることができない。 「どこにいるんですか?」 「すぐそばにいますよ。手を繋いでいるじゃないですか」  手?  ぼやけた右腕の感覚を辿ってみると、どうやらシロツメさんの手を握っているようだ。 「見えない……シロツメさんは俺のこと見えますか?」 「見えません。ガーデンが崩れて、闇に戻ってしまったようです」 「手、離さないでください。まったく見えないんです」 「……」  体の側面に、何か温かいものが張りついた。 「わっ?」 「私です」  シロツメさんが……俺の体に寄り添ってくれたようだ。  驚いたことに、密着しているはずなのにその姿がまったく見えないのだ。 「これでも見えないだなんて……ここはいったい?」 「ここはいわゆる空いている世界なんです」 「世界のあちらこちらから繋がっている袋小路のような場所で、私のガーデンもその空き世界を利用して〈創〉《つく》られていたものです」 「小さな異次元空間みたいなものですか」 「ええ、そうお考えください」 「現実世界が生まれた時に使われなかった、余りのような領域なのでしょう」 「神隠しや、古い神話にある高天原など、案外こうした空間にゆかりの伝承なのではないでしょうか」 「俺たちは崩壊に巻き込まれてしまったんですか? もしかして……これって死亡と変わりない状態だったり?」 「元の世界に繋がってはいるはずですから、帰ろうという意識があれば、自然と魂はそちらに寄っていくはずです」 「魂というものには、無の世界を漂う力があるのです」 「気を強く持てってことですか。まあそれなら、今は有り余るほどに」 「諦めずに歩いていけば、いつかはきっと戻れます」 「もしかすると、その途中で割れた世界の断片を踏んでしまうこともあるかも知れません。その時、一時的に混乱してしまうようなことが起こることもあります」 「祐真さん、どうか気をしっかりと持っていてください」  ぎゅっと、見えないシロツメさんの抱きしめる力が増した。 「はい……もちろんです。一緒に帰りましょう」 「はい……」  こうして俺たちは歩き出す。  進み出すという方が正解かも知れない。  歩いている、ような気はする。けど体が前進している感じはまったくしない。風や移り変わる風景がないせいだ。  気持ちだけが体を抜けて前倒しになっているだけような、そんな錯覚を引き起こす。 「シロツメさん、います?」 「ええ、ずっとそばに」  体の片側を温めている肌触りは、今の俺にとって全てだ。  このぬくもりを、現実世界に連れて帰るんだ。 「シロツメさん」 「はーい」 「好きです」 「私もです」  声をかけあいながら、前を目指す。  時間の感覚もない。完全な闇は、事態の変化を告げ知らせない。  進んでいるのか、もしかするととうの昔に停止したままなんじゃないか?  その不安さえも確かめて解消する術がない。  ……これは、きつい。シロツメさんがあれだけ念押しするわけだ。  何もない狭い部屋に閉じこめられると、人は精神を病むというけど、その気持ちが今の俺にはわかる。  ひとりなら、とうてい耐えられなかっただろうな。  前に会話してから一分が過ぎたのか、あるいは一時間が去ったのか。そんなことさえも……。  まだ彼女は俺のそばにいてくれるんだろうか?  ぬくもり……シロツメさんの体温は、俺に寄りかかってくれているのか?  体温の有無さえ錯誤してしまっていた。 「シ、シロツメさん?」 「……はい」  声が返ってきて安心する。 「良かった、いてくれて」 「このくらい、まだまだ平気ですから」  シロツメさんも苦しいんだな……俺がしっかりしないと。  進む。  ひたすら進むことを意識して、変化が訪れるのを待つ。  脳裏をよぎるのは、色彩のことばかりだ。  世界の色。植物の緑、空の青、色とりどりに立ち並ぶ建物……そしてシロツメさんの、白い肌と美しい肢体。  当たり前の光景に、今の俺は乾いている。  まだか。進む。まだ戻らないか。進むことだけを思う。 「シロツメさぁん……」 「…………」  返事がない。 「シロツメさんっ?」 「……あ、はい?」 「どうしました?」 「ちょっと、ぼんやりとしてしまって……ごめんなさい」 「つらいんだったら、俺にもっと体重かけてください。少しでも楽になりますから」 「ここでは気持ちだけが作用するんです。だから〈目方〉《めかた》はそんなに関係は……でもありがとうございます」  そうなのか……腕には、かすかに重みを感じるんだけどな……錯覚なのかこれ。 「じゃあ、シロツメさんも気を強く持って……」 「ええ、そのつもりです」  今、シロツメさんがいないのかもって一瞬思って、寒気がするほどぞっとした。  あってはならないことだし、もしそうなったら俺は……。  腕にまとわる体温。柔らかさ。そんなものに気を向ける。俺の幸せ。俺の全て。自分の命と同じくらい、持って帰らないといけないもの。  念じるように歩く。  せめて……重み……重みだけでも感じられたなら。  体の重さが下を意識させ、シロツメさんの肉体を想起させてくれるはずなのに。  今、彼女を知覚しているのは本当の体重じゃない。  シロツメさんの魂の密度が、俺が知っている身体感覚にすげ変わっているだけだ。  慣れない。  自己を固定する肉体が恋しい。暗闇の中で、俺は輪郭さえもなくしているに違いなかった。  いつしか会話する気力も削られて、黙々と歩くだけになる。  どれくらい進んだのだろうか?  正直、丸一日経っていると言われても違和感がない。  戻るんだ。  元の世界に、戻るんだ。  シロツメさんと、一緒に! 「……あれ?」  シロツメさんの感触が……軽く……なってないか? 「もしもし、シロツメさん?」 「……ぁ……」  疲労に喘ぐ声だった。 「大丈夫ですか? なんか、存在感が……薄いんですけど?」  存在感が薄いというのは、この空間では『軽い』印象になるのだった。 「……はぃ……私……ぼっとしてて……」  明らかに声から力がなくなってる。  病気? いや、そんなことはないはずだ。  考えられるとしたら……ガーデンの崩壊がシロツメさん自身のそれと繋がっている……ということだ。  シロツメさんが人に戻れるかどうか。  彼女がすでにガーデンと不可分の存在になってしまったのかどうか。  結果は、俺にもわからない。ただ助けたいという決意だけがある。 「シロツメさん!」  俺は彼女の感触を両腕で抱きかかえる。  細い……それに小さい!  存在自体が縮小しているんじゃないのか? 「…………」  だけど腕の中でシロツメさんは、まだ確かに息づいている! 「消えさせない……そんな簡単に」  再び進む。  焦燥と怒りと情愛が、俺にいつにない意志の力を与えてくれる。  抜けろ……こんな暗闇、さっさと抜けろ!  黙々と魂を駆動させる。  また長い主観的な時間が過ぎる。  胸に抱えている細い体が、今となっては人の形をしているのかどうかさえもわからない。  それは確実に軽くなっていっているようだ。  けどまだ芯は熱い。  第二の心臓のように、トクントクンと鼓動している。  保ってくれ、一秒でも長く。 「……シロツメさん、あなたには生き残って俺と生きてもらわないと……」  話しかける。  そのたびに、もぞり、と応じるように塊が蠢いた。  小さな反応だけでも、俺には嬉しい。  まだシロツメさんは、いなくなってはいない。  歩く。話しかけながら歩く。  話す内容はいろいろだ。生活のこと、学校のこと、食べ物のこと。  語りかけることに意味があると信じて。  やがて……闇の中に変化が訪れる。 「…………」  最初はそれが変化だとは気付かなかった。認知できなかった。 「……光、か?」  目前の天頂近くにかかる空間の『抜け』が、光の粒であることを理解するまで、呆れるほどの時間を要した。  それほど変化のない時間に、精神が馴染んでいたんだろう。 「上方向か……」  無限の長さを持つ梯子でもなければ、とうてい届くことのない場所。  だけどここは無の空間だった。  上もなければ下もない。概念だけで滑る魂の場だ。  光を目指す。  そう意識するだけで、地軸がせり上がって無限の坂道が目の前にそそり立つ。  歩き出せば、坂は俺を乗せたまま平地と化す。  希望の光が目線と水平に並んでいた。 「シロツメさん、出口だ!」  小さなシロツメさんが、かすかに震える。  俺はなおいっそう、歩みを早めた。  光はなかなか大きくなってはくれなかった。  砂漠で追いかける蜃気楼のような虚しさが、心をよぎる。  それを意志の力で踏みにじって、心を希望に染めて進んだ。  あそこは出口だ。  光を目指せ。  少しずつ光量は増している。それは穴だ。光射す世界へ通じる。  だが進むごとにシロツメさんが軽くなっていくことだけは、無視しきることはできなかった。  焦り、急ぐ旅路。いつしか言葉もなくなる。  両腕に羽のような重さしか感じなくなった頃、ようやくマンホール大に迫った光に身を滑らせることができた。  そして……。  闇を抜けたあとは……一転して光の世界。  そう、そこには光しか存在しなかった。 「くー……!」  眩しくて目を開けていられない。  片手をひさしにしても、なおまったくまぶたを持ち上げられないくらいだ。  それでも時間が経つと、少しずつ慣れてくる。 「光じゃない……雪か……これ?」  闇を抜けてあらわれたのは、一面の雪景だった。  そんな文学があったような気がするけど……。 「……あれ?」  シロツメさんがいない。さっきまで、確かに抱きかかえていたはずなのに。  一瞬で血の気が引いていく。 「シロツメさん! シロツメさん!」  周囲を見渡す。  終わることのない雪景色。地平線のようなものが見えないのは、天から不純物のない白光が降り注いでいるせいだろうか。  全周囲の白なのだ。  唯一さっきと異なるのは、今は確かに地面があって、そこに物質としての雪が降り積もっていることだ。 「雪……」  天啓にも似た閃きが、俺に囁いた。  シロツメさんが、雪の下にいるような気がした。  それは今までの流れからすると、まったく〈荒〉《こう》〈唐〉《とう》〈無〉《む》〈稽〉《けい》な発想ではあったが、なぜか直感的に正しいのだろうと思えた。  なぜだろうか。それはきっと、ここがまだ現世ではないからだ。  魂の状態次第で、居場所が移ろう世界。  雪も実際の雪ではないはずだ。  触れてみる。冷たいような気がした。  かきわけてみる。いくら掘っても、地面が出てこなかった。  驚くには値しない。そういう場所なんだから。  雪をかきわける。長くそうしていると、冷たさが指先を苛む。  冷たさは、この世界でも再現されていた。  あるいは魂が冷えていくのか。その結果、俺はどうなるのか。  ……考えるな。掘るんだ。  雪をかきわける。左右に小山ができる頃には、俺の身も穴に落ち窪んでいく。  雪中でも、明るさは変わらない。  視界が暗くなることはなかった。  どこまでも掘っていける。  ……指先が痛い。  どれだけ掘ったろうか。わかるはずもない。  気の遠くなる時間を暗闇に漂い、今度は雪の中を旅している。  滑稽だ。けど真剣なんだ。 「シロツメさん」  彼女を求めて掘る。いつかは、どこかにいる彼女のもとに近づいていける。  しかし闇は無を意味しているのだとわかる。  雪というのは何だろう?  この幻想郷には、どういった意味があるのか……。  雪。永郷市に降る雪。そういえば、いつだか雪かきをしたな……誰かと。  ……誰とだ?  思い出せない。今はやることがあるからか。  手は動く。いくらでも動いてくれる。  体は鍛えてある。誰かが鍛えてくれた。  ……誰がだ?  考えるのはよそう。  現世のことは、現世に戻ってから考えればいい。  掘る。掘るなら。掘れば。掘ったとき。  手が止まる。 「……これは」  雪以外のものが出てきた。  ……クローバー。  なぜこんなところに?  しかも千切れたものじゃない。  じかに、雪中から生えている。  ガーデンが崩壊した時に、四つ葉のクローバーが舞っていた。  あれが俺の体にひっついて、今知らないうちに落ちたのか?  それともシロツメさんの方に? 「あ……」  触れた瞬間、懐かしさで体中があったかくなった。  このクローバーは、この上なく良いものらしい。  茎にそって雪をわけていく。  根っこごと、どこも切らないように取り出すことができた。  大事に抱え持つ。 「シロツメさんの気配がする」  もしかするとこのクローバー自体が、シロツメさんのなれの果てなのかな。  それはとても悲しい結末だ。  けど完全な無よりはましだ……そう思わなければ、やりきれない。  この子を、どうしてやったらいいだろう? 「……そうだ、寮の中庭に植えてやろう」  あそこなら日当たりもいいし、窓から視界が通るからよく見てやれる。  いいアイデアだ。是非そうしよう。  俺が普段通りの暮らしに戻ったのは、間もないことだった。  終わってみるとずいぶん呆気ないことだ。  苦労をした気もするし、楽だったようにも思う。  喉元過ぎれば熱さ……俺の場合は寒さと暗さか……を忘れるということだ。  あのクローバーは中庭に埋めた。  そこなら、部屋の窓からいつでも見守ることができる。  けど見守るだけじゃない。  毎日の慌ただしい生活を、そんな小さな幸せが、支えてくれるだろう。  これからは悲しいことを何も考えずに暮らし、当たり前の人生を歩んでいこう。 「やあ天川君、何をしているんだい?」 「ああ恋路橋、あのクローバーを見てくれよ」  恋路橋は、窓から庭を眺めやった。 「どうしたんだい、あのクローバー?」 「さあ……」 「それより、食堂に行こうよ」 「そうだな……そうするか、腹も減ったし」  俺たちは食堂へと向かった。  食堂はいつもの通り人で溢れていた。 「先輩、なんだか久しぶりですね」 「ああ、そうか?」 「……違いましたっけ?」  どうだったろうか。 「……」  先輩は肩をすくめると、カラになったトレイを手にカウンターに向かった。  そういえは今日は、何日なんだろう?  ぎゃあぎゃあどやどやがやがやがや。  テレビの音声と、リビングに集まっている寮生連中のざわめきは止まることがない。  テーブルを使ってカードや盤ゲームをしている連中。  携帯をいじってる奴。  小さなゲーム機を繋げて対戦してる者。  夜はだいたいこんな風景で変わらない。 「天川ー、今週のゴミ当番って誰なの? あふれてるんだけど」 「ええと……俺がやっときましょうか?」 「頼める? もー、自分の仕事はちゃんとやんなさいってのよねー」 「そうですね……」  後ろで先生が広く文句を垂れているのを、俺はゴミを片づけながら聞き流す。 「それ、自分に言ってるの?」 「ちょ、今の誰よー!」  俺は月姉の部屋にいた。 「ねえ、今日って何日だっけ?」 「さあ……?」 「月姉って、今日は学校に行った?」 「もちろん。毎日通ってるじゃない。当たり前でしょ?」 「当たり前、だから、記憶がないのかな……」 「惰性みたいなもんでしょ、学校なんて」  月姉は膝の上に置いた雑誌のページをめくった。 「大切なことを忘れている気がしてならないんだよ」 「疲れてるんだって。早めに寝たら?」 「……今日って何日だっけ?」 「てきとう日」  俺は透明な膜に包まれたみたいな気分になっていた。  腕を伸ばしても突き抜けることもなく、柔軟に伸びて俺を閉じこめ続ける……重く分厚い膜。  世界の全ての感触が失われ、色褪せ、遠のいたイメージ。  けど違和感を拭い去ろうとしても、つかみ所のない疑問は人に伝えるための言葉をなしてくれない。 「……ははっ」  乾いた笑いが、空虚に響いた。 「……あの?」 「ええと、小鳥遊さん、だったね」 「そうですけど」 「君って、俺の何だっけ?」 「……意味がわかりません」 「だから、君は俺にとっての何者かなんだろ? 細かいことはともかく、そうなんだって俺は覚えてて……聞かされたんだ」 「ナンパか何かでしょうか?」 「ナンパ? いや、違うはずだけど……」  違ったか?  ナンパ、だったよう気もする。  でも俺がナンパするなんて、あり得ることなんだろうか?  現実味が感じられない。  けど意識のどこかで、小鳥遊さんとナンパという言葉が繋がっている気がした。 「聞いたんだよ、君が俺の、その…………だって」 「なんですって?」 「何かだよ」  うまく話すことができないのがもどかしい。  どうしてこんな俺になってしまったんだろう。  もしかしてこの不安は、気にしなくてもいいものなのだろうか? 「誰に言われたんです?」 「……」  わかれば苦労しない。  いや、それこそがまさにこのモヤモヤの正体なんじゃないかとさえ思う。 「俺は、大切なことを忘れているんだ……」 「私みたいに?」 「え?」 「……」  彼女は大きな悲しみを抱えている。  だけど本人は、その正体にまるで気付いていないらしい。  過ぎ去った日々にある悲しみを、どうやって解きほぐしたらいいんだろう。  俺にできることじゃない。ただそう感じていた。  曖昧なまま俺は日常に没頭した。  どこまでも平坦な寮での暮らしが、俺の中でちくちくと蠢く疑問を摩耗させていった。  世界は霞んでいた。  何夜を経ても溶けることのない、街を覆う雪のせいなのかも知れなかった。  釈然としない毎日。だが大切な日々。  そう信じて生き抜くしかなかった。  ある意味、俺は嘘をついている。  けど世界も俺に嘘をついていた。  この抜け殻のような毎日を、心の底から憎んだ。  だけど心の底には穴が空いていて、憎しみのよりどころを失っていた。  そうだ、わかってる。  この世界はニセモノだ。  きっと俺自身の認識が作り出した、搾りかすのような幻影に過ぎない。  わかりきったことだ。  消えようとしている。  俺にまつわる不可思議な自称が。  すべて無に還ってしまいそうになっている。  窓からクローバーを眺める。  庭先に寂しげに揺れるクローバーは、枯れつつあった。  水をいくらやっても効き目がない。  枯れていくのを、どうすることもできずに眺めていた。  寮での暮らしは終わらない。  それはきっと、俺が寮から先の世界を知らないせいだ。  俺の人生観は寮で止まってるんだ。  だから……停滞してしまうんだ。  大切なもの全部忘れて、このまま薄れていくのか。  あるいはクローバーが枯れた時、ここもなくなってしまう……そんな気がする。  ただひとつ覚えていること。  それはクローバーに願いをかければいいということだ。  クローバーには、願いを叶える力がある。  それは……誰かを幸せにしたいという純粋な気持ちが導く、小さな奇跡だ。  なぜそのようなものがあるのかはわからない。忘れてしまった。  でも今は、考える力さえ弱っているのだから、事実だけで十分のはずだ。 「俺の願いは……」  俺の望むこと。  いったい、なんだ?  わからない。特別に願わないといけないことが、あったろうか?  胸にぽっかり空いたこの穴はなんだろう。  埋めたい。埋める方法が知りたい。 「その心の隙間を埋めるには……演劇しかないわよ」  演劇?  演劇、演劇、演劇……。  口の中でもごもごと単語を繰り返してみる。  演劇、重要なキーワードの味がする。  俺は決意した。 「やってみようかな……」  それは悲恋物語だった。  とある娘と、その兄の物語。  娘は、小鳥遊夜々と言う女の子だ。  兄は、天川祐真……俺だ。  俺が演じる俺。  もちろん創作だ。あるいは偶然か。  俺は夜々を愛していた。  妹として、最大の愛を注いでいた。  けどふとした運命のいたずら。  俺と夜々は引き離されてしまうことになった。  俺と夜々は幼心に悲嘆に暮れ、お互いのことを忘れることにした。  忘れたまま、別人として別々の場所で育った。  何年も過ぎた頃……歴史ある街、永郷で俺たちは再会する。  赤の他人として。  互いに兄妹であることを思い出さぬまま、俺と夜々は交流を深めていく。  様々なトラブルと誤解を乗り越え、さあいよいよクライマックス。  ふたりが互い兄妹であることを思い出し……。  そこで世界は傾いた。  クローバーが枯れかけていた。 「……」  正確には、枯れているのは四ツ葉のうちの一枚だけ。  だがその一枚は今にも落ちそうだ。  四ツ葉が三ツ葉になってしまったら、願い事を叶える力を失ってしまう。  なぜだかそう感じた。  大変だ。どうすればいいのだろう。  なすすべもなく呻いているうちに、その一枚は風に揺れはじめた。 「あ……」  拍子抜けするくらいあっさりと、俺は大切なものを失おうとしている。  結局、このクローバーとは自分にとって何だったのだろう?  大切だったことはわかる。  その大切なものを守るため、どうすべきだったのだろう? 「奇跡……願いを……叶える……」  クローバーが四ツ葉のうちに、願いを叶えれば……。  どんな願いを?  元の世界に……本当の日常に……戻れる?  この薄気味悪い嘘の世界を抜けて。 「……でも俺は」  そもそもなぜ、俺はこの虚ろな場所に来たんだろう。  引っかかることはあるのに……思い出せない。  クローバーを使うのか、使わないのか。 「俺は……」  頭を無数の断片が駆け抜けていく。 「……ダメだ」  クローバーは使えない。使うべきではない。  奇跡でまかなった幸せが、今の俺に必要とは思えない。 「嫌なことみんな忘れられますよ?」 「嫌なことを忘れても、強くなれないよ、夜々」 「……」 「そうだろ?」 「……うん」  夜々の姿が消えていく。  いつしか寮も消えて、俺は生身でクローバーと向かい合っていた。  この空間はつらい。  つらすぎて、自分の記憶だけで世界をでっちあげてしまう。  そんなつらい場所に俺はいて、このクローバーが気にかかるというのなら……必ず理由はあるはずだ。  手を伸ばす。しおれかけた茎に触れた。  瞬間、膨大なビジョンが俺の意識に流れ込んできた!  現代……近代……古代……。  凄まじい歴史の移り変わりを見る。  千年以上に渡る、歴史の断片。  その全てに、クローバーを握る人の姿がいた。 「これは……?」  枯れかけたクローバーから流入してくる記憶なんだ!  千年以上の……それを、この一本のクローバーがたくわえていた……というより、この一本こそが……奇跡の力の根元ともいうべきものなんじゃないのか……?  全てのクローバーはここから根別れしたもので……。  俺は個々のビジョンに意識を移した。  古代の戦争。  火が使われたのか、焦土と化した原始的な人里。  殺され失われた我が子を思う母親が、クローバーを手にしている。  クローバーには死者を蘇生させる力はない。  せいぜい、死んだ我が子のことを忘れる程度だ。  切り取られた光景が、クローバーを手に母親の迷う顔をとらえる。  次のビジョン。  男が、粗末な小屋に住んでいた。  病魔に冒され助からない体。  男の手にはクローバーがあるが、救いをもたらすほどの力はない。  苦痛を取り去ることくらいはできるだろう。死ぬまでの、健やかな日々。  男の手がクローバーを握り、震えた。  次のビジョン。  少年の好いた相手は、酷使される召使いの少女だった。  気の弱い少年。荒くれたちに少女が足蹴にされる光景を見ても、恐怖で身動きひとつ取れない。  だが今、少年の手にはクローバーがある。  これを用いれば……何か良いことがしてあげられるのではないか。  少年は少女を救済するために、知恵を絞った。  飛び込んでくる光景はそれだけではない。  その数百倍、数千倍もの記憶が、薄暮を黒く染めるコウモリの群のように、飛び交っていた。 「今まで……クローバーを手にしてきた人たち……」  いや、半分しか当たっていない。  ひとつひとつの記憶の結末を見れば、それがわかる。 「……これは!」  その因果関係を理解した時、俺は雷に打たれたみたいになって立ち尽くした。  子を失った母親は、忘れて楽になるよりも、悲しくても記憶しておくことを選んだ。  彼女はクローバーを捨てた。  病床で苦しむ男は、その誇りのゆえに自分自身の力で病と闘うことを選び、死んでいった。  男のクローバーはいつしか土に還って失われた。  臆病な少年は、少女の上に我が身を投げ出し、かわりに足蹴にされることを選んだ。  自分の力で彼女を救いたいと願ったからだ。  これは、この記憶群は……クローバーを手にしながらも本懐をとげるために用いなかった人々のビジョンだ!  彼らの願いは、人として生き抜くことであるとも言えた。  自然に、地に足をつけて、悲しみとも向かい合って。  人として生き抜く。  根元のクローバーに残された、最後の祈願。その集合だ。 「なんだよ……それで、いいんじゃないか……」  俺は大地で朽ちかけていたクローバーを、両手で握りしめた。  俺は願わない。  ただ、祈る。  奇跡を否定するわけじゃない。  ただ……俺はいいやと思うのだ。  そして奇跡のシステムが終わって、彼女が……あの彼女が戻ってくるのなら……他に何の望みもない。 「そう……これでいいんだ」  俺はクローバーを捨てる。何も願わず、乞わず。  それこそが、鍵なんだ。  すると……その残り香のような最後の祈願は……性質を体現する存在へと変じていく。  俺は戻ってくる彼女のために……かりそめのテーブルとイスを用意した。  カップには熱いハーブティー。  塔のようなスタンドには、思いつく限りのスイーツを用意した。  そうして。 「……やあ」  俺は優しく微笑みかける。いつも彼女がそうしてくれたように。 「……あら?」  そう、思い出したよ。 「シロツメさん、おかえり」  これで閉じた世界はおしまい。  さあ、現世だ。  目を開くと、ひやりとした朝の気配が身を包んでいた。  俺は、ただ立っていた。 「……戻ってきた」 「ですねぇ」  ちゃんと彼女も一緒だ。  まじまじとシロツメさんを眺める。 「人間?」 「ど、どうでしょう?」  体を触りまくってみる。 「あっ……えっ……あんっ」 「生身の体ではあるみたいだけど、どうやって確かめたらいいのかな」 「誰かに私の姿が見えたら、人間ということなんじゃないでしょうか?」  願いをかけないことで、人として生きる決意へと変じて戻って来たクローバー。  その形ある姿が彼女なのだとすれば……。 「なら、寮に行きますか」 「私は寮で暮らすのでしょうか?」 「……あ」  ……そんなことできるわけないよな。  まあ、そっちはあとあと考えよう。 「さ、とにかく行こう!」  彼女の手を取る。 「今日は学校だったりすんのかな」 「どうでしょうねぇ〜」  人の気配がない。  みんな通学したあとあたりか? 「ただいま。誰かいるー?」  やはり人気がないっぽい。 「日曜だっけ? 月曜か?」 「日曜の模様です、祐真さん!」  シロツメさんがカレンダーを示した。  赤い数字が目に入る。 「日曜か。学校サボりでなくてラッキー」 「サボると大変ですねぇ、いけない人になりますね」 「まあ大仕事のあとだし、いいんじゃないかな?」 「いろいろありましたものね」 「でもみんな解決。イエー」  両手を挙げる。 「イエー!」  たしっ。ハイタッチにもつきあってくれた。  俺とシロツメさんは、まるで夫婦漫才ができるくらいにしっくりとしてしまっていた。  うまく言えないが、彼女に対して自分の延長線上って感じがある。  向こうもきっと……同じだろうな。 「とりあえずお茶でも飲もうか?」 「ええ、そうしましょう」  と、俺たちがなごみタイムを過ごそうとしていたその時。 「……………………」  〈憔〉《しょう》〈悴〉《すい》した様子の小鳥遊さん……が入口のところに立っていて、クマのできた目で俺たちを凝視していた。 「ああ、小鳥遊さん。おはよう」 「夜々さん〜♪ おはようございます〜」 「……………………」  様子がおかしいぞ。まばたきひとつせずに凍り付いている。 「どうしたのよ?」 「あああああああああああああああっ!!」  絶叫。 「なんだ、どうしたんだっ!」  トラブルか!? 「うぉ兄ぢゃああああああああああああんっっ!!」  ドドドドといった音を立てて、夜々が俺に突進してきた。 「うぉっ!?」  激突し、もつれあって転倒。  途中に並んでいたゴミ箱をぶちまけながら壁にクラッシュした。 「汚い! 痛い!」  汚い痛いのダブルショックだった。 「祐真さん! 大変!」 「お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」  その動転もおさまらないうちに、ガクガクと揺さぶられる。 「なんなんなんっ?」 「うわーん、お兄ちゃーん!」  泣き始めた。 「……お兄ちゃんって、俺のこと……?」 「あの祐真さん、夜々さんはあなたの妹さんなんですよ」  あー、そういえばそうだった。  この件について俺の記憶は戻らないままなのだ。  彼女の記憶は、俺の願いによって回復したってことなんだな。 「あー、そっか……小鳥遊さんは記憶喪失から戻ったんだ」 「ううっ、うあっ、ぐすっ」  鼻声で言葉にならない。  俺の胸元に顔を埋めて、ただただ泣きじゃくっていた。 「……シロツメさん、どうしよ?」 「私としましては、ほほえましいんですが」 「……なんで……なんで忘れてたのかわかんないっ……私の、お兄ちゃん、なのにっ……!」  うーむ、細かい事情は伏せておこう。 「落ち着いてよ小鳥遊さん。俺は君が妹って感覚『全然』ないけど、一応そうらしいのは間違いないから落ち着いて」 「あああああああんっ!」  落ち着きかけていたのに、また顔を歪めて泣き始めた。なんなんだ。 「いじめ、祐真さんいじめ」 「え? だって俺には記憶が……ないし……ねえ、小鳥遊さんいったん落ち着いてよ。これじゃ話もできないし」 「やだー! またどこか行っちゃうー!!」 「夜々さんは、別れた当時の悲しみを反復して、情緒不安定なんですよ」 「なるほどね……」  とはいえ俺の印象では孤高の小鳥遊さんなわけで。  べたべた触ることはできないが、なだめるように肩を叩き続けてやる。 「あ、祐真!」 「おいっす、月姉」 「……祐真、おまえどこ行ってたんだ?」 「ちょっと……旅を……」  リビングに入ってきたのは、お懐かしいいつものメンツだ。 「わっ、美人……」 「むむむ! 天川君……いや天川!」 「呼び捨てだと!? キャラが違うぞ!」 「こっ、このけしからん系の女性はいったい誰なんだ!」 「……が、外人さん?」 「ならば雪乃先生を呼んできてくれたまえ」 「連れてきました!」  雪乃先生を連行してきた。 「早ぇな稲森さん」 「外国語なんてわかんないわよーーーーっ!!」  連行されまいと柱にしがみつきながら叫ぶ教師。 「期待してないから安心してください」 「というか、みんなシロツメさん見えてるみたい」 「し、新鮮です……でも少し照れくさいですねぇ……」  一度に大勢の視線を帯びて、シロツメさんはもじもじした。 「ほう、日本語ペラペィラなのね」 「失礼ですが、どちら様ですか? この祐真とはどのようなご関係で? 肉体関係の有無は?」 「ちょっと」 「シロツメと申します。祐真さんとは恋人とからぶらぶの関係にあたるのではないかと思われます。アリです」  大問題になった。 「なんでっ、なんでーーーーっ!?」 「がーんがーんがーん!」 「何よ、どういうことっ?」 「……祐真、あんたって子は……15日も失踪していたかと思えば……!」 「て、天川君……君は……一人で卒業してしまったのだね……青春という名の、すえた牢獄から……」 「……祐真、見直したよ。失踪から妻帯して戻ってくるとは……」 「ちょ、ちょっとみんな落ち着いて!」  しかし勢いは止まらない。 「どうして! どうしてっ!? お兄ちゃん、ねえってば!」  これがあのクールな小鳥遊さんなのか……別人じゃないか。 「どうしてって言われても……好きだから……としか……」 「キーック!」  蹴られた。 「いててっ」 「天川〜〜〜っ、あんた人より早くにぃぃぃぃ!」 「いたいって、マジでいたいってば!」 「がぶーっ!」 「噛むなぁぁぁぁ!」  凄絶なリンチのはじまりだった。  皆が落ち着いた約10分後。  シロツメさんを囲んでの事情聴取。 「つまり……ずっと山で一人暮らしを?」 「ええ。世間知らずでお恥ずかしいのですが……身よりもなく……こうして、幼なじみの天川祐真さんを頼って」 「なーんか時系列がおかしい気がするけど」 「じ、実際そうなんだから仕方ないじゃん……」 「…………」  夜々はシロツメさんの反対側、俺の右隣で抱っこさんしてる。  さっきからずっと無言で怖い。負のオーラを漂わせている。  ……触れぬが吉だろうか。 「……はぁ……すごい話」 「ごめん……稲森さん……」 「いいけどね……」  この騒ぎのどさくさに紛れて、稲森さんともちょっと話せる空気ができたのは、嬉しい誤算だった。 「それよりこっちの質問にも答えてよ。15日も経ってたって?」 「……まあ、君が失踪したのが土曜日、そこから間に土曜日が二回入ったから……」 「うわ、サボりどころの騒ぎじゃなかった」 「ちょっと、迷いすぎたかもですね〜」 「うーん……」 「山の中で迷ってたなんて……呆れるわよ」 「よく生きてたわね」 「普通死にます」 「……体、鍛えておいて良かったってことかな……」  苦しい苦しい。 「…………」  う、疑われているっ。でも誤魔化し通すしかないからなぁ。 「……暖をとったか」  桜井先輩が、シロツメさんの胸あたりを見ながら口にした。 「なっ、そ、それはもしや……さきほどの肉体関係発言と直結するご意見ですか!」 「ああ。熱い愛の炎と行為で、ふたりは寒波にも屈さなかったんだろうね」 「詮索しないで……頼むから……」 「う、う、う……!」  またぐずりだした。 「小鳥遊さん、だから、あまり真に受けないで……頼むから……」 「……その子があんたの妹だって名乗りだしただけでも大騒ぎだったのに……やってくれるわ」 「どーも……」  はぁ、予想以上に大変な騒ぎが、これからも待っていそうだな、こりゃ。 「……お兄ちゃんは……渡さない……」 「なんだか……ねぇ……」 「ひっかかる」 「……これ、学校にどう報告すればいいのよ?」 「とりあえずママにメールしなくちゃ」 「祐真、男になったか……」 「と、とにかくだ!」  俺はだんと勇ましく立ち上がる。 「このシロツメさん、住む場所もないしいろいろ大変なんで……ここで寮母さんをやってもらおうと思うんだけど、どうかなぁ?」 「まあ、それは名案ですわね!」 「でしょー? イェー!」 「イェー!」  襲いかかるポーズで両手を掲げると、それを受けてシロツメさんはお腹の前あたりで両手を待ち受けモードに。  そこに両手を落としてぱしーん。 「もいっちょー!」 「はーい!」  今度は逆に俺が下で手を広げて、シロツメさんが上からぱしーん。 「寮母ー!」 「なりたーい!」  最後はハイタッチを合わせてぱしーん。  居合わせた全員の顔がメチャメチャ引きつっているのが壮観だった。 「寮母って、寮母ってアンタ……どうやって話通すのよ〜!」  雪乃先生ブチキレ。 「……バカップル……見てらんない」  諦めたようなため息。 「夜々もするー!」  小鳥遊さんが両手をかぎ爪にして、俺に襲いかかってきた。 「わっ、それ違う! 違うって!」 「それと皆さん。実は私、祐真さんともっとイチャイチャするために結婚しようと思うのですが? どのようにお手続きをすればよろしいのか、是非ご教授いただければと……」  止める間もなかった。  シンとするリビング。  次の瞬間。 「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っっ!?」  永郷市には高台と呼ばれる公園があり、ランニングコースとして地元の住人らにはよく利用されている。  コースから外れ山林に少し足を踏み入れた辺りに、不思議な場所があると噂されている。  それは冬になると現れ、厳しい寒さと雪の中でありながら、ぽつんとそこだけ草が露出しているのだという。  不思議なことに、冬以外の季節には見られず、同じ箇所にも現れないことから……一部には幻の場所なのではないかと街の噂好きには囁かれている。  さらにそこに生えている草は、全てが白詰草であるという徹底ぶりだ。  残念ながらそれらは四ツ葉ではない。  しかし雪に覆われない草自体が、滅多に見つからない四つ葉のクローバーを連想させはしないだろうか?  実際、その場所を見つける事ができた者は、明日への活力を得ることができるともっぱらの評判だ。  その不可思議な緑のスポットのことを、人々は夢をこめてこう呼んだ――  早く起き過ぎて、時間が余ってしまった。